一人の男が、小さな足音を立てながら淡々と通路を歩いていた。
彼が進むのは、時空管理局本局の訓練スペース、その一角である。
進む先には訓練室があり、彼はそこへと突き進んでいた。
足運びに迷いはない。また、気負いも気怠さも。これから始まるであろう闘争への楽しみを瞳にたたえ、彼は笑みさえ浮かべていた。
彼の名は、カール・メルセデスという。
微かに青みがかった黒髪に、碧眼。
端正な顔立ちは、自信に彩られ強気な色が浮かんでいる。
身に纏っているバリアジャケットは一般局員がまとうプレートメイル型のそれだが、彼の色彩は普通のものではなかった。
教導隊に所属する局員は白い制服をまとう。同時に、バリアジャケットにもその色を反映させることがあった。
彼もその例に漏れず、通常ならば黒く染まっている軽装甲以外の部分は白一色でまとめられていた。
メルセデス一等空尉。魔導師ランクはミッドチルダ式空戦S+。
所属は戦技教導隊で、歳は十八。エリートと云えばエリートだ。
まごうことなきストライカーである彼は、これより行われる模擬戦で、必ず勝利すべく戦意を高めていた。
ああ、と思う。遂にこの時がやってきた。
前に彼女と顔を合わせたのはいつだっただろうか。
JS事件が終結した後に一度だけ言葉を交わして――その時だったかもしれない。
本当ならばその時に再戦を望んでいたが、しかし、当時の彼女はJS事件で使用したリミットブレイクの反動によって酷く消耗していたのだ。
そんな彼女を倒しても意味がないと、カールは模擬戦を先延ばしにして、二年も経ってしまった。
そうして、今日だ。
彼女――高町なのはもカールも、教導隊に所属しているため落ち着いて顔を会わすことはない。
JS事件の最中に養子とした少女を育てるために彼女はミッドチルダとその周辺世界の担当として落ち着いていたが、カールは違う。
少しでも経験を。少しでも魔導師としての実力を伸ばすために、数多の世界を渡り歩き魔導師を教導し、必要とされれば現場で戦ってきた。
所属は陸でも海でもない空という区分だったが、それでも渡り鳥のように世界を転々としていたカールは海の局員に近いだろう。
そうしてようやくまとまった休みを取ることができ――今日という日が訪れたのだ。
コンディションは完璧。三日の完全休養を取った後にオーバーワークに気を配りながらトレーニング、体調を整え、そして今日という日を迎えた。
デバイスの調整も完璧。技術部の知人を拝み倒して、オーバーホールを完了し、馴らしも終えている。
カートリッジもたった一回の戦いで想定される以上に持ち込んだ。
念入りに行った準備は、関係ない者が見れば、なんの決戦に望むんだと白い目をしそうである。
が、カールからすればこれは正しく決戦であった。
高町なのは。世を風靡する見麗しいエースオブエース。
多くの教え子から慕われ、まだ二十歳になったばかりだというのに三度も世界の危機を救った英雄の一人。
その鮮烈な生き方と存在感は多くの人物を魅了し――ある意味では、カールも彼女に魅了された人物の一人と云えるだろう。
「なのはさん、今日こそ勝たせてもらうぞ……!」
口の中で呟いた言葉は、しかし、呟きと云うには些か強い口調で紡がれた。
そう、必ず勝つ。今日という戦いだけは絶対に。
高町なのはが宿敵であることは間違いないのだが、それ以外にも、この一戦にカールは高町と賭けのようなものを約束していた。
『負けた者は勝った者のいうことを一つだけ聞く』
と、なんともまぁ俗っぽい上にお約束な代物ではあるものの、賭けに望む本人からすれば張り切らないわけにはいかない条件だ。
というか、必死すぎで哀れである。
もし自分が勝ったら――それを想像し、勝ち気に歪んでいた笑みがふにゃっとする。
ちなみにふにゃっと緩んだ笑みは通りがかった女性局員に目撃されており、キモい、と言葉にせずとも向けられた白い目が語っていたりする。
カールは咳払いをし、すぐに気を引き締め直すと、目前まで迫った訓練場へと進む歩調を早めた。
通路が暗いせいだろう。訓練場の照明は眩く、逆光によって中の風景が見えない。
その光の中へとカールは踏み込んで、
「あんた誰?」
唐突に目の前へと現れ、無遠慮な質問を投げかけた少女に、眉根を寄せた。
瞬間、カールは気付く。薄暗い通路を進んでいたはずの自分が、草原に立っていることに。
周囲を照らすのは照明ではなく、陽光。見上げれば抜けるような青空が広がっており、視線を落とせば、広大な草原は海原のように続いていた。
「……どこだここは」
「ちょっと、私の質問に答えなさいよ!」
「ここはどこだと聞いている」
「いや、あのね……」
「うおおおおおおお、なのはさぁぁぁぁぁぁああんッ!!」
「ヒッ……!」
唐突に叫びを上げたカールは、頭を抱えながら草原をごろごろ転がる。
転がって、ようやく彼は冷静さを取り戻した。
ここはどこなのか。何が起こったのか。
それらは未ださっぱり分からないものの、そう、こういう時こそ慌ててはならないと教育されている。
身体についた草を払いながら、カールは立ち上がった。
そして先ほどの少女を見れば、彼女は何やら頭の禿げ上がった中年男性と言葉を交わしていた。
男との会話の中に出てきた、使い魔、召還――その二つの単語から、カールは猛烈なまでに嫌な予感を抱いた。
「さて、それでは儀式を続けなさい」
「……はい」
男に論破されたのか、少女が肩を落としながらカールの方へと渋々進んできた。
この時になって、へぇ、とカールは軽く眉を持ち上げる。
まるで人形かと見間違いほどに、少女の容姿が可憐だったからだ。
桃色がかったブロンドは、陽光に煌めいて眩しいほど。
拗ねた様子の表情も、元の顔が整っているため全然許せる。
体型には女性らしさというものが欠けているかもしれない。が、その分、彼女には少女としての魅力がこれでもかと云うほどに詰め込まれていた。
「……っと。
あー、ちょっと良い?」
「何よ」
我を取り戻したカールは、少女から目を逸らし、周囲を見渡しながら問いかけた。
「……時空管理局、って知ってる?」
「じくう……何?」
「いや、知らないなら良いんだ」
……どうやら嫌な予感が当たってしまったらしい。
召還、使い魔。それらの単語を聞いたときから、嫌な予感はしていたのだ。
だがどうやら少女は時空管理局の存在を知らない――ならばおそらく、ここは管理外世界か未発見の世界。
なんとなくだが、カールはこの草原に集まっている少年少女たちから魔導師としての気配を感じ取っていた。
魔力に触れることを生活の一部としている者の雰囲気――カールの同類、その気配を。
だが、魔法を使えるからと云って管理世界の住人であるとは限らない。
管理世界の一つにカウントされるには、次元航行技術の発達が最低条件である。
そのため、次元空間を行き来する技術を持っていなくとも、魔法を使用して生活している者たちがいても、そう珍しいことではない。
どうやら自分は、次元航行技術を持たない世界の住人に召還されてしまったらしい――
冷や汗がだらだらと流れてくるが、カールは落ち着き払った態度を装い懐から煙草を取り出した。
カールは喫煙者なのだ。ヘビースモーカーというほどではなかったが、心を落ち着けたい時や、くつろぎたい時などには煙草を吸う癖があった。
そして今がその時と、箱から一本抜き出し――
「あ、待ちなさい。それ咥えるならもうちょっと待って」
「ん?」
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」
煙草を箱に戻しながら、ん、とカールは目を細めた。
呪文を少女は唱えている。
だが足下に魔法陣が展開するわけでもなく、トリガーワードとなるものに呪文の方向性を集約させている風でもない。
そして最後に木製であろう杖をカールの額に翳すと、彼女は息を呑んだ。
何が――と思っていると、不意に少女がカールの両肩に手を置く。
「屈みなさい。届かないから」
「ん?……ああ」
云われた通りにカールが屈むと、少女――ルイズは、両腕でカールの頭を抱き込んで、即座に唇を寄せてきた。
カールの唇と、ルイズの唇が重ねられる。
瞬間、落ち着こうとはしたものの混乱に極みにあったカールの頭は限界を超えて真っ白に。
その時頭に浮かんできたことは、
「や、やめないか、はしたない!」
そんな言葉だった。
カール・メルセデス。割と真面目な人間なのである。
高町なのはに対しては少しアレだが。
月のトライアングル
くぅくぅと可愛らしい寝息が立ち始めたのを確認して、カールは横たえていた身体を起き上がらせた。
視線を向ければ、自分のご主人様らしき少女は猫のように丸くなりながら寝入っているようだ。
それを確認し、やれやれとカールは頭を掻いた。
立ち上がり、ゆっくりと窓辺に近寄りながら、彼は自分の身に起こったことを思い返す。
窓から見上げる空には二つの月が浮かんでいる。そう、ミッドチルダと同じ二つの月だ。
だがここはミッドチルダではない。それだけは確実だろう。
訓練場に入ったと思ったカールだが、しかし、どうやら彼はその際に転送魔法に巻き込まれて異世界へと導かれてしまったようだ。
まったくの偶然なのだろう。原因となったのはこの部屋のベッドで寝息を立てて眠っている少女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールというらしい。
彼女は使い魔召還の契約を結ぶため、対象をランダムに設定した転送魔法を使用し、自分をこの世界へと引き寄せたのだ。
そうして彼女は状況を把握していない自分に対して使い魔契約を結んでしまい――今の状況がある。
どうなってんだよ、とカールは頭を振った。
高町なのはとの戦いに臨むつもりでいたため状況の把握が遅れ、ただ流されるままに今に至っていた。
それに多大な後悔を覚えながらも、カールは少女の言動から集めた情報の断片から、自分の置かれた境遇を把握しようと努める。
まず最初に、この世界である。
月が二つある点はミッドチルダと同じで、雰囲気からベルカ自治区ならあるいはとも思うが、ここには機械文明の香りが微塵もしない。
街の明かり。車の騒音。埃臭さが微かに漂う空気。それら、文明の汚染とはまるで無縁な自然が広がっているのだ。
召還を受けた草原からトリステイン魔法学院というらしい建物の寮に戻ってくるまで散策したため、断言できる。
ここは管理外世界。もしくは、未確認世界。
海に所属しているとはいえ、流石のカールも管理外世界すべてを把握しているわけではないのだ。
次元航行部隊でもすべてを把握している者などいないだろう。仕方ないといえる。
ともあれ、ここは管理局との接点がまるでない世界なのだ。
これはルイズに対して時空管理局の名を出し、何それ、と切り捨てられたところからも分かる。
さて――と、カールは懐に手を伸ばした。
抜き出した一枚のカードは、スタンバイモードのストレージデバイスである。
「スタートアップ、カブリオレ」
彼が銘を口にすると同時、群青の魔力光と共にデバイスがその形を取った。
彼の右手に握られたのは、一般局員が手にするそれと同じデザインの長杖だ。
が、その中身はまるで別物と云って良い。ストライカー級魔導師の扱うデバイスがどれも一品ものであるように、カールのデバイスもまた、専用のチューンを受けていた。
目に見えた違いは一点だけ存在する。それはヘッドの下に設けられたオートマチック型のカートリッジシステムだ。
ただ、外見はやはり一般局員のそれと変わらないのだが。バリアジャケットと同じように。
デバイスを掴んだ瞬間、カールは何か違和感のようなものを感じ取った。
これ、と上手く言葉にできるわけではないのだが、そう、高揚感のようなものを。
おそらく異世界へ投げ込まれたことで緊張しているのだろうと自身を納得させ、カールは窓を開けると、飛行魔法を発動させて外へと飛び出した。
群青の輝きを瞬かせながら、カールは一気に上昇を開始する。
トリステイン魔法学院は四隅に塔が立ち、塀に囲まれた作りである。
夜ではあるものの、明かりはまばらに灯っていた。
カールはすぐに視線を逸らすと、そのまま浮上を続ける。
そうして、やはり、と頷いた。
「明かりが少なすぎる。
ミッドチルダであることはまず有り得ないし、機械文明も発達していない。
管理外世界か未発見世界……これは確実かな」
うむうむ。一人納得するカールは、次いで足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
なんの魔法を使うのか――勿論、転送魔法である。
一時間半ほど。それだけの時間を拘束されてしまったが、果たして高町なのはは待っているだろうか。
そんな考えが頭の片隅にあるものの、局員であるカールにだって職業意識というものがある。
長年夢見たなのはとの決着は当たり前のように大事だったが、だからと云って仕事を放り投げて良い理由にはならない。
取り敢えずは本局に出向き、使い魔とされた経緯を報告し、指示を受けるべきだろう。
ただ召還されたならばともかく――ルーンという、使い魔の証が自分には刻まれているのだ。
これが一体どんな影響を自分に与えるのか把握する必要もある。そこまで考え、ああ面倒、とカールは頭を掻きむしった。
検疫にルーンの解析、報告書の作成。やるべきことはたくさんあった。
次元航行部隊ではないため、慣れてない報告書が一番面倒である。
どうして休暇の締めがこんな厄介ごとなのだと、毒づきたい心境である。
それでも仕方がないと、カールはバリアジャケットで自らの身体を覆いながら長距離転送を発動させた。
そうして――
「なん……だと……」
転送魔法が終了すると同時、目に飛び込んできた光景に、カールは思わずそう呟いていた。
彼が今存在するのは次元空間、時空管理局本局の転送ポートであるはずだ。
転送先の座標はそう設定したし、術式も正しく組み込んだ。
だというのに、彼の目の前には何も存在していない。
あるのはただ、極彩色に光り輝く次元空間だけである。
んなアホな、と呟いて彼は再び転送魔法を発動させた。
幾度も座標を確認し、何度も何度も。
しかし転送魔法が終了する度に現れる風景は極彩色の広大な宇宙であり、やはり本局は存在しない。
ならば、と彼は親交のある次元航行艦へと通信を送った。
だが通信はどれとも通じず、ただノイズ音が続くばかり。
それなら、と彼は片っ端から地上部隊の本部へと座標を変更して転送魔法を発動。
が、やはりカールを嘲笑うかのようにそこには何もない。
あったにはあったが、自分が呼び出された世界と同じように広大な自然が広がっているだけだった。
それだけならばまだ良い。運が悪いときには、マグマが燃えたぎる大地に降り立ちそうになり、あやうく焼死するところだったのである。
「……あり得ない」
そう云いながら、カールは自分が呼び出された管理外世界の空へと戻ってきた。
次元空間も他の世界も、どれも人心地がつけないからだ。
何が起こっているのかさっぱり分からない。
デバイスが壊れた? まさか。オーバーホールから帰ってきたばかりなのだ。
その上、ストライカー級魔導師は管理局の切り札と云われている。そんな自分のデバイスを点検なしで返すなど有り得ない。
もしくはデータを改竄するウィルスを引き込んでしまった?
まさか。デバイスのプロテクトは完璧と云って良い。機能中枢は管理局の技術の粋を集めて作られ、一般からすればブラックボックス扱いなほどである。
ならば一体、何が起こっている――
失意のまま、ふらふらとカールは下降を開始する。
混乱しきりのカールが当座のしのぎとして考えたのは、自分を呼び出した少女が目を覚ますのを待ち、情報を収集することだった。
悪戦苦闘したカールがこの世界に戻ってきたとき、既に空が白み始めていた。
もう三十分もすれば陽が燦然と大地を照らし上げるであろう時間だ。
冷たい風が流れる空を下降し続け、彼は片手で頭を抱える。
「ありえない……どうしてこんなことに。
夢……なわけないな。どうなってるんだ?
頭が痛い限りだ……ああクソ」
ぶつくさぶつくさ漏らしながらカールは再び魔法学院へと戻り、記憶を手繰り寄せながらルイズの部屋を探した。
そうして、ああ、と気付く。窓を閉め忘れていたらしい。
縁に手をかけ――と思った瞬間だった。
「……」
「……」
ばっちりと目が合ってしまう。
寝ぼけ眼で窓を閉めようとしていた少女――おそらく寒くて起きたのだろう――は、窓の外で浮かんでいるカールを見て目を見開いた。
大きめのネグリジェを着た少女は、枕を引きずった状態で口元をひくつかせている。
カールもまた少女が起きているとは微塵も考えていなかったので、今までの混乱も相まって、言葉を失ってしまった。
そうして――
「よ、よ……!」
「よ?」
「夜這いよ――!」
「どうしてそうな――ぶふっ!」
手に持った枕を全力で投げつけられ、間抜けな声を上げてしまった。
そうされたカールが思ったことは、もう朝だぞ、なんてズレたことだった。
「ま、まさかあなたがメイジとは思わなかったわ」
朝っぱらから近所迷惑な金きり声を上げたルイズは、すぐに我に返るとカールを部屋へと引きずり込んだ。
ちょっと外向いてて! と彼女は言いつけ、その間に着替えた。
昨日と同じブラウスとプリーツスカートを身に着けた彼女は、心持ち頬を赤く染めながらそう言い放った。
赤面しているのは、まぁ、普通に考えて寝ぼけた発言と寝間着姿を見られたことへの羞恥だ。
着替えても収まらない胸の動悸。水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤した。
そうして落ち着きを取り戻すと、もう、と唇を尖らせる。
「そうならそうと、早く云ってくれれば良かったのに」
それはルイズの心底からの言葉だった。
じっと、目の前の男を見る。
年の頃は十七、八歳ほどだろうか。
右手に握った長杖は、彼の杖なのだろう。光沢から察するに何かの鉱石で作られているのだろうか。
学生で、魔法をまともに使えないルイズといえど、魔法使いの端くれだ。彼の杖が通常の規格から外れ、オーダーメイドで作られた一品であることにはすぐに気付いた。
その勘違いはある意味で当たり、ある意味では外れている。が、ルイズがそれに気付くことはできない。
杖に注いだ視線を、ルイズは男へと戻した。
青みがかった黒髪に、碧眼。髪の色こそやや珍しいものの、碧眼は珍しくはない。
どこの人種だろう。顔つきにはトリステイン人の面影があるものの、微かな違いがある。他種の血が混じっているのかもしれない。
この時点で、ルイズはカールの認識を使い魔からパートナーへと改める。
もし平民という認識のままだったならば、カールへの態度も違っただろう。
しかし彼が魔法を使えるという一点で、彼女は彼を評価した。
男はルイズに柔らかな笑みを向けると、やや迷った風に口を開いた。
「悪かったよ。
俺も昨日は混乱しててさ。
いつ君に説明しようかと迷って、結局できなかったんだ」
「そういうことは早く説明して欲しいわ!
まったく、平民と間違っちゃったじゃないのよ、もう……それで?」
「ん?」
「あなたのクラスはなんなの? ドット? ライン?
それともトライアングル? も、もしかしたらスクウェアとか?
い、いえ、それより系統は? 水? 風? それとも火かしら?」
彼がメイジ――実際は魔導師――と分かってからまずルイズが気にしたことは、それだった。
まず最初に聞くべきことは他にもあるだろうに、寝起きの頭はどうやら上手く回ってくれないようだ。
使い魔とは主人の特性を色濃く現すという。同時に、格も。
そう、格だ。メイジの格。使い魔は鳥などの小動物からドラゴンなどの幻獣と、幅広く呼び出される。
その選択は魔法使いの属性と、眠っている素質に左右されるという。
どこぞのにっくき宿敵はサラマンダーを呼び出し、幼馴染みの姫はユニコーンを、婚約者となっている男性はグリフォンを呼び出している。
立派な幻獣を従えている者たちは、どれもが最低でもトライアングルクラスのメイジである。婚約者に至ってはスクウェアだ。
使い魔はメイジの格を現す。論理的なロジックがあるわけではないが、示された結果として事実と言い切ることができるだろう。
そして系統。
彼が特化している系統は、それすなわちルイズの系統と云っても過言ではない。
なので、ルイズは目の前の男のクラスと系統がどうしても気になってしまう。
彼女にとってそれは、一つの指針となりうるのだ。
ゼロのルイズ。魔法の成功率ゼロからつけられた名前であるそれが示すとおり、ルイズは自分の覚えている限り魔法に成功した試しがない。
そのため、自分がどの系統に特化しているのかすら分からないのだ。
自分の才能がまるで分からなかった――だが、目の前の男が自分の格と系統を現しているのならば、その悩みが一気に解決するだろう。
そう思い、わくわくしながらルイズは男の口が開くのを心待ちにする。
彼は何かを悩むように眉間に皺を寄せると、ええっと、と前置きをした。
「……火、雷、氷、石化。
どれも使える」
「ほ、本当なの!?」
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
男の口から発せられた事実に、ルイズはその場で舞い上がりそうな感動を覚えた。
全系統が使えて、その上スクウェアクラス!
どうしてスクウェアと即答せず、回りくどい云い方をしたのか。そんな疑問があったものの、ルイズは全力で都合の良い方向に彼の発言を解釈した。
が、間違ってはいない。
カール・メルセデス。彼は炎熱、雷撃、氷結、石化の魔力変換をすべて行えるのだ。
それらは希少技能ではなく、すべて会得した技術によって。
カール本人として今の発言を、布石のつもりで行っていた。
この世界の魔法がミッドチルダ式、古代ベルカ式、近代ベルカ式のどれとも違うことは分かっている。
使い魔召還魔法がまずそうだし、昨晩目にした飛行魔法だってそうだ。
彼らが飛行魔法を発動した際、そこに魔力光を見ることはできなかった。
魔術体系が違うことは既に把握している。その確証を得るために彼はルイズへ否定されること前提の発言をしたのだった。
が、カールもカールで困ってしまう。
……どうして否定しない?
そんな風にカールが訝しんでいると、ようやくルイズは自分の世界から戻ってきた。
ごほん、と咳払いをすると、ぺちぺちと自分の頬を叩いた。
「ええっと、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃって。
スクウェア――じゃなかった、ええっと、その、あなたは貴族?」
その時になってようやくルイズは自分が聞くべきことに気付いた。
彼は何者か。メイジ≠貴族とは云っても、メイジの大多数が貴族であることに変わりはない。
もし彼がどこかの領地を治める貴族であったなら、色々な問題が絡んでくる。
大事といえば何よりも大事な問題だ。
「……貴族、じゃないね」
「そう」
カールの返答に、ますますルイズの機嫌は良くなった。
もし貴族だったならば、とんでもなく面倒なことになったのは事実だ。
貴族は誰もが公務についている。法務や研究職、軍。そういった仕事に就いている人間を自らの使い魔として使役することはできない。
使い魔の召還は神聖なものとされてはいるものの、だからと云って貴族の責務である仕事を放り出すことはできないだろう。
なので彼が貴族であったならば、使い魔ではあるものの、常に側に置くことは不可能だっただろう。
「ね、貴族でないなら、あなたは何をしていたの?
スクウェアクラスなんだから、傭兵?」
「戦うことを生業にしていた。
それと、魔法を教えたりとか」
傭兵業の傍らに貴族相手の家庭教師。
成る程、確かに。スクウェアクラスならばどちらも果たすことは可能だろう。
家庭教師をしていたということが、ルイズには嬉しくてたまらなかった。
まったく同じということはないだろうが、使い魔は主人と似るものだ。
であれば、自分と似た魔法使いである彼に魔法を教えてもらえたら、自分はゼロという汚名から脱却できるかもしれない。
我が世の春が来たー! と、窓を開いて大声で叫び出したいルイズだった。
肩を震わせウフフフフ、と笑い出すルイズに不気味な何かを感じながら、ううむ、とカールは首を捻る。
貴族。貴族。ならばこの世界は封建制度が生きているのだろうか。
そこまで考え、駄目だ、とカールは肩を落とす。
管理外世界を相手に仕事をしている次元航行部隊ならまだしも、カールはただの教導官である。
社会制度などの知識は一般的なそれであり、かつ、彼は魔法理論と戦術、戦略理論は立派に語れるものの、それ以外は脳筋と呼ばれる部類だった。
封建制度、という単語は浮かんできたものの、さっぱり分からない。
参った……と肩を落とすカール。
……補足しておくと。
カールには自分が異世界の住人であることを明かすつもりはない。
云えば楽になるかもしれない、という認識はあるものの、管理局の常識として異世界文明へと干渉は原則的に禁止とされているのだ。
あくまで原則的にであり、危機的状態に陥った場合は別とされている。
が、カールは自分の置かれた状況が危機的なものなのか上手く把握できないのだ。
転送魔法を使っても本局に行けない。他の世界の座標もどうやらズレているらしい。
次元航行艦と通話することもできない。
考えれば考えるほど危機的状況ではあるのだが、自らの身分を明かすことで取るべき行動を変える必要がでてくるため、慎重にならざるを得ない。
「……っと、これぐらいにしましょうか。
ちょっと早いけど朝食にしましょう」
「ん、ああ」
待っててね、とルイズは云うとカールに背中を向けて、ブラシで髪を梳かし寝癖を整え始めた。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、カールはデバイスをスタンバイモードに戻してバリアジャケットを解除する。
ジャケットの下に着ていたのは、教導隊の証である白を基調とした制服だった。スラックスは青、上着は肩の部分が同じく青でそれ以外は白。
これが一張羅になったな、と彼は溜息を吐く。
すると、
「……え? いつの間に着替えたの?」
見だしなみを整えて振り返ったルイズは、心底不思議そうに首を傾げた。
「それに、変わった服ね」
「……趣味なんだ。
それより朝食を取るんだろう?」
「あ、うん。じゃあ行きましょうか」
やや納得がいかない風に眉根を寄せながら、ルイズは部屋の出口へと向かった。
その後を追うカールは、ふと、本棚に収まった書物の背表紙に視線を注ぐ。
この世界の文字であろうそれを、カールは読むことができた。翻訳魔法だ。ルイズと喋ることができてる点で、正確に発動していることが確認できる。
が、文字を目にして更にカールは悩まされることになった。
会話だけならともかく、文字の解読は術式に言語が組み込まれてなければ不可能なはずだ。
だというのに翻訳魔法は正しく文字を読ませてくれる。
管理外世界の言語を、何故……?
その疑問に対する答えは、誰も持ち合わせていない。
ルイズの後を追いながら、カールは周囲を見回していた。
その挙動に気付いたのだろう。ルイズは脚を動かしながらも、好奇心の混じった笑みを彼へと向ける。
「どうしたの?」
「いや、こういったところが珍しくてさ」
「そっか」
カールの言葉に、ルイズはまたまた誤解する。
トリステイン魔法学院は、名門と云われる貴族の子弟が通う学舎である。
そうでない下級貴族は各々で魔法を学ぶし、魔法学院は他にも存在した。
そのため、カールはトリステイン魔法学院を見たことがないのだろうと、彼女は思ったのだ。
「確かに、普通の貴族が入れるような場所じゃないわよね。
知ってるかもしれないけど、ここトリステイン魔法学院は、由緒正しき学舎なのよ。
各国からの留学生も受け入れてるし、王族や大貴族の子供もここで魔法と貴族としての作法を学んでいるわ。
そう、実力と品格を兼ね揃えた、エリートメイジを輩出する場所なのよ!」
薄い胸を張りながら、ルイズはそう言い切った。
もし昨日までの彼女であればエリートという言葉を使うことはなかっただろう。
自分は違う、という意識があったからだ。
だが今は違う。自分はスクウェアメイジになれるだけの素質があると、胸を張れるのだ。
「……すごいところなんだね」
「ええ、そうよ。
んー、そうね。まずはそのすごさの一つ目を見せてあげるわ」
悪戯っぽく笑って、ルイズは心持ち歩調を早めた。
そうして二人はアルヴィーズの食堂に到着する。
そうして自分の席に到着すると、ルイズは椅子を一つ手にして並べられた中に割り込ませ、その隣に座る。
腰を下ろすと、立ったままのカールを見上げた。
「隣に座って良いわよ」
「ありがとう。
……それにしても、朝からすごい料理だな」
カールはテーブルに鎮座する鳥のローストに圧倒された風に呟いた。
見渡せば、他にもパイなどが並べられている。
ルイズはそんな彼の反応に満足して、ふふん、と再び胸を張る。
「でしょう?
通ってる生徒が生徒だもの。
相応のテーブルマナーを癖として覚えてゆくのよ」
「俺はテーブルマナーと無縁な生活を送ってきたんだけど、大丈夫?」
「ええ、構わないわ。
あなたは私のお客様のようなものだもの」
ルイズの言葉は、カールの扱いを端的に表していた。
もしここにいたのが平民であるならば、相応の扱いをルイズは行っていただろう。
しかしここにいる人物はメイジ――魔導師だが――である。それも、自分の家庭教師候補。
ここで機嫌を損ねて帰ると云われたら、たまらない。
高慢な性格を剥き出しにして彼を不機嫌にさせてしまうほど、ルイズは常識外れではなかった。
そう――彼女は猫を被っているのだ。
「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。
今日もささやかな糧を我に与えたもうことを感謝します」
祈りの声を唱和して、目を開くと、カールの鳩が豆鉄砲くらったような顔が目に入った。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない。
そうか、宗教か……」
カールの声は小さく、ルイズは後半を聞き取ることができなかった。
構わず、彼女はナイフとフォークを手に取る。ルイズの手つきを見たのだろう。見よう見まねといった風に、カールも食器を手に取った。
ルイズはおっかなびっくり動かされるカールの手つきの柔らかな声で注意を飛ばしながら、自分の朝食を平らげる。
そうしてナプキンで口を拭うと、カールが食べ終わったのを確認して席を立った。
二人は食堂を歩き、隣だって歩きながら外へと向かう。
じろじろと視線を向けられるが、それはカールに対してだろう。
学院の生徒ではないのに、生徒と同じ場所で食事を取っていた。その上、変な格好をしている、と。
しかしルイズは、それがとても心地良かった。
むしろ見せ付けてやっている気すらするのだ。
ここにいるスクウェアクラスのメイジは自分の使い魔――そう、使い魔なのだ。
「ええっと……ルイズ、で良い?」
「ええ、良いわよ」
「そうか。じゃあルイズ。
これからの予定はどうなってるんだ?」
「少し間を置いて授業になるわ。
あなたも出席する? そりゃスクウェアクラスのメイジじゃ、私たち向けの授業を聞いても意味はないかもしれないけど」
「いや、同席させてもらうよ。
どんな風に魔法を教えているのか興味があるし」
「分かったわ」
「あ、ちょっと良いか?」
「何?」
「本棚にあった本を何冊か授業に持ち込ませて欲しい。
君が一年生のときの教科書があったみたいだから」
「ええ、それぐらいなら全然平気よ。構わないわ」
カールの言葉に、ルイズは微かな期待をしてしまう。
想像以上に彼は勉強熱心なようだ。家庭教師というのなら、やはり学校で何を教えているのか気になるだろう。
大当たりを引いたー、と幸せ一杯のルイズだった。
石造りの大学の講堂、もしくはコンサートホールのような場所で授業は行われていた。
その一角にルイズとカールは隣だって座りながら、授業を受けている。
授業を真面目に聞いているルイズだが、カールと云えばルイズから借りた教科書を捲りながら興味深げに目を細めている。
かと云って教師の話を聞いていないわけではない。
マルチタスクを駆使して、女性教師の声を自分なりに解釈しながら、ここ、ハルケギニアの魔法理論を理解しようとしていた。
ちなみに授業が始まる前にルイズの使い魔がどうたらと騒ぎがあったのだが、飛行魔法を発動させて浮いて見せると、騒ぎは簡単に収まった。
先住魔法? まさかエルフ? いや、耳尖ってないし。などのやりとりはあったが、問題に発展するほどではなかった。
ともあれ、カールはルイズから借りた教科書、"魔法概説Ⅰ"を一通り読み終え、"魔法概説Ⅱ"に進む。
ルイズはなかなかの勉強家らしく、注意して読むべき場所にはアンダーラインが引かれていた。
そのためカールも要点を飲み込みやすく、スムーズに理解できたのだ。
新たな本を開くその段階で、彼はひとまずの推察をまとめていた。
ミッドチルダ式魔法が至上という考えが彼にあるわけではないが、この世界の魔法は未だ発展途上、というのがカールの見解だ。
体系化され四つ――正確には五つだが虚無は省く――の魔法に分類されるそれらは、どれも共通して呪文を唱えるというプロセスが必要なのだ。
これがミッドチルダ式であるならば、トリガーワードだけで済む。確かに呪文が必要となる魔法も存在するが、それは無詠唱では不可能な大魔法だけだ。
だがハルケギニアの魔法はどれもが詠唱を必要とする。
確かに研磨はされているのだろうが、強力かどうかと問われれば否と云わざるを得ないだろう。
その認識の他に、カールはハルケギニアの魔法――否、ハルケギニアに生きる魔導師たちは誰もが生まれながらに魔力変換資質の希少技能を持っているのだと解釈する。
いずれかの魔力変換資質が必ず発現する素質を誰もが持っているから、コモンマジックと呼ばれる魔法はあまり発達していないようだ。
魔力を形にし、弾丸として射出する。バインドを生み出す。シールドを生み出す。
そういったミッドチルダ式の基礎とも云える部分が、すっぽり抜けていた。
勿論、各系統に別れた射撃魔法、拘束魔法、防御魔法は存在している。
だが純粋に魔力だけを用いた魔法はどうやら存在していないようだ。
これは未熟と云うよりも、風土に適した形に魔法が発展したと考えるべきか。
古代ベルカが近接戦闘、ミッドチルダ式が遠距離戦という特性を帯びているように、世界の事情によって魔法は一定の方向性を持つ。
ここハルケギニアの場合は、変換資質ありきの魔法が発達してるということなのだろう。
それにしても、とカールは思う。
ある意味でハルケギニアの魔法はすごい。ぶっ飛んでるとすら云える。
ミッドチルダ式も古代ベルカ式も共通している点は、魔法がプログラムであるという点だ。
しかしハルケギニアは違う。
ロジックで組み立てたれた一種の科学なのではなく、イメージによって形作られる奇跡と云うべきか。
術式を組んで魔法を使うというミッドチルダ式に馴染んだカールでは、理解のできない魔法すら存在した。
例えば錬金。呪文を唱えた後に対象を変化させるイメージを持て――どうすれば良いんだ。結晶構造でもイメージすれば良いのか。
ミッドチルダ式魔法とはかけ離れた技術体系を目にして、カールは改めて自分が異世界に呼び出されたのだと理解した。
茹だってきた頭を休ませるべく、カールは溜息を吐きながら、いつの間にか前のめりになっていた身体を起こす。
そして、隣に座る少女へと視線を向けた。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。
正確にはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
自分を呼び出したこの少女は、これから何をさせるつもりなのだろうか。
教科書の記述を信じるならば、使い魔とはカールの知るミッドチルダ式のそれと同じような役割を果たすらしい。
使い魔。ミッドチルダ式であるならば、死んだ動物の死骸などを触媒にし、己の魔力資質を移植して生み出す人工生命体である。
しかしハルケギニア式魔法では、契約に同意した生物を従えて、主人と生涯を共にすると云う。性質としてはミッドチルダ式の召還師に近いだろう。
ハルケギニアの使い魔とミッドチルダ式の使い魔は、名前こそ一緒なもののまるで別物と捉えるべきだ。
……俺はルイズという召還師に呼び出された存在か。
左手の甲に刻まれたルーンを、そっと指でなぞる。
人を呼び出し従える、という点に関しては思うとことがあるものの、今はどうすることもできない。
教科書から読み取る限りコントラクトサーヴァントは一方通行の転送魔法らしいし、また、カールは時空管理局とコンタクトを取ることができない。
今の自分は状況に身を流すことしかできないのだ。
などと考えていると、鐘が鳴り授業が終了した。
これで午前の授業は終わる。これから昼食になるだろう。
また豪勢な食事だろうか、とカールが胃もたれを心配していると、カールたちの前に一人の少女が立った。
「ごきげんよう、ルイズ。
隣の殿方、紹介して頂けないかしら?」
燃えるような赤毛に、健康的な褐色の肌。
ボタンの外されたブラウスの胸元は、豊かな膨らみが押し上げている。
男のサガとしてそちらを一瞥したあと、カールはルイズへと視線を向けた。
「ルイズ、この子は?」
「……紹介なんてする必要ないわ。
さ、カール。昼食に行きましょう」
ふんだ、と鼻息荒くルイズは立ち上がると、教科書をまとめ出した。
が、赤毛の少女は男が見れば誰もが見惚れるような笑みを浮かべると、あらあら、と声を零す。
そうして彼女は腕を組み、露骨に胸を強調すると、カールに視線を流した。
「私はキュルケ・フォン・ツェルプストー。
『微熱』のキュルケよ。ささやかに燃える情熱は微熱、ってね。
あなたは?」
「カール・メルセデスだ」
そこまで云い、何か二つ名を名乗った方が良いのだろうか、などと思う。
そうしてカールは、ミッドチルダで自分へと送られていた二つ名を思い出す。
エースオブエース。高町なのはがそう呼ばれているように、カール・メルセデスにも呼ばれている通り名があるのだ。
「アベレージ・ワン。
『均一』のカールとでも。よろしく、ええと……」
そこまで口にして、あー、と頭を抱えたい気分になった。
貴族。貴族。そういった相手に対する礼儀はさっぱり分からない。
「ミス・ツェルプストー」
「嫌だわ、そんな他人行儀に。遠慮なさらず、キュルケと呼んでもらっても結構よ?
それにしても、変わった二つ名ね。
名前から察するに――」
「いちいち律儀に返事しなくても良いでしょお!
もう、行くわよ!」
「あ、ちょ……」
「あらルイズ、そんなムキにならなくても良いじゃないの。
カールだって私とまだ話足りないみたいだし……あなたが強引に連れ去るのは、酷いんじゃない?」
「うるさい! あんたの趣味がなんだろうと好きにすれば良いけどね。
それに私と、彼を巻き込んで欲しくないだけよ!」
ぷりぷりと怒りながら、ルイズはカールの手を取ってずんずんと歩き出した。
キュルケはその様子をさも可笑しそうに笑うと、またねミスタ、と声をかけてくる。
教室を出たことになり、ようやくルイズはカールの手を離した。
彼女に握られ、鬱血しかかった部分をさすぎながら、疑問に思ったことを口にする。
「あの子とは仲が悪いのか?」
「悪いも何も!
ヴァリエール家とツェルプストー家の間には根深い因縁があるのよ!
それにキュルケの奴、何かにつけて私をゼロ、ゼロってからかうし!
何よ! 人の使い魔に色目使って!
カールもあんな女に靡いたら駄目なんだからね!」
そこまで叫び、ズビシ、とルーズはカールに人差し指を突き付けた。
そうして我に返ったのか、カーッと顔を紅潮させた。
「……仲が悪いのは分かった」
「……うう」
行こうか、と止まった足を動かして、二人は食堂へと進み出す。
「そういえばルイズ。
君は何か二つ名があるのか?」
「……え、えーっと」
キュルケとの会話でルイズの二つ名が気になったカールだったが、云われた瞬間、彼女は目を逸らした。
「それより! 私、あなたの『均一』って名前の由来が気になるわ!
どういうことなの?」
露骨に話を逸らされた。
触れたら不味いんだろう、と察しつつ、カールはルイズの話に乗る。
「深い意味はないんだよ。
全系統を均等に使える、ってだけさ。
だからスクウェアと云っても、使えない大魔法があるし」
「そう……えっと、均一なの? 得意な系統は?
均一って云っても、最初に発現した系統ぐらいあるだろうし」
「強いて云えば、風かな」
憶測から、カールはそう口にした。
先の時間に教科書を読んだ際、風の強力な魔法としてライトニング・クラウドというものがあると知った。
ならば雷そのものを叩き落とす広域攻撃のサンダーレイジやサンダーフォールは、完全にそれの上位に位置するだろう。
天変地異を引き起こすレベルなので、威力そのものはヘクサゴンに指をかけているのだが。
ともあれ、もし疑われたならばそれを見せれば良い。そのつもりで、カールは説明した。
「風。風か。
そっか。そういえばあなた、浮いて見せたものね。
あはは、お母様と同じなのね!」
さきほどまでの不機嫌はどこに行ったのか、ルイズはスキップでも始めそうな様子でカールの一歩先を進んだ。
そして後ろ手を組むと、日向のような笑みを浮かべながら、彼女は振り返る。
「ねぇカール、お願いがあるの。
私に魔法を教えてくれない?
えっと、そのね? 私、ちょっと人よりも魔法が下手で……。
でも、あなたに教えてもらったら、きっと使えるようになると思うの!」
元々が可愛らしいと充分に云えるルイズが、満開となった華のように笑みを浮かべれば、誰もが魅了されるほどの可憐さを引き出せる。
カールもまた、そんな彼女を可愛らしいと思ったが、
「だから――」
「ごめん。それはできない」
「……えっ?」
瞬間、ルイズの笑顔が凍り付いた。
笑顔の形のまま凍結し、次いで、それは引きつる。
「えっと、どうして?」
「俺は、俺の魔法を他人に教えたくはない」
「え、でも……ほ、ほら、カールは家庭教師をしてたって云ってたじゃない?
だから、ね? 私もあなたに教えてもらいたいな、って」
「俺が教えていたのは、メイジとしての戦い方。
要するに戦術だね。それだけだ。魔法の扱いそのものは、授業で学んだ方が良い」
カールが云うことは、すべて真実である。
教導官として戦術を教えていたというのは本当だし、また、ルイズにカールの知る魔法――ミッドチルダ式の魔法を教えるつもりがないこともまた、事実である。
今は管理局と連絡が取れない状況にあるが、もし復旧した場合、ルイズにミッドチルダ式魔法を教えたとバレたら自分が罰せられてしまう。
そう。管理外世界に魔法技術を残すことは管理局法に抵触するのだ。
これもまた場合に寄りけりであるものの、カールの置かれた境遇は危機的状況と云うべきかどうか微妙なところだった。
転送魔法で本局に行けないことも何もかも、次元震が本局の近辺で起こっているからという可能性もあり得るのだ。
そのため自分がいくら転送魔法を使用しても入力した通りの座標に飛べなかった――と。
……だが、次元震が発生したのならカールでも異変に気付く。
そして、転送魔法で出た次元空間では、次元震の痕跡がまったく見えなかった。
……イレギュラーなのか、違うのか。
どちらとも断言できないのだ。
カールの事情を知らないルイズは、笑みを崩して愕然とする。
そうして、彼女が次に浮かべたのは、怒りだった。
「――ッ、なんでよ!」
ダン! と石造りの床を踏みしめながら、ルイズは吠えた。
瞳には涙すら浮かんでいる。何故か、そんな彼女の様子に罪悪感が湧いた。
まだ会ってそう時間も経っていない少女に対して罪悪感とは、変な話だ。そう、カールは思う。
「良いじゃない! あなたは、私の使い魔なのよ!?
だったらご主人様の役に立つことぐらいしなさいよ!
貴族でもない癖に、何よ! 何よ! 何よっ!
私が教えろって云ってるのに、どうして頷かないのよ!」
「……駄目なんだ」
「ふざけないで!
あなただってメイジなら、使い魔の義務ぐらい知ってるでしょ!?
前はどんなことをしていたか分からないけど、今のあなたは私の使い魔なの!
だから云うことを聞きなさい!」
「無理だ」
「~~~~ッ、じゃあ良いわよ!」
お昼は抜きなんだから! と捨て台詞を残し、ルイズは走り去ってしまった。
一人残されたカールは、溜息を吐くと手に持った本を一瞥してから、おそらく外に通じるであろう通路へと歩き出した。
「『ウインド』!」
スペルと唱えると同時に放たれたのは、やはり風ではなく爆発だった。
宙で起こった爆発を親の敵のように睨みながら、ルイズは再びウインドの呪文を詠唱する。
が、やはり放たれたのは爆発だった。
顔を真っ赤に染め、彼女は息を荒げつつ肩を上下させる。
今は放課後だった。授業をすべて終えたルイズは、一人で庭に立ち、魔法の練習をしているのだ。
彼女が唱えているのは風の魔法――唯一カールから得ることのできたヒントを元に、藁にも縋る気分で淡々と呪文を詠唱しているのだ。
だというのに一度も魔法は成功しない。
呪文は完璧。イメージだってしている。風の系統に関しては、幼い頃に母から散々叩き込まれたので間違えるはずがない。
それでもやはり、子供の頃と同じく、ルイズは魔法を発動させることができなかった。
何をしても、唱えても爆発。今も昔も変わらない。
どうしてなの、とルイズは目に浮かんだ涙を手で拭った。
悲しさはあるものの、今のルイズを満たしているのは怒りだった。
半分はカールに。そしてもう半分は、魔法の一つも成功させられない自分自身に。
魔法を教えないというカールの態度に怒りを感じるものの、やはり感情の矛先は自分だ。
どうして魔法が使えないのか。いや、成功はした。サモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントは。
もう自分は『ゼロ』じゃない――なのに、どうして。
努力はしてる。魔法に理解が足りないんじゃないかと座学だって人一倍熱心に取り組んでいる。
なのに、魔法は一向に発動しない。
与えられた鍵である風系統だって、何一つ。
落ち零れのルイズ。『ゼロ』のルイズ。
公爵家に生まれたからこそ育まれたプライドに、それは痛く響いた。
やるべきことはやった。そのはずだ。
杖が悪いんじゃないかと取り替えたことは何度もあるし、滑舌が悪いのかと矯正したこともある。
姉に頼んでアカデミーの魔法に関するレポートを読み理解を深めようとしたし、イメージが悪いのかもしれないと色んな人に意見を聞いて回った。
学生の身分で唱えることが許される魔法はそれこそ各百回は口にしただろうし、喉が裂けるほどに呪文を唱え続けたこともあった。
……結果、巻き起こる爆発と、それに対する嘲笑に耐えながら。
何一つ上手くいかない。意味が分からない。
そんな人生に投げ込まれた一縷の望みすら、伸ばした手をはね除けられた。
何もない。そう、何もないのだ。
『ゼロ』のルイズ。その名に相応しいかのように、希望の一つすら見えない。
それでも良い。努力し続けてやる。
意図的に視野を狭めて雑音を排除し学生として頑張ってきたが、カールという存在が現れたことで、気付かないようにしていた事実に思いを馳せてしまう。
……何をしても、どうにもならない。
分かっている。ルイズは子供だが、それでも現実を否定して絵空事を信じられるほどおめでたくはないのだ。
貴族はメイジだが、メイジが貴族なのではない。
なら――メイジではない貴族の自分は、なんなのだろう。
「誰か……助けてよ」
成功した二つの魔法。自分が魔法を使えた証拠としてカールがいるのだとしても、やはり駄目だ。
何百、何千と唱えた呪文の中で成功したのが二回? そんなのはメイジでもなんでもない。
「助けて……」
杖を取り落としながら呟かれた言葉。
それに対する優しい言葉は――
やはり、訪れなかった。
ルイズが失意に濡れているころ、同じように失意に暮れている人物がいた。
カール・メルセデス。ミッドチルダの魔導師である彼は、群青の輝きと共に転送魔法を終え、姿を現した。
その表情は暗い。当然だ。ルイズと別れてから再び彼は元の世界に帰ろうとしたが、やはり転移先はどこも彼の見たことのない場所だった。
そして、次元航行艦との連絡と一切取れない。次元震が起こっている様子もない。
……元の世界に帰る術は、ない。
再び絶望を確認した彼は、深々と息を吐き出した。
混乱を怒りに乗せて八つ当たりをしない分、彼はまともなのかもしれない。
教導官として培った経験……否、ストライカーとして培った経験の賜物だろうか。
いついかなる時でも、エースは取り乱してはならない。何故ならそれは、自分を信頼する魔導師たちに不安が伝播してしまうからだ。
「俺は……この世界で生きるしかないのか?」
戸惑いと共に、彼は小さく呟いた。
遙か上空で彼の声を聞く者はいない。
即座に風が浚った言葉は虚しく消え去り、カールは右手のデバイス、カブリオレを握り締めた。
そんなことは許せない。帰りたい。
まだ高町なのはに勝ってない。気持ちも伝えてないのに、こんな世界で朽ちるなんて我慢がならない。
あの女性に勝つために、自分はずっと力と技を磨き続けていたのに――
「くそ……」
ギリとカブリオレが軋みを上げ、彼の足下にミッドチルダ式魔法陣が展開する。
そうしてカールは歯を食い縛ると、苛立ちを乗せ、デバイスを構えた。
「畜生……!」
瞬間、集束した魔力が巨大なスフィアを形成し、怒りと共に虚空を薙ぎ払う。
カール自身は気付かなかったが、彼の左手に刻まれたルーンは、強い失意によって眩い光を放っていた。
群青色の輝きは強大で、伴った轟音が示す通りに、鮮烈な光を放った。
「ふむ」
遠見の鏡でカールの動向を見ていたオールド・オスマンは、その長い髭を撫でながら目を細めた。
ルイズの呼び出した使い魔。それが人であったことは、昨晩の内にコルベールから報告を受けている。
そして彼がメイジであったことを今日の内に教師から――授業の前に浮いて見せたことが原因だ――を聞き、こうして彼が何をするのか見張っていたのだ。
ルイズの使い魔とはいえ、彼がメイジであることに変わりはない。
貴族ではないにしても魔法を使える不審人物が学園にいるとなれば、流石の彼も無視することはできなかった。
このトリステイン魔法学院は大貴族の子弟が通う学校である。守りこそ堅いものの、内側に潜り込まれれば酷く脆い。
なんせ、人質にできる立場のガキが山のように揃っているのだから。
それを警戒しオールド・オスマンはカールを眺め――彼は一体何者なのだろうか。
そんな疑問が湧き上がってくる。
フライではとても上がれない高度まで空を駆け、足下に妙な光の陣を敷いたかと思えば姿を消す。
そして戻ってきたと思えば、怒りと共に見たこともない攻撃魔法を撃ち放った。
魔法の練習というわけではないだろう。オールド・オスマンは、彼の唇の形からそれを読み取っていた。
「この世界で生きるしかない……とな?
これはまた奇っ怪な。独り言にしては少々おかしな話じゃて。
それに――」
彼が身に着けているプレートメイルと、手に握った長杖。
それがオールド・オスマンの古い記憶を呼び覚ますのだ。
ワインバーンを撃退し、命を救ってくれた恩人の姿を――
「……どれ、宝物庫から"光の杖"を取ってくるとするかのう。
彼にそれを見せて、どんな反応をするのか楽しみじゃ。
あー、ミス・ロングビル!」
「はい、なんですか?」
オールド・オスマンが声を上げると、ロングビルは書類に向けていた顔を上げた。
「宝物庫までちょいと出てくるわい。
君はミス・ヴァリエールのところまで行って、彼女の使い魔くんにここへくるよう伝えてくれんか」
「分かりました。
……ところで、オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「"光の杖"とは、一体なんなのですか?」
どこか妖艶ささえ浮かんだ笑みで、ロングビルはオールド・オスマンに問いかける。
彼は好色そうな笑みを浮かべながらも、どこか子供のように語った。
「恩人の形見、マジック・アイテムじゃよ。
使い方はよーわからんのだが、昔、ワイバーンを撃退したときには杖の先から目を焼きそうなほどに眩い光を放ってなぁ」
「へぇ……では遠見の鏡に映っていた彼ならば、その使い方が分かると?」
「おそらくのぅ。彼が使っている杖は、恩人のものとそっくりじゃ」
「そうですか」
オールド・オスマンは年甲斐もなく、恩人の故郷について何か分かるかも知れないと心を躍らせていた。
だからだろう。ロングビルの口元が、三日月のように歪んだことに、彼は気付かなかった。
おまけ
――カール・メルセデス十四歳
厨二病全盛期である彼は邪気眼ではなかったものの、相応に痛々しいガキであった。
当時の彼は既に魔導師ランクがSに達しており、気分としては向かうところ敵なし状態。
自分より上のランクが存在すると分かっていたものの、この歳でSランクの奴なんて早々いねーよ、すげーだろ、と井の中の蛙ライフを満喫していたのである。
階級も三等空尉に上がり、人生初の彼女もでき、我が世の春がきたー! と云わんばかりの彼。
そんな状態のところに更なる吉報が舞い込んだ。
それは戦技披露会への誘いである。若いエースであるメルセデスに、露出の機会が回ってきたのであった。
天狗になっていたメルセデスは一も二もなく頷いて、早速戦技披露会の選考会へ。
彼女にはもう俺戦技披露会に出るんだーと、伝えちゃってあったりする。
そこからも分かるとおり、メルセデスにはまるで負ける気というものがなかった。
が――
カール・メルセデス、一次選考にて落選。
ちなみにカールと共に選考を受けたのは、高町なのはだった。
「か、可憐だ……!」
自分に自信があった分それを打ち破った高町なのはの存在はカールの胸に強く刻まれる。
刻まれた上で、彼女の容姿はカールのストライクゾーンど真ん中をディバインバスターしてた。
カール、彼女がいることも忘れその場で熱烈なアプローチを開始するも、鈍感ななのはさんマジパねぇっす。
じゃあお友達からー、なのはさんで良いよー、と割と好感触な返事こそあったものの、欠片も意識されてないことに気付きカールは男泣きに泣いた。
男泣きに泣いた後、彼は一つの決意をする。
「いらない……! もう何もいらない……!」
彼女と速攻で別れ、最近サボっていた魔法の練習を再開するカール。
目指すは戦技教導隊。そしてストライカーの称号。同じ階級。
自分が年下であることはもう覆せない。であれば、他の部分を限りなく彼女と同じ位に近付け、ガキと見られないよう自らを高めるしかない――!
……この出来事から四年間。
ハムスターがカラカラ回す車輪のような人生が、始まる。