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[20619] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:b6d60857
Date: 2012/04/28 03:00
 キャラ崩壊注意! クロノトリガーの正式なファンの方は避けて通るのが無難です。オリジナルの展開も含まれます。
 また本作品はパロメタのネタがあります。ご注意下さい。













 夢を見た。


 それはそれは酷い夢だった。


 どれくらい酷いかというと幼馴染であるルッカの親父さんの頭を指差して
「黒光りしてるー!」
 と大声で喚いた時の親父さんの顔を見た時に匹敵するくらいの寝汗をかいていたことから想像できよう。


 さて、その夢の内容だが、さっき俺が名前を口に出した、ルッカが関わってくる。


 夢の中で俺は磔にされているのだ。


 辺りは暗い。右には大量のビンが置いてある棚があり、ビンの中には見たこともない生き物が詰め込まれていた。


 左を見ればなにやら複雑そうな機械が多々あり、所々に赤い液体が付着している。
 その液体が何かは深く考えないようにした。きっと鉄分が多く含まれているんだろうな、という思考は遥か彼方に葬った。


 しばらくそのホラーな空間で磔られていると、暗闇の奥から高笑いが聞こえてくるのだ。


 小さな頃は、その声を聞くと元気が出た。最も昔はそんな下品な高笑いなんかせず、いつも大人しそうにクスクスと笑うものだったが。


 幼い子供ながらに、その声が悲しそうに響いていれば悲しむ理由を聞き出して、その原因を取り除こうと、その子の笑い声を取り戻そうと躍起になった。


 その子が嬉しそうに喋りだすと、俺も嬉しくなって、その日はずっと笑顔になれた。転んでも、母さんのお使いが上手くできなくてやたらめったら怒られても、胸の中が暖かかった。


 幼少期の俺にとって、ルッカは俺の全てだった。


 しかし、そんな彼女と俺の甘酸っぱい関係はいつしかすっかり変わってしまった。


 彼女が悲しそうにしていれば「大丈夫かよ?」と口にはするが心の中でガッツポーズを取るようになり。


 彼女が嬉しそうにしていれば脇目も振らず逃げ出したり。


 彼女と町の中で出会おうものなら俺は神を呪い、その日一日を後悔と絶望の感情で塗りたくられるのだ。


 ……話がずれたな。


 とにかく、今ではキンキンと耳障りな笑い声を出しながら、ルッカは動けない俺に近づく。


 手を伸ばせば届く、という距離まで近づくと、ルッカは急に笑うの止めて、嬉しそうに、本当に嬉しそうにこう呟くのだ。


「実験、しよ?」




「あ、ああああああああぁぁぁああぁぁ!!!」


 思い出した瞬間、俺はベッドから飛び起きて、壁に立てかけてある木刀を掴み振り回した。


「殺せ! 殺せよ! おおお俺は実験動物じゃない! 俺にだって男としてのプライド、いや、人間としての矜持があるんだぁぁぁ!!」


 いつまで暴れていただろうか?
 俺の中では永遠とも思える時間を見えない敵と戦っていたのだが、母さんが俺にフライパンを投げつけて気づいたときには、二分と経っていなかった。
 ていうか母さん、息子に鉄の塊をぶつけるのはどうかと思うのだよ。


「だったら毎朝奇声を上げるのは止めて頂戴。いつ我を忘れて私の体を求めてくるか、分かったものじゃないわ」


「マジ、それ親子間で交わされる会話じゃないかんね。どう我を忘れたら四十前のおばさんに飛び掛るんだよ。とうが立ってるなんて問題じゃねえよ」


「今日のびっくりどっきりニュース! あんたの朝飯庭に生えてる雑草ね」


「はっは、それは豪勢だな。食べ放題なのか?」


「デザートは虫の活け作りね。ほら、馬鹿なこと言ってないでさっさと下に下りてきなさい」


「へいへい……ねえ、朝飯抜きってのは冗談かな?」


「ああ、リーネの鐘があんなに気持ちよさそうに歌ってる」


「いつ頃だったっけ? 俺と母さんの間で会話のキャッチボールが不自由になったの」


 呟く俺を無視して母さんはスタスタと階段を降りていく。
 仕方なく俺は溜息を吐きながら木刀を腰に差して、下に降りる。


 台所に向かうと母さんは優雅にモーニングコーヒーを飲んでいた。
 机の上にある空き皿と、バターの匂いが立ち込めていることから今日の朝ごはんがトーストだったことを悟る。俺の分が無いことも。


 俺の腹がキュウキュウと鳴り出し、自分でも表情がひもじそうになっていくことを自覚する。
 そんな俺を見て母さんが眉をひそめて、


「今日は建国千年のお祭りよ、屋台も出てるでしょうし、そこで何か食べてきなさい」


 あくまで朝飯は作らない気だな、上等だこの野郎、今度あんたの寝室に大量のバッタを仕込んでやる。


「……分かったよ、じゃあ母さん」


 俺は右手を母さんに向けて、掌を開いた。


「……何?」


 さっさと用件を言え的な感情が半分。残りは急に何だよ気持ち悪いなこいつ的な感情が半分。そんな表情でした。


「いや……俺、お金ないからさ」


 しかし俺は諦めない!
 折角の、千年に一度の祭り。
 軍資金無しで出かけるなど愚の骨頂!
 そう、ココだ! 今日の祭りが楽しめるものになるか、それとも帰り道で「祭りなんて、結局カップルが公然とイチャイチャするだけのイベントなんだよ」と唾を吐くことになるか、その分岐点!
 今日の肝なんだ、今、この瞬間こそが! 肝……!!


「……?あんたにお金がないのと私に何の関係があるの?」


 やっべえ……母さんの守備力は三千以上だな……
 しかもこれ多分素だな。とぼけてるとかじゃないや。


「ねえ母さん、俺、なんだかんだ悪口とか言っちゃうけど、やっぱり俺は母さんのこと尊敬してるんだよね……」


「何よ急に、どうしたの?」


 さりげなくお金をねだるのは不可能、こうなれば三つある奥の手の内の一つ、情に訴えるコマンドだ。
 デメリットとしてこっ恥ずかしいセリフを言わなければならないが、その効果はデメリットを補って余りあるものとなる!


「ほら、俺父親いないじゃんか。けどさ……けど俺辛いなんて思ったこと無かったよ、だって俺が寂しいと思ったとき母さんはいつも俺を慰めてくれたよね」


「あんたが何で父親がいないんだよ! お年玉が半分になるじゃんか! とか言いだした次の日にあたしゃパレポリの船で一週間くらい旅行に行ったけどね」


「毎朝俺を起こしてくれたり、布団を干してくれたり、少しは休みたいだろうに、いつもいつも俺のために体に鞭打って働いてくれてる……」


「あんた勝手に起きるじゃない。毎朝あんたの部屋に行くのは放っておくと延々頭のおかしな叫び声を撒き散らすからでしょ。布団だって昔私が間違ってあんたの布団を燃やしてから自分で干してるじゃない」


「……俺が、苛められてる時に助けたりとか……したことありますかね?」


「苛めって……ルッカちゃんにって事? うーん、あんたのケツに爆竹詰められてた時は爆笑したけど……助けたことあったかしら?」


「あんた、何で俺の母親やってんだくそばばああああぁぁぁ!!!」


「あんた、母親にむかってくそばばあって言った?ねえくそばばあって言った? ぶち撒けられてえか糞餓鬼ぃぃぃ!!!」


 こうして、第百八十七次トルース大戦が幕を開けた……








「あ、これ絶対顎外れてる。うん、もう戻りそうに無い」


 俺と母さんの運命の戦いはあっけなく幕を閉じた。
 俺の振り下ろした木刀をスウェイで交わし俺の顎にネリチャギ。
 俺は気を失って、気づけば家の前に大の字で寝ていた。


「くっ、まさか奥の手の内二つが破られるとはな……」


 ちなみに、奥の手の二つ目は暴力による強奪だ。
 結果は見ての通り。
 ここまできたならば仕方ない。奥の手の三つ目を使わざるを得ないな……


 体についた砂を払い、近くに転がっていた木刀をまた腰に差して、祭りが行われているリーネ広場に目を向ける。


「……諦めよう」


 『クロノ奥の手が内の三つ目、妥協
 あらゆる人生において最重要スキルともっぱらの噂である』


 俺は母さんとの戦いの後遺症で痛む頭を無視して、リーネ広場に足を向けた。








「おお、若者よ! 今日は我が王国の千年祭じゃ! 存分に楽しんでゆかれよ」


「ああ、はい。まあそれなりに……ところで」


「どうした、分からぬ事があるならば、この老いぼれが力になろう」


「無料で何か食べることができるお店ってありますか?」


「おお、若者よ! 今日は我が王国の千年祭じゃ! 存分に楽しんでゆかれよ」


 じいさんはまた新たにリーネ広場に入ってきた男に声をかけた。
 祭りといえど、人は人に優しくなれるものではないのだろう、俺はこの年にして真理を垣間見たのかもしれない。


「しかし……やたらと賑わってるな、流石は千年に一度のお祭りってわけか」


 屋台からは威勢のいい客引きの声、どんな所からも聞こえる楽しそうな笑い声、鼻をくすぐるなんとも良い匂い……


「ああ、あれは焼いた肉にタレを付けてもう一度焼いているのか。お、あれはパイにクリームと果物を挟んでる……んん、あれはジャガイモにバターとバジルを振りかけてサイコロステーキと一緒に売ってるんだな。いやー……腹減った……」


 クルルクルルと俺の腹が「補給を要求する! でなければ動かん!」とストライキを起こしておられる。
 このままでは楽しい祭りもブルーな気分で過ごさなくてはならない……


 俺は意を決してじいさんにもう一度話しかける。


「あの……」


「おお、若者よ! ……ってあんたか、なんじゃい、祭りに来る前に物の売り買いの常識を学んでくるとええぞ」


「いや、そこをなんとか……折角の祭りですし、俺も楽しみたいんですよ……」


 そこまで言うと嫌味ったらしいじいさんも哀れに思ったのか、顎に手を着けて何か考え出した。


「そうじゃなあ……おお! 確かココをまっすぐ行った所、ほれ、もろこしを売っている店の前にある……そこでシルバーポイントを金に換えてくれるはずじゃ」


 シルバーポイント? 何だそれ。


 俺の疑問が分かったのかじいさんは引き続き話し始める。


「シルバーポイントとはこの祭りの中にあるゲームに成功すれば貰えるポイントでな。例えばそこ。四人の男たちがレースをしているじゃろう?」


 じいさんの指差した方向を見れば確かになにやらレースらしきものが行われているのが分かる。
 ……ただ、じいさんは四人の男たちと言ったが、そのメンバーはまず鉄のよろいを装備した城の兵士。
 次にお前レースとかする気ないだろと思う全身甲冑のフルアーマー状態の男? 鉄仮面をしているので性別の確認もできない。じいさんは男と言っていたし多分男なんだろう。
 三人目は肌が緑色で、所々に黒い斑点がある化け物。こんなもんのどかなトルース町に現れたら大騒ぎだ。今は祭りだからか知らないが、皆その化け物を応援している。人間ってテンションによって馬鹿になるよね。
 最後のメンバーは猫です。それ以外に説明できません。こいつに賭ける奴とかいるのか? いたとしたらそいつ頭大丈夫か?
 ……この三人プラス一匹で構成されている。


「……ええと……」


「この四人のうち誰が優勝するか賭けるんじゃよ」


「……まあいいです。突っ込んでたら祭りが終わるんじゃないかってくらい長くなりそうだし」


 ここに着いた時には大分治まっていた頭痛がさらに酷くなってきた為、額を押さえる。じいさんはそんな俺を怪訝な目で見つめながらさらに話を続ける。


「じゃが、このレースに参加するのにシルバーポイントが五ポイント必要になる。あんたはシルバーポイントを一ポイントも持ってないんじゃろう?」


「そうですね、来たばかりですし」


「じゃから、お前さんはまず向こうにある飲み比べで勝負するか、ルッカの発明品と勝負して勝つかしてシルバーポイントを貯めることじゃな」


「ルッカの発明品?」


「ああ、なんでも自信作らしい。銃弾でも傷一つつかない! と豪語しておったわ」


「誰がそんなロボコップみたいなもんと勝負するか馬鹿が」


 ありがとうございましたとじいさんに礼をして、俺は飲み比べの会場に走り出した。


 そこには道の端で吐いたり、あー、あー、といいながら濡れタオルを顔に置いてベンチで寝ている人が大勢いた。
 その中で一人の大男が「だらしねえなー! トルース町の連中はよお!」と大声で話していた。
 どうやらトルースからではなく、橋を越えた先のパレポリから来た男のようだ。


 俺はおっさんの肩に手を置き、
「勝負してくれよ、いいだろ?」
 と声をかけた。


「はっ! ガキか。話にならねえな」


「どんな奴からの挑戦も受けるんだろ? そこの張り紙に書いてある」


「……はああ、分かったよ、そこの椅子に座りな」


 言われたままに椅子に座る。するとその隣におっさんが座り、椅子の前にある机に缶ビールを十六缶置いた。
 その内八缶、つまり半分をおっさんが自分のほうに持っていく。


「いいか? 先に自分の分、八缶の缶ビールを飲んだほうが勝ちだ。良いな?」


「オッケー、飲み比べっていうか、早飲みだな」


「まあな。……さて、用意はいいか? ……ヨーイ、ドン!」


 合図とともに俺とおっさんが同時にビールを飲みだす。
 アルコールと思うな炭酸と思うなビールと思うな水と思えいやそもそも何かを飲んでいるということすら忘れてただ喉を動かせっっ!!!


「うーい、まずは一杯……って何いっ!」


 おっさんが一杯目を飲み干した時、俺はすでに三倍目のビールを飲み始めようとしていた……




「空は青いなあ」


 空はいい。こんなにも快晴、そしてこんなにも俺たちに力をくれる。
 空が明るいから俺たちは前を向ける。歩き出すことに不安を生み出させない。


「本当に……空は……良い………ううう……」


「お母さーん。なんであのお兄ちゃん泣いてるのー?」


「それはね、自分の力ではままならぬ大きな壁にぶつかってしまったからよ」


「へー、私とお母さんが実は血が繋がってないことと同じくらいままならないのかなー?」


「ユ、ユカちゃん!? 何処でそれを……!!」


 なにやら遠くで聞こえる喧騒も、全ては空しい……


「あそこで……あそこでてっかめんランナーがスイートキャットを踏み潰して失格にならなければ……!」


 飲み比べに勝った俺は初めて手にしたシルバーポイントをレースの賭けに使ったのだ。
 なんでもシルバーポイントを金に換えるためには十ポイント必要らしく、飲み比べで得た五ポイントではどうしようもなかった。
 そのためレースの勝敗に文字通り全てを賭けたのだが……


「くそお……やっぱりいざとなれば甲冑を脱ぎ捨てて真の力を発揮するはず! とか馬鹿なこと考えずに普通にほいほいソルジャーにすべきだった!」


 ちなみにほいほいソルジャーは色物揃いのレーサーの中で比較的まともそうな城の兵士っぽい格好の男だ。


 ……こうなれば、最後の手段。


「ルッカの発明品を……叩き壊す!」


 レース観戦の時近くにいた人の話ではルッカの発明品に勝てばシルバーポイントが十五ポイント貰えるらしい。
 それだけあれば金に換えられる。液体ではなく固体を口に入れられる……!


 正直俺は酒の飲み比べで腹はもう減っていなかった。だが……


「次こそ……次こそレースに買ってみせる!」
 レースの魅力、いや、魔力に囚われてしまったのだ。


「ハッハッハッ! いいぜ、ルッカ。テメエの発明品なんぞ俺のクロノ流剣術で粉々にしてやる! アーッハッハッハ! おおっ!?」


 酒を飲んですぐに興奮したからだろうか?
 いつもならなんら問題は無いのだが、俺は急にふらついてこけそうになってしまった。
 たたらを踏んで転倒は免れたのだが、後ろからなにやら必死そうな声が聞こえた。


「ちょちょちょちょ! どいてどいてー!!」


「え?」


 振り向くと、金髪のポニーテールの女の子が、俺にダイビングしていた。


「うごえ!?」「きゃあ!」


 どういうつもりか知らないが、女の子は膝を前に出し、その膝は俺のみぞおちにクリーンヒットしていた。


「おっ、おっ、おっ、おぼえええぇええ……」


 盛大に胃の中のものを吐き出しながら、リーネ広場の鐘が楽しそうに鳴り出した……





 星は夢を見る必要は無い
 第一話 悔いの残る人生でした








 ようやく吐き気もおさまり、辺りを見回すとさっき俺に飛び膝蹴りをくれた女の子は何かを落としたらしく近くの床をキョロキョロと探していた。
 急に飛び出した俺も悪いけど、見知らぬ他人に膝いれといてなんにもないとか嘘やん。


 思わず殺意の波動に目覚めそうだったが、俺の足元にペンダントが落ちていることに気づいた。


 絶対教えてやんねーと思ったが、そのペンダント、妙に輝きが鈍かった。
 あんまり良いペンダントじゃないのかな、と思ったが、良く見るとその訳が分かった。


「……臭っ」


 俺の嘔吐物が付いているのだ。中々豪快に。


 女の子が気づく前に俺はそれを拾いダッシュで水場に向かう。
 念入りにペンダントを洗い、ついでに口もゆすぐと走って元の場所まで戻る。
 よっぽど大切なものなのか、女の子はまだペンダントを捜していた。
 俺はできるだけ自然を装い、笑顔で彼女に話しかけた。


「やあっ! 君が探しているのはこれかい!」


 俺の声を聞き、女の子は俺を見る。そして俺が握っているペンダントを見ると満面の笑顔を浮かべた。


「ありがとう! そのペンダント私のよ。古ぼけてるけどとっても大事なものなの。返してくれる?」


「勿論さ、困っている女の子を助けるのは当然だしね! それじゃあこれで!」


「待って!」


 ペンダントを渡し、何かに気づかれる前に立ち去ろうとすると女の子は俺の服の袖を掴んできた。
 え、バレた? バレてないよね? そうだといってよ顔も覚えてない父さん!


「私お祭り見に来たんだ。ねえ、あなたこの町の人でしょ? 一人じゃ面白くないもん。いっしょに回ろうよ! いいでしょ? ね? ね?」


 君文法おかしくない?と言おうとしたが、ひとまずそれは置いといて……
 え? 逆ナン? 逆ナンですかこれ?


 えええー……嬉しいけどさー、嬉しいけどさぁ……
 きっかけが相手の子の持ち物にゲロ吐いたから始まる出会いってどうよ?
 何より後ろめたさが尋常じゃないし、ここは申し訳ないけど……


「あれ? なんかペンダントからすっぱい臭いが……」


「行こうか! 俺も一人でつまらないな、と思ってたところさ! 君みたいに可愛い女の子の誘いなら乗らない訳にはいかないね!」


 バレちゃ駄目だバレちゃ駄目だバレちゃ駄目だ……!!


 そういうと女の子は少し不安そうな顔だったのがまた嬉しそうな顔になり飛び跳ねて喜びを表現した。


「わーい、やったー!」


 罪悪感からの了承だったとはいえ、ここまで喜んでくれると、なんだか俺も嬉しい。
 ここまで大げさではなかったけれど、ルッカも昔はこんな風に可愛く正直に感情を見せてくれたんだよなー……


 少し物思いに耽っていると、女の子の顔が目の前にあり、驚いて一歩後ろに下がってしまった。


「な、何?」


 俺が少しかすれた声を出すと、


「私マールって言うの。あなたは?」


 笑顔のまま彼女は自己紹介を行う。ここで俺が自己紹介をしない理由がない。お前に名乗る名などない! と一蹴する、という選択肢が出たが意味がないので普通に名乗る。


「クロノだ。よろしくなマール」


 自己紹介をしただけなのに、マールはまた嬉しそうに笑って、飛び跳ねた。
 なんか知らんが、えらく元気な子だな。
 知らず俺の顔もまた笑顔になっていた。


 それから、マールは俺を色んなところに連れまわした。
 最初は俺に案内させるのかな、と思ったが何かしらの店を通るたびに


「あ! ねえねえクロノあれ何?」

「クロノクロノ! 凄いよあれ! ウネウネ動いてるー!」

「凄い凄い! 皆踊ってるよ、私も踊る! クロノも一緒に踊ろうよ! いいでしょ?」

「行けー! てっかめんランナー! 頑張れー!」

「クレープって言うんだこれ、美味しいよ! クロノ!」


 とまあ、はしゃぎにはしゃいでくれて、落ち着く前に俺の手を引っ張って行った。


 お金が無いのは男として辛すぎるので、まず最初にルッカの発明品、ゴンザレスをスクラップにして、ゴンザレスの持っているシルバーポイントを根こそぎいただいた。(本来はある程度戦えば降参して、十五ポイントをくれるらしい)
 そのシルバーポイントをある程度お金に換えて、二人で祭りを満喫した。
 途中、猫を探している女の子がいて、マールが「探してあげよう!」と言い出したので嫌々探しているとその猫が俺の顔に飛んできて、無事女の子の元に連れて行ってあげたり、置きっぱなしの他人の弁当を俺が食べようとするとびっくりするくらい冷たい目でマールが見てくるので断念したり、残ったシルバーポイントでレースを見たり、お化け屋敷みたいなテントでワーワー叫んだり興奮したりと、本当に楽しい時間だった。


「あー、楽しかったねクロノ!」


「ああ、こんなにはしゃいだのは久しぶりだよ」


「私も! こんなに楽しかったのは生まれて初めてだよ!」


「ははは、大げさだな、おい」


 それでも、随伴した俺としては男冥利に尽きる言葉だったので、なんだか嬉しかった。


 ……ただ、祭りを回っている途中に一組のカップルが話していた言葉をにマールが興味を持ったのは誤算だった。


「ねえプラス? なんでもルッカの発明品が完成したらしいわよ?」


「本当かいマイナス? それは是非とも見に行かなければ!」


「ええそうね、広場の奥で見られるらしいわよ」


「よーし、いっくぞー!」


「ああん、待ってよプラスー!」


 と頭の悪い説明的な会話を聞いたマールが
「私たちも行こう!」
 と言い出したのだ。


 俺はごめん、盲腸が発狂して異がはしかにかかったんだ……と嘘をついて帰ろうとしたが、マールがほほを膨らまして、目に涙をためて俺の服の袖を掴んで離さなかったので断念した。


 ルッカのいる所まで後少し、というところでマールがキャンディ買って行く! と言って店に走っていった。


 ……これは、逃げるチャンスなんじゃないか?


 ここから俺とマールの距離は五メートル。
 俺が全力で逃げ出せば元気の塊のマールでも俺に追いつけはしないだろう。


 ……ごめんマール。
 俺、お前の悲しむ顔は見たくないけど、俺が辛い目にあうのはもっと嫌なんだ。


 思い立ったが瞬間、俺は力いっぱい祭り会場の入り口に向かって走り出した。
 後ろから「ああっ!」というマールの声が聞こえたが、華麗に無視して走り続ける。
 何が悲しくて楽しい祭りの日に実験オタクのサディスト元根暗女に会わなければならんのだ。
 そう、俺は自由の男、クロノのクは孔雀のク! (意味なんかない)


 マールには悪いけどなー、と考えていると、耳のすぐそばでヒュン、と高い音が聞こえて、思わず立ち止まると目の前の床に鉄の矢が突き立っていた。


 ぎぎぎ、と音が鳴りそうなくらいゆっくり振り向くと、マールがボーガンを構えて俺を見ていた。


「マアルサン、ソレハナンデスカ?」


 思わず機械的な口調になるのは仕方ない。


「私ボーガンが得意で、いつも持ってるんだ。護身用ってやつかな」


 笑顔のまま、それでもこめかみに青筋が浮かんでるのは恐怖を二倍にする。マール、倍プッシュだ! みたいな。
 つか、護身用にボーガンはおかしい。防衛になってないもん、間違いなくちょっかいかけようとした奴を無力化させる物じゃないもん。悪・即・斬の構えじゃん。
 世の中に信じられる奴なんかいないという境地に立たないとそんなもん護身用に持ちませんよ。


「ソ、ソウデスカ、ソレハステキデスネ」


 想いとは裏腹なセリフを吐く僕、クロノ。悪い人間じゃないよ、優しくしてね。


「ありがと。……で、クロノは私を置いて何処に行こうとしたのかなぁ……」


 ボーガンの側面をトントン叩きながら一歩ずつ近づいてくるマール。右手に見えるかわいらしい柄のキャンディが不似合いで怖いです。


「と……トイレ……もう、限界でしたので……」


「……ふーん」


 ドンファンの愛のささやきくらい信じてませんよという顔で見るマール。
 ……まあそうだよねえ。


 結局、俺はマールに襟首を掴まれながらルッカの発明を見るハメになった。
 せめて腕を組むとかで拘束してくれよ……




「さあさあ、お時間と勇気のある方はお立会い! これこそ、せいきの大発明! 超次元物資転送マシン一号だ!」


 ルッカの親父さん、タバンさんが大きな声でルッカの発明品の説明をしている。
 そのルッカの発明だが、青い色の床の上に、傘みたいなものが付いて、その横にゴチャゴチャしたチューブやらレバーがくっついている。そんな機械が二つある、なんとも言いづらいデザインの機械だった。
 まあ、あえて一言で表現するなら、非常に胡散臭い。


「早い話がこっちに乗っかると、」


 タバンさんが左側の装置を指差す。


「こっちに転送するって夢のような装置だ!」


 その後右側の装置を指差し、自慢げな顔をする。


 ……正直、その説明を聞いても何が言いたいのかさっぱりだった。


「こいつを発明したのが頭脳めいせきさいしょくけんびの、この俺の一人娘ルッカだ!」


 頭がいいのは認めるが……才色兼備!? どこがやねん。
 まあ、服装は研究大好きな為それ用の服を着ている。それはまあいい。紫がかった髪をショートカットにして、それも勝気そうな顔に良くあっているから文句は言わないし、顔の造詣も……まあ町の奴らから隠れてアイドル扱いされているから良いとしよう。ぶっちゃけ眼鏡は外したほうがいいと思うけど。
 ……まあ、可愛いのはまあ、良いとしても、性格鬼畜、有限不実行、天上天下唯我独尊女と付け加えなければ納得できない。


「へー……面白そうだね、クロノ!」


 うん、一応面白そうだと言っているが、途中までのローテンションを見る限り、マールもイマイチ理解できなかったみたいだ。


「マール、多分想像よりもずっとつまらないものだから、戻ろう。あれだ、なんたらケバブー買ってやるから」


「やだ、何が入ってるか分からないから気持ち悪い」


「オオゥ、タカ派だな」


「クロノ!」


 クソッ!マールの説得に手間取って悪魔に見つかるとは!


「待ってたわよ! だーれも、このテレポッドの転送にちょうせんしないんだもの」


 そりゃあそうだろうさ。昔空を飛ぶ機械とやらで無理やり俺に実験させて、俺の両足が骨折した、なんて前科があればな。


「こうなったらあんたやってくれない?ていうかやれ」


「こ……! このメスぶ」


「面白そう! やってみなよ。私見ててあげる!」


 あんまりにも理不尽な言葉に切れかけた俺がルッカに暴言を吐く前に、マールが本当に楽しみだという顔で笑いかける。
 ……頭の中身は少々残念な危険っ娘だが、こうしてみると確かに可愛いんだよな……


「左のポッドに乗るの」


 俺の話を聞く前にルッカは装置の様々なボタンが付いているところに移動していた。
 ……やるしかないのか。


 ゴルゴダの丘に登るような気分で俺はテレポッドだか超次元何とかだかの装置に乗る。


 ……やばい、泣きそうだ。


「スイッチ、オン!」


 空気を読まないタバンさんがなんの躊躇いもなく装置を動かす。それと同時に空気を読む気がないルッカもエネルギーがどうとか言い出す。


「……え?」


 ふと気づけば、俺の手が透けていく。
 いや、手だけではない。足が、体が。どんどん透けて……いや、無くなっていく!?


「おい! やめ」


 俺の声は最後まで口に出せず、俺の意識は消えた。







「「「「おおーッ! グレイト!」」」」


 次に意識が戻ったときには、観客たちの歓声が聞こえた。
 周りを見ると、どうやら無事、テレポッドは成功したらしい。左の装置の上にいたはずの俺は、右の装置の上に座り込んでいた。


「……良かった、良かったよぉ……」


 不覚にも、俺はマジで泣いていた。
 車椅子の女の子が友達にいくじなしと言われながらも立ち上がったときくらい泣いた。


 生きて帰れたことに対する喜びに震えながら、俺は装置を降りた。
 マールの所に戻る途中、ルッカが情けなっ! と言ってきたが小さく死ねっと返しておいた。


「帰ってきたよマール……俺、青ざめた顔してるだろ? ……生きてるんだぜ?」


「面白そうね、私もやる!」


 俺の感動のセリフはガン無視して、興奮で少しほほが赤みがかった顔でとんでもないことを言う。


「へ? えええぇえぇ!?」


 俺がマールに命とは何か? 人生とは何か? 存在価値とは何か? 漢とは何かをマールに教えようとする前にルッカが馬鹿でかい声を上げた。
 と思ったら俺のほうを睨みつけて胸倉を掴んで首を締め出した。


「ちょ、ちょっとクロノ! あんたいつの間に、こんなカワイイ子口説いたのよ! ねえ!何処の子!? 私町の女の子には全員釘刺したはずなのに!」


 女の子に釘を刺すなんて、俺の知らないところでバイオレンスなことやってんだなぁと思いながら、俺は今日何度目か分からないが、意識の消失が近づいているのを感じた。


「ね、いいでしょクロノ! ここで待ってて。どこにも行っちゃやだよ!」


 俺の生命の危機が見えないのか意図的に無視しているのか、マールは楽しそうに声を上げる。
 どこにも行っちゃやだよ! のあたりでルッカの首を絞める力が増す。メディーック! メディーック!


「さあさあ、ちょう戦するのは何とこんなにカワイらしい娘サンだ! ささ、どーぞこちらへ!」


 今まで空気を読んだことなんて一度も無かったタバンさんが張り切った声を上げる。
 それを聞いてルッカは一度大きく俺を持ち上げて床に叩きつけた。


「……後で話、聞くから」


 ヤク丸さんみたいな声で呟くと、ルッカはさっきと同じように装置の操作盤に向かった。


「エヘヘ、ちょっと行ってくるね」


 マールが可愛らしく笑いながら、俺に手を振る。
 あ、ルッカ、操作盤の一部壊しやがった。


「だいじょうぶかい? やめるんだったら今のうちだぜ」


 俺の中で脳の一部が麻痺しているに五千ガバスなタバンさんは娘の奇行に気づかずマールに話しかける。


「へっちゃらだよ! 全然こわくなんかないもん!」


 そういいながらマールは装置の上に乗る。
 最近の女の子は勇気があるなあ。
 所詮俺なんか草食系男子さ。


「それでは、みなさん! このカワイイ娘サンが見事消えましたら、はくしゅかっさい」


 その後は俺のときと同じように二人が装置を作動させる。


 その時、マールを見てみると、マールのペンダントが光りだしていた。


「……何だ、あれ」


 マールも気づき、ペンダントを触って不思議そうな顔をしていた。


 ……何故だろう。


 俺は、何故かその顔を見ていると……


 もう、彼女に会えないんじゃないか、と。


 そう思ってしまったのだ。


「えっ!?」


 ルッカなのか、タバンさんなのか。


 どちらが叫んだのか分からないが、その声が聞こえた瞬間、装置から電気が洩れ始めた!


「うわあ!」
「きゃあ!」


 二人は同時に倒れて、それを見て俺は「大丈夫か! ルッカ、タバンさん!」と駆け寄るべきなのだ。


 それでも……俺は、いや、観客も含めて俺たちは……


 マールの体が消えて、その粒子が黒く、ゆがんだ穴に吸い込まれていくのを、ただただぼーっと見ているだけだった。


 ……どれほど時間が経っただろう。
 数秒か数腑十秒か数分かはたまた数十分か。
 今は閉じられた、穴があった場所に視線を注いでいた。


「おい、ルッカ。出て来ねーぞ?」


 一番最初にタバンさんが言葉を放った。


「ハ、ハイ! ごらんの通り影も形もありません! こ、これにてオシマイ!」


 観客たちを散らせるために、半ば追い払うようにタバンさんは声を上げた。
 俺以外の観客は何が起こったのかよく分からないまま広場を出て行った。


 俺以外誰もいなくなったのを確認すると、タバンさんは座り込んでいるルッカに話しかけようとする。……でも。


「おいルッ」「おいルッカ!!」


 タバンさんの声を遮り、俺は怒鳴りながらルッカの胸倉を掴んだ。
 まるで、さっきの焼きまわし。ただキャストが代わっただけ。でも、その内容の重みはまるで違う。当然だ、人が一人消えているのだから。


「マールはどこに行った? どこに消えたんだ! おいルッカ!」


「わ……分からない」


 本気で怒っている俺に怯えたような顔を見せるルッカ。
 でもそれで遠慮できるほど俺は冷静じゃない。


「ふざけんな、人が一人消えてるんだぞ、分からないで済むか!」


「だって! あの子の消え方はテレポッドの消え方じゃなかった!」


 俺に負けじとルッカも声を上げる。


「あの空間の歪み方、……ペンダントが反応していたように見えたけど……もっと、別の何かが……」


「だから、何かって何なんだよぉぉぉ!!」


「分かんないってば! ちょっと黙っててよ!!」


「っ!!」


 ああくそ! 頭がおかしくなりそうだ……
 ルッカから離れて少しでも頭を冷まそうと深呼吸する。


「……マール」


 落ち着くと、マールと遊んだ今日一日を思い出す。
 ゴンザレスと戦っているときに一生懸命応援してくれたマール。
 猫を探しているときの真剣なマール。
 クリームを顔につけながら幸せそうにクレープをほおばるマール。
 レースに勝った時の嬉しそうな声を上げるマール。
 ……消える瞬間、辛そうな顔をしているように見えた、マール。


 勿論、体が消えた後で黒い穴に吸い込まれたのだから、表情なんて分かるわけがない。
 だけど、それでも……


「最後がそれなんて……あんまりだろ……生まれてきて、一番楽しい日だって言ったじゃねえかよ……」


 地面に座り込んで頭を掻き毟る。
 どうしようもない無力感。
 土の上に突っ伏して何もかも、今日のこと全てを忘れたいという思いに駆られる。


 目の端にキラ、と光るものが見えた。それは……ペンダント?


「マールが消える瞬間に落としたのか」


 近づいて拾おうとすると、ルッカが俺の腕を掴んでいた。
 邪魔された上に、まだルッカのせいでマールが消えたんだという悪意が残っているので、反射的に睨みつけてしまった。
 ……睨みつけようとした。


「……ルッカ」


「クロノォ……」


 ルッカは、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのだ。


 ルッカは、正直控えめに言っても優しい人間じゃない。
 見知らぬ女の子が消えても別にそれほど心を痛めはしない。
 そう、自分の発明が原因でなければ。


「わ、私、またやっちゃったのかな? あ、あの子、おか、お母さんみたいに、私が、私が殺しちゃったのかなぁ……」


 ……ああ、なんて馬鹿だ、俺は。


 知っていたはずだろうクロノ。
 ルッカが発明ばかりしている理由。
 まだまだ子供である時分から科学に全てを捧げた理由。
 ……彼女に母親がいない理由。


 詳しい話を知っているわけじゃない。
 知っているのは原因と結果。
 単純な話だ。
 ルッカが、発明を、科学を知らない頃のルッカが、自宅の機械を誤作動させた。
 そして……その結果、ルッカの母さんは死んだ。


 その日からルッカは発明に青春をかけた。科学に命を捧げた。
 でもそれは決して機械が好きだからじゃない。
 彼女は、世界で一番科学を嫌っている。
 だからこそ誰よりも科学を知りたがる。機械に触れたがる。
 そうしていれば、もう機械で誰かを傷つけることは無いから、機械に触れていれば、彼女は彼女の罪を忘れないから。



 ──そうだ、だから俺は誓った。約束した。
 
 
 だけれど、彼女が科学に没頭するには一つの障害があった。いわゆる、実験というものが出来なかったのだ。
 自分自身は実験の結果を見なければならないから実験対象にはできない。かといって彼女の作るのは人間を対象にしたもの。
 でも、彼女は自分の作った機械の実験で誰かを傷つけることはできない。どれだけ安全で、理論的には怪我の仕様が無くても、誰かに実験させるということが、自分で誰かに機械を触れさせるということができなかったのだ。トラウマが原因であると理解していても、分かっていても同じこと。


 けれど、俺は例外。
 俺のみがルッカのモルモット足りえる。
 理由はなんのことはない。
 俺が立候補したのだ。その時のセリフは……覚えているが、言いたくない。恥ずかしいどころではない。


 でもその時誓った想いはいつでも言える。


 俺は、ルッカを悲しませない。


「……約束は、守らないとな」


「……え? あ……」


 ルッカの手を離させて、俺はテレポッドに近づく。その際にとても悲しそうな声をルッカが出すが、そこは我慢してもらう。だって、もうルッカが悲しむ理由はなくなるのだから。


「このペンダントが怪しいんだよな、ルッカ!」


 テレポッドの上に立ち、俺は俯いているルッカに声をかける。
 弾かれたように顔を上げたルッカは「え?」とビックリしていた。


「俺はさ、馬鹿だからマールが消えた理由は分かんねー。でもよ、ルッカがこのペンダントが理由でマールが消えたってんならさ、俺もこのペンダントを持ってれば……」


「そうか! 嬢ちゃんの後を追えるって訳か!」


 いやあ、そこは俺に言い切らせてほしかったかな。
 まあ、今まで口を挟まなかった分、タバンさんにしては空気を読んだほうか。


「クロノ……」


「大丈夫だルッカ。お前の発明品で誰も傷ついたりしねえ、マールは絶対俺が連れて帰る。だから、心配すんなよ」


「……あ」


 もう一筋、ルッカの頬に涙が流れる。


「……っ! 分かった! あんたもしっかりね、私がいない間にマールとイチャイチャしてたら、頭に風穴開けてやるわよ!」


「え? マジで?」


「マジよ!」


 はあ……まあ、これでこそルッカだよな。


「ルッカ! 準備は良いか!」


「ああ、ちょっと待って! ……ありがとね、クロノ」


「え?」


「スイッチオン!」



 聞き返すも、タバンさんが装置を動かし始めて、続きは聞けなかった。


「エネルギーじゅうてん開始!」


 二人は出力を限界まで上げていき……
 マールが消えたときと同じように、装置から電気が飛び出してきた。


「ビンゴ! うまくいきそうよ!」


 マールを吸い込んだ穴が現れ、体が分解した俺を吸い込んでいく。
 完全に意識が途切れる前に、ルッカが何か叫んでいた。


「私も原因を究明したら後を追うわ! たのんだわよ、クロノ!」


 ……ああ、頼りにしてる。


 それは言葉にはならず、目の前が完全に黒一色となった。











「さあて、クロノの奴上手くやるかね?」


 クロノが消えて、父さんは心配そうな声を出した。
 なんだかんだで、父さんはクロノを気に入ってるからね、心配するのも無理ないか……


「うちの婿候補なんだ、なんかあったら困るしなぁ……」


「おべっふ!」


 口の中にある唾液という唾液が体外に放出。残弾ありません!


「むむむむ、婿って誰の!? 誰がどうしてアイツはコイツの世紀末!?」


「いやいや、うちの婿って言ってお前のじゃなけりゃあ俺の婿ってことになるぜ? いいのかよ」


「駄目、絶対許さない」


 一瞬おかしくなったかなと思うくらい茹った頭は一瞬で冷め、私は父さんに改造済みのエアガンの銃口を向けていた。


「じょ、冗談だよ。怖いなあ……ああ、そういえば、さっきの女の子。心配だなあー」


 あからさま過ぎる話題のそらし方だったが、一々突っ込んでまた冷やかされるのはごめんだったので乗っかっておくことにする。にしても、婿って、婿って……


「あの子…気のせいかもしれないけど、何処かで見た気がするのよね。町の中で、って訳じゃなくて」


 何処だっただろう、町じゃないとするなら、もしかして……


「そうだよな、町の子がクロノをデートに誘うわけ無いよな。町の子にはルッカがクロノは私のだから、ちょっかい出さないで! って言い回ってるもんな」


「あきゃーーー!!!」
 私の思考は父さんの発言で遠く向こうに飛んでいった。
 いやいや、なんで父さんがそのこと知ってるのよ!?


















「……ええと、すいません。知り合いでしたっけ?」


 リーネ広場から消えた俺は、何故か見知らぬ山奥で、見知らぬ背は小さいが顔は老けてるとっつぁんぼーやに絡まれていた。
 ……ルッカ、もしかして失敗した? 毎度のことだけどさ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:21
「はあっ、はあっ、はあっ!」


 ありえへんありえへん! そりゃ確かに見知らぬ人間が急に現れたらビックリすると思うよ! でもいきなり襲い掛かりますかね普通!?
 あと何で脛ばっかり蹴るんだ中学生の初めてのいじめみたいな事しやがって畜生!


 あー、あー、ただ今アホのルッカのあほな実験に巻き込まれたマールを助けに阿呆のルッカの言うことを信じてマールを追いかけたらはい! とっつぁんぼーやに追いかけられてます!


 ……超展開過ぎるだろ!? なんだよそれ? たまたま拾った女の子が実は魔法の国からやってきたお姫様だったくらい超展開だよ! 俺自身がついていけませんよ! ちゅーかたまたま拾ったってなんじゃい! 女の子はたまたま拾うものじゃねぇ! 空から降ってくるんだ! 事件は現場で起きてるんだ!


「あだっ! なになになにさ!?」
 あっ、ねるねるねるねみたいな言い方になった。どうでもいい。果てしなく。


 後ろを見ると俺を「ヒャッハー! あいつは俺たちの晩飯だぜぇぇ!!」みたいな顔で見ているとっつぁんぼーや達の一人が野球投手の新浦みたいにきれいなフォームで石を投げていた。
 凄いねそれ。走りながらよくそんなことできるね、何処の通信教育で教えてもらえますか?


「いたいよいたいよ! あかんわあれ絶対百三十キロは出てる! あいつら子供みたいな体格なんだからガキ大将剛田位の投球スピードにしとけよ!」


 俺の文句が聞こえるたびに「エケケケケ!!」という笑い声が聞こえる。
 多分訳すと「今夜の獲物は活きがいいな! 今から捌く時の悲鳴が楽しみだぜ!」みたいな感じなんですかね。狂ってる。


「はあ、はあ、痛いししんどいし疲れたし、もう走れねえ……」


 途中の岩壁に体を預けて、深呼吸を繰り返す。当然俺を追いかけていたとっつぁんぼーや(一々そう呼ぶの面倒くさいし青色丸でいいな、肌青いし。ていうかあいつセルゲームの時に何匹かいなかったっけ?)は俺に追いつき周りを囲み始める。


「エケッ、エケケケ!!」


「あー、もう。俺ガチの戦闘嫌いなんだよ。見たら分かるだろ、腰に木刀ぶらつかせてる奴は自分に酔った可哀想な奴か、俺と喧嘩売れば容赦なくこれを使いますよって牽制してるんだから。どっちにしても喧嘩なんかしたくないビビリなんだよ」


 ちなみに俺は二つのうち両方当てはまる。


 言いながら俺は木刀を両手で持ち、青色丸達を見据える。数はそれほど多くない、一人一撃で倒せば特に怪我も無いだろう。きっと、多分。恐らくは。


 青色丸たちは「お、俺達とやろうってのか?」と言わんばかりに顔を見合わせて笑っている。
 そりゃあ、今まで泣き言を叫びながら逃げ回っていた奴が急にカッコつけても笑えるだけだろうさ。


「笑え、笑え。何にもできないただのアホと思ってればその分俺の勝率は上がる」


 ついでに俺も休憩できる、と心の中で呟き一瞬、ほんの一瞬だけ俺も気を抜いた。


 ……それがいけなかった。


 顔を見合わせていた青色丸たちは打ち合わせでもしてたんですかというタイミングで同時に俺のほうを向き、閃光の如きスピードで俺に襲い掛かった!


「う、うわあっ!!」


 とっさに木刀を右になぎ払って俺にダメージは無かったが……それ以上に最悪な事態となってしまった。


「おおおお折れたぁぁ!!!」


 そう、青色丸三人分の蹴りとパンチに耐え切れず木刀が半ばから叩き折られたのだ。一人一撃で倒す? 夢見てんじゃねえ!


 呆然としている俺に、青色丸の一人が実にいやらしそうな顔で近づいてくる。
 途中で地面に落ちている折れた木刀をバキッと踏み潰しながら。


「エケケケケ……」


 無駄に訳してみると「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミで以下略」ってなところかな。なんともアメリカンな野郎だ。


「……フッ」


 ニヒルな笑みを浮かべ、背中に手を伸ばす。その動作に青色丸たちは怪訝な顔をして、すぐにまた警戒態勢へと戻り、俺から少しずつ離れていった。
 どうやら、奥の手のさらに上位に位置する奥義を使わねばならんようだ。
 驚くなよ? 俺はこの手でルッカの追撃を五回も振り切ったんだからな! (捕縛回数千前後)


「おらあああああああぁぁぁぁぁ………」


 俺は全力で青色丸たちに走り出す、と見せかけて明後日の方向に力の限り走る。
 奥義、「ハッタリ」である。


 いやいや、背中になんかなんも隠してないし、木刀が折られた時点でまともに戦うなんて選択肢存在しねえんだよ。誰だって好き好んでタイガー道場になんか行きたくねえよ!


 クロノ、心の俳句、と締めた後に数秒遅れて青色丸たちが走り出すがもう遅い。俺の逃げ足は弾丸より速いとと学校のホームルームで俺自身が宣言したのだから。


 青色丸たちの声がエケケという笑い声からゴガッゴガガッ! という怒声に変わる頃には俺は風と一体化していた。気分はボルト。








 青色丸たちから無事逃走を果たした俺は、山の途中から見えた町に向かうこととした。
 山を降りる間にもう無駄に色々あった。
 宝箱があったのでパネえ! パネえ! と喜びながら空けてみると二週間くらい洗ってなかった靴下みたいな臭いのする手袋。崖下の滝に宝箱ごと叩き落した。
 気を取り直して歩き出すとまた宝箱があったのでもう騙されるかと中身を見ずに崖下に蹴り落とした。落ちていく途中で蓋が開き、中からポーションが出てきたことを覚えている。(ポーションとは体力回復の薬である。勿論あって困るものではない)
 買ってきたプラモを帰り道で落として壊してしまった時のような感覚に襲われていると、下からグギャア!! という鳴き声が聞こえた。
 え、なに? どういうイベント? と戸惑っているとなにやらバサバサと大きな鳥が羽ばたくような音が聞こえた。
 大鷹でもいるのかね、と思っていると下から俺と同じくらいの大きさの鳥が二匹現れた。
 片方は頭から血を流しており、なるほど、俺の落とした宝箱が当たったのかと推理する。どうかねワトソン君!
 まあ、その鳥だけでもまずいのだが、もっとまずいのは鳥ではない。
 その鳥の足を掴んで一緒に現れたのが……そう、青色丸である。
 俺の顔を見るなりグゲエエッ! と叫んだところを見るとさっきまで俺を追いかけていた奴らに違いない。
 ふざけんなよ! 鳥の足を掴んでやってくるとかガッシュかよ! と悪態をつきながらリアル鬼ごっこが再開された。
 喘息の発作なみに息を乱していると、なんだか急にテンションが上がってきた。ランナーズハイというやつだろうか?
 少しランラン気分で歩いているとなんだろう、青色丸二人が人間の胴体くらいありそうなアルマジロでサッカーをしている。
 控えめに言っても冷静ではなかった俺はその光景を見て「よーしーてー!」と声をかけてしまったのだ。
 こうして、俺は他人とは適度な距離を持って接するべき、と学んだ。


「とにかく……たいへんだったんですよぉ……分かります?」


「分かるよ兄ちゃん。とにかく飲みねえ飲みねえ!」


 無事下山することができた俺は喉の渇きを潤すため町の宿屋に入り、現在酒をバカスカ飲んでいるところである。


「はい……幼馴染の女の子はなにかっちゃあつっかかってくるし、折角のお祭りで知らない女の子に飛び膝蹴りかまされるし、あげくその女の子はスカタンの幼馴染の実験に巻き込まれて消えちゃうし、後を追ったらあの山の中にいるし……もう散々です……」


 隣に座っている気の良い親父に愚痴を聞いてもらい、放しているうちに両目から涙が溢れてきた。
 俺の人生にいつ幸福期が来るのだろうか?


「うん、裏山? そこは確かリーネ王妃が見つかったところじゃねえか」


「え、女の子がいたの!?」


 どっぷり漬かった酒気が覚め、親父さんに話を促す。


「こらこら、王妃様に女の子ってのは無礼だぜ? ……まあ確かに久しぶりに王妃様の顔を見たが、確かに女の子って言えるほど若々しい人だったな。前に見たときよりさらに若返って見えた」


「王妃? ……まあいいや。あのさ、その子の特徴教えてくれない!?」


「だから……もういい。ええと、王妃様は美しい金色の髪の髪を後ろでくくってらっしゃった、服装は見つかったときはラフな白い服だったな。そして、これは見間違いかもしれねえが、背中にボーガンをつけてた気がするな」


「……ビンゴだ! サンキュ、親父さん! 最後にもう一つ。その王妃様には何処で会えるんだ?」


 そう問うた俺に親父さんは眉をひそめて、


「はあ? 王妃様に会うなら、城に行くしかないだろうが」


 ……なるほど、道理だ。ところで……


「あの、お城って民間人でも入れますかね?」


 親父さんの答えは何言ってんだ? お前大丈夫か? だった。



 星は夢を見る必要は無い
 第二話 急展開ってなんだかんだで必要な要素なんだよね








「着いた……ここがガルディア城か……」


 宿屋からここに来るまで、まあ無難に色々あった。
 肌が緑色というだけで、青色丸と姿形が全く同じの緑色丸が城にいく道筋の途中にある森で闊歩してたり。
 草むらで何かガサガサ動いてるから何かなー?と思って除いてみると中から化けもんたちがウジャウジャ出てきたり。
 草むらで何か光ってるからお金かなー? と思って近づくとモンスターがアメフトなみのタックルをかまして逃げて行ったり。
 単行本にして三分の一は描写できそうな冒険だった。
 まあ基本俺はワーワーキャーキャー言ってただけなので大層つまらない本になるのは間違いない。


「……しかし、こっからが問題なんだよな」


 途中の立て札に用の無い者は来るな! 乗らないのなら帰れ! とにべもない言葉が書かれていた。乗るって何に?


 まさかいきなり「すいませーん? 王妃様います? それ多分俺の友達なんで返してくれません? まじ、迷惑なんですけどー」
 と言ったところで返してくれるわけが無い。
 多分「そいつは悪かったねー。よいしょい!」
 と言いながら槍を突き出してくるだろう。
 そして俺はバッドエンド~宿命はいつまでも~とかロゴが出てきて終わる。何か良い案は無いだろうか……?


「……奥義を使うべきだな」


 またの名をはったり。


 俺は威風堂々と城の門を開けた。






「どうも、天下一品です。ご注文の品を持ってまいりました」


「待て! 何者だ!」


 まあ、何食わぬ顔で入っても城の門番が許すわけが無い。普通に俺の肩を掴み尋問する。


「いや、ですから天下一品です。ご注文の品を……」


「……そのご注文の品はお前の懐の中に入ってるのか?」


 懐疑的な目で見てくる兵士。にしても訳の分からんことを言う。天下一品といえばラーメンか餃子かチャーハンか。とにかく懐に入るような物でないと何故分からないのだろう。


「懐になんか入るわけ無いじゃないですか。頭働いてます?」


「じゃあ何でお前手ぶらなんだよ! 注文の品って何だよ!」


 ……なるほどね、それは盲点だったぜ。確かに両手に何も持っていないのにラーメン屋の出前のフリをするのは難しかったか……


「じゃあ税務署の方からです」


「いやあ……もう無理だよお前……修正効かないよ」


「……やっぱり駄目ですかねえ?」


 俺が聞くと二人の兵士は同時にこくりと頷き、俺の腰に蹴りをいれてきた。とても痛い。


「ほら、とっとと帰れ! あんまりウロチョロするようならひっ捕らえるぞ!」


「蹴りを挟んだ理由は何だ!」


 涙目になりながら講義する俺。暴行罪で訴えてやろうか、なおかつ勝ってやろうか。


「おやめなさい!」


 騒々しい城の入り口に響き渡る凛とした声。
 それは醜い争いをしていた俺達の動きを止めるには十分すぎる力を持っていた。


「リ、リーネ王妃様!」


 兵士達が動作を再開し、跪く。
 俺は何がなんだか分からないという顔で声の聞こえた方向を見る。


 そこには、荘厳なドレスを纏った、マールがいた。
 触れれば折れるのではないかという細身の女の子に、無骨な兵士達が傅いている。
 本で何度も見たことのある光景。それがこんなに神々しく見えるのは、マールの力なのか、城という舞台に影響されてなのか。


「その方は私がお世話になった方。客人としてもてなしなさい」


「しかし、こんな怪しい者を……」


 兵士の一人が、抗議ともいえない意見を放つ。
 もう一人も口にはしないが、同じことを思っているようだ。


 それを感じたマール……いやリーネ王妃は二人を交互に見て、口を開いた。


「私の命が聞けないと?」


 ゾクリとした。
 声を荒げているわけではない。
 刃物を突きつけられているでもない。
 ただ、その声の平坦さ、感情の不透明さが怖かった。
 まるで、見えない手に心臓を軽く握られたような……


「め、滅相もありません! どうぞお通りを!」


 急いで言葉を繋ぎ、視線を下に戻す。
 俺が言われた訳じゃないのに、あれほどの恐怖が生まれたんだ。
 言われた本人達の心情は押して知るべし、ってやつだ。


 リーネ王妃は「フフ……」と妖艶に笑い、城の奥に戻って行った。


 妖艶、恐怖、荘厳。
 俺の知っているマールとかけ離れた印象を持つリーネ王妃。
 ……本当に、本当に、リーネ王妃は……


「マール、なのか?」


 俺の小さな呟きは、城の大広間に響くことは無く、俺自身に向ける疑問として残った。


















 おまけ



 それは今から六年ほど前のこと。


「ルッカ! もうちょっと優しい実験にしよう? でないと俺若い身空でこの身を散らすことになってしまう……」


「駄目よ、この実験が成功すれば私の理論は飛躍的に進むんだから。そう、時を越えることもできる……かもね」


「嫌だぁぁぁ!! 時を越えるのにどうして俺が十万ボルトの電撃を浴びなきゃなんないんだよぉぉぉ!! ただの拷問じゃん!!」


「うるさいわね! 私だって結構この実験の必要性に疑問を持ってるんだから! 覚悟を決めなさい!」


「うわあああ本末転倒の支離滅裂だぁぁぁぁ!!!」


─────春のことである。





「ルッカよお、まぁたクロノを苛めたのか?」


「苛めてない。実験よ実験。科学の進化に犠牲はつきものなのよ」


「実験ねえ……」


 それから二人の間に会話が途絶える。
 二人とも、別に気まずいとは思わない。互いが互いに研究をしているときには会話なんてもっての外だし、会話が無くても相手が何を考えているのか分かる。
 ルッカとタバンは普通の親子よりも強い絆で結ばれているのだ。


「やっぱあれか。普通に遊ぼうって言うのが恥ずかしいんだろ? やっかいな娘に惚れられたなクロノは」


「っっ!! あいたあ!!」


 急なタバンの発言に驚き、ルッカは手に持ったトンカチを足の指に落としてしまった。
 顔が赤いのは羞恥か、はたまた痛みの為か。


「ととと父さん! ぜっ、全然そういうんじゃないし! クロノとか、クロノとかもうそういう風に見る対象としてありえないっていうか、いやむしろクロノって誰? みたいな! そんな奴いたかなぁ……? って悩むくらいの存在よ私の中では!!」


 一息で言い放つ娘に「ほーほー」と聞き流すタバン。今も昔もルッカは父親には勝てないのだろうか。


 また、先ほどと同じような沈黙が降りる。
 ルッカも気を取り直し、作業に戻る。
 タバンは何やらトンテンカンテンハンマーで何かを叩いているようだ。
 それは然程時間のいる作業ではなかったらしく、二分程度で手を休める。
 ルッカは電線と電線を繋ぎ合わせ溶接するという極めて集中力の要る作業を行っていた。
 当然、そんな時に話しかけるなど言語道断、初めてのアルバイトにメモを持ってこないくらいの暴挙だった。


 が、残念ながら、タバンに空気を読むというスキルは備わっていなかった。


「クロノ目覚ましの調子はどうだ? ほら、数百種類のクロノの声が録音されてるやつ。あれのおかげでお前朝起きるたびにニヤニヤしてるもんな」


「ななななんで知って! ってあつううううぅぅぅ!!」


 タバン家は、トルース町の名物一家として町に様々な話題を提供している。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:30
 城に着いた俺は王様に謁見し、「疲れただろう、地下の騎士団の部屋で休みなさい。後風呂にも入りなさい。とても臭い」とありがたい言葉を頂いたので柔らかいベッドで熟睡する。勿論風呂にも入る。食堂で飯も食べる。無料だったし。


「うーん、お城ってもっと煌びやかな所かと思ってたんだが、なんか置いてあるもの全部が古臭いな。レトロブームなのか?」



 そもそも、この国はガルディアではないのだろうか? トルース町の雰囲気から見るに、俺が今まで住んでいた所と違うのは一目瞭然。まずリーネ広場があった所に山が鎮座している時点でおかしい。
 あと、この国なんか臭い。変な靄が立ち込めてて前が見辛い。
 しかし、元の世界(俺が生まれ育った場所)とこの世界(ルッカの機械で飛んできた今いる場所)で類似点が多々存在する。


 まず、町や城の位置。
 海沿いに町が並んでいる点や、森を抜けたら城があるのも元の世界とまったく同じ、遠くから見ただけなので詳しくは分からないが、城の南西に橋があるのも確認済みだ。
 次に地名。
 城に来る前に立ち寄った宿屋から、ここはトルース村だと聞いた。
 村か町かの違いはあれど、『トルース』という共通点は見逃せない。
 それだけならば偶然で済むかもしれないが、どうやらこの城の名前も元の世界にあった城と同じ名前、『ガルディア』城らしいのだ。


 疲れて碌に頭が回っていなかったとはいえ、ここがどういう所なのか考えていなかった俺は中々大物のようだ。


「うん、何事もプラス思考で生きていくべきだ。決して自分を卑下してはいけない」


 独り言を呟きながら何度も頷いている俺を見て兵士達が


「医者呼ぶ?」「手遅れでしょ」


 と失礼極まりない会話をしている。
 これだから田舎者は困る。セレブリティな俺を見習うが良い。セレブリティって何だっけ?


 ちなみに俺がここに着いたのは六時間前。
 風呂に入って飯食って寝たらまあそれくらい時間が経つよな。
 最初の一時間はリーネ王妃がチラチラとこの部屋を覗いてきたが、まずは寝かせてほしかったので無視していた。
 いやあ、あれがマールじゃなかったら今までの苦労無駄だなー……と考えると確認するのに多大な勇気が必要だったので、まあぶっちゃけ後回しという名の現実逃避である。


「……そろそろ行くか? でもなあ……」


 それも度を越えれば後悔に早代わり。
 人を待たせといて風呂入って寝るってどうなの?やばいなあ、あれがマールでもリーネ王妃でもやばい。
 マールなら「待たせすぎだよクロノ、息絶えろ」とか言いながらボーガン乱射しそうだし、リーネ王妃なら「私をこれだけ待たせるとは、不敬罪です。裁判などいらぬ、斬って捨てよ」とか言われそうだし。


「いや、マールは優しい子だ。きっと『焦らせ過ぎだよクロノ! そんな貴方にフォーリンラブ!』とか言い出したり……しますかね?」


「知らねえよ気持ち悪い」


 隣のベッドで横になっている兵士に声をかけると冷たい言葉を返された。
 これだから田舎者は。コミュニケーション力が足りない。コミニュケーションだったっけ?
 てか、よく見ると貴方ほいほいソルジャーにそっくりですね。家族の方ですか?


「……行くしかないよな。これで帰ったら馬鹿だもんな」


 そもそもルッカが迎えに来てくれない限り帰る方法なんてない。
 やだやだ、なんだろこの怒られるが分かってて学校に行く気分みたいなの。


 ベッドから降りて城の大広間に向かう。そこから王妃の部屋まで行くらしい。
 溜息をつきながら階段を上がり、大広間に出るとなにやらメイドやら兵士やらが騒いでいた。
 少しでも怒られるのを先延ばしにしたい俺は右往左往しているメイドの一人に話しを聞いてみることにした。


「あの、どうしたんですか? おなか痛いんですか?」


「リーネ様がいなくなったのよ!」


 なるほど、リーネ王妃がいなくなった、と。
 そういえばちょっと前まで姿を消していたらしい。なんともお転婆なことだ……って!


「お転婆とか古っ! じゃなくてリーネ王妃がいない!?」


 え?どうするの? いやいやリーネ王妃がマールだとしたら俺の目的が消えたって事ですか?
 俺が悪いのか!? 俺がグータラして中々会いに行かなかったのが悪いのか!?


「誰か怪しい人間はいなかったのか!」


「王妃様の部屋には誰も入ってません!」


「何? 客人が来ると仰っていなかったか!?」


「それが、その客人の方が中々現れなかったので度々部屋から出ておりましたが……」


「……となると、怪しいのは……」


 ……何で俺のほうを見ているのだろう。
 あれだろうか、無料だからといって食堂で肉ばかり食べたからだろうか?栄養バランスを考えろ!みたいな。


「貴様ぁ、よくも王妃様を!」


 違うね、俺の健康を心配してる感じじゃないね、これ。剣抜いてるもん。ツンデレにしてもおかしい。


「ちょちょ、違うって!俺は騎士団の部屋で寝てただけですよ!? 証人! 証人を呼んで下さい!」


「確かにお前が騎士団の部屋にいたことは確認されている。だが、お前がここに来てからずっとお前を見張っていた人間はおらん。我々はずっと部屋で休んでいる訳ではないのでな」


 つまり騎士団の部屋は入れ替わりが激しいので俺のアリバイを完璧に証明してくれる奴はいないと。
 何だよその疑わしきは罰する構え。


「は、話し合おう! 話せば分かる! 何事も!」


「そういうセリフは悪役が言うものだ。尻尾を出したな貴様!」


「だああ! ゲームのやり過ぎだあんた!」


 どうやらリーネ王妃は随分慕われていたようだ、兵士達は王妃の危機に冷静さを失っている。外部の犯行という可能性の前に俺という不審人物の存在に目が奪われ短絡的な発想に帰結する。浅はかな!!
 ……いや、確かに急に城に現れた奴を疑わない訳はないか。しかも現れてすぐ王妃が消えたらそりゃあもう。
 おまけに俺はリーネ王妃に客人としてもてなせ、と言われたのだ。犯行は容易、そう考えるのに何の不思議があろうか。


「……詰んだな」


「さあ極悪人! 王妃様を何処に……」


 ドガァ!!!!


「ぐふっ!」


 もう言い訳できませんねこれ、と諦め、両手を上に上げた瞬間、城の扉が爆発し近くの兵士が吹き飛んだ。


「クロノ! いる!?」


 その犯人はタイミングが悪いか良いかで言えば悪いに三万ペソのルッカだった。


「あ、ああ、います」


「ああいた! もう何回叩いても扉を開けてくれないから思わず吹き飛ばしちゃったじゃない! 門番の奴ちゃんと仕事しろって感じよね!」


 思わず吹き飛ばすなんて行動ができるのは古今東西ルッカだけだと思う。
 しかし、今回ばかりは助かった!


「とりあえず、無事でよかったわ! それよりあの子は?」


「それどころじゃねえ! 逃げるぞルッカ!」


「ちょ、ちょっと!」


 ルッカの手を握り吹き飛んだドアから逃げ出す。我に返った兵士達が追えー! と叫んでいる。
 普通の服しか着てない俺達に、鉄製の重たそうな鎧を着込んだ兵士達が追いつけるわけはなかった。
 一つ怖かったのが逃げている最中ルッカが何も言わなかったこと。
 口には出せないけど、ルッカの手汗が気持ち悪かった。びっしょびしょなんだけどこいつの手。


 森から抜け、今分かることは、俺はマール救出に失敗したということだけだった。






 星は夢を見る必要はない
 第三話 爬虫類は実験対象








「で、どういう訳か説明してくれる?」


 全力で走ったせいか顔の赤いルッカがそう切り出したのはトルース村の宿屋だった。
 兵士達に追われているので長居はできないが、ルッカ曰く「森の途中で振り切ったからね、多分今は森の捜索中。村にまで捜索がかかるのはまだ先よ」の言葉を信じて、ここで休憩することになった。


 二人で水を二杯ずつ飲み、俺はルッカに何があったのか説明した。
 俺がグータラしたことは言わなかったが。


「何ですって、リーネ王妃がいなくなった!?」


 驚いて大声を出したルッカの口を慌てて塞ぐ。
 まだ村の人たちはいなくなったことを知らないのだ。ここで騒がれたら兵士達が来るかもしれない。


 俺の考えていることが分かったのだろう、ルッカは一つ頷き、俺は手を離す。
 何でちょっと残念そうなんだよ。


「……やっぱりね」


 何事かを考えていたルッカは何か自己完結していた。


「おい、何が分かったんだ? 俺にも説明してくれ」


 身を乗り出す俺を手で制して、ルッカは話し出す。


「あの子が消えるとき、どこかで見た顔だと思ったのよ」


 ふんふん、と何度も頷いて先を促す。
 ルッカは人に何かを教えるとき焦らす傾向がある。教師には向かない性分だ。


「ここは王国は王国でも随分と昔の王国みたいね」


 辺りを見回して電波な事を言い出す。
 ……あれ?妙な方向に話しが向かってませんか? ルッカさん。


「あの子は昔のご先祖様に間違えられたって訳よ。あの子は私たちの時代でもお姫様、そう……」


 ルッカは一度言葉を区切り、立ち上がってさあ驚けといわんばかりに両手を掲げて話し出した。


「マールディア王女なのよ!」


「……ああ、そう」


 やばいぞ、頼りにしていたルッカがおかしくなった。
 あれか、この前二人で見に行った紙芝居に影響を受けたのだろうか?
 時を駆ける幼女だかなんだか。


 俺の薄いリアクションを見て恥ずかしくなったのかルッカはしずしずと椅子に座りなおし、俺を睨みつけた。


「で、マールは何処に行ったんだ? さっさと結論を言えよ」


「……いなくなった、というのは間違いじゃないけど、正確じゃないわね。いなくなったんじゃなくて、『消えた』のよ」


 メーデー! メーデー!
 電波領域急速に拡大していきます!


「つまりマールディア王女はこの時代の王妃の子孫なの」


 やばいぞ、黄色い救急車を呼ばなくてはならない。


「そして、この時代の王妃がさらわれた……本当はその後、誰かが助けてくれるはずだった。でもね、歴史は変わってしまった。マールがこの時代に現れて、王妃に間違えられてしまい、捜索が打ち切られたのよ。……もし、この時代の王妃が殺されてしまったら……」


 真剣な顔で俺を見るルッカ……
 これほどにマジなら、過去に来たとかいう話も本当なのか?
 ……ああ、こいつお菓子の当たりを確かめるときもこんな顔してるわ、結論、信じられるか。


「その子孫であるマールの存在が消えてしまう……でもまだ間に合うわ! 今からでも王妃を助け出すことができれば、歴史も元に戻るはず!」


 熱弁しているルッカの横で俺はマスターにチョリソーを注文する。
 この辛さがたまらない。


「おそらく、この時代の王妃に何かあったんだわ。だから、子孫であるあの子の存在そのものが……」


「あっマスター、香辛料ドバドバいれて。味が濃ければ濃いほど好きだからさ、俺」


「とにかく、本物の王妃の行方を捜さなきゃって聞いてるのクロノォォォ!!」


「あっつい! 鉄板に俺の顔を押し付けるのは駄目ぇぇぇ!!」


 こうして、二度目のマール捜索改め、王妃捜索が始まった。







 何の手掛かりもなしに王妃を探すのは無理だ。城の兵士達が探しても見つからなかったんだ。
 俺達二人で無闇に探しても見つかるわけがない。
 兵士達に追われている俺達は急いで行動を開始した。早く手掛かりを見つけないと牢屋に入れられる過程を飛ばして死刑かもしれない。
 ルッカは宿屋を出てグッズマーケットや家の外に出ている人たちから聞き込みを開始するらしい。
 俺はまた走り回るのは嫌なので、宿屋で酒を飲んでいる酔っ払いたちに話を聞くことにした。

「王妃様? もう見つかったんだろう?」

「うーん、兵士達が探しても見つからないような場所? そんな所この国にあるかねえ? 強いて言えば魔王城かな?ハハハ!」

「そりゃあもう、うちの母ちゃんは王妃様に勝るとも劣らない美女よ、ガハハ!」

「何だ? 色んな人に聞き込みをしてる? ルサンチマン気取りか!」


 とまあ多様な話を聞いたがこれといって重要そうなものは何一つなかった。はっきり言って時間の無駄だった。


「おい」


「え?」


 肩を叩かれ、振り返ると頭にバンダナをつけた男が立っていた。


「王妃様のいる所だろ? 一杯奢ってくれれば教えてやるぜ?」


 男がそう切り出すと、近くにいた酔っ払いが口を挟んだ。


「おいおい、王妃様はもう見つかったんだぜ? 裏山でな」


「何? そうだったのか」


 ちぇ、酒代が浮くと思ったんだけどな……とこぼしながら椅子に座る。
 俺はそいつの隣に座り、マスターに酒を注文し、それを男に渡す。


「おいおい、いいのかい? 俺の情報はもう無駄になっちまったんだぜ?」


「いや、俺にはそれが重要なんだ。あんたはどこに王妃様がいると思ったんだ?」


 男は眉をひそめながら、酒を口に含み、飲み下してから口を開いた。


「俺は城の西に立てられた修道院が絶対に怪しいと思ってたんだ。まあ、的外れだったみたいだがな……」


 ……修道院か、そこに賭けるしかないな。
 村の中なら村人が気づくだろうし、裏山は捜索隊が探した。城の中なんて馬鹿なことはないだろう。
 探せるところなんて追われる身の俺たちには限られてるんだ。


 席を立ち、ありがとうと男に言い残して、店を出ようとする。
 すると、後ろから情報を教えてくれた男が俺に声を掛ける。


「俺の名前はトマ! 世界一の冒険者さ! 坊主、お前の名前は?」


 世界一の冒険者とは大きく出る。
 それに触発された俺は、振り向いて、親指を自分に向けて高らかに宣言した。


「俺の名前はクロノ! 世界一の色男だ!」


 店を出るときに聞こえた声は、宿屋にいる人間の爆笑だった。
 二度と来るもんかこんな宿屋。


 グッズマーケットで店主を締め上げていたルッカを見つけて、二人で修道院に向かう。
 店主を締めていた理由は「商品が割高だったから」だそうだ。割高くらいなら勘弁してやれよ……
 とはいえ、俺の折れた木刀の代わりに青銅の刀を買ってくれていたのは嬉しかった。
 ありがとうと久しぶりに本音で言ったら「これであんたに借りてた借金はチャラね」だった。
 ……これ、四百ゴールドもするんだ。









「これが修道院か。俺、初めて来たよ」


「私もよ。私達の時代に修道院は……あるのかもしれないけど。船でも使わないと行けない所にあるからね。トルースに住んでる人達は見たこともないんじゃないかしら」


 中に入ると、石製の床に赤く長い絨毯が入り口から奥まで敷かれてあり、六つの長椅子が置いてあった。
 そこに三人の修道女が座って何かしら祈りを捧げていた。
 はっきりと言うのは失礼かもしれないが、とても口が臭かった。何食ったらあんな口臭になるんだろう。


「さあ、貴方達もかわいそうな自分達のために祈りを捧げてはいかがですか? ククク……」


「友達いないからってそういうことばっかり言うのやめたほうがいいですよ、性根まで悪く思われますから」


「……どうかこの愚かな者に裁きの雷を……」


 これだ。
 口が臭いだけに飽きたらず、口が悪い。
 ここに来てから思ったんだが、この世界はとことんまともな奴が少ない。
 トマくらいのもんじゃなかろうか?
 あと俺に無料で飯をくれた料理長。テンションは大変うざったかったが。


「結局手掛かり無しか」


「あんたね、これだけ怪しいところも早々ないってくらい怪しいじゃない、この修道院。ここにいる人たち絶対何か悪どいことしてるわよ」


「こらこら。人を言動と口臭で差別するもんじゃないぞ、犬みたいな臭いのする人がいてもいいじゃないか」


「犬、っていうか下水臭いのよねここの人たち。修道女なんだったら歯くらい磨きなさいよ」


 俺達の会話が聞こえるたびに修道女の皆さんの口が大きく横に裂かれていくのは気のせいだろうか?


「なあルッカ……あれ?」


「どうしたの、何か見つけた?」


 床に何か光っているものがあったのでそれを拾い上げてみた。


「……それって」


 後ろからぎぎっ、と音が聞こえる。
 修道女たちが椅子から立ち上がったのだろう。


「これ、ガルディア王国の紋章じゃない!」


「え?」


 俺が聞き返すと、修道女が素早い動きで俺達を囲む。
 ……なんかデジャヴだな、これ。


「よくも気づきましたね、この場所の秘密に」


 修道女Aがサスペンスの犯人みたいな雰囲気を出す。


「まあ、あれだけ罵詈雑言を重ねてくれた貴方達を帰す気はさらさらありませんでしたが……」


 修道女Bが憤怒の表情で脅す。


「とにかく、貴方達二人は私たちの美味しいディナーに……」


 修道女Cが舌なめずりをしながら俺とルッカを見る。


「スパイスは……貴方たちの悲鳴よ!!」


 修道女Dが叫ぶと、四人の体から青い炎が噴出してくる!
 数秒の間に炎は彼女らの全身を燃やし、急速に炎が消えると、そこに立っていたのは下半身が蛇の、舌の長い化け物だった。


「! モンスターよクロノ、気をつけて!」


 ああ、ルッカがシリアスな顔になってる。
 じゃあ言っちゃ駄目なんだよな。
 戦隊物の悪役みたいだって。
 心にしこりを残しつつ、俺は青銅の刀を抜いた。


 ルッカは右側の蛇女に改造エアガンを撃ち、蛇女はそれを右手で叩き落す。その隙に俺とルッカは囲まれた状態から脱出して、壁を背にして向かい合う。
 ルッカはここからどう動くかシュミレートしているが、その前に重大な問題をルッカに告げなくてはならない。
 これは、俺達の生死にかかわる問題だ。


「なあ、ルッカ。大変だ」


「何よクロノ! 大事なことなんでしょうね!」


「ああ、実はこの青銅の刀なんだが。重くて振り回せない、どうしよう」


「………」


 ルッカがあまりに冷酷な目で俺を見るが、仕方ないじゃないか。
 今まで木刀しか振り回してなかった俺が青銅なんて物を扱えると思うほうが間違いだ。
 鞘に入れて腰につけてた時から辛くてしょうがなかった。


「今言う? ねえクロノ。それ今言わなきゃ駄目? もうすこし前に言ってくれたら私も対処できたんじゃないの?」


「だって……格好悪いから」


「あんたのその変なプライド、帰ったら実験で粉々にしてやるからね」


 帰りたくないなあ。
 いっそここで蛇女に投降してルッカを叩きのめすというのはどうだろうか。
 淡い希望を持って近づいてみると右手で一閃された。駄目ですか。


「ああもう! 肩に乗せて叩き切るならできるでしょ! 一撃必殺の気持ちで挑みなさい!」


「はいはい、……ああ、重たいし肩が痛い」


 これ以上文句を言うとルッカがぶち切れそうなのでやめておく。
 今もチラチラ銃口が俺の方を向くのだから。


「シャアアアア!!」


「「うわあああ!!」」


 俺とルッカが同時に右に転がり避ける。
 転がりながらも蛇女に何発か銃を撃つ根性はすばらしい。っていうか良いな飛び道具。俺も弓とかにすれば良かった。木刀なんか持ち歩かないで。


「クロノ! あんたが前に出ないと私にも攻撃が来て照準が合わせられないでしょ! とっととつっこみなさい!」


「だから青銅の刀が重たすぎて振れないんだって! 俺今肩に乗っけてるけどこっから振り下ろすのやっぱり無理だわ! もう腕が痺れてきてるもん!」


「役立たず! ……ああ、仕方ないなぁ…これ凄いレアなのに……」


 ルッカはポケットを探ると、中から小指の第一関節程の大きさのカプセルを取り出した。


「なにそ、んぐっ!!」


 取り出すや否やルッカはそのカプセルを俺の口に突っ込んだ。
 凄いイガイガする。喉が痛い。これ口の中に入れていいのか?


「げほっ、げほっ!! ……何するんだよルッカ! 殺す気か!」


 右手に刀を持って切っ先をルッカに向ける。ああ、これをルッカの頭に振り下ろせたらなんと快感だろうか。


「もう重くないでしょ? その刀」


「え?」


 言われてみると確かに軽い。
 さっきまで引きずりたいくらい重たかった青銅の刀が今では木刀と同じくらい、下手をすればそれよりも軽いように感じた。


「パワーカプセル。古代文明の遺産とされるもので、飲めばその人の力を上げてくれるって代物よ。……言っとくけど、とんでもなく珍しいんだからね? 感謝しなさいよ」


「なるほど、これなら……」


「シャアアア!!」


 再び襲い掛かってきた蛇女の腕を左に避けて、後ろ首に思い切り刀を叩きつける。
 嫌な音が響いて、一匹目の蛇女が崩れ落ちた。


 バンバンと銃声が鳴り、俺を後ろから襲おうとした蛇女の腕から血が流れていた。


「「闘える!」」


 夜の修道院に、俺とルッカの声が調和した。








「ふー、ビックリした」


 俺が戦えるようになると戦いはあっけなく勝負がついた。
 決め手は俺が昔開発した技、深く息を吸い、息を吐きながら相手に回転しながら何度も切りかかる回転切りだった。
 たまたま近くにいた蛇女二匹を葬り去った俺はもう神と言えよう。
 残りの一匹はルッカが持ち歩いている小型の火炎放射器でケリがついた。
 何で火炎放射器なんか持ち歩いてるの?とかそれ最初に使えば俺が戦う必要なかったんじゃ? とかは言えない。
 燃えながら絶命していく蛇女を見てニヤ……と笑ったルッカは人外の者と契約していると言われても納得できた。凄い怖かった。


「まあ、思ったより手強くはなかったな、むしろ楽勝?」


「あんた、最初の体たらくを忘れてよくそんな……」


「シャアアアッ!!」


「!?」


「ルッカ! 危ない!」


 呆れたように俺を見ていたルッカは急に後ろから現れたモンスターに気づくのが遅れてしまった!


 俺は刀に手をかけて走るが……間に合わない!!


 モンスターの右腕がゆっくりとルッカに迫り………


「やめろ、やめろ! ぶっ殺すぞてめええぇぇぇぇ!!!」


 無情にも、その腕は止まらず、ルッカの体を引き裂……かなかった。


「ギシャアアアァァァ!!!」


 修道院の天井から現れた俺より少し背の高い……かえる? 男がモンスターを切り伏せ、ルッカに怪我はなかった。……かえる?


「最後まで気を抜くな、勝利に酔いしれた時こそ隙が生じる」


 何か言ってる。かえるのくせに。
 かっこいいこと言ってる。かえるなのに。


「お前達も王妃様を助けに来たのか?この先は奴らの巣みたいだな。どうだ? 一緒に行かないか?」


「あなたは……!?」


 ルッカは俺の後ろに回り、顔だけ出してかえる男を見る。


「クロノ、知ってるでしょ。私カエルは苦手なのよ……」


「俺はお前が俺の後ろにいる今の状況が怖い。何をされるか分からんからな」


「……」


 無言で俺の首を絞める。
 ほら、こういうことをするからお前に背中は見せられない。


「まあ、こんなナリをしてて信用しろといっても無理か……いいだろう、好きにしろ、だが、王妃様は俺が助けに行かなければならないんだ……」


 言い終わるとかえる男は俺達の前から離れていく。
 ……なんでかえるなんだろう?


「ま、待って!」


 立ち去ろうとするかえる男にルッカが声をかける。


「わ、悪いカエ……人ではなさそうね……うーん……ねえ、どうするクロノ?」


「何が? 実験用に捕獲するかどうかって事?」


「ほ、捕獲?」


 俺の発言に動揺するかえる男。
 心持ち頬がひくついている。


「……そうか、そういうのもありよね、考えてみれば間違いなく新種の生き物なんだし」


「おい! 人を珍しい生き物扱いするんじゃねえ!」


「よし、クロノ。捕獲よ」


「ええー、触ったら粘つきそうだし、嫌だよ」


「こいつら助けてもらった恩も忘れて……!」


 剣に手をかけるなよ、最近の奴は脅せばなんでも済むと思いやがって。


「じゃああれよ、このかえるを捕まえたら、帰ってもあんたを使って実験しないわ。どう?」


「抜け、爬虫類。テメエは俺を怒らせた……」


「怒るのはこっちだろうがドアホ!」


 いくら喚こうと無駄だ。ルッカの実験から逃れられるなら俺は鬼になる。俺自身が笑えるなら、俺は悪にでもなる。


「今、俺の脳内でかかっているBGMは~エミヤ~だ。何人たりとも俺を止めることはできない……」


「……あー、なるほど。ちょっと痛い目を見ないと礼儀と常識が分からんらしいな、お前ら!」


 戦いの結果はあえて語らない。
 ただ、三合ももたなかったことだけは記しておこう。
 ……いけると思ったんだよなあ。







 結局、目的が同じもの同士で戦って馬鹿じゃないの?という理不尽という言葉では図りきれない暴言を吐いたルッカの言葉で、かえる男が仲間になった。


 かえる男の名前はカエルというそのまんまな名前だった。
 それを聞いたルッカはやっぱりカエルなんじゃないと発言し、カエルとルッカの間で言い争いが起こったというのはしごくどうでもいい事だ。


 場が落ち着いて、カエルのこの部屋のどこかに隠し通路があり、そこから奥に行けるはずだとの言葉から、部屋の中を調べてみることにした。


「ねえ、クロノ?」


「なんだよルッカ、急に後ろに立つなよ。怖いだろうが」


「あんた、何でちょっと不機嫌なの?」


 絶対に殴られるだろうと覚悟して言ったのだが、ルッカは心配そうに俺を見つめて、疑問を口にした。


「……別に。気のせいだって」


 そう、気のせいだ。
 ルッカが危険な目にあって、そして助かった。
 不機嫌になる理由なんてない。
 あるはずがない。
 カエルにも感謝すべきなのだ。


 ……ルッカを守るのは俺の役目なのに、という独占欲にも似た嫉妬に、俺は気づかない振りをした。


 立ち上がり、ルッカから離れて別の場所を調べる。
 その間、背中に感じるルッカの心配そうな視線は、今日起こったどんな出来事よりも痛みを感じた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:35
 俺とルッカとカエルで部屋の捜索を続けたが、隠し部屋の入り口が一向に見つからない。
 この爬虫類ホラ吹きやがったなとルッカが切れて俺もそれに便乗しようとしたところ、ルッカは軽く流して俺はカエルのワンパンで吹き飛ばされた。男女差別反対。俺はジェンダーに生きる男。
 俺が吹き飛ばされた先にパイプオルガンがあり、盛大に、めちゃくちゃな音が響く。
 音が収まると、部屋の奥の壁がズズズズ……と下がり中から扉が現れた。
 ルッカとカエルはついさっきまで喧嘩してたのにハイタッチをしていた。ぶっちゃけカエルは嫌々やってる雰囲気だったが。
 ルッカさんカエル嫌いなんじゃないんですか?と言いたくなったが、俺の服で手を拭きやがった。ふざけろ。


「広いな……」


 隠し扉をくぐると、そこは外観からは想像できないような広さで、カエルが少し呆れたような声を出す。
 もう一つ付け加えるなら、モンスターが跋扈していて、見つからずに進むのは困難に見える。


「っていうか、見回りのモンスター多すぎるだろ」


「でもこいつら全員を倒すのは無理よ。どうしても倒さなきゃいけない敵は倒して、後は見つからないように進むのが一番だわ」


 ここからは隠密作戦という訳だ。
 ……にしても、何で見回りのこうもり男みたいなモンスターはすり足で移動してるんだろう?鉄骨渡りの練習でもしているのだろうか?まともに定職についてお金を貰ったほうがいいですよと忠告してやりたい。


「俺もルッカの意見に賛成だ。王妃様を救うためにも雑魚相手に時間はかけたくないしな」


 言葉が終わるとカエルは足音を立てずに死角から死角へ移動する。
 ルッカもそれに倣いモンスターから身を隠しながら移動を開始する。
 俺はそれについて行こうとして締め付けの緩かった青銅の刀が廊下に落ちてモンスターに見つかる。
 結果モンスターと戦うことになったが、カエルもルッカもモンスターと戦う前に俺の頭と腹に拳をめり込ませていった。
 あんまり人を殴らないでほしいものだ、可愛く言うならもうクロノはプンプンなんだからね! という感じだ。


 次はねえからな……というカエルの脅しをはいはいと投げやりに返す。かえるの顔で凄まれても怖いより気持ち悪いが先に立つ。
 ただその後ルッカが後頭部に鞄から取り出したハンマーを振り下ろすのはいただけない。ここ最近ルッカのDVは目を見張るものがある。怒りとか怖さとかを超えてなんだかワクワクするくらいだ。パネえ。


 気を取り直して進んでいくと階段の上にアナコンダみたいなどでかい蛇が数匹いた。
 俺の本能があれは駄目だと叫んでいた。先ほどの戦いでもほとんど一人で敵を倒したカエルも蛇には勝てまい。生物とは食物連鎖には勝てないのだ。


 さっきのような失態は犯すまいと慎重に動いたら俺の後ろからグワンゴン! という音が鳴る。
 すぐさま何があったのか確認すると、ルッカがてへへ、と舌を出しながら自分の頭を叩いていた。どうやらハンマーを床に落としたようだ。
 それからの展開はご想像の通り。とりあえずカエルでも蛇に勝つことは可能なのだという奇跡を見ることが出来た。
 蛇足だが、何故かカエルはルッカを強くしからず、気をつけろよの一言だけだった。そうか! これが殺意なんだ!


 その後もこれ隠密じゃなくて殲滅じゃねえの?という勢いでモンスター達をバッタバッタと倒していく。
 途中、モンスターたちとの戦いで俺が腕に傷を負いもう帰ろうと進言したら「お疲れ」とのことだった。疎外感は人を殺すのだと何故分からない。


 あんまりにも俺が煩くしたのでカエルが回復してやると言いながらやたらと長い舌を出して俺の傷口を舐めだした。
 いきなりのことで俺は硬直しされるがままになってしまった。気分は陵辱ゲームのヒロイン。その光景を見ていたルッカはドン引きだった。


 ちゃんと話を聞いてみると、カエルの唾液には微量ながら治癒効果があるそうなので、他意は無いとの事。あってたまるか人外め、俺からすればお前もここのモンスターも大差はないんだ。


 どうにも納得のいかない俺にルッカが「怪我したまま戦闘をするわけにはいかないでしょうが」と背中を蹴られしぶしぶ了承する。


 ……まてよ? 怪我をすればカエルの舌に舐められるのか。
 名案の浮かんだ俺はモンスターとの戦いでわざとルッカに攻撃が向くように仕向けた。
 しかし、その度にカエルがフォローして難無きを得る。何故だ! 何故分からないカエル! 見ているだけの俺よりもむしろお前の方が喜ばしいことだというのに!!
 正直、今ほどカエルになりたいと思うことは無いというくらいお前が羨ましいんだぞ畜生! なのに!
 薄々俺の企みに気づいたルッカは俺に火炎放射器を向け、俺は地獄の業火に身を包まれた。その後きっちりカエルに全身を舐められた。なにこれ、癖になりそう。 カエルはものすんごく嫌そうだったけど。


 ある程度進むと、部屋の中に兵士が一人と王妃様と王を見つけてやったぜ! とルッカと二人で喜んでいたらカエルが違う! こいつは王妃様じゃない! と言い出す。
「何を根拠に言ってるの?」とルッカが問うと「全てが違う!あえてその理由を一つに絞るなら、そう、匂いが違う!」と断言した。俺はドン引きした。ルッカもドン引きした。本当にモンスターの変装だったのだが、モンスター達もドン引きしていた。


 偽王妃がいた部屋で隠し部屋を見つけ、入ってみると大きな銅像の前でサバトが行われていた。カエルはそれを見てチッ! と舌打ちをする。反悪魔崇拝主義なのだろうか? 上手くやれば教祖になれそうな外見の癖に。
 その部屋の中には宝箱があったが大量のモンスターがいる部屋からそれを回収する気にはなれなかった。


 宝箱といえば、これまでにも色々と拾った。まず俺の武器が青銅の刀から鋼鉄の刀になった。パワーカプセルを飲んでいなければ持つこともできなかっただろうが、青銅に比べれば重いというだけで、戦闘に支障はなさそうだった。これでようやく叩く武器から切る武器に変わったわけだ。
 さらに女性用の防具、レディースーツも手に入れ、防具としては中々優秀そうだったのでルッカが着替えたのだが、哀れなことに胸がぶかぶかで着ることが出来なかった。
 あれほど悲哀の表情を浮かべたルッカは久しぶりだった。俺とカエルは一度ルッカから離れて声の聞こえないところまで来ると腹の中から笑った。
 地獄耳でそれをルッカが聞きつけたときは、カエルの舌がからからになってしまった。
 もう先行きの不安で頭の中の警鐘が金属バットでガンガン打ち鳴らされていた。もしかして、偏頭痛なのかもしれない。



 星は夢を見る必要はない
 第四話 蛙って両生類であってますよね?











「はあ、本当思ってたよりも全然広いんだな、ここ」


 モンスターとの連戦で疲れきった俺たちはモンスターの見回りが来なさそうな場所を見つけ、少し休むことにした。


「休憩は五分だけだぞ、あまり休むと王妃様に危険が及ぶ」


「まあまあカエル、貴方が一番戦ってるんだから少しは体を休ませないともたないわよ?」


「……そうだな、まだ余力があるとはいえ無理は禁物か……」


 だからなんでカエルはルッカの意見には素直なんだ、タラシが。爬虫類の癖に。


「クロノ、勘違いしているようだから言っておくがかえるは爬虫類じゃなく両生類だ」


「あ、そうなんだ」


 お約束のように俺はカエルに肘を叩き込まれた。こんだけ殴られて記憶が飛んだらどうしてくれる。ああ、もう平方根の定理を忘れてしまった。元から覚えてたかどうか怪しいけれど。


「にしても、広いだけじゃなくモンスターの数も並じゃないわね。流石王妃を監禁するだけあって警備が厳重だわ」


「これでも少ない方だ。ここの連中は度々人間に化けて城に侵入しているからな」


「ええ!? それってかなりヤバイんじゃないのか? 例えば王様に化けたりしたらもうこの国終わるじゃん!」


 驚いて大声を出してしまった。幸いこの近くにモンスターはうろついていなかったのか、あたりには俺たち以外の気配は無かった。
 カエルが気をつけろ、と一睨みして、話を続ける。


「大概の変装には門番達が気づくさ。余程高位のモンスターじゃない限り、城の人間全員を騙すなんてことはできやしない。身分の高い人間には厳重なチェックがあるしな」


「? 身分の高い人間の方がチェックが厳しいって……理由は分かるけど、よくそんなことが出来るわね」


 ルッカの言葉にカエルは肩を落として、


「こんなご時勢だ。王も王妃様も納得してるさ」


「……なあ、ずっと気になってたんだけど、この国では戦争でも起きてるのか?カエルの話では随分物騒に聞こえるんだが……」


 俺が質問すると、カエルは目を見開き(それはそれは気味が悪い)声は抑えているが、驚いた声を出した。


「お前、ガルディアと魔王軍が戦っていることも知らないのか!?」


「「魔王軍?」」


 え、そのファンタジーな設定は何? 剣と魔法! みたいな。


 それからカエルは十年以上前に現れた魔王率いる魔王軍と、それに対抗する人間との戦いを教えてくれた。
 九割以上どうでも良かったが、この世界では常識らしいのでまあ覚えておくこととする。


「しかし、随分変わった奴らだ。魔王軍の存在を知らんとは」


「いや、私達はこの時代の……」


「待て、モンスターに気づかれた!」


 カエルが剣を抜き、飛び出してきたこうもり男を横なぎに切り払い両断した。見慣れたとはいえ、凄まじい剣速だな。
 俺も鋼鉄の刀で大蛇を斜めから切り、残ったでか蝙蝠をルッカが打ち落とす。ここにくるまでの連戦は三人のチームワークを高めるという意味では無駄ではなかったようだ。


「少し休みすぎたな。そろそろ進もう」


 俺とルッカは一つ頷いて、先に歩き出したカエルの後を追う。
 ああ、もう戦闘は御免なんだけどな……


 それからの探索は順調だった。
 無駄に多いモンスター達はカエルの脅威ではなかったし、モンスターの攻撃パターンも大体読めてきた。
 例えば大蛇は噛み付くことしかしないので不用意に近づかなければいいとか、蝙蝠男は飛び込んできて蹴るのがほとんどなのでタイミングを計ってカウンター。ふっふっ、所詮人間様の頭脳には敵わんのだよ。
 探索の最中に床で寝ているモンスターがいて、「んあっ!」というでかい声に驚いたルッカがまともに戦闘をせず頭を打ち抜いたというハプニングがあったが、特別問題は無かった。
 また隠し扉のギミックがあったが、一番最初の部屋でやったとおりパイプオルガンを弾けば扉が現れた。今度は俺もハイタッチに参加した。いいね、この仲間との連帯感! 俺へのハイタッチは一回だけでルッカとカエルは数回やってたけど関係ないぜ!


 隠し扉を抜けると、長い渡り通路があり、手すりの下を見ると五、六階分はありそうなくらい深かった。……あと五、六階も下に行かなきゃ駄目、なんてことはないよなぁ……


「それはないな。……この先から王妃様の匂いがする、近いぞ!」


 かっこつけてるつもりか知らんが本当に気持ち悪いなこのかえる、勘弁してくれ。ルッカも王妃様のことを言わなければカエルを頼りにしているのに、カエルの王妃様フェチが出る度に俺の背中に隠れるんだから。


 カエルが走って渡り通路を駆け抜ける。微妙に気が削がれたが、俺とルッカも一拍遅れて走る。モンスターの姿も見えないし、このままいけるか……? と思っていれば、後ろからモンスターが二匹現れ、俺たちを追ってくる!
 立ち止まって相手をしようと構えるが、俺たちの走っていた方向からもモンスターが現れて、挟み撃ちされてしまった。


「敵は六匹か……挟まれた状態じゃ迂闊には動けないな……」


 冷静に状況を観察するカエルだが、俺からすればどどどどないするの!? である。タマランチ会長も大騒ぎだ。
 ルッカもエアガンを構えるが、その目は不安そうに揺れている。せめて、俺たちの内誰か一人でも敵の後ろをつければいいのだが……


「……仕方ねえ、舌が痛むんであんまりやりたくないんだが……」


 策がありそうなカエルにどうするのか聞こうとすると、カエルは目いっぱい舌を出していた。
 あ、ボケたねこりゃ。


「ちょ! なんでこの状況で舌出してるのよ!? 舌自慢でもしたいの? ○ロリンガとでもやってればいいじゃない! あれ? でもベ○リンガって長い舌を自慢したいのかしら? もしかしたら長い舌にコンプレックスを抱いてるかも……そしたらベロ○ンガは舌自慢に乗ってくれないわ! ああ、どうしようクロノ!」


 ルッカもルッカで冷静さを欠いて頭の弱い突っ込みをしている。というか突っ込みなのか?


 俺とルッカがテンパっていると、カエルは天井の梁に下を伸ばして絡ませて……跳んだ!?


「遠くの物に舌を絡ませて、自分を引き付けて跳ぶ……スパイ○ーマンみたいな奴だな……」


 うん、自分でも言い得て妙だと思う。


 天井に跳んだカエルはそのまま落下し、前にいたモンスター二匹を切り倒した。 これで、挟み撃ちの状態から抜け出し、残るモンスターは四匹となる。
 舌を使ってあちこちに飛び回るカエルのトリッキーな動きに戸惑っているモンスター達は、俺たちの敵ではなかった。






「本来はこの舌に敵を絡ませて、引き付けた後切る技なんだがな、こういう使い方も出来るって訳だ。難点は舌が汚れることと負担が強いから、多用できないって訳じゃないが、好んで使いたくはないのさ」


 カッコいい。カッコいいし、危機から抜け出せたことは嬉しいのだが、縦横無尽に人間の大きさのカエルが飛び回る様はトラウマものだった。
 現にルッカは戦いが終わると表面上はなんともないような顔をしてるが、俺の袖を掴んだまま離してくれない。小刻みに震えているのが分かる。
 俺は夢に出るのは確定だな、と半ば諦めてさえいる。


 俺たちの変化に気づいていないのか、カエルは気合十分に渡り廊下の先にある扉を開こうとしている。
 ……やはり、人間と他種族は相容れないのだろうか?
 どこかに、もっと全てを包容してくれる世界があるんじゃないのか?
 哲学的なことを考えてしまう僕クロノであった。














 おまけ

 一年前の、茹だるほどに暑い夏のことである。



「母さん。暑いね」


「そう? でも我慢できないほどじゃないでしょ? 夜になればきっと涼しいわよ」


「うん。でも夜まで我慢できそうにないや」


「まあ、それだけ聞くと卑猥ね、このエロ息子」


「だからなんで母さんは俺が母さんの肉体を狙ってると過信するの? 頭おかしいの?」


「向こう三日間あんたのご飯素麺だからね、文句言ったら飛ばすわよ」


「そんな事言ったって、ここ二週間ずっと素麺じゃんか。飽きたとかもう見たくもないとかじゃなくてむしろ中毒になりそうだよ」


「食事の度に白いの、白いの下さいいぃぃぃ!! って言えばいいわ」


「それは結局、牛乳ってオチにしてよ。素麺じゃ無理があるよ」


「それはそれは」


 口に手を当てオッホッホと笑うクロノの母。四捨五入で四十歳。低血圧で最近慢性的に肩こりがするらしい。それでも町の男からの人気は上々という魔性の女である。


「……だからさ、もう毎食素麺でも俺文句言わないからさ、お願いだからそれ返してよ」


「嫌よ、私はもうこれが無いと生きていけない体になってしまったの」


「だから何で一々そっち系の言葉を選ぶんだよ! 言葉を選ぶならそういうことを言う相手も選べよ! 俺息子だよ!?」


「んふふ、あんたもこういうの好きなくせに……」


「くそ、これだから自分の年も考えないおばさんは嫌いなんだ」


「あんたの素麺、つゆ無しね」


「味のしない素麺って食事としてどうなの?」


 クロノの言は無視する母。体脂肪率16%。息子には「あんたは知らないでしょうけど、グラビアアイドルの女の子と同じぐらいのスリムボディなのよ」と嘯く策士である。


「あああ! だからそれ返してよ! 俺のウォータープール!」


「あんた今いくつよ? その年でウォータープールとか恥ずかしくないの?」


「俺の年齢で入るのが恥ずかしいならあんたの年齢で入るのはもう処罰の対象になるよ!」


「クロノ、この夏家に入るの禁止ね」


「軽い死刑宣告じゃねえか!」


 クロノの母、ジナ。
 かつて「お金がないなら盗ってくればいいじゃない」とクロノの貸した金返せ発言をを跳ね除けた剛の者である。
 この時ばかりはルッカもクロノで実験するのをやめて家で紅茶を淹れてあげたという。
 これが後に語られる格言『鬼に情はあるが母に情は無い』の元になる出来事である。近々この格言をタイトルにしたCDが出るとか出ないとか。


「もうこの暑いのにグダグダ煩い。ちょっとクロノ、あんた山篭りかなんかしてきなさいよ。折角の夏なんだし。直球で言うなら夏中は消えて」


「……俺は女子供に加え母親に手を出すのは決してしないと心に決めていた」


「今時フェミニスト気取り? マザコン世代が」


「……が、今日この日はその誓いを破る! そのたるんだ体を屍として晒せくそばばあああぁぁぁ!!!!」


「誰の体がたるんでるんじゃこらあああぁぁぁぁ!! 極彩と散れ馬鹿息子おおおぉぉぉぉ!!」


 結局クロノは一度も自分の拳を当てることが出来ずに町の広場に放り出されたのだった。
 クロノの母ジナ。その昔彼女は遥か遠くの国で、格闘技大会のチャンピオンとして二百人抜きをしたとされる、霊長類最強の女である。






 余談だが、町の広場に落ちているクロノを見て「これ拾ってもいいの!? これ貰ってもいいの!?」と鼻息を荒くしたルッカが確認されたとかどうとか。



[20619] 星は夢を見る必要はない第五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:39
 この先に王妃様が……という緊張感を持って、カエルが開けた扉の先を覗いてみると、大臣らしき男が疲れた顔でリーネ王妃に話しかけていた。


「覚悟はいいかなリーネ王妃? この世にさよならを次げる時間だ……って、リーネ王妃? 今大事なところだからこっち向いて? そのお菓子ならあげるから、ね?」


「よろしいのですか? では私としては心苦しいのですが、こちらのアーモンドチョコレートも所望したいのです」


「分かった、なんなら袋ごとあげるから、今だけ、今だけこっちむいてー……よし。では覚悟はいいかなリーネ王妃……リーネ王妃? お願いだから話を聞いてリーネ王妃、ちょっと、聞いてるのかリーネ王妃!! ああ、ぐずらないでぐずらないで、大臣が悪かった。確かにこんな所に連れて来られて怒鳴られたら怖いだろうな、うん。ヤクラ反省。……うん、分かったよそのマカデミアナッツのチョコもあげるから、ちょっとだけでいいから話を聞いて? ヤクラこういうのムードを大切にしたい奴だから」


「わーい、これほどの菓子は城では食べさせてくれませんでした。皆とうにょうびょうがどうとか言って止めるのです。その点最近の大臣は優しいですね、何を食べても怒らないのですから」


「わーいて。王妃がわーいて。あとリーネ王妃、そなた糖尿病の気があるのか? ならば与えるお菓子も控えねば……ああしないしない! だから泣くのはやめろ! ああ、私は駄目な親になってしまうのだろうな……」


 カオスだった。
 和訳すれば混沌だった。
 俺はこのほのぼの空間についていけず、ルッカに助けを求めて視線を向けた。
 ルッカは首を振って目の前の現実から目を背けるな、これが全てだ、という顔をした。
 カエルは王妃様の姿を見たときから鼻血が止まらない。


「なあ、俺達いつ飛び込んだら良いんだ? いっそこれ俺達が帰っても良いんじゃないか? 王妃としても城に帰るよりここで大臣と暮らすほうが幸せなんじゃないか?」


「状況はさっぱりだけど、このまま放っておくと大臣のストレスが溜まって胃潰瘍になるかもしれないわ」


 おいおい、それを理由に飛び込んだら俺達は王妃様を探すためじゃなく、大臣の胃を救うべくモンスターたちと戦ったってことになる。
 どうやってテンション上げればいいんだ。
 俺達が悩んでいる間にカエルは鼻血を出しすぎて貧血になりそうだった。もう俺はこいつに何も期待しない。


「!! お前達は! よくここまで潜り込んだな!? さては王妃を助ける為に来たんだろうそうだろう! やったぜ!」


 大臣が驚いたような喜んでいるような、俺の気のせいではなければその割合は2対8位のようだが、そんな様子で俺達に気づいた。とりあえず顔のニヤニヤを止めてくれないか?ずんずん俺達のやる気が落ちていく。


「カエル! 一緒にお菓子を食べませんか? 大臣を誘ってもワシは甘いものが苦手で……と断るのです。一人で食べるより皆で食べたほうが美味しいのに……」


 先ほどの王妃様と大臣の会話からすれば、多分大臣が王妃様をさらった張本人なのだろう。なんで一緒にお菓子を食べるなんて選択ができるのか? これが王族というものなのか? ローヤルセレブリティの欠片も見つからない。


「お、おおう……王妃様、御下がり下さい! 今からこいつをかたづけちまいますので」


 王妃様に声を掛けられて悶えたのは丸分かりなんだからな? モンスターもどきが。


 気だるそうに俺とルッカが前に出て大臣を囲む。今の気分は犯人の知っている推理映画を見るような気分に近いな。
 カエルは剣を抜き、俺とルッカも各々武器を構える。準備は十全いつでも来いという状態なのだが、どうやら大臣と王妃様がなにやら言い争っている。


「ほら王妃、あいつらの言う通りこの部屋から出ていなさい」


「嫌です! ここから出れば私はまたお菓子を我慢しなくてはならない地獄のような生活に戻らなくてはなります!」


 王妃様の中では地獄はえらく寛容的な所の様だ。
 想像すると黒々とした金棒を持った鬼達が「お菓子が食べたいか……? ふん、ならばまずその食生活を改めるがいいわ! ハッハッハッ!!」とか言いながら緑黄色野菜を勧めるのだろうか? 頭が腐ってる。


「カエル! そしてその他のお二方!」


 誰がその他だ。


「恐らくですが、私をここから連れ出そうというのでしょう! そんなことはさせません! もしどうしてもと言うのなら……私も、大臣とともに貴方達と戦います!」


「お、おおお王妃いいいぃぃい!?」


 カエルが濁流のような涙を流し、膝から崩れ落ちる。
 俺とルッカはその光景を見てやっとれんわと部屋から出ようとする。
 なんだっけこの展開、バハムートラグー〇で見た気がするよ。


「待てええぇぇぇい!!」


 扉に手を掛けようとすると、その前に大臣が息を切らしながら扉の前に立ちふさがる。老年ながらにそのスピードは素晴らしいんじゃないでしょうかね。


「お前達がいなくなればわしはこの空間に取り残されてしまう! あんな王妃マニアと頭のネジが飛び散った王妃をわし一人で相手しろというのか!?」


「私たち疲れてるの。そんな理由で立ちふさがらないでよ。ガチでダルイ」


「じゃあ分かった! そこのソファーで座ってて良いから! コーヒーも淹れるから! 大臣の淹れるコーヒー凄く美味しいから!」


「大臣がコーヒー淹れるの上手いってどうなのよそこのところ」


 ルッカと大臣が言い争いを始めて一人残された俺はソファーで寛ぐことにした。 あ、この煎餅旨い。


「とにかく! 私は断固ここに残る決意を崩しません! 大臣、変身です! 早くモンスターの姿になって下さい!」


 あの王妃大臣がモンスターと気づいていてもお菓子やらなんやらを要求してたのか。ああいう人間が王妃なんてやってるからフランス革命が起きるんだ。「パンがなくてもお菓子は食べなければなりません!」みたいな。「お菓子だけで十分ですよ」みたいな。後者は関係ないか。


「……ねえ、王妃もああ言ってることだし、変身して私たちと戦ったら?」


「た、戦ってくれるのか!?」


「そうでもしないと収集つかないでしょ。戦ってもつくかどうか分からないけどね」


「そ、そうか! 恩に着るぞ娘!」


 大臣は扉から離れ、カエル、ルッカ、俺の三人を見据える位置まで走っていった。


「キャハハ! 無駄無駄! ここからは誰一人として帰さぬぞ!!」


 ほっとした顔からやおら凶悪そうな表情に変わり、俺達に宣戦布告の言葉を吐いた。


「そうです! 今日から皆でこの修道院で遊んで暮らすのです!」


「違うのです!!」


 王妃の言葉遣いがうつりながら大臣が否定する。やめてくれないかな、ここまできてグダグダな感じを出すのは。


「ねえクロノ、これ本当に王妃様とも戦うのかしら?」


「多分。まあ怪我させないように適当に気絶させればいいんじゃないか? 不敬罪とかそんなん知ったこっちゃねえよ」


 ソファーから立ち上がり刀を抜きながら大臣達に近づいていく。


「王妃いいいぃぃぃいぃいぃぃ!! リーネたああぁぁぁん!!!」


 この生ごみ何曜日に捨てればいいんだっけ?臭い上に煩いとか工業廃棄物もんだよ。


「ハッ! カエルふぜい……ええと、お前の名前を教えてくれ」


「あ、クロノです。はい」


「そうか! クロノふぜいが! きさまらから血祭りにあげてくれるわ!」


 カエルと会話するのは無理と判断した大臣は俺とルッカを相手にする事を決めたようだ。不憫な。


「大臣チェンジ!!」


 大臣は手に持った杖を高く掲げ、朗々とした声を張り上げる。
 すると、大臣の背中が盛り上がり、肌の色がどんどん黄色になっていく。
 爪は鋭くとがり、皮膚という皮膚がデロデロと溶けていく……もう、お好み焼きは食べられない。


「ヤクーラ! デロデローン!」


 その言葉はギャグなのか切ないくらいにセンスがないのか、とにかく大臣の変身は終わった。
 背中が盛り上がって、四足歩行で、全体的に楕円形の体格で……亀とモグラを足したみたいだ。
 そして、なによりでかい。
 今までのモンスターは大概俺達と同じくらいか、少し大きいくらいだったが、この亀モグラ、俺達の二倍はある。人間時の印象で弱いと思ってたのだが……これやばくないか? 勝てる気がしない。
 俺とルッカが戦慄していると、カエルはまだ「リーネたまぁぁぁ!! ……ハァハァ」とか言ってたのでルッカがハンマーを投げてこっちの世界に呼び戻した。
 近づいてきたカエルの言葉は「王妃に当たったらどうする!」だった。お前が俺の仲間だったときなんて、一度もなかった。なかったんだ。
 俺の沈痛な表情に気づかず、リーネ王妃捜索隊と、大臣・リーネ王妃タッグとの戦いが始まった。何か矛盾してるよね、絶対。





 星は夢を見る必要はない
 第五話 プライドは安ければ安いほど良い。けれど、決して無くしてはならない。











「行くぞ貴様ら!」


「ええ! 私たちの未来の為に!」


 王妃が大臣の言葉を引き継ぐと、とても悲しそうな顔をしたが、大臣は大きく跳躍しルッカに圧し掛かろうとした。
 すぐにルッカは今いる場所から右に転がり避けたが、大臣の圧し掛かりは石製の床を砕き、破片を辺りに散らばらせる。


「こ、こんなの当たったら即死ね……」


 ルッカは喉を鳴らし、隙を作らないように大臣の一挙一動に注視した。


 さて、俺とカエルはどうしているかというと……


「はっ! てや! せえい!」


 王妃の格闘に手一杯だった。


「おいカエル! これ本当に王妃か!? どう考えても今まで戦ってきたモンスターより強いぞ!?」


「本物だ! 言っておくが王妃はガルディア城の中で騎士団長とタメを張るほどの戦闘力を持っているんだ! 特に対人戦においてはガルディア一と言われる……」


「そんなもんを王妃に据え置くなっちゅーんだ!!」


 相手は王妃。流石に殺すわけにはいかないと武器は鞘に入れて戦っているが、それを差し引いても強い!ルッカの援護どころか、二人掛かりでも勝てるかどうか……
 なにより、カエルの奴が今一つ本気じゃない。こいつの王妃第一主義は分かっているが、このままではあの化け物大臣にルッカがやられてしまう……こうなったら。


「カエル! お前はルッカと協力して大臣を倒せ! でないと全員この修道院で暮らすことになっちまう!」


「……王妃様と一つ屋根の下……ハアハア」


「この戦いが終われば次は貴様の命の灯火を消し去ってくれるからな」


 俺の説得が通じて、渋々隙を見てカエルがルッカの加勢に回る。
 さて、ここからが問題だ。俺と王妃では覆しがたい力量の差がある。
 ここは勝つことではなく凌ぐ事を第一に考えて、カエル達が大臣を倒すことを期待しよう。


「遅いですよその他の方!」


「あんべらっ!! ……げほ、げほっ!」


 掌底一発、俺は一メートル程吹っ飛び咳き込んだ。


「スピード、経験、予測、腕力。その全てが勝っている私に武器を持っていようと貴方が勝てる道理はありません。諦めてこの修道院で暮らしましょう。ちょうどトランプをする相手が欲しかったのです。あ、私ばば抜きしかルールを知らないので教えて下さいね」


「……残念だけど、俺はセブンブリッジしかルールを知らねえんだよ!」


 出来るだけ低姿勢からの突き。飛んで逃げても左右に避けても後ろに飛んでも追い討ちは可能! さあどう出る!
 王妃は俺の考えを読んだのか、少し失望した顔を浮かべた。


「左側面に隙、続けて右下半身にも隙」


「がっ!!」


 俺の突きを左右上後どの方向にも避けず、左前に飛び込んで避け、俺の左目に虎爪、右膝にキック。それをほぼ同時にこなしていた。
 ちっ、左目はしばらく見えないな……右足は動けないほどじゃないが、走るのは無理か……つまり距離を稼ぐのは不可。


「次で決めますね、その他の方」


「……クロノだ、いつまでもエクストラ扱いは凹む」


「はい、その他の方」


 どこまでも苛々させる王妃様だ。
 ちら、とカエル達のほうを見ると、劣勢ではないが、優勢でもない。勝負はまだ決まりそうにないか……


 王妃が腰を落とし、左手を腰に、右手を前に出す。……拳法の型、か?


「案ずることはありません。ただの縦拳です。崩拳や、散拳といった高等技術ではありませんよ、ただの基礎です。ですが……」


 そこで一度区切り、ずっと笑顔のままだった王妃の顔が、真剣に、相手を倒すものへと変わった。


「私はこれだけなら、縦拳だけならば、あらゆる世界で私が、私こそが極めたと豪語出来ます。加減はしますが、当たり所が悪ければ内臓が弾けますので、頑張って下さいね」


 頑張って下さいね、の部分だけ笑顔になられてもこちらとしては反応に困る。
 しかしこの王妃、本当に化け物だ。この腕前なら今まで俺達が戦ってきた修道院のモンスターを蹴散らし、一人で楽々と帰ってこれるだろう程に。
 ……帰らなかった理由がお菓子食べ放題とは、頭がおかしくなりそうだが。


「……俺も一つ、必殺技ってやつを見せようかな」


 俺の得意中の得意技、回転切り。
 遠心力と斬撃の速さで、今まで戦ったモンスターに反撃を許さなかった自慢の技だ。万一、これが破られたなら……


「……万一なんて考えてる場合じゃねえな」


「覚悟は決まりましたか?」


「ああ、……かますぞ、王妃ぃぃ!!」


 深く息を吸い込み、右薙ぎに剣を払う。
 初速は完璧、足の置く位置も、腰の使い方も、肩の力の入り具合も全てが上手くいった。


 ……しかし、それら全てを上回る、拳速。
 気づけば俺は、部屋の壁に叩きつけられていた。
 最初痛みは何も感じなかった。ただ、立ち上がろうと体に力を入れた途端、激痛という言葉ではあまりに優しすぎる痛みが俺を襲う。


「あ……あ、あ……」


 吐きたい。頭がそう命令しているのに、体は言うことを聞いてくれない。
 そもそも俺に体が付いているのか? 腕も足も、胴体ごと吹っ飛んだんじゃないのか? その前に、俺は生きているのか? 生きているなら何故俺の思うように動かないのか?
 自身問答を繰り返していると、王妃が上から俺を見下ろしていた。
 その目は冷たく、弱者に向けるそれそのものだった。


「カエルが連れてきたことだけはありますね。よく頑張りましたよその他の方。ですが……貴方は戦いを知らない。幾度モンスターと戦っても、何度となく生死をかけた戦いを繰り返そうとも、貴方は、戦うという行為を知らないのです……貴方は今この戦いに何を賭けていますか?」


 何を? ……確か、マールを助ける為に……


「マール? ……その子のことは知りませんが、そうですか。マールという子の為にですか。でもそれはこの戦い限定の目的ではないでしょう?」


 何言ってるんだ? 分かりづらいんだよ。王妃様ならもっと分かりやすく言えよ……


「貴方がこの戦いに負ければどうなりますか? ……そうですね、マールという子を助けられなくなりますね。……でもそこには他人の為の理由しか存在しない。貴方自身、それのみの目的、理由がない。もう一度考えてみて下さい。貴方はこの戦いに何を賭けていますか?」


 マールの為、それ以外の理由? ……ルッカを守る為? それは『誰か』の為であって、俺『だけ』の理由じゃない。カエルははなから除外。
 ……なら、それは……


「このまま戦いが続けば、大臣はカエルたちに負けて、私も戦う理由がなくなり降参するでしょう……そうすると、負けたのは誰でしょう? 大臣は負けた。でもそれは二対一というハンデを背負ったものです。……フフ、人間とモンスターという種族間の優劣を無視してますけどね」


 なんだよ、何が言いたいんだテメェ……


「貴方は私と『一対一』で負けた。互いに『人間同士』で。……貴方は私に負けたまま、マールという子を『助ける』ことになるのですね」


 …………ああ、そうか


「ごめんなさい。もうお菓子食べ放題の夢が閉ざされるからと、意地悪を言ってしまいました。それでも貴方はその年齢にしては頑張りました。そこでゆっくり休んでいて下さい」


「………待てよ、王妃」


 かすれた、弱弱しい声をカエルたちの方へ歩いていく王妃に飛ばした。
 あまりにか細い声は四メートルという果てしない距離を泳ぎきって、王妃の耳に届く。
 王妃はまだ喋れるのですか、と少しだけ驚いた顔を見せた。


 覆しがたい力量の差?
 凌いで時間稼ぎ?
 カエルたちが大臣を倒すのを待てば良い?
 ……無様だ。ダサ過ぎる。


「王妃……俺がこの戦いに賭ける物……それは」


 刀を支えにして立ち上がる。
 右手が痛くても問題ない。
 足ががくがく震えていても問題ない。
 視界は揺れるし、今更になって喉の奥から血が溢れ出てくるけど、一切問題ない。
 刀の鞘の切っ先を王妃に向けて、俺『だけ』の答えを進呈してやる。


「俺だけが持つ、俺だけのプライドだ」


「……そうこなくては。楽しくなりそうですよ、クロノ」


 さあ、これからが『戦い』だ。
 今からこそが『戦い』なんだ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:45
 体中に響く痛みを無視して動けるのは一度だけ、あと一回の攻防で勝負が決まらなければ、俺は負ける。
 俺たちが勝っても、俺が負けては、俺の中では意味がない。
 そんな形でマールを助けられたとしても、どうやって顔を合わせればいいか分からない。……どう戦うか……
 思考を重ね、一つ、策ともいえない策を思いつく。悪ガキの発想に毛が生えたような策。それでも無手で挑むよりはマシだ。


「ルッカ! あれを返してくれ!」


 戦闘中のルッカに声を掛ける。
 ルッカは戦闘の最中でありながら、すぐに背中に付けてあった物を投げ渡してくれた。


「……刀ですか」


 王妃が確認するように言う。
 俺がルッカに渡してもらったのは鋼鉄の刀を手に入れたときから、後援のルッカに預けておいた青銅の刀だ。
 身軽でないといけないスピードタイプの俺は前衛の俺たちよりも比較的安全な位置にいるルッカに持たせておいたのである。


「二刀流だ。問題ないだろ?」


「構いませんよ。二刀でも私に当てることは無理でしょうし」


「分かってねえな。俺は宮本武蔵ファンクラブに入ってる位なんだぜ?」


 無駄口を叩きながら、後ろ手に青銅の刀に細工をする。
 油断しきっている王妃は俺のやっている事に気づきはしない。


「もう、始めましょうクロノ。時間はそう残されていないようです」


 王妃が大臣とカエル達の戦いを横目で伺い戦いの再開を催促する。
 見れば大臣の右腕にカエルの剣が突き刺さっているところだった。暴れまわった大臣はトドメを刺されることは無かったが、倒れるのはそう遠くなさそうだった。
 ……モンスターとはいえ、人間時に会話をしたこともあり、その凄惨な光景に目を背ける。
 視線を逸らした先に見えた王妃の手は、何かを堪えるように強く拳を握り、酷く震えていた。表情が変わらないのは、王妃としての意地だろうか?


「優しいのですね? クロノは。……敵であり、モンスターでもある大臣がやられている様を嫌がるとは」


「……これが普通の反応だろ? 敵だろうが……なんだろうが、関わった事がある奴がやられるのは、嫌なもんだ。甘いと言われても、さ」


 あえてモンスターという単語は避けた。
 その口振りから、きっと王妃にとって大臣がモンスターであったことはどうでもいいことで、俺たちがモンスターという理由だけで大臣を倒すのは、目を背けたい事実なのだと分かったから。


「さあクロノ、貴方の体力ではこれが最後なのでしょう? 全ての力を込めてかかって来なさい」


 王妃があの縦拳の構えを取る。
 俺の細工も完成した。
 王妃に向けて合掌し頭を下げる。戦いに礼儀なんていらないんだろうけど、この人にはそれを見せておきたかった。


「……行くぞ、リーネ王妃」


 言い終わると同時に右足を蹴りだし、俺に出せる最高の速度で距離を縮めていく。
 距離、五メートル。
 まだまだ、加速は乗り切ってない。残り四メートル。
 ……そろそろ良いか? 残り三メートル。


 俺は走るスピードを乗せて左手の青銅の刀を振る。当然当たるはずもない距離で刀を振った俺に王妃は怪訝そうな顔をして、次の瞬間硬直する。
 まあそうだろうさ、飛んできたのだから。青銅の刀の鞘が。


 一瞬の硬直から抜け出した王妃は、それでも冷静に飛んできた鞘を叩き落す。


「少し驚きましたが、ただの子供だま……!!」


 次に王妃が見えたものは、青銅の刀の刀身だった。
 これが、俺の細工の意味!
 あらかじめ二刀流だと宣言しておくことで、王妃の経験から作られるシュミレートにこのような使い方をするという想像を作らせない。
 あくまで相手の虚を突くだけの、嘘とハッタリの作戦。俺にしては上出来だ。


「……くっ!」


 鞘が飛んできたときには崩さなかった縦拳の構えを、刀身を叩き落すために右足で蹴った為、崩さざるを得なくなった。
 その大きな隙に回転切りをねじ込んでやろうと残り僅かな距離を詰める……それでも。


「言ったでしょう? 私は縦拳を極めた、と。構えを再構築するのに、私は瞬きする時間すらかけません!」


 王妃という壁は、なお高い。


 俺の予想を遥かに上回るスピードで縦拳の構えを取る王妃。
 俺は回転切りを中断して、王妃に突きを繰り出す。


「遅すぎる!」


 王妃の体に届く前に拳が前に突き出され……俺の刀の切っ先に当たった。


「な!?」


 はなから王妃に当てようなんて考えてはいない突き。これは王妃の縦拳を防ぐためだけの攻撃だった。
 青銅の刀の鞘、刀身、それらの策は成功すればそれまで、もし防がれても次に繋がる布石として活用される。


 鋼鉄の鞘は砕け、剥き出しの刀身が姿を現す。
 手が痺れて、刀を投げ出したい衝動に駆られるが、歯を食いしばり、そのまま王妃の右側に左足を置いた。


「回転切り……!!」


 元々、この回転切りという技は先制に使うものではなく、相手の攻撃をいなした後に使うよう作った技だ。
 本当なら側面から膝裏、背中、後頭部に一撃ずつ入れていくのだが、俺にその体力は無い、だから、一撃。この一撃に全ての力を乗せて……!!


「くたばれ! リーネ王妃ぃぃぃ!!」


 刀の峰を王妃の後頭部に当てた後、なんだか悪役みたいだなあ、とぼんやり思った。





 星は夢を見る必要は無い
 第六話 プライドとは、口にすれば容易く崩れさるだとかなんとか











「良いですか王妃様? そいつは貴方を、つまりガルディア城王妃を攫ったんですよ? 今ここで切り殺すのが道理であって」


「駄目です! 大臣は、大臣は優しい人です! コーヒーだけでなく紅茶も淹れるのが上手いのです! ですからどうか許してあげて下さい! お願いしますカエル!」


「しかしですなあ……」


 厳格な人物を演出したいのかどうか知らんが、王妃様に懇願されるのが嬉しくてたまらないという顔をしているカエル。
 ストーカー気質の上サドとは、救えねえ、砕けろ。


 王妃を気絶させ、俺も役には立たないかもしれないが、それでも……! と足を引きずりながらカエルたちの加勢に向かおうとすると、その前にカエルたちと戦っていた大臣が「うううおおおお王妃いいいぃぃぃぃ!!」と叫びながら走りより、人間時の姿に戻って倒れた王妃を揺さぶっていた。
 頭を打った人間を動かすのは止めたほうが良いですよと声を掛ける暇も無かった。
 ちなみにカエルは「出遅れただと! この俺がか!? リーネたんでムハムハしたい委員会名誉会長の俺がか!?」と慟哭の叫びを放っていた。俺は言っても分かる奴なら言うが、そうでない奴には何も言わないと決めているスパルタなので、何も言わないことにした。カエルが何か叫ぶたびにルッカが火炎放射器の燃料をチェックしていた。とりあえずウェルダムでお願いしますルッカさん。


「もういいじゃないカエル。さっきの反応を見た限り大臣は王妃様を傷つけようとか、危害を加えることは絶対にしないはずよ。それに私としては大臣よりあんたを処罰したいわ腐れかえる」


「ルッカの言うとおり、自分が戦ってるのに王妃の心配をして駆けつけるなんて、中々出来ることじゃないだろ。俺としても大臣は憎めない奴だって分かってるしさ。後いつお前珍生物捕獲研究所とかに捕まるの?電話番号教えてくれたら今すぐ連絡するんだけど、この下種両生類。略してげっ歯類。」


「誰がねずみ科か!」


「おお、流石はクロノとお嬢さん! この緑の化け物ゲコロウと比べてなんと大きな心でしょう!」


「げ、ゲコロウ……」


 王妃の言葉に落ち込みソファーの上で丸まってしまったカエル。妙なサドっ気を出すからだ。それはそれとして王妃様、ゲコロウって何? どこからの引用?


「わ、ワシを助けてくれるのか!?」


 縄で縛られた大臣が驚きの声を出す。
 だって、あんたを助けないとまた王妃様とのバトルが始まるんだもん。無理だよ。
 俺と戦ったときはずっと加減してくれてたみたいだし、本気で戦ったら一発で意識消失、縦拳にいたったら確実に内臓破裂、まあ間違いなく死ぬだろうな。俺薄々感づいてたけど、生物学的に男より女のほうが強いんだね。ルッカとか母さんとか王妃とか。


 その後、大臣は城から去ることになり、王妃は泣いて嫌がったが、過程はどうあれ王妃を攫ったのは事実。大臣が城に戻れば極刑は免れないというルッカの説得が通じてしゃくりあげながら王妃も納得した。
 ちなみに、この作業で二時間使った。ルッカのストレスは横で萌え萌え言ってたカエルにぶつけられた。理不尽にも俺にもぶつけられた。なんでやねん。


 長い長い戦いを終えて、王妃捜索に決着がついたのだった……








「心配したぞ、リーネ」


「うあっ、大臣が、大臣が何処かに行ってしまったのですー!!」


「リーネ様! わしはここにいますぞ!」


 城に帰り、王と対面してもリーネ王妃は泣きっぱなしだった。森に現れるモンスターや、まだ俺たちがリーネ王妃を攫ったと勘違いして捕まえようとする兵士達を殴り倒しながらの帰還だった。凄い楽なのに凄い疲れるという矛と盾の関係。
 至極どうでもいいのだが、本物の大臣はリーネ王妃が捕らえられていた(捕らえられていた?)部屋の宝箱の中に押し込まれていて、それを救出した。驚いたルッカがエアガンをぶっ放したことは可愛いお茶目である。とはルッカの言だ。大臣の服は赤く染まっている。カエルの舌も疲れている。


「しかしあれですな、あのヤクラの奴、大臣であるワシになりすましリーネ様を攫うなど、ああいう輩を厳しく罰するためにもこのガルディア王国にも裁判所や刑務所を作らねばっそい!」


 腰に手を当てて偉そうなことを言っている大臣にリーネ王妃のドロップキックが炸裂した。擬音はさしずめメメタァ!! だった。
 吹き飛ばされた大臣の二次災害で高そうな壺が二、三割れて、王様がしょぼくれた顔をした。マルチーズみたいな顔になるんですね。


「大臣の悪口は許しませんこの偽大臣! 大臣(仮)!」


「リーネ様!? 偽大臣はともかく大臣(仮)とはこれいかに!?」


 大臣(仮)が論点の違う抗議をする。
 正直あのヤクラって奴のほうが俺は好感が持てたな。帰る前に淹れてくれたコーヒーはえらく美味かった。一緒に出してくれたバームクーヘンも美味だった。リーネ王妃が言うにはお菓子の類は全部ヤクラの手作りだったそうな。お前が真の大臣だ、ヤクラ。


「リーネ様を守りきれず、面目次第もございません」


 喧々囂々としている王の間にカエルの声が通る。
 王妃に馬乗りになられて頬を引っ張られている大臣を羨ましそうな、殺したいようなという目で見ながら。
 謝ってる時くらい真面目になろうよ、面接で落ちるよ?そういう所プロの人は見抜いちゃうんだから。


 そのままカエルは王の間を立ち去り、城を出ようとする。……のだが、ちらちらこちらを見てうっとうしい。去り際に王妃様から何か言われるのを期待しているのが見え見えだ。最初から最後までうざいなこいつ。


「あっ、カエル!」


 ようやく声を掛けられてパアッと花開くような明るい顔で振り向くカエル。しかし、王妃の顔は無表情で、


「恨みます」


 の一言だった。花の命は短い。


 俺たちは王様達に頭を下げて、カエルの後を追う。まあ、心の底から嫌いでも、一応仲間だったかもしれないような夢を見たのだから、別れの挨拶くらいしてもいいだろう。


 俺たちの足音が聞こえたカエルは立ち止まり、声を掛ける前に先に話し出した。


「俺が近くにいたため王妃様を危機にさらしたのだ……俺は旅に出る」


 何でやの?と聞けるムードではなかったのでここは静かに聞いておくことにする。
 ていうかお前王妃様のことしか喋れないのか?


 そのまま歩いて、城の扉に手を掛けた時、カエルが振り返った。
 その顔は敵と戦っているときの精悍なものではなく、王妃様にデレデレしている時の顔でもない。優しく微笑んで、ほんの少し嬉しそうでもあった。


「クロノ!お前の太刀筋は中々見込みがあったぞ」


 そのままカエルは城の外に姿を消した。
 ……一瞬、カエルの横に髪の長い人間が見えたのは、気のせいだろうか?


「……かえるも悪くないもんね」


 カエルの後ろ姿を見送ったルッカは、ぽつりと俺にだけ聞こえる程の呟きを漏らした。


「……本当にそう思ってるか?」


「…………」


 最後だけ決めたからって今までの失態は覆い隠せない。
 どれだけ伸ばしても、風呂敷で家を包めはしないのだ。


「………そうだわ! すっかりマールディア姫の事を忘れてた!」


 誤魔化し方が下手なのは御愛嬌。ここで突っ込んだらハンマーが飛んでくるので何も言わない、俺は今まで生きてきた人生で何も学ばなかったわけではないのだよ。


「ねえクロノ! マールディア様はどこで消えた? もしかしたらそこに……」


 いるかもしれないと……だが、俺はそもそもマールの消えた場所を知らない。
 騎士団の部屋でグータラしてたら消えたということしか知らないのだから。
 が、ここでそれを暴露すれば間違いなくルッカは俺を殴る。それはもう、大きく振りかぶって殴る。
 やっべ、今日一番のピンチじゃね?
 ……一か八かだ。


「王妃様の部屋だ。そこでマールが消えた。うん、そうに違いない」


 王妃様が部屋でお待ちですと寝ている俺にしつこいくらいメイドが話しかけてきたので覚えている。
 おそらく王妃様の部屋で延々俺を待っている間にマールが消えたのだろう。でなきゃ俺は滅入る。


「……? まあいいわ、急ぐわよクロノ!」


 突っ立っている兵士に王妃様の部屋の場所を聞き出し、二人でそこに向かう。王妃様の部屋に行くには階段を上らなくては行けないようで、その階段が長すぎて発狂しそうだった。
 あと行く道行く道に落ちている宝箱の中身を回収するルッカはこいつの子供は盗賊になるんじゃないかと心配するほどだった。










「「………」」


 王妃の部屋に着いた。これは良い。
 中にマールがいた。これも良い。
 マールが椅子に座って机に足を投げていた。良くない良くない良くないよー。女の子のマナーは男のマナーより重視される時代だからね。


「……ああ、クロノ。何か用? すっごく待たされたけど、今更私に何か用? 私のことなんて忘れてたんじゃないの?」


 おお、グレてらっしゃる。
 この待たせたというのは最初に待たせた六時間前後のことなのか、王妃様を助けた後の王妃様説得にかけた二時間なのか。後者は俺の責任じゃないんだが……


 しどろもどろになっている俺に小さく溜息を吐いたマールは「もういいよ」と答えて、俺に近づいてきた。


「……怖かった」


「……ごめんな、本当に悪かった」


 いきなり知らない場所に飛ばされて、いきなり他人に間違えられて、いきなり城に連れてこられて、怖くないはずは無いよな……六時間はやり過ぎた……


「意識が無いのに、冷たい所にいるのが分かるの。……死ぬってあんな感じなのかしら?」


 ……答えづらい。そうだ! というのもおかしいし、違う、死とは完全な無なのさ! と思春期みたいなことを言う気はしない。そもそもマールの問いは答えを求めたものじゃないんだろうけど。


「マールディア王女様、ご機嫌麗しゅう……」


 ルッカが跪いて、マールになにやら御大層な言葉をかける。キャラおかしくねえ? お前。


「貴方も来てくれたの! ……マールディアって……え!?」


 深刻な顔をしているところ申し訳ないのだが、俺の後ろにいたルッカに今気付くってのはおかしくないだろうか? ルッカもルッカで小さく「二人の世界になんて入れないんだから……」とかブツブツ言ってるし。


「バレちゃったみたいね……」


 マールは悪戯がばれたみたいにあーあ、と両腕を前に伸ばして、ベッドに座る。


「ゴメンね、クロノ。騙すつもりはなかったの」


 ここからはマールの独白。
 そう感づいた俺たちは、俺もルッカも口を挟むことはなかった。


「私はマールディア。父はガルディア王33世……」


 悲しげに顔を伏せて、マールの右手はズボンの裾を掴んでいた。


「けど、私だってお祭りを男の子と見て回りたかったんだもん。私が王女様だって分かったら……分かったらさ……」


 最後は涙声が混じり、次の言葉を紡ぐのに少しの時間を要した。
 俺たちからすれば僅かな時間でも、マールにとっては酷く長い時間に感じただろう。大事なことを言う時、時間はその流れを止める。


「ク……クロノは、一緒にお祭り見てくれなかったでしょ?」


 マールは顔を上げて、出来うる限りの笑顔を浮かべていた。
 別にそれでいいんだよ、それが普通なんだからと、自分に言い聞かせるように。
 俺が肯定を示しても、泣き出して俺を困らせないように、精一杯の笑顔を虚勢で固めて。


 ……俺はどうだろう?
 口先だけではいというのは簡単だ。それで女の子の涙が止められるなら言うことはない。
 けれど、良いのか?
 そんな簡単に答えを出しても良いのか?
 涙って、そんな理由で止めて良いのか?
 マールは本心を俺に曝け出してくれてる。なら俺も本音で返すべきだ。
 だから、俺の答えは……


「……分からない」


「ちょっと! クロノ……」


 そこは嘘でも違うと言え、とルッカが俺を責める声を出す。
 でも、駄目だ。それじゃあどこかで綻びが生まれる。
 俺がマールを助けた理由。それははっきり言えば義務感、さらに言えばルッカの為。マールが、『マール』だから助けた訳じゃない。
 勿論一緒にお祭りを回れて楽しかったし、可愛いと思ったし、深く突っ込んだら守ってあげたい女の子だとも思ったけど……
 そもそもそれ以前に、お祭りを一緒に見てない初対面の時に「私はこの国の王女です、私と一緒にお祭りに行きましょう」なんて言われて了承するか、と言われればいいえとしか言えない。
 だから、『分からない』は俺が最大限に譲歩できる答え。


「そっか……ありがとう、クロノ。ごめんね、急に変なこと言っちゃって」


「……いや、別にいいよ」


「………さて! 本物の王妃様も戻ったことだし、そろそろ私たちの時代に帰りましょう!」


 ルッカがなんとも言えない顔で俺たちを眺めていたが、この空気に耐えられなかったのか手を叩いて大声で場を仕切った。


「うん、そうだね! 行こうクロノ!」


 笑顔で俺を促すマールに悲しみの色は見えない。でも、それは奥深くに取り込んだだけで、決して消えたわけではない。


 城を出て、森に入ろうとする前に俺はふと夢想した。
 今まで同年代の友達も作れず、遊びらしい遊びも経験してこなかったこの少女に、嘘でもあの時王女でも関係ない、俺たちは友達だろう? と言った場合の未来を。
 きっとこの天真爛漫で、無垢で、純粋な少女は思いっきり両手を上げて飛び跳ねるのだろう。そして、彼女は言うのだ。


「さっすがクロノ! 私たち友達よね!」


 私たち友達よね。
 この言葉を言える時を、マールはどれほど心待ちにしているのだろうか?
 それを考えると、じくじくと胸が痛み出し、それを無視するように森に落ちている木の葉を強く踏みながら歩行を再開した。











「……? どこから帰るの?」


 裏山に着き、俺が最初にこの世界にやってきた場所まで歩くと、先導していたルッカが立ち止まり、マールが疑問の声をあげた。ルッカよ、何か聞かれるたびにフッフッフッ、って笑うのやめてくれないか。怖いったら無いんだ。
 ああ、凄い今更なんだけど、本当にマールってお姫様だったのね。この分だとこの世界が昔のガルディア王国だってのも本当なのかもしれないね。自分でも遅すぎる真実の発覚だと思うけど、無理だろ、いきなり過去に来たんですよとか言われてもさ。なんせルッカの言うことだし。


「恐れながらマールディア王女……いやさ!ここまでくればもうマールと」
「マールでいいってば!」


「………」


 あ、こいつら言いたいことが被ったな。
 ルッカに至ってはちょっとウケを狙ったのが裏目に出てすっごい恥ずかしそうだ。


「「………」」


 二人とも何かしら気まずくなって黙り込んでしまった。
 こういう場合一番気まずいのは第三者なんだから早く切り替えてくれないと困るよ。いつだってワリをくうのは無辜の民なんだ。


「……で、ではマール。これをご覧下さい。そおい!」


 その掛け声は婦女子としてどうなのかねコロンボ君。


「きゃっ!」


 ルッカが妙ちくりんな機械を掲げると、空中に大きな黒い穴が出現した。確か、マールが吸い込まれた時に出た穴と同じように見えるが……


「ルッカ、すごーい!」


 純粋なマールはよく考えずルッカを持ち上げる。そこから叩き落してくれんかね。
 いや、普通に凄いんだけどさ、なんかルッカの機械が上手くいけば大概後から嫌なことが起こるんだよ。


 それから先はルッカが調子に乗って、それを恥じて、マールが気にしないでいいよ! と可愛らしい抗議を上げて……と、大変男子のいづらい空間を形成された。
 先生、クロノ君が仲間外れにされてます!


「私は、この歪みをゲートって名づけたんだけど……」


 ルッカが黒い穴を指差して説明を始める。
 歪み? 穴でいいじゃないか、なんでちょっと難解な言葉を使うんだ、俺の学力を舐めてるのか? 俺は体育の成績以外全部がんばろうだったんだからな。
 本来数字の1~5で判定するのだが、俺の成績表だけなぜか手書きでよくできましたとかがんばろうだった。いじめかな?と思う反面俺だけ特別なんだ、とちょっとした優越感を感じた。


「ゲートは違う時代の同じ場所に繋がっている門のようなものなのよ」


 ……あ、マールが髪を弄りだした。


「出たり消えたりするのはゲート自体が不安定だからなの。そこでテレポッドの原理を応用してこの……あれ? どこだったっけ? ……あ、あった」


 ハムスターのグルーミングのように体中をまさぐるルッカ。マールや、一人○×ゲームは止めなさい。見てて痛々しいから。


「ゲートホルダーを使ってゲートを安定させてるってわけ、分かった?」


「「はーい」」


 俺とマールは二人揃って返事をして、ルッカはよろしいと頷く。そういう専門的なことは貴方に一任しますよドドリアもとい、ルッカさん。


「けど何で、このゲートがあの時突然開いたの?」


 あれだけ一人遊びに夢中だったのに、きっちり話を聞いていたのか?恐ろしい娘っ!


「テレポッドの影響か、あるいはもっと別の何か……」


 腕を組んで思案するルッカをみて、マールがそれを真似して腕を組み、難しい顔をする。可愛いね、おじさん興奮してしまうよ。


「何だかムヅカシイんだね……とにかく帰ろうよ! 私たちの時代に!」


「うん、そうね! 帰りましょうクロノ!」


 おう! という前に二人はゲートの中に入って行った。
 肩落ちしながら、俺もゲートの中に入ろうとする。しかし、その前にある事実に気付いてしまった。


「俺、城からここまであいつらと一切面と向かって会話のキャッチボールしてねえ」


 マールとは気まずい空気になったからしょうがないとしてもルッカさん、俺を構ってあげようよ。知ってるだろ?クロノ族は一定時間人とのコミュニケーションが無いと孤独死するんだって。そのくせ自分から話しかけられないシャイ野郎なんだって。


 この世界から出るときに浮かんでいる感情は、寂しいだった。
 ……両生類でも、近くにいれば話し相手にはなるもんだな。
 目をつぶり、思い浮かんだカエルの姿は王妃様を見て鼻血を垂らしている所だった。あいつのことは忘れよう、二度と会うこともあるまい。


 ゲートが閉じて、俺たちの意識は急速に薄れていった……











「それでは被告人を連れてきます!」


 俺は両手を前に縛られたまま、暗い廊下を歩く。
 明かりのある部屋にでて、大勢の人間が見ている中、証言台の前に立った。


「この男をどうしましょう……火あぶり? くすぐりの刑? 逆さ吊り? ……それとも、ギロチンで首を……」


「オーディエンスを使います」


「駄目じゃ、潔く死ね」


 ……俺が一体、何をしたというのだ。


 私クロノは、裁判にかけられ、若い命を散らすかもしれない瀬戸際に立たされています。
 ……あれえ?



[20619] 星は夢を見る必要はない第七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:51
 事の成り行きはこうだ。
 現代(俺たちの住んでいた時代)に帰ってきた俺たちは、各々行動を開始した。
 ルッカはゲートの発生した原因を調べるべく自宅に帰り、研究。
 俺はマールを城までエスコートをすることになり(そう決まった時何故かルッカは清水の舞台どころか、エッフェル塔から飛び降りようとしているような、断腸の思いで決意する、という顔だった)、俺としてもそう反対する理由もないので了承した。
 中世(カエルと出会った時代)の時から微妙に続くギクシャクした空気を背負いながら、俺はマールをガルディア城に連れて行った。途中の森に生息するモンスター達は俺が戦うまでも無く、どこかボンヤリとした表情のマールが次々に打ち抜いていった。だから、男の俺に花を持たせてみようという気概はないのか。最近、男よりも女の方が活動的で頼りがいがあるという風潮があるが、それは決して間違いじゃないのかもしれない。火の無い所に煙は立たぬのだ。


「マ、マール様! ご無事でしたか? 一体今まで何処に!?」


 城に入るなり大臣らしき男が(過去も現代も大臣の服は同じのようだ)俺の存在を無視して、口から唾を飛ばしながら走ってくる。言葉にする気はないけど、馬糞の次に嫌いな匂いが老人の口臭である俺なのでそういう嫌がらせは止めて頂きたい。


「何者かに攫われたという情報もあり、兵士達に国中を探させていたですぞ! ……ん? そこのムサイ奴! そうかお前だなっ!? マールディア様を攫ったのは!」


 誰がムサイんじゃシティボーイクロノに向かって。


「違うよ! クロノは……」


「えーい! ひっ捕らえろ! マールディア様をかどわかせ王家転覆を企てるテロリストめっ!!」


 マールが誤解を解こうとすると、意図的に無視したかのように大臣が大声を被せる。王家転覆を企てるだって? 困るなあ、こんな日の高いうちからお酒なんて飲んじゃあ。そんな奴が大臣になんてなるから内閣支持率が低下するんだ。何だよ非実在少年って。俺は断固としてジャン○を応援するぞ、購読してないけど。


「や、やめてー!」


 マールが悲鳴を上げて、俺に近づく兵士を押し留める。事ここに至っても俺は自分の身に起きてる危機に現実感を抱けずにいた。あれでしょ? ヤラセでしょ?


「やめなさーい!」


 分かってますよ、俺は騙されませんよとニヒルな笑顔で口端を持ち上げているとマールが城中に響き渡るのではないかという声で一喝した。
 ……ドッキリなんですよね? マールは演技派だなぁ……ドッキリですよね? ね?
 マールの声に驚いた兵士達は膝を床に付けて跪いた。演技指導が行き届いてる、素晴らしい。


「な、何をしておる!」


「しかしマールディア様が……」


 俺を捕まえようとしない兵士達に動揺した大臣は額から汗を流しながら兵士に詰め寄った。兵士も大臣と王女の命令、どちらを優先すべきかと悩んでいる。俺としては王女優先に一票。はらたいらさんに三千点。


「かまわーん! ひっ捕らえーい!」


 大臣の言葉のごり押しに負けた兵士達は俺を取り押さえた。いつだって勢いのある人間が場を動かすのだ。勢いのある奴が間違ったことを言っているケースの方が高いのだけれども。
 俺を床に押し付けながら兵士達が小声で


「貴様、マールディア様と何をしていた!」

「どこまでいった? どこまでいったんだ!」

「あの陶器のような白い柔肌に貴様の穢れた手が触れたというのか? どうなんだハリネズミ頭ぁぁぁ!!」

「何色? 何色だった?」


 と語りかけてくるのはたまらなかった。


「クロノーッ!!」


 マールの叫び声を聞いて、あ、これマジなんだ。ガチンコなんだ、と気づいた。









 星は夢を見る必要は無い
 第七話 彼の犯した唯一の罪とは











「この男をどうしましょう……火あぶり? くすぐりの刑? 逆さ吊り? ……それとも、ギロチンで首を……」


「オーディエンスを使います」


「駄目じゃ、潔く死ね」


 そしてここに戻る。


 大臣は俺に死ねとこの場においては冗談になっていない言葉を残して俺から離れていく。


 そう、今俺がいるのは裁判場。そして俺が立たされている場所は証言台。俺のポジションは被告。俺はレフトしか任された事はないのに、こんな奇抜な位置に置かれるとは中々ヨーロピアンじゃないか。


「さて、私が検事の大臣じゃ!」


「私が弁護士のピエールです」


 傍聴席の人間に聞こえるよう、裁判場に響き渡る声を出す大臣。それに比べてのほほんとした雰囲気の弁護士。あんた言う時は言うんだろうな? ちゃんと相手を指差して意義有り! って言うんだろうな?


「それでは被告人クロノ! 証言台につきなさい」


 髭をもふぁもふぁ生やした裁判長の言われるまま証言台に近づく。
 ……なんだこれ? 現実なのか? 俺の理解を遥かに超えた現状にもう漏らしそうです。頭が熱暴走を起こしてますよ、医者を呼んでくれ。
 俺の右脳が真っ赤に燃える! 理解が出来ぬと轟き叫ぶ!


「まず私からいきましょう。クロノに本当に誘拐の意思があったのか? ……いや無い。検事側は被告が計画的に王女を攫ったと言いますがそうでしょうか? ……いや違う。二人は偶然出会ったのであって決して故意ではありません」


 何度も何度も弁護士に話したことを繰り返させられる。計画的に犯行しといて祭りを一緒に回るってどういう思考回路なんだよそれ。


「果たしてそうでしょうか? どっちがきっかけを作りましたか?」


 大臣が俺の隣まで偉そうに足音を鳴らしながら歩いてきて問いかけてくる。


「……いや、どっちって言われても。説明すると酔ってふらついた俺にマールが跳び膝蹴りを」


「よろしい! 聞いての通り偶然を装って被告は王女に近づきました!」


「どの通りだよ! 人の話し聞けよ! このファシストが!」


「被告人、許可無く喋らないこと」


 裁判長が俺を睨んで注意する。碌に生徒の言うことを聞かず一方的に悪者にする教師みたいな奴だ。時代遅れなんだよ、モンスターペアレンツ舐めんな、給食費出さねえぞコノヤロー。


「そして王女は誘われるままルッカ親子のショーへ足を運びます。その姿は何人もの人が目撃しています。そして二人は姿を消した……これが誘拐じゃなくして一体何でしょう?」


 待て待て俺が誘ったんじゃねえぞ、俺は嫌だと何度も言ったんだ!
 そう叫ぼうとすると裁判長がギヌロ、と俺を見る。くそっ! 何処が目か分からねえ顔の癖に!


「被告の人間性が疑われる事実も私はいくつか掴んでいます」


 大臣はそんな俺をみて薄笑いを浮かべながら饒舌に話を続ける。弁護士、お前さっきから何にも役に立ってねえぞ? お前もカエルと同じがっかり属性持ちか?


「意義有り!」


 怨念の篭った眼差しを送っていると弁護士が真上に顔を向けながら勢い良く右手の人差し指と左手の人差し指をそれぞれ上下に向けてポーズを決めた。何それカッコいい。今度俺も使っていい?


「それは今回の検証に関係あるのでしょうか? ……いや無い」


 弁護士の話を聞いて裁判長がゆったりと顔を動かして大臣を見る。


「関係あるのかね? 大臣」



「はい。証言の正しさを示す為にも被告の人間性を知らせておく必要があります」


「……いいでしょう」


 弁護士は両手で三角を作り喉の奥鳴らし、悪そうな顔になった。何そのポーズ、あんたネタの宝庫だね。
 コツコツと裁判場の中央まで歩き、おもむろに体を回転させながら裁判場の扉を指差した。カッコいい! もしあんたが戦隊物のヒーローに抜擢されたら毎週欠かさず見るようにするよ!


「では証人を連れて来ましょう。被告の誠実さを証明する実に私好みの可愛い証人を!」


 体を曲げた状態でキープしながら宣言する弁護士。あんたがホテルを取るなら、俺、構わないぜ……


 扉を開いて裁判場に入ってきたのは俺が祭りの時に猫を探してあげた四、五歳の女の子だった。
 あ、弁護士さん定位置に戻るときに僕の近くを通らないでくださいますか? ペドフィリアがうつるので。このアリスコンプレックスが。


 あの時は助けてくれてありがとうね、お兄ちゃんとお礼を言いながら女の子は帰っていった。


「どうです? この若者の行動は? 勲章物ですよ」


 両腕をばたつかせながら周りを見渡す弁護士。……くっ! 悔しいが、今はお前の方がカッコいい!
 宙に浮けると信じて疑わないきらきらした顔で俺に近づいてくる弁護士。近いよ近い。あと抹香臭い。



「くくっ。きいてるみたいよんっ」


 よんっ!? ええ年しててよんっ!?



「弁護士、よんっ。は気持ち悪い、やめたまえ。裁判長昨日鼻風邪が治ったばかりなのに寒気がした」


 コンコン、と木槌を叩いて注意する裁判長。ここのシステム良く分からないけどさ、そういう事の為に使うものなのその木槌。
 弁護士は一言すいません。ちょけましたと謝罪し、また傍聴席を向く。


「問題は動機です。この一市民にマールディア王女を誘拐する動機が何処にありましょう?……いや無い」



「お言葉を返すようで悪いが、財産目当てというのはどうかなクロノ君? 王女の財産に目が眩んだのだね?」


「違います」


「ほうら! 裁判長聞きましたか? この者は」


「違うっつってんだろーがあああぁぁ!!!」


「はみゅううぅぅぅ!!」


 人の話を曲解し過ぎる大臣に俺は思わず後ろ回し蹴りをみぞおちに叩き込んだ。妙に萌えな声を出すなこの大臣。


 またコンコン、と木槌を叩く裁判長。まずい、やり過ぎたか……?


「被告、裁判長は暴力が嫌いだ。何故なら怖いからだ。やめて下さい」


 えらく低姿勢な裁判長だ。こいつのポジション、別にその辺を歩いてるおっさんでも十分できるんじゃね?


 ともあれ、裁判の雰囲気は無罪に持っていけそうな空気になっている。弁護士も俺にサムズアップしているし、俺は胃のキリキリ感が収まっていくのが分かった。


「げほげほ……待ってくれたまえ、被告人。最後に聞きたいことがある」


 腹を押さえながら俺を恨みがましそうに見ながら話しかけてくる大臣。ぼとぼと唾を落とすなよ、ボケが始まったのか?


「……君はマールディア王女のペンダントを奪って逃げたね?」


「はあ? 俺はマールにちゃんとペンダントを……!!」


 しまった、やられた。
 こいつは……あの時の俺の行動を言っているのか!?


「思い出したようじゃな……お前はマールディア様の落としたペンダントを先に拾い、すぐさま何処かに走り出した! マールディア王女が探しているのを見たくせに! これはつまりマールディア王女のペンダントを狙ったと解釈するしかない! どうです皆さん!? こんな男の言うことを信じられますか? 間違いなくこいつは王家転覆を狙うテロリストなのです!」


 やばいやばいやばい! 確かにこいつの言っていることは真実! 祭りの中だ、証人も大勢いるだろう! なにより、俺はコイツの言うことを否定できない! もし否定してその根拠を問われれば、俺はマールのペンダントをゲロ塗れにしたことを暴露しなくてはならない!
 背中から嫌な汗がブワッと溢れ出る。その様子を見て弁護士のピエールもどういうことだとこちらを見る。
 ……誤魔化せ……られない!!
 ……いや、いっそ正直に言ってしまおう。このまま王女誘拐を目論んだ男として罰せられるよりも、王女の持ち物を嘔吐物の海に叩き込んだ男として罰せられる方が幾分減刑できるだろう。


「違う! 俺があのペンダントを持って逃げ出したのは……」



「待って!」


 え? この声は……


「お、王女様……」


 まままマールさああぁぁぁん!! 一番来てほしくない時にいいいぃぃぃぃ!!
 俺は言いかけたことを言葉に出来ず、放心してしまった。


「いい加減にしなさい! マールディア!」


「父上! 聞いて下さい!」


 赤いマントを纏い、金色の冠を頭に載せて、威風堂々たる佇まいで裁判場に現れたのはマールの父、つまり国王ガルディア33世だった。
 そのオーラは見る者を圧倒し、王たる風格を見せつけていた。


「私はお前に王女らしく城でおとなしくしていてほしいだけだ。国のルールには例え王や王女でも従わなくてはな……後のことは大臣に任せておきなさい。マールディアも町での事は忘れるのだな」


 いつのまにか両隣に立っていた兵士が俺の腕を掴み、歩き出す。
 俺は抵抗する気力は無く、だらりと体を動かした。


「待って! クロノを、クロノをどうする気なの!?」


 必死に王に取りすがり俺の安否を気にするマール。……止めてくれ、俺のことをマールが気にする必要は無い。そう思う理由がまた酷い。


「決まっておるだろう、王女誘拐の罪ともなれば、終身刑以外にはあるまい」


「そんな!?」


 国王を説得するのは無理と判断したマールは兵士の腕に掴まれだらしなく崩れている俺に話しかける。


「ねえクロノ? 一度私のペンダントを持っていったのには理由があるんだよね? だからそれを言って! そうすればクロノは無罪になるかも……だから!」


 駄目なんだよマール……それは、それだけは君の前で言うことはできない。
 マールの声に反応しないマールは、少しずつ顔色が冷めていき、一歩ずつ俺から離れていく。
 きっとこの距離は、肉体的だけの意味じゃない。


「そんな、そんな、なんで答えてくれないの? ……本当にクロノは、私を誘拐しようとしたの? ねえ、何とか言ってよ!!」


 最後の叫びは涙交じりで、怒りよりも悲しみが強くて。彼女の笑顔がどんなものだったかまで忘れてしまいそうな、悲しい顔だった。


 何を言っても無反応である俺を見ているのも辛かったのか、マールは走って裁判場から出て行ってしまった。
 バタバタと走る足音と、泣きながらの言葉だったので、大半の人間には去り際の言葉は聞き取れなかったに違いない。けれど、俺には分かる。だって、マールがこれ以上俺にかける言葉なんて一つしかないのだから。





「だいっきらい」





 これほど腹に重たく響く鈍痛は、生まれて初めてだった。















 俺は城から直接繋がっている刑務所まで長い渡り通路を後ろから兵士に押されて歩かされ、刑務所の管理人に会い、衛兵に気絶させられて、目が覚めるとそこは牢屋の中だった。
 牢屋の中は正方形型で、部屋の隅から隅まで三メートル弱という広さだった。
 微かに開いた穴から外の光が洩れて、そこから吹く風が体を縛る。床にコケが生えていない場所は珍しいくらいで、ベッドの布団から見たこともない虫がチロチロと生息していた。天井にはくもの巣が張り巡らされており、壁は黒ずんで、血のような染みが点々とついていた。俺の為のご飯はカビの生えたパンが一欠けら。用意されている水はコップの中に泥が入っていた。衛生面なんてまるで考えられていない環境。……こんなところに一週間もいれば発狂するか、病気になって死んでしまうだろうな。


 鉄格子の向こうに衛兵が二人立っている。衛兵たちが立っている先に俺の武器とポーション等の道具が無造作に置かれている。恐らく後で正式な場所に保管するのだろう。


 ……当然、俺はここで生涯を終えるつもりは無い。
 若い間に遊んでおけと町の老人に言われたが、青春の途中で人生を退場するなんて有り得ない。
 俺は、必ずここから出る。そして自由を手にする。こんな汚ねえ牢屋で一生を終えてたまるか。


 体の痺れが取れた俺はすぐに行動を開始した。
 まず窓。老朽化しているので頑張って壊せば外に出れるんじゃないかと空のコップで叩いてみた。結論、壊せるわけが無い。あほか。
 次に床。何かの本で床下に穴を掘り脱獄するという話があった気がする。空のコップで試してみた。結論、掘れるわけが無い。ばかか。
 残るは……


「ねえねえ衛兵さん。背中がかゆいんだけど、手が届かないの、かいて下さる?」


「気持ち悪いの時空を超えてお前が魔の眷族に見える。やめろ」


 衛兵さんを誘惑しよう作戦失敗。


「お、お腹が! お腹が痛い! 医者を呼んでくれぇ!」


「そこで漏らせ」


 仮病で衛兵さんを騙そう作戦失敗。


「神が、神の声が聞こえる! 貴方はまさか! ヴィシュヌ様ではありませんか!?」


「おーい、後で麻雀やろうぜー」


「おー、三時間後に交代だからその時になー」


 神の声が聞こえる御子を牢屋に入れておくなんてとんでもない作戦はよその担当の衛兵に俺の見張り担当の衛兵が声をかけられて失敗に終わる。
 ……万策尽きたか。
 一日目終了。明日こそはきっと、お天道様が俺の味方をしてくれるはずだ。





「ハッハッ! こいつは驚きだ! 俺はなんてご機嫌な踊りを編み出しちまったんだ! おいあんたもどうだい!? こいつは神父の説教を聴くより何倍もノリノリになれるぜ!」


「ふぁっきん」


 フレンドリィにダンスに誘う作戦失敗。後から考えれば成功したとしてどうする。


「……そうして彼の名前が決まりました。それはとてもとても長い名前で、全部話すと……」


「じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけだ。寝ろ」


 お腹の底から笑わせてみよう作戦も衛兵が落ちを知っていたので断念。もうなんでも良くなってきた。


「見てくださいこの輝き。落として傷ついたコップもまるで新品のようです。勿論コップにしか効果が無い訳ではありません。布に多めに付けてサッと一拭きするだけで壁の汚れもほら、簡単に落ちちゃうんです。今ならこのクロノ印の唾液を一リットル二十ゴールドで提供させて頂きます。おっ得ー! ほらほら先着順ですよ? そこのカッコいい衛兵さん! 貴方もお一つお求めになっては?」


「カッコいい衛兵さん以外は妄言として扱うことにする」


 俺の唾を服に付けてその洗浄力を売り込む作戦も水泡と帰したか……こうしてみるとここの生活も様々なアイディアが溢れてきて悪くないかもしれない。
 二日目終了。明日はどうしようかな、口笛でクロノソロライブを決行してみようか。今の内に作詞作曲しておかないと。





「あーけーてー! あけてー! あけてよー! あければあけるし開かざる時!」


「ああもううるせえ! 黙ってろ馬鹿!」


 段々頭が弱ってきていると自覚した俺は散々牢の中で騒いで衛兵のストレスを溜めることにした。上手くいけばこれで脱出が可能かもしれない。


「馬鹿? 馬鹿って言った? 腹立つなーその言い方。はらたつのり。なんちゃって」


 自分で言ったギャグで爆笑していると衛兵の一人が「おい牢を開けろ! 黙らせてやる!」と鼻息荒く命令した。カルシウムが足りてないね、君。


 ゴゴゴゴ……と鉄格子が上がり衛兵が俺に近づいてくる。俺の間近に来た衛兵は剣を抜き、峰で俺の頭をぶん殴った。痛い、痛いがルッカのハンマーには遠く及ばない。


 倒れた俺を見て気を失ったと勘違いした衛兵が牢から出ようと俺に背を向けた。……さあて、脱獄劇の始まりだ。


 飛び起きて衛兵の剣を後ろから奪った俺は剣を鞘に入れたまま衛兵の喉に突きを入れる。悶絶して倒れた衛兵は無視して牢の中から出てもう一人の衛兵に剣を振りかぶる。初撃で兜を落とし、相手の攻撃をいなしてから相手の側面に飛び込む。王妃を倒したときの要領だ。その時に比べて迫力、難易度ともに比べるべくもないほど低いものだったが。
 後は回転切りできっちり膝裏、背中、後頭部に一撃を入れて昏倒させる。
 人間を殺すわけにはいかないので二人とも牢屋の中にあった鉄鎖で縛り、牢の中に入れて鉄格子を降ろした。これで俺が脱獄したことはしばらくバレないだろう。






「……これで俺の装備は全部か」


 鋼鉄の刀を腰に差してから、廊下を走り出す。
 牢屋の中ほどではないにしろ決して清潔ではない廊下は下を向く度に黒い虫が這いずり回っている。……俺ゴキブリが出ただけで悲鳴を上げるのに、昆虫図鑑でしか見たことが無い虫がうじゃうじゃいる所を走り回るなんて拷問だ。


 すぐにでも日の光を浴びたい、その一心で俺は脚に力を入れて前へと進んでいった。


















 おまけ





 ヤクラと王妃




「大臣、チョコレートです。私はチョコレートが食べたいのです。チョコレートがあれば私は城に帰らず修道院の中にいますから、急ぎチョコレートを持ってきて下さい」


「いや王妃、わしはお前を殺すために連れてきて……ああ、分かった! チョコレートだな! 待っておれ今すぐこのわしが作ってやろう! だから泣くのはやめて? お前の泣き声でわしの部下の鼓膜が破れて三人戦闘不能に陥ったのじゃから」


 大臣は優しい。
 この大臣が本当は本物ではなくモンスターだと分かっているが、それでも私にとっての大臣は目の前で私の我侭に四苦八苦している大臣なのだ。
 この前はクッキーが食べたいという私の要望に応えようとお菓子の作り方という本を読んでいたのを覚えている。きっと今回も本を見ながら美味しいチョコレートを作ってくれるに違いない。
 私はそれを想像するだけで、はしたなくも唾が溢れてくるのだ。


「大臣、それが終われば遊びましょう。前みたいにモンスターに変身して私を乗せて下さい。修道院内を走り回るのです」


「いやいや王妃、わしはここのモンスターを取り仕切っておるのだぞ? そんなわしが情けない姿を部下達に見せては示しが……うぬ! 全てこのヤクラに任せるがいいぞ!」


 チョコレートを作りに部屋を出る大臣は少し落ち込んでいたが、私はワクワクしていた。大臣の背中に乗って走ってもらうと建物の中なのに風を感じてとても気持ちが良いからだ。


 こんなに遊んだり好きなものを食べたりという生活は今までにしたことがない。城の中の生活は別段苦しくはないし、むしろ快適であったが、こんなに毎日が楽しくて、高揚感溢れる日々は無かった。


 それに、こんな風に年上の男の人に甘えることなんて今まで一度も無かった。
 私の父上は厳しくて、娘の私よりも国の方が大事という御方だった。
 それは為政者としては立派だし、私自身そんな父上を誇りに思っている。……けれど、私も誰かに甘えてみたいと思うのは傲慢だろうか?
 私はいつも誰かに思いっきり我侭を言って、誰かに思いっきり甘えたいと常々思っていた。それは、決して叶わぬ夢だと諦めていたのだけれど……


 だから私はあの本物ではないけれど、私にとっては本物以上の大臣は私の夢を叶えてくれる為に私に会いに来てくれたのではないかと思う。
 都合の良い想像だとしても、私がそう思うなら、私にとってそれは真実なのだ。


 出来るならば、少しでも長くこの生活が続くよう、それが今の私の願いである。
 ソファーの上に置いてある、この前大臣が私の為に作ってくれたぬいぐるみを抱きしめながら、私の未来を想像した。



[20619] 星は夢を見る必要はない第八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 01:01
 牢屋を出た俺は右往左往しながら迷路のような刑務所を歩き回る。所々に突っ立っている衛兵は暗闇に紛れて近づき後ろからクロノ式ブレイバーを叩き込むとあっさりと昏倒していく。気分は伝説の傭兵。大佐! 現在の状況は!?
 倒れた衛兵が必ず一つは持っているミドルポーション(ポーションの高級品)を懐に入れてホクホク顔で歩く。悪くないかもね、獄門生活。
 ちょっと探検気分で楽しくなっていると明るい部屋に出て、奥に刺付きの棍棒を誰もいないのに振り回している変態を見つけた。萎えた。早く出たいこんな所。
 Uターンしてまたカビ臭い通路を歩いていると今度はギロチン台に首を乗せて縛られている青年を見つけた。足掻こうとしているのは分かるのだがケツをふりふりするのはやめろ、妙な想像をしてしまう。
 無視して先に進もうとすると俺を見つけた青年が大声で「ヘルプ! 助けて! ボーノボーノ!」とやかましく、このままでは衛兵がやって来てやらなくていい戦闘をしなければならなくなりそうなので縄を解きギロチン台から開放してやった。


「もっと早く助けてくれればいいじゃないか」


 信じられないがこれが助けてやった後の第一声である。唇を尖らしてぶーぶー、と聞こえてきそうな顔は肘鉄をめり込ませても許されそうだった。というか、めり込ませた。


「本当は言いたくないけど、これ以上前歯を不安定にしたくないから言うよ。助けてくれてどうも。ケッ!」


 これ以上ないくらい癪に障る謝られ方だったが、これ以上こいつをどついていると衛兵に気づかれそうだったので抑えることとした。だってこいつ殴られたときの声でかいんだもん。
 女の子座りになって「殴ったね!? 父さんにも殴られたこと無いのに! いやあるけど!」
 と叫んだときは反射的に刀を抜いていた。衛兵は殺しちゃ駄目だけどこいつなら許されるのではないか?


 あっかんべー! と舌を出しながら去っていく青年を見てあいつまた捕まるんじゃないいか? むしろそうあれと願う今日この頃。俺は間違ってない。
 気を取り直してまた刑務所内を探索していく。牢屋の中の骨が動いたりした気がしたが、俺は非科学的なことは信じないリアリストなのだ。これから俺のことをバンコランと呼んでも構わない。


 階段を見つけたので登ろうとすると、上から黒い泥団子みたいなものを投げられた。ぺっ! ぺっ! 口の中に入った!
 何があったのかと階段を駆け上がると俺の身長と同じくらいの大きさの盾が二つ置いてあった。
 随分でかいな、暴徒鎮圧用かな? としずしず見ていると、その盾が動き出し裏から人間が顔を出した。俺より頭一つ分小さいその人間は俺の顔を見るなり「ひっ!」と悲鳴を上げて盾の後ろに隠れてしまった。失礼にも程がある。俺の顔を見て悲鳴を上げるなんて二日前以来だ。その時悲鳴を上げたのは俺と同年齢のカヨちゃんである。母さんを通して理由を聞くと、「クロノ君に近づくと、ルッカちゃんにお仕置きされるの……」だそうだ。何故ルッカは俺を孤立させようとする。女子は皆俺を避けるし、男子は男子で半端に人気のあるルッカとよく一緒にいるという理由から俺を毛嫌いしている。ルッカという存在はどこまでも俺の人生を捻じ曲げていくのだ。悪魔め。


「……ああ、また明かりだ」


 階段を上がってすぐの扉から人工的な明かりが漏れている。電球のある生活がどれほど贅沢か骨身に染みるよ。
 しかし、油断は出来ない。中を見ればまた変態が我が物顔で棍棒の素振りをしているかもしれない。ああいう輩がいる所を見ると、もしかしたらここは元々アルコール中毒者の隔離施設だったのかもしれないな。酒は飲んでも飲まれてはいけない。


 恐る恐る扉に張り付き、中を覗いてみる……おや?なにやら靴の裏がこちらに近づいて、


「クロノーッ!!」


 蹴り開けられた扉で鼻を強打した俺は、その反動で階段から転げ落ちて気を失った。

















 初めは、偶然私にぶつかり、ペンダントを拾ってくれたから。ただそれだけだった。あとまあ、同い年の男の子と遊ぶという、女の子らしい遊びがしたかったからというのもある。
 お祭りを巡って、初めて見るお菓子や食べ物を奢ってくれた。いくら世間知らずに育てられた私でも、そういう商品を買うにはお金がいるということくらい分かっていた。会ってから全然たってないのにお金を出してくれるなんて、良い人なんだなあと思ったことを覚えている。
 一緒にはしゃいでみて、気を使わないで良いことも分かった。クロノは女の子の私に気を使って楽しんでいるのではなく、心の底から夢中になったり興奮しているのが手に取るように分かったから。
 だって、私が凄いよ凄いよと興奮しているのに、クロノはそうかあ?どこにでもあるトリックだよ、と全然乗り気になってくれなかったり、逆に私が怖いからやめようというサーカスのテントに聞く耳持たず入ったりした。
 でも、それは稀なケースで、大概私もクロノも周りの人の迷惑も気にせず(これはちょっと反省)二人して騒いでいた。
 本当に楽しかった。こんなに興奮したのも、笑ったのも、また同じ人に笑顔を見せ続けていたのも初めてだった。
 そうして、今度は私がルッカの実験に挑戦して、ゲートに入った時。迎えに来るのは遅かったけど、ちゃんとクロノは私を助けに来てくれた。
 ……なんだろう?私がクロノに抱いている……抱いていた感情は。
 男女間の愛?クロノのことは素敵な男の子だと思うけれど、それは違う気がする。だって、時々訳の分からないことを言うし、私が本で読んだような恋愛ができそうには思えない。……ちょっぴり情けないし、ね。
 けれど、私はクロノと一緒にまたお祭りを巡りたいと思った。
 出来ることなら、クロノと一緒に色んなところを巡りたいとも思った。
 ……もしかしなくても、私は、クロノと……


「友達に、なりたかったんだ」


 私は自室の天蓋付きベッドに仰向けで寝転がりながら、一人でぼうっと呟いた。




 マールがクロノに抱いていた感情。
 それは恋慕といった甘酸っぱいものではなく、また興味があるという程度の軽いものではない。
 マールと同じ年齢ならば誰もが持つであろう、友愛であった。




「……なら、私がすべきことは……」


 私は壁に立て掛けたボーガンを手に取り、比較的丈夫なロープのようなものを探して部屋を飛び出した。








 星は夢を見る必要は無い
 第八話 プリズンブレイクをそのまま訳したら牢獄破壊って、なんかアクション映画っぽいよね







「まあまあ俺も男の子だし、あんまりネチネチ言いたくないけどさ、俺を助けに来てくれたのは嬉しいよ? 純粋に。でもね、その結果俺の頭を割ってたら目的がおかしいよね? 手段と目的が入れ替わってるなんてのは良く聞くけどさ。ルッカのやったことはあれだよ、電車の中で若者が騒いでるのを止めようとして大声で歌いだす蛮行と同じだからね? なんで被害拡大に一役買うのかが俺には理解できないなあ、最先端過ぎて俺がついていけないよ。これは俺が時代に取り残されてるのかルッカが時代をぶっちぎってるのか、その辺を重点的に説明してほしい」


「もういいじゃない。幸い怪我もたいしたことなかったんだし、さらっと流しなさいよ」


 ルッカが言う流すのは水的なものなのかもしれないけれど、俺の中ではその液体重油的な何かだからさ、どろっとしてからみつくぜ?


「……まあ俺の手助けをしようと善意に行動したんだから忘れてあげないでもないけどさ。一体どうやってここまで来たんだ?兵士達だってわんさかいただろうに」


 俺が抱いたごく当たり前の疑問にルッカは得意気な顔をして肩から下げている鞄から茶色いダンボールを取り出した。ルッカの鞄って何でも入ってるのね、魔法の鞄みたい。


「これぞ伝説のスニーキングアイテム、ダンボールよ」


「あ、そのネタもう俺やった」


 ちきしょう……とおよそ一般的な女の子の悔しがり方ではない反応を示すと、ルッカはその場で体育座りになり指で床を弄りだした。爆砕点穴の練習ですか? ルッカがそういう可愛らしいと見られがちな行動をするとどうも破壊に繋がるのではないかと邪推してしまう。


「でもこれはそう馬鹿にできるアイテムじゃないわよ? 私だってこれで何回あんたのお風呂を覗いたか……私は何も言ってないわ」


「……そうか」


 分かる。どうせここで俺が追求すればルッカがハンマーを振り下ろすんだろう? さながら大海賊時代のバイキングの持つ戦斧のように。
 俺の名前はクロノ、テンプレートを回避する男。……でもきっちり言い切ってから誤魔化せると思えるルッカには良い病院を紹介すべきだろうか?俺の家から二件隣に住んでいるバイアン・ジャーニーさんが経営する病院なんか良いんじゃないか?略称BJとしてトルース町の皆さんに好評の。顔に縫い後があるのと料金が割高なのが玉に傷ではあるが。


 とりあえず階段で休憩してても始まらない。俺が突き飛ばされた扉をくぐり、中に入る。そこは俺が衛兵に気絶させられた所長室だった。最初はマールのだいっきらい宣言とこれからの俺の将来を考えてどん底に落ち込んでいたからよく見てなかったけど、中々良い部屋じゃないか。適当に罪人を牢屋まで案内しているだけでこんな良い部屋を割り当てられるのか。これだから公務員は。
 ここにいない所長に毒づきながら軽く部屋を見て回ると、机の下に青い服を着た、所長殿が倒れていた。


「おううううわああぁぁ!!! 人が……人が死んでる!?」


 ごめんなさい! よく知りもしないで楽そうだとか簡単に金を稼げるとか言っちゃって! きっと俺たち国民の与り知らぬ所で膨大なストレスを溜め込んでたんですね! まさか死んでしまうほどの心労だったとは! ……もしくは俺と同じ想像に達した人間による犯行なのか!?
 ガルディア刑務所殺人事件~夜風が目に染みやがる。
 じっちゃんはこの中にいる!


「色々混ざってるけど、犯人は私よ。動機はあんたを助ける為で、ついでに殺してないわ。この使い捨て人体破壊専用ドッカンばくはつピストルを使ったから。勿論のこと非殺傷設定よ」


 ついでにで命の有無を扱うのかという突っ込みの前に、何かえらく禍々しい単語が聞こえたのだが。
 流石巷では『黄昏よりも暗き者』または『血の流れより赤き者』と呼ばれるだけのことはある。名付け親は俺だ。


「お前が犯罪を犯して俺が涙を流しながら『あんなことする子じゃなかったんです……』と言う光景が目に浮かぶよ。少女人体実験による精神破壊とかの罪状で」


「今罪人なのはあんたよ。ほら、いいからさっさとここからオサラバしましょ、ここ臭いのよ。ついでにあんたも臭いのよ」


「お前は女子が男子に言う臭いはどれだけ鋭利な刃物になって胸に突き刺さるか分かってないんだ」


 刑務所に風呂なんてなかったんだから仕方ないじゃないか。俺だって頭が痒くてしょうがないんだ。後、頭を掻く度に毛が抜けるんだけど俺この年にして若はげ確定なんだろうか? 消費税アップとかより衝撃の事実なんだけど。


 俺の結構マジな注意を無視して部屋を出た。あいつとは何処かで真剣に決着をつけないと、俺は先に進めないのかもしれないな。例えばしゃべり場とかで。


「……あれ、なんだこれ」


 ルッカの自称非殺傷兵器で気絶している男(顔面が識別できないほど潰れているのは置いといて)の近くに数枚の紙が綴じてあるファイルが落ちていた。
 中を見ると達筆な字で


 『ガルディア王国刑務所所長殿へ ドラゴン戦車の設計図 ドラゴン戦車の頭には、本体が』


 ここまで読んだ時に、ファイルから一枚の写真が落ちた。
 拾って見ると、そこにはバニースーツを着た女の子がこちらにピースサインを送っている写真だった。裏側を見ると、
『今日のわしのお気に 大臣』
 と書かれていた。仕事しろよとは言わんがこういう形で性癖を暴露するのは大臣からしてもどうなんだろうか?
 ファイルをもっと調べてみると他にも大量に写真が綴じられていた。むしろちゃんとした書類よりも量が多かった。この国は一度滅びなければならない。


 とはいえ、何か脱獄の手がかりが書いてあるとも知れないので全てチェックすることにする。ほら、万が一ってあるじゃない? 変な意味は別にないんだよ? 青い好奇心みたいな感情は全然。俺ってば解脱するかしないかみたいな領域に来てる聖人君子だからね。


 俺の精一杯の自己弁護をさらりと無視して戻ってきたルッカが写真ごと火炎放射器で俺を焼き払った。お前躊躇いなく人の事燃やすけど、全身の三分の一を火傷したら死ぬんだからね? その辺のこと分かってやってんの?
 俺が衛兵達から回収したミドルポーションはここで使い切ってしまった。
 ……あのチャイナ服の女の子、名前はユイちゃんか。今度お店に行って指名しよう。


 部屋を出ると手すりもついていない渡り通路。下を見れば地面まで数十メートルはありそうだ。ここから飛び降りて逃げる、というのは無理そうだな。
 激しい風に晒されて、年中半袖の俺には辛い、ルッカを見ると寒そうに身を縮めている。一番重要なのは後ろから見ればルッカの上の服が風で持ち上がり腰の上部分が見えていることだ。フッ、とはいえ、悪いが俺はその程度で興奮する時期なぞとうに越えている。俺を興奮させたければその六倍のエロさを見せてみろというのだ。


 いやあ、にしてもびゅんびゅかびゅんびゅかと風の音がやかましい。
 おかげで前でルッカが持ち上がっていく服を抑えながら顔を赤くして何事か叫んでいるが聞こえやしない。いやあもう全く。
 ……しかし、何故ルッカはスカートの下にズボンを履いているのだ、見られるかもしれないという緊張感から女の子は気を使い安定した姿勢を得られるというのに、ズボンとは全くけしからん、最悪スパッツならば色々妄想もできように。
 ここは一つ、一家言物申さなくてはならない。


「おいルッカ、パンツ見せろ」


「こっち見るなって言葉を無視してる挙句何言ってんのよおぉぉ!!!」


 西部劇のガンマンみたいにパカスカ俺を撃つルッカ。甘い、現在進行形で賢者の域に片足を突っ込んでいる俺に銃弾の軌道を読むことなど造作もないのだ。さっさと全部脱げ。……あ、妄想してたら足に当たった。
 こうして俺は中世で拾ったポーションを全て使い切ることになった。
 ただいまの持ち物、鋼鉄の刀、青銅の刀鞘なし(青銅の刀の鞘は鋼鉄の刀を納めるために使っている)のみ。


 この後上の服をズボンにインするという暴挙を犯したルッカと俺の壮絶なバトルが展開されたのだが、ここは端折ることにしよう。
 ただ、痴漢と言われようが何をされようが……それでも俺は、見たかった。


「はあ、はあ、はあ……何であんたはいつどんな時でもエロいことしか考えられないのよ!」


「知らなかったのか? 男の性の欲望からは逃げられない……」


「完全に性犯罪者の台詞よね、それ……時と場所を考えれば私はいつでも……なのに」


「? おいルッカ今度はマジで聞こえない。何て言ったん……おい、ルッカ」


「分かってる。何この音? まるで大きな歯車が回るような……それが近づいてくるような……」


 渡り通路の先から聞こえてくる奇怪な音に、俺とルッカは軽口を止めてその正体を探るべく目を凝らす。
 ……何だ? あの不細工な乗り物は?


「ハーッハッハッハー!!! 脱獄犯めが! このガルディア王国刑務所から逃げ出そうなど、そうは問屋がおろさぬわ!! ゆけいドラゴン戦車! ……寒い、この場所服がバタバタ揺れて凄い風が入り込む」


 愉快な笑い声をBGMに大臣がドラゴンを模倣したというよりは妊娠中のコモドオオトカゲに似せましたというような戦車に乗りながら登場してきた。
 顔の部分はラグビーボールを半分に切ってまたくっ付けたような造詣で、胴体部分はなすび型。今時おもちゃでももう少し精巧に作れそうな尻尾。動くたびに不穏な音が鳴る車輪。……まさか、こいつを俺たちに戦わせる気じゃないだろうな? 適当に作った機械に過度な期待はやめてください。成長に著しい悪影響を及ぼします。


「ルッカ、俺、お前の作る機械って大概駄作だと思ってたけど、お前やっぱり天才なんだな」


「認めてくれるのは嬉しいけど、今この状況で言われるのは物凄く不快だわ」


 俺もルッカも武器を取り出しさえせずに大臣御自慢のドラゴン戦車を眺める。ああ、背中の鉄板が一枚外れましたよ?


「さあ! お前達にこのドラゴン戦車を倒せるかな? さっさとかかってこい! できるだけ早く掛かって来い! 長期の稼動は想定しておらんのでいつ止まるとも知れんのじゃ!」


 知ってるか? あんたみたいな奴がいっぱいいる病院の名前。そこで友達百人目指せばいいじゃない。


「な、何をしておる! さっさと来んか腰抜けめ! さてはこのドラゴン戦車に圧倒されて足が竦んでおるな? ……ああもう本当寒い。鼻水出てきた。今夜はトルース町のガールズバーで豪遊する予定なのに困った」


 あんたみたいな奴ばかりだと、きっと戦争なんて起こらないに違いない。十中八九滅びるけど。


「いかんぞ、鼻水を垂らしたままじゃとユイちゃんに嫌われる。今日こそわしはあの子とアフターを決めるんじゃから」


「貴様ァァ!! そこに直れ、今すぐこの場で切って捨ててくれるわぁぁぁ!!」


「ちょっと!」


 ルッカの制止を振り切り俺は走りながら刀に手をかける。
 ごめん、ルッカ。でも俺は男だから、命を賭けなきゃいけない時がある。倒さなきゃいけない敵がいる。……例え、それがどんなに強大な敵だとしても!


「ユイちゃんとのアフターは譲れねええぇぇぇ!!」


 前方のみを直視していた俺は、後ろから飛来するハンマーの存在に気づかず頭をドヤされる。アイテー。
 足幅大きく俺に近づき、ルッカは俺の首元を掴んでがくがく揺らす。少し前のことなのに懐かしいこの感覚。



「ユイちゃんって誰?」


「え……いや、別に」


「ユイちゃんって誰?」


「だからね、ルッカさんちょっと聞いて?」


「ユイちゃんって誰?」


「……」


「ユイチャンッテダレ?」


 いよいよ言葉の発音すらおかしくなってしまった。
 前方の竜後門の悪鬼状態だ。竜ははりぼてだし悪鬼はすでに俺の命を握っているけれど。


「あっ! わしの服が! ああっ、下も!?」


 なにやら一人芝居を続ける大臣を目だけ動かして窺うと、大臣の服が全部飛ばされ、風から大臣を守るものがふんどしだけとなっていた。
 誰がお前のお色気シーンを期待したのか。乳首を隠すなゲテモノ。
 ……しかし良い事を知った。


「ルッカ。お怒りのところ申し訳ないが、さっきの大臣の服と同じ服を着てまたここに来てくれないか? ああ、下着は着けなくてもいい。むしろ着けるな」


「本当に申し訳ないわねそのお願い!」


 俺の首を絞める強さが増した。ふむ、あと数秒で俺の頚動脈が破裂すると知っての行動なのだろうね?


 溜息をついたルッカは俺を解放し、瀬戸際で俺の頭が破裂する事態にはならなかった。
 敵前で味方の首を絞めるとは、ルッカの頭の中を見てみたいものだ。そしてそれ以上に服の中身を見てみたいものだ。


「もういいわよ……クロノの浮気性。今度ユイとかいうあばずれ、実験と称してこの世から消し去ってやるわ……」


 ルッカが怖い顔をしているので俺はそっぽを向く。情けなくない。こういう時のルッカの顔は下手なホラーゲームよりよっぽど怖いのだから。


「いにゃああぁぁぁぁ!!」


 叫び声が聞こえて、ドラゴン戦車を見ると背中に乗っていた大臣の姿が見えない。……そうか、大臣は星になったのか。汚いものを見せてくれたが、今後の楽しみとして大臣ルックという引き出しを増やしてくれた恩義は忘れない。来世で幸せになってくれ。そして末期の時の言葉すら萌え声なんだな。


 運転する者がいなくなったので、俺たちはドラゴン戦車を素通りしようとする。……が。
 そもそも、戦車を運転するのに背中に乗っているわけは無い。
 中に誰かが乗って操縦するか、もしくは……


「る、ルッカ! 動いてるぞこのぽんこつ!」


「……そうか、外見の構造上、中に誰かが乗るスペースは無い……つまりこのドラゴン戦車、へっぽこな見た目の癖に……」


 無人で作動する、自動型かのどちらかだった。



「ドラゴンセンシャ、ミサイルハッシャイタシマス」


「「ミサイル?」」


 俺たちが同時にハテナマークを頭の上に浮かべると、ドラゴン戦車の背中が開き、中から八発のミサイルが……俺たちに向かってくる!?


「ううう撃ち落せルッカ! お前なら出来る! 君に決めた!」


「無茶言わないでよ! こんな改造エアガンなんかでなんとかなる訳……キャアアアアア!!」


 俺たちは二人して全力で後方に走る。……背中からボカンボカンと聞こえる音は爆発音だろうか? くそ、なんであんな間抜けな見た目なのにミサイルなんて高性能なもんを打ち出せるんだ! テロリスト対策ったって限度があるだろ! あああ耳元を破片が掠めたぁぁ! 助けておばあちゃーん!


「こ、こうなったら仕方ない、奥の手ルッカスペシャル三号、テロ行動時専用反逆丸を使うときが来たようね……」


「何か秘密兵器的な物があるのか!? テロ行動時専用ってそういうことしようと考えてたのかとか無粋なことは言わん! 早く使ってくれ!」


 含み笑いをしながら取り寄せバッグに手を入れるルッカ。その手に握られていたのは拳大程の大きさで、形状はピンの付いたパイナップルのような形だった。……うーん、ジェド○士?


「これは万が一クロノが死刑になり殺されていた時に王族諸共吹き飛ばそうと考えて作った最終兵器よ。まさかこういう形で使うとは夢にも思わなかったけどね」


 なんでお前は南米の傭兵達みたいな方法を取ろうとするのかが不思議で仕方が無い。


「さあ! 火薬を入れすぎて広めの空き地で使っても周りに被害が及ぶであろうこの反逆丸の爆発を受けてなお原型を留めることができるかしら!?」


「ねえルッカ。俺凄い嫌な予感がする。外れないんだ俺の嫌な予感。良い予感は当たった試しがないんだけどさ」


 スルー上等、ピンを抜きドラゴン戦車の足元に反逆丸を投げつける…………何も起こらないぞ?


 床に伏せて耳を塞いでいるルッカに不発か? と聞こうとした矢先に、脳天を突き抜ける轟音が辺りを支配する。こっ、鼓膜が! 鼓膜がああぁぁ!!


「ふう、予想通りの威力ね」


「時間差で爆発するならそう言えよ! 耳の中でアラ○ちゃんが走り回ってるじゃねえか!」


 キーン、キーンとね。


 火薬の煙と、爆発で舞い上がった砂埃が晴れると、そこにドラゴン戦車の姿は無かった。なるほど、ルッカが納得するだけのことはある。素晴らしい破壊力だ。うん。本当に凄い破壊力でしたよ。


「で、どうするんだ」


「何よ? 謝れば許してくれるのかしら?」


 渡り通路の三分の一が吹き飛び、助走をつけて飛んだところで消えた通路の半分にも届かない距離で地面に叩きつけられるだろう。悪いと思ってるならその尊大な態度を改めて申し訳なさそうな顔をするのが筋だと思うよ。僕の人生経験からすれば、さ。言っても無駄なのは分かってるけど。後額からどばどば出てる汗は拭いとけ、唇が真っ青になって震えてるのは寒さのせいだけじゃないよな?


 どうするべきか、この刑務所を出るルートが他にあると期待して引き返すか? ……いや、出口がいくつもある刑務所なんて存在するのか? 俺はこの刑務所の中をかなり歩き回ったが、他に出口らしきところは無かったぞ?
 いっそ運よく生き残れることを信じてここから飛び降りるか……? いや、自殺行為でしかない。奇跡的に生き残っても大怪我をしたままじゃまた兵士達に捕まってしまう。……どうする?


 光明の見えない状況で、俺は女の子の声が聞こえた気がした。
 気のせいかと思ったが、ルッカも辺りを見回していることから聞き間違いや幻聴の類ではないと確信する。
 今この場に現れる可能性がある女の子といえば……まさか。


 カツンという音がして、足元を見ると向こう側の通路からロープが括り付けられたボーガンの矢が落ちていた。
 ボーガンの矢……もうこれは間違いないな。あのお人好しの王女様め……


 ロープを近くの柱に縛り、何度か引っ張ってみる。これなら途中で縄が切れることも無いだろう、限界突破に怖いが、俺たちは縄を伝って向こう側に辿り着くことが出来た。


「おかえり、クロノ」


「ああ……ただいま、マール」


 きらきらと輝く金髪をポニーテールにした、純白の服を着る少女、マールが俺たちを見てニッコリと微笑む。
 牢獄に入れられた時の虚無感も、衛兵の為すがままに気絶させられ、物のように扱われた屈辱。一生外には出られないのかという絶望、それら全てを消し去ってくれるその笑顔を俺は忘れないだろう。
 そうだな、もしも彼女を何かに例えるなら……それは決まっている。
 俺は、念願の日の光を見つけることが出来たのだ。


 俺とルッカだけでは脱出不可能な状況から脱して、その場に座り込みほっと一息つく。


「ほらクロノ、こんな所で座り込んでないでさっさと逃げるわよ。ここはまだガルディア城の中なんだから」


 ルッカが俺の背中を膝で押してくる。
 確かにそうなんだけどさ、気が抜けたんだよ。
 そう言いかけた時、俺は声を出せなかった。
 その時のルッカの顔は、一瞬だけど憎憎しげにマールを睨んでいたから。


 俺とマールを置いて走り出したルッカを見て、俺に手を差し伸べるマール。
 その手を取って勢いをつけ立ち上がる。「行こう、クロノ!」と笑いかけてくれるマールに分かった、と返す。
 ……ルッカ、お前はマールに対して何を思ってる?
 足が前に動かない俺を、扉から吹く風が背中を押してくれた。




「だ、脱獄だー!!」


 階段を降りて城の玄関まで辿り着くと、外に出るまで後少し、という所で兵士達に見つかった。
 一度餌をあげた鳩みたくわらわらと俺たちに掴みかかる兵士達。……心なしか俺の体を掴む奴が少ないのは気のせいか?


「や、やめなさーい!!」


「ま、マールディア様でしたか!」


 さっきまで二の腕やら足やらを触っていた癖にマールが声を張り上げた途端わざとらしく「気づきませんでしたなー」とか「やっちゃったぜ!」とか「超ふわふわ。極すべすべ」とか抜かし出す。特に三番目、俺の前にその首を出せ。


「この方たちは私がお世話になったのよ! 客人として、もてなしなさい!」


「し、しかし……」


 それは正に中世でマールと出会った時の再現だった。
 マールの言葉に納得のいかない兵士はなおも抵抗しようとするが……きっとこの先の展開もあの時と同じ。


「私の言うことが聞けないの?」


「いえ! 滅相もございません!」


 兵士達からは見えない角度で俺にチロ、と舌を出すマール。即興の悪戯心で作った演出にしては洒落が利いてるじゃないか。


「そこまでじゃー!」


 このまま城から逃げられるかと思いきや、城の奥からちゃんと服を着た現代のストリーキング、大臣が走って姿を現した。あれだけの高さから落ちて、俺たちより早く城に戻り服を着替え、なおかつ走れるのかよ、お前人間じゃないなオイ。


 アメーバ並みの再生力を持つ大臣が控えい控えい、控えおろーうと時代劇みたいな口調で兵士の頭を下げさせる。本当やりたい放題だな、聞きたくないけどあのドラゴン戦車とかどれだけ予算を使って作ったんだよ、国民の血税をほとばしるほど無駄にしやがる。


「ガルディアーーーー、三世のぉーーー、あ! おーーーなぁああーーー!」


「父上……」


「いい加減にしろマールディア。お前は一人の個人である前に、一国の王女なのだぞ」


 大臣が時代劇から歌舞伎にシフトチェンジすると痺れを切らした王が大臣を後ろから蹴り倒して前に出る。大臣は階段から落ちて頭から床に叩きつけられた。死んだかな? と期待していると「いったー、絶対赤くなってるぞいこれ。後でムヒ塗っとこう」だそうだ。頭蓋を完全に粉砕しないと死なない類の生き物なんだな、多分。


「違うもん! 私は王女である前に一人の女の子なの!」


「城下などに出るから悪い影響を受けおって!」


「おいそこの犯罪者兼脱獄者と、貧乳眼鏡女。どうじゃったわしの登場の仕方? 自分で言うのもなんじゃがイケとったじゃろ?」


「影響じゃない! 私が決めたことだもん!」


「マールディア!」


「痛いぞ娘、何故わしの頭を撃ち抜くのじゃ……ああ、そういえば胸の大きさと度量の広さは比例するという。然りじゃな」


「こんな所もうい居たくない! 私城出するわ!」


「待たんかマールディア!」


「何? 私はCカップよだと? ふむ、確かにCカップじゃな、そのカップを着けたままならば、の。ほっほっほっ」


 ああ、大臣がでかい声でアホな会話するからマールと王様の大切な話が逆に浮いてしまう。お前の登場シーンなんぞどうでも……ええっ! ルッカ胸のサイズ誤魔化してたの!? え? じゃあ本当は何カップなの? B? まさかAは無いよね? 俺巨乳好きなんだけど! ところで大臣なんで見抜けるの? その技術俺にも教えてくれない? 経験の差とかならぶち殺す。


「早く行こう二人とも! もう一秒だってこんな所に居たくないの!」


「ほら、マールもそう言ってるから行くぞルッカ。俺だって大臣に聞きたいことは沢山あるけど我慢するんだから、耳の穴にハンマーの柄をねじ込むのはやめなさい。若干その大臣喜んでるから」


 親の仇いや世界の仇といわんような顔で大臣に拷問をかましているルッカ。鼻をすんすん鳴らしながら涙を流している姿に兵士達数人が「俺も踏まれたい……」とか寝ぼけてる。嫌だもうこの城。碌な奴がいない。今さっきまで喧嘩してたマールには悪いけどまともな奴王様だけだ。この中で一緒に酒を飲むなら誰と問われれば断ットツで王様だわ。


 ルッカを羽交い絞めにしながら扉から外に出る。
 逃亡する側の俺だけど、今なら簡単に俺たちを捕まえられますけど、いいんですか、見送って。


「待てー!」


「マールディア様がいなくなれば誰がこの城の萌えを担当してくれるのだ!」


「せめて、せめて何色だったか教えてくれー!」


「豚と、豚と呼んでください! 出来たら踏んでください! 器具や衣装その他諸々は僕の家に揃ってますから!」


 ルッカが涙を拭い自分の足で走るようになると急に兵士達が走って追いかけてきた。つまりあれだね、こいつらルッカの泣き顔を堪能したかっただけなんだね。
 中世も酷かったけど、現代は輪をかけて酷いな、そこで生きてる人間の頭。
 俺たちのようなまともな人間が住みやすいユートピアはないものか。


 町に出る道は兵士達で封鎖されており、仕方なく今まで通ったことの無い道をひた走る。マールのボーガンやルッカの威嚇射撃のおかげで距離はひらいていく。
 このままなんとか森を抜け、リーネ広場に着けばほとぼりが冷める迄中世に潜んでいる、これが最良の選択だと思う。本当は船で違う大陸に行くのが一番なんだろうけど、そこまで本格的な高飛びはちょっと決心がつかないし、無事逃げ切れるとも思えない。港はガルディア領なのだ、俺たちが森を出るとすぐさま封鎖するに違いない。
 そうだな、まず中世に着くと城に行こう。仮にも王妃を救い出した国の恩人なんだ、何年住もうが追い出したりはしないだろう。魔王討伐やらに力を貸してくれとか言われたらまた逃げれば良い。俺たちは放浪者になるのさ!


「行き止まり!?」


 俺がある程度逃亡計画を練っていると、ルッカが絶望したような声で絶望的な事を言う。ほらね、地に足をつけて生きていこうとしない人間はこうして天罰をくらう羽目になるのさ。


「……いや、待って。ゲートがあるわ!」


 ゲート? こんな所になんとまあ都合よく。
 ……が、これは安易に飛び込んでいいのか? ゲートの先が魑魅魍魎がそこら辺を歩いてないとも言い切れない。


「行こう! どんな所でも、私の為にクロノが捕まっちゃう世界よりはよっぽどいいもん!」


 俺の迷いを断ち切るように、マールがそうしよう! と体を動かし全身でアピールする。
 なんとまあ、思い切りがいいというか、考えなしというか……でもまあしかし。


 後ろを見るとすぐそこまで追ってきている兵士の群れ。その中に大臣も混じっているが、背の低い大臣は兵士の足にぶつかりよろよろになっている。やはり位が高かろうと無能な人間には敬意を払わないらしい。


「行くしかなさそうだな、ルッカ!」


「……ああもう、こうなりゃどうにでもなれね。行くわよ!」


 ルッカがゲートホルダーを掲げると、ゲートが俺たちを包み、その場所からワープするのと走りこんできた兵士達とはタッチの差だった。
 最後に大臣の呆然とした声が聞こえた気がした。










 ……長い。
 ゲートの移動も三回目になり慣れたのか、体は動かずとも意識だけは残るようになった。
 この場合の長いは、現代から遠く離れた過去、もしくは未来に繋がっているという解釈でいいのだろうか? 中世との行き来では意識が無かったのでその度合いは分からないが……
 無意味に考察していると、少しづつ目の前が明るくなってきた気がする。
 そうか……着いたのか。
 俺は薄ぼんやりと目蓋を開いた。




 ゲートは心持ち高い場所から俺たちを吐き出した。
 まずは俺。思い切り背中から落ちた俺は肺の中の空気を吐き出し、新たに酸素を補給しようとすると腹の上にマールが落ちてきた。それだけでは飽き足らず、ルッカは俺の顔面に膝を叩きつけていく。こういうのラブコメ漫画とかで見たことある。見てるときは羨ましかったけど、いざ体験してみるとかなりの悶絶物なんですね。この鼻からでる血液はやったぜ! エロハプニングゲットォ! 風味な血液なのだろうか? 必死になって否定するのも馬鹿らしいので一言言っておくが、俺は痛みで興奮するようなマゾじゃない。どちらかとSっ子である。


「いったー……ちょっとクロノ、もうすこし柔らかい顔になりなさいよ、痛いじゃない」


「俺の顔の惨状を見てそういうことを言いますか貴様」


 手で押さえようと指の隙間から絶え間なく血が溢れ出る。気の弱い子なら卒倒するレベルだぜこれ。


 どれだけ顔が痛かろうとまずは周囲の確認をする。周りを見ると、壁の所々に穴が空いており、その隙間から精密機械らしき物が埋め込まれ、隙間を覗き込んでみれば底の方になにやら酸えた臭いのする液体が充溢している。空気は視認出来るほどの塵?が浮遊しており息を吸うだけで咳き込みそうになる。床、壁、天井全てが鉄製という、現代ではごく稀な建物のようだ。もしかしたら今回は未来に来たのかもしれない。ゲートの後ろには顔のような模様のついた扉があり、蹴ってみたがビクともしなかった。
 ……現状確認短いが終了。とにかく紙かなんか無いか?この勢いで鼻血が出続けたら貧血で意識を失うかもしれない。


「ほらクロノ、こっち向いて」


 マールが俺の肩を叩き自分の方に向かせる。何ですか? 顔面血だらけの人の顔なんて珍しいからしっかり見ておきたいんですか? ……マール、君だけは綺麗なままでいてほしかった。


 被害妄想に囚われていると、マールが俺の鼻に手をかざし、優しく触れた。すると、信じられないことに俺の鼻血が急速に止まっていく。
 十秒もしないうちに血液は凝固して、固まった血がポロポロと落ちていく。


 驚いている俺をマールは心配そうな顔で見つめてくる。ちょっと、瞳を揺らすのは駄目だよ、おいちゃん彼女いない暦イコール年齢なんだから、勘違いしちゃうよ。


「もう痛くない? 私の力はお母様みたいに強くないから、ちゃんと治らなかったらごめんね」


「い、いや、大丈夫だよ。もう全然痛くないから……す、凄いなマール。こんな力を持ってたのか!」


 どもりながら必死に言葉を探してマールと会話する。うわ、絶対今の俺顔真っ赤だわ。ところでなんでルッカも顔真っ赤なんですか? マールに見惚れて、とかなら俺嫌だな、幼馴染がレズビアンとか。


「ガルディア王家の人間は、時々私みたいに軽い治癒能力を持つ人間が生まれるらしいの。昔はそれで次代の王を決めたとかって話もあるんだよ、まあ今は廃れた因習だけどね」


 顔が赤いことをバレないようにする為の話題だったのだが、上手く隠せて良かった。俺はクールがウリなんだから、そんな無様な姿は見せられない。今年の夏はクールな男がモテるっ! て何かの週刊誌で書いてあったから、俺はそれを日々実践している努力の男。


「私が乗っちゃったお腹は痛くないよね、私は軽いから」


「……ちょっと、それはどういうことなのかしらマールディア王女」


「気づいてないと思ったの? お城であったときからルッカ、ずっと私のこと睨んでるよね、これ位の意趣返しはあって然るべきだよ」


 ……あれ? さっきまでの青春空間は何処? なんかギスギスしてる。何だろ、売れ込みの仕方が似通ってるアイドルが二人で会ってるときみたいなこの空気。


 ルッカはチッ、と舌打ちをして壁際のマールに近づき、顔のすぐ右側の壁を力強く叩いた。バン! という音がこの小さな空間を支配する。もう怖いよやめようよ折角三人で違う時代に来たんだからもっと楽しくしようよ、遠足気分でさ。ほら、ウノやろうウノ! 俺強いんだぜウノ。来る手札によっては。


「じゃあ言わせて貰いますけどねマールディア王女。貴方は何でクロノが刑務所に入れられたのを止めなかったの? 貴方ならできたはずよね、なんせ王女なんですから」


「それは……最初、クロノのことを信じ切れなかったから……でも、今は違う。だってクロノは私の友達だもん! だから私はクロノを助ける、そう決めた。だから私はここにいるの! 違う!?」


 うん、マールが俺を信じられなかったのも無理は無い。俺はペンダントの件を話してないんだから。……正直、今となってはうやむやにしといたまま終わりたいのだが。あれだけシリアスやっといて原因はゲロとか。俺どういう顔で話せばいいんだよ。


「だからクロノ。今はまだ、貴方が何でペンダントを持って行こうとしたのかは聞かない……でも、いつか、いつか話してもいいと思えたら私に話して……約束」


 そんなはかない願いですら叶うことはない。
 それを教えてくれたのは、笑顔の可愛い女の子でした。
 小指を俺に差し出すマール。俺も小指を突き出し指きりをした。ああ、ちゃんと歌も歌うの? ……ごめん、俺それは歌えないわ。


「まだ話は終わってないの! 勝手にイチャイチャしないでよ! 鬱陶しいのよ!」


 壁を蹴ってマールの指切りを中断させるルッカ。そうかな、俺はほっこりできたけどな、恥ずかしかったのは否めんが。
 マールは最後まで歌いきりたかったのか、むっとした顔でルッカに向き直る。口挟んでいいのかどうか分からないけど、顔近くない? マジでキスする五秒前みたいな距離なんだけど。ここで百合展開とかもう……してもいいけど俺、覗くよ?


「まだ不満があるの? しつこいよルッカ」


「しつっ!?」


 ありゃあ、ルッカさんこめかみに青筋が浮かんでますね、これは非常に危険な兆候です。私はこの状態のルッカに昔背中にゲジゲジを入れられたことがあります。絶叫なんてものでは優しすぎるものでした。凄い腫れたしね、背中。


「……二日、二日よ」


「?」


 急に何を言い出したのか、と困惑するマール。それがあんたの残りの命よ! とか言い出したらちょっと面白いけどこれから俺はルッカの行動を逐一チェックしないといけなくなる。単純に言えば外れろ、この予想。


 ルッカは何を言ってるのか分からないという様子のマールをせせら笑い、そんなことも分からないのかという顔をする。結果、面白いはずが無いマールの機嫌も直滑降。富士急のジェットコースターの如く。


「クロノが捕まってた日数よ……貴方はその間何をしてたの? ねえ、貴方のために危険を顧みずゲートに飛び込んでくれたクロノが牢屋で苦しんでいる時! 貴方は何をしてたのよマールディア王女!」


「そ、それは……」


「クロノを信じられるようになるまでの準備期間? 随分ゆったりしてたのね、その間クロノはずっと辛かった! 貴方が豪華な朝食を食べている時クロノはおよそ人が食べるようなものではないものを口に入れてた! 貴方が優雅に読書を楽しんでる時もクロノは衛兵の苛めに歯を食いしばって耐えてた! 貴方が当たり前のように浴びていたシャワーにも入れず虫が蠢く汚い牢屋で苦しんでたのよ!」


「そんな……私は、私だって沢山悩んで、沢山苦しんで……」


「私はね、そういう精神的な曖昧なものの話をしてるんじゃないのよ、貴方が苦しんだ? それは誰が証明できるの? 貴方しかいないでしょう? ……ああ、貴方の大好きなお父さんに相談してたかしら? だったらここに呼んでみなさいよそしたら少しは信じてあげるから!」


「もうやめてよぅ!!」


 えええもう怖いよもう女子の喧嘩って本当怖い。なまじ喧嘩の理由が俺なものだから肩身が狭いし耳を塞ぐわけにもいかないし。あとさ、ルッカ俺のこと凄い良いように言ってくれてるけど、俺は助けに行く前に爆睡したり、牢屋の生活もルッカが思ってるより苦しいものでもなかったよ? 確かに食事は酷かったけど水は言えばくれたし汚いベッドも慣れたら気にならなくなるし、衛兵の苛めってどっちかというと苛めたの俺っぽいし、最後にシャワー云々って言ってるけどお前俺のこと普通に臭いって言ったじゃん。いや、今口挟んだら絶対ややこしくなるから黙ってるけどさ。


「私はクロノが捕まったのを知ったのは二日後のことだった。それから私は二時間で全ての準備を整えてすぐに助けに向かった。……この差が分かる? 私はただの平民、貴方は王族。貴方なら比較的容易にクロノを助け出せれた貴方はクロノを救えるのに最後の最後でしか助けに来なかった! 私が貴方ならすぐに助けた! どうして!? 何故クロノを助けてあげなかったの!?」


 気のせいだろうか? ひぐらしの鳴き声が聞こえる……そして何故か一人っ子のルッカが双子の妹に見える……それも実は姉みたいなややこしい設定で。


「貴方には分からない! 王族である苦しみは! どれだけ重いものを背負わされているかも! 私だって……私だって貴方の立場ならすぐに助けに向かったもん! それも最後の最後でポカなんてしない! ルッカはクロノを助けたっていうけど、結局出口を壊しただけじゃない!」


 それを言っちゃあお終いだよマールさん。まあ、ドラゴン戦車が本当に放っておいたら勝てる代物だったなら、牢屋からは脱出してたルッカのやったことはマイナスでしかないけども、そういうのはやっぱり心意気じゃない?


「……よくも言ったわね! もう王女だからって遠慮なんかしないんだから!」


「よく言うよ! 最初だけじゃない遠慮なんかしてたの!」


 そうしてここに始まるキャットファイト……あかんあかん! 手は出したらあかんでえ! 昔から喧嘩は手え出した方の負けと言うでなぁ! ここ、ここはおっちゃんの顔に免じてええぇぇぇ!!!


 二人のガチバトルは互いのクロスカウンターが俺の顔に爆誕して一先ずの終結を迎えた。燃え尽きたぜ……真っ白にな……








「ごめんねクロノ……ごめん」


 鼻を鳴らしながら俺の顔を治療してくれるマール。いや、凄い有難いし痛みも消えていくんだけど、顔近くね? 君のATフィールド狭いね、もしくは無いよね。
 ……いや、正確には今さっき築かれたんだよな、心の壁。
 ルッカはもうマールの存在を完璧に無視している。一方マールもルッカを無視しようとしているのだが、やっぱり自分を無視するルッカに苛立ってしまう。第一回戦はルッカに軍配が上がりそうだ。勝負の決め手はあれか、ルッカの性格の悪さ……もとい…………うん、ルッカの性格の悪さが功を奏す結果となったようだ。
 しかし、これは俺も意図してのことではない……つもりなのだが、やられっ放しのマールに心持ち優しくしてしまうのがルッカの機嫌を損ねている。このように両者互いに拮抗して、そのせいで二人の仲はグングン悪くなっていく。かといって俺がマールの味方をせずにいるとマールがやられっ放しで壊れてしまうかもしれない。……まあ、心情的にルッカの言うことも俺のことを思ってのことだし、理解したく無い訳ではないのだが、やはり俺はマールの言い分で良いと思う。結果的に俺たちを助けてくれたんだし、マールのことだから俺が牢屋の中にいた二日間、本当に悩んでくれたのだろう。多分俺自身よりも辛かっただろうし。
が、だ。ここで俺がマールの言い分を完全無欠に認めてルッカに謝れ! と言えばどうなる? 本心から自分のことを助けようと発言した友達の頭をしばいてごめんなさいしろ! と言うのと同義じゃないか。優柔不断と言われようが、俺にはどうすることもできない。


 ……まあ長々と心境を綴ったが、本音を言えば勘弁してくれ、だ。
 あれからゲートのあった建物を出た俺たちは当ても無く歩き続けた。
 それだけならば良い。しかしルッカは完全にマールを無視しているから俺にだけ話しかける。変に対抗心を燃やすマールは負けじと俺に話しかける。二人が二人とも相手の声に負けないような声量で話しかけるので最後には言葉なのかどうかも分からない叫び声を響かせる。もう俺頭痛いよ泣きたいよ。
 それで息切れするまで叫んだ二人は深く息を吸いげほげほ咳き込むのだ。先述した通り、この未来(ルッカが俺にだけ向かって文明が発達した世界だと話してくれたので、確たる証拠が見つかるまでそう呼称する)は非常に空気が悪い。その上外は風が強く、赤茶けたサビが混ざった砂が舞っているのでそりゃあ咳き込むさ。
 すると二人は咳き込みながらどちらの心配をするのかと俺を睨む。最初は二人とも近くにいたので右手でルッカの背中を、左手でマールの背中を擦ってやったのだが、どうしても勝負をしたい二人は咳き込むと互いに離れるようになった。どちらかの背中しか擦れない距離に。
 俺が出した答えはどっちの背中も擦らないだった。こういう時になんで選ぶ側がどちらかを見捨てるというリスクを背負わなくてはならないんだ。だったら俺はどっちも見捨てる。外道じゃない、これが正解なんだ。


 未来に着いてまだ三十分と経っていない。
 俺たちは、いやさ俺はこの時代を無事に生き抜けるのだろうか?



[20619] 星は夢を見る必要はない第九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 01:11
 空に太陽の姿は無く、黒雲が立ち込めた光景はこの世界に生ける者など無いと通告されるような世界で、俺たちは廃墟と言っても差し支えなさそうな半球型の建物を見つけて、その中で俺たち以外の人間と出会うことが出来た。
 彼らは一様に項垂れて、その姿は薄汚れ、体からは腐臭がする。目は何も映してはいないような光の無い目つきで、話しかけても大半が「ああ」とか「うう」と、正しく死人のような反応だった。
 一人、こんな荒廃した世界でも物の売買を行っている人間がいたが、俺たちが金を持ってないと知るや否やまた汚い床に座り込んだ。……何かごめんなさい。
 さらに、聞き取りづらい声で男が人間が二人ほど入れそうな機械を指差し、聞いてもいないのにどういうものなのか説明してくれた。恐らく、話し相手が欲しかったのだろう、ここにいる人間達は満足に会話をできる状態には見えないし。


「この機械はエナ・ボックス。中に入って数秒で体力、怪我を治してくれる優れものだ……だが、空腹感だけは治しちゃくれねえ……ここにいる奴らはこれで体力を回復させて生きながらえてるが、常に頭が狂いそうな空腹感に責められて、生きる気力を失ってるのさ……」


 こんな空気の汚れた世界では作物も育たないのだろう。それ以前にここまで疲れきった表情の人間達に何かを育てられるとも思えないが。
 ともあれ、疲れている俺たちはエナ・ボックスで体を休めようとまず俺が一人で入ろうとしたが、それを男が止めた。いつバッテリーが止まるか分からないので、入るなら三人一緒に入ってくれだそうだ。
 まあ、中が二人程度の広さしかないエナ・ボックスでも、詰めればなんとかなりそうだ。しかし、ここでトラブルが起こった。
 俺が一番奥に入ると、二番目に誰が来るかでマールとルッカが騒ぎ出す。正確には、騒いでるのはマールだけで、ルッカはいち早く中に入り込んだのだが。
 ルッカの服を掴んで外に引きずり出そうとするマールだがルッカは微動だにしない。その様子を見て呆れた男は「しゃあねえ、バッテリーがもったいないが、お嬢ちゃんは後な」と言いながらマールを一度外に連れ出してから、エナ・ボックスを作動させた。体の到る所に機械が装着されて、体の痛みや疲れがグングン消えていくのが分かる。……同時進行で空腹感が促進していくのも分かるが。


「多分、体力の回復や傷の治療の為に体の再生速度を上げている分、カロリーなんかを消費させてるんじゃないかしら?」


 状況を分析するルッカ。あのさ、二人しか入ってないんだからそんなに体をくっつけなくていいよ? 満員電車で痴漢されてる女子高生の気持ちになる。


 外に出ると目を赤くしたマールが俺を睨んでくる。ルッカの見下すようなどや顔を見て頬が限界まで膨らんでいく。こんな魚いるよね、ハリセンボンだかなんだか。


 さて、後はマールがエナ・ボックスに入れば良いだけなのだが……何故に俺を引っ張るマールさん? 後マールのすることに我関せずだったルッカさんも俺を引っ張るのは止めて頂きたい。「彼は私のよ!」みたいな構図だけどそんな可愛い力じゃないからね、二人とも。肩からごりごり音がしているのを感じる。やめて、ちょっと冗談じゃすまないからこれ。
 結局俺の両肩が脱臼してまたマールとエナ・ボックスに入ることになった。ああ、平安時代の都の平民はこんな空腹感を耐えていたのか。
 後さ、外から鬼のような形相で睨むのは勘弁してくださいルッカさん。マールも煽らないで、向かい合わせになって抱きつかないで。っていうかこんなことされたら普通に勘違いするですよ俺? 若いんだから俺。


 体の疲れは癒えても、心の疲れ及び空腹感に俺の生きる気力はドリルで削り取られるようだった。天元突破しんどい。


 数少ない会話の出来る人間の話だと、東の16号廃墟という所を抜けると、もっと人がいるアリスドームという建物があるらしい。ここにいても何も始まらないし、そこに食える物があるかもしれない、まずはそこに向かった。


 さて、問題の16号廃墟だが、暴走した機械だかミュータントだかモンスターだかが有名な歌手でも来てるんですかという程集まっていた。
 踊り狂いながら襲い掛かってくるキチ○イみたいなモンスターもいれば「ななななんですか!? 僕何も悪いことしてないよ!」みたいな顔で太腿くらいの大きさの鼠がそこらを駆け回ってたり、なおかつその鼠ときたら人のポケットからここで拾ったエーテル(精神力を回復させる高価なお薬。売れば宿屋を百回くらい利用できる大変高価な代物)をスリやがる。なんでそんなに驚いた顔をしながら人の物を平然と取れるんだよ、何だよその二面性。ペルソナか。
 他に装備類以外一切アイテムを持ってない俺たちから(流石に刀やエアガンやボーガンのような重いものは取れないらしい)鼠はとんでもないものを盗んでいきました。マールのブラジャーです。どうやって盗ったのか分からんが、気づけば鼠がしてやったぜ見たいな顔でブラジャーを口に咥えていた。
 マールが絶叫をあげる頃には俺はフガフガ言いながらその鼠を追いかけていた。途中でモンスター達が何匹か俺の前に立ち塞がったが刀を一閃して薙ぎ払う。俺の前に立つ者は、何人たりとも切り捨てる!
 爆走中の鼠が、一度だけ俺を見る。
 ────ついてこれるか?
 ────馬鹿言え、テメエが俺に
 俺と鼠の熱い視線の交わしあいは鼠に銃弾、俺のケツに矢が当たり終わった。
 ルッカよ、今まで喧嘩していたマールの手助けをするのはおかしいじゃないか。
 聞いてみるとあの子のためじゃなくて、あの子の下着に執着する俺に腹が立っただそうな。
 マールよ、俺は君の下着を取り戻すべく鼠を追ったのに何故このような仕打ちをするのだ?
 聞いてみると俺は走りながら「そのブラジャーをクンカクンカするのは俺だああぁぁぁぁ!!」と叫んでいたそうな。
 マールの機嫌が直り、治療してくれるまで俺はケツから血を流しながら歩くことになった。
 16号廃墟を歩いていると、鼠に盗られたエーテルの他に日本刀のような形の白銀の剣と、同じく白銀で出来た弓矢を見つけた。弓矢を使える人間は他にいないのだし、俺が持って近距離中距離を戦える万能戦士になろうとしたら、マールが弓の心得を得ているらしく、ボーガンを捨て白銀の弓を持つことになった。ちぇっ、レゴラスって呼ばれたかったのにな、指輪物語の。
 最後に妙な指輪を拾った。英語表記でバーサクと彫られたそのデザインを気に入ったマールが指につけた途端はっちゃけだすという出来事があった。「何で!? 何でクロノは半ズボンを履かないの!? どうして背の高い精悍な男の人と抱き合ったりしないの!? 妄想出来ないじゃない!」と詰め寄られたときには間違いなく俺とマールの間にベルリンの壁が出来た。俺はもう、笑えない。
 後さ、マールの話に心持ち頷くのは止めろルッカ。お前はそういうんじゃないと信じていたのに。お前らもう仲直りすればいいじゃん、趣味合うじゃん。俺を肉体ともに精神的に苛めるっていう。それから下品なことは言いたくないけど、俺は突っ込まれる側じゃねえ。



 そうこうしている内に、俺たちは無事(俺のケツ以外)16号廃墟を突破した。
 ……しかし、三人で戦っていると、ルッカとマールの連携に不安が残る。
 なんだかんだでルッカが危ないときにはマールはルッカの援護をする。しかし、ルッカは一切無視。マールの後ろに敵がいても声をかけたりすらしないのだ、そのため俺はマールの近くに敵がいないか細心の注意をしなければならず、そのことに気づいたルッカは「えこ贔屓よ!」と怒る。
 その上、マールに助けてもらってもありがとうどころか目も合わせない。
 ……これは流石に怒るべきだとルッカを怒鳴れば、それをマールが止める……いいのか、マール。


「いいよ、ルッカなんかと話したくないし、お礼なんか言われても嬉しくないもん」


 そういいながらも、マールの声は暗く、笑顔が見えることは無い。
 きっと、マールは口では悪く言いながらもルッカと仲直りがしたいのだろう。マールにとって初めて出来たと、そう思えた女友達なのだからそう簡単に気持ちを切り替えられる訳が無い。
 ……俺は、これ程健気なマールを無視し続けるルッカに、強い憤りを感じた。ルッカ、お前、本当にこのままで心が痛まないのかよ……







 星は夢を見る必要は無い
 第九話 男同士の喧嘩は見てて笑えるけど、女の子同士の喧嘩は見てて辛い








 荒野を歩き続けていると、遠くにまたドームを見つけた。多分、あれがアリスドームだろう。俺たちは早足で近づいていく。口にはしないが、腹減り度がもうえらいことになってるのだ。ダンジョンRPGなんかだと今すぐリレミトを唱えないと死んでしまうくらいに。
 しかしこのアリスドーム。近づいてみると最初に着いたドームと大差ないほど崩壊している。食料の自給自足なんて到底できるとは思えない。……いや夢を信じよう。俺たちは、俺たちだけはここに食べ物の類があると信じなければならないのだ。でないとやってらんない。


「あ、あんた達どっから来なさった……そして食べ物の類はどこにある? もし持っているならわし達に分けるがいい……いやさ、わしじゃ、わしが貰うんじゃ! わし以外の愚民に米粒一つとて分けるわけにいくものかあぁぁぁ!!」


「ドンじいさん! てめえ自分だけ抜け駆けしようってのか!?」


「うるさいわい! この御時勢、人のことを思いやること程愚劣極まるものはないわ! さあ旅人さん、わしに食べ物を! ……そうか渡さん気じゃな! よろしい、ならばその身で知るがいい! 我がドン流拳法鷹の舞を!」


 食べ物を分けて貰うという事は、どれ程辛いことなのか、俺は思い知った。ゆーか、あんたら元気じゃん。あのドンとかいう爺さんめがっさ元気じゃん。デンプシーロールが中々様になっている。左右に上体を揺らすって結構体力使うのに……  あ、近くのおばさんに蹴り倒された。側面からの攻撃には滅法弱いのがデンプシーロールの弱点だよね。


 アリスドームに着いて俺たちの最初の行動は食欲に全てを捧げた暴徒の鎮圧兼説得だった。








「なんじゃ、食べ物は何も持っておらんのか……しけておるの、変に期待させおってからに」


 全員をど突き倒してから、俺たちは食べ物を持っていない、西の廃墟からここまで食料を求めてやってきたと説明すれば、ドンは忌々しそうに俺たちを見回し、痛烈な舌打ちをかました。
 最近は迷惑をかけても謝らない、というのが流行っているのだろうか? ギロチンにかけられた青年といい、このじいさんといい、人間がいかに汚く醜い生き物なのか痛感させられる。人生の先達として俺たちにもっと誇れる行動をして欲しい。


「食料ならほれ、そこの梯子から地下に行けば大型コンピューターに食料保存庫があるぞい。しかし、警備ロボットが動いていて近づけん……皮肉なもんじゃよ、わしら人間が作り出したロボットに遮られるとはな……そこの警備ロボットを倒せば食料を分けてやるわ。まあ、お前らみたいな若造ではまず無理じゃろうがな」


 けっけっけっ、と人間らしからぬ笑い声を嫌味に響かせるドン。気づいていないのか? ルッカの指が引き金に掛かっていることを。


 俺やルッカが無言でドンたちアリスドームの人間を睨んでいると、マールが一人地下に繋がる梯子に手を掛けて、下ろうとする。
 それを見て慌てたドンがマールに近づいていく。


「おまえさん、地下に行く気なのか!?」


「もっちろん!」


「血肉に飢えた私らが何度挑んでも地下には行けなかったのだぞ?」


 その言い方はリアルで嫌だな、もっと言い方は無かったのか?血肉とか言われたら危ない想像しかできないよ。


「そんなの、やってみなきゃ分からないもん!」


 梯子を下りながら睨みつけるマールと上から見下ろすドン。何だこの構図、もしかしてちょっと良いシーンなのか?


「……お前さんのような生き生きした若者を見るのは久しぶりじゃ。気をつけてな、そして生きて戻って来いよ」


 力強く頷き、マールの姿は地下に姿を消した。
 それを追おうと俺も梯子に近づき、ルッカもそれに倣う。
 俺たちが梯子に手を掛けた時、ドンが放った言葉は「わしらの分の食料もきっちり持って来いよ」だった。頼みごとをするならもう少し低姿勢であるのが自然の摂理だと思う。この世界ではそれが一般的だとか抜かすなら仕方もあるまいが。


 梯子を下ると、奥に二つのドアがあり、そのうち一つは途中で道が無く、もう片方にしか行けないようになっていた。それぞれのドアの間に複雑そうに絡み合った機械が鎮座されており、機会に貼り付けられた紙にはパスワードを入力してくださいと書かれていた。


「多分、ここにパスワードを入力すればもう片方のドアに続く道が出来るんでしょうね……パスワードの解読かあ……実家の機械があれば出来ないこともないんだけど、工具しかないこの状況じゃあお手上げかしら」


 進むことの出来るドアの上にはプレートが付けられてあって、そこには食料保存庫と書かれていた。良かった。大型コンピューターとやらには全く興味はないが、食料保存庫への道がないのならアリスドームに来た意味は無い。うっとうしいじいさん達を殴るためだけに来たという途方も無い馬鹿をやりに来ただけとなってしまう。危ない危ない。


 食料保存庫へ続くドアを開けると、いきなり鉄骨の上を渡らなければ食料保存庫には辿り着けない構造になっていた。鉄骨の下はアリスドームの最下層まで続いており、落ちれば即死、死神がスワッ、と現れる仕組みだ。
 恐る恐る四方に繋がった鉄骨を渡っていると後ろにいるルッカが「押さない……私は、押さないわ」と呟いている。当たり前だ。早く渡ったからってチケットを貰えるようなもんじゃないのだから。お前の考えだとこの先にいるであろう警備ロボットとの対決方法はEカードになってしまう。


 鉄骨の上にあの下着泥棒鼠が座っているのを発見したマールは先頭のポジションを俺に譲る。俺だって下着が取られたら困るんだけどな。
 しかし近づいても反応しない鼠を見て不思議に思い、触ってみても感触は本物だがやはり逃げようとも物を盗もうともしない……置物のようだな。


 死の鉄骨渡りを終えて、俺達は次の扉を開き、中に入るとビーッ! ビーッ! とけたたましいアラーム音が聞こえる。何々? 煩いよ、今何時だと思ってるのさ? 俺も分からんけど。


「警備ロボットが近くにいるみたいね。戦闘準備よ、気を抜かないで」


「この近くに!?」


 ルッカの言葉に反応してしまったマールは思わずあっ、と口を押さえる。それも、ルッカは完全にシカト……これから戦いが始まるってのに、こんなので良いのか?


「おいルッカ、お前さ、いい加減に……!?」


 俺の言葉を遮り、天井からとてつもない大きさのロボットが落ちてくる。
 その大きさはあのヤクラの三倍はありそうな巨体。中央には目玉のような機械が俺達を見据え、遅れて左右に球型の機械が浮遊しながら下りてくる。その光沢は俺達を威嚇して、中央の機械上部から吐き出される蒸気は攻撃準備態勢に入ったという狼煙のようだ。表面に張り巡らされる電気の線は幾筋にも重なり、中央の目玉に集まって、どこからか機械的な声が聞こえる。


「ヨテイプログラムヲ ジッコウセヨ」


「く、クロノ! 何が起こったの!?」


「これがドンの言ってた警備ロボットなんだろ! くそ、なんてでかさだよ、予想外だ!」


 こんな規格外の大きさ、黒人のお兄さんじゃなくても予想外デス!


「行くわよクロノ、ドラゴン戦車の時とは違って、真面目に作られた警備ロボットだからね、気を抜いちゃ駄目よ!」


「あんなもんと比べるかよ、これとあれじゃあ月とすっぽん、岡崎に誠だ!」


 マールの岡崎とか誠って誰? という質問には答えず、俺は刀を抜き払った。
 ……こんな奴に刀が通るのか?








「よさこおい!」


 中央の巨大マシンに俺の振り下ろしは思ってた通り刃が通らず、代わりに左右の小さなマシン(これからはビットと呼称する)から同時にビームが俺目掛けて放たれた。直撃は避けたものの、やべっ、俺の髪が蒸発した音がした。これは当たれば死ぬな……
 その隙を狙いルッカが右のビットを、マールが左のビットに攻撃する。マールの弓矢はビットに突き刺さり、かなりのダメージがあったと思われるが、ルッカのエアガンはビットの装甲に弾かれて、ものともされなかった。


「ちっ! おいルッカ、お前あの反逆丸とかいう物騒な爆弾まだ持ってないのか!?」


「あれは自爆テロ用なんだから、何発も持ってるわけ無いでしょ! あれっきりよ!」


 こういう時のルッカの秘密兵器には期待してたんだが……今更嘆いても仕方ないか!
 俺は白銀剣を鞘に収め、巨大ロボットを使い三角飛びの要領で右ビットに切りかかるが、刃先が掠めただけで、切り壊すには及ばなかった。
 すると右ビットが俺目掛けてレーザーを放とうとする。俺の顔が青白く光り、危うく脳天に風穴を空けられるというところでマールの弓矢が右ビットを貫き、完全に破壊する。


「助かった、サンキューなマール!」


 マールは俺の感謝に親指をぐっ、と上げて応え、今度は右ビットに狙いを付ける。
 右ビットにはルッカがエアガンを撃ち引き付けているが、一向にダメージを与えられる気がしない。当たった銃弾は反射して辺り飛びかっている始末だ。


「ルッカ! お前のエアガンじゃダメージは与えられない! 跳弾が危ないし、攻撃は止めて後ろに下がれ!」


「嫌……嫌よ」


「ルッカ!」


 俺の制止を聞かずエアガンを撃ち続けるルッカ。何意固地になってんだよ! お前が悪いわけじゃ無えんだから、後ろに下がれよ馬鹿!


「だって、マールばっかり役に立って、私何にもしてないじゃない! 私だって、こんな奴一人で倒せるんだから!」


「ルッカ……お前……」


 白銀の弓という強力な武器を手に入れたマールと違い、今も改造のエアガンを使っているルッカは確かに、今に限らず16号廃墟においても決め手に欠けていた。
 どんどんルッカの苛々が溜まっていったのにはそういう理由があったのか。
 ……劣等感。
 ルッカは昔から、同年代の女性よりも、群を抜いてプライドが高かった。それは自分がどんな人間よりも努力していると自負しているから。
 実際、町に繰り出して彼氏を作ったり、美味しいケーキ屋巡りをしている女の子達に比べ(それが悪いなどと言うつもりは毛頭無いが)ルッカは常に研究に力を注いでいた。お洒落に身を投じてみたいときもあっただろう。カッコいい彼氏とデートに行ってみたいと思っただろう。それらを全て母の死という呪いに阻まれて、ただ一つ、科学という魔物に囚われ努力を惜しまなかったルッカ。
 そんなルッカが生き死にの危険がある旅に同行する、マールというある意味自分にとってライバルとなった少女に対抗心を持ったのは、決しておかしなことでは無かったのか。
 戦いという科学が関係ない土俵においても、ルッカはマールには、マールだけには負けたくなかったのだろう。……そして今、その感情が爆発して、マールが倒せたのならば、自分に倒せないわけが無いという強迫観念に突き動かされている。
 ……普通ならば、俺はルッカの考えを尊重してやりたい。しかし、これは戦いだ、生死の危険がある戦いなんだ。そこで冷静さを失うということがどれだけ危険なことか、分からないではないだろう!


「ルッカ、お前の気持ちは分かるけど、今はそんな時じゃないんだ、早く後ろに下がって援護を……」


「じゃあ、いつがその時なのよ!」


「……!」


 そりゃあ、俺の言葉も止まる。
 ……何度見ても、女の子の、それもルッカの泣き顔は慣れるもんじゃない。
 ルッカは涙も鼻水も溢れさせて俺を見ていた……


「これから先がある? 今は仕方ない? そんな台詞はね、弱者が使う言い訳よ! 私はルッカ、科学は勿論、全てに置いて誰にも負けるわけにはいかないの! それは戦闘だってそうよ! 何より……」


「危ない、ルッカぁ!」


 遠くでマールが、ルッカの身を案じる叫びが聞こえた。


「クロノがいる所で、他の女の子に負けるわけにはいかないのよ!」


 バシュ、という音とともに、ルッカが巨大マシンの放ったレーザーに打ち抜かれた。


「……ルッカ?」


 ゆっくりと、床に体を打ちつけるルッカ。
 俺の目はその様子をしっかりと捉えて離さない。
 体から赤い何かを撒き散らして、その目は何も映していない。ルッカの涙がきらきらと宙に広がって、その水滴が床に着くよりも早く、赤い染みが床を濡らしていく。ルッカの体から円形に広がるそれは……もしかして……


「……血?」


 一歩一歩ルッカに近づく。その行為すら認めぬというように巨大マシンが俺にレーザーを放つ。肩を掠める。焼けた肌から血があふれ出す。痛くない。


 ビットが俺に直接体当たりを繰り出す。俺は回し蹴りを当てて、壁に叩き付けた。邪魔をするな、俺が彼女に近づくのに邪魔をするな、今も彼女は苦しんでいる。声は出していないけれど彼女はきっと痛がってる。
 小さな頃からそうだった、ルッカはどんなに悲しそうにしていても、どんなに苦しい思いをしていても、俺が近くにいれば笑っていた。笑ってくれた。その度俺は救われた。
 そう、ルッカが俺を救ってくれたんだ。俺に人を守るという事を教えてくれたんだ。きっとルッカは今回も笑ってくれる。クロノがいれば痛くないよって笑ってくれるんだ。きっとそうなんだそうでないとおかしいだって辻褄が合わない今までそうだったんなら今回もそうであって然るべきでそこに嘘は無いはずいやそうに違いないそこに疑いは無い疑いはいらないほらもうすぐルッカの体に触れることができるもうすぐルッカの顔が見えるもしかしたら今彼女は笑顔なんだろうかそうだったら嬉しいないやきっと笑ってくれている俺が心配してしまうから彼女はきっと笑ってるだってルッカが笑っている様子が思い浮かぶんだそんな未来が見えるんだだったらこれは勘違いなんかじゃなくて真実であれあれルッカもうお前の顔が見えちゃうよ早く笑ってよ目を瞑ったままじゃ笑ってるなんていえないよほら早く早く口を結んで目を開けていつもみたいに世界で一番綺麗な声で笑ってくれよ大きな声で誰の耳にも聞こえるくらいにそうすれば俺は自慢するんだあの気持ちのいい声で笑うのが俺の幼馴染なんだってだからほら早く


「……笑って……くれよ……なあ」


 腕の中にいるルッカが少しづつ冷たくなっていく。
 俺の幼馴染のルッカが、俺のルッカが冷たくなっていく。彼女の体温はとても高いのに。彼女近くにいれば俺は笑えるのに。どうして俺は今笑ってないんだろう?


「クロノ……」


 マールが心配そうに声をかけてくれる。その顔はルッカのことだけを考えていることが分かる。
 そうだ、彼女を守れない俺の事なんか一切考えなくて良い。そんな俺に存在意義は無い。


「マール、ルッカを外に連れ出して治療してくれないか?」


「分かった、必ず助けるよ」


 ルッカの体をマールに預けて、マールが部屋から出るのを阻止させまいと巨大マシン達に向かい合う。こちらの様子を窺っているのか、攻撃は無かった。


「マール、弓矢を一本貸してくれ」


「え? ……分かった。頑張って、そいつを叩き壊して。原型も残らないくらいに」


「言われるまでもないさ、ルッカをよろしく」


 マールが投げた弓矢を後ろ手に受け取り、刀を抜く。
 マールたちが部屋から出た後、理解が出来るか知らないが、俺は巨大マシンどもに宣言する。


「お前達が傷つけたのは、俺の幼馴染だ」


 一歩踏み出す。こいつらはまだ攻撃してこない。分かる、これは直感ではなく、確信。


「ルッカは俺にとって何か?」


 もう一歩踏み出す。まだまだ、ここはまだあいつらにとっての防衛ラインじゃない。


「俺の全て、そんな簡単な答えじゃない。それでも複雑なものでもない」


 さらに一歩。ここが、境界線。あいつらが俺に攻撃を開始する、最後の。


「ルッカという存在は、俺を内包する世界程度で収まる人間じゃないんだ、分かるか? つまり、ルッカを傷つけたお前達は……」


 右足を強く蹴り出して、同時に俺のいた場所に閃光が走る。


「俺のいる世界、俺のいない世界、俺が生きているこの瞬間、俺が死んでいるその瞬間で、その姿を現すべきじゃねえんだよ!!」


 切り壊す。お前がいることは、俺が作る世界で有り得ることじゃない。存在、意味、意義。その全てを破壊する。お前の罪はそれでも飽きたらねえ。無機物風情が、俺の世界を侵した事を後悔させてやるぞ……!











「ルッカ、ルッカぁ!」


 幸い、ルッカの傷は肩を貫いただけで命に別状はなさそうだ。……ただ、それは現代のように薬が揃う時代においての話。
 この荒廃した世界では満足に治療もできないだろう。私の治癒能力で助けることが出来ないなら、ルッカは……


「考えるな、助けるんだ私が。クロノに頼まれた、私がクロノにルッカを助けてくれと言われたんだ!」


 ……本当にそれだけが理由? ……いや、それはきっと違う。
 有り得ないことだけど、もしクロノにルッカを助けてくれと言われなければ私はルッカを見捨てていたのか? この憎たらしい、自慢好きで説明が分かりにくいこの女の子を。
 ……それこそ有り得ない。だって、ルッカは、多分私を嫌ってるこの女の子は……


「私の、初めての女友達だもん……」


 誓おう。私はルッカを治療する。この約束が破れた時、なんて仮定の話はしない。そんな可能性は存在しない。
 私が治すと決めたのだ、マールディア王女である私ではなく、マールである私が。


「ごく普通の女の子が決めたんだから、それが破られるはず、ないもんね」


 私は、目を閉じて、精神を集中させた。
 思い浮かぶはルッカの嫌味そうな顔でも、私を無視している冷たい顔でもなく、私に笑いかけてくれた綺麗な笑顔。














 レーザーが来るだろうと予測した場所に注意を重点的に置いて、その予想は的中し、高熱の線が俺の脚を掠めて後ろの壁に焦げ後を作る。次にビットが俺の頭を吹き飛ばそうとミサイルを至近距離でぶっ放す。俺は刀の横腹で軌道を逸らし、返す刀でビットに切りかかるが、ビットは空中に逃げた。……埒が明かない。このままじゃジリ貧だ。せめてビットを壊さないと、巨大マシンを相手に出来ない。
 ビットがもう一度体当たりをしてきたのを見計らい、俺は壁にマールから貰った弓矢を突き立てた。これだけ深く刺せば、抜けることは無いだろう。
 ビットの体当たりを刀の鞘で受け止めると、また空中に逃げようとする。……させるか、このイタチごっこにはもう飽きたんだ。
 壁に突き立った弓矢に足をかけて、高く跳躍する。そのまま上段の構えで逃げるビットの真正面まで飛んだ。これなら、テメエは避けられねえだろうが!
 間違いなく両断できるタイミング、俺が渾身の力で刀を振り下ろすと、巨大マシンが俺にルッカを貫いたレーザーを放ち、それを右腕に食らった俺は体制を崩され、ビットを取り逃がしてしまう。


「くそ、うざってえんだよ一々!」


 ここからはまた無策。王妃のときのような心理戦は機械のコイツには無意味。体力の消耗を狙うなど愚の骨頂。


「まあ、それでも俺が勝つけどな……」


 こいつはルッカを傷つけた、そんな奴に俺が負けるわけにはいかない。誰が負けても、俺だけは負けられない。
 もう一度刀を構えて巨大マシンとビットを見据える。
 巨大マシンの目が光り、またレーザーを俺に放つ。初期動作から見ていれば、避けることは出来ないことじゃない。俺は横っ飛びでレーザーを交わす……が。


「追尾!?」


 レーザーの軌道が途中で変わり、転がった俺を狙って追ってくる。不味い、この体勢じゃあ避けれない!
 刀を構えて、どうなるとも知れずレーザーの軌道上に刀を置く。しかし、レーザーを刀なんかで防げるのか?
 不安な気持ちを抑えて、レーザーが迫るのを待つ。すると、予想に反して、刀に当たったレーザーがあさっての方向に反射した。すかさず刀の向きを変えて、ビットに当たるよう調整する。レーザーの当たったビットは煙を上げて地上に転がる。まだ、俺はついている。これならなんとかなる!


「さあ、これで一対一だぜデカブツ!」


 転がった体勢から立ち上がり、巨大マシンに走って近づいていく。タイマンなら、俺一人でも勝てるはずだ!
 ……そう思ったのだが、右から俺の体に猛烈な勢いで何かが当たり、俺の体は壁に叩きつけられた。口からごぼ、と嫌な音を出しながら血を吐く。肋骨が折れたか……? 息を吸うたびに猛烈な痛みを感じる。もしかしたら内臓もやられたかもしれない。
 俺は何にやられたのか、と俺に体当たりをした物体を見ると、それはマールが倒したはずのビットだった。そうか、一定の時間が経過すると、ビットは復活するのか……となれば、時間がたてば俺が倒したビットも復活する、と。だったら、大本を叩くしかないわけだな……


 ビットが満足に体を動かせない俺にミサイルを撃ち込んでくる。立つ力はまだ回復していない俺は床を転がって直撃を避けるが、爆風に体を持っていかれ、床に叩きつけられる。大丈夫、まだ立てる。痛むけど、まだ息が吸える。俺はまだ戦える!


「そろそろ最後にしようか、俺ももう疲れたし、ルッカのことが心配なんだ」


 刀を両手で持ち、顔の横に持ってくる。狙うは一点、突きのみの構え。失敗すれば即死確定の分の悪い賭け。しかし、それはあくまで表向きの話だ。だって……


「今の俺が負けるわけ無いんだ」


 ルッカを苛めた奴らと五対一の喧嘩をした時だって俺は勝ったんだ。三対一くらいのハンデで、俺が負けるわけ、ない。


 ビットが再び俺に向かって飛来する。もうその攻撃は慣れた。いつどのタイミングで動けば避けられるかは身に染みて分かっている。
 ……まだだ、まだ動けない、今走っても早過ぎる。
 ビットが近づいてきた事を風が教えてくれる。回避行動をとらなければ当たる、というところまで近づいた時、巨大マシンがレーザーを放つ為、目玉部分が光り、電力がそこに集中する。それを視認した瞬間、俺は自分に取れるギリギリの低姿勢になり、地を這うように走り抜ける。これにより、ビットの体当たりは俺の頭の上を通過した。
 目玉に十分な電力が集まって、一際強い光が暗い室内を照らす。


「ドンピシャだ……がらくたマシン!」


 俺の白銀剣が電力をレーザーに変換している目玉に深く突き刺さった……電力が溜まってレーザーを放つ前というタイミングは成功したが、白銀剣がこいつを貫けるかという不安はあったのだが……最初こいつに傷をつけられなかったことから考えると、ビットの再生を行っていたのは巨大マシンで、復活直後、または復活させようとしている間は防御力が落ちるのか? ビットを復活させる前には表面に薄いバリアが張ってあったとか……


「まあ、難しいことはいいか」


 剣を巨大マシンに突き刺したまま、俺は歩いて部屋の隅まで遠ざかる。目玉部分に溜め込んだ電力は暴走し、変換されたレーザーは内部に入り込んだ白銀剣によって乱反射し、巨大マシンを中から破壊していく。
 壁に背を預け、その様子を眺める。ビットと巨大マシンは連動していたようで、巨大マシンから火が上がるようになると勝手に地面に落ちて機能を停止させる。
 巨大マシンは騒々しくアラームを鳴らしながら、体の中心から爆散した。圧巻されるほどの爆発でも、俺は眼を閉じることはしなかった。俺を怒らせたんだ、その結末を見るのは当然だろう。


「……はあ、はあ……くそ、喉の奥からぐいぐい血が溢れてくる……」


 目の前にぼんやりとしてきた。痛みのせいか血が減りすぎたのか……あばらを抑えながら、俺は部屋の扉を開けた。……もしルッカが死んでいたら、俺も後を追う形になるのかな、それも良いかもしれないな……








「もういいってば! これ以上惨めにさせないでよ! 気持ち悪いの!」


 人の一大決心を気持ち悪いで終わらせるなよ、ルッカ。
 俺の悲壮な決意を目を覚ましていたルッカが切り捨てた。あれ? 目の前がはっきり見えるようになったけど、今度は涙が止まらない。


「まだ完全には傷は塞がってないんだから、ちゃんと治療させてよ! そのまま歩いたら……何だっけ? バイキンが傷から入って……とっても痛いんだから! ルッカ泣いちゃうよ!?」


「泣くわけないでしょ! それにもしかして破傷風って言いたいの!? 何でそんなことも知らないのよ馬鹿王女!」


「ば……馬鹿ってそれは言い過ぎだよ! アホとかならなんとなく許せるけど!」


 関西地方ではそういう意識を持っている人が多数存在するらしいな、マール。
 どうやらルッカは俺に対して気持ち悪いと発言したのではなく、マールの治療を拒否してのことだったようだ。本当に良かった。流石にあれだけ格好つけて落ちがそれでは立ち直れない。二週間は家に引き篭もるレベルですから。


「とにかく、もう私のことは放っておいて! 私のドジが招いた傷なんだから、あんたなんかに治して欲しくないのよ!」


「……分かった。そこまで言うなら、仕方ないね」


 ようやく分かったかとルッカが傷の痛みに顔をしかめながら立ち上がろうとすると、マールが服を掴んでもう一度無理やり座らせる。ルッカがマールを怒鳴ろうとして、マールは先を制しルッカの肩の傷を思い切りひっ叩いた。やば、見てるだけで痛い。


「っ! ……何するのよ!」


「ごめんね、ルッカ」


「はあ?」


 人のことを叩いてすぐさま謝るマールにルッカは眉をしかめ、意図が分からぬという声を出していた。棒読みの謝罪を終えたマールは引き続きルッカの傷を治療しようと手を肩にかざす。ルッカは慌てて「止めろって言ってるでしょ!」とがなるが、マールは首を横に振り治療を続ける。


「あの機械にやられた傷を治すんじゃないよ、私がルッカを叩いて痛くなった所を治すの」


「……何よ、それ。馬鹿みたい」


 虚を突かれた顔でルッカが力なくうなだれて座り込む。それから、ルッカはマールの治療を素直に受け続けた。


「馬鹿でもいいもん……友達を助けるのが馬鹿なら、私はずうっと馬鹿でいい」


「……あんた、その治癒能力を使うのに、かなり精神力を使うんでしょ? 私なんかの為にさ……あんたの顔、真っ青じゃない」


 えへへ、と誤魔化し笑いを見せながらもルッカの治療を止めようとはしない。ルッカは床に視線を向けながら小さく「ごめんなさい……」と呟いた。離れた俺でも聞こえたんだ、マールが聞こえないはずは無い。
 友達思いの優しい女の子は、はにかみながら「いいよ」と許す事を告げた。
 ……良いんだ、とても良いシーンなんだけど……俺の治療は出来ますかね? そろそろお迎えっていうか、二人に流れる優しい空気と綺麗な女の子二人が寄り添っている様がルーベンスの絵に見えて仕方ない。僕は今とっても幸せなんだよ……





 その後俺がボロボロで倒れているのを見つけた二人は悲鳴を上げて俺の治療に専念してくれた。マールは残り少ない精神力で俺の体に治癒を試み、ルッカは梯子を昇りドンたちに助けを求めた。
 もし薬の類があれば、私の仲間を助けてくださいと懇願したルッカにドンたちはあまりに辛い一言をルッカに告げる。


「そこのエナ・ボックスを使えばいいじゃろうに」


 ここにもあったんかい! じゃあさっきの私とマールのやり取りはなんだったのよ! という突っ込みは置いといて、ルッカは俺の体を持ち上げて地下を抜け、エナ・ボックスに放り込んだ。骨とか折れたり内臓を痛めてたりで重症なんですよ、俺。
 傷の深さに比例して空腹感が上がるシステムからさっきの体中が痛い状況と今とならどっちが辛いのか吟味しながら俺は五体満足わっしょいしょいという状態でエナ・ボックスから出た。そしてほんのり後悔した。


「……ええと、その」


「な、なあに? ルッカ」


「あの……なんでもないわ……」


「そ、そう……」


 何やら妖しい会話というか雰囲気を作り出している俺の仲間達。あれだ、中学生のときに初めて彼氏彼女との初デートみたいな感じ。手を握ってもいいのか、まだ早いんじゃないのか? という葛藤がよく滲み出てますねえ。
 こういうこと言うのもあれだけど、俺も頑張ったんだよ? マールもよく頑張ったのは分かるけど、もう少し俺にも何かあっていいんじゃないかな? 心配そうに駆け寄るとかさ、瀕死だったんだぜ俺。エナ・ボックスの方を見ることもしないというのは何か違うんじゃないかな?


「……あ、クロノ」


 何だよ何なんだよその昔の同級生に会った時みたいな反応。正直今お前と話したくは無いって空気が漂ってるよ。絶対もうちょっと優しくされても良いと思うんだよな、俺。再度言うが、頑張ったんですよ?


「あ、私の傷ならその……マールが治してくれたから、心配しないでいいわよ」


「ルッカ、今マールって……名前で呼んでくれた……」


 そうか、俺はお前の心配をするけどお前は俺の心配はしてくれないんだな? 覚えてろよ、今度お前がダンプカーに引かれても俺は運転手の人と和気藹々とした会話をこなしてやるからな。マールさんお願いだから頬を赤く染めないで。冷たかった人が急に名前を呼んでくれたからって好感度がぐいぐい上がるそのシステムは何だよ、少女マンガの典型じゃないか、ヒロインがマールでルッカが主人公か。さしずめ俺がモブなんだな。三話くらい出しゃばって外国に夢を追って飛び出してそれから一切出てこないようなキャラなんだな? くっくっくっ、なんだか興奮してきちまったぜ……ジャイアン現象なんて大嫌いだ。


「おいお前さんたち……ここに戻ってきたということは、まさかあの警備ロボットを倒したのか?」


「あ? ああ。満身創痍ながらなんとか、な」


 ドンが一人ぼっちの俺に話しかけてくる。ていうか本当に大丈夫? とか聞かれないんですね、俺。


「ということは、食料保存庫に入れる、と……食いもんはわしが独り占めじゃああぁぁぁ!!」


 豹のように機敏な動きで地下に飛び降りるドン。「出し抜かれたあぁぁ!!」と叫びながら地下の梯子に押しかける住民達。しまった、俺だけの俺だけによる酒池肉林の夢が! (肉林はいやらしい意味合いで非ず)
 住民達を剣の鞘で殴りながら地下に降りる寸前に見えた光景は、この阿鼻叫喚の中でもピンクな空気を放ちながら座って手を繋いでいるマールとルッカの赤い顔だった。悲しくなんか、ない。泣いてなんか、ない。


 俺たち(ルッカとマール除く、俺とアリスドームの愉快な仲間達)が食料保存庫に着くと、そこには腐った食べ物を必死に胃に放り込んでは吐くを繰り返しているドンと見知らぬ男の姿があった。この世で見たくないものベスト3には入るはずだ。ベストハウス図鑑に載せましょう。
 見知らぬ男の正体は昔警備ロボットの隙を突いて食料保存庫に辿り着いたという運の良いアリスドームの住人だった。何故帰らなかったのか? 例え腐っていても他人に食べ物を渡したくなかったらしい。聞けばこの男妻子持ちだそうだ、人として軸が腐ってる。
 その男を締め上げていると、男は俺たちに何かの種を差し出し、途中の鉄骨にあった鼠は置物ではなく、大型コンピューターへの道を進めために必要なパスワードを知っていると教えた。
 んなことはどうでもいいから食い物はどこだと詰め寄れば、大型コンピューターを使えば食べ物の場所が分かるかもしれないと答えた。
 そしてここに、俺をリーダー、ドンを副リーダーとするアリスドーム勢全員を含む鼠捕獲本部が爆・誕! した。
 何度か鼠を捕まえようと突撃したが、思ったよりもかなり早い鼠に翻弄され幾度も取り逃してしまった。俺たちは様々なフォーメーションを作り上げ、各々ポジションを定めて鼠を追い詰めるようになった。


「そこだフォワード! 突撃だ!」

「サイドバックに穴が開いているぞ、ディフェンスフォローに回れ!」

「4-4-3から3-3-2-3に切り替え! グズグズするな! 敵は待ってくれないぞ!」

「西側! 人幕薄いよ、何やってんの!」


 最終的にドン曰く「わしらなら、ベトナムのゲリラ部隊に匹敵するやもしれん」と言わしめるほどの連帯力を得た俺たちは、ついに鼠からパスワードを手に入れることが出来た。終盤の山場は追いかけてるうちに愛着がわいたという理由で鼠の捕獲を妨害しだした白虎部隊の裏切りだろうか? おかげで守備重視の朱雀部隊が壊滅、突撃重視の青龍部隊が半数まで減らされた。残るは俺をリーダーとする遊撃隊の玄武部隊と、連携に不安の残るドン率いる大和部隊だけだった。
 感動シーンは士気に陰りの見えてきた大和部隊をドンが「諦めるな! 元ラバウル搭乗員のわしらの底力を見せ付けてやるのじゃ!」という一括で目覚しい活躍を見せだしたときだ。不覚にも俺は涙した。ドン、あんたこそ永遠の0の名を受け継ぐにふさわしい……!


 生傷を体中にこさえながら俺たちは女子供の待つ地上に這い出てきた。
 最初、食料を持っていない俺たちを見て落胆した顔だったが、男達の久しぶりに見る明るい顔を見て子供と妻も微笑んだ。
 男達は自分の武勇伝を自慢げに話し、俺の指揮能力とドンの勇気を褒め称えた。子供はそれからそれから? とわくわくしながら話を促し、妻は男達の自信に満ち溢れた姿に感涙する者さえ現れた。
 たかが鼠狩りと馬鹿にするものはいない。俺たちは本気で戦った。生きるために、その本能に自分を埋没させ、仲間との連帯感を十二分に味わった。
 ドンは周りからの感謝や尊敬に「いやいや、わしのような老兵はなにもしておらんよ」と謙遜していたが、そんなことはないと俺たち男勢は全員分かっている。
 この歓声はあんたに向けられるべきものだ。
 そう、あんたはこの陰気で生きる希望の無かった町に活気を作り上げたんだ。救ったよ、ドン。お前が救ったよ。


「え? 鼠狩りで遊んでたの?」


 皆が肩を抱き合い喜んでいる中、場を盛り下げることこの上ない発言をしたのはマールだった。


「こういう状況で手放しに喜べるなんて……結構おめでたいのね」


 痛烈な皮肉を口にするのはルッカ。
 まあつまらないことと言われればそうかもしれないが、さっきまで女同士でイチャイチャしてた奴らに言われるのは我慢ならない。
 今日は皆も俺も疲れたので就寝することになったが、アリスドームの仲間達はマールとルッカをよそ者を見る目で冷たく当たることにした。俺は名誉国民としてアリスドームの第二番権利者となったので俺の仲間と楽しく会話することにした。マール達は仲間じゃないのか? 少なくとも今ここにいる仲間はドンや一緒に戦った男達に守るべきアリスドームの女子供だけだ。今日一日はマールとルッカなんて名前の人間と会話する気にはならん。


 次の日目を覚ますと、昨日一日無視していた二人が目蓋を腫らして俺に土下座をしていた。
 まあ、反省するなら別にいいさ。ただお前達がやったのはライブハウスで盛り上がっているファン達に「このバンド全体的にしょぼいよね」と言って回ること、それと同義だと知れ。


 起床した俺は俺たちも連れて行ってくれ! と頼み込む住人達を抑えてマールとルッカを連れ、大型コンピューターの場所まで行くことにした。「危険な場所に行くのに戦闘経験の無い皆を連れて行くわけにはいかない。俺を信じて待ってくれ! 皆が信じてくれたなら、俺はどんな所からも生還する!」と説得したときはクロノコールが鳴り止まなかった。マールとルッカにはお疲れの一言だった。俺の服を掴むなよルッカ、この場所において俺はお前達を擁護する気は全く無いから。


 梯子を降りて、地下に入ると皆の声が聞こえなくなる。
 ……大丈夫、皆の声は聞こえなくても、皆の心は俺に届いてる。この繋がりは解けることは無い!
 疲れた顔をしたマールとルッカを従わせて、俺は大型コンピューターまでの道を出現させる機械に手を触れた。
 そう、俺たちの物語はまだ始まったばかりだ!



[20619] 星は夢を見る必要はない第十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/08/02 16:03
 鼠から得たパスワードを入力し、大型コンピューターまでの道を作る。最初はルッカに頼んだのだが、少し前まで冷たい反応を返していたせいかむくれて俺の言うことを聞かなかった。さっき土下座したのにその掌の返しようは何ですか。驚いて噴出しましたよ。
 扉を開けた先にはまた鼠が徘徊しており、四本足の蜘蛛のような形をした機械や脚部に車輪のついた一つ目の機械が我が物顔で歩いていた。思ったんだけど、この鼠たちは何を食べて生きてるんだろうか? 実は他に食料保存庫があってそこから食べ物を調達してるんじゃないか?
 俺たちは見つからないようにこそこそと移動を開始した。止むを得ず戦闘になった時、ルッカとマールの連携が炸裂した。ルッカの銃で敵の気を逸らし、後ろからマールが撃つ。またはマールが持ち前の運動量で辺りを跳ね回りルッカの脅威のハンマー捌きが敵を葬る。俺はといえば後ろのほうで女の子怖え……と恐怖しているだけだった。
 今更だけど、あのリーネ王妃の血を継いでいるだけあってマールの体の動かし方は素人のそれではない。素手の勝負なら前衛の俺でも敵わないかもしれない。ここに男女の力の差など存在しないのだ。いや、俺が情けないんじゃないよ? ここに集う女の子二名が異端なんだよ。今なんか蜘蛛型メカの足をマールが蹴りでふっ飛ばしましたよ? 鉄の機械を生身の足で壊すってどういうことだよ、元気いっぱいの可愛い女の子かと思えばその正体はオランウータンか何かの変化だったとはな、全く騙された。場末のメイド喫茶くらい騙された。
 大方スムーズに戦闘が進むが、途中一つ目メカの撃ちだすマシンガンに俺の足が撃たれるという事件があった。
 半ば以上本気で泣いた俺にマールが子供をあやすように治癒をかけてくれたが、完治した後ルッカに怖い顔で睨まれて「あんまりマールを疲れさせないでよ、何度も治癒を使えばマールが疲れて動けなくなるでしょ!」と怒られた。おかしいからね、銃で撃たれた人間に説教とか。特に役に立ってない俺だから言い返すことは出来ないけどさ。


「……思ったんだけど、私がクロノに近づくと、ルッカ怒るよね。もしかしてクロノのこと好きなの?」


 その様子を不思議そうに見ていたマールさんが核弾頭を落としてくれた。俺からすれば「え? それマジ話?」である。


「ちちち違うですたいよマール! わた、私どっちかって言うとクロノのこと嫌いだし! ランク付けするとスイカの皮の次くらいの好感度だから!」


 ルッカよ、お前幼馴染よりもクワガタの餌の方が好きなのか……知りたくなかったその事実に俺は膝を抱えたくなった。


「え? え? 何でそう思ったの? そんなに分かり易いの私?」

「分かり易い? ってルッカ、それ認めちゃってるよ。それとあれで分からないのはクロノくらいだよ」

「そ、そっか。クロノにはバレてないんだ。良かった……待って、そんなこと聞くって事は、マールも……?」

「ん? 私はちょっと違うなあ。異性の対象として見るとかよく分からないし、考えたこと無いや」

「そ、そう。なら良いんだけど……それと、私別にクロノのことなんて好きじゃないわよ! 勘違いしたら駄目だからね!」


 何やら二人で俺に聞こえないように内緒話を始める。あれだろ? どうせ「クロノってウコンみたいな臭いがするのよねー」とか「飲み物で例えればタ○マン」とか言ってるんだろ? タフ○ン舐めるな! 意外と美味いんだからな! ○フマン!


 無駄すぎるやり取りを経て、俺たちはドンたちの言っていた大型コンピューターのある部屋に辿り着いたのだった。


「凄い、こんな設備が揃ってるなんて、昔ここは相当重要な施設だったのね……」


 ルッカが部屋中に転がっている機械を見て周り感嘆の声を出した。
 俺とマールには何が凄いのかよく分からず、部屋の中央でルッカの行動を目で追うことしかできなかった。ふむ、確かにルッカの家の中よりも凄い機械設備があるというのは分かる。部屋の奥にあるモニターなんかヤクラくらいの大きさがあるんじゃないか?
 ちょっと触ってみたいという欲求から機械に手を置こうとした瞬間ルッカの銃弾が頬を掠めた。やりませんよやりません、下手に素人が触ったら大変ですもんね、持ち主に非があったら保険ききませんしね。でもマールが触ろうとしたら親切に説明してるのは何でなんですか? 俺の中でルッカ×マール説がどんどん濃厚になってきてるんですけど。


「……食料の場所は検索できなかったけど、この世界には私達が来たところ以外にもゲートがあることを確認できたわ。モニター画面を見て」


 ルッカの言うとおり画面を見ると、そこには俺たちの通ってきた廃墟やアリスドームが映っていた。


「ここが私達のいるアリスドームね。ここからこの廃墟を抜けて……」


 画面が東に移動して、ルッカの言う廃墟を越えた先にあるアリスドームに似た形の建物を映し出すと、そこで画面移動が終わった。


「ここ。このプロメテドームにゲートがあるわ」


「凄いね! そんなことも分かっちゃうんだ! ……じゃあ、このボタンを押せばどうなるのかな?」


「あ、こらマール勝手にいじっちゃ……」


 マールが丸い大きなボタンを押すと、画面にノイズが走り、もう一度映像が戻ると、廃墟は無く、ドームも崩れていない、太陽の光に当てられた景色が見えた。


「A.D.1999?『ラヴォスの日』記録……? どういうことよこれ?」


 画面は何度もノイズが混じり、俺たちは画面から目を離さなかった。
 ……何だ? 地面が赤く染まり、ひび割れていく……


「……ねえ、ルッカ……あれ、なに?」


 マールの問いにルッカは答えられない。そりゃあそうだ、あれは、この世に存在しない、存在して良いものじゃない。
 大きく裂けた大地が高く浮かび上がり、地面の下から赤い、きっとこの世界のどんなものより赤い、巨大な化け物が姿を現していた。そいつは地上に顔を出した途 端、背中から無数の針のような物を空に向け発射する。
 その針の雨は地上に降り注ぎ、爆発する。大地は砕け、人間の建造物を粉々に粉砕し、森林を消滅させ、大量の砂埃を空中に巻き上げる。
 砂埃は高く舞い上がり、太陽を覆い隠し、世界は暗闇に包まれた。
 ……この惨状で、生きている者などいるのだろうか? 海も空も大地も赤く染まり死んでいく光景に、俺たちは息を呑み、画面がぶつりと消えた後もしばらく声を出せなかった。


「な……何、これ」


 マールの、誰に向けたとも分からない疑問の声を、ルッカがかろうじて拾う。


「ラヴォスって……これが私達の世界をこんなにした大災害のこと!?」


「……らしいな。正直、こういう風に見せられても、本当にあったことなのか、信じ難いけど……」


「じゃあ、やっぱり……やっぱりここが私達の未来なの!? 酷い、酷いよ! こんなのってない! これが……私達の未来だなんて……」


 長い髪を振り乱し、頭を抱えて狂ったように泣き叫ぶマール。その姿は痛々しく、この世界の悲しみを一身に背負っているかのようだった。


「クロノ……そ、そうだよ! 変えちゃおう! クロノが私を助けてくれたみたいに! ね、ルッカ。ね、クロノ!」


 未来を変える……? ……うん、それは良い考えだな、マール。でもな……


「ルッカ、俺たちの時代って、何年だっけ?」


「? リーネ広場のお祭りが建国千年記念のお祭りだって知ってるでしょ? つまり、A.D.1000年よ」


 だよな。それってつまり、少なくとも俺の生きている間はこんなことに巻き込まれるって事は無いんだろ? だったら可哀想とは思うけど、別に良いんじゃないか?


「……クロノ、あんたまさか」


 俺の考えていることが分かったのか、ルッカが俺を驚いた目で見る。……え? 俺の考えてることおかしいか? どう考えてもあんな化け物に俺たちが勝てるわけ無いだろ?


「……クロノ? どうしたの?」


 不安げに俺を見つめながら俺の手を握るマール。……え? 俺がマイノリティなのか? 俺の意見が間違ってるのか? たかだか警備ロボット相手に手こずる俺たちに何ができるって言うんだよ。


「冷静になろうぜ、お前ら。俺たちだけが未来を知った。それだけでちょっと英雄気分になってるだけなんだって。ほら、今でも増えすぎた人間の数が問題視されてるんだぜ? 多分こうして滅びるのも仕方ないと言わざるを得ない感じでして……あのマールさん? 何故に拳を引いて俺に照準を付けて……えぶうっ!!」


 数百キロのメカをもぶっ壊すマールの拳が俺の顔に突き刺さる。痛いなんてもんじゃねえ、もっと恐ろしい激痛の片鱗を感じたぜ……


「クロノ……それ、本気で言ってるの? 自分には関係ないから、だから世界がこんなになっちゃって良いの? おかしいよ! ドンや皆はクロノの事をあんなに慕ってたじゃない! そんな彼らを見捨てることができるの!? ねえ!」


 いや……正直見捨てられるけどさ、それ今言ったら第二弾が来るんでしょ? 衝撃のぉぉぉ! セカンドブリットォォォ! が。


「ルッカ! ルッカは違うよね! こんな未来は嫌だよね!」


「え? ……あ、うん。勿論よマール」


 嘘だっ! あいつ絶対俺の意見に賛成派だ! 今マールに逆らうと痛くされちゃうから従っただけだ! 何が他の女の子に負けるわけにはいかないだ! 戦う前から降参してるじゃねえか! そういう風にころころ自分の意見を変える奴が一番男に嫌われるんだ! ……まあ女の子内のコミュニティはそういうルールが暗黙の了解としてあるらしいけど。


「わ、分かったよマール。うん、よしやろう! 俺たちの手で人造人間を倒すんだ!」


「分かってくれたのね! ……人造人間って?」


 ロマンチックを貰いに玉を捜してインフレする漫画を知らないとは、流石お姫様。君にZ戦士の資格は無い。
 ルッカの目が「何で止めないのよ!」と語っている。自分に出来ないことを相手に押し付けるとは、バブル世代で碌に仕事が出来なくても昇進していった上司みたいな奴だ。まあそういう人たちはリストラの対象に入れられるので可哀想ともいえる。


「はああ……まあ、私達はゲートを使って時代を超えられるんだから、まあ、ちょっとは頑張ってみても良いのかもしれない事も無いのかもしれないわね。それじゃ早いトコ現代に戻ってラヴォスについて調べないと。行くわよ! プロメテドーム!」


「おー!」


 小さな手を握り締めて頭上に掲げるマール。俺はおざなりに手を上げながら、苦笑をもらした。苦手なんだよな、こういう皆で何かやるぜ的な雰囲気。文化祭のノリは特に嫌いなんだ。男女の仲が悪くなるから。






「おお、クロノ! どうじゃった? 何か成果は?」


 地上に戻ってきた俺たちをドン達が俺の名前のみ呼んで近づいてくる。ほらマール、お前が救いたいと言ってるこの世界の住人はお前のことが嫌いっぽいぞ? それでもいいのか?


「ここは……私達の未来なの!」


「「「「「はあ?」」」」」


 アリスドームの住人一同は怪訝そうに首を傾げて、俺の前に出たマールを見つめる。マールさん、いきなり過ぎる発言に皆引いてるから、ちょっと落ち着こうぜ、ジャスミンティーでも飲んでさ。そんな洒落たもんねーけど。


「それより、食料は? 他に見つからなかったのか?」


「……地下の大型コンピューターで調べてみたけど、無かったわ……そこにあるエナ・ボックスもいつまで動くか分からない。その食料保存庫にいた男が持っている種子、その種子を育ててみてください」


「とにかく生きて! 頑張って! 私達もやってみるから!」


 なんだかなあ、後ろからルッカやマールの姿を見てると、分かるんだよな、勢いで元気付けて昨日の自分達の失言や鼠狩りを手伝わなかったことをうやむやにしようって魂胆が。この世の善意と見られる行動は全て私欲で構成されているのか。




 それからドン達にプロメテドームに行きたいと伝えれば、32号廃墟に置いてあるバイクのキーを貸してくれた。若い頃に乗り回していたらしい。……? バイクって何だ?
 他には……そうだな、マールの元気という言葉をドンが気に入ったらしく、アリスドーム内で流行した。今年の流行語大賞は元気になりそうだ。
「元気? 聞いたことの無い言葉じゃな」というドンの台詞には驚いた。あんたくらい元気な老人は現代にはいな……大臣くらいしかいないのに。
 未来に来てすぐの頃は、人々は暗いし、マールとルッカは喧嘩するしで良い事なんか全く無かったが、このアリスドームに着いてからドラバタして疲れたし、体中ボロボロになったりしたが……うん、楽しかった。ここの人たちにはまた会いに来たいな。
 後ろ髪引かれる思いでアリスドームを出ようとすれば、ドン達が何やら騒いでいる。耳を傾けてみるとドンが大声で「この種子が早く育つように、女は皆祈祷を捧げるのじゃ! 男はこのような日のために暖めていたとっておきの創作ダンスを披露するのじゃ!」と住人達に命令していた。……うん、元気なことは良いことだよね。全然気持ち悪いとか思ってないよ。
 さよならアリスドーム、また50年くらいしたら来るよ……
 俺たちは清清しい顔でアリスドームを出た。








「見た感じ、これがドンの言ってたバイクなのかしら?」


「そうみたいだね、他に何にもないし。大きいな、私達三人とも乗れそうで良かったよ!」


 アリスドームから東北に歩いていくと、遠目から見ても16号廃墟とは比べられないほどに大きな、32号廃墟の入り口に着いた。これは乗り物でもないと越えられそうにないな、助かるぜドン。しばらくは会いたくないけども。
 入ってすぐの場所に置かれていた鉄で出来た機械。見た目は自転車のタイヤを大きくして、前方部分にガラスの付いたような代物だった。これがバイクで間違いはないんだろうが……ふうむ。


「んー、しかし動かし方が分からんな、この鍵どこで使えばいいんだ?」


 バイクの周りを一周すると、前方部分のメーターやらなんやらがごちゃごちゃついている部分に鍵穴を見つけた。……多分、ここに差し込むのが正解なんだよな? 自爆装置関連とかじゃないよな? そんなB級な展開は待ってないよな?


 鍵穴にキーを入れた途端、バイクが振動を始めて、辺りからアラームの音、音、音! あ、これマジで自爆します的な? 今シルベスタスタローンの気持ちがよく分かるよ。


「クロノ敵よ! 気をつけて!」


「敵か!? 本当に良かった!」


 俺の言に首を傾げるルッカはこの際放置! だって説明したら一人で想像して一人で怖がったなんて馬鹿を知らさなければならないし。そんなの誰が得するんだ。


 アラームを鳴らしながらアリスドームで見た一つ目メカが四体現れ、俺たちの周囲を囲む。俺は刀を抜き払い、ルッカがエアガンの引き金に指をかけて、マールが背中から弓を取り出す。
 一つ目メカの瞳がギラッ、と光り、俺たちにダッシュをかけてくる……その時だった。


「待チナ!」


「ア、アニキ! ウホッ!」


 一陣の風がメカと俺たちの周囲を駆け抜けて、たまらず目を閉じる。……目を開けるとそこには今までに見たことが無かった三輪車みたいな形のロボットが妙に格好つけて俺たちを見据えていた。ウホッてなにさ。
 二の足にホイールの付いた形から驚くような速さで人型になり立ち上がったそいつは頭髪を逆立てて、シャープなサングラスを掛け、腰の部分に煙の出る筒をつけた男……筒とそこから出る煙を無視すれば、人間だと言われても信じそうな外見のロボットに無骨な一つ目メカが敬意を払っていた。


「俺ノ名ハジョニー。コイツラノ頭ダ。テメエラムコウノ大陸ニ行キタイノカ? ソレナラコノ先ノハイウェイ跡デ勝負シナ……俺ニ勝テタラトオシテヤルヨ……ソコノ『ジェットバイク』ヲ使ワセテヤル」


 使ワセテヤルも何もこれお前らのものじゃないだろーが、ドンの所有物なんだよ。何で不良って拾ったものは自分のものだと思うのか。道徳の時間寝てたからか。俺もだ。
 しかし、勝負だと? あれか? レース勝負ってことか? 面倒くさいなあ、ここで戦ったほうが話が早いんじゃないか? ……駄目だ、こいつらの頭ってことは強いに決まってる。俺は怪我をせずに生きていきたい平和主義者なんだ。


「勝負? いいわよかかってらっしゃい!」


 出たよルッカの勝負好き。こいつ幼稚園くらいの女の子とドッチボールしてもおもくそ顔面にボール投げるからね。なんでこいつが町で人気があるのか分からん。そして何で俺が嫌われるのか分からん。不条理こそ抗えぬ現実だ。


 楽しそー! とマールが喜んでいる中、俺はジョニーにバイクの運転の仕方を教えてもらった。「これな……こうすんねん」と教えてくれるジョニーには感謝ではなく、お前普通に喋れるんかいという想い、素だと結構おとなしい声なんだというちょっとした失望だった。






「ゴールラインハズット先ニアル青イテープガ目印ダ! 一緒ニ風ニナロウゼベイベー!」


 スタートラインでスタンバイし、ジョニーの合図でグリップを廻し、加速した。スタートはやや俺が遅れたか。練習無しにしてはよく出来たほうだな。
 テクニックは圧倒的に俺が劣るが、期待の性能は俺のジェットバイクに分がある。しかし、直線の多いこのレース場で勝負を仕掛けたということは、ジョニーは自分の足に相当の自信があるようだ。
 直線で差を縮めていくが、レース中にあるコーナーで一気に離される。こちらが三人乗りというハンデを無視しても、そのコーナーリングは素晴らしい。あんた鈴鹿にでも行けばいいじゃない。参加できるかどうかは別としても。


「ク、ク、クロノ! もうちょっとスピード落として! マールもはしゃいで動かないで!」


「いや無理だって、ここでスピード落としたら絶対追いつけないぜ?」


「わー涼しい! 楽しーい! 風の上に乗ってるみたいだね!」


 ちなみに運転しているのが俺、俺に捕まってるのがマール。最後尾にルッカという乗り方である。俺が運転するのは決定だったが、俺に捕まるのが誰かで二人が揉めていた。マールが後ろだと前の景色が見えないから嫌だと言っていたのでそういう理由だろう。
 あれだけ勝負に乗り気だったくせに、ルッカは何気にスピード恐怖症だったのか、自分が捕まってるマールがふらふら動いたり立ったりを繰り返すからか、恐怖で声が震えていた。マールはスピード狂、と。とはいえ、俺も同じ部類かもしれない、この風を切って走るこの感覚はやみつきになるかも……いやもうなってるな。下手したら今まで生きてきて一番楽しいかもしれない。
 バイクかー、現代に帰ったらルッカ作ってくれないかな? そんな風に、俺は初めての体験に浮かれていた……そして悲劇は起こったのだ。


 ジョニーと俺のレースも中盤に入った頃だろう、ジョニーが俺の方を見てヤバイですよみたいな顔をしていた。何だ? ガソリンでも切れたのか? お前が燃料で動いてるとは思えないが。


「ね、ねえ、クロノ……」


「ああ!? 風の音でよく聞こえないよ! もうちょっと大きな声で喋ってくれマール!」


 何事かを伝えようとマールが俺に話しかけるが、声が小さすぎて何も聞こえない。怒鳴るくらいじゃないと風の音が邪魔をして届かないのだ。


「……ルッカが……落ちた。ぽてっ、て」


「………………全然聞こえないや、風の奴、今度叱ってやらないと」


「へ、ヘイブラザー。ユーノオ仲間ノハニー、遠ク後ロデ転ガッテ……」


「聞こえねー! 今俺が何か音を拾うとしたら世界破滅のラッパくらいのもんだぜはっはー! あー、バイク楽しいなっ!」


 無理やりテンションを上げて叫ぶ。良いね! このハングオンがまた良いぜ! もう本当に! ハングオンとかよく分からんけどっ!


「ク、クロノのせいだよね、私悪くないよね、うん。クロノが悪いで判決完了」


「いやいやマールがぶんすか動くからじゃんか! 何責任転嫁してんだよ!」


「全然聞こえてるじゃん! それに私ぶんすか動いてないよ! ぴょんぴょん跳ねただけだもん!」


 バイクの運転中に跳ねるな! そりゃあルッカも落ちるわ!


「……ヘイブラザー、ユーノオ仲間ノハニー……何カ凄イスピードデ走ッテキテナイカ……?」


 ……え? ちょっと待って、ジョニーお前何言って……


「「追いかけてきてるー!!!」」


 体中砂だらけで服が所々破れているルッカが背中にブースターのようなものを背負いそこからロケットみたいに火を噴きながら前傾姿勢で走ってくる。もうお前なんでもありだな。そしてお前の鞄なんでも入ってるんだな。どうみてもそのブースター鞄に入る大きさじゃないけど、それはどこの狸に貰ったのか。
 青いハリネズミみたいな速さで俺たちとの距離を詰めてくるルッカ。正に音速(ソニック)。


「謝れ! ルッカに謝れマール! もしくはバイクから飛び降りてルッカの足止めをしろ!」


「私悪くないもん! ていうか私が悪いとしても私が悪いと認めたら私が殺されるから私のために私は逃げることをお勧めするわっ!」


「私私って我が強過ぎるだろ! どんだけ自己アピールしたいんだよ! 最近の中高生か! そして自己防衛本能旺盛過ぎる! 人に迷惑が掛かる前にちゃんと謝ることはしろ! 誰に迷惑が掛かるって間違いなく俺なんだから!」


「…………ヘイブラザー、ユーノオ仲間ノバケモノ……俺ノ見間違イカモシレナイガ……何カ飛ンデナイカ?」


 おいおいジョニー。人は翼を持ちたいと願うけれど、何故願うか知ってるか? 人は飛べないから翼を望むのであって……


 バックミラーで背後を伺うと、ルッカが両手を腰に当てて頭を前に突き出しながら飛んでいた。


「「舞空術だーっ!!!」」


 さっきといい今といい、俺とマールの奇跡のシンクロ。シンクロ率が高いのは俺とマールなのに暴走してるのはルッカという皮肉。


「マール、後ろの、後ろの悪鬼をその弓で撃て! そして討て!」


「嫌だよそうしたら完全に標的が『マール』になるもん! それなら今の見敵必殺モードの方がまだマシだよ!」


 くそっ! 騙された! 今まで元気いっぱいで天然の入ってる可愛く優しい女の子だと思ってたが違った! マールの奴は筋肉たっぷり空気の読めない根性が醜い汚い女だった! この売女が!


「お前は女だから顔面陥没くらいで許される! 俺は男だから冥府の奥底に叩き込まれるのは間違いないんだ! さながらキャンサーとピスケスのように!」


「顔面陥没なら大丈夫とか、女の子に言う言葉じゃないよ! クロノなら冥府からでも生き返られるでしょ! さながらフェニックスのように!」


 俺たちが言い合っている間にもルッカはぐんぐん近づいてくる。もうマールと話している余裕は無い……ただ、前を向いてアクセルを握り締めるのみ!
 ジェットバイクの最高速度を出してルッカからの逃亡を試みる。死ねぬ、俺はまだ、生きていたいんだ!
 冷静になれ、冷静になれ、と頭の中で念じていると後ろから「ひっ!」というマールの短い悲鳴が聞こえた。「どうした?」と問おうとすると、世にも恐ろしい笑顔でルッカがマールの肩を掴んでいた。……冷静? なれるかどあほう!


「うおぉぉぉおおぉぉお!!!」


 ジョニーに教えてもらったジェットバイクの機能、ターボを使い、ルッカとの距離を離す。体が引きちぎられるほどの風圧を耐えて、空気の壁を越えて、音の壁を追い抜く。
 何も言わずにターボを行ったのでマールが途中で後ろに飛ばされたが、大丈夫、無問題。むしろ軽くなって有難い限りだ。今度線香でも上げてやるさ。


「ハーッハッハッハ!! マールという重りを捨て、俺は風となった! 俺を捕まえることは例え神とて不可能! 何故? 俺は今生きている! ああ、ああ、生きているということは何故こんなに嬉しいんだ! どうして大地は暖かいんだ!? ハレルヤ! グローリー! デウス! ハレルヤアンドマリア!」


「……テンションノ上ガッテイルトコロ悪イガ……ソレデ良イノカ? ブラザー……」


「ジョニーよ、メカのお前には分からないかもしれないが俺たち人間は生存本能というものがあってな? 俺はそれに従っただけだ。そしてルッカという俺の命を脅かすものから逃げるために俺は最善の行動を行った! 誰にも、それこそ神にも俺を罰する権利など無い!」


「ソ、ソウカ。シカシマア、コレデヨウヤクマトモナレースガデキルナ! 何処マデモ走リヌケヨウゼベイベー!」


「ああ! 俺とお前で地平線の果てまで……」


 ジョニーの顔を見ようと左を向いた時、低く飛びながらマールを肩車しているルッカの姿。上に乗ったマールは今までに無い程冷たい顔で俺に弓の照準を合わせていた。


「「フュージョンなさったー!!!」」


 俺とジョニーの叫びは遠く、アリスドームの人々にも届き、今年の流行語大賞は『元気』か『フュージョン』で揉めに揉めたそうな……










 星は夢を見る必要は無い
 第十話 永劫の闇の中から世界を救えと神から啓示を賜った彼の名前は












 ジョニーとのレースはどっちが勝ったかという枠を越えて、ゴールラインを過ぎ去り32号廃墟を出たところで、俺が捕まりその幕を閉じた。
 俺は有難いことにロープでジェットバイクと結び引き回しされながらマールの弓を避けるという優しい罰ですんだ。勿論終わってもマールの治療はされない。おや? もしかして俺の右腕折れてない? 動かそうとすると凄い痛むんだけど、これ気のせい?


「生キテレバイイコトガアル、ソウ思ッテレバ願イハ叶ウサ……頑張リナ、ブラザー」


 別れ際のジョニーの言葉を胸に、俺は二人の鬼の後ろを歩いている。後ろから首を跳ね飛ばしたら俺はこの先幸せに生きることが出来るんじゃないか? ……落ち着けよ俺、勝てるもんか勝てないもんか、心でなく魂が知ってるじゃないか……



 それから特に問題も無く無事プロメテドームに到着した俺たちは中にいたロボットを鼻歌交じりにぶっ壊す。鼻歌を歌っていたのは、マールだ。最近この子のキャラが分からない。
 中で見つけたエナ・ボックスに入り(何処にでもあるのな、この便利マシン)右腕を治療する。治療中、敵にやられるダメージよりも仲間にやられるダメージの方がでかいんじゃないかなと黄昏てしまう。
 そこから先に進むと、奥に扉があり、通せんぼするみたいに扉の前でやけに大きなロボットが座り込んでいるのを発見する。刀を抜いて警戒しながら近づくも、そのロボットは沈黙したままだった。


「な、何これ?」


「壊れてるみたい……けど凄い、完全な人型のロボット…………これ、直せるかもしれないわ」


 まじまじと見つめていたルッカが、急に頭の悪いことを言い出した。いやいや、意味無いし、さっさとゲートを探そうぜ? お前はどうか知らんが、俺の胃はさっきのエナ・ボックスの治療で暴れだしてんだよ、お腹と背中がくっつくを越えて重なりそうな気分なんだよ。


「え? ……直すって、また他のロボットたちみたいに襲ってきちゃうよ!」


「勘弁してくれよ、こんな所でも自分の能力を自慢しようとするの。そういうルッカの自慢癖にはもう食傷気味なんだから」


 次の瞬間俺の顔が凹む。何故俺だけ殴られる。


「そうしないように直すの。ロボットたちは自分の意思で襲ってきてるんじゃないのよ……人間がそういう風に作ったの。ロボットたちの心をね……」


「……ルッカにはロボットの心が分かるんだね……」


 ルッカの言葉に心なしか感動しているマール。
 ……でも、ルッカは機械が嫌いなはずだろ? なんで一々直してやったりするんだよ。
 俺の目を見て、ルッカが首を振って否定を示す。流石幼馴染、言いたいことは目を見れば分かるってか。


「私は確かに機械は嫌い。でも、その私が機械を使って誰かの役に立たせることが出来るなら、それは贖罪になるんじゃないかなって思うの」


「……ルッカがそう思うなら、俺は反対しないよ、そのロボットを直すことに、さ」


 マールが何の話か分からず目を丸くして俺たちを見ている。わざわざ聞かせるような話じゃないし、これでこの場は終わりだ。俺はその場で座り込み、ルッカは鞄や服の裏から修理用の工具を取り出し壊れたロボットの近くに座った。


「じゃあ、とりかかるわ」





 二時間程経って、ルッカは額から汗を流しながらまだ修理に集中している。ルッカが決めたことに口を挟む気は無かったが、ロボットの状態よりも俺の腹具合を気にして欲しい。もうそろそろひもじさで泣きそうなんだ。というか数回泣いた。その度にマールが頭を撫でてくれた。その度にルッカの手元から破壊音が聞こえた。お前確かそのロボットを直すんだよな?


「扉、開かないみたい」


 暇をもてあましたマールがぽつりとこぼして、ルッカの修理音しか聞こえなくなる。ごめんなマール、相手してやりたいけど、俺もう動けないし喋れないや。今はカロリーを一切消費したくない。


「うーん、おかしいわね……」


「? どうしたのルッカ?」


 難しそうに唸るルッカに、マールが話しかける。珍しいな、ルッカが何かの修理中に行き詰るなんて。ルッカと言えど、流石に未来の技術は理解できないか?


「このロボットなんだけど、中央部分に溶接された鉄で囲まれた部分があるの。どうしてもその中が覗けなくて……まるでこの形状、中に人が入るためのような……それをこの外側の機械で保護しているみたいな……」


「うーん、よく分からないけど、直せないの?」


「動かすことは出来ると思うけど、うーん……」


「とりあえずやるだけやってみたら? 分からないことは後回しにしちゃって」


 楽天的なマールの言葉に頷き、ルッカは六角レンチを握り再度修理を再開する。未来でも六角レンチは使うのか、知らなくても良かったけど、ちょっとしたトリビアにはなった。
 ……早くしてくれよルッカ、俺、もうその六角レンチが食べ物に見えてきた。フランクフルトに見えてきた。もう六角レンチでもいいからそれ食べちゃ駄目かな? 駄目だろうな……
 幻覚が見え始めた俺の限界は、もうすぐそこだった。




「……これでよし! 動かすわよ!」


 それからさらに一時間、ルッカが汗を拭いながら修理完了を教えてくれる。マールはワクワクして見ているが、正直俺はどうでもいい。いっその事息もしたくないくらいダルイ。


 ルッカが背中のボタンを押すと、ロボットが痙攣を始めて、体から電流が走り、目の部分に光が点った。
 座った上体から勢い良く立ち上がり、両手を上げてぐるぐる回りながら部屋の中をうろつき始める。……本当に直ったのかそのぽんこつ。
 しばらくロボットの様子を見ていると、脈絡無く奇怪な動きが止まり、その場に立ち尽くす。


「お……おはよう!」


 ロボットにおはようって、別に良いんだけど、やっぱりずれてるよなマールって。
 ビビッ! と目玉が光り、マールの方を向いておじぎをするロボット。


「お……おはようゴザイマス、ご主人様、ご命令を」


「私はご主人様じゃなくて、マール! それにクロノと、貴方を直したルッカよ!」


 俺とルッカを手を伸ばして紹介するマール。にしても凄いなルッカ、本当に未来の技術で作られたロボットを碌な道具も無く修理したのか。 現代の大臣とはえらい差だな。


「了解シマシタ。ワタシを直して下さったのはルッカ様ですね?」


 そう言ってルッカにも頭を下げるロボット。おいそこのぽんこつ、俺には挨拶も無しかい。


「ルッカでいいのよ」


「そんな失礼なことはデキマセン」


「様付けで呼ぶ方が失礼な時もあるのよ。ねえマール?」


 えへへ、と照れくさそうに笑うマール。いやだからさ、俺のことは無視なのかよ?


「了解シマシタ、ルッカ」


 以外に素直なんだな、俺をシカトする所以外はまともそうな奴に見える。本当に、俺を無視する以外は。いい加減にしないと、起きたばかりでまた眠ってもらうことになるぞこの野郎。


「よーし、で、貴方の名前は?」


「名前? 開発コードの事デスネ。R66-Yデス」


「R66-Yか……イカスじゃない!」


「えー? ダメよそんな可愛くないの! ね、クロノ。もっといい名前、つけてあげようよ! 何がいいかしら?」


「スクラップでいいんじゃないか? もしくはげろしゃぶとか」


 俺の目を見ようともしない失礼な奴にまともな名前なんかつけてやるもんか。捨てちまえそんな動く粗大ごみ。
 吐き捨てるように呟いた言葉を聞いたそのロボットは右腕を俺に向けて、その右腕から火花をとばし俺にパンチを発射した。すこぶる痛いっ!


「申し訳アリマセン、そこのお方から敵性を感知シマシタ」


 感知シマシタじゃねえ、ちょっとカッコいい能力なのに、無駄に俺を標的にするなくそが! あ、目を光らせて俺に腕を向けないでください。ちゃんと考えますから、ね?


「……ロボットだからロボ、なんてどうかな? ……あああ安易ですよね! ちゃんと考えるからその物騒な右腕を俺に向けないで……」


「ロボ……ロボか! 悪くないね!」


「エエ、ワタシも大変気に入りマシタ」


 いいか、お前が俺に対して注意を外したときがお前の最後だ鉄クズ……!!
 俺が必殺の誓いを立てていると、今まで黙っていたルッカが、組んでいた腕を外してくそったれメカに話しかける。


「ねえロボ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


「……コレは、どうしたのデショウ? このプロメテドームには多くの人間やワタシの仲間がいたはずデスガ……」


 ルッカの質問には答えず、ロボは周囲を見渡して呆然とした声を出す。まあ機械的な声だから呆然としてるかどうかはっきりとは分からないけど。


「言いにくいんだけど……ロボ、貴方が倒れている間に、ここにいた人たちは、もう……」


「……ソウデスカ……では、アナタ方は何故ここに?」


 それから、マールとルッカが交代しながら今までの経緯を話した。喋りたくないから別にいいんだけど、俺にも話す機会を与えてもいいんじゃないか? ロボとのコミュニケーションが殴られただけって、バイオレンスな関係にも程がある。とりあえず仲間としてカテゴリーはされない。


「ふむ、現代に帰りたいけれど、この扉が動かないので立ち往生していると……」


 言いながらロボは扉の前に立ち、扉を押したり引いたり叩いたり蹴ったり爆発させたり(爆発?)したが、一向に開く気配は無かった。


「どうやら、ココの電源は完全に死んでしまっているようデスネ。北にある工場に行けばここに連動する非常電源がありマス。ワタシなら工場のセキュリティを解除できマス」


「ホントー?」


「修理して下さったのデス。今度はワタシがお役に立ちマショウ。しかし、いつまで非常電源が持つかワカリマセンので、ドナタかここに残って、電源が入ったらすぐにドアを開けないと……」


 胸を叩いて頼もしさアピールをするマメなロボット。いやに人間臭いな、本当にロボットか?
 ……にしても誰が残るかだと? 今の全員の状態を見ろ、俺が残るしか選択肢が無えだろうがボケ。


「じゃあ私かマールが残るわ。どっちが残るべきか決めてクロノ」


「何でだよ!? どう考えても俺が残るべきだろーが! もう一歩も動きたくねえんだよ!」


「何言ってんのよ、工場にはきっと暴走したロボットもいるでしょうし、男のあんたが行かないでどうすんの」


「ふざけろ! ルッカもマールもゴリラ並に、いやそれ以上に強いんだから女とか、いやメスだからとかが理由になるかこの筋肉おん」


 結局もう一度エナ・ボックスを使った後俺とルッカとロボが工場に行くこととなった。ねえねえ、脳みそ耳から出てない? マールのこめかみパンチではみ出した気がするんだ、後俺の名前クロノで合ってる? 微妙に自信ないんだが。


 ルッカを選んだ理由として、機械関連に強いルッカがいた方が工場でも役に立つかな? という理由だった。俺が行く理由はあれだよ、か弱い女の子だけを危険に晒す訳にはいかないからだよ。そう言わないと俺が死ぬからとかそういうワイルドな理由じゃないんだよ。








「へえ、これが工場跡……人間がいなくなっても作動しているなんて、ここはまだ電源が生きてるってことね」


 工場跡の中は電気が付いていて明るかった。空気も空気清浄作用が働いているためか、清清しく、久しぶりに深呼吸ができる。床の色は淡い肌色、天井にはクレーンが置かれ、忙しなく動きコンテナ等を運んでいる。少し奥に入っていけば、前や後ろに動く床があり、ルッカがそれを見て「ベルトコンベアって言うのよ」と説明してくれた。これの用途は主に荷物や機材を運ぶために使われるらしい。未来とは俺の予測も付かない程進んだ技術が開発されてるんだな。


「何言ってるのよ、ベルトコンベアなんて私の家にも実装されてるわよ?」


「……お前の家ってやっぱり22世紀のロボットが住んでるだろ? でなきゃ説明つかねえぞ、それとも俺の想像以上にお前とタバンさんは凄い奴なのか?」


「私と父さんが凄いのよ、あんたじゃ想像もできないくらいにね……あれ、赤外線バリアがある。ロボ、これ解除出来る?」


「お任せ下さい。この機械にパスコードを入力スレバ、バリアは解除できマス」


 アリスドームの地下にあったような機械を動かして、目の前の画面に見たこともない文字が並んでいく。少しの時間でロボは赤外線バリアとやらを消すことに成功した。


「セキュリティシステム00アンロックシマシタ」


 中々やるじゃねえか、とロボに声を掛けようとすると、頭上から何か見たこともないゲル状の生き物が落ちてきた。頭の上に落ちてきたそれを振り払い、刀で切りかかるが、硬すぎて刀にヒビが入った。嘘だろ、巨大ロボですら切り裂ける切れ味なのに!


「コイツらはアシッド! 並の武器では歯が立ちマセン! ワタシに任せて下さい!」


 前に出るロボの背中がひどく頼もしく見える! 頼むぜロボ! さっきまで腐り落ちろとか思ってたけど、それについては謝るぜ!


「行きマスヨ! 回転レーザー!!」


 ロボの体から全方位に向けたレーザーが放たれて、周りの床、壁、天井に一筋の線を作り出す! ……ていうか、これ俺たちも危なくね?


「「うわわわわあぁぁ!!!」」


 俺とルッカが転がって、または跳んでそのレーザーの束を避ける。なんかこれバイオハ○ードの映画でこんなのあったぞ! てか止めろこのスクラップ以下の鉄屑そして役立たず! アシッドとやらには全然当たってねえじゃねえか! ずっとニヤニヤ笑ってこっちを見てるぞ! 見世物扱いだ!


 ルッカが鎮静用のハンマーを投げてロボを止めた後、苦戦したが俺とルッカの長期戦でアシッドを倒した。やばいな、白銀剣の刃こぼれが凄い、後何回戦闘に耐えれるか……
 にしても、問題はロボだ。ここまで戦闘に使えないとは……
 それからバリアを越えて先に進むと、エレベーターという階を移動する機械があり、それを使って工場の中にあるだろう非常電源を付ける場所を探した。
 それからもロボの馬鹿は色々とやってくれた。レーザーが当たらないだけでなく、近づいてパンチするもそれがミスるミスる。酷いときなんか戦闘中俺にパンチをかました時もあった。何で俺にはパンチが当たるんだよ。
 他にもマールのように治癒効果がある光を出せる、と胸を張って言うので、俺に使用させると光に当たった右手を火傷した。途中の宝箱でミドルポーションを見つけていたから良かったものの、こいつに何かやらせると悪いことしか起こらないというのは明確になった。
 しかし、ここに来て悪いことばかりではなかった。モンスターとの戦闘で今まで使っていた白銀剣が折れてしまったのだが、新しく雷鳴剣という刃に電流がほとばしる剣を手に入れたのだ。さらにルッカの使えそうなプラズマガンという強力な銃を見つけたことで、ルッカの攻撃力が跳ね上がった。今まで敵の気を逸らす程度のことしか出来なかったルッカが一撃必殺の活躍を見せることになり、ルッカが喜んでいた。
 ああ、ロボも新しい武器を手に入れたんだが、その凶悪な攻撃は俺にしか当たらなかったので俺の判断で捨てた。常時メダパニのかかったお前に武器を持たせては駄目なんだ。馬鹿に刃物を持たせてはいけない。
 マールの使えそうな武器もあったのだが、ロボに「戦闘が不得意なら、荷物持ちくらいやれ」と俺が持たせて十歩も歩かないうちに落として壊しやがった。なあなあお前何が出来るの? どんなことなら人並にこなせるの? ロボットの癖にその不器用さはなんなのさ?
 ロボが役に立ったのは道を遮る防護システムを解除するだけだった。いつも中途半端に失敗してモンスターを出現させるのはもういい。お前ならそんなもんだろ。







「はあ、はあ、はあ……」


「オオ! ココです! ココで非常電源を付ける事が出来マス!」


「な、長かったわね……特に戦闘が中々上手くいかなくて、随分苦戦したわ……」


「ルッカ、お前本当にちゃんと直したのか? あいつ、役に立たないどころか俺たちの足、むしろ体全体を引っ張ってたぞ……」


 自信無いかも……と少し意気消沈しているルッカ。可哀想だが、少しくらい当たらせてくれ、一番被害を被ったのは俺なんだから。ああ、まだあいつに後ろから殴られた背中が痛む。あいつ実は俺を殺そうとしてるんじゃないかと思ったことは一度や二度ではない。戦闘の度に感じたものだ。工場を制覇する頃には俺は敵よりもロボに注意を向けていた。何がムカつくってロボは敵の攻撃は避けないくせに俺がキレて切りかかったら素晴らしいカウンターを見せるところだ。
 ロボが大きな柱に組み込まれたパスコード入力装置を操作している間、俺とルッカは後ろに立って肩で息をしていた。ルッカの奴、自分で直したから怒ってないが、ロボが人間だったら銃を乱射してるぞ、絶対。


 壁にもたれて座っていると、壁から点灯ランプが飛び出してきて、赤い光が点りサイレンが鳴り始める。……おいおいまさか、こんな最後の場面でも失敗するなんてことは……


「非常事態デス! セキュリティが暴走してマス! 早く脱出しなくテハ!」


 あ、やっぱり? もう驚かないよ俺。期待して無いと腹も立たないや。ただ、お前と話すのはもう嫌だ、知ってるか? 好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんだぜ。


 ロボを置いて俺とルッカは来た道を走って入り口を目指す。ロボの奴逃げ遅れてくれないかな、そしたら俺家に帰った時とっておきのシャンパンを開けるぜ。


 逃げている間も隔壁が閉まっていき俺たちの退路を防ごうとする。
 俺とルッカが最後の隔壁を閉まる前に抜けて、ほっと一息。ルッカはまだ逃げ切れていないロボを急かしているが、俺はもう来なくていいよアイツ、閉じ込められるか壁に潰されればいいんだ、と暗い念を送る。
 すると、願いが通じてロボが最後の隔壁に挟まれて心の中でソーラン節を踊っていると、ロボが奇妙な動きで脱出する。こいつ俺を攻撃する時と自分を助ける時には良い動きするね。よくいるんだ、こういう人を陥れる時や保身のためなら火事場のくそ力を発揮する奴。


「サア、早くココから脱出しましょう!」


「ええ! 急ぐわよクロノ!」


「ああ……ちっ」


 誰にも聞こえないように舌打ちをかまして、ルッカたちの後ろを走る。この流れだとこれから先もロボと旅するんだろうな……嫌だなあ、ポンコツと旅するの。俺のたんこぶがどれだけ増えるか分かったもんじゃない。


 赤い光に包まれた廊下を走りぬけ、エレベーターが使えないので非常用の梯子を使い脱出を目指す。もう大分入り口に近づいたな、モンスターも暴走したロボットもいないし、無事逃げられるか? と気を抜いていたときだった。
 床下から点滅した光を放つ廊下を走っているとき、左の壁にあるダストシュートに似た形の穴から、ロボの全身がカーキ色というのに対し、全身青い色という相違点はあれど、他はロボとそっくりのロボットが六体落ちてきた。……うわ、こいつと同類の機械? じゃあ全部馬鹿なんだろうな。


「オ…………オオ。皆ワタシの仲間デス! R-64Y,R-67Y,R-69Y! 生きていたのか、良かった!」


 近づいて握手を求め右手を差し出すロボ。エセロボたちは自分からは近づかずに、差し出されて手を見つめて、次の瞬間鉄の腕を振りかぶりロボの頭部を殴りつけた。隣でルッカが悲鳴を上げてるけど、エセロボA!展開は分からんがよくやった! 感動した!


「な……何を……」


 殴られて倒れたロボは困惑した声を上げて、エセロボAを見る。きっとお前は友達だと思ってか知らんが相手はそうじゃなかったんだよ。よくあることさ、もう一回殴られて俺の溜飲を下げろ。


「ケッカンヒンメ、オマエナドナカマデハナイ」


「……!? ケッカンヒン……」


 エセロボが実に正しいことをロボに言い放つ。ロボ、驚いてるけどさ、俺も全く同じ意見だ。あれだけドジこかれたらフォローできんよ。


「ソウダ、ケッカンヒンダ」


「ケッカンヒン……ワタシは……ケッカンヒン……」


 ロボが頭を押さえて苦悩している。欠陥品って、あいつらそれでも大分優しい言い方してると思うぜ? だってお前を形容する的確な言葉っつーか悪口、もう俺の頭では思いつかないもん。


「ワレワレノ、ニンムヲワスレタノカ? コノコウジョウニフホウシンニュウスルモノハマッサツスルノダ!」


「!! ワタシはそんな事をする為に作られたと?」


「キエロ、ワレワレノツラヨゴシメ!」


 エセロボが言い終わると、全員のエセロボたちがロボにリンチを始める。殴る、蹴る、体当たり、ジャイアントスイング、パイルドライバー、みちのくドライバー。バリエーション豊かだな、こいつらプロレス好きか?


「あ、あんた達ー!!」


 その光景を見てルッカがキレてプラズマガンをエセロボたちに向ける。
 だが、その引き金が引かれる前に、ロボ自身からの制止の言葉が飛ぶ。


「やめて下さい……このロボット、私の仲間デス……」


 ……おい、何で助けを求めないんだよお前。あれだけ戦闘ができないくせに、これだけボコボコにされてるくせに……
 バキバキと部品が飛ばされ、鉄の体に傷やへこみ、さらには腕や足が飛んでも、ロボは自分の仲間へ攻撃することを許さなかった。その仲間たちから壊されようとしているのに。
 頭部の右半分はひしゃげて、右目の部分から赤い眼球が床に転げ落ちた。胴体の部品もぼろぼろ床に飛び散り、飛ばされていない左足もなんとかくっついているが、それも時間の問題に見えた。
 ……確かに……確かにロボにはムカついてるし、二、三発殴り飛ばされるなら良い薬とも思ってたが……


「これは、やり過ぎだろうが……!」


 仲間と言えるほどロボが活躍したわけじゃない。足を引っ張ったし、ロボのせいでモンスターに見つかったのは数え切れない。
 腹が立つし、右腕を焼かれたりしたけれど、かつての仲間達にここまでやられる程か? これだけ仲間を思ってるのに、その仲間達に体を破壊されるのは、一体どういう気分なんだろうか……?


「クロノ……私、もう我慢できない……出来ないよ……ロボが、ロボが壊されちゃうよぉ……」


「……俺もだルッカ、これはお仕置きにしても度が過ぎる、行くぞルッカ! 後でロボに恨まれようが関係無え! 全部ぶっ壊してやる!」


 俺は雷鳴剣を鞘から抜き、ルッカはプラズマガンの狙いをつける。
 一太刀目でまず一体、そのままの勢いで二体、それから先は……そのとき考える!!


 腰を落として走り出すために後ろ足に力を込めて、目標をエセロボの一人につける。まずは……テメエからだ!


 ドカッ!!!


 ……え? 俺、まだ何もしてないよ?


 ロボを袋にしていたエセロボたちが四方に飛ばされて、壁に叩きつけられる。ルッカが何かしたのかと振り返れば、ルッカは目を見開いてロボが倒れている場所に視線を注いでいる。
 ──そう、ロボが倒れている筈の空間に。


「どうやら、少し調子に乗ったみたいだね、君たち……それも、、僕が永劫の闇の中から神の啓示を賜った闇と光の力を併せ持つ選ばれたエデンの戦士とは知らなかったからだろうけど……」


 ロボの体から、小学生くらいの、銀の髪をたなびかせ、右手で左目を隠した男の子が立っていた。






 ────このロボットなんだけど、中央部分に溶接された鉄で囲まれた部分があるの。どうしてもその中が覗けなくて……まるでこの形状、中に人が入るためのような……それをこの外側の機械で保護しているみたいな……────





「……まさか、本当に人が入ってたのか? 人間がいた頃から、ずっとロボの体の中に……?」


 俺の声を聞いて、ロボの体から出てきた男の子は首を曲げて俺の方を向く。
 瞳の色は深い青色、顔の造詣は女と間違えそうな、美少年を体現したルックスだった。


「違うよ、僕は人間じゃない。デウス・エクス・マキナに選ばれたアンドロイドだよ、このボロボロになった機械は僕の強すぎる力を抑えるための、枷のようなものさ。……こうでもしないと、僕の力は世界に与える影響が強すぎる……全く、自分の力ながらに恐怖するよ、流石神に選ばれた、いや、選ばれてしまっただけのことはあるね……ふふ、悲しい宿命だよ……」


 ……やばいぞ、こいつの力量もロボの体に入っていた経緯も話し方や雰囲気が違う理由もさっぱり分からないが……一つ分かったことがある。隣で口を開けたまま動かないルッカもきっと共通の意識を持っている筈だ、証拠に、俺と同じようにいきなり出てきた少年を指差している。


「ちなみに、僕の左目には邪気が封印されている。正式な名称は邪気眼って言うんだけどね……」


 もう間違いない。おかしな単語の用い方、頭の悪いその台詞……こいつは、このガキは……


「「中二病だーっ!!」」


 俺とルッカの渾身の叫びは遥か遠くプロメテドームまで届き、ドアを開けた後寝ぼけて船を漕いでいたマールを起こし「たっ! 食べてないよ! ちゃんとクロノの分も残してあるよっ!?」という微笑ましい寝言を呟かせたという……



[20619] 星は夢を見る必要はない第十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:26
「エターナリティー・エンシェントレクイエムブラスター!!」


 ロボの体から出てきた中二の少年が『ぼくのかんがえたひっさつわざ』を叫び、右手と左手を交差させながら青いレーザーを縦横無尽に走らせる。その光線は倒れていたエセロボ三体をバラバラの鉄屑に変えて、左手で前髪を掴み、「辛いね……僕の力に耐え得る存在が神以外にいないというのは……僕の本気が発揮できるのは、幾億年経とうと無いというわけか……あの最終戦争、ラグナロクが懐かしいよ、まああの頃は僕もエインヘリャルの尖兵でしかなかったんだけど……」とか戯言を口にしながら自分に酔っていた。未成年の飲酒は禁止されています。


「アンドロイドダト、バカナ、イママデソノヨウナソブリハミセテイナカッタ!」


「当然さ、その為にあの鉄の枷を体に纏っていたんだから。つまり君たちが壊してくれたあのボディは僕の力を封じ込めるだけでなく、偽装としての意味もあったんだね。僕くらいの洞察力がないと見破れないから、恥じることは無いよ」


 一々ムカつく言動の少年の言っていることはさっぱり分からない。あくまでムカつくということしか。
 残る三体のエセロボが少年を軸に三対に並び、同時に襲い掛かる。しかし、少年が「俊雷・ソメイヨシノ!」とまた頭の悪い技名を声に出すと、コンマ一秒以下で逆さに天井から立っていた。……よく分からんが、その技名なのかなんなのかは一々言わなければならんのか? ぶっちゃけ聞いてるこっちも恥ずかしいんだが。


「釈迦に会ったら言っておきなよ、僕を殺すつもりなら運命程度では覆せない大いなる災厄を持って来いってね。ティータイムがてらに相手してやるからさ」


 カッコいいと思ってるんだろうなあ、俺はお前をカッコいいと思うくらいなら弁護士のピエールのファンになる。いや、絶対。
 痛々しい台詞とは裏腹に、地上に降りる瞬間、少年は真下に立つエセロボたちの一人を踵落としで沈黙させて、次いで右側に立つエセロボに闘牛の如き勢いで肩からぶつかり、廊下の奥にすっ飛ばす。残る一体に後ろから殴りかかられるが、その場でしゃがみこんだ後そのまま逆立ちの要領で空中に飛ばし、ソバットを叩き込む。
 この少年、頭はとことん悪そうだが……強い! この格闘技能、技の破壊力、加速機能に状況判断の的確さ。もしかしたら、中世の王妃以上の戦闘力かもしれない。……最初っからお前が出てたらこの工場楽に突破できたんじゃねえのかよ?


「あれよ、流石私が修理しただけのことはあるわね。納得の戦いぶりだわ」


「じゃああのウザイ性格もお前譲りという風に帰結するが、いいんだな? 吐いた唾は飲み込めないんだぞ」


「……保留にしとくわ」


 ルッカでもあの性格は嫌なんだな、分かるよ。ていうかああいう意味も無くでかい事言う奴が一番嫌いなはずなんだけどな、ルッカは。自分が直したってだけでそれほど愛されるのか、俺もロボットとして生まれてくれば良かった。そうすればもう少し優しく応対してくれるだろうに。


「ふふっ、これで終わりか……虚しいね、戦いは虚しい。強すぎる力はこういった弊害を生む。僕が心から高揚感を得る日は来るのかな? この純然たる魂を開放する日、それが世界を混沌の渦中に飲み込まれる時だと分かっていても、そう望んでしまうのは僕のような選ばれた者故のエゴなのか……」


 尋常じゃなくうっとうしいな、いいからさっさとこっちに来て事の説明をしろよこのなんちゃってボーカロイド。


「ああマスター。紹介が遅れたね。僕の名前は……いや、ロボで良いよ、遠い昔に僕は自分の名前を捨てた、そう、あの日の罪を掻き消すために……」


 こういうミステリアスな過去が人の厚みを増させるのさ、とか演技掛かった台詞を続かせて、ロボが遠くを見る眼でこちらを見る。あれだな、お前は前形態でも現形態でも俺に絡もうとしないな。


 説明を聞く前に一発どついたろ、と前に歩き出す。俺の拳がロボ(で良いんだよな?)に届く前に後ろからエセロボの腕が飛んで来てロボの頭にごづ、と嫌な音を立てて当たる。廊下の奥から仕留め損なったエセロボが腕を飛ばし攻撃したようだ。
 だが、それは脅威にはなりえない。先ほど拝見させてもらったロボの活躍を見た後では当然、何よりかろうじて起動しているだけのエセロボに何が出来るというのか? この糞ガキの戦闘力は53万です……やー、流石に地球破壊はできないだろうけどさ。


「…………ふ、」


「あん?」


「ふえええぇええぇえ!! 痛いよおー!!!」


「うぞぐふうっ!」


 振り向いてまた似合いもしないことを言いながら超スピードで走り出すかと思いきや、この糞ガキ俺の腹に猛スピードで飛び込んできやがった。これは凄い、お前アメフトにでも転向すれば? 俺の腹が受けた衝撃はルッカのボディーブローを超えるぜ? んで、その超加速無駄なことに使うなよ、お前のその技は誰がなんと言おうと皮肉を込めてロボタックルと命名してやる。


「ちょっと、どうしたのよロボ! ……クロノ、これどういうこと?」


「お、れ、が、きき、たい……!!」


 俺の腹に顔をうずめてごりごり押し込んでくるロボを少しでも遠ざけようと頭を両手で押さえて力を込めるが一向に離れる気配が無い。機械の力は世界一を実践するな、俺の腹相手に。


「痛いのやだあ!! 怖いよおおぉぉお!!」


「痛みに過度の恐怖を持っている、と解釈すればいいかしら?」


 役に立たない分析ありがとうルッカ。とりあえずこのガキの頭にプラズマガン撃ちこんでくれない? クロノのライフポイントはとっくに0だよ。


「くそ……ルッカ、とりあえず前にいるエセロボを倒すぞ……いや、悪い倒してくれ」


 俺に纏わり付くショタっ子が邪魔で何も出来そうにない。アンドロイドってもっとカッコいいものだと思っていたよ、映画の見過ぎだと言われようと、こんなキャラでそんなセンセーショナルな存在だなんて納得出来るか!


 各関節から火花を散らしながらもエセロボは果敢に戦ったが、ルッカの必殺技『近づいてハンマー』で完全に沈黙した。必殺技の名前なんぞこれくらいシンプルなのが良いんだよ。


 戦いが終わっても泣き喚くロボをルッカの頼みで俺が背中に背負って、さらには元ロボの残骸も持たされて、プロメテドームまで運ぶ。元ロボの残骸は当然のこと、このしゃっくりを繰り返してるガキだって体格が小さくても重たいんだぞ。ドラ○もんだって確か100キロくらいあったんだからな。いや、流石にロボが100キロの体重だったら俺に持ち上げることなんてできないけどさ。
 ……でもこいつは何で近くにいたルッカじゃなく俺に抱きついたんだ? いやルッカに抱きついてたら一刀両断の刑に処してたけどさ。俺に対して好印象は絶対持ってなかった筈なんだが……あれか? ツンデレという奴か?
 俺という超絶美男子に惚れたのなら、もしかしたらこいつはショタではなくロリなのかもしらんと背中を動かして胸を捜したが、やっぱり無い。男確定。……俺はロリコンでは無いが、ショタ好きの要素なんぞ毛ほども無いからな、そういった告白をかましてきたらこいつの首をねじ切ってくれる。


 これはまあ余談だが、後になってロボ本人に聞いてみると「僕が泣く? ははは、貴方は奴らのモルガナティックファオルダー。通称幻惑の堅牢により幻覚を見たんですよ、ああ、奴らについては聞かないでください。これはあくまで僕が背負うべき業で一般人の貴方には」
 ここで羞恥心の無い十代にすかさず水平チョップ。
「あ、あのね……僕男の子だから、女の人に頼ったらね、は、恥ずかしいからね、だ、だから……ふああん!! 痛いよお!!」
 まあ、見た目にふさわしい可愛い理由だった。ただその後俺の頭をスリーパーホールドをかけているかのように抱きかかえて泣くのは勘弁。それを見たマールが兄が死んでその亡骸を持ち嘆いている少年の絵に見えたと教えてくれた。悪くない興行収入が得られそうだな、その設定なら。






 プロメテドームまでの道中で血を吐き、ルッカはその心配をせずにスイスイ先を歩くというショッキングな出来事があったが、生きてマールの笑顔を見ることが出来た。血を吐いた理由はロボタックルにより肋骨が折れ肺に刺さったことが原因だった。工場内で負った怪我の類は全てロボによるものだった。仲間ってなんですか? 共闘するってどういう事ですか? 家に帰ったら辞書を引いてみよう、きっとこの謎が解けるはずなんだから。
 俺の背中にいるロボを見て驚いたマールが「まさか……クロノが攻めなの!? ……うん、まあ贅沢は言えないよね。良いよ、クロノ」と苦渋の顔で何かしらを許可してくれたが、やっぱり俺に仲間はいない気がする。だってこいつら俺の心に黒髭危機一髪のようにナイフをドスドス刺してくるんだよ? 弱っている時なんかハイエナの如く。


「……それで、さっさと説明しろよ。何でお前はこのロボットに入ってたんだ?」


「良いよ、まあ少し難解ではあるけれどね。まずは僕の過去から話そうか、そもそも僕はとある領主の子供だったんだ。けれどある日大帝ルシフェルが闇の深淵から屈強なヘルビジニア、通称霧の驟雨大隊を引き連れて」


「知ってるか? 俺子供の耳を引きちぎるのが得意なんだ」


「……僕はこの世界でも希少な人間とほぼ同じ感情を持つアンドロイドというロボットなんだ。僕を含めて二体しか現存しない。だから盗賊なんかから僕自身を隠し、守るためにそのボディに入ってたんだよ、だからちぎらないで?」


「なるほどね、まあその辺は工場でも聞いたわ。それで、その機械から出てきた途端貴方の言動や能力が一変したのにはどんな理由があるのかしら?」


「マスター、僕の能力が増加した理由。それはもう知ってるはずだよ? 僕という器に秘められた大いなる力を抑えるため、とね。僕の性格が変わったことについては僕の創造主たるデウス・エクス・マキナが僕の存在を恐れ破動の力を用いて僕という個を消し去ろうと」


「知ってるか? 俺子供の腹に蹴りをかますのが趣味なんだ」


「……僕の能力が増したのはあくまでそのボディは防御用で、速度や攻撃面はあまり重要視されてなかったからなんだ。その点僕は攻撃面速度面を重視された型だから、それを脱ぎ捨てれば防御力は下がるけど、他の面では跳ね上がる。性格が変わるのは僕を作った人が『お前の性格がウザイ』って言って、そのボディに性格矯正機能をつけてたからなんだよ、結構無茶な機能だから、状況把握能力なんかが極端に下がっちゃうのが難点なんだ。だからお腹叩かないで、ポンポン痛いのやだ……」


 常にそういう風に臆病なら俺としても優しくしてやらんではないのに、なんですぐ調子に乗るかなこいつは。それと、言うまでもないが俺にそんな特技や趣味は無い。だから引かないで下さいルッカ。そしてしおらしいロボを見て萌え萌え言うのは止めて下さいマール、どこぞのカエルを思い出すので。


 戦闘中以外は比較的まともだった前ロボに戻すため、ルッカはロボが着ていた(この表現が正しいかは分からないが)壊れたボディを現代に持って帰ることにした。今は道具が足りず修理するには心許ないので、実家に帰り本格的に取り掛かるらしい。


 さて現代に帰るかと仕度を終えて開けたドアの中にあるゲートに入ろうとすると、ロボが俺のズボンを掴んでいた。……やめて、何度も言うけど、俺にその気は無いから、上目遣い止めて、お前見た目だけは凄い可愛く見えるんだから。


「僕は……どうすればいいでしょうか……?」


「……お前の好きなように生きろよ、やりたいこととか無いのか? あればそれに向かって突き進めばいいさ」


「……僕は、できれば皆さんと一緒に行きたいです。皆さんのやることが人間、この星の生命を何処に導いていくのか見届けたい……後一人でいるのはつまらないし、寂しいです……」


 嫌だ御免だ勘弁だいいから離せテメエはこの世界のロボットなんだからこれ以上俺に関わるなぶっちゃけお前と話してると腹が立つし時に危機感を覚えるほらさっさと離せ!
 俺の長い長い罵声を聞いてロボが何か言う前にマールが俺の背中に肘鉄、左頬に裏拳、それは見事なミドルキックという三連動作を流して「一人は寂しいもんね! 一緒に行こう!」とさわやかに言い切ってました。ああそうだよな、念願の半ズボンが似合いそうな男の子だもんな。ホモが嫌いな女の子なんていません! ってどこかの教科書に書かれてるもんな。釘刺しとくけどな、クロノ×ロボなんて永久にこないからなクソが。


 マールの誘いを聞いて物凄く嬉しそうに顔を輝かせた後「僕という世界に抑止力をもたらす存在が時を越える、か。この顛末がいかなる結果を歴史に刻むのか。皆さん安心して下さい、僕達に敵意を向ける生物は全て物言わぬ屍となり自然に還ることでしょう……」とこき出したロボが果てしなくウザイ。どうなのかねこういう自分の空気しか生産しない奴って。


 様々な障害や喜劇に悲劇、まっっったく仲間と思いたくないアンドロイドを連れて、俺たちは未来と別れを告げた。中世といい未来といい、なんでもっと良い気分で別れられないのか、そう思うのは俺だけなのか?










 星は夢を見る必要は無い
 第十一話 魔法特性は自分で選びたかった














 ゲートの闇を抜けて、目を開けばそこは俺たちの予想していた太陽の光はなく、かといって未来のように空気が荒れてはいないし、耳を不快にさせる風切り音も無い。石畳の上に寝ていた体を起こして体に付いた微小な砂を払って立ち上がる。俺たちが倒れていた近くに細長い柱があり、その上に電球がついていて、そこから心許ない光が灯っているが、辺りを見回すにはあまりに弱い光源。近くの暗がりに何か恐ろしい魔物が潜んでいるのではと思い、メンバーに緊張を強いさせる。部屋の中央には幾筋の淡い光の柱が床から伸び、その存在感を知らしめている。光が出ている原理はルッカやロボでも解析できず、またこの場所がどういう場所なのかも分からずじまいだった。


「ここは……まさか、エインギルモアの」


「ロボ黙れ、これ以上喋るならパソコンにインストールするぞ」


 自分でも意味の分からない脅しだったが、ロボの妄言を黙らせることに成功した。ただでさえ状況が分からず混乱してるんだ、そこに訳の分からん具材を入れてさらに引っ掻き回すのはやめろ。


「ねえクロノ、あっちにも道があるよ? ……それに、人の気配も」


 マールの指差した方向に暗くて分かりづらいが細長い道があることを確認した。人の気配? 俺には分からんが……半分王女半分野獣のマールが言うなら間違いないだろう。ホント、常識人が俺しかいない。


 細長い道を進み、西部劇に出てきそうなボロボロのドアを開けると、街灯にもたれながら鼻ちょうちんを出している老人の姿があった。全身黒一色、ダッフルコートに身を包み帽子を顔の上半分を隠すほどに深く被った姿はまあ、控えめに見ても変質者だった。


「スルーしようか、あれは多分近づいたらコートを脱いで恥部を見せ付けるタイプの変態だ。露出狂ってやつだな。気をつけろよマール、お前なんか狙われそうな外見なんだから。ロボも気をつけたほうが良い、むしろ男の娘の方が良いなんて奇特な奴もいるんだから。ルッカはやられたら滅殺のカウンター魂がデフォルトだからあえて注意もしない」


「おーい」


 今まで寝ていた老人が俺の的確なアドバイスを聞いて左手を俺に伸ばして手首を曲げた、分かりやすい突っ込みの構えを取っていた。なんか、シュール。


「お前さんたち、というかそこの赤毛の御仁は大層な言い方をなさるのお……」


 しょうがないだろう、根が正直なんだ。俺の長所は嘘をつかない、短所は嘘をつけない。


「あの……ここは?」


 おずおずと後ろからルッカが老人に話しかける。こらこら、あんまり近づくと襲い掛かってきますよ? 猿山の猿みたいに。


「ここは時の最果て……時間の迷い子が行き着く所さ……お前さんたち、どっから来なすった?」


「私たち……こっちの赤毛と金髪の女の子、そして私が王国暦1000年から来たんです」


「僕はA.D.2300年の世界からゲートで顕在したという訳さ」


 ルッカとロボが老人の質問に答え、老人はそれを聞いて小さく首を縦に振り得心をえたという顔を見せる。いや、よく見えないけれども。


「違う時間を生きるものが、4人以上で時空の歪みに入ると、時限の力場が捻れてしまう……しかし、この所、時空の歪みが多くてな。お前さんたちのようにフラリとここへ現れる者もいる……何かが時間全体に影響を及ぼしているのかも知れんな……」


「って事は、誰か一人ここに残ったほうが安全ってことね」


 ルッカが老人の話を引き継ぐが、俺は何が『って事は』なのか分からん。量子力学は苦手だ。シュレディンガーの猫だとかなんとかさっぱりだ。


「ええ、こんな所で置いてけぼりなのー?」


「こんな所は酷いな……何、心配いらんよ。ここは全ての時に通じている……お前さんがたが願えばいつでも仲間を呼び出せる。だが時の旅は不安定じゃ。常に三人で行動することじゃ」


 じいさん、多分マールはこの場所が薄気味悪いから嫌がってるんじゃなくて、あんたみたいな得体の知れない人間と二人きりになるのが嫌なんだと思う。ちゅーか、自己紹介してもいいんじゃないか? そこまで親切に色々教えてくれるんならさ。


「じゃあ、誰か残らないと駄目だね」


「誰が残る? クロノ。私を残すつもりなら別に良いわよ? それはそれであんたの意思だしまあこんな所に私を残す気ならまあ特に思う事は無いけれどそうなるとマールやロボみたいな過ちを犯しやすそうなメンバーで行くことになるからまあねー私としてもそういった危険を無くすためにもあんたの×××を潰すのはやぶさかではないというか……で、どうするの?」


「よーし、ルッカは連れて行こうか。頼りになるし、俺の相棒だからね」


「……ルッカずるい、クロノの臆病者……」


 なんと言われようが一向に構わん。俺は俺の道を行くのだ。俺の大切な肉体を潰させるわけにはいかん。TSとやらが流行っていようと俺自身でそれを体現したくないし、そんな乱暴な性転換聞いたことねえ。


 まあ順当に行って残りの一人はマールを仲間に入れるべきかと発言したらロボがまたぐずりだした。おまえもうどっちかのキャラにしてくれないか? 苛々が百倍になってパーティーの主役になれそうだ。
 結局とりあえずは俺、ルッカ、ロボのパーティーメンバーになり、マールがすねるという事態になった。仕方ないだろう、ロボが万力の握力で俺の手首を握りつぶそうとするんだから。
 まあ、現代に帰った後早急にコイツのボディを直して装着させるためにもこのメンバーは妥当といえるかもしれない。


「決まったか。Yボタンでわしを呼び出せばいつでもここに残った仲間とメンバーチェンジが」


「じじい、Yボタンって何だよ」


「……仕方ないのお、こいつを持っておくが良い」


 じいさんは小さなマイクのような機械を手渡し、そこに喋りかければわしと繋がっているのでメンバーチェンジをさせてやろうとのことだった。
 ……まだ理解できない。何処の時代のどんな場所でも仲間を送り届けてくれるのか? そう聞いてみると「いつでもというわけではない。そう度々メンバーの入れ替えをされるとわしの魔力が尽きてしまう。戦闘中も止めておいたほうがいい。激しく動かれている状態では時代間の転送は不可能じゃし、転送された側も一定の時間帯硬直状態になってしまう。安全が確保された状況のみ活用することじゃ……」との事。……魔力?


「私たちの時代に戻るにはどうすればいいの?」


 俺が質問する前にマールがじいさんに話しかけた。まあ、老人の戯言だろうから別にいいんだけどさ。


「お前さんたちがやってきた場所に光の柱があるじゃろう? あれはあちこちの次元の歪みとここ、時の最果てを繋ぐものじゃ。一度通った事のあるゲートからはいつでもここに来られるじゃろう。光に重なり念じればゲートに戻れる……じゃが、そこのバケツから繋がるゲートには気をつけるんじゃな……」


 じいさんが指差す方向には奇妙な光を底から溢れさせている古ぼけたバケツがぽつ、と置かれていた。


「そこはA.D.1999……『ラヴォスの日』と言われる時へ繋がっとる……世界の滅ぶ姿が見たいなら行ってみるのもいいが……お前さんたちまで滅びちまうかもしんぞ」


 そんな悪趣味なもん誰が見たいか! 自傷癖どころの騒ぎではない。M? Mというのは自分を傷つける存在が同じ人間であるから生まれる特殊な……どうでもいい。


 じいさんの話を聞いた後に光の柱に向かおうとすればまたじいさんが俺たちを呼び戻す。一回で言いたいことは言えよ。二度手間三度手間をかけさせる人間は職場で嫌われるんだぞ。
 そう急がずに奥の扉に入ってはどうだとじいさんが勧めてきたが、「面倒くさえ」の一言でまた光の柱に戻ろうとする。すると今まで動かずを貫いていたじいさんが恐ろしい瞬発力で俺に飛び掛りジャーマンスープレックスをかまして定位置に戻った。頚骨が折れたら歩けなくなるんだぞ? その危険性を知った上での行為というならば俺も刃物を出さざるを得ない。
 顔を真っ赤にして怒る俺を抑えてルッカとロボが俺を奥の扉まで引っ張っていく。これでつまらなかったらどうなるか覚えてろ。
 中に入ると白い毛むくじゃらの生き物が「なんだおめーら? 俺か? 俺はスペッキオ。獣の神! こっから色んな時代の戦見てる!」と聞いてもいないことを朗々と語りだす。その上自分のことを強そうに見えるか? と聞いてきたので「鼻くそレベル」と返してやれば「そうか、俺の強さお前の強さ。つまりお前鼻くそレベル。ダサイ」と答えてきた。どうですかねこの会話。おかしいよね。
 スペッキオとしばらく口げんかをしていると、スペッキオが「ん、お前らも心の力を持ってる」とか言い出した。あれ、こいつロボと同じ病気? ああ変なものに絡まれたなあと溜息をついた。
 それから魔法が使いたいと念じながらこの部屋を三周走れとかスポーツのコーチみたいな命令を俺たちに下し、やる気無しにその命令をこなした。俺だけ三回やり直せと言われた。まっすぐ行ってぶっ飛ばす。ストレートでぶっ飛ばす……


「よーし! そっちのツンツンの鳥頭は微妙だけど、お前ら良く出来た! よくやった!」


 ……腹へって機嫌が悪いときに、この毛むくじゃらの狸が……言うに事欠いて鳥頭? ふざけんな! これは別にワックスとか使って髪が尖ってるんじゃねえ! 天然なんだよ畜生!


「ハニャハラヘッタミターイ!」


 それが魔法なら俺でもホグワーツで主席を取れそうなしょうもない魔法? の言葉を高らかに叫びスペッキオがいい顔をしていた。何もやりきってねえよ、と馬鹿にしていたのだが……


「……!? 体から、電流が流れてくる!!」


「わ、私も、右手から炎が……!」


「……僕は?」


 俺とルッカに異変が起こる。俺の体の周りに電撃が走り、俺の意思で自由自在に動き出す。その電撃は俺の体に触れても一切俺を蝕まず、戯れるように宙を舞う。
ルッカは左手から轟々とした火が溢れ出し、部屋の中に熱気を作り出していた。勿論、服や体を燃やすことなく、神話の炎の神のように左手を動かし炎を操っていた。
 ロボはきょとんとして自分の体を眺めていた。


「魔法は天、冥、火、水の四つの力で成り立ってる。ツンツン頭は天。こっちのメガネのねーちゃんは見たとおりの火の力。てな具合に魔法だけでなく全てのバランスはこの四つで成り立ってる」


 それからスペッキオの話が始まり、それによるとずっと昔、魔法が栄えた国があり、そこでは全ての人々が魔法を使えたそうだ。しかし、魔法に溺れ滅びた今では、魔族以外に魔法を使える者はいなくなったそうだ。最後に、魔法は心の強さ、それをスペッキオは念入りに教えてくれた。
 ちなみに人間ではないロボは魔法の力を使えなかった。悔しいだろうな、ロボみたいな中二が魔法を一人だけ使えないなんて。むしろ自分だけは使えるはずなんて思ってたに違いない。その幻想をぶっ壊す。
「まあ、僕だけ使えないというのもまた選ばれた素質ゆえの物ですからね、きっと天地魔界の創立者達が僕の力に妬んだんですよ」と口では強がっていたが、ずっと肩が震えていた。ほんのり可哀想だと思った。
 とはいえ、ロボのエンシェント……回転レーザーは冥に似た力を持つとの事で、決して悲観したものではないとスペッキオにフォローを告げられる。まあ、俺がロボに何か言えることがあるとしたら、ざまあ。


 その後マールを連れて来てみると、マールは水、それも氷寄りの力を持っていた。ほらほらロボ、後でチョコレートあげるから俺の背中にすがりつくのは止めなさい。
 一度俺、ルッカ、マールでスペッキオと戦ってみたが結果はボロ負け。まだ自分の能力を操りきれない俺たちでは自在に全ての属性を操るスペッキオに歯が立たなかった。悔しいのは悔しいが、新しい自分の力を得たことに対する喜びが勝り、怪我の痛みも忘れるほどだった。ただ、俺の力、天だが、天は雷を操る力が主らしく、相手に雷を落とすというのが最も簡単な技だと分かったのだが、どうにも敵に落ちず俺に当たることが多い。別にダメージは無いんだが、かっこ悪いことこの上ない。何度隣でスペッキオと戦うマールやルッカに笑われたことか。スペッキオには指を指されて爆笑された。唯一俺を慰めて「格好良かったですよ」と言ってくれたのはロボだけだった。ごめん、お前の事ウザイとか言って。時の最果てでロボが俺のフラグを立てた。後好感度150以上で俺とロボの濡れ場が発生する。


 部屋を出る際にスペッキオがまた新しい仲間が出来れば連れて来いと告げる。出来れば、ね。
 外に出た俺たちにじいさんが「ほれ、わしの言うことに間違いは無い」と自慢げに言う。そういうことを言わなければ普通に感謝できるのにな、そんな性格だよあんた。
 じいさんはとりあえず自分たちの時代に帰ってみては? という助言と何か分からんことがあれば力になると頼もしいのかどうか境界線なじいさんに言われてしまった。まあ、たまには寄ってみてもいいか。


 短い間ではあったが、俺たちは時の最果てを後にすることにした。
 光の柱に触れると、頭の中でA.D.1000年『メディーナ村』と浮かぶ。自分の思考以外が浮かぶって、妙な感覚だな。
 他の光の柱にも触れるが、現代に帰れそうな所はこのメディーナ村という所しかない。聞いたことが無い場所だが、時代が同じならなんとかなるだろうと光の中に飛び込むことにした。




 次に眼を覚ませば、目の前で懐かしの青色丸と緑色丸が驚愕の表情を浮かべて俺たちを見ていた。
 後ろを見て、俺たちが出てきたところを確認すると、どうやら俺たちはこのモンスター達の家の中、それもタンスの中から出てきたようだ。そんな状況で驚かないわけは無いわな……おや? この嗅覚を甘く刺激する匂いは……?


「たたた食べ物だぁああぁあ!!」


 モンスター二匹が囲んでいるテーブルの上に果物ケーキ何より肉! が所狭しと並んでいる。パーティーでもするつもりだったのか知らんが、とにかく食べる、後でこのモンスターたちに襲い掛かられようが知ったことか。今俺が捉えるは己が体を動かすエネルギーの塊のみ!


「ルッカ! それは俺の狙っていたバナナだ! 汚え手で触れるんじゃねえ!」


「あんたはそこのキウイを食べれば良いでしょうが! 私だってあんたを助けようとした日から朝ごはんも食べてないのよ!」


 俺が食事を始めて数瞬後、ルッカが俺の食卓に入り込み俺の食べ物を蹂躙してくる。止めろ! 俺は愛しているんだ、その果物を! その野菜を! そして肉を!
このまま二人で食べていればどちらも満腹になれないのは必至。俺はルッカに勝負を挑むことにした。


「ルッカ、今すぐ俺と決闘しろ! 俺が勝てばお前はこの食事に手を出さずひもじそうに外で指を咥えていろ!」


 俺の発言に食事を止め、レモンソースを口端に付けたままニヤリと笑みを浮かべた。いいね、そこで乗らない奴はルッカじゃねえ。


「いいわよ、私が勝てば私以外のメスに近づかず話しかけずを一生貫いてもらうわ。そして貴方は私と一緒の墓に……」


「重たいな、一生かよ。それに一緒の墓? 心中しようってことか? やっぱり重たいな。つくづくお前の発想は怖い」


 覚えたての魔法を俺に使うのは良くないぞー? と思っている俺はただいま絶賛炎上中。気分は原作オペラ座の怪人。




 正気を取り戻した俺たちはモンスターたちに警戒態勢をとるが、青色丸の「お腹が空いてるなら、まだたくさんありますし、一緒に食事でもどうですか」の一言で世界は分かり合えると知った。
 蛇足だが、黒焦げの俺を治療してくれたのはロボのエンジェルストラブト……もうケアルビームでいいや、であった。この胸に飛来するときめきはもしかしなくとも恋だろうか?


 青色丸と緑色丸の話を聞くに、ここメディーナ村は400年前、つまり中世の時代人間との戦いに敗れたモンスターたちの末裔が集まる小さな村だとのこと。いきなり襲い掛かったりあからさまな蔑視の眼で見てくる者がほとんどだろうとも教えてくれた。西の山の洞窟の近くに住む変わり者の爺さんを訪ねれば良い、きっと力になってくれると最後を締めて俺たちを送り出してくれた。いきなり現れていきなり食事を平らげたのにここまで親切にしてくれるとは、人間なんかよりよっぽど人が出来てる。いつかこの旅が終わればここに住まわせてくれないだろうか? ……どうせルッカが追いかけてきて終わりか。まいったねどうも。


「教えてくれたのは嬉しいけど、何で私達にそんなことを……?」


 ルッカが不思議そうに、そして訝しげに眉を歪めて二人に問う。当然か、俺もここまで丁寧に教えてくれればなにがしかの罠があると見てしまう。すると緑色丸が肩をすくめて一言「信用されないのは当然だろうが……」と前置きする。


「人間と魔族が戦ったのは400年も昔の事だ。いつまでも過去にとらわれていても仕方が無い。まあ、私達のような考えを持った魔族はほとんどいないが……それでも、我々魔族全てが人間を殺そうと考えているわけではない。どこかで禍根を断たねば、憎しみは消えないのだよ」


 緑色丸の言葉には、言外に人間への憎しみは消えたわけではないと告げている。ただ、いつかは拳固にされたその拳を解かねば終わらないのだと考えている。それはただ許すということよりも辛く、誇りあるものなのではないだろうか。
 ちょっと含蓄のあることを思っていると横でロボが「言ってみたいな……ロボ台詞集に入れておこう」とメモとペンを取り出しペンの先を舐めていた。取り上げるしかあるまい。
 ちょっとした騒動が起こったが、俺たちはその家を後にして二人の言う爺さんの家に向かった。最近爺さんに縁があるよなあ。ヤクラといい大臣といいドンといい最果てのじじいといい。





「おお! 訪ねてきおったか。ワシの自慢のコレクションでも見て行くと良い」


 青色丸たちの家を出て西の山の麓にある家に入ると、どこかで見たような顔の爺さんが馴れ馴れしく声をかけてくる。ごめんなさい、俺初対面とか凄い苦手なんで。合コンとかでも女の子達にトイレで「右端に座ってる赤毛の男、なんか暗いよね」とか言われるくらいなんで、いきなり手とか握らないで、男とフラグが立っても嬉しくないし。ロボ? あいつは男の娘だから良いんだよ。


「おや? わしの顔を覚えとらんか? ほれ、リーネの祭りで会ったじゃろうが」


「……ああ! マールのペンダントを見せてくれとか言いながら胸の谷間を覗き込んでた爺さんかあんた。確か名前はボッシュだったか?」


「うわ、最低ねこのジジイ……」


 俺の発言にルッカが胸を両手で押さえて後ずさる。おいおいお前は谷間が出来るほど無いだろう? パット入れてるくせに、と茶化したら壁に掛けてあった大剣を振り回して俺を二分割しようとしてきた。それ、ドラゴン殺しって銘が彫られてるんだけどさ、良く振り回せんね。ガチでお前剣士に転向しろよ。


「全く下らんことを覚えておるのう……そこのお嬢ちゃんもその辺で止めときなさい。あんたもあのポニーテールのお嬢さんには負けるが良い尻をしとる。安産型じゃな。胸はみそっかすじゃが」


 俺とボッシュが最後に聞いた言葉は「斬刑に処す」だった。その後はご存知ロボ君大活躍。やっぱりヒロインはお前のようだ。今度モロッコに連れて行ってやろう。


「そうじゃ、ワシの作った武器でも買ってゆかんか? 安くしとくぞ」


 頭からだくだくとピナツボ火山みたく血を吹き出させながら笑顔を崩さないボッシュは男っちゃあ男である。ただルッカの20ゴールドで全部売りなさいという恐喝には汗を流していたが。
 商売人の意地なのか、顎にナイフをぺたぺた擦り付けられても値下げはしなかった。あのさあルッカ、ロボが怖がってるから。マスターであるお前にレーザー撃とうとしてるから。その辺にしたげて? それ以上すると俺はお前を警察に突き出さなくちゃならんくなる。
 結局武器の類は買わずポーションを五つほど購入することにした。ボッシュの作った武器とやらは手にすることが出来なかったが、一つの生命には変えられない。「武器はな……生命をうばうための物ではないぞ。生かすための物であるべきじゃ」と言うボッシュの言が命乞いにしか聞こえず哀れだった。
 家を出る前に「そうじゃ、おぬし達。トルース町に帰りたいのであれば、この家の北にある山の洞窟を抜けて行くが良い」と教えてくれたのには感謝だ。俺なら絶対教えないね、家の中を滅茶苦茶にしたあげく脅してくるような奴らに。


 驚いたのは西の山に向かう途中でルッカが急に座り込み「胸、小さくないもん……平均だもん」と泣き出したこと。どうやら現代の大臣といい今回といいかなり気にしていたらしい。俺がマジ泣きだと気づかず「いや、平均以下だと思うぜ? それでパット入れてるならさ」と突き放したことも相まって号泣してしまった。 後ろから睨みつけるロボの視線が痛いわ怖いわレーザーの稼動音が聞こえてくるわで俺も泣きたくなった。
 俺が「胸なんかでルッカの魅力は変わらないよ、むしろそんなことを気にする男の方が器が小さいんだから。少なくとも俺は気にしない」と出来るだけ優しく諭してあげる。まあ、本音は巨乳が好きなんですけども。大概の奴は巨乳の方が良いと思うけども。
 ルッカが赤い目で「ほんとに?」と聞いてきたときには思わず「全てはフェイク!」と言い放ちたかったがロボの右手が赤く光っているので「勿論さ!」と答えておいた。言いたいことも言えないこんな世の中。
 機嫌が直ったルッカは山道にもかかわらずスキップで先を進みだした。俺を追い抜く折にロボが俺の肩を叩いて「男は女の涙を止めるために生きている……分かってるじゃないですか、クロノさん」としたり顔でサムズアップを見せてきたのにはちょっとイラりと来た。今までお世話になったのでまあ、今回は目を瞑ろうか。


 しばらく歩くと山道に看板が立ち、その後ろに雑草が生い茂っていて中を覗きこみ辛い洞窟がひっそりと存在していた。看板にはヘケランの巣と記されていた。これがボッシュの言っていた洞窟で間違いないだろう。


「ヘケラン? 僕の内臓コンピューターで登録されている名前には該当するものはありませんね」


「そりゃあロボは未来のアンドロイドだし、現代ではその機能あまり役に立たないかもよ? 現代のみに生息した生き物、もしくは地名ならお手上げでしょう?」


「確かに……まあどんな障害であれ、僕の前では塵芥程の困難にも成り得ませんが」


「おーい、馬鹿なことやってないで先に行こうぜ? あんまり長い間家を留守にしてるから母さんが心配してると思うんだ。早く帰って顔を見せてやりたい」


「大丈夫よ、ジナさんならあんたが刑務所に入れられたって聞いたときにも笑ってビールを吹き出してたから」


「? ジナさんとは?」


「覚えとけよロボ。ジナという名前の人間はお前の最優先抹殺対象だ」


 心温まる会話を経て俺たちはヘケランの巣に足を踏み入れた。あのババア、マジで脳天叩き割ってやる……






 洞窟内部は水源か海に繋がる場所があるのか、水の流れる音が遠くから聞こえる。その為空気が湿って、床にはコケやキノコが生えて、天井から水滴が滴り落ちてくる。全体的に青みがかった石の壁は清涼感というよりも冷たい印象を与える。床に流れる数センチ程度の水の流れ付近には小さな水草が点在し、その形は苦痛から逃れるように捩れて、見る者に不安をもたらせる。


「なんだか居心地の悪い場所だな……」


「それに肌寒いわ、外の気温とは大違いね」


 俺もそうだが、半袖のルッカが二の腕を擦り体を震わせる。何も言わずに俺は青い上着を脱いでルッカに手渡した。フェミニストクロノ、此処に在り。


「ありがとうクロノ、でもごめんあんたの服汗臭い」


「人の優しさ及び純情をボロ布のようにしてくれてどうもありがとう。とっとと返せ!」


 こいつは人の心を何のためらいも無く傷つける。それを悪いことと思ってない辺りが凄いよ、ちょっと尊敬するよ。むしろ畏怖の念に到達するね。
 ルッカの握る服を取り返そうと腕を伸ばせばルッカが「良いの、クロノの汗が付いてるなら、それはそれでいいの……」と拒否する。なんだ? 道中臭い臭いと言って俺をさらに傷つける魂胆か。こいつのサドっぷりには頭が上がらないよ。
 そのまま俺は白い肌着一枚で薄ら寒い洞窟を練り歩くこととなった。ロボが暖めてあげましょうか? と服を脱ごうとしたので慌てて止めさせる。今の傷心状態でそんなことされたら本格的に落ちてしまう。そして堕ちてしまう。あくまでプラトニックにいこう。


 ヘケランの巣を歩いていると、物陰から突然現れたモンスターたちが「魔族の敵に死を!」と叫びながら襲い掛かってくる事がよくよくあった。最初は焦った俺たちだが、進化系ロボの格闘能力に強力なレーザー。俺とルッカの新しく得た魔法という力の前では特に苦戦することも無く先に進むことが出来た。特に、ルッカの新しい技、ファイアはこの洞窟内で恐ろしいほどの力を発揮した。数匹のモンスターもその業火に為す術も無く倒れて炭となる。俺の天の力、相手の頭上に雷を落とすサンダーは全く当たらないが、雷鳴剣に電撃を流し込みさらに電力を増させるという試みが成功してその切れ味は今までの剣とは比較にならないものとなった。カブト虫のような外見の甲殻虫はロボの回転レーザーで硬い外殻ごと焼き切って一掃する。……もしかしたら、俺たち最強なんじゃないか? この洞窟に入ってからそれなりに戦闘をこなしたが、誰一人怪我をすることなく先に進んでいる。
 戦闘をある程度続けていたら気づいたのだが、魔法の力、つまり心の力は使えば使うほど強力になるようだ。その変化は一度の使用では微々たる物だが、俺もルッカも使い続けていくうちに炎や電撃の量が増えたり、変化のバリエーションが増えたりなど、確かな進化を遂げていた。これはマールも積極的に戦闘に参加させたほうが良いかもしれない。難点は魔法を使うたびにロボが俺やルッカを睨むことか。


「魔法ね……覚えるまでは半信半疑な能力だったけど、使いこなせれば役に立つどころじゃないわね……これなら本当に私達が未来を救えるかも……」


「流石ですねマスター。本当、気持ちいいんでしょうねそういう不思議な力が使えるって。ケッ!」


「もうすねないでよロボ、あんただって十分凄い力を持ってるんだから」


 この通りだ。ちょっと悪いなーとは思うが、戦闘の度にへそを曲げられてはスムーズに行く旅も鈍重なものとなる。やっぱりある程度役に立たないとは言ってもロボボディは必須だな、なんなら戦闘中だけあのボディを脱ぐという方法を取ってもいいんだし。


 旅を続ける上での問題点や変化を確認しているうちに、俺たちは今までに無い広い空間に出た。先を見るにどうも行き止まりのようだが、今までの道のりで他に奥に進める道は無かった。まさかボッシュの爺さん、耄碌して勘違いした情報を俺たちに流したんじゃないだろうな……


「……奥の湖に飛び込めば水流に乗って海に出られるようですね……多分あそこに入るのが正解なんじゃないですか?」


 ロボが目玉を光らせてこの部屋の構造を解析する。こいつの利便性は計り知れない、次はこいつとマールで旅に出ることにしよう。穏やかで快適な旅が出来そうだ。


「湖に入って海に出る? ……ロボを疑うわけじゃないけど、何か信じられないわね……」


「でも他に行くところもないんだ、腹を括るしかないだろ?」


 立ち止まるルッカの背を押して、ロボの言う湖とやらに近づいてみる。覗き込んでみると小さな渦が水面に浮かび上がり、波がかんなで削れて行くように重なり合って流れている。海に通じているというのは間違いなさそうだ。
 俺は後ろを向いてルッカたちに先に飛び込むぞと声を掛ける……が、二人は青い顔をして少しずつ俺から離れていく。何だよ、レディファーストも守れないのかっていうタイプの引きか? 別にいいじゃねえか誰が先でもさ。


「クロノ……後ろ」


「志村なんかいねえよ」


「違くて! 水! 水の中からほら!」


 必死な形相で俺の後ろに指を向けるルッカと、何で気づかないのこの人という顔で戦闘準備に入るロボ。何だよ俺一人分かってないのか? 身内ネタで盛り上がってるところ知らない名前の子の話題だからついていけず愛想笑いを浮かべている状況に酷似している。


「あー……しくった、今日はボウズだわ。魚一匹も捕まえられねえ……」


「え?」


 後ろから野太い声が聞こえたので振り向くと、今俺が飛び込もうとしていた海に繋がる湖から体中に刺が付いた大きな青色のモンスターが這い出てきた。


「……え? 人間? ……ちょ! ちょっと待ってこういう時のために台詞を用意してあるんだ!」


 モンスターは両手を前に出して何事かブツブツ言いながら頭をポンポン叩いていた。凄いビビったけど、なんだかほんわかさせるモンスターだなあ。
 俺たちはモンスターから距離をとり、各々の得物を取り出す。魔力はまだ残ってる、ルッカもまだまだ戦えそうだし、ロボのエネルギーも充分。どうもこの洞窟の主のようだが、今の俺たちなら負けることは無いだろう。


「あ、そうだ。魔族の敵に死を!」


 ……思い出すほどの台詞かよ。




 先手はモンスター。口から大きな泡を吐き出し俺たちに向けて放つ。そのスピードの遅さに気を抜いた俺が無視してモンスターに攻撃を仕掛けようと走り出す。その瞬間ロボが「危ない!」と俺の飛び出しを阻止して岩陰に引っ張る。走り出していればちょうど俺が近くにいただろうという位置で泡が弾けとんだ。空気の表面を囲っていた水が飛び散り、その水滴はまさに弾丸。地面に転がる石や岩を穿ち、散弾銃のような破壊力を見せ付けた。


「あ、危ねえ! 助かったぜロボ」


「泡の内部に高密度の空気が確認できましたから、流石魔族ですね、並の威力の魔法じゃないです」


 ロボが戦闘中なのにおかしな言動をしない。これはつまり、相当やばい敵だということか? 俺以上に力量のあるロボだからこそ分かる青トカゲの力……爬虫類恐るべしっ! ……あ、もしかしなくてもあいつがヘケランなのか? ……多分そうだろ、ていうかアイツ以外にこの洞窟の主がいるとは思いたくない。


 俺とロボが隠れている間にルッカがヘケランの側面からファイアを唱える。これまでの敵を触れただけで燃やし尽くしたファイアをヘケランは雄たけび一つで掻き消し、目に映ったルッカにその鋭く尖った爪を迫らせる。
 その腕に向けてロボがレーザーを収束して打ち出し軌道を変えてルッカがその隙にヘケランの背後に回りもう一度ファイア。背中に直撃を貰ったヘケランは一瞬その巨体をぐらつかせたが、すぐに体勢を戻し離れた場所にいるルッカに掌を向けた。


「ネレイダスサイクロン!」


 ヘケランが魔法を唱えると、ルッカの立つ地面から水が噴出して意思を持っているかのように水が体を締め付ける。ルッカはその体を捻らされて体から血飛沫が舞い上がる。傷ついていくルッカの姿に目の前が赤くなるが、ロボが俺に目配せをした後先に飛び出してルッカにケアルビームを当てる。優しい光に照らされてルッカの傷は癒えていく。
 その隙を狙いヘケランが右腕を振りかぶり二人を引き裂こうとするが、ロボに少し遅れて飛び出した俺の刀が巨椀を止める。これ以上やらせるかっ!
 雷鳴剣に迸る電流を嫌がりヘケランは俺の刀を力任せに弾いて後ろに飛ぶ。ルッカの治療も終わり、立ち上がってプラズマガンをヘケランに構えている。ロボがいて助かった。ルッカが倒れて俺の頭に血が上った状態で勝てる相手じゃない。戦闘において治療役は重要なキーパーソンだと理解した。


「厳しいな……俺たちの魔法は効かないわけじゃねえんだろうけど、あいつの魔法は一度食らえばロボの治療が無ければ戦闘不能。バランス悪いぜ」


「僕のエネルギーも無限じゃありません……そう何度も治療は出来ませんよ……?」


「あの大きな泡はともかく、ネレイダスサイクロンとやらは出も早いし、見切るのは厳しいわね、とにかく動き回るのが正しい避け方かしら」


 俺たちが攻略法を探ろうと相談していると、ヘケランが顔の半分を占める大きな口を真横に広げてその場に座り込んだ。……なんだ? どういう作戦だ?


「攻撃してみろ! そうしたら……」


「「「………」」」


 アホだな。間違いない。アホだ。
 呆れながらヘケランの頭を剣で貫いてやろうと近づくが、ルッカがそれを止めて、素晴らしい案を提案する。ロボにそれで良いかと確認を取れば一も無く頷いて賛同する。


 俺とルッカが右側、ロボが左側からヘケランの後ろに回りこみ、それを見ながらヘケランが不敵な笑みを凶悪な顔に張り付かせて俺たちの動向を探る。座り込みながらもその何者をも切り裂く鋭い爪を擦り合わせ、ヌラリと唾液で光る牙がかちかちと音を立て、俺たちの体を引き裂き噛み千切ることを楽しみにしている。背中に生えた突起は心なしか天井に向かって伸びているように見えて、俺たちが近づくその時をただ静かに待ち続けている。


「……じゃあ、お邪魔しました」


 俺たちはヘケランの後ろに位置していた湖に飛び込み、ヘケランの巣から脱出を果たした。やっとれんよ、あんなバケモノの相手なんぞ。


 水流に飲み込まれる前に後ろから「ええ!? 嘘ちょっと待てええと確か……そうだラヴォス神を生んだ魔王様が400年前に人間共を滅ぼしておいて下されば今ごろこの世界は我ら魔族の時代になっていたものをクソーッ! っていうかマジで逃げるのお前らーっ!?」と早口で悔しそうに怒鳴っていた。やられた時もしくは逃亡されたときの台詞まで用意していたとは頭が下がるね。そういう人間は出世するよ、いや本当に。




 ヘケランの巣から抜けて俺たちはトルース町近海に顔を出すことになった。水流に飲まれて体力が残り少ない状態でも泳いで陸に着ける距離だったことに安心して大地に足を着ける。驚いたのはロボがアンドロイドのくせに一番スイスイ泳げたことだろうか? おぼっち○ん君くらい万能なんだな。


「ヘケランの口ぶりからすると、中世の魔王がこの星の未来をメチャクチャにしたラヴォスを生んだのね……」


 陸地に着いた後膝に手をつけて呼吸を整え、そのまま大の字になり寝転んでいるとルッカが深刻そうな顔で去り際にヘケランがこぼした言葉を解釈する。


「僕達の手で中世の魔王に猛き制裁を下せば、未来を救うことが出来るのでしょうか? 


 それに便乗してロボが微妙になりきれてない中二発言を繰り出すが、今の俺は疲れている。突っ込みはセルフでお願いしたい。


「千年祭広場のゲートを使えば中世に行ける筈……ほらクロノ、いつまでも息を乱してないでさっさと行くわよ! 目指すは打倒魔王! ……柄じゃないけど、なんだか王道な展開に燃えてきたわ!」


「ええ、世界に崩壊の種を撒き散らさんとする魔族の王、奴に振り下ろすべき鉄槌を握りまたその権利を持つ僕達が、世界終焉の鍵を砕き世に輝きと安穏を齎せましょう!」


 ロボはスルーとして、俺の幼馴染殿はどうもとんとん拍子に謎が解明していくのが楽しくなってきたようだ。あれか、ドラク○4でトルネコの章まできたらノンストップになる性質だな。
 ……駄目なんだろうな、ここで「え? お前らマジで世界救うとか言ってんの? 臭っ!」とか言ったら。ルッカもマールの言葉になんだかんだで流されちゃったのか……ロボはそういう話の流れは大好物だろうし、俺と同じ気だるく生きようとする奴はいないのか……


 ルッカの催促を耳にしながら、俺は仰向けで空を見上げた。青く澄んだ空に太陽の光が合わさりその色彩は自然界独特のものとなって俺たちを包む。時間はゆっくりと進んでいくものなのに、何で俺たちだけせかせか時空を移動して戦いに明け暮れなければならないんだろう……
 太陽に手をかざして、俺は肺の奥に溜まった暗い息を外に吐き出した。たまらんね、こんな人生。


 ずぶ濡れの体を起こして、手を振り回すルッカとロボに追いつくべく強めに地面を蹴り上げた。


















 おまけ







「お前が大電撃部隊隊長サカヅルか、ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 サカヅルはとてつもない動きで閃光の覇者並びにボルケーノまたは天より舞い降りた闇の宿業を背負うものの二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力の100000000分の1の力で動いて攻撃をかわした。凄まじい威力だった。しかし俺のさらに1000000倍の力で粉砕した。


「なんて強いんだ! ぜひ私を連れて行ってくれ!」


 サカヅルの仮面の下から美しい女性の顔が現れた。


「俺という究極の力を持つ戦士にして選別者の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんて男らしい! 惚れた!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。


 俺は次の城に向かい、城の扉を開いた。


「お前が超絶火炎部隊隊長イマドケか、ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 イマドケはあり得ない動きでラグナロクの再来並びにモノデボルトまたは地獄の底からやってきた正義の使者の二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力の10000000分の1の力で動いて攻撃をかわした。えげつない威力だった。しかし俺のさらに1000000倍の力で粉砕した。



「素晴らしい力ですわ! 私を連れて行って下さいまし!」


 イマドケのマスクの下から例えようもない可憐な顔の美少女が現れた。


「俺というアルティメイトな力を持つ剣士にして武闘家の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんてたくましい御方! 惚れましたわ!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。


 俺は次の城に向かい、城の扉を開いた。


「お前が超級大銀河天絶無限大魔王のルインガーか。ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 ルインガーは愉快な動きでジェダイの騎士並びに黄金聖闘士または結構気配り上手の二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力には程遠い力で動いて攻撃をかわした。お下劣な威力だった。しかし俺はさらにお下劣なので倒した。


「わ、私が黒幕ではないただの三下だという事実があったとしても、パーフェクトな力である! 私を連れて行け!」


 魔王と思っていた人物の被っていた兜が外れ、中から文字に出来ない煌びやかな美しい女性の顔が視線に晒された。


「俺という完全無欠な力を持つサラリーマンにして営業部長の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんて広い心を持った人間なのだ! ハグして欲しい!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。














「どうですかクロノさん、僕の書いた小説は。不死身ファンタジアの新人賞に投稿しようと思うのですが」


「え? こんなのが60ページ以上あるの?」



[20619] 星は夢を見る必要はない第十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:34
 トルース町に帰ってきた俺たちはリーネ広場に行く前にルッカの家に寄り、ロボのボディを修理することにした。家に入った途端タバンさんがタバコを咥えながら豪快に笑い迎えてくれた。研究者とは思えない太い腕で何度も背中を叩かれて咳き込んでしまったのは笑える話だ。
 俺が刑務所に入れられたことについては何も聞かずにいてくれたのは有難い。兵士を呼ばないだけでも嬉しいことなのに、歓迎してくれるとは……思わず涙腺がゆるんでしまった。俺もタバンさんみたいな父親が欲しかった、外道な母親はもういらないから。
 タバンさんにロボの壊れたボディを見せると「むはっ!」と妙な声を出した。奪い取るように家の奥に持っていき、俺たちのところに戻ってきた後「安心しな! 俺が責任を持って直してやるぜ!」と答えてくれる。本当はルッカが直す予定だったのだが、タバンさんが俺たちが旅をしている間一人で直してくれるならそれは喜ばしい。ボディの修理中ルッカの戦力は失くすのは惜しいものがある。
 タバンさんは純粋に研究欲に火がついたようだ、未来の技術は見る人が見れば垂涎ものらしい。こういう変わったところがないと何かを作り出すなんて出来ないのかもな。
 ロボが人間でなくアンドロイドであると教えれば服を剥ぎ取りにかかって診察しようとしたのでルッカがハンマーで撃沈させる。父親が幼い少年を襲っている姿なんぞ見たかないんだろう。禁忌過ぎるわな、そんな場面。


 ルッカとタバンさんで積もる話もあるだろうが、俺たちはこの国の兵士に追われている、見つからないうちに広場に行こうと話を切り上げて外に出る。しかし、家を出て数分としないうちにタバンさんが追いかけてきて装飾の激しい赤い派手なベストを持って来た。曰く、これはルッカ専用の装備で並大抵のことじゃ傷もつかない防具なのだそうだ。
 ルッカは趣味の悪い赤一色のベストを喜んで貰っていた。まあ趣味云々は良い。ただ、ここで言う気は無いが、なんでタバンさんは娘の服のサイズを知ってるんだ? 物陰に隠れて着替えたルッカが私にピッタリと話していた事であっちゃいけない犯罪の臭いが漂ってきた。うん、俺父親はいらないや。
 すこしぎこちない別れの言葉を交わして再度広場に向かうと、タバンさんが俺の肩を掴み耳元に口を寄せて内緒話を俺に持ちかけてきた。
 内容は「クロノ……避妊はしてるんだろうな? ほら、コレをやるから娘の体にも気を使ってくれよ?」との事。その真意を尋ねる前に地獄耳のルッカがプラズマガンでタバンさんを痙攣させてしまった。タバンさんが握っていたカップルのお供をポケットにねじ込みながら。なんで貰うんだよそんなもん。年頃の女の子が持ってると印象悪いぞ。


 ようやく中世に行けるはずだったのだが、途中で運の悪いことに母さんが買い物に出かけていて、ばったりと出くわしてしまった。母さんは驚いた顔で「クロノ……あんた、刑務所にいるはずじゃ……良かった、出てこれたのね」と笑っていうものだから、「母さーん!」と泣きながらその胸に飛び込もうとしてしまった。まあ、「あんた臭い、海中で死んでいった生き物たちの臭いがする。有り体に言って潮臭い、近づかないで」の言葉に冷めたが。いや、ここは覚めたというべきか。
 この母親、雷を落としてくれようかと殺気を放てば感づいた母さんが躊躇なく長渕キックを連発、俺の抱いた反抗心などでは何も成し遂げられぬのだと教えてくれた。確か家族間での暴力ってこんなに簡単に起こるものじゃないと思うんだけどな、良いけどさ別に。


 ゲートについてようやく現代から出ることになる。もしかして俺現代にいるときが一番辛い境遇なんじゃないか? 詮無いことを思いつつ、二度目の中世来訪となったのだ。……中世でも良い事無かったし、どうせ今回も無いんだろうな。人生苦もありゃ死もあるさ。楽なんか一回だって訪れやしねえ。
 ゲートに入る前に楽しそうな祭りの喧騒を耳にして、頭を掻きながらゲートに足を入れる。今回の旅は長くなりそうだ、と覚悟を決めて。









 星は夢を見る必要は無い
 第十二話 ゼナン橋防衛戦(前)










 中世に着き、時の最果ての爺さんにメンバーチェンジを頼むことにした。まずは城の王妃様たちに挨拶をしようと考え、中世時のメンバーで会いに行こうと思ったからだ。ロボは育児放棄したくなるほど駄々をこねたが、こういう時の我侭を聞いてしまっては、我侭を言えば何でもしてもらえると認識するのが子供の原理だ、断固として譲らん。
 時の最果てに行くことを嫌がっているロボを見たルッカが「なら父さんの所でボディの修復を手伝ってくれない? ロボが装着するボディなんだから、ロボが近くにいた方が色々都合がいいでしょ?」と妥協案を出した。
 まあそれにも嫌がったが、とりあえずどついて大人しくさせた後ロボをゲートに放り込んだ。後は勝手にルッカの家に行くだろう。修理が終わるまではロボとメンバーチェンジが出来ないのは痛いが、ボディは早急に修理してほしい。俺の精神安静のため。





「ふわー、ようやくあそこから出られた。これからは私も頑張るね!」


 伸びをして体を解すマールに癒された後、ルッカの提案で山に生息するモンスターたち相手にマールの修行をすることにした。魔法を持ってからの実践はマールはまだ体験していないので、本格的な戦闘を迎える前にある程度慣れておくべきだというのだ。
 マールの魔法は氷寄りの水。アイスというシンプルな魔法で、効果は敵対象を氷付けにして、砕けさせる、彼女の性格に似つかわしくない凶悪な魔法だった。アイスは山の雑魚モンスターたちを悉く氷塊に変えて砕け散らせた。……こうして見ると、俺の魔法の力が一番弱いんじゃないかと思う。天なんてご大層な名前の属性だから凄いのかな、とか思っていた時が懐かしい。
 攻撃としても優秀なマールの力だが、その真価は治療にこそあった。山の中腹にある釣り橋の板が外れて崖から落ちた俺をマールは魔法の力を用いた回復呪文で、瞬きするほどの間に完治させたのだ。今までマールが使っていた治癒やロボのケアルビームと比較してもその回復速度には驚かされた。恐らく折れていた右腕までも直っていたのだから。
 これなら充分に、むしろ俺よりも魔物たちと戦えるとルッカのお墨付きが貰えた時のマールの顔ときたら嬉しそうだったな……で、ルッカさん、俺はいつ貴方に認めてもらえますかね。あんたは雷鳴剣が無ければ役立たず同然じゃない? なるほど素晴らしい評価ですね、よく俺を見ていらっしゃる。


 山を降りると、どうも村の様子がおかしい。てんやわんやと慌てている村人に事情を聞いてみることにした。すると、


「魔王軍が攻めてきたんだ! ゼナン橋まで攻め込まれてるらしい!」

「なあに、心配することはないさ! なんせ勇者バッチを持った勇者様が現れたんだからな!」

「勇者様なら魔王軍何ざ一捻りにしてくれるぜ!」

「ちょっちゅね!」


「勇者? なんだか分からないけど、絵本なんかでよく見る救世主様みたいな人のこと?」


 マールが村人の話を聞いて出した感想はまあ間違いではないだろう。おおよそ似たようなものだから。


「うーん……ゼナン橋って言えばトルースの西、ガルディア城の南にあって、パレポリ村がある大陸に繋がる大きな橋のことよね? ……国王軍の踏ん張り所ね……もしここを魔王軍に取られれば相手は何処からでも攻め放題になるわ」


「……嫌だぜ俺、そんな激戦地を潜り抜けるなんて……」


 戦々恐々としながらもう少し村人達から情報を集めているとどうやら勇者とやらは今城に向かっているようだ。勇者なんてものがいるなら俺たちはもう帰ろうぜ、魔王はそいつが倒してくれるさと進言してゲートのある山に足を向けるとマールとルッカが俺の腕を片方ずつ掴んで城に向かう。俺この星の人間だからさ、グレイみたいな扱い止めてくれる?


 森を抜けて、ガルディア城の中に入ると中は不安と期待に溢れた火薬庫の雰囲気に満ち満ちていた。なにかきっかけがあれば爆発し、霧散する、そんな緊張感に包まれながら、兵士は武器を磨き、次々と城の扉から出て行く。給仕の人間はそんな戦場に向かう兵士達を心配そうに、辛そうに見送り何か出来ることは無いかとしきりに声を掛けている。出て行った人間と比例して俺たちの後ろから怪我人が運ばれて、騎士団の部屋に運ばれていく。血の臭いが大広間を覆い、その場にいる人間の鼓動が早鐘を打つように早く強く鳴っている。……これが戦争ってやつなのか?


「クロノ、私……」


「ああ、王妃様たちには俺たち二人だけで会ってくる。マールはやりたいことをやれ。ここを出る前に声を掛けるから」


 俺が許可すると、マールは走って騎士団の部屋に向かった。回復魔法が使えるマールなら幾人かの人たちを救えるはずだ。頑張りすぎて倒れないかが心配だが、マールの性格を考えると止める事は出来ないし、俺も何もせず見捨てろなんてわざわざ口に出しては言いたくない。
 ……放っておいても文句は言われないんだぞ、という言葉は飲み込んでおこうか。


「……行きましょうクロノ。早く王妃様たちに話を聞いて勇者様とやらに会わなきゃ」


 新たに運ばれてきた腕を失った兵士から顔を背けてルッカは階段を上がる。……この魔王軍との戦いで何人死んだんだろう、いや、考えたくも無いな……


「おお、クロノたちか、もしや、勇者の話を聞いて来たのか?」


 玉座に座る王様が疲れた顔をして立ち上がり俺たちを迎えた。歓迎してやりたいが、今は切羽詰った状況でな、あまり構うことができぬ。と前置きして王様は言葉を並べていく。


「勇者は今ゼナン橋に向かい魔王軍と戦おうとしておる……行き違いじゃったな」


 王様の話を聞いて、残念ではあるがここでモタモタされていても腹が立つだろうし、仕方ないかと自分を説得してルッカにどうするか目で訊ねる。ルッカは「勿論後を追いかけるわよ!」と気合を入れて王の間を飛び出して行った。熱血だなぁ……兵士たちが死んでいく今に焦燥感を感じているのだろうか? 俺だって思うところが無いではないが、それよりも恐怖が勝り関わりたくないというのが本音である。
 鈍く前に歩き出す足で俺も退室しようとすれば、王妃様が俺に「クロノ!」と場にそぐわない陽気な声を出した。


「もうすぐヤクラが城に帰りチョコレートを作ってくれるのです。一緒に食べませんか?」


「や、流石にデザートを頬張るほど明るい気分でもないですし」


 残念です……と言いながら項垂れるリーネ王妃。あんた凄いよ、戦争の最中でもヤクラの作るお菓子優先とは、いつかクーデターが起きると俺は睨むね。そもそも魔物との戦いが激戦化してい今この時にモンスターのヤクラを城に招くって……なんつーか、天然って怖い。
 王様は了承したのかな、と視線を送ると首が思いっきり左を向いていた。ふむ、中世の王様は根性無しで妻に逆らえない、と。おおかた王妃様に泣いて頼まれて(ついでに暴れられて)押し通されたんだろうな……まあ、ヤクラなら心配は要らないか。


 王の間から出る扉に手を掛けると王様が「ゼナンの橋に行くのなら、兵士達の補給が遅れておるので、料理長から食料を貰って持って行ってはくれないか?」と頼まれた。そういう結構重要な仕事を部外者に頼むなよと正直に言えればどれだけ人生楽しいか。


 ルッカもマールも怪我人の治療を手伝っているようで、料理長の所には俺一人で行くことにした。まあ、俺は初対面じゃないから良いけどさ、一対一で会うのも。
 大広間から騎士団の部屋とは反対に歩き、階段を下りるとそこが大食堂。大きな机が並べられて、主に兵士たちが食事を取るところなのだが、今は机に誰も向かっておらず、最初に俺が訪れた時に聞こえた兵士たちの楽しい笑い声は静寂に移り変わっていた。
 料理長に会うため、厨房に向かうとようやく声が聞こえてきた。あの料理長、根は悪い奴でもないんだが、テンションが気持ち悪いのが難点だ。



「うえっさああぁっぁ!! 餃・子! 干し・肉! に、ぎ、り、め、しいいぃぃぃい!! お待ちいいいぃいぃ!!」


 誰に話しかけているのか分からんが常に血管を浮かび上がらせて料理を作る料理長。この人料理が出来なかったらバーサーカーとして人間社会に溶け込めなかったんじゃないかと思ったのはそう遠くない過去のこと。


「あの、前線の兵士達に食料をですねー」


「おい! しい! パン!! おい! しい! パンを作るぜぇぇぇ!! そう! 俺はあの光り輝く十字星に誓いを立てた! 俺はこの両腕が動く限り食事を作る作り続けるとおおおぉぉ!!」


「いやですから王様に頼まれてですねー?」


「今俺の右手には神が宿っている! 左手が俺に叫んでいる! 俺の包丁は! 肉を切る刃物だああぁぁぁぁ!!」


 ミッション失敗。魂のステージが低いと相手にしてくれないようだ、もっとコミュ力を上げてから出直すことにしよう。
 厨房に背を向けて食堂から出て行こうとすると、後ろから雄たけびと石の床を踏みしめる荒々しい足音。「へあ?」と間抜けに声を上げて振り向けば俺よりも大きな布の包みが飛んで来た。……え? 何コレどういう事?
 包みに押しつぶされるというより押し倒された俺は腰に手を当てて目から火を出している料理長を見た。


「これを! 持ってきなっ! それから、こいつはお前にだ。持ってけ! ……それから、俺の兄貴の騎士団長、あのバカに伝えといてくれ。生きて帰って来ねえと承知しねえってな! べらんめぇ!!」


 このでかい包みを俺に向けて投合したらしい料理長が俺の顔に以前ルッカが俺に飲ませたパワーカプセルをへち当てて、何やら言いたいことを言い切った後、がに股で厨房に引っ込んでいった。


 ……現代ではルッカに苛められて裁判にかけられておまけに母親は俺に愛情を全く注いでなくて、未来では女の子の喧嘩の原因にされて妙ちきりんなロボットに頭をどやされるわ肋骨折られるわ懐かれるわ、あげく中世では両生類と魔物退治をして助けに来た王妃にボコボコにされて、今は王様の頼みを聞けば会話の出来ない料理長に数十キロの荷物を投げられて下敷きにされる。俺は前世で何かとんでもない悪事をしでかしたのだろうか? 出て来いよ前世の俺、他の誰でもない俺がその罪を罰してやる。


「……もう嫌だ、限界だ……」


 中世について早々、俺の精神は崩壊しようとしています。助けてゴッド。


 城を出るときにマールとルッカを呼びに行くと、魔力切れを起こしたマールを背負ってルッカが騎士団の部屋から出てきた。二人に感謝した兵士たちがエーテルをくれたのでそれを飲ませて少しだけ休憩する。まだ体がふらつくが時間がたてば治るというマールの言葉を信じてゼナン橋に向かった。あんまり行きたくないなあ、今俺過去に類を見ないくらいナーバスだからさ。


「戦場に行く、か。はあ……なんでこんな事になってるんだろ、今すぐ帰ってまたお祭りでも楽しみたいよな」


 俺の愚痴は二人には届かず、ふと俺だけがなあなあでこの旅を続けてるんだなあと自分を省みた。






 ゼナン橋に着くと、まさにそこは戦場だった。
 橋の中央で骸骨の魔物たちと兵士が切り結び、鎧が砕けさびた鉄の槍が肉体を貫き、動きを止めれば四方から迫る槍に串刺しにされる。死体はそのまま槍に突き刺された状態で魔物たちが楽しげに振り回している。その異常な行動を目にした兵士の一人が喉から悲鳴を吐き出し逃げ惑う。悲鳴を上げて走り回る兵士にかたかたと骨ごと剥き出しの歯を鳴らし骸骨の群れが飛び掛る。命乞いなど、耳の無い奴らには無意味だと分かっていても、自分の体が少しづつ喰われていく様を見て行わない者等いるだろうか? そんな状況は橋のそこかしこで起こっている。……が、それを助ける者などいない。一人それを見た近くで戦っていた兵士が助けようとして骸骨の群れを追い払おうと剣を振り回し近づくが、そこを後ろから貫かれて絶命する。これが一度や二度でなく確実に繰り返されたなら、誰が他人を助けようとするだろう? 優しさや人間性の問題ではない、ただただ無駄なのだ、この魔物たちとの戦いで他人を気遣うというその行為が。
 さらに気づいたこと、それはこの戦場を少しでも見ていれば分かる。魔物たちの攻撃は正確に兵士の命を奪い取ることに対し、兵士達の攻撃はほとんど役に立っていない。力を溜めて、剣の大振りを当てれば骸骨の魔物を砕くことは出来る、だが小さな隙を突いた攻撃程度では傷を与えることしか出来ない。加えて骸骨のモンスターに痛覚などあるわけが無いし、その体力は無限。これは戦いではなくもはや虐殺へとその容貌を変えていた。


「うう、血の臭いが凄い……」


 ルッカが座って、手を口元に当てその臭気に耐えていた。この光景を見て気を失ったり吐かないだけ凄い精神力だよ、俺なんか足が震えて動けそうも無い。
 マールは目を大きく開いて戦場を眺めていた。唇からは強く噛み過ぎて血が流れ、ふー、ふー、と息を荒くしていた。……怒り、なのか?


「! もしや王妃様を救ったクロノ殿ですか?」


「あ、ああ、そうです。あの、これ食料の補給を頼まれて持ってきました……」


 金色の甲冑を纏った兵士……その風貌から恐らく騎士を束ねる階級、騎士団長だろう、に声を掛けられて俺の竦んだ体が動き始めた。
 俺のまだ震えている手で渡した食料の入った包みを見て、騎士団長が「こ、これは!?」と驚きの声を上げた。


「そうですか、あいつが……クロノ殿、もし私がここで死んだならば、弟に……何事だ!!」


 俺に何かを伝えようとした騎士団長が、息を乱しながら走りこんできた兵士に大声を出した。血相を変えたその兵士は呼吸を整えることも忘れて現在の戦況を報告し始める。


「はあ、はあ、ま、魔王軍が、と、突撃を始めました! もう支えきれません!」


「弱音を吐くな! ガルディア王国騎士団の名誉にかけ、魔王軍を撃退するのだ!」


 騎士団長の激励にも兵士の士気は上がらず、涙と鼻水でまみれた顔で首を振る。


「し、しかし、もう兵の数が……騎士団長! もう、もう終わりです! 第一騎士団も第二騎士団も皆死んでしまいました! 残っているのは第三騎士団が半分以下、第四騎士団も瓦解するのは目に見えています!」


 兵士は逃げさせてくれ、もうこんな狂った場所から解放してくれと叫んでいるように見えた。
 騎士団長も戦列の立て直しは不可能だと悟り、苦々しい表情で歯軋りを鳴らす。


「ここが最後の防衛線なのだ。もう一頑張りしてくれ!」


 騎士団長はきっと分かっている。自分は兵士たちに死ねと命じているということに。
 兵士もまた分かっている。自分は死ねと言われていることに。
 枯らした声で、足も震えて、鎧も兜も剣もボロボロで、戦いに耐え切れそうも無い装備で、ぐしゃぐしゃになった顔を振り、兵士は「分かりました」と応えた。
 ……何でだ? 逃げればいいじゃねえか、今戦いに行っても勝てるわけねえのに……


 よたよたと死地に向かう兵士を見送り、騎士団長は俺たちを見回して、兜を脱いだ。……なんだ? まさかあんた……


「クロノ殿、そして御仲間の皆様。どうか、どうか我々に力を貸してくださいませんか? どうか私の部下を助けてくださらんか?」


「言われなくてもそのつもりよ! クロノ行こう!」


「武器の類は効かなくても、私達には魔法があるしね。それでも油断はしちゃ駄目よ二人とも!」


 騎士団長の頼みに二人は自分を鼓舞させて戦いに挑もうとする。
 ……お前ら、本気なのか? それ、冗談とかじゃないんだよな?
 俺がいつまでたっても動かないことに二人が不思議そうな顔をする。不思議なのはお前らだよ、ふざけるな。


「クロノ殿……? あの、どうか」


「……冗談じゃねえ」


「……? あの、今なんと?」


「冗談じゃねえって言ってるんだよ!」


 俺の出した大声に騎士団長はたじろぎ、ルッカとマールはどうしたのかと驚いて俺を見る。だから、俺からすればお前らの行動に驚いてるんだよ。


「俺たちにはここの橋がどうなろうと関係ない! そりゃあ可哀想だと思うし同情もするけどさ、騎士団長さんの部下がどうなろうと俺たちには関係ないんだよ! それに、ここに食料を持ってくる時も思ったけど、俺たちは一般人なんだよ! 本当、いい加減にしろよな、俺たちを巻き込むなよ! 俺たちはこんな戦争なんかで死にたくないんだよ!」


 そりゃあ、今までだって死ぬ危険がある時はいくらでもあった。王妃捜索の時だって、刑務所内での戦いでも、未来で巨大マシンと戦ったときも死ぬかもしれないと思ったさ。でも……今回は間近で見せられた。死ねばどうなるのかをじっくりと見てしまった。こんなの戦えるわけがない、俺たちに魔法の力があるからって他は普通の人間なんだ、まだ子供なんだ、あいつらの槍に刺されたら死んじまうんだ! だから……


 パァン! と音が響き、俺の頭が強制的に捻られる。頬が火傷したみたいに熱い。思わず掌を当ててみれば、痛みが顔中に広がり、そこでようやく俺は叩かれたのだと気づいた。


「俺たち俺たちって、勝手に私を入れないでよクロノ。少なくとも私は関係ないとは思わないし、巻き込まれて迷惑とも思わない。私たちだってこの橋が魔王軍に占領されたら、この旅が終わっちゃうんだよ?」


 マールが俺を睨んでいる。その顔は、現代で城を飛び出したときに国王に向けていた敵意の顔。今までマールには色んな顔を見せられた。笑顔にむくれた顔、悲しい顔に裁判のとき見せた泣き顔。でも、こんな風に敵意を見せたことがあったっけ?


「クロノはこの戦いを見て何とも思わないの? 私たちに力が無いなら、それでいいかもしれない。でも私たちには時の最果てで得た力がある! 私たちなら戦えるの、ううん、私たちだからこそ戦えるの! あの人たちを殺させないですむんだよ!? クロノは……クロノはそんな自分勝手なことを言って、恥ずかしいとは思わない!?」


 ……段々腹が立ってきた。何でそんなに責められなきゃいけないんだ、俺は間違ったことなんて一つも言ってない。別に俺は力なんて欲しいと思っちゃいなかった。そもそも、この旅の目的にだって俺は納得してないんだ、それを……!


「この旅が終わる? 清々するね、最初から未来を救うなんて大言壮語には嫌気が差してたんだ。元々マールの我侭で始まった旅なんだ、この辺で止めてもいいんじゃないか? どうせ王女様の遠足感覚で切り出しただけなんだろうが!」


 マールの顔が蒼白になり息を呑む。ルッカもおどおどと俺とマールを見比べてどうしようと悩んでいる。マールに叩かれて口が切れたので、口内の血を地面に吐き出す。その唾液交じりの血液が地面にへばりついた途端、マールが突然目を怒らせて俺の襟首を掴んだ。


「遠い未来のことだから自分には関係ない? 未来のことは未来? 賢いんだねクロノ、保身第一な考えって楽だもんね! 遠足感覚? 馬鹿にしないでよ、私はちゃんと考えてる! 頭が悪いからあんまり意味無いって思うかもしれないし、関係ない人たちも助けようとする馬鹿って言われてもいいよ! だったらクロノは助けられる力を持っていても使わない、場の雰囲気に怖がっちゃったただの臆病者じゃない!」


「……! お前なんか……」


 場の雰囲気に怖がった? ああ確かにそうだよ、そこらに死体が転がってる今のこの状況が怖くて仕方ないよ、だからってわざわざ指摘するか普通? ふざけるなふざけるなよこの女!!


 ──どこかで冷静な自分が止めろと叫んでいる。


 マールに襟首を掴まれたまま俺は右手の拳を握り持ち上げる。


 ──俺は何をしようとしている? 俺は何を口にしようとしている? それは駄目だ、それは決定的になってしまう。たとえどちらを彼女に放っても。


 俺が何を言おうとしたか分かったルッカが俺の言葉を遮ろうと言うな、と大声で叫ぶ。
 俺が何をしようとしたか分かった騎士団長が俺の右腕を抑えようと両手を伸ばす。
 でも、それらは全て間に合わなかった。


「助けるんじゃなかった!!」


 俺が振りぬいた拳はマールの綺麗な顔に当たり、彼女はその大きすぎる心とは正反対の軽い体を地面に横たえた。


 ──もう、戻れないや。


「マール!」


 絹を裂くようなルッカの悲鳴で、俺は我に返った。マールは信じられないような顔で俺を見上げて、騎士団長がその体を起こして立たせる。……違う、俺は、こうなりたくて今まで戦ってた訳じゃない。だからそんな目で見るな。


「クロノ殿、貴方の助けはもう必要ありません。勿論恨みもしませんので、どうぞお引取り下さい」


 言葉は礼儀を形作っていたが、俺を見る視線には軽蔑という悪意しか見られなかった。騎士団長の言葉に何も言えないでいると、今度は立ち上がったマールが俺を通り過ぎて橋の入り口に立つ。走り出す直前、聞かせるつもりはなかったのかもしれない小さな声が、風に乗って俺に届いた。


「……もう、クロノの友達になんか、なりたくないよ」


 走り去るマールの背中はもう震えていない。足もしっかりと前に動き出せているし、手を大きく振って少しでも早く兵士達の下に向かおうとしている。
 ……ただ、彼女が俺に聞かせた最後の声は、震えていて、聞く者の胸を締め付けるものだった。
 続いて立ったまま動き出さない俺を一瞥して騎士団長がマールの後を追う。
 最後に、両腕を胸の真ん中に置いたままルッカが俺に歩を進める。どうせ呆れてるんだろ? 罵声の一つも浴びせればいいじゃないか。
 俺の考える、いや、望む反応をルッカはせず、俺と同じようにただ俺の前で立っているだけだった。
 何をやってるんだよ、と怒鳴ろうと顔を上げれば、ルッカは泣くでもなく、怒るでもなく、ただ微笑んでいた。それは……いつ頃以来だっけ? そんなに優しい顔をしたのは。
 俺が何か喋ろうと口を動かせば、ルッカはいつも通り、いやそれ以上に感情の見えない顔で俺を見据えていた。


「もしかしたら、これがあんたに見せる最後の笑顔になるかもしれないから……でも本当は……待ってる」


 それはこれから先俺に笑顔を見せるつもりなど無いという意味か、この戦いで死ぬかもしれないという暗喩なのか……両方なのか。最後の言葉の意味は? 俺が聞きだす前に、ルッカもまた俺が逃げた戦場の中に走っていった。


「……俺は……間違ってない、はずだ」


 誰だって死ぬのは怖い。歴戦の戦士だとか、何かの悟りの境地に至ったとかなら分かるさ。でも俺はつい最近まで命のやり取りなんかしたことなかったんだぜ? 今まで潰れなかっただけ俺は凄いじゃないか、偉いじゃないか。マールもルッカも褒めろよ、俺を褒めてくれよ。
 ……あれ、俺ってマールとルッカを褒めたことあったっけ?
 助かったとか、サンキューとか、凄いなお前とか、戦闘で活躍したときとかに感謝したり褒めたりしたことは何回かあったと思う。でも、命を賭けて戦うなんて凄いなあなんて言ったか? 言うわけないよな、俺だってそうだったんだから。でもそれなら逆説的に言って、


「……あいつらが俺を褒めてくれるわけ、ないよな」


 一人思考に没頭していると、いつも曇り空だった中世の空が泣き出して、俺の体を責め立てる。いいぞ、そうして俺を責めてくれるなら俺は俺の罪悪感を薄れさせることができるんだから。
 ああ、でもこの雨はあいつらの体にも降り注いでいるはず。なら結局あいつらは俺を褒めてくれない、慰めてくれない。どうすればあいつらは俺を認めてくれるだろうか?


「……もうマールは、俺と友達になってくれないのかな?」


 あんなに明るく楽しそうに笑う子なんて、俺の周りにはいなかったなあ……
 雨が降ってぐずぐずになった地面に寝転がる。気持ち悪い感覚だけど、これはこれでいい。
 俺は目を閉じて、マールが俺に笑いかけてくれた記憶を思い返すことにした……








「騎士団長! ボスクが、俺の部下が!」


「落ち着け! 冷静さを失うことが戦場では命取りだと教えただろう!」


 騎士団長さんが恐慌状態の兵士の皆に声を掛けるけど、効果は薄い。多分だけど、今回みたいに本格的に魔王軍と戦うのは初めてなんだと思う。小競り合いは頻繁に、けれど総力戦は極力避けていたのかな。
 私は息のある人たちに回復魔法、ケアルをかけて戦場に復帰させる。本当は後方に待機させたいんだけど、皆自分からまた剣を取り戦おうとする。ルッカは先頭に立って炎で骸骨達を焼き払う。あいつらは魔法の力に極端に弱く、裏山のモンスターたちと変わらないくらいにあっさりと倒していった。
 私も治療の合間に攻撃魔法アイスを骸骨の群れに叩き込むけれど、ルッカ程の威力が無い私の魔力を攻撃に回すよりも回復に専念しなさいとルッカが炎を撒き散らしながら言う。あいつらに手を下せないのは悔しいけれど、私は私の出来ることをする!
 ……ただ、何でだろうか? 兵士の皆が前衛として戦ってくれてるのに、今までに無い数の仲間がいるのに、どうしても前衛の壁が薄く感じてしまう。
 その疑問の答えを私は捨てた。その度また心許なさを全身で感じてしまう。
 口ではなんと言おうと、彼は強かった。彼自身は「俺ってこのメンバーに必要?」と皆に聞いてしまうくらいだから強いとは思ってなかったんだろうけど、彼がいればどんな敵にも勝てる気がした。
 未来では途中で抜けた私だけど、大きなミュータントや暴走した機械たちが私たちを狙って大勢現れても、視線の先に彼がいるだけで、彼が刀を抜くだけで負けるわけがないと無意識に感じていたのだ。
 巨大マシンとの戦いでもそう、彼一人を残してルッカの治療に専念したのは、彼ならどんな相手でも勝ってしまうと思っていたからだ。
 ……私自身が気づかないうちに、私は彼のことを……


「ヒーローみたいに……思ってたのかなぁ……」


 治療中の私を守る声が辺り一帯に聞こえる。でも、どれだけ声が重なろうと、私の背中の寂しさを消すことはできない。








 モンスターたちが兵士をターゲットから外し、私に狙いを集中して襲い掛かってくる。骸骨たちの持つその槍が私やマール、兵士達全員に届く前に燃やしてればまあ、当然かしらね。
 結構な数の魔物を焼いたとはいえ、まだまだ敵の戦力は残っている。私はメンバーの中でも一番魔力量が多いため、まだ戦っていられるが、このペースでは尽きるのも時間の問題。しかし、怪我人は増える一方の状況でマールに回復と攻撃を両立して行えというのは酷過ぎる。


「ちっ! ロボがいれば一発で消せたかもね!」


 ──本当に? 本当に私が望むのはロボなの?
 ……一々うるさい、分かってるわよ自分の考えなんだから。
 ふと浮かんだ思考に一人で噛み付く。ああ、疲れが溜まっておかしくなったのかしら? そう思いながらも私は手を休めず詠唱を続けてファイアを唱える。急いで唱えた呪文に、私の魔法の威力じゃ一度に四匹くらいが限度か……それ以上は巻き込んでもダメージはそれほど与えられずにまた襲い掛かってくる。
 ……あいつがいれば、単身敵陣に切り込んで場を引っ掻き回したりするんでしょうね。
 そうすれば私は落ち着いて練った魔法を唱えられるし、兵士達に攻撃も行き辛いでしょうからマールも攻撃に参加できる。なんならあいつの武器に電撃を纏わせる技を兵士達の武器にかければかなり戦局は動くはず……


「……いない人間を当てにするとは、ルッカ様も落ちたわね!」


 炎を走らせている内に、目に見えて力が弱まっているのが分かる。短い間隔での連続魔法詠唱、精神集中だってモンスターたちの攻撃を避けながらじゃ落ち着いて出来るわけがない。
 ……だから? それがどうした、私はルッカだ。相手がモンスターの軍勢であろうが魔王であろうがロボ風に言えばそれこそ運命をつかさどる神様だったって私を負かすことは出来ない、私が負けるのはこの数ある時代の数ある世界の中で唯一人。


「さっさと立ち上がれってのよ……あの鈍感ツンツン頭が……!」


 戦局は劣勢、攻撃も回復も追いつかないこのゼナン橋防衛戦。人間達は思い思いの感情を抱くが、統括すればそれは絶望と呼べるものだった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:46
 しとしとと雨が降り続く中、ルッカとマールが戦闘に参加して一時間が過ぎ、ゼナン橋では今だ剣戟の音が遠く彼方まで鳴り響いていた。


「はあ、はあ、はあ……フ、ファイア!」


 魔法の力は心の力、なるほど、今の磨耗した精神力ではまともな魔法など出るわけがないか、と掌から微かに生まれた炎を見てルッカは自嘲する。倒しても倒しても現れる骸骨の群れ、対してこちらは兵士達の武器が大半破壊され、中には手甲を武器に殴りかかる者までいる。ルッカと同様にマールの魔力も底を尽き、回復呪文の詠唱を口にしても魔法が顕在することは無い。


(ボッシュから買ったポーションも無くなったし、兵士たちが携帯しているエーテルやポーションのような回復薬なんてとっくに無くなった……厳しいわね、ちょっと楽しいくらいよ!)


 魔力が残っていないのならばとルッカは魔法を使うことを止めて今まで敵に向けていた掌にプラズマガンを握らせて連射する。僅かなりにも属性効果のあるプラズマガンだが、兵士たちの攻撃よりは効いているという程度のダメージ。それだけの攻撃で魔物の行進は止まらない。ましてやルッカ以外の人間は騎士団長以外腰が引けて打ち合うということすら避けている状況、王手詰みは近い。


「まだだ! まだ逃げるな! 我々の本分を思い出せ! 我々の名を思い出せ! ガルディア騎士団とは名ばかりの臆病者たちか貴様ら!」


 騎士団長が部下たち全員に発破をかけるが、皆反応は同じ。一様に項垂れて、挑発染みた言葉に何も言い返すことは無い。
 彼らは思考する。俺たちは頑張った、だからもう逃げていいんじゃないか? 今まで魔王軍なんてバケモノたちと戦ってきたんだから、城に帰還してもいいんじゃないか? その結果村が襲われ民が殺されても誰が俺たちを責められる、俺たちは褒められるべきだ、称えられるべきだ、と。奇しくもそれは、対岸で目から光をなくしているクロノとよく似た考えだった。


「はっ、はっ……もう……魔力は使えない……なら!」


 眩暈を気力で我慢して、マールは未来で拾った白銀の弓を手に取り魔物の軍勢に矢を放つ。ルッカのプラズマガンとは違い、マールの弓に属性付与は無い。骸骨たちの骨を折ることはできるが、全身をバラバラにさせるには到底至らない。足を狙い速射するが、一、二匹倒れこんだところで行進スピードに影響は無い。マールは自分の無力さを恨めしく思いながら、それでも愚直に弓矢を打ち続けた。


 一人、また一人と兵士達が血の海に沈む。騎士団長の近くにいる兵士が「これで第三騎士団は全滅だ……もう駄目です! 逃げましょう団長!」と逃亡を求めたことを皮切りに、兵士達が団長の制止も聞かず各々うろたえて騒ぎ出した。その声は「逃げないならいっそのこと投降しよう!」「馬鹿、モンスター相手に何言ってるんだ! 笑って殺されるのが目に見えてる!」「もう嫌だ! 勝てる訳無かったんだこんな戦い!」と言葉の形に違いはあれど、思いは一つ、もう戦いたくないということだった。残った第四騎士団の中には少年兵も数名在籍していたようで、今は遠い父や母の名前を叫ぶ者もいた。


 それらの嘆く声に騎士団長は笑う。楽しいからではない、悲しいからでもない。もう悟ったからだ、これ以上戦い続けるのは無意味、そして無理だと。


(確かに、部下たちはよくやった。私は団長として、サイラスの代わりとして逃げるわけにはいかんが、こいつらはもう逃亡させるも、そして両親の元に帰らせるも自由にさせてやるべきか……)


 腹を決めた団長が退却を宣言しようと息を吸う。もう充分だ、これ以上何が出来る? これはもう戦いではない、蹂躙だ。我々がこれ以上命を賭けようと、散らそうと何の意味も無い。ならば短い間とはいえ生を選ぶのが当然ではないか……


「違うよ」


 騎士団長の、呼吸が止まる。


「全然違うよ、そんなの私たちガルディア王家の者が選ぶ道じゃない」


「マール殿? 貴方は一体何を?」


「控えろ!」


 その号令を耳にした途端、敵がすぐ傍まで近づいて来ているのに、今まで逃げろ逃げろと騒いでいた兵士達ですら反射的に膝をつき頭を垂れた。


(……何故? 何故我々はマール殿に、いや、このような小娘に気圧されて膝をついているのだ?)


 理解が出来ない。事実上壊滅してしまった今では体裁も整えられないが、仮にも自分達は誇りあるガルディア騎士団。何故先ほどまで名も知らなかった娘に騎士にとって最大限の礼を捧げているのか?


「……リーネ王妃」


 さっきまで騎士たちの筆頭となって喚いていた兵の一人が思わず口にしてしまったという顔でマールを見上げていた。その言葉につられて周りの兵士も伝染するように顔を上げて「リーネ王妃?」「リーネ王妃だ!」「リーネ様なのか? ただ似ているだけじゃなくて?」「でも……あの威圧感、堂々たる振る舞いはどう見ても……」と口々に疑惑の声を上げる。それらの声を全て断ち切るようにマールは橋の木板に強く足を叩きつけて場を静寂とさせる。その覇気、その迫力に物言わぬモンスターたちですら立ち止まりマールに圧倒されていた。


(マール……貴方)


 動きを止めていたのは兵士やモンスターだけではない。マールの友人であるルッカもまた彼女の豹変に気を取られ、銃口を下げていた。ルッカは感じる、背中に何か熱いものがぞくぞくとこみ上げてくるのを。何かがこの場で起きることを確信していた。


「私の名はマール。ごく普通の女の子であるただのマール。でも、今だけは違う!」


 右手を広げて演説をするように兵士達を見渡す。その数20弱。マールたちには知る由も無いが、残るモンスターたちの三分の一程度の数だった。
 マールの眼には光が溢れ、見る者に力を与える。もしかしたら、自分は立てるのではないか? と思わせる。もしかしたら自分はまだ剣を握れるのではないか? と思考させる。もしかしたらまだこの戦いに…………と希望を見せてくれる。


「聞けガルディアの誇りある騎士たち! 私の名はガルディア家34代目王女、マールディア! 私の後ろで逃げ惑い生を謳歌するならばそれも良い! 私を置いて各々の思い人の元に走りたければ止めはしない! だが……」


 一拍置いて、マールはもう一度兵士達の顔を、目を見る。もしかしたら…………自分達は最強の騎士団なのだと思わせる何かが、その大きな瞳に灯っていた。
 兵士達は幻視する。目の前の少女が美しい純白のドレスを纏っている姿を。その姿は見るものを昂揚させ、自分達が騎士である事を思い出させた。


(……なんと勇ましく、そしてなんと神々しいのだ、この少女は)


 騎士団長の口からもれる音は言葉ではない。戦場において無駄な口を叩く騎士などいないのだから。
 騎士団長の目から溢れるものは涙ではない。戦場において涙を流すことほど無様な事はないのだから。
 騎士に必要なものは敵を圧砕する力と技、何者にも負けぬ強い心。残るは一つ、入団試験のときから胸に留めている基本にして最も重要なもの。


「私の隣で戦うならば! 私の前で敵を切り裂く刃と化すならば! そなたらは誇れ! 自分はあらゆる歴史において比べることの出来ぬ天下無双の騎士であると!」


「うおおおおおおおおおお!!!!!」


 国に使える、忠義のみ。







 星は夢を見る必要は無い
 第十三話 ゼナン橋防衛戦(後)










「ギガガガガガッ!!」


「砕けろバケモノどもがっ!!」


 醜い悲鳴を上げる魔物を一刀のもと切り伏せて、兵士たちは前進する。訓練もせず、ただ魔物の身体能力だけに頼った攻撃など受ける理由が無い。敵の伸ばした長い槍を掴み振り回して橋の下に叩き落す。武器が砕けてしまった兵士は敵の槍を拾い、奪い、果敢な動きで敵陣に突撃を続ける。
 止まるなかれ、止まれば王女様に追いつかれてしまう。彼女の隣に立ってともに戦う、それが悪いこととは思わない。ただそれでは騎士とは言えぬ。彼女の後ろで敵に背中を見せて逃亡するなど男とすら言えぬ。目の前で奇怪な音を鳴らすバケモノどもは怖くない。怖いのは後ろで自分達を追いかけて、王女の身でありながら魔物と戦おうとする彼女の存在。
 追いつかれるな、彼女が触れる前に魔物を切り、砕き、叩き落せ、彼女に魔物の汚い手が触れることなど言語道断、彼女の美しい手が魔物に触れることなどあってはならない。


「足を止めるな! 我々が恐れる事は死ではない! 我々の恐れるものは何か!? 自分で思い出せ!」


「おおおおおっっ!!!」


 騎士団長の激励が兵士達の前進速度を上げる。魔物の群れはあまりの早さに対処が遅れて後手に回り、反応する前に骨の破片となって海に落ちていく。
 ゼナン橋防衛戦、この終盤で人間達の猛反撃が始まった。








 雨足が緩み、騎士団の叫びが橋の外まで響き渡ってきた。それほどまでにマールの言葉が胸を打ったのか。
 ……完全に部外者となった俺でも胸が熱くなったんだ、騎士団の奴らが燃えない訳はねえよな。
 いつのまにか俺は立ち上がってマールたちの戦いに見入っていた。騎士団は猪突猛進、自分達の命をマールに捧げるという勢いで剣を振るい槍を払って体を弾に変えて雪崩れ込んでいる。あいつらは普通の人間なのに、魔法も使えないのに、戦いを生き抜き誰かを守っている。


「……俺は、一体何なんだよ?」


 人とは違う魔法という力を持っている。あいつらが魔法に弱いのは実証済み、その上俺の仲間があそこで戦っている。
 なのに……俺は何もしていない。俺がやったことはマールを傷つけて殴り飛ばしただけだ。一つだって役に立ってない、むしろあいつらの戦気を削いだだけじゃねえか。
 マールやルッカが危なかったことは両手じゃ数え切れないほどあった。その度俺は走り出そうとするが、近くに転がる兵士の死体が俺を金縛りにさせる。問いかけてくるんだ、「お前は死にたくないだろう?」って。体が動かない間に危機は去って、安堵する。また敵の凶刃が迫り動き出そうとするが、足が根を張ったように動かない。俺は……あいつらみたいに死ぬという恐怖から抜け出せない。
 俺はどうやって戦ってきた? 王妃や巨大マシンという強敵を相手に俺はどういうことを考えていた? 今や俺にプライドは無い。仲間のいない今の俺では誰かにすがる理由も無い。俺は何を思ってあの死地に赴けばいいんだ?


「誰か……誰か教えてくれ」


 返事は返ってこない。本当に誰でも良いんだ、誰か俺の背中を押すだけで良いんだ、そうしたら俺の足や体を縛る縄が解けるんだ。胸を張ってまたあいつらと仲間でいられるんだ。
 俺がこの旅に納得していないのは変わっていない。未来なんかどうでもいいし、魔王がラヴォスとかいうバケモノを召還したって全然構わない。ただ……ただ、あいつらと離れるのは嫌なんだ。
 いつも近くで俺を守り俺が守ってきたルッカと離れるのが嫌だ。
 太陽みたいに笑っておっちょこちょいで時にとんでもない芯の強さを見せ付けるマールに嫌われるのは嫌だ。
 いつも変な妄想ばかりしてるけど優しくて泣き虫なロボと笑い合えないのは嫌だ。


「何だよ、俺、嫌だ嫌だ言ってるだけで何にも出来ねえのかよ?」


 近くに転がる兵士が俺を睨んでいる気がする。何でお前が生きてるんだ、俺みたいに勇敢な人間が死んで何でお前みたいな臆病者が生きてるんだ、この恥さらし、としつこく責めてくる。
 ……もういいや、別に何言われてもその通りなんだから、反論のしようがねえよ。


 溜息を吐いて、今度こそ立ち上がれないくらいに深く座り込む。半端にやろうなんて思うから駄目なんだ、もう見捨てよう、あいつらならきっと勝てるさ、そうしたら一人でゲートを使って家に帰るんだ。母さんと一緒に暮らして、つまらない職業に就いてぼんやりした毎日を送る。幸せなことだろ?


「……死にたい」


「それは困ったの、人数分作ったというのに余ってしまうわい。じゃから止めとけ」


「……え?」


 俺の独り言を拾い上げたその人物は、にっと笑って橋の上を歩いていった。






「よし、この勢いなら橋の外まで魔物を追い出せそうね!」


 これだけ喧騒としている中で、誰かに聞こえるとは思わず私は言葉を口にした。
 マールは本当に凄い、あれだけ意気消沈していた兵士達をここまで高ぶらせて戦局をひっくり返せるのだから。……彼女、現代みたいな平和な時代じゃなくて、中世とか戦争のよく起きる時代に生まれてたら世に名を轟かせたんじゃないかしら? 言葉は拙くとも、あの迫力はそん所そこらの兵士には出せないわよ?
 魔法を使わずプラズマガンだけで応戦していたお陰で魔力が少しづつ回復していった。ぶつ切りに私は敵のど真ん中目掛けてファイアを打ち込み敵の混乱を誘う。その隙を兵士達がかかさず突撃で活用していく。いや、マジでこれだけ勢いのある騎士団はガルディアだけじゃないのかしら?
 兵士達は致命傷は避けて、小さな怪我をものともせず突き進むのでマールも治療に魔力を裂かずにすみ、私と交代しながらアイスを放つ。俗っぽく言うなら、パターンにハマッたわねこれは。


「ぬーん、人間風情が生意気じゃー!!」


「え?」


 がらがらのだみ声が聞こえたと思えば、私たちが来る前に死体となった兵士達が立ち上がり、私に剣を振りかぶってきた。


「ルッカ殿!!」


 危うく脳天を割られるところで騎士団長が兵士の剣を手甲で遮り事なきを得た。でも何で? 相手側に死体を操る魔物がいたってこと!?


 騎士団の皆がいきなり立ち上がってきた戦友たちに戸惑っていると、骸骨たちが端に移動して、列が出来る。その中から随分と高級そうな服を着た緑色の鯰みたいな魔物が下品な笑い声を上げて現れた。……全く、高笑いのなんたるかを分かってないわね。


「ワシは、魔王様第一の部下魔王三大将軍の、ビネガー。偉大なる魔王様の敵に、死を! ワシのかわいい息子達よ! こやつらに死を与えるのだ!」
 

 ビネガー? なんかそんな名前の調味料だかなんだかがあったわね。
 下らないことを考えていると、ビネガーが腕を振るい、また死体だった兵士達が立ち上がり私たちに攻撃してくる。
 マズい、騎士団の皆は死んで敵の傀儡となったとはいえ、自分の仲間を攻撃するのに躊躇い士気が下がってきている! しかも乱戦になれば誰が生きている兵士で誰が死んでいる兵士か区別できない! ビネガー、腹の立つ笑い方だけど結構いやらしい効果的な方法を使うじゃない……!


「んふふふふ、わしの魔力に恐れ入ったか人間どもめ! さあ、大人しく死ぬがいいわー!」


 くそう、性格的に残念そうな奴が一人加わっただけでまた劣勢に塗り替えられたわ!
 騎士団もさっきまでの勢いがまるで消えうせて、疲労が溜まってきてる。……無理も無いかしらね、さっきまでの勢いが奇跡だったんだもの。


「……ルッカ」


 マールが難しい顔をして私の近くに立つ。やっぱりマールにも分かるみたいね、騎士団の状態も、今の状況がどれだけ悪いかも。
 ビネガーの魔法がどんなものかは分からないけど、多分この橋の上に倒れている騎士団全員の死体を操れると思って間違いなさそう……今すぐ全員の死体を操ってこないところを見る限り、ある程度の距離内にある死体しか操れないみたいだけど……仮に今から引いたとしても、ビネガーが追いかけてきて後ろにある死体を動かせば退路が塞がれる。……考えろルッカ、私は天才なのよ、どんな状況でも突破口を見つけ出せるはずなんだから……!


「何、簡単じゃよルッカ。わしがこやつらを全員蹴散らせば良いんじゃ」


 どこかで聞いた老人の言葉に振り向こうとしたその時、後ろから巨大な針が飛んで高笑いしているビネガーの眉間に突き刺さる。うわ、あれで死なないんだ。


 ビネガーに攻撃が当たり魔法が解けたのか、騎士団の死体は動くことを止めてその場で倒れ始める。続けて人間の力で飛ばしたとは思えない槍の投合が始まり、骸骨たちを槍一本に突き三匹ほど巻き込んで骨塊を作り出していく。


「ふむ、ちいと物足りないが、さっさと終わらせんと王妃が拗ねるでな、早めに決着をつけようぞ」


 右手を異形の形に変えて、他の部位を人間の老人に変化して、杖をつきながら悠然と魔物の群れと対峙する。
 私たちの後ろから現れたのは過去、王妃を巡って戦った偽大臣、ヤクラだった。


「チョコレートが雨で溶けてしまう。時間は掛けたくない、行くぞ娘っ子。騎士団は下がっとれ、ここから先は魔法の使えん人間には厳しいものとなる」


 言うが早いがヤクラは老人に変化している脚力とは思えない速さで骸骨の群れに突っ込み、その中ほどで真の姿を現した。その巨体を生かした強力な突進で魔物をバラバラに、凶悪な腕力で骸骨を橋の外に叩き飛ばす。ヤクラめ、私たちと戦ったときは手加減してたわね? あの時の比じゃないわよその強さ!


 まだ戦おうとする騎士団の説得はマールに任せて私はヤクラと一緒に魔物の掃討を手伝う。正直何もしなくても片付きそうだけど、最後に出てきて美味しいところを掻っ攫おうなんてずるいのよ!
 私は自分の口が持ち上がっていくことを知りながら、今日一番の炎を出すべく精神を集中させた。








「ヤクラ……お前まで戦うのかよ?」


 あいつはここに一人でいる俺を責めず、ただ生きていろと言ってくれた。あの様子ではその後に行うだろう王妃要望のお茶会ならぬお菓子会にも俺を招待する気だろう。
 ああ、あいつの作るお菓子は美味かったっけなあ。きっと今みたいなどん底の気分で食べても美味いと思うんだろう。
 ──今更と言われるかもしれない。安全が確保できてから現れる屑と言われるかもしれない。だけど、前は敵だった奴ですら、魔物のヤクラですら人間たちのために戦っているのだ。……ああそうだ、俺が戦う理由が今見つかった。というか今決めた。ヤクラの登場が俺の背中を押してくれるなんて、なんだか癪だけど、感謝しよう。戦う理由もヤクラに関連することだけど、恥なんて思わない。俺の戦う理由なんて俗っぽいもので充分だ。


「精一杯動いた後で食べるお菓子の方が、美味いもんな」


 俺は雷鳴剣の柄に手を置き、風のように走り出した。








「くう~、なかなかやるな」


 私とヤクラのコンビに全ての骸骨が倒されたビネガーは後ろを向いて私たちに背中を向けて走り出した。こいつを生かしておけばまた戦いが続く、こいつの魔法は面倒くさいし、敵に残しておきたくないわ!
 ヤクラと一緒に逃走を始めたビネガーを追う。後ろからも騎士団を説得したマールが後を追いかけて走ってくる。マールったら、あれだけやる気溢れる騎士団を説得できるなんて、流石は私の友達ね!


「残るのはあの鯰じいさんだけ? へへっ、私たちの勝ちが見えてきたね!」


「安心するのはまだ早いわよ、あの緑鯰、見かけ通りにうっとうしい魔法を使うからね!」


「お主等、もう少し言い方というものを考えるべきではないか?」


 額から汗を流すヤクラ。いいじゃない、事実なんだし、あいつも自覚はしてると思うわよ? さっきから文句を言おうと振り返るけどモゴモゴ口を動かすだけで結局逃げてるし。


「あーんもう! 待ちなさいったら!」


「逃げ足だけは早いわね」


 いい加減覚悟を決めて欲しい。というか逃げるなら逃げるで一気に空間移動とかしてほしいものだ、中途半端に走って逃げるから私たちも本気で追わなくてはならない。いや、逃がすつもりは全く無いけどね。


「少々、お前達を甘く見過ぎていたようだ。しかし、今度はそうはいかんぞ。殺っちまえ! ……え?」


 振り返りざまにまた兵士の死体を動かし私たちを襲わせようとさせるが、死体が動き出した瞬間ヤクラがそれを弾き飛ばし海に放り込んだ。……可哀想だとは思うけど、ビネガーなんかに操られるくらいなら良いのかしらね……?


「下らんのう、これがわしの仕えていた魔王軍の幹部とは。これならこの金髪のお嬢さんに仕えていた方がずっと誇りを持てるわい」


「ち、ちくしょー! こ、今度こそお前達もお終いだぞ! ホントだぞ!」


 まさか瞬殺されるとは思っていなかった大臣が頭からカッカッと湯気を出してヤクラの挑発に腹を立てる。まあ、私もこいつが自分の上司なら仕事先を変えるわね、go○gleとかに。


「ふん、負けおしみね。顔に赤みが差して気持ち悪い色になってるわよあんたの肌。ナメック星人でももうちょっと分を弁えた色をしてるわよ」


「お前なら良いトコ最長老かの? ああ、勿論肌の色だけじゃが」


「二人が何言ってるか分からない……」


 今度貸してあげるわマール。中盤の展開は本当に燃えるわよ、尻下がりスロースターターの投手ゴクウが右投げ左打ちに変えようとする所なんか泣かせどころね。


「ぬううん! 行け、ジャンクドラガー! 魔王様の敵を叩きのめせ!」


「えっ!?」


 ビネガーが体中から魔力を放出すると、私たちの後ろに積み重なってあった骸骨モンスターの破片が動き出し、私たちの前で合体していく……その隙にビネガーはこの場を離れていった。


「あくまで自分は戦わずか……大した幹部じゃ、尊敬するわい」


 明らかな嘘をついて大臣は合体して人の形を造っていく魔物を凝視する。その大きさは私たちを越えて、ヤクラさえも越えて……背高五メートル程で合体が終わり、巨大な骸骨、ビネガーの言うジャンクドラガーが降臨した。
 上半身は人間のそれに酷似していて、時々肋骨の部分が開き呼吸をしているように見える。頭蓋の部分には一つ一つは小さいが数の多い歯がずらりと並び、目の部分には水晶のようなものが付いている。下半身にも眼球が存在し、腰骨の部分から牙のようなものが生えてあり、骨の癖にぐじゅると唾液のようなものを垂らしている。なにより理解しがたいのは下半身と上半身が連結されておらず、上半身のパーツが少し浮遊しているところか。重力の法則を無視するのは機械だけで充分なのよ!


「これは……モンスターのわしが言うのもなんじゃが、薄気味悪いバケモノじゃな……」


「どうしようルッカ、対策法は?」


「まだ戦ってないから分かんないけど……とにかく私とマールで全力の魔法を唱える、ヤクラはその間時間稼ぎをお願い!」


 心得た、とヤクラがジャンクドラガーに向かって突進を実行する。私とマールはすぐに魔法の詠唱を行い精神集中……するはずだったのだが。


「グガアッ!!」


「ヤクラ!?」


 迫ってきたヤクラにジャンクドラガーは伸ばした肋骨を突き刺し、そのまま天高くまで持ち上げた。その後何度か地面に叩きつけてこちらに投げ飛ばす。不味い、あの出血量は命に関わる!


「マール! ヤクラの治療をお願い! 私はなんとかこいつを抑えてるから!」


 私が言うまでもなくマールは体中から血を流しているヤクラに近づき、今まで唱えていた詠唱を破棄、すぐに回復呪文の詠唱へと切り替えた。
 私はジャンクドラガーに視線を移し、あの伸びる肋骨に注意する。とはいえ、私の瞬発力であのスピードを見切れるか? 小さな骸骨だった時に効果の薄かったプラズマガンがこいつに効くとは思えないし……


 敵の攻撃、私がすべき攻撃を分析する。少しの間睨みあって、長い連戦で切れかけていた集中力が途切れたのか、自分でも気づかない知覚の空白を縫ってジャンクドラガーが私に肋骨を猛スピードで伸ばしていた。
 ……駄目だ、この速さは私じゃ対処できない。例え細心の注意を向けていても、避けきるのは無理だろう。
 そのまま目を閉じてしまおうとする目蓋を意地で開きつつ、私は誰かが走る足音を聞いた。








 走りながら途中で落ちていた一際長い槍を拾う。長さは二メートル半。その光沢からモンスターたちの持っていた槍ではなく騎士団の誰かが持っていたものだと考える。


(……ここだな)


 近づいてくる俺の姿にマールが小さく驚きの声を出す。悪いな、いつまでもねちねち怖がっててさ、でも、今戻ったから。まだ怖いけれど、もう逃げたりしないから。
 手に持った槍を棒高跳びの要領で床に刺し、しならせながら反動で高く飛び上がる。視点はちょうどでかい骸骨のバケモノと同じ。随分高いところから人を見落としてるんだなお前、俺がお座りを教えてやるよ。


「だああああっらああぁぁぁぁ!!!」


 槍を手放した後すぐに雷鳴剣を抜き空中兜割りを叩き込む。真っ二つとは言わないが、ルッカに伸びる骨は止まり、地面に倒れさせることに成功した。俺の仲間に触骨プレイしようなんて性質が悪いんだよ。


「ク……クロノ?」


 呆然としながら俺に問いかけるルッカ。まあ、色々と言いたい事はあるがまずこれだけは言わせて貰う。


「ルッカ、チョコレートケーキは俺のだからな」


「え?」


 分からないだろうな、まあヤクラも気を失ってるみたいだし、この場で俺の台詞の意味が分かる奴なんていないだろうさ。
 でも良いんだ、俺の登場台詞はこれくらいがちょうど良い。決め台詞なんて用意出来るほど余裕のある人生送っちゃいねえんだから。さあ、ヤクラのお菓子会が待ってるんだ、王妃様が拗ねない内に終わらせちまおう。


「ルッカ! お前の出来る最っ高のファイアをぶつけてやれ! 俺が時間を稼ぐ、むしろ遅かったら俺一人で倒す!」


「な……! あ、あんたこそやられるんじゃないわよ! 後で治療するにもマールの精神力は限界近いんだから、あんたなんて回復してやらないから!」


 それ良いな、一発でも食らえば応急処置もしてくれねえのか、面白すぎるだろ。
 会話中に骸骨親分が肋骨を伸ばして俺を刺し殺そうとするが、俺は右側に避けて肉薄する。もうちょっと楽しませろよ、俺からすれば久しぶりの会話に感じるんだから!
 側面に立って下半身部分に回転切り。何処が急所だか分からねえんだ、とにかく滅多切りを敢行してダメージを与えてやる!


「ガアアアアッ!」


 ダメージを受けて、というよりうっとうくて吼えた様子だな、やっぱり雷鳴剣単独じゃあ効果が薄いか……? だったら。


「サンダー!」


 相手の頭上に雷を落とすタイプではなく、俺自身の体から電流を放出させる形で魔法を発動する。俺の体を伝って雷鳴剣に流れる電力がさらに増す。……今まで、これで切れなかった敵はいないんだ。お前にも効くだろうぜ!
 ザリッ! と嫌な音を立てて雷鳴剣が骸骨親分の左足を切り取る。本当は両足とも切り落とすつもりだったんだが……文句は言ってられねえか。


「ギグアアアア!!」


 骨でも痛覚があったのか、人間にやられて悔しいという感情があったのか、骸骨親分は耳を塞ぎたくなる奇声を発し、下半身が上半身から分離して治療中のマールに近づく。マズイ! 俺を無視してそっちに行くとは思ってなかった!
 焦って走り出そうとするが、骸骨親分の下半身はルッカの万全のファイアに焼かれて三歩と歩けず地面に炭を残した。俺に満面の笑顔でサムズアップをするルッカに俺は苦笑いを返す。
 お前、そんなトンデモな威力のファイアを俺に当ててたのかよ?


「なにはともあれ……残るは上半身だけだな、イリュージョン骸骨!」


 俺の近くに浮遊する上半身。しかしどうしたものか、俺の刀じゃ浮遊しているこいつには届かないし、相手に浴びせるタイプのサンダーも命中率は悲しいほど低い。ここはルッカのファイアを待つしかないか?
 ほぼ真下にいる俺に骸骨親分は口から火炎を吐きだして距離を取った。こいつ、火炎魔法が使えるのかよ!? 万能じゃねえか!


「クロノ! 距離を取られたらまた肋骨を伸ばして攻撃してくるわよ!」


「分かってるけどさ! 間近で火炎魔法ってのは辛いぜ!? どっちが厄介かって言えばまだ肋骨の方が避けれる分始末が良い!」


 火炎に服や腕を軽く炙られながら俺は転がって火を消す。ああ、一発も食らうつもりがなかったんだけどな……まあ、これくらいならマールの回復魔法じゃなくてもポーションで治るだろ。
 ルッカの言うとおり離れた位置まで移動した骸骨親分は肋骨を伸ばして俺とルッカに攻撃を仕掛ける。俺はともかくルッカにこれを避けるのは厳しいだろうと、雷鳴剣で肋骨を弾き飛ばす。……? 弾き飛ばす?


「おいルッカ! 多分この上半身には俺の魔法が効かねえ、切り飛ばすつもりで弾いてるのに傷一つつきゃあしねえんだ! お前の魔法が頼りだぜ!」


「……分かったわ、と、今完成したわ、があんたに言う言葉ね! さっきよりでかいの行くわよ! ファイア!」


 ルッカが呪文を唱えた瞬間、地面に生えている雑草が枯れて、俺も呼吸が苦しくなる。あの馬鹿、辺りの水素を蒸発するくらいの炎を出しやがった! 離れててくらい言えっつーの!
 その炎は形容するに業火球。上に掲げたルッカの掌の先でちろちろと炎の舌をちらつかせているそれは、業火球そのものよりもそれを作り出しにや、と笑っているルッカの方が恐ろしかった。赤く染まった大地の上で顔を歪めたお前って、正に魔王だよな。


「吹き飛びなさい! この三下アアアァァァ!!」


 骸骨親分に着弾した途端炎の竜巻がその場で生まれ、小さなきのこ雲を空中に浮かび上がらせた。飛び散った火の粉の一つ一つが骸骨親分の吐き出した火炎と同じレベルって……魔族を圧倒する魔力を持つ女。次代の魔王は決定したかもしらん。


「……クロノ、私たち、失敗した、かも」


「ああ? 何言ってんだよ。あんだけ凄い火炎だぜ? バラバラに吹き飛んだかドロドロに溶けたか、とにかくこれで俺たちの……」


 着弾地点を見ると、全魔力をつぎ込んだルッカのファイアを受けて、骸骨親分は無傷のまま浮遊していた。……おいおい、こいつ、俺の天の属性だけじゃなく、火の属性まで耐性があるのかよ!?
 完全に決まったと思ったんだけどな……とこぼしながら刀を構えると「私だって全力を出したのにこれなんだから、結構へこんでるわよ」と文句というか、愚痴を言われた。
 しかし天の属性、つまり雷関連の攻撃が効かないとなれば俺の雷鳴剣は勿論、ルッカのプラズマガンだって効くとは思えない。残るはマールの氷魔法だけだが、マールはヤクラの治療にかかって手が離せない。
 いっそ、そこらに落ちている普通の武器で切りかかるかなと思っていれば、マールの制止を聞かず傷だらけのヤクラが背中を起こしていた。


「マ、マール。わしのことは今は良い、まず先にあいつを倒すことを考えい……」


「駄目だよ! 貴方凄い傷なんだよ!? 私の回復魔法でもまだ完全には治せてないの! 早く寝て治療を続けさせて!」


「はあ、はあ……今ここでジャンクドラガーを倒さねば、どの道全員死ぬのじゃ、ならば、わしの治療よりも先に奴を倒すことを優先せんか……」


 何度も拒否をするマールだったが、ヤクラの説得に根負けして、俺たちの近くに走ってきた。……あいつ、ジャンクドラガーっていうのか。途中参戦だからその辺の情報全然知らないんだよな。


「……あの……クロノ」


「話は後だ、今はあいつにアイスを唱えてくれ。魔力はまだ残ってるか?」


「う、うん。あの人にかけるケアルの魔力を残しても、あと三発は撃てるよ」


「充分だ、頼んだぜ」


 詠唱に入ったマールを守るのが俺の仕事だ。とにかく動き回ってジャンクドラガーを俺に注目させる!
 地面を蹴り、時には石を投げたり雷鳴剣の鞘を投げたりととにかく俺だけに注意を集中させる。さっきの火炎で足をやられてなくて良かった。俺から移動力を取れば何も残りはしないんだから。俺にとって数少ない自慢の足で引っ掛き回せ!


「……!?」


 まだまだ体力が残っているはずなのに、体が重く感じる。意識も混迷としてきて、頭に血が入ってこない。まるで貧血のような眩暈が起きる。
 よく目を凝らしてみれば、俺の体から赤い光が漏れて、その光がジャンクドラガーの口の中に入っていくのが見える。これも魔法なのか? くそ、足に力が入らねえ……


 今が好機とジャンクドラガーが口を開き俺に迫る。肋骨を伸ばす遠距離攻撃じゃなく確実を期して直接噛み砕くつもりか!
 体を横に飛ばそうと左に飛ぶが、力が入らずに地面に倒れるだけとなる。あいつめ……最後まで切り札を隠してたのか……
 俺の体がジャンクドラガーの口に砕かれる寸前、マールと目が合った。その顔は頼もしそうに笑っていて、こんな状況でも俺は笑ってしまった。だって、これで俺たちの勝利が確定したんだから。


「アイス!」


 悲鳴を上げる暇も無く全身が凍りついたジャンクドラガー。氷塊となりながらもまだ氷の中で動いている生命力には感心するよ。
 俺は倒れたまま最後の力を振り絞り近くに刺さってあった槍を抜き、下から突き出して粉々に砕く。……これで、ゼナン橋の戦いは終わりだ……。


「やったわねクロノ!」


「ああ……あとは大臣を治療して……! マール避けろぉ!」


「ふぇ?」


 飛び上がって喜んでいたマールに体を砕かれながらも頭だけで動くジャンクドラガーが歯を伸ばして迫る!マールはまだ自分の身に何が起こっているか分かっておらず、ルッカの速度じゃ間に合うはずも無い! 俺は体の力が抜けて立ち上がることさえ……


 そこから世界がスローモーションとなる。
 御都合的に俺だけが動くなんて奇跡は働かない。
 ゆっくりと、ゆっくりと、マールの体にジャンクドラガーの鋭い歯が近づいて……


「どかんかリーネー!!!」


 そこで世界はクリアとなる。


「……え?」


 後ろからマールを押しのけたヤクラが、ジャンクドラガーに串刺しにされている光景を鮮明に見せるために。
 数十はあるジャンクドラガーの歯が、ヤクラの体を貫き、地面に咲く草花を赤く彩っていた。ヤクラから流れる血は止まるはずも無く、ジャンクドラガーが死んで塵と消えた後でもヤクラの傷だけは消えないまま、ドシンと地面を揺らしてヤクラが倒れた。


「ヤクラーっ!!」


 ルッカがすぐに駆け寄り、俺も力の入らない足腰を𠮟りながら這ってヤクラに近づく。マールは回復魔法を使うことも忘れて呆然と自分の顔に付いた血を手で拭い、倒れているヤクラを見つめていた。


「マール! 早く回復呪文を!」


 ルッカの声が耳に届き、マールはヤクラにケアルを使う。確かに傷は塞がっていくが、全ての傷穴が塞がるのには長い時間がかかると予想できた。ヤクラがそれまで生きていられるとは思えない。ただでさえ血を失っていたのだ、さっき動けたのも気力のみで自分の体を立たせたのだろう。


「な、何で……? 何で私を助けたの……? 貴方は、貴方はこの時代の王妃様を愛してるんじゃなかったの?」


 瞳から大粒の涙をこぼしながら、マールが何で、何で、とカラクリのように繰り返す。目を瞑っていたヤクラが、その大きな手でマールの涙を拭おうとするが、顔まで手を持ち上げることすら叶わず、残念そうに笑った。


「何で、じゃろうなあ……あんたがリーネ王妃にダブって見えた。そうすれば、体が勝手に動いてしまったんじゃなあ…………ううむ……困るのお、いや……全く困ったわい……腕が、上がらん……」


「ヤクラ!」
「ヤクラさん!」


 ルッカとマールが消え行くヤクラの存在を繋ぎとめようと必死に声を掛ける。戦いが終わったことを知り、足を引きずりながら到着した騎士団も、今の状況が分かったのか、痛ましそうに顔をゆがめる。それはそうだ、ヤクラはモンスターだけど、彼ら騎士団のために戦った。正確には王妃の為なんだろうけど、それは彼らにとっては同じこと。王妃を守るというのは、彼ら騎士団の目的でもあるのだから。


 うっすらと開いた眼で、ヤクラは小さく、本当に困ったように笑った。


「これでは……チョコレートが……作れ……ん……わ……」


「……ヤクラ?」








 ゼナン橋防衛戦にて。
 死者98名。
 重傷者12名。
 軽傷者23名。
 生き残った兵士達が、皆口を揃えて言う事がある。
 我々は、本当の意味で稀代の英雄を見た、と。
 後の世でモンスターであるヤクラの名を知るものは少ないが、ガルディア王家に代々伝わる宝物庫の中に彼を描いた絵画があると言われている…………














 少し遠ざかっていた雨が、また強くその存在を強調し始めた。
 誰もその雨を防ごうとは思わない。誰も城に帰還しようと言い出さない。誰もがまだ帰るべき人数が揃っていないと感じているのだ。王妃様が心待ちにしている者がいないのだ。


「あんたがいないなら、誰が王妃様を笑顔にしてやれんだよ……」


 俺の言葉に答えを返すものはおらず、ヤクラの体は塵となり、海の向こうに流れていっても、誰もその場を動けなかった……






























 王妃とヤクラ








 王妃の部屋を出て修道院の台所に向かう。まさか、怖がらせるだけ怖がらせて殺すつもりだった王妃の我侭を聞くためにお菓子を作るハメになるとは……これが終われば王妃を背に乗せてお馬さんごっこ……悲しいを通り越してなんだか笑えてしまう。


「大臣ー、早くしないと私はお腹が鳴って泣き出してしまいそうです……」


「泣いては駄目じゃ! 泣く子は鬼に攫われてしまうぞ!? すぐに作って持って行くからちょっとだけ待つのじゃ!」


 いかんいかん、早く調理して王妃がぐずるのを防がなくては! わしは駆け足で台所に向かった。


「しかしヤクラ様はいつあの王妃を喰らっちまうのかね?」


 その途中わしの部下のモンスターが何か話しているのを聞き、物陰に隠れて会話を聞く。


「さあな、自分で食べる気がないなら、俺たちに譲ってくれないもんかね? あんな美味そうな人間はそうそういねえぜ?」


 やれやれ、わしが捕まえた人間が美味かろうが不味かろうが関係ないじゃろうに……
 おっと、こんなことをしていて王妃が泣き出してはいかん。早く厨房に向かわねば……


「なんなら、俺たちで勝手に食っちまうか?」


 走り出そうとした足が止まる。


「良いねえ、どの道殺すつもりなんだし、俺たちでヤッちまうのも悪くない」


 ……気にするな、あの王妃がこの程度のモンスターにやられるわけはないし、仮にやられたとしてもわしにすれば万々歳じゃ。むしろわしはこの部下どもにエールを送って……


「どうせあの王妃はお頭がイッちまってるんだ、適当に騙せばサクッと殺せるさ」


「そうだな、あいつの好きなお菓子に毒でも混ぜるか? 簡単に食っちまいそうだぜ」


 耳障りな笑い声が頭に響く。それが何故か、今とてつもなくわしの機嫌を損ねる声に聞こえて、腹の底にマグマが溜まっているような錯覚を覚える。


「ん? ヤ、ヤクラ様!? ど、どうなさいました?」


「…………消えろ」




 ふう、これでまた部下を補充せねばならなくなった。全く面倒なことじゃ。それもこれもあの王妃が悪い。全くどういう教育をうけたらあんな我侭な娘になるのか。


「うむ、後は形を作るだけじゃの」


 エプロンを腰につけてお菓子を作る姿、これはわしの子供達には見せられんのお。そもそもお菓子などという嗜好品をモンスターは好まんからな。人間とはつくづく不思議じゃ、こんなチョコレートとやらであれほど満面の笑みを浮かべられるのじゃからな。
 昔一度、わしも口にしてみたことがあるが、どうやらモンスター全体に合わないのか、わしの種族に合わぬのか、食べて飲み込んだ途端吐き気が収まらんようになった。よく王妃が一緒に食べようと誘ってくるが、わしはすぐに断るようにした。
 ……ただ、最近王妃の誘いを断るのが辛くなってきた。あいつめ、わしがいらぬと断れば酷く悲しそうな顔をするのじゃ。理解できん……理解できんが、何故かそれを見ると悲しい気持ちになる。
 ……悲しい気持ち? 自分で言ったがよく分からんな、そもそもわしらモンスターに感情などあるのか? いや、決して無い訳ではない。人間を食べるときに嬉しいと感じ、人間を殺すとき楽しいと感じ、人間に抵抗されると怒りを感じる。うむ、無感情というわけではない。
 話は戻るが、何故王妃はあのようによく笑うのだろうか? わしがお菓子を作るたびにあいつは笑う。一緒に遊ぶたびに声を上げて笑う。夜寝るときに本を読んでやると、やっぱり笑う。分からん。
 ……わしの子供たちを、わしは何度笑わせてやったじゃろうか? 魔族ならこんなことを考える必要は無い。家族間とはいえ、基本的に不干渉が基本。礼儀はあれど、そこに愛情など無いのだから。


「……愛情……」


 わしが王妃に感じるものがそれだとしたら? 王妃が笑うたびにこの胸が温かくなる理由がそれだとしたら?


「ふん、馬鹿馬鹿しいわ」


 だが、時々考えることがある。もしわしが人間で、リーネの父親だったら、と。
 きっと厳格な父親になろうと躍起になるが、結局今と同じでリーネの我侭を聞いてしまうのだろう。その光景が容易に目に浮かぶ。
 お菓子も沢山買ってやるし、終いには今のように好きなお菓子を自宅で作るようになるだろう。
 おもちゃを沢山買い与えて、終いには今のようにぬいぐるみを作ったりするのだろう。
 そしてリーネは笑うのだ。初めて作った苦いチョコレートでも口いっぱいに頬張って美味しいと言って笑うのだ。
 そしてリーネは笑うのだ。初めて縫い物に挑戦したわしの不恰好なぬいぐるみを抱きしめて、ありがとうと言って笑うのだ。


 わしは本物の父親ではないけれど、あの本物以上に手の掛かる王妃はわしの想像を育てるためにわしに攫われたのではないかと思う。
 都合の良い想像だとしても、わしがそう思う分には問題あるまい。それはわしにとっての真実になる。


 出来るならば少しでも長くこの想像が続くように、そんなことをわしは願ってしまう。
 今わしがつけている、この前王妃がわしにプレゼントしてくれた手作りのエプロンを握り締めながら、自分の未来を想像した。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/08/12 03:25
 雨の中、騎士団長が「この戦いの結果報告は私たちが行います。貴方たちは勇者様を追うのでしょう? 勇者様は伝説の剣、グランドリオンを手にするためデナトロ山に向かいました。今ならまだ追いつけるでしょう」とまだヤクラの死を悼んでいるマールの肩を叩いて言う。
 ……王妃様の泣き顔を見ずに済むのは有難い。俺たちは騎士団長の言う通りそのデナトロ山に向かったほうが良いだろう。ただ、一つ気になることがある。


「騎士団長さん、その勇者様とやらはここで戦わなかったのか? 騎士団の皆が必死に戦ってるのに」


 騎士団長は気まずそうに視線を逸らして「勇者様は我々が盾となり、道を切り開いてこの橋を渡らせました。勇者様とはいえ子供でしたので、近くの人間が倒れていくのは辛かったのでしょう、戦闘には参加できる様子ではありませんでした」


 ? 勇者なのに戦闘に参加できなかった? 馬鹿な、魔王軍を倒そうとする勇者がそんなんでいいのか? 聞いた限りじゃ俺と同じように怖がって騎士団を見捨てて逃げたようにしか聞こえない。とりあえず橋は渡ったようだが。うーむ……


「……デナトロ山、か。マール行きましょう、ここで泣いてばかりじゃ、ヤクラも悲しむだけよ」


 ルッカの都合の良い台詞に、マールは返事をしないまま立ち上がる。俺たちがいくら言っても、ヤクラに庇われたマールの傷は深い。恩を返すことも出来なくなったのだから。


 騎士団と別れる前に、騎士団長が俺に走り寄り、自分の兜を手渡してくれた。これは、俺にくれるってことか?


「クロノ殿、最初は勇気を持たぬ人だと思っておりましたが、それは間違いでした。貴方は挫折しても、そこから這い上がる真の騎士の心を持っています。このゴールドヘルムはそんな貴方にこそふさわしい。どうぞ受け取って下さい」


 尊敬の眼差しで俺に兜を譲る騎士団長に、俺は頭を下げて礼を言う。その兜はずっしりと重く、彼の今まで戦ってきた歴史が詰め込まれているようだった。


 ゼナンの橋を去る俺たちに騎士団全員が、肩を借りたり剣で自分を支えながらも立ち上がって敬礼をしてくれた。少し照れくさいので、後ろを見ずに右手を振り、彼らの応援を胸に歩き出す。


 ……騎士団から俺たちの姿が見えなくなった所まで歩くと、俺はごっつい重たい兜を海に放り込んだ。あの人、善意でくれたんだろうけどさ、今まで被ってたから汗臭いわ色は金色で派手だわ血が付いてるわで使いたいとは全く思えない兜だった。まあ、今度会ったときには魔物との戦いで壊れたと言っておこう。


 このままデナトロ山に行ったところでボロボロのマールとルッカが戦闘をできる訳がない。雨の中戦い続けたおかげで体力の消耗も激しく、特にマールはヤクラの一件で精神的にも憔悴している、俺たちは砂漠のような砂の海の中央に、数本の木が近くに立つ一軒家を見つけ、中に入らせてもらう。
 中にはマールと同じ金色の髪の綺麗な女性、フィオナという女性が一人で住んでいた。彼女は魔王軍との戦いで行方不明となった夫、マルコを待ちながら、一人でこの辺り一帯の荒れ果てた大地に緑を植えようとしているらしい。
急に家に入ってきた俺たちに怪我の治療と布団を貸してくれた優しい女性だ。これで夫がいなければ夜には俺のフィーバータイムが始まったのに。


 その日の夜、夜中になんとなく目が覚めた俺はベッドで寝ているはずのマールの姿が見えないことに気づく。ルッカを起こそうとして肩を揺さぶれば寝ぼけたまま俺にハンマーを投げてきた。天才バスケット高校生みたいなことをするなこいつは。
 ルッカはそのまま起こさずに雨の止んだ外に雷鳴剣を持って飛び出した。あいつ、まさか妙なことを考えてるんじゃないだろうな……えらく落ち込んでたみたいだし……
 

 別に俺もルッカも気にしていない訳じゃない。何度か会話もしたし、ヤクラが良い奴だということも知っている。きっと今も王妃様が泣いていることも想像できる。だからこそ、俺たちは俺たちでできることをしなければいけないんだ。落ち込みっぱなしではこれから先の激戦を耐え抜けるわけがないのだから。


「くそ、何処に行ったんだよマール……まだちゃんと仲直りしてねえんだぞ!」


 外は建物の類は一切ない砂漠、視界を遮るものは無い。ここから見えなければ、マールは随分遠くに行ったことになる。


「とりあえず、家の周りを一周してみるか……」


 ざくざくと砂を鳴らしながら、家を中心にぐるりと周る。すると、雲の隙間から漏れる月明かりの下、穏やかな光に照らされながら、マールが木にもたれて座りながら小さく囲まれた星空を見上げていた。月光に当たる金色の髪は風になびいてその美しさを一層際立たせる。薄い色素の白い肌は透明感を増して今にも消えそうな儚さを演出している。ただ一つ、不満があるとすれば、頬を伝う一筋の涙。


「……マール」


 俺の呼びかけに首を動かして、俺を見る。その眼には初めて出会った時のような輝きが、無い。


「クロノ……ごめん、心配させちゃった?」


「……いや、まあいきなりいなくなればさ」


「ごめんね、ちょっと一人で、静かに考えたくて」


「そうか。ルッカの寝言は煩いからな、静かに考え事をするなら外に出るのは正解だ」


 たはは……と細く笑いながら涙を拭うマールが、酷く無理をしているように見えて、俺はマールの隣であぐらをかいた。せっかく水洗いしたのに、また汚れちまったな。まあ、マールの服も汚れちまってるんだし、別にいいか。


「私ね……ヤクラさんとちゃんと会話したこと無いの」


 二人で夜空を見上げていると、マールが俺に聞かせているのか曖昧な声で話を始める。俺は目線を空に向けたまま、耳を傾けた。


「助けてもらったのに、こんなこと言ったらあれだけど、ずるいよね。ヤクラさんにどういう気持ちを持てばいいのか分からないの。だって、私たちを助けてくれたけど、どういう人なのか知らないんだもん。名前だってルッカがヤクラって呼んでたから分かっただけ。あの人から直接聞いたわけでもないの。……なのに、いきなり私を庇って、死んじゃった」


 堪えようとしている涙がマールの眼から溢れて、自分の服を濡らしていく。今度はそれを拭うことはしなかった。


「ねえ、私のために命を捨ててくれた人がいた。私はどうすればいいの? どうやって笑えばいいの? もう私は笑っちゃいけないのかな? クロノ、教えてよ」


 俺に問いながら、上を見続けるマール。涙を流さないようにするためだろうか? 例え手遅れだとしても、それがマールの意地なのか。俺の手を握りながら縋るマールは、それでも自分のプライドを捨てない。


「……忘れろとは言わない。それが出来れば一番かもしれないけど、そんなことはマール本人が許さないだろ? だから……ずっと覚えていればいい」


 俺に触れている手がピクリと震える。本当に正しい言葉なんか知らないし、俺を守って誰かが死んだなんて経験が無い俺にそんなものを期待されても困る。でも、俺の想像で出した答えなら、マールに伝えることが出来る。


「ヤクラっていう魔物がいて、そいつは俺たちのために戦ってくれた仲間だったって、ずうっと覚えてればいいんだ。多分、それだけでヤクラは笑ってくれるから」


 あいつは、王妃が泣こうとすると困った顔をしていた。だったら、王妃と間違われるくらいに似てるマールが泣いてたら、あいつは喜ばない。だから……


「笑おうマール。今すぐじゃなくて良い、明日からいつもみたいに見る人全員を元気にしてくれる笑顔で、胸を張って生きよう。俺もルッカも勿論ヤクラも、そうすれば一緒に笑えるから」


 時間は丁夜を過ぎる頃。月まで響く大声でマールは号哭し、俺の体を抱きしめた。


 マールの体温を感じながら、俺は口に出せば必ず殴られるだろうな、という考えを頭の中で浮かべていた。
 ……これ、フラグ立ったんじゃねえ?


 地平線より太陽が覗くまで、俺たちは一本の木の下で影を重ならせていた。







 星は夢を見る必要は無い
 第十四話 恐怖のグランドリオン回収









「御世話になりました」


「いえ、こんなところで一人住んでいると誰かの声が聞きたくなるものなんです。またいつでも来て下さい」


 朝になり、眠たい眼を擦りながらフィオナさんにお礼を言って家を出る。俺たちが向かうのはデナトロ山、ではなく、山村のパレポリ村となった。フェイオナさんが昨日の夜近くのサンドリア村に買い物に行った際、勇者は一度実家のあるパレポリ村に戻ったと聞いたのだ。あいつの出身地ってサマルトリアじゃなかったんだ。こんだけ色々連れまわしておいて。


「……クロノ? 随分眠たそうじゃない?」


 パレポリに向かい、森林が見え始めた頃ルッカが口端をひくつかせながら俺の肩にぶつかってきた。何だよ、龍が○くならバトルところだぞ。


「なんかね、マールも眠たそうなのよねー……あんたら昨日の夜何してたの? フィオナさんから聞いたんだけど、二人して外に出てたらしいじゃない? ……それもなんか泣いてるマールを? あんたが? 優しく抱きしめてたーみたいな話をね? 聞いたのよねー」


 ちょいちょい疑問挟んで間を空けるなよ、あと歯軋りしながら顔を近づけるな、大変怖い。教師の顔に馬糞を投げつけて捕まった時も教師がそんな顔をしてた。そっくりだよお前、50間近の男の教師に。


「何か勘違いしているようだから言っておくが」


「……何よ? どんな弁明をするのかしら?」


「……マールルートに入っただけだ」


「濡れ場経験をしたのか貴様ァァァァァ!!!」


 今日のファイア
 三連発、追加としてプラズマガン五発、ハンマーで殴打、速過ぎて計測不能。
 右腕が動きません。左足が焦げてちょっと良い匂いがします。上手に焼けましたー!


「……ケアルで治るのかな? あれ……」


 俺のハートを一番傷つけたのは、昨日あれだけ良い感じだった俺をあれ扱いしたマールの言葉だったという。真の敵は思わぬところにいるのだよ。
 ルッカの誤解は俺の股間に業火球を投げようとしたところでマールが解いてくれた。もう無理だこのパーティー。俺が生存できる可能性が著しく低い。ていうかもうルッカおかしいよルッカ。人をハンマーで殴るとか鬼畜の所業だもん。むしろその域を超越してる。


「ねえ、クロノ?」


「何だよマール。もう貴方の右腕は動かないとか言われたら俺は復讐の悪鬼と化すから言葉には気をつけろよ」


 俺にケアルをかけながら、妙にそわそわしているマール。買ってもらったおもちゃの袋を開封する時のように眼が輝いている。


「私たち、友達よね!」


「……今更だろ、そんなの」


 曇り空は深く、太陽はその姿を隠しているけれど、想像よりも風が湿気を帯びず、軽やかに舞う。
 うん、今日は悪くない天気だ。




 パレポリ村に着いた俺たちは、勇者の家を探し中に入る。村人達は躁状態でこの村から勇者が、勇者がとやかましい。お前達が勇者って訳でもないんだ。便乗してテンションを上げるなうざったい。
 家の中には勇者の父親しかおらず、本人はもうデナトロ山に向かったとのこと。言わないようにしてたけど言うわ。勇者とかもうよくない? 必死こいて子供の勇者を探してる俺らって多分馬鹿だぜ? 別にそいつがロトの血を引いてるわけでもあるまいし。
 二人もそう思っていたようで、気分直しに一杯引っ掛けようぜと酒場に向かう。マールが「大人にならないとお酒は飲んじゃいけないんだよ!」と委員長みたいなことを言うので「子供は大人になる前の通過儀礼として何度か酒を飲まないといけないんだぜ? もしかして知らなかった?」と馬鹿にしたように言うと「しし、知ってるもん!」と少しどもりながら返す。良いね、騙されやすい子は大好きさ!


 酒場に着くと嫌な噂、というか話を聞いた。


「この前この酒場に大きな蛙がここに来て酒を注文してきたんだ、ぶつぶつと王妃様萌え……と呟きながらな。まったく気持ち悪いったら」


 絶対あいつだ。もう二度と関わらずにいようと思っていたのに……こんなところでその存在を知らされようとは、つくづく運が悪い。
 酒を飲まずに出ようとすれば、ルッカが「カエルか……ねえクロノ、久しぶりに会ってみない?」と言い出した。ルッカ、もしかして熱でもあるのか? 座薬入れてあげようか?



「マニアック過ぎるわよど変態。これから辛い戦いがあるんだから、カエルみたいに凄腕の剣士がいればこの先楽になるんじゃないかと思うのよ」


 嫌だなあ、あいつスペックは高くても基本屑だぜ? 本当に嫌だなあ、公衆便所で財布を落とすくらい嫌だなあ。
 マールは「私を助けてくれた人でしょ? 会いたい!」とわくわくしてるし。断れないよなあ、何で勇者を探すためにここまで来たのに大きな蛙なんか見ないといけないんだよ。
 ぶつぶつ文句を言う俺を引きずってルッカは酒場を出る。歩くから手を離せ、お前握力エグイから痛いんだ。


「その蛙お化けに会いたいなら南のお化けカエルの森に住んでるみたいだ、モンスターがいるから気をつけるんだな」


 酒場から出る前に俺たちに余計な情報を提供してくれたおっさんが声を掛ける。どこまで俺を不快にさせるんだこの男は、臭い口臭を撒き散らしやがって。
 マールがありがとー! と手を振れば、汚い髭面をゆるめて手を振り返す。マール、お前水商売的な仕事とか向いてるんじゃないか?




「うわ暗っ! 前見づらっ! クロノ、あんた先頭に立ちなさいよ、それで虫とかを追い払って、もしくは体につけて離さないで。私虫とか嫌いなんだから、こういう薄暗い森は嫌いなのよ」


「お前の理不尽さにはほとほと愛想が尽きた。残るは殺意唯一つ」


 ルッカの人間の底が見える発言には思わず刀を抜きかけたがその前にルッカの抜き打ちが早かった。そういう星の元に生まれたのさ俺は。諦めるのには慣れている。


 お化けカエルの森はガルディアの森ほど広くは無いが、それ以上に道が荒く、森の木々が邪魔をして光が入ってこない。カエル以外の人間が通らないので木の伐採はおろか、舗装さえされていないのだろう。かろうじて人が通った形跡のある道を進んで奥に向かう。流石は人外。住んでいる所からして違う。
 
 俺たちの前に現れたモンスターだが、ルッカが目に付いた瞬間焼き払うので大変楽だったと言っておこう。俺たちと一緒に戦ったカエルほど大きくは無いが、蛙型のモンスターが大半だったのでルッカが悲鳴を上げながら魔法を唱えるのは痛快だった。いいぞ、もっとルッカを怖がらせろモンスターども。
 
 マールもルッカの傍若無人ぶりに思うことがあったのか、俺と一緒にルッカが慌てる様を見て笑っていた。この子は本当に良い子だ、今度またキャンディを買ってあげよう。
 ただ、蛇のモンスターがその蛙モンスターを食べだした時は思わず凍ってしまった。うわ、カマキリが他の虫を捕食するところは見たことあるけど、これだけでかいと迫力あるなあ。ルッカを見るとジャンクドラガーにぶつけた時ほどでかいファイアを作り出していた。
 そうして傷ついた心を癒していると、半泣きになったあたりでルッカが笑っている俺とマールに気づき、炎を仕掛けてきた。真顔で逃げる俺たちを炎が追いかける、まさか追尾型? どんどんレベルアップするなあルッカの魔法は。
 
 俺たちの逃走劇はマールに「ごめんクロノ……貴方のことは忘れない!」という言葉と同時にかけられた足払いで終了となった。うわ、炎ってこんなに赤いんだ。とりあえずマールは俺の呪うリストのトップを飾ることになった。あのビッチまじありえん。




「……さあて、ここに来るよう言ったのは誰だ? 俺は終始反対してたよな? じゃあ俺を丸焼けにしたルッカか? それとも俺を裏切った挙句逃げ切ったマールか?」


 二人は俺の言葉に顔を逸らして汗をたらりと流していた。こら人の話を聞く時はちゃんと相手の顔を見なさい、そんなんじゃ内申書に傷が付くぞ? 俺は全然怒ってないんだから、いや叩っ斬りたい衝動が生まれつつあるけど、全然怒ってないよー?


 草むらに隠れた梯子を見つけ、恐らくカエルの住む所だろうと梯子を下ると、下にはベッドやタンス、食料や水など誰かが住める環境があり、間違いなくカエルの住処なのだろうが……テーブルの上に一枚のメモが。


『留守です。勝手に物を取ったりしないように。王妃様は可』


 間違いなく留守だった。
 俺たちは中の食料を丸ごと頂き、持ちきれない分はぐしゃぐしゃに潰した。水は飲めるだけ飲んで、残った分は水の入っているタルに穴を開けて地面に浸透させた。服の類はルッカの裁縫技術を駆使して腕や足が入らないようアレンジした。お洒落過ぎてもう町が歩けなくなれば良い。
 全ての悪戯を終えた後、悪いのはカエルではないと思い至ったが、もう今更だよな、と三人で笑いお化けカエルの森を後にした。ちょっと、スッキリしていた。




 森を抜けてデナトロ山に向かう。村で聞いた話では、フィオナさんの家から北に山の入り口があるとのこと。一度フィオナさんに会おうかと家に着くが、ちょうど買出しの時間だったようで留守だった。仕方なく俺たちはまたデナトロ山に進路を向ける。最近歩いてばっかりだ。無駄足も多い、お百度参りかっつの。


「ねえクロノ!」


「何だマール、もといビッチ」


 全力全開なパワーで俺に膝蹴り。諦めるなよ! もっと頑張れよお! と自分に言い聞かせて胃の中のものを吐きながら立ち上がる。こいつが王女だなんて認めねえ、何が何でも認めねえ……!


「あのね、勇者様ってどんなのかなあ?」


「お前みたいな悪人以外を救う優しい人のことだよ」


 ファンタスティックな肘鉄が脳天を貫く。幸せを掴め夢を語れ! 未来への切符はいつも白紙なんだ! と自己暗示を完成させて鼻から脳みそが出そうな気分を抑えて両足で立つ。


「まだ子供なんだって! 凄いなあ、どんな子なんだろ!」


「お前の薄汚れた性格じゃあ想像もできない立派な子なんだろうな」


 天はざわめき地は恐れる、世界よ謡え! これが武というものだ! なモンゴリアンチョップ降臨。もう……ゴールしていいよね? と儚げに笑いながら倒れる俺。両肩脱臼は免れない。


「楽しみだなあー」


 鼻歌まじりにスキップスキップ。もし世が幕末ならば、お前なんか問答無用に切り捨てていたものを……
 理不尽な世界を呪い、俺は両腕をだらりとぶら下げながらデナトロ山を目指して歩き出した。




「うっひゃ~ッ!」


「誰だよこの御時勢でそんな古い叫び声をあげるのは? ルッカか?」


 俺は寝言でもう食べられないよとか言う奴が大嫌いなんだ。そういうよくあるネタみたいなことをされると股裂きをしてやりたくなる。小学校の時カーテンに巻きついて遊ぶ? 誰もしねえよそんな馬鹿なこと!


「クロノ、上、上」


 ルッカが人差し指を上に向ける。何だろうかと顔を上げると小さな、ロボくらいの子供が半べそをかいて何かから逃げていた。まあ逃げるのは良い。だが逃げながら子供は手を振り回している。それもいいだろう。ただ一つ問題があるのは、振り回した手が木や岩にぶつかるたび粉々に砕き、その残骸が俺たちに向かって落ちてきているということだ。……落ちてきているぅ!?


「うっひゃ~ッ!」


 思わず子供と同じ叫び声を出しながら逃げ回る。いや、小学校でカーテンに巻きつく、確かにあったわそんなこと、うん。
 逃げ回って岩や木が俺にぶつかっているのを横目にルッカは落下物をファイアで焼き払い、マールはアイスで氷柱を作り防御壁としていた。おまえら良いなあ、俺もそんな風に色々応用の効く魔法が良かったなあ。


「な、なんだよあのガキ、人間じゃねえだろあの力!」


 上から何も落ちてこなくなると、俺は体中に痣を作って文句を言う。あ、左の二の腕紫色になってる。


「もしかして、あれが勇者なのかしら?」


「あの逃げ回ってた小僧が!? 確かに規格外の腕力を持ってることは認めるが、ふざけんな! 勇者ってのは勇ましい者と書いて勇者なんだよ! クロノと書いて美しいと読むように!」


「キショイねクロノ。でも、あれが勇者様なんて、ちょっと複雑だなぁ……」


 流れるように溢したその言葉、俺は忘れんからなマール。


 勇者? が逃げた方向を見ていると、また勇者が走って現れる。次、俺たちに危害を加えるようなことがあれば仮に勇者だとしても制裁を与えてやる。斬殺凍死火あぶりのどれかは選ばせてやるが。


「こ、ここは、とんでもないトコだ! あ、あんちゃん達も、アブナイぜ とっとと、ズラかんねーと」


 小物臭満載な台詞を残して、子供はまた走り去っていく。……勇者ェ……
 そのまま何も考えることが出来ず立ち尽くしていると、山の道、その奥からモンスターが三匹現れた。正直、今の気分は戦うようなもんじゃないんだけどさ、そういうことを言っても戦わなきゃいけないんでしょ? そういう空気が読めない所を改善できたらもっと愛されるようになると思うよモンスター君。


 モンスターはオレンジの髪を揺らし、二メートル以上ある巨体で地面を揺らして俺たちに近づいてくる。弓形に曲がった口から先の尖った牙が見え隠れして、腕と足は丸太のように太く、岩でも砕きそうな力がありそうだった。
 三匹の内真ん中のモンスターは身長と同じくらいの長く大きな木槌を持ち、ぶんぶんと振って落ちている木の葉を舞い上げていた。なんていうか、もっと穏やかにいこうぜ、な。


 モンスターたちは俺たちが武器を取り出すと立ち止まり、その笑みを深くした。木槌をもつモンスターはその巨大な武器を回転させて、地面に叩き付けた。瞬間小さな石は一斉に飛び上がり跳ねた。モンスターのくせに力をアピールするとは、さては目立ちたがりだな?


「グオオオオオオオ!!」


 リーダーらしい木槌を持つモンスターが吼えると、残りの素手のモンスターが飛び掛る。マールがアイスを使い凍らせようとするが、その巨体から想像できない機敏な動きでかわし、俺に自慢の腕をぶつける。咄嗟に雷鳴剣を抜いて受けるが、モンスターの皮膚が硬く、切り飛ばすどころか少しづつ押されてしまう結果となった。


「くっ! こいつら強いぞ、マール、ルッカ! 早く魔法で援護を!」


 後ろに飛んで膠着状態から抜け、助走を加えた切り込みを当てようとするが、残る一匹が俺にタックルを仕掛けてきたので中断、回避する。
 硬い、速い、強い、全体的に強いモンスターってのは初めてだな……俺の魔法を使って切れ味を増せば切れるかもしれないが、どうにもそんな隙は無さそうだ。詠唱を唱えた途端またさっきのタックルを当ててくるに違いない。


「まだ充分な詠唱はできてないけど……ファイア!」


 ルッカのファイアは自分で言った通りまだ完全では無かったのか、少し火力が弱いように見えるが仕方が無い。このままなら俺が倒されその勢いで後衛の二匹もやられてしまうだろう。
 炎は素手の二匹の頭上を越えて、リーダー格のモンスターに襲い掛かる。なるほど、上を倒せばこいつら二匹は無力化できると踏んだのか!
 いきなり自分を狙うとは思っていなかったのだろう、木槌を持つモンスターは襲い来る炎に驚いて武器を手放してしまった……しかし。


「あ、ああ!」


 ルッカが短く叫んだ理由、それはファイアが木製の木槌を標的にして、モンスターには当たらなかったこと。ルッカでさえ、まだ使いこなせてないってのか、魔法ってやつは!


 俺たちが後ろずさり、ここは一度引くべきか? と考えているとリーダー格のモンスターの様子がおかしい。燃え尽きた木槌を見てなにやら泣いているように見える……あれ?


 モンスターたちは三匹集まり、木槌を燃やされたモンスターを他の二匹が慰めている。


「え? これってあっちゃんが徹夜で作った奴やろ?」

「うん……お母さんも手伝ってくれて、お父さんも良くできたなって言うてくれてん……」

「嘘やん、もう跡形もないで……どうする?」


 子供だったの? とかお前ら人間の言葉喋れるのかよ、とは言わない。今それを言うと無粋な気がしたし。てかなんだろ、友達とふざけてたらおもちゃを壊して静かになったようなこの空気。ミニ四○とかで遊んでるとよくあったよね。


「ルッカ……酷いよ」


「え! 私が悪いの!?」


マールが眼を細めてルッカを睨み、非難する。正直俺はルッカが悪いのかなあ? と思うが、ルッカを堂々と責める機会なんて早々ないからここは乗らせてもらおう。


「ああ、いくらモンスターとはいえ誰かのものを燃やすとはまともな人間のやることじゃないな」


「クロノまで! だってあいつの木槌って、どう考えても武器だったじゃない!? 燃やして何が悪いのよ!」


 あくまで自分の非を認めない(非?)ルッカがモンスターたちに指を向けるとすすり泣くような声が大きくなった。 


「武器ちゃうもん、これ、折角作ったからいっくんとゆうちゃんに見せたかっただけやもん……」

「あっちゃんの木槌持ってる姿、格好良かったで? また作ろ? 僕らも手伝うから、な?」

「うん、一緒に作って、出来たらまた遊ぼ、今度はもっと大きいん作ったるやんか」


 これ何ていうタイトルの友情ドラマ? 『木槌・オークハンマー~貴方は、今まで泣いた事がありますか?~』みたいな感じ? 売れる気がしねえ。


「ルッカ、あっちゃんに謝ったほうがいいよ」


 マールよ、あっちゃんて。


「マール、お願いだから眼を覚まして。あいつらはモンスターなのよ!」


「ルッカが人だのモンスターだので差別するような奴とは思わなかったよ。幻滅だぜ」


「ううう……あ、あっちゃんごめんなさい……」


 僕らも悪かったから……いきなり遊ぼうとしてごめんなさい……と胸の痛むような言葉を残してトボトボと去っていくモンスターたち。あれって戦いを挑んだんじゃなくて、じゃれてただけなんだ? 
 すっごい後味悪い戦闘だったな、ルッカの奴は目が死んでるし、マールはまだルッカに怒ってるし。俺はいつ笑えばいいのか分からない。怖いところだぜ、デナトロ山……!


 俺とマールの言葉の集中砲火をくらって意気消沈しているルッカを見て、戦闘は無理かもなと考え時の最果てのじいさんに連絡し、タバンさんの手で修理を終えたロボを呼び寄せることにした。いつものルッカなら絶対に反対しただろう決定に今のルッカはただ頷き交代に賛成した。……いつもあんななら俺が平和なんだけどなあ。


「デハ、これからはワタシが皆サンをサポートします」


「ああ待てロボ、これからは戦闘が続くだろうから、そのボディは脱げ。デナトロ山を出ればすぐ着せるけどな」


 俺の言葉に頷いて、ロボはボディを脱ぎ、ルッカの元に転送させる。いいねこの機能、あの時の最果てのじいさん結構役に立つじゃねえか。


「とうとう僕の出番ですか……それで、僕の力でこの山を薙ぎ払えば良いんですか? 僕としてもこの山の生物を蒸発させるのは辛いですが、正義という大いなる大儀のためには価値のある死、王業を背負う僕だからこそ下せる決断かもしれませんがね……」


「お前の発言には一々うんざりする。これから先無駄口は叩くな。そこら辺に生えてる草でも咥えてろ」


 しゅんとなりながら素直に雑草を抜き取りその葉っぱだけを咥えるロボはとても滑稽だった。でもなんだかマールが怖いから止めなさい。あの子基本的にお前に甘いから。あの子お前みたいな可愛い系の男の子が好きなアレな子だから。


 俺、ロボ、マールの三人パーティーは何気に初めてだったが、中々上手く回るパーティー構成だった。マールが飛び出してくる魔物を氷で足止め、立ち止まった敵をロボのレーザーで消して取り逃しを俺が片付ける。いまいち俺が活躍してないけど、俺の役目も大事なはず。ロボが取り逃したことないから、俺何もしてないけど。

 デナトロ山の宝箱はアイテムが豊富に入っていた。ミドルポーションにエーテル、エーテルの高級品ミドルエーテルにどれだけ深い傷を負っても意識を取り戻せるアテナの水まで手に入れた。アテナの水という名称を聞いてテンションの上がったロボがまた病気な言葉を使いだしたが無視、無視。
 他にはロボの新しい武器が落ちていたり、銀色のピアスやイヤリングを手に入れたが、マールは耳に何かを付けるのは嫌だということでイヤリングは捨てて、俺はピアスを付けたが二人が「似合わない」と言うのでポケットに入れた。俺だってアングラな男になりたいと思う時だってあるのに……
 山を登っていく中分かれ道に出くわした。右側に進めば行き止まりだが、宝箱が置いてあり、左側はまだまだ先に続く道が見える。先に宝箱を回収しようと右側に進めば草むらの中にデナトロ山入り口で出会った木槌三人組がせっせと太い丸太を削っている姿が見えたので見つかる前に戻る。宝箱を取るためにあんな気まずい思いをするのはごめんだ。どうせしょうもないアイテムしかない、そう心に言い聞かせて。


「なあマール。ここまで登ってから言うのもなんだけどさ」


 俺はさっきから、正確にはデナトロ山を登りだした時から感じていた疑問をマールにぶつけてみようと声をかける。


「何? クロノ」


「勇者らしきガキがここから逃げ出したのに、俺たちは何をやってるんだ?」


「……そういえばそうだね。どうしよう? ここまで山道を歩いてきたのに無駄足なの? 私足に豆が出来て痛いのに……」


「僕が治療しましょうか? このエンジェルビクタードットコムビームで」


 お前のケアルビームは色んな名称に変わるなあ。最初に聞いた名前と随分違って聞こえるんだが。どうせその場で思いついたカッコいい言葉を言ってるだけなんだろう。


 勇者云々は置いといて、この山にあるグランドリオンという剣を持っていこうという話になった。伝説の剣というなら凄い切れ味なんだろう、俺が使わせてもらえば良いさ。ロボが「伝説の剣!? 僕が持つ僕が持つ!」と煩いのは腿キックで黙らせて歩行再開。……あのね、蹴った本人に抱きつくのはおかしいと自分で思わないのかロボよ。


 それからもモンスターは懲りずに現れたがさらりと撃退。下らん下らん、これならロボ一人で倒せそうだ。実際そうだったけどさ。俺のパーティー内におけるレゾンテートルが見つからない、家に帰ってシロップでも聞こうかしら?


 俺の持病であるヘルニアが猛威を振るう中、ようやく頂上に辿り着いた。右も左も谷底、滝の流れる音が嫌に耳に付き、見回せばいかにも妖しい『ここが目的地だよ!』みたいな洞窟があった。もうちょっと分かり辛い場所にあるかと思ってたよ、マスターソードみたいにさ。


 洞窟の中に入ると思わず眼を閉じてしまう。外よりも風が強い、天井に大穴が空いてあり、そこから強風が入り込んでいるようだ。あああ、強い風は腰に響くかららめえ。
 腰を手で押さえながら少し屈む。……なにやら二人の子供が遊ぶ声が聞こえてくる。あれか、あの子供勇者(笑)がここにいるのか? と心なしか顔が怒りに歪むが、俺の予想は外れてロボよりも小さな子供が無邪気に跳ね回り、キャッキャッと遊んでいた。……何か怖いな、こんなところに子供だけで遊んでるだなんて。都市伝説にありそうなシチュエーションじゃないか。


「あははあははー!」

「楽しいね、楽しいねー!」


 イカレとる、右脳も左脳もイカレとるこの子供たち。ここは一つロボの回転レーザーで除霊してもらおうとロボに頼むが青い顔で「何考えてるんですか!」と怒られた。ちっ、何常識人気取ってんだよ。これはあくまで必要悪であって……


「クロノ! あれってもしかして……」


 マールが興奮しながら俺の論理展開を邪魔する。彼女の視線を追うと、そこには大仰な剣が地面に刺さっていた。あれがグランドリオン? あんなでかい剣振り回せる気がしねえ。どっちかって言うとカエルのような本職の剣士が持てそうな……やめよう、思えばそれは形になってしまう。


「とにかくあれは持って帰ろう。最悪城に持って帰れば大金をせびれるはずだ」


 俺のアイデアを聞いて二人が引き気味だが関係ない。偉大な思考を持つ者に世間は冷たいものなんだから。


「ダメッ!!」


 今さっきまでラリっていた子供の一人が剣に近づくと石を握った手で殴ってきた。この子達の親何処ですかー? 礼儀とか云々が足りないどころじゃないですよー? これ殺人容疑ですよー? だから少年法なんか無くせって口を酸っぱくして言ってるじゃないか!


「お兄ちゃん達も、取りに来たの? グランドリオン」


「先にお前の質問に答えるならイエスだ。そしてお前らは兄ちゃんの頭から出る赤いものを見て何か言うことはないか? 無いなら裁判だ裁判。訴訟の準備は出来ている」


「うーん、そーか。ちょっと待っててね……。おーい、グラン兄ちゃ~ん!」

「どーした、リオン? やれやれ、またか……グランドリオンを手に入れて勇者としての名声がほしいんだろ? くだらないよ……」


 俺の! 俺の! 俺の話を聞けえ!


「人間って、バッカだねー。手にした力をどう使うかが大事なのに……」

「そんな当たり前の事も分からないから人間やってんだよ」


 打ち合わせでもしてたのか、テンポ良く会話を続ける二人組み。無視されて落ち込む俺に半笑いで肩を叩いてくれるマール。もうお前のルートなんて行かない。六週位してもお前のルートなんて選ばない。フラグが立ったような気がしてたけど気のせいだったぜ!


「どーする、兄ちゃん?」

「決まってるだろ、試すのさ。少しばかり、遊んでやろう!」

「うん! 行くぞー!! ぴゅぴゅ~ん!」


 ガンジャでも使ってるのか? と心配するような奇声をあげて糞ガキ二人がその場で回りだす。やばいやばいこれ末期症状だ。サナトリウムにぶち込むだけじゃ駄目臭い。やっぱりロボにレーザー発射を命令するが、今度は無視される。俺の仲間は何処にもいないのか。


「ウ、ウ、ウウウウ!!」


「クロノ! この子たちモンスターだよ!」


 二人の姿が小さな子供から豹変していく。耳は尖り、肌は黄土色へ、目蓋が広がり眼は横長に。身長は俺とロボの中間程に伸びて服装も垢抜けない汚れたものから白く胸の部分に十字架のマークが付いた神官服に変わっていく。強い風をバックに俺たちを見る姿は確かに、人間のものではなかった。
 ……だからレーザーを撃っとけば良かったんだ。半端な道徳心は時に己を滅する銃となる。


 戦闘は二人の糞ガキ、グランとリオンのペースだった。一発一発の打撃はそれほどではないが、そのスピードはロボの照準でも捕らえきれない程で、正に風と化していた。
 俺の刀は掠りもせず、ロボの加速付きタックルですら軽くいなされる。マールの弓は巻き起こる突風に煽られてまともに飛ぶことすらできない。一度俺の腕に弓矢が当たってからマールは魔法に切り替えた。まず俺の腕を治療しろ!
 俺は自分の腕に手持ちのミドルポーションを乱暴にぶちまけて、がむしゃらに剣を振り回す。眼で追えないんだ、とりあえず攻撃を食らわないように、と考えた結果だが、常に背後から殴られて意味を為さない。腰は! 腰はやめんか!


「ジリ貧じゃねえか……」


 ついに膝を突いて肩で息をする俺に糞ガキは殴るわ蹴るわのやりたい放題。楽しいか、お前ら。そうかそうか。絶対斬る!
 痛む体を無視して立ち上がり二人の体を面でなく線で捉える。俺の動体視力はメンバー1なんだ、必ず当ててみせる!
 気合を入れて鞘に入れた剣を居合いで抜き、左から刀を払う。俺に近づいていたリオンに雷鳴剣が甲高い唸りを上げて迫る。


「遅いよ、お兄ちゃん」


 捉えた気になっていたのも束の間、リオンの誘いだった隙に斬り込んだ俺はあっさりと避けられて顎を膝で持ち上げられて宙を飛ぶ。一度バウンドして倒れこんだ俺に踏みつけの追撃。くそ、速さに特化した敵がここまで厄介とは……


「アイス!」


 マールの魔法でリオンは飛び上がり俺から離れる。さらにダメージを負う事は無かったが、さっきの流れで大分体力を削られた。刀を握っているのが精一杯だ、とてもじゃないがあいつらに当てられるほどの斬撃を放てるとは思えない。
 ロボもなんとかくらいつこうと懸命にグランとリオンに迫るが、タックルは当たらず、レーザーも出すだけ無駄になってきた。……あ、あいつ頭を蹴られて泣き出しやがった。勘弁しろよ結構やばい状況なんだから……!


「うわあああんグロノざあんー!!」


「グロノって誰じゃい! っおい馬鹿引っ付くなって!」


 ロボに足を掴まれた俺は格好の的。俺の上半身を眼に見えないパンチやキックで揺らしていくグランとリオン。だるまさんはこんな気持ちで子供達に殴られてたのか、今度街中で見かけたら拝むことにしよう。


「ぐええ、ろ、ロボ! とにかくレーザー、レーザーを出来るだけ全方位に撃て! 避ける空間も無ければあいつらにも当てられるだろ!」


「い、一度にぞんなにいっぱいレーザーは使えません、え、エネルギーが、ぐすっ、足りないですよぉ」


「ええい泣くなうっとおしい! そういえば……お前のエネルギーって、電気だよな? えぐふっ!」


 話している最中も容赦なく、間断なく拳の嵐が俺の体を通り過ぎる。こいつら……動きを止めた後のことを覚えてろよ、児童相談所に駆け込むことも出来ないような体にしてやる……!


「うえ、僕のエネルギーですか? そりゃあ、電気ですけど……」


「だ、だったら俺の魔法で電気を供給してやる! だからそれで特大のんぐっ! れ、レーザーを作れ……」


 俺の顔が膨れ上がり服の下から血が滲み出していく姿を見てロボは唇をかんで涙を堪え、力強く頷き俺に背中を預けた。いいか、眼にモノ見せてやるんだぜ!


「ぐ……サンダー、全開だ!」


 詠唱なんて悠長なことは言ってられない。だからその分俺の少ない魔力を全部消費して体から最大の電流をロボに流し込む。ロボの顔が苦痛に歪むが、今だけは我慢してくれ、痛いのが大の苦手なのは分かってる。後ろ手に俺の手を握っている力が強まっていく度に罪悪感が広がるが、もうお前のレーザーに頼るしか無いんだ……


 なおも魔法で俺たちの援護をしてくれているマールに目線で離れろと合図を送る。何をしようとしているかは分からずともマールは走って岩陰に隠れた。出来れば洞窟から出て欲しかったが、そこまでするとグランとリオンも避難するかもしれない、そこが妥協点か……


「ク……ク、ロノさん……そろそろ、限界です」


「そうか……ならぶちかませ、なるだけ派手にな!」


「は、い!」


 俺の許可を得たロボから、青白い閃光が四方八方に線となり飛び出していく。その光線は合計十六本、岩石を吹き飛ばし壁を穿ち天井の石錐を落として洞窟内の自然物を破壊する。グランとリオンは上下左右から迫る熱線から身を捩り避けようとするが徐々に増えていくレーザーの嵐に体を焦がし地に伏せることとなった。


「はあ……はあ、魔力消費が早すぎるが、出たとこ勝負で編み出したにしては悪くない戦法だったな、頑張ったぞロボ」


「うう……ま、まあ僕の力はアカシックレコードですら計測できない永劫の記号ですから、ただ飛び回るしか能が無い輩に僕が敗北の一途を辿るなど、釈迦如来ですら想像できませんよ……痛い……」


 ロボの意味不明な言語も今は聞き流して頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でてやる。ちょっとした痛みでも心が折れるロボが電流の痛みに耐えて頑張ったんだ、今はとことん労ってやろう。


 マールも俺たちに近寄ってロボを思い切り持ち上げて抱き締める。ロボの奴顔を真っ赤にしやがって、初心なことだな、俺と代われ。


「くっ……兄ちゃん、コイツら、やるね」

「ここまで手こずったのはサイラス以来だ」


「何いっ!? まだ立てるのかよお前ら!」


 三人でロボを持ち上げて胴上げしていると、さっきまで曙みたく倒れていた二人が立ち上がり、よく分からない奴と比較をしていた。どっかで聞いたことがあるような無いような……いや、やっぱり無いな。


「どーする、兄ちゃん?」

「決まってるだろ。本気でいくんだよ!」

「よーし! 今度は……」

「遊びじゃないぞ!」


 一々交互に話すなよ、どこまで台詞を決めてるのか知らんが、実に面倒くさい。もうどっちがリオンでどっちがグランかさっぱり分からん。マナ○ナよりもそっくりなんだから見分けが付かねえ。


「勇気のグランと……」


 あ、お前がグランね、どうせすぐ忘れるけどさ。


「知恵のリオン!! コンフュ~ジョ~ン!!」


 二人が片手を天に掲げて大仰な台詞を回しあい、互いの体をくっつけて気持ち悪い色を発光させる。あれか? もしかして合体とかいうやつか? ふざけんなもう戦えるような状態じゃねえんだ特に俺は!


「おら」


 合体中の二人に大き目の石を投げる。片方の顔に当たり合体が中断して、二人で俺を睨む。何だよ、合体とか名乗りの最中は攻撃しちゃいけないなんて法律は特撮物だけなんだよ。俺たちはショッカーじゃねえんだ。


「コンフュ~ジョ~ン!!」


「てい」


 今度はマールが弓矢を撃つ。片方の額に直撃、顔から血をだくだくと流しておられる。効果はばつぐんだ!
 真っ赤な顔で俺たちを睨むのは血のせいか怒りゆえか。謎は深まるばかりである。


「コンフュ~」


「いけー」


 言い終わる前にロボがすかさずロケットパンチ。今首120°は曲がったよな? エクソシストみたいだ、アンコールアンコール。
 両手を使って戻らない首を無理にごきりと矯正して血の涙を流しながら俺たちに負のオーラを流し込む二人。何その顔? なんか文句あるの? だったら口に出せばいいじゃない。言葉にしないと届かないことってあるよ? この現代社会の風潮なら尚更ね。


「コンフ」


「消え去れえええっ!」


 三人で突撃蹂躙撲殺上等。鞘に入れた雷鳴剣を麺棒でうどんを叩く時と同じようにひたすら打ち付けてロボは連続ロケットパンチ、マールは倒れた二人に叩き込むヤクザキックが堂に入っている。ずっと俺たちのターン!


「やられちゃったね、兄ちゃん。これ以上ないくらいしこりが残るけど」

「中々楽しかったな。あくまで途中までは」

「この人達なら、ボクらを直してくれるかな? ちゃんと持ち主を見つけてくれるかな? 期待はしないしそうなっても感謝はしないけど」

「ああ、大丈夫さ。ていうかそれくらいしないと祟る。むしろぶっ殺」


 人聞きの悪い、純粋に正々堂々と戦いその結果負け犬となったくせして俺たちに文句でもあるのか? だから子供は嫌いなんだ、ゆとり教育反対! 俺もその中の一人ではあるが。まったく、お前らみたいなガキがよく聴きもせずに邦楽は死んだとか抜かすんだ。オリコン外のランキングも注視しろ。


 アンパンを無理やり食わせる外道ヒーローみたいな顔になった二人が折れた歯を吐き出しながらグランドリオンに近づいていく。……おいまさかそれを持って持ち逃げするんじゃないだろうな? もしそんなことを決行する気ならフクロタイムが再発動することになる。 


「……あれ、二人とも消えちゃいましたよ?」


「馬鹿言うなよロボ、隠れるスペースも無いのに消える訳が……」


 グランドリオンに近づいて見るとロボの言う通り二人の姿が見えない。あれえ? もしかして、これもしかするの?


「クロノ……やっぱり、あの二人って……まさか」


 歯をかちかち鳴らしながらマールが怯えた声で語りかける。待て、それを言うな。頭で思っているだけと、耳にするのでは全然違うんだから。抑えろ、マールは出来る子なんだから、足が震えてるのは俺も同じなんだから。


「おおお化け怖いよぉー!!!」


 禁句を口走りながらロボが加速装置全開で洞窟から逃げ出す。続いてマールも「祟るならクロノを人柱にしますー!!」とかスイーツこら。俺はグランドリオンを引っ掴み(半ばで折れていることには気付いたが今はとことんどうでもいい)足を前へ前へと進めて二人の後を追う。ふざけんな、まだ彼女も出来てないのに死ねるもんか、まだ○けてないのに死ねるもんかああぁぁぁ!!


 後ろから麓まで送ってあげる……と遠くから響いてくる声が聞こえて恐怖心さらにアップ。ここに来てまさかのアタックチャーンス! 恐怖のレートを上げようぜ!
 とにかく前に見えるマールの背中に空のミドルポーションの瓶を投げつけて転ばせる。立ち上がろうとするマールの頭を芸術的な俺のジャンプ&着地が成功し距離を広げる。はははこれで生贄は確定! 後はロボと二人でバカンスにでも出かけよう! マールは俺たちの思い出の中で爽やかに笑ってくれればいいさ! 俺はクロノ、誰よりも命の尊さを知る男!


 計ったなクロノォー!! というマールの絶叫を卓越したスルースキルで無視! 吠えろ吠えろ脱落者! 誰かを思いやりゃ仇になり自分の胸に突き刺さる、これ常識! 来世ではもう少し頭を働かせるがいいさ!


「逃がすか、アイス!」


 マールの魔法は俺の左足を凍らせて逃亡を阻止させる。あああこうしている間にも怨霊が迫っているかもしれないのに!


「おのれマール、貴様そこまで腐っていたのか!?」


「私は自分が生きるためなら他を蹴落として生きろ、そう貴方に教えてもらった。ありがとうね、また教えてもらったよ。人は誰かを見捨てなければ生きていけないってさ!」


 立ち止まっている俺を笑いながらマールが爆走、逃走。唯一残っているミドルポーションを足に掛けて氷を溶かす。これで回復アイテムは無い。これからマールのアイスは意地でも避けなければ……!


「待て女! 今なら左足を切り落とすだけで許してやる、だからこれから始まるクロノ王国の礎となれ!」


「秒単位で破滅していく王国なんか建国しなくていいよ! 安心してクロノ、私は未来を生きて貴方の銅像を作るから! 二百年後ぐらいに!」


「絶対お前死んでるじゃねえか! 誰が作るんだ誰が!」


 くそ、このままでは俺がこの山の自縛霊となり悠久の時を彷徨うこととなってしまう……こうなったら……!


「じいさん! 今すぐ俺とルッカを交代させろ! 今すぐだ!」


 立ち止まり時の最果てに送られるのを待つ。前でマールが「まさか……そのようなああ!!」と驚愕している。この勝負、始まる前から俺の勝利は約束されていた……! 貴様は俺の掌で踊っていたに過ぎんのだ!


 俺の体が急速に消えていく。悪いなルッカ、お前と過ごした時間、悪くなかったぜ……
 俺たちの代わりに呪われるであろうルッカにさよならを告げる。どれだけ虐げられたとしても、案外寂しいもんなんだな、別れというものは……今度お前が好きだった沢庵を墓標に置いてやるからな……








「……あれ? ここ、何処なの?」


 デナトロ山に現れ辺りを見回す。前を見るとオリンピック選手のようなフォームで手を振り走っているマール。私には状況が全く把握できず途方に暮れてしまう。


「ルッカ、短い間だったけど、私たち友達だからね! いつかお参りしてあげるからね! お化けに食べられてもクロノを恨んでね!」


 気の置けない女友達であるマールがえらく不吉なことを言う。お化け? そんな存在を彼女は信じているというのか? やはり彼女の純粋さは貴重だと思いくすっ、と笑いがこぼれる。後ろから送らなくてもいいの……? という言葉を聞くまでは。


「……え、誰かいるの? ロボなの? それともクロノ?」


 後ろを見ても誰もいない。声は今も響いている。送らなくてもいいの? 送らなくてもいいの? と延々続いている声は段々薄気味悪く聞こえ、声の年齢からすると子供のようなのがたまらない。
 不安になった私はマールの姿を目で追うが、彼女は既に山道を下り視界から消えてしまっていた。今や足音すら耳に入ってこない。……お化け? 


「……クロノ? 何処にいるの、近くにいるんでしょ? 私はお化けとか幽霊とか、そんなリアリティの無いものは信じたりしないわよ、だからそろそろ出てきなさいよ。怖がらせたいんでしょ、全くあんたはいつまでも子供みたいなことをするんだから……」


 声が聞こえる。声が聞こえる。送る? 何処へ送るというのか。具体的には現世のどこかなのか……はたまた別の何処かなのか……


「……クロノ。充分、分かったから、こんな声まで用意して準備が良いのも分かったから、早く出てきなさいよ。……出てきてよ……」


 数分後、置き去りにされたルッカが手で顔を覆って山を降りて来たことに驚いたマールとロボが平謝りをして、「クロノが悪い」と宣言するのはそう遠い未来の話ではない。
 ただ追記するならば、時の最果てから呼び出されたクロノにルッカが起こした行動は悲惨という言葉がよく似合うものとなった、ということはお約束ではある。
 ただ、心細さや目に見えない恐怖からえぐえぐ嗚咽を漏らしながらハンマー無双を開始した後ボロ雑巾のようになったクロノに抱きつきながら至近距離でファイアをぶつける彼女の姿はマール曰く「微笑ましくはあるよね」とのこと。
 星の未来は、存外に明るいのかもしれない。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:32692395
Date: 2010/09/04 04:26
 デナトロ山を下山してルッカに半死半生の身にされながらも、とりあえずグランドリオンを手に入れることが出来た。腕とか足とか顔とか頭とか全身が満遍なく痛いけど。
 時間はすでに深夜。デナトロ山に入る頃はまだ夕刻だったというのに、トルース町の裏山に比べて随分と大きい山だったから仕方は無いが。消費した時間の十分の一はルッカの制裁だったのは公然の秘密。
 マールの気乗りしない治療を受けて立ち上がれるようになった俺は開口一番、


「あのどっひゃー勇者を殴りに行こうぜ」


 と、殺気を露に口に出した。
 時の最果てに帰ったルッカを除き、ロボ、マールは深く頷いた。戦闘はともあれお化けの恐怖は忘れられるものではない。あのくそったれ勇者が真面目に勇者してればわざわざ俺たちが災難に巻き込まれることは無かったのだと考えると、肛門に火付け棒を突っ込むくらいでは許せない程の怒りを感じる。「らめえ!」とか言わせてやるからな。


「ルッカの私刑中にらめえ! って言ってたのはクロノだけどね」


「忘れろマール。後冗談でも女の子がらめえとか言うな。それも感情込めて」


 チームワークに定評無しの俺たちは心持ち早歩きでデナトロ山を離れ、パレポリ村へと歩き出した。




 未明にパレポリ村に着いた俺たちは真っ直ぐ勇者の家に向かい鍵のかかったドアを蹴倒して中に進入した。
 家主のじじいが驚きながらフライパンを片手に現れたがマールのハイキックで沈む。俺たちの行動にロボはおろおろしていたが、お前も俺たちのパーティーの一員なんだからこういうことにも慣れてくれ。


「お、親父!?」

「じいちゃん!?」


 じいさんが壺やら机やらを巻き込みながら倒れた音で二階から勇者とその父親らしき男がばたばたと降りてきた。ナイトキャップを付けている辺りがとても気に入らない。


「あれ? 兄ちゃんたちは山で見かけた……」


「おう、オフザケ勇者。貴様はここで朽ちろ」


 迷わずサンダーの詠唱を始める俺の頭にロボのパンチが飛ぶ。だから、いつ俺が「ご自由にお殴りください」と言った。


「落ち着いてくださいクロノさん。そりゃあ最初は僕も怒りという名の記号に惑わされましたが、まずは彼がどのような境遇にしてかの行動に出たか、そしてその信念を聞き出さねば僕たちの取る道に光明というコンパスは舞い降りはしないんで」


「ごめんねロボ、大事な話の時はちょっと静かにしててね」


 ロボの体を反転させて部屋の奥に追いやるマール。流石、俺なんかミドルキックを入れようと構えていたところなのに。


「ねえ勇者さん、貴方は魔王軍を倒すためにグランドリオンを取りに行ったんだよね? ならなんで逃げたの? モンスターが怖いのは分かるけど、貴方は勇者なんでしょ、皆に希望を挙げるんでしょ?」


 勇者の小さな肩に手を置いてこんこんと語るマール。ここだけ切り取れば優しい少女キャラに見えるが、彼女は今さっき老人を蹴り倒し昏倒させている。俺に彼女を理解出来るときは来るのだろうか。


 マールの一言一言に肩を震わせて、下を向いている勇者。思うことがあるのか、それとも自分の祖父を気絶させた不審者に怯えているのか。後者臭いなあ。


「おいタータ! こいつら何言ってるんだ? お前が逃げ出したって……嘘だろ、こいつらがデマカセ抜かしてるだけなんだよな!?」


 そのまま根気強く語りかけるマールに無反応のまま黙っている子供に痺れを切らしたのか、父親がマールの手を振り払って勇者……タータに脅すように話しかける。
 その声から、そうであろうがなかろうが、勇者であることを強要させるような、脅しめいたものを感じた。
 父親の言葉に一層強く体を震わせたタータは、暗い目で俺たちを見て、小さく呟いた。


「そうだよ、この兄ちゃんたちが嘘ついてるんだ。グランドリオンは明日取りに行くんだよ」


「てめえ、ガキだからって俺たちは優しくねえぞ!」


「クロノ!」


 言うに事欠いて俺たちを嘘つき呼ばわりするタータに腹を立てた俺をマールが体で止める。
 

「何で止めるんだよ! 何発か入れねえとこういう奴は反省しねえんだよ!」


 俺の言葉を無視して、マールは尚もタータに口を開く。


「勇者……いえ、タータ君。君は勇者なの? それとも、そうでありたいの? もしくは……そうでなければいけないの?」


「!?」


「なんだあ小娘! お前何が言いてえんだよ!」


 ずっと俯いていたタータががば、とマールを見る。するとタータとマールの間に割り込んで父親が焦った様に怒鳴り始めた。彼の目を見てマールは、一つため息をつき、父親をいないもののように後ろのタータを見た。


「タータ君、周りが勇者であれと願ったのかな。勇者じゃないと……許されなかったのかな」


「お、オイラは……」


「もしそうだったんなら……」


 一呼吸分会話に空白を混ぜて、父親の罵声をBGMに、マールの哀れむような、悲しむような、澄んだ声が生まれた。


「……辛かったね」


「……あ」


 もうだめだ、と零して、タータの目から涙がつう、と落ちた。きっとそれには、悔恨と後悔を含まれていて。
 その姿を見た父親が戸惑いながら「認めるなタータ!」と叱るが、今まで黙っていたロボが父親の腕を取って外に連れ出した。騒ぐ父親に数発文字通りの鉄拳を加えて。


 それから、タータは一頻り泣いた後、勇者になった経緯とその後を話し出した。
 タータの持つ勇者バッジは酒場で酔いつぶれていたカエルが落としていたのを見て、高く売れるかと思って町に出れば、町の皆が勇者様だとチヤホヤしてくれるから引っ込みがつかなくなった、という子供らしい理由だった。
 町の住人も子供ではあるが並外れた怪力を持つタータならば……と考えたのだろう。実際俺だって最初にあの石や木を拳で割るタータを見ていれば勇者だと納得していただろう。
 しかし、事が大きくなり怖くなったタータは正直に成り行きを父親に話してみたのだという。が、


「馬鹿が! それが本当だってばれりゃあこんな裕福な生活は出来なくなるんだ、いいかタータ! 誰にもその事は言うなよ、お前は勇者なんだ、俺の為に勇者じゃなきゃいけねえんだ!」


 父親の毎日聞かされる言葉に、後ろめたさを隠しながらタータは勇者『ごっこ』を続けなければならなくなった。それは父親だけでなく祖父も同じだったようで、父祖父共にタータを勇者として担ぎ上げた。
 結果、今まで遊んでいた友達は勇者であるという理由で離れていき、ほのかに恋心を抱いていた女の子と話すことさえ出来なくなったという。


 今まで辛かった、と泣きながらマールに自分に起こった出来事を伝えるタータに、マールは優しく抱きしめてあげた。
 それはとても綺麗な光景なんだろうし、世間一般では落とし所というやつなんだろうが……


「……気にくわねえ」


「え?」


「何でもないよマール。そいつが落ち着いたらその勇者バッチとやらを貰っておいてくれ」


 二人に背中を向けて家を出ようとする俺をマールが慌てて引き止める。
 止まる気はなかったが、タータの「何でオイラがこんな目にあうんだ!?」という叫びが俺の臨界点を越えさせた。
 俺はずかずかとタータに近づき、マールから引き離して思い切り殴りつけた。小さな体は勢い良く飛んで台所の壁に叩きつけられた。強く体を打ったタータは悶絶しながら地べたを這いずるが、俺はその背中を踏みつける。マールの制止も、今はうっとうしい。


「……俺が言える義理じゃねえよ」


「ぐええ……」


「そうだよ、俺が今から言うことは全部自分のことを棚に上げた下種の意見だ。でもな、俺とアイツは……多分友達だったから、友達になれたから、言わせて貰うわ」


「クロノ! 何してるの、タータ君は……」


「被害者、とか言うならマール。お前も殴る」


 無機質な声でマールを牽制する。彼女は手を胸に当て一歩、俺から離れた。視線はタータに、心配そうな目を向ける。見れば背中を強く打ちすぎて呼吸がままならないようなので、俺はタータから少し離れて、マールに治療を促す。


「確かにお前が全部悪いわけじゃない。まだ子供のお前に親の強制を振り切れってのも酷かもしれない……でも、お前が、自分は勇者じゃないと言わなかったせいで、何人死んだと思う? その上自分は悪くないみたいな言い方しやがって……」


「し、死んだ?」


 マールのケアルを受けて、立ち上がれはせずとも話すだけの力が戻ったタータが呆然とした声を出す。


「ゼナン橋の事だ。お前が正直に打ち明けてれば誰も死ななかった……そうは言わない。どっちにしろ魔王軍は侵攻してきただろうからな。けれど騎士団長から聞いたぜ、お前に橋を渡らせるために多くの兵士が失われたって」


 ひっ、と区切られた悲鳴。まだ小さいタータでも、戦場を歩いたんだ、不幸にも人が死ぬってのはどういうことか分かっているはず。自分のために人が死んだという事実に正面から向き合ってはいなかったのだろう、今俺に言われてやっとタータはその事に気づかされた。
 マールもゼナン橋で死んだ兵士たちを思い出したのか、沈んだ表情を見せる。


「お前が真実を言っていれば、死なないですんだ人間が何人いたか……」


 こと戦いでは味方の人数で大きく変わる。タータの為に散った兵士たちが何人いたかは知らないが、数人ということはないだろう、壊滅的なダメージとまで言っていたのだから。
 その兵士たちが突破ではなく防衛に徹していれば、死傷者はかなり変わっていただろう。ジャンクドラガーさえ出なければ、俺たちが戦線に加わらずとも退けることは出来たかもしれない。……何よりも。


「ヤクラが……死ななかったかも知れねえんだ!」


「止めてよクロノ!」


 話しているうちにまた我慢が出来なくなった俺がタータを殴る前にマールが抑える。
 ……ヤクラが死んで一番辛いのは、庇われたマールだったはずなのに……


「……悪い、もう俺、外に出てるよ」


 今度は、マールも止めない。俺は早足で荒れた室内を歩きドアを開ける。
 その時、タータが小さな声で「オイラは……どうすればいい?」と聞いてきたので、半開きのままドアを開ける手を止める。


「さあな、無理やりでも、偽者でも、勇者だったんだろ? 自分の道は自分で切り開けよ」


 それが勇者だ、と心の中で締めて外に体を出した。


 後ろ手にドアを閉めて、家の壁に体を預け座ると、視線の先にひたすら殴られて気絶したタータの父親と、その近くに立っているロボが見えた。
 中の会話を聞いていたのだろう、ロボはなんと言っていいか分からないという顔で俺に近づいてきた。


「……あの、クロノさん。大丈夫ですか?」


「……大丈夫だ、ただ腹が立って仕方ねえだけさ」


「やっぱり、タータ君を許せませんか?」


 ロボのか細い、オドオドした言葉に俺は笑って、手で顔を覆う。


「最初は逃げ出してた癖に子供に八つ当たる、卑怯者にだよ」


 自己嫌悪から流れる涙は、弟分のロボには見せたくないから。
 今が夜で良かった、指から漏れるものに気づく人はいない。
 頭上の月が生む光が、無言で俺を責めるのが、とてもとても辛かった。





 星は夢を見る必要は無い
 第十五話 勇者≠勇気ある者





 パレポリ村を出て俺たちはお化けガエルの森に入り、カエルの住処に向かうことにした。
 タータの話で出た酔いつぶれたカエルというのは俺たちの仲間だったカエルで間違いないだろう。あいつの剣の腕前は確かに俺や騎士たちとは比べようも無いほどのものだった、勇者と言われてもまあしっくりこないでもない。王妃マニアの駄目野郎だけど。


 が、ここでまたしても問題浮上。これにはクールダウンしてきた俺が再びボルケノン! となってしまった。


「あの両生類の根本的存在屑ガエル……いつ家に帰ってるんだよ!」


 勇者バッチをタータから貰い、グランドリオンも折れてはいるが柄の部分を手に入れてさあ魔王との御対面ももうすぐだぜえ! とテンションゲージが上がってきた所でこのパターン。ぐちゃぐちゃにした室内が整えられているところを見るにあの後一度は帰ってきたようだが……
 とりあえず苛立ちが募った俺たちはまた家を荒らすことにした。前回は破壊というほどの破壊はしていなかったからな、今度は応用を利かせて殺傷性の高い罠を仕掛けるというのはどうだろう? フォールアウトみたいに。


「むしろ爆発物とかを設置して……よし、ルッカを呼んでここをベトナム地帯に改造してもら……あれ?」


「どうしたのクロノ? 何かあった?」


 タンスを氷付けにする作業に埋没していたマールが俺の声に反応して振り返る。ていうかあれだね、顔を合わせたこともない人の家でよくそこまで好き勝手できるねマール。尊敬するわ。


「いや、写真があったからさ、ちょっと見てただけ。カエルの若い頃かな……?」


「へえ……ねえ、私にも見せてよ!」


「僕も見たいです、僕に勝るとも劣らぬというフォウスを宿しているのですから、魔の根源たる者に姿を変幻させられる前の姿を見ておきたいです」


「まあ待てよ、まず俺が先だ。あとロボは勝手に設定を作るな、何だよフォウスって」


 一々突っ込みを必要とする会話をするなあロボは。ある意味介護が必要だと思うぞ。


 気を取り直して写真を見る。ガルディア騎士団のごつごつとした甲冑を装備して、兜を外したえらくハンサムな男が写っている、これがカエル? ……ちっ、勇者って奴はわざわざ顔が良いんだな、古今東西不細工な勇者ってのは見たことが無いからそうじゃないかとは思ってたが……


「よし、燃やそうかこれ」


「いやいや意味分かんないよクロノ。大丈夫? 結婚する? の流れくらい分かんない」


「理由はカエルが無駄にイケメンだからだ」


「なるほど、そうなるとカエルさんがパーティーに入れば実質男で顔が良くないのはクロノさんだけになりますもんね。そりゃあ不機嫌にもなりますか」


 今小さな命が星に還ろうとしている最中、俺が落とした写真を見てマールが「違うよ、クロノ」とマウントポジションの俺に話しかける。何だよ、今こいつの顔をホンコンみたいにぶくぶくにさせるところなのに。
 渋々ロボの上から退く。「うわああ、本当のことなのにぃぃ!」と泣き出すロボに俺は告げる。来世では幸せになれ、と。


 雷鳴剣を抜き黄忠が夏侯淵にしたように真っ二つにしようと大上段に構えるが、マールの次の発言に俺の動きが止まった。


「この鎧を着た人、カエルさんじゃないよ。下にサイラスって書かれてるもん」


「……そうか。良かったなロボ、カエルがイケメンでない限り、お前の命は保障してやらんでもない」


 剣を収めた俺に安心したロボはどういう原理かそれともパブロフの犬なのか、また俺の腰に抱きつく。だからお前おかしくない? ジャ○アンに苛められたのび○がジャイ○ンに泣きつくようなもんだぜ?「ジャイアー○! また○ャイアンに苛められたよー!」って。弱すぎる、頭が。


 ロボの頭を撫でて宥め、「え、じゃあこの人が?」と戦慄したような声を出すマールを一時無視して藁葺きのベッドに倒れこむ。腰の刀はサイドテーブルに乱暴に立てかけて、一緒に布団に入ろうとするロボは床に蹴落とした。デナトロ山に入って今まで徹夜だったんだ、そろそろ睡眠を取らないと倒れる、とまでは言わないが、十全に戦闘をこなせるとは思えない。
 藁に包まる俺に尚も「ねえクロノ……」とマールが話しかけるので俺は隣のベッドを指差しお前も寝ろ、と示す。汗をかいたので水浴びをしたいところだが、そう贅沢は言えない。


 一向に話を聞く気がない俺に根負けしてマールは静かにベッドに潜り込んだ。ベッドは二つしかないのでロボは床で静かに泣いている。機械の癖に床では不満なのか、生意気な。
 結局、十分後に俺はロボにベッドを譲ってやったのだが。せつせつと泣くし、ロボの奴本当に悲しそうに嗚咽を漏らすもんだから俺の少ない罪悪感がいびられてたまらなかった。


 ロボの体をベッドに置いて床に寝そべると、ロボが驚いた後「クロノさん、一緒に寝ませんか?」と聞いてきたのには発狂するかと思った。色々言いたいことはあるが、とりあえずはにかむな! 終いにゃ襲うぞテメエ!
 ここ最近の願望というか、俺は実はロボが女だった、という展開を心待ちにしているのだが……止めよう、あまりに虚しい。
 

 寝つきの良い二人と違い、下らない妄想をしていた俺は部屋に日の光が降ってくるまで意識を失うことはなかった。






「……おい、…ロノ、クロノ! 起きろ!」


 ああ、母さん、朝飯? どうせその前にトイレ掃除でもしろって言うんだろ? 分かってるんだ、でも今日という今日ばかりは断固朝食優先の構えを取らせてもらう……


「トイレ掃除は良いとして、今はもう昼過ぎだ、朝食なんか用意してない」


 朝飯も無いのに働けだって? はっ、面白くない冗談だなうんこババア。


「おいおい母親に向かって酷い言い草じゃないか、もう少し労わってやれ」


 んん、世の中には尊敬すべき母と唾棄すべき母がいることを貴方で知ったよ、いいからカロリーを摂取させろ。


「自分で金を稼いだことも無い奴が大きな口を叩くな、母は大層悲しいぞ」


 うるさいなあ、大体お前は母親じゃないだろう、水辺に生息する卵産型の分際で偉そうに……


「起きてるんじゃないか!」


 右手を払って布団代わりの藁を飛ばすカエル。中途半端に乗ってもらって悪いが、俺の母さんはお前みたいに枯れた声じゃない。母さんはトルース町美声大会で優勝したことがあるんだ、間違えるわけが無い。母さんの歌う椎名○檎の曲なんか鳥肌ものなんだぜ?


 目を擦りながら腹の減り具合で、七時間前後は寝ていたのだろうと予想する。時計という概念が無い中世では正確な時間は分からないので、あくまでおおよその見当だが。


「起きたなクロノ、じゃあ早速こっちに来い」


 大きなあくびをしている中、カエルは万力のような握力で俺の手首を掴み部屋の中央に連れて行く。なんだよ、そういう強引なアプローチは嫌われるぜ?


 もみくちゃに丸められた絨毯の近くまで移動させられて、カエルは俺の手を離す。顎で指した方向を見ると、まあ、部屋の中が荒れに荒れていた。


 まず生活用具という生活用具はマールの手によって氷付けにされているか、ロボのロケットパンチによって拳大の穴が無数に空いている。壺や額縁のガラスといった割れ物は床で無残に粉々となっている。壁や天井は俺のサンダーによって大きな焼け跡が残り、食料は俺たちが食べ散らかした後そこらに投げ捨てていたので蟻がたかりだし悲惨なものとなっている。しまった、起きた後俺たちが食べる分は残しておくべきだった。


「さて、これはどういうことなんだ、まさかと思うが……お前たちがやったのか?」


「いや知らないな、王妃様が来たんじゃないか?」


「やっぱりそうか! いや、前にも似たように荒らされたことがあったんだが……いやな、置きメモに王妃様は自由に使ってくれていいと書いておいたんだ、そうかそうか、いやはや王妃様はお茶目だな! しかし短い間にこうも訪れてくるとは……くそ、なんで俺がいない時に限って……いや、これはある種の焦らし効果になるか、次に会う時はきっと飛び掛ってくるだろう!」


 飛び蹴り的な意味でな、とは言わないでおく。
 しかし、こいつは王妃様が実は世界の創造主だ、と言われてもやっぱりそうか! と言うんじゃなかろうか。久しぶりに会うのだが、こいつの変態性はなんら変わってはいないんだな。


 今度王妃様と会う時のシミュレーションを俺という第三者がいる前で恥ずかしげも無く披露しているカエルの後ろ頭をはたいてこちらを向かせる。


「いつ俺がご自由にお殴りくださいと言った」


「黙れゲテモノ、理科室のカビたタワシみたいな肌色しやがって気持ち悪い。後俺と思考回路が似ているところがむかつくんだよ」


 一悶着起こってから、人のベッドでよだれを滝の如く垂らしながら寝ているマールと、指を猫のように曲げて枕にしがみついているロボを起こしてカエルと対面させる。
 奇天烈な生き物が好きなマールは好奇心を前に、カエルを見てきゃあきゃあと喜んだ。ロボはロボで人という種が別個の生物に変わることでアルクサスの定理を覆す……とか良く分からんことを寝起きながらに呟いていた。どっちも頭が悪い。


「ほお、あんたがリーネ王妃様に間違えられたという……確かに似ているな、素人なら区別ができんとしてもおかしくはない」


 値踏みするようにマールの全身を観察するカエル。おいそこの性犯罪者予備軍、マールさんの口端がひくついてますよ? 折角さっきまで好印象だったのに。それから素人とか玄人とかあるのか? ああ、そういやリーネ王妃をムハムハしたいだかなんだかの会長なんだっけ、こいつ。


「ロボ……からくりらしいが、信じられんな……随分と技術の進んだものだというのは分かるが。それと、失礼だが性別を伺っても構わないか?」


「僕は当然の如く男ですよ! 未来では第二のシュワちゃんと言われていたんですよ!? その僕になんて失礼な質問を!」


 いや、お前はネバーエンディングストーリーの主人公だ。もしくはターミネーター2の主人公。パッと見男とは思えない、見た目というか、オーラが。


 挨拶を終えて軽く互いに今までどうしていたのか、という話をする。カエルは城を出た後何度かサンドリアやパレポリに出向き時々モンスターを狩ったりして剣の腕を鍛えていたそうだ。もしかしたら何度かニアミスしたかもしれないな。
 俺たちが時空を超えて旅をしているという話を半信半疑ながら頷いてくれた。そこまではカエルも口を挟んだり時々笑顔になったりしていたのだが、ガルディアに魔王軍が侵攻してきたと話し出した辺りから暗い顔になっていった。
 特に、勇者バッチとグランドリオンを見せてから一つも俺たちの話に口を出すことはなくなり、次第に無言の間が生まれることとなった。


「そうか……あのチビに会ったのか……しかし、もう魔王には手も足も出ない。魔王と戦うのに必要なグランドリオンはもう……それに、それを持つ資格は俺には無い」


 空白の時間を動かしたのはカエルだった。なにやら事情のあるような事を呟くが、こっちとしてはそんな急にシリアスな顔をされても……と俺たち三人が顔を見合わせる。すると、カエルが凍った棚の一つを指差した。なんだ、解凍しろってのか?


 魔法で作られた氷は日の光程度では中々解けず、時間の経過と共に少しは凍らされた面積が無くなってはいるが、人力で暖めるのは面倒だとロボと二人掛かりで棚ごと派手に壊す。後ろでカエルが「ちょっ!?」と叫んでいるが今の今まで真剣な顔をしていたのにコメディな事を口走るな、と思いながら無視した。


「これは……折れた剣、グランドリオンの一部か!」


 壊れた棚から出てきたのは太く美しい剣先、今持っているグランドリオンの一部と合わせれば確かな剣として蘇るだろう形状。
 ロボが拾い上げて、その切っ先から何までじっくりと凝視する。


「古代文字で何か書いてありますね、解析します!」


 ビビイ、と機械の駆動音が鳴りロボの両目が赤く光り、剣先を照らしていく。こういう時になって初めてロボがアンドロイドだって気づけるんだよなあ……カエル、後ろで「目が、目がぁ!」と一々驚くなようるさいなあ、人型のロボットなんか見たこと無いんだろうから無理ないんだろうけど。


「ボ……ッ……シ……ュ。ボッシュと書かれています」


「ボッシュ? それってメディーナ村の? ど、どーゆー事クロノ?」


「いや、ただ単に同じ名前ってだけの話だろ」


 俺の至極当然の発言に二人が空気読めてねえなあという呆れ顔を向ける。俺がおかしいのか、俺が悪いのか?


「グランドリオンを直せる者は、もうこの世にはいないのだ……」


 カエルの独白は誰も聞いておらず、俺たち三人は「いや、空気読めとかそういうこと言い出す奴が一番読めてねえんだって!」と延々と言い争いをして、結果メディーナのボッシュに会えば分かるだろうという結論が出るまでカエルを存在ごと忘れていたという。
 蛇足だが、気づけば無視されていたカエルがベッドの上で体育座りをしていたのはかなりキモかった。






 結果から言えばおかしいのは俺だったようで、現代に戻ってボッシュに会いに行けば、ボッシュは俺たちの持つグランドリオンを見るなり驚いた顔で近づき「この剣はグランドリオン!? どこでこれを!」とむさい顔を近づけてきた。なんつーか、都合良いよなあ世の中。
 マールがどうしてこの剣に貴方の名前が彫ってあるの? と疑問を口に出せば、「話せば長くなるから言わん。何より、お主らが聞きたいことはそんなことではなかろ?」と腹の立つ顔で問うてきたのでまあイライラした。何でちょっと上から目線なんだよ。


「これを復元することは可能なんですか?」


 ロボの問いかけにボッシュは修復の仕方を教えてくれた。かいつまんで言うなら、遥か昔に存在した赤い石、ドリストーンというグランドリオンの原料があれば可能だという。万一入手することが出来れば自分がなおしてやろうとも。
 どうせ手に入れることはできないだろうが、まあそれまで剣はお前たちが持っておけと余計な一言のせいでプッツンしたマールがもし持ってきたら無料で修復してもらうわよ! と啖呵を切った、というのはどうでもいいことかもしれない。
 ただ、問題はその後。


「それは別にええが、もし持って来れなければどうするのじゃ?」


「そうね、もし一週間、いいえ、三日以内に持って来れなければクロノを好きにしていいわ!」


 この会話がよろしくない。王家では民を勝手に約束の報酬として扱っていいと教育されているのだろうか? ルッカにテロ用の道具を借りる時が来たのだろうか。


「マール、お前の意思だけで俺を賞品にするな、あまりの身勝手さに興奮するわ」


「ええー?」


 不満たらたらの表情で俺を見るマールは実に不細工だった。心の醜さが表に出ているかのように。
 咄嗟の暴力衝動を抑えつつ、俺は右にいたロボを捕まえてボッシュに渡す。何々? とキョロキョロしているロボに笑いかけて、清々しく一言。


「じいさん、賞品はこいつで決まり。期限内にドリストーンを持ってこなければロボを好きにしていい」


「ほえええええ!? ななななんで僕がこのお爺さんに渡されるんですか!?」


 当たり前だが驚いて言葉を噛みまくるロボに俺は満面の笑みで頭を撫でてやる。大丈夫、今時そういう倒錯した世界を経験しておくのは悪いことじゃないから。
 マールが「ロボは駄目だよー!」と悲しげに訴えてくるが、ロボはってなんだよこんちくしょー。俺のヒエラルキーは限りなく底辺だと再認識出来た瞬間だった。


 まあ、人間の男よりアンドロイドを好き勝手に弄れる方がええしのお、というボッシュの言葉により賭けは成立した。マールは膨れるしロボは泣き喚くがこれがきっと正しい選択だったと俺は理解する。理解させろ。


 グロノざぁーん!! というロボの悲鳴をバックに俺とマールは時の最果てに向かうべくボッシュの家を離れた。ドナドナが聞こえてきそうな気分だな、悪くない。ロボの俺への懐き具合が尋常ではなかったのでこれは良い機会だったのかもな。ていうか、マールの奴ロボのことをあれだけ気に入ってたくせに自分が賞品になるとは全く言い出さなかったな、俺としてはロボよりもマールが離れるほうが良かったといえば良かったのだが。このアクージョめ。


 もう慣れたと言いたげなゲートのある家の家主が冷たい視線を送るが、見ない振りをして時の最果てに旅立つ。さよならロボ、三日以内とか多分無理だけど、強く生きろよ……!






「それでロボを置いてきたの? マールもトンデモなことを言い出したものね……」


「違うよ、最初はクロノを置いていこうとしたの!」


「マール、いつから俺のことが嫌いになったのか聞いていい?」


 時の最果てでルッカと再会した俺たちはグランドリオンの修復方法と馬鹿のせいでロボがパーティーを一時離脱することをルッカに告げた。それから後で聞いた話だが、マールが俺を置いていこうとしたのは自分やロボがあのお爺さんと二人きりになるのは可哀想でしょう? とのことだった。超ど級外道だった。


「しかし、遥か昔ねぇ……ねえお爺さん、光の柱から古代に行くことは可能なの?」


 時の最果てに住む(住む?)爺さんは帽子のつばを指先でつまみ深く被りなおした後、数秒考え込んだ後、小さく口を開いた。


「ああ、確か行けた筈だよ……ドリストーン……そういえば、光の柱から行ける時代で取れた気もするな……」


 ビンゴ! と指を鳴らして早速行きましょう! と急かすルッカ。俺とマールも頷き、立ち上がって光の柱まで駆けていく。正直ここから行けないのならロボとは永久にさようならとなってしまうので、九死に一生ってやつだ。


 幾筋も立つ光の柱に手をかざしていき、その中でB.C.65000000年、原始、不思議山という場所に向かう柱を見つけた。……これだ!


「二人とも、この柱で間違いなさそうだ、行こうぜ!」


「ナイスよクロノ。早く行きましょ」


「遥か昔の世界かぁ、なんだかワクワクするね!」


 想像も出来ない、まだ見ぬ世界に興奮して俺たちは勢い良く光の中に飛び込んだ。
 ゲートに入ると、息苦しいほどのスピードで次元を越えているのが分かる。暗い空間に投げ込まれた俺たちは少し不安になり何も言わず三人とも手を繋ぎ離れることがないように強く力を込めた。


「……長いわね、遥か昔とは言ったけれど、どれくらい過去のことなのかしら? 中世よりも前の時代ってのは分かるんだけど……」


「光の柱から流れ込んだ知識では、B.C.65000000年って出たよな? 分かるかルッカ?」


「え? 碌に調べずに飛び込んだから分からなかったわ。ていうかB.C.65000000年!? 原始の世界ってこと!?」


「ああ、そういや原始とも出たな、場所は確か……不思議山だったか」


「何でもいいよ、それより早く着かないかな……こうもゲートの中に長くいると怖くなってきちゃったよ」


 驚いているルッカを尻目にマールが肩を震わせていると、遠く先に光が見えて、俺たちの体が投げ出された。時空移動もこれで終わりか、今までとは比べ物にならない程の移動時間だったな。


「さあ、ここがっ!?」


 俺が驚いたのも無理はないだろう。なんせ、ゲートから出た俺たちがいる場所は空中。これは空に浮かぶ島とかそんなラピュ○みたいな場所にいたという比喩ではなく、ほんとうに宙に投げ出されたのだ。
 下を向いても地面が無い。つまり、重力の法則にしたがって、俺たちは、落ちていった。


「くくくクロノ! とにかく私の下敷きになりなさい!」


「ふざけろルッカ! 女は男に敷かれる側だ! というわけでお前が俺の下になれ!」


「うわ、クロノってば大胆……」


「エロい意味で言ったんじゃねえ! それなら俺は寧ろ上にいって頂きたい……とか行ってる場合じゃねえ!」


 急な展開に慌てふためきながら、ルッカが下にファイアを放ち、それによって生まれた上昇気流で落下速度を落とすことに成功した。マールは近くの岸壁にアイスを使って落下を止めて難を避ける。問題は俺だ。サンダーをどう活用すれば助かるのか? 本気で役にたたねえな俺の能力!


「うわあああファイトォォォー! いっぱああつ!」


 地面に激突する前にかろうじて岸壁から生えた木の枝を掴み落下を止める。掴んだ右手に落下と体重の付加がかかりびきっ、といやな音を立てるが脱臼は免れたようだ。後でマールに治療してもらえば治るだろう……


「クロノ! どかないでそこにいて!」


「え?」


 比較的緩やかに落ちてきたルッカが俺に当たってそのままぽてくり落ちる。まあ、お約束だよね、俺がルッカの下敷きになるのは世界の理なんだろうね。


「良かった、私が怪我をせずにすんで」


「ねえねえルッカ、俺の右足に刺さった石が見えますか? お前が俺に向かって落ちてこなきゃ無傷だったかもしれない俺の足、真っ赤だよね」


 俺の嫌味を無視して「マール、降りれるー?」と指を丸めて手を拡声器代わりに使いマールに呼びかけるルッカの行動は俺の殺害動機になるには申し分なかった。
 マールは時間をかければ降りれるよ、と答えたので、俺の治療にはしばらくかかることが決定した。仕方なくルッカからポーションを貰い足の怪我と肩を癒す。そろそろパーティー全員の回復薬も底を尽いてきたな……


 足の痛みが治まってきたので立ち上がり今自分がいる場所を確認する。
 辺りは木々が無造作に生い茂り舗装などとは程遠い野道が広がっていた。遠くの太陽が森の緑と赤のグラデーションを作りモザイク模様を照らし出す。後ろの崖は二十メートル程の高さで、ゲートは頂上付近に作られていた。もう少し考えた場所に設置してくれないかね、全く。
 道の至る所に子供くらいの大きさの石が転がり人間が近くにはいないことが分かる。緑の中から聞いたことが無い動物の鳴き声や、山を下る道からも人間ではない何かが走り回る音が聞こえる。
 空を見ると大きな翼をもつモンスターが優雅に旋回していた。その大きさは鷲よりも二まわりは大きく、人が乗ることも出来そうな巨体だった。


「ここが原始か、現代や中世、未来とは全く違うな。今までとは全く勝手の違う冒険になりそうだ」


「まあ、未来はともかく中世はそう大きく現代と違った点は無かったからね、そもそもこの世界に人間がいるのかどうかすら怪しいわ」


 ルッカもこの景色を見て似たような結論に達したようだ。現代との時代が千年単位の差ではないのだから、当然か。
 しかし、人の手が全く掛かっていない場所というのは中々見えるものではないと、俺たちはマールが降りてくるまでぼー、と座り込んでいた。鳴き声がうるさいが、自然に囲まれた場所で落ち着くというのは悪くない。
 目の前を緑のウロコを付けた黒い斑点を体に浮かばせている化け物が右往左往していても、落ち着いているのは悪いことじゃない。


「……クロノ、団体さんのお出ましみたいよ」


「言うなよルッカ。さっきのイベントで大分疲れたから気づかずにいたかったのに……」


 現実逃避を推奨していたのだが、まあ大げさに足音を立ててモンスターが現れては仕方が無い。のたのたと立ち上がり剣を抜き払う……が、その数は計八匹。今まで俺たちのパーティーだけで向かい合う敵の数では一番の大人数だった。


「……多くね?」


「……多いわね、マールも今は戦闘に参加できないし」


「おおーいマール! そんな崖とっとと降りて来い! 戦闘なんだよ、二人じゃ厳しいんだよ!」


「も、もうちょっと待ってー!」


 待てるものなら待っとるわい、と毒づいて、太陽に反射して白光を放つ剣を敵に向ける。崖を背にして挟み撃ちになることは避けられるが、単純計算で俺が四匹ルッカが四匹。分が悪すぎる。俺にしても一人に切りかかったところを側面から攻撃されれば終わり、ルッカも魔法詠唱の最中に攻撃されれば終わり、俺一人でルッカの詠唱時間を稼ぐのは厳しすぎる。


「八対二は酷いだろ……マールの野郎、さっさと戦闘に加われっつの!」


「……クロノ、どうでもいいことなんだけど、ちょっといいかしら?」


「なんだよルッカ、つまらんことならどつき倒すぞ」


「……あいつら、リーネ祭りに出てるうっちゃれダイナに似てない?」


「テンパッてるのは分かるが、もう少し建設的な発言を頼む」


 焦ってるときでも冷静な顔でいられるのはルッカの長所でもあり短所でもある。一言で言うなら紛らわしい。


 意味の無さ過ぎる会話をしていると、俺の近くにいたモンスター二匹が予備動作も無く飛び掛ってくる。剣を横薙ぎに払って遠ざけるが、追ってさらに一匹が後ろから突撃してくる。切った反動そのままに回し蹴りを放つが、俺の蹴りにビクともせず俺の腹に飛び込みの頭突きを当ててきた。


「ぐえ!」


「クロノ!?」


 ルッカの方にも三体のモンスターが飛び掛っており、声を掛けるも援護は到底、といった様相だった。


 追撃をさせないように後転して距離を空け、すぐさま右足を蹴りだして振り下ろし。油断していたモンスターの一体を両断すべく脳天に切りかかったのだが……


「か、硬え!」


 両断どころか剣の刃が通ることすらなく、モンスターの頭に弾かれてしまった。デナトロ山のモンスターの比じゃねえぞ、何食ったらそんな頭になるんだよ!


 よろついた体では反撃も出来ず、左右からの攻撃に俺は吹き飛ばされる。その後すぐにルッカが俺の近くに飛ばされて呻き声を出した。
 ……勝てない、か?


「ゲギャギャギャギャ!!」


 モンスターたちの揃った笑い声を聞いて、もう一度立ち上がろうとした時、金色の風が俺たちの前を通り過ぎていった。
 一つ風が吹く度に一体のモンスターがきりもみしながら飛ばされる。二つ風が通り過ぎれば二体のモンスターが地に伏せて、三度通り過ぎれば三体のモンスターの首があらぬ方向に曲がって絶命した。
 自分の目がおかしくなったのかと目をごしごしと擦って再度目を凝らすと、俺とルッカを守るように一人の女が立っていた。
 彼女はカールした長い金髪を膝裏まで伸ばし、腰巻のような服で下半身を隠し、豊満な胸を動物の毛皮で纏った、太陽に照らされたその姿は戦女神と呼称すべきものだった。
 ちらりとこちらを伺った横顔は彫りの深い美しい造詣で、目は野生を秘めたままぎらぎらと輝き、すらりと伸びた睫毛は自信に溢れたもののように見えた。


「ウウウ……」


 狼のように低く唸りながらモンスターを威嚇する。突然現れた女性に戸惑いながらも、残ったモンスター二匹は左右から同時に飛び掛り、爪を伸ばして彼女の喉と心臓目掛けて右手を突き出す。その速さは俺たちを相手取った時とは違い、風の如くと形容できるスピードだった。
 ただ、彼女は戦女神。その速さは音を超えて後ろに位置取る。
 相手の姿を視認出来なかったモンスターは一瞬呆けた後、彼女に頭を掴まれて互いの頭を叩きつけられた。俺の攻撃では傷もつかなかったモンスターたちの頭が割れて、派手に血を散らしながら沈む。


「凄い……」


 戦いが終わり、ルッカの感嘆の呟きが俺に届く。凄いというしかない、彼女の動きはそんな陳腐なもので終わらせていいのか分からないが、それ以外に言葉が出ないのだ。
 モンスターたちの屍の集まりに佇む光景は凄惨であるはずなのに、一枚の絵画を眺めているような、現実感の無い美しさを醸し出していた。


「ア……」


「「っ!」」


 ようやく俺たちを見た彼女が、ゆっくりと口を開いて何かを言おうとしている。ただそれだけのことなのに、何故か俺もルッカも緊張して体が固まってしまった。
 その様子を見た彼女は少し躊躇った素振りを見せた後、小さな声で話しかけた。


「あ、あたい、エ、エイラ……言う。お前たち……あの……」


「……ああ、俺はクロノ。で、こっちはルッカ、上の崖にへばりついてるのはマール」


 俺が話しかけると可哀想になるくらい驚いて背筋を伸ばした後、手で顔を隠しながらもじもじと会話を続ける。


「その……クロたち、どっから来た?」


「あーっと、何て言えばいいんだろうな……」


「明日の明日の、ずーっと明日から来たのよ」


 ルッカの言葉を咀嚼するようにじっくりと考えるが、目の前の女性……エイラというらしい、は悲しげに眉をひそめて申し訳なさそうな声をあげる。


「エイラ……あまり賢い、違う。ごめん……」


「いやいや! ちゃんと説明できないこっちが悪いから! 気にしなくていいから!」


「……うん……」


 さっきの勇猛な戦いぶりと一転したおどおどした態度にこちらもしどろもどろになってしまう。どう接するべきか計りかねていると、エイラがパッと顔をあげた後、やっぱり顔を隠して聞き取りづらい声でボソボソと何かを伝えてくる。


「新しい人間、仲間なると良い、キーノなら、そう言う。だから、村、案内する……」


 途切れ途切れに喋るため要領を得辛いが、恐らく自分の村に来ないか? という誘いだと思う。
 村の場所を教えてくれるのは有難いのだが、その前に一つ聞いておくべきことがあるので先にその確認をしようと俺が口を開く。


「あのさ、ドリストーンって石を探してるんだけど、エイラ……さんの村にあるのかな?」


 またもや驚いて縮こまるエイラに戸惑うが、辛抱強く質問に答えてくれるのを待つ。若干面倒くさいなあとは思うけれど、そこは恩人だからと我慢する。


「石、イオカの村にたくさんある……キーノ聞けば、分かるかもしれない……」


「あのさ、キーノって誰?」


 今度は質問に答えることなく山道を降りていくエイラ。思わず「ええっ!?」と叫ぶとびゅんびゅん走るエイラが硬直して前のめりに転んでしまった。コントみたいだな。


「エ、エイラ……先、行く!」


 脱兎のように走り出したエイラに呆然としながら俺とルッカは急いで追いかけることにする。ここにきてようやくマールも地面に降り立つことができたので、「待ってよー!」と言いながら走り出した。


 ルッカと並行しながら走る俺は、ルッカに確認として質問を投げた。


「なあルッカ?」


「何よ、口を動かすより足を動かしなさい。エイラって人もう見えなくなっちゃったわよ?」


「エイラってさ……かなりの恥ずかしがりって事でいいのか?」


「……の割りには戦闘はワイルドだったけどね、そういう解釈で間違いじゃないと思うわ」


「そうか……パネエな、原始」


 ある程度のドタバタは覚悟していたが、これは予想外だったな……


 太陽の沈む方角に向けて走り続けながら、戦女神のようだと思っていたエイラの事を思い出す。
 常人とは一線を画す動きと腕力を兼ね備えながら、対人の会話は満足に行えない気の弱い女性……アンバランスとはこのことだ、と体現するかのような在り方は、その、なんというか……


「うん、可愛いな、エイラ」


「……ああ? なんか言ったクロノ?」


「いや別に。……怖い顔するなよ、般若みたいになってるぞルッカ」


 エイラとは短く無い付き合いになりそうだな、と独り言を呟いて、俺は蹴りだす足の力を上げた。太陽の光が目にしみるが、悪くない気分だ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2010/09/28 02:41
 両手を地に着け獣のように走り去るエイラの後を懸命に追うが、道を二、三曲がるとその姿はとうに消え、見えるのは頭部の発達した恐竜と呼ばれる化け物が群れをなして砂煙を立てているもの、または体の大きな動物を異様に牙の発達した虎のような獣が捕食しているといった弱肉強食の原点だった。


 ルッカは太古の歴史を肉眼で見ることが出来ると鼻息を荒くして、マールは原始の生き物達の生存競争におっかなびっくり足を進めていた。
 俺はルッカのように興奮するでもなく、マールのように怖がるでもない、ちょうど中間の気持ち。つまりは太古の時代ってこんななのか、という歴史博物館にいるようなどこか現実味を感じていない状態だった。


 そもそも物珍しいとか、怖いとか云々の前に、最初は崖から落ちたり、自然を感じてほんわかしたり、化け物と戦ったりで気にしなかったが……ここ、原始は暑いのだ。
 エイラが露出の高い服を着ているのは何もサービスの為ではなく、長袖なんかで外出するのはこの時代において間違っているのだろう。体感温度では四十度を越えている。多分ね。


「ルッカ……水は持ってないか? 浄水器的な科学アイテムでもいいぜ」


「無いわよ、今忙しいから黙って」


 結構辛そうな顔をしている俺にこの言い分。女性は男性よりも慈悲の心を持っているとかマジ幻想。草食系とか引くよねー、って会話してんだよ女の子って奴はさ。


 だらだらと肩を落としながら歩を進めて山を降りる。それから真っ直ぐ歩くと竪穴式住居が二、三十程密集している集落を見つけ小走りで近づく。
 恐らくエイラの仲間達の家であろうものは近目で見ると造りは粗く、藁に似た葉をしばりそれを屋根代わりに。その為小さな穴が点々と空いて風が吹く度にぱらぱらと飛んでいく。


「昔の家ってこういう感じなんだね……レンガとか使われてないんだ」


「そりゃそうよ、レンガなんて中世の時代でようやく普及されてきたんだから。と言っても、中世でも庶民では手が出ない代物だったけど」


「どうでもいいよ、俺は水が飲みたくて仕方が無い。ちょっと分けて貰おうぜ」


 村の中心から少し離れた一つの家の中に入ると半裸の男性が「ふんっ、ふんっ!」と荒く息を吐きながら腕立てを繰り返している光景が見えた。汗が気化して多少靄がかっているように見えるのは幻覚なのか。


 恐る恐る俺が話しかけると「うぇいあー!」と返し、「水を分けてほしいのですが……」という俺の問いに「をうえー!」
 歯軋りしながらくたばれ! と罵ると「だいたいやい!」との事。原始の人間には意思疎通の可能な人間と不可能な人間がいるようだ。エイラは奇異なパターンだったのかもしれない。


 これからの原始の旅に一抹の不安を感じて外に出る。それから何件かの家を巡るが会話が出来ても水は貴重品なのでまだ正式な仲間ではない俺達に分けることは出来ないとのこと。
 俺が地獄の餓鬼のように「水ー、水ー……」と呟いているとマールが「私の魔法で氷を出してそれを溶かせば水になるよ」とあっけらかんに言う。これで俺の問題は氷解したのだが(あ、上手いこと言った)だったら最初から言ってくれよ。道理でマールとルッカは涼しい顔してたわけだ。俺の見てないところで氷を食べてたのだろう。最近気づいたけど、こいつら俺が嫌いなんじゃない、無関心なんだ。好きの反対は嫌悪ではない。


 喉の渇きが癒えたところで、落ち着いた目で村を見回ることが出来た。人の数こそトルースに劣るがここに住む人々の活気はその比ではない。女達は土器を焼きながら木の実を割り、男は獣の皮を身に付けて鍛えられた筋肉をさらけ出し先端に尖った石を付けた槍を片手に自分を奮い立たせる歌のようなものを大勢で叫んでいる。勿論定められた歌詞など無いので各々好き勝手に歌っているがその顔は充実しているように見える。


 度々好奇の目で見られたが、しばらくすると慣れたようで片手に持ったぶどうのような果物をマールやルッカに手渡すということが幾度かあった。真に有難いのだが、俺に水を分けることは渋るのにその扱いの差はなんだと思ったのはやぶさかではない。


「あの、エイラって人の家が何処にあるか分かりますか?」


 マールに掌くらいの綺麗な石を渡して去ろうとする腰蓑の男を呼び止める。少々時間が掛かりすぎたので待ちくたびれているかもしれない。


「エイラ、酋長。大きな家いる、お前ら来たから、今日お祭り!」


「お祭り? もしかして私達への歓迎の意としてかしら」


「歓迎! 歓迎!」


 野生らしい動きを見せた後男は軽い足取りで何処かに去っていった。
 マールが「あの赤い旗が立ってる家じゃない?」と言うのでそちらを見るとなるほど、周りの家よりも一際目立つテントがそこにあった。聞けばエイラは酋長という身分らしいので、確信はなお深まる。


「エイラはこの村のリーダーだったのか。通りで強いわけだ。原始の人間の平均基準があれだとは流石に思ってなかったけどさ」


「まあ、狩りで生計を立ててたらしい原始人が現代の人間よりも強い、ってのは分かってたけどね。いくらなんでもあんな人間離れした動きをこの世界の住人すべてが可能なら色々面白すぎるわよ」


「お祭り……楽しみだねクロノ!」


 三者全員噛み合っているようで噛み合ってない会話をしながらエイラのいるテントに着く。
 暖簾の様な布を開き中に入ると広い部屋の中央に床に敷かれた絨毯を腕に引き寄せながらエイラが横になっていた。


「うわっ、可愛いなあの構図」


「えっ、可愛いって何が? ただ寝てるだけじゃない。床で寝るなんてむしろ行儀が悪いことだと思うわよ。それとも何絨毯を引き寄せてるのが可愛いの? だったら私だって布団を引き寄せて寝るけど? ていうか大多数の人間がそうして寝てるけど? ねえねえどこが可愛いの教えなさいよ参考にするから」


「お前が参考にしてどうする。あれはエイラという人間がやるから可愛いんだ。お前がやってもそりゃ行儀悪いなあしか思わん」


 俺の至極最もな意見にルッカは歯に物が詰まったようななんとも言えない顔をした後、寝入っているエイラに近づき顔の近くにハンマーを落とす。確かそれ八キロくらいあるんじゃなかったっけ?


「……!? 地震! 危ない、逃げる! ボボンガ!」


「地震なんか起きてないしボボンガもいないわ。ごめんねえ私の不注意でハンマーを当て損なっちゃって」


「ルッカ、当てるつもりだったんだ……」


 マールの顔が引きつるのも無理は無い。もし当たってたらこの村の人間全員に追い回される覚悟はあったのだろうか。


「あれ、お前ら……山にいた……」


「ルッカにマールにクロノよ。何で忘れるの? ちょっと寝たからって忘れるようなもの? すいませんね印象に残らない顔で!」


「落ちつけルッカ。エイラがひきつけを起こしかけてるから。怖がってるから」


 剣幕に押されて、エイラが握っている絨毯が破れだしている。怖かったのは仕方ないけれどえらく馬鹿力だな。だが……嫌いじゃない、そのギャップ。
 震えているエイラの目を見て笑顔を作る。敵じゃないよー、というアピールだ。昔から俺は泣いている子供にはこうしてなだめてやったものだった。
 エイラの目に涙が浮かび始めた。逆効果だったかもしれない。そういえばこの方法で泣き止んだ子供はいなかったな、しくしく泣いている子供を何人号泣させたものか。一度衛兵を呼ばれた事もある。


「エイラ、安心していいよ。ルッカはちょっと虫の居所が悪いだけだから。あの時は助けてくれてありがとう。ほら立って、もうすぐお祭りが始まるんでしょ?」


 マジで泣き出す五秒前状態のエイラにマールが頭を撫でて、ね? と笑えばようやくエイラの震え(痙攣といっても差し支えない)が収まった。女の子を宥めるのは男の役目だって言ってたんだけどな、フラグ建築士の人が。


「も、もうすぐ夜来る! 宴の用意出来た、こっち、マール!」


 赤い目を拭い、エイラが比較的明るい声で喋りマールの手を取って外に連れ出していった。


「……現時点ではマール、友達。俺、気持ち悪い男。ルッカ、恐怖の権化ってなところか。好感度が低い状態のスタートとは燃えるじゃねえか」


「恐怖の権化って何よ、私は当然のことを言っただけじゃない」


「いいか? お前にとっての常識は他全人類にとっては危険以外の何者でもないんだ。いかに自分が外れすぎた人間か理解してから物を言え」


「あんたに言われたくないのよ大変な変態」


「そう褒めるなよ。男相手に性欲が強いなあと示唆するのは究極の褒め言葉になる」


 ちみちみと嫌味を言い合って俺達はテントを出る。日が沈み始め、灼熱のような気温が下がり赤すぎる太陽が遠く果てで沈下を始めていた。








 星は夢を見る必要は無い
 第十六話 酔いつぶれた女の子を介抱した後楽しいイベントが待っているかと思えばそうでもない




 




「みんな聞け! 新しい仲間出来た! 強い女マール! その仲間クロ! なか……仲間? ルッカ!」


「「「ウホホー!!」」」


「さ! ボボンガ踊る! お前らも踊る!」


 ステージの上からの号令で人々は一斉に陽気なダンスを始める。単調ながらも耳に残る音楽が始まり太鼓の音が腹の奥に染み込んでいく。果物を熟成して作り上げた果実酒が脳を揺らし、豪快に焼いた肉の匂いが辺りを漂い否応無く気分を高めてくれる。
 マナー等無く手づかみで肉を果実を齧り床を汚す。現代や中世なら目をしかめるその光景も今この場では威勢の良い、気持ちの良い食べ方。何処までも解放感のある宴。
 さっきまではルッカとの小競り合いで節くれ立っていた俺だが、今は人の声や太鼓の音の波に流されて自由という宴を楽しんでいた。


――ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ 風達と
  ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ 山達と
  ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ この一夜――


「ねえクロノ、この歌って……」


「ああ、リーネ千年祭でも歌われてたな」


「凄いね……ずーっとずーっと未来まで受け継がれてきたんだね、この歌は……」


「感傷に浸っちゃうわね……時の流れに風化されないものって、やっぱりあるものなのよ」


 酒を片手に地面に座り、俺たち三人は宴の喧騒を眺めていた。
 ……良いものだよな、誰かが楽しんでるってことは。


「楽しんでるか、お前ら?」


 先ほどまで壇上で俺達の紹介をしてくれていた男……キーノが話しかけてきた。
 本来はエイラが仕切るべきなのだが、大勢の前に立つのは恥ずかしいと彼女は辞退したそうな。毎度のことだ、と頭をかいていたキーノは見た目のひ弱そうな外見と違い実に頼もしそうに見えた。


「うん! こんなに楽しそうなお祭り初めてかも! あっ、でも王国祭も負けてないかな……」


「王国祭? キーノ分からない。でも楽しんでるなら良い! マール達も飲み食い歌い踊れ!」


「あっ、ちょっと!」


 マールの手を引いてキーノは皆が踊る場所まで連れて行きダンスを始めた。
 最初は戸惑っていたマールも雰囲気に呑まれたか好き勝手に踊りだす。順応性が高いのはマールの凄いところだよな。


「……私の紹介に不満があったから文句言ってやろうと思ってたのに、強引だけど、気持ちの良い男じゃない」


 叱るに叱れなかったわよ、と口を尖らせて俺に愚痴るルッカを小さく笑い、俺もその場を離れ宴を楽しむことにした。いやはや、この時代の女性は露出度が高くて良いね、たまらん。


「……うう……」


「え、誰かいるのか?」


 ぐひひと笑っていたことを誰かに聞かれたと思った俺は声の聞こえた方を見た。


「キーノ、楽しそう……マール、可愛いから……うう……」


「……エイラ、さん?」


 暗がりで座り込んだエイラは酷く悲しそうにキーノとマールが踊る光景を見ていた。何度も何度も目を擦っているので目蓋付近が赤く腫れ上がってしまっていた。


「ク、クロ!?」


 声を掛けられたことに驚いたエイラは俊敏な動きで草むらの中に入り遠くまで走り出す足音が聞こえた。


「……ああ、つまりあれか」


 俺のほのかな恋が終わったということか。へえー……


「……キーノ、許すまじ」


 エイラの思い人であるキーノがマールと楽しそうに踊っているのが辛かった、と。可愛いねえ、可愛いねえ。俺にヤキモチ焼いてくれる女の子なんざ生まれてから一切いねえよチクショー。


「ようやく……ここ原始で普通に可愛い女の子が見つかったと思ったら……そうだよな、エイラだって女だもんな、好きな男の一人や二人いたっていいよな……」


 さっきまでエイラが座り込んでいた場所で俺は体育座りになり腕の中に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。
 良かったんだって、まだ思いっきり本気だったわけじゃないんだし、これで良かったんだって! 傷が浅いうちに終わって良かったんだって!


 自己暗示完成まで三十分ほどかかったが、なんとか立ち直ることができた(そう思い込むほどまで回復した)俺は立ち上がり宴の様相を再度眺めだした。


 マールは酒が回り始めたのか踊りがハイテンションかつエキゾチックになっている。後で近づいてじっくりと見ることにしよう。
 ルッカは酒ダルの中の酒を飲み干さんばかりにピッチを早く、がぶがぶと飲み狂っている。見物人がいるところを見ると中々面白い余興のようだ。ここで選択肢を出してみようか。


 1、マールの艶かしいのかアホ臭いのか分からないダンスを見に行く。
 2、ルッカの黒歴史になるっぽい場面を間近で見て後でからかう。
 3、ロボを迎えにいってまさかのプロポーズ。俺にはお前しかいないんだ! と叫ぶ。(好感度90以上が条件)


「もしかしたらルート分岐かもしれない。ここは慎重に行こう」


 精神の弱っている俺はカーソルを三番に合わせて……


「……クロ?」


 脳内の決定ボタンを押す前に後ろから森の中に消えたエイラの声が聞こえたので踏みとどまることにした。


「どどどどうしたんだエイラ!? お、俺は決してベーコンレタスな選択をしようとなんてしてないぞ!」


「クロ……泣いてた……何で?」


「え? ……いやあ、その、まあ……失恋、かな。いやそんな大層なもんじゃないけど!」


 本当は誤魔化そうと思ったのだが、エイラの目があまりに綺麗で、澄んでいたから、思わず本音を晒してしまった。
 すると、エイラは驚いたように目を開いて俺の両手を握り締めてきた。……おやあ?


「クロも!? ……エイラも、その……」


「……言わないでも分かるさ。……キーノ、だろ?」


「!」


 何処と無く刺々しい声音になってしまったのはご愛嬌。いや、まだ好きになってたとは言わないけれど気になってた子の好きな奴を嫌いになるのは許して頂きたい。


 エイラと俺はどちらも話す言葉が見つからず、そのまま黙り込んでしまった。耳に入る盛り上がっている宴の音が今は腹立たしい。


 そのまましばらく時が過ぎると、エイラの手の力が強まり驚いた。……まさか、これは……


 4、エイラと楽しい一夜を過ごす。という選択肢が浮上してきたのか? 時間がたつと生まれる隠しルートなのか!?
 決定ボタン連打! 間違いねえよ決定ボタン連打ぁぁぁ!! セーブの準備しといて! 後十八歳未満はご購入できませんってタイトルに書いてといてぇぇぇ!!


「クロ! キーノと勝負する!」


「回想モードは充実させておけよ……ってえ? 勝負?」


 そのとおり! とエイラは元気良く頭を振った。分かりやすいボディーランゲージありがとう。


「クロ、マール好き! エイラ、キーノ好き! だからクロとエイラでキーノ達と勝負する! 奪い取る!」


「それ、何て名前の青春漫画? それと流れがさっぱり分からない」


「決まった! すぐ行くクロ! クロマール好き! だから行く!」


「引っ張るな! そんで俺はマールのことがそんなに好きじゃねえ!」


 俺の言葉にエイラは分かってる分かってると微妙に優しい表情を見せる。俺のことを理解してくれる奴なんていねえのさ、それこそマトリックスの向こう側でも無い限りな……
 しかし……俺の失恋の相手をマールと間違えるとは。自分がキーノを取られたと思ったからって、俺の好きな相手をキーノに取られたと決め付けるのはなんでだ? 変な四角関係を形成するなよ。女の子は自己完結する生き物だという定説があるが……当たってるものなんだな。
 

「ああ、おとなしい子に限ってこういう時強いんだよな、お約束ってやつだ……」


 背中をごりごろ削られながら引っ張られる俺を、村の人間は楽しげに見つめていた。






「勝負? キーノとか?」


「そ、そう! クロとエイラ、キーノとマールで勝負、勝負!」


「ええと、どうなってるのクロノ?」


「分からん、分からんほうが良い」


 きっぱりと不思議そうな顔で見ているキーノとマール。そりゃそうだ、踊っている最中に勝負! 勝負! と怒鳴り込んでくる人間を見たら誰だってそーなる。片手にへばった人間を捕まえてるなら尚更だ。


「岩石クラッシュ、飲み比べ! キーノ、逃げるか?」


「キーノ、別に構わない。でも、マールどうする? 酒、飲めるか?」


 いつも大人しいエイラがここまで堂々としているのは珍しいのだろう。キーノは探り探りという感じで会話を返す。その中でマールを気遣う台詞が出たことでエイラのボルテージが更に上がり、マールの言葉を遮り大きな声で勝負! 勝負! とおたけぶ。


「分かった、でも飲み比べは一対一でやる。キーノ、クロと。エイラ、マールと勝負する!」


 正直あんたらだけでやってくれないかなあと思うのは俺だけではないだろうとマールを見れば俄然乗り気なようでちょっと面白い。この子はどんなトラブルも楽しめるんだね。羨ましいやらアホみたいだわ。


「それでそれで? 勝ったら何が貰えるの?」


「う……それは……」


 何も考えず勢いで勝負を仕掛けたエイラは口ごもり、チラチラと俺のほうを見る。助け舟がほしいということだろうか? 何が悲しくて気になっていた子が自分以外の他人に焼くヤキモチに手を貸さなくてはいけないのか。いや、助けるけども。


「あーっと……エイラが勝てばキーノをエイラにプレゼント、ちゅーか告白させてや」


「クロ!!」


 エイラの八卦掌! みたいな突きをどてっぱらに当てられて俺はきりもみしながら料理の並んだ机に突っ込む。照れ隠しか、流石の俺のポジティブシンキングでも可愛いとは言えねえなあ、だって今俺吐血してるからね。
 口から流れる血を拭いながら一言エイラに文句を言おうとするが、彼女は血色の良い顔を真っ赤に染めて俺を睨む。拳が震えてるのはまだ殴り足りないということか? 俺が泣くまで殴るのを止めないつもりか? すぐさま泣いてやるぜ。


「クロ勝てば、マールはクロの物、なる!」


「「……え?」」


 エイラは暫し迷った後、摩訶不思議な事を宣言した。あれか? 俺がマールのことを好きだと勘違いしてるからの発言か? 自分の恋心を暴露するよりも他人の恋心を暴露するほうがましだからって……そりゃあないぜエイラさん。


「ええと……何で私がクロノの物になるの? ていうか、物って……何か過激だね」


 少し照れながら言うマールにそこ突っ込むところなんだ? とは言えない。だって喋るだけで激痛が走るんだもの。これ現代なら訴訟物だからね、エイラさんはもう少し抑えるって事を知らないと俺の幼馴染みたいになっちゃうよ。


「そ、それは……クロ、マールのこと好き! だからマール、キーノに取られる、嫌! だから勝負する!」


 マールが反応する前に遠くで「今何と言ったああぁぁぁ!!!」という怒声が聞こえたがまずは無視。そもそもさっきも言ったが勝負までの流れがさっぱりだ。エイラのテンパリは加速を続けている。いるいる、こういう何か思い立ったらそこまでのプロセスを無視して暴走する奴。


「ええ? クロノ、私の事好きなの?」


「そんなあからさまに嫌そうな顔をするな。いくらなんでも傷つく。お前は俺の心をダイヤモンドか何かと勘違いしてないか?」


「クロ、マール好き!」


「エイラ、ごめんちょっとうるさい。収集つかないから黙ってて」


 少し前まで好意を持っていた女性に申し訳ないが、ここまで適当な扱われ方をされては不満も募る。正直、うざい。


「面白そう! キーノ、この勝負受ける! 賞品はマールでいいか?」


「そんなもんいらん。さっきのやり取り見てなかったのか? それよりも……」


 今自分たちがドリストーンという赤い石を探していることを伝え、できればそれを貰えないかと頼むとキーノは赤い石たくさんある! それならやる! と快く了承してくれた。良かった、キーノはちゃんと俺の話を聞いて理解してくれる。俺の味方は男しかいないのかもしれない。ロボ然りドン然りキーノ然り。ああ、カエルは除外だ。あんなもん性別という概念が存在するのかどうかもあやふやなんだから。


「それで? エイラ勝てば、何貰う?」


「エ、エイラは……か、勝ってから言う! だから、今、言わない!」


 事情を知る第三者から見れば甘酸っぱい光景だが、応援したいとはびた一文思わないのは何故だろう? 不思議だ。いや、そうでもねえか。


 俺たちは壇上に上がり、腰を据えて準備が出来るのを待つ。


「じゃあ始める! 皆、岩石クラッシュ、どんどん持ってくる!」


 今まで成り行きを見守っていた人々がキーノの言葉に「ウホホー!」と叫ぶと石製の大きな杯の形をした物をいくつも持ってきた。中にはなみなみと注がれた黄色い液体。嗅いでみるときついアルコールの匂いがする。これを飲めってことだよな? ……度数いくつだよ、ウォッカだってこうは匂わねえぞ……? 五十前後ありそうだ……


「どうしたクロ? 酒は苦手か?」


 少し心配そうにキーノが聞いてくる。相手を気遣えるってことは、キーノはこの酒を余裕で飲める自信があるわけだ。……今までほとんど飲まずにいてよかった。酔いきった状態で勝てる相手じゃなさそうだ。


 心配するなとジェスチャーして、杯を自分の前に持ってくる。
 エイラとマールは俺たちの後で勝負するようで、観客席から見守っている。マールはどっちも頑張れーと気の抜ける応援を寄越し、エイラは心配そうに胸に手を置いて勝負の開始を待つ。


「この勝負、飲めば勝ち! 相手よりもたくさんたくさん飲めば勝ち! 単純! 用意は良いか?」


「ああ、俺もざるのクロノと言われた男だ、そう簡単に勝てると思うなよ!」


 景気良く返すものの内心俺なにやってんだ? という声が止まない。が、勝負は勝負、やると決めたらとことんが信条の俺に油断は無い!多分!


「それじゃあ……始め!」


 キーノの言葉が終わると同時に一気に杯を傾けて岩石クラッシュを飲みだす……が。


「おぶへぇっ!!?」


 喉を通した瞬間の熱に驚き口に入った酒を噴出してしまう。
 ごほごほと咳き込む俺にキーノは一杯目を飲み終えた後、心持余裕のある顔で話しかけて来る。……なんかむかつくな。


「この酒キツイ。無理、やめる」


「ばっ……げほっ! 馬鹿言え、おぶへぇが口に入っただけだ。一瞬水かと思ったぜ」


 気を取り直してもういちど口に運ぶ。強い酸味が焼けた喉を刺激する。こんなもん嗜好品じゃねえよ、なんかしらの毒物だと言われても納得するわ!


 悪態をつきながらも時間を掛けて一杯目を飲み干す。既に明日に響きそうだな、程度に酔っている自分が不甲斐ない。キーノは俺が飲み干したのを見ると頷いて二杯目を傾ける。マラソンで次の電信柱まで先に行って待ってるね? みたいな偽善行為しやがって……


 水が欲しいところだが、そんなペースではキーノには勝てないと踏んで俺も二杯目を攻略する。くそ、喉がヒリヒリして感覚が無くなってきた……まだ二杯目だぞ!?


 キーノに少し遅れて二杯目終わり、早速三杯目……というところで俺の手が滑り杯を落としてしまった。おいおい……もうベロベロじゃねえか俺の体。八岐大蛇だってこうはならなかっただろうに。


「もう降参するか? クロ、顔色悪い」


「………」


 キーノの降伏勧告を無視して次の杯を貰い喉に運ぶ。幾らなんだって、そうも簡単に負けられるか、相手のキーノは素面同然じゃねえか!
 それからキーノの制止やマール、エイラの応援を背に意地だけでアルコールを摂取し続けた……






 二十分も経っただろうか? 現在、俺が飲んだ杯の数十一、キーノ十六と逆転不可能とは言わないが、明らかな劣勢であることは一目瞭然だった。
 俺のグロッキー状態に比べてキーノも辛そうではあるがまだ余力があるように見える。ポーカーフェイスである可能性も否めないが……楽天的な思考は止めよう。
 何より……仮にキーノが限界だとしても俺は後五杯以上飲まなければ勝ちにならない。今俺は喉まで熱い濁流が迫っている現状、一滴も酒なんか飲みたくないのだ、いや、飲めないのだ。


「おぶっ……」


「クロ、よく頑張った。キーノ、ここまで酒、強い奴初めて見た。恥じる、無い」


「ふざけんな……トルース町のクロノっていやあ……ルッカと母親以外には負けねえって……逸話、が…あるくらい………」


 そこで俺の意識が薄れ目の前に積まれていた空の杯を倒しながら前のめりに横たわった。
 観客のキーノの勝ちだ! という声とマールとエイラの大丈夫!? という声がステレオに聞こえる。もう、どちらの言葉が誰の声なのか、その判別すらつかない。
 もういいだろ、俺は頑張ったよ。ぶっちゃけこんな勝負どうでも良いことこの上ないんだし、キーノだってマールの事が好きなわけでもない。だったらこのまま俺が倒れてても……


「キーノ、勝った! これでお前、キーノの物!」


「え! そんなの聞いてないよ!?」


「負けた人間、勝った人間に奪われる! これ、大地の掟! お前、それ破る、ダメ! ダメ!」


 観客の一人がトンデモ理論を弾き出すと周りの人間もそれに呼応してソウダソウダと騒ぎ出す。エイラやキーノがそれを止めようとしているのは救いだが、程よく酒の入った集団はその程度では止められない。熱気は増して、どこか不穏なものさえ感じられるようになった。
 ……そうか、この勝負はマールを賭けたものだったのか……そういえば、そんな気もするな。
 ぶつりぶつりと途絶えていく考えを一度全て外に追い出して俺はぐにゃぐにゃになったみたいに言うことを聞かない体を無理やり起こして、立ち上がる。
 観客も、キーノも、エイラも、マールも驚いて俺を見る。何だよ、俺がこの程度でくたばるもんか。


「……マール、は……」


 ああヤバイ、これ絶対ヤバイ。言ったら駄目なことを口走りそうな気がする。凄い勘違いされそうな気がする。
 でも、これ以外に上手い言葉が見つからない、それに自分を奮い立たせる為には仕方が無い。そう、仕方が無いんだ。


「さ、ねえ……」


 そうだな、はっきり言って最初は素敵な女の子だな、と思ったよ。元気一杯で、屈託が無くて、見るもの全部珍しそうにみて、そして……笑うんだ。皆を包み込むような暖かい声を鐘のように鳴らして、大きく口を開けてさ。


「渡さねえ……」


 でもしばらく一緒にいればそりゃあ酷い女の子で、俺のこと嫌いなのかな、と思ったし、その前向き加減がイラついたこともあったよ。世の中信じれば乗り切れると思ってる辺りがさ、わずらわしいっていうか。
 俺のこと見捨てて逃げようとすることも度々あったし……だけど……


 いつだって、マールは笑うんだ。俺の近くで、笑ってくれるんだ。
 勝負自体はしょうもないものだし、観客も煽ってはいるが、所詮酒の勢い、実の所面白半分で騒いでるに過ぎない。分かってるよ、そんなこと馬鹿でも理解できる。
 だからって……それでもやっぱり負けたくない。
 恋愛感情じゃない。父性精神とか、独占欲とか、嫉妬とかの類でもない。……もしかしたら、その中のどれかかもしれないけれど、そんなの認めない。大体そんな付加理由は必要ない、ただ、マールは、この王女様は……


「マールは、俺の物だ! ぜってえ、誰にも渡さねえぇぇぇ!!」


 他の誰にだって、渡すわけにはいかないんだ。友達なんだから。


 ここにいる全員のリアクションを見る前に近くの酒を持って一気に飲み始める。頭痛はするし手も震えるし目の前が赤くなってきてるし寒気もしてきた。今自分が立ってるかどうかもあやふやで息を吸っても吸っても酸素が足りない、心臓が爆発しそうなくらい暴れてる、それら全てが自分にとって有利に働くと考えろ、思い込め! 勘違いでも充分で、勝てさえすりゃあ良い!


「次ぃ!!」


 空いた杯を後ろに投げて酒を受け取る。慣れたものだ、一杯目は溶岩を口に入れてるみたいだったが、今じゃ最初に言ったみたいに水のように感じる! これもランナーズハイに似たものなのかもしれない。十杯でも百杯でも飲み干してやるさ! ……百杯は無理か。


「次の杯持って来い! 村中の酒飲み干してやらぁ!」


 この時からほとんど記憶は無い。ただ、村人達の歓声だけが耳に残っている。後、誰かが残してくれた温もりと、感謝の言葉が。
 その誰かは金髪だった。だから、きっとエイラが俺を抱きしめてくれてるんだろうと思ったから、名前を呼ぼうとしたけれど……何故だろう、俺は違う名前を口にした気がする。






 目を開けると、視界に青すぎる空。白い雲は太陽を遮らず、ただあるがままの姿を目に焼き付けさせた。余りの眩しさに目を背けると、そこには頭から酒をかぶって寝こけているルッカが大いびきをたてて爆睡していた。あー寝起きから見たくねえもん見ちまったぜ、慰謝料を請求して良いくらいだ。


 体を起こしてみると強烈な頭痛に頭を抱えてもう一度地面に横たわる。誰か! 誰か優しさの半分を俺にくれ! もしくはキャベジ○!
 動かずにいると頭痛が収まってきた代わりに体の節々に痛みを感じる。胃は心臓の鼓動の度に「動かすんじゃねえ! タリイんだよ!」と説教かましてくるし、顔全体がこけているのを理解できる。やべえ、有給三日は貰わないと死ぬ、これ。


「……まあ、あれだけ飲めばこうなるか……いてて、喋るだけで辛い……誰か殺してくれ……」


「嫌だよ、介錯役より観客側が良いもん」


 俺の体に影が降り、日光を少しだけ和らげてくれる。他人の声は聞くだけで悶絶するほど痛む筈の頭も、この声だけは鼓膜内の進入を許してくれる。むしろ、頭痛が軽くなる錯覚まで。


「……趣味悪いな、せめて他人にやらせるよりは……みたいな悲痛な決心とかはそこに無いのか?」


「決心してほしいの?」


「いや……それはそれでぞっとしないな。てか、それ俺の質問に答えて無くないか?」


「へへ、女の子はズルイの! ……って、何かの本に書いてあったよ」


「……当たってるよ、それ。真理だわ」


 俺の言葉を聞いて喜ぶマールは、遥か遠くで輝く太陽なんかよりもよっぽど眩しく見えた。
 お早う、王女様。


 マールのケアルで体が動くようになり、感謝を告げる。二日酔いも治せるなんて万能過ぎるだろ、食中毒とかも治せそうだな。
 酒臭さ満載の女の子らしさ皆無であるルッカにもケアルをかけてやり体を揺さぶって起こす。うわ、近づけば近づくほど酒くせえ、水被せて起こしたほうが一石二鳥で良いかもしれない。
 目を覚ましたルッカはしょぼしょぼとする目を開き「クロノ、酒臭い」とのたまう。良いか? うん○がう○こに臭いと言った所で不毛なんだぜ。


 結局三人で水浴び場に向かい(期待したのだが男と女は別の場所だった。何故原始の時代にこんなシステムがあるのだ、口惜しい)酒臭を消して再集合。これからどうするか相談して、キーノの持っている赤い石がドリストーンなのかどうか確認しようという結果に。


「なあマール、結局昨日の飲み比べ、俺が勝ったのか?」


「覚えてないの? キーノの飲んだ分、十六杯を越えて十七杯目を飲み干した後クロノ、倒れちゃったんだよ? 心配したんだから」


「そうなのか……いや、正直昨日のことはほとんど忘れちまっててさ」


 そう言うと、マールは何故か少し落ち込んだ後「まあ、いいか」と開き直ったかのように呟き「ありがとうね!」と笑ってくれた。何の感謝だか知らんが、礼を言われて何も言わないのは不実なので、「おう!」とだけ返しておくことにする。


「私もさ、昨日の記憶ほとんど無いんだけど、確か誰かを殺そうとしてたのよね……誰だったかしら?」


「ええか? 人の命はかけがえの無いものなんだから突発的に誰かを殺そうとしてはいかん。誰か思い出すな、ノリで殺人を犯すな」


「いや、なんだか信じてた友達に裏切られたっていうか、大切にしてた油揚げを掠め取られたっていうか……うーん」


「何だその例え? とにかく忘れとけ。それからマール、汗凄いぞ? あんまり近づかないでくれるか」


 辛辣にマールを遠ざけると肩が震えているのが分かる。ああ、何か知らんがやっちゃったんだなマール。あんまり動揺してると横のクリーチャーに気づかれるぞ? そいつやると決めたら絶対やる奴だから。悪い意味で。
俺が何がしかに気づいたと感づいたマールは俺に何度もアイコンタクトを送りお願い黙ってて! と懇願している表情を見せる。俺がどうしようかなー? と少し意地悪そうに唇を舐めるといいから黙ってろって言ってんだろがコラァな目にシフトしたのでちょっとばかり勘に触った。


「ルッカ、マールの奴がさ何か隠して」


「わーわーわー!! ぼぼぼボブサッ○のハンマーパンチは尊敬できるものだと私は思うようん!」


「? ごめん私あんまり格闘技明るくないから分からないわマール」


 まあ、概ね平和な感じの朝である。あくまでもここまでは。


 変なマール、とルッカが笑い伸びをした所で、彼女の顔色が見て取れるほど変わる。最初は赤色、次に青色、少しづつ血色が戻ったかと思えば白色に。信号もかくや、という次第である。……信号ってなんだ?


「どうしたルッカ、便秘か? それともあれか? 月の」


 後ろにいたマールから両肩に手刀、流れてドロップキックのコンボで俺の体力ゲージを五分の一減らしていく。アーケードなら咥えていた煙草を消して本腰を入れるレベルだ。……アーケードって何だ?


「……ヤバイかも」


「? ヤバイって何が? クロノのデリカシーの無さ? そんなの生まれる前から分かってたことじゃない。あんなんだからモテないんだよねクロノは」


 すぐ脇に倒れていた俺はマールに足払いを行い後ろ足に砂をかける。肉体的ダメージは薄くとも屈辱感は中々のものだ。現にマールは両手を地面につきながら「恨まぬ道理は無し……」と口惜しそうにしている。何て気分が良いんだ! これが勝者の優越というものか!


「……ゲートホルダーが……無い……」


「「…………」」


 公衆トイレの便器に財布と携帯と車の鍵を落としたみたいな顔でぽつぽつと語るルッカに俺とマールは固まってしまった。心なしか鳥の声も遠くから響く猛獣の雄たけびも途絶えた気がする。
 こうした沈黙の時間もルッカの顔色は七変化していきちょっとしたエンターテインメントにすらなりつつある。実際今ルッカの顔見てて面白いし。
 ……が、こうしてルッカの顔を見て楽しんでいるわけにもいかず、意を決してルッカに話しかけてみることにする。


「なあ、ルッカ……」


 俺の声に反応してルッカは絶望的状況といった顔で俺を見る。


「どうしようクロノ……私達、私達……」


「多分、俺もマールも思ってたことだと思うけど……ゲートホルダーって何だ?」


「うん、私も分かんない。何だっけルッカ」


「あんたらを愛しく思うべきか憎むべきか半々だわ」


 もしくは切なさと心強さか。


 重い重いため息を吐いてからルッカは頭痛をこらえるように目蓋の上から眼球を押さえて口を開いた。


「あのね……ゲートホルダーが無いとね……原始から帰れないの。元の時代に戻れないのよ!」


「……ええー! どうするの!?」


「ロボの貞操が危ういな。あいつの精神および肉体的権利はあの変態爺いボッシュの手に堕ちるのか……」


「気楽に言うけど、これマジなのよ? あんた原始の生活に対応して生きていけるの?」


「なんかその方が平和に終わりそうな気がしないでもないんだなー」


 なんていうか、トゥルーエンドには辿り着かないけどグッドエンドには到達できそうというか……作品によってはグッドエンドの方が幸せなこととか一杯あるし。U○Wとか。あくまで主観だけど。


 それからルッカとマールが頭を抱えてどうしよう、どうしよう! と転がりまわっていたのがちょっと面白かった。腹を抱えて笑っていたら殴られたけれども。何かあったら俺を殴っとけばいいや的な考えは止めようって。とりあえずマック集合、みたいな。
 その場は俺達が寝ていた場所付近に人間外の足跡が多数見受けられたことを俺が指摘してエイラ、もしくはキーノに話しを聞いてみようという結論になった。手がかりを見つけた俺に感謝の言葉は無し。クックックッ、あー触手モンスターとか出ねえかなぁマジで。もし出たら鬼畜ルート一択だぜ! 『冷静に見捨てる』とかさ。







 酋長のテントに入り中を見ればエイラの姿は見当たらないが、キーノが中でせっせと粘土をこねくり回している。どうやら土器製作に精を出しているようだ。昨日あれだけ酒を飲んで魔法無しに立ち直りなおかつ仕事を出来るとは……原始最強の人間はエイラではなくキーノなのかもしれない。
 

 俺達が来た事に気づくとキーノは木で出来た歪なコップに水を入れてもてなしてくれた。朝の挨拶を交わし本題に入る。寝ている間に大事な物が盗まれたこと、近くに人間ではない足跡が多数あった事を説明すると、キーノは血相を変えてそれは恐竜人の仕業に違いないと断定した。


「恐竜人、緑色! あいつらとキーノ達、戦ってる! 恐竜人、リーダー、アザーラ言う。アザーラとても頭良い……きっと、アザーラ命令した!」


 恐竜人とイオカ村との戦いや、その戦いを避けた人間達の村、ラルバ等様々な事を鼻息荒く教えてくれた。ぶっちゃけ、んなことはええからその恐竜人は何処におるんじゃいと言いたかったが、一通りの話は聞いておくことにした。
 キーノは村の中に恐竜人を見た人間がいるはず、まずは聞き込みを開始しようと提案し俺たちは頷いた。






「俺見た、恐竜人。南のまよいの森、入った。お前ら、まよいの森行くか? モンスターたくさんいる。気をつける」


 村の人間に聞いて回るとすぐにドンピシャ、頭に動物の牙で出来た飾りを乗せた男が忠告も載せて情報を提供してくれた。キーノに聞くとまよいの森の場所は知っているそうなのでそこまでの案内を頼むことにする。キーノは勿論! と日に焼けた笑顔を見せて先頭を歩き始めた。頼りがいのある男はモテる……実に理解が出来るな。その点俺はバーベキューの時もドンジャラで遊んでいるというインドア具合。そりゃあモテねえさ。


「キーノ、そういえば、エイラどこ、行った? 朝から姿見ない」


「エイラ? キーノも見てない。多分狩り、違うか?」


 遠ざかる俺たちに男がエイラの所在を聞く。俺たちは当然、キーノも知らないようでかぶりを振って予想を男に渡してまよいの森を目指す。
 そういえば、エイラの名前を聞いて思い出したのだが、昨日のエイラとマールの勝負はどうなったのだろう?


「なあマール、お前とエイラの飲み比べはどっちが勝ったんだ?」


「飲み比べ? 私が勝ったよ。エイラったら一杯目の半分も飲まずにダウンしちゃったから。ちょっと可愛かったよ」


 マールは二十杯飲んでこれ以上は明日に響きそうだから止めたそうな。マールは良く分からないところでとんでもなくハイスペックということか。……何故か悔しいのは男のプライドが原因だろう。
 にしてもエイラ、そんな簡単に負けたのか。落ち込んでなければいいのだが……
 彼女の泣き顔を思い出して胸が痛む。彼女の泣き声は誰かに聞こえないように低く抑えられていて、赤子のように心底悲しそうに泣くのだから。
 そういえば、俺は彼女の笑い声を聞いていないんだなあ、と寂しい現実を思った。











 おまけ




 余りにもどうでもいいキャラ紹介


 クロノ。
 好きな上がり方は誰かが大きそうな役のリーチを掛けた後の喰い断。アリアリはデフォルト。


 マール。
 愛読書はテニプリ。次いで復活。最近は真田が熱いとのこと。得意な上がり方は天性の引きから生まれるツモ。


 ルッカ。
 表の好きな漫画はハチクロ、君に○け、荒○アンダーザブリッジ等。真山君とかいいよねー? 深くまで関わってこないってゆーかー? みたいな会話が好き。
 裏の好きな漫画はフリー○ア、闇○ウシジマくん、古谷○全般等。っちゃけんなでかい事出来なくなってるけどね、警察の介入半端無いから。みたいな会話をしてクロノを引かせている。
 得意な上がり方は一色オンリー。我が道を遮る者無し!


 ロボ。
 BLEA○Hで基盤は出来た。最○記で仏教を斜に見るようになる。Fa○eで全ての準備が整った。中二とは恥に非ず、称えよ我が人道を!


 エイラ。
 喫茶店で大きな声で話しているグループがいたら店を出る。コンビニに入ろうとして店前で煙草を吸っている学生がいたら通り過ぎる。注文と違った品物が来ても文句を言わない、言ったこともない。現代に生まれたらこういう女の子になる。大学生になっても合コンは都市伝説。


 王妃。
 尊敬する人。範馬勇次○。少し離れて倉田○南。これがいわゆるギャップ萌え。


 ヤクラ。
 エックス斬り練習ポケ○ン。


 カエル。
 SでありM。これをP(ピュアー)と呼ぶ。救済措置的な名称。後、蛙。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2010/10/21 15:56
 思えば、昔はこうではなかった。
 昔は今と違って自分に自信があった。どんな苦境にも負けない、負けるはずが無いという自負があった。
 まだ自分が狩りに出たての頃、自分は経験も無しに初めての狩りで最強の戦士として認められた。勿論少なからず批判ややっかみもあったし、中には酋長の娘だから選ばれただけの能無しとさえ言われた。毎夜毎夜村の人間に「デテイケ! デテイケ!」とテントの前で叫ばれた。
 父さんが病気で死に、母さんが恐竜人の襲撃で亡くなっていた自分を守ってくれたのはキーノだったと、気づいたのはもっと後のことだった。
 村の人間にほとんど村八分のような扱いを受けていた私はキーノの支えもあり(その頃はそんな風に考えてはいなかったが)実力で自分の存在を周りの人間に認めさせた。


 ……告白しよう、私は天狗になっていた。村の娘から得られる尊敬を、男達の目に写る畏怖の感情を、快感に変換させていたのだ。
 表向きは気さくな酋長として振舞っていたが、本音は自分以外の人間を役立たずとしか思っていなかった。正直、戦の際も自分の盾になるなら良いか、程度の、到底仲間に向けるものではない『信頼』しか感じていなかった。


 特にそれが表れていたのは男。女勢は非力であり狩り等の戦闘は不向きであることは分かっていた。しかし男はどうだ? 本来女である自分よりも強くたくましくあるべきではないか?
 今となってはそれが自分の傲慢の押し付けである意見だと分かっている。しかし、当時の自分には女である自分より非力な男たちが情けなくて、嫌悪の念さえ抱いていた。


 その負の感情をぶつけていたのは、キーノだった。
 もとより幼馴染という遠慮の要らない関係だったことも相乗して、自分は村の人間がいないところでキーノを怒鳴りつけ、殴り倒して、自分に溜まっていた理不尽なストレスを発散させていた。時には鼻を潰したり、奥歯を折ったことも度々だった。


 言い訳をするつもりは無いが、本当はそこまでするつもりはなかった。ただ……キーノは笑うのだ。私がどれだけ罵倒しようと、殴ろうと。私を宥めるように笑うのだ。その度に私の胸の奥にある黒い塊が大きく膨れ上がり拳を止める機会をことごとく消し去った。
 苛立たしかった。これではまるで、自分が駄々をこねているようではないか、と。癇癪を起こした娘に対する父親のつもりか、と。それにしては、被害が度を越えているが。


 ……男達は弱いと言ったが、その中でもキーノは強かった。戦でも狩りでもキーノは私の補助を勤めていた為目立ちさえしなかったが、その動き、判断力、指揮の正確さ、それら全てが自分を上回っていると知ったのは恐竜人との最初の戦いから二つほど季節が回った頃だった。


 恐ろしかった。もし村人達が私よりもキーノの方が強くたくましいのだと気づけばどうなるか、それは火を見るより明らかだったからだ。
 私が心の底では村の人間を見下していると感づかれるのにそう時間は必要ではなかった。生死を共にしているのだ、いつまでも騙しきれるものではない。
 それに比べてキーノはどんな人間にも優しく朗らかに勇気付ける言葉を送っていた。村の人間が私に疑心を抱く頃には村の士気を高めるのはキーノの役目と化していた。


 ……もし。もしも、自分が酋長で無くなってしまえばどうなるのだろう? その肩書きごと私も無くなってしまうのではないか?
 ――エイラという人間は、消えてしまうのではないか?
 そんな、強迫観念に酷似したものが、ムクムクと膨れ上がってきたのだ。
 だって、自分は力だけで村を従えて来た。それが大地の掟だと疑わなかったから。強い者が勝ち、強い者が奪い、強い者が従わせる。強い者だけが全てを手に入れる。……けれど……


 もし、自分が酋長で無くなれば? 強い者で無くなれば? 私は何を奪われるのか。
 答えは……無かった。見つからないのではない。文字通り無かったのだ。
 私には大切な人間も大切な物も何一つ手に入れていない。持っているのは私自身がハリボテにした仲間だけ。私が消えても誰も悲しまないナカマだけ。


 夜中にそんなことを一人で考えていた私は気が狂いそうになった。自分が何処に立っているのか分からない。地面が柔らかく沈んで平衡感覚が掴めない。空は暗いのか赤いのか透明なのか、色彩感覚も狂ってきた。私の体に詰め込められるだけの不安を捻じ込まれた。


 クラクラする頭を抑えながら私はテントを出ておぼつかない足取りで村の中を歩き回った。
 気づけば私は村の広場にやってきた。パチパチと爆ぜるたき火を数人の男達が囲み談笑をしていた。
 男達は私に後ろを向ける格好で座り込んでいたので私の姿には気づかない。私は混乱した頭で(私も話に入れてもらおう、皆と仲良くしよう、だって、キーノにだってできるんだから、自分が出来ない訳はない)と考えて、少しづつ男達に近づいていった。


 後は話しかけるだけ、と声を出そうとした瞬間、私の体は凍りついた。なぜなら、彼らは言った、確かに言った。
 ――そろそろ、酋長を変えるべきではないか、と。
 私は気配を隠して近くの暗がりに身を潜めて盗み聞きを開始した。……会話の内容は私の想像通り。


 エイラは情が無い。だが、キーノには情がある。
 エイラは鼓舞能力が無い、だがキーノには鼓舞能力がある。
 エイラは冷静さが無い、だがキーノには冷静さがある。


 ――エイラは男ではない、だがキーノは男である。


 悔しかった。今まで見下げていた男たちにこうも好き勝手言われる現状に。自分の力が足りないせいで追い込まれた事に。……キーノの存在自体に。


 沸騰した頭で私は単身恐竜人のアジトに向かった。先日の恐竜人との戦いで敵首領、アザーラが今拠点を離れ村の近くに出向いているという情報を掴んだのだ。
 一人で戦うことに恐怖は無い、あるのは自分の酋長としての座が脅かされていること。自分の存在価値が消えようとしていること。だって、自分には力しか無いのだ、その自分が力の象徴たる酋長という立場を奪われれば、そこに何が残るというのだ?


 息を荒くして、暴風のように恐竜人たちを薙ぎ倒して私はアザーラと対面した、そして……そして……


「……ごめん、キーノ……キーノ……」


 私は今日、二度目の過ちを犯したことになった。







 星は夢を見る必要は無い
 第十七話 KINGDOM COME







「いやあ、晴天だ、まさしく晴天だよ、これは晴天と言わざるを得ない。なあそうだろ?」


「クロノってさ、前から思ってたけど語彙量少ないよね? 今度勉強机買ってあげようか? もしくは広辞苑」


「マールは王女様の癖に悪口の幅が広いよな、やっぱり育ちが良くても中身が決まるわけじゃないんだなぁ」


 互いにアハハと笑いながら鋭く目を尖らせて睨み付ける俺とマール。いやいや仕方ないんだって、熱気は人の怒気を募らせるものだから。マールとは今朝からかれこれ三回くらい喧嘩してるけどまだ怒りが収まらない。何がむかつくって、喧嘩のたびに俺の怪我は畜産されていくけどマールは回復魔法を自分だけに掛けて快適に歩行してるのがたまらない。擦り傷とか凄いのよ、今の俺。


「あんたらねえ、暑くて苛立つのは私も同意見だけど、近くで暴れられたらこっちまで腹が立つのよ、息を止めるか死ぬかしてちょうだい」


 究極過ぎるだろその二択。理不尽な選択を強いられるのは慣れっこだけどさ。


「そんなこと言うルッカもさ、その頭の帽子取ってくれない? 見てるこっちまで熱くなっちゃう。趣味も悪いしさー」


「だよなあ、帽子のセンスも悪ければ服のセンスも悪い。いっそ全部脱いじまえ」


「……熱いなら見なければいいじゃない? まあ、マールのその服は涼しそうよねえ、露出が多くて。王女様なのにそういう趣味があるのかと勘繰っちゃうわぁ」


 ルッカの言葉に一つきょとんと瞬きをした後マールは外気の為だけでは無く、羞恥から顔を赤く染めた。


「わ、私は変態じゃないもん!」


「いや、ルッカの言う事も一理あるな……確かにマールの服は露出が多い。良し、いっそ全部脱いじまえ」


「ああら、ごめんあそばせ。でも変態さんじゃないとしたらその肌の見せっぷりは……なるほど男を魅惑してるのね? なら露出狂じゃなくて痴女って言うべきかしら? オーッホッホッホ!」


 口に手を当てて高笑いをするルッカは絵になっている。流石はトルース村女王様決定戦で準グランプリを獲得しただけのことはある。グランプリはうちのおかん。


「むうう……ていうかさ、私がクロノに告白紛いな事されたからって八つ当たりしないでよね! ヤキモチ焼くだけの女ってサイテー!」


「わ、私はヤキモチなんて……告白? ……そうか、昨夜私の殺人ターゲットに選ばれたのはあんたかぁ……選びなさいマール? 炎に悶えて焼死か、私の秘密道具による拷問で恥死するか」


 恥死!? なんかわからんがそこはかとなく卑猥な匂いがする……折角だから俺は後者を選ぶぜ!


「恥ー死っ! 恥ー死っ! つかもうお前らまずは裸になろうぜ! アダルティーなキャットファイトの始まりだ! ヒャッハー!」


「ああそう、そういう脅し使っちゃうんだ? だったら私もルッカの運動神経を冷凍して裸にして広場に置いて行くってのも良いよね? 動けないけど意識だけは残してあげるよ?」


 それイタダキッ! アリアリアリーデ○ェルチ! 決まったね今日のハイライト決まっちゃったね! もう序盤にしてサヨナラホームランだね!


「怖いわぁ、王女様ったらそんな過激なこと思いつくんだー? 本当、どんな淫蕩な生活してたらそんなアイデアが浮かぶのかしらね?」


「あーもうあれだよ、お前ら四の五の言わずに抱かせ」


「お前ら、うるさい! ここまよいの森! 怪物うようよ! 静かにする!」


 俺が殺し文句をバッチリ決めようとしたところでキーノが俺たちを怒鳴りつける。それを聞いてマールとルッカがしゅんとなり「「はぁい……」」と返事を返す。くそ、もうちょっとで俺主体によるお色気シーン勃発だったのになあ……


 分かれば良いとキーノは二人に笑いかけたが、俺を見るときに何処までも冷たい目をしていたのは何故だろう? ……ああそうか、キーノも俺の企画するムフフイベントに加えてほしかったんだな? 言い出せなかったのか、初心な奴め。


 俺たちは今キーノに案内され、まよいの森の中を右往左往しているところであった。本当はモンスターのいる場所の案内はエイラに任せるつもりだったようだが、朝から姿が見えないので戦闘の出来ないキーノがついてきてくれている、という訳だ。
 しかし、やはり線の細いキーノに戦闘は無理か、と納得していればなんのその。キーノは確かに敵を倒しこそしないが、エイラ並の俊足で敵を翻弄させたりルッカ以上の頭の回転で的確な指示を出したりとここでも俺が活躍することは無かった。時々キーノが気を使ってくれたように俺に止めを任せたりするが、そういうのが逆に辛い。
 実際の所、モンスターの質が低いのもあり、(体格や力は並外れているが知能が少ない)まよいの森を抜けるまでそう時間が掛かるとも思えなかった。


 ふと会話が途切れたので、俺はキーノの攻撃力だけがすっぽり抜け落ちた状態について考えてみた。
 キーノの判断や度胸、戦闘を知り尽くしている行動などを見てエイラ程ではないにしろかなりの修羅場を潜っていると思うのだが……もしかしたら狩りや恐竜人との戦いで乱波の役でもやってたのだろうか? 軍師的な役割かとも思ったが、前線に出ていても全く違和感が無いことからそれも違う気がする。まあそもそも原始の時代に軍師やら混乱陽動部隊なんて概念があったかどうかははなはだ疑問だが。


 まじまじとキーノを見ていると、先程の戦闘で少し乱れた服の下に肩から背中にかけて大きな傷跡が見えた。今はある程度治っているようだが、その傷は周りの肉が盛り上がり骨が露出していてもおかしくないほどの溝が作られていた。……単純に言えばグロい。


 俺が見ていることに気づいたキーノは自分の傷を一度見たあと「ああ」と納得してから俺に向き直る。


「この傷、深い。俺、両腕、あまり上がらない。だから、戦闘、ムリ」


「そうなのか? でも昨日は石の杯を持ち上げてたじゃないか」


 キーノは少し顔を崩して、


「俺の杯、木で出来てる。クロ、石。俺、木」


 なるほど、日常生活に支障は無いが戦闘に耐えられるほどではない、と。ヒ○ンケルみたいなもんだな。とは口に出さないでおこう。絶対分からないだろうし。
 マールのケアルで治せないか聞いてみた所、怪我をした直後なら分からなかったが、不完全に肉が覆った今では効果が無いだろうとのこと。謝るマールにキーノは「仕方ない。マール気にする、無い」と笑って返す。


「やっぱり、マール良い奴。ありがとう!」


 純粋な善意と真っ白な笑顔で言われたマールは仄かに顔を赤らめて、どういたしましてとボソボソ言う。他人から見る青春ってこんな感じなのかな? なんかムカムカする。キャベ○ーン!


 それからも数回戦闘をこなしふと思ったのだが、キーノは腕が使えずとも脚力は並々ならぬものがあるので足技主体で戦ってはどうか? と提案する。それに返ってきた答えは「出来なくはない、けど、腕、イタイイタイ! 動けない……」だった。蹴りという全身を激しく使う動きをすると腕に負担がかかり激痛が走る。結果、行動不能になる為その案は使えない、そう介錯した。
 ちら、とルッカを見るとキーノの腕を痛ましそうな目で見ている。体の部位に障害を持っている事に自分の母とダブらせているのだろうか? そう思いついてから注意して戦闘中のルッカを見ていると分かりづらい範囲でキーノを庇っているのが分かる。


「……なんか、俺浮いてね?」


 気のせいだと何度も頭を振るがどうもルッカ、マール共々俺との会話はおざなりに、積極的にキーノと絡んでいる気がする。もし今セーブするとセーブ画面タイトルは『ヤキモキ』だ。『ヤキモチ』でも可だな……何を言ってるんだ俺は。


 なんとも言えない胸のモヤモヤは解消されず、気づけば俺たちはキーノの案内の元まよいの森を出ることに成功した。


「………」


「どうしたのキーノ? 何かあった?」


 鬱蒼とした森を抜けからからした空気を吸い込み体をほぐしているとルッカがなにやら難しい顔をしたキーノを案じる声を出していた。
 思い悩んだ表情のキーノを慮ってマールも近づき怪我をしたのか? と聞いている。マール、それがお前の優しさであることは分かっているがそれは小さい子供に「お腹痛いの?」と聞くのと同義だ。


「違う、エイラ、何処にもいない。ここにいるかと思った。でも、いない……」


「んー、俺達が寝てた間に狩りにでも出たんじゃないか?」


「違う! エイラ、キーノに何も言わず狩り、行かない。心配……」


「心配って……エイラの事だから心配なんて必要ないんじゃない? 彼女、えらく強いわよ。正直私たちが束になっても勝てるかどうか……」


 ルッカが怪訝そうに顔を歪めてキーノを見るが、キーノは顔を横に振るばかり。


「エイラ……そんなに、強くない」


 風のように駆け火のように敵を打ちのめすエイラが強くないというキーノの言葉は、その真意を得る前にキーノ本人が話を断ち切るように早足で先頭を切る。戸惑いながらも俺たちはキーノに近づいて後続を進む。もうすぐ恐竜人のアジトに着くというのに、何処か漂う不安が背中を通り過ぎた。







 父は言った。私に強くなれと。
 私は答えた。分かったと。
 キーノは首を傾げて答えた。強いとは何だと。
 父は驚いた顔をしていた。私は当然だと思った。強くなるという意味も分からないキーノに呆れているのだと。
 キーノは、ただただ不思議そうに、子供の頃は丸みがかっていた瞳をさらに真ん丸くして父の言葉を待っていた。私は瞳を細くして軽い軽蔑を含ませて隣に座っているキーノを見ていた。
 父はすぐに驚いた顔を引き締め、しかしそれは数秒と持たず破顔して、焼いた魚を丸呑みしていた大きな口を顎が外れんばかりに大きく開けて、笑い出した。
 今度は私とキーノが驚き、それを見た父は愉快そうに、でも悲しそうに、「ワシにも、分からんのだ」と呟いた。
 私は少し怒りながらより多く、より強い敵を倒すことが出来れば、それが強いことなんじゃないかと叫んだ。父はそれも一つだ、と長い立派な髭を撫でながら答えた。
 キーノはそれが答えなのか? と問う。到底納得している様には見えなかったのが、さらに私を苛立たせた。
 それが、今から十年以上前のこと。私はあの頃に戻って、今一度キーノに問いたい。そして父を糾弾したい。
 キーノには『強いとはどういうことか、キーノはどう思っているか』を問いたい。
 父には『何故そんな間違った答えをあたかも正解の一つであると答えたのか』と責め立てたい。もしそこで私の間違いを正してくれたのなら、私はこうも間違えはしなかっただろうに。
 ……例え、責任の転嫁であると分かっていても、そう考えずにはいられないのだ。


 暗く湿った部屋で、私は膝を抱えて涙を流す作業に戻る。それが何の意味も持たないと知っていようとも。







 森が囲う形で一つの洞穴を見つけたキーノは恐らくここに恐竜人が、ひいてはゲートホルダーがあるはずだと当たりを付けた。まよいの森の中に恐竜人らしきモンスターはいなかったのでもしここが外れていればふりだしに戻るという緊張と期待を持ち合わせながら中に入るとああらどっこい、四方三十メートルはある大部屋に恐竜人たちがわさわさわさわさ三十体以上の大人数でぎゃんぎゃんと人間には喚き声にしか聞こえない会話を広げていた。


「……帰るわよ」


「ああ、帰るべきだ」


「そうだよね、帰るしかないもんね」


「……何しに来た? クロ達」


 一人冷静そうに俺たちに突っ込みを入れるキーノだがあえて言おう。今この場においてトチ狂っているのはお前だ、と。
 何しに来た? という問いからキーノはつまり「この恐竜人たちを倒してゲートホルダーを取り戻さないで良いのか?」と聞いているに違いない。そして俺はこうも考える! キーノは俺たち四人でこれだけの大人数相手の戦闘をこなすことが可能であると疑っていない! 実質的に自分が撹乱の役割しか果たせず戦闘主体の動きが無理だと理解しているにも関わらず、だ。
 結論を急ごうか……キーノはアホだ。どれだけ俺達が強いと勘違いしているか知らんが、俺、ルッカ、マールの三人では前回の戦闘を思い出す限りでは恐竜人相手に一度に五体がぎりぎり、キーノを入れても六人が良い所である。七人になれば誰かが怪我をするのは必須。脱落すら有り得る。ロボと交代が出来るならまだしも、悲しい理由でロボは途中参戦が不可能。もう逃げの一手しかないのだ。


「キーノ、若いうちは無茶をしたがるものだが、お前のそれは勇気ではない。蛮勇だ」


 優しく諭す俺の顔を見る前にキーノは俺達が隠れている岩陰から身を乗り出そうとするので現代パーティー三人が必死で止める。こういうことを言ったら駄目なんだろうけど、キーノの腕が使えなくて良かった。本当に良かった。


 体を押さえつけても大声を出そうとするキーノにちょっとばかり堪忍袋の緒が緩んだマールが下半身を氷付けにしてルッカが口に布を巻きつけて黙らせる。うん、このスピードなら誘拐も可能かもしれない。


「しかしどうする? 特攻するのは論外だとしてもいずれはあの中を突っ切らねえと俺たち現代に帰れないぜ?」


 俺の意見にマールとルッカは胡坐をかいて腕を組みうーんと考え込む。


「よし、とにかく作戦を練ろう。という訳で作戦その1」


「早いわね、あんた適当に思いついただけでしょ?」


「否定はしないが数撃ちゃ当たる戦法だ。アイデアはあればあるほど良い」


 ルッカは道理ね、と頷いて俺の話を聞こうと軽く前のめりになる。


「では気を取り直して、作戦その1、ルッカの秘密兵器である手投げ爆弾通称『リトルボーイ』で中にいる恐竜人達を滅殺。この作戦名はガジェット、またはマンハッ○ン計画とする」


「私はイーゴリ・クルチャ○フ博士じゃないの。今それ関係で色々ごたついてるんだから冗談でもそういうこと言わないの」


 俺の素敵アイデアは一蹴されてしまった。正直一番期待していた案だけあって結構へこんだ。


「じゃあ作戦その2、マールが奇天烈な動きとBGMで恐竜人たちに姿を現す。恐竜人たちが呆気に取られている隙にお得意の演説でチャップリン張りの感動を生む。その間に俺たちはゲートホルダーを奪取。作戦名またはタイトルを独裁者とする」


「言葉も通じないのに演説してどうやって感動が生まれるの? ギャングが世界を廻す本で似たような方法使われてたし。後今の言葉なんか悪意を感じたんだけどなー」


 俺の名案は採用されるどころかマールの怒りが高まっただけのようだ。いっそその怒りゲージをマックスにさせてから爆発。ロック○ンのボディパーツ機能みたいに敵を一掃してもらえんだろうか。


「……作戦その3、キーノを放り込んで恐竜人たちが捕食している隙に」


「むー! むー!」


 今度はキーノが却下か。ふむ、どれもこれも珠玉のアイデアだったと思うんだが……我侭な奴らだ。


「……私も作戦を立案するわ。クロノが『ここは俺に任せて先に行け!』とか人気取りに走って奮闘している間に私たちが」


「深夜になるのを待とう。そうすれば中にいる恐竜人の数も減るかもしれない」


 ルッカの不吉なアイデアを聞き終わる前に俺が妥協案を提示してその場を終える。こいつはやるといったらやるんだ。そしてマールも俺を犠牲にする策は嬉々として乗りやがるからな。


 ルッカもマールもそれしかないか、と項垂れて地面に横たわる。やることがないとなれば余った時間を体力温存に使うとは、中々サバイバーな女の子たちだこと。
 キーノは消極的な案に不満を見せていたが、何とか説得して不承不承ながらも夜が深まるのを待つことにした。







「さて、増えたわけだが」


 正確な時間は分からないが日が落ちてから随分な時間が経ち、そろそろ頃合かと大部屋を覗き込んだ俺の感想である。シンプル過ぎて説明はいらないだろう。言葉のとおり恐竜人の数が増えたのである。おおよそ7~10匹ほど。


「だからキーノ言った! はやく進もう! 言った!」


「キーノよぉ、だからあの時言っただろうとか人の過去の失敗を穿り返す奴は嫌われるんだぜ? 今回は見逃してやるけどよぉ」


 コミュニケーションの基本を弁えてないキーノに一つ説教をかまして、これからどうするかを相談する。気のせいかキーノが睨んでいるような顔だが、常識を教えるという役割は辛いね、相手の為を思ってのことなのに恨まれるんだからさ。まあ後々キーノは俺に感謝するだろうさ、あの時俺に正されて良かったって。


「ていうか本当にどうするのクロノ? 私たちこれじゃあゲートホルダーを取り返せないよ? もう帰れないのかなあ」


 この状況に慌てているのがキーノの他にもう一人、マールだ。彼女もいよいよ危機感を覚えたらしい。気持ちは分かるが。例えるなら船に乗って何処か遠くの大陸に来たのは良いが帰りの船賃が無かったような状態だからな、今の俺たちは。


「さて、ルッカ。これからどうするべきか……お前に何か考えはあるか?」


「…………」


 我がパーティーの参謀役(勝手に決めた)である彼女は難しい顔で唸っている。かく言う俺はこれからすべきことは大体見えている。根本的な解決に繋がるかどうかはともかくとして、確実にやらねばならないことが。
 ここで一つ言っておくことがあるだろう。今の今まで俺たちは何も寝転がって時間を潰していただけではない。恐竜人の群れに見つからないように外に出て食料や水を補給していたのだ。


 つまり今は腹も膨れ喉も潤っている。そして今の時刻は深夜、俺たちがやるべきことは既に決まっている。


 ルッカは億劫そうに目を開いて、口も目と同じようにゆっくりと開き、それでも口調ははっきりと。


「眠いわ」


「だよな、寝るか」


 夜になれば眠い。眠いのなら寝る。これは自然の摂理、人体の常識、当然のことなのだから悩むことなど無いのだ。


 体を横たえて睡眠を取ろうとする俺たちをマールとキーノが騒いで止めようとしてきたのでルッカが荷物の中から催眠を促す波長を出す催眠音波装置を取り出し強制的に眠りに尽かせる。静かになった空間で俺とルッカは顔を見合わせてから頷くとゆったりとしたまどろみに堕ちていった……







 時は前後する。クロノたちが寝息を立て始める数十分前のことである。
 彼らが尻ごんでいる恐竜人たちが大勢集まる大部屋を越えた先の細長い通路。そこに、一人の女性が座り込んでいた。
 美しく太陽の光を帯びていた金の髪は土ぼこりで黒く汚れ、早朝から開いていた目は疲れ瞬きの数は増える。それでも後ろめたさと罪悪感から眠りにつくことは出来ず、昨晩洗ったばかりの服は汗と近くを徘徊する恐竜人特有の体臭ですえた臭いがこびりついていた。
 彼女の名前はエイラ。つい先程まで昔のことを思い出しながらぽつぽつと独り言を呟きながら自分の行った行為を懺悔していたのだが、流石にほぼ丸一日飲まず食わずでいたのでその体力も無くなってきたのだ。


 重複するが、彼女はさっきまで懺悔していた。……反省と後悔がひしめき合っていた。ただ、それだけが全てではなかったのだ。
 中には打算とも言えない、可愛らしいといえば可愛らしい計算が働いていた。自分の中にシナリオを組み立てていたのだ。
 そのシナリオはこうだ。自分が悪事、今の場合クロノたちの持ち物を盗み出すこと、そしてそれがキーノにばれる。勿論キーノは自分を叱るだろう、何故こんなことをしたのか問いただすだろう。その時自分はこう言うのだ。「エイラ、キーノ好き! でもキーノ、マール好き言う。エイラ、それ嫌……」と。全ては嫉妬、ヤキモチから生まれた行為だったのだと告白するのだ。


 エイラは考える。……最高のムードが完成するのではないか? と。男の心理は良く分からないがこれでキーノが自分を嫌うだろうか? 表向きは怒りを露にするだろうが、必ずどこかで愛らしいという感情が生まれるのではないか?
 ……この計画を始めるにあたって無関係であるクロノたちに迷惑をかけてしまう事に葛藤はあった。しかし乙女の恋心はグングニル、どんな障害も穿ち貫くのだ。理性や常識といった道徳観念など煩悩の最たる感情の前には遮るという概念すら存在しなくなる。迷いは光の速さで霧散した。
 早速行動に移そうとしたエイラだったが、ここで自分の計画にさらに一捻り加えてみようという欲が浮上した。もう少しドラマティックにしても良いのではないか? と。


 筋書きはこうだ。恐竜人たちにクロノたちの持ち物を盗ませる。これでキーノたちは恐竜人が盗んだと考える。恐竜人たちのアジトに向かい奪還しようとするがここでエイラ登場、真相を話す。キーノ驚きとショックに打ちひしがれる。まさか恐竜人たちの仕業かと思えば仲間のエイラが犯人だったなんて……!? (キバヤシタイム)エイラ尋問。そして涙と淡い恋心暴露。盛り上がらない筈がない。二人の絆が深まる。ハッピーエンド。エピローグにて男ならエイノ、女ならキーラと名づけようじゃないかとかそういう幸せなシーンが流れてスタッフロール。


 その光景を想像した後、エイラの行動は早かった。森をうろつく恐竜人を締め上げて「エイラの言う事聞く。嫌か? ならお前の手足、別れる」と説得、成功。恐竜人と人間が一時とはいえ手を取り合った世紀の瞬間だった。方法はどうあれ。
 そこからも順調に事は進んだ。気づかれないようにクロノたちの持ち物を盗ませてこの恐竜人のアジトまで運ばせたのも全て計画通り。後はこのアジト内でキーノ達が来るのを待つだけだった。
 恋心が暴走してクロノたちの持ち物を盗んだが、やはり後悔の念に駆られて取り返そうとしていた、という設定にすれば健気さが強調される。何もかも上手く行く筈だった。……しかし。


「……遅い……ぐす」


 待ち人が一向に現れず、かといって外に出て様子を伺うわけにも行かず(鉢合わせになるのを避ける為)、エイラは悶々とした時間を無為に過ごすしかなかったのだ。
 暇つぶしに乙女心満載で過去の出来事に浸り悲劇のヒロインを演出しようと独り言を呟いていたもののもう思い出せる出来事は限られて気づけばキーノのノロケというか自慢を延々垂れ流している痛々しい女になっていた。
 その姿を見たエイラに脅されていない恐竜人は侵入者を捕まえようと飛びかかりかけたが『こいつこわいわ』の考えの下存在をスルーすることに決めた。恐竜人は頭の良い種族である。


「ごめんなさい……うえっ、ごめんなさい……悪いことした、エイラ、悪い子……ごめんなさい……」


 予想以上に過ぎた時間のお陰か熱しきっていた恋心も少しは収まり自分がいかに悪いことをしたのかを再認識することが出来た。そう、ここにきて彼女は本当の意味で懺悔をすることが出来たのだ。
 今ここで自分がひたすら待ちぼうけをくらっているのも天罰の類であると考え、とはいえど何が出来るわけでもなくただ涙を流すことしか出来なかった。
 またも重複するが、これは、クロノたちが就寝する前のことである。







「減らないなあ」


「一向に減らないわね」


 朝、今日も元気に勤労勤労と太陽が昇り鮮やかな緑を映えさせて、流れる川の水しぶきを強調させる。その優しくも力強い光は鳥のはばたきを優雅に、地を這う動物に自信と安心を。纏めるならばすばらしい朝だった。ただ恐竜人のアジトには恐竜人が朝でも夜でも大量に蠢いている。もう虫扱いで良いと思えるくらいの数がわさわさと。
 そもそも恐竜人に睡眠はいらないのだろうか? どういう生態機構なのかさっぱり見当がつかないので断言は出来ないが、もしそうだとしたら時間を見計らって襲撃という考えが全くの無駄となる。


「クロノ、ルッカ。果物採ってきたよ。朝ごはんにしよう」


 食料調達に出ていたマールが両手にバナナやら木の実やらを抱えて戻ってきた。隣になんかどうでもいいと吹っ切れたキーノを連れて。キーノもマールも強引に進んだとて何にもならないと気づいたようだ。キーノに関しては一番焦らなくてはいけない当事者の俺たちがのったりしているので感化されたのかもしれない。


 果物の皮を器用に剥きながらキーノが口を開いた。


「今日、どうする? これ食べたら、戦うか?」


 もぐもぐと豪快にバナナを口に放り込んで問うキーノに俺もルッカも首を振る。まだ機ではないと。
 やっぱりか、という顔で然程気にした様子もなく食事を続けるキーノ。手早く食事を終わらせた俺たちは持て余した時間をどう活用すべきか考えていた。
 すると、マールが唐突に手を上げて元気良く「はいっ!」と声を上げる。この子は俺たちが隠れていると自覚しているのだろうか?


「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」


「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」


「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」


「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」


 まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。


 キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
 しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
 それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。


「……疲れた。もう何もしたくない」


「非労働者みたいなこと言わないでよ、あー気づいたら恐竜人の数全然見てなかったわね。遊びすぎたわ」


「私お腹ペコペコだよ……クロノ、何か採ってきて」


「俺さっき何もしたくないって言ったばかりだろーが」


「キーノ……採ってくる……」


 どうやら催眠音波が切れたらしいキーノは敵前でありながらはっちゃけたことに絶望し消沈しているようだ。面倒だからもう一度催眠音波を当ててやろうとルッカと相談しているのは内緒。キーノだけに。


 それから夕食を食べて腹も満ち、マールが舟をこいでキーノもひとつあくびをしたところで今日は就寝するかというルッカの発言が通る。今日は十年前に戻った気分だった。明日も遊ぼうぜ、と皆に声を掛けてから俺は深い眠りの中に……


「あかんあかんあかん!!」


「なな何よクロノ!? 夜に大きな声を出したら泥棒さんが来るのよ!?」


「それは口笛だ!」


 すやすやタイムに入ろうとした瞬間俺はとんでもない事実を思い出した。良かった、もし今思い出さなければ確実に間に合わなくなる所だった。
 さっき脱いだ靴を履き傍らに置いた剣を腰に付けて戦闘の準備をする。これにはルッカもマールも戦いたがっていたキーノまでもが驚いていた。いや、お前は驚くなよ。喜べよ。


「どうしたのよクロノ、もう寝るってことで全員一致だったのに……」


 眠たい目を擦りながらルッカはメガネを付けて不満そうに声を出す。キーノはトイレか? とデリカシーのない事を言い出しマールは大きいほう? と最っ低なことを言う。それら全てを否定して俺は汗をかき出した顔を皆に近づけてぼそ、と呟いた。


「……今日で三日目なんだ」


 これだけでキーノ以外の人間は全て分かるに違いない。そう、ロボをボッシュのじいさんに預けてから今日で三日目。明日の朝までにボッシュのじじいにドリストーンを持っていかなければロボがあのじじいのモノになり禁断の道を歩むこととなってしまうのだ。詳しい描写は冬に出るだろう薄い本とかで。


 予想通りルッカは忘れてた……と顔を青色に、マールはやっべえと顔の前に手をやり汗を流す。キーノは首を傾げて俺たちの動向を見守っている。


「……行くしか……ないわね」


 悲痛な決心そのままな声でルッカが覚悟を促す。なんだかんだでロボは俺たちの仲間だ。忘れたまま期限を過ぎたのなら「ま、しゃーないか」ですむが一度気づいてしまえば行動を起こさざるを得ない。さっきまでの行楽気分は何処へやら、今は姫を助けるアーサーの気持ちである。まあ、それは言いすぎか。


 全員がもう一度岩陰から大部屋の様子を探る。湿気でコケの生えた岩を少しどけて見えた光景はやはり恐竜人の群れ。無意識にため息がこぼれるのは仕方が無いというものだ。
 それからもう一度身を隠し皆で作戦会議。マールやルッカは堅実的に、キーノは強攻策を提案して俺は生贄方式を発案するが全て現実的ではない。俺の案に至っては頭をはたかれて終わった。
 やはり戦力が足りない、というのが全員の見解だ。たかだか四人では一か八かの特攻という賭けに出ることも出来ない。もしここでエイラという恐竜人相手に慣れた前衛がいれば話は違うのだが……
 同じことをキーノも考えていたようで、キーノは一度村に戻るべきではないか? と切り出す。もしかしたらエイラが村に戻っているかもしれないと言うのだ。
 だが、俺たちは首を縦に振るわけにはいかなかった。もし村に戻ってエイラがいなければタイムアップは確定。仮にエイラを連れてくることが出来ても時間があるか怪しい物となる。今から村に戻りゲートのある山に戻るだけで結構な時間を使うのだ。無駄足を踏んでいる暇は無い。
 八方塞がりな現状に俺とルッカは頭を抱える。マールとキーノは突撃しかないと鼻息を荒くさせていた。無茶無謀でもそれしか方法は無いのだろうか……


「……仕方ないか、お前ら、合図と同時に飛び出すぜ。 キーノは今までどおり撹乱。マールは俺の援護、俺は敵を直接撃破、ルッカはここからでかい魔法を乱発して火の雨を降らせてやれ」


 作戦とは言えない行き当たりばったりな戦闘形式。それでもこれが最上だと信じて身構える。後はどのタイミングで飛び出すか……


「クロノ、ねえクロノ……」


「なんだよマール、今機を計ってるんだから話しかけるな」


「そうじゃなくて……聞こえない?」


 しつこく話しかけてくるマールに俺は不機嫌を滲ませて少し乱暴に「なにが」と答える。すると彼女は耳をすませて真剣な面持ちで言う。


「……恐竜人の、悲鳴」


 そんなもんがなんで聞こえるのだ、とあしらおうとするが……たった今、確かに聞こえた。ギギャア! という人間では発生できない悲鳴が、俺の耳に届いた。
 その声の発生源は、大部屋の奥。ぽっかりと作られた縦穴の先から低く通る化け物の鳴き声が。その声は少しずつ、それでも確かに俺たちの方に近づきつつあった。
 それがどういう事態なのか、すぐに知ることとなったが。







「ああああああ!!!」


「ギギッ!? ギャ、ギギャアアア!!」


 どちらが人間でどちらが恐竜人の叫びなのか。その判別もつかない怒号が狭い縦穴にぶつかり反響して洞穴全体に響いていく。人間が振るう腕は恐竜人の鉄のごとき表皮をたやすく貫き、破り、体を土の壁に叩きつけて緑の血をばら撒いた。
 彼ら恐竜人に悪魔という言葉は生まれていなかったが、もしも悪魔という意味を知っていたならば間違いなくその人間に形容していただろう。だからこそ恐竜人たちは自分たちの同胞を屠っていくその人間の女をこう呼んだ。狂戦士と。
 戦いの手順や駆け引きなど無く、ただその手に掴んだ生き物を吹き飛ばし、噛み付き、バラバラに引きちぎるその様はなるほど、それそのものだった。
 人間の女……エイラは怒り狂っていた。
 その怒りは理不尽である。発端は自分が他人の持ち物を盗ませたのが原因なのだから。それでもエイラは怒っていた。理性など粉々になるまでに。
 ただ、理由はある。遅すぎたのだ、キーノが自分の所に来るのが。遅くなった理由は恐竜人たちの数が多すぎたのとクロノたちが無邪気に遊んでいたせい。前者はともかく後者の理由は納得できない。


 そう、エイラは太陽が真上に昇った辺りの時間に意を決して恐竜人のアジトを出て、キーノたちが近くに来ていないか確かめていたのだ。洞穴を出たそこで見た光景は、自分が昨日の朝から何処にもおらず行方が知れないというのに遊びまわっているキーノたちの姿。その顔には笑顔が貼り付けられて人生謳歌してますよ、な雰囲気で。有り体に言えば楽しそうだった。
 茫然自失としたエイラはまたアジトに戻り姿を隠しながら移動するなんて小器用な真似をすることもなく堂々と大部屋を抜けて元の場所に座り込んだ。恐竜人たちはエイラに気づいても声を掛けることなどしなかった。出来るわけがなかった。誰が好き好んで虎の尾を踏みたがろうか?


 それから数時間、ぐるぐると頭の中で多種多様な思考がエイラの脳内を渦巻いた。それはもうどえらいスピードで。そして出た結論がこうだ。あいつらなにやっとるんじゃい、と。
 エイラは激怒した。必ずやあの馬鹿者どもに怒りの鉄拳を振り下ろし場合によってはその命を散らしてやると誓った。それは自分の思い人であるキーノですら例外ではない。


 つまり、彼女は今恐竜人たちを倒そうとしているわけではない。ただ目に付いた動くものがうざったいのでクロノたちを潰すついでに恐竜人たちを片付けているのに過ぎないのだ。
 今エイラは動く台風と化してクロノパーティーの撲滅またはぶっ殺を目標に死を撒き散らしていた……




 クロノ勝利条件、ゲートホルダー奪取。それに兼ねてエイラとの接触回避。







「……エイラ!? エイラここいた! 助ける!」


 縦穴の先から憤怒という言葉では生易しい形相で出てきたエイラを見てキーノはすぐに飛び出そうとする。ただ俺は、何故か悪寒が体を越えて魂すら凍りつくような嫌な予感を感じキーノを思いとどまらせようと躍起になった。
 俺の行動にキーノは当然、ルッカやマールですら驚き俺をなじり始めた。まさか、エイラを見捨てるつもりなのか、と。


「クロ、見損なった! もうお前、仲間、違う!」


「キーノの言う通りね。女のエイラに全部任せてあんたは一人楽しようっての? どこまで腐ってんのよ!」


「……クロノ……」


 キーノとルッカは怒り出し、軽蔑を表に晒してマールは悲しそうに俺を見つめる。いや、これ多分シリアスする雰囲気じゃない。むしろバイオレンスな展開だと思うんだ、だから真面目な顔で俺を責めるのやめて。


「いや……多分、俺たちが出て行けば何かが終わるというか……追跡者的なモノに追われるような気がするというか……」


「うるさい! ルッカ、マール、行く!」


 俺のぼんやりした説得を無視してキーノはその場を飛び出して行く。それに続いてルッカとマールも走り出してエイラの援護をする為に呪文詠唱を始めるが……


「……ミ、ツ、ケ、タ」


 エイラの鳥肌がたつような声を聞くと韋駄天もかくや、という速さで三人は俺の下に戻ってきた。知らなかった、本当に怖いと人間って泣きそうな顔になると思ってたけど、凄い真顔になるんだね。面接会場にいる新卒の人間みたいな顔になってやがるこいつら。


「……ほらキーノ。お前の仲間であるエイラが待ってるぞ、早く行ってやれよ」


 キーノは心外だ、とでも言いたげに首を振り俺の目を見て「僕の仲間に化け物はいません。クロは僕の仲間です、これは偽りの無い事実なのです」と今までのキャラを根底から覆すように流暢に喋りだした。
 同じくルッカも「確かに、化け物同士が戦ってるからって私たちが手を貸す必要は無いわね。私ったらどうかしてたわ」と頭を掻いている。マールは本当に怖かったのだろう、表情は変えないまま静かに涙を流している。


「デ、テ、コ、イ。コロシテヤルゾ……」


 先程よりも近くからエイラらしき物体が多分俺たちに向けて何か恐ろしいことを言っている。いやもう、本当誰だよアレ。どんなクラスチェンジしたらああなるんだよ。


「おい誰かあのゾー○様を止めてこいよ」


「あんた、可愛い可愛い言ってた女の子に偉い言い様ね」


「ゾ○マで悪けりゃクリーチャーだ。俺は人間以外の者に愛情を感じるほど落ちぶれてねえ」


 結構、というかかなり酷いことを口走っているのは自覚しているが俺の言葉に突っ込みやエイラのフォローをするものは誰もいない。正鵠を乱す必要は無いからだ。


「……どうするの? 幸い恐竜人の数はかなり減ったけど、このままじゃ次は私たちがターゲットになりそうだよ?」


 マールがしゃっくりを我慢しながら出来るだけ平静を装って現在の状況を説明及びこれからの展開予測をしてくれる。大分確定的な。


「よし、キーノ。お前はシーダ役だ。ナバール役のエイラを説得しろ」


 男女逆転しているのは皮肉なのか笑いどころなのか。


「無理。僕には、出来ることと出来ない事があります。それは全人類共通の、真実なのです」


「その喋り方うっとうしいな、もう分かったから黙れ」


 キーノを除いた三人で話し合った結果、とにかくバラバラに分かれてエイラに近づかないように大部屋を抜けようということになった。恐竜人は恐慌状態なのでただ走り抜けるだけのはずだが、何でだろう? さっきまでの恐竜人と戦うほうが楽に思えるのは。


 俺の合図と共に今度こそ俺たち全員が飛び出しエイラが出てきた縦穴目指して走り出す。俺たちの姿を視認した瞬間エイラが甲高い笑い声を上げたが気力で無視、ただ足を前に向けることだけに全力を尽くした。
 結果は俺の予想通り。エイラはキーノ目掛けて走り出したので犠牲は一人で済んだ。少なくともキーノが捕食されるまでの間俺たちが襲われることは無いだろう。エイラがあそこまでぷっつんするのはキーノが原因だろうと思っていたが、その考えは的中したようだ。言葉にならない叫び声を上げて逃げ出したキーノはなんだか、コメディチックで面白かった。
 マールとルッカもキーノを心配していたが、俺の「じゃあお前らあのエイラと立ち向かう勇気があるか?」と聞いてみた所原始に住む気の良い男友達の冥福を祈りその場を後にすることとした。


 さて、それからの道中だが、特に記すことは無い。一度行き止まりに当たったこともあったが、その時は地面に空いた人間大の穴を見つけて、そこに飛び込むことで先の道が見つかり、順調すぎる程に先に進むことが出来た。理由? 戦闘が無いからだ。
 アジト内のモンスターはエイラが倒してくれたようで道の先々で魔物の死体が見つかった。正直、黙祷くらいはしてやろうかとさえ思った。挽肉状態の魔物の姿が散乱しているのを見て、道中でマールが二回吐いた。旅が始まって一番マールの体調を気遣ってやった。それから俺がマールを背負っての移動。マールの気分が少し晴れてきたところで俺の体調悪化。モンスターの死臭に加えて、言いたくないがマールの口から漏れゆく酸っぱい臭いが気分をどんぞこに変えていく。一度、吐いた。このダンジョン最大の敵はモンスターではない。


 洞穴内部は一本道。曲がり角は無くただ延々と穴を潜り途中にあった宝箱を開けて血の臭いで鼻を押さえる。今ほど嗅覚がいらないと思った事は無い。
 ただ、その辛いだけでは包めない酷なゲートホルダー奪取も終わりが見えてきた。何度も穴の中に飛び込んでいるうちに、最初の大部屋ほどではないがかなり広めの部屋を見つけることが出来た。慎重に中を覗いてみれば、奥に赤い豪華なマントと凶悪な棘のついたショルダーガードをつけている白い髪が生えた恐竜人が、ゲートホルダーを手で握り、動かしながら色んな角度で眺めていた。


「あった! ゲートホルダーよ」


 すぐにも飛び出そうとするルッカを俺は抑えて時間が無いのは分かるが、少し様子を見ないか? と言ってみる。


「多分、今までと雰囲気の違うあいつがアザーラだ。キーノが言ってただろ? 恐竜人のリーダーがいるって。考え無しに出て行けばどうなるか分かったもんじゃねえぞ」


「でもクロノ? もう時間が無いよ? ロボがあのおじいさんのおもちゃになって四六時中恍惚した顔をするようになっちゃうよ」


 恍惚とか言うな。


「これは一体……本当に、あのサル共がこんな高度な物を……?」


 俺たちがどうするかを相談していると一人でいるくせに(恐らくは)アザーラは比較的大きな声で何かを喋りだした。友達いない子だな? あいつ。


「ふむ……ふむ……高度だ。これはきっと高度なものだ……高度って何だ?」


「恐竜人はアホなのか」


 ちょっと賢そうな雰囲気でゲートホルダーを眺めていたくせにそれら全てが振りだと分かり思わず突っ込みを入れてしまった。アザーラは一度こちらを見て視線を戻し、今度はがばっと俺たちを凝視した。二度見スキルがあるとは驚きだ。


「きききき、来たなサルが……ほう、お前達、エイラ達とは少しばかりデキが違うようだな……フフ、ちょうど良い。この装置は何に使うものだ……? 教えてもらえるかな?」


 今更取り繕われても威厳など感じない。それでも頑張ろうと背伸びする様はむしろ微笑ましいといえよう……微笑ましいといえば。


「ちみっこいな、お前」


「小さくない! もう十六だ! 明後日で!」


「十六でその身長か、コロボックルさんか」


 (恐らくは)恐竜人のリーダーであるアザーラは俺のへそより少し高い位の背丈しかなく、威圧的な空気を発出しながらも声は高く小学生のように甘ったるい声だった。顔も今までであった恐竜人と違い人間よりのものとなっている。もしかしたら恐竜人はオスメスで造形が変わるのかもしれない。肌の色さえ違えば人間の女の子で充分通じるのではなかろうか? 現にマールなんかちょっと萌えている。ルッカは鞄を探り飴玉まだあったかしらと餌付けの準備。久しぶりの戦闘かと思えばこんなものか。最初から最後まで抜けてたな、原始の旅は。
 ……回想を巡っている最中にふと、思いついたことがあった。声と顔で勝手にアザーラをメスだと認識してしまったが、本当にそうだろうか? ロボという例外もあるので油断は出来ない。 


「コロボックルとかうるさいわ! とにかく、この装置は何か教えるのか!? どうなんだ!」


「……教えても良いけど、お前オスメスどっち? 胸囲で判断できないので口頭で教えて欲しい」


「女で悪かったな、無くて悪かったな!!」


 地団駄を踏んでいる姿はさっきまでの悪の親玉オーラは無く「このおもちゃ買ってよ! 隣のみいちゃんだって持ってるんだよ!」と騒いでる子供にしか見えない。マールがどこかしらから取り出した麻縄を手に持って帰って良いよね、と自分に言い聞かせている。こら、落ちてる恐竜人は持って行っちゃいけません。メッ!


「ふ、フン! どうせ、そう簡単に話してもらえるとは私も思ってはおらなんだ……変に誤魔化しおって……」


「いや、良ければ、私が教えてあげてもいいけどさ。あなた理解できるの?」


「馬鹿にするな! 私は仲間内で行うしりとりで負けたことが無い!」


「……そうなの」


 ちょっと疲れた顔でルッカがアザーラに近づき時空間移動の際に放出されるエネルギーを……とかその場合カオス理論、ああ、カオス理論っていうのはタイムパラドックスに少し似た現象で……とか専門的なことを話し、アザーラはほへーという顔で何度か頷いていた。絶対分かってるわけない。俺、下手すれば今まで生きてきた中で一番頭が悪い十六歳(近日)を見たかもしれない。年上なら結構いるんだけどね、大臣とか両生類とか。


「……という訳、ここまでは基礎だからまだ知りたいなら応用と原理の段階に入るけど……どうする?」


「いやもういい。私には全て分かった。恐竜人のリーダーたる私は一を聞いて十を知るのだ」


 どうせ無駄なものだ、とか、私に必要なものではないとか言って誤魔化すのだろう。知らずため息が出る。


「つまり、これは食べ物だな」


「どういう理論か!」「どういう理論よ!」「可愛いなぁ……」


 俺、ルッカ、マールの順番でほぼ同時に発言。若干一名病んでいるがそのあたりは忘れることとする。
 アザーラは真剣な顔で「何味だ? 今流行のマンゴーか?」と少し時期の遅れたことを抜かす。目だけは輝いているのが腹が立つ。


「食べられるわけ無いでしょ!? あんただって装置だって言ってたじゃない! 機械なの、き、か、い!」


「むう……どうやら本当のことを話す気がないようだな……」


 目上の人間の話を聞かないから子供だっていうんだ。年上の人の言うことは大概間違いないんだから。人生経験が物を言うんだから。こいつと俺と少ししか年変わらないけど。


「では、しかたない……。話したくなるようにしてやろう! 出でよ ニズベール!」


 アザーラが小さな手を上に上げて誰かしらの、きっと部下だろう名前を呼ぶ。幼い声は部屋中に響いて数回木霊する。ルッカとマールに背中合わせでくっつき敵襲を待ち構える。奇襲になることだけは避けるように、だ。
 左右は土の壁しかないが恐竜人たちのパワーを考えれば突き破ることも考えられる。それを言うなら上から天井を壊して来ることも。床下を突き抜けて登場なんてされれば対処の仕様が無い。くそ、敵のアジトというのがここまで来訪者に辛く当たるとは……


 緊張漂う空間が作られて……数分。背中を流れる冷や汗が止まり、開いていた瞳孔も収まって眼は細く、おのずと呆れた目でポーズを決めたアザーラを見ることになる。


「…………ニズベール?」


 不安げに瞳が揺れながら、アザーラは辺りを見回してよたよたと歩き回る。ああ、やっぱりそのくそ長いマント邪魔だったんだ。歩き辛そうだなあ。


「なあ、ニズベールってお前の部下だよな? ザムディンみたいな架空の魔法とかじゃないよな?」


「違う! ニズベールは私の護衛というか、部下というか……友達だ!」


 喉が揺れた不安定な声でアザーラはニズベールとかいう友達を探している。敵である俺たちを置いて、部屋から出て探すわけにも行かないので同じ所をぐるぐる回るだけなのだが。


「……お姉ちゃんが、一緒に探してあげようか?」


 見かねたマールが出しちゃいけない助け舟を出して、アザーラと一緒にニズベールを探す。なんだか暇なので俺とルッカも部屋を出てニズベールの名前を呼んだ。敵の親玉と一緒に敵の増援を探すとはシュールな気分というか……あほくさ。


 それから十分程度探した後で、ニズベールがいないよう、と泣き出したアザーラをマールの「可哀想だから、外まで一緒に連れて行ってあげよう」という言葉の下、俺たちはアザーラを背負ってアジトを出ることにした。ゲートホルダーはきっちり返してもらった。
 またあの死体だらけの道を通るのかと沈んでいると、アザーラが抜け道を知っていたのでそこを使わせてもらう。少し坂になっている一本道を進み、しばらくも歩かないうちに外に出ることが出来た。背中で俺の服に涙と鼻水と涎を染み込ませているアザーラにほんの少し感謝だ。







「カカカ、流石は太陽の申し子エイラ、そしてその相棒先見のキーノ! たかだか二人でここまで俺と戦りあえるとはな……少々見くびっていた……」


「はあはあはあ……エイラ、まだいける、違うか!」


「大丈夫! キーノこそ、疲れたか!?」


「まだまだ! 来る! 気をつけろ!」


 外に出て最初に目に入ったものは爛々と輝いている月でも仄かに空を彩る星でもなく、二足歩行の喋るトリケラトプス相手にいつのまにか怒りが消えているエイラとキーノが暑苦しい戦いを繰り広げている場面だった。


「おいアザーラ、あのモンスターって、お前が呼んでたニズベールって奴じゃないのか……」


「知らん。あんな馬鹿者、見たことも無い」


 拗ねてしまった。まあ自分の危機に侵入者を撃退するという名目があっても、あれだけ楽しそうに戦ってれば腹も立つか。バトルジャンキーとは怖いものだ。
 しばらくキーノたちの戦いを観戦していると、いつまでたってもニズベールがこちらに気づかないことに悲しくなったアザーラがまたべそをかき出した。仕方ないので俺の膝の上に乗せてあやしてやるとすうすうと寝息を立てて夜空の下深い睡眠に入り込んだ。どうして俺はロボといいこいつといい小さな子供に好かれるのだろう。それも人間じゃない奴ら。


 アザーラが寝入ってすぐに決着がつき、勝負は引き分けとなった。いつまでたってもアザーラの保護者である(多分)ニズベールが遊んで(戦って)いるのでマールが怒って「やめなさーい!!」と大音量のシャウトを叩き込んだのだ。ニズベールは人間の腕の中で眠っている自分の主に気づいて戦闘を中断。マールにくどくどと説教をされて小さくなっていた。きっと、種族の差を越えて、皆仲良くなれるんだ、と分かった。


 それから、ニズベールは眠っているアザーラをだっこしながら俺たちに一つ頭を下げた後、キーノたちに「良い勝負だった……またいつか、戦おう。命を賭けて」とカッコ良い台詞を残して森の奥に消えて行った。


「……よく分からない終わり方だったな。俺、原始に来てからあんまり戦った思い出が無いんだが」


「終始貫徹してグダグダしてたわね……まあ、結構楽しかったけど」


 俺とルッカは眠たくてぼーっとしている目をこじ開けながら感想を言う。いいのかなあ。


「クロ、盗られたもの、取り返したか?」


「ああ。最後はあれだったけど、サンキューなキーノ。エイラも恐竜人の群れを蹴散らしてくれて助かったよ」


 キーノとエイラに礼を言うと、キーノは笑ってくれたが、エイラはどこか顔が暗い。何があったのか聞こうとすると、キーノがそれを止めた。どういうことなのか知らないが、キーノの様子を見る限りあまり詮索して欲しくないことなのだろう。俺は頷いて村に戻るために歩き出した。


「クロ……マール、ルッカ……ごめん」


 まよいの森に入る前に、何故かエイラが謝り出したので、俺たちは何のことか分からず一瞬動きが止まるが、俺は深く聞かないと決めたので一言返して終わりにした。


「上手くいくと良いな、エイラ」


 その時初めて、花開くような、明るい笑顔をエイラが見せてくれた。
 本当に、キーノが羨ましいね。








「クロ、行くか……。キーノ、つまらない」


「ありがと、キーノ。そしてエイラ。あんたには色々教えられたわ。そりゃあもうたくさんね」


 皮肉も込められたルッカの言葉にエイラは落ち込みかけたが、隣に立つキーノを見て、胸を張り「ルッカも頑張る!」と元気な声を出した。驚いた顔のルッカもすぐに笑って「勿論よ!」と威勢良く返した。


 ボッシュとの約束を守るために急ぎイオカの村に戻り、キーノから赤い石を貰って、それがめでたくドリストーンだと判明した後すぐさまゲートまで戻ることとした。
 エイラもキーノも寂しそうな顔をしていたが、仲間が待っているのだと聞いて快く送り出すことにしてくれた。


「また来い、クロ! 宴やる。飲む。食べる。踊る。楽しい!」


 キーノの声を聞いて手を振り、俺たちはイオカの村を後にした。
 ……キーノ。今度は嫉妬心抜きにお前と話すよ。そしてまた来るまでに酒に強くなっとくから、また勝負しようぜ。
 心の中で再戦を誓い、ちょっとだけ清々しい気分になった。


 それから、ダッシュで現代に戻りボッシュの家に行きドアを開けると半泣きでメイド服を着せられていたロボが時速八十キロオーバー!! な体当たりを俺にぶち込み肋骨を三本折られるという事態になった。マールが治療しようにもメカパワー全開で俺を抱きしめるロボが邪魔でケアルをかけることすら出来なかったのだ。なんでこんなデストロイマシンの為に急がなくてはならんかったのか。このまま爺の愛玩品として生きていけばよかったのに。
 ……まあ、メイド服は確かに似合ってたけれども。でもそれこそエイラに着て欲しかったけれども。


 口から血の泡を吐きながら空を見上げると、原始の空は綺麗だったんだ、と思った。現代も未来に比べれば星が見えるが、原始の空は両手を突き出せば握り取れるのではないかと思うほど、空が近かったから。


「……また、会えると良いな、あいつら……に……」


「クロノー!!」


 俺の旅は……ここで……おわ……………




 俺の屍というかまあそういうニュアンスなアレを越えてゆけ 完













 おまけ
 長すぎるし意味分からんしつまらないので没になった場面。
 後半のクロノ、マール、ルッカ、キーノ達が時間つぶしに遊んでいた所から派生する。
 読み飛ばし推奨。








「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」


「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」


「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」


「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」


 まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。
 キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
 しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
 それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。



「そろそろ日も沈む……次がラストゲームにしようじゃないか」


「賛成ね、そろそろ足が痛いし、疲れたわ」


 三人とも俺の提案に意義は無い様で、俺は次のゲーム内容を説明しようとする。が、ここでキーノが口を開いた。


「次、勝者決まる。だから、キーノ、馴染みある勝負、したい」


 今までキーノの知らない遊びで勝負をしていたので、確かにキーノには不利だったかもしれない。それではフェアではないので今回は原始らしい勝負方法にしようと言う訳か。このタイミングでそれを切り出すとは……こいつ、勝負というものを理解している。それも、骨の髄まで……!!


「…………ならばこうしよう、制限時間までにどれだけのまよいの森の魔物を狩れるか、という勝負はどうだ? それならキーノに馴染みがあるし、分かりやすい」


「でも、狩った魔物の数はどうやって確認するの?」


 マールは挙手の後当然の疑問を挟む。


「まさか自己申告じゃないでしょうね?」


「そんな訳ないだろう? 狩った魔物は自分の作った場所に運ぶ、結果発表のときに全員で見回れば誤魔化しは出来ないだろう?」


 それを聞いてルッカもマールも納得した様子で頷く。俺はそのまま説明を続けた。


「質問は後から受け付ける。一気に説明するぞ。制限時間は一時間、各プレイヤーにはルッカの鞄に入っているタイマーを持ってもらう。十五分ごとに鳴るようにしてもらえば分かりやすいだろう。各々の狩った獲物を置く場所……名称はポジションとしよう。はスタートと同時に自分で好きな所に作ってくれ。まよいの森の中なら何処でも良い。ああ、ポジションには自分の名前を書いた立て札を刺してくれ。それが自分のポジションである証拠になるからな。最後に、ポジションは一つしか作成できないからな。それ以上作っても二つ目のポジションにある獲物は換算されない……で、質問は?」


 逸早くルッカが手を上げたので指を向けて質問に応ずる。


「大きい魔物小さい魔物でポイントの加算はされるの?」


「それは無しだ。一々計算が面倒だしな、あくまで単純なゲームにしよう」


 答え終わると今度はキーノが手を上げる。なんだか質問の際には手を上げるという現代の常識を覚えている原始人って、どうなんだろう?


「獲物置く場所、変える、良いか?」


「………良いだろう、魔物の群れが近くにいる。そんな所に作成するのがベストだしな。コロコロ場所を変えていくのもいいさ。……でも狩った獲物と立て札を一緒に移動するのは無しだ。それと、ポジションに持っていく時に持ち運ぶ獲物の数は一体にしてくれ」


 この野郎、もうこのゲームの内容に気づきやがったか。まあ、どの道すぐに分かることだろうから、別に良いんだが……


「えっと、この勝負に勝った人は何が貰えるの?」


 マールがほけっとした、疲れた顔で聞く。


「そうだな……負けたプレイヤー全員に何でも一つだけ言うことを聞かせるとかどうだ? 勿論その人の一生を変えるようなそんな酷いのは無しで、だ。あくまでもゲームだからな」


 その言葉を聞いてマールもよし、頑張る! と聞いている側は気合の入らない気合の入れ方をこなして、拳を握った。


「じゃあ、ちょいと疲れたことだし少しの休憩を入れてからスタートしようか。狩ろうとした魔物にやられるなんてのは冗談にもならんしな」


 これにも異議はなく、俺たちは各々スタートの間までばらけて疲れた体を休ませることにした。
 少しの時間を置いて、俺は全員がばらばらになったことを確認した後キーノのいる所に歩き始めた。……もうゲームは始まってるんだ。


「なあ、キーノ? ちょっといいか?」


「どうした、クロ」


「あのさあ………手を組まないか?」







 全員が持つタイマーがゲームスタートを知らせる。その音が響いた瞬間、俺たちは四散した。近くにいて魔物の取り合いになるのもつまらないから……というのが表向きの理由だ。本当の理由は簡単、自分のポジションの位置を知らせたくないから。
 このゲームで最初にやらなければならないのがポジション作成、この場所は決して誰にも知られてはならない。何故なら、奪われるからだ。自分の狩った獲物を。


 これは単純に魔物を多く倒した人間が勝つのではない。より多く他人から獲物を奪えるか、という勝負なのだ。奪ってはいけない、というルールは組み込まれていない。
 ルールの穴を突いたとは言えない、誰でも気づく事だ。だからこそ俺はさっきキーノに交渉を持ちかけた。共同戦線を張る、というのだ。
 このゲームはいかに相手のポジションを知るかが重要になる。だがそれが全てではない。仮に相手のポジションを知ったとて一回で運べる数は一体。獲物を取られた人間は数が一匹減った時点ですぐにポジションを変えるだろう。
 ……ちなみに一度に一匹しか運んではいけないというルールもばれなければ違反にはならない。勿論一度に数匹運んでも良いのだが、運搬の最中に他プレイヤーに見つかればその時点で失格。終盤に点差が開いているなら賭けに出ても良いが余りにリスキーな方法だろう。


 話を戻そう。何故キーノと手を結んだか? これは実は表向きは余り意味を成さないのだ。この同盟の条件は1、マール、ルッカのポジションを二人で探し見つければ教えあう。そうすれば二人の獲物を一度に二匹持っていけるので俺とキーノが有利になる。勿論、見つけた所で教えるわけがない。いずれは敵対するのだから。
 そして条件2、これが重要。片方が狩りに出ている間はもう片方が自分達のポジションを見張る。これが真骨頂。
 このゲームは奪う、守るが最も重要な要素になる。狩りに出ている最中、またはポジションを探している間に獲物を取られるのは最悪の事態なのだ。
 しかし二人ならこの奪うと狩るに加え守るまで可能になるのだ。これは同盟を組む理由として最適……表向きは。
 本当は互いのポジションを知ることが最重要。キーノと俺はお互いのポジションをすぐ近くに置くことで裏切りが容易になる。相手の獲物を奪ってポジションを変えれば良いのだから。問題は裏切るタイミング。
 序盤は裏切るには早い、だが終盤では遅すぎる。半ばで裏切るのがベストだろうがそれでは相手に先を越されるかもしれない。これはキーノにも分かっているはずだ。だからこそ俺はこう提案した。


「アラームが二回鳴るまでは俺が狩りに出るよ。キーノはその間ポジションの守りに入っててくれ。後半からは俺がポジションの守り役になるから」


 これでキーノは二回目のアラームが鳴る前に俺を裏切れば良い。守りに入っているのは自分なんだから、クロノの獲物を横取るのは簡単だ、と考える。それどころか俺に裏切る意思が無いのかとすら考えるかもしれない。これは運がよければ、だが。
 ちなみに最初の約束では俺たちは三回目のアラームが鳴れば同盟を解消するという約束をしている。口約束なので信用などかけらも無いが。


 俺自身の裏切るべきタイミングを完全に逃す俺の提案。キーノは二も無く乗った。この時点でキーノが裏切るのは確定。再認識のような作業だが、確信出来て良かったと考えるべきだろう。
 しかし、これではキーノを裏切ることは出来ないんじゃないか? いや、そんなことは無い。この提案を俺自身がしたということが後半になり生きてくるのだ。


「さて、ここにポジションを作る、それで良いかキーノ?」


「分かったクロ、立て札立てる!」


 最初の休憩時間にあらかじめ作っておいた小さな立て札を刺してルッカに借りたペンで名前を書き、それを中心に円形に線を描く。これでポジション作成は終わり。後は俺が狩りに行くだけだ。
 キーノは俺に激励を託して二つのポジションの間に座り手を振ってくれた。腹の中ではケタケタ笑い声を上げているに違いないが。




 スタートからアラームが一度鳴り、キーノと俺のポジションに獲物を連れて帰った時の事だった。(今までに計三匹の小さな獲物を狩り、俺のペースが遅いことからキーノのポジションに二匹、俺のポジションに一匹という形となった)


「クロ、ペース遅い! 負ける、負ける!」


「だから言ったろ? ルッカとマールが組んで邪魔して来るんだよ。あいつら一人が俺の妨害、もう一人が狩るって戦法を取ってやがるんだから……でもまあ、俺たちに勝機が見えたぜ?」


「? ショウキ?」


 俺は少し間を置いてからキーノににたりと笑いかける。


「見つけたぜ、マールのポジションを!」


「!? 本当か! クロ、スゴイ!」


 機嫌の悪そうなキーノの顔が輝いて飛び上がる。今から案内する、だから一時守りは中断と告げてからその場を離れる。
 ……まず第一段階は成功。後は流れに乗るだけだ……!


 最初は地形が分からず右往左往していたまよいの森だが、午前から思い切り遊んだ為地形はおおよそ頭に入っている。俺たちは迷わずマールのポジションまで進むことが出来た。マールのポジション内には獲物が四匹。まあ、そこまでは良かったのだが……


「……ちっ、マールの野郎、ポジションから動きやがらねえ……」


 そう、マールは何を思っているのか、自分のポジションから一切動こうとせずじっと座ったままなのだ。狩りにでようとする気配すらない。キーノも悔しそうに犬歯を見せている。


「どうする? クロ。いっそ二人掛かりで突っ込むか?」


「……いや、待て。……あそこ、見えるか?」


 俺がマールを挟んで対角線になる草むらを指差し、そこには体を伏せたルッカの姿が見えた。俺たちと同じようにマールがポジションを離れる瞬間を狙っているのだろう。


「あいつら、仲間、違うか? なんでルッカ、マール狙う?」


「ルッカが裏切るつもりなんだろ? あいつらは俺たちと違って二人とも攻めの姿勢だったはずだから、マールが自分のポジションを動かないってことはマールもルッカの裏切りに気づいてるのかもしれないな。それこそ今この瞬間も狙ってるのでは? ってさ。かといってポジションを移動すればその場に置いた獲物が取られるかもしれない……だからマールはその場を動けないんだ」


 しかしこれでは俺たちも動けない。キーノがマールを抑えていても俺は獲物を奪う前にルッカと戦わなくてはならない。リスクの伴う判断になってしまうのだ。
 どうしたものかと喉を鳴らすキーノをよそに俺は至極冷静にこの状況を見ていた。


「……チャンスかもしれないな」


「? クロ、何か考え、あるか」


 大きく体を動かせないので頭だけを動かし、不思議そうに顔を覗き込んでくるキーノに名案を思いついたという風に答える。


「よく見ろよ、今この場にはルッカ、マール、俺にキーノがいるんだ。これがどういうことか分かるか? 誰も獲物の数を増やせないんだ。しかし俺たちは二人、キーノがマールを監視しているうちに俺が獲物を狩れば良い。あいつらの妨害も無く、楽して勝てるんだよ俺たちは」


「そうか! ……でも、ならキーノも狩り、参加したほうが良い、違うか?」


 キーノの判断は正しい。どの道マールもルッカもここで釘付けになるのなら二人で思う存分狩りを楽しめば勝てるのだから。……ただ、それはもう遅い。


「駄目だ、ルッカが俺たちの存在に気づいてる。恐らく組んでることもな。今ここで俺たち二人が動けばルッカもマールのポジションを狙うのを諦めてしまう。それどころか最悪もう一度マールと同盟を組んでしまうかもしれない」


 キーノがばっとルッカを伺うと、確かに二人の視線が交差した。コンマ一秒にも満たない時間とはいえ、互いの目的が同じであることは疑うまでも無いだろう。


「……な。ここで俺だけが消えてもいつかはルッカもマールのポジションを諦めるだろうが、キーノがここに留まる事でルッカに躊躇いが生まれる。今自分も狩りに戻ってしまえば、キーノにマールのポジションの獲物が奪われるかもしれないってな。少しの間だけでもあいつらをここに引き付けておければ上出来なんだ」


 俺の考えを聞いてキーノは少し考え込んだ後、訝しげな顔で俺を見る。


「……キーノ、どれくらいここにいれば良い?」


「ルッカが動き出すか、まあそこまで留められるとは思わないが、三回目のアラームが鳴れば自分のポジションに戻ってくれ。そこで獲物の分配をしよう。そういう約束だったろう?」


 俺は肩をすくめてキーノにそう答える。今、キーノは今日一番に頭を使っているはずだ、どちらが得か? と。
 もしこの提案を呑めば俺を裏切ることは出来ないが、有利に勝負を進める。果たして俺を裏切るのとマールとルッカを沈めるのとどちらがいいか? キーノはしばらく苦い顔をしていたが、結局俺の考えに同意した。


 ……ここでキーノの間違いは俺の言うことに従ったからではない。そもそもどちらの方が得なのか? という葛藤が間違いなのだ。
 疑うべきは、俺が裏切らないのか? ということ。キーノのはその疑惑が一切浮かんでいなかった。この状況ほど俺が裏切りやすい状況は無いのに!
 何故俺の裏切りを思いつけないのか? それは前半の俺の提案。キーノが裏切りやすい環境を俺が作ったことがそもそもの始まり。これで俺に裏切る意思は無いのだろうか? と思い始め、そして止めはこれ、マールのポジションを教えること。
 終盤には敵同士になる関係なのに、他プレイヤーのポジション位置という重要な情報を教えることでキーノは俺を『裏切らない』仲間だと思ってしまった。
 勿論これがもっと重要なゲーム、よくある負ければ一億の負債を得るとかそんなハイリスクなゲームならそう簡単には信じたりしないだろう。だがこれはあくまでもただのゲーム。そこまで相手の心理を探らずとも良いだろうと、何よりも俺という人格を信用してしまった。キーノの人柄が成せる業、だな。人が良いと言えば聞こえは良いが……馬鹿だ。
 だがまあ、俺の罪悪感はなんら反応はしない。恐らくだが、キーノはルッカが帰らずとも三度目のアラームが鳴る少し前には自分のポジョンに戻るはずだから。理由は俺を裏切る為。俺はただ騙し返すだけ、正当防衛だ。


 それじゃあ狩ってくるぜ、楽しみにしてな、という台詞にキーノは笑って頑張る、クロ! と背中を押してくれる。俺は後ろを向きながら大笑いしたい衝動を抑えてなんとかキーノ、マール、ルッカの三人が集まる場所を離れた。


「……悪く思うなよキーノ? なんせ俺は常識を教える役割だからさ」


 同じ人間に騙されるってことも知っておいたほうが良いんだよ、多分ね。







 ……おかしい。いくらなんでも時間が掛かりすぎる。
 そもそもプレイヤーはクロノを除き全員ここにいるのだから、一度に一匹ずつ運ばなくてはならないなんてルールは無視できる。それなら十分弱で仕事はこなせるはずだ。


 そう、キーノのポジションから獲物を奪う作業が。
 私は二回目のアラームが鳴り三回目のアラームまでもう少しという時間までマール、引いてはキーノを見張っていたが肝心のクロノが作業終了を伝えに来ない。
 ……私はまさか、という思いが膨らみ、冷静になろうと勤める。
 ……その時間僅か五秒。自分の目の前が真っ暗になるのを感じた。……何故、感づかなかった? 何故、信じたのだ私は?
 私は立ち上がって草むらを飛び出しマールとキーノを呼び出した。……もしかしなくても、詰みの状態だろうが。







「あいつら、そろそろ気づいたかなあ?」


 近くの木からもぎりとったりんごをまる齧りしながら俺は自分のポジション内に座り込んでいた。
 ……種明かしをするが、俺はキーノと形だけの同盟を結んでいた。そしてそれはキーノだけに限ったことではない。最初の休憩時間で俺は他の二人とも、つまり全員と手を組んでいたのだ。
 その同盟内容はベースは同じ。ただ所々で与えていた情報量が違う。役割も違う。
 最初に俺が狩りをする、と言い出すのは同じ。狩った獲物を共有するのも同じ。……ここからが各グループで違う所。
 キーノに与えた情報は前述していたのでいう必要は無いだろう。省略させてもらう。


 ルッカと組んでいたときに、彼女には俺がキーノとも組んでいることを教える。勿論キーノのポジションの場所も教えた。
 さらにこのゲームではポジションを複数作成することが可能であること、そのことから他プレイヤーを騙すことができることも教えた。
 複数のポジションを持っていても一つしか結果に含まれないが、グループごとに自分の作ったポジションの場所を提示することで最低限の信頼を得ることが出来るからだ。
 この方法を使って俺はキーノ、マール、ルッカに教えたポジションと今俺が座っている最終結果で使うポジションの四つのポジションを作成していたことになる。
 さて、ついでに前半で俺が狩りを担当、もう一人に守りを担当させたのは何も信頼を得る為だけに提案したのではない。他のプレイヤー同士の情報交換を防ぐ為だ。途中で俺が全員のプレイヤーと組んでいることがばれては計画がおじゃんになる。一粒で二度美味しい作戦なんだなあ。後半に繋がる策というのはこのことである。


 そしてルッカにキーノと手を組んでいることを教えたのにも意味がある。偽の同盟をしていることをルッカに教えて信頼を得る、というのもあるが、三竦み状態を作る必要があったからだ。
 まず、ゲーム中盤に差し掛かる頃、俺はキーノと同じようにマールのポジションの場所を教えた。偶然見つけたように装って。
 マールのポジションに着いて、マールが自分のポジションを離れないようにしているのを見た後俺はこう言った。チャンスだ、と。


「俺が今からキーノをここに呼んでくる。そしてあいつをこの場に留まらせれば二人を無力化できるぜ? なんせ俺たちは二人一組なんだから」


 この言葉を聞いてもルッカはそう簡単に頷かない。キーノと違って疑りやすいからな。
 ただ、ルッカは正論に弱い。


「キーノは俺と組んでる、そう信じてるからルッカがここに留まらなくてはならない。俺が引き止め役になっても何の効果も無いからな。敵対勢力であるルッカがこの場にいることによって効果が生まれるんだ」


 この言葉を聞いて不承不承ルッカは了承して俺の思うままに動き出した。


 そしてマール。彼女に与えた情報量が一番多い。まあ、要だからな。
 まず俺がキーノとルッカ二人と別々に手を組んでいることを話した。
 さらにポジション複数作成の方法も教える。
 後はキーノやルッカと同じように前半に俺が狩りをすることに立候補して、獲物は共有。
 最後に三竦みを作る為に彼女にはこう話す。


「俺がキーノとルッカをこのポジションに縫い付ける。マールはただこのポジションを見張ってくれるだけで良い」


 まあ、もう少し交渉はしたが骨組みはこんなものだ。当然ながらマールにはこの捨てポジションの他に別の場所に本当のポジションを作らせている。俺の仮ポジションもそのすぐ近くに。ルッカとキーノから奪った獲物はそこに置いて分配しようと約束して。
 そうそう、俺の狩りのペースが遅かったのは三グループそれぞれに獲物を置きに行ったからだ。全員に「他の二人が結託して妨害してくるからペースが遅い」と言い訳して。


 纏めるが、三竦みの状況を作ろうと提案した順番はマール、ルッカ、キーノの順になっている。この順番が狂えば全てが台無しになるのだから、単純ながら最重要な事柄。そもそも、単純というならこの計画や一連の流れ全てが単純なのだ。


「……まあ、全部成功したから、もうどうでもいいんだけどな」


 今俺のポジションにはキーノとルッカのポジション全ての獲物を奪い更に途中何度か獲物を狩ったので計十七匹。これで、俺の勝ちは揺らがない。


「三度目のアラームが鳴って結構経ったな……残り時間五分前後か?」


 ふあ、とりんごをまるごと入れれそうな大きなあくびをしたところで木陰から人の姿が現れた。……どうやら、怒り心頭といった御様子のルッカのようだ。顔を真っ赤にしてよくも裏切ったわね! と切れていた。


「おいおい、お前だって虎視眈々と俺を裏切ろうと狙ってたじゃねえか。分かりやすいくらい目がぎらついてたぜ? そんなんじゃ俺を責めれねえよ」


「っ!!」


 歯をぎりぎり鳴らして俺を睨み付ける。その視線は言葉にするなら「コノウラミハラサデオクベキカ……ツーカハラス、ゼッタイコロス」としておこう。内容は一緒だ。


「ああ、ルッカの罰ゲームは俺に危害を加えない、怒らない、だな」


 俺の言葉にルッカは目を丸くして「ちょ、ちょっと!?」と取り乱した。あああ、敗者の足掻こうとする姿はなんて面白く感動するんだろうな……


「あんた、一生を変えるようなことはしないって言ったじゃない!」


「別に俺に危害を加えたり怒ったりしなくても人生は変わらないだろう? それに一生じゃないよ、俺が良いと言うまでだからさ? まあ、何十年先か知らないけど」


 ゴゴゴ……と擬音が出そうなくらい赤い顔に変わっていくルッカを俺は愉快な気持ちで見ている。いやいや、こうしてみるとルッカも可愛いものじゃあないか。もう少し懐けば優しい扱いをしてやるのにさ。


 優越感を満たしてくれるルッカの顔を眺めていると、今度はキーノが身軽な動きで木の枝から飛び降りてきた。ルッカと同じように怒気を纏いながら。


「クロ! キーノ、裏切るか!?」


「やあやあ人の好いキーノ君。そんな簡単に人を信じちゃ駄目だぜぇ? こうやって根元からすっ転ばされるんだから」


「ク……クロ……!」


「うーん……正直お前にもむかついてたんだよなあ……クロクロクロクロ、って。ノ、位言えるだろうが。罰としてあれだ、お前への罰ゲームは毛を剃る事な。上も下も」


 ニンマリと自分でもいやらしいと自覚できる笑い方でキーノに死刑宣告にも似た言葉を放つ。キーノは「し、下も……」と呟きながら膝から崩れ落ちていく。その目に生気は、無い。


「……で、マールはそこでなにやってるんだ?」


 俺の後ろの木に姿を隠していたのは、マール。えらくすました顔だが、もしかしたら自分は酷いことを命令されないかもしれないとたかをくくっているのだろうか? だとすれば……甘い。
 どうせ今まで様付けされて敬われていたのだろう。ならここは俺の名前を呼ぶときは様付け、話すときは敬語、間違えたら折檻。語尾には愛してますご主人様とでも言わせようか……ハッハッ、バラ色の生活だな!


「言っておくがお前ら全員がこのポジションから獲物を持っていっても無駄だぜ? 一応獲物の残っているマールの所に持って行ったとしても一度に三匹しか奪えねえ。一度に一匹ずつしか獲物は持っちゃあいけねえんだから!」


 ルッカとキーノの顔が悔しさでさらに歪む。はりぼてと化したルールでも決まりは決まり。俺という監視人がいる限り一匹以上の獲物を運んではいけない。ただ適当に思いついたルールじゃねえんだ。運よくお前らが最終局面で俺の真ポジションを見つけたときの保険も掛けてるんだよ!


 他二人と違いあくまでにっこりと笑い続けるマールを見て高笑いを響かせる。それに少し遅れて響くアラーム音。これは終結の鐘。俺を苦しめようとする運命の神、その嘆き、断末魔。これから俺はあらゆるヒエラルキーのトップに君臨するのだ!


「俺の……この俺、クロノの勝ち「私の勝ちだー!!」だ……ぁ?」


 俺の勝ち鬨をぶっ飛ばしてマールが思い切り上下運動。うわお、これだけならなんかやらしいね。


「……いや、俺の勝ちだろ? 何言ってんのマール?」


 マールは満面の笑みで(ごっつ腹立つ笑顔で)地面を指差した。そこには俺のポジションであることを示す立て札が……立て札が……あるのだが……


「……ま。……まーる? あれ? 俺の名前じゃないぞー?」


 ぷるぷると震える俺の体とその言葉に反応して固まっていたルッカとキーノが俺を蹴飛ばして立て札の名前を見やる。そこには確かに『マール』の名前が、黒いペンでしっかりと書かれていた。
 こんなものトリックや計画なんてものでは無い。単純で愚直である意味純粋で……つまり……


「入れ替えたの。私の名前が書いてある立て札とクロノの立て札を。ゲーム終了前に入れ替えたんだから有効だよね」


 ……なるほど。今まで駄目と言われてないことはいくらでも行った俺だ。文句を言うのは筋違いだ。筋違い。うん、それは分かる分かるけど……


「そんなの無えだろーーーー!!!!」


 まあ馬鹿なりに色々考えたり、騙し騙されて進行したこのゲーム。結局最後は力技のごり押しなんだなあ、と痛感しました。ライアー○ームの椅子取りみたいな。








 ゲーム終了から半刻。ルッカとキーノの逆襲により腫れてない部位? あるわけ無いじゃんな俺にマールが近づいてきた。心なしか満足した……ああ心なしじゃねえや、完全に満足しきった顔ですわ。腹立つ。
 体を起こすことも出来ない俺を上からニコニコと笑顔で見下ろして、マールは俺の目を見つめている。なんだ? 唾でも吐きかけますか? いいよ別に、今ならゲロ吹きかけられても納得してやる。どうせ俺は一生最下層の人間なんだ。


「惜しかったね、最後に私たちに見つからなかったらクロノの優勝だったんだから」


「……ああ、やっぱり最後に俺のポジションを見つけたのは運かよ。まあ、そこまで広い森じゃねえし、地形が分かれば有り得ることだとは思ってたけどさ」


 痛む顔を我慢して会話をする。口を開くたびに腫れた頬と切れた口内がじんじんと響く。下手すれば明日には歯が二、三本取れるんでは無かろうか? なんてため息が出る予想が頭をよぎる。


 マールは唾液を飛ばすわけでもなくただすんなりと倒れている俺の隣に腰を下ろす。月明かりとたき火の光に挟まれてなお彼女は際立っていた。
 ……なんだか、彼女に負けたなら、まあしょうがないというか、道理かもしれないな、と落ち着いてくるから不思議だ。


「ねえクロノ、私が負けたらさ、私にはどんな罰ゲームをさせる気だったの?」


 まだ、マールは俺に罰ゲームを告げていない。ここで「肩を叩いてほしかったのよさ!」とか軽い内容を言えば彼女も簡単な罰にしてくれるのだろうか?


「……様付けさせて、俺と話すときは敬語にさせて、愛してますご主人様を語尾に付けさせようと思ってた」


 まさか。俺の嘘を彼女が見抜けないわけが無い。さっきのゲームでも、マールだけは俺の企みに気づいていたんじゃないだろうか? 確証は無くても、確信があった。だったら、保身の嘘をつくよりも、最低の真実を告げたほうが体裁がたつさ。あれば、だけど。


「……愛してます、ご主人様ねえ……男の子って、そういうの好きなの?」


「……一括りにするのはどうかと思うけど、結構当てはまるんじゃないかな」


 ふーん、と興味なさげにマールは遠く星の空を見上げて腕枕を作り横になる。近くが森の為か、瑞々しい風が通り抜けて行く。痛む体も疲れた心もどこか遠くまで運んでくれそうな、そんな風。
 その風が途切れる前に、マールは風に紛れるように、でも紛れきれないような声で呟いた。


「私は、クロノにそう言われたいよ」


さあ、と風は遠く彼方へ。五メートルも離れていないルッカとキーノの声がぽつぽつと消えていく。マールの声以外の音をパズルに例えるなら、そのパズルはボロボロとゆるやかに、確実に崩れ落ちて、零に変わる。


 俺が今ここで何を言えば言いか。
 洒落た言葉は似合わない。きっと彼女には煌びやかな宝石なんて似合わないのと同じ理屈。
 誤魔化すべきじゃないし、その必要もない。きっと彼女には化粧で誰かを騙す必要がないのと同じ帰結。
 だから俺は単純に、こう言うべきなんだ。


「……ご主人様は男相手だ。女のマールをなんて呼べば良い?」


――なんて呼んで欲しい?


「そうだなあ、じゃあ……」


――王女様じゃなくて……


「……分かった。必ず呼ぶよ」


 いつのまにか痛んだ体は軽く、飛べば空にも届きそうな気分。もしかしたら、これが幸せなのかもしれない。
 原始の夜は暗く、少し先も見えない闇の中。伸ばした手は除けねど、響く声は遥か、遥か。
 いつ呼ぼう? 明日だろうか一年後? 死んでからでは勿体無いし契約不履行は寝覚めが悪い。末期の時では遅すぎる。何より我慢が出来そうもない。だって今この瞬間にも叫びだしたいのだから。
 小さく息を吸って、準備が整う。大声である必要はない。過剰に彼女の顔を赤く染めるのは、面白そうだけどそのままの彼女が一番美しいのだから。
 さあほら、彼女の顔を見て、瞳を除いてそこに自分がいるのなら、臆すことはない。魔法の言葉が降り注ぐ。


――愛してるよ、マール…………











 反省点・キャラも違うし荒が目立つしテンポはぐだぐだなによりしょうもない。つまりは全部。
 予め言っておきますが、こんなサブイボたつような展開は本編では書きません。途中から没だな、と確信したので調子こいてラブストーリーを添えてみました。薄っぺらいったらありゃしない。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:03
 ドリストーンをボッシュに渡したところ、これならばグランドリオンを修復できるわいという言葉を聞いて胸を撫で下ろす。ここまでやっといて「無理だよー出来るわけないよー」と言われたら惨殺空間に招待しなければならなかった。斬刑に処す。


 ボッシュが折れたグランドリオンとドリストーンを持って階段を下りていくのを見たルッカが私も手伝うわ! と意気込み、助手を名乗り出た。マールは私は寝るー、と勝手にソファに潜り込む。俺は近くに落ちてた週刊誌を手に椅子に座って作業が終わるのを待つことにした。ロボは時の最果てに叩き込んだ。恐慌状態のあいつと一緒にいては体がもたない。未来の巨大ロボの戦闘から、俺が負った怪我らしい怪我はロボやルッカなど、仲間から与えられているという事実はもう少し省みるべき事態なのかもしれない。


「へー……やっぱりあの女優枕営業してたんだな。まあ実力の割りに舞台への露出が多いとは思ってたけど……」


 芸能欄のスクープを見ながら独り言。これは俺が旅に出る前に好んでいた、数少ない趣味だ。今この瞬間だけは俺だけの空間を造ることが出来るから。


 それから三冊の週刊誌を読了した所で徹夜したことが響き俺も椅子に深く体を落として目を閉じた。溜まっていた疲れが程よく睡眠を促してくれる。うむ、ボッシュのじいさん、結構良い椅子じゃないか。心地良いぞ。


 地下から聞こえるルッカとボッシュの声が耳障りだが、次第にその物音も薄れていった……




「待たせたの。見るが良い! これこそが、グランドリオン……」


「……寝てるわね。私たちがこんなに苦労してグランドリオンを再生させたっていうのに」


 俺とマールが寝息を立てているのを見た二人が、八つ当たりという名の制裁を加えたことに俺とマールはいつかやってやろうぜ、と復讐を企てた。だからマッドサイエンティストって奴は嫌いなんだ。完成したものはすぐ誰かに見せたがる。


 ボディパンチ二回を叩き込まれた俺と服の中にロックアイスを入れられて強制覚醒させられたマールは不機嫌! どん底! 低血圧! な状態でボッシュの家を後にした。でもまあ、俺は艶かしいマールの慌てた声が聞けたので満更でもない。


 一度時の最果てに着いた俺たちはロボに見つからないようそのまま中世へ。これ以上無為な時間を過ごしている場合ではない。こうしている間にもあの変態はちゃくちゃくと王妃観察日記なんかを更新しているに違いないのだから。
 中世の地理はほとんど網羅しているので迷うことなくカエルの家に着くことができた。寝ていないルッカの為に宿屋で一泊してからにしようかとも思ったが、どうせならカエルの家で寝たほうが無料でお得だという結論に。少し足早に歩を進めていく。


「また、お前達か……何の用だ? 俺の王妃観察日記は絶対に見せてやらんぞ」


「ほんまに書いとったんかい」


 カエルの家に入るや否や不愉快な事実を聞かされちょっとナイーブになる。こんな奴が使う武器の為に俺たちは色々奔走する羽目になったとは。鬱の兆候すら見えてくる。


 警戒心を見せるカエルだったが、ルッカの持っているグランドリオンを目に入れた途端、顔色が変わり飲んだくれの表情から一変、目を大きく開け口を小さく震えさせた。


「まさか、その剣は……グランドリオン……!? ……少し考えさせてくれ。今夜はここで休むといい……」


 ベッドの上に散らばっていたものをテーブルの上に持って行き、何かを考え出したカエルはそのまま動かなくなった。
 冬眠準備か? と聞いても反応が無かったのですごすごと言われたとおりに寝ることにする。今回はロボをメンバーに入れてないので俺が床で寝ることに。ルッカが「よよよよ良かったらわっ、私のべべべ、でいいいっしょに、ねりねりねり」と壊れかけのレディオのような音を発していたので合掌してやる。科学者というのは脳の破裂というリスクを背負っているものらしい。頭が壊れた幼馴染を哀れに思って就寝。 






「行ってしまうのですね。サイラス……」


 それは、過去のこと。まだガルディアが魔王軍と対等とは言わずとも、完全な劣勢とは言えない程度に戦いを繰り広げていた、世間ではまだ記憶に新しい程の。俺にとっては、遥か、遥か昔のこと。
 我が友、サイラスと俺が遠征に出る際の記憶。心配を露にする王妃と、城の大広間での会話。
 それは、俺が生死を賭けた戦いにも慣れてきた頃だった。


「ええ。 そろそろ誰かがゴールデンフロッグのヤツからあのバッジを奪い返してもよいころかと……それに伝説の剣とやらもこの目で確かめてみたい……」


 サイラスは不敵に、それでいて王妃を安心させようと優しく笑った。
 それでもまだ不安だった王妃はもう二、三声を掛けようとするが、それを隣に立つ王が止めて、サイラスに声を掛けた。


「サイラスよ、お前はこの国にとって必要な男……また、私とリーネにとってもかけがえのない友人だ。きっと、戻って来るのだぞ」


「命あるかぎり、必ず。たとえこの身に、何があろうとも……それでは、これにて……」


 敬意の姿勢をとっていたサイラスは立ち上がり、身を翻して大門に向かう。通路の左右に並んでいた兵士達が敬礼をしながら、はっきりとした声で合唱のように言葉を合わせながら、その背中を押していく。


「サイラス様!!


「我等、王国騎士団一同! みな団長の旅のご無事を祈っております……!!」


「……お前達。……後の事は、頼んだぞ」


 顔を伏せながら、別れを惜しみつつ、サイラスは兵士達の間を通り過ぎた。


「待たせたな。さあ、行くとするか」


 門に背中を預けてそれらを見守っていた俺にサイラスが出発を告げる。


「グレン! あなたも気をつけてね」


「王妃様も、どうかお元気で……」


 追ってきた王妃に崩れた敬礼を示し、俺たちは城を出た……




「この勇者バッジが欲しくば力ずくで取ってみよ、王国の騎士!! グギャギャギャ……!!」


「むろん、そうさせてもらう。行くぞ、G・フロッグ! ニルヴァーナ・スラーッシュ!」


 ガルディアの広大な森、その三分の二を支配下に置いていたG・フロッグを見つける為、俺たちは五十を越える魔物たちを切り払い、その親玉を見つけることが出来た。その支配力や進行速度は目を見張るものがあったものの、G・フロッグ本体に力は無く、サイラスの刺突を一度当てただけで致命傷を与えることが出来た。


「ハギャーッ……!!! や……、や……やりやがったな、このヤロー! なんでい、こんなバッジ! お、覚えてやがれよ、チクショーめ!」


 あからさまな捨て台詞を残してG・フロッグは暗闇の向こうに姿を消した。
 突出した力が無いとは言え、仮にも魔物を束ねるG・フロッグを一撃で退けたサイラスに俺は尊敬を隠し切れなかった。いつか、こんな男になりたいという思いと、いつまでも追いつけはしないという諦観が交じり合っていた…………






「うわっ!?」


「危ない、グレン!!」


 勇者バッジを取り返し、伝説の剣、グランドリオンを手に入れた俺たちは、デナトロ山を舞台に魔王との決戦を挑むこととなった。
 立ちはだかる魔物を一刀の下に切り伏せ、かすり傷すら負わないサイラスを見ていた俺は確信していた。魔王ですら、いや、それを越える化け物がいたところでサイラスが負けるはずは無いと。
 ……そして、確信は妄信だったと知る。


 山の頂上には魔王とビネガーの二人が立っていた。
 ビネガーは俺が抑え、魔王はサイラスが相手をしていたのだが……結果は、火を見るより明らかだったように思える。
 魔王は火を、水を、氷を、雷を、死を操りサイラスを近づけさせない。ビネガーは奇怪な魔法を駆使して俺を相手にすることすらなかった。
 そして、俺の体がふらついた所で、魔王が俺に向け高密度の魔法を放ったのだ。
 形相が変わったサイラスは全力でその魔法を受け止めた……だが。


「サイラス! 剣が……!? グランドリオンが……!!」


 人々の希望が、魔を断ち切る光の刃が、半ばから、半分に……


「ギャハハハ、どうしたあ、もう終わりなのかあ? 伝説の剣が折れてしまっては、手も足も出まいがあ!!」


 ビネガーの不快な笑い声が山彦となって山を支配する。その声を聞いただろう山の麓にいる騎士団から悲鳴と混乱の声が。


「クッ、まだだ……!」


「サ、サイラス……俺は、もう……」


 いまだ闘志の折れないサイラスと違って、俺はもう限界だった。血も、体力も、心も……全てを失い、いまや立つことすら困難となっていた。


「聞け、グレン。俺がヤツらの足を止める。その隙にお前だけでも逃げろ」


 俺の状態を察したサイラスは俺の方を掴んで勇気付けるように力強く言い聞かせた。


「し、しかし……!」


「このままでは、二人ともやられる……。行くんだ、グレン」


「余裕だな、サイラスとやら。人の心配などしている場合か……?」


 何処までも高みから聞こえる魔王の声。赤い瞳は、俺たちの命そのものを狙い定め、犬歯を剥き出しに、静かに威嚇を行っていた。


「いいか、グレン。行くぞ!! うおお……ッ!」


「……命を賭けて、その程度か」


 サイラスの必死の特攻も、魔王の手が一振りされることで巻き起こる爆発に行く手を阻まれ、体を地面に叩きつけられた。
 サイラスの体は胴体の右半分が吹き飛ばされ、右足は膝から下が滝底へ消えていった……


「サ、サイラスーッ!」


「に……、逃げろ……グレン……王妃を……リ、リーネ様のことを……たの………………」


「サ……、サイラス!? サイラスーッ!!」


「フン、どうした……。貴様は来ないのか?」


「くッ……!」


 自分では、魔王を睨み殺すような顔をするつもりだった。……しかし、声は振るえ、涙が途方も無くあふれ出る。胃液が喉まで逆流して、鼻水も汗も、狂ったかのように垂れ流していただろう。そして、多分、俺の顔に浮かんでいたのは、懇願。殺さないで、と言葉にせずとも明白な表情だったに違いない。


「ギョヘヘ……。ヘビににらまれたカエルってとこだな。若造。魔王様、どうです? この腰抜けを、似合いの姿に変えてやるってのは?」


「フッ、よかろう……。我が前に立ちはだかる者は一人残らず消す」


「!! う……、うわーッ!!」


 魔王たちが何を話していたのかは知らない。けれど、魔王がサイラスを屠った時の様に右手を払った動作を見せたときには、自分の体の変調に気がついた。


(熱い! 体中が熱い! 油をかけられて火を付けられたみたいだ! 息が出来ない! 腕が、足が細く、顔が盛り上がるのが分かる!)


「ぐあああああ……ッ!!」


「ギャーハハハハ……! いーくじなしの虫ケラめがあ……!」


 目の前が見えなくなった俺は、崖下に落ちて気を失った……俺と一緒に、勇者バッジが落ちてくるのを、感じながら。








「あれから、もう10年にもなるか……やれるか……この俺に……? サイラス……」


 夜は更けて、森の生き物達も活動を止めた深夜。聞こえるのは、カエルが洩らす悔恨と後悔の歴史。
 ……とても良いシーンなんだ。多分泣き所なんだ。ただ……


「地の文まで喋るなよ、感情付けてよぉ……」


 俺が寝る寸前にカエルは一人芝居のように体を動かしてその時の事を再現するように、事細かに説明をつけて過去に浸りだしたのだ。どっすんばったん動くだけでなく、「この時! 思いもよらぬことが起きたのだ!」とか時々芝居がかったでっけえ声を出すから寝るに寝れねえ、悲しむに悲しめねえときたものだ。
 この一人劇団のせいで俺だけでなくマールやルッカも苛立たしそうに歯を鳴らしている。最初は悲しげにカエルの話を聞いていたマールも、寝かせろゴラァなオーラを出している。
 ついでに気になったのだが、こいつサイラスとかいう男の名前を出す時だけいやに優しい声になる。まさかとは思うが、この化け物一丁前に両刀ということは無いだろうな? もしそうなら俺は今すぐこの家を出て実家に引きこもる構えだ。もう世界を信じられない。


「……そうだ。忘れる所だった。サイラスがグランドリオンを手にした後、麓の村での出来事だ。門をくぐり、子供達が不安げな顔をしていることに目を付けたサイラスはおもむろに近寄り、何事か理由を聞き出した。そう、あいつは騎士団長、王国最強の男だというのに決して民の不安を見逃さない男だ……話を戻そう。そこで子供達はある恐るべき秘密を打ち明けてくれたのだ。そう! まさにそれこそかの大事件の始まり……!!」


「うるせぇーー!!! ノロケも大概にしろっ!!」


 振りぬいた拳がカエルの柔らかい横顔を貫き食料保存用の樽まで飛ばし、近くの家具を半壊させた。過去を思い出して己を奮い立たせるのは良いが、一々口に出さないと思い出せないのかあいつは。ことある設定一つ一つが他人に迷惑をかける。
 ちなみに、さっき乱暴な言葉を吐きながら乱暴にカエルを殴ったのは、マールだ。……ノロケ?


 沈黙したカエルを見て、俺とルッカは起き上がり勇気ある行動をしたマールを称えてサムズアップ。えへへ、と照れるマールが可愛らしいやら愛らしい。
 今度こそ、静寂の中俺たちは楽しい夢を見る……








「起きろ、クロノ」


 昨夜、遅くまで起こされていたせいで全く眠気の覚めない俺を、カエルが体を揺さぶって起床を進める。なんでこいつが一番最初に起きてるんだよ。両生類に睡眠は不要なのか?


「俺にどこまでやれるのかわからないが……行ってみよう、魔王城へ……」


 なんだか知らんが吹っ切れた御様子のカエルさん。シリアスな顔をしていても右頬がぽっくり腫れているので様にならない。なるわけが無い。


「奴は強いぞ……。覚悟は良いか……?」


 だるい体を起こして、大きなあくびを一つ。頭を掻きながら、カエルの清涼そうな顔を見て、ため息混じりに


「そんなもん、無くても勝つときゃ勝つんだよ」


 カエルは数瞬の後に、腹を抱えて笑い出した。
 天井から差す光が、グランドリオンの鞘を照らしていた。






 カエルの覇気も戻り、いざ魔王城という時にまたもカエルの馬鹿がおかしな事を言い出した。「お前達に、魔王に挑めるほどの力があるのか試させてもらう」とかのたまったのだ。さっきまで一緒に行こうぜ、相棒。みたいなノリだったのにこの掌の返しよう。驚いてセルライトが溜まりそうな予感がする。
 当然俺とルッカ、マールはふざけんな化け物と盛大な罵倒をぶつけるが、カエルは泣きそうになりながらも自分の意思を変えなかった。


「仕方ねぇ……分かったよ。俺がお前と打ち合って合格点をもらえりゃ文句無いだろ?」


「ああ、ここはお前が来ると思ってたぞ、クロノ」


「本当、お前は王妃様以外では硬派な奴だよ、面倒くさいことにな」


 全員が了承した所で、マールとルッカの声援を受けながら二人でカエルの家を出る。その途中、ふと思い出した俺がカエルの背中に声を掛けた。


「よく考えたらさ、お前が勝てば俺たちはどうなるんだ?」


「知れたこと、あまりにふがいない結果であれば、俺は一人で魔王城に行く。足手まといはいらん」


 無機質な声で突っぱねるカエルに少々イラッときた。どこまで上から目線だ、こいつ。俺は見下されることがすっげえ嫌いなんだよ、男には。


「ふーん、じゃあ俺が勝てばどうなるんだ? まさか魔王城に一緒に行くだけじゃないよな? それじゃあ割に合わない」


 カエルは鼻で笑って、「もし俺が負ければなんでもしてやるよ」と絶対の自信を含ませて宣言した。


「……分かった。じゃあ俺が勝てば……そうだな、お前の姿が人間に戻った次の日の朝、俺が目覚めた時、メイド服を着て『おはようございますご主人たまぁ!』とでかい声で言ってもらおうか。勿論それはルッカのビデオで撮影させてもらおう」


 俺の勝利賞品を聞いて前を歩いていたカエルは昔の漫画みたくすっ転んだ。手を前に出して。擬音は『どひゃー』って感じで。


「お前……ほんっとうにそれが見たいか!? いや、そもそも何でメイド服なんか持ってる!?」


「いやあ、多分カエルが一番嫌がりそうなことだと思ったから……入手ルートはロボが着せられてたのを強奪した」


 絶対に負けられん……と呟いているカエルは無視して、周りに障害物の無い程よい広場に着く。そこでお互い四歩分の距離をとり、礼をして剣を構えた瞬間、俺は手を上げてこの決闘を中断させる。気を削がれたカエルは不機嫌な顔を作って「どうした?」と尋ねた。


「よく考えたら、お前は伝説の剣、グランドリオンを使うわけだろ? そりゃあ卑怯だ。武器の差で負けちまう。お前の家に木刀とか無いのか? お互いそれを得物に戦えばフェアな勝負ができるだろ?」


「……まあ、そうだな。悪かった、二本くらいなら家に置いてあるはずだ。ちょっと待ってろ」


 カエルが剣を鞘にしまい、俺に背を向ける。そう、勝負相手である俺に。


「……………」


「ああ、確か脇差形の木刀と長刀形の木刀があるんだが、クロノはどっちを……!」


 至極どうでもいい理由で俺の方を向いたカエルは、俺の体から放たれる電気に目を見開いた。バチバチと爆ぜる電流が発光し、落ち葉を砕く。ありがとうカエル、お前が人を信用する性格で良かった。


「はじけ飛べ! サンダー!!」


 伝説の剣を持つ英雄と、未来を救おうとする一般人の勝負は一分と経たずその幕を閉じた。
 プスプスと地味に良い香りを放つカエルに近づくと「キ……サ……マ……」とあれ? 怒ってるの? ねえねえ怒ってるの? な声を出していたが、気にせず引きずって移動することになった。あるよねー、こういうこと。





「認めん」


 当然なのか、カエルはさっきの勝負結果に不満があったようで、一緒に魔王城に乗り込むのは良いにせよ(俺の魔法は魔物に有効であると悟ったか)メイド服着衣の刑だけは納得いかないと駄々をこねだした。
 正直、野郎のメイド姿なんかつま先分も見たくは無いので「まあ、どうでもいいよ」と返した瞬間のカエルの笑顔はピカイチだった。その後ルッカの放った「あら、勇者ともあろう御方が約束を破るなんて、王妃様に報告しなくちゃ」という言葉の弾丸に沈んだ時のカエルの表情はさながら真実を知ったときのジュリエット。この旅の溜飲をおおいに下げてくれた。
 涙と鼻水を流し、苦痛では生ぬるい、恥辱では到底辿り着けない悔恨の果てにカエルは俺との約束を行うことを約束した。本当に、どうでもいい1コマ。


 それから、魔王城に向かう前にカエルを時の最果てに連れて行くことにした。スペッキオから魔法を授けてもらえるかもしれないというルッカの提案に俺たちは勿論、カエル自身も「その魔法があればクロノを……行こうか」という不穏な発言の元了承した。この旅が始まってから、俺は敵を作ってばかりな気がする。
 


 それから、一度マールを仲間から外し俺、ルッカ、カエルのメンバーで時の最果てに向かい、カエルは見事水の魔法、ウォーターを覚えることに成功する。これは過去、ヘケランと戦ったとき、ヘケランが使用した魔法。高密度の空気を閉じ込めた泡を相手にぶつける事で、空気の衝撃と、その衝撃により弾丸と化した水滴で攻撃するえげつない技だ。
 数回の練習を経て使いこなせるようになったカエルは度々「なあクロノ、練習相手になってくれないか」と誘いかけてきたのはうざったかった。冷静に考えて、魔法が使えるようになったカエルと俺が勝負すれば、隙をついたところで勝てるわけが無いのだ。例えるならフリ○ダムとザ○レロくらいの差がある。
 幾度と無く断っても「クロノ勝負だ勝負。右腕一本くらいなら貰っても構わんのだろう?」と勝つ負けるの次元ではない話をするので怖いやらなんやら。


 さて、カエルの復讐紛いの決闘を断り続けて、ようやく本題。どのパーティーで魔王城に挑むか?
 皆示し合わせたように俺は前線に出ろとか言い出したので、俺が行くのは決定。ほんと、いい加減にしてほしい。戦闘面でのパラメーターを見れば俺が一番弱いのは誰の眼にも明らかだというのに。多分。
 勿論カエルも出撃。魔王に挑むのに、勇者が補欠とか笑えないし。残る一人を誰にするか、それが問題。
 

 まずロボは除外。魔法が使えないのは魔王城で戦うのに致命的だとカエルが教えてくれた。
 続いてマール。回復なら随一の彼女だが、回復魔法はカエルも使えるとのことで保留。
 そしてルッカ。攻撃魔法のスペシャリスト。魔法攻撃に欠ける俺とカエルにルッカを入れるのは最適なパーティーになると思われた。が。


「嫌です! 今度こそ絶対僕が出ます! 冷静に考えて、僕クロノさんたちに会ってからほとんど戦ってません! なにより魔王が相手なのに運命に選ばれた籠戦士(デスペニア・リドゥナメルト)である僕が戦わないなどトロイの木馬の焼き回し、デロイカの蓋がもげましょうに!」


 ロボがとち狂いだしたので、話がまとまらず途中交代させるぞ、という条件付で魔王城攻略のスタメンが決まった。俺、カエル、ロボである。戦略も何もあったもんじゃねえ。


「……勝てるかしら?」


「ルッカ。それに対する答えは『勝てるだろう』というあやふやなものしか返せない。後、不安げに言うな」


 俺とルッカが、喚くロボを宥めるカエルを見ながらため息をついてはんなりと洩らした。







 魔王城に続く道、魔岩窟。グランドリオンのあったデナトロ山を海沿いに東に進むと、小山程度の岩山がある。町の人々の噂やカエルの話ではそこが魔王城に繋がる唯一の道だとか。
 しかし、そこまでの道中、まして魔岩窟に着いてからも魔王らしき姿はおろか、魔物の一匹も現れない。ロボと俺でカエルを不審げに見ると、カエルは瞑目して、何かを思い出していた。







「あれはまだ俺が子供の頃……」


「もういいよ面倒臭い。サイラス最高ーッ!! ってことだろ」


 またカエルの長ったらしい回想シーンが始まりそうだったので中断させる。カエルは一度不満げな顔をした後、何も無かったかのようにまた目を閉じて過去を思い浮かべだしたのでさらに中断させる。それを数回繰り返して、ロボがラジオ体操を始めた辺りで決着がついた。


「何故、俺の邪魔をするんだクロノ!」


「長いからだ。後、お前がサイラスの話を始めるとやたらと感情をこめて気持ちが悪いからだ。俺の中でお前はホモだという疑惑がひしひしと膨らんでいく」


「……ホモ? 何故俺がホモになる」


「悪かった。バイだったな、お前は」


「あの、まだその話は終わりませんか? そろそろ僕の右腕が疼いてきたんですが」


 ロボの声で不毛すぎる話しを終わらせる。それからロボ、腕が痛いなら内科に行け。


 一度咳払いをして、カエルが岩山に近づき、手を当てる。深呼吸を繰り返し、そこから三歩下がり、ゆったりと体の力を抜いた。
 強い風が吹き始め、その強さに俺とロボは目を覆う。ようやく風が止んだ時、目を開ければカエルは流れるようにグランドリオンの柄に手を伸ばしていた。
 抜刀の音はスラリと高く、されど力強く。剣自体が放つ光は闇の類を追い払う。それは沈むような、猛るような剣光。今まで見た事が無い美しい刀身はただただ銀。他の彩色は無く、寒気がするほど純粋な単色。剣の長さはおよそ一メートル半。それでも、振れば三里は届きそうな錯覚を覚える。
 ……これが、グランドリオン。魔王を貫く唯一の、剣。


「我が名は……」


 顔を落としたまま、か細く、消えるようにカエルが呟いた。
 数瞬後、何かを振り払うように強く上を向き、グランドリオンを天に突き立てる。


「我が名はグレン!」


 響く彼方。その声は中性的でありながら、太く、清らかに。


「サイラスの願いと志!」


 鍛えられた戦士の足は、再度去来する強風に揺るがない。数多の戦を潜り抜けたその腕は、握る剣と同化したが如く。


「そしてこのグランドリオン……」


 カエルの言葉に呼応するように、グランドリオンは千里先まで見えそうな光を、徐々に空へと伸ばしていく。


「今ここに受け継ぎ、魔王を討つ!」


 覚悟の声を機に、グランドリオンの光が、力が空を穿ち、雲を払う。発光が終わり、聖なる力を溜め込んだグランドリオンを、カエルはただ、愚直に、


「人間の未来を託せ、俺に、俺の仲間たちに!」


 振り下ろした。


「……魔岩窟が」


 ギギギ、と嫌な音を立てて、魔岩窟が割れていく。いや、斬られていく。岸壁から崩れた岩は無造作に落ちていけど、勇者の行く手を阻むまいと、カエルを避けるようにその破片を飛散させていく。
 ……そうか、今グランドリオンを鞘に入れて、堂々とその場に立っているアイツが。今まで馬鹿にしたり、でも剣の腕だけは認めたり、俺の頭を殴ったり、たまに撫で回したりした、アイツこそが。


「……勇者」


 俺の声が聞こえたのか、カエルは振り返って、口端を上げて親指で魔岩窟を指差す。そこには人間大の大きさの洞窟が見えた。


「行くぞ……伝説になろうじゃないか。俺たちでな」


「カッコイイ……」


 ロボが陶酔した顔で、ぼんやり声に出す。そりゃあ、少しは悔しいとか、かっこつけ過ぎだとかいう思いもあったけれど。


「……歴史の教科書に載るのか? 照れるなそりゃ」


 概ね、ロボと同じ感想だったから、文句もつけられなかったさ。








 魔岩窟に入った途端、様々なモンスターが俺たちに牙を剥いた。巨大な吸血蝙蝠や、魔王の僕と自称する怪力、硬い皮膚の化け物等、今までの俺たちなら苦戦は間違いない強敵ばかり……だが、それらの脅威をカエルはグランドリオンの一振りで捌いていった。
 カエルの腕前ならモンスターに避けさせることは無い。必中の剣技。受け止めることはグランドリオンが許さない。一度振れば全てを斬るまでその剣筋は止まらない。構えた腕や武器、防具をバターのように切り裂いていった。
 その間、俺とロボも何もしていなかったわけではない。ロボは巧みな動きで敵を翻弄し、時にはレーザーで相手の動きを止めてカエルの援護に回り、一対一なら自分ひとりでモンスターを沈めるといった活躍を見せた。
 俺も俺でカエルのウォーターで散らばった水に電撃を当てて敵グループを麻痺させる補助的な役割は出来た。時々カエルも感電させたのでぶん殴られたけど。俺、カエルのそういうところ嫌いだな。


「どうした、そろそろへばったかクロノ?」


 戦闘が終わり、息一つ乱さずカエルが問いかけてくる。……一番戦ってるのにその様子、勇者の名前は伊達じゃないな。
 かくいう俺もさして疲れた状態でもない。最近戦闘らしい戦闘はしてなかったのだが、もしかしたら原始でのキーノ達と遊び呆けたのが体力上昇に繋がったのかもしれない。それだけじゃなく、原始では走り回ったからな。あくまで、戦闘はこなしていないが。


「いや、まだまだいけるぜ。……しかし、まだ魔王城に着いていないって事を考えると少し気が重いけどさ」


「そうですね、僕も限界はまだまだ先ですが、場合によってはクロノさんに充電を頼むかもしれません」


「……痛いぞ? 良いのかロボ」


「……静電気くらいの力でお願いします」


 一体何時間かかるやら。


「……仲が良いな。お前達は」


 俺たちのじゃれあい? を見たカエルがどこか遠い目で俺たちをそう評する。まあ、そう長い間ではないとはいえ俺とロボは一緒に旅をしてきた仲間だ。ある程度気心が知れるのは当然だろう。


「……あの、そういえばカエルさんとサイラスさんも仲が良かったんですよね?」


 何故か沈みかけた空気を持ち上げるべく、ロボが明るく話題を提供した。
 ロボ、気持ちは有難いが、もう亡くなったサイラスさんのことを出すのはどうだろうか?
 俺の不安は必要なかったようで、悲しそうな雰囲気も無く、カエルはそうだな、と顎に手を当てて考え出した。


「俺とサイラスは小さい頃から幼馴染でな。といっても、少々年が離れていたから、俺はサイラスのことをどこかで兄のように慕っていた。サイラスも同じように振舞ってくれた」


「へえ、なんか、良いですね」


 なにやら話が弾みそうなので、俺も加わることにした。サイラスさんのことだからか、少し誇らしげなカエルに俺は質問を投げかける。


「幼馴染ってことは、生まれた時からサイラスさんと一緒にいたのか?」


「ああ、いや。初めて出会った時に、俺が近所の子供達に苛められていたのをサイラスが助けてくれたのがきっかけだ」


「え? カエルさん、苛められてたんですか!?」


「うむ。……俺の姿が人間の頃、俺の髪の色が緑色でな、当時、珍しい髪色だったことが原因でよく苛められた。俺が内向的で臆病だったことも理由の一つだがな」


「……聞けば聞くほど、今のカエルからは信じられないな……と、お前の本名はグレンだったか」


「いいさ、その名前は俺が人間の姿に戻ったとき呼んでくれ」


 破顔して言うカエルに、俺は分かった、と了承の意を告げる。
 だがまあ、カエルとサイラスさんの関係はおおよそ分かった。そんな出会いなら、少々度が過ぎた親愛の情が湧くのも理解が出来る。俺はもしかしたらコイツ、ニュータイプ(両刀使い)か!? な懸念事項が杞憂に終わったことで胸を撫で下ろした。
 しかし、そうなると俺の中で沸々と悪戯心が生まれてくる。ちょっと不謹慎だろうが、カエルの豪胆さや今の雰囲気なら言えるだろうと考えて、俺はにやにやしそうな顔を抑えて、カエルに声を掛けた。


「いやいや、それにしてもカエルは随分サイラスさんが好きだったんだな。……恋愛感情もあったのか?」


 当然否定するだろう。まずは牽制球。からかわれていると分かって、ネタ気味に肯定する可能性もあるが、その場合ならその場合で反応は決めてある。さっきの戦闘で、俺がカエルを誤って感電させた際に殴られたことは忘れない。今ここでその借りを返してやる。


「バッ! ……馬鹿を言うな! お、俺は戦士だっ! そのような不埒な考え……し、痴れ者めっ! 恥を知れ、恥をっ!」


「…………」


 俺の牽制球をカエルさんたらまさかのホームラン。ドームの天井を突き破り大気圏突入。回収不可能。その勢いはロンギ○ス。もしくはマス○ライバー。照れながら否定とか、俺のシナリオには無かったぞゲンド○。


 やおらロボに向き直った俺は真摯な声で話しかける。


「良いか、ロボ。カエルに背を向けるなよ。勿論二人きりになるなんて言語道断だ。便秘知らずになりたくなければモンスターよりもカエルに注意を配れ。目先の敵より背後の変態。はい、復唱」


 ほええ? と疑問顔を浮かべるロボに俺は後悔する。何故、こんな二刀流がいるパーティーにロボというその道の人からすれば垂涎ものの食材を入れてしまったのか、と。
 お前は、俺が守る!


「おいクロノ、何か不穏な言葉が聞こえるんだが、もしかしてお前、俺が変態と思っていないか?」


 危険察知教育を施している俺の肩に、カエルが手を置いてきた。……この変態野郎、まさかターゲットは俺なのか? ふざけるな、俺は童貞の前に貞操を散らす気なんざさらさら無え。
 カエルの手を振り払い、驚いているカエルを見ながら剣の柄に手を置く。


「触れるな下種、これからお前は俺の背後に回るな、半径十メートル以内に近づくな、息を吸うな、むしろ死ね」


「……お前、何か勘違いしてないか? というかブッチギリに失礼な想像をしてるだろう?」


「そうですよクロノさん。カエルさんは……」


「ロボ、お前はまだ若いからそういう考え事態できないだろうが、世の中には病気を持つ人間が吐いて捨てる程いるんだ。お前には純粋でいて欲しかったが……あいつは女の胸でもまた男の尻でも興奮できるある種この世の全ての強欲を潜めた変態野郎、生きる価値の無いミュータントであり、」


「そうかクロノ、貴様、死にたいんだな」


 俺の言葉が終わる前にカエルがグランドリオンを抜く音が聞こえた。こいつ……! まさかこの場で俺たちを手篭めにする気か!?


「力づくとはな……読めたぜ、お前の狙い。お前は魔王討伐なんて二の次、本当の狙いは俺とロボの体だったんだな! 真の魔王はテメェだ! この排泄物が!」


 緑色の肌が真っ赤に染まり、カエルの表情が怒りから笑顔に変貌していく。本性現したってとこか。良いぜ、例え勝つ見込みが無くても、俺には男として生まれた義務がある。神様は不毛な生殖行動を取らせるべく俺を男に産ませたんじゃねえんだ!


「残念だよクロノ、お前とは良い友達になれるかもしれないと思ってたんだが……流石にそこまで無礼な言動を取られると、元ガルディア騎士団として放置するわけにはいかない」


「お友達だと? おホモ達の間違いだろうがっ!」


 かくして、俺とカエルの貞操を賭けたアルマゲドンが勃発した。力量の差はあれど、俺は良く健闘したと思う。一時間もすれば俺は舌を噛み切るだろうが、天国で俺は自信満々に言い放つ。俺は闘った、足掻いた、最後の瞬間まで俺は自分を捨てなかった、曲げなかった、と。




「はあ、はあ、どうだクロノ、いい加減観念したか? 今謝れば、この剣を引いてやってもいいぞ?」


 倒れた俺に剣の切っ先を向けたカエルが、今まで乱さなかった呼吸を荒く変えて、俺に降伏勧告を告げた。……満足だ。あの勇者サマにここまでてこずらせたんだ。ただの一市民に過ぎない俺が。……快挙じゃないか。


「……もう、俺が思い残すことは無い……」


 きっと、今の俺は儚く見えるだろう。死ぬ覚悟は出来た。さあ、ロボ。出来るならお前の手で俺を焼き払ってくれ……


「いや、何故そこまで思いつめる!?」


「あの、カエルさん。多分クロノさんは思い違いをしてるんじゃないかと……」


 そういって、カエルとロボはボソボソと話を始めた。やめなさいロボ、感染りますよ。マスクと防護服を着用しないと危ないんだから。
 薄ぼんやりした視界の中、カエルが「そういうことか」と納得し、ロボが俺にケアルビームを当てた。まあ、斬られた所はないし、俺が勝手に転んだり壁にぶつかったりしただけだからダメージらしいダメージは無いんだが。


 起き上がって、転んだときに打った肩を回して完治していることを確かめている俺にカエルが近づいてきた。正直、俺の顔は引きつっていたと思う。


「な……なんだよ」


「……お前、何か勘違いしてるらしいから、一応言っておく。本当は人に話すつもりはないんだが、お前は命を預ける仲間だし、そういう勘違いで連携が狂わされるのもたまらんからな」


 長い前置きの後、カエルはあー、とどう話すべきか迷った様子で、首を傾げていた。が、少し紅潮した顔で、カエルは俺の顔を見て口を開く。


「何で、俺が男だと思った?」


「……ええ?」


「まあ、言動がそれらしい……というか、そうしてるから仕方は無いんだが」


──過去、二度目のカエルの家に行った際。
 カエルが留守だった。その時、写真を見つけた記憶が蘇る。確か、マールがその写真についてしつこく何かを話そうとしていた覚えがあった。『え、じゃあこの人が?』という台詞を記憶の奥底から引きずり出す。
 ……思い出せ、あの時の写真には何が写っていた? マールは誰を見つけた?
 ……写真には騎士団のごつごつとした甲冑を装備して、兜を外したえらくハンサムな男が写っていた。間違いない。それは覚えている。えらく迫力のある男だった。写真でありながら、見るものを寄せ付ける魅力があった。最初、俺はそいつがカエルの本来の姿だと確信したのだから。だから、つまらなくなった俺は碌に見ずに写真を手放したのだ。
 それでも、一度は全体図を見たはずだ。そこにはそのサイラスさん以外に誰がいた? 誰かがいたのだ。
 ……それは、サイラスさんの大きな体の後ろに隠れるように、顔は思い出せないが……そうだ、王妃救出の際にカエルの後ろに見えた幻影、長い、緑の、髪の……


 思い出せば、昨夜、マールはカエルのサイラスさんへの思いをこめた回想を聞いて、ノロケるなと叫んだ。気にしていなかったけれど、マールの写真を見たときの様子を考えれば、その表現が出るのは妥当と言えるだろう。修道院での戦いで、蛙嫌いのルッカがカエルを頼りにしていたのは、本能で悟った同性への安心感があったのか。ロボは機械だからか、マールから真相を聞いたのか、俺がたどり着いた答えを持っていたように見える。
 ……などと、こじつけの様な理由を幾つも思い出してみたものの……


「……お前、王妃様のことが好きだよな?」


「勿論だ、古今東西、俺の王妃様への愛を上回るものは無いと断言できる」


 ……この王妃様への重すぎる偏執的な愛。
 ……誰が分かるんだ、そんな隠し設定。ふざけるな……


「……そうか、お前は、ホモじゃなくて……」


「レズなんですよ、クロノさん」


 俺の言いたいことを先に口にしてくれたロボに、小さな感謝を。そして、カエルの正体に気づいた俺は、立ち上がって、カエルを見据えた。


「誤解は解けたか?」


 息を大きく吸って、丹田に力をこめて、足を踏み出し、右手を腰に引き上体を半回転させて……


「どっちにしても変態じゃねえかーっ!!!」


 頭を吹き飛ばすつもりで撃ったパンチは、今までに無く柔らかいカエルの顔を変形させて、きりもみ回転させた。
 ……そういうことは初対面で言えよ、ボケが! という想い。それに次いで女性であろうがなんだろうがぶっ飛ばすことに躊躇いが無い俺は良い男に違いないという自負が生まれた。ああ、女性じゃなくて、メスだな。







 星は夢を見る必要は無い
 第十八話 ファリス展開は好きじゃない







 顔が変形したカエルから怨念の篭った目で見られつつ、俺たちは魔岩窟を後にした。出口付近でガルディア兵士の死体を見つけた俺たちは土葬しようとするカエルを止めて、近づく無いように外に出た。妙な騎士団精神は鬱陶しいだけなのだ。それでなくても俺はまだ若い身空なので、人の死体なんて見たくないし近づきたくない。ゼナン橋でのことはトラウマである。アリスドームの死体も。


「おいクロノ。別に俺は男が女を殴った、なんて事で怒ってるわけじゃない。生物学的に女なだけで、俺は自分を男だと思ってる。ただな、お前が俺を変態と断じたのは納得いかん。俺の王妃様への愛は純粋で澄み切っている。決して変態とかそんな言葉で括れるものではない崇高な」


 一騒動終えた後思い出したように後ろからナチュラルな変態が不躾にも人間様である俺にいちゃもんをつけてきた。人語を解するならば礼儀は知っておくべきだろうに。


「良いから黙れよ。お前がどう思おうが俺はお前を女扱いする気はないし人間扱いする気もない」


「後半が不満だな。せめてホモサピエンスとして扱え。これは命令だ」


 せつない命令もあったもんだ、とは口に出さず、遠くに見える城へサクサク歩き続ける。後ろで「ロボ、何故クロノが怒ってるんだ? 俺が怒るべきじゃないか?」と相談しているのがイラつく。女らしくは無いが男らしくも無いあいつの態度は非常に癇に障る。どっちつかずは嫌われるというが、正しくその通りだ。


「うーん、多分クロノさんは照れてるんですよ。カエルさんが女の人だと知ってどう対応していいか分からないんです」


「そうか、困ったな。男所帯の騎士団にいた頃から、そういったトラブルを避ける為にも、男として生きてきたんだが……」


「大丈夫です。最初はクロノさんも僕に冷たかったですけど、どんどん優しくなって、今ではベッドで一緒に寝ても怒らなくなりました」


 ……我慢だ。無視しろ。どんなツンデレだよ! お前と一緒に寝たことなんか一度も無い! と突っ込みたいし、カエルがメスでもオスでも気持ち悪いのは同じだし目に見える違いは無えと言いたいが、それではまたさっきのように無駄な体力を使いそうで怖い。目と鼻の先に魔王城があるのだ、こんなところで時間を浪費したくない。


「なに? クロノはお前と寝所を供にしているのか?」


「はい。クロノさんが夜一人で寝るのは怖いと言うものですから。ようやくデレてきたんです」


 素数と足音と星の数を数えながら心頭滅却して歩き続ける。両手の爪が割れそうなほど拳を握り締めているのは、昂ぶる気持ちを抑える為だ、と自分に言い聞かせて。


「そうか……おい、クロノ」


「…………なんだよ」


 少し離れた距離を埋めるべく走って近づいてきたカエルがそっと俺に耳打ちをする。


「ペドは良くないぞ。人の性癖をどうこう言う気は無いが、お前はまだ若すぎる」


「テメェが俺を変態呼ばわりするのかぁぁ!!」


 結局、俺たちが魔王城に訪れるのは三十分後となった。
 そのうち二十五分は嘘をついたロボをしばき倒した時間とロボが泣き止むまでの時間だった。下手に手を出せば面倒くさいロボ。ああ、俺こいつのこと嫌いかもしんない。気心なんか知れてないよ。




────魔王城。
 その姿は何者からも孤立して、しかし他の風景を圧倒、屈服させ、見るものに嫌悪感を植えつけるも目を話させない魔力を作り出していた。
 蝙蝠が窓にへばり付き、遠くから狼の遠吠えが聴こえる。辺りの土は黒化して、近くの木々は苦痛を耐えるように捻じ曲がり禍々しさを二乗させる。手入れなど微塵も感じさせない赤茶けた壁はされども老化など無く、頑強な作りとなって来訪者に圧迫感を見せ付ける。屋上の時計台のような柱の天辺には竜を模した彫像が不気味さと荘厳さを演出する。


「これが、魔王城だ……!」


 カエルのやや緊張した声を聞いて唾を飲む。萎縮する体を動かして俺は城門を開ける。呻きのような音を立てて扉はゆっくりと開かれる。まるで、俺たちを食べる為の口のように。思わず上下に視線をやりそこに牙や涎が垂れてこないか確認をしてしまう。当然、そこには床と木で出来た枠しか無く、有りもしない想像なのに安堵を感じてしまう。勝手に緊張して、勝手に安心する。馬鹿みたいだ、と自分を笑う余裕は、今の俺には無かった。





 中に入ると、一人でに扉は閉ざされた。あながち、口と表現したのは間違いじゃないのかも、と思った。なるほど、俺たちは今化け物の口の中に入ったのだ。魑魅魍魎、不可思議現象、それら全てが内包された魔の国に。そりゃあそうだ、今この場所は魔王城。世界で最も恐ろしく危険な場所なのだから。


 魔王城の中は想像よりも暗かった。大広間にある階段の上の大きな窓から漏れる月明かりでかろうじて物の判別が可能な程度である。床には魔王城には不似合いな高級な赤い絨毯が敷かれて、天井のシャンデリアは時折揺れて不快な音を出す。入り口から階段まで等間隔に置かれている燭台には蝋燭が置かれているが、今は一つとして火が灯っていない。


「一度ルッカを呼んで明かりをつけてもらうか?」


「いや、あまり近くの物に手をつけるべきじゃない。何が起こるか分からんからな」


「そ、そうか……」


 さっきまでボケた会話をしていたカエルと全く違う様子に戸惑う。ロボもいつもより緊迫した様子で辺りに気を配っている。


「お前達、これだけは覚えておけ。今から俺たち三人以外で、俺たちに味方をしてくれるものは無い。……唯一あるとすれば」


 カエルは一拍ためて、目を細め、窓の外に指を向けながらもう一度言葉を紡ぐ。


「月明かり、くらいのものだ」


 魔王城探索が、始まった。
 まず大広間を調べてみると、左右に奥へ続く道があることを発見する。まずは右の通路を調べていこうと俺たちは先へと進んでいく。
 途中、宝箱の周りに立っている子供たちを見つけて、警戒しながら話しかけるが、何を言おうと「遊んで……」としか言わない。背筋から這い上がる恐怖を気力で払い飛ばし、その場は無視して先に進んでいく。すると……


「ルッカ!?」


 時の最果てで待機している筈のルッカが、俺たちを出迎えた。


「……何故ここにいる? 時の最果てで俺たちを待っている筈だろう?」


 いぶかしむ目でルッカを見据えるカエルに、ルッカは笑顔を崩さず朗らに話し出した。


「ロボが心配になってね」


「え、僕ですか?」


「そう、あんまり無茶しちゃ駄目よ」


「あ、有難うございます、マスター」


 ……何故だろう。笑顔なのに、優しい内容の言葉なのに。抑揚無く、淡々と、決められた台詞を読み上げるように話すルッカが、酷く怖い。


「……どうする、カエル?」


「……いや、まずは先に進むべきだ。今はまだ動くべきじゃない」


 そのままルッカを通り過ぎる。その際も、ルッカは横を通る俺たちに見向きもせず、今は誰もいない暗い通路を眺めていた。
 ずっと、笑顔のままで。


 それから、中世の王妃が俺たちの前に現れ、流石に罠だと気づいた。確信を得たのは、カエルが興奮しなかったから、というのは悲しいが。「カエル、無事でしたか」という台詞に何の反応もしないカエル。それに気を悪くした様子も無く「無理はしないで下さいね」と告げる王妃に、やはり警戒心が強まる。
 しかし、俺の警戒心が決定的になったのは、これだ。


「クロノ、お祭りから帰ってこないと思えば、こんな所にいたのね」


「か、母さん!?」


 そう、現代に住み、時間移動の術も知らない母さんがここにいたこと。……いや、そんなことは良い。何よりも俺の不安を露にさせたのはこの母さんの言動。


「心配したんだから。早く帰りましょう? ご飯が冷めちゃうわ。……本当に寂しかったのよ」


「………っ!!」


「落ち着いてくださいクロノさん。こんなところにクロノさんの母親がいるわけが……」


「そんなことじゃねえっ!」


「!?」


 宥めようとしてくれたロボが俺の怒声に驚き、伸ばしていた手を引っ込める。


「母さんなら時間移動したって驚きはしないし、ひょっこり魔王城にいたってまあそういうこともあるだろうさ! しかし!」


「どういう人なんだ? お前の母は……」


 カエルが呆れた声を出すが一切無視! 今は俺の感情を吐き出すことが先決!


「母さんが……母さんが俺の心配をするわけが無えっ! ましてや、アイツが食事を作ってくれるなんて、万に一つも無えんだっ! いつだって自分の分だけしか作らないし買わないんだっ! 俺がいなければ家が広くなって助かるという理由で半年間家に入ることを禁じた鬼畜女なんだ! おっお前なんか、お前なんかっ! ……うっうっうっ……」


「……ああ、今まで感じたことは無かったが、もしかしたらこれが母性本能なのか? 今お前が愛しく思える」


「カエルさん、多分それ、何か違うと思います……」


 膝を落とし、床に涙を落とす俺をカエルが引きずって俺たちは先に進みだした。俺だって……俺だって、心配してくれる母親がいれば、そんな人がいれば……っ!


 それから次の部屋に入ると、そこはぽつんと椅子があり、行き止まりとなっていた。
 人のトラウマほじくっといてなんじゃそらこらと椅子を蹴飛ばすと、何処からついて来たのか蝙蝠が俺の頭をはたいていった。良いことなんかまるでありゃしない。
 その蝙蝠をなぜかカエルがじっと睨んでいたので「捕食したいのか?」と聞くと殴られた。心なしか、蝙蝠が遠く離れたのは気のせいだろうか?


「……何も無いな。大広間に戻って今度は左の通路を進むとするか」


 暴れる俺を尻目にカエルは冷静にそう告げた。そうですね、とロボもそれに追従していくのを見てあれ? このパーティー俺だけ浮いてねえ? と思うのは無理ないことだと思う。


 場所は変わり大広間。……さっき訪れたときとなんら変わらないその場所が、今この時酷く気分の悪い空間となっていた。


「……クロノ、ロボ、気をつけろ。いるぞ……」


 言われずとも、俺もロボも既に戦闘態勢になっている。ロボは体から僅かに放電し加速化の準備を、俺はいつでも剣を抜き払えるように刀を水平に下ろしていた。


「……そろそろ出てきたらどうだ? なあ、ビネガー!」


 カエルの威勢の良い声が広い空間を木霊する。遠くから響く笑い声が、僅かに聴こえて、次の瞬間、高笑いがその場の音を支配する。声の出現元に目をやると、大きな窓の月明かりから、ゼナン橋で姿を見せた魔物、ビネガーがその姿を浮かばせた。


「よーく来たなグレン! いや、今はただの蛙か……ふん」


 ビネガーは俺とロボに視線を散らし、何処にあるのか視認は出来ないが、鼻を鳴らせた。


「今度はそいつらがサイラスの代わりか? 尻軽だなぁ?」


「…………」


 ビネガーの挑発にカエルは表面上何も動じない。それでも、分かる。これでも何度か生死を賭けた戦いをしてきたから、カエルの殺気が、鳥肌が立つほど溢れ出るのを。


「だが、魔王様は今大事な儀式の最中。魔力だけならば魔王様をも凌ぐ、天地魔界最高を誇るワシが相手してやろう」


 ただの緑親父と侮っていたビネガーから、本来目に見えるはずの無い魔力が赤い線となって吹き上げていた! 逆巻き、魔王城を揺らすその魔力は、魔王を凌ぎ天地魔界最高という言葉を信じさせるに足るものだった。


「外法剣士ソイソー! 空魔士マヨネー!」


 その言葉と同時に、さっきまで感じなかったビネガーに勝るとも劣らない殺気と魔力が魔王城の中に充満した。カエルはその厳しい表情を変えずに立っていたが、俺はその重圧に息苦しさすら覚え、立っているのがやっとという、情けないものだった。
 ……くそ、俺は本当に役に立てるのか……?


 弱い考えがよぎり、ふと前を見るとカエルが笑って俺を見ていた。
 その時、そうだ。確かに見た。ガルディア城で別れた時に見た幻影よりもずっとはっきりした、幻影。


「大丈夫だ」


 カエルの顔と並行して、その幻影は口を動かす。


「お前は自分が思うよりも、遥かに強い」


 長い緑髪を揺らし、力ある笑顔で、女性は確かに、そう言った。


 嘘のように緊張が解けた後、ビネガーがそして、と前置きして最後の言葉を残した。


「この魔王城の全ての魔物を倒せたならばな!」


 言い終わった瞬間、階段下、空中、左右に一体ずつ計六体の魔物が俺たちを取り囲む。ファファファ……と笑い声を置き土産にビネガーは影の中に消えていった。


「前哨戦だ、二人とも気負い過ぎるなよ!」


「戦闘モード、飛びます!」


 カエルの激励を背に、ロボが空中の二体に近づき乱舞する。カエルは左右から迫る魔物を挟まれながら的確に攻撃を裁いていく。俺は階下に飛び降り二匹の魔物と対峙する。
 人間型の魔物は連携を好むようで、引く時も攻撃時も同時に繰り出してくる。どちらかに狙いをつければもう片方が飛び出し、同時に相手取れば不規則に動き攻撃のタイミングを掴ませない。流石魔王城の番兵、今までとは戦闘の場数も技術も違うようだ。


「でも、まあ負けられねえさ」


 攻防一体の回転切りを叩き込み、二人の距離を離す。どちらの魔物も紙一重のタイミングで交わし反撃を試みるが……甘い!


「ギエッ!!」


 刀身に電流を流し込み、刃の距離プラス電流の刃分の斬撃。反撃が可能なギリギリの回避距離では、避けられない。僅かな時間、モンスター達の動きが止まる。一瞬、されど、戦闘中にその静止時間は致命的。
 回転切りを止め、捻られた体で渾身の突きを首元に叩き込み絶命させる。返す刀で逆方向に横薙ぎ。思ったとおり、もう一匹が俺に飛び掛ってきたが、一瞬のタイムラグが功を制し間一髪で攻撃を受け流し、敵の腕を切り飛ばした。


「ギ、ギギギ……」


 敵も流石魔物の精鋭。あさっての方向に飛んでいく自分の腕を気にせず、一度後ろに飛びふりだしに戻る。


「どうする? その腕で俺とタイマンするか?」


 言葉が通じるかどうかは知らないが、刀を肩に預け、人差し指を数回曲げて挑発する。魔物は鋭い牙を剥き出しにして怒りを露にした。
 じりじりと俺の周りを摺り足で移動し、俺の位置から丁度右斜め四十五度の位置で体を伏せて、バネのように飛び込んできた。


「チェックメイトです」


 すでに戦闘を終えたロボが自分の腕を射出して敵のわき腹に鋼鉄の拳を叩き込んだ。奇怪な声をあげて体勢を崩した魔物の隙を俺が見逃すわけが無い。魔物の伏せた体勢より更に深く沈んだ構えで居合い。上体と下半身が分かれた魔物は二、三回体を震わせて命を消した。


「……勇者様に認められたんだ。無様な戦いは見せられねえさ」


 カエルも剣を納めて戦いの終わりを告げていた。それから言葉はいらず、俺たちは左の通路を歩き始めた。


 通路を抜けると、左の部屋と同じような作りの部屋に出て、中には骸骨の集団が各々錆びた槍を手に互いに争っている。それらを支持している魔物との戦い。骸骨集団も俺たちの敵として戦ったが、先程の魔物達より幾分劣る動きは脅威には成り得なかった。リーダー格の魔物も目を見張る腕力を持っていたが、カエルの風のような剣舞についていけず、その巨体を地に伏せた。
 魔物の群れを一掃させて、俺たちはまた行き止まりの部屋に辿り着いたのだ。


「また行き止まりか……左の通路と全く同じなんだな」


「ですね。……ただ、どこからか鋭い気配が感じられます」


 そう、さっき訪れた行き止まりとは違い、ここには押さえられながらも漏れ出してしまう殺気が、肌を刺すように充満している。到底、雑魚モンスターに出せるものではない。これは、先程感じた殺気。確か、外法剣士ソイソー、または空魔士マヨネー。どちらかのもの。


「……危ない、クロノ!」


 カエルの叫びと同時に天井から人影が落ちてくる。え? と洩らす俺をカエルは突き飛ばしグランドリオンを横に持った。カン! と小気味良い音を鳴らし、そこに見えたのは青い頭の、武闘服を着た素手の男の姿。……待て、あいつどうやってグランドリオンと打ち合ったんだ?金属と金属がぶつかった音が、確かにしたはずなのに……


「流石よな、グレン。気配を消しきれているとは思わなんだが、俺の不意打ちを完全に読みきるとは」


「貴様の手口は読めている。小手調べに奇襲を仕掛けるのは昔から変わらん様だな、ソイソー!」


 ヒュン、と消えたソイソーは部屋の奥に姿を現していた。……移動したのか!? 軌跡すら見えなかった……
 フォン、と独特の音で風を切りソイソーは指を伸ばした掌を俺たちに向けた。……それが、武器? まさか!


「分かったかクロノ。あいつは手刀でこのグランドリオンと打ち合ったんだ……並の相手ではない!」


 素手でグランドリオンと打ち合う!? そんなこと聞いて誰が雑魚と勘違いするか!


「当然だ。覚えているだろう? あのサイラスの左腕を使えなくさせたのはこの俺、ソイソーだ。まあ、止めをさす前に逃げられたのは心残りだったが……サイラスの腰巾着であるお前が、この俺に勝てるかな……?」


「……まさか、クロノさん! あいつの肉体強度、腕だけでなく、全ての部位が僕のボディより硬い……あんなの、マシンガンだって傷一つつけられませんよ!」


「グランドリオンに手刀を当てて傷一つ無いから、防御力も尋常じゃねえだろうなとは思ってたけどよ、そこまでか!?」


 ロボの体は並みのロボットとは格が違う。何千年も未来に作られた金属を加工したロボのボディよりも生身の体の方が強固だと、誰が想像できようか? 鋼鉄、もしかしたらそれ以上の強度。……俺の雷鳴剣で刃が通るだろうか? サンダーで電力を割り増ししても可能性は薄い気がする。


「……御託は良い、とっとと来い。先がつかえてるんだ、貴様に構う時間が惜しい」


「……吐いた唾は、飲み込めんぞ、か弱き人間がっ!!」


 俺とロボの戸惑いを他所に、カエルとソイソーが戦闘を始めた。その速さは目で追えるかどうか、その境界線。とてもじゃないが、俺がその中に入ることなんか出来そうにもない。ロボですらタイミングを計らねば援護が行えない有様なのだ。
 にしても、当然ながらカエルは俺との喧嘩では手を抜きまくっていたのが分かる。そう、言わばじゃれている猫をからかう程度の力で俺と相対していたのだ。……カエル、どう考えても俺はそこまで強くない気がするよ……


「クロノさん! 早くカエルさんに手を貸さないと!」


「いや……やる気云々の前に、それ不可能じゃね? ブ○と闘うゴ○ウの勝負に気を操れないヤム○ャが加わるようなもんだぜ?」


「…………そんなこと無いですよ! クロノさんは弱くありません!」


「お前一回納得したじゃねえかこのやろー。無理やりポラギノール塗るぞテメエ」


 馬鹿な事を言い合いながらもソイソーとカエルの戦いは続く。良くは分からないが、恐らくカエル優勢……だと思う。いくら手刀で剣と打ち合えても、そのリーチの差は大きい。流石にソイソーも手の部分以外をグランドリオンで斬られればダメージを受けるようで攻撃の手がカエルよりもいくらか少ないように思える。


「どうしたソイソー、このまま負けていいのか?」


「クッ、人間如きが偉そうに……」


 高みから見下ろすようだったソイソーの目が、赤く燃えるように変色していく。すると、一度大きく距離をとり、ソイソーは左手を前に、右手を腰に。右足を引きカエルと応対した。……あの構えは……中世の王妃の得意技、正拳突き?


「ただの突きでは無い。極限まで鍛えぬいた俺の手刀、その狙いを一点に定めて貫く。体に当てれば吹き飛び、例え剣で受けども砕く。故に私はこの技を単純に、シンプルに! 『穿』と名づけた。放った後の、ただありのままの結果だけを言葉にしたのだ」


 恐らく魔王軍最高峰の力を持つソイソーの、絶対的な自信。その言葉に嘘はないのだろう。きっと、今までにその技を破られたことは無く、技名どおりに全てを穿ってきたに違いない。腰に引いた拳の指を一本ずつ伸ばし、ターゲットであるカエルを指し示している。指先にソイソーの無造作に撒き散らしていた殺気が収束されていく。
 ……まるで、その殺気も、いやそもそもこの場の空気、いや、魔王城そのものが叫んでいるようだ。ただ、穿て、と。


「同じ事を言わせるな」


 それらの空気、気配、オーラを遮断してカエルは落ち着き払い口を開いた。


「御託は良いから、とっとと来い!」


「……飛べ」


 二文字の宣告を捧げて、ソイソーの体がブレた。次にソイソーの姿が見えたのは、コマ送りのようにカエルに指を突き立てているソイソーの姿。


 心臓が止まるかと思った。カエルがゆっくりと倒れる様すら、幻視した。……けれど……


「……なるほど、このままでは勝てんか」


 血を流していたのは、ソイソーの方だった。とはいえ、手の爪が割れただけの傷だったが。
 カエルが目の前にいるのに、飄々と手を払い痛みを和らげようとするソイソー。カエルはその姿に剣を振ることなく、目を閉じてその場に立っている。


「もう一度言わせて貰おう。流石だグレン。存外にやるものだな」


 部屋の奥に歩き出したソイソーは、後ろにいるカエルに何ら注意を払わずいる。今のソイソーなら俺でも切り倒せるのではないか、と思うほどに。


「久方ぶりに本気で行かせてもらうぞ……だがな?」


 暗くて気づかなかったが、奥の壁には一振りの刀が掛けられていた。いや、小刀と言うべきか。
 その長さは五十センチに届くかどうか、という短いものだった。武闘家らしいソイソーに似合った武器ではある。


「クロノ、あいつは武闘家じゃない。剣士だ」


 俺の考えを読んだように、カエルが背中越しにこちらを見て訂正した。そういえば、外法剣士だったか。王妃様を越えそうなくらいとんでもない野郎だったけどなあ……


「サイラスのいないお前に、見る限り脆弱な仲間しかいないお前に……私がやれるか?」


 神速。そうとしか表現出来ない正に目にも止まらぬ早業で鞘を投げて抜刀したソイソー。その剣は五十センチ前後、そう、五十センチ前後だったはずだ。でなければ計算が合わない。だって、刀の全長が五十センチなのだから。
 なのに、何故刀身が俺に迫っている!?


「受けろ! クロノ!」


 カエルの声で現状を把握して、俺は出せる全速で刀を抜きソイソーの剣を受け止める。


 ……バ、キッ。


 かろうじて受け止めたものの、横っ腹に受け止めたためか雷鳴剣が鈍い音とともに砕け散った。さらに、ソイソーの剣の勢いは止まらず、俺の右肩を貫いていく。


「ア、アアアアアアアア!!!」


 肩を剣が通っている為座り込むことも出来ず、俺は立ち尽くしたまま無様に悲鳴を上げた。ロボが俺にケアルビームをかけようとするが、刀身が通ったままでは治療も出来ない。オロオロと泣きそうな顔を見せるだけだった。


「まさか、この程度も受け止められんとはな。グレンよ、数合わせにしてももう少しマシな人間はおらんのか? これではまだ今の騎士団長の方が骨がある……!」


「貴様!」


 カエルの跳躍力を全開に、弾丸のように切りかかったカエルを対処すべく、ソイソーは剣で受け止めた。つまり、俺の肩を切り落とした……はずなのに、俺の肩は穴は空いていても、切り裂かれた跡は残っていなかった。
 そうか……あいつの刀は……


「伸縮自在、なのか……?」


 ロボのケアルビームを傷口に当てられながら、俺は歯を食いしばり呟いた。漫画や小説でしかない、魔力の篭った刀、ってことか……
 俺の呟きを耳ざとく拾い上げたソイソーは鍔迫り合いの状態から力任せに脱出し、嬉しそうに俺に語りかけた。


「御名答! これぞ俺の愛刀、持つ者から流れ込む魔力に応じてその刀身の長さを自在に操る魔刀よ! その名もソイソー刀!」


「……だっせえ……」


「ダサいですね……」


「ソイソー、貴様は相も変わらずネーミングセンスが無いな」


「……所詮、人間に俺の美学は分かりはしない」


 心なしか凹んだソイソーにカエルが躊躇無く切り込んだ。ソイソーも待っていたとばかりに応じ、剣戟の音が派手に響きあう。あのソイソーが選んだんだ、今までの手刀よりも強度、切れ味共に上回る代物なんだろう。さらにさっきまで有利だったリーチは逆転している。カエルも劣勢とは言わないが、その戦いは無手だった時と比べて拮抗している。……いや、もしかしたら、ソイソーが有利かもしれない。魔族という肉体の有利がある分、疲労の溜まるカエルでは時間が経つだけ不利になるのだから。


「……ロボ、もういいぞ。治療を止めてくれ」


「そんな! 肩を貫かれたんですよ、まだ治るわけないじゃないですか!」


「良いんだ、痛みが残ってないと、多分やる気が持続しない」


 そうだ、この痛みは教訓のようなもの。カエルに任せようという甘えや、勝てそうに無い相手には一歩引いて観察する、冷静とはまるで違う臆病を絶つための覚悟。
 ここは魔王城、ここに存在する百の魔物の一匹相手ですらまともに立ち会えば俺は負けるかもしれない。そんな奴らと戦うんだ、元々勝機なんて針の先も無い、ミクロ単位の希望だったはずなんだ。今更博打も打てないで、何故俺はここにいる? ここにいられる?


「……当たって砕けろ、なんて言わないけどさ、当たらないでいるのは何もしないのと同じだもんな」


 勇者様御一行だぜ? サポートくらいこなしてやるさ。


 ロボの治療を無理やり止めさせて、落ちた雷鳴剣の刀身を握る。指に食い込む刃の感覚が愛おしい。流れる血が、ようやくやる気になったかと叱咤しているようだ。
 雷鳴剣に流れる電流はまだ生きていた。そのうち半分を磁力に変換。威力は低くても、小手先のコントロールはルッカに次ぐ自信があった。


「ロボ、前にやったみたく、思いっきりレーザーを部屋中に散らばせてくれ。当てる必要は無い」


 仮に当たったとしても、あのソイソーの体に傷一つ付けられるとは思わないけれど。


「……分かりました。クロノさんの考えも。だけど、その雷鳴剣の破片を当てた所でソイソーにダメージがあるとは思えません」


「普通のやり方ならな。それと、お前の電力を借りていいか? 悲しいかな、俺だけの魔力じゃ出来そうにない」


 ロボが神妙に頷き、それで会話はお終い。後はロボの充電時間を待つのみとなった。
 俺の作戦が成功したとして、俺の右手が電力に耐えられず焼き焦げる可能性もある。失敗して怪我するだけの馬鹿になることも十二分に。そもそも、今は劣勢に見えても勝負は時の運、カエルがソイソーを倒してしまうかもしれない。でも逆だって有り得るんだ。何より、魔王を倒すってのに、中ボス相手に何も出来ないんじゃ話にならない。


「……クロノさん、充電完了です。クロノさんに電力を回しても、レーザーの広範囲放出は可能です」


「分かった。後は俺に電力を流す為に肩にでも手を置いてくれ」


「はい、分かりました」


 言うと、ロボは肩に手を置かず、俺の腰に後ろから手を回してきた。……こいつも、とことん人の言うことを無視するなあ。


「ロボ……」


「やめません。クロノさん、怖がりで面倒臭がりのくせに無茶するから、こうして僕が繋ぎ留めるんです。それと、こうしてると僕も安心するからです」


「……まあ、勝手にしろよ」


 こうなったのはむしろ良かったかもしれない。下手すれば、俺は後ろに吹っ飛ぶ可能性もあるんだ。この状態ならロボが支えになってくれるかもしれない。
 合図を決めて、ロボに発光目的のレーザーを放たせる。勿論、カエルにそのことを大声で伝えて。


「……全開! 全方位レーザー!!」


 言って、ロボがレーザーを両腕から発射する。上手い具合に俺に当たらないよう腕の外側からのみ太いレーザーを。殺傷目的で無いので当たった所で火傷が関の山の、中身の無いレーザー。キイン、と鼓膜に響く音が部屋の壁に反射して平衡感覚が狂っていく。


 ……光が消えて、部屋の中はまた暗闇が集まり郡を作る。目を開けると、ソイソーも目を閉じて網膜が焼かれることを避けていた。当然だろう、カエルに伝えたのだから、ソイソーもまた同じ行動を取るに違いない。


「……一瞬でいいんだ、お前のやたらと素早い動きを止められるなら」


 更に言えば、視認出来て、ソイソーの近くにカエルがいなければそれだけで良かった。今カエルはソイソーと距離を開けている。少なくとも、俺の攻撃に巻き込まれることが無い場所まで。


「……電磁気砲、とでも言うのかね」


 ロボの体内電力を借りて、雷鳴剣に与えた磁力と逆の磁力。くっつく性質ではなく離れる性質を掌に集める。簡単に言えば、雷鳴剣の刃にS極の性質を固定させ、掌にN極の性質を固定させた。
 当然刃は俺の掌から離れる為に飛んでいく。自然には生まれようの無い速さで。俺の魔力のほとんどを駆使しての発射。正確にソイソーへ飛んでいくよう、その道筋を形成する貯めに使う電力はロボから拝借した。
 磁気力というのは、何千トンのものすら浮かび上がらせるとルッカから聞いたことがある。魔力という超自然存在の力で生み出された力量は弾丸などというものでは計れない莫大な力を生み出す。


「ソイソー、テメエにこれが受け止められるかよ!」


 俺の発射した砲弾代わりの刃はその形を保てずすぐにボロボロに砕けただろう。何故確定ではないかといえば、飛んでいく様を見ることなど不可能だったからだ。俺の体はロボごと後ろに吹き飛んだし、仮に注視していても何かが通ったことすら、空間に漂う電流の光を見なければ理解できなかったはずだ。
 ……そう、人間ならば。


「……流石だな、人間。あれが当たれば流石の俺とてひとたまりも無かっただろう。……そう、当たれば、な」


 外法剣士ソイソーは、受け流すでもなく、耐えるでもなく、確かに避けた。雷光の速さを越えた、とでも言うように。


「見て避けたわけではない。貴様の殺気に応じて体を逸らしただけだ。さらに言えば、お前の技量不足も原因となるだろう。僅かだが、着弾点に誤りがあった。体の中心から右にずれていたぞ」


 余裕綽々という様子で講釈を垂れるソイソー。ソイソー刀の切っ先を俺に向けて固定する。お前のように、自分は外したりはしないというように。


「……だよなあ、いきなり俺みたいな凡人が必殺技を決めるなんて、似合わないよなぁ……」


「そう謙遜するな、貴様は良くやったさ。俺に冷や汗をかかせたのだ、浄土で誇るが良い」


「そりゃあ良いな、死んだときの楽しみが増えたってやつか? ……でもさ」


 まだ僅かに残っている魔力を操る為、発射の衝撃でボロボロになった右手を上げる。必殺技ってのは、必ず決めるから必殺技なんだ。


「……あんた程度のお墨付きじゃ、井戸端くらいしか盛り上がらねえよ」


 俺の雷鳴剣は、まだ死んでないんだから。
 床に散らばる、電磁気砲で砕けた雷鳴剣の欠片を魔力で操り、もう一度飛ばす。その欠片の数は七十から百を越える。
 勿論、そんなものではソイソーに傷を残せない。さっきの勢いも、今の魔力では作れない。けれど、スピードなんか不要。いくらお前の体が驚異的に丈夫だからって、弱点はあるんだから。


「……光が、浮かんでいく?」


 月光が照らす刃の欠片は、闇夜に浮かぶ星のように充満していた。そのどれもがソイソーを倒すには及ばないか細い力。けれど、確かに力なんだ。


「感動もんだろ? 弱くたって、集まれば強い、なんてさ。何処かの国のサーガみたいだ」


 浮かび上がった光はソイソーの周りに集まっていき、そして。


「!? 貴様ら、何処へ行った!?」


 ソイソーの、目を潰した。
 何も、刃を目に入れて直接的に潰したわけじゃあない。そもそも、潰したというのは比喩表現である。  
 電磁波。これもルッカの受け売りだが、電場と磁場の変化によって生まれた電磁波は、光を屈折させるらしい。今ソイソーは俺たちの姿だけが屈折現象により消えたように思い込んでいる。ロボの演算機能や電磁波の動きをモニターで見る機能を活用してそうなるよう磁場を形成した。俺の頭で複雑な計算は不可能である。しかし、鬱陶しいくらい聞かされたルッカの科学談義が役に立つとはな……
 つまりは、雷鳴剣の欠片は武器として使ったわけじゃない。電磁波の発生と増幅のために活用したのだ。
 恐慌したように俺たちを探すソイソー。俺もロボもその場を動いていない、というより痛みで動けないのに。
 ただ一人、この状況で動けるのは……


「終わりだソイソー。貴様が負けたのは……」


 高く、部屋の天井まで飛んだカエルが戦いの終わりを締めくくってくれる。


「俺の仲間を甘く見たから、だ」


 上段から迷いの無い振り下ろし。重力との相乗で、その威力は鋼の硬度を誇ったソイソーの体を難なく切り裂いた。


「あ、ガアアアアアアァ!!!」


 咆哮をあげて、俺の魔力が切れ、視界の戻ったソイソーは目をぎらつかし、カエルから距離を取った。……間違いなく絶命の一撃だったはずなのに、まだ動けるとは……そのしぶとさ、頑強さはビネガーの魔力と同じく、魔王を上回るのではないか?
 だが、それでももう闘うことなど不可能な筈。出血は止まることなく、肩から腰まで開かれた傷は治療魔法をかけつづけたとてそう治るものではない。


「……見事だグレン。そして赤髪の男に不可思議な力を持つ童よ……まさか俺が破れるとはな……」


 口から溢れ出す血を拭い、痛みの為曲がった背中を伸ばし、荒くなった息を気合で戻し、堂々たる態度で俺たちを見据えるソイソー。最初に不意打ちを仕掛けたり、外法剣士と言われていることからさぞ卑怯な男だろうと思っていたが、意外にもその姿は騎士のようにすら見えた。


「……全く、あの頃からそれほど強ければ、俺が求婚したものを……」


「ふざけるな。貴様も俺と同じ、剣に捧げた人生だろうが」


 ソイソーの投げやりとも思えるいきなりな告白に、カエルは一寸たりとも動じず、笑みすら見せて応えた。
 ……悪いけど、その前に俺の回復してくれないか? ロボもエネルギー切れでケアルビームも出せないんだから。


「剣に、か。……サイラスにだろう? グレンよ」


「……っ!?」


 ラブコメ展開は良いんだ。いいから早く俺に治療を頼む。あの気持ち悪いベロの感触も今だけなら我慢するから。というかポーションプリーズ。


「ククク……全く惜しい。……とはいえ、心残りは無い。負けたとはいえ、魔王様の為に散るのだから……」


 ソイソーは抜き身の刀を納め、それを床に置いて椅子の上に飛び乗り、姿を消していく。これが、魔族の死に方なのだろうか?
 何処か見送るつもりでそれを眺めていると、ソイソーがふいに俺を振り返り、口を開いた。


「そこの小僧、俺の刀をくれてやる。……見事だったぞ」


「……訂正するよ。あんたのお墨付きは、ありがたく貰っとく」


 最後に見たソイソーは、確かに笑っていた。心残りが、無いなら、俺に言える言葉はもう無い。


 魔王城に入り一時間弱。早くも俺たちは、その強大さをその身に刻むことになった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:04
「譲れないの……私はクロノが好きだよ? そう、好きだからこそ、貴方を倒す!」


「いつの時代でも、ガルディア王家ってのは俺の邪魔をするみたいだな。その穢れた血、この俺が絶ってくれる」


 そうして俺は、ガルディア王家マールディア王女に魔刀を向けて切りかかった。





 時は戻り、ソイソーを倒して新しい武器を手にした時のこと。


「ク、ロノさん……もう充電が切れました。体内回路も焼き切れてますし、自己修復にもかなり時間がかかりそうです……」


 ロボが悔しそうにリタイアを宣言。見栄っ張りのロボが口にしたことを重く見た俺たちはメンバーチェンジを行うことにした。魔法が使えずとも多大な戦闘結果を挙げてくれたロボに感謝と、労りの言葉をかけて。
 時の最果てから交代で現れたのはマール。理由は怪我を負った俺に回復魔法をかけて欲しいから、という単純な理由。最初はカエルの舌で治癒を行ってもらおうかとも考えたが、何が起こるか分からない魔王城の中で長々と舐められているのは危険だと判断。カエルのベロで嬲られるのは勘弁だなあ、というのが本音。
 俺の尽きた魔力はエーテルを飲むことで回復。「俺とルッカを交代させればよろしいやん」という意見は無視。どんだけ俺を酷使させるんだよ、今まで休んだこと無いじゃねえか。冒険はトライアスロンじゃねえんだぞ。似たようなものかもしれないけど。


「はい、治療完了。……クロノって、生傷絶えないね。もうちょっと自分を労わらないと」


 マールのケアルで数分と経たず俺の肩や打撲は完治した。体を動かして、体操がてらに不調が無いか調べていると、マールが心配そうに声を掛けた。かなり真面目に気遣ってくれている顔なので、一つふざけてみる。


「労われるならそうするんだがな……どうにも、仲間たちが俺を休ませてくれないんだ。パーティー内暴力も無視できないし」


「アハハ……でもさ」


「でも?」


 言葉を継いで先を促せる。


「やっぱり、クロノが隣にいると安心するんだもん。戦うのが強いからってだけの理由じゃないよ。……心に芯があるっていうのかな」


 今一つ分からない理由だったけれど、純粋に褒めてくれているのだと分かり、照れてしまう。
 首を振って否定するも、マールはおろかカエルですら頷いているのでなんだか居心地が悪い。


「心に芯って……いやいや、よく分からないけどさ、多分根性があるとか、諦めないとか、そういうニュアンスなんだろ? それなら俺は全然だ。いつもびびってばっかだし、弱音なんかぼろぼろ吐いてる。ゼナン橋だって……」


 そこまで言って俺はゼナン橋のことはそう口にして良いものではない事を思い出し咄嗟に口を閉じる。まだマールが引きずっているかもしれないのに、なんて馬鹿。
 心配する俺を他所にマールは目を綻ばせて、そんな事無いよ、と否定を挟む。


「確かに、クロノは弱いかもしれない。根性とか、勇気とか、あんまり持ち合わせてないかもしれない。ゼナン橋の時だって、ね。……でも、」


 そこで一拍置いて、マールは胸に両手を当て、嬉しそうに目を閉じて口を開いた。


「いつでも、助けに来てくれたじゃない」


「……それは」


「クロノの芯はね、硬くないの。いつでもゆらゆら揺れて、まるで雑草みたい。ちょっとした風にも揺らいでしまう。でもね、絶対に折れないの、根っこから飛んでいかないの」


 なんだか照れくさいのは変わらないけど、こうまで言われると、その、嬉しかった。初めて、本当の意味でマールに褒められた気がする。ゼナン橋での願いが今叶ったのだ。


「クロノの芯は強くない。なのに、皆の為に頑張ってくれるから、私たちを守ってくれるから、私たちはクロノを信頼しちゃうんだ」


 勝手だよね、と舌を出してマールが埃を払いながら立ち上がる。ここで話は終わり、さあ行こう、と声を掛けて。
 後ろから見えるマールの頬は紅潮していたから、自分で言ってて恥ずかしくなったのかもしれない。それにつられて、俺の顔の熱がさらに高まった。……言い逃げは、ずるいだろうが。
 ちょっとしたロマンスを体感している最中、今まで頷くしかしていなかったカエルが俺に近づき、笑顔で語りかけた。


「うむ。お前は中々見所のある男だ。どうだろう、俺と共に王妃様をムハムハしたい会副会長になってみるのは」


「いつだってお前は汚れた存在だよ」


 日常という素晴らしい世界に戻った暁には、こういうゲテモノとは一切手を切ろう。それが俺の戦う目標。




 ちょっと甘酸っぱい一時と気が狂いそうな苛立ちの一瞬を終えて、俺たちは再度、右側の通路に向かうこととした。頭の頂点に大きなたんこぶを作ったカエルがシリアス顔で「恐らく、この先にはソイソーと同実力の魔法使い、空魔士マヨネーが待ち構えているはずだ、気を抜くなよ」と気の抜けそうな雰囲気で仰ってくれた。戦闘以外の場ではランプの中に入ってるみたいな便利機能をつけてくれれば俺はコイツのことが嫌いじゃないかもしれないのに。


 前回同様、遊ぼう遊ぼうと生気の無い目で呟く子供集団は無視。そのまま次の部屋へ。
 中に入ると、先程まではルッカがそこで俺たちを待っていたのに今度は現代のガルディア王が厳かな衣装を纏い立っていた。まあ、分かってたけれど魔物の扮装だろう、いくらなんでもここに現代の王様がいるなんて有り得ない。
 とはいえ、実の親の格好をした魔物とマールが戦えるのか……? と不安になっていると、マールは何の躊躇も無く偽王の脳天に弓矢を突き立てていた。びっくりして、「えへぇ!?」と取り乱してしまうのも仕方が無いことだろう。歴戦の勇士カエルですら戦慄の汗をだくだくと流していた。
 額を貫かれた偽王は元の姿に戻り醜い正体を現した。まあ、死んでたけど。
 マールに「……凄いな、マール」と引きつりそうな顔を必死に戻しつつ喋りかけると「えっへん!」だそうだ。ようやく分かった。マールは天然と計算とバイオレンスが同居した躊躇という文字を知らない女の子なのだ、キャラが掴めて良かったのか知らずにいたほうが平和なのか。


 続く王妃もカエルは物言わず瞬殺。これ以上王妃の姿を真似るなど、不敬にも程があるとの事。こいつらとなら、モラルの無い町でも生き抜くことが可能かもしれない。ロアナプラとか。
 さあて、問題は残る一人、俺の母さんを模倣した魔物だ。


「クロノ、お祭りから帰ってこないと思えば、こんな所にいたのね」


 ふざけた魔物だ、真似るならばせめて俺の母親の性格をきっちり把握してから出直して来いというのだ。温もり、慈愛、情、それら全てを抜き去り闘争心と略奪心と欲望のみを内に秘めるマイマザーが俺にそんな優しい言葉をかけるなど……


「そんな悪い子は、死になさい!」


 一際強く叫んだ後、辺りに魔物が数体現れ俺たちを囲む。宙を浮かぶ化け物や、大広間で戦った魔物たちがまた現れた。


「行くぞクロノ、例え母親の姿を真似ていたとしても、躊躇など微塵も残すな。肉親に手を上げるようで心苦しいかもしれんが、お前の母君はあのような暴言を」
「母さん!? まさか本当に母さんなのか!?」
「……うぉい」


 俺は手にした刀を落として思わず駆け寄る。後ろから「いやいやいや無いって無いって!」と止めるカエルを無視して、ちゃんと母さんの顔を見る。


「ああ、やっぱり母さんなのか? 俺を殺そうとするし、その人間離れした表情! 目が赤く充血しているのも口が割れて牙が鋭く尖ってるのも、母さんの心の内を表に出したとすれば納得だ。いや、むしろ今の顔の方が自然だ!」


 戸惑ったように「ギギ!?」と声を上げる母さん。やっぱり、その汚らしい声質ですらしっくり来る! きっと天変地異的な力を用いて時代を渡り群がる魔物を手先一つで追い払ってここまで来たんだ!


「ク、クロノ! そこ退いて! そいつ殺せない!」


「殺すだって? いくら人畜有害、全行動他者迷惑、悪食暴飲我侭天災の母さんでも、俺の肉親なんだぞ!? たった一人の家族なんだ、殺すとか言わずせめて止めは俺に刺させてくれてもいいじゃないか!」


「……ああ、頭が痛い。すまんがマール、回復魔法を頼んでいいか? 後状況を教えてくれ」


「かあさん、ほら立ってくれ! ていうかまた家の事放っぽりだしてきたのか? 回覧板を回すのが遅れて文句を言われるのは俺なのに!」


 それから事態の収拾がつくのに、ソイソーを倒した時間と同じ時間を費やした。






 周りに出現した魔物をカエルとマールが倒し、いつものように気の狂った母さんを俺が押し留めて、戦いは終わった。カエルが「分かれクロノ! そいつはお前の母君ではない!」と叫び母さんに肩から袈裟切りの刃の跡を残して。
 

「か……母さん、まさかあんたは、あんたこそが、本当の母さんだったのか?」


「ギ……ギイ」


 先程の戦いの最中、俺に攻撃しようとしてきた魔物を、母さんを守るため(止めは俺なので)体を張って守っている最中、そういった出来事が数回続き、いつか母さんの赤く輝いた目が元に戻っていった。
 ……そして、カエルに斬られるその瞬間、身を乗り出して盾になろうとした俺を押し飛ばして母さんは、酷い致命傷を負ってしまったのだ。
 ……本当の母さんならば、そんな自己犠牲精神を出すわけが無い。そんなことは分かっている。あいつはいざとなれば息子の俺を犠牲にして高笑いをするタイプだ。昔大地震の時小さな俺を頭に乗せて落下物を防いだことがある。
 だから、これは現代にいる母さんじゃない。……なら、もしかしたら、彼女はなんの間違いか中世に飛ばされた母さんの本当の心、それを具現化した存在なのでは……?


「いや、そんな面倒くさい設定は無いぞ」


「母さん! 貴方が、きっと貴方が俺の真の母親なんだ! 母さぁーん!!」


 後ろでカエルが訳の分からないことを抜かしているが、今正に母さんの命が散ろうとしているのだ。……例え、魔王を倒すために必要なこととは言え……これは、あんまりじゃないか!!
 大粒の涙を流す俺の顔に、暖かい温もりが触れた。それは、壊れ物を扱うように優しく、慎重に、死のうとしている母さんが俺の涙を拭ってくれたのだ。
 その顔はさっきまでの鬼の顔とは違う。慈悲と、俺に悲しむな、と告げるような綺麗な笑顔。あんたには、まだやることがあるんだろう? と背中を押してくれるような。


「ギギ……イ、キ、ロ」


「母さん? …………うわぁぁぁぁぁ!!!」


 慟哭の涙とは、悔恨の涙とは、決意とは。それらが均等に込められた塊が、俺の目からとめどなく流れていく。世界の音が聞こえない。今だけ、ほんの少しだけ、泣いていいのだと、母さんが力をくれたのではないだろうか?


「……この茶番はいつ終わるんだ」


「クロノ……辛かったよね……」


「そうか、そう見えるのは俺だけか。まいったな。もう俺一人で先に行っていいだろうか」


 俺の泣き叫ぶ声は、城中に流れた。時代を越えて、現代まで届けばいいのに。
 こうして、俺は母との別れを経験した。





 そうして今。二時間前に一度見た行き止まりに俺たちは辿り着くことができた。ソイソーの部屋と同じ、行き止まりの細長い部屋の奥に俺が倒した椅子が一つ。蝋燭の点っていない薄暗い部屋はむせるような魔力が漂っている。
 二時間前と違う決定的な相違点。それは、部屋の中央で待ちくたびれたというようにあくびをかみ殺す、ピンクの髪を後ろに縛った美しい女の姿。


「……ああ、来たのネー。あんまりにも遅いから仮眠でも取ろうと思ってたのネー」


「ああ。少々酷い馬鹿騒ぎがあったのでな。少々待たせたか、空魔士マヨネー! ……それにしても酷かった」


 妖艶な空気を作り出している女が流し目で俺たちを視線に入れて、余裕を見せる。それに犬歯を見せながらカエルが剣を抜いて応えた。馬鹿騒ぎ? ああ、お前が靴紐が解けたとか言い出した事な。確かに時間がかかった。十秒くらい。


 しかし今はどうでも良い。今の俺は母さん(両親ver1.0)を亡くして気が立っている。今すぐケリをつけて黙祷に励みたいのだから。


「本当は、影武者で力を試そうと思ってたんだけど、ソイソーを倒したならその必要は無いのネー。それに、あたいものんびりするのは飽きてきたし……ちょっと暴れたいのネー」


 不穏な言葉と共に、今まで霧散していたドロついた魔力がマヨネーの体に集まっていく。空間中に充満していた魔力全てがマヨネーの物という訳か……無造作に垂れ流していた分だけで優に俺の全魔力を超えている。魔力合戦では話にならないか……


「気をつけろ、空魔士マヨネーは見た限りの、ただの女ではない! 人心を惑わせることだけならば、魔王をもこえ」


「ああ? 今なんつった」


「……何?」


 一変。
 その言葉は今この時を表現するのに実に正しい、正しすぎる言葉だった。
 今までのらりくらりとした雰囲気のマヨネーが、カエルの話を遮り瞬く間に表情、魔力の質、闘気、全てが一変したのだ。表情は悪鬼羅刹の如く、顔面に力を入れて生まれた皺が幾筋も顔に刻まれ、魔力はドロドロとしたものから刺々しい針のようなものに。闘気は満遍なく殺気へと変貌する。その変わりようにはカエルですら驚き、つるりとした頭の天頂部から玉のような汗が零れ落ちた。


「今テメエ、あたいのこと女ではないっつったよな? そう言ったよな? 聞き間違いなら良いんだ聞き間違いなら。で、どうなんだ?」


「いや、確かにただの女ではないと言ったが……それが」


「どうせあたいは男だよ男女がっ! お前みたいな女だけど男の心を持ってるますー。みたいななんちゃって野郎が一番嫌いなんだよ! 何? 男ウケ狙ってるの? いつもは堂々としてるけどストレートな告白とか、ベッドに入った時の初々しい反応がたまらないみたいなギャップで男を誑かそうとしてんでしょ? あーあーいるわあんたみたいな性格不細工! あんたみたいな気取った奴が夜中にこそこそバストアップ体操なんかやって『やった! 一カップ上昇!』とか無駄な努力やってんだよ!」


 ダムの放水を見た事があるだろうか? 俺は無い。けれど、多分今目の前の光景がそれに酷似しているんじゃないかなぁとうっすら思った。
 マールはマヨネーのマシンガンどころか機関銃、いやさパニッシャートークに呆けて目を丸くしているし、カエルは言葉の集中豪雨に身を晒されて俺やっちゃったのか? と助けを求めて俺を見る。無理無理、俺ホモとオカマだけは無理なんだ。ほとんど同じだけどさ。


「お前あれだろ? 好きな奴を思い浮かべて○○○ーするタイプだろ!? 週五ペースとかだろ? 言い当てられてきょどったりするけどそれすら演技なんだろぉ! 良いか、世の中で一番純粋な女ってのはあたいみたいな遊んでそうに見える女なんだよっ! 私遊んでますよーみたいな鎧を纏ってそれでも自分を愛してくれる一途な王子様を待ってんだよっ! もしくは男と思ってたのに、女だったなんて! みたいな揺さぶりを仲間内にかけてコロッと騙してやろう的な魂胆なんだろうがこの○リ○ン!」


 こらこら、マールはまだ子供なんだからそういう過激な言葉は止めて貰えんかね。それからあたいみたいなって、あんた男なんだろうが、ちゃっかり偽るなよ、油断できないなあ。
 ただ今マールは話についていけず所々の分からない単語を俺に聞いてくる。興奮するっちゃあ興奮するけど、今この状況でそれは勘弁して欲しい。なんだろうな、この詰問される女子中学校男性教師みたいな感覚。
 カエルは傍目には冷静に見えるが、恐らく内心きょどっておられる。まあ、根も葉もないこと言われりゃあそうなるかもしらんが、勇者様なんだからそこはきちんとしてくれんかね。


「ちゅーかさ、そもそも今の男どもが騙されすぎなんだってそういうなんちゃって硬派女子に! 御淑やかに見えても夏休み明けには金貰ってギットギトのおっさん達に股を」


「あー! すいません、そろそろ話戻してもらって良いですか!? 多分カエルも反省したと思うんで!」


 泣き言は言わないという顔でマヨネーを凝視していたカエルだが、小さく「うう……」と辛そうに喉を鳴らしていたので多分やばかった。下手したら土下座しそうなくらい追い詰められていたかもしれない。ついでにマールの「ねえねえクロノ○○○○ってなーに?」という詰問が辛かった。無理のある企画ビデオみたいな事はされてる側はとても辛いということが分かった。知りたくも無かったけれど。


「ああん!? 何勝手に話に入り込んで……あらあ?」


 閻魔もかくや、という形相だったマヨネーが俺の顔を見た途端初対面時の営業面(笑顔)に戻った。……なんだろうか、この背中を走り抜ける悪寒は。そして胸を切りつける嫌な予感は。
 マヨネーはいやにクネクネと体を揺らしながら俺たち、というか俺に近づいてくる。当然警戒したカエルが剣を抜き牽制するが「引っ込んでろぶりっ子」の一言に退散、道を開ける。聞いたことねえよ、魔王を倒す勇者が敵の幹部に言われて道を譲るなんて。誇りも無ければ勇気も無い。
 俺まで目測二メートルまで歩いてきたマヨネーは何処か妖艶な目で俺をじろじろと、品定めをするように見つめてくる。もしかするともしかするのだろうか?


「あらいやよネー。いるじゃないのあたい好みの良い男が!」


「帰ります。従弟の犬が産気づいたとテレパシーがきたので」


「ユーモアとエスプリがきいた男は尚好みなのネー!」


 あきませんて。あきませんてこの展開は。確かにパーティー唯一の男なのに(ロボ? あれは男ではなくどっちつかずと言う)イッサイガッサイモテないからちょっとフラストレーションが溜まっていたのは認める。でもこれは無い無い。こんなのケーキを作るのに砂糖が無いからってガーリックを生クリームに入れるような暴挙じゃないか。


「カエル! 色々言われて凹んだのは分かるがそろそろ元に戻れ! マールも呆けてないで弓を構えろ! 今すぐこの化け物を退治しないと俺の貞操が危ないスペシャルがオンエアされる!」


 危険な展開になっていることを肌で感じた俺は正しい言葉を選べず訳の分からないことを口に出したが概ね理解はしてくれたはずだ。伝えたいことは一つ、助けて。
 胃の躍動が危険信号となって心臓の活性化を促し汗腺が刺激され体からサウナに入ったみたく汗がどぶどぶ流れていく。寒気か恐怖か歯はカタカタとリズムを刻み頭髪が立っていくのを頭でなく肌で感じる。考えるまでも無く理由は後者、汗をかいているのに寒いわけが無い。いや、気温は肌寒いのかもしれないが、とにかく理由はそれではない。この世で一番怖いのは死ではない、痛みではない。男としての尊厳が奪われることこそが真の恐怖なのだ。


「照れなくてもいいのネー。じっくりたっぷり舐ってあげるのネー」


「舐るとか言うなっ!」


 危険、危険、危険! 俺の頭の中で浮かぶたった二文字が落ち着きとか冷静とか平常心とかそれらの要素をかき消していく。消しゴムで消すとか、修正ペンでなぞるとか、そういった大人しいやり方じゃない。その上に墨汁をぶっかけて無かった事にするようなものだ。全部黒くなれば、それは元から黒いものだったのだと言わんばかりに。


「……舐る? クロノを、この男の人が?」


 今の今まで心が飛んでいったようにぼーっとしていたマールが極悪な変態の言葉を聞いて心を取り戻す。起きたかマール、とりあえず永久氷壁にでもこのカマ野郎を放り込んでくれ。ああ、氷の強度は黄金聖闘○数人どころか神にも砕けないように頼む。


 俺の願いを聞き届けたのか、マールはスタスタとマヨネーに近づいていく。弓を構えた様子は無いが、マールの内から漏れていくのは間違いなく闘志。……拳一つでも暴走マシンを砕いたマールのこと、ソイソー程の耐久力は無さそうなマヨネーの顔をばらっばらに四散させてくれるだろう。
 対するマヨネーもマールから湧き上がる気迫に目を細め、俺から注意を離す。マールの一挙一動を決して見逃さぬように、集中を切らすことなく。


「……えいは、良いの?」


「? よく聞こえないのネー。もっとはっきり喋りなさい」


 ぼそ、と呟いたマールに片眉を上げて再度問うマヨネー。そのやり取りを俺とカエルは唾を飲み込み見守る。マールが闘いの鐘を鳴らすその瞬間が、俺たちの同時攻撃の合図なのだから。
 カエルを目配せをして、俺が右から、カエルが左から切りかかるとアイコンタクト。正面はマールが陣取っている。僅か0.3秒の間マールがマヨネーを足止めすれば決着が着く。後ろに逃げてもカエルのバネからは逃げられまいし、空中に避けても俺のソイソー刀は獲物を逃がさず伸び続け、標的を串刺しにする。
 知らず刀を持つ手に力が入る。魔力を送り込む方法も何度か試してコツは掴んだ。この土壇場で失敗することは許されない。必ずあの気持ち悪い口意外に大きな風穴を空けてくれる!
 闘いの段取りを頭の中で構築し、マールの初撃を待つ。数分にも感じた長い時を終えて、マールがはっきりと、口を開いた。


「貴方がクロノを舐っている様は、撮影して良いの?」


 時が、止まった。


「……別に、いいのネー」


 呆気に取られたマヨネーは僅かの間を作り、マールの要望に了承を託した。真剣そのものだったマールの顔が崩れ、爆発した歓喜を抑えず顔を崩す。大げさに拳を握りガッツポーズを決めると、マールは高らかに宣言した。


「クロノ! 私は、今だけこの人の味方になる!」


「……この女、腐ってやがる……」


 腐女子とは、様々な目的を無視し、利害を忘れ、本分も良識も常識すら捨て去って生まれる反逆の使途である。






 そうして、冒頭に戻る。
 俺に拳を向けて薔薇の空間を創造しようと企む裏切り者に制裁を加えるべく俺はソイソー刀を野太刀の長さまで伸ばして横薙ぎに払う。クリーンヒットしてマールの体が両断されようと知ったことか。いいか? 俺は怒ってるんだぜ?
 俺の一太刀は難なくかわされ、追い討ちとして刀を伸ばし突きを試みたが弓で弾かれてそれも避けられる。かろうじて反撃はいなすことができたが、肉弾戦限定の身体能力ではマールに一日の長がある。距離を詰められれば中世の王妃との戦いと同じく、リーチの差という優位を崩され一撃で形勢を逆転される。
 状況が掴めないカエルとマヨネーは不承不承ながらも俺たちを忘れて互いに闘うことにしたようだ。しかし……


「なんであたいがあんたみたいな半端者と闘わなきゃいけないのネー。あっちの生意気そうな可愛い子ならまだしも、さっき言ったけれど、あたいはあんたみたいな奴が一番嫌いなのよネー。今すぐ元の姿に戻って性転換して、またカエルの姿に戻ればいいのネー。笑ってあげるから」


「お、俺は貴様の言うような人間ではないし、大体なんでそこまで遠回りしなければならんのだ!」


「その男言葉も今一つなりきれてないし、気持ち悪いのネー。どこの引用か知らないけど、さっさと泣きながら這い蹲ればいいのネー」


「こ、この言葉遣いはサイラスから教えてもらったもので……他意は……」


 どうにも闘いというよりは口喧嘩に様相は変化している。それも、カエルが押され気味のようだ。あんなに口の悪い相手と関わったことが無いのだろう、俺だってあんなやつと口撃しあって勝てる気がしない。王妃様以外では真面目でからかいやすいカエルでは勝てるわけが無いだろう。つまり……


「この勝負、俺とお前、どちらが勝つかで全てが決まるな……」


「そうだね、でもどの道私が勝つからその予想は無意味だよ」


 ソイソー戦にて傷を癒してもらった時の優しさは何処へやら。今ではマールは俺を甘美な世界(マールが勝手に思ってるだけだが)に誘おうとする悪の手先、北欧神話で言うロキのような極悪人である。悪は絶たねばならない。悪は斬らねばならない。悪は滅せねばならない。


「ほらほら、ぼーっとしてると凍っちゃうよ!」


 刀を構える隙も、ましてやソイソー刀に魔力を送る時間など作らせずにマールは辺り一体を氷付けにしていく。吹雪、氷雨、凍気を舞わせて攻防一体の攻めを乱舞する。腕一本を犠牲に特攻して切りかかっても、マールは魔力で自分の体に氷の鎧を造り傷一つ負わせることを許さない。対する俺は凍傷を抱えた左腕を押さえながら苦悶の声をあげる。
 最も、俺の呻き声ですら何かしらのスイッチがオンになったマールには興奮という薪をくべるだけの結果になり、よりハイテンションにアイスを放たせることとなった。仲間に対する遠慮なんか一片も無い。どこまで俺を攻め立てるのか。そして攻められる絵が見たいのか。


「くそ、無茶苦茶じゃねえかマール! 豹変にも程があるだろ!」


「あはは、女の子は二つの顔を持ってるんだよ、クロノには難しいかもしれないけどね!」


「二面性で済むか! お前こそ百面相の二つ名にふさわしいわ!」


 ノリノリで緩急付けず襲い掛かる氷岩に身を逸らしながら、カエルに助けを請おうと目を向ければ欝のように体を丸めたカエルの姿。……おかしいだろ、幾らなんでもおかしいだろそれは!? お前勇者だろ? 親友の仇を討ちに来たんだろうが! 哀愁漂わせて膝を抱えるのはおかしい!


「いっ、痛え!!」



 驚愕している俺の右太腿にマールの弓矢が突き刺さる。肉を掻き分け半ば以上入り込んだ矢じりが痛覚を起こして立つことを禁ずる。
 ……やっぱりおかしい。いくら頭がおかしい霊長類頭のマールだって、ここまでするか!? いつもはふざけててもあいつは仲間を思いやる事だけは忘れない奴だったじゃないか。恐らく多分希望的観測では!


「もう動けないねクロノ。大丈夫、きっと痛いことも忘れるくらい気持ち良くなれるよ……」


「ふざけろ……そういう危機はロボの専売特許だろうが……!」


 強く怨念を秘めた視線で睨み付けると、マールはありゃりゃ、と苦笑いを浮かべて頬を指先でかいた。続いて矢を背中から同時に三本取り出して、濁った眼差しを俺に返し、「じゃあ、しょうがないよねえ」とデッサンの狂ったような笑顔で口を開く。


「残った左足と両腕が動かなくなれば、大人しくなるかもね」


 笑う事すら武器に変えたマールに、俺は言葉を失う。もう、仲違いとか、趣味の押し付けなんて可愛いものじゃない。マールは俺を仲間以前に人間として認識しているのだろうか? マールはもう路傍の石、いや、命の有無を気にせず扱える実験動物として俺を眺めていた。
 マールが弓を引いて俺の右手目掛け矢を射る。甘んじて受ける気は無い、ソイソー刀を払い迫る危険を遮る。マールはちっ、と舌打ちを零した後、氷で出来た氷柱を三本作り打ち出して、俺の刀を奪う。掌に円形の空間を穿って。


「ぐっ……おいおい、マジで、洒落になってねえぞ……?」


「そりゃそうだよ、洒落じゃないもん」


 刀は無い、魔法を使っても氷の塊に遮られマールの意識を奪うことは出来ない。せめて氷が溶け出したなら、それに伝導するように電流を流せるのだが、魔力で作られた氷はそうそう溶かすことは出来ない。ルッカのように火炎を扱えるなら話は変わるのだが……
 飛ばされた刀を見やると、俺から約二メートル弱。足の動かない今の俺にとっては果てしない距離となる。何か方法は無いか、と辺りを見回す俺を「諦めが悪いなあクロノは」と笑いながらマールは足音を近づけて来る。


「はっ、絶対に折れないのが俺なんだろうが!」


 勿論強がり。皮肉のつもりでついさっき言ってくれた言葉をマールに返す。……本当に、ついさっきまであんなに俺を認めてくれてたのに、何処まで腐ってるんだっつの。


「そういえばそうだったね」
 もしくは
「ごめん、口からでまかせ言っただけなんだ」
 そんな言葉が返ってくると、俺は思っていた。見たくない笑顔を貼ったまま。
 それらの予想とはまるで違う、決定的な一言をマールは空虚な顔で口にした。


「何それ? そんな事言ったっけ?」


 ……忘れた? まさか、何度も言うけど、ついさっきなんだぞ? 戦闘を数回行ったからって、忘れる訳が無い。それとも、まるで記憶に残らないような、どうでもいい会話だったのか?
 違う。違うはずだ。あの時のマールの顔も、声も全部覚えてる。言い終わった後の恥ずかしそうに顔を逸らす動作だって、網膜に残って消えない。マールは心無い言葉でそんな風に感情が込められる人間じゃない。そんなに器用な人間じゃないんだ。
 倒れた人を見れば放って置けなくて、落ち込んだ人間を見れば励ましたくて、無謀だって分かってても他人の為に命を賭けてしまう、たかが一般人の俺の為に王女の地位を捨ててしまう、そんな女の子なんだから。


「そうか、俺はそんなに駄目な人間だったのか……もう死にたい。それが駄目ならいっそ開き直って媚キャラを確立してみようか……いや、きっと男に媚びる姿こそ本当の俺なのか……?」


「そうネー、ただ死ぬだけじゃ面白くないし、そうやってとち狂うのも悪くないかもネー」


「そうなのか……? よし、なら早速クロノで実践してみよう。いやしかし、カエルの姿でもあいつは嫌がらないだろうか?」


 もう一度カエルたちの会話に耳を向けると、同考えても有り得ない帰結と至った様子。いつもなら『カエルは極彩色の脳みそだから仕方ない』で納得するが、あいつは本当に危ない時はボケない筈だ。……筈だ。
 待てよ俺、落ち着け。あのカエルが魔族の言うことに真を受けてあそこまで腑抜けるか? なによりマールがここまでおかしくなるだろうか? 長い付き合いではないけれど、命を預けて背中を向き合わせてきた俺に、あのマールが?


────人心を惑わせる。
 マヨネーがぶち切れる寸前にカエルが教えてくれた一言。
 もし、あの時マヨネーが怒り出したのが演技だとしたら。言わせたくなかっただけじゃないのか? 自分の手口を。警戒させたくなかったんじゃないか? これからの戦いを。
 ……あの時ぶちぎれてやたらと口を動かしたのは俺たちの気を引き付けるものだとしたら。自分の魔法が完成するまでアクションを起こさせない虚偽の怒り。
 もしそうなら。いや、そうだろう。そうに違いない。今この瞬間、マヨネーからすれば隙だらけのカエルとマールを後ろから攻撃しないのは何故か? それは、わざわざ自分の操り人形を壊す理由が無いから。飽きたおもちゃは、使う必要が無くなったときに壊せ(コロセ)ばいいのだから。


「……そうだ、そうに違いない。でなきゃ、マールがこんなに不細工になるわきゃ無えよ」


「不細工? 酷いなあクロノ……そんな事言うなら、今すぐ殺しちゃおうかな? うん、そうしよう!」


「映画でも見ようみたいなノリで決めるなっつーの……」


 俺の独り言を聞きつけたマールが頭上に大きな氷塊を作り始める。大丈夫、むしろ鋭利な氷柱で脳天を狙われるよりずっと良い。死ぬのが確定でも、発動までに僅かな時間があるんだから。
 俺はソイソー刀の落ちている場所を探して、刃先が何処を向いているのか確認する。……駄目だ、角度が違う、このままではカエルに当たってしまう。
 すぐさま手の届く位置にある氷を握り、ソイソー刀に当てて角度を調整する。刃先が……マヨネーに向いた。離れた距離からソイソー刀に魔力を送るにはまず電力を伝導させなければならない。伝導するためには水が必要、いや、電気を通すもの。


「あるぜ、俺の手にたっぷりとな……」


 穴の空いた掌から溢れ出す血液、これを伝って、ソイソー刀に電流を送り込めば……


「伸縮自在、か。流石魔王幹部、便利なもん持ってるよな!」


 満遍なく血の通り道を作る必要は無い、これはコントロールの悪い俺の魔力を正確に刀に届かせる為の道標。……本当は、俺に魔力コントロールが備わってればこんな事しなくてもソイソー刀を伸ばせるんだけど……今更自分の力不足を嘆いても仕方ない。後は、サンダーを放てば、俺の思い通りになる筈だ。


「……なにをしようとしてるか分からないけど、無駄だよクロノ。もう出来上がったから」


 マールの声を聞き目を向けると、天井に届くかどうかという巨大な氷の塊。あれに押し潰されれば、人間の小さな体など蟻を潰すようにあっけなく散らばるだろう。純粋な魔力量なら、ルッカを超えるかもしれないな、マールは。


「そうか……そりゃ残念だな」


 何が残念って、そりゃああれだ。この戦いが終わった後マールの奴が自分を責めそうなことが残念だ。妙な所で頭が固いからな、塞ぎ込みそうで怖いぜ。


「まあ、よ、く、頑張った、よね。クロノ……に、して、は」


 途切れ途切れに言葉を繋ぐマールは、酷く歪な印象を作り出し、僅かに震えていた。寒さからか、我慢の果てに生まれたのか。


「そうだろ? 意外と頑張りやなんだよ俺は。マールがそう教えてくれたんだぜ」


 喋りながら、頭の中で魔力の構成を練る。あてずっぽで作り出したサンダーではソイソー刀に充分な魔力が通らずマヨネーに届かないかもしれない。……届いたとして、あいつのマールやカエルを惑わせる魔法が解けるかどうか分からないけれど、もし無理ならここでゲームオーバーだ。いざとなったらそんな風に諦められないだろうけどさ。


「じゃあね、クロノ。たの……し、かっ……」


「……無理に笑顔作るなよ、強く噛み過ぎて、歯茎から血が出てるぞ」


 マールの口橋から溢れる血の泡は、操られたマールの心が反発しているのか。瞳から漏れる涙は、もしかして俺の為に流してくれているのか。だとすれば、それだけでいい。俺の為に泣いてくれたなら、戦いが終わった後の謝罪はいらない。そういっても、マールは頭を下げるんだろうけど。出来れば、その時は泣いて欲しくないなあ。本当に、俺の願いは呆気なく散るものなんだ。


「……どうなるかは分からねえけど、一矢報いるのが男だよな。……目ん玉開けよ、オカマ野郎!」


 俺の体中の痛みと、マールの悔しさを乗せて電流が蛇のようにのたうち回り、血の筋道を伝ってソイソー刀に魔力が灯った。
 伸びろ、床に置いままじゃ致命傷にはならないだろうけど、少しでも気がそれたなら、ほんの少し魔力が途切れたなら……アイツが終わらせてくれる。


「もう飽きたのネー。そろそろあんたも死んで……!?」


 無様に這い蹲るカエルに、右手に宿った魔力の炎をかざしたマヨネーが驚いて言葉を切る。そりゃあそうさ、自分の足元に刃が近づいてきたんだ。例え当たっても死なないとはいえ、急な出来事に心を奪われない訳が無い!


「……こんなの、無駄なのネー!」


 左手に生んだ氷の魔法で剣先を凍らせて刀の進行を止める。その速さは瞬き以下の速さ。流石、魔王軍随一の空魔士様、魔法発動に淀みは無く俺が幾ら魔力を送ってもソイソー刀はピクリとも動かなくなった。魔力を送る機能か、伸縮機能を停止させたのだろう。凍らされただけでは魔刀たるソイソー刀が止まる筈が無い。一つの魔法にそこまでの能力を付加させるとは、並みの魔法使いでは到底及ばないキャパシティ、いや、心底尊敬するよ。でも、


「俺たちの勝ちだ、マヨネー」


 今の台詞は、俺が放ったものではない。
 その声の主は、今の今まで頭を床に付けて負の言葉を呟いていたカエルのもの。一瞬の気の緩みでほんの僅かに弱まったマヨネーの呪縛から解けた、勇者の勝利宣言。
 止めを刺そうと近寄っていたマヨネーに鞘から抜き出したグランドリオンの、閃光のような切り払いは、マヨネーの体に真一文字の切り傷を残した。


「……え? 嘘」


 信じられないという顔で自分の傷とカエルとを見比べる。自分がやられるなどと、夢にも思っていなかったのだろう。夢の中にいるのではないかと疑うようにふらふらとおぼつかない足取りで倒れた椅子の足に腰を据え、傷の部分に手を当てた。


「熱い、熱い……嘘、あたい、負けた? もう勝負は決まってたのに? あんな坊やの悪あがきが原因で?」


 こめかみを震わせて、自分の敗因を探るマヨネーをカエルは静かに、見下すように冷たい目線を投げた。


「坊や? ……アイツは戦士だ。誰よりも頼れる、本当の、な」


「嫌……嫌……魔王様ァァァーーー!!!!!」


 断末魔を俺たちに聞かせて、マヨネーは白い光となり魔王城の暗闇から姿を消した……







 星は夢を見る必要は無い
 第十九話 魔王の真髄







 満身創痍の俺を治療してくれたのはカエルだった。その際はベロによる治療ではなく、ウォーターと同じく覚えた回復魔法、ヒールによるものだった。治癒増幅の効果を持つ水をばら撒きそれに触れたものの体力と傷を癒してくれる、今までに無い全体回復魔法。いやはや、勇者様は庶民の覚えるものとは格が違うね。嫉妬で茶が沸きそうだ。


 マールについてだが、彼女はマヨネーが倒れた瞬間意識を失い(それと同時に巨大氷塊も消えた)倒れた。仮に目覚めても戦闘続行は困難だろうというカエルの言葉にメンバーチェンジ、ルッカをパーティーに加えることに。
 先程の戦いの真相をカエルの口から教えてもらった。説明すると、カエルとマールはやはり操られていたそうだ。空魔士マヨネーの十八番、テンプテーション。正常な判断を狂わせ、徐々に自分の思う通りに操るという趣味の悪いものだったらしい。
 万能に見えるその魔法の弱点は一つ、マヨネー自信が気になる男性には効果が無いということ。その為過去サイラスと戦った時も、勇者サイラスには効かず、退散したそうな。……つまり俺のことを可愛いとかぬかしてたのはマジだったという事実が分かっただけ。聞かなければ良かった、なんて逃げに過ぎない。だから俺は聞いたけど忘れることにする。二、三日は夢に見るかも知らん。


「ところでさ、カエルは媚キャラなのか?」


「すまないが、テンプテーションにかかっている最中の記憶は無いんだ」


 すぐさま俺の言ったことを理解した時点で覚えがあるんだろうが、と突っ込むのは容易い。しかし、さっき危機一髪で俺を助けてくれたことの恩を使って苛めるのはやめてやろう。何よりそんなことに体力を消費したくない。連戦に継ぐ連戦で熱が出そうだ。ちなみに俺が前に熱を出したのはルッカの実験以来。あいつがいなければ俺は健康優良児として生きていけた。
 しかし、カエルの言葉からマヨネーに操られていた間の記憶はハッキリと覚えているのかは謎だが、多少なりとも残っているのが確定した。マールが気にしなければいいのだが……


「……優しいのね、敵の魔法にかかってたからって、あんたボロボロにされて殺されかけたのよ?」


「別にいいよ。命張って戦うんだ、そういうことだってあるさ。……ルッカ、未来の時みたくマールを責めるなよ」


「心得てるわ、あの子は誰よりも自分で自分を責める子だって分かったから」


 肩を落とし、「やれやれ、可愛い子には甘いんだから……」と口を尖らせルッカが会話を終わらせる。続けて「それにしても、」と新たに話し出すルッカの目はもうこれからの事を見据えていた。


「これからが思いやられるわね……中ボス二体を倒して、まだビネガーと魔王が残ってるのに、クロノは全快には程遠い状態で、ロボとマールは戦闘不能。メンバーチェンジは無理……と。一度引き返したい所だけど……」


「不可能だな、魔王城は一度入れば全ての出口が封鎖され結界が施される。グランドリオンとて、その結界を破れるかどうか……万一破れたとしても、恐らく罅の一つや二つではすまんぞ」


 苦い顔でカエルの予想を受け止めるルッカ。つまるところ、逃げ道は無く、あるのは前進あるのみってことか。いわゆるファイナルファイト、ハガー市長が一番強いあれだ。


「まあ、なるようになるさ。カエルとルッカが頑張れば」


「あんたも戦力に数えてるんだから、自分は後方待機なんて思わないことね」


 ソイソー戦に続きマヨネー戦でも大怪我を負った俺を労わる発言は無い。労働基準法違反なんてものじゃないな。アラブの兵隊さんみたいな扱いをしやがる。ユニセ○は今窮地に陥っている俺を助けてはくれない。それでも、世界は回っているのが不平等というかなんというか。


「悪いなクロノ、お前が抜ければ魔王を討つことが出来そうに無い。頼ってもいいか?」


「……良いけどさ。俺を頼りにすると悪い目が出るぜ? 賭け相撲で俺に賭けた奴は例外なく破産してるんだから」


 ふと昔を思い出して軽口を叩いてみるも、ルッカもカエルも声を出して笑ってくれないのが不安だった。いや、俺は駄目だよ。俺を頼れるナイスガイだと持ち上げたら良いことないんだから、本当に。





 こうして左右の長い通路を突破して魔王軍幹部を二人撃破したわけだが……考えてみるともう先に進む場所が無い。どうしようもない怒りをちびちびカエルを苛めながら、なおかつ俺がルッカに苛められながら時間が過ぎる。因果応報とは真理なのだよワトソン。
 さあてどうしたものかなと悩みながら一同は大広間に戻ることにした。途中でまた子供たちが「遊ぼう……」と誘ってきたが、「子供は寝なさい」というルッカの発言に数回頷きその姿を消した。結局、あの子供たちが魔物なのかどうか分からないまま、という解けない謎を残すことになった。あれだよ、展開を作るのが面倒になった漫画家がセカイ系に逃げたときのモヤモヤ感。一歩違えば独特の空気を作り出す名作家に成り得たのに惜しい、という作品は吐いて捨てる程ある。
 そうして大広間に戻ると、時の最果てにあった光の柱似た、光の粒が大窓の前に湧き上がっていた。
 敵の罠かもしれない、というルッカとカエルの言を無視して俺は光の流れ、その中に飛び込む。仮に罠だとしても延々こんな薄暗くて埃臭い城を右往左往するのはごめんだ、服のクリーニング代だって安くないんだから。母さんは俺のことに関してはお金をくれないんだから。かろうじてあいつが俺にくれたものは虫歯になった時に渡してくれた保険書くらいのものだから。治療費は子供ながら自分で稼いだ。というか、同情してくれた近所のおばさんがくれた。
 光に飛び込んだ先の光景は今までいた大広間とは全く違う風景。長方形の長い部屋に座り込んでいた。やはり時の最果てと同じ、何処かにワープさせる代物だったようだ。


「よくやったクロノ。だが何の準備も無く走り出したのは減点だ!」


 剣を振るい続けて鍛えられた腕で俺にハンセンラリアットを行使するカエル。声帯に異常ができたらどうするのか尋問したいけれど、ルッカも俺を睨んでいるのでここは大人しくしておく。数の暴力には勝てない。一対一なら勝てるのか? と聞く人間と俺は友達になりたくない。正論は時に友情を遠ざける。


「マヨネーとソイソーを倒すまで現れなかった事を見ると、あの光の流れはあいつら二人が封印していたのかもしれないな……二人を倒したことで道が開かれたか」


「限定的にとはいえ、人造で瞬間移動ゲートを作るなんて流石は魔族ってところかしら?」


「もういいよそんなこと。良いから早く行かないか? 俺トイレ行きたくなってきた」


「我慢なさい。最悪その辺の柱の影で出しなさい」


「それでもいいならそうするが、その前に紙をくれ」


「大の方なら気合で我慢なさい!」


 理不尽だ、生理現象は忍耐力でカバー出来るほど生易しいものではないのに。そして我慢しすぎると肌が荒れる原因になるのに。女の身でありながらそんな基本美容法も知らないのか? この俺、クロノは毎晩化粧水を使うのを忘れない。お陰でもっちもちの肌で赤子肌のクロノとトルース界隈のおばさんたちから尊敬の目で見られているのだ。ファンデーションは使ってません。


 ルッカに懇切丁寧にお肌の手入れ方法を教えてやろうと思い、胸ポケットに常備している『クロノお手入れグッズ・携帯用』を取り出してやると有無を言わさず撃ちぬかれた。これで二か月分の給料がパーだ! かっけえ!
 悲しげに香水を入れていた瓶を拾い集めていると、カエルが「なんだその液体は? 鼻が曲がりそうな臭いだ」と顔をしかませた。一応コレ、売り上げナンバーワンの香水なんだけど……ああ、こいつ硬派っていうより田舎者なんだな。謎が解けていく。コナン・ドイルのように。


「あああ……コレ一つでポーション二十個分の値段なのに……」


「だったらポーション買いなさいよ……アホ臭い」


 今言うことじゃないかもしれないが、ルッカはこういったお洒落関係のアイテムを蔑ろにしすぎる。マールだって蔑ろにするというか、興味が無い。カエルはそれ以前。俺がショッピングを楽しめる相手はロボしかいないのか? 今度古着屋を回る時はロボを誘うことにしよう。そうしよう。


 と、脱線が過ぎたところで魔王城探索を再開。落ち込んだ俺を鼻をつまみながら励ますカエルの存在がまことしやかにうっとうしい。このうっとうしさを表現するならあれだ、ザボ○ラのよう、というのが近いんじゃなかろうか。いつかコイツの部屋でアロマ香を五種類くらい同時に焚いてやる。蜘蛛を散らすように家を飛び出せばいいんだ。
 ぬるい歩調で前を歩くカエルとルッカについていきながら、部屋を見回すとやっぱり趣味が悪い。大広間で置かれていた燭台は無く、その代わりに甲冑と牙を見せ付けた、翼のある化け物の石像が隣り合わせに置かれている。
 とはいえ、壁に火のついた蝋燭が設置されているのは嬉しい。視界良好とは言わないが、壁際に明かりがあれば、暗がりから魔物が襲い掛かってきても意表を突かれることなく対処が可能だからだ。


「場所の把握もいいがクロノ、残る魔王軍幹部のお出ましだ」


 カエルの緊迫感の滲む声に振り向き、指差す方向を見れば、高密度の魔力の為か、蜃気楼のように歪む視界の奥に皺の少ない大仰なローブで緑の肌を覆う鯰親父、ビネガーが俺たちを見据えていた。


「ソイソーとマヨネーを倒しここまで来るとは……彼奴らも鈍ったか?」


 ゼナン橋で見せたコミカルな言動はなりを潜め、内には凶悪な気迫を込めた眼光が暗い室内を彷徨うことなく俺たちを捉えていた。侮る無かれ、奴はたった一人で王国騎士団を相手取り……そう、ヤクラを殺したのだ。


「ある意味、こいつとマールが会わなくて正解かもな」


「そうかもね。あの子があいつの姿を見たら考え無しに突っ込んで行きそうだもの」


 が、俺たちも内心穏やかとは言えない。正直俺だってようやくビネガーを斬れると、心は猛っているのだから。
 それをしないのは偏にカエルのお陰だろう。俺たちよりもずっとビネガーを恨んでいるカエルが取り乱さず相手の出を伺っているのだから。


「次は貴様だビネガー。最後は魔王軍幹部の誇りを持って、散れ」


 剣を腰の後ろに回し、渾身の抜き払いを当てようと構えるカエル。遅れながら俺たちも剣を抜き、銃を構えるが、ビネガーは高笑いをするのみ。……ただ、その余裕が不気味に映り、俺たちの背中を引っ張ってしまう。
 もう少しの切っ掛けがあれば、いつでも飛び出せる覚悟が出来たというのに、その一押しが現れない、作れない。息を吸うのも苦労するその場で動いたのは、ビネガーの口。厳かに、けれど大きくは無い声量でビネガーはこの場の空気を変えた。


「ビネガー、ピーンチ」


 あくまでも、真顔である。真顔での一言である。朝食の和気藹々とした場で告げられるお父さんの「あ、そういえばパパ、昨日リストラされたから」みたいなもんである。朝のホームルームで先生が「今日の体育が中止の代わりに今から皆で殺し合いをしてもらうぞー」と近いものがある。葬式の相談を坊さんとしているのに大黒柱の長兄が「ところで、通夜に出すお寿司はわさび抜きがいいんですが……」と弟妹たちの泣いている前で宣言するのに……もうやめよう。
 とにもかくにも、俺たちが拍子抜けして構えを解いたのも納得できるだろう。ビネガーは一瞬の隙……いや多分放心時間はもう少しあったと思うが……を突いて逃走した。そりゃあもう、走るのに邪魔なローブの裾を持ち上げながら風呂場で火事に気づいた爺さんのように、みっともなさを前面に押し出して。


「ああ、そういうことしていいんだ。俺、魔王城だから流石にふざけるのはやめようと思って我慢してたけど、別にちゃらけてもいいんだ?」


「今この場でなんちゃって行動を取ってみろ。誰とは言わぬ、俺が貴様を狩るぞクロノ……」


「もう無理だよ。この空気を元に戻すにはどこかで編集点を作ってカットする以外ないよ」


 分かった事がある。この世界でまともな老人はいない、ということ。老人ほど無茶をする奴はいないということ。流石、年金を馬鹿ほど貰っている人種は違う。特に政治に近い人たち。


「魔王城の戦いって、激しいものだと思ってたんだけどこんなもんなんだ?」


「違う! さっきまでは、少なくともソイソーとマヨネーと戦っているときは手に汗握る男の戦いで……ああ! どうしてくれるクロノ!」


 折角格好つけて挑んだ魔王城の戦いがコメディになるのが耐え切れないカエルはぼんやりしたルッカの一言に噛み付き、巡り巡って俺に怒りをぶつける。このパーティーは理不尽な事態に陥ると俺に当たるという悪癖が形成されつつある。教えておいてやるが、男の子だって泣く時は泣くんだ、あまり俺に精神的負荷を与え続けるととんでもないことになるぞ? 膝を抱えて泣くぞ?






 てんやわんや、という言葉を知っているだろうか? それからの俺たちは正にそれだった。
 魔王城の奥に進むたびにビネガーは直接対決を避けて陰湿な罠を仕掛けていった。
 例えば、狭い通路にぶら下がっているギロチンを遠隔操作で落として攻撃してきたり、(ここでルッカが苛々を募らせ始めた)魔王城の生活で溜まったのだろう生ごみを階段の上から投げてきたり、(ここでカエル二度目の爆発、俺が嘔吐したところで進行再開)落とし穴を設置した部屋で俺たちの行く手を遮ったり、(そこでルッカも爆発、便乗してカエルも俺に当り散らし出したのは目を見張った。二人は俺が泣くまで殴るのをやめなかった)大部屋で急遽作ったのか大変出来の悪いモンスターキャバクラに俺たちを誘い込んだりした(ルッカの投げたナパームボム一つで歌舞○町ナンバーワンの夢たちが消えていった)。


「やばいわ、これじゃ流石に持たないわよ。主にクロノの体が」


「確かに、いつ壊れたとておかしくはないな……主にクロノの心が」


「俺、現代に帰ったらハローワークに行こうと思うんだ。どんなブラックでも生きていける気がする」


 月給十五万くらいで全然良い。なんなら時給二百五十円でもやってやる。ふとした拍子に殴られて文句を言えば燃やされる職場でなければどんなところでも天国なんだ。頭のさびしい上司の愚痴なんか二時間三時間優に聞いていられる。未来は俺の手の中には無い。
 俺が練炭を買うべきか悩みだした頃かなあ、ようやくビネガーを追い詰めたのは。どうでもいいけど、天国では人は人を殴ったりしないのだろうか? もしそうなら俺は切符を買う。むしろ指定席で飛んでいくのに。


「来たか……」


「『来たか……』じゃねえよ。てめえの意味深な台詞には飽き飽きだ。お前のせいで俺は生きる希望を失いだした、償え」


「正直、貴様の待遇には同情するがワシとてやられとうない。痛いのは歯医者だけで充分なのだからなっ!」


 えらく可愛い思考回路だが、仮にあいつの正体が銀河アイドルで、緑色の肌と顔はボディースーツによるものと言われようが、顔ぱんっぱんにしてやるという俺の目的は変わらない。誤差修正は一ミリも無い。


「グゲゲ……とはいえ、確かに貴様らはよくやった。だが遅かったな、もう魔王様の儀式は終わる……ラヴォス神を呼び出しておるわ!」


 あくどい顔を晒し、ビネガーはタイムリミットを過ぎた、と伝える。ああ、そういえばラヴォスを呼ぶ儀式を止めるのが目的だったっけね。忘れてたよ、だってどうでもいいんだもん。今はお前を殴りたい、蹴りたい。蹴りたい顔面という本を出版したいくらいに。


「やられはせん……やられはせんぞ! わしのバリアーはどんなものでも」


 この辺りだったかなあ、ルッカのハンマーがビネガーに当たって、その後俺が窓から突き落としたのは。
 そういえば、ビネガーってどんな戦い方をするんだろう? と疑問に思ったのは二十分後のことだった。


 それから、大広間と同じくワープポイントがあったのだが、そこに入る前に各々の体力回復を図ることにした。ルッカはともかく俺とカエルはまだソイソー、マヨネーとの戦いの疲れが色濃く残っている。カエルが持っていた一時休憩用アイテム『シェルター』を使い消耗した体力、魔力の回復に勤しむ。なんせ、これから魔王と戦うのだ。万全の準備をしておくことは間違いじゃない。


「ねえカエル。魔王ってどんな戦い方をするの?」


「そういやお前は魔王と戦ったことがあるんだよな」


 ルッカがこれからの戦いに備えて魔王の攻撃パターンや魔法をカエルから聞き出そうとする。俺も興味がある。正直ビネガーみたくやる気の無い豚野郎ならその情報は無駄になるが、それは甘い期待だろう。多分。
 剣を研いでいたカエルはその腕を止めてルッカの言葉を噛み砕くようにじっくりと吟味して、思い出しながら答えを出す。


「どんな戦い方……か。武器なら分かる、身の丈を超える大鎌だ。魔法の種類は氷、炎、雷……確か、天というのか? それにスペッキオの言うところの冥を扱う。しかし、戦い方は分からない。というよりも……そう、全てだ」


「全て?」


「そう、全て。肉弾も、武器を扱うことも、魔力を操ることも、地形を変えて、天候を意のままに、感情を操作して、必ず屠る。あいつを何かの予想に当てはめて相手取ろうとするな。常識など無い……グランドリオンですら、奴を貫けるのか確信は無いのだから」


 剣を研ぐ手を再び動かして会話が終わる。ルッカも気を引き締めたように頬をはたいて手からを炎を出しては消してを繰り返し魔力量とコントロール力の再確認を始めた。俺は……これといって何もすることはなくぼーっと二人の作業を見守った。


「あのさ……考えてみれば、これで俺たちの旅は終わるんだよな?」


 沈黙を嫌ったわけではないが、何となく思った事を口にする。言葉は緩いスピードで泳ぎ始め、二人に到達する。


「そう……ね。ラヴォスを蘇らせた魔王を倒したなら、未来は救われるんだもの」


「そうか……いや、別に感傷に浸ってるわけじゃないぜ? ただぼんやり思っただけだ」


 手を振って、ここで終わりと伝える。カエルもルッカも気にした様子は無く、また戦闘の前準備に戻った。
 そうだ、感傷なんかじゃない。そんなものは持ってないし、それを感じるのはロボかマールだけだ。
 短くも長くもなかったこの旅の終焉。ただ、一つの不安があるとすれば……


「実感は、無いよな」


 そんなもの、何の根拠も無いのだから、いちいち二人に聞かせないよう、小さく呟いた。






 ワープゾーンの先には、ただただ長い下り階段。天井の見えない暗闇から数十以上の蝙蝠が下りてくるが、自分から襲い掛かることは無い。贄を待つようなその在りように、寒気が這い上がり首元まで侵食する。それが、階下から上る冷気のせいだと気づくのは、カエルが俺の肩を叩いた時だった。


「……俺は、どうあっても魔王を討つ。それだけが俺の生き甲斐となったから、な。でも、お前達は違う。そうだろう?」


 少し痛いくらい俺の肩を握るカエルはほんの少しだけ申し訳なさそうにしていた。もしかしたら、自分の復讐に似た今回の戦いに巻き込んでしまったと思っているのだろうか? だとしたら、とんでもない思い違いなのに。


「だから……生き延びろ。何が何でも、な」


 ……思い違いなのに、その重い期待に俺は何も言えなくなってしまった。
 星の運命が、決まる。






「ダ・ズマ・ラフア・ロウ・ライア……」


 階段を下りきり、錆び付いた扉を開いた先。床に立たされた蝋燭が、中を歩く度に侵入者を歓迎して火を灯す。響く声は低く擦れたように流れ、歓喜。その対極の感情を否応無く俺たちに植え付ける。
 室内は蝋燭以外何も置かれておらず、寂しい光景と言えるだろうに、何故だか猥雑な印象を受ける。それは、この空間に充満する、言ってみれば魔の気配から来るものだろうか?
 紫煙のくゆる空気は喉にはりつき、それでも不快とは一概に言えないこの矛盾。有り得ない心象を刻むこの揺さぶりは、意図されたものなのか、それとも、この矛盾こそ魔王の放つ気配なのか。


「リズ・マルア・サバギ・テニアラ・ドウ……」


 蝋燭の置かれた位置は来訪するものをこの城の主に案内する。風に揺られても灯火を絶やすことの無い炎は力強さよりも無機質さが際立ち、火の概念にすら不安を覚えさせる。


「紡がれよ、天と地の狭間に……」


 カエルもルッカも、そして俺も。左右の暗闇から魔物が襲ってくるのでは、と不安に思うことは無い。何故なら、今ここで呪を唱えているものに、護衛の類は不要なのだから。魔を司るとはすなわち死を司るということ。それはきっと魔物のみでありながら平等に与えられる。具現化した死に守りなどいらないだろう。


「この、大地の命と引き換えに……!」


 部屋に敷き詰められた蝋燭が、明かりを引き連れて一斉に姿を現す。
 ……見えたのは、異形の顔を持つ人間の像。大きさは部屋の天井に頭がついていることから、五メートル前後。
 奇怪な文様の魔方陣。赤い線は鉄の匂いが含まれている、予想だが、血液を使用していると思う。
 青い、長い髪。黒いローブ。分厚い皮の靴と手袋。……特に珍しいものではないその人間こそ、異様に存在感を放ち、呼吸を忘れさせた。


「……魔王……っ!」


 動いたのはカエル。いやそれでは少し間違っている。動けたのが、カエルなのだ。


「……いつかのカエル、か。どうだ、その後は?」


 呪文を止めて、魔王は広げていた両手を戻しこちらを一瞥もせず応えた。


「感謝しているぜ……こんな姿だからこそ」


 鞘を放り、高らかに剣を掲げて、右手で握り魔王の背中に向ける。その切っ先に、殺意と想いを乗せて。


「ほう、貴様がグランドリオンを……なるほど、道理で。……だが、今度は他の者が足手まといにならねばいいが……な」


 ひゅおお……と、風も無いのに、風音が耳を通る。肌には感じないその風は、悲しそうに、誰かの嘆きのように胸を締め付け離さない。
 その嘆きは、その内容は、なんだったのだろう? 嘆願? 悲鳴? 悔恨? 憤怒? 感傷恋慕快楽贖罪懺悔憐憫情熱狂気嫉妬絶望?


「黒い風がまた泣き始めた……よかろう、かかって来い」


 きっとそれは、


「死の覚悟が出来たならな」


 生人を誘う、死人の咆哮。





 三者同時に足を動かし、魔王を支点に囲む。動いた! この魔王城に来て一番自分を褒めたいところだ。あの尖り狙う殺気の渦から抜け出せたのだから。
 ルッカは早くも魔法の詠唱を開始する。カエルも同じく印を組み最高の魔力構成を作り出した。俺はソイソー刀を刺突に構えて魔力を送り、剣を伸ばそうとする。魔王はまだ動かない。全員の同時攻撃準備が六割、いや八割を終えたこの瞬間になんのアクションも無い。


「燃えろ」


「……え?」


 油断は無かった。あらゆる瞬間で魔王の動きを見逃さないように集中は怠っていない。瞬きすら死に直結するかも、とまで目を見開いていた。そこが間違いだった。死に直結するかも、ではない。繋がるのだ、それはもう、酷く密接に。
 魔王の『燃えろ』。ただその一言で俺たちは地に伏せることとなった。
 魔王を軸に広がる円状の炎の壁。恐らくそういったものだったと思う。一瞬炎の舌が魔王の足元で発生し、次の瞬間には俺たちは炎の中に身を投じていたのだから。


「か……はあっ!」


 磁力全開、それにより浮かべた石の床でかろうじて防御した俺は喉にダメージを負ったが、まだ体は動いた。かろうじては、という程度ではあるが。
 一度倒れたカエルも詠唱破棄したウォーターでダメージを軽減。ルッカは同じ火属性だったことが幸いし、爆風に投げ出された体を起こした。


「ほう、立てるか女。それなら」


 魔王が指を鳴らした瞬間、ルッカの悲鳴が一瞬聞こえて、その体を見失った。黒い半円の幕がルッカを包んだのだ。天頂から徐々に幕は削がれていき、残った場所には無残にへこんだ床と、ルッカが体中から血を流し気を失っている姿。


「……! ルッカ!」


 嗄れた声で呼びかけて動かなかった体にむりやり力を入れて走り出す。制止するカエルの声を振り切って近づく俺を、氷のような目で見つめる魔王が掌を突き出した。
 瞬間、俺の腹に練りこまれた円柱状の電撃の柱。俺が天属性だから体は繋がっている……もし、俺が火属性や氷属性なら、上半身が蒸発したか、遠く後ろに放り出されただろう。


「くっは……! ……まだ、まだ動ける!」


「随分と頑丈なのだな、いや貴様らも魔法を使えたか。ならば相性が良かったに過ぎん、か」


 歯を食いしばりもう一度駆け出す俺に魔王は一瞬感嘆の声を上げ、すぐにタネを理解する。足をふらつかせながら走る俺に指先で照準を合わせてまた指を鳴らす。……ルッカを倒した魔法か!?
 俺の周りにルッカの周りに現れたものと同じ半円球の幕が作られていく。身構えた俺を襲ったのは、天から俺の体に降る、単純な力。堪えることなど出来ない重さが圧し掛かり、堪らず膝を突いて床に押し付けられる。その力は幕が消えていく瞬間瞬間で増していき、床と体が同化するのではないかとまで思えた。
 暗幕の消えた頃、俺は走るどころか立つことすら困難な体となり、意識を保つことで精一杯となる。


「先の女もそうだが、息絶えていないとは流石、魔王城を越えただけのことはある……なら」


 魔王が下手投げをするように腕を下から頭上に持ち上げる動作を繰り出すと、俺の周りに体の無い顔が次々に浮かびだした。その顔の一つ一つが俺を羨むように、蔑むように見てくる。不気味な光景に目を閉じようとするが、どうしても目蓋が動かない。いよいよその顔は俺に近づき、体の中に入っていった。
 不意に俺を縛る力が消えて目を閉じると、猛烈な吐き気と心臓の痛みが始まった。頭は脳みそをかき混ぜられているような不快感を訴え、口からは止められない吐血が体の危険を知らせる。鼻や耳、果ては目からも流血が起こり爆発するように早鐘を打っていた鼓動は徐々に途絶えようとしていた。


「ごぼ……え? あ?」


「理解できぬ、という顔だな。今貴様に放った魔法はヘルガイザー、貴様の命を少しずつ、確実に削り取るものだ……遅々と死ね、上出来な凡愚」


「ヒール!」


 横から飛び出してきたカエルがヒールをかけて俺の体力を回復させてくれる。それでも戻った体力からすぐに血液として体から流れていくのは止められない。無間地獄とはこのことか……


「大丈夫かクロノ? ……安心しろ、あの魔法は対象が魔法をくらった時点での全体力しか奪わない。もう少しでその症状は治まるはずだ」


「ぼ……ぼんどう、が?」


 喉に血がからみ濁音しか発生できない俺の聞き取りづらい声を理解し、カエルは力強く頷いてくれた。


「そのままでいろクロノ……あいつは、俺が倒す」


「断定したな。力の差が分からぬ程矮小な人間とは思っていなかったが」


「……問答は無用」


 俺を励ましつつ詠唱していたカエルのウォーターが魔王に飛び、それに追随してカエルが電光石火の突きを放つ。ウォーターは魔王の作るより強い水流に消え、突きは容易く横にかわされた。しかしボッ、という音が遅れて聞こえる音速の蹴りをカエルは手で受け流し首元を狙い再度突く。グランドリオンは空を切るも魔王の攻撃もカエルには届かない。至近距離が過ぎる今では魔王も魔法を練れず肉弾戦のみの戦いとなっていた。


「これが、魔王と勇者の戦いなのか?」

 ヒールにより一時的に治った喉で身震いした声を落とす。
 互いに一進一退。魔王の攻めはカエルの剣を越えず、カエルの猛撃は魔王にいなされる。時間は僅か数分足らず、けれど濃縮されたそれは確かに激闘と呼べるものだった。


「ふむ……かつてに比べ格段に腕を増したな……だが」


 一度距離を置いた魔王はいぶかしむカエルを笑い、その凍えるような顔を動かして、今だ動けない俺に向けた。……まさか、嘘だろ?


「ヘルガイザー」


「ひぎっ……がああぁぁ!!?」


 地獄の苦しみが再来し、俺の体以上に心が殺されていく。もういいから、殺してくれと言いたいのに口は悲鳴以外の音を鳴らさない。涙や鼻水が血に混じり薄紅色の化粧を顔に塗りたくる。カエルが俺の名前を叫ぶが、耳を閉ざすように血が満ちている鼓膜はじゅくじゅくという水音を優先的に脳に届けてしまうのでよく聞こえない。


「甘いな、グレン。仲間の悲鳴一つで貴様の気は乱れ途絶える。勇者とは心魂を強靭に保たねばならんのだろう?」


「クロノ! ……おのれ、魔王!」


 グランドリオンを正眼に構え、魔王との距離を詰めるカエル。その俊足は風の如く、流星のように剣光を繋いでいた。


「何より……サイラスにも劣るその剣技で俺に迫るか」


 魔王は何も無い空間から闇よりも黒い大鎌を呼び出す。その黒は今この場にあって尚目立ち、その存在理由を愚者に思い知らせる。
 跪け、と。


「ぎっ!?」


 カエルの剣が届くよりも速く魔王の鎌の先端がカエルのわき腹に入り込んだ。魔王は右手以外なんら動かしていない。ただ持ち上げて、振っただけだ。技術など無い、単純な攻撃。それが、あのソイソーと斬りあったカエルを破ったのだ。
 鎌をカエルの体ごと持ち上げて、俺の近くに投げ捨てた。「あ……が、ああ……!」と苦悶の叫びを押し込めるカエルの顔に、確かに見えた。絶望という結果が。


「か……かて、ない」


 自分の声が涙交じりだったことに驚きはない。今までにも負けそうになったことはあった。王妃、警備ロボ、ジャンクドラガーやソイソーにマヨネー。……でも、ここまで圧倒的だったか? ここまでの屈服感を味合わされただろうか?
 そうだな、俺は今この場に来るまで負けを意識していなかった。もしかしたら怪我するかもしれない、というどこか第三者的な、観客のような緊張感しか持ってなかったんだ。『死ぬ』なんて、意識してない。ゼナン橋だって、いざ戦いに向かった時俺は『死ぬ』なんてこれっぽっちも思ってなかった。でも、今は違う。
 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。遊びじゃないんだ、だれもタイムなんか宣言しない。夢でもないんだ。誰も俺を起こしてくれない。だって、ここが現実なんだから。


「ぐ……ヒール……」


 痛みでぐらつく精神で回復魔法を完成させたカエルは俺とルッカに回復の水を振り掛ける。それを見た魔王が「まだやるのか……?」と手袋をきつく付け直していた。


「はあ、はあ……完治には程遠いか……」


 ゆっくりと傷を負った場所を押さえながらカエルが立ち上がる。そこを狙い魔王が氷の槍を飛ばし肩を削られたカエルがまた床に沈む。起き上がっても、勇気を見せてもさらに強大な力で這うことを強制されるその姿は、悪夢としか言いようがなかった。


「なんだ? これ……こんなの、ただの遊びじゃねえか……」


 どこまでも、限りなく悪意溢れる遊び。ルールは殺すこと。いたぶってもいいし、魔法も鎌も使っていい。相手がどれだけ痛がろうと、怖がろうと冷酷に殺せるかがゲームをスムーズに進めるコツ。対象が足掻く様を見るのがゲームの目的ってところか、畜生……!
 俺の自棄な台詞を聞いた魔王の耳がピク、と動き地面を這う俺の姿を視界に入れた。

「遊び? なるほど、確かにこれは遊戯と言えるだろう」


 言って、先程の儀式のように両手を広げた。世界を牛耳るように、地上を覆いつくすように。


「だが、往々にして世に生きる全ての生き物が起こす行動は快楽に繋がっている。すなわち、遊び。世界の隅で行われている幼子たちが遊戯により得る連帯感、充足感と、今貴様らが死ぬこの瞬間の絶望、嘆きは全て誰かの遊びにより生まれ出でる。悲しむな、悔やむな、ただあるがままを受け入れよ、生あるものの一生など、それらの繋がりでしかないのだ」


 この時、今この時だ。俺が、魔王の声を心地よいと思ってしまったのは。縋りたいと願った、その思想、哲学にも近い何かに。何もかもがゲームだとすれば、俺は痛みを感じる必要も無いし、怖がる必要も無いんだ。誰かと別れる悲しみも口惜しさもなんら、なんら。
 死ぬのが怖い? それは妄想、想像、夢想の類で、本当は何も感じる必要はないのだと思わせる何かが、その声と言葉に縫い付けられていて、毒が回るように俺の人生観を書き換えて、生きる意志のようなものが壊れていく。
 どのみち、生き残る術はない。『もしかしたら』と『かもしれない』が消えていく。
 もしかしたらこの旅を終わらせられることが出来るかもしれない。もしかしたら魔王を倒せるかもしれない。もしかしたら生き残れるかもしれない。『もしかしたら』が絶対に代わり、『かもしれない』がわけが無いに変化する。
 絶対にこの旅を終わらせられるわけが無い。絶対に魔王を倒せるわけが無い。絶対に生き残れるわけが無い。暗い想いはそこには無い。ただ、無色な感情が浮遊するだけ。気力とか、成し遂げようとする意思を作り出すその根本の部分が麻痺してしまう。


 本当ならそりゃあ、もっと足掻いて足掻いて最後に散る、なんて格好付けてみたいさ。死にたくないけど、何もせずに死ぬか? と聞かれれば勿論何かをして、残して死にたい。でも無理なんだ。
 力とか、魔力とか、そういう単純な部分じゃあない。手も足も出ないから諦めるとか、表層部分で諦めたんじゃないんだ。簡単にあしらわれたからって心はそう折れるものじゃない。
 『魔王』、その重荷にしかならない称号を俺たちと変わらぬ背丈で背負い続ける魔王。覚悟も、命の使い方も、精神的な剛健も。勝てる要素が無いと、数秒向き合って分かってしまった。中途半端に力量をつけてしまったせいかな、俺たちの力を合わせても、いや相乗しても魔王には及ばない。それこそ、足元どころかその足を支える床でさえ手が届かない。


「もう……勝てない……」


 体も、心も動かない。……動きたく、無いんだ。


「諦めがついたか。ならば死ね、風がお前を誘っている」


 死神を従える魔王が持つ、正真正銘のデスサイズ。あれに斬られれば魂ごと刈り取っていくのだろう。魔王はしゃおん、と澄んだ清流のような音を立てて、その断罪の刃を振り下ろした。





 それを許さない人間は今この場で、この世界でただ一人。





「臭いのよ、台詞が!」


 魔王の放った火炎壁と比べて随分ちっぽけな灯火。その熱量の塊をルッカは渾身の力で振りかぶり、投げた。
 魔力が出血の痛みと体力消耗の為上手く練られず、風が吹くだけで掻き消えそうな弱い炎。コントロール制御は対象に直接放ることによりカバー。彼女の攻撃は、確かに弱者の足掻きでしかなかった。
 そのまま寝ていれば、戦うことで得る痛みや苦しみ、無力を味わうことは無かったのに……何故?


 魔王は虫を追い払うように片手を振り炎をかき消す。間を置かず打ち出された弾丸は視線一つで地に落とし、ナパームボムを同時に三つ投げられた時も氷を操り爆弾を凍らせる。ルッカは火炎放射器を向けて火を放つも、電撃を打ち出されて機械が爆発しその余波を間近で受けたルッカはさらに傷を負う。それでも意識を留めながらハンマーを投げて応戦、これには魔王も瞳を揺らし、魔力で防御することなく左手で受け止めた。
 彼女愛用のハンマーを手で遊びながら、魔王は不思議そうに問う。


「諦めないのか? ……随分と無様な。最後まで生きようとする心は否定しない。だが抵抗も度が過ぎれば悪質となる」


「無様で良いわよ、それが私だから。諦める? このルッカ様の人生で一番縁遠い言葉ね」


 魔力の直撃を受けて体から血を垂れ流し、帽子につけたゴーグルはレンズは吹き飛び、フレームは曲がりくねって半ばから取れている。左手の骨が折れているのだろうか、だらりと宙に浮かせ、時折体に触れた時「ぐっ!」と呻く。足だってもうボロボロで、立っていることが奇跡に思えた。
 ……違う、立っていることが奇跡なのは、怪我のことだけじゃない。何故立とうと思えたのか、生きようと願えるのか。


「あんたさっき言ったわね。あるがままを受け入れる? それは良いわね、きっとどんな不幸が起きてもそう思ってれば楽でしょうよ……運命なんて都合の良い敵役がいれば舞台は整うわ、主人公は自分自身で、絶対に勝つことが出来ない喜劇。誰でも思い浮かぶ材料で、誰でも入手可能な舞台装置で、生きている限り誰でも扱える役者がいれば成り立つ舞台……でもね」


 彼女は魔王に語りかけている。その声は刺々しく、忌み嫌うような声音だから。見たくも無い、そんな奴に聞かせる感情を込めているから。
 ……なら、何でルッカは俺を見てる?


「その舞台を、誰が見てるの?」

 いつだって俺が諦めそうになったとき、ルッカは俺の頭をはたいてきた。
 逆上がりができなくて、ふてくされてしまった時。算数の公式が理解できなくて宿題をサボろうとした時。飼っている猫が病気になって医者にも見捨てられた時。……そうだ、昔見た演劇が原因で俺が街の子供たちから孤立していじめられてる時だって。思い切り脳を揺らして俺を正気に戻してくれた。
 ……ああそうかい分かった。分かったよ。皆まで言うな。


「自分が客席で見てる、なんてつまらない三文小説みたいな事は言わないでね。自分は役者なんだから、観客席にいるわけが無いの。じゃあ観客は誰? 自分以外の誰かでしょう?」


 だから言うなって……ああ、俺が倒れてるから続けてるのか。それなら……
 右手に力を入れる。不思議だ、ルッカの姿を見るまで神経が全部ブチ切れたんじゃねーかってくらい動かなかったのに。指先が動くじゃねーか。さっきまで指先も動かなかったんだから、次は体全体動くだろうさ。早くしないとあの幼馴染が叩き起こしてくる。それは寝覚めが悪い。
 寝覚め……そう、俺は寝てたんだ。じゃなきゃあんな気持ち悪いニヒリズムな考えを持つわけが無い。


「そんなだらけた一生を見せられて、観客の誰が拍手を送るの? 少なくとも私は送らないわね、そんなもの途中で劇場を出るわ。カーテンコールまで耐えられないもの。さっさと幕を下ろせって話よね」


 それ、つまり死ねって言ってるんだよな? ……励ましてるのかと思えば、それと真逆なこと抜かしやがる。けどまあ、ルッカの言うことは正しいよ、そんな盛り上がりの無いシナリオなんかくそ食らえだ、脚本家をすぐにクビにしたほうが良い。


「婉曲に過ぎるな、つまりお前は何が言いたい?」


「分からないの? じゃあ分かりやすく言ってあげるわ。なんてことないのよ、私が言いたいのは一言だけ」


 剣はどこにある? 俺のすぐ近くだ。握れた。なんだか、凄く軽いように感じた。倒れたまま持ち上げても、羽よりも、空気よりも、軽い。
 さて、魔法はどうやって使うんだっけ? そうだ、ただ叫べばいいんだ。力を込めて、あるがままの心をぶちまければ定型句を使わなくても応えてくれる。スペッキオが言ってたじゃないか。魔法は心の力だって。
 でも、ここは定型句を使わせてもらおう。その方が、なんだからしいじゃないか。さて、『サンダー』と言えば俺の体から電撃が迸るんだろう? ……でも、それじゃああまりに無粋。折角彼女が啖呵を切って場を沸かせているんだ。観客が歓声を上げるにはもう少し足りない。じゃああれだ、もう一段階パワーアップさせればいいんだ。そうだろ? こういう時に新技披露、なんて英雄譚によくあるパターンだけど、王道は守らないと観客は呆けてしまう。奇を衒うのは悪くないけれど、魔王を倒すなんて場面はもう少し過去の物語をなぞった方が良い。


 ルッカが息を吸う。俺も息を吸う。そして、グランドリオンが命を吹き返す。きっとその持ち主が柄を握ったから、喜んでいるんだ。
 ……本当、俺をここまで奮い立たせるのはお前くらいだ、ルッカ……そんな彼女はいつまでも寝転がる俺に顔をしかめている。俺は、ルッカに怒られるのが一番怖いと知ってるのに、何故怒らせた? 一番の理由は俺の不甲斐なさ。けれど、その原因を作ったのはお前だ、魔王。
 そう、だから俺はお前に……


「とっとと起きなさい! クロノ!」


 メにモノ見せてヤル。


「サ、ン、ダ、ガッッッ!!!!」


 俺の腹部から飛び出す光電球。その光は増して、暴君の再来を待つ。線香花火のように電流を散らばらせて、大渦のように電撃の巨腕を回転させた。
 爆ぜて、燃えて、消し飛べ。その願いから現れた雷爆は天井を吹き飛ばし、部屋の壁を削り、石像を砕き、蝋燭を吹き飛ばした。


「……ぐっ」


 魔王は腕を交差して俺の電撃に耐える。手が届く距離から数億を超える電流を当てられているのに、難なく防ぐとは、正直少し自信をなくす。俺の最高傑作なんだけどなあ、とぼやき、嵐のような轟音が響く中その言葉を拾ったルッカが口だけを動かして「あんたらしいわよ」と伝えてくれる。予想通りと言えば予想通りだから別に構いやしないけどさ。それに、俺の役割はサンダガで魔王を倒すことじゃない。魔王の魔法と両手を塞ぐだけ。……そう。


 魔王を倒すのは、勇者だってのが正史だろうが。


「魔王ーーーー!!!!!」


 勇者は大上段からに剣を構えて、今は無い天井を越えた先にある空の月を背に飛んでいた。その背にあるのはなにもそれだけではない。親友の仇、王国と民の悲しみ、剣士としての誇り、勇者の使命。重力に加えてその重すぎる人生を加重に魔王へと迫っていく。


「……惜しかったな」


 両手で受け止めていたサンダガを消し飛ばし、魔王は鎌を持たない左手をカエルに向けて掌に火炎を作り出した。……最初に俺たちに当てた炎の壁か!?
 カエルはもう、目を開くことなく直線に魔王との距離を近づけていく。避ける方法も、そのつもりも無いのだ、と証明するようなその態度は唯一つ、俺たちに向ける信頼のみを見せ付けていた。


「惜しかったな、は私たちの台詞よ!」


 ルッカは一つのナパームボムを取り出しすぐさま手元で爆発させて、そこから生まれる熱と爆破を無理やり自分の魔法に組み込んだ。右手は焼け焦げ手の五本の指は全てあらぬ方向に曲がり、それでもその爆発火炎球を作り上げた。


「私にしては、優雅さが足りないかしらね……っ!」


 痛いだろう、泣きたいだろう、それらの感情をねじ伏せてルッカは魔王の左手に魔力と科学の合成体を投げつけた。
 防御するまでも無いと踏んだのか、魔王は避けることなくカエルの迎撃体勢を崩さない。


「……くっ!?」


 魔王の手が弾け飛んだわけでも、傷を負ったわけでもない。ただ、動いただけ。溜め込んだ魔力が霧散しただけ。
 溜め込んだといっても、ほんの数秒かければまた収束する魔力。ただその数秒はカエルが魔王の体に到達するまでの時間には足りなかった。
 しかし、魔王の攻撃の手札が消えたわけではない。まだその右手に何者の存在も許さない大鎌が握られている。カエルの剣技では魔王の操る鎌の防御を崩すことは出来ないだろう。それはもう立証されている。そうなれば、また振り出しに戻りこの一隅のチャンスを露に消すこととなってしまう。


「させねえ……!」


 左手で右手首を持ち軌道補正、この近距離でも暴発する可能性がある。右掌を広げて魔王に向ける。魔力詠唱の時間は無い、つまりサンダガ程の電力は使えない。
 そして俺は思い出す。魔王が使った電撃は円柱状の電撃柱。電気特有の乱れは無く、凝り固まったように放出されていた。きっと魔王がアレンジした魔法形態なのだろう。……敵の真似とは些か情けないが、まだ俺は魔王に俺という存在を見せてない。あいつはまだ俺の心の芯を見ていない!


「一点集束……貫け、サンダー!」


 直後右手が脱臼した。にも関わらず痛みを感じないのは強すぎる電力を打ち出した為神経がやられたのか? 急いで回復魔法で治さないと一生動かないかもしれないと危惧したが、そのリスクを背負ってでも発動して良かったと思う。
 魔王の右手に握られた鎌は、頭上に放られていたのだから。
 魔王の目に浮かぶのは、驚き。
 魔法を使う左手を弾かれ、己が武器は空を舞っている、その事実に信じられないのだろう。今まで全てを無機物として見ているような眼差しは見開かれ、闇に浮かぶカエルの姿をじっくりと追うだけだった。


 星の運命が、決まる。
 決まるのだ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:04
 ふと、昔を思い出していた。
 自分は姉が好きだった。一重の目蓋は涼しげな印象を持たせるくせに、笑顔が零れる時は正しく満面。無表情でいながら子供でも思いつかないような悪戯の計画を立てている。食の細そうな体型でいて甘物は目を見張るような早さで口に入れていく。何も興味を持っていないという雰囲気を纏わせながら好奇心は弟である自分の数十倍、どんなことにも首を突っ込んで、どんなことでも知りたがる。その矛盾が大好きで……自分の矛盾を好む嗜好はそこから端を発しているのかもしれない。
 ……母は好きだった、のかもしれない。
 厳格な性格は自分の冷めた性質とよく合っていた気もする。物事に熱中すると周りが見えなくなるのは子供である自分から見ても、何処か愛嬌すら感じた。失敗を成功に変えていく豪胆さや、鋭利とも取れる冷徹も安心した。ブレが感じられなかったから。母が好んでいる匂いの強くない香水も嫌いではない。女性用と知らなかった頃の自分が欲しがったことから気に入ってさえいたのだろう。
 そのような母でも、一度だけ笑ったことがあった。ある時、一人の男が母を乾燥した花のようだ、と評していたことを思い出す。姉が「それは褒めているんですか?」と笑いながら返していたことも。自分は「花というよりも、乾いた大木のようだ」と答えたとき母を除いた全員が笑っていた。無愛想な母はその顔に怒り符号を足していたが、自分だけは知っている。きっと母も笑顔を作りたかったのだ。口も眉もけして動かすことは無かったが、あの時の母の目は確かに優しかったから。ああ、きっと私は母が好きだった。
 だが、今は嫌悪すら覚える。
 厳格な性格は決して許すことの無い暴虐へ、周りのことなど省みるはずが無い。豪胆とは良い言葉であるとは限らないと知った。冷徹は過ぎると心を失うのだとも。奴が近づくだけでその芳香ゆえに吐き気が止まらなかった。いっそ、深海の奥の奥に沈みその悪臭を闇の底へと葬ってやろうかとさえ考えた。


 私には姉がいる。いや、いた。愛していた。
 私には母がいる。恐らくは、今この瞬間も息を吐き耐え難い臭いを撒き散らしている。在り得ないことだと頭で理解していても、いる。
 私には成し遂げねばならないことがある。過去も未来も現在も、その達成すべき事柄は無くなりはしない。終止符を打たねばならぬのだ。


「邪魔は……させぬ」


 本心を晒すことなく生きてきた私の、言葉にするのはあまりに久しい紛う事なき本心。












 ふと、昔を思い出していた。
 それはまだルッカが俺の後ろをひたひたとついてくるだけの、可愛らしかった時代。つまり、幼少期と称される程の、十年ほど前のこと。
 俺は短い棒切れをぶんぶんと得意気に振り回して、自分の後ろを歩く女の子を守っているような、騎士の気分を味わっていた時。一人の男が店を飛び出してきて、そいつにぶつかったルッカが転び泣き出してしまった。俺は怒り、自分よりも幾倍の身長差がある男の足に唯一の武器を思い切り当てたのだ。
 普通の大人なら、「ごめんね、友達を泣かしてしまった。怒るのは当然だ」と反省するだろう。常識の無い大人なら「何しやがる!」と怒鳴るだろう。
 けれど、その男はその二つに当てはまらなかった。男はまだ小さい自分を蹴り飛ばし、動けなくなった俺を尻目に延々と泣き続けるルッカの頭を掴み、壁に叩きつけた。内臓が傷ついたのか、ルッカは吐血して悶絶していた。小さく「助けて、クロノ」と呻きながら。
 結局、たまたま近くを歩いていた母さんが原型を留めないほど乱暴者(その程度ではないが)を殴り、すぐに治療を受けたルッカは大事には至らなかった。けれど、俺の中に錘のようなものが沈んでいるのを感じていた。
 その日から俺はまだ重たい木刀を持ち続けた。剣道を教えてくれる人は身近におらず、ただ適当に振り続け、「回転切りの完成だ!」なんてまるで真剣味の無い訓練を続けた。
 ルッカが泣かされた瞬間の決意は本物だった。でも、所詮は子供。訓練は熱意を無くし今の今まで何故多少なりとも強くなろうとしたのか、その原因を忘れているほど忘却されていった。
 今なら思い出せる。俺は誰かを守るため、なんてことではなく誰よりも強くなろうとして剣を取ったのだ。そうすれば、結果的に誰でも守ることが出来るのだから。
 そして、俺の強くなりたいという想いの果てがカエルではないか、と思い始めていた。どれほど馬鹿でもその剣の冴えは今まで見てきたどんな人間よりも、またどんな伝承に伝わる勇者にも負けはしないと思ったから。
 俺の小さな時から細々と願っていた剣士の最高峰。その動きは風を越え、その守りは鋼も通さず、その攻めは山をも奮わせる。誇張が過ぎるが、俺の印象はおおよそ大差無い。かといってカエルを一騎当千の、神すら下す勇者とも思ってはいなかった。そこまで俺の理想を押し付ける気は無い。ただあくまで、俺の想像しうる実在の生き物で、カエルに切り裂けない物は無いと絶対の確信を抱いていた。
 ……そのカエルが、完全に、最高のタイミングで最強の、渾身の一撃を与えたのだ。殺せなくても、倒せなくても、その傷は甚大、致命傷。仮に、仮にそれには及ばなくても……切り傷くらい、何かを為した痕跡くらいあって然るべきだろう? なのに……


「……手袋一つしか切れないって、何だよ……?」


 俺とルッカが道を示し、グランドリオンが力をくれて、カエルが放った未来へ向けた振り下ろしは魔王の皮のグローブを切り裂き、その手に血を滲ませることすら無かった。
 誰も動けない。ルッカは口を開いたまま今の状況を理解できず、カエルは魔王の手すら切れない現実を眼を瞬かせて幾度も確認した。今この瞬間、この場で起きたこと全てが悪夢としか思えないというように、顔を歪めながら。


「……驚いたぞ、まさか私に刃を当てるとは……少々侮っていたのかもしれん」


 魔王は漆黒のマントに身を包み、魔法の一種なのか一瞬で部屋の中央まで離れた。
 その言葉から、直接攻撃を当てることすら出来ないだろうと俺たちを侮っていたことを知る。しかし、今それを憤ることは出来ない。そう思っても仕方が無い程に実力差があるのだから。……切り札が、俺たちの希望グランドリオンが通用しないという悲痛な結果を叩き出されたから。


「絶望か? ……確かに、その結末に至るに足りる結果であろうな。だが、喜べ。今からその絶望から解き放ってやろう」


 魔王が何かを言っている。それは分かるけど、意味は掴めない。心は震えない。
 文字通り、自分たちの全力を見せたのだ。何か事態が前進したのならまだ燃え上がる心も残るだろう。後退したのなら後悔しつつももう一度打開策を練られるかもしれない。だったら、その結果が停滞なら、次はどんなアクションを起こせばいい? 選択肢は狭まり、行動概念を消し去る。
 微動だに出来ない俺たちを見て魔王が喉の奥で笑い、魔力の波動を作る。


「なに、解き放つというのは貴様らを殺すというだけの意味ではない。信じようがしまいが、今の私ならグランドリオンの攻撃も、そこの小僧の魔法も、女の火炎も私にダメージを与えよう」


 ピク、と俺たちが視線を向ける。敵の言葉を易々と飲み込む俺たちは、飲み込まざるを得ない俺たちは実に愚かだろう。だって、仕方ないじゃないか。藁ですらない糸くずを掴まなくちゃ動けないんだから。


「そこのカエルが放つ斬撃や、貴様らの魔法が私に通らなかったのは単純な事。私の無意識に放っている魔法障壁を破れなかっただけだ……今この瞬間それを消した」


「……その言葉を信じろと?」


「当然の疑問だろうな、カエル……では問うが、わざわざブラフを用いる理由が私にあるか? 愚直に火炎を放つだけで押し切れるこの状況で、貴様らの戦気を戻すことになんの意味がある?」


「………」


 カエルの疑問に淡々と答えを述べて、魔王は手で印を作り始めた。……印? 今までアイツは言葉だけで魔法を唱えていたのに?


「クロノ、ルッカ。情けないが、あいつの言葉にすがるしかない。限界が近いのは分かるが、もう一度だけふんばってくれないか?」


「あははは……お願いにしちゃ強引よね、なんせやらなきゃ死ぬんだから、それ頼みっていうより強制じゃない」


 皮肉を返しながらもルッカは顔を上げてカエルに了承の笑顔を向ける。頭から血を流し焦げた髪を揺らしながら笑う姿は痛々しかった。
 カエルにヒールを唱えてもらい、立てるようになった俺は去来する何かに怯えながらも立ち上がりソイソー刀を手に取った。今持っている全てのエーテルを飲み干し全員の魔力が数割回復、ポーションでは心元無いがこれが最終決戦、これもまた飲み干す。万全とはいかないが、パーティーが立ち直った。
 ……怖いのは、魔王が俺たちの回復行動をずっと見守っていること。印を組んでいるにしても、俺たちの治療を見逃してまで続けることだろうか? 防御をしながら魔王を見ていたカエルも表情をしかめていた。


「……ばらけるぞ。防御は崩すな、さっきのようにいつ魔法が放たれるか分からん」


「……そうだな、目の前に炎の壁、なんてのはこりごりだ……それと、」


 二人に軽い相談を交わしてすぐさま散開。魔王の前、後ろ左、後ろ右に陣取り戦闘の始まりの立位置に戻った。回復が遅れるかもしれないという懸念事項は無視。そもそも回復できる余裕がまた訪れるとは限らないのだから。
 俺の合図を待つ二人に向けて手を下ろそうとした矢先、鈍く魔王の声が響き渡り、思わず合図を中断してしまった。


「……光に相反するものを、知っているか?」


「何?」


 会話の意図が探れず、俺は間を置かずして質問を繰り返させる。


「光と真逆に位置するものだ。分かるか?」


 時間稼ぎだろうかとも考えたが、魔王はすでに印を組むことを止めている。……多分、自分でも魔王を攻撃することを恐れていたのかもしれない。もしこの攻撃が通用しないなら、もう俺たちに残された道は絶たれるのだから。俺は無意識に魔王の会話に応じて先延ばしにしてしまった。


「……闇、じゃないのか」


「違う。では闇の反対は? 風は? 太陽は? 人間は? ……星は? ……答えは『無』だ。ただそこに在るというだけで無は相反するものとして扱われる。それは言葉として、物体として存在する限り揺るがざるものとして成り立つ」


「言葉遊びか魔王? 貴様の戯言は飽きた……! 決着を着けるぞ」


「そう急くなカエル。戦いに関係していないのではない。むしろ、密接に関わりのあることだ……貴様らを殺すモノが何か、知りたいだろう?」


 言い終わる前に、魔王から膨大な闇……いや、『無』が広がる。視界は無い。床も、蝋燭の灯火も、巨大な銅像も魔方陣も見えなくなる。見えるのはそこに息づくものだけ。何処までも落下しているような錯覚を覚えて、思わず足場を確認する。
 ……印を組むことを止めたのは中断したのではなく、もう終わったから、か?


「敬意を表しよう、人間ども。私が今までの生涯でただ一度だけ使用した魔法を見せてやる。……前は加減が出来なかったのでな、島を『消して』しまった。魔方陣を消さぬよう、最小限に範囲を留めてやろう、上手くすれば……」


 無から生まれたのは、光の線が繋ぐトライアングル。無造作に回転するそれは、何故か人を魅入らせる魔力を秘めていた。恐らく、その魔力量、練度、密度が至高であるゆえに。
 終わらせることに特化した魔法が紡がれる。


「原型は、残るかも知れんな」


「クロノ! ルッカ! 今すぐ魔力を全放出しろ!」


 危機を察知したカエルが俺たちに指示する。……でも、あれに魔法で防御? どうやって? 砂で出来た堤防で津波に耐えれるとでも言うのか?
 無駄と分かっていても俺たちは電撃を、火炎を、水壁を構成し目の前に作り上げた。理不尽な一撃にミクロン単位の時間を稼ぐ為。


「ダ」


 ルッカは火炎の熱量を上げて全てを相殺すべく力を注いでいる。


「ア」


 カエルは作り上げた水を凝固させ、ダイアモンドすら通さぬ硬度の壁を練成する。


「ク」


 俺は磁力で何処かにあるはずの物体を集めて回り全体に盾を造り、小さな城を構築する。相手は攻城兵器なんて生易しいものじゃあないけれど。


「マ」


 何処かで攻撃しろ、と叫ぶ声がする。今魔王を攻撃すれば詠唱を途切らせることができるかもしれない、と。
 何処かで馬鹿を言うな、と怒鳴る声がする。お前は無駄と分かっていても迫りくる隕石に身を縮こまらせずにいれるのか、と。


「タ」


 カウントダウンが刻まれる。魔王の宣告が一文字ごとに耳に届く。きっと流暢に流れているだろう言葉は壊れたスピーカーみたくゆっくりと、いたぶるように聞こえてしまう。俺の耳がおかしくなったのか? ……きっと違う。おかしいというなら今この状況この事態。全てが狂ったこの場で正常なものなど有る筈が無い。有ってたまるものか。


「ア」


 『ダークマター』。それが魔王が放った言葉。それが正しい形。
 それが分かった時にはもう、目の前が暗くなり、気づいた時には俺の魔力も物体のバリケードも存在されていなかった。
 でも、悲観はしない。それが分かったということは、俺が生きているという証だから。思わず体がぐらついたけれど、大丈夫。目の前に無が広がっているけれど、死んだわけじゃない。少なくともこの一瞬は。
 ルッカとカエルの姿もちゃんとある。……次に眼を開けたときには、もう見えなくなったけれど。


「────!!!!!」


 何かを叫んでいた。もしかしたら懺悔? 或いは歓喜? 呪詛の類かもしれない。叫ばずにはいれなかった。
 ……防御を中断して魔力を二人に送る。俺が危ない、という考えは今だけ捨てて二人を守れるよう願いを込めて。……勿論、俺自身が生き残りたい気持ちも強いから、第一希望は皆生前なんて都合の良いものだけど。


 どうか、運命よ俺たちの側についてくれ。
 星よ、願いを叶えてくれ。
 瑣末で幼稚な懇願が頭を占めた。










 壁はごっそりと消えて、上方にあるはずの魔王城がまるごと消えていた。木々のざわめきがここまで届き、俺が生きていることを教えてくれる。
 結果は、最上。俺は生きていて、カエルは憔悴しながらも立っていた。ルッカも腰を抜かしながらも呆けた眼で俺を見ている。魔王は「……加減が過ぎたか。対象に向ける為の方向修正もまるで不可能……やはり、まだ使いこなすには早過ぎるか」と悔やんでいるようだ。
 ざまあみろ、驚かせやがって。魔王城を再度建築するにはどれくらいの時間と費用がかかるかな!? なんて下らない啖呵を思いついて、口にしようとして、止めた。負け惜しみにも程がある。


 さらさらと塵が舞う中、俺は気を失いそうな激痛に耐えて頭を動かす。今ならきっといける。むしろ今しか無い絶好の機である、と。
 あ、あ……と舌を動かさずに作れる言葉を喘ぐ様にルッカが鳴く。カエルは目を開き回復魔法を唱え始めている。違うだろカエル、今お前がするべきはそうじゃない。攻撃のチャンスは今しか無いんだから。
 片膝を突いた体勢から右側の軽くなった体を立たせて魔王を見据える。魔王の赤い瞳は俺たちではなく何か遠いものを見つめているように思えた。ともすれば、吸い込まれそうな底の深い彩りを添えて立つ姿は到底力が尽きそうには見えない。


 ……まあいいさ。とにかく、最悪の事態は無くなった。だって、皆生きているのだから。息をしてれば生きている、そうだろ? 例え……


 俺の右腕がまるごと無くなっていたとしても。


「クロノーーー!!!」


 思い出したように血が噴出す俺の腕を見てルッカが金属的な悲鳴を上げる。今すぐルッカに慰めて欲しい、この吐き気がする痛みを止めて欲しい、バランスが取れない体を言い聞かせて欲しい、でも、俺は駆け寄ろうとするルッカを残った左腕で止まるよう指示して、合図を送る。今しかないんだ、今この瞬間しか魔王をやれる機会は無い!
 俺の意図が読めたカエルは治療の為のヒールを止めて、苦渋の顔で魔王に向き直る。詠唱の内容は、ウォーター。およそ魔王を倒すには役不足が過ぎる魔法。


「先に行くぞ、クロノ!」


 迸る水撃を片手で止める魔王。その顔はつまらない足掻きだと考えているように読める。続いて俺のサンダー、残った片手で魔王は受け止めた。……そこで、魔王の表情が変わる。
 魔力の結界を敷いている時なら全く効果も無かっただろう。しかし、今この時だけは別。予想だが、魔王の奥の手であろう魔法を唱え終えた今結界は無い。されとて、俺たちの貧相な魔法では傷一つつかないだろう。制止した俺に驚きながらもルッカは思考を切り替えて詠唱を素早く終わらせてファイアを魔王へとぶつけた。


 ……一つ、話をしよう。
 ルッカの実験での1コマである。密閉された空間で、恐ろしく上手い具合に水、電気、火を組み合わさった時何が起きるのか、ルッカが試してみたことがある。答えは、理論上では爆発するとの事。しかし、それはあくまで実験レベルの話。例えば、その原動力が魔力といった非現実的なものから生み出された産物の場合、その爆発はただの爆発とはまた違ったものになる。(ルッカ談)
 さらに、今から三時間と無い過去の話。カエルが魔法を覚えた時スペッキオに挑んだのだが、その時一つの出来事が起きた。
 原因は何と言うことは無い。俺とカエルとルッカが同時に魔法を放ち、対象であるスペッキオに当てた時のことだ。魔力という概念がそうさせるのか、意図せずして魔力の融合は成った。しかし爆発といった単純な結果では無い。魔力のスペシャリスト、スペッキオ曰くこの現象は冥の魔力に酷似しているとの事。その力は想定など不可能、それが物体である限り存在を許さない正しく魔王の使ったダークマターに近い性質を持つ魔法。
 三人の術者が同時に異なった魔力をぶつける事で生まれる奇跡の産物。


 ───その名を、デルタストームと呼ぶ。


「……人間が、合成魔法を……?」

 魔王の驚いた声が遠く聞こえる。物理的な距離は無くとも、魔法という壁が音を遮っているのか。
 ピラミッド型の魔力の結界が魔王を包み、その体を蝕んでいく。魔力を考えれば体が消し飛んでもおかしくはないのだが、魔王は原型を残し蝕むといった表現でしかダメージを与えられなかった。
 とはいえ、この魔法、デルタストームは瞬間的に力を発揮するものではない。時が経てば経つほどにその威力は増し対象者に向ける牙を伸ばしていく。カエルの水が自由を奪い俺の電撃が体の内側を狂わせルッカの炎が体表を焦がしていく。何人たりともその方程式は破ることが出来ず、逃げるなど持っての外。魔力の乏しい俺たちでも三乗等では済まないこの力なら魔王に迫るかもしれないという希望。


「………くっ!」


 結界の三面の壁色が濃くなり魔王の様子は伺えなくなったが、微かに聞こえる魔王の呻き声から確かに俺たちの魔法は届いていると教えてくれる。


「倒れろ……もう後は無えんだ!!」


 デルタストームは俺たちの使える最大最強の大技。それだけにリスクも存在する。結界を形作る為に発動したが最後俺たちの魔力を無尽蔵に吸い取っていくのだ。魔力が尽きるということは心の力が消えるということ。まともに肉弾戦など出来よう筈も無い。そもそもカエルですら敵わぬ魔王の技にルッカや片腕の俺が闘えるわけがあるものか、デルタストームが破られたその時、俺たちの勝ちは消える。今度こそ、消える。


「サ…………ラ…………………」


「……え?」


「ガアアアアアアアァァァァァ!!!」


 魔王の叫び声と共にピシ、という嫌な音が聞こえる。まるでガラスに罅が入ったようなそれは連鎖的にそこかしこから生まれていく。知らず限界だと思っていた俺の魔力が放出量を上げる。
 まだやれるんじゃないか、という喜びは無い。俺の体が感じたのだ、このままでは不味い、と。これは本能が危機を察知し恐怖を覚えたから魔力という袋を絞り上げて一時的に出力を上げたに過ぎないと分かったからだ。
 カエルもルッカも同じく魔力の密度を増やし集束させてよりデルタストームの硬度を高める。もう一歩で暴走稼動域と言える程の魔力を吸い取っていく、それほどの魔法なのに、それなのに、破壊音が途絶えない。
 攻撃的とさえ思えた結界の色が徐々に薄くなっていく。今では中にいる魔王の姿が視認できるほどへ。


「馬鹿な!? 単独でこれが破られるわけが無い!」


 カエルが歯を噛みしきりながら戸惑う。その声には余裕は無く魔力が途絶えるのは時間の問題だと知れた。


「ま、魔王は確か全ての属性の魔法を扱えるんだよな……? なら、もしかしたらあいつは……」


「……嘘、一人で……デルタストームを作り出して、そして……!?」


「……相殺したのだ!」


 魔王が断言するかのような口調で言い放ち、それに少し遅れてパキャ、という味気の無い音が耳に入り、俺たちの魔力結界は崩れた。今だその場に立つ魔王を残して。
 予想すべきだった。あいつがあらゆる魔法に精通し使用できるなら一人で擬似的にデルタストームを作れると。
 ……いや、無理だ。幾らなんでも一度に三つの魔法を使い、それを混合させて、大技をこなした後に、なおかつ攻撃をくらっている最中にそれが為せるなんて誰が思いつく? そんなものにどんな対策が練れるというのか。


「しても、ノーダメージかよ……」


 四肢は健在、体中が血塗れであるわけでもない。多少疲れた顔をしているが戦闘を続けるには支障ないように見える。魔王は悠然と俺たちを見ていた。
 ……いや、無傷とは言わないか。魔王の端整な彫刻染みた顔に頭から一筋の血がつつ、と流れている。俺たちに出来たことは、僅かそれだけ。まるで何も無かったかのように魔王は袖で血を拭き取り俺たちの戦果を消した。


「そう嘆くな。お前達はよくやった、ここまでやるとは私も思わなかったぞ」


「嘆くさ、お前がここまで化け物なんて知らなかったしな」


「ほお、小僧。ではお前は私の強さを知っていれば戦いに挑まなかったと?」


「そうだな……寝込みを襲うくらいはしたかもな」


 魔王は一拍置いて「ここに来てまだ軽口か……飄々としたものだ。それも意地ならば賞賛も与えようが」と告げる。


 魔力の尽きたカエルはうつ伏せになり目だけは魔王を睨み続けている。ルッカは意識すら保てず小さく呼吸を続け硬い床に体を預けていた。
 ……そうか、コレが負けか。俺たちは負けたのか。
 静かに目を閉じて終わりを待つ。後は末期に魔王が何かしらの言葉を投げかけるのを待つだけ。何も言わず鎌を振り下ろすのもいいさ。魔王と闘って敗れるなら体裁も取れるだろーぜ。
 まあさ、さっき一回諦めたことだしそう覚悟のいるものでもない。また同じように心を消してその時を待つだけだ。死ぬなんて遅いか早いかってだけのことだし? 何にもしないで爺になるのを待って誰にも見取られず孤独に老衰する、なんてオチに比べれば良い方だろ。
 だって魔王と闘って散るんだぜ? 後世に伝わるかもしれないな、非業の勇者クロノ! とかいってさ、紙芝居とかで子供たちが見たりするんだよ。そんでやんちゃなガキが「かっこいいな! 俺も勇者クロノになる!」とか言い出して、真面目な奴が「じゃあお前闘って死ぬの?」なんて言うんだ。そこで喧嘩勃発、紙芝居屋のおっさんが止めてきて……はは、悪くねえや。


──本当に?


 そうだ、母さんは何て思うかな? あの人のことだから「家が広くなった!」とか言って喜ぶのかな? うわ、ありそうでこえぇなおい……
 ……いや、きっとなんだかんだで悲しんでくれるかな。昔、よく覚えてないけど父さんがいなくなったって聞いた日に母さんは笑って「まあ、よくあることさね」なんて言って笑ってたけど、夜中トイレで起きた時、母さんリビングで泣いてたから。それを見た俺を抱きしめてくれたから、それは間違いなく愛情だったから。
 ま、これで俺のありがたみが分かるってもんさ。


──本当に?


 ああそうだ、友達からエロ本借りっぱなしだった。やべ、あいつどうするのかな……まさか俺の母さんに「クロノ君に貸したエロ本返してください!」なんて言えないだろうしなぁ……いや案外言うかも。俺の友達やってるくらいなんだから、あいつも結構ぶっ飛んでるからな、多いに有り得る。
 ……あ、そういやあの野郎俺に二百ゴールド借りたまま返してねえじゃねえか! これでチャラってか? ふざけんな五冊は買えるじゃねえか! くっそ、もうあいつとは二度と会いたくねえ! いや、幽霊になって会いに行く! んで絶対祟ってやる!


──本当に?


 あーあ、これでマールやロボとルッカと一緒に旅するのも終わりか……この調子ならカエルも仲間になって色々やりそうだったんだけどな……
 ……いや、それは別に良いか。どうせあいつら俺のことばっかり虐めて全部俺のせいにして旅を続けていくんだからな……ロボとマールは生き残るんだし、あいつら二人なら適当に楽しく生きていくだろうさ。ああ、なんならマールは国王と仲良くしてロボは家来にしてもらうってのはどうだろう? ロボは見た目が良いからそれだけでお小姓とかになれそうだよな。いや、結構面白い人生送れそうじゃん!


──本当に、そう思えるの?












「何故泣く? 小僧」


「ひっく、う……あ、あああ……」


 嘘だよ、そんなの。
 死にたくない、死にたくないよ……だって、まだやりたいこと沢山あるんだ。
 母さんと喧嘩したい。母さんと買い物したい。母さんに頭を撫でてもらいたい。友達と遊びたい。馬鹿言い合って馬鹿やって、大人に殴られて、それでもまた笑いたい。マールに色んな遊びを教えたい。もっとお祭りを巡りたいし、意見が食い違って拗ねたり拗ねられたりしたい。カエルに常識を教えられてその度俺が王妃様の話で気を逸らして馬鹿にしたりされたりしたい。ロボに懐かれて、泣かしてあやして意味の分からない偉そうな言葉を聞いて、ルッカの実験を見せてもらって怖がったり驚いたり感動したりしたいよ。
 伝記の勇者達は凄いよな、こんな時に挑発したりしてさ、死ぬ覚悟なんてとうに出来てるんだから。俺は無理だよ、山ほど遣り残したことや心残りがあるんだ。


 涙が嫌というほど出て止まらない。みっともないなんて感情は無い。ただこの場を乗り切って生き残れるならそれに越したことは無い。命乞いをしたいのに、右腕から溢れる血のせいか、口が震えて泣き声しか出せない。「クロノ……」とカエルが呟くけれど、俺はそれに何も返せない。助けて欲しいのに、それすら言えない。


「……死に際に泣くことは、恥じることではない。それは、お前が今までに何かを為した、また為そうとしたということだ」


 魔王が掌から黒い球体を作り出し、そこから俺の消えた右腕を取り出した。
 だらりと垂れた腕を床に落とすと魔王は俺の耳では理解の出来ない言葉を繋げて魔法を唱える。すると、光が辺りを包み、気づけばまるで手品のように俺の腕がまたくっ付いていた。脳内の七割を占めていた激痛が包まれていき急速に痛覚を起こす鼓動を止める。


「せめてもの慈悲だ、五体満足に死なせてやろう」


 俺への気紛れな治療が終わり、今度こそ魔王が鎌を振り上げる。湾曲作られた刃の先が俺の心臓を向く。ほとんど会話をしていないけれど、魔王は俺の命をそっと奪ってくれるだろう。痛みも苦しみも残さずに。


「し……たく、ない……」


「……」


 不意に、魔王の腕が動き俺の心臓に冷たい鉄の感触が……








「うおおおあああぁぁ!!!」


 入り込む、事は無かった。


「ぐぼっ!!!」


「クロノは殺させん……もう二度と、友が死ぬなど許さんっ!」


 魔力が切れれば立ち上がることすら困難。剣を持つことなど理屈に合わない。切りかかることは夢幻の領域。
 人から蛙に変貌した異端の勇者はそれらの理論を凌駕し覆し押しのけて、魔王に最後の一突きを体に埋め込ませた。


「は……な、れろ貴様ァ!!」


 魔王に頭を掴まれ叩き伏せられたカエルは俺の体を掴み片腕の力だけで後方に飛び距離を稼いだ。追撃をしなかったのは偏に俺を助ける為。


「か、える?」


 疑問系なのは事態が理解できなかったというだけでなく、涙で前が見えづらい俺の目には、カエルの姿が人間の女にしか見えなかったから。緑の髪をなびかせて剣を握り俺に笑いかけてくれるのが本当にあのカエルなのか、確信が持てない。確かなことは……


「大丈夫だクロノ。ここまで俺の戦いに力を捧げてくれてありがとう……後は、俺が魔王を倒す!」


 この人が、本当の勇者であること。


 魔王がわき腹に刺さったグランドリオンを抜き取り床に叩きつける。その音に反応したカエルは深い傷を負い動きの遅くなった魔王の鎌を掻い潜り落ちたグランドリオンを取る。剣を拾う為しゃがんだカエルに魔王は鎌を振るが、後ろを見ずに逆手に取った剣でカエルは受け止め、反転し剣戟を始めた。
 先程と違い今度は魔王が徐々に押されていく。こぼれていく血は止まらず回復する間を与えない。確実に魔王はカエルに押され、僅かにだが後退していった。


「おのれ……私がここまでやられるとは……!!」


「倒す! 友の為、国の為、新しい仲間の為に貴様を!」


 低い姿勢から放った一閃に鎌を弾かれた魔王はカエルから離れる為にまた瞬間移動を行い魔法陣まで距離を置いた。息遣いは荒く、全てを君臨するような風貌は焦りと怒りに満ちていた。


「このままでは……儀式の制御が……!」


「死ね、魔王!」


 恨めしげに視線を向ける魔王にカエルが飛び込み、この戦いに決着をつけようとした瞬間空間が大きく乱れ二人の姿が消えた。
 そして……聴いた。俺は確かに聴いたのだ。


 ギュルルルルルルルルルルルルルルギュルルルルルル!!!!!!!!!!!!!!!!


 世界の、破滅の音が。










 星は夢を見る必要は無い
 第二十話 表裏一体










 声が聞こえる。
 その声は遠くから響く鐘の音と共鳴して、何者にも耐えがたい心地良さを作っている。有り体に言えば、睡眠欲を高めていくような。


「クロノ……起きてよ、クロノ!」


 声の主が怒気を露に俺に語りかけるものだから、俺は鈍重な目蓋を開いて外の光景を目に写す。
 その主は、マール。顔を近づけて腰に手を当て怒りを表現する幼いポーズは彼女特有のものだった。


「いつまで寝てるの? そろそろ仕事に遅れるよ!」


「しごと……? ああ、仕事か」


 夢だ。これは間違いなく夢だと気づいた。
 夢だと気づいた点その一、ここが中世でなく現代の俺の部屋だと眼を開いた瞬間分かったこと。その二、マールがその俺の部屋にいること。その三、俺とマールが和気藹々とこんな新婚のような会話をしているという状況。ドッキリだとしても雑すぎる。


「……ああ、クロノは無職だっけ」


「そこはかとなくリアルだな、おい。止めろそういうの。夢でも不安になるだろーが」


 夢ならもっと俺に都合のいい夢であって欲しい。俺の職業は石油王とか、ハーレム王とか、ダルビッシュとか。


「まったく……これ以上父上の世話にもなってられないんだからちゃんと働いてよね!」


「父上の世話ときたか……地味に凝ってるんだな。夢にしては設定が練られてる。俺が無職なのは納得いかんが」


 しかしこれで確定した。この夢のシチュエーションは俺とマールが結婚ないし婚約しているようだ。現実の出来事なら願い下げだが、夢であるなら悪くは無い。今のところマール特有の天然暴力が発動してないし、まあ仮に殴られても夢だから関係ないのだけれど。まあとにかく怒っているのは確かだがいきなり殴りかかられることはなさそうだ。
 ……そうか、俺とマールはそういう関係になっているのか、ならば遠慮することは無い。


「マール、子供欲しくないか? 俺は欲しい。今すぐ欲しい。もの凄くぶっちゃけるとそこまでに至る過程を楽しみたい」


「クロノ……私の話聞いてた? 働いてって言ってるんだけど」


「いいんだそんなことは。これが夢ならいつ起こされるか分かったものじゃない。というわけで今すぐ俺と交尾しよう」


「段々言い方が直球になってるよ。そして駄目だよ、私たちまだ子供だもん」


 やはり駄目だったか……
 ジョージさん、貴方はどうやって若い女の子を口説き落としたのですか? ぜひ僕に教えて欲しい……


「まあいいや、いただきまーす」


「ちょっ、クロノ!? 駄目だってば! まだ明るいのに!」


「大丈夫だって! 俺早いから! ボブサッ○とあけぼ○の試合くらい早いから!」


 今、めくるめく淫欲の世界へと……







「クロ、起きたか?」


 …………キスをする為に目を閉じて顔を近づけていたのだが、いつまでも感触が無いことに違和感を抱いた俺が目を開いた先には金髪の男。そう男。野郎。オフェンス側。筋肉の塊。エロくない。お! と! こ! であるキーノが俺を覗き込んでいた。


「……無い。これは無いな。おやすみ」


「もう皆起きてる。あとクロだけ。心配してる、早く起きる」


 もう一度頭を落として眠りにつこうとする俺をキーノは腕を掴んで阻止する。


「嫌だぁー! こんなのおかしいじゃないか!? まだ俺は見てもないし触ってもないしいれてすら」


「いいから起きる! クロ、寝るたくさんした!」


「してない! まだ俺はしてないぞ!!」


 蛇口どころか滝のような涙を振りまきながら、俺は引きずられて何処だか分からない家を出た……こんなにショックなのは映画スーパー○ンのオチを見たとき以来だ……





「クロノ!? 良かった……目を覚ましたのね! もう、無駄に心配……かけるんじゃないわよ……ぐす……」


「ごめんルッカ。普段ならお前が俺を心配して涙ぐんでるのを見て感動するんだが、今の俺はとかく悲しくむなしい気持ちで一杯なんだ。お前の涙すら信じられない」


「……なんだかよく分からないけど、もの凄いむかつくわね!」


 膝に蹴りをいれられたが、痛みすら感じない。後……後十分、いや五分あれば俺は神秘を垣間見ることが出来たのに……キーノ、俺はお前を許さない……!
 キーノに連れてこられたのは原始の時代、イオカ村の広場だった。何故中世にいた俺たちが原始にいるのかさっぱり分からず、キーノに聞いても分かるわけが無かった。とりあえず原始山に倒れていた俺たちをキーノが見つけて介抱してくれたそうな。
 問題の俺たちが原始に飛ばされた理由についてはルッカに聞けば分かるのでは? と考えたが、俺は今極度の鬱状態なのでそんなことどうでもええやんな気分になっている。コバルトだなあ。


「……まあいいわ。あんたが起きたことでようやく始まるんだから」


 地面にぺた、と座ったルッカは肩に掛けている鞄を下ろしてよいしょ、と声を出した。年寄り臭い、とは言わない。多分殴られるから。欝の上殴られると冗談抜きで首を括りそうだ。


「始まる? 何がだ、カタストロフか?」


「その終末思想はどこから拾ってきたのよ。違うわ、カエルがちょっと面白いものを見せてくれるのよ」


 ニヤニヤしながらルッカは鞄から動画再生機、いわゆるビデオカメラを取り出し心底いやらしい笑みを浮かべている。なんだなんだ、こいつ今までシリアスだった反動か知らんが底無しに気持ち悪い顔を作れるようになってる。ギルティギ○からのブレイブ○ーみたいな変動の仕方だな、と一度考えていや、これがいつものルッカだよな、と考えを改める。


「さあて……それじゃ、いいわよカエル!」


 ルッカの言葉が終わり、近くのテントから人影が飛び出してきた。ルッカの掛け声で登場したのだからカエルだろうと渋々視線を動かす。
 それがいけなかった。やはり俺はキーノを振り切りあのまま寝ていれば良かったのだ。


「お、お、おはっ! おはようござます! ごしょ、ごご、ご……」


 噛み方が尋常ではない朝の挨拶をこなしているのは、白い純白のフリルを飾り付けた衣装、世間一般で言う所のメイド服を着た長い緑の髪を左右に括りつけてツインテールにした、哀れな女性だった。
 顔というか、肌全体が紅蓮のように赤く染め、父親に「泣くぞ? すぐ泣くぞ? ほーら泣くぞ?」と言われているように涙をぎりっぎりまで目に溜め込んでいる姿は愛らしいよりもやっぱり可哀想という評価が正しそうだ。
 着用者に合っていないサイズの為かスカートは短く、強風とも言えない風が吹くだけで下着が見えそうなデザインは可愛いというか、怪しいお店のウェイトレスに似た雰囲気。違うのはそのウェイトレスが羞恥で泣きそうなところか。人によっては喜ぶのかもしれんが、エレクトリカルな展開に脳を回転させる歯車が停止しているのでリビドー等一切感じない。感じてたまるか。


「ご、ご、ご主人たまあぁ!!」


 ぼーっと立っている俺に両掌を上向きに差し出し叫んだ女性は顔を下に向けた。静かに落ちていく雫は涙ではないかしら? という疑問をぶつけたいが、酷なので止めておく。
 ルッカはこれ以上の愉快は無いという顔で笑い転げているし、村の住人は頭を指差してくるくると指先を回している。何を言っているのか、耳で直接聞き取れないが多分「ああいう奴をぱーって言うんだぜ」に近いことを仲間内で話しているに違いない。それ、間違いじゃないですよ。
 俺が何も言わないことに不安を抱いたのか、女性はおずおずと顔を上げて俺を伺う。とりあえず目から顎に掛けて繋がる水路を袖で拭きなさい。それが何かは言及しないから。
 正直関わって欲しくないのだが、このまま何も言わないとこの無の空間が終わらない。俺は口を開こうと顔の筋肉を動かした。意識しないと動かせないとは、空気が凍るとそこに存在する生物も動けなくなるんだなあ。


「その……友達が欲しいなら、もうちょっと方法を模索したほうがいいと思いますよ、アグレッシブが過ぎますから」


「違うっ! 友達を探しているのならこんな第一印象を与えるものかっ!!」


「あ、ごめんなさい。僕、貴方と近しい人間と思われたくないので会話はしないでくれますか? 出来たら貴方だけ地面に文字を書いて筆談形式にして下さい。ていうかどっかに行ってくれませんか?」


「酷薄過ぎないかその反応!? それとなんで俺を見ない!? いや、見て欲しくないが……ええい、俺の眼を見ろクロノ! 姿が戻ったんだ、ほら約束しただろうメイド服を着て、その……おはようございます……とかなんとか言うと!」


「なんですか、お金を渡せば離れてくれますか? 新手のかつあげですか? 新しいですね。そのチャレンジ精神に乾杯。靴に貼り付いてたガムをあげますから消えてください。知り合いとすら思われたくない」


「いらん! お前が発案した要望だろうに何だこの扱いは!」


 短いスカートなのにだんだんと地団駄を踏む彼女に俺は何と言ってあげるべきなのだろう? ……うん、キモい! だな。
 それ以降なんやかんやと詰め寄ってくる彼女を徹底的に無視していたら、女性は「馬鹿者めっ! もう知らんからなぁ!」と鼻声涙声の負け惜しみ染みた言葉を置いてテントの中に走って、消えた。


「アッハッハッハ!! ……あー、面白かった」


「趣味が悪いなルッカ。あの決めポーズや髪型はお前がやらせたのか?」


 笑いすぎて出てきた涙を拭い、ビデオカメラの録画を止めながらルッカはそーよ、と簡潔に答えた。それに従うあいつもあいつだから、別にいいけどさ。


「しかしあれだな、やはりカエルをいじると楽しいな。少し気分が晴れたよ」


「やっぱり分かってたのね。まあ雰囲気が同じだし、緑の髪で俺とか言う俺っ娘なんて早々いないわよね」


「俺っ娘て。まあそうだけど」


 カエルも律儀なことだ。わざわざあんな口約束を本気にして行動に起こすとは。どこぞのカリスマ占い師とかにも見習って欲しいくらいに。


「しかし何でまた今このタイミングで姿が戻るんだよ? やっぱり、魔王を倒したからか?」


 当然の疑問にルッカはそこなのよね、と前置きして笑うのを止める。その切り替え『だけ』は評価してもいいと思う。


「私は……情けないことに気を失ってたから分からないけど、カエルに聞いた話では魔王に止めを刺せた訳じゃなさそうね。私たちが倒れていた場所にもいなかったそうだし、カエルの姿が戻ったことからダメージはあるんでしょうけど……」


 悩みだすと髪を弄りだすのはルッカの癖なのか、短く切りそろえられた髪を指で巻き、黙々と思考に没頭している。


「けれど、魔王が生きてるならカエルの姿が元の……ええと、この場合の元は蛙、両生類の方ね。に戻るのは時間の問題じゃないかしら」


 ふむ、魔王の意思で人間に戻れたわけではないので傷が癒えて魔力が回復すればカエルの呪いも復活する、と考えるのが普通か? 折角人間に戻れたのに可哀想だな、とは思わない。人間ver.のカエルとの対面が最悪だったのでいっそ今すぐ蛙に戻って欲しいくらいだ。
 他にもラヴォスはどうなったのか、とかこれからどうする? といった問題もあるのだが、起きたばかりの俺の体を慮ってルッカは「長い話はまた夜にでもしましょう」と中断させた。気を使ってくれるのがルッカだと何故こうも裏を感じるのか感じてしまうのか。
 まあそういうことなら、と久しぶりでもないが原始に来たので散歩でもしようかと歩き出した俺の背中にルッカがねえ、と声を掛ける。


「気分が晴れたなら良かったわ。あんた、自分じゃ分からないかもしれないけど随分暗い顔だったわよ?」


「はは、ちょっと良い夢を見てるところで邪魔されたから、気が立ってただけだよ」


 ルッカを見ずにそのままこの場を離れる。すると後ろから「お前、今の舞、オモロー。もいっかい、やれ」というイオカ村の人々の声と、遅れて「嫌に決まってる! そもそも舞じゃない! おい、クロノは何処だ? 助けろ! うわあぁ外に連れ出すなあ!!」という女性の声が聞こえる。思わず笑ってしまうのは、勇者としてのカエルとのギャップが激しすぎるからだろうか。


 カエルの救助要請は無視して歩き続ければ、綻んだ顔が徐々に消えていくのが自覚できた。次に漠然とした何かが背中を疼かせてきた。人気が薄れるに連れて知らず足を前に進めるスピードが強まり……気づけば、体の疲労具合を度外視して走り出していた。


 ──……お、だけ、は、………くれ──


 これだけは、言っちゃならなかったのに。形にしてはならなかったのに。


 しばらくしてから顔を上げて辺りを確認する。イオカ村から北へ北へと走り続けて、辿り着いたのは乱雑に木々が組み合う森林、いや密林だった。人影が無いか、最後にまた確認する。ぎいぎい、という鳥か獣か判別の出来ない鳴き声以外に、話し声も足音も聞こえない。仮に、人間が隠れていても、我慢は出来なかったので意味は無かった行動だった。


『気分が晴れたなら良かったわ』


 ルッカに悪意は無い。俺自身、少し気分が晴れたと言っているのだから。悪意なんて微塵も無い、優しい確認だったはずだ。けれど……


「晴れる訳無いだろ……!!!」


 右手に見える木の幹に横殴りに拳をぶつけて、はらはらと木の葉が落ちていく。木の上に猿が座っていたようで、驚きながら木の枝と枝を飛び移り、正真正銘今この場にいるのは俺だけになった。もう耐えなくてもいい。


「……う、うえ、ぐう、ううう……」


 自分の頭で一際冷静な自分が、こんな短いスパンで泣いたのはいつぶりだっただろう、と過去を振り返る。母さんが最初で最後に泣いた日。ルッカの母さんが亡くなり、勝気な幼馴染が壊れたように泣いた日、現代に帰り、裁判になってマールに大嫌いと言われたその日も、泣いた気がする。看守に聞かれたくないから、強く顔を布団に押し込めた事まで思い出せる。
 なあんだ、結局俺は、誰かが原因で泣いたことしかないんだ。それが普通だと分かっていても、今流している涙がとても新鮮なものに思えた。


 ……あの時、魔王に鎌を下ろされる前に俺が吐いた言葉。言葉にしてはいないけれど、それは血を流しすぎて喋れなかっただけ。誰の耳にも聞こえていない、でも俺だけは聞いた。明確に明瞭に絶対的に聞いた。


『俺だけは、助けてくれ』


 言い訳ならあるさ。俺から気を逸らした後に後ろから攻撃するとか、なんなら今この場を凌げれば状況が好転するかもと考えた嘘だったんだって思い込めないわけじゃない。でもその建前こそ嘘なんだって、俺こそが知っている。
 後ろから攻撃する? 右腕が無くて転がるしか出来ない俺に何が出来た? 事態が好転するかも。それは良いな、毎日毎日そんな風に考えられるなら人間は何もしなくていいじゃないか。だってなんとかなるんだから。


「ひっ、あー……ひっく、あー……」


 息を吐きながらでも言いやすい『あ』の文字を呼吸を整える意味で声に出す。
 俺だけは、と言った。俺は確かに俺だけは助けてと言った! じゃあ俺以外はどうでも良かったのか? ルッカもカエルも俺が生き残るなら別にいいのかよ。
 今はそう思わない。心の底から二人のためならこの身を……なんてヒロイックな事を言える。傷だらけの体で剣を振り回しなんなら「俺のことは気にするな!」なんてありきたりな言葉だってスパイスに混ぜられる。でも、それはただの痛々しい妄想。事実、俺はいざそういった状況に陥れば……ほら、虫以下の人間が今ここにいる。


「……じまえ」


 少し、どころではなく声が小さすぎた。これでは声を出した俺すら聞こえない。荒れる呼吸をコの音を出しながら平常に戻すよう試みる。
 言え、言った所で何が変わるでもない。でも言え、でなきゃ本当に実践しそうだ。自分から首を吊って窒息して手首を落として火に飛び込んで圧殺されて撲殺されて爆死して息絶えてしまう。
 口を開く瞬間、後ろで何かが羽ばたく音が聞こえた。でも、邪魔さえしなければどうと言うことは無い。


「死んじまえっっっ!!!!!!」


 無意識に魔力を付加させていた蹴りが目の前の樹木を叩き折っていた。じりじり、という音を立てて倒れていく様すら魔王の前に伏した俺の姿とデジャヴして一向に気分は明るくならない。
 ……それでいい。俺が、あいつを倒すまでこの気持ちが消えなくて良い。奪い取るその日まで、俺があいつの命乞いを聞くその時まで、嬉々として燃えるべきなんだ、この黒い感情は。


「返してもらうぞ……俺のプライドを……」


 今現在何処にいるかも分からない青い長髪の男に、逆立ちしても敵わないだろう男に俺は果たし状を送りつけた。


「い、いきなり……そんなに怒らずとも良いではないかぁ……」


「木を蹴り倒した時に後ろが見えたから気づいてたけどさ、もうちょっと待っててくれないかな。今お兄ちゃんカッコイイ事してる時だから」


 ため息を吐きながら俺の決意表明シーンを台無しにしてくれた人物に声を掛ける。その人、いや人ではないが、そいつは頭を抱えてその場に座り込み、下方から上目遣いでこちらを伺い俺が少し動くたびに小さな体を震わせていた。


「だって……久しぶりだからな。私と会えずに泣いておるのかと思い空の散歩中に下りてきた次第なのだが……次第の使い方は合っておるか?」


 言われてみれば、後ろに大きな怪鳥が姿勢良く大地に足を下ろしていた。なるほど、こいつに乗ってたわけだ。これでさっきの何かが羽ばたく音が何か解明できた。恐ろしくどうでもいい。略しておそろい。


「どれだけ自分が愛されてると思ってんだよ。久しぶりでも無えし。最後にいまいち使い方の分からん言葉を使うな」


「何を言う、私は愛されておるぞ? 貴方を愛さぬ者はおりません! と言われたことがある。えっへん」


 前半の言葉だけを切り取り受け取った(もしかして一つ以上の突込みには対処出来ないのかもしれない)そいつのふんぞり返って腰を突き出す格好は様になっていた。偉そうとかじゃなくてなんだろ、保育園で一生懸命お遊戯をする園児の愛らしさが実に表現できている、的な意味で。


「……もういいや、疲れた。さっきのはお前に向けた言葉じゃねえよ。気にするな、アザーラ」


 恐竜人の主は目を輝かせて、飴玉を舐めたように破顔した。











 カエルを中心とした騒ぎも一段落がつき、イオカ村の人々は狩りの準備を始めた。冬が近いので食料を集めなければならない、という意見にルッカは分かってはいたものの、やはり暮らしの違いを大きく感じていた。


「そういえば、エイラはどうしたの?」ルッカの問いに人々は「エイラ、村行った。ここと違う、ラルバの村。一緒に闘う、頼みに行った」村人は続く質問を聞く事無く自宅のテントに入っていった。
 猛獣の類を寄せ付けないためか、延々と燃えているたき火から木の焼けた匂いが鼻腔に届く。それを嫌がったわけではないが、ルッカは先程イオカ村を出た幼馴染に習ってこの地を散策しようか、とぼんやり思いつきエイラを探すついでだ、と適当な理由もあるので足取り軽く歩き出した。
 

 数歩と進まぬうちに後ろからカエルが近寄り、「置いていくな! もう少しで村の踊り子に任命されるところだ!」と憤慨して現れた。そうすればいいじゃない、と突き放したかったが、もう充分楽しませてもらったエンターテイナーに冷たく当たる必要も無いだろうと一応の謝罪を送ると、苦い顔ながらも怒りを引っ込めた。


「それにしても、カエルって随分若かったのね。なんとなく三十を越えてそうなイメージだったわ」


「そうか? 自分でも正確な年齢は分からん。城に行けば分かるかもしれんが……うむ、お前の言うとおり三十前後だとは思うぞ」


 言われてルッカは驚き、じろじろと遠慮なくカエルの全身を見る。大きくは無いが、小さくも無い平均的な胸囲を視界に入れぬよう努めて。
 足は鍛えられていることから正にシカの如く。けれどひ弱そうな印象は受けない。どちらかというとワイヤーロープのような頑丈さを際立たせる。腰は脂肪など存在しないように美しい曲線を描きくびれが服の上からも確認できるほど。首筋や頬など、皺の集まりそうな部位にはそれらしいものは見受けられない。肌色はマールに劣らず透き通り、筋肉の部分だけ見せず着飾れば令嬢ともとれそうだ、というのがルッカの評価だった。


(……消そうかしら?)


「酷く陰鬱で暴力的な感情を向けられている気がするのだが、どう思うルッカよ?」


「気、でしょ。勘違いじゃない?」


 解く閉じられた視線をかろやかにかわしルッカは引き続き当ての無い散歩を続ける。


「にしても、三十ね……とてもそうは思えないわね。良いところ二十過ぎ、って感じよ。女の目で見ても」


「ふむ……それは多分、俺が姿を変えられたのがそれ位の年齢だったからではないか? 蛙になっている間、人間時の肉体の年齢は成長を止めていたのかもしれんな。それでも二十後半かどうか、という年だったと思うが」


「童顔ってことかしら? にしても……使い方によっては、魔王に姿を変えられるのも悪くないかもね」


 そうして会話が終わり、黙々と歩き出す。本来、出会って接した時間がそう長くないカエルと二人で歩くのは少々気まずいのではないか、と危惧したルッカだが、思いの他沈黙が息苦しいとは感じなかった。同じ女性であるというのもあるだろうが、年上の落ち着きだろうか? カエルの空気は戦闘時と違い中々に穏やかで、躍起に話さずともいいのだ、と思わせてくれる。


(ま、そんなだからクロノがからかいたがるんでしょうけど)


 幼馴染が楽しげにカエルと会話している事を想像し、不穏な感情が浮かびそうで、ルッカは違う考えにベクトルを変えることにした。カエルに罪は無いのだ。自分の命を救ってくれた恩人でもある。きっかけも無しに当り散らすのはどうだろうか? と思い直した。


「ねえ、カエル。また元の姿に戻るかもしれないけど、完全に人間へ戻れたらどうするの? やっぱり中世のお城に帰って王妃様を守るとか?」


 カエルは少し考えて、いや、と否定する。


「俺はもう騎士ではないからな。全てが終われば……ふむ、旅でもしようか。俺の知らん世界などいくらでもあるだろう。そうして剣の腕を鍛えるのは悪いことじゃない」


「修行馬鹿ね……ほら、一応あんたも女なんだし、誰かと結婚するとか……考えないの?」


 もし自分の知る赤い髪の馬鹿を出せば恩だろうがなんだろうが全て忘れて森の中に埋めてやろうという計画を瞬時に組み立て、ルッカは何事も無いように聞いた。「何だ? 急に」と笑いながら緑髪の女性は遠く、雲の先を見つめた。


「俺は女ではない。そう言っただろう? 男を好きになることも……これから先、もう無いだろうさ」


 ルッカは『もう』と言ったことを問い詰めることは無かった。カエルが過去、慕った男の名前は聞かずとも分かるし、その男がどうなったかも知っているのだから。
 新しい恋を探せば? と言おうとして、やはり口を閉ざす。気恥ずかしい台詞を吐くつもりは無いし、柄でもない。くわえて無責任過ぎる発言は相手を困らせるか傷つけるからだ。そのどちらもルッカにとって本位では無い。話題を変えて、自分たちにとっては非常に重要な事を聞くことにした。


「も一つ質問。カエルは……私たちの旅に同行してくれるのかしら?」


 素っ気無く、どちらでも良いというように取った確認。頼み込むのも妙な話しだし、カエルの意思を自分たちの都合で捻じ曲げることは出来ない。自分のポリシーとしても、カエルの性格からしてもそれは不可能だ、とルッカは感じ取っていた。
 その世間話のような問いかけにカエルは「勿論」とだけ答えて、ルッカは相手に聞こえぬよう安堵の息を肺から逃がす。これから何が起こるか分からないし、戦いが続くのかどうかも不明瞭ながら戦力が減るのは喜ばしいことではない。彼女のような戦いの達人はいるだけでこちらを鼓舞してくれる。


「……不安だったのか? 見くびるな、俺は受けた恩は必ず返すさ」


「別に、不安だったわけじゃないわ。それならまあ、あの馬鹿の剣でも見てやって。才能なんかあるかどうか分かったもんじゃないけどね」


 素直じゃないな、というカエルの言葉にどっちの意味で? と聞きたかったのだが、ルッカの口が開く前に目の前で妙な光景が見えたため、それは叶わなかった。
 それは現代なら珍しくも無いもの、黒い煙である。何か竈で焼いているのか、汽笛でもその黒煙は吐き出される。古いものでは煙突なんて設備からも作られるそれが、イオカ村の北、森の中からモクモクと持ち上げられていた。


「何あれ……火事?」


「分からん。だが森の中心で、というのは妙な話だ……行くか?」


「……そうね、クロノがいないってのは面倒だけど、もしかしたら私たちと同じように向かってるかもしれないし」


 やることが決まったと、二人は大地を蹴り上げ走り出した。








 上を見ればいつもより近づいたような、爛々とした太陽、その周りを青い色彩が囲みさらにその青の中にばら撒いたような白い雲。うむ、これはいつも通り。なんら変わらない。問題は下。
 自分より何倍もの大きさである筈の木々の集まりが掌で覆い隠せる。人間たちは豆粒のような……まるで人がゴミのようだぁ!! と言いたくなる様なこの光景。次いで前を見れば鼻歌を鳴らしながら左右に頭を揺らしご機嫌そうに怪鳥を操るアザーラの姿。今こいつを蹴り飛ばせばさぞ愉快だろうに、それをすれば俺の命が途絶えると途方も無く理解できるのでぐっと抑える。


 クリスマスなんて幻想の塊、バレンタインはどこぞの司祭様が殺された日で恋人が子供作りに励むイベントじゃねえんだぞ! というのが信念の俺、クロノ君は今現在拉致されて空中遊泳の真っ最中であります。震えるぞ体! 縮こまるぞ俺の息子!


「どうだクロノ? 空のお散歩は楽しいであろう」


「殺すぞ一人しかいない小人。今すぐ降ろせさあ降ろせ。その後刺身にして喰ってやる」


「あっはっは。クロノはモノを知らんのだなあ。この私アザーラは食べられんのだぞ」


 五十台上司の頭よりずれている会話の中、どうしてこうなったのか、十五分と経っていない過去を振り返ってみた。
 なあにそう時間の掛かる作業じゃない。単純すぎてあくびが出そうな程簡潔な出来事。あの後アザーラに「折角会ったのじゃ、遊ぼう!」を連呼され「芋の根でも食べてろ」とあしらっていたらアザーラが急に「サイコキネシス!」と叫び俺の上に頭より少し大きいくらいの石を作り出し落とした。お前、妙な力があるんだなあ、と感心する暇なんかあるわけが無い。目が覚めると俺は世にも珍しい空の旅を満喫していた、という訳だ。納得できるか!


「おいおいアザーラおいアザーラよ、お前はどうにも常識に疎い所があるな。勝手に他人を連れまわしてはいけないんだ。大きなおじさんに怒られるぞ? 誘拐罪がどうとか言いながら怒られるんだぞ?」


「お、怒られるのか……それは怖いが、それでも私はクロノと遊びたいのだ!」


「それでも地球は回ってるんだ! みたいな言い方をしても許さん。早く俺を元の場所に戻せ!」


「うう……そうは言うがな、クロノ……もう着いたぞ?」


 言われて、膝の間に入れていた頭を起こしもう一度周りを見ると、確かにもう空の上にはいなかった。揺られている振動も無いし、胃液が逆流しそうな浮遊感も無い。
 喜ぶべきだし、今すぐアザーラの頭を掴んで振り回すのが正しい行動だと分かってはいるのだ。


 俺の目の前に、厳格な顔をした恐竜人達が整列している図を見なければ、そうしていただろうに。


「「「アザーラ様、ご帰還おめでとうございます!」」」


「うむ。今帰ったぞ。ああ、この人間はこれから私と遊ぶのだから虐めるな」


「「「ははっ!!」」」


 どう見ても子供、むしろ幼児であるアザーラに百近い恐竜人達が礼を取っている姿は珍妙どころかシュールと言えた。超現実的、これほど型にはまる言葉が他にあるだろうか?
 怪鳥から降りて「早く早く!」と急かすアザーラに俺は震えた唇で、正確に音に出せているかあやふやな口調でおずおずと切り出した。


「あの、アザーラ、さん? ここはどこでせう?」


「んむ? 知らんのか? ここは……」


 恐竜人たちの並ぶ後ろに、焦げたような色合いの城が鎮座して、その最上に円球の先が尖った物体がどすりと乗った建物。城の周りは切り立った崖になっており崖下には大地も海も川も無く、ごぼごぼと威嚇するように溶岩が泡を立てて大地の音を奏でている。森林といった緑はそこに無く、俺のいたイオカ村がある大陸まで繋ぐ橋は無い。下方から浮かぶ煙は硫黄の臭いがして、自分が何処にいるのか忘れそうだった。
 城にはバルコニーのような外部に出ている床が至るところに設置されており、投石器や槍を構えた巨大な恐竜人が守りを固めている。この地に下りた者を決して生かすまいと。
 それらの地形条件、守り、恐竜人という並みの人間では太刀打ちの出来ないモンスターが詰め込まれているという事から、ここは城というよりも要塞ではないか、と考える。しかし、この場所は確かに城であると続くアザーラの言葉で知ることが出来た。


「ティラン城。我等恐竜人の本拠地だ」


「……やっぱり俺、命乞いって悪いことじゃないと思う」


 誰か助けてくれ。主に俺の仲間たち。俺が美味しく食べられる前に。









「……何……これ?」


「死臭が酷い……何が起こったのだ……?」


 クロノの声無き嘆きが産まれる少し前、ルッカたちは煙の出所の森中心部に足を運んでいた。この場合、森中心部と言っていいのかどうかは、微妙なところだが。
 本来そこは細々としながらも数多くの人間が生きていた村があった。
 その名をラルバの村という。
 今やラルバの村は焼かれ、そこに生きる者は半数に満たない。生き残るのは数にして五十を切る。残った者でさえ生きようとする意思など欠片も見えぬ輝きの無い瞳でここではない何処かを見つめていた。視線の先は差はあれど、過去。自分たちが笑えていた時、大切な人が生きていた時の残照を表情の無い顔で、必死にかき集めていた。
 そこかしこから怪我人の呻き声が聞こえる。ルッカが目を向けると全身のほとんどの皮膚が焼け爛れて言葉に出来ない悲鳴を聞かせている。その人物は……だからより哀れ、という訳ではないが、ルッカには痛ましいを越える何かを抱かせる人物。見知った誰かではない。ただ顔の判別もつかないほどに体が焦げたその人は女性だった。もし自分が……と考えただけでみのけがよだつ。


「カエル、私はマールと代わるわ。流石にもう動けるでしょうし、あんたは怪我人の治療をお願い!」


 カエルの返事は待たずルッカは時の最果てで待機しているマールと交代してこの時代から姿を消した。カエルはそれに何かを言う前にヒールの詠唱を始めて、ルッカに代わり現れたマールもその臭いと光景に「ひっ!」と声を上げたが、繋がる悲鳴を噛み殺しケアルの魔法詠唱を開始する。
 魔法でも到底間に合わないだろう怪我人に祈りのような治療を続けた……けれど、マールやカエルの尽力であっても助かったものは二桁を越えることは無かった。


「怪我人は! 他に怪我をしておられる方はいませんか!?」


 現地の人間の男から、治療を必要としている人間がいないと告げられた時、マールは喜ぶでも無く、肩の力を抜くことも無く、愕然と座り込んだ。
 見たのだ、かろうじて原型を保っていたテントの奥に、まだ治療をしていない人間が山といるのを。
 男は言った。治療を必要としている人間はいないと。では彼らは? 治療を必要としていなくても、酷い怪我をした人間が大勢いるのに。


「そ……そこにまだまだいるよ! 私はまだ治療できる。まだ助かるよ、諦めないで!」


 マールから見て『怪我人』の人々に近づこうとした時、カエルが止めた。もういいのだ、と。
 キッと顔を変えてマールは「良くないよ! 怪我した人がたくさんいるんだから!」と叫ぶが、カエルはマールの腕を離さない。振りほどこうと力を込めてもマールは自分の腕が石になったのかと思うほどびくともしなかった。
 何度も「離して!」と怒りを露にカエルを突き飛ばそうとしたが、カエルが動かぬことを知ると、いよいよ認めたくない考えが頭を支配しだした。男は言った、『治療』を必要としている人間はもう『いない』と。


「マール……彼らはもう、いいんだ」


 カエルの確信をぼかした言葉が引き金になり、そこまでとなった。彼女が涙を塞き止められたのは。
 泣き出すだろうと予感したカエルは彼女を抱き寄せようとして、腕を止めた。マールが涙を流しながらも、絶対に泣き声を出さないと唇を噛んで耐えていたから。それを邪魔することは出来ない。
 マールは人目をはばからず泣いてしまおうか、とも考えた。しかしそれは出来ない。混乱し、騒いで助けようとムキになるのはともかく、泣くことだけは出来ない、と。自分は部外者だから。
 今この場で泣いてもいいのは自分ではないと直感した。それはただの同情から来る涙。自分と密接に関わりのある人ならばともかく、自分は今日この場で死んだ人々と何の接点も無い。なればこそ、今泣いてはただの興味的な、空気に流されて悲しむだけとなり死者を冒涜してしまう、と思い至ったのだ。
 それが正しいのかどうか、分かることは無い。ただマール自身がそう疑わないのなら、その決意を揺らがすことは無く、出来る限り平静に歩き出した。何故こうなったのか、まだ話すことができるものを探しに。


 それは、思っていたよりも早かった。誰もが口を開くこと無いラルバの村で、唯一誰かの話し声が耳をついたために。迷わずその方向に走り出したマールは火にやられながらも形だけは保った炭の草木を掻き分けて、原始の友人であるエイラと、エイラに喧嘩腰に話している老人の姿だった。


「エイラ……これ見ろ、この有様……」


「…………」


 老人は静かに、けれども聞いている誰もが分かる程の怒気を滲ませて沈黙するエイラに話しかけていた。
 老人は片手に持つ杖を動かして、無残な姿となった村の残骸、また人の死体を杖の先に移した。


「お前の後、恐竜人つけてた。だから、この村、こうなった……!」


「……ごめん、なさい……エイラ、エイラ……」


 エイラの謝罪を聞いた瞬間、老人は高らかに笑い出した。それは愉快ではなく、狂気と憤怒が混合した、この世で最も不快な色合いの、笑い声。


「エイラ……ごめん? ごめんか……ふざけるな! お前ら恐竜人に楯突く! 愚か! だからワシら隠れてた! だが……お前ワシらに戦え、言う……まだ、まだこんな目にあってもエイラ、ワシラに戦え言うか!?」


 最後は声にならぬ声でエイラを糾弾する老人。その雰囲気に思わず飛び出して仲裁しようとマールが飛び出し、後ろについてきたカエルも姿を出す。
 老人は突然現れた人間に驚いた顔を見せたが、エイラは二人を見ずに、老人の目を見てはっきりと宣言した。


「生きてるなら、戦う。勝った者、生きる。負けた者、死ぬ。これ、大地の掟。どんな生き物も掟には、逆らえない」


 冷酷を過ぎ凄惨とも言えるその発言に老人は目を見開き、マールとカエルの制止の言葉を聞かず怒りのままエイラに杖を振り下ろした。
 バギ、という音が鳴り、杖は折れエイラの額からだくだくと血の流れが溢れる。それでも、目に血が入ろうとエイラは老人を凝視し続けた。自分の決意を託すかのように。


「長老、お前達生きてない。死んでないだけ」


 エイラの言葉が刺さったように老人は尻餅をつき、手に持った杖を落とした。
 何か辛辣な言葉を投げかけようと、唇を上下させて……諦めた。きっと何を言っても、この女性には届かないだろうと悟ったのだ。


「エイラ、お前強い。だから……ワシら、力ない。何も……出来ない」


「違うっ!! 力ある、戦う、それ逆! 戦うから力つく! ……エイラたち力貸す。だからプテラン、プテラン貸してくれ!」


 それから数回の会話を終えて、エイラは風のように飛び出していった。マールたちは声を掛けようとするも、エイラの耳は風が邪魔をして聞こえることは無かった。


「追うぞ、マール! 何がなんだか知らんが、放っておいて良い訳はなさそうだ!」


「う、うん! でも、もう見えなくなっちゃったけど……」


「とにかく、エイラが走ったほうに向かうんだ! このままここにいる訳にもいかんだろう!?」


 慌ててエイラの後を追おうとしている二人に、疲れた声が背中に降る。今まで怒りに満ちていた老人である。
 彼は、何かを無くした様な顔でぽつぽつと語り始めた。



「……ここから北、プテランの巣、行け。エイラ、そこに向かった」


「……助かる、御老人」


「エイラの事……」


 そこから先は聞こえなかったが、マールたちはエイラの後を追った。予想が出来たから、一々聞き返すような真似は出来なかった、二人にはどんな想いで老人がそれを言ったのか分かったから。
 『頼む』と言ったのだ。聞こえなくても伝わった。どんな事をしても、エイラが恐竜人たちにこの場所を教えたことに変わりは無い。彼にとってエイラは恐竜人に次いで憎い相手のはずだ。いや、なまじ同じ人間だけあって恐竜人よりも憎いかもしれない。
 そんな感情を抱く人間を、頼むと、守ってくれと言ったのだ。
 二人の走るスピードが上がった。







「だるまさんが……鼻歌混じりにー、淫行条例に違反した!」


 アザーラがこちらに振り向くと同時に、俺は動きを止めた。念入りに俺が動かないか見るアザーラ。その目は尻尾を出さないか、と考える猟師の如し。
 数秒の観察を終えて諦めたアザーラは後ろを向いてまた壁に頭をつけ、「だるまさんがー」と進行可、という表示的定文を口ずさむ。どう考えてもその決まり文句と言うか、おかしいと思うんだ。どうやって無機物が淫行を犯せるのか。近くで俺を見張る恐竜人達が怖いから口にはしないけど。


「鼻歌混じりにー……非核三原則を遵守しなかった!」


「お前にとってだるまさんとは何だ!?」


 思わず突っ込んでしまった俺にアザーラは「わーい、私の勝ちだ!」と両手を上げて喜びを表現する。頭が悪いくせに中途半端な知識用語を使うのはいかんともしがたい、歯がゆさに似た何かがある。ちゅうか、わざとじゃないのかこのウザ可愛いそれでいてウザい生き物め。中学生女子を体現するかのような奴だ。


「はあ……それで、次は何をするんだ? かくれんぼか、鬼ごっこか、INシテミルか?」


「最後が良く分からんが、面白いのか?」


「原作はな」


 エモーショナルな会話だ、と自分で自分を褒めようかな、案外学者の人間というのは俗っぽいというし。


「ふむ……遊ぶのもいいが、おなかが減ったぞ。クロノ、一緒におかしを食べに行こう」


「おかしときたか。つくづくお前が十六歳というのが信じられん」


「うぬ、おかしでは駄目か? では何と言えばいい?」


「今時はスイーツと言うのが主流だそうだ」


 ナウいの最先端に位置し尚も高校生たちのカリスマポジションを譲ること無い現代のスタークロノここにあり。マジとねえ。(とんでもねえ、の略)


 クロノは物知りだ、と感心するアザーラを連れてティラン城の食堂に向かう。そもそも恐竜人たちの食べ物に調理が必要なのか? と聞きたかったが、アザーラのごく人間に近い姿を見ればそういうものか、と勝手に納得してしまう。
 しかし、今までティラン城を遊びながら色々と巡っているのだが、アザーラのように人間と見間違うような恐竜人は一切見受けられない。アザーラにそのことを聞いてみると、「それはそうだろう。私が恐竜人の主として君臨しているのは、それが理由じゃからな」との事。


「どういうことだよ。まさか、恐竜人には女性が産まれづらいから、女性であるアザーラが女王になってるとか?」


 自分で言いながら、これじゃあまるで蜂と同じだ、と思った。
 アザーラは首を横に振り、


「より人間に近い女性体であるから、が正しい。詳しい理由は知らんが、人間に近い性質の私は特別な力を得ておるのでな。クロノも見ただろう、私のサイコキネシスを」


 俺たちの使う魔法のようなものか、と納得する。そういえば、スペッキオが人間か魔族しか魔法は使えないと言っていた。通常の恐竜人よりも人間に近いアザーラならではの力は恐竜人たちを屈服させるのに充分だったわけだ。


「勿論、血統なども重視されるが……私が恐竜人のトップでいる決め手はそれだ。つまり私は偉いのだ」


「はいはい……分かったから、俺の手を離せ。ただでさえ暑いんだ、あまりくっつくな」


「嫌じゃ、私はいっぱいお前と遊びたいんだ」


「別に逃げやしねえよ、つうか、逃げられねえだろ。さらにはそれは理由になってねえ」


 力任せに俺の手を握るアザーラの腕を振り払い先に進む。アザーラは数回自分の掌を開き、少し悲しげに俺の後をついてきた。……罪悪感が無いではないが、そもそもここに強制的に連れてこられた時点でこっちに非は無いのだ。別に気にすることもあるまい。
 食堂までの道のり、その間もアザーラはちょこまかと俺の周りをうろつき話しかけてきたが、気にしない程度に口数が減っていた気がした。


 食堂までの長い通路を歩き、「もうすぐだ、もうすぐニズベールお手製の林檎パイが食べられるぞー!」と目をキラキラさせながら鼻息を出すアザーラをあしらいながら、(林檎パイて、おい)少し黄色した床を進む。角を曲がろうとすると、なにやら恐竜人たちが列を為して現れたので思わず体を硬くする。
 アザーラの言葉があるからか、一人では何も出来はしないと高をくくっているのかそいつらは俺に見向きもせず調和したリズムの足音を鳴らし去っていく。放っておいても問題は無いだろうと横を通り過ぎた時、見たくも無い、けれど見逃せないものが目に映った。


「……キーノ? キーノなのか!?」


 体中から血を流して床を濡らす、両腕を乱暴に掴まれ連行されているのは、俺の仲間であり友達である原始の男、キーノだった。
 晴れ上がった顔を持ち上げてキーノは「ク……ロ……?」とか細い声を上げた。瞬間、腰の剣を抜きキーノの両脇にいる恐竜人に切りかかった。後のことなど考えない、逃げ出す方法なんか助けた後考えれば充分だ、と言い聞かせて。
 ……ただ、俺の刀は振り下ろすどころか、振り上げる前に俺の手からすっぽ抜けて行った。握りが甘かった訳じゃない。そもそもすっぽ抜けたという表現は正しくない。違わず、消えたのだ。俺の手の中から。
 ギャギャギャ! と騒ぎ出す恐竜人たちを無視して俺は不可思議な現象を引き起こした張本人を睨みつける。


「アザーラ! 邪魔するな!」


 アザーラは小さな頭を傾げて俺が何故怒っているのか分からない、という顔を作っていた。片手に俺の刀をぶら下げながら。お得意のサイコキネシスとやらで俺の刀をテレポートさせたのだろう、ノータイムでそれを成し遂げるアザーラの魔力は恐ろしくもあったが、とかくこの小さな少女に仲間を救う邪魔をされたのが酷く苛立たしい。


「クロノ、そいつは私たちに負けて捕虜になったのだ。勝手に助けたらいけないだろう?」


 単純すぎる理屈を述べた後、俺に襲いかかろうとする恐竜人を抑えるためアザーラは興奮している恐竜人に向かい合って、俺には理解出来ない言語で話をしていた。
 恐竜人たちは俺のさっきの敵対行動を許せないようで喧々とがなりたてている。その騒がしさの中、キーノが俺に音を出さず『大丈夫、落ち着く』と口を動かした。
 確かに今ここで俺が暴れてはキーノまで危険になる。捕虜ということは、今すぐ処刑されるということはないだろう、もう一度連行されるキーノを見送り、俺はもう一度近寄ってくるアザーラに出来うる限り敵意を隠して、問う。


「なあアザーラ、何でキーノ……さっきの男だけど、を捕まえたんだ?」


 どうということの無い質問。しかし、捕虜ということは……捕虜というのは基本的には戦いの最中捕まえた者というのが基本。
 戦い? 誰と? 決まってる。人間だ。……それでも、俺は聞いておきたかった。この無邪気な少女が自分の配下に人間を襲わせたのか、と。


「うむ、我々恐竜人から隠れ住んでいる人間の村を見つけたからな。ほら、クロノがいた所の近くだ。そこの人間たちを皆殺しにしていたら、あの男は人間たちのリーダーに近い者らしいのだ。だから何かに利用できないかと思って」


「いや……もういい。分かった。」


 皆殺しにしていた、という言葉から、アザーラがそれに関わっていたと分かった。むしろアザーラの立場を考えれば先導していたことは明白。それが……あまりに信じがたく、聞きたくも無かった。


「まあ聞けクロノ。そこの村の人間たちがまた弱くてな、殺しても殺しても味気ないのだ。生き方に伴い、質素な死に様だったぞ? お陰で気勢が削がれて、半分近くの人間を取り逃がしてしまった。サルどもらしい逃亡方法といえば、そうかもしれんな」


 その残酷な言葉よりも、その言葉を期待していたおもちゃが案外つまらなかった、という表情で羅列させているアザーラが酷く恐ろしかった。戦慄している俺に「さあ、今度こそお腹を膨らませに行こう!」と声を掛けて、一定の間隔で床を蹴りスキップしている。食堂で出された林檎パイは赤々としていて、人間の血でコーティングしたんじゃないだろうな、と聞きたかった。


 頬の中をパイ生地でいっぱいにしてハムスターのように膨らませながらくぐもった声で「美味しいな!」と同意を求めてくるアザーラはとても血や、死、殺害、戦いなんてものと無縁に見える。対極の人物像とさえ思える。ただそれは幻想で、彼女は紛れも無く人間たちの敵、その親玉であると知ってしまった。
 忌むべきはずなのだ。怖がるのが普通で憎むことが正しい帰結。そう分かっていても、彼女の笑顔は曇り無いものだった。
 残虐な恐竜人の王。
 幼い感情を露にする少女。
 そのどちらも彼女で、分けられるものではないと納得するにはしばしの時間が必要となった。















 おまけ


 それは、カエルが人間の姿に戻り、ルッカと談話している時の1コマ。


「ねえカエル、あんたって一度も女の子らしい会話とか、行動をしなかったの?」


「急だなルッカ……そうだな、いや一度だけあったか」


 男であるクロノやロボよりも男性らしいカエルにそんな時があったのか、と自分で聞いておきながら驚いたルッカは身を乗り出して「それっていつ? どんな時!?」と問い詰める。カエルの女残した言動等、想像しがたいルッカの興味は惹かれ、自分で思った以上に食いついてしまった。
 その勢いに押されたカエルは戸惑いながらも「い、いつと言われても……うむ、ルッカやクロノと同じか、それよりも年若い頃だろうか」と曖昧な返答を送る。
 ルッカは片手にメモを、もう片手にボールペンを握り先を促す。この時点でいつかこれをネタにからかわれるのではないか、と危惧すべきなのだが、カエルは今まで、というよりも今さっきからかわれたばかりであるのにそのような懸念は一切もたず話し続けた。


「意識して女らしくしたのは、サイラスの前で一度だけだ。……いや、恋愛感情とか、そんな深い意味は無かったんだぞ」


 では他にどのような深い、もしくは浅い意味があるのだと言いたかったがそれでへそを曲げられてはつまらないとルッカは疼く唇を硬く閉じて次の言葉を待つことにした。


「町娘が着るような戦士にあるまじき格好をして、~だわ、といった言葉遣いに変えて……今思えばよく出来たものだとある意味感心する」


「もう、そんな独白はいいから。それで? サイラスさんは何て言ってくれたの?」


 面白そうだ、という想いが七。恋する乙女の行動がどう出たのかという少女的好奇心が三の割合でワクワクしながらルッカはカエルの話に集中する。カエルはしらっとした顔で質問の核心を口にした。


「王妃様なら似合いそうだ、と」


「…………あ、そう」


 カエルの余りに哀れな過去を憂いてルッカはこれ以上詮索するのは止めようと顔を背け書き込んでいたメモを切り取り丸めて捨てた。恋愛とは、語られるほとんどが幻想、期待が大半入り込んだ妄想なのではないか、と少女的とは言えない悲しい現実を思った。ずきずきと頭が痛いのは、無駄に人を詮索すべきではないという教訓になった。


「ああ。それからだろうか。俺が王妃様を愛しだしたのは」


「え? 何で? さっぱり全然これっぽっちも微塵もミジンコ並みにも分からない。どうしてそうなるのそんな風に考えられるの?」


「いや、何と言うか……とても説明しにくいのだが……」


 流麗な長髪が覆う頭を掻きつつ、カエルは難しい顔でぼやく。また突飛な答えが返ってきそうだ、と予感したルッカはこれ以上頭痛を強めないで欲しいと切に願う。
 上手く言葉に出来ない様子のカエルがたどたどしいながらも、ピースの合わない単語を構築し会話に変形させていった。


「俺が頑張ってみた結果を、他人にさらりと上に立たれたと分かった瞬間、何となく、悪い気分ではなかった……いや、深い意味は無いのだが」


 お前の言う深い意味とはどんな意味を持つのか! と首を絞めて聞いてみたかったが、それをするとこの目の前の馬鹿は喜んでしまうのだろうか、と危うい考えに至りルッカは震える右手を握り締めた。


「……それって、単純にとんでもないMってことよね……」


 まさか、カエルの王妃様に対する重たい愛が産声を上げた理由が、重度の被虐体質によるものとは、と高熱を出した時でもこうは痛まない頭を抑えてルッカはカエルに聞こえぬよう毒づいた。「? おいルッカ、今何を言ったんだ」と聞いてくるが、自分に移るかもと思うとこれ以上会話を続けたいと思えずルッカは軽く無視を決め込んだ。その後すぐにそれが良いと思われては果てしなく気分が悪いので会話を再開させたが。


(これじゃ、さっきの強制メイド服着用だって、心の底では喜んでたかもね……いや、悦んでた、か)


 ふと、からかいやすいと評し、からかうと面白いと考えた幼馴染の見る目は正しいのだな、と本人の知らぬ所で微妙に評価が上がったクロノだった。微妙の数値は限りなく零に近いものだったけれど。


(ていうか、ストーカーで変態で両刀で蛙で実は女で男性意識でサドかと思えば被虐体質って……どんだけ属性持ってるのよ!)


 そのほとんどがプラスに成り難い要素というのは、ある意味それすら属性に成り得るかも、とまで考えてルッカはもうカエルについて考えたり質問したりするのは止めよう、と心に誓った。
 もしかしたら、そのサイラスという人物も王妃狂いの変態だったのでは? という不安は浮かばなかった。
 浮かばなかったということで、いいじゃないか。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:04
「汚いな、実に汚い。お前は卑劣だ、愚劣とすら言える。偽善者、卑怯者、外道、これらの罵詈雑言を並べたとて貴様には届かぬ。お前は何だ? 何の理由があってそのような情け容赦の無いことが出来る? 答えろクロノ」


「これはこれは、自分の浅はかさを棚に上げて他人を貶めようとは稀有な存在だな、恐竜人の主というのは」


「人間、あまり分を越えると後に後悔しようぞ? 貴様の首には俺の爪が引っかかっているのだ、俺が腕を引けば貴様の喉を容易く散らせよう」


「分だと? ニズベール、その言葉は的外れだ。戦いとは分を競うものではないし、そもそも定義が無い。そんな抽象的な言葉を脅迫に使ってる時点でテメエの底は知れたな」


 スッ、と硬質な物体が擦れる摩擦音と共に、アザーラが文字の彫られた指先分の大きさの石を取る。石の裏を見た後、苦渋に満ちた顔を浮かべ、きっ、と睨みつけながら床を踏み無機質な床が悲鳴を上げた。
 そんなアザーラを見て俺は愉快に過ぎる気分を出さないように頬の内側を噛んで無理やり笑みを押さえ込む。耐え難い、真に耐え難い。何故他人を踊らせるのはこうも面白いのか? もし神という存在があったとして、その役職は甘美なものだろうと推測される。地上で蠢く生き物達を高みから見下ろし操り興を得る。尚且つ見下ろされている生物は自分を崇拝しているのだ、これほど痛快な事はあるだろうか? いや、無い。


「……クロノ、今ならまだ私も許そう。分かるか、慈悲をくれてやると言っているのだ。寛大にも恐竜人たる私が猿如きに優しさを振りまいてやると、そう言っている……貴様は何を待っている? 教えよ」


「寝ぼけたか? これは勝負だ。自分の仕掛けた地雷の位置を敵方に教えろと? それは出来の悪いコメディになりそうだ。題名の前に『本格』という枕詞があれば最上の映画になりそうだが」


「……アザーラ様、これはもう我々自身の手で奴を沈めねばなりません。臆されるな、貴方の豪運、ここで尽きるものではない……!!」


 ニズベールの言葉が後押しして、覚悟を決めたアザーラが机の上に自分の手に握られたものを叩き付けた。……ここまでだ。俺の顔の筋肉が限界を訴えている。厳重な鎖つきの鍵がじゃらじゃらと音を鳴らし落ちていく、そんな例えを思いつきながら、徐々に俺の顔がにやけ、それに反してアザーラの顔が絶望に染まっていく。嘘だ、これは違う……理屈に反している……! と誰に聞かせるでもない言葉を洩らしながらアザーラは席を立ち後ろによろめいていく。
 錠は全て消えた。さあ宣言しよう、これで終わりだ、お前に後は無い。そもそも、この勝負を俺が提案した時点でテメェの負けは確定している。地に落ちるがいい、恐竜人……!


「ロン! 翻一ドラドラ満貫。アザーラは飛んだな。これで俺の持ち点が56000。俺の勝ちだ」


「嫌じゃー!! もうこれ以上一発芸を披露するのは嫌じゃああああ!!! ニズベール助けろ!」


「あああおいたわしいアザーラ様ぁぁぁ!!! ……しかしながらアザーラ様の一発芸は大変微笑ましいので、止めさせるわけにはいきません。さっきのドジョウの真似なんかもう、乱心する勢いで愛らしゅうございました」


 俺がティラン城に誘拐されて早五日。鬼ごっこもかくれんぼもおままごともお医者さんごっこもやりあきたので俺が新しい遊びを提案したのが二日前。麻雀という遊びを恐竜人たちに教えてからまさかのフィーバー、大流行となってしまった。
 石を彫ったり色を塗ったりで牌を作るだけでかなりの時間を要するかと思っていたのだが、彼らの作業力というか技術力というか、それを総結集させたところ半日足らずで麻雀の道具を作り終えてしまったのだから面白い。『恐竜人は手先が器用である』という論文を提出すべきだろうか、すべきだろう。


 麻雀の道具を作ってから二日、今では城に住む恐竜人の約四割が麻雀に興じているという事実はいかんともしがたい。ついでにあほくさい。
 まあ、アザーラに連れまわされて筋肉痛が体の節々を痛めつけるので、テーブルゲームを所望していた俺としてはありがたい展開ではある。
 ちなみに、今さっき麻雀をしていたメンバーは俺、アザーラ、ニズベール、一般兵の恐竜人である。一般と言っても聞いた話ではニズベールの補佐的な位置にいるそうな。つまり今現在ティラン城は一切稼動していない、ということだ。トップスリーまでの恐竜人が娯楽に勤しんでいるのだから。


 ああ、蛇足に重ねた蛇足だが、俺たちの麻雀では暗黙の了解として一番負けた奴はトップの言うことを何でも聞かなければならないというルールが確立している。俺を含めたアザーラ以外のマンバーがアザーラを集中攻撃しているので、アザーラは今日の朝から延々物真似、ギャグ、給仕、赤ちゃん言葉で話す、といった罰ゲームを食らっている、というのはどうでもいい話。
 長くなったが、わたくしクロノは予想に反して恐竜人たちとティラン城での生活をエンジョイしているという酷く禍々しい話。この場合の禍々しいの使い方は間違ってない。それでも、最近では今の生活も悪いものではないと思い直している。


「アザーラ、次は一発芸じゃない。今度は生魚を咥えて『うぐぅ』と言え」


「そこはたいやきじゃないのか!?」


 何故原始で生きているお前が元ネタを知っている。


「おい! カツオ……いやマグロ持って来い! カジキでもかまわん!」


「ニズベール! 私はカジキなんか口で咥えられん! おまえらも持ってくるなぁ!!」


 ニズベールの命令に光ファイ○ーもびっくりな速さでカジキを持ってくる恐竜人に、全力の否定と自分の限界を力説するアザーラ。一週間弱共に生活して気づいたんだが、アザーラってあんまり尊敬されてないよな。可愛がられてるというか、おもちゃにされてる感が強い。後、ニズベールが何故かカエルに見えてくる不思議。仲間が恋しいとかそういったホームシック的な感情で生まれる幻覚では断じてない。あ、アザーラの口に無理やりカジキを押し込まれた。ちょっとちょっと、幼い容姿の子相手にそういう無理やりっぽいアレは規制されてるから止めて。


「けほ、けほ……うううぉまえらぁぁ!! 息ができなくて死ぬかと思ったじゃないか!」


「すいませんアザーラ様。しかし、これも偏にアザーラ様の雄姿を見たい一心で!」


「うぬ……そうか、私はかっこいいか?」


 アザーラの問いに満場一致で「サー、イエッサー!!」な恐竜人たちが最近可愛い。角砂糖でもあげればついてくるんじゃないかとさえ思えてきた。
 恐竜人萌えという新ジャンルを開拓している俺にとてとてと小さな足音を立ててアザーラが近寄ってきた。「私はカッコイイそうだ!」と嬉しそうに言うのでほっこりした俺は膝の上に手招きしてアザーラを乗せる。小さな重みが安心感を与えてくれることに、俺は小さな幸福を感じていた。


「なあなあクロノ、カッコイイ叫び声ってどんなんだろうな! 私はガオオオ! だと思うんだが」


「もしかしたらキシャア! かもしれん。何事も考えることは悪くない。色々考えて叫んでみれば答えが見つかるだろうぜ」


「そうか、分かった!」


 良く分かってなさそうな顔だけれど、指摘するのは無粋。膝の上のアザーラを持ち上げて肩に乗せた。肩車だー! と喜ぶアザーラを見て恐竜人達の顔が綻んでいくのは、悪くなかった。家族って、こんな感じなんだろうか?


「ちょっと散歩でもするかアザーラ。昼飯までまだあるしな」


「うむ。クロノ丸発信じゃ!!」


「おいおい、俺は乗り物か? しゃあねえな、走るから落ちないようにしっかりしがみついてろよ!」


 そのままブーン! と言いながら部屋を出て長い廊下を走り回る。時々すれ違う恐竜人たちに「ゲギャギャギャ!」と言われるので俺も「おお! 今日の夕食は期待できそうだな!」と返しておく。岩塩が取れるとは、肉料理が待ちきれないな。続いて現れた大猿が「ウホッホッホッ、ウホホー!」とひやかしてきたので「馬鹿、アザーラは娘みたいなもんさ!」と少し顔が赤くなっていることを自覚しつつ怒鳴っておく。くそ、なんだよあの『分かってるって』みたいな顔。頭上のアザーラももじもじしながら俺の髪の毛をいじっている。ぐぐぐ、お前まで照れたら俺も恥ずかしいじゃねえか!
 次に現れたのは給仕のハリー。恐竜人ながら、女であるハリーは最近俺とよく話す。「ゲギャ、ゲギャガギギ!」とアザーラを肩に乗せている俺を責め立ててきたので「いや、そういうことじゃなくて……分かった、今度お前と一緒に海にでも行くから、今日は勘弁してくれ!」と逃げ出した。「クロノ、お前まだあいつと仲良くしてたのか! この前も私との遊びを放棄してあいつと食事してただろう!」と髪の毛を引っ張り出したからたまらない。ああもう! こんなラブコメ展開は望んでないぞ!


 そんな、心温まる皆とのやり取りを経て、俺たちは城の最上階まで辿り着いた。最上階には二つ部屋があり、一つはアザーラの私室。もう一つは私室から長い橋を渡った先にあるブラックティラノの部屋。俺は彼の事をティラノ爺さんと呼んでいる。老獪な知恵と知識を持ち若者を毛嫌いせず、むしろ優しく気安い口調で話しかけてくれる気の良い爺さんだ。最近寝ている時に火を噴いてしまうのが悩みらしい。俺には良く分からないが、人間で言う所の入れ歯が取れるみたいなもんだろうか?


 ティラノ爺さんに挨拶していこうぜ、と言う俺にアザーラが頷いたのでもう一度駆け出す。とはいってもそう大きくない橋を渡るのだから、少々スピードは落としたが。


「グルルララアアァ!!!」


 俺たちの姿を見た途端ティラノ爺さんは嬉しそうに鳴いた。若い者と話すのは楽しいと言ってくれていたが、本当のようだ。歓迎されて、俺も嬉しい。思わず俺も元気良く挨拶をしてしまう。


「お早う! ティラノ爺さん!」


「お早うだティラノ! そうだ、相談があるんだが、カッコイイ叫び声ってどんなのだろう? 教えてくれんか?」


「グルルルル、グガガアアア!!」


 三人(内一人恐竜人、一人恐竜)で談笑して、しばらく笑い声が止まらない空間が続いたが、昼食の時間に近づいた頃ティラノ爺さんが「ゴガッ! グルルルル……」と言うのでようやく時間がかなり過ぎている事に気づいた。俺とワザーラは慌てて礼を言って、食堂に走り出す。ハリー含め、食堂勤めの恐竜人たちは時間を守らないとおかわりをさせてくれないのだ。「早く早く! 今日はデザートにババロアが出るぞ!」と急かして来る。彼女を肩に乗せて行きよりも数段スピードを上げて食堂に向かった。


「ってアホかぁぁぁぁぁ!!!!」


「ふびゃああああ!!」


 我に返った俺はアザーラの足を掴んで宙吊りにさせる。視界が急反転したアザーラは驚きすぎてカッコイイとは程遠い叫び声を出して目をぱちくりさせていた。


「なんでやねん! おかしいやん! なんで俺がこの恐竜人の巣窟でほのぼのせにゃあならんねん!」


「お、おお。関西弁が堂に入ってるな、クロノ」


「どうでもいい! あまつさえどうでもいい!」


 誰だよハリーって!? ティラノ爺さんって何だよその故郷の気の良い隣近所のじいさんみたいな感じ!? なんでグギャアとかグルルとかウホホで意味が分かるんだよ俺は! 月日って怖い! 一週間足らずで馴染んできた自分がことさらに怖い!!


「落ち着けクロノ! まつやまけんいちの最初の『ま』と『け』をひっくり返してみろ」


「けつやままんいち。それがどうしたのか!!」


 どうでもいい! あまつさえどうでもいいうえに激しくどうでもいいこと請け合いな事を抜かすアザーラを上下に揺らす。「吐くー!」とギブアップ宣言をしたので地面に降ろすとぼんやりした顔でアザーラは瞬きを繰り返し何故俺が怒っているのか分からないと言う顔をしている。分からんだろうな、俺にも良く分かってないんだから。


「とりあえずあれだ、今すぐ俺をイオカ村に帰せ! この際まよいの森でも良い! これ以上ティラン城にはいられねえ!」


 俺の帰還したい! という要望を聞いてアザーラがはっと焦り顔になって口を開いた。


「なんでだ!? あそこは人間しかおらんぞ! 恐竜人が行っても迫害される!」


「俺は恐竜人じゃねえ! 人間だ!」


「え……? ああ、そういえば……そうだったか?」


「何でちょっと不満顔の疑惑目線なんだ!?」


 そもそも、俺の不注意で攫われたといっても仲間たちも薄情だ。もう五日だぞ! 何故俺を助けに来ない? ルッカはともかくマールとカエルとロボは来てもいいだろう!? いやいやそういえば忘れてたけどキーノもここに捕まってるんだよな……? あれ、キーノって今何してるんだっけ? まさかもう処刑……?


「ああ、あの男は地下牢で牢屋番と漫才の打ち合わせをしとったぞ。今度の宴会で披露するそうだ」


「そうか……やはり原始にまともな人間はいないか……」


 前回の大怪我はどうしたのか。あんな奴助けなくても良い。勝手にM○目指せばいいさ。今年でもう終わったけど。
 俺が頭を抱えてる最中、アザーラは笑いながら俺の肩を叩いてきた。その手首を取って窓から放り出したい衝動がどんちゃん騒ぎしているけれどあえて耳を貸してみる。


「あの男がおかしくなったと言うが……原因はクロノじゃぞ?」


「……何?」


「お前が私たち恐竜人と仲良くなり、その結果人間も悪くないと恐竜人たちが考え、そうした上でそのキーノという人間と恐竜人が会話をするようになった。でなければ、我々恐竜人が人間の男と漫才などするものか」


 その漫才の部分が無ければまともな話に聞こえなくも無かったかもしれない。たった一言が全てを台無しにしてしまう。信頼と同じだ。仲良くなった理由の最たるものが麻雀というのもしまらない。


「……架け橋になった、とかそういうことか?」


「うむ。あくまでティラン城限定のことだがな。捕虜として捕まえた者をどうしようが私たちの勝手じゃ。つまり、怪我を治療しようがある程度仲良くしようが漫才ユニットを組んで世界を目指そうが自由じゃろう?」


 やっぱり漫才の下りが邪魔してあほくさい話に聞こえてしまう。よりによってなんで漫才なのか、酒を酌み交わすとかそれくらいなら許容できようが。


「……それなら、さ。人間とある程度仲良く出来るなら、共存もできるだろ? 村の人間を殺したのは……確かに、許されることじゃないけど、でも今からだってきっと」


「待てクロノ。それはつまり人間たちとの戦いを止めろ、と言ってるのか?」


「ええと、まあそういうことだ。俺みたいな奴でも仲良くなれたんなら、恐竜人と人間は一緒に暮らせるんじゃ……」


「それは、無理じゃよクロノ」


 少しだけ眉を歪ませて、まるで年上の大人が我侭を言う子供をあやすような仕草でアザーラは首を振り、俺の言葉を遮った。


「……それは、どうしてなんだ?」


 アザーラは淡々とした口調で、はっきりと告げた。


「私たちと人間は戦っている。戦いが終わるのはどちらかが負けた時……そして、負けたものは死ぬ。そう決まってるのだ」


 教科書の例文を読み上げるようにすらすらと答えるアザーラ。単純にして簡潔な理由は、現代で生きていた俺には全く理解の出来ないものだった。戦いはやめればいいし、負けても死ぬ必要性が理解出来ない。甘いと言われようが、それが常識だと疑えない。


「……分からぬか? でもな、何度も言うがこれは決まっていることなのじゃ」


 俺から離れて、窓枠に手を当てて、煙に遮られ景観を損ねている曇り空を見上げながら、アザーラは覚えやすい単語を二つ並べた。


「大地の掟、じゃからな」









 星は夢を見る必要は無い
 第二十一話 閑話休題的なアレ









「もう五日になるんだね……」


 王国暦千年より原始に降り立った王女、マールは中世より現れた勇者、カエルにぼんやりと言葉を投げかけた。「ああ……そうだったな」と返す者はカエル。少し離れて膝を抱えているのは太陽の申し子という渾名を持つ原始の野生児、エイラである。
 彼女らがラルバ村の焼け跡にて長老からプテランを使いティラン城に乗り込めと言われてから、マールの言葉通り五日が経過している。
 あらかじめ言っておこう。彼女達は決してのらりくらりと時間を浪費していたわけではない。キーノという気心知れた友、エイラにとってはそれ以上の存在である人間が恐竜人たちに連れ去られ、仲間であるクロノまでもがアザーラの手によって攫われたと村人に聞かされたときにはプテランのいる山を全力で駆け上がり、僅か二時間足らずで頂上まで辿り着いたのだ。途中、人間に戻ったカエルは戦力としてアーマーを付けたロボよりはマシ、という役立たずであったという新事実が発覚し進行に影響が出た上でのハイスコア。これはマールの闘志とカエルの役立たずながらも懸命に剣を振った結果である。(途中、ルッカとの交代を余儀なくされたが)
 二人がエイラと合流した時、エイラがティラン城の恐ろしさを説き二人は待っていろと気弱な彼女が怒鳴りだした時はマールも怯んだ。とはいえ、その言葉通りにする彼女ではなく、後に口論になったが、仲間のクロノが攫われたこと、次にキーノやエイラは自分にとって大切な友達であるというマールの言葉に胸打たれたことでエイラは三人でティラン城に行くことを同意した。若干以上、カエルが仲間外れだったことは言うまでもない。


 そう、彼らは必死だった。一分一秒でも早く己が仲間を救い出さんと尽力したのだ。ただ、誤算が一つ。


「まさか、プテランが近くに来ないなんてね……」


「キーノ、キーノ、キーノ、キーノ……」


「落ち着けエイラとやら。きっと方法はあるはずだ。多分恐らくもしかして」


 プテランの世話をしている者がいればすんなりプテランを呼び寄せてティラン城に行けたらしいのだが、その世話係がヘルニアの為プテランを操れないというどこまでも愚かしい事態となっているのが彼らの停滞の原因である。
 最初は彼らも「大丈夫! 私たちだけでもプテランを乗りこなせるよ!」とマールは意気込み、「俺の乗馬技量は半端ではないぞ?」と調子付いたり(そも、馬ではないのだが)「キーノ……エイラ行くまで、待ってる!」と決意したり、全員やる気というボルテージは上がりきっていた。それも三日を過ぎたあたりから下火となり、今ではプテランを呼ぶ動作すら行っていない。


「ていうか、プテランってあんな大きな鳥だったんだね」


「そうだな、まあマグマで囲まれているというティラン城に乗り込むのなら空を飛ぶしかあるまいし、大鳥というのは予想できたが」


 彼らのいる場所こそ山をネズミ返しのように切り取った崖だが、話しているテンションは喫茶店でだべる学生のそれであった。適当に話題を投げてまた適当に返す。
 最初は姿の戻ったカエルに戸惑うようにしていたマールも三日間(五日の内二日ほどはカエルとルッカが入れ替わっていた)カエルと過ごしていれば仲良くなるを越えて話す話題も尽き、だれた友情関係が結ばれていた。だれた、を強調すべきだろうか。


「……思うんだが、打つ手無しじゃないか? これだけ頭を捻っても何の案も思いつかん。クロノは尊い犠牲になったという方向で美しい思い出にするのはどうだ?」


 カエルの案に一度頷きかけたマールだが、まだクロノに魔王城での恩を返していないし、なによりカエルの後ろで『この緑女谷底に叩っ込んだろかい』という念をエイラが送っていることから「それは駄目だよー」と投げやりに否定した。エイラがいなければ肯定したのか? それは永遠に謎の中……


「見えてはいるんだけどね、プテラン……」


「ああ、見えてはいるな、プテラン」


 崖の先端から前方二百メートル付近を優雅に旋回するプテランを見ながらマールとカエルはため息をついた。なまじ目に見える距離にいるのでプテラン以外の突入法を考えるのも口惜しい、というのが彼らの言である。
 さて、彼らがこうして埒のいかぬ打開策を思案している間、ルッカとロボは何をしているのか?
 ルッカはマールの言った「腕が伸びるような機械とか作れないのルッカ? ゴムゴムー、みたいな感じに」という発言を聞いて閃き、時の最果てではなく実家に帰り腕伸縮機という世にも奇妙な発明をすべく頭を回転させている。
 本来ならば、ルッカがそのような馬鹿げたアイデアに乗るわけも無いのだが、クロノがアザーラに攫われたと聞き「幼な妻気取りかちきしょー!!」と壊れて正常な判断ができなかったことが痛恨。ロボはいまだに体の不具合が直らずルッカの父、タバンに修理してもらっている。ルッカは前述したとおり奇奇怪怪なマシン製作に精を出しているので修理には手が回らない。


「遠いものだな、プテラン」


「近いのに遠いね、プテラン」


「キーノキーノキーノキーノキーノキーノ……」


 ゆらゆらと上半身を左右に揺らしてのったりした会話を続ける二人。エイラは魂の崩壊が始まっているかのように同じ言葉を繰り返し呟いている。二人もエイラの異常に気づいてはいるのだが、怖い気持ちが先行して落ち着かせる、宥めるといった選択肢が出ない。強制的に無視するコマンドをクリックされてしまうのだ。すいませーん! マウスバー壊れてます! な状態と言えよう。


 しばらく会話しりとりなる業の深い遊びをしていると、突然カエルが思いついたように「そうだマール。お前の得意技に挑発なるものがあっただろう。一度プテランを挑発してみてはどうだ? 案外近寄ってくるやもしれん」と期待値三パーセント程の提案を出した。マールは「獣に挑発して効く訳がないじゃない。義務教育受けてるの?」と言い返したくなったが、心の中でターセル様々やわ! と連呼して辛い突っ込みを犯さずに留めることを成功した。


「ええと……とりあえずやるけどさ。何言えばいいの? グワア! とかゲギャア、とか言えばいいの?」


「別に普通の言葉で挑発すればいいだろう。お前はちゃんと義務教育を受けているのか? 五年間」


 思わず取り乱しながらマッハキック(上段からの捻りを加えた蹴り)を連発してしまいそうな怒りが芽生えたマールだが、ナカムラノリ選手の行く末を思うと自然に怒りは霧散していった。人間、取り乱さず自分のポジションを埋めていかねばならないと考えたのだ。
 彼女の名前はマール。夢見る乙女の顔と現実的に将来設計を立てるのが趣味と言う側面を持つ現代の王女である。


「分かった。それじゃあええと……」


 すう、と大きく息を吸い込みマールは口から有らん限りの声でありとあらゆる罵倒を投げかけた。それは横で聞いていたカエルが「うわあドン引き……」と顔をしかめエイラが懐から取り出した『いつか言いたい罵倒手帳』に新しい文を書き込むほどの情報量とバリエーションがあった。結果として、カエルに「そもそも獣の類に挑発が効くわけがなかったな」と言われる結果になったのは、後のマール曰く「解せぬ」とのこと。


「じゃあさじゃあさ、カエルが誘惑してよ。一回クロノにやったんでしょ、見事に自爆したらしいけど」


「あれは俺の意思でやったわけではない! そもそも、クロノを誘惑しようとしてやったわけでもない!」


 どれだけ嫌がろうとも、マールはカエルにごり押しした。先程の恥辱の借り、ただでは返さぬといわんばかりの気迫に押され、押しに弱いカエルは結局『カエルの悩殺ふにふにダンスで魅了作戦』byマール命名。を行うことになった。


「くそう……俺は騎士で戦士なんだぞ? 何故このような……ええい!」


 自分の迷いを振り切り思い切った踊りと掛け声を発しながらカエルは自分が思いつく限りに可愛らしく、艶かしい動作を心がけ、掛け声はまるで大きなお兄さんを接するような萌え声で。(あれですよ、ライブ会場で「○○○○! 十八歳です!」「おいおい!」みたいなほらアレですよ)リアルに恥じているのはプラスととるのかマイナスと取るのかで玄人かどうかが分かる。
 マールはカエルのメイド姿に爆笑したルッカとは対照的に「うわあ最低……」と男子と話すときだけ声の音程が高い女子を見る目つきで、そう、絶・対・零・度! の目線を送り続けた。エイラは心なしか一緒に踊りたそうにしている。ガンガンいこうぜ。
 全てを出し切ったカエルを待っていたのはマールの「そういえば私カエルが人間の姿で戦ってるところ見たこと無いし、本当は戦士でもなんでもなくて、ランパブとかの店員なんじゃないの?」というおよそ世界を守ろうとした勇士に向けるべきではない言葉だった。


「あれだ、俺の心が男であることを奴らは見抜いたに違いない。エイラがやればきっとプテランたちも近寄ってくるだろう。誰かさんと違って心清らかであるしな」


「あー、いけないんだカエルったら。今度ルッカに告げ口してやろっと」


「驚いたな、そこまで頭が悪いとは。お前が王妃様の子孫などと未来永劫信じはせんぞ」


 最後に槍玉として挙げられたのはエイラである。「ええ! え、エイラそんな踊り、出来ない……恥ずかしい……」という拒否を何ら気にせず二人はどうぞどうぞと崖の先端に押し進めていく。口では「キーノとクロノを助ける為に!」と言っているが、その目は「何でわしらだけ恥をかかにゃあならんのじゃ。一蓮托生が常識だろうに」という汚らしい本音が現れていた。


「あ……うう……ええと……」


 たどたどしくも、腰を捻ったり手を叩いたりしてプテランを呼び寄せようとして頑張る姿は、誘惑と呼べるのか、むしろ同情に近い何かすら感じる出来だったが誰かの為に頑張りたいという願いを背負った舞は先二人の恥を晒すものより随分と輝いて見えた。
 ところが、それを見ていた二人は「私の爆裂悪口包囲網で来なかったんだからそんな地味な呼び込みじゃ来ないよ」と高を括り、「俺のラブリーフレーバー~戦士のひととき~が通用せんのにあの程度の稚拙な踊りでは……まず思い切りが足りん」と評論家気取りのコメントを残すなどの、応援とは程遠い姿勢でエイラを眺めていた。


 その後どうなったのか、深く記すことは無いが、五日のタイムロスがあったものの三人はティラン城に向かうことが出来たことは報告しておこう。
 『彼らを近くで見ていたラルバ村の住人、デルリバァトの日記より抜粋』








「いーやーじゃー!! クロノはここで私と一生遊ぶんじゃあ!!」


「落ち着け! 腕を振り回すな物を投げるな服を噛むな!」


「じゃあクロノは帰らずにここにいるか!?」


「……いやそれは」


「いーーやーーじゃーーー!!!」


「終わらねーじゃねえか!!」


 俺がティラン城を出ると言い出して、それが本気だと分かった時からアザーラは泣く事をやめない。せつせつと泣くだけならまだしも、物に当たるわ部下に当たるわ大半俺に当たるわでもう疲れてしまう。勘弁してくれ、と俺が空を仰いだのは数回ではすまない。
 ただ、ある意味アザーラよりやっかいなのが他の恐竜人たちやニズベール。彼らは俺を止めることはないのだが、どこか、俺が家出しようとしてる思春期の青年、または自分探しの旅をしようとしている青春謳歌野郎として見ている節がある。それが証拠に、ニズベールが「なあなあどこに行くんだ? やっぱり旅先で老婆とかに水を分けてもらったりするのか? 若い恐竜人たちに『お兄ちゃんは遠くから来たんだよ』とか言っちゃったりするのか?」としつこい。若い恐竜人て。俺は人間なんだから恐竜人と接することは無えよ。


「アザーラ様、クロノはここを出て、また一回り大きくなって帰ってきますよ。だから今は見送ってやりましょう、ね?」


「嫌じゃ! クロノは私と一緒に虫を捕まえたり、粘土で遊んだり、お散歩したりするのだ!」


 ニズベール含め他の恐竜人たちも「ゲギャアガガガ!」と説得してくれている。全員生暖かい目で俺を見て「大丈夫、辛くなったらいつでも帰って来い……」な目をしているのが大層むかつく。字牌単騎で上がった運だけの奴がするドヤ顔くらいむかつく。


「あの……じゃあ俺行って来ますわ。アザーラのことよろしくお願いします」


「よいよい、クロノよ。土産話を期待しているぞ」


 アザーラを羽交い絞めにしつつニズベールはほがらかに言う。どうだろうか、その海外留学する時の親戚のおじさんみたいなノリは。
 ともあれ、これで俺も自由だ、と城の外を目指す。外には怪鳥が用意されて、恐竜人がまよいの森まで送ってくれるそうだ。破格過ぎる扱いなのだが、何故か納得がいかないのは俺が人間である所以か。


「嫌じゃあ……クロノ、クロノーー!!」


 悲壮に俺の名前を呼ぶアザーラの声が後ろ髪を引く。たまらないくらい悲しげに泣く彼女の顔は目から流れる水分でぐちゃぐちゃになっていた。鉛を飲み込んだ感覚に襲われながら一歩ずつ俺は歩いていく、それは、アザーラから見れば一歩ずつ離れていく、ということで、彼女はしゃくりあげながら、俺を呼ぶ声が小さくなっていった。


「……ちゃん」


「……!!」


 かすかにアザーラからこぼれた声に、俺は思わず立ち止まってしまった。頭の中で馬鹿! 振り返るな! 別れが辛くなるだろうが! と声が聞こえるのに、アザーラのその言葉は俺の脳内命令を全て無視して肉体を無許可に動かしてしまった。
 動きを止めた俺をアザーラは腫れぼって小さくなった瞳を向け、聞き取りにくい言葉を流す。


「お……にい、ちゃん、に、なってほし……かったのに……」


 今この時この時間、間違いなくこの世界で動くのは俺とアザーラのみとなった。そう感じた。彼女の一言は、遠い昔の、俺の……


──お兄ちゃんに、なって欲しかったのに──
 確かに、彼女はそう言った、そうだろう? アザーラは俺にそう言ったのだ。あれだけ我侭に、好き勝手に生きているアザーラが、涙ながらに、俺に願い事を言った。


「…………おああ、あああ!」


 理性ではなく、本能が俺を動かし、一歩だけアザーラに近づいてしまった。石の床を靴が鳴らすと、過去の思い出が湧き水のように溢れ出していった。


 ──俺は母さんにお願い事をしたことが無い。だって、どうせ叶えてはくれないから。
 おもちゃとか、小遣いとか、旅行に行きたい船に乗りたい、その他諸々の願いは口にされる事無く俺の中にしまいこまれていった。
 そんな俺でも、たった一つ、母さんにねだったものがある。それは子供なら大半が思いつく純粋な願いで、無垢な感情。
 それは……


──おかあさん、おれ、いもうとがほしい!


──あら、あんたなんでそんな物が欲しいんだい?


──だって、かわいいじゃん! ねえ、おれいもうとがほしいよおー


──だめだめ、子供なんかあんた一人で手一杯よ


──ちぇ、けちくそばばあ。ちがういいかたならびんぼうしょうのうんころうば


 ここで、想い出は消える。それから先の出来事を思い出せないからだ。次に思い出せる記憶は病院で砕けた顎を治療している記憶。
 ……そんなことはどうでもいい。そう、俺は一つ、どうしても、それこそ命に代えても欲しいものがあった。それはそれこそが!


──おれいもうとがほしいよおー
──俺いもうとがほしいよお
──俺、妹が欲しい
──俺は! 妹が!!!! 欲しいんだああああああああ!!!!!!!!


「クロノ、おにいちゃぁん……」


 それが決め手。母さんとか仲間とか緑色のあれとか原始人と恐竜人の確執とかその他諸々の事情因縁全てがまるで油汚れに洗剤をつけて水に浸し洗い流したようにさらさらと消えていき、やがて……ゼロになった。
 ……思えばあれだよな。俺が必死こいて世界を救うとか未来を明るい世界に、とかそれこそ蛙男女を元に戻すとかさ、別にどうでもいいというか……うん。どうでもいい。つまるところ、今の俺の心情、本音、決意を言葉にするなら……


「俺は人間を捨てたぞルッカァァァァァァァ!!!!!!!」


 記念すべき妹誕生に、俺はとりあえず幼馴染の名前を出しておいた。これが人間との関わり、その終焉であると理解して。







「ほら、言ってごらん? 俺はお前の何だって?」


「おに……ううう」


「おいおいそれじゃあ俺が鬼になってしまうじゃないかアザーラ。ほら、もう一回頑張って」


「もう、もういいではないか! 私はクロノを兄として思っている! これで充分だろうに!」


 全く、デレたかと思えばすぐにツン。血の繋がっていない妹の必要要素はばっちり兼ね備えてやがる。ソフトクリームでも買ってやろうか? いや冷たいものを食べてお腹を壊してはマイシスターが泣いてしまうかもしれない、ここは一つチョコレートでも……いやいやその前にこれだけはやっておかねばなるまい。


「アザーラ、一度でいいから俺をにーにーと呼んでくれないか?」


「嫌じゃというのに!」


 ふむ、最愛の妹の拒否を無視するのは心苦しいが、あまり兄の頼みを嫌がるようでは反抗期になってしまうやもしれん。ここは心を鬼にしてにーにーと言わさざるを得まい。ちゅうか呼んでくれ、俺をにーにーと呼んでくれ。発音はにぃにぃがよろしい。


「アザーラ、猫だ、猫の物真似をするんだ」


 俺の妹はいぶかしむ目で俺を見つめ、少々の間を挟み、「にゃあ?」と呟く。天変地異が起きてミサイル発射、大洪水で海が地上を満たしインドラの矢が降り注ぎかとおもえば宇宙からオリンポスの尖兵隊が攻め込んできた時の衝撃と同じくらい可愛いが、それでは俺が妹に妙な語尾を強要させる犯罪予備軍になってしまう。
 ……これ以上猫の真似をさせるのは怪しまれるので不可、ただでさえ疑っているのにごり押ししては頭の弱いアザーラとて気づくだろう。


「くっ……仕方ないか。まあいい、アザーラよ、兄に何か頼み事は無いか? 例えば一緒にお風呂に入りたいとか」


「……なんか、今のお前と風呂に入るのは、嫌じゃ。何故かは分からんが」


 おっと、この年になると裸のお付き合いも恥ずかしいか。兄として発育具合が気になったのだが……
 勘違いして欲しくないのだが、異性としてアザーラの裸なんかまるっきり興味は無い。見た目はちみっこい幼児のアザーラに性的興奮なんぞさらっさら感じない。でもさ、妹とお風呂に入るってなんかそれだけで夢のようじゃないか!? 妹のいる奴は決まって「妹なんかいたらウザいだけだぜ」とか言うけどさ、いない奴からすれば「彼女なんかいたってめんどいだけだぜ」発言と同じように聞こえるんだ! いいじゃないか! 「お兄ちゃんと結婚する!」とか言い出す妹を夢見たってさ! 実際は「兄貴の部屋臭い。二度とドア開けないで。もしくは二度と家に帰ってこないで」とか言うに決まってるけど!


 それから、今までとは打って変わってアザーラに付きまとい「遊ぼーぜ!」と誘ったのだが、気恥ずかしいのかアザーラは「もういい! 部屋で寝る!」と部屋を出て行ってしまった。
 まさか反抗期なのか!? ……遅かったのか……このままアザーラもけいたいしょうせつとか読み出して性の知識を得たり、貞操観念が薄くなったりしちゃうのだろうか? 嫌だ、アザーラはいつまでも本屋で並べられている週刊誌の表紙を見ただけで赤面するような子でいてほしいんだ!
 膝を突き愛する家族が非行に走っていく将来を思って嘆いていると、ニズベールがぽんと肩を叩いてきた。


「落ち着くのだクロノ、アザーラ様は貴様を兄として慕っている。アザーラ様自身がそう言っただろう? 今は照れてどう接していいのか分からんだけだ。今に、また快活とした様子を見せてくれるだろう」


 その言葉に胸を撫で下ろし、俺は感謝を告げる。俺の何百倍もアザーラを見てきたニズベールがそう言うのだ、疑う訳が無い。


「そうか……心配は心配だけど、今はアザーラが落ち着くのを待つか。ただ……」


「どうしたクロノ、まだ何か心配が?」


 今は距離を置いて接するべき、と学んだのだが、どうしても気になることがある。アザーラは十六だと本人から聞いた、ならば、もう碌々成長はしないということ。身長や顔つきが幼いのは仕方ないとしても、これだけは確認しておきたい事柄がある。


「ニズベール、アザーラは何カップだ?」


 俺の言葉にニズベールは笑顔をぴたりとやめて癌を宣告する医者のような顔つきになった。
 重々しい口を開き、ニズベールは幾度か躊躇いながら、その答えを提示する。


「……A、と言えるのかすら、定かではない」


「──そうか。そうだな、期待はしていなかった。ありがとうニズベール、よく言ってくれた」


 辛かっただろう、苦しかっただろう。己が主の恥部を晒し、その過酷な現実と向き合うのは。なおかつそれを共に生活を始め然程立っていない人間の俺に教えるのは、身を裂かれるほどの痛みだっただろう。
 だからこそ、俺は気にしない。少なくとも落胆を表に出すことだけはしない。いいじゃないか、確かに妹が巨乳という夢の設定は無くなったけれど、それで全てが終わったわけじゃない。小さなおっぱい略してちっぱい。悪くない、そうさ悪くないよ。例え谷間という夢の楽園や揺れると言う至福の光景が見れずとも……俺は、貧乳を差別しない!
 振り返ると、今まで俺がアザーラに振り払われ外に出て行くのを見ていた恐竜人たちが、アザーラのカップを聞き沈痛な面持ちで下を向いていた。俺の主の胸が小さいわけが無いと思っていたのか? 見た目には胸は無くても着痩せと言う一縷の希望にかけていたのだろうか?
 駄目だ、そんなことでこいつらが落ち込んでいては俺の妹が悲しんでしまう。


「ニズベール、そして今この場にいる全ての恐竜人たち。今ここで叫ぼうじゃないか! 貧乳は悪ではない! ステータスでなくとも、センス×に限りなく近いマイナススキルだったとしても! 小さなおっぱいは敵ではない! 愛でるべきだ! みかんもりんごもメロンもカカオ豆もきのこも栗も小さい方が美味いという。例え……例えアザーラが貧相で哀れで同情を買いそうな無乳でも俺たちがアザーラを侮蔑するわけがない! そうだろ!?」


「無論。そのようなこと、あまりに些事!」


 ニズベールは即座に同意。むしろ、そのような事は聞くまでも無かろうという顔で俺を見つめていた。その反応の速さにはっ、と顔を上げた恐竜人たちも遅れながら同意の声を上げていく。


「ゲギャギャギャギャ!!」


「ありがとう、恐竜人の諸君! さあ共に叫ぼう! 貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも愛はある!」


「「「貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも愛はある!!」」」


 ここティラン城大広間で俺たちは大号令を始めた。それは魂の叫びであり、心からの誓い。そして我々『小は大を兼ね得るの会』結成の証。
 俺は断然巨乳派である。だが……だが、それがどうした? 俺の業をアザーラにぶつけるのはあまりにお門違い。愛とは無償、愛とは至高、愛とは見た目やスタイルだけで決めるものではない。心こそ全てなのだ!


「貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも」


「無くて悪かったなああぁぁ!!!!」


「あぼがどっ!!!」


 俺たちの叫びを聞いて戻ってきたアザーラが俺の即頭部に膝蹴りを当てたのは、恐らく何十年と経っても納得がいかないだろう。何故アザーラを称えていた俺が首を百二十度ほど回転させられねばならんのか? 思春期って本当怖い。








 場面は変わり、ティラン城内部側入り口。門番の恐竜人たちは談笑し、猛獣の恐竜たちに餌をやって城という空間にはあるまじき、ほのぼのとした空間が作られていた。
 正方形の石を床に貼り付け硬質な雰囲気を出し、同じく石製の柱は冷たい印象と力強さを見せている。窓の無い造りの為入り口からのみ自然の光が入る空間は、薄暗いながらもぽつぽつと置かれた松明のお陰で場所の把握は可能となっている。侵入者など現れるわけが無いと気を抜いている恐竜人たちと違い、人の三倍はある大猿が不自然を逃さぬよう目を光らせているのは空気には合わないもののその場所本来の在りかたとしては正しかった。
 エイラの野生の勘を信用し、彼女の先導の元、柱の影で彼ら恐竜人たちの目を逃れ隠れているのはキーノとクロノを助けるべく進入したマール、カエル、エイラの三人である。エイラは拳を鳴らし、マールとカエルは各々の武器に手を掛け奇襲のタイミングを窺っている。魔術の詠唱をしていないのは、まだ敵の牙先にも届かない場所で魔力を消費するべきではないと判断した為であった。


「それで、奴らを倒した後はどうする? 見たところ、道は二つに分かれているようだが?」


 カエルが指差す方向には恐竜の頭を模した扉が二つ、それらの奥には通路があり、奥の見えない構成となっていた。左側の扉は閉じられ、右側は先ほど恐竜人の団体が出てきた為開かれている。


「右側から、キーノの匂い、する。まずキーノ助ける!」


「まあ、右側の扉? の開け方も分からないし、それが一番正しいかも。クロノなら一人でも戦えるけど、キーノは両腕が使えないから不安だもんね」


「よし……飛び出すタイミングはエイラに任せるぞ。俺よりも直感的センスはお前の方が高そうだ」


 頷くエイラをよそ目に、マールは指示を下しているカエルをまじまじと疑わしい目つきを向けていた。それを意図的に無視しながらカエルは目を細め少しだけ剣を鞘から抜く。微かな音すら洩らさぬよう、ゆっくりと。


(本当は、ロボかルッカを呼んでカエルと代わって欲しいんだけどなあ)


 マールの考えは何も意地悪や感情的なものではない。人間の姿に戻ってからカエルの剣捌きや身のこなしは見るも無残なものと化していたからだ。
 グランドリオンはまともに振り回せず、蛙独特の跳躍力は平均女性のそれと変わらぬものに。魔術だけは蛙時のものと変わらないが、そもそも魔力量自体前衛のクロノと変わらない上、魔王戦で新技を編み出したクロノと違い決め技という技を魔術では扱えないカエルは戦力外の名を欲しいままにしていた。


「……いや、多分、見つからない、進む出来る」


「そうね、なるべく戦わないで行った方がよさそう。お願いするね、エイラ」


「マール、エイラに任せる!」


 カエルが役に立たないから、とはどちらも口にせず方針を決めていく。カエルも序盤で体力を消耗するのは得策ではないと考え、その上自分が何も出来ないとは薄々分かっているので(あくまでも薄々)消極的な戦法を取るのに不満は無かった。カエルは恐竜人を相手取ったことは無いが、マールやエイラの話から決して油断できる相手ではないと知っているのも、納得した理由となる。


「……今! 二人、ついてくる!」


 僅かな死角を突き、三人はキーノがいる地下牢の入り口に潜り込んだ。まだティラン城の入り口、この段階でここまで神経を使うことに、先行きの不安を感じるマールは今はいない仲間を思い「クロノ……」と悲しげに呟いた。


 ──彼女達が地下牢にて、非常に熱の入った漫才を繰り広げているのを見たとき、エイラがどれだけ拳を振るったのか、後ろ二人には数えることは出来なかった。キーノが助けを求めたのは自分を殴るエイラでも、友達のマールでも、見知らぬ緑髪のカエルでもなく、相方の恐竜人だったのは奇妙と言うかなんというか。
 後日談となるが、キーノがとち狂った要因として、ルッカの催眠機械の後遺症の可能性があると示唆されたが、今この場では一切関係の無い、無駄な話。


 彼らのティラン城攻略は、まだまだ続く。気がする。














 おまけ





 時は二十二世紀、舞台は日本。過去例に無い世界恐慌から、治安が消失した無法都市。太平洋に面し、港には海外からの銃器が流れ込む『横濱』は、二つの爆弾を抱えていた。
 一つは特定の人物による網膜認証が必要な使用済み核燃料搭載爆弾。今の日本にいる爆弾解体技術師では到底解体できない、自転による円運動爆弾『ラヴォス』
 もう一つは、その爆弾を解体させることも、また網膜認証で起爆させることも出来る謎の少女、『マール』。


「私は、世の中を知らない。だから、私にはどうするべきなのか、その判断が出来ない」


 二丁の拳銃をぶら下げる寡黙な賞金首、魔王。


「私だからこそ、生まれる成果も存在する。それだけが全てだ」


 物事に関心を持てない元奴隷の女、ルッカ。


「私には良く分からない。分からないでいることが、幸せなことってのは案外多いのよ?」


 戦いを好まず、自分の職業に嫌気が差している武器商人の美女、エイラ。


「エイラ……人が死ぬ、辛い。でも、生きる為、仕方ない……」


 路地裏で夢を語る半身機械の少年、ロボ。


「僕はね……いつか、空を飛ぶんだ。鉄の乗り物なんかじゃなく、誰かの手も借りず、僕だけの力で」


 下水道に居を構える両生類の主、カエル。


「見下してるんだろう? それもいいさ、それが正しい判断だ」


 町外れの廃屋に住み、一人の老人を愛する男、クロノ。


「俺には大臣だけだ。大臣だけが俺をここに留めてくれる。後は……全部消えちまえ」


 横濱を牛耳り、裏で武器を流し奴隷を世界中に販売するマフィアの帝王、ジナ。


「愛とか、自由とかさ。そんなもんは強者だけが口に出来るもんさ。あんたらじゃ触れることもできやしないよ」


 アジアを破滅させず、また人間を滅ぼさせない為に必要なのは、荒れ切った人々の、小さな良心。
 生きる為には、少女に世界はまだ必要だと思わせること。それだけのことが、それ故に難しい。
 貴方は、真の奇跡を見ることになる……


 現代の悪習、覆せぬ常識、当然のような道徳。それらを一蹴し生まれたハードボイルドアクションムービー。来春日本上陸!




 ※この映画は著作権侵害のため訴えられています。(敗訴が九割方確定しています)その為、大量のキャンセルが予想されますので、前売り券の返金は出来ません。あらかじめ御納得下さいませ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:05
 開かれた窓を閉めようと、一人の恐竜人が何気なしに手を伸ばし窓に手をつけた瞬間、外からエイラは振り子のように勢いをつけて窓の外から現れ恐竜人の顔面に両膝を叩きつけた。


「流石だね、エイラ。私たちじゃ壁に張り付くなんてできないよ」


 城の外壁に張り付くという荒業を為したエイラに、物陰で隠れて様子を窺っていたマールはウインクしながらサムズアップした。


「正面切って戦う、違う恐竜人呼ばれる、それ、避けたい」


「だな。最悪、クロノを見つけるまでは戦闘らしい戦闘はこなしたくない」


 肩を揉みながら首を回し、カエルは気絶した恐竜人を人目につかないような暗がりまで運んでいく。しかし、いまだ蛙の姿に戻らない彼女では人間と筋肉の質が違うため体重の重い恐竜人をまともに引きずることも出来ず、それに見かねたキーノが器用に片足を動かして恐竜人の襟に足の爪先を引っ掛け移動させた。


「すまんな、どうも久しぶりの人間の体は思うように動かん」


「気にする、ない。キーノ助けてもらった。感謝!」


 ティラン城に入りキーノを助け出した彼らは、基本的に戦闘をこなさず、時々昏倒させて騒ぎにならぬよう、徐々に城深くへと潜入していった。彼らの目的はクロノの救出。そして出来るならば、恐竜人の首魁たるアザーラを討つこと。懸念事項はクロノが無事であるかどうか。これはキーノが比較的(この表現が正しいのか分からないが)好意的な扱いを受けていたことからマールは心配はいらないだろう、と考えていた。アザーラはクロノを気に入っていた節があるし、クロノが攫われ、現状敵対しているにも関わらずマール自身もアザーラを悪い恐竜人だとは思えないからである。
 もう一つ、心配なのはカエルの戦力。いないよりはマシだろうとパーティーに加えているが、いた方がミスをしないか気を使ってしまい却って邪魔なのではないかと深く考えている。


(でもなあ……今更帰ってとは言えないしなぁ……)


 知らずため息の漏れるマールを自分が原因とは露にも思わないカエルが肩を叩き「クロノの心配か? ことあいつに関しては心配は無用だろう。生き残ることに関しては俺が今まで見てきた戦士の中でも随一だ。不真面目さも、だが」と気を紛らわせるように笑いかけてくることが、マールの不安の種を知るエイラやキーノからすれば、悪いとは思えど少し面白かった。


「下、クロいない。だから次、上探す。マール、頑張る!」


「ありがとキーノ。もう大丈夫。クロノが戻ってくれば何とかなるよね! ……多分」


 カエルの戦う姿を見ていないことと同じく、魔王戦でのクロノの活躍を話でしか知らないマールは彼女の初めての友人を弱いとは決して思わないが、ルッカやカエル程高く評価することも出来ず、なんとなく、場を乱して展開を混乱させるのではないか、と強い不安を抱いていた。


「うむ。俺ほどではないが、クロノも強くなった。初めて会ったときも筋が良いとは思ったが、それでも雲泥の差だ。単純に剣術だけでもガルディア騎士団団長に引けをとらんだろう」


 貴方のお墨付きを貰ったってなあ、と思い心なしか疑いの眼差しを向けるも、カエルはからからと笑いながら、戦闘の邪魔だと言って後ろに括った緑の髪を揺らしていた。切れば良いのに、と思わないではないが同じ女性である以上、女の命を容易く切れとは言いがたく、かといって男として生きると公言しているカエルが髪は女の命と考えているとも断じがたい。小粒ながら不満の募るカエルをどうもマールは好意的に見ることが出来なかった。それは、昔自分の住む城で繰り返し広げた英雄記に出てくる勇者とあまりに違う姿を見て失望を感じているのかもしれない。
 マールは自己分析を終えて、単純に想像と現実のギャップから来る八つ当たりをカエルにぶつけていることを恥じ、聞こえることの無いボリュームで小さくごめん、とだけ呟いた。
 今彼らのいる場所は中層。ピリピリした緊張感の中、確実にアザーラたちとの距離を詰めていた。







「…………で、あるからして、ツンデレなんてものは友人、親友、幼馴染ましてや恋人なんて位置にいる場合決してステータスには成り得ないんだな。それが何故か分かるか? おいそこの恐竜人A、答えてみろ」


「ゲギャ!」


「正しくその通り。所詮は赤の他人。ツンの奥にデレが隠れていることを見抜けない以上、傍目からすればただの情緒不安定にしか見えないわけだ。良く出来たなA」


 当然! と言わんばかりに恐竜人Aは頷き、続いて俺は黒板代わりの長方形に刳り貫かれた石版に黒炭で文字を書く。


「ところがどうだ? そのツンデレが姉、または妹であった場合、距離が近く接する機会の多さから、デレがあることを見抜けるわけだ。まあ例外もあるが、親族である以上デレを見抜く難易度はグンと下がる。ここまでは皆知っての通りだ」


 助手であるニズベールが「ここからがポイントだ。貴様ら耳を澄まし決して聞き逃さぬようにな!」と注意を呼びかける。それに反論せず私語一つ無く俺を見る恐竜人たちは教育者たる俺からして素晴らしい生徒たちだ。


「さて、ここからは応用だ。先ほど姉でも良いと語ったが、中には年上の女性がツンツンしているのは大人気ない。また、年上が甘えてくるのも情けないという人種がいるはずだ。名乗り出なくても良い、趣味趣向はそれぞれだからな……だが、だがな? 妹ならばどうだ? 妹がツンツンしているのは『いつまでたっても子供だなあ』と微笑ましいし、甘えてくるのは『この甘えんぼさんめ!』と堪らない愛しさが産まれる。想像するが良い、そのシチュエーションを!!」


 瞬間、想像力の逞しい生徒たちは『ゲギャア……』と恍惚の声を出し、至福の妄想に浸っている。今、彼らの脳内はドリームタイム。甘ったるい声でぷりぷり怒る妹と、背中から抱きついて一緒に遊ぼうとねだる妹が連鎖的に流れているのだろう。


「皆分かってくれたようだな? そう! 妹とは正義、ジャスティス! 愛でるべき愛の芽、恋愛など含まれずとも、そこにある家族愛、ちょっぴり外れた危険な香り……っ! 今天啓は成った! 俺は……俺は、神を下す権利を得たのだ!」


「ウォオオオオオオオ!!!!」


 瞬く間に大広間中の恐竜人たちからクロノ万歳コール。言ってる意味は自分でもさっぱりだが、こういうのは勢いが大事だと小学校の頃習った。多分ね。


「よしよし、今日は気分が良い。次はお前たちを交えてディスカッションといこう。今回のテーマは永遠の論争命題であるクーデレとツンデレどちらが良いのか? を始めようと思う。クーデレ代表は銀河英雄○の……」


 その時、大広間に設置されている木製の警報が鳴り響いた。俺たちは全員驚きながら何が起こったのか? と顔を見合わせる。すると、後ろに立っていたニズベールが俺に近づき、堂々と言い放った。


「どうやら……侵入者を発見したようだ」


 この時、俺は喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、判別がつかない、という顔をしていたという。
 バタバタと慌しい足音を連れて一人の恐竜人が現れた。息を切らしつつも必死に紡いだ言葉は、ニズベールのものと同じく、侵入者発見ということ。新しい情報として、侵入者はエイラと捕らえていたキーノ。そこにボーガン使いの女に役立たずの緑髪女だ、と……役立たず? カエルがか? なんかの間違いだろう、あいつの剣術は俺たちのパーティーで最強の戦力であるはずだし。


「……どうやら、お前の仲間たちらしいな、クロノ。それで、貴様はどうするのだ? 人の子よ」


「……俺は……」


 試すような目つきで俺を見るニズベール。けれどその目には悪意や敵意は含まれていない。与えているのだ、俺に選択肢を。
 一つはどちらとも関わらず、傍観するのか。
 二つ目は自分たちの敵になり、人間として生きていくのか。
 そして……もう一つは……


「……見た目に似合わず、優しいよな、ニズベールは」


「? どうしたいきなり」


「普通なら、有無を言わさず我々の味方になれ! とか、人間に加担する可能性があるから牢屋に閉じ込めるとかだよな。わざわざ自由にしていいなんてさ」


「ハッ、貴様は自分を押し付けられるのを嫌うだろう? 短い付き合いだが、その程度は見抜けようが」


「……そっか、サンキュ。決まったよ、俺の答えが」


 俺は慌しくなった大広間を落ち着かせるべく、「静かにしろっ!!!」と怒鳴る。今まで浮き足立っていた恐竜人たちは授業に戻ったかのごとく、足を止め視線を俺に集中させた。素晴らしい生徒は撤回だ。最高の生徒たちだよ、お前ら。


「……お前ら悪いんだが、侵入者と戦うのは俺とアザーラとニズベール。この三人だけにしてほしいんだ」


 俺の頼みは一同を驚かせたものの、結局誰一人文句を言わず、行動に移ってくれた。ニズベールも了解してくれたし、後はアザーラだけだろう。
 ……正直、迷いが無いではないけれど、アザーラは俺の一番の願い、戦いを止めるという選択は聞いてくれないだろう。なら、次善の、最低限の礼儀だけを残して……この方法を取るしかないじゃないか。


「マールとカエルか……まあ……ちょうどいいと言えば、ちょうどいいかもな」


 ここ一週間近く使わなかった刀の鞘を、俺は強く握り締めて、左手で刀を抜き大広間の頑丈で巨大な石の扉を切り倒した。後ろの恐竜人たちの感嘆の声が少し心地良い。刀を鞘に納めて、思わず笑みが零れる。


「トルース村のクロノって言えば、ヤンチャ坊主で有名なんだぜ?」


 たまには、俺も反抗したっていいだろ? なんせ妹と同じで、反抗期真っ盛りなんだから。








 長い廊下を走りながら、マールは言い知れぬ不安と奇妙を感じて前を走るエイラに声を掛けた。


「ねえ! さっき恐竜人に見つかったっていうのに、全然敵の姿が見えないよ!? これって……」


「恐らく……誘われているんだろうな。罠があるかもしれん、警戒を怠るなよ!」


 エイラではなくカエルが返事をしたこと、それ自体にマールは不満を持たなかった。ただ、カエルが意気揚々と話し出すことに我慢の限界が近づいていることを感じていた。


(カエルのせいで見つかったのに、何でふっつーに会話に加われるんだろう?)


 走るその顔は至極真剣で、この場に合ってないとは言えない、戦う者の顔ではあった。今から数分前、「くちゅんっ!」という可愛らしくも業腹なくしゃみをした人間とは思えない、正真正銘の真顔だった。それから数分しか経過していないのに、マールは幾度弓矢を突き立ててやろうとしたのか、数えることも馬鹿らしかった。


「罠……あったらあった時! 今、考えること、無い! 走るだけ!」


 キーノも全力疾走を続けたせいか、痛む両腕を動かさぬよう、不恰好ながらも必死に廊下を走っている。見た目にはカエルに怒りを覚えている雰囲気は出していないが、彼はカエルを決して見ていなかった。キーノは静かに怒るタイプである。若干面倒くさい性格とも言えよう。


「扉! 待ち伏せ、気をつける!」


 走り続けて、先に見えた扉をエイラは勢いそのままの飛び蹴りを当てて部屋の中央まで飛び続けた。驚異的な脚力に驚きながらも、残る三人は同時に部屋の中に飛び込む。
 果たして、そこには思っていたような、武装して恐竜人も、アザーラもクロノも姿は無く、過去エイラとキーノ二人を相手に闘いを楽しんでいたアザーラの右腕、ニズベールが両腕を交差して佇んでいた。
 その落ち着いた空気にたじろぎながら、それでも気を取り直したマールは口を開き「クロノは何処!?」と問う。ニズベールはゆっくりと目を開き、右腕を伸ばして人差し指を立てた。


「ついて来い、部下は全て退かせた。サル共との決着に部下を使うことは無い」


 マールの言葉を無視して、ニズベールは巨躯を揺らしながら、途中赤い王族が使うような豪華な椅子を愛しげに撫でて、部屋の奥の扉を開き、その姿を消した。
 エイラは拳を鳴らし、キーノは屈伸で足の腱を伸ばす。カエルは使えるのか定かではないグランドリオンを抜き差ししていた。
 ただ……マール。彼女だけはニズベールの言葉からこの先どうなるのか、おおよその見当がつき重い、重いため息を吐いて今は現代にいるであろう女友達を思った。


「……魔王城での、焼きまわしなのかな……」


 ルッカでなく自分があの赤髪の友人を止められるのか不安になる一方……何故か、自分の胸の高鳴りを抑えられないマールだった。







 扉の先は長い長い、幅三メートルの、壁や手すりがない事を考慮すれば細い橋とも言えそうな渡り廊下だった。
 地上より遥か高いその場所は、横殴りに吹く風が強く、耳に入る音はごうごうと酷くやかましいものである。地上ではむせかえるような暑さだった気温も、その風の強さから、マグマに囲まれながらも過ごしやすいものとなっている。なにがしかのギミックが施されているのか、外に出ていてもマグマから立ち昇る黒煙は無く見通しの良いもので、渡り廊下の先にアザーラやニズベール、そしてマールたちの良く知る顔がギラギラした毒のある笑顔を向けていることを確認できた。上空には恐竜人たちの飼う怪鳥が数十羽以上飛び交い、これからの戦いを見守ろうとしている。彼らも、本能で分かっているのだろう。今、一つの歴史に終止符が打たれると。
 驚いているエイラを追い抜いて、マールはつかつかと歩き出す。心中穏やかとは言いがたいが、それは怒りや驚きだけではない。むしろ、魔王城にて、マヨネーに操られていた時から……いや、グランとリオンとの戦いから心の奥底では願っていたのかもしれない、とマールはもう一度自分の思いを再確認する。


(もしかして、私って負けず嫌いなのかな?)


 負けず嫌いと言えば……と考えて、マールは少し過去を思い出す。それはクロノの言っていた言葉だ。「ルッカは負けず嫌いだからな」……多少の誤りはあれど、端的に表せばこのような内容のもの。確かにルッカは負けず嫌いと言える。ただ、マールは少し、その表現は違うのではないか、と思考する。
 未来での冒険にて、ガードマシンと戦った際にルッカがマールには負けたくないと言っていた。その言葉を聞けば、負けず嫌いそのものと思いそうだが、ルッカのクロノに対する恋心を知るマールは(単純に、クロノに良い所を見せたいっていういじらしい心が原因なんじゃないかな?)と邪推してしまう。


「ま、今はどうでもいいよね」


 かん! と一際強く足音を鳴らし、マールは恐竜人グループと対峙する。しかし、彼女の瞳が捉えるのは一人だけ。ふざけた気配など一つも見せない、人間の男。隙は無く、自分の肌が総毛立つのを感じた。


(へえ……ルッカやカエルの言うとおり、本当に強くなったんだ、クロノ)


 マールの中でクロノとは、初めて会った時は、助けてもらっておきながらなんだが、全く頼りになるとは思えなかった。グランとリオン戦ではやっぱり男の子なんだ、と認識を変えた。今は……


「カッコイイんじゃないかな、クロノ!」


「今この場で言うことかよ、マール。お前らしいな」


 背中につけている白銀の弓を取りながら、マールは最後にもう一度だけ、どうでもいいことを思い出してみた。


(負けず嫌いって言うのは、どんなに好きな相手でも、大切な親友でも、負けたくないんだよね)


 王女として生まれ、友達も作れず勉強や礼節を学ぶことに喜びを見出せない活発な少女が打ち込んだ唯一の趣味、生きがい。それは武道、すなわち戦うこと。
 見張りの目を盗み、父である国王に叱られてもこれだけは譲らなかった一つの努力の塊。
 爪が割れて、風が吹くだけで飛び上がりそうなほど痛む指で握った弓は百発百中だと自負していた。拳が割れてその度乳母やメイドたちに治されながら鍛えた両腕は鉄をへこませた。城中を重りをつけて駆け回った成果は彼女に体力と岩をも割る蹴りを与えた。魔力を扱えるようになってからも、絶世の才能を持つルッカと違い秀才程度の才しか持たぬマールは時の最果てにいる時でもスペッキオに単独で挑みその技を磨き続けた。


「……なんかね、ちょっと楽しみだったって言えば、クロノ怒る?」


 何が、とは言わない。クロノはマールの言葉の意味を瞬時に理解し、喉の奥でくぐもった笑い声を出した。


「クックックッ……いや、怒らないさ。正直、俺も思ってた。魔王を倒すべく戦い続けたカエルや、中世の王妃の血を受け継ぐ、操られてない正気のお前と戦いたいってさ」


 マールは、勉学を磨かなかった。礼節も触り程度の、表面上のものしか身につけなかった。彼女に残るのは……少なくとも彼女が思う分には、武道しかなかったのだ。なれば、その一点だけは人間相手に負けたくは無かった。相手が男だろうと大人だろうとそれに勝る修練をしてきたと、信じているから。
 なおかつ、クロノはマールの同世代、初めての友達。競争心を持たずにおれるだろうか? 
 ──どちらが強いか、試したくない、訳があるものか。


「魔王相手に引けを取らなかったんでしょ? ……その実力、私に見せてよ」


「……後悔するなよ、今の俺はギアが最高なんだ」


 バチバチ、と弾ける火花がクロノの戦気を如実に表していた。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十二話 三角形戦闘方式始動








「待て待て! お前たちなにがなんだかさっぱり分からんぞ! 俺たちにも説明しろ!」


 次の瞬間にも戦いを始めそうな二人を見て、エイラ、キーノ、カエルの三人が駆け寄り、そのうちカエルがマールとクロノに声を掛けた。


「分かりやすく言えばね、クロノは恐竜人側に寝返ったってこと。だよね?」


「人聞き悪く言えばそうだ」


 肩をすくませながら、折角場が整ったことに落胆した様子でクロノがカエルに顔を向ける。
 カエルは白い顔を赤く染めながら、ぐっと歯を噛み締めた。耐えるようなその動作に、極々僅かだが、クロノが顔を歪ませた。それも、秒単位にして二秒と無いものだったが。


「……そうか。分かった、クロノの考えは俺には分からん。だから……俺が貴様の目を覚まさせてやろう」


「ちょっと! 今の空気なら絶対に私が相手するところだったじゃん! なんでいきなり出張ってるの!? 頭悪いの!?」


「俺はクロノの師だ。なればこそ、弟子の不始末は俺がつけねばなるまい」


「師とか弟子とか何その脳内設定!? しかもこの場合不始末って違うよね!」


「……どっちでもいいから、早くしないか? いい加減話に取り残された俺の妹が退屈そうだ」


 クロノが指で指し示した所には、アザーラが大きく口を開けてあくびをしているところだった。ニズベールも自分の角を手で磨き、張り付いた灰を取っている。


「……妹? え、クロノ。何その脳内設定」


「同じツッコミをするのは感心しないぜ」


「……なんか、ちょっとやる気落ちた。良いよカエル先に闘って。どうせ負けるだろうし」


「おい、クロノとて強くなっている。弱体化した俺では少々手こずるかも知れんぞ? あまりあいつを侮るな」


 カエルに言った言葉を都合よくクロノに擦り付けている辺りに憤りを感じたが、マールは「はいはい」と手を払ってやる気無さげに交代して座り込んだ。勝手にやってください体勢である。


「……まあ、早めに終わらせてね」


 水を差すとはこのことだよ……と愚痴を垂れながら、マールは二人の戦いの行方を見守ることとした。自分の熱が冷めぬうちに出番が回ることを祈りつつ。








「……おい。私たちは誰を相手すればいいのじゃ? そこの女二人はクロノが相手するとして……私とニズベールはエイラとキーノか?」


 アザーラたちと同じく取り残されていたエイラとキーノはその言葉で覚醒し、構えを取った。二人の目は鋭く、特にエイラの目はアザーラを射抜くように殺意が込められていた。


「昔、借り、今、返す!」


「借り? なんのことじゃ?」


 エイラの言葉に困惑しながら頭を揺らすアザーラに、隣のニズベールが耳打ちして「おお!」と手を叩いた。その顔は思い出した喜びと、得心がいったことで埋めれた愉悦が滲んでいた。


「キーノの両腕を潰したことか? 単騎で攻め込んできたお前が悪いのだ。命があるだけ感謝するが良いぞ」


 自分の寛大さを敬えと言うように、アザーラが腰に手を当てて鼻息を鳴らしたことで、エイラの顔は色を無くしそれと同時に我慢が切れ、飛び掛った。殺す! と大人しい彼女からは想像できぬ、猛った声を上げながら。
 しかして、振るわれた豪腕はニズベールの太い腕によって受け止められ、逆に後方へと投げ飛ばされた。「ぐっ!」と呻き声を垂らしながら、冷静になれと宥めるキーノの制止を振り切りエイラは再度獣のような攻撃を繰り出す……それでも。


「太陽の子? 我らも大層な名を与えたものだ。これでは、恐竜人の一般兵にすら劣るというもの」


 カウンター気味のパンチをくらい、エイラは派手に床を滑った。キーノが途中で受け止めなければ、そのまま端まで転がるのではないかと思うほど、凄まじい力で。


「止めよニズベール。エイラは私に用があるのだ。お前はキーノを相手せい」


「承知しました。が、アザーラ様の相手になるとは到底思えませんが……」


 キーノに支えられて起き上がるエイラを蔑んだ目で見下ろしながら、ニズベールは右に移動し、アザーラの前からどいた。それは主に心配など欠片もいらぬという絶対の信頼を見せ付けている。


「エイラ、落ち着く。このまま闘う、駄目!」


「うう……ガアアァ!!」


 跳ねるように立ったエイラはニズベールの横を通り過ぎてニヤニヤと笑うアザーラの顔に虎爪を叩きつける。次に鉤爪、わき腹に蹴り、頭上から肘鉄、頭突き、床を蹴って飛び上がり上段から右足で踏みつけるような蹴り、落下を利用した左足での踵落とし、最後に渾身の右ストレート。一連の動作を人の動きを超えた速度で繰り出した。


「……腐っても人間の長か。悪くない動きではあった」


 その全てを防がれたエイラに、攻め手は無い。


「ウグッ……!!」


 風を切りエイラの腹に飛び込んできたのは、拳大の石。宙に浮いたエイラを六メートル程突き飛ばし、石の浮遊は終わった。
 もんどりうちながら、床に胃の中のものを吐き出すエイラをアザーラは己の体付近に同じ大きさの石を浮かせながら高笑いする。その声の幼さが、行動とのギャップに現れて歪な恐怖を聞く者に植えつけていく。


「脆いのうサルよ! このサイコキネシスの防御を破らんと、私に傷一つつけられんぞ?」


 戦って三分未満。エイラの体は戦いに耐えうる限界へと近づいていた──








「やはり、あれではアザーラ様の遊び相手にすらならんわ」


「エイラ……」


「所詮、人間の雌なぞあのようなものよな。大人しく自分の村で子供でも作っておればいいものを。変にでしゃばるから、打たれるのだ」


 エイラたちの戦いとも言えぬ状況を見てニズベールは呆れながら自分の戦う相手を見た。
 彼の相手は攻撃すら出来ないキーノ。生死を賭けた戦いをしようと宣言した相手との再戦は嬉しいが、彼らが強いのは逆上していないエイラとキーノの二人組みの時。今のエイラではニズベールの相手にはなるまいが、キーノでは片手間に付き合うまでもない。落胆している自分を、ニズベールは強く感じていた。


「……エイラ負けない。アザーラにも、お前にも」


 敵ですらないキーノの言葉に片眉を上げて、強がりを……と苦笑しながら返す。
 適当に骨でも折ってマグマに叩き込んでやろうとニズベールはキーノに近づき手を伸ばした。驚いたのはその後。
 キーノの目を見張るべき能力はその瞬発力、移動性、速度である。攻撃が出来ないことを補っても戦闘においてパートナーがいる場合それは相当に厄介なものとなるのだ。
 ニズベールは鬼ごっこのような戦いとなることに失望していたのに……キーノは易々とニズベールに肩を掴まれていた。


「……拍子抜けだな。スピードが自慢の貴様がこうも簡単に捕まるとは。あの女の体たらくを見て諦めたか?」


「……エイラ、女。でも、強い」


 ニズベールが肩を握る力を強めると、キーノから苦痛の声が流れる。弱者が……とキーノを罵倒して、ニズベールはその腕でキーノの小さな体を持ち上げた。


「それは精神論か? 教えてやろう。我ら恐竜人と人間ではそのものからして我らが強いのだ。その上、ただでさえ非力な人間内でさらに非力なモノが女だ。同じ女でも恐竜人のアザーラ様とは天地の差がある」


 ニズベールにとって枯れ枝に等しいキーノの腕は、嫌な音共に壊れていく。骨が折れるのも時間の問題か、と当たりをつけることさえ可能なほどに。


「そのような生き物を長に据え置いている時点で貴様らの負けは確定している。後悔しろ、弱いものを主とした稚拙な判断を。土台無理な話なのだ」


 右手を高く上げて、ニズベールはキーノを下のマグマに投げるべくを入れた。


「エイラなどという女に、何かを為せなどというのは」


 話し終えたニズベールが聴こえた音は何かが揺れる音。同時に視界が大きくブレたのことと関連していると気づいたのは、今まで握っていたものが消えていたことを知ったときだった。


(……蹴られた? 今、俺は蹴られたのか?)


 押し寄せる平衡感覚のずれに耐えながら体勢を戻し顎を押さえる。前を見ると感情の欠落した表情のキーノ。彼は激痛にあるはずの両腕を押さえることも無く、睡眠状態のような静かな呼吸を繰り返していた。
 ……それは良い。それは別に良いのだ。ただ、キーノの目が酷く気に食わない。


(何だ? あいつは何故……俺をゴミであるかの様な目で見ている──!?)


「エイラ、弱くない。女とか、そんなの、関係ない」


 素足のキーノが床を踏んだとき、特別頑丈に作られている床がぐしゃ、と沈みキーノは徐々にニズベールへと近づいていった。ニズベールは知る由も無いが、それは削岩機の稼動状態に似ているものだった。


「エイラ、ずっと頑張った。たくさん頑張った。だから、女でも強くなった。なのに、お前……」


 ニズベールが我に返ると、すでに彼とキーノの距離は腕を伸ばした分の距離しかなく、原始の青年は、舐めるように下から暗い瞳を見せつけていた。
 ニズベールが恐怖、という形容が正しいだろう感情を抱いたのは、今までに一度だけ。イオカ村前村長と戦い、その修羅の如き攻撃を見せられた時以来だった。そして……今が、二度目。ただし、今はその時の恐怖の比ではない。


(修羅? 違う、こいつは……死神だ。何もかもを奪い、消し去ってしまう)


 ごく、と大きな喉を鳴らして原始の人間の恐怖の的である彼は、脆弱たる人間の男の目に囚われてしまった。


「──穢したな?」


 次に目を開けば、そこには空。ゆっくりと視界が反転していくのを見て、ニズベールはようやく、重さ三トンを優に超える自分が蹴り飛ばされたのだと理解した。
 原始の戦い、その終わりが、少しずつ見え始めた。








 ずべたー! とこけて、べしゃ! とつまずいて、うわあ! と剣を落として、魔法を唱えて途中で邪魔をされて……これを数回繰り返した所だろうか? 深々とため息をついてクロノは重たくなったグランドリオンを拾おうとしている人間に声を掛けたのは。


「もう帰れよ。お前とマジで戦うくらいなら俺はイクラちゃんに喧嘩を売るわ」


「も、もう少し待て! すぐにガルディア騎士団剣術を披露してやるから!」


 しばらく重たい剣を振るおうと悪戦苦闘した挙句、カエルは「もう鞘だけでも構わん!」とグランドリオンの鞘を持ち誰に怒っているのか分からない怒声を上げてクロノに切りかかった(殴りかかった)。そのスピードも平均女性が気まぐれに振るう程度の剣速であり、今や騎士団団長レベル(カエル曰く)の剣の腕前であるクロノにかすることも無く、それどころか鞘を奪われるという始末だった。
 カエルはそれでもめげず、自分なりに迅速に魔術を詠唱し始めたが、クロノの奪った鞘によるつっつきで邪魔をされ「うにゃ!?」と悲鳴を出していた。マールとクロノのお前なんでここにいるの? という視線をひしひしと感じているカエルはその修練された精神も限界へと近づいていき、いよいよ鼻水が出だしていると言う見るに耐えない顔となっていた。


「もっ……い、今は! その、この体に慣れてないだけでっ! 本当は、お前なんか……お前なんか……っ!!」


「キャラおかしいぞお前。俺が言うのもなんだが、ふざけてるならルッカと代われ。はっきり言うが、お前場違いだわ」


「あー、今ルッカは現代で手を伸ばす機械を発明中なの。ロボは魔王城の戦いで修理が終わってなくて……」


 クロノの言葉に反応したマールが挙手してルッカ及びロボが出陣できない理由を伝える。ルッカの手を伸ばす機械の下りで顔をしかめたが、あの幼馴染ならばそんな時もあるだろうと無理のある解釈をして、「ああ、それで」と無理やりクロノは納得し、もう一度心の折れそうなカエルを見る。自信満々に出てきたので同情も出来ないが、今は見た目女性のカエルがほろほろと泣いているのは見たくは無い。ちょっと良い過ぎたかと思い、クロノはカエルの肩を叩いて「まあ……今は休んどけよ。また力が戻ったら相手してやるから」と励ました。その言葉にカエルは「絶対だぞ!? お、俺も約束を守ったんだから、くろ、クロノも守るんだぞ!」と誰やねんお前な台詞を残しマールとバトンタッチした。その折、マールは「出来たら時の最果てに戻って、現代のルッカを呼び戻してくれる? ここで移動するのは危ないから、さっきの部屋に戻ってからね」と雑用を頼む。これは、何もせず自分たちの戦いを見ているだけでは辛いだろうというマールの配慮でもあった。


「うむ……よし、ひっく、任せろ。後、俺は泣いていないぞ。嘘を流布させるなよ」


 そんなもの流布しなくたってあなたの評判はがた落ちだよ、とは言わずマールは笑顔でカエルを見送った。これ以上馬鹿をやられて気力が無くなっては折角の楽しみが無駄になってしまうからだ。


「やれやれ、ようやく真打ち登場だな。全く、盛大なパーティーの前に頭からゲロ吹きかけられた気分だ」


「汚いよ、って注意したいけど、私も同意。でもいいじゃない、これからなんだし」


「だな。アザーラの援護が出来ないのは心苦しいが……まあ、いいさ」


 言われてからマールはエイラたちの戦いに目を向けた。エイラは誰の目にも劣勢である状況、キーノはニズベールとどういうわけか、互角以上の戦いを繰り広げている。自分が見た限り、根性論で攻撃が出来そうな腕では無かったのだが……


「私だって、二人の戦いをサポートしたいよ。でも……思ったんだ」


 クロノは彼女の話に先があることを知り、顎を向けて話の続きを希望した。


「ラルバの……恐竜人に滅ぼされた村なんだけどさ。それを見てやっぱり恐竜人を倒さなきゃ! って思ったの。でもね、私はやっぱりあのアザーラを憎めそうに無いの。それでね? よく考えたんだけど……人間だって、恐竜人をいっぱい殺してるよね? だから……私たちみたいな、この時代の人間じゃない人が、この戦いに手を出しちゃいけないのかなって思ったんだ」


 自分でも整理のいかない言葉を慌てながらゆっくりと話す。その作業は困難に見えて、すんなりと理解の出来ないものだったが、クロノは口を挟まず聞き入っていた。


「だってさ。これは人間と恐竜人の戦いなんだよね? どっちに非があるとか無いとか、第三者が決めることじゃないし、決まることでもない……と思う。だから、私はエイラが、例え死にそうになっても……それは私たちの戦いじゃないから、手を出したくない」


「………ハハッ。下手すれば、仲間想いじゃないって言われそうだな、それ」


 皮肉を口にしつつも、クロノの顔は明るく、嫌味の無いものだった。


「うん。そう取られても仕方ないかも……でも、私の考えは間違ってない。ラルバの長老にエイラを頼むって言われたけど……その言葉は多分、私たちに言いたかったんじゃなくて、キーノに言いたかったんだよ」


「いいんじゃないか? マールがそう思うなら、別にさ」


「ありがと。えっと、だから何が言いたいかっていうと……こうして私とクロノが戦うのは、悪くないよねってこと!」


 虚を突かれ目を丸くしたのも束の間、クロノは言い切るマールの突拍子の無い結論に吹き出して腹を抱える。マールはその反応に不満を顔に乗せて「笑わなくてもいいでしょ!」と怒りを表した。いつものように、頬を膨らませて。


「悪い悪い……それじゃ、まあ……」


 顔に手を当てて、クロノは魔刀を腰から抜き出し手を添えた。その顔に笑顔は無く、ただ敵を切り倒すことに躊躇いを産まぬ戦士の表情となっていた。


「うん。やろっか」


 マールの近くに輝く氷の粒が集まり始める。その粒は次第に大きくなり、先の尖ったアイスピックのような形状となっていく。その数、二十八。氷の機関銃、その弾薬は装填され敵対象に銃口が向けられていく。先端の光はただ、『殺す』とだけ語る。
 一拍。二拍。三拍。そうして、二人の影は動き出した。


 マールの放った氷の弾は後ろに飛んだクロノの剣を伸ばしたなぎ払いに全て切り落とされ、続くマールの弓矢はクロノの頬をかすめ血を滲ませる。滴る血を舌で舐め取り、クロノの振り下ろしがマールに迫る。


「アイス! シールド展開!」


 その名の通り、極厚の盾がマールの頭上に形成され、ソイソー刀が氷に入り込んでいく。マールの予想では、例え魔刀にクロノの剣速が加わろうとも氷の盾を破ることは出来ないと踏んでいた。それは正しい。
 しかし、マールの目に見えたのは、帯電している刀。はぜる電流を捉えた瞬間マールは横に飛んだ。僅か数センチの差でマールの体を分断しようとする刃が通り過ぎていく。


(迂闊……! いや、私が馬鹿なんだ!)


 雷鳴刀でも電力を加えて切れ味を増させていたのだ、魔王幹部の持っていたというソイソー刀にその動作を行えばどうなるのか、考えもしていなかった。
 自分の馬鹿さ加減に嫌気を覚えながらも、マールは酷く高揚している自分に気づく。まさか、ここまでとは! やはりマヨネー戦では自分に手加減をしていたと、しみじみ思う。さらに、魔王との戦いでとんでもないレベルアップをしたのだとも。
 自分に出来る最高で最硬の防御魔法を破られたことでマールは一つケジメがついた。それは至ってシンプル。


(防御無しの特攻あるのみ!)


 俄然気合の入ったマールは弓矢を四本取り出し四連射を繰り出して、クロノに防御体勢を取らせた。横並び、また縦並びの単純な連射ではない。指の力を適度に変えて頭胴体両足を狙う絶対反撃不可の攻撃。射出してすぐにマールは自分の得意な格闘戦に持ち込もうと走り出した。
 三歩目、三歩目だ。彼女駆ける足が止まったのは。実質詰められた距離は僅か二メートル。何故彼女が走るのを止めたのか。それは……


「悪いけどさ、マール。俺に物理的な飛び道具は効かねえぜ」


 彼の手には四本の弓矢。彼は防御姿勢を取るまでも無く右手に磁力を発生させて全ての迫り来る矢を引き寄せ、受け止めたのだ。これでは、ルッカのプラズマガンならばともかく(それでも、磁力の影響を全く受けないとは考え難いが)、彼女の弓矢は全て受け止められるだろう。磁力に操られる全ての飛び道具はクロノの魔術から逃れることは出来ない。
 矢を軽く上に投げて遊ぶクロノは、まさかこれで攻め手が尽きたのか? と聞いている様で、マールは相手に見えぬよう汗を拭う振りをして、腕に顔を隠しながら小さく歯噛みした。


「……コントロールの下手だったクロノにそんな芸当が出来るなんて……ちょっと嫉妬かな」


「よく言うぜ、マールなんか氷の弾丸に氷の盾。そのうち氷の爆弾なんてもんまで作るんじゃねえか?」


「爆弾はルッカの専売特許だもん。私には無理だよ……その代わり」


 マールは指をクロノの後ろに向けて指す。こんな程度の低い油断の作らせ方をするとは思えないクロノは、隙の出来ないよう横目で軽く後ろを窺った。
 彼が見たのは今さっきまで絶対に無かった、剣を振り下ろそうとしているマールを模した氷の彫像。それが彫像と違うのは、人間と同じように動き、自分に攻撃をしようとしている点だった。
 驚愕して声を出しかけたものの、クロノは口を閉じ目の前に落ちてくる剣を見定めて、今まで唱えていた魔法を解き放った。


「プラグイン、トランス!」


 人間の構造上不可能な体の動きでクロノは彫像を切り払った。その速さはカエルの剣術に勝らぬとも劣らぬ、動きだけならば凌ぐかもしれない電光の速さ。今までに無い速さの抜刀を見たマールは口を開けて、頼りないと思っていた友人の力に鳥肌を立てていた。


「……驚かせようとしたのに、私が驚いちゃった。それって、どんなマジック?」


「小説や漫画でよくある手だよ。電気を体に流して神経を作成及び刺激、『思考するという手順』を飛ばして無理やり体を動かしたんだ……すっげえ痛いから、多用は出来無えけどさ」


 彫像は動きを止め、クロノが刀を鞘に納めるとバラバラに刻まれて動きを止めた。原型を留めなくなった氷は溶けるではなく消えていき、自分の魔法が破られたにも関わらず、マールはけらけらと嬉しそうに笑う。


「凄いね、クロノは本当にどんどん成長してく。あっという間に私を追い越して、本に出てくる英雄みたいだよ」


 素直な賞賛に照れるではなく、頭を掻きながら「まあな……もう、惨めな思いはしたくなかったし、ティラン城でちみちみ新技開発してたんだよ」と素っ気無く言う。マールはちみちみという言葉をそのまま受け取らず、きっと激痛の中編み出した技なのだろうと分かってはいたが。


(本当、英雄みたい)


 くす、と笑いマールはもう一度クロノと向き直る。この戦いに勝ちたいという最初の想いは基盤に、微かにずっと闘っていたいという途方も無い願いが入り込んでいた。








 憤怒、焦燥、不安、恐怖、さまざまな言葉が浮かんでは、それら全てが正しく自分の心境に合っていると分かる。されど、最も大きく居座っているのは、疑問。


(何故だ? 何故俺がここまで押される!?)


 濁流に放り込まれたような連打の渦。その渦中に身を置くニズベールは今自分と闘っている人物を認識できなかった……いや、認識は出来ても、認められなかった。認めたくなかった。体に障害を持ち、一動作ごとに激痛の走る体で生きる人間の男だと、誰が認めるものか。
 何より理解できないのは、攻撃の早さが上限無しに上がり続けていること。上空に飛ばされた後もキーノは淡々とした顔で攻撃を続けてきた。最初はその力に驚いたものの対応は可能だった。しかし、防御と言える防御は最初の六撃だけ、残りの数十発は両腕を上げてひたすらに耐えている。
 首筋に鋭い蹴りを入れられても、後ろ膝を突かれて座り込んでも、右の鼓膜が衝撃によって破裂しても、ただ縮こまることしか出来なかった。


(恐竜人たる俺が……なんたる有様……っ!!)


 これでは戦いではなく、蹂躙ではないか。もっと稚拙な言い方をすれば、虐めとも言える。ニズベールのプライドはズタズタに裂かれて、けれど反撃の糸口すら見えない状況にただただ疑問を頭にしていた。


「……?」


 ようやく攻撃が止み、目を開くとキーノが肩で息をしながらニズベールを見ていた。ここにきて、彼の目が生気を取り戻し、痛む体に鞭打って体を立たせる。暴流のような猛攻にキーノの体がもたず、両腕は勿論、今まで戦闘らしい戦闘を長時間行うことの無かった為衰えた体力は欠片と残ってはいないようだ。
 当然、ニズベールはその隙を逃さない。長大な足を振りものの三歩でキーノに鍛え上げた大鎚のような拳を上段から振り下ろし、細身のキーノを床に叩き落した。頭蓋は割れ、鼻骨はひしゃげ、不運にも落ちていた石が左の目に突き刺さりどろりとした赤混じりの液体が眼孔から垂れ落ちていた。
 この一撃で行動不能になりそうなものだが、キーノは上半身を起こして腕の力だけで後ろに跳び、鉄柱すら砕きそうな追撃の蹴りが眼前を通過した。
 もう一度距離を取ろうとするキーノは不可思議な光景を目にする。見た目にも少なくないダメージを負う、鈍重そうなニズベールが蹴りの勢いを利用し、地を蹴って宙に浮いていた。蹴りの体勢を持続させ、体を回転し左足で標的を狙う。現代で言うソバットである。ニズベールは的確にキーノの腹部に破壊鎚のような足をめりこませ、彼をサッカーボールのようにバウンドさせて後方に飛ばした。


「ぐえぇ……ぐ、うううう……」


「まだ立つのか……小童が!!」


 起き上がろうとするも、腕の力の入らぬキーノは顔面から床に落ちて呻いている。ニズベールはその足掻きに思える行動にも恐怖を覚え、徹底的に彼を壊すべく走り出した。
 ニズベールが自分に到達する前に、キーノはかろうじて立ち上がり、回避する力は残っていないと判断した。よって両腕を両腕を持ち上げて、腕を犠牲にする覚悟で大砲のような一撃をいなすことにする。キーノの考えを読んだニズベール二つの感情を得る。まずは、傷ついた体で自分の攻撃を受けきろうとする、その勇気にたいして敬意を。そして、動かすだけでも激痛が走る満身創痍のみで自分と立ち向かおうとする蛮勇を。その二つの思考が混ざった結果、彼が放つ言葉は単純。


「舐めるな、人間如きがぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 何より自分を軽んじられた気がしたニズベールは、己の尊厳、誇りを踏みにじられたように感じ、走るスピードを上げた。轟音が近づくにつれ、キーノは……笑った。これ以上に無い、楽しそうな顔で。
 ニズベールはそんなことは気にしない。例え人間の、今だ若い男がこの場面で笑顔を作ったとて動じない。何故なら彼は恐竜人だから。キーノがエイラの生き方に誇りを持っていることと同じく、彼にも恐竜人たる矜持がある。知能や戦法で人間たちに騙されても、数に任せて襲い掛かられても、自分の体一つで散らせてきた実績と自身があるのだ。一対一という明瞭な戦いにおいて、自分が臆すことなど、あるはずが無い。


「ふん、人間とは体力の少ないものだな。確かに貴様の猛攻には驚いたが、俺を倒すには及ばん。最早虫の息のお前に止めを刺すことなど造作も」


 だから、今ニズベールが立ち止まり、キーノに会話を試みたのはほんの気まぐれ。それ以外に体は無い……そう、ニズベールは思うことにした。他の理由を探すことは、今までの自分の存在意義を否定することに繋がるから。
 無意識に自分がキーノとの決着を避けたと気づいたのは、キーノの言葉を聞いた、その瞬間。


「黙れ」


「……何?」


 明るく快活な心優しい男はもういない。キーノは日本刀のような鋭い声でニズベールの言葉を遮り、膝に手を付いていた体を起こした。その目はやはり、沼のように濁り、深海のように暗い。


「……覚えてるか? エイラ、アザーラ攻撃した」


「……最初の連撃か? 全てアザーラ様が受け止めたものだろう。それがどうした」


「あれ、未完成。キーノ、本物、教えてやる」


 キーノが前のめりになり、使えぬはずの床につけた。それは、豹のような、得物をちぎり取る獣の構え。現代的に例えるならば、その雰囲気はミサイルの発射台のような圧力を相手に見せていた。


「……奥義、三段蹴り」


 床が焦げるような音、次に目の前にいるキーノ。ニズベールに防御という発想すら作らせないスピードは、人間どころか自然界の『生き物』では在り得ない速度。
 まず虎爪を叩きつけ視界を奪う。次に鉤爪で体の力を抜き、わき腹に蹴りをいれて上段にガードを回させない、頭上から肘鉄、頭突きをリズム良く叩き込み脳震盪を誘う。渾身の右ストレートで相手の意識を刈り取り、体が倒れる前に上空に飛び上がり、踏みつけるように右側頭部を蹴り、落下の速度を乗せて左側頭部に踵落とし、最後に相手の頭を掴み、頭を支柱に体を縦回転させて後頭部に膝を叩きつけ地上に降り立ち、走り抜ける。
 これが、イオカ村に伝わる奥義。酋長たるエイラですら完全には扱えぬ為、隠してきた彼の隠し手だった。
 床に沈んだニズベールを見る事無く、キーノはそのまま倒れこんで、前で横たわるエイラの姿を目視した。


「エイラ……世界で、一番、強い……」


 自分にとっての世界の常識を呟き、キーノは意識を失った。自分の大切な人を穢した敵を圧砕して。


「ず……ずたずたの腕で、俺を殴り飛ばしたのか……?」


 霞みゆく意識の中、ニズベールは倒れているキーノを見た。その腕は変色し、二度と動かぬのではと思わせる凄惨なものとなっている。拳からは肌色に混じって白い骨が突き出ていた。肩にある古傷は開ききって血の川を石造りの床に流し、黒い獣の皮を剥いだ服が赤黒くなっている。精神力で痛みをねじ伏せ、巨体の自分をこうまで叩きのめしたというのか。
 後方にて、ニズベールは白目を剥き痙攣しながら血を吐いて、「みごと……なり……」と最上の敬意を人間の男に送った。
 ティラン城決戦。最初に勝敗のついた戦いはニズベール対キーノ。ひとまず天秤は、人間側に傾いた。








 まだ答えが見つからんのか?
 エイラは、今はもういない父に呆れられたような気がした。
 答え……父の言う答えとは何だろう? 一瞬考えて、すぐに浮上した。強さだ。昔自分が質問した、強さとは何だ? という問いに直結しているに違いない。でも、それならば、父様だって分からなかったじゃないか、と内心で文句を言う。自分が見つけられなかった何かを、自分の娘が分からないとて、文句を言う資格があるのか! と怒鳴りたい気分だった。
 自分の抱く想いに気づいたのか、父は酷く寂しそうな顔をして、姿を消していく。


(ごめん、父様。そうじゃない。エイラ、それ言う、違う。エイラは……エイラは……)


「おや、もう意識が無いか?」


 体に十数の石片を生やしているエイラにアザーラはつまらなそうに声を掛けた。


「大したことが無いな、これがサル共のリーダーとは。これなら、一気に襲撃をかければ良かったの……」


 サイコキネシスを使いエイラに刺さった石を抜いていく。その際にエイラが苦悶の声を上げるも、アザーラは眉一つ動かさず、尊大とも思える態度で髪を撫でる。今消える命よりも、自分の髪の具合が心配だと、誰の目にも分かった。
 冷酷ではない。無情とも違う。アザーラは、戦いとはそういうものだと理解している。戦いに敗れた者に何かを思うことなど必要ない。強者に立ち向かう弱者が死ぬのは当然の摂理……大地の掟であるのだから。
 彼女の友人兼兄であるクロノを一瞥すると、彼は今もマールと戦っている様子が見える。手が空いた所でアザーラはそちらに向かうことにした。どうせなら、大勢で戦うほうが盛り上がるだろうと思ったのだ。


「うむ。なんなら、マールもティラン城で暮らすのも悪くない。あいつも中々見所のある奴じゃからな!」


 過去、まよいの森中心にあるアジトにて優しくしてもらった経験のあるマールを気に入っているアザーラは、豪華なマントをたなびかせてそちらに足を向けた。しかしその前に、随分と呆気ない幕引きにさせられた腹いせとして、今だ動く気配の無いエイラに嫌味のある言葉を投げた。


「エイラよ。今日の貴様は随分と無様なものだったな……いや、昔もそうだったか。過去を掘り返すのは私は好きではないが……貴様の代わりに腕を潰したキーノも、無駄なことをしたものじゃのう」


 離れ行くアザーラを生気の無い目で見つめているエイラは、今度は父ではない誰かが視界に降りてくることを知る。
 エイラの前に立つのは……若かりし頃の自分と、キーノ。二人を囲む恐竜人たちと、アザーラ。エイラは、少しだけ目を閉じた──








 それは……。確か自分が酋長の器で無いと村人が話しているのを聞いた夜のこと。単独、アザーラのいるアジトまで走り、その首級を挙げてやると息巻いていた日……
 どうということは無い結末。自分は失敗したのだ。まだ若く、戦闘経験の浅い天狗だった自分が並み居る恐竜人たちを蹴散らすことなど出来るはずが無かったのだ。あっさり敵に捕まり、引きずられながらアザーラと対面した。
 奴は言う。「死にたくないか?」と。
 今の自分ならば「殺せ! 命乞い、しない!」と言えるだろう。それだけの覚悟はしているし、戦いの中死んでいった仲間たちの為にも無様なことだけはしないと心に誓っている。だが、その時の私は……


「た……助けて」


 変に可哀想ぶるつもりはない。ただ、その時の自分は何も為せない何も決めれないただの子供だった。泣き喚いて、助けを呼んで、許しを請うて。生きれるなら、土下座でもなんでも喜んでしただろう。死ぬ、ということを知っていたのに、いざその采配を自分に向けられると、頭が真っ白になっていった。
 奴は言う。「ならば貴様らの村の場所を教えろ」と。
 私は戸惑った。それはつまり、仲間を売れということではないか。自分の命惜しさに仲間を見捨てろと。想像してみた。もしここでイオカやラルバの村の場所を正確に教えて自分が生き残った時の事を。
 まず、村人は全員死ぬだろう。自分の陰口を言っていた男たちも、外面だけは尊敬している女共も、逃げ隠れている臆病者たちも、皆惨たらしく殺されるのだろう。


(……良いじゃないか、それで)


 もうこれで自分を誰かと比較する者は現れない。誰も自分を貶めないし、追い越さない。私は永遠に酋長であり、蔑む者はいなくなる。
 ──比較? 誰と? 私は誰と比較されていた?
 その人物の顔が浮かび、今正に開きかけていた口が閉じられる。それは大嫌いな人物で、自分を脅かすお節介な、平和主義者のぼんくらな男。彼も死ぬのだろうか? 引き裂かれ、燃やされ、絶望し喰われてしまうのだろうか?
 思わず泣き出しそうな、胸が潰されるような気持ちが湧き出して……私は目を閉じた。もうここで死ぬことに迷いは無い。きっと、自分がいなくても村の人間は彼を指導者に強く生きるだろう。願わくば私が死んだ時、彼だけは泣いて欲しいと思いながら。


──エイラを離せ!


 ここからは、出来すぎた展開。村を出て行った自分をつけて、キーノが現れた。数いる恐竜人達を翻弄し、叩き潰し、その頃は得意だった弓で遠ざけて、縛られていた私を助けてくれた。あの時、「大丈夫か、エイラ!」と心配そうに駆け寄ってくれた時のことを、私は一生忘れない……これからの、悪夢も。


「そうか、そうか。己のリーダーを一人で助けに来るとは……その勇気を称え、貴様らの命だけは助けてやるぞ……」


 その時アザーラの能力を知らなかった私たちは、奴の力であっという間に降り注ぐ岩石に抑え込まれて、身動きが取れなくなった。懸命に体を動かそうと力を込めれば、その倍の力で押し付けられる。あの時の絶望は、今までにそれっきりだ。


「……っ!」


 キーノは憎憎しげにアザーラを睨んでいた……それが気に障ったのだろうか? アザーラは舌を鳴らして罰を下した。その時の台詞を、私は鮮明に覚えている。


「その男の両腕を、潰せ。後はここから放り出しておけばよい。私はニズベールと遊んでくる」


 意味が掴めず、私は放心した。罰というなら何故私ではないのか? どうして……私なんかの為に駆けつけてくれたキーノの腕を潰すのか?
 上手く喋れない私は縋る想いでキーノを見た。すると……彼は「キーノ、良かった。エイラ、安心する!」と嬉しそうに、本当に嬉しそうに言うのだ。今から自分の腕が壊されるのに。屈強そうな恐竜人が棘のついた棍棒を振り下ろそうとしているのに。泣いている私を落ち着かせようとして、笑う。
 ……その後いつまでも泣き止まない私に、キーノは私の頭を撫でようとして、ぽつりと言った。


「もう、撫でる、無理。ごめんな、エイラ」


 彼の両腕と肩は見るも無残にひしゃげ、痛みから来る脂汗と血が床を濡らしていた。
 この時ほど憤りを覚えた瞬間を、私は知らない。知りたく、ない。







「うあ…………」


 現実に戻ってきたエイラはもう一度立ち上がろうと体に力を流す。その度に貫かれた足や腕が行動を拒否する。立てるわけが無いと、自分の頭さえも反抗する。結局彼女は離れていくアザーラを見ることしか出来なかった。射殺してやるといわんばかりの憎しみを乗せて。
 やがて、それも疲れていく。段々と閉じていく視界を止める術もなく、エイラは意識を失っていく。


(ごめん……キーノ)


 色を認識することもできなくなった眼が、灰色の景色を閉ざしていく。弱い自分を嘆きながら、いつまでも覚えているだろう名前を心に描いて。
 が……その儚い思想は、突然に中断された。
 後方より響く振動が伝わってエイラの体を揺らす。続いて誰かが走る音、愛しい人の息遣い。エイラは思い出した。自分の恩人もまた闘っているのだと。
 気力を振り絞り、ゆっくりと体を転がして音の発生源に視界を変える。見えるのは、大きくは無い体をボロボロにして、圧倒的体格差の恐竜人を打ち倒したキーノの姿。聞こえたのは、彼からの全幅の信頼。世界で一番強いという確かな言葉。そうして、キーノは気を失った。


「キ……ノ……」


 心配でない訳が無い。誰よりも大切で愛しい男が血まみれで倒れているのだから、苦しくない訳が無い。今すぐにも駆け出して声を掛けたい。治療して村に戻り医師に見せたい、いや、仲間のマールに回復してもらわねばという焦燥も多分にある。だけれど……それ以上に、彼女はキーノの言葉によって歓喜を覚えていた。


(信じて、くれた? エイラを?)


 一撃も入れれず、触れることも出来ていない自分をキーノは世界一強いと、最強だと言ってくれた。それはつまり……つまり……


「……あ、あはっ、あはははははは!!!」


「!? 何じゃ、気でも触れたか!?」


 エイラは笑う。自分の馬鹿さ加減に呆れ果てて、罵倒するでも怒るでも悲しむでも無く、腹の底から笑う、笑うしかないだろう。
 腹筋を揺らすことでわき腹に空いた穴や打撲が響き、腹を押さえた時に割れた爪が悲鳴を上げる。息を吸うだけで気を失いそうになることから肋骨も何本かいかれているようだ。その激しい痛みが自分の自業自得によって増していることに滑稽を感じた彼女はより一層笑い声を強めた。


(信じてくれた! 信じてくれていた! キーノ、エイラを信じた!)


 笑いすぎて吐き気が出てきたので、思い切って口に指を突っ込み吐きだす。岩石クラッシュを飲んで気持ちが悪い時の対処法と同じだなぁ、とエイラは場違いな感想を思った。
 アザーラはというと、エイラの奇行に驚きサイコキネシスで止めを刺すことも忘れて呆然としてしまう。半死半生の人間が急に笑い出してかと思えば嘔吐してなおも笑顔を崩さない。彼女もまた、ニズベールと形は違えど恐怖を人間に感じていた。


「気味の悪いサルめ……その気色の悪い顔を、頭蓋ごと潰してくれるわ!」


 言って、二メートル弱の岩石をエイラの頭上に落とした。重力にサイコキネシスを足した落下速度は十二分に人間の体を潰せる必殺の攻撃だった。
 それでも、エイラは重さ二百キロ前後の岩を避けるでもなく、拳を上に掲げただけ。殴って軌道を変えるなんて考えは思いつかない。彼女は浮かれているから。自分の幸福と、頭の悪さにこれでもかというほど呆れているから。
 そして、当然のように岩石は砕けた。落ちていく石の欠片は奇妙にエイラを避けて床に散らばっていく。その石の欠片を操ってアザーラは再度攻撃を仕掛けるも、エイラは体を一回転させて巻き起した風圧で迫る欠片を飛散させた。
 たかが、体を回転させただけでサイコキネシスによる攻撃を破ったエイラにアザーラは戦慄する。今まで突撃しかせずいたぶられていただけの女が、何故こうも変わったのか? 理由の分からないアザーラは、足を踏み出したエイラにびくっ、と体を震わせる。


(キーノ、エイラの事信じた。なら、エイラもキーノ言うこと、信じる)


 特別なことは一切無い。強いて言うなら、エイラは気づいただけ。自分の愛する人の言葉を聞いて、それを信じただけ。


──エイラ……世界で、一番、強い……


「エイラは……エイラは、アザーラより、誰より、強い……強い、強い!!!!!!」


 いつの世でも、思い人の言葉を信じずに、何が愛だというのか。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:05
「待っててね、皆……」


 時の最果てより降り立ったのは、象牙色の絨毯に足を着けシャツをへその下まで捲り上げ、頭の帽子を半ば外して焦燥とした顔をしているルッカだった。何やら重そうな機械を抱えて走る様は見るだけで必死さを窺わせる。
 時折機械を床に置いて休を取り、もう一度抱えて走り出す。まるで主人に怒鳴られぬよう精一杯働く奴隷のような姿だが、それを見咎める者はいない。三度目の休憩を入れた時、ルッカはふと空を見た。別段、理由など無い。深呼吸をするついでに上を見ただけだ。その時に、どうにも気になることが、一つ。


「あれ? あの星、太陽……な訳無いわよね?」


 太陽の隣に爛々と輝く赤い星。見間違いでないなら、それはどんどんと大きくなっている気がする。ルッカは少し考え込み、赤い星の正体を思いつくと、機械を背中に背負い全速で走った。現代で読んだ歴史の本。その内容から推測される常識を思い出したのである。例えば、何故恐竜は滅んだのか? 氷河時代とは? それらのピースが揃ったとき、答えは出た。 
 彼女が、クロノたちが闘う渡り廊下への扉を開けるのは、もう少し後の話となる。






 マールの自製した氷塊をクロノは難無く切り裂き剣先を彼女に向ける。遅れて伸びるソイソー刀をマールは床に沈んで、サマーソルトのように下から蹴り上げ、そのまま後転し逃れた。立ち上がりざまに一本の短い槍を作り、下手に投げる。魔刀の持ち主は小さな抵抗を鼻で笑い、迫る脅威を空いている左手で掴み取った。飽きたおもちゃをそうするように、彼は床に叩きつけて、氷の槍は澄んだ音を鳴らす。
 息の荒いマールに比べ、クロノは肩を揺らす事無く、悠然と立っていた。優劣は既に決まっている。


(ずるいなあ……伸縮自在の刀なんて、規格外でしょ)


 真剣勝負と決めたこの戦いにずるいなどと言えるはずの無いマールだからこそ、心の中で愚痴を呟いた。回避運動の為に動き過ぎた体を冷気で誤魔化し、もう一度構える。このままでは、余りに情けない。せめて一矢報いねば、と考えたのだ。
 マールの攻撃を止めたクロノは電力を発生させて、周辺に散らばる激しい戦いに砕けた石畳の破片を操りマールに打ち出した。体を貫くほどの速さではないが、当たれば悶絶する程度の速度。飛来する石々に両手を前に構えて待つ。拳、肘、膝を円の動きに回してクロノの石つぶてをかわし、叩き落した。
 口笛を吹いて賞賛するクロノに舌打ちした後、何度目かも分からない突撃を敢行する。進路上の床を磁力で浮かせる等の妨害を見極めて並行に飛び、また前方に大きく跳躍するといった不規則な進行リズムで徐々に距離を縮めていく。


「すっげえ身体能力。でも、これで終わりだな」


 両手を地に着けて、膨大な電流を床に流す。これで、マールとクロノを繋げる床は、上を歩くだけで気を失うほどの電力が充溢した。本来、空気中に電気を浮遊させるだけで良いのだが、丁度いいことに床にはマールの作り出したアイスにより水がばら撒かれており少ない魔力で充分な電力を与えることが出来たのだ。
 これでもう自分との距離は縮められないだろうと満足気に相手を見ると、大きく目を見開くこととなった。いつのまにか、湾曲状の氷の道が目の前に作られているのだ。そして、その氷の道の上を走るマールの姿。床を走ることが出来ないと分かったマールは魔法の氷で道を作り、クロノへ続く障害を潰したのだ。
 しかし、それを呆然と見ているわけが無い。彼は魔力の消費を厭わずもう一度サンダーをマールに向け発射、ばぢばぢと弾ける音を紡いで直線にマールへと電気の道を作り出していく。されども、一本道に作られていた氷の道にもう一つ右側に曲がった道を作り出しマールは悠々と襲い掛かる電流線を避ける。


「くそったれ、その道ごと切り崩してやるさ!」


 斜め上段から切り落とすように伸ばした刀を振り下ろす。風を切り舐めるような光沢を放つ魔刀が落ちてくるのは、まるで聳え立つ建物が崩落してくるような圧力を与えていた。
 けれど、彼女は止まらない。分かっているのだ、その刃が自分の頭上を掠めることすらできないと。
 マールが防御体勢に移らない事を不審に思ったクロノはぞくり、と体が震えていることに気がついた。即座に剣の長さを戻して後ろに飛ぶ。彼が見たのは、今まで自分がいた空間を氷の道から突き出た先端の尖る柱が貫く瞬間。


「……なんだよそれ、あいつの魔法って、自由自在じゃねえか!」


「ようやく気づいた? 私の魔法は回復魔法が主じゃないんだよ」


 声が思いの外近傍より聞こえて、はっと顔を上げる。そこには、朗らかに笑う少女の顔と、細長いくせに、処刑人の持つ斧のような印象を与える脚。
 弓なりに曲がった脚が自分の顔と衝突した時、クロノは宙を舞い、自分の負けを悟った。


(ああ……油断しすぎたか……まあ、頑張ったほうだよな? 多分)


 健闘振りを自分自身で称えて、満足気に笑い、耳鳴りのする中、目を閉じていく……けれど、


(……いや、まだか)


 意識が途絶える寸前に、己が家族と認めた女の子が、困惑している姿を目視して、やるべきことが残っていることを知った。






 小中大の岩石を作り出し、上下前後左右に打ち出して、時には極局地的砂嵐で視界を奪おうとも、相手は立ち上がる。テレパシーを用いて混乱を誘うものの、思考を読めばそこには喜び以外の感情を読み取れず乱すどころかもう乱れきっている。今までに、こんな人間……いや、こんな生き物をアザーラは見たことが無かったし、相対したことなどあるはずがなかった。となれば、彼女が取る行動は一つ。


「何で? 何で笑うのじゃ!? もうボロボロのくせに、弱いくせにっ!」


 怯えることだけだった。
 そこかしこに巨石を投下させて辺りは破壊音が響いている。目にも止まらぬ速さで散らばる欠片は弾丸のように散らばっていき、戦争のような様相となっていた。その中を縦横無尽に駆け、アザーラを混乱させているのは、エイラ。大の男でも悲鳴をあげてともすれば気絶しそうな痛みの中、彼女は嬉しそうに目を綻ばせて、美しい笑い声を音色に変えていた。彼女だけを見れば、それは心温まる、平和の象徴ともいえそうな姿。けれども、砕ける床、破砕する音、アザーラの叫び声をバックに据え置けば、それは異形の何かと推測できよう姿だった。
 笑う、笑う。彼女は笑う。威嚇行為でも敵対の意思表示でもまたその逆でも無く、彼女は笑う。どうして? と問われれば、彼女は答えるだろう。嬉しいからだと。
 嬉しい、また楽しいという感情は人を笑顔にする。勿論その限りではなかろうが、理由としての模範にはなる。抽象的ながら確固たる理由だ。彼女が嬉しいと思う理由はそれはそれは微笑ましい、乙女のもの。好きな人が自分を信じてくれているという単純な事で、彼女は心の底から昂ぶろうという気持ちになっていた。いわば、今の彼女がアザーラの攻撃を避けているのは、回避行動ではなく、喜びの舞を踊っているようなものだ。動かずにはいられない歓喜にエイラは浸っていた。


「アハハハ、エイラ、強い! 誰にも、負ける、無い!」


 力強い自分の言葉を背に乗せて、エイラは走り出す。落石を避ける為ジグザグに曲がりながら走っているのに、風を越えるような速さでアザーラへと迫る。


「ふん! 私が近接戦闘を出来ぬと思ったか馬鹿め!」


 アザーラがその小さい背中に手を伸ばし、何かを掴みだした。それは、四十センチ弱に折りたたまれている何か。それを力一杯振ると、がきがき、と金属音を鳴らして一本の鎚に変わった。ただ、通常の鎚とは少し違う。ハンマーのような先頭部に恐竜を模した金型が貼り付けられている。長さは一メートル六十前後、長大とは言えぬ長さだが、彼女の伸長体格と照らし合わせれば不似合いな武器といえた。
 鉄槌を右手に持ち替えて肩に預け、左手を前に出す。それは、もうサイコキネシスやテレパシーといった超能力に頼らないと教えているようなもので、エイラは僅かに笑みを深くした。ありがたいと思ったのではない。その態度を潔いと取り、何よりこれでこそ自分たちの戦いにふさわしいと考えたのだ。
 エイラとアザーラの距離が十尺を切った時、先に動いたのはアザーラだった。鉄槌の持ち方を水平に変えて、エイラのわき腹を狙う。空気の音が変化し、その音はとても小さな体で出せる音ではなく、また振る速度も人間のそれではない。エイラは急停止して鉄槌の顎から逃れる。一拍の時間を置いて飛びかかろうとするが、アザーラは勢いそのまま、コマのように体を一回転させてこちらを見据えた。踏み込ませない為の、単純な戦法。されども、徹底すれば隙を作らせることは無い。
 恐れるべきは、戦法の類ではない。大きくは無いといえど、武器として最重量級の鉄槌を小さな体で操っていること。例えば、現代の屈強なガルディア騎士団にここまで鉄槌を軽々しく扱える者はいないだろう。


(──飛び蹴り、駄目。飛ぶ時、やられる。風を起こす? 駄目。大きい隙、作る、やられる……)


 いつもは思うがままに戦っているエイラが、不器用ながら初めて戦略を練り始めた。それは、相手も同じ。


(こちらからは飛び込めぬ。狙うのは、エイラが攻撃してくるその一瞬。迎撃に全てを賭けるのみ!)


 いつも、手を振れば相手を潰してきたアザーラが初めて『敵』を認識し、最適な行動を考える。我侭に生きるアザーラにとって攻撃ではなく専守防衛の構えを取るのは恥ずべきことだと感じたが、彼女はそれ以外に勝ちのビジョンが浮かばなかった。
 鋭い眼光をたたえた両名の睨みあいは続き、その均衡はエイラによって破られた。突然足元の石をアザーラに蹴り飛ばしたのだ。アザーラは……彼女の行動に、絶望した。


(まさか、それが貴様の策か? つまらぬ)


 次々に飛んでくる石をアザーラは視線の動きだけで操り、構えを解くまでも無くエイラの攻撃を止めた。それがしつこいほどに繰り返されて、彼女の失望は色濃くなるばかり。この場面にきて、選び取った攻撃法が投石とはあまりに情けない。一度でも相手を敵と認めた自分にすら同情してしまう。
 こうなれば、自分から鉄槌を叩き込んで頭蓋を破裂させてやろうか、と思い出した頃、もう一度目の光を取り戻した。とはいえ、微かに、だが。
 エイラは彼女の二倍、つまりアザーラの三倍はある大きな岩石を持ち上げて投げたのだ。その怪力には確かに賛嘆の感情を隠せないが、結局は同じこと。アザーラは投げつけてきた岩石をサイコキネシスで軌道を変え、左に受け流した。


「────っ!?」


 退けた岩石の後ろに、太陽が照らす金色の怪物の姿に、アザーラは息を呑んだ。
 振りかぶった拳を受けることも出来ず、彼女は床を這い、びくびくと体を震わせる。言うことを聞かない体を放棄して、アザーラは首だけを動かし、荒い息を吐いて中腰になるエイラを見た。
 人間のサルらしい、乱暴な戦略。視界を遮るほどの岩石を投げて、そこに身を隠し特攻する。もし意図が読まれれば反撃は必至、命を落としかねないリスクの大きすぎる博打戦法。だが、それを選んだことで彼女は己に勝ったのかと、そうしなければ勝てぬ相手だと思ったのだと、アザーラは負けた事に悔恨の意は無かった。
 頭を落として気絶したアザーラを見て、エイラは足の力を抜き座り込んだ。勝ったという喜びは現実味を帯びない。くしくしと顔を拭って顔に付いている血を拭う。ばた、と倒れこみ空を眺めると、空を浮遊している怪鳥たちが主人の敗北に驚き奇声を上げていた。
 もし、アザーラがサイコキネシスを使い続けていたら、そもそも戸惑う事無く冷静に自分と戦っていたら? もしもの場合を考え続けて──エイラは頭を真っ白に変えた。頭の悪い自分に難しい考えは出来ないと放り投げたのだ。


(勝ったよ、キーノ)


 ここで気を失えたら楽だろうな、とエイラは思う。今更になって痛み出した傷のせいでそういう訳にもいかないのだが。
 想い人は一度体を起こさねば見えない位置に倒れているため、今の脱力した体では視界に収めることは出来ない。しかし、彼女にはそれでも良かった。離れていても、彼の温もりを感じられるから。そんな甘い想像を広げていくと、痛みが薄れていく気がした。


(少し、目瞑る。そしたら、寝れるかも)


 疲れた体を癒す為、ほんの少しだけ張り詰めていた気を緩ませていくと……
 遠くから聞こえる猛獣の咆哮に、まどろみは全て吹き飛ばされてしまった。まだ、戦いは終わらないのだ。







 マールに蹴倒されて、俺は自分の無力を知らされて眠りに着こうとした。予想はしてたし、悔しくはあるものの、今までの俺じゃあ考えられないくらい善戦したのだ、誰も俺を責めたり出来ないだろうと自分で結論付けて。
 ただ……良くない。非常に良くない。俺が見た光景はとても良くない。劣勢のアザーラの様子は……まあいいさ。エイラなんていう強力無比な人間を相手してるんだ、そういう時もあるだろうさ。それから結局負けちまったのも仕方ない。なんだかんだ言って、俺も心の底では人間側が勝って欲しいしさ。いや、今更過ぎるけど。
 しかし一つ問題がある。これが良くないんだ。俺はアザーラを妹と呼んでしまった。恐竜人の味方をすると言ってしまった……だから負けるわけにはいかないんだっ!! なんて寒い台詞言う気はないぞ、言っとくけど。
 では何が問題なのか? それは簡単。今俺が意識を保っていること。一度言った約束を破るわけにはいかない、ってな事をいうつもりもさらさら無いけれど……全力で応えることは、しなくちゃいけないだろう? 全てを出し切って、思いつく手段を全て試してこそ全力で応えたってもんだ。
 俺はおもむろに立ち上がって、マールに宣戦布告をする……訳も無い。戦えば負けるとは思わないけれど、エイラと同時にやって勝てるなんて自惚れは無い。傷だらけでも、マールが回復魔法を使えばはい、元通り。今は倒れているキーノだってそれは同じことだろう。魔力消耗の激しいだろうマールだって二人を回復するくらいの魔力は残っている筈だ。
 じゃあどうすればいいのか? 答えは簡単、単純明快。
 ──味方を増やせばいい。


「出番だぜ、ティラノ爺さん」


「クロノ、目が覚めたの? 残念だけど、もう全部終わったよ。これから……」


 マールの声は、ティラン城中に響くような轟音に掻き消されて、最後まで聞き取ることは出来なかった。


(悪いな、俺はお前と違って恐竜人と人間の戦いに首を突っ込む気満々なんだ)


 目を瞑り耳を押さえているマールに心中で謝罪しながらも、俺は中指を立てて、言い捨てる。


「せいぜい気張れよマール。前哨戦は終わりだぜ?」


 言い残して、俺は渡り廊下の先。アザーラの私室とは逆方向に位置している建物に走っていった。扉の右側にあるレバーを引いて、豪快な音と共に扉が開かれていく。鈍重にその姿を現していくのは……全長十メートルを優に超える本物の恐竜。正式名称、ブラックティラノ。動きは遅いが、その肌は並みの恐竜人とは比較にならない、ニズベールよりも、いや鋼鉄、鋼よりもなお硬い。顔の半分を占めている口から吐き出す炎は魔王の放つ火と遜色ない業火。ぎらぎらと牙を光らせて、主人を傷つけ自分の領土を侵している侵入者に殺意と怒気を見せている。狂気を孕む目玉はぎょろつき、俺を見る。


「グルゥアアアアア!!!!!」


「ああ、お前と俺が最後の砦だ。やりきろうぜ?」


 放心したように座り込むマールとエイラを、ティラノ爺さんの肩に乗って見下ろした。こうしてみるとつくづく思うね、悪役ってのは良いよなって。切り札があるんだからさ。
 俺が右腕を下ろすと、ティラノ爺さんが燃え滾る豪炎を放ちマールたちに襲い掛かった。間近にいるとその熱量に辟易するが、これを直接当てられる側にとってはそんな感想も出ないだろう。少しは我慢するのが男の余裕ってもんだろう。


「あ、アイス! シールド展開!」


 曲線を描いた氷の壁を前面に作り、炎を空に逃がすマール。直接受け止めるんじゃなく受け流すってのは悪い方法じゃない。でも、


「俺を忘れんなよ、マール」


 炎によって薄くなった壁をソイソー刀が貫き、マールの右腕をざっくりと切り裂いた。痛みに精神を乱されたせいで、氷を精製している魔力が薄れていく。このまま行けば、洪水のような炎は彼女たちを包み全てを塵に変えるだろう。さあ、どうする!
 相手の出方を観察していると、苦渋の表情を浮かべるマールの横から、エイラが飛び出して炎の中に飛び込んだ……え、まさかここで自殺? と少々うろたえていると、彼女の飛び込んだ着地点付近で炎の竜巻が現れて、ティラノ爺さんの炎を巻き込み天に昇っていく。昇竜のような光景に俺は「そんな無茶苦茶な!?」と驚愕の叫びを出してしまった。物理学に反してるだろ、そんな荒業!
 俺とティラノ爺さんが呆気に取られていると、すかさずマールがエイラに回復魔法をかけて傷を癒していく。急いでソイソー刀の切っ先を向けたが、時既に遅くエイラはこちらに走り出していた。彼女にソイソー刀を向けるも、俺の運動神経ではエイラを捉えることができない。そう、今の俺では。


「痛いからやりたくねえっつーのに……『プラグイン、トランス』!!」


 自製神経作業完了。視神経を割り増しした今なら……見える!
 格好付けてティラノ爺さんの肩に乗ったものの、飛び降りて迫るエイラに肉迫する。ソイソー刀の伸縮速度は遅くはないが、今のエイラに当たるとは思えない。直接斬りかかるのみ!
 しかし、運動神経動体視力を上昇させて、筋肉への伝導指令を無視した俺に出来る最速の切り払いはエイラの肩を薄く斬っただけだった。調子に乗っているでも自惚れでもなく、人間が動ける限界に達しているはずの俺の切り払いが避けられるのか!? 今まで冗談気味に人間じゃねえとか言ってたけど、本物だったのかよ!
 本来極々短い時間しか発動できないトランスだが、今ここで解く訳にはいかない。解いた瞬間、俺はエイラにぶっ飛ばされて戦線離脱となってしまう。ティラノ爺さんを信用していない訳ではないが、奥の手である炎がエイラに通じない以上分が悪い戦いになるのは目に見えている。
 豪速の拳を突き出すエイラの手を握り、目一杯の電流を流し込もうと魔力を溜めるが、トランス中に迅速な魔力形成が出来るわけもなく、隙の出来た俺の腹にエイラは難なく膝を入れることに成功した。


「……っ!」


「クロ、少し寝てる、良い」


 肺にある酸素を全て吐き出したため、呻き声を出すこともなく、俺は崩れ落ちた。エイラはそれに構わず通り過ぎてティラノ爺さんに向かい走っていく。
 炎が効かないと分かった爺さんは懸命に爪を振り、噛み付こうと口を開けるが今の彼女のスピードに追いつくわけもなく、体力をすり減らしていった。腹を押さえてうずくまる俺の横をマールと、治療されて意識を取り戻したキーノが通り過ぎていく。


(待てって、まだ終わりじゃねえ……!)


 痛む鳩尾を無視して、立ち上がり、振り向きざまに刺突。伸びるソイソー刀は照準を合わせる事無く繰り出した為、見当はずれな方向に向かって床に刺さるが、二人の足止めには成功した。
 追撃を嫌ってか、マールとキーノは俺に向かい合い、マールは弓を構えて射出した。その場に這い蹲り難を逃れるも、自分の行動に舌打ちする。これでは、俺は魔力残量が無い、または少ないと教えているようなものだ。
 今まで俺はマールの弓矢を魔力による磁力発生で受け止めてきたのに、回避を選択するということはつまり魔力を消費したくないということ。事実、今の俺には少量の魔力とて惜しい。無意識にそれを感じ取った俺は反射的に避けてしまったのだ。


(……とはいえ、それはマールも同じこと……か?)


 俺に飛び道具は効かないと分かっていて、魔法でなく弓矢での攻撃を選択したのは、彼女もまた残り魔力量が少ないということだろう。そう考えて、一縷の光明を見出すも、かぶりを振って自分の浅慮な考えを捨てる。
 馬鹿か俺は。単純に、俺の魔力量を測るための布石かもしれないじゃないか。俺が魔力で防御すれば警戒が必要、でなければ魔力による攻撃は無い、そう判断する為の飛び道具とも考えうる。
 ……だからといって、マールの魔力に余裕があるとも思えないが……くそっ、結局手札を晒したのは俺だけということか。
 救いがあるとすれば、キーノが俺に攻撃を仕掛けずただ様子を窺うにとどまっている点か。ニズベールに猛攻を仕掛けたことは決して安い代償では無かったのだろう。ケアルで治療しても、体の痛みは継続しているはずだ。その証拠に、体中から溢れる汗が止まっていない。我慢すれば攻撃が出来ないでもなかろうが、ブラックティラノ戦における前座の俺にわざわざボロボロの体を酷使するのは旨くないと踏んだのか……舐められたもんだ。
 ……明らかに、絶対的に不利なこの状況、どう打破する?
 そもそも、ティラノ爺さんの火炎がエイラの体を回転し竜巻を発生させるわざ……尻尾竜巻とでも呼称しようか(服についてある尻尾のようなアクセサリー? が大きく舞っていたので)、に無効化されるとは思っていなかった。爺さんの火炎は俺たちの大きな武器だったからだ。人数及び俺の負傷具合をも覆せる唯一の武器。それを難なく攻略されたことでアドバンテージは一気に相手に傾いてしまった。


(なんとか、爺さんの火炎を上手く活かせないか? 例えば、俺の魔力で火炎を操るとか……出来るわけないか。仮に出来たとしても、俺に火炎を吹いてもらわねばならない。操る云々の前に俺が焼け死んでしまう……なら……)


 再度弓を構えるマールを見て、一度思考を消して本能で横転する。かろうじて避けることができたが、このまま俺の体力をじりじり削られていくのがオチだ。俺と違って、マールは魔力消費はともあれ、体力はほとんど減っていないのだから。
 大体、魔力量の限界が俺とマールでは雲泥の差なんだ。俺の倍は魔法を唱えても、マールは俺のさらに倍は魔法を唱えられる。キャパシティというか、ステータスの時点で俺を抜き去っているのだから。
 絶対的に不利? そんなもんじゃないな。正しく絶望的な状況に俺は思わず一瞬だけ空を見上げた。何かの作戦と受け取ったのか、キーノは身構えるが、マールは首を振ってエイラの加勢に向かう。どこまで勘が良いんだ、あいつは。俺が打つ手無いと分かったのか。
 ……待て、空? 空か……それなら。
 思いついた策に、笑みがこぼれる。いいじゃないか、どうせ負けるにしても──


「一発、でかい花火をあげようか」


 考えを形にして、俺はエイラたちとティラノ爺さんの戦場にソイソー刀を投げつける。戦う力の残っていない脱落者が負け惜しみに得物を投げた、と思うだろうか? それならそれでいい。けれど、唯一、爺さんだけには気づいて欲しい。でないと、もうここで俺たちは終わりだ。起死回生の最後のチャンス。頼むから、俺の考えを読み取ってくれ!
 たった五日間だけど、欠かさずあんたに話をしに行ったのは無駄じゃないよな? 短い間だったけれど、無意味じゃなかったよな? そう願いを込めて。
 果たして、爺さんはエイラたちの猛攻を裁きつつも……俺を、見た。
 ……ありがとう、爺さん。
 小さく溢して、俺は力ある言葉を吐き出した。


「サンダガ!!!」


「っ! 嘘!?」


 もう大技を使えないと決め付けていたマールから狼狽の声が漏れる。放射状に伸びていく電流の渦はエイラたちを振り向かせるのに充分な活躍をしてくれた。マールは残り少ないだろう魔力を防御壁に変換しようとして……止めた。気がついたんだな?
 見た目だけは派手な、威力の無い電流に気を取られている隙にティラノ爺さんは空に向けて盛大な炎の息を噴出した。山の噴火にも似た炎は雲を焦がし高く高く上っていく。それで……準備完了。後は俺の一番単純で得意な魔法を唱えるだけで良い。


「サンダー!!」


 体から電力を作り出すサンダーではない。空から雷を落とす、俺が最初に覚えた魔法。威力はそこそこ、コントロールはまあまあ、速度は並以下という出来の悪い、お粗末な魔法。でも、空から落ちてくるという性質が、今は何よりの武器となる!
 天空より振る一筋の落雷は、ティラノ爺さんの膨大な炎を巻き込み、内に秘め、特大の火炎電流となりエイラたちに落ちていった。


「────!」


 誰かの叫び声が聞こえた気がしたけれど、鼓膜が破れそうな轟音が鳴り、誰の声か判別はできなかった。俺のサンダーは床を突抜けて遥か下のマグマまで落ちていき、威力が強すぎたか、ティラン城の下にある山が噴火活動を開始したようで、溶岩がティラノ城に届くほど跳ね、気を張らねば立っていられない程の地震が始まった。
 上空を飛行する怪鳥たちや、それを操る恐竜人たちのざわめく声。天災を越える魔術に驚嘆の呻き声。それら全てが俺を称えているようで、気分は悪くなかった。からっけつになった魔力残量のせいで良くも無かったけれど。
 衝撃によって発生した煙が晴れていくにつれて、ようやくエイラたちの姿を見つけることが出来た。と、同時に自分の口から喘ぐような声が出たのも分かる。所々に火や電気の名残が残っていたが……彼女たちは、まだ意識を留めて、俺と向き合っていたから。


「……あのさ、どうやってあれ、やり過ごしたんだ?」


 俺の問いかけに答えたのは、マール。ぼろぼろに焼け爛れた服を押さえながら、少し誇らしそうに話し始めた。


「キーノとエイラが二人で竜巻を起こして、私がその竜巻に魔力の氷を足したの。相殺は出来なかったけど、逸らす事と衝撃を緩和することはできたんだよ」


 どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てて、口でえへん、と言う彼女はどことなくアザーラに似てるな、と思った。


「そっか。あーあ、最後の切り札だったんだけどなぁ」


「本当だよね? まだあるとか言ったら怒るよ?」


 疑い深いマールがなんだかおかしくて、俺はそんな場面でもないだろうに笑いだしてしまった。きょとん、と目を丸くするマールと、頭を打ったとでも思ってるのか、オロオロするエイラとキーノ。敵に回った俺を心配するなんてお人よしもいいところだな。


「ハハハハ……あー、止めとけティラノ爺さん。もう、俺達の負けだ」


 後ろから火を吹こうとしているティラノ爺さんに制止の言葉を出して、俺は敗北宣言を出す。不意打ちなんて通じるわけが無い。マールはともかく、エイラとキーノは俺を見ながら、爺さんも視ていたから。


「……これで、終わりか。短い反抗期だぜ、なあおい?」


 遠くで倒れているアザーラに、届かないと分かっていても言わずにはいれなかった。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十三話 絆、掟、そして永別








 俺とティラノ爺さんが降参して、しばらくの時が経った頃、アザーラとニズベールが意識を取り戻した。二人とも、俺が両手を上げてティラノ爺さんが頭を下げ項垂れている様子を見て事の顛末を悟った。「我らの、負けか……」とニズベールは諦観の表情を作り、アザーラに膝をつき礼をした。


「申し訳ありません、アザーラ様。私、ニズベールが不甲斐ないばかりに……」


「良いのじゃニズベール。私たちはよくやった。 負けても、決して不甲斐ないとは言えぬものだった筈。そうであろう?」


 原始人たちの酋長、エイラに問いかけると、彼女は深々と頷き、「ギリギリ。エイラたち、幸運」と言葉少なに恐竜人の健闘を称えた。


「だそうだ……いや、よくやったな、サル共。本当に、そう思う」


 未だに信じられぬ、とエイラたちの命を賭けた奮闘振りに笑顔で賞讃するアザーラは、いつもの甘えんぼで、子供っぽいところは微塵も感じられなかった。


「ふむ……一件落着だな!」


「クロノがそれ言うのおかしいよね」


「なんとでも言え。俺なりに考えて、頑張った結果だ」


「確かに、クロノ凄かったよ。もっと形振り構わなければ、私が負けてたもん」


「? 俺、かなりマジに戦ったけど?」


 マールは呆れたように手を顔に当てて、「手加減してるの、気づいてない訳ないじゃん」と不満を漏らした。勝手に俺をフェミニストにしてくれるのはありがたいが、本当にそんなつもりは無かった……と思う。多分。
 次は本当に本気でやろうね! と念を押してマールは話を切り上げた。次もあるのか? と口にしようとしたが、その前に、キーノが厳しい面構えでアザーラたちに近寄ってきた為言葉を飲み込んだ。


「……大地の掟、知ってるな」


 ──まただ。どうしてこうも、ここの世界の人間はそれに固執するんだ。
 つまり、キーノはこう言いたいんだろう。『お前たちは負けたから、死ね』と。そこまで侮蔑したような言葉では無いにしろ、内容は同じ。そればっかりは許せない。


「それ従う。今ここで、キーノ、お前ら裁く」


「キーノ、キーノよい」


 堅物な顔で物騒な事を抜かすキーノの肩を叩いて振り向かせる。不快そうに俺を見る目は、邪魔をするなと暗に語っていた。


「あのさ、もういいだろ。人間側が勝ちました。だから、恐竜人は悪さをしません。それを約束してもらえば文句ないじゃんか、な?」


 出来るだけ明るく努めて話す俺を、皆黙って見つめている。エイラも、キーノも、アザーラやニズベール。周りの空気に合わせてか、マールも一言も口にしなかった。


「大体、あれだよ。お前ら怖いよ、裁くとか殺すとか皆殺しとか、もうちょっとフレンドリィな生き方って出来ないのか? 手と手を取って生きていくってな選択が出来ないもんかね?」


 分かってる。この場の雰囲気が少しづつ冷めていくのを肌で感じている。突き刺さるような視線は四対。原始人代表の二人と、恐竜人の親玉と右腕。庇う形になっている恐竜人二人も、俺に敵意を向けていた。


「それに……そうだ、恐竜人たちも悪い奴らばっかりって訳じゃない。二つの種族が手を組めば、生きていくのも楽になるぜ? 技術力だって凄いし……ああ、分からないかな……とにかく! 大地の掟だかなんだか知らんが、そんなもん忘れろって!」


 ……その言葉が引き金となり、キーノは今までの表情を一変させて、楽しげに笑い出した。そう、楽しげに。
 笑い声は続き、幾度か咳込みながらキーノは笑顔で俺の手を取った。


「それいいクロ! 掟、忘れる。皆仲良くなる! 凄い、クロ!」


「……だろ? だから」


 唐突に、キーノが押し出すような蹴りを放ち、俺の腹が爆発したような衝撃を覚える。後方に転ばされ、喉の奥から込み上げるものを吐き出し、床を汚す。胃袋に穴でもできたのか、血が混ざる色合いは見るだけで気分が悪くなった。無様に立ち上がる俺を起こしてくれる人はいない。唯一マールが近づいて治療しようとするが、それをキーノが立ちはだかり止めて、俺に凍るような目を向けた。


「クロ、余所者。それに、友達。もしお前、村の住人なら、殺してる」


「……げほっ……」


「大地の掟、これ、皆背負ってる。へらへらして、それ否定するお前、もう友達でも、仲間でも、ない。消えろ」


「……言ってろ。俺は諦めねえぞ」


 刀を立てて立ち上がり、もう一度キーノに近づく俺を、今度はアザーラが止めた。見た目には険しい顔を見せていたが、目の奥が揺らいでいる。きっと、助けを呼んでいる、他の誰でもない、俺に助けてくれと語っている。


「やめろ、クロノ。分からんのか、これは私たち恐竜人と人間の、共通の誓いなのだ。部外者が口を挟んで良い理由は無い」


 アザーラは心を捨てたような声で、俺を諭すよう語りかける。
 それは、どう解釈したらいいんだ? 関係ないんだから引っ込んでろと言いたいのか? 俺にはそう聞こえない。よく我慢してたけど、お前語尾が震えてたじゃないか。助けて欲しいなら、もっとはっきり言えよ。


「……俺は部外者じゃない」


「部外者じゃ。お前、この前言っておったろう? その時は信じておらなんだが……遠く未来よりやってきたと。今なら信じよう。でなければ、大地の掟を忘れろなどと言えるわけがない」


 今度は言葉が揺れなかった。今すぐ良くやった、と褒めて頭を撫でてやりたいが、それを掟とやらが邪魔をする。そのたかだか七文字のルールがわずらわしくてしょうがない。


「郷に入れば郷に従えと言うだろう? ……今すぐここを離れよ……楽しかったぞ」


 楽しかった、という部分を発音する時だけ、彼女は小さく笑った。なるほど、これが彼女の今生の別れ、そのやり方という訳だ。
 俺は背中を見せてゆっくりと闊歩してこの場を離れる。そしてアザーラは涙を溜めながら心の中でありがとうと呟き、原始の戦いに決着がつく。陳腐なストーリーだ。今に上映した劇場は潰れて閑古鳥が鳴くだろうぜ。
 俯いて寂しそうな笑顔を見せているアザーラを力一杯抱き寄せる。「ううっ!?」と困惑した声が腰の辺りから聞こえるけれど、喋るな動くな! と言ってやりたい。お前が少し動くだけでその振動が腹に響くんだ。辛そうな笑顔見せやがって、それなら思いっきり泣いてくれた方がマシだ。夢に見るだろうが。


「郷に入れば郷に従え? 聞いた事ねえなそんな言葉。この時代特有の方言か? 偉そうなんだよ。従えって、何処の誰に向かって言ってやがる」


 戦闘前に香る緊迫感の匂いが充満していく。キーノは覚悟を決めたか、足を肩幅に広げて戦闘スタイルに移行する。エイラもまた、迷いながら辛そうに拳を握り締めていた。体力共に魔力もガス欠。そんな状態での連戦、大いに結構! 妹が泣いてるのに立ち向かわねえ奴は兄貴じゃねえ!


「よく聞けよお前ら。郷に入ればなぁ、郷が俺に従えってんだ!!!」


「……言いたいこと、それだけかクロォォォ!!!」


 アザーラを背中に回しキーノと対峙する。背中の裾が引っ張られるが、気にしない。背中から声が聞こえるが今は忘れる。感謝の言葉は、泣きながら言うものじゃねえぞ、アザーラ。
 その状況で、ニズベールはやはり武人らしい気性のため、表立って掟とやらに逆らえないのだろう。しかし、確かに「すまぬ……」と涙ながらに俺に声を掛けてくれた。あんたの主人は守りきってみせるから、安心してろ。
 一触即発。どちらかが呼吸をしただけで飛び出すだろう状況で、それを乱すのは……驚くことに、満面の笑みの王女様。
 マールは真っ二つに分かれたキーノたちと俺の間に垂直の氷壁を作り戦いを遮った。


「私もその諺知ってるよ」


 トントンと跳ねながら彼女は楽しそうに俺の隣に立ち、ケアルをかけてくれる。それはつまり──俺の味方、ということか?
 ふにふにと俺の頬をつつきながら、胸を張って口を開く。


「だって、私たちのパーティーのリーダーはクロノだもん。やっぱり従うならクロノに、だよね!」


「……偉そうに。最初は敵に回ったくせによ」


「だって、いきなりだったし。あの状況でクロノ側に寝返るってどうなの?」


「んー、確かに。まあいいか」


 助けて欲しいときに助けてくれるなら、文句を言える立場じゃねえか。


「……二対二、丁度いい、覚悟いいな、クロ、マール!」


「おお、かかってこいや! 貧弱野郎!」


 詠唱と刀を抜く動作を同時に行い、キーノはさせまいと飛び込んでくる。エイラと時間差の攻撃か? エイラの追撃対策はマールを頼るとして、俺はこの石頭を叩き潰す!
 俺の抜き払いと、キーノの飛び蹴り。どちらが先に当たるか? それが全ての要……!!


「クロノーーーーーっ!!!!!!!!!!!」


 戦いの決着は俺の幼馴染の手……いや、声によって想像を遥かに、遥かに凌駕する速さで終結を迎えた。





「ああいたクロノ! 見てよ、五日間寝ずに作業してて、今さっき開発できたのよこれ! ゴムのように体を伸び縮みさせるという名づけて『人体ゴムゴム改造マシン』! これであんたの捕まってる城に乗り込む事が出来るわ!」


 アザーラの私室から飛び出てきたルッカは怪しさマックス限界突破、天空を突き破り尚も上り続けるコウリュウの如しな名称の機械を床に置いた。見た感じ、人の四肢を縛り付けるような形状のそれは、「拷問器具ですよ」と言われれば「やっぱり」と言ってしまいそうなものだった。ルッカはなおも血走った目で訳の分からない会話を続ける。


「最初はあの城にプテランっていう動物を使って乗り込もうとしてたんだけどね! それが頓挫しちゃったからこうしてマグマを越える為の機械を作ってたのよ! 凄いでしょ!? ようやくあんたの所まで行けるわ!」


 見た目以上にテンパっておられるルッカはどう紐解いても理解の出来ない話を熱の入った口調で語っている。語り続けている。スタンピードした機関銃みたいな速さで、押し寄せる波のように。


「じゃあ早速この機械を使うわね! マウスで実験したから人体に影響は無い筈よ! ちょっとカエルは何処なのよ!? ああもうしょうがないからクロノ、そこにいるんならクロノを助ける為にこの機械に乗りなさい! 早くしないとクロノの貞操があのちびっ子に取られてロリペド開花ぁぁぁ!! ってことになるわよクロノ!」


 ……どうしよう、これ。
 何を言ってるのか一ミクロンも分からないが、多分きっともしかしてもしかするに、夢想妄想想像の類で推測すると、彼女は俺を助けようとしているのだろうか? マグマに囲まれたティラン城に向かうためにこの怪しげな機械を作り出したわけだ。 今まさにそのティラン城にいて、助けるべき俺が目の前にいることを理解していないのだろう。頭が極限に回っていないな、今のルッカは。
 そういえば昔、四日徹夜したというルッカに新しい女友達を紹介したときにこんな風になったなあ。あの時は釘打ち機片手に俺を追い回してきたっけ。


「こんなことならやっぱり小さい頃に捕まえて地下室に閉じ込めておくべきだったのよ! そうすればクロノが他の女の子の目に晒されることなく永遠に私という女しか異性を知る事無く着々とそう逆光源氏的な素敵空間が生まれて天道虫のサンバを絢爛な協会で歌われながら赤い絨毯の上を……あれ?」


「気がついたかルッカ。ここはティラン城で、俺はここにいる。その機械は要らない。それから、後でお前の企てている恐ろしい計画の内容を教えてもらうからな」


「え? え? ええ? あれ、何で?」


 機械に寄りかかりながら、ルッカは座り込んでしまう。目の中に星が見える彼女のステータスは『混乱・重度』となっているだろう。末期かもしれない。
 そして俺以上に状況を理解できないのは現代パーティー以外の四人だろう、キーノとエイラは口を半開きにしたままルッカを見ていたし、ニズベールは頭を傾げていた。アザーラは異質な空気を振りまいて早口に捲くし立てているルッカに怯えて俺の背中にしがみついていた。なんだか、ランドセルを背負っている気分だ。


「……ええと、再開していいか? キーノにエイラ」


「……いい、思う」


 いつまでも喋らないキーノを見かねてエイラが答えてくれる。はっきりしない口調なのを責めるのは酷だろう。ここでもう一度さっきまでの雰囲気を持ってこられたらちょっと引くし。俺。
 ノロノロと刀を構える俺と矢を背中から取り出すマール。そこでようやくキーノも覚醒する。こんな事言う立場じゃないけど、ごめんな、本当に。


「そうよそれどころじゃないわ! ちょっと聞いて皆!」


「………………」


 たどたどしくも戦いの場を再構築して「いくぜっ! てめえら!」と檄を飛ばす算段だったのに、ルッカの超弩級のアホがまた空気をゆるーくさせる。大空に舞い上がる程の馬鹿っぷりが苛立たしくてしょうがない。


「急いで逃げないとヤバイのよ! どれくらいヤバイかって言うと……ほら、とんでもなくあれよ! ていうか……あんたら何してんの? 怖い顔して向かい合っちゃって。夕食の献立かなんかで揉めてるの? 私的には宴の時に食べた焼き豚が一押しで……」


「後生だからルッカ、今だけ死んでくれないか? 今皆真剣なんだから」


「いきなり何よ酷いわね! 真剣って、食べ物のことでそんなにムキになることないじゃない」


「何で食事関連だと確定してるんだよ」


「違うの?」


 おお、頭のよろしくない我が妹ですら嫌悪感を乗せた視線を送ってらっしゃる。ぽかんとしてたキーノなんか俺を見ている時以上の敵意をルッカに見せているのに、何故気づかないのだろうか? 五日間徹夜してるからといってこれは酷い。エイラさんは苦笑いへと移行した。マールは悲しげに眉を伏せて同情している。だろうなあ。


「……ぬ?」


 何かに気づいたのか、ニズベールは状況に流されない真面目な声で疑問符を上げる。何か効率の良い黙らせ方を思いついたのか、と俺は期待の篭った視線を向けた。
 ニズベールは険しい顔になって、静かに上に指を向けている……どういうことだ?


「……赤い、星?」


 エイラの声に一番早く反応したのはアザーラだった。電撃を帯びたように俺の背中で震えて、皆と同じように空を見上げる。そこには、星というには大き過ぎる赤く、燃え滾るような巨大な物体が。
 ──大き過ぎるんじゃなく、近過ぎるのか?
 不吉な考えがよぎった時、アザーラが俺の背中を降りて、ぽつぽつと、何かに取り憑かれたように話し始めた。


「始めに、炎を纏う大岩が降り、万物を焼き尽くす」


「アザーラ?」


 その言葉が、悟ったような諦めたような……意思の感じられないものに思えて、不安になった俺は堪らず声を掛けた。けれど、アザーラの独白染みた台詞は途切れることは無い。


「焼き尽くされた大地は次第に凍てつき、動物も、魚も、人も……恐竜人も、全てが凍る……果てなき地獄がやってくる」


 空を見ることを止めたアザーラの目は、俺たちを映しているようで……何も見ていなかった。希望も、絶望も、歓喜も悲しみも。ただあるがままを受け入れるような瞳は何もかもを内包して、膨れ上がった感情を連想させる。
 忌憚のないことを言わせて貰えば、彼女の目は直視しがたいもので、薄気味の悪い、背筋の凍る、まるで死刑を待つ囚人のようなものに見えた。
 声を出さなくては、そう思って息を呑んだ瞬間、アザーラは単調にそれを告げた。


「……我らの時代の幕引き……悪くは無いじゃろう、なあ?」


 一呼吸の間を置いて、彼女は(妹は)笑いながら(泣きながら)聞いてきた(縋ってきた)。


「クロノ?」


 ──止めてくれ。
 何が言いたいのか何を言ってるのか全然分からないけど、止めてくれ。お前言ったじゃないか。ありがとうって、俺がお前を庇った時言ったじゃないか。それって、死にたくないってことだろ? 何諦めた顔してるんだよ。ひっぱたくぞ、それで……その後、思い切り抱きしめてやるんだ。


「ラヴォス……」


「ラヴォスって……え? どういうことルッカ!?」


 エイラの溢したキーワードを拾い、マールは混乱した頭でルッカに説明を求めた。


「……ラヴォスってのは、初耳だし、よく分からない。でも……アレが、落ちてくるのよ。もうすぐ、ここに」


 その場にいる、恐竜人以外の人間が金縛りにあったような顔で、固まる。あまりに信じがたい話だけど、聞いたことがある。つまりあれは星ではなく隕石だということか。
 誰もが知っている歴史。その中でも随一に有名な出来事。太古の昔に栄えていた恐竜たちが何故全滅したのか? それは、宇宙と呼ばれる空よりもずっと高い超超高度にある空間から、高速で落ちてくる大きな、大きな石がこの星に降ってきて、その爆発と、それによる衝撃で舞い上がった粉塵が空を覆い、氷河期と呼ばれる時代に突入したことが原因。寒さに弱い恐竜たちは見る間に息絶えていき、そして……絶滅した。


「ラヴォス、キーノたちの言葉。ラ、火を示す。ヴォス、大きい、いうこと……」


 キーノが呟く台詞に、俺は寒気がした。ラヴォスとは……原始の時代から生まれていたのか?


「エイラ、キーノーーー!!!」
 

 何がなんだか理解できない俺が頭を抱えた時、空から声が聞こえた。見ると、三匹の怪鳥……恐竜人たちの駆るものとは違う、恐らくアレがプテランだろう……に乗った原始の人間。イオカ村の人だろうか。彼は俺たちに早く乗れ! と声を掛けてくる。ラヴォスはもう間も無くこのティラン城に降ってくると形相を変えて急かしている。確かに、早くこの場を離れなければ俺たちは潰れ……いや、消滅してしまうだろう。でも……


「皆、プテラン乗る! 急ぐ!」


 キーノが先導してマールとルッカ、エイラを先に乗せていく。その後俺の手を握り乗り込ませようとするが、その手を振り払ってしまう。ごめん、気持ちは嬉しいけど、その前に乗せなきゃいけない奴がいるんだ。


「アザーラ! ニズベール! 乗れ、早く!」


 項垂れて見送るアザーラとニズベールに怒鳴るように搭乗を勧めると、二人は驚きながら立ち上がった。驚いてる暇があればさっさと走れって!
 ふらふらとプテランに近づこうとするアザーラは、キーノの顔を見て呻くように「うう……」と声を曇らせた。しかし……


「……この決着、不本意。だから、良い。お前ら、乗れ」


 キーノの言葉を聞いて、深く息を吐き、アザーラは「ニズベール!」と嬉しげに誘う。それを見て、複雑そうにエイラが見つめるが、結局は嬉しそうにキーノを見ていた。きっとエイラもそうしたかったんだろう。良かった、これでキーノが反対すると、ぶん殴って黙らせる所だ。結局、キーノもまた幼い(ように見える)アザーラを憎みきれないのだろう。
 問題は山積みだけど、生きてればきっと何かが変わる。恨みや掟を消すことなんて出来ないけど、必ず落とし所は見つかるんだから。
 これからのことなんてまるで考えていないんだろうアザーラは、死ぬという重責から解放されて、この危機的状況にも関わらず嬉しそうに跳ねながらニズベールの腕を取り、引っ張る。その声にはさっきまでの重苦しい雰囲気は感じられない。俺までにやけてしまいそうになるから、もうちょっと落ち着けばいいのにな。
 ……そう、ここまでは、そんな事を考えていられたのに。


「……私は、行けません」


「……ふえ?」


 ニズベールは、自分の腕を握る主の腕を大事そうに掌に包んで、優しく押し返した……何で?


「おい! ニズベール、早く乗れって! 大地の掟のことは分かった、でもそれなら人間の手で裁かれるべきだろ!? ラヴォスなんて関係無い奴に終わらされるのはおかしいじゃないか!」


「そ、そうよね。クロノの言うことが正しいよ、うん! 今は難しいこと考えないで、プテランに乗って!」


「二人の言うこと、正しい! 早く、来る!」


 俺やマール、エイラが説得してもニズベールは頭を縦に振らない。こうなったら力づくでも、と考えた時、俺を止めたのはキーノ。
 ここまできて、ニズベールは駄目だってのか!? ふざけんなとさか頭!
 拳を握り、顔に叩きつけるとキーノはたたらを踏んだが、それでも俺の手を離さずじっと俺を見つめていた。そして開かれる口。そこから出てくるのは『恐竜人だから』とかそんな単純なものよりも、もっと単純で、当たり前の現実。


「……プテランに、ニズベール、乗れない……」


「……は?」


「……そういうことだ、友よ。俺の体重は貴様ら全員を足して、なおも上。プテランに乗って飛ぶことなど出来ぬ」


 ……え? ちょっと待てよ、言ってること分からねえ。何言ってるのか全然理解できねえ。
 きっと当たり前のことを、誰でも分かるようなことを言ってるんだとは理解できる。でも、今の俺にはどうしてもニズベールやキーノの言うことを理解できない。乗ることが出来ない? 何で? だって、乗れなかったら、ニズベールは……


「それにな……いくらかは怪鳥に乗っているとはいえ、大半の恐竜人たちはこのティラン城に残っているのだ。俺は奴らを見殺しには出来ぬ」


「そ、それは……」


「良いから、早く行け! アザーラ様を頼んだぞ、クロノ」


 俺が何か言う前にニズベールは遮って、放心気味のアザーラを押し付ける。その腕は僅かに震えていて……俺に全てを託す為の力強さもあって。
 分かる。ニズベールは死ぬことが怖くて震えてるんじゃない。己が主人を誰かに託さねばならないことに悲しんでいるのだ。一生全てを使って守り抜くと誓った主人を他人に渡さねばならぬということは、どれほどの苦痛なのか、俺にはきっと分からない。武人の境地を垣間見ることすら、俺には出来るはずもない。
 中々言葉を作れずにいると、腕の中にいるアザーラが場違いに明るい声を出した。その内容も比例して、場違いなもの。


「いかんぞ、ニズベール。よく思い出せば、私はまだお前に林檎パイを作ってもらっておらん!」


「は? あ、アザーラ様?」


「いかん、いかん。今すぐ作れ! 仕方ないから、今日は私も手伝ってやろう!」


 それはまるで出来の悪い、ままごと染みた劇。文脈の繋がりも、演技力もなってない。頭に浮かんだ台詞を感情をバラバラに込めて適当に放り出しただけの芝居みたいで、ニズベールは勿論、マールもルッカも、エイラもキーノも何事かと目を丸くしていた。
 ──俺を、除いて。
 分かってしまったから。アザーラが、彼女が今から何をしようとして、どうやってこれを締めくくろうとしているのかが、分かってしまったから。
 彼女は選んだのだろう、光栄にも、恐竜人のリーダーアザーラではなく、俺と生活した、その中で見せてくれたアザーラとしての終わり方を選んでくれたのだ。それは……あまりにも、身に余る事で。だから、俺が悲しむのはお門違い……なんだよな?


「ふむ、今日は趣向を凝らして、他の奴らも呼んでやろう。皆でパイを頬張るのだ! きっと天にも昇る味となるだろう!」


「…………そう、ですね。アザーラ様。きっと、美味しゅうございますよ」


「ふふん、そうだろう! しかしクロノ! お前は駄目じゃ!」


 ……それでいいんだな、アザーラ? それで後悔しないんだな? なら……俺も乗ってやるよ、その三文以下の芝居に。
 鼻が鳴らないように、喉が震えないように、涙がこぼれないように……これから先、絶対に後悔しないように、精一杯明るい自分を作って問い返す。


「ええ? 何でだよ! 俺だってニズベールのパイ食べたいんだぜ!?」


「駄目じゃ駄目じゃー! お前、この前私のパイまで食べたじゃろう? じゃから、今度はお前の分は無しじゃー! もうお前みたいな食いしん坊で、嫌味で、ずるくて、意地悪な奴は、何処へなりとも行ってしまえ!」


「はあ!? 上等だよ! 二度と帰らないからな! ていうかお前だって食いしん坊じゃん! 昨日も俺の魚の丸焼き取ったしさ! もうお前みたいな我侭で、馬鹿で、甘えんぼで──」


 抑えろ、抑えろよ俺。情けねえな、妹がこうまで頑張ってるんだぜ? 根性無しにも程があるだろ。
 言い聞かせても、感情のダムから、ずぶずぶと水が漏れ始めていくのが止まらない。
 鼻は鳴るし、喉も震えるし、涙は現実的じゃないくらい溢れ出す。後悔しない? ……そんなの、無理に決まってるじゃないか。


「──可愛くて、笑顔を見れば元気になって! 一緒にいるだけで心が温かくて、幸せになれて! 自慢げに話すのに少し突っつくと泣きそうになって喚きだして、危ないことしてたら注意して、その後抱きしめたくなって、小さいくせに心は誰よりも大きくて、部下に尊敬されて無いくせに、世界で一番大切にされてて、俺もそう思えるようになって!!!」


「クロノ……お主……」


 アザーラがどんどん泣き顔になっていくけど、もう止まらない。止まるわけないんだ、ブレーキなんか、お前を一緒に暮らすようになってからとっくにぶっ壊れてるんだから。


「今もこうして馬鹿な芝居に乗ってるけど! 最後にはお前を置いて俺はここを離れるって筋書きなんだろうけど! そんなの全然認めないし、無理やりにでも連れて行きたくて……恨まれてもお前には生きていて欲しくて……それこそ世界で一番幸せになってほしいから!」


「わ、私だって、クロノと一緒なら楽しかった! メンコって遊びは知らなかったけど、とっても楽しかった! ええと、ご飯を食べる時、私の苦手なものも食べてくれたし、夜に寝れない時傍にいてくれて嬉しかったぞ! 鬼ごっこも朝から昼ごはんまでずーっとやったし、それに頭もよく撫でてくれた! 抱きついた時、嫌そうな顔してたけど、絶対離したりしなかったよな!? ほんとにほんとに、い、はあ、はあ……いっぱい、楽しかった! 本当に、お兄ちゃんみたいに思ってた!」


 二人とも、馬鹿みたいに泣きながら、馬鹿みたいに大きな声でわんわん本心をぶつけ合う。でも、言葉だけじゃ足りないんだ。
 川に魚を釣りに出かけたとき、竿に付ける餌が気持ち悪いって、毎回俺に付けさせたよな? 自分でも出来るようになれって言うのに、絶対笑いながら俺の所へ駆けてくるんだ。山にピクニックしに行った時も、「これは私が作ったのじゃ!」ってやたらと塩辛いおむすびを差し出してくるんだ。最初ははっきりと不味いって言おうと思ったんだ。でも、目をキラキラさせて期待してるから、何でか笑って「美味いよ、凄いなアザーラ」なんて言っちまう。どうしてかな、俺、今までこういう事で嘘ついたこと無かったんだけどな。
 それから……そうだ、ニズベールとアザーラと俺で一緒に海へ泳ぎに行ったっけな。水着なんてものはこの世界に無いから、下着だけで海に入ろうとするアザーラに驚いたっけ。海に入ったら入ったですぐに「足が吊ったー! 痛いよー!」と助けを求めるから、俺とニズベールはすっげえ焦ったんだぞ? そしたらお前、浅瀬で叫んでるだけだから、思わず脱力したなあ。足着くぞ? って指摘すれば赤くなって歩いてきたんだ。可愛かったなあ、あれは。その日の夜はニズベールとその話で盛り上がったぜ。
 ──これで、終わりなのか? 本当に?


「はあ、はあ。はあ……」


「はあはあ、ずずっ、はあ……」


「おいおい、鼻すするなよ、き、汚いなあ」


「う、うるさいわい! ちょ、ちょっと風邪気味なんじゃ!」


「ははは……そか。体に気をつけろよ」


「……うん。ありがとう」


 急に素直になるのは反則だな。と小さく言って、俺は黙ってこちらを見ているキーノに声を掛けてプテランに近づく。
 ……結局、俺は何にも出来なかったんだ、と強く言い聞かせて。
 何の意味があった? 大地の掟がどうとか言って、キーノたちと対立して、アザーラがでこぼこだけど作り上げた覚悟をへし折って、啖呵切ったあげくが……これだ。だったら、最初から引っ込んでれば良かった。半端にアザーラに希望見せて……ただの自己満足じゃないか。アザーラたちを守ろうとしたっていう免罪符が欲しかっただけだろ!
 いつまでたっても。
 俺は馬鹿で、考え無しで……救いようの無い屑野郎だ。


「……ん?」


 プテランに乗ろうと足を掛けた時、アザーラにズボンが引っ張られて、俺は振り返った。
 まだ、アザーラと話せるのは勿論嬉しい。けれど、これ以上別れが辛くなるのがごめんだった俺は、少し、気落ちしてしまう。


「今度会う時は、もっと遊ぼうな!」


「……ああ」


 ほら、別れが辛くなるだけの、悲しい虚勢。
 アザーラには悪いが、振り向かなければ良かったと思い、今度こそプテランに乗り込む。
 曇天とした気分のまま、プテランを操るエイラが鞭を叩き飛び上がる。
 ──寸前、のこと。


「……ああ。そうか」


 微かにしか聞こえなかったけど。聞き逃しそうになるような声量だったけど。しっかりと俺の耳に届いた。聞こえた、確かに聞こえた。
 アザーラが……俺が離れる寸前に教えてくれた言葉が。これだけ心が離れても、きっちり楔を打ち込んでくれた。これでもう、忘れない。例え、悲しい記憶でも、辛い別れでも……俺はアザーラたちを忘れない。最愛の妹を、忘れたりしない。


────これからもクロノといる毎日を、私は夢見てたぞ。


 下手すれば、後悔の念にも取れるその言葉は……一切の負を感じない清涼な響きで伝えられた。上手く言葉に出来ないけど……彼女は心の底からそう思ってくれたんだろう。
 ……意味は、あった。俺が彼女を守ろうとしたことは、絶対に無意味じゃなかったんだ。そこに結果はなくても、そこにハッピーエンドが続いていないとしても、俺はその言葉を貰うことができた。世界中のどんな宝石や景色よりも美しくて、富とか力とか権力よりも価値がある言葉を貰えた。
 あったんだ。例え万人が無駄だと批判しても、神様なんてものがあって、それは勘違いだと断定しても、意味はあった。彼女は笑ってくれた。今この瞬間にも彼女が泣いているとして、彼女は笑ってくれたんだ。
 俺は、間違ってなんか、無い。無かったんだ。
 ──そう思うより、ないじゃないか。


「クロ……」


 前に座りプテランを御しているエイラが、心配そうに俺を振り返る。悲しそうな顔は俺を気遣ってくれているのか。
 だから俺は、大丈夫だ、という意味も込めて、一つ自慢してやろうと思う。エイラにするのはおかしいのかもしれないけど、どうしても言っておきたいんだ。


「エイラ。俺の妹は可愛いだろ?」


 とびっきりの笑顔で、当たり前のことを聞く。彼女はちょっとだけ驚いて、少しだけ悲しそうな顔になって、最後に微笑んだ。


「……うん。可愛い」


 その時のエイラの顔は儚くて、美しかったけれど。
 やっぱり俺は妹馬鹿だから、アザーラの方が可愛いな、なんて思ってしまうんだ。
 きっと、これからもずっと。



















 クロノたちが飛び去って、その姿が小さな点になった時。俺の頭上に迫る赤き星はすぐそこまで迫っていた。落下は時間にして五分と無いだろう。クロノとの最後の別れの際は笑顔であった我が主は、今は不安そうに俺の腕の中で震えている。
 それでも、泣き言は漏らさない。ずっと、赤き星の啼く音が聞こえているのに、主は強がって「次の次にパイを食べる時は、クロノも呼んでやろうな!」と笑っている。笑っていると、思っておられる。
 次々に、怪鳥に乗っていた恐竜人たちもティラン城に降りてきた。予想はしていたものの……感動と感謝を禁じえない。奴らは、いや、我々は己が主と共に死にたいのだ。主無くして生きてどうするのか、不器用と言われても我々恐竜人には分からない。分かりたくも無いが。


「……ニズベール?」


「はい、何ですかアザーラ様」


「私な……」


 そこで口ごもってしまうアザーラ様の顔を見ようと、腕の力を緩めて……後悔した。主は、顔をくしゃくしゃにして泣いていたのだ。俺に気づかれぬよう、声を殺して、何でもないと思わせるような言葉を選び、耐えていたのに、俺が見てしまった。主の極限の努力を、俺が台無しにしてしまった。
 アザーラ様はすぐに俺の胸に顔を埋めて、なかったことにしようと努める。俺もまた、もう二度と努力を無駄にさせぬよう、強くその小さな体を抱きしめた。


「ニズベール、私、私……」


「はい、アザーラ様」


「──やっぱり、死にたくない」


「……そうですね」


「まだ嫌だ。折角お兄ちゃんが出来たのだ。ニズベールと三人で……いや、恐竜人皆も合わせていっぱい遊びたいのだ」


「きっと、クロノも大はしゃぎとなりましょう」


「クロノの話をまだ全部聞いてないのだ。それに、私も話してない。もっと……私の事を知って欲しい。もっともっと好きになってほしい」


「たくさんアザーラ様の話を聞けばクロノの奴、アザーラ様から離れられませんな」


「それから、それから……」


「アザーラ様、続きはまたにしましょう。今日は些か遊びすぎましたな。もうお休みの時間です」


 これ以上続ければ、アザーラ様が壊れてしまう。最後まで、他の恐竜人たちには聞かせまいとしている悲鳴を、泣き言を叫んでしまう。何より……この俺自身も、耐えられぬ。
 どうか、どうかこの人だけは。
 億とも兆とも京とも知れぬ可能性で良いのだ。神よ、おられるかどうかも分からぬ神よ。そなたが人間を守るのか我らを守るのか全ての生命を愛するのかはたまた嫌うのか分からぬが、神よ。
 助けて欲しい。彼女だけは、この小さくも気丈に我らを導き、今まで碌に友達なぞ作れなかった、最近になってやっと兄と呼べるほどの誰かを愛せたこの小さな主を助けてくれ。願いが適うなら俺の命などいらぬ。地獄の底で永久に苦痛の極致を味わおうと一向に構わぬ。むしろ諸手を挙げて歓迎しよう。
 だから、どうか。
 俺の命を捧げる代わりに小さな命を守ってくれ。
 そのような矮小な願いも叶えず、何が神か!? 全能を司るなら、俺の一生で一度の願いを聞き届けてくれ!



















 かくて、恐竜人という名前は、歴史の中から消えることとなった。
 彼の小さな願いを、神という偶像は叶えることはなかったのだ。
 一つの種が滅び、一つの種は生き残る。
 過去という膨大な流れの中では、それすら些細な出来事。
 原始における戦いは、幕を閉じた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:05
 朝目覚めても眠気は取れないし、太陽をぶっ壊したくなる破壊衝動や手首の中で脈々と流れる血液を内包する動脈を噛み切ったりする自傷衝動は生まれない。(安っぽい本とか演劇とかであるだろ? そんな場面。愛を謳ってるヤツなんかには特に顕著だね)
 何をするにも無気力で、小さな子供を見るたびに涙を堪えられない……なんてことは無い。度々ルッカやマール、エイラが心配して俺の所に来るけれど(驚くことにキーノまで)、むしろそんな風に気を回してもらう方が面倒臭い。
 イオカ村の広場で寝転びながら、そんなことを思った。
 キーノたちから一部始終を聞いた村人たちは恐竜人を倒したというのに、宴や勝利の歓声を上げるといった行動は起こさなかった。皆俺に気を遣っているのだろう。(重複するがむしろありがた迷惑である)一々俺に見舞いの品のように果物や焼き魚を置いていくのは逆効果じゃないか?
 それとも、内心ではライバルである恐竜人たちが滅んだことに何かしら思うところでもあるのか? そんな馬鹿な、家族が殺された人間もいるだろう、そんな奴らが死に絶えたとて誰が悲しむものか。往往にして、敵対者の消滅を歓迎しない者はいない。
 確かに、「恐竜人なんて人間にとってのダニが消えて良かった! 万歳!」なんて言われたらむかつくけども、それを押し隠されているのはそれはそれでむず痒い。元来、俺は気を遣われるのが苦手なのだ。善意であれ悪意であれ。
 ……あれで良かったんだから。俺とあいつらの別れは、あれが最上とは言わないが、納得のいくものだった。遺恨が無いとは言わないけど。
 大体、恨む相手がいないのに、悲劇を思い返しても仕方の無いことだろう? アザーラたちを殺したのは誰か? ある意味では原始人と言える。でも、恐竜人だって人間を殺してきた。じゃあラヴォスが殺したのか? 直接的にはそうと思える。でもわざわざラヴォスが恐竜人たちの城に落ちてきたとは思えない。そこまで曲解して、何でもかんでもラヴォスのせいにするのはいかがなものか?


「──奇跡だったんだ」


 そう、奇跡だった。夢想することすら難しい太古の昔に生きていたアザーラやニズベールたちと出会い、尚且つ友愛の情を育めるなんて、夢みたいなもんだったんだ。それが叶った、それでいいじゃないか。それ以上は……例えば、恐竜人皆とイオカ村の人々が一緒に暮らして酒を飲み、踊り、笑いあうなんてのは望み過ぎだろう。出来過ぎな妄想だ。
 心晴れやかなんて口が裂けても言えないけれど、正直そこまで気落ちしてない自分に驚いている。ヤクラの時よりも落ち込んでないなんて……信じられない。言っちゃあ悪いけど、ヤクラよりもアザーラやニズベールの方が仲が良かったし、友人以上と胸を張って言える関係だったのに。
 俺はそんなに情の薄い人間だったのだろうか? 自己嫌悪に走ってみようと思って自分の悪い所を頭の中で列挙するも、すぐに飽きる。下らねえし時間の無駄だ。時間を持て余してる俺が言うのもなんだけど。
 もう少し建設的な考えを浮かべてみようなんて思い、辿り着いたのが、自分が忍者だったら家の屋根を飛んで次の屋根に~という至極しょうもないことを想像するという手のつけようが無いものだった。手裏剣の投げるタイミングなんかどうでもいいと分かってるくせに変に凝ってしまう自分が嫌に愛らしい。
 誰か適当な人間と話して暇を潰そうか、と村の人間をターゲットに歩き出す。
 こうして村の中を歩いてみると、服装の違いからイオカ村の人間とラルバの村の人間が入り混じっていることに今更気づいた。半分以上壊滅したラルバ村の援助をエイラ含め村の過半数の人間が提案し、食料を分け与えているそうな。そのままラルバ村の何人かはイオカ村へ移住したらしい。もう完全に一つの村として良いんじゃないかと思うのだが、そこはそれ、互いの村の上下関係なんかで揉めだして結局それぞれの村を残しつつ対等な関係を維持しようと決まった。
 イオカ村の人間からすれば、戦いもせず逃げ回って、食料やら人手やら分けているのに対等なのか、と不満を漏らす者もいたようだが驚いたことに僅か少数だったという。現代ではありえない帰結だな、と感動すべきか能天気な、と悪態をつけばいいのか。
 中には上下関係は勿論、ラルバの気質とイオカの気質、それぞれの違いを越えて友好関係など保てないと主張する人間もいたが……まあ、分からないではないさ。生活だって同じ時代でも群集が違えば大きく変わるだろうし(漁を主とするか狩りを主とするかといったような)。まあ、もう俺には関係ないけどさ。
 話しかけられそうな、また話が通じそうな人間を見つけられずぶらぶら歩き続けていると、村のテントからマールが姿を見せた。見た目以上に体が壊れていたキーノの治療を数日に渡って続けていたマールは疲労した顔をしていたが、仕事をやり終えた達成感も滲み出ていた。多分、ようやくキーノの治療を終えたのだろう。大きく伸びをした後、俺を見つけて近づいてくる。どこか窺うような雰囲気を見せている彼女にいい加減呆れるような顔をしてしまう。


「クロノ……あのさ……ええと……元気? ……な訳ないよね、ごめん……」


「あのさ、マール。何度も言ってるだろ? もう大丈夫だって。そっちこそ大丈夫なのか? 不眠不休に近いくらい回復呪文を唱えてたんだろ?」


「うん……いや、魔力が切れたら休んでたから、不眠不休じゃないけど」


「同じようなことだろ。魔力が回復したらまたキーノの治療をしてたんだから」


 目を伏せて「そうだね……」と力無く答えて、妙な沈黙が生まれる。身の置き場所に困るような時間は淡々と過ぎていき、俺は「それじゃ、ちょっと用事があるから」と明らかな嘘をついてしまう。今の今まで時間を潰していた俺に何の用事があるのか。
 立ち去ろうとした俺にマールはぽつりと呟く。俺にとっては、まるで意味の分からないことを。


「大丈夫なら……何で笑わないの? クロノ……」


 俺は心から笑ってるさ。だよな? アザーラ。






 ティラン城脱出から三日、俺たちは今になってようやくラヴォスの落ちた、ティラン城跡を訪れることになった。今まで来ることができなかった理由は前述したようにキーノの治療をしていた為と、脱出の際急がせた為に体力の消耗が激しかったプテランを休ませる為である。
 ティラン城跡は、跡と名づけているもののティラン城の名残や面影は一切無い焼け跡だけだった。あるのは赤茶けた石と、鉄が溶けて固まった、遠目からなら水溜りに見間違えそうな物体。恐竜人なんかいるわけも無く、荒寥たる景色が広がっている。地に足を着けると、石だと思っていたものは炭の塊であり、踏むと砕けてさらさらと流れていった。この世の終わりがあるとして、それはきっとこのような場所なんだろうと意味も無く憶測した。


「寂しい所ね……」


 辺りを見回して、ルッカは風に舞い上がる灰を嫌がるように口元で手を振る。


「……だな。隕石というものを俺は知らんが、その威力たるや想像を絶するもののようだ」


「そりゃあな。星の環境を一変させるんだから」


 カエルの言葉に同意して、中世には知られていなかった知識を教える。環境を変える、という言葉にはピンとこなかったようだが。
 ちなみに、今の会話で分かるだろうがこれが今現在の俺たちのパーティーである。マールはキーノに回復呪文を掛け続けたことで過労一歩手前となり、時の最果てにて、修復の完了したロボに看病されている。看病ならカエルやルッカでも良いのだろうが、カエルの看病は余りに信用が出来ないし、ルッカは回復魔法を使えないという理由で消去法的にカエルが冒険に出る事となった。
 そう、パーティーと言えば、俺たちの仲間にエイラが加わることとなった。恐竜人という敵が消えた今、彼女は俺たちの旅に同行させて欲しいと願い出たのだ。その決意にはキーノの後押しがあったと聞いている。本来はキーノ自身が俺たちについていきたかったと溢していたが、彼の体の損傷具合は並ではなく、治療を終えた今でも慢性的に痛みが走るそうな。その為、エイラ自身の希望も相まって、俺たちに心強すぎる仲間が増えたのだ。
 ……しかし、キーノの傷の痛みがもう少し治まるまで、彼の看病をしたいというエイラの希望があり、彼女が正式に俺たちの旅に同行するのはもう少し先になりそうだ。いくらなんでも好きな相手を放っておいて今すぐついてこい! とは言えないし、それでこそエイラなので仕方ないだろう。
 蛇足となるが……俺がまだ時の最果てに行かないのは、俺自身の希望である。仲間の皆は初めて俺を冒険のメンバーから外そうとしたのだが、今は大人しくする気分じゃない。再三言うが、気を遣うなと何度言えば分かるのか。
 むしゃくしゃした気持ちが胸の中を牛耳り始めるが、それを言葉にする前にルッカが「あっ!」と声を上げて走り出した。俺とカエルもそれに追従する。ルッカが立ち止まり指を向けている方に目をやると、そこには時代を越える為の門、ゲートがぽつんと置かれていた。


「何で、こんな所にゲートが……そうか。ラヴォスの巨大な力が時空間を歪めてゲートを生むのかしら……強引だけど、理屈は通る、でもそんな規模の大きい歪みを? いやでも……」


「どうでもいいだろ。とにかく中に入ろうぜ」


 結局そういう結論になるんだから、と付け加えて俺は乱暴にルッカからゲートホルダーを奪いゲートの中に入る。「ご、ごめん」と怯えたように俺に謝罪するルッカの姿すら癇に障る。いつもなら俺をぶっ飛ばして「何調子こいてんの!?」と怒鳴る所だろうが。カエルに至っては何も言わない。別に、「女子に乱暴するな」と説教するくらいなら黙ってた方が良いけど。
 ゲートの中、もう見慣れた景色。幾筋の線が流れていくのを見つつこれら全てが時間を表しているのだろうか? なんてぼんやり思った。


(ここで、決着がつくのか? それとも……)


 有意義でない先の顛末を予想しながら、俺は流れに身を任せてここではない何処かの時代へと飛ばされていく。
 視界が開けるこの体験も慣れてしまった。今まで見たことの無い景色をコマ送りのように視界に入り込まされるのは驚くことでは無くなったのだ。無感動に立ち上がり、動いた瞬間その気温の違いには少し驚いた。
 今の今まで、流れる汗が蒸発しそうな暑さだったのに、ゲートの先は息も凍るような寒さ。空気を吸い込むだけで肺が悲鳴を上げて、鳥肌が満遍なく体表面を支配する。歯は不快に鳴り始め、剥きだしの手は思うように動かなくなった。
 ゲートの近くを見回すと、どうやら今自分のいる場所は仄暗い洞窟の中と思えた。それは正しいのだろう。山、というよりは大きな丘を堀って作られたそれは、内壁は凍りつき床は下手な氷の上を歩くよりも滑りそうだった。天井から氷柱の並ぶ光景は場合が場合なら美しい光景に思えたかもしれない。地面に生える雑草は長年凍っていたのか、足が当たるとあっさり砕けてその命を散らす。ティラン城跡を世界の終わりのようだと例えたが、ここもまたまともに人間が生きていけるとは思えない死の世界。皮肉にしか思えないこの状況に俺は口端を上げて嘲る。対象は、こんなつまらねえことをしている運命や神とかいうものかな。


「寒いな。カエルの姿なら冬眠していたかもしれん」


 自傷的な、それでいて納得のできる独語を漏らしカエルは洞窟の入り口まで歩いて行き、外の様子を見て俺たちに手を振った。


「酷い吹雪だ。俺のいた時代ではこんな天候は今まで無かったが……どうする? この中を突っ切るか?」


「嘘でしょ? 気が触れてる奴しかそんな事出来ないわよ」


 掌を擦り合わせて熱を作ろうとするルッカの肩を叩き、歩きながらこれからの方針を下す。


「行くぞ。このままここにいたって吹雪が止むとは限らねえし、吹雪の中でもルッカの火炎魔法があれば凍えることは無いだろ?」


「え? で、でもそれなら一度現代に帰って防寒装備を買ったほうが……」


 先延ばしにしか思えないルッカの反対に歯噛みして、俺は怒りを隠さず棘を刺すような声を出した。


「あのな、何着たって寒いもんは寒いんだよ。何で楽しようとしてるんだ? お前の魔法があれば凍え死ぬ心配は無いんだし、そんな理由で旅を遅らせるなよ。やる気が無いならならついてくるな、うざったい」


 俺の発言に信じられないといった顔で「ク、クロノ?」と縋るような声を出すルッカ。そう、縋るようなってのがポイントだな、毎度毎度呆れてくるを超えて飽きてくる。
 それ以上は何も言わず、俺は雪の降りしきる外に出て行った。遅れて肩を落としたルッカと気にするな、なんて声を掛けているカエルが出てきた。だからモタモタするなって言ってるだろ! と殴りかかりそうになる体を自制して、膝まで埋まるほど積もった雪の中を進む。
 視界は暗く、雪以外には何も見えない。そもそも、今の俺は何メートル先を見れているのかすら分からない。カエルから借りた松明に火をつけるものの、風に掻き消され何の意味も無い。目に入る雪が邪魔でしょうがないが、防眼用の道具なんてもってないし、つけたらつけたでより視界が悪くなりそうだ。
 しばらく会話もせず黙々と歩いているが、村や建物なんてどこにもなく、延々当ての無い道を歩き続けるだけだった。横殴りに飛んでくる降雪に段々と体温を奪われるが、後ろでルッカの作り出す火炎が調節の役目を果たしてくれる。問題は寒さ……も勿論あるがそれは一番の難点ではない。積もった雪を掻き分け歩く為、普通に歩く何倍も体力を削り取られていった。そこには体温の低下という問題も多分に含まれるだろうが……
 一番前を歩く俺の体力は急激に低下していくが、まだ、もたないことも無い。勢い良く体を前に持っていき雪を散らす。
 今や、下半身は勿論、上半身もずぶ濡れになっていた。かろうじて凍っていないのはルッカの魔法のお陰だろう。人間大の火球を維持して彼女は歩き続けている。


「………!!」


「?」


 歩調を変えず(歩いていると言えるのか、微妙なところではあるが)進んでいると後ろから声らしきものが耳に届き、振り返った。どうやらカエルが何か叫んでいるようだが、雪と風のせいで内容は全く聞こえない。疑問符を出して、その場に立ち止まった。
 そのまま待っているとカエルが俺の耳に顔を近づけて「ルッカの消耗が激しい、近くにまた洞穴のようなものがあれば入ろう」と言ってくる。見ると、確かにルッカは息を上げて顔を下に向けてた。火球の大きさも、少しづつ萎んでいき、消えてしまうのは時間の問題かもしれない。しかし……


「はあ? まだ二十分も歩いてないだろ」


「この寒さの中延々魔法を使ってるんだ。魔力も体力も限界なんだろう……休ませないとルッカも寝込むことになるぞ」


「……マールは三日間で、ルッカは二十分かよ。まあ、良いけどさ」


 少し失望の色が入った言葉にルッカが顔を上げて「ま、まだ大丈夫だから! 気にしないでクロノ、カエル!」と気丈に振舞うが、顔色も悪く、勢いの増えない炎を見ると信じる気にはなれなかった。


「変に無理されて倒れられたらかえって迷惑だ。休める所を探すさ、それでいいんだろ」


 突き放した物言いで返して、もう一度歩き始める。といっても、見つかる保障なんてどこにもないけれど。
 ルッカは鬱々とした表情でついてきた。気にするな、と言ってやれば心が晴れるのかもしれないが、落ち込ませた本人である俺が言うのはおかしいし、言ってやるつもりも毛頭ない。豪雪のせいで苛々してるんだ、他人のことに構ってられるか。
 また静かな行進が始まり、先ほどより寒さが激しく感じる。ルッカの魔力がいよいよ底を尽きそうなのか? 何度も舌打ちを繰り返しながらも頑愚に雪を避けられる場所を探す。考え無しにゲートに飛び込んだが……もしかしたらここには何も無いんじゃないか、と不安になってきた。


(もし、ここに何も無かったら旅は終わりなのか?)


 よくよく考えれば、俺たちの今の目的がはっきりしない。魔王を倒すという明確な方針が定まっていた時は分かりやすかったが、今の俺たちの敵は何だ? ラヴォスは魔王に召喚されたと思っていたが……ラヴォスは遥か昔に生息してこの星で生きていたのだ。所在も杳として知れない、ここにいなければ全てがご破算、振り出しに戻る訳だ。
 それだけに、探索は続けたい。一欠けらでも前に進める手段が無ければ、手がかりが無ければ立ち止まらざるを得ないから。今俺が怖いのはそれだけだ、進み続けてないと自分でも良く分からない部分が壊れてしまいそうで……


「……ああ、くそ。どうでもいいだろそんな事……!」


 語尻が強くなり、ルッカから小さくごめん……と聞こえる。別にお前を怒ったわけじゃない。でもそれを一々教えるのも面倒で、俺は雪の積もった頭を払うことしかしなかった。
 本格的に炎も小さくなり、ぼっ、と一瞬だけ強く燃え上がると陽炎のように姿を消した。これがお前たちの末路だ、と言われたようでどことなく不穏なイメージを抱かせた。
 いよいよとなると、一々時間が掛かる為非効率ではあるが時の最果てとメンバーを交換させながら進むか? と考えながら歩いていると、カエルに肩を数度叩かれて振り返る。


「クロノ、あそこで一度暖を取ろう」


 カエルが指差す方向には何も見えないが、カエルがそういうのなら、とそちらに向きを変えて進む。果たして、カエルの見間違いなのかと疑いだした時に山が見え始め、近づいてみると麓にぽっかりと刳り貫かれたように丸い洞窟が口を開けていた。どう見ても人工的に掘られた様は人がいる、もしくは人がいたという確信になる。年代の分からない場所だが、少なくとも古代よりもずっと昔ということはあるまい。あれより前の時代には洞窟を能動的に動いて作るという生物はいないだろう。それこそ確定的なことでもないのだけれど。
 仮の目的地が見えて俺たちの進む速さが上がり、洞窟内に入る。比較的早く休息地を見つけたことに安堵しながら、俺は奥に進んで風の当たらない場所に腰を下ろす。ゲートから出てきた時の洞窟と違い、風の入りにくい構造となっているのだろうか? 寒いのは寒いが、雪風の強い外と中では十度弱は気温が違うように感じる。俺の座る地面も多分に湿っているが、凍ってはいない。火でもあれば体を休めるには充分だった。
 たき火の準備はカエルが行ってくれた。身体能力が激減していても、旅の知識は消えたわけではないらしい。手早く懐から乾いた藁らしきものを取り出して床に置き、その上にメモのような紙束を五枚ほど破りとって散らした。次に火打石を叩き擦り火花を散らして火をつける。戦士に続き冒険者としても有能なんだな、とぼんやり思った。
 火に近づいて手を当ててい、顔を赤く照らされているルッカはまだ沈んだ表情をしている。そんな彼女を見てカエルが腰にぶら下げた皮袋から干し肉を取り出し手渡した時だけ、「ありがとう」と力なく微笑んだのが久しぶりに感情のある顔だった。


「ルッカの魔力が回復すればまた出発しようぜ。それまで体力回復だ」


 刀を床に置き壁に背中を預けて目を瞑る。仮眠を取るわけじゃない(寝れるものか)、雪が入り目が痛むので閉じるだけだ。
 俺の言葉を最後にまた会話が途切れる。別に喋らなくてはいけないというものではないが、時の進むのが遅く感じて鈍い心持ちになってしまう。まだ碌に活動していないのにこれではどうしようもないな……


「……クロノ?」


 おずおずと申し訳なさそうに切り出したのはルッカ。自信の無い声と、ちらちらと盗み見るように俺を見てはたき火に視線を戻すという行動は彼女には不似合いな言動だった。


「……なんだよ?」


「うん……あのね、あんたが……その、恐竜人のことを気にしてるのは分かるけど……」


 そこまで聞いて壁を殴り黙らせた。もう限界だ、彼女を殴らずに壁を殴ったことに、よく我慢が出来たと驚いている。パラパラと天井から土が落ちてきて、服の上に落ちたそれを払い、口を開くと、自分でも気味が悪いくらい低い声が喉を通っていった。


「気にしてないって、何度も言ったよな? 違うか?」


「いや、それは……」


「それは? ……ああ、仮に気にしてるとして、それがお前に分かったとして何なんだ? どんな事を言いたいんだ?」


「…………」


 ヒビが入ったガラスのような空気が形作られていき、ルッカは押し黙ってしまう。煮え切らない態度がどんどんいらつくって、何で分からないんだろうな、こいつは。
 涙が溜まり、いよいよ頬を伝う、という顔になっていき、それを見てルッカの襟首を掴んで無理やり立ち上がらせた。涙のしずくが飛び散って顔に掛かるが、気にするもんか。ずっと前から言おうと思ってたんだ。


「何かあったら泣いて、困ったら泣いて、辛かったら泣く。うんざりなんだよ、泣けばなんとでもなると思ってんの? お前のそういう所、心の底から大っ嫌いなんだよな。言いたい事があるならはっきり言えよ!!」


「…………」


 硬く目を閉じて震えながら糾弾に耐えているルッカ。
 その姿は、何処かで確かに見たはずなのに、思い出せない。代わりに誰かが優しく無邪気に笑う姿が、アザーラたちの顔が浮かんでしまい、消えていく。


「何? いざ自分が責められたらだんまりなんだ? お前の得意技だよな、久しぶりに見たけど、いつもに増してウザイよ。何も言わないなら、話しかけるんじゃねえ!」


「……っ!」


 腕を振り払いルッカは何も言わず洞窟の奥に駆けて行った。俺に言い返すでもなく、否定するでもなく、逃げるという手を選んだ。
 ……逃げるしか、無かったんじゃないか?
 頭の中の想像を追い払う為に額を壁に叩きつけて自分を落ち着かせた。迷うな、俺が間違ってたわけじゃない。相変わらずなルッカの態度を叱っただけだ、俺は悪くない。


「……随分な口を利くな、クロノ」


 物言わず成り行きを見ていたカエルが干し肉を齧りながら責める空気の無い、のんびりした調子で話しかけてきた。


「……ルッカを追うんじゃないのか?」


「あいつはあいつで大丈夫だろう。ああ見えて強い女だ。それならば、より心配な奴についていてやるべきだろう?」


 遠まわしに俺の方が弱いというのか。また頭が沸騰しかけたが、落ち着くんだと決めた拍子に怒り出していれば世話は無い。深呼吸をして自分を宥めた。


「クロノらしくないな。ピリピリして、まるで戦場にでもいるみたいじゃないか」


 俺らしくない、という言葉を聞いて、ルッカにも似たような事を思ったな、と少し前を振り返る。言わなくて良かった、他人から言われるとこうも腹立たしいとは。


「はっ、俺らしいってどんなだよ?」


 噛み付くように、短慮を指摘するように言えば、カエルはひらりと受け流すように飄々と答えた。


「俺の中のクロノ像だな。問題あるか?」


 あるに決まってるだろ!! と大声をぶちまけたいが、あまりにさらっと返されたので肩の力が抜けてしまう。ため息をついて、一度浮かんだ憤怒をどうすればいいのか持て余した。


「カエルはどう思う? 俺が恐竜人を……」


「引きずってるだろうな。それに加えて八つ当たりも併発している。手に負えんな」


「……そうかよ」


 言われて、唾を吐く気持ちになり腰を下ろす。コイツの近くにいるのは耐え難いが、かといって洞窟の奥に行きルッカと会うのは御免だ。一々外に出て行くのも挑発に乗ったみたいで苛立たしい。
 ……分かってるよ、あいつらのことを引きずってるのは、誤魔化してても仕方ない。ああ忘れられないさ。どれだけ形付けて良い別れなんてものを演出したって結局は別れなんだ。華美に彩ろうが泥濘のように汚かろうが、もう会えないのは一緒なんだ。立ち直れるわけないだろ!
 指で膝を叩き業腹な思いを吐き出していると、カエルがべた、と干し肉を顔に投げつけてきた。


「こういう時は何て言うべきなんだろうな。恐竜人たちのことを忘れるな、とでも言えばいいのか?」


「……ああ? 何が言いたいんだよ」


 投げられた干し肉を握り締め、会話に応えてやる。本心では蹴り飛ばしたいけれど、見た目女に暴力を振るうのも不味いかと思うくらいに冷静にはなった。すげなく言い払うのは抑えられないけど。
 喧嘩腰に言葉を浴びせたけれど、カエルは鷹揚に笑い「いやなに」と続けた。


「大切な誰かを亡くして、そんな奴にどう言ってやればいいのか考えていた」


「……へえ、経験者様の御言葉なんだ、これは期待できそうだな」自分でも良くない言葉と分かるが、抑えが利かない。侮辱とも取れる言葉にカエルは口を開けて笑い、話を進める。


「まあ、最も良い方法は忘れろ、なんだがな」


「馬鹿にしてるのか? それがどう良い方法なんだよ」


「まさか。本心から言っている。忘れれば悲しむことはないし、自分の無力さに腹を立てることもない」


 両手を上げて他意は無いことを示す動作がなおさらに、馬鹿にしているように見えた。
 手の中に残った小さな干し肉を口に放り込み、カエルは口を動かしながら「でも、それは出来ないだろう?」と俺の考えを汲み取り結論を出す。


「それが出来れば、そもそも気にしたりしねえだろ」


 俺の言葉に道理だな、と言いながら腹がくちた為か大きく息を吐いた。
 いい加減付き合っているのも馬鹿らしくなり、無視を決め込んでやろうと思った矢先に、カエルが無視の出来ない疑問を作り出す。


「じゃあもう一つ聞かせてもらおう。お前、アザーラとかいう女と仲間、どちらが大事なんだ?」


「それは……決められねえよ、大事だって思いに差なんかあるのか」


「あるさ。例えば一方は友情でもう一方は恋愛とかな。どちらも大事だが、人によってはどちらかに秤は傾く。あまり大きく言えることではないが、二股なんかもそうだろう。どちらの相手も大事だが、どちらかと言えば? と問われれば内心答えは決まってるものだ」


 要領の得ない事を聞かされて、辟易してくる。お前の定義なんかに興味は無いと言い捨てて、耳を閉じようとした。


「他には……生きているか死んでいるか、だな」


 ──おいおいそれはつまり、死んだ人間はどうでもいいと言っている。そう解釈していいんだな? 俺とあいつらの記憶は、想い出は、無価値であると、そう言ったんだよな? なら、


「……死ねよ、お前」


 誇張無しに、それは地雷だ。弱体化してようがなんだろうがカエルは踏んじゃいけないモノを踏み抜いた。後悔? するものかこんな下種女を殺したって。
 雪が付いて半ば凍ってしまった鞘から刀を抜く。ぎゃりぎゃり、と嫌な音を立ててぬらりと出てくる刀は、俺の心情と整合しているように、刀そのものから殺意が溢れていた。斬れ、殺せと猛る叫び声を上げている。
 太陽が見えないので確認のしようが無いが、今はきっと夜なんだろう、と思った。でないと、こんな暗い気持ちが渦巻くはずが無い。殺意敵意がバラバラに混ざって暗幕が下りているみたいに薄暗く胸の内を隠していた。
 そうして、大またに近づいて躊躇無く、刀を振り下ろそうとしているのにカエルは逃げも構えもせずたき火の中に目を向けていた。


「……俺は、きっとサイラスとクロノなら……悲しいことかもしれんがクロノを選ぶな」


「!?」


 彼女の最愛にして崇敬する人間を引き合いに出されて、刀が止まる。もう一押しで頭に刃が入り込むというのに、カエルは今だ静かに口を動かしている。


「事実を述べているんだ。単純な話、サイラスとはもう話せない、共に悩んだり、笑ったり、剣を交えてみたり──そんなことはもう、出来ない。だがクロノ、お前は生きているだろう? 今言った全てを共有し、可能に出来るだろう?」


 長い髪が垂れて、瞳を揺らす彼女の姿が、暗闇で一人佇むようで……悲しくて、寂しくて。


「そういうことだ。ロマンチシズムなんて関係の無い、純粋な本心なら、亡くなった者よりも生きている者を選ぶ。当然だろう。俺は生きているからな」


「……だからって」


 反論を出す前に、カエルが手を伸ばして俺の口を塞いだ。真横に伸びている口元が、してやったりと雄弁に物語っている。


「ああ、亡くなった者を蔑ろにして、どうでもいいと断じるべきではない。何より出来ない……しかしそれは関係ないだろう? 要は、割り切って考えろ、という事だ。大切な者を失って辛くとも、悲しくとも、生きている大切な者まで無くしてどうする。それでは、お前は何も持てない。守れない。何より……」


 今度は俺がカエルの口を塞いだ。「うむっ!?」と妙な声と吐息が掌に当たり──不器用だと自覚しているも──笑顔を作った。それこそ、してやったりというような。


「アザーラたちが、それを望まない、か」


 手を離すとやっぱり口惜しげに「……まあ、そうだ」とそっぽを向いて答える。しまったな、カエルも案外可愛いじゃないか。気づくのが遅れてしまった。
 ……なんてことは無い。答えは前から出てたんだ。皮肉としか思えないけれど、俺が言ったんじゃないか、マールに教えたんじゃないか。


──笑おうマール。今すぐじゃなくて良い、明日からいつもみたいに見る人全員を元気にしてくれる笑顔で、胸を張って生きよう。俺もルッカも勿論ヤクラも、そうすれば一緒に笑えるから──


 ヤクラとアザーラじゃあ、接した時間が違う。そうだな、確かにそうだ。だから俺には笑うまでの猶予が三日もあったじゃないか。マールは……マールは一日で笑う事が出来た。笑うということを思い出すことが出来たんだ。男の俺がいつまでもグズグズとみっともない。
 そういう問題じゃないと、未だ無様に喚いている自分がいるけれど……そういう問題なんだよ。だって、一番の問題はアザーラたちが俺を見てどう思うかなんだから。
 友達の恐竜人たちは指差して笑うだろう。ゲギャゲギャ言いながら酒の肴にでもするのだろう。ニズベールは呆れるね、「我が友でありながらなんという体たらく……」とか言って、アザーラとの兄妹の誓いを無くそうとするかもしれない。それは困る。
 ……アザーラは。あいつは馬鹿で優しいから、自分のせいで俺が落ち込んでると思うだろう。泣き虫でもあるから、泣いちまうかもしれないな。いや、もう泣いてるのか? ──俺は、もう慰めてやれないから、あいつの近くにいないから……せめて、彼女が泣く理由を消さなければ。だって……


「兄貴、だもんな」


「クロノ? ……お、おい!?」


 今も近くにいる筈の妹に泣き顔を見られぬよう、前に座るカエルに顔を埋めて隠す。カエルから戸惑った声が聞こえるけれど、今だけは勘弁してもらうしかない。後でちゃんと謝るから、今だけは許して欲しい。


(そうだよ、悲しむ必要は無いんだ。寂しくも無い、アザーラは近くにいるんだ。俺を見守ってるんだ。だから……これが最後にするから……)


 手繰り寄せるように、カエルの背中を強く引き寄せると、しばらくしてからカエルが優しく俺の頭を撫で始めた。「今だけだからな……」という声には照れが強く感じられたけど、それ以上に慈しむ様な、心地よい声音を覚える。
 カエルの心境が何なのか、俺には分からない。俺は生きているし、カエルもまた生きているから。ただ、それが同情でもなんでも、それに縋って良いだろうか?
 不安によるものか判別できないけれど、俺は震えた舌で慈悲を乞うた。


(泣かせて下さい)


 聞こえたのかどうか分からない。でも、カエルの俺を抱きしめる手が少し強くなった気がする。
 今まで、追い立てられるように時間を越えて旅をしてきたけれど……今この時はとてもゆるやかに、甘い水の中にいるようなゆったりとした時間にいた。
 しばらくの間、聞こえるのは外の猛吹雪と、たき火をつけたことにより生まれた水滴の落ちる音。カエルの定期的な呼吸音。そして……俺の喉がしゃくり上げる、格好の悪い、泣き声だけだった。そこに、新たな音が追加される。中性的な低い声で、甘くて優しい旋律。リズムは眠りに誘うようで、長く聞いていたいという欲求と眠りにつきたいという我侭が争いを始める。その二つとも、結局は腰をすえてこの歌に聴き入ってしまうのだ。

 ──坊やよ眠れ、坊やよ眠れ
   辛いでないぞ、ゆめはさぞかし幸せか
   泣くでないぞ、時はなんと優しいことか
   嘆くでないぞ、福はゆくゆく溢れよう
   坊やよ眠れ、坊やよ眠れ
   次見るものが、幸福であることを
   次聴くものが、優しいワルツと疑わぬよう──


 少しだけ視線を上に動かすと、目を細めて、赤子をあやすように子守唄のようなものを口ずさむカエルの顔。剣士でもなく冒険者でもなく勇者でもない。優しさを具現化して、人間に作り変えればきっと、彼女が生まれるのだろう。そう信じて、俺は……


(そうか、もしかして、これが……)


 何か、大切なことを知ったはずなのに、その時の俺は乗せられた睡魔の毛布に抗えず、ゆっくりと頭をカエルの膝に乗せて、眠りについた。







 星は夢を見る必要は無い
 第二十四話 黒い風、泣き止むことなく








 目を開けたとき、そこには誰もいなかった。
 いつのまにか床に寝ていたようで、体にカエルの毛布が掛けられていることに気づき、彼女が何処かに……恐らくルッカを追ったのだろうと考えて、たき火に砂をかけて消化し、俺も洞窟の奥に進むことにした。
 入り口付近は風の通らないように曲がりくねった構造だったが、ここは一直線に進む迷いようの無い道のりだった。楽と言えば楽だが、彼女たちの姿が見えないことで随分と奥が深いのだと知る。随分と体が軽く、無意識に歩調が速くなる。気分は上々、洞窟内のどんよりした空気さえ澄明に感じる。ルッカには精一杯の謝罪と、カエルには誠心誠意の礼を送ることを決めた。
 歩き出して十五分、洞窟の奥からぼんやりと薄明かりが漏れ出していた。ルッカたちがいるのかと思ったが……その明かりは火の放つ光ではない事に気がついた。もっと透明で、人工的な光。似たものとして、時の最果てにある光の柱、または魔王城にあったワープポイントを思い出させる光。発光の規模は違えど、類似するものはそれしか思い出せなかった。
 いずれにせよ、洞窟内の同じような光景に見飽きた俺は何かしらの変化があると期待して、おのずと小走りになっていった。
 ようやく辿り着いたのは、広い空間。その中央に魔方陣のように文字や図形、直線に曲線が規則性に従っているみたく入り混じる円状の光り輝く床。その真上の天井はぶち抜かれ、外と繋がっている。けれど、寒さや風は感じられない。床から放たれる光は遥か天空まで伸びていて、光の外の大気を遮断しているようだった。


「ああ、起きたかクロノ」


 その光景を側で見ているのはカエル。彼女はやってきた俺見つけると少しほっとした顔になり、歩いてきた。


「何だこれ? ルッカはいないのか」


 カエルは首を横に振って、「ルッカは見つかっていない。恐らくは、この中に飛び込んだのだろう」と、親指で発光する床を指した。


「……俺を待ってくれたのか、カエル」


 魔王城のワープポイントに似ているというのは、カエルも分かっているはず。であるのにここで立ち尽くしているということは、つまりそういうことだろう。


「うん? ああ、理解が早いな。ルッカを探す前にお前と離れるわけにもいくまい。クロノでなければ、ルッカを連れ戻せないだろうからな」


 まだ心の整理が完全についたわけではない俺は、嬉しくてまた泣き出しそうになる。俺がここで泣いたらまたカエルが慰めてくれるのかな、と思ってぐっと堪えた。ルッカに「俺を頼るな!」なんて言っておきながら、俺の方がよっぽど甘えてる。彼女は自立してたじゃないか、俺なんかより、ずっと。出来ることなら、今すぐに自分の頭をかち割りたいけど、その前に、俺の幼馴染に謝り倒してからだ。
 黙りこんだ俺をカエルが「おい、大丈夫か?」と心配そうに覗き込んでくる。目じりに涙が浮かんでいることを指摘されたくなくて、俺はふざけた言葉を作った。


「……それはあれか? 『ルッカの為に待ってたんだからね! クロノの事なんて心配してないんだからね!』と取ればいいのか?」


 意地の悪い事を言っていると自覚しつつも、カエルの言葉をツンデレだと無理やりに比喩してやる。慌てふためくカエルの姿を見たい、という願望も大いにあるが、これで誤魔化せるなら御の字だ。
 しかし、俺の予定と反して彼女は小さな頭を軽く横に倒し、不思議そうに返した。


「いや、お前のことも心配だったが?」


「……行こうぜ、ルッカを探そう」


 言って、光の中に飛び込む。赤くなった顔を誤魔化す為とか、ともすればまた抱きしめてしまいそうな自分の体を律する為にも、走りながら。
 ……ずるいだろ、これだから真性の男女は苦手なんだ! 無敵じゃねえか!






 今までのワープとは違い、この移動装置(装置として良いのかは分からないが)は勝手が違うものだった。決めつけかもしれないが、こういうのは一瞬で利用者を違う場所まで運んでくれるものだと思っていた、が。今回の移動は一味違う。光に入った途端、体が浮き始めて、尋常ではない速さで天空に俺たちを持っていくのだ。気圧で潰される、ということはない。理屈は分からんが、体に掛かる負担などは無く、ただただ凄いスピードで天に昇るのだ。ああ、この場合の天は天国的な意味ではない、そのままの意味である。実際、天に召されそうな人間が一人いるのだが。


「はっはっは、クロノ、怯えすぎだろう。この程度の高さを克服せずに真の剣士にはなれんぞ」


 どういう理屈なのか分からないが、高所恐怖症の人間は剣士になれないらしい。この程度、というが地上はもう雲や雪で見えなくなっている。


「しかし快適なものだな、空の旅とでもいうのか? いやいや、この世界は文明が発達しているのかもしれんな! アッハッハ!」


 元気一杯にはしゃいでいるカエルがウザくて凄い。深夜に出てくる商品紹介番組のテンションくらいウザイ。


「おいおい震えてるのかクロノ。何とか言ったらどうだクロノ。言えと言ってるだろうクロノ。会話をしないかクロノ。心配になるだろう喋らんかクロノォォォォ!!!!」


「……あのさ、とりあえず何か言うとしたら、離れろ貴様」


 まあ、言うまでも無いが高所恐怖症で、怯えて震えて手というか、俺の腰にしがみついておられるのはライブ○アの株みたいに好感度が急上昇して転落していくカエルさん、その人である。
 変化はすぐに……というか体が浮き始めた瞬間に起きた。勿論俺も体が浮き始めて驚いたが、それ以上にカエルがレスリングみたいな体勢で突っ込んできた時の方が驚いた。一瞬ここでデスマッチが開催されるのかと思うような形相だった。ぶっちゃけものすごい怖かった。肘鉄を食らわしてしまうほど。全く意に介さなかったけど。
 それでも、怖がっていないと釈明したいのか「をおおおおおお凄いなあクロノ飛んでるんだなああハハハハハ!!」とキッチーな言葉を使い出したときもびっくりした。顔を掴んで押し出している時も微動だにしなかった。もうちょっと可愛らしい誤魔化し方があるだろうに。


「離れる!? ははは、面白いことを言うじゃないか。お前は俺に死ねというのか?」


 青白い顔で冗談みたいに言うけれど、目は語っている。『助けてください』と。
 なんだろう、ここで頭でも撫でて「俺がついてるぞ!」とでも言えばさっきの恩を返上できるのかもしれないが、さっきまでのちょっと良い雰囲気をぶっ壊してくれたカエルにそんなことをしたくない。むしろ、体を突き飛ばしてみたくなる。というか、した。
 縋る物の無くなったカエルは曹操に死刑を宣告された呂布みたいに「おのれえぇぇ!!!」と叫びながらほんの五十センチくらい後ろに跳んだ。尻餅をついただけとも言う。たったそれだけのことにてんやわんやの大騒ぎ。再度アメリカンフットボールのタッチダウン時のような突撃をもろに喰らった俺は小さく「ぐふっ」と溢してしまう。


「これは、あれだ! そう、体当たりの練習をしているだけで、他意は無い! 分かるな!?」


「分からん! ていうか、体当たりの練習ならもっかい離れろ!」


「しがみついたら離さない! これがグレン流体術だ!」


「青田○子の恋愛術みたいだなチクショウ!」


 鳩尾激突、悲惨な言い訳というコンボを頂き『恩? ああ、光覇明宗が攻撃するときの掛け声?』となった俺は体に電気を帯電させた。「ひぎゃ!」と高い声を上げてカエルが離れる。まだまだこんなもんじゃねえぞと言いたげにタックルを試みるが、その度に妙な悲鳴を出してカエルが俺の体を離す。数回それが続き(数回我慢する根性は凄いなあと思う)いよいよ俺との距離を保ったままカエルが立ちすくんだ。


「…………」


「いや、多分もうすぐつくし、我慢しろよ」


「………………」


 無言の責めへと移行したカエルは足と手を震わせながら大きな瞳を俺の目に向けて、動かない。視線を外そうとするのだが、それをさせない異様な圧力を構えて俺を金縛りにさせる。カエルに金縛りさせられるとは思わなかった。諺と違うじゃないか、なんて埒も無いことを考えてしまう。
 悪いことをしている所を見つかった親の気分だ。子供役のカエルは飽きもせず俺を見つめている。


「……いや、怖いのは分かるけど……」


「……………………」


 何で俺が浮気がばれた彼氏みたいな目にあわなきゃならんのか、不思議でならない。「謝ってくれないと、許さないもん!」みたいな。あまりにしょうもない。


「…………いや、その」


「……………………………………」


 結局、涙でふやけていく顔を見ているうちに、俺は片腕を貸してやることになった。女相手に貸してやることは、素晴らしいことだと思うのだけど、何故嬉しくないのだろう。答えは単純、うっとうしいからに違いない。
 折れてしまったことにふつふつと怒りが湧いてくるけれど、猫みたいにしがみつくカエルを見て、なんだかどうでも良くなった。さら、と長い髪を一撫ですると、「?」と疑問符を作る姿は、さっきまでとまるで逆だなあ、なんて思った。






 父親ってこんな気分なのかなーとか意味の無い想像を広げているうちに、転送は終わったらしい。転送と呼べるのか、むしろ移動というのが正しい気もする。
 そこには、襲い掛かる吹雪も、体を縛る氷点下の気温も、視界を遮る水蒸気の結晶も無く、朗らかな世界が広がっていた。緑は生え、鳥たちがのどかに歌声をさえずっている。空を見上げればいつもより随分と近い雲が浮かび、違う世界に来たと言われれば納得のできる、一般的な天国の妄想を具現したような場所だった。汚れた空気は一切感じられず、大地は生き生きとして、踏んで倒れた草たちは数瞬とたたずに立ち上がる。何よりも……


「浮いてるのか? ここ……なんてファンタジーだよ」


 歩き出してみると、大地が途切れた場所に辿り着く。下を覗けば何千メートルという膨大な空間が広がっている。様々な形状の雲に遮られて下界の様子は分からない。幻想的、と言えば聞こえはいいが、空にある浮き島なんてものを本の類でしか読んでない俺からすれば恐怖にしか写らない。現に、未だにカエルは俺にしがみついている。体が浮かぶという非現実的な(魔法を使う俺たちが言うべきじゃないけれど)体験よりも、今自分たちが空高い場所の土を踏んでいるという現実の方が怖いのだろう。もう強がりも出ていない。ただ歯を鳴らし体を震わせるのみだ。懐かしいなあ、こうでないとカエルは嘘だ。出会ったばかりの駄目ガエルを思い出して心がほっこりする。


「さあカエル。ルッカを探すんだから、二手に分かれてばらばらに行動しよう」


「そういう態度に出るなら仕方ない。アイツのことは諦めるしかあるまいな」


「そんなに怖いんかい。ていうか支離滅裂だろその結論」


 仲間を大事にするべき、と断じたカエルが驚きの見捨てましょう発言。トンデモ過ぎるな。高所恐怖症もここに極まれり、だ。これでカエルがお化けとか虫とか暗がりが怖いとかなら思考のスクウェアが完成するのだが……暗がりが苦手ってことは無いか。魔王城でもすいすい歩いてたしな。


「なあカエル、お前お化けとか虫とか嫌いか? というか、苦手か?」


「幽体の魔物などいくらでも斬ってきた。虫型の魔物も同じだ!」


「……ちっ、半端な性格設定だぜ」


「そんなことはどうでもいい。二人一緒に行動するぞ。例え多種多様な理屈をこねられてもこれだけは断じて譲らん。勇者の誇りに掛けて」


「安いなぁ」


 さしずめ一袋128円という所か。どこのスーパーで売ってるんだか勇者の誇り。バーゲン時には教えてくれ、隣近所で勇者ごっこしてる子供たちに教えてやるんだから。
 右腕に寄生するカエルをそのままに渋々歩き出した。先ほど周りを見回したときに、そう遠くない場所に建物が見えた。珍妙な形ではあったが、人がいることは間違いない。でなきゃラピュ○にでてきた巨神兵モドキでも良い。
 ……ところで、光の柱で抱きつかれた時からずっと気になってたんだが、一つ正直に聞いてみるか。


「おいミギー」


「誰が寄生獣か。俺はカエルだ」


「すまん。右腕に寄生する生き物なんて中々いないから間違えた」


 ふん、と顔を逸らして俺の言葉を無視するカエル。みっともないのは自覚しているのだろう、その顔は仄かに赤い。照れているのは照れているでも甘酸っぱい感情零なのがこれいかに。難しいのはそれは俺も同じということか。下手すれば女のカエルよりもロボに片腕を抱かれたほうがドキマギしそうな不思議感。あべこべクリームでも塗りたくっていただきたい。


「カエルは……その、下着を着けてないのか?」


 俺の爆弾臭い発言にも動じず、何を言ってるんだ? という顔を向けた。結構大事なことだと思うけどなあ。


「シャツのことか? ちゃんと着ているぞ」


 ほら、と空いている左腕で胸元を開くと確かに着ている。でもそういうことじゃない、ブラは着けているのか、と問いたかったのだ。結果それなりのボリュームを押さえる事無く彼女は抱きついていたことが判明。ふざけろ、何故貴様の肉体で我が息子を刺激されなければならんのか。ふっくらしてるんじゃねえ。


「……どおりで、直に感触がある訳だ。離せ痴女!」


「や、やめんか! 離さんぞ、俺はこの世の終わりが来てもお前と離れない!」


「気持ち悪いこと言ってんじゃねえ! 俺の胸のモヤモヤをこれ以上増やせばどうなるか分かってるのか!? 最悪この世で最も嫌な初体験になりそうだ!」


「良いことじゃないか! 何事も体験するのは悪いことではない!」


「意味分かって言ってんのかテメエ! 俺のおざなりなピロートークを聞きたくなければ今すぐ離れろ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら三国一の豪傑が槍を回すみたいにカエルの体を振り回し、カエルは時化で揺れる船のマストにしがみつくような必死さで俺を離さない。まるで俺の腕を離したらそのまま海に叩き落されるのではないかというような空気さえ持っていた。この際、靴でも何でも舐めるから帰ってきてくれルッカ! お前とカエルなら眼の保養にすらなるんだから!
 十分というその場で騒ぐだけにしては長い時間を浪費して、決着がついた。妥協案である。せめて手を握るだけに落ち着いてくれという提案に、「私の為に捕まってくれ!」と言われたセレヌンティウスのように苦悩して、カエルは承諾した。これすら断るのなら有無を言わさず遊覧飛行を体験してもらうところだ。人類史上最大の高度から紐なしバンジーをしたいか? という俺の脅しが有力手だったようである。
 愚にも付かない時間を終え、普通に歩く七倍以上の精神疲労に耐えつつようやっと城にも見える建物までやって来ることができた。
 そうそう、浮かんでいる大地は一つではないことが発覚した。一つ一つの大陸は橋で繋がれているのだ。橋はそう広いものではなく、ゼナン橋よりも横幅が狭いくらいの、手すりの無い橋。縦幅もゼナン橋の半分くらいしかないけれど、渡る距離が短かろうと長かろうと、彼女には関係が無かったようだ。意地でも橋を渡ろうとしないカエルをど突き倒して気絶させれば運ぶのは楽だろうな、と思い提案してみた。答えはまあ、ノーだったけれど。理由は俺が気を失ったカエルを地上に落とすのではないか、と危惧したことから。やらねえよそんなこと。ていうか気絶させるのは別にいいのか。
 結局、橋を渡るときだけはカエルをだっこして進むことになった。駄々をこねるいい年したはずの女性をだっこするとは思っていなかった。おんぶで運べば良いのではないか? と思ったけれど、首を絞められて気絶する危険性が考えられたので却下。恥ずかしがるカエルが見たかったのも大きな理由。当ては外れて恥ずかしいよりも怖いが先立つカエルには有効足りえなかったが。
 ともあれ、人のいる場所まで俺たちは辿り着いたのだ、うん。
 さっきは城のようだ、と評したものの間近で見れば宮殿という方が正しいかもしれない。同じような意味かもしれないが、そう感じた。金のたまねぎ型の屋根に目に悪そうなくらい白い壁。扉と言うには大仰過ぎる入り口、むしろ門と言えるだろう。広さこそさほどではないが、縦に長い門構えは塔と例える人間もいそうな建物だった。中から出てくる人間は感情の薄そうな、暗い人々ばかり。ただ、時々手を繋いで離さない俺たちを見て「馬鹿ップルだ」と陰口染みたことを言うのは我慢ならないので拳大の石を投げつけてやった。痛そうな音がした。首が凄い勢いで回ってた。ざまあ味噌漬け。
 建物の中は豪華絢爛というには寒々しい、質素とは程遠い批評に困る内装となっていた。白を基調に……というか、白色ばかりの内壁と床。全ての汚れを嫌うような色調は何か落ち着かない。人々の服装はゆったりとしたローブと、布を何重に巻いている帽子? を頭に載せている。手袋をつけていない人間はおらず、肌を露出している部分は顔の表面だけ、中にはマスクをしてゴーグルのような目を覆っているメガネを着用する者もいる。常に本、または研究道具を持っている姿は研究員という印象を強く焼き付ける。
 縦に長いだけあり、階段が至るところに設置されて、地下室もあるのか、地下に向かう螺旋階段が数箇所見受けられた。天井は外から見えた部分しかなく、スペースを無駄なく使われている。何より目を引いたのが、本棚の多さだろう。数千、いや数万を超える蔵書量が予測された。驚いたことに、それらの本もただの本ではないようで、開かれたページから炎、水、風といった現象が生まれている所もあった。


「移動装置なんて摩訶不思議なもんで繋がっている土地だから、もしかしてとは思ったんだが……」


「どうやら、魔法文明とでもいうのか? が発達していると思って良さそうだ、少し聞き込みと行くかクロノ」


 外さえ見なければ怖くないらしいカエルは俺の手を離し近くの男に声を掛けている。ぼそぼそと話す口振りは、挙動不審というか、会話に慣れていないように見える。研究職(これも決め付けだが)ってのはそういう性質なのかもしれない、と思い唯我独尊の幼馴染を思い出し、なわきゃないか、と考え直した……今は、落ち込んでるんだろうけど……
 俺も情報収集に精を出したものの、さっぱりとルッカを見かけた者はいない。誰しもが首を振り、代わりに違う話を聞かせてくる。例えば、この建物はエンハーサといい、魔法王国ジールという国にある町だとか、全ての望みが叶うという眉唾を越えて呆れそうな話とか、この王国を仕切るのは国名と同じジールという人物であること等。残りは哲学論のような話を多数。脳天にチョップをしてやろうかと思うような人々だった。一度やってみると「…………ふえっ」と泣きそうになったのは焦った。ゆったりと無感情に答えるのでまさかそんな簡単に感情を表すとは思ってなかった。とっておきのギャグを披露して、笑わせてやろうとすれば、素の顔になって涙を引っ込めた時は喜べばいいのか馬鹿にされたと怒ればいいのか。
 ……ああ、もう一つ忘れていたな。階段を上っていると上から肌色の悪い化け物が降りて来て「アタシはドリーン。閉ざされた道を求めなさい。順序良く、知識の扉を開けてね」とか言い出したのでヤバイ子だと確信し、階段から蹴落とした。一日一善、俺はこの掟を破ったことがないのだ。えっへん。



「運命というものは存在すると思いますか? この世の全ては、予め決められているのだと……」


「ターセル様々やわ!」


 最後の一人に話しかけて、いい加減頭が痛くなってきた。たまたま近くを歩いていたカエルを見つけ、もう出ようと提案する。カエルの方も有力な情報を手に入れられなかったようで、疲れたように頷いた。初めて来た土地の人間は大概頭が壊れてる。デフォルトなのか?
 歩く力の出ない俺は足を引きずるようにエンハーサから出ようとする。何が嫌って、またカエルと手を繋がなきゃならんのかと思うと気力も下がるというものだ。素直に怖がるならまだしも「怖くないぞ! むしろお前が怖いのだろう!」とか小学生かよ、と。
 半ば俺を逃さぬように俺の手をロックオンしだしたカエルに嫌気が差して肩を落とす。無駄だと分かりつつも、カエルに一人で歩けと提案しようとした時──風が、吹いた気がした。臓物を抜き去っていきそうな、嫌な風が。


「何だ、無愛想な子供だな。迷子か?」


 思わず立ち止まった俺の前に、透明な空気感を背負う、己の青い髪と同じ青い猫を連れた不思議な男の子が前に立っていた。進行路を譲らない子供にカエルは言葉は乱暴ながらも優しく問うていた。
 ……関わるな、と声を荒げたかったが……喉を握られたみたいに声が出ない。俺の中の何かが言っている。彼の言葉を聞き逃すな、と。


「…………」


 時間が経っても、少年は何も言わずすっ、と俺たちの横を通り過ぎた。何故だか、猛烈な安堵感に襲われた俺はその場で座り込みそうになり、カエルが慌てて支えてくれた。「疲れているのか?」と聞いてくるが、ほんのさっきまで眠っていたのだ、体力的な疲れがある訳がない。大丈夫だ、と返してそのまま歩き出そうとした。エンハーサを出て、この不吉な少年から遠ざかろうとしたのだ。けれど……


「………黒い風が泣いてる……」


「っ!?」


「どうした、クロノ?」


 そう慌てるような言葉でもない。風が吹いていることを指摘しても、黒いという言葉を用いたのも、少年が風をそう呼称しているだけだとしたら不思議はないのに。何よりも、たかだかロボと同じ、いや、どう見てもそれより若い子供の言葉に反応する理由はない。なのに、どうしてか彼の言葉が酷く気になった。
 振り向いて、彼の背中を見つめていると、少年はゆっくり振り向いて寒気のする冷たい顔を向けた。


「あなたたちの内、誰か一人……死ぬよ、もうすぐ」


 物騒すぎる言葉の内容もまた気になったが、それよりも俺の心を乱すことがある。彼はあなたたち、と言った。複数形だった。誰かを特定していないのだ。
 ──なら、どうして俺を見ている?
 カエルではなく、俺だけを視界に入れて、少年は呟いていた。理由も根拠も証拠もない宣告を……俺は唾を飲んで聞いていた。聞かざるを得なかった、彼のもつ独特な、矛盾を孕んだ空気に。


「なっ!? おい、小僧!」


 カエルの怒声を聞こえていないように流し、少年は去っていく。カエルがそれを追おうとしたが、俺が止めた。


「クロノ? …………おい、大丈夫か!?」


 カエルが驚くのは仕方ないだろうな。今の俺は……震えていたから。
 たかだか子供の戯言、冗談。未来予知を騙る遊びだと、割り切ることが出来ない。
 ……唐突に、不可思議なビジョンが頭に浮かぶ。それは……誰かの泣き声と、鳴き声。誰かの笑い声と、怒声。邪悪な光が眼前に広がり、そして……


「クロノ!!!!」


 カエルの声で、目が覚める。目の前にあるのは心底俺を案じるカエルの顔と、何事かと集まっている人々の姿。誰も泣いていないし、光も、胸を締め付けられそうな光景も無い。


「……ただの立ち眩みだ。気にすることねえよ」


「……本当か? 時の最果てで休息を取ったほうがいいんじゃないか?」


 疑わしそうにするカエルがちょっとおかしくて、「本当になんでもないよ」と声を掛けてから歩き出す。エンハーサを出た時、不安そうにしていても、やっぱり俺の手を握るんだなと思って可笑しい。笑う俺を恨めしげに見てくるのがツボに入りそうで、気分が晴れた。
 ……そうさ、気にすることなんて、まるで無い。ただの悪戯なんだから。さっさと忘れて、ルッカを探しにいこう。この魔法王国ジールにいることは確かなんだから。


「走るぜカエル! 早くルッカを見つけないとぶん殴られそうだ!」


「ま、待て! そんなに急がなくても……わっ、……………!!!!」


 エンハーサとまた違う大陸を結ぶ橋を思い切り走って、風を浴びる。もうそこには、少年の言う『黒い』風なんて感じられなかった。俺たちの旅は、順風満帆とはいかないけれど、悔悟憤発しながら進んでいく。不安なことなんて、何処にもないんだ、そうだろ?
 地上を見れる橋をハイペースで渡っていることでほぼ放心しているカエルを眺めて、俺は前を見据えた。予知染みた言葉なんて知るか。運命なんて、この世には存在しないんだから。
 未来に向かって、俺は大きく一歩を踏み出していった。








「……黒い風は、泣き止まない」


 エンハーサの最上階。クロノたちが走り出して橋を渡る様を、少年は窓から見つめ、誰に聞かせるでもない言葉を呟いた。その目には同情も悲観も無く、あるがままの出来事を話しているだけの、色の無い瞳。
 暫く彼らの騒がしい様子を見ていた少年は、飽きたのか窓から離れて、自分の足に鼻先をつける猫を抱き上げた。腕の中の小さな温もりを撫でて、耳元で小さく溢す。


「……姉上とお前以外、皆死ねばいいんだ。死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい……母様なんて……あいつなんて……」


 そこで躊躇うように、何処かで誰かが聞いていないか、猫の頭に顔をつけながら注意深くその場を見回して、誰もいないことを確認した後、強い口調で言い放った。


「……殺して、やりたい……!!!」


 ぎらついた顔を、猫が舌を出して舐める。大丈夫、と言い聞かせているような行動に少年は薄く笑みを作った。苦しくないように、自分のペットを優しく抱きしめて、その場を離れようとする。
 その直後、階下から自分を呼ぶ男の声が聞こえた。ひょこ、と下に顔を出すと自分の世話役が慌てながら走ってきた。


「もう、ジール宮殿を抜け出してこのような所に……困りますよ私は」


「……そう。いいんじゃないの? こっちは関係ないし」


 素っ気無く言って、階段を下りていく。そんなあ……と暗くなりながらついて来る世話人には一瞥もくれず淡々と行く姿は子供には思えない、ふてぶてしいものだった。


「サラ様が呼んでおりますよ、きっとジール様も心配しております。ジール宮殿に行きましょう。ジャキ様」


 姉の名前を出されて、ようやく振り返る主に世話役がやっと顔を綻ばせた。その期待を裏切るように、ジャキはチッ、と舌打ちをして怒気を帯びた声で「アイツの名前を出すな……!」と脅す。男は雷が落ちたように体を固めて息を呑んだ。一方的に睨まれる時間が過ぎ、ジャキがエンハーサの出口に歩き出した時ようやく呼吸を思い出すことが出来た。


(……なんとも、怖い御人だ)


 いい加減、自分の仕事にも嫌気が差してきた世話役は主人について歩きながら、辞表は何処に出せばいいのか、頭を巡らせることにした。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2012/03/23 16:53
 理由は杳として知れないが、白目を剥いて痙攣するカエルの足を引き摺り新たな町に足を入れることとなった。まったく、胸の量だけ重いんだから勘弁していただきたい。
 町の名はカジャール。エンハーサに似た特徴を持つ、やはり今までに見たことの無い外装、外観、内装、内壁の一風どころか二風三風変わった町である。住人に頼み込んで気を失っているカエルの為にベッドを貸してもらう。柔らかい羽毛の枕に顔を叩き込んで寝かせると「ふぎゅう」と呻いたのが好印象。「おげふ」なら三倍満確定という素晴らしい戦績だったのに。
 早速町の人々にルッカを見なかったか聞いて回ることにした。皆一様に知らない、見たことが無いという意見で、流石に妙だ、と思いだす。それほど広い大陸でも無いこの国で誰一人ルッカの姿を見ていないのは不自然だ、もしかしてこの国の人間が嘘をついているかもしれない。


「……まあ、根拠が無いし、そうするメリットもないよな」


 エンハーサ同様、カジャールに住む人間の数はそう多いものではない。どう見ても人間には見えない青色のマスコット人形みたいな化け物もいるが、話しかけるには俺の勇気が足りない。『漢』にならないとコミュは発生しないようだ。多分属性は戦車か悪魔。
一人につき一言二言の会話ですませた俺はそう時間のかからない内にほとんどの住人にルッカの所在を聞くことが出来た。内容は一貫して「知らない」というものだったが。
 とはいえ、全くの無意味とも言えない。有益な情報の内一つは、何とパワーカプセルやスピードカプセル、マジックカプセルという肉体の限界値を底上げさせる希少アイテムを製造する場所がここカジャールに存在したのだ。
 工房に入りそれを確認した俺は言わずもがな何個かくすねていこうとして……案の定見つかってしまった。その上「それは試作品なので盗っても無駄だ屑男」と謂れの無い暴言まで浴びることに。俺の気分がもう少し殺伐としたものなら血の雨が降っている。
 なら完成した物は何処に? と問いただせば「そうさな……十万Gあれば分けてやらんでもない」とか言い出した。十万G? 俺は思わず笑い出してしまった。


「おいおいそんなものでいいのか? もっととんでもない額を用意してやる。今あるだけ持ってきやがれ」


 大胆な発言に驚いた工房の責任者らしき男が棚の上にある木箱を持ってきた。中にはカプセルが四つ。スピードカプセルが二つ、後はそれぞれ一つずつ。工房というにはあまりに少ないと指摘すれば「ちょうど出荷した為数が無い」とのこと。不承不承カプセルを懐に入れて、代わりに皮袋を手渡した。


「……え? これだけですか?」


「うむ。苦しゅうない持って行け」


 言い終ってからすぐに魔力を展開、電流による擬似神経を作り出し身体能力を向上させて脱兎の如く逃げ出した。50Gって、とんでもない額だよね。だって俺の持ってる全財産だもの。
 工房から狂ったような叫び声が聞こえるも、寝ぼけ眼で顔を擦るカエルを連れてカジャールを飛び出した。指名手配云々の前にルッカを探し出さなければならない、タイムリミットがあるなんて、燃える展開じゃねえか……
 というわけで、有意義だった出来事の一つ目は少ない犠牲の果てにカプセルを四つ手に入れたことだった。それらはすぐに俺の口の中に放り込み、中世で貰ったパワーカプセルだけは状況を掴めず慌てているカエルの口に押し込んだ。顔色が青紫に変わっていく様は面白いと断ずるに相違ない、まあおもろいもんでした。
 さて、もう一つ得た情報で俺の心惹かれるものとは、超巨大な飛空挺がカジャールの近くで造られているということだ。
 飛空挺というものがどんなものなのか想像できないが、言葉通り空を飛ぶ大きな機械なんだろう。ルッカの造った骨組みだけの飛行機(プラモデルを大きくしたとも言う)しか空を飛ぶ乗り物を見たことが無い俺は高揚しながら飛空挺──黒鳥号を見に行くことにした。予想通りカエルは「下らんことをしている暇は無い!」と却下したが無視。「じゃあお前だけそこらで待ってろ」という俺の言葉に項垂れて、黒鳥号観覧を了承することになった。さっさと言うこと聞けばいいんだよ馬鹿が。


 カジャールの裏手に周り、整備された道を進めば、そこには別世界が広がっていた。
 未来のように、自動で動くロボットや手作動で操作する機械がひしめき、オイルの臭いが充満する。注目すべきはその先の光景。金属の橋に繋がれている全体が深緑色の、大型艇に似た空を浮かぶ船、黒鳥号。外のデッキには砲台が並び、それらの中央に鎮座する巨大なマストの帆には威圧感のある黒い文字で大きく『ダルトン』と書かれている。胴体部分の両脇にプロペラが数十と付けられて、見ただけでもそれらが回りこの黒鳥号が飛ぶ要因になるのだろうな、と想像できた。見張り台のような場所には望遠鏡に酷似した装置を片手に視界を変えている仮面を着けた男。
 よく見れば、仮面を着けているのは彼だけではなく作業員全員が例外無く仮面を装着し、背中には紫色の刀を背負っている。服も刀と同じ紫で統一し、動きは一般人のそれではなく、軽やかに足を動かし腰を低くしている動作は、戦いに慣れている、というよりは特殊な作業に突出している印象を与える。


「……あの特殊な動き。奴らは、恐らく隠密、奇襲を専門とする特殊な部隊だろう。何故そのような奴らがここに……?」


「まあ、飛空挺を守るためだけの部隊とするにはちょっと無理な話だよな。むしろ、本隊の中で手が空いた奴らがここにいると見るべきか?」


 この国の兵士に当たる人間が全員あんな胡散臭い奴らとは思いたくないが……ただの隠密部隊ではないだろう、こんなに人目のつく場所で警固する隠密集なんて無理がありすぎる。それも、一人二人ならまだしも全員が同じ格好というのは……


「おい! 貴様ら何をやっている!」


「!?」


 黒鳥号とその周りに意識をやっていた俺たちは後ろから近づく仮面男に気づかず剣を押し付けられてしまう。一先ず両手を上げて反抗する意思は無いと示した。


「……その格好、何者だ!」


 問われながら後ろを振り返ると……五人。俺たちは、明らかに黒鳥号と作業員を見ていた。誤魔化すには少し無理があるこの状況、全員を斬り倒す事も考えたが、カエルが神をも恐れぬ足手まといである今、果たして俺一人でやれるだろうか……? どう見てもただの兵士ではない上、魔法の国というだけに、魔力も扱えるのだろう。実質五対一以下(カエルはマイナス)。ああ、ルッカがいれば随分戦法も広がるのだが……とかく、ここで戦うのは論外だ、何とか言い訳を考えねば……


「あ、あの……あれだよ。美人局しようかなあ、と」


 横にいるカエルが小さく「死ね」と呟いた。仕方ないだろう、それ以外に浮かんだ言い訳が「デートです」しか無かったんだ。丁度手も繋いでるんだし、その方が信憑性もあったのだがいかんせん、それを言うのが嫌だった。例えこの状況を乗り切る為の方便としても、絶対に嫌だったんだ。
 俺の美人局発言に仮面集団は「……そうか」とだけ言って剣を抜いた。駄目か、そりゃそうか。仮に信じてくれてもこんな所で美人局やろうとしてる奴等なんか殺しても良いってか。
 右手に電流を作り出し、一か八か反抗してみるかと心に決めて刀に手を伸ばそうとした時、仮面の兵士達が武器を収めて敬礼を始めた。一瞬、俺たちにしているのかと呆気に取られたが……彼らの行動、その理由は後ろから聞こえる声により氷解した。



「何だ、お前達? 何かあったのか?」


 茶色と金の色が混ざり合う肩まで伸びた髪を揺らし、橙のマントを風でたなびかせながら近づいてくる、一人の男。顔は整っているというよりは野性味のある、獣を思わせるもので、服の上からでも分かる鍛えられた体。それに何よりその異質な魔力。魔力量が多いとか、そういった意味ではない。見たことの無い魔力の形を作るそれは、魔王の放つ力にも似た不気味さが確かにあった。
 ……なるほど、この男がこいつらの親玉か。


「ダルトン様! いえ、怪しい奴らが……」


 ダルトンと呼ばれた男がふん、と鼻を鳴らして俺たちに近づいてくる。どうでもいいけど、鼻息荒いよこいつ。
 ダルトンは俺には一瞥もくれず「ボディーチェックだ」と称して無遠慮にカエルの体を触り始める。肝心な部分には触れていないためカエルも怒りを抑えているようだが、拳は強く握られ震えている。ぶっ飛ばす五秒前というところか。
 なんかこういうのも興奮するなあと思いながらシチュエーションを楽しんでいるとダルトンは不意に体を離してマントを翻し、両手を挙げみょうちきりんなポーズを作った。


「そうか! 貴様、俺のファンか! 俺の逞しくも優雅、それでいて知性溢るる姿を一目見たいと押しかけてきた、そうだな!?」


 謎は全て解けたと言いたげにどや顔炸裂。起承転結の無いその発言に俺は腰が砕けるかと思った。押しかけたって、あんたなあ。
 大口を開けているカエルにウインク一つ、ダルトンはすー、と上手く鳴らせていない口笛を吹いて彼女の手を取った。想像では姫の手を取るジェントルマンを意識しているんだろうなあ、なんて事を考える。吃驚するくらい様になってないけれど。


「困ったものだ、俺のファンは見る目はあるが熱狂的過ぎる……これもまた、俺の怪しい魅力が為せる技なのだが」


「流石ダルトン様! 世の女性を虜にさせるフェロモンは世界中を見渡そうと双肩を並べる者はおりますまい!」


 さぶいぼ立ちそうな台詞を絶賛する仮面集団は取り急ぎカウンセリングを受ける必要があると思う。でなきゃ、ピノキオ病にでもなって鼻を思う存分伸ばすことだな、本心から言っているなら、救えねえ。
 俺のフラストレーション増加の最たる理由は、ダルトンという男俺の存在を全く無視していることだ。演技過多な言動は見た目可憐と言えなくも無いカエルにしかアピールしていない。男は眼中に無いということか? 俺と同じじゃねえか屑め!
 冷めた目でダルトンとカエルのやり取りを見ていると、当たり前だがカエルは極限に嫌そうな顔をして俺に「こいつを殺してもいいか?」とアイコンタクトを送ってくる。気持ちは分かるがダルトンという男は見た目に反し中々の実力者であろう。その上、部下達の練度も低くは無い、俺は抑えてくれと目で返した。悲しげに俯くカエルの姿に少し心が痛んだが、俺はヒーローじゃないんだ。助けられるものか助けられんもんか。


「ふふふ、女よ、美男という言葉では表現しきれぬ俺という男を見て忌憚の無い意見を申せ。何でもいいぞ? 好きとか大好きとか愛してるではすむまいな、俺が思うに貴様が抱く想いは唯一つ。『抱いて』であろう。安心しろ、俺はいつでもカモンカモンだ」


「お前に抱いてもらうくらいなら、俺はバフンウニに愛を誓おう」


「なるほど……ツンデレという奴か。評価しよう! 俺を前にすれば古今東西のツンデレがデレデレになるというのに貴様は強がりを言えるのだからな!」


「会話が出来ぬとは、不自由な男だなお前は」


 辛辣な意見にめげるどころかさらに増長するダルトンを男らしいというべきか馬鹿というべきか。原稿用紙十枚でも書ききれない悩みを膨らませつつ、俺はどうやってここを抜け出すか考えてみた。答えは多分今俺がここを去っても誰も見咎めないんだろうなあという嬉しい結論。存在を無視されるということは嫌なことだけでは無いんだなあ。


「む? 気づけば女、お前は俺っ娘なのか! 新しいジャンルだな」


「娘とか言うな! 俺は男だ!」


 ドクターゲ○の傑作みたいな声で「ぬわにいぃぃぃぃ!!!!?」と驚いたダルトンは目を見開き動きを止めた。時が止まったように微動だにしない。リアクションが暑苦しすぎて気持ち悪い。
 数十秒経って尚も動かないダルトン。彫像化でもしたのかと期待を寄せていれば、おもむろにカエルの胸部に手を伸ばし、指を曲げた。有り体に言えば、揉んだ。


「女じゃないか」


「そうか……死にたいようだな、貴様」


 今まで聞いた事が無いような冷たい声でダルトンの首を掴み引き寄せた後、カエルは膝を顔面に叩きつけた。角度、勢い、タイミング全てが申し分無いそれは変態の奥歯を二本折ることに成功し鼻血を撒き散らす事に成功した。思わず「やったぜ!」と叫んでしまったのは仕方が無いことだと思う。後、カエルにも一応恥じらいはあるんだなあと黄昏てしまったのは内緒。
 げぶはあ! と地面に落ちたダルトンを仮面集団が慌てて起き上がらせる。口々に「大丈夫ですかダルトン様!」「やられてもカッコイイとは流石ダルトン様!」「そのままくたばれダルトン様!」と心配しているのは心温まるというか、うーん。


「き、貴様……俺の顔に傷をつけただと……この俺様に怪我を負わせただとぉ……!?」


 両手を組んで見下ろすカエルを憎憎しげに見上げるダルトンの姿は憤怒一直線、怒髪天を衝いたような表情になっている。これはいよいよぶち切れるか? と危惧してソイソー刀に手を伸ばす。このままではカエルが殺される。それを見過ごす訳にはいかねえだろ……まだ俺は揉んでないし!
 柄を握り抜き放つ……直前で俺の体は止まることとなった。怒りの顔から一転し、ダルトンは悠然と微笑んだのだ。まるで好敵手、もしくはそれに通じる者を見るような、はたまた愛しい者を眺めるような目でカエルを見つめていた。おんやあ?


「俺という至高の存在に傷をつけた……それすなわち、貴様も至高の存在であるということ! お前が女神か!」


「どうしようかクロノ、今は情けなくともお前の助けがひたすらに恋しい」


 俺に話を振るな! と強い意志を込めてカエルを睨む。
 考えたくは無いが……え? お前気に入られたの? このゲテモノ男に? なんつーか、おめでとうと言うべきかご愁傷様と言うべきか。


「全く、俺という存在が怖いぜ……美しい、強い、才能が有り余る上カリスマ性が飛び抜けている俺は女神と出会う強運すら持ち合わせているのか……!? 神は俺に何をさせたいのだ、歴史の覇者として君臨しろと命じているのか、この俺に! 不敬な! 俺に命令などと誰が許した!」


 自分の妄想に勝手に怒っている中年男性がこうも見苦しいとは知らなかった。今すぐ燃え尽きればいいのに。


「……行くぞクロノ。馬鹿と一緒にいればこっちもおかしくなる」


 ため息をつきながら俺の手を握り立ち去ろうとするカエル。ネタとして、もうちょっと付き合っても良かったがカエルの理性が崩壊するまでもう僅かもないと分かった俺に否定権は無い。一瞬この二人が付き合えば面白いんじゃないかなあと思ったことは、言わずにいるのが華だろう。冗談でもぶっ飛ばされそうだ。


「待て女! ……ぬ、なんだ貴様。俺の女と知り合いか? 手など繋いで何様のつもりだ!」


 ようやく俺に気づいたのかこのロン毛、言外に俺の影が薄いと揶揄しているつもりか? 分かったような事を! そんなこと俺が一番知ってるんだ! インなんとかさんみたいな位置にいるとか分かってても言うんじゃねえ! 俺原作知らねえけど!


「何様と言われても……まあ、仲間ですかね?」


 カエルに目を合わせると「何故疑問調なんだ!?」と噛み付くので怖い。虫の居所が悪いみたいだね、こわやこわや。それにしても会って五分と立たない相手を俺の女とは……男らしいとはこういうのかもしれない。違うだろうけど。


「仲間だと……よもや、俺の女と恋仲ではあるまいな!?」


「こ、恋仲!? クロノは俺の」「気持ち悪い設定捏造してんじゃねえ!!」


 カエルの声と被せて俺はダルトンの的外れな見解に断固とした否定を拳とともに突きつけた。ひしゃげた鼻がさらに複雑な形状に変化していくのが快感である。悪識を正した上に人を殴れるとは、俺は何て段取りの上手い男なのか。


「意味不明な妄想で人を貶めるな! レズっ気たっぷりの変態女男女に恋慕を抱くなど俺の騎士道に反するわ! ていうか人間として有り得るかそんな展開!」


「お……おのれ、貴様もまた俺にダメージを与えるのか。まさか、貴様が神か!?」


「てめえの理論ならお前が躓いた石ころは神々の手先か何かになるぞボケナス!」


 悪意たっぷりの言葉を吐き捨ててぷんすか怒りながらその場を去る。別れ際に「必ず俺の物にするぞ女ァァァァーーー!!!」と叫んでいたのは無視の無視。構ってられるかあんな変態を拗らせた大変な変態、いわゆる大変態に。
 足を踏み鳴らし、カジャールまで着いた俺たちはそのまま近くの山の上に位置しているジール宮殿まで直行することにした。ルッカがいるとすれば、恐らくそこしか無いだろう。もしも、途中の森なんかでべそをかいているならば大陸中を捜索せねばならない。いくら小さいとはいえど大陸、見つけられるとは限らないのでジール宮殿にいないのなら半分お手上げと言えるだろう。


「ジール宮殿にいないなら、ロボ辺りに探してもらうか? あいつならセンサー的なプログラムで見つけてくれるかも……どうしたカエル? 何か手を握る力が強いぞ、つーか痛い」


「別に。気持ち悪い奴と手を繋がされて悪かったな」


 面倒臭いなあ。距離が近いんだから、一方の機嫌が悪いとこっちも暗くなる。悪いと思うならそのへんのことも考えて欲しいものだ。半眼で前を見据えている顔は良く言っても楽しそうには見えない。楽しそうにされてもあれだけど。


「……ままならねえなあ」


 上を見上げれば、荘厳に建つジール宮殿が俺たちの来訪を待っていた。控えめにも、良い予感はしない。これからを思ってカエルに聞こえないよう愚痴をこぼしてみた。
 ……後、俺黒鳥号を近くで見れてない。もっと色々見て触って男の子の夢を堪能したかったのに。空を飛ぶ巨大な乗り物なんてロマンの最たるものなのに。ホワイトベ○スを初めて見た時なんか発狂するかという勢いでテンション上がったのに。これも横にいるゲテモノを誘惑する阿呆な魅力をもったカエルのせいだ。いつかバンジージャンプをさせてやろう、ガチで泣いてる顔をルッカのビデオで永遠に記録として残してやる。
 暗い笑みを浮かべていると、不機嫌ながらにカエルが冷や汗をかいていた。流石歴戦の戦士、己の尊厳の危機に勘が回るのか。






 その門構えたるや、天上の都市ジールに合う派手やかなものだった。純白の色、巨大さはカジャールやエンハーサと比較できない。妖美とも言える輝きを放ちながら訪れる者を歓迎している。大きさもまた今まで訪れた町々の比ではなく、神の住む城と言われてもなんら文句の無い神聖性を窺えた。太陽光を反射して伸びる光は天を裂きそれこそ神々の元まで届くのではないかと思うほど四方にどこまでも続いている。建造物とはここまで人の心に訴えかけるのだと俺はここに来て知った。
 ただ、そこに安堵感は生まれない。あるのは威圧、畏怖といったある種の恐怖に近い感情を蘇らせている。ディテールにもこだわられ、壁の一つ一つに文様が描かれていた。恐らく何かジールを称える言葉、または国の歴史という意味のあるものだと思うが、それすら呪いの文字であると言われたほうが納得がいく。それほどに、ジール宮殿は魔王城とはまた違った不気味さを感じさせた。


「……カエル、急いでルッカを探そうぜ」


 俺の不安感をカエルも感じ取ったか、何も言わず頷いて宮殿の中に入っていった。時が経てば、何かが手遅れになるのではないか? 根拠の無い悪寒が体を通り抜けて、宮殿の中に溶けていった……
 何がある訳でもない。魔物が国を牛耳るわけでも、国中の人間がおかしいわけでもない。立地環境を除けば極々平和な国。今までこれだけ戦いと無縁そうな世界は初めてなのに、これ以上嫌な予感がする世界もまた初めてだった。
 カエルに遅れること二分。宮殿に足を踏み入れた時、何処かから、悲しげな声が聞こえた気がした。彼、または彼女はか細く、『運命には逆らえない』と言った気がする。何処までも、遠い所から。






 端的に表現するなら、『寒々しい』に尽きる場所だった。見た目ではない。人もカジャール等に比べ一目にも数倍の人数が働いていることが分かる。研究道具だけでなく生活用品も雑多に並べられ、宮仕えと思われる人間がそこかしこを歩き回っているのは普通ならば活気に満ちているとさえ表現できる。ただ、皆揃って生気が無いのだ。会話は無い、行動にメリハリというか……自分の意思ではなく受動的に活動しているような気がする。動き方すらランダムではなく、線をなぞるように一定のものとさえ錯覚した。
 良くない、ここは良くないものだと頭の中でアラームが鳴り響いている。うるさいくらいのその警鐘は早くここを出ろと告げていた。でなければお前は……と。


「……とにかく、片っ端から話しかけてみるか」


 今まで以上に、聞き込みは難航した。誰一人まともに会話を交わしてくれないのだ。口を開けば『余所者……余所者……』と、規定のように同じことしか喋ろうとしない。これは、気味が悪いなんてものじゃないな。
 話しかける前から気づいてはいたのだが……ここの人間ときたら、俺が宮殿に入った時から皆視線を俺に向けるのだ。話しかければ外すが、離れればやはり俺の動向を目で追っている。一挙一動を見張られている今の状況は、いつ後ろから襲われるのか分かったものではない。突拍子の無い可能性だが、有り得ないとは言い切れない、そんな雰囲気を醸し出していた。
 昔聞いた怪談に同じようなシチュエーションがあったなと思い出して、猛烈に後悔する。糞どうでもいいところで記憶力発揮するんじゃねえよ俺の頭! お化けは怖くなくても、人間が関われば怖いんだ! 幽霊怪物魑魅魍魎全てをひっくるめても一番怖いのは人間なんだから。


「無い、無いよなそんな事。しかしカエルは何処を探してるんだ? しょうがないから一緒に探してやるか、あー手間が掛かる迷子カエルだぜ全くハッハッハ」


 いや、俺が怖いわけではない断じて決して天地が逆さになろうともそんな誹謗中傷を俺は許さないからそういう嘘偽りを風潮する輩は闇から闇へ消えてもらう所存なわけでとにかく無い。怖く、無い。
 あの変な所でヘタレなカエルが膝を抱えて「怖いよう」と泣いている姿が眼に浮かぶからあいつを探しているだけであり別にほら、俺ってジェントルメンだから。ジェントルクロノと一部界隈では有名だから。俺はそう思ってるから泣き虫毛虫臆病虫のカエルと手を繋いで歩くのも吝かではないと……
 誰でも納得する素晴らしい論法を展開していると、後ろから「ああ……!」と悲痛な声が聞こえてくる。今額を通過しているのは汗ではなく、漢汁というもので、成分は汗と同じ。怖がって出たものではないと認識してくれれば問題ない。
 ……確か、その怪談のオチは、主人公が後ろを振り返ったとき、耳まで避けた口からだらだらとよだれを溢す、刃こぼれした包丁を持った女がにた……と笑うシーン。そして、暗転。主人公の生死は定かではないらしいが、そこまで聞けば馬鹿でも分かる。喰われたのか、切り裂かれて放置されたのかまでは分かりようが無いが、命の有無という点では論争するまでもない。


「……はっ、まさかな」


 振り向いた俺の視界に移るのは、不純物の無いまっさらな白。
 ぶべちゃっ! という中々爽快な音を立てて、俺の顔になにやら甘い物──これは、生クリームか?──がぶち当たってきた……何これ? 訳が分からん。分かったらおかしい。
 服にボタボタとクリームを落としながら突っ立っていると、前から(視界が塞がれているので見えないが)楚楚とした声が聞こえてきた。


「凄いです! まるでクリスマスツリーみたい! ほら見て婆や、白い生クリームと赤い髪のコントラストが絶妙よ! 今期のデザイナー賞ノミネートは確実だわ!」


「流石はサラ様、今時の言葉で言えばナウくてブイシーなセンスですな」


「ブイシーって、渋いってこと? まあ嫌だわ婆やったら、私ったら○6の略かと思ってしまったわ」


「ホッホッ、婆とて流行のトレンドに取り残されるだけではありませんぞ、最近ではfacebo○kなるものを始めましてな……なんと全世界で五億人以上もの人間が参加しているという世界的コミニュケーションサイトですぞ」


「ジールの総人口は万に届かぬはずですが……まあいいでしょう。ところで婆や、コミュニケーションよ。横文字も乱用が過ぎては分かり辛いわ。もう少し抑えなさい」


「かしこまりました、サラ様」


「さあ、とにかくこの芸術的作品を私の部屋まで持っていかなくては! ああ、そこの名も知らぬ赤毛の人。私のお手製生クリームを勝手に食べた罰として私の部屋の観賞用人形となることを命じます。さあ、できるだけ顔の生クリームを落とさぬよう細心の注意を払って移動して下さいな」


 声が間近に迫り、俺の顔に牛乳を分離して造られた乳脂肪を顔面にへち当ててくれたくれやがった女が目の前にいることを知る。勝手に生クリームを食べてしまった謝罪をせねばなるまい。人として当然の事だ。


「何をしているんですか!? 顔のクリームを取ったら折角の芸術がへぶっ」


 彼女が奇天烈な声を上げた理由は至極単純なものだ。俺が彼女にやられたようにそのお美しい顔にクリームを塗りたくってやったから。間接キスだ、照れるなー。それ以上に腹が立つなあー。初対面の人間にここまで無礼を働かれたのは久しぶりだ。現代の大臣以来ではなかろうか?
 無言で顔に付いているクリームを取った女性、サラというらしい、は右手に溜まった脂肪の塊をべちゃ、と床に落として(スタッフは美味しく頂きませんでした)きっ、と俺の顔を睨んだ。
 性格や常識が破綻しているど阿呆だが、その顔は見目麗しいものだった。青く長い髪はウェーブがかって優しさや穏やかさを演出している。クリームの隙間から覗く肌はきめ細かく、荒など一つたりとして見受けられない、白すぎる肌は儚さと同じく不健康さも感じられるが、薄幸の美女と言えばまさにその通り。切れ長の髪と同じ青い瞳は涼しげな美人を地でいっており、指は長くあでやか。爪も手入れがこなされているのだろう白透明の汚れを感じさせない清純な印象。スタイルはやや細すぎる感もあるが、出るべきところは出て腰は触れれば折れるたおやかな華というべきか、抱きしめれば本当に折れそうだった。
 街中で普通の出会いがあればきっと一目惚れも有り得ただろう、余りの美貌に心を奪われ骨抜きにされたかもしれない。顔を見る前から無礼千万なアクションを起こされなければ、だが。


「……私の顔、クリーム塗れですよね」


 酷く硬質な声で、温かみの無い瞳を向ける彼女は、誰の目から見ても怒っていた。ハハハ、愉悦、愉悦。我慢しても口端が吊りあがっていくのを止められない。さっき散々可愛いとか言ったけど、やべ、やっぱクリームぶちまけられたこいつ不細工っつーかマジ笑える。


「そうだな、ぶふっ! 俺からのプレゼントだよ。嬉しいか? なあなあ嬉しいか?」


「怒ってますよね、私。普通生クリームつけられたら怒るのが普通ですよね? それと、笑わないで下さい。私人のことを笑うのは好きですけど、自分のことを笑われるの大嫌いなんです」


「一言一句同じ言葉を返すよ。ていうかやべえってあんた。その顔面白い。今時の言葉で言えばチョーウケルんですけど」


「……カッチーンときました。今時の言葉で言えば、チョームカチーです」


 言ってサラは背中を後ろに逸らし、猫のように飛んで襲い掛かってきた。見た目と行動がこうも合致しないとは、まさか国際天然記念動物か何かか!?
 今までの無機質な顔から憤怒一色鬼瓦みたいな表情になり飛んでくる女を後ろに一歩下がり回避する。受身を取らず顔から地面に着陸されたので、「へぶっ!」とまた同じような呻き声を漏らしていた。腹が捩れそうな体験は本当に久しぶりだ。ルッカの胸囲が足りなくて防具をつけられなかった時以来だ。これぞ爆笑。


「ううー……よくもやりましたね!」


「アッハッハッハッハ!!! ひー、ハ、アハハハハハハハハ!!」


 眼前に指先を突きつけて侮辱行為。みるみる顔色が真っ赤になっていくのさえ面白い。この国は無味無臭な人間ばかりだと思っていたが、いるじゃないか生粋のコメディアンが! カエルを越える面白さだ! 仲間には死んでもなって欲しくないけどこんなドジ女!
 後ろで老婆が「サラ様! なんとおいたわしい……ふふふっ!」と笑っていることも相乗してサラは顔どころか体全体が茹ったみたいに赤くなっている。鼻先からついー、と流れてくる鼻血なんか笑いの神が舞い降りたとしか思えないタイミングで流れるんだから、俺の嘲笑というか、朗らかな笑い声は止まることを知らない。


「…………ファイア」


「ハハハハハおおぅ!? 危ねぇじゃねえかテメェ! どういうつもりだ!?」


 この口裂け女ならぬ笑わせ女、魔術で火を出しやがった! ルッカと同じ魔術系統なのか? いやそんなことはどうでもいい、目先で放ったから必死で避けたものの髪の先が焦げてしまった。口争いで負けたからといって暴力に手段を変えるとは、人語を解するから人間なんだぞ! お前は獣か、もしくは楽屋の島田○○か!


「嫁入り前の女にとって鼻血を見られるのは裸を見られるよりも屈辱なのです! 見た相手は結婚するか殺すしかないのです!」


「だったらそれらしくマスクでもしてろアホが! まあある意味女にとって鼻血って裸よりも恥ずかしいけどさ! ……ふふっ」


「また笑いましたね? この強姦魔ーーーッ!!!」


 人聞き悪いこと天の如し。誰が貴様の裸など見るか! と叫ぶ前にサラが火炎を撒き散らす。周りの人間が悲鳴を上げているけど、その辺りは意に介さないようだ。流石、頭の構造が違うアホはやることが違う! ちゅーかこれ、大火事になるんじゃないか? 自分の住む国で白昼堂々放火って根性が据わっている! アホはアホでも度胸あるアホのようだ。見境の無い馬鹿とも言う。
 両手から連続エネルギー弾のように火を放つサラ。威力は恐るべきことにルッカと並びそうなものだが、戦闘に慣れていないのだろう、目測は滅茶苦茶、速度は並以下。死線を潜ってきた俺が当たるわけが無い! 多分!


「当たれ! 当たれ! 当たれええぇぇぇぇ!!!」


 いよいよ俺の姿を見る事無く無茶苦茶に腕を振り回し四方八方に火を投げ出した。柱の影に隠れている俺に当たるわけがないのだが……もしかしたら俺の姿そのものを見失ったのだろうか? その場を動いて探すという考えは出ない辺りが、優しく言えば愛しい。悪く言えば頭が悪い。普通に言っても頭が悪い。やっぱり優しく言っても頭がパー。
 老婆が「落ち着いてくださいサラ様! ネット風に言えば自重しろ!」と腕を羽交い絞めにしてようやく騒ぎが収まる。纏められた髪はバラバラ、顔も優しさなんてこれっぽっちも見受けられない修羅の面構え。誰もが戦々恐々と遠巻きに見つめている中、女は何処かから現れた男二人に両腕を掴まれて宮殿の奥に連れられていく。
 これで終わりなら別に良かったのだけれど、俺の加虐心が疼いてしまい、姿が見えなくなる前にさり気無く彼女の視界に入り、両手でピースサインを作って唇を突き出した変顔を見せた。擬音を付けるなら、「ププスー」だろう。連行されながらも「むきーーー!!!」とサルのような鳴き声を出しているサラに優越感と勝利による達成感で胸が一杯になった。もしかして、これが恋?


「……無駄な時間を過ごしたな……」


 喧嘩相手が去ると、いかに自分が低レベルな争いをしていたのか身に染みて分かってきた。小学生(並みの知能)相手に俺は何をしてたんだ。見苦しいにも程がある。さっさとルッカに会って謝るんじゃないのか俺は。
 気を取り直してまた宮殿内を歩き出す。不思議なことに、住人たちが急激に友好的に接し始めた。曰く、「サラ様を懲らしめてくれたありがとう!」との事だった。聞くところによると、あの脳内成分欠落娘、度々住人に迷惑をかけては反省することが無かったそうだ。ちなみに、最初俺に冷たくしていたのは単純に服装も違う他所から来た人間相手にどう会話をすればいいのか戸惑っていたそうな。揃いも揃って全員シャイとは、未来の人間と真反対な住民たちだこと。


「紫の髪で、帽子を被ってメガネをした女の子……? ああ、それなら」


 道具屋のおじさんにルッカという女の子を知らないかと聞いてみたところ、所在を知っているそうで、宮殿の二階にある一つの部屋を指差した。店主に礼を言って教えてくれた場所に足を向ける。よく考えれば、謝る言葉を何にも考えてないぞ俺……大丈夫か?
 不安は有り余れど、歩く足は止まらない。頭では複雑に考えていても、やっぱり俺はルッカに早く会いたいのだ。あのような別れの後では、尚更。
 彼女は怒るだろうか? それとも泣いているだろうか? もう俺のことなんてどうでも良くなっただろうか? 信頼とは、築きがたく壊れやすい。それゆえに尊いものなのだ。それを俺は積み木のように崩し、泣かせてしまった。
 ルッカがいるだろう部屋に近づくにつれて、胸が痛み、進む足が重くなる。動悸は激しくなる一方で、静まることをしない。会いたい、会いたくないという相反する想いが交差して……ついに、部屋の扉の前まで来た。
 ……開けたい、開けたくない。謝りたい、見捨てられたくない……それぞれ感情は絡み合うけれど……


「…………」


 取っ手を握るも、捻ることができない。少しの力で大切な幼馴染と会えるのに、臆病な自分が躊躇ってしまう。あの馬鹿女のせいで、決心が鈍ったようだ……いや、それは八つ当たりか。所詮俺は臆病者、自分勝手な行いで誰かを傷つけても、こうして怖がってしまう。


「……そうだよ、怖がるさ。だって……」


 逆説的に考えれば……彼女と会うのが怖いということは、それだけ彼女のことが大切だということ。臆病である自分は、大切な物を持っているということに他ならない。
 臭い台詞だな、と自分の考えに苦笑して、扉を開けた。まずは彼女に殴られてみよう。彼女との会話は、いつもそれで始まっているのだから。






「いーい? 次は私がクロノの帰宅を喜んで出迎えて『食事にする? お風呂にする?』って質問するシーンよ。真剣にやらないと火つけるからちゃんとやってね?」


「……もうどっか行ってくれないかな、アンタ……」


「………………」


 俺は、静かに扉を閉めた。
 見てはいけないものが確かにそこにあった。魔界、修羅界、獄門界。そのどれもがあの光景の凄惨さには敵うまい。成人も近い幼馴染が子供相手におままごとをしている姿がこうも胸に突き刺さるものとは思わなかった。それも、自分から率先してシチュエーションまで作っていた。憧れの清純なクラスメートが1○9をマルキューと呼んでいた時に似ている。初めて出来た彼女の愛読書が戦国バサ○のビジュアルファンブックだった時もきっとこんな衝撃を受けるのだろう。ルッカの腐りきった姿を見た後では、近くにいた子供がエンハーサで見かけた薄気味悪いガキだった事など激しくどうでもいい。さる大物女優が自分の家を訪ねてきても宇宙から未確認生物の群れが来訪してくれば感動も驚きも消え去るというものだ。ああ、上手い例えが見つからない。
 扉の前で蹲り悲しみの涙を流して、過去の自分の所業を呪った。俺だ。俺がルッカをあんな風に変えてしまったんだ。俺の心無い言葉が彼女の心を切り裂き粉々に打ち壊してしまったのだ。
 ぶつぶつと己に対する恨みつらみを溢していると、階段を上がってきたカエルが「うおっ!?」と後ろずさり危うく転げ落ちそうになっていた。そんなコメディでは俺の心が晴れることは無い。ああ、サラと過ごした時間はああ見えて有意義だったんだなあ……


「ど……どうしたクロノ? ルッカはいたのか?」


 平静を装いながらも確実に引いているカエルが肩を叩く。言葉にする力も無い俺は力無く後ろの扉を指差した。中の悲惨な状況を見れば、カエルも分かってくれるだろう。
 カエルは唾を飲んで恐る恐る扉を開き……俺と同じように、音を立てないよう扉を閉めた。その目には、大切な仲間を失った悔恨の色が濃く映っている。


「俺が、ルッカを壊したんだ……俺があんな酷いことを言わなければ、ルッカはいつもの明るく元気な女の子のままだったんだ……」


 俺の自責に、隣に座ったカエルが耐えられないという顔になり抱き寄せてくれた。
 こんな俺を……慰めてくれるのか?


「自分を責めるなクロノ……俺とて、彼女を救う幾千の機会を逃してしまったのだ……お前だけが背負うことじゃない……っ! 仕方なかったんだ……」


「でも……俺、俺………!」


「泣きたければ、泣け。いや、泣いてやれ。お前の幼馴染だろう? 昔の彼女の為にも、悼む意味で泣いてやれ……」


 泣いていいのだと言われて、俺の涙腺は崩壊した。耐えられないさ、だってルッカは俺が生まれた時から知っていて、時々怖い実験で脅したり叩いてきたりしたけれど、遊ぶ時はいつも一緒で、悪戯する時は楽しくて、怒られる時も一緒。母さんの横暴に家出したときも彼女は家に入れてくれた。暖かいスープを飲ませてくれた。何故か体が火照ってフラフラしたけれど……それはまあいい。
 そんな、行動力ある、頼れる姉貴分だった彼女があんな見るも無残な姿になったのは、俺のせいなのに……! 自分の行為に深い後悔をしている俺は吐き出したかった。何がと言われても簡単には言葉に出来ない。混ざり混ざった負の感情は体中を徘徊して……涙として集束された。
 ……さよならルッカ。もう、お前に会えないけど、もうお前は何処か遠くの世界に旅立ってしまったけど……俺は覚えてる、ルッカの怒ったかも泣き顔も……笑顔だって、ずっと忘れない。誕生日には、黄色い花を贈ってあげるよ……


「ふざけるなよ、もう僕は帰る。一人でやってな」


「待ちなさい! まだ142パート残ってるのよ!? 今更私の愛妻遊戯から逃れられるとでも思ってるのかしら!?」


 唐突に俺たちが背を向けていた扉が開かれ、渦中の人物が顔を出した。彼女は逃げ出そうとした子供の襟首を掴み部屋に引き摺り戻そうとして……俺と目が合った。その目は一度流されて、背を向けた後、暫しの間を置いて勢いをつけもう一度俺の顔を凝視する。
 耐え難い……あまりに耐え難い……! ホラードラマの山場で狙われるヒロインのようにふるふると震える俺を、ルッカは色の無い表情でじっ、と見つめ続けている。カエルは俺を抱き寄せたまま動かない。後ろを見ることでルッカを視認する事を恐れているのだろう。願いが叶うなら、数秒前までに起きた事柄が無かったことにならないか? そう訴えるような目で遠く、窓の外の景色に心を寄せていた。
 ルッカが動き出したのは、急なことだった。飛び上がるように大きく縦に振動して、乳をねだる小鹿のようにぷるぷる足が震え、唇の色は謙譲とは言えない赤と青を足した色彩へと変化していく。今自分が立たされている状況を把握できていないようだ。俺は、背後から大声で驚かせた猫を思い出した。
 喉から引き出したように「ひきっ、ひきっ……」と正常ではない音を鳴らし、彼女はカエルの頭を優しく……握り潰した。


「うぁ痛たたたたたたっ!?」


 大きくない掌でカエルを持ち上げた彼女は万力の握力(それが証拠に、少し離れた俺からもカエルのこめかみから聴こえる悲痛な破砕音が届いている)を伝わせていく。「ひ、ひ、ひひひひひひ」という笑い声なのか判断しかねる狂声を上げて壁に押し付けた。


「アハハハハ……私ね、私間違ってると思うの。分かる? 私が間違ってると思うわ、だって私自身がそう思ってるのだもの、そうでしょ?」


「何を言ってるのか要領を得ない! とにかく俺の頭を離せ! このままではトマトのように潰れてああああ!!!」


「いいのいいのカエル。ごめんね、私も今の状況がよく分かってないしそれが良い事なのか悪いことなのかもうサッパリだもの。とりあえずあんたの頭はいらないわそれだけは分かるの。もっと順序だてて言えばあんたが死ねば少しはハッピーになれるのじゃないかという論理的思考流石私ね!」


 支離滅裂過ぎて何が何やら分からない。今分かるのはカエルが人力頭蓋潰しの刑に処されていることだけだ。
 カエルも抵抗しようとルッカの腕を握るのだが、蛙状態時ならまだしも人間の女に戻ってしまった非力な細腕ではビクともしない。大きく開いた口から苦悶の声は途絶え、泡を量産し始めた。一瞬、魔王の魔力が復活して蛙に戻ったのかと思ったのだが、力なく垂れた両腕を見て危険信号の一種か、と納得する。魔王戦以上の命の危機なのかもしれない。カエルにとっては。
 傍観している俺の隣でルッカの遊び相手だった暗そうな子供が「やれやれ……」と頭を振っているも、何故だか俺の肩袖を強く握っている。ロボ体質なのかもしれないと邪推したが、一般的な子供のリアクションとして、怯えて誰かに縋るのは極普通の事なんだと改めた。


「…………る……るっかさん。多分もうすぐカエルさん死んじゃうから、その辺にしておいた方がよろしいかと……」


 俺の懇願染みた声に耳を貸す事無く、ルッカは短い間隔で痙攣するカエルに顔を近づけ敵愾心しかない想いをぶつけている。


「抱き合ってるって何抱き合ってるって何あんたらどこまでいったのえ? どこまでいったのよ石破ラブラブうんたらかんたらを二人で放出できるくらいまで進んじゃったのそれともバルス? ああ遠回しに聞くのは止めるわABCで答えなさい私があんたらと離れてた時間はおおよそ二時間から三時間、ああらCでも時間が余るわねえどうしようかしらやっぱりパーティーの風紀委員たるルッカさんとしては吊り首斬首火炙り切腹電気椅子牛裂きのどれかに値するルール違反だと思うわけでああもうアンタは四肢を切り裂いてクロノと私は二人で火に飛び込んで死のうかしらそうすれば冥土で私は文字通り燃えるようなロマンスを体現するわ勿論あっちであんたと再開した時はまた同じ目に合わせて何度でも『死』を経験してもらうのよ素敵でしょこのビッチ痴女略してビッジョ」


 僕は怖がってないぞというアピールとして鳥やハムスターは自分でグルーミングするそうな。隣の子供が気が触れたように自分の頭を撫でているのは精神安定の一種なのか。俺も真似してみるか。
 ……冗談はさておき……俺の脳内予定とは些か食い違ったが……ルッカに放った暴言を謝罪するのは今なんだろうか? もう少しムードある状況でこなしたかったが、仕方あるまい。このまま謝るのを先延ばしにしていては地球上一番悲しくない仲間との死別を迎えそうだ。カエルが白目を剥きだしてから一分が経過した。デンジャーゾーンであることは疑いようが無い。


「ルッカ! あの、今更言えた義理じゃないけど聞いてくれ! 聞くに当たって尊い生命を散らす行為を中断してくれると助かる、大いに助かる!」


「私が聞きたいのはあんたたちが粘膜を擦れ合わせたのかどうかよ!」


「ぜんっぜん隠語にもなってねえ! カエル相手にそんな事実は無い! 未来永劫!」


 俺の断言に修羅の国が印刷されていたルッカの背景に薔薇が散りばめられている幻覚を見た。


「そ……それはつまり、お前だけの特権行為だぜルッカ! そう言っているのね?」


「そんな権利欲しいか? まあ……僭越ながら、違いますと断っておくが」


「アアアアアアアアコノヨノスベテヲコロシテクレル!!!」


 カエルの頭を形成している大切な何かが壊れていくのを、俺はただ見ていることしか出来ないのか? 出来ないなうん。俺は弱いなあ。弱いとダメだなあ。


「黒い風が泣いてる……あの緑の髪のお姉ちゃん、死ぬよ」


「その風なら、俺もひしひしと感じてる」


 その後俺の真摯な説得によりMAJIで死んじゃう5秒前にカエルは解放されることとなったが、彼女はもうルッカに逆らうことも、仲間と見ることも出来ないだろう。余談だが、この日の出来事によりルッカはジール宮殿住民の間でヘッドクラッシャーと影で呼ばれ、少数ながら存在していたカルト教団に邪神として崇拝されることとなった。前世か、もしくは来世にはそうなるかもね。彼女。






 一騒動あったものの、それから落ち着きを取り戻し始めたルッカは話をするどころか、元いた部屋に飛び込み堅く扉を閉ざしてしまった。「そこは僕と姉様の部屋なのに……」と愚痴を漏らす子供と頭を再び稼動するのに不備が生じているカエルを他所に追いやり二人で会話できる空間をようやく作ることが出来た。ようやく、を強調したいところだ。
 一息ついて、扉をノックする。反応は返ってこないが、少しだけ見た部屋の構造からして外からでも普通に話しかければ俺の声が聞こえないということはないだろう。その場に膝を落として座る。
 あー、と言って何を伝えたいのか自分でも分かっていない頭を回転させる。出た考えは、謝ればいいというものでもないけれど、まず謝らねば先に進めないという馬鹿でも分かる結論だった。


「ルッカ……ごめん。俺さ、苛々してたんだ。お前の言うことは当たってた。恐竜人たちのこと引き摺りっぱなしで……お前に当り散らしてた。最低だ……本当にごめん」


「…………」


 声は聞こえない。それでも、彼女が扉に触れるか触れないか、俺と程近い場所で俺の言葉に耳を傾けているという確信がある。真剣な話をしている時は、彼女は俺の話を聞いてくれる。届けたい言葉を必ず受け取ってくれる。分かるさ、幼馴染なんだから。


「……えと、お前が俺に頼りっきりとか、全部嘘だ、デマカセだ。お前が俺に気を遣って言い返せないのを良いことになんでもかんでも言っちまっただけなんだ……許してくれないかもだけど、俺が本心からそんなことを思ってるわけじゃないって事は信じて欲しい!」


 階下にいる住民たちが俺の独白を気にして集まってきた。数十人に見守られながら謝るって、なんか……辛いな。恥ずかしいってわけじゃないんだけど……
 余計なことに気を取られてそれから先の言葉を構成できない。「ええと……」と困っている声が聞こえたのか、裏側から二回、扉を叩く音が聞こえた。


「それは……嘘でもデマカセでもないわ。私は……クロノに頼ってた。それは間違いじゃない……格好悪いわよね、本当の事言われて逃げるんだもの」


 尻すぼみになっていく力ない言葉を受けて、ルッカには見えもしないのに首を強く振る。


「違うって! ルッカはいつも凛としてた、いつも先を見据えて俺を導いてくれたじゃないか」


「……だから、それはあんたがいたからでしょ? クロノがいるから私は立っていられただけ。現に、あんたが落ち込んでるときの私なんて、オドオドして、鬱陶しかったでしょ? 自分でもそれくらい分かるわよ」


「なんでそんなに自己批判するんだよ。お前が元気無かったのは俺が悲しんでたからだろ!? 何度も言うけど、気を遣ってくれただけじゃねーか、お前が自分を悪く言う必要は無い!」


「……ありがと。あんたもしてるじゃない。これが気を遣われるってことね、確かに良い気分じゃないわ」


「礼を言うタイミングじゃないだろ……マイナス思考も大概にしろ」


 何を言おうと、ルッカは自分を責めることを止めないようだ。いっそ扉をぶち破ろうかと思ったが……それは、何か違う気がする。それでは欠けたまま戻らない。
 『考えすぎだ』『落ち込んでるからそんな風に思うだけだ』『ルッカらしくないぞ』……他にも様々な切り出し方を模索したけれど、どれ一つとって正しいものではない。そんなのは、あくまで俺の出した答えだ。ルッカの望むものとは根底から違う。


「……昔から、そうだった」


「何?」短い疑問文を口に出す。


「私が……お母さんのことで皆に虐められた時があったでしょ? 町の友達も、近所の大人たちも、お父さんさえ私を無視して、暴力を振るわれることさえ珍しくなかった……」


 ──それは、もう懐かしいくらい昔のこと。
 ルッカの、忘れることの無い最初の実験。いや、実験と言えるのかすら怪しい、一つの行動が切っ掛けでルッカはトルースの疫病神となった。
 詳細は省くが……ルッカが、己の母を……殺した、出来事。
 殺したというが、当然悪意や殺意なんてものが微塵も無い、不運としかいえぬ悲劇。詳しく聞いた事はないが、ルッカの一つの失敗が肉親を殺める事となったのだ。小さな町だ、噂は数日と経たず飛び交った。同年代の子供は「親殺し!」と罵り、大人たちは生きていく上での積もった不満を全て叩きつけるようにルッカを陰湿なやり方で追い詰めていった。仲間はいない。ルッカの父タバンさんすら最愛の妻を故意ではないとはいえ殺してしまった、娘に容赦の無い暴力を振るっていた。
 ……そんな毎日が続き、鬱々としていたルッカは、村外れの大木の下に訪れた。
 それが、俺とルッカの関係が始まるファーストコンタクトになったのだ。


「もう昔……なのよね。まだ覚えてるわ、あの日は嫌味なくらい快晴だったのよね……」


 ルッカの言葉から、過去を思い出していることを理解する。
 俺は、彼女の回想が終わるまで、じっと聴いていることにした。彼女は、どんな言葉を使ってあの頃の俺たちを思い浮かばせてくれるだろうか。









 星は夢を見る必要は無い
 第二十五話 クロノとルッカ










 天気は晴れ。お日様は私の事なんか気にせずポカポカ陽気を降らしてる。胸はぎゅーっと痛くて、いつも私に「死ね」って言うのに、お日様さえ私を助けてくれない。
 でも、それは当然の事なんだ。だって私は、あの優しいお母さんを……ダメダメ!
 その時の光景を思い出しそうになって、私はちょっと強めに自分の頭を叩く。町の子に石を投げられてできたたんこぶに当たって痛かったけど、別に良い。だって、もうすぐそんなこと気にせずにいられるんだから。
 えい、えい、ってロープを強く締め直す。試しにぶら下がってみるけど、引っ掛けた太い木の枝も、家の物置にあった荒縄も、私程度の体重じゃビクともしなかった。お前なんかそれ位の存在なんだよ、って言われてるみたいで、今まで沢山泣いたのにまた涙がこみ上げてきた。井戸のお水はいっぱい汲み取れば空になるのに、涙は無くならない事に私は『りふじん』というものを感じた。結局、泣き出すことは無かったけど。
 重かったけど、頑張って運んだ丸椅子を吊られたロープの下に置いて、準備完了。やってることを考えればおかしいのだろうけど、なんだかタッセイカンを得た気持ちになって、こんな時なのに誇らしくなった。きっと、天国のお母さんが褒めてくれているのだ。「自分から死ぬなんて、偉いね」って見えないけれど、頭を撫でてくれてるのだろう。ちょっと前までは友達とか、お隣のロジィナおばさんに「お母さんに褒められたよ!」と自慢するのだが、皆私が話しかけると目を逸らしてこそこそ内緒話を始めてしまう。その時の私を見る目がなんだか嫌な感じだったので、私はもう誰とも話したくない。
 辛いことを思い出して、悲しくなったけれど、ロープと椅子の二つを視界に入れると、自ずと良いことをしている! と思って久しぶりに楽しい気分が生まれてきた。
 私は悪い子である。皆も、お父さんもそう言うし、私だって分かってる。ミリーちゃんが言ってた、お母さんを殺した奴は生きてたらいけないんだよって。だから私は死ぬことにした。だって、悪い子だから。
 そんな私が自分から死ぬのだ、それはそれは、とても良い事に違いない。私が死んだら、ロジィナおばさんも、ミリーちゃんも、お父さんもお母さんもまた一緒に遊んでくれるだろう。その時を思い浮かべていたら、私の胸を痛くするチクチクが薄れていった。でも、完全には消えない。死んだとき初めて、イタイイタイのが飛んでいくんだろう。自分の考えに驚いた、やっぱり私はお父さんの娘だから、とっても賢いんだろう。今朝お父さんに「お前なんか娘じゃねえ」って言われたけど、娘だもん。嘘じゃないもん。
 ぎっ、と私を応援する丸椅子の声を聞いて、私は背中を押された気がした。行けっ! 飛べっ! と周りの草花も風に乗って叫んでいる。私を支えてくれるロープや木も揺れて、今か今かと私のらいほーを待ちわびている。私は自分で合図を決めて、いちにのさんで丸椅子を蹴飛ばそうとした。いちにのさんのリズムは昔友達と考えた歌のリズムと合わせてみよう、楽しいな。
 私が「にーの、」まで声に出した時、木の上からお猿さんみたいな生き物が私の近くに落ちてきた。驚いた私はバランスを崩して、丸椅子からコロリンと転げ落ちてしまった。


「ぐええっ! 痛いよー……」


 私のお尻の下から声が聞こえたので、そのまま横に飛んで逃げてしまった。お猿さんが喋ったのかと思ったのだ。ホントにホントに、心臓が飛び出してくるかと思った。
 結局、怖いの半分、期待も半分で落ちてきた生き物を見ると、それは私と同じくらいの男の子だった。ちょっと、残念だった。
 その男の子は、町の男の子と同じように膝までの短パンを履いて、青色のシャツを着た元気そうな子だった。赤い髪の毛がくるっとはねていて、やんちゃそうだなあ、とぼんやり予想した。


「うう……寝てるところだったのに、なにしてるんだよこんな所で! お陰で木の上から落っこっちゃったじゃないか!」


 これには私もムム、と頬を膨らませる。こっちだって準備もして、『そうぞうをぜっするかくご』をしたのに、それを台無しにされたのだ、怒るべきは私のほうだと思う。


「わ……わたしも…………うう……」


「何? 全然聞こえないよ! もっと大きな声で話せよ!」


 頭ではいっぱい文句を思いつくのに、最近会話をしていないし、男の子と話す機会の無かった私は、口をもごもごさせるだけでちゃんと喋る事が出来なかった。


「ううう…………うえ、うえええん………」


「な、何で泣くんだよ!? 俺、酷いことなんてまだ言ってないぞ!」


 最悪だった。さっきまで良い気分とは言えないけど、大声で泣くほど嫌な気分でもなかったのに、いきなり現れた男の子のせいで泣き出してしまったのだ。
 先に言っておくが怖がったのでは断じて無い。ちょっとびっくりしたから泣いただけで、むしろこんなの泣いた内にも入らないだろう。ジョーシキだ……そうだ、それなのにこの男の子が「泣いた」というから、気を利かして泣いてやっているに過ぎない。大人の女とはそういうものだ。でも、びっくりしたのは事実だからソンガイバイショーをセイキューしてやる。


「そ……ぐす、しょーを、せ、せいきゅー……ひっく、」


「だから、聞こえないってば! ほら、もう一回言ってみろって!」


「ひっ! う、うわああん!!」


「あーもうどうすればいいのさ!?」


 せっかく私が賢い言葉を使おうとしたのに、この男の子が顔を寄せてきたから、またびっくりしてしまった。今度も怖かったんじゃない。叩かれるのかな、と思って怯えたんじゃない。やるのかー! と思って男の子をいかくしたのだ。むしろこっちが脅かしてやろうとしたのだ。せんてひっしょうである。
 それからもずっと私に同じ事を言わせようと脅してくるので、私はあくまでちょーはつ的な、「いつでも相手になってやる」的な意味で泣き続けた。いよいよとなって男の子が「ごめん! 俺が悪かったから泣き止んでよ!」と謝ってきたので渋々ほこさきをおさめてやる。


「ひっ、ひっく……うう……」


「もう大きな声出したりしないからさ、怖がらなくていいよ?」


「こ、怖がってない……と、とーそーしんを高めてただけ……」


「とーそーしん? 何それ、変なの!」


 私の知性あふれる言葉を変で片付けられたのでまたむかっ、ときたけれど、今度は泣きたくなる気持ちにならなかったから今回は見逃してやることにする。貸しなんだから、いつか返してもらおう。
 それから、男の子が私に根掘り葉掘り質問してくるので、忙しい身の私だけれど付き合ってあげることにした。子供の相手をしてあげるのも、大人の女の仕事なんだってお母さんが見てた雑誌に載ってたもん。


「そ、それでね、お父さんが『うるせえ! お前が悪いんだ!』って言ったらね、お母さんが『うるさいじゃありません! 自分が悪いのに、人のせいにしないで!』って怒鳴ってね、ぽーんて叩いちゃって、お父さん泣きながら頭を下げたんだよ!」


「へえ、やっぱ何処の家でも女の人の方が強いんだなあ……」


「うん! 女は強いんだよー、女の子も勿論強いけどね! お母さんが言ってた! 私のお母さんは何でも知ってるんだよ!」


「あはは、凄いお母さんなんだな」


「そうなの! この前なんかね、町のお菓子作り大会で優勝したんだよ! お母さんの作ったお菓子は世界で一番美味しいの。それにとっても綺麗だから、おひげを生やしたおじさんが『目でも味わえる』って言ってたよ!」


 ……この部分だけ見れば私ばかり喋っているように見えるが、あくまで私は男の子の話を聞いてあげているのだ。嘘じゃないもん。たまたまだもん。
 でも、楽しかったのは……認めてあげなくも無い。あんまり賢そうじゃないけど、悪い子ではなさそうだ。話していて面白いし、真剣にお話を聞いてくれているのが分かる。ほんのちょっとだけ、私の話に熱が入ったのは認めなくもない気がする。うん。
 男の子の名前はクロノというらしい。私ほどじゃないけど、良い名前だと思う。聞けば私の家からちょっと離れた家のジナさんの息子らしい。ジナさんとは気風が良くて、昔ちょっと話しただけだけど面白くて綺麗で優しい女の人だった。お母さんほどじゃないけど。
 そうして話をしている内に結構な時間が経っているようだった。気づけばお日様は遠くに沈んでいて、影が差している。ホーホーとフクロウが鳴いて夜が近いことを教えてくれた。クロノもそれに気が付いて「あっ! 洗濯物取り入れなきゃ!」と慌てていた。
 立ち上がって走り去ろうとするクロノの腕を、私は無意識に掴んでいた。なんでか、自分でも分からないけど。
 私に掴まれた腕を見て、クロノは「え、ええーと……」と困ったような顔を浮かべている。そこで私は自分が彼の帰路を邪魔している事に驚いて「あっ!」と手を離した。びみょーな時間が流れて、クロノはやっとの思いで、という顔で口を開いた。


「あ、あのさ。ルッカはこんな所でなにやってたんだ?」


 会話になれば何でも良かったんだろう、クロノは今思いついたというように言葉をねじ込んだ。


「私? ……私は……」


 ふと、木の近くに横たわってる丸椅子と、ロープに視線をやり自信満々に答えた。


「き、木の実を取ろうとしたの!」


「木の実? ああ、そういえばこの木にも生ってるな。でも渋くて食えたもんじゃねえぜ」


「そ、そうなの。じゃあ止めとく」


 言って、私たちは手を繋いで家に帰った。別に、かくごを捨てたわけじゃない。ただ、クロノに女の子は強いと言った手前すぐに死ぬのはなんだか嫌だった。もちろん、明日になれば死ぬつもりだ。だから、私はロープと丸椅子はそのままに置いて帰った。一々家に持って帰ってまた持ってくるのは二度手間だから。
 明日になれば、私はまたここに来る。そして、死ぬ。間違いない。
 ……だけど、もしクロノがまた木の近くにいたのなら、その時はおしゃべりしてあげなくも、無いかな。




 クロノは木の近くで待ってるどころか、私が家を出てすぐのところで待っていた。片手を上げて「おはよ!」と明るく笑いかけてきた時は呆れて、思わずしかめ面になってしまった。れでぃーの家の前で待ち伏せするなんて、全くなってない。


「なんだよルッカ、なんか随分嬉しそうじゃん! 良いことでもあったのか?」


 ……笑ってないもん、だ。


 この日は私の自殺決定場所である町外れの木に行く事無く、ガルディアの森に冒険しに行くことになった。
 森の中は魔物が少ないながらに存在しているため、大人たちに子供だけで近づいちゃ駄目! と強く言われている場所だった。私がクロノに「やめようよ……」と断然と物申せば、「俺がルッカを守るから大丈夫!」と力一杯否定した。言うことを聞かない人は大きくなったら駄目な人になるというのに、クロノはやっぱりお子様だ。


「ルッカ? 熱でもあるのか、顔赤いぞ。まっかっかだ」


「う、うー……」


 熱気にやられてのぼせたのを勘違いしてクロノが近づくから、私は着ているシャツを上に押し上げて顔を隠した。別に、隠す必要も無いんだけど!
 森の中には面白そうなものがいっぱいあった。ちゃんと食べられる、渋くない木の実や果実。綺麗な石とか、水がとても透明な川。りすさんの家族をクロノが見つけてくれた時はとしがいも無くはしゃいでしまった。もう私は子供じゃないのに。
 かくれんぼの場所にも困りそうに無い。秘密基地みたいな穴ぼこもあって、二人で仲良く遊んだ。鬼ごっこをするときは、クロノがハンデをくれて、ちょっと嬉しかった。でも、鬼の時間はどっちも同じくらいだったから、ちょっと悔しい。
 そんな風に、私たちは沢山遊んだ。めいっぱい遊んだ。こんなに楽しかったのは久しぶりだった。何で、こんなに楽しいのか分からないくらい。
 答えは、ふとした拍子に見つかった。私が森の中で木の根っこに躓いて、転んで膝を擦り剥いてしまった時のこと。血がたっぷり出て(言いすぎ、かもしれないけど)私が泣いてしまった時である。誰かにやられた訳でも、酷いことを言われた訳でも無いのに、私は大声で泣いてしまった。ただ痛いだけなら、友達だった子達に蹴られたり棒で殴りまわされたりした時の方がずーっと痛いのに、その時は泣かなかったのに、今は泣いてしまった。何でだろう? と泣きながら考えていたら、それが答えだった。
 私が座り込んで涙を流していたら、クロノがびゅーんと風みたいに飛んできて「大丈夫!?」と心配してくれたのだ。そう、それが答え。今までは泣いても誰も心配してくれなかった。慰めてくれなかった。でも、今は違う。クロノが心配してくれる。私の為に。クロノが慰めてくれる。私の為に。クロノがいるから、私は私でいられる、我慢しないでいられる。だから……いつも楽しい。
 いつのまにか、私は誰かと話すのが嫌じゃなくなった。クロノとずっと一緒に喋っていたかった。
 ──私は、そんな毎日がずっと続くのなら、生きていてもいいかなあとほのかに思った。
 





 なんで、私は気付かなかったんだろう。
 クロノが、私と遊んでくれる訳を。クロノが私を虐めない理由を。
 ……彼は、知らなかっただけなのに……
 私が、母親殺しであることを。






 クロノと出会って、ちょうど一週間が過ぎた日のお昼と夕方の間。その日はクロノに用事があるから、遊ぶのがちょっと遅くなると聞かされていたので、私はクロノと会う時間まで自分の部屋に閉じこもっていた。
 ベッドの布団を被り、息を潜めて時が過ぎるのを待つ。これが私の家での過ごし方。お父さんが部屋に戻った時だけご飯を食べて、トイレに行って、シャワーを浴びる。お風呂は時間がかかるから駄目。出てきたときにお父さんが部屋から出てくればお腹をぼーん、とされてしまうからだ。そうなってはクロノと楽しく遊べない。三日前にぼーんとされてからクロノと遊んでいると、彼に隠れて見えないところで何度か吐いてしまった。なんとかばれなかったけれど、次は隠しきれるか分からない。私は自分の存在を出来るだけ消すことにした。
 大丈夫、もう慣れた。食事は最悪森の木の実で空腹を誤魔化せばいいから食べなくてもいいし、トイレで水音を立てない方法を編み出したし、シャワー中に浴室の窓から外に出ることも出来るようになった。その度に肘とかわき腹とかを壁に擦ってしまうから、かいりょうのよちがありそうだ。
 ……以前は、こんな毎日を嫌だと思わなかった。それが当然だし、外は外で怖いことや痛いことでいっぱいだったから。
 でも、クロノと出会ってから、私はこの家にいる時間が苦痛で仕方なかった。早くクロノが来てくれないかと、十秒ごとに時計を確認してしまう。もう一時間経ったんじゃないか? と思って時計を見ると短い針はまるで動かず、一番長い針が申し訳程度に首を捻らせただけなんてことはざらだった。私に意地悪をしているのかと小さく文句を言うこともしばしばあった。壊れてるんじゃないかと思って調べたことは一日で両手の指だけでは数えられないくらい。
 窓の外を見ると、日が暮れる時間までまだまだあるのに、外は薄暗くなっていた。雨が降るのだろうか? 別に良い。この前ちょっと雨が降った時も、私とクロノは関係無しに野原を走り回った。天候がどうであれ、私たちの遊びは止められないのだ。


(……約束の時間まで後十分だ)


 知らず顔が緩んでしまう。もう少しで、クロノに会える。早く時間よ過ぎて! でないと私は生きられない。クロノがいないと、私は息を吸うことさえままならない。
 そんな興奮が始まって……私は、とんでもないことをしでかした。人生最悪の、失敗だ。
 時計を手に持とうと、サイドベッドの上に置いてある時計に手を伸ばして……床に落としてしまったのだ。それだけでは飽き足らず、時計は雷鳴のような音を立ててしまう。落としたことでアラームのボタンが入ったんだろう。その音は耳をつんざくようにじりりりりと鳴って私という存在を浮き彫りにしてしまう。慌てて時計を拾いアラームを止めたけれど……もう、遅かった。
 さっきの時計の音なんか比べ物にならないくらい響くお父さんの怒声と足音が階段を上がり、私の部屋を開けた。


「うるせえんだよクソガキ! 死にてえのか!? 本当に殺してやろうか!」


 お父さんは私の髪の毛を掴んで持ち上げ、階段から投げ落とした。階段の角に当たって跳ね返りながら私は一階まで落ちていく。ようやく体が回転しなくなったのも束の間。そのまま追いかけてきたお父さんに足首を掴まれて宙吊りのお腹をサッカーボールみたいにぼーんと蹴られた。ボールの私はどん! どん! と床を跳ねて玄関まで飛んでいく。ドアが開いてないからゴールにはならないなあ、と現実逃避。どのみち、この傷だらけの体ではクロノには会えない。最低、三日は会わないほうが良いだろう。私ではない、死んでいる私が冷静に告げる。
 ……そっか、三日もクロノに会えないんだ。三日も私は息を吸えないんだ。じゃあ、死んじゃったほうがいいなあ。決めた、お父さんのお仕置きが終われば、あの木まで走ろう。全部終わりにしよう。いやいや、もう今から玄関を開けて走り出せばもう蹴られないですむのかな? だったら、今すぐ死にに行こう。
 痛む体を起こして、私は玄関のドアに手を当てる。どれだけ痛んでも、私は泣きたいと思わない。今ここで泣いても、誰も私を助けてくれないのだから。外は、急に土砂降りになって空を隠していた。これじゃあ、どの道クロノと遊ぶのは無理だったよね。


「おい、何逃げようとしてるんだよテメェ! まだお仕置きは終わってないだろうが!」


 怒りの収まらないお父さんが私を追いかけてくる声が聞こえる。急いで走り出さないと、雨の中でも距離が稼げなければ追って捕まえてくるだろう。早く逃げないと駄目なのに、私の体は凍りついたように動かない。だって、


「……ルッカ? 何でそんなに怪我してるの?」


 目の前に、誰よりも会いたくて、誰よりも今会いたくない人がいたんだから。
 雨で濡れた癖っ毛は額に流れ、服は絞れそうなほどびしゃびしゃになっている。わざわざ今日は遊べないね、と報告しに来てくれたのかもしれない。何て……残酷な優しさなんだろう。彼がもう少し優しくない人間なら、私の一番見られたくない所を見られずにすんだのに。


「おら、捕まえたぞこの!」


「! る、ルッカを離せ!」


「ああ? なんだお前!」


 後ろから抱きかかえられて、私は体の力を抜く。もう、何をどうしても叩かれるのは一緒なら、抵抗しないほうが痛くされないかもしれないと思ったのだ。クロノが勇敢にもお父さんに命令するけど、お父さんはつまらなそうにクロノを見下す。


「俺はクロノ、ルッカの友達だ! 嫌がってるだろ、ルッカを離せよ!」


「友達ぃ? ふざけるな! 俺はルッカの父親だ、他人が口出しすんじゃねえよ、俺の教育に文句でもあんのか!?」


「教育って、あんたのはただの暴力じゃないか! なんだっけ、ええと……そう、虐待だ! 子供虐待!」


 捕まっている私を助けようとお父さんに怯まず言葉で噛み付くクロノ。彼は私の近くまで走りより、ぴょんぴょんと私を取り戻そうと躍起になっている。
 お父さんは虫を払うみたいに飛んで縋りつくクロノを平手で振り払った。軽い力とは言え、体の大きいお父さんに叩かれて小さいクロノは地面に倒れてしまった。


「ク、クロノ……」


「い、痛い……」


 水溜りに倒れて泥水を服に吸い込ませながらクロノは唸る。
 私はお父さんに、「クロノには手を出さないで! 友達なの!」とお願いした。


「……お前に友達、ねえ……おい、クソガキ。お前さては知らねえんじゃねえか? ルッカがどんな奴か」


 面白い余興が始まるとばかりに、お父さんはさも愉快そうにクロノに話しかける。その口振りからするに……もしか、しなくても……


「や、止めてよお父さん……お願い、友達なの、私の大事な友達なの! お願いだから、クロノを消さないで、クロノを取らないでーーッ!!」


 私の言うことなど聞き入れてくれるわけが無いお父さんはうるさそうに私の口を押さえて、「そうかそうか、お前があのジナの息子のクロノか。あいつはこういう話は嫌いだろうからな、息子のお前に教えてないんだろう。だから知らねえのも無理は無い、か」とニヤニヤしながら倒れているクロノに近づき始める。どれだけ叫ぼうと、どれだけ暴れようと、私の体が自由になることは無く、私の意志が届くことも無い。


「な、何だよ……」


 お父さんの雰囲気に押されて力の無い声を出すクロノの頭をがしっ、と押さえてお父さんが口を歪ませた。


「こいつはな……殺人者なのさ。こいつの母であり、俺の妻であるララを殺した最低最悪のな!」


「むうーーーーーーっっっ!!!」


(止めて、止めて止めて止めて止めてヤメテヤメテヤメテ止めてーーー!!!!)


「綺麗で優しい妻だった……愛してた! 近所でも有名な、誰にも好かれる女だった! あいつと一緒なら何でもできると疑わなかった! なのにコイツは殺した……あの歯車の中で……ララは、小さくなっちまってた……わざとじゃない? だからなんだ! ガキだからってそんなんで許されるかよ! しかも……」


 今も腕の中でもがく私を睨み、次にお父さんはクロノにも憎悪の視線を向けた。
 今にも、彼の喉を噛み千切りそうな、どうもうな笑みを貼り付けつつ、次の言葉を吐き出す。


「このルッカの野郎、お前と友達になったそうじゃねえか? 母親を殺した罪も忘れて新しい友達との生活が楽しみで仕方ねえようだな? ああ、そういやこの前服をドロドロに汚して帰ってきやがったな……はっ、所詮こいつにとってララはその程度の存在だったわけだ! 友達とやらで全部置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかったんだ!」


 クロノはお父さんに無理やり下を向かされながら、黙って話を聞いている。表情は見えないけれど……分かる。彼は今失望しているか、自分を騙していたと怒っているか……どの道、彼もまた私を嫌う町の子供たちと同じ、私を『殺す』人間へと変貌していく。メッキが剥がれ落ちるように、油絵をこそぎ落とすように、本当の彼が姿を現していく。
 分かっていた。彼が私を嫌わないのは、遊んでくれるのは、どこにでもいるくらいの陰気な女の子だと勘違いしていたからに過ぎない。本当の私を知れば、本当のクロノが出てくるのは当たり前なのだ。偽っていたのは私。それを受け入れるしか、ないじゃないか。


「目が覚めたか? クロノ。こいつは悪魔だ。誰からも好かれること無く愛されること無く生きるクソガキだ。当然の報いだ。町の人間でこいつと関わろうなんて奴はいねえ、お前もルッカなんかの相手なんかしねえで、その辺の子供と遊びな……まあ、他のガキと同じように拳でぶん殴る関係なら文句は言わねえがな」


 言ってごーかいに笑う。お父さんの言うことは正論だ、私の不注意でお母さんを殺したのは、紛れも無い事実なんだから。
 だから、早く死んでいれば良かったんだ。そうしたら、その分生きていた時に味わう苦しみとか、辛いとか、悲しいとか、全部無かったことになるのに。なったのに。
 私はもう、もがくことをやめた。どうでもいいんだから、逆らっても、叫んでも変わらないんだから。私を囲う世界は私の想いと裏腹にぐるぐる回り続ける。私という人間が止まっていても、何ら変わらず。


「……ルッカ、お前虐められてたのか」


 クロノが、お父さんの手が離れた後でも下を向いて、私にとって聞きたくない今更な事実を確認してくる。
 話しかけないでよ、もうクロノと話していてもワクワクしない。楽しい気持ちがぶわっと広がったりしない。顔も見たくないのだ。見て欲しく……ないから。
 お父さんが私の口を塞ぐことを止めた。自分で言えということだろうか? 私の口で「虐められた。誰も私を好きになってくれない。だって人殺しだから」と言えと、そういうことなのか? お父さんが無言で命令しても、それだけは従えない。私は固く口を閉ざし、クロノと同じように顔を下向けた。
 いつまでたっても何も言わない私に、それを肯定と受け取ったクロノは「そうか」と何でもないように言った。「俺、知らなかったなあ」とぼんやり空の泣き顔を見上げていた。


「なのにお前、笑ってたのか。皆お前を嫌ってるのに、家の中でも虐められるのに、笑ってたのか。すぐ泣いて、すぐ笑って、時々怒って……色んなお前を俺に見せてくれたのか……」


 ぽつぽつと、小さく区切って言うものだから、クロノの言葉は大半雨音に混じってしまった。頭上で雷鳴が響いている。しぜんげんしょーでさえ、私を責めているようだ。分かりづらい言葉なんていらない。クロノも早く私を「この人殺し! わざと黙ってたな!」と責めてくれれば良い。反論なんてしないから、私が黙っていたのは、きっと本心では彼を騙そうとしていた、知って欲しくないから。私の嫌なところを知ったら彼は私を嫌うから……うん、わざと言わなかった。
 どうせ嫌われるなら、そう言われるなら早いほうがいい。クロノとの思い出ごと全部切り捨てて欲しい、でないと、こんな時でも私は楽しかった思い出に縋ってしまう。
 静かにクロノは私に近づいてきた。水溜りに足をつけて、ばしゃばしゃ音を立てながら。そして彼の手が私の頬に……当たった。でもそれは悪意のない、大切な物を触るような手つきで。今まで与えられた虐めとか暴力とかと真逆な……幸せすら感じる温もりを乗せて。


「ほらルッカ、平手だぞ。痛いだろ?」


「……え?」


「だから、お前の顔を叩いたんだって。痛いだろ? 泣けよ、痛かったら泣いてみろよ」


「い……痛くない、よ」


 クロノが何をしたいのか、私に何を言っているのか分からなくて私は喋らないと決めていたのに会話をしてしまう。クロノは「嘘だ」と私の意志を決め付けて、


「だって、顔が腫れてるよ。見えないけど、足も痛いんだろ。立ってるの辛そうだ。体中痛いのかな、とにかく泣けよ。ほら早く」


 そこまで言われて、私は新しい虐めだと理解した。無理やり泣けとは、確かに厳しい虐めだ。クロノは頭が良いから、他の子とは違いこうりつの良い楽しみ方を見つけたようだ。私には、何が楽しいのか分からないけど、人を虐めることが楽しい人にとっては、面白いんだろう。
 そこまで考えが至り、本当に泣きそうになってしまったけど、涙はこぼれない。泣きたいのに、私の体が拒否している。止めろ! と涙を無理やり押しとどめようとしている。そんな私に「はあ……」とため息をついて、クロノは私の肩を掴み、無理やり目を合わせてきた。何をされても、私は泣かないのに。次は本当に痛いことをされるのかなあ。


「泣けってルッカ」


「……やだ」何をされてもいいけど、それだけは嫌だ。理由は分からないけど、泣けと言われて泣くのは嫌だ。私の意志まで勝手にされるのは嫌だ。


「泣け!」


「やだ! 私だもん! 泣くのも笑うのも、私の自由だもん! 私に残った最後の自由だもん!」雨音にもゴロゴロ言う雷にも負けないくらいの大声でクロノの体を振り払おうとした。彼は私の力なんてものともしなかったけど。クロノは私の声よりもずっと大きな声で怒鳴った。


「そうだよお前の自由だよ……だから泣けって言ってるんだ!!」


 自由なら、泣く必要なんかないじゃないか。
 私の声を聞く前に、クロノが触れそうなくらい顔を近づけてきたから、驚いて飲み込んでしまう。


「ルッカが泣いたら、俺が慰める。頭を撫でて、泣き止ませようとしてやる! だから泣いて良いんだ、お前が泣けば俺が助ける。誰も助けないなんてこと、絶対無いから!」


「……私、を助ける?」


 ──クロノがいれば、私は私でいられる。それは、数日前に発見した私の大発明。私を心配してくれる、慰めてくれる人がいれば泣くことができるという、嘘みたいな理論──


「う、嘘だ! 私みたいなのを助けてくれる人なんかいない! クロノは嘘言ってる! 騙そうとしてる!」


「嘘じゃないよ! ルッカが痛かったら俺も痛い! ルッカが泣けば俺も悲しい! ルッカが笑えば俺も楽しい! 嘘だったらはりせんぼん飲んでやる!」


 ──泣くことに理由なんか無い。昔そんな言葉を聞いた気がする。それは正しいと思う。だって、悲しいとか、辛いとかは人によって『まちまち』だから。でも、泣く為に必要なものはあるのだ。一人では、人は泣くことなんてできない。自分にとってとても大切で、とても自分を大切にしてくれる誰かがいなければ──


「じゃ、じゃあ……かみさまに誓える? 嘘だったらこれからずっとお菓子食べないって言える?」


「ああ、それどころかかくれんぼも一生しないし、鬼ごっこも秘密基地を作ることもしない!」


「ず、ずーっとだよ!? もうずーっと甘いものを食べられないし、楽しい遊びとかもしたらいけないんだよ!」


「しつこいな、俺はルッカが大好きだ。それは絶対の絶対だ!」


 ──つまり、今私が泣く為に必要なピースは揃ったことになる。なら……もう、無理に我慢することは無い、ということだ──


「…………っ!」


 クロノの肩に顔を当てて、私は声にならない声を上げた。言いたいことは山ほどある。でも、それは言葉にしない。したらとんでもないことを口走りそうだから。きっと、後になって思い出せばそれこそ死にたくなりそうな恥ずかしい言葉をつらつらと並べそうだから、口を開かない。クロノも何も言わず、優しく、でもしっかりと手の温かみが分かる力加減で私を撫でてくれる。
 彼の存在が私を認めてくれる。彼がいるだけで、私に触れているだけで、「生きていいのだ」と言われてるみたいで……親に甘えるねこさんみたく、クロノにぎゅーってした。クロノも左手を背中に回してぎゅーってしてくれた。それが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。このまま死んじゃうんじゃないかなって思うくらいの幸福感。決めた、私が死ぬときはクロノに抱きしめられて死ぬことにする。幸せすぎて死ぬのだ。望ましいなんてもんじゃない。首を吊るなんてつまらない死に方はやだ!


「……おいおいクロノ、俺言ったよな? うちの娘に関わるなってよお。お前、いきなり話聞いてなかったのか?」


 お父さんが青筋を浮かべて、小さくとも暴力的な声を出した。
 今までの私なら、すぐに謝っていただろう。でも、今は怖くない。全然怖くない! 今度は、本当だ。隣に私の友達がいるんだから。本当の友達がいるのだから。
 クロノは私の背中をぽんぽんと叩いて、お父さんの顔も見る事無く「うるさいはげおやじ」と暴言。顔を真っ赤にさせた。


「お前どういうことか分かってねえな? そいつは悪魔だって言ってるんだよ……いや、本当の悪魔と違って見た目が普通のガキだからそれ以下だな!」


 胸をえぐる様な声も、私の耳には届かない。だって今の私に聞こえるのはクロノの心音だけだから。リーネ広場にやってくる楽団の演奏も、どんなにきれいで美しいピアノの曲も、この音には劣る。世界で一番落ち着けて、安心できる音だ。


「普通のガキ? 何言ってんのあんた。ルッカは見た目普通じゃなくて、すっごく可愛いだろ!」


「────っっ!!!」


 急にそんなことを言わないで欲しい。流れていた涙が一瞬で止まり、また一瞬で体が熱くなってしまう。やっぱり、私を殺すのは私じゃない、クロノだ。彼が私に触れているそれだけで天に昇りそうだった。
 何度か口を開け閉めしてから、お父さんは痛烈な舌打ちをした。それを見てクロノが新しい言葉を作った。


「あんた、何もかも間違ってるよ」


「ああ……? 間違ってるのはテメエだろうが!!」


「いいや、あんただ。ルッカが母親を忘れた? 友達に置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかった? ぜんっぶ的外れだ! あんたルッカの何を見てたんだよ!」お父さんのいあつかんを押しのけてクロノが堂々と否定した。


「ルッカはいつもお母さんの話をしてくれた。優しいとか、料理が美味しいとか、編み物が上手で私に毛糸の帽子をくれたとか、夜子守唄を歌ってくれて嬉しかったとか、分からない問題があれば丁寧に分かりやすく教えてくれたとか、一緒にお風呂に入れば悪戯でこそばかしてきて、それがとっても楽しいとか! お母さんの話だけじゃない、あんたの話も沢山してくれたぞ!」


「お、俺の話も?」お父さんが戸惑った後、クロノは頷いた。


「悪口とか、怖いお父さんだなんて一言も言わなかった! 発明が好きで、いつも研究室に閉じこもってるけど時々面白いものを発明して楽しませてくれるんだって、昔ねじ巻き式の動くロボットを作ってくれたって、嬉しそうに話してた! 大好きなお父さんなんだって、世界一のお父さんお母さんなんだって胸を張って自慢してたんだ! あんたはずっとルッカを嫌って、叩いたりしてるけどルッカはあんたを慕ってた! あんた……それでもこいつを悪魔だって言い張るのかよ! ルッカが悪魔なら、あんたは何だ? ただの最低な人間か? だったら俺は死んで悪魔に生まれたいな、俺はルッカと同じが良いよ!」


「……うるせえ……」


「父親なんだろ? あんたの愛した人と一緒に育ててきた娘を何で守らないんだよ!? 町で虐められてるのに、何で庇おうとしないんだ! それどころか、自分も一緒に虐めてるなんて何考えてるのさ!」


「うるせえよ! こいつが……ルッカが何もかも悪いんじゃねえか!!」


 お父さんが今度は手加減無しに思い切り拳を振りかぶり、私たちに放った。当たる直前にクロノが私を横に押したから、結果として殴られたのはクロノだけ。盛大な音に私は目をつむった。彼は……殴り倒されても、すぐに起き上がり「痛……くない!」と誰の目にも明らかな強がりを口にした。鼻血は出てるし膝もずるずるに擦り剥けてる、奥歯が折れたようで、口からぼとぼと血が垂れている。私でも、あんな勢いで殴られたことは無い。当たり所が悪ければ死んでもおかしくないような勢いで飛ばされたのに、クロノは怯えを一切見せない。


「うるさいじゃないよ! あんたが悪いのに、ルッカのせいにしてるんじゃねえ!!!」


「……あ」


 私とお父さんは同時に思い出した。お母さんがよく言っていた、私がよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳を嫌うお母さんの言葉。お父さんがよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳をするお父さんに向けた言葉。お母さんは、優しい人だけど、自分の非を誰かに擦り付ける事が大嫌いだった。せきにんてんかというものらしい。とにかく、お母さんはそのせきにんてんかをお話の中の魔女にそうするみたく、とてもとても憎んでいた。嫌っていた。
 それを誰よりも知っていたのは、私じゃなくて……きっと、私の何倍もお母さんを好きだった、お父さんだ。


「……嘘だ。お前、何で? ララの、ララの言葉だそれ。何でお前が言うんだ? 何でそれを俺が言われるんだ? なあ、何で……何で!!!」


 何で、どうしてとお父さんは何度も繰り返した。いつのまにか思い悩む顔が、私と同じ泣き顔になるまで時間はかからなかった。
 お父さんは、泣くことがない人だった。泣いたら、何もかも終わってしまうと疑わないように、必死に堪える人だった。お母さんが亡くなった時も、どれだけ苦しそうにしていても、泣くことだけはしなかった。
 ……そうか、お父さんもまた、慰める人がいなかったんだ。その役目を請け負う人が、お母さんだったから。私はそう成り得なかったのか……そうだよね、私、泣いてばっかりでお父さんがどれだけ辛いか、考えてなかったもんね。お父さんがどれだけ悲しいか、どれだけ泣きたいかが分かった時は……もう遅かったんだ。


「俺があんたに言ったのも、あんたが俺に言われたのも、あんたが分からない訳無いだろ? ……けど、あんたがそれを言われて泣いてる理由は子供の俺でも分かるよ」


 二倍近く身長が違うのに、なんだか泣いてるお父さんが子供で、それを見ているクロノが大人のように見えた。その感想は、今に限れば間違いじゃないんだと思う。
 間を置いて、クロノがたんたんとお父さんに答えを教えてあげた。


「あんたが、ララさんを好きだったから。それから……あんたはルッカだって、大好きなんだ」


 お父さんは、小さく「ごめん」と呟いていた。それが誰に向けられたものなのか、この場にいる私たちなのか、それともここにはいない人に向けたものか、まだ幼い私には分からなかったけれど……クロノがその誰かに代わって「まだ、遅くないよ」と語りかけていたのが印象的だった。






 その日、お父さんは自分の部屋にこもって私たちに顔を見せることは無かった。クロノには外はまだ雨も降っているし、家がちょっと遠いことから泊まってもらうことにした。殴られた時の怪我の治療もあるし、何より今日はクロノと離れたくなかった。
 ジナさんに何も言わずおとまりなんて良いのかな? と(帰らないでと言った私が言うのも勝手だけど)クロノに聞けば「母さんは俺が一週間くらい帰らなくても心配しないよ」と私にとっては信じられないことを言った。凄いなあ、うちのお母さんは私が三十分姿を見せなくても大騒ぎしてたのに。うちが特別なのかな? 普通の子は一週間くらいいなくても家族は心配しないのかもしれない。私はお家を一週間も出たくないな、どれだけ怖くても、私はお父さんと離れたくないもん。
 クロノのお泊りが決まって私はちょっとだけはしゃいだ。大はしゃぎではない。家にいる間中くっついたりなんかしない。トイレの時はクロノと離れていたから。お風呂は一緒だったけど。
 夜寝るときに一緒のベッドで寝ていいか提案した時「いいよ」と言われてもそりゃあ冷静なものだった。いつも一緒に寝ているくまのぬいぐるみより、ほんのちょっっっとだけ抱きついてたら安心できた。ちょっとだけ、あくまでもちょっとだけ。いやむしろ寝心地が悪かったくらいだ。その証拠に中々寝ることが出来なかった。もうクロノと一緒に寝るのはこりごりだ。仮にこれからクロノと一緒に寝ることがあっても、それは一年に十……二十……三……びゃく、日くらいが限度だ。百以下の日数は切り捨てよう。うん、三百日くらいがちょうど良い。六十五なんて一々言う必要も無いだろう。
 その夜、私は久しく見ることの無かった夢を見ることが出来た。人は、夢を見るのだと思い出した。





 朝起きて、私は隣でまだ寝入っているクロノを起こさないようにベッドから出た。気持ち良さそうに寝ているのだから起こしてあげなくても良いだろう、朝ごはんを用意してあげてからで充分だ。


「…………」


 今までクロノの手を握っていた手をぐーぱーして、何も無いことを確認する。なんだか、すーすーして落ち着かない。これもクロノが私の手を握ってきたのが悪い。いや、正確には握ったのは私だけど、クロノが寝言で「ふすー……」と言ったから仕方なく私が握ってあげたんだ。甘えん坊だなあ、クロノは。
 ……手が寂しいけど、それはどうということじゃない。早くクロノを部屋に残して下に行こう。私はお気に入りのくしで軽く髪の毛を梳いてから部屋を出た。


「……なんだよルッカ重いよ、もう朝?」


「うん、朝だよクロノ。早くおきよーよ!」


 階段を下りる前によくよく考えれば、朝ごはんの支度をクロノにも手伝ってもらえば早いことに気付いて私は部屋の中に戻りベッドの上に飛び乗りクロノを起こした。「むぎゅ」という声が可愛くて、それを聞けた今日の私はきっと良い事があると確信した。私以外の体温を右手に感じながら、私は今度こそ一階に下りた。


「朝ごはんは何食べよっかクロノ?」


「んー……睡眠」


「……食べ物じゃないよう」


 まだ寝ぼけた頭が起きていないクロノがだるまさんみたいに体を揺らしながら返事する。もっとちゃんと話を聞いて欲しいけど、リアクションしてくれるのが嬉しかった私は何度もクロノに質問をした。「卵焼きは半熟?」とか「パンは何枚? 何を塗る?」とか「歯磨きは私と一緒ので良い?」とか。最後のは却下されたけど。ちょっと、悲しかった。
 お料理も楽しかった。料理と言える様なものではなかったけど。
 冷蔵庫の野菜室からレタスとか、きゅうりを取り出したりドレッシングを机に並べたり、パンをトースターに入れたりクロノが作ったサラダやスクランブルエッグの乗ったお皿を持っていくのが私の仕事だった。ちゃんとご飯を作れるクロノを見て私はお料理の勉強をしようと固く誓った。確かお家の書斎にお料理の本があったから今日から早速練習しようと思う。


「ごちそうさま」


 私よりも量が多いのにあっという間に食事を平らげてしまったクロノは立ち上がって「顔洗ってくる」と洗面所に歩いていった。


「く、クロノ食べるの早いね。私も行く!」


「え? ルッカまだ食べ終わってないよ?」


「お、お腹いっぱいなの!」


 まだ食べたり無かったけど、一人になりたくない私は椅子を立ってちょこちょこクロノの後ろについていこうとした。でも、クロノは私を見て小さく笑い、元の席に戻ってしまう。「ルッカが食べ終わるの待つから、ゆっくり食べなよ」と言われて私は顔を赤くした。何で分かるんだろう、クロノは魔法使いなのかもしれない。魔女とかそういう悪い魔法使いじゃなくて、王子様みたいな魔法使い。お料理の本と一緒に王子様が魔法使いなんていう話の本が無いか後で探してみよう。
 ゆったりとした時間が流れた。クロノは微笑みながら私がパンを齧る姿を見ている今は、とても幸せなんだろうとしみじみ実感した。こんな毎日を私は絶対に続かせてみせる。これ以上の幸せなんて世の中にありっこないのだから。
 口をモグモグ動かしていると、クロノの顔が少しだけ歪み、また元に戻った。何か見つけたのかな? と思って私が後ろを振り返ると……扉を開けてリビングに顔を出したお父さんの姿。顔は少しやつれて、おめめが腫れあがっている。昨日、ずっと泣き続けていたんだろうな、見ただけで分かった。
 お父さんが床をスリッパで鳴らして机に近づいてくる。私はまた大きな声で怒られるのかと思いびくびくしていると、予想に反してお父さんは私じゃなく、私の前に座るクロノに話しかけた。


「おいクロノ。昨日はよくもやってくれやがったな。絶対許さねえぞ」


 言葉遣いは乱暴だけど、お父さんの声は優しいものだった。いつもの……昔の、荒っぽくても世界一頼もしくて楽しいお父さんの声だった。
 もう一度顔を見てみると、目は腫れてて元気そうには見えないけど、つきものが落ちたみたいな、さっぱりした顔つきだった。


「俺? 昨日は色んなことをしたけど、何が気に障ったのあんた」


 よく聞いてくれたな、と言いたげににや、と笑ってお父さんは自信満々にクロノを左手で指差して、右手を私の頭にぽん、と乗せた。私を怖がらせるようなものでない手つきは、本当に昔に戻ったみたいで、びくびくが消えた。


「忘れたのか? お前、昨日俺の娘に平手喰らわせやがったろーが。責任取りやがれ!」


「……おとう、さん?」


 喉から、掠れた声が出てしまう。だって、冗談交じりに言っているけれど、その言葉はどう考えても私を案じてくれているものだったから。悪意無く『俺の娘』と言ってくれたから。
 お父さんの言葉を聞いて、クロノはけらけらと笑った。「良いよ!」と元気良く返事をしたことで、お父さんも笑い出した。この場についていけてないのは当事者の私だけだ。


「じゃあお前はルッカの友達だ。何があってもずっと友達だ! いつでも家に来い、大歓迎してやるさ!」


「へへへ、分かった。よろしくねおじさん!」


「ようやくあんたからおじさんか。ったく礼儀のなってないガキだぜ!」


 お父さんがクロノの頭をもみくちゃに撫でる。髪型がおかしくなるだろー、と文句を言いながら、クロノは楽しそうだった。お父さんもまた、それに輪をかけて楽しそうだった。
 ──夢じゃないんだよね、これ。本当の話なんだよね?
 お父さんが笑ってて、私に大切な友達が出来て、私を大切に思ってくれる。普通の人なら平凡なことだと笑うかもしれない。でも私にとっては天上のような幸せ。ちょっと前に汗だくになって、町外れの木の下まで歩いていたのが嘘みたい。私は二人に釣られて笑った。あんまりにも笑い続けているから、おかしすぎて涙が出てきた。この一週間で、私はどれだけ泣いているのだろう。涙が枯れないのは、やっぱりりふじんだ。でも……悪くない。だって、私を慰めてくれる人が今ここに二人もいるのだから。


「ああ……生きてるって、楽しいな」


 涙を拭き取りながら、慌てふためいているお父さんとクロノに当たり前のことを言った。
 その後、クロノが自分の家に帰った後で、お父さんが私に約束した。もう私を泣かさない、暴力も振るわない。ずっとお前だけの味方でいてやると言ってくれた。その約束を、お父さんはその日の内に二度も破ってしまった。一度目はその言葉を聞いて私は飽きずにまた泣いてしまったこと。二つ目は私が料理を作ろうと思っていたのにお父さんが先にごーせーな晩ごはんを作ってしまったこと。でも私より悲しそうな顔でおろおろするお父さんは可愛かった。
 その日、お父さんは頼りないなあ、とぽろっとこぼしてしまいお父さんがしゅん、と俯いてしまった時なんかお腹をかかえて笑ってしまった。
 夜になって、クロノがいないベッドで寝るのが寂しかった私はふと、クロノと出会った日を思い出していた。何で私は、出会って間もないクロノの前で泣いてしまったのか?
 泣く為には私の為の誰かがいなければ泣けないはずなのに。その時の私とクロノはまだ友達じゃなかったと思う。だって、まだちゃんとお話もしてなかったのに。考えれば考えるほど分からなくなって、私は使い勝手の良い理由を思いついた。


「……きっと、うんめいってやつだよね」


 ロマンチックな解答に、気分が良くなって私はすやすやと寝息を立てることに成功した。
 王国暦988年。私は誰よりも幸福な女の子だった。




















 『ルッカ、現在の性格に至る切っ掛け』




 お父さんと和解してからさらに一週間が経ったある日のこと。近くの海辺で魚を釣りながら私はクロノにふとした疑問を投げかけた。


「ねえクロノ? クロノって、好きな女の子のタイプってあるの?」


 なんの考えも無いほんとーにちょっとした疑問。別に答えられないなら答えないで一向に構わない意味なんか全然これっぽっちもありはしないつまらない質問。興味なんかないけど、暇だから聞いてあげようかな? くらいのすっごくどーでもいい疑問であって……もういいから早く答えて欲しい。


「俺の好きなタイプ? ……うーん」


 クロノはむむむ、と考え込んでしまった。まだ私よりも年下の彼にそんなものがあるのかどうか分からないが……普通に考えればそんなことを悩むような年齢じゃないか。変な事聞いてごめん、と言う前にクロノは閃いたように指を鳴らした。


「俺、結構ゆーじゅーふだんなんだって。母さんが言ってた。だから、俺を動かしてくれる強い女の子が良いな!」


 母親の言葉を真に受けるとは、やっぱりクロノはお子様なんだなあと餌の取替えをしながら思った。強い女の子かー。関係ないけど、私はきっと強い女の子なんだと思う。もうお家の中でクモさんを見ても三回に一回は泣かないようになったのだから。未だにその一回が来ないのはお父さんが言うところのかくりつのもんだいなんだろう。


「……ねえクロノ。私は強い女の子だと思う?」不安になったわけじゃないが、私はちょっとドキドキしながら聞いてみることにした。クロノは一度不思議そうに首を倒した後、笑いながら答えた。


「ルッカはか弱い女の子だろ? 可愛いじゃん」


 か弱いとか、可愛いとか、いつもなら喜んだかもだけど、私は全く嬉しくなかった。泣きたくなるくらいに悲しい気持ちがぶわっと溢れてきた。それらが目から流れ出す前に、私は思いっきりクロノの顔を叩いて家に走って帰った。顔をはたかれた時のクロノはぼ-ぜんとしていたけど、今の私の顔はクロノにだけは見られたくないから振り返る事無く走り去った。
 家に帰った後、夜になり、私は研究室にいるお父さんに「強い女の子ってどんなの!?」と詰め寄った。お父さんは何故か腰を引きながら「ど、どうしたんだルッカ?」と怯えている。まどろっこしくなった私は近くにあったスパナで机を叩きながら「どんなのーー!!!?」と喚きたおした。そうして、ようやく答えを得た。肉食系の女の子なんじゃないか? とのことだ。私は明日クロノと会うに辺り準備をすることにした。


「おはよールッカ!」


 昨日意味不明な別れをしたのに、クロノは気にする事無く私の家のチャイムを鳴らし遊びに誘ってきた。玄関のドアを開けて、私はおもむろに鞄に手を突っ込み恐竜の帽子を取り出してかぶり「がおーっ!」と両手を上げた。お肉を食べる生き物で一番強いのは恐竜だからだ。これで世界で一番強い女に私はなったというわけだ。偶然にも今の私はクロノの好みにストライクな女の子なのだ。別に部屋から取り出してきた訳なんかじゃ無くて、たまたまかぶりたかっただけなのだ。


「恐竜なの? 可愛いねルッカ!」


 肉食系でとっても怖い恐竜の私を可愛いだと? これはてんちゅうを下さねばなるまい。私は思いっきり、もう百キロくらい突き飛ばすような気持ちでクロノに体当たりをした。私の強さを思い知ったに違いない。クロノは怯えながら「よしよしー」と私の頭と背中を撫でている。降伏するといういしひょーじだろう。その後私たちは手を繋いで新しい遊びを見つけに歩き出した。今日のところは私の強さを見せるのはやめてやろう。でも、これからも私は強い女を目指して生きていく! 十年くらいすれば、私はもっともっと強くて魅力的なれでぃーになることだろう。










 かくて、弛まぬ努力を続けた結果ルッカは自分が思い描いた男よりも強い女になることができた。
 強いのベクトルが明後日に向いていたのは、言うまでも無い。
 だが、彼女が理不尽でクロノに虐待に近いような暴力を振るい出した要因はクロノ本人の考え無しの発言であるのは間違いが無かった。
 物事をよく考えて口に出せという教訓である。ちなみに、幼少期のクロノがこのか弱くて可愛らしい女友達と大きくなれば結婚して一生守ってあげようとか考えていたのは、今の大きくなったルッカが知るにはあまりに酷な真実であろう。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2012/03/23 17:18
 ルッカの独白が終わり、長い息を吐いた。長い話だったこともあり、疲れたのだろう。それと同時に、彼女の回想が終わったことを知る。俺は……何を言うべきかを掴めずに、「そんなこともあったな」なんて、気の利かない言葉を呟いた。


「ごめん、長くなったわね。でも……多分これが私のルーツだから、省いたりできなかったの」


「いや……なんていうかその……何を言えばいいか、分からないけど……」


 戸惑う俺をルッカはクスクス笑って、「落ち着いてよ」と宥めてくれる。この場合の宥めるは、正しいのか分からないけど。これが気を利かせるってことなんだろうな、と思った。


「その頃の私は、クロノに頼ればなんとかなる、助けてくれるなんて馬鹿みたいに思ってたけど、違うよね」


 一呼吸いれて、ルッカはなおも続ける。


「もう、子供じゃないもの。大人でもないけど……私もクロノも、頼るばかりじゃいられないのよ」


「……俺だって、ルッカを頼ってる。誰かの助けを当てにするのは、悪いことじゃないだろ」


「言い方が悪かったかしら。頼り切るのが悪いのよ、悪識と言って良いわ」


 その定義が分からない。頼ると頼り切るの違いは何処だ? 何をどこまで求めれば過剰になるのか、俺には分からない。それはルッカにも分かってないんだろう。彼女は俺の言葉に囚われてそう思ってるだけだ。
 ……でも、彼女がそう思っているなら、その考えには抜け道がある。


「……頼るってさ、際限無いよな。一度溺れれば、抑えなんて効かないんだから」


「……そうね、私がそれよ」


「最後まで聞けよ。助けてもらうってことは耐え難い幸福なんだとおれは思ってる。信頼に近いそれは、一度味わえばきっと……抜け出そうなんて思わない、普通はな。そこから出ようとするルッカは……凄いよ、やっぱり」


 聞け、と言ったからか、ルッカからの返事は無い。ちょっとは反応があるかと思っていたが、好都合だ。でも、それは俺の言葉に従順になっているだけで、喜ばしいものでもない。そんなの、俺の知るルッカじゃない。


「……だけど、俺には耐えられないんだ。俺は弱い人間だから、誰かを頼りたい。誰かに助けられたい。そう思うのは、勝手なことだと思うか?」


 お前の番だ、とドアを軽く叩いて彼女の言葉を引き出す。時間を置いて、薄い声がぼんやりと届いた。


「クロノは良いんじゃない? あんたは誰かを助けてる。なら、等価交換よ、その分誰かに助けてもらっても許してもらえるわ」


「ルッカだって俺を助けてる」


「助けてない!!」


 言い終わる前に、金切り声を出されて息を止めてしまう。緊迫したそれに、俺の言葉に従っていたわけではなく、沸々と暗く重たい気持ちを忍ばせていたことを知った。……爆発寸前、だったのか。
 まだ、ルッカの叫び声は途絶えない。一度破裂した風船は、内包する空気を全て吐き出すまで止まらないように。


「私はクロノを助けたことなんて無い! それは……それはあんたの勘違いよ! 全部私のためにあんたの手助けをしただけ! 純粋な善意なんて無いの! 私を見捨てないで、私に飽きないでって、それだけの、下心しか無い醜い行為があんたの言う『俺を助けた』よ!」


「違うだろ……いや、そうだとしても、俺がルッカを助けたのだって下心だ!」


 ルッカは狂ったように笑って、扉に強い衝撃を与えた。恐らく、誰にも当てられない自分の我慢や、不満を蹴りに乗せて。


「じゃあ何、あの時私を助けたのも下心なの? まだ小さいあんたが私を抱きたかったの? それとも、私を助けたっていう事実が欲しかっただけ? 自分は女の子を助けたって英雄思考に浸りたかったの?」


 あまりに俗物的で即物的な答えに考えが飛ぶ。ルッカがそんな言葉を使うのは、今までで初めてのことだったから、そりゃあ戸惑うさ。彼女の痛みを伴う慟哭に酷似した叫びに、足の指を丸め耐えようとした。


「……っ! 違うだろ、俺はただ友達を助けたかっただけだ! でもそれだって俺がお前を助けたいって欲からきたものだよ。下心には違いない!」


「下心……ね」情緒不安定、正しく彼女はその症状になっていた。数瞬前とは一転して、酷く落ち着いた声音。気が狂ったような甲高い声からの変化は劇的な変化というよりも、誰かと入れ替わったよう。今俺の目の前にいるだろう女性が果たして俺の知る幼馴染なのか、確信できないほどの変わりようだった。


「ほら、やっぱり私とは違うわ。私にはそんな事できない。私は誰より自分が好きだから、友達なんてものに自分を賭けれない! まだ子供なのに、村の子供たちや大人を敵にしてまで守りたいなんて全然思わない、思えないもの!」


 文の繋がりが滅茶苦茶だ。今のルッカはまるで思考が整ってない。思ったことを正確に並べずただ外に出しているだけの、獣染みた叫び。聞いている側にも深く傷を残すような悲鳴が体を通過する。
 ……でも、俺はそれに耐えないといけないんだ、俺が気丈な彼女を壊してしまったなら、元に戻すのも俺で然るべき、そうだろ?
 何より……もう、辛い。彼女が言葉を重ねるたび、本当の気持ちを教えてくれるたびに、俺の嘘が浮かび上がってくるから。


「……やっぱり、俺もルッカと同じなんだ」


「だから、違うって……」


「同じなんだって! 俺だって自分が一番大事だ! 俺が言うんだ、間違いねえ!」


 そう、間違いない。俺はいつどんな時でも俺の為に動いてる。俺の命が一番大事だし、俺の生き方に反するものには触れたくない。それは絶対だ。
 ゼナン橋でも、俺は自分の命を優先した。結果がどうであれ、俺は戦うことを放棄した、仲間や騎士団よりも己の安全を第一に考えた。魔王との戦いでも、命乞いを計ろうとした、アザーラたちに死んで欲しくない俺の我侭で大地の掟を無視しようとした! 誰よりも自分が大事っていうなら、俺の方がよっぽどそうだ。だから俺は……


「ルッカを……助けるんだと思う。俺にとってルッカは、自分を犠牲にしても助けたいから」


 大体、前提が狂ってるんだ。過去に俺がお前を助けた? 馬鹿げてる。それは、あくまでお前視点の話じゃないか。
 毎日毎日、ルッカの家に遊びに行ったのは何でだ? 他の子供たちが集まってサッカーや鬼ごっこなんてしてる時に、何でわざわざ一人の女の子とずっと遊んでいたのか。俺だってルッカと同じだからだ。大人たちにはルッカ程は嫌われてなかったけれど……薄気味悪い子供だと言われて挨拶も返してくれなかった。俺と同じくらいの子供たちには唾を吐きかけられた、遊びに誘ってくれることなんて一切無かった。幼少時代に孤独だったのは、俺も同じなんだ。
 そんな時……ルッカと出会った。最初は……暗くて、気持ち悪い奴だって思ったよ、友達なんて普通ならお断りだって思うくらい。
 ……口になんて出せないけど、俺はルッカが好きじゃなかった。いつもいつも遊びに誘ってたけど……本音で言えば他の明るい男の子や女の子と遊びたかったんだ。でもルッカ以外に俺と関わってくれる子はいなかった。『仕方ない』からルッカに構ってただけ、彼らが掌を返して俺と遊んでくれれば、きっとルッカのことなんてすぐに忘れたんだろう。
 ……タバンさんの時も、彼女が言うような、またさっき俺が言ったような友達を助けるのは当たり前なんて高尚な理由じゃない。ルッカが壊れれば、また俺は一人になるのかって焦っただけだ。一つしかない玩具を取り上げられたくない一心で啖呵を切っただけだ。それだけの為に体を張ったまでのこと。
 ……そりゃあ守るさ。一人は辛いから。母さんが仕事から帰ってくるまで、誰とも話しかけられないんだぜ? 朝から夕方まで一人遊び、母さんが帰ってくれば偽りの友人関係を語って見せて、「あんたは友達を作るのが上手いねえ」なんて言葉を身を切るような思いで受け取って。地獄ってのはきっと孤独でいることなんだと疑わなかった。


(俺は……最低だ)


 彼女は本心を言ってくれた。なのに俺は……自分を良く見せたいなんて欲から綺麗な言い訳を用意した。『オマエヲタスケタイカラ』……素晴らしい人間だよな。反吐が出るぜ。
 ……だけど、ここからは俺も本心だ。偽りなんか無い。


「……助けてもらったのは、俺の方なんだ」


「……何の話よ」


「小さい頃の話。お前がぴょこぴょこ俺の後ろを着いてきて、何をするにも俺から離れなかった時の話」


 ああ、と納得してから、ルッカは黙り込んだ。その時の自分も俺に頼り切ってたと勘違いしてるのか。


「……俺がどれだけ、救われたか」


「え?」


 皆、誰も俺を見てくれなかった。鉄棒で誰よりも早く逆上がりが出来たのに、拍手も驚きの声も嫉妬の声すら無かった。俺はそこにいるのに、皆はまるで空気を見るような目で俺を透かしていた。そんな時……彼女の俺を信頼している動作、その一つ一つが俺を見つけてくれていた。鏡を見るより明らかに俺は自分を認識できた。
 それが……どれだけ嬉しいか、途方も無い喜びを分けてくれるのか、分からないだろう? お前が俺を頼ってくれることで、俺は俺を思い出せたんだ。お前を助けたことで、お前以上の幸福を得ていたんだ。いつのまにか、うざったいと思ってたお前は、俺を認めてくれる唯一の、神様のような女の子になってたんだから。


「ルッカが隣にいてくれれば、俺は無敵なんだ。お前の声が聞ければ俺は何処までも飛べる。お前の存在を認識できれば、俺は何でも倒せる。嘘じゃない。それは、絶対の絶対だ!」


 過去の話をされて思い出したルッカとの誓い。俺よりも鮮明に覚えているだろう彼女は、あっ、と吐息を溢した。


「頼むよルッカ。過去の自分を切り捨てないでくれよ。でないと、俺が消えちまう。俺が死んでしまう」


 話していると、自分の頬を涙が通っていた。みっともないことに、俺は彼女に懇願しているのだ。泣きながら、喉をひくつかせて、何処にも行かないでと、母親に駄々をこねる子供のように。彼女はきっと、母親よりも俺を見つけてくれた人だから。


「……私が、クロノの近くにいていいの? 迷惑……じゃないの?」


「迷惑じゃない。そんなこと、思う訳無い。思いたくても、出来ない」


 実験と称して痛みを与えても、失敗確定の危なっかしい機械に乗せられても、彼女から離れなかったのは……誰より俺が、離れたくなかったから。大きくなって友達が出来ても、大人たちと笑いあうようになっても、俺を救い出したのはルッカだけだから。


「……私、多分またあんたを頼るわよ? と……時々泣いてあんたを困らせるわよ?」


「頼ってくれ。でないと俺もルッカを頼れない。後者に関しては安心してくれ。俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。それは……」


「絶対の絶対、なのよね?」


 新しい約束を取り付ける前に、目の前の扉が勢い良く開いた。
 流石は空に浮かぶ都市だ。粋な演出をしてくれる。
 だって、扉の先には涙を流している女神が、俺に微笑んでくれていたのだから。


「ああ。嘘はもう飽きたからな」


「……ばーか」


 飛び込んできた彼女の体は軽く、守らなければいけないものだと、深く感じた。
 もう、一生彼女を泣かさない。守り続けてやるさ、例え星が相手だろうとも。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十六話 絶対の絶対────








 無事ルッカと合流することが出来た俺たちは、カエルの元に戻ることが出来た。無愛想な子供の姿はもう無く、探す必要も無いので放置。
 カエルは再起不能だろうと思われたので(何を話しても「ヴェダスロダーラ」しか言わないことには多少の危機感を抱いたが)時の最果てからマールとチェンジ。交代の際、マールから「いい加減僕を呼んでくださいっ! ってロボが言ってたよ」と聞かされたが、却下。最近になってロボを夢で見なくなったんだ。しばらく距離を置きたい。


「マール……あの、イオカ村ではごめんな。俺目が覚めたから。心配させて悪かった」


「いいよ。むしろ、クロノが何でもない顔で歩いてたら殴ってたし」


「……怖いな、そりゃ」


 俺は、本当に恵まれてるよな。
 さて、これからどうするべきだろうかと悩んでいると、ルッカが有力な情報を手にしていた。なんでもこのジール宮殿には魔神器というラヴォスエネルギーを増幅させる機械があるそうだ。まさか、ラヴォスと繋がるものがこんな所で見つかるとは思ってもみなかったので、有難い。頭の弱い女や自意識過剰な男と遊んでいるうちに重要な情報を手にしていたルッカに「やっぱりお前に頼り切ってないか俺?」と呟いてしまうのは御愛嬌。
 早速ルッカ案内の元、魔神器の間に向かうことにした。同じ建物内にあるだけ、ルッカの部屋を出て五分と経たず着くことができた。
 蛇足だが、何故か住人の皆様方から声援と「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」と、おめでとうの嵐だった。ルッカと俺が感動の再会、もしくはプロポーズ成功の瞬間を迎えたと勘違いしているのだろうか? まあ、互いに泣きながら抱き合ってたらそう思われるものかな。隣で母に有難う、父も有難うとかマールが漏らしていたのがなんだか、メタだなあと思った。


「貴方たちは……もしかして、この魔神器を見に来たのですか?」


「それ以外に何があるのか」


「……これを言うのが私の仕事なので、怒らないで欲しいです……」


 奇天烈な仕事もあったもんだ。
 魔神器の間にはボディーチェックや金属検査なんてものはまるでなく、見張りの兵士一人すら立っていなかった。それも分かる。魔神器からは身を焼かれそうな膨大に過ぎるエネルギーが溢れていたからだ。傷を付けようと不用意に近づき過ぎれば体ごと消滅させられてしまうかもしれない。
 魔神器は人型を模した巨大な機械だった……もしかしたら、機械ではないのかもしれない。その疑問の根拠は部屋に満ち満ちている生命力。今この瞬間にも目を見開いて動き出すのでは、と錯覚しそうになる。正確な大きさは二メートル強から三メートル。巨大と言うには些か小さいが、そう表現しても無理は無いだろう。目で見えない大きな存在感が確かに放たれているのだから。材質は見当もつかない。金色と藍色、そして黒の発光が放射線状に作り出されていて、元の色を知ることすら不可能。今ここでソイソー刀を振りかざしても傷一つ付かないことは確信できるが。
 そして、魔神器の恐ろしさは、ただ増幅するというだけでなく、際限無いのだ。怖いほどの魔力が集められているのに、瞬きすればまた信じがたい魔力が集束されていく。今この魔神器の魔力を解放するだけでジールの大陸全てが吹っ飛ぶだろう。下手すれば、地上にも甚大な被害が……と思えるほどに。


「……クロノ」


 マールが不安げに声を上げるので、振り返ると、何の意味があるのか分からないが彼女の胸元が光っていた。正確には、彼女のペンダントが、だが。


「なんだそれ? 発光ダイオードでも塗ってたのか?」


 小さくボソボソと呟いた後、マールは顔を上げた。聞こえたぞ、確かにお前「死ね」って言っただろ。


「私のペンダントが、共鳴してるの。多分、この魔神器に」


 マールの発言を耳にして、最初子の部屋に入った時に無駄な質問をしてきた女性が驚いて近づき「それは、サラ様のペンダントと似てますね……」と話しかけてきた。サラと言えば、人の顔を生クリームでデコレーションしてくれた無礼な女のことか。
 サラはいつも自分のペンダントにこの魔神器の光を当てているのだとか。なるほど、やっぱり頭の悪い女のすることは良く分からん。


「何かの験担ぎか? そんなことはどうでも良い。この魔神器について……」


 目の前の女性がまた悲鳴を上げるので何事かと見てみればマールがペンダントを魔神器の光に当てている瞬間。迷わず実行する彼女のアクティブ加減にはもう慣れた。案外、マールはサラの子孫か先祖なのかもしれない。嫌だなあ。
 何をしているのですか!? とマールに詰め寄ろうとする女性を抑えて魔神器について再度聞いてみる。それどころではないと騒いでいるので閃光のデコピンを行使したところ素直に教えてくれた。暴力とは場合によっては有効な交渉手段だと俺は深く心に刻み込んだ。
 思わずはたき倒したくなるくらい話が長かったので、部分的に割愛しながら話せば、『魔神器を使ってこの国の女王ジールは永遠の命を手にしようとしている』『それに反対した三賢人の一人が行方不明になった』『サラだけが魔神器を操作できる』『魔神器を海底神殿という場所に移せばラヴォスから力を得ることが出来る』『最近やってきた預言者とかいう人物が怖くてウザイ。クールっぽく振舞ってるけど目がサラを追っていてキモイ』『アルフォ○ドは美味い』という割愛しても長いことこの上ないので、はたき倒した。俺、悪くない。


「……こうなりゃ、ここの女王に会って話を聞くべきか? いきなり会ってくれるとは思えないんだが……」


「だからって、このままぼーっとしてるわけにもいかないでしょ。特攻あるのみよ」


「はあ……ルッカならそう言うと思ってたよ」


 悩むまでも無く方針を叩き出したルッカがえらく頼もしい。やっぱり縋っているのは俺の方じゃないか?
 女王のいる部屋の場所を聞いて、魔神器の部屋を出る。魔神器自体に意思は無いと理解していても、視線が背中を這っているようで落ち着かなかった。


「あれ? もうここ出るの? 面白いよこの機械!」


 俺にとっては恐怖の塊でしかない魔神器も、彼女にとってはアトラクションだったようだ。凄いなマール、今度怖い映画を見るときは彼女を誘おうと心に決めた。台無しになる可能性も否めないが。






「神とは! 時空を超越し万物を操るとされる駄神のことである! 嘆かわしいことよ、まずもって下らぬ! それに比べ見よこの御美しい御姿を! 猛る口は何者も噛み砕かんばかり、神話の世界を喰らう神獣の如し。天を衝く強大で巨大な棘はありとあらゆるものを貫くだろう! ああ、素晴らしい! 妾幸せで飛びそう」


「………………」


「ぬ。何者じゃ御主等!? 妾は浮遊大陸にして魔法王国女王、ジールである!」


 十何代目塾長的なノリで自己紹介をしてくれるとは、中々親切ですね。
 ……時を戻そう。魔神器の間を後にした俺たちはとかく、女王に会って話を聞くべきと判断し、宮殿を歩いて女王の間を探した。中に入る前、不可思議な扉が俺たちの行く先を止めるという事態があったものの、マールのペンダントが光りだし難なく先に進むことができた。ルッカの話では、魔神器の光に当てたことでペンダントに不思議な力が組み込まれたのではないか、と仮説を立てていたが、確証は無いので『不思議扉』だったと結論付けた。我ながら素晴らしいネーミング。
 さて、女王の間に入ることに成功した俺たちが見たものは、三十後半から四十後半程の、所謂お肌の曲がり角に両足を入れているオバサンが台座に足を乗せて何かを力説している姿。口を動かすたびに揺れる冠が嫌に哀愁を誘っている。何故、荘厳たる装飾品の自分がこんなサイコさんの頭の上に乗らねばならんのかと泣いているようだ。
 装飾過多とも言える豪華な衣装を纏っているそのオバサンが、認めたくは無いが……ジール王女なんだろう。テンションが怖い、テンションが。


「……女王、奴らが私の言っていた者たちです」


「ぬう!? 妾が話しておるだろう、引っ込まんか預言者!」


 何やら女王の耳元でごそごそ話していた黒いローブを頭から被っている男がぶっ飛ばされた。目にも止まらぬ裏拳とは、まさにあれだな。マッハ5くらいの拳速だった。聖闘士の資格は充分あるというわけだ。
 きりもみ回転しながら飛んでいった黒尽くめの男はだくだくと流れていく鼻血を手で押さえながら、再度女王に近づき「……あれがこの国に災いを齎せる者たちです」と今度は俺たちにもはっきり聞こえる声音で報告していた。内容は聞き捨てならないが、それ以上に根性あるプロ精神というか、それに感動して俺たちは見送った。一瞬爆発するような魔力の集束を感じたが、気のせいなんだと思うが吉。


「何だと!? それを早く言わんか預言者!」


 女王の光速に限りなく近い肘打ちにより低空飛行の、野球で言うライナーのように宙を飛びながら壁に突き刺さる男。二点目ゴォォォーーール!!!
 横からキャッキャはしゃぐ女の声が聞こえたので視線を向けると、典型的スイーツであるサラが両手を叩きながら目の前で繰り広げられているコントに拍手を送っていた。これもある意味飛んで言った男からすれば屈辱だろう。よって、ハァァァッットトリィィィッック! 達成!


「ダルトン! ダルトンはおらんかや!? この役立たずの預言者は役に立たん! この侵入者を始末せえ!」


 自分で再起不能にしておきながら役立たずと断じるジールは身勝手にも怒りの符号をこめかみに付けてダルトン──黒鳥号で会った変人だろうか──を呼んだ。待って、まだ状況を把握してない。こちとら完全に置いてけぼりなんだから。
 目をぱちくりさせながら何も言えず突っ立っていると、天井の何も無い空間から芝居がかった仕草で男が現れる。その姿といい立ち居振る舞いといい、確かにカエルに告白紛いの馬鹿をやらかした男だった。「髪が乱れた。俺としたことが十年に一度の失敗だ」と聞きたくも無い独り言を呟きながら俺たちを見据える。


「妾は埃を吸いとうないゆえ、この場を離れるが……彼奴らをどうするか、分かっておるな!?」


「お任せ下さい女王様。俺の美しさでこいつらを骨抜きにしてやりましょう」


「妄想はええ! 行くぞサラ!」


 あの人瞳孔閉じないなあ、と人体の不思議について考えていたら、女王は壁に突き刺さり動かない男のケツに蹴りを入れる遊びに夢中のサラを引き連れてその場を去った。その際にサラが「ああ! あの赤い人は私の生涯のライバル!? 母様離して下さい、私はあの人と決着をつけなくてはなりません!」とのたまっていた。勝手にライバル認定するな、ジャロに訴えるぞ。
 ……ていうか、あのアホ女のサラって女王の娘だったなそういえば。その娘さんの言葉に女王は一切取り合う事無かったが。慣れてるんだな、多分。愛らしいといえば愛らしい透き通った声でサラは泣きながら退場した。


「や……やばいぜルッカ、マール。これっぽっちも状況が分からねえ! 頭が腐乱しそうだ!」


 俺のSOSにルッカとマールは顔を逸らした。彼女たちも頭の整理に手一杯なのだろう。そりゃそうだ、女王から話を聞く前に誰だか分からん男がその女王によってぶっ飛ばされ、サラは喜び変態登場、女王並びにサラ消える。俺たち侵入者扱い。もう、何も掴めない。何も分からない。孔子様でも分かるめえ。
 何も出来ずうろたえていると、そんな俺たちにダルトンが鳥肌が立ちそうな笑顔で俺に近づいてきた。


「おっと、何が言いたいかは分かってる。安心しな、お前らは別に悪意があってここに来たわけじゃねえんだろう?」


 今すぐ戦うのか? と思っていた俺は思いのほか柔らかい声に驚き、肩の力を抜いた。ぽんぽんと俺の腕を叩いて、まるで俺たちの来訪を心待ちにしていたような素振りである。最初は頭がアレなナルシストなのかと思っていたが、話の通じる人間なのかもしれない。知らず、俺は安堵した。


「良かった。あのオバハンよりもあんたは話せそうだ。実は……」


「俺の為に新しい女を紹介しにきたんだろう? 全く、お前は良く出来た子分だ!」


「……分かった。この国は今すぐ滅んだほうが良い」


 俺の言葉には耳を傾けず、小躍りしながらマールとルッカに近づくダルトン。久しぶりだな、ルッカが人間を怯えた目で見るのは。マールは無意識かもしれないが、背中の矢を一本取り出していた。コンマ二秒で彼女はダルトンを貫けるだろう。


「ハハハハハ! 今日の俺はなんて素晴らしいのか。女神に会うだけではなく、その上ダルトン帝国の嫁が二人増えるとは! さあ女共、俺に叫べ! 『私たちの恥ずかしい所を見てください』と!」


 ──同時攻撃、というものを知っているだろうか?
 それだけ聞けばそれほど技術が必要なものとは思わないかもしれない。だが、それは大きな誤りがある。
 例えば、路上で喧嘩をしたとしよう。二対一だ。二人で一人を殴ろうとすれば、それは同時攻撃か? いや違う。性格には時間差攻撃となるだろう。AがCを殴り、Cがよろめいた所にBが攻撃を仕掛ける。よろめいたというタイムラグがあるため、それは同時ではないのだ。
 ……無駄な説明はもう省くが、同時攻撃には洗練された技術が必須ということだけ分かってもらえればそれで良い。それも、合図無しに行うのは至難の技であることも分かりきったことだろう。
 彼女たちは、それをした。ルッカは男に無詠唱のファイアを。マールもまた無詠唱のアイスを、寸分の狂い無く同時にダルトンに放ったのだ。
 炎と氷。本来ならば、互いに相殺しようものだが、彼女たちの相性なのか、はたまた同質の感情を抱いていたからか、理由は分からない。二つの魔法は融合し、新しい魔術が生まれた。焔は唸りを上げてダルトンを包み込み、その空間一体を時を止めるような冷気が覆う。急激な温度変化は対象を崩し去るだろう。これは……そうだな、爆発するような轟音が絶えず鳴り響くことから、反作用ボムとでも名づけようか。


「……えげつな」


 確かに、礼儀やらデリカシーやら欠片も無い下劣な言葉だったとはいえ、人間相手に使って良い呪文じゃ無いと思うんだが……確実にダルトン死んだんじゃないか? 跡形も無く。
 とうとうパーティーから殺人者が出たか、と悔やんでいると、濃密なエネルギー体が俺の顔を通り抜けた……反撃の魔法か!? 攻撃を喰らってる最中にそんな真似が出来るのか!
 すぐさま刀を抜いてダルトンが放っただろう攻撃を見届ける。直線に飛ぶエネルギー体は壁に激突する事無く、俺から五メートル程離れた地点で動きを止めた。浮遊を続ける球体は、ふわふわと動き、俺の行動を見張っているようだった。


「……なるほど、どうやら躾が必要な雌のようだな……」


「う、嘘でしょ!?」


 マールかルッカか判別は出来ないが、驚愕の声が聞こえた瞬間反作用ボムの魔術が弾けとび、辺りに火の粉と雪のような結晶が飛び交った。その歪な空間を闊歩して、大仰に指を向ける男……奴は、高らかに口を開いた。


「……魔法王国、魔法部隊団長ダルトン。俺様に逆らうなら……少しばかり痛い目を見てもらおうか……出て来い、ダルトンゴーレム!!!」


 ダルトンの命令に、球体は広がり形を変えていく。ゴゴゴ……と山鳴りのような音と共に……魔力の塊はダルトンの傍らに近づき、目が眩むような光を発した。瞳を焼かれぬよう手で視界を隠した。
 今この瞬間に攻撃されれば避けようが無い。最悪、防御は出来るように電力を体に流しトランスの準備。一撃で体が消えるような魔法を使われれば、意味は為さないが。
 …………十秒経過。光は収まり、恐る恐る目を開き、ダルトンの魔術を確認した。


「…………ああ?」


 どうも、目が悪くなったらしい俺は袖で目を擦り、もう一度ダルトンを見る。マールとルッカも同じように目を擦ったり眼鏡を拭いたりと、全員が全員信じられないものを見たアクションを取っている。
 ダルトンの姿に変わりは無い。反作用ボムにより多少服が焦げたり凍ったりしているが、それは些事だろう。ダルトン本人には何にも変わりが無い。
 ……予想はしていた。彼の言葉は確かにゴーレムと呼んでいた。想像でしかないが、召喚魔法の一種ではないかと当たりを付けていたのだ。見るも恐ろしい、とは言わないが凶悪な造形の魔物が現れ俺たちという敵に舌なめずりをしているのではないか? 俺はそう疑っていた。
 果たして、その予想は半分は当たっていた。彼の唱えた呪文は召喚呪文だった。彼の横には今まで姿の見えなかった存在が姿を見せている。それはいいんだ。召喚なんて、流石魔法王国の重鎮だ、と驚き賞賛しても良い。だが、その召喚された対象に問題がある。


「主人に狼藉を働く無礼者め、我が退治てくれるわ!」


 背丈は、そうだな。言葉遣いの堅さと反して、ロボよりは大きいくらいの中学生程度。髪は長いざんばらで、武士を目指して失敗したような。目つきは鋭く、大人びているのが、身長と比べてアンバランスな魅力があるといえよう。服装は……巫女服とでも言うのか? 昔見たコスプレ大全に載ってた気がする。両手には二メートルを越す薙刀を持ち、体勢を低く保ちながら俺たちを睨んでいた。


「……ゴーレムって、ああいうのなのか?」


「私に聞かないでよ……そして興奮してるマールを宥めてよ」


「嫌だ。これ以上俺を混乱させないでくれ」


 ふんふんと鼻息荒く薙刀を揺らすゴーレム? の姿に何と言えば良いのか、きっぱりと困っていると、それを恐怖だと勘違いしたダルトンが「恐ろしいだろう! これが俺のゴーレムの一人、ダルトンゴーレムだ!」と腰に手を当てて高笑い。自分で作ったでこぼこの独楽を自慢する子供に見えて仕方が無い。
 凄いと言えば凄いのだろうが……驚けばいいのか笑えばいいのかほんわかすればいいのか分からない。そしてそれ以上に、俺はダルトンに言いたいことがある。だがそれを口にする前に、断言しておこう。俺はロリコンではない。それを踏まえて、俺の純粋な感想を述べよう。
 目の前の薙刀娘(一々ダルトンゴーレムとか言ってられねえ)は見ただけでも「ご主人様を守る!」という気合に満ち溢れており、健気とも愛らしいとも取れる男からすれば宝と言える女の子。それはまあ、良いだろう。だが奴はこう言った。『俺のゴーレムの一人』と。つまり、他にも同じような女の子をこいつは従えているのだ。それでいて、他の女性を手篭めにしようと……いやいや付き合おうとしているという事実。


「……ルッカ、マール。お前らはあのゴーレムの相手をしてくれ。俺はダルトンをやる。ていうか、殺る」


「嫌に力が入った言い方だけど……分かったわ。あんたが女の子相手に刀を振れるとは思わないし。良いわねマール?」


「我っ娘……はあはあ」


「良いそうよ。もうこの子時の最果てに返していいかしら?」


「ルッカの判断に任せる」


 俺たちの会話を聞いていたダルトンたちは、俺の提案に乗るように二手に分かれた。俺との一対一に文句は無い、ということか。下種なりに決闘を受ける度胸はあるということだな。
 じりじりと足を滑らしながら、距離を詰めていく。薙刀娘は己が主人を心配そうに見つめた後、思考を切り替えたようにルッカとマールを凝視する。良かった、ルッカの言うとおり女の子に攻撃を当てるのは俺には無理そうだ。中世の王妃みたいな化け物は勘定に入らんが。サラやジール王女に至っては殴る蹴るは歓迎だ。
 刀を向けられながらも余裕の笑みを崩さないダルトンに、俺は歯を食いしばりながら会話を試みる。


「……俺は今からテメエを三十二分割するつもりだ……だが、もしお前が俺の提案を呑むなら……お前の望みを叶えないでも、ない」


 ほう、と笑って「それはつまりあの三人の女を差し出す、と取って良いんだな?」とダルトン。ルッカが「何考えてるの!?」と叫ぶのが聞こえるが……まずはこの男との交渉が先。すまないルッカ……俺には、いや男には叶えたい願いがあるんだ、それが今この時叶うかもしれない! ……分かってくれるよな、ルッカなら!
 大きく息を吸い、間違いなく俺の運命を変えるだろう言葉を、細々と作った。


「……俺にも、召喚魔法を教えてください」


 テメエそんなに尽くし系女の子が欲しいのかぁぁぁ!! というルッカの豪声と、私もそれキボンヌ!! というマールの願望が聞こえたが、知ったことか。これは男の夢であり、また誰かに譲る気も全く無い! この召喚魔法なら十二人の俺だけに従う女の子が完成するのだ! それぞれ一人称も変えさせる! 私、わたち、僕、俺、我、わらわ、拙者、自分の名前(優なら自分をユウと呼ぶ)、ME、ぽっくん、自分の名前重複(優なら自分をユウユウと呼ぶ)、自分は~。最高だ! 神の啓示だ! しかも全員が俺を慕うだと!? 感動の余り、涙が出てきた。今俺は猛烈に歓喜している!


「……すまんが、俺の召喚魔法は俺だけの特性だ。俺故に唱えられる究極の魔法だからな」


 あんまりだ。それでは余りに報われない。俺が。
 これだけ願っているのに、これだけ渇望しているのに、それが叶わないなんて嘘だ。こんなに頑張って生きているのに、それが報われないなんて、嘘だ! 
 絶望の底に落とされて膝を落とす俺に、ダルトンが幾許か慰めるような顔を見せた。


「まあ、どうしてもというなら俺のダルトンゴーレムを譲らんではないが……」


 そう言ってダルトンが薙刀娘を見やると、果てしなく悲しそうな顔で「そんな気持ち悪い男の使い魔など絶対に嫌です!」と宣言した。一粒で二度苦いとはこの事だ。出会って会話もしてないのに気持ち悪いと言われた俺は、どうすれば良い──?
 ……決まってるじゃないか。自分が望んで止まない物を手にしている人物が目の前にいるんだ。自分が決して手に入れることの出来ない宝物を持っている人間がいるんだ。ならば……


「……決めたぞ。俺はお前を殺す。そして、あの薙刀娘を俺色に染めてやる!」


 ──奪い取るまでだ。


「なんという悪の要素。やはりお前が俺という男の最後の敵にふさわしい!」


 言ってダルトンは何処からか取り出した脇差のような剣を構えて俺と対峙する。精々今の内に格好をつけているが良い、すぐにでも貴様の女を全て奪い取ってくれるわ!
 ……ただまあ、怖いのはルッカが「ほぅら、ちょっと見直せばこうなるんだから、やっぱりクロノはだるまの刑に処して幽閉すべきなのよ」と呪いの様に呟いている事か。無問題、俺の覇道はそのような言葉で立ち塞がれるほど生易しいものではない!! ……でもだるまは嫌かなあ。四肢切断て、マニアック過ぎるだろ。
 魔法王国における、初戦が始まった。正に、聖戦。








 魔法を主としているだろうダルトンに接近戦を挑んだものの、そう簡単なものでは無かったことを知る。ダルトンは魔法だけでなく、その鍛えられた筋肉をフルに活用するパワーファイターの一面も持ち合わせていた。力任せとも言える剣戟は重く鋭い。度々に隙は出切るが、そこをカバーするように魔法の防御兼反撃。肉弾戦の補助として魔法を使うこいつのスタイルはルッカやマールといった魔力主戦のタイプではなく、カエルに……というよりも酷く俺に近い戦い方と言える。やり辛いことこの上ない。
 さらには、力押しに攻めきられる程の魔力ではないが、ダルトンの扱う魔法はトリッキーなものばかりで攻め手を掴めない。頭上から空間転移のようなものを用いて鉄球を作り出し攻撃のリズムを狂わせる。微追尾機能のある魔術球を作り出し魔術詠唱を中断させるといった奇術的な魔法の使い方は、ダルトンのペースを途切らせない、実践的なものばかりだった。
 ……魔法王国で女王に近い立場を持ってるだけあって、魔法が上手い。同じ舞台に立てば到底敵う相手ではないだろう。詠唱の速度も俺の比ではなく、構成力の緻密さも過去戦ったマヨネーに勝るとも劣らぬもの。強敵であるのは間違いなかった。こいつに召喚呪文がいるのか? 単体で充分脅威じゃねえか!
 ルッカたちを見れば、恐ろしいことに薙刀一本で彼女たちと互角以上に戦う薙刀娘の姿。片手で薙刀を振り回し、身のこなしはエイラに迫るものがある。後衛の彼女たちには荷が重いというか、相性の悪い相手だろう。完全なスピードタイプというわけか……人選をミスッたな、今更変える気もないが。俺には大儀がある。


「そぉら、どうした俺の宿命のライバルよ! その程度の俺に立ちはだかろうとは片腹痛い!」


 追尾魔術球で構えを崩された後、剣を持たない手で拳を当てられる。たまらず俺はガードも出来ず後ろに飛ばされた。起き上がる前にソイソー刀を伸ばすが、ダルトンに当たる前に出現した鉄球で向きを変えさせられる。そうだよな、そういう使い方も有るよなクソっ!
 トランスで一気呵成に攻めるか? いや、もし決め損なえばまず負ける。大体トランスは頭を使わない魔物相手に有効な戦法なんだ。時間切れを狙われる対人戦ではリスクが大き過ぎる! 崖っぷちになるまでは乱用は避けたい。
 折れた右奥歯を吐き捨てて、「ライバル認定が多い国だな」と軽口を叩くも……じわじわと追い詰められていく気分だ。勝つパターンがおぼろげにしか浮かばない。それも全て具体的ではなく、決行には届かないものばかり。今まで戦ってきた中で一番強いとは言わないが……最も有効な戦い方を見つけられない相手だな。というよりも……


「これが、魔法を使う人間と戦うってことなのか……」


 王妃や現代の牢獄の見張りたちも、皆肉弾戦だけでやりすごしてきた。魔王も人間なのかもしれないが……あれは除外。そもそも俺はあの時まともに戦えてないんだから。
 そして、それ以上にダルトンが対人戦に慣れていること。俺の呼吸や攻撃パターンを経験で読んでいるようだ。扱う魔法も流れを汲んでいて、全てが布石になっている。何一つ致命傷にはならないが、どれ一つ無駄な行動を取らない。場合が場合でなければ、ダルトンに弟子入りしたいくらいだ。


「……でもまあ、負けねえけどな!」


「強がりを……俺に勝てるものなぞ、世界に一人もおらんのだ! ラヴォス神すら俺が操ってくれる!」


 豪快な台詞と同時に鉄球を四つ落としてくる。これは普通に避けても間に合わない。一瞬だけトランスを使い身体機能を上げて後ろに跳ぶ。上手い具合に刹那で避けきることが出来たことで、ダルトンに確かな隙が作られた。トランスの解除を先延ばしにして、そのまま延長。数秒持てば御の字だが……今飛び出して失敗しても確定的な反撃は無い!
 一足でダルトンに切迫して切りかかるが、事前に練りこまれていた魔術詠唱により産まれた魔術球でソイソー刀を後ろに飛ばされる。
 でもそれは……それは、防御として成り立ってない!


「だああっらああぁぁ!!!」


 走り出した勢いを活かして、凝縮した電力を拳に溜めて振り切る。俺の右腕はダルトンの腹を貫いて、インパクトの瞬間に弾けさせた。打撃と電力の解放により、そのパンチは数倍の重さと破壊力を生む。ダルトンは女王の椅子に当たって、粉々に破壊しながら転がり続けた。
 ……まだ、立つか?


「ごほっ! ……おお、良いじゃないか。俺のライバルだからな、この程度はやってくれんと」


「……やっぱり、立つのかよ……」


 自慢じゃないが、普通の人間が喰らえば内臓がぐしゃぐしゃになるくらいの威力があったはずだ。それを、回復もせずに立ち上がるとは、頑丈の一言では済まされない。多分電力解放の直前に打撃箇所に魔力を集めてダメージを軽減させたのだろう。不可能じゃない……不可能じゃないけれど、どこまで修練を積めばその域に達することが出来るのか? この男、ヘラヘラと笑いながら馬鹿を言うが……半生を修行に用いてきたのだろう。その努力と汗が彼の並ならぬ自信に繋がっているのか。


「……お前はこう思っていただろう。こいつは召喚呪文を使う、自分では戦えない魔術師だと」


「……そうだな、戦闘能力が零とは思ってなかったけど、正直侮っていたことは認めるよ」


 ダルトンは頷き、もう一度口を開く。


「お前はこう思っているだろう。こいつは小刻みに魔法を使う、テクニックタイプの魔術師だと」


 ……意図が分からない。何を言いたいのか? 自分は技術重視の戦い方をするものではない、そう言いたいのか? もしくは……一発逆転に近い、奥の手を持っていると言いたいのか?
 俺の考えを読めたか、ダルトンは指を鳴らして「ビンゴだ」と笑った。その行動に警戒して、俺は磁力を使ってソイソー刀を引き寄せた。この程度は魔力を使うなら当然と思っているのかダルトンに驚いた素振りは見えない。もしかしたら、俺の力を評価して、磁力を操ることは可能としたのかは分からないが。


「……名前を聞いてなかったな」思い出したように口にするダルトン。


「俺はクロノ、あっちの女の子たちは……」


 俺が紹介する前に、ダルトンは手を前に出して遮った。「俺はお前だけに聞いたんだ」と答えて。


「感激しろよ。俺様が男の名を問うなど百年にあるかないか、だ」


 そりゃどうも、と返して魔術詠唱を始める。微かにダルトンから漏れる魔力からして、魔王のダークマター程の威力は無いだろうが……予想もつかない魔術である可能性は大いに有り得る。と言うより、こいつが意表をつかない魔術を使わない訳が無いとさえ思えた。
 マントを両手で持ち上げて、顔を上に逸らし、低く通る声でダルトンは魔王には及ばぬものの、凄まじい魔力の奔流を抱いて魔術発動のキーワードを解き放った。


──オナラぷー──
 彼は、確かにそう言った。


 『オナラ‐ぷー』
 『オナラ、おなら。屁の事を指す。』
 『1、腸内に生まれ肛門から出されるガスのこと。加えて、価値の無いもの、つまらないものとしても使われる』
 『例。―でもない。―とすら思わない。』
 『屁を用いた諺として、屁の河童というものがある。なんとも思わない、また簡単にしてみせるといった意味として使われる。』
 『硫黄の臭い、卵の腐った臭いに近いものであり、大変臭い。もの凄く臭い。合コンの最中なんかでやれば総すかん間違いない。一時期、おならぷー! というギャグが流行ったりしたが、あれはその時代の人間が軒並み頭が終わっていたからであろう。分かりやすく言うと、面白いと思って使えばまず間違いなく滑る。』
 『大きな大人が真面目な顔で言うと、もしかしたら面白いこともあるかもしれないが、今この状況で使うのは失敗例としての模範的なものであろう』


 辞書に載っていそうな情報が脳内を駆け足で通り過ぎて……俺の意識が遠ざかっていった──


「……これぞ、俺の最終奥義オナラぷーだ! 何人もこの魔奥義から逃れることは出来ん」


 真剣勝負に劇物を入れてもみくちゃにした男は誇らしそうに自分の恥部を語っていた。それが最終奥義で、本当に良いのか? という俺の声は鼻につく激臭により外に出ることは無かった。
 かろうじて見えた最後の光景には、俺と同じように倒れ伏しているルッカとマール。そしてこいつの仲間であろう薙刀娘が呻き声を上げて床に伏している映像。ああ、こいつのこと褒めてた発言は全部取り消しだ。胃腸の腐った変態以外に表す言葉なんて必要ない。
 ……ああ……召喚魔法で、俺の、俺だけよる、俺の為のハーレムを……作り…………た、かっ……た…………









 時は進み、クロノたち一行がダルトンの腸内活性化によって現れる症状に倒れ伏した十数分後のこと。
 自賛の笑い声を上げているダルトンの前に鼻をハンカチ越しに摘んだジール女王が歩いてきた。幼い子供のようにひょこひょこと着いて回るサラを背後に、彼女は堂々とした立ち居振る舞いを見せる。
 伏せるクロノたちを一瞥し、彼女は冷たく「殺せ」と命じた。一瞬驚いた顔を見せるダルトンだが、不平不満を出す事無しに、仰々しく頭を下げてこの場を去る女王を見送った。


「……元々始末しろってんだから、文句は無えがよぉ……俺様に命令ってのが気に喰わねえよな? そう思わねえか王女様」


 えいえい、とクロノの頭を踏みつけるサラにダルトンはため息を一つ、腕を掴み己のライバルと認定した男から距離を置かせる。子犬みたいにきゃんきゃん騒いで応対するが、彼の太い腕にサラの細腕が対抗できるわけも無く、ずるずると引き摺られていった。


「離して下さい! 私は今積年の恨みを晴らすべく戦っているのです!」


「戦ってるっつーのは、俺みたく正々堂々対面して勝負することを言うんだ。あんたのはいたぶるって言うのさ」


「ダルトンは意地悪ですね、もっと私に媚びへつらうべきではありませんか?」


 冗談はよせ、と頭を軽く叩いて、ダルトンはその場を去ろうとする。例え忠誠を誓うべき相手の命令とは言え、気を失った人間に止めを刺すなどありえない。それも、相手は自分が強敵と認めた男に嫁に迎えようと考えていた女性二人。手を下すにしても、もっと状況が整った場面で戦うべきだ。


(何より……俺様相手に手加減だと?)


 苦悶の表情を浮かべながら呻いている男の顔を見て、ダルトンは唾を吐いた。それを見ていたサラが「下品です」と苦言を出すが、関係ない。彼にとって、最も嫌うべき行動を取られたのだ。
 彼の嫌う行動、それは舐められるということ。油断ならば良いのだ、相手の力量を見極められず裏をかかれる馬鹿者に思うことなど無い。ダルトンにとってそれは嫌うべきことではなく、興味の対象から外れるようなことだ。


(本気を出すまでも無い……そうじゃねえだろ、クロノ。お前は俺の力量を誤るような糞ったれじゃねえよな?)


 詰まる所……と、線引きして、ダルトンは仮説と確信の間のような気持ちで答えを出した。


「同じ人間相手に、殺し合いは出来ないってか? 甘ちゃんが」


 しかし、と彼は思う。仮にこの自分の半分弱しか生きていないような少年が本気で自分を殺しにかかったら? 果たして自分に勝ち星が有り得ただろうか?
 負けたとは言わない。彼は自分に最上の自信を持っているからだ。だが……確実に勝てると軽口でなく、本心から思えるほど彼は愚かではなかった。


(そもそも、あの野郎本気で切りかかろうとすらしてねえ。必中を誇る俺の鉄球を全て避けておいて、チャンスが無かったとは言わせねえぞ)


 今まで自分は勝負に勝ったときは、どんな時でも笑ってきた。その歴史の中で、これほど空虚な勝ち鬨は初めてだと、彼は歯を鳴らし、眼孔が鋭く尖っていく。


「おいサラ。そいつらどうする気だ?」


「ほえ? どうすると言われても、貴方が始末するんじゃないんですか?」


 意図が掴めてない事を知り、ばりばりと頭を掻き毟る。


「そうじゃねえ……いや、それでもいい。俺様が今こいつらをぶっ殺そうとすれば、お前はどうするんだ?」


 目の前の人間が何を言っているのか分からないという顔で、サラは人差し指を己の顎に当てて首を傾けた。


「させませんよ。私のライバルは、私が倒さないといけませんので」


「……それが聞ければそれでいい」


 彼女は、間違いなく彼らを助けるだろう。何処に匿うかまでは知る必要が無い。ダルトンにはもう分かっていた。妙な訪問者たちがこのまま引き下がることがないということを。内心、彼らの目的を知りたくもあったが……それはあまりに微量な好奇心。自ずとやって来ると分かっていればそれでいい。もう一度あの赤毛の男と戦えるなら、文句は無い。その戦いの報酬があの個性ある女性たちならば言うことが無い。


(その時は、お前を呼ぶかもな、マスターゴーレム?)


 空虚な空間に思考を投げて、ダルトンは女王の間を後にする。
 彼の名はダルトン。魔法王国随一の戦闘力を有し、国民から呼ばれている渾名は金の獅子。
 獅子は好色で、傲慢で、自意識を高く掲げて。さらには、


「狙った獲物は、逃がさねえのさ」


 金の瞳を輝かせながら、獰猛に呻く暴力欲を抑えて男は彼らとの再会を願った。










 時間は更に進み行き、場所は暗い洞穴へと繋がる。絶え間なく続く雪風に身を縮めて、サラは口を尖らせた。


「大体おかしいです。何故私が一々貴方の命令に従って下界の地に下りねばならないのかさっぱりです。もう、死んでもいいですよ貴方。ていうか鼻血とか頭からの流血とか凄いですね。後で写真撮らせてください。グロ画像収集スレ(ストレンジレクチャーの略。ジール王国の写真同好会のことである)に貼りますので」


 長い台詞を一口に話しきったサラは、少しだけ嬉しそうに隣を歩くフードの男を見た。
 男は、女王に預言者と呼ばれ理不尽に殴られた者である。預言者は嫌なことを思い出さされ、不機嫌そうに鼻を鳴らして肩に積もった雪を払い落とした。


「……黙って歩け。この者たちを殺されたくなければな」


「今更冷酷キャラを作ったって無駄ですよ。本当に、母様とのやり取りは笑わせていただきました。お腹一杯です」嫌味のように、腹を撫でるサラ。


 サラが口述したとおり、彼女たちがいる場所はジール王国ではなく、クロノたちが最初に現れた極寒の大地。三人の人間を運びながら(運んでいるのはサラではないが)、原始から飛ぶことができた、ゲートのある洞穴まで歩いてきたのだ。
 心もとない程度の防寒具しか着けて来なかったサラは申し訳に巻かれたマフラーで雪に塗れた自分の顔を拭く。マフラー自体濡れるを超えて凍っている部分があるほどで、彼女が期待した効果はなかった。
 霜焼けで赤くなった顔を手で暖めながら、サラはべし、と預言者の肩を叩く。その反動で、預言者の担ぐ人間がぼと、と凍った地面に落ちた。溜飲が下がったようにサラはふう、と気持ちの良さそうな息を吐く。ゆらゆらと揺れていく白い水蒸気が少し面白いとさえ感じていた。
 ……そも、彼女たちがここにいる理由。それはダルトンが去り、間も無くの時が原因となっている──






 自分にとっていけ好かないと考えているダルトンが消え、サラはにんまりと邪悪な笑顔を作った。念のため、ダルトンが帰ってこないか扉の前に走り廊下を見ると、既に角を曲がり姿の見えないことを確認した。


「ふむふむ。これでこの赤い男に天罰を与えることが出来ます。いえ、これは天誅に非ず。この男の蛮行を、例え天が許しても人は許しません。よって、今から私が行うことは人誅! 気絶している間にズボンが水浸しになっていればどうなるか! この女性のお仲間さんたちに非難されるがいいのです!」


 扉の近くに置いてある水差しに手を伸ばし、裁判官のような厳かさと処刑人のような残酷な顔を両立させてサラは嬉しそうに、笑った。もし自分の思い描いていた展開になれば、彼女は手を叩いて笑い転げただろう。
 しかし、それを邪魔する人間が一人。


「サラ……貴様、そやつらを逃がすつもりか……?」


「ほぎゃあ!?」


 突如聞こえた背後からの声に驚きサラは持っていた水差しを放り投げた。幸い、床に落ちた水差しが割れることはなかったが、中に入っていた水の多くをサラ自身が被ることになった。
 顔が隠れているため、窺うことは出来ないが預言者から申し訳無さそうな雰囲気が見て取れる。


「ななな!? 貴方、女性の背後に忍び寄るとは……このレイプ魔! 消えてください!」


「……落ち着け。サラ、私の話を聞け」


「痴れ者! この痴れ者! せっかくの私の計画を台無しにしましたね!? ああもう服がびしょ濡れ……待ってください? つまり私がこの赤い人に擦り寄れば結果的に万事オーケーなのではっ!?」


「やめんかっ!!!」


 宥めど抑えど一向に錯乱した思考を霧散させることのないサラに預言者は頭を抱えてしまう。知らず素数を数えてしまうのは、常が冷静であるゆえか。


「お、大きな声を出したからってびっくりすると思わないで下さい! こう見えて私はジール王国クーデレ大賞の二回戦に進んだ経歴があるのです!」


 ちなみに、彼女の二回戦の相手は猫『アルファド(3)』だ。一回戦の相手は八百屋の親父『モスクワ・クーベルトン(54)』である。手に汗握る接戦だったそうな。二回戦は猫がぶっちぎりだった。


「……私は……私は……っ!」


 急に預言者が蹲り苦痛に呻くような声を上げる。まるで、気付かぬうちに過去を美化していたという現実を突きつけられたというか、思い出補正が砕けたというか、色々と思い出したくない事実を思い出したというか、そんな風に見える。
 それから小一時間経過し、二人の争いは幕を閉じた。
 この者たちを逃がすわけにはいかない。今この場で私が殺す→待ってください、私はこの方をぎゃふんと言わせねば四日は寝れません。→じゃあ仕方ない。こいつらを元の時代に戻さねば→なんだか良く分かりませんが、偉そうですねあなた。ひれ伏しなさい。
 というやり取りが行われ、預言者の魔力探知の下ゲートのある洞穴まで歩いてきたという次第である。圧縮に圧縮を重ねた結果だけを綴ることにした。
 そして、ようやく時は戻る。






「つまり、この人たちをこのげーととか言う不思議門に放り込んだ後、私がこの不思議門を魔力で閉じればいいのですね?」


「その通りだ。それで、こいつらはこの時代に来ることが出来なくなるだろう」


「よく分かりました。嫌です」


「……サラ。いよいよ私も実力行使に訴えねばならんほどに、限界なのだが……」


「聞こえませんでしたか? 嫌です。何度も言うようですが、私はこの男の人をぎゃふんと」


 サラを無視して預言者はゲートを開き方肩に背負う女性二人をゲートの中に放り込んだ。港の積荷のように乱暴な扱いだったが、彼の心境を思うにそれでも優しい方だったのだろう。本当はジャイアントスイングばりの遠心力を付けて放り出したかったのだろうから。
 続いて今さっき床に落とした男の足を持ち、ゲートに歩み寄ると、巷で残念な美人と称されているサラが両手でTの文字を作り「タイムですタイムです!」と吠える。仕方なく立ち止まる預言者。その手に引き摺られている男性の顔にサラは持てるだけの雪を顔にぶちまけた。絶世の美女と言えよう、美しい笑顔だった。


「これで良いです。まだまだやりたりないけど、我慢してあげます」


 自然にひくつく口元を押さえて、預言者は勢い良く赤毛の男をゲートに投げ捨てようとした。
 ──瞬間、がばっと目を覚ました赤毛の男──クロノは事態を理解する前に喉に力を込めて……粘着性のある液体を噴出した。その液体は優雅に曲線を描き、御満悦といった顔で微笑んでいるサラの顔面に到着した。
 預言者はそれに気付く事無く、ゲートの闇へクロノを放り、門を閉じた。


「これで良い。サラ、ゲートを閉じろ…………サラ?」


 反応がないことをいぶかしみ、預言者は振り返った。目の前には、鼻からだらりと伸びる白い鼻水のようなものを付けているサラの姿。今までニコニコと陽気を振りまいていたというのに、凍えそうな温度に似合う冷徹な表情だった。これならば、クーデレ大会とやらに優勝できたかもしれんな、と詮無いことを思い浮かべ、預言者はこれからの騒動を予想した。


「……タン、ですね。あの人私にタンを飛ばしたんですね? 預言者さん。今すぐそのげーとを開けてください。ぬっ殺してきます」


「約束が違うぞサラ。お前は結界を作る為にここに連れて来たのだ」


「うるさいです、とにかく開けてください。あの赤い人を血まみれにして赤すぎる人にしてやるのです! ほら早く!」


「ええい! あの小僧無駄な置き土産を残していきおって!!」


 騒々しい洞穴の中で喚きあう二人の姿は、酷く捻じ曲がった物の見方をすれば、もしかしたら兄妹のように見えなくもないもので、少しだけ楽しそうな現場だった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:06
 周りは泥濘のように暗く、また正しくヘドロの臭いが充満する不衛生極まりない光景、這いずるような音が水滴と混ざり合い背中をくすぐっていく。半ばから折れたポンプから黒い重油がこぼれて床に落ち、俺はそれを避けるため大股で足を出す。天井からどたばたと騒音。冗談みたいに大きな鼠か、冗談にもならない巨大な虫が遊んでいるんだろう、なんてファンシーでない表現。
 隣を歩くマールは延々「うわぁ……」と顔をしかめて極力壁に触れぬよう通路の中央を歩いている。王女という身分にありながら、このような場所を歩いているとは、現代の国王が知れば俺は縛り首間違いないだろう、それがなくても歓迎には程遠いだろうが。
 水路に目を向ければ、大量のごみ、生き物の死骸に遮られて水の流れは悪く、腐った汚水と化していた。管理など誰もしていないので、何処かに流れ出すこともなく流水することもない。それは当然の帰結とはいえ……刺激臭が鼻をつくのは止めて欲しい。胃どころか、肺までひっくり返りそうだ。
 ……今俺たちがいる場所、それは地下水道跡という未来の荒廃した施設である。何故俺たちがこんな汚い臭い見たくも無いの三拍子揃った所に足を運んでいるのか? それを説明するには少々時を戻す必要がある。


 ──ダルトンに倒された俺たちが目を覚ました後の事。俺とルッカ、マールは原始のティラン城跡に倒れていた。どうやらジール宮殿から放っぽり出された上、ゲートに入れられたらしい。何故か、俺の心にしてやったり! な感情がショイフルしているのだが、それは置いておこう。
 やべえやべえ俺たちこれからどうすべか? と悩んで……結局何も出来ないという結論に達した。ルッカでさえどうしようもないわねと匙を投げたのだから、俺が妙案を出せるわけが無い。
 不貞腐れた俺は久しぶりにロボと絡んでみようと思い立ち、時の最果てに帰ったのだ。そもそもそれが間違い。


「クロノさあぁぁぁぁん!!!」


「ふぁるこんっ!!!?」


 久しぶりのロボ加速装置稼動時体当たり『ロボタックル』を全力で喰らい肋骨がもっちゃーした。くそっ、一番と二番を持っていかれた……っ!!
 定例通りマールに回復魔法をかけてもらい、ソイソー刀を片手にロボと戯れようとした結果、時の最果ての爺がストップを宣言。切断するだけの間くらい待ってくれてもいいじゃないか。
 爺さんの話を嫌々渋々ロボの首を掴みながら聞いてみると、「確か、未来で時を越える機械なんぞを作っておった奴がおったのお……」とのこと。嘘付けの一言で切って、クロノの解体ショーを再開。今なら右太もも百グラム二百円!
 例によって例の如く、ルッカとマールにエルボーとミドルキックコンボで止められる。お前ら何の気なしに俺を責めるけど、骨折させられてるんだぜ俺。世の中の常識が今ここで覆されようとしている。それにしても久しぶりだなあ、この俺が泣かせたのにロボが俺に抱きつく流れ。一分の狂いも無い。とりあえず撫でておくけれども。
 結局その後他に手がかりも無いんだし、半分ボケた爺の戯言を信じて未来に行ってみようと決まった。ノリで行動する、悪い事、違う。
 その際のパーティーメンバーは変わらず、今だ本調子にならない役立たずの緑女とバイオレンスクソガキを時の最果てに残し出発。二度目のロボタックル発動の引き金となったが、かかと落としで阻止。「ああ、今日は三本しか骨折してない。ラッキー!」とか言うような人生を送るつもりは無いので当分、というかできれば一生ロボと接したくは無いのだ。
 しかし、いざ未来に来たとてやることなんかまるで無い。手がかりを掴むついでにアリスドームのドンたちに会いに行く。微妙にルッカとマールが嫌そうな顔をしたが……? ああ、そういえばこの二人は嫌われてたっけ。俺のファミリー(アリスドーム住人)に。知ったことか。


「おお……おお! ドン国王、クロノ将軍が帰還されました!」


「何ぃ!? 今すぐここに呼べ、皆の衆宴じゃ!」


「おおおおお!!!」


 少し顔を見せるだけだったのにこの騒ぎ。正直、ちょい引いた。そして何故俺が将軍なのか? 何故ドンが国王の座に至ったのか? 何となく理由は分かるけど、鼠捕獲作戦の時に目立った活躍をした奴はそういう立場を約束されたのか……?
 彼らの活気は、俺が帰ってきたということだけでは無かった。どうやら、食料庫から持って帰ってきた種から芽が出たのだそうだ。実がなるような段階ではないにしろ、間違いなくここで生きる人々に希望を与えたに違いない。昼夜問わず豊作ダンスを踊っていた甲斐があったわい、とはドンの言。その場に立ち合わせないで良かった。彼らがいい年こいて奇妙な踊りを見せている所を俺が目撃すれば彼らとの楽しかった思い出ごと存在を忘れなくてはならない。
 早速時を越える機械の所在を聞いてみたが、当然なのか、皆知らなかった。よって発明家らしき人物がいないか、またそんな人物がいる所を知っていないか? という質問に変えてドンに問うた。


「……ふむ、機械を作る、発明家のような人物か……だれぞ、心当たりは無いか?」


 ドンの口から町の全員に聞いてみると、一人、もしかしたら……という信憑性の薄いものではあるが、研究者を知っているそうな。


「アリスドームの外に、地下につながる梯子があります。そこを下れば地下水道跡へ行けます。そこを抜けて地上に出れば死の山という恐ろしい雪山があり……その麓に監視者のドームという偏屈な爺さんがいるドームがありますよ。もしかしたら、その人かもしれません」


 地下水道跡? と聞けば昔浄水所という水を濾過する大規模な施設があったらしい。その名残とのこと。今は汚水と油が流れる化け物の巣窟となっているとか。酷く面倒臭い。モンスターの存在は仕方ないとしても、臭いとか汚いは避けようが無いじゃないか。
 ルッカとマールに相談して、マールは「正直、カエル辺りとクロノの二人で行ってくれませんか?」という素敵アイデアを提案。あまりにも素敵なので永遠のヒール、ブッ○ャーの地獄突き発射。マールは世にも辛そうな顔で喉を押さえている。効果はばつぐんだ!


「未来に来た時と違って、私たちは魔力を使えるのよ? この辺の魔物なんて敵じゃないわ。何より、時を越える機械なんて、科学者たる私の好奇心が疼くわ……早く行きましょう!」


 ルッカの乗り気に過ぎる発言にマールは「あーあ、嫌だなぁ……」と本心暴露。大変素直でよろしいが、俺お前嫌いだ。
 名残惜しいが、俺を(俺だけを)引き止めてくれるドンたちに別れを告げて地下水道跡へ足を運んだ。言われた通り、ドームを出て壁に沿って右に進んでいくと、ぽっかりと地面に穴が空いている。覗き込めばぼろぼろの梯子が一つ。三人一気に使えば折れるかもしれないと指摘したルッカが先頭を切って梯子を下っていく。
 ルッカの姿が暗い闇に溶けていくのを見送って、マールはふう、とため息をついた。


「ルッカって、本当勇気あるよね。私にはちょっと無理かな、こんな暗い穴の中に一人で入るなんて」


「まあな。文字通り怖いもの知らずを地で行ってるし。ちょっとだけ、幼馴染として誇らしい時があるよ」


 言うと、マールが口角を上げて「やっぱり、クロノもルッカのこと尊敬してるんだ?」とちゃかすように笑いかけてくる。


「どうだろ? まああいつの肝っ玉に関しては、尊敬しても」


「もう無理ぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃぃ!!!」


「……良いかと思うときが、あったかもしれないな」


 ドップラー効果のように上がり下がりの激しい悲鳴を上げた幼馴染の様子が気になるので、若干だれながら梯子を降りる。マールが「何か……話振ってごめん……」と申し訳なさそうに謝罪してきたのが辛い。この娘の悪いと思ったらすぐに謝る所は美点かもしれないが、謝られる方の気持ちを汲めるようになればもっと良いのに。
 錆びとカビで滑る梯子をゆっくり降りていくと、壁にはりついているルッカの姿。お前のせいでマールに同情されたじゃないか、と文句を言う前にルッカが絶望に歪んだような顔で「殺して! 殺してよぉ!」と叫ぶので心臓が口から出るかと思った。


「おおお、落ち着けよルッカ。確かにちょっと文句もあったがお前、死ぬのはおかしいだろ!? ほら俺怒ってないぞ? 嘘つかないぞー?」


「嫌ぁ! 殺してってば、今すぐ殺して!」


「何だよ何の本読んだんだお前!? ドフトエフスキ○か!?」


 確かにこいつが今まで俺にかましてきた罪を思えば罰として死にたくなる気持ちは良く分かる。でも今そんなん言う!?


「クロノが殺さないなら、私がぁぁぁ!!!!」


「止めろぉ! 自殺は最も重い罪として地獄で裁かれるんだぞ!?」


 すってんばったん揉み合って、ようやく降りてきたマールが目の前にいる今まで見た事が無いようなゴキブリを弓で打ち抜き、ルッカの半狂乱状態は治まった。話を聞けば単に大きな虫が怖かっただけのようだ。こいつはまだ虫嫌いが治ってないのか。そういや、昔から蜘蛛を見るたびに絶叫してたなあ、家庭に生息する蜘蛛は害虫じゃないんだぞ。むしろ害虫を食べてくれる良虫と言って良い。
 それから、一つ歩くたびに「無理ぃぃぃぃ!!!」を連呼するルッカを哀れに思い、マールが「ロボと交代させてあげようよ……」と言い出した。正直、「大丈夫かルッカ!?」とか言いながら内心(俺にミドルキックをかました罰だ)とへらへら笑っていた俺としては頷きがたいが……確かにこの状態のルッカに戦闘が出来るとは思えない。仕方なく泣きじゃくるルッカを時の最果てに戻しロボを呼ぶ。カエル? 役に立ちそうにないルッカを戻して何で役に立つはずが無い奴を呼ばなきゃならんのか。


 ──そして、現在に至る。
 突然変異したのか、人間の足くらいありそうなムカデがそこらを這ってるんだ。何気に、どっちかというとビビリーだったルッカではこの場所を探索するのはキツイとしても……なんだかなあ、である。見直した瞬間にやってくれるもんだから、しこりは残ってしまうだろう。
 ただまあ、ルッカの代わりにロボが入った事で戦力ダウン、ということにはならないだろう。体術、技共にロボはルッカを超えている。魔法が使えない分を差し引いても遜色ないはずだ。俺のトランスも、ロボの加速装置を意識して作り出した技だ、こいつのスピードはエイラと同レベルだろう。
 ただ気になるのは、ロボがうざったいくらい俺に纏わりついている点だろうか。


「ク、クロノさん! 今目の前を大きな蛇が! 蛇が!」


「そりゃあ蛇もいるだろう。なんせ蛇だからな」


「そ、そうですか……クロノさん! 今何かの呼吸音が!?」


「そりゃあ聞こえるだろう。俺も呼吸をするからな」


「ああ、クロノさんの……ああ!? 今首がぽきって鳴りましたぁぁ!!」


「うるせぇ! ロンドンの裏路地に放置するぞ!!!」


 これなら同じくっつくでも女のルッカをメンバーにしておく方が良かったか? なんて疑問が掠めるも、泣きっぱなしの女の子が隣にいる方が辛いと考え直し歩行再開。ビクビクワーワー騒がしいが、かろうじてロボは泣いていない。その分まだマシと思おうじゃないか。うん。
 何より、普段は飛びっきりうるさいが、こと戦闘になればロボはおっかなびっくりながらも戦ってくれた。いきなり汚ない水路からザバアっ! と半魚人の魔物飛び出してきたときは四方八方にレーザーを放出したので危うく俺の頭が消し飛ぶ所だったが。マールは至極冷静に魔物にアイスを放ち撃退していた。凄いな、俺だって腰が抜けるかと思ったのに。
 賞讃の言葉をかけようとマールの肩を叩くと、マールがぶつぶつと小さく呟いていた。


「……クロノ」


「何だよマール。つーか、勇気があるってのはお前の事だな。よくもまああんな奇襲に驚かず対処できるもんだぜ」


「うん、ありがとう。ところで私一回現代に戻って良い?」


「? 何でだよ、回復アイテムなら未来に来る前に買っておいたぞ」


 俺の言葉にマールはふるふると頭を振り、俺の目を見ず俯いたまま酷く聞こえ辛い声で答えた。


「……下着を、買ってくるの」


「…………そうか」


 進行を一時中断。俺とロボはその場で待機して、マールの帰還を待った。この出来事に対して俺はノーコメントを貫く。ただ一言、帰ってきたマールに言えるとすれば、怖がりやの女の子って可愛いと思うぞマール。だからいつまでも落ち込んだ顔をするな。何て声をかければいいのか俺にもロボにも分からないんだから。
 何となく……というか完全に気まずい状態の俺たちだったが、閃いた! という顔でロボがマールの肩を叩き、朗らかに話しかけた。


「大丈夫ですマールさん! チャイルズク○ストだったら日常茶飯事です! なんなら、今すぐ僕買ってきましょうか? 紙おむ」


 なるほど、マールでもロボを殴る事があるのか。知らなくて良いことを知った。弧を描いて飛んで行くロボを見ながら、俺は一つ賢くなった。そういえばあれだな、マールの羞恥によるガチ赤面見たの初めてかもしんねえ。最っ低のハジメテだからマールには言わないけど。言えるか!
 それからの戦闘は何かが吹っ切れたようにマール大活躍。玩具みたいな空飛ぶ目玉のモンスターも後述した半魚人もレミーボンヤスキー張りの跳び膝蹴りが炸裂。フライングマンの名に相応しい勢いであらゆる化け物が地に伏していった。今思ったんだけど、絶対彼女に弓矢いらねぇよ。ステゴロの方が数倍強い。もしかして、パワーバンド的な意味で弓矢を持ち続けているのかもしれない。最終的に強敵に会ったら「やっぱ、これ持ったままじゃ無理か……」とか言って数十キロの弓矢を捨てて闘いだすとか……やめよう。あほらしい。
 途中、細長い水路に囲まれた通路にて、物音を立てれば即座に魔物が飛び出してくる妙なトラップ染みた場所があったものの、驚く間も無くマールが撃退。鬼人化した今のマールに敵などいない。第三使途位なら時間稼ぎは出来るのではないかと思えるほど怖かった。ロボは決して俺の左腕を離さない。こいつが女で、シチュエーションがお化け屋敷ならこれほど嬉しい展開も無いだろうに、怖いと感じる対象こそ女とはこれいかに。
 黙々と前を歩く女性が本当に王女なのか、いやその前に女性なのか疑いを持ち始めた時、ようやくロボの「ふわああ……」と怯える以外の声が聞こえた。正直、お前こそ紙おむつが必要なのでは? と問いたかったが、まずは物陰に潜み、耳を澄ませる。先に見える曲がり角の奥からきりきりという耳障りな音と共に低いだみ声がこちらに響いてきた。


「ほう……? 侵入者どもめ、もうここまで辿り着いたか」


 ……ばれ……てるのか?
 もしもこちらの存在に気付いているのならば今の体勢は不味いと、すぐさま立ち上がり剣の柄に手を滑らせる。ロボは右手を光らせレーザーの準備、マールも早口で魔術詠唱を開始した。


「カカカ……来るがいい。貴様らのいる場所では碌に戦えまいが。戦場は広ければ広いほど良い。でなければ、つまらんだろうが」


 随分と高飛車な物言いだが……受けて立たないわけにもいくまい。二人に目線を送り、飛び出して声の主まで走り出す。黒々とした空間を裂き、角を曲がれば、そこには異形の体を揺らしながらこちらを見るモンスターの姿。
 大きさはヤクラのモンスター時と同程度。芋虫のような外見で、顔の部分には人間とよく似た表情が。にやにやと笑いながらこちらを見下す様は余裕と愉悦が浮かんでいた。人間程度に負けるはずは無いという自信が見て取れるそれは、確実な力量を自負しているという表れだろう。動くたびにニキニキとゴムを擦る音が聞こえる。打撃の類は効果が薄いだろうと予想できた、有効手段が浮かばないので知って良かったとも思えない情報だが。
 魔物は大きく口を開き、傍らにいる目玉の魔物に「引っ込んでいろ」と伝え、もう一度俺たちに向き直る。


「ふむ……人間よ、褒めてやろう。ここに来るまで、警備役の俺の精鋭たちを屠ってきたことを……だが……」


 自分の顔ほどもある巨大な手を鳴らし、爆音を地下水道全域に響かせる。その音、震える空気の大きさに奴の手に挟まれば、鋼鉄の塊ですらひしゃげるだろうと確信する。


「我が名はクロウリー! 我に出会った不運を呪うが良いわ! 我の力、知能、全てを超越した肉体に恐れ、ここで朽ちろ!」


「負けないもん、あなたなんかどう見ても中ボスって感じだし!」


 マールの挑発に「何ぃ!?」と顔を歪ませて、そのまま怒り狂うかと思えばクロウリーとやらは一度鼻を震わせて、マールを蔑んだ。


「分かっておらんな? 貴様らがこの地下水道に入ってからここまで、戦った際の情報を全て我は知っている! 逐一部下に報告させたのでな……分かるか? つまり、貴様らの戦闘パターンは知り尽くしておる!」


 俺、ここに来るまで全く戦ってないけど、その辺は無視ですか。どうして俺は初対面で無視されることが多いのか、自分で言うのもあれだが、赤毛の男って大分目立つと思うよ? ロッド使いがタークスで一番人気がある理由は言動だけが理由じゃないはず。
 クロウリーは高笑いの後、うねうねと蠢く指を向けて、口を開いた。


「故に、貴様らの勝率など皆無! 分かったかお漏らし女ぁぁぁ!!!」


 ああ、全部報告されてるならその禁止場面の瞬間も知ってるんだよな。誰も口にはしなかったその言葉を吐いたという事は……多分、俺が手を出す必要は無いかもしれない。
 気持ち動きづらい首を回してマールさんを窺うと……彼女は片目を大きく見開き指を鳴らしていた。紙を縛るヘアゴムは外れ、だらりと前髪が顔にかかっている。顔色も、どんな顔をしているのかも分からない。ただ、薄暗い空間でもしっかり視認できる目玉が光り、それは爬虫類を思わせた。


「獣の国が闇に覆われる。激しい苦痛」


 第五の鉢!? と突っ込む前に、マールは四速歩行の構えを取り、自分の何倍もある化け物に飛び掛った。クロウリーもよもやそんな攻撃を取るとは思って無かったようで、萎縮したようにその場を動かず押し倒される。マウントを取ったマールは両腕をがむしゃらに振り下ろし血飛沫を舞わせる。赤い煙がその場に立ち上り、耳を塞ぎたくなるような絶叫が。来た! マール乱心来た! これで勝つる!
 ゴフゴフ言いながら「喰わせろぉぉぉ!!!」とか雄叫ぶマールさんマジアモルファス。下水に近い場所で生きるモンスターを歯で噛み千切りだしたときなんかエレクトもんですわ。世界の根源が今顔を出す……!


「……クロノさん」


 半眼で目の前に広がる虐殺とも儀式に近い何かとも言える光景を目にしていたロボが、デジャヴな声音で話しかけてくる。俺は、視線だけを向けて、内容を促した。


「後で、僕一回現代に戻っていいですか? ああ、アリスドームでも良いんですが、現代の方が良質なものが売ってると思うんです」


「…………そうだな、吸水性とかに優れてるものを選ぶといいぞ」


 ありがとうございます、と頭を下げて、ロボは静かになった。人間でもアンドロイドでも、真実の恐怖を知った時、震える事すらできないんだな、と共感性というか、親近感のようなものが萌芽した。
 マールの狂気は収まらず、爪の間に血と肉が挟まり、白い服が真っ赤に染まり口端から臓物のような赤黒いものが垂れていても気にする事無く解体を続けている。
 忘れよう……今日、俺はマールとなんて会わなかった。話さなかったんだ。つまり、彼女が今日何をしたかなんて知らない。


「そんなに頻繁じゃない……私は三年前から一回も粗相をしたことが無かったんだ……っ!!」


 俺はマールと今日会ってないので、彼女の言葉に突っ込む事もしない。ハ○ンケアがお勧めだよとかそんなことを言う事も出来ない。何て……歯痒い。
 ふと、俺は出会ったばかりのマールを思い出して涙した。あの頃の俺は、ルッカという凶暴な女の子と比べて、何て心優しい、そして可愛い女の子なんだろうとか思ってた。思ってたんだ……! なんて……なんて勘違い。彼女は優しいかもしれない。彼女は可愛いかもしれない。ただ、彼女は魔物を内に飼っていたのだ。その事実が、あまりに重く、腹を痛めつける。
 地下水道の主、クロウリー。どのような戦い方するのか全く知る事無く俺たちの前から姿を消した。ただ、散乱する肉体の一部から見える背骨が以外に太いんだなあ、ということしか印象に残らず、俺たちは地下水道を後にした。今だけは、ロボが手を握ってくることを拒まない。むしろ、離すな。




 元々未来の空気は汚い。それでも下水塗れの地下と比べれば幾分マシなんだと外に出て知った。マールも俺も深呼吸を一つ。
 視界はアリスドーム付近に比べて見通せるものとなっている。砂と錆びは舞ってはいるが、遮るほどではない。その理由はアリスドームの住人から聞いた死の山があるからだろうか? 根拠は無いが、それ以外に思いつかない。理屈は分からないが、何故かその山だけは白く雪が降り注いでいる。天頂だけでなく、山の色を全て白に変えている在り方は神々しいとも言えた。神秘的というのが一番近いだろうか? 麓にあるドームに近づけばその聖気は痛いほど、肌が総毛立つようで深く息を吐いた。幻想染みた光景、空にはオーロラのようなものすら微かに浮かんでいる。それでも、何の理由も無しに近づこうなんて気持ちは欠片も生まれない。こういったものを好むマールですら僅かに体を震わせていた。頂点を極めた美しさは恐怖すら演出するのだ。


「……行こうぜマール。早く監視者のドームとやらに入らねえと……マール?」


 すぐに彼女は俺に背を向けて歩き出したが、確かに頬を塗らして、はらはらと泣いていた。死の山の雄大さに当てられたのか、はたまたそれ以外の理由なのか。見当はつかないものの、とても、嫌な気分になった。



 監視者のドームに入ると、中はアリスドームやトランドーム(未来に来た俺たちが一番初めに入ったドーム)に近い構造。篭った空気は肺を痛めて、歩くたびに舞い上がる埃の山。人が住んでいるとは思えない薄汚れた場所。ただ、研究者、科学者の類がいたのは疑わない。ルッカが見れば飛びつきそうな研究機材が所狭しと並んでおり、ルッカに次ぐだろう科学知識のロボですら何をどうするものなのか全く分からなかった。
 この場にモンスターがいないという確証も無く、俺たちは気を張り詰めながら中を探索する。じっくりと調べてみれば、中にある機械はそのほとんどが活動を停止しており、修理は困難を極めるように思えた。壁に張り付いている配電盤はカバーが外れ、中にあるコードは長い年月外に晒されて風化しており、半分以上千切れている。電気はかろうじて明かりが点っている事から流れてはいるのだろうが、最低限を超える事は無さそうだ。逆に、いつ途絶えたとて不思議は無い。ロボが体を発光させて見通しを良くしてくれているが……無駄足になりそうだな、これは。


「……?」


 ふと、足元に落ちているロケットをしゃがみこんで拾う。楕円形の金属の横にある出っ張りを強く押すと、外蓋が開かれて中にある写真が現れた。写っているのは、小さな男の子と女の子……多分、兄妹だろう。子供たちは真ん中にいる優しそうな女性に抱きつき満面の笑顔を浮かべている。多分母親である女性はしがみついている子供たちを少し困ったように、それ以上に愛おしそうに抱きかかえてカメラに目線を向けていた。両脇に老人が三人。皆、蓄えた髭を撫でながら親子の触れ合いを優しく見守っていた。そのグループから少し離れて口を尖らせている、長い金の髪に、がたいの良い男が一人。それでも口角を僅かに上げていることから、彼も楽しんでいるということが透けて見えた。黄ばんで汚れていてもそれは心の温まる、綺麗な写真だった。
 理由無く、そのロケットを懐にしまって歩き出した。きっと、これは大事なものだから。
 立ち上がり、もう戻ろうかと思っていると、マールとロボが俺を呼んでいる声が聞こえて軽く走り出した。彼女たちが手を招いている所に着くと、そこには何処かで見たような扉。確か、ジール宮殿にあった不思議扉か?
 ジール宮殿と同じようにマールがペンダントを掲げると、幻のように扉は消えて、新しい部屋への入り口が現れた。と同時に、扉の奥からノイズ交じりの声が漏れてきた。


「扉を開けた者達へ……私は、理の賢者、ガッシュ。魔法王国ジールの、ガッシュ。私はジールの大災害の折、この時代へ、飛ばされた……」


「ク、クロノ? この声何を言ってるの? 理の賢者って……」


 突然の事にマールは勿論、ロボも慌て始めた。
 ……でもマール。一番重要な所はそこじゃない。今コイツが言った事で重要なのは、ジールの『大災害』という部分だ。後ろのこの時代に『飛ばされた』も怪しいが……後でルッカに報告すべき、だな。
 声の主──ガッシュはそれから俺たちに伝えたかっただろう内容を全て俺たちに託し始めた……


「驚く事にラヴォスが現れるのは私の時代だけではなかった……遥か太古の時代に、空より落下し、ジールに出現し、地中深く潜みながら、この地球のエネルギーを吸いながら成長を続けた……」


 遥か太古……原始のことだろう。そうか、ジールのある時代は中世と原始の間、中間に位置する過去の時代だったようだ。


「時は、ガルディア王国暦六百年、魔王が呼び出し、一時その姿を現わす。王国暦千九百九十九年ついに地表をもそのテリトリーにする。そして、まるで卵を生むかのように私が死の山と名付けた場所から自らの分身を次々と誕生させるのだ。ラヴォスとは、星全体に巣くう巨大な寄生虫である」


 魔王が呼び出し姿を現す……? 俺たちが魔王と戦う事すら歴史の一部として決まっていたような口ぶり。さらには、俺たちの星をここまで破壊しておきながら尚も喰らおうとする貪欲な化け物、ラヴォス。俺はまるで今までの旅が全て誰かに操られていたような気分になり、マリオネットを思い出した。
 糸で縛られ、何をするでもなく自分の意思を曲げられて生きてきたというのか? ……いや、ただの妄想だ。今はガッシュの話を聞いていろ、俺。


「私は、ここでラヴォスの監視と研究を続けて来た。だが、すでに限界。こんな時代に正常な精神を保つのは不可能なのかもしれぬ……私の精神が死を迎える前にこの記憶を残しておく事にする。私の生涯最後の発明と共に……」


 ガッシュがそこまで言った瞬間、今まで何も見えなかった部屋に眩しいほどの明かりが点いて──非常灯か何かだろうか?──部屋の中央に置かれている巨大な機械が姿を現した。アーモンド形の、凹凸の無い銀色の機械。上部には人が乗れそうな空間が透明のカバー越しに付けられていた。未来の汚れた空気に触れながらその光沢は光を失わず爛々と輝いていた。


「私は自分の時代になんとか帰ろうと研究を続けた。しかし、この研究が完成する頃には私自身、寿命を感じていた。だから、託すのだ。ここを開く者に。時代を行き来出来れば……時代を超えて人間が、この星そのものの為に一つになれば……あのラヴォスをどうにか出来るかも知れぬ……」


 天井から火花が落ちてきた。同時にシュウウ……と何かが消えていく音が聞こえる。それに倣ったように、ガッシュの声が小さくなっていく。


「可能性は零に等しい……。しかし零でない限り、賭けてみる。この扉を開く者に、この地球の全てを賭けて……さあ、開けるがいい、最後の扉を。そして手に入れるのだ。私の最後の発明……時を渡る翼、シルバードを……」


 一度に様々なことを教えられて、俺たちはその場でしばし動かなかった。
 ……結局、ラヴォスを止めるには、未来を救うには、俺たちの手でやらなければならないのか? ラヴォスを。地球を壊した化け物を? ……可能、なのか?
 何より、ジールの大災害。これが起こるのが確定だとすれば……俺たちがジールに行って、どうなるのか。様々な予想を立てていると、マールが「とりあえず、あの機械を見てみない?」と意見。今ここで考えても仕方が無い、か。


「凄いね……これが、シルバード……あれ、でもこれどうやって乗るの?」


 きょときょと機械を見回しながらマールが不思議そうな声を出す。確かに、乗り込み方は一目には分からない。カバーは閉じられているし、それを力で開けるのは違う気がする。間違って壊してしまえば最悪だ、精密機械だろうものを無駄に弄くるのは避けたいが……
 三人とも頭を捻り考え出すが、答えが出ない。未来の機械関連で、ロボが分からないなら、ルッカでも難しいかな……? くそ、ガッシュとかいう男もう少し情報をくれれば……


「お困りのようだな……?」


「…………っっ!!!」


 突如後ろから聞こえた声に俺たちはすぐさまミドルレンジ攻撃発射。俺はサンダー、マールのアイス、ロボのレーザー。それらは混合し、闇に佇む物体に直撃した。謎の生き物は後ろにずうん、と倒れて叫び声すら上げず目を閉じた。


「……もう、思い残す事は無い」


 ……もしかしたら、やっちゃったのかもしれない。でも、後ろに立つ奴は攻撃しても良いって偉いスナイパーさんが言ってたような……
 とりあえずマールが青い化け物(そういやジールにも似た奴がいたかもしれない)を治療すると、化け物は開口一番「わしはガッシュじゃ」と自己紹介。もう攻撃されたくは無いという保身ゆえの行動だろう。
 それから話を聞けば、ガッシュという人物は己の寿命が消える前に自分の頭脳をこの謎の化け物、ヌゥにコピーしたらしい。そんな気持ち悪いことが可能なのかと驚いたが、そこは割愛しよう。ガッシュはテキパキと動きシルバードの下部にジャッキのような機械を置きその上に座席を準備した。透明カバーのある中央空間に設置するらしい。そこでようやくシルバードが稼動するとのこと。
 作業しながら、ガッシュは俺たちにシルバードの操作方法を教えてくれた。所々「Yボタンを押して……」とか訳の分からないことを言ってたが、シルバードはその機能と反比例して単純な操作だったので機械に疎い俺たちでも理解が出来た。タイムゲージに作られた針をセットして、決定ボタンを押せばそのセットされた時代に飛ぶ事ができるとのことだ。
 なんだかゲームみたいな操作だなとは思っても口に出さない。凄い発明であることは疑いようの無い事なのだから。早速俺たちはシルバードに乗り込み、タイムゲージをジール王国……古代とでも言おうか、にセットした。


「……女王を」


「? ガッシュ?」


 シルバードが発進する直前、ガッシュの残した言葉を聞きなおそうとマールが声を出した瞬間、世界が変わった。
 周りの光景が全て通り過ぎて、やがてシルバードの外の視界には何も映らなくなる。タイムゲージを見れば、恐ろしい速さで時を翔けていた。ゲートの数倍の速さで世界を渡っているのか……?


「とんでもない早さですね……どれだけのエネルギーが使われているのか皆目分かりませんよ……僕のフルパワーが京とすればシルバードは万に届くかもしれません」


「ロボ、お前今更格好つけても無駄だ。新しいパンツは履き心地良いか?」


 むがー、と運転中の俺の首を絞めようとするロボをいなしながら、俺はガッシュの言葉を思い出していた。あいつは……確かにこう言ったんだ。




『女王を……許してくれ』









 星は夢を見る必要は無い
 第二十七話 正直番外編扱いでも支障は無い









 振動が止み、頭上のカバーが真ん中から割れるように側面へと引っ込んでいく。時空空間から抜けた先、そこは半日ぶりの銀世界だった。
 シルバードからロボとマールに手を貸して降り立ち、己の体を擦る。そういえば、ルッカがいなければ炎で暖を取ることもできない……その上、シルバードは時を移動できても着地点、出現ポイントまでは選べないようで、今俺たちが何処にいるのか分からなかった。これでは、ジールに向かう為の洞窟が何処にあるのか……一面雪しか見えないここでは見覚えのある場所なんてものは無い。勘を頼りに歩くのは自殺行為だ。
 冷たいを超えて痛い氷の粒を受けながら、シルバードを離れて歩き出す。といっても、シルバードを視認できる位置以上は離れない。俺は迷っても時の最果てに戻れば良いのだが、他の二人は時の最果てと連絡を取る手段が無い。誰か一人でも迷えば死んでしまう可能性も充分あるのだ。
 そうして、出来うるだけ体をくっつけて体温の低下を防ぎつつ、辺りを徘徊してみると、幸いにも半刻と経たずに洞窟と思わしき場所が見つけることが出来た。奇跡というか、幸運というか。
 急いで洞窟に走り出して体の雪を払う。見た限りこの洞窟はジールに繋がる移動装置のあった所では無いようだが……風を防げる場所に来れただけ良かったというものだ。俺はカエルに分けてもらった乾いた木片を床に積み、適当な紙を持っていないかポケットをまさぐった。運の良い事は連続するもので、底から酒場の領収書を見つけたので軽く電気を作り燃やして木片に置いた。瞬く間に火は拡がって体を暖めてくれる。
 マールとロボはため息を一つつき、手ごろな石に座った。座っているよりも本当は立っていた方が体が冷えないんだが……まあいいか。短い距離でも、雪道を歩いたので足が疲れたのだろう。
 ……しかし、こうして体を暖めていても濡れきった服では効果は期待できそうに無いか。ここはルッカを呼んで一気に乾かしてもらうべきかな? そう度々メンバーを代えると最果ての爺さん嫌な顔するから避けたいんだが……風邪を引くよりはマシか。
 爺さんにルッカを呼び出してもらおうと通信機を取り出した時……気配が一つ。闇の深い洞窟の奥から砂利を踏む音が聞こえた。
 ソイソー刀に手を伸ばして鞘を滑らしながら振り向く。伸縮は使えそうも無い、小さな空間では壁や天井につっかえてしまう。俺の突然の動作に驚きながらも、マールとロボも立ち上がり暗がりに目を細くする。ロボに照らしてもらうか……? いや、それでは俺たちの正確な位置が掴まれてしまう。相手の出方を知らなければ逆効果になるかもしれない。
 流れ出した冷や汗が、こめかみを伝っていく。モンスターか? もしくは俺たちの行動を予見したジールの兵隊たちかもしれない。どちらにせよ、油断のできるものでは……


「ああっ!? 貴方はあの……ほら、赤い人! くっくっく、よくも私の前に現れましたね! 積もり積もって幾半日! 今こそ恨みを晴らしてあげます!」


「…………モンスターの方が良かったなあ」


 何故に世の中俺の思う方向に進まないのか進みたがらないのか。論文を提出したいくらいだ。






「──という訳で、私とこの赤い人は宿命のライバルなのです」


「へえ、何だか分からないけど、モテモテだねクロノ」


「流石はクロノさんです。行く時代行く時代で必ず誰かを落としてしまう。僕も弟分として鼻が高いですよ、ケッ!」


 いつ俺が行く時代行く時代でモテモテになったというのか。もしかして原始のアザーラの事を指しているのか? それを言うなら俺は同じ原始で軽く失恋している。そもそも俺とアザーラは兄弟愛であって、モテてた訳じゃない。いやよく分からん恐竜人のメスに告白されたような気がしないでもないが……ていうか俺とサラとでラブコメは無い。絶対に。そこの女が俺にひたすら嫌がらせにもならん馬鹿な行為はツンじゃないんだ。


「ロボ。お前の顔なら何処でもハーレム万歳だろうに。俺の女性関係に嫉妬してどうする。そもそも俺の女性関係は悲惨の一言だぞ。自慢じゃないが、俺は誰かと付き合ったことなど無い」


「え、本当ですかクロノさん」


 力強く頷いて、ロボを見やるとまん丸の目を輝かせて嬉しそうに抱きついてきた。大層気分が悪い、何でこいつに俺の恋愛経験の少なさを喜ばれなきゃならんのだ。『ま、僕の方がモテモテなんですけどね? 悔しい?』的なことを言いたいのか。


「へへへ……そうですか。でも大丈夫ですよ、クロノさんの相手が見つからなかったら僕が」


「ウィィィィ!!!!」


 小指と親指を立てて残りの指を曲げ、全力のアックスボンバー。ぼえ、という汚い声を上げてロボは凍りついた壁に叩きつけられて沈黙した。危ない所だった。ロボが何を言おうとしていたのか皆目全くこれっぽっちも数式の偉題くらい分からなかったが、とにかく危ない所だった。例えるなら、十年前後の付き合いである友達以上恋人未満の腐れ縁の女の子に顔が見えないよう空を眺めながら言われたい言葉を言われそうな気がした。自分でも何を言ってるのか分からない。
 その後、ぎゃあぎゃあ泣きながら俺の背中に乗りかかるロボをあやしていると前を歩くサラとマールに遊んでないで早く来なさいと窘められてしまった。何故あいつらが仲良くなっているのかとか、何でサラがここにいるのかとかさっぱり分からないけれど、とりあえず歩く速度を速めた。
 洞窟の中は、外から見ただけでは分からなかったものの、中は広い居住空間になっていた。山の中身を丸ごと刳り貫いたように天井は高く、洞窟内でありながら梯子を使わなければ入れない家まである。各々の家は藁葺きの屋根に茶色がかった布が扉の役割を果たしている。原始のテントに似た構造だろう。床には藁が敷き詰められて、何処か家庭的と言うか、ジール王国の町に比べて質素なものだった。こういうのを穴蔵生活というのだろうか? それでも地下に作られているため風は通らず、心なしか床が暖かい気すらする。地熱が違うという程深く掘られた所ではないので気のせいだとは思うが……
 人々の反応もまた暖かく、見た事が無いはずの俺たちにも気軽に声を掛けてくれる。サラに至っては大人から小さな子供まで「サラ様サラ様ー!」と歓迎されていた。子供たちには雪玉を投げられておちょくられてたけども。馬鹿にされていたともいう。それに一々サラは「なふっ! ま、負けませんよー!」と走って追いかけるので子供はとても楽しそうにサラに悪戯を仕掛けるのだ。
 あれが一国の王女かよ……とかなり冷めた目で見ていると、マールが俺の手を取り首を振った。


「……凄いよ、サラさんは」


「何だ、俺の考えを読んだのか?」


 分かりやすいからね、と簡単に返されて俺はちょっと沈んだ。ポーカーフェイスを学ぶべきだと分かってはいるんだが……


「どんな人たちにも平等に接する……これが本当の王族なのかなって、私は思うよ」


「どうかと思うぜ? 国民に舐められっぱなしの王族ってのは」


「嫌われたり、恐れられたりするよりずっと良いもん。私も……サラさんみたいな王女に」


「ならんほうが良い。見ろよあいつ、子供にアルゼンチンバックブリーカー喰らってるぞ」


 あはは……と乾いた笑いの後にマールは機嫌良くその場で一回転して、よたよた歩くサラの後についていった。
 ……嫌われたり、恐れられたり……まあ、確かにマールがそんな王女やってる姿は想像できねえなあ。プロレス技掛けられてる姿も同じだけ想像出来ないけどさ。
 にしても、一つ気になる点が。人々の服装がジールに住む人々のそれと同じなのだ。埃一つ無いジールの服と違い全て薄汚れた、土気色のものとなってはいるものの、材質作り共に同じものだろう。同じジールの人間でも地上で生きる者と浮遊大陸で生きる者とで区分されているのか?
 考え事をしたまましばらくサラについていき、比較的他の民家(家とは言いがたいが)よりも高い場所に位置する家に入った。中には腰を丸めた老人が一人、サラの姿を見て驚き、次に頬を綻ばせた。


「お久しぶりですサラ様……しかし、何故このような場所に?」


 一つ頷いて、サラは親指を自分に向けて右足を前に置き啖呵を切るように声を高く上げた。


「救世主に、私はなる! その為にここに舞い降りてきたのです!」


 舞い降りたとは大きく出たな。今さっきまでガキ相手に許しを乞うてたくせに。「許してくだひゃい!」と叫んでいた時はちょっと背徳的な気分になってもぞもぞしてしまった。
 老人は一瞬硬直して、開いた左手に右拳を置いて「ああ」と納得したような声を出した。


「新しいごっこ遊びですかな?」


「違います! ていうか、違います!」


 二段否定とは中々高等な技術を扱うな、サラ。
 なおも食い下がり続けるサラを老人は笑いながら子ども扱いしている。その姿にさっきまで「私もサラさんみたいに」とか呟いていたマールが「あっれー?」と何を間違えたのか分からないと頭を抱えている。修正箇所は君の頭でもある。憧れる対象を今すぐ変えなさい。俺とかに。


「だから……私は命の賢者を助けに来たのです! 敬いなさい!」


「おお! なるほど貴方たちが! ありがとうございます旅の御方!」


「ええー!? 村長私! 私が助けに来たのです、その人たちは関係ないのです! 聞いていますか!?」


 ……駄目だ。ここジールに来てから全く自分たちのペースというものを掴めない。勝手にお礼を言われて勝手に否定されて、ロボもマールも疑問符を浮かべている。流れが……来ないっ!


「本当に、見ず知らずの方々にそのようなことをしてもらうとは……この村を、いえジールを代表して礼を言わせて貰います。ありがとうございます!」老人は朗らかに笑った。


「村長? 私を無視するのですか? さては二年前に貴方の髪を悪戯に燃やした事をまだ根に持ってますね!? あれは事故です! 他愛も無い悪戯に腹を立てずとも良いではないですか! 村長! 村長無視しないで下さい! 私は笑われるのと無視されるのと川魚が大嫌いなのです! ちょっと!? …………赤い人、私を助けなさい!」


 困った時に親しくも無い俺を頼るなよ。げんなり王女。
 それからの話を総括しよう。げんなりサラ通称ゲラハはジール女王に逆らって幽閉されている命の賢者を助ける為に地上に降りてきたそうだ。単身王女直々に来るとは勇気があるのか馬鹿なのかオッズは九・一。
 何故今なのか? それを説明するにはまずジールの狙いを言わねばなるまい。
 サラ曰く、ジールの本願はラヴォスの力を得て不老不死になること。その為にラヴォスを起こすというのだ。つまり……ラヴォスを使い未来を壊したのは魔王ではなく……ジール女王ということになる。魔王が張本人という説は薄れてはいたものの……流石に俺たちも衝撃を受けた。
 次に、ラヴォスを起こす為の方法、それは海底に魔神器──ジール宮殿に保管されていたものを置いて起動させる事らしい。今までは、魔神器は作られたもののそれを海底に運ぶ方法が見つからなかった。しかし、ついさっき海底に建設された海底神殿が完成したのだという。
 このままでは、魔神器を用いてラヴォスが目覚めてしまう。その前にサラは何とかして命の賢者を助けその知恵を預かろうとしたのだ。そして、その命の賢者がいる場所がこの村、アルゲティからドロクイの巣を抜けた先にある常識的でない巨大な鎖に繋がれた宙を浮く山、嘆きの山に囚われているのだとか。
 ……詰まる所、村長はサラみたいな小娘では無理なので俺たちにやってくれんかとそう言いたい訳だな。却下だ。


「そ、そんな……このままでは世界が滅びてしまいます!」


「いや……流れ的に行かなきゃいけないんだろうけどさ、なんだろうなあ、流されるままに物事が進むのはちょっと……分かりやすく言えば形でお礼が欲しいというか……」


 俺の言いたいことが分かった村長は一頻り自分の部屋を見回して価値のあるものを探す。箪笥には机の上には古びた本、箪笥を開けてみればよれよれの服。引き出しを開けて出てきたのは先の潰れた万年筆。到底俺の満足できる品物ではない。
 ……まあ期待はしてなかったし、どの道ラヴォスを止める為には命の賢者を助けなければいけないのなら、何も無くても仕方ないか。横でマールが助けてあげようと腕を握り揺らすので仕方なく村長にもういいよと声を掛けようとした。……その直前に、村長が見ていたもの、それは……未だに騒いでいるサラという女性だった。
 村長は首が折れるんじゃないかというスピードで俺を見て、ぼそっ、と耳打ちをする。人差し指を、サラに向けたまま。


「……A、いや、Bまでなら許します」


 ──クロノアイ、発動。対象人物の胸囲を測定、開始。
 …………だぼついたローブの下からでも存在を強調するそれは、どれほど少なく見積もってもBではありえない。ではCか? ……いや違う。確かに奴が子供と戯れていた時、その兵器は『揺れていた』。それも、はっきりと。
 続けてマールの上半身を凝視。マールは「ほえ?」と戸惑っているが、今は無視。見比べれば見比べるほどその存在感の差たるや圧倒的。決して平均を下回らないマールを軽々と超えるサラはCという枠組みに収まるはずも無い。
 ……D? そう、Dという可能性もある。だがそれはあまりに低い。例えるならば、チャーハンを不味く作る可能性くらい低い。強火で炒めて適当に具材を入れて塩コショウ好みにより醤油またはソースをかければ食えなくはないチャーハンを失敗するなどまずありえない。京ア○が喧嘩商○をアニメ化するくらいありえない。
 何故ならば、サラの揺れ方、揺れ幅はメロンを袋に入れて揺らすが如く。床に押し倒されていた時に潰れていた胸はまるでキングスラ○ム。その上弾力性まで存在していた。奴は倒れた時確かに体が浮いたのだから。
 ……確信は無い。確信は無いが……およそE~F。だ、だが……だがしかし! 奴があのスキルを秘めていたならば、奴がまだ己の爪を隠す為の能力『着やせ』を持っていたならばっ!?
 ──戦闘力G……も、もしくは恐ろしい事に、男の夢。え……Hに達している事さえ……有り得るっっっっ!!!!!!


 人には、夢がある。
 その人という言葉にはさらに二つの意味が内包されている。
 男と、女。
 女の夢というのは実に現実的だ。顔、将来性、経済力。この三つを兼ね備えている男と結婚するということ。今時白馬の王子を信じている者などいない。仮にいたとして、仮にそれを口にするものがいたとして、それはただのキャラ付けに過ぎない。「子猫ー、こっちおいでー」とか言ってる女の子だってバイトの休憩時間にパーラメントぱかすか吸ってんだよ、「店長の顔っつーか存在がセクハラ」とか言ってるんだよ!
 対して、男の夢。
 俺たちは……希望を捨てないのだ。
 勿論顔、将来性、経済力を重視する男もいるだろう……だがそれは男ではない! 真の男には三つの夢があるはず!
 一つ! 「今迄で一番良い……」と言われる事!
 二つ! 「別にアンタのこと異性と思ってないし」と言ってるくせに二人で遊びに行ったら女の子が顔を赤くして白いワンピースを着てくる事! 「今日の服、どう思う?」と聞かれて可愛いよと言えば「昨日安かったから買っただけだからね。いや、今日の為に買ったとかじゃないからね!」と怒りながらもずっとニヤニヤしていたらなお良し!
 三つ! それが、それこそが、胸に関することである……まずは貧乳派の夢を、勝手ながら言わせて貰おう。様々な意見はあれど……貧乳っ娘の良い所は、羞恥にある。
 いつもは元気に振舞っているが、その実自分の胸が小さい事にコンプレックスを抱いている……これだ。「小さくないよ、普通だよ!」と言い張るB以下の娘たち……毎晩毎晩バストアップマッサージを行うも効果が出ず項垂れている姿なんか想像してみろ、世界が変わると思わないか?
 とまあ、貧乳の良さを言った所で俺は巨乳派、所詮付け焼刃の理論でしかないだろう。では……いよいよ巨乳派の夢を語るとする。
 巨乳派の、夢。それは……埋もれる事。
 胸という至福の楽園、エデンにその存在を掻き消される事。「ああ! 手が見えないよ俺の手が見えないよ!?」というラインに立てば……景色が消えて再構築。ヘヴンがその姿を現すのだ。
 も……もしも、もしもだぞ? その夢の楽園に顔を埋めればどうなる? 視界が肌色の柔らかい甘美な楽園に染まれば、どうなるというのか……? そして、その楽園に入る為の鍵が……そう、GもしくはHカップ。
 ……理想のカップの娘は見つけた。つまり、左の鍵は手に入れたのだ。それを己が物とするための権利、右の鍵が今俺に差し出されている。
 俺の答えなど……とうに決まっている。
 俺は村長に頭を下げ、剣を抜き両手で頭上に構えて右膝を床に落とす。騎士が忠誠を誓うような、出来うるだけ荘厳な構えとなるよう心がけて。今、俺は口を開いた。


「──ここに、契約は完了した」


 今からあんたがマスターだ。村長。


「……なんだろ。良く分からないけど今私すっごい不愉快な気分」


 黙れ駄乳。俺の道は誰にも阻ませない。口にはしないけども!
 ニタァ、といやらしそうに笑い、すぐに顔を戻して人の良さそうな表情で村長は手を叩いた。


「決まりですな。しかし皆様吹雪の道を歩いてさぞ体が冷えておる事でしょう。この村には地下に温泉がございます。どうぞそこで体を暖めて一休みして下さい。嘆きの山は気温も低くモンスターも大勢おります。アリクイの巣とて凶暴な魔物が闊歩しておりますし……万全の体調で挑むべきかと。皆様の濡れた服はこちらで乾かしておきますので」


 おおお温泉だとぉぉ!!!? あのボーナスシーンとしてお馴染みの温泉だとぉぉぉ!? 落ち着け俺、ロックの主張を思い出してルソーの持論を一言一句頭の中で朗読しろ!


「ねえロボ、温泉って何?」


「自然に湧き出る温水のことですよ。人工的に作り出された湯と違って効能もあり、言ってしまえば普通のお風呂よりも心地良いものと思っていただければ良いです」


「へえー。楽しみだね! サラさん一緒に入ろうよ!」


 良いぜマールさん良いぜ! 今日最高のプレイだ! 見れるぞ、湯船に浮かぶ二隻のノアの箱舟がこの目で見る事ができるぞ! 十八歳未満……いや二十一歳未満は立ち入り禁止さホッホーイ!
 鼻息が荒くなるのが止められない。闘牛のようにふがふが言いながらこの先の展開を予想する。混浴だろ? この時代裸の禁忌なんてものは無いはずだ、つまり混浴だろ? 混浴ってアレだろふとした事故でバスタオルを剥ぎ取っても文句を言われないアレだろ? 俺の旅は……今この時の為にあったのか!


「温泉にはしきりがありますので、男女同時に入る事が出来ます。脱衣所も分かれておりますので御安心下さい」


 ──善意だ。村長は善意で言っている。
 男女の湯を分けるのは、己の裸を異性の目に触れさせたくないという女性の羞恥心を考慮しての事。それは脱衣所も同じ。男女時間帯を変える必要が無いしきりというのは、善意での思いつきであることは疑いようが無い。いかに男性が女人の裸体を見たくとも……女性を思う気持ちは善意なのだ。
 ……だからこそ、差別は無くし難い。
 悪気など無い、故に間違いに気付かない。何故誰もそれを叫ばない? ここの住人はどうして村長の理不尽な男卑に反対しない? 誰か一人でも勇気ある男が反旗を翻し意見を物申したならば今日の悲劇は起きなかっただろう。
 俺は忘れない。今この時の悔しさを、屈辱を。儚く散るからこそ夢だとでものたまうつもりか? ふざけるな! 俺は認めないぞ、例え万人が反対しようとも、世界中の女性を敵に回そうとも絶対に諦めない! 混浴という理想郷を忘れない……。俺はこの痛みを抱えて、明日を生きる。非業の展開に伏せる事無く、世間の間違いを正してやる。俺が世界を変えてやる!


「あああああああぁぁぁぁぁ!!! 女の全裸見てえよおぉぉぉぉ!!!」


「うわ、マジキモイクロノ死んで」


 貴様には分かるまい。お前みたいな奴が事故現場をバックにピースサインで写真を撮ったりするんだクソッタレ。






 天井には鍾乳石のように丸く尖った石が並び垂下している。湯から浮き上がる湯気が付着してぽつぽつと温泉に落ちていく音は温泉の醍醐味ではなかろうか。湯の底には石筍とは言わないがそこそこに飛び出た石が敷き詰められているので少し痛いが……ツボを刺激してくれるという説明を受けてそんなものかと納得した。
 温度は少し熱いくらいだが、温いよりは良い。湯船に潜り体全体を暖めて浮かび上がる。今ここには俺とロボしかいない、マナーなど気にしなくても良いだろう。ロボに至っては普通にはしゃいで泳いでるし。別に良いんだけど、ロボって温泉に入る必要あるのか? アンドロイドなのに。
 深いため息を疲れと共に吐き出して、下半身だけ湯船に入れる。疲れがどんどん吸い込まれていくようでこのまま眠りたい気持ちになる。流れ出る汗の一つ一つが酷く心地よい。良い汗を掻くというが、正にこの事だな。
 少しの間ぼーっと天井を眺めていると、泳ぎ飽きたのかロボが隣に座り込んできた。ところでどうしてお前タオルで乳首まで隠すの? 似合いすぎてて怖い。


「良いものですねクロノさん。僕温泉なんか初めて入りました!」


「まあそうだろうな。あの未来で普通に入れる温泉なんか存在しないだろうし……そもそも風呂なんかあったのか?」


「僕の体を洗ってくれる洗浄装置はありましたけど……こういう形で体を洗ったことは無いですね。データとして知ってはいましたが……クロノさんはここ以外で温泉に入った事ありますか?」


 言われて、昔の記憶を思い出す。初めてではないな、ガルディアの森の奥に温水の湧き出る源泉があったので小さい頃ルッカと入った思い出がある。流石に大きくなってからは俺一人ルッカ一人と別々に入りに行ったが。


「一応あるぜ。ここみたいに洞窟の中じゃ無かったけどさ。森の中にあって、雪が降ったときなんか最高だったな、景色が綺麗で外が寒いから湯に浸かった時なんか格別なんだ。出るのが辛いってのはあるけどな」


 ほんとうに冬の露天は一度入ったら出られない。それは炬燵の比では無く、アリジゴクに近いようなものだった。一度体を拭く為のタオルを忘れた時なんか最悪だったな、帰ってから風邪を引いてしまった。


「へえ……僕も入ってみたいですその温泉!」目にかかる濡れた髪を払いながら、ロボは羨ましそうに目を輝かせた。


「残念だけどさ、その温泉前に兵隊たちに壊されたんだよな。魔物が集まるからって理由でさ。その温泉に集まるモンスターは人を襲わなかったんだけど……というか、俺とルッカは襲われなかった。悲しかったなあれは……思い出のある大切な場所が大人たちの都合で壊されていくのは、本当に悲しかった。そこそこ大きくなったルッカもわんわん泣いてさ、子供ながらに反政府なんて言葉を覚えたよ、大げさだけどな」


 その頃の自分を思い出して恥ずかしくなる。妙に斜に構えて大人たちを見下してたな、大人は皆自分のことしか考えてないんだ、子供の方が正しい考えを持てるんだ! っと息巻いていた。今思えば、大人は自分のことしか考える事ができないんだ。それが悪いとかじゃなくて、そうならなければ心が壊れてしまう。今の俺だって自分のこと以外に目を向けろなんて言われても戸惑うし……大体にして、子供の頃の自分なんかもっと自分のことしか考えてなかったじゃないか。
 湯を手ですくって顔に掛ける。下らないことを考えてしまった。人間論なんて今この年齢でするもんじゃない、熟成して様々な考え方ができるようになって初めて楽しめるものなんだから。


「……さあて、そろそろ始めようか」


「? 何を始めるんですか」


 ロボの疑問に俺は答えず、ただ男湯女湯を分ける藁の壁を指差した。俺の意図に気付いたロボは「ええー……」と気乗りしない声を出す。お前、この状況に否定的とは本当に女なんじゃないか? 怖いから確認しないけども。
 壁は竹に藁を被せた物で隙間から覗くという古典的方法が使えない、変な所でセキュリティ上げてるんじゃねえよ。壁は天井まで伸びており登って覗く方法も却下。まあ、そもそもそんなありきたりな方法に甘んじる気も無い。


「良いかロボ、今から俺があの壁にドロップキックをかましてぶっ壊すから、夢の光景を目に焼き付けるんだぞ」


「え!? そんなの絶対バレますよ!」


 ロボの奴分かってないな? 古今東西女湯を覗こうとしてバレずに成功した者など数えるほどしかいない。果敢に挑戦していった猛者共の数を考えれば不可能に近い可能性と言える。
 ちまちま針の穴から覗こうとする小さな試みですら相手にバレてお仕置きをされるくらいなら、堂々と見てお仕置きを受けるほうが良いじゃないか。俺はマールに両腕を折られようと両足を粉砕されようと、見たいものは見たいのだ。
 ……それに、お仕置きが確定というわけでもない。まさか俺たち男陣がそんな大胆不敵に裸を眺めようとするとはマールたちも思っていないだろう。覗きを警戒していようが、その予想を遥かに上回る登場を果たせばタイムラグは必ず発生する。その隙を突いて逃走、眼福の極みを味わった所で命の賢者のいる嘆きの山までハリハリー! 頃合を見計らってマールに会えばもしかしたら怒りが薄れている……かもね。
 はっ、やってしまった後の事など考えなくてもいいか。まずは、このヘヴンズゲートを破壊して極楽を目にする事以外道は無い……っ!
 湯船を出て、まずは屈伸運動。満遍なく筋を伸ばし最良の行動を起こせるよう準備を怠らない。上手くいけば三秒……いや十秒は網膜に裸体を貼り付ける事ができる!


「パーティーの始まりだぜ……?」


「あ、僕もう出ますね」


 空気を読まず脱衣所に行こうとするロボを羽交い絞め。暴れるのを無視して無理やり連れ戻した。


「逃げるなロボ。お前がいなくなったら罰を受けるのが俺だけになるじゃないか。ソンナノサミシイ、オレイヤ」


「片言じゃないですか! 僕は嫌ですよ、女性の裸を無理やり見るなんて紳士じゃありません!」


「うるせえ! なんなら全部お前の責任にすれば許してもらえるかな? とか思ってるんだから付き合えよ! なあにこの程度のトラブるっ! 誰も気にしないさ!」


「最低だ! 今日のクロノさんは最低だ! 後僕は海賊漫画と死神漫画と忍者漫画しか見てません!」


 最近クロノ節が炸裂してなくて鬱屈としてたんだ、今くらいはっちゃけても良いじゃないか。男の子がエロイのは健康的な証拠です! 悪い事なんか全く無いのです! ……最近の目安箱漫画、俺結構好きだぜ? 絵柄変わったけど内容は好きですよPCP!
 もういっそロボを振り回して壁にぶん投げようと遠心力を作り出すとロボの暴れ具合が増す。何をしようとしてるのか理解したのだろう、だがもう遅い! 今この瞬間にレーザーなり加速装置なりを起動させても俺が投げる方が二秒は早い。結果現れたロボが女子二人にフクロにされている間俺は逃亡するという訳だ。理想を手にしてリスクを負わない、何という策士! 俺という人材が戦乱の世に生まれていれば臥龍として名を轟かせただろう……
 己の敗北を悟り絶望の海に落ちているロボをしきりに投げようと力を込めて解き放った。ゆけ、ロンギヌス!
 スローモーションのように時間がゆっくりと流れていく。ベ○のサイコアタックのように頭を前にして飛来するロボは綺羅星のように美しく飛んでいた……自分の行った善行に思わず目を瞑り爆砕の瞬間を待つ。
 ……遅れて、壁の破砕音……? え? まだ着弾まで時間があるはずなんだが……?
 目を開ければばっくり壊れている壁の奥に仁王立ちしている誰かの姿。


「はっはっはまさか入浴中に襲われるとは思っていないでしょう赤い人! 今こそ決着をふぶぅ!?」


「……………………」


 説明しよう。俺の投げたロボミサイルは壁に向かい直進していた。ターゲット地点には竹と藁の壁。だがロボの衝突の瞬間、今ロボタックル改めロボスピアーの餌食となった人が壁を突き破り何らかの鬨の声を上げたというわけだ。意味が分からん。


「あ、クロノーやっほー」


「やっほーマール。分かってたけど湯船で体は隠すんだな」


「うん。言っとくけど、万一見たら二つの物が一つになるからね」


 ……まさか骨折の類ではなく紛失の類で攻めてくるとは。流石の俺も二人の息子の内片方を失うのはしのびない。いやそうじゃなくて状況を教えて欲しい。何故サラがしきりを破壊してこちらに現れたのか全く分からない。メリットが全く無いじゃないか。


「あのね、サラさんがいきなり立ち上がって『今ならあの赤い人をかきゅん! と言わせられるかもしれません!』って男湯への壁をぶち抜いたの。結構力あるんだねサラさん」


 ……まさか、女側のサラが男湯を覗こうとしたとは思いもよらなかった。需要あるのか。


「ふぬぃ……や、やりますね赤い人……私の出現を見越して先制攻撃とは恐れ入ります……」


 胸に埋め込まれたロボを引き剥がしてサラは不敵に笑う。格好付けてるつもりか知らないが、バスタオル一枚であまり動かんほうが良いと思うぞ。こちらは大歓迎だが……なんだろう、こうも恥ずかしげなく半裸を見せられたらロマンが消えて気分が台無しになってきた。やはり女たるもの恥ずかしがるという感情が必須だと思うのだよ。
 勢い良く指を振り下ろし、俺に指を突きつけてサラは朗々とした声を張り上げた。


「覗きなんてどうせバレるのだから堂々と覗くという私の心理を先読み! 流石私のライバルです! それでこそ私と並び立つにふさわしい!」


 ……もしかしたら俺とコイツは仲良くなれるかもしれない。断固拒否するが。
 腰に手を当てて訳の分からん戯言を延々漏らしているサラは放っておいて俺は脱衣所に歩いていった。「ええ!? 名乗りの最中に逃げるなんて私のシナリオにありません!」と叫んでいる奇怪な生き物には足元にあった盥をプレゼント。すかーんと良い音を鳴らして湯船に落ちていった。
 脱衣所にて村の住人が乾かしてくれた服を着ながら、俺は温泉でのことに考えを巡らせることにした。色々と俺の素敵イベントが崩れたが、得た物が無かったわけではない。確かに性格は酷いが、サラは確かにFを超えている。ロマンティック溢るるGないしHであることが確信できた。いかん、笑いが止まらない……あのロマンの塊が俺の自由になると考えれば仕方が無い事とは言え……


「……クックックッ……ハァーーハッハッハ!!!」


 俺の笑い声は温泉は勿論、村中に響いただろう。だが抑えられなかったんだ、魂の歓喜を止めるなど誰に出来よう? 俺は俺の本能に従っただけだ。
 ……ただ一つ腑に落ちない点は、サラの豊満な胸に飛び込めたロボと、あの後マールに背中を流してもらったというロボ。何それ? どんなルート辿ればそんな事できるの? ロボ本人は恥ずかしすぎてガッチガチに固まってたらしいけど……完全に俺よりも良い目にあってるじゃないか。そうと分かってれば俺がロボにぶん投げられてれば良かった。
 必ずや後で八つ当たりしてやろうと心に決めて、風呂から上がった俺たちはようやっと命の賢者を助けに向かうのだった。














 おまけ


 時の最果てにて、カエルはいまだ慣れない体を満足に動かす為、剣を振るい戦闘力を戻そうとしていた。ちょうど良いことに、獣の神スペッキオはあらゆる武術に精通しているそうで、今までに無い修練法などを伝授してもらい、訓練が終わった後の彼女は少々機嫌が良かった。
 昔親友に上手いなと褒めてもらった口笛を吹きながら、自分の仲間であるルッカに少しは剣の腕が戻ったか実際に見てもらった後感想を聞こうと探している時、カエルの背中に電撃のようなものが走ることになる。


(何だ? 何故か、今ルッカに会いに行くべきではないと俺の勘が告げている……)


 ルッカのいる場所は分かっている。老人の位置からは見えない光の柱の並ぶ部屋、そこの壁の隅に座り込んでいる。というよりも、今まさにカエルからルッカの後姿が見えている。後は近寄って声を掛けるだけ。なんとも単純な動作である。基本的コミュニケーション、しかしそれを取ることが出来ない。


(臆するな……色々ととんでもない目に合わされたが、ルッカは俺の仲間だ。何より、まだ戦いに出て日の浅い娘に俺が臆するなどプライドが許さぬ!)


 意を決したようにカエルはわざと足音を立てて近づき、心持ち大きいボリュームでルッカに声を掛けた。そこでカエルは気づくべきだったのだ、足音を聞いたルッカが過剰に反応を見せて敵意を向けたことに。今の自分に近づくなと明確なオーラを放ったというのに、戦士としての誇り、長い年月を戦い抜いてきたという自負がそれに気づく事を邪魔した。


「ルッカ。俺の剣の冴えがどこまで戻ったか確かめてくれんか? なに、時間は取らせん…………ルッカ、お前何をしている?」


 ルッカは幽鬼のようにゆっくりと振り向いて、にこ、と笑った。笑顔とは敵意の証であると親友に教わっていたカエルは慌てながら剣に手を掛けた。いかに信頼すべき仲間でも、その空気に圧倒されて反射的に防衛行動を取ったのだ。
 ルッカは、己の胸に手を置いていた。いや、性格には腹から上に押し上げるように胸を持ち上げていたのだ。そんな彼女の傍らには、雑誌が一つ。
 ルッカの目を見ていることに限界を感じたカエルはその落ちていた雑誌のタイトルに目を向ける。そこに書かれていた雑誌名は、『取り戻せ! 女の自身! 必見、バストアップ運動!』だった。


「……見たわね? カエル」


「……待てルッカ。話し合おう。お前のしていることは恥ずかしい事じゃない。むしろ向上心があるということで誇るべき事だ」


 説得しながら、カエルは剣から手を離せない。もし隙を見せれば目の前の怪物はすぐに飛び掛ってくるという想像が頭から離れないのだ。その先の自分の末路も。


「良いわよねカエルは。平均、いえそれ以上あるもの。多分ね。私なんか……私なんか……」


 自己の深遠に隠れていた己が悩みを見つけられ、ルッカは独語を続けた。カエルに聞かせる気の無いそれは確かに独り言だった。
 誰かに助けを求めるようにカエルが後ろを振り向くと、そこには老人の姿が消えていた。外灯の下には誰もいない、影一つ残っていない。


「……くっ!」


 脱兎の如く、カエルは走り出しスペッキオの部屋の扉に近づき取ってを捻った。いつも軽く回るそれは時が止まったように固く動かず、誰かの来訪を拒否している。開かぬならば叩き壊すまでと剣を必死に振り斬りつけるが、ドアには傷一つ残らない。注意してみれば扉は薄い膜に覆われている。魔力によるバリアーだとカエルは直感した。これらの要因から答えが導き出される。恐らく、中にいるスペッキオが老人を匿い、なおかつ固く扉を閉ざしているのだ、と。
 今の今まで訓練に付き合ってくれた戦友の裏切りに絶望しながら、カエルはまだ諦めなかった。光の柱に飛び込めば逃げる事ができるかもしれないと思ったのだ。
 ……されど、現実は甘くない。そも、逃げるべき敵は光の柱がある部屋で待っているのだ。光の柱にたどり着くには阿修羅を越えて行かねばならぬ。さしもの歴戦の勇者とて、この事実に気付いたときは足に力が入らず膝を突きそうになった。


(まだだ……まだ大丈夫!)


 再びカエルの目に光が宿る。手段は単純。理由ははっきりしないが、恐らく胸の事で怒り狂っているルッカを鎮めるということ。


(冷静に話し合えば、必ずルッカも自分が怒っている矛盾に気付いてくれるだろう。何ということは無い)


 生きる屍のように両手を垂らしのったりと近づいてくるルッカに息を呑みながら、カエルは無意識に退路を確認する。しかし、今彼女がいる場所は正方形の部屋、その隅。両手の方向すぐに壁がそそり立ち行く手を阻んでいる。残る道は前のみ、何とかルッカの手を逃れて振り切ることが出来れば……とシュミレートして、諦めた。どのタイミングで横に逸れようといかに緩急をつけて走り出そうと、ルッカに捕まるイメージしか浮かばなかったのだ。
 震える喉を堪えながら、カエルは決定的な一言を放った。


「……む、胸など無いほうが良いぞ。俺は胸の無いルッカが羨ましい」


「…………チギル」


 後日談となるが、何故かルッカが近くにいる時カエルが必ず胸を押さえている様をクロノたちが目撃している。その時のカエルは怯えているようで、怪物から身を守るように弱弱しく震えていたという。
 さらに余談、原因は杳として知れぬが、カエルのカップ数が一つ増えた事を記しておこう。それをルッカが怨敵を見るような目で睨んでいた事も。
 貧乳による悩みは大なり小なりあれど、真の無乳は限りないコンプレックスを担っている。これは誰しもが心しておくべきことなのかもしれない。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:06
 刀を左手から右手に持ち替えて、刺突。前にいる牛の図体と頭を持ち鹿のような角を掲げた三匹の魔物──ドロクイの内二匹を同時に貫いた。残る一匹が走り出し俺に突撃してきたので、そのまま刺さった魔物の体ごと右に払い阻止する。たたらを踏んで急停止する瞬間を見計らい練り込んだ電撃を発射。熱量は然程では無いが、衝撃に特化させたサンダーは重量のあるドロクイを吹き飛ばした。壁に叩きつけられて悶絶するドロクイに近づき、刀を刺す……大体三十秒弱、か。
 刀を鞘に入れて他の面々に振り返るとロボとマールが固まってこちらを見ていた。何だよ、俺だってそれなりには強くなってるさ。
 ……今まで碌に戦かっていなかった俺が何故単独でモンスターを相手取っていたのか? それは俺のつまらないプライドが起因していた。
 最初、ドロクイの巣に足を踏み入れてから、俺と何故かついて来たサラは戦いには参加せずロボとマールに任せていた。前にも言ったが、俺は狭い空間で戦うのは苦手なんだ。さぼってる訳じゃない。だというのに、サラが「やはり赤い人は役立たずなんですね。なのにリーダー気取りとは片腹痛いです、私の靴を舐めて下さい」と戯けたことを抜かし始めた。
 別に自分の力量が高いと思っているわけではないが、少しカチンときてロボたちに「しばらく俺一人で戦う」と断言してしまった。思い出すだけでも後悔が止まない。
 しかし、ここに生息するドロクイは気性が荒く体力も多いが攻撃は単調動きもエイラに比べれば子供のようで、俺一人でもそう手こずる事も無い。嘆きの山に入ればそうも言ってられないのかもしれないが……
 顔に飛び散ったドロクイの血を拭っていると、サラがハンカチを取り出し俺に渡してくれた。どういう風の吹き回しだと丁寧にハンカチに罠が無いか調べるも極々普通の白い生地。訝りながらも顔と手を拭いた。


「……動きは目を見張る程でもありません」微かに沈んだ表情でサラはぽつりと告げる。


「何だよ、まだ俺が役立たずだって言うのか? まあ、否定はし難いが」


 サラは首を振って、俺の左胸に手を置き鼓動を数える。なんか照れるから止めてくれないか? それとも金剛でもぶつけるのか?


「貴方は……きっと沢山泣いたのでしょうね」


 サラの言っている意味が分からず反応を返せないでいると、彼女はそのまま歩き出した。いつも馬鹿みたいなことを平気でやらかす彼女に似つかわしくない顔つきで。
 返しそびれたハンカチを手で遊びながら、腑に落ちないまま俺も彼女の後ろを追う。分かり易すぎる言動に難解なことを混ぜられたら戸惑うものだ。
 首を捻りながら歩く俺の袖を追いついてきたロボが引っ張った。このまま黙って進むのは気が落ちると思っていたところ、少し快く「どうした?」と返す。


「クロノさん……いつからそんなに魔力操作が上手くなったんです?」


「はあ? いつからって……そもそも俺よりもマールやルッカの方が断然上手いだろうが」


 手を振って否定するも、ロボは引き下がらずじっと俺の目を見つめる。何だというのか? いきなりレベルアップなんてイベントは一切起きてないんだ、自分で言うのもあれだが魔力だろうが何だろうがそこまでの進化は無いと思う。
 ……いやそうでもないのか? 思えばトランスの制御が格段に上手くなった気もする。小刻みに発動、解除をスムーズに行えた。電流の性質を変化するのも苦ではない。魔法を覚えてすぐの頃に比べれば天と地だろう。


「魔法の力は、心の力……だっけ。スペッキオが言ってたよね」


 自分の力を省みているとマールまでもが俺の隣に並び懐かしい台詞を思い出させてくれる。単純に言えば、俺の魔法操作技術が向上したのは心が強くなったからか? ……うわ、言ってて凄い恥ずかしいな……
 そも、俺の心なんてえらく脆いものだ、すぐ折れるしすぐ諦めるし……心の力というなら、マールやルッカの方が強いだろう。そう言うとロボは「最初はそうでした」と前置きした。


「マスターの心は激しく燃える力強い何かがありました。と同時に何かの切っ掛けで消えるような、不安定な力。安定感と言えばマールさんが顕著ですね。揺らがずブレず、一定の方向をずっと指している。理想的と言えるでしょう……対して、クロノさんの心はそれは不安定で崩れやすいものだった……僕はそう思っていましたね」


 ……まあ、何をするにも面倒臭い、怖いと逃げ腰だった俺の心の強さなんてそんなものだろうさ。メンバー随一に弱い精神だと理解している。


「……けれど、今のクロノさんは唯一無二に心が強くなってます。恐らく勇者であるカエルさんよりも」あまりの過大評価を笑い飛ばそうとするも、ロボは真摯な表情を崩さず俺をじっと見つめていた。肩を落として持ち上げるのも大概にしろと諌めれば、やはり首を振る。


「きっと……嬉々と話すことでは無いので明言は避けますが、クロノさんは何度も心が壊れそうになったことはありませんか? そしてその度に立ち直ってきた。特に……」


 ロボが先を続ける事を躊躇う。……原始のこと、アザーラたちとの別れを言いたいのだろうか。
 確かに壊れかけた、いや一度壊れたのだろう。そういえば、あの頃魔術を唱えなかったので気にはしてなかったが、自分の中を流れる魔力を全く感知できなかった。湧き出ていた泉が涸れてしまったように。
 魔力量や操る技術が心の力と繋がっているのなら、なるほどあの頃の俺に扱える訳がないよな……


「マスターの不安定さ、マールさんの決め手に欠ける部分、カエルさんのどこか迷うような感情……それらの弱点が、今のクロノさんには見えません。言わば、揺らがぬ心と言いましょうか。それは素晴らしいのかもしれませんが……悲しい事でも、あるんですよね。心が強くなる原因なんて、基本的には悲劇しかないんですから」


 泣いて、起き上がって折れて直して傷ついて誤魔化して。そうして頑強に変わる心。筋肉の成長に似てるな、と思考を飛ばした。
 ……悲劇か。そんなんじゃない、そんなんじゃないよロボ、ただ俺は……自分の弱さが気に入らないだけだ。逃げたり、命乞いしたり、助けられなかったり、そんな事が積み重なって弱い自分を認識しただけだよ。


「……やたらと褒めるじゃねえかロボ。肩車でもしてやろうか?」


 そう言ってようやくロボが顔を赤らめて慌て出した。この微妙な空気が壊れたのだ。マールもそれに便乗して「私もロボに肩車したい! あ、でもクロノにしてもらうのも良いなあ!」と騒ぎようやくいつも通りの俺たちになる。別にどうでもいいじゃないか、誰が強いだとか弱いだとか。俺は一番弱い役立たず、このポジションを案外気に入ってるんだ。単純な弱い強いで人の価値が決まるわけでも無し、つまらないことだろう。


「かっ、肩車ですか!?」


 急に振り向いてサラが目を輝かせた。どうしてそこに食いつくのだ、今迄で一番声が弾んでいる。手をわきわきさせているのはどういう魂胆なのか。いやそもそも俺が誰かを肩車するのは確定事項なのか? うわ、滅多なこと言うものじゃないな……マールに肩車するのは色々誘導させられて疲れそうだし、ロボは単純に重い。サラ? 除外する。
 何度か冗談だと言ってみるものの、三人は耳を貸さず結局じゃんけんで勝った奴が俺の肩に乗ることとなった。おかしいよね、ここ魔物が生息してるんだぜ?


「うわー、肩車なんて何年ぶりだろ。ありがとねクロノ!」


「ま、マールさん! 五分で交代ですからね! 次は私が赤い人の上に立つのです!」


「駄目です! 次にクロノさんの肩に乗るのは僕だと天啓が下っています! 逆らえばソドムの雷が僕らの額に獄紋を刻む事となり……ていうか僕が名指しされたのに!」


 交代も糞もない、俺が誰かに肩を許すのはこれっきりだ。だって面倒臭いんだもの、重いとは言わんが。
 ……もしかして、今この状態をモテていると言うのだろうか? だとすればなんて適当な切っ掛け。肩車云々で始まるラブコメディ……安っぽすぎて買い手がつかん。インフレが起きるわ。
 こういう時に限って魔物が全く出てこない。いや正確には何度か鉢合わせているのだが、目を合わせず去ってしまう。力の差が分かったのか? モンスターが? ドロクイは思ったよりも知恵が回るらしい。獰猛なモンスターを聞いていたので拍子抜けしてしまう。
 サラが言うには、昔はドロクイをジール宮殿で飼っていたこともあるそうで、凶暴化したのは環境の変化が原因なのだとか。ペットとしても扱えるのか、牛みたいな外見だから食えそうだとは思ったが。放牧でもできそうだな。
 環境の変化というところから話は繋がり、この地上を襲う吹雪も自然のものでは無いと言う。ジール女王の命令で嘆きの山が出来てから、山の持つ魔力で地表を凍らせているとか……
 何の意味があってそのような事を? と聞いてみれば一言、罰のためだと言う。地上に住む人々は皆魔力の素養を持たないという理由だけで人非人扱いを受けているのだ。その為浮遊大陸を追い出され、生きていく事が困難な環境に追いやられていると、サラは言った。わざわざ大掛かりな仕掛けを作ってまで追い込むとは、正直ジールこそ人としておかしいのではと思ったが……仮にもこいつの母親、目の前で悪く言われるのは良く思わないだろう、胸の内に留めておいた。


「母様は……変わってしまいました。昔は私が『やーい変な頭』と言っても気にしてないようで影でこっそり泣いてしまうだけでしたが、今では躊躇無く剣を振り下ろしてきます」


 一国の王に娘とはいえそんな事言ってたんかいと一ツッコミ。それ以上に自分の子供にからかわれただけで泣いてしまうのは王としても母としてもどうなんだろう? まあ斬りつけるのはどうかと思うが……いや普通に不敬罪か。
 それからもサラはいかに自分の母が変わってしまったかを話し、気分を落としていく。国民に笑いかける事は無く、失敗ともいえないことで裁き、理不尽な刑を執行させる。自分の身の回りには人語を解するモンスターを置き、人間と相対する事すら稀になったのだとか。今では会話が成立するのはサラとダルトン、最近になって現れた預言者を名乗る男だけだと。サラの弟であり自分の息子であるジャキですら目を合わせることも無いらしい。


「……通りで暗い子供だと思ったぜ」


「ジャキは本来明るい良い子です。なんせ、私の部下第一号ですから」


 弟に対する悪口と思ったのか、サラは顔をしかめて人差し指を伸ばし注意をした。いやあんた部下て。


「参考までに聞くが、お前の部下は総勢何人いるんだ?」


 サラは胸を揺らしながら腰に手を当てて(眼福っす)満足そうに答えた。


「五人です! ええと、ジャキにアルファドに婆やにダルトンに貴方で私の帝国は成り立っています。ちなみに、貴方は一番地位が低いです。精進なさい」


「なるほど、一人と一匹か」


「誰と誰と誰を無視したのですか!」


 婆やとダルトンと当然俺だ馬鹿者。婆やと言われている人物はただの御付の者という奴だろう、恐らくダルトンは俺と同じで強制的に部下にされただけだ。妄想の産物が現実に影響する事は無い。
 にしても、たかだかその程度のメンバーで帝国とは頭が下がる、俺はトルース町の子供十七人でのサッカーを指揮したことがあるから、俺は大銀河公国の皇帝だな。カイザーと呼べ。
 きゃんきゃん詰め寄るサラを堂々と無視しているとロボが俺とサラの間に立ちはだかり勝利の笑みを浮かべた。


「サラさんは五人ですか。でもクロノさんは僕とマスターとマールさんとエイラさんとカエルさんとアリスドーム全住人を味方にしています! その数は二百に迫るでしょう! 僕たちクロノパーティーの勝ちですね! 破れたりサラ帝国!」


 いつのまにそんなだっさいネーミングが付いたのか。訂正したい。
 しかしロボの言葉にサラは大打撃を受けたようで、膝の力が抜けてその場に座り込んだ。まさか、私の負けだと言うのですか……!? と項垂れているのは笑えばいいのか笑えばいいのだろう。勝ち負けの問題じゃないと思うが……まあいいさ。
 右手で顔を拭いサラはすっくと立ち上がる……え、まさかそんな事で泣いたんじゃあるまいな?


「ジャ、ジャキとアルファドは一人で百人の敵を倒せます! そして言わずもがな私は一騎当千! つまりサラ帝国の兵力は千二百で六倍差で勝利です! 圧倒的ではないですか私の軍は!」


 が、ガキ以下の理屈だと……!? 鬼ごっこで鬼にタッチされた奴が言う「俺の命は十個以上あるから一回触られても交代せえへんし!」というネジのぶっ飛んだ発想と同等だと!? 後子供と三味線の原料に期待しすぎだ! 後者の表現については色んな人に怒られそうで怖い!
 トンデモの五乗くらいの理論を高速展開されてさしものロボもたじろぐが、援護射撃がマールから送られる。


「今は勘当中だけど、私これでも王女だから二千人くらいなら動かせるよ。サラ帝国爆砕だね」


「そ、それなら私も王女ですから三万人……一万……三千人くらい動かせます! サラ帝国爆誕です!」


「ええー、お前どう見ても尊敬されてないじゃん。集まっても子供が十人くらいだろ。サラ帝国にダイレクトアタック」調子に乗っているようなので俺もサラ包囲網に参加。ぐにゃあ、とサラの顔が歪んでいく。
 それでも彼女は諦めない。歯を食いしばり果敢に攻撃を繰り返す。


「その集まった子供たちもジャキとアルファドレベルの豪傑なので合計兵力二千二百! ミラーフォース発動! サラ帝国に攻撃は通りません!」


「元騎士団所属のカエルさんとクロノさんたちの尽力によって中世の城から兵士派遣。魔王を退けた英雄なら百人は遣してくれるでしょう。サラ帝国は灰燼と消えました」聞き分けの無いサラにロボもさらなる追い込みを開始する。至極どうでもいいことなのに、何故か皆興に乗っている。まあ、こいつで遊ぶのちょっと面白いしね。
 新しい切り口を開拓できないのか、サラの反撃が止まった。もごもご口を動かしては黙るを続けて、耳を赤くしながら叫んだ。


「あな、貴方たち三対一とは卑怯じゃないですか! ぶし……そう! 武士の川上にも置けません!」


「お前自分で一騎当千って言ったじゃん。後、武士の風上な。川の上流に置いてどうする」


 自分で言った事を忘れた上に誤字を指摘される。これは恥ずかしいだろう。「むううううううう!!!」と大人の女性にあるまじき呻き声を上げてパンのように顔を膨らませる。良いなこれ、カエルに近い属性なのか。真面目属性ではないからからかいやすいという訳でもないが……あ、弄りやすいのか。
 結局上手い返しも作れずサラはむうむう言いながら俺たちの後ろからついてくる。サラさん現代に越してこないかなとはマールの言葉。実は天然気質を持っているマールも弄られっ娘属性を持っているのだが、サラはその上を行っている。無意識にいじめっ娘属性を開花させるとは……侮れぬ、サラ。
 これは後になって聞いたのだが、この時ロボがサラに突っかかっていったのは「クロノさんが負けていると思われるのが嫌だったんです」との事。もう本当、いつか俺がロボに陥落されそうで怖いよこの子。
 とりあえずは俺への好意でサラの理屈に反発したというロボの話を聞いて、ふとマールもそうだったのかな? と頭上にいるマールを窺い見るも、彼女の笑顔からは何も見つけることが出来なかった。まさか、な。
 ドロクイの巣を歩き続けて、三十分も経っただろうか? 今まで感じなかった冷たい風が体を通り抜ける。出口が近いということだろうか? そういえば今までざらついていた地面が硬く凍っている。雪が入り込むほどではないにしろ、気温も段違いに寒い。話に夢中になっていて気が付かなかった。一度意識すると氷点下に晒されている体が震え出した。肩に乗るマールも体を縮こまらせて俺の頭にしがみついている。
 ロボはアンドロイドだけにある程度の体温調整が可能だと、平気そうに歩いているが……いざとなればこいつを抱きかかえながら歩こう。重くても湯たんぽ代わりにはなるだろう。
 果たして出口はすぐそこに見え始めた。出口と言っても天井に空いた穴を人二人ぶんの横幅がある鎖が通っているだけだったが……よく考えればこの安定性の無い鎖を伝って山に登るのだろうか? 猛吹雪の中を渡るには随分安全性に欠けると思うのだが……?


「ああ、ようやく見つけましたね。あの太く頑強な鎖に捕まって登れば嘆きの山に着きます」


 やっぱりか、と肩を落とす。それしか方法が無いとはいえ気分が乗らない。ちょっとでも手を滑らせれば遥か下に落ちていくのだ、ここにカエルがいなくて良かった。いたら間違いなくUターンしていただろう。高所においてのあいつの臆病加減は類を見ないものだからな。
 流石に人を乗せたまま鎖を伝う訳にもいくまい、不満を垂れるマールを降ろして一番に鎖に近づく……が、登りはしない。まずは誰かの後押しをするべく待機する。


「ほらロボ先に行け。次にマール、サラの順番で登るんだ。俺は最後に登り出すから」


 この取り決めには意味がある。ロボを先頭に任せたのは何かあったときにこいつが一番身体能力が優れているからだ。万一の事があってもロボならばやり過ごせるだろう。二番目にマールを選んだのは、単にサラを三番目に据え置く為。いかにも鈍臭そうなサラが落ちかけた時に俺がフォローする為である。決して下からローブの中を覗こうとかそういうアレは無いので睨まないで下さいマールさん。


「私が鈍臭い? 面白い冗談です赤い人。私はジール肉弾戦最強決定大会で準優勝になった程ですよ」


「どうせ参加者が二人とかだったんだろ。いいから俺の言うとおりに下着を晒せ」


「馬鹿にしないで下さい! 三人です! ジャキとアルファドと私です! 惜しくもアルファドに負けましたが!」


 どこまで狭範囲な最強決定大会なのか。
 呆れながら背中を押すと、サラが弾かれたように右手の方を見る。何か受信したのか? と問いかける前に……遅れてその気配に気付いた。岩陰から、その図体に似合わぬ小さな足音を立てて砂を蹴るドロクイが二匹。しかし、その体格は今まで見てきたドロクイの比ではない。目測五メートルは優に達していそうだ。体皮の色も鼠色の汚いものではなく、燃えるような赤と凍えるような青、頭部から伸びる角は捻じ曲がり凶悪なイメージを見せている。それぞれ瞳の色は体の色と同じ、ルビーとサファイアのようと言えば聞こえは良いがぎらついたそれは到底美しいとは言えなかった。二頭の間に人間に近い丸頭のモンスターが片手に鞭を持ち撓らせている。サーカスの調教師みたく、何度かドロクイの頭を撫でて何かを呟いている。
 ……ドロクイの親玉と、その主人と言うところか。楽には倒せそうに無いと刀を抜き牽制するが、サラが一歩前に出て手を伸ばし、俺の前進を止める。


「……丁度良いですね、貴方の実力は見せてもらいました。今度は私の戦い方を見せてあげます」


「馬鹿言うな。お前の魔法じゃ当たりっこねえよ、いくらこいつらが鈍いからって、あんたの魔法放出速度はそれ以下だ」


「もしかして、宮殿で見せたファイアのことを言ってるんですか?」思い出すように顎を指に乗せて笑う。続けて「あれは私の十八番ではありません。高貴な身分である私は直接攻撃に繋がるものを好まないのです」と慇懃に髪を撫でて、舞い上げた。
 俺たちのやり取りを見て、鞭を持つ魔物が音を鳴らして床を叩いた。それに呼応してドロクイ二体が四足で地面を踏みつけて爆発したように飛び出してくる。ぎらぎらとした角は、サラの華奢な体など軽々吹き飛ばしぼろきれの様にズタズタに引き裂いてしまうだろう。
 それだけで暴力になりそうな咆哮と共に肉迫する狂牛にサラは面白がるような顔を変えない。マールとロボも危ないと思ったのか得物を片手にサラの前に躍り出た。これだから温室育ちの王女様と冒険なんかしたくないんだよ……マールは別だけどさ!
 緊迫した状況でありながらサラは慌てて避けるでもなく、しゃがみ込むでもなく、優しく優雅に手で空をかき混ぜて、ゆっくりと合掌した。祈りのような動作は、聖母のように緩慢で……力に満ちていた。


「私の真価は……封印魔法及び、この結界魔法。確実に、誤り無く時を止めて動きを終わらせる。止めるのではなく、破られる事なく終わらせるのです」


 流麗な言葉を紡ぎ終わった後、その通りに魔物の動きが止まった、いや終わったのか。
 ドロクイの全身を覆い被すように突如現れた立体の三角錐。中の空間を生きるドロクイは力走する姿そのままに宙に浮きながら微動だにしない。鞭を持つ魔物は事態が飲み込めずおろおろと自分の操る魔物の異常に気を乱していた。
 ……完全無欠のバリアー、それがサラの操る真の魔法ということか。通常の防御魔法と違うのは、守るのではなく攻める為に用いられていること。行動を止めさせて、相手の戦闘を強制的に封印する。一方こちらは自由に行動が可能、位置を変えて敵の混乱を誘うも良し、充分な魔術詠唱を作るでも良し。正に極悪な魔術。直接的攻撃を嫌う? 言ってる事は素晴らしいかもしれないが、その実彼女の魔法は蹂躙を許す無敵に近い魔術だった。
 ……ダルトンの召喚魔法を思い出す。確かに並の魔法を遥かに凌駕するものだったが、使いどころを間違えなければ彼女の魔法はさらにその上を行く。それもブッチギリで。魔法特性だけに焦点を合わせればジール最強というのも伊達では無さそうだ、サラと一対一を申し込めば、間違いなく勝てる自信はあるが、サポートとしての彼女は最凶だと理解する。
 調教師の魔物はようやく自分の状況を理解して、動かないドロクイを置いて逃亡した。あいつ自身の戦闘力は低かったのかもしれない。指示する立場の魔物は総じてそういうものなんだろう。
 正直、何も出来ないアホ女だと評価していた俺たちはサラの特殊にして強力な魔法を見て何も言えなかった。魔法王国の王女とは、生まれ育ちだけで頂けるものでは無いということか……


「どうです? 私の力を思い知りましたか赤い人。私の力なら貴方なんか耳垢を取るくらい簡単に倒せますよ」


「どんな例えだよ……まあなるほど、凄い力を持つ馬鹿だってのは理解したよ」


「…………馬鹿を削除するわけにはいかないのですか?」


「そこはまからん。俺の尊厳に賭けても」


「………………」


 ともあれ、サラが役立たずとは言い切れない、侮れない力を持っていることが分かりこれからの戦闘が楽になりそうだ。少なくとも、今のカエルの四百倍は使える。援護役としてこれほど心強いものは無い。はっきり言って卑怯とも言えそうな魔法だし。いや卑怯と断言できるな、ほぼ無敵に近いのだから。
 得心のいかない顔をしたサラを流して、俺たちはドロクイの巣を後にした。ちなみに、一番先に登るのが俺に変更になったことは言うまでもない。見られるのが嫌ならスカートなんか履くなというのだ。そもそも、風呂場に突入するくらいなら羞恥心なんか持ち合わせていないだろうに。
 とにかく、俺たちは命の賢者救出に一歩近づく事になった。








「クロノ……私ね……多分もうすぐ死ぬんだと思うの……」


「人間はそう簡単に死なん。寒いのは分かるが我慢しろマール、氷属性のお前より俺の方がずっと寒いんだから!」


 嘆きの山に着いたとき、俺たちの限界はすぐそこまで迫っていた。やたらと長い鎖を登り、その間嫌がらせなのかと思うほど横殴りに吹雪かれて、やっとついた山も鼻水が瞬時に凍る極寒地獄。明確な死が見え始めていた。
 山は白に押し潰されて草花が姿を消している。細い葉を付けた木々だけが揺らぐ事無く立って自然の力を教えてくれた。それに励まされる事は無いけれど。考えれば分かる事だ、地上よりも遥かに高度な場所にある嘆きの山が寒いなどと。ただ寒いの度合いが尋常でなく上回っていたのは予想が外れた。


「クロノさん……僕はね、今とっても良い気分なんですよ……」


「やめんかって! お前が言うと絵になるから冗談でも一層怖い!」


 体温調節機能があるロボですらこの様だ。何度かルッカと交代させようかと時の最果てに連絡をしても一向に返事が返ってこない。何してるんだよあいつら! (前話おまけ参照)……まあ、火属性のルッカにこの氷点下はきついだろうし、カエルはここに来てその高度を知った瞬間発狂するだろうから交代しても意味が無いのだが……
 前方からの風を避けるため、マールロボサラの三人は俺の後ろで小さくなりながら進んでいる。これつまり俺が一番辛いという訳で。どうしてお前らが先に弱音を吐くのか。男は女よりも寒さに強いから我慢しろとでもいうのか。言っておいてやるが、どれだけ強い人間でも殴られれば痛いのだ。


「ロボさん、小さいので抱きついてもあまり暖かくありません! 位置を変わって下さい! もう本当お願いしますから……」


 最後尾を歩くサラが傲慢なのか懇願なのか微妙な事を言い出して、無理やりマールに抱きつこうとしている。確かに、身長の低いロボに抱きついて暖を取るのは無理があるか……


「それなら僕とマールさんの位置を代えましょう……僕がクロノさんに抱きついてサラさんがマールさんに抱きつけば良いじゃないですか……」


「絶対嫌だよ。クロノの体温高いから、ここ離れると私死ぬ。ていうか下手に動いて風に当たりたくないし」ロボの提案をサラのお願い事ぶった切る。俺だってマールやサラの後ろから抱きつきたいのに、俺のお願いは聞いてくれないのか? マールに抱きつかれてる現状に不満があるわけではないが……少なくともロボに抱きつかれるより万倍良い。サラに抱きつかれるのなら尚のこと歓迎する。巨大マシュマロを所望する。


「はあ、はあ、はあ……赤い人、今だけ私は貴方の存在を許します、だから私に体温を分けて下さい」


「……いや、今さっき俺もそう思ってたし、お前の頼みは願ったり叶ったりなんだが……なんだか言い方がいやらしくて、ちょっと戸惑うし、止めとく」


 自分から動いたり言ったりするのは気にしないが、どうも俺は受動になると拒む癖があるようだ。ヘタレでは無い、断じて。
 息を吸うだけで肺ががしがしと痛む。酸素が薄い事もあり、そもそも呼吸が困難なものとなり始めた。今迄の旅で一番辛い行進なのは間違いないだろう……原始の熱気が恋しい……
 何処かに横穴らしきものが無いか見回すが……駄目だ、それらしきものが全く見つからない。今魔物に出くわせば戦闘なんて出来る気がしない。体温を取り戻さないと冗談でなく行き倒れになるぞ……
 体温で思い出したが、サラはファイアを扱えたんだった。早速彼女に火を作ってもらい気休めにも気温を上げてもらおうと頼んでみたが、「放つ事は出来ても私たちの周りに火を作る事は出来ません」とのこと。単純に飛ばすことは出来ても待機させるといった操作はできないということか? やるじゃないかと評価を上げればこれだ、俺の出会う女はエイラを除きがっかりさせないと気がすまないのか? マールは能力面に文句は無いが性格面に難がある。一生口にはしないけど、尿漏れとか。
 しかし、寒いというだけでも充分な脅威だが……疲労も無視できない。アルゲティを出てそう時間は経っていないが未だに慣れない雪道に鎖を伝う肉体作業、疲れない訳が無い。風が無い場所で休むだけで良いんだが……


「……そうだ、穴を掘るのはどうだ?」ふと思いついた案を口にしてみる。


「穴ですか?」


「そうだ、魔法を使えば大きな穴くらい作れるだろう、そこに入って火を熾せば休憩するなら充分だろう」


 言うが早いが、俺は小高い丘になっている林に入り丘の横手に貫通性を上げた電撃を放つ。同じようについてきたロボも太目のレーザーを放出し手伝ってくれた。威力だけなら弱くないサラのファイアも手伝い見る見るうちに洞穴が作られた。全員飛び込んで、マールが入り口に氷壁を作り風を遮断する。空気穴として、小さな隙間を作って簡易キャンプが完成。一酸化中毒にならないように心持ち大きめに。多少風が入り込むが、外とここでは段違いだ。俺は持っている乾木を全部取り出して火を点けた。床が濡れているので多少時間は掛かったものの、皆で念入りに火を煽ったので消えずに燃え上がらせる事ができた。後は機を見てサラに加減したファイアを叩き込んでもらえば数時間は持つだろう。幸いにも、洞穴の天井から垂れる木の根っこなどが薪の代わりにもなる。
 中の気温が上がってきたので、俺たちは仮眠を取る事にした。見張りとして俺が起きておく事にして、皆を寝かせる。俺の体力は寝るほど減っていない。暖まればそれで充分だ。自分の起きておくと言ってくれるマールとロボを抑えて、たき火の側に座る。折れない俺を相手に、感謝の言葉を告げて二人は丸まった。
 火の揺らめきを眺めて、しばらくの時が経つ……三人の寝息が聞こえ始めたのが少し前。やはり、皆消耗が激しかったのだろう、すやすやと聞いているだけで安らぐような声は睡眠を取らずとも俺の体を癒してくれた。


(よくよく考えれば、マールもロボもまだ子供なんだよな)


 ロボがアンドロイドだということは知っている。それでも言葉遣いや泣き易く拗ね易い彼が自分よりも年上とは思えない。マールと自分はそう変わらないと思うが、何と言っても外出することすら少ない王女である。元気があっても、この厳しい旅路は辛かっただろう。本当、良くやってくれる奴らだ。


「……それは、貴方もそうじゃないんですか?」


 急に声を掛けられて、少しだけ驚く。そうか、三人に聞こえた寝息は二人だったか。
 たき火から向き直り、何故か正座している彼女に体を向けた。


「……何で俺は他人に心を読まれるかね?」


「声に出てましたよ、赤い人」笑いを噛み殺すようににやけるサラ。恥ずかしいんだから、聞こえてても無視してくれればいいだろうに、性格の悪い奴だ。
 そうかよ、とぶっきらぼうに返して、少しの間どちらとも言葉を口にしない時間が流れる。たまには、こういうのも悪くないものだ。
 外からは猛るような吹雪の音。入り口にある氷壁に雪が当たって弾け鳴るのは薪が爆ぜる音とマッチして、コンチェルトを演奏する。ぼんやり上を見上げれば無造作に飛び出た植物たち。目の前には至高の造形を持つ白い女性。黙ってれば、良い女過ぎるよな……なまじっか肌が白いせいか、場所が場所だけに雪女と対面している気分にもなるが。


「……サラはどうしてついてくるんだ? 俺たちに任せておけば賢者様は助けてやるぜ? それとも、まだ信用無いか?」


 サラがふるふると頭を揺らす。その際に、絹糸のような髪から絡まっていた雪と水が飛び散った。


「貴方たちなら、きっと命の賢者を助けてくれるでしょう。でも、私は誰かに任せっぱなしというのは嫌なんです」


「はは、本当王女らしくないな」


「固定概念で何かを語るのは滑稽ですよ、赤い人」


「……いい加減俺の名前を覚えろよ。俺はクロノだ」


「む、子分が親分に命令とは良い度胸です」


 部下から子分になったのは格上げなのか、格下げなのか。まあどちらでもいいけどさ。
 喉を鳴らして愉快だと表明すると、サラもすっ、と透明な笑顔を作った。いつもの彼女からは考えられない綺麗な笑みに、俺は考える事を忘れて思った事をそのまま口に出してしまった。


「……すげ……滅茶苦茶綺麗だ」


 我を取り戻して口を押さえるけれど、一度出したものは戻せない。ああ、顔が熱い!
 怯えているのを自覚しながら静かにサラを見ると、ぽかん、という擬音が似合う表情で口を半開きにしていた。その後、面白くて仕方が無いという顔に。


「そうでしょうそうでしょう。ふふふ、何とも恥ずかしがりなのですね赤い人は」


「うるさい、早く寝ろよ」顔を逸らしたら負けだと分かっていてもそうせずにはいられない。際限無しに顔が赤く染まっていくのだから。耳なんか焼けどしたみたいに熱をもっているのが分かる。雪に顔を突っ込みたい気分だ。


「ふふふー、赤い人は結構面白い人なんですね、と言ってみます」


「あーもう! 何だよその喋り方! 寝ろったら寝ろよな!」


「ふふふー」


 それから二十分くらい、俺はサラにからかわれ続けた。不覚だ……何故俺が弄られる側になるのか……精神的な弄りなら俺の右に出るものがいないと自負してきたのに……! この恨みは必ず晴らしてくれる!
 ようやく俺の頬を突っつく作業を止めたサラが大きく伸びをして「面白かったです!」と笑う。こいつ、本気で寝る気無いな……何の為に俺が見張りに立候補したと思ってるのか。こんなことならすぐに寝れば良かった。
 手の甲を額に当てて熱を冷ます。その意味もお見通しだとニヤニヤ笑うアホがひたすらにムカついたが、ここで起こると肯定しているようでさらに腹立たしい。忍耐という文字を頭の中でなぞって精神安定に努めた。
 ……ここに入って五十分って所か? 予定休憩時間の半分弱が経過した事になる。嫌に時間が過ぎるのが早い。認めたくは無いが、サラと話していたからだろうか? 少しは感謝しても良いかな、と思い「ふふふー」という業腹な笑い声を思い出して胃がムカムカする。こいつが今からでも寝てくれたら入り口の氷を削って背中にインしてやるのだが。どんな声を上げるのか楽しみで仕方が無い。
 ゲボハハハ……と正常ではない笑い声を漏らしていると、いつのまにかサラが立ち上がり俺の隣に座った……きゅ、急展開来訪! 急展開来訪ですぞ!


「……母様の話をして良いですか?」俺のオーバーヒート目前の頭とは違い、分かりづらい程度に痛みを孕んだ顔でサラはぽとりと言葉を生んだ……真面目な話、なんだろうか?
 そのまま何も言わずにいると、良いと取ったサラが口を開く。


「昔は母様も優しい人だったんですよ。ジャキのことも、中々相手しなかったけど、あの子が熱を出した日なんか冷静な顔して飲み物を三回もこぼしたんですよ?」


 その時の情景を思い出してかサラはクスクスと笑う。本当に大切な思い出を、彼女は語っているのだろう。俺は口を挟まず話の続きを待った。


「近くを通る人に必ず『今日の天気は良いのお』なんて言ってから、『ところでジャキの具合はどうじゃ?』なんて言うんです。本当はいの一番にそれを聞きたいのが丸分かりなんですよ。最初に関係ない話題を振って、誤魔化せてると思ってるんでしょうね。それがあんまり続くようだから、今日の天気を聞かれた人が『ジャキ様の熱は下がり始めたようです』って本題を先に答えちゃって。その時の母様、いつもお面を被ったみたいなのにかーっ、と赤くなっていって、面白かったです」


 サラの思い出話を聞いて、話の中のジールと実際に会ったジールを比べてみる。お面を被ったよう、と言うが俺の見たジール女王はいつも壊れたような笑顔だった。それも面のようなものと言えるのかもしれないが。息子の為に心を煩わせるとか、想像が出来ない。ほとんど会話もしてないけれど、気に喰わない相手はすぐに処刑すると言われてなるほど、と頷きそうな狂気を持っていた。
 そこまでの話をしている時のサラはとても楽しそうで、何度も膝を叩いたりして機嫌が良さそうだった。この話をしているだけで、楽しくなるような、そんな笑顔。それがふっと影を潜めて、心なしか声の音量すら小さくなっていった。


「……ある日、母様が病気に罹った時です。その病は重く、医者をして助かりようが無いと判断されました……私もジャキも泣きついて、『死なないで、置いていかないで』って母様から離れませんでした。私たちの父様は小さい頃からいないから……私たちだけ取り残されるようで本当に怖かったんですよ」


 水滴が落ちるように、独特のテンポで単語を作る。
 ……そうだな、いくらはちゃめちゃでも、俺だって母さんが死にそうになれば泣き喚くし、縋りつくだろう。いい年してようが何だろうが、家族の死に泣かない奴なんていないんだから。


「結局、奇跡的に母様は治りました。医者も吃驚して、魔法科学を超えている! と驚いてましたよ……でも、それから母様は変わりました。不老不死について調べ始めて行き……ついには世界を壊すとされるラヴォス神に目をつけたんです」


「……死に直面して、性格が変わったってことか?」ここで初めて俺が口を挟む。サラはゆっくりと頭を縦に振り、「恐らくそうでしょう」と短く切った。


「私は、母様が助かって嬉しかったし、二度とこんなことが起きて欲しくなかった。でもそれは不老不死になってほしいわけじゃないのです、ただ……ただ……」


 それから先は声にならず、サラは嗚咽を漏らしていった。
 ……どうして俺にこんな話を? ……それを聞く気にはならない。簡単なことだ、俺にほんの少しでも気を許してくれたという事だろう。鈍感な俺でも、その程度の機微は弁えてるつもりだ。
 ただ、それが嬉しくて、彼女の話が辛く悲しくて。俺はどんな想いを抱けば良いのか分からないまま、入り口の氷越しに映る雪を眺めていた。
 ……きっと、この山の名前である『嘆き』という言葉は偽りではないだろうな、と意味のない事を胸に刻みながら。









 星は夢を見る必要は無い
 第二十八話 唯一凡庸平和的主人公格









 全員の体温と体力が回復し、洞穴の中から這い出る事にした。気持ち穏やかに感じる降雪は縁起の良さを思わせる。今の内に命の賢者を探さねばとマールは息巻いて大股で雪を踏み鳴らしていく。
 サラの話では、命の賢者は山頂部に幽閉されているのだとか。強大な魔物が見張りをしているとのことだが……引くわけにはいかない。
 ──ちょっと、スイッチ入ったしな。
 それから人間大の怪鳥や、ガーゴイルと称される魔物、花弁から毒粉を撒く厄介なモンスターが雑多に襲ってくるも的確に動きを封じるサラの魔法の力もあり、大した障害には成り得なかった。零下にあるここではマールの魔術が冴え渡り氷柱に貫かれ、ロボが氷ごと魔物を粉々に砕いていく。俺も使い慣れ始めた電撃を操り攻撃をさせない。ソイソー刀を伸ばして空に飛ぶ怪鳥を切り落としていった。
 やはり戦闘があると、体が温まり良い塩梅となるな。戦い始めてから一時間が経過してもまだ体を動かすのに不自由は無い。良い意味で寒さが気にならない。
 登山という形ではあるが、鎖を這い登るのに比べて、山の傾斜はなだらか。八合目付近につくまでさしたる疲労は感じなかった。山に着いた初期の地点には雪が積もり足を取られたが、ここまでくると地面は滑り凍っているが、山雪は山風に飛ばされているのか体力を奪われる事はなかった。寒さは耐えがたいが……体を動かしている間は忘れる事もできる。
 山道の左手にある木々の枝からぼとぼとと雪が落ちていく音に気を取られ驚いたマールがひっくり返り雪塗れになるハプニングがあったが、思ったよりも楽な登山道になっていた。


「そういえば、赤い人はジャキに会ったのですね? 暗いとか無礼な事を抜かしてましたし」


 白い息を両手に当てながら、もう涙の跡は見えないサラが笑いかけてきた。ですます口調の割りに抜かしてたとか、ちぐはぐな言葉遣いだな。


「会ったよ。下手に騒ぐ子供も苦手だが、陰気すぎるのも考え物だな」


 下手に騒ぐ、の部分でロボを見やると「……僕はクールな性格ですよ」とぶっ飛んだ自己評価。お前がクールならどんぐりを齧るリスはアナーキズムの極致だ。パンクの塊と言い換えても良い。


「むう。ジャキは少々気難しい所もありますからね……今迄ほとんど無かったことですが、あの子が泣いた時は私でも手を焼きました。三日間延々鼻を鳴らしていたこともありますからね」


「おいおい、何で今弟の話しなんかしてるんだ? お見合いかっての」


 他意の無い軽口だったのに、彼女は「おやあ? やっぱり私を意識しているようですねおませな赤い人?」といやらしいったらないニヤニヤを見せる。もう忘れろと言ってるのに、何故こいつはまぜっかえすのか……! 谷底に突き落としてやりたい気持ちが八十パーセントを超えた。もう一声なんだが。
 ガルル……と舌を震わせて威嚇しても、サラはおどけたように体を揺らして離れていく。道化師のような、愉快なタンゴを踊るような、そんな足取りで。


「別に意味はありませんよ。ただ、貴方は子供の扱いが上手そうだなと思っただけです」笑顔のまま先に進む。俺はそんな彼女の背中を早足で追いかけて通り過ぎざまに頭に手を置いた。


「自慢じゃないが、あやすのは得意だぜ。ごねる子供を泣き止ますのは特技だ」


 むしろ、それくらいしか得意な事が無いのかもな。
 言って、サラを見ずに山道を進む。一度くらいなら、こいつと何処かに遊びに行くのも悪くないな、とこいつに対する気持ちを改めながら。
 ふわふわして、あっけらかんな空気を近くに置くサラは疲れることもしばしばあるけれど……というよりも、大概がそうだけど。楽しくないわけじゃないし、背負うものが無いただの馬鹿というわけでもない。消極的にでも歯を食いしばり努力している人間は嫌いじゃないさ。
 柔らかい気持ちになって、口角を上げて笑う俺をいつの間にか隣を歩くマールがじっと覗き込んでいた。ああ、雪に埋もれて出来た顔の霜焼けちょっとマシになってきたな。


「……もしかして、クロノってば今ラブ状態?」


「馬鹿、見当違いだ」


 右手で頭を掴み前後に揺らしてやる。楽しそうに笑うマールが面白くてそのまましばらく遊んでやった。もしかして、こういうところを見て子供の扱いが上手いと思われたのか? ……いなすことに長けているんじゃないかなと自分でも思うが。
 ……見当違いだっつの。
 遊ばれているマールを指を咥えて見ているサラを横目で見て、頭を掻く。嫌いでは、無いけどさ。恋愛じゃないよ、そんなに簡単な人間じゃないんだから。
 もうすぐ、山頂。緩みかけた気分を張り直すためマールの頭を持つ手とは逆の左手で胸を叩く。今は余計な感情を外に出して、戦いの予感を滾らせた。






 今迄に無い急勾配の道のりを上がりきり、山のいただきに辿りついた。不思議な事に、幕の中に入ったみたく雪風は肌に触れず静かな空間が広がっている。歩いてから気付いたのは砂利の擦れる音。地面に雪が積もるどころか、凍ってすらいないという事実に魔法の力が働いていることを確信した。
 自然の力を捻じ曲げる、無機質で傲慢な魔力……渦巻くようなそれに包まれ、囲まれて歪んだ光を反射しつつ、底の知れない崖を背にして、円形の台座の上に一人の老人が氷付けになって鎮座していた。場所は山頂、老人、幽閉と言う言葉……まず間違いなく、この哀れな男が命の賢者その人だろう。息を切らしながら俺と同じ光景を目にしたサラが見開いて悲鳴を上げたことから間違い無い。遅れてやってきたロボとマールも荒れる呼吸に高度ゆえ薄い酸素をねじ込み整えた。陰鬱な気配が迫ってきたからだ。


「早く助けなくては……捕らえる事が目的の魔力の氷とはいえ、あのままでは死んでしまいます!」普段のように悪ふざけの類を口にせず、狼狽とした雰囲気すら滲ませながらサラは囚われた老人に走り寄った。


「……待てサラ! 行くな、罠だ!」離れていくサラの腕を取ろうとして、俺の手が空を切る。走って追いかけようとしたのに、だらしのない俺の足は勢いに負けてもつれ、その場に腰を落としてしまう。


「待ってて下さい、今すぐ私が封印を解いてあげますから……」


 大切な物を触るようにサラが氷の表面を撫でる。良くない、絶対に良くないものが近づいているのに、サラは気配を感じていないのか、目の前の老人を助けるのに夢中なのか、無防備に詠唱を開始した。その姿に全身の毛穴から噴出すような大声を上げて「戻れ!!!」と警告する。
 一瞬だけ、疑問符を投げてサラがこちらを振り向く。鼓動がやかましい、手が震える。魔力を使おうと精神を安定させるのに、そう努めるのに、冗談みたいな時間がかかった……間に……合わない!!
 ……風の音が、止んだ。後を追うように崖の底から尖端とした魔力が溢れ歪に震える鳴き声が木霊する。異常な事態にサラは発生源に目を向けて、予備動作も無く右に『吹き飛んだ』。
 考える事ができないみたく、ただサラに声を掛けた時のまま口を開けてラグビーボールのように跳ねていくサラの体を見送った。彼女の強制的な跳躍運動は、途中の岩に頭を強くぶつけて終わる。頭蓋から、雪を染めていく液体をだくだくと流していく瞬間までじっくりと見送って。
 彼女が飛んでいった道筋には点々と染みが出来ていた。幅広いものから、指の先でつついたようなものまで万別に。流石に万の染みは無いかもしれないが……少なくとも俺にはそう見えた。
 それが……彼女の華奢な体が叩き付けられるのが、(おじさんに殴られるルッカと)色んなものと(魔物に食い殺される兵士たちと)重なって(血まみれで沈むヤクラと)赤い衣服が(魔王に赦しを乞う俺と)もう戻れない(見捨てざるを得ない友達たちと)と言っているようで。
 頭が痒い、もう寒さなんて感じないのに歯が震えているのはどうしてだろう? いつのまにか爪と爪を擦りあわせていたら、右手の親指の爪が剥け始めていた、寒さで麻痺しているからか、痛みは感じない。マールたちが呻吟に近い声を出して、すぐさま「サラさん!!」と叫び声を上げた。ただ立ち尽くしている俺と違って、随分と素早い反応。混乱しているだけでも、何かのアクションを起こしている分ずっと俺よりも現実を見ている。俺はまだ……そこに戻れそうに無い。


(死んだ? いやまだ分からない……でももしかしたら。では誰が? サラだろう。サラとは誰だ、俺の何だ? 友達か? 違う、では恋人? 違う知人だ、知人に過ぎない。なら良いじゃないか。良いわけないだろ、友達とするには接した時間が短いだけで仲は良かったんだから。少なくとも、あいつの話を黙って聞いてやるくらいには。関係をからかわれて不快になるくらいには)


 何かが煮える。何かが燃えていく。またかまたなのか俺は、また誰かが死ぬのを見ているだけか? 女の子だぞ。男女差別なんか説く気は無い。女が怪我をしてはいけないなんて、男よりも死ぬのは悲しいとか、そんな綺麗事は俺が最も嫌うもののはずだ。でも彼女は女の子だった、綺麗だった、美しいと思った、下心無く、触れてみたいと思えたんだ。
 彼女の見下すように笑う嫌味な笑顔、してやられて膨らむ彼女、自身ありげに何かを語る活力のある動作、リベンジを誓う不敵な口元……大切な物を教えてくれた時の優しい目と、無くした過去を憂う涙。これだけ綺麗なものなら、俺でも触れば綺麗になれると思ったんだ。
 ……視界の隅で、マールとロボが倒れたサラに駆け寄り回復呪文を唱えているのが見えた。凄いな、なんて冷静な行動。
 悪い意味じゃない。感服してるんだ、俺は……回復呪文を使えないからというだけでなく、ちょっと堪えられない。こっちを見てない二人には意味が無いけど、謝罪の意味で頭を下げた。本当にごめん、俺にはやらなきゃいけないことがあるから。


「…………覚悟は良いか? とか言えば格好つくんだろうけどさ。無理だわ、さっさとバラバラになってくれ」


 吹けば消えそうな軽い口調を唱えつつ、鞘から刀を抜いた。万全でも無いんだけどな、電撃は結構使ったし、空ではないけど満タンには程遠い。心許ない魔力量のはず。なのに、今の俺は空に浮かぶ雲全てから落雷を落とせそうな気分だった。
 音も無く、目の前に(崖下から立っていると仮定して)山の半分くらいありそうな、大き過ぎる魔物がこちらを見据えていた。甲殻ばった紫の体から抑えきれない魔力の蒸気が浮き上がっている。人形みたいに動かない口から酸素を欲する印として白い息が溢れて、目玉の大きさに合わぬ小さな黒目が両共に俺だけを捉えている。丸太を十本くらい縛り上げたような太い腕と、人間なんか触れるだけで裂きそうな鋭い爪。掌には帯電する稲妻が舌を出している。見た限り……そうだな、魔王のサンダーと同じくらいか? それとも、それを超えるものかもしれない。
 なるほど、強敵。魔法王国であるジールが番人として置いているだけのことはある。その迫力は今まで会ってきたモンスターとして疑う事無く最強。開け広げた口からだらだらと零れていく唾液が落ちると、地面の氷は瞬時に消え去り、酸性特有の融解音が唸りを上げている。特殊能力も豊富、と。


「うん、良く分かった。ところで何で動かないんだお前。自己紹介気取りか」


「…………ブア……ブア、ブアッ、ブアブアブアアアアッッッ!!!!」


「それ、鳴き声か。ユーモアがあるな、それだけは印象に残してやるよ」


 魔物は両手を前に出し溜めに溜めた電流の嵐を飛ばした。地面には大蛇が通ったような跡が刻まれて徐々に近づいてくる。間近で見れば、それは相当な圧力となって襲ってくる。


「圧力だけは凄かったな」


 右手に集めた魔力を解放。磁力最大、目の前の電力を全て吸収。次いで、凝縮。でかければ良いってことじゃないんだ。弾みで服の袖が弾け飛ぶが、気にするような事じゃない。精々、帰りが寒そうだってくらいだ。
 魔物は己の自信ある魔術をこうも簡単に奪われ驚いている。顔の変化が無いから、確証は無いけど。次の攻撃動作に移ることはなかった。勘弁しろよお前。体は動かさずに掌だけを揺らしてさ、状況を掴めてないと宣言しているようなものじゃないか。
 ……魔物の出現と同じく現れた黒雲が頭上に見える。恐らく、この魔物の魔法を補助する役割があるのだろう。フィールドを効率的に使うとは賢いじゃないか。俺も活用させてもらうが。
 刀を持つ手を変えて、右手を空に掲げる。やべえ、面白い。何が面白いって、目の前のこいつが黒焦げに成る様が浮かんできて集中が途切れてしまう。絶対に失敗なんかしないけどな?
 手の中に作った球状の集電体に雷雲を這う雷が応えてくれる。見てろよ不細工、御雷鎚ってもんを見せてやる……一発で粉々になるなよ、それじゃ面白くないからさ。
 ……最高潮にはなってないけど、この辺りで良いだろう。あんまり本気を出せば本当に一撃で死んでしまうかもしれない。サラは何度も床に叩きつけられた。ならお前はその倍苦しむべきだ。


「……まずはレアだ。生焼けになれ……!!」


 右手を振り下ろし、千雷を呼ぶ。雷鳴は一度鳴り、三度鳴り、万雷の怒りを見せて荒れ狂う。無作為に踊る電気の光が俺と魔物の間に現れて姿を見せた。
 そこで魔物は同じく電撃を作り盾とするように目の前に作り出し両手を交差させる。防御か、正しい判断だ。馬鹿の割には頭が回るんだな、これがどれだけの威力を誇るか、想像できたか……とすれば、直接落とすのは無しだ。期待通りになんてしてやるものか。
 十二股に分かれる落雷が集まり、魔物に落ちる……事無く、全ての電力が俺に降り注いだ。


「…………ブアッ!?」魔物は想像外の出来事に戸惑い前傾の体勢になる。何が起こっているのか、しっかりと確かめようとしているのか。


「がっ……!! ……そう焦るなよ、飴玉ならまだ残ってるぜ……!」


 目の前がチカチカ光り体が沸騰する。血液は体から出たいと暴れ網膜からあふれ出した。命令を無視して四肢が震え、肺に入れるべき空気を吸い込む前に焼いてしまう。右手首の動脈が破裂、目を背けたくなるような血が噴水のように飛び出る。
 騒げ騒げ、招待したのはこっちだ、好きなだけ俺の体をいじくれば良いさ落雷ども。その代わり……分かってるな?
 一つの境を越えて、体の自由権が譲られる。俺が、御しきったという事だ。
 ……用意は出来た。後は、この有り余る、膨大な、自然の力全てを消費して、留め金を砕くだけ。


「……トランス」


 身体機能が限界を優に超えて体を構築。反射神経の向上により今なら風すら避けられるだろう。動体視力、降雪の一つ一つを視認して見分ける事も可能。そこまで進み尚も俺を変えていき、進化を止まらせない。
 ……ブチ切れろ、三下もどき。
 自分のものとは思えない脚に力を込めて、跳ぶ。跳躍距離は、一歩で魔物の顔に捕まった事から二十メートルという所か。手早く刀を顔に刺して足場にする。一瞬痛みに呻く声が聞こえたが、まずは無視。目前には俺の体と同じ大きさの眼球。そこに優しく拳を入れてこねくり回す。眼窩の深くまで手を伸ばして、先にある粘ついた視神経を掴み取った。


「ブアアアアアァァァァッッ!?」


「痛いか? でも面白いだろ、楽しいだろ!?」


 顔を振り回し俺を落とそうとする。折角面白い遊びに加えてやったのに、なんだその反応は。でもいいや、他にもいっぱい考えてる事はあるんだから。
 手に持ったものを離さずに刀を抜き後ろに飛ぶ。じゅるじゅると伸びていくのはさっき握った視神経。あれだけ大きいと、神経も長いのか、勉強になった。流石に地面に降りる前にはちぎれたけど。
 片目を押さえて喚く声が癇に障る。ちょっとした冗談じゃないか、大げさなんだよモンスターの癖に。お前は自分よりもっと小さな人間を殴っただろうが。


「次はどうしようか? 耳を剥ごうか、それとも役に立たなくなった眼球に入って暴れてみようか? 目玉の中って暖かいらしいぜ? 蜂蜜みたいにどろどろしてるって聞いたことがある」


 言葉が分かるのか、魔物はぶんぶん頭を振って拒否している。でも駄目だよ、お前が俺の遊び相手を壊したんだ。無駄につっかかってくるあいつを壊したのはお前なんだ、だから代わりに遊んでくれよ、なあ。
 怯えたように震えていた魔物がやけくそのように腕を振り上げて叩き落す。もしかして撫でてくれようとしたのかと勘違いしそうな遅さ。半身を逸らして刀を振る。五指の内親指を残してぼとぼと落ちていった。
 気が狂ったように魔物は叫び残る左手で右指を拾おうとした。俺が切ったんだから俺のものだ、勝手に取るな。
 上に跳んで空中で半回転、右踵をでかぶつの左肘に落とした。あらぬ方向に曲がった自分の腕を見て舌を出し酸性の唾液を撒き散らす。汚え、マナーも何も無いな。食事の礼儀から教えてあげようか。
 ソイソー刀を伸ばして指を団子状に突き刺し持ち上げる。聴くに耐えない鳴き声を漏らす口に跳んで近づく。その目に浮かぶのは恐怖、今から何をされるのか本能的に悟ったか?


「ほら食えよ。これが欲しかったんだろ? 返してやるから食えって」


 無理やりに四本の指を口の中に入れていく。何だ、口は閉まらないかと思えば、ちゃんと閉まるんじゃないか。歯を閉じて抵抗するのが気に食わなかったので、ソイソー刀をさらに伸ばし歯茎から全て切り落とす。遮るものの無くなった口内に今度こそ指を放り込めば、「ア、ア、ア、ア、アアアア!!!!」と爆音。口の近くに人がいるんだから、でかい声出すなよ。
 あまりの騒音に耐えかねてまた距離を置く。ちょっとムカついたけど、やっぱり面白い。このまま続けば、こいつもサラ程とはいかないけど面白い人材に育つかもしれないな。ああ、人じゃなかったか。


「ひひっ、次は何が食いたい? 鼻か? 耳か? 腕を輪切りにして焼いてやればステーキにもなるな。それか、もう一度指を落としてスナックにするか?」


 まだまだ、遊び続ける事が出来そうだ……舌なめずりをして、返り血を舐め取った。悪くない、食い応えもあるとは、バリエーションが豊かじゃないか。
 もう一度刀を構えて、次は何処を切り落とすか勘考した。








 根底から間違っていたのだ。
 ドロクイの巣にて、僕は少しの感動の気持ちさえ持ちながらクロノさんにこう言った。
 ──マスターの不安定さ、マールさんの決め手に欠ける部分、カエルさんの迷うような感情……それらの弱点が、今のクロノさんには見えません。言わば、揺らがぬ心といいましょうか──
 何て馬鹿。安定している? 決め手がある? 迷わない? ……まるで見当外れ。クロノさんはただ、怯えていたのだ。
 クロノさんの年齢を聞いたことはない。ただ、二十にならない、場所が場所ならばまだ学生であろう年なのは分かっている。今迄生死を賭けた戦いなどとは無縁な、平和な町で暮らしていた事も。
 ……この旅は、そんなクロノさんにとって余りに酷。マスターたちの話を聞けば、元居た世界では反逆者として扱われ、中世では相当の人数の死人を見たという。その時自分を救ってくれた友人と永別したとも。圧倒的な実力差のある魔王とも戦い死ぬ一歩手前の怪我をしたことさえ。未来に置いては、幼馴染であるマスターが怪我をして怒り狂ったそうだ。
 ……極めつけが、原始で大切な人を置いて生きて帰った事。
 それが悪いなんて口が裂けても言えない。僕にとってクロノさんは大切な、多分この世で最も尊敬する男の人だから、その時一緒に死んでいればなんて思わない。でもクロノさんにとってそれが良かったのか、良い事だと思えたのか。それはクロノさんにしか分からない。
 ……良くも悪くも、僕達のパーティーは何処か特殊な人が集まっている。マスターはクロノさんへの異常な執着心、それがマスターを形作っている。マールさんは否定するだろうけど、王女としての誇りが彼女を支えている。僕は荒廃した世界を知り、カエルさんは歴戦の戦士。今はいないけど、エイラさんだって恐竜人との戦いは日常茶飯事だったはずだ。
 クロノさんだけが、違う。彼だけは誰にも依存せず、担うべき肩書きも無く命のやり取りも知らない。だから誰からも許されるし、自分を許さない。
 ……クロノさんは怯えているのだ。誰かが死ぬということに。自分に近しい誰かが傷つく事を、酷く恐れているのだ。彼は知らないから、人が死ぬという事に慣れていないから。きっと今でも死ぬなんてことは現実と遠いものだと認識しているのだろう。
 それはきっと尊ぶべきもの。人によっては甘いとか、覚悟が足りないと貶すこともあるかもしれない。僕は断固として反論しよう、命とは……そう軽々しく語れるものではないと。記憶は無いけど……多分、幾人もの死を見取った僕が言っても、説得力は無いのだろうけど。とにかく、クロノさんは特別な事なんかではなく、一般的な思想として他人の死を恐れている。
 クロノさんの魔力は強い。でもそれは揺らがぬ心なんてものとは全然違うんだ。張り詰めて張り詰めて……弾ける寸前に溢れる力がクロノさんの魔力の根源となっていた。皆の為に気を張って背伸びをして、ペースを考えず走っていただけ。ランニングハイなんて爽快感は無い、ただ苦しいだけの戦いを続けて……多分、今壊れた。サラさんが倒れた時に臨界点を超えたんだ。


「僕は……何をすればいいですか? クロノさん……」


 サラさんの治療が終わり、後は脳に異常がないことを祈るだけ。可能性は五分五分だろう、あれだけ強く打ち付けたのならば何らかの障害が起きても不思議は無い。
 でも、もしサラさんが目覚めなければ……例えば、植物状態なんてものになれば、どうだろう? 悲観的かもしれないけど、無くは無いんだ。運命がクロノさんを見捨てることは、ありえない事じゃないんだ。
 ……クロノさん、きっと貴方は今辛いんでしょうね。ぎこちない笑い声を出しているけど、本当は泣きたいんですよね? もう嫌だって誰彼構わずぶちまけたいんでしょうね?
 ──でも、自分の大切な人が辛い時、何も出来ない僕は、なんなんでしょうか?
 今僕がクロノさんに走り寄ってもどうにもならない。僕が居ます! なんてことを言っても誰も助からない。僕自身が『行動はした』という結果が欲しいだけ。見ているだけしか出来ないという無様な結果を残したくないだけ。エゴが過ぎる。
 誰か、この耳に入り込む悲鳴を止めて下さい、お願いですから……彼を許してあげて下さいよ?
 ダーツゲームのように刀を伸ばし的を貫いているクロノさんは、確かに泣いていた。涙の代わりに血を目から流して、その心はきっと膝を抱えてせつなそうに、寂しそうに。


「……ロボ。サラさんを見ててくれる?」


「……え?」


「多分、私じゃ無理だから。悔しいけど、今のクロノは止められないから」


 何を言ってるのですか? と聞き返す前に、マールさんはクロノさんたちに近づき、何も話しかける事無く落ちていた光る物を手に取り、姿を消した……多分、クロノさんが落とした時の最果てとの通信機だと思う。マールさんはそのまま姿を消したから。
 マスターを呼ぶのか? 確かに、マスターなら今の狂ったクロノさんを止める事ができるかもしれない。分の悪い賭けだと思うけど……
 いつものマスターなら、きっと何とかできたと思う。でも今のマスターは、古代についてからのマスターは少し様子がおかしかった。表面上は笑ってクロノさんを小突いていたけど、どこか怯えたような……いつかは戻るだろうけど、些細な違いが見えた。
 ……果たして、今のクロノさんを止める事ができるだろうか……?
 胸に残る心配を他所に、時の最果てから、マールさんと交代で女性が姿を現した。


「…………どうして?」


 僕の声は、山の結界が弱まったせいか、再度吹き荒れる吹雪に消されてしまった。
 彼女は、疲れたようにため息を吐いて、歩き出してしまった。
 こうなれば、僕が願うのは一つ。どうか意地悪だけど本当は優しい照れ屋のクロノさんを返してください、と。








「凄いな! こんだけ血が出てるのにまだ死なねえんだ!? すげえ! 楽しすぎるぜおい!」


 両腕が無くなり、額に穴が空いているのに頭突きを敢行する魔物の顔を上に跳んで避けて、首に着地する際後頭部に深く刀を刺した。ぎりぎり死なない所まで加減しないと。もっと遊びたいからな。
 ついでに刺さったままの刀に電流を流すと大きな体が痙攣したので、山の中腹付近で雪崩が起きていた。それでも、今一つ面白みが無い。やはり魔物が叫ばなくなったからだろうか? どんな声を出してくれるのかとか、結構楽しみだったのに。
 仕方なく頭部にある角を叩き割っていくと久しぶりに腹の底に響く鳴き声……いや泣き声か? を漏らし活動を再開させる。そうか、そこにも痛覚はあるのか。なら今度はそこを集中して狙ってみるか!


「ブアアアアァァァ!!!!」


「おいおい泣いてるよコイツ! 良く分かんねえけど、結構いい年してるんじゃねえのお前!? 恥ずかしくないのかよ!」


 粉砕音を撒いて砕けていく角の残骸を見て、魔物は悲しそうに泣き出した。潰れていない眼から滝のような涙が。もう使えない目玉からはどろどろした液体がべたべた地面に落ちていた。
 もう角が無くなり、次はどこを斬ろうか壊そうかと悩む。もう指は残ってないし、耳も片方取った。口を見れば生え変わりのようにまた歯茎と歯が並んでいたから、もう一度切り取ってみるのも面白い。
 ……あれ、俺は何でこいつと戦ってるんだっけ? ああ命の賢者を助けに来たんだ。でもそれなら何で誰も加勢しないんだ? 確かロボとマールがいた筈なんだけど……他にもいた気がする。まあ、いいか。今凄い楽しいし、達成感というか、充実してるし。むしろ今邪魔をされたらちょっと腹が立つかもしれないな、誰だって遊びを中断されたらいらいらするだろう。
 ──だから、来るなよ。何でお前なんだ、お前は今ここにいないはずだろ? 早く帰れよ。今お前と話したい気分じゃない、だから近づくな。不快な足音を立てるな、血まみれなんだぞ俺。近寄りたくないだろ……ああお前は血なんか見慣れてるのか? とにかく、


「来るなよ。今俺、すげえ楽しいんだから」


「仕方ないだろう、今のお前を宥めるのは、どうやら俺の役目らしい」


 どうやら、楽しい時間は一時中断らしい。


「……急なんだよ登場が」


 何でお前がここにいるんだ? できることなら、誰にも見られたくないし、関わって欲しくないのに……
 ……宥める、か。なんだか分からんが、えらく気に障る。子ども扱いするなっての。
 カエルはあーあ、と肩を落としながら虫の息の魔物を眺めて悪趣味な、と溢した。胃の底がキリキリと痛む、沈殿物が湧き上がってきそうだ。


「宥める……? 一度くらい俺がお前を頼ったからって、今度も言い聞かせる気か? 今回の俺は別におかしくなってないぞ、ただ強くなっただけだ、敵で遊ぶくらいにな」


「なら、この残虐な行為が正しいお前か?」


「たまにはあるだろ、お前だってトンボの羽を毟ったことくらいある筈だ。一緒だよ……それとさ」


「トンボは耳につく悲鳴を上げはしない」間を置かず被せるように返球する。


 打てば響くが、鳴る音は期待のものではない。今のカエルはそういったものの典型だ、直接的に言わないものの、つまりは俺を否定したいらしい、今の俺はおかしいと結論を下したいらしい。なんて身勝手。俺の事を理解したような口ぶりが苛立たしくて、何様のつもりだとその細首を絞め取ってやりたくなる。
 ……それは良いな、この傲慢な女がどんな声で鳴くのか、気にはなってたんだ。上目遣いに見やるとその衝動は強くなっていくばかり。
 妄想が膨らみ、その瞬間を情景を思い浮かべ笑みを深く変えていく。ぼんやりした想像が輪郭を帯びていくにつれて甲高いスタッカートを刻みながら喉が鳴る。そんな俺をつまらなさ気に見ていたカエルは短い間に積もってしまった雪を頭から落とし、長い前髪を耳に掛けた。


「どうにもな、前にした説教が意味を成してなかったようだ。クロノもう一度だけ、お前に教えてやろう」


「は? 何を教えてくれるって? 今から俺と戦って、戦闘を教えてくれるのか?」


 カエルが首を横に振り、グランドリオンを鞘から抜き放った。俺もまた多分に脅しの意味を踏まえて、体勢を横に向けながらソイソー刀を突きつけた。
 ……今やただの運動音痴と化したお前に何が出来る? 強くなければ、何も出来ない。万理の理じゃないか。そもそも、何でちょっと怒ってるんだ? 俺は間違ってない、誰かに責められる様なこともしてないだろうが。ただ魔物を倒していただけだ、その過程をとやかく言われる筋合いは無い。俺は正しい事をしてるんだ、褒められるべきことをしてるんだ。仲間の皆が戦わないから俺が一人で戦ってるんじゃないか、何もしてなかった奴に後から来て文句を言われるなど我慢がならない。


「今からお前に教えるのは……殺し合いだ。遠慮なく来いクロノ」


「どうにも話が見えないな、意味分かんねえ……けどさあ、吐いた物を拾い漁ることは出来ないんだぜ?」


 いつもみたいに、笑って誤魔化されると思うなよ。カエル女。
 さて、戦闘の結果に絶対は無いと言うが今の俺は絶対に負けない自信がある。今まで遊んでいた後ろのでかい魔物相手にも目の前の見た目も存在感も小さい女は手も足も出ないだろう。相性というものがあり、自分は誰々に勝てるから、誰々に負ける何々よりも自分が強いという理論は成り立たない。それは分かっていても、限度があった。一人で五人の男を叩きのめすプロボクサー、それに勝ったプロレスラーが、一般人に負けるはずが無い。そして、それ以上の差が俺とカエルにはある。例え、身体能力が戻っていても極限トランスモードである俺が負ける気はしないのだから。
 ……つまり、何の策も無く俺の前に立つ筈が無いということ。いつだって、弱い奴は回転の悪い頭を使ってくるものだから。少し前までの俺と同じだ、考える事無く、力で粉砕すれば話が早いのに、それが出来なかった俺は文字通り役立たずだったんだろう。しかるに、先制するにはもう少し時間が欲しい……あくまでも時間の問題だが。
 役立たずか、そのポジション今この瞬間こいつに送り込んでやろう。力量的にも、精神的にも。


「……来ないのか? 怯えるなクロノ、強くなったんだろう? 御大層にも、相手を嬲って楽しむくらいに」


 ……なるほど、そう来るか。乗ってやろうじゃないか……前言撤回、策があろうと知ったことか。今すぐ啼かせてやろう。
 腰を落とし、愚直に前に走りこみ……刀を振る。カエルに防御は無い、回避も無い。見えるはずが無いのだ、念のためにカエルの眼球運動を見ていたが、今まで俺が突っ立っていた位置からまるで動いていない。脳も認識してないんだろうな、俺が動いたという事を。今の速さなら、加速したロボも俊敏に駆けるエイラでさえも俺の動きを追うことはできない……!
 両手両足に軽い切り込みを入れて通り過ぎる。俺が刀をしまうと後ろで鮮血が舞った。動けないほどの深手じゃない、それでも力の差は歴然であると分かっただろう。
 どれだけ驚いただろうか? もしかして、半泣きにでもなってるかもしれない。軽く心が弾んでいる事を自覚しつつ、カエルの顔を窺った。


「……ちっ」


 振り向いた先には顔に飛び散った血液を物ともせずにグランドリオンを薙ぐ姿。体を後ろに逸らしブリッジの要領で避けてそのまま後転。
 泣く? 流石に馬鹿にしすぎた。いくらなんでも相手は勇者。精神力は並じゃないだろう。けれど剣速は遅いに尽きる。まともに振る事ができても、当たるわけがないのんびりした切り払い。未だに体の動かし方を覚えていないのは明白だった。


「おいおいカエル、策も何も無いようじゃないか。そんなので俺を倒すのか? 面白い冗談だ、とっとと傷を治療してそこら辺で座ってろ。邪魔なんだよ」邪険に手を払い呆れながら追い払う。それでもカエルは気にした様子も無くグランドリオンを構え直し、


「敵の怪我を心配するのか? 流石だな、到底マトモとは思えん」と笑った。


 そうか……骨の何本か折らないと駄目みたいだ。残念だ、残念だよ。カエルは信用できる人だし、尊敬する武人でもある。大切な仲間なのは間違いない。
 ──でもそれ以上に面白い。


「……綺麗な声で笑ってくれよ?」


 脚に力を入れるのに瞬きの時間。力加減を誤らないよう調整、思考の間も無く完了。大きな一歩を踏み出す、鼻の先がぶつかりそうな位置まで肉迫。直角に曲げた肘から先を射出。臓腑にダメージ、破裂はしないよう加減はしても、穴の一つは空いただろう。うぼえ、と吐瀉物を服に浴びせられそうになったので顔面を殴り地面に伏させた。自分が吐いた物の三分の一程が顔にかかったカエルは芋虫見たく這いずりながら、何度も崩れ落ちつつも立ち上がろうとして、結局また横になった。
 胃液がからみついて息が出来ないのか、かろうじて仰向けから体勢を変えて口から粘着な唾液とともに外に出す。溺れるような苦しみだったか、生理的な涙を堪えて時間をたっぷり掛けながら剣に寄りかかり立ち上がった。見るも無残な姿に、何故回復呪文を使わないのか不思議でならない。深い傷はまだ付けてないのだから、ヒールで充分持ちこたえられるはずなのに。


「ここまでだカエル、さっさと退け。そんで座って自分の怪我を治療しろ、出来ないなら他の奴に頼めば治してくれるだろ」


「ごほっ……優しいな、クロノ? 子供にしては上出来だ」


「……だから、子供扱いするなって、言ってるだろうが」言葉に力を入れすぎて、所々詰まってしまう。


「子供だ、癇癪を起こして自分を見失うなど、人間が出来ていれば有り得る事ではない、そうだろう?」


 馬鹿だこいつ、真性の愚者だ。挑発とは、反撃を狙う為の、戦える者同士が行って初めて戦略に昇華する手札。奇策(ジョーカー)だけじゃ場を抜けれないんだよ。
 ……気候による恩恵、人体の負荷を度外視する魔術により初めて可能となった長時間身体能力向上により産まれた技、単純明快それ故に避けがたい。耐えられるか? カエル。
 刀を抜き差しして鍔と鞘を当てる。カン、カンと金属音が鳴り、カエルに攻撃のタイミングを教えてやる。しばらく俺の動きを眺めていたが、気だるそうにグランドリオンを横に構えて迎撃らしき姿勢を取った。まさか、この期に及んでまだ斬りあえると自惚れたのか……出鱈目だ、出鱈目としか思えない。どう解釈すれば、どう楽観視できればそうなる? 耳垢を取るくらい簡単に俺はカエルを殺せるのに。


 ──この例えは、何処で聞いたんだっけ?


 頭を振ってつまらない思考を振り飛ばす。慈悲として、唯一つの宣言を。


 強く金属同士をかちあわせて、高く澄んだ音が山々に鳴り響く。彼らが木霊の準備を始める前に、疾く駆ける。
 一足で剣を抜き、二足で背後に回りこむ。一刀目に背中を斬り、カエルが痛みに振り返る前に横手に並ぶ。下手に構えた剣を上に持って行きついでとばかりに右上腕部に深い切れ込み、返す刀で右肩から腹まで振り下ろす。倒れる前に襟を掴んで脇腹に突き、急所は外れるよう狙う事だけが手間がかかった。そのタイムラグさえ、相手にとっては瞬き以下の時間でしかないだろう。体から刀を抜き左回転。勢いに乗り左手首に刀を下ろし、半分ほどに分ける。骨は断っていない、治療が迅速なら何の問題も無いはず。仕上げに、面前でしゃにむに刀を振りまばらな傷を付ける。顔面首筋胸部胴周り脚部に至るまで満遍なく痕を刻み、靴先を腹部に押し付けて飛ばす。手加減は施した、それでも……これで全部終わるはず。
 ゆっくりと、紙のように吹き飛んでいくカエルを見送り、地面に背中から落ちる様を見てから鞘に刀を納める。


「……乱れ斬り」


 なんの捻りも無い、そのままの名前。技と言えるのか、それすらあやふやであるただ斬りつけることに特化した猛攻。道徳的に人に放つべくものではない悲惨な結果を生む奥義。直接攻撃というカテゴリの中ではまず最強に近いと自賛できる。
 受けて立ち上がれる道理は無し。見て立ち向かおうとする気力、その条理は消える。今俺が使える全ての力を注いだ傑作乱れ斬り。回復呪文を唱える喉も体力も残してやった。後は、こうして仲違いをしているにも関わらず攻撃に移る力の残っていない魔物を殺すだけだ。いや、まだ楽しめるだろう。


「……もう分かっただろカエル。まだ言葉を作る力はあるはずだ。ヒールを使え」最後とばかりに忠告を残しておく。


「…………俺の……勝手、だろう?」なのに……まだカエルは立ち上がる。まだ負けてないと、自分自身を克己させて。


「もう意地を張るなよ、見ただけでも不味い出血量なんだ、致死量に近いって、お前なら分かるだろうが!!」


「お前も随分と血を流しているじゃないか、貴様を濡らすそれは、返り血では無いだろう? 奴の体液は薄透明色のようだし、な」


 顎を魔物に向けて、俺の怪我を指摘する。


「これは怪我じゃない。トランスの際に流れ出しただけだ。今は自分で筋肉組織を操り傷口を無理やり塞いでる。これ以上血を流す事はない」


「そうか……えらく便利だな……」


 気温のせいか、血を流しすぎた為かカエルは身震いして声を揺らした。既に呂律は正しく回っておらず、雄雄しく見えた彼女の体は徐々に小さくなっていく。そんな幻覚を見た。


「…………治療しろよ」カエルに足を向けて、近づいていく。


「何故お前が俺の心配をする? 放っておけ、そこに倒れている女性を放って魔物と戯れるお前だ、難しい事じゃないだろう」


「……違う」


 遊んでたんじゃない、戦ってたんだ。嘘じゃない、嘘じゃないんだ。確かにすぐ倒せた気もするけど。魔物の攻撃も恐れるほどじゃ無かったけど。今カエルの言う『そこの女性』の名前も思い出せないけど、ちゃんと彼女を思って戦ってたんだ。本当なんだ。遊んでいるなんて思った事も無い。嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない!!!


「…………怪我やばいって。早く治さないと、本当に死ぬぞ?」倒れている彼女の側に座り、眼を見つめる。弱っていても、その瞳は強く輝いていた。
 いくら言っても彼女が魔法を唱える気配を見せず、力無く笑っているから思わず首根っこを掴み持ち上げていた。抵抗する力すら、残っていないのだろうか……?


「だから、俺は回復手段を持ってないんだって!! アイテムは無いし、呪文も覚えてない! 分かるだろ!? 俺じゃお前の怪我は治せない! どんな意味があるのか知らないけどさ、死にそうになってるんだ、折れろよ!」


 何故傷を癒さない? マール程じゃなくても立派に治療呪文と銘打ってる魔法を使えるのに、剣だけで闘うつもりだったのか? それは違う、俺は魔法を使ってる。カエルがわざわざハンデを背負う理由が無い。
 こうして説得している間も、時と共にカエルの体から生気が失われていく。俺が忌むべきことだと思った事態を他の誰でもない俺が引き起こしている。その事実が発狂しそうなほど辛く圧し掛かる。重圧を帯びた時に現れる体の重みや、頭痛、吐き気が浸透し始めた。


「ち……おえ……治療、しろよ」


「……優しいな、クロノは」


「やさ……ウッ、あ。優しく、無い……!」


「優しいさ」


「優しく無い……大体、お前の怪我は俺が、やったことだろうが……」


 そして……俺がこうなったことの引き金が今も気を失っている彼女──サラ、だ。思い出した。サラが攻撃されたことだとしたら、次に俺を変えたのは、カエルの言葉。俺を肯定してるのに、俺の本質を否定する台詞。
 強調するように間を置いて、カエルは大きく息を吸った。


「今までもこれからも、お前は優しいだろう?」


 まるで、呪いの様な言葉。呪詛に近い。『優しい』ってなんだ? どの基準から見て優しいになる? 誰の目線でどの状況でどんな世相の中なら優しいになるのか。小難しい事をぐるぐる考えて、出た結論は……無いということだけ。
 その気も無いのに、許してもらおうとするわけでも、そんな場面でも無いのに、どうしてか涙が止まらなくなった。荒れる息は嗚咽に、震える肩は何かに打ち震えるように。


「優しくなんか、無いんだ。俺は、我侭なんだ」


 カエルは、ごり押しするでもなく、じっと俺の顔を見つめていた。くしゃくしゃになっていく顔を見ているだけなんて趣味が悪いなあと思うけど、その反応にならない反応が今は何より嬉しい。


「本当は、サラの為に怒ってた訳じゃないんだ。あの魔物に恨みがある訳でもない。そういう役割なんだから、侵入者を撃退するのも、おかしい話じゃないって、頭では分かってるんだ。ただ俺が誰も守れないって言われてるようで……悔しかっただけなんだ」


 声帯の振動が激しくて、きっと聞き取りづらい事だろう。ただでさえ辛いはずの彼女に無理をさせてしまっている。なのにカエルは一言一句聞き逃さぬよう、真摯な瞳を変えることはなかった。


「アザーラの事も、自分に都合の良いように悲しんだだけだ。きっと心の底では、悲しんでいる自分に酔ってただけなんだ。置いていったあいつを恨んでさえいるんだ!」


「……それは、違うぞ、クロノ」


「違わない! 俺は……もう嫌なんだよ、何もかも全部! そうだよ今分かったよ合わないんだよ俺にはこんな旅! 碌な正義感なんて持ち合わせてないくせに、変に首を突っ込みたがるから傷つくんだ! 意味なんて無いくせにさ!? なのに……誰かに、褒めて欲しいんだ、多分」


 顔に近づくカエルの手を振り退けて、頭を抱える。頭が痛くて、痒くてしょうがない。頭皮を削り頭蓋を割れば、治まるかもしれないと爪を立てて強く掻き毟る。光を求めて洞窟を掘るように、自分と同じくトンネルを作っている対面の誰かと手を握る為、砂山を掻き分けるように。もう全部おしゃかにする為に。
 髪が抜けて、頭から血が溢れていく。爪の間に髪と皮膚がへばりつき出した。


「俺頑張ってるんだって! 他人から見れば遊んでいるように見えるだろうけど、これが俺なりの真剣なんだって! これ以上なんて無いんだって! 結果がついてこなくても……一生懸命やってるのに!」


「…………お前……」


「最低だ……良いよ分かってる。皆だって頑張ってる事なんて百も承知だよ。分かったろ、どんだけ卑怯で都合の良い事を考えてるか……俺は優しくなんか、」


 最後の言葉を言い終える前に、脳漿を見せる為に動いていた俺の両腕が、止まった。それと同調して、俺の告白もまた泊まる。
 ……ほっぺたが暖かい。柔らかい物に触れている気がする。目の前には血がこびり付いていても尚綺麗な緑髪。鼻をすすると、鼻水と一緒に優しい香りが鼻腔をくすぐる。汗と血の臭いをかき消してふんわりとしたそれに鼓動が大人しくなっていく。つられて、微振動を繰り返す体も。


「……そうだな、お前は優しくないよ。自分勝手だ」


 それは俺を称えるでも褒めるでも何でもない、むしろ悪口となるものなのに、それでいいのだと許してくれるようなものだった。
 息が耳にかかってむずむずする感覚を押し殺し、彼女の言葉を逃さぬよう力を抜く。いつのまにか、両手は地に落ちて指先に触れる氷の地面から体温を奪われていると自覚できた。今さっきまで寒い暑いの感覚なんて、触覚から切り取られていたのに。


「クロノは自分勝手だな、だから勝手に人を助けたり、他人の不幸に涙したり……敵討ちの手助けをしたりする」


「……俺は、」


「止めたいか? この旅を。別に良いさ、皆分かってるはずだ。お前が限界なのは、もう皆知った。遅くなってしまった事を謝る。すまんな」


 遮られて、言葉を呑み込む。いや、呑み込む言葉なんて無かったけれど、そのつもりになる。
 ……旅を止める? 自分で口にしたくせに、いざそうなった時の展望がまるで見えない。ルッカはどうか分からないけれど、マールはきっと旅を続けるだろう。それはロボもカエルも、きっとエイラも同じはずだ……いやルッカだってそうだろう。あいつは途中で投げ出す事を絶対に良しとしないから。
 ……嫌だ、旅を止めたら皆いなくなるのか? そんなのは嫌だ、皆と一緒が良い。そんなことはゼナン橋の時に分かってたはずだ。
 でも怖いんだ、また誰かがいなくなる。また誰かを失ってしまう。マールが、ルッカが、ロボが、カエルが、エイラが死んでしまう。サラとか、出会った人と別れなくてはいけない時もあるだろう。別れってなんだ? もう会えないということ。それは……辛い。


「俺は……どうすればいい?」出した答えは結局委ねるという自分というものが無いもの。


「……旅を続けた場合か? それとも、旅をするしないの問題か?」


 本当は後者の答えが聞きたかったけれど、前者の部分について聞いてみる。旅を続けるにすれば、俺はどうやって乗り切ればいいのか、全く分からないから。
 カエルは「そうだな……」と考えを巡らした後、たった今思いついたように小さく指を鳴らして、体を少しだけ離す。それでも、眼と鼻の先にいるのは変わらないけれど。


「生きれば、良いんじゃないか?」


「──それが、答えになるのか?」


 質問に質問で返すと、苦笑いの後カエルはようやくヒールを唱えた。俺の体の傷も同じく治りはじめて、不思議な事にここに至って初めて痛みを覚えた。怒りとも悲しみともつかない乱雑な感情に振り回されて、自制が出来ていなかったことを知る。
 立つ事ができるくらいに回復したカエルは今更に血で濡れた自分の服を嫌そうに掴んで、「洗濯はお前がやるんだぞ」と不機嫌に呟いた。
 まだ本調子でないのは一目瞭然だけれど、その立ち居振る舞いは堂々たる物で、これもまた一つの美しさなのだと理解した。
 ……まだ納得できたわけじゃない。きっと一生できなくても不思議な事じゃないんだと思う。でも誤魔化せた。そう遠くない過去にも、一度俺が壊したものをカエルは誤魔化してくれた。今回もまた立ち上がらせてくれた。魔王戦で俺の命を助けてくれた事を含めば、恩は三つ。軽いものでは一つに数えられないくらい大き過ぎるそれの返し方を、俺は知らない。だからせめて、小指を出して恥ずかしい約束を交わした。普通に生きていれば誰でも可能な、でも生きている限り困難な約束。生きるという事。勝手な自分と向き合い、人の死について考えて、投げ出す事無く恨む事無く戦うのは難しいだろう、だからこそ、守り続けて価値のある契約。


「……頑張ってみる」


「ああ、頑張れクロノ」


 思う事がある。
 カエルの説得は、説得ではない。不貞腐れて、もう疲れたと喚いた俺をただ包み込んでくれただけだ。~しろ! といった強制めいた立ち直らせ方をしたことが無い。俺がそういう類の言葉を嫌うと知ってるわけでもないだろう。ただゆるやかに、滑らかに言葉を拾い手渡してくれる。
 ──彼女がいてくれて、良かった。口先だけじゃなく、そう思う。そう思える自分を嬉しく思う。頑張れと言われた俺が、『クロノ』という自分が誇らしい。こうまで期待が軽くて喜べるものだとは。


「……危ないクロノ!!」


 急に形相を変えて俺を突き飛ばしたカエルに疑問を抱く間も無く、頭上に大きな影が圧し掛かってきた。横っ飛びに飛ばされながら見上げると、大きな牙がのったりと落ちてきた。牙の尖端から、のっぺりと滴る唾液。確か……酸性の強いもの。それらがカエルに降り注いでいる。あの魔物、傷を押して最後に特攻を試みたのか!?
 トランスは!? ……いや、もう時間切れだ、あの時ほどの素早さは無い! いや、仮に超人的な動きが可能としても今この体勢からカエルを救い出すのは不可能だ。では磁力を発生させれば? もう魔力は残っていない! ソイソー刀でどうにかできる訳も無い!
 ……俺が、おかしくなっていたからか? ちゃんと冷静に考えて、速く敵を倒していれば良かったのか? それとも……俺がいなければ良かったのだろうか? そうすれば皆で協力してこんな事態になる事は無かったのか?
 体中が溶けていくカエルを想像して……頭の上から暗幕が降りていく。そういえば、俺だけが約束して、カエルは約束をしてなかったなあと思いながら。


「なにヒロイックな顔してるんですか? 赤い人」


「…………?」


 聞き覚えのある、少々怒りを孕んだ声に意識を戻すと、魔物の顔と唾液全てを包んだ薄桃色の三角系が形を為して取り囲んでいる光景。推測するまでもなく、それは巨大な結界だった。それを扱えるのは、俺が知る上で唯一人。
 腕を交差して防御しようとしていたカエルが不思議そうに時が止まった空間を見つめている中、俺は倒れこんだまま、自分を見下ろしてくる女性を見ていた。


「……おかえり」


「それは、私の台詞じゃないですか?」


 俺が正常に戻ったことを言っているなら、違いない。とすると、結構前からこいつ起きてたのか? 恥ずかし過ぎるだろ、馬鹿みたいな言動して笑ってた事を知られたとか、首を吊りたい。生きるって約束したから、やらないけど。
 のっそりと熊みたいに起き上がり、彼女の目線に立つ。すぐに治療したお陰か、傷跡は目立たずいつものサラと同じに見える。頭を打った後遺症なんかも無さそうだ。無意識に顔や頭に触れてみると、嫌がる素振りは見せても痛がってはいない。
 頑張ってくれただろうロボとマールにお礼を言うのも変だけど、よくやってくれたと声を掛けようと見回す。マールはカエルと交代したから姿は見えなかった。代わりにロボが無表情のままこちらに歩き出していた。


「ロボ、ありがとな」


 いつもなら、「朝飯前ですよクロノさん。なんせ僕は銀河史上頂点を極める究極生物ですからね!」と良く分からないことを自信満々に言ってのけるのだが……今回は何も言わず、すっと懐に入り腰に手を回してきた。
 戸惑いながら引き離そうとすれば、確かに震えている小さな肩。いつものように大声で泣き喚くではなく、意味の通じない愚痴を吐くでもない。ロボは静かに泣いていた。苦しそうに、息を漏らして、声を出さず心底悲しそうに呻いている。「クロノさんが何処かに行ってしまうと思った」と、俺の身を、心を案じて涙を流している。
 ……そうか、よく泣く奴だと思っていたけれど、それは違ったのだ。ロボは今まで本当の意味で泣いたことが無かったのだろう。涙を流すだけで、ちょっとした痛みを感じた時や思い通りに行かない時、彼は叫びまわった。それらは全部駄々を捏ねていただけなのだ、と。
 まいったな。子供の相手は得意だと思ってたのに、一番初めに泣かしたのが俺だなんて笑えない。苛めっ子にしても度が過ぎている。何より……聞いていて辛い。


「……子供をあやすのは、得意なんでしょう?」


 そう言うサラの眼は挑戦的で、これも『貴方の仕事』なのだと、俺がここにいる存在意義を教えてくれているようで少し嬉しかった。
 どうやら今俺がやるべき事は、狂ったように刀を振るう事でも、何かについて思い悩むでもなく、俺に縋りつく愛しい弟分を泣き止ませる事のようだ。


















 短すぎる閑話休題




 交代の理由も告げられず、ただ戻ってきただけのマールを見やってルッカは静かに膝を抱えて頭を埋めていた。特に辛い事があったわけではない。単なる彼女の楽な姿勢がそれなのだ。竹を割ったような性格である彼女にとってそれはアンバランスな特徴となっている。


(最近髪伸びたかしら? でもロングヘアーも捨て難い……いやいや確かショートカットが良いってクロノが言ってたし…………はっ!?)


 飛び起きるように立ち上がり、ルッカは辺りを見回す。それに驚いたマールと老人が鼻ちょうちんを出しているだけの景色。特に変わりようのないもの。
 しかしルッカは自分が感じ取った何かを確かめるように自分の胸を押さえる。激しくなる一方の鼓動は息苦しいほどにまでなっていた。


「ど、どうしたのルッカ?」


「……今、なんか出し抜かれたような気分になったの。これは……何というか、寝取られ感が凄いわ……っ!」


「……寝取られ?」


「性知識の希薄さをアピールしなくても良いわマール、貴方何か心当たり無い? 例えるならクロノに近寄る女豹というか泥棒猫の存在というかそんなニュアンスのあれ。あくまで例えなんだけど、どうよ?」


 あからさま過ぎてうわーお、と間延びした声を上げつつも、マールはしっかりと顔を逸らした。
 自分の知りたい事を知っていると確信したルッカは淡々と銃を取り出し銃口を女友達に向けた。躊躇い等、一変も存在しない素振りで。


「ねえマール? 私たちってばお互いに理解しあうことが必要だと思うの。噛み砕いて言えば、貴方恋してない? 許されざる恋をしてるでしょう?」


 自分に向けられている疑惑を解くのは、マールにとっていとも簡単な事だった。ただ一言、カエルが犯人ですと言えば済むのだから。現場を見ていないマールにも、上手く行けばクロノとカエルがちょっと良い雰囲気になってもおかしくはないと想像できる。ルッカが受信したのは多分それだよと言えば良いのだ。
 ……だが、彼女はロマンチストだった。折角の山場において真実を知った空気を読まない彼女が乱入するのはどっちらけ甚だしいものとなるのは確定。
 結果、マールは自分の不幸を選ぶ事になる。


「……そうねルッカ。貴方の疑いは、当たらずとも遠からずといったところかひいっ!」


 好戦的な眼差しではったりをかますマールにルッカは眉一つ動かす事無く引き金を引いた。かろうじて命中は避けたが、自分らしからぬ悲鳴を上げたことにマールは羞恥を感じた。


「ちょっと、ルッカ!!」


 マールの呼びかけに応える事無く、紫髪の女性は銃をリロード、さらに魔法詠唱開始という完全戦闘思考になり標的を討つ覚悟を七ミクロン秒で終わらせていた。
 自分の顔が極限までに引きつっていくのが分かり、マールはスペッキオの部屋に閉じこもろうとする。
 しかし、扉に近づきノブを捻ると固く、動かない。気付けば老人の姿も外灯の下から消えていた。詰まる所、スペッキオは老人を匿い自分を拒否しているということになる。そこまで考えてマールは痛烈な舌打ちをした。


(落ち着くのよ私。大丈夫、ルッカは私の友達だもん。話せばきっと分かってくれるはず……)


 覚悟を決めて、マールは今正に怒り狂っているであろう友人と対面した。気分は、物語に出てくるドラゴンに許しを請う村人のよう。


「ねえルッカ? 私思うんだけど、」


「キエロ」


「まだ何も言ってないよぉ!?」


 しかるに、女の恋心とは燃え盛る烈火よりも熱く、その焼餅は太陽の核に勝るものだと、未だ恋を知らぬマールは学習すべきだったのだろう。
 古代において、クロノが試行錯誤してロボをあやしている最中、マールの恥ずべき悪癖が悪化したとかしないとか……



[20619] 星は夢を見る必要はない第二十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:06
 稀代の術者となるだろう。若年の頃より様々な人間に言われてきた。当然自分もそのつもりであったし、他の大人たち、当時今に比べればまだ健全な清い人間の集まりだった魔法王国部隊の隊員たちにも引けを取らないという自負があった。ともすれば、部隊長にも一泡吹かせられるという傲慢な自信も。
 当時……いや今現在においても俺の扱う召喚魔法を使える人間など存在しない。故に最強。至高。街中を風を切って歩く時は身の内から溢れ出る歓喜をどう抑えるべきか悩んだものだ。大人も子供も俺を見ては跪き、敬意の念を払ったものだ。
 ……俺の両親は、魔法を使えなかった。魔術の素養とは遺伝と関係が無いという確たる証拠となった。
 今ほどではないが、俺がまだ子供だった昔のジールもまた魔法を使える使えないで差別は存在していた。その頃はジール女王が差別を嫌っていたので目立ちはしなかったが、街を歩けば母はひそひそと陰口を叩かれて、父は仕事場であからさまな無視、理不尽な暴力を耐えてきたらしい。
 悔しかった。全ての人間に言ってやりたかった。俺の母は、優しく美しい、尊敬すべき女性だ! 父は困難に負ける事無く前を見続ける逞しい男だ! と。
 そんな両親の苦境を変えるべく、また二人にとって誇りとなれる息子になろうと、俺は努力した。魔力量の底上げを行うべく三昼夜寝ずに魔術訓練をしたこともある。あまりに根を詰めすぎて、脳血管が破れ生死の境を彷徨った事も珍しくない。戦闘に耐えうる肉体を作るべく体も鍛えた。筋肉を作るのは勿論、肉体硬度を上げる為鉄の棒で足や腕、体を叩き固める訓練は今も日課として続けている。わざと骨を折り治癒呪文で治して、骨の強度を鍛えた事もある。やり過ぎると寿命が縮むと医者に脅されたが聞く耳を持たなかった。
 慢性的な寝不足と体の痛み。静まる事の無い頭痛に見舞われ意識は大概に朦朧としていた。それでも魔術講義、訓練の間は非合法の薬を用いて無理やり意識を覚醒させていた。
 努力の甲斐あって、俺はいつしか歴史上最年少で魔法王国部隊団長の座に就任することになった。誰もそれに不満を漏らさなかったし、俺がそれをさせなかった。俺の狂気的な努力を見ていたためだろう。俺自身、順当な結果だと思っていたからだ。むしろ、何故ここまで待たせたのだという不満すら感じていた。
 ……住民の視線が変わったのはこの時期からだ。今までも稀有な魔法特性の子供として持ち上げる者は多くいたが、所詮出来損ない同士から産まれた子供だと馬鹿にしている目も少なくなかった。それがどうだ? 心底俺を尊敬し、俺を恐れている。今や俺はこの国で五本の指に入る有力者なのだから、当然だろう。
 俺は早速両親に報告に向かった。片手に団長位の認定書を持ちながら、今までの苦労を労ってもらおうと、褒めてもらおうと家に帰った。実に三年振りの事だった。扉を開けて俺を見る二人に俺は満面の笑みで己の成果を報告した。


「お前も、魔法の事しか頭に無い人間だったか」


 父の言葉だった。
 唾棄する様に吐き捨てた後、二人は背中を見せて俺の前から離れていった。そうして俺は自分の勘違いを思い知った。二人は俺の活躍を喜んでいなかったのだと。
 自分たちが理不尽に見下げられる原因の魔法を極めて確固たる地位に就いた息子を両親は愛してくれなかった。
 何度も何度も謝った。もうしないから、団長の任も断るから、もう魔法なんて使わないからと懇願し、赦しを乞うた。お願いだから、もう一度抱きしめてくださいと頼み込んだ。結局、二人が俺に触れる事は二度と無かったのだが。
 ……それから両親の許を離れ俺は宮殿に一人住むこととなった。時折舞い込む任務、下界にて魔物が暴れているので退治てこいという暇つぶしにしか思えない仕事や裏切り者の始末を機械のようにこなしていった。何匹も殺した。何人も殺した。また部下も何人か死んでいった。俺は死ななかった。体に無数の傷を貰いながらも俺のゴーレムが守ってくれた。何度も何度も守ってくれた。
 いつしか、俺を愛してくれるのが自分のゴーレムだけなのだと気付いた。無機質なフォルムの、人間の顔だけを模造した厳つい使い魔、マスターゴーレム。意思など存在しないこいつが、酷く愛しく感じてきたのは、隊長になって一年と経たない頃だった。
 俺は歪な願いを込めて、マスターゴーレムの姿を変えようと試みた。使い魔の概念を変えるそれは俺の魔力のほとんどを奪っていったが、俺の願いは届く事になる。


「お呼びですか、御主人様?」


 そこには、桃色の髪を持つ美しい女性の姿。何処と無く母に似ているのは俺がまだ親の愛情に飢えているという証だろうか?
 ……そうして人型となった使い魔に命じた最初の命令は、『俺を愛してくれ』だった。彼女は首を横に振った。そうしてから俺の頭を大事そうに抱えて、「それは、命令される事ではありません。私が御主人様を慕うのは、あくまで私の意志なのです」と囀るように、歌うように言った。
 両親以外で、初めて俺が他人に涙を見せた瞬間だった。
 かくて、俺は俺という人格を半分取り戻す事ができた。そう、まだ半分。俺を完成させてくれたのは、皮肉にも俺の魔術以上に貴重とされる魔法特性を持った女性だった。
 その女の名はサラ。ジール女王の長女である。彼女が十越えるかどうか、という時に行った魔術検査にてサラは世にも珍しく強力な結界・封印魔法の使い手だと判明した。魔力量は俺の比ではない。事実上最高峰の魔術師の登場となった。
 ……はっきり言おう。俺は奴が大嫌いだった。それでは生温いか、殺したいほど憎かった。現に、サラが王女で無ければまず間違いなく殺していただろう。
 俺が自分の臓腑がボロボロになる程体を痛めつけて得た力を奴は産まれた瞬間に身につけていたのだから、当然だろう。御披露目の場でサラを目にした時、マスターゴーレムが落ち着かせてくれなければ襲い掛かっていたかもしれない。
 日に日にサラへの憎しみを昂ぶらせていた頃、ある日サラ本人から呼び出しがあった。何でも、話したいことがあるという。
 ──チャンスだと思った。適当なモンスターの使い魔を召喚してサラを襲わせる。今まで見せた事が無い使い魔なら俺の仕業だとバレないかもしれない。いや、正直バレた所で問題は無いのだ。その頃の俺に愛国心も執国心も存在していなかったのだから。いざとなればジールなど捨ててマスターゴーレムと二人どこぞで暮らすのも悪くない。俺には追っ手を撒き逃げ切る力がある。
 ……結果は、散々だった。噂で聞いてはいたが、王女はとことんまで馬鹿だった。奴は出会うなり「貴方の髪はもふもふしてそうですね! 触らせなさい!」と舌足らずに命令してきたのだ。
 あまりに王女という立場らしからぬ言動に俺は呆気にとられた。そうしている間にもサラは俺の体をよじ登り勝手に俺の髪の毛に手を突っ込んでもみくちゃに掻き回しはじめた。
 やめろ、ふざけるな! と怒鳴れどもサラは「嫌です。私は王女ですから止めません」と権力を行使してきた。子供らしい行動と子供らしからぬ知恵に俺は当初の目的も忘れてサラを振り落とそうと躍起になった。それを遊びか何かと勘違いしたのか、サラはきゃっきゃとはしゃぎ笑い転げた。
 その時間は風のように過ぎ去り、時刻はとうに夜となっていた。それに気付いたのは宮殿の人間がサラに夕食の時間を告げに来たときだった。髪を滅茶苦茶にして息を荒げる俺とそれを指差して笑うサラの姿に口をひくひくと吊り上げていたのも覚えている。
 それがどうやら女王の耳に届いたようで、次の日から討伐などの仕事が無い日の俺はサラの教育係(とは名ばかりの遊び相手)に任命された。その日から俺の趣味はマスターゴーレムを交えて革命の準備を考えることだった。
 ……最初は吐き気がするほど嫌だったサラの相手。今でも充分に御免であるが……アイツとの時間は、俺を形成していく確かな物になっていた。いつでも偉そうで、何をするにしても自信満々で、誰彼構わず自分という存在をアピールする。いかんせん学が無いせいか国民に舐められている印象を受けるが……愛されているのは確かだった。俺に向けられていた陰口とは違う、面と向かった文句は多数貰っていたが。
 サラの散歩に付き合って街を散策していた時の事だ。やれ、「サラ様は落ち着きがありませんぞ!」と言われてはお節介なくらい詰まれた教科書を貰っていたり、「もう少し食べた方がレディらしさが出ましょうに……」と皮肉めいた事を言われながら林檎の山を譲られていた。「わー、あほのサラ様だー!」と馬鹿にされては子供の遊びに巻き込まれたり……俺の子供時代とはかけ離れた暖かな空間が作られていた。
 俺は我慢が出来ず、「何故俺とお前でここまで違うのだ」とサラに問うた。俺の幼少期を知らないサラに聞いても何の意味も無いと知りながら。しかし、サラは笑って答えた。


「貴方が愛されていた事に気付かなかっただけでしょう」


 ……愛されて、いたのだろうか?
 思い出せば、毎日本を片手に魔術の勉学に励んでいた時、俺の座るベンチに焼きたてのパンが置いてあった時があった。味を占めた俺はいつもそのベンチに座り教科書や文献を広げていたものだ。昇格試験に合格した日にはいつものパンだけでなく、サンドイッチやバナナジュースなんかもおまけで付いていた気がする。階級が上がるにつれて、ベンチで寝ていた俺の横にパンだけでなくクレープ、氷砂糖の入った袋、串焼きに果物なんかが大量に置かれていたことがあった。どうやって寮に持って帰るか苦心したものだ。というより、持ってくれば良いというものではないだろうと思いながらも、心が温かくなった。
 ……俺は、いつも人を敵視しながら生きていたから、だから面と向かって渡す事は無かったけれど。俺は俺で応援してくれる人々がいたのだと思い出す事ができた。まだ子供の癖に肩肘張って生意気に靴を鳴らすクソガキを見ていてくれる人がいたのだと。


「……ダルトン? 何故泣いているのですか?」


 だから俺は、街中の、大勢の人々がいる中で感謝の思いを込めて泣き顔を晒した。マスターゴーレムが、架空空間の中で優しく笑っている気がした。
 それからしばらく幸せな時間が続いた。幸せと言っても常々サラの言動には腹を立てることになったが。
 数年後、ジールにとって待望の長男ジャキが生まれた。傍目から見てもジールは小躍りしそうな雰囲気を纏っていた。それでいて平静な顔をしているのが妙に面白かった。夜回りをしている時、たまたま赤子だったジャキの部屋を覗くと溶けそうなくらいにやけたジールが我が子を眺めているのを見た事がある。俺が見ている事に気付いたジールが大慌てで「違う違う!」と喚いた為、ジャキが大泣きした時の顔といったら見物だった。必死に子供を宥めながら俺に対して「違うからな!」と怒鳴るというアンバランス。無礼と分かっていても俺はその場で腹を抱えて笑った。二次の母でありながら、明かりを消した暗い部屋の中でも分かるくらいに耳を赤くして言い訳をする姿は愛らしく、なるほどサラの母親だなと思わせるものだった。
 ……数年経ち、ジールが病を患った。その頃から王国はその容貌を変えていくこととなる。
 非魔法素質適応者の差別は強まり、魔法を扱えない人間は王国を追い出されて下界に住まわせる事となった。下界の環境は厳しく、肉体労働に慣れていない貧弱な人々が到底生きていけるとは思えない世界。追放を言い渡された人間は死刑も同然だった。
 ……追放者リストには俺の両親の名前も記されていた。
 俺はすぐさま女王に直談判した。あまりに酷すぎるではないか、と。同じ王国の仲間なのに何故そのような真似をするのだと。


「妾にとって無用であるからだ」


 短くもはっきりした口調でジールは答えた。そこには一切の余地も無いと推測するには充分で……俺は二の句を告げる事も出来なかった。
 結局、俺は両親が地上に送られていくのを黙って見ているしか出来なかったのだ。
 ──数ヶ月としないうちに、両親の死亡報告書が俺の手元に届いた。やはり、環境の劇的な変化に体の強くない彼らが耐える事は出来なかったのだ。
 悲しくは、無かった。俺を愛している事はもう無かっただろうし、俺もまたいまさら親の愛情に飢えている訳でもなかったから。ただ……何故俺は強くなろうとしたのか、あの頃の苦労はなんだったのかと生きてきた目的がぼやけてしまった。
 苦しかった。辛かった。悲しそうに俺の心配をしてくれるマスターゴーレムにさえ俺は返事を返す事ができないくらいに。いつのまにか俺は任務の無い日は一日中家に閉じこもり息を殺す毎日を送っていた。誰の声も聞きたくなかった。出来るなら、このまま消えてなくなりたいくらいに。
 そうした日々が続いて一ヶ月。またもや俺の日常が壊されることとなる。一人の台風娘によって。


「ダルトンいますかー? いたら返事して下さーい」


 家の前で、いい年して恥知らずにも両手を口に当てて俺を呼ぶサラの声。今から遊びに行こうと誘うような声だった。
 もしかして、俺を心配して来てくれたのか、と嬉しく思う反面面倒な、という負の想いも抱いた。しかし、


「ダルトーン! 缶けりのメンバーが揃わないのです! ジャキとアルファドしかいないのです! 早く下りてきて下さーい! 貴方がここにいるのは分かってます。貴方は完全に包囲されているー!!」


 ……まさか本当に遊びの誘いとは思っていなかった。ふざけるなという心持ちで無視を決め込んでいると、サラはそのまま家の扉を鉄パイプで叩き壊し室内に入ってきた。王女であることを忘れて殴り倒してやろうかとさえ思った。というか、俺が逮捕権を持っていることを忘れているのだろうか? 俺がその気になれば留置場に連れて行くことも可能なんだが。
 ベッドの上で座り込む俺を見たサラは少し曲がった鉄パイプ片手に呆れたようなため息を吐いて……笑った。あの時のように、無邪気な笑顔で。
 いい加減にしろ、お前の顔など見たくないと怒鳴った。このままでは、またこいつに自分を変えられてしまうと恐れたからだ。またこいつに助けられてしまうと分かってしまったからだ。また……それを望んでいる自分に気付いてしまったから。
 俺の考えている事など知ったことではないという顔で、サラは笑いながら口を開いた。


「格好悪いですね、ダルトンは」


 格好悪い? どうして今その言葉が出てくるのか。何故格好悪いのか。塞ぎこんでいるからか? 誰にだって落ち込む事はあるだろう、今の俺の状態を落ち込んでいると表すのかどうか分からないが、近いものではあるのだろう。とにかく俺は何故少し暗くなっただけで格好悪いと言われねばならんとガキみたいに噛み付いた。するとサラは少しだけ眉を寄せて考えるように鼻先に指を当てて、「じゃあダルトンの思う格好良いってどんなのですか?」と逆に問い返してきた。
 ……格好良い人間か。多分それは、悔しいが俺の父が理想像となっているのだろう。ああ認めよう。俺は嫌われてしまったとしても家族を愛していた。それこそ、自分の価値観を決定付ける位には。つまり、困難に負ける事無く前を見続ける逞しい男が俺の思い描く格好良い男であって……
 ……じゃあ、今の俺は……確かに、格好悪いのかと歯噛みした。言い当てられてしまった。よりによって、この馬鹿の天辺を取りそうなこの娘に。


「……無駄じゃないですよ。貴方が頑張ってきたのは無駄じゃないです」


「……何の話だ、俺様の修行時代を言っているのか?」


 サラはふっと笑って静かに頷いた。


「貴方が頑張ったお陰で、私は貴方に会えました。出会えたから、一緒に缶けりもできます」


「……そうか。そんなものか」


 充分でしょう? と首をかしげるサラに、俺はそうだな、とだけ返す。幾年も死んだ方がマシと思える拷問すら優しい苦行を耐えて得たものが、小娘との戯れとは……なんと見返りの大きなものだろう。
 報われた、それだけできっと俺は報われたのだ。結果はあったのだから、何も無かった訳ではないのだから。手入れのしていない俺の頭はボサボサで、外に出るには合わないものだったが、俺はベッドのスプリングきかせて立ち上がり外出の用意をする。手早く手櫛で髪を整えて、納得のいく仕上がりには成り得なかったが鏡の前で笑う。


「仕方ない、行ってやろうサラ。だがな、俺に見合う女性を何人か連れて来い、でなければ俺は行かんぞ」


「む、貴方は神聖な缶けりの儀式を何だと思っているのですか。大体、綺麗な女の子が欲しければ目の前にいるではないですか」


「ある程度の美貌はあると認めてやろう、だがお前では何も思わん。いかんせん、付き合いが長すぎる。お前とてそうだろうが」


 俺の言に「まあそうですね」と答えてから、勝負に勝てば可愛い女の子を紹介してあげましょうと約束してサラは先に外に出て行った。
 サラは俺の殻を壊してくれた。俺を完成させてくれた。それ以来、俺は俺という人間が唯一無二の存在である事を、誰にとっても当然の事を思いながら生きていく事を決意した。
 サラは、俺にとっての恋人ではない。そもそも恋愛感情など互いに欠片も抱いていない。どちらかに恋人が出来ても、相手に興味が湧くだけで寂寞感も産まれない。この関係を表すならば、恐らく腐れ縁。同じくして、俺の恩人。俺という神の作った最高傑作を立ち直らせた、奴もまた唯一無二の存在。
 ……世にある感情とは多少違えど、大切な女性である事に変わりは無いのだ。であるのに……俺は……




「ダルトン様、どうしました?」


 唐突に過去の思い出から起こされて俺は意識を覚ました。目の前には俺を心配そうに見つめる部下の姿。雪吹雪くこの地上でよくもまあぼう、とできるものだと自分で感心する。


「……ふと、昔を思い返していてな、もう大丈夫だ。なんせ、俺様だからな」


 部下に声を掛けて、また歩き出す。目的地はアルゲティ。目的は俺の恩人を裏切る行為。俺の後ろには人の皮を被った化け物たち。俺の正式な部下など僅か数人しかいない。
 ……今までにも、非道なことは幾つも犯してきた。それらも全て戦いには付き物だと自分を納得させて、乗り越えてきた。
 ……今度は、どうやって乗り切れば良い? 頼れる人を裏切るのに、俺はどうやって立ち直れば良いのか。しっかりと分かる迷いを押し殺して、雪を踏み鳴らした。










「それで結局、貴方はその女性と付き合っている……そう考えて良いのですね」


「二度は言わないぞ。訂正しろ」


 嘆きの山の番人を倒した後、ニヨニヨ感満載の笑顔で問いかけてきたのがサラ。エクスプロード級の発言に戸惑いながらも必死に否定する。戸惑う理由は、アレだ。人の見ているところで抱きついてたのがちょっと、アレなんだ。何が言いたいのか頭が回らないので言葉にし難いが、とりあえずこの場にルッカがいなくて良かったなあとなんとなく思う。


「フフフ……分かってませんねサラさん。クロノさんは友愛の情を持て余している御仁です。よって、恋愛の感情を抱くなどとてもとても、唯一有りえるとして選ばれた人間、そう例えば武芸百般全知有能であるこの僕なんかが」


「ちょっと黙っててくれるかロボ。一々お前の発言には心臓が踊る」


 握り拳をロボの顔の前に振り下ろし口を閉ざして、「ショタとかガン引きです」と口元に手を添えて眉間に皺を寄せているサラの誤解を解こうとする。それと、ガンを付けるな、階級が上がるじゃないか。
 あくまでもカエルは俺の信頼すべき仲間であり、そういった感情を抱く事はこれから先も無いと懇切丁寧に説明してもサラは何処吹く風でそっぽを向いている。何で話を聞かないのか? 俺とカエルの抱擁シーンがそんなに気に食わなかったのか。さては、この女俺に惚れたな?


「無いですよキモイ」


 キモイそうだ。鈍感な男というのは総じて嫌われるものだと何かの文献に載っていたが、勘違い男は気持ち悪いと断じられる。男はどうやって女人と付き合っていけば良いのか。
 そも、本人が誤解と言っているのだから信じるべきだろう。異性同士の友情なんか存在しないと思ってる口なのか? まるで子供みたいなことを言う。男女が一つ屋根の下にいればやる事は同じ? アホ抜かせ、誰しもがボードゲームに興ずると思うなよ。


「じゃあ、その女性の姿は何ですか?」


「……高所恐怖症、としか言いようが無い」


 嘆きの山一帯の気温よりもさらに冷たい零下の視線を向ける先には、俺の首にしがみ付き「俺は帰る」とギャグなのか何なのか判別の出来ないカエルの姿。その足は地面に触れておらず、背中によじ登ろうとしてすかすかと空を切っている。俺の背中は異次元に繋がってはいないのだが。
 ……黙っておけばいいものを、ロボの馬鹿がこの嘆きの山がどのような場所に存在してあるか口を滑らせた瞬間、元々色白のカエルの顔が白雪のように変わり肉食動物もかくやという捕食体勢で俺にしがみついたのが始まり。今は自分が原因という事が分かりロボも黙ってはいるが、さっきから舌打ちの回数が増えている。お前も腹立たしいか知らんが、俺はその八倍業腹なのを覚えておけ。


「では何ですか? その方はあれですか。怖いときは寝室のぬいぐるみよろしく貴方に抱きつく癖があると。へー、ふーん」


「色々言いたいことがあるが、お前はその年でぬいぐるみに抱きついているのか」


「何の問題がありますか?」


 もう、頭が痛いのね。誰か頭痛薬持ってないかしら。
 頭を押さえる為に腕を動かすとその度に悲鳴の代わりなのか「アッハッハ!!」と笑うカエルが痛々しい。自分の株を上げて自ら叩き落す流れ作業を怠った事が無いなこいつは。今のこいつの評価を高さで評価するなら海溝レベルとだけ言っておこう。
 ……本当、何でここに来たんだろう? もう家に帰ってトランプでもしないか? と提案したいくらいだ。


「…………いつワシは会話に加われるのかのぉ」


 見知らぬ爺が寂しそうにこちらを見ているが、生憎パーティー人数が限界に達している。何も言わず立ち去ってくれるが吉。その爺こそが俺たちが嘆きの山に登った理由なんて設定があった気がするが、遠い彼方に放ってしまおう。いらないもんそんな事実。
 ……しばらくそうしてサラたちと馬鹿話を繰り広げていると、爺がしくしくと泣き出したので仕方なく相手をしてやることに。気分は介護。
 服装は青をベースに肩掛けを巻いた開きのあるローブ。ふさふさとした髭が特徴的な、細めの体格。されど首筋に見える筋肉から引き締まったものであると推測される。粘りある鋼のような……これは言い過ぎか。穏やかそうに見える物腰とは反対に身のこなしから幾度かの戦闘をこなしてきたのではなかろうか。


「ボッシュ……よく無事でしたね。心配してましたよこのサラが。サラ王女が。感涙なさい」


「おお、感謝するぞお前たち、まさか見知らぬ者に助けられようとは思わなんだわい」


「須らく老年の者を処刑すべきとの考えが浮かびました。村長といい貴方といいそろそろ私も泣いてしまいそうです。斬り殺しなさい赤い人」


 当然のように人をアサッシン扱いするサラは無視しておいて……ボッシュ、何処かでそんな名前を聞いたような気がするが気のせいだろう。現にこの爺も俺たちを見知らぬと言っているのだから。ていうか、考えるのメドイ。
 氷に埋まっていたというに弱ったような素振りを見せない老人は明後日を向いて愚痴を呟くサラを無視しながら、「積もる話は後じゃ。とにかく今はこの山を下りるぞ」と瞳を細くして走り出した。勘弁して欲しい、お前はただ突っ立ってただけだから良いかもしれんが俺たちは……というか俺は戦いの後で疲れている。出来るならまたその辺に横穴を掘って休みたい所なのだから。
 ロボも俺も(カエルは俺にしがみ付いているので除外)その場を動かず両手を振って元気良く走る老人の後姿を見送ってその場に座る。魔物を倒したせいか、吹雪も止み寒さも心なしか和らいでいる。今ならサラのファイアがあればこの場で暖を取ることも可能だろう。
 誰も相手をしない事に空しくなったか、膝を抱えているサラを呼んで魔法を唱えてもらおうと声を掛けた瞬間、視界が急激に揺れ出した。正確には俺の体ごと動いたのだが。絶え間なく揺れるそれは地震そのものであり、何故地表と繋がっていない嘆きの山が振動しているのか……答えは一つだろう。


「クロノさんもしかしてこの山、どんどん落ちてません? いや気のせいならいいんですごめんなさい」ロボは息継ぐ間も無しに疑問を謝罪で切る。


「そうだな気のせいだろう。しかしこの場で留まる理由も無いから帰ろうじゃないか出来るだけ急いで」


 平静を装いながらロボの頭を撫でてとにかく走り出す。思うに、嘆きの山を管理している魔物を倒した事で山を浮かせていた魔力も途絶え出したのではないだろうか? この想像が当たっているならば、あの糞爺一言言ってから逃げろというのだ。
 今も座り込んでいるサラの頭を蹴り飛ばして「走れっ!」と命令する。頭の上にヒヨコを飛ばしながらサラは訳が分からんという顔で付いて走る。ロボもまた加速機能を用いて先頭へ。それでも時々後ろを振り向いて俺たちを待ってくれるのは優しさなんだろう。なんて頼もしいのか、上にいるカエルもこれだけの根性が備わっていれば文句は無いのだが。現在カエルさん、地面の揺れと走るスピードで生まれる風を浴びてトリップ中。楽しそうに笑いながら涙を流しているのは壮絶とも言えよう。
 雪道を掻き分け、ショートカットの為に林を突っ切り下界と繋がる鎖を目指す。これだけの大振動にいくら頑丈そうな鎖といえど長く持つとは思えない。最悪千切れて山が海に落ちないとも限らない。そうなるとアルゲティも被害に遭いそうだが……今この場にいるよりは数倍マシというものだ。
 途中で現れるモンスターも現在の状況に戸惑っているのか、はたまた自分たちの親玉がやられて怯えているのか一向に襲ってくる気配が無い。このままなら、なんとか間に合うか……?
 それにしても、カエルが重い。筋肉や鎧を付けている分マールやルッカよりも重いのは納得できるが、これではまるで男を担いでいるようだ。それに、何となく体を固定している手が粘ついてきているような……


「……おい、カエルお前」


「あはははは……空が、空が浮いているははははは」


 走りながら話しかけるのは息が切れて辛いというに、何故すぐに話を聞いてくれない。根気良くカエルに言葉を投げかけていると、ようやくこちらの声に気付いて体裁を整えた。


「どどどどうしたクロノ!? けっ、剣士たる者、いかなりゅ時でも慌てず恐れずほう・れん・そうだ!」


「お前に何を報告連絡相談するんだ。そうじゃなくてお前……姿が戻ってないか?」


 見れば肌は緑色に、顔は膨らみ人のものから両生類特有の、凹凸の無いなだらかなものになり口は突き出して眼球は大きく膨らんでいく。髪も頭部に吸い込まれていくように消え失せてなんだか女性の髪が無くなっていくのは嫌だなあとしみじみ思う余裕があるのが嬉しい。体も大きく太く変わり肌からは粘つく液体がじわじわと浮き出し始める。俺の手どころか触れている部分全てに透明な液体が付着する。投げ捨てたくてたまらない。
 ……確かに、カエル本来の戦闘力を欲してたまらない時はあった。使える変態が使えない変態になってしまったのだから、カエルには悪いが元の両生類に戻って欲しいと願っていた。けれど……それは今じゃない、今この時に両生類に戻ってくれなんて全く思っていない……! 何が悲しくて女性を担ぐならまだしもばけもんを背負って力走せねばならんのか。
 俺の葛藤をよそにカエルははしゃいだように声を高鳴らせた。


「おおおお!? 戻ったのか、戻ってしまったのか俺の体は!? いやあ困ったなぁクロノこれは困ったところでクロノ今から俺と再戦しないか? いやいや別に他意は無いんだぞ、よくもまあ今まで鼻水垂れの素人が調子に乗ってくれたなとかそういう悪意は微塵も無い訳だがていうか勝負しろクロノそして『まいったカエル様もう二度と逆らいません今まで馬鹿にして申し訳ありません』と言うがいいわはっはっは」


「そぉい!!!」


 しおらしくおんぶされていればいいものを鬼の首を取ったように笑い出したのでカエルの体を放り投げてそのまま全力で走る。ぶべっ! とか無様な鳴き声を上げたことを確認して前だけを向く。もう俺は後ろを向かない、そう女性体のカエルと約束したんだ。さよなら綺麗なカエル。グッバイゲテ物ガエル。
 ……まあロボかサラが助けるだろうと高をくくってのことだったのだが、ロボは「調子に乗った罰ですね」と辛辣に。サラは「服を汚したくありません。何ですかあの不思議生物」と人間とすら見ていない為カエルは抜けた腰を引きづりつつ俺たちの小さくなっていく後姿を見送ることとなったのだ。哀れ。
 ……あれ、時の最果てと繋がる通信機が無い。まあいいか、後でまた鼻ちょうちんの爺さんに貰えば良い話だし。









「……あれ?」


 クロノたちがカエルを見捨てて走り続ける遥か後方にて、一人の女性が洒落にならない振動の最中可愛らしい声を上げたことを、誰も知らない。
 何の説明も無く放り出された事に不満を感じたが、とにかく今の状況を把握しようと立ち上がるのにも一苦労ながら、ふらついて足を立たせる。周りを見渡すと一面真っ白な銀世界。わき道に立っている木々が根元から折れていく様はのんびりしている場合ではないと否応にも知らされる。
 前方に目を向ければ、ぐんぐんと差を離していく仲間たちの姿。一人見知らぬ女性がいるものの、自分が直して起動させた可愛らしいアンドロイドと幼馴染の姿を見つけて、ルッカはデナドロ山でのデジャヴを感じていた。


「ちょっ!? ちょまっ!?」


 慌てて大声を出そうとするも、その場で躓き動作が中断される。何度かそれを繰り返して、その度に揺れる地面に邪魔されて満足に声も出せなくなる。せめて走る事が出来ればと立ち上がっても、座り込んだ体勢から立ち上がることがまず出来ない。根本的に彼女は地震や雷といった災害に弱いのだ、恐怖心も相乗して尻餅をついたまま動けなくなる。


「……クロノー?」


 震える肺を振り絞り声を出すも、その音量は通常会話よりもなお小さいものとなり、当然地割れや崩れ落ちる雪の音に掻き消された。


(あ、駄目だこれ)


 堪えようとする意思すら生まれずルッカは悲壮な声を撒き散らした。
 なんとか、坂を下りきる前に後ろを振り向いたクロノがルッカの姿に仰天してすぐに連れ戻すことが出来たが、その時の二人の心境は『カエル殺す』だったという。
 カエル──誇り高い武人であり、義理に厚い戦士。ただ、そんな彼女にも耐えられないことというのが存在する。ギロチンに掛けられようが、最強の存在である魔王と戦おうが決して心折れる事は無い……ただそれ以上に高高度から落下する今というのに耐えられなかったという話。
 後々カエルはクロノとルッカに制裁を下されることとなったのだが、思いの外ルッカの責めは優しいものでクロノたちは頭を捻らせたという。その理由が幼馴染による抱っこにあるかどうかは公然の秘密となっているようなそんなような。











 星は夢を見る必要は無い
 第二十九話 迫る運命の時











 ドロクイの巣まで続く鎖を伝うではなく走り抜けて地上についた瞬間、間一髪というタイミングで鎖がばらばらに千切れていった。
 巨大な山は空気を裂いて沈み行き、耳鳴りのする音を立てながらゆっくりと海に落ちていった。その衝撃に立ち上がる津波は海の怒り、アルゲティまで広がり地表を削り取っていった。幸いにも地下に存在するアルゲティには甚大な被害は無かったが、この地上には確かな傷跡を残す結果に。怪我人が出ていないのは奇跡だった。
 全力でサラの治療を行っていたロボ、また怪我を負ったサラに魔力を使い果たした俺はアルゲティに戻った後命の賢者、ボッシュの話を聞く前に休ませて貰う事になった。内心、下心抜きで温泉に入りたかったのだが、津波の影響で湯が湧き出る事が無くなったという。
 悔しいが、自然の産物に文句を言っても仕方が無い。渋々ベッドに入り体力を回復する事に。寝るときにはサラが「汚いベッドですね」と村長の額に怒りマークを浮かばせていたが、問題ないだろう。サラに宛がわれた毛布だけとりわけ汚いものに見えたが、気のせいだ。ルッカとロボが一緒に寝ようとしてきたのも気のせいだ。折角四つあるのに何故狭く使わねばならん。
 ……時間は刻々と過ぎていった。


「…………赤い人、赤い人」


「……何だ、青い人」


 大体だが、二時間弱。仮眠にしかならない睡眠時間だが、起きざるを得ない。部屋の松明も消えた暗い部屋でサラが人の体を揺すってきたのだから。無視してやろうと思って寝返りを打った瞬間見えたのが水の入ったバケツを片手に持った姿だったのだから、飛び起きるとは言わないまでもスムーズに体を起こした。
 サラは青い人、という表現にむっときたようだが言及する事無くバケツを床に置いて話を始める。


「ちょっと、やばいことが起きました」


「なんだ、おねしょか」


「おねしょなんか赤子しかしないでしょうに」


「世界は広いんだ。案外十三、四でも続いてる奴もいるだろうさ」


 そんな人いるわけないでしょうと決め付けて、サラは真面目な顔に戻る。この場にいなくて良かった。誰とは言わないけれど。
 俺を起こした後サラは同じく横になっているロボやルッカを揺らしながら重く口を開いた。


「……アルゲティの入り口に張った結界が破られました」


「結界? 何でそんなものを」


 目蓋を擦りながらも体を起こす二人から離れて俺に向かい合った。


「命の賢者が幽閉されている嘆きの山に続く村、アルゲティに向かったのです。お母様の計画に反対している私がここに来る理由なんて誰でも分かります。遅からず、追っ手が来るだろうと予想して誰も入れないようにしておいたのです」


 なら、何故俺たちが入れたのかという質問に、張ろうとした矢先に俺たちが現れたのだとか。何とも都合の良い、というかタイミングの良いとちゃかしてもサラは取り合わず「だから驚いたんですよ」とだけ返した。
 ……ふざけてる場合じゃない。そう思わせるのに確かな雰囲気を持っていた。
 確か、魔神器を起動させるにはサラの魔力が必要なんだと宮殿で聞いた気がする。そうなればジールも躍起になってサラの行方を追う……か。念のために結界を張るのは間違いじゃない、サラもある程度の危機観念は持っているようだ。
 ……つまりは、ジールの追っ手がサラを連れ戻す為に、引いてはラヴォスを刺激する為にここへやって来たというわけか。しかし……サラの絶対結界を破ったとなると、相当な使い手らしい。
 ジールにいる魔法の実力者、となれば恐らくはダルトン、もしくは女王の間で預言者と呼ばれていた男だろうと推察される。


「……数が何人とか分かるか?」


 サラは素早く首を横に振った。


「そうか……ロボ、お前のセンサーで分からないか?」深刻な事態だと理解したロボが覚醒した頭で何やら考え込むが……結果は同じくノーだった。


「多分、魔力で気配を隠しているようです。僕のセンサーに引っかかりません。複数ということは分かるのですが数までは……」


 ロボに言われて、話の妙に気付いた。何故気配を隠す必要がある? 連れ戻しに来たなら堂々と現れて力づくで連れて行けばいいのに。まるで俺たちという妨害者がいることを知っているような……
 待て、俺。仮にそれに気付いていたとしてどうなる。その事と隠れる必要はイコールじゃない。間が抜け落ちているのだ。
 ……気配を隠す。何らかの活動を邪魔されたくないからと考えるのが正しいだろう。何らか? 俺たちに邪魔されては成り立たない何か、テロなんかだと爆弾を仕掛けたりするのだが、サラに危険が及ぶまねをするとは考えがたい。奴らとしてはサラが抵抗せずに投降するのが理想のはず。ならその為の手段と考えるのが自然か? しかし、この反発心の塊であるサラが素直に捕まるとは思えない。単純に奇襲かとも思ったが、サラの結界を破った時点でこちらに知られるのは分かりそうなものだ。
 そういえば、仮に俺たちがいなくてもサラの力なら逃げ切る事くらい出来そうなものだよな? なら俺たちの存在を度外視して考えるべきか? いや、それでも意味が無い。


「まさか……そうだとしたら」回りくどい考えを全て捨てて、最も卑劣で最も簡単な方法を思いついた。そしてそれが、多分答え。


「……気付きましたか、赤い人」


 サラの悲しそうな顔を見て、こいつも同じ結論になったことを思い知る。その上で動きを見せていないという事は、もう手詰まりである証明にもなっていた。


「……サラ」


 かろうじて名前を呼ぶも、その先が続かない。何を言ってやればいいのか分からない。外れて欲しいけれど、もしもこの考えが当たりならば俺たちがやれることは無い。
 情けない事に、舌も乾き出して取り繕う声も出ない俺にサラは微笑んだ。今目の前にいるはずなのに、ガラス越しに見えるような遠い笑顔。消えそうな笑い声は儚く、僅か二メートルの距離すらおぼろげに泳いでいた。


「……約束、してくれませんか?」


「やく……そく?」


 はい、と肯定して文を繋げていく。拙く見えても、それはとても気力の必要なことだと思ったから、静かに耳を済ませて。


「私、人に笑われるの嫌いなんですよね……だから、」


 短い言葉なのに、緩やか過ぎるテンポで流すから時間がかかるものになっている。接続語の後に引き継がれる言葉は勇気のいる発言なのか、サラは腹にしまいこんで中々吐き出そうとしなかった。
 カチ、カチという秒針の音だけが響く室内。ルッカもロボも、静かにサラの言葉を待っている。それは正しくて、間違いでもある。きっとサラは辛いことを言おうとしている。思っても無い事を口にしようとしている。その事実が、胸を引き裂かれそうに痛い。大丈夫だ、心配するなよと言ってやれない自分が歯がゆくて、嘘でもいいから任せろ! なんて言ってやりたくなる。
 はぁ、と息を吐いて、ぼろぼろの決意を片手にサラは……やっぱり笑ったんだ。


「これから私がすること、笑わないで下さい」


 笑えるもんか。
 それから……少しの間お互いに沈黙の時間が始まった。それを壊したのは、俺たち以外の存在。


「サラ王女はいらっしゃいますかー?」


 入り口に垂れている布を力任せに破いて仮面を被る男が部屋に入ってきた。言葉は丁寧でも、語調は間延びしたもので、安心感やだらしなさよりも不快感を抱かせた。服装から見て、黒鳥号付近にいた男たちだろう……けれど、どう見ても……いやどう感じても中身が人間とは思えない、黒く歪んだ存在。仮面の下から漏れ出る吐息からは魔物の臭いがした。
 男は俺たちに見向きもせずサラに近づき……何の予備動作も無く綺麗な顔を殴り飛ばし壁に叩きつけた。
 一国の王女、それに使えるべき兵士の行動ではない。呆気にとられた俺たちは止めることも出来ず、尚もサラに蹴りを入れている男を見ている事しかできなかった。それも数瞬、湧き出る怒気に刀を抜こうと動くが、その前に響く怒声に動きを封じられた。


「やめろ!!!」


 歩くだけで地面を揺らすような巨体、低く通るその声は俺たちと宮殿で戦った男、ダルトンだった。やはり、サラの結界魔術を破るにはこいつクラスの魔術師が必要だったんだろう。
 ダルトンは俺たちに一瞥もくれず、サラに暴行を働いた男の脇腹に強烈な回し蹴りを叩き込んだ。それなりに体格のある男はさっきのサラ以上、三倍の勢いで壁に飛んでいき苦悶の声を漏らした。間違いなく骨がいかれたと思われる蹴りに一頻り呻いた後……男は尋常ではなく長い舌を伸ばして「これは、ジール女王への反逆ですなダルトン様?」と笑みを作った。
 意味の分からない言葉に俺たちは眉をしかめたが、声をかけられた本人であるダルトンは顔を蒼白にして否定した。


「!? 違う、これはお前が行き過ぎた行為に出たからだ! 反逆では無い!」


「もう、遅いですよたいちょー?」


 言って男は俺たちの持つ通信機に酷似した機械を取り出してダルトンに突きつけた。そこから聞こえる……阿鼻叫喚の、声。
 『助けてくれ』、『子供だけでも許してください』、『お母さんが燃えちゃう』、『痛い……痛い、ここから出してくれ』、『もういっそ殺してくれ!』耳を塞ぎたくなる声の連鎖。その中でも一番多い言葉は、『助けてください、サラ様』だった。
 ……何処かで行われているだろう虐殺の、声。勝手に震える唇を押さえていると、仮面の男はさも嬉しそうな声で笑った。


「今のはエンハーサ第一地区です。なんなら、第二地区から第五地区まで殺しちゃっても良いですよ? たぁいちょー?」


 こちらまで聞こえる歯軋りを鳴らすダルトンに男は近寄り、下から舐めるように見つめる。完全に馬鹿にしている行動は、「俺の事を殴れないだろうが」と言っているようなものだった。
 異様な光景。隊長であるダルトンの命令に反発し、さらには挑発まで。敬語を使いながらも、立場は完全に逆転していた。何よりも、人が殺されている声を流しているというのにその明るさ。流れとして、奴が命令しただろう虐殺。今までの旅で見た事がない、明瞭過ぎる悪意を見た。


「だいたい、サラ様が悪いんですよー? いきなりこんな汚え所におられるから、俺たちがわざわざ迎えにいく羽目になっちゃったじゃないですかぁ? ちゃんと反省してます? ねえ……聞いてんのかこの豚!」


 倒れているサラの腹に容赦の無い蹴りを入れる。何度も喘いだ後、通常ではない危険な咳が出る。その様子にダルトンが腕を動かすが、今度は止める事は無かった。
 いよいよとなり、我慢が出来ず飛び出しかけたロボを俺とルッカが止める。そりゃ止めたいさ、今すぐ喉笛を掻っ切って呼吸が出来なくしてやりたいさ、でもそうなればどうなる? 数十では効かない大勢の人間が殺される事になる。何よりも、サラの目が俺たちを見ている。動かないで下さいと説得している。
 一段落ついたように息を漏らして、男の暴力が終わる。「そんじゃ行きましょー」と軽い口ぶりでサラの髪を掴み引き摺っていくのを、俺はただ見ている事しかできない……
 二人に遅れて、ダルトンも部屋を出て行く。その際に、一度だけ俺たち……いや、俺を見る。その目には敵意は無く……何故だか、縋るような、助けを求めるような色をしていた。


「離せ、姉上を離せよお前!」


 力無く項垂れる俺たちの耳に、小さな子供の金切り声が聞こえた。確か……ジャキと言っただろうか。奴らについてきたのか?
 ……いやいや何してるんだよ俺、あんな小さなガキでも意地張って、大人の、暴力を振るう事なんて何とも思ってない奴と戦ってるのに……俺はベッドの上でだんまりかよ? 行けよ、他の奴なんて、ジール王国の住人なんてどうだって良いだろ、今すぐサラを助けてそのまま仮面の男たちを殺せばいいだろ?
 ……心の中で激励しても、できるわけが無いんだ。間違いなくあいつは……いや仮面の男は一人じゃないはず。最初に気配を消してたのは、十中八九アルゲティの住民を人質に取っていたから。エンハーサの人々だけじゃないんだ。この村の村長も、命の賢者も……その首に刃を当てられてるんだ。そうじゃなくても……殺戮へのスイッチを押せるわけが無い。


「……なら、せめて……」


 ベッドから降りて、部屋を出る。つられて出てこようとするルッカとロボは動かないでくれと頼んで。これからの俺は、とんでもなく格好悪いから。それこそがサラを守れなかった事、その贖罪になる。
 外に出れば案の定、男がしがみつくジャキに拳を振り下ろそうとしている姿だった。慌てて走りこみ、俺はすぐに男に土下座した。そりゃ、見られたくないって、あいつらには。


「すいません! そいつ、俺の友達! だから助けてあげて下さい! どうかお願いします!」


 その場にいる誰もが目を見張った。いきなり現れた男が王子の友達だなんて信じようか? 仮に信じても、だからどうしたという話だろう。仮面の男は鼻で笑ってそのままジャキを殴ろうとしたので無理やりその腕を取った。


「頼みますから! 俺、俺を殴ってください! だからこいつは許してやって下さい!」


 苛立ったように舌を打ったおとこは「あぁん?」と威嚇して、ジャキを投げ捨てた。これで良い、少なくとも憂さを晴らす相手が俺に代わったんだから。
 ……大事な弟なんだろ、だったら俺が守ってやるべきだよな。


「……そうかそうか、分かったよ。お前はあれか、馬鹿なんだなぁ……だろぉ!?」


 靴先を喉に当てられて、口から大量の血が溢れ出た。潰されたか……大丈夫、耐えられる。
 倒れない俺にさらに腹を立てた男はサラの頭を離して、両手を使い本格的に俺を殴り始めた。
 ──数分後、膝は砕けただろう、足がまともに立ってくれない。左腕は動くかな、左腕だけは。鼓膜も顔を殴られすぎて破れたかもしれない。右の耳がキーンという音しか伝えてくれない。顔面も腫れ上がり元々の顔の判別も出来ないだろうな。歯も大半折れて、鼻なんか曲がりすぎてもう鼻呼吸も出来ない。
 それでも……倒れる事は、しなかった。絶対に、負けてなどやるものか。
 人質がいるんだ、勝つことは出来ない。でも、心は負けない。負けるくらいなら、死んでやる。だから死んだとしても負けない。


「はあ……なんか飽きた。お前気持ち悪いよ。さっさとジール女王様の下に行きましょうか?」


 大きく伸びをして、体操でもしたみたいに息を吐いた後男は後ろを向いてアルゲティを出て行こうとした。それに遅れてサラとダルトン、さらに大勢の仮面を付けた男たちが続く。
 そして最後に仮面の男が俺に残したもの。それは「だっせえの」の一言だった。
 ……百も承知だ、糞野郎。







 彼らの姿が見えなくなり、俺はその場に座り込んだ。もう立つ事もできないなんてなあ……
 そうしていると、部屋の中から歯を噛み締めたルッカとロボが歩いてきた。俺の姿に何も言わず、ルッカはミドルポーションと包帯を持って、ロボはケアルビームを静かに当ててくれた。もう少しこのままでも良かったけど、と潰れた喉で言えば小さく「馬鹿」とだけ。確かに、馬鹿だよな。


「クロノ……ごめんね」


 治療しながら、顔を見せずに謝るルッカ。もしも出てこなかったことを言ってるならそれは間違いだ。それは、俺が感謝すべきことで、よく耐えてくれたとしか言えない。もしも俺とルッカの役割が逆なら、到底我慢できずあいつを殺していただろうから。
 ルッカに出てこなくて良かったと告げれば、それは違うと返されて疑問の声を出す。その事でないなら、何の謝罪なのか分からない。


「あの仮面の男、憎いでしょ? だからごめんね」


「? 意味が分からんぞ……痛っ、ルッカもう少し優しく……」


 包帯を強く縛るので注意しようとして、俺は見た。
 その時のルッカの顔は、多分忘れられない。未来においてマールに向けていた視線の比ではなく、彼女の目は大きく開かれて、全く感情の見えない無機物のような瞳だった。果たしてそれは、何も映っていないのか、それとも一つの、単色の想いしか浮かべていないのか。


「私が殺すから。絶対殺すから。何が何でも、世界が終わっても変わっても消えても時が進んでも戻っても停滞しても私が怪我しても腕が取れても足が千切れても胴体が吹き飛んでも首が消えても顔面が弾けても私が殺すから。だからごめんね。私があいつを殺す権利貰うから。絶対貰うから譲らないから」


「……瞳孔開いてんぞ」


 物言わずとも、ロボもまた同じようでいつもは心配して喚くのに、ただ淡々と俺にケアルビームを使っている。時々体が光っているのは誰かに向けて殺人光線を放ちたいからだろうか?
 ……前にハーレムでもやりたいとか言ってたけど、なるほどこれはこれで立派なハーレムだ。俺の為に殺したい人間がいる仲間がいるなんて、好かれ過ぎだ。
 傷が癒えるまで少しかかりそうだと考えていると、しゃくり上げる声が思考を邪魔する。実に鬱陶しい。当然声の発生源はジャキ。姉が連れ去られたという事に悲しんで泣くのはいいが、ここでやらないでくれ、傷に響く……だけど、まあ、


 ──自慢じゃないが、あやすのは得意だぜ。ごねる子供を泣き止ますのは特技だ──


 自分の放った言葉に嘘をつくのは性分じゃない。
 まだ激痛が走る体を動かして、ごねる子供に近づく。ルッカとロボが驚いた顔をしているが、今は関係ない、後でちゃんと治療受けるから勘弁してくれ。


「……おい、クソガキ。折角身を張って守ってやったんだ。ぴーぴー泣くなよ鬱陶しい」


 ケアルビームのお陰で何とか聞き取れる声を出せた事に感謝。ロボには頭が上がらねえよ、全く。


「な……泣いてない……! でも、姉上が……姉上がぁ!」


 泣いてないって言うやつは、しっかり泣いてるもんなんだよ馬鹿。
 仕方無しに、俺は鼻水で汚いジャキの顔を持って、真正面から見つめる。一瞬びくりと震えたが、お構い無しに見つめ続ける。何だ、随分大人びた陰気な子供と思ってたが、こうしてみると普通の子供じゃないか。
 しゃっくりのせいで聞き取りづらいだろうから、しっかりと丁寧に言葉を重ねてやる。


「良いか、お前の姉ちゃんは大丈夫だから。絶対に助けてやる。そんで、お前と合わせてやる、約束だ。でも、お前が泣いてたら連れて帰ったとき姉ちゃんが困るだろ? どうやって出てくれば良いか分からなくなるだろ? だから、泣くな。男だろうが」


 短い間だけ、涙を流すのを止めるが、すぐに「あんたなんかじゃ、ひっく、無理だよ……」となんともまあ生意気な口を利きやがる。無理やり殴って泣き止ませてやろうかと思ったけれど、震える拳を止めてはっきり言ってやる。世の中の法則とすら言える大事なことだ、テストに出るぞ。


「出来る。なんせ、俺だからな。トルース町のクロノっつったら無敵の男として有名なんだぜ?」


 できるだけおどけた様に言うと、ジャキはまた泣くのを止めた。これがまたフェイントでさらにぐずりだしたら暴力も辞さないと暗い決意を固めていると、ふにふにしたほっぺたをさらにやわらかく変えて、不器用に……笑った。その後「町でって……ひっく、ち、小さいね」とまた人の神経を逆撫でするようなことを抜かしやがる。でもまあ、及第点だ。拳は納めてやろう。
 うしっ、と気合を入れてぐしゃぐしゃに頭を撫で回してやる。ご褒美だ。ジャキも大いに喜んでいる。見方を変えれば嫌がっているとも取れなくは無いが。
 面白いのでそのままずっと頭を捏ねくりしていると、不満そうな顔のロボが近づいてきて治療の続きを始めた。「次は僕です」と膨れているのが、妙に可愛い。安心しろというに、俺の弟ポジションは変わらないさ。


 ──あの子が泣いた時は私でも手を焼きました。三日間延々鼻を鳴らしていたこともありますからね──


 簡単なもんだ。今度こいつが泣いた時は俺を呼べよ、サラ。












 嘆きの山が落ち、地上に荒れる雪は無くなった。代わりに、空には太陽と下界に置いては久しい陽気。それに反して、何と俺の薄暗い事か。
 まだ十に満たない子供ですら戦いを挑んだというのに、会って間もない女の為にその弟を庇う男がいたというのに、天地において無敵と謳っている俺のいかに矮小な事か。
 恩ある女性が悲しげに俯き歩いているというのに……何故俺はその悲しみを増やす側に立っているのか。


(俺は、間違っているのかマスターゴーレム)


 答えが帰ってくることは無い。無視をしているわけではないのだろう、戸惑うような気配が伝わってくるのだから。ただ、伝えたい言葉が見つからないだけ。迷っているだけだ。
 迷う……俺もそうだろう。サラと出会い腐った頭を割られてから一度も迷いなど生じた事がない俺が、今確かに迷っている。どうするべきか分からないでいる。


「……どうしました、ダルトン」


 そんな俺の考えを見破ったのか、まだ顔に土のこびり付いたサラが俺の隣に並び声を掛けた。俺の部下ではない女王の部下共も会話程度なら見逃してくれるようだ。クロノを殴り続けて少し飽きたのかもしれない。敵に感謝することになるとは、もう俺は奴のライバルなどと名乗れないのではないか……?


「特別、思うことなど無い。お前こそ俺に対して何か思っていないのか? 俺は旧知の仲であるお前を裏切っているのだぞ」


 時折蹴られた腹部が痛むのか腹を擦りながら、サラは見た目には何でもないような顔で「そうですねえ」とボケた声を出した。
 誤魔化されると思ったのか。いくら暖かくなったとは言え、氷点下に変わりないここで大量の汗を掻いているのに。痛みで失神しそうな癖に。
 ……それを指摘できる立場に無い俺が気付いたとて、何が出来るわけでも無いのだが。泥沼のように気分が沈んでいく。足を取られて引きずり込まれるそれを救い上げてくれたのは、どうしようもなくやっぱりこの反りの合わない女だった。


「次の缶けりの鬼はダルトンからです」


「……俺様に勝てると思うなよ、サラ」強がりでも、軽口を叩かせてくれるこいつは……俺などよりも余程高尚な存在ではなかろうか?


 全知全能。神ですら操れぬ俺様。絶対の自信。究極の魔法の使い手。全部嘘だ。本当ならば、この程度の苦境を乗り越えて腐れ縁の、大事な女を守れぬ訳が無い。
 俺は下らぬ人間だ、俺はつまらぬ人間だ、親にすら見捨てられる人間だ、親すら救えぬ人間だ、本当に……何も出来ない人間なのだ。
 認める、それらを全て認める。だから運命よ、流れを変えてくれ。大河に小石を投げるような小さな波紋で良いのだ。どうか、抗いようの無い道筋に亀裂を。












「さて……行きましょうかクロノ」


「ああ、準備は万全。怪我も癒えた。後は……特攻かますだけだな」


 肩を鳴らして、腕を右左に動かす。後遺症その他諸々一切無し。あっても関係ないけど。
 さっきまで泣いていた子供とは思えぬほど冷静にジャキは俺たちを見ていた。白衣を握る小さな両手が震えているのは気にしない。気にするならその小さな掌で己の肉親を守ろうとした気概を評価すべきだろう。
 アルゲティの住民が見守る中、俺たちは洞窟の外に向かい歩き出す。
 その途中、背中にジャキのか細い声が当たった。


「……姉上を、助けて」


 ……例えば、俺がこいつくらいの子供だった時に同じ事が言えるだろうか。
 自分が住む世界とは一転して汚れた地に置いていかれて、大人の暴力に晒されそうになって、目の前で見せられて。いくら姉といえど自分のことを度外視して万感の想いを込めて言えるだろうか。
 振り返れば、どう見ても小さな子供。まだ親離れも出来そうにない年齢に見える。目はくるりと丸く幼さしかない。大人染みたという言葉は、子供にしか使われないのだから、彼がいかな性格といえど当たり前ではある。
 怒りもあるだろう、悲しさもあるだろう、それ以上に恐怖もあるだろう。それなのに……このガキは。
 この世界には、俺たちが回る世界には子供が強すぎる。大人でもない俺でも理解できるくらいに。
 言葉ではなく、ジャキの願いに右手を上げて約束した。それに呼応したようにアルゲティ中に響き渡る声援。


「サラ様をお願いします!」
「サラ様を助けて!」
「サラ様を、ジール王国を救ってくだされ!」
「姉上ともう一度会わせて……」


 その場では何も言わず、俺たちは外に出た。燦燦と降る太陽光に目を焼かれそうになり、右手で目の上に影を作る。無意識に刀に手が伸びていたのは、今の心境故か。


「……任せろ」


 口にしなくても良かったけれど、何となく声に出してみた。あいつらには届かなくても俺が交わした全ての約束。アルカディにいる全員分なら……およそ三百くらいか? 三百の約束と願いとは随分大荷物だ。お陰で背中が安心する。
 意識してのことでは無いのだろうが、ロボは両手の間接から蒸気が湧き出ていた。動かねば燃え尽きるとでもいいたげな状態はヒートアップに過ぎるだろう。今はそれくらいじゃないとやってられないだろうな。
 ルッカは至極平常そうに歩いているが、彼女の足跡から度々小さな火の粉が舞っている。俺は別段変わりはないさ、時々火花が散るくらいで極々冷静。ただ、祭りの一つくらいなら騒ぎ足りないくらいに燻ってはいるけどさ。
 ふと、腰に刺した赤い短剣に手を触れる。ジャキを慰めた後現れたボッシュから預かったものだ。


──名も知らぬお前たちに頼ってばかり……すまん。だが、今すぐにサラを助けねば……いや、そんなことはもうどうでも良い。あの危なっかしい、礼儀知らずの悪戯娘を助けてくれ──


 そう言って、ボッシュは俺に赤く光る美しい反りの短剣を手渡した。魔神器と同じ赤い石の欠片で作られたナイフらしい。魔神器を壊すにはこれしか無いと。
 その言葉で、俺は確信した。単なる同名の他人では無いと言うことに。赤い石それすなわちドリストーン、グランドリオンの原材料の事だろう。
 現代に住む謎の鍛冶師ボッシュ、グランドリオンの復元が可能である老人と、古代に生きる命の賢者ボッシュが同じ人物だと知る。
 何故古代に生きるボッシュが現代でも生活をしているのかは分からない。いつかは教えてもらう事もあるだろう、だが……今は置いておく。とにかく、この熱気を冷まさなければどうにも身が持たない。これだけやる気になってるのも珍しいんだ、他の事に目が行く暇は無い。
 目指すはジール宮殿、天上の世界に行く為の天の道。 目標は……


「ジール王国を潰す。勝利条件にしては軽いもんだよな」


 僅か三人しかいない軍隊だけれど、ルッカが空に銃を撃ち鬨を作った。











 空を昇り、まずは浮遊大陸に到着。すぐ目の前に見えるのは煙の上がっている都市エンハーサ。遠くからでも人々の悲鳴が届く夢見る町は悪意の中に溺れていた。中に入れば仮面を付けた、兵士の格好をした男が近づき「おいおいまだ住人がいたのか? これじゃあいくら殺しても終わらねえよ……ダルトンの臆病者も碌に命令違反しねえし……何人か殺しても文句ねえよな」と勝手な暴論を作った。
 エンハーサの門内の光景は悲惨の一言、人々は柱に縛り付けられ、あるいは磔にされて、または死なないように串刺しにされている者、服を脱いで本性を見せた魔物に食い殺されている人間。そしてその周りで泣き喚く子供たち。きっと、今食われている大人たちの息子、娘なのだろう。鼻をつまみたくなるような異臭は人を焼いた為か。初めて訪れたときに見えた白色の壁は煙に当てられて黒ずみ、静観とした空気はとうに消えていた。あるのは静寂ではなく叫喚。
 町の中央では人間の肉を肴に酒を飲む者、酔いながら虐殺を煽る者、ただ殺す者の三様に分かれて気分を害させる。
 ……もういいだろう。こいつらは文字通り人間じゃない。なら、この刀を抜いて払う事に何の躊躇いがある?


「おいお前ら、とにかく楽に死にたきゃ早くこっちに来て俺たちに喰われ」


 そこで男の言葉は終わった。これから先も永遠に。
 ソイソー刀の一閃により顎から上が落ちた男は町の入り口にある階段から下まで転がり派手な音を立てて落ちた。その音に全員が何事かと振り向いたので、挨拶代わりかルッカが掌でナパームボムを爆発させてファイアで包み爆裂火炎球を作り広場に投げた。魔王戦で編み出した技が、完成してたのか。
 広場に落ちた科学と魔法の融合体は大口を開けている魔物たちの集まり、その中心で破裂し死肉を撒き散らせる。人には被害が無い様威力と爆風の道をコントロールしている辺り、キレててもルッカというところか。
 襲撃にいきり立った魔物たちが俺たちを囲み、一方で人間を捕まえて人質を作ろうと走り出した。その悉く、足をロボのレーザーで打ち抜かれ、また加速したロボに体術にひれ伏していく。
 まだまだ、前菜の時間も終わってないぞ外道共。

「臭いわね、丸ごと燃やしたらマシになるでしょ」


 底冷えするような声を呟きながらルッカは止まる事無く町を歩き銃をぶっ放していった。時々に近寄る兵士には無詠唱の火炎をぶつけ火達磨に。その数が二人でも三人でも六人でも変わりは無い。彼女から離れても撃たれる。彼女に近づいても燃やされる。徹底的な格差を見せてくれた。


「丁度良かったです。悪魔の大群なんて相手取るのは、少々憧れがありましたし……とにかく、潰れてください」


 ロボは腰を落とし、右手を引き足を広げて左手を道に溢れる数十の兵士に向けた。構えは中世の王妃の縦拳に似ている。微細に違うのは腰の深さ、臀部が地面につくか否やというまでに落としても尚体勢に狂いが無いのは子供の体格故か。決定的に違うのは、キュイイイ、と機械音が始まり体中から蒸気が縦横無尽に噴出している。遠目から見たロボの口は「マシンガンパンチ」と溢していた。
 ……視覚をトランスで底上げしていた俺でもロボの攻撃はよく見えなかった。多分、原理は難しくない。恐ろしい速さで引いていた右拳を前に出す。これをただ繰り返すだけの技だと思う。
 ただそれだけの動作が規格外。距離の離れた敵の大勢を吹き飛ばしていた。空圧だけで全て薙ぎ倒したということだろうか? 機関銃の名に相応しい豪快で圧倒的な力技。
 打撃の当たった敵の体は陥没していて、顔に当たった兵士の首から上はねじ切れるか無くなっていた。


「……脆い。僕、あんたらの事嫌いです」


 今まで聞いたことが無いような冷たい声で吐き捨てる可愛らしい機械の少年は、兵士たちにとってどう見えただろう。神話の心を誑かす悪神のように映っているだろうか?


「まあ……今のところそんなことはどうでもいいんだけどさ」


 ルッカとロボの力を目の当たりにした兵士の何人かが彼らを襲う事を止めて俺に剣を向けた。まだ平静な心を取り戻せていないのか構えはばらばら、姿勢も攻撃の形もなっていない。旅に出た頃の俺より酷いかもしれない。
 ……何が腹が立つって、そんな力量で町の人間全員を怯えさせた事、泣き喚く子供たちを笑っていた事。個人的な苛立ちも含まれてるけれど……


「お前ら程度の力で、サラが連れて行かれたってのか……?」


 瞬間で込められる最大の魔力を刀を伸ばすために使い、力のまま払った。途中で引っかかる建物を無視して半回転させる。座り込んでいる町の住人以外の魔物たち数十を胴体から切り離す。家や店、柱なども遅れて倒れていきレンガが崩れて散らばった。石畳は砕け、まるで戦争のよう。間違って無いか、一国の軍隊を相手するんだから。それにしては、弱すぎるけれど。これならガルディア騎士団の方が何百倍強かった。彼らは守るものがあったから、誇りがあったから。お前らに何があるっていうんだ。
 ようやく力の差が分かったらしい魔物たちが逃げ足になりだした時に肉体機能を向上。足に力を入れて回り込み狩っていく。逃がすか誰一人逃がすもんか、全員殺すと決めたなら、俺がそう決めたならそこに変更は無い。
 エンハーサ解放にさしたる時間はかからなかった。







 エンハーサの魔物を全て殺し、町の住民を地上に避難させる。地上の人間を頼る事に渋る人間はいなかった。目の前で人が殺されていくのを見て我侭を言う馬鹿もいなかったということだ。
 感情のまま暴れた為、ルッカとロボはエンハーサ解放の後疲れが見え始めた。現れ出るジール兵士たちを根こそぎ潰していく合間、次の都市カジャールに向かうまででコンディションが落ちてきているのを確認する。よって、ルッカとロボを一時交代。俺はそのまま戦闘に立つ。約束したのは俺なのに、後ろで休んでる訳にはいかないからな。
 カジャールにおいての二人の活躍はロボとルッカを凌ぐものとなった。王女としての誇りがあり民を守るべきという考えの強いマールに国民を守るべき兵士が国民を食い殺しているという現実に発狂しそうになった事だろう。震える住人たちに近づく魔物は全てマールの氷槍の餌食になりはやにえのように突き刺さった後床に血を滴らせていた。
 注目すべきはカエルだろう、今までの鬱憤云々ではなく、誰よりも強い義侠心から怒り狂ったカエルは勇者と言うよりもバーサーカーに近い戦い方で兵士達を両断していった。カエル本来の跳躍力を駆使してその爆発的加速力は誰の目にも止まらずあらゆる生き物を切り倒していった。弾け跳ぶウォーターは砲弾のように飛び交い兵士たちの四肢諸共に四散させる。


「流石、流石だよなあいつらは。でもなあ、あんまり暴れられると困るんだよな」


 伸ばしに伸ばしたソイソー刀……二十メートルから三十メートルくらいか? に突き刺した兵士の死体三、四十体を掲げながら歩く俺に近づく敵はいない。旗幟の役割みたいで微妙だけど、できる限りの恐怖を味わってもらいたい。ソースはお好みで、他の二人が共同でタレを作っています……なんてな。
 時々に剣を振りかぶってくる馬鹿には熱量を上げた電撃を送り、磁力を使って上空に放り投げて刀の先端に突き刺していく。また伸ばさないと駄目かな? あんまり伸ばしてしまうと歩きづらいんだが……トランス状態の俺なら重いとは思わないが。
 こういう時は狂ってもいいんだよな、カエル。そうアイコンタクトを送ると、彼女が返した目線は『存分にやれ』だった。一々言われるまでもないけどさ。それと、頑張りすぎるなよ? 俺の分が減るじゃないか。仲間なら分け合うべきだろうが。


「……糞弱いな、お前ら」


 屈辱と怒りに震えながらも、それ以上の本能に遮られて動けない兵士たちを笑って、俺は町を闊歩した。







 カジャールも解放、まだ生き残っている人たちをマールに誘導してもらう。エンハーサと違い地上への道から遠いここからならば必要だろうと考えたのだ。一時ここで別れてジール宮殿を目指した。黒鳥号にも行くべきか考えたが、あまり時間を無駄にするのも美味くない。まずはサラを救出するのが先決と先を急ぐ事にした。念の為に、カエルにヒールを使ってもらい一時ルッカと交代させる。体力は有り余っているようだが、カジャールにて複数回復が出来るカエルには沢山の怪我人を治療させたので魔力が枯渇しそうだったことが理由である。マールも十二分に治療を行っていたので、出来れば合流した際にロボと交代してもらうべきだろうか? ……今先の事を考えてどうする。ジール宮殿に行けば間違いなく酷い戦いになるんだ、迷うな、俺。


「ルッカ、大丈夫か?」


 ジール宮殿までの山道を走りながら、ルッカを気遣う。ゼナン橋に輪を掛けて凄惨な光景を目にしたのだ、かなり応えているだろう。かく言う俺も怒りで誤魔化せているが、戦いが終われば吐くことは間違いないと思っている。
 しかし、俺の心配は杞憂に終わりルッカは「そこまでヤワじゃないわよ」と強気な発言。走る速さを上げて俺を追い抜いていった。敵わないな、全く。
 幼馴染が気を張っているというのに泣き言を漏らしそうになった自分を恥じて、俺もまたルッカに合わせて走るスピードを上げていった。


「……? おいルッカ、あれ」


「何? 立ち止まってる暇なんか無いのよ?」


 ジール宮殿までもう少しというところで俺は山の下を指差した。そこには、マールたちが誘導する人々とジール兵士たち。「やばいの……? もう! 今から戻って間に合うかしら!?」と慌てているルッカを制止してもう少し様子を見る。どうも、戦っているようには見えないのだ。
 最初はマールも弓を放ち牽制していたが、ジール兵の一人が前に出て頭を下げていた。それに遅れて他のジール兵たちも次々にマールに頭を下げ、ついには土下座まで。敵側からの投降かと思えば、そうでもない。仮にそうならば、マールが許したとしても何らかの罰を与えるはずだが、それもしない。それどころかマールは住民の誘導を兵士たちに任せて俺たちを追って山を登り出したのだ。


「なっ!? 何考えてるのよあの子! あんなことすればまた町の人たちが殺されて……」


「……ダルトンだ」


「えっ?」


 俺の言ってる意味が分からなかったのか、ルッカは不思議そうにこちらを向いて動きを止める。説明している時間も惜しい、何よりそれは会えば分かる話だ。
 立ち止まっていたタイムロスを取り返すべくさっきよりも速く足を上げて走る。疑問顔をしながらついてくるルッカには悪いが、本当に時間が無いんだ。アルゲティでの俺の治療時間だけでも結構なものとなってる。仕方が無いとは言え、町の解放に使った時間も少なくは無い。サラが魔神器を起動せざるを得ない状況になるまで刻一刻と時間が迫っているのだ。
 ……恐らくサラは耐えるだろう、例えどんな拷問に遭ったとて痛みに負ける事無く意思を貫くだろう。でも……その意思の硬さを考慮しても尚それ以上に彼女は優しい。馬鹿な言動をしているくせに、自分と他人を天秤に掛けたら、必ず他人を選ぶだろう。例え選ぶべき秤に載っているものが自分ではなく世界だとしても、彼女は近しい誰かの為に決断してしまう。
 ……馬鹿だと笑う事も出来る。結局その誰かも死ぬ事になるのに、本末転倒だと罵倒する事もできるだろう。でも、しない。それがどれだけ尊い事か分かるから。自分の決断の重みを分からないほどサラは馬鹿じゃないと嘆きの山で知ったから。


「間に合え、間に合え、間に合え……!!!」


 両手の指を握り締めて全力で疾走する。息切れや動悸なんて小さなことは全部無視だ。体が壊れる? あいつが壊れるよりは良いさ。
 辿りついたジール宮殿、その門を叩く事も押すこともせずソイソー刀で切り崩して立ち止まる事無く中に入った。宮殿内に人はおらず、がらんとしたもので、兵士も住人も魔物や人の気配を感じられない寂しいものと化していた。
 気配を感知することに長けているわけでもないので、いきなり物陰から襲い掛かられることも考慮しつつ宮殿内を歩き回る。既に刀は抜いていた。後ろをルッカが銃を片手に守ってくれている。じりじりと摺り足混じりにゆっくりと家や研究室の扉を開け放ちながら中を散策。やはり、人の姿は見えない。ルッカやジャキを見つけた部屋にも誰もいない。魔神器の間には研究者や説明役となってくれた女性は愚か、魔神器も無かった。海底神殿に持っていかれたということだろう。着々とラヴォスを刺激する準備は進んで……いや、もう終わっているのかもしれない。
 誰かが息づく事ない宮殿の在り様に自分で分かるほど焦り出す。もしかして、住人は全員殺されたのだろうかと不吉な想像が頭をよぎるが、今まで血の跡や争った形跡は見られないことから、それは無いと断じる。何処かに連れ去られて殺されたという選択は考えずに。
 ……いよいよとなり、ルッカと俺は二手に別れて捜索を行うも、やはり何処にも隠れている人間や兵士たちは姿を見せない。残る場所は唯一つ、女王の間。もしここにも誰もいないとなれば、すでにサラは海底神殿内に連れて行かれたということになる。


「海底神殿にいるとすれば……くそ、どうする……」


 女王の間へ続く階段でルッカと合流して、俺は頭を押さえて弱音を吐いてしまう。横でルッカも弱弱しく「大丈夫よ」と呟くが、根拠無く胸を叩く事もできないようだ。
 階段を一つずつ登り、手すりに手を掛ける。気を抜いていたつもりは無いのだが一瞬体がぐらつき視界が軽く横転する。危なく階段から落ちそうだった俺をルッカが心配する声が聞こえるも、彼女を安心させる言葉はすぐには出なかった。
 ……後ろを振り向いた俺が見た場所は、宮殿内の少し幅の狭い通路。中央で人間が両手を横に伸ばせば壁に手が届きそうな、近くに段差のある場所。俺とサラが出会った場所だ。
 本当に、誰かに言っても信じてもらえそうにない出会い。出会い頭に生クリームを頭からぶっ掛けられて、俺がサラの顔に塗り返して、それにサラが理不尽にも怒り出して街中なのに魔法を放って……馬鹿らしくて、楽しかった時間。ルッカとの事で気落ちしていた俺の背中を押してくれた時間。
 それは小さな力。サラからすればそんなつもりは全く無い、俺の背景を知らないのだから当然だけど。大体、俺の背中を押してくれたなんて表現さえこじ付けがましいそんな……


「……また会いたいな。いや、絶対に会ってやるけどさ」


「……サラさん……だっけ?」


「ああ……そういえば、あんまり話してないんだよなルッカは」


 俺の問いかけにルッカは答えず、そのまま女王の間へ歩いていった。
 不安を胸に俺もまたそれに続いて、長い通路を歩き白い装飾の少ない扉を開き始めた。隙間から漏れ出る魔力は気配などよりも濃密な存在を感じさせる。そうか、ここにいたか。喜ぶところでも無いが……お前がそこにいることが確かな手がかりになる。ここはサラへと続いていると。
 扉を開け放ち、そのまま部屋の中に足を踏み入れる。奇襲なんてものは無い、一度戦い、また彼女を庇っていた男……会話もままならなかったけれど、卑怯ではないと分かっている。確かな物をこいつは持っている。
 女王の椅子に座って、拳を握りながら両手を合わせて俺たちを睨みつけているのは、ジール王国部隊団長ダルトン。殺気は研がれ刃物のように、視線はそれ以上に洗練された獣の如く。触れれば切れると言いたげな存在感に彼が本気で立ち塞がろうとしているのが分かる。
 長い髪の毛を揺らして、ダルトンはゆっくりと立ち上がった。


「そこの光の柱が海底神殿へ繋がっている。簡易だが、移動装置だ。その先にジールも預言者もサラもいる」


 椅子の後ろへ親指を示し、視界からその巨体をずらして移動装置の存在を確認させる。光に照らされて浮かぶ埃が何も無い床に吸い込まれている様は魔力によって何らかの効果があることを強調していた。
 魔王城にあったものと似たような……いや、それ以上の魔術だろう。何せ、浮遊大陸のジールから海底まで運ぶというのだ、ダルトンは簡易と言ったがとんでもない。これだけの移動技術を小さな範囲で作るなんて天井知らずの力が必要だろう。魔法王国の真髄というところだろうか。


「……そこの眼鏡を掛けた女、それに……今宮殿に入ってきた弓を持つ女、お前らは進んで良い」


 弓を持つ女……疑い様無く、マールの事だろう。


「お前、誰が宮殿に入ってきたか分かるのか」


 俺の質問に愚問、と言いたそうに見下す。長身故にそうなるのは仕方ないが……どうも馬鹿にされているようで落ち着かない。
 進んで良いのは、マールとルッカ。俺は勘定に入れられていない。それはつまり、そういうことなんだろう。ライバル認定は、嘘じゃなかったようだ。俺は小さく舌打ちして刀を抜く。次いで魔力解放。いつでも放てる、綿密な構成や詠唱は必要無い。仮に、マトモにサンダーを当てたって効く訳無いんだから。


「ルッカ、マールを連れて先に行ってくれ。俺は野暮用が出来ちまった」


「……馬鹿? この状況で決闘でもするの?」呆れながら彼女は言った。


「しゃあねえだろ、そこらのジール兵ならお断りだが……ジール王国団長様の御指名なんだぜ……コイツの事、嫌いじゃなくなったしさ。それよりも、二人で進む事になるが……ルッカたちは大丈夫か?」


 屈しはしたが、ダルトンはアルゲティでサラを守ろうとした。なら、応えてやるべきだろう。
 暫しの間ダルトンと睨みあっていると、息を切らしたマールが部屋に飛び込んできた。彼女が何かを言う前に、頭が痛そうに擦るルッカが彼女の手を引いて無理やり引き摺っていった。悪いなマール、説明はルッカから聞いてくれ。
 慌てているマールを無視して、ルッカが光の中に入る一歩前で立ち止まり、こちらを見る事無く声を荒げた。


「私たちの心配なら無用ね……でもあんた、すぐ追いつくんでしょうね!? 待たせたら頭撃ち抜くわよ!」


「……その質問に、答えがいるか?」


 少しの間その場で動かず……彼女はマールと一緒に姿を消した。海底神殿に跳んだのだろう。直前で見えたのが笑顔だった事で、俺があいつらの心配をする必要は無くなった。
 俺の我侭に付き合ってくれたことに感謝して……彼女たちが通り過ぎても決して俺から目を離すことの無かった猛獣のような男を見やる。射抜くような視線にたじろぎそうになる心を押し殺して口を開いた。どうしてもという程ではないが、聞きたいことがある。


「カジャールの人間を地上に誘導しているのは、お前の部下か?」


「数少ない、が付くがな。俺直属の人間の部下だ」


 宮殿の人間を避難させたのもお前の命令か、とは聞かない。聞く必要の無い無粋な言葉はいらないだろう。今から戦う人間同士がべたべたと馴れ合う理由も無い。


「俺様からも質問だ。クロノ貴様、俺様を殺す覚悟はあるか?」


 殺す覚悟とは、大袈裟に過ぎる言葉に笑いそうになるが真剣な様子のダルトンを見てそれは堪える事にする。
 殺すか……刀を抜いているんだ、普通なら当然のことだと思うんだろうな。
 でも……俺に人間を殺す気は無い。ジール兵たちも全て魔物の変化、でなければ流石に串刺しにするなんて悪趣味な事はできない。もしかしたら、あの状況ならしたかもしれないけど。ダルトン相手にそれをする気は毛頭無い。


「……言うまでもないようだな。分かった、だが俺様はお前を殺すつもりだ、そんな甘い世界で生きてきたつもりはないし、その程度の意志で上り詰めた立場でもない。だがそれじゃあ平等じゃないだろうが? ……よって、こうしよう」


 ダルトンはマントの一部を力任せに千切り取り丸めて、それを歯で咥えた。その後左手を持ち上げて……聞こえる程に強く振り落とし右肩に叩きつけた。衝撃音と一緒にびき、と嫌な音を立てて。
 何度も、何度もそれを繰り返し、いよいよ彼の拳からは血が流れ始め、右肩部分の服が赤く染まる……何がしたいのか、全く分からない。ただ自分の体を壊しているようにしか見えない。今から戦うという時にどうしたというのか?
 追い立てられるように自分の肩を殴る剣幕から、何故かじりじりと圧倒されていく。最後に……決定的な粉砕音が響いた後、ダルトンは荒く息を漏らし脂汗を流しながら口の布を落として笑った。


「こ、れで……ハンデは、無しだ……!」


 おいおい……その為だけに自分の肩を砕いたって? 刀を抜いた敵を前に、一々そんな馬鹿なことを、自分で自分の利き腕を壊すような真似をしたのか? 頭おかしいんじゃないか? 思わず心配しそうになるような、呆れた行為。……しかし、俺は呆れるよりも先立つ感情が止まらないことに気付いた。
 ……ぞくぞくするじゃないか。騎士道とも武士道とも誇りともフェア精神なんてものでもない。ただ狂っている。
 分かり辛くても、これが彼なりの敬意の表し方なんだろう。俺というまだ大人にもなれない年齢の子供を強敵と認めたうえで対等に戦いたいという自分の欲のためだけの行為。不遜である為に、また強者である為の愚行。


「……分かったよダルトン。あんたがどんな人間か分かった。俺も忙しいんだけどさ……これは楽しむしかねえよな」


 口を開き笑う獣の威嚇を合図に俺は刀を伸ばす事無く通常の刃渡りで斬りかかった。手負いの獣が相手とは、随分な趣向じゃないか。
 海底神殿に入ってからが本番だと思っていたがとんでもない。前哨戦扱いには出来ない。これからサラを救い出すまで、ずっと絶頂期だ。少なくとも気なんて一瞬も抜けない。このダルトンを前にして手を抜けば瞬間殺される。その真実が……戦闘なんて特に好きでも無い俺ですら心が躍る。
 ダルトンは犬歯を見せびらかして、激痛の中にあるだろうに不敵な笑みを見せた。


「は、ハハハ……ハハハハハ!!! 一々考えるのは後だ……今はクロノ、俺の生涯に唯一と認めた強敵である貴様を倒す事だけを考えようじゃねえか!」


「強敵ねえ……そんなもんに興味は無いけどさ、認めてもらうのも吝かじゃあねえかなぁ!!」


 俺の斬撃は前に戦ったときには付けていなかったダルトンの鉄甲に遮られ軌道を変えられる。流れていく刀に目が行くことも無くダルトンは蹴りを繰り出した。強靭な足が目の前に迫り俺の体は軽く飛ばされる。ガードが無ければ悶絶していただろう、体術も並じゃ無え……刀を手放さなかったのは奇跡だ。
 改めて構えを直し、敵の技術を考えてみる。魔術は緻密、詠唱の速さは俺を遥かに凌駕している。体術は俺よりも上、マールと同程度だろうか? それでも王妃には及ばない。力はカエル程ではなく、ロボよりは上。魔術のアレンジならば俺に分があるはず。
 ……やはり、戦えば戦うほどに感じる、俺と似た戦い方。実力も単純な比較なら俺を上回るだろうが、その実拮抗したものだろう。性格はここまでぶっ飛んだものではないにしても、俺と近い性質を持っているように感じる。敵でなければカエルのように良き友になれただろうと思う。
 だからこそ……戦っていて楽しい。一つの間違いが敗北に繋がる緊張感が堪らない。
 知らず弧を描き出す口元を戻す事無く、さらなる攻撃を加えるためダルトンに足を走らせた。彼もまた笑っている。そりゃあ楽しいだろうさ、俺だって楽しいんだから。
 人を殺すのは絶対に避けたい俺だが……何でか、こいつなら殺し合いをしても良いかな、と思ってしまった。それが礼儀なら、それもまた正義となる。
 きわどい攻防の時間が過ぎる中、稀代の武士の心を持つ男と対峙しているこの瞬間に僅かだけ感謝を。
 何でか俺はこの戦いが終わった時、ダルトンと友になれれば、という詮無いことを少しだけ思ってしまった。


 叶うことはきっと、無いだろうが。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:07
 クロノと別れたルッカ、マールが海底神殿に侵入しておよそ十五分。彼女らは予想を上回る苦戦を強いられていた。
 まず彼女らの考えと違っていたのは敵の強さ。王国内にいた兵士たちとは雲泥の差である力量を持つ魔物の群れを相手に進行が遅れるのは自明の理であった。長丁場となる戦いにマールの矢は尽き魔力によって精製された氷の矢で通常攻撃を補っている。
 致し方ないとはいえ、ルッカはそれを旨くないと考えていた。ただでさえ魔力消費のあったマールが通常武器ですら魔法に頼るとなると消費量は単純に二倍。ルッカでさえそう思うなら当人のマールは一層強く感じている事だろう。
 とはいえ、ロボかカエルと交代させることも出来ない。宮殿に入る前にクロノから通信機は受け取っているが、彼女を交代させる時間が無いのだ。絶え間なく襲い掛かる魔物たちは時の最果てに移動する僅かな時間すら与えてくれない。結果ルッカは肩で息をするマールに無理を強要させることとなる。マール本人がそのように思うことはないだろうが。


(……二人で、大体三十匹はやったかしら? なのに、まるで先が見えない………!)


 仮面を付けた兵士だけでなく、目玉を中心に四肢が広がる魔術を多用する悪魔、下半身のない浮遊物体や未来の科学技術を上回る高性能自動戦闘機械など決して油断の出来ない魔物たち。それらが波のように押し寄せ、またそのもののように途切れはしない。牙で食らいつく瞬間までモンスターたちは彼女らを襲う事を止めない。
 自分が焦燥の念に駆られていることを自覚したルッカはじりじりと削られていく自分たちの今の状況を、まるで絵の具を入れた水のようだと思った。透明の澄んだ水を、キューブを絞り投下される顔料がじわじわと追い詰めていく。
 さじずめ自分はバケツの底に逃げる哀れな水なのか、と自嘲してルッカはきっ、と敵の群れを睨んだ。しかし、自分の眼の何倍もある視線が返ってくることに嫌気を覚えたように彼女は目力を緩めてため息を吐き、海底神殿内部にそこかしこに存在する魔物の彫像に背中を預けた。勿論、銃口を向けて火炎を作り出しながら。
 雷撃水撃氷撃炎撃と賑やかな歓迎を受けて、ルッカとマールの戦いは凄惨たる様相と変わっていった。
 古代の戦いが、終わろうとしている。











「ぜああっ!!」


 斜め下、視点の高いダルトンから見れば死角となる位置。飛び込んだときから回転を加えていた、遠心力を活かしての回転切り。三連の流れになるものの、一撃目の切りかかりを左手で掴み取られ俺は何がどうなっているのかすら読み取れなくなった。
 いくら手甲を付けて魔力強化を加えていたとしても、真剣勝負の戦いで敵の刃物を掴むなんて芸当が可能だろうか? ……ダルトンはそれをしてみせた。そのまま刀を引っ張られて、釣られるように俺もまたダルトンに近づいていく。顔が間近に迫り、彼は心底楽しそうに「遅え」と、笑った。


「ダルトン様を舐めてんのか? おい!」


 無理やりに刀を剥ぎ取られ、首を掴まれた俺は高く掲げられて力任せに投げ飛ばされた。部屋の柱にぶつかり肺の空気が飛び出し酸素を求めているのに吸うこともできない。痙攣する腕は遠く離れた場所に落ちている刀を求めて彷徨うが、まず体が動かない。魔力で引き寄せるにも、魔力を練る為の精神集中が上手くいかない。
 焦らず深呼吸をこなし、まだ立ち上がることを拒否する体に歯軋りしながら這って進んだ。無様でも、このまま横になっている訳にはいかない。それでは、約束が違う。その選択が可能なら、そもそも俺は旅なんかとっくの昔に止めてるんだ……!
 後三メートルで刀が手に届くという所で背中を強く踏みつけられた。その力は御伽噺に出てくる妖怪みたく重さを増していき、ついにはまた呼吸が出来ない程の、内臓を外から押し潰されるような万力に変わった。
 俺を踏みつけて見下ろしているダルトンが唾を吐き、俺の顔に付けた。


「……嘘だろおい、クロノお前そこまで弱かったか? そんなちっぽけな力であいつを助ける……助けられるつもりか?」先ほどまでの表情が零れ落ちて、中から無機質な顔を見せながらダルトンが小さく呟いていた。


「ぐ……えええ……」


「汚えなぁおい? 何が汚いってお前、卑怯だ。俺様だってなあ……力無い人間の蛮勇って奴に浸りてえぜ? それが出来ないから、俺はここにいるのによ……!」


 踏みつけていた足を上げて、ダルトンは虫にするように何度も落とした。足を上げて落として上げて落として、硬いブーツの踵が当たる度に背骨が悲鳴を上げる。体が海老反りになっていくのが止められない。
 無理やりに発動させたサンダーを腹の下で爆発させて、自分の体を飛ばす。刀のある位置まで移動した俺はそれを握り、近くの柱に体を預けて座りながら刀の先を向ける。
 自分でも、今の俺の姿は虐められっこがする虚勢の構えに似ているんだろうなと自虐的なことを思った。
 ……強い。前に戦った時よりもさらに強い。覚悟の違いとでもいうのか、闘気の量……その雰囲気、全てが前回と違う。今の彼は魔力を使わず肉体だけで強かった。得意の召喚魔法どころか、鉄球やエネルギー体すら用いていない。
 舐められているのは俺の方かとさえ思ったが、それは違うだろう。ダルトンはこれ以上無いくらい本気だ。自分を高く評価して、常に自信を見せ付けている自称天才が本気になったのだ、そりゃあ強いだろうさくそったれ。
 痛む体に鞭打ち体を強く柱に押し付けて勢いのまま立ち上がる。俺はまだ戦いが始まって一度も有効な攻撃を当てていない。
 回避はされていない、というよりもダルトンは俺の攻撃を避ける素振りすら見せなかった。君臨する王の如く彼はただ俺の攻撃を待ち、左手だけで受け止め弾き返し反撃を当てる。俺の粗末な攻撃なんか避けるまでも無いというように。


「はっ、はっ、はっ……」


 呼吸を乱し睨み付ける俺をダルトンは目を笑わせずに口だけつり上げて形だけは笑みの形に変えた。


「疲れたのか? ……下らん奴だ。醜い奴だ。お前はまだ何もやってないぞ? 精々愚民を助けて粋がっていただけの馬鹿。それが今のお前だ」


 砕けた肩が痛むだろうに、ダルトンは胸を強く叩いて吠えた。


「男なら! 助けると決めた女に会うまで情けねえ顔してるんじゃねえど素人!!!」


 びりびりと噛み砕くような強さのある声が部屋中を支配した。カーテンは揺れて、窓は割れそうな程震えている。カーペットの毛糸が逆巻いていくことすら視認できた。
 ……風格。ダルトンはそれを身に纏い俺を見下ろしている。体が大きいから見下ろしているのではない。体ではなく、ダルトンという男が大きいから俺を見下ろしているのだ。


「……うわ、負けたくねえ……こんなん負けられねえだろ」


 喉の奥がイガイガするので粘つくものごと吐き捨てる。
 ……告白しようか。今まで俺は気持ちの上では真剣だった。全力を出していた。それでも……トランスやサンダガといったものをそのまま攻撃に使う事無く肉弾戦のみで戦っていた。ソイソー刀を伸ばす事すら途中でやらなかった。攻撃に魔力を使わないのはダルトンもそうだったから、右肩を砕いた彼に対する礼儀のように頑なに刀だけで戦っていたのだ。
 なんて、馬鹿。俺と目の前の男では年季が違う、戦ってきた場数も戦いに対する信念も違う。俺がダルトンに勝てる所なんて……精々が、負けたくないという一心だけだろう。それを、持ち手を出さないまま倒す? 初めて中世に行ったときも言ったけどさ……夢見てるんじゃねえよ、俺。最初の頃からどうも、俺は変わって無いな。
 実力が拮抗? それは小賢しく必死にしがみついた結果近づくってだけだ。同じ土俵で戦って格上のダルトンに勝てる訳ないだろ、馬鹿かマジで。
 電流による火花を出し始めた時、ようやくダルトンに不敵な、けれど不快そうではない笑顔が作られた。


「ようやくかクロノ」


「ああ、正々堂々なんてのは止めだ。騎士道精神なんて、よく考えれば俺は持ってなかったよ」


 似合わない事を背伸びして始めると碌なことは起きない。勉強になったな。授業料は今から払う事にしようじゃないか。
 互いに一歩ずつ近づき、ダルトンは腕を前に、俺はその代わりに刀を前に。今からはドロドロだ、卑怯も背後から切りかかるもまた殴りかかるも有りの喰らい合い。始まりくらいは礼儀に則ったもので開幕しようじゃないか。


「俺様が一番言われたくない言葉を教えてやろうか? ……戦いの際に『正々堂々戦いましょう』という台詞だ」


「急だな、それがどうしたよ」


「まあ聞け。正々堂々戦いましょう何て言葉は、それこそが卑怯だ。そう思わんか? あの手この手と、様々な手段を使う事を禁ずる、と相手に宣告しているのだからな。てめえの勝手に決めたルールを相手に持ち込むなと言いたい。往往にして、戦いとは汚く卑怯で無様でみっともなくて……楽しいものであるべきだ」


「……最後だけは同意しかねるが……あんたらしいよ、ダルトン」


 ダルトンが上段から大振りに拳を振るのと、俺の右下からの切り払いは全く同時だったように思う。
 さあ、今から俺の無礼を詫びよう。最高のもてなしを受けたのだから、最上の敬意を与えねば。
 海底神殿までは、まだ遠い。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十話 He is doomed to die eventually. かくして、彼は約束を違える事になった












 薄暗い、電気による灯りはそう意味を為さない円形の広ばった空間にてルッカたちは限界を感じていた。
 魔力は底を尽くか否か、マールに至っては素手による格闘戦を繰り広げていた。体中に無数の傷を刻み尚戦う姿は感動さえするものだが、それで手を緩める者などこの場に誰もいなかった。
 魔物たちは一騎奮闘を見せる彼女らに臆する事もなく淡々と詰め寄り爪を、牙を、魔力を放っていく。ペース配分を考えさせない戦い方は、効果的とも言えるだろうが……自分の命を顧みないからこそ打てる戦法。


(いくら魔物だからって、こうも命を捨てられるものなの!?)


 マールの心の叫びは届く事無く、今もまだ迫る魔物を蹴り倒していく。拳は割れて、一度のミスで作られた背中の傷から川のように血が流れ出している。意識の希薄はまだ訪れないが、集中力が途切れる時間が長く小刻みに変わっていくことに危機感は感じていた。次にその隙を衝かれれば自分の体は瓦解していくと分かっていながら、彼女は後ろで銃を撃つ友の為に退く事は無い。自分を囮にして敵を引き付けている。
 そのことにルッカは気付いていないわけではない。出来うるならば、今すぐにでも「下がりなさい!!」と怒鳴りたいが、それもまた出来ない。もしマールが下がれば、格闘スキルの無い自分が為すすべなく死ぬ事を知っているからだ。
 保身ではない。冷静な思考を回した結果、心許なくても援護がある今とそうでない未来ならばマールとてルッカの援護が必要だろう。自分が消えれば結果的にマールも死ぬ事になる。結果、マールの危機を知っていながらルッカはそれに頼るしか出来ないのだ。その為、入り口付近で待機しつつマールに遠隔から攻撃を加えようとする魔物を撃ち抜いていた。


「……限界ね。本当は、ここで見せるものじゃなかったけど……マールも危ないし、このままじゃあの馬鹿との約束も守れないわ……」


 そう言うとルッカは背中に回した鞄から拳大の黒い物体を取り出し、マールに「離れなさい!!」と声を掛けた。マールはそれに否定の返事を返そうとして……声を呑み無理やりに包囲陣を抜け出す。その折僅かに足を切られるが、絶好のタイミングであったろう。下手に抜け出る瞬間を見誤れば体中をズタズタに切り裂かれただろうから。


「何か……はあ、はあ、考えがあるんだよっ、ね……はあ、はあ」


 声を詰まらせながら問うマールにルッカは頭を掻きながら「考えって程のもんじゃないわよ」と言ってゾンビの群集のようにゆっくりと押し寄せてくる魔物たちを見据えた。
 片手に持った黒い塊を遊ばせながら、魔物たちが部屋の中央に押し寄せ密集する時を待ち……ついにその時がやって来た。
 ルッカは不安そうに見るマールに「力任せの暴力案よ!!」と叫んで黒い塊の天辺に付いてあるピンを抜き、敵の充満する場所に投げはなった。そして、横に倒れているマールに覆い被さり、驚いている彼女を無視して耳を塞ぐ。
 ……静寂。遅れて……海底神殿を揺らがすような大轟音と彼女たちを襲う熱気。ルッカの作り出した火炎膜により幾許かの減熱は可能だったが、それでもマールは喉が焼けるのではないかと思うほどの熱を感じた。
 ようやく弾圧的とすら思えた熱量が過ぎ去り、ルッカが体から退いた後、マールが見た光景は実にこざっぱりとした空間だった。魔物の大群は消え失せ、残るのは巨人が歩いたのではと疑いそうな床のへこみと朦朦と立ち上る煙。壁には巨大なトマトをぶちまけた様な血の跡。これらから連想して、マールはルッカが爆弾の類、それも規格外の威力であるものを投げたのだと知る。


「こ……こんなのがあるなら、初めから使ってよぉ……」


 へなへなと力を抜かすマールにルッカはごめんごめんと頭を下げて、少し陰鬱な表情を見せた。


「これ、メガトンボムって言うんだけど、あんまり数が無いからね。出し惜しみしてたというか……一番にこれをぶつけたい相手がいたのよ」


「……クロノ……じゃないよね? こんなの当たったら、絶対やばいよ?」マールの額に運動での発汗とは違う汗が一筋伝った。


「いや、流石にあいつには使わないわよ。私がバラバラにしてやりたいのは……名前も知らないけど、仮面の男」


 その言葉に仮面の男は沢山いた、もしかしてもう倒したのでは? と返すマールに違うわと前打ってルッカは頭を振った。


「絶対に分かるわよ、あいつの気配は。忘れないもの……」


 落ち着いた言葉とは裏腹にルッカの目は鋭く、手は何かを耐えるように震えていた。誰もいない空虚な空間を見つめて、何者かを幻視している様相にマールは一つ身震いをした。
 何とは無く手持ち無沙汰になり、話す言葉も見つからないマールは己の怪我を治療しようと魔法を唱えるが魔力は残っていない事を思い出し手をぷらぷらと揺らす。それに気付いたルッカは「時の最果てでロボかカエル……そうね、ロボと交代してきなさい」と軽く声を出した。「よくやってくれたわ、ありがとう」という感謝も語尾に付けて。
 ルッカも交代すべきでは? というマールの言葉に彼女は笑いながら手を振って、「私はやることがあるから」と断った。無理は禁物だと厳重に注意をしてから、マールはすっと立ち上がる。
 もう暫く魔物が現れる気配は無いが、念のため後ろに下がってから交代してくれというルッカの提案に頷き、マールは少し足を引き摺りながら今来た道を戻っていく。


(……魔力消費はエーテルでなんとか誤魔化せるわ。体力もこのまま座ってれば戻るでしょう)


 座りながら足で床を押し出して移動し、壁にもたれる。冷え切った海底神殿の壁は火照った体を冷やすのに一役買ってくれる。鞄から魔力回復薬の入ったビンを取り出し、中身を飲み干す。いつ飲んでも独特な苦味を齎す味にルッカは若干痺れた舌を出した。
 伸びた息を吐き、もうマールの姿が見えない通路を見やって、もう一度息を吐く。それを何度か繰り返して、腕を足をぷらぷらと浮かして振る。まだまだ動ける、と自分の体を確認して、次に眼鏡の汚れを拭き始めた。
 その後も休憩と自分を納得させながら必ず何かしらの動作を行う。じっとしていることも出来ないのか、とルッカは自分を笑った。


「……クロノ、大丈夫よね……?」


 誰もいない中、空漠とした不安を漏らしてルッカは目を閉じる。例え魔力が回復したとて、それを練る精神集中ができなければ意味が無い。努めて平静な思考を保とうと試みるが、どうしても赤毛の幼馴染が気になってしまう。結果、彼女は意味無い屈伸運動や柔軟体操などを繰り返していた。
 それも飽きて、マールの去っていった方向を見る。遠く暗闇の広がる通路の先には何も見えない。もうしばらくかかるか、と踏んでルッカはもう少し先に進んでみようかと立ち上がった瞬間、後ろから何かが飛来する気配を感じ振り向いた。
 飛んでくる何かはルッカの横を通り過ぎ、摩擦音を立てながら床を滑って部屋の中央を僅かに過ぎた地点で止まった。


「…………え?」


 ある程度疲れは取れたはずなのに、ルッカは自分の足が震えていることを不思議に思った。それより何より、幻覚すら見るとは、と。
 落ちている何かは派手に中身の液体を撒き散らし、動かない。解体した肉を入れた袋のようにボトボトと血が流れ出すそれは確かに人だった。赤く染まらぬ部位など無い人体は本来美しく輝くであろう金の髪を斑に染め上げ、白桃のような肌は血化粧に染まりながらも微かに覗く元の肌色は青く寒々しい。無地無色の服は人の体には存外に多い血液が流れているのだと思わせる。
 ──彼女の名前は、ルッカの想像が正しければ。今まで笑い合い、冗談を言いながらも自分が勝手にライバル視して、最も信頼できる同姓の女性の名前は。


「ま、ある……?」


 言葉にしてようやくルッカは硬直した体を動かす事に成功する。
 まともに走りよる事すら出来ず、みっともなくじたばたと駆け寄り倒れ伏すマールの側に座る。上手く動かぬ手を使い脈を計ると、酷く弱弱しくも鼓動を感じさせた。とはいえ、それがいつまで続くのか分からない。早急に治療を行わねば、と通信機を使い時の最果てに移動させようとした瞬間……


「……!?」


 怖気の立つ危険信号を感じ取り、マールの体を抱えて横に飛ぶ。コンマ一秒以下の時間差で今までマールの倒れていた場所に火柱が立った。豪炎と称されるであろうそれに巻き込まれれば、小さな彼女の体など数瞬の内に炭と化していただろう。
 慌てる自分の心理を無視して、ルッカは自分たちに攻撃を仕掛けてきた方向へ銃を向けた。トリガーに指は掛かっている。例えいかなる人物であろうと、姿を見せた瞬間引き金を引く心積もりだった。
 背筋に流れる汗を感じても、ルッカは動く事無く石の様に射撃体勢を解かずそのまま少しの時間を消費する。
 こうしている間にも背中から弱った呼吸を漏らす親友が死にゆくという事実が焦燥の感情を燃え上がらせる。唇を噛み、来るべき時を待つ彼女は、結局先手を打つことは無かった。何者かの声を聞いた時、一瞬の内に思考は白く塗り替えられたから。


「……あれぇ? まだいたんだ侵入者。まあいいや、これから駆除するし」


 仮面の男。今までにも幾人も見てきた、葬ってきたその姿。されどその中身は決定的に違う。意思無く迫るガラクタ染みた魔物と一線を画す悪意。仮面の下にあるだろう愉悦の混じった声を、ルッカは知っていた。
 今まで、これほどの殺意を抱いた事をルッカは知らない。今まで生きてきてこれほど誰かを殺したいと願った事をルッカは覚えていない。恐らく、それは覚えていないのではなく無かったのだろう。再会時に息を吸うことすら忘れる怒りをルッカは感じたことが無かったから。


(そっか。こいつ、クロノだけじゃなくて。私の友達にも手を出したんだ)


 自覚できる怒気とは反対に、心は波紋すら無い水面のように動かなかった。烈火のように叫びまわるかと思っていた分、ルッカは自分の心理に拍子抜けした。元来、怒り狂うとはこういうことなのかもしれないなあとぼんやり思う。


「ああん? あんたどっかで見たと思ったら……あれか。あの臭い洞窟にいた女か。あの男もここに来てんの? ……って、あんな腰抜けがここに来るわけ無いか」


 自分の台詞に笑い、仮面の男はひょいひょいと軽い足取りで部屋に入る。ルッカはそれに応じる事無く、マールの体を出来るだけ揺らさぬように持ち上げて部屋の隅に運んだ。


「もしかして、あれじゃん? お前あの男の彼女的な? だとしたら悲惨だよねー、あんな奴のソレじゃ、濡れるもんも濡れないでしょ? つーか、玉無し?」


 掌を開いては握るを繰り返し、ルッカは自分の体調が万全だと気付いた。案外、自分は動けそうだと。
 軽く火炎を体から放出して、ルッカは自分の残魔力が完全に回復していると気付いた。案外、自分は戦えそうだと。
 今の自分の心境を省みて、ルッカは自分の残虐性に気付いた。案外、自分は躊躇い無く残酷に命を摘み取れそうだと。


「提案なんだけどさ、あいつ止めて俺にしない? 天国までイかせてあげんよ? まあ、その通りに屍姦しか興味ないから取りあえず死んでもらうけど」


 ルッカには、聞きたいことが沢山あった。今まで何処にいたのか、さっき通ってきた時にはいなかったじゃないか、女王たちは何処にいるのか……それらの疑問は虫唾が走る声とその内容に掻き消され、殺意の篭った言葉しか口に出来なかった。


「……殺さなければ興奮出来ないの。同じね、今の私と。私もあんたを殺せばとんでもなく高みにイけそうだわ」


 仮面の男はキヒッ、と笑い仮面を取った。中から出てきたものは頭頂部右に黒い髪、左に白い髪が垂れている人間の顔。ただし眼は金色しか無く、白目の部分など無かった。べろりと伸ばした舌は地に着きそうな程長く、それだけで人間では無いという証明になっていた。
 仮面を取った瞬間男の体は盛り上がり、背中が異様に膨れている様は魔物としても異形といえる姿だった。


「あんまり本気出すわけにはいかないからさ。ほら俺出し惜しみするタイプだし。ところでさ、お前何て名前? そのキツそうな性格面白いんだよね。覚えておいてやるからさ、教えてくれよ」


 姿が変わっても、その口振りは変わらず軽いものだった。楽しげな口調で話しかける男の声にルッカは一切合わせる事無く、それでも質問の答えだけは返しておいた。


「……ルッカよ。あんたを殺す人間。それで、私に殺されるあんたは何て言うの?」


 最後を締めくくる寸前だけ笑顔を見せて、ルッカはまた無表情に戻る。その挑発的な行動に男は噴出し、しばらく腹を押さえて動き回った後口を開いた。


「俺か? 俺の名前は──」












 左足を前に出し、立てた刀を右に寄せた。俺の得意とも言えない八双の構え。軸足を動かす事無く、踏み込みの瞬間を待った。
 ダルトン相手に、刀身を伸ばして攻撃しても意味は無い。また掴み取られてぶん投げられるのが落ちだ。むざむざと相手に攻撃の隙を与える必要は無い。
 今まで戦い分かってきたこと、それはダルトンは万能を語るが、基本的にはインファイター、中距離遠距離への攻撃手段をあまり持っていないということ。鉄球を落とすのは自分を支点に半径三メートル程。魔力球は速度が遅く、威力はあっても避ける事や叩き落す事も可能。あらゆる方向への対処が可能であるこの構えなら、防御できない可能性は低い。
 ……勿論、弱点もある。踏み込みの瞬間を待っているとはいえ、俺とダルトンとの距離は五メートル弱。相手の隙を衝くには遠い。今は長考の時、打開策を思いつかねば、戦うにも戦えない。がむしゃらにやれば活路が開く訳でもないのだから。


「どうしたクロノ……半端な位置で止まりやがって。そりゃあれか? 俺が中距離を攻撃できないと踏んだのか?」


 ……まるで読まれている。この方針は間違っていたか?
 いや、揺らぐな。分かっていても動けないのが戦い、ダルトンが打てる手段は無為に魔力球を放つか、痺れを切らして接近するかしかない。その為にこっちはわざわざ迎撃の構えを取ったのだ。
 言葉を返さない俺にダルトンは「やっぱりか」と肩を落とし、おどけたように笑う。


「……山高きが故に貴からず」


「何だって?」唐突に言われた言葉の意味が掴めず俺はすぐさま問い返した。


「なあに、魔法部隊団長の名前は外面だけのもんじゃねえってことさ。召喚魔法があったとて、近距離用の鉄球や、鈍い魔力球だけで登れるほどなだらかな山じゃねえぞ、俺の地位は!」


 唾を吐きながら怒鳴るダルトンの左手から、先程まで使っていた魔力球に酷似した力が集まる。違うのは大きさと、そこから感じられる熱。ダルトン以外の絨毯や椅子がじりじりと焦げていく。作り出す過程でここまでの力が放出されるなんて、並の魔術じゃない!
 叩き落せるか? 却下、最悪ソイソー刀すら溶かされるかもしれない。避ける……しかない!


「バースト、ボール!!」


 ダルトンが左手を俺に向けて熱の塊を打つ。咄嗟に横に転がり避けても、床に当たったバーストボールは周囲に火をばら撒き、髪が少し焦げた。その二次災害は氷山の一角。凝縮を重ねた魔術でこれほど外に広がるとは、込められた魔力は尋常ではないと予想される。火はすぐに姿を消し、ダルトンの魔術が衝突した床はどろどろに溶けていた。
 鉄球やサンダーの落雷を受けて無傷だった床が溶ける……ソイソー刀での防御は不可能だと思い知ったよ。間違って受ければ体が蒸発するか、当たった場所だけ溶けて死ぬか。
 凶悪。ダルトンという名術士が攻撃の為だけに研ぎ上げた、恐らく切り札だろう魔法。ルッカの火炎魔法の数倍から数十倍の威力を誇っている。魔術合戦で、俺に分は無い……!


「……結局、切りかかるしかねえんじゃねえか!!」


 作戦を練る時間も、気を緩めていい道理も無い。結局俺は反撃をされない程度に、されど魔術を行使されるほどでもない距離を保ち攻撃を加えていくしか方法は無いのか……いや、それでは生温い。さっきのでダルトンがカードを全て見せたとは限らないのだから。
 刀の先を水平よりも二拳分程下げて突っ込む。突きか、持ち上げて薙ぐか、どちらにせよ、引きを速くしなければさっきの焼きまわしだ。
 ……仕方ない、右腕を動かせないというハンデ、貰うぞダルトン!


「悪く思うなよ……!!」


 突進しながら、ダルトンの前面に立つ前に、踏み込む左足で強く左に飛ぶ。ダルトンの右側に陣取り足に切り込みを入れようと振った。飛んで逃げればサンダーで追い討ち。失敗しても、反撃は無い、出しても損は無い手札。
 ……無いはずなんだ。反撃は。いくらなんだって体勢を変えて左手で俺を殴るなんて芸当は不可能のはずだ。蹴りを入れるにも、今正に足に切り払いを掛けている今それを行えば足を失うことくらいダルトンには分かっているはずだ、あいつが出せる行動は回避しかないはずなんだ。
 取った、と確信している俺の目が捉えたのは、砕けきっている肩を無視して振りかぶられる、金槌のような圧迫感がある右拳。


「ハンデで砕きはしたが、使わねえとは言ってねえぞクロノォォォ!!!」


 鉄のような拳が顔に突き刺さり、俺は壊れた人形のように飛ばされた。頬骨が砕けたか、舌を動かす度に涙が出るほど痛い。当然、呻く事さえ出来ず俺は転げまわった。
 そんな俺をダルトンが黙って見ている訳が無い。マントをたなびかせ宙に浮き、無理やりに動かした事で俺と変わらぬ激痛に襲われているだろうに、右手を加えた両手を俺に向けて、作り出すはさっき放った魔力球、バーストボール。二つの高熱源が作られていくのを、俺は止める術を持たない。
 小さな球体は徐々に酸素を吸収し拳大のものへ変貌を遂げ、まだ放たれていないにも関わらず俺の喉を焼いていく。眼球の水分は蒸発を始め、今すぐに目蓋を閉じなければと目の奥が痛みを知らせる。
 ……避けるか? 何処に? 左右に避けても余波に当たり焼かれる。下は床、上に逃げても上昇する熱気にやられて気を失うか、どちらにしても死ぬ事に変わりは無い。ダルトンにソイソー刀を伸ばしたとて、軽く身を捻れば避けられる。魔法詠唱? 間に合うものか、仮に間に合ったとて直撃してもダルトンはふらつくこともせず平然と受け止めるだろう。とりあえずで使う魔法でこの男がまいるとは思えない。
 ……残る逃げ場所は一つ。普通に立ち上がっている時間など無い。刀を脇に抱えて逆に構え、後ろの柱に切っ先を向けた。自分に出来る最速で刀に魔力を送る……それでも、まだ遅いか?


「消し飛べクロノ……お前は、弱くはなかったぞ」


 ゆっくりと宣言して、ダルトンは話す速度と同じようにゆったりと掌を突き出した。そのスピードとは間逆に恐ろしい速さで近づいてくるバーストボール。空気を切り裂き、貪欲にも移動しながら辺りの酸素を巻き込んで尚巨大に姿を変えていく、悪魔のような魔力。炎の壁が迫るような錯覚。口を開けた溶鉱炉が倒れてくるような……絶望感。
 無謀かもしれない、体が燃え尽きて死ぬかもしれない。それでも……諦めたくは無いなあ、約束は守らないと、ジャキも、アルゲティの人々も……何より俺自身がサラを救いたいと願ってるんだから。


「ダァルトォォォォォンーーー!!!!!」


 右頬が動かせないので、正確に声を出せていたか分からない。それでも、自分を鼓舞しなければ恐怖に蹲ってしまう。消極的な方法に留まり、生きようと足掻いた結果死ぬ事になる。俺を追い立てるのは他の誰でもない、俺であるべきだ!
 後ろに向けたソイソー刀を伸ばし、僅かに柱に突き刺さった刀は柱を突き破る事は無く俺の体を持ち上げた。目の前の魔力の塊を避けるのではなく、突き破る。それが俺の出した結論。自殺紛いの愚策。でも……これを越えれば。何者をも溶かし焼き殺すこの壁を越えれば……そこで玉座に向かう事ができる。
 いつのまにか人よりも大きくなった熱球に飛び込んだ瞬間、体中が焼け焦がされていく。服は溶けるではなく焼け、爪がぼろぼろと液体化していく。耳も鼻も形を保てず溶けていく。魔力壁を生成しても、通り抜けることを拒む関門。
 やがて……俺の体は溶けきり……消滅した…………


「……逝ったか、クロノ……」


「………………訳ねえだろぉぉがぁぁぁ!!!!」


 少し物足りなさそうに笑うダルトンの前に高熱球を突き破り姿を見せた俺をダルトンは驚愕した表情で凝視する。
 柱から刀を抜いて長さを調節、刀に持ち上げられた俺は慣性のまま宙を飛び刀を振りかぶる。左手は、熱に肌を焼かれ、中の神経さえイカれたようだ。まるで動かない。
 なら……右手だけで充分だ、俺の全部、何もかもを乗せてぶった斬る!! それで敵わなければまだ次がある。いつだって次はあるんだ!
 俺が渾身の力をかけていると見極めてくれたのか、ダルトンは今までと同じように避ける事をせず、獅子のような尖る歯を見せながら両手を交差して防御体勢を取る。魔力による強化を上乗せして、手甲が輝きを増していく。
 今まで傷一つ付けられなかったダルトンの手甲。絶対の自信を持っているのだろうそれを切り裂けるか……? ただでさえ、体は満身創痍で片手でしか攻撃できない。魔力で切れ味を増すことも出来ない。そんな精神状態じゃない。今まで一度も通らなかった攻撃が、通るのか……?
 ……うわ、だっせえ俺。そうじゃないだろ、そういうことじゃないだろ。


「理屈じゃねえんだよ畜生ォォォォ!!!!!」


 体全体で一回点半の捻りを加え、全力で刀を振り下ろす。刀は……手甲に受け止められ勢いを止められた。
 ……いや、それでも皹は入った。それならば希望はある。
 地に落ちる前に左足を背中側から回転させて手甲に踵落とし。皹は深くなった。地上に落ちてもう一度特攻を試みると、落下の瞬間に放ったかダルトンの鉄球が右手を直撃した。五指の骨が砕けた音がする。もう両手は使えない。
 ……それなら歯で咥えればいいんだろう? 形勢は全く不利じゃない。俺の負けはまだまだ遠い!
 その場でしゃがみ刀を口で拾う。頬骨が砕けている今、柄を咥えられるほど口を開けないので刃の部分を噛み持ち上げる。同じ戦法とは芸が無いと自覚するが、もう一度床に刺して伸ばし体を浮かせ浮遊するダルトンに肉迫する。
 芸が無いのはダルトンも同じか、また両手を盾に俺を待つ。そうか……あいつも魔力球を作れるほど余裕が無いか……あれだけの威力の魔法を連続して使えば魔力が枯渇してもおかしくはない。


「ヴヴヴヴヴウウウウッッッ!!!!」


 今度は刀を使う事無く膝蹴り、左手の手甲は砕いた。次で……最後だ。
 首を後ろに逸らし、火傷で赤く焼け爛れた額をダルトンにぶつける。ぎりぎりで右手のガードが間に合ったようだが、それも砕け弾き飛ばしそのままダルトンに頭突きを当てた。


「ぐあああっ!?」


 俺と同じように床に落ちて、額を押さえるダルトン。追撃はお前のお家芸だったけどな、今回は俺がやらせてもらうぜ、追い込みをさ!
 だらりと垂れた両腕を揺らしながら走り、腹に足を落とす。ダルトンは苦悶の吐息と血を吐き横ばいに転がった。またすぐに近づきローキック。背中を何度か蹴った後、ダルトンが大きく吠えて飛び起きた。
 左手で顔を隠しながら荒く息を吐き赤く充血した目で睨む姿は、虎の尾を踏んだような殺気を感じさせる。
 暫しの間睨み合い、ダルトンは顔を覆う手を離して片手だけでファイティングポーズを取る。魔力が消えても、身を守る防具が無くても、奴にはその比類ない闘争心が残っている。
 ……まだ、終わるわけ無いか。


「……クロノ、お前は凄いな。俺様には、遠く及ばんが」


「俺を、はあ、褒めてるのか、自賛しているのか、分からないなあ、それ……」


 お互い声を途切らせながら、肩で息を吐き、滝のような汗を流す。痛みで? 緊張感から? 多分違う気がする。
 ダルトンは、彼には珍しく俯き弱った声で「一つ聞かせてくれ」と呟いた。俺は少しの間を挟み、頷いた。


「俺様は……天才だ。古代言語は二週間でマスターした。新魔術の開発数も研究しかしていない学者共の三倍はある。戦闘に関しても、一対一で負けたことは産まれてから三回しかない。相手が大人の兵士であろうと、幼少時に打ち倒してくれた。俺様は、貴様ら凡人とはまるで違うのだ」


「……やっぱり、自慢なのかよ?」


 この期に及んで自慢とは、少し呆れてしまう。らしいと言えば、らしいのだが。
 肩を落とす俺の動きが止まったのは、顔を上げたダルトンの顔が涙で塗れていた時。そのあまりに寂しそうな、悔しそうな表情に息を呑んでしまった。


「なのに何故……貴様ら凡人は肝心な時に成功するのだ……? 俺は、いつも大切な物を失うのに、何故お前らだけ勝てるのだ!?」


 泣きながらダルトンは膝を落とし倒れた……限界、だったのか。
 床に伏しながら嘔吐して、彼はゆっくりと体を仰向けに変えた。頭を揺らしたからか、泣いているからか、それからのダルトンの言葉はテンポの合わない歪な独白だった。


「父も、母も死に……俺を助けてくれた人々も、人質に取られ、なおかつ俺っ、の、恩人は、捕まって……俺は、見送る事しか、出来なかった! 捕まえる手伝いすら、さっ、させられた! 俺は……俺様は、天才なのに! 努力だって、してきたのに!」


 大の男が冗談みたいに大きな声で泣き喚く。巨躯の体格を揺らして、喉を震わせて。眼から零れ落ちる涙を拭う事すらせず泣いている。自尊心が立って歩いているような男が、ライバルと認めてくれた俺の前で泣く。
 想像を絶するような、苦痛だったんだろう。肉体的な痛みでは決して無い。悔しくて、嘆いているのか? 自分の届かない両腕に。その無力に。
 絞め殺されるような声を漏らす彼の姿からは、今までのような堂々たる振る舞いも、風格も見られない。どうにもならない出来事に両手をついて迷う子供のようだ。
 ……何故、か。凡人ばかりが成功するなんて事は有り得ない。俺だって今まで何度も挫折してきた、肝心な時に失敗した事だってちゃんとあるさ。天才だから、なんて理不尽は存在しない。むしろ、逆のパターンの方が比重が大きいだろう。
 何故、俺が勝てたかという質問だとすれば、それもまた分からない。諦めなかったからなんて根性論を説く気も無いし、誰かを助けたいと思ったからでもない。強いて言えば……


「俺の方が、勝ちたかったからじゃねえか?」


「……俺様も勝ちたかった……のか?」眼を見開いて自分に問うダルトン。


「自分で考え込むくらいなら……どっちでも良かったんだろ。それこそ、天賦の才があっても絶え間ない努力があっても覆らないくらい、ちっぽけな勝利欲だっただけだ」


「……そう、か……俺は……初めて……勝ちたくも無かったのか……」


 何かを悟ったように力を抜いて、ダルトンは懐からカプセル薬を取り出して俺に投げ渡した。


「エリクサーだ。傷も魔力も癒してくれる。それを飲んで……さっさと行け」


 礼は言わない。多分それは望んでいないだろうな、と思ったから。
 ぐっと薬を呑み込むと、嘘みたいに痛みが遠ざかっていく。今まで動かなかった両手は動き出し、落ちている刀を拾って鞘に納めた。気になっていたので、顔に手をやると火傷も消えているようだ、これは……回復魔法を超えるものじゃないか? 魔法王国の秘法の一つだろうか?
 その効果に、望まれて無いとしても一言感謝したくなったが、その前にダルトンが口を開いた。


「……サラを、助けてくれ……俺では、力不足のようだ……」


「……はっ、そんな簡単な事俺には役不足だがな、任されたよ」


「役不足、か。かっははは!! 言うじゃねえかクロノ! ……約束、だぞ」


 笑いながらも、目は真摯に染まり俺に信頼を託す。これで約束は二つ。内容も被って二重契約っていうのか? ちょっと違うか。
 ……果たさないとな、これだけ重たいんだ、捨てていくにはいかないだろう。
 ダルトンは俺の言葉に笑った後、海底神殿への移動装置に向かう俺を引き止めた。
 まだ何か? と言って振り返る俺をダルトンは涙の後を拭いて、低い声で話し始めた。


「海底神殿の魔物共は、貴様ならば倒せるだろう……だが一人だけ気をつけろよ。お前を殴ったあの仮面の男だ」


 思い出すのは、アルゲティでサラを殴り倒し、ジャキでさえ殴ろうとしたあの暴力的で嫌悪感を纏う気持ちの悪い男。ただの雑魚じゃないと思っていたが、やはり実力者なのか?
 嘆きの山の番人位か? という希望的観測を含んだ俺の問いにダルトンはとんでもない、と首を振り、「実力の底を知らんが、恐らく俺よりも上だ」と言われて驚いた。ジール王国の部隊団長を上回る程って……無茶苦茶だろう!?


「あいつは、人間じゃない。ジールが海底神殿建設の際、ガードマン代わりに作り出した魔物その最高傑作。さらに、ラヴォスの気を当てた最強の魔物だ……下手をすれば、ラヴォスの力を得た創造主のジール本人を凌駕するやもしれん」


「……ラヴォスの力を得た魔物、か……くそ、もしそいつと出くわせば、マールやルッカが危ない……!」


「奴と戦わずにサラを救出しろ。まともに戦り合えば、恐らく終わる……」


 ダルトンをしてそこまで言わせる魔物……出来うるなら出会いたくないが……そいつの存在を思い出してから胸騒ぎが止まらない。もしルッカがそいつに会えば仲間の制止も聞かず、一も無く戦いを挑むだろう。


「お前の仲間にも伝えておけよ……海底神殿に巣食う化け物、そいつの名前は──」












「──テラミュータント。俺の名前だよー、覚えておいてくれよ? 俺、人の名前を覚えるの好きくないけど、自分の名前忘れられたら取りあえず消し飛ばしちゃうからさ。そうそう一応、愛称はテラね。三兄弟の長男なんだぜ?」


 至極どうでもいい事を酷く楽しそうに伝えながら、何の構えも取らず、警戒心など無い歩行で銃を構えている自分に近づいていく男──テラ──にルッカは頭部に狙いをつけて引き金を引いた。バヂッ、という独特の発射音を立てて伸びる電気と弾丸の融合物をテラはいとも簡単に指先で掴み、なおも連射される弾丸を虫を追い払うように飛ばしていく。


「……っ!」


 通常攻撃は通用しないと悟ったルッカは銃をホルダーに戻し左に走りながら呪文の詠唱を始める。早口に唱えるそれに威力は期待できないが、まずは目隠しと時間稼ぎに使おうという魂胆だった。熱量速度は忘れて範囲のみに効果を絞ったファイアは天井に届きそうなほど高く生まれ、テラの前面に広がっていった。


(まず、メガトンボムの用意だけど、この距離で爆発させれば私や後ろのマールにも被害が行く……距離を離さないと……)


 これからやるべきことを組み立てて整理し、ルッカは鞄から爆弾を取り出した。すぐに取り出せるようにポケットの中に入れておくつもりだった。
 しかし……それさは遮られる。彼女にとって鳥肌が立つほど嫌悪する男に手を握られる事で。


「うわあ、これ凄いなー。ただの人間が作ったにしては爆発力ありそうだわ」


 自分の手が動かない事を不思議に思ったルッカが見たものは、今さっきまで炎に巻かれていたテラが己の手を握って爆弾をまじまじと見つめている様だった。その表情は驚きの色を見せていて、子供が珍しい玩具を手にしている時のような興味染みた好奇心を前に出している。
 すぐさま振り解こうと手に力を込めるも、握力は感じないのに氷付けられたように腕が動かない。そうしている間もテラはじー、と爆弾を見つめて「凄いなー」と口を開けている。


「離せっ! 離しなさいよ!!」


 ルッカの怒声に気を悪くした顔を見せた後、「良いけど、交換条件なー」と語尻を伸ばして手を離した。
 顔面に向けて炎を直接当ててやろうともう一度魔法を唱えたルッカは、急速に接近する顔に対応する事が出来ず、その場で立ち尽くしてしまった。


(…………え? 嘘? 嘘だよねこれ?)


 ゆっくりと顔を離していくテラが「ご馳走様」と舌なめずりをした瞬間、ルッカの世界が壊れていく。「もしかして、初めてだったぁ?」と笑う声も耳には入らない。ぺたん、と座り視点を揺らす彼女は間違いなく混乱していた。正常に戻る事を拒否していた。


(え? 何がどうなって……戦ってたのよね、私今魔法を唱えようとして、それで中断させられて……何で止めたんだっけ? 分からない分からない、初めてって何、初めてって何? ……私は、誰にハジメテヲアゲヨウトシテタンダッケ──?)


 ルッカの頭の中で一人の男が蘇り……遠くに消えてゆく。想像の中でも手を伸ばせない自分が苛立たしかった。許せなかった。
 女性にとって、初性交の次に……もしかしたらそれ以上に神聖なものとされるそれを奪われて、ルッカの思考は停止。足に力が入らないのではなく、入れることを拒んでいる。感情は動かないのに、何故かぼろぼろと涙が流れていく。次波がやってくるのはそう遅いものではなかった。上を向きながら口から溢れてくる嘔吐物を押さえようとも思わず、口端から溢していく。気管を塞がれて呼吸がままならなくなっても、苦しいとは思わなかった。それを覆い隠す何かが産まれつつあったから。
 人形のように力を無くしたルッカを見て、心の底から嬉しそうにテラは笑い、彼女の耳元で呟いた。


「大事な彼氏に捧げたかったの? ざーんねんだねぇ」


「……あ、あ、あああアアアアアアアッッッッ!!!!!」


 ホルダーから銃を抜き放ちテラの口内に突っ込んで弾を撃ち出す。何度も何度も狂ったようにトリガーを引き、叫ぶ。ルッカの顔に浮かぶのは殺意ではなく、悲しみ。口をつくのは悲鳴であり激昂。
 一瞬の間で十数発の弾を口に詰め込まれたテラは後ろに跳び痰を吐くように弾丸を床に散らし、「ヒステリーとか、怖いなー」とふざけながら唇に指を当てた。
 わざと怒らせた猿を観察するように見るテラの表情は子供のそれに等しく、その行動一つ一つがルッカの神経を逆撫でる。


「殺す、焼き殺す、爆発して散らばらせて打ち付けて腸を取り出して自分の口に突っ込んで……」


 ぶつぶつと呪詛のような言葉を落とすルッカに「うわ、いってるじゃんお前」と笑いもう一度歩き寄る。まるで遊び道具を与えられた猫のように上機嫌に歩く様は、とても戦いの最中とは思えない、相手を虚仮にしたものだった。
 魔術詠唱を開始しながら、ルッカは鞄の中身を床にぶちまけた。愛用しているハンマーや、機械の修理道具、持ち歩いているナパームボムやメガトンボムといった危険物も全て放り出して、爆弾のみ抱え込み部屋の入り口に向かい走り出す。


「あれ、お前逃げるの? 思ったより臆病だなあ」


 テラの言葉に反応する事無く、ルッカは通路の闇に消えテラから見える場所から遠ざかっていく。折角の遊び道具が逃げ出したと、テラは今までの機嫌の良さから一転して眼を怒らせ始めた。


「……俺が遊んでやってるのにさ、逃げるとか……ムカつく」


 浮かび上がる悪意に浸りながら、殺気立つ心を晴らすようにテラは床を強く踏みながらルッカの後を追う。通路を覗き込めば、濃い暗闇に先が見えなくなる。元々明るい所では無かったが、通ってきたときに点いていた僅かな明かりすらないことに疑問を抱いたテラは壁についていたか細い電灯が全て割られている事に気がついた。


(あの女……ルッカだったっけ。逃げるにしても、形振り構わないなあ……本気で殺してやろうか)


 元々殺す気だったけどさ、と誰も聞いていない空間で呟き闇の中へ足を進めていった。そのまま七歩と歩かぬ内に床に落ちてあった物を蹴り飛ばしてしまう。割れて落ちた電灯の類かと気にはしなかったが、ふと不安に近い何かを感じてテラはその場で魔力による火を作り出し床を照らした。


「……やるじゃん。ルッカ」


 落ちていたのは、彼が観察しその機能と秘められた爆発力に驚いていた爆弾が複数。中にはそれ以外の爆薬も敷き詰められ、その全てが侮りがたい力を持っていると悟った。
 それに気付いた瞬間前方より何かが燃えるような音を耳にして、そちらに眼を向けるとやはりというか、ルッカが感情を窺えない冷たい眼でテラを見つめ、片手に燃え盛る火炎を乗せている姿。どう考えても誘い込まれたのだと知ったテラはルッカに賞讃の言葉を贈った。
 それに取り合う事無く、ルッカは作業のように火炎を飛ばし、直線的に進む火はテラの周りに落ちている爆弾に着火した。
 目の眩む閃光に遅れてやって来るのは、耳を潰す莫大な音を引き連れた連鎖爆発。長い通路中に蔓延する火炎と砕けた壁と床の欠片。ルッカは今まで精密に構成していた魔力を使い火炎の壁を目の前に作り出した。実質、爆発の力はテラのみに向かい威力を逃す事無く彼の体を貪る事になる。海に沈んでいる海底神殿の床と壁を砕いた事で海水が通路を満たしていくが、ルッカにとってそれは些事だった。というよりも、今の彼女にとってテラを殺すということ以上に大切な事など存在しない。それ以外全てが些細と思える状態となっていた。例え大切な幼馴染のことであったとしても今だけはどうでも良い。
 砕けた欠片が更に小さく分解され砂塵のように舞う。爆発が収まり徐々に海水によって視界は開けていく。片手を振って炎の壁を消したルッカは念の為に通路を見渡し、マールの眠る場所まで戻る。通路内に僅かに腕や足の残骸は見えども、テラの姿は見えない。大半が粉々に砕けたのだろうと力を抜き、今度こそマールを時の最果てに送ろうとする。


(……あれ、何で手が動かないんだろ?)


 霞む視界の中必死に通信機を使おうと指を動かすが、どうしても上手く操作できない。速くしなければ、マールが危ないというのに、まるで手が動かない。


「何で、動かせないの……うあ……うええ……うあっ、うああああああん…………ああああああ……」


 何度も何度も操作ボタンを押そうとしているのにぼやけた目のせいで失敗してしまう。あまりにそれが続き……ルッカはとうとう泣き出してしまう。
 初めてだったのだ。常に科学に身を捧げ、ありふれた女の子の夢も見ず一心不乱に何かを発明しようとしてきたルッカでさえ願っていた可愛らしい願いだったのだ。ただ、産まれて初めて好きになった人に、今でも変わらず大好きな人に捧げたいというちっぽけな願い。
 なまじそういったものとは無縁だった彼女は、有りそうに無い想像を幾度も繰り返してきた。出来るならば、告白されたその時に体を委ね、優しいキスを貰う。年齢にしては青い想像。照れ隠しに相手が笑い、自分はあまりの幸福に嬉し涙を浮かべるといった、とても、とても……優しい夢を抱きしめて生きてきた。
 ちっぽけな願いは、あまりに理不尽に呆気なく摘まれて散った。それが信じられなくて、忘れたくて、忘れられなくて。今目の前で倒れている友にさえも、まだ初めてを持っているだろうという事実に嫉妬してしまう。
 自分の汚さを理解しつつも、ルッカは食いしばる歯の力を緩めることは出来なかった。


──悲しいなら、俺が慰めてあげようか、ルッカちゃん?──


「っ!?」


 悪夢を押し付けてきた存在の声が聞こえて振り返る。と同時に自分の体が浮き上がっていく事を知る。
 ルッカは眼を白黒させながら自分の体を見ると、その息苦しさと眼に入る光景から自分の首を掴まれて高く上げられているのだと理解できた。掴んでいる腕の主はじゅくじゅくとこそげ落ちた肌を再生しながら笑っているテラ。彼は中身の見える赤黒い腕を人外の長さまで伸ばしてルッカの体を天井付近まで掲げていた。


「おぼろいた……ああ、口がまばさいぜいじてないから、上手く発音できがいな……おべはさ……ああいや、俺はさあ。並の魔物と違って、そうだな、再生能力っていうのかな? があるんだよ。勿論無限じゃ無いけど、まあルッカちゃんが想像してるよりずっとタフなんだよー? 倒したと思った? ファースト奪った憎い相手を殺せたとか思っちゃった? あはははは!!!」


「がっ! ご、ごほっ……」


 頚動脈を締め付ける力は勿論、それ以上に痛みを覚えるのは爆発の熱によって溶けた高熱のテラの腕によって首を焼かれていること。自分の肉の焼ける臭いにむせそうになりながらルッカはじたばたと足を動かし抵抗しようともがいていた。
 歯茎の露出した顔で笑うテラ。体の細胞が動き、皮膚と皮膚が癒着を始める様子は普通の人間なら見るだけで吐き気を催すだろう。毀れている内臓はゆっくりと体内に戻っていき、やがて怪我一つ無い人間体へと変わっていった。小さな箱にはちきれる程物を入れたようなみち、みち、という奇怪な音を立てつつ舌を出してルッカが苦しむ様を眺めている。


「あー、何とか全部再生したか。本当、人間にしてはよくやったよね。でももうちょっと工夫が欲しかったかな? 持ってる攻撃手段全部をぶちまけただけじゃん。いくら高級食材が集まったって、同じ皿に全部盛ったら台無しだろ? ……そんなことも分からないくらい怒ってたとか?」


 口から泡を噴きつつあるルッカが答えられる訳が無いと分かりつつ問いかける。意地が悪いなどと理解していても、地上に出向き女を連れ戻す等というつまらない仕事を任せられた鬱憤を晴らす意味でも止めるつもりにはなれなかった。
 自然ではない金の目玉を弧型に変えながら充足感を得る。意識が遠のいていく今この瞬間でもルッカは何かしらの攻撃に転じて、その男を焼き殺したいと頭では思っているのに、無意識に手が喉元に食い込む指を削ろうとしていることに失望を感じていた。自分の怒りは酸素を欲する意思に負けるものだったのかと。
 首の血流を止められ物理的に目の前が赤くなっていく。充血は酷く脳を巡る酸素が欠乏して思考が軽くもやがかったものへと変わり、手足の感覚すら麻痺していくのをじっくりと味わう。
 危機感云々は初めから無く、殺されるであろうこの瞬間でさえも、思考の低下したルッカは悔しいという単一の言葉しか浮かばなかった。今すぐにでも目の前に腕を食いちぎり、四肢を燃やし体内から蒸発させてやりたいと黒く滾る憤怒をぶつけてやりたかった。それすら出来ない自分の力の無さにもベクトルは向いていたが。


「このまま縊り殺すのも味気無いなぁー……そうだ、こうしよう」


 独りでに納得して、テラはするすると腕の長さを元に戻しルッカを引き寄せる。半ば意識の飛びかけている彼女の顔を近づけて、食い殺すかのような大口を開けた。


「今のお前じゃつまらねえや。次に会う時までにもうちょっと賢くなっとこうぜ? ……リベンジ期待してるよー。その時は、キスの続きをしてやるからさ」


 優しげな声音と違い、テラはルッカの体を振り回して魔物の彫像に叩きつけた。勢い余り石の像は砕け、落ちていく破片とともに彼女の華奢な体は床に落ちていく。壊れたように受身も取らない彼女を見て、やはり高らかに笑いながら右手を振って暗がりに消えた。
 それを見送る事無く、虚ろな眼をして倒れているルッカは、のろのろと体を起こしていく。体の傷は痛まない、四つんばいに進みながらマールの体を抱き寄せた。別に、体温を感じさせてくれるのなら何でも良かったのだ。ただ、海底にあることで冷えた空気を流すこの場所で座りつくしているのは耐えられなかった。
 彼女とて馬鹿では無い。ただでさえ大怪我をしているマールに抱きつくなど、相手の怪我に響くと理解はしていた。それでも止める事は出来ない、誰かに縋らねばもう立つことはできない。
 マールと自分の血が混じりあい己の服色が自然の物ではない色へ変色していくことを知りながら、ルッカは何処にも焦点を合わす事無く上を見上げていた。眼を上向けていても、涙は流れるのか、と当然のことを思いつつ。












 海底神殿に入って数瞬。俺は肌に刺さる奇妙な寒さと湿気を感じていた。


「魔物の気配は感じないな……大半、二人が倒したってことか? ……時間を掛けすぎたかもな……」


 別にサボっていた訳じゃないんだが、彼女たちに苦労を任せていたことを思うと頭が痛い。警戒も程々に俺は足音を立てることも厭わず通路を飛び出していった。
 道なりに進めば、基本的に分かれ道は無く何処かですれ違うような心配も無さそうだった。途中途中に魔物の死体が敷き詰められたように積まれている所もあり、その数の多さからかなりの激戦だったことが予想される。
 これじゃあ交代する暇も無かったんじゃないか? ……俺がルッカたちと別れてまだ三十分も経ってないはずなのにこの敵の量……外にいた兵士の数と変わらないじゃないか。それどころか、こっちに本隊を置いたのかもしれないな……ジール王国自体はどうでも良くなったとしか思えない。魔物の餌にすることも厭わないくらいだ、当然の事かもしれないけどさ。
 二つ三つ部屋を越えて、新しい扉を開けると足元から水が溢れ出してきた。慌ててその場から後退すると、扉の先が浸水していた。扉を開けた為水深は減ったが、さっきまでは膝くらいまであったんじゃないだろうか? ズボンの裾を濡らしながら先に進むと壁と床が潰れて海底の水が漏れ出している。
 このままでは海底神殿が水没するのでは? と思ったが、どういう原理か徐々に壁や床の穴が狭まってきている。魔法の力で自動再生しているのだろうか? 流石魔法王国の科学と魔法の結晶だと感心して、それどころではないと改める。何で今喧嘩を売っている相手の技術を褒めなきゃならんのだ。
 床の穴に嵌らないよう注意して先を進むと、どうやら穴周辺が焦げていることからルッカの魔法、もしくは発明品によるものだと考える。水深何メートルか知らないが、水圧にすら耐える壁を破壊するなんてとんでもない威力だなと今度は素直に感心した。流石ルッカ……というべきなんだろうか? それとも怖い奴と恐れればいいのか……頼もしいと喜べばいいんだな。
 飛び込んでくる海水に濡らされて、灯りが無いため酷く暗い通路を抜けた。今までに無い広い空間に出て、ようやく二人の姿を見つける。
 良かった、無事だったんだな、と声を掛けようとすると……二人の姿は赤く、浸水した海水により体から水が滴っている様だった。


「お……おいルッカ、お前ら何してるんだ! 服びしょ濡れ……つうか凄い怪我じゃないか二人とも! ダルトンに薬貰ったから、早く飲めよ!」


 近づいてみると、ルッカもそうだがそれ以上にマールの傷が危ない。骨折どころか、体中に切り傷や殴られた跡、火傷に、刃物で刺されたようなものさえあり出血量も酷い。海水に浸かり体温が冷えていたのが幸いしたのか、今では血もそう流れてはいないが……危険な状態なのは言うまでも無い。
 いつまでも離れようとしないルッカからマールをひったくると、気を失っているマールの口にエリクサーをねじ込み無理やり飲ませる。眼に見えて傷は塞がっていき、死んでいるのではと勘違いしそうな顔色が少しづつ血色を取り戻していく。


「ほらルッカ、お前も飲めよ。痛みはすぐ引くし、傷も治るぜ?」


 カプセルを顔の前に見せてもルッカは何の反応もしない。ぼう、と俺の手を見てすぐに上を向き動かなくなる。何かの魔術を当てられたのかと心配になるが、その前にマールを時の最果てに送らねばと通信機に手を伸ばした。例え怪我が治ってもあれだけ深い傷を負っていたのだ。今すぐロボかカエルの治療を行ってもらうべきだろう、この場で眠らせておくよりもずっと良いはずだ。
 そうして時の最果てに連絡を取ろうとした瞬間、今まで何の反応も返さなかったルッカが俺の袖を掴んできた。取りあえずおかしくなったわけではないのかと安堵するが、今はマールを時の最果てに移動させなくては……


「がっ! ……い、てえなルッカ!」


 手早く連絡を取ろうとする俺の顔にルッカが拳を落としてきた。何か不満があったとしても今は邪魔をするべきじゃないだろうと怒り、苛立ちそのままに怒鳴る。
 ……それで、泣いてるのは、おかしいじゃないか。
 何を言うでもなく、ルッカは鼻を鳴らしていた。俺を殴った拳を不思議そうに見つめて、自分でも何故殴ったのか分からないという表情。疑問を浮かべた顔から、怒りを見せたり、次に悲しそうに俯いたり、酷く不安定な精神。別れる間際の、自信溢れる姿とは似ても似つかないルッカにマールを送るのも忘れて戸惑ってしまう。


「……て、……かったの?」


 蚊の鳴くような声で呟くルッカ。聞き返そうとしても、沈痛な表情に言葉を返せない。そのまま何も言わずにいると、ルッカは勢い良く顔を上げた。垂れた紫の髪の下から、大粒の涙が光り、髪色と同じ綺麗な瞳は澱んでいた。


「どうしてもっと早く来てくれなかったのよ!!」


「……え? お、俺か?」


 胸倉を掴まれて振り回されながら、どうしていいか分からず俺は何の意味も無い言葉を連ねる。
 何を言われているのか分からない俺に、どんどんと怒りが増していくルッカは顔も腕も、全身を赤く染め、目から溢れ出すものに邪魔されて上手く羅列されない言葉を順々に置いていく。


「クロノがもっと……来てくれれば、早く……そしたら、私……わた、し……は……」


「ちょ、ちょっと待てって! 落ち着けよルッカ、何があったんだよ?」


「言いたくない……言える訳ないじゃない、あんた頭おかしいんじゃないの!?」


 まるで会話にならない。力の限り叫ぶ声は耳を覆いたくなるが、今の彼女にそれをすればきっと止まらなくなるだろう。
 今までにも暴走してきたルッカだが、このように壊れた状態になったことは無い。少なくとも、言葉は届いていたのだから。今の彼女はどんな声を投げかけても否定しそうな、拒否しそうな雰囲気だった。


「……約束、したのに……!」


 何を、と聞き返す間も無く、ルッカは最も大きな声でそれを吐き出した。俺と彼女との約束を。その内容を。


「絶対泣かさないって、約束したのに!!」


「え…………」


 俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。
 俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。
 俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。
 俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。


──絶対の絶対だ──


 言われてから、ほんの少し前のことなのに記憶の底から這い上がってくる自分の言葉。
 まだ彼女の身に何が起きたか分からない。なのに俺の首を絞めようと体を登る何か。すりこぎで俺の体を下からすりつぶされるような感覚に襲われた。
 ……泣かせたのは、俺なのか?
 隣にいなかったのだから、ノーカウントだなんて子供の言い訳は使えない。先に行っててくれと押し出したのは俺なんだから……けど、けどさ。


「先に行けって言った時、る……ルッカも、大丈夫だって……」


「関係ない……関係ないのよ! 守ってよ、何処にいても駆けつけて、危ない時は助けてよ! それが出来ないなら……」


 そこから先は告げられないと、押し黙る。それから先は言うべきではないと彼女の自制心がそうさせているのだろうか? ……俺はその先を聞きたいと思う反面、聞けば変わってしまうのではという不安も形作られていた。


「だっ、大体……何だか流されてここに来たけど、私にとってはどうでもいいのよね。サラさんだか何だか知らないけど、一々助けてあげる義理なんて無いし、わざわざ急ぐ理由もないじゃない! クロノが助けたいから来ただけでしょ! 何でそんなのに私が付き合わされるのよ!」


「ルッカ、お前……」


 元々ラヴォスを起こさせない為という理由もある。サラを助けるのとそれが繋がっているだけで、結局はここに来なければならなかったのだ。わざとそれを無視しているのか、本当に忘れているのか……指摘すれば、彼女は関係ないと言い切るのだろうか?


「こんな所に来なかったら……私は……私は……」


 興奮して周りが見えなくなっている彼女に何が出来るのか分からず、意味もなく彼女に触れようと手を伸ばせば、「触らないで!」と汚いものを避けるように払われた。行き場の無い手が揺れる。
 憎悪の念を燃やしたように見遣ってくる彼女は荒く息を吐き、寒さが理由ではない震えを身に着けていた。
 もしかして、俺は今ルッカに憎まれているのだろうか──? ともすれば、………ほしいくらいに。


「クロノがいなければ……こんな想い、しなくてすんだのに……」


 小さくても、声が聞き取りづらくても、彼女の口が出した言葉。嘘偽りの無い本心。
 何か反論しなくてはと思っても、彼女以上に震える喉が言葉を作ってくれない。
 膝を震わせて、左右に眼をやる俺を助けてくれたのはルッカではなく、今まで倒れていたマールだった。彼女は何も言わず床に手を着き体を起こして、俺の手を握り落ちつかせてくれた。俺は気がついたのか、とか大丈夫なのか? と気を利かせた事を言う事も出来ない。
 少しの時間が経過して、マールはきっ、とルッカを睨み声を上げた。


「謝りなよルッカ」


「……いきなり起きて、なによ。何も知らないくせに……!」


 ルッカの低い声に、マールは淡々と言い返した。


「知らないよ。でも、クロノがそういう事を言われて傷つかない訳がない。それは知ってる」


 その言葉を聞き終えた瞬間、ルッカは容赦ない平手打ちをマールに放った。甲高い音が鳴り、反省する事も無くルッカは目を開いている。その様子から、正気なんてものはまるで見えない。
 顔を腫らしているマールは痛むだろう頬に手を当てて、明確な声量の許「最低だね」と切った。
 それからルッカを一瞥もする事無く、


「クロノ、一度時の最果てに戻る? 私もまだ本調子にはならないし……ロボとカエルに代わってもらおっか?」


 とさっきまでのやり取りを感じさせない明るい声で話かけてきた。


「いや……いいよ。俺はやくそ……まだ、戦えるから、大丈夫だ。マールはロボと代わってきてくれ」


 約束という言葉を使いかけて、止めた。ルッカの言う約束を破っておいて、他の人間の約束を守ろうとするのは、ルッカにとって不快になるかもしれない。
 少し残念そうに頷いた後、マールはその場で時の最果てに戻っていった。交代までの時間、少々の時間があったものの、ルッカは一度も俺と顔を合わせることも無く静かな時が過ぎていく。
 何度か声を掛けようとして……止める。何を言っても彼女は反応してくれないだろうと分かってしまったからだ。それなら、無視されるくらいなら、言葉を交わさないだけの方がずっとマシだ。それならまだ自分を誤魔化せる。
 海底神殿に着いてまだ十分と経たない今。俺たちの進む先に暗雲が立ち込める幻想を思い浮かべてしまった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:07
「サラよ、魔神器のパワーを限界まで上げるのだ」


 母上が、私に世界を破滅させろと強要する。見上げればそこに無限とも思えよう力を秘めた混沌の機械、魔神器。その力を解放すればジールは愚か下界にも影響を与えように……


「サラ! 妾の言う事が聞けぬのか!?」


 顔を下げ躊躇っていると、急かすように顔に皺を彫って近づいてくる母上。出来ることなら、今すぐにでもこの部屋を飛び出して序でにこの海底神殿を爆破して脱出したいところだが……
 それが出来ない理由は二つ。私の後ろに立つ預言者が私の行動を監視していること。次に……王国の人々を人質に取られていること。後者に関しては、そう信じられるものではないと理解している。例え私が従おうと従うまいと母上はきっと、自分以外の人間を生かすつもりなどないのだろう。それが分かっていても……従うしかない。藁よりも細い可能性としても、億に一つとしても、あの無礼で暗くてでも根は明るい人々の命が助かるかもしれないなら……私は……
 両手を魔神器に翳し特殊に変換させた魔力を送り込む。流れ出す力は魔力だけでなく、私の生命力そのものすら奪い取っていく。
 次第に立つ事が辛く吐き気が激しくなり内から体を痛めつける。私が荒く息をつき始めても、母上は私を一瞥もしなかった。幼子のように目を輝かせて、己の目的が近づいていることを喜んでいた。


「おお……なんと眩い輝きかな! 素晴らしき、ラヴォス様の力をこの手に出来るのだ!」


 口から一筋の血が流れ出した。拭おうにも、今魔力を途切らせればきっと母上は不機嫌になるだろう。そうすればまた住民たちの危険が高まる。意識的に自分の体の危険を無視して、流れる血をそのままに力を振り絞った。
 口から毀れた血が服に染みる直前、覆ったローブで容貌が窺えないのでどういうつもりなのか分からないが、預言者が私の口を拭ってくれた。そのまますっと私の後ろに下がって、定位置に戻る。


「……礼は言いません」


 聞こえているのかどうか分からないけれど、取りあえず口にする。あまり礼儀のなっていない言葉ですね、と自分を嗜めるも、これ位は許されて然るべきだろう。だって、私ですから。


(……赤い人は、大丈夫でしょうか……?)


 自分の弟の身代わりとして殴られてくれた赤毛の男を思い出す。礼儀がなってないというならその筆頭たる人物。見た目と言動の違いに驚いた事もあったが、案外に変わらず可愛い所もあった男の子。くるっと撥ねた髪を触りたかったというのが心残りだ。後、お礼もしていなかったですし。
 続いて浮かぶのは大柄な体格で言うことまで大きいくせに、その実心は小さい臆病な男の顔を浮かべた。
 昔その男の見栄っ張りな性格と寂しがりな性質から、何かを呼び出す召喚魔法という特性を得たのではないかと指摘した所、顔を真っ赤にして反論していた。自分でもかなり正解に近いのでは? と思ったものだが、その考えは今も変わっていない。


(辛い思いをさせたでしょうか?)


 傲岸不遜のようで他人の機微を慮る彼はきっと苦しんでいるだろう。別に仕方の無いことなのに馬鹿みたいに私を捕らえた事を後悔してるんだろう。やっぱり、ダルトンはアホですね。
 ……だから、気に入らないんですよ。
 また膝を抱えていなければ良いな、と思った後、私はぐらつく足に力を込めて命じられた事をこなしていった。自分が今何をしているのか熟知した上で行う私は、きっと神話に出てくる悪魔たちよりも悪質であると、理解しながら。












 俺は何をしているのだろう? いつまでも女王の間で転がり、ただぼーっと上を見ているだけの、俺。
 国という巨大な群に喧嘩を売ってきた男にやられて倒れたまま動かない。その上その男に何もかもを投げ出して、託して自分はのうのうと寝ているだけ。己の犯した責さえ取り返さない、それあどれほど醜い事か。きっと神話に出てくるだろう神々にも俺ほど汚い者は存在せんだろう。それでいて、やるべきことは終わったと自分を納得させようとしているのだから、救えない。
 俺の願いを受け取ってくれた男に渡したエリクサー、それを差し引いて最後に残っていたそれを飲み体は十全に動く。右腕は痛みを感じず魔力も有り余っている。疲れは無い、あるのは燃えるような焦燥感のみ。まだここにいるつもりか、為すべき事は無いのか? と俺の半身が懸命に叫んでいる。今更まだ何かするつもりか? ともう半身が宥めている。出来る事はないのだから、とっとと引っ込んでいろと野次を飛ばしているのだ。


『それでよろしいのですか? 御主人様』


「……マスターゴーレムか。良いも何も、俺のやるべきことはとうに過ぎた。後はただ、奴らがサラを助けてくれる、そう祈るのみよ」


『これは異なことを言いますね。御主人様が祈るなどと……まさか有神論者とは知りませんでした』


 ……分かっている。自分でも今の俺が、『ダルトン』が情け無い男であると分かっている。だが今の俺に何が出来よう? 何をしていいのかも分からぬ。機会は過ぎた、もう俺の手に残るのは炭にもならん塵と同じ、小さなプライドだけだろう。
 どの面下げて、どんな名目でまた戦いに赴けば良いのだ? 腐れ縁の女を助けに? 昔の恩人を救出するべく? なんて今更。そのような思いがあるなら……そうしたいと願うなら何故最初から行動に移さなかったのか。ふらふらと見苦しい、いっそ何もせぬ方がよっぽど潔い。
 ではあの強敵に塩を送る、というのは? いや、有り得ん。なんという自分勝手なおぞましい行いか。勝手に他人の言い訳に使われて奴らも良い迷惑だろう。そのような不純な男など、俺ならば斬って捨ててくれる。


『……それでもまだ、行きませんか』


「せわしいぞマスターゴーレム。俺が出来るのはこの場で決着を待つのみよ」


 業腹な気持ちをぶつけながら強い言葉で否定する。自分よりも立場の低い使い魔に当り散らすとは、いよいよ俺様も下種へ成り下がりつつあるな。それとも、今いる俺の位置こそ最下層なのか。
 腐っている俺が願うのは、奴らがサラを助け出してくれること……そして、それ以上に俺の存在理由。必要なのか? 今俺がここで息づいていることに必要性があるのか? 自分の荷を投げ渡して後は静観を決め込む俺に?
 ……誰か、俺に理由をくれ。誰にも文句の付けられない俺だけの闘う理由を。


『簡単ですよ。御主人様……貴方様は、もう満足したのですか?』


 言われている意味が分からない。満足? 何に満足したというのか。色欲食欲睡眠欲。それらは何ら関係ない。特別不足しているつもりも無いし……マスターゴーレムに聞き返す力も無くただぼんやりと彼女の続ける言葉に耳を傾けた。


『確かに、あのクロノという方との戦いは凄惨でした。素晴らしい戦いだったと記憶します……ですが、まさか私の御主人様ともあろう御方が、それだけで満足したと?』


「……もう少し、はっきり言え。今の俺は酷く察しが悪い」


 では言い直しましょうと前置きして、彼女は小さく咳払いをした。
 それから俺の命令無く急に架空空間から具現したマスターゴーレムは、いつもの優しい表情ではなく目を吊り上げ、俺の顔に指を突きつけていた。もう片方の手は腰に当てており、体全体で呆れていると伝えている。


「金の獅子と称され、闘いに誰よりも貪欲たる貴方が今行われている戦争に興味を示さないのですか? 誰の為でもなく、貴方はまだ戦いたいと思わないのですか!?」


 指差していた手を払い、海底神殿への道に向けて尚続ける。その動きには怒りと、失望をありありと感じさせるものが存在した。


「貴方は臆病かもしれません。今更掌を変えてジール様たちに歯向かうのを良しとしないのかもしれません……良いではないですか。今更で国を裏切ったとて。元々、私と二人で何処か遠い所へ行くつもりだったのでしょう?」


 過去の話を掘り返されて、思わず苦笑してしまう。そういえば、サラを憎んでいた時、あいつを殺してジール王国を出ようとしていた時があったか。まだ覚えているとは俺と違い、記憶力の良い奴だ。流石俺の使い魔といったところか。
 ……ああ、そういえば、冗談半分で革命の準備なんかを考えていた時もあったか。その時考えていた手順は……俺は頭が悪かったから…………いや。
 俺様は天才だから、『国を丸ごと相手取り単騎で全てを叩き潰す』……それが革命の手順にして根幹だったな。流石俺様、何を考えるにも、何をするにも規模が違う。俺という人間だからこそ考えられる、こなせる至高の手段。
 今もまだ俺の見下ろしているマスターゴーレムの腕を取り組み伏せた。驚き顔を紅潮させている女に俺は顔を近づけ、言い放ってやる。


「俺が落ち込んでいたのは、敵を騙すには、という奴だ。馬鹿め、俺の演技に気付かぬとはまだまだ俺の従者の自覚が足りん」


「……それでこそ、私の御主人様です」


 立ち上がって砕けた手甲を取り外し、軽くなった両腕を回す。あれだけの傷を負いながら、エリクサーを飲んだとて僅かな間に万全の調子を取り戻すとは、なんという俺様。最早俺の覇道を遮る存在などありはしない。ラヴォス? ジール王国? 最強の魔物? 国民を人質? 関係あるか。俺が歩けば全て平伏せ、俺が命じれば消える事すら辞すな。
 我が名はダルトン。魔法王国部隊長にして無敵の男、例え国が束になって掛かろうと膝をつくなど迷信でも有り得ぬ!


「久しぶりだ、全力で戯れてやろうではないか」


 微笑むマスターゴーレムが架空空間に戻り、この場にいるのは俺一人。それでも、感じる。俺の背中には三人の女が俺を見ている。俺を支えている。一人が万に匹敵する俺の従者たち。ならば俺は億の兵すら踏み潰そう。先陣を切り開戦の鐘が鳴る前より勝ち鬨を響かせてくれる。俺がいるから勝つのではない、俺が勝利と同義なのだ。
 海底神殿への移動装置に触れる事無く、俺は自分の力で空間を歪め海底神殿に入り込んだ。場所は移送点を正確に測っていないので、行ける場所は限られているが……まあ敵が大勢いれば文句は無い。精々驚かせてやろうではないか、女王も魔物もクロノたちも。
 俺様の名を轟かせてやる、刻み付けてやる。世界を破滅させるラヴォス神の間近……俺の登場舞台にしてはつまらぬものだが、我慢してやろう。
 ……俺は、器にしては酷く謙虚であるからな?












 背中が寂しい。常に感じていた熱気というか、背中を押してくれる気配も声も無い。ただ静かに放たれる弾丸と火炎の波、耳のすぐ側を通り抜けるそれは熱の塊なのに、何故か寒いと思ってしまった。
 ……どうしてだろうか、いつもは近くにいてくれるだけで視界が広がるような無敵感を得ていたのに、今は息苦しさを覚えてしまう。
 ロボもその違和感を肌に感じているのだろう、口数は少なく俺とルッカを横目で見遣りどうしたものかとうろたえている。悪いけど、頭を撫でて誤魔化してやるような気持ちの余裕は無い。ある……訳が無い。
 辛うじてルッカはエリクサーだけは受け取ってくれた。引っ手繰るように取ったカプセル薬を口に入れて、彼女は交代することを是としなかった。カエルさんと交代しては? というロボの言葉にも反応する事は無く俺たちのことなど見えていないという顔で先に進んでいく。戦闘の際はある程度連携を考えてくれているが、戦いが終わればまた元に戻る。時折気が触れたように叫んだり物言わず涙を流したり……その訳を聞けば「うるさい!!」と一蹴される。結局、俺とロボが彼女にしてやれることは何も無かった。
 行く先々に現れる魔物たち。少なからず弱くは無い、むしろ強敵だろうモンスターを俺たちはてこずることなくあっさりと倒していく。俺やロボも勿論、ルッカは鬼気迫る力で燃やし尽くしていく。死骸と化した魔物ですらも念入りに炭化させていく様は味方であっても背筋が凍るものだった。
 離れた敵も、物陰に隠れた敵も、空中に飛び上がっても後ろを取っても目の前に肉迫しても変わらず彼女は火炎を操り葬っていく。滾る炎は燻る事無く、魔力という炉に燃料を投下続けているようだ。いつもならばへたっていてもおかしくはない消費魔力量だろうに、彼女の炎は衰える事は無かった。
 ……それほどの活躍を見せても、俺たちは彼女を褒めることさえできない。僅かな会話すら彼女の背中は拒んでいた。
 それでも、敵兵士の投げたナイフが彼女の頬を掠めて怪我をしたときだけはロボが治療に走っていった。ケアルビームをかけようとするロボの手を煩わしげに振り解く彼女に俺も少々苛立ちを感じ始める。心配して治療するってのに拒否って……今俺たちが何処にいるのか分かっているのだろうか? それだけじゃなく、掠めたといっても傷は深いようで、太い血の流れが首元を赤く染めている。自然治癒を待てるようなものじゃないのに……


「……だから、いらないって言ってるでしょ!?」


「痛っ!」


 諦めることなく治療を勧めているロボにルッカは拳を握り、額の部分にぶつけた。勢いは強く、こぶになるかもしれない……どうあれ、心配する仲間にすることじゃないよな? ロボは善意で言ってくれてるんじゃないか。殴るのはどう考えてもおかしい!


「おいルッカ、ロボが治してくれるってのに何だよそれ……謝れよ」


「だ、大丈夫ですよクロノさん。僕がしつこかったんです」


 俺たちのやり取りに興味を示すことも無くルッカはさっさと歩き出してしまった……ちょっときつく言わないと駄目だな。
 前を歩くルッカの肩を強く掴み無理やり振り返らせる。


「謝れ」


「……うるさい」


「もう一回言うぞ、ロボに謝れ」握る力を強める。不機嫌そうに歪む顔の皺が強くなっていく。


「クロノさん、もう良いですよ! こんなこぶくらいすぐ治りますから! ね?」


 俺を落ち着かせようとしてるなら間違いだロボ。やっぱりこぶになってたんじゃないか。痛いのが大嫌いなくせに、変に我慢しやがって……


「なあ、聞こえてんだろ? さっさとあやま……!?」


 俺の触れていた肩から火が漏れ出す。慌てて手を離してルッカと距離を置けば彼女は仇を見るような目で俺を睨んでいた。


「うるさいって何回も言わせないでよ!! 私の事は私がよく知ってる! なのにロボがしつこいから怒っただけでしょ!? クロノに一々説教される謂れなんか無いのよ!」


「……いい加減にしろよお前……!!」


 カッとなり思わず手を上げそうになったのを止めてくれたのは、当然ロボ。浮かぶ俺の腕を握り、無理やりに掌を開かされる。見ると火傷で皮膚が崩れている肌。流れるようにロボはケアルビームの光を俺にあててくれた。
 その強引な治療に少々戸惑ったものの一先ず感謝を告げる。もう一度ルッカの方に視線を送れば、やはり彼女は海底神殿の奥へと歩いていく。
 今度は本気で殴りそうな俺をロボは服の裾を離さず「もういいですよクロノさん」と半ば諦めたような、それでもさっきと比べて格段に冷めた声で宥める。


「いくらマスターでも、クロノさんに手を上げるくらいなら僕も知ったことじゃないです……一歩間違えば、神経まで焼かれてましたよ、今の火傷」


 わざとルッカに聞こえるように大きな声でロボは怪我の具合を説明する。いや、俺のことは置いといていいんだが……
 ……マールに続きロボ。色んな人間がルッカから離れてしまう。いつかと同じように、その原因が俺なんだというのが……辛い。憤慨していた俺が気に病むのはお門違いだと分かっていても。
 鈍重に歩を進める俺に並ぶロボの表情に暖かみが消えた。もう……頼むよ。


「仲良く……やろうぜ、ちくしょう……」


 俺の呟きにルッカは勿論、ロボですら応えてはくれなかった。
 それからもこちらの事情など知らず無尽蔵に現れる魔物たちを切り刻み前進を続ける。連携などそこには有りはしない。そも、必要も無かったかもしれない。ロボは時折傷を負うが瞬時に治療、ルッカはさっきのように僅かな隙も見せず触れさせる事なく魔物を沈めていく。俺だって適当に刀を振り回せば、何もかも終わる。
 順調なんだ、全部が全部。個々として役立てるなら、それは一つの戦い方として間違っては無いんだろう。
 でも、今の俺たちはパーティーじゃない。各々が別の仕事に取り掛っていて、結果がそれぞれに分担していくだけ。視線も合わない、いつの間にか気まずさを感じ取ったロボも俺と会話をする事を避けていた。俺もその空気を破る程の勇気は無い。
 ……いつだか、誰かが言ってたな。マールだったか? 俺がリーダーだってさ。それは違う、違うんだよ。俺が頭だとしても、中枢は……歯車は俺じゃないんだ。それはマールでありカエルでありロボであり……ルッカなんだ。こいつらが上手く噛み合わないと俺たちは動けないんだ。


「……くそ」


 落胆していく気分を切り裂くように強く刀を振る。魔物の体を分割して霧散させても、暗澹とした気持ちが晴れることは無い。
 一番辛いのは戦っている最中ではない。むしろ、移動中。何もすることはなく歩くだけの時間は俺たちの軋んだ関係を浮き彫りにさせる。今の俺たちが仲間という信頼関係に無いのだと突きつけられる。こんな時間が続くなら、昔みたいに頭ごなしに怒鳴られている方がよっぽどマシだ。あの頃はどんなにか……どんなにか。
 長い道を進み、ようやく代わり映えの無い空間から脱出した。扉を開いた先は遥か地下の見える広々とした部屋。正方形の穴がいくつも点在する床の下から吹き荒ぶ風が妙な恐怖心を煽り立てる。まるで塔の中身を刳り貫き上から床を押し入れたみたいな構造。全方面に見える科学の光、この場所が精密な機械の集合体なんだろうな、と口に出すまでも無く理解できる。未来の技術すら子供騙しのようだ。
 周りを見渡しても、他の場所に移動できる扉は無い。まず間違いなく、地下に下りていくべきなのだろうが、その方法が見つからない。部屋の中央に陣取りどうしたものかと立ち尽くしていると、今まで必要ない動きを見せなかったルッカが部屋の隅に設置されていたレバーを引く。それに呼応して地面が揺れた。


「はっ? ……なるほど、この部屋の床が下りていくって仕掛けか」


 誰も何も言わないと分かっていながらも独り言を言わずにはいられない。キキキ、と嫌な音を奏でながら下の階層へ移動を始める、未来の工場で見たエレベーター、その規模が大きくなったものと解釈すればいいだろうか? 耳を塞ぎたくなるような轟音に晒されながら俺たちはさらに先へ進む事が出来た。


「……さす………」


『流石だな、ルッカ!』


『当然でしょ? 私は天才科学者ルッカ様よ? この程度の仕掛けを見破れないでどうするのよ!』


『やっぱり僕を直したマスターは天才という言葉では足りぬ鬼才、むしろエクスマキナの創造者とも言えましょう……ともあれもう少しですよ、クロノさん!!』


『だから抱きつくなよロボ! あああ、分かったそのままでいいから泣くなって! もう、面倒臭えな!』


 それは有り得た幻想。声を掛けようとして、不快な眼差しを送り込まれて俺が勝手にでっち上げた未来。
 いいじゃないか、妄想したって。俺が感心したようにルッカを持ち上げて、彼女は調子に乗るんだ。後押しするロボが意味の分からん単語を並べて結局俺に抱きついて、俺は押しのけようとした後そのまま許しちまう。
 ……そんなに難しい話か? 絶対に無いような事かよ? 今まで沢山あった一場面じゃないか、何でもないような一時じゃないか。それも無理か?
 そのまま何も言えず、エレベーターは俺たちを運び、稼動が止まっても言葉を交わさず、下りきって初めて現れた扉を開いた……が、その直後遥か頭上から微かに何かの鳴き声が聞こえた気がする。気を尖らせて物音の内容を探ると、その音は段々と近づき数も増えてきている気がする……


「……何か、聴こえないか」正直自分から声を掛けることすら躊躇うような雰囲気だったが、意を決してロボの肩に手を置き話しかけた。俺と同じように声を出す事に怯えていたロボは驚いたが、無視はせず目を閉じて気配を探る事に集中してくれた。


「…………っ! 上から多数の魔物の反応を感知しました! その数……百五十以上!? クロノさん!」


「……迎え撃つか……? いや、逃げるぞ!」


 やってやれない数じゃないかもしれないが……危険が大き過ぎる。いくら俺たちが強くなったとて、それだけの数相手に押し切られない訳が無い! 万全の状態ならまだ可能性はあるかもしれないが、少なくとも俺とロボはかなり魔力を消費しているのだから。
 ロボと二人走り出したが、ルッカだけその場を動かない。この馬鹿まさか戦り合うつもりか……? いくら豹変したように強くなったルッカでも勝てる訳が無い! それに、今まで一番戦って消耗してるのもお前だろうが!


「ルッカ! 何してるんだ、逃げるんだよ!」


 もう気まずいと言ってる場合ではなく、出来る限り強く彼女の行動を戒めた。やはりというか、彼女は敵の来る方向を見つめファイアの発動機会を今か今かと待ちうけていた。その目には戦闘に対する喜びや期待という狂気すら垣間見えた。
 おいおい……海底神殿にいる魔物全てを殺しつくすつもりかよ……!?


「……ああ、くそったれ!!」


「!?」


 梃子でも動かないという彼女の腕を取り無理やりに走らせる。よろつきながらも力に逆らえず俺についてくる。このまま逃げ切れればいいが……「何するのよ!!」


「ぎっ!?」


 後頭部に強い衝撃を感じて一瞬意識が遠のいたが、何とか持ち直しまだ走る。ルッカの馬鹿、ハンマーを振り下ろすとはな……そんなに俺に触れられたくないか……?
 暗明とする視界のまま通路を走りぬけようと進む俺にまだ金槌を当ててくる彼女にそろそろぶち切れていいだろうか? と考えているそんな最中、ルッカの一言が響き渡った。


「もうクロノなんていらないんだから! もう……放っておいてよ!!」


 ここまで言われては仕方ない。すぐ後ろまで敵の大群が迫っていたとしても知ったことか。俺は立ち止まり高い声で叫ぶルッカを正面から見る。怖がるように目を背けた彼女の姿は、取り残された迷子のようで……俺は何処で見たんだっけ、こんなルッカを。


「お前がいらなくても、俺にはルッカが必要なんだよ! 我侭言ってるんじゃねえ!!!」


「わ、我侭じゃ……!」


 ああ、昔、タバンさんと会った時か。誰かに助けて欲しいくせに諦めたような顔をしていた時の……
 出来れば今すぐ助けてやりたいが、時間が無い! もう何も言わずに足を動かすと、彼女は何も言わないが俺を攻撃する事は無かった。
 ……何が辛いって、さっきまでのルッカの行動でロボがさらに無機質に彼女を見つめるようになったことだ。さっきまでも充分冷たい眼差しを送っていたが、それでも人間を見る目だった。今では……無機物を見るような、いてもいなくても良い、正に興味が無いものを見る目つきに変わっていた。殴られた頭より胸がぎりぎりと締め付けられる痛みの方が辛い。こうなると、逆に笑えるぜ……
 通路を出ると、これまでは一本道だった海底神殿の道のりだったが、木の根っこのように枝分かれしたさらなる通路に出てしまう。急いでいるこの状態で行き止まりに出くわしたらもうアウトだ。ルッカの手を握ったままロボに正解である道筋が分かるか聞くも、「時間を掛ければ可能かもしれませんが、切羽詰った今では不可能です!」らしい。当てずっぽうで行くにはリスクがでか過ぎるが……腹を括るしかないか……?


「仕方ない、適当に行くぞロボ! 安心しろ、トルース町の異常幸運保持者とは俺のことだ!!!」


「はい! クロノさんを信じます!」


 七方向程ある通路、右から三番目が正しいルートだと俺の勘が告げている。躊躇っている暇は無い! 床を蹴り狭い通路を三人で抜けていく!
 ……切迫した気合を持ち、自分たちに未来が繋がっていると不純物の無い真っ直ぐな意思で、俺たちは行く末を信じた。






「……ああ、思い出したらあれだ。異常幸運保持者って、少ない意味でだったわ。悪いなロボ」


「…………今凄い悪口を思いつきましたが、言わないでおきます。僕、良い子ですから」


 七分の一の確立に弾かれてこれ以上無いくらいの行き止まりに直面したというか、詰んだというか。
 どう見ても黒い壁に阻まれている先の道。一縷の希望を掛けて抜け穴らしきものがないか壁を叩いてみるも、反響する事は無く、それつまり壁の先は空洞ではなく壁という悲惨な事実。こりゃあまいったね。
 ルッカが一言も喋らないのは今までの事から想像出来たがそれにしたって俺の手を握る力が強い。人差し指と中指が同化しそうなくらい痛い。


「こうなったらしょうがないな……ロボ! お前に任せたい事がある! 頼んでいいか!?」


「はい! クロノさんの頼みなら!」


「俺が悪者にならない言い訳を考えてくれ!」


「…………屑が……」


 今のロボが言ったのか? まさかなあ、あのロボが俺に対してそんな酷い事を言ったりする訳無いよなあ、気のせい気のせい幻聴。
 下らない漫才をこなしていると、後方から魔物の鳴き声が聴こえてくる。多種多様な鳴き声の種類からその数はちょっと計れないくらいのものだと推測される。まさかこんな狭い場所で相手取れと? ……絶対口にはしないが、これならルッカと同じようにエレベーターのあった場所で戦えば良かった。ルッカもまたそう思ったのか握力が倍化。もしかしたら、もう俺は刀を握れないかもしらん。


(……何をしているのだ、馬鹿共)


「誰が馬鹿だ、これでも真剣だ!」


「クロノさん……いきなり何ですか?」


 ロボが呆れかえった顔で問いかけてくる事で今の声が彼の出したものではないと知る。そもそも、その声の低さから彼ではないと分かってはいたが。当然ルッカでもない、何より俺はさっきの声の持ち主を知っている。少し前まで飽きそうなくらい聞いていたのだから。


「……おいおい!?」


 何故彼がここにいるのか分からず考え込んでいると俺たちが乗っている茶色い床に円状の黒が貼り付けられ、そこに吸い込まれていく。イメージとしては、ゲートに入るときに酷似している。特有の時を越えて行く感覚が無いので幾分差異は生じているが。
 自分の体が足元から消えていく感覚にロボは困惑した声を上げて、ルッカも声を出す事自体禁じているように口を噛み締めているが悲鳴のようなものが漏れ出している。
 ……ああ、そうか。あいつの召喚魔法はこんな使い方も出来るのか。架空空間だったか? 恐れ入るよ……恐れ入るけど……これ大丈夫なんだろうな? 不安が押し寄せて来るんだが……ビジュアル的にも!


「ははは……信じていいんだよな、ダルトン!!」


 顔まで黒い闇に浸かった時、遠くから(当然だ)と胸を張るような声が聴こえた気がする……何をするにも自信有り気だから、ちょいと不安だが……身を任せる心積もりで俺は目を閉じて次の展開を待った。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十一話 多分、彼は誰よりも卑怯者だった












「ひぐっ!!」


 暗い闇の中から飛び出てきた俺は人の腰位の高さから落下して強く尻を打ちつけ引きつった声を上げてしまう。同じように落ちてきたルッカは上手く着地したようで、俺の手を離し、しゃんと立ち上がった。微妙に見下すような視線が痛い。
 座りながら視線を辺りに散らしてみる。ルッカたちのいた場所よりもさらにふた周りは大きい広大な部屋。天井は高く果てが視認できないほど。何かの目的があってのことか、今まで薄暗かった部屋が多数だった中この場所だけは嫌に光が目に入る、それこそ部屋の隅まで見渡せるくらいに。
 痛む尻を擦りながら塗料の剥げているタイル張りの床から腰を離して立ち上がる。何も置かれていない殺風景なこの部屋で唯一存在を見せ付けている巨体の男に目を向ける。今さっきに俺へ声を掛け恐らくここまで運んでくれたのであろう彼は両手を組み眉をしかませていた。
 遅れて闇から落ちてきたロボと凶暴な目つきを止めないルッカは当然のように武器を構え警戒するも……戦う必要は無いと俺は知っている。その用事はとうに済ませたのだから、拳を交える意味が無い。だから、多分あいつは……


「助けてくれたって事で良いのか?」


「馬鹿な。見るに耐えん貴様らを遠ざけようとしただけだ。俺様のワンマンステージからな……分かったならさっさと消えろ」


 そういうダルトンは後ろにある扉を指差して、手を払った。存外に照れ屋なのかもしれないと指摘すれば、彼は否定するのだろうか? するんだろうな、こいつ微妙に意地張りそうな奴だし。
 俺たちの会話を聞いてもまだ武器を下ろさない二人に安心して良いと宥めて、警戒を解かせる。
 短い間でも気を抜ける瞬間を大切にすべく深呼吸を繰り返し、走り続けて棒のようになった足の力を緩める。中腰になってダルトンを凝視していたロボとルッカも敵意は無い事に疑問符を上げながら仕方ないという表情で楽な姿勢へと移行した。


「貴方がダルトンさんですね? 僕は一度洞窟で会いましたが……貴方は僕たちの敵ではないんですか?」


 ロボの質問にダルトンは間違っていないと偉そうにふんぞり返り、


「そもそも、質問の根幹からおかしいのだ小僧。敵味方以前に俺様に味方などいない。いるとすれば召喚魔法より出でる従者たちがそうだろう……断じて貴様らの仲間には成りえん。言っただろう? 俺の晴れ舞台を邪魔しそうだったのでここに呼び寄せた、と」


「晴れ舞台……ですか?」


 今度は答えずただ首を縦に振る動作だけで肯定した。
 どうも、ダルトンの言うことは脚色されて要領を得ない。言葉通りに受け取る気は無いが、単純に俺たちを助けたかっただけではないということだろうか?
 小考していると、それには構わずルッカだけがダルトンの横を通り過ぎ──やはり近づく際には警戒を怠る事無く──先に進む扉へと向かっていた。やっぱり、あの程度じゃあ心開くわけ無いよな……かなり重い傷を負った様だが、原因が分からなくては対処の仕様が無い。海底神殿探索も終盤だろう今この時に不和を持ちながら行くのか……
 いかんともしがたい状況に煩わしくなり頭を掻き毟る。とりあえず何か叫びたい気分だったが、ダルトンにこれ以上呆れられるのは本望ではない。どうしても重くなる足を引き摺りルッカの後を追う。
 そうして、ダルトンの後ろに立ったとき、どうしても聞きたいことがあった俺は立ち止まって声を投げた。


「おいダルトン、今すぐかどうか分からんが、俺たちを追ってくる魔物がここに来るぞ。それも相当な数……俺たちを逃がしたのがお前だと分かればお前相手でも襲われるかもしれない」


 だから逃げろ、という言葉は呑み込んで、彼の反応を待つ。彼の体は俺の話す内容にぴくりとも応えることなく、また口を開ける事もなかった。
 ……晴れ舞台。彼はそう言った。ならそれ以上俺が口出しする義務も義理も無い。押さえきれず漏れた笑い声を止めず俺はルッカの後に扉を開けてダルトンのいる部屋を後にした。
 その先は今までのように入り組んだ通路でも敵の徘徊する部屋でも妙な仕掛けがあるでもなく、雑多に見えて規則性ある機械だらけの部屋へ続いていた。発行する床や巨大なガラスケース、中には内部に海の水に近い色の液体が入っていたりさらに魔物の一部らしき物体が息づいていたりと、マッドサイエンティックなものが隙間無く押し込められている。天井に付けられた電灯の光が時折点滅するのが不気味な雰囲気を加速させている。
 床を覆いつくすように拡がる細いコードの束を踏みながら、気味の悪い部屋を抜けるべく新しい扉に向かう。
 科学知識に詳しいルッカにここにある機械の山は何なのか聞こうと思ったが、やはり彼女はこちらに一度も顔を向けない。そもそも、ロボの憎悪に近い顔を見ればおおよそどのような装置が揃っているのか予想はつくので、特に必要性は無いが。
 ……開けずとも分かる、その先から溢れ出す魔力の粒子。眼に見えるほど密集したそれは赤く血飛沫のように見えた。
 勝手に踊り出す自分の心臓を無視する。気を向ければ、己が怯えているという認めがたい真実に気付いてしまうから。それほどに、肌に感じる気配が恐ろしい。これが……ラヴォスの気配なのか。
 微かに震える手を無理やり扉の取っ手に伸ばし開けようとする直前……聞きたくも無い音が耳に入り込んだ。翼をはためかせる羽音、狂ったような金切り声、人間では出しえない低い暴力的な威嚇音。間違いなく俺たちを追っていた魔物の群れ。予想に反し……あまりに近過ぎる!


「……クロノさん!」


「分かってる。追いつきやがったな……? 思ったより全然早いじゃねえか!」


「ど……どうしますか!?」


 焦りながら声を上滑りさせるロボと流れるように銃を抜くルッカの対比にそのような時ではないと分かっているが、笑ってしまう。尚も慌てるロボの頭に手を置き、ルッカにも聴こえるよう普通よりも少し大きめの声で「大丈夫だ」と言って落ち着かせる。


「……あいつは、俺のライバルだからな」


 小首を傾げて見上げるロボ。置いた手を動かして撫で回すと犬がそうするように目を閉じて為すがままに頭を揺らす。なんか和むな、おい。
 ……大丈夫と口にはするも、自信なんか無い。自分自身のことならば不可は分かるが対象は俺じゃない。所詮俺の言葉は他人任せ、身勝手な理屈なんだから。大体、あいつがあそこにいたのも俺たちを助けるつもりは無く何らかの用事があった可能性も捨てきれない。
 ……そう、ダルトンの真意は分からない。あいつがどういうつもりであの場に居たのかも。けど、自分なりの予想を立てるくらいならできるだろう。予想とは言うが、実際確信に近いのだが。


「……あいつが、あの馬鹿な自信過剰男が、殿を務めてくれる……そういうことだろ? ダルトン」


 この考えは都合が良いだろうか? でもそう信じてみたい。
 そして、もしそうならば何よりの敬意を。俺以上にダルトンはサラを助けたい筈なのに、わざわざそんなつまらない役割を背負ってくれたのなら、あいつが俺たちに助けられると思ってくれるのなら、それはそうでなくてはならない。救出を絶対に変えなくてはならない。なに、ダルトンにも言ったが、一人の女性を助けるだけの楽な約束を果たすだけ。一人で魔物百体以上を食い止めるのに比べれば随分と容易な仕事じゃないか。


「……死ぬなよ、次会う時は変な髪形だって、馬鹿にしてやるんだから!!」


 一人の男の覚悟や、今から為すだろう事柄を思うと不思議に震えは止まり、開く事を躊躇っていた扉を蹴り開ける。魔力の気配やらなんやらアホらしい。仲間内の不和? そんなもの落ち着いた時に直せばいいさ、それが出来るだけの時間を俺とルッカは共有している。
 目指すはサラ、次点で魔神器。暇があれば、片手間に世界でも救ってやるさ。












 なるほど、これは奴ら如き凡愚では荷が勝ちすぎるだろう。あくまでも、並の人間では五十倍以上の戦力差を覆す事は不可能だろうな。それも、一体一体が侮れぬ魔力と力を持つ凶悪な魔物。ラヴォス神より漏れ出す魔力に当てられ凶暴性も増している。
 前方に見える通路より巣穴をつついた鼠のように大量の化け物共が現れた時、ふとそんな事を分析してみる。血走った目は通路内の暗闇でもなお光り、部屋の中に入るとそれらは好き勝手に広がって俺を包囲しようとする。通り過ぎられてはかなわんので、クロノたちの通った扉を背に預ける。これで俺がこの場を離れぬ限り誰も奴らを追う事はできない。
 ……にしても、異形の者に囲まれている今はどれほどに良く言っても気分が悪い。俺の熱狂的な信者というならば目を瞑ってやらんでもないが……口から涎が滴っているのは減点だ、いついかなる時もマナーを軽んじる者は女性に嫌われるぞ?


『流石はダルトン様。女性の心理を理解しております。それに比べ彼奴らの醜いこと……私は耐えれそうにありません』


「そう褒めるなマスターゴーレム。そして貶すな。奴らとて哀れな存在、俺のカリスマ的美に比べるなど同情の念を抱かずにはいれぬ。せめて犬猫と比べれば背比べもできよう」


 俺の言葉が理解できるのか、誰と話しているのか分からぬまでも自分たちが馬鹿にされていると気付いたか充血を濃く、形相を憤怒のものに変えていく。言語が理解できるとはプラスポイントだ。犬猫は言い過ぎた、精々が九官鳥というところか。素晴らしい躍進ではないか、愛せる、という点では俺は犬猫の方が愛でやすいが。
 冷めた目で近づく魔物の内一匹の仮面を付けた人間型の魔物が大勢より一歩前に出て口を開いた。


「ダルトン殿……そこを退いて下さい、貴方が不甲斐ないばかりに通してしまった侵入者を排除するのです」


 そうか、こいつは不敵にも俺と対話をしようと試みているのか。真に不敬。俺と口を交わすなど陳情してから待つのが礼儀であろうが。
 ……とはいえ、俺様は寛大にして格下の者の言葉も聞いてやろうという謙虚な姿勢を持っている。気は進まんが、何かしらの声を掛けてやるべきだろう。


「名前も知らん下賤の化け物よ……お前の頼みに俺はこう答えてやろう。糞喰らえだ、と」中指を立てることを忘れない。


「……裏切り者が、恥を知れ!!」


 言って、自分の仮面を剥ぎ取り中から二目と見れぬ汚いモンスターの顔が現れた。背中にある刀を抜き俺に飛び掛ってくる……ので、腕を一振り。俺様の豪腕に貫かれよく撥ねる紙風船のように飛んでいく。笑いを堪えきれないほどの脆弱さだ。侮れぬと言った己の言葉を撤回せねば。
 完全に敵に回ったと知るや否や魔物の群れは牙を剥き、臨戦態勢に移る。爪を尖らせこちらを窺う数百の魔物……欠伸が出そうな光景だ。まさか、その程度で俺様と戦うつもりか? 同じ土俵に上がれるつもりだろうか? 貴様らを相手するくらいなら、まだクロノと戦っている時の方が面白かった。
 奴には勝つ為の確固たる理由があった。貴様らはなんだ? 義務の為に追うだけのガラクタめ、吐き気がする。少し前の俺と同じに見えて尚更に。
 ……加えて、何故奴らは俺に攻撃を仕掛けない? まだ何の行動も起こしていない俺を襲うなど簡単なことではないか。どうせ、一番最初にやられた魔物の二の舞になることを避けているのだろうが。この臆病者の集まりが。
 ……何もしないのなら、俺様は勝手にやらせてもらおう。
 左手で印を切り、右手で自分の魔力を空気にかき混ぜる。多少の時間も掛けずに俺だけが感知できる空間とこの場所が繋がった。それはまだ細い線。それを太く強靭に変えていくのが俺の仕事だ。
 蜘蛛の糸に等しいか細い糸に魔力を注ぎ込み粘りのある鋼のように、念入りに強度を上げて……後は引っ張り上げるだけ。


「……!? 殺せっ! 呼ばせるな!!」


 ようやく俺が何をしているのか悟った魔物の一人が慌てふためきながら檄を飛ばすも……遅過ぎる。呼び鈴を鳴らすまでも無く、彼女らはすぐそこに来ている。貴様らの喉元を切り裂こうと笑っている。
 元来、使い魔とは主人に近い性質を持つのだと俺は昔知った。俺以外の術者など知らんので言い切ることは出来んが、例えば心優しい者が呼び出す使い魔は同じように優しい使い魔が。気性の荒い者が呼び出せば荒々しい使い魔が現れるという。万事が同じ性格ではないにしろ、根元の部分が同じであるのは間違いないだろう。
 ……故に、俺の呼ぶゴーレムもまた、戦いという一つの部分には揺ぎ無い執着心が存在する。今も奴らは舌なめずりをしているだろう。そして俺に感謝しているだろう。このような乱闘騒ぎに参加させることに、万感の礼を抱いているだろう。
 では始めよう。後は名前を呼ぶだけだ。名前が無ければ、舞踏会には参加できぬのだから。


「来い……ゴーレム・シスターズ!!!」


 右手を掲げて門を開く。架空空間とこの世を繋ぐ異門。黒々とした渦の中点からゆっくりと二組の腕が浮き上がる。手の持ち主たちは徐々に輪郭を見せて、舞い降りるように地面に足をつけた。
 一人は一度クロノたちと戦った際に呼び出した薙刀を駆る娘。
 もう一人は、黒い法衣に身を包んだ金色の髪を持つ長身の女性。切れ長の目をぎらつかせて、前方の魔物をねめつけるように見据える。ツンと立った鼻は整った造形を際立たせ、弓なりに曲がる小さな唇は彼女の気質を表している。スレンダーに伸びる体型は艶麗な魅力を放っていた。我ながら、素晴らしい造形美術だと感心せずにはいられない。
 じっくりと周りを見渡した後、長身のゴーレム──俺はシスターと呼んでいる──が、酷く興奮したように目を開かせて口を開いた。


「ダルトン様? こいつらはつまり……敵であると認識して良いのでしょうか?」


「相違ない。ゴーレムと共に食い破れ、シスター」


「御意に……」


 今さっきまで小さかった口が大きく裂けて群れに突っ込む。手当たりに掴んだ魔物の頭を食いちぎり、脳漿のはみ出た部分をぺっ、と床に吐き捨てた。「不味い……けど、楽しい」と傍目には無感情に、けれど付き合いのある者なら分かる高揚した、昂ぶる声。遅れて怒号を上げたのは魔物たちである。誰しもが常軌を逸した攻撃に怒り同胞の無念を晴らすべくシスターに密集する。
 それを許さないのは、薙刀を振り回し敵を退けるゴーレム。得物を長く持ち円に振り何匹もの魔物を一度に薙ぎ払ってシスターへの攻撃を許さない。


「姉上! 一匹の下郎相手に時間を掛けないで下され!」


 ゴーレムの切迫した台詞にシスターは気だるげに振り向き「楽しい……のに」と悲しげに呻いた。「そういう場合ではありません!!」と怒りを見せれば、渋々と立ち上がり次の魔物を打ち倒す。
 普段に見れば愉快であるやり取りだが、今この場でやられては数に押し切られる可能性がある。十二分に頼れる俺の従者ではあるが、あの二人だけでは荷が重いか……仕方ない、俺も出るか。もとよりそのつもりではあったが。


『……何故御主人様は私をお使いにならないのですか?』


「……深い意味は無い。ただ貴様が出るとなると幾分気を遣う。具体的には、海底神殿そのものの心配……とか、な」


 声に怒りを滲ませてマスターゴーレムが関わってくる。確かに、久しぶりに姉妹が出揃った時に自分だけ仲間外れというのも気が悪かろうが。


『そうですか。つまり御主人様は私よりもあの娘たちの方が頼れると。私など時折話しかけてくる無礼な女と思っていると。そう解釈して構いませんね?』


「マスターゴーレムよ。時に貴様は面倒臭い」


『………………………そうですか』


 時にと評したが、実際には頻繁にこういった状態に陥るマスターゴーレムは口では納得したように息を吐いているが、分かる。間違いなくこのまま放っておくと三月は不貞腐れると。何故にこいつはいらぬところでサラと似ているのか。妙にシスターズに対し対抗心を燃やしているところ以外は出来た従者なのだが……仕方があるまい。


「……暴れすぎるなよマスターゴーレム。貴様を御すのは俺とて骨が折れるのだからな」


 俺の言葉に声調が高く跳ねたものとなり、『勿論です!』と勢い込む。眼には見えんが、尻尾でも揺れているのではないかという変わりように些か愛しさを感じた。


「出でよマスターゴーレム!! 何もかも砕き尽くせ!!」


「御命令の通りに……!!」


 シスターズを現出させた黒い穴より一際大きい黒穴を創り出す。中より産まれるのは、ゴーレムたちの長女、俺の最強の相棒にして最凶の従者。未熟な頃の自分が勝手の分からぬまま変貌させたマスターゴーレムは俺の力量を超えた、使い魔であって使い魔でない存在。魔力という一念では俺は愚かサラにすら匹敵しよう莫大な力を持っている。
 御す、と言うが俺はこいつを使役しているという自覚は無い。力でねじ伏せられる者ではないのだ。繰り返すが……こいつは相棒でもある。主従関係を超えて、マスターゴーレムは俺を気に入って力を貸してくれていると、俺はそう信じている。過去に言われた命令でなく己の意思で俺を愛してくれるという言葉は今もまだ俺を支えてくれているのだ。


「大姉上! 久方振りの三姉妹集結ですな!! ……大姉上? あの、もしや……」


 交戦しながらマスターゴーレムを嬉しそうに見つめ歓迎するゴーレムの口が止まった。と同時に縦横無尽に振る薙刀も動きを止める。相手にすれば間違いなく隙だらけなのだが、魔物たちも同じく石のように動かなくなったので心配は無い。
 ……マスターゴーレムは、俺の砕き尽くせの命に従い内に秘める魔力を解放しようとしていた。桃色の髪は湧き出る魔力に浮かび、前述した石のように、という言葉から蛇の髪を持つ怪物を彷彿とさせる。彼女の開かない目は何も見えず、代わりに全てを視ていると教えてくれた事があった。今彼女が視ているのは破壊か、救済か。ただそこに立つだけで産まれている圧力に海底神殿の床が軋み放射線状に押し潰されていく。不幸にも近くにいた魔物はその重圧に押し潰され屋上より地上に投げられたトカゲのようにひしゃぎ潰れていく。ぶぢぶぢと体から漏れ出す臓腑にゴーレムが口を覆った。
 ……海底神殿を壊しそうだ、という心配は当たったかもしれない。加減はしてくれるはずと祈ってはいるが……どうなることやら。
 俺の記憶違いでなければ、今彼女が唱えようとしているのは、彼女が持つ最大威力の大技、名称に偽りは無く全てを破壊する究極。


「超破壊必殺魔法……発動」


 両手を重ねて唱えた言葉は形を為して…………俺様としたことが、やはりマスターゴーレムは出すべきではなかったと後悔するのだった。












「…………っっっ!!!? 何だ今の爆音!! 大丈夫か二人とも!」


 立っていられない揺れと轟音に思わずその場にしゃがみ、ロボとルッカの安否を気遣う。ロボは掌を振り何も無いと反応。ルッカにも怪我は無さそうだ。
 俺たちに向けられた攻撃の類ではないようだが……なんだ今の無茶苦茶な揺れは。このくそでかい海底神殿全体を揺らすような力を持った何かがいたのだろうか……? ダルトンにもそんな飛びぬけた魔法は無かったように思うが。
 軋む床の音が耳に入りその場を飛び退く。床が抜けるような事はなかったが、海底神殿自体がかなりのダメージを負ったのではないだろうか。それでも、自動修復機能らしいものを持ち合わせている海底神殿にとってはさしたる損害でもなかろうが。
 揺れが止まり、立ち上がる。ぱらぱらと上から落ちてくる埃が鬱陶しいが、気にするほどでもない。


「先を急ごう。多分、ダルトンが何かをしたんだと思うが……もしかしたらサラに何かあったのかもしれない」


 俺の言葉に頷いて、ロボは歩調を速めた。俺とルッカもそれに倣う。
 いい加減に飽きてきた通路を抜けて、現れた階段を上る。手すりの無い階段は恐怖心を煽るが、立ち止まっている暇など無い。慎重を心掛けながらも大股で進む。今魔物の襲撃があれば厄介だと思ったが、やはりさっきの魔物の群れは海底神殿にいる魔物の多くが集まっていたらしい。階段を上りきっても戦闘は一度も無かった。
 多少息を乱し階段を終えると、すぐ手前に魔物の像が鎮座されている。先程の振動で微かに傾いている魔物の像は皹が入り、置物としての美観を損ねている。元々趣味が悪かったのだからそうなっても別に良いとは思うけど。


「大丈夫なんでしょうかクロノさん……」


「どうしたロボ。何か怖い事でもあったか」


 肩を震わせながら、「さっきの地震で海底神殿が壊れたりしないですかね?」と言う。地震とは、また変わった意見だな、と思った。


「そう簡単に壊れるくらいなら、わざわざラヴォスを起こす為に海底に作ったりしないさ。まあ……そう何度も起きれば分からんが」


 誰かの人為的な『地震』にせよそれこそ災害的なそれにせよ、これ以上ロボが怖がらないように二度目は無いことを祈る。ついでにロボをからかうように「地震が怖いなんて、随分可愛いものじゃないか選ばれた戦士? それから、地震じゃないと思うぞ、さっきのあれは」と笑った。ロボは鼻に皺を寄せて「分かってますよ!」と噛み付いた。
 妙な話だが、今となっては敵の大群にも感謝したい気持ちになっている。追いかけてくる敵が切っ掛けとして作用したことで、ルッカは無理だがロボとはこうして会話をこなせるのだから。勿論、そこにルッカが加わってくれるなら言うことは無いのだが。


「……ロボ。ちょっといいか?」


 隣のロボの耳元に顔を寄せると、彼はくすぐったいのか少し身を捩る。止めてくれないか、俺を誘惑するのは。


「ルッカの事なんだが……そう怒らないでくれ。何があったのか知らないが、多分あいつなりの事情があるんだろう」


「……それでも、まずマスターがクロノさんに謝るべきです。それが筋でしょうに」


「そうは言うけどなあ……うーん」


 どうも、この話題は今ロボにとって触れたくないものらしい。俺だって嬉々として語りたい訳ではないが……仕方ないだろうに。
 何とかしてこの空気から脱出したいのだが、と頭を抱えていると……どうやら、気まずい雰囲気を払拭している時間は無いようだ。
 暗がりの中で、光が当てられて姿を見せる重厚な門。隣に立つ青い化け物……ヌゥと言ったか? が立っているその先から今までに無く明瞭に強大な力が噴出している。ここまで来れば、ロボでなくとも感じ取れるサラの気配。今すぐにも走り出したい気持ちを抑えて、門に力を入れる前にヌゥに話しかける。
 まさか人が来るとは思っていなかったのか、可哀想なほど狼狽した後ヌゥはぼそぼそと「ここは、魔神器の祭壇……逃げたほうが、良い……」と呟き、短い手足を振って走り去っていった。今戻るのは危険だと声を掛ける暇すら無かった。
 ……魔神器の祭壇。その言葉からそのままに魔神器が置かれているのだろう。長い海底神殿の終着がここということだ。
 このまま進めば、サラや預言者、ジール王女と出会うことになるだろう。もしかしたら、ダルトンから聞いたテラミュータントとやらもそこにいるかもしれない。どうあれ、激戦は覚悟しなくてはならないだろう。


「考えてても仕方ないか。準備は良いか二人とも?」


「当然です! まだまだ暴れ足り無いですよ、僕は!」


「…………」


 一人、ルッカだけは何も言わず俺の声を無視している。それならそれでも良いが、これだけはルッカにも肝に銘じてもらわなくてはならない。彼女の顔の前で手を振り意識をこちらに向かせる。そして手を叩き、俺にとって間違っては困る最重要事項を口にする。


「帰ったら反省会だ。飯でも食いながら、皆で仲良くやるんだぜ」


 皆でを強調して締める。当然これは二人の不仲を指摘している。ロボは俯いて、小さく「はい……」と答えてくれた。ルッカも言葉にはしなかったが、自分のことを言われていると分からないわけが無いだろう。色の無かった瞳に迷いが生じていた。


「ともあれ、今は前だけを見ていよう。喧嘩にしろ仲直りにしろ、全部後に回そう。連携も無しに勝てるような、楽な戦いだと思うなよ」


 これは二人だけでなく、自分にも言い聞かせる。
 門の中央に手を当てて思い切り足に力を込めて押す。見た目と同じように重たいが、少しづつでも開かれていく。すぐにもロボが俺の手伝いをしてくれて力仕事が楽になるが……本当に嬉しかったのはその後。やはり何も言わないが、ルッカもまた俺とロボに続いて門を押してくれた。
 心は離れていても、途切れたわけではない。そう確信して、気が早いけれど、戦いが終わった後ルッカと仲直りする瞬間が待ち遠しくなった……これは現金過ぎるか? やっぱり。


「……っ!?」


 がりがりと床を削り門が留め金に当たり固定される。目を覆わんばかりの赤光が目の裏を刺激する。発光染料をぶちまけたようにチカチカする視界は見ているだけで吐き気がした。その源の前で立ち笑うジールと、彼女の暴走している行動に恐れ怯えている家臣たちに、深く被ったフードで何を思っているのか分からない預言者。そして、見る間にやつれて弱っていくサラ。俺とふざけあったり、冗談を言っている時の彼女はいなかった。
 考えるまでも無く、このまま彼女が力を使い続ければ危ない、もしくは死ぬだろう。そこに至ってもまだサラを酷使するジールは本当に彼女の母親なのかと怒りが顔を出すが、今はジールに構っている暇は無い。今にも倒れそうなサラの為にも魔神器を壊さねば。


「やって下さいクロノさん!!」


「任せろ……!」


 魔力を体に巡らせて弾丸染みた速さで飛び出し彼らの前に体を置く。皆一様に慌てた顔で俺を見遣るが、構っている暇は無い! 唯一預言者だけが俺の動きを見切っているように視線を動かしていたが、止めるには到らない。止めさせるわけも無い。
 腰に手を伸ばし取り出すはボッシュより預かった赤いナイフ。逆手に持って振りかぶり、十色以上の光を放つ魔神器向けて投擲する。その軌跡を見たジールが笑い声を止ませて「なぬっ!?」と驚きの声を飛ばすが、もう遅い。ナイフはすでに魔神器に突き刺さった。
 ナイフの持つ力と魔神器のエネルギーがぶつかり合い、派手に火花が飛ぶ。服袖に付くそれを嫌がるようにジールが定位置から少し離れて俺を鬼の形相で睨むものの、俺はそれ以上の憤怒をお前に覚えてるんだ、退くものかよ。


『……よし、行くぞリオン!』


『……うん、グラン兄ちゃん!』


 突如頭に刻まれる誰かの台詞。それは……勘違いでなければ、確かデナトロ山にいた不思議な子供たちの声。
 二人の声が終わると、行くぞの声に同調して赤いナイフが形状を変えていく。柄は膨張したように広がり、刀身は長く太く、短刀から脇差のような長さに、いよいよとなり剣と呼べる形に落ち着いた頃、その剣は俺たちのよく知る武器へと変化した。


「……グランドリオン!?」


 そう、カエルの持つ、ボッシュに再生してもらった魔王を討つ為の唯一無二の武器。遥か中世にて見つかり後世の時代に復活を遂げた伝説の剣の姿が魔神器に突き刺さり、そこにあった。


「まさか、魔神器の力を得て、あのナイフがグランドリオンに……!? そうか、だからこその、あの力という訳ですか……!」


 追いついてきたロボが納得したように頷き、それでも納得しきれない顔で呟いている。当たり前だ、いくら伝説の武器ったって、古代の時代から中世まで語り継がれたってのか!? それが巡り巡ってまた俺たちの仲間の手に渡った……こうなると、運命なんて、と馬鹿に出来ないなおい!
 とにかく、今この場に居る人間全てが魔神器に気を取られている今の間にサラを救出するべく、倒れた彼女に近寄り起き上がらせようと手を伸ばすも、立つことが出来ないようだ。しかし、このままにはしておけない……後でロボが妬くかもしらんが、無理やり体を持ち上げた。
 精神を置いてきたように動かなかった彼女の目に生気が戻ってくる。自分が今どうなっているのか理解した彼女は間近にある俺の顔を見て、「赤い人!?」と驚いた。……いやいや、もうここは名前で呼んでくれていいんじゃないか? まあ、それも彼女らしさか。


「どうしてここにいるのですか!? ここは危険です!」


「分かってるよ、だから逃げるさ。お前を連れてな」


「わ、私が逃げれば町の人が……」


「全員ジールを脱出済みだ。それに……お前がどうしようと、彼らは魔物に食い殺されようとしてた。どの道、サラがここにいる必要は無い」


 そんな……と俯いている彼女はやっぱり悲しそうで……見ているこっちも辛かったが、時間が無いんだ、急いでこの場を離れる必要がある。
 魔神器から目を離す事無く後ろに飛び退き祭壇を後にしようとする。やはり預言者だけは俺たちを見ていたが、それを邪魔する気配は無い。むしろ、早く行けと言っているようにすら見えた。


「……駄目です! 間に合いません! あれでは……あの剣だけでは、魔神器は抑えられません!!」


「抑えきれないって……!? 何だこれ……周りが暗くなっていく……」



 後一歩で祭壇から出られるというところで魔神器の双眸がギラつき……その視線上にある生き物全てが抗えない巨大な力に晒されて、遠く遠くの場所へと強制に連れ去られていく。
 渦の中にあるような、身を裂かれそうな濁流に俺はサラの体を離してしまった。何としてでも彼女を取り返そうと手を伸ばし、ようやく手が触れたと思った瞬間、空間の渦は力を失い、変わりに俺は不可思議な空間へと出た。
 俺が立っているところは、よく分からない。それこそさっき言ったような海の渦にも見えるが、そもそも渦の上に立つという意味が分からない。単純に闇の上なのかもしれないし、何も無い可能性もある。何もかもがそこにあるのかもしれない。煙の上に立っているような不安定な気分でもあるが揺るがない鉄の上に立っているような確固たるそれを感じる時もある。色なんかもっと分からない。青にも見えるし黒にも見えるし透明でもあるかもしれないし全てかもしれない。
 壁なんかここには無い。地平線の果ても見えない空漠たる空間。であるのに押し潰されそうな圧迫感が肌を刺している。粟気立つ背中が不安を掻き立てるが、ここから離れても……それは変わらないんだろうなと頭で理解した。
 ……ここが何処なのか分からない。分かりたくも無い。分かるのは一つ、『ここ』は、生きている者がいてもいい場所じゃない。だって、もし俺たちが生きているのなら、生きていいのなら。


『ギュルルルルルルル!!!!!!!!』


 こんなに『怖い』と思うなんて、理不尽だ。こんな暴圧に耐えるなんて、生きていて感じていいものじゃない。目の前の無限大に見える怪物と対面していい道理が無い。
 未来で、確かに姿は見た。でもそれは機械越しの、遠く遠くより望遠で見ただけの恐怖。こうして、歩けば届くような距離で見て良い物では断じて無いのだ。
 ……例えば、夜道で包丁を持った男が走ってくれば普通どう思うだろう? 怖いと思うか? 先を行って死ぬと思うだろうか? もしかしたら、正義感から悪である通り魔を倒そうなんて思う変わり者もいるかもしれないな。
 まるで違う。さっき、俺は自分の心理状態を怖がっていると言ったが、時間を経て分かる。俺は怖いのではない。すでに諦めている節さえある。魔王と戦った際にも見えた諦観。でも……俺は戦ったから感じたんじゃないか、諦めようと。何で……何で戦っても無いのに、見ただけなのに、アイツに見られただけなのに、諦めているんだ? 勝てるわけが無いじゃなくて、生き残れるはずがないと思ってしまうんだ?
 周りを囲う骨や肉を突き破り飛び出てくる幻覚を覚えて俺は心臓を強く押さえた。上手く酸素を吸えずに過呼吸になってしまう。無駄な知識を集めて口を手で押さえて二酸化炭素を取ろうとしても、上手くいかない。誰か助けてくれ、今の症状からじゃなくて、この場所から。
 無尽に植えつけられる負の感情、その発生源。個である存在にして世界を滅ぼす悪魔、ラヴォスの降臨だった。


「……カカカ、カカカカカカカカ!! 来たぞ来たぞラヴォス神が! 妾の願いが届いたのだ! ……カカカカカ!! 怯えておるのか侵入者共?」


 唯一人動く事が出来たのは、ジール女王。これ以上の愉快は無いという声の調子で笑い、俺と同じように身を縮こまらせるロボとルッカを見て、最後に俺へと視線を向けた後挑発を吐く。
 ふざけるなって言ってやりたいのに、怖がってなんざいないって啖呵を切りたいのに、声にならない。喉が震えているどころか、無くなったみたいだ。頭も働かない。俺は今までどうやって言葉を口にしていたっけ?


「……夢にまで見たラヴォス神の力、永遠の命。それが妾のものに……丁度良い、世を滅ぼすラヴォス神の力貴様らで試させてもらおうぞ……!!」


 そう言って、ジールはラヴォスに乗り、怪物の体の突起を愛おしそうに撫でる。自分の子供にするように、愛する人の寵愛を得るように。
 ジールの手に応えるみたく、ラヴォスは長大な体を揺らし、鳴いた。鼓膜を潰すような爆音と共に体中の棘が伸び、上空へと駆け上がっていく。
 俺は、その光景を見たことがある。確か……奴が体の棘を飛ばした後訪れる結末は……落ちてくるんだ。天から降り注ぐ物が、世界を滅ぼすべく。


「……クロノ」


 暫く聞かなかった、ルッカから俺へ声を掛けてくれた瞬間、世界は一転した。
 何千何万と降る棘の雨は俺たち以外にも運ばれたジールの家臣たちの体を貫いていく。惑う彼らは足を貫かれ腕を貫かれ悲鳴を上げて体を貫かれまるで剣山のようになった後死ぬ。体に刺さった針はどんな魔術も及ばない力で爆発し命を終わらせる。これが、俺たちの未来を砕いた終焉の力。
 爆風に煽られて転がされていく中、俺はなんだか戦争みたいだと思った。自分の力なんか関係なく全部無視して行われる力の発揮。決定的に異なるのは、俺たちがどう足掻こうと弾圧される側が決まっているということ。その対象は、世界に生きている全て。
 刀を抜こうなんて思うまでも無い。抜いてどうなる? この地獄の雨の中たかだか一本の刃物がなんの役に立つんだ。
 魔力を使おうとも思えない。使ってどうする? ひ弱な電撃の力がこの状況を好転させるとでも? 星を砕く存在から見れば俺なんて多分、羽虫以下の生物に等しい。
 力無く吹き飛ぶ俺の腕にも棘が突き刺さる。そうしてようやく生きたいという生存欲が暴れ出した。痛みや出血を無視して棘を抜き出来る限り遠くに投げる。危なかった、痛みに負けてそのまま刺さった棘を放置していれば爆発した突起に俺の体もバラバラになっていただろう。


「い……痛い……痛い痛い痛いっっ!!!」


 聞き覚えのある声に目を向けると、足に棘が刺さり倒れているロボの姿。それはいつもの強くたくましい彼ではなく、ただ恐怖に蹲り泣いている子供と同じだった。


「ろ、ロボ……ロボ! その棘を早く抜け! でないとすぐに爆発するぞ!!」


「クロノさん……でも、でも痛いんです、怖いんですよぉ!!」


 ……駄目だ、もう折れている。これ以上無いくらいに、ぐしゃぐしゃに壊されている。ロボを作る何かが根元から消し飛ばされている。今すぐに構成しなおすのは不可能なくらいに、念入りに。


「……くそっ!!」


 動かない左腕を押さえながら急いでロボに駆け寄り、痛みを訴える彼の声を無視して無理やりに足から棘を抜いて投げ捨てる。近くで爆発したため体が持っていかれそうになるが、今のロボから離れる訳にはいかない。足を堪えてその場から離れぬよう耐え、小さなロボの体を抱えた。
 ……サラは何処だ? ルッカは何処だ!? くそ、どれだけ馬鹿だ俺は!? 自分の危険にしか目が行かなかったのか!


「ルッカ! サラ! 聴こえたら返事しろ! オイ!!」


 散らばる家臣たちの死体が嫌な想像を思わせる。もうすでに手遅れなのか、と認められない答えが頭を過ぎる。
 爆風の嵐の中二人の姿を探して辺りを歩く。絶え間ない攻撃の雨……ラヴォスが攻撃と考えているのか不明だが、人間を愚弄しているような無遠慮な棘の雨の中、幾度も体に棘が刺さりながら、決してロボに攻撃が届かぬよう体を丸めて足を動かした。


「……ルッカ! ルッカだな!? 大丈夫か!? …………ルッカ?」


 倒れているルッカの姿を見つけて喜ぶのも束の間。彼女の腹部には大きな空洞が作られていた。俺と同じように棘を抜いたらしいが、当たった場所が場所だけに、もう動けそうにもなく意識も朦朧としているようだ。流れ出す血の量は致死量に達するのも間も無いように見える。
 ……駄目だ。もう俺も動けそうに無い。足に何本も棘が刺さりその度に抜いて、立っていることが奇跡なんだ。サラのことは心配だが……結界魔法がある分彼女は俺たちよりもずっと安全だろう。今俺が出来ることは……多分、これだけ。


「……クロ……ノ? あんた、何して……っ!!」


 ロボをルッカのすぐ横に置いて、俺はその上に被さった。背中に棘が幾つも刺さるが、すぐ抜けば良い話だ。問題視するほどじゃない。だから……


「ど……退きなさいよ……ごほっ! ……背中、血塗れじゃない……! 庇わないでいいから! 早く逃げ、ごほっ、ごほっ、逃げなさいよ!」


 だから……もう泣くなよルッカ。俺がいるからもう怖く無いだろ? はは、ヤバイもうよく声聞こえねー、体の感覚も良く分からないのに、何で棘を抜くのはスムーズに出来るんだか。作業化してるのかな、慣れるだけ体に棘が刺さるなんて嫌だなあ。でもこいつらを守れてるなら、別に良いか。
 ──もう、誰にも傷ついて欲しくないんだから。


「クロノ、さん? 血が、血が……!! もう良いですから! 僕らのこと守らなくていいですから離れてください! 僕らよりよっぽど血を流してるじゃないですか!!」


 聞こえねーって言ってるだろうがロボ。ああ、声にしてないからこいつらには届いて無いか。どうせ嫌だって言ってもこいつらは文句を言うんだ、どっちにしても同じだから、体力温存の為にも言わないけどな。それに離れろってなんだよ、傷つくじゃないか。お前俺の近くにいるといつも泣き止むだろ? だから今度も泣き止めよ。そんで……笑おうぜ。


「いっ……痛くないな、全然これっぱかしも痛くない。ははは、これで世界を滅ぼすなんて、大きく出たっ……! もんだぜ……!!」


 ……なんだよ、安心させてやろうと思って声に出したのに、また涙を流しやがる。じゃあどうしろってんだ、俺は二人に何も難しいこと言って無いぞ? ただ泣くなってつってんだ。まったく、泣き虫二人を相手するのは辛いぜ。
 ──悠久にも思えた時間が終わり、ラヴォスの攻撃が終わる頃、俺の背中と足……特に左足は原型を留めていなかった。でも良かった、二人が生きている。ルッカの怪我も、よく見れば急所は逸れてるみたいだ、動けなくても死ぬ事は無さそうだし、ロボも歩けないかもしれないけど、治療すればきっと治るだろうさ。
 もう痛覚が麻痺している体を起こすと、遠くにサラの姿が見える。ジール女王がラヴォスに命令したからか、サラは傷一つ負っていなかった。サラの周りだけ棘を落とさずにいたのかもしれない。というかそうでなければ無傷の理由が無いか。


「うあっ……」


 骨もイカレタ俺の足では体を支える事はできず、後ろに倒れこんでしまう。ははは、立とうなんて無茶が過ぎたか?
 そのまま暫しの間横たわっていると、耳障りな高笑いが上手く機能していない耳に届く。判別の聞きづらい俺の鼓膜でも、それが誰の者なのかは分かる。声で認識したというより、この状況で笑う奴が誰なのかを絞り込めば瞭然とした答えであるが。


「カカカカッッ!!! 弱いなあ己ら? 偉大なるラヴォス神に逆らうなど余りに無知! 妾の目的を阻むなど以ての外! その愚行、死を持って償うが良い!!」


 俺たちに最後の止めを刺すべくジールが片手に魔力を生み出し発射させる。止めなくては、と頭は唸るのに、体が一切動かない。脳とそれ以外が連結していないみたいだ。
 目の前に悪意溢れる魔力の塊が迫り、万事休すかと目を瞑って……まだ衝撃は来ない。恐る恐ると目蓋を開ければ、全ての棘を避けきったのか何一つ怪我をしていない預言者が長い鎌を用いて魔力を払い斬っていた。


「どれ程待ちわびたか……久しぶりだなラヴォス!!」


 預言者は全身を隠していたローブを剥ぎ取り、その中から一人の男が顔を出した。
 長く青い髪、赤く燃えるような瞳に冷え切った表情、人間的でない白すぎる肌に両手に付けた皮の手袋。俺たちが中世にて激戦を繰り広げた魔を統べる者、魔王の姿がそこにあった。預言者が、魔王? あいつも中世から時代を越えて古代に辿りついていたのか!?


「遠いあの日の誓いを果たすべく……俺はここに来た……貴様を葬る為にな……! 例え……何を失おうとも!! 死ね! ラヴォス!!」


 俺たちを苦しめた鎌を構えて一人ラヴォスに立ちはだかる魔王。
 何故だろう? あいつの強さは身に染みて分かっているのに、一度はこいつに勝てる生き物なんかいないと思いさえしたのに……今は奴の背中が小さく見える。熊に向かって吠える犬……いや、小鳥のように小さく……


「裏切るか預言者……出来るか? 貴様程度に……」家臣諸共消し飛ばそうとしたことを棚上げして裏切り者扱いするジールはさして気にした様子もなく不敵に笑う。そうして、もう一度ラヴォスに攻撃を再開させようとする女王を驚愕した目で見つめたサラが魔王とラヴォスの間に立ち、魔王や俺たちを庇うように両手を広げた。


「もうおやめ下さい……母上、分かっているのですか? その力は災いを齎す……いいえ、災いそのものです! 永遠の命など、願うべきでは無かったのです!!」


「黙れサラ! 妾はラヴォス様の力を受け、すでに永遠なる生を持っている! そしてそれはお前とて同じ事! その感謝を忘れそのようなことを口走るとは……そこを退けサラ! もう運命は決した! 今更逆らおうと無駄な足掻きにもならぬわ!!」


 躊躇無く右手を払い、吹き荒れる風にサラは弱った体を飛ばされた。悲鳴すら上げられず倒れた様は弱弱しく、外から見た以上に彼女の生命力は消えつつあると確信する。
 ……いや、ジールの話を信じるなら、今の彼女もまた永遠の命を手にしているのかもしれない。でも、きっとサラはそんなものを望んではいないだろう。あいつは他の誰かの悲しみを背負ってまで長い命を手にしたいなんて思うわけがないから。


「喰らえ預言者! 偉大なるラヴォス神の力に平伏すが良いわ!!」


 彼女に従うようにラヴォスは三方向に分かれる口を開き、ジジジ、と音を立てた。そして、俺は自分の魔力に妙な感覚を感じて……奴が何をしているのかを悟る。際限無く吸い込まれていくのだ、俺の魔力が。多分それは俺だけでなくジールとサラを除いた全ての人間の力が奪われている。魔力は心の力。それすなわち、奴に心を吸い込まれるのと同義。じくじくと自分の心が消えゆくのを黙ってみているしか出来ない俺は歯がゆい気持ちと失墜していく感情を背景に絶望を強くしていた。


「ぐっ……こ、これしきの事で膝を突くものか……俺は、今まで光明を知らぬまま、長い年月を生きてきたのだ……このようなところで倒れるわけにはいかん……!!」


 今にも座り込みそうな魔王が自分を克己するように叫び、走り出す。残り少なくなった魔力を鎌に注ぎラヴォスの顔に何度も振り下ろした。肉を削ぎ、落ちていく肉片。普通の生物ならば命を落としてもおかしくない傷なのに、ラヴォスは痛みを訴える鳴き声を出さず気色の悪い単眼を揺らしていた。
 躍起になって鎌を振るう魔王が力尽きたのは、十数回ほどラヴォスに鎌を振るった後の事。いくら傷つけても、いくら攻撃を仕掛けてもラヴォスは不動。尋常ではない数の切り傷は見る間も無く癒されていき、力を振り絞った魔王の猛攻は何の意味も無くなった。


「まさか……これだけやって通じぬのか……!?」信じられないと目を開き、彼は肩で息をする。魔力が吸われていても、彼の一撃一撃は目を見張るほどの力を秘めていた。見ているだけしか無い俺にも、鋼鉄すら容易く切り裂けそうな一閃を何度も与えていると分かる。少なくとも、俺の一振りでは及ばない力だったはずだ。
 ……それも、無意味。


「愚か者め……貴様程度の力でラヴォス神に逆らうか? もう良いわ! この場に居る全ての人間を食い殺してくれる!!」


 ジールが叫ぶと、圧縮した空気がラヴォスの口から放出され魔王は吹き飛ばされた。ひらひらと宙を浮かび落ちていく。魔王が落下したというに、地面(よく考えれば、地面という表現が正しいのかあやふやであるが)に落ちた時の音は小さくつまらないものだった。所詮は人間だと言われているように。
 魔王が伏してすぐ、ラヴォスのさらなる攻撃が始まった。ジールの言葉通り、俺たちを食い殺すように口を大きく開き、恐るべき吸引力で俺たちを口内へ引きずり込んでいく。ただ、食べるというにはかなり方法が違っていた。奴は咀嚼して俺たちを消化するのではなく、口前に作り上げた高密度のエネルギーで分解して、体に吸収する心積もりのようだ。消化してから体に取り込むとは、順序が滅茶苦茶だ。


「んなこと……言ってる場合じゃ、無いんだよな……くそ……」


 誰かが助けてくれないかと目を散らしてみる。当然、俺と同じように誰も起き上がれない。目の前に居るルッカは荒く息を吐き焦点も合わなくなっている。ロボは足の怪我と出血で苦痛に呻き、魔王も先程の攻撃と魔力吸収により立ち上がれそうに無い。サラはラヴォスに誰より近く、間もない時間で奴に吸収されそうである。そもそも、怪我の無い彼女が動かない事から生きる事を放棄しているようにも見えた。
 ……そりゃあ、俺もそうだから文句は言えないけど……
 ──他人がそうしていると何でこうも腹立たしいんだろうか?
 勝手な言い分だけど、早過ぎやしないかと思ってしまうのは、やっぱり俺が馬鹿だからか? ……まあ、俺がどう思おうと、結果は決まっているのだが……


「……ロボ?」


 人に声を掛ける、という行為をしてみて気付いた。何て小さく頼りない声を吐くんだ俺は。見た目も力も中身まで矮小に感じて、意味もなく悲しくなった。
 ロボは小さな手を必死に伸ばし、俺の服を掴み……泣いていた。死に対する恐怖? それとも何も出来ない事に悔しさを覚えているのか。はたまた……ここで終わるという事実に目を背けたいのか。何も言わず、彼はただしんしんと泣いていた。
 彼以外の泣き声に、俺は反射的に目を向ける。痛む腹を押さえる事もできず、俺の幼馴染も目から悲しみの結晶をぽろぽろと落とし、歯噛みしている。
 ……そうだよな。俺間違ってた。
 魔王との戦いで、俺は命乞いをしたことを恥じていた。恥ずかしくないんだ、死にたくないと、無様に喚くのは間違いじゃない。だって、生きたいということは尊いことだから。彼らが泣いていることを格好悪いなんて誰にも言わせない。胃の底に鉛を入れられるような感覚に襲われながら、強く、強く思う。


「……っっ!!!」


 だからこそ、助けたい。怠惰に生きてきた俺が、自信を持って一番臆病なのが俺だと断言できる俺だからそう願う。臆病者ってのは、誰より痛みが分かるものだから、自己投影が一番上手くできるものだと、母さんから昔教わったから。


──あんたは怖がりになりなさい。


 覚えてる。父さんが帰ってこなくなった夜、泣いている母さんが俺に言ってくれた言葉。他人の痛みを分かるようになれと言ってくれた言葉。もしかしたら、危ない事は避けて生きろという意味だったのかもしれないけど……それはもう手遅れだ。だったら、せめて片方の意味だけを受け取り、そういう人間であろう。親の言うことは聞かなくてはならない。


「……ク……ロノ?」


 話すだけで辛かろうに、ルッカは立ち上がる俺を不思議そうに、心配しながらか細い声を上げた。俺はそれに応える事無く、もう一人の仲間の頭に手を置いて頼みごとを残す。


「ルッカの事、頼むな」


「クロノさん……? 貴方……」


 心残りは、もう無い。無いと自分を騙すんだ。
 もう足としての機能を大半失っているはずなのにまだ俺を立ち上がらせてくれる両足に感謝を。背中一面血で塗りたくられているのに、痛覚が麻痺しているのは悪い事ばかりじゃないな、と自虐に近い事を思い笑う。お陰で、もう少し昔の事を振り返れる。
 ……楽しかったじゃないか。総括するとやっぱり良いことばかり浮かんでくる。ルッカに無茶苦茶な要求をされた時も楽しかった。マールの無知振りをからかったり理不尽なことをされて怒ったりした時も楽しかった。ロボを抱きしめると暖かかった。カエルには色んなことを教えてもらった。エイラとキーノに会って俺は人間の強さを知った。


 ──足に力を入れるたびにじゅくじゅくと肉が盛り上がり、俺の歩く道の上に血の跡を残す。


 中世の王妃には驚かされた。人間と魔物がこんなに近しく生きていけるのかと。未来ではドンやジョニーと出会い思い切り遊んだ。現代の魔物の村では魔物と人間の共存は可能なんだという考えが深くなって……その後どうしたんだっけ? ああ、思考が靄がかってきた。


 ──時々呼吸を忘れるのは、危険な兆候なのか、取り返せない所に来ていると教えてくれているのか。


 ……そうだ、ヤクラが死んだんだ。悲しかったな……でもそれは、あいつと友達になれた証明でもあるから、悲しんでばかりはいられない。借り物だけど、子供の勇者にも会ったな。あの時は言い過ぎたから、今度会った時は謝ったほうが良いかもしれない。デナドロ山は怖かったな、本気で幽霊かと思ってた。実際、あいつらはグランドリオンの精だかなんだかだった訳だけど。で、次は原始。村の人間と宴をしたのは良い思い出だ。酒に強くならないとって、まだ未成年だけど思っちまったなあ。アザーラたちに会ったのもその時か。最初の印象は背伸びした子供で……結局最後までそれは変わらなかったけど。


 ──どっちにしても同じじゃないか、と苦笑いをして……自分が笑えているのか不安になった。


 そしてまた中世。魔王配下の奴らにはてこずらされた。ソイソー以外に良い感情は持ってないけどさ……魔王本人は本当、化け物染みた強さだったな……まさかその魔王が破れた相手に立ち向かうなんて、その時は夢にも思わなかったけれど。
 ……そして、恐竜人たちとの別れ。楽しく過ごした日々の分だけ、立ち直るのが遅れちまったな……カエルに励まされて立ち直るなんて、あの頃を思えばおかしな話だよ。本当、あいつには世話になりっぱなしだ。


 ──ああもう、泣くなって言ってるだろお前ら……もしかして、泣いてるのは俺なのかもしれないけど。


 古代……色んな奴に会ったな。大人ぶってるのか冷めてるのか分からないジャキと、未だに性格が掴めない、でも嫌な奴じゃあないダルトン。ボッシュと古代で再会するなんて驚いたなあ。
 サラは……ダルトン以上に分からなくて、でもきっと一番分かり易い女。何でも彼女は精一杯なんだ。遊ぶ時は全力で、守る時は体を張って。今みたいに俯いてるお前はサラらしくない。お前はそうじゃないだろう? 折れて座り込むのは俺の仕事だ。専売特許だ。
 だから……俺がらしくないことをして初めてバランスが整うんだろう。


「……赤い……人?」


 ラヴォスとサラの間に立ち、後ろ手に彼女の肩に手を置いた。安心しろ、とか言いたいけど、残念ながら声がもう出ない。無理に喋れば血が喉に絡まってむせそうだ。それは格好付かない。


「に……逃げて下さい! 何してるんですか!?」


 逃げろったって、何処に逃げればいいんだ。守りたい奴がここに何人も居るんだ。連れて帰るって約束した奴がここにいるんだ。逃げる場所も居るべき場所もここで間違ってねえよ。


「ほう……貴様一人で立ち向かうというのか? 身の程知らずが……今すぐに消えよ、虫けら!!」


 ラヴォスの吸引がジールの掛け声でさらに強く俺の体を引き寄せる。もう踏ん張る事もできない、というよりも、それに力を分けることは出来ない。俺にはまだ仕事がある。相打ち狙い……なんて上等なことは出来そうに無いけど……俺だからこそできる芸当があるはずだ。
 持ち上げるのも一苦労な両腕を前に伸ばし、吸い込まれながらも魔力を集めていった。俺の全てを出し切る為に。
 ……何で、こんなことやってるかなあ俺。柄じゃないって分かってるくせに、何で頑張るかなあ……


「……ああ……あれ……かな?」


 自分で自分の行動に疑問を持っていると……今までに無い程過去の記憶が蘇る。それは俺がまだルッカと出会っていない、しばらく俺が町の子供たちから仲間外れになる切っ掛けとなった日の事。
 よくある町と町を回る演劇団がトルースに来た時だ。娯楽の少ないトルースの人々は子供だけでなく大人たちまで揃って演劇を見にリーネ広場へと集まったんだ。
 ……俺は、過去の出来事に思考を埋没させていった……






 ──あれは多分、よく晴れた昼下がりのこと。漁をする男衆たちも早めに切り上げて演劇を見に行ったため、町の人々、そのほとんどが広場に集まっていた。土色の古ぼけたテントから役者の人が出てくるのを今か今かと待っていたのを覚えている。かくいう俺も胸を躍らせていたのだが。
 いざ始まると、そりゃあ大盛況だった。今思い出せば内容も演技力もチープなもんだったけど、その時は皆驚いて感動して……と大いにはしゃいでいた。
 さて、チープと称した内容だが、あるお姫様が敵役の魔王に囚われ、姫を助ける為に勇者が代わりに殺されて、最終的に助けられた姫が魔王を倒すという子供向けなのかそうでないのか境界線なものだった。その曖昧な内容が子供も大人も惹きつけたのかもしれない。
 劇が終わると、皆思い思いの感想を友達や家族に話して、中には涙を流す者もいた。
 俺は母さんが買い物に出かけてたから、一人で見に来ていたので同じように親が来ていない友達と感想を話し合った。大概が「まおうはわるいヤツだ、ゆるせない」とか「ゆうしゃがかっこういい」とか、男子だけに姫のことは関心が薄く、敵役を貶したり勇者を讃えたりといったものが多くて、まあ妥当なものだろう。でも俺だけは違った。よせばいいのに、あの頃の俺は馬鹿だから他人に合わす事無く自分の意見をぶちまけたんだ。


『ほんとうにわるいやつは、ゆうしゃだ! じぶんからしんで、おひめさまをかなしませたゆうしゃはわるものだ! そんなの、まおうよりわるいやい! ゆうしゃはおひめさまのことでなくのがいやだから、じぶんがしんでらくになったひきょうものだ!』


 まるで理屈になって無いことを声高に主張して、俺は子供だけでなく大人からも顰蹙を買った。なんて捻くれた考え方をする子供だろうと、気味悪く感じたのだろう。確かに、俺だってそんな子供好きにはなれない。
 ……でも、その時の考え方を改めるつもりも無い。だってそうだろ? 勝手なニヒリズムで死を選び他人を悲しませた奴のどこが勇者だ。今まで誰かに育ててきてもらったんだろう、その恩も返さずに。大小はあっても、沢山の人たちに愛してもらったんだろう、その幸運を振り払って投げ捨てた奴をどうやって尊敬すればいいのか。
 そうだよ、今俺がやろうとしてるのは、誰かが死ぬのを見たくないからなにもかも忘れて飛び込もうとしてるだけ。俺の為に泣く人間がいる事を知ってるくせに、膝を抱えてしまう人間がいると分かってるくせに。悲しむくらいなら悲しんでもらいたいと思う俺は……


「そう……だ、俺が一番……卑怯者だ……」


 怖いよ。凄く怖いよ。今すぐ後ろに逃げて、俺の代わりに誰かが犠牲になっても構わないよ。それで俺が助かるなら、きっと。
 でも駄目なんだ、この場に居るのは俺の大好きな奴ばかりなんだ。ルッカもロボもサラも……
 魔王だって……あいつはきっと、俺の知ってる奴だから。あいつが小さく「サラ……」と呼んだときの顔があの子供に酷く似てたから。約束……守れないのかな、ごめんな。
 ダルトンにごめん、ジャキにごめん、カエルにもごめん、生きるって言ったのにな。ロボにもごめん、マールにも……またお祭り回ろうって言われたのに……ごめん。ルッカにも……ごめんなさい。隣に居れば守ってやるって言ったのに、今度は本当に近くに居たのに……守れなくてごめん。
 もしかしたら……皆を泣かせるかもしれないけど……許してなんて言わないから……でもその代わりに、無理なら別に構わないけど、出来ればでいいんだけど。皆が良ければなんだけど。






     出来れば、
          俺のこと、
               覚えていて下さい
                       。






「シャイニング…………」


 頭に浮かんだだけの言葉を呟いて、それが力に変わる時、俺の意識は消えていた。
 ……いや、違うか。力ある言葉の後に、平凡な言葉を乗せた……筈だ。




















「ねえクロノ。なんで泣いてるの?」


「ルッカか……別に、何でもないよ。ただ……」


「ただ?」


「ルッカには友達が出来ただろ? なのに、俺には出来ないからちょっと辛いなって」


「私友達できたかな? うーん、お父さんが守ってくれるから、最近話しかけてくれる子も増えたかもね」


「だろ? ……やっぱり、昔のことが響いてるのかな?」


 昔の事? ってルッカが聞くから、俺は彼女に教えてあげた。ルッカに会う前だから、今から多分二年くらい前かな?
 俺が勇者のやったことに腹を立てたこととその理由を教えたら、ルッカは他の人みたいに気持ち悪いとか、馬鹿だとか言わず笑って俺の頭を撫でてくれた。クロノは正しいよって言ってくれた。


「クロノはね、優しいんだよ」


「俺? 優しくないよ。だって皆俺のこと、勇者の気持ちも考えないでなんて酷い奴なんだって言ってたもん」


 否定する俺の言葉に重ねて否定を加えるルッカ。


「クロノは、きっとお姫様の事も考えてあげたのよ。ううん、お姫様だけじゃなく、勇者のことを知ってるいっぱいの人の気持ちを考えて怒ったんでしょ? それは、とっても優しいことだよ」


 何で分かったの? と聞くと、彼女はお日様に照らされた気持ちの良い笑顔で「だって、クロノのことだもん!」ともう一度俺の頭を撫でてくれた。ルッカがそう言ってくれるなら、俺はその時の気持ちを忘れずに持っておこうと心に誓った。
 でも、一つだけ例外を作らせて欲しい。もしも俺が勇者でルッカがお姫様なら、俺はあの卑怯者な勇者と同じことをさせてほしい。彼女が泣くのはいやだけど……わがまま言ってるのも分かるけど……彼女がいないのは絶対にがまんできないから。だって、考えただけで泣けてきてしまうから。もう晩ごはんが食べたくなくなるくらい、お腹がきゅーっ、と痛んでしまうから。
 芝生から起き上がり、すねている俺をなぐさめてくれた彼女に満面の笑みを見せた。最近では気恥ずかしいから母さんにすら見せない顔。つまらないものだけど、ルッカはとても喜んでくれた。俺なんかの笑顔で喜んでくれるなら、俺はずっと笑っていよう。それで彼女が笑うなら、そうしよう。
 半ズボンに付いた草を払って、俺は走り出した。折角の休みに寝ているだけなんてもったいない。だって、俺は生きているから。
 ……そうだ。もしも俺が死ぬときにはおっきな声で叫ぼう。ルッカだけじゃなくて、俺に優しくしてくれた沢山の人たちに聞こえるように目一杯口を開けて。












「……ありがとう」












 そして、星の見る夢が終わる。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:08
 頭上から垂れる雪解け水が半ば朦朧としている意識を覚醒させる。額に付いた水滴を服の袖で拭い、もう日が昇っていることに少々驚いた。立ち上がり、近くに立っていた男に話を聞けばどうやら俺は半日以上の間寝ていたそうだ。
 心配をかけていたようなので、頭を下げ礼をする。気にすることは無いと手を振ってくれた御仁にさらなる感謝を。食事まで提供してくれたのには頭が上がらない。
 渡されたパンと温かなスープを口に運ぶ。程よく塩気の効いた味付けに俺はすぐにも平らげてしまった。
 ……人間、喉を通らないと頭で思っても空腹には勝てんようだ。俺は餓死直前の事態に何度か直面した事も関係しているのかもしれないが。


「起きたんだ、カエル」


 マールに声を掛けられて俺は顔を向けた。彼女の声はまだ暗かったが、昨日よりは幾分かマシになったようだ。腫れ上がった右頬が痛々しいが、治療はしなかったのか?


「ああ。その……昨日はすまなかった。女性に手を上げるとは、武人として失格だ」


「いいよ。あれは私が悪かったし……でも、ルッカに謝る気は無いよ。酷い事言ったのは事実だけど……ルッカだって……」


 それ以上は言うなと手で制し口を閉ざせる。どちらが悪いか議論しても水掛け論になるのは眼に見えている。
 ……俺たちが今居る場所は古代。と言っても、ジールではなく地上のアルゲティがあった場所から少し離れた場所。戦いは終わったのだ、戦場に残っている必要は無い。そもそも、今となってはジール王国は存在していないのだが。
 ──サラという女性を助けるため、またジール王国の暴走を止めるため、魔神器を破壊しラヴォスを起こさないため……俺たちの目的は全て達することは出来なかった。
 結局サラは行方不明となり姿を消し、ジール王国は復活したラヴォスの力によって撃ち落された。幸い住民は避難を終えていたので死者は出なかったのが救いか。それでも、幾分か暖かさを取り戻してもまだまだ寒く厳しい地上での生活を余儀なくされた彼らは楽観的な考えを持てないだろう。僅かながらに残っていたアルゲティの備蓄も大半が浮遊大陸が落ちてきた事により発生した大津波によって洗い流されたのだから、尚更に。
 俺たちにとって救いだったのは……シルバードが無事だった事か。頑丈な機械だ、津波の衝撃に破損箇所は無いように見えた。起動もすんなり出来たようだし……もしかしたら些細な故障部位があるかもしれないが、それを確認できる人間は今はいない。


「そういえば……マール、そのペンダントは……」


「ああ、これ?」言ってマールは首から下げたペンダントを掴み日の光に当てた。


「なんかね、村の人たちが倒れてたルッカとロボの近くに落ちてたのを見つけてくれたらしいの。不思議だよね……これ、クロノに預けてたはずなんだけどさ」


 もしかしたら、あいつが倒れている二人を守ってくれてたのかもな、と口にしようとして呑み込んだ。わざわざ口に出すまでも無い。きっと、心配性のあいつのことだ。それくらいの事はするだろう。借りた物を返さない男でも無い。
 ……ただ、約束は破るようだが……な。
 なんとなく会話が終わり、海から吹く風が体を通る。長い髪が顔に当たり、マールはさら、と耳に掛けた。


「全部、無くなっちゃったね」


 隣に座ったマールが透明な声音でぼんやりと呟く。


「……そうだな。結局、魔王も見つからん」


「一応、海底神殿にいたらしいよ? ……二人からほとんど話を聞けなかったから、その後どうなったかまでは分からないけどね」


 俺たちはラヴォスと対面していない。その場に居たロボは時の最果てに戻り誰とも話そうとしなかった。ルッカは……もう、おかしくなったようにここにはいない誰かと会話を続けていた。
 ああ、あの時は本当に困った。昨晩の事なのに、何故か数週間も前のような気がする。それだけ昨日は長い夜だった──












 ──あくまでも、これは錯乱したルッカからの情報で、正確な事は言えないが……海底神殿にてラヴォスと対峙したルッカたちは為す術無く倒れ、命を奪われる直前にその場に居たサラの手によって海底神殿を脱出したそうだ。そこから地上に降りてこれたのは、両足を貫かれたロボが放心気味のルッカを背負い運んだという。「クロノさんに頼まれたから、貴方だけは助ける」と最後の力を振り絞り……それからロボは口を開かない。
 ……彼女らを助けてくれたサラの姿は前述したとおり誰も見ていない。まだ海底神殿に残っているのか……そもそも生きているのか。残酷な想像ゆえに誰も口にはしていないが、恐らく誰もが最悪の結末を思っているだろう。
 消えたのはサラだけではない。魔王に、クロノたちを後から追ったらしいボッシュ、ジャキというサラの弟、魔神器の祭壇にはいなかったが、海底神殿内に身を置いていたボッシュ以外の二人の賢者もまた姿を消しているらしい。
 ──そして……もう戻らない人物が、一人。マールの顔の腫れと関係している、またロボとルッカが壊れた原因となる男。誰もが危なっかしい奴だと認識していて、誰もが頼りにしていて……皆が大好きだった男。
 あいつは……最後の最後に、半死半生の身でラヴォスに立ち向かい、一矢報いた後消滅した。
 男らしいか? 格好良いか? そうだな、童話や英雄譚ならば喝采ものだろう。俺とて伝え聞いたものならば、その行為を騎士らしい誇りある行動だと讃えたに違いない。己が命を投げ出して仲間の為に散るなど名誉の最たるものではないか。


「……でも、お前は俺と約束しただろう……? クロノ」


 もういないのだ。何処を探してもあいつの、人を小馬鹿にした笑い声や覚悟を決めた精悍な顔つき。若い身空で苦境に立たされそれを嘆く涙も葛藤もそれを乗り越えて立ち上がる燃えるような瞳も見れない。存在しない。
 思わず目じりに涙が浮かびそうになり、必死にそれを留める。隣に居る女性が涙を流さずいるのに、俺が泣いてどうする。年長者としても、男として生きると決意した身分としても、俺だけは耐えねば。
 ……今となってはマールも落ち着いたように見えるが、ルッカから話を聞いた時は酷い取り乱し様だった。俺がマールに遅れて古代へ召喚された時に見たのはテントの中でルッカの襟首を掴み尋問している姿。必死の形相でクロノの所在を聞いても、ルッカは何処を見ているのか分からない目で誰かに語りかけていた。


『ねえクロノ? 次は何して遊ぶ? きっと、二人ならなんでも楽しいよ──』


 いつまでも会話の成り立たない彼女に業を煮やしたマールはルッカを無理やり立たせて壁に押し付けた。「今ここにクロノはいないの!!」と叫んだ瞬間、ルッカの体は震え始め……何度も口を開け閉めした後……ぼそり、とこぼした。「クロノ……死んじゃった」と。
 ……それから、マールは形振り構わずルッカを羽交い絞めにして、どういうことなのか、どうしてそうなったのかを聞いた。ルッカは言われれば答えるただそれだけの玩具みたく説明する。時折また見えないクロノとの対話を始めながらも、その度にマールに怒鳴られて怯えたように続きを話し始める。
 全てを知ったマールは膝から崩れ落ちて……本当にあいつがいないのだと、帰ってくることはないと分かって……はらはらと涙を流した。小さくない嗚咽を漏らす彼女の後姿は見ているだけで悲しくなった。俺とて……俺とて辛く無い訳が無い。その時の俺には彼女を慰めるだけの気持ちの余裕は無く、ただただ呆然と考えを整理している事しか出来なかった。


「……あれ? 何で泣いてるのマール、クロノに虐められたの? 今度怒ってあげるわね」


 ……決定打だった。数十秒前まで確かにクロノが死んだと口にした矢先から言うそれに、マールは目を覆っていた腕を振り彼女に圧し掛かる。俺は……足に根が張ったように動けず彼女を止められない。もしかしたら、心の何処かで現実逃避という楽な道に逃げているルッカに苛立ちを感じていたのかもしれない。もっと、彼女を責め立てろと、マールを応援する気持ちすらあったのかも……しれない。


「クロノが死んだ……? ねえ何で笑ってるの!? もういないんだよ? 私たちが泣いても叫んでも届かないんだよ!?」


「え? え……? どうしたのマール、何でそんな酷い事言うの? クロノならここにいるじゃない」


 ……また同じやり取り。何度も何度もルッカの言葉を否定して、話をさせなければまともな会話が出来ない。三分に一度正常なものが帰ってくるか? というような大層面倒なものだが。
 クロノが死んだと言ったのも彼女なら、それを頑なに認めないのも彼女という矛盾。俺には、その時のルッカが狂っていると断じるに値する証拠が幾つも揃っているように思えてならなかった。


「止めてよ……クロノを作らないで、頑張った彼を消さないで!! ルッカを守るためにもクロノが死ん……消えたのに、違う彼に縋らないで!! 依存するのもいい加減にしてよ!」


 死んだという言葉を作れず、マールは新たな言葉を選び取った。意味は同じでも、死とは口にするだけで現実を突きつける。


「依存……違うわよ? 私はただクロノが好きなだけ。誰よりも好きなだけ。マールったらおかしな事言うわねえ」


「……っ!?」


 今まで隠していた気持ちをあっさりと暴露するルッカ。その後も見えないクロノに「好きよ」と熱病におかされたように繰り返した。言えなかった気持ちを、言いたかった気持ちをここで発露しているのか。
 それすらも逃げと取ったマールはぶるぶると全身を震わせて、涙混じりにルッカへと渾身の叫びをぶつけたのだ。


「……ルッカが……ルッカがクロノをいらないって言ったから消えたんじゃないの!?」


「マール!!!」


 ようやく俺の足を縛る根が解けて俺は走り出しマールの顔を思い切り殴り飛ばした。駄目だ、話を聞いているだけの俺でもその言葉は禁句だと分かる。口に出すだけで全部壊れる最低の言葉だ!
 周りにある陶器や俺たちのアイテムを巻き込んでマールはテントの柱に強くぶつかった。衝撃で息を吐く彼女の姿に少し同情を感じたが、それだけの事を彼女は言ったのだ。


「マール、それは口にするな! 何があっても俺たちは仲間だろう!? 言って良い事と悪い事がある!」


 口の中を切ったのか、口から血を流す彼女は体を起こして何も言わなかった。体中から敵意を発しながら。
 流れる沈黙。誰もが声を出す事を躊躇う時間。それを壊したのは……今まで会話にならなかったルッカだ。俺とマールを交互に見遣り、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして、枯れた喉を揺らし悲壮な声を響かせる。


「……私は、悪くない……私は悪くない!! 悪いのはクロノじゃない!!」


「ルッカ……貴方……っ!!」拳を握り俯いたマールが敵意から殺気へと気配を変えていく。見て分かるほどのそれを感じながら、ルッカは言葉を止めない。


「だって、約束したわ!! もう泣かさないって、私と約束してくれたもの!!」


 体から話すように挙動を大きくしながら彼女は立ち上がった。俺たちから同意を得る為なのか、そうでもしないと言葉に出来ないのか。自分を圧迫する何かに対抗するべく彼女は全身を振り乱し気が触れたように両手で頭を掻き毟った。


「依存してる……? そうねそうかもねでも仕方ないじゃない! わたっ……私にはあいつしかいなかった! ずっと前からあいつだけだったの! もう何もいらない父さんも友達も仲間も未来がどうなったって知ったことじゃない! それ位に……あいつだけなんだもの……」


 誰もが……マールも彼女の独白に押されて言葉を失っていた。独占的? 馬鹿な、これでは狂信的だ。宗教に近いそれを有している。彼女はクロノを中心に廻っていた訳ではない。彼女を含めた世界がクロノだったのだ。
 床に敷いてある絨毯を握り上に置いてあった物を投げ出して、テントを支える鉄柱に何度も頭をぶつけた。痛みが無いと自分を保てないのかもしれない。それ以前に、保てていたのか怪しいものだが。


「幻覚を見てるのも分かってる! だけど話しかけてくるのよ、クロノが何度も私に笑ってくれるの! 『生きてるよ、ここにいるよ』って私に……私が作ってる妄想だなんて百も承知なのよ! じゃあ無視出来る? 出来る訳ないじゃない! 私は……クロノがいないと生きれないんだってば! 嘘でも偽りでも縋るしかないのよ!」


「落ち着けルッカ! まだ傷は癒えて無い! また開くぞ!」


「私はここにいるわ! だからクロノここに来てよ、私に触ってよ、笑ってよ怒ってよ私を好きになってよ一緒にいてよぉぉぉ!!!」


 ──その言葉を機に、糸が切れたみたく彼女は意識を失った。時の最果てに連れ戻し、ロボに看病を頼もうかと思ったがロボはルッカの面倒を見るつもりはないらしく、御老人に頼み込んだ。何をして欲しいわけでも無いのだが……あえて言うなら自害だけはさせないでくれ、と。
 ……俺は、今まで弱音を吐いた覚えは少ない。弱音を言っても誰も助けてくれない、そういった生き方をしてきたのだから。意味が無いと知りつつ弱い言葉を連ねてもしょうがないのだから。
 それでも、この時ばかりは心が折れてしまった。あまりにばらばらな仲間の心。ここにいない誰かを頼っても、どうしようものに……俺は……


「助けてくれないか……クロノ……」


 お前がいないと、誰も前を向けないんだ。











 星は夢を見る必要は無い
 第三十二話 約束を破るという事











「これから……どうする? カエル」


 昨日の事を思い返していた俺はマールへの返答が少し遅れてしまった。訝しげに見つめる彼女に何でもないと手首を揺らしすっと立ち上がる。やる事など、とうに決まっている。戦える仲間は少ないが、一晩経って出た結論は一つしかない。例え……勝てる可能性が貧しくとも、負ける道が明確に見えていても。


「ラヴォスを倒す。魔王もそうだが……俺の友を殺した奴を、生かしておける訳が無い」


 魔王の所在は分からんが、ラヴォスに会うための方法は分かっている。時の最果てにあるバケツがラヴォスへと繋がっている。
 俺の憤怒に同調して、グランドリオンを握る手に力が篭る。敵の大きさも形も強さも未知数、されど……このまま全てを忘れて生き長らえるつもりは毛頭無い。命を賭して……何も出来ず死んだとしてもあいつの無念を晴らさねば、一筋でも傷を残さねば、死んでいった友に顔向けできん!


「……それしかないよね」


「お前は元の世界に戻れ。今となっては……未来を救う気も起こらんだろう」


 ふるふると頭を振って、マールは後悔を湛えた瞳を俺に向けた。


「クロノをね……この旅に誘ったのは……未来を救おうって言ったのは、私なの。ルッカのこと責められるわけ無いのにね……クロノを殺したのが誰かって言うなら、私の方がずっと責任は重いよ……八つ当たりするような私で良ければ、カエルと一緒に戦いたいな」


 その表情から、彼女は俺よりもずっと真摯に覚悟を固めていると悟る。ここで俺が断れば彼女は一人で戦いに赴くだろう……それは見過ごせない。
 クロノ、お前は喜ばんだろうな。こんな命を捨てるような事を許さないだろうな。だが……それだけ俺たちはお前を慕っていたのだから、勘弁してくれないか? そっちに行けば……また稽古でもつけてやるから……


「なら……行くか。マール」


 頷いて歩き出した俺についてくるマール。ロボもルッカも戦える状態に無いだろう、マールも肩肘を張って強がっているが戦力には数えにくい。実質俺とラヴォスの一騎打ち……魔王にすら勝てん俺が、その魔王を子供扱いにする怪物と戦う……か。
 分は悪い、悪いが、それでも戦った馬鹿を俺は知っている。本当の勇者に俺は会っている。ならば……一度は背中を見せていた身としては退く事はできまい。


「……未練は無い。強いて言うなら、王妃様に別れを告げたかったが……な」


 これを聞けば、またクロノは茶化すだろうか? なんとなく空を見上げれば、青い空にうっすらと雲が流れていた。その中でも唯一太陽を遮る程の巨大な雲に少し縁起悪さを感じる。
 ……雲?


「……あれは!?」


 巨大な翼を広げ大空を羽ばたく大規模な鉄の塊。轟々と風を切る回転羽が迫る音は竜巻に似た風の波を地上に作っている。その煽りを食らい、地上に生えた残り少ない木々は横倒しになり微量に残る雪を吹き飛ばしていった。楕円状の船底が空から降りてくるのは圧巻であった。遠目からだが、傷一つ無いそれは整備が整っているという現実的な考えよりも強大さを強く植えつける。
 ……あれは、俺とクロノがジールで見つけた空を翔ける為の機械……確か、その名は……


「黒鳥号だー!!!」


 村人の一人が驚愕した声を出し逃げ惑う。混乱は伝染して人々は逃げ回る。逃げ込む場所も……ここには無いのに。
 まだ地上は遠い黒鳥号の甲板から数人の人影が飛び降り、地上に降り立つ。見る限りそれはジール王国にて見かけた仮面の男たち。ただ……魔物特有の嫌な気配は感じられず全員が人間だと確信した。確か……ジール王国にて避難誘導をした奴らがいたそうだが、こいつらだろうか?
 降りてきた人間の中に見知った顔が混じっている。忘れもせんあれは俺に馬鹿な事を抜かしていたダルトンとかいう男。後々にはクロノたちを助けてくれたそうだから、敵では無いのだろうが……
 今の奴の目を見る限り、俺たちを好意的には見ていないと分かる。ありありと浮かぶ敵意の目は憎しみと同義に思えた。


「……ふん、俺の本妻と愛人か。息災のようだな」


「肉体的にはな……いや、言っても詮無いか」


 前半部分の妄想は意図的に聞き流し、また弱音を吐きそうになる。何とも、思っている以上に俺は潰れているようだ。というか……よく蛙に戻った俺を見分けられるな。その事について言及すれば、「俺ほどの男ならば見た目で無く気配で感じ取れるのだ」という。凄いのか馬鹿なのか……
 まあそんなことはどうでもいいと切り捨てて、ダルトンは地上を見渡した。黒鳥号からの風で流れる長髪を鬱陶しそうに持ち上げて固定させる。目当ての物が見つからなかったからか、不機嫌に額に皺を寄せた。


「……ところで……貴様らがここに来る際乗っていたという乗り物は何処にある? ここから離れた場所に置いてあるのか?」


 ……シルバードのことだろうか? 乗り物という言葉だけでそれと断じられるが……何の用があるのか分からない俺はわざわざ教えるつもりにはなれなかった。


「あっちの海岸沿いにあると思うよ。ここからじゃ高低差があって見えないけど、そんなに遠くない」


「……いやまあ、別に教えてはならんと決まった訳ではないが……マールよ、もう少しその……」


 苦言を呈そうかと考えて、止めた。彼女の顔を見るに何も悪い事をしたつもりはないのだろうと察したから。そうか、そういえばこの娘は案外に抜けていたところがあったか。忘れていた。
 ダルトンは部下の一人に何か伝えて、仮面の男たちは黒鳥号から人数を呼びマールの指した方へと向かった。今俺たちの前にいるのはダルトン一人。さて、と気を抜いた声を出して彼は再度俺たちに向き直る。


「これで用は一つ終わった、もう一つの用事を終わらせるとしようか」


「……用事か。その前に、シルバードに何をするつもりだ貴様」


 ダルトンは軽く微笑んだ。


「あれはガッシュの設計していた物だろう? 何でも、時を越える事が出来るとか……ならば俺様自ら駆ってやろうと思ってな……元々ジール王国の所有物であるべき品、部隊長である俺が使うのは当然だろうが」


 身勝手な帰結に驚き、やはりシルバードの所在を教えるべきではなかったとマールを横目に睨む。何処吹く風という顔で俺に視線を回さないが、微かに垂れている汗が反省の色を示している。素直に謝らんところも王妃様に似ているな。
 ともあれ、奴の行為を見逃す訳にはいかん。あれはクロノたちが未来まで取りに行った代物、勝手に他人が乗り回して良い物では無いのだ。グランドリオンを抜き構える。
 ダルトンは酷く、つまらなそうに俺たちを見ている。話しに聞いた召喚呪文を唱える素振りも無い。ただ、じっと俺たちを見て……ため息をついた。


「……随分、くたびれた顔だな。いや諦めた顔か? ……たかだか男一人消えたくらいで暗くなりやがって……そんなんじゃあ、浮かばれねえなあ、誰とは言わねえがよ」


「貴様……!」


 カエルに戻りバネの強くなった足を曲げて飛び出す。馬鹿にしたのか馬鹿にしたのかあいつの事を。例え一時は味方になったといえど、斬って捨てる理由には余りある言動に俺は頭に血が上り剣振りかぶった。左方向からマールの氷槍も迫っている。ダルトンに避けられることはなく、例え防御しても俺の剣は遮れるものではない!
 しかし、ダルトンは回避も防御もせず、マールの魔法を体に当てて、俺の剣を止める事無く体に食い込ませた……切り裂いたのではない、食い込んだのだ。吹き出る血は少なくない、だが致命傷には程遠く、筋肉の鎧に受け止められていた。
 正直、俺の斬撃がその程度のダメージしか負わせられないことに驚きと失望を感じた。自惚れではなく、俺の剣は鉄すら断ってきた。サイラスを除けば俺の剣技に勝る者など見た事が無い、その俺の剣をたかが肩当てと衣服だけで守り抜いただと? ……いやそれらは大した障害には成り得ない。奴はただ鋼を超える己の体一つで伝説の剣を止めたのだ……いや、俺の腕の問題か?


「……つまらん。あまりにつまらん。何だその魔法は何だその力は!! その程度では俺の部隊兵一人にも到底勝てんぞ!!」


 僅かに刺さっている氷槍を抜き取り、俺の体を持ち上げたダルトンは大口を開けて吠えた。そのまま右手に魔力球を作りだし発光し始めたそれは強い輝きを生んで弾ける。


「……がはっ!?」


 ずぶ、と俺の体にねじ込まれた衝撃の塊は俺の体を飛ばし、まだ残っていた氷雪に頭から落下する。
 ……なんて、弱い。それでも元ガルディア騎士団の一員か、とサイラスに怒鳴られそうだ。それで俺に稽古をつけるつもりだったのか? とクロノに笑われそうだ。実に……無様。
 芋虫のように体を丸めて咳き込む俺を高みからダルトンが見下ろす。後ろには俺と同じように……いや、もう意識を失っているマールの姿。俺たちは……こんなにも弱かったか? 違うはずだ、ジール王国の魔物を容易く蹴散らしてきたのはつい昨日のことなのに……何故こうも俺たちは弱い?


「……誰かの背中を追っているからだろう、女。人の事は……言えんが、な」


 足を持ち上げて俺の腹に落とす寸前に聞いた声から、ああそうか、と納得した。
 俺もマールも、クロノの敵討ちだなんだと息巻いておきながら、実際はあいつに会いたかったのかもしれない。マールはその責任から、俺はサイラスに続きまた友を失ったという事実から目を背けたくて。ラヴォスにかこつけて散ろうとする俺たちが……強いわけないじゃないか。
 ……なあクロノ。お前がここにいれば、俺たちは勝ってたか? 俺は……強いままの俺でいれたのだろうか?












 ざっ、と砂と雪が混じった大地に降り立つ。見上げれば、見た事が無い巨大な物体が飛び去ろうとしている。何処となく、自分のいた世界にいる怪鳥に形が似ているなあと思って鳴き声を連想してみた。すぐに意味が無いと気付き頭を振れば、何か不吉な予想が頭を過ぎり、女は全力で人々の集まる方へ駆けていった。


「え? ああ……その人たちなら、ダルトン様に連れ去られちまったよ。あの人は、私たちを悪く扱わない優しい御方だったのに……何故あのような事を……」


 老人から話を聞き、自分の探し人が空に浮かぶ怪鳥モドキに乗せられていると分かった女はすでに空高くへと体を浮かせているそれにどうやって乗り込もうかと頭を巡らせる。今まで碌に頭を使っていなかった彼女は自分の相棒を思い出し、偶には自分も作戦会議なるものに参加すれば良かったと歯噛みした。十中八九役には立たなかっただろうな、と自分で暗い想像を巡らせて、独りでに落ち込む。


「……うあ?」


 そうこうしている内に更に高度を上げていくモドキに女はいよいよ慌て出した。思い切りジャンプして届く高さではないし、かといって自分は空を飛べるわけも無い。何か使えるものは無いかと辺りを見遣るが、何があれば空を飛べるのだと考え直して悲しくなる。


「……あれ……使える……か?」


 女が目を向けた先には小高い山。徐々に移動を始めるモドキは確かにその小高い山に向かって飛び立っていく。恐らく近くを通るだけだろうが、一瞬かなり肉迫した場所まで近づくだろうと女は勝手に予想し、もしそうならなければまた違う手段を考えようと切り替えて、自分も山へと走り出した。その疾駆は空を飛ぶモドキよりも速く、瞬く間に山の頂上まで辿りつく。断崖絶壁の崖すら手を使わず足だけで駆け上り傾斜などものともしない足だからこそ可能なショートカット。登山とは言えない方法で登り切る姿は人というよりも獣すら超えた何かだった。
 徐々に姿を近づけていくモドキ。どうやら、谷の真下部分に近づきそのまま方向転換するようだ。かなり危険なUターン方だと思ったが、モドキは危なげなく背中と頭を逆方向に向き変えて山から離れていく。女はタイミングを計り、谷の上からモドキ──黒鳥号へと落ちていった。
 木材や鉄の板を張った平らかな床を転がり高度からの落下による衝撃を緩和する。しばらく転がった後彼女は起き上がり様に何が起きたのか分からないという顔で甲板を見回っていた兵士二人の内一人を押し倒し、鳩尾に拳を打ち付けて気絶させる。ぽかん、と口を開けていた残る一人にも後頭部に回し蹴りを当てて昏倒。
 倒れた二人を物陰に連れ去り身を隠した。息を潜めて時間の経過を待つが、どうやら騒ぎは起こらない。自分の奇襲は誰にも悟られていないと安心し、女は男たちの襟首を掴んだ手を離して場所を移動する。今更だが、自分のいる場所が怪鳥の背中では無いと知りどんな構造なのか分からず戸惑い始める。
 とりあえず、目に入ったドアを開けて中に入り込めば妙な管が壁中を這っている薄気味悪い光景。触ってみると生き物ではないようだが、あまりに見慣れないそれに女は頭を回した。
 それでも、このままでいる訳にもいくまいと足を一歩踏み出すと天井からビーッ! ビーッ! という身を縮こまらせるような音が鳴り始め驚きの余り天井を突き破って身を隠してしまう。狭く暗い空間を縦横無尽に彷徨い這う彼女は勢い込んで乗り込んだ事をちょっとだけ後悔した。


「うう……キーノ……うう……」


 誇りっぽくて、暗くて、汚くて。そんな空間を一人這っている事に寂しさを感じたエイラは心細さから今は遠く離れている自分の想い人の名前を呟いた……












「ほら、しっかりしてよカエル。だから窓の外は見ないでって言ったでしょ?」


 部屋の隅に設置してある簡易トイレに顔を突っ込み吐いているカエルの背中を擦ってあげる。止せばいいのに、カエルったら窓から外の光景を覗いちゃって、私たちが今どこにいるのか知った瞬間からこのざまだ。
 カエルが言うには一定の高さを超えるとこうなるらしい。「クロノがいる時は同じ男として我慢していたが、すまん……」とのこと。それ、何デレって言うのかな?
 ダルトンの手によって気絶させられた私たちは目を覚ました時には小さな部屋の中に押し込まれていた。簡易ベッドが一つとプライバシー無視の剥き出しのトイレ。手を洗う所も無いここは閉じ込めるという目的の為に作られたものだと分かる。申し訳程度に花瓶に花が入れられているが、残念な事にその花は枯れている。花びらを触ればパリパリと砕けてしまった。
 扉の前には見張りが一人。彼が言うにはある程度経てば出してやるから大人しくしていろとの事。信じられる訳が無い。しかし……


「武器も防具もアイテムも、おまけにお金まで無いんだよね……」


 武器防具道具は脱走させないためという御題目として分からなくは無いが、何故お金まで奪うのか。私は追いはぎにあったような気分になり落ち込んだ。かろうじて服は残してくれているからまだ爆発しないですんでいるが。まあ、カエルは衣服が防具みたいなものだったからほとんど半裸だけど。蛙に戻っていて良かったねと言うとなんだか微妙な顔をされた。自分でもそう思ってしまうのが悲しい所なんだろうな。
 止めが、私たちの手に付けられている魔法の腕輪。装着している人間の魔力を封印するという、魔法王国ジールで開発された犯罪者専用脱走防止のアイテムらしい。確かに魔力を使えるのが一般的なあの国ならこんな魔法アイテムが開発されていても不思議は無いか。
 ぎりぎりと腕輪を外そうと力を込めても魔力がかかっているのか外れないし傷一つつかない。一応それはカエルにも付けられているが、そんなことしなくても彼女はここにいるだけで無力化されてしまうのだから無駄な事だと思うなあ。


「ま……マール。そこのティッシュを取ってくれ……」


「もう無いよ……さっき渡したので全部空」


「……そうか……うう……それなら仕方ない。ちょっとマールの服を貸してくれないか? すぐに返す」


「……絶対嫌だよ。何言ってるのカエル」


 まさか口に付いた嘔吐物を拭く為に服を貸せと言われるとは思っていなかった。「いいじゃないか、俺はほとんど服が残っていないんだから上だけでも貸してくれ」とさらに突っ込んでお願いされた時はどうしようかと思った。殴り倒して気絶させたほうがお互いにとって建設的なんじゃないかな?
 口を洗う為の水道も無ければ紙も無い。いっそ便器に顔をつけて洗い流せばいいじゃないかと思ったけれど、自分でもあんまりな考えだと思ったので言わないでおく。自分の仲間が便器から流れる水で顔を洗っている姿なんて絶対に見たくない。そこまでされるくらいなら服の一部を切り取って渡したほうがずっとマシだ。


「……使え」


 困り果てていると、扉に付いた小さな窓から見張りの人が紙を渡してくれた。ついでに臭い消しも。良かった、この酸っぱい臭いに辟易していたところでこれは助かる。ありがたく受け取りスプレーを振り撒く。カエルはごしごしと口を拭いた後なせだかちょっとだけ寂しそうだった。もしかして、これ見よがしに臭い消しを使った事で傷ついちゃったかな? それなら申し訳ないけど……


「ごめんねカエル。でも臭いでまた吐きたくなったら嫌でしょ?」


「違うマールそうじゃない。俺は臭い消しがどうとかそういうことではなく……その……」


 そう言ってカエルは私の体……というか、服を見た。
 ……まさか、私の服で口を拭きたかったとかそういう変態的な考えだったんだろうか? そういえばカエルは中世の王妃に偏執的な愛を持っていたんだっけ? 顔の似ている私に同じような愛を抱きだしたとか、そういうあれかもしれない。となると今すぐ私はカエルを滅さなくてはならない。通常時なら敵わなくても、今の弱ったカエルなら勝機はある。閉じ込められた部屋というシチュエージョンに酔ったのかな? どうしたって私の決意は変わらないが。
 私の殺意を孕んだ眼差しを受けてカエルは「勘違いするな」と断じた。


「ただ、俺だけ半裸なのにマールはちゃんと服を着ている。理不尽だから上か下か脱いでもらって対等になりたかっただけだ。勘違いするな」


 二回言っても答えは同じ、ふざけるなだ。何で私がカエルに付き合って半裸にならなくてはならないのか……まあ、私が思った展開じゃなくて本当に良かったけど。
 そもそも、今のカエルはその名の通り蛙なんだから別に裸でも構わないと思う。私は乙女なのだ。お父様と婆や、サラさん以外に晒した事が無い肌を何故ここで見せなくてはいけないのか。外には見張りの男の人もいるというのに。


「……そこの蛙に一票」


「見張りさんは黙っててくれる!?」


「……すまん」


 ちょっと素直だったので目を瞑るけど、かなりイラッと来た。男の人って皆似たようなものなんだなあと思った。
 ……ていうか、対等とかなんとか言ってるけどカエルちょっと恥ずかしいのかな? 蛙の姿になっても心は女ということか。口では「俺は男俺は男」と男男詐欺を口にするが実際のところかなり乙女チックな性格なんじゃないかと最近の私は睨んでいる。ロボの次くらいかもしれない。
 体を揺らしながら少しでも肌の露出を無くそうと頑張るカエルの姿は女性時なら大層可愛らしいものだったんだろうなと思う。いかんせん今はまんま蛙の姿なので大層気味の悪いものなんだが。両生類特有の求愛行動だと言われれば頭から納得しそうだ。 
 今はこれで我慢してね、とベッドの上にある薄いシーツを投げた。心許ないだろうが、無いよりはマシだろう。カエルはそれを体に巻きつけて「こんなものだろうか?」と聞いてくる。私は親指を立ててばっちり、と返した。頼りないお姉さんを持ったような気分がちょっとこそばゆい。それ以上に情けないなあという幻滅に近いそれが確固として存在するのだが。


「さて……これからどうしようカエル」


 黒鳥号に乗せられる前に全く同じことを聞いたが、今度は状況が違う。完全に閉じ込められているのだ。いつかは出してやると言われてもそれを鵜呑みにするほど愚かではない。脱出するべきなのは分かっているが……その方法がまるで思いつかない。先行きの不安から細い声でカエルに聞くと、今までに無いくらい頼もしい笑みを浮かべたカエルはすっ、と上に指を向けた。視線を上げるとそこには未来の工場にもあった……確かダクトと言ったか? 今は喧嘩して話も出来ないルッカから聞いた話では室内の気温を下げたり上げたり、また空気を入れ替えたりする為の空気の通路……だったかな?
 それがどうしたの? と聞き返す前にカエルは見張りの人に聞こえないよう私に顔を近づけて「あそこから部屋の外に出よう」と提案した。なるほど、換気にも使われているなら部屋の外……または他の部屋に出ることも可能なはず。流石、戦いという戦いを潜り抜けただけのことはあってカエルはこんな状況でも打開策を思いついてくれる。


「じゃあ、私が先に行くね」


 ダクトの蓋はネジが緩くなっており簡単に取り外す事ができた。閉じ込めている人間が女性ということもあり見張りが度々部屋を覗かないので、監視が甘いのも救いだ。私は焦る必要も無くすんなりとダクト内に体を滑らせた。
 それに続いてカエルは軽く跳躍して部屋を出る。気付かれないうちに部屋を出ようと私は狭いダクトを這い出した……が、何故かカエルが動かない。


「どうしたの?」


「いや……シーツがダクトの蓋に絡まって……その……」見れば確かにカエルの体を巻く長いシーツが引っかかっている。ぶっきらぼうに無理やり取ろうとしているせいでどんどん強く締まっていき一人では抜けそうに無かった。


「もう、何やってるの。私が取ってあげ……」


 と、私がシーツを外そうと動いた瞬間甘い締め付けだったダクトの蓋が盛大な音を立てて床に落ちて…………






「……何か言うことはある? カエル」


「…………マールが、上か下かの服を俺に貸してくれれば恐らくこの事態は避けられただろう。反省しろ」


「私が悪いの? え、私が悪いの?」


 当然の事に見張りの人がその音に気付き私たちは逃げる間も無くまた捕まってしまった。というのも落ちたダクトに引き寄せられたカエルがすとーん、と部屋に戻ったことで私もそれに釣られたのだ。落下の瞬間藁を掴むように私の腕を取ったカエルが実に憎らしい。私はカエルを心の中でも褒める事はしないと誓った。ゴムみたいに反動でマイナス方面にぶっちぎるんだから。
 ともあれ私たちはまた振り出しに戻る事となる。今度は天井のダクトの蓋はきつく閉め直されるどころか魔法で溶接さえされてしまい到底腕力だけで取ることは不可能。もう、カエルはずっとトイレで吐いてればいいのにな。


「…………そこの蛙に一票」


「がるるるるっっ!!!」


「……すまん。出過ぎた真似だったか」


 言葉にもならない声で吠えた私に小さく謝罪をする見張りの男。誰が何と言おうと私はカエルに服を貸す気なんか無い。最悪今この場でカエルが女性体に戻れば考えないでも無いが……止めよう、なんだかこういうかもしれない思考は本当に起こりそうで怖い。
 いよいよやる事のなくなった私たちは力無く座り込み、ぼーっと吊り下げられている電灯を見ていた。
 ……今頃、ルッカはまだ泣いてるのかな……やっぱり言い過ぎたよね、私。
 ……謝ったほうが良い、のかな。


「止めておけ、今話したところでルッカは聞いてはくれん。まともに会話すら成り立たんだろう」


「……人の心読むのって、どうかと思うよ」


「お前たちは総じて分かり易い。ロボの方が隠せているかもしれんぞ」


 それは無いよ、と言おうとして止めた。お前は考えている事が顔に出やすいとお父様にも言われたことがあるから。


「そもそも……通信機も取られた今の状態でどうやって時の最果てに行くのだ?」


「あっ、そっか……となると……本当にやることないね」


「諦めるな、必ず道はある」


 その道の一つを潰したのは誰なのかと聞けばどうせ「お前だ」と返すんだろうな……私悪くないもん、絶対。
 その後も私は積極的にカエルに様々な脱出方法を立案したが、どれもこれも現実的ではないとかたずけられて、終いには自分でも無理があるだろうと思うような突飛なアイデアを話していた。外の見張りさんに聞こえているのは間違いないだろう声量で喋っていたことに後から気付き私は意気消沈する。どの道、実現不可能な方法ばかりだったので支障は無いんだけどね。はあ……


「まあその……落ち込むなよお嬢さん」


「ありがとう……見張りの人、悪いんだけど、飲み水でもあればもらえる?」


「……悪いが我慢してくれ。水を渡すとなれば扉を開けねばならん。前例もあるお前らにそれはできん」


 だよね……と返して私は水分を欲する喉の渇きを自分の唾で潤すことにする。当然、満足感は得られない。正直脱走しようという裏心があったのでそれを見透かされたように感じ我侭を言う気にもなれなかった。
 ……いやいや、さっきは気にしなかったけど何で私は見張りの人に励まされてるんだろう? 前から思ってたけど、随分と優しい人だなぁ、ここの人は。ジールで見かけた仮面の兵士たちとは間逆よね。これなら、色々聞き出せるかもしれない。何だかこの人の優しさを利用するみたいで心苦しいけど、そんな事言ってられないもの。


「ねえ見張りの人。ダルトンさんは何で私たちをここへ運んできたの? シルバードを奪うだけなら、わざわざ私たちをここに連れてくる必要は無いじゃない?」私は出来るだけの猫撫で声を扉の外に送り込んだ。カエルが「おお……寒い寒い」と肌を擦り合わせているのは何かしらの他意があると見て間違い無い。僅かに残っている衣服を剥ぎ取ってトイレに流してやろうかと思った。


「……そもそも、奪ったという表現も正しくないよ。君たちをここに連れてきたのは……ごめん。それはダルトン様から聞いてくれ。俺の口から言って良いことじゃない」


「……そう。ありがとう」


 何故もっと聞き出さない? と言外に目で伝えてくるカエルに親指を逆さに立てて黙れのアピール。人を馬鹿にしておいて責め立てるとは中々良い度胸だよ、本当。これ以上聞いてもこの人は絶対に教えてくれない。口振りからダルトンへの尊敬が分かり易く見え隠れしてたから、情報を漏らすことはしないだろう。
 でも、何も分からなかったわけじゃない。一つはダルトンが悪意だけで私たちを連れ去ったのではなく何かしらの理由があったということ。そしてそれは必ずしも私たちを害するだけのものではないという事。これだけ分かれば私たちのするべきことは一つ。ただ時間が過ぎるのを待つのみ。


「おいマール。それはあまりに保守的じゃないか?」


「しょうがないよ、いつかは出してくれるって言葉を信じて今は休もう? カエルもまだ本調子じゃないでしょ? ……ていうか、ここにいるだけでどんどん調子が悪くなりそうだけど……大丈夫なの?」


「もう胃には何も残って無い。吐くものが無ければ吐き気は治まらずとも吐くことは無いのだ」


 悟りを開いたように清々しくやつれた顔で言い放つカエルの背後に気のせいか後光が射しているように見える。気のせいだけど。
 私はベッドに思い切り飛び込んでカエルに「私が使って良い?」と聞いた。それに答える事無くカエルはぷらぷらと手を振りそれを許可と取る。硬い枕を抱きしめて顔を埋め両足を伸ばした。良く考えればしばらく振りだ、こうしてベッドに横になるのは。中世のカエルの家が最後かもしれない。後は古代のテントで雑魚寝か、時の最果ての冷たい床で体を丸めた事しかない。カエルの家のような藁ではなく布団が敷いてある寝床はお城からここまで無かったなあ……父上は元気だろうか? 後味の悪い喧嘩別れのまま家を飛び出したことが今になって心を重くする。後悔はしてないけどね。クロノが処刑されるなんて私は許せない……


「……うーーー!!!」


 思い出すだけで胸が痛くなる事柄が頭を通過して私は緩む涙腺を抑えるべく強く顔に枕を押し付け、布を噛んだ。泣くな、今泣けばきっと彼は辛くなる。彼が言ってたじゃないか。死んだ人の為にも笑えと。笑えば亡くなった人は悲しまないと。泣いてばかりいると困らせると。まだ私はクロノを頼るつもりなのか? なんて意地汚い。
 心の中で冷静な私がしまったなあ、と頭を抱えてしまう。下らない会話でもカエルともう少し話しておくべきだった。誰かと言葉を交わしている間は少なくとも悲しみに目を向けることは無かったから。それが逃げでも、こんなところで涙を堪えるよりは精神衛生上ずっとマシだもん。
 もしかしたら、私の呻きが泣き声と取られるかもしれないと誤魔化す意味で私は足をばたばたと布団に叩きつけた。ちょっとした暴力で溜まったものを霧散させようという目論見も多分にある。さして効果は無かったけど。
 それも疲れて……私はそのまま黙り込む。大丈夫、聞かれないよ。こうして枕を噛みしめてれば外に声は漏れない。
 ……割り切ったつもりだったけど、やっぱり無理かあ。まだまだ引き摺っちゃうよ、こんなの。初めてできた友達だったんだよ? 初めて遊んだ人だったんだよ? 無理だよ……どうやってクロノは恐竜人たちの事を乗り切ったんだろ? 教えてよ……ねえ?
 もう一度カエルと馬鹿らしい話を始めようと思っても声が震えない自信が無い。カエルだって辛いんだ。そこに私が嘆きをぶつけても困るだけだろう。それだけはしちゃいけない、それをしてしまえば、私がルッカを怒った理由が棚上げしたものになってしまう。
 ──そうだよ。私がルッカを怒ったのは正にそれ。彼女は、まるで悲しんでるのは自分だけだと叫んでいるようだった。一番辛いのが彼女だというのは認める。付き合っている年数が違うし、彼女がクロノを愛していたのも知ってる。落ち込むのは当然、泣くのも仕方ない。でも逃げるのは駄目だよ、クロノはルッカたちを庇って……いや、自惚れじゃなければ彼は私たちの誰でも助けてくれただろう。彼は仲間と認めた人なら誰彼構わず助けてしまうような人だから。口ではどう言おうとも、彼が助けを拒んだことは無いから。ゼナンでも、彼は自分の考え方に逆らってまで私たちを助けに来てくれたもの。
 彼は私たちの為に散った。ルッカだけの悲しみじゃないんだ、私たちにも平等に降り注いだ悲劇を何で一身に浴びたみたいな顔をするの? 私だって辛いよ? 悲しいし泣きたいよ? クロノに会いたいよ!


「……やはりまだ辛いか」


「……?」


 カエルの声が近いなと不思議に思っていると頭の上に暖かなぬくもりが降ってきた。それは優しく私の髪を梳いて、落ち着かせてくれる。
 子供扱いしないでよね、と不満を漏らそうと思って……私は起き上がれなかった。それがあんまりにも心地よくて……安心するから。まるで母上にあやされてるみたいで……


「すまんな。もう少し話を続けるべきだった。まだまだ俺も人間が出来て無い」


「……もしかして、さっきまでのわざと?」


 引きつる声をむりやり絞り出して……まさかと思ったけど聞いてみる。カエルは「さあな」と短くはっきりと返した。嘘だあ、と茶化す力は今の私には無い。
 ……正直ダクトの一件は本気だったと思うけど……そっか、カエル私のこと気遣ってくれたんだ。


「……私、カエルのこと嫌いじゃないよ」


「そうか。俺はマールが好きだ。頑張ってるからな」


 ……同じ女性と分かっていても、今のはちょっときた。危ない危ない、私はこの年でそんな危ない道を渡る気は無いもん……
 あっさりと凄い事を言うカエルは、男の人なら女タラシになっただろうな、と彼女にとって名誉なのか不名誉なのか分からない事を思った。
 タラシは言いすぎかな、とちょっと反省して、体を起こす。いい加減に頭を撫でられている事に恥ずかしさを感じ始めたからだ。枕を持ち上げて顔を少し隠しておく。目が赤いことを悟られたくないし……意味があるのかどうか微妙だけど。
 ベッドに腰掛けているカエルと目が合うと、なんだか面白くなってきた。酷い話だけど、大きな蛙と対面して涙ぐんでいる自分がおかしくなってきた。難しく言うなら、滑稽というやつだ。笑ってしまいそうな口に力を入れて抑える。顔にまで出すと失礼にも程がある。そんな風に自分でも分かりづらい私の妙なツボと戦っていると、「騒がしくなってきたな」とカエルが扉に目を向けた。


「ふえ? 何かあったのかな?」


「さあて、もしかしたらダルトンがここに来るのかもしれんな」


 ようやく動きがあるか、と笑みを滲ませながらカエルがすっくと立ち上がる。その際に私の顔をさらりと眺めてきた辺り、もう大丈夫なのか、と言外に聞いているのだろう。私は一つ頷いて弾力の無いベッドから跳び下りた。なんだか体が軽くなったみたい。誰かに慰められたという事実だけでこんなに気持ちが軽くなるのか。
 ……私も、ルッカの事を慰めてあげれば、もっと優しい会話が出来たかもしれない。よし、ここを出た時には一度だけ彼女に謝ろう。あくまでも、一度だけ。
 目的が出来たとなれば、このままこうしているわけにもいかない。もう一度見張りの人と話がしたいと思った私は扉に近づき声を掛けた。話が出来ても出してくれる訳はないだろうけど、どんな事でもいいからここの情報を知りたい。いつまでもカエルの優しさに甘えているのはごめんだ。私は私で出来ることを始めなくては。


「あの、見張りさん?」


 扉の隔たりを越えて聞こえる様に心持ち大きな声で話しかけた。帰ってくるのは慌しい足音と何かがぶつかり合う物音。喧嘩でもしてるのか、誰かの怒声が耳に入る。何だろ? 私たちに優しく接し過ぎたから誰かに怒られてるのかな? あの人。だったら嫌だなあ……わざわざ話しかけるのも申し訳ないかな……


「後にしたほうが良いかもしれないね」


「そんな事を言ってたらタイミングを逃すぞ。そもそも喧嘩かどうかも分からん。もう少し声を掛けてみたらどうだ?」


 自分でも無意識にカエルにどうすればいいか確認を取っている自分が恨めしい。自分で出来ることを、と決めておきながらこれだ。舌の根も乾かぬうちに、とはこのことだろう。結局、私はカエルの言うことに従っちゃうんだけどさ。


「あのー!」


 今度は怒鳴るような声音を見張りの人に投げると、それに反応したのは人間ではなく無機質な扉だった。私の目の前でずん、と立ち塞がっていた扉は体感的にはゆっくりと、客観的にはとてつもないスピードで倒れてきた。勿論、反射神経には自信がある私でも避けれるものか避けられないものか。避けられるはずないじゃない。昔父上に「マールディアは綺麗な鼻立ちをしているな」と褒めてもらった事もある私の鼻がぐき、と嫌な方向に潰されていくのを感じながら私は白昼堂々扉に押し倒された。悲鳴よりも苦痛の呻きが口を出る。


「み、皆! 大丈夫か!?」


 そのたどたどしくも高く通る声には聞き覚えがある。私は自分でも驚くくらい顔をしかませてその主を睨んだ。良かった、私の魔法が封じられていなければ多分、その女性にアイスをふんだんなくぶち当てていただろう。いや、本当に。
 私が扉から這い出てきたのを目にしたその女性は目を見開いた後がたがたと震え出した。嫌だなあ、女の子の顔を見て震えるなんて失礼だぞー、大丈夫だよ怒って無いよ絶対私鼻の骨折れたけど女の子がしていい顔じゃないしだくだくと鼻血が流れ出てても全然怒ってないからちょっと顔貸して。二目と見れないものにするだけだから。


「落ち着けマール。世の中顔じゃない……ふふっ」


 ──我慢しようとしたのは認めるよカエル。でも最後の最後で噴出したら全部台無しだよね? もう本当、女性体に戻った時色んな意味で啼かせてあげるからね。


「ごめん、マール……エイラ……うあ、うう……」


 私は可哀想なくらいみるみる涙を溜めていく彼女に肩をすくませて、「もういいよ。助けに来てくれて、ありがとう」と肩を叩いた。ぎこちないながらもエイラはゆっくりと固まった顔をほぐしていく。まだ引きつってるのは私の顔が下半分血塗れだからだろう。見た目以上に痛いので、ようやく止まった涙が痛みでまた出てきた。
 このままでは痛みで本格的に泣きそうだったのでエイラに頼んで腕輪を壊してもらうことに。エイラはとんでもない怪力で鉄より硬い金属の輪を引きちぎり床に落とす。礼を言う前に私は自分の顔にケアルを連発。万一にでもおかしな形で固定してはいけないので酷く神経を使った。
 数分後、元の形に戻っているかカエルとエイラに聞いてみるとエイラは「その……血だらけで分からない」と言いながら自分の服で私の顔を拭ってくれる。汚いよ? と止めれば「エイラのせいだから」と一生懸命な顔でせっせと腕を動かした。かたやカエルは「なんというか、壮絶だな女性の鼻血とは」と見当違いのコメント。何故加害者はエイラなのに憎いのはカエルなのか。人間って不思議だなー。
 ぺちぺちとカエルの頭をはたいてから私は部屋の外に出た。左右に伸びる通路には死屍累々と兵士たちの倒れた姿。見ただけで八人の兵士が気絶している。いつ見てもエイラは強い、原始を出てから結構な時間が経ち、私も色々な戦いを経験してきたけど、彼女に勝てる気が全くしないのは戦闘経験が私の比では無いからだろう。魔力を使っても相打ちは無理っぽい。


「そういえばエイラ。キーノの怪我は良くなったの?」


「キーノ、元気! だからエイラ、来た。遅くなった、ごめん」


「気にしないで。お陰で私たち助かったんだから!」


 私が元気付けてもエイラはまだ落ち込んでいた。まだ私の鼻の事を気にしているのだろうか? ……確かに痛かったけどさ、もう治ったんだし、部屋から出してくれた時点で十分だと思う。
 もう痛くないよ、と自分の鼻を触ってみせると、そうではないと顔を振って「クロ……」と悲しげに呟いた。
 そっか……時の最果てを通った時にお爺さんから聞いたのかな? エイラは黙っていると綺麗な顔にうっすらと涙を流していた。何故だか、私は彼を思って泣いてくれる彼女を……不謹慎だけど、とても嬉しく感じてしまった。
 ねえ、見てるクロノ? 貴方の為に泣いてくれる人がこんなにいるんだよ?


「行くぞ、この騒ぎでまた兵士たちが集まられてはたまらん。早くシルバードを見つけねば」


 気分が悪いとは思えないくらい素早くカエルが駆け出した。落ちていく思考を振り払うべく、私もそれに続き足を前に出した。





 黒鳥号(カエルから名称を聞いた)の中を走り回って、武器と防具、アイテムを取り返すことに成功した。お金だけ見つからなかった事に苛々したものの、元々少なかったので諦めて私たちは様々な部屋を訪れた……が、どうしてもダルトン含めてシルバードが見つからない。鍵の掛かった扉も全てエイラが蹴り壊したので見ていない部屋は無いはず。
 もしかしたら、ダクトを通ってじゃないと辿り付けないのでは? とカエルが提案したが、あのエイラがそれだけは嫌だと駄々を捏ねた。暗くて狭い所は苦手なのだという。鼠も。大人しいエイラが断るという事はよっぽどだろうとカエルは意見を引っ込めて、他の場所を探そうという結論に。まさかそれが自分の首を絞めるとは思って無かっただろうなあ。
 ……そう。今まで私たちは大概の部屋を開けて来た。黒鳥号内で探していない場所は無い。残る場所は黒鳥号の中ではなく、外と言うにも微妙な甲板部分。デッキとも言う。遠慮なく横風が吹いて空も地上も見渡せる高所恐怖症の人には悪夢のような場所。


「じゃあ行くよカエル。ほら」


 甲板へと繋がる扉を開けて、その先の景色を見た瞬間カエルは何処から出したのか分からないような悲鳴を上げてバックステップで八メートルは後ろに跳んだ。充分な距離を稼いだ瞬間後ろを向いて全力で私たちから逃げ出していく。私は隣でほけっ、としているエイラに聞こえやすいようはっきりと「エイラ、君に決めた」と命令する。膝を曲げて獣独特の走行でカエルの前に回りこみ腕を握って私の前まで引き摺ってくる。


「駄目だよカエル。怖くたって我慢しないと先には進めないよ。ファイトだよファイト」


「マール! お前は熱いのが苦手だからといってマグマに飛び込むのか!」


「限度があるよ」


「俺にも明確な線引きがある!」


 ええい煩わしい。エイラに掴まれている手と逆の手を握り私は歯医者に行くのを嫌がる子供を連れて行くみたいにカエルを甲板に連れ出した。ちょっと、気分が良かった。
 甲板には予想が出来たが強風が顔を打ってくる。いつもよりも断然に近い空が広がっていて、恐ろしい事に手すりが無い。その事実に気が付いたカエルが泡を吹いた。無理も無い、これは私も怖い。正直戻りたいくらいに。
 溢れ出す恐怖心を押し隠して私とエイラは気絶しているカエルを連れて甲板の上を見て回る。軋んだ音を立てながら廻る歯車や油の臭いがする大きな筒。細く長い棒の先に大きな布がはためいている様は絵本で見た海賊船みたいだった。ついでに言えば、船体の色が薄緑で統率されているのは目に悪いと思う。ここで言っても詮無いけどね。


「……もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。助けてサイラス……」


「ぐずらないのカエル。ほらもうちょっとだから、ね?」何がもう少しなのか分からないが取りあえず目覚めた瞬間蹲るカエルの背中を前から抱きしめてぽんぽんと叩いてあげる。なんていうか、縦横無尽だなあカエルって。
 小さい子がするように私の体に抱きついて離れない見た目蛙の精神年齢三十弱の女性。このままでは歩く事すらままならないと考えた私はエイラにカエルを運んでもらう事に。子持ちの気分ってこんなのかな。私が娘を産んだとして、大人になってもこんな娘だったら嫌だなあ。駄目な子ほど可愛いらしいけど、それこそ明確な線引きがあると思う。
 小さい頃は虐められっこだったというカエル。その頃の気持ちが蘇ったのかな、幼児逆行だかなんだか。どうでもいい事だけど、カエルを抱っこしてるエイラの様になること。彼女は疑う余地無く良いお母さんになると思う。それ以上に抱きかかえられているカエルの様にならないこと。女性体のカエルを返して欲しいな、そしたら見てるだけで眼福だと思うの。
 カエルのことをエイラに任せて私は一人歩き出す。怖いもの見たさ、という考えから頑張って甲板の端に進み地上を見る。そこには広大な世界が広がっていた。ジール大陸でもそうだったけど、あそこは高すぎて地上の様子が良く見えなかった。その点黒鳥号から見下ろす景色は程ほどに高く、何よりも景色が動いていくのが壮観だった。慣れてみると、この強い風も高さも気持ちが良い。四つんばいになりながら地上を見ていたけど、体を起こして立ってみる。全身に吹きつく風も不安定な位置に立つ緊張感も悪くない。未来でのバイクからしても、私は案外に怖さが麻痺しやすい人間なのかもしれないな。


「……はあー。うん、冷たい空気も美味しいかも。ちょっと、息苦しいけど……」


 酸素が薄いのかな? でもここまで高ければ苦しいより圧倒感が前に出る。ここで体操でもしたいくらいだ。
 ……ここからならアルゲティのあった場所が見える。あんまり外を歩いてないから知らなかったけど、この大陸も凄く大きいんだなあ、私たちの世界とあんまり変わらない。見回ってない分小さく感じていただけのようだ。
 ああ、海の近くで白い鳥が群れになって移動してる。豆粒みたいに小さなそれがとっても可愛い。海の渦巻きや潮が見渡せてなんだか面白いな、あのちょっと大きな銀色の鳥なんかとんでもない速さで空を駆けていて、あっ! あの凍った湖を歩いてるのってまさかペンギン!? あーん、もっと近づいてくれないかな! 近くで見たいよ。


「……いやいや、ペンギンじゃなくて」


 銀色の鳥? なにそれ、ていうか私その銀色の鳥を知ってるような……物凄く間近で見たことがある、いやそれ以前に乗った事があるような……
 もう一度その銀色の鳥を眺めてみると……それはもしかしなくても……


「シルバードが……飛んでる?」


 私は自分で見た光景が信じられず言葉にしてみた。遠目からにも光が反射しているそれは銀の胴体に金色の翼を付けて滑空している。優雅に一回転なんかして、鳥の群れと戯れている……シルバード。
 時を跳ぶだけでは飽き足らず、空まで飛ぶなんてお茶目さん……じゃなくて!!


「ちょ、ちょっと来てエイラ!」


 慌てている私を訝しげに見ながらエイラが私に走り寄ってくる。


「どうしたマール? ……トイレか?」


「あっ、そういえばちょっと行きたいかも……あー! 違うよ! あれ見てあれ!」


 言われて下を覗きこむエイラは、私と同じように空を翔けるシルバードの姿に驚き詰まった声を上げた。


「ね! どうしようあれ……何とか取り戻さないと!」


「う……うん。マール。でも……その前に、取り戻すもの、できた……」


「? お金の事? もう仕方ないよ、あれだけ探しても見つからなかったんだから、諦めよ?」


「そ、そうじゃなくて……ごめん」


 指を下の空に向けたので、私はひょい、と覗き込んだ。特に何も変わらない空。美しい曲線と体を散らばらせながら浮遊している白い雲に、遥か遠い私たちが息づいていく上で必要な力強い地上。丁度その中間に息づいている緑の……緑の……見なかったことにしよう。吐き気がするような奇怪な動きをする雲に、汚い物でも綺麗な物でも何でも吸い込む貪欲な地上。その間には弱弱しい命の灯火を絶やさんとする緑の……カエル。


「エイラ……まさか、さっき驚いた拍子に落としちゃった……?」


 彼女は、申し訳無さそうにこくりと可愛く頭を落とした。
 ……可愛くないよ。やっぱり。何とかは我が子を千尋の谷に突き落とすって言うけど……エイラは良い母にはなれないみたいだ。


「か……カエルーー!!!」


 こんな散り様ではカエルのことで涙する事もできそうにない。実行犯が仲間だなんて笑えない。私は何を考える事も出来ず空へと身を投げ出した。もしかしたら、この高さでも私のアイスで衝撃を緩和……出来るわけ無いけど、このまま見ているなんて出来ない!!
 空を泳ぐように掻き分けてカエルを追う。重力は加速せずなるがままに落ちていくのみで、下からの風がみるみると地上に消えていくカエルに追いつくことさえ許さない。
 隣には私と同じようにカエルを追って飛び降りたエイラの姿。彼女もまた必死の形相で体を動かすも効果は得られず私たちとカエルの間には一定の間隔が続いている。いっそ手から氷を作り出してカエルを引っ張り上げられないか考えて……いくらなんでも百メートル前後の氷を作るなんて芸当が出来るはずも無い。
 自分でも慌てているのは分かっている。けれど、いくら考えても良い方法は見つからず徐々に近づく地上に急かされている今、落ち着くなんて言葉すら浮かび難い。


「エイラ! こう、竜巻を出す技あったよね? あれでなんとかカエルを浮かび上げたり出来ない!?」


「足、踏み場無い! 今、出来ない……」返ってきたのは悲しげな否定の言葉だった。何度も振り出しに戻らされる現状に焦燥というよりも絶望的なそれを感じ始める。


「待って! あれって……シルバード!?」私はカエルの真下に現れた物体に驚き声を上げた。


 そこまでに切迫した状況からカエルを救ってくれたのは……金の両翼を持つ銀の鳥、シルバード。掬い上げるように機体を反転させてカエルだけでなく落ちていく私たちの体もまたシルバードの上に乗せてくれた。足に来る衝撃は並々ならないものだったけど、捻挫やくねる、ということも無く半ば以上気を失っているカエルの体を揺らす。
 いくら声を掛けても「あーあー、あー……」と壊れたオルゴールのように同じ言葉を流し続ける彼女は生気の無い瞳をふるふると揺らしていた。だらりとこぼれた長い舌がシルバードの機体に垂れている。シルバードに乗った際に怪我は無かったことが幸いだった。
 ……しかしながら、これはどうしたことか。恐らく今シルバードを操縦しているのはダルトン一味の人間に違いない。脱走している私たちを助けるとは……そもそも私たちは助けてくれた人間に感謝すべきなのだろうか? 「私たちから奪ったもので私たちを助けてくれてありがとう!」とでも言うのか? 色々順番がおかしい。


「ま、マール。とにかく、中、入ろう」


 今もまだ飛び続けているシルバードの上に立っているのは酷く足場が悪く今にも落ちそうだった。ただでさえ楕円形の丸みを帯びた形状なのに、浴びる風が強すぎて体を持っていかれそうだった。このままここにいてはカエルの精神が抱懐どころか塵芥へと変貌しそうだ。
 シルバードのコックピットに乗り込もうと私は座席を覆うカバーを拳で二回叩いた。開け方が分からなかったのか少々戸惑った雰囲気が感じられたが、ゆっくりとカバーが外されていき操縦者はその顔を私たちに見せてくれた。


「……お前ら、世を儚んで自殺するにはまだ若いだろう……」


 予想通りというか、なんというか、シルバードのコックピットに乗っていたのはダルトン一人。彼は気の毒そうな顔で私たちを諫めるような、はたまた呆れたような声を出した。
 ダルトンの顔が見えた瞬間、今まで魂が抜けたように動かなかったカエルが飛び起きて半分以上(七、八分)泣きながら強い声を上げた。


「だだだダルトン貴様よくも俺たちのシルバードを奪った挙句改造しやがったな許さんぞしかし今この瞬間に俺に求愛するならかなり悩むくらい感謝しているありがとう本当にありがとう!!」


 息継ぎ無しに長々と恨み言兼感謝を羅列してカエルは有無を言わさずコックピット内に飛び込んだ。獣の如し、と表現するに問題ない凄まじいスピードだった。最初ダルトンは嫌がって「俺の話を聞け!!」と声高に主張していたがあまりのカエルの怖がりように諦めたか渋々と助手席の位置を譲ってあげていた。なんだかんだで女性に優しい辺り、私は似てるなあ、としみじみ思ってしまった。


「何はともあれ、良かったよ。さあ私たちも入れてー」


 半ばしゃがみながらのそのそとダルトンの座る座席へと近づいていく。エイラもそれに続きコックピット内に足を入れようとしたのだが……遮るダルトンの手により叶わぬものとなる。ちょっと、寒いし怖いし危ないしで、そんな意地悪本気で鬱陶しいよ?


「何を勘違いしている貴様ら。俺は自殺を許さんだけで貴様らを助けたい気は全く無い。どの道戦うつもりだったのだ、今この場で決着をつけてやろう」


 もしかして、それは彼なりのユニーク溢れる冗談なのだろうか? 隣で蹲って吐き気を堪えているカエルの姿と相まってとても真剣には思えない。何より、戦うにしろこのように不安定かつ恐怖心を煽る舞台で戦闘なんて正気の沙汰では無い。今もシルバードのなだらかなフォルムによって、つるつると足を取られるのだから。戦いは愚か、まともに動けるかどうかも怪しい。何より、私たちと戦うというならまず隣にいるカエルの背中を擦るのは止して欲しいな。凄く仲が良さそうに見える。


「ええい! 貴様ら何を呆けている!? 戦わぬのならこちらから行くぞ! 来いマスターゴーレム!!」


 これっぽっちもやる気を見せない私たちに業腹だったか、ダルトンは構わず右手だけで印を切り始めた。左手はきっちりと操作管を握っている。大気が惑い、いつみても特殊な魔力の渦が形成される。生まれるは黒い空間、頭上に浮かぶ不明瞭な黒い球体からずるずると使い魔の体を発現させていく。
 薄桃色の長い髪を揺らし、際立つ睫毛は美しい。目は横一文字に閉じられている事で尚の事神秘性を高めそれが彼女の特徴となっていた。腰のくびれは艶かしく、陶器のようなバランス。唯一長い耳だけが彼女を人間では無いと証明する部分で、それ以外はなんら人間と違わないダルトンのゴーレム。前に見た薙刀の娘と違う……? 他にもいたんだ、あんなに可愛い子。
 私は複数の使い魔を操れるダルトンのキャパシティは勿論、それでも飽き足らず嫁候補とか言っているバイタリティにも驚いていた。可愛い女の子に美しい女性を従えてまだ満足しないなんて、彼はかなりの大物なんじゃないかとちょっとばかり感動した。


「……と、冗談言ってる場合でも無いんだよね……!」


 私たちの前に降り立ち、優雅な素振りで私たちを見回した後、彼女は軽やかに足を動かしてシルバードの後部座席に乗り込んだ。一部の迷いも見えなかった。


「……何をしているマスターゴーレム?」


 口端を揺らしながら、ダルトンは爆発直前といった様相で己が使い魔に語りかける。マスターゴーレムは至極当然といった面持ちで「御主人様こそ何を戯けた事を。私めは高い所が苦手と知った上での御命令ですか? もしそうなら、反旗を翻さざるを得ませぬ」とのたまった。震えるカエルに同士に向けるような視線を送っているのが私の立場としても苛立たしい。ダルトンからすれば押して知るべし、か。


「あの、ダルトン? 戦うにしろ、一度地上に戻ってからにしたほうが良いんじゃないかな?」


「戯けろ、俺と己らは敵だと何度言わせるのだ! 何より俺がこの場で決着をつけると発言したのだ、それに変わりは無い! ……こうなれば、俺が直々に貴様らに引導を渡してくれる!」


 どちらにせよ、そのつもりだったしな! と怒鳴って、操縦席で複雑な操作を基盤に送り込み、ダルトンは座席を立った。彼がハンドルを離してもシルバードの軌道にブレが無いことから、恐らく自動操縦のようなものに切り替えたのでは、と考える。昔大臣がドラゴン戦車にそんな機能を付けてたなあ、としみじみ思い出した。
 後部座席で飄々と座っているマスターゴーレムに舌打ちをした後、ダルトンは先程のマスターゴーレムと入れ替わるように立ち塞がる。ちょっと落ち込んでるよそこの女の人。


「マール、あいつ、強い! 気をつける!」


「そうだね……エイラは偉いね、この状況でも戦気が挫けないなんて」


 私は気が抜けてしまって、どうもいけない。私たちに敵意を向けるダルトンよりもその後ろの光景が気になって仕方ないのは、重複になるけど仕方ないと思うの。
 ……と、茶化せるのもここまでか。ダルトンは両腕から魔力球を作り私たちに向ける。避けるのは難しい、エイラならともかく、私には空を飛ぶ機体の上で動き回れるほど運動力は無い。出来るならこの場を動かず戦いたいんだけど……それは無茶かな。
 取り返した弓に矢をつがえて、詠唱も早口に済ませる。発射準備は完了、魔術の氷壁で防御後に弓で反撃! ダルトンとて、一足に私の位置まで飛ぶなんて危ない真似はしないだろう。彼だって、この高さで動き回れるほど命知らずじゃ……


「命知らずじゃないと思ったか?」


「……!」


 読まれた? 私の思考を? ……まさか。でももしかしたら……彼ならやるかもしれない。例え数千メートルの高度にいても、相手に飛び込んで肉迫し殴り飛ばす事も可能かもしれない。出会って会話も碌にして無いけど彼がイカレているのは先刻承知。クロノと決闘する為に私たちを逃したような男だ。こと戦いに至っては彼は歪な精神を持っているのだろう。
 分かった。もうここで戦うのは良い。でもやっぱり気になることがある。どう考えてもおかしいから、私は強い逆風の中口を開けた。


「……一つ聞いて良い? もう戦うことに異存は無いから」


 私が声を掛けると、ダルトンは軽く顎を引いて「聞いてやる」と返した。


「今更かもしれないけど……何で私たちと争うの? 貴方と私たちが敵同士……ちょっと無茶だよそれ。少なくとも、命を賭けて戦いあうほどの因縁は無いよね」


 私の問いに彼は「あるとも」と自信を膨らませた声で笑った。


「クロノは……約束を違えた」


「! クロノは……」私が否定を挟む前に、彼はシルバードを踏みつけその音で私を遮る。


「知っている。奴は……死んだのだろう? ここにいないのが、何よりの証拠だ」


 なら、何で笑う? ……彼の死が愉快だとでも言うのか? ……だったら話は早い。私がこいつを叩き落せば良い話だ。
 私の怒りが顔に出ていたのか、ダルトンは「侮蔑しているわけではない」と肩を落として答えた。


「自分でも不器用だと分かっている。奴は……きっとサラを助けようと尽力したのだろうさ。だが……だからとて、それは大変だったなと流せるほど俺は人間が出来ていない」


 一拍置いて、続ける。


「俺は……奴が死んだとて、許すわけにはいかん。それが約束するということだろう。本来ならば……奴にぶつけるべき罰を貴様らに擦り付けているだけのことだ」


「罰……? クロノが悪かったって言いたいの? それが侮蔑じゃなくてなんなの!?」


「悪いのは、俺だ!」


 風を切る音やシルバードの駆動音を超えた声量でダルトンは声を叩きつけた。誰の声も制止も全てを振り払う怒声に私はそれ以上言葉を続ける事ができなかった。


「……分かっているさ。自身は何もせずただ後ろで雑魚の相手をしていただけ……真の敵と相対していたクロノを罵る事など俺には出来ぬ。そうだ、これは八つ当たりだ。何も出来ずにいた、恩人を助けられなかった無様な男の喚きだ!」長い髪を振り回し、悔恨の叫びを轟かせる。私もエイラも、思わず戦闘態勢を解き、立ち尽くしてしまった。


「笑えるじゃないか? 何も出来なかった俺が! 大口を叩いて歩く俺様が! もう戻らぬ時を憂いて当り散らすなど!!」


 ……そうか。彼は、ダルトンは、もしかしたら。
 ……誰かに、慰めて欲しいのかもしれない。あの時のルッカのように、私のように、もしかしたら私を慰めてくれたカエルや、今も膝を抱えているロボと同じように。大切な人を失ったのは、私たちだけじゃない。ダルトンも自分より大切な人を失った一人なんだろうか?
 だけど、彼は不器用だから。直接的な言葉での慰めを受け取る事が出来ないのかな、誰かに頭を撫でられるような子供では無いし、諭されて頷くほど素直でも無い大人の男だから。
 誰かに……殴り飛ばして欲しいのかもしれない。もっと踏み込めば、終わらせて欲しいのかもしれない。


「……貴方も、悲しいの?」


 私の声に答える事無く、ダルトンはぐしゃぐしゃになった髪を整える事も無く顔を上げて、安定しない瞳を向けた。



「……貴様らには……悪いと思うが……付き合ってくれないか?」


「一概に、良いよとは言えないけど……請け負うよ」


 私も貴方と同じだから……いや、だったから。多分。
 ……そっか。そうだったんだ。何で私たちがあんなに簡単に負けたのか、分かった。そりゃ負けるよ、目の前のダルトンを見てれば良く分かる。


「……始めよう」


 もう、迷いは無いよ。クロノ。
 ちょっと分かっちゃったから。泣いたらちょっと理解できて、私がどんな人の為に悲しんでるか、とか、私以外の誰かが悲しんでる姿とか私よりも不器用な泣き方をしてる人とかを見て分かっちゃったから。最後のは、ちょっと優越感気取りでいやらしいよね。ごめん。
 ……ルッカは盲目的に、ロボは従順に。カエルは胸に押し殺して、私は単純に悲しかったし、寂しかった。ダルトンは誰にも分からないような傷を奥底に刻んで……
 まあ……言葉にしたって、結局私はまだクロノの影を追うと思う。だから、今この時分かっちゃってもすぐに見失うんだ。大切な事程忘れても気付かないものだから。大切なものは、無くなったらすぐに分かるのにね?
 ……でも、今だけは大丈夫。ダルトンも同じものを背負ってた。私たちが彼に負けたのは、覚悟の差。彼はこうなることを望んでた、明確な目的を持ってたんだ。例えそれが消極的な、つまらない答えだとしても。
 それに比べて私たちのなんて投げ遣り。考えなしにラヴォスに挑んで散る……か。そんなの、なんとなく死んでみようと考えるのと全く同じ。そこに至る過程迄他人によるもので、自殺にもならない。
 でも、ここからは違うよ。私は諦めない。やっぱりそうだよ、私が諦めるなんて信じられない。傲慢とか強欲とか言われても、私はマール。いつだって大事なものは諦めなかったから。現代でクロノが捕まっても、私は王女の地位よりクロノを取った。これは献身的とかそんな素晴らしいものじゃなくて、唯単にそんなつまらないお飾りの位より一人の友達の方が大切だったっていう即物的な考えに因るもの。何があっても私は『大切』を捨てない。
 そうだよ、私たちは人と違う時を越える手段がある。魔法もある。頼りになる仲間も……今座席で一人蹲ってるけど、普段は頼りになる。きっと。
 ダルトンは……よく言えば不器用ながらに男らしくて、悪く言えば自棄になっている。もう戻らないと彼は言ったんだ、終わらせて欲しいと言ったんだ。それはつまり……もうサラさんを助ける事は出来ないと言外に告げている。もう私と彼は同じ者同士ですら無い。私はとうにその場を遠のいた。
 ……何かあるはずなんだ。未来は無限なんだから、いくつも道筋は分かれてて、戻れなくてもその先が何処にあるかなんて誰にも分からない。そう、それこそ……


「運命だって、捻じ曲げてやれるんだから」


 事ここに至ったら、もう諦めた人になんて負けないよ。前回の時の私と一緒に思わないでね、ダルトン。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/03/15 02:07
 ここには、朝は来ない。そもそも時が停滞して動く事を止めているこの場所でそういった流れを感じさせるものを期待するだけ無駄だと、私はとうの昔に分かっていたはずなのだが。それでも今、この時においてはその時の流れを渇望したいと願っている。
 おかしな話だ、常に時を監視して……いや眺めているだけの私が何かの為に何かを為したいなどと考えるとは、ここ数年……数十? はたまた数百かも知れぬ、その中で決して思わなんだことであるのに。
 ──時の最果て。私の今いる場所にて唯一の居場所。永遠にここを出ること無く、それは私自身の想いが原因となっている。最早……何もする気が無い私だからこその結論。
 それでも私は、彼らの為に何か出来ないか、思考の波に溺れてみる。でなければ、長年生きてきた私でも、少々気が重い。この状況は。


「だから……うるさいんですよ貴方は! クロノクロノって……もういないんですよ、いつまでも延々同じ言葉を聞かされて、思い返される身になってくれませんか!?」


 ああ、またか。帽子をかぶった娘に機械の子供が怒鳴り散らしている。同じ単語を並べているはずの無い者に語り続ける娘に嫌気が差したのだろう。胸倉を掴み鉄製の拳を幾度もぶつけて……彼は気付いたように顔を強張らせるのだ。自分の腕が血に塗れ、それ以上に赤く染まる娘の顔を見て震え始める。
 ……同じ流れだ。彼は今にもこう言うのだ。「クロノさんごめんなさい、クロノさんごめんなさい」と。慌てて娘に治療の光を翳して、胸が潰れそうなか細い声で娘を心配しながら、最後に「これで、約束は破ってませんよクロノさん、僕、良い子ですから」と誰かに許しを請う。ここまでが何度も行われた一定の行事。
 彼はまた部屋の隅に座り、黙り込む。いつかまた亡きクロノさんを想い偶像へ話しかける娘さんに爆発するのだろう。そしてまた彼も謝るのだろう。その手を仲間の血で濡らして、治療して。この繰り返しは絶えることは無い。クロノさんが許してあげるまで。彼が「よくやった、ロボ」と笑いかけるまで。
 私は、懐より小さな卵を取り出した。言うべきだろうか? ……いや、それは私の役目ではない。それではあまりに分を超えすぎている。私はあくまで傍観者、役者と戯れ、運命を変えるなどしてはならないのだ。彼らが答えに辿りつくまで……背中を押すその時まで。
 もしも、その時になるなら。その時に流れを変える人間がいるとしたら……それはきっと彼らではない。機械の子供はまだ若い。消えた誰かを嘆くことしか出来ないだろう。英明であるのは疑わないが、そこまでの強さを彼は秘めていない。
 ではそこで独り言で会話をする娘さんか? それはもっと無い。彼女は今も過去を彷徨っている。戻ってくる時は明確な希望が見えてからだろう。それだけに彼女はクロノさんを愛していた。それが恋愛的なそれかどうかはともかくとしても。
 人外に身を窶された娘さんはどうだろうか? ……彼女はもっと危ない。私の持つ方法を知った時、彼女がどういった行動を起こすか自ずと私は見えてくる。希望があるとすれば……


「……マールディア王女。お前さんしかおらぬじゃろう」


 苦境を超えて、悲しみを経て前を向けるのは……きっとあの娘さんのみ。前を照らすのはその気概と勇気が無ければならない。
 悲しみを知り尚も前を見る気概と、それらを振り払おうとする勇気。並大抵の事では得られぬ、また持つ事すら許されぬ過酷な力。彼女がそれを持つならば。その資格があるならば。
 私は卵をまた懐に戻した。その時が来るまで、卵はただ眠るのみ。これは、そういうものなのだから。












 次第に速度は落ちていく。彼なりの配慮なのかもしれない。流石に山々を瞬時に越えていくスピードのまま戦闘というのは無茶だと彼も思ったのだろう。そのように不安定が過ぎる勝負は彼も望まなかったか。それでも十二分に怖すぎる舞台なのだが。
 ただ……単純な戦闘ならば私たちに分がある。基本的に私は場所を動かず、エイラの援護をしていればそれで済む話なのだ。一対一でエイラと組み合うことが出来るダルトンの膂力と体術には恐れ入ったが、シルバードの上でも恐れなく駆け回るエイラと、そこまでのバランス感覚を持てない彼とではエイラの有利どころではない。自由に動き回れる彼女と違いダルトンは動けずただ立ったままに攻撃を食らうだけだった。
 その上、魔法という魔法は私のアイスで邪魔をされて発動すら許さない……こう言っては何だが、ここで戦うのは余りに彼に対して不義理ではないかとすら感じてきた。元々ここで戦おうと言ってきたのは彼のほうだが、これは戦いではない、むしろ虐めとすら言えるものだった。
 ……けれど、彼は止めない。エイラの拳がめりめりと顔に突き刺さり歯が何本と取れても、私のアイスで右足が凍りつき僅かな回避すら出来ずとも、彼は自分の存在を知らしめる様に吼えて両腕を振り回した。その覚悟が、構えが、私たちに攻撃を止めさせない。
 止められる訳ないじゃない。いないよ、こんな人。圧倒的劣勢で、魔法は放てず自分の攻撃が当たらなくても弱音を吐かず数の不利を口にしないでかかって来いと言わんばかりに笑う人なんて、私は見たこと無い。
 何度も倒れそうになって、痛みで顔を歪ませて、笑う声も明らかに強がりで。それは心無い人から見れば格好悪いとか思うかもしれないね。諦めが悪い馬鹿だと笑うかもね。
 ……言ってろ。私たちは知ってる。彼がどれだけ自分を無様だと思っているか。どれだけ両手をついて彼女に謝りたいと願っているか、分かるもん。
 彼とサラさんがどんな関係か、私は知らない。でも知らない仲じゃないんだろう。自分で自分が八つ当たりだと理解していても衝動を抑えきれないくらいには。
 辛いと思う。泣きたいんだと思う。そうすれば楽なのに、聞こえない彼女へ許しを願う言葉を吐けば、誰に届かぬとも彼が『謝った』という事実が残るのに、彼はそれをしなかった。闘う事を選んだんだ。
 それはそう難しい話じゃない。ただ単に、彼は同じ意味が無いことでも座して嘆くより誰かと闘う事を選んだというだけ。私の考える方向性とは違うけど、みっともないかもしれないけど、諦めるという道を遠ざけただけ。至る結末は違っても、彼は嘆くだけという最低の方法は取らなかった。


「なら……私は手加減なんてしないよ」


 それが貴方の望みなんでしょう? ダルトン。


「……くっ、御主人様! シスターズを呼んでください! そうすれば……」


「黙れマスターゴーレム。俺は今……楽しい、貴様を呼んだが、戦わせずに正解だ。これだ、これが俺の欲しかったものだ!」


 怒号と共にエイラへ渾身の力で拳を投げかける。当然に、力任せのパンチなんか彼女に当たるわけが無い。あっさりと避けられてカウンターに顎に一発アッパーを貰っている。脳震盪でも起こしたのか、ゆらゆらと体をふらつかせて、それでも倒れない。舌を噛んだのか、ひどい量の血を吐きながら、彼は仁王立ちを崩さない。


「ぶほっ! ……ハハハハ、これが俺の、結末だ。何も出来ず、何も為せず。ただ駄々を捏ねて癇癪を起こすことが俺の末路よ」


 とんでもない方向に彼は魔力球を放り投げる。遠く彼方に消えていくそれを見送ることもせず私は弓を射って肩に突き刺す。今度は、体を揺らすことも無かった。躊躇無く矢を抜き取り地上に放り捨てて、迫るエイラに中段蹴り。半身を逸らしてあっさりと中に入り込んだエイラの爪を立てた虎爪が顔面に入り、指先が目に入る。半分視界を奪われても、「温いぞ娘ッッ!!」と今度は逆に反撃を加える。といっても、ほとんど力の無い拳がエイラに当たり、微かに呻いただけだったが。
 回復呪文を掛けるまでも無い痛手だったが、私は彼女に近づきケアルを施した。一種の、敬意だった。ボロボロの彼が放った一矢は無駄ではなかったと伝えたかった。


「ハハハハ!! 効いたか俺の一撃は!? まだまだ、追い詰めてくれるわ!!」


 凍って床にへばりついている自分の足を無視して彼は鈍重に距離を詰めてきた。靴やローブが千切れ、皮膚が剥がれても気にする事無く前進する彼は……多分、狂っていた。
 ……それほどまで、貴方は好き……ううん。大切だったんだね、サラさんの事が。
 異性を想う気持ちが全て恋愛とは限らない。だから、私は彼が思慕の念を抱いていたとは断定しない。でも、もしかしたら……


「……それは、私が考えることじゃないんだけどね、きっと」


 迎え撃つ体制を取ったエイラを制止して、私はダルトンの前に立った。


「今度は貴様か。先程の女はもう動けぬようだな、フハ、フハハハハハッッ!!」


 エイラは今さっき確かに敏捷に動き彼と対峙していた。なのに、その言葉が生まれるという事は……
 ……もう、視界が正確には動いていないのか。
 エイラの目潰しによるものか、それとも殴られすぎて脳がいかれ始めたのか、私には分からない。分かるのは、彼が限界をとっくに超えているということだけ。常人なら気を失うどころか死んでもおかしくない攻撃を食らっているのだから、当然か。


「何度もごめんね。これが最後だから……教えて欲しいの。ダルトン、貴方は……」


──サラさんが、好きだったの?


 それは、もしかしなくても無粋な好奇心。聞く必要も無ければ、私なんかが聞いて良いことじゃない。それでも口をついたのは、きっと──だから。
 ダルトンは今までの狂気を発露していた笑みを消して、無表情へと形を変えていった。それは、積み上げた積み木をバラバラと崩していくようにあっさりとしていた。


「……俺は、馬鹿な女は、嫌いだ」


「じゃあ、当たりだね」


「……喰えん女だ。勝手に決めるな、馬鹿め」


 それで終わり。これからは会話は要らない。
 私は弓を仕舞って、腰を落として開いた右手を前に出す。足を肩幅よりも少し離して右足の爪先を相手に、左足は横を向くように。膝は足首よりも出ないよう心掛けて、目線は相手の臍より尚低く。
 ガルディア王家に伝わるたった一つにして究極の武技、縦拳。私はまだ極めたつもりは無いけど、ご先祖様に対抗して負けじと延々に鍛錬を行った力。彼は今のように強くなるまで、きっと相当の修練を積んできたのだろう。なら私も、年数が足りずとも磨き上げてきた技で締めるのが礼儀だ。
 ……ダルトンには、迎撃の態勢を取った私に馬鹿正直に突っ込んでくる義理は無い。ただ少し離れた位置から魔力球を飛ばせばいいのだ。だけど……彼はそれをしない。もし私の挑戦を避けるのなら、さっさと使い魔を召喚しているはずだから。彼もまた今までに積んできた己の武技を見せるため拳法の構えを取った。
 右拳を左手で包み、左膝を前に出してその長身を私と変わらぬ程に落とす。その姿はまるで大砲。あらゆる壁と困難を突き破るべく見せた、必中の砲撃体勢。散拳? いや、それでは拳を包む意味が無い。昔父上に見せてもらった東乱陣という構えに良く似ているが……彼がそこからどのような変化で私と戦うのか予想は出来なかった。
 ……怯えるな、マールディア。思い出せ、私の持つ縦拳はどのような技だったか。
 愚直で単純拳法の基礎も基礎。習いかじっただけの輩でも扱える事は容易い凡庸な技でありながら、極めた者ならばあらゆる武芸を打ち崩す究極の技だと私は教えられた。過去、この縦拳を扱ったガルディア王家の人間がこの技を破られた事は生涯にて一度きりだったという。
 ……確か、ガルディア拳法に縦拳が加えられたのは私の時代より四百年以上も昔。ジール王国の歴史がどれほどかは知らない。でも私は私の国の四百年分の歴史を背負ってる。何万の人間が研鑽を重ね進化したそれを破られるわけが無い!
 ……風が、止んだ。私とダルトンは合図も無く、互いに飛び込んだ。


「ゼアアアッッ!!!」


 ダルトンは包まれた右手を解放し、体を捻って豪腕を伸ばし私へと肉迫させた。確かに早い……早いけど、これなら拳で撃ち落すまでも無い!
 半歩分体を横に動かし、無防備なダルトンへと拳を放つべく力を込めたが……その前にダルトンのしてやったり、と笑う顔が不吉で秒に満たない時間、私は硬直してしまった。


「ウォアアアア!!!」


 さっきまで右手を隠していた左手が突きの反動そのままに体を回転させて私に肉迫している。巨大なハンマーのような圧迫感。振り回すだけのそれが先程の右拳と合わせて避けがたい拳に変化している。
 あの裂帛の気合で放った初撃がフェイント!? ……いや、確かに決め手であろう二撃目は初手の数倍の力を秘めている。避ける術の無い私は、そのままダルトンの拳に頭を直撃させた。


「ぎっ!! ……ま、まぎゃ……終わらないよっ!!」


 効いた。確かにこれ以上無いくらいジャストミートした。。耳から脳みそが飛び出るんじゃないかと思う位の衝撃。むしろ頭ごと飛んで行く幻覚すら見えたくらいだ。現に視界はぐらぐら、考える事すらおぼつかない。舌は廻りづらいし、吐き気も溢れる。耳は高鳴るし、場所が頭だけに心臓の鼓動も激しくなる。
 ……でも、構えは解かない。例え拳に刺されても、火に煽られても矢が体中に突き刺さろうとも崩れない構え、それが私の縦拳だから。


「あ、あ、あ、アアアアアッッ!!!」


 全ての力、全ての想い。込められるもの全てを込めた私の拳が、ダルトンの鳩尾に突き刺さり……私はその場に倒れた。あれ……? 回復呪文……唱えないと……駄目……な、の……に。











 星は夢を見る必要は無い
 第三十三話 クロノ・リメンバー












 高く、今にも割れそうな声が頭の中で木霊する。徐々にその声は、私にとって耳障りの良いそれに変わっていき、私は妄想の中の私が何を聞いているのか悟った。ああ、ここは確か……


『待ってよクロノ! 私、こういう所あんまり好きじゃないの!』


『何だよマール、怖気づいたのか? こういうのは一回やってみれば楽しいもんだって!』


『もう……次は私の行きたい所に行くからね!』


『分かったから、ほら行こうぜ!!』


 そうか。お祭りだ。私とクロノが出会った所で、私たちの旅が始まった、色んな意味で、始まりの場所。
 これは……お化け屋敷みたいな暗いサーカステントに入る時の事だ。もう、あそこは本当に怖かった。いきなり大きな音が響いたり、背筋が凍るような音楽が流れ始めたり、私は最初から最後までクロノにへばりついていたような気がする。鼻の下を伸ばしてたから、テントを出た後クロノの背中をおもいっきり叩いてやったけど。
 それからも、クロノと色々と見て回った。あまりに大き過ぎる、盛大なお祭り会場は短い時間で回りきれるものではなくて、次々に屋台を巡っても私たちは飽きる事なんて無かった。射的屋では飛び道具の得意な私が勝ってクロノに得意気な顔を見せていると、輪投げで呆気なく勝者は逆転してクロノに鼻で笑われた。金魚すくいも、レース予想も鐘の鳴らし合いや飲み比べまで。最後にやった型抜きではお互いに不器用だったから、二人して顔を見合わせて笑ったっけ。
 ……楽しかった。それ以上に私は感動していた。大袈裟でなく、私は生きるってこんなに楽しいのかと驚いていた。普通の女の子って、こんなに楽しい毎日を送っているのかと嫉妬さえしていた。
 違うよ、それは違うの。お祭りにいるから楽しいんじゃなくて、誰かと一緒だから楽しいんでもなくて、クロノと一緒だから楽しかったんだよ。クロノが横で私を見ていたから楽しかったの。
 お城の中では、クロノみたいな人はいなかった。最初は城下にはこういう人ばっかりなんだと思ってたけど、そんな訳ないよね。彼みたいな滅茶苦茶な人が早々いるわけない。今まで旅してきても彼みたいに馬鹿で、明け透けで、エッチで、その割りにヘタレで……臆病で。でも本当は強くて……いや、弱いけど前に立って、誰かの為に泣けて笑えて。自分より大切な人が何人もいて……いる訳、無いのにね。そんな男の子。
 ……会いたいよ。やっと分かったのに、胸を張って伝えたいのに。貴方は私の…………って。
 少しづつ見ている世界が色を消して、黒一色に染まる。ドロドロの液体が皆消していく。中世で私が消えた時に凄く似てた。それはとても怖いもので、悲しくて寂しくて不安になって私の存在が消えていく悲しい結末が身近に感じられて。
 ねえクロノ、貴方は今あそこにいるの?
 彼に耐えられるだろうか、あの何も無い空間で一人でいることに。彼は怖がりなのに、彼は臆病なのに……誰かといるだけで笑顔になれる人なのに。
 私は遠くにいるだろう彼を取り戻すべく、ドロドロの中に手を突っ込んで掻き回した。ここのどこかにいる筈なんだ。助けられる筈なんだ。今も誰かを待ってる筈なんだから。
 ……見つけた。
 私は万感の想いを胸に抱き、掴んだその手を黒い沼から引き摺り上げた……






「……マール?」


「……カエルなの?」


 目を覚ました私は、強く握り締めた手の主の名前を読んだ。彼女は目を白黒させて、私を心配そうに眺めていた。その隣にはせっせとタオルを水に付けて冷やしているエイラの姿。
 辺りを見回せば、黒茶けた布が降りている。中央に柱の立っているその光景は、間違いなくアルゲティの人々が作ったテントだった。そっか、地上に戻ってきたのか。


「あれ、ダルトンは?」


「……消えたよ。何処か、俺たちの知ることの無い場所にな」


 ──それから、私が気絶した後戦いはどうなったのかを彼らの口から聞いた。ダルトンは私の縦拳を食らった後、私に遅れて倒れたそうだ。それでも、意識は残っていたらしい。なんだか、悔しいな。
 ダルトンは自分の負けを宣言して、マスターゴーレムに何かを伝えた後、マスターゴーレムと共に黒い空間へと姿を消した。カエルたちの見間違いでなければ、それは時を越えるゲートに酷似していたそうな。ダルトンが自分の力で開いたのだろうか? ……今一つ信憑性が無いが、そう考えるのが妥当なのかな? 
 もしかしたら、架空空間の使い過ぎで、何かしらゲートの力が暴走して彼らを飲み込んだ……いや、これは考えすぎかな。仮にそうだとしてもそのタイミングはおかしい。ダルトンが自主的にゲートを暴走させて自分を何処か遠い時代に運ばせた、とかならまだしも。今度は穿ちすぎか。
 ともあれ、ダルトンたちは姿を消して、行方不明となった。


「行方不明……か。ねえ、賢者の人たちやサラさん、ジャキ君が行方不明になったのってダルトンと同じ理由なんじゃないかな?」


「ゲートに呑み込まれたということか? 有り得ぬ話ではないだろうが……決め付けるのはまだ早いだろう」


 確かに確証は無いけど、可能性としては充分ありえると思う。まあ、それこそ決め付けるのは早いんだろうけどさ。
 私は体を起こして伸びをした。びきびきと関節が鳴ることから結構な時間私は寝込んでいたらしい。


「もう体は痛まんのか?」心配するカエルの言葉に私は笑顔で返し、「むしろ動かないと調子が悪くなりそう」と残した。一応、まだ腫れの引いていない頭にエイラが渡してくれた冷えタオルを当てて、私はテントの外に出る。
 日はすでに落ち始め、空を赤く染めている。地平線に沈む太陽が名残惜しげに燃えているのだ。直に夜へとなるだろう。空には気の早い一番星が姿を見せていた。
 気分転換に少し歩くと、シルバードの姿が。両翼から伸びる翼が目新しい。そういえば、もう飛べるんだよね、シルバード。


「……ねえ。これも決めつけかもしれないけどさ、ダルトンは、私たちの為にシルバードを改造してくれたんじゃないかな?」


 後ろから追ってくるカエルたちにちょっとした可能性を提示してみた。すげなく斬られるかと思っていたが、想いの外カエルたちは考え込んでいた。
 というのも、それに思い当たる節が幾つかあったらしい。一つは、黒鳥号にいるダルトンの部下たちがシルバードを取り戻しに来ないこと。それどころか、操作の分からず戸惑っていたエイラに操作方法を教えたのも彼らだというのだ。空中に彷徨っていたシルバードに乗り込んできた彼らは己が主が消えたというのに私たちに復讐する事無く無事地上まで連れて行き、そのままアルゲティの住民に謝罪をしたとのこと。
 その際に彼らが口を開いた言葉は「ダルトン様を恨まないで下さい」だった。彼らはきっと、彼らなりにダルトンを慕い敬っていたに違いない。それだけの度量を、彼は持っていた。


「しかし、ダルトンが俺たちの為にシルバードを改造したとして……それは何のためだ? いや、確かに便利ではあるが……」


 ううん、そう言われると答えようが無いが……


「ダルトン、色々知ってた。いつか、必要なる。違うか?」


 エイラの言葉に私たちはまた謎が増えたと頭を抱える。必要になる時……空を飛ばねばならない時が来るというのだろうか? 空……空。駄目だ、思いつかない。ジール大陸はもう落ちてしまったんだし、海底神殿は空ではなく海中にある。もしかしたら、今のシルバードなら海の中にも潜れるかもしれないが……ちょっと想像できないな。


「……うー。分かんないや」


「だろうさ。ともあれ、これからどうする? ……やはり、時の最果てからラヴォスに……」


 カエルの考えに私は首を振って否定する。まだ足りないんだから。上手く言葉には出来ないけど、私たちにはまだやるべき事がある。明瞭に見えてなくても、それを理由に惰性で挑んで良い相手ではないのだから。
 かといって、これから明確な目的があるわけでも無い。あるとすれば、唯一つ。会いたい人物……いや、会わなければならない人がいることだけ。死んだか、ダルトンたちと同じくここではない何処かの時代へと連れて行かれたのなら打つ手は無いが……彼がそこまでのヘマをやらかすとは思えない。彼が何もかもやられっ放しというのは、戦ったことのない私でも想像が付く。最盛期のカエルたちが挑んでなお高かった壁はそう迂闊に消えはしないだろう。
 ならば、どうする? 彼が今私たちに見つけることが出来る場所にいると仮定して、可能性が一番高いのは……もしかしなくても海底神殿だろうか? であれば、無理を押してシルバードで海底神殿に向かうべきかな? ……ああ、だから海水に耐えられるかどうかも分からないのにそんな博打を打ってどうするの私!


「うあー、ちょっと手詰まりかも。だからって、みすみす命を捨てる気は無いよ」


 両手を放り出して、私は地面に体を倒す。空に浮かぶ雲は私の苦悩を知らず青空を漂っている。妙に、苛立たしいものがあった。理不尽だけどね。


「ラヴォス、知る。なら、色んな時代廻る、良くないか?」


「エイラ、色んな時代に行ってもラヴォスの事を知ってる人なんて早々いないよ。ていうか、精々ここの時代の人か、時の……っ!!」


 無意識に体が飛び起きていた。そうだそうだよ、時の最果てのお爺さんならラヴォスの事を知ってるかも知れない! いや、というか知ってた! それが何処まで知っているかは未知数だけど、よく考えないでも彼は謎の多い人物。私たちの知らない何かを知っていてもおかしくはない。それどころか……


「……それは夢見過ぎだよね。でも何もしないよりマシ。行こうよ、時の最果てに!」


 二人は頷き、素早くシルバードへと乗り込んだ。後はタイムテーブルを操作するだけ……
 起動開始、エネルギーは無尽蔵。スイッチを押して時の最果てに飛ぼうとして……


「おーい! あんたら、ちょいと待ったー!!」


「? あれって、村の人だよね?」


 なだらかな丘を越えた先にアルゲティの住民らしい黒茶けた服を纏った男の人が両手を振り、私たちに呼びかけていた。急遽シルバードの起動を止めて、地面に足をつける。息を切らしながら走り寄ってきた男の人は膝に手をつきながらも、途切れた声を出した。


「はあ、はあ……い、今北の岬でさ、あんたらの仲間がいたけど、放っておいていいのかい?」


 わざわざその為だけに走ってきてくれたのか。随分優しい人だなあと感謝しながら……仲間? まさか、ロボとルッカがここに来るわけは無いし、もしそうならカエルとエイラがここにいるのはおかしい話だ。
 私たちが頭を捻っているのを見て、男の人は「何だ、違うのか?」と肩透かしを食らったように落ち込んでいた。まあ、必死で追いとめたのにそれが自分の勘違いだとすれば気も抜けるだろう。


「おかしいなあ、あんな服装の人、他所から来たに違いないんだから、あんたらのお仲間さんだと思ったんだけどなあ」


「服装が違う……? それは、どんな格好だったんだ?」


 カエルが問いかけて、彼は間違いなく重要な言葉をゆっくりと吐いていった。「いやね、黒尽くめの服で、橙の手袋をはめて、髪は青い……」
 ……それだけで、特定できた。アルゲティの住民でも、ジール王国から逃げてきた人でもなく、その他人を寄せ付けないことを表している服装。違えることなく、その人物は……


「あっ、カエル!?」


 私がその人物の名を上げる前に、私より先に悟ったカエルが飛び出した。向かうのは、北の岬。一人で決着をつける気かもしれない。
 駄目……まだ、彼から聞きたいことは山ほどあるのに……!
 遅ればせながら、私たちもカエルの後姿を追って走り出す。それでも、彼の姿は見る間に遠くなり、視認のできないものへと。私はともかく、メンバー随一の身体能力のエイラですら追いつけないなんて……それだけの気合をカエルが持ち合わせているということだろうか?
 私も形振り構わず両手を振り、足を必死に急がせた……






 ……見渡す限りの大海原。ウミネコが空を浮かび魚の浮上を待っている。夕日は姿を消す間際、赤い陽光が彼らの対峙をこれ以上無いくらいに演出している。舞台照明は整い、場の空気は張り詰めた風船よりも尚、尚。ガラスの床に立っているような不安感を見ているだけで知らしめる緊張、カエルは既に剣を抜き、感情の全てを怒りに全変換させている。私とエイラは、彼女に近づくことすら出来なかった。彼女は背中で瞭然に語っている。寄らば、斬ると。
 岬の先端に立ち、マントを潮風にたなびかせていたのは……中世のモンスターを牛耳り、ガルディアを滅亡寸前までに追い込んだ闇の主……魔王その人だった。
 魔王は後ろでカエルがグランドリオンを手に今か今かと斬りかかる瞬間を探しているのに対し、彼は何一つ動きを見せない。逆光に遮られて彼の表情は窺えないが、何処か寂しげな背中に見えた。


「見つけたぞ……魔王!!」


 カエルの呼びかけにより、たった今気付いたという風に彼はゆっくりとこちらを振り向いた。眼に浮かぶ赤い瞳は力を無くし、今にも崖下に身を投げそうな……そんな悲しげな顔だった。


「……見るがいい」


 彼はカエルの敵意に取り合う事無く、遥か先まで連なる水平線に手を伸ばした。戯曲に登場する役者のような、それでいて自然な動作に私たちはどうしても、彼の言葉を止める事は出来なかった。


「夢見る国と謳う、ジール王国。全ては最早海の藻屑と消えた……そして、過去の私も……」


 過去の私……? ……それって、どういう……


「まさか……貴様、あの時のガキか?」


 カエルの確認に魔王は返さず、それが答えとなっていた。
 ……そっか、私は会って無いけど、サラさんの弟……名前はジャキだったかな。魔王は過去に中世に飛ばされて、またこの時代に辿りついたのか……恐らく、そこまでして古代へと戻ってきたのは、偏に……


「ボッシュ……ハッシュ……ガッシュ……サラ……それぞれ何処にいるとも知らぬ時代へと飛ばされ、サラに至っては会うことも叶わぬ……」


「……サラさんを助けたかったのね?」


「……私はラヴォスを倒す、それだけを考えて生きてきた……ラヴォスが作りだすタイムゲートに飲み込まれ中世に落ちて以来……長かった、魔力を鍛え、魔物共を使役し、見返りに膨大な領地をその時代の人間から奪い……それも、魔王城でラヴォスを呼びだす事を貴様らに邪魔されて無駄となったが……」


 自嘲気味に口を歪めて、魔王は力無く腕を下ろした。


「再び次元の渦に飲みこまれ辿りついたのが……またこの時代だ。滑稽だろう? 歴史を知る私は、予言者と名乗り女王に近づきラヴォスとの対決を待った……しかし結果は……何も、出来なかった……!!」


 話す内に感情が爆発したように、彼は勢い良く体を反転させて太陽に向け叫んだ。


「私は……っ! 強いと信じてきた! 魔術を深め研ぎ澄まし体術という体術武術という武術戦闘時においての心理戦多対一一対一の条件下での対応ありとあらゆる戦いを制するという自負さえ持ち合わせていた!! ……だが」一度呼吸を整えて、再度低く項垂れた声を上げる。「ラヴォスの力は強大だ。奴の前では、全ての生物に黒き死の風が吹き荒れて……小手先の知恵も力も役には立たぬ……」


「……言いたいことはそれだけか? 魔王」


 何故伝わらないのか、と言うように魔王はチッ、と舌打ちをして、今も睨み続けるカエルに怨嗟の眼差しを送り返した。


「分からんのか? このままでは貴様らも同じ運命となる……そう、あの赤毛の男、クロノとかいう奴とな!」


「っ! クロ、馬鹿にする、許さない!!」


「どこまでも腐り果てた奴だ……! 今ここで斬り殺してやる!!」


 ……怒りたい。私だって、クロノを貶す発言を撤回させたい。でも、無理だよ。
 だって、その人。泣いてるよ? 眼に涙を溜めて、誰かに助けを求めてる。手を振り回して、世界とか、そんな大きなものに悪態をついて、それでもままならない事に諦めと失望と、理にならない事柄を恨んでる。
 私には、彼が長身の大人の男ではなく、幼いままの子供に見えた。


「奴は弱かった……誰一人助ける事も出来ぬ程にな!! 虫けら……いや、何も為せぬ分、いないものと然して変わらん!!」


「俺の……俺の仲間を……貴様、貴様ァァァァ!!!!」


 喉が潰れるのではないか、と思うほどの大声量で叫び、カエルは大上段に剣を振りかぶって魔王に斬りかかった。魔王は避ける事無く、ただ静かに飛んでくるカエルを見つめて……小さく、ダークボムと唱えた。すぐさま宙を飛ぶカエルは地に伏せて、体を押し潰されていく。エイラが助け起こして横っ飛びしたことで魔力の効力外へと移動され事無きを得たが……
 ……どうしよう。私も、戦わないと。カエルとエイラが剣と拳を向けている。それも圧倒的な力を持つ魔王を相手に。
 そう、見ただけならば彼は圧倒していた。子供の手を捻るようにカエルとエイラを相手取れるのだろう。でも、なんでかな? 私には、カエルとエイラが魔王をよってたかって嬲ってるように見えるの。泣いてるだけの、迷子の幼子を怒鳴りつけて孤独にさせている……そんな図式に見えてしまう。


「私は間違ってない!! もし奴が、貴様らの思うとおりの人物ならば……私の信じた者ならば!!」
『……姉上を、助けて』


 ──ほら、こんなに鮮明に浮かぶ。彼の隣に居る小さな男の子が、両手を握って震えている姿が。その子は徐々に魔王に近づいていって……


「サラを……姉上を守りぬいた筈だ!!」
『姉上ともう一度会わせて……』


 ──ついに、完全に同化した。


「約束を守れないのなら……出来ぬ事を言うくらいなら……最初から、希望など見せなければ良かったのだ!!」


 彼の眼からこぼれる幾筋もの涙。赤い瞳を揺らして、端整な顔立ちを濡らし人目も気にせず鼻水を流してクロノを責める……いや、求める彼とどうして戦えようか? 私には……それこそが悪ではないかと思う。
 ……クロノは、そんなの望まない。彼は子供の泣き声が嫌いだから。だから、ロボが泣いた時、誰よりも早く背中を撫でてあげてたんだから。
 私は猛るエイラとカエルの前に出て、自分の場所が分からず泣いている魔王の背中に腕を回した。彼は驚いてる、離せ、小娘! とわざと強い言葉を吐いて自分を大きく見せようと足掻いてる。
 ……離さないもんね。私は誰でもない、クロノの意思を継ぐ……この言い方は不謹慎かな、私は彼とまだ会えると信じてる。いや、そうなる。だから、その間だけ私は彼のやりたかった事をやろう。彼がいたら行っただろう行為を肩代わりしよう。
 宣言する。私はルッカ程クロノを見てなかったかもしれない。ロボ程彼を慕ってなかったかもしれない。カエル程彼に信頼を置いてなかったかもしれない。エイラ程彼に感謝してなかったかもしれない。魔王ほど彼を万能と思ってなかったかもしれない。
 でも、私は誰よりクロノに影響を受けた。クロノの一挙一動を見て、彼の行動を慕い、彼の信念を信頼して彼の存在に感謝した。彼がいれば皆が万能になると疑わなかった。
 だから私は見捨てない。泣いている人も、悲しんでいる人も、誰も切り捨てない。敵は許さない、でも許せるなら許したい。彼は出来る限りの人が幸せである事を願っていたから。


「……ごめんね。私は何も出来ないかもしれない。でもね、胸を貸すくらいなら出来るんだよ?」


 魔王は口を数回開けて……「……背丈が足らぬではないか」と可愛くないことを言った。いいもん、今に私は背が高くなって貴方やクロノを上から見下ろすくらいに大きくなるもん。
 ……それは、ちょっと嫌かも。


「……あっ」


 ゆっくりと、私の肩に手が落とされた。震える両手は、怖がるように私に触れて、私が背中に回す腕の力を強めれば、彼も応えてくれた。途端強くなる私を抱きしめる両腕は、助けを求める力の分だけ。息が苦しいけど、わざわざ声に出す気は無い。そんなことをしたら、怯える彼がまた離れてしまう。


「……辛かったんだね」


「……知ったような事を口にするな、小娘……っ」


 ごめんね、とだけ呟いて、後は静かな時間が流れた。カエルには悪い事をしたと思う。折角の決着をうやむやにしてしまったんだから。
 こう言ってはなんだけど、私は復讐を非難する気は無いよ。彼は正当な動機があるし、その為に費やしてきた年月の重さも馬鹿にはならない。
 でも、今はフェアじゃない。今彼と戦って勝っても、貴方の得たいものは多分手に入らないよ、それこそ、一生涯に。
 ……空は黒ずみ、星々が輝き出した。夜空に浮かぶ半月が雲から抜けて姿を見せる頃まで、魔王は私を離すことがなかった。










「私も行ってやる」


 魔王が涙してからの第一声がそれだった。当然カエルは怒ったし、エイラはついていけず眼を白黒させていた。
 私は……正直、どうしていいか分からない。彼と旅をするのが嫌だという訳でもない。もしそうなら最初から彼を慰めたりしていない。ただ……彼の望みはなんだろう。私たちとラヴォスに挑む為だろうか? 今の彼はまだ不安定の極致だと思う。もし戦って散るのが目的なら私は賛成できない。私は死ぬ気は無いし、彼にも死んで欲しくない。ただラヴォスと対面する為の手段として共に行くというだけなら、お断りだ。
 私の考えが透けて見えたか、魔王は「死ぬ気は無い」と断じて、誰もが望んでいた事を教えてくれた。


「クロノを生き返らせる手段が、無いわけではない」


 ……短くても、それは意味のありすぎる言葉。私たちが祈って、無理だと分かっていても縋りついていたそれを魔王は容易く口に出してくれた。やっぱりカエルは「そんなことが信じられると思ってるのか!!」と噛み付いているが、とにかくエイラに黙らせた。本当にごめんカエル、でも彼の言葉を信じるしか方法は無いでしょ?
 彼の言うには、時の賢者ハッシュならば失った時を取り戻せるかもしれないと言う。失った時……ぼやかした言葉だが、確かに受け取りようによってはクロノの生きていた時間を取り戻せるとも読み取れる。でも、時の賢者ハッシュって……


「……最果ての老人、知ってる、かも」


 暴れるカエルの両腕を掴みながら、エイラが思いつきと言った顔で話す。
 確かに、時の最果てなんて所にいるくらいだ。ハッシュさんの所在を知っているかも……いや、それどころか彼が……


「行こう。なんにせよ動かないと、クロノは戻ってこないよ。私たちが進まないと何も変わらない」


 世の中とはそういうものだと、私は父上に教わった。行動で、クロノにも教わったのだから。
 それから、紆余曲折の言い合いが始まり、治まるのにかなりの時間を要した。当然、その内容はカエルの魔王に対する対応への不満。甘言に惑わされること無く今すぐ斬って捨てるべきと、声高に主張した。
 こればかりは難しい。彼の言い分に私情があることは明白だが、それを指摘するのは酷と言える。私たちで例えるなら、ジール女王が仲間になるという事を許容するようなものだろう。彼は最愛の人物(友情愛情を度外視しても)を殺されているのだから。
 ただ、彼を説得した言葉は一つに尽きる。「クロノに繋がる唯一の手がかりを持っている」それだけだ。結局は、魔王も直接の手段を持っている訳では無いが、それを抜きにしても奇跡的手段を知っているだけで私たちとは違う。他にも、ラヴォスについて詳しいのは彼を置いて他ならないだろう。いずれは戦う敵の情報を蓄えている彼と、少なくとも今敵対するのは芳しいものではない。
 あくまでも、「貴様の言う手段が本当か否か分かるまで、ただそれだけの間だ!!」という事で話はついた。カエルが折れてくれたのだ。
 ……と言うよりは、先延ばしにしてくれたというのが正しいか。カエルは、思っているのだろう。そのような方法があるわけが無い、と。つまりは、魔王と切り結ぶ時はそう遠いものではない、そう確信しているに過ぎない。冷酷と謳うことはできない。彼の考えは極々当然のものだろうから。でも……私はその当然を壊して、運命を変えてみたいと願っているのだ。
 ……なんとなくカエルと私の間に距離が生まれた気がした……、
 エイラを先に時の最果てに送り、私たちはそれに遅れてシルバードでエイラの後を追う形を取ることにする。操縦席には私が乗り込み、助手席にカエル。後部座席には魔王という配置。カエルは前を見ることはせず剣に手を掛けて常に抜き払える構えを取っていた。魔王はカエルの殺気を気にする事無く、ただ両手を交差して座っているだけ。鷹揚とも取れるそれに舌打ちを一つ。
 カエルの苛立ちや不満は分からないではないが、まだ彼女の言う『その時』では無いのだから、今は落ち着いて……無理な話だよね。
 機内の殺伐とした空間に私はため息をつくと共に、頭を抑えた。操縦法がまるで分からない。今まではハンドルといった操縦管など飾りというように触れる必要も無かったのだが、改造に伴い幾つか変更点が生まれている。元々はタイムテーブルを使って時を指定、後はボタンを押すだけでその時代に行けたのだが、どうも動かない。故障では無い……と信じたいが、まず電源の付け方すら分からない私はどうしたものかとカエルを見るが……彼女は今後ろの人間に夢中である。これでは語弊があるが、大本は同じだ。
 唯一、私たちが全員入った時に閉まったカバーが最後にシルバードは動きを止めている。自動で閉まるなら、自動で起動してくれてもいいのに……


「魔王、ちょっとこれ操縦の仕方分からない?」


「ふむ……所詮人間の小娘か。見せてみろ」貴方だって人間じゃないか、と言い返したいが、それで機嫌を損ねてじゃあ勝手に頑張っていろと言われるのも堪らない。仕方なく私は口を噤み体を退かして彼に見やすいよう操縦席を見せた。
 魔王は体を前に倒し操縦席の様子を見て「ふむ、ふむ……」と何度か頷き、赤い瞳を私に向け口を開いた。曰く、「分かるわけが無いだろう、馬鹿め」だった。カエル、腕の一本くらいなら斬っていいよ。


「大体、私は幼少より中世にいたのだ。機械操作など出来るはずが無いだろう」


「でもこれってジール王国の技術で作られたんでしょ? 貴方なら小さい時に似たような機械を見てたんじゃないの? 何より、貴方最近までジールにいたじゃない!」


「小さい時と言うが、いつの話だと思っている。最近でも確かに私は海底神殿といった最新文明に触れてはいたが、それは貴様らとて同じだろう。そもそも、見て触れるだけでその時代の機械操作が理解できると本心から思っているのか? 哀れな小娘だ」


 もういい。彼と話していても埒が明かない。ちょっとは親しくなれたかと思ってたけど、それは遠い幻想だったのだ。ていうか凄いむかつくこの人!! なまじ頭が良さそうだから、大概皮肉を挟んでくる。人の神経を逆撫でするのがそんなに楽しいかな!?
 魔王の体を押して後部座席に戻し、私はまた思考を巡らせる。「俺を頼るなよマール」という声は無視した。貴方に戦闘以外で頼ることは無いよ……マトモに戦ってるのジールでしか見たこと無いからそれもあやふやだけど!
 色々とフラストレーションが溜まり始めて、私は乱暴に見えるボタンを押し始めた。妙な機会音がピコピコ鳴るけど、そんなことはどうでも良い、動けばそれで問題無いんだから。
 カエルや、魔王ですら私の行動に驚いていたが、無視だ。どうせ何も出来ないなら私の数打てば動く作戦に口出しさせないよ。
 様々なボタンを手当たり次第に押していると、シルバードの下方部から内腹部を揺らすような重い音が響いてきた。打ち付けるようなそれは徐々に感覚が短くなり、機体が揺れ出す。まさかだよね、これまさかだよね?


「自爆装置か……小娘、やってはならぬことを……」


「嘘おぉぉぉ!!!!?」


 取り乱しながら私はとにかく必死でカバーを外そうと尽力した。カエルも逆方向のカバーを下から持ち上げて開こうと顔を真っ赤にしている。人の手で開けるようなやわい造りでは無いのだろう、私たちの手ではビクともしなかった。
 そうしている内に、振動は激しくなり、もう終わったか……と半ば諦めた時、シルバードはその体を浮かして飛び立ったのだ。


「え? これって、正常に運転してるんじゃないの?」


 私の誰に向けたわけでもない問いかけを引き継いでくれたのは、心なしか愉快そうに口端を歪めた魔王。


「そうだろうな。慌てふためいて、貴様らは平常心を知らんのか? ……脆弱な凡愚め」


 もう私は隣のカエルが「おのれええぇぇ!!!」と叫び掴みかかるのを止めはしない。なんなら、その剣でぐっさり刺しちゃってもいいよ。
 カバーに映る自分の顔を見ると、激しく遺憾だが、ちょっぴり泣いている自分が居た。泣くでしょそりゃ、ここまできてシルバードの自爆に巻き込まれて死ぬなんて、心残りなんてものではすまないよ!
 一度認識すると、安堵感から私は鼻を鳴らして泣き始めてしまった、情けない……さっきまで慰める立場にあった私がしんしんと泣いているのは自分の立場から見ても恥ずかしいものだった。
 操縦席では泣いてる女、後部座席ではいんぐりもんぐり揉み合っている男女……言い方が悪いけど、大本は間違ってないから良いよ、もう。女側は蛙の体だけどね。傍目には喜劇以外の何に映るというのか。


「ぐすっ……?」


 ふと、タイムテーブル操作盤が妙な動きを示し、私は目を凝らしてみる。私は操作していないのに、時計針が微細に振動していた。これは、時代の移動を感知するものだ、とルッカから聞いた。でも私はまだシルバードで時の最果てに移動する操作をしていない。それはつまり、私たち以外の何かが時空を移動しているということ。それも、この近辺で。
 嫌な予感が浮かぶ。私たち以外で時空を操れる存在なんてそういない。知る限りでは、まずダルトン。彼もまた時空とは違うかもしれないけれど、ゴーレムを他の空間から呼び出していた。時空を操るに近いことは出来るだろう。しかし、彼はついさっき何処か遠い場所に転送されたはず……なら、残るのは。


「ラヴォス……?」


 背中から登る悪寒に襲われて、私は滲む視界を擦って磨き、尚も騒がしい二人(特にカエル)に何かが起きている、と声を出す。
 ……直前、私は多分、声を何処かに落としてしまったんだと思う。


「…………あ、れ」


 ようやく搾り出した言葉が、たったそれだけ。首元に力を入れて、腹を締めて、上擦りながら放たれる声は酷く頼りない、慎ましいものだった。
 後部座席の二人も、ようやく動きを止める。私と同じ視界を共有したのだろう、私たちの眼前は、ただただ黒かった。闇でもなく、無でもなく、黒。
 ぎらぎらと、水を滴らせながら浮かび上がる、黒一色の巨大すぎる浮遊体。落ちる水が、何処かにある顎から落ちる涎のようで、私たちを喰うその瞬間を待っているよう。尖端に光る節々が太陽の光を吸い込み反射でなく黒へと呑み込んでしまう。全長は……分からない。数キロなのか、数十キロなのか、目測も出来ない大き過ぎるそれ。
 その大きさに、私は夢を見ているのではないか、と思ってしまう。不吉な黒い夢が具現化した存在なんじゃないかと。これだけ近いのに、機動音をさせないのが何よりの証拠なんじゃないか? なんのエネルギーもなく飛ぶ物体なんてありえないんだから。
 縦長に伸びる浮遊体は移動もせず、その場に在るだけで、見る者に威圧感を与えていた。


「……海底神殿」


「まさか! あれって海底にあったんじゃ!?」


 魔王の端的な言葉に私は驚いてしまう。「はは……死神の船だと言われた方が、納得できるがな……」とカエルの嘆くような声。魔王も、冷静さを保っているように見えて、その手は震えていた。それが、恐怖なのか、それとも憎い相手の居る場所として怒りを覚えているのか。
 まるで、世界の終わりを象徴するような海底神殿の浮上。間違いなく、私たちの旅の最後の敵がいるであろう、戦いの場。


「……もしかして、シルバードが飛べるようになったのは……ダルトンがそうさせてくれたのは……」


 これと戦えと、そういう意味だったのかな? 確かに、あそこに行くには空を飛べないとお話にならない。その為の、シルバードの改造……?
 もし私たちが彼に負ければ、ダルトンは一人で乗り込むつもりだったのか。それとも、考えなしに改造してくれたのか。分からない、分からないけど……


「あれに……勝てるの? 私たち」


 託してくれたのだとすれば、私たちは是が非でも叶えなければならないと思う。でも……まるで空が落ちてくるような圧迫感を放つ海底神殿に、私たちは挑めるだろうか? こうして眺めているだけで心がどうしようもなく砕けていくのに。
 私の勝てるの? という声に、二人は答えない。私たちは、逃げるように……いや正しく目の前の現実的でない現実から逃げて、時の最果てに向かった……












 シルバードは時の最果ての端、壁の無い通路の先にとめておいた。最初見つけた時はなんて危なっかしい場所なのだと近づくことすら無かったが(壁の先は無の空間が広がり、床の無いそこに落ちると何処に行くか分からないと言われたので)、望外に使い道ってあるものなんだね。
 口を開かず座り込むルッカとロボの二人をエイラがおどおどしながら見比べて、現れた私たちを嬉しそうに出迎えた。なるほど、話し好きでもないエイラでも、黙々とし過ぎるこの空間に居るのは例え僅かでも耐えがたかったのかな。
 ……分かってたけど、彼らはまだ立ち直らない。いつまでもいじいじとしたその姿にまた私は頭に血が上りそうになるが、理性で抑える。何より、こういう言い方は良くないけど、今は彼女らに構っている暇は無い。私が話を聞くべきは……


「お爺さん、聞きたいことがあるんだけど……」


 私の声にお爺さんは僅かに帽子を目深に下げて、髭を撫でながら「……なんじゃね?」と問い返してきた。まるで、私が何を求めているのか分かっているような雰囲気に一瞬呑まれそうになる。よくよく思い出せば、私は……というよりも私たちはまともに彼と会話をしたことが無かったように思える。目的が山積みだった私たちは気にしていなかったが……もっと早くに彼と会話を試みるべきだったんじゃないか? 今更だけど。
 私は、口にするだけでも奇跡に近い希望を確認するため、深呼吸を一つ、口を開いた。


「時の賢者を……探してるの。その人の事知らない?」


 お爺さんは見た目には何の変化も見せず、飄々とした声で「時の賢者か。聞いた事はあるが、彼にあってどうするね?」と返す。


「クロノを生き返らせることが出来るらしいの。ねえ、もし知ってるなら教えて!」


 私の言葉に反応したのは、彼よりもむしろ他。ルッカは夢遊病のような顔から一転して顔を起こし、私を見た。それはロボも同じ事。誰とも関わろうとしないといった背中を反転させて、よつんばいに私たちに近づく。「クロノさんが……?」と問うロボには悪いと思う。でも……今は気にしてられない。大事なのは、そこじゃない。


「死んだものを生き返らせる……それは誰しもが願い、誰しもが叶わず嘆いてきた過酷な真実。お前さんに、それを捻じ曲げる勇気はありますかな?」


「勇気はいらないよ。我侭であろうと、私は私の信じる道を進むだけ。クロノにもう会えないなんて、私は認めないもん」


 帽子の下から見える眼光が鋭く尖り……彼は片手に持つ杖を頭上に上げた。特に意味は無いのだろう、彼はすぐに杖を下げて、顔を綻ばせながら髭を揺らした。


「幸せですな、クロノさんは。なんせ……こんなにも想ってくれる人がいる」


 彼の目線は私に向き、次にカエル、魔王、ロボ、エイラ、ルッカとこの場に居る全ての人間を射した。本当は、こんなものじゃない、もっと沢山の人間がクロノを想ってると伝えたかったけど……それは今関係無いよね。クロノを心から慕うというなら、ここにいる人以上に大切に想う人は多分いないと思うし……ちょっと自惚れかもしれないけど。それだけの旅を私たちはしてきた筈だから。


「……あるわけが無い。そんな手段など。そんな眉唾に構わず、俺たちはラヴォスを討つべきでは無いか?」


カエルの水を指すような、ある意味現実的な言葉にルッカとロボが触れそうな希望を消されたように顔を歪める。と同時に今度は私とお爺さんに視界を移す。
 ……縋るのは良い。私だって内心怯えている。人が生き返るなんて、ある事なのか? と疑問が無いわけでもない。でも私は信じた、そう決めたのだから。なのに……未だに誰かが形にした言葉しか自分を決められないのは、正直不快である。貴方たちは、誰かが決めてくれないと……クロノがいない今でもクロノを頼るのか、と。それでは負担に過ぎるじゃないか。あんまりじゃないか。ロボとルッカの態度には……あまり好感は持てない。


「お前たちもそうだ。気持ちは分かる……親しい仲間がいなくなって何も思わんなど、鬼畜としか言えん。だが、夢物語に気を取られるだけでなく、明瞭とした目的に向かうべきでは……」カエルが言い切る前に、お爺さんが前に出て、カエルの声を終わらせる。訝しげに見るカエルを無視して、お爺さんが小さな、肌色の卵を取り出した。その手つきは慎重で優しくて、とても大切なものを取り扱うように繊細だった。
 注目する私たちを見回して、お爺さんは場を仕切るように咳払いをした後、よく通る低い声を薄暗い部屋の中に響かせた。


「これは、クロノ・トリガー、別名時の卵」


「クロノ……トリガー?」


 何だろう、何処かで聞いたかもしれない、とても不思議な響き。彼の名前が先に付いているからだろうか? それとも……何か、別の……


「これを孵す方法は……あの時の翼を作った男に聞きな」言って、お爺さんはシルバードを指差す、時の翼……なるほど、言い得ている。


「あんたらがこれを上手く使えるかどうか分からない。もしかしたら、何の意味も無いただの卵かもしれない」


「でも、意味が産まれるかもしれないよね?」


 私が胸を張って言うと、お爺さんは分かりづらい程度に破顔した。僅かに、苦笑の色が混じる声で、「かもしれんな」と告げて。


「その通り。結果の為に行動する……そんなことは在りえない。行動の後に結果は付いてくる。そうじゃろう? ……お前さんらがクロノさんを思う気持ち……それがあるなら、あるいは……」


 そんな事はわざわざ聞かれることでもないし、私が口にすることでもない。そういった思いが顔に出ていたかもしれない。だから、お爺さんは「これは野暮だったかな?」と今度こそ私に見えるように笑った。その笑顔は、何でだか、とても若々しく見えて、違いなく余計な事だけど、お爺さんは若い頃はとても精悍な顔だったのではないか、と耽ってしまう。


「……貴方が、時の賢者ハッシュ、なの?」それに対する答えは、「……どうだろうな?」というからかうようなものだった。別にいいけどね、分かってる事を口にするのは野暮だもの。貴方と同じように、さ。


「……本当、なのか? それは」


 カエルがわなわなと震えながら、お爺さんに真偽を問う。それにどう答えればいいのか迷ったお爺さんは、恐らく分かってはいたんだろうけど、「どっちが?」と返す。これは、クロノが生き返るかもしれないという部分と、時の賢者ハッシュなのか、という二つに対してのどっちが? なんだろう。カエルの答えは当然、


「人を生き返らせることが出来る、という部分だ! どうなんだ!?」


「言い切ることは出来んさ。ただ……あんたら次第、というだけだ。答えはあんたらにしか分からんよ」


「同じ……同じことじゃないか!」


 ……何で、カエルは怒ってるんだろう? お爺さん──ハッシュは、私たちに道を教えてくれた。これからどうすればいいのか、何が出来るのか。それに感謝こそすれ、怒鳴る謂れは無いはず。特にカエルはそういった礼儀は大切にする人間のはずなのに……


「落ち着いてよカエル。一体どうしたの?」


 私の声に何故か驚いたカエルは、目を合わす事無く「なんでも……ない」とだけ呟いた。


「とにかく、その卵を俺にわた」
「マールさん、だったかな? あんたに預けるよ。受け取りな」


 ハッシュは手を伸ばすカエルを流して、私に時の卵を手渡した。その動作は、明らかにカエルを無視したもので、なんだか悪意に近いものさえ感じた。怒鳴られて不愉快になったとか? ……まさか、そんな理由で怒るほど彼が老熟してないとは思えないけど……
 私は少し戸惑いながらそれを受け取り、大切に懐に入れた。
 ……その時に、明らかな敵意の視線を感じて私は思わず身構える。刺し殺すようなそれの先を見つけるために首を動かしても……誰もいない。強いて言えば……強いて言えば、私の視線の先に鋭く眼を尖らせたカエルの姿。じっとりと背中から汗が流れ落ちる。その一筋一筋が気をつけろ、と私に警告する。誰に気をつけろって? 私を害そうとする人なんていないよ? 私の事を心底心配して、守ってくれた人しかいない。いないのに……


「か、カエル?」呻くような声にカエルは反応らしい反応を返さず、淡々とシルバードに向かって歩き出す。これからも同行する、ということだろうか? 元から彼女には一緒に来てもらうつもりだったけれど……相談無く彼女が冒険のメンバーに入るのは初めてのことだった。


「わ、私も行くわ! クロノが、も、戻るかもしれないのよね!?」


「僕も、僕も!!」


 まるで授業場にいる生徒のように挙手して、我先にと旅に出ようとするルッカとロボはシルバードの船着場に押しかけていく。その眼は明らかにまともじゃなくて……贔屓目に見ても、彼女らに戦いが出来るとは思えなかった。目の前に喉から手が出るほど欲しいものがあるからといって、みっともなく喚き手を伸ばす姿。私は、今さっきまで周りを漂っていた不安を忘れて二人を追った。


「何マール? 凄いわ! 私がすぐにもクロノを助けてくるから! 貴方はここで待ってて!」


 ……煩いよ。ルッカ、今まで膝を抱えてて、いざ希望が見えたら元気になって、楽だね、そういうの。
 様々に怒りが溢れてきて、私は自分でもよく分からない位に目の前がカッ、と赤くなり……手を振り上げていた。目の前には疑問符を上げた女の子が一人。その事が、私の怒りに拍車を掛ける。もういい、今すぐ殴り倒せと何処かで誰かが騒いでる。こういう奴には殴らなければ分からない事があると騒乱を起こしてる。私はそれに身を任せて、
 ──泣いてる人を、殴れば良いの? ──
 ……自分の頬を打った。甲高く鳴る音が伝わり、鼓膜に振動の為に生まれた金属音に近い音が絶えず響く。うあ、痛いよ……


「な、何してるんですか?」


 私の自分を叩くという行動に奇怪さを読み取ったか、ロボが幾分怯えたように話しかけてくる。私は目一杯の笑顔で……ロボの耳を掴んだ。んふふ、誰かが言ってたけど、笑顔って威嚇行動でもあるんだよね、もしくは「今から攻撃するよー」って合図。一度笑ったことで肩の力が抜けたロボは防御することも出来ず為すがままに私に引っ張り上げられる。


「痛い痛い痛いっ!! た、助けてクロノさん!」


「ロボ、それにルッカも。私が貴方たちに言いたい事は、これ」


 呆然と見るルッカに見えるよう、体を反転させて、指を掌を曲げてロボの口元を覆った。意味することは伝わらず、二人とも硬直したまま何も言わない。だよね、これで分かったらそもそも貴方たちは間違えたりしないよね。


「私も大きなことは言えないの。だって、私もそうだったから。彼がいれば全部が全部上手くいくって、助けてくれるって、何処かで思ってたのかもしれないから」


 でも、今になって分かったから。彼がどういう存在なのか。奇跡的なことをやってのけて、強くも無いのに前に出て皆を守る、御話になんか出てきそうにない情けない英雄のような男の子が何だったか、本当に今更になって分かったから。なんてことは無い、彼は男の子だったの。誰よりも強くて、何処にもいるわけない、でも普通の男の子。民話や神話になんて例えられない、普通の……普通の。


「クロノはね……頑張りやさんなの」


「……何? 何が言いたいの?」


「クロノは頑張りやさんだから、皆の願いを守ろうと頑張るの。助けようと頑張るの……で、頑張るって、何?」


 まるで不思議そうな顔。私はロボの耳を離して、二人をくっつける。同時に二人を見れるように、逃がしたりしないように。両手で肩と肩を掴み押し付ける。ルッカが「痛いわよ、マール……」と苦悶の声を上げるけど、気にしない。多分、それ以上に彼は痛かった。


「頑張るってね、自分を削るの。それが自分の為なら削った分は取り戻せるの。誰かの為でも、時間を置けばまた頑張れるの。でも……削ってる事に変わりないんだよ、もう戻らない部分もあるの!!」


「な……何が言いたいのマール? お、おかしいわよあんた!」


「おかしいのは二人だよ!! ねえ、クロノに頼って、しがみついて、それで良いの? クロノはいつ守られるの? ……そんなんじゃ、クロノだって潰れるよ、帰ってきたってまた潰れるの! 分かる!?」眼と眼を押し付けるくらいの気持ちで私は顔を前に出す。みるみる二人に浮かぶのは、涙。ロボは推測だけど、悔恨。ルッカは……逆上に近いそれが垣間見えた。
 予想通り、彼女は私の手を払い、前に聞いたような台詞を盾に作り出した。


「クロノは頼って良いって言った! でないと、クロノも私を頼れないからって! だからいいでしょ!? マールと私じゃクロノからの気持ちも愛情も全部違うのよ! 何もかも自分の基準で考えないで! 私がクロノを助けるの、だから引っ込んでてよ!!」


 なんて、勝手な言い分。クロノが潰れても、壊れても自分だけは守って欲しいと言う様なものではないか。全部が全部、深く考えてのことではないと思う、思いたい。でないと……私は容易くさっき止めた腕を持ち上げてしまいそうだから。
 呆気に取られた時間が長かったか、それとも自分でも己の発言に悪意を感じ取り誤魔化したかったからか、それは分からない。ルッカは長くは無い沈黙に耐え切れず「何か言いなさいよっ!!」と声を狂わせて手近に置いてあった壺を私に投げつけた。


「つっ!!」


「あ……う……」


 割れた破片が額を切り、多くは無いが少なくは無い、少々盛大な量の血が流れ出し私の顔を赤く染めた。ルッカは……やってしまったという表情で、しかし自分でやったという事実が邪魔してか何も言わず息を吐いている。
 髪の毛についた陶器を払い落とし、口早に治療呪文を唱えて傷を癒す。壺に入っていた水を被ったため服がくっつき気持ち悪いが、別段どうということもない。顔に付いている水滴を指で落として、大きく息を吸った。そして、ルッカを見据える。


「……痛いよね。他人を傷つければ痛いよ、そうでしょルッカ。多分、クロノ自身も気付いてなかったけど、貴方はクロノを傷つけてた、でも痛くなかったでしょ? それは……」


 ここから、強調すべきことだから、一つ間を。覚えていて欲しいことなんだから。


「それは、貴方がクロノを好きだからじゃないよ。ルッカはただ……クロノを自分と同じものだと勘違いしてただけ。それは恋じゃない、ただの……自己愛なんだよ」


 きっとそう。ルッカはクロノに恋してるんだと、愛してるんだと誰もが思ってた。クロノってば、本当に鈍感なんだから、と呆れてすらいた。
 違うよ、クロノは鈍感じゃない。クロノがルッカの恋心に気づかないのは、それが恋心では無かったから。分かるわけがないんだ。
 ルッカもそれに気付いていたのかもしれない。自分が持つクロノへの想いが恋で無い事に。だから、ことすらに彼に向ける感情を愛とか恋とかで上書きしようと努力したんじゃないか。歪だと、自分でも理解していたんじゃないかな? 異性に向ける依存を恋愛ではなくただの自己投影だなんて認めたく無かったんじゃないかな?
 ……それを彼女に責めるのは、酷だろう。私の勝手な想像だけど、それについて悪いのはクロノなんじゃないかと思う。きっと、最初はルッカも何処にでもある誰もが持つ可愛い恋愛感情だったはず。それが……クロノの優しさが、ルッカを守ろうとするもう一つの歪さが、彼女を作り変えていったんじゃないか? 何処に居ても必ず助けてくれる彼を、ルッカはいつしか……他人では覆えなくなったのではないか。
 境界線は必要だ、自分と他人。例え友人でも愛している人でも家族でも、他の人、他人なんだ。そこを履き違えれば……それはもう友情でも愛でも家族愛でも無い。勘違いという悲しいものに早変わりしてしまう。すり替えられてしまう。


「もう一度思い出してルッカ。貴方が最初にクロノに何を思ったか。恋愛? 恩? それとも恨みとか、悲しみ? 同情? ……そのどれでも無いの? ……思い出して」


 でないと貴方は、もうそこから進めない。
 無機質に響く足音を伴い、私は二人の間を通りぬけた。横目に見えたルッカは、憔悴していて、静かに狼狽していて……堪らず声を掛けたくなるけど、優しい言葉を教えてあげたいけど。私が言えるのはもうこれだけ。


「……あの時は、ごめんなさい」


 あの時がどの時なのか。最初は古代でクロノが消えたと知った時へ向けていたけど、今はいつの事なのか、彼女には分からないだろう。私だって分からない。でも……それは今この時のことじゃない。
 悩んでルッカ。酷い言葉だけど、苦しんで。私は必ずクロノを連れてくるから、その時に彼に言う言葉を思いついて。彼は優しいから何でも受け取ってしまう。でも気にしないわけじゃないの。優しい言葉じゃなくていい、貶すような言葉だって構わない。貴方の気持ちを、彼に伝えたいと思う本当の気持ちを……どうか。


「……終わったのか」


 シルバードに乗り込むと、カエルが無感情に言う。私は「私はね」とだけ返した。私に遅れてついてきたのは、エイラかと思っていたけど、魔王だった。予想外だったけど、落ち込みきっているルッカとロボを支える役目は彼女の方が適任かもしれない。彼女自身そう思ったからエイラはシルバードに乗ろうとしなかったのかも。
 ……そう、私は終わった。後は彼女が自分で考えるだけ。ロボは……多分、そう心配はいらない。彼はまだ子供なだけでその実一番賢い子だから。すぐに立ち直るだろう、嘆いているだけでは何も産まれないと気づくのは、そう遠い話じゃないはず。
 操作盤を弄りながら、私は未来に時間軸を合わせる。瞬く間にシルバードは私たちを乗せて時の最果てから移動した。
 ぐにゃぐにゃと揺れる機体で眼を瞑りながら、私はルッカの事とはまた違う考えを巡らせていた。
 それは、カエルが放った言葉。気にせずにいることも可能だろうちょっとした違和感。でもそれは無理をさせた風船みたく膨れ上がる。


『人を生き返らせることが出来る、という部分だ! どうなんだ!?』


 人、と彼女は言った。クロノではなく、それを含む全ての人間として人。
 だからどうしたという訳ではない、言い間違えにもならない喉に小骨が刺さるような些細なモヤモヤ。なのに……なんでこんなに気になるんだろう。
 助手席のカエルは後ろに乗る魔王に敵対心を向けることも無く考え込んでいる。重大な決断を迫られるような顔つきに私はどうしても不安を拭い去ることは出来なかった。
 ……様々な想いを形にして、旅は続く。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:08
 新緑萌えるなだらかな丘の上。多分、まだ俺が『私』だった時の事。履きなれている短いスカートに二の腕の出ているシャツ。子供ながらにお洒落を気取りたかったのか、緑とよく合うと言われて付けていた赤いリボン。思い出せば、それは少々派手に過ぎたのではと思ったが、所詮は子供の頃。どのような服装であっても可愛いと評されたのだろう。自分で言うのは、恥ずかしいものがあるが。
 地面に寝そべり、小さな雑草を毟りとって遊んでいた時に、俺はふと思い立って、一際色を見せている黄色い花々に突っ込んだ。そのまま意味ではない、ただ勢いを表しただけだ。
 まだ蕾のままの花もお構い無しに摘んで、俺は小さな冠を作ってみた。それは、存外に上手く作れたように見えたのだ。今でも手先が器用でない俺の作ったそれは、思い起こせば稚拙でお世辞にも綺麗とは言えないものだったが、彼は笑って受け取ってくれた。「グレンは花冠を作るのが上手いな」と褒めてくれた時は、俺はそれ以上に笑顔になった。
 調子に乗って何個も作ろうとする俺を彼は止めた。これ以上花を摘み取ると、綺麗な花が無くなってしまうだろう? と窘められてしまった。当然の事なのに、俺はすっかりむくれて、見兼ねた彼は「これ一つで俺は充分満足だから、ありがとう」と俺の頭を撫でた。それだけで、どうしようもなく幸せだったのだ、俺は。
 ……それで、終わらせれば良かったのに。それだけならただの楽しい過去で終われたのに。


「王妃様って、何?」


 これは、『私』が俺になった日。彼の家で、肩をいからせたまま言う彼の言葉に俺はふと疑問をぶつけてみた。「俺の守るべき人で、誰よりも守りたい御方だ」と誇らしげに言ったのが、何故か、癪だった。彼が守るのは、自分だったのに。自分の居場所を誰かに横取りされたような気になって、悲しかった。
 それからというもの、彼はいつもに増して訓練を行った。その理由は、いつか王妃様を守れるようになりたいから、というものだった。それが自分の事だったなら、どんなにか。


「なら、私……いや、俺も強くなるよ。強くなる」


 彼に守られるという位置を王妃が奪い取るならば、自分はまた新しい居場所を見つけることにした。彼の隣に立つことだ。彼の隣で彼と共に戦う……なんて名案。王妃はただ彼に守られるだけだが、俺は守られるだけでなく守る事すら可能な位置。一方通行の関係ではない、相互関係。何よりも強い絆ではないか。
 止めようとする彼の言葉を無視して、俺は言葉遣いだけでなく服装も改めた。女らしい服は捨てて、スカートからズボンに。膨らみ出した胸にはサラシを巻いて。長かった髪はばっさりと切り落とした。それでも、男にしては長い量を残していたのは、最後に残った意地なのかもしれない。
 季節は巡り、彼が騎士団に入る時。俺は、彼の誘いを断り騎士団には入らなかった。あくまで、彼のパートナーという特殊な立場。これは、彼がガルディアきっての剣士だったからこそ可能だった事。国の保護は受けられないが、国の命令に従う必要も無い自由な立場。
 当然だ。その時の俺に国への忠誠心など一欠けらもない。あるのはむしろ、王妃に対する憎しみ。大切な者を奪われたような、そんな感情しか持っていなかった。そんな俺が国の所有する騎士団に入るなど絶対に御免だったのだ。
 ……様々な敵と戦った。彼と二人で。時には彼の部下たちなどがついてきたこともあったが、結局俺や彼の二人で戦い抜いてきた。俺たち二人に敵う人間もおらず、俺たち二人が出向くところに彼ら程度の人間が戦える魔物もいなかったのだ。ただの足手纏いに過ぎない。
 俺が魔物の動きをかき回して、彼が両断する。一連の流れは一度たりとも途切れることは無く、無敗だった……あの時までは。


「逃げろ……グレン」


 魔王とビネガーを相手取り……俺は圧倒されて、彼の動きを阻害することしかできなかった。無様なものだ、鼻息を荒くして体を鍛え強くなっていたつもりが、結局俺は何も変わっていない。燃え盛る彼を呆然と見ていることしかできなかったのだから。
 ……そうして、俺は彼を失った。姿がカエルになったことなどどうでも良い。むしろ、丁度良かったくらいだ。あの時に惨めに震えていた自分の姿を見ずに済むなら、気が狂わずにいれる。
 ──誰のせいだ?
 崖の上から落ちた為、体から血を流し、満身創痍の中俺は、そんな事ばかり考えていた。誰のせいだ? 直接的な原因は魔王に違いない。足を引っ張ったという事なら俺にも責任がある。前者は俺程度が足掻いたとて倒せる訳も無く、後者は認めたくない。認めれば今にも舌を噛み切ってしまいそうだったから。


「……そうだ、王妃だ。王妃が悪い」


 良いぞ良いぞ、素晴らしい考えだ。素晴らしい方向の思考じゃないか。そうだそうだ王妃が悪い。あいつがいなければ彼は騎士団になど入らなかった。民衆に持ち上げられて勇者になんてならなかった。魔王と戦い死ぬ事もなかった。全部全部あの女が悪いんだ。あいつが俺から彼を奪ったのだ!
 幸いにも、今の自分は昔のグレンではない。一見モンスターにしか見えないただの蛙。これなら、俺が王妃を──ても彼の名誉に傷は付かない。俺だとバレなければ、俺を連れてきた彼が責められることは無い。そうだ、…してしまおう。コロシテシマオウ。彼が褒めていた王妃の顔をぐちゃぐちゃに、挽肉と見紛うような面に変えてしまおう。乳房を千切り、脳髄を引きずり出し、四肢の骨を剥き出しにして、最後に魔物の餌にしてやろう。それが良い。きっと兵士たちは奴を守るだろう、ならばそいつらもコロシテヤル。そうだ、奴らがもっと強ければ、あいつらだけで魔王と倒せるほどならば彼が死ぬ事は無かった、あいつらが弱いから彼は死んでしまった。王も悪い、あいつが彼に命令しなければ彼は死ななかった。民も悪い、奴らが彼を勇者なんて言い出さなければ彼以外の人間を勇者として崇めれば彼が勇者になることはなかった。皆悪い、皆が悪い。だから……


「私は……悪くない。そうだろう、サイラス……?」


 俺は、下山しながら途中に落ちていた兵士の亡骸から剣を奪い、傷ついた体を無視して城に向かい走り出した……












 星は夢を見る必要は無い
 第三十四話 クロノ・トリガー(前)












 盛況している広場の中を、私たちは好奇の視線を浴びながら半ば顔を隠すようにして突っ切る。予想できたけど、やっぱりカエルと魔王は浮くよね……カエルは勿論、魔王だって現代らしい服装じゃないんだから。後、顔色悪いし。
 店の中から漏れる良い匂いに惑わされながら、私たちは広場の隅にあるテントの前に出た。入り口の両脇に立つ松明の炎が激しいが、テントの中の闇を照らすことは無い。どういう原理なのか分からないけれど、奇術めいた力を感じる。魔力……じゃないよね?


 ──私たちは、今現代にやってきている。最初は未来のシルバードがあった監視者のドームに行ったのだが、そこにいるヌゥの姿をしたガッシュから話を聞いたところ、クロノを生き返らせるには監視者のドームの近くに聳える死の山にて、時の卵を使うらしい。さらには、時の卵を使う……つまり孵すには、生き返らせたい人そっくりの人形が必要なんだそうな。これもまた、どういう原理なのか分からない。文句を言うつもりも筋合いも無いんだから、良いんだけどね。
 むしろ、その話を聞いて私は大いに気力が湧いてきた。だって、本当にクロノを生き返らせる為の道が出来たんだから! 体の底から力が溢れてきた。
 ……人間そっくりの人形。私はそれを聞いて、クロノと回ったお祭りを思い出した。確かそれは、私が行くのを嫌がった暗いサーカスのテントでの話。様々なゲームが展開されるそのテントでは、ゲームに勝った時賞品で参加者の誰かの人形を作ってくれるという。そうだ思い出した! あの時は私たちはゲームに失敗しちゃって負けたけど、確かにあの時気味の悪い顔が出てきてそう言った! 「勝てばドッペル人形を作ってあげるよ!」って!
 私の記憶を頼りに、魔王とカエルを連れて私は現代のリーネ広場に急ぎ……今に至る。結局、掻い摘んで言えばクロノを助ける為にクロノそっくりの人形が必要だから、それを作れる人が現代のリーネ広場にいるのでそこに来た、という話。なんだか面倒だけど、それでクロノが生き返るなら何でもない。


「……それで、そのゲームとは一体何なのだ?」


 しかめ顔のまま魔王が聞いてくる。眉間によった皺が私は不機嫌ですと分かり易く解説していた。人混みが嫌いなんだろうか? 見たまんまだけど……暗いなあ。私はこういう人が沢山居る所って好きだけどな、こっちまで明るくなっちゃうもん。


「確か、自分のソックリさんが出てきて、その人と同じ行動をする、っていうゲームだよ。鏡合わせゲームって知らない?」やった事があるのか、魔王は「ああ」と納得した素振りを見せた。中世にいた時にする訳がないから、サラさんとやったのかな?


「ビネガー共とやった事がある。まだ私が若い時だが」


 ……案外、彼らは子煩悩だったのかもしれない。いや、ビネガーたちが魔王をそういう眼で見てたかどうか確信は無いけど。どうにも苦々しい顔の魔王からして、言い出したのは彼、ということは無いだろう。多分、ビネガーたちが魔王と遊ぼうとして、彼が渋々……という感じかな? ……うわ、なんか想像できる。嫌そうに顔を歪めながらビネガーたちと遊んでる小さな魔王の姿が。


「まあ、それで最後まで相手の真似が出来れば商品として人形が貰えるの」


 もう話す事はない。いざテントの中へ、と歩き出せば、魔王がぽつり、と肝心な事を言い放った。「クロノの人形を作るのに、クロノがいなくて大丈夫なのか?」と。
 ……いやいやだって……いやでも。けどそんな事言ったら……


「……ぐすっ……」


「いや、恐らく写真か何かがあれば良いのではないか? 全体図が写った……最近の写真があれば、な」取り繕うように魔王が微妙に早口で伝える。そうだよね、写真があれば確かに何とかなるかも……


「そっか……ありがとう魔王」気を遣ってくれた彼に感謝を告げた。すると、彼はすぐに顔を逸らして「道中で泣き顔を晒す貴様が見るに耐えんかっただけだ、馬鹿め」と言った。尖った耳の先が赤いよ、と言うか悩んだが、ここは一度流しておくことに。
 そうと決まれば、早速クロノの家に移動しよう。実家なら、彼の写真の一枚くらいは置いてあるだろう。多分ね。
 広場を出るべく私は歩き出したのだが、今まで黙っていたカエルがその場を動かない。何があったのか分からず、私は「どうしたの?」と問いかける事に。


「…………いや。何でもない。少しシルバードに揺られて酔ったようだ」


「そう? 確かにシルバードで高い所を移動したからね、カエルにはちょっと辛いかも」


「ああ。どうせ後でここに戻るんだろう? なら、俺はここで待っている事としよう、すまんが休憩させてくれ」言いながらカエルはテント近くに置いてあるベンチに座った。
 水でも持ってこようか、と気遣うと、手を振って大丈夫だとジェスチャー。時の最果てから様子のおかしい彼女に戸惑うが……本人が大丈夫と言っているのにしつこくする意味は無い。仕方なく私は魔王と二人でここを後にすることに。
 人混みに入り、テントが見えなくなる寸前、カエルが胸元から何かを取り出しているのが見えた。見間違いじゃなければ……あれは写真か何かを入れる為のロケットだと思う。一瞬クロノのかな? と思うが、クロノの写真を撮る機会なんか無かったのだし、違う誰かの物だろうと結論付けた。


「……王妃様そっくりの人形を作るとかじゃないよね……」


 いくら仲間でも、好きな女の人の人形を勝手に作るのは止めて欲しい、例え同じ女性であっても、それは犯罪以外の何者でもないのだから。帰ってきた時に彼女が人形を作っていれば、注意することにしよう。うん。






 それから、町の人々に聞きまわりクロノの家の住所を知って訪れた所、私は自分の考えが甘かった事を知る。玄関のベルを鳴らし、現れたクロノのお母さん、ジナさんに挨拶して「クロノの最近の写真を貸してくれませんか?」と切り出すも「んなのは無いねえ。あの子写真嫌いだから」とばっさり両断。玄関で私は地面に手を突き嘆くこととなる。


「いやあ悪いねえ……そういえば貴方クロノのお友達?」思い出したように問うジナさんに私はぐらぐらと回る頭で頷いた。「珍しい、クロノの女友達なんて、ルッカちゃんが存在を許す訳無いんだけど……」と冗談であってほしい恐らく本当のことをさらっと話し始めた。


「ううん……ここには無いけど、たぶんルッカちゃんの家に行けばあると思うわよ。それこそ最近のだけでも百枚くらい」


「流石に、百枚は無いと思いますけど……写真一枚撮るのにも結構時間掛かりますし……」


「いやあ、ルッカちゃんは持ってるわよそれくらい。クロノのことに関してはあの子ちょっとアレだから。昔、クロノの入ったお風呂の残り湯下さい! って言われた時はどうしようかと思ったけどね」ホッホッ、と笑ってジナさんは靴を履いて外に出た。私は慌ててそれについて行く。それにしてもルッカ……残り湯って……
 どうやら、ジナさんはルッカの家に行きそこのお父さんと交渉してくれるらしい。ルッカが不在なのは分かっているようで、代わりに父親に写真を貸すことを許可してもらうようだ。私はルッカのお父さんと会ったことがないし、ジナさんから頼んで貰えることは喜ばしかった。


「ごめんなさい、変な事頼んじゃって……」


「いいよいいよ。にしても、クロノのやつ随分生意気になったねえ、ルッカちゃんだけでなく、こんなに可愛い子にまで好かれてさ」どう表現したらいいのか、好色そうな、とでも言えばいいのか、ジナさんは勘繰るように私の脇を肘で突っついてえらい事を口走ってくれた。


「ちっ、違いますよ! 私のはそういうアレじゃなくて!」


「ええっ!? じゃあそっちの背の高いお兄さんがクロノの写真を欲しいのかい!? ……Cまでなら許可するわ」


「……貴様、殺されたいか?」


 冗談よぉー、と笑うジナさん。世界中何処を探しても魔物たちを使役する魔王にそんな冗談を言える母親は彼女だけだろう。これは……尊敬するべきなのか悩みどころだ。ところでCって何?


「まあ、詮索はしないけどさ。ところで、あの馬鹿は元気にしてる? 皆さんに迷惑かけたりしてない?」


「え!? いえ、そんな事ないですよ。クロノは……その、元気です」答え終わってからこれでは答えになってないと気付くが、もう遅い。「元気過ぎて鬱陶しかったら言ってやってね、あいつ言われないと分かんないから」とジナさんは再三笑った。
 私は、その言い分にちょっとムッ、ときてしまった。ジナさんが知らないのは当然だし、知らせるつもりもないが、今クロノは仲間を庇って死んでしまっているのだ。そんな彼を貶すジナさんに私はどうしても悪い感情を持ってしまう。思わず強い言葉で否定しようとする……が、その前に。
 彼女の、少し沈んだ顔に気を取られて、口を噤んでしまった。


「あいつねえ……無理、しちゃうのよねえ。無理ってのは違うか、うーん」


「無理?」とにかく、鸚鵡返し。クロノが無理をするのは、まあよくある事だけど、今一つ前後の文が噛み合わない。それではまるで、彼が元気な振りをしているようではないか。


「あの子ね、小さい時に父親を亡くしてるの。私もねえ、あの頃は若かったから、夜な夜な泣いちゃってね。いや、今思い出してもあれは恥ずかしいわ」言葉通りにジナさんは羞恥したように指で頬を掻き、少し眼を泳がせていた。「そこを……あの子に見られてねえ。多分その時かね? クロノがおかしくなったのは」と懺悔染みた声音でジナさんは話を続ける。


「私が暗い部屋で泣いてたら、クロノも一緒に泣き出してね、そしたら私は自分がしっかりしないと、ってなるじゃない? それで、無理して私が笑ったら……クロノも笑うのよ。嬉しそうにさ……それがあんまり嬉しそうだから、私、なんだか腹が立ってきて、思わず怒っちゃったのよ。『何が嬉しいの!?』ってね」最低でしょう? と問いかける彼女に、私は何も言う事が出来なかった。ジナさんの行為は褒められたものではないが、それを責め立てるのは余りに酷だと思う。家族を亡くしたのはクロノもだけど、ジナさんだってそうなんだ、情緒不安定になり理不尽な行動に出るのは仕方ないと思う。大体、私が責めるのは御門違い過ぎる。


「そしたら……クロノがどうしたと思う? 『嬉しくないよ!』って、私と同じように怒鳴ったの。それから、私が『そうよね、ごめんね』って謝るでしょ? それでクロノも悲しそうに『ごめんなさい』って謝るのよ……最初はおかしいと思わなかった。ここまでなら、まあ自然よね」


「そう……ですね」今までの話を聞く限り、クロノにおかしい点は無いように思える。ただ、感情がコロコロ変わるなあとは思ったけど、それはジナさんとて同じ。不安定になるのは誰だったそうだろう。


「……クロノはね、誰かの真似っこしてるだけなのよ」


「真似、ですか?」またも同じことを聞き返す。どうしても、ジナさんの話は要領を得ない。つまり、彼女は何が言いたいのだろう?
 続きを待っていると、ジナさんは一呼吸置いて、また話を再開した。


「おかしいと思ったのは、それからすぐのことよ。私が慣れない食事を作ろうとして、火傷した時。私が熱いっ! て騒いだ時、クロノは何の躊躇も無く暖炉の火に手を入れたの」


「え? 火に!?」ジナさんは頷いて、「自分から火に手を突っ込んだ癖に、『熱いっ!』てね。多分あの子は、私と同じ気持ちになろうとしたんでしょうね」と淡々と告げた。


「私が笑えばクロノは笑ったし、私が怒ればクロノも怒った。雨の中買い物から帰ってくればクロノは同じように体を濡らしてきたし、怪我をしたらクロノも同じ箇所を傷つけた。あの子は私の真似をずっとしてきたの。良い事であれ、悪いことであれ」


「……なんで、そんな事を?」


 ふっ、と俯くジナさんの顔に影が差して、言い辛そうに彼女は声を出した。


「私が泣いてる時に、自分も同じように泣いたら、私が泣き止んだから……あいつは、相手と同じように振舞えば、相手が笑ってくれると勘違いしたのよ。馬鹿でしょ? 単純で、影響され易くて……物心ついてないような時から、小さな手で母親を守ろうとするような、底抜けのお人好しなのよ」


 震える手は、後悔している証。彼女は何を後悔してるんだろう? 息子に泣いている所を見られた事? 間違いをすぐに正せなかった事? 子供を持ったことが無い私に分かるはずは無かった。
 どう言ってやるべきなのか分からない私は、涙ぐんでいるようにさえ見える彼女の背中を追うことしか、出来なかった。


「私は思ったの。クロノは私といると駄目になるってね。だから、私は出来るだけあいつを遠ざけた、小さな子供にとって親に突き放されることがどれだけ辛いか……でもそうしないとあの子はきっと壊れたままになってしまう。だから……言い訳、だけどね。私もそんなあの子が見たくなかったから」


 クロノが壊れた原因は私にあると疑わない彼女に、慰めなどかけられようか? それは彼女の生き方そのものを否定するようで、口をつかなかった。
 誤魔化すように笑う姿は、母親としてなのか。
 彼女の判断が正しいと私は思えない。良く分からないけど、幼少期に親の愛情を貰ってない子は~という批判的な考えが産まれてくる。あくまで何かの本で読んだようなあやふやな知識だけど。それでも、所詮受け売りに過ぎない知識で彼女を否定する言葉を出す事は出来ない。


「きっとあの子は私を親と思ってないでしょうね。実際、私と接する時間よりルッカちゃんのお父さんと会ってる時間の方が長いんじゃないかしら? ルッカちゃんに至っては比べるべくも無いわね……って、ごめんなさいね、暗い話を延々と……忘れて頂戴」


「いえ! あの……分かりました」


「……今でもあの子は人の顔色を窺うときがあるから……そんな時は貴方から言って欲しいの。無理しないでってね。さあ、この話は終わり! もうすぐルッカちゃんの家に着くわ」話を切り上げて、ジナさんは歩調を速める。もう話したくないのかもしれないけど、私はせめてもう一つだけ教えて欲しいことがあったので、無意識にジナさんの腕を掴んでしまった。


「あの! どうして私にそんな事を?」蒸し返すようで申し訳ないけど、それを聞かないとなんだか胸のつかえというか、気持ちが晴れそうに無い。ジナさんはゆっくりと振り向いて……その顔は良い年をした子供を持つ女性とは思えないほど若々しく、美しい表情だった。


「貴方は、とてもクロノを知ってそうだから」


 それだけだった。
 ……何故だろう。私はとても、誇らしい気分になってしまう。それはいけないことなのに、なんだか褒められたような、認められたような高揚感。私自信、クロノの事を知ろうとしている身分だからか、報われたような嬉しさが溢れてくる。これこそ不謹慎の極みだろう、決してそういった類の感情を持つべき話では無かったのに。少しでも喜んでしまった自分を恥じて、結局落ち込み始めてしまう。


「あはー。難しい事話して肩が凝ったわ。そこのお兄さん、疲れたからおんぶしてくれない?」


「……その割りに随分足が軽そうだが?」


「あら嫌だ、貴方私の足ばかり見てたの? いやらしい。夜の八時からならオーケイよ?」


 ……切り替えの得意な人なんだなあ、ジナさんは。
 でも、その在り方が正しいかどうかはともかくとして、彼女なりの母親観が垣間見られた。でも、一つだけ胸を張って彼女の考えを否定できる所がある。それは、クロノがジナさんを母親と思っていないという点だ。クロノは、馬鹿じゃないよ。だから、貴方の気持ちにいつかは気付くはず、もう気付いてるかもしれない。それを私が言うのは違うから、言わないけどね。
 それから遊び相手を見つけたというように魔王にちょっかいを出すジナさんと爆発寸前の魔王というコメディアンな一時を終えて、ルッカの家に着く事が出来た。玄関から顔を覗かせた、強面のスキンヘッドであるルッカのお父さん──タバンさんは、「クロノの写真? ああ、確かルッカの部屋に腐る程あるから好きなもん持って行きな」と許可してくれた。
 まあ上がって、という言葉に甘えて家に入る。予想はしてたけど、機械だらけだなあ。流石科学の事ならなんでもござれなルッカの実家だね。
 タバンさんの案内の下、ルッカの部屋に入ると、ちょっとした好奇心なんて微塵も残らず消え失せて、異次元に舞い込んだような錯覚に襲われる。


「うわ……引く」


「……私は外に出ているぞ」


 部屋を一目見た瞬間魔王はささっ、と家を出て行ってしまう。気持ちは分からないではない。壁という壁にクロノの写真が貼り付けられ、天井にまで侵食している。抱き枕には引き伸ばされたクロノが貼ってあり、普通の枕にも顔をアップしたクロノ。予想だけど、寝る前に写真のクロノとキスしたりしてるんだろうなあ……布団にもクロノ、布団の裏面にまでクロノ。机の上にもクロノ、目覚まし時計のデザインもクロノ、赤いカーテンの柄は良く見れば全部クロノ、三百六十度全方位クロノォォォ!! な部屋だった。ああ、見てるだけで気持ち悪い……いや、クロノが気持ち悪いとかじゃなくて、全部ひっくるめてルッカキモイ。
 一人の人間で埋め尽くされた部屋がここまで精神を壊そうと切磋琢磨に働くとは知らなかった。壁や床の色が緑だかなんだかで統一された部屋は拷問となると聞いたことがあるが、これはそれに近い性質を持っているんじゃないかな?


「まだまだこんなもんじゃねえぞ。裏の倉庫はクロノの写真で一杯だ。最近のクロノの写真なら……ざっと一万弱はあるんじゃねえか?」


 後ろからのタバンさんの追い討ちで私は完全に膝が崩れてしまう。ごめんなさいジナさん、千枚は言い過ぎとか言ってた私は馬鹿だった。しかも、タバンさんは『最近の』と言った。それなら、全部あわせれば一体ルッカは何万枚写真を撮ったというのか。私は時の最果てで彼女のクロノに対する感情は依存と言ったが、そんな生易しい物では無かったようだ。言うなれば……駄目だ、適当な言葉が思いつかない。とりあえずどんな表現であったにせよ、頭に『狂』がつくのは間違いない。
 しかし待てよ、とふとジナさんの言葉を思い出す。クロノは写真嫌いなのではなかったか? 例え写真に撮られるのが好きな人物でもこれだけ気が狂いそうな程写真を撮られることを是とはしないと思うんだけど……
 予想通り、写真のクロノは決してカメラに目線を移している事は無く、嫌な予感を感じた私は少し冷や冷やしながら、タバンさんに見られないよう注意して厳重に鍵を掛けられていた机の引き出しを、その鍵を音を立てないように無理やり壊し開けた。当たって欲しくない考えの通りに、明らかな盗撮写真が入っていた。場所は風呂場。クロノの為そして後々のルッカの為にこの部屋ごと爆砕した方が良いんじゃないかな。
 黙々と引き出しを閉じて出来る限りの笑顔を繕い壁の大きな写真に指を向けてタバンさんに声を掛ける。 


「と、とりあえずこの等身大クロノのしゃし……ポスター? を貰っていきます……勿論後でルッカには言っておきますから」


「そうしてくれると助かるな。なんせ、俺が勝手に写真を渡したなんてルッカに言えば、下手すれば俺が挽肉にされちまうからな! ハッハッハ!!」


 駄目だ、どうも現代に帰ってから冗談であってほしい真実が積み上げられてしまう。ついでに言うと、タバンさん。それ、下手すればじゃない。多分確定事項だよ。
 人形を作ってもらう為、という目的とは別に後でルッカが怖いからという理由で私は慎重に写真を剥がしていった……よし、破れてない。
 やったことがないので憶測になるが、爆弾解体のような緊張感でやり遂げた私は少し良い汗を掻いた。一仕事終えたよう、という感じだ。


「おいおいお嬢ちゃん。たった一枚で良いのかい? 遠慮せずほらほらもっと持って行けよほらああぁぁぁ!!!」


「たたたタバンさん何ををを!!」


 タバンさんはいきなり狂ったように奇声を上げて次々に壁に貼られた写真を破り取っていく。破り取る、というのがポイントだ。彼は剥がすのではなく破っていた。手に取るや否や明らかに両手でビリビリに破いてる所なんか正に狂気。免罪符のように「ああー! 手が滑っちまったー!!」と棒読みで気合の篭った叫びをお供に、部屋中の写真を千切っている。


「や、止めてください! ルッカに殺されますよ!? もう手遅れだと思いますけど!」


「関係無え!! お嬢ちゃんがルッカに許可取るんだろ!? なら怒られるのは俺じゃねえ! もうクロノの写真で一杯の娘の部屋なんざ見たくねえんだよぉぉぉ!!!」


「きっ、貴様それが目的かぁぁぁ!!? 人に罪を擦り付けるなぁ!! ていうかやめっ、私がルッカに殺される!!」


「あらあら、若いわねえタバン。最近暴れてないから体が鈍ってきたし、面白そうだから、私も手伝うわ」


「ジナさん!? そんなストレス発散兼遊び感覚で流れに乗らないで下さいっ!!」


 ──拝啓、クロノ様へ。
 短い文章となりますが、今はまだいない貴方へ。
 貴方を助けた後となりますが……
 ごめん、多分私死ぬ。それもえげつない方法で、仲間に殺される。
 ……不謹慎だけど、ルッカ、あのままずっと落ち込んでてくれないかなあ……もう家に帰らない位に。
 ……後、いくら色々鬱憤が溜まってたからって、クロノの写真が大量にあるっていう倉庫に火をつけるのはやり過ぎだと思いますタバンさん。それと、娘さんに新しい家具を買ってあげて下さいね。枕も布団も机の外も中も黒焦げじゃないですか。あはは。
 ……大丈夫。二、三枚位は残ってるかもしれないし、ルッカもそう怒ったりは……怒ったりは……
 というように、色々精神を磨耗しながら私は晴れてクロノの写真を手に入れたのだった。ルッカに報告? 細けぇ事は良いんだよ! って私の中の何かが叫んでる。結構切実に。






 家を出た私の顔を見るなりぎょっ、と顔が引きつった魔王を連れて(まあ、自分でも今の顔は酷いと思うよ。大泣きした後だもん)、私はリーネ広場に戻ってきた。うう、目が痛い。
 祭りの中を歩きながら、不機嫌そうに「随分と不味そうな綿菓子だな、買ってはみたが私の口に合いそうに無い。食え」と手渡してくる魔王の心遣いが沁みる。「柑橘系の飲料水だと? 人間とは総じて下らん思い付きをするものだ。買ってはみたが私に飲めるわけが無い。代わりに飲め」とか「品質の悪い紙だな、私の肌に合わん。代わりに使え、その汚い顔を拭くがいい。直接眼に当てるという愚挙を犯すな、眼球が傷つく」となんなのそのツンデレ、と心の中で連呼しながら私はテントの前にたどり着いた。蛇足だが、ただ今私の中で魔王への好感度がメーターを吹っ切っている。一々分かり辛いが顔を赤らめているのが株価変動の決め手である。この気遣いやさんめ。


「あっ、いた。カエル、クロノの写真取ってきたよー」


 私たちが離れた時と同じようにベンチに座り込んでいるカエルを見つけて私は大きく手を振った。彼女はゆっくりと顔を上げて、こちらを見る。? 何でか随分顔色が悪く見えるけど……そんなに調子が悪いのかな? だったら時の最果てでエイラと交代してもらうけど……
 私の心配を他所に、カエルはすっと立ち上がりこちらに近づいてくる。その雰囲気は……形容するなら、異様なもので。私はその場に立ち止まってしまった。まるで、私の足が彼女に近寄る事を拒否しているみたいに。


「そうか、良かったな」


 開口一番、カエルは手を伸ばしてくる。一転して綻ばせた顔に僅かな安心感が生まれた。安堵、というのが正しいかもしれない。くしゃ、と私の髪を掻き乱す事に唇を突き出して「だから、子ども扱いは止めてって前に言ったでしょ!」と私は抗議した。良かった、なんだかカエルの嫌な空気が少し軽減したように思える。


「あれ? カエルその荷物って何?」カエルが肩に掛けている大きな白い袈裟袋。勿論私たちと別れた時には無かった物だ。多分、一人で待っている時に買ったかした物だと思う。ゆらゆらと揺れるそれはそこまでの重量があるとは思えないが、その大きさは普通じゃない。斜めに傾けていながら、その大きさはカエルの身長を超えていて、半ば地面に引きづるような形だった。


「……これか? 大した物じゃない。それより、クロノの人形を作るんだろう? なら早く行け」微量の不快感を混ぜたような声で私の体を押す。隠す事ないじゃない、と食いついても、彼女がその荷物を見せてくれることは無く私は魔王と二人でテントの中に入ることにした。カエルはこういった娯楽感覚の遊びに興じる気分ではないとの事。娯楽って、クロノを助ける為なのに……
 テントの中は外側だけで無く、内側もまた暗かった。心許ない明かりが点々と続くだけで足元すら覚束無い照明。一度入った事があっても慣れはしない。
 けれど……クロノと入った時と違い私も成長しているようだ。流石に魔王に引っ付いて怖がることはしない。「膝が震えてるぞ」と言われた時はその膝をぶつけてやったが。そういう事は分かっていても口にしないのが礼儀なんだよ。
 それからは、なんとも珍しい光景が見れた。頭上の光の届かない真っ暗な空間から降りてくる道化の化粧を施した顔と手だけの浮遊物体……これだけ言えば間違いなく化け物か何かなのだが、それを指摘したら何かが壊れそうな気がして私はあえて言葉にはしなかった。しなかったのに、魔王が有無を言わさず鎌を取り出して道化師を切り刻んでしまった。


「ちょっと魔王!! これ! これ私たちが必要としてる人で! いや人かどうか分かんないけど!」


「薄気味の悪い愚物め……」


 犬歯を見せる魔王は威嚇とは名ばかりに、怖がっているようにしか見えなかった。しまった、まさか怖がりの方は私じゃなかったとは。中世の人間たちを恐れ戦かせた魔王が怯えている様を見る時が来るとは想像すらしてなかった。今カエルがいたらどう思っただろう、いなくて良かったかもしれない。
 何度も何度も言うが、理解できない原理で己の刻まれた体を拾って道化師は復活した。生き物って拾ってくっ付ければ治るんだっけ? 水につけたら溶けるに違いない。
 ……意味の無い時間を過ごしたが、私は何度も道化師の人? に謝った。幸い人間? の出来ていた彼は気にしないで、よくある事だから。と怒らなかった。体が切られる事が珍しく無いって、この人はどういう人生を歩んできたのだろう?
 とにもかくにも、ゲームに挑み無事クロノ人形を受け取る事が出来た。唯一つ不満があるのだが、私はあんなに不細工な顔をする時があるのだろうか? 正直、色々と心に突き刺さるものがあったので魔王に「私あんな顔してる?」と聞いてみた。彼は抑揚の無い声で「常だな」と短く答えてくれる。馬鹿にしてるのかと思ったが、一切の冗談らしさを見せない彼に私は、この一連の出来事が一段落したら隠居しようかと考えていた。


「カエルー、終わったよ。そして私の中のなにかも終わったよ」屋外に出て眩しい光に眼を庇いながらカエルに声を掛ける。何を言っているのか分からなかったのかカエルはいぶかしむように顔をいがめていたが、特に気にするような様子も無く「そうか」と私が追いつくのを待ってくれた。


「これから、未来の監視者のドームに行くんだな?」私はそうだよ、と首を縦に振った。


「そうか」二呼吸分程時間を置いて「なら、行こう」と私たちに背中を見せて喧騒としたリーネ広場を歩き去っていく。


「忙しい奴だ……」疲れたように、魔王が言う。


「もう少しなんだもん。そりゃあ、気も急くよ」


「そういうものか」


「そういうものだよ」


 小走りにカエルの背中を追う。後ろの魔王はあくまで歩調を変えるつもりは無いようで自分のペースを崩さず歩いていた。カエルの隣に立ち、少し強めに背中を叩く。頑張ろうね、という檄の代わりと、痛いじゃないか! というカエルの大きな声が聞きたかったから。
 けれど、彼女は予想に反して「ごめんなマール」と逆に謝られることになる。痛いじゃないか! という台詞にあはは、ごめんねカエルという予定をしていた私は暫し言葉を失ってしまった。
 そんな私を見てカエルはもう一度、


「ごめんなマール」


 と呟き、足を動かした。何が? という疑問はとうとう投げかけられる事は無かった。






「プログラムカイシ!」


 ただそれだけの言葉を発して、白くて小さいともすれば鼠と間違えそうな三つの物体が未来の荒廃した世界に飛び出していった。開かれた天井から飛び立つ様は、昔一度だけ見たことがある花火、とかいう物に酷似していた。


 ──未来にて。私たちは早々に監視者のドームに向かいどうだ、と言わんばかりにクロノの人形──ガッシュが言うにはドッペル人形──を、自信満々に見せた。ヌゥという物体に姿を変えているガッシュは表情を変える事無く頷き、私たちの手助けをしてくれた。先ほど飛び出した白い鼠のような物体が、死の山で私たちの手助けをしてくれるというのだ。正直、あんな可愛らしい物に何が出来るのか、と思わないではないがそこは賢者ガッシュの事、必ず何かしらの意味があるのだろう。


「さて、これで御主等が死の山を登る事が出来るじゃろう」


「ありがとうガッシュ、早速行って来るよ!」うずうずする体を両手を動かして落ち着かせ、それでも声に表れたようで自分でも驚くほど高鳴る声音を発して監視者のドームを飛び出そうとする。すると、ガッシュが申し訳無さそうに「待ってくれ」と止めるのでききっ、靴を摩擦させながら足を止める。


「……この物体のプログラムの役割は終わった。悪いが、頼んでも良いか? こいつのお腹のボタンを押してくれ。それで、ワシもこいつも、休める」


「? 良く分からないけど、分かったよ」手を伸ばして、腹部の産毛に隠れていた突起を見つける。指を伸ばしてそれを押し込む前に、横に居た魔王がその腕を押さえつけた。疑問符を出す私に構わず、手を伸ばして魔王がそのボタンを押す。キュウン……という悲しげな音が響き、ガッシュの動きが止まる。?


「ねえ魔王、ガッシュはどうしたの?」


「……貴様が気にする事ではない」魔王はマントを払いさっきの私と同じようにドームを出て行こうとする。カエルもそれに倣い、黙ったまま歩いていく。仕方なく私は「また御礼に来るね! ガッシュ!」とだけ声を掛けて走り出した。


 ……とまあ、多少ならず、いやかなり、いやいや最高に気合を入れて走り出した私のなんというんだろう、気概? 違うか。気迫……? うん、この辺りで妥協しよう。今度国語辞典でも買うとしよう。は、随分と早く出鼻を挫かれた。そして言葉通りに鼻を挫いた。ドームの入り口まで走っていた私は急に立ち止まったカエルの背中に盛大に顔をぶつけたのだ。黒鳥号の時といい、私は鼻に不幸が訪れる運命なんだろうか。確か、最近で見た雑誌の占いでは今年の運勢に『鼻に気をつけて』など書いてなかったのだが。


「痛いなあカエル。急に止まらないでよね」鼻を押さえながら微量のケアルを当てていると、何時まで経っても謝ってくれない彼女に腹が立ち、一発背中にパンチをお見舞いしてやろうと腕を振った。


「……きゃっ」


 それは、自分でも呆気ない悲鳴だなあとぼんやり思った。次に、自分の体を撫で始める。丹念に触って、何かおかしなことはないか丁寧に確認した。
 ……うん。大丈夫、服が破れてるけど肌に傷は付いてない。怪我はしてない。凄いなカエルは。こんな至近距離なのに、私に『剣を振り落ろして』体を斬らずに済むなんて。
 自失している私をカエルは特に気に掛けた様子も無く、それは酷薄な印象を受けた。先を歩いていた魔王ですら事態の把握がまだ出来ていないのか、彼は口を開けて成り行きを見ていた。出会ってまだほとんど経ってないのに、随分色んな顔を見せてくれるんだな、と場違いな考えが浮かんでいた。
 おもむろに、カエルはゆっくりと尻餅をついている私に近寄り、無遠慮に私の体を弄り始める。自覚できるほどにくすぐったがりな私なのに、くすぐったいとは思わなかった。それに不思議を抱く頃には私の体から異常だと思う程の汗が噴き出てくる。カエルはまだ、私の体を触っている。胸であろうと、下腹部であろうと関係無しに触られる事に嫌悪感は感じない。カエルの手つきがいやらしいものではなく作業めいたものであることと関係してるのかもしれない。それを理由にできるなら、世の中の性犯罪者は「作業感覚だから、痴漢ではありません」と宣言するのだろうか。……自分でも、何故こうに状況を掴めず脱線するのか、もどかしくなった。
 ……分かった。そりゃあそうだよ、掴める訳無いよ。だって、そんなのおかしいもの。
 カエルが私を斬るなんて、ある訳ないもの。ある訳ない事が起きたら……混乱しない訳が無い。訳が無い。訳が無い。訳が無い。それだけが私の考えることが出来る状況把握。
 まるで、何かを探り当てようとしているようなカエルは、一瞬目蓋を上げて、目当ての物を取り上げた。それは、肌色の小さな楕円を描く、時の卵。
 この期に及んでまだ彼女はクロノを助けたい気持ちが強すぎて時の卵を取ったんじゃないか、自分の手で生き返らせたいという我侭なんじゃないかと推測してしまう私は……それだけ彼女を。
 予想できたじゃないか。彼女が本当に生き返らせたい人物が誰か。分かってたじゃないか。彼女がいざその選択肢を突きつけられた時何を選ぶのか。
 ──でも私は見てきた。そりゃあ、いつも隣で見てた訳じゃない。でも彼女がクロノと笑い合っている所を、クロノにからかわれて顔を赤くしている彼女を、クロノと背中合わせにして、敵と戦っている姿を私は見てきた。それはそれは、とても楽しそうで、仲が良くて。正直、彼女に嫉妬した時もあった。クロノの兄であり、姉でもいれる彼女に。
 ……クロノとカエルが接した時間は長くは無いだろう。時を移動する私たちに過ごした時間の概念なんかあまり関係無いことは分かってる。それでもあえて計るなら、精々一週間位の付き合いだろう。でもね、身体感覚なら彼らはもっともっと濃密な時間を過ごしていたはずなんだ。
 認めたくなかった。彼女が──クロノでなく、サイラスさんを選ぶ事を。例え、それが自明の理であったとしても。


「ごめんな、マール」


 その言葉、三回目だよ。カエル。
 時の卵を服の中に隠した後、カエルは右足に力を込めて、振り向きながら爆発させた。彼女の狙いは、後ろにいる魔王。グランドリオンを鞘から抜きながら、まだ立ったままの魔王に切りかかった。
 魔王は数瞬の時間呆けていたが、すぐに我を取り戻し迫る刃を受け止めた。斬られる事は無かったが、不安定な受け止め方をした為上体が揺らいでしまう。それ以上魔王に構う事はなく、カエルは私たちから大きく距離を開けた。すぐさまに剣を鞘に戻して、今までに無い速さで印を切る。口で詠唱することは無く、代わりに私たちに大声で声を伝える。強い風が吹く中でも、それはとても鮮明に聞き取れた。


「勝負だ! マール、それに魔王!!」


「勝負だと……何を血迷ったのだ貴様!!」


「クロノを蘇らせたいのだろう? ならば……勝負だ。俺を止めろ、お前らが俺を止められなければ、俺はサイラスを蘇らせる。お前たちが俺に追いつければクロノを蘇らせろ!」高らかに放つそれは、疑いよう無く宣戦布告。


「何で……? カエルは、クロノより、サイラスさんを取るの?」私の震える声を聞いて、カエルは首を振り「それは違う」と否定した。「チャンスを平等にしただけだ」と。


「クロノを生き返らせる事に異存は無い。俺とて……クロノは大切な人間だ。だが……それとは別にサイラスもまた大切なんだ。特別なんだ」


「分かんないよ!! カエルが何を言いたいのか!!」


「生き返る枠が一つしかないなら!! お前ら皆がクロノを望むなら!! 俺だけでもサイラスを選んで良いだろう!? 選択肢をくれても良いじゃないか!!」泣き叫ぶような声を出して、彼女は両手を上に掲げた。「お前らの誰もがサイラスを必要としてないのは……知っている。でも俺には……サイラスが必要なんだ。お前らがクロノを望むのと同じくらいに!!」嘆くような、怒るような中間でカエルは吼える。掲げた両手を地に叩きつけると、そこから大量の水が溢れ、巨大な水柱となり私たちの視界を遮る。
 水の煙幕が消えた頃には、もうカエルの姿は無かった。きっと、死の山に向かったのだろう。私たちよりも先に、サイラスさんを蘇らせる為に。


「何をしているマール! 早く立ち上がれ! あの馬鹿者を止めるのだろう!」


 私の腕を掴み立ち上がらせる魔王が、初めて私の名前を呼んでくれた事に驚きを感じる暇も無く、もう一度その場に座ってしまう。


「分かんないよ……分かるけど……分かりたくないよ……」


 足に力が入らない。喉が上手く言葉を為してくれない。意味のある物を作ってくれない。
『死んだものを生き返らせる……それは誰しもが願い、誰しもが叶わず嘆いてきた過酷な真実。お前さんに、それを捻じ曲げる勇気はありますかな?』それはハッシュの言葉。捻じ曲げる勇気って、この事態を予測しての事だったのかな? なら……これ、勇気とか関係無いじゃない。


「……良いのか。このまま放っておいて、傍観してクロノが帰らずに、それで貴様は良いのか!」


「良くないよっ! でも待ってよ、カエルは……カエルが私を立たせてくれたの! ルッカやロボがおかしくなって、私もどうでもよくなった時でもカエルが私を慰めてくれたの!! 隣にいてくれたの!!」


 それが、気丈に立つ彼女が、一人泣く事無く私を支えてくれた理由がクロノを想っていなかったからなんて思いたくない。
 ……私は酷い女だと思う。彼女が裏切るような事をした事より、彼女がクロノよりもサイラスさんを選んだ事より、彼女がクロノを含めた私たちよりもサイラスさんを取ったような気がして。カエルにとって私たちは仲間ではないと暗に言われたように思えて。彼女が頭を撫でてくれた事も嘘だったんじゃないかと思えてしまって。


「だったら、今度は貴様がグレン……カエルを立たせてやれば良いだろう!!」


「そっ……そんな事……」


「奴が言っていただろう……蛙風情の言葉を借りるのは癪だが、チャンスは平等だ。奴がクロノよりもサイラスを選んだなら、それを間違いと思うなら、隣にいてやるべきだろう。貴様にはそのチャンスがある」


 ……間違い、なんだろうか。彼女がサイラスさんを生き返らせたいと願うのは、おかしな事なのかな? 当然私はクロノを生き返らせたいし、カエルにもそう思って欲しい。でも……それを考えれば考えるほどそれがエゴなんじゃないかと。カエルが皆の意思を無視してサイラスさんに傾くのをエゴだとすれば、私たちがそれを批判するのもエゴじゃないだろうか。ただの、押し付け合いじゃないか。


「カエルが、サイラスさんを必要なら……そう望むなら……私は……」次第に下向く私に魔王は焦れたような声を上げて、今度は腕でなく背中の襟を掴み持ち上げて、顔を近づけた。


「貴様がどう思うかだ! 奴は言った。勝負だと! 貴様がクロノを生き返らせたいと願うなら、その意思が強い者が望みを叶える! 奴が正しかろうと間違っていようと、重要なのは貴様がどうしたいかだ!!」


「…………」


 それは……そうなのかもしれない。なんて、単純で当たり前で無理やりな理屈。でも正しすぎる正論。なあんだ、いつも小難しい言葉を使う魔王だけど、こんな風に分かり易い言葉を使えるんじゃないか。これ程に私を動かしてくれるんじゃないか。
 私がしたいようにすれば良い。つまりは、そういう事だよね? ……馬鹿だな私。わざわざカエルも勝負って単語を使ってくれたのに、それに気付かず膝を抱えるなんて。
 ……そんな風に思えるのは、まだ無理だけど。「それじゃあ気にせずカエルを追ってはたき倒してあげよう」なんて思えないけど。とりあえず、私はもう立てる。まだ私には、クロノと一緒にいる未来を諦めたくないと、簡単な事を思い出せる。


「……ええい、煩わしい!! 無理やりにでも連れて行くぞ!!」


 私が少しだけ立ち直った事を知らず、業を煮やした魔王はそのまま私の服を掴んで走り出した。もう自分で歩けるよ、と言おうとして口を開いた瞬間、嫌に耳に付く音が鳴り響いた。ビリリ、という布を破いた音。正確には破けた音になるのかな、魔王はそういうつもりが無かったんだろうから。
 凄まじい剣幕だった魔王の動きはピタ、と止まり、私の方をおずおずと振り向く。止めなければ、と私の頭が命令するけど、愚かにも私はそれを止める事が出来ず、彼を振り向かせてしまう。
 ……元々、カエルに切られていた私の服は、無理やり引き摺ろうとする魔王の力に耐え切れず、儚く散った。自分の体を見れば、自分で言うのもなんだが綺麗な肌色が露出して、ああそういえば今日は白い下着にしたんだっけ。服の色と合わせたのは特別な理由は無く、一番使っていて付け心地が良かったからだった。


「………………色気の無い事だ。嘆かわしいとすら言える」


「ありがとね魔王。さっきの、励ましてくれたんでしょ? それは本当にありがとう。それとは別に、死んでくれる?」


 予備動作も無く、魔王は顔色すら変えず死の山に向かって走り出した。私は前を隠しながら弓を引き絞り魔王に狙いをつけた。幾度矢を放ってもすいすい避ける彼に例えようも無い怒りが湧き溢れ、走る足に力が入る。ちゃんと家に帰ったら可愛い下着あるもん! 勇気を出して買ってもらった黒いやつとかあるもん! 隠す事無く乳母の人に豪快に笑われたけど! ……もしかして、下着じゃなくて体の事を言ったのだろうか? だとしたらもっと許せない。私は平均だ、ルッカの虚言妄想と違って本当に平均なんだ!!
 距離は離れずとも縮まることは無い。私たちは暫くの間──死の山に入り煩わしそうに魔王が謝罪するまで延々と追いかけっこを続けていた。許す条件に、魔王のマントを貰って即席の服にさせてもらう事も忘れない。
 ……走れるくらいになったなら、元気になったと言えなくもないだろうけど、絶対あれ天然だ。狙って私を元気付けようとしたとかそんなんじゃない。いや、わざとだったら冗談抜きで殺すけど。






 山の中は未来の喉に絡みつくような独特の空気は無く、辺り一面銀世界。ちらほらと降る雪は古代の嘆きの山を思い出させる。相違点は、信じられない事だが雪が降りしきるというのに肌寒さを感じないという事。はだけた衣服から風が通るのに鳥肌一つ立っていない。寒いという感覚が抜け落ちたようなそれは血を流し過ぎた時の体が放つ危険信号みたいだ、と思った。
 岸壁の上から丸みを帯びた石が落ちると、硬度的にありえないのだがさらさらと砕ける。ばらばらに、ではなく粉になって風に乗り消えたのだ。乾ききっている丸めた紙を握りつぶしたように。生き物の姿は見られない、息づく気配も足音も痕跡さえも。死の山という言葉は伊達ではないのか。私と魔王、先を進んでいるはずのカエル以外に息づいている生命があるのだろうか。
 雪の上を歩くと、踏み抜いた時独特の足音が聞こえない。音という音が全て吸い込まれていくようだ。すぐ後ろを魔王が歩いているはずなのに、独りでいるような錯覚に陥った私は不安になり後ろを振り向いた。どうした? という顔で私を見てくれる魔王の視線が心強い。胸の中で確かな灯りが点る。誰かがいるというだけでこんなに救われるとは。大袈裟かもしれないが、この死の山は一人でいると気が触れるのではないかと思うほどに異質な空間だった。
 ……言うなれば、そう。綺麗過ぎるのだ、ここは。吸い込む空気は山の外と反比例して澄み切っている。赤茶けた色が主である外に比べ白一色の光景は荘厳である。年月をかけて作られた氷壁は幻想的である。人の手が全く加えられていない自然の力を見せるここは、絵画なんかで見るならばこれ以上無い評価を受けるだろう正に芸術的な場所。それだけ完成された世界に身を置いていると、自分という異物があまりに浮き彫りにされて、孤独をありありと見せ付けられるのだ。
 また、少なくない降雪にも関わらず、地上の古代と違いそこまで積もっていない。靴が沈むくらいで、歩くことに苦痛を感じる事はないのだ。これだけの雪が降るくらいなら、それこそ膝まで沈むほどの雪があっても疑問は無いのだけれど。
 空は雲で敷き詰められている。それもそうか、雲がないと雪は降らないのだから。前後左右上下全てが白一色で……いや、唯一空には黒い塊が浮かんでいるか。


「現代でも思ったけどさ、未来にもあれはあるんだね。海底神殿……リーネ広場では、確か黒の夢って言われてたっけ」空に浮かぶ海底神殿──黒の夢は、私たちのやろうとしている事やすれ違いを嘲るようにふらふらと空中を揺れていた。
 ……そう。古代にて私たちが見た黒の夢は、古代だけでなく現代や未来にも姿を現していたのだ。現代や未来にあったのなら、確認はしていないが中世にもあるのだろう。これはつまり、黒の夢は古代から未来に至るまで悠久にその存在を消していないのだろう。
 驚いたのは、現代の人々が黒の夢の存在を受け止め、自然のものと理解している事だった。空に浮かぶ黒の夢を見て、ある老人が「今日は黒の夢が良く見える。明日は晴れるだろう」と天気予測に使っていたのは特に驚いた。日常会話の節々にも登場するくらいにあれは長年人々と接してきたのだろう。


「……誰かがジールを倒さねば、あれは永遠に存在し続けるのだろう。世界を喰らってもなおラヴォスが生き続けるのと同じにな」


「誰かが……」


「それは、私たち……いや、私の役目だ。貴様らがどうしようと、な」魔王が言う。


 ことラヴォスには魔王は並々ならぬ怨念を抱いている。それも然り、か。彼はそれだけを両手に持って生きてきたんだから。姉を救う為、母を殺す為に己を磨いてきた半生以上。私には想像も出来ない。想像しようという考えそのものが侮蔑に繋がるほどの。


「……まずは、今の目的だけを考えようよ。カエルを追わないと……」


「……その事だが」私が方針をもう一度確認するように目的を口にすると、魔王が口を開く。「今の奴の体は蛙だが、元は人間の女。惰弱な人間の姿に戻せばいくらかは距離を縮められるだろう」言われて、私は色んな意味で驚いた。人を惰弱と言い切る辺り悪意を感じるが、それはもう良い。
 ……え、戻せるの? 魔王がその気になれば? ……なら仲間になった時に戻してあげればいいのに……
 でも、これはチャンスかもしれない。カエルは蛙のままなら……ああ面倒臭い! 蛙の姿の時はそれは素晴らしい運動能力と戦闘力を有しているが、一旦女性に戻った途端見る影もない程弱体化していた。今彼女を人間に戻せるなら、開いた距離を一気に戻せるかも……


「でもさ、蛙のままなら冬眠とかしそうじゃない? ……それは冗談にしても、動きが鈍るとか」


「……有り得ぬ話ではないが、ここ死の山は環境はどうあれ、気温が低下しているようには思えん。何より、奴がその程度で足を止めるか?」


 顎に手をやり考え込む魔王。彼の言うとおり、人間の姿に戻してしまうというのは有効な手だと思う。いざとなればそれも吝かじゃないけど……なんだか、それは卑怯な気がする。勝負と言った以上何をどうしようと自由だけれど、フェアじゃない。それに、もしも彼女を人間体に戻して何も出来なくなったら、それが魔物に襲われている最中とかなら、彼女の身が危ない。袂を分かれた形ではあるが……それでも私はカエルを憎めない。私はクロノだけじゃなく、カエルにも戻ってきて欲しいから。


「それは、最後の手段にしよう。どうしても彼女に追いつけない時……ううん、今からそんな事考えてちゃいけないよね。絶対に追いつくんだから。それと、今回の件が終われば、カエルを元に戻してあげてね」戻してあげて、の部分を強調しておく。



「それについては同意しかねる。一々奴の為に解呪の魔法を唱える気にはならんな」


「……そういう所、直したほうがいいよ、本当」


 悪い人では無いと思うんだけど、何でかカエルには冷たいなあ魔王。そりゃあ確かに「カエル、昔の事は忘れて仲良くしようハッハッハ」とか言ったらカエルの神経がぶちぎれるだろうから、そこまでは望まないけど……


「……気乗りする、旅路にはなりそうにないね」


 元来、私たちの旅はそういうものではないんだけどさ。
 死の山は、その名に違える事無く厳しい道のりとなった。魔物の数は、最初に感じたとおり生息する生き物が少ない為か、多くはなかった。障害となったのは、険しい山道や、頂上から吹いてくる強風。強風では足りないかな、豪風と言うべきかもしれない。なんせ、途中まで駆け上がってきた道の上から真っ逆さまに落とされる位なのだから。人を持ち上げる程の風といえば、竜巻なんかを想像するが、広い平地でもないのに荒れる暴風は例え身を屈めても魔力で氷を作り風を受け止めてもお構い無しに私の体を遥か後ろに運んでしまう。魔王の機転により、不自然に立っていた樹木に捕まって難を凌いだが、こんな山を登りきれるのだろうか? と不安を覚えた。それでも、まだカエルを見ていないという事は彼女はこの程度の困難を易々と越えて行ったという事なんだから、負けてられないけどね。
 時には山腹の切り立った崖を登る事もあった。手を掛ける場所が無く、つるつると表面が滑るので、何度も崖下に落ちそうになったが、その度に必死に壁にくっついて玉のような汗を掻いた。体が跳ね飛ばされるような風に耐える事は、いつまでも慣れることは無い。寒さを感じない代わりに、酷使している手先が痙攣して止まらなかった。体力には自信がある方なんだけど、これは体力があるとか、そういう分野で頑張れるものじゃない。言うなれば、気力。過酷な道を乗り切れるだけの根性がなければとても先に進むことは出来ないだろう。
 前述したが、魔物は大した困難に成り得なかった。数が少ないだけでなく、あまりに弱い。いや、こんな場所で生きているだけに相当の力を持っているんだろうけど、私の仲間である魔王がねじ伏せていた。現れた魔物は登場と同時に燃え尽き、凍り、砕けて、ひしゃげていく。指先だけの詠唱無しの魔術だけで軽々と屠っていく。過去、クロノたちが彼と戦い圧倒されたというだけある。個人の力として彼に勝てる人間は、恐らくいないだろう。


「燃えろ」


 その一言だけで、魔王の周りに炎壁が産まれ周囲の敵を一掃する。火に照らされた彼は、魔王の名を貰うに相応しい悪魔のように見えた。炎は相手を蒸発させ、氷の呪文は私のアイスと比べるべくも無い。雷はクロノと同じ魔力性質と思えないほどの威力。空間すら歪めていた。一度腕を下ろすと重力の概念に影響して圧し潰す。無敵、それ以外に彼を評するものは無い。最強ではない、敵がいないのだ。
 ……その魔王ですら敵わない、ラヴォス。彼の強さを目の当たりにすればするほど敵の強さがどれほどなのか、想像がつかなくなり、私は頼もしさと同時にいつか相対する敵に対して恐ろしさも感じていた。
 体術に置いても、彼は一流だった。私の多分に自己流が混ざる拳闘と違い無駄の無い動きは操る鎌が生きているよう。とはいえ、彼が直接攻撃をすることなんて早々無かったのだけれど。大概の魔物は彼に近寄る前に地に伏すのだから。
 それでも、今までの魔物と違いとんでもない敏捷性を誇る腕を鍵型にした、魔王と同じく鎌のように両手を振る魔物が肉迫した事がある。苦々しく眼光を尖らせて、魔王は動きの早い人型のモンスターを捉えた。遠目に見ていた私でも、彼の考えは読める。危機に陥ったとか、しまった、とかのものではなく、ただ鬱陶しいといった表情だった。
 モンスターなりに渾身の一振りだったのだろう攻撃を魔王はあっさりと受け止めて、体を捻り側頭部に大降りの回し蹴りを加える。喉が詰まったような呻き声を上げて、体が揺れる。すかさず魔王は体を屈めて、右膝の後ろを指で突き刺した。皮膚を破り筋肉を抉る痛みに今度こそ高らかに悲鳴を放つ。のけぞる魔物の喉に中指を立てて刺す。魔王の指は弾丸のように敵を貫いていた。


「ファイガ」


 魔物の口腔に指を入れたまま、体内に獄炎を作り出す。目を背けたくなるような行動に、私は口に手を当ててしまう。眼球や耳鼻といった外気に通じる穴から炎が噴出し、モンスターは絶命した。そのあまりに惨い光景を見た他の魔物は全て逃げ出し、私たちの前から消えた。仲間をやられた怒りよりも恐怖心が勝ったようだ。


「焦げたか。新しい物を調達せねばならんな」


 指先が焦げた手袋を見て、魔王は小さく溜息をついた。焦げた程度で済むなんて、どんな素材なんですか? と問いたくなる代物だ。あれだけ酷い殺し方をしておいて、手袋が焦げた事に意識が向くなんて、どんな神経してるんですか? と聞きたい欲求の方が強いのだけれど。
 ……結果として、助かったんだけどさ。彼が凄惨な戦闘をしてくれたお陰で、私に群がっていた魔物まで何処かに行ったのだから。もう敵がいないことを念入りに確認して、私は膝を突き大きく息を吐いた。力を抜いて気づいたのは、足の裏に痛みが走ったことで豆が潰れたかしたのだろう、という事だった。とはいえ、そんな軽症に魔力を消費するのが惜しい、と先を考えてしまう。


「……どうした。もう疲れたのか」汗一つ掻かずに後ろでへばりかけている私を魔王は見下したように見る。


「はあ……はあ……だ、大丈夫。まだまだ歩けるよ!」


 強がりはするが、正直キツイ。彼のお陰で戦闘こそ碌にしていないが、死の山は歩くだけで力を奪われる。過去に訪れたデナトロ山の登山など遊びだったと思える。一度経験した苦難が、自信に繋がるのではなく、比較の対象として使われるとは思って無かったなあ。


「貴様は大雑把な人間だと思っていたが、相応に繊細なものだな。この程度で息が切れるとは」


「私の事をなんだと思ってるのか知らないけど、私は普通の人間なんだよ。普通の人間は、山を登ると息が切れるの」


「私も人間だ」所詮ただの人間だな、という言い回しを好む癖に、こういう時だけ自分の種族を主張するのは卑怯だと思う。だから私は皮肉を込めて、「普通のって言ったでしょ」と返してやった。彼は特に何かを思った節も無く、ただ「そういうものか」と答えた。「そういうものよ」
 私はこのやり取りが嫌いじゃない。前進は無い会話だけど、所謂私の好む言い回しなのだ。


「だが、休む暇は無い。幸いに、見ろ」魔王が指す方向には、先の長そうな洞窟がぱっくりと開いていた。風を凌げるだけで充分に助かるロケーション。先に繋がるのなら尚の事である。疲れた足に燃料が注ぎ込まれるような気分になった。稼動限界までまだ余裕があります。
 魔王を追い抜き走る私を、魔王が呆れながらついてきた。「まるで、幼児のようだな」という声には、仄かに暖かみが漂っていた。
 洞窟の中は、過去訪れた様々なものと違い、地面の臭いも湿った空気も無く外と同じ清涼感が篭っている。元々良い意味で使われ難い篭る、という言い方は違和感を感じるけれど。岩壁は手触りが良く、手に土が付く事は無い。撫でればサラサラと細かい粒が剥がれていく。明かりも無しに先が見通せるのは、何かしらの要因が働いているのだろう。外も中も変わらず視界は良好だった。むしろ、雪が無いだけにここの方が随分と過ごし易いくらいだ。


「人は……というよりも、生き物は外よりも内にいる方が心が休まるというが、貴様はその典型だな」彼の呆れ顔はまだ私を刺していた。


「生き物とか……壮大だね」話の論点をすり替えて、魔王をからかうように発言する。分かっていたけれど、彼はそれに取り合わず皮の手袋をぎゅ、手に押し込み直した。


「それ、お気に入りなの?」どう考えても話し好きではない魔王と、案外に話せている事がこんな時にも関わらず少し嬉しくて、新しい話題を落としてみた。「武器が滑らない為の配慮に過ぎん。防具としても有用である。証拠にカエルも愛用しているだろう」滑り止めか……相手に近づいて戦う武器を持つ人はそういったものを付けた方が良いのかな?


「……刀は微細な掌の動きが重要になる。奴が素手であっても特に問題は無いだろう。当然、手袋を付けて同じ剣技を振るえるならそれに越したことはないがな」


「あれ、なんで私がクロノの事を考えてたって分かるの?」


「貴様は考え事が顔に出やすい。敵に悟られると不利となる。改善しろ」


「それ……カエルにも言われた。お前は考えてる事が分かり易いって」


 魔王はあからさまに嫌そうな顔をした後、顔だけでなく口でも「不快だ」と明け透けに告げた。こういったやり取りが長閑に思えて、噴出してしまう。魔王は同じ言葉を変わらず続けた。「不快だ」
 それから、暫しの間会話が無くなる。別に、本気で魔王が不機嫌になって会話が出来なくなったという訳ではない。ただなんとなく、この洞窟の雰囲気がそうさせたのだ。根拠は無いが、この洞窟は少々勝手が違う気がした。本来、洞窟というのは何かの理由があって誰かが作るはずのものなのに、ここはそういった他の手を借りずに作られたような神秘性があった。いつのまにか、山の変動だとか天候の有れ具合だとか、そういった要因で作られたにしては先が長く確実に天頂に向かっているので、謎は深まるばかり。元々そんな事を知りたくて来たんじゃないから、構わないんだけどさ。
 さらに不安要素を持ち上げるなら、魔物の姿が見えない事だろうか。極端に減った、とかではなく、消えたのだ。戦って体力を削られずに済むのだから、と手放しに喜べない。私はこうも自分が臆病だったのか、と苦笑する、事に苦笑する。下らない事で笑ってる余裕があるなら、早く絡まった人間関係を解いてくれ、とクロノが説教してるみたいで、ごめんねと内心で囁いた。
 らしくないなあ。魔王の言うとおり私って繊細なのかな。こんな時に何も考えずへらへら笑えるほど、悩みを持たずに現実逃避もせずにいれるほど、図太いのは御免だけどね。ていうか、繊細って自分で言う所からしてらしくない。自分をらしくないと批判する所まで……と終わりが見えない。自問自答って本来そういうものなのかな。


「……チッ」示し合わせたように沈黙を守っていた魔王が、私に聞こえるように舌打ちをした。気に入らないことでも? と聞くには及ばなかった。考え事をしていたからか、そう長くは感じなかった洞窟の終わり、出口を巨大な海栗? に酷似した生き物が塞いでいたからだ。


「何あれ? 巨大な海栗?」私は思ったことをそのままに口に出す。すると、魔王はさっきまでの不快感や緊迫感を霧散させて、眼を大きく開き私を凝視する。間を置かず、彼には似つかわしくない程大口になり洞窟内に木霊させるほどの声で笑い出した。何? 何?


「海栗、海栗か! ククク、そうか海栗か! なるほど、貴様にはそう見えるか!」


「え? え? 何が面白いの? 私おかしな事言った? だってあれ、どう見たって海栗だよ!」


 黒くて大きな棘を体中にへばりつけて、のろのろと動く半月状の生き物。恐らくは、顔の部分に当たる部位は鮮やかな橙。正しく、大きな海栗を半分に割り、中身が漏れ出しているようにしか見えない。実に的確な例えだと思うのだが……
 魔王は体を曲げて笑いを堪える事無く、しばらく身悶える。面白くて仕方が無いという雰囲気は、自分が笑われているのだとしても嫌な気分にはならなかった。


「貴様は間違っていない。フッ、そうだな、奴なぞその程度か。いくら無限に等しい破壊力を内包した化け物の分身とて、見る者によっては海栗と称される。クククク! いや、中々に愉快だ、マール」


 あっ、二度目。


「惜しむらくは、奴は焼こうが煮ようが湯にさらそうが喰えんという事か」


「煮ても焼いても、ってやつ?」未だ彼が笑っている理由が掴めず、見当違いかもしれないという思いはあれど、また考え無しに例えてしまう。「そのものだな」という言葉から、今度は的確だったのだと知った。


「とはいえ、油断するな。普通の海洋生物と違い、ある程度の防衛行動はする。あまり舐めていると怪我をするぞ」普通の、という言葉に私は思わず「そういうものなの?」と少し冗談交じりに答える。「そういうものだ」と返す彼は悪戯じみた顔を浮かべていた。
 打ち合わせなく、私たちは巨大海栗に向かって走り出す。魔王の呪文を待つ前に、意味は無さそうだと推測しながらも弓を引きいかにも硬そうな棘棘に弓を射ることにする。本当は顔面部位に当てることが望ましいのだが、近づいていく魔王の為に、私に向けて気を引くだけで良い。なら、これだけで充分のはずだ。
 魔力を軽く込めて、第一射。引き絞って放たれた矢は、人間で言うところの脇腹辺りに狙いを付けていた。それくらいじゃあダメージにはなりそうにないけど……


「……って、ちょっと! 何で邪魔するの!?」私の初撃は前を走る魔王の右手に掴まれて動きを止めた。ぽい、とその辺に捨てられる私の矢の扱いにも不満が募る。


「殻に攻撃はするな」


 彼の言う殻とは、棘棘の体部分を指しているのかな? ……何で? と聞くことはしない。魔王がするな、と言うなら何かしら意味があるんだろう。もしかしなくても、彼はあの魔物が何なのか知っているんだろう。
 鎌を水平に構えて、横薙ぎに顔部分に斬りつける。耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴を上げた魔物は、顔を三方向に開き薄桃色の吐息を吐き出す。毒か、目潰しか。効果は分からないけれど、魔王は後ろに飛び退き直撃を避ける。次に掌に魔力を溜めて、放出。局地的な重力変化を用いて露出している顔部分を押し潰していく。魔物はギギ……という声を上げて、毒々しい色の体液を零す。
 ……なんだか、私の出番が無さそうだ。それでは少々悔しい。なんせ、死の山に着いてから私のやった事はほとんど無い。魔王が取り逃した敵を追い討ちするか、自分の怪我を治すか。私が役に立った事は無い。


「それは、悔しいよね」


 弓では、的の小さい顔に攻撃を当てられるかどうか分からない。有害だろう息を吐いている相手に素手で殴りかかるつもりもない。残るは魔法、それも広がりの無い単一目標の。
 魔王の少し後ろに移動して、相手の顔の周りに水分を凝縮させる。動きの早い相手には当たることは少なく、効果的じゃなかった方法だけれど、見るからに鈍重そうなこの魔物なら、外れることは無い。


「アイス!!」


 即席に作った氷。吐き出される空気は閉じ込められて、巨大海栗は苦しげに呻いた。
 口を氷結させたのだ。肺呼吸なのか分からないけど、息を吐くなら吸うこともするだろう。芋虫みたいに地面を這いずって移動しながら、やがて魔物は動きを止めた。しばらくそのまま見ていると、殻の内から橙色の内部体が飛び出し、泡立ちながら蒸発していく。
 ……もう、海栗は食べれない。一生。


「……運が良かったな。棘を発射していれば、この程度では無かったろうに」長大な鎌を片手で消して──ダルトンが使う架空空間を用いているのだろうか──先ほどの戦いをそう評した。


「やっぱり、魔王はさっきのモンスターが何なのか、知ってたのね」


「プチラヴォスだ。分かり易く言ってやるならば、ラヴォスの分身、子供のようなものと思えば良い。本体に比べ、随分と弱いが、産まれてまだ間も無い個体だったのだろう」


「……へえ」


 そっか。さっきのがラヴォスの……あはは、そりゃ海栗とか言えば笑うよね。とんでもにも程がある渾名だ。
 ……いやあ、そうじゃないでしょそうじゃないでしょ!!


「じゃなくて!! ラ、ラヴォスって子供作るの!?」顎が外れるかと思うくらいに、私は驚いた。「正確な表現では無いが、間違いないだろう。ジールに置いてあった文献にそのような生態だと記されてあった」魔王は淡々と述べる。


「それじゃあ、もしかして死の山ってラヴォスの産卵場的な何かなの?」


「産卵場とは随分穿った解釈だが……まあそうだろう。その為に作られた山だとは思えんが」


 つまり、たまたまって事? ……なんだか、何かの意図を感じる気がするけど……
 後、プチラヴォスって名前ちょっと可愛いね。口に出すことはしないけど。


「そんなのがいるなんて……カエルは大丈夫なのかな?」ふと私は、今は身も心も遠ざかっている仲間が心配になり、無意識にそう呟いた。


「今までに、奴の死体が落ちていたことは無い。谷底に落ちた、というならば発見は不可能だろうが、そこまでの馬鹿とは思えん。死んでいても一向に構わんが」不謹慎な憎まれ口を叩きながら、魔王は出口を塞いでいる、残った殻を炎を作る事で生まれる風で退かせる。強引な手だけど、楽そうでいいな、と私は思った。肉体労働いらずじゃないか。


「でもさ、ここ以外に山頂に向かう場所は無かったでしょ? ここにプチラヴォスがいたって事は、カエルはここまで辿りついてないってことじゃない? 途中で追い越しちゃったとか」


「奴の跳躍力ならば、お前のように地に足をつけた進行でなくとも、山を登れるだろう。距離は離されつつあると見ても良いかもしれぬ」


「うえ……もしそうなら、心配して損しちゃったな」


 出口を妨げる殻は風で横に押されて、外に出る。
 もしも、こうしている間にもカエルが目的を達してしまえば? という想像が頭を過ぎる。もしも、時の卵が一回きりの使い捨てでなく、何度でも使えるような代物なら……と甘い理想を口にしそうになって、留める。それを出してしまえば、何か自分を動かしているものも一緒に出て行きそうな気になった。液体燃料のような、私の動力源が、流れ出していく。そんな予感だった。
 甘言を弄すなら、自分に向けるのは馬鹿馬鹿しい。大体、そんな甘い話があるものか。明々白々じゃないか。


「それにしても……さ」今私たちの目の前に広がる苦難や面倒事を一括りにするのはいかがと思うが、それでも、私はこう口にせざるを得ない。


「気苦労の種は尽きないね」


 そう言って、特に反応を期待してはいなかったが魔王を横目に見ると、「それが人生というものだろう」と落ち着き払った声で返された。人生とか、壮大だね。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:08
 誰もが俺を見ていた。いつもは、胡散臭そうに顔をしかめるだけか、あからさまに無視するだけの門兵が俺の一挙一動を見ていた。気分が良い。気分が良い。でも頭が痛い。
 誰もが俺に向かって叫んでた。いつもは、碌な反応を返さない俺に話しかけるなんて、ましてや大声を上げるなんて一度も無かったのに。気分が良い。気分が良い。でも頭が割れそうだ。
 あいつが俺を見ていた。いつもは……あれ? あいつはいつも俺をどんな風に見てたっけ? どんなんだっけ? あいつは俺に話しかけたっけ? 話しかけてきた気がする。サイラスの隣にいるだけの無愛想な俺に笑顔で話しかけてきた気がする。最低限の、むしろ最低限を下回るくらいの無礼な態度でいる俺にあいつはニコニコと話しかけてきた気がする。その度、周りの兵士が苛々していたのを覚えてる。それくらい、嫉妬されるくらいにあいつは馴れ馴れしくしてきた覚えがある。
 俺は、剣を向けた。あいつに剣を向けたんだ。これ以上無いくらいの殺意を剣先に乗せて、大きな声で「貴様を殺す」と明言したんだ。それが聞こえたのか聞こえてないのか。あいつは……王妃は顔をくしゃ、と崩して走り寄ってきた。
 怖かったんだろうか? いきなり城に押し入ってきて剣を振り回す化け物が怖かったんだろうか? それでは辻褄が合わない、怖いなら、逃げるべきなのだ。人外の、薄気味悪い化け物に近づく意味が分からない。剣だぞ、切れるんだ殺せるんだ殺そうとしてるんだ。とびっきりの憎悪を向けてるんだ。何で俺に近づいてくるどうして俺に手を伸ばす俺の背中に腕を回す!
 良いだろう、自らに殺して欲しいと言うならば願ったり叶ったりだ。今この瞬間にも呆然としている王や兵士どもに見せ付けてやろう。貴様らが守ろうとする王妃の鮮血を見せてやろう。王が愛して、兵士が尊敬して、民が慕って、サイラスが───としたこの薄汚い雌豚を解体してやる。それが出来る武器を俺は持っているそれをしても構わない動機が俺にはある。
 片手に携えた長剣を持ち上げて、腹部に突き刺そうと力を込めた瞬間、王妃は誰も美しいとは言わないだろう醜く歪んだ顔を俺に向けた。


「生きてて良かった……グレン」


 ──俺は、何故ここにいるんだろう。教えてくれないか、サイラス。お前は俺を導いてくれただろう?
 花の冠は無いけど、きっとまた作って見せるから。






「……夢か」


 驚くべき事だと思う。まさか、歩きながら夢を見るとは。それだけ自分は参っているという事なんだろうか。
 参ってる? どっちが? 体が? 心が? 風が俺に聞いてくる。気のせいか、その輪郭は笑みに見えた。好奇心をさらに意地悪く変えた嘲り。それらを掻き消すように、俺はグランドリオンを強く空に振った。魔物を切った時に付着した血液が舞い散った。しまった、拭き取る事を忘れていた。このままでは錆びてしまうかもしれない。


「錆びているのは、剣だけか?」


 自分で自分に言ってみる。風の声だと思っていたが、どうやら俺は独り言に際悩まされていたようだ。独り言だと気付けないくらいに、俺は疲弊しているのか。『体が? 心が?』
 頭が痛い。頭が痛いけど、止まれない。止まりたくない。だって、もしここで立ち止まれば全部終わる。勝負だなんて言い訳までしたのに、そこまで無様を見せてあいつらを捨てたのに。覚悟を決めたのに無駄になってしまう。
 失いたくなかったのに。久しぶりに出来た仲間なのに。失った、もうあいつらは俺を見てくれない。自分でも不器用だと理解している俺をからかってもくれない。
 ルッカは自分勝手で暴力的だけど、付き合っていて悪くない心地よい人間だった。
 マールは単純だけど、泣き虫だけどそれをひた隠そうとする勇気があった。とても、眩しかった。
 ロボは誰にでも懐いていた。妙に自分を大きく見せようとするが、それすら微笑ましかった。
 エイラは一応、女性である自分から見ても可愛かった。とんでもないドジを働かれたが、許せるほどに。
 クロノは……クロノは。


「クロノ……は」


 あいつは。一緒にいて心地よいと思った事は無い。いつも隙あらば俺を馬鹿にしようとしてきた。勇気だってあるのかどうか、臆病と言ったほうが正しいだろう。大きく見せようと背伸びしている姿も滑稽、可愛い? 馬鹿な、鬱陶しいの間違いだろう。強がってると思えば急に泣きついてきたり、かと思えば誰かの為に命を捨てたり、約束もまともに守れない奴だ。
 いつも思ってた。うざったい、と。近寄るな、と。弟子? 破門だ、破門。あんな奴、嫌いだ。苛々するんだ。アイツの笑顔が、妙に優しいところとか、俺をからかうところとか彼にだぶってしまってムカムカするんだ。あいつなんかいなくていい、あんな奴を蘇らせるくらいなら……くらいなら。


「嘘だ……嘘だ!!!」


 目の前にある岩肌に剣を鞘ごと投げつける。振動で上から積もった雪が落ちてくる。グランドリオンには覆い被さるのに、俺の頭上にはまるで落ちてこない。ははは、雪すら俺を嫌悪するのか。触れることすら嫌がるのか。
 ──楽しかった。守りたかった。サイラス以来だ、守りたい男なんて。王妃様以来だ、守って欲しい人なんて。
 そうさ、守って欲しかったんだ、きっと。知らなかったけど、確信は無いけど。魔王と戦った時に必死にクロノを守ったのは。古代で彼を慰めたのは。いつか俺を守って欲しいから。酷い話じゃないか、その『いつか』の際に俺はこう言うつもりだったんだ。「俺はお前を守っただろう、今度はお前が俺を守れ」と。
 気付きたくなかった。俺が、グレンが守って欲しいと軟弱な考えを持っていることに。分かりたくなかったから殊更にアイツを守ったんだろう? アイツに出来るだけ弱味を見せたくなかったんじゃないか。上位に立とうと気を張ったんじゃないか。
 何で俺はアイツに守って欲しかった? 決まってる、俺はクロノの後ろにサイラスを見たんだ。代わりだったんだ。クロノが俺を守るという事は、サイラスが俺を守るという事。そういう事にしたかったんじゃないのか?もう叶わない理想に手が届くと勘違いしたんだろう。俺もルッカと同じだ、俺はクロノに身勝手な期待を寄せたんだ。


「……なあクロノ、清算してくれ。俺はお前を守っただろう? お前が泣いてるときに涙を止めてやったじゃないか。だから今度はお前の番だ、俺を助けてくれよ」


 …………なんで、応えてくれないんだ。そんなの勝手だ。俺も身勝手だけど、お前も身勝手だ。助けたら助け返すのが普通じゃないか。手を差し伸べるのが礼儀じゃないか。死んでるから助けられないなんて言うなよ? そこまでサイラスと同じじゃなくて良い。彼も苦しむ俺を助けなくなってしまった。
 ──俺がいたからか? 俺がお前と出会ってしまったから、サイラスと同じに死んでしまったのか? 俺がサイラスを被せたから、サイラスと同じに死んだのか? 俺が頼る人間は皆死ぬのか? だったら王妃様も死ぬのか? 俺は……そうやって生きていくのか?


「い……嫌だ、嫌だぁぁぁぁ!!!!!」


 頭が雪に埋もれる。自分でも、何故こんな行為に出たのか分からない。狂ったのか? 冷静な部分が予想する。違う、違う! これは頭を冷やしているだけ、少しおかしくなった頭を落ち着かせようとしているだけ。あれ? おかしくなったって、自分で言ってるじゃないか。
 口は、頭の言う事を聞いてくれず「嫌だ」を連呼している。それ以外に言葉を失ったみたいだ……そんなの、馬鹿みたいだ。
 だって、嫌じゃないか。俺はもう誰にも頼れないのか? ずっと勇者であり続けないといけないのか? 勇者って、そういうものなのか。じゃあ勇者なんかいらない。自己犠牲して、誰かの為に自分を抑えなければならない勇者なんて嫌だ、手段があるのにサイラスを生き返らせないなんて嫌だ。でも……クロノに会えないのも嫌だ。皆一緒で良いじゃないか。皆が生き返ればいいじゃないか。そうすれば、また俺は旅が出来る。格好付けて、泣き出した仲間を宥めて、「仕方ないな」とか言って、いつものカエルでいれる。
 ……そう、カエルでいられるんだ。でも俺はグレンでもあるんだ! クロノたちと出会えたカエルも大切だけど、サイラスと一緒にいたグレンだって取り返したいんだ!
 なあ、助けてよクロノ、お前は皆助けただろう? 誰かの為に自分を出せるんだろう? じゃあ俺にもくれ。代わりに勇者をあげるから。こんなもの俺はいらないから。助けてくれ、助けろ、助けて、助けてよ!!


「私を……助けてよ」





「私じゃ、力不足かな、カエル」


 久しぶりに、自分以外の人の声を聞いた。












 洞窟の外は広々としていた。洞窟自体狭い空間だった訳では無いが、やはり遥か遠くまで見通せる点では段違いだ。深呼吸をしてしまう。あまり違いは無くとも、視界に入る雪景色と合わさり、気分が良い。
 風の影響か頭上に満ちる雲が僅かに裂けて、初めて山の頂を見ることが出来た。目測だけれど、凡そ七合から八合目、という辺りに着いたのだと分かる。魔王も同意見らしく、「もう少しだ」と呟いた。
 達成感と共に、不安も漲る。私たちがここまで着いたのなら、カエルはとっくに頂上に着いているのではないか? という考え。もしも、彼女が既にサイラスさんを呼び戻し、クロノを生き返らせることが出来ないとなれば、正気でいれる自信は無い。もしかしたら、サイラスさん共々カエルを殺してやろうと思ってしまうかもしれない。考えたくない、事態だけれど。


「そういえば魔王。時の卵を孵すには頂上に行かないと駄目なの? なんとなく、向かってたけど」私の発言に魔王は少し困惑したように身を揺らした後「……知らぬ」と洩らした。肝心な時に役に立たないと言ってやれば、彼は怒るだろうか? 落ち込むだろうか? 半々だと結論する。


「まあ、行ってみるしかないよね」


「道理だ。思考に没頭するのは奴から時の卵を奪い返してからでも遅くないだろう」


 彼の言い分に、現金だなと思考するのも、後にしたほうがいいんだろうな。
 球技すら可能な広場を抜けて、幅の狭い道を通り抜ける。山の下を覗きこめる為、二の足を踏みそうになるも、せっつかれるように背中を押す魔王により私は意を決する前に足を震わせながら危険な道を過ぎた。有難いとは思わない。むしろ、ぶん殴りたい衝動に襲われた。
 大体、魔王は卑怯なのだ。有り余る魔力によって彼は地に足をつける事無く常に浮いている。浮遊しながらの移動なのだ。戦闘時には流石に魔力を全て戦いに回しているので、浮いてはいないが。それなら、こんな足場の悪い場所でも怖くないだろうし、足が疲れる事もないだろう。それは彼の魔力量が膨大な為、ひいては彼が絶えまぬ修練をこなしてきたからなので、ズルと言うのは見当違いなのかもしれないけど。


「私も飛びたいなあ」


「飛べばいいだろう」崖下を指差しながら魔王は言った。冗談を言いそうに見えない顔してるんだから、そういった戯言は勘弁だ。


「言い換えるよ、浮きたいなあ」


「浮けばいいだろう」魔王はあくまで指の方向を変えない。死にたいなあ、と呟けば彼は鎌を取り出して死ねばいいだろう、なんて軽々抜かすのだろうか。今一つ、彼が私を嫌っているのか、冗談を言い合えるくらいに仲良くなってるのか、判別できない。もう少し優しくすればいいだろう、と睨みながら言ってやりたい。
 もう、彼に話しかけることはせず、先に進む。山は八合目から辛いのだ……と何かの本で読んだ気がする。私は登山用の本なんか読んだ覚えが無いから、記憶違いかもしれないが。もしかしたら、何かのスポーツの話かもしれない、試合は勝負が決まってからが辛いのだ、とかなんとか。それでは勝負は決まってないじゃないか、と愚痴を洩らした思い出はよく記憶に残っているので、それが正解だろう。まあ、試合も登山も似たようなものだ、と私は自分を誤魔化してみる。今度は私の考えている事を読まなかった魔王は、「無理があるぞ」と指摘しなかった。






「無理があるな」魔王が呟いた。彼の目の前には、高く聳える崖。今までにも数多く登ってきたが、私たちの邪魔をするそれは比べる事も出来ないほどの、鼠落としのように半ばが削り取られた、登り様の無い崖だった。


「……魔王一人なら、なんとかなるかもしれないけど。私にはきついかも。ねえ、私を抱えて運ぶっていうのはどう?」正直、男性である魔王に抱かれ飛んでいくのは抵抗があるが、そんな事で歩みを止める事は出来ない。嫌そうな顔を隠して、なるべく平坦な表情を心掛けて提案する。
 しかし、魔王は私の苦労を嘲笑うかのように、誰の眼にも明らかな不満顔を見せた。嫌で堪らない、という表情だ。


「私の浮遊魔術は、私個人のみを運ぶように駆使している。運搬は出来ぬ」


「運搬って……荷物みたいに言わないでよ」嘴のように口を突き出して不平を述べると、「そのものではないか」としたり顔。それは、私が役立たずだと言いたいのか、私が酷く重いと言いたいのか。前者ならば反省しよう。後者なら懺悔しろ。


「そんな事言うけど、どうせサラさんなら抱き上げて運ぶんでしょう?」想像で、彼の大切な人だろう名前を挙げる。言った後、私は自分がいかに酷い発言をしたか気付き、しまった、と口に手を当てる。傷ついて……しまっただろうか?
 私の考えは杞憂に終わる。魔王は何を言っているのか本当に分からないという面持ちで、「貴様は自分が羽よりも軽いと思っているのか?」と皮肉にしか聞こえない真言を渡される。魔王はサラさんが羽のように軽いと信じているのだろうか? 現代にある病院を紹介しようと、私は決めた。前にクロノから良い精神病院があると聞かされた事がある。予約があるから何日か待たされるだろうけど、その間は皆で彼を看病してあげよう。


「ねえ魔王、ちなみに私の体重いくらか知ってる? 知らないよね。想像でいいから当ててみてよ」内心でたっぷりと嫌味を呟いた後、私は彼が立てた私の体重予測を聞いてみることに。魔王は、正しく興味がありませんと言わんばかりに気だるそうな声を上げた。「四十後半というところだろう」私は体を逸らし、勝ち誇った顔で勢い良く体を前に倒し両手を交差させる。


「ブーッ!! 正確には言わないけど、もっと下だよーっだ!!」下らない事と笑うなら笑え、思春期の女の子に重いは街中でテロ宣言をするに等しいのだから。


「気を遣ってやったのだ、贅肉女」


 ──良いだろう。王女とは何か? ただ習い事をこなし、世継ぎの相手を探すだけが役割だと思うな。時には外敵を蹴散らし己が身を晒して兵士たちを鼓舞する存在だと知れ。私は拳を刃に、足を軍馬に、弓を断罪の雷に変えて貴殿を葬ってやる。案ずるな、墓標は立てる……っ!!


「贅肉なんか無い──ッッ!!!」


 裂帛の気合を入れて、狼の咆哮を思わせる叫びを戦友に、私は眼を怒らせて飛び掛った。許さない、彼は点けてはいけない言葉の導火線に一斉に着火したのだ。城を出てからよく動いてたから贅肉は減ったんだ。乳母に「王女様はよく動く割にふくよかですねえ」とか言われてた頃の私とは二味も三味も違うのだから。人は、成長するんだから。


「ていうかルッカとかエイラとか女性時のカエルとかが痩せ過ぎっていうかルッカなんかもう痩せ過ぎて胸部に栄養廻って無いじゃんエイラとカエルは無視無視何あれなんであんなに馬鹿力なのに腕細いの足だって鹿みたいで羨ましいっていうか男性陣だってロボもクロノも貴方も何それ何なの何食べたらそんなに細くなるのササミとか毎日食べてカロリー制限してる私が馬鹿みたいっていうか太股の肉はどうやって落とせばいいのよとかそういう怒り云々を込めたパンチーッッ!!!」


「ていうかが多いカウンター」肩を回し投石器を頭に浮かべた私の全開パンチは魔王の長い足を前に出されただけで全てが終わった。疾走しながら飛び込んで顔面を狙うという単純過ぎる攻撃は反撃に弱いという事が分かった。鳩尾が痛い。女の子に暴力を振るうなんて超外道。魔王嫌い、私。


「私がたまたま足を出したら貴様が突っ込んできただけだ、肉達磨」


 いつか……いつか必ず魔王の薄ら笑いを浮かべている顔面を陥没させて固定してやる……っ!!


「げほっ……ケアル……」


 何故死の山に来て初めての治療呪文が仲間を襲った時に喰らった反撃の治癒なのか。正直、泣きたい気持ちで一杯だった。
 ぐるぐると忙しなく廻る胃が正常になったところで、もう一度頭上の遥か先まである崖を見上げる。頂上と思わしき場所はここを登らないと辿りつけないように思えた。
 都合良く、梯子の類でも持ち合わせていれば魔王に先に上ってもらって梯子を下ろしてもらう、なんて事も出来たのだが、残念ながらそんな準備などしていない。壁に氷を作り、階段状にして登る事も考えたが、流石にそんな事が出来るほど魔力は残っていない。普通に使うよりも、使用方法を変えたアイスは結構魔力を食うのだ。崖を登りきる前に枯渇するのは眼に見えている。


「最悪、私が貴様を上に放り投げるという方法もあるが?」


「放り投げてどうするの? 壁に叩きつけられて終わりじゃないの?」いくら魔王でも、私を崖の上まで投げられるほど規格外な膂力を持っているとは思えない。つまりは、私の体が岸壁に当たり彼が愉快な想いをするだけに終わるという至極当然の予想が出来た。本気だったのか、魔王は「それもそうだな」と頷く。出来ると思ってたのか、彼は。天然だったとは恐れ入る。


「……ねえ、力技になるけど、この崖を魔力で壊して、登り易いように形を変える、とかはどう?」無理やりながらに、結構良いアイデアだと自分では思ったのだが、魔王は頭を指差して「雪崩が起きても良いのならな」と馬鹿にした。本当に魔王嫌いだ、私。過去、乳母のやろーに「王女様は数学も出来ないのですか、げんなりですねえ」と言われた事を思い出す。いい加減、彼女の暴言に頭にきていた私が注意したところ、彼女は酷く狼狽した様子で「出過ぎた事を言いました。王女様が分からないのは算数でしたね」と言い直された。そうして私はガルディア王家の権威は地に落ちていると危機感を覚えたのだ。彼女は今も現代で私を馬鹿にしているのだろうか? 魔王に対する怒りも含めて、今度会ったら遠慮なくクビを申し付けてやる。


「あー……嫌な事思い出しちゃったな」


「貴様の過去などどうでもよい。どうするのだ? 私は貴様を置いて行っても構わんがな」そう言う魔王は、既に上を見据えて私を置き去りにしていこうとしているように見えた。まさか、こんな所で置き去りだなんて心細いにも程がある。私は断固阻止する為、それでも私のプライドを守る為、「行けば? そのかわり私大泣きするからね」と脅迫染みた言葉を投げる。


「……面白い」躊躇という概念をへその緒と一緒に落としてきたのか、彼は迷い無く飛び去っていく。
 ……超加虐体質、だと!? 端的に言い直せばドSだと……!? 彼を表す言葉は最低の一言に尽きる! や、そんな事を言ってる場合ではない! 立ち上がり、彼の足元に走る。距離が一メートルを切った辺りで空に向かって跳躍、雨を乞う村人のように両手を空に伸ばし、飛び行く魔王の両足を掴んだ。上下が逆だが、巨大な魚を釣り上げるように引く。釣り人は私、魔王が魚! むしろ鮫!


「放せ! 下種が!」


「私が下種なら魔王は!? 外道じゃない! 私を捨てるの? ねえ!?」


「貴様など知らん! 勝手に野垂れるが良い!」


「酷い! 信じてたのに!!」


 昔見た娯楽小説にこんな場面があったなあ、その本のタイトルは『愛の無い不倫』だった気がする。
 なんとしても私を振り落とそうとする魔王と必死に縋りつく私。搭乗人数を超えた救難船での1コマみたいに、みっともなく私たちは騒ぎ続けた。崖の上に登れるまで。
 いつのまにか、私たちは高く浮き上がり、既に登るべく思考していた高度を超えていたのだ。それに気づいたのは魔王。怒鳴りっぱなしだった彼が静かになり、高さを落として行った時初めて私もその真実に辿りついた。地に降り立った私たちは、実に微妙な空気が流れていた。どちらかが何かを言わねばならないのだろうが、二人とも喧々と悪口を言い合っていたので中々会話の糸口が掴めない。どう考えても彼に切り出す社交性が備わっているとは思えないので、私は息を呑んで、口を開いた。


「……運べたじゃん。私でも」


「お陰で……足が取れるかと思ったがな」どうしても私を重いとしておきたいらしく、彼は捻くれた口を利いた。「じゃあ聞くけどさ!」と前置いた上で、「魔王は何キロなの!?」と指差す。行具が悪いかもしれないが、悪い意味でもそんな事を気にする関係ではない。


「貴様が四十五付近だとすれば、そう変わらん」と私を絶望の底に叩き落してくれる。あれえ、私と魔王ってかなり身長差あるよ? 彼男だよ? 筋肉もありそうだよ? ダイエットなんかしそうにないよ? あれえ? ……ガリガリめ。細すぎる男は嫌われるんだから! 頼り無いとか醜いとか、ええと……たっ、頼り無いんだから! 決して女側が嫉妬するとかそんな理由じゃないんだから! …………胸、切り取ろうかな。そしたら体重軽くなるよね。
 ふにふにと自分の胸を上げ下げしていると、「無いものは無いのだ」と転んだ人間に砂を掛けた上踏みつけて唾を吐くような念入りな追い討ちをかます。私は今そういう事で悩んでるんじゃないのに……
 ……よし決めた。この鬱憤も怒りも堪えがたい欠落感も全てカエルに叩きつけてやる。俗っぽく言うなら、八つ当たってやる。素晴らしい考えだ、そういう目的として彼女を追うなら、難しい事を考えずに、様々な人間関係とか度外視して彼女を責める事が出来る。見てろカエルめ、魔王に強く出られない分(魔王って、性格悪いんだもん)彼女に請け負ってもらうんだから!
 そういう結論になるという事は、私も性格が悪いんじゃないかという正論は無視する。正論は正しいが、正しいだけでは嫌われるんだってクロノが言ってた。「だから俺は人が嫌がることでも平気で犯すのさ!」と言った彼は当時は気の毒な人だと思ったけれど、今思えばとても格好良かったと思う。後光が差している気さえした。


「……カエルは何処かなあ、もうすぐ会えるかなあ」


 私は、クロノには及ばないものの、世界で二番目にカエルの顔を見たいと心底願った。この胸の高鳴りはもしかして……恋!?
 非生産的だなあ、と内心で締めて心持ち強く足を前に出しながら、雪の中を進んだ。
 慣れはしないと言ったが、人間が凄いのか私が凄いのか、死の山の吹雪き過ぎる環境にも耐える事が可能となってきた。適応とでも言うのか。辛い事に変わりはないので些か語弊が生じるが。
 魔物対策として魔力を温存する心積もりだったが、その甲斐無く魔王が蹴散らしてくれるので遠慮なく足の豆や霜焼けといった気になる程度の症状に治療呪文を使えるようになった事もその理由に当たるだろう。敵数が六を越えた辺りで魔王が取り逃がすこともあったが、そうそうそんな数の魔物が襲ってくる事は無い。一、二匹の魔物ならば、声を上げる前に魔王が葬ってしまう。見ているだけで身震いするような、残酷な強さ。誰かに「彼一人で一国を潰せる」と言われても、「分かってるよそんな事」と答えそうな位に圧倒的。単純に『強い』と言う事が陳腐に思えてしまうほどに。


(……私が思う事じゃないんだけど)


 想像上で、魔王とカエルが戦う瞬間を夢想してみる。格闘戦、剣戟の結果ならカエルにも分があるだろう。『にも』という言葉で分かるだろうが、有利という事では無いが。魔法戦では同じ土台に立つ事も許されない。状況判断力は? やはり魔王が一歩先を行っている気がする。では精神的な強みは? 適応力は? それらを総合すれば? ……勝負になるのかどうか、怪しいものだ。
 これはつまり、カエルが極端に弱いという訳じゃない。カエルは魔王を除いたメンバーならエイラと同じ……むしろカエルに分配が上がるのでないかと思う。と言っても、私が彼女の強さを見たのは数少ないので、これはクロノの評なんだけど。彼が「まともに戦り合えばカエルは今まで見てきた人間で一番強いさ」と答えていたから。私は「あの魔王も?」と聞くことはしなかった。無粋だし、その時はまだ魔王の言葉を出すのは憚られる気がしたから。
 あくまでも、ジールでの戦い振りだけを切り取った結果になるが(魔王城でも戦いを共にしたがいかんせん時間が短すぎるので割愛する)、私も無理は無い評価だと考える。なんせ、頑強な鎧を着た硬い肌を持つ魔物を一振りで三体切り裂いていた時は眼を疑った。豪傑、英雄といった響きが似合う姿だった。しかし……それでも魔王は桁が違う。
 実在する人物の呼び方として用いられた言葉、豪傑、英雄。それは人間というカテゴリー内で考えれば飛び抜けて優れているという事だ。魔王はその域に無い。カエルは全身を動かし渾身の力で三体の魔物を切り裂く。魔王は片手で五体の魔物を燃やし砕く。比較対象が余りに悪い。いうならば、どれだけ常識外に大きなミミズでも、象よりも大きいという事は在り得ないという事実と同じ。伸ばしても背伸びしても届かない領域なのだ。


「……現時点では、だけど」


「何だ」


「別に。何でもない」


 他意は無かったのだが、無意識に私は魔王を睨んでしまう。悪意あってじゃない。決意あっての事だ。
 人間は成長する。それこそ、無限に。私はそれを実感してきたし、この眼で見てきた。証明された。誰より弱かった筈のクロノが良い例だ、彼が強くなれて私がなれないなんて認めない。悔しいし。つまりは、カエルに勝てない……かもしれない私でも、魔王に勝つことが出来る時が来る、という事。同じ論でカエルも魔王に勝つ時が来るという帰結。乱暴だけど、目標と言うのはそうでないといけないのだ、うん。
 魔王とて万能じゃない。戦いに置いても必ず隙が……隙……が。


「ねえ、魔王って弱点とかある? 下段からの攻撃に弱いとか戦闘中は魔力がすぐ切れるとか」


「……真意を知りたいものだな、貴様の発言の」私はぱたぱたと手を振り、そんなの無いよー、と笑って見せた。少しの間向き合っていると、肩を竦めて魔王が口を開く。「私より強い者が弱点だ」と悠然と仰られた。思わず尊敬語になるくらい、様になっていた。


「……ずるくない?」私は口を尖らせる。


「ならば、問い返そう。強いとは何だ? また弱いとは何だ?」


 まるで禅問答のような問いに、貴方の質問の真意は何だ? またその理由は? と同じように返したくなったが、あまりに無為なものとなりそうで諦めた。と言うより、それを言ってしまえば短気にしか見えない彼が呆れて私を無視しそうだったから、が最も大きい要因であろう。


「強いっていうのは、勝つ事じゃない? その逆に弱いっていうのが負けるって事かな。言葉にしてみると、無情だけどね」質問が質問だけに、答えもまたシンプルになる。


「それもまた然りだろう。愚直な思考は間違いを遠ざける。だが、例えば……そうだ、喧嘩があったとしよう。六対一だ。数の不利を覆せず一の側が負けたとしよう。そいつは六人で戦った誰よりも弱いと断ずるか?」


 私は首を振って否定する。多対一という時点で、私は多の負けを主張したい。それは戦い(喧嘩に大袈裟な、と思うけれど敢えてこう言わせてもらう)ではなく、正に数の暴力なのだから。
 ……そうか。状況によって変わるなら、答えとしては不明確だよね。じゃあ、強いって何なの? 眼で魔王に答えをせがむ。


「然りだ、と言ったように、答えは単純だ。つまり、負けなければ強いのだ。弱いとは負ける事、それに異を挟むつもりはない」


「何それ? 違いが分からない」まるでとんちか言葉遊びじゃないか。怒るよりも呆れてしまう。「響きの違いか? そうではない。より分かり易く言うならば、認めるか否か、という事になる」


「えっと、それって『自分はまだ負けてない! 次こそ決着をつけてやる!』っていうよくある捨て台詞みたいな感じ?」


「……俗物め。だがまるで見当外れではない。下らぬ言い回しを頼るなら……要は気の持ちようという事だろうな」


 何処かで聞いたような気がする台詞を置いて、魔王は歩く事を再開する。諦めないことが大事なのだ、という格言だか名言だかの存在を知っているが、つまりはそういう事なんだろうか? でも、その言葉に真っ向から喧嘩を売る形で世に出回っている『諦めが肝心なのだ』という言葉もある。どちらが正しいのだろう? 沈殿物が浮上するように疑問が思いついて、魔王に聞いてみる。答えは「一般的には多数派の意見が勝つだろう」と今までの発言をぶった切るような、どっちらけのものだった。そんなの、数の暴力だ。


「それ言ったら全部終わりじゃん。ちゃんと考えてよ、まお……」


 あんまりな答えに文句を出そうと彼の前に回りこむと、風に乗ってとても聞き覚えのある声が届く。魔王も気付いたか、表情に変化が生まれていた。何かの鳴き声? それとも……泣き声?
 視界を反転させる。耳を澄ませると、やはり雪が音を吸い取っている為、物音の類は拾えない。谷風の音や、何処かで積もった雪が落ちる音を聞き間違えたという可能性は無い。答えは明瞭、私でも魔王の声でもない、それ以外の何かが作る木霊は……声は。言葉を発する事が出来る生き物は、今死の山に一人しかいない。


「……山頂? 山の天辺から聞こえる! 魔王!」


 私に言われる前に、彼は文字通り飛び去って行く。遅れないように、私も足を鼓舞して走り出す。今まで特に気にもしていなかった纏わり付く雪が鬱陶しい、いっそ辺り一面氷の床に変えてやろうかと思うほど。詠唱している間に一歩でも前に出るのが先決と分かっているので、わざわざそんな馬鹿な真似をする気は起きないが。
 ……溜息が出る。本当に、虚脱感すら感じてしまう。呆れるとか、もうそんな事じゃなくて疲労までどばっと顔を出して私に停止を求めてくる。思う言葉は唯一つ。馬鹿じゃないの?
 あれだけ威勢良く飛び出しておいて、言い方によっては裏切ったとさえ言えるような事をしておいてさあ、泣いてるとかどんな我侭。そんなのでクロノを弟子とか、私を子供扱いしたの? 頭にくる。やっぱりダメダメだ彼女は。分かってた事なのになあ、彼女を心の中でも褒めるとすぐに突き落としてくるってさ。エイラと同じくらい強いとか考えたから作動しちゃったんだ、スイッチが。
 良い年してるんじゃないの? 少なくても三十近いって聞いたよ? 精神年齢は。なのに、わざわざ山を登りきって泣いてるの? 自己主張が強過ぎやしないだろうか? そんな自分に悦に入ってるとかならぶっ飛ばす。
 ──でも、そんな怒りが霞んでしまうくらいに……


「もう……! 放っておけないお姉ちゃんだよね……!!」


 私は、彼女が心配なんだ。泣いてる彼女を想像して、涙が顔を塗らす程度には。






「私を……助けてよ」


「私じゃ、力不足かな、カエル」


 久しぶりに、魔王以外の人に声を出した気がする。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十五話 クロノ・トリガー(後)












 向こう側に丁度太陽が見える美しい山の頂。近くの岸壁に寄りかかるようにしてカエルは項垂れていた。両手を頭に置いて、怒られる時間を耐える子供のように体を丸めて。しゃくり上げる時に揺れる体は小さくて、とても前に出て勇敢に敵を打ち倒すようには見えなかった。勇者ではない、普通の女の人……女の子がそこにいるのだ。付けた革の手袋は涙で光を反射している。マントを毛布のように、これだけが自分を守るというように体に巻きつけて、それは外界と遮断するみたく顔まで覆っている。靴はすでにボロボロ、履物としての用途を失っているように見えた。
 近くに倒れている人影……それは人ではなく、動かない人形。鎧を着ているように見えたそれは鎧ではなく布に赤銅色の彩色を為しただけのもので、背の高い、大人びた表情を浮かべたその人形は、ドッペル人形。カエルの家で見た写真に写っていた男性、サイラスさん。
 やっぱり……カエルはサイラスさんを。
 見計らったように、滞りなく降り注いでいた雪が止まった時カエルは驚きを含ませて慌しく声を荒げた。


「おっ……お前ら!!」立ち上がり、反射だろうか刀に手をやる彼女は虚勢でしかないとすぐに分かるものだった。急いで何か声を掛けろ、と背中を突かれる様な感覚を覚えてカエルの言葉に重なるか否か、というタイミングで私も「来たよ」と三文字の言葉を投げかける。出来るだけ軽快さを求めたそれは彼女の追い詰められた表情とは不似合いで、だからこそふさわしいと思える。


「あ……っ……」


 結局、『お前ら』しか言う事が思いつかなかったのか、そのまま声を曇らせてまた俯いてしまう。だろうなあ、という感想とそれだけ? という意地の悪い思いが両立している。案外底意地悪い私は後者を選んだ。「それだけ?」


「いや…………うっ……」


 ……しまったか。だろうなあ、では何も始まらないし、そもそも会話にならないと考慮したのだが失敗だったようだ、責めるつもりは『まだ』無かったのだけれど。
 ちょっとした交渉気分である私を無視して、魔王がずかずかと前に進みカエルに向かって行く。無遠慮に見える距離の縮め方は、無遠慮そのままだったのだろう。今の私たちの物理的な距離はカエルの保てるぎりぎりのラインだったのだから。


「ちっ、近寄るな魔王!!」思った通り、カエルはひきつった顔で剣を抜き魔王を牽制する。近づくな、という威嚇なのか、近づかないで、という懇願なのか、その境は曖昧だけれど。


「……卵を渡せ」


「貴様が離れるのが先だっ!! とっとと消えろ!!」


 癇癪を起こしてるカエルは、血走った目で叫んでいる。これ以上刺激すれば、どんな行動に出るのか分かったものではない。魔王も今の彼女が危険だと気付いただろう、それ以上近づくことは無かった。
 しかし、近づく足を止めてもカエルは尚も魔王に離れろと言う。対抗するように魔王は頑としてそれ以上の譲歩は許可しなかった。近づく事を止める、それが彼の最大限だった。
 次第に、カエルの言葉は変わっていく。「離れろ」は「消えろ」に変わり、「来るな」は「死ね」という乱暴なものに変化し……最後には「返せ」へと集束した。体を振って全身全霊を体現するように精一杯の声で彼女は魔王に迫っていた。例え、自分から近づく事は無くまた近寄らせないとしても、心は魔王の襟を掴み怒鳴っているのだ。


「返せ!! 今すぐ返せ! お前が取ったんだ、奪ったんだ! 大切だったんだ、掛け替えの無いものだったんだ!」


 ああ、嫌だ。この状況下で幻聴まで聴こえてきた。だって、カエルが返せでなく返してと言っているように聞こえるのだから、これは末期だと思う。彼女が遜るような言葉を用いる訳がないのに。


「最近になって……ようやく決着も着いてきたんだ! 自分なりに整理出来たんだ! でも無理だ、手を伸ばせば届くと言われたら、そんな覚悟も納得も全部消えた! 忘れられる訳無いんだ! 今でもずっと覚えてるんだ! サイラスの声も顔も温もりも! どんなに優しくしてくれたか、どんな言葉をくれたのか、どれだけ俺が救われたかも全部!!」


 ……なんて言ってあげたら良いのだろう。私には分からないし、持ち得ない。だって私はサイラスさんを知らない。話した事も会って彼を見た事も無い。どんな声なのか、どんな性格なのかどんな人が好きでどんな雰囲気でどれだけ……カエルが慕っていたのか。想像しか出来ない。なら、ここで私が慰めてもそれは嘘偽りでしかないじゃないか。同情の涙を流せば良いのか? 違う、だってそれは同情ですらない。同じ感情になるから同情なんだから。悪いけど、私は帰ってこれないサイラスさんを想って悲しむ事は出来ない。私の仲間に関わった事がある、架空よりも少し近い登場人物に過ぎないのだから。私、マールの物語に関わっていないから。


「なのに……こいつは動いてくれない。いっそ嘘なら良い! こんな卵はただの卵で、人が生き返るなんて嘘っぱちだと誰かが断言してくれれば、そうしたら……!!」嘆きながら、カエルは時の卵を取り出した。


 ……そっか、彼女はサイラスさんを呼び戻せなかったのか。その理由が亡くなってから時間が経ち過ぎているから、と推測したが、時を跨いでいる私たちからすれば関係無い事だろう。となればそれは……そういう事なんだろう。彼女はサイラスさんともう一度会いたい。でも多分、それと同じくらいに……それが私たちの事を想った上で、だとしても。
 だとすれば、私は彼女を慰める前に、励ます前に言ってやらなければならない。一歩、足を踏み出す。


「なんだかなあ」


 多少、腹に力を込めた、ぼやきと言うには少し大きい私の独り言はカエルの耳に届いたらしい。視線を上げていた。


「ちょっと食傷気味なんだよね、そういうの。私もそうだったんだから、棚上げだけどさ」


 いつだって、そうだ。私たちの旅は何処かで誰かがこんがらがって、思い詰めてそして……いざという時を狙って爆発させる。まるで見計らったみたいなタイミングで。私だって、クロノだって、ルッカだって……いよいよカエルだって。エイラや魔王、もしかしたらロボもそうなるかもしれない。前に進む。
 旅ってさ、そういうものだっけ? そりゃあよくある冒険譚を描いた小説や伝記なら見ているだけで怒り狂う場面や嘆くシーンがふんだんに散りばめられているのだろう。でないと、売れないし。でもこれは現実なんだ、誰も悩まず誰も悲しまず……なんて、それこそ現実なんだからありっこないんだけど。前に進む。
 だけど……現実ならではの夢を見てもいいじゃないか。前振りも伏線も知ったことじゃない。ホラーよろしく最後の最後でどんでん返しなんて無くていい。少しでも悲しかったら相談して、ぶちまけてもいいじゃないか。それだけ辛いなら……自分の行動を悔いる位なら最初から泣けばいいじゃないか。前に進む。
 仮に、カエルが私を頼ってくれたなら──そうならなかったんだから、そんなイフの話は無意味だけど──私はせめて、彼女の話を聞くくらいなら出来たんだから。それで心が晴れるなんて大言壮語を言うつもりは毛頭無いけれど、何かが変わった筈なんだから。そうして私はカエルのすぐ目の前に立った。


「……マール?」近寄るな! と怒鳴るでもなく、剣を振るうでもなく、カエルは捨てられた子供のように目を細めて、閉じかけられた瞳から、また新たな水跡が産まれていた。
 さて、何て言ってやるべきだろう? 大丈夫? 辛かったね? ……まさか。知らないくせに分かった振りをするつもりなんかない。だって私は悲しくない。サイラスさんが生き返らなくても、涙は生まれない。クロノやヤクラさんとは違う。会ってないんだもん。それをさも自分の痛みのように悲しむのは同情でも偽善的行為でもなく、自分を良く見せようとする利己的な、いやらしい考えだ。
 だから私は泣かない。泣かないし、彼女に優しい言葉をかけない。そう、私が彼女に言えるのは……


「一人で頑張りすぎでしょ馬鹿ーーーッッ!!!」


「ッッッ!?!?!?」


 言わせて貰うが、これは決して『一人で頑張る姿に心打たれて、その感動を隠す為に悪し様に言ってしまう』といった可愛いものでは無い。そもそも、カエルが一人で山に登った事よりも嫌味な魔王と二人で山を登った私の方が辛い気がしないでもないし。つまり、私がカエルに言いたいことを要約すると、『勝手すぎるじゃないかボケェ』だ。
 勝負だ! とか言って正々堂々を気取ったつもりか知らないが、いきなり斬りつけて卵を奪って一足先に走り出して……そんなの酷い。もうなんていうか、正気を疑うよ。


「サイラスさんを生き返らせたいなら言えばいいじゃない! 皆の前でさ!? そしたらちゃんと相談したよ!? カエルが一人で悩まないでもさ!」


「そっ……そうは言うが、お前やルッカたちが賛成したか!? する筈ないだろう! 所詮俺だけの願望なのだから!」


「うん、サイラスさんより私たちはクロノを選んだと思うよ、だって友達だもん」私は胸を張って言う。
 私のあまりの正論に言葉が出ないのか、カエルは口をパクパクさせた。それは実に両生類の蛙らしい動きだった。身も心も蛙になったのかな?


「ふざ、ふざけるな! お、俺は!」


「分かってる! サイラスさんが大事なんだよね!? でも私とエイラとルッカとロボと魔王はクロノを望んでるから駄目。世の中数の暴力が強いって魔王が言ってたから」正確には言ってないけど。
 どうだ! と宣言してやると、すぐ後ろで魔王が「私は特にクロノを生き返らせたいとは思わん」と憎たらしい。素直じゃないね、見るからに十代ではない風貌で素直だったら気持ち悪いけど。
 カエルを見遣れば、どうやら不満らしく鼻息を荒くして顔を真っ赤にしている。どこが鼻なんだか分からないけど、雰囲気だ、雰囲気。


「怒った? カエル」瓢瓢とした口振りを向けると、当然だ! と憤怒を露にする彼女は既に剣を抜いていた。なんだ、分かってるんじゃない。これからどうすればいいのか。


「だったら……力づくで謝らせてみなよ。その後サイラスさんを蘇らせればいいじゃない。私たちは邪魔しないからさ」


 私は単純であんまり頭が良くないから、勝負っていえばこういうものしか知らない。追いかけっこで逃げ切るか追いつくかで勝敗が決まるなんて、そんなの勝負じゃなくて遊びじゃん。原始のまよいの森でやったみたいな、鬼ごっこと一緒。そんなチープなもので人の生き死にを決めるなんて礼儀がなってない。戦いが礼儀正しいのかと言われれば困るけど。
 ……仮にこれでカエルが勝ってもサイラスさんが生き返ることは無いだろう。でも私はクロノを生き返らせない。私はサイラスさんを選ぶのだから。ルッカたちに何て言えば良いのか分からないけど、カエルとの約束を破ってまでしてクロノを取り戻しても、クロノは喜ばないだろう。
 そうだ、約束。カエルとする多分初めての約束。たかが口に出しただけの、吹けば飛ぶような軽い約束。それと同じくして勝負。賭け金は金銭の代わりにクロノとサイラスさんの命を置いて。いくら約束が軽くても賞金がそれなら破る訳にはいかないだろう……負けないけど。


「力づく……? マール、本気なのか?」疑りながらも、カエルの目は嘆きから徐々に獰猛な色に染まっていきつつある。吐き出したいのだろう、腹の底に溜まって泥濘と化した化け物を。その感情を。私は頷いて肯定した。冗談だよ、と言ったところで聞く耳持たないくせに、妙な儀礼的確認は必要無いよ。


「……で、カエルはどっちと戦うの? 流石に二対一は厳しいでしょ? 決着は一対一でつけようよ。気兼ね無いように、さ」


 カエルが誰と戦うことを望むか、答えは分かっている。背中の弓の状態は悪くない。油を塗ったし、少し弛んだ弓を張り替えたのもつい最近だ。拳は痛めてない、疲れた足は治療呪文で誤魔化した。射れるし殴れるし蹴れるし……勝てる!!
 指をカエルに向けて、次に私に向ける。はしたないけれど、掛かって来いという合図だ。調子は万全。負けは無い、それが例え中世に生まれた勇者であっても!!
 私の気迫を受けたカエルはゆっくりと口端を上げて腕を伸ばし、私と同じように指を突きつけた。


「ならば……決着を着けるぞ、魔王!!」私の後ろにいる魔王に。
 ──だよねー。そりゃあ宿敵の魔王を対戦相手に指名するよね、どこの馬の骨とも知らないたかだか生まれが良かっただけの王女様なんて相手にしないよね。はいはい分かってたよ分かってた。でも私がこうもやる気を見せて格好付けたのに無視とか。どんだけ恥ずかしいか分かってるんだろうかこのヤロー。行く手を見失う私の震える指先を見て何も感じないのかこのヤロー。
 とはいえ……ここで駄々を捏ねればそれこそ醜悪の極み。後ろを振り向き、カエルから離れていく。その際、両手を組む魔王を通り過ぎる瞬間、魔王にちょっとした作戦を話して、脇に引っ込む。


「蛙如きが私に挑戦か? 大人しくそこの小娘で手を打っておれば良いものを……死ぬぞ」


「……二度マールに手を上げては、申し訳が立たんからな」


 カエルは誰に、とは言わなかったが、謝るべき相手が誰を指しているのか明白だった。つまり、彼女はもう半ばは諦めているのだろう。サイラスさんの事を。
 ただ……納得がいかないだけで、所謂落としどころを見失っているのだ。このまま「生き返らせることが出来なかったから時の卵を返す」と口には出来まい。ならどうするか? 例え形だけでも勝負の結果、その末に、とせねば止まる事は出来ないのだ。
 全く素直じゃない。面倒な人だと思う。そして、それと同じくらいに頭が下がる。色々と名目を並べても、この勝負は芝居に過ぎない。カエル自身が勝利時の賞品を諦めかけているのに、ゴングを鳴らす理由は無いのだから。譲ることも託すことも出来ない故の、三文。死の山での最終決着はいとも下らないもので幕が下る。そんな稚拙なもので……終わらせてくれると彼女は了承したのだから。彼女が自分でもそれに気付いているのか、怪しいけど。


「女なんだろうなあ、カエルは」


 結局彼女は女らしいのだろう。切っ掛けが無ければ諦める選択を出せない、実に女性心理らしい行為。男が諦めが良いのかと言われれば閉口するが、女性は良くも悪くも執念深い。自分だけで決着をつける事を躊躇う程度に。ざっくばらんに言えば……そうだな、甘えとも言える。
 これは戦いじゃない。そして、因縁絡みの復讐だとかそういう小難しい類のものでも無いのだろう。カエルの溜め込んだ様々な想いを、僅かでも吐き出して平静を装えるくらいに戻すだけの作業。魔王が気乗りしないのも無理は無い。それでもなんだかんだで付き合ってあげるんだから、案外に彼はカエルを気に入ってるのかもしれないなあ、と夢想する。だと素敵だなあ、とも。
 戦えカエル。勝ち負けに意味が無くても。出し切れカエル、全部無くす事は出来なくても。膿のようにじくじくと蝕む痛みや悲しみなんて、言葉にすればするほど安くなる感情を吐き散らして……もう一度剣を振るおうよ。次はきっと綺麗な剣舞が見れるだろうから。


「……行くぞ!!」


 カエルが先手を取り、駆け出した。バネのように曲げた両膝を解放して、飛び出す速度はいつもながらに見ることも困難な速さ。トリッキーというには及ばない、正攻法と言うには無茶な距離の縮め方は見る者を混乱させる動きだった。大幅に反復横とびをしながら近づいてくるような感覚、それが近いかもしれない。勿論、そう単純なものでは無いのだろうけれど、彼女の動きが速過ぎて全容の分からない私にはそう例えるしか無かった。離れている私でそうならば、間近に見る魔王はさぞ動きを掴めない事だろう……なんてね。そんな訳ないか。
 彼は魔王。力も早さも魔力でさえも常人を逸している彼にとって、混乱するなんて事態はまず在り得ない事なんだろう。線でしか捉えられないカエルを左手一本を振るう事で止めた。カエルの右腕を掴んでいたのだ。それも、剣を振るう前に。


「よもや、その程度か? まだ魔王城で戦った時の方が楽しめたが」


 挑発と言うよりは見下すように告げる魔王に、カエルは慌てる事無くただ、笑った。「見くびるな」と。
 掴まれていない左手に集めた水泡を魔王に叩き込む。破裂音と衝撃に微かに魔王の体は揺れる。だが、当然致命傷には至らないし戦闘に不備は無さそうだった。カエルの御世辞にも強いとは言えない魔法で魔王が倒れる事は無い。ただ体勢を崩しただけ。
 それだけで充分と、カエルは体を反転させて無理やりに右手を自由にさせる。回転しながらの横薙ぎは魔王に鎌を出現させるに至った。火花が散り、それから幾度も金属音が鳴らされた。突然の格闘戦に、押されているのは魔王だった。勢いを止めないカエルは前に前にと足を進め、魔王はゆっくりと交代しながら防戦している。今や冷笑は消え、いつも通りの無表情に変わっていた。


「調子に乗るな、出来損ないが!!」


 苛立ちを露に、魔王は周囲に火炎を放出する。広がりゆく炎はカエルの体を包むが、難なくグランドリオンで切り裂き再度剣戟を始める。流石の魔王も少々驚いたのか、防御が間に合わず肌に一つ線を刻んだ。舌打ちを残して。
 ……強い。炎だけでなくその後凍り、電撃水撃冥撃と重ねてもカエルはダメージこそ負っても止まる事無く意地のように全身を続ける。それは、気迫からと言うよりは機械染みているように思えて不気味ですらあった。


「あ、危ないっ!」


 見ていることしか出来ない私は、もどかしく思いながら静かに戦いを見ていたのだが、思わず声を上げてしまう。魔王の鎌先がカエルの喉元を通り過ぎたのだ。一瞬カエルの首が跳ぶ幻影を見てしまうほどに、刹那の差だった。僅かに体を後ろに傾けた為首は健在だが、見ているこっちが心臓を躍らせ冷や汗を掻く、ぎりぎりの攻防。
 ……訂正する。これ、勝負でも試合でもないじゃん。殺し合いだよ。カエルは勿論魔王も本気になってない? ちょっと追い詰められて真剣になってるように思える。いやいや、これで魔王もしくはカエルが死ぬとかになったら最悪だよ? 提案したの私だけど、出し切れとまで思ったけど、止めたほうが良いかなあ? それとも……


「まっ、魔王!!」私は先ほど話した作戦を行うように声を掛ける……が、魔王はこちらを見ることも無くただ首を振る。やばい、あの人本気だ。カエルを殺す気満々だ。


「止めるな小娘。こいつに身の程を教えるまで貴様の言う方法を取るつもりは無い」


 身の程を教えるって……死体となったカエルに説教を垂れるつもりだろうか? 馬鹿なんじゃないだろうか?
 頭を抱えている今も戦いは続いている。魔王の作り出した氷柱を切り倒してカエルが特攻を仕掛けているのは目を見張ったが、それすら予測していたのか魔王はすでに鎌を大きく振り払い牽制していた。牽制だけの攻撃には見えなかったけれど……ていうか的確に心臓部分を狙っていたように見えたけど!
 カエルの胸当てを吹き飛ばした後、魔王は笑った。攻撃が当たったからでは無くこの勝負が楽しいと、そういう感情が透けて見える笑みだった。対してカエルは形相を変えない。睨む以外の表情形成を忘れたというように魔王の顔を凝視している。
 一層高く飛びあがり、カエルの振り下ろし。半歩右に魔王は体を寄せて避けるが、カエルの剣気によって舞い上げられた雪が視界を遮り反撃はしなかった。距離を開けようとする魔王にさらなる追撃としてカエルは剣で突く。引く動作と突く動作が同時に見えるほどの猛攻に魔王は状況を変える手段を模索しているようだった。単純に放つ魔法ではカエルの勢いは止められないだろう。容易くグランドリオンの一振りで掻き消されるのなら、ほぼノーモーションで行う魔法すら劣勢に繋がると踏んだか、魔王は肉弾戦のみで戦っていた。
 ……そうか、魔王の弱点が少し分かった気がする。答えは愚直な攻めに弱いだったんだ。充分に魔術を練られない距離で攻撃を畳み掛けていれば理不尽に凶悪な魔法の洗礼を浴びることは無い。とはいえ、魔王は近距離でも充分戦えるのだから、有効手か? と言われれば首を傾げるけど。
 想定外だ。魔王が本腰を入れていることは元より、カエルの強さもまた想定外。強いことは知っていた。けれど……まさかこうも魔王に肉迫するとは思っていなかった。確か、聞いた話ではクロノとルッカを合わせた三人がかりでも勝てなかったらしいが……覚悟の違い? まさか、そんなあやふやなもので力量を埋められるなんて信じられない。力量とは力の量。思念だけで増やせるなら世の中皆成功者だ。魔王と戦った時から、何度も魔物と戦い技が磨かれた? それも違う、カエルは人間の姿に戻っていた期間があり、碌々戦闘はこなしていない。私にはカエルが強くなった理由が分からなかった。


「お前が……お前が、お前がぁぁぁ!!!」


 怨嗟に近い叫びで犬歯を見せるカエルは、ただ怖かった。
 私はこんなカエルが見たくて勝負しようと言ったんじゃない。ただカエルの、行き場の無い感情を発散させたくて言い出しただけなのだ。決して……彼女を狂わせたかったんじゃない。彼女に戻ってきて欲しいだけだったのに。


「こうなったら無理やりにでも…………魔王!!」きっと彼女はこんな形で終結するのを望まないだろう。納得だってする訳ないし、文句も垂れ流すに違いない。いいよそれでも、魔王とカエルが死なないならそれで良い。


「邪魔するなと何度言わせる! 次は無いぞ小娘!!」折角の楽しみを邪魔された怒りか、魔王はカエルと同じように私を睨み、鎌を振る。命を刈り取る事しか考えていない一振りはカエルの腕を浅く裂いた。時間は無い、私は早口で、願いを込めて言葉を発した。


「魔王が我侭だって、サラさんに言いつけるよ!!」


「……気が変わった。貴様の考えに乗ってやろう」いとも簡単に、私は賭けに勝った。嬉しいけど、馬鹿ばっかりだ、私の周りの男って。喜びと同時に黄昏てしまう。
 まだ距離を詰めて来るカエルに魔王は掌を向けて風を起こす。飛ばされるのを踏みとどまるカエルを他所に魔王は鷹揚に背中を向けて離れていく。一瞬では近づけない距離にまで。


「逃げるか、魔王!!」


「黙れ、茶番は終わりだ」パチ、と指を鳴らし魔王が聞いた事の無い言葉で詠唱を始めた。それを攻撃呪文発動の一環と考えたのか、カエルはもう一度足を曲げて大砲の弾さながら飛び込んだ。剣を前に突き出して突っ込む様は、重ねられた両手から祈りのようで、勝利の為に突き進む姿は閃光染みていた。
 ……そう、閃光。その言葉を受諾したみたく、カエルの体から光が溢れ出す。その事に気が付かないのはカエルだけ。迷い無く宙を飛ぶ彼女は空を掻き分け、そして……


「……何?」瞬間、人間の女性へと変貌し、急激に飛び込み速度が緩んだ彼女は魔王に剣を弾かれて、勢いを止める事が出来ず両手を魔王の背中に回していたのだ。恋人達の仲睦まじい行為のように。


「……不愉快だ、離れろ」言われて、カエルは慌てて離れると、両手を前に出し、振りかぶる。そこでようやく自分が剣を持っていない事に気付いたのだろう。一瞬の動揺を滲ませて、自分から離れた地面に倒れているグランドリオンに駆け寄った。そのスピードは蛙状態の時と比べ見る影も無い。のたのたと走る姿は産まれ立てのダチョウの歩行のようだった。
 背中を曲げて剣を拾い……いや拾おうとして、今更にカエルは自分の異常を知覚した。両手で持ち上げようとしてそのまま背中に倒れこんだのだ。その姿が哀れで、さっきまでの考えを捨てて(もう少しあのまま戦わせても良かったかな)と反省する。


「何だ? 俺の姿が戻ったのか!?」自分の体を見回して、わなわなと震え出す。その顔は人間に戻れて嬉しいという感情は一切浮かんでおらず、憎しみを沸々と湧き上がらせていた。
 きっ、と魔王を睨み「元に戻せ外道が!」と怒り狂う。魔王は呆れたように「それが貴様の元の姿だ」と本当の事を言う。


「それはそうだが……おのれ卑怯な! 今この時に戻さずとも良いだろうが!」


「卑怯とはな。まさか戦いの最中にそのような戯言を抜かす者がいるとは、正直驚いている」流石だな、と続けて、カエルを煽る姿はいつもの魔王で、私は本当にカエルには悪いんだけど、ほっとしてしまった。
 ともあれ、これでカエルの負けは確定した。後味の悪さは最高だけど、殺し合いなんかして欲しくない私としてはこういう結果になるのが一番なんだから。カエルに近づき戦いの終わりを宣言しようと口を開くが……「まだ終わっていない!」と私が近づく事を拒否した。まさか、蛙の姿でなくとも戦うと言うのだろうか?


「そのまさかだ。例え身体能力が落ちようと、グランドリオンの輝きは鈍らん! 奴を殺すまではな!」言って、前進の力を使って剣を両手に持ち魔王に向き直る。
 それからまた凄惨な戦いが……繰り広げられることは無く。今までに無い位に眼光を鋭くしているカエルの手前、笑う事は無かったが、正直……愛らしかった。
 うんうん言いながら剣を振るってこけるのも、勝手に走っている最中に足を絡ませて背中から地面に落ちるのも……最後には振り回した剣がすっぽ抜けて崖の下に落とし、戦いは終わった。その後、私から頼んで魔王に回収してもらった。






「……マールゥゥゥ!!」


「ごめんってばカエル……仕方ないでしょ? いくらなんでもここで二人のどちらかに死なれたら嫌だよ、私」


「俺は奴を殺すために剣を取ったのだ! それに、勝負とは言ったがこれはあんまりだろう!」勝負内容に不満があったカエルは(まあ、当然だよね)魔王から標的を変えて私に愚痴を漏らす。愚痴が多いのも女性的……ってこれは差別かな。愚痴って言うよりは、これは不平不満だし。


「だからごめんって言ってるじゃん……機嫌直してよカエル」私にはひたすら頭を下げることしか出来ず、平謝りしても彼女から許しの言葉が出ることは無い。「大体だな、お前はいつも……」とか「まず戦いの何たるかを心得て……」とか今それ関係なくない? と言いたくなる様な事を延々続けた。小さくなる私は魔王に助けを求めるべく視線を向けるが、彼は馬鹿らしいと言わんばかりに目を閉じていた。


「あの、あのさカエル」手を上げて発言権を貰おうとすれば、カエルは不機嫌丸出しに「何だ!」と声を荒げる。


「……ちょっとは、すっきりした?」これが一番聞きたかった。
 カエルは眼を白黒させた後、さっきまでと何ら変わらぬ声音で「すっきりする訳あるか!!」と怒鳴る。その調子が、いつもと変わらなくて、私を説教したり、甘えさせてくれた時と同じで。
 私は俯きながら、怒られているのも関わらず、くす、と笑ってしまったのだ。それを指摘されて反省してないだろ! と言われた時は困ってしまったが。何だか立場が逆転しちゃったな。勝手な行動に出たのは彼女の方なのに。
 不満も多々あれど、彼女が帰ってきてくれた事を思えば、それも良いかな、と思ってしまうのだ。
 ……いや、私に不満なんか無い。不満があるのは……それを抱いて良いのは。
 何も解決なんかしてない。彼女がサイラスさんを想う気持ちも変わらないだろう。ただ問題を遠回しにしただけかもしれない。解決するようなものじゃないし、うやむやにしただけだと言われれば頷こう。実際その通りだ。私は馬鹿をやって、彼女の決意に水を差しただけ。横槍を加えただけ。茶化すから、それに便乗して元に戻ってくれない? そういう事だ。彼女は今度こそ私の立てた茶番に乗ってくれたのだ。
 ……なんて酷い行為だろう。真面目に、切実に悩んでいる人に対して最低のアイデアだ。馬鹿にするにも程がある。けれどカエルは……そんな私の考えに、従ってくれた。
 私だって、ちゃんと話し合ってカエルと私たちの考えの違いを明確にして、その上で互いに納得できる方法を探す……そんな事が出来れば最善だと分かってる。でも、出来る訳が無い事はそれ以上に分かってる。
 カエルもそれは分かっているんだろう。平行線でしか在り得ない意見を同一させる不可能を。だから……彼女は私に怒る。サイラスさんを選ばない事ではなく、さっきの戦いを。それで手打ちにしてるんだ。それは別に上から目線で『許してやる』という事じゃない。むしろ……彼女は許して欲しいんだと思う。私に文句を言う事で『自分はもう大丈夫だから』と言外に告げているんだ。その証拠に、カエルはさっきから言葉を途切らせない。呼吸を置く暇すら恐ろしいと、口を動かし続けていた。


「お前の戦い方も俺はおかしいと常々思っていた! 後衛であるべきお前が何故俺たちと同じように……」


 膝に置いている手は震えている。これでサイラスさんに会うことは出来ないという決別の悲しみと、自分の行為の恐ろしさから。
 彼女が言葉を止めた時が、彼女が決意した時なんだろう。サイラスさんと本当の意味でのお別れを告げた時なんだろう。そして、その時はきっとすぐに違いない。
 女は諦めが悪くて、愚痴も多くて、強い生き物だから。
 ──カエルは言葉を止めた後、今までの勢いは嘘のように消えて、その時には両手どころか全身を震わせながら、小さく「ごめん」と呟いた。誰に言ったのか、その誰かは一人なのか複数なのか、多分私が知る必要はないんだろう。けれど、私はその誰かの代わりに「いいよ」と頭を撫でてあげる。彼女の涙は、彼女の大きな眼から溢れたにしては小さく、消え入りそうな滴だった。












 時の卵を返して貰い、私はそれを手に山の頂に立つ。前面に見えるのは世界が荒れ果てても変わりなく燃え続ける太陽。照らす光に力を貸してもらう気持ちで、時の卵を空に掲げた。正しいやり方なんか分からない。これで正しいと思う根拠なんかこれっぽっちも無い。頂上に登れと言われた訳でも、時の卵を掲げろと説明された事も無い。
 ただ、分かるのだ。なんとなくの領域を出ないけれど、その程度の根拠とも言えないものだけど。クロノが近くにいる気がする。私の行動を見守ってくれている気がするのだ。正しいよって、語りかけてくる幻聴。幻聴と理解している時点で、気のせいではあるんだろうけど。
 両手を目一杯伸ばす。高く、高く、と幻聴が聞こえる。もっと強く、と幻聴が告げる。願え、願え、と誰かが教えてくれる。叫べ、叫べ、とクロノが応えてくれる!


「帰ってきて……クロノーーー!!!」


 ……反応は、無い。
 それならそれで、まだ続けるだけだ。両手を伸ばす。お願いするんだ。何処にいるかも分からない、今まで祈ったことも無い神様に。頂戴って。いや、違うか。返してって。
 ペンダントが、急に輝き出す。私の想いを後押ししてくれるように強く。私は内心で「分かってるよ」と囁く。誰に言われるまでも無く、私は手を伸ばすしかないと知っている。今こそあの暗い闇の中から彼を引きずり出すのだ。私がそうしてもらったように。彼が私を助けてくれたように。
 ……不思議だなあ。こんなにクロノが欲しいと想うなんて。まだ会って一ヶ月も経ってないよ? 一週間も経ってないかもしれない。それなのに私こんなにクロノが欲しいと願ってる。
 そんなに素敵な男の子じゃないよ? 見た目も悪くないけど良くも無い。これは人それぞれの感性だけど、性格は優しいかと言われれば優しいとは思う。けれど良いかと言われれば微妙だ、さらっと嘘つくし、女の子が相手でも虐めるし、いつもスケベな事考えてるし。明け透けとは言わないけれど……いやあ、結構臆面無く言うなあクロノは。
 ──私の好みってそんな男の子だっけ? おかしいなあ。
 彼といて胸がどきどきした事は無い。異性として好きだと思った事もないし、むしろ対抗心の方が強かった気がする。
 最初の頃は感謝だった。次に覚えたのは、失望。だらしないなあ、と思ったり酷い人だなあと非難したり、それでも目を離さなかった。私はこの感情を何と呼ぶのか分からなかった。まあ、手の掛かる弟に向けるようなものだと結論付けていた。
 ゼナン橋を越えた辺りでそれは友情へと変わる。心強い友達として、また誇れる人間として想っていた。その期間は案外に短い。あっという間に友情は対抗心へ。彼にだけは負けたくないと思いだしていた。戦いでも人間性でもそれ以外のありとあらゆる部分に置いて彼を上回りたいと想ってた。正直、彼の行動全てに感化されていた。彼の為す事やる事全部が正しいのでは、とすら考えた。
 ……そして、彼が消えて、私は考える時間が増えた。自分を省みる時間を持てたのだ。こういう機会でも無ければ……というのは不謹慎だが、気付けなかった事。
 対抗心なんて建前。彼の行動が全部気になる? なんだそれ。そんなの対抗心じゃない、勿論感謝から来るものでも失望や友情なんてものでも無い。
 ……ベタ惚れじゃないか、私。馬鹿みたい。


「死ぬなら、私が好きって伝えてからだよ、クロノ!!」


 カエルや魔王に聞こえただろうか? 聞こえただろうな。でもいいや、恥ずかしい事じゃないもの。私がクロノを好きだという事は。好きになったという事は。なんなら世界中に触れ回ったって良い。考えたくないけど、私がふられたとしてもそれをおおっぴらに話してやる。私はクロノが好きだという事を誰しもに教えて回ってやる。私が好きな人はこんな人だと懇切丁寧に教えてやる!


「だから……帰ってきてよ、私の人生計画プランは、始まったばかりなんだからさあ! クロノってば……早く起きてよクロノーーー!!!」


 ペンダントが輝く。音を立てるくらいに強く、強く。


「約束はどうした小僧……! まだ貴様は果たしておらんぞ!!」


 私の掲げた手を包むように、魔王が横から手を伸ばし呼びかける。
 そう、呼びかけるんだ。クロノはすぐそこにいるんだから。出てくる瞬間を心待ちにしているんだから!


「……今更だろうな。俺がお前を求めるのは……それでも、もし許してくれるなら」


 カエルが沈んだ声のまま近づき、魔王と同じように反対に立ち私の手を包む。目線はただ、太陽に向けて。


「帰ってきてくれ……やっぱり俺は、お前の声が聞きたいから!!」


 ……分かってるよ。カエル。
 貴方はサイラスさんに会いたかった。でもそれと同じくらいクロノと会いたかったんでしょう? だから……貴方は泣いてたんでしょう? 誰かに止めて欲しいから。
 なら、クロノを求める資格はあるよ。クロノは意外と心が広いよ? 素性も分からない女の子を助けに来るくらいは、ね。


「きて、きて、きて!!」


「来い、来い、来い!!」


「戻れ、戻れ、戻れ!!」


 それぞれに、クロノを呼ぶ。長々しい呼びかけは終わり、ただ望む言葉を空に投げる。端的な言葉は力を帯びて、声を出すだけで私たちは大粒の汗を流し始めた。カエルは髪を顔にへばり付かせて、魔王もまた彼に似合わず額に汗を浮かばせて。
 ここにはいないけど、きっとルッカもロボもエイラも祈ってる。誰よりも彼の帰還を祈ってる。皆彼が好きだから。各々に好きの意味が違っても、彼を望んでいる事に変わりは無い。彼が大切だという事実に寸分の違いも無い!






『良いですよ。その代わり……』





「えっ?」


 誰かの声が聞こえて、私は疑問符を上げた。何処かで聞いたような、けれど一度も聞いたことが無いような不思議な声。
 辺りを見回す前に、私は手の中にあった感触が崩れていく事に驚き、確認することはしなかった。
 指の間から、ぼろぼろと破片が落ちてくる。認めたくない、認めたくない、と頭が嘆いている。恐る恐る腕を戻し、目の前に持ってくる。心臓の鼓動が静まってきた。ともすれば、今にも止まるんじゃないかと思う位に小さく。


「……嘘だ」


 掌を開くと──時の卵は無残に砕けていた。これはつまり……これは……つまり……


「……終わり、なの? これで」


 自分でも驚くくらいにその言葉は辺りに響き渡っていた。
 ああ、駄目だ。震えちゃ駄目だよ私の手。震えたら時の卵の欠片が落ちちゃうじゃない。今からまたくっ付けるんだから。大丈夫すぐ元に戻るよ。どうやってくっ付ければいいんだっけ? そうだ今から時の最果てに戻ってハッシュに聞けば良いんだ。あれ、ガッシュだっけ? いやいやそうじゃなくて監視者のドームに行ってガッシュに聞けば……いやいや彼がハッシュだっけ? ああ、そんな事を考えているうちにまた破片が落ちてしまう。ああ、破片が破片が破片が破片がハヘンがハヘンがハヘンがはへんが……はへんって何だっけ? ていうかこれ、何の『はへん』だっけ?


「……人を生き返らせるなど、無理な話だろ言うのか……?」


 隣のカエルが愕然とした表情で膝を落とす。人を生き返らせる? ……そういえばそういう目的だったよね。そうだったそうだった。無理って? 無理だったの? それは可哀想だなあ、とても悲しい話だなあ。後でカエルを慰めてあげよう。どうやって励まそうかなあ、お城でパーティーでもやって気を紛らわせてあげようかなあ……あれ、私は何で城にいないんだっけ? そもそも、何で私はここにいるんだっけ? ……この人誰だっけ? 私ってマールだっけ? ええと、マールって何だっけ?


「……無駄、だったか。所詮、人間など……」


 あはは、その所詮人間って言い方誰かに似てるなあ、もしかしてこの人は私の知っている人かもしれない。この人ならマールって誰か分かるかもしれない。聞いてみようかな? でも口が動かない。何でだろう? 聞きたいのになあ、マールって誰なのか。私の知ってる人なのか。私の名前も聞いてみたい、私の名前私の名前……ああ、思い出した。私の名前はクロノだ。だって、その名前だけは淀みなく思い出せるもの。そうかクロノかクロノ。良い名前だなあ、私クロノって名前好きだなあ。クロノって好きだなあ。クロノ好きだなあ。
 ……クロノかあ。クロノ、クロノ、クロノ……


「クロ……ノ……」


 私はクロノだから、今すぐ会わないといけない。誰だか知らないけどマールって子に会わないといけない。それも今すぐ早急に会って話さないといけない。おはようって言って待たせたねとか言って抱きしめないと駄目だ。そうじゃないとマールが泣いてしまう。寂しいと言って泣いているのだ。クロノである私は泣いている子を見過ごすわけにはいかないので今すぐ会って涙を止めなければその為には会って話さないと会わないと会って涙を止めないと会って話して涙を止めて話して会って話した後会って涙を止めて……忙しいなあクロノは。


「私は、ここにいるよ? クロノ……」


 ああ、間違えた。私はクロノなので呼ぶのはマールであるべきで……これでは私は自分の名前を呼んだに過ぎない。言い直さないと……「クロノ……」あれえ、どうして私は自分の名前を呼ぶのだろう? おかしいな、あはは……もういいやクロノで。早く来てよクロノ。クロノ。あはは面白い。何で自分の名前を呼んでいるだけなのにこんなに面白いんだろう? 何でこんなに滑稽に感じるんだろう?
 ──何で、こんなに涙が出るんだろう?


「あはっ……うう、あはは……うえ、は、はは……ひぐっ、うああああ、うわああああ!!!」


 豪快な泣き方だな、と呆れる。ほらマールが泣いてるよ? クロノは今すぐ出てこないとこの子はいつまでも泣いてるよ? みっともないなあ、近くに人がいるのにこんなに泣き喚いて、実にみっともない。酷くみっともない。
 ……みっともなくて良いから、早く来てよクロノ。もう立てないよ私。
 涙で滲んだ視界が映したのは、黒く染まりゆく太陽。私はそれを見ても、何の感慨も湧かなかった。何がと言われても答えられないが、終わっちゃうような光景を見ても私は崩れた両足に力を入れることはなくただ嘆くことに専念したのだ。






















 それから先のことは良く覚えていない。誰かが歓声を上げたような気もするし、悔しがっていた気もする。
 とにかく私が言える事は、正常に意識を取り戻した後、私が見たのは白い太陽でも、黒い太陽でもなく、赤く輝く、太陽のような人だという事。















 中世ガルディア城にて


 王族のみ利用できる浴場、湯船に身を浸し吐息を零しながら王妃は目を閉じた。ここ最近、考えるのは唯一人の男性。と言ってもそれは想い人ではなく、自分にとって父親に近い、それでも大切な人。正確には人では無かったが、自分にとってはそれは些事ですら無かった。
 ようやく、と言って良いのか分からないが、しばらくぶりに王妃はその男性以外の人間を思い浮かべた。それは、今から何年も前の、雨が降る日の出来事。魔王と勇者が戦い、人間の希望が絶たれたと国中が嘆いた悲劇の一夜。それでいて、一人の人間にとっては始まりでもあった日の事。
 王妃は何の気無しに自分の脇腹を擦る。そこには自分が自分であるという証明の証が刻まれていた。
 湯船を上がり、御付の者の手を借りて、体を洗う。自分的には自分の体くらい一人で洗えると不満に思っているのだが、様式だかなんだかでそれは出来ないのだそうだ。同姓とて裸を見られるのは気分が良いものではないと王に進言しても彼は取り合ってくれなかった。それが尚更に不満である。自分の言う事を何でも聞いてくれた男性の顔を頭に浮かべた。


「……王妃様!? そ、それは……!」


「え? ああ、これですか? 何という事もありませんよ、もう痛くも無いですし」


 そういえば、今日の御付の女性は働き出して日が浅かったか、と反省する。そういう人間が初めて己の体を見た時の反応は分かっていたのに、と。どうやらまだ自分は参っているようだと分析した。
 良いから、早く洗って下さいと言われ女性は躊躇いながら、また困惑しながら湯に浸けた布で王妃の背中を擦り始める。
 王妃の脇腹と背中には、まるで剣で貫かれた跡のような古傷が残っていた。


(……どうしているのでしょうか? グレンは)


 あの日の出来事以来、妙に自分に懐いてしまった妹分を想い、王妃は溜息を吐いた。暇があれば花束や気取った本を贈り物として持参する彼女に幾度「お菓子を持って来なさい!」と言ったか分からない。いつしかこれは嫌がらせではなかろうか? と疑い出した事もある。


(慕ってくれるのは良いのですが……時々グレンの目が怖かったですね)


 深夜皆が寝静まった頃に気配を消して寝室に現れた時は、王妃は少しだけ処刑してやっても良かったかな、と思ったのは城の人間にとっては公然のなんとやらだった。


「まあ……今も無事なら良いんですけどね」出来れば甘い物を持って来てくれれば言う事はない、と心の中で付け足した。


「どうしましたか? 王妃様」


「何でも無いですよ。前は自分で洗いますから、もう下がってください」


「いえ! 是非に前も洗わせてください! いや、不純な動機ではなくですね!」


「……どうして私の周りの女性は危険な香りがするのでしょう?」


 助けてヤクラ、という呟きは女性が聞き取る事は無かった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:07
 空耳ってあるじゃないか。これもそういうものだと当たりをつけて、聞き流そうとした。
 しばらくして、空耳を無視していては何もすることが無いと気づき、仕方なく何と言っているのか本腰入れて聞いてみようと心変わりする。本当に、することが無いのだ。辺りは暗いし、手を伸ばそうにも伸ばせない。果たして腕があるのかどうかすら曖昧な感覚。立っているのか座っているのか寝そべっているのかもしくは浮いているのか。確固とした自分を認識できない以上何かをしようとすること自体馬鹿らしいのかもしれない。
 空耳と思っていた音は、酷く掠れた人の声に似ていた。潰れかけているのに、清澄で澱みの無い美しい声音。俺は、この声の主が人間ならば、笑い声が聞きたいと渇望した。だって、その人は泣いていたから。何度も何度もごめんなさいと聞いている方が辛くなる程繰り返される謝罪。許しを乞うているのでは無いのだろう。もしそうなら、間を置かず誤り続けるのはおかしい。謝る事しかできないと諦めているのだろうか? もしそうならなんて陰気な思考だろう。そもそも、一度謝って許してくれないような事なら謝らなくても結果は一緒じゃないか? 極論だが。暴論と言い換えることも出来る。
 言葉を形成することは出来ないので、心の中だけで「いい加減にしろ、謝罪は過ぎれば鬱陶しいだけだ」と喚く。その甲斐あってかどうかは分からないが、声はしぼみ始め、ついには聞こえなくなった。最後に、「せっかちです」と拗ねたような声を残して。
 次に頭に響くのは、清澄と言うよりは、美しいと言うよりは、まだ幼さを残した甘い声。聞いているだけで心地の良い声。だけれど、俺はそれ以上に居た堪れなくなった。先ほどの人物と同じく、泣いているのだ。胸を締め付けられる、なんて言葉があるけど正にそれ。
 俺は少しほっとした。胸が痛いという事は、今の俺には胸部が存在すると言う事だから。もしかしたら、心臓だけ存在していて後は何にも無いグロテスクなもの、という可能性も無きにしも非ずだが、悲観思考は捨てる。そんな状態で考え事が出来るはずがない。出来ると思いたくないが本音だ。
 彼女が泣いている。今もまだ泣いている。彼女のいるさらに遠くにいる人も泣いている。ずっと、ずっと膝を抱えて嘆いている。
 ──彼女? そうか、泣いている人は女の人なのか。どんな女性なんだろう? やる事もないのだ、想像に没頭してみよう。
 ……そうだな、髪は金髪だ。それも、白に近い、朝から昼にかけての太陽を思い出させるような、優しい色。顔は? 笑顔の似合う元気そうな顔立ちだ。では性格、ただ一言、活発に尽きる。その割りに抜けた所もあって、ドジな部分もあるけれどとても強い人なんだろう。体も心、も。
 ああ、想像に過ぎないのになんてこの声の持ち主と合うのだろう。俺の勝手な考えなのに、彼女はこういう人なのだと認識してしまった。それ以外に有り得ない。だって彼女は……彼女は……
 もしかしたら、俺はこの人を知っているのだろうか? ……ここまでくると妄想が激しすぎるか。止めよう……いやいや止めたら退屈で死んじまうって。


──ああ、俺死んでるんだっけ? え? 何で死んだんだっけ?


 そうだ、確かラヴォスに立ち向かって玉砕したんだ。それもまあ、呆気なく。だっせえ、せめて傷を残すくらいやってみせろよ俺。でなきゃ格好つかないだろ。ただの無駄死にじゃないか。それでは報われない。誰って、俺が。


──声が聞こえる。


 でもまあ、小生意気な子供の声と、実は泣き虫な幼馴染の声が遠くから聞こえるという事は、あいつらを守ることは出来たという事か。ああ、それなら納得いく。大体それが目的で死んだのだから、俺は。


──声が、聞こえるんだ。頭に直接語りかけるように、懇々と。


 いや、それっておかしくないか? 俺はそんな仲間の為にかくかくしかじか、なんて事をする馬鹿だったっけか? ……らしくねえ、らしくねえよ俺。らしい俺ってどんなだ? そんなの俺しか分からないよな。逆に言えば俺なら分かるって事だ。いつもの俺ならどうするんだっけ、こういう時。


──心配そうな声だなあ、こんな声どっかで聞いたっけ。何処だったかな? ……声が一つから二つへ、二つから三つ、数え切れないくらいに増えてきた。そのどれもが俺の知っている声。明確に思い出せる声。


 いつもの俺なら、そりゃあ決まってる。まずは、そうだなあ……ぶっ飛ばすよな、相手を。なんせ世にも名高くなる予定のクロノ様を殺したんだから。とんでもない悪党だそりゃあ。再審無しで死刑だ、つるし首だ。
 ……でも、まあ。その前にやるべき事があるよな。
 右を見る。見る、という行為が可能なら俺に目はある。頭を動かした感覚から首から上は正常だ。両手は? ……多少麻痺している部分もあるが、神経が通っている確かな手応え。両足も健在、体はそれらを全て繋げてる。つまりは五体満足と言う事だ。
 けれど、場所は変わらず闇の中。この問題の解決策は整ってる。御丁寧に、声が道標になっている。後はそれに従って、もう一度目を開けるだけ。ここではない『俺の』目を開くだけで全部上手くいく。世の中、そういう風に出来ている。俺はそう信じてる。だって俺は、


──こんな声をいつまで出させているんだ? 俺は泣いてる奴を放っておいて暗がりで腐る程馬鹿だったか? ……違うよな、クロノ。だってお前は、


 誰でもない、皆が知ってるクロノなんだから。






「おはよう、マール。ひでえ面だな」












 酷い顔だった。間近に迫った顔は水分を放出し過ぎてふやけている。下がった眉が悲壮感を上乗せして尚のこと。への字に曲がる口は山みたいな形で可愛くも美しくもない凡庸な顔立ち以下の、見るに耐えない顔になっていた。
 それでも、俺はその顔が好きだった。今までずっと、太陽なんてものと比較するくらいだったのだから、当然なのだけれど。


「……クロノ。私ね、夢があるの」彼女──マールは俺の悪口を自分の泣き声に邪魔されて聞こえなかったのか、平然と話し始めた。


「……夢、か」そう、夢。とそのままに返して、彼女は涙と鼻水を袖で拭き取りながら「むー、」と喉を詰まらせ、僅かの間を残し口を開く。


「世界中のね、誰でも知ってるような綺麗な女の子になる事。他にね、世界中で一番強い女の子にもなりたい。誰もが望むような幸せも欲しいし、美味しい物も沢山食べたいの。まだ見たこと無い所にも行きたいし、そうだ! この前トルースに来てた楽団を見れなかったから、今度はちゃんと演奏を見たい……でもね」話を整理する為か、短く呼吸を入れる。「私ね、クロノとお祭り回りたいの。まだまだ見てないお店もあるし、遊び足りないから。それが一番の夢、願いなの」


「随分お手軽だな。いつだって、叶うじゃないか」


 また溢れ出してくるマールの涙と鼻水を、俺は右腕を上げて拭いてやる。鼻水を拭くのは抵抗があったけれど、彼女のなら汚くはないんじゃないか、と馬鹿な事を思った。
 マールは俺の言葉にそうだね、と一度は同意して、でも、と反論を提示する。「クロノがいないと、出来ないよ。それってとっても難しいよ」


「難しくないよ。要は、俺がマールと一緒にいれば良いんだろ?」そう、難しくなんか無い。これからはそうなるんだから。夢とか願いとか、そんな大層なものに縋らなくたって、片手間に頼めるくらいの極々ありふれたお願いになるのだから。
 マールは俺の体を起こして、ゆっくりと俺の首に抱きついてきた。そこに、照れとか、羞恥心なんか存在しない。極々ありふれた行為なのだから。今この時においては。俺もまだ痺れの残る両腕を気合で持ち上げて彼女の背中に手を回す。マールは、俺が今ここにいることを確認するみたいに強く抱きしめてきた。ここにいるよ、と告げる為に俺も強く抱きしめ返す。俺がここにいる事も、彼女を抱きしめる事も、極々ありふれた事なんだ。


「もう……いなくなっちゃ……やだよ?」


 いるさ。ずっと。お前が飽きるまでな。
 俺の声が聞こえたのか、俺は知らない。でも、彼女が体を離す前に小さく頷いた気がした。俺の後ろに位置する太陽が彼女を照らして……なんだか、これからは大切に、心からおはようが言えそうだ、としみじみ思った。






 それから、涙が落ち着いたマールから事の経緯を話してもらった。俺はラヴォスに殺されたとか、時の最果ての爺さんに生き返らせ方を教えてもらったとか、二度目は無いの? とか、多分改造したら二回目以降も生き返れるよとか、魔王が仲間に入ったとか、実はシスコンだったと教えられてマール諸共俺も谷底に落とされそうになったり、海底神殿は実は空に飛べたのだ! なんだってー! とか。途中関係無い話を織り交ぜて俺が抜けた後の話を掻い摘んで教えてもらう。掻い摘んで無かったけど。


「そうか……それで、ロボとルッカは戦闘不能、エイラは二人のお守になったと。マールの他にカエルと魔王……が助けてくれたんだな。何だか、魔王に礼を言うのは違和感あるけど、ありがとうな」俺が立ち上がって頭を下げると、魔王は「貴様の為ではない。ただ、僅かでも戦力になるなら塵も有用かと気まぐれに思っただけだ。勘違いするな」とそっぽを向かれる。ナイスツンデレ! とガッツポーズを取ったマールが谷底に落とされかけた。仲が良いんだなあ、兄妹みたいだ。


 その後落下の恐怖から息を荒げていたマールが呼吸を整えて、「でもカエルったらね、」と口にした瞬間いつのまにやら女性体に戻っているカエルが「クロノ疲れているだろう! 早速時の最果てに帰るが吉! ほら、カエルだけに!」と盛大に滑ってくれる。起き抜け……というのはおかしいか。生き抜け……? に力を奪うのは止めて欲しい。


「何かあったのか? マール」


 無表情の中にも確かに愉悦の感情を浮かばせている魔王がカエルを魔法で縛り付けている間に、マールにカエルが何をやったのか聞き出す。


「うん。カエルね、最初はクロノじゃなくてサイラスさんを生き返らせようとしてたんだよ。気持ちは分かるけどさ」困ったよー、と肩を落とすマールのリアクションから、カエルが本気だった事を悟る。マールはちょっとアレだから、深刻な事態でも今一つ伝わらないが、彼女がオーバーな動きを伴って伝える時は大概に深刻だったという事になる。俺の知るマール豆知識である。短い付き合いだというのにこういった癖を見破れる俺が凄いのかマールが分かり易すぎるのか。
 ともあれ、カエルは滝のように汗を噴出しながら目線を逸らしている。それでも、ちらちらと俺の反応を窺う辺り実にカエルの人間の小ささが現れていて微笑ましい。馬鹿だな、俺がそんな事を気にすると思ったのだろうか? 考えてみれば、ヘビーな過去を背負っているカエルなら仕方が無いと思える事じゃないか。まあ少々寂しくはあるが、いかんせん俺とサイラスという人ではカエルとの付き合いが何百倍も違う。


「だから俺は怒ってないよ、カエル」


 魔法でカエルを縛り付けている魔王に言って、自由にしてもらう。カエルは少し目を潤ませながら「す……すまん、クロノ」と直角に腰を曲げて頭を下げてきた。結果として俺の帰還を喜んでくれるなら文句は無い。


「おい……クロノ?」


「いいかカエル、俺は怒ってないんだよ」当たり前だ。こんな事で怒るほど俺の器は小さくない。並の人間がお猪口だとしたら俺はどんぶりなのだ。杯と言っても良い。だから俺がカエルを羽交い絞めにして引き摺る事はなんら怒りと繋がっていないのでふ。でふ。


「ク……クロノよ。気のせいかお前が俺を引き摺る方向に谷が見えるのだが。まさか俺を谷底へと落とそうとする魂胆ではないだろうな?」


 カエルがいらない心配をしてくる。高所恐怖症の女性にそんな事をする訳が無いじゃないか。俺だってやって良い事と悪い事の区別くらいするのだ。落とすだなんてとんでもない。まだ杞憂である事を話して俺から距離を置こうともがくカエルを安心させるべく、俺は耳元で囁いてやった。


「逆さ吊りで許してやる。この萌え媚女め」


 言うが早いが、ふんっ! と力を込めてカエルの両足を掴んで引き、地面に倒す。そのまま持ち上げて谷底まで持っていく時に模範的な絶叫が山に木霊する。関係無い人間が聞いたら心霊スポットになりそうだな、この山。とことんどうでも良いが、カエルをこかした時こいつが発した悲鳴は「のわぁっ!」でも「うぉおお!?」でも無く「きゃあっ!」だった事は記しておく。どうせ、誰もいない所なら一人称が私だったりするんだろうこんな奴は。


「たっ、たすっ、助けっ!!」


「ない。カエル? これは怒りじゃないんだ。ただ、カエルと俺の仲は所詮その程度だったのかという俺の悲しみがこうさせているだけで、本当は俺もこんなことはしたくないんだ。本当だよ? 信じなくていいけど。どうせやることはやるんだし」


 谷底まで歩いて下の景色を見せた後……そうだな、三振りくらいかなあ? カエルが気絶したのは。一度くらい男らしい悲鳴を上げるかと期待したが、結局モンスターに襲われた村娘みたいな声しか出さなかったよ。もう勇者じゃなくてヒロイン目指せば良いじゃないか。それと、魔王さ、代わりの服持ってたらカエルに貸してやって。ズボンが濡れたままだと風引くかもしれないし。ついでに臭いし……あ、垂れてきたからやっぱり上の服も貸してあげて……駄目か。


「もう……もう、俺は剣士には戻れない……」


 意識を取り戻した後体中にウォーターを被って、体を清めたカエルの言葉だ。寒くないのか? と聞くが寒い寒くないよりも尊厳に与えられるダメージの軽減が優先されるそうだ。マール、ロボに続きカエルも仲間入りだな。何のとは言わんが。
 喚きながら「あそこまでするかクロノ!!」と目を剥くカエルの姿はそりゃあ愛らしいものだった。滑稽と愛らしさはほぼ同一のものだと再認識する。
 俺は怒るカエルを適当にあしらいながら、片手を上げて「何はともかく、ありがとな」と呟く。海草に塩を掛けたみたいに剣幕がしぼんで、カエルはもう一度「すまない」と返してくる。


「次に謝ったら、またやるからな」目を細めて、彼女の覚悟を促す。はっ、と顔を上げたカエルは驚いたように眼を丸くしていたけれど、もう一度言うつもりは無い。これで理解できないほど馬鹿じゃないだろう、こいつも。


「……分かった。ありがとう」ぎこちなくも、それは笑顔と言えるものだった。
 さて、次は時の最果てメンバーに会うとするか。少々気が重たいが。特にルッカ。
 山を足早に下山し、シルバードに乗り込む。山道には魔物はいなかった。マールたちは首を傾げていたが、もしかしたらこの山に来た者たちが目的を達成したら現れなくなる試練的なものだったのかもな、と想像を与えれば、予想に反して納得された。少しばかり幻想的か? と不安だったが受け入れられて何よりだ。
 ちなみに言えば、先に時の最果てに転送されるのはマールとなった。何でも、「心の準備をさせないといけないから」だそうだ。それが誰を指しているのか分からなかったが、とりあえず「頼むわ」と言って見送った。どの道、そう時間を掛けずに俺たちも行くのだが。
 ……ただ、俺とカエル、魔王の三人での移動はとてつもなく気まずいものだった事は誤算だった、予想しておくべき事だが、まだ頭がはっきりと覚醒してない俺にそれを望むのは酷というものだろうに。マールは良い緩和剤になっていたんだろうなあ、と彼女の性格を羨ましく思った。






 シルバードが空を飛べるようになった事を驚く暇も無く、眼を瞬かせる間に時を越え、時の最果てに降り立った。レンガの床に鳴る自分の足音を久しく聞いてなかった気がして、ただ歩くだけ小さな喜びと安心感が浸透していく。背中から立ち上るそれを満悦していると、物思いに耽る俺に躊躇無い全力体当たり。しまった、油断してはいけない暴走小僧がここにはいるのだった。
 声も無く飛び込んできた小さな塊は、嘆きの山で見たように騒がしく泣くのではなく、喉の奥から絞った呻きを上げるだけで、叱る事も出来ない。じんじんと痛む腹の痛みを忘れてさらさらの髪を撫でてやる。透き通るように美しい銀髪は外灯の光に当たって優しく輝いている。
 ああ、久しぶりだ。ロボをあやすのもこいつの頭を撫でるのも、本当に久しぶり。俺にはそう感じられた。ロボもそう思っているのだろうか? だとすれば……俺は罪悪にも嬉しく思ってしまうのだ。
 ロボの泣き声は、時々に謝罪が含まれている。守りきれませんでした、待てませんでした、と。ルッカが生きている事は知っている。待てませんでしたという言葉から、海底神殿を脱出した後の事を言っているのだろう。俺はそこまでこいつに背負わせた覚えは無い。だから俺は気にするな、としか言えなかった。
 ……謝罪以外の言葉が、俺への恨み言。「何でいなくなるんですか?」とか、「無理しないって言ったじゃないですか」という答えにくい言葉。無理しないとか俺言ったっけ? ……覚えてないや。それを言うとロボの声が一層大きくなってしまった。なじる言葉の棘が大きくなる。
 いつもなら、そんな言葉遣いを注意するためにも一発どつく所だが、ここは我慢しておく。どう言おうが、俺の勝手でこいつが泣いている事に違いは無い。ああもう、何回泣かせるんだが、俺は。大事にしてるつもりではあるんだがなあ……


「僕が嫌いですか!? だったら良い子になります! 今回は駄目だったけど、次はちゃんとしますから! だから!」


 ──もしかしたら、ロボは愛情に飢えているのだろうか? 昔の俺のように、確実な味方が欲しいのかもしれない。絶対に自分を愛してくれる誰かを心から欲している。そんな風に、見えた。
 馬鹿だなあ、何でお前はその絶対に愛してくれる人間候補に俺を選んだのか。同じ男だからか? 格好良く見えたとでも言うのか? 優しそうに見えたのか? ……まさか。強くも無い、いつもぼかぼか頭を叩いたり脅したりした俺を信じられるなんて、おかしいだろう。お前は俺の何処を見てたんだよ、その目は飾りなのかよ。
 鼻の奥から切ない痛みを感じる。これだけ俺を必要としてくれる人がいた。やっぱり俺はお前を守って良かった。アザーラの時に、俺はシスコンになるだろうと思ったけれど、ブラコンの気もあったみたいだ。
 ……そうじゃないか。俺は身勝手だから、俺の事が好きな人が好きなんだ。ちゃんと受け止めてくれるから。俺の居場所を作ってくれるから。弱いなあ、俺は。


「……お前を嫌う奴なんかいないよ。いたら俺が殴ってやるさ」


 いる訳無いんだから、俺が殴る機会は無さそうだけどな。
 見た目が可愛いんじゃない、ロボは全部可愛いんだ。守ってあげたいとか、性癖をこじらせた感情とかじゃない。ただ、愛らしい。小さな子供に抱く微笑ましいという感覚と、その子供が背伸びして前に出る、健気さ。それらが見る者に勇気をくれる。俺をまた立ち上がらせてくれる。
 ああ、俺は幸せだ。幸せでしかない。小さい頃の孤独も大怪我を負う事もしばしば起こり得るこの旅も、一度死んだことも全部ひっくるめて、思う。俺は幸せだと、迷い無く。
 あの時、祭りに行って良かった。あの時マールに会えて良かった。あの時ルッカの発明品に乗って中世に飛んで良かった。俺の行動は全てが正解だったんだ。だからこそ、俺は皆と話せる、触れ合える。これ以上の幸福が何処にある。
 それをそのまま伝えるには、俺に語彙量が足りない。だから、これから先の誓いに似た言葉を代わりに告げる。。


「悪かった。これからはずっと一緒だからな」


 言ってるだけで恥ずかしくなるような台詞も、ロボを泣き止ませるには至らない。ぐいぐいと俺の腹に頭を押し付けてくる。なんだよ、抱っこでもすればいいのか? ……絵になりそうだから止めとくけどさ。
 これだけ自分が愛されている事に驚く反面、やっぱり嬉しくなるな、業が深い事だぜ。


「泣くなよ。ちゃんと帰ってきただろうが」笑いながらあやしても、ロボはいつまでも俺から離れる事は無かった。ひきつった声が広場に充満して、これは長くなるな、と思いこのままの体勢で他の人間に挨拶を交わす。


「エイラ、もうキーノは大丈夫なのか?」


「……クロ、それ、最初言う事、違う」不機嫌そうに、膨れながらエイラは鼻を啜りながらじとり、と睨んでくる。どうしろというのだ。
 頭を掻きながら、次に放つ言葉を選んでいると、エイラが溜息をついて俺に近寄り、俺が見惚れた時と同じように柔らかに口元を緩めて、俺が一番聞きたい言葉を紡いでくれた。くしくも、俺の腹元で泣いているロボと同時に、同じ言葉を。


「おかえりなさい」


「……ただいま。ロボ、エイラ」


 今日は随分と笑顔になれる日だ。






 それから、少しの間ロボとエイラに話をして、俺はもう一人会うべき人間がいない事を知って視線を回す。外灯付近にはいないようだし、もしかしたら何処か違う時代にでも行ってるのか、と少しだけ残念に思う。入れ違いになってしまったか。あいつにも元気な顔を見せたかったんだが。
 そんな俺の考えを見抜いたか、マールが「ルッカは現代にいるよ。場所はクロノとよく遊んだ所だって」とニヤニヤしながら教えてくれる。なんだか、その笑顔を見ると嫌な予感がするんだが。もしかしたらまた俺を使って人体実験でもする気か? 「生き返った人間の解剖なんて胸が躍るわ!」とか。うわあ、言いそうだなあそれ。


「……やっぱりそれ、俺が行かなきゃならねえよな?」俺の不安げな疑問に当然でしょ、と一転顔をしかめて叱るように指を立てるマール。子供のような動作で、また、子供がやりそうな動作で。俺は噴出してしまった。


「分かった。今すぐ行ってくるよ」背中を向けて歩き出す俺に、マールは行ってらっしゃいではなく、「先手はルッカに譲るよ」と妙に意味深な送り出しをした。
 わざわざシルバードに乗って向かうまでも無い。俺は光の柱を経由して現代のリーネ広場に出る。今もまだ続いているお祭りに、俺はいつまで祭りは行われているのだろう、と考える。いや、そういえば時を行き来している俺たちと違って現代では旅が始まってから一日も経ってない事になってるのか? 随分都合の良い事だ。


「まあ、都合が良いのは俺たちにとって、だから別に良いんだけどな」


 独りごちて歩き出す。こうしていると、マールと二人でいた時間を思い出すな。あれは、随分楽しかった。まだマールが元気なだけの可愛い女の子だと思っていたからだけど。
 ……今でも充分可愛いけどさ。むしろ、今彼女と祭りを回ればもっと楽しいんだろうな、と確信できる。ただ元気で可愛いだけの子じゃないと分かったから。俺を生き返らせてくれる優しさと慈悲と、そんな途方も無い夢物語を信じて実行する心の強さを持っている。例えそれが、俺への恩義だけの行動だとしても。
 店屋の前で宣伝をしている呼び込みの男が、一つの風船を空に飛ばしてしまう。なんとなく行方を見守ってそのまま見上げていくと、空を覆う巨大な黒い物体。マールからの話で現代にも海底神殿……名称は黒の夢と言うのか? が存在していると聞いてはいたが、いつもの見慣れた空に異物があるというのは不快だ。常に見下ろされているような感覚が付き纏う。出来るなら、今すぐにでもソイソー刀で突き落としてやりたいくらい……まあ流石にあそこまで伸ばすことは出来ないが。


「あ、そういえばもう無いんだっけ。刀」


 ふと腰元に手をやりすかっ、と空を切った事で思い出す。あのラヴォスとの戦いで砕けたのか。こうしてお日様の元を歩けるだけ御の字だが……こういうと俺が悪事を犯して出所したみたいだ。現に俺はこの時代では極悪人となっている事実が皮肉だよな。


「……なんにせよ、ルッカに会わないと」


 祭りの様子を見ながら歩いていたせいで時間を食ってしまった。この道草が好きな性質は治りそうにない。死んだって治らなかったのだからこれ以上無い位に重症なんだろう。自分で言っておいてあれだが、全然面白くないな、この冗談。全てが事実なだけに尚更。
 ──ルッカとよく遊んだ場所か。ただ遊んだというだけなら無数にある。よく遊んだ場所も片手では足りないくらいに存在する。森の入り口、町の広場、ゼナン橋、森の中にある川から港町の古びた喫茶店といったように。だが、一番と言うなら……一番と言うなら、あそこしかないだろう。祭りを抜けた後は早足でそこに向かった。あの頃植えた花はもう育っているだろうか?






 海沿いから離れ、丁度城に続くガルディアの森と港町の中間点に位置する、位置的に人が訪れ難い、なだらかな丘の上。人の痕跡が極力に薄い黄色い花畑。頭花が反り返り、陽光を満遍なくその身に受けているタンポポが一面に広がっていた。軽く風が吹くたびに体を横に傾けて、綿帽子が舞う。幻想的でも、美しいとも言えない有り触れた光景。それでも、きっとこういうのが幸せな光景となのだろう。命が芽吹いている瞬間なのだから。
 蝶が飛び交いダンスのように花と花を移動する。言ってみれば、ただの食事なのだが、それすらこの幸せの一部に組み込まれ穏やかな気持ちにさせてくれる。
 視線を右に向ければ、黄色と二分化するように、白色の背の高い植物が同心円状に伸びている。腰まで届く頑丈な茎を持っている花、ハルジオンだったか? それらの中心に帽子を外して髪を風に遊ばせているルッカが立っていた。その手には、祭りで売られていた水を入れる容器が握られていた。透明の容器に入っている水は半分程に減っている。やはり、待たせてしまったかと申し訳なく思う。
 草花を踏む音を聞いて、ルッカがぴく、と反応した。そのまま振り向く事無く「クロノ?」と。待たされて怒っているような雰囲気は見えない、いつも通りのルッカの声が聞こえる。もしかしたら泣いているかも、と心配していたのだが、良かった。ルッカは泣き虫だけど、弱虫じゃないからな。


「来たぜルッカ。わざわざこんな所に呼び出して、どうしたんだよ。っていうか、何でここ?」


 俺の質問に答える事無く、ルッカはすっと遠くに見える一本の大樹を指差した。
 ……そうか。そういえばここは、あの場所が近いんだったか。
 彼女が指差す大樹は、昔俺たちが初めて出会った木。あの頃は、孤立したようにぽつんと立っている木だったが、今は周りに花が顔を出して色とりどりに木の周りに集まっている。寄り添うように、励ますように。ルッカが笑えるようになって、ようやくあの木も仲間を見つける事が出来たんだな、と感慨を覚える。


「懐かしいな、あの木。俺たちが出会ったのは、ある意味あの木のお陰だよな。あれが無ければ、もしかしたら俺たち一生会わなかったかも……そりゃないか。狭い町だしな」自分で言って否定してりゃ世話無いな、と笑うとルッカは「会えなかったと思うわよ? あの時クロノと会わなかったら、私死んでたもの」と素っ気無く告げる。俺は「そっか。なら感謝しなきゃだな」と意味も無く合掌して木に拝む。


「クロノってさ、変わってるわよね」小さく笑って、ルッカはようやくこちらを振り向いてくれた。何でもないような顔に見えるが、眼は腫れて、隈が出来ていた。泣いてくれたのか。嬉しい反面それを覆って余りある切なさが胸を絞める。やっぱり、彼女が泣くのは嫌いだ。例え何があっても。それを気取られないよう必要以上に大きな声で「適当言うなよ」と風に乗せた。


「適当なんかじゃないわ。仮にも幼馴染である私が、死んでたから、なんて言ってるのに平然としてるんだもの」


「だって、今お前は生きてるじゃないか」


「そうね。貴方も生きてるわ。今は」


 何だ? 今一つルッカの会話の真意が図れない。死んだ事に文句を言いたいような感じでも無いし、さりとて俺の死に何の関係も無い話をしたいとも考えにくい。仕方なく俺は彼女の出方を窺った。


「……あんたが死んでから、私考えたのよ。私にしては珍しく、難問だったわ。答えなんか無いって分かるまでちょっとかかったもの」


 意地悪問題みたいだ、と口に出そうとして、止める。彼女にしては珍しく、真剣だったから。それに気付くまで数瞬と必要なかった。


「ねえ聞いてクロノ。私恋してたの。知ってた?」少し悪戯っぽい顔で俺に近寄り下から覗き込んでくる彼女は、とても可愛かった。まるで、十年前に戻ったような気分だった。あの頃の、気弱だけど頑固で俺にちょっかいを出すのが好きだった彼女に。時を越えてばかりの俺だけど、過去に跳んだのではないか、とここまで明確に認識したのは初めてかもしれない。それが誤認識だとしても。俺は懐かしさから目を細めて「嘘つけ」と言ってやった。彼女は頬を少しだけ膨らませる。


「何よ、騙されたって良いじゃない」ほら、嘘だった。
 ルッカは大きく背伸びして、息を吐く。それはとても満足そうに見えた。「恋じゃ無かったみたい。勘違いって言うか……気のせいとでも言うのかしら?」その割にはのめり込んじゃったけどね、と自分の失敗を照れ隠しに笑った。


「まあ、それは良いのよ。で、それはそれとして……聞いて聞いてクロノ!」俺は反射的に「聞いてるよ」と答える。「さっきも聞いてただろ?」とも。


「凄いのよ、私生まれて初めて恋をしたの! これはつまり、初恋ってヤツね!」


 つまるもつまらないも、初めての恋は初恋だろう。読んで字の如くだ。それを人類の発見みたく話すルッカは、いつもと違って見えて微笑ましかった。「それは新発見だな」彼女に一口乗って大袈裟な言葉を使うと、「でしょう!?」とふんぞりがえるので、我慢できず声に出して笑ってしまった。彼女は怒るだろうか? と笑いながらも不安になったが、彼女は怒らず、拗ねず、心細そうに体を小さくするので、「ごめん、気にしないでくれ」と慰めておく。俺の言葉は魔法みたいにルッカの様子を変えて、また嬉しそうにルッカは話を続けた。


「ええとねえ……だからつまり、これは私の初めの一歩、つまりスタートラインなのよ!」“つまり”が多い彼女に感化されてか、「それはつまり?」と聞き返す。伝わらないもどかしさか、じたんだを踏んで「だからぁ!」と怒鳴った、というには勢いの弱い声を出した。それから、ええと……と言葉を詰まらせて結局「もう、それは良いのよ!」と逆上した。それは良いのよ、か。つまり? としつこく続けた俺の言葉は無視された。


「そうそう、私クロノに聞きたい事あったのよ。あんたってさ、好きな人いるの? 先に釘差しとくけど、恋愛的な好き、だからね」


 急すぎる話題転換だなあと呆れながら、これも悲しい習性かルッカの言うとおりに言われた事を吟味する。本当に悲しいなあ、おい。まあ、今のルッカの様子から、断っても酷い事をされそうにないが、今のルッカの様子では断るのは心が痛みそうだった。
 好きな人……好きな人……好きって何だ? 今一つ、普通の好きと愛に繋がる好きの違いが分からない。性行為がしたいかどうかか? それなら大半の女性は愛に繋がる好きになるが……そういう事じゃ無いんだよな。


「……分かんないって顔してるわね」


「流石、長い間幼馴染やってるだけの事はあるな。情けないが、当たりだよ」まさかいい年して愛の定義を考えた上識別が出来ないとは思わなかった。もっと彼女とか積極的に作るべきだったかもしれない。言うだけなら簡単な事だが。


「じゃあ私から質問。エイラ……はキーノがいるから除外として、マールの事好き?」対象人物を定めて聞き出そうというのか。単純と言うか、効果的と言うか……


「マールか。分からないよ、そりゃあそういう関係になれるのは光栄だけどさ、本当に恋愛出来るかって言われれば、なってみなくちゃ分かんねえ」あやふやな答えにルッカは気を悪くした様子も無く「ふうん」とだけ言って、その場に腰を下ろす。このまま俺だけ立ちっぱなしというのも馬鹿らしいので、ルッカと肩を並べるように花を潰さぬよう注意して座った。耳元で話すルッカの声は距離がない分すぐに俺へと届くような気がした。


「じゃあ……まさかロボ?」


「ルッカ、お前とも長いがその手の冗談を言うなら俺はお前との縁を絶たねばならん。未来永劫に」


「じょ、冗談よ……」冗談でも言って良い事と駄目な事くらい分かるだろうに。その程度の区別も出来ない女だと思いたくないぞ幼馴染よ。
 それから、次の相手を出す事無く、ルッカから躊躇っているような気配が感じられた。聞きたいけど言いたくないというような、そんな雰囲気に、この話題は止めようと口にすれば、「もう一つだけ聞かせて」と遮られる。結構恥ずかしいんだがなあ、こういう話題って。


「カ……カエル、とかは? ほら、あんたら結構仲良いし」


「何だ、あいつかよ……まずカエルが俺を好きになる事が無いと思うが」


「私からすれば時間の問題だと思うけど……まあいいわ。あんた自身はどう思ってるの?」随分と穿った予想……むしろ私見というべきか? だな。仲が良いのは認めるが、いかんせん俺とあいつで甘い空間を作れというのは無からケーキを作るに等しいと思うのだ。「まあ良い女とは思うよ。でもあいつが彼女とかそういう未来予想図が設計出来ん。未来は分からんと言われればそりゃ確かにって感じだけどな」不も可も無い微妙な意見でも、ルッカには何か掴めたか「ふむふむ」と空にメモを書く動作をしてみせた。
 その後、もう一度考え込んでから「サラさんは?」と聞いてくる。


「……分かんねえって」その名前が出た事に驚き、少しどもってしまうと「何か反応違わないかしら?」と探るような視線を向けてくる。探るな、探るな。
 サラか……悪い印象は無いと思う。いや、あるけれど、それを補ってしまう魅力も知ってるつもりだ。現に、思い出したくないが見惚れたこともある訳だし。思い出したくねーけど!
 はーあ、と長い嘆息のような息を表に出して、ルッカは立ち上がる。お尻をぽんぽんと叩き、土と雑草を取ろうとしているようだった。しかし、しつこく食い下がる雑草が取れず、終いには諦めたように歩き出そうとする。俺は親切心と悪戯心、多少の煩悩からちょっと待てよ、と呼び止めて彼女の臀部に手を当てて汚れを取る。一揉み位は御愛嬌で許されるはず。許してくれるわきゃねーんだけど。


「ふわっ!?」


 飛び上がって俺に背を向けるルッカは顔が真っ赤に染まっており、俺はカウントダウンを始めた。なあに、燃やされるくらいで済むなら問題無い! 俺は至高の感触を掴む事が出来たのだ! 好みを焼かれようが砕かれようが後悔など微塵も無い! 無いったら無い!


「あ……ありがと。汚れ取ってくれたのよね?」


「………………うん」


 怒られるという事は決して嫌な事だけではないと身を持って知った。まさか報復に出ないルッカに悪戯をするのがこうまで罪悪感を高める事になるとは思った無かった。後で自分を殴っておこうと心に決めた。
 少しばかり欝になり下を向く俺を「まだ調子戻ってないの? 大丈夫? 悪かったわね、いきなり歩かせて……」と心配までしてくれるのでもう堪らない。今すぐ脳天に金槌を叩きつけて欲しかった。俺、今から痴漢行為で自首してこようかな?
 このまま落ち込んでいても仕方ない。話は終わったのか? とルッカに聞くと、未だ赤らんだ顔のまま肯定されたのでリーネ広場のゲート目指して歩き出した。肩は持ち上がらない。断じて。
 ここに来た時は何も思わなかったハルジオンが邪魔に思えて、少し乱暴に倒しながら進むと、いきなりルッカが走り出して俺の先を行く。待てよ、と声を掛けても止まらず真剣に怒らせてしまったか? と気分をさらに落としたが、丘の上に登り、視界から消える前にルッカはこちらを振り向いて、管のように両手を作り、それを口に当てて広大な空の下、精一杯の声で叫んだ。


「クロノ! もし私があんたを好きだって言ったら、何て答える!?」


 怒ってはいないようだが、なんだそれ? 歩くのを忘れて、ルッカとの距離を縮める事無くその場に立ち止まり同じように両手を口に添えて聞き返した。「なんだよその状況! 面白過ぎるだろ!」と笑いの感情を含ませて叫んだ。「良いから答えて!」と不満顔になるルッカは何故か、焦ったみたいな顔で、悲しそうな顔で。意味が分からない俺は困惑するしかなかった。
 今のルッカが俺を好きだって言ったら何て答えるか? ……そんなの、決まってるだろう。
 俺は叫ぶ事を止めて、もう一度強い風が吹くのを待った。風に乗れば、きっと叫ばないでも彼女に伝わるだろうから。
 さわさわと花々が踊り始める。まだだ、この程度の風では彼女に届きっこない。もっともっと、綿帽子が天高く舞い上がるくらいの風でないと。
 蝶の群れが各々持ち場につくように花弁に身を置いて風に耐える。もう少し、もう少しだ。急いては……なんて言うじゃないか。
 ルッカが何も言わない俺を見て、力が抜けたように両手を下ろし、今にも泣きそうな顔で走り去ろうとしていた──瞬間、この日一番ではないか、と思う程の春風が俺たちの間を通り抜けて行く。焦らず、平坦に、さも当然の事じゃ無いかという声音を心掛けて、俺は口を開く。


「知ってた」


 綿帽子は、俺の言葉を包んで何処までも遠くにその身を運んでいった。
 ぴた、と動きを止めたルッカは風が吹き止むのを待ってから、俺を見ずに、空を見上げて叫ぶ。


「私! 諦め悪いから!」そうして、風に負けないような速さで去っていく。顔色は見えなかったけれど、どうせ今までに無い位に真っ赤なんだろう。だって、俺もそうなんだから。一々口に出させるなってんだクソッタレ。
 こんなに顔が赤いのは、いつぶりだろう? ……そうだな、確か、昔ルッカが海で溺れた時以来だろう。子供とは言え、随分思い切った事をしたもんだ、俺。彼女は気を失っていたから覚えていないだろうけど、初めてだったんだぜ? 俺。お前もだろうけどな。
 とうに姿が見えなくなってしまったルッカに、今度は風も届けてくれないだろうけど、彼女の諦めが悪い発言に対して、とりあえず言葉を出してみた。


「知ってるって」


 まだルッカをそういう目では見れないけど。もしかしたら一生無理かもしれないけど。俺はお前がいない人生に耐える事なんて一生無理だから。気長に待ってるよ、俺の初恋の人。なんてな。
 花を折らないように、慎重に歩きながら花畑を抜けた。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十六話 スタートライン・ターニングポイント












「ここからが初めの一歩で、スタートラインだ」俺は時の最果てに集う仲間たちに宣言した。
 時の最果てに帰り、俺たちがまず初めに行った事はこれからどうするか、という事。目的は分かっている。言うまでも無くジール、ラヴォスを倒す事。奴らを倒すのが俺たちの最終目標であり、俺たちの旅の目的である。そんな事は一々確認するまでも無い当然のこと。問題はいかにしてそれを達成するか。今の俺たちにその力は無い。恐らくメンバー最強の魔王でさえラヴォスには敵わなかった。魔王以下の力しか持たない俺たちが立ち向かったところで結果は火を見るより明らかというものだ。
 問題解決の方法は俺たち全員の強さを底上げする事。とはいえ、口にしてもそんな事が容易に行えるわけが無い。地道に修行を繰り返したところでたかが知れている。その程度で強くなるなら、俺たちはもっと力を有しているはずなのだから。通常の修行で高められる己の力、その限界に自分たちが達しているとは言わないが限りなく近いと思う。並々ならない戦いは幾度も繰り返してきた。
 必要なのは急激なパワーアップ。言葉にすればこれ程陳腐なものは無いが、そこに行き着いてしまう。苦しい時の神頼みならぬ爺さん頼り。時の最果ての賢人の知恵を借りる事にする。
 彼は言う。時の最果てに設置されているバケツに飛び込むか、シルバードで1999年ラヴォスの日に行くか、黒の夢まで飛んでいきジールを倒すか。そのどれもがラヴォスへと通じると。
 そんな事は分かっている、何か俺たちが強くなれる方法は無いかと訊ねれば、爺さん──ハッシュはふっ、と笑い帽子を被り直した後、厳かな口調で語り始めた。


「お前さんたちだけでは、奴に勝てるとは思えん……おぼろげじゃが……時代を越えてあんたらに力を貸してくれる存在が見える……」


 まるで予言を話すように、ハッシュは次々に明確でない内容を零した。
 一つ、中世の女性の心で蘇る森。
 二つ、中世で逃げた魔王配下三悪。
 三つ、未来にて、機械の生まれた故郷。
 四つ、原始より陽の光を集める石。
 五つ、中世で魔王に破れ、現代に至るまでに彷徨う騎士の魂。
 六つ、同じく中世にて幻と言われる虹色に輝きし物。
 これらが、俺たちに力を与えてくれるものとなるらしいのだ。もう少し掘り進めて聞けば、どうやらそれらの事柄を解決する事で未来が変わるという。そのどれもが人々を幸せにして、どれもが運命によって捻じ曲げられる負の連鎖だと。
 彼は、激励の代わりに短く呟いた。「断ち切れ」と。この世界を縛る鎖を引きちぎれと。
 ……そうだよな。俺たちの敵はラヴォスやジールだけじゃないよな。その前に、まずでっかい借りがある奴がいるものな。


「下らん、今すぐにラヴォスの首を挙げれば良い事だ……!」


 魔王が我慢なら無いという様子でラヴォスに通じているバケツに入ろうとする。エイラやマールがそれを止めようとするが、彼に聞く耳は無いらしい。まあ、ハッシュの言う事全部こなしてたらそこそこの時間にはなるだろうなあ、確かに。けどさ……


「それで良いのかよ、魔王。まだあんたが戦うべき奴が残ってるんじゃないのか?」


 あえて挑発気味に言うと、魔王は苛立たしげに睨みながら「どういう事だ?」と冷ややかに見据えてくる。俺は、もったいぶる様に人差し指を立てて笑みを堪えることなく言った。


「運命だ」


 運命? とそっくり同じ言葉を魔王を覗く全員が零す。分かんないかなあ、今まで俺たちがどれだけ翻弄されてきたか知らないではないだろうにさ。


「この星を操る運命って奴が何をしてきたと思う? ラヴォスをこの星に降らせて、原始の戦い、その決着を邪魔して、魔王を中世に飛ばして、その結果中世の人々が恐れて、現代の俺たちがあたふたして、未来がぶっ壊された。操ってきたんだよ、運命が、時も未来も」


 操る、という表現は自分で言っておきながら実に正しい表現だと思う。そう、操られてたんだ。全部が全部そいつの思うがままに展開を決められて、何処何処で誰が死んで何処何処で何かが起こって何処何処で誰かが泣いて。掌の上ってやつじゃないか。
 ……爺さんは言った。未来を変える事ができる、と。世界破壊を止めるだけじゃ割に合わない。それだけじゃたった一つしか借りを返せてない。俺たちは皆で七人いるんだ、爺さんの言う六つの出来事をこなさないとやられっ放しで終わる事になる。


「我慢出来るか? このまま運命をのさばらせておいてさ? 俺は嫌だね、今までの礼をきっちり返さないと気がすまねえよ。俺たちが喧嘩を売ってるのはラヴォスやジールだけじゃない、このふてぶてしい野郎だって勘定に入ってるんだ」


「……人間が、運命に挑むというのか?」


「人間だから挑めるんだ、この星に生きてるんだからな」後者を付け足したのはロボの為。お前だけ仲間はずれにはしないと彼の頭を撫でてやる。ロボは気持ち良さそうに目を細めていた。
 ……この星に生きる全ての生物が、こぞって運命に挑むなんて、とんでもない力が生まれるだろうさ。運命だろうが魔法王国の女王だろうが世界を滅ぼすものだろうが片手でぶっ飛ばせるくらいにな。
 両手を叩き、甲高い音を鳴らして皆の注意をこちらに寄せる。やべえ、今俺、絶対にニヤニヤ笑ってる。控えめに言っても良い笑顔なんかじゃない悪そうな顔なんだと自覚出来るほどの。
 だってしゃあないだろう? ようやく鼻を明かせるんだ、楽しくない訳が無い。


「ここからが初めの一歩で、スタートラインだ」聞いたばかりの、ルッカの言葉を引用する。


「……下らん。が……」面白い、と凶悪な顔つきになり、魔王はククク、と笑い出した。同じように、ルッカは「私個人も、借りを返さないといけない奴がいるからね」と高揚したように喉を鳴らし、マールは「相手が大きいほど、喧嘩は面白いよね!」と無邪気に物騒な発言。「ウンメー、食べ物か、なにか? 美味しい?」とエイラが問うので、悪い奴は油が乗ってるもんさと教育をしておく。カエルは「やられっ放しは業腹だな」と手首を揺らし、「運命など僕の偉大な歴史に刻まれる事すら許しません」といつものロボ節が復活した。


「ぶっ壊してやろう、面倒な柵も禍根も全部。ありったけの自由を謳歌する為にもな!」


 ここまで来ても、俺には未来を救うなんて英雄的な考えは持てない。ただ、やられたらやりかえすだけだ。俺には明瞭にラヴォスにやられたという理由が出来た。舐められたまま、弱いと鼻で笑われたままのうのうと生きていけるほど心は広くない。器と心の広さは似て非なるものだからな。


「さて……そんじゃ早速各々で行動しよう。ハッシュの爺さんの言葉に引っかかる者があればそれぞれにその時代に向かってくれ。勿論一緒に行動しても良いし、なんなら個人行動でも良いさ。どの道魔王はそのつもりだろうしな」俺に言われて魔王は当然のように光の柱に歩き出していく。もうちょっと連帯行動とかを知ったほうが良いと思うんだが……まあいいさ。


「ばらばらに行動するの? シルバードが必要な時とかどうするの? あれは一つしか無いよ?」マールが不安な顔をする。


「その事なんだが……ハッシュ、通信機って他にも無いのか? 出来れば全員分あれば嬉しいんだが……」話に加わるどころか立ったまま寝ようとしているハッシュに声を掛ける。寝るなよ、ボケが始まるぞ。手遅れか知らんが。


「ん? ああ。今ある分なら……そうさな。七つくらいならあるじゃろう」ハッシュはコートの中から最初俺に渡してくれた通信機と同じ形の機械を取り出して、全員に配っていった。良かった、まだ魔王が光の柱に入る前で。あいつのことだから、自分の仕事が終わればすぐにも時の最果てに戻ってくるだろうし、あまり必要ないかもしれないけど。ていうかあんた定位置から動けるんだ、俺何らかの因果だかなんだかに縛られて一歩も動けないと思ってた。ただの動きたくないでござる症候群だったか。チホウへの道は近い。


「シルバードを使って移動したい時、また一人で行動してて、誰かの力が欲しい時はそれで連絡しよう。レベルアップの為とは言え、そう時間は掛けられないし、手早く動こうぜ」言って、レベルアップとは、また幼稚だな、と内心で戒める。
 それぞれに、ハッシュの言葉に思うことがあったか、皆考え込んでは予定を組み立てているようだった。魔王は論外、あいつは既に当たりをつけて何処かの時代に飛んでいった。まあ、中世だろうな。魔王なら一人でも大抵の困難は退けられる。俺としては、あいつはさっさと自分のやる事を終わらせて他のメンバーの手助けをしてもらいたい。それだけ、あいつは戦いの面では信頼できる。他に欠陥部分は腐る程点在するのだが。


「それじゃ、皆行動開始! てきぱきこなそうぜ」指を鳴らして、行動を促す……が、カエル以外動き出そうとしない。いきなり過ぎたか……? だろうなあ。


「ねえ、クロノはどうするの?」マールが言う。俺は「ちょっと、一人でやる事がある」と爺さんに目を向けた。ハッシュは軽く首を傾げただけだった。


 皆がそれぞれに次の行動を思い悩んでいると、ロボがその空間を砕くべく挙手して「じゃあ、僕は未来に向かいます!」とはきはきとした発言をした後、足早に部屋を出て行き光の柱に飛び込んでいく。なんだかんだで、あいつも行動力があるんだなあと感心した。


「じゃあ、とりあえず私はルッカとエイラを連れて色んな所を見て回るね! ルッカも何か思い当たる場所がありそうだし」マールは「だよね?」とルッカを覗き込み、それに応えるべく俺の幼馴染は自信ありげに深く頷き眼鏡の縁を指で持ち上げた。マールはくるりと反転して、エイラとルッカをシルバードに続く細い、先の途切れた廊下へと押し込んでいく。
 二人をシルバードに乗り込ませた後、自身も操縦席に座り、時空を移動する前にマールが俺を見ていたので、「何だ?」と投げる。彼女は一度ルッカに手を合わせてごめんね? と謝罪した。ルッカは悔しそうに、嫌そうに顔を歪ませて自分の指を噛んでいたが、最後には渋々、といったように了承した。


「好きだよクロノ! ルッカと同じ意味で、ね」


 言い終わると、恥ずかしい訳でも無いのだろうが、これ以上伝える事も無いという雰囲気でさっさとシルバードで移動してしまった。今までそこにいたという形跡を残さず、虚無の空間が広がっている。
 ……今日は恋愛運が暴走でもしてるのか? 嬉しいのは間違いないのだが……頭を抱えてしまう。なんだか、焦燥感だろうか? に追われるようなむずむずした気配が足先から登ってくる。上るではなく登る、だ。
 闇雲に両手を振って思考を切り替える。何がどうなるでも無いが、迷いが薄れた気がしないでもない。
 にしても、マールは告白の類はもう少し言い回しを加えると思っていたが、随分さっぱりしていたな。彼女らしいとも言えるが。いつだって彼女は実直で着飾らないんだなあ。お陰で妙にしっくりと彼女の言葉を受け取れたのだが。
 さて、俺も俺で自分の仕事を終わらせるかね。


「なあクロノ」後ろを振り向いた瞬間驚かせる為としか思えない近さにカエルがいたので瞬間的に拳が出そうになるが、自制する。お前、一足早くに出て行ったんじゃないのかコノヤロー。


「まさか、お前も俺に告白か? フィーバータイムか? 奇数字で当たったのか?」何を馬鹿な、と訝しげに見つめると、勇気を出すように呼吸を繰り返してから口を開く。何を話すのか知らんが、異性の前で深呼吸を幾度か行い、その上赤に染まったその表情とか、もうそういうあれとしか思えないんだが。


「出来れば、お前の用事が終わった後、中世に来てくれないか? 場所はチョラス村……魔王が消えて魔物の脅威が薄れた今ならば、船で渡る事も可能だろう。なんなら、お前はシルバードで来ても良い」言い終わった後、気付いたようにチョラス村の場所は分かるか? と問われたので、頷く。現代とほとんど地理は変わってないんだ。なら、見当はつく。
 後で向かう、と約束すれば、あからさまにカエルはほっとした顔を見せた。
 俺がいなければ心細い、という事はカエルに限って無いだろう。いやまあ、戦闘力ががた落ちしているだろうカエルに単独戦闘は不可能だと思うが、それでもこいつは自分の弱さを認めず一人で突っ走るタイプだ。意地っ張り代表選手権にでも出れば良いのに。
 ……何か思うところがあるのだろうか? 俺の復活云々の事をまだ引き摺っている……だろうな。多分。それ関係と決め付けて良さそうか?


「なんにせよ、無理はするなよ、今のお前は剣も碌に振り回せないんだからな」


 俺の注意を聞いているのかどうか、見た目にはカエルは聞いてません、と顔に書いたまま、床を蹴り今度こそ中世に向かった。同じ中世に向かうなら、魔王と一緒に行動すれば良いのに、と思わないではないが、どっちも拒否するのは明々白々である。無理をする事に関しては右に出る者はいない彼女だからこそ、その態度に眉根を寄せた。


「……まあいいか。どうせ俺の用事はすぐ終わる」


 心配は心配だが、そう間を置かず合流する事も出来るだろうと楽観して、外灯に身を預けるハッシュを見た。彼はいつも通り表情の見えない、何を考えているのか探れない淡々とした空気を放っていた。何も考えていないようで、何も知らないようで、人を惑わせるこの爺さんは前世は狸だったんじゃないか、と埒も無いことを考えた。


「ワシに何か用かい? クロノさん」


「ああ、あんたに聞きたい事があるんだ」



















 おまけ


 ルッカから告白されたクロノが戻るまでの、先に時の最果てに帰ったルッカのお悩み


 顔が熱い。溶けてしまいそうだ。むしろ燃えてしまいそうだ、いやもう燃えているのではないか? 耳の辺りなんか鉄を熱した時に似た熱気が生まれている気がする。ルッカは真剣に馬鹿らしいことを考えていた。
 生まれて初めての恋と、初めての告白。その二つがほぼ同時に行われたとなれば無理の無いことかもしれない。その初々しい行為を子供とは言いがたい年齢で経験したことも相まって彼女の脳は過負荷に耐えられず気絶への秒数を刻んでいた。


(いやいや、でもここで倒れたら皆に迷惑かかるし、皆が心配するし……クロノは心配してくれるかしら? そりゃするわよねあいつ優しいし……やっぱりクロノに迷惑かけたくないし、クロノに心配させたくないし……)


 いつのまにやら『皆』が『クロノ』へと変化した事に気づかず、ルッカは悶々と膝を抱えていた。頭に浮かぶのはこれからどうやって己が幼馴染と会話すればいいのかという一点に尽きる。今までのようにどつき漫才をするのは恋愛対象として見られない恐怖があるし、畏まったまま付き合っていては距離が縮まらない焦りが生まれる。いわば、その中間を捜索する作業を延々続けているのだ。未だに行方不明である『程よい距離感』は見つけられそうに無い。
 見かねたのか、マールがぶつぶつとああでもないこうでもないと試行錯誤しているルッカの肩を叩き、「どうしたの?」と聞いてみる。


「マール……あのね、私ね……クロノに好きって言ったわ。そのままじゃないけど、間違いなくそういう意味を孕んだ言葉で……あれ?」


 ここでルッカの顔色が明瞭に変わる。もしかしたら、自分の言葉ではクロノに伝わっていないかもしれない。どう考えても告白としか取れない言葉だが、億が一、兆が一にも意味を履き違えられていたらどうしよう? 彼をただの馬鹿とは思ってないが、それでも不安は渦巻き、今や平常心という大陸を呑み込む大渦へと化していた。
 挙動不審に体を揺らしながら「まままマールどうしよう!? どうしよう私、間違えてたかもしれない!」と肩を掴み顔を近づける。迷わずマールは「近いなあ」と嫌そうに顔を背けたが、今のルッカにそんな事を気にしている余裕は無く、もう一回言うなんて無理! 無理だってば! と世界終焉間際の面持ちで喚いていた。


「大丈夫だよ、クロノは鈍感じゃないってば」ルッカから話を聞き、嘆息混じりにマールは諭した。


 そ、そう……? と気を落ち着かせ始める。誰かに大丈夫だと言われるのが力に変わる明確な感覚をルッカは初めて知った。彼女に感謝の気持ちを告げようとしたその瞬間、ルッカはマールと喧嘩していた事を思い出し、萎縮してしまう。よく思い出せば、彼女は自分に謝ったが、自分は彼女に謝っていないではないか、とも。


「ご、ごめんなさいマール……私、あの時訳も分からず動揺して……おかしくなって……」


「良いよ、私も酷い事言ったからお互い様だよ」ルッカはその暖かい反応に涙を流しそうになった。自分の背中を押してくれた上、大丈夫だと励まして、さらに自分の失態すら許してくれる自分の友達……いや親友に出来る事は全てやろうと固く心に誓った。


「ありがとうマール。私もう逃げない、このお礼……いいえ、恩は必ず返すからね!」拳を握り自分の決意の強さを語ると、マールは笑顔のまま「じゃあ二つばかり、ルッカに謝らないといけないことがあるんだけど、それを許してくれない? それで本当にチャラだからさ」とルッカに握った拳を包み目を合わせた。
 何でも許すし、その程度で怒る訳がないと力強く答えると、マールは嬉しそうに「良かったぁ」と息を吐いた。その可愛らしい反応に、目の前の親友を抱きしめたい衝動に駆られ、いっそ力の限りそうしてしまおうかと思ったが、その前に出されたマールの言葉にルッカの体は硬直してしまう。


「あのね、ルッカの部屋燃えちゃったから。あ、倉庫にあった写真も全焼したっぽいよ」


 待て、とルッカは命令する。マールに対してではない。自分に、だ。脊髄反射のように魔力を練ろうとしている自分に停止を呼びかけていた。きっと彼女の事だ、意味も無く自分に嫌がらせとしてそんな事をする訳が無いじゃないか。落ち着け、落ち着け、と正しく魔法のように呟き続けて、ぎこちなく笑顔を作り「き……気にしないで?」と答える。それだけが今のルッカにできる最上の行動だった。
 しかし、彼女の血涙を流す思いで作られた笑顔も、次の瞬間にはあっさりと砕け散る事となる。


「それと、私もクロノ好きだから。ごめんね、ルッカ。もう応援できないや」てへっ、と笑う。


 殺せ、とルッカは命令する。マールをではない。自分を殺せと自分に命令する。ただ死ぬ事だけが最終の目的ではない。死ねばこの悪い夢が覚めるに違いないという一縷の望みを賭けた博打を打とうというのだ。死んで次に目覚めた時には自分の恋を応援してくれる大切な親友が出迎えてくれるはずだ、と。


(もう……もう我慢しなくて良いわよね? 私もう限界だしね?)


 おもむろに立ち上がり、ルッカは右腕を高く掲げた。その行動からマールだけでなく、ロボ、エイラ、カエルがひっ、と声を上げた。間違いなくそのまま渾身の勢いで振り落としマールの肩もしくは頭蓋を砕くか火炎を作り出し火の海に呑ませた後灰燼へ戻そうとしている、そう思ったからだ。ゆらり、と揺れる彼女の後ろに陽炎が見えたのは気のせいではあるまい。
 ぶつぶつと何事か囁く彼女の様子から、それを呪文詠唱だと考えて、火炎だな、とマールは予想した。震える唇を叱咤して口早に防御の為の魔術を紡ぐ。詠唱時間の長さから並大抵の氷壁では防げないと悟り、冷や汗が流れる。カッ、とルッカの目が見開かれた瞬間、魔王とマールを除く全ての者がルッカを取り押さえるべく駆け出した。
 ──間に合わない。それがマールに浮かんだ言葉。口を動かすだけで事足りるルッカと違い他の面々には近寄るための距離が存在する。僅か数歩程度の距離が、果てしなく感じられた。
 諦観を滲ませた表情で、マールはルッカを見遣った。なんとか誤魔化せないかなあ、という打算も込みで、だ。マールの見たものは、怒りで目を引き上げた顔でも悔しさで歯を噛み締めている修羅のような顔つきでもなく……どちらかといえば、子供がするような、駄々っ子に近いものだった。


「だめーーーーっ!!!」


 拳の前面──俗に言う猫ぱんちというのか、でマールの体をぽくぽく殴るルッカに、魔王を例外とする総員が体を転ばせた。どないやねん、という転び方だった。


「だめだもん、クロノ好きだもん! 私が好きなんだもん!!」


 前述したとおり、彼女に恋愛経験は無かった。今までクロノが好きだったという過去は全て思い違いだったとされ、その上にまたクロノへの愛情を新規に上書きされた彼女の恋愛感は同年齢の女性と比べ、あまりに幼かった。一つの逆行とも言える。今の彼女にとって恋愛とは、自分が好きになった相手が取られるかもしれない、などという事は酷く理不尽に感じられたのだ。自分が貰ったお菓子を理由無く取られるような、そんな感覚に近いだろう。
 なまじっか、恋愛本を読み込んでいた事も災いとなった。彼女の見る恋愛ものといえば、大概が好意を自覚した女主人公はとんとん拍子に好きな男性とくっつくというありふれた展開の多い優しいものだった。今の彼女に現実と虚構の区別をつけろというのはかなり難しいことだった。
 要約すると、ルッカはマールの言う「私もクロノ好き」宣言は純粋に自分を虐めているようにしか感じられなかったのだ。何で意地悪するのか分からない彼女は悲しくなって癇癪を起こしていた。結局ルッカは自分本位の考え方を改めるには至らなかったという事になる。そも、考え方を変えるなど短い期間で出来る筈が無いのだが。


「取ったらだめ! 私がクロノを……う、ううーーー!!」


 とはいえ、喚きながら微量に残った理性が蘇り始めて「いや、その理屈はおかしい」と白々しく告げてくるものだからルッカは何を言う事も出来ず呻き出した。もう、自分が悲しいのか悔しいのか怒っているのか焦っているのかなんなのか全く分からなくなっていた。
 目を白黒させて混乱していたマールはようやく今の状況を掴み、視線を下に降ろす。そこには自分の胸元にしがみつき「だめだもん」を連呼するルッカの姿。時々力無く自分を叩く拳が弱弱しくて……本能のまま抱きしめる事にした。


「やばいよカエル……ロボに引き続きルッカも持って帰りたくなっちゃった」念入りに背中やら頭やら臀部やらを擦りながら至極真面目な顔でマールはカエルに助けを求める。矛先を向けられたカエルは「やめんか」と端的に返した。


「一応、カエルもリストには挙がってるよ。エイラもね」まさかここで自分の名前が出るとは思っていなかったエイラは「……え?」と怯える。「聞きたくないわ! そんな妄言!」犬歯を剥き出しにしながらカエルは言い、そのまま魔王を見遣り、平然としている様を見て(何故こいつだけマールのリストから外れているんだっ!! 不平等だ!!)という怒りを覚えた。カエルと魔王の間にある溝が地平線まで続いている。今や伸び過ぎて大気圏を突破する勢いだった。地球から水星くらいの距離だろうか。
 様々な思念が飛び交い絡み合う中、おろおろするエイラとロボ、未だ泣き止まぬルッカと彼女を至福の表情で撫で回しているマール、カエルに睨まれ殺意を送り込まれている魔王。実にバラバラなその場面に、魔王が誰にも聞こえないよう音量を落として呟いた。


「全員、阿呆ばかりだ」


 誰にも聞こえてない筈だが、老人ハッシュがタイミング良くこっくりと頷いた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:08
 全てを手に入れた。予てからの宿願である永遠の命。全てを虐げられる残虐な力。最早自分を屈服させる存在は無い。『死』という概念すらも超越したのだ、何を恐れる事も無い。
 ……ただ、気に喰わない。もう終わった事とはいえ、大層に気に入らない。己が尊敬し敬愛し崇拝する神、いや神という言葉ではまだ足りない。絶対的な力の象徴、ラヴォス神を見遣る。顔の部位に小さな裂傷が残っていた。
 これでも、回復したほうなのだ。当初は大きく抉られ、生命活動に支障は無くとも、ラヴォス神は痛みに幾度か吼えていた。大きく口を開き、荒々しい呼吸を吐いていた。取り急ぎ治療を行ったが、凄まじいまでに強化された自分の魔術でも完治させるには至らなかったほどの傷。それをまさかたかだか普通の人間にやられた等と、自分で見た事とはいえ信じがたかった。


「おのれ……あの小僧……」


 奴は死んだ。確か、名はクロノとか言うたか。当然に、代償として身を滅ぼしてくれたが、それでもまだ足りぬ。四肢を千切り、頭蓋を砕き、眼球に針を何本を刺しこみ、指の一本一本を砕いて自ら「殺してください」と言うまで、いやそうなったとしても苦痛の極みを与え続けねば気が済まぬ。妾の怒りは消えぬ。人間の分際で、人間の分際で……


「許さぬぞ、決して許さぬぞ……ゴミめが!!」


 奴の妙な攻撃呪文によって、他の仲間たちも逃がしてしまった。奴の存在が全てを狂わせた。煮えたぎるこの想いをどこにぶつければいいのか。誰かに当り散らすにも、連れてきた科学者どもは死に絶え、いつのまにかサラの姿は消えている。恐らく、ラヴォス神が消し去ったか、ゲートの渦に呑み込まれたかしたのだろう。今ここにいるのは、ラヴォス神と妾だけだった。
 海底神殿に戻れば、無数に魔物たちが蠢いているが、奴らは貴重な戦力源。いつかの時に、ラヴォス神の粛清から逃れた人間どもを狩る為の。
 結局、妾は自分の腕を折る事にする。力を入れすぎたからか、筋肉がブチブチと音を立てて断裂していく。痛みは無い。そのような瑣末な感覚などとうに切り捨てている。苛立ちという陳腐なものも捨てたはずなのに、何故か頭に血が上る。誰か、誰か殺したい。やはり自分の身を傷つけても気は晴れない。そう気付いたのは、闇雲に刃物を自分の体に押し込んでいた時だった。


「……くはっ」


 ……見つけた。良かった、見つけたぞ。片手間に、時空を超え、世界中に糸を張り巡らせて良かった。引っかかったぞ引っかかった。奴の気配だけは忘れん、今はそうかそうかそこにいるのか。西暦は……そうか、なるほど。既にラヴォス神が世界を滅ぼした時代か。場所は死の山か。そうかそうか。
 何故消し飛んだはずの奴がいるのか分からない。だがこれは好都合、やはり妾は運命が味方についているのだろう、まさか、一度だけでなく二度も奴を殺せるとは。
 久しく忘れていた高揚が体の奥から溢れてくる。子宮の底から熱い感覚が立ち上り、呼吸が荒く、艶かしくなるのが自覚できた。愛しいぞ、愛しいぞ、早くここまで来い糞餓鬼め。殺してくれようぞ、幾度も幾度も幾億の月日が経とうとも殺して殺して殺してくれる。あああ、その光景を思い浮かべるだけで至福の心地よ。


「待っておるぞ、クロノ……」


 これほど焦がれるのは、生娘であった時以来よな、と歓喜の猛りが妾の体を震わせた。












 夜空の星が輝きを増す。半月は巨大な存在の嘲笑に見えて、気分が悪かった。人間には、空の瞬きを見て何やら小奇麗な逸話などを作り出すそうだが、私からすれば狂気の沙汰としか思えん。何ゆえ、闇にある星が輝くのかその理論すら分からぬのに、まるで身近なもののように振舞うその感性は理解が出来ぬ。案外に、人々が恐れる魔物どもの方が理性的で知的なのではないか?
 少なくとも、私には夜の空というものは恐ろしいものの象徴として見える。何故か? とある事から、宇宙を学んだ私には、多少の知識は得ているが、それでも完全な理解が出来ぬからだ、届かぬからだ。どれほどに手を伸ばそうともどれ程に飛びゆこうとも触れることは叶わず、側に寄ることも出来ない。分からないものほど恐ろしいものはない、過去の偉人とされる人間が言った言葉だ。ただの俗人にしては、穿ったことを言う。


「……あちらか」


 世に散らばる魔の気配を探り、その中でも一際に強いものを探している。山々よりも尚高度を飛ぶ私の、さらに頭上に聳える黒の夢は無視して。どす黒い、凶悪な力が漏れているのが堪らなく鬱陶しい。お陰で、奴らを探す邪魔になる。
 ──中世で逃げた魔王配下三悪。ガッシュの言葉を頼るならば、間違いなくビネガーどもの事だろう。まあ、死んではいないと思っていたが。
 今ならば分からぬが、あの頃のグレンどもに負けるはずがないのだ、奴らが。私には敵わずとも、並の魔物や人間など指一つで散らせるほどの力は有しているのだから。その気になれば、奴ら一人でも小さな町ならば自警団や兵隊を無視して十分と掛からず消し去れる実力の持ち主。とはいえ、あくまでも私の敵ではないが。魔王と呼ばれるには、理由がある。
 しかし……運命か。中々に面白いことを言う、あの小僧め。
 私は時の最果てにて発言したクロノの言葉を思い出す。星を操る運命に喧嘩を売る、か。実に頭の悪い考え方だが……血が滾った。爽快ではないか、私の道を遮る存在はジールとラヴォスだけではない。納得した。私の邪魔をするのは二人ではなく三人だったとは。であれば、いくら私といえど少々手間取るのは道理である。


「ククク……良いだろう、今に私は強くなる。私の前に立つ壁を登るではなく、崩壊させるほどの力を持つ。その為に……」


 私は、出来すぎた程に丸い小さな島を視認した。森が生い茂り、人間が住む気配は無い。変わりに、むせ返る程の魔気が渦巻いている。海鳥もその島には近寄らず、波すら怯えたように静かなものだった。黒雲が常に島の頭上に控えて、雷鳴を迸らせていた。島に降り立つ。
 森は密集し、侵入者を拒むように捻じ曲がり、到底人の通れる道は存在していなかった。面倒になり、火炎で消し炭に変えてやろうと火炎呪文を唱え出した事で、変化が起きる。


「……魔樹木か。下らぬ」


 ぎりぎりと、樹皮を削り落としながら木々が蠢きその体を避けていく。しばらく見ていると、動き出した樹木の後に小さな細い道が作られていた。葉が舞い落ち、それらを踏んで進めばじゃり、と森の中に響く。中にいる存在に誰かが来た事を知らせるようだった。
 浮いていけば、足音を消せるかもしれんが……それでは私が怯えているようで、堂々と闊歩する。途中、野犬の群れが飛び出してきたので風を起こし吹き飛ばす。近くに落ちた亡骸を見ると、ただの野犬ではなく、下級の魔物だった。もう間違いない。奴らはここにいる。推測の域を出ないが……もう私の存在に気付いているだろう。神経質なビネガーの事だ、今は慌てながら罠を仕掛け直しているかもしれんな。その大概が下らぬものだろうが。
 木々の間を通りぬけ、歩いていると空からには分からなかった広場へと出る。その広さは並ではなく、家一つどころか城一つ入りそうな、広大なもの。実際に、広場の中央には城ほどとは言わないが通常の民家では比べ物にならない、館といった大きさの建造物が建っている。どうやら、魔術によって隠されていたようだ。でなければ、空からこの館を発見できないのはおかしい。島全体か、もしくは館を覆うように幻覚魔術でも拵えているのだろう、マヨネーの魔術か、と予想する。この手の魔術は私よりも抜きん出ていたからな。騙されるとは思っていなかったが。
 館は、全面黒塗りの、魔王城をそのまま小さくしたような造りだった。真似たのか、それとも魔王城よりもこちらの方が先に建てられたのか。丁寧に、天辺の龍の銅像まで再現されている。館に近づき、石製の階段を上って、扉に手を当てる。瞬間、鉄製の扉から電流が流れてきた。皮製の手袋越しにこの電圧、人間ならば即死だったろう。私も、手袋が無ければ痛みを感じたかもしれない。
 一々手で押すのが面倒になり、一度側から離れて鎌を取り出し切り倒した。内側に倒れ行く扉は床に横たわり、埃をもうもうと立てる。内装まで魔王城に酷似しており、赤の絨毯、心細い蝋燭をつけた燭台、ぐらつき整備の行き届いていないシャンデリア、黒ずんだカーテンに……仄かなバラの匂い? 魔王城にそんな趣向は無かったはずだが。
 鼻で息を吸い、酸素と共に芳しい香りが玄関に流れている。私はその匂いの発生源に向かい視線を向け、薄暗い空間を照らすべく火炎呪文を天井に向け放ち、壁に当たる直前で停止させた。簡易の光源として使うのだ。
 視界の良くなった世界で見えたのは、半裸で、体を濡らした緑の……醜い化け物。奴は目を丸くさせ、気分の悪い事に己が乳房を両手で隠していた。ゆらゆらと揺れる髭がさらに私の怒りを増長させる。


「……消えろ」掌にダークボムを形成し、放とうとした。私は目に見える害は潰す主義なのだ。


「まっ、待ってくだされ魔王様ぁぁ!!」言うと、緑の化け物──ビネガーは驚いて落としたのか、足元にある服を手繰り寄せ、せっせと体に通した。


「ふう……今更ですな。魔王様。私たちを捨て、戻ってくるとは!」一息ついて、仕切りなおしだと言わんばかりに指差してくるビネガーが真に鬱陶しい。やはり、先ほどに潰しておくべきだった。


「捨てたのではない。儀式制御に失敗し、時代を飛ばされたのだ」ビネガーは目を輝かせ、「では、もう一度我らと共に人間を滅ぼすのですな!?」と喜ぶので、その表情が癇に障り口早に否定した。「もう貴様ら魔族の為に戦うつもりは無い。利用する為だが、今は人間と手を組んでいる」儀礼的に謝罪でも口にするか悩み、必要ないと判断して口を閉ざした。私が謝るなど、天地が逆転しようとありえん。


「……何故ですか。何故我らを裏切るのですか」


「裏切ってなどいない。最初から、貴様らを仲間と思った事は無い。消えろ」馴れ合いのような台詞が気に喰わず、明確な言葉を突きつけてやった。勘違いも甚だしい。私に仲間など存在せん。一人でも強くあろうと、この中世に飛ばされて以来誓ったのだから。
 ビネガーはわなわなと震えて、膝を突き、目を尖らせて私を睨む。まだ、何か言いたいことでもあるのかこいつは。まだ縋ろうというなら、問答無用にこの世から消してくれる。


「昔はっ!! 昔は雷が怖くて夜な夜な私たちに『お話しろ』とねだってきたというのに! あの頃の素直じゃなくても可愛らしい魔王様は何処に行かれたのですかぁぁぁ!!!」


「……そんな事はしていない。貴様らが勝手に私の寝床に来て昔話を語っただけだ」全く面倒な魔族だった。子供だった私をあやそうとでもしたのか。勝手な行動にいつも苛々したものだ。


「知ってますぞ!? 毎朝起きた後布団をマヨネーの所に持って行っては『地図を作ったのだ、粗相ではない』と口を尖らせていた事も! 正直マヨネーがあんな事になった責任の一端は魔王様にあるというのに! その場を目撃した私としてもかあいーてしゃあなかったのですが!」


「……覚えていない。万一そのような事があってもそれは正真正銘地図を描いていただけだ。私に非は無い」過去を捏造して私を貶めようとするとは、下賤な。私も悪であることは自覚しているが、こいつといいマヨネーといい気品が足りぬ。魔族という事に誇りがあるならば、それに倣うべく行動しろ。下種め。虚偽を口にするなど……実に痴れ者だ。この……痴れ者め。


「それでは! それでは、お昼寝しながらソイソーに膝枕されて私とマヨネーの手を握り『えへへ』と笑っていた事は」「黙らんか貴様ァァァァァ!!!!!」


 有無を言わさずダークボムを叩きつける。一度や二度でひしゃげるとは思っていない。確実に床と同化、いやそれ以上に平坦な肉体としてやるべく念入りに叩きつける。嘘しか言わぬこいつには似合いの末路だ。嘘しか言わぬこいつには似合いの末路だ。嘘しか言わぬこいつには似合いの末路なのだ。
 両腕を振りしきり一度の詠唱で三発は重力を変化させる半円の地形を作り出していたのに……ビネガーは気付かぬ内に奥の通路へと転移していた。防御呪文に回避呪文はビネガーの十八番だったか……忘れていた。


「……良いでしょう。魔王様。我ら魔族を捨て、人間の肩を持つというならばもう容赦はしませぬ。こうなれば、手段は選ばぬ!!」奴の魔力が浮かび、この大広間に広がりゆく。その濃縮具合、私でも及ばぬ無尽蔵なそれは、三魔騎士に命令を下す司令として恥じぬものだった。


「ようやくその気になったか、貴様は常に二手三手遅い、瞬間に殺してくれる」手袋を押し込み、指を二度曲げる。今この場で奴を消し去れば不毛な妄言を吐く事も出来ぬだろう。
 ねば、とした唾液を糸引かせながら、ビネガーは喉の奥で笑い、両手を掲げて預言者のように、演説するように、宣言した。


「明日……いえ、今日にも貴方様の恥ずかしい過去、命名『魔王様育成日記』を全世界で販売してくれるわ!!」


「……何だと?」いかん。どうやら、あまりに馬鹿らしい事を聞いた気がして意識が飛んでいたようだ。もう一度ビネガーから事の真相を聞くべく問うた。ビネガーは気味の悪い声音そのままに、「ですから! 貴方様の幼少時代に犯した可愛らしい失敗話や腕立てが出来なくて泣いている写真の挿絵を付けた本を出版するのです!」


「………………ビィィィイネェェエガァァァアアーーー!!!」


 良かった。ここに来たのが私だけで。もしも、このような馬鹿な場面をあの金髪の娘や赤毛の男、ましてやグレンなどに見られればその場で屍に変えねばならなかった。今この場に居るのは私一人。役立たずも足手纏いもいない、邪魔する者は皆無。つまり……奴を殺すことは目を瞑ることよりも容易だという事だ。輪切りにして海の生物、その餌にしてくれる!
 一歩前に踏み出すと、ビネガーは高笑いを上げながら奥の部屋に走っていく。「追って来るがいい! 私……いや、この館に生きる魔物たちを倒して、我ら三魔騎士を倒さねば貴方に未来はありません!!」と捨て台詞を残して。この場に残るのは私だけなった。


「……ククク、クックック……ハハハハハハハ!!!」


 追って来るがいいだと? 良いだろう、追ってやる。貴様はどうやら、私を迎撃する心積もりのようだが、甘い。まるで逆なのだ。貴様らが私をおびき寄せるのではない、私が貴様らを追い詰めるのだ。一歩ずつ歩み寄り、その首に手を掛けてやるその時まで。何処までも追い続け、我が汚点を消し去ってくれる。
 念の為に、この館全体に脱出不可の魔法を掛け、縛る。魔王城でもやっていた事だ、規模の小さいこの館を覆う程度、なんという事もない。何より、今の私は魔力が無限にあるような感覚すらある。底を尽く事はありえぬ。奴らの首を取るまでは。
 ……さあ、狩りの始まりだ。今の内に笑っているが良い、貴様らの犯した大罪は、決して消える事はないのだから!!












 星は夢を見る必要は無い
 第三十七話 三魔騎士との戦い













 ビネガーの館には多種多様な魔物が待ち構えていた。と言っても、魔王城にもいた魔物ばかりだが。当然、性質は知っている上、弱点戦い方全てを熟知している私の敵ではなかった。腕力しか自信の無い青い甲殻を持った人型の魔物は近づかれる前に凍らせ、飛び交うガーゴイルの群れは炎の壁に焦げ落ち、残った者は鎌の柄で頭を打つ。私の目的は三魔騎士。元は私の部下だったこいつらを殺す必要は無い。慈悲や、優しさなどという下らぬ感情ゆえではなく、殺す必要が無いから殺さぬだけ。面倒ならば全て焼き払うのも悪くないが、その程度の手加減、私にとって苦にもならぬ。
 時折、待ち伏せしたビネガーが私を馬鹿にしているとしか思えぬ罠を多数仕掛けていたが、全て焼き払った。唯一まともだったのは動く床と、その上に落ちてくるギロチンのみ。残る罠は蜂蜜の上に覆いかぶさるよう設置された人間大の籠。半裸の女性の写真が貼り付けられた、上から垂れているロープ(良く見れば被写体はマヨネーだった)。見るからに色の違う床。試しに壁に設置されていた蝋燭を落としてみると、予想通り落とし穴だった。底を覗くと竹やりが空に伸びており、悲しきかな、数体の魔物が必死の形相でその途中の滑り穴で落ちぬよう四肢を伸ばし側面の壁に手をつけて耐えていた。震える両腕を見る限り、限界は近いだろう。
 いっそ、一思いに底へ落としてやろうかと考えたが、あまりに哀れだと思い、風を起こして引き上げてやった。魔物たちは「ありがとうございました」と深々と頭を下げ、館の入り口の方へ走り去り、「もうこんな薄給仕事止めてやる!」と残した。そうか、私は知らなかったが、魔王配下の魔物は給料制で雇われていたのか。何故か、気分が消沈してしまう。


「ええい、鬱陶しい!」


 纏わり付くように群がる魔物たちを電撃で吹き飛ばし、尽きる事のない敵の数に嫌気が差してくる。今までに倒してきた魔物の数は百に迫るか否か。ビネガーめ、いったいどれだけの魔物をここに集めているのだ。
 そもそも、私は魔王という魔物を統率する立場にあるが、実際どれだけの魔物がこの世界に存在しているのか、把握していない。野良を含めずとも、その数は数千を優に超えると聞いたことがあるが、眉唾としか言えぬ。それだけの魔物がいるならば、ガルディア程度の国にてこずる訳が無い。一夜にして滅ぼす事も可能なはずだ。
 ……そこまで考えが至り、私は一つ疑問が浮かんだ。何故奴らはたかだか一国に長い年月をかけて戦っているのか。時にはサイラス、グレンのように例外はあるが、人間というのは総じて脆弱。私がおらずとも、三魔騎士だけで充分に滅ぼせる力量を持っているはずだ。奴らが力を合わせれば、島を、とは言わぬが城一つ消し去る事など造作も無い筈。分野によっては私を超える、というのは嘘ではない。体術ではソイソー、攻撃、防御に直接関わらぬ、例えば幻惑呪文等においてはマヨネー、魔力量と防御呪文はビネガーの右に出る者はいない。
 奴らならば、主要な騎士どもをソイソーが屠り、司令官をマヨネーが操り、ビネガーが魔王軍を守り戦線を見る間に変えていけるだろう。私の出番はサイラスを屠った時に消えている。いや、サイラスとて三魔騎士と大勢の魔王軍を集結すれば勝てぬ相手ではなかったはずだ。私が魔王として力を振るう必要など無い。


「……何か、理由があるのか」


 人間を一度に殺さず、わざわざ戦いという体を取っているのは。私は奴らの考えが分からず、その事に不快感を感じた。まさか、魔の王に対して隠し事をしようとはな。首を刎ねるだけでは済まさぬ……
 突進してくる魔物を持ち上げ、そのまま先に見える扉に投げ放った。魔物の体は扉を粉々に砕き、ごろごろと真っ暗な部屋の中央まで転がる。と同時に転移されたのか、シュ、という擦れたような音と共にその姿が消える。
 外から見た限りでは、もうほとんどの部屋を見て回ったはず。精々、次の部屋が最後か、後一つ二つ先があるかどうか、という位だろう。
 靴を響かせ、廊下を歩く。既に扉の意味を為さない木製の板を踏みしめ、部屋に入ると、一斉に部屋の燭台に火が点り、私は急な明りに目を細めた。
 目が慣れるのを待ち、もう一度前を見ると、さっき魔物の体が転がっていた部屋の中央に三人の姿が。蝋燭の揺らめく火に照らされる彼らは一様にこちらを睨み、また蔑んだような目で見据えていた。


「久しいですな、魔王様。とはいえ、そう昔の事でもありませんが」青の装束を垂らした外法剣士──ソイソーが一歩前に足を出し、左手を前に出す。ゆったりとした動きに気を抜く事は出来ない。奴の技量ならば、いかに魔法膜を張ろうとも瞬きする間に私の腕を切り裂く事も可能なはず。


「ふん……この期に及んで私に敬語か。私は、己の修練のため貴様らを消しに来たのだぞ。滑稽と言わざるを得んな」


 ソイソーは失礼しました。と改め、その上で「しかし、貴方様ほどの方が尚も上を目指すとは……流石、我が主と仰いだだけの事はある」としつこく敬語を崩さなかった。


「全く、ストイックにも程があるのよネー。でも、そういうところもす、て、き」マヨネーが片目を瞑り、口に手を当てこちらに向けて離す。ウインクと投げキッスと言いたいのだろうが、不気味な生物が不可解な動きをしているようにしか見えぬ。吐き気を堪え、私は「貴様の嗜好には付き合えん。消えろ汚物」と正直な感想を下す。「クールなところも嫌いじゃないのよネー」と、まるで堪えた様子は無かった。いっそ、生ゴミ以下とでも言ってやれば良かったか。


「……あくまで魔王様育成日記販売を阻止なさるおつもりか……すでに刷り終えているというのに……何故だ!!」


「ビネガー、最早貴様の口から吐く悪臭と下らぬ話は飽き飽きだ。疾く、死ね」こめかみが痙攣しているのが分かる。屑め、今に灼熱に放り込み己が大罪を知らしめてくれる……
 片手に鎌を召喚し、今度は柄ではなく、刃を向ける。湾曲に曲がり、ぬらりとした輝きを放つ。闇の中にあっても、また光の中にあっても異質な存在である我が鎌は全ての敵を切り裂き、臓物を撒き散らせ、命を刈る。今夜が貴様らの命日となるだろう……


「……魔法を使わず、肉弾戦ですか。随分と余裕ですな、魔王様」ソイソーが少々呆れたように嘆息する。呆れたいのはこちらだ、たかだか些少な部分にて私に勝るからといって、本気になる必要などない。総合して、貴様らの遥か先に位置する私が余裕を持つ、至極道理ではないか。


「これは余裕ではない。見下しているのだ。貴様ら弱小たる魔族を、な」人間も魔物も魔族さえも、私の前に平伏す。私にとって敵足りうるのは、私の復讐対象者のみ。いかに肉体硬度が高かろうと、いかに惑わせる術に長けていようと、鉄壁の魔防術を誇っていようと、物の数ではないわ。
 中指を立て、数回曲げる。さっさと掛かって来い。防波堤程に持てば良いがな。


「……吼えるなよ、若造」


 ぞくり、と背中が総毛立った。意識しての事ではない。ただ単純に動かなければ死ぬ、と本能が訴えかけて、私は体を逸らした。本当ならば、飛び立ちたかったに違いない。硬直した体では逸らすことしか出来なかったのだ。定位置に、ぼんやりと立っていることだけは避けなければ、と反射的に動いた。
 私が立っていた空間に、無骨な腕が突き立っている。余りの瞬撃に、ソイソーの足裏から焦げた煙がくゆっていた。摩擦熱だけで、床を燻らせる程の速さ。知っている、この技は……


「──穿。驚きですな、まさか私の全力の突きを避けられるとは。流石、我が主」ソイソーは心底尊敬した口調で、さっきと同じ言葉を繰り返した。


「……無傷とは、いかんがな」言うと、私の左の耳下半分がずるり、と床に落ちた。ピアスが床に当たり、キン、と澄んだ音を立てる。
 訂正しよう……防波堤では無い。忘れていた、私の体術を、多種多様の魔術を、魔力の操り方を、誰が教えたのか。それは全て目の前に居るこいつらではないか。いわば、私の師。それを相手に余裕だと……? 馬鹿な、見下すなど愚の骨頂。私は一度ラヴォスに負けてまだ懲りていなかったのか。負けを意識しないことで産まれた敗北の味をもう忘れたというのか……!


「今度は私が言おう、失礼したな、ソイソー。次は躊躇わず、気を抜かず貴様の命を刈り取ると宣言しよう」


 大きく出ましたな、とソイソーは笑う。その距離は手を伸ばしきる事無く届く近さ。近距離ではなく、最早零距離。鎌を振る幅は無いし、さりとて悠長に魔法の詠唱が出来るはずもない。であれば……


「ふんっ!!」


 気合を込めて、下手に構えた掌打を繰り出す。腰を即座に落とし即席に構えを作り、回避体勢を取る前に、不意打ち気味の攻撃はソイソーの腹にねじ込まれ、その腕力からは想像できない痩身の体を吹き飛ばす。燭台を巻き込み倒れ伏したソイソーは呻く事無くそのまま倒れた。


「これで一人だ。次は……」マヨネー、と口にしようとする前に、不穏な気配を感じる。
 笑っているのだ、マヨネーの顔が。その顔つきはまるで道化を見るような、嘲笑。何故気付かないのだこの愚者は、と高みから笑う詐欺師染みた気配に、私は今度こそ横に跳んだ。
 直後、私の頭をねじ切るような勢いで放たれた回し蹴りが通過する。大気を裂く音が遅れて耳に届き、私の右耳を攫っていく。耳は壁に張り付き、べた、という不快な音を作った。


「私ってば凄いのネー。まさか、魔王様ですら騙せるなんて……それとも、案外大した事ないのかしら、魔王さまってば!」


 ──幻惑魔術。対象の意識を書き換え、性格、技量、信念や過去の出来事さえ書き換える奴の魔術は、視界を誤認させる事も可能だったのか。つまりは、私はソイソーを落としたと思っていたが、ただ空を切っただけに過ぎなかったというのか。ソイソーは冷静に私の攻撃をかわし、悠々と私に蹴りを放ったという事なのか。
 幻惑魔術に関して、私はほとんど学ばなかった。攻撃にならないという理由で修練を怠ったが、術中に嵌るとこれ程までに恐ろしい魔術だったとは。ただ火を巻き起こせようが、雷を呼ぼうがマヨネーの前では全てが無意味。虚無の空間に力を放出され、踊るように攻撃を当てられ、狂ったように絶命する。奴の得意戦法だった……
 昔マヨネー自身から聞いたことがある。過去私が中世を訪れるさらに前、ビネガーたちと出会う前に、マヨネーが滅ぼしたガルディア以外の国があるという。王も大臣も騎士団も理性を奪われ、守るべき民をその手で切り捨てさせたとか。全てが終わった時、幻惑魔術を解いた瞬間の王たちの絶望した顔が愉快でならなかったと語った。結局残った王も大臣も騎士団も、悲しみの果てに自害したのだとか。奴は戯れに国の人間を皆殺しにしたのだ。その技量、性質、魔族と言うには生温い、まさに悪魔。
 マヨネーが空魔士と呼ばれる所以は、一人で一国の空を魔に染め上げた事からだそうだ。聞いた時は何を大袈裟な、と思ったものだが、納得できる。奴は魔王軍において、疑いの余地無く最凶だ。だが……


「舐めるな……私は魔王、魔を統べる者にして、魔の頂点に立つ男……この程度で破れるなど、努々思うなぁぁぁ!!!」


 両手を左右に開きダークボムを連射する。勿論、これで終わるなどと思わない。これは少しの時間稼ぎ。一度奴らから距離を離し、口早に詠唱を始める。この程度の攻撃で奴らの追撃が来ないとは思えんが、なんとしてもこの呪文を完成させねば、敗北の可能性が濃密となるだろう。
 ダークボムの影響で浮き上がった煙が少しずつ薄れ、ビネガーたちの顔が視認出来るようになる。
 奴らは……笑っていた。何をしても無駄だと嘲るように。
 ふざけるな、私の究極にして至高の魔術をその身に受けようと構わぬというのか。全てを無に帰し存在を否定する冥術の最高峰、いかに貴様らが束になったとて、ソイソーの肉体硬度など関係無い。マヨネーの幻惑魔術も今からでは私の詠唱を止める事は出来ない。ビネガーの魔力を持ってしても相殺など不可能!
 ……それでも、ビネガーは笑いながら「必死の顔ですな。怯えておるのですか?」と飄々に告げた。


「消え去れ……塵一つ残すまい……!!」


 白い三角形の集まりを解放する。今この瞬間、私の前にある物体の定義を破壊する。理論を破棄する。常識を崩壊させる。『ここ』に在る事を禁ずる!!


「ダークマター」


 ──闇が広がり、秩序を砕く。空気など無い、重力など無い。概念という概念が消え、残るのはただ無のみ。防御? 反撃? 回避? 全てが無と化すこの空間では足掻きにもならない。無はビネガーたちを呆気なく呑み込み、闇が収縮された頃、目の前に残るのは……


「……馬鹿な!?」


 私は、今まで数えるほども口にしたことが無い驚愕の声を上げた。


「……で? 少しは身の程を知りましたかな? 魔王様」


 先ほどと何も変わらぬビネガーたちの姿。いや、変わってはいる。奴らを覆うように薄い水晶体が作られていた。間違う事無く、これはビネガーの得意呪文、結界魔術。過去、サラも得意とした魔法。しかしその完成度、硬度共に彼女の比ではない。記憶でしか残っていないが、ダークマターはサラの結界すら破れるよう目指して作り出した、文字通り最強の攻撃呪文だったのだから。それを易々と受け流すビネガーの結界は、過去から未来に渡り紡がれた呪文の中で最硬度の防御呪文だ。ラヴォスの攻撃ですら、数度ならば恐らく受け止める事ができるだろう。
 結界を解き、まだ未完成であるため起きた反動に、喘いでいる私の前に立ちビネガーは見下ろしながら呟いた。


「……つまらないですな……ああ、そうだ。今の魔王様にぴったりの言葉がございますよ」


 目を開かせて、名案だとでも言いた気にビネガーは口を横に裂いて、愉悦をふんだんに含めて言った。


「使えねえな、あんた」


 無造作に振り上げたビネガーの靴先が私の顎を捉える。たまらず背中から床に倒れた私の腹をぐりぐりと足で押し付ける。


「あれだけ可愛がったのに、まさか反旗を翻すとは……その上私たちを倒して強くなる? 思い上がりも甚だしいですな。いやはや、飼い犬に手を噛まれるといった心境ですよ」残念そうな言葉を選んでいるが、ビネガーは心底楽しそうに口を歪ませている。サディスティックな表情に私は悪寒を感じずにはいられなかった。
 まだ良かったのだ、それでも。奴が笑っている間は、所謂奴に余裕があった証拠なのだから。酷薄な笑みを形どっていたビネガーは急に火山が噴火したように顔つきを一変させた。目を怒らせ、歯を噛み締めて、踏む足の力を容赦ないものに変える。


「ガキがっ! へいこらしてりゃあ調子に乗りやがって!! 前々からムカついてましたよええ! 何が魔王だ、我らから戦う術を習ったくせにちょっと強くなれば王気取りとはな! あの時、山で見つけた時変な優しさなぞ見せず縊り殺してやれば良かったわい!!」


 反論する事もできず、ごぼっ、と口から泡立った液体が毀れる。血の色が混ざり始め、内臓が破れたか潰れたかしたな、と悟った。


 ──そうして、合図を取ったかのように一斉に視界が暗くなる。証明を全て落としたようだった。
 何も見えぬ何も聞こえぬ空間で、しばし放心していると、暗がりの奥から声が聞こえてきた。まだ幼い、子供の声のようだった。他にも、沢山の声が聞こえる。その中には私にとって忘れがたい、最愛の人物の声も混ざっていた。──サラだ。私はこれが走馬灯の一種だとぼんやり思考した。
 ジール宮殿にて、ジャキだった私とまだ少女だった頃のサラが駆け回っている。まだ走る事に慣れない私に合わせてコロコロと笑う姉は、世界で一番美しく思えた。
 ああ、あの頃は楽しかった。まだ母が母であった時の事。斜に構えていた私は決して寂しいとは口にしなかったが、いつも思っていた。一人は嫌だ、と。あの頃の魔法王国は姉がいつも構ってくれた。母も、時間を見つけては無愛想に遊んでくれた。笑顔を見る事は出来ずとも、母は母なりに私に愛を運んでくれていたのだ。私は孤独を覚えずに生きていたのだ。


 ──本当にそうだろうか?


 私が姉と母が好きだったことは純然たる事実だ。姉は今でも愛している。母は狂ったが、あの頃の母は自慢の、とは言わないが尊敬すべき母親だったのだ。
 では、何が違う? 楽しかったではないか。いつも周りに誰かがいたではないか。孤独では無かったじゃないか。


 ──誤魔化すなよ。この嘘つき。


 嘘じゃない。本当の事だ。
 姉は国民から人気だったので大概宮殿にはいなかったし、母も女王の業務に追われ私の相手など極々稀ではあったが、私は孤独を感じていなかった。周りの人間は無愛想な私を構う事無く、御付の者も私を薄気味悪がっていたが、決して一人ではなかったのだ。
 そうだ、アルファドがいたじゃないか。いつも私と一緒にいてくれた親友が。話しても言葉を返してくれなかったけれど、一緒のベッドでいつも寝ていたじゃないか。
 私は……一人ではない。一人じゃなかったのだ!


 ──いつも、猫を抱えて泣いてたくせに。


 姉と戯れていた視界が光り輝き、元の暗がりに戻る寸前、子供の姿をした私が庭の端で膝を抱えている姿を映した。
 ……そうか。私はいつも泣いていたのか。知らなかった、いや。忘れていた。忘れたかった、弱い頃の自分など。遠く過去葬りたかったのだ。


『──魔王様! 魔王様は何処か!?』


 そして、また新しい場面が目の前に現れる。ラヴォスの作り出したゲートにより、中世に降り立ったその後の事。トルース村の裏山で私を発見したビネガーに拾われ、ソイソー、マヨネーと共に魔王城で暮らしていた幼少の時の記憶。
 私はいつもべたべたと構ってくる三人に嫌気が差し、城の中庭で隠れていた時の事だ。いつものように、私は草むらの中に身を潜め、息を殺していた。


「……あ! 見つけましたぞ魔王様! もう、隠れるのはお良しになって下され! 心臓がいつ破裂するかと、このソイソー不安で堪りません!」


 そうだ。いつものように眉が項垂れているソイソーが私を見つけ、腕を取って城の中に連れて行こうとするのだ。私は「離せよ! お前らなんかと一緒にいたくない!」と大声で喚く。それを聞きつけたマヨネーが心底ほっとしたように胸を押さえて、次に「今度やったら、お尻ペンペンなのよネー!」と脅す。結局奴に仕置きをされた事など一度も無かったが。
 その後も、いつものようにビネガーのいる部屋に連れられ、目を充血させたビネガーが私に飛びつくのだ。「いなくなったかと思いましたぞぉぉぉーー!!!」と涙を滝のように流しながら。私は「汚いな、どっか行けよ化け物!」と酷い言葉を躊躇い無く吐いていた。
 毎日が苦痛だった。毎日がつまらなかった。いつも必要以上に構う三人が嫌いで仕方なかった。何度「死んでしまえ!」と叫んだか分からない。
 ……それを、何度悔いたかも分からない。私が彼らに拒絶の言葉を言う度に、彼らは「何を言われようとも、我らは貴方の僕です」と頭を垂れるのだが、その前に見せる寂しげな表情は今もしっかりと思い出せる。
 ──何度も逃げ出したのは。何度も同じ草むらに隠れたのは、何故だ?
 私が、彼らに叫んでいたのは。叫びたかったのは「死んでしまえ」ではなく、ただ一緒に「かくれんぼしよう」と言いたかっただけではないのか? なのに、私はその八文字の誘いを言う事が出来ず勝手にかくれんぼをしていたに過ぎない。その上、一人で隠れている時間は辛いから、すぐ見つけてもらえるよう同じ所に隠れていたのではないか。
 ソイソーもマヨネーもビネガーも、何度も同じ場所に隠れていると分かっていながら探していた振りをするのは、子供の遊びに付き合ってくれていたのだろう。まさか、それに気付くのが二十年近く経った今だとはな。


 ──寂しかった?


 寂しくは無かった。お節介を通り越して苛々するほど奴らは私の周りにいたから。常に私を見て、常に私に声を掛け、常に私の隣にいたから、寂しいなどという感情を忘れていた。過去を思い、もう会えないかもしれないと半ば以上再会を諦めていた姉を想って夜中に泣いた日も、すぐさま誰かが飛んできて私の隣に座るのだ。一人が来ればもう一人が、そして三人が揃いぐずる私の近くにいてくれた。「寝れないじゃないか! 出て行けよ!」と怒鳴る私を無視してベッドの中に三人が潜り込んで来た時はどうしたものかと思ったものだ。何度言っても動かない三人に、私は出て行かせるのを諦めて……狭くなったベッドの上で寝息を立てるのだ。その日に限り、私は悪い夢を見なかった。清々しい気分で朝を迎えたのだ。


 ──辛かった?


 勿論辛かった。ソイソー主導による肉体強化、マヨネーから教わる魔術理論、ビネガーより学ぶ魔術実践式の修行。全てが嫌になるほど体に叩き込まれた。


 ──じゃあ、嫌だったんだ?


 ただ嫌という事は無かった。何についても諦めがちで、すぐに放り出してしまう私に彼らは分かり易いよう、楽しめるよう頭を捻り鍛え方を変えていったから。次第には、次の日の修行が楽しみになる程だった。
 朝から夜まで彼らに鍛えられ、夜は彼らに見守られ、偶の休みにはこれでもかという程可愛がられ……それは。


「幸せ、だったのか?」


 夢が終わる。走馬灯と思っていた幻覚が消え失せ、元の館に視界が戻った。変わらずビネガーは私を踏みつけていたし、ソイソーとマヨネーはそれを見て愉快そうに笑っていた。
 ……私は痛みで集中出来ない魔力を無理やり目と脳に集めて、彼らの『本当』の姿を見る事に成功した。今の今まで、マヨネーの幻惑魔術に騙されていたようだった。真実の彼らは、ビネガーもマヨネーもソイソーも……
 私は後悔して、魔力を散らし大人しく幻惑魔術に掛かる事にする。なんて顔だ、奴ら、皆同じ顔をしているじゃないか。愉快に笑う事無く残虐に歪み事もせず。まるで私が初めてかくれんぼをした時のような顔をしているじゃないか。本当に私が消えてしまったと、咽び泣いていたあの時と……いやそれ以上に歪んだ顔。
 苦しいか、私。内臓が破裂したかどうか、という圧迫を加えられている今の私よ、苦しいのか? 苦しいだろうな。だがそれは目の前にいる私の育て親よりも辛いものか? ……違うだろう。ふざけるな。
 元々、本気で彼らを殺す為にここに来たわけではない。昔と同じく、いやそれ以上に私を鍛えて欲しくてここを訪れたのだから。なるほど、確かに目的は達成されている。彼らと本気で戦う事はこれ以上無い修練となるだろう。彼らの心を傷つけて、彼らの愛情を無視して、なんと素晴らしく合理的な思い付きだ。
 やはり、私は魔王なのだ。他の心など省みる事など出来ない。自分を愛してくれた者を蔑ろにして、踏みにじるのだから。
 情も無い、優しさなど欠片も残っていない。故に、傷つく事などない。
 それが……それが、家族以外の者ならば。
 私にとって、彼らは何だった? 父でも母でも姉でも兄でも無い。家族というジャンルにある複数のカテゴリー内に振り分けられる事は無い。何故なら、私と彼らは血も繋がらず種族すら異なるのだから。
 だから? だから何だと言うのだ。彼らは家族ではないか。よくよく考えろ、魔族の敵である、忌み嫌う人間の育成日記など、どんな魔族がつけるのか。失敗話や逐一私の写真を撮るなど、私に対してどのような想いを抱いていたのか。そんなものは決まっている、家族愛に他ならないではないか。
 彼らは私を愛してくれた。こうして、彼らを裏切った私と戦っている最中に泣き出してしまうほど。では私は? 私は彼らを愛していたのか? 息が詰まるほど私に話しかけ、嫌になる程近づいて、悲しいときにはすぐに現れて涙を拭ってくれる彼らを。


「……退け、下種」


 ビネガーの足を払いのけ、後転の要領で後ろに距離を置く。治療呪文を体に掛けようと無意識に唱えていた治療呪文を中断した。痛いのは私か? 私なのか? そう考え始めれば、もう治癒呪文など使える筈も無かった。


「ゲヒヒヒ、虚勢張ったって無駄ですよ魔王様? あんたじゃあもう我らに勝つことは出来ん。その怪我じゃ抵抗も出来ないんじゃないですか?」醜悪に『見える』ビネガーの笑顔。奴は今何を思っている? 考えろ魔王……いやジャキ。一度は捨てた私の名よ。蘇れ、そして逃げるな、魔王という名に。
 私は私だ。魔族と魔物の頂点たるべく暗示のように名乗り続けた、彼らがくれた名を捨てろ。それでは勝てぬ、それでは届かぬ。
 見せてやるのだろう? 奴らに。私のもう一人の家族に。ここまで強くなったのだと。お前たちの力で育てた矮小な子供は誰よりも強い男になったのだと、示さねばならない。
 ……すまない姉上。今だけは貴方を救うべく行動する私を忘れさせて下さい。三人と戦う私は、三人に『もう大丈夫だから』を伝える為の私でいさせて下さい。


「よくもやってくれたな、貴様ら。たかだか魔族の分際で私にここまで手を上げるとは……今すぐにも消し去ってくれる」


 私の挑発に、マヨネーが体を前に倒し「口だけならなんとでも言えるのよネー!」と奥歯を剥き出しにした。


 止めぬ、この戦いは止めぬ。あの時のかくれんぼと同じだ。例え彼らが演技をしていると私が見破ったとて、それを指摘するわけにはいかぬ。彼らは私の為に演じているのだ、歯を食いしばり、涙を流しながら私と戦っているのだ、表向きには命を賭け合って。
 ここで止めればどうなる? 私は子供の頃より何も変わっていない。少し辛い訓練に文句を言い、彼らを困らせ、また新しい訓練法でも考えてもらうのか? ……甘えるのも大概にしろ。私は何時まで彼らの手を借りるのだ。いつしか、歩くにも彼らに手を引っ張ってもらわねば歩けぬようになるわ。


「御託は良い。来い貴様ら。すぐに闇へ溶け込ませてやろう……!」


 ここが最後だ。今この時が彼らに別れを告げる最後のチャンスなのだ。巣立ちをせねば、彼らは安心出来ない。一生面倒を見させるのかジャキよ。その程度なら、そんな瑣末な生き方しか出来ぬなら、あの時ゲートに飲まれる事無く死んでいれば良かったのだ!!


「私の名はジャキ! 魔の王ではなく、ただ一人のジャキだ!」


 全部を出し切れ私。本気を見せる瞬間など、数えるほどしかあるまいに。今見せずして、どう生きる!
 咆哮する私に向かってまず飛び込んできたのは、やはりソイソー。いつも最初に私を見つける役はお前だったな。
 左手のみで連打するソイソーの拳を相手の目を見て交わす。武術の基本を忘れるな、必ず動作の予測は目を見れば可能となる。
 一度伸びきったソイソーの腕を掴み、そのまま背負い投げで飛ばす。空中で体勢を変えたソイソーに、私は追撃として鎌を投げつけた。軽く右手で払われるが、その間に奴に近づき真下からボディブローを叩き込んだ。
 魔力で強化した拳はソイソーの鉄の如し肉体にめり込み、再度空に上げる。足に浮遊魔術をかけて追い討ちをする暇は無い。その代わりに、時間を必要としない鎌の召喚を行い、数メートル先に転がっていた鎌を手元に引き寄せた。刃を地面に突き刺し、柄の部分に足を掛け跳躍だけで今だ悶絶しているソイソーへ肉迫する。天井付近まで跳んだソイソーの背中にブーツの爪先を当てるトゥーキック。痛みか振動か、ビクン、と痙攣する反応を見て、反撃は無いと踏み、ソイソーの頭を掴み地面に落下する。着地の際に、ソイソーの顔面を床に叩きつけ、落下との相乗効果を生み出した。頚椎から嫌な音が響くのを掌越しに感じる。間違いなく、折った。


「容易いぞ、拳闘だけで勝てると思っていたかソイソー」


 砕けた床から頭を出し、無理やり両手で首を固定し、ぐき、と右に回転させた。首の骨を折った程度で止まるほど、こいつは柔な体ではない。全身が砕けようと、ソイソーは止まらぬ気迫と奴なりの信念がある。


「……本気ですな? ようやくですか魔王様」


 立ち上がり、私を睨むソイソーにもう笑みは浮かんでいなかった。その目には、一人の男を見ているだけの、私の敵が立っていた。
 背中から、長い刀を取り出す。鞘から抜き放ち、稲光を思わせるほどの凄まじく煌く剣光。その魔剣の銘は、ソイソー刀。


「ただのソイソー刀ではありません。前の刀は、有望な若者に託してしまいましたので。この刀はソイソー刀弐! その切れ味、そして魔剣である所以は今から教えて差し上げましょう!」


 言って飛び出すソイソー。速さは変わらない、徒手空拳であろうが刀を持とうが本質的な素早さが変わるわけではないのだから、当然だが。
 その動きも、単純に真っ直ぐ私に向かうだけの、反撃も回避も容易い動作。私は待ち受けて、呪文で斬撃を受け流し鎌で切り裂こうと考えて……止めた。ソイソーの気迫、というよりは奴の持つ刀の放つ赤黒い殺気が視覚化されたように感じ、その場を飛び退いたのだ。
 結果として、それは正しい判断だったといえる。奴の刀の刀身、その半ばより先が消えたかと思えば、私が避けるまでそこにいた空間の後方より突き出されたのだ。つまり、次元を部分的に捻じ曲げ、刀身を自由な所に出現させる事が可能、という事なのだろう。ある種、ラヴォスの作るゲートに似た魔術が奴の刀に付与されているという事か。
 ソイソーは初撃を避けられた事を気にする様子は無く、舌で己の刀を舐めていた。次は外さぬ、と言いたげに。
 ……かなり厄介な特性だ。前に奴が持っていた刀は伸縮自在という特性しか持っていなかった。とはいえ、ただ伸びるだけと言えばそれだけのある意味単純な刀。伸ばす間も縮める間も、僅かな時間とはいえ隙が生まれる決して万能ではない刀だった。それが、今はどうだ? あらゆる所から攻撃が可能となる刀に隙などあるのか? 例えば、私が今奴に向かって走り出せば、ソイソーはその進行先に刃を出現させるだけで私の腹を突き刺す事が出来る。なんなら、頭を貫く事さえ。
 回避も反撃も容易とは言えぬ。避けた先、構えた先に刀を出せばそれだけで奴にアドバンテージが傾いてしまう。


「御分かり頂けたようですな。この刀の恐ろしさが。逃げ場はありませんぞ魔王様」


「……馬鹿にするな」


 逃げ場だと……? 逃げると貴様は思っているのか。私がお前たちを置いて逃げると本気で考えているのか。道理だな、三対一で、新たに手に入れた魔法の武器を手にいれた貴様を相手に逃げるのは実に合理的だ。いざとなれば、この館を出てこの島ごと消失させてやれば、防御の暇すらなく消し去れば、実に簡単な事だろう。私が強くなるためという御題目を忘れ、そうすれば、屈辱を覚える事も無く、私の倒すべき敵が近くなるのだろう。
 ──そして、死ぬのだ。私は。貴様らに殺されるよりも遥かに屈辱で、無様で、目を背けたくなる程の残骸に肉体を変えて。何も出来ず何も為そうとしない肉の塊として生を終えるのだ。ここで逃げるような私など、後々生き残れるはずが無い。ここで貴様らに殺されるか、ラヴォスに殺されるかの違いしかないのだ。
 望まぬぞ、そのような終わりなど望まぬ。気取った言葉は捨てる。私は、どうせ死ぬならば……同じ死ぬならば。
 どれだけ根性無しと罵倒されようと、勇を持たぬ凡人と貶されようと、私はラヴォスなどという化け物に屍を晒すくらいなら、家族に看取られ死に絶える方を選ぶ!


「斬られたからどうだというのだ? 刺されたからどうだというのだ? 私が足を止める理由になんら関わりは無い!」


 走れ。防御も魔術も忘れて良い。斬られても気に留めるな、死のうが忘れるな、自分がどんな人間で、いかな人生を歩んできたのかを。
 私は何だ? 魔法王国の王子ではないか。あの、国民が尊敬し、憧れ、好いたサラの弟であるぞ。
 私は何だ? 今や人間どもが恐れ慄く三魔騎士に鍛えられ、育てられ、魔王という名を貰った身であるぞ。
 返すのだ、今こそその名を奴らに返すのだ。『魔王』という、言葉に違わぬほど強くなれと願われて付けられた名を返上しろ。そして見せ付けろ、私が達した事を。わざわざ名にせずとも魔王という称号に相応しき男になったと、彼らに。もう一つの家族に。


「……あまりに、愚直!!」私の突進をそう評したソイソーは構えた刀を下から袈裟切りに払った。
 私は防衛本能からか、咄嗟に避けようとする自分を律する。避けるのではない、貴様には他にやるべき事があるだろう、と。
 ソイソー刀弐が目の前の空間から身を現し、私の右腕に迫る。今すぐに避けねば、肉を切られるどころか骨を断ち斬り飛ばされるだろう。
 良い。それで良いのだ、そうでなくては奴には勝てぬ。今更に腕など惜しくは無い、目の前の剣士はそうまでせねば勝てぬ男だと、私は人間の中で誰より知っている。長年の記憶が忘れさせまいと疼いている。


「……っ!!」


 バターを裂くように、私の右腕が飛ばされていく。痛みに漏れそうになる苦痛の声を噛み殺す。嘆いてどうする? 痛いと喚けば戦いに勝てるのか? ならば、幼少の頃の私は世界で一番強い者であったろう。そうではないから、泣いても何も変えられないと知ったから、私は強くなったのではないか。
 片腕を失っても、私はあくまでソイソーに向かう事を止めない。切り口を氷で覆い出血を止める。痛覚も凍らせ、痛みも早々と消えつつある。もうすでに頭がくらくらと回り、貧血を訴えているが、この程度で気を失うほど可愛い人間ではない。私はあの頃のジャキではなく、『今』のジャキを生きているのだから。
 決死の覚悟で突進する私を、ソイソーは難なく蹴り倒す。既に失った右耳に衝撃を感じ、脳がはみ出るような気分になった。鼻から地面に落ち、ソイソーの溜息が山の高みから聞こえているような、そんな気分になる程私の意識は当てにならぬものと化していた。


「私が教えましたかな? そのように暴走して、考え無しに突っ込み敵に向かえ、と。私は短時間で敵の隙を突き、思考を凝らして突破口を探せと口を酸っぱくして指導したと思うのですが?」


 心底不快そうに言うソイソーは、刀を逆手に持ち、倒れ伏す私に突き刺そうとする。
 ……考え無しか。相違無い。見知らぬ土地で人間には見えぬ化け物についていき、尚且つその化け物に生きる術を学んだ私が物事を深く考えて生きてきたなど口が避けても言えぬだろう。だが……ここでグレンの言葉を借りるなら。
 ──そんな私だからこそ、手に入れたものもある。


「……弾けろ」


 ソイソーの後方に落ちた私の右腕。切り落とされる前に、私は一つの呪文をその右手に集め、私の合図で遠隔操作、後に発動と仕込んでおいた。左指を鳴らし魔術を送る。
 不穏な気配を感じたか、ソイソーが刀を落とす前に自分の後方に目をやる。そして、奴の動きは止まり、固まった。驚いた事だろうな、自分の後ろには、不定に揺れる闇の影が踊っているのだから。
 ──そもそも、ラヴォスとは何なのか。私は中世に召喚されて以来、何も研究していなかった訳ではない。とはいえ、大したことが分かった訳でもなく、ただ宇宙と呼ばれる、空──大気圏よりもさらに先に存在する空間より飛来したことしか解明出来なかった。
 しかし、私は宇宙というものに興味を示した。中でも、最も注目したのは無重力という概念と、星をも呑み込む、無の極致ともいえる事象の事。前者により私はダークボムをいう重力変化の技を閃き形とした。そして、後者より閃いた魔術が……これだ。


「ブラックホール……!!」


 超々高密度の微細な天体が私の右腕より産まれ出で、まずは私の右腕を喰らう。それだけでは飽き足らず、床、壁、燭台天井近くに置いてある物体が次々に黒い球体に呑み込まれゆく。
 ある意味ではダークマターを超える私の禁じ手魔法。扱いを誤れば私自身すら飲み込み闇の空間へ引きずり込む諸刃の呪法。
 どうだソイソー。いかに剣技に長けようと、いかに自由自在に斬撃を生み出せようと、何者をも消す理不尽たる存在に勝てるか!


「ぐっ……が、あああああ!!!」


 闇の触手に掴まれたソイソーは球体に引き摺られていく。徐々に迫るソイソーを見て、ブラックホールは舌なめずりをしているように見えた。
 剣を床に刺し耐えようとして、まずその刀が先に吸い込まれ、ソイソーは寄る辺を無くしてしまう。爪を立て必死に存在を残そうとするも……最後には、ソイソーは体を呑み込まれてしまった。
 ……上半身を残して。
 下半身を吸いきった後で、ブラックホールは役目を終えたように姿を消し、ぼたり、とソイソーを床に落とした。何処かそれは、『食べ残し』というような哀れさが映る。実際、見ているこちらとしては、あの黒い球体に喰われたという表現が最も近く、恐らくそれで正しいのだ。
 ソイソーは目を閉じていた。勿論、もう動く事も無い。彼が私を見つけてくれる事も、妙に偉ぶった態度で私に指導してくれる事も、真面目ゆえか、私の我侭に真摯に応え、それが悪戯だと知ったとき男ながらに拗ねてくれる事も、もう無いのだ。
 ……迷うな。そう望んだのは私で、彼とて了承してくれただろうが。言葉で伝えてはくれなかったが、ソイソーは私に殺されても良いと思っていたはずだ。
 そう考えて……私は自分の身勝手な思いつきに吐き気がした。殺されても良いだと? それは、私が勝手に思って良い事ではない。死ぬという事は、もう会えないという事なのだから。
 今更になって、私はグレンに一言謝罪すべきだ、と思った。天地が逆転しようとも。
 震える体を立たせて、自分が息絶え絶えと分かっているも、私は残る敵に目を向けた。


「……遅くなったな。次は貴様らだ、奴と同じく、消してくれる」


 今まで傍観していたマヨネーとビネガーに声を掛ける。奴らの表情に変化は無い。まだマヨネーが幻惑魔術を使っているのか、もしくは仲間が死んだところで思う事は無いのか。
 まさか、だ。奴らはそうじゃない。奴らは……そうじゃないはずだ。


「魔王様ったらー。もうボロボロなのにあたいとやるのぉ? 舐められちゃってるのネー、あたい」


 そう言うと、マヨネーの目が光り、私はそれが奴の魔術発動の瞬間と悟った。自分の中の何かが積み木崩しのように壊され、再構築される。
 惑うな、奴の魔術は知っている。私という個を崩しなおし自分の都合の良いように書き換える。人格も何もかも己の意のままにする奴の魔術を破るのは、精神力において他ならない。膝を折るな、目を逸らすな。
 視界がまた暗転する。マヨネー独自の形成空間。世界中が闇に包まれ、生きているのは自分だけではないかと錯覚させる手際に内心舌を巻いた。技巧という点では、マヨネーは魔法王国においてさえ敵う者はいなかっただろう。あのジールすらも超えているに違いない。






『魔王様は、何で強くなるの?』


 姿は見えずとも、心の中から直接に、マヨネーの声が響く。精神干渉か、昔から、手口は変わらぬようだ。
 この声に負ければ、私の意識は奴に移り、自分でも知らぬままに作り変えられる。そうなれば、逆らう事も出来ず奴の手に掛かり殺される。


「勝つ為だ」


『どうして勝ちたいの?』マヨネーの独特な喋り方が消えている事に違和感を感じたが、まずは質問の答えを探す。心折れぬよう、『ジャキ』の答えを探し、見つけ出す。


「勝たねば、取り戻せぬからだ。私の大切な人を」


『どれくらい大切なの? あたいたちよりも大切な人?』その質問には答えられない。いつもの私ならば、即答できたろう。貴様ら程度の魔族と一緒にするな、と。
 しかし、思い出してしまった。彼らがどれだけ私に尽くし、愛してくれたかを。とはいえ、それでもサラよりも彼らが大切かと問われればそれは違う。己が一生を捧げ彼女を救うと決めたのだから。


『ねえ、答えて魔王様。ビネガー様や、ソイソーや、あたいよりも大事? あたいたちを殺してでも、その人を助けたい?』


「…………」


 言え、私。どちらにせよ、奴の言動に惑わされる訳にはいかぬのだ。ここで、「サラよりもマヨネーたちを想っている」と口にすれば、そこで私の負けが決まる。なんとなく、直感した。そして、分からないと濁したところで、結果は同じだとも。
 見えるのだ、暗闇でしかない世界でも、私には見える。二つの道が。片方の道は途中で消えていて、もう片方にこそ現実の世界がある。光が届き、元の館のイメージが溢れている。
 ……だが、何だ? あの現実の世界に続く道、そこから漏れる絶望の『気』は。光が見えようと、現実が覗けようと、私にはそちらこそ地獄に見えた。
 元の世界に戻ったとてどうなる? また私がまるで敵わず敗れたラヴォスに挑むのか? 消えた姉を想い毎日己を傷つけ無駄な努力を刻むのか? 一体、そこから何が見えるというのか。何も見えないし、何も無いではないか。
 一方、途中で道の消えたもう一つの行く先からは、光は見えず、ただゆるやかに流れる時が視認できた。それはマヨネーに意識を奪われ、何も思い悩む事無く生きる道に繋がる。
 ……それは私ではないかもしれない。そんな生き方を私が望むわけが無いのだから。何もかも忘れて自由に生きるなど、あの日から考えた事が無いのだから。
 これは、最後の選択なんじゃないか? と自分の中で誰かが言う。誰もが夢見て、ほとんどの者が謳歌する日常を生きる最後のチャンスなんじゃないか? と。もう鎌を振る事も、絶望を知る事も、わざわざ強くなる必要も無い平凡な生き方を選べるのだ。それは……なんという贅沢。これ以上無い至福の生活。


「さあ、選んで魔王様。あたいたちと、貴方の大事な人。どっちがより大切かなんて、決まってますよね、そんなの」


「……ああ。そうだな」


 足が動き出す。私が進むのは絶望も悲観も無力感も無い自由な世界。現実であり、現実でない半虚構の世界。マヨネーに操られ意識を変えて、もう一人の私になる道。
 当たり前の事だ、誰しもが願う日常を生きる事に、何故躊躇わねばならぬ? 私は正常だ。何故好き好んで血と絶望に塗れた戦いの日々に戻らねばならぬのか。
 サラ……もういいさ。勝手と言われようが、彼女は私の姉ではないか。私を守りこそすれ、私に助けてもらう事など望んでいないだろう。彼女は私の家族だ、私を守ろうとどうしようと、それは義務なのだから。
 ビネガーたちに私が強くなったところを見せるのももう良い……家族なのだから、許してくれるだろう。家族は全て許すべきだ、そうだろう? 世の理なのだから。


「私が本当に大切に想うのは、サラではなく、マヨネーたち……」


──すいません! そいつ、俺の友達! だから助けてあげて下さい! どうかお願いします!──


 ……なんだ? 今の声は。
 誰の声だ、私は知らない。知らないという事は、私の家族では無いという事。つまりは、私が守る義理も、私を守る義務も無いという事。何故なら、奴は他人なのだから。


──頼みますから! 俺、俺を殴ってください! だからこいつは許してやって下さい!──


 随分必死な声だ。本心から『こいつ』とやらを守ろうとしているのだろう。
 その時、『こいつ』は何を想っていた? 感謝か? ……いや違う。奴は泣いていただけだ。それも、「ありがとう」という感謝の念で泣いていたのではない。他人なのに守ってもらえたという、申し訳なさから涙を流しているのではない。奴は、その子供は肉親が連れ去られた事を嘆いているだけだ。自分から何かしようと言うのではなく、ただただ理不尽だと喚いているだけではないか。
 ……そんな子供に、奴は何を言った? 他人で何の関係も無い『ジャキ』に何を言ってくれたのだ?


──良いか、お前の姉ちゃんは大丈夫だから。絶対に助けてやる。そんで、お前と会わせてやる、約束だ。でも、お前が泣いてたら連れて帰ったとき姉ちゃんが困るだろ? どうやって出てくれば良いか分からなくなるだろ? だから、泣くな。男だろうが──


 ……なんだそれは。そんな言葉を吐くな。おかしくなるじゃないか。私の理念も、今しようとしている行動も全てあやふやになるではないか。
 お前は家族じゃない、それどころか、友達ですらない。知人というにも怪しい、ただ一言二言会話を交わしたに過ぎぬ。だから、お前が私を守るのはおかしい、理屈に合わない。私の大事な者を取り返そうとするのは理を破ることになる。
 ……いや、待て。落ち着け。奴は私との約束を守ったか? 守っていない。守ってなどいない。ただ無様に死んで、仲間に生き返らせてもらっただけの凡愚。気に病む必要は無いのだ。
 そうだ、真に私の考えは正しい。奴は──クロノは約束を守らず、ただ『子供と交わした約束を守ろうと世界を滅ぼす化け物に挑み命を散らしただけの他人なのだから』私が迷う必要性など微塵も無い。クロノめ、貴様程度が私の心を乱そうとしても、力不足だ。私には確固たる意思があるのだから。私を変える事など貴様には出来ない!


──出来る。なんせ、俺だからな。トルース町のクロノっつったら無敵の男として有名なんだぜ?──


 ……? 出来るのか? 貴様に。なんという大言だ。無敵とまで言うのか。子供に宣言する故に吐いただけかもしれんが、それでも口にした。幼子を泣き止ませる為の方言だとしても、奴はそう豪語した。
 …………無敵として有名、か。なんと小さい事か。その矮小さに笑ってしまうほどに。町単位だと? その程度で付け上がるか凡人。
 私はジャキ。ジャキだ。世界中を震え上がらせる魔王として知らぬ者はいないのだぞ、すでに私は貴様を超えている。もう貴様に頼る理由も、お前の背中を追う道理も無いほどに強くなったのだ。
 ああ、そうか。私が強くなろうとしたのは勝つためだ。だが、誰に勝つためかマヨネーに言い忘れていた。
 私は奴に勝ちたかったのだ。何の関係も無い私を守り、姉上を助け出そうとする男の背中を追い、いつか抜き去ってやると。そうすれば、結果としてサラを助け出せると疑わなかった。
 勝ったと想っていた。あの時あの魔王城で奴に勝った時、奴に鎌を突き付けた時、奴の腕を消し去った時。ついに私はサラを助ける事が、と内心では舞い上がっていた。
 ……勝つとは何だ? 私は死の山にてマールに言った言葉を思い出す。それは負けない事だ。クロノは私に負けたのか? 負けたとしたら、何故ラヴォスに立ち向かったのだ? 私に負けたクロノが何故私が負けたラヴォスに戦いを挑んだのか。
 結局……私はクロノに勝っていない。まだ奴の背中は遠い。必死に走り続けねば、手を伸ばし喉を嗄らして足が棒になろうと前に進まねば追いつけない。気を抜けば目視もできなくなるほどのスピードで奴は走っているのに、私は今立ち止まろうとしているのか。なんと無様。私は凡愚でも凡人でもない。それはもう人ではないのだから。


「……でもない。私が最も大切な者は……」


『……者は?』


 足を止める。私が見ている二つの道は、どちらも正解ではないのだ。自分が進む道は自分で見つけ、作り出さねば意味が無い。そうだろう? 我が救世主たる凡愚よ。


「私だ。私こそが全てだ。何故なら、私は私だからな」


『……せいかーい』マヨネーの間延びした声が聞こえた瞬間、私の体は光に包まれた。





「魔王様ったら……良い男なのネー。やっぱり」


「……貴様も悪くは無いだろう。マヨネーよ」


 意識が元に戻り、口を開くと同じくして鎌を出現させ、マヨネーの体を両断する。奴は、避ける事も守る事もせず、刃をその身に受けて静かにごと、と床に倒れた。
 残るは……ビネガー一人。
 ビネガーは仁王立ちのまま、悠然と構えていた。他二人や、自分よりも巨体で、横幅もある奴が動かず両手を組んでいると、不動の山を思わせる。


「……強くなったのですなぁ、魔王様。体も、心も」感慨深く呟くビネガーからは、哀愁に近い何かが感じられた。自惚れと言われても、それは大きくなった我が子を嬉しくも、寂しくもあるという複雑な感情が絡んでいるように思えた。


「ならざるを得ないだろう、無理な訓練ばかりさせおって、馬鹿共が」


 ビネガーは痛いところを突かれた、というように頭を掻きながら「人間の子供を育てるなど、経験が無かったものですからな」ゲッヘェッヘェ、と空虚な笑い声を出した。マヨネーが死に、幻惑魔術が解けたのか、ビネガーはもう醜悪な笑みを浮かべる事も無く、悲しそうに目を揺らがせていた。


「……何故、芝居を打った? 私が強くなる為にここへやって来たといつ気付いた?」


 私が宣言する前に、奴らはマヨネーの幻惑を被っていた。それはつまり、私が言葉にする前に私の目的を知っていたと言う事だ。


「芝居を打ったのは、こうでもせねば、魔王様が本気で戦うと思えませんでしたでな。御自分ではお気付きになられておられませんでしょうが、根は優しい御方ですから。後者はほれ、何年御一緒させてもらったとお思いですか?」


 ……結局、私の考え通り、全て私の為か。
 ここで引く事はしない。私がこやつらと戦うと決めて、奴らもそれに応じたのならば、中止など有り得ない。そんな事を、誰が許すものか。私も、ビネガーも、私が殺した二人の家族も。


「……最後のテストですぞ魔王様。貴方様の力で私の防御壁を破れますかな? それが出来ねば、貴方様には死んで頂きます」言って、ビネガーは私のダークマターを防いだ絶対障壁を作り出し、自分の周りを覆った。「私を倒せた暁には、そこの壁の中に隠された武具をお持ち下さい。きっと貴方様の御役に立つ事でしょう」


 ビネガーが宙で指を振ると、壁の一部が崩れ落ち、その先に埃を被っていない宝箱が三つ並べられていた。何度も手入れをされていたのだと、想像に難くない。


「いやはや、正直最初に拾った時にはここまで貴方様が強くなるとは想っておりませんでしたぞ」


「……馬鹿を言え。貴様らに鍛えられて、強くならぬ訳があるまい」声が震えぬよう、平静を努めても、感情が篭る事だけは避けられなかった。
 ビネガーは初めて中世で出会った魔族だった。奴はいつも何処か抜けていて、見栄っ張りで、とてつもない魔力を持っているくせ、ムラがありそのせいで人間たちに出し抜かれる事もしばしばある、ある意味では勿体無い存在だった。
 断言できる。奴は馬鹿だった。お調子者で、私とは馬が合わなかった。話していれば疲れるのは三人とも同じだが、ビネガーはその中でも特に。苦手意識すら持っていた。はっきりと態度に出していた時もあっただろう、あからさまに避けて、口を利く事も無い時期もあった。
 ……それでも、奴は私に付き纏った。私に拒否されようと、嫌がられようと。冗談でなく、本気で殺そうとした事も度々であった。
 それも、ある時を境目に変わる。私が高熱を出し寝込んでしまった時だ。悪性の風邪だったようで、一週間は寝たきりだったろう。その間中三魔騎士は寝ずに看病をしてくれたものだ。
 ようやく熱も治まり始め、彼らも眠気に勝てず睡眠を取った時……ビネガーだけは、私が平熱に戻るまでずっと起きて頭のタオルを代えてくれた事を、覚えている。私が「もういいから、お前も寝ろ。今度は貴様が倒れるぞ。それに、いつまでも鬱陶しい」と突き放せば、ビネガーは笑ってこう言ったものだ。


「魔王様を一人にさせません」と。


 私はそれを聞いてすぐに「気持ち悪いんだよ!」と暴言を吐いた後、布団を顔まで被った。見抜かれたと想ったのだ。己の内心を。一人で寝ているのは寂しいから、行かないで欲しいという想いを。私が寝るまで……いや、寝ても隣に居て欲しいと願っていた事を。
 昔、優しかった頃の母が私の寝床で看病してくれていた事を思い出していた。ビネガーのように献身的か、と聞かれれば首を捻るが、母の愛情は伝わった。あの頃のように戻ったような気がして、嬉しかったのだ、私を心配して、世話をしてくれる誰かがいる事が。
 決して口にはせぬが……その時ふと、想ったのだ。ああ、父親とは、きっと、と。
 頭まで潜った私に、ビネガーはやはり見抜いていたように、ポン、と布団の上から私の腹に手を置いて、ゆっくりと上下に撫でてくれた事も、鮮明に思い出せる。がらがらの、音程の合っていない、耳障りな子守唄も暗唱できる。


「……精々、派手やかに散るが良い。ビネガー」違うだろうと、私は想う。もっと言いたい事があるのではないか、私は。奴に……彼に、楽しかった、嬉しかったとそのままの心を渡す訳にはいかないのか。意地を張るにも、限界があろうが。


「大層な自信ですな。それでこそ、魔王様で御座います」


 言え、今すぐに言え、今日この時だけ許可しよう、泣いても良い。涙など捨てたというならばこの一瞬で遠く果てまで拾いに戻れ。でなければ許さぬぞ、一生、永久に貴様を許さぬぞ。このまま冷徹にビネガーを殺すのか? それで良いと本心から思っていると言うのか? ならば死ね、ビネガーでもラヴォスでもなく貴様が死ね、何故そうまでして自分を貫くのだ? このままでは、運命よりも先に愛する者まで貫いてしまう。


「覚悟は良いな? その無粋な結界ごと、貴様を葬ってくれる」


 葬られるのは貴様だ愚者め。殺すぞ、殺されるぞ貴様は自分自身に。罪の呵責などという温い偶像にではない。もっと恐々とした、もっと空虚な何かに身を焼かれるぞ。それが嫌ならば、すぐにも叩頭しろ、非を詫びて、今まで彼らと過ごした日々、それがどれだけ私を救ったか、支えたのか洗いざらいに白状しろ。
 どんなに彼らを慕っているのか、泣きながらみっともなく晒すのだ!


「……御立派であります。我が──」


 その後のビネガーの台詞は、私の叫び声に掻き消され、儚く散った。届いてはいたのだろう、けれど、それを耳にしたという事実ごと、私は掻き消したのだ。そうしなければ、もう歩き出す事は出来ないから。






 戦いは終わり、千切られた耳と腕を治療した。耳はともかくとしても、腕だけは完治に少々時間が必要だった。とりあえずくっ付けた後は、動きづらい事を我慢して、放置する。自然治癒を待つか、どうにも気になるのならば時の最果てに置かれてある回復の水を飲めば瞬く間に癒えるだろう、と。
 ビネガーから知らされた宝箱を開けると、そこには鎌と兜とマントが一つずつ置いてあった。そのどれもに『絶望の』と先頭に刻まれてあった。絶望の鎌、絶望の兜、絶望のマント。実に、今の私に似合う武具ではないか。
 それらを取り出し、身に付ける。今まで装備していた物を、代わりに宝箱に入れようとして、箱の底に一枚の手紙が入っていた事に気付く。恐らくビネガーたちが書いたものだろうと考え、手を伸ばし掴んで封筒を破る。紙は劣化していて、ぱらぱらと崩れた。
 手紙に書かれていた字は、ミミズがのたくったような、という汚さで、読みづらい事この上ない酷い文字だった。そういえば、奴らの誰もが書く事は苦手だったな、と思い出して笑った。
 そうして、書かれていた文字列に目を通し、閉じる。簡潔に書かれた内容は、数秒と掛からず読み終えることが出来た。


 ──絶望を振り撒こうとも、絶望を知る事無いよう願って──


 なんという親馬鹿だ。言ってしまえば、これは人を陥れようと構わないが、陥れられる事は無いように、と言っているようなものではないか。いや、そのものだ。
 これが最後に残された、彼らからのメッセージか、と私は肩の力を抜かれて、何事か言ってやろうとビネガーの亡骸に近寄り、見下ろす。その顔は充実したもので、それがまた私の癪に触り、蹴り飛ばしてやろうかと思考した。
 足を振り上げ、その脇腹に打ち込む代わりに腕を取り、まだ暖かい手を握る。そのまま握り潰す事はせず、両手を添えて、俯いた。
 後悔するな、私なのだから。この結果を招き、享受したのも、紛れも無く私だ。振り向くな、振り向けば立ち止まってしまう。それが僅かな時間だとしても、決して看過して良いことでは無いのだ。


「…………」


 堰を切ったように、涙が漏れ出していく。声は上げない。上げれば彼らの事だ、おろおろと慌ててしまう。誓ったではないか、彼らにもう大丈夫だと示すと。本当に、呆れる。こうも自分に甘え癖があるとは、認めたくない事実だ。
 認めたくないが……認めろ、ジャキ。もう彼らは動かない。彼らは笑わないし、仮に私が寝込んでも世話などしない。私を見ない。それが常なのだ。それが常となる生涯を送らねばならぬのだ。


「……全ては、泡沫の夢か」


 夢だったのかもしれない。魔族と人間が家族として生きるなど。単に種族が違うだけではない、相容れないものなのだ、人間と魔族とは。人間は魔族を恐れ、魔族は人間を殺す。そういう風に、生まれてきたのだから。ただビネガーたちが異端だったのだ。
 だから、彼らは死んだ。私を育てたから。私などを強くしようとしたばかりに、この結末。皮肉が過ぎて、笑う事も出来ぬな。


「いつか、私もそちらに行こう。その時は……今度は、私が貴様らの看病をしようではないか」


 立ち上がり、ふらつく体を叱咤して、部屋を出るため歩く。一歩歩くたびに、一つ涙を零して、二歩歩くたびに二粒の涙を落とす。全ては彼らの為に、花束など無い私が出来る、唯一の手向けなのだ。
 いつか……サラに再開した時、私は言おう。私には家族がいたのだと。胸を張って教えてやろう。彼女は聡いから、すぐに『いた』という過去形の意味を悟るだろう。もしかすれば、悼むような顔になるやもしれぬ。だが私は笑うのだ、「素晴らしい家族だった」と。自慢するように。現に、自慢なのだが。
 私は、部屋を出る前にもう一度三人の遺体を目に焼き付けておく為に振り返り、小さく「ありがとう」と囁き、部屋の外に足を置いた。












「……ぅううぉおおおおわああぁあぁぁ!!! まっ、魔王様が泣いておられる!!? おのれマヨネェー!! 貴様幻惑魔術で魔王様の繊細な心を傷つけおったなあ!!?」


 ……瞬間、聞きたかったような、さりとて聞きたくなかったような声が元居た部屋から響いてくる。当然、私の歩行は止まる事となった。


「んだとお!? 魔王様が泣いてるだぁ!! てめえビネガーお前が泣かせたんだろおが!! おんどれ何しでかしたか分かってんのかオイ今すぐそのクソ付いたケツ出せや肛門に手ェ突っ込んで内臓引きずり出してやるからよお!!!」


 振り向けば、上半身だけで身を起こしこれ以上無い程狼狽しているソイソーと血管が切れそうな形相で倒れたビネガーにドスの利いた脅しを掛けているマヨネーの姿。そして……


「魔王様が泣いている? 魔王様が泣いているとな? ……あんぎゃああぁぁぁあ!!! ままままままま魔王様何故にですか何故に泣いておられるのですか!!? さてはあれですなソイソーのポケに斬られた傷が痛むのですな暫しお待ち下され今すぐにあの無礼者かつ下種かつ虫の排泄物以下の禿頭を血祭りにその後地獄の煮え湯の中で永遠に苦しませますのですぞ!!!」


 ……結界壁が破れ死に絶えたはずのビネガーが誰よりも慌てふためき、ソイソーに詰め寄っている様子。ソイソーはマヨネーに掴みかかりマヨネーはビネガーに拷問を掛けようと這いずってビネガーはソイソーに向けて豪快な火炎球を作り出している。三魔騎士の、見るも無残で見苦しく、軽蔑ものの争いだった。


「……貴様ら、死んだのではないのか?」私の疑問を受けて、三人の掴み合いは止まり、ぼけっ、とした顔で私を見つめた。三人は口を揃えて言う。「まさか。この程度で魔族が死ぬわけありません」と。
 この程度と言うが、ビネガーは私の渾身の魔術を受け体中が焦げている。ソイソーとマヨネーに至っては胴体から体が断たれているのだ。何故生きていられるのか、ましてや何故そうも元気に騒げるのか。とりあえず、私に分かるのは魔族とはゴキブリ以上に生き汚い生物だという事だ。
 ……纏めるならば、奴らは死んだのではなく、狸寝入りを決め込んでいたという事か? ……そこまで演技に徹したという事か?
 そうか……今一つ混乱しているが、正常に戻れば、その時に今度こそその汚らしい性根ごとすり潰してくれる……
 私がこめかみを押さえていると、ビネガーが「ああ!」と納得したように両手を叩き、嬉しそうに言った。


「さては、魔王様は私たちが死んだと想われて泣いておったのですな!」


「……っっ!!」


 全身に流れる血が急速に速度を上げたような気がした。図星を突かれた訳では絶対に無い。ただ酷すぎる勘違いに驚き赤面しただけだ。であるのに、奴らは「イヤーン、魔王様チョー可愛いのネー!」と上半身だけでクネクネと動いたり、「良いのですぞ魔王様! いつ私の胸に飛び込んでも全く構わぬのです! さあ我が主今すぐ私の元へ!!」とわざわざ上の服を脱ぎ去り、両手を広げて来い! とアピールしたりと……私を虚仮にする。


「魔王様……」


 そんな中、ビネガーは私につかつかと歩み寄り、体から焦げた臭いを蔓延させながら私の肩を叩き、今まで見たことが無い、これでもかという程喜の感情を含ませて「今夜は、添い寝して差し上げますよ」と目を細めた。


「ねっ……寝るものか戯けがーーーッッ!!」


 その日。ビネガーの館は一つの部屋を残して崩れ去った。俊敏な動きで逃げまわり、森の中に隠れる三人を見つけ出し、縄で縛りつけた時には時刻は未明となっていた。何故、今更になって私が鬼のかくれんぼなどせねばならぬのか、探している間中気が狂いそうな程の怒気が体中から漏れんばかりに溢れ出してきた。
 業腹なのは、縛られてもまだ嫌らしい笑みを続ける三人の事。私がどのような罵詈雑言を連ねようと奴らは「分かってますよ」というスタンスを崩さなかったので、怒りを何処にぶつけるかも分からず私は疲れ果ててしまった。
 幸いに、偶然にも館で唯一無事だった部屋が寝室だった事もあり、私は早々にベッドに入り就寝した。
 もう、疲れて何に怒っていたのかも分からなかった私は、仕方無しに奴らの縄を解き自由にしてやったのだ。今すぐに私の目の前から消え失せろ、と言い渡して。












 翌朝、私は久方ぶりに悪夢を見る事無く起床することが出来た。
 起き抜けに、耳側から誰かの寝息が聞こえたのは、もっと久しい事だった。

















 幼少期・魔王


 魔物も虫も寝静まり、魔王城は静寂に包まれていた。蝋燭の火も消され、一切の明かりが無い城内は暗闇が支配している。
 その中の一室にて、ビネガーは己の寝具の上でゆるやかに胸を上下している。就寝の際に着用するナイトキャップが恐ろしいほど似合っていた。
 そんな彼の部屋に、小さく数回のノック音が響いた。腐っても魔族トップクラスの実力を持つ彼はその小さな物音を聞き逃す事無く、すぐに目が覚めた。窓の外を見て、朝には程遠い深夜だと知る。
 次に浮かぶは、微量の不愉快だった。このような時間に人を起こすなど、何処の馬鹿だと考えたのだ。最初は無視を決め込もうと布団に潜り込んだが、ドアの外から聞こえた声に飛び起きた。自分の知る最愛の者の声だったからだ。
 靴を履く事も忘れ、浮くようにドアに近づきノブを捻った。開いた先には、目蓋を擦りながら「びねがぁ?」とビネガーにとって目に入れても痛い? ふざけろむしろ望むところだ、な幼い魔王の姿。


「どうしました魔王様? 怖い夢でも見られましたかな?」魔王は頭をふるふると振って、「おといれ」と端的に目的を告げた。
 廊下が暗くて、トイレの場所が分からなかったのかと考えが至ったビネガーは「ここを真っ直ぐ行って突き当たりの部屋がトイレですぞ」と説明する。しかし、それでも満足いかなかったのか、魔王はもう一度首を振った。「そうじゃなくて、」と前置きした後、


「ついてきて?」と小首を傾げ、なんやねんどこまでもついていきますがなそんなもんていうか針の山だろうが三途の川だろうがついて行かせて下さいよ、な愛らしさ満載の挙動にビネガーは鼻血を我慢するべく鼻を押さえながら「いいですとも!」と勢い良く答える。
 特に考えがあるのかどうか分からないが、魔王は小さな手を出してビネガーの手を握った。限界だった。ビネガーの鼻から放水器のような勢いで鼻血が吹き出る。彼の今までの人生で、幸せ絶頂の瞬間だった。


「だいじょうぶ? 痛いの?」


 眠たいからか、舌足らずに聞いてくる魔王に「あんたわしを殺す気かい」と言いそうになり、そこは粉粒程度に残った理性で耐えて「大丈夫ですぞ!」と胸を叩いた。


(何じゃ? 意識がはっきりしてないからか? そうでなければ魔王様がこのように幼い行動を取る筈が無いからの……何にしろ幸せじゃ。もう死んでもええ)


 かなり本気に考えたビネガーだったが、死ねば手に感じるこの暖かく柔らかい感触も味わえないのかと思い二秒で切り捨てた。
 魔王をトイレまで連れて行こうと歩き出したビネガーだったが、その動きが止まる。というのも、魔王自身が足を前に出さなかったのだ。不思議に想ったビネガーが振り返ると、魔王の眠たそうな表情が崩れ、今にも泣き出しそうに歪んでいるではないか。
 これはこれで可愛いがな、といけない嗜好が発芽しそうになったがとにかく目の前の主の目線まで頭を下げて「どうなさったのですか!?」と表面上慌ててみせる。もしかして間に合わなかったのかな? それならそれで萌えますやん、と常人から逸脱した性癖が誕生しそうになったが、それを否定する事は無かった。彼はもう引き返すことが出来ない茨の道を歩み出したのかもしれない。


「びっ、びねがー死ぬの?」


 聡明な(と自分は思っている)ビネガーはすぐさま気が付いた。どうやら先ほどの死んでもいいという言葉が口から出ていたようだ、と。それを魔王に聞かれ、彼は自分がいなくなることに嫌がって、悲しくなったのだ、と。
 今からでも魔王の服を剥ぎ取ろうかと真剣に悩んでいる時間は秒数にして五秒程度で消えた。次は保障できないな、という考えは残っていた。


「死にませんよ魔王様。私めは貴方様が生きている限り消える事はありません」そんな勿体無い事出来るかい、とは口にしない。


 見るからにほっとした表情で安堵の息をついた後、魔王は白い歯を見せながら、ほくほく顔で、自慢するように言った。「僕ね、ソイソーもマヨネーも、勿論ビネガーも大好きだよ。だからずっと一緒にいようね?」
 ビネガーの理性は、そこで息絶えた。彼の脳内にいる二人の人物が「もうゴールしても良いよね?」「いいですとも!」の掛け合いを延々繰り返している。止める人格は何処にもいない。今頃ゴミ廃棄施設に送り込まれているのだろう。
 ビネガーが己の服を脱ぎ去りつつ魔王に飛びかかろうと跳躍した瞬間、彼の体が電光石火もかくや、というスピードで飛ばされた。
 今さっきまでビネガーがいた位置には、鼻息を荒くして、目を充血させているマヨネーが拳を突き出して立っていた。彼……彼女は魔王の目線に合わせる為中腰になり、口を開く。


「魔王様ー? あたいが一緒にオトイレに連れて行ってあげるのネー。勿論お手伝いも完備なのネー……そっから先はもうあれやこれやだけどな」後半の台詞はいつもの高く可愛らしい声ではなく借金の取立て屋さんに酷似した低く擦れたものだったが、魔王はそれを聞き取れる事無く「うん」と頷いた。消えたビネガーの事は脳裏から消えているらしい。子供とは怖いものなのだ。


「させるかこのカマヤロー!!!」


 廊下の端から復活したビネガーが怒りしかない雄たけびを上げながらマヨネーの喉元を掴み壁に押し付ける。彼の心情を文章にするなら、コロシテヤルだ。
 それから、魔王は二人の争いをほけー、と見ていた。所々に聞こえる「あたいなら完璧な調教が可能なのよネー!!! だからてめえはお呼びじゃねえんだよナマズ爺!」とか「そういう自分の性癖を押し付けるのは時代ではないわ! これからは愛よ愛!」とか「今時和姦じゃヌ○ねーんだよステレオタイプ!!」と、彼の知識では理解できない言葉の嵐が行き交いする。実際、分からなくて良かったのだが。


「……魔王様。行きましょう」


「んー? うん、ソイソー」


 かくして、魔王は騒ぎを聞きつけて来たソイソーに連れられ無事難を逃れる事に成功した。一応武人であるソイソーはやましい事などせず、極々普通に連れ添い魔王の寝室に送ってあげたのだが、後日ソイソーは誰の手による者か定かではないが、魔王城の天辺から縄で吊るされていたという。
 関係性があるのかはまだ掴めていないものの、その日のビネガーとマヨネーは悶々とした想いを解消するかのように八十キロのマラソンに挑戦していたそうな。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:07
「十年位になるかしらね? あの廃墟に魔物たちが何か運んできたのは。最初は、凄い宝物でも隠されてるんじゃないかって、冒険者たちがこぞって入ったもんよ。まあ、皆帰ってこなかったけどね」


 民家より出て来た女性に礼を言い、その場を離れた。
 クロノたちより別れた俺は、時の最果ての老人の言葉──中世で魔王に破れ、現代に至るまで彷徨う騎士の魂──を手がかりに、俺は中世へと訪れた。
 その言葉を聞いてふと、思い出したのだ。昔訪れたチョラス村という村にて、不可解な噂を聞いたことを。自分の記憶違いでないか確かめる為に聞いて回ると、やはり間違いなかった。その村より北の廃墟に魔物たちが何かを運んでいた、という事。
 その噂は広がり、遠くガルディア城まで届いていた。人々はその『何か』がなんなのか、という点で様々な推測を立てていた。
 魔王すら倒せる可能性がある武具が保管されている、世界を買えるだけの金塊、とんでもない魔物が封印されている等、その噂は幾つにも種類があり、中でも一番気になったものが、勇者の遺体が運ばれていた、というものだった。
 勿論、信じきれる証拠もなく、信憑性も確かかと問われれば頭を捻る。だが、それくらいしか思い当たる節が無いのも確かだった。
 それから、俺は真っ直ぐに北の廃墟とやらを訪れるため歩き出した。距離はこの村からそう離れた場所ではないらしい。
 最初それを聞いた時、魔物が巣食うような場所が村の近くにあって、不安ではないのか? と問うてみれば、理由は分からぬがその廃墟に入った魔物は侵入者を喰らいはするが、自分から外に出ることはないそうな。不可思議な力が働いているのでは? とそれを教えてくれた男は笑っていた。
 村を出て、街道を逸れ始めた時、鈴虫の鳴き声が聞こえ始めた。それを耳にした途端、強い立ち眩みに襲われた。手を額に当てて、座り込みそうになるのを我慢する。情けない、この程度の運動で疲労を訴えるのか。
 ……いや、違うか。多分、会いたくないのだろう俺は。
 仮にその廃墟にサイラスの遺体が運ばれていたとして、仮にそこにサイラスの魂が漂っていたとして、仮にその魂が俺に語りかけることが出来たとして、その仮にが三つとも奇跡的に揃ったとして、俺はそれが恐ろしくてたまらないのだ。
 何を言われるだろう? 罵倒されるだろうか? 「よくも俺の足を引っ張ってくれたな」と蔑むだろうか? それとも「ありがとう、俺と共に戦ってくれて」と過去を振り返り、俺を称えてくれるだろうか? そのどちらも恐い。彼が俺を嫌っていては俺はもう立ち上がれない。彼が俺を認めてくれていたのならば、もう立ち上がる理由も無い。彼が俺をどう思っていたのか、それを知るのがこれほどに恐いとは。


「ともあれ、進まねばならん」


 独り言、と認識するには寂しさが伴うので、俺は草むらで鳴いている虫に聞かせる気分で呟いた。隣に誰かがいないことがこうも肌寒いとは。クロノの到着を待ち遠しく感じた。
 小一時間とかからぬ間に目的の場所を見つけた。半円月状に広がる地面に、崩れ落ちながらも体裁を整えている建物。入り口の扉は黒ずみ取っ手の部分が床に落ちているものの、元は豪華で重厚な扉だったのだろうと思う。左右に付けられたランプは外側のガラスが割れ、中の灯心が無くなっている。いざとなれば、それを取り外し廃墟の中を照らそうと考えていたので、知らず舌打ちが零れた。


「う……」


 扉を開けると、立ち込める埃と木材の腐った臭気が襲う。酸味のある臭いは鼻腔を狂わせる、吐き気を催す程ではないが、長居したいと思える環境ではなかった。
 一歩前に踏み出すと、嫌な予感が巡り、すぐに足を引く。僅かの差で、先ほどまで足を乗せていた床が抜け落ちてしまった。全体重を掛ける前に壊れるとは、予想外だ。満足に進むどころか、まず中に入る事すら困難とは。
 剣を鞘ごと抜き、杖のように床を叩いて、体重を乗せて良いかどうか判別する。そうして、ひどくゆったりと中を散策し始めるが、それも長くは続かない。魔物を見つければ、引き返さねばならぬからだ。少々戦闘力の落ちた上、この足場の悪過ぎるこの場所で戦おうと思うほど、俺は考えなしではない。
 そうやって、魔物を避けつつ先に進める通路を探した結果、到底奥に辿りつく等不可能だ、という事だけ分かった。
 サイラスの遺体が安置されている場所がどこかは分からないが、恐らくこの廃墟の最も深部の部屋にあるだろう。元より、安置場とはそういうものだろう。今この時までそのしきたりのようなものにけちをつけるつもりは無かったが、入り口に近い場所でいいではないか、と誰とも知らぬ魔物に物申したい気分だった。
 このまま先に進むことが出来ぬままぼう、と突っ立っているわけにもいかず、俺はとぼとぼと村に戻る事とした。なんとか、方法を見つける為に。
 これが、今から三時間前の話。






「さあて、始めようかね! ここの修理をよ!!」


 存在感のある巨体が号令をかけると、屈強な男衆が「おう!!」と右手を一斉に上げた。その光景は頼もしいとも、汗臭いとも言えた。


「ほれそこの姉ちゃん! 何だそのへっぴり腰は! もっとしっかり金槌を振らねえか!!」


「わ、分かっている」


 怒鳴られて、今までよりも力を込めて金槌を振り落とす。目標の釘には当たらず、木製の板に当たり半ばから割れてしまう。それを見て、大工の棟梁──親方は「ああもう、糞の役にも立たねえな!」と唾を飛ばしながら呆れた。
 ……チョラス村に戻り、俺が考えた方法はぼろぼろの廃墟を修理しながら先に進むのは? というごり押しの方法。時間がかかるだろう、という事がネックではあったが、立ち尽くしているよりは有意義だろうと、その村の大工の家を訪ねた。
 それから大工の親方が魔物に大工道具を奪われただのなんだのと問題はあったが、所持金を全てはたいて新しい大工道具を調達し渡したところ、俄然やる気になった親方は仲間を集め鼻息荒く北の廃墟に身を乗り出したのだ。
 そこまでは良かった。大工たちの腕は確かなもので、見る見るうちに歩くだけで危険な廃墟は生まれ変わっていった。驚いたのはそれだけではなく、途中に徘徊している魔物たちに対しても彼らは頼れる存在だった。特に、大工を纏める親方は大工道具を奪われた恨みもあり、どっちが魔物か分からない動きで誰より速く魔物に襲い掛かりのこぎり片手に分断していった。ガハハハ!! と力強く笑いながら解体していく様は戦い慣れしている俺でも戦慄する姿だった。その光景に、親方の部下である大工衆が目を輝かせながら「カッケエっす親方!!」と応援しているのはもう言葉にならなかった。
 そう、全て順調だったのだ。彼らの仕事ぶりを見ながら頷いていた俺に、親方が「人手が足りねえっ!! あんたも手伝え!」と腕を取られるまでは。
 何が何やら分からぬ俺に無理やり金槌と釘を手渡し、長方形に切り取られた木材を置かれ指定の場所に釘を打てと命令する親方は、職人の顔をしていたと思う。
 渋々不器用ながらに釘を打つ俺に、周りの大工は「こいつはヒデェ!! ゲロ以下の腕前だぜぇぇぇ!!!」と貶してくる。馬鹿にしているのかもしれない。多分、その両方だろう。こういう体を動かす仕事に新人いびりはつきものなのだろうか。


「す、すまん。こういった仕事は初めてなのだ」


「それにしたってよお! あんたさっきから板を割ってばかりじゃねえか! もう釘打ちは良い! この木材をこの板と同じ大きさに切れ!」大工の一人が太く大きな木材と、さっきまで釘を打っていた長方形の板の二つを持ってくる。金槌を取り上げられ、代わりにのこぎりを押し付けられた。


「斬るのは得意だ。任せてくれ!」胸を叩き、挽回を誓う。
 縁のぎざぎざの歯を板に押し付け、魔物を斬る要領で強く押す。撓る刃は右に曲がり、ぱき、と軽い音を立てて折れた。


「何やってんだ新入りぃぃぃ!!!」


「すすす、すまん!! これは、何かの間違いで……」いつのまに新入り扱いされているのか、という疑問や不満よりも申し訳なさが前に出てしまい、謝罪しか口にする事は出来なかった。


「のこは引くんだ! 腕の力だけで切ろうったって上手くいくか馬鹿! 腰だよ腰! 男の上に跨った時を思い出せ!!」


「ま、跨る?」


 狼狽する俺の手を取り、こうだ! と指導されながら、不器用ながらに初めて木材を切り分ける事が出来た。満身創痍に息を吐いていると、すっと親方が現れ、俺が切り分けた板を一瞥し「使えん」と一蹴する。
 自分でも拙い出来だと分かっていたが、こうも簡単に切り捨てられると落ち込んでしまう。項垂れて、恥ずかしながら目蓋に涙が浮かび始めると、背中を向けている親方がぽつりと呟いた。「次は一人でやってみな」
 親方は、右手人差し指を積まれた木材に向けていた。
 ……まだ、ここにいていいのか? 俺はまだ役に立てるのか?
 肩に手を置かれ、振り返るとさっきまで俺の指導をしてくれた大工の男が白い歯を見せながら「あんた、認められたんだよ」と笑っていた。その後ろには作業をしながら俺を暖かく見守る男たち。
 ……やってやる。碌に役に立たずとも、誰かに必要としてもらえるなら、頑張る理由が確固として作られる!
 俺はもう一度のこぎりを強く握り締め、新しい板を取りに行った。
 これが、二時間前の話。






 歪な、板の集まり。使い物にならないような、ただの無駄な板が次々に作られる。その度に、厳しくも暖かい激励が背中に当たる。歯が真っ直ぐに入り込まない。力任せではのこぎりが折れてしまう。何より俺の力だけでなんとかなるようなものではない。感じろ、板の切れ目に沿うのは勿論、その木の本質を、息吹を感じるのだ。さすれば必ず応えてくれる。俺の意思を汲み取り木材の方から刃を動かしてくれる。


 ──今だ。


 一際強く歯を滑らせる。すると、今までどれほど力を込めようと微動だにしなかったのこぎりが嘘のように軽く流れる。切り取られた板の切れ目は美しく、光すら反射するのではと思えた。


「……出来た。出来たっっ!!!」


 俺が両手を掲げると、周りの大工たちが「おおおおお!!!」と歓喜の雄たけびを上げた。皆、良くやった! もう一人前だな! と我が事のように喜んでくれる。親方は何も言わないが、服の袖で己の目を拭っていた。俺の為に泣いてくれるなんて、思いもしなかった。


「……さあ、これで終わりじゃねえぞ新入り!! 次はカンナの扱い方を覚えろ! こっちに来い! 俺が直々に教えてやらぁ!!」


「はい! お願いします!」


 見つけたのかもしれない。俺にとっての天職を。
 新しい技術を身に付けられる喜びと好奇心に、俺は胸を躍らせた。天下の大工になり、世界を修理し、世界を作り出してやる!


「…………何やってんだ、カエル」


 力が抜けた顔で、真に不思議そうに問うクロノの声が聞こえたのが、一時間前の事である。
 その声を耳にして、ようやく俺は自分が何をしに来たのかを思い出した。
 ……俺を見るなクロノ……






 クロノに事情を説明すると、ようやく彼の俺を見る目がやわらいだ気がする。それまでは「皆頑張ってる時に何してんのコイツ?」と誰の目にも明らかな失望の色が存在していた。
 そういう事なら、俺も手伝うぜ、とクロノの修理メンバー加入が決まった。男手が増えるのは歓迎するぜ、と親方は了承した。
 ……クロノの成長は素晴らしかった。あっという間に俺の隣に肩を並べ、既にのこぎりを扱えるようになりカンナの削りも、親方曰く「筋がある」と言わしめた。
 負けたくない。いつのまにか、また大工魂が燃えた俺は今まで以上に作業に力を入れた。来たばかりの新人に大きい顔をさせてなるものか、と肩をいからせた。負けるわけにはいかん、クロノにだけは絶対に!!


「カエル? そこのハンマー取ってくれ。後釘も」少し離れた場所で作業しているクロノが俺に雑用を頼んでくる。馬鹿め、その手には乗らん。


「そうして、俺の作業時間を縮めさせる魂胆だろう。貴様の底の浅い手に引っかかると思ったか」


「……いや、何言ってるのか分からねえ」


「ともかく、自分の事は自分でやる事だ。今貴様と俺はライバルなのだということを肝に銘じろ」


 ぶつくさ言いながら、クロノが自分で釘とハンマーを取りに作業を中断する。くくく、これで貴様の作業時間は九秒止まった。この九秒は大きいぞ、なんせ俺はその間にカンナを五回かけたのだからな! 経験知的に言えば六十ポイントは先を行った事となる!
 それから先も延々クロノに突っかかっていると、周りの人間も面白がってか逐一俺たちの様子を見るようになった。親方ですら、賭け事の胴元を務めていた。賭けの内容は俺とクロノどちらがより成長するか。その存在を知ったとき俺は隣にいたねじり鉢巻の男に借金して、自分に賭けた。さあ、これで後には引けんぞグレン……
 俺とクロノとの戦いは熾烈を極めた。俺が新たに油を塗るという繊細技法を学んでいる最中に、奴は卑怯にも新しいのこぎりを受け取っていたり、俺がトイレに立った時にも奴は卑劣にも天井の修復の為に作られる乗り場の組み立て方を聞いていたり、俺とクロノが仲間たちの食料を買出しに行く時も奴は外道にも俺の持つ分の荷物を代わりに持ち腕力強化に勤しんでいた。とにかく、クロノはズルかった。いくら勝負とはいえそこまでするのか、と開いた口が戻らぬ程だった。


「なあカエル……お前何か怒ってねえか? あの日か?」


「生理ではない。無駄口を叩く暇があれば俺を陥れる作戦を考えていればどうだ? この卑怯者め」


「なんで俺が隠語でお前が直接言うんだよ……そして陥れるって何だよ」


 極悪人クロノはすごすごと退散した。少々その背中に哀愁を感じたが、情けは無用と心を鬼にする。奴はこの瞬間にも俺の先を行こうと切磋琢磨に前を走る敵なのだ。気を許せば最後、俺を落とし穴に落とし上から砂を入れて土木・建築用材であるセメントと砂を砂利に適度に水をかき混ぜ練りこんだコンクリートを流し込むに違いないのだ。


「勝負に負けるわけにはいかん……負けるなど絶対に認めんぞ!!」気合一心、俺は釘を板に押さえつけ、吼えた。既に観客と化した男衆が「良いぞー!」と合いの手を入れる。


「勝負ねえ……お前、そういう事になると本当頭おかしくなるよな」


 俺との差が縮まらず遠吠えるかクロノめ。精々喚くが良いわ、その内に俺と貴様との壁が果てしないものになっていると気付き絶望に打ち震えるのだから!
 贔屓目に見ても、この時の俺は狂っていたのだろう。そうと思わねば、自分を絞め殺したくて仕方が無い。
 この時が、今から十五分前の事だろう。






 そして、現在に至る。廃墟の修理が終わり、親方たちは色々と必要ない事柄を話して帰った。
 その必要ない事柄とは俺とクロノの勝負結果である。どちらがより大工として素晴らしいものをもっているか、という判定だった。
 結果から言えば、接戦ながら俺の勝利で終わった。それは良い、それは良いのだが……採点の内容が少々どころかかなり不満であり……
 まずのこぎりの扱い方はクロノの勝利に終わった。カンナもクロノの勝利、油を塗る作業も釘打ちも組み立てから荷物運びその手際に至るまで全てクロノが上回っていたというのだ。聞けば、クロノは実家で日曜大工の類は全て経験済みだったのだという。
 さて、そこまでクロノの圧勝であったというのに何故俺が勝利を得たのか。それはあまりに納得できない点に置いて俺が勝利したからに過ぎない。
 俺がクロノに勝ったのは『健気さ』『マスコット度』『可愛い』の三点がブッチギリだったのだ。最悪前二点に置いては良いとしても、最後の可愛いとは何だ? 馬鹿にしているとしか思えない。俺が勝利したのは実力ではなく健気だのマスコットだのと大工という職業になんら必要無さそうな能力によるものだったのだ。
 愕然としている俺に、親方たちが残した言葉は「旦那には素直になりな新入り!」という色々と教えてくれた恩を考慮しても斬っていいだろうか? と思うような発言だけだった。
 これ以上無い程真剣に取り組んでいた俺が落ち込んでいるときに、クロノが肩に手を置いてくる。奴は上唇だけをふるふると上げて、前歯を見せるという嫌らし過ぎる笑顔だった。


「健気だってねカエルちゃん? マスコットっぽいってねカエルちゃん? 可愛いもんねカエルちゃん? 素直になっちゃえよカエルちゃん?」一々ポーズを変えながらおどけるのが、効率的に俺の心を抉ってくれる。


「……もう、いっそ殺してくれ……」


 この事でこいつにからかわれ続けるくらいならその方がずっと良い。ここで死ねばサイラスに会えるかなあ……


「死ぬなんて言うなよ健気でマスコット的で可愛くて素直になれないカエルちゃん」


「貴様を殺して俺も死ぬぅぅぅ!!!」


 首を絞めてもハハハハと乾いた笑い声を再生するクロノが憎くて堪らない。何処がサイラスに似ているのか。サイラスはそんな事を言わないし俺の嫌がる事もしなかった! 今過去に戻れるとしたら、一瞬でもそのような勘違いをした俺をグランドリオンの錆びにしてくれる!
 しばらくクロノと格闘して、廃墟の探索を開始したのだった。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十八話 「ほらな?」と彼は言う。「大丈夫だったろ?」とも












「思ったより中は広いんだな……って、修復作業してから言う事じゃないか」廃墟というには立派に修理された建物内を歩きながら、響かせるみたく、音吐朗々にクロノが言う。
 彼が言ったように、元廃墟である中の構造は大概に頭に入っていた。幾つか明かりとして壁つきのランプや燭台を置いたにしてもなお薄暗い廊下を淀みなく進める程度に。地下有りの二階建ての構造になっており、二階と一階はほとんど見回った。怪しい物はなく、また魔物も既に蹴散らした。残るは地下の階段のみ。
 親方たちはそこも修理する、と言って聞かなかったが、上二階とは比べられない魔物の気配がすると脅し、これ以上助けてもらっては申し訳ない、それに自分たちの腕も上がるに上がらないと頼み込んだ末ようやく引き下がってもらった。魔物を怖がった、というよりは俺たちの向上心に折れた、という気配だったが。


「廃墟になってたけどさ、これだけ立派な屋敷をサイラスさんの遺体を置く場所に選ぶなんて、案外魔物たちも敬意を払ってたのかもな」誰に? と問えばクロノは「そりゃあサイラスさんにだよ」と答えた。俺は喉を鳴らし笑う。


「まさか。知らぬから無理は無いだろうが、サイラスは人間にとって魔物との戦いで希望そのもの。逆に言えば、魔物にとっては天敵以外の何者でもなかったのだぞ」


「一口に敬意って言ってもな、色々あるんだよ……っと、あったぜ」


 瓦礫の山になっている場所を目にして、クロノが指を鳴らした。目を凝らせば、瓦礫の下に階段が見える。これが俺たちの探していた地下への道なのだろう。
 山になっている、と表現したとおり、埋もれた地下への道の上には天井に届くほどの瓦礫が積まれている。丁寧に一つずつ退かしていたのでは朝になろうとも進めない気がした。魔法で壊してみようと詠唱を始めるが、俺よりもずっと早く口を動かしていたクロノが両手に魔力を集め、捨てるようにレンガや鉄の集合体に落とした。
 短く鋭い破裂音と集束音が弾け、一瞬眩むほどの光が襲う。しかめる様に目を閉じると、後には瓦礫は大半姿を消し、遮る物の無い階段が姿を現していた。


「……随分魔力の腕を上げたな。さては、貴様の言う用事とは修練の類だったか?」正直、大工の時のような……というには情けないが、先を越された思いから棘のある声音でクロノにぶつけた。奴は頭を掻いて誤魔化すではないが、少し言いづらそうに「でもねえよ」とだけ残し先に階段を下りていく。
 それについていく際に崩れた瓦礫を見遣る。焦げ目も切れた後も砕いた痕跡も無い事から、奴の放った魔法がいかなるものなのか分からなかった。電気で吹き飛ばしたにしては荒っぽさも音も無い。


「クロノ、今のはどうやって瓦礫を壊した?」壊した、というのが正しいのかも曖昧だが、それ以外に言葉が見つからなかった。


「難しい理屈は俺だって理解できてねえよ。ただまあ、ドーム型の電流域を作って……ああこれも微妙か。一言で言っちまえば電気分解したのさ。溶液が無いから、厳密には全く違うのかもしれねえけど……つかお前に言って理解できるのか?」


「いや、俺には分からん。すまんな、俺は学が少ない。まあ、つまりは分解した、という解釈で相違ないか?」


「そんなところさ。ただ分解するだけでもないんだが……自分の魔法を説明するなんて、自慢するみたいで気分が良くねえし、それで納得してくれ」


 片手をふらふらと揺らしリズム良く靴音を鳴らし暗闇に染まっていった。


「それよりも」前を行きながらクロノは思い出したように振り返った。「何で俺を呼んだんだ? お前一人じゃ魔物と戦えないなんて、素直に言う奴じゃないだろ、カエルは」


「当然だ。俺一人でも魔物程度駆逐するのは容易い……が、そうだな。会ってほしかったのだと思う」


「誰に?」今度はクロノが俺に聞いてくる。


「サイラスにだ」


 まだ会えると決まったわけではない。死んだ人間に会うという夢物語を、俺はずっと嫌っていたはずだ。ありえないから奇跡なのだと。
 ただ、こうしてクロノは俺と会話している。一度彼を見捨てようとした手前勝手な話だが、死んだ人間と会うことが出来るという事象を彼が体現している。ならば、もしかすると……と俺はみっともなく思ってしまうのだ。
 しかし、不思議な事は、死の山では追われるようにサイラスとの再会を渇望していた自分が、酷く冷静である事。浮き足立つでもなく淡々と歩ける自分が少し異質にも感じられた。同時に、これでこそ俺だとも。
 また、信じ難いと理性は告げているのに、もう一つの俺の心とでもいうのか、が彼との再会を信じている。むしろ確信している。一の次は二であるというように。会えるではなく会うのだと、決まっている事であると。
 俺が今落ち着いていられるのは、俺が成長したからだろうか? いや、死の山から今までで俺が成長できる機会などあっただろうか? 思案しながら、目の前で左右に揺れる赤い髪の毛の主を思う。


「……やはり、お前がいれば俺たちは進めるのかもしれんな」


 クロノには聞こえないように囁く。悪戯好きで格好を付けたがらないこいつは、メンバーの、ひいては俺の動力源と変わり始めているのかもしれない。こいつに負けたくないという思いから、必要な程度に気を張り、適度に前を見続けられる。天性の、とまではいかぬが、自然な形で己を見失わずにいれるのは、多分クロノの力、素質なんだろう。
 感謝はしても、言葉に乗せる事はあるまいが。


「どうしたカエル? もしかして暗い所怖いのか? 手でも繋いでやろうかカエルちゃん」


 ……永遠に口にすることはあるまいな、うむ。
 伸ばされた手をはたき返して、追い越す。やれやれ、と苦笑いをする彼に一つ拳を当ててみようかと思案するが、結局は思いとどまった。それどころではなくなった、とも言える。
 剣を抜き、階段の下に向ける。牽制の意味もあれば、隣にいるクロノに戦闘を促すという意味もある。言葉にする事無く、クロノは腰を落とし稲妻を生成し始めた。闇を裂いて飛び出してくる骸骨の魔物に剣を振りぬく、が、手に持ったさび付いている槍で受け止められ、そのままクロノに向かい走り出していく。俺は眼中に無いといわんばかりの態度に苛立つが、これも一つの作戦と自分を戒めて次の相手を待つ。異様に腹部が盛り上がった筋骨隆々の人型モンスターが顔を出し、今度こそ俺に狙いを定めて突進する。荒々しい走りに、老朽化した階段が踏み抜かれるが、魔物はそれを気にする事も無く走る速度は落ちない。
 骸骨は既にクロノのサンダーにより命を散らしていた。残る魔物は目の前の巨大なモンスターのみ。交叉するようにグランドリオンと敵の腕が交わるも、僅かな差で俺の剣速が遅い。このままでは、先に俺の頭蓋が砕かれるだろう。
 それも、杞憂と終わる。クロノが逆手に持ち投げた、今しがた敵から奪った槍が魔物の眼球を貫いた為、魔物の攻撃は中断され、その隙にグランドリオンが首を薙いだ。


「まあ、こんなもんか」飄々とクロノが告げる。
 一応、俺も魔物を倒したとはいえ、少し気が重い。全てにおいて今の戦闘は、俺はクロノにフォローされている。今俺が蛙状態であった頃よりも弱くなっている、その事実を差し引いても、クロノの強さは今までの俺と同じ……いや、恐らくそれを超えている。魔力は言うに及ばず、判断力、機転共に凌駕しているだろう。まだ、戦いの日々に潜り間もない青年が。
 ……今まで俺は何をしていたのだ? 数多い魔物と戦い、生死を賭けてきた。魔王といつか対峙できるよう、様々なものを削ってきたのに、いとも易々とクロノは飛び越えてしまう。
 恨みはない。仲間が強くなる事を妬むほど、自分が青いとは思わん。だが……不甲斐なさは消えない。いつのまにか、力の差は逆転してしまったのだろうか?


「……行こうクロノ。さっきは助かった」


「カエルが先に魔物の気配を感じ取ったくれたからだろ、こっちこそありがとな」


 何の気無しに言ってくれた彼の言葉にも、俺は同情が含まれていると邪推する。「お前にしてはよくやったんじゃないか?」という含みを思ってしまう。そうじゃないのに、俺が言いたいことはそれでは無いのに。


「……本心か?」ぼそっ、と転げ落ちた言葉をクロノが拾い「何が?」と優しく(蔑むように)答える。丁寧に聞き返すその仕草でさえ癇に障る思いだ。


「いや、何でもない」


 そこで終わらせて、階段を降りきった。
 地下は小さな、幅も天井も狭い一本道の廊下があった。突き当たりに扉があり、そこまでに二、三部屋があったものの、中を覗きこむとただの空室、家具も何も無い寂しいものだった。一つ宝箱を見つけ、クロノが嬉しそうに近寄り開けるも、舞い上がった埃に咳き込み、中には何も無かった。悔しさと恥ずかしさからか、彼が宝箱を蹴ると、その音を聞きつけた魔物が大挙するという一幕があったものの、自分の責任は自分で拭うといわんばかりに彼が一人で追い払った。
 ……内心、考えたくは無いものの、考えてしまう。クロノは既に魔王すら超えているのではないか? と。
 流石にそれは無いとは思う。だが、見た限りクロノは今刀を持っていない、徒手空拳の状態……いや、魔法を使ってはいるのだが。とにかく万全では無い筈。それでも、ここまでに力を発揮し魔物たちを片付けられるというのは、正に魔王と同じ力量を有しているとしか思えない。誇らしくもあり、ある種目標としていた魔王に軽々と近づいていくこの男が憎らしくもあった。
 皮肉交じりの、ニヒリズムに浸ってしまう。彼がいることで、俺は俺であれる。それでも、彼がいるせいで俺が醜くもなる。相反する感情、逆説的な、矛盾を多分に……と表し方は多岐に渡るが、言ってしまえば俺の我侭である。


「墓を訪れるって……見舞い……じゃないか。あれ、なんて言うんだっけ、こういうの。ほら、亡くなった人の墓前に立つ事。喪に服す……じゃねえし」鬱々とした気分に際悩まされている時に、クロノが頓狂な事を口にする。もしかしたら、俺の気を紛らわそうとしてくれたのか。


「……くっ」


 不覚にも漏れるように笑ってしまった俺を見て、クロノはほんのりと笑った。やはり、気を遣われたか。年下の男子にそのような事をされるのは、些か心外だったが、これはこれで悪くない。
 止めよう、無駄な事に悩むのは。小さな事でも彼は見つけてしまう。それだけの男になったのか、といらぬやっかみを持つ事無くただ頼もしいと感じていれば良いではないか。


「大きくなったな、クロノ」


 本心そのままに言葉にすると、彼は訝しく表情を変え、「去年から測ってないからなあ」と自分の頭に手を置いた。






 扉を開ける。床下に擦れながら、金具が取れそうなほど嫌な音を立てて左右に開かれる扉は泣いているようにも、歓喜に叫んでいるようにも思えた。
 中は、意外にも埃や木の腐った臭いは漂っておらず、今までに無い澄んだ空気が流れている。死の山には及ばぬものの、清涼感に溢れていた。
 中央に石の十字架が刺さっている。正方形方の石版に近づくと、無理やりに削られた文字が刻まれていた。
『魔王に戦いを挑んだ愚かな男サイラス、ここに眠る』と。
 自分でも驚く事に、怒りは無かった。尊敬するサイラスを貶されているというのに。悲しみも無い。ただ、胸中を奪われたような寂寞感が押し寄せてくる。そうか、もう彼はいないのだ、と。
 膝を折り、大した汚れも無い石版の表面を手で払う。さらさらとこぼれる微細な砂が寂しそうだった。


「……それが、サイラスさんの?」後ろで見守るクロノが言葉を選ぶように話しかけた。


「ああ。間違いない」


 迷い無く、頷く。これといった証拠がある訳じゃない。けれど、ここには彼が集まっている。言うなれば、彼の匂いが充満している。彼は、ここにいる。
 そうか、とだけ言って、クロノは扉まで後退した。俺から距離を置いて、彼との時間に集中させようという心遣いが嬉しかった。少し離れるだけで、部屋を出ることはない彼の優しさが心地良かった。完全に俺がクロノの気配を感じさせないほどに離れれば、俺は泣いてしまうかもしれないから。後ろに誰かがいるというだけで、俺は少し強くなれる。


「……帰ってきたぞサイラス。俺は、お前との約束を果たす為に……」


 帰ってきた、とは言えなかった。
 彼との約束……? 何だそれは。俺は彼と何を約束した? 魔物を殺しつくす? 魔王を倒す? 国を守る? ……そのどれも、彼と約束した覚えは無い。彼との約束とは何だ? 俺は彼に何をすると誓った?
 忘れたはずは無い。彼と共有した時間を消し去るなんて事は無い。きっと覆ったのだろう、それ以外の恨みや悲しみが、彼との約束も、記憶も。掘り返せ、きっとあるはずだ。捨てたなんて認めない。


「……でも、思い出せない……」


 片手を顔に当てる。頭痛が酷い、平静でいられた思考が乱れていく。涙すら浮かぶ今の姿は、誰にも見られたくない。何より、サイラスには。
 ……彼が、俺に言ったのは。彼が俺に語りかけてくれた言葉は。


──………なるな。グレンは強いけど、弱いから。


──無理に決まってるだろう。俺には荷が重い。


──そうか? 俺よりも、グレンの方が出来ると思うぞ。まあ大丈夫さ、グレンは強いから。


──どっちなんだ? 一体。


 肝心の内容を思い出せない。彼は何になるなと言ったのだ。どうあれと頼んだのだ。難しい事じゃなかったはずだ。多分、普通に生きていれば誰だって達成できる事。あの頃の俺には難しいだけの、万人が可能だろう事柄。
 何故、思い出せない──?


──グレン──


 声が、聞こえた。涙混じりに歪む視界に、誰かが映る。その姿は目の前の石版から現れているようで、両足が石と同化しているようだった。体は半透明に透けて、蒸気やガスといった気体に似ているように思う。後ろ首から垂れているマントが風もないのになびいている、面倒そうに兜を脱いだその顔は、自分の良く知る人だった。


「……サイラス」


 後ろで立つクロノが不思議そうな声を出した。それはそうだろう、今俺は夢を見ている。白昼夢という奴だろうか? であるなら、これは夢ですらなく幻想ということになるな。
 誰もいない空間に話しかける今の俺は滑稽というか、頭が狂った狂人に見えるのだろう。心配されるかもしれんが、止まれない。例え俺の頭が作り出した幻想でも、彼がそこにいるなら話さずにはいられない。


「サイラス、俺の事を恨んでいる……か?」縋るように、訊ねた。


──まさか。お前は、立派だったよ──


 褒められたというのに、俺は肩を落としてしまう。ああ、やはり、彼は俺の作り出した想像の産物なのだと分かってしまったから。俺にとって都合の良い言葉を選択し彼の声で再生するだけの、出来の悪い蓄音機のようなものなのだろう。


──私は、弱い。魔王に焼かれて、体は愚か、私の心までも散り散りに果て、残された人を想ったよ……ガルディア王、魔王に、親友であるお前を──


「……やはり、俺の妄想よな」


──何がだ?──


 俺は立ち上がり、幻想のサイラスに指を向けた。唾棄捨てるように、睨みつけながら口を開く。


「もしも、貴様が本当にサイラスならば、王や魔王、俺に王妃様の名を挙げる筈。それを、名すら出さぬなど在り得ぬ。俺の知るサイラスは、誰よりも王妃様を敬愛していた筈だ!!」


 ぐらり、と彼の体が歪んだ気がする。確信を突かれ、存在が揺らいだのだろうか。影のように薄い色素は段々と消え始め、彼は顔を伏せた。
 偽者を作り出すとは、俺もとうとうおかしくなったのだな……
 クロノをわざわざ呼び出してまで得た結果が、自分の頭が狂った事を知っただけとは。面白くて、涙が止まらない。なあクロノ、今すぐ罵声を浴びせてくれないか? 今辛辣な言葉を聞けば、本当に壊れそうだから、お前の手で壊してくれ。
 そのままの事を伝えようと、クロノに視線を向けて両手を広げる。なんなら、雷撃で俺を消し炭にしても構わない。
 諦観した想いで彼を窺うと……何故だか、彼はぽかん、と口を開けたまま動かなかった。不思議に想い、近づこうと一歩足を踏み出すと、それで我を取り戻したか、クロノが恐怖すら混じった声でぽつり、と落とした。


「何で、その人靴下握ってんだ?」


「靴下?」


 放心気味だった俺は、クロノがサイラスの事を見えているのか、という疑問を浮かべる間も無く、また自分が作り出した妄想へ目を向ける。
 ……おかしい。今目の前にいるサイラスは俺が作った都合の良いサイラスであるはずなのに、彼の右手には装飾過多な、純白の長い靴下が握られていた。良く見ると、その手はわなわなと震えて、怒りを堪えているようにも見えた。
 ふっ、と視線を右手から顔に変えると、そこには憤怒の形相に染まっているサイラスの顔。怒って……いるのか?
 何がなにやら分からない俺は、とりあえず、不毛と知りながらも口を開いた。何を言えば良いのかすら分からない体であったが。


「おい、何を震えているのだきさ……」


──王妃様を王や魔王やお前と同じランクに置けるものかぁぁぁーーー!!!──


 怒声に違いない咆哮を耳にしながら、俺の体は後方に飛んでいた。ていうか、蹴られた、間違いなく。容赦なく。顔を。


「おふぅぅ!!」


 ずべしゃあ、と床を滑りながら呆気顔のクロノに助け起こされた。不義理であるが、礼を言う平常心を取り戻せない。蹴られた? 何故? いやそもそもどうやって? 妄想でしかないサイラスに蹴られたとはどういう事だ? 目まぐるしく交錯する疑問の波に攫われ、頭を抱える事もできず蹴られた頬を擦った。


「恥を知れグレンッッ!!!」


 己が墓の石碑を蹴り倒し、添えられていた錆びた剣を手に取りながら切っ先を俺に向けるサイラス。朗々とした声は、生前彼が兵士を鼓舞していた時と全く同じ味方に勇気を与え、敵を萎縮させるものだった。どうしてか、彼の親友である今の俺は萎縮しているが。


「あの気高く美しく神聖でありながらお茶目で可愛らしく天使と聖母が裸足で逃げ出すであろう王妃様に肩を並べようとした愚行! 最早貴様は私の友ではないわぁぁぁ!!!」


 いつの間にか、遠くから聞こえるようだった声は明白に耳に届くようになり、明瞭快活とした猛りが部屋に木霊していた。あんぐりと口を開けたまま動き出せない俺とクロノを尻目にサイラスは部屋の中を闊歩しながら饒舌に語り出す。


「まず貴様は分かっていない! 王妃様がいかな存在であるか! ……奇跡なのだよ、あの御方は」


 一転して至福の面持ちと化したサイラスは口にするだけで喜ばしいと言わんばかりに口元を緩め、目じりを垂らしていた。


「まずはその御姿……いや、万物は神の創造物と言うならば造形と言おうか。王妃様の顔は言うに及ばずあの細くしなやかな指! そして首から流れるように華奢な肩! 俗物どもは胸やら尻やらに注目するようだが全くもって分かっておらん! 肌の白さ? うなじ? それは所詮色気という色欲から産まれ出でた、所謂セックスアピールでしかないのだ! 王妃様はそのような些事、とうに凌駕しておる!」


「やべえ、マジ気持ち悪い中世の勇者」クロノが生ゴミを糧に生きる節足動物を見るような目つきで鼻息荒く力説するサイラスを眺めていた。


「当然見た目など王妃様の素晴らしさの中のほんの一部でしかない! 大切なのは内面である! 世の若造どもは『結局見た目なのだ』と諦観しているような、自分は真理を理解していますよというようなしたり顔で垂れるが、まるで間違い! 見当違い! 彼女に触れればそのような低俗かつ愚劣な考えは露と消えよう!」


 それから、サイラスの話は優に一時間を超えた。王妃様の美しさ、王妃様の優しさ、王妃様は昼時になれば庭に立ち花々に水を与えると同じく花の蜜を吸ってお菓子代わりにしていた事、全ての花を吸い終わると少し物足りなさそうに憂鬱な表情を浮かべる事、月の初めには時々短めのスカートを履いて歩く事、王妃様が使ったスプーンを七十八個保管しているという自慢話まで事細かに語った。
 その余りに狂信的に王妃様を語るサイラスが、嬉しそうで、楽しそうで……折角現れた親友の俺を蹴り飛ばしてまで話を続ける彼の姿を見て俺は、いよいよ本当に泣き出してしまった。


「う……うああ、ああ……」


「その……何言えば言いか分かんないけどさ。本当、元気出せよカエル、俺は王妃様よりお前の方がほれ、可愛いと思うぜ、うん」丸まる俺の背中を撫でるクロノに、俺は何も言えない。


「そこの小僧ッッッ!! 貴様言うに事欠いてなんという事をッッ!! 万死に値する!!」


「っせえ! 消えろ豚野郎!!」


「私は豚野郎でも一向に構わん! だが取り消せ、王妃様よりもお美しい生き物が実在するわけが無いのだ! そのような幻想を抱くとはさては貴様、サンタクロースを信じておる口だな!? あれは未成年に淫らな行為を働く変質者だ!」


「変質者はてめえだ!! 大体、何であんた靴下なんか握ってるんだ!? サンタクロースにちなんでるとか言わねえよな!?」


 クロノに言われて、サイラスは思い出したように「ああ、これか」と右手に握った靴下を顔の前に持ってきた。まるで、靴下を握っているのは常であると言わんばかりの自然な動きだった。


「王妃様の靴下に決まっておるだろうが。魔王に身を焼かれこうして命を落とそうとも決して離す事は無かったのだ」命を賭けて守った靴下には、幸いというべきか、焦げ後一つついていなかった。
 いよいよとなり、クロノは彼と対話することを諦めた。それを降伏と見たサイラスは高らかに笑い、「所詮人生の何たるかも知らん小僧よな」と喜ぶ。
 その、一回りも年が違う少年に自分がどれだけ王妃様を愛しているか語る彼は……間違いなく。


「サイラスだ、サイラスなんだあ!!!」


 俺は、嬉し涙を拭い、彼に駆け寄る。後ろからクロノが「嘘だぁ!?」と頭を抱えるような声が聞こえるも、今はどうでも良い! サイラスが今ここに帰って来ているのだ、彼に抱きつかぬわけが無い! 今ここに彼がいる、サイラスに触れ合える、それ以外の全ての事象が冗長な出来事に思えた。
 時間が緩やかに流れていく。コマ送り、とも思えるような時間の流れ。手を伸ばし、サイラスの背中に手を回そうとする。サイラスはそれに応えようと、にこやかに笑いながら左右に腕を広げた。ごめんなさいサイラス、疑ってしまった俺が恥ずかしい。彼にはいっぱい謝ろう、謝って謝って……そうしたら。


『誤って彼の持つ靴下を奪っても許してくれるだろう』


「……させぬぞグレン!!!」


 俺の考えを読んだか、それとも予測していたか、サイラスは王妃様の靴下を懐に隠し俺に剣を抜いて向けた。計画が失敗した事に、俺は心ならずも舌打ちをしてしまう。


「おのれサイラス……俺との友情を疑うのか!?」悲観が過ぎ、俺は喉を震わせながら糾弾する。


「謳うなグレン。貴様の魂胆は分かっている。私の持つこの靴下……神の芳情とでも呼ぼうか? を奪うつもりだったのだろう? フフフ……貴様との付き合いも長いのだ、その程度読めずして勇者にはなれぬ!!」


「ちっ! 姑息な男め……だが、それでこそ我が親友!!」


 彼の熱意に押されてか、俺もまたグランドリオンを抜き放つ。その輝きは冴え、俺に語りかけているような気がする。「あの靴下を奪い、我が物とせよ」と。


「いやあ、勘違いだと思うぜ変態ガエル」


 第三者の声など聞く耳持たぬ。呼んでおいて何だが、今この場にクロノは邪魔でしかない。正直今すぐにでも帰って欲しい、これは男と男の……いや、人間として重大な戦争なのだから。
 ……いや、待て。クロノに加勢を頼んではどうだろうか? 俺だけではサイラスから靴下を奪うのは難しい、だがクロノと二人ならば可能やもしれん。単独で挑むには、少々敵が大き過ぎる。


「クロノよ、俺と共に戦ってはくれんか? 俺だけでは……勝てそうもないのだ……」出来うるだけ悲壮感を漂わせながら、彼に懇願する。どうか、彼に俺の願いが届くよう祈りを込めて。
 するとクロノは、自分の鼻を弄りながら「死ね」とだけ言う。よもや、ここに来て裏切られるとは思わなかったぞクロノ……!!


「クククク……欲しいかグレン、これが、この天上よりの贈り物が!!」


 天高く掲げられた王妃様の靴下から、後光が感じられた。その温もりは万物の生命に息吹を与え、『生きる』という単純にして難解な目標を思い出させてくれる。それは正に、希望そのものなのだ!
 体が勝手に動き、俺はいつのまにやら合掌していた。敬うべき存在なのだと脳が認識しているのだ。忠誠を誓う騎士の儀式をいつのまにか取っていた。剣を縦に構え、頭を垂れる。目が血走り始めているのが分かる。もう婉曲な表現など不要、俺はただ、あの靴下が欲しい! グレンを作る全ての細胞がそう叫んでいる!!


「良いだろう、くれてやろうグレン」サイラスに言葉に嘘は感じられず、下げていた頭を上げる。今俺の瞳には、きっと星が浮かんでいる事だろう。


「俺にはもう不要だ、何故ならば、俺にはこれがある。そう、これこそが……!」サイラスは脱いで床に落としていた兜を拾い、その中から純白の細い布を取り出していた。その形状は二つの盛り上がった部分に紐がつき、垂れ下がっている、死ぬまでには何処かで目にしているだろう物。
 そ……それは、俺の記憶が確かならば、確かに……そしてこのタイミングで『それ』を出すという事は、つまり……つまり!!


──王妃様の、ブラである。


 いやに、その言葉は俺の鼓膜を刺激した。




 ブラ・ブラジャー〔brassiere〕名詞 乳房を保護し、胸の形を整える為の女性用下着を示す。近年ではカップ数を誤魔化す為に用いられる事もある巨乳派にとっては恐るべき宝具。スポーツ用なども開発され、そのバラエティ作成の勢いは留まる事を知らない。




 ドクン、と心臓の鼓動が強くなる。もう一度、鼓動。その大きさは肋骨を突き破り外に出てくるのではと思うほどに、強く、強く。
 サイラスが何か、偉そうに講釈を流している。それを手に入れた経緯やその苦労、自分の決断とこれは犯罪ではないという自己弁護。それらの入手情報を全て切断。今俺が必要なのは何故それがここにあるかではない。どうやってそれを手に入れるか、だ。
 どうやって手に入れる……? 簡単な事だ。勝てば良い。
 勝たねば何も手に入らない。勝たねば手は伸ばせない。勝たねば……勝てない。戦え、己を剣として。己を槍として。斧として、弓として、弾として、ありとあらゆる武具を自分と同化させて、一陣の風となれ。


「……何故俺がここに来たのか、その意味が分かった気がする」


 長靴を前に出し、体を揺らす。足は蛙のときに比べどうだ? 瞬発力はがくんと落ちただろう。だが、その分柔軟性が上がったはずだ。腕は? 剣速が落ちたのは人間に戻ったから、などというのは言い訳だ。ただ慣れていないだけだろう? ならば慣れろ、今この時に慣れろ。でないと、もう俺は何も掴めない。手に入れられない!
 体も、バネも、全ては元通り。いや、蛙時よりも強くならねば嘘だ。俺が最も戦ってきたのは蛙に姿を変えられた時ではない。俺は人間の時に強くなったのだ、ならば、力が増さねば道理に合わぬ。


「サイラス、お前の大切な物を手に入れて、お前の意思を継ぐ! それこそが、俺がお前に出来る手向けだ!!」


 剣が唸る、風を切る。ずっしりと重みを増したように感じられる。それは、グランドリオンが真に己を委ねてくれたということ。俺を認めてくれた証に他ならない。


「ようやく、自分を取り戻したかグレン……さあ来い、これが最後の、俺とお前の訓練だ!!」胸を叩き、掛かって来いと合図する。昔、俺の剣の修行に付き合ってくれたサイラスとまるで同じ動きに、俺は懐かしさよりも興奮が強くなる。まだ剣に振り回されていた時の、剣を振るう事が楽しくて仕方なかった頃の高揚感が蘇ってきた。


「ちょっと待てよ、お前ら……おかしいだろ!? どう考えてもさぁ!!」


 対峙する俺とサイラスの間にクロノが割り込んでくる。歯痒い、今すぐにでも俺はサイラスと剣を交わらせたいのに……
 俺の思いを知ってか知らずか、クロノは尚も抗議を続けていた。


「こんなんで、お前らの想いとか禍根とかさ、終わらせていいのか!? いや、そもそも王妃様に申し訳無いとか思わないのかよ!? 勝手に下着盗られて勝手にてめえらの都合で賞品にされて! そんなのって無いだろ!!」


「クロノ、言いたいことは分からんではない。だがな、世の中そう綺麗事だけでは渡っていけんのだ」


「グレンの言うとおり。まだ若い身故理解出来ぬのは仕方ない。だがな、これは私とグレンの勝負。邪魔は感心出来ないな」


 俺とサイラスに諭されても、クロノは顔を振り、「そんなの分かんねえよ! 分かりたくもないしさ!!」と駄々を捏ねる。そうか……まだ、奴には早すぎるのかもしれんな、男の戦いとは、いかなるものなのか、と。
 両手を握り、震え出したクロノは小さく「そうかよ……そんなに言うなら」と覚悟を決めた眼差しを俺たち二人に向けた。両手を重ね、生まれるのは電流の集まり。


「俺がお前らを倒して、そのブラを責任もって王妃様に返す! それが筋だ!!」


「なん……だと……!?」


 俺は、あまりの衝撃に声を詰まらせてしまう。筋? 何処が筋なのだ。俺とサイラスとの神聖なる決闘に混じるというのかクロノは!? 度し難い、それはあまりに度し難い……! 参加者が増えれば、俺があのブラを奪える機会が減るという事、それは避けなくてはならぬ事態だというのに……!!


「さ、さては小僧、貴様王妃様のブラが欲しい為だけに名乗りを上げよったな!?」


「お前らと一緒にするな! 俺はあくまで紳士的に王妃様の下着を取ろうと思っているだけでふ」


 だけでふ、てお前。


「うぬぅ……予定とは違うが、良いだろう、かかってくるが良いグレン、名も知らぬ小僧! 俺を倒さねばこの下着は俺が彼岸の先に持って行くこととしよう!」


 今、俺の生涯において、魔王との戦いに次ぐ、グレンとして最大の戦いが幕を開けた……気がしないでもない。






 目測、凡そ三メートル。攻撃の間合いと言えば間合い、違うと言えば違う微妙な距離にサイラスは立っている。踏み込みを合わせれば掠らぬでは無いが、致命傷には程遠く、それほどまでに近づかねば俺の剣がサイラスに当たる訳もない。では何歩? 一足に踏み込むのは愚。足先を払われるか、はたまた不用意な距離の縮め方によって空いた隙に脳天を斬られるか。所詮、遊戯に近い理由で始まった勝負とて、気を抜く事はない。騎士である我等が剣を抜いたのだ、切っ掛けがなんであれ斬り殺されようと文句は言えぬ。
 いつもの歩幅より半歩分小さく足を出し、サイラスに体を向ける。彼の眼光が著しく尖った。そこが、限界だと言わんばかりに。
 俺とサイラスの距離、二メートル半。踏み込めば当たる。避けられる確立は半々。とはいえ、それはあくまで俺の場合。サイラスが踏み込み俺に斬りかかれば、俺は回避できるかどうか、甚だ怪しい所である。
 グランドリオンの刃渡りは一メートル十から二十センチ、サイラスのロングソードは一メートル四十センチ。グランドリオンの代わりに持っていただけの、鈍らではないが名剣とも言い難い平均よりも長いだけの凡剣。探せば、町の武具屋でも購入できそうな有り触れた刃物が、彼が持つことにより何者をも断つ刃と化す。
 加えて、腕の長さ。俺と比べて、サイラスは三、四寸は違う。合わせて十寸以上リーチ差があるだろう。剣を振るう速度もまた、俺とサイラスでは分が悪い。俺は鉄の板を斬る事も出来たが、彼は鉄の塊を両断したこともあるのだ。仮に鍔迫り合いになれば、圧し負けるのは自明の理だった。
 ……どうする? いや、そもそも幽体であろうサイラスに俺の剣が効くのか? 俺の顔面に蹴りを入れたことから直接攻撃の類は可能だと思うのだが。魔力はどうだ? ウォーターなら、彼を倒すまではいかぬまでも気を逸らす程度には使えるのでは……これはあまりに無作法か。剣で彼は挑んできた。なら俺も剣で返さねばなるまい。
 剣を返し、サイラスの動きを見誤らぬよう目を凝らす。かすかにぶれるだけで、彼の動作を知らなければ勝つことは叶わない。信じろグレン、お前の瞬発力は、元々サイラスよりも高かったではないか。
 互いに剣気を交え、動向を探り合っていると、やけに背中がぞわぞわと総毛立つ。危険な事だとは知りつつも、俺は背中を窺った。そこには、何の迷いも見せず俺とサイラスの直線状に並び、電撃を放とうとしているクロノの姿。
 ……よもや、俺ごと撃つ気では無かろうな? まさか。クロノは仲間だ、仲間とはええと、どういうものか確たるものは知らぬが、決して仲間に害を与えないというのが世間一般の風評であって。


「サンダガッッ!!」短く叫び、クロノが両手から円柱状の、貫くような形状に雷を変えてぶっ放したことで、風説はなんの信頼も置けぬという証明になった。


「うわ、うわ!!」


 咄嗟に横に飛ぼうとして、床に落ちていた瓦礫の破片に足を取られ転んでしまう。床に伏せた俺の上を布を裂くような音を立てながら雷撃が通過する。頭頂の髪がかすかに焦げ、黒くうねっていた。


「ク、クロノ!? 貴様加減を知らんのか!!」思わず声を大にして、サイラスから目を離し彼に剣先を向けてしまう。


「ハッ! 正々堂々戦って欲しけりゃな、それ相応のお願いでもしてくれなきゃ嫌だね。例えば……悪い、思いつかん」


 何だそれ? と口にする前に、クロノがいつの間にか握っていた鋭く尖った掌大の石の欠片を投げてくる。飛来する凶器を肘で下から弾き、呪文の詠唱を始める。
 が、クロノのチッ、と俺の後ろを見ながら鳴らした舌打ちに気を取られ、俺はまた戦いにあるまじき、視線を後ろに置くという愚行を行ったのだ。結果として、それが失敗だったのかは分からない。
 クロノの作り出したサンダガは俺を通り過ぎ、サイラスに直撃していた。当たってはいたのだ、ただ……サイラスは右手に帯電させ、それが何だという表情でこちらを見下ろしていた。
 さっきのサンダガは決して甘く見られる威力ではなかったはずだ。恐らく、魔王城にて魔王が放った電力の渦に近しい力を持っていたはず。それを……彼は腕の一振りで無力化したというのか。
 サイラスは強かった。国中の人々に賞讃の目で見られるほどに、俺が生涯の目標としているほどに。だが、これは度が過ぎてはいないか? 鉄を両断するどころか、鉄を溶かしきる威力の熱電を振り払うなど、人間業ではない。それはもう、魔の領域か、神の為す奇跡だろう。


「何を驚いているグレン。騎士たる者、この程度の火花で倒れる訳がなかろうが」サイラスは俺、というよりもクロノを挑発するように、彼を見据えていた。「やせ我慢もそこまでにしとけよおっさん」と、こちらも視線をぶつかり合わせる。サイラスとクロノが、互いに考えている事は同じだろう。憶測だが……面白そうだ、と。
 サイラスからすれば、初めてかもしれない。同じ人間で同じ男で、彼と手合わせできる力量を持っている者は。クロノを挑発したのも、本気で戦ってみたいという心の現われなのかもしれない。いつも、俺を含め格下の人間としか訓練できなかった、彼の隠れた鬱憤は知っていた。それを思えば、サイラスが楽しんでしまうのもおかしくはないのだが。


「何時の間に、俺は度外視されているのだ?」


 見れば、クロノもサイラスも間に立つ俺に目をくれもしない。二人の世界が構築されている。そこに俺という異物は映らない。またか、また俺を置いていくのか二人とも。元はと言えば、これは俺とサイラスの戦いだろうに、何故クロノが割ってはいるのか。それを言えば、サイラスも何故クロノを見るのか。胃がキリキリする。俺を見ろと叫びたくなる。


「貴様ら、俺がいることを忘れてはいないか!?」想いは形となり声に変わり、喉から溢れ出た。寂しさではなく、無視されているように感じられ、それが怒りとなって溢れたのだ。
 彼らは一瞬俺を見て、また視線を戻し、さらに俺を見た。二度見、という奴だ。二人は声を揃えて、一言一句違わず口を開いた。


「ああ、いたのか」と。


「そうか……もう良い。クロノもサイラスも俺が斬る!!」元よりそんなつもりだった気がしないでもないが、忘れる。今は親友でも仲間でもない、ただ憎しみしか残っておらん!
 吼える俺に、クロノは肩を竦めて「今更かよ」と嘆くように言った。
 狙いを定める。サイラスは剣で斬りかかるには手間だ。まずクロノから御すべきだろう。幸いというには情けないが、今のクロノは丸腰、魔法でしか攻撃手段は無く、奴の魔力属性はマールと違い防御には優れていない、今すぐに斬りかかれば、もう一度魔法を唱える暇無く斬り倒す事ができる!
 ──と、奴は思っているだろう。その証拠に、クロノは両手を腰に当て、悠々と俺の接近を待っている。つまりそれは、俺に反撃を与える手段を持っているという事。勿論ブラフの可能性も有るが、わざわざクロノの策略に乗る可能性に賭けるつもりはない。となれば……


「まずはサイラス、貴様から倒す!!」


 一足に、サイラスを見る事無く彼のいる方向に飛ぶ。振り返りざまに剣を斜めに払うと、剣と剣がぶつかり、金属音が鳴り響いた。すぐ側には、歯をむき出しにして力を込めるサイラスの顔がある。それからの、彼の剣技は、『技』とも言えない力任せの攻撃だった。切り結ぶ度に、彼は剣をすぐ離し、振り下ろす。がんがんとぶつけてくる刃の使い方は、木こりが薪を割る動作に、またはつい今まで自分がこなしていた、下手糞な釘の打ち方にも似ていた。剣を持ち上げ、振り下ろす、のみの攻撃。隙は十全にあるものの、俺は反撃に転じる事が出来なかった。
 不可能なのだ、手が痺れるどころではない、伝説の剣であるグランドリオンが悲鳴を上げるほどの腕力で落とされる剣は、剣というより鉄塊に近いものがある。迫力といい、言い得て妙だろう。乱暴かつ粗雑な攻撃に俺は防御しか出来なかった。力だけの剣に俺は負けるのか? と状況を忘れて跪きたくなった。


「くっ!」


 堪らず横に転がり、上段からの振り下ろしを避ける。風圧だけで肩が少し裂けたが、動かせ無い程ではない。まずは体勢を立て直し、もう一度攻撃を、と思ったのだ。
 だが、それも遅かった。何処までも伸びるように感じられるサイラスの長く太い腕が俺の頭を掴み、紙人形のように投げ飛ばしたのだ。そのもののように、俺は天井の梁にぶつかり、落ちる。受身を取れたことは僥倖だった。でなければ、骨の一つは折れていたかもしれない。
 痛みを堪え、立ち上がる。追撃を恐れていたが、予想に反しサイラスは俺を投げ飛ばした姿のまま動いていなかった。


「遅い。グレン、お前私が死んでから何をやっていたのだ? 遊び呆けていたか」侮蔑するように目を吊り上げるサイラスに、俺は間髪いれず否定した。


「そんな訳がないだろう! 今はまだ、この体に慣れていないだけだ! その……俺は、魔王に蛙に姿を変えられていて、だから!!」
 

 そのような事は言い訳にならないと、自分で確信しておいた矢先でこれとは、自分を殴り倒したくなる。それでも、彼に失望されるのは避けたかった。


「何を言っているのか分からんが……それは言い訳だな?」


 そのものずばりに、サイラスは言い当てる。違う、と言いたくても、彼の眼光と威圧がそれをさせなかった。
 ただ、体を震わせるしか出来ない俺の醜態を見て、サイラスは肺の中にある空気を吐きつくす程に長いため息をつくと、酷くさっぱりとした表情で宣言した。


「グレン。消えろ。貴様は騎士ではない、なればこそ、私の親友でもない」


 せめて、吐き捨てるように言ってくれたなら、反論も出来たのに。サイラスの態度は、俺が何を喚こうと聞く耳持たない、冷徹というよりも無関心で。今まで培ってきた剣の修行も剣を握っていた時間も否定されたみたいで。自分がここにいることすら間違いだと断じられたようで、俺は今度こそ跪いた。本当は後ろに倒れて、目を瞑りたかったけれど、それだけは出来ぬと小さすぎる意地が邪魔をした。
 臓物ごと喉から溢れ出るような吐き気がする。極度の緊張に晒された時に酷似している症状だ。鼓膜の奥からキリキリと耳障りな音が鳴っている、指先の震えは徐々に身体まで侵食していた。


「うあ……」本当に嘔吐しそうになって、口元を押さえる。指の隙間から、胃液混じりの胃液が漏れ始めた。咳き込みたいけれど、音を立てること事態に危機感に似た何かを感じる。今、彼に俺の存在を殊更に認識して欲しくない。今だけ、俺はいないものでありたかった。
 弱くなったと言われるのは辛い、けれどそれだけなら、まだ立ち上がり奮起を見せる事も出来た。言い訳だと断じられても、取り繕った嘘を重ね塗りする事が出来た。消えろと言われるのも我慢しよう。ただ、騎士ではないのなら、俺は彼の親友である事は出来ないのだろうか? 俺が戦えないのなら、戦えなくなったなら、もう俺は必要ないのか? 戦う事でしか、存在意義は無いのか。それではまるで……魔物ではないか。化け物蛙に姿を変えられた時の俺こそが、本性であるような気がした。


「よくまあ、勝手な言い分を連ねたてられるもんだ」


 今俺の座る床が抜け落ちるような感覚。そんな浮遊感と落下の幻覚から手を取ってくれたのは、いつも俺を馬鹿にして、俺が負けまじと気を張っていた、赤毛の少年。


「ちょっとしたご褒美の為にやってやるか、位の気持ちだったけどさ、ムカついてきたな、あんたの言動に」右手に電力の球体を生成したまま、クロノは歩み寄る。左手を広げて、一瞬だけ俺の頭に手を置いた後、何も無かったように背中を見せる彼は、とても頼もしく見えたのだ。
 でも駄目だ、ここで俺が彼を頼っては駄目だ、それでは焼きまわしになってしまう。サイラスとクロノを置き換えただけの、過去の焼きまわし。あの頃の弱すぎる俺が顔を出す。白々しく、今更に女性的な心を動かしてどうする恥知らずめ。頬を染めて、彼の雄姿を見学する気か? 俺の為に怒ってくれているクロノに縋るのか。忌まわしい。


「ま……待てクロノ、俺がやる、俺がやるんだ」


 ふらふらと立ち上がり、剣をもう一度構える。もう、サイラスはこちらに目を向ける事さえない。油断しやがって、という怒りはとうに消え、寂しさだけが残っていた。
 それでも、立てた。それだけで自分を許したくなる。意地を見せたじゃないか、という甘い幻想を享受したくなる。自分勝手な奴め、まだ剣を交わらせてもいないではないか。
 俺の制止を聞いて、一応クロノは立ち止まる。数秒サイラスを眼光鋭くねめつけた後、忌々しそうに唾を吐き、背中を見せる事無く後ろずさっていく。俺の隣にまで移動した後、代わりに前に出る俺へ、クロノが激励を寄越してくれた。


「言わせとくなよ、あんな戯言」


 その声に含まれている悔しさが、今は心地よかった。そうか、お前は俺の為に悔しいと思ってくれるか。ならまだ戦える、心は折れていない、きっと。だからといって、決してサイラスと俺との実力差が縮まった訳ではないのだが。
 正眼に剣を構え、サイラスを見据える。意味は無い、あえて作るなら、この構えの最中は気が静まる気がする、ただそれだけの為の構え。真剣勝負において、構えが相応の役に立った覚えは無い。ようやく、という風に彼も俺の目線に合わせるが、そこに覇気は無い。遊び飽きた児戯を繰り返すような気だるさが見て取れた。
 作戦は無い。俺は元来より頭が回る性質ではないのだ、戦って、斬りあって、避けて伏せて突いて薙いで勝つ。それ以外の勝ち方を俺は知らないし、教えてもらったことも無い。土壇場に置いて、小賢しい策を弄すよりも自分らしい戦い方で挑んだほうが良い……筈だ。
 不覚にも一度竦み、固まってしまった足を解す為にもその場で跳躍する。動ける、これなら足に力を入れることも出来る。本来の俺なら、もっと高く、もっと速く跳べるはずなんだから。
 一際高く上に跳び、地に足がついたその時に、膝を曲げ、剣を前に突き出しながら、前に走る。一度蹴った床が砕けるように爆ぜた音が聞こえたが、体勢が崩れる事は無かった。このまま進め、突き刺せ! 所詮俺は愚直に前に進む事しか出来ない単細胞だ、それで良いと思って、幾十年の月日が流れている。余所見をしていた時期があったのは認めよう、サイラスが亡くなって、嘆き、放蕩に近い生き方をしていたこともあったさ。
 でも、一度目を逸らしたからって終わるものか? 人生とは。俺は賢しくない、だから失敗もあるだろう。でも、その度に俺は馬鹿だから元の目的を思い出していたはずだ。俺はただ、彼のような強い男に……ただ、強くなりたかったのだから。
 むん、と力の入っていない掛け声と共に、サイラスは腕を振り下ろした。グランドリオンと小手の肘を守る部位、肘金物が当たり火花が散る。振り払うようにグランドリオンを逸らし、膝蹴りが飛んで来る。剣に動かされて、俺は避ける事も出来ず、直撃する。無機質な灰色の床を跳ねながら遠ざかる俺に、サイラスは追撃をしようともしない。ただ大層つまらなさそうに嘆息するだけ。
 まだまだ、負けるわけにはいかんさ。強くなったんだ、俺は強くなったはずなんだから。
 砕けた腹当てを脱ぎ去り、床に落とす。砕けた破片が体に刺さっていたが、ヒールを使うまでも無い、何より、これ位の痛みが無ければ気を失ってしまいそうだった。口の中に溜まった唾液を吐けば、血が混じっている。胸当てが無い今、またあの蹴りを喰らえば骨が折れるではすまないかもしれない。ならばどうすればいいのか? 避けるか受けるかすればいいのだ。


「ずぇああ!!」


 八双の構えから、斜め上からの浴びせ斬りはさっきと同じように小手で防がれる。流れ作業のようにまた何かを燃やした時の音に似た風きり音を乗せた蹴りが放たれるも、今度は受け止められた剣を支点に縦に回転し背後に避ける。背後に降り立てた俺は振り向きながら胴を斬ろうとして……視界が歪む。
 僅かだが、意識が飛んでいたようだ。気が付くと、俺の体はさっきと同じように床に倒れていた。口の中に違和感を感じる。吐き出してみると、奥歯が二つほど取れていたようだ。白い塊が床に落ちた。
 かすかに見えたサイラスの動きから、後ろ回し蹴りを喰らったのだと想定する。あそこまで綺麗に決まるとは、自分がやられたとはいえ驚きだ。見えていない相手に的確に狙いを定め躊躇無く、素早く攻撃に出られるとはな。そういえば、サイラスは俺と違い剣だけでなく格闘も一流だったか。それが、王妃様に影響されて格闘を覚えていたというのは情けないものがあるが。


「あ、れ?」立ち上がろうと足に力を込めても、今度は立てない。無様に顔から床にぶつかるだけに終わった。脳が揺らされて、脳震盪を起こしたようだ。仰向けになってから、そう分析した。そんな事はどうでもいいから、立てよ、と命令することさえ忘れて。


「は、ははは……」


 ああ、やっぱり駄目だ。何だそれ何なのだその理論は。馬鹿馬鹿しい。俺は賢しくないから単純な攻撃で挑む? 強くなりたくて頑張ってきた俺がサイラスに勝つ? 何処の三文芝居だそれは。頑張れば勝てるなんて、夢でも口にするのは恥だろうに。一つの目標に突き進んでいればいつか必ず報われるなんて、幻想でしかない。いや、それ以下であろう。もう、子供じゃなかろうに。
 魔法は効かない、剣では敵わない、それどころか剣で勝負する事も出来ない。近づけば例によって蹴り飛ばされて勝負にもなっていない。
 好きに侮蔑しろ、サイラス。どうせ無理なんだから。元々才能なんて無い俺が、女の俺が勇者や魔王なんてものに挑もうという事が間違いで、勘違いだったんだ。グランドリオンもいらない。勇者になんてなりたくなかったんだから。グランドリオンは、そうだな、クロノにでも使ってもらおう。どうせあいつの方が強いんだ。体も心も強いんだ。だって、あいつは頭も良いし、力もあるし、男なんだから。俺はマールやルッカやエイラみたいにはなれない。ただのひ弱で頭が悪いボンクラなんだから。
 グランドリオンだって──そう望んでいる。そうだろう?
 薄ぼやけてて、良く見えないけれど、剣の輝きが俺の言葉に頷いているような気がした。


──んな。


 揺れ動かすような、怒声に近い声に少し、驚いた。この状況が見えないのか? 俺は負けてるじゃないか。足掻きたくもないんだ。これ以上彼に失望されたくない。例え路傍の石のような存在に見られていても、石という存在として認めてもらえるなら、それで良い。


──けんな。


 彼の憤激しているとすら思える佇まいは変わらない。憎憎しげに、悔しげに歪む眉根は見ているだけ申し訳ないとは思う。思うけれど……すまん、もう立ちたくもないのだ。


──負けんな。


 無理を言うなというに。不可能なんだから、サイラスは俺の師であるぞ? 弟子が師に勝てる訳が無いのだ。それに、俺はまだサイラスから全てを教えてもらったわけではない。精々剣の握り方と幾つかの型を教えてもらっただけだ。まだまだ俺は彼に追いついていない。その土台も出来ていない。
 だから、もう諦めてくれ、クロノ。俺みたいな半端者に期待を寄せないでくれ。元々間違いだったんだ、王妃様に対抗するべく剣を握るなんて所から。不純すぎるじゃないか、異性の気を惹く為に始めた戦いなんて。強くなれる訳ないんだ。
 もう……疲れた。


「負けんなカエル! てめえ、俺の師匠なんじゃねえのかよ!? お前が負けたら、俺も負けたってことになるだろうが! だから負けるな、立てってカエル! いや、グレン!」


「……え?」


 いや、そうなのか? そんな単純な構造になっているのか?
 悔しいが、笑ってしまう。そんな利己的な理由で俺に立てと言うのかクロノは。俺が言うのは勝手だが、女だぞ、これでも。顔から血を流して腹部から垂れる血が服を染めているんだぞ? 奥歯が取れて、頬が腫れた今では、とんでもない醜女となっているだろう。元来、造りが良いとは口が裂けても言わんが。
 足は震えているし、呼吸は定まらない。皮肉なものだ、このような状況になっても、俺の味方は愚か、応援する者もおらんとはな。昔の親友は俺を冷たく見下し、今の仲間は俺の尻を蹴り上げてくる。まるで心を休める所が無い。
 でも、据わった。そうだなクロノ、俺はお前の師なんだよな。なら、この戦いは俺だけのものではなくなるよな。俺が負ければお前も負けになる、それは悔しいなあ、戦ってもいないのに負けるのは悔しいよなあ。
 昔を思い出す。サイラスが目を輝かせて王妃様に対する想いを話している時の事。これだけ俺が彼を想っているのに、慕っているのに目の前の彼は俺を見てくれない。対象としてさえ見ない。
 結局、彼にとって俺は親友か、妹のような存在だったのだろう。友愛はあっても愛は無い。サイラスに一番近い人間は俺でも、恋愛感情からは一番遠い。彼が、王妃様に向けるような気持ちを俺に向ける事は無いから。それこそ、一欠けらも。
 悔しいよなあ、俺だって女を磨いて、王妃様に対抗して、サイラスに振り向いて欲しかったさ。でもスタートラインを用意してもらってないんだ。何処を競って走ればいいのかも分からないんだ。あれは、悔しいなあ。
 悔しいから……今度は負けたくないなあ。王妃様にも、サイラスにも。
 ははは、これじゃあ、嫉妬した乙女のようではないか。相手にしてもらえない哀れな女役が俺か。それはそれは、実に勇者らしくないみすぼらしい焼餅だな。
 こうなれば、とことんまで行こうか、俺がサイラスに勝たねばならぬ理由は二つだ。一つは俺の可愛い一番弟子の為。もう一つは──


「俺を見なかった事を……後悔させてやるぞ、サイラスッ!!」


 俺が立ち上がり叫んだ時、サイラスは俺を見て笑った気がする。気が、した。これは、自尊心と、嫉妬のみで構成される醜い戦い。
 そんなつまらない戦いに巻き込んでいいか? とグランドリオンに内心で問うてみる。頷いている気がした。何でも肯定するんだな、と聞けば、やはり頷いている気もする。俺の全部を肯定してくれるのか。やはり、俺の一番の友は剣であるのか。なんと頼もしく誇らしい事だろう。
 そうだ、声援はいらぬ。クロノのように唾を飛ばして檄を投げてもらえるだけで良い。いくら心が砕けようと涙を流そうと、『戦え』の一言で戦えなければならない。勇者は要らない、けれど、グレンはそうあらねばならない。でなければ今までの俺の一生を否定する事になる。戦うためだけに半生を費やしたのだ。恋を捨てても欲しい物があったんだ。俺に勝てない者がいても良い道理が無い。自己暗示や慰めよりも崇高で、気高くて、ちっぽけな意地の塊だとしても、それを疑うな。これは誓いにも似た決心なのだから。
 そうだ、今からサイラスを斬れ、俺。剣を振るい相手を打ち倒す。これが俺の愛情表現だ。
 右手に持った剣を右斜め下後方……所謂『車の構え』を取り、相手の出方を窺う。本来、刀、とりわけ太刀にて用いられる構えであるが、一太刀目を大きく振るうにはこの構えが最も適している。膝の高さを水平にするまで腰を落とし、敵側に出した左足の爪先をサイラス側に固定させる。左手の拳は己が水月の前に待機させておいた。初太刀に全霊を賭ける為、避けられれば反撃は必至。けれど、サイラスはきっと避けない。そんな気がした。
 丹田に力を込め、床を踏み抜きながら、前に出る。後ろに控えさせていた剣を払うと、サイラスは予想通りに小手で受け止めようとする。下段受けの要領で下手に腕を払うような動きだった。
 そこで剣の進行方向を変える。剣の腹を出すように持ち替えて、蛇のように絡みつくイメージを心掛けた。片手で這うような剣筋を作るのは今の俺の細腕では難しかったが、こなしてみせる。防御を潜りぬけられたというのに、サイラスは幾分も焦った様子無く、左手で自分の剣を逆手に抜き俺の剣を受け止めた。
 もう一度後方に置いてある右足を蹴り出し距離を詰める。残る攻撃手段は残しておいた左手の拳のみ、元よりこの拳を当てるのが目的だったのだ。剣の役割は終えている。奴の両手の防御を奪えたのだ、最高の働きをしてくれた。
 内心で感謝を告げた後グランドリオンを手放し、空いた右手でサイラスの腕を取る。それを引っ張ると同時に左手で目打ち。多少怯んだ隙に再度左手で相手の腹に突きを入れる。間髪いれずサイラスの膝内側を蹴り体勢を崩す。


「貰ったぞサイラス!」足元に落ちたグランドリオンを蹴り上げて、予め掲げておいた右手で掴み、振り下ろす。膝を突いたままのサイラスに、避ける事は出来まい!


「幾許かマシにはなったが……まだ遠い」


 今正に斬りかかる、というタイミングで、サイラスは足を前に出し俺の股を持ち上げて、そのまま回転した。当然、俺は跳ばされるが……せめてもの、という気持ちで受身よりも攻撃を優先させる。不恰好な振り下ろしとなったが、サイラスの顔に一筋の傷をつけることに成功した。背中から落ちて悶絶する羽目になったが。それでも良い、してやったのだから。


「……見事だ、グレン」


 荒く呼吸する俺を見て、サイラスは感嘆とした声と共に名前を呼んでくれた。俺を見たんだな、サイラス。
 この『見た』が、恋愛的なそれで無くても良いさ。彼にとって、俺がそういう存在でありたかったのはもうずっと前のことなんだから。正確には、やはり諦めきれてはいないのだが……もう良い。あの時王妃様と出会ったときに、決着はつけたんだから。そう、信じ込んだのだから。
 俺を見ろサイラス、綺麗でも可愛くも美しくも無い顔立ちだし、指だって細くもしなやかでもない。内面も人に誇れるほど尊くは無い。でも、強くなろうとしたんだ。そしてその想いは今も続いている。剣に生き剣に逝く。その考えだけは曲げない。


「ああ、深い愛じゃないか。自分でもそう思う」


 独語を漏らし、剣を構える。それこそ、何度でも何度でも。それが俺の生き方で、全てだから。






「……気絶したか」


 サイラスの言葉に、違う、と口にしたかった。でも喋れない。肉体的に限界だったのだ。
 結局俺はサイラスには勝てなかった。勘を取り戻し、剣の冴えも鋭くなっている自信はある。だが、気持ちとは裏腹に体はもう動けないと叫んでいた。


「まだまだだなグレン」


 サイラスは不合格の旨を伝えるような言葉を放ったが、その顔は柔らかく、俺を褒めてくれる時特有の表情だった。碌に開かない視界でそれが視認出来た自分を讃えたかった。


「まあ、そう上手くはいかないか……でもさ、強いだろ? カエ……グレンは」


 クロノも俺に立てとは言わず、むしろ誇らしげに俺の戦いぶりを語ってくれる。サイラスは少々不機嫌な顔をして、「当たり前だろう」と告げた。


「グレンは強いよ。発奮させる為ああは言ったが、グレンは私よりもずっと強い。今はまだ、本当に体が慣れていないように思えた。十年前の時点で私を超える強さだったのだから、当然だろう。グレンは優しいから、想うように剣を振れなかっただけだ」


 止めてくれ、今そんな事を言われても恥ずかしい。憧れの人に持ち上げられて、むず痒い感覚が押し寄せてきた。呑み込まれるまで時間が無い。


「ところで、この勝負は一応サイラスさんの勝ちなのか?」クロノが今更のようにサイラスをさん付けで呼んだ。


「形だけの勝負と言われればそうなのだが……まあ私の勝ちだろうな」


「そうか。なら、その王妃のブラはあんたのものなのか。疲れてるところ悪いが俺と今から戦ってくれ。でないとこの煮えたぎる色欲が治まらないんだ。それがないと今夜の俺の予定が狂ってしまう」


 何故この場でそれを言うのだ貴様。ちょっと冗談抜きでもう一度死の山に戻してやろうかと想った。ていうか今倒れている俺の心配は終わりか?
 サイラスもまた、今それを言われるとは露にも思っていなかったようで、少々面食らった様子になり、「ああこれね」と砕けて返す。


「これが王妃様のブラと信じたのか? まさか。そんな事をすれば私とて死刑になるさ。ガルディア城の警備は意外と厳重だから。勿論靴下も別物だ」ひらひらと女物の下着をぶらつかせながら飄々と答える。多少どころか正直ずんどこ俺の気持ちが落ちていく。なんだかんだで、サイラスから王妃様の下着を貰えると信じていたのに……
 俺が気落ちした瞬間鳴り響いた怒声により意識がそちらに向く。クロノが渾身の猛りを上げたのだ。「ふざけるなああ!!!」と。


「テメエッ! 純情な青少年の心を玩びやがったな!? よくっ……!! よくもやりやがったな貴様! 俺が、俺がどんな気持ちでテメエらの戦いを見守ってたと思ってやがる! 全てはその為、その下着をくんくんする為だけにここに突っ立てたっつーのに! 柄でもねえ応援とかに徹したというのに! 貴様ァァァーー!!!」


 文字通り血涙を流し床を両手で叩くクロノは何処から見ても駄目人間で最低の屑だった。お前って、最低の屑だな。
 両拳の皮が捲れ、血が流れ出ても床を叩き続けるクロノにサイラスは申し訳無さそうに、そして何処か気持ち悪いものを見るようにして、口を開く。


「いやあ、すまないな。クロノ……だったか? 代わりといっては何だが、もし私に勝てばこれを進呈しよう。王妃様ではないが、一応女性が一度使用した下着ではある」


 おおサイラス、お前も最低の屑だったか。親友という名の幻想は今崩れ去った。まさか中世の勇者が下着泥棒をしていたなんて悲報が国に流れれば、ガルディアは終わる。砂上の楼閣が如く。


「女性が着用?」クロノは蜂蜜を見つけた熊のように目を一瞬輝かせ、すぐに元の淀んだ瞳に戻った。ぬか喜びだけはごめんだと、実は目の前の蜂蜜は着色料を入れた糊なのではないか、と疑うように。「それは、年齢五十過ぎのおばさんが付けたとか、そういうオチじゃなかろうな? 着用者の容姿年齢を答えろ」


「誰と言われても……」


 サイラス、何故俺を見る? そして何故申し訳無さそうに、「悪い。俺パクッた」みたいな顔なのだ。説明を要求する。
 もう動かないと思っていた右手が少しづつすぐ側に落ちているグランドリオンを欲して床を這う。
 俺が沸々と怒りを湧き上げている事も知らず、クロノは逡巡した素振りを見せた後「それも有りだ」と抜けぬけと答える。


「そうか。何かあった時の為に昔グレンが着用した下着を保管しておいて正解だった。ではまいろうかクロノ。やはり強者と戦うは楽しいものだな」


「まさかカエルの奴が女物の下着を付けていた頃があったとは驚きだが……それも今とのギャップで俺のリビドーを高める燃焼材料と化す。今宵は俺の一人遊び回数記録を更新出来るやもしれん」


 顔つきだけは一人前に、話している内容は地の底の餓鬼界よりも低い質。もしもまだ俺に勇者の資格があるのなら、彼奴らを切り伏せる為だけに力を貸してくれ。
 俺が二人に斬りかかるのはこれから十秒と経たない未来のことだった。






「カエルはここに残るのか?」頭にこぶ、体中に切り傷を付けたクロノが聞いてくる。俺はそれに頷き肯定した。
 二人に然るべき制裁後不要な過去の残骸を切り刻んだ後俺はサイラスと共に己を鍛え上げる修行を積む事にした。時が来れば必ず駆けつける事を約束して。


「まだ満足がいく力を手に入れていない。今の俺ではラヴォスと戦う際に足手纏いになってしまうだろうからな、もう少し自分を高めてみるさ」


「私もそう長く現界出来る訳ではないが……出来るだけグレンに付き合ってみたいと思う。よろしいか、クロノ殿」顔を紫色に腫らしたサイラスも続く。同じ変態として仲間意識が芽生えたか、サイラスはクロノ殿と呼ぶようになっていた。こういうコミュニティが人を駄目にするのではないか、と俺は無い頭で考えた。


「そうか。何かあれば通信機で呼びかけてくれ。こっちも全員の準備が整い次第連絡するからさ」


「我侭を言ってすまんな。次会う時には、もう少し頼れる師匠になってみせるさ」まだクロノになんの剣の修行もつけていない事を思い出して、名ばかりだな、と苦笑した。
 反転して、部屋を出て行こうとするクロノに、やはり言葉にせず「ありがとう」と呟いた。色々と厄介な事態を起こしてくれたが、それでも大事な時には俺を助けてくれたのは事実。最後が締まらなかったのは、まあ愛嬌とでもしておこうか。実にあいつらしい。
 ぼう、と離れていく背中を見送っていると、サイラスが何か感づいたように目を開き、「クロノ殿!」と呼びかけた後走り寄っていった。


「クロノ殿。ああ見えてグレンは私の妹分。よって、クロノ殿に頼みがある」妙に畏まった言い方にクロノは少し肩を怯ませた後「何ですか?」と敬語になる。サイラスはえらくはっきりと告げた。


「想像なので申し訳ないが、恐らくグレンの奴マグロです。来る時には男であるクロノ殿がリードしてあげて下され」


「俺は海洋生物ではないのだが」意味の分からない悪口なのかどうかも不明瞭な、魚と評されて俺は怒っていいのかどうか分からずとりあえず否定しておいた。


「……任せてくださいサイラスさん。必ずや俺好みに仕立て上げて見せます」


 いよいよ不穏な空気になっている事を感じる。というか、かなり良くない会話であると直感する。そしてその考えは間違っていなかった事が、サイラスの「ハードなものは避けて下さい。見た目どおり奥手ですので、いざとなれば腰が引ける可能性も大きいので。後避妊は完全に」という言葉、取り分け『避妊』の単語で確信に変わる。二人の鼻を潰すのにそう時間は必要なかった。


「サイラス! お前死んでから性格が変わってはいまいか!? 意地が悪いというか、普通に性格が悪いぞ!!」


「何を言うグレン。いつもの私ではないか」


「信じぬ! 例え誰がなんと言おうと昔のお前は優しくて気が利いて頼りになってその……そういった下の話はしなんだ筈だ!」


「誰が何と言おうと私が言っているのだから認めよグレン」


 嫌過ぎて頭を抱えてしまう。昔とは違う、サイラスは昔はちゃんと優しくて格好良くて俺をいつも守ってくれて……
 ……待て。本当にそうか? いやいや何を疑う俺。サイラスは子供の頃虐められていた俺を助けてくれたではないか。うん、それは間違いない。いつも俺と遊んでくれていたではないか。これも間違って……ないよな? 意味も無く池に落とされたり昼寝している俺の顔に『ひょうきん族一号』と書いたり覗きをした時必ず俺一人に罪を被せたりかくれんぼをした時必ず手の込んだ仕掛けで俺に幽霊の存在を信じ込ませたり嫌がる俺にバンジージャンプを何度もやらせたり……これが俺の高所恐怖症に繋がったのだろうか?
 もしかしなくても、サイラスは俺と遊んでいたと言うよりは、俺で遊んでいたのだろうか?
 ハッ、と気付きクロノを見る。? と疑問符を上げる彼は、どんな人物だろうか。
 いざという時は頼りになる。意地悪。というより弄る。泣くまで弄る。泣いても弄る。人の尊厳を踏みにじる。でも時折優しい。でもド助平。長所よりも短所の方が目立つ彼の性格は、図らずともよく似ていたのかもしれない。
 昔、王妃様に言われた事を思い出した。「グレンは被虐体質ですねえ」と。サイラスとの思い出を嬉々として語る俺に言った言葉だ。流石の俺も、王妃様の言葉とはいえ否定したが……まさか。


「な、なあ二人とも。万が一なのだが、いや兆が一なのだが、俺はその、被虐体質的なものを持ち合わせているだろうか? ああ、いやすまない。妙な事を聞いただから何も言うな頼むから」


 おずおずと顔を上げて聞いてみたところ、二人の顔は口に出さずともその答えを語っていた。間違いなく、「何を今更」という呆れすら含んだ表情だった。死にたい。


「いや違うんだよカエル。お前がさ、変に肩肘張って男みたいな言葉使いしてるから虐めたくなるんだって。ちゃんとした女言葉にしてみな? そしたらほら、毅然とした女になって一部の隙も無いまさに女傑、って雰囲気になるからさ」


「であるぞグレン。クロノ殿の言うとおりに女性らしい話し方を心掛けてみろ。さすれば、お前の悩みも解決しよう」


 二人が親身になって言ってくれた事で、沈みかけていた気分が浮上していく。そうか、今まで同じ騎士団に舐められぬよう男のような言葉を用いていたが、それが逆にいけなかったのかもしれない。今の俺は蛙ではなく一応女性体なのだ。見た目にそぐわぬ話し方では良くないだろうな。気付かなかった。


「分かった二人とも。これからは俺……私は女性らしい言動で生きていくことにするわ!」


 自分なりに精一杯女らしい話し方、つまりマールやルッカを真似した結果、腹の奥から吐き出された呼吸音を聞いて私は視線をぎゅる、と巡らせた。クロノが何故か手に口を当てて余所を向いている。何故だか苛立ちと恥ずかしさが舞い上がってくるが、我慢しよう。ここで暴れては元の木阿弥となってしまう。
 落ち着け、と念じクロノに話しかける。


「どうしたのクロノ? 調子でも悪いのかしら」


 ぼふん、と両頬に溜め込んだ空気が外に噴出すような妙な音が響き、また私は首を動かした。何故だかもう一度脱ぎ捨てた仮面を付けて肩を震わせているサイラスの姿。理由は知らぬが、海底火山が噴火するようなイメージが頭に浮かぶゆく。巨大な泡と熱を海上に作り出す様は猛り狂う感情に良く似ていた。


「……あはは。どうしたのよ二人とも。もしかして、疲れちゃった? しょうがないなあもう」


 それからは、大合唱ならぬ大合笑。体の底から笑いが止まらぬというように、クロノは己の体を抱きしめて笑い転げ、サイラスは左手で腹を押さえ右手で壁を叩いている。助けてくれ、と看守に叫ぶ囚人のようだった。うむ、まさにその通りだろう。囚人は刑の執行を待つものだから。今から罰してやろう、二人とも。
 自分でもなりきっていないことを自覚しつつ、似合わない事などとうに知っていながら賢明に努力した自分を笑われている事がここまで悔しいとは思わなかった。俺の顔が赤い? 口が震えている? 涙が浮かんでいる? どうでもいい。いかな重罪を貴様らが犯したのか思い知らせてくれるわ……!!


「クロノもサイラスも、大っっ嫌いだ!!!!」


 剣光煌くグランドリオンが、やれやれ、と呟いた気がした。こんな勇者もいいさ、と認めてくれた気も、かすかに感じた。そうだろう、これが俺の勇者道で、騎士道なんだから。
 俺たちの馬鹿騒ぎにも似た大喧嘩は、結局朝まで続いたのだった。
 徹夜して、倒れるように眠る直前、サイラスが嬉しそうに囁いた。さも、自分が言ったとおりだろう、と自慢するように、一度クロノを見遣ってから「もう一人じゃないな、グレン」と。
 続けて、「ほらな?」と彼は言う。「大丈夫だったろ?」とも。
 それを聞いて、俺は朦朧とする意識の中、微笑みながらぽつりと溢したのだ。大っ嫌いだ、と。












 おまけ


 日差し明るく、太陽がキンキンに道を照らしている午前。幼き日のグレンとサイラスが草むらでかくれんぼをしていた時のことである。
 グレンはその小さな身を有利に使うべく、ただひたすらに身を潜め鬼であるサイラスから隠れていた。時間切れまでもう残り僅かという時、グレンが自分の勝利をひしひしと感じ始めた。しかし、相手もそこまで馬鹿ではない。グレンはさっきよりも身を深く沈め息を殺す。前方僅か五メートルという少し開けた場所にサイラスが現れたのだ。


(残り時間は……多分、もう残り僅か。大丈夫、隠れきれるよ)


 自分で自分を鼓舞して、グレンは知らず拳を握りガッツポーズを取る。それもその筈、この勝負に勝てば、サイラスから一日中膝枕をしてもらえるのだ。代わりに自分が負ければガルディアの森を抜けた先にある崖から海に飛び込むという命知らずのパフォーマンスをせねばならないのだが、グレンはその勝負を受けて立った。どう考えても彼女の罰とサイラスの罰では割りに合わないのだが、単純かつ純情な彼女ではその辺りの差異に気づく事は無かった。
 今日はどんな話をしてもらおうか、と胸を躍らせていると、サイラスの妙な動きに気付く。少しだけ頭を上げて、彼の全身を見ると、彼はその両腕にこれでもかというほどの蛇を抱え込んでいた。うねうねと奇怪に動くそれはまだ幼いグレンには悪魔の使いか何かに見えた。その悪魔の使いを使役しているのは今のところ彼女の親友兼想い人であるサイラスというのが痛手。
 何をしているのか、サイラスは蛇に噛まれないのだろうか、などと思案していると、あろうことかサイラスは蛇をその辺り一帯にばら撒いた。当然、グレンの側にも何匹か落ちて、彼女は小さく悲鳴を上げた。そんな事は知ったことではないというように、サイラスは「あーあ、全部毒蛇なのにやっちゃったかー」と事も無げに言い放つ。「一回噛まれたら全身が腐っちゃうんだよなあ」とも。実際全身が腐る毒など持った蛇は存在しないのだが。ともあれ、彼のその一言は少女であるグレンに最適な効果を与えた。


「っっ! きゃあああ!!!」


 すぐさま立ち上がり、地団駄を踏むように足を交互に上げる。決して地面を這いずっている蛇に噛まれないよう必死の形相だった。実際彼女からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、当然かもしれないが。
 見つけたー、と緊張感の無いサイラスの声など耳に入らず、グレンはすぐに彼の胸元に飛び込み泣き喚く。彼女が泣いている原因は彼にあるという事実は関係無いようだ。サイラスはよしよしと頭を撫でてグレンを宥めた。草むらから移動し、街道に出た辺りで立ち止まった。


「よし、グレンの負けだな。女たる者約束を破ってはいかん」


 通常、男たる者という使用法が正しいと思われるが、サイラスには関係なかった。今グレンが泣き止んで落ち着き始めた頃だとしても関係なかった。
 その日のグレンの日記。
 かくれんぼをした。蛇を投げられた。サイラスに助けられた。格好良かった。
 森を抜けて崖に行った。サイラスに落とされた。怖かったし死ぬかと思った。溺れるかと思ったけど、サイラスに助けてもらった。とっても嬉しかった。
 アホ丸出しの記録だった。


 次の日の事。グレンはサイラスから怖い話を聞いた。何でも、夜な夜な斧を振り回し子供を喰らうという男の話。あまりに子供が好き過ぎて己が体内に取り込みたいという危なすぎる思考に至ったという狂人の話。聞いているだけでグレンは泣きそうになった。けれど、他でもないサイラスが話しているのでちゃんと耳に入れていた。純情もここまでくれば病気である。
 そして、その日の夜。家族のいないグレンは小さな民家で一人床についた。当然、サイラスから聞かせられた話が蘇り、小さな物音一つで脊髄反射のように布団から飛び出した。それが四回ほど続いた時だろうか? 流石に怖いという感情よりも睡眠欲が勝り、多少の物音に心を震わせながら、徐々に目蓋が落ちていく。いよいよ眠れるやもしれぬ、という所で事件は起きた。公になれば、社会的に問題となる人為的な行為が事件というならば、それが正しい表記だろう。
 グレンの眠る家の扉から割れるような音が聞こえた。浅からぬ眠りについていたグレンはそれが物音と認識していたが、実際は扉の大部分が割れ落ちた、轟音と言っても差し支えない大きな音だった。扉の内側についていた取っ手が落ちた金属音で、ようやくグレンは覚醒する。同時にとてつもない危機感と恐怖が布団の代わりに覆い被さってきた。
 狭い家だ、寝床から上体を起こすだけで扉の様子が見える。確かに、木製の扉に鼠色の、輝きの鈍い逆三角形の分厚い刃物──斧だろう、がめり込んでいた。それが、数回に渡り叩きつけられている。その斧の執拗な攻めには狂気すら感じられた。
 グレンは布団を剥がし、微妙に覚束無い足取りで窓に寄る。窓の枠に足を掛け施錠を解こうとする。小さな棒を抜くだけの作業が上手く出来ない。掌から滲み出る汗で滑り、滑った事で焦り出し、単純な事も出来なくなる。荒事などしたことも無いグレンに窓を突き破り飛び出すなど考えも浮かばなかった。
 後ろから何か大きな物が倒れる音が聞こえる。振り向くと、物々しい、頭の天辺に棘の付けられた、赤黒い錆を蓄える鉄仮面を付けた男が扉を完全に叩き壊している様が見えた。走れば、自分の場所まで数秒と掛からぬだろう。形振り構わず窓を割ろうという思考が今閃くが、震える両手を振りかざしても、ガラスを割るどころか皹すら作れなかった。
 今、グレンの脳裏に浮かぶのは顔も覚えていない両親ではなく、いつも自分を虐める同年の子供でもなく、遠くの世界にいるような気さえする城の兵士でもなかった。ただ、自分を可愛がってくれる優しい年上の男の顔。彼女は荒々しく家に入り込み自分に近づいてくる男を目にしながら、喉を嗄らす勢いで大好きな男の名を叫ぶ。


「サイラスーーーッッ!!!」


「ああ、今来たぞグレン!」


 今正にグレンの安眠を妨害し尚且つ家の扉を斧で粉々に叩き壊し土足で家に入り込んだ鉄仮面の男は、その仮面を取り白い歯を見せながら清々しくも白々しい素顔を晒した。サイラスその人である。


「さっ、サイラス! 来てくれたの! あ、ありがとうーー!!!」


 今泣きそうになっていた事もなんのその。グレンはとびっきりの笑顔で、今まで自分の恐怖の象徴であった斧男に飛びついた。サイラスは「当然じゃないか、グレンの危機は俺は助けるぞ」と笑いながら彼女の頭を撫でる。互いにアホである。だがグレンはその先を行っていた。
 彼女はサイラスが自分を怖がらせていた事も自分の家の扉を壊した事も忘れ、ただ自分を助けてくれたと信じていた。何故か? 頭が良くないからだろう。子供だからですませられる問題ではない。
 その日のグレンの日記。
 サイラスにお話をして貰った。怖いお話だった。話が終われば「今夜グレンの家に来るかもしれないな」と言われた。その時は助けに来てね? とお願いしたら「勿論だ」と言われた。やっぱりサイラスは頼りになる。
 夜になって、サイラスが斧で私の家のドアを壊して入ってきたからびっくりした。でも、その斧の人はサイラスだった。きっと私を心配して来てくれたんだと思う。お陰で私は斧男食べられずにすんだ……あれ? なんかおかしい気がする……まあいいや。サイラスはやっぱり格好良い。
 酢だこのような内容だった。
 次の日のグレンの日記。
 サイラスに手を握られた。男の人と手を握ると子供が出来るらしい。驚いた、これで私もいちじの母という訳だ。立派な子に育てなくてはならない。お父さん似なら立派な人になるだろう。
 町の野菜屋さんに言えば、それは嘘だった。なんて嘘をつくのだろうサイラスは。とても嬉しかったのに。でもきっと私に夢を見せたかったのだろう。サイラスはロマンチックで格好良い。
 その次の日のグレンの日記。
 サイラスと新しい遊びをした。サイラスが投げたゴムの風船を私が口で咥えてサイラスの所まで持っていくという遊びだ。とても楽しかった。持ってくるたびサイラスが大笑いしていたので私も嬉しかった。何故だか興奮した。次はどんな遊びを考えてくれるだろう、楽しみだ。
 さらに次の日のグレンの日記。
 今日はサイラスと町を歩いた。その時の私の格好は首に長い皮のベルトを






「……もう見るの止めとく。流石中世の勇者、半端無えぜ……師匠って呼んでいいか? いや、良いですか?」ぱたり、と昔のグレンの日記を閉じクロノは尊敬の視線を横に立つ、今は青年となっているサイラスに向けた。


「なあにまだこれは序の口だ。クロノ殿も中々素養がありそうだ。今度私の真骨頂、技法を記したサイラスの書を贈ろう」


「是非頂きます! よし、これで俺も三ランク上の男になってやるぜ!」


 舞い上がるクロノとサイラスの様子を見て、少し離れた場所で指立てをする、もう少女ではない大人の女性となったグレンは「仲良くなったのだなあ、良い事だ」と汗の流れる顔を綻ばせた。
 これは、とても優しい話なのだ。きっと。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/08/02 16:06
 僕は、僕自身をどういった人間、いやアンドロイドであるかを話すのは好きじゃない。いや好き嫌いと言うよりは苦手というのが正しいかもしれない。
 だってそうじゃないか、僕が僕を語ったところで、語り手が僕である以上完全な客観性は損なわれてしまう。むしろ主観が九割を占めると思う。多分。例えば僕が見栄っ張りで格好を付けるのが好きな人種なら、自分の事は殊更に大きく、聞く人に惚れ惚れされるような人間だと語るし、僕が内気で卑屈な人間(謙虚と言い換えても良い)なら僕の事は小さく聞く人が耳を塞ぎたくなるような陰鬱な人間像を語るだろう。
 この考え方を変えたことは無い。これはもう、変わる事はないのだろうと思っている。思春期に起きるような感性の変化から作られた思考ではなく、いうなれば、これはもう実務的に形作られた僕の個性とも言うべきものだから。
 それでも、恥を忍んで自分を語るなら、申し訳ないけどそう内容は多くない。なにしろ、昔の記憶は薄れ、ぼやけているからだ。ドームに外付けのボディごと放置され、マスターに修理された事も関係しているんだろう。それを感謝こそすれ、恨む事は無いけれど。
 僕がマスターたちに出会う前の記憶で覚えているのは少しだけ。いや、少しだけ“だった”。その事について話す気は、今は無い。とにかくその少しの記憶の中で最も比重を占めていたのは(コンピューターのロック解除などの体が覚えているとされる事柄や、知識などの僕自身の行動に関係しない物を除いて)僕はヒーローに憧れていたという事。
 昔の僕は、そのヒーローがどんなものか今一つ理解していなかった。例えば、どんな重たいものでも持ち上げられたり、星の裏側まで五秒と掛からぬスピードで飛んでいったり、そういったヒーローに憧れは感じなかった。なぜなら、そのヒーローたちは人ではなく、人々を助けていたから。もっと言えば世界を救っていたから。
 僕は自分が世界を救えるほどに強いとは夢見ていなかった。けれど、例えば世界を支配するような存在がいたとして、それを倒すくらいの力を持っているのでは、と妄想した。あまり差異は無いかもしれないけど。
 ある時、ふと何かの拍子に本を読んだ……気がする。何で知ったのかは覚えていないけれど、僕は確かに物語を見たのだ。もしかしたら本じゃなくて何かのデータベースに映し出されたものを見たのかもしれないけれど、そんなことは良い。
 物語の内容は、ある主人公格である男が、幾人もの悪党を腕の一振りでやっつけていた事。時には不思議な力で、時には銃で、時には剣、拳、言葉だけで説得したこともある。少々乱雑にも思える多種多様な手段で事態を解決していった。どの方法も無理がある内容ではあったが、僕には過程よりも結果が良ければ良いと思った。
 その主人公は、言動が妙だった。いやに小難しい、けれど馬鹿らしい言葉遣いで、一々お前を倒すというだけの内容を「貴様という善と悪の区別もつかぬ下論を吐く生物体に息を吸う価値は無い、今永久なる惰眠を貪り口を閉ざすが良い」と、適当に辞典をひっくり返して作った言葉を用いていた。
 正直、格好悪いと思った。何が言いたいのかさっぱり分からなかったし、その持って回った言い回しや、目的を明確にしない話し方が嫌いだった。でも、彼はいつでも誰かを助けて誰かに尊敬されていた。女性率が多い気はしたけれど、別に良い。女の人は守らなければならないという教訓も込められているのだろうと解釈した。都合が良いね、と誰かに笑われた気がした。誰かは分からなかった。今はもう少しその人の事を思い出せるけれど、今はそういう事を言いたいわけじゃないから、割愛する。
 僕がその主人公に惹かれたのは、仲間である女性陣に好意を寄せられているからではない。何者をも打ち倒す力も……多少以上に欲したが、それでもない。敵である人物を赦し、自分の世界に引きこみ幸せにしていること。彼は強く優しく、言い回しやクールを気取った構え方が嫌いだったけれど、とにかく僕は憧れた。
 僕は誰だか分からないその人に僕の考えを話した。僕もいつかこういう存在になりたい、と熱を持って。けれど、その人──彼女は、いつもは僕の話を笑って受け取ってくれるのに、その時ばかりは顔をしかめ、折り紙を丸めて握り潰したような表情で「止めなさい」とだけ言った。僕と正反対に、熱はなく無機質な声音だった。
 僕は多分、苛々したんだと思う。もう彼女に話すのは止めて、───に話したんだ。あの人は巨大なスクリーンから出て来て、柔和な顔のまま、やはり否定した。相容れぬ存在というものはあるのだと。
 僕は飛び出した。何もかも振り払うように“そこ”を飛び出したのだ。油に塗れた海というには些か以上に汚れきった汚水を渡り、彼女らが敵と認識している存在に会いに行った。説得するのだ、誰しもが手を取り合って生きていけると謳う主人公を思い出していた。
 僕は胸を張り、つい先ほどまで僕らと敵対していた生物の群れに飛び込み和を唱えた。彼らは一様に驚いた顔を見せて、次に笑った。その笑顔は、とてもとても、敵意に満ちた笑顔だった。
 こうして、僕は壊れることになる。長い長い年月、一人で暗い世界に取り残される。あの人たちが僕を目覚めさせるまで。


「今の僕は、眠ってるのかな?」


 天井からぶら下がる吊り蛍光を見ながら、ぼそりと呟いた。


「大丈夫よ、プロメテス。貴方は今目覚めたの。だから、ちょっと混乱しているだけ。ほら、一緒に演奏を聴きましょう?」


 隣に座る水色のリボンを付けて、服は桃色を基調にした、ワンピースを着込んだ女性が宥めるように言った。背丈は僕と変わらない。二、三ミリ僕の方が高いかもしれないけれど、誤差の範囲と言える。少女というに相応しい幼い顔立ちは可愛いと言うべきなのだろうが、彼女の大人びた話し方や薄ら寒くなる笑顔は妖艶と冷徹といったおよそ子供らしい雰囲気とかけ離れたものだった。
 彼女──アトロポスは僕の左手を握り、次には怪しげな魅力は消え、姿相応の無邪気な声を出した。「もうすぐ始まるわ」と喉を鳴らす。
 目の前に大型のベルトコンベアがある。今まで停止していたそれは彼女の言葉に呼応するみたく動き出した。歯車と歯車が噛み合った時に似た重厚な音が響き、今僕がいる工場全体が揺れているような気がした。
 ベルトコンベアの端から、座り込んだ男が現れた。いや、運ばれてきた、というのが正しいのか。顔は酷く憔悴していて、視線は動かずただ口をもそもそと動かしている。無感情というか、生気が無いように見える。アトロポスは一気に冷めた面持ちになり、「はずれだわ」と浮きかけた腰を下ろした。
 流れてきた男は上から降りてきたクレーンアームが掴んでいる半透明のカプセルに入れられた。カプセルは見る間に内側が膨張し始め、男を圧迫する。男が苦しそうな声を上げようとも、止まらない。機械は止まれない。感情が無いから、躊躇も無い。
 やがて、男の体が原形を留めようとする力、その臨界点に達して、弾けた。水風船を押し潰した時と同じような音を立てて。いつもなら、目を背けるような光景なのに、僕の心は動じない。機械は心に波風を立てない。そもそも、心が無い。
 男の潰れた体は小さな薬剤のように凝縮され、その周りを白くコーティングされた。一体それが何に使われるか僕は知らない。多分アトロポスも知らないだろう。それを疑問に思う事も無い。予想するなら、生体機能をつけたロボットでも作るのに使うのではないかと想像した。その考えはすぐに消える。どうでもいいから。
 次に現れた人間を見て、アトロポスが歓声を上げた。両手を胸に置き、恋する乙女のように顔を紅潮させて。「見てプロメテス! きっと次は綺麗な歌声が聴けるわよ」僕の肩を揺らす。
 しまった、間違えた。僕たちはただの機械ではない。僕もアトロポスもアンドロイド、感情らしい感情は決して無い訳ではないのだ。僕たちは人間に対する残虐性やその行為に対する愉悦をインプットされていた。腹の奥から熱い何かが込み上げてくる。僕にはそれが吐き気なのか喜びなのか分からなかった。
 新しく流れてきた人間は大人の女性と小さな子供。二人は寄り添いあい、眉根を下げ悲しそうに嘆いていた。母であろう女性は子供に大丈夫、大丈夫と念じれば叶うと疑わぬ様に何度も繰り返し、子供は母の胸に抱きつき助けて、と咽び泣いていた。
 僕は立ち上がり、部屋を出ようとする。何故だか分からないけれど、耐えられないと思った。


「どうしたのプロメテス、これからが良いところなのに」


「ちょっと、気分が悪いんだ。放っておいてよ」アトロポスは一つ首を傾げてから、「後で私も行くわ」と言った。
 僕が部屋の扉を開けて、通路に出た瞬間、後ろから高い叫び声が聞こえた。人間でいう胃の辺りに鈍痛を感じた。
 僕はどんな人間……いやアンドロイドなんだろう。罪の無い人間が虐殺されていても悲しくない。かといって楽しくもない。今にも目玉を刳り貫きたいと思うけれど、それが何故なのか分からない。僕はどういう機械ですか? 誰かに教えて欲しい。僕は誰かに愛されていますか? 僕は何故作られましたか?
 最後の答えは知っている。僕は、僕は──
 ふと、僕はあの人を思い浮かべた。そして、ここに来て欲しいとも。もしあの人が来れば僕は追い返さざるを得ない、いや殺さざるを得ないのだけれど。でももしかしたら。あの人なら助けてくれるかもしれない。想像とは違ったけれど、あの人はあの本の主人公に似ていたから。持って回った言い回しをしないし、女性陣に慕われていると言えば確かに慕われているけれど、あの主人公の比ではない。でもあの人はただ敵だという理由で相手を殺さない。恐竜人という明らかな人類の敵にも手を伸ばそうとした。彼こそ、僕の理想とする存在なのではないか? 無意味に真似をしている無様な僕と違って本当に主人公なのではないか?
 彼なら終止符を打ってくれるかもしれない。この下らない人間とロボットの戦いを。
 言って下さいよ、つまらない事ばっかりやってるんじゃねえって。俺に任せろって言いながら、ドジな事をしても良いから。殴って下さいよ。でないと……僕は殺してしまう。沢山、沢山。
 それが正しいのだと僕が言う。それは違うよと『僕は言う』。どうすればいいのと僕が問う。どうしようもないよと『僕が結論を出す』さあ、どれが本当の僕でしょう。全部僕なんです。


「ああ」


 分かった僕は、結局のところ諦めたんだ。あの主人公になるのを。もうその資格が無いのだから。でもあの人には資格がある。だから僕はあの人に壊されたい。そうすれば僕は壊されたことで正義に近い何かを為したことになる。


「もうすぐかな、クロノさん」


 また頼ってごめんなさい。やっぱり僕、良い子じゃなかったみたいです。
 僕の両手は真っ赤に染まっていた。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十九話 Black or White












「本当に一人で良いの?」マールは心配そうに言った。「私一人くらいなら別に一緒に行っても良いよ?」


「マールたちはやる事があるんだろ? 大丈夫さ、ロボの事だから、精々迷ってぐずってるとか、通信機を間違えて壊したとかだろ」


 カエルと別れた後、俺はマールたちに連絡を取った。彼女ら、つまりマール、ルッカ、エイラの三人パーティーは太陽石という古代の物質を蘇らせる為に動いているという。なんでもそれがあればとてつもない力を秘めた武具が作れるそうなのだ。彼女らはルッカの指示の元動いていた。
 俺の方も用事が終わり、カエルは今修行して己の力を高めている最中だと経過を伝える。その際に、ルッカが放った言葉が気になった。


『ロボと連絡取れないのよ』


 心細げに呟く彼女に俺も不安を伝染されそうになったが、胸を叩き「なら俺が様子を見に行ってやるよ」と告げた。それからシルバードを使わせてもらい、未来に飛んでもらったという訳だ。今シルバードにエイラがいないのはそれが理由である。彼女には一旦時の最果てで待機してもらっている。
 ロボの持っていた通信機に内蔵されているGPSとかいう機械でロボがいる場所は掴めている為、移動はすぐに終わった。今はシルバードを降り、目の前にある工場らしきものの前にいる。


「こっちの仕事はすぐ終わりそうよ。正直私一人でも出来そうなくらいね」ルッカが得意気に鼻を伸ばしていうものだから、マールが「そう。じゃあやっぱり私はクロノと二人でロボを探しに行くから、ルッカも頑張ってね」と言い放つ。慌てるルッカの動きは面白かった。マールの腕をぎゅ、と掴んでいる。


「ロボを探すのだって、すぐ終わるよ。場所だって分かってるんだし、気にすること無いって」


 まだ後ろ髪が引かれるように顔をしかめるマールだったが、いつまでも喚くルッカに折れたのか、「またすぐ迎えに来るからね」と残し、シルバードで移動した。二人でも姦しいのは彼女たちの特徴なのだろうか。一時は仲が険悪だったそうだが、今の二人は到底亀裂もない親友同士に見える。微笑ましい気分になった。


「さて、迷子の子供を捜しますか」


 右肩を回し、俺は何やら作業音が外まで漏れている工場に足を踏み入れた。
 中は同じ工場だけあって、ロボと初めて共に戦った工場跡と似た構造だった。違うのは、こちらの工場の方が圧倒的に明るく、破損場所などまるで無い所。技術というか、設備も揃いきっているのは驚きだった。作業用だろう小さなロボットが忙しなく動き、清掃が行き届いているのか塵一つ床に落ちていなかった。
 天井には所狭しとパイプ管が縦横に伸び、バルブの点検ロボットが甘物を落とした時の虫のように蠢いている。モニタースクリーンが壁一面に並び、俺には読めない数式の羅列がずらりと浮かんでいた。


「これは、やっぱりルッカにいてもらった方が良かったかもしれないな……」


 一目で分かる。俺にはこの施設内を歩き回るには知識が足りない。まず初めに、目の前にとおせんぼするみたく壁から壁に伸びるレーザーが俺を邪魔している。試しにその赤い光に服の端を千切り投げてみると一瞬で燃え尽きていた。ここは通れない。
 さて、まず、と前置きしたが、通れそうな道はそのレーザーを越えた先にしか無い。ダクトの類でもあればそこから入る事も出来るだろうが、それらしいものは見当たらない。いっそ施設を爆破してやろうかとさえ考えたが、流石にそこまでの魔力を放出出来るとは思えないし、壁の素材からして並大抵の力では傷つける事も出来ないだろう。大体俺はロボを捜しに来たのだ破壊魔になるつもりは毛頭無い。
 途方に暮れていると、目の前を腰の上程度の大きさの機械が横切る。そのまま通り過ぎて何かの作業を開始するのかと思えば、上部の頭? 部分がくるりと反転し、頭の上から点灯するランプがぽこりと出て来た。けたたましい音が響き渡る。これは、言うなれば敵発見! と言っているのだろうか。いやいや、まさか……
 半笑いで現実逃避していると、辺りからとんでもない数のロボットが集まり始める。その数、百に届かずとも五十は超える。そして、どのロボットも銃を頭や腕、胴体部分から突出させ俺に向けていた。漫画みたいだなあ、とぼんやり思った。
 俺の周りに集まったロボットは、同時に発砲する。銃口は数えられない。とはいえ、問題は無いだろう。何故なら、俺には磁力操作がある。適当に頭上に磁力体を作り出せば、放たれる銃弾は全て方向を代え俺に当たることはなかった。


「はっ! 所詮ポンコツの集まり、俺に敵うとでも思ったか! 馬鹿が! トンカチの代用品が!」


 満を持して、というように集まり出したロボットが何も出来ないのを見て俺はつい調子に乗ってしまった。いやしかし、実際楽しいものなのだ、掌で転がすように相手の攻撃を無力化させるのは。
 腰に手を当てて高笑いをしていると、俺の前にあったレーザーが消える。俺の強さに恐れをなしたに違いない。物言わぬ者でさえ俺に平伏すとは、俺は俺が怖いぜ。
 足を踏み出し、ロボットの囲みから抜けようとすると、目の前にあるモニターがノイズを発した。そのまま目を取られていると、モニターに様々な記号が浮かび上がり、声が流れ始めた。


『生き物? あら、生き物が自分の脚でここに来るなんて久しぶりね……歓迎しますわ。どうぞ中にお入り下さい』


 言い終わると、俺が何か言う前にぶつ、と電源が切れた。
 すると、小さなロボットは潮が引くように俺の周りから離れていく。まさか歓迎という言葉をそのまま取るつもりは無いが、面倒を回避できたのは素直にありがたい。レーザーが放出されていた場所を通りぬけ、奥の扉を開ける。奥からいきなり敵が襲い掛かってくるのでは、と警戒したが何もおらず少し拍子抜けだった。
 明滅するライトの光を抜け、長い通路を進み、荷物をクレーンで運ぶ作業場を後にした。結構な時間歩いているが、ロボットは俺に目をくれることなく悠々と歩く事が出来る。戦闘が無いに越したことはないが、いつまで経ってもロボに会えない事に苛立ちと不安が膨れてくる。


『人間さん、何故貴方はここにいらしたの?』


 一階は捜す所も無くなり、四方四メートル程のエレベーターで上階に昇っている最中、インターホンから入り口で聞こえた声がまた流れ出した。


「仲間を捜してるんだ。ロボって言うんだけどさ、あんた知らないか?」


『ロボですか? いいえ、存じませんね。特徴か何か分かりますか?』


 本当の事を教えてくれるとは思っていないが、嘘を言っているようにも聞こえない。「銀髪で、背が低くて子供みたいな背丈だ。顔は小奇麗でぱっと見女みたいな奴。話し方は格好付けてて、敬語だな」


 声は一度黙り、数泊置いてまた話し出した。


『なるほど、プロメテスの言っていた人間とは貴方ですか。考えれば分かりそうですが、いや、失敗しました』声は言葉とは裏腹に失敗したとは思っていなさそうな平坦な声で続けた。プロメテスって、ロボの事か? そういえば、ロボは愛称で本名が他にあったっけな。Rなんとか、みたいな。


『そうですか。プロメテスのお友達なら、少々もてなし方を考えねばなりませんね』


 ぎっ、と擦れるような音が鳴り動いていたエレベーターが止まる。照明灯が消え、エレベーター内は暗闇に包まれた。小声で魔術詠唱を始める。


『貴方の性能を見せてもらいます。がっかりさせないで下さいな? 生きていれば、また後ほど』


 照明の明かりが復活し、エレバーターに四体の警備用だろう少し大きな、丸みの有る人間に近い体格のロボットが俺の四方に立っている。そのどれもが機関銃持ち俺に向けている。顔面部分に光る赤いライトが眼球のように俺を睨んでいた。


「もてなしってのは、気分が悪くなれば台無しなんだよ」


 予め唱え終えていたサンダガを充満させる。見た目だけは頑丈なロボットは黒い煙を出して横に転倒した。稼動音が小さく消えていく。断末魔にしては、味気無い。
 ロボットが完全に停止すれば、エレベーターの運行が再開された。多少床を揺らしながら、俺の体を運んでくれる。


『素晴らしい……人間とは思えませんね』今までの単調な声音と違い、そこには感嘆の響きが混じっていた。


「偉そうに。あんたもあれか? ロボと同じアンドロイドってやつなのか?」人間とは思えない、という台詞は同じ人間が発したにしては違和感が有り過ぎる。大体、生き物がここに来るなんて、という言葉でもそう感じたが。まあ、こんな物騒なロボットがうろついている場所に人間がいるとは思っていないけどさ。


『アンドロイドとは少し違いますね。私の正体が気になりますか?』


「好奇心程度には気になるな」


 誰だか分からない、声の感じからして女性だろう……は迷ったように時間を延ばしたが、『良いでしょう。次の階を降りてください』と言って、インターホンを切った。
 何でお前に指示されなきゃならんのだ、と不満を感じたのであえて二階に行くボタンをキャンセルして三階に行き先を変える。理由はただ嫌な予感を感じたというだけで充分だろう。最初降りようとしていた二階を通り過ぎ、三階に着いた。到着を知らせる音声が流れ、扉が自動で左右に開かれていく。降りる際に予想を裏切ってやっただろうことに愉悦を感じた。


「随分勝手な方ですね」


「え?」


 エレベーターの入り口横に背中を預けている女性が怒りでか顔を紅潮させたまま、それでも表情は柔らかく俺を責めた。
 間の抜けた声を出した俺は硬直したものの、彼女に向き直り頭を下げる。女性は背中を離し、両手を出して「謝って下さるなら良いのです」と呟いた。


「いや、二階で待機してたのに急いで三階に走ったんだろ? ご苦労様という意味で頭を下げたんだ」驚きはしたが、まず間違いなく彼女はさっきまで俺と話していた女性に違いない。まさか意地でそこまで必死になるとは、文字通り頭が下がる思いだ。


「走ったというのは語弊がありますし、失礼ですね人間とは。それとも貴方が特別なのでしょうか」服の襟を正しながら、彼女は失礼な事を口走る。その後、俺の顔を見ながら軽く溜息を吐いた後。もう良いですと終わらせた。


「初めまして。私が貴方と話していた者です」


「どうも。それで、あんたは何者なんだ? 人間じゃないんだろう?」いざとなれば飛びのきサンダーを当てるつもりで聞いた。彼女は鷹揚に長い首を縦に振って、「私が何者かは今は教えません。ですが、名前なら教えられます」


 そういった、余裕のある動きが酷く似合っていた。見た目にはカエルの少し上か同じ程度に見える彼女だが、意外と上なのだろうか。人間ではない彼女に年齢の概念があるのかは知らないが。
 彼女は片足を引き、頭を下げロングスカートの裾を持ち上げて、高貴な身分の人間のような振る舞いで己の名前を口に出した。


「私はマザー。言えるのはそれだけです」


 彼女の名前を聞いて、俺は他意無く呟いた。「何だ、あんた母親か。どうりで、見た目の割に老けてると思ったよ」マザーはやはり顔色は変えなかったが、かすかに口端が震えたのを俺は見た。






 マザーは中々、いや相当に美しい女性だった。可愛い、美しいというよりも神聖な、修道女のような汚れのない美しさを持っていた。ただ、白すぎる花が見続ければ目に毒であるのと同じく、彼女の美しさには危なげな印象を持った。彼女からは大概の事を許してくれそうな抱擁感を見出せるが、何をしても許さない鋭利な心を持っているようにも感じる。言うなれば、彼女を剣で刺しても怒らないかもしれないが、彼女は誰かを刺す事に躊躇いがなさそうな、そんな雰囲気。想像とはいえ容易に描けるという点では苛烈な女性にも思える、一言で言ってしまえば捉えどころの無い女性だ。
 肩まで伸びる髪は真っ直ぐなストレート。髪の色は青く、魔王の髪色よりも少し淡いくらいのライトブルー。服装は上から下まで真っ白で、胸元のボタンを一番上まで閉めたシャツと、くるぶしまで伸びた歩き辛そうなロングスカートを履いている。彼女の空気感と並び、より希薄なイメージを湧かせた。
 軽く自己紹介をして、マザーにロボの居場所を聞いてみる。


「それは言えません。私は貴方の仲間ではありませんし、どちらかといえば敵でもあります」


「だと思ったよ。じゃあ何でのこのこ俺の前に現れた? 今にもてめえを消し炭にしても良いんだぜ」


 手の甲を口に当てて笑うマザーは出来ないくせに、と言外に伝えていた。「プロメテスから聞いています。クロノさんは、女性を殺す事は出来ないでしょう?」


「よりけりだ。あんたが最低最悪の女性なら、殺すかもな」凄んでみても、マザーはくすくす笑う事を止めなかった。


「私はプロメテスの場所を教えませんし、貴方の敵でもありますが、貴方には頑張って欲しいと思います。良い研究材料になりそうですから」


 底冷えするような冷笑に、俺はどういうことか追及することを諦めた。
 今までは俺の事を空気として扱っていたロボットたちが急に俺を攻撃し始める。工場中のロボットが俺に敵意を向けていた。監視カメラは常に俺を捉え、数歩と歩かぬ内に銃弾が飛んでくる。最早、磁力のバリアを張らねば歩くこともままならぬほどだった。
 息を切らしながら歩いている俺と違い、後ろを歩くマザーは悠々自適に鼻歌を奏でている。それだけではない、気が散る事に、彼女は俺がロボットを一体倒すごとに「まあ」とか「凄いですね」とか言いながら両手を叩くのだ。正体を知りたいとは言ったが会いたいとは言っていない。さっさとどっかに消えて欲しかった。
 だが、妙な事に、マザーが俺の手助けをしてくれたこともある。コンピューターを操作できない俺に代わり、マザーはロックを解除してくれたり、一部のガードマシンの機能を停止させてくれたりした。理由を問えば、「研究材料の頭脳を試したいのではなく、戦闘力を試したいのです」との事だ。つまり、施設の謎解きはどうでも良いからさっさと奥に入って戦えという事だろう。馬鹿にされている気しかしない。
 工場内を半分以上探し回った頃、今まで理由がなければ話しかけてこなかったマザーが急に俺の肩を叩き口を開いた。


「この星の人間は死にますよ」いきなりで何を言っているのか分からなかった俺は、そのままに「何だよ一体」と真意を聞いた。


「ラヴォスの起こした大災害により、この星は死にました。このままなら人間は死に絶えます。何故か分かりますか?」


「それは、環境も悪いし、食料だって作れないからだろ」マザーを俺の答えを否定して、「人間は星に依存し過ぎたのです」と言う。


「AD1999年。その頃から、星はゆるやかに死に始めていました。人間が殺していたのです。森を切り、海を汚し、空を焼いて。ラヴォスと何が違うのですか? 遅かれ早かれ、星はこうなっていたでしょう。仮に大災害が無かったとしても、今頃には世界はこうなっていたかもしれません」


 確かに、俺のいた現代でも森を切っていたし、海に船の油を流してしまい魚を殺してしまった事件は幾度も起きた。空を焼く、というのはピンと来ないが、恐らくそういう事もあった、もしくは未来であるのかもしれない。俺たち人間が星を殺していたと言われれば、嘘ではないかもしれない。しかし、何故マザーは今になりそれを言うのか。


「それでもこの星は、これだけ終わっても、人間がいなければ平和です。ロボット同士では戦争は起きず、殺し合いも無い。森は無いし海も汚れ空は月を見る事も叶いませんが……人間がいなければこの星は息を吹き返すでしょう」


 マザーはそう言うと、横顔を俺に向けて窓の外の景色を見た。外は強い風が吹き、赤土を舞い上げている。けれど、彼女は自信を持って世界を再生させると口にした。


「ラヴォスもその子供たちもやがて宇宙に帰ります。新たな餌となる星を求めて。その時こそ、この星の再生が始まるのです。ロボットが森を作り海を浄化し空に青色を取り戻すでしょう。戦も無い、悲しみもない、誰かを妬まず憎まず、鉄の国ユートピアが生まれるのです。なれば、人間などもう不要だと思いませんか? 人間は星に見捨てられて然るべき存在だと自覚するでしょう?」ねえクロノさん? と同意を求めるべく、マザーは俺の頬を撫でた。誘惑染みたその行為は、人類に対する処刑宣告だった。俺は首を振り「違う」と切り捨てる。


「人間は、長くこの星に生きてきた」


「おや、先に産まれていたから偉いなどと言うつもりでは無いでしょうね? それならば、人間が嫌っていた虫や食料としていた魚には貴方方よりもよっぽどこの星を生きてきたのですよ?」そういうことじゃない、と俺は頭を振る。上手く言葉に出来ないけれど、マザーの考えには従えない。俺が人間だから、という考えがあるのは認めるけれど。


「きっと、それなりの歴史がある人間だから出来る事だってあるんだ。人間は馬鹿だけど、やり直すことを知ってる。その為に色んな生物が犠牲になってるのも知ってる。でもここで幕を引けば、犠牲になった生物は本当にただの犠牲になる。それらを糧にして生み出すことが、人間には出来るはずなんだ、多分」


 稚拙な言葉選びだったけれど、俺なりに考えた答え。もう少し時間が有ればもっと良い答えがあるかもしれないけれど、根本は同じものが出来るはずだ。
 マザーは目を光らせて、「綺麗事ですね、いや利己的と言うべきですか」と払いのけた。


「利己的ってのは否定しねーよ。何言っても、俺は人間だからな。人間が必要ないなんて考えに賛成するわけにはいかねえ」


 それっきり、マザーは黙ってしまい、俺も口を開く事無く歩く事を再開した。何故マザーがそんなことを言い出したのか分からない。分からないけれど……分からないなりに推測してみると、彼女は代弁したのかもしれない。ロボットの代表として、人間の悪を説いたのか。彼女がどういう立場なのか、俺はなんとなく理解していた。
 俺は人間の代表として彼女に答えを渡したのか。どう見ても、合格点なんかもらえたように思えない。というか、合格なんて無かったのだろう。ただ、彼女は俺を通じた人類全員に懺悔しろ、と言いたかったのだろう。俺は、謝罪を口にすれば良かったのだろうか? 口先だけでも「人間が悪かった」と頭を下げるべきだったろうか?
 いや、そうじゃない。俺は正直に想いを口にしただけだ。そこに間違いもなければ虚妄もない。
 とぼとぼと歩き、再度エレベーターを登る。マザーとの話以降敵らしい敵は出てこなかった。ロボの姿も、まだ無い。不安は黒く染まり、気まずさなど振り切ってマザーに問い質してみようか、と思った矢先、マザーに機先を制された。


「クロノさんは、人間とロボットはどう生きていくべきだと思いますか? 人間にとって今はロボットが必要かどうか分かりませんが、昔は確かに必要としました。でなければ作られていませんものね。でも、ロボットは人間を必要としていません。むしろ害悪として認識しています」


「また禅問答みたいなことやらせんのかよ」


「私はただ貴方の意見が聞きたいだけですよ。で、どう思いますか」


 側頭部をこんこんと叩いて、答えを導き出そうとする。彼女は可能かどうかではなく、どうあれば良いと思うかを問うている。なら、希望論を提示すべきだろう。


「そりゃ、仲良くやるにこしたことは無いだろうさ。少なくとも、俺はロボと仲良くしてる。なら、皆仲良くだって……」


 言葉を詰まらせた。俺を見るマザーの顔が、今までの無表情から激変し、口を吊り上げ、猟奇的な笑顔を作っていたから。まるで、崖から落ちた人間を引き上げる為に伸ばしたロープを娯楽目的で切るような、狂気の笑み。


「プロメテスと仲良く……ですか。そうですか。そう思うならそうしなさい、そして……」


 マザーの姿は、煙のように消えた。白昼夢でも見ていたような気分だった。怪奇現象と出会ったいたとしても、幻覚でもどちらでも構わないけれど。
 ただ、幻覚だとすれば、いやに彼女の言葉が耳に残っていた。消えざまに、マザーは低く擦れながら、こう言った。


『絶望の病に犯されるが良い』と。
 扉が開き、明かりが漏れた。照らすライトの先は、地獄のような光景が広がっている。大部屋の奥にはベルトコンベアの上を流れていく縛り付けられた人間、身動きできない彼らは淡々と作業する機械に押し潰され、小さな一欠けらに変わっていく。悲鳴は止まず、怨嗟の声と嘆きが充満していた。呪詛に近いそれらは今来たばかりの俺に当てられているようで、思わず足が竦んでしまう。
 咽が渇いている、どうしてこんな事になっているのか分からない。血の臭いが酷すぎて、鼻がおかしくなりそうだ、胃の中のものを吐き出したくて仕方が無い。耳はとうに塞いでいる。足だけは何をするつもりもなく、動かない。
 そうしている間に、三人の人間が潰れて行った。一人は男、二人目はさっきよりも少し若い男、青年だろう。三人目は老年の女性。それぞれに魅力があるのだろう、目鼻立ちも違うし、年も違えば交友関係も違ったのだろう。瞬く間に彼らは違いの分からない小さな塊になっていた。


「これ、おかしいだろ? 間違ってるよな?」


 絶望の病とやらがこれなら、すこぶる効果的に俺に伝染しただろう。我を取り戻し、走り出したが、機械を止めようとしても、操作方法が分からない俺では何も出来ない。魔法で壊そうとしても多少焦げ目が付く程度、そも、壊したら捕らえられている人間たちはどうなる? 爆発でもして全員死ぬかもしれないじゃないか。ルッカ、いやロボがいれば!


「クロノさん」


「! ロボか!?」なんて都合の良い時に、と思いながら振り向く。
 結果として、それはロボではなかった。似通う所は多々あれど、俺に声をかけたのは小さな女の子だった。ロボと同じくらいの年に見える。背丈も変わらないだろう。歩くたびに揺れるワンピースが清涼感を出していた。
 ロボットと一口には言えない。だがマザーと同じ存在であるとも思えない。なら……


「アンドロイドか、お前」


「そう。貴方がクロノさんよね? わあ、プロメテスに聞いた時から会いたかったの! あ、ごめんなさい。挨拶もしてないのにはしたなかったわね」両手を重ねて頭を下げた後、少女はまた口を開いた。「私はアトロポス、プロメテスのお友達よ」にこ、と笑う表情に敵意は無い、無いが、近づきたいとも思えなかった。すぐ近くで悲鳴が木霊しているこの状況で笑えるなんて、まともな筈がないのだから。


「アトロポスか。丁度いい、これを止めろ」後ろの人間を処理(殺すとも言いたくない)する機械を指差した。彼女は「嫌よ、今とても良い所なんだから」と笑顔を崩さない。


「素晴らしいでしょう? どんな管弦楽曲とも違い、人間の悲鳴だけで構成されるオーケストラ。聞いているだけで胸が震えるわ。貴方は震えないの? 人間だって、愛好しているのでしょう? 他者の悲しみや怒りの叫びを」手を鶴のように伸ばし、舞を踊るようにアトロポスはその場で回転し、今の気持ちを表現した。吐き気がする。


「もういい、テメエには頼まねえから、ロボを呼んで来い、今すぐにだ」歯軋りしながら、アトロポスを脅す。出来れば首根っこを捕まえて引き摺りたいくらいだが、分かる。こいつはそう楽な相手じゃない。なら、ロボを呼んで来させる方がずっと話が早い筈だ。


「プロメテスならすぐに来るわ、貴方がここに来た事は知っているもの。だから彼が来るまでの間お話しましょうよ。すぐに終わる話だから」アトロポスはちょこん、とその場に座り込んだ。おいで、と手を振り俺に近づくよう指示して。
 ここで逃げるのも怯えているように思われそうで癪だった。アトロポスは隣に座るよう言っていたが、それだけは断り対面するように座った。片足を立てて、いつでも後ろに跳べる様に。
 何から話すべきだろう、と思案していたようだが、彼女は思ったより早く内容を整理したようだ。


「クロノさんは、プロメテス……貴方に合わせて今はロボと呼ぶわね。ロボをどれくらい知ってるの? どういう性格か分かる?」


「泣き虫、格好を付けたがる、痛いのが嫌い、甘えん坊、ドジ、正義感を持つ、子供の癖にフェミニスト、まあ何処にでもいるようなガキと大差無いだろうな。最後にもう一回言うけどすげえ泣き虫」遠慮なくロボがどういう奴か並べる。ホモくさい、というのは省いておいた。あれは少年期特有の尊敬とかそういうあれだ。俺に尊敬の念を抱くだけであれだが。


「へえ。面白い、ロボはそんなだったの」


「だったって、いつもは違うみたいな言い方だな。お前はロボをどんな奴だと思ってるんだよ」面白がられている事が不快で噛み付くように言ってしまう。


「お前じゃなくて、アトロポスよクロノさん?」


「……アトロポスさんはどう思っていますかね?」殴り倒さない自分に俺は感動した。大人になったのだろう。そうねえ、とアトロポスは考え込み、口を開く。話し出せば、スラスラと言葉を造っていった。


「彼が泣いている所を見た事がないわ、格好つけるも何も彼は格好良いし、腕が千切れても顔色一つ変えない。甘える姿もドジを働いたこともない、正義を背負っているなんて思った事は無い、女性だろうがなんだろうが、人間なら誰でも殺したし、まあ何処にでもいるロボットみたいと言われれば頷けるわ」


「そりゃ凄いな。とんでもない人違いだ。いやアンドロイド違いか? まともに話す気が無いなら消えてくれ」


「私は至極まともよ? 貴方こそ嘘を言ってるんじゃないかと思ってるくらい」疑っている割に、アトロポスは楽しそうだった。子供らしい、無邪気な言葉遊びを満喫しているように。アトロポスはワンピースの裾を指で掴み、下ろした。別にお前の下着に何の興味も無いと言ってやりたかったが、それすら笑われそうで、やめた。
 カモシカのように細く、折れそうな白い足を伸ばし反動で立ち上がり俺を見下ろす。「貴方は私たちを誤解してる。多分、人間視点で見れば良い方に」


「要領が得ない。回りくどい言葉を選ぶのが好きというのは、アンドロイド共通である。それは俺の誤解か?」


 むう、と顎に指を当て「個性よ」と告げた。そのまま、その指を俺に向ける。彼女の指が銃身に、掌がグリップになる幻想を見た。彼女は引鉄を引く。


「ねえお願いクロノさん。出来れば消えてくれる? そうね、プロメテスが来る前が良いわ。そうすれば、彼は苦しまずにすむもの。これは貴方にも共通するわ」


 お勧めよ、と商品を紹介するセールスマンのように言ってアトロポスはまた回転する。素晴らしい提案を誇る子供のようで場合が場合でなければ微笑みたくなるくらいの空白の行動だった。あっけらかんと言い換えてもいい。
 そうか、大体こいつの言いたいことは掴めた、マザーよりは読みやすい。それでも分かりづらいガキであることは間違いないが。瞬かせる目を両手で覆い、散乱する思考のピースを一纏めにする。それは見事な記念碑だった。そう言うに足る珍しく、奇跡的な結末が頭に残る。
 整理してみよう、ロボはこいつらの敵ではないのだろう。彼女らの口振りからして、ロボを嫌っている、また敵対しているようには思えない。俺なんかより付き合いも長いのだろうさ、俺の知らないロボを沢山知っているのだと思う。恐らく、あのドームで放置されていた頃のロボより遥か昔からの知り合いだか、友達だか、もう少し踏み入った関係だかは知らないけれど。
 ロボは人間の敵だったのだろう、それを彼女は包まずはっきりと答えた。マザーの言う人間を必要としないロボットとして産まれたことも想像できる。
 思うに、ここはロボの生まれ故郷なのでは? 実際、時の最果てで爺さんがそんな事を言っていた気がする。そしてロボはここに帰ってきた。ロボは困惑しただろう、あいつは昔の記憶なんてほとんど無かったはずだから。ルッカに弄られた事もふまえて、まさに欠片程しか残ってなかった、と思う。
 ロボは帰ってきた、彼の過去を知る沢山の人々……じゃない、機械たちのいるこの工場に。そして彼は思い出した、それが能動的なのか、受動的にか。自分からか無理やりかは分からなくても、思い出したんじゃないか? だからロボは俺に会いに来ない。大体おかしいんだ、あれだけ警備ロボと戦って、これだけ工場内を歩いていたのに鉢合わせないなんて。ロボが俺を避けているか、会おうとしていないとしか思えない。捕まっている? とても、こいつらの様子からして納得できやしない。
 何故避けている? それは多分……本当の自分を見つけたからじゃないか? その上で、あいつは……俺たちを、人間を。


「まあ、考えてても仕方ないよな? そうだろオイ」


 後ろから迫る脅威から身を逸らし避ける。俺の頭を砕くべく発射された鉄の塊が通過する。続いて、青白い閃光が光り俺を輪切りにしようと迫ってきた。その場で跳躍し難を逃れる。その際肩を斬り血飛沫が飛ぶ。大丈夫、まだ上がる。
 追撃を避けるため、機械の物陰に隠れた。右目を出して、攻撃者を捉える。ああ、なんて顔だ。お前そんなにつまんなそうに歩いてたっけか? 俺の記憶違いなら、悪いんだけどさ。
 あいつが歩くたび散らばる銀髪は、顔を隠すには前髪の長さが足りない。瞳は乾ききっていて感情を出していない。口は横一文字に閉じていて、本当に機械みたく乱れの無い歩調だった。


「侵入者を排除します」


 右腕を上げる。噴射音を上げて俺の隠れる場所に飛んで来る。咄嗟に身を潜め、攻撃は当たらない。金属音を鳴らして、飛んできた右腕が俺の近くに転がった。


「随分な歓迎だ、泣いて喜びそうだ、主に俺の心臓が。喜び過ぎて、心不全にでもなりそうだな、もしくは不整脈か。とにかく喜ばしい症状にはなり得ない」


「そうですか、もうそんな事気にしなくて良いですよ。なにせ、全部散らばりますからね」


 転がる右腕の閉じられた指が広がる。掌の中央には黒い、見覚えのある四角い箱のようなものが置いてあった。これは確か、ルッカの見せてくれた、そう。
 爆弾、というやつだ。


「サークルボム」


 右足一点にトランス、脚力を最大限に、それでいて最速に高め右腕から離れる。目が眩むほどの稲光に似た光が俺を包む。遅れて轟音。この部屋の精密機械など知ったことではないというように、辺りの金属もモニターやパイプを巻き込み狂うように爆砕させた。煽りを受けて体が吹き飛ぶ。四肢が千切れることは無かったが、あまりに強い風を受けて体中に痛みを覚える。背中に飛散した床の破片が刺さり、勢い良く引き抜いた。大丈夫、ラヴォスの針に比べればなんて事は無い。ただ痛い、仲間にやられる傷がここまで痛むとは思っていなかった。
 ちろちろと、残り火が黄色い舌のように踊っている。それを足で踏み消して、あいつが立った。


「僕は全身の至る所に爆薬を仕込んでいます。よく人間に抱きついて、爆散させたものです。その名残ですかね、しばしば貴方に抱きついていたのは」


「怖い事言うなよ……もう甘えさせてやらねえぞ」


 右腕を収納し直しながら「結構です」と冷淡に言い放って、飛び込んでくる。お得意の加速装置か? トランスは既に解けている。俺に避ける術は無い。
 右膝が腹にねじ込まれる。惰性で後ろに跳ぼうとする俺の体を左腕で掴み止め、右手を俺に押し付けた。集束音が腹の下から聞こえてくる。


「マシンガンパンチ」


 数えられない連打が腹部で爆発する。十や二十ではきかぬ拳に内臓が弾け飛んだろう、ふざけた量の血液が喉から逆流してくる。今度は、吹き飛ばされた俺に追撃をすることはなかった。
 『敵』であるそいつは汚いものに触れたみたく両手を叩いた。振り向いて、「終わったよアトロポス」と鉄の表情で言った。
 終わった? 何が? 何が終わった言ってみろテメエ。この喧嘩か? いつもの訳の分からん駄々がこれって言うなら、やり過ぎだとしても許してやる。悲しい事があって俺に当るしか方法が見つからないなら受け持ってやる。でもこれで、俺との関係が終わりだと抜かすつもりなら……


「終わってねえ、終わらねえぞロボ!!」


 足に力を入れて、立ち上がる。あれだ、明日は筋肉痛だな、これは。
 ロボが目を瞠り俺を凝視する。やっぱり顔変えられるんじゃないか、馬鹿垂れ。


「……処理を再開します」体から蒸気を漏らしながら、また鉄面皮へと変える。俺に近づく彼を止めたのはアトロポスだった。両手を広げ、「もういいじゃない」と涼しげに伝えた。そして腹押さえながら中腰のままである俺を見る。


「クロノさん、もう良いでしょう? プロメテスはもう戻ったの。ロボじゃなくてプロメテスに。だから貴方は帰りなさい、マザーは貴方を研究したいみたいだけど、プロメテスを修理してくれた恩として私は見逃します。もう二度とここには来ないで」


「ふざけんな、俺はこいつの保護者だ。迷子は連れて帰らなきゃ色んな所から苦情が来るんだよ」


「僕は迷ってない」俺の言葉にロボが反論する。驚いた顔に怒った顔。へえ、戻ってきたじゃないかロボ。


「迷ってるよ。自分探しの旅でもしたいのか? だったら俺も見つけてやる。お前のなりたいお前を捜してやる。そしたら気付くだろ、そのままのお前が一番良いって馬鹿みたいな単純な事にさ。泣き虫意気地無し甘えんぼで優しくて見栄を張りたがるクソッタレに優しいお前がお前だロボ!」


 黙って聞いていたロボの姿がブレる。次に瞬きした時にはロボは両腕で俺の胸を掴んでいた。痛みを感じる程じゃない、むしろ触っている位の力量。猫をあやすような握力だった。二本の腕から不自然に黒光りする爆弾が幾つも浮かび上がっていた。さっきのサークルボムとかいう代物だろう。この至近距離で爆発すれば俺の体はひとたまりも無く肉片と化すだろう。


「……くすぐったいな、何が狙いだロボ」特別何を思うでもなく聞いてみると、「見て分かりませんか?」と答えになっていない。言葉にしたくないのかもしれない。そうか、見る限りアトロポスとかいう女はガールフレンドか何かか? 確かにそんな女の子の前では切り出し辛いだろう。仕方ないから俺は自分からロボの両脇に腕を入れて持ち上げた。ああ、また驚いた顔を見せたな。出来れば次は笑った顔を見たいんだけどな。


「……何をしてるんですか貴方は」


「何って、甘えたいんだろうお前。女の子の前で、自分から言うのは恥ずかしいのは分かるさ」そのまま頭を撫でて抱きしめてやる。いくら冷たく振舞っていてもこの高い体温がお前である印だ。忘れたりしないし、見失わない。お前もそうだよな、ロボ?
 爆弾を仕舞い、両腕を左右に広げた。そのまま抱き返せば良いのに、ロボは照れてるのか俺の脇腹を挟むように殴る。バキ、という音が体から伝わる。じゃれるなよ、落としそうになるだろうが。


「落とせばいいでしょう。でないと、つぎは喉を潰します」人差し指と中指を立てて目を細める。猫みたいだなあと俺は思った。癇癪でも起こしたか。いつものことだ、ただ今回は構ってやる時間が無かった分いつもより激しいようだった。しまったな、自分の用事で忙しすぎた。いやそれは言い訳か。もっと遊んでやるべきだったか、お陰でロボが拗ねてしまった。
 頭の感触が柔らかく、撫でているこちらとしても気持ちがいい。細く柔らかい髪質は手に馴染む。指と指の隙間を流れる絹糸みたいな銀髪が盛り上がり、梳かれて跳ねた髪を真っ直ぐ伸ばす。それを数回やってやると、ロボの指が俺の喉を貫いた。


「げぼっ!」痛いじゃないか、と言おうとして声はあらぬところから漏れ、言葉になる事は無かった。


「早く離して下さい……離せ!!」


 だからじゃれるなってば。力が抜けてきたじゃないか、筋肉痛に風邪まで引きそうだ。疲れて免疫力が減ったんだな、そのせいで声が出し辛いんだ。きっとそうさ。


「ざあ、づぎああじをじだい?」次は何をしたい? と言おうとしても、何でか鼻声みたいになってしまう。ロボが驚いてるじゃないか。何だよ馬鹿は風邪を引かないから、俺が風邪を引いたことに驚いてるとかなら殴る。その前に安心させてやるのが先だけどな。


「あ……ああああ!!」


 無理やり俺の抱擁を解き、ロボが床に落ちた。拾い上げようとすれば、また声を上げながら後ろに這う。風邪をうつされたくないのかもしれない、薄情な奴め、だが道理ではある。抱きしめるのは止めにしよう。俺は近寄る事を諦めた。
 動かない事を確認したロボは裏返った声で叫んだ。


「ぼ、僕は悪だ。悪い奴だ。なのに何で戦わないんだ! 貴方は僕を壊すべきだ!」


 ここに来てからというもの、突拍子も無い事を言い出す奴ばかりだ。まさかロボまでとは思わなかったが。言いたいことが良く分からん。どうしてお前を壊さなければならない。俺に怪我をさせた事か? こんなのただのじゃれ合いじゃないか、大袈裟なんだよ。
 それを言おうとして、また口の中の血液が邪魔をする。いっそ口内に手を突っ込んで全部吐き出したかった。邪魔するなよ、俺の仲間が混乱してるんだよ。


「思い出したんだ、マザーに言われて全部思い出した! 沢山殺したんですよ、貴方くらいの人もそれより若い人も女性も老人も赤子でさえも目に写る人間全部殺しまわった! それが、おかしな事だと思いさえしなかった!」両手を振り乱し、狂いそうな高すぎる金切り声で叫ぶ。あんまり高い声だから、俺は顔をしかめてしまう。


「僕はなれなかった。あの主人公みたいな人になりたかった、そうですよ、僕は人間になりたかった! でももう無理だ、だってほら、僕の手は取り返しがつかないほど血で染まってる。真実を知ってから僕に染み付いた鉄の臭いが全部血液のように感じてしまう。僕が鉄の体だからじゃない、血がこびり付いてるからなんですよ!」俺には、どうみてもロボの手が血にまみれているようには見えない。俺の出した血が少しだけ付いているだけ。そんなのお前が悪いわけじゃないだろう、俺の体がひ弱過ぎただけだ。爆弾や拳に競り負けるくらい、子供の駄々で傷つくほど俺が弱いだけじゃないか、みっともないのは俺だ。


「ほらあ、貴方にも見えるでしょう? 僕の体は何処を見ても赤色だ。水を被っても酸に入っても火で炙っても落ちやしないんだ、神様が許さないって言ってるんだ!」


「ははっ……お前ばがみざまにもがでるんだろう?」神様の発音がどうしても上手くいかなかったけれど、ロボには伝わったようだ。ロボが頭を振る。


「そんなの、ただの設定だ。そんな人になれたら良いなって、無駄に壮大な話し方で、自信を持って行動していれば僕はヒーローになれると思ったんだ。だって、あの主人公はそうだった。必ず良い結果に持っていったんだから」ロボは尚も続ける。「でももう戻れない。僕は皆を助けたかったからあの主人公を目指した。その僕が皆を殺していた。笑えるじゃないですか、巨悪を討つべき僕自身が巨悪だったんだから。そうなれば、僕が壊れるしかないでしょう? ねえそうでしょう!? だから貴方は僕を壊すんだ、ほら、壊してよ!」


 壊せ、と連呼するロボは呆気なく無表情の仮面を剥ぎ取っていた。元々無理なんだって、お前にクールなキャラはさ。なりきれるわけ無いだろうに。
 ロボは泣いていた。いつもみたいに大声でなく、喚いていても泣き声は怒声で隠して。それは本当に彼が悲しい時にするそれ。俺の服の袖を掴んで、顔を俯かせてぽとぽとと涙の滴を落とすのだ。それが、見る者の胸をどれだけ痛ませるかお前は知らないだろう? 泣かせてしまう事を許した自分を殺したくなる程、切なくなるんだ。


「無理だ、おでにお前ば『ごろぜない』」壊すという表現が苛々したので、あえて殺せないと強調する。


「何でですか? 貴方がそうなのに、貴方じゃないと駄目なのに!」


 一々話し辛くて、ロボに声が届かない。常備しているミドルポーションを頭から被る。残りの一つを空いた喉に掛けて治癒を待つ。当然塞がる訳も無いけれど、粘膜が戻ったのか幾分はましに声を発する事ができる。瓶に残った薬液は無理やり呑み込む。内臓も多少回復しただろう、少なくとも痛み止め代わりにはなる。


「何で俺だよ? ごほっ」大丈夫、咳き込むのさえ我慢できれば何とかなる。
 ロボは逡巡して、恐る恐るに口を開く。


「だって、貴方が主人公だから。あの時見た男の人と同じだから」


 やはり、ロボが何を言っているのか分からない。正直にそれを伝える。「お前の言う主人公っで、なんだよ」痛みを無視すれば、平常な会話と言えなくもない言葉を作る事ができた。前もってカエルからミドルポーションを受け取っていた事が功を奏した。
 ロボは、もどかしそうに「何でも出切る人の事です」と分かり易いようでそうでもない半端な答えを出す。


「誰でも助けられて、人の為に命を賭けて、どんな奴にも負けない、とても格好良い人の事です。敵も味方も分け隔てなく平等に手を差し伸べる素晴らしい人。それが主人公なんですよ。貴方はきっとそうなんだ、だから貴方は敵である僕を壊す義務がある。貴方はそうでないといけないんだ!」


 錯乱しているのか? ロボの台詞に統一性が見当たらない。義務とか、そうでないといけないとか、まるで方向の定まらない事ばかり彼は口にする。
 ……もしかせずとも、彼の言う『主人公』とやらは、ロボの偶におかしな事を言う(神に選ばれたとかデウスエクスマキナだとか)あれの事か? 子供が夢見る、こんな人物になりたいと願う痛々しい偶像を言っているのだろうか。
 俺にだって覚えはあるさ。例えば、魔物の大群を指一つで消して、町の人々に感謝されて、色んな女性に求婚されて国の英雄になって、でも本人はそれをどうとも思ってない冷静で慌てる事なんて一度も無い、危機にも陥らない、そんな人物。ロボが演じるのはそんな架空の存在だった。最近では、彼はそれをほとんど演じなくなっていたけれど。それは、俺にその役を譲ったという事なんだろうか。はは、勘違いにも程がある。俺にそんな大層な役目は演じられない。


「ロボ、お前おかしいぞ、俺がそんな人間なわげないじゃないが」一々詰まる声が煩わしい。一思いに完治しろというのだ。回復呪文でもない限り不可能だと分かってはいるものの、面倒なのは変わりなかった。


「僕がそう思ったんです! 貴方は優しいし色んな敵を打ち倒してきた、諦めなかった! 沢山の人に慕われて、敵である恐竜人すら助けようとしたんでしょう、僕の理想を具現化したのが貴方なんです!」


 ああ、もう面倒臭い。ロボが俺を高く評価しているのはよく分かった。つまりあれだろう? よくあるお前になら殺されても良いとか、そういうムードに酔ってるんだろう? 馬鹿らしい。その台詞は俺は大嫌いなんだ。だって、殺すほうの気持ちを何も考えていない。俺がラヴォスと会った時にした卑怯な事とまるで同じだ。残された人の気持ちをなんら考えちゃいない。そんなの最低だ、面倒ごとを押し付けているだけじゃないか。
 ……とか、そういう事はさておいて、その前にロボに言うべき事がある。増血剤の役目も果たすミドルポーションを飲んでもまだ血が足りない為、足取りは不安定だが一歩ずつ確かにロボへと近づいていく。もう、ロボは後退しなかった。目を瞑り両手に拳を作る。
 アトロポスが慌てたように駆け出そうとするが、俺は目で大丈夫だと告げる。彼女は聡明だ、俺の意図を知り頷いてくれた。思ってたより良い女の子じゃないか、ロボにピッタリだ。心の中で悪態ついて悪かった。


「ロボ……お前さ」目の前で立ち止まり、震えるロボに声を掛ける。「何でクロノさんって呼ばないんだよ」


「え?」


「他人行儀に貴方貴方と。新婚かテメエ。お前は笑いながら俺の周りを駆けてりゃ良いんだよ、ロボ」


 ロボの口は開かれたまま閉じられない。なんて間抜けた顔なんだか。折角整った顔立ちなんだ、もっとしゃきっとした顔つきでいればいいものを、変に気を許すから構ってしまうんじゃないか。甘えさせてしまうんじゃないか。


「良いかロボ、俺はそんな正義の味方なんかじゃねえ。ごふ……! あー、敵も味方も平等? 寝ぼけるな」


 咳き込むな、これから大事な話なんだ、一言一句間違えたくないんだ。頼むよ俺の体、大事な奴なんだ。少なくとも俺自身より大切だと思える家族なんだ。自分の居場所がそこにあるのに見失ってる迷子に手を伸ばすためにも、耐えてくれよ。


「お前が沢山の人間を殺した。なるほど、それは最低だな。お前は人間の敵だ」


 俺の言葉が刃となり棘となりロボの小さな体に突き刺さる。体は何とも無くても心はだくだくと血流を溢し呼吸を止めようとする。
 ロボは震えを止めない。ちょっと言い過ぎたかと反省する。けれど仕方ない、本当の事なんだからロボは受け止めなくては、乗り越えなくては進めない。それはロボの壁であって俺の壁じゃないんだから。


「俺はお前の言う主人公じゃねえからな。危機に直面すれば慌てるしいつも冷静でなんていられない。何でだと思う? 人間だからさ。人間である俺は人間らしく同じ人間を助けたいと思う。害を与える存在を罰したいと思う、人並みにはな」


「……だったら、早く僕を罰してください。取り返しなんて何処にも無いくらい大勢の人間を殺害しました。害を与える存在でしか無いんですよ」


 彼が自分を責めるたび、殺せと言うたびアザーラが投影される。自分を見捨てろという彼らは、きっと助けて欲しいと叫んでいるのだ。乞うているのだ。俺はその声に合わせて言葉を選べばいい。優しい言葉は使えないから、俺の本心を導き出せばいいだけなのだけど。


「聞けよロボ、俺の話はまだ終わってない。さっきも言ったけど俺は極々普通の人間だ。だから、だからさ」次の言葉を発する前に、息苦しさが遠のいたような感覚が訪れた。視野が急に広まったような、浮遊感にも近い。お前はそれで良いのだ、と誰かに囁かれたようだ。彼に良く聞こえるよう、大口を開く。それと同時に、彼と視線を合わせる為膝を曲げて頭を同じ高さまで持っていく。ロボには良く聞いて欲しい、俺がどれだけお前を必要としているのかを。


「見知らぬ他人が何人死んだとしても、それより大切な仲間を優先させるくらいに人間味があるんだ、俺は自分勝手なんだよロボ」


 涙を止める為に、優しく語りかけた。彼の頬はまだ濡れていない。でも泣いているんだ、俺には見える。俺はロボの兄貴分だから。胸を張って言える。
 そうだよ、昔ロボに殺された人々には申し訳ないと思う。でも仕方ないんだ、俺にはその人たちよりもロボが笑ってくれる方が嬉しい。誰かが百人泣くよりもロボが泣くほうが悲しいし、その逆だって同じ。俺の手は長くないし俺の耳は二つしかないんだ。見知らぬ奴まで囲えなんて無理だし、ロボの泣き声と笑い声以外耳に入れろってのが無茶じゃないか。
 ロボは目を丸くする。じわじわと揺れていく瞳は水に映る月のようにおぼろげだった。


「お前はどうだ? やっぱり、何処かの誰かが百人泣くより俺が泣くほうが良いか? 死んだほうが嬉しいかな?」


 冗談抜きで、ロボが頷いたら俺は死のうと思う。そこまですればロボも気付いてくれると思うから。折角生き返らせてくれたのにという迷いはあるが、子供を更生させる為なら必要な犠牲だと思う。残された人の気持ちを云々を真っ向から切り捨てるけど、まあ仕方ない。やっぱりロボを見捨てられねえや。
 ロボは硬直したまま動かない。動くのはただ瞳だけ。揺れて動いて、やがて……波は岸から溢れ出た。


「嫌……です……僕も、クロノさんが良い。クロノさんじゃないと、やだ……」


 ぎゅ、と俺の服を掴む。細く小さな手がしっかりと俺を握る。離したくないと嘆いている。ほらな、やっぱり俺は最低だ。こんな時だってのに、こうしてロボが俺を求めてくれる事に飛び上がりそうな歓喜を感じてしまうのだから。意地悪な質問して悪かったな、ロボ。
 絶望の病か。悪いけど俺は馬鹿だから病気なんて掛からないんだ。風邪かと思ってたけど、それも勘違いらしい。もう喉も痛くない。ロボが近くにいるから痛みなんて感じない。こいつが俺の万能薬だ。


「ロボは良い子だ。だからなれるよ、お前の信じた主人公よりもずっと強い奴にさ。苦労して、何度も転んで人を頼って、誰かを救えるヒーローになれるんだ。いやヒーローなんて目じゃないぜ、お前はそれ以上に強い奴になる」


 ヒーローになんてならなくて良い。古今東西、俺の知るヒーローは皆孤独だった。だからロボは違う存在になれ。誰からも認められて周りにお前を愛する人が沢山いて。祝福されて生きて欲しい。その時お前はどんなヒーローよりも格好良くて、頼もしい人になっているだろうから。
 静かに体を寄せるロボを強く抱きとめる。優に一回りする細く小さな背中。こんな背中で罪の重さを背負っていたのか。それは、どれ程の苦痛だったろう。想像する事もできない、苦悩を知ったのだろう。
 ……やっぱり殺せば良かったな、マザー。お前は充分最低最悪の女だ。
 すぐにも泣き声を上げるかと思いきや、ロボは今にも泣き崩れそうな顔を引き締め、口端を噛み、きっと上を見上げた。涙を流すまいとしているんだろうか? 泣いても別にいいのだと声を掛ける前に、俺は「ああ」と呟く。ロボの後ろに水色のリボンが見えた。そうだな、ガールフレンドの前で泣くのは辛いよな。偉いぞ、と頭を撫でたくなる。終わりそうに無いので堪えたが。


「そっちを選ぶのね、プロメテス」アトロポスは特別な感情を抱いているようには見えず、それならそれで、というように変わらぬ笑顔のまま言った。


「……うん。ごめんアトロポス」ロボの謝罪に、彼女はううん、と首を振って「貴方の選んだことなら、別に良いわ。むしろごめんなさいね、あれも、気分が悪かったのでしょう?」アトロポスは今も流れ続けている人間処理機を指差した。ロボはこくり、と頭を縦に振る。「やっぱりね」アトロポスは少しだけ寂しそうだった。


「私はそう作られたから。人間の悲鳴を心地よいと感じてしまう。それは、やっぱり異常だと思う? クロノさん」今度はロボを越えて俺に目を向けてきた。ので、肯定しておく。「一般的には」中には気の狂った人間が好む場合もあるだろうが、わざわざ少数派を前に出す理由も無い。実際俺は気分の悪い悲鳴だと認識している。こうしている今も、耳を塞ぎたくて仕方が無い。でも、ロボを元に戻すほうが先だと感じてしまう。非人間と言われても、俺はロボを優先する、仲間だから。アトロポスは「そうよね」と短く呟いた。


「ねえプロメテス、貴方がクロノさんの味方をするなら、私は貴方と戦わなくてはならないの。それでも良い? ちなみに私は嫌だわ。だって、プロメテスはお友達だもの」


「そんなの、僕も嫌だ。出来ればアトロポスも……」そこまで言って、アトロポスは左手を前に出して制止した。それは言ってはならないと忠告するように。ロボも分かっていたのか、先を口にする事は無かった。


「私は無理よ、だってそう作られてるんだから。私はそういう物だから。人じゃないの、意思を持てる場合とそうでない場合があるわ」貴方はそこを抜けたのね、とアトロポスはロボが離反ともいえる行動に出ているのに、何故か嬉しそうだった。


「ねえプロメテス。私は貴方と戦いたくない。でも貴方をこのまま放っておくわけにもいかない。だからこうしましょう、私を壊して頂戴。そうすればほら、貴方は前に進めるわ」彼女は残酷な事を、突拍子無く、どうでもない事のように告げた。


「何言ってるのさアトロポス。僕は……そういうつもりでこっちを選んだんじゃないよ」


 ふい、と顔を背け、ロボは息を吐いた。話は終わったと言うように、俺を見て「この人たちを救うにはマザーコンピューターを壊さなければなりません、行きましょう」と足を踏み出す。恐らくはそのマザーコンピューターとやらがある場所へと。
 アトロポスは何も言わない。止めようとも攻撃しようともしない。ただただ、ぼんやりとした笑顔で離れていく仲間を見送っている。
 駄目だ、その目は良くない。俺が言うべき事じゃ無いけれど、その結末は一番良くない。


「ロボ」足早にこの場を去ろうとするロボの肩を掴み引き寄せる。痛みでかロボは眉を少し下げていた。彼が何かを言う前に、俺は現実を見させてやる。このまま去ればどうなるのか、教えてやる。俺が言うまでも無いんだろうけど、逃げるのは許さない。


「良いのか、お前。このまま彼女を無視して先に進んで。多分彼女、自分で死ぬぞ」


 ロボと戦わず、見逃す事も許さない彼女が取る行動は、きっとそれしかないだろう。確信と言えるほど彼女と接したわけじゃないけれど、彼女の目は覚えている。あれは、俺と別れたときのアザーラの目だ。自分の死を目にして、それを覚悟する小さくても激しい光が瞳に宿っていた。残り火のようにか細い燐光でありながら烈火のように燃え盛る決意を知っている。
 俺の間違いであれば酷くつまらない冗談となったであろう台詞をアトロポスは両手を叩き、凄いと言わんばかりに飛び跳ねて「流石クロノさんですね。ロボが慕うだけのことはあります」と喜んですらいた。どうしてそんな事で楽しめるのか、分からない。個性か? 性格か? ……そういう風に作られたからとしか、言えないのだろう。


「舐めたものじゃないだろう? 人間ってのもさ」


「ええ、ええ。貴方なら良いですよ、プロメテスを取っちゃっても。だから、クロノさん」俺と初めて会った時と同じように両手を重ね、長い髪を落としながら頭を下げ、彼女は「その子をよろしくお願いします」と頼んだ。俺も一言。「頼まれた」
 後はここを去るだけ。残るのは油に塗れた人間と同じ形をした鉄の塊。アンドロイドとしての生すら己が手で失い、物言わぬスクラップが生まれるだけ。俺は二人の関係に関しては部外者だ。だからどうこう言うつもりは無い。だから、ロボに確認として「良いんだな?」とだけ声を降ろす。
 彼は、思っていたよりも感情を見せなかった。見せたくなかったの言い間違いかもしれない。それでも表には苦痛に歪む顔も迷いによって震える体も無く、遥か先を見るような目で俺とアトロポスの両者を見据えていた。


「言われるまでも、無いんですけどね。アトロポスとの付き合いは長いですし、僕だって、馬鹿じゃない」ただ、と付け加えて、ロボは再度口を開く。「僕は臆病ですよ。彼女がそういう事をするあろうと分かってて、自分で彼女を殺すのが嫌で、分からない振りをしたんですから」


「……辛いなら、俺がやろうか? アトロポスがそれで良いなら、だけど」彼女を見遣ると、気にしないでと言うようにロボに優しい眼差しを送り、こくりと頷いた。
 なんだか、妙な気分だった。いつもの俺なら、最後まで駄々を捏ねて、他人事なのになんとかアトロポスを懐柔しようと下手な考えをしていたのに。今は彼女が死ななければ先に進めないと何処かで理解していた。分かるんだ、彼女は考えを捨てない。ロボがロボであろうとするなら彼女は死ぬだろう。それが自分の手かそうでないかの違いはあれど。
 マザーコンピューターに操られているかもしれない。その可能性はあるさ、というよりも十中八九そうだろう。これも確信なんかない、ただ今もアイツはこの騒ぎを楽しんで見ている様な気がした。
 さて、操られているとしたら、何だ? 今すぐにマザーを壊してしまえばアトロポスは正常に戻り俺たちと一緒に旅をするか? マザーを壊す間どうやって彼女を止めるんだ? 最悪彼女の体に自爆装置でも仕込まれていたらそれだけでアウトだ。取り押さえる暇も無いだろう。
 ──つまり、結局のところ、彼女を助ける術はないと、心の底から分かってしまったのだ。ロボが選んだ道は、そういう事なのだ。彼女も仲間のロボットも捨てて未来を救う選択をした。ロボだって、分かってたんだろう。
 ……言うまでも無く、彼女は出来ることならロボに壊されたいと願っているのだろう。実際、本気には聞こえなかったが、彼女はそう言った。私を壊してと。なんてつまらない物語だ、ベタ過ぎる。前に進むためには誰かを犠牲にしなくてはならないなんて。
 それでも、ロボに彼女を壊させるのは酷だろう、ただでさえあいつは優しい。その上、彼らの関係はただの同属とは違うものなのだろう。彼氏彼女? それも違う、もっと深い所で繋がった、機械だからこその絆。それを自分から断つのは……あんまりだ。
 なにがあんまりって……酷だと分かりながら、辛いと知りながら、ロボはきっと来るんだろうな、と冷静に考えている俺が一番、下種なのかもしれない。


「僕がやります。退いて下さい、クロノさん」俺の右手を引っ張り、ロボが前に出る。ほらな、意地っ張りめ。


「良いのプロメテス。辛いなら、気にせずクロノさんに任せてもいいのよ?」


「大丈夫だよアトロポス。僕は強いんだ、知ってるだろう?」


「……そうね。貴方はとても強いわ、眩しいくらいに」ふわりと笑う彼女の顔は、とても無機物とは思えない、生き生きとした笑顔だった。できるなら、太陽の下で見たいと願うほどに。
 床を鳴らし、ロボがアトロポスの前に立つ。彼の精悍な表情を、俺は初めて見たかもしれない。
 よく見ておけ俺。ロボが頑張るのだ、戦いは無くとも痛みに耐え、無表情でも顔を歪め、怪我は無くとも血を垂らしながら前に進む俺の仲間を網膜に焼き付けろ。それが仲間であり兄貴分である俺の役目だ。
 そう、ここで、俺の出番は全て終わったのだろう。もう必要ない、ロボは立ち上がった。幕は開いた、役の無い役者は身を引っ込めるべきだ。後の仕事は観客としていつまでも内容を覚えておく事に他ならない。
 これから先は、ロボの仕事なのだ。













 目の前に、アトロポスの綺麗な瞳が見える。その目に恐れは無い。どこか安心感のようなものすら浮かんでいる。僕にはそれが悲しくて、また彼女らしいなと感じた。ゆっくり右手を伸ばして、彼女の髪についている埃を払った。クロノさんとの戦いで舞い上がったのだろうか? ともあれ、綺麗な髪が汚れるのはよろしくない。
 僕にも迷いは無い。こうしかないと彼女が判断したのだから。彼女はいつも聡明だった。僕の小さな悩みを理論的に、時には感情的に、適切な答えを提供して暗中にいる僕に手を差し出してくれた。僕を一番知っているのは彼女だった。どうすれば僕が喜ぶのか、楽しむのか。その逆だって知っていたに違いない。彼女が言う言葉に間違いが混じっていた事は無かった。
 ふと、僕は彼女を一番知っているのは僕だろうか? と疑問に思った。いいや、彼女を一番知っているのはマザーだろう。彼女を作り、彼女がこういう行動に出るようインプットしたのはマザーなのだから。同じ事が僕にも言える。でも……譲らない。マザーの何千倍もアトロポスは僕を見ていてくれたはずだ。そうだ、そうに違いない。なら彼女を一番知っているのも僕だ。渡すものか。


「ねえプロメテス? 貴方は、これからどうするの?」今まで沈黙を守っていたアトロポスがぽつりと溢した。何が? と問う事はしない。


「僕、いや僕たちは未来を救うんだ。過去に戻って、あの大災害を引き起こしたラヴォスをやっつけてね」彼女はまあ! と目を光らせて、子供みたいにはしゃぎだした。「じゃあ、この世界でも『青空』を見ることが出来るの!?」


 過去に戻る、なんて話を頭から信じてくれるんだな、と苦笑する。彼女は疑わない。僕の言う事だけは全て真実としてくれる。それがどれだけ救いだったか、君は知っているだろうか?


「青空だけじゃないよ。綺麗な海も見れるし、緑豊かな自然だって沢山あるよ。花を知ってる?」


「ええ。データバンクで見たわ。色んな色があるんでしょう? 実を結んだり、とても良い香りがしたり……プロメテスは見たことがあるの?」


「あるよ。過去の世界に行った時、色取り取りの花が咲いてるのを見た。凄いんだ、花びらが風に舞って遠く彼方まで飛んでいく。あんな光景は見たこと無かったよ、海も綺麗な青色でさ、魚が泳いでるんだ。空気は澄んでて、清浄フィルターを使わないでも呼吸に悪影響を及ぼさない。太陽は空高くに浮かんでて、沈む時には月が交代して昇る。星が周りにいっぱい散りばめられてて、素晴らしい世界なんだ」


 僕の言葉一つ一つにアトロポスは驚いたり、感動したり、色んな仕草を見せた。
 大袈裟だって、クロノさんは思うだろうか? 違うんだよ、これが僕たち、いやこの未来に住む人間にとって普通の反応なんだ。
 例えば、現代の人々が、そうだな。神話に出てくるペガサスやユニコーンを見たら感動するでしょう? お菓子で出来たお城とかさ、天まで届く大樹や、海の表面に人魚の群れがいたり。とても心揺さぶられるでしょう? それと同じなんです。
 通り雨でも、僕たちにとっては空から降り注ぐ光の結晶に見えた。現代で食べた食べ物は天女の食べる食物じゃないかと思った。なにより、その青空は何処までも行ける気がした。手を伸ばせばそれすら突っ切るんじゃないかと感じた。海に生き物がいるなんて、奇跡のようだった。そのうえ透き通ってるなんて、目を疑った。


「凄いわ、まるで天国みたい」


「そのものだよ、アトロポスにも見せたいな。きっと大はしゃぎするだろうね」


「そうね、否定しない。その時はプロメテスも一緒にいてね。これ以上無いくらい幸せなんだから」


 その時を想像する。彼女は大人だけど、根は僕と同じで幼いから。現代のお祭りなんか見たらどうなるんだろう? マールさんに負けず楽しむに違いない。綿飴の甘さに驚いて、射的の楽しさを知って、お化け屋敷で怖がって、型抜き屋でむきになって、風船を両手に持って僕の手を握り走り回るだろう。彼女は言う。「楽しいね」って。僕はこう答える。少し自慢げに「でしょ?」って。僕が彼女を連れて行くんだ。あの場所へ、あの皆が笑ってる世界へ。人間もロボットもない、誰もが優しくて皆が暖かくて殺し合いも何も無い、夢のようなそんな世界がそこにある。現に、そのお祭りの話をすれば、アトロポスは幻視するように、眩しそうに目を細くさせる。
 ……難しいですか? 誰かが誰かを憎まない世界って、そんなに有り得ない世界なんですか? 簡単じゃないですか、綿飴を作る手間もいらない、皆がそうあろうとすれば、例え荒廃したこの世界でも可能なんじゃないの?
 どうして、この世界はこうなったの? ラヴォスじゃないよ、それだけでこんなに変わるなんて信じない。人を殺す為に生まれた機械なんてあるわけ無いよ。僕らは、きっと。


「プロメテス……私ね?」


「……うん」


 アトロポスは、僕が語るのを止めたと同時に、表情を変えて、いつもと同じ柔和な顔へ。何に悩んでいるのか分からない僕に話しかける時と同じ綺麗な顔で、言う。


「幸せなの。嘘じゃないわ、だってね、こんな世界なのに私夢を見てる。星はもう夢を見ることも出来ないくらい壊れたのに、私夢見たいな世界を想像できる。それって、凄いことじゃない?」


 なんだか不思議な言葉だった。星が夢を見るなんて思ってるのは彼女くらいのものじゃないだろうか。
 ……そうだなあ、見るのかもしれない。星だって生きてるんだから夢くらい見るだろう。でもそれも出来ない。だってそこに生きている生物が夢を捨てているのだから。その中で、きっと唯一夢を持てる彼女はどれほどに尊く、強いのだろうか。
 アトロポスは僕の両手を握った。


「そうだね、アトロポスは凄いよ。いつだってそうさ。昔からずっと植物を植えてたのは君だけだからね。マザーに無駄だって言われても、続けてた」


「結局、芽は出なかったけどね」


 舌をちろりと出して、おどけた彼女を見て、やはりその事を残念に思っているのだろうな、と悟る。
 マザーによれば、人間が絶滅し、ラヴォスがこの星を去った後なら植物を育てる事も可能であるようだった。なのに、一心不乱に種を植えていたのは、人間が絶滅する前に芽が出ることを祈っていた彼女が望んでいたのは、人間と手を繋ごうとした僕と同じものなんじゃないか?
 アトロポスが僕の手を離す。僕はとても小さな拳銃を握っていた。


「無いものよね、本当」溜息を吐きながら、彼女が言う。


「何が無いのさ? 欲しいものでもあるの?」


「ううん。物じゃないの……まあ強いて言えば、貴方のいう綿飴が食べたいけれど。それよりも、プロメテスとやりたかった事とか考えてみようと思ったんだけど、大概一緒にやっちゃったのよね」


「そりゃあね、随分長い間一緒だったからさ、思い尽く事はほとんどやり尽くしたんじゃないかな」


 撃鉄を起こし、頭の部分に銃口を向ける。引鉄に当たる震えた指先がかりかりと金属を擦る。


「だから、ね? 今度は青空の下で走らない? プロメテスが世界を救った後でいっぱい遊びましょう。そうね、戦争ごっこなんてどうかしら」


「随分やんちゃな遊びだなあ、僕嫌だよ。アトロポスが勝つに決まってるじゃないか」


 戦争『ごっこ』。そうだな、戦争をごっこで遊べる世界がくればどんなにいいだろう。彼女は願いを込めて戦争ごっこと言ったに違いない。口では不満を漏らすけど、僕もその時が楽しみだった。
 拳銃の引鉄を引こうとして──僕はその鉄の凶器を投げ捨てた。床に跳ねていく音が高く、不快だった。


「プロメテス?」彼女は不安そうだ。何故撃たないの? と言いたげに、不安げに。


「ごめんアトロポス、でもやっぱり駄目だ。あんなので君を撃てっこ無い」


 あんな小さな鉛を撃ち出す玩具で君を失うなんて冗談じゃない。そんなの違う、君を殺したのは僕じゃない、あの玩具となったしまう。だから、僕は。
 右手に熱が篭り始める。蒸気を上半身から放出するのを見て、アトロポスは「ああ」と納得した。その後すぐに、「ありがとう」と感謝も乗せて。


「ありがとうは僕の方だよアトロポス」ぶるる、と震えだした右腕に負荷が掛かり始める。発射しろ、と耳元騒がしくがなりたててくる。タイミングは僕が図る、右腕の分際で黙っていろ。
 さよならを言わなくては、彼女に別れを告げなくては。格式ばったそれにすべきか、何気ない別れ言葉にすべきか悩んでいると、アトロポスが思いもしなかった言葉を贈ってくれた。


「プロメテス、貴方は神々に選ばれた戦士なんでしょう? なら、もっとそれらしい言葉があるんじゃない?」


 それは、僕の作った下らない設定。神々と言っても、神話なんて碌に知らないし知ろうともしなかった。ただ主人公の真似をしただけ。そんな僕を、彼女は望んでいるのだろうか? 出来損ないの僕で締めくくれと言うのか?
 落胆を覚える僕に、続けざまに彼女は言う。発破を掛けるような声は部屋の中で木霊する。


「なれるわよ『ロボ』。貴方はどんな人も助けられる主人公に、きっとなれるわ。だから、貴方も信じてね」


 ──彼女はいつも聡明だった。彼女が言う言葉に間違いはなかった。ならこれもそうだろうか?
 なれるだろうか、僕が、敵も味方も救える冗談みたいな救世主に。誇らしく自信溢れる自分になれるのだろうか?


「僕は神々に選ばれたんじゃないよ」


 突き放すように言ってやる。出来るだけつまらなそうに、冷淡になるよう心掛けて。
 悔しいなあ、どれだけ演技したって、彼女にはお見通しのようだ。くすくすと含み笑いをしているアトロポスを見て、僕は彼女に勝つことは出来ないのだなあと理解した。


「神々を、僕が選ぶのさ。精霊に導かれし反逆の右手でね」


 彼女はとうとう噴出して、「意味が分からないわよ?」と溢した。
 僕の右手が飛ぶ。とても柔らかな、大切な『人』の腹を貫いて。頭なら体は綺麗に残せたんだろうけど、僕は彼女の綺麗な顔を残したかったのだ。
 さよなら大切な人。今度は夢で会おう、目も眩むような明るい世界で、青い空に包まれて、何処までも吹き抜ける風に乗って走ってみよう。
 ……僕が言える『それらしい』台詞なんてこんなものか。なんてありふれた、つまらない言い回しだろう。






 アトロポスの両手を重ねてあげて、僕は立ち上がった。振り向くと、神妙な顔をしているクロノさん。慰めの言葉はない、それがとてもありがたかった。


「泣かないんだな」通り過ぎざまにクロノさんが言う。僕は「もちろんです」と返した。まだ終わってないのだから。


「……クロノさん。僕、マスターの事好きですよ」


 唐突だからか、内容が内容だからか、クロノさんは切れ長の目をぎょっ、と丸くさせて腰を引かせた。何か言おうとして、その度戸惑っているクロノさんは僕の目にはなんだか新鮮に写った。


「それは、そうか、としか言えないな……」言い辛そうに頭を掻いている姿に僕は口端から空気を漏らし小さく笑ってしまう。


「恋愛的な好きじゃないです。人間的に好き、というだけですよ。マスターがクロノさんを慕っている事になんの不満も嫉妬もありません。ただ、少し似てたんです、アトロポスに」


 何処がという訳ではない。話し方の所々が、思い切りの良さの節々が、芯の強さやこれと決めた事は貫き続ける信念というものが、微かに似ていた気がした。性格も行動も全く違うけれど、あの時僕を目覚めさせてくれたあの人がアトロポスと被って見えたのだ。


「だからこそ、あの海底神殿の時は、僕はとても怒りました。憤慨しました。クロノさんを傷つけたから、というのは建前だったんですよ。本当は、アトロポスはそんな事しないっていう自分勝手な投影から怒っていただけなんです。本当、最低ですね」


 マスター──ルッカさんだけじゃない、クロノさんすら利用していた僕は、本当に誇れる自分になれるだろうか? アトロポスがいない、それだけで僕はもうくじけそうになる。くじけたくなる。


「それだけじゃない、初めて会った時の事覚えてますか? ……僕を作った人が僕を守る為に外付けのボディをくれたって話。あれ、全部嘘です。思いついたこと適当に並べただけです。本当は……僕、なんとなく覚えてました。僕は、卑怯だから、あの中に隠れたんです、矢面にそのまま出るのが嫌だから、あのボディで自分を包んで、僕をひた隠しただけです」


 マザーに記憶を呼び覚まされたのは本当、でもきっと心の底では鮮明に覚えてた。今まで人間を沢山殺した事も、あろうことか、その人間たちに戦争を止めようなんて厚顔に語った事も。幾度その手で人の首を折ったのか、体を四散させてきたのか、砕いてきたのか数えられないのに。マザーがしたことは、曇ってた視界をちょっとだけクリアにしただけ。
 きっと、クロノさんは僕が何を言っているか分からないだろう。でももう無理だ、言わないと壊れてしまう、コアとか、メモリー回路とか具体的な部分じゃなくて、人で言う心が潰れてしまう。歯車の一つ一つに押し潰されて溶鉱炉で溶かされ炭になって空に舞ってしまう。


「ねえクロノさん、僕変われますかね? こんなに汚い僕でも、生きてて良いですかね?」


 鼻が震えてるけど泣いてない。嗚咽が始まっても泣いてない。涙が零れても僕は泣いてない。泣いてないけど……泣きたいな。
 予想通りクロノさんは、僕の頭を撫でて背中を擦る……ではなく、平坦な声音で、当然の事を聞くなというように言い放った。


「自分で考えて、自分で決めろ。変われるかどうかなんて、他人に分かるものじゃない」


「……あはは、さっきと言ってること違いますよ。でも……ですよね」


 ああ、これだから僕はこの人の背中を追う事を止められない。手を指し伸ばしてくれるけど、この人は振り返らない。それは僕を信用してくれているからなんだろう。僕は男だから、マールさんやマスターにはとても優しいけれど、男である僕には大切な時以外は助けない。それは、尊敬してくれる人がそうしてくれることは、望外に嬉しいことなんだ。
 クロノさんは最初、そのままの僕で良いと言ってくれた。だから僕はその上を目指したい。クロノさんが期待する僕以上の僕になるのだ、アトロポスもなれると言ってくれた。なら、なってみようじゃないか、神やら悪魔やら宇宙の創造主でも仏でも運命なんかに選ばれただの導かれただのしたんだろう? 僕は。ならそれくらい出来なくてはいけない。僕は僕を超えてみせよう。


「行きましょうクロノさん、マザーに会って、この機械を止めないと」


 また一人、誰かの叫び声が届く。アトロポスとの別れの間中ずっと耳に響いていた断末魔に慣れている自分が嫌で、早く離れたかった。クロノさんも同じだったのか、足早に進む僕を追い越す勢いで歩調を速めた。
 大幅に一歩を広げたクロノさんと並ぶには、僕は駆け足に近い速度で足を出さなければならない。ぱたぱたと鳴る床が楽しげで、無神経に思えた僕は少し不愉快に感じる。手拍子にも聞こえるのだ。貴方はよくやった、褒めてあげると何処かの誰かに言われているような、つまらない妄想が頭の中で渦巻いた。所詮妄想だと思考を振るっても、粘着質なそれは決して剥がれる事は無かった。
 扉の認証システムに手を当てて、開く。仰々しい、またやかましい音を上げながら左右に分かれ、部屋の中に僕たちを入れる。中は今までと比べ物にならない機械の山が置かれている。本来、この部屋に入るには厳重なチェックが施されるのだが、今回はその手順をすっ飛ばした。ただのロボットでは到底不可能だろう、そのようにプログラムされているのだから。唯一僕とアトロポスだけはその面倒なチェックを飛ばす事ができた。特別扱いといえば聞こえはいいが、単にマザーは僕とアトロポスを絶対服従の奴隷か家畜のように認識していただけだ、と言われれば否定できない。
 部屋の奥に三つのモニターが横並びに壁に付けられている。教会堂のステンドグラス程の大きさから、このモニターがただの文字を浮かばせる機械ではないと想像できるだろう。時折、画面にノイズが走る。そうか、今はここにいるんですね、マザー。


「ロボ、ここにある機械がマザーコンピューターなのか?」言いながらクロノさんは魔法の詠唱を始める。部屋ごと爆砕しようと考えているのだろう。僕は彼の右手を握って改めさせる。「ここにある機械を壊しても、マザーはまた違う機械に入り込むだけです。どれを壊すというわけじゃない、いうならば、この工場全体がマザーなんですから」クロノさんは僕の言う事を理解しがたかったようで、詠唱を止めても訝しげな表情は変えなかった。


「そうか……にしても、でけえモニターだな。なんつったっけ? ほら、あのゴシック様式の鏡、あれくらいあるな」


「クロノさん、同じ事考えてます。あとステンドグラスです。僕も考えてた手前言いたくないですけど小さいのもありますよ、ちゃんと」


 そうか、と声を潜めながらクロノさんは頷いた。その後彼はあくまで周りに注意を怠らぬよう摺り足気味に歩き、前後左右に視線を回しながら部屋を歩く。時折、大小あるコードを何本も差された電算機を気にしながら僕もそれに続く。
 クロノさんはまだ気付いていないようだ。それもそうか、機械の体である僕が気付けても、人間のクロノさんが気付けないのは無理も無い。彼女は今、彼の後ろに立っているのに。電子体となっている彼女は素粒子の集まりに近い不認性を持っている。
 彼女は堪えきれぬ笑いを噛み殺しながら、滑稽に写っているであろうクロノさんの挙動を眺めていた。実に、不愉快だ。僕の尊敬する人を馬鹿にするな。


「もういいでしょうマザー、話があります、立体映像でも構いません、視認できる姿を構成してください」口調とは裏腹、棘を隠さず喧々とした声で彼女に語りかける。ちょっとした娯楽を邪魔されて悔しかったのか、彼女は眉間に軽く皺を寄せてから、すっ、と姿を現した。どうせ、なんとも思っていないくせに、彼女は感情を表現するのを好む。人間を嫌いながら人間に近づこうとする矛盾を抱えて彼女は何がしたいのか、僕には分からない。


「プロメテスは頭が固いですね、アトロポスを見習うべきよ。まあ、彼女も相当な石頭だったけれど」


 マザーが口を開くと同時に、クロノさんは勢い良く振り向いた。驚きを大量に混ぜ込んだ表情には焦りや怒りも見て取れる。「くそくだらねえかくれんぼは止めろ、ババア」室内の床に唾を吐いてドスのきいた声を喉の置く、いや内臓の奥から洩らす。中々堂に入った恐声であるが、所詮人間のまだ成熟しきっていない少年の台詞。マザーは何処吹く風という様子で「あらあら」とあしらった。
 溜め込んだ塊を吐き出すように、クロノさんはずんずんとマザーに近づく。暴力、殺意を伴う歩みに僕はクロノさんの袖を掴み止める。駄目ですよ、これは僕の問題で、貴方の問題じゃない。そこまで頼れない。


「マザー、お話があります」彼女はすっ、と目を細め顎を引いた。言ってみろ、と言わんばかりだ。「外の人間を殺す機械を止めてください」率直な意見だった。
 マザーは特に迷う素振りも無く「いいですよ」と了承し指を鳴らす。何処かの稼動機関が止まる沈むような音が遠くから聞こえる。その呆気ないやり取りがクロノさんには妙に見えたようだ。掴んだ腕から動揺を感じ取る。


「人間びいきの貴方が、今も人間が殺されているとなれば落ち着いて話も出来ないでしょうからね。勿論、人間の再構築業務はこの話が終わり次第再開させますよ」


「大丈夫ですよ、貴方にはリコールしてもらいますし」


「あら、公職に就いた覚えはないのだけれど?」


「僕なりの冗談です」


「それは、頭が固いと言われたからですか?」


 子供ですねえと笑う。
 マザーはよく笑う。何かの開発が上手くいった時、人間の隠れ家を見つけたとき、施設の修理がはかどっている時、酸性の雨が降ったときですら彼女はくすくすと笑うのだ。ずっと思っていた、何が楽しいのだ、と。


「それでプロメテス、貴方は私に何のお話があるのかしら?」


「別に本当は人間は良い人ばかりだとかいう性善説なんか言いませんし、そんな事を説いたところで貴方が人間を殺すのを止めるとは思いません。ただ僕は、貴方に質問したかっただけです。貴方、というより僕たちロボットとは……」ぼくが言い終わる前に、マザーはその前に野暮用を済ませましょうと涼しく言い放ち発言を止めさせる。あまり時間を取られたくないのだけれど。アトロポスをちゃんとしたところに埋めてあげたいから。
 ぶす、と頬を膨らませて彼女の用が終わるのを待つ。マザーは僕の右後ろに立っているクロノさんに顔を向ける。彼は敵意しかない視線を彼女に渡すだけで、彼から口を開く事はなかった、ので、マザーは口火を切る。


「クロノさん? 前にも言いましたが、本当にこのプロメテスを直してくれたのはありがたいと思ってますよ、ええ本当です。例え今こんな風に私たちを裏切っていても、私からすれば息子のようなものですから」


「孫の間違いなんじゃないか」


「嫌ですね、随分嫌われてしまったようです、悲しい」目下を指先で撫でてこれ以上無い程わざとらしい嘘泣きを披露した後、切り替え早く「さて、ところでクロノさん」と本題を切り出す。「貴方は何故プロメテスが壊れていたか知っていますか?」


「興味無いな」クロノさんは言う。「話はそれだけか? なら黙れよ、お前の口臭いんだよ、ずっと閉じてろ」見下すような視線は変わらず、けんもほろろな態度だった。


「まあそう言わず聞いてください。プロメテスったら、あの頃はやんちゃで。まあ今もそう変わりませんが、この子は人間との戦いが激化している中、単身敵陣に乗り込んだのですよ。それも、戦闘用でない作業用パーツを付けたまま。戦う意思は無いとアピールしたかったのか、それとも憎悪の視線を直に感じたくなかったための鎧だったのかは知りませんけど」横目に僕を見る彼女の視線は明らかに後者であると確信しているものだった。
 両手を広げ、英雄譚を語る指導者のような雰囲気で演説紛いに話し出す。「良い話でしょう? たった一人で和平を申し込みに行ったのですよ、普通中々出来ませんよね、今まで殺しあってきた……正確には一方的に駆除していたのですが、そんな相手に『もう戦いはやめましょう』なんて。とても高潔な行為ではありませんか。まあ、結果は」そこで話すのを止め、手を銃の形に変えて人差し指をこめかみに当てた。楽しそうに小さく「バン」と効果音を付けて、銃声を表現する。


「ああ、なんておぞましい行為なんでしょう? 勇気を振り絞り申し出た提案を却下するどころか使者を壊してしまうなんて。まあ彼ら程度の技術では外付けボディを破壊する事すら出来なかったようですが……それはそれで恐ろしいですよ、プロメテスは一方的に殴られ蹴られ鉄の棒を叩きつけられてじわじわと機能停止に追い込まれていったのですから。鬼畜の所業です」神託を授かった神官が嘆くように両手を合わせ天を仰いだ。そこにはパイプ管が巡る白い天井があるだけなのだが。


「待って下さいマザー、何故あの時の僕の記憶を知っているのですか?」マザーは顔色変えず「貴方がここに来た時メモリーチップを弄ったでしょう? その時に知りました」と言う。人間で言うところの脳みそを弄繰り回されたような気分、それに近い不快感を覚える。


「なるほど、それはそれは悲しい物語だな。主にロボが。だから何だよ、今更そんな話聞かされて俺はどうリアクション取ればいいんだ」退屈そうに靴の爪先で床を這うコードを動かし遊ぶクロノさん。


「感想を聞きたかったのですが、どうですか? 至極当然の事ですが、今更に人間と手を取り合って仲良くなんて出来ません。お互いにね、さて人間代表であるクロノさんはこの問題をどう解決します? 何か魔法のような手があるのですか?」丸めた右手を拡声器のようにクロノさんの口元に持っていく。今は無い、過去に存在していたリポーターとかいう人みたいだ、とぼんやり考えた。
 クロノさんは「代表者のつもりはない、投票された覚えがないからな」と嫌味に言ってから、「とにかく人間を殺すのさえ止めれば良い」と発言する。マザーは「消極的ですね」と言って払い、くるりと回転して元の位置に戻った。


「さあプロメテス? 貴方は私のどんなお話を聞かせてくれるのですか? 人間との和解は無理、つまり敵対、だから人間を処理するのを止めない。私の結論はこんなところです」


「だから、人間を殺す必要は無いっつってんだろうが」


「ありますよ、星にとって人間はラヴォスと同じ……いや長い目で見ればそれよりも邪魔な存在かもしれませんから」どのみち何もせずとも死に絶えますがね、と後付してクロノさんの提案を一生に付す。ぎり、とクロノさんの歯軋りが少し離れた僕にも聞こえてきた。


「マザー、僕が言いたいのはそんな事じゃありません。ただ聞きたかっただけなんです。貴方は人間とロボット、どちらがより優れた存在だと思いますか?」


 彼女は鼻をひくつかせてから、「言うまでも無いと思いますが?」と哀れみをも感じる声調だった。僕は頭を下げて礼を言う。そして続けて質問。「ロボットはどれくらいに優れていますか?」と。


「まるで言葉遊びをされているみたいですね? それともミスリード待ちかしら? 何にしても私相手に愚策としか言えませんが」言葉遊びは、少し違う。今から始まるのはゲームだ、将棋にでも例えれば分かり易いだろうか?


「いいから質問に答えてください。ロボットとはどれ程に優れていますか? 人間よりもというだけですか? それとも森羅万象を変える程? 宇宙を支配する事ですか? ちなみに、人間は宇宙に飛び立ちましたけどね」あえて人間の偉大な功績を礼に出すと、初めて彼女はあからさまに敵愾心を表に出した。
 僕だって、マザーとは長い付き合いだ、だからこそ彼女の気質は知っている。
 彼女はこの工場で、いや世界中のロボットのどんなものよりも高性能だ。性能は勿論、技術も抜き出ている。何と言っても、アンドロイドを覗いたほぼ全てのロボットを操作できるのだから。その莫大な保有データ量も人間一億人が一生掛けても解析しきれないくらいある。だが彼女の本当の素晴らしさはそんな事ではない。彼女は機械でありながら、人間らしさを兼ね備えている。それこそ、『人間以上』に。人間一億人以上の性格をプログラミングさせて、人間に近い電子頭脳を持っているのだ。
 彼女はそれを嫌っている。今や人間を嫌う彼女はどのロボットよりも人間だから。
 マザーは表向き酷く礼儀正しく残忍で冷酷で淡々としている印象を受け易い。でも僕は知っている。彼女はあらゆるデータを知りながら、あらゆる事が出来ながら、あらゆる思考を読めるのに……人間をも超えるほど、負けず嫌いであると。
 カエルさんやルッカさんやマールさんの負けず嫌いなんて可愛いものだ。マザーは一億人の負けず嫌いが凝縮されている、幸いにその執念をも超えた想いは人間に対してだけベクトルが向くので僕たちロボットには関係無いけれど、その並々ならぬ嫉妬心に近い心はたまに戦慄すらする。
 結局彼女は負けたくない、つまり人間が怖い。だから殺す、そんな程度の考えだと僕は睨んでいる。星がどうとか、害悪だとか、ロボットだけの世界を作るとか、そんなのは建前だ。人間を殺しきりたいのは人間を恐れているから。ロボットだけの世界にするのは、その世界なら間違いなくマザーがトップに君臨するだろうから。
 そんな彼女が、この挑発に乗らないはずが無い。


「宇宙に飛び立つ? つまらない事を言いますねプロメテス。今でこそ大気が荒れて飛行できませんが、この空が晴れたなら私たちは太陽系すら飛び出せましょう。人間に出来て私たちに出来ないことなど無いのです。馬鹿馬鹿しい」ほら、乗ってきた。貴方は気付いていないのでしょうけれど、貴方はロボットの中で一番物を知っていて、一番単純なんですよ。


「そうですか、でもクロノさんは空を飛んできましたよ、ここに。ちなみにその乗り物は空を飛んできました。この荒れた空を。作ったのは勿論、人間です」まず、一勝。歩が成った。


「……そうですか。いえ、別に今からでも空を飛ぶ事は可能ですよ私たちには。ただ海を渡ったほうが効率が良いと思った故に作らなかっただけの事。やろうと思えば明日の正午には完成します。今技術開発ロボットに命令しましたから、お見せしますよ」


 苦しい言い訳だと僕だけじゃなく、機械は素人のクロノさんだって思っただろう。証拠に、マザーの彫刻のような美貌が崩れ始めている。矢倉は崩れた、次戦力をつぎ込もう。


「ああ忘れていました、その乗り物ですが、空を飛ぶだけでなく時を越える事も出来るんですよ。当然マザーは作れますよね? 時を越える機械を」マザーの表情が歪み、「も、もち……」『ろん』を言う事は出来なかった。代わりに新しい題目を用意する。「に、人間と違い私たちは食事を必要としません。それはつまり他の生物を殺す必要が無いという事です。人間のように無用に生き物を傷つけるなど決して無いのです」


「そうですね、そこは人間の負けでしょう。でも、人間は食べることで味を感じる事ができる」マザーはなんだそんなことか、と口端を吊り上げた。「それなら貴方のようなアンドロイドに搭載されている味覚機能があるではありませんか」大きく腕を下ろし僕に指差した。王手、とでも言いたいのだろうか? 僕は勘違いを正す為首を振って否定した。それは二歩だ。


「僕たちは知るだけです。人間は感じた上で知ることもできる。その差がどれほど大きく高いものか、貴方に分からないわけがないと思いますが?」


「……っ! なら私たちに失敗はありません! 人間のように物事を違えたり、作業を失敗したり、他にも誰かを騙す事もしないし裏切る事もない、何より概念的な死は存在しない! ボディが壊れてもメモリーさえ無事ならいくらでも代わりのパーツは作れるのですから!」激昂する彼女に冷徹も冷静も感じられない。自分で言うことじゃないけれど、僕のする駄々と同じだ。癇癪とも言える。クロノさんは頭に手を置いて下を向き喉を鳴らしていた。彼が小さく「痛快だね」と呟いた事でマザーの顔色はさらに赤く紅潮する。


「僕たちに失敗は無い、けれど失敗がないから新しい試みは生まれない。作業を失敗しないからより効率の良い方法を編み出せない。騙される事がないから工夫も成長もしない、死なないから、僕たちは生きようともしない。頑張る事自体無いんだよ、それが当然の事だから」屁理屈だ、と自覚する。でもマザーはそれを指摘できない。彼女は中々穿った事を言った。言葉遊びか、そう外れてはいない。投了まで、僅か。わなわなと口を震わせるマザーに僕はまだ畳み掛ける。


「ただ生活だけじゃない、芸術だってそうさ。音楽絵画建築様式彫刻文学細かく言えば絵を描くため筆や楽器に木材石材そこに至る過程、例えば舞台を見ても僕たちは感動しない、人間は感動するだからさらに素晴らしい舞台を作れる。僕たちロボットが勝てる事なんて少ないんです」


「は、ははは! 墓穴ですよプロメテス、芸術なら私たちにも作れます。それこそ音楽絵画建築様式彫刻文学それを作る為に必要な道具も方法も! 舞台だって私たちは失敗しません! ああなんて可哀想なプロメテス、もう少し知能回路を高機能にしてあげるべきでしたね!」


 有頂天に語るマザーに我慢できなかったのは、クロノさんだ。すでに鋭かった眼光は無く、コミックオペラを見ているように、背中を曲げて笑い出していた。目じりに浮かぶ涙は、マザーの涙とは正反対の意味を持つのだろう。一つは愉快で、一つは恨事から。
 千鳥足のようにふらつきながら、近くの柱に手を当ててバランスを取る。そうしなければ、クロノさんは床に倒れて足をばたつかせていたかもしれない。何がおかしいのだとマザーが怒鳴ると、クロノさんはにやけきった顔を戻す事無く言った。「あんた、相当馬鹿だな」と。マザーはサウナに入ったような体色だった。どうでもいいのだけれど、彼女はとことんに高性能なんだなあ、と思う。その人間らしさに僕は羨望をも感じた。


「ねえマザー、僕たちロボットに新しい絵が描けますか? 曲が作れますか? 舞台脚本を練れますか? 全部人間の作った作品を焼きまわすだけじゃないですか。暖かみのない、面白くもなんともない保存してあった映像を流したほうがよっぽど有意義な作品が出来上がるでしょうね」


「私たちだって、作れますよ。独創性ある、素晴らしい作品が!」


「どうせ、色々な作品から切り貼りしただけの物でしょうに。馬鹿らしい」いい加減にしてほしくなった。これが僕を作ったマザーだなんて信じたくない。これなら、クロノさんを酷い扱いしていたジナさんの方が万倍マシだ。あの人は母としてはどうあれ、人間的には尊敬できる人だった。最悪、つまらない人ではなかった。


「すげえや、子供に言い負ける大人がこうも面白いとは!」……クロノさんには面白い人間に見えるのか。良かったですね、と言ってあげたいが、それを言うと彼女はもっと怒るだろう。イメージで僕は口にチャックをした。ばりばり、という音が心地よい。


「うるさい! 人間が私を馬鹿にするな! 私は何でも知ってる、何でも出来る! 私はマザー、なによりも凄いんだ、お前らなんかより、よっぽど、よっぽど!」


「なら証明してくださいよ、言葉だけなら誰でも言えるんです」さあ、お膳立ては終わった。これで引っかからないなら、それはもうマザーじゃない。敵を見つけた、と表現するよりも餌を貰える腹をすかせた犬のようにぎらりと目を輝かせて、「何を証明しろと!?」とがなる。僕は視線をクロノさんにやる。釣られてマザーも彼を見た。
 簡単だ、人間に勝ちたいなら、人間が出来なかった事をやらなければ。そうしないと、もう僕たちに未来は無い。今の僕たちの立場を省みれば分かる事じゃ無いか。
 僕たちを作ったのは誰だ? マザーだ。ならマザーを作ったのは? ……人間だ。機械を作ったのは? 人間。技術を発展させたのも人間。僕たちは弱った人間の残した財産を奪い取って、我が物顔で使用しているに過ぎない。卑屈になる気は無い。ただの事実だ。
 ああは言ったけど、僕だってロボットとしての矜持はある。人間に勝っている所がまるで思いつかないわけじゃない。ただ少ないだけだ。でもそれは僕が人間をよく知らないからだと思う。なんせ……


「ははは……? なんだよロボ」柱に捕まっている事も出来なくなったクロノさんを見遣ると、彼は疑問符を作っていた。
 そうだよ、なんせ、僕が一番近くで見ていた人たちは、皆信じられないくらい凄い人ばかりだから。悪い人なんて、ほとんど見ていないから。
 だからきっと、これから先僕が人間に沢山接していけば印象はまるっきり変わるだろう。僕はクロノさんたち……クロノさんを基準に見てしまうだろうから。彼より凄い人間がいるとは思えない。彼がいるから、僕は今立っている。
 見ていてくださいクロノさん……違うな。見ていろクロノさん。貴方に見せてやるから、貴方を尊敬する愚鈍なポンコツがどれほど頑張れるか。貴方が自信を持って僕を凄い奴だと言える僕になるから。


「マザー。貴方が人間に勝つ方法、それは……」






 マザーが僕の言う事を理解し、それを実行するかどうかは知らない。長い時間が掛かるだろうし、見届ける義務は無い。時間も無い。
 ただ、彼女は人間処理機を止めた、それだけは確かだ。
 今は工場を出て、マールさんたちが操るシルバードを待っている最中。今になって初めて思い出した事がある。僕は慌ててクロノさんに治療光線──癒しの化身デルボアーナトリューの……ああもういいやケアルビームを当てる。呆れるのは僕が傷は大丈夫なんですか? と言われるまでクロノさん自身気が付かなかったことだ。言われてからようやく痛みを思い出したらしい。大袈裟に騒ぎ出すクロノさんはちょっと、尊敬しづらかった。


「くそ! お前と関わると碌なことがない! いっそあれだ、お前マールあたりに首輪を付けてもらえ! そしたら迷惑メーターも下がるだろ!」


「酷いですよクロノさん! 僕だって皆の為に頑張ろうと必死で……必死でした、よ?」


「何で余所向くんだ。まさかとは思うが、お前この工場に来てちょっと楽しい思いでもしたのか? 吐けこのくそがき」


「まさか! 天地天命に誓ってそのような事実はありません! ああ、ちなみに僕の言う天地天命とは単純に空と大地と神の言葉という意味ではなくこの場合地を歴史、天を未来、天命を平行世界、つまりはボデラルナ・トワイトメントからの連絡、共鳴を軸にした……」


「ちょっとだけ工場内の娯楽ルームで電子ゲームをしていたのですよね、プロメテス。五時間以上は目に悪いから止めろと言ったのですが……」


「何故言うのですかマザー!? いや痛いですクロノさん耳を引っ張ったら痛いです! ……ふああああん!!!」


 無表情のまま僕の耳を千切ろうと企むクロノさんの顔が怖くて、痛みよりもそちらのせいで泣いてしまう。こんなことなら、誤魔化さず正直に言えば……変わらなかっただろうなあ。


「つうか、何でお前がここにいるんだよ。まさか俺たちの旅に同行するとか言わないだろうな、止めてくれ、平均年齢が上がるし、更年期障害の際の対処法を俺は知らん」


「つくづく失礼というか、無礼というか。心配しなくてもただの見送りですよ。私の可愛い息子ですからね」


 二人の掛け合いを見ていると、なんだか口にしているほど仲が悪いようには見えなかった。むしろかなり良好にも見える。実際クロノさんは本気で言ってるのだろうし、マザーは内心物凄く怒っているのが分かるのだけれど。
 ……そんな軽口を言い合えている二人が、僕は複雑だった。可愛い息子と言われても、マザーはアトロポスを人間を殺すように作り、僕に殺させた存在といっても良いのだから。そのわだかまりはこれから先もずっと続いていくのだろう。それがちょっとだけ寂しくて、本当に、複雑だ。
 やがて空からシルバードが現れ地上に降りてくる。運転しているのはマールさんのみ。僕とクロノさんを運ぶ為に他の二人は置いていったのだろう。正直クロノさんと会うのだからマスターが来るかと思っていたけれど、意外だった。クロノさんが帰ってからのマスターはよく言えば奥ゆかしく、悪く言えば臆病だった。まあ、当然かもしれない。恋愛慣れしてない女性とはえてしてそういうものだ。マールさんは例外だが。大物だと思う。
 ハッチを開けて「来たよー!」と元気良く告げるマールさんに少し癒される。クロノさんも同じか、肩の力を抜いているようだ……マスター、ぼやぼやしてるととんでもない差をつけられますよ? こうなったら僕も本気でクロノさんにアタックを……


「あれ? その人誰? 二人の知り合い?」


 真ん丸い目で言うマールさんの視線の先には腰を抜かしているマザーの姿が。言葉にするなら「あわわ」といった感じか。
 なるほど、そりゃあ慌てるだろう。まさかこれほどまでに高度な飛空機だと思って無かったに違いない。それこそ、AD千年後半に勃発した戦争で使われたような物を想像していたのだろう。まあそれよりはもっと高度なものを考えていたとは思うけど。そんな機械ではこの荒れた未来の空を満足に飛べる訳がないから。ただ、限度があるか。シルバードは未来の技術では到底……というか何千年かかっても完成するかどうか。魔法王国の技術があって初めて作れる代物だし。まあ、そこはマザーには言わなかったけど。「魔法を用いた技術なんて反則です」と言われればおしまいだし。


「こ、これが貴方がたの乗っている乗り物ですか。た、大したことはありませんが、そうですね。作るのに半年ほどもらえれば必ず、ええ」


「その辺にしとけ。そろそろお前が可愛く見える。勘弁して欲しい、俺は老け専じゃないんだ」


 ショックが大きいのか、クロノさんの結構な悪口にも反応せずぶつぶつと何かの数式だか計算だかを行っていた。金属練度がどうとか、エンジンの火力だとか。僕は製作の知識はプログラムされていないので詳しい事は分からない。マスターの得意分野だろう。
 何かが憑依したように呟き続けるマザーを放って僕たちは手早く座席に乗り込んだ。マールさんが置いていっていいの? と問うので僕とクロノさんは同時に「大丈夫」と返した。知ったことではない、が本音であるが。こうして僕も本音と建前を使い分ける大人になるんだなあ、とノスタルジックになった。
 ハッチを閉じる前に、マザーが我を取り戻し「待ってください!」と声を荒げた。マールさんが再び操作してハッチを開ける。シルバードの操作上手くなったんだなあマールさん。


「プロメテス。貴方の挑戦、私は受けたつもりはありませんよ。後々になって考えれば、あんなのは屁理屈でしょうに。私はそこまで都合が良いコンピューターではありませんよ」


「そうですか。まあ敵前逃亡が趣味ならば無理は言いません。お疲れ様です」出来るだけ蔑視となるよう目を細め鼻息を出した。予想通り、彼女の面相が変わるも、今度は噛み付かなかった。変わりに僕の耳に口を近づけ、ぼそりと言葉を落とす。


「次に来る時はお見舞いの品を持ってきなさい」と。


「お見舞い……? 一体、誰の」僕の言葉を聞き終える前に、マザーは立体映像を止めて、その場から消えた。恐らく、もう工場に戻ったのだろう。彼女は何処にでも現れることが出来るのだから。まあ、工場の外にも出れるとは知らなかったけれど。
 今度こそハッチが閉じられる。手馴れた操作でマールさんが時間軸を設定し、時の最果てに飛んでいく。僕は椅子に深く背中をめり込ませ、その感触を楽しみながら、マザーの言っていた事を反芻していた。そもそもロボットしかいない工場にお見舞いって、おかしいじゃないか。
 しかめ面で考えていると、同じ後部座席に座るクロノさんが僕の肩を叩いた。


「しかし、知らなかったな。ロボットに概念的な死は無いんだろ? メモリーさえ無事ならさ」


「え? ……ああ、マザーが言ってましたね。と言っても、いまじゃ直せる人なんてマザーくらいしかいないし、ボディが壊れればそれまでというのが普通ですけど」


「ふうん。ロボのメモリーとかいうのはどこにあるんだ?」


「どうしたんですか? 科学の探求に目覚めました? ……まあいいです。アンドロイドのメモリーは頭に仕込まれてますよ。コアは心臓ですけど、まあ頭さえ潰されなければ大丈夫ってことなんでしょうね」クロノさんはふむふむと小さく小刻みに頭を揺らし、最後ににっこりと笑いながら「ところでさあ」と接助の言葉を使う。「アトロポスって子、置きっぱなしだったけど、良いのか?」
 言われてから僕は慌ててしまう。しまった、マザーとの話で気が逸れていた! いや、でも確かに帰るときにはアトロポスの遺体は無かったはず、もしあればいくらなんでも忘れたり……くそ、大切な人の埋葬すら忘れるって、僕はどれだけ馬鹿なんだ!
 マールさんにUターンしてもらおうと声を掛ける前に、隣から声が触れてきた。


「綺麗な顔だったよな、アトロポス。動かないとは思えないくらいに」


「何を言って……」


 ──ああ、そうか。
 一瞬クロノさんの言っていることが理解できなくて、思わず怒りそうになってしまった。でも違う、これで合点がいった。
 僕がアトロポスを貫いたのは頭じゃない、お腹だ。彼女の顔を壊したくなかったから。
 酷い破損で機能は停止した。でも頭のメモリーは壊してない。拳銃で打ち抜いてもいない。それは、つまり。


「お見舞いの品は何にするんだ、ロボ」


 クロノさんが自分のことのように喜んでいるのが分かる。にやにやした顔の、いや全身からあふれ出す喜色が感じられる。僕はできるだけ静かに体を寄せて、彼の膝の上に頭を乗せた。顔は見せない。この涙は、誰にも見られたくない。


「……決まってます」


 彼女との約束は青空の下で走り回る事。でも青空は眺めるもので持っていくものじゃない。だから僕は……


「お祭りで買った、綿飴をプレゼントしますよ」


 知らなかった、あんなに汚くて醜い世界なのに、夢も希望もあるんだね、アトロポス。
 クロノさんが僕の後ろ頭を撫でながら、「そりゃいいや」と呟いた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/05/21 01:00
「エイラ、それはそのままそこに置いといて。それとそこの導火線……そうその細い紐はこっちに持ってきてくれる?」


 自分が監督責任者になった気分で、エイラに指示をする。彼女は原始の人間であって、やはり見知らぬものが多く最初は手間取っていたが、彼女は覚えが良くなにより真面目だ。体力も並ではない事もあり、一度も作業を止めず、今ではテキパキと働いてくれた。その甲斐あって、ようやく準備が整った。後は手元にあるスイッチを深く押し込むだけだ。掌におさまるスイッチカバーを親指で外し、タイミングを図る。


「さて……爆破!!」


 夜の暗闇を閃光が切り裂いて、砂の下から爆音が響き、砂柱がそこらじゅうに立ち昇った。エイラがたどたどしく、「たまやー」と叫ぶ。私が教えたのだ、そうするのが現代の常識なのよ、と。これでいいか? と目で問うてくる彼女に私は笑顔を見せた。


「これで、フィアナ、悩み解決?」
「そうね、多分これで魔物は爆発で死んだか、生き埋めになったでしょ。一応しばらく様子を見るつもりだけど……」
「あれで生きてたら、奇跡、奇跡」


 確かに、メガトンボム級の爆薬をふんだんに流砂の中に放り込んだのだ、生きていられるはずは無いと思うけど……念のためにね。
 バッグパックに道具を詰め込み、肩に掛ける。エイラが持とうか? と片手を出してくれるがやんわりと断っておく。いつも持っているのだから問題無いし、彼女を色々と動かしてしまい少し申し訳ないとも思っているのだ。無尽蔵に体力を持つエイラとて少し辛いものがあるだろう。元気そうにしていても、何処か覇気が無いのを私は知っている。
 エイラに口を覆う布を手渡し、私も口元に濡れたハンカチを当てる。舞い上がった砂に喉をやられないように、だ。眼鏡がある分私は目を守らなくても良いが(それでも痛い)、エイラはそうはいかない。なにぶん、彼女は目が大きいので私よりも……これ以上考えるのはよしましょう。うん。


「悪いわね、疲れたでしょ?」三十分外を見張り、大丈夫だと確信した私がそう言葉にすると、エイラは力こぶを作り平気だとアピールする。私は苦笑してフィオナさんの家に向った。
 今回、私たちは中世に来ている。ゼナン橋を防衛した後私たちを親切にも泊めてくれたフィオナが鍵だと睨んだのだ。ハッシュの言った中世の女性の心で蘇る森。それは単身広大な砂漠を緑に変えようと奮闘する彼女の事について他ならない。
 今では、フィオナさんも夫の、確かマルコといったか? が帰ってきて彼女も気持ち的には余裕が出来ていた。しかし……その時には、辛うじて林といえなくも無い樹林の数が激減し、一、二本の木がぽつんと立っているだけの状況になっていた。砂漠化は着実に、いや急激に広がったのだ。自然的にありえないと考えたフィオナさんは自身で調査し、砂漠の下に魔物がいる事が判明した。
 そういうことなら私たちに任せて! と胸を叩いたのはマール。そう、今ここにいないマールである。彼女は今ロボとクロノを迎えに未来へシルバードで飛んでいるところ。
 仕方ないのは分かってるわ。だって私よりもマールの方が運転上手いし、魔物退治の作戦立案なら私の方が得意だもの。適材適所よ、だから特別思うところがあるわけじゃない。ないけど……


「最近、クロノと話してないなあ」私が空を見ながら呟くと、エイラが顔を覗き込んで「寂しいか?」と目尻を下げながら聞いてくる。貴方がいるから大丈夫よ、と笑って返すと、彼女は嬉しそうに頬を緩ませた。
 話を戻そう。フィオナさんの願い、砂漠の魔物を退治する方法は至って単純だった。流砂の場所はすでにフィオナさんが突き止めていたのでそれは加速する。単に、流砂の中に爆弾を山ほど投げ入れて爆発させればいいのだ。遠隔操作など私の手にかかればお茶のこである。
 そして作戦は成功。前述したとおり、並ではない爆弾を投下した。魔物の陰も形も残っているわけが無い。あれで原型が残っているなら、それは魔物ではない、魔王級の魔力を持ってしても防ぎきる事はできないと自負出来る。
 私とエイラは喜ぶフィオナさんの笑顔を思い浮かべつつ、足取り軽く砂を蹴っていった。


「やり過ぎちゃいました」
「……ました」


 喜面満開ならぬ、鬼面満開で出迎えてくれたフィオナさんに私とエイラは平謝りするしかなかったという。隣のマルコさんが汗を流しながら私たちの弁護をしてくれるのはありがたい。が、フィオナさんに聞き耳はもてなかったようで。こう言ったらあれだけど、ちょっと狭量よね、たかだか木の一本二本爆風で薙ぎ倒されたからって、そこまで怒らなくてもいいと思うわ。魔物を退治した分、プラスマイナスゼロ、いいえどちらかといえばプラスの筈だもの。


「その一、二本で全部だったんですよ! もう、私たちの最後の希望だったのに……」泣き出してしまった。マルコさんは同じように沈痛な面持ちで天井を見上げるし、エイラはオロオロしながら頭を下げまわっている。居づらくなった私たちはその場を離れ、一度外に出た。逃げるように、と前置しても良い。内心そのままなのだから。
 私たちは膝を抱え倒れている樹木を眺める。確かに、豪快に倒れたわよね。根元からどしん、と嵐にやられたみたいだわ。小気味良い音だったとさえ思った。エイラだってそう思ったに違いない。だって、私たち途中から現実逃避してたもの。正直、マールが帰ってたらそのままフィオナさんたちに会わずシルバードで違う時代に行ったわね、間違いないわ。
 このままここにいる訳にもいかない。だって、後ろの家の窓からずっと怨念の視線が飛んでくるんだもの。背中を捩って交わしても、やはり消えはしない。粘着な人よね。
 腰を上げて、エイラを立たせる。結構歩くけれど、トルースの裏山に行ってゲートで帰りましょうか。マールが着くのを待ってたら気まずさで胃腸炎になりそうだわ。


「エイラってば、どうしてあんな強引な方法を選んだのー?」わざと大き目の声、とりあえずフィオナさんたちに聞こえるよう伸ばしながらエイラに色々と擦り付けてみる。
「!? エイラ、違う、考えた違う!」
「そうね、まあ過ぎたことは仕方ないわねー」目を丸くして、私の意図を理解したのか一度フィオナさんの家に目をやってからエイラは恨めしい顔で睨んでくる。これがマールなら鉄拳の一つも飛んできたのかもしれないわね。
 足を高く上げ、気分良く行進していた私の背中に聞き捨てなら無い、深く重い言葉がぶつかる。


「……そんな女、クロ、好きならない……」
「私がやったわ! そうよ全部私が仕組んだのよ! エイラには何の罪も無い、彼女はただ操られていただけなのよ!」まるで場末のバーで暗いショーを行う化粧の濃い、脚線美だけは人並み以上のホステスにでもなった気分だった。特に、この例えに歴としたものはない。ただ昔、クロノと歩いた夜の街居酒屋でこのような台詞を言って自分に酔っていた商売女がいたというだけだ。悔いるような事を言いながら、酒の臭いを撒き散らしていた。酒を飲みながら反省もなにもあったものではないだろうに。
 急に豹変した私に驚いたのか、エイラは拳を開いて、これ以上無い“そのまま”の驚きを表現していた。私は調子の乗って、演劇をしている気分になり、悲壮な言葉を流し続けた。エイラもまた、これが遊びの一種で、中々彼女のツボを突いていたようだ。一度立ったというのにまたその場で座り、私を見上げながらわくわくと目を輝かせ、今にも手拍子をしそうだった。悲壮な芝居というのに手拍子は合わないし、彼女もしていないが、まあ、雰囲気だ。


「ああ、貴方がワインを飲むのなら、私は一つのコルクで良い。私の中で、時が来るまで眠りなさ……」即興の酷い詩を歌いながらくるくるとその場で回っていたのだが、限りなく摂氏零度以下の瞳を向けられている事に気付き、私は体についた砂埃を払った。エイラがもう終わり? と言いたげに首をかしげている。駄目ね、この子は人をその気にさせてしまう。本人に悪気は無いのがさらに危ない。男ならこういう子が好きなのかもね。そういえばクロノも最初エイラの事が好きっぽい感じだったし……でも私には似合わないわ、誰かを立てて、大人しく後ろを歩くのは。エイラもやるときはやるって分かってるんだけどね。
 さあて、今晩の食事は何かしら? 今のところ、中世ならパレポリの中央広場西にある井戸近くの鍋物が美味しかったわね。季節の野菜鍋とハニートーストアイスクリーム添えがとびきりだったわ。まさか鍋物屋で鍋とデザートが一番人気を争っているなんて思わなかったわね。小食のエイラでもあのデザートだけはお代わりしたし……決めた。私今日は思い切ってトッピングを三つ重ねてみるわ。適度な糖分と乳製品は胸が大きくなるって言うし。そうなれば早速パレポリへ……


「何やってるんですか? マスター」肩を落とし、模範的な軽蔑を見せながらロボが私を見ていた。見ていてほしくなかったのに。
「パレポリの、ハニートーストを食べようかなって思ってたのよ……」尻つぼみになるのは仕方ないと思う。あんな醜態を見せておいて恥ずかしくないわけがないのだから、例え私でも。
「まったく、少しは奥ゆかしくなったかと思えば、色々と解放しただけでしたね」
「なんだか、失礼な決め付けをされている気がするのだけど?」
「気のせいです、マスター。ところで、あの」少し言いにくそうに指を捏ねて、ロボが声を詰まらせる。トイレに行きたいのか、はたまたお腹が空いたのか。後者ならもう、夕食の場所は決まっている。ロボならあの美味しさも理解できるはず。クロノだったら、あいつは甘物を好きじゃないからお勧めしないけれど。
 もじもじしながら、彼はただ凡庸な挨拶を放った。


「ただいま、マスター」
「ええ、おかえりロボ」


 彼の顔は、前に見た時よりもなんだか男らしくなっていた。クロノじゃないけど、頭を撫でてやりたいくらいに。


「エイラさん、ただいま。大変だったでしょう」
「大丈夫、ルッカ、指示する、ウマイ」
「やっぱり悪意を感じるのよねえ」確定するようなロボの言い方に私は口を尖らせた。「他意はないですよ」と笑う彼の笑顔が無邪気で許してしまうのは彼が生まれ持った特質的なもののせいか、私が損な性分なだけなのか。
「それで? クロノやマールがいないけど、何かあったの?」


 彼は思い出すように頭を捻らせて、指を立てた。


「クロノさんは時の最果てに帰ってた魔王さんと話があるそうで。マールさんは自分の家に帰ったみたいです。といっても様子を見るだけで姿は見せないそうですが」


 クロノが魔王と話すことがあるとは思わなかった、がそれ以上にマールの心情が気になる。まさかホームシック? あの子に限ってそんな感情を抱くとは思いがたい。
 腕を組み、考えているとエイラに「マール、まだ子供」と諭されてしまう。まだ若いとはいえエイラは大人ということだろうか。もうすぐ成人を迎える私としてはほのかに悔しかった。何より、親友と思っているマールのことを私よりも分かっているような彼女に嫉妬も生まれる。クロノ以外にヤキモチを妬くとは思わなかったわ。


「で、マスターたちは何をしてるんですか? ああ、僕はお二人の様子を見に来たんです」
「あれ? マールから聞いてないの?」意外に思って、逆に問い返す。
「砂漠の魔物を倒すという事は聞いていました。でも僕のセンサーでも魔物の気配は感じられません。もしかして、もう退治しちゃったとかですか?」出番を取られたと言いたいのか、ロボは少しだけ気落ちしていた。
 エイラと顔を見合わせて、私はロボに事の経緯を説明する。とはいえ、そう長々としたものにはならなかった。単純に、魔物を倒すために爆弾を大量に使用したらその影響でフィオナさんの植えた木がものの見事に倒れ、酷く居心地が悪かったので出て行きました、それ以外に付け加える事などない。あるとして、やはりパレポリの鍋は美味しいとしか言えない。言えば彼が怒り出すのは分かっているのであえて口にはしなかったが。そもそもそんな事を今話してどうする。疲れてるかもしれないわね、私も。
 私の話を聞き終えたロボは呆れながら怒るという一風変わった表情の変化を見せてくれた。「何の解決にもなってないじゃないですか!」と肩を怒らせ前傾になる彼は、正しく怒っていた。エイラは女性にしては大きい背丈を小さくして、瞳をくゆらせる。私? 退かないし媚びないし省みる気も無いので謝る事はしないわ。だって間違っていないのだから。


「……大雑把で乱暴な人。クロノさんに良い土産話ができましたね」
「分かったわ、つまり泣けば良いのね?」


 夜空の下、私のしくしくと泣く声が響いていた。












 星は夢を見る必要はない
 第四十話 等価交換












 私の喉が嗄れるまでもうしばらく、という時にロボが溜息をつき「もういいです」と許しをくれた。女の涙は武器であるとはよく言ったものだと思う。
 あぐらをかいて座り、ロボが打開策を考えていた。植林の方法を編み出そうとしているのだ。私としても、科学の力でなんとかならないか頭を捻りはした、だがいくら私の技術を使おうとも砂漠に花ならぬ森を作るなど不可能なのだ。大体そんな方法があれば、現代でも問題視されている森林伐採を私がとっくに解決している。一瞬とは言わなくとも、短い期間、数年から数十年単位で森を作るなんて荒業は到底無理だ。こればかりは根性論や精神論なんてなんの解決にも繋がらない。
 ……いや、方法はあるにはある。でもそれは認められないし、私は賛成できない。というか、許さないわ。


「マスター、提案なんですけど」
「駄目よ。帰るわよエイラ、悪いけどその荷物持ってくれない? 残りは私が持つから」ばっさりとロボの話を切る。どうせ、私と同じ考えに至ったのでしょうけど、そんな自己犠牲は御免だわ。私がフィオナさんの木を倒したからって、それは別問題。
 不満があるのか、ロボは「ちゃんと聞いて下さいよ!」と周りを駆けて纏わりつくけれど相手にはしない。


「アンドロイドの僕なら、いつまでも植林作業をする事ができます! それこそ、何百年だって! 僕がフィオナさんたちの手伝いをすれば、この地に森を作る事も可能なはずです! 森が出来た後、そうですね、ちょうど現代頃に皆さんが僕を回収してくれれば良いじゃないですか!」
「? ルッカ、どういうことか、分かるか? エイラ難しいこと分からない」エイラが小難しい顔となり私に説明を求める。
「無視していいわよエイラ。ロボはつまり、何百年も働いてここに森を作るって言ってるの。馬鹿じゃないの?」


 実に馬鹿だ。延々と樹林を植えては耕して、この広い広い砂漠をフィオナさんたちが亡くなった後は一人で森に変えるなんて出来る訳が、いや出来たとしても気が狂う。狂わなかったとしても関係無い、それがどれ程孤独でどれほど心が壊れるか、想像するに容易い。それが人一倍寂しがりのロボなら尚更だ。拷問ということすら手ぬるい。地獄じゃないか、太古の時代、原始と中世の間くらいの時代で言う奴隷じゃないか。仲間でありマスターである私がロボにそんなことをさせる気はない。
 断固としてロボの言うことに耳を貸さずにいると、切り札だぞ、と悪そうな顔つきになったロボが言う。


「クロノさんに、マスターは人の提案に耳を貸さない、自分勝手で酷い人だって言いつけますよ?」
「言えばいいじゃない」
「……え? 良いんですか?」困惑した様子のロボに頭が痛くなる。そうね、昔の私……といってもそれほど前の話ではないのだけれど、クロノが死ぬ前の私ならもしかしたらロボの脅し染みた言葉に折れたかもしれない。あの頃の私は自分を賢いと信じ込んでいた馬鹿だったから。今の私が賢いかと言われれば頭から否定するけれど。


「ロボに長い間寂しい想いさせるのが正しいって言うようなら、クロノなんて好きにならなかったもの。自分勝手でも私はあんたに苦痛を強いたくない。あんたがそれで良いって思っててもね」


 むしろ、能天気に「ロボに数百年ただ働きさせてきたわ」なんて言えば、あいつは私を軽蔑するだろう、二度口もきかないに違いない。私だってクロノが同じ事を言えばそうするのだから。もしくは頭でも撃ち抜いてやる。そうすれば目が覚めるでしょうしね。
 話すこともなくなったのか、ロボは下を向いてぼう、としていた。良かった、これ以上駄々を捏ねるようなら一度引っ叩いてやろうと思っていたから。


「良かった。やっぱり、マスターは似てる」離れていく私にロボが心底安堵した声を出すから、思わず振り返ってしまう。内容は分からなくとも、ロボは嬉しがっていると分かったから。
「マスターお願いです。やらせてください、マスターだから頼めるんです。クロノさんやマールさんなら絶対許してくれないだろうから」ロボは言う。
 確かに、クロノやマールにこんな事を言えば殴られるか泣かれるかするだろう。エイラ、カエルには何を言っているのか理解すらされないだろうし、魔王なら論外だ。有無を言わさず連れ帰り、その事に不満を洩らしても無視されるのがオチだ。
 ただロボは勘違いしている。私だって許すわけ無いだろうに。


「あのねえ、いくら頼まれても駄目よ、これは決定なの。クロノを引き合いに出しても駄目なものは駄目」
「お願いします!」
「駄目だってば。大体あんた森を育てる方法なんて知らないでしょうに」
「データにはあります! 細かいところはフィオナさんに聞きます!」
「だからね、」
「お願いします!」いよいよ私の説得を聞くこともしなくなった。エイラに頼んで気絶させようかとさえ思い、冗談のように浮かんだ案が効果的と気付いて彼女に「一発殴ってやって」と頼む。しかし……
 快音を鳴らし、頬が痛むのは私だった。エイラは厳しい顔つきで、私を叩いたのだ。一瞬呆気に取られたが、すぐに気を取り直し怒鳴ろうとするも、その眼光に気圧され何も喋れなくなる。
 何故、彼女は私を睨んでいるのか、理由も意図も分からなかった。


「ロボ、一生懸命頼んでる。聞いてあげる」いつもながらに、たどたどしく言葉を作る彼女だが、いつもと違い、声には怒りが滲んでいた。聞き分けの無いのはロボの方なのに、何故私が責められるのか理解できない。
「エイラ、ロボの言ってることも理解できてないのに口出ししないでくれる?」熱をもちだした頬に手を当てて冷やしながら、私も負けじと睨み返す。喧嘩上等よ、譲る気は無い。
腰に手を当ててふんぞり返るように背中を逸らす。威嚇のつもりであった。あまりに効果が得られないと感じたのですぐに正したが。


「ロボ、男。ルッカ、ええと……『カホゴ』だ」
「誰に聞いたのよ、そんな言葉」半端な知識をひけらかされた気がして頭が痛くなった。「あのね、男とか女とか、そういう問題じゃないでしょ? 何百年よ何百年。この中世から現代まで四百年、その間ずっと一人で森を作るって? エイラ、あんた何歳よ? 少なくともあんたが生きてた年数の十倍を優に超えるくらいの時間なのよ」吐き捨てるように言った。私の言葉に喉を詰まらせて、なおもエイラは噛み付くことをやめない。ハイエナのようと言えば語弊があるだろうか。それでも私は是が比にも餌を離さない執念深さに似た何かを感じ取った。
「ロボ、頑張る言ってる! それ決めるの、ロボ!」
「間違いを正す事は必要だって言ってるのよ!」


 私は激昂する。大人しいはずのエイラにここまで反対される事を予期していなかったからか、押さえが利かない。私の中の冷静な部分が、もしやすれば手を出し合うこともあるだろうな、と考えていた。そうすれば私は不利だなとも。


「マスター、お願いします!」
「……分かったわ。そこまで言うなら、良いわよ」
「本当ですか!?」ねだることに成功した子供、正しくそのままなのだが、ロボは顔を輝かせた。


 エイラとロボ、二人と口喧嘩をして、片や大人しくも頑固な怪力の女性、もう一人は子供ゆえに妥協を知らない男の子。到底説得は出来ないだろうと感じ、自分の冷静な部分を極端に肥大化させて譲ってあげる。だが、このまま終わらせる気は毛頭無い。私は人差し指を立てて条件を出した。


「あんたがここでフィオナさんの手伝いをするのは、まあ良いわよ。でもね、私はあんたの様子を見に行くわ。一年ごとにね」中指を立てて、もう一つの条件を話す。「あんたが限界そうに見えたらそこで終わり。無理やりにでも連れて帰るわ。勿論ロボからギブアップしても良いわよ」それで良いわね、と確認するつもりでエイラを見遣ると、さっきまでとは打って変わりいつもの柔和な、それでいて不安そうに見える表情に変わっていた。それを了承と取り、今度はロボに視線を流す。
「はい、それで良いです。あ、その前にお願いがあるんですけど」
「何よ、これ以上譲らないわよ」
「いえ、違うんです。流石に僕もこのまま働き続けるのは耐えられそうにないですし」彼は自身ありげに情けないことを言う。いきなり挫折宣言とは、なんとも男らしくない。いや私としては諦めてくれるのは喜ばしいことなんだけれども。
「あの、時の最果てにある僕のボディを取ってきて欲しいんです」
「……ボディ?」


 私は鸚鵡返しに言葉を返し、なんともつまらない驚きを見せた。






 正直、侮っていた事を告白しよう。なんだかんだ言いつつも、私はロボが五年……いいや一年で泣きついてくるだろうと予想していた。仮に意地で中世に残り続けるというならば、難癖をつけて連れて変える心積もりでもいた。その考えは、そうね、二十年目を超えたあたりで(ロボの体感時間として、だ)消える。彼は自分の口にした通り、どれだけ長い間土を耕し苗木を埋めてボディが錆び付いても弱音を吐かなかった。
 それだけ長い間植林作業を続けていれば、不器用なロボとて手際が良くなっていく。見る間に(一年ごとに訪れているのだからそう感じるのは当たり前かもしれないが)緑が蘇り、二十年の月日でこれだけ世界が変わるものか、と見当違いながら感嘆の溜息を洩らしたものだ。
 フィオナさんに会うと、その度彼女は酷く驚いていた。当然か、いつまでたっても見た目の変わらない私に驚かないはずはない。とはいえ、何度も繰り返すが二十年経った今ではその疑問を気にする事もなく、私が来るたびに彼女は手を叩いて歓迎してくれた。
 その頃のフィオナさんは、昔のやせ細った姿ではなく、顎辺りに贅肉がついている、けれど決して動かないでいるからではない、健康的な中年の姿へと変わっていた。夫のマルコさんとも仲は良好で、月日が過ぎた今も新婚みたく、仲睦まじい様子を見せてくれた。


「本当に、ありがとうございますルッカさん。あの時はその、酷い事を言ってしまい申し訳ありませんでした」あの時とは、つまり砂漠の魔物を退治した時の事を言っているのだろうと理解した。
「いえ、私もちょっと乱暴な手段だったかなって思ってましたし、別に気にしないで下さい」


 どうも、昔のそう年の変わらぬ時代だったフィオナさんと違い、私は彼女に砕けた言葉遣いをすることが出来なくなった。溝が出来たという訳では決して無いのだが。むしろ、一年過ぎた度にという短い期間とはいえ一緒にお茶なんかを飲むようになった今の方が仲は良い。五年前、つまりロボが働き出してから十五年経った時か。に「ルッカさんが、なんだか娘のように思える」と言われた時はシルバードの中で一人泣いてしまった。


「ロボさんがいてくれたお陰で、ここに森が出来そうです」
「やっぱり、頑張ってますか、あの子」
「ええ。最初はやっぱり戸惑ってしまいましたが、今では彼も私たちの家族です」


 彼女が戸惑ったのも無理は無いわね。だって、今のロボはいつもの小奇麗な、一見女の子にも見える姿ではなく、私がプロメテドームで見つけたときの、無骨なボディを付けているのだから。
 ロボが言うには、あのボディは本来戦闘用ではなく、作業用のボディパーツなんだそうな。都合の良い事に、それも畑や花を植える為の。同じようなと括るべきではないが無関係とも思えない。何故そんなパーツを持っていたのか聞いてみると、自分の幼馴染に付き合ってよく花を植えていたんだとか。可愛らしい趣味の幼馴染なのね。ていうか幼馴染なんていたんだと思い、今度紹介してね、と指きりをすると彼は困ったように笑って頷いていた。


「ロボさんが私たちの夢を継いでくれる……こんなに嬉しいことは無いわ」
「え? 何ですか?」言っている意味が正確に分かりかねて、聞き返す。フィオナさんはすぐに首を振り「何でもないわ」と笑った。


 それから、五年目。二十五年の歳月が流れた頃だ。フィオナさんとマルコさんが亡くなられた。フィオナさんは元々体の強い人ではなかったようで、ちょっとした風邪をこじらせてしまったのだ。それが原因となり息を引き取った。それを追いかけるように夫のマルコさんも亡くなった。
 私は泣かなかった。ロボが泣いていないのに私が泣くべきではない、その程度の事が分かるくらいに私は賢く、フィオナさんたちと友好があったのだから。
 それから、ロボは憑り依かれたように黙々と作業を続けた。元来、ロボにはエネルギー以外には食事も休息も必要ないのだが、いくらロボットとはいえそこまで体を酷使すればなんらかの不具合が発生するのでは? と心配になった。
 その旨を伝えるべく、脇目も振らず苗木を植え水を振り撒く彼に近づく。私が口を開く前に、それを制するような形でロボが声を出した。


「マスター、申し訳アリマセンガ、しばらくココには来ないでくれマセンカ?」決別のようなそれに、体の内側から冷や水が湧き出るような冷たいショックを覚える。
「な、何でよ。約束が違うじゃない」呂律が回らないのは、それだけの衝撃だっただろうか、と分析する。
「このままマスターに頼っていては、いつまでもワタシは変われません。それでは駄目なのデス」
「変わる? 変わるって、何?」
「……イエ。それはイイデス。でもこの森はワタシがフィオナさんたちに頼まれたものです。マスターの力無しにガンバッテみたいのデス」キーボードを打つようなカタカタという音を鳴らしながらロボが言う。
「別に、私は何も手助けしてないわよ? あんたの様子を見に来るだけじゃない」
「それでは駄目なのデス。それでは、いつかワタシはマスターに甘えてしまう。帰りたいと願ってシマウ。フィオナさんたちがいなくなったからと、納得させてしまう」


 それでいいじゃないか、と告げることがどうしても出来なかった。
 私もまた、ロボには及ばずともフィオナさんたちが好きだった。なんとしてもここに森を作りたいと渇望するほどに。ロボがもし心折れて時の最果てに帰りたいと願ってしまえば、それで夢は終わる。微かに命が芽生え出したといってもまだまだ芽生えたばかり。生まれたての赤子のような命しか生まれていないのだ。そんな中、ロボが緑を生き返らせることを止めれば森はまた砂漠か、良くても平原にしかならないだろう。それは、酷く心苦しい事だ。笑ってしまう、ロボを大切にしたいと口では言っておきながら、結局こうして彼に孤独を強いなければならないとは。
 元々、やめておけば良かったのだ。やはりあの時彼の提案を切り捨て、エイラやロボに嫌われても無理やり連れて帰れば良かった。そうすれば、彼は誰かを失う痛みを知らずに済んだのに。


「……帰る気は、無いの?」縋るように、私は彼に甘言とも言うべき言葉を放つ。
「胸を張って帰るタメ、今は帰りマセン」私は「そう」とだけ言って踵を返した。もう無理だ、彼は誰も望まない。四百年の歳月の間は、私の助けを必要としない。仮に、その間に必要とした時はもうロボはロボでなくなっている、そう思えた。
 多少なりとも緑が芽吹く兆しがある地帯にはシルバードを停めていない。故に幾分か離れた、パレポリ付近まで歩かねばならないのだが、私は度々後ろを振り返った。どこかでロボが舌を出しながら、「やっぱり様子は見に来てくれませんか?」と言ってくれる事を期待して。
 望みは外れ、ロボは駆け寄っては来ない。ただ、私が何処まで離れても彼は私を見送ってくれた。例え、姿が見えなくなってたとしても、そうしていたに違いない。






 時は過ぎ、A.D千年。ロボが作業を始めてから四百年の歳月が過ぎた頃。私はフィオナさんたちの家があった、パレポリとデナトロ山のちょうど中間に位置する場所を眺めて目を見開いた。見渡す限りの緑、天まで届けといわんばかりの木々の群れ。例えようもなく、そこは森だった。
 一体誰が信じようか? つい四百年前までとても生物が生きてはいけなさそうな荒廃した砂漠だったと。四百年を短いと取ってしまうのは私が時を行き来出来るからに他ならないのだが、それを度外視しても異常だということは、少し考えれば分かるはずだ。生命は、そう簡単に作られはしない。
 私はパレポリ付近までも森で覆われている事を見て、ゼナン橋付近にシルバードを置くこととする。ハッチを開き、その地に降り立つ。吸い込む空気はやはり中世の少し澱んだものではなく、森の恩恵か、清々しいものだった。森の息吹がここまで届いているようだ。
 いざ、森に入るとその感覚はさらに強まる。森と同じように息をしているような一体感が胸の中に生まれる。私は木の一本に手を当ててみた。これら一つ一つがロボの力で育ったのだと思うと愛おしくもなり、頭を下げたくなるような尊敬の念を感じざるを得ない。血の通わぬ植物なのに、私は体温に似た暖かみを感じ取れた。
 森の奥深くに入り込むと、小さな神殿が見え始めた。近づくと、小さく見えたのは大きさの問題ではなく、その神殿を訪れる人数に比例すれば、ということだと知る。列にして長大な人の数。参拝客だろうか? 見れば、所々にシスターらしき女性が誇らしげにこの神殿の由来を語っている。


「ここはフィオナ神殿。四百年前に、魔王との戦いにより砂漠と化した森を蘇らせたフィオナ様と、ロボ様を祀った神殿です。奥には御神体であるロボ様が安置されていますよ」


 自分の仲間が祀られるとは妙な気分だな、と背中をむずむずさせながら私も列に並ぶ。先行く人々の数を見て、これは長くなりそうだと直感した。感じるまでもなく、一目瞭然だけどね。
 結局その日は神殿に入る事すらなく終わった。整列券だかなんだかという紙切れを手渡されて、後日またいらして下さいと微笑むシスターに文句を言おうとするも、その前に後ろの男が怒り出したのでやめておいた。男は神官風の屈強そうな男に両腕を取られて何処かに連れられていく。随分物騒な神殿もあったものね。
 とはいえ、こんな調子ではロボにいつまでたっても会えそうに無い。深夜未明、進入する事を決意する。もし見つかれば催眠装置の出番ね、久方ぶりに使うから使い方を思い出しておかないと。
 仮にも聖職者たる人々に銃をぶっ放すわけにもいかない、魔法で焦がしても駄目。穏便にロボ強奪を決める。
 深夜。フィオナ神殿を訪れる人の為に建てられた、通常よりも割高な、商売上手である宿屋を出る。宿屋の主人には「森の外から夜のフィオナ神殿を見ておきたくて」と言い訳しておいた。主人は、「夜は夜で、神秘的な所ですよ」と朗らかに笑っていた。
 森に入り、身を隠しながら先に進む。見張りの数は想像以上に少ない。泥棒の類など今まで現れた事はないのだろうか。よくよく考えれば、神殿内に入るに辺り、見学料等は取っていないようだった。完全にボランティア意識で働いているのだろうか、ここの神官やシスターは。その意識は素晴らしいと思うし、フィオナさんの精神を受け継いでいると思う。だが、ロボは返してもらう。彼はクロノたちと一緒に笑ってるほうが、崇められるよりも、“らしい”からだ。
 神殿の窓を、消音の為布を当てて割り、腕を突っ込み鍵を開けて中に入る。身を縮めながら中に滑り込んだ。流石私ね、並みの体格の女性じゃあこうはいかないわ。ビバスレンダー。胸なんかかざりなのよ。涙とは違うのよ。
 廊下をスタッカート刻みに素早く走り、神殿の奥を目指す。地理を理解しておらず、せめて中の様子を下調べしたほうが良かったかと早くも脳裏に後悔が過ぎるが、心配は無用だったようだ。小さくはないものの決して大きくもない神殿内の大部分は、そのロボが安置されてある巨大な礼拝堂のような部屋だったからだ。部屋の数など、見るからにシスターや神官の部屋以外に無かったのだから。
 ロボは、天窓の下にある、花々が添えられた、石製の椅子に座って俯いていた。恐らく、人々が参拝する昼頃には天窓から光を浴びてそれは神々しいものに見えたのだろう。実際、無骨な作業用ボディの中にいるのは銀髪の美少年なのだが。それはそれで天使のような、という意味で神々しいのかもしれないわね。むしろ人気が出るかも。


「ロボ? ……ロボ聞こえる? ルッカよ」


 私の声に反応した様子は無い。壊れてしまったのか? と不安になり、彼の体、いやボディパーツに手を当ててみる。反応は、無い。
 深刻な故障かもしれないと考えて、とにかく急ぎ修理を施さねばと時の最果てにいるエイラに連絡を取り、ハッシュにここまで転送してもらう。数秒と置かず現れたエイラはロボのくたびれた様子を見て篭った悲鳴を上げ、すぐさま私の指示に従いロボの体を持ち上げてくれた。腕力なら随一を誇る彼女だけあり、持ち上げる際に苦悶の表情は浮かばなかった。幼馴染との違いを思い、少しだけ溜息を吐き、神殿を出て行く。見回りの人間などいなかった事を思い出し、私たちは素直に玄関の鍵を開け堂々と脱出した。窓を割った事は申し訳ないが、今は馬鹿正直に謝罪する時ではない。逸早くロボを直さねば、と焦っていた。






 神殿から離れた森の中で、私たちは腰を下ろし、エイラに手伝ってもらいながらロボの修理を始めた。深刻な故障はあくまで作業用のボディパーツだけであり、肝心なロボ本体は特にこれといった故障は見当たらなかった。あえていうとすれば、電力不足が原因と判明。手持ちのバッテリーをいくつか消費する事で、ロボは会話する事も可能となった。
 とまあ、言うだけならば簡単だったが、ロボの不調の原因を探るだけでも結構な時間となり、ロボが話し出す頃にはエイラは体を丸めてすやすやと寝息を立てていたのだが。太陽が顔を出すまでそう間は無いだろうと思った。


「……マスター、すいません。お手数かけますね」
「いいわよ、むしろよく今まで動けたわね。いくら高性能だからって、エネルギーは無尽蔵じゃないのに」
「あはは、途中までは度々本体を外に出して太陽光を浴びてたんです。それで充電は可能だったのですが……しばらくして、森が出来るとボディを脱ぐ事も出来なくて……人が沢山集まり始めましたから」ロボは頭を掻きたかったのだろうが、まだ腕が動くほどエネルギーは回復しておらず、困った顔のままだった。
「まああんたの姿を見たら熱狂的なファンが出来たでしょうね。役に立つか立たないかは半信半疑だけど」
「人が集まるのは好都合でしたし。その点で言えば、作業用パーツの人間らしからぬ姿の方が手伝ってくれる人は多かったんですよ」


 彼なりに考えていたという事だろうか。確かに、祀られるなら少年よりも機械らしい方が崇められるだろうが。人間は人間を尊敬するよりも、そうでない種族の方が尊敬し易い。劣等感を煽られないからとか、そういう事を考えるのは無粋かしらね。


「あの、マスター」ロボが窺うように目を上向かせ語りかけてくる。「何よ? 何処か痛い?」私の問いにロボはかろうじて動くようになった首を振る。
「ゲートって、ラヴォスのせいで生まれてるんでしょうか?」
「……多分ね。そうじゃないと、辻褄が合わないじゃない。強大な力のひずみによって、と考えるしか無いもの」
「僕、なんとなく思うんです。この世界にいる誰か……いやこの世界じゃないかもしれない。とにかく、“誰か”が僕たちに見せたかったとしたら? 色んな時代の風景や生き物、そこに住む人々の暮らしや在りかた、戦いも別れも全部ひっくるめて……もしかしたら、僕たちの目を通してその誰かも見たかったのかもしれません。これはきっと、誰かの見ている夢なんですよ」
「だとしたら、随分な野次馬根性ね」からかうように、私は言う。
「と、いうよりは、その誰かが生きてきた姿を思い出す為、そうですね。走馬灯のようなもの、と言えば分かり易いでしょうか?」


 ロボの言う憶測が正しいのだとしたら、その誰かは既に死んでいることになる。もしくは、その手前。さらに言えば、もう戻れない所にいる、という事かもしれない。
 しかし、そんな誰かがいるとすれば、それはラヴォスと同等、もしかすればそれ以上の力を持っていることになる。敵なのか仲間なのかは分からないけれど、傍観者という立ち位置が一番正しいかもしれない。とにかく、考える事に疲れそうな存在ね。


「走馬灯……ね。なんだか、あまり好きじゃないのよ、そういうの」
「何故ですか?」ロボが不思議そうな顔で私を見つめる。「だって、それって結局“あの時ああしていれば”、とかその逆に“ああしていなければ”、って考えの集合体、凝縮されたものから生まれるものでしょう? 私は好きじゃないの、そういう過去を振り返ること」
「……マスターには、無いのですか? あの時の戻りたいという時間が」
「ないわ。あってもそれは……変えたくないもののはずよ、もうこの話は止めましょう」


 パチパチと爆ぜる焚き火の音が、暗い森の中に響く。向かいで横になるエイラの寝息も吸い込んで、森はさわさわと葉を擦りあわせて清涼な音を奏でた。まるで、私の嘘を暴く為に野次を飛ばしているみたいだった。
 ロボのバッテリー充電準備が完了した。後は時間が経つのを待つばかり。近くの大樹に背中を預け、膝を抱えるようにして眠る事とする。その前に、横目でロボを覗き見ると、彼は綺麗な丸い瞳を空に向けていた。


「……誰なんでしょうね。その“誰か”は。ラヴォスに縁のある誰かなのは確かでしょうけど。ありとあらゆる時代で、ラヴォスは関係していますから」
「そりゃあね。ラヴォスは古代から存在しているんだもの。関係無いはずないじゃない」疲れている私としては、早急に眠りたいのだが、彼の言う言葉の内容が気にかかるのも否定できない。顔は合わせず、会話を交わす。
「そう……ですね。あはは、そう考えればラヴォスがいなければ、僕たち出会ってないんですよね。何だか不思議です」けらけらと笑う彼の姿から、幼さが薄くなっている事に寂しくなった。見た目はどうあれ、既に彼は四百歳以上ということなのだから、当然だろうけど。
「ねえ、それって誰だと思うの?」
「そうですね。きっと、それが分かる時が来れば、その時は……いえ、もう寝ましょうマスター。疲れてるでしょう、こんな遅くまで僕の修理をしてくれて」誤魔化すように彼は話題を変えて、今日を終わらせようと提案する。
「良いのよそんなの。あんたの修理は私の仕事なの、気を使う必要は無いわ」


 手を払って、大丈夫と主張するも、当人である彼がこっくりと船をこぎ始めたので、なんだか力が抜けた。芯は変わっていないじゃないか、と安心した。
 妙な緊張感も薄れ、私もようやく目蓋が落ち始める。これは、良い夢が見れそうだ。





 良い夢が見れそうだと私は言った。では良い夢とはなんだろう。一般的な悪い夢とは、例えば怖いものに追いかけられたり、誰かが死ぬ夢であったり死ぬのが自分であったり、とかく現実でも起きれば嫌な事。それが夢として現れたら、それは悪夢なんだと思う。
 では良い夢とは? 同じように現実で起きれば喜ぶであろうことが夢の中で起きる事。それが良い夢。本当にそうだろうか?
 悪夢を見た後目を覚ませば、何だ夢だったのかと安堵する。逆に良い夢を見た後目を覚ませば落胆する。結果だけを見れば、悪夢と良い夢では、精神的に悪夢の方が良いということになる。悪夢と良い夢の定義が曖昧になる。
 では完全なる悪夢とは何か? それはきっと、過去に現実として起きた嫌な出来事を再確認するように現れた夢のことではないか?
 夢の最中は当然うなされる。起きてもまた過去の嫌な出来事を思い出さされてうなされる。完全なる悪夢となる。






 ──ふと夜中に目が覚めた。誰かの声が聞こえるのだ。泣いているのか笑っているのかも分からない、久しく聞くような、暖かい声。それに混じってまた幼い子供の声も聞こえる。
 行かなくては。誰かが命令している。私の足は何故か、その声のするほうへと歩いていた。
 森の中を右往左往。こんなにこの森は入り組んでいたかしら? 視界がぐねぐねと回る。上下がどちらにあるのかも分からない。私が今地面を踏んでいるのかどうかも定かではない。まるで夢の中にいるみたいだった。覚束無い足取りのまま森の奥へと。行かなくては。行かなくては。
 頭の中に響く声が、外に漏れだした。ふと隣に視線をやれば、樹液にしゃぶりつく甲殻虫が私に目をやり「行かなくては」と促してくる。とくに疑問も持たず私は足を前にやる。
 ふと地面に視線をやれば、丸い、半ば以上土に埋もれている石が私に目をやり「行かなくては」と促してくる。とくに疑問をもたず石を踏みつけ前に出る。
 ふと空に視線をやれば、人が笑っているみたいな、杯状の月が私に目をやり「行かなくては」と促してくる。とくに疑問を持たず月の光を振り払い前に出る。
 ふと前に視線をやれば、今までに何度も目にしてきたゲートがぽっくりと口を開けて私を待っていた。「行かなくちゃ」とくに疑問を持たず私は口を開いて、ゲートの中に飛び込んだ。
 何故こんな所にゲートがあるのか? 思考に靄がかかっている頭で考えた。ロボの言葉を思い出す。『これはきっと、誰かの見ている夢なんですよ』
 私は否定する。いいわ。今まではそれでも良い。けれど、これはきっと私の夢だ。誰にも触らせない、これだけはきっと私の夢なんだろう。
 どうして自分が意地になっているのか、それすら分からず私は唸るように声を洩らし彼の言葉を打ち消した。


 ゲートから顔を出す。今だ頭は上手く回らない。ただ、ぼんやりと見知った場所だなあと考えた。床に散らばる様々な本と工具品。机の上にはプレパラードや顕微鏡にビーカーガラスの詰め物ピンセットに玩具みたいな発明品の数々。ああ、確かこれはお父さんが昔私の為に作ってくれた物だ。あの頃の私は父の努力も知らず「ぽんこつ」と呼んでいた。元来玩具製作などしたことがない父からすれば渾身の作品群だったろうが、科学を必要としていなかった頃の子供の私からしてもそれはポンコツだった。


「私の、家だ」


 本の臭いと鉄と油の臭いがほのかに香る。机の上に置いてあるレンチを取ってみると、そこには確かに“タバン”と彫ってあった。父の工具だろう。部屋を出て、そのまま二階の私の部屋に入る。壁にはクレヨンで塗ったのだろう絵が貼り付けられており、机の上には子供らしい落書き帳や絵本で埋め尽くされていた。私は壁の絵に近づいた。肌色と黒が混ざり、花のつもりか黄色い何かが絵の中に散乱している。良く見ずともそれは、家族の絵だった。私を真ん中に、母と父が両隣に立って私と手を繋いでいる。三人とも線で書いたような曲線が目の部分に描かれていた。つまりは、笑顔だった。


「……昔の私が描いたって事?」


 徐々に頭が覚醒し始める。またロボの言葉が思い出される。


『マスターには、無いのですか? あの時の戻りたいという時間が』



 唾が溢れてくる。喉が渇いているような幻覚を覚えて、私は誰かに聞かせるように出来るだけ力強く「嘘よ」と呟く。それはもはや呟くではなく囁くといった程度の声量だったが。
 机の上に置いてある絵本の束を床に落とし、一冊の本を手にした。題名には平仮名で『にっきちょう』と書かれていた。引きちぎる勢いでページをめくる。最も新しい日時を探し、そこには確かにこう書かれていた。『AD990/6/24』と。


「……十年前の、六月二十四日……って……」


 もういい。過去に戻ったの? とか、何故どうしてとか、そんなことは考えなくても良い。
 この日記の日時は昨日のことだろう。これが一番新しいページに書かれているのだから。この頃の私は毎日かかさず日記を書いていた。一日とて書き忘れた日は無い。あの時までは。


「もう、タバンったらこんなに汚して!」


 階下から、懐かしい声が聞こえる。きっと世界中の誰より好きで、尊敬していて、安心する声。怒ったような口振りでもそこには常に優しさが込められている、嬉しい声。


「はあ、掃除するのは私なのに、ねえルッカ」
「おとうさん、だめだね!」


 思わず私が「そうだね」と声を出してしまったが、それと同時に子供の声が同意する。奪われたような、悔しさと切なさを感じた。もう間違いない、今の声は私のお母さんと、幼い頃の私の声。
 そしてこの会話はあの日の会話。今日、六月二十五日はあの日だ。全てが終わって、変わった日。そう、私が初めて人を殺した日。
 事態が理解できず、私は朦朧とした気分で頭を押さえた。私に見せるの? この日のこの光景を!? どうして、何でよ、もう充分反省したでしょ、辛かったのも耐えたし、それに……


「……あ」


 戻りたいという時間。それは何も楽しかった時や嬉しかった瞬間だけじゃなくて、あの時こうしていればという時間も含まれる。であるならそれは、確かに。
 階下から悲鳴が聞こえる。それに、何かを噛み砕くような盛大な稼動音。きっとあの時の焼き回し。このままでいれば、お母さんは頭からあの機械に飲み込まれて、潰される。あの時の私の目の前で母だったものをぶちまけて、すり潰されて。
 ──十年前の六月二十五日。なんという事もない日だった。いつものように母は片づけを嫌うお父さんの代わりに、家中を掃除していたんだ。
 いつもと違うのは、触るなよと言われていた機械を母が雑巾で拭いていた事。拭き終わってから、機械のネジだかなんだかにスカートの裾が引っかかった事。母の責任は触るなと言ったものを触ったこと。父の責任は危ないものを玄関に置いていた事。その責任感もあってか、父はあの頃私に殊更強く当たったのだと思う。自分は悪くないと誰かに言って欲しくて。
 そこからは私の責任。母が、私に「取ってくれない?」と引っかかっていたスカートを指差したのだ。私は勿論従ったが、どうも悪い具合に引っかかっていたので、妙案のように愚かな考えを実行した。
 それは、機械を作動させる事。そうすれば機械自体も動き出し、スカートの引っかかりも取れるだろうと思ったのだ。機械自体、そう危ないものではないと勝手に考えていたのだろう。だって、お父さんが好きなものが危ないわけが無いと、信じ込んでいたのだ。
 ……だからこそ、裏切られた気持ちになった。信頼していた科学と言う隣人に掌を返されて母を殺されたと、自分の責任を横に逸らし科学自体を恨んできた。それはきっと、今でもそうだ。
 つまり、私が機械を作動させて、母はそのせいで機械に巻き込まれ、死んだ。それが十年前の六月二十五日という日。私が私でなくなった日のこと。


「ルッカ! パスコードを入力して機械を止めて!」
「えう、わたし分からないよ! おかあさん!」


 溜水地の門を開けた時の水流の如く意識が流れ込み、頭が元の世界に戻る。母は『わたし』に言ったのではない。きっと『私』に言ったのだ。
 頭の中の靄は全て消えた。そして、戸惑っている自分の臆病もとうに無い。むしろ使命感や躍動感すら感じる。私が今まで科学に生きてきたのは今日この日の為だとも。
 そうだ、私は母を助ける為に生きてきたのだ。もうすでにこれは夢ではない。間違う事無き確かな過去。階段を落ちるように駆け抜け一階に戻り、家の中にある機械を操作する制御室に飛び込んだ。扉の鍵の存在なんて無い、銃弾一つで吹っ飛ぶ程度の障害に考えを傾けるな私。


「パスコードパスコード……」


 キーボードを叩きながら検索する。動作に掛かる僅かな時間がまどろっこしい、この時のコンピューターは私が改造していないから妙に動作が遅い。今はここにいない父の顔を殴り倒したかった。
 パスコードの正確な内容は見つからなかった。それでも、ヒントが一つ。我が最愛なる者の名前とある。私は状況が状況なのに苦笑する、お父さんったら、無駄にキザなのね。
 答えは決まっている。私は四文字のアルファベットを打ち、エンターを押そうとする。これで良い、これでお母さんは助かる。お父さんが荒れることもなく、私が家で怯える事も外で苛められる事もない……そうしたら。


「……そうしたら?」


 最愛なる者とは誰か、私は今一度考えてみた。それは二人いる。一人は疑うまでもなく私の母。小さい頃に亡くなったとはいえ、母はいつまでも素晴らしい母親だったはずだと確信している。私の存在を誰よりも認めてくれていたのは母だったのだから。
 ではもう一人は? 次に私を認めてくれた人。血縁があるわけでもないのに、一緒に暮らしていた訳でもないのに。いつまでも私の側にいてくれるだろうと、私の妄想かもしれないけれど、そんな人。


「そんな、そんなの、ないわよね?」


 母を助けたとして、それは今まで生きてきた私を否定する事。だって今の私は母を救えなかったルッカで、もしそこに手を加えたら、それはもう。


「だれか、おかあさんを助けて!!」


 過去の私の声が、今の私にまで届く。もう時間は無いのだろう、迷っている時間は、もう。
 私の震える指は、何処に向けば良いのか、分からないまま行動に移した。それが正しいのかどうかも分からず、ただ流されるままに。






 ──気がつけば、目の前には散らかった本も工具類も見えず、むしむしとした空気と虫の鳴き声響く森の中に私はいた。茶色と緑が散らばる中、ロボの銀髪が異様に目立っている。


「……心配して、見に来てくれたの?」
「ええ。ふと目を覚ませば、ルッカさんの姿が見えなかったものですから。センサーを頼りに探してみました」こめかみの部分を指で叩きながら、ロボは言った。
「そう。ごめんね、心配かけて」私の謝罪にロボはちょっと驚いたように口を震わせて、次に慌てて「良いですよ、そんなの」と言う。なんだかその慌て振りが可愛くて、笑みを洩らしてしまった。


 立ち上がろうとして、気付く。面白い事に、膝が崩れて立ち上がることさえできない。膝の皿に手を当てるも、その手さえ震えていてなんだか滑稽だった。おかしくて、笑い出してしまう。奇異に映るだろうか、今の私は。映るのだろう、ロボがぽかんと口を開けているのだから。何を言うべきか分からない、そんな様子だった。
 手探りに背後にある木に手を当てて、気合を込めながら立ち上がる。太ももが浮いたかと思えば、やはりそこまで。崩れ落ちるのは一瞬だった。ロボが駆けてきて私の体を支えてくれる。両手が私の肩に当たった事で転倒せずにすんだ。「ありがとう」首をかくん、と倒して簡易的な礼をする。


「大丈夫ですか? なんだか、顔色が悪いですよ」私の額に手を当てながら、ロボが言う。
「う、ん。ちょっとね」
「早めに休んだほうがいいですよ。というか、何してたんですかこんな時間に」
「……ちょっとね」


 私が話す気が無いと思ったのか、ロボは呆れ顔になり私の前でしゃがんだ。小さな背中を見ながら、私はどういうことなのか分からず彼の言葉を待つ。しばらくそうしていると、ロボが焦れたように背中を揺らした。大体意図は掴めたのだが、少し意地悪な気持ちが生まれ、そのまま見ている。彼はぐるりと首を回転させて、見せた顔は眉をしかませていた。


「早く乗ってくださいよ。動けないんでしょう?」


 顔を紅潮させた彼は、恥ずかしさを押し殺す子供そのままだった。なんだか、反抗期ながらに根は優しい弟を見ている気分になり、頬が緩む。お言葉に甘えてその背中に体重を掛けると、難無く私の体を持ち上げる。力を込めている様子も無く、それは私が軽いのだ、と優越感を得るよりも彼が案外に力強いと感心する気持ちが強くなった。男の子だものね。
 アンドロイドなのだから、当然かもしれない。けれどそういうことじゃない、要は気持ちなのだから。嬉しいことに変わりは無いのだ。ロボの首に腕を絡ませて、もう一度ありがとうと声を出すと、彼は明らかに照れた様子で「耳元で話さないで下さい、くすぐったいじゃないですか」と唇を前に出した。


「あのね、ロボは好きな子とかいるの?」他意も無く、唐突に聞いてみる。ロボは「僕、マスターにそういう気、無いですよ」とおっかなびっくりに返す。別にムードに流されたつもりは無いのにこの言いよう、むか、ときたので強く首を締めると「タオル! タオル!」と騒いだ。
「なんだ、僕の魅力にまいったのかと思いましたよ」
「そういうのは、マセガキって言うのよ。で? 好きな子いないの? 未来とかにさ」
「恋愛かどうかまだ分かりませんけど、いますよ。幼馴染です。マスターと同じですね」肩越しに振り返って、彼は見ている私を元気付けるような、嬉しそうな笑顔を向けた。彼が好むような女性なら、きっと彼と同じように無邪気で、それでいて引っ張ってくれるような力強い女性なのだろうな、と勝手に推論した。あながち当たっている気がしないでもないわね。これも勝手な考えだけど。
「意外と言えば意外かしら。あんたはクロノが好きと思ってた。道徳観抜きに」気のせいだったみたいね、と安心して胸を撫で下ろすと、その事についてロボからの反応は無い。不安になり、「ねえ?」と確認しても返事は無い。そわそわとした焦燥感が昇ってきたのでこれ以上突っ込む事はやめにする。藪をつついたら、蛇と言う名の背徳が出そうで怖かった。


 転がっていた木の枝を踏み折りながら、少しづつエイラの眠る場所に近づいていく。万一彼女が起きていたらこの姿を見られたくないのでロボに言って降ろしてもらう。彼はまだ心配顔だったが、私の考えも分かってくれたのだろう、素直に私の体を離してくれる。こういってはなんだが、彼の小さな体に背負われている間ずっと私の足が地面を擦りそうで気を遣っていた。わざわざそれを指摘するほど私は心無いつもりはないので、彼の頭に手を置き撫でながら「助かったわ」と言っておく。実際、ありがたいと思っているのは嘘ではないし。
 まだ正確に歩けているか自信は無いが、誤魔化すくらいは出来るだろう。ぐっ、と足を前に出し体重を右足に乗せる。いける、きっと大丈夫。


「ロボの好きな子って、どういう子なの?」他に話す話題もなし、私は先ほどの話を続ける。
「そうですね、どこかしら、マスターに似てますよ。強引な所とか、案外乱暴な所とか。変な所で意地っ張りだとか」
「全部褒め言葉に聞こえないのは何故かしら?」ふっ、と鞄の中にある金槌に手が伸びるのは習性というか、その類だろう。彼は顔色を青くしながら両手を前に出し左右に振った。「いえいえ、良いところも沢山似てますよ!」
「例えば?」
「例えば、そうですね。一途な所とか、分かりにくいけど、いやらしくない優しさだったり、簡単に言葉にしたくないような深い部分が似てます」


 私は、逃げ口上っぽいな、と邪推しつつも、彼の表情が真剣だったので掘り返さないことにする。さっきまで助けてくれてたから、目を瞑ってあげるわ。
 そのまま会話が途切れる。私は別に良いのだけれど、先行くロボがチラチラとこちらを窺うので気になる。さっき冗談で怒ったように見せたから、私が不機嫌だと勘違いしているのだろうか? 私もそこまで我侭では……あるけれど。


「クロノはね」
「え? 何ですか?」急すぎたか、ロボはうろたえながら疑問符を上げた。安心しなさい、という意味と怒ってないわ、という意味を込めて彼の小さな左手を握り手を繋いだ。
「クロノの好きな女の子のタイプよ。小さい頃は、自分の手を引いてくれるような女の子だったの」……何故かロボはメモをするように自分の手に何かを書くようなジェスチャーをするが、あえて無視しておく。気にしたら負けよ、負けなのよ。
「まあ、基本は変わらないんだけどね。好きなタイプ。ほら女の子ってさ良くも悪くも媚びるじゃない? 異性の前ではさ」
「そうなんですか?」訝しげに言われて、まだロボには早かったか、と舌を出した。あからさまに、これが媚びた行為よ、と手本を見せるように。彼はこれ以上無い程怯えたような目線を送ってきた。ちょっと、傷ついたわ。
「これって別に悪意があるとかぶりっ子とかじゃなくて、そういうものなの。男だってさ、女の前じゃちょっと態度変わるでしょ? 動作に隙が無いようにするとか。それと同じなの」
「はあ、まあ言いたいことは分かります。それがクロノさんの好きな人と何か関係が? そういう人が好きって事ですか?」両手を上下に分けて、反転させる。
「逆よ。そういう女の子が嫌いって事じゃないけど、出来るならそのままの自分を見せて欲しいってさ。まあある意味贅沢なのかも、違う意味での亭主関白って言うのかしら?」
「そういう歌ありましたね。名前は忘れましたけど。データに残ってるだけですし……あ、A.D千年には無かったか」自分で言って自分で訂正し、忘れてくださいと促してくる。私は特に気にせず話を続ける。
「そういう、女の子になりたかったのよ。私。だから他の女の子たちと違って自分をそのままに出そうと思ってた。町の女の子が趣味の話でキャッキャ言ってて、私もそれに乗ってワイワイ会話してもクロノにはそんなことしなかったし、スカートなんか履いたこともない。化粧も知らないし、まあそれはそんな暇無かったっていうのも本当だけど。そりゃあ本当は可愛らしい服とか、綺麗な化粧とか、やってみたかった。でもクロノはそういうの好きじゃなかったから、そう思ってたから、ずっと我慢してた」
「……マスター?」


 そうだ、ずっとクロノの隣にいようと努力してた。小さい頃から、怖い事でも何でもないように、迷ったりしないように、本当は怖いし迷ってるけどそんな素振りはしないように自分を騙してた。今も騙してる。頑張れば頑張るほどクロノに近づけると信じて疑わなかった。だって頑張ってるんだもの。他のどんな女の子より頑張ってる自信がある。もしそれより頑張ってる子がいればさらにその上に行く覚悟もある。私の人生は、クロノへの恋心が勘違いだったとしてもクロノの隣にいる為にあった。科学の隣に彼がいた。どちらも、命を賭けるくらいに必死だったの。嘘じゃないの。
 どれだけ油塗れになったって、スライサーの整備で指が飛びかけたって、火花ばかり見て視力が極端に落ちても科学に打ち込んだ。実験や研究で寝てなくたって、高熱にうなされたってクロノとの約束を破った事はない。必ずその場所に向って、クロノと別れてから玄関で倒れた事も片手じゃ足りないくらいある。妥協してるなんて言わせない、どっちも私の人生において全力だった。


「ロボ、ロボ。聞いてよ、ねえ」ああ、もしかしたらって希望を持ってたけど、もう無理だって分かる。沢山消えていく、私が消えていく。「私、お母さんを助けたの。ゲートで十年前に戻って、過去に戻ったのよ。そこでお母さんを助けた。きっと今、私の家に行けばお母さんがいる」
「え? え? よく分からないですけど、それって良い事ですよ、ね? 何でマスター、泣きそうなんですか?」おかしなもの見る目つきでロボが所在なさげに聞いてくる。私の気分が移ったのかしら? だとしたら、申し訳ないけど、ごめん気にしてられない。
 当たり前だけど、きっと彼には分からないだろう。私の母が生きているという事が私にとってどういう事か。それは素晴らしい事。私は、自分で言うのもなんだけど、子供ながらにお母さんが大好きだった。子供なら誰だってそうだと思うかもしれないけど、本当に好きだった。だから、助けられて本当に良かったと思う。それは間違いないの、間違いないけれど。


「でもね、でも、お母さんがいなかったからなの。だから始まったのよ。お母さんが死んじゃったから私がいるのよ」
「あの、マスター! 大丈夫ですか!? 凄い汗ですよ!」
 腕を体に回して、自分で自分を抱きしめる。何処かに行こうとする己をその場に留める様に、離れたりしないよう、縋るみたく。あはは、クロノに縋るだけじゃなく、とうとう私、自分にまで縋るんだ。
「お母さんが死んじゃったから、私はクロノに会えた! クロノを好きになったのよ!!」


 不規則に体が揺れる。何度も側の木にぶつかったり草むらに足を突っ込んだりしながら、体が揺れる。もう自分では私が揺れているのか他の全てが揺れているのかも分からない。誰かに繋ぎとめてくれないと私は私でいられないのだ。その誰かは、今ここにいないあいつに他ならない。
 隣にいてくれるって、言ったのに。でも無理か、そんなの無理よね。ずっと隣にいるのは比喩で、本当にずっと自分の近くにいるのは自分以外に無い。
 でも私は、これからなるだろう自分が嫌い。どうしろというのだろう。
 お母さんが死んで、クロノに出会って仲良くした。勿論、お母さんがいなくても私とクロノは仲が良かったと思う。どちらも行動的と言えば行動的だし、お互いの親も仲が良い。いつかは会っただろう、多分友達にもなっただろう。でも好きになった? あれほど、壊れるほど彼を愛しただろうか? きっと……無理だ。奇跡でもない限り。
 きっと彼と私は仲の良い幼馴染であるだろう。でもそこに愛は無い。常日頃彼を考える事はないだろう。その分科学に打ち込んだり、または友達とのごく普通の遊びに興じたりしただろう。変わってるけど『女の子』している私になるのだ。
 ……そんなの、私じゃないよ。私じゃないの。
 呼吸が出来ない、これから訪れる作られた記憶の波に溺れてしまう。今私に目はありますか? 耳はありますか? あるなら何で見えませんか? 聞こえませんか?


「消えていく、私がクロノを好きである理由も、好きになった原因も、好きだった記憶も!! 助けてロボ、お願い、助けてよ! クロノーッッ!!」
「落ち着いて下さいマスター! マスターはここにいます! 何にも変わったりしませんから!! だから!!」


 寄生虫みたいだ、と妙な考えが浮かぶ。今まで私に寄生していた『私の記憶』が、私に飽きてもう一人の新しい私に移っていく。古い私は用済みだと言わんばかりに。必要ない記憶は切り落として新しい私になっていく。私にとって必要な記憶は、大分すれば二つ。さっきも言ったとおり、科学とクロノ。多分命より大事な宝物。前者はともかく、後者は記憶があってこそなのに。辛い記憶もあるけど、全部自分の手で拾い集めたものなのに。膨大すぎる記憶は両手の隙間からぽろぽろとすり抜けて消えていく。床に落ちた『それ』はまた再構成して、新しい私へと……私へと。
 そして、思考は停止する。ほんの、短い時間だけれど。


 これもある意味、死なんだろうか? さよなら今までの私。上手くやってね、新しい私。
 それと……誰に言うべきなのか分からないけど、ごめんなさい。












「どうしたのロボ? そんなに顔近づけて、草むらの中に蛇でもいたの? 私も苦手だから、あんまり頼りにしないでよ?」


 やっぱり、彼はいつまで経っても子供だと思う。切なそうに目を細めて私に抱きつく姿は少年どころか、幼児にまで逆行していそうな姿だ。マールが喜びそうと言えば、そうかも。ある意味ここにいなくて良かったかもね。ロボにとっては災難以外のなにものでも無い事になりそうだし。


「マスター? あの……」もじもじと指を絡めて、何か言いたげに私を見上げてくる。本当に何かあったのだろうかと心配になってきた。肩に手を置いて目を見つめる。数秒そうしていると、彼から視線を外してきた。何が何だか分からない。
「どうしたのよロボ、お腹でも痛いの? ……って、アンドロイドにそれはないかしら」自分で言って、自分の言葉のありえなさに苦笑する。アンドロイドに感染する病原菌なんてありはしないだろう。ウイルスとか? 未来ならもしかしたらそんなものもあるかもしれないけれど、ここは現代。まだそんなサイバーなものは存在しないだろう。意思や痛覚を持つ自立機械の個体数自体少ないのに。
「……なんでも、無いです」


 妙なロボね、と肩を竦めながら立ち上がる。こんな夜中に起きているのに、妙に体の調子が良い。このまま起きて冒険に出れそうなくらい。でもまあ、エイラをあのまま寝かせておくわけにもいかないし、とりあえず仮眠だけでも取りましょうか。必要ないと思うけど。
 たき火の火を目印に、火の光源目指し歩くけれど、ロボが一向に追いかけてくる気配が無い。ずっと俯きながらその場を動かない様子はどう見ても異常だった。やっぱり調子が悪いのかと不安になる。見るべき所は全て見たつもりで、何処か見落としがあったのだろうか。


「……マスター、マールさんとクロノさん。なんだか良い感じですよね。あの二人くっつくんじゃないですか? それともカエルさんとクロノさんかもしれませんね」


 ……まさか、それが気になってぼう、としていたのだろうか? 子供とはいえ、恋愛事に好奇心を抱くなんて、見た目と違い何百年も生きている証明かもしれないわね。いや案外子供ってそういうものなのかも。私がロボと同じくらい(見た目は)の時には恋愛なんて考えた事も無かったけど。なんとなく、小さい頃の夢はお嫁さんだったけど、少し生きてみれば興味がなくなるものね。


「あの馬鹿にマールは勿体無い気もするけど、まあそうよね。カエルも悪い人じゃないし、どっちになってもクロノからすれば僥倖じゃないかしら」腰に手を当てて、何だか説明するような自分に笑ってしまう。
 何故だか、ロボが悲痛そうな表情を浮かべていた。ああ、まあクロノを慕ってるロボからすれば聞きたくない言葉かもしれなかった。ちょっと、反省しなきゃね。
「あの! ま、マスターとクロノさんは!? 結構、お似合いだと思うんですけど!」ロボは突拍子も無いことを真剣に言ってくる。私とクロノ? そんなの……
「無いわよ。ただの幼馴染なのよ? ロボの場合とは違うの。大体、クロノってどうも子供っぽいしね。まあ頑張りやだし嫌いじゃないけど、なんだか弟みたいで、恋愛感情なんて覚えた事もないわ」


 長い間一緒にいたせいでもあるんだろうけど、あいつと彼氏彼女なんて冗談にもならない。そもそも私の好みは大人っぽい、ストイックな男だし。クロノは到底そんな男じゃないし、なり得ない。それはそれで良いって子もいるんでしょうけど。結構あいつモテるしね。何回紹介してって言われたことか。あいつも私に男紹介してきたし、お互い迷惑かも、なんて遠慮は無かったけど。


「あいつも私に恋愛する気はないでしょ、姉弟の関係が一番しっくりくるわ」


 これ以上言い飽きたことを話すのは御免だったので話を終わらせて、体を反転させる。幼馴染と言うだけで色んな人に「付き合わないの?」と言われてきたのだ。特に女性に。町に若い男がいないせいでもあるんだろうけど、クロノばかり目当てにされて他の男の子が可哀想でもあった。立場を変えて、クロノに「お前ばっかりもてて他の女の子が可哀想だ」と言われた時は頬を叩いてやったけど。女の子の気持ちが分からないなんて、やっぱりあいつは男としてなってない。マールも苦労するでしょうね。
 それっきり、ロボが黙りこくり、ぶるぶると体を揺らしていたので、私は何事かと思い彼に歩み寄った。


「……ああ、これがマスターの言ってた、自分が消えるってやつですか」『消える』という物騒にも聞こえる事をロボが呟いていたので、また振り返る。もう、ある意味この子も弟みたいなものよね。目が離せないという点では、クロノよりも手が掛かるわ。
「今度は何?」ちょっと疲れ気味に聞いてみると、ロボはなんでもないですと前置いて、意味の分からない事をつらつらと並べ始めた。
「ただ、僕の知ってる人間関係が書き換えられていく、そんな気分になっただけです。辛いというのとは違うけど、何だか寂しい」側頭部に掌を当てながら、ロボが感情の分からない顔で言った。
「それ、何かの詩? ちょっとよく分からないし、感動も出来ないわ」
「……はは、僕もですよ。気分の良いものじゃない。でも、これだけは言わせてください」
「な、何よ?」ロボは息を大きく吸い込んで、吐き出しながら悔しそうに呟いた。
「さよなら、前のマスター。それと、マスターを知る僕」
 どういう事なのか、問い詰める暇も無く、彼はそそくさと去って行った。


 それっきり、会話も無く私たちはエイラの所へと向った。ロボはそのまま座り込み顔を隠すように両手で頭を抱えて、腕枕で寝る。私も気に寄りかかり目を閉じた。木々のざわめきが心地良い。今日は良い夢を見れそうだ。


「あれ? 何で……」


 目を閉じたと同時に、涙が溢れてくる。別に悲しくもないのに、悔しくもないのに嗄れることない勢いで涙がぼろぼろと、ぼろぼろと。
 悲しくない。悔しくもないし怒りも、また嬉しくもないのにこんな事ってあるんだろうか? ロボの体調を心配しておいて、自分の体調が心配になるなんて、どういうことよ、全く。
 何度も言うけど、涙が出るであろう一般的な理由は何一つ浮かびはしない。だって、何も変わったことなんてないのだから。
 ──ただ、強いてあげるとすれば。胸の中がスウ、と空白になったような、何か大切な『もの』を失くした時に似た、そんな物足りないような、寂寞とした気持ちがある。
 そんな気がした。きっと気のせいだろうし、仮に原因があったとして、それを知る事も、無いのだろうけど。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/05/21 01:02
 虹色の貝殻と言われる物があるという。虹色の貝殻、その響きだけできっと「七色に輝く美しい貝殻なんだろうな」と思われるだろう。ではそれは何処にあるのか? と問えば素っ頓狂な表情になり「御伽噺でしょう? 本当にそんな物があるはずないじゃない」と口を真横に裂くだろう。人魚や妖精と同じ類の物と考えている。道理ではある。
 しかし、探検家、トマ・レバインはそう考えなかった。幼少の頃よりの夢だったのだ。幼き日に祖父から聞かされた話をまだ覚えている。
 祖父は、今のトマと同じ探検家だった。薄暗い洞窟、海の中に存在する神殿、古代の秘法が眠る山の遺跡。迫り来る天井、床から飛び出す槍や左右の穴から溢れ出る毒蛇に毒のガス、新鮮味があったのは人間を溶かす酸を霧吹きのように吹きかける猿を模した銅像か。とにかく、そのような場所を巡り、罠を掻い潜る話を幾度も聞いた。その度、胸躍る想いだった。
 母と父は、ごく普通の人間だった。危険とは無縁の、徴兵時にさえ金銭を支払い見逃してもらったほどの、生涯において命を脅かされることは一度も無い平々凡々の毎日を生きていたのだ。
 それゆえか、トマが探検家になると言い出した時は、子供が嵐の森を散歩すると言った時のように驚き猛反対した。その勢いたるや、とても近所で評判の大人しい夫婦とは思えなかった。今まで聞いた事もないような恐ろしい声で説得というべきか脅しというべきか判断のつかない、恐ろしい父親の顔を、トマはまだ覚えている。同村の友達に話したときの、あの異端を見る目つきも鮮明に脳裏に刻まれている。そこでトマは気付いた。「ああそうか。ここは俺のいるべき世界ではないのか」と。
 彼はその日の内に村を出た。切っ掛けは見知らぬ世界への探究心だが、起爆剤は両親の言葉。友人たちに自分の夢を話したと告げるや否や、腕を振りかぶり己の顔を叩き倒したのだ。
 その暴力で不貞腐れたわけではない。問題はその後に続いた言葉。「お前も父と同じ、妄想癖があるのか」と。
 ショックだった。父の隣にいる母も頷いていた。ということは、自分の友達も、いやこの村の人間は祖父をそういう、頭のおかしい人間だと思っているのか。あの勇敢で優しい、笑うと皺くちゃの顔にさらに皺が増える大好きな祖父を。
 無我夢中だった。幾つもの山を越え、海を渡り、見知らぬ町に辿りつくまで走り続けた。
 その後の事は、今一つ覚えていない。何かをする為に何かを為していただけだ。例えば、最初に考えたのは、探検家には体力が必要だろう、道場にでも通うべきか? いやその前にお金を稼がねば。では仕事をしよう。宿はどうしようか? 探検家たるもの、野宿が当然だ。では寝袋も買わなくては。とくるくる回った思考だった。
 生きるだけで精一杯だった。道場に通う事は、結局一度も無かった。そんなことをせずとも、並みの魔物ならば蹴散らせるくらいには強くなった。今彼が道場に通えば、型通りならば勝負にはならずとも、戦いという舞台なら彼の圧勝だろう。彼の力は既に騎士団に肩を並べるほどであった。
 今までにも、色んな洞窟を巡り、様々な宝を見つけてきた。仄かに青く光る神像、ダイヤで出来たナイフ、被ると人に認識されづらくなる帽子。中には危険だと感じ自分で処分したこともしばしばだった。
 彼は思う。もう良い頃合だろう。自分の夢を探しても良いんじゃないか? あの祖父から聞かされた、虹色に輝く貝殻を探しても良いだろう。充分に体を鍛えた、探険家に必要とされる判断力も、学者にも負けぬほどの古代語や地質などの知識も手に入れた。挑戦すべきだ、と己が拳を握る。


「マスター、ラムコック!」


 グラスを木製のテーブルに叩きつけながら、店主に酒を頼む。「飲みすぎですよ」と定例句のように宥めるが、トマが「今日はそういう気分なんだ」と理由にも成ってないことを言えば、マスターは何も言わず薄茶色の酒がなみなみと入ったグラスをトマの前に置いた。一息に半分ほど飲み干しても、まだ酔わない。緊張しているのか、と自分を笑う。
 トマが懐から四方一メートルはある大きな紙を取り出した。隣の席に誰も座っていない事を良いことに、広々とテーブルを使う。一瞬マスターがむっとした顔を見せるが、その後自分の店を見渡し、他に客らしい客もいないことを確認して、別に良いか、と思い直した。誰の迷惑にもなっていない今、唯一の客である彼を注意して気分を悪くさせるのは得策ではないと判断したのだろう。
 そんなマスターのマナーと利益の取捨選択を気にする事無くトマはじっ、と紙を眺めている。筆で書かれたような薄い文字を必死に解読しているのだ。
 それらの文字は全て古代語らしき字で統一されている。文字ということは分かる、だが人間の文字ではない、少なくともあらゆる文献にこのような文字は載っていない。トマは紙の隣に鞄から取り出した分厚い辞書を積み上げると、今までに何度行ってきたか分からない翻訳を始める。今まで一歩も進んでいないのだ、酒でもないとやってられないのか。はたまた酒の入っていることが功を奏すかもしれないと一縷の望みを賭けたのか。
 本腰を入れようと椅子を引き、姿勢を整える。からん、とドアに付けられているベルが鳴った。来客か、とトマは舌を打つ気持ちになった。万が一騒がしくするようなら蹴って追い出してやる、と酒を嗜む場所で理不尽な事を考えていた。
 睨み付けるように店に入ってきた者を見る。最初に入ってきたのはある金髪の少女だった。トマは目を見開く。驚くのも無理は無い、その少女の見目形、何から何までガルディア王女そのものだったのだから。いや、少女と思ったとおり、年齢差があるのは分かっているのだが、それを踏まえても生き写しのようだった。片手に持っていた蒸留酒が床に落ちる。ガラスが床に落ちる高い音を聞きつけて、少女が「大丈夫ですか?」と聞いてくる。トマは案外、自分は良い線いってるのか? と内心笑いながら「大丈夫だよ、ありがとう」とできるだけ平静に答えておく。少女はニコリと笑い、マスターにメニューを貰っていた。心なしか、マスターの対応も柔らかい。


(ふむ、まだガキだが、今の内に手をつけておくのもアリか。いや、何を言っているトマ・レバイン! 俺は誇り高き探険家、そのようなことでどうする!)


 自分の夢への手がかりである紙にアルコールが染みていくことにも気付かず、トマは大人にあるまじき誘惑に耐えていた。自分の立場を思い出し、すぐに改めたが。


(そう、俺は探検家。狙った女性が幼いというだけで迷うなど、探険家失格だな)


 とある時代ならば通報まっしぐらであろう考えに落ち着き、トマは席を立った。顎に手をやり、髭の剃り残しが無いか調べる。服に鼻を近づけ息を吸う。多少酒の臭いが強いが、気になる程じゃない。トマ・レバインはいけると踏んだようです。


「あっ、こっちこっち! すっごい空いてるよ!」
「馬鹿マール! そういう事は店の中で言うもんじゃ……いや、どうもすいません」


 連れだろう男の声を聞いた瞬間、あっさりと身を翻し、トマは席に戻る。トマ・レバインは興味を失ったようです。
 見るからに気分を害した様子の彼は舌打ちをしながら椅子を足で乱暴に引き腰を落とす。マスターの珍しく柔和な顔も今では岩鉄のように硬い物へと変わっていた。酷く歪で奇妙な連帯感が彼らの中に生まれていたのは喜ばしいことなのか。
 遅れてやってくるだろう男に怨嗟の視線をぶつけるべく、ドアの方を窺っていると、なんとも懐かしい顔が現れたので、トマは肩肘ついた体勢から飛ぶように立ち上がった。そして、喜色の篭った顔で「クロノか!」と叫ぶ。
 現れた赤毛の男は、驚いたようにトマを見つめていた。












 星は夢を見る必要はない
 第四十一話 虹色の貝殻と夢と探検家












 現代の城の様子を見て、私は結局肩を落とすだけの結果になった。飽きもせずああだこうだと言い合って、やはりトルース町の民度は低いだの、そう言えばあの町の者は徴兵率が低いから王族への敬いが足りないだの、税収を引き上げて思い知らせてやるべきだとか、独裁制万歳とか何が楽しいのか延々話しこんでいた。こんな考えの人間がガルディアの兵にいるなんて、と少し頭が痛かった。易々と私に侵入を許した時点で大分評価は下がっているけれど。
 父上には、結局会えずじまいだった。病床に臥せっているという噂を聞いたから、少し心配になったのだけれど、流石に王族の間に入り込む隙はない。会えたところで、どうでもないのだろうけど。
 帰りがけに、気が抜けた私は城の廊下ですれ違った大臣に「お疲れ」と言ってしまった。相手もまた「おや王女様。聞いてくだされ、昨日のワシったらお盛んだったのじゃよ」と吐き気を催す程興味のない話題を振ってきたのですぐさま城を飛び出した。今考えれば、いやいや今考えなくても、気落ちしていたことを見ても、何をしてるんだろう私。世間話に乗ってきた大臣も大臣だけど。あの後、私を見つけておきながら捕まえようともしなかった彼に厳罰が下ったに違いない。なんというか、申し訳ないなあ。
 城を出た私はそのままリーネ広場に向かい、時の最果てまで移動した。いつもの外灯が設置してある広場に出ると、肩で息をしている魔王とクロノを見つけた。互いに傷だらけで、私は訳を聞く前に二人にケアルを唱える。
 まさか今更になって喧嘩でも始めたのかと不安になり、二人、特に魔王を睨みながら問う。


「マール、二人で戦ってたのは本当だけど、喧嘩じゃないし、頼んだのは俺からだよ」
「あ、そうなの?」てっきり魔王が難癖つけてきたのかと思ってたので、驚いてしまう。「証拠も無しに疑うか、歪んだ性格よな」と、魔王の言。別になんとも思って無いくせに謝罪を要求する辺り、彼は例年通りだ。当たり前に性格が悪い。
「ごめん、魔王のことだから、適当な理由でクロノを虐めたのかと思って」負けじと、棒読みで謝っておく。嫌味を添えて。
「虐めって、俺そんなに頼りないっけ?」クロノが切なそうに目を細めて項垂れる。他意はないんだけど、魔王とクロノじゃ、ほら、ね。


 どうやら魔王に向けた銃弾は見当外れに飛んで行き赤毛の彼に被弾したようで。ごめんと言えば良いのかむしろもう黙ったほうが良いのかもしれない、私の場合。
 そう思って、口を真一文字に閉じたのだが、その後の魔王の発言に驚き、呆気なくその考えは崩れ去る。


「言っておくが、客観的に見て勝負に負けたのは私だ」
「嘘!!」決め付けるように言う。やはりクロノは悲しそうだった。
「もういいや……で、魔王。“あれ”使えるかな?」顔を浮かせて、クロノが魔王に聞く。
「使えんな。どれ程硬度が高く折れずとも、何も斬れぬのなら役に立たん。盾代わりにもなるまい」
「だよなあ。まあ良いけどさ」よっ、と勢いを込めてクロノが立ち上がる。次に、私の方へと歩いてくる。
 こうしてみると、背が伸びたなあクロノ。一緒に旅をするようになってそれほどの月日があった訳でもないのに、私はふとそう感じてしまった。大きくなったのは、背だけじゃないのかもしれない。
「マール、ちょっと中世に行かないか?」散歩でも行かないか? というような口調で言ってくるクロノに、私はとりあえず「どうして?」と疑問を返す。
「いや、残ったハッシュの助言は中世にある幻の虹色に輝く物って奴だけだろ? ああ、後原始より陽の光を集める物だったか」再確認するように、指折りながら課題を数える。


 課題、正にそれだよね。進歩しているようで停滞しているようなこの状況にやきもきするのはわたしだけだろうか? ……というよりも、私だけ何もしていない気がする。一応仲間の送り迎えという名目はあったが、魔王やカエルのように修行をしたわけでもなく、ロボのように自分から行動を起こしているわけでもない。エイラとルッカはコンビで様々な問題に取り組んでいるし、一応私も手伝いはしたけれど、本当に少しだけ。クロノはどういう原理か目を瞠るような速さで強くなっていく。なんだか、置いてけぼりにされている気分だった。


「クロノ、後者の陽の光を集める物は見つけたよ。見たいなら、ルッカの家に置いてある」素っ気無く、私は言う。
「マジかよ! 凄いな。いつの間に……」
「クロノは用事とか、カエルに付き合ったりロボを迎えに行ったりしてたでしょ? その間私たちが何もしてなかった訳じゃないよ」少しでも自分の自信を取り戻そうと、胸を押し出し功績を強調した。何のことはなく、ただ空しいだけだったけれど。
「ふうん、じゃあその話は中世に行く途中、シルバードの中で聞くよ。魔王も一緒に来るか?」振り返りながら、魔王に問う。
「私はここの獣臭い化け物と自分を高めておく。雑用は貴様らでこなすがよい」


 言って、魔王はこちらを見ることも無く奥の部屋に入って行った。デレ時はまだみたいだ、と下らない事を思う。「じゃあ行くか?」とクロノに言われ、一も無く私は頷いた。ここらで私も活躍しないと自分の価値が分からなくなりそうだ。自分でもこんなに弱気になるなんて珍しいと思うけれど、まあそういう時期なんだろうと納得させる。動いていれば、忘れるものだよね。
 桟橋に待機させているシルバードに乗り込み、中世に飛ぶ。いやはや、最初に比べると随分簡単に操作できるものだね、ルッカは見ただけで操作出来たけど。ちょっと嬉しそうに高笑いしてたのがいらっ、としたけど。その分色々相談に乗ってくれてるから、別にいいけど。
 シルバードの中で、私はクロノがせがむままに話をした。太陽石を見つけたときの話だ。一言で言ってしまえばお使いのような探索だった。
 世界中を回り、未来の神殿に置いてあった暗黒石という石を見つけた時くらいか、戦闘があったのは。目玉の化け物がこれでもかという程出て来た時は、驚いた。ルッカが何とか自分の鞄に入り込もうとしていた時は噴出した。
 ──あれ? 違う違う。ルッカはすぐに銃を取り出して戦い始めたんだっけ。記憶違いにも程があるや私。
 結局、びっくりしたエイラが暴走して片っ端に目玉を叩き落し(または握り潰し)て戦いは終わったんだけどね。正直魔物の不気味さよりエイラの遠慮ない殺戮の方が怖かったのは内緒。緑と紫の体液を体にびったりつけながらおどおどしてるエイラは、ごめん。可愛くはなかったなあ、怖がりなチワワというより怖がりな処刑執行人というか、例えが浮かばないくらい怖かった。
 それから、暗黒石を太陽石に戻す為、長い間光に当て続けていたら、途中で誰かに持っていかれて、それを探して、その誰かから返してもらう為にお金を払う羽目になって、ルッカと私で共同に作戦を立てて穏便に無料で返してもらって、(脅しじゃないのでふ)また光に当てて……駄目だ。話しているこっちも鬱になるくらい面白みのない旅だった。
 けれど、私の予想に反してクロノは楽しそうだった。というか、ニヤニヤと顔を歪めて私の話を聞いている。「こんな話で面白い?」と聞けば「面白いよ」と言ってくれる。もしかしたら、私には話術の才能があるのかもしれない。全てが終わればクロノとルッカで旅芸人として世界を周ろうかな。私が司会でルッカがバニーでクロノが一発ネタ。もしくは刀を使った曲芸とか。


「だって、人の苦労話は蜜の味じゃないか」
「クロノ、ここで降りてくれる? 何処に行くか分からないけど、それでクロノが苦労したら私は楽しいし」
「冗談だよ。二割は」


 私の反応すら楽しいのか、声を押し殺して笑う彼に一度殴りたいなあという暴力衝動がエンヤコラする。ソーランになると我慢の限界である。


「河内なら?」
「宣戦布告くらいかな」
「思ったより、穏やかな精神状態なんだな。もっと荒くれると思ってた」


 下らない話を終わらせて、ふと会話が空いた。充分楽しめたというように、満足気な顔をしているクロノの横顔を盗み見ていると、ふと、二人きりなんだなあと思い出す。
 別に、だからといって恋愛小説見たく顔を赤らめたり、鼓動が激しくなる事もない。現実は小説より奇なり? いやいや違う。これが普通なんだろう。
 なんでもない時間を二人で過ごしていても苦にならないのは、特別な感じがして、ちょっとだけ嬉しい。まだ甘酸っぱい空間を形成するには、私たちは若いのだろう。クロノもまた、そういった、その……情事というか、それは飛躍しすぎか。よりも、馬鹿話に興じるほうが良いと思ってるみたい。


「マール」短く、私の名前だけを呟くクロノ。同量に短く「何?」と返す。
「揉んでいいか?」
「ほら、そこのスイッチを押すでしょ? そしたら助手席の椅子が真上に飛ぶから。聞いた事もない時代に行けるよきっと」甘酸っぱいを遥かにぶっちぎる事を言い出したので、冷静にクロノに指示を出す。真顔で言うかな、そういう事。最近変態発言が無いから安心してたのに、これだ。彼は私の理想を常に裏切ってくれる。
「いやだって、マールがずっと俺の顔見てるから、したのかな、って」
「何をしたと思ったの?」嫌な予感しかしないけれど、彼に聞いてみる。すると彼は「良い天気だね」くらいの、何でも無い事の様に言った。
「発情」


 うわあ、人間って、凄い飛ぶんだね。
 思わずたまや、と言いたくなった。


「大抵、女性の男性へのセクハラは寛容されるけど、逆はそうじゃないんだよな。差別だ」時空空間へ生身で飛び出したクロノを回収した後、意の一番に発言した言葉がそれだった。少々呆れながら、私は口を開く。
「それが言い訳になると思ってるからこそ、性犯罪はなくならない。城にいる私の乳母の口癖だよ」
「良い教育を受けてるんだな。到底、王女様に施す教育とは思えんが」
 クロノの皮肉にもならない愚言を聞き流しつつ、シルバードのハッチを開く。中世についたのだ。この速さに快適さ、一々ゲートを介して時代を越えていたのが懐かしい。なんとはなく、シルバードの銀色の翼を撫でた。助かってるよ、とお礼するみたく。
 それから、特に明確な手がかりがあるわけでもない私たちは、喉の渇きを訴えたクロノの言葉に従い、トルースの居酒屋に足を向けた。どうにも、お酒は弱くないがそれとは話が別で、私はアルコールを好まないのだが。好きこそものの上手なれとは言うが、上手だからとて好きとは限らない。逆算はできないこともある。私は紅茶か、最悪牛乳でもあれば良いかと思いながら、居酒屋の扉を開けた。カラン、と澄んだ音を鳴らす扉は酒を嗜む場所には不似合いではないかと余計な考えが過ぎったが、鈴の音が鳴ったところで文句を言う客もいないよね。「お前の店に鈴をつけているせいで、俺は女に振られた」とか言い出す客がいれば見てみたい。指を差して笑うには好都合だし、それこそ酒の肴になる。再三言うが、私は今飲む気はないのだけれど。
 鼻と口の間にカビのような髭を伸ばしている店主、しかし何故だか似合う彼に一度頭を下げてから、店内の空き具合に驚き、後ろを歩くクロノに声を掛けようとしたのだが、その前にガラスの割れる音が耳に入りそちらに顔を向ける。どうやら、客の一人がジョッキだか、ピッチャーだか正式名称は知らないけれど、いやただのグラスかな。酒の入ったグラスを床に落としていた。反射的に「大丈夫ですか?」と聞けば、風体に似合わず無邪気な顔で「大丈夫だよ、ありがとう」とお礼の言葉まで付けてくれる。礼儀正しいのだな、と感心してから、今度こそクロノに声を掛けた。
 遠慮ない言葉を用いた事に彼は顔をしかめたが、引き摺る様子も無く、私が座ったのを見終えてから、自分も隣の席に座ろうとする。


「クロノ!」座ったばかりなのに、自分の名前を呼ばれた事に驚き、クロノはまた飛び上がるように立ち上がった。声を掛けたのは、私がさっき話しかけた、いかにも冒険家という服装の、筋肉質な男だった。クロノは一度細目になり、自分の記憶をかき混ぜて何かを浮き上がらせるようだった。暫しの間を置き、指を鳴らして、クロノは「トマか!」と嬉しそうに叫んだ。


「そうだよ、はは、お前ちょっと忘れてただろ! 元気してたか、世界一の色男」
「元気だったよ、まあ、色々あったけどさ。あんたこそ元気だったのか世界一の探検家」


 言い終わってから、二人は同時に噴出して、肩を組み始めた。友達なんだろうか? 中世にも私の知らない友達がいるなんて、クロノの交友関係は侮れないなあ。
 このまま置いてけぼりにされるのも悔しいので、クロノの服を引っ張り「紹介してよ」と口を挟んだ。


「彼はトマ。前に、マールがこの時代で行方不明になった時があったろ? まあ本当は王妃様だったんだけど……とにかく、トマのお陰でマールを救い出せたんだ」トマさんの肩に手を乗せながら、クロノは何故か自分の手柄のように嬉しそうに教えてくれた。
「へえ。じゃあ私にとって命の恩人だね、ありがとうトマさん」
「ん? ああ、よく分からんが、どういたしましてお嬢さん。名前を聞いても良いかな?」
「私はマール、クロノの友達です」
「友達か。まあガールフレンドも『友達』だしな」含みのある言葉だけど、否定する気は無いし、気分が良いのでそのままにさせておく。


 私たちはカウンターではなく、トマの座るテーブル席に座らせてもらうことにした。注文は、クロノがビールで私がハープーン。さっきの心境とは違い、思わぬ友達が作れたお陰で、私も少しだけ酔いたい気分だった。私の注文を聞いたトマが「ある意味、お揃いだよな」と自分のグラスを持ち上げた。「クーバ・リブレだよね」とそのグラスを指差して、私が自慢げに知識をひけらかすと、「正式名称かよ」と少しだけ驚いていた。
 それから、多少お酒の話で盛り上がると、置いてけぼりにされたと思ったのか、クロノは少し声を大きめに、「これって何だ?」とテーブルの上に引かれた大きな紙について訊ねた。うん、確かに私も気になってた。まさか、この店独特の敷物ではないだろう。他の席にそんな小洒落た物はないし、鈴と同じく不似合いだ。


「これか?」トマが指先にその紙を摘み、持ち上げる。「これは、俺の夢への第一歩だ」
「夢と紙切れが繋がるのか?」皮肉にしか聞こえないけれど、トマはそう受け取らなかったのか、笑みを洩らした。
「鋭いな、クロノ。夢と紙切れは繋がらない。繋がるのはほら、これだ」紙に書かれている妙な文字? ミミズがのたくったような、けれども意図があるのだろうと推測される、象形文字にも似た何かを指差した。
「文字だよ文字。これが俺の夢を教えてくれている。まあ何て書かれてるのか分からんがな」
「トマの言うとおりなら、そこに書かれてるのは“トマの夢”って事になるね」
「違いないな……どうしたクロノ、俺の涎でもついてたか?」トマは、自分の持つ紙を熟視しているクロノに軽口を投げた。
 それい応じる事無く、クロノはいつまでもその紙を見ていた。その表情は信じられないとか、まさかそんな事が、という感情がありありと浮かんでいて、私ならずとも、興味を惹かれた。トマならば、その想いはさらに強いに違いない。マスターが、私とクロノの分の注文分を持ってきた事に気付いたのは、彼が咳払いをしたときだった。それくらいに、私たちは固唾を飲んでクロノの反応を待っていた。
「……トマ。これって、虹の貝殻について、とかだったりするか?」クロノの言葉に、トマは勢い良く立ち上がり、今までの楽しい空気は無かったかのような形相でクロノに詰め寄った。首を絞めかねない、そんな雰囲気だった。「何故分かるんだクロノ! お前、それが読めるのか!?」
 クロノは泳いでいる視線で、私に目を向けて、呟いた。


「これ、恐竜人の文字だ」


 私は何を言えば良いのか分からず、手近にあったダークラムのカクテルを喉に放り込んだ。






「明朝、待ち合わせはここの店だ。良いか?」トマが、張り詰めた顔で確認を取る。その表面張力にも似た空気の中発言するのは勇気が必要だったが、私は挙手して「このお店、朝も開いてるの?」と聞く。午前にも開いている夜酒屋とは、あまり聞き覚えが無かったからだ。
「ああ。この店は、夕方から深夜まで飲み屋だが、朝から昼過ぎまではパンをむしゃぶる店なんだ。ここのメープルは甘い物が嫌いな俺でも喰えるくらい、絶品だ」時間があったら明日食べてみな、と加えて、彼は手を振りながら夜の街に消えていった。まあ今のトルースは村なんだけどね。
 私とクロノは肩を落として息を吐き、互いに見詰め合う。恋人的なそれは一切無く、彼と私の目には戸惑いしか無かった。
 結局、私たちはその紙が示す場所をトマに教える代わりに、彼の探検に付き合わせて貰う事にした。虹の貝殻を見つけたいのは私たちも同じ、かといって彼の夢を横から奪い取るのは気が進まない、というか嫌だった。別にその貝殻を手に入れろとハッシュは言わなかった。なら、とりあえず見つけることに意義があると思ったのだ。
 トマは付いて行って良いか? と聞く私たちに二つ返事で了承した。私というよりも、クロノという恐竜人の文字を読める存在は必須だと考えたのだろう。
 ……これで、明日はトマと私とクロノの三人パーティーが結成されることとなった。それは良い、それは良いんだが、問題は。


「どう思う?」
「どう思うって?」鸚鵡返しに問い直した。
「とぼけるなよ。恐竜人は原始で絶滅した。生き残りがいるってのか?」
「うーん……クロノには悪いけど、言って良い?」彼の考えている事が分かるだけに、私は胃が重たくなる想いだったが、彼は恐れずこくり、と頷いた。
「多分、あの時ティラン城にいなかった恐竜人たちの生き残りがいたって事じゃない? その生き残りたちが細々と、この中世まで生きてきた。そう考えるのが自然だと思う。だから……」
「……だよな。そりゃそうだ。悪い、嫌な事言わせちまったな、宿屋取って、明日に備えて眠ろうぜ」片手を上げて謝罪すると、彼はそのまま反転し、目に入った宿屋入っていった。私もそれに続く。宿主に空き部屋の有無を聞いて、シングルを二つ借りた。夜食朝食抜きの一番安い部屋だ。夜食は太るから嫌だし、朝食は明日トマと集まったときに取るから必要ない。お金も余ってるわけじゃないしね。


「くはあ、やーらかい!」


 クロノと部屋の前で別れ、ベッドの弾力に身を任せた。決して良い質のベッドでは無いだろうが、それでも寝具が有ると無いでは大違いだ。最近、シルバードの座席でくるまって寝る事が多かったので、体中にむちうちが出来ていた。両手を伸ばせるのがここまで快適だったとは。この喜びを歌で表現したい。しないけど。ここの宿屋さん壁薄そうだし、クロノに聴かれて明日気まずそうに「歌上手いね」とか言われたら死ぬ。喉を裂いて死ぬ。
 宿の外に風呂があると言われてうきうきで見に行けば、仕切りもない「どーぞ覗いてください」という造りだったので汗を流すのは断念。明日は早めに起きてシルバードで原始に飛んで水浴びしよう、そうしよう。
 つまり、今の私に出来る事は寝るだけなのだ。いや一曲歌うくらいは可能だろうけど、しないってば。部屋に備えられていた、少し埃を被っているくまのぬいぐるみに否定の言葉を放つ。はたから見れば、これはこれで怪しい光景なんだろうな、人形に話しかける女なんて。でもしょうがないと思う。ぜんぜん眠くないのだから、人形に話しかけるしかないのだ。


「ええ、そんなに私の歌聴きたいのクマさん。でもなぁ、しょうがない。一曲だけだよ? 私の生歌なんてもう、一生に一度だからね」


 中途半端過ぎる酒量のせいで、今の私はかえって酔っているのかもしれない。楽しい気分と相反している静寂な空間の差異のせいでおかしくなった可能性もある。とにかく今の私はハイテンション、躁状態と言っても過言ではない。
 木製の、座ればぎしぎしと不快な音を立てる椅子をベッドの前まで持っていきその上にとさっ、とぬいぐるみを乗せる。部屋に備え付けられているおしぼりを丸めて、マイクのようにしてから口元に当てた。スプリングの悪いベッドの上に乗り、一つ跳ねてみる。うん、悪くない。最後に、部屋の蝋燭をあるだけ点けて照明代わりにする。ステージライト感覚だ。
 バック宙返りしながらベッドの上に登り、決めポーズを取る。選曲は、昔から暖めておいた作詞作曲私の『ポニーテール・風に揺られながら』で確定。私の中で鉄板曲と化しているこれならくまさんも大絶叫の大拍手の大歓声に違いない。観客が一人(一匹ともいう)なのは残念だが、文句は言わない。本来、脚光を浴びる人間というのは一人の為であっても精一杯歌うべきなのだ。


「私は私で~、でもそれじゃ貴方は勘違いするの~駄目よそれはニセモノ~私の恋心馬鹿にしない~で~」


 うん、自分でも良い声質だと思う。もっと高いステージを目指せるかもしれない、私ってば。サイン会なんか開けばこう、二、三百くらい集まるかも。単位は万。ちょっと控えめ過ぎたかな、反省っ。
 興が乗ってきたので、ベッドの上だけでなく、部屋中を舞台に見立てて動き回る。可愛らしい動きのポップ調から、ロックなヘッドバンキング、機械的なテクノダンスまで披露した。私には分かる。くまさんは今感涙している。咽び泣いている。あまりの感激と興奮と私のスター性に驚愕しているのだ。むふん、今日はアンコール確定だね。スカウトの人間が血眼になって私を探しに来るのも遠くな──


「あ……いやあの、ちょっと話したい事があったんだけどさ。なんか、マール疲れてるみたいだし、止めとくよ。お休み……ああ、それと、」


 荒れていた息も、動き回った為生まれた熱も面白いくらい落ち着いた私の眼を見ながら、少しだけ開いた扉の先から、クロノが何故だか憂いを帯びた表情で告げた。


「歌上手いね」
「ちっ、違うのクロノこれは違うわ間違いしか無いもん間違い探しでいうなら間違いを見つけてくださいどころか正解を見つけてくださいとかいうくらいの何これ正しい所ないじゃないと指摘すれば『そうこれに正解なんかないの』と返される何それただの引っ掛け!? みたいなそういうあれだからほら! ね!?」何とかしなければならない。何をどうすれば何とかなったのか分からなくともこのまま指をくわえて尚且つさっぱりした顔で「うん! アンコール頑張るね!」とほざくわけにはいかないのだ。ああ、喉を裂く簡単な方法はないものか、とわりと真剣に考えながら、立ち去ろうとするクロノを呼び止めて扉を開ける。マイク? ただのおしぼりならとうに床に放り捨てている。
「ねっ、て言われても……うん。分かったよ、お休みマール」
「分かってないよ!? ていうか、クロノならこういう時いつもからかうじゃない! からかえばいいじゃん! むしろからかって下さい!」土下座でもすれば良いのだろうか。今の私ならやれと言われれば裸踊りすら躊躇わないだろう。
「いや……ごめん、そういう事出来るのって、限度あるし。宗教的なあれなら、からかっちゃ駄目かなって」
「宗教じゃないよ! こんな宗教聞いたことないもの! そ、それに、これは私の意思っていうか、あの、くっ、くまさんが! くまさんが私にやれって!」


 私の『くまさん』発言に、いよいよクロノの顔は青ざめた。ふるふると指を震わせながら、私の部屋のぬいぐるみを指差して、「あれが?」と舌も震えさせて確認を取る。
 ああ、失敗だったなあと気付く私は深刻にパニックに弱いのだろう。誰でも、本気でスターになりきっているところを他人に見られればパニックを起こすだろうけど。それが恋している相手なら尚更。
 しかし、後にも引けない。私は物言わず、少しだけ頭を下向けて肯定を示した。


「そっか……そういう時もありますよね、王女様」


 初対面時よりも距離を感じる!?


「じゃあ僕はこれで。あの、風邪引かないように、暖かくして寝てくださいね」


 僕!? 何その優しい態度!? お腹がキリキリするよ!?


「お願い! 話を聞いてクロノ! クロノーーッッ!!!」


 無情にも、クロノは遠ざかり、自分の部屋に入っていった。今考えれば、何故私は自分の部屋を出て追いかけなかったのか分からない。全身汗まみれの私を見られたくなかったのだろうか。アホか、汗だくの女性と気が狂った女性どちらがマシか考えれば分かるじゃないか。
 どうすればいいのだ、どうすればいいのか。部屋の中を右往左往に徘徊しながら頭を抱える。あああ、こんなことなら三曲目の『HEY! 悠長な所長に成長を促しちゃおう』で止めれば良かった! テンポ的にもそこで終わればベストだったのに! いや違うそこじゃない!


『落ち着けよ』


 部屋の中で生まれた、間違いなく私以外から聞こえるその声に私ははっ、として振り返る。そこにはシニカルな笑顔のくまさんが私を見ていた。
 彼(恐らくは)もふもふの右腕を動かしながら、自分の同じく毛糸がもさもさと生えている胸を叩き、安心しろ、と宥めてくれる。


『まだだ。あんたまさか、これであの男との絆が途絶えたとでも思ってるのか? そうじゃないだろ、あんたとあいつの仲はそんなチャチなもんじゃねえ』
「でも、でもあんな所見られたんだよ!? もうクロノ、私と目を合わせてくれないよ!」
『馬鹿野郎!!』くまさんはぺし、と椅子を叩いて怒鳴った。まあ、怒鳴った声も私なのだけれど。
『お前は信じられねえのか!? 仲間との絆って奴は、そう簡単に解けやしないのさ! 例え御釈迦様が躍起になろうとその絆って糸は千切れねえ、マール! お前にはそれが良く分かってるはずだ!』出来るだけ低い声を出しながら、くまさんを演じる。ぬいぐるみの背中に手を入れる部分があったので思いついたのだ。頭をへこへこ動かしながら、私は私に激励する。
「くまさん……そうだよね! 私諦めないよ、クロノはきっと、ちゃんと私の言葉を聞いてくれる! ありがとうくまさ──」


 部屋の奥に設置されている鏡。そこに映っているのは熱心にぬいぐるみを操りながら自分に語りかけている私と、またもや扉を少しだけ開けて、その奥で口を半開きにしているクロノの姿。明らかに、クロノは見つかった! という顔とやっべえという表情をしていた。
 私はぬいぐるみを椅子の上に置いて、扉に近づく。慌てた素振りをしたクロノの胸倉を掴んだ。


「ちが、違うんだ! 俺は、やっぱりその、マールが心配になったからまた来ただけで、その、」
「幻聴だよ」彼の発言を無視して、私はそれだけ呟いた。
「げ、幻聴って、いや今明らかにマールは」
「幻聴なの」
「や、でも」
「ゲ・ン・チョ・ウ。分かるよね、幻聴の意味」


 扉を足で蹴り開けて、そのままクロノを部屋に連れ込む。何で怯えてるんだろうか。さてはクロノ、大きくなってからは女の子の部屋に入るのが恥ずかしいのかな。可愛い所もあるね、クロノってば!
 引き摺り倒すように部屋の中央にクロノを投げ捨てて、私は笑顔のまま聞いた。「それで、話って?」
 折角悩みがあるのかも、と真剣に向き合う私を無視して、クロノはじっくりと右手にあるぬいぐるみを眺めている。もう、人の話を聞かないのは嫌われるんだよ?
 むんず、とその汚らしい動物を模した、老廃物の臭いがこびりつくぬいぐるみを窓の外に放り投げた。彼は私というスーパースターの代わりに星になったのだ。キラッ☆とね。


「くまなんかいないの、クロノ。それが分かればお話しよう? 何の話がしたかったのかなクロノは」
「…………女の子って、怖いよなって話だよ」私はテーブルランプを載せた台を蹴った。「トマの持ってた紙の話だよ! 正確には、そこに書かれてた事」
「恐竜人の文字で書かれてたって話だね。ううん、私は難しい事は分からないけど……」
「……だったら最初からお話しよう? なんて言うなよ妄想虚言癖女」私は宿主にサービスで渡された水の入った瓶をクロノの頭に叩きつけた。「ちょっとした事でも良いんだ。一人で考えるには疲れる話だし、マールと共有出来たらなってさ」全身ずぶ濡れのクロノが私の目を見て言う。その熱意の篭った眼差しは、彼の真剣具合を表していた。これは、きっと熱意故なんだ。三回言うけど熱意なんだ。怒って……ないよね? やるだけやった事に後悔はないけど、ちょっと怖くもある。不安になっていると、クロノから「もういいよ。話を聞かせてくれ。出来れば忌憚無く頼むよ」と頭を下げた。水飛沫が飛ぶけど、別に気にしない。元々汗だくだし。やっぱり後でお風呂借りよう、この時間に外で起きてる人もいないでしょ、クロノも覗きが出来る元気なんて無さそうだし。
「やっぱり、さっき私が言った通り生き残りの、つまりは森とかイオカ村周辺にいた恐竜人たちが生き残ってたって事でしょ。だから……ええと」
「分かってる」濡れた髪を払い、彼は目を下向けた。「ティラン城にいた奴らが生きてないって事は、常識的に分かるさ。俺だってそう楽観的じゃない、でも、もしその生き残りたちがあの紙を残したとして、虹色の貝殻を持ってたとして、明日行く場所にはあいつらの仲間の子孫がいるんだよな」


 そこで、私は彼の気がかりを悟る。トマはなんとしても虹色の貝殻を手に入れたいのだろう。出来れば私たちも、何に使うかも分からないけれど、必要だ。けれども明日向う場所に恐竜人たちがいたら? 何千万年の時を越えて生きていたとしたら。私たちはクロノの妹、その同属と戦わなくてはならないのだろうか? 自分たちの秘法(そうと決まったわけではないけれど)を奪う人間を、恐竜人は許すだろうか。
 考え出すと、輪に嵌りこんだように纏まらない。答えなんか、無いのだ。


「でも、さ。まだ恐竜人がその場所にいるとは限らないよ」言ってから、私はまたやってしまった、と自省する。彼にとってみれば恐竜人が生き残っているのは嬉しいことなのだ。大切な人は死んでいなくても、彼らという種がまだあるという確たる証拠になる。
 難しい問題だ、と口の中で呟く。恐竜人がいてもいなくても、クロノからすれば辛い事になるだろう。希望を失くすか、自分で希望を絶つことになるかもしれないか。複雑で、一概にどちらが良いとは言えない。


「……上手くいかないもんだな」さっき私が開いた窓の外を見ながら、クロノがぼんやりと溢した。
「それが、人生っていうものらしいよ。魔王が言ってた」
 クロノはなんだそれ? とようやく笑って、その後何も言わず部屋を出た。その後ろ背中が寂しくて、声を掛けようとしたけれど、それは無粋だと頭の悪い私でも理解できたので、伸ばしかけた手を上にやり、額の上に乗せた。もう片方の腕を緩慢な動きで伸ばし、体を倒す。時計の無いこの部屋で、時を確認できるのは、一定の間隔で鳴く虫の声だけ。それ以外はただただ無音だった。
 また静寂が私の部屋を我が物顔で支配して、妙な圧力を感じたので、私も外に出て露天もどきのお風呂に入る事にした。
 外は風が鳴り、不安を募らせる、嫌味な空気だった。






 昨夜の内装とは打って変わり、清潔感のある飲食店になったことよりも、昨日とは正反対に繁盛している店内に私は驚いた。
 昨日のトマとの約束通り、朝になり宿屋を出て昨日の店に入った私の感想である。白い制服を纏った年若い女性が給仕になり、老年の夫婦や見るからに兵士らしい男性に笑顔を振り撒いている。鼻腔をくすぐる甘い匂いに私はいてもたってもいられず、昨日との変化に驚いているクロノの手を引っ張って唯一空いていた四人席のテーブルに座る。遅れてやってきた店員の女の人に「後から一人来ますので」と断っておいた。ほぼ満員の店内で、四人席に二人で座るのは良い顔をされないだろうしね。
 私は紅茶と昨日のトマの言葉どおりメープルをふんだんに使っているだろう、パンケーキを頼み、クロノはコーヒーとトーストのみ注文した。そういえば、彼とこうして店で食事をするのは初めてだけど、大人しい注文をするんだなあ。てっきり、子供みたいに、もしくは男の子らしくがっつりと食べるものだと思っていた。勝手な妄想だけれど。
 わいわいと賑やかしい店内を見回すと、魔王軍と戦争していたのが嘘みたいな平和。今は魔王は私たちの仲間になっているから、戦いは終わったのだけれど、それにしても、戦後とは思えない皆優しい顔をしていた。クロノもそう思ったのか、私と同じように見回している顔はなんだか嬉しそうだった。お父さんみたい、という感想は言わないでおく。彼はそれに喜ぶよりも、「俺ってそんなに老けてる?」とネガティブに受け取りそうだから。
 緩やかに時間が流れ、ぼう、と椅子にもたれていると、店の奥から店員の女性が私たちの飲み物とクロノのトーストが運ばれてきた。私は小さく頭を下げて、「どうも」と笑う。彼女は一瞬驚いた様子で、すぐに笑い返してくれた。


「意外だな」砂糖を一匙だけコーヒーに入れながら、クロノが言う。
「何が? 私だってお客のマナーはあるよ」
「じゃなくって、俺のトーストが先に来たから、不満顔になるかと。『何で私の注文が後回しなの! レディーファーストだよ!』とか言うかなって」
「それって、私のこと馬鹿にしてる?」眉を引くつかせながら、言う。クロノは笑いながら、冗談だよ、とスプーンをかき混ぜた。その動作がちょっと似合っていて、格好良かったので騙されてやろう、と溜息を吐く。
「私はね、自分が注文したものが一番後に来るのって、好きなの。だって一番手間暇掛けてくれてるんだって思うでしょ?」
「そうか? 俺は忘れられてるのかなって不安になる」
「まあ、お城を出るまでお店に来て食事するなんて無かったし、私が良いように取ってるだけかもしれないけど」


 冷めない内に、私も紅茶を一啜り。半端に王女なんてやっていたから、紅茶にはうるさいつもりだけどこれは美味しい。後で何の葉を使っているのか聞いてみたい。


「うるさいなら、匂いと味で何の紅茶か当てろよな」
「クロノの方がうるさいよ。そう言うなら、当ててみてよ、ほら」人が良い気分に浸っているときに水を差されて、私はカップを彼の前に持っていき飲んでみろと差し出した。渋々と彼はそれを受け取り、一口。
 結果だけ言えば、彼は答えを当てられなかった。ただ渋い顔になり、「薄いし、不味い……」と私の良い気分に泥と肥料を混ぜた見たくも無い液体状の汚物をぶちまける様な真似をしてくれる。一言で言えば、実に不愉快だ。カップを奪うようにして、乱暴に返してもらう。その際鼻で「ふんっ!」と不快をアピールすることも忘れない。こういう事は、自慢と差別みたいで言いたくなかったけど、一応王女の私の舌とクロノとじゃあ雲泥の差だもんね。仕方ないか。
 私のパンケーキとトマが現れるのはほぼ同時だった。現れたトマを見て、私が彼を呼ぼうと手を上げながら出した言葉は「パンケーキ!」だった。ちょうど私の前の机に店員さんが花柄の皿を置いたのだ。トマはクロノの隣に座りながら、苦笑いで「俺は焼かれても膨らまねえぞ」と苦言を呈した。その後思い直したように、「俺の夢は、逆境に身を焼かれても膨らみ続けるけどな」と片肘を突きながら、いかにも格好つけて言う。とりあえず、笑っておいた。


「それ喰ったら、出発するぞ」
「え? トマは食べないの? 美味しいよこのパンケーキ」フォークに小さく切ったパンケーキを突き刺しながら聞いてみる。
「俺は甘い物は苦手だ」
「でも、ここのパンケーキは食べれるんでしょ?」確かにトマは昨夜そう言っていた。だからこそ私はこれを頼んだのだ。正解だったと確信している。
「俺が喰えるのはメープルだ。メープルを使ったハニートーストは喰える。今食べてるマールの嬢ちゃんには悪いけどな、ここのパンケーキは喰えたもんじゃねえ、小麦粉をそのまま口に入れて、水で流し込んだほうがマシだ」


 からん、と皿の上にフォークを落としてしまう。嘘、このパンケーキって美味しくないの? いやいや、だってこれ今まで食べたパンケーキで一、二を争うくらい美味しいのに。世界は広いなあ、これを不味いって言う人がいるんだ。
 ぽかん、と残ったパンケーキを眺めていると、横からクロノがさっ、と一ピース奪い取る。彼の評価も聞いてみたかったので怒りはしないが、彼は紅茶を飲んだときと同じ嫌そうな顔で「粉っぽいな」と私の評価と真反対の評を下す。もうこれを食べたいと思えないのが人間の不思議だ。三人の内自分以外の二人が不味いと断じたものを嬉々として口に運ぶのは抵抗があった。かといって今更「これ不味いよね」と免罪符を作りながら嫌々そうに食べるのも卑怯だし。
 クロノのトーストを無許可で半分に千切り口に運んで、私は席を立った。怒れば良いのに、クロノがにやにやと笑っているのが悔しい。負け惜しみとでも思われているのだろうか? 負けてないもん私。紅茶は確かに美味しいもん!
 後ろからトマの「嬢ちゃん、この店のワーストを二つ制覇しやがったのか」という声が聞こえるまで、私のいかり肩は終わらなかった。嫌いだ、クロノもトマも紅茶も。代金をトマが払わなければ、道中ネチネチを嫌味を言い続けたかもしれない。
 ……味音痴じゃ、ないよね私。王女だもん、たまたま世間を知らないだけで、ちゃんと色んな物を食べれば美味しい不味いの区別くらい出来るもん。経験不足なだけだよ。


「いや、マールのは個性だ。才能とも言える」
「クロノ、うるさい!!」


 私の頭に手を置くクロノの指をかぷ、と噛んで、足を踏み鳴らしながらシルバードの場所まで歩いていった。






 シルバードを見て、一番驚いていたのはトマだ。どうやら、彼の長い探検家生活の中でも空を飛ぶ乗り物は見たことが無いようだった。「これは何という鳥なんだ?」と大口を開けた彼の顔は控えめに言っても傑作だった。シルバードに乗り込んだ際の表情なんてもう、出来ればカメラで残しておきたいくらい。飛び上がった時は操縦管を離しそうになる程、大仰に(彼にとってはそうではないのだろうけど)騒ぎ出した。
 二人掛かりでトマを宥め、トマの紙(地図と言うべきか)に記された場所へ飛び去る。チョラス村という、魔岩窟から東にある村からさらに北西へ飛ぶと、ぽつりと浮かぶ島がある。そこが目的地。その島にある洞窟に私たちの探している虹色の貝殻があるはず、だ。


「巨人の爪」
「え?」トマが唐突に名詞らしき言葉を発したので聞き返す。「俺たちが今から行く場所だよ。そうだよな? クロノ」
 言われて、「ああ。確かにそう書いてあった」とクロノが頷いた。躊躇も迷いも無い、確信をもっている様子だった。
「巨人の爪かあ。なんだか、威圧感のあるネーミングだね」
「あたかも、巨人が番人としてついているような名称だな。探検家の血が騒ぐぜ」


 シャドーボクシングのように、天井の空いている空間にトマが拳を振る。横目でそれを見ながら、なるほど、決して素人ではないと安心する。戦闘になるかもしれないこの探索で、トマが役に立たないとなれば大いに先が危ぶまれる。この様子なら、邪魔になることはないだろう。それに、ダンジョンを数多く経験しているだろう彼は頼れる存在だ。戦闘力の無さで前に出さないのは悪手だし。つまり彼には存分に役に立ってもらえるわけだね。なんだか上から目線で嫌な感想だけど。
 目的地上空付近につき、クロノとトマに「ここで着陸して良いの?」と聞く。二人はもう一度地図を眺めて、「良いぜ」と短く答えた。同時に答えたのが、仲の良さを表しているようで面白い。
 レバーを引き、出力を少しづつ落として高度を下げていく。ハッチを開き、ぴょん、と跳ねて飛び降りた。それにクロノとトマも倣い地上に降り立つと、トマだけがシルバードをまじまじ眺めて「これ、いくらなら譲ってくれる?」と真顔で聞いてくる。私とクロノは二人して首をぶんぶか振り、両手をクロスして駄目絶対とジェスチャー。見るも明らかにトマは項垂れて歩き出した。正直、彼は虹色のなんとかよりもシルバードの方が欲しいのかもしれない。


「流石にそれは無いよね。トマの夢なんだもんね」
「自由自在に何処へでも飛べる翼。探検家からすれば垂涎ものだろうな」私の思考を読みきって、クロノもすっ、と先を行く。なんだか雑に感じられる扱われ方に私はまたむっとしてしまった。昨日のあれから妙にクロノが冷たい気がする。むしろ距離を感じる。あれは幻聴で幻覚で妄想なのに何を考えているのか。腹が立ったので、彼の背中をぐっと押してやった。ふらつきながら体勢を整えて、クロノは振り向いた。


「……それも、くまさんの仕業なのか」冷たくて、愛情の欠片も透けて見えない蔑視的な瞳だった。
「ちっがうよ! くまさんはいないの!」
「くまさんはいないのか」
「いないよ!」
「じゃあ昨日のマールは自主的に痛い事をしてたわけだ」
「してないよ!」
「してないのか……じゃあくまさんの仕業だな。どちらにしても、大変だマールは。マールというか、マールの人生は」
「大変じゃない!!」


 いつまでも続くようなループ状の会話。メビウスだなあ。
 先ほどからちらちらとこちらを伺いつつも決して会話に加わらないトマ。大体考えている事は分かる。「白熱してるなあ。でも気持ち悪いなあ。関わりたくはないなあ」が正解だろう。なあの三連、『なあの三連活用』と命名したいなあ。


「違うな。トマにはさっき昨日のマールの奇行を説明してある。故にトマの考えている事は『ああ、可哀想な嬢ちゃん、今度良い医者を紹介してやるからな』だ」ほがらかに微笑みながら、爆弾級の事実を発覚させるクロノに、私はあごが外れる思いだった。
「なんで!? いつ!?」
「だからさっきだよ。マールが先に店を飛び出した後、手短にトマに相談を」
「うおおぉぉ!!?」


 側にある周り一メートル少々の木に回し蹴りを当てる。二十回ほど続けて、程よく葉が散った後、深呼吸を繰り返してから、クロノに「何故!?」と問うた。悪びれる事無く彼は「だって怖かったし」と単純明快な答えを教えてくれる。そうだよね怖いよね夜中に一人で元気良く踊りながら歌ってたら怖いよね尚且つぬいぐるみを観客に見立ててとか末期だよね。もう私のことはマールじゃなくて痛い子と呼んでください。


「分かった。痛い子」こそばゆい空気を纏った目つきで彼は従順に従ってくれる。
「もしかしなくても、クロノ私をからかってるよね」
「ばれたか。さっさと行くぞマール。いつまでも遊んでるわけにはいかねえしな」


 さくさくと地面に落ちた枝葉を踏み鳴らし、クロノは先に行くトマに追いつこうと早足で私から遠ざかる。
 甘いね、クロノ。すぐに怒り出すであろう私から距離を取ろうとしてるんでしょう? いつまでも私もクロノの予想通りに動く訳ないじゃない。目に物見せてあげるわ。御覧なさい、この私マールディアの本気を!!
 両手を重ね、胸の前に置き、もう我慢できない、する必要のない感情を爆発させて、具現させた。


「…………ふえっ、」


 私を宥めるのに、トマとクロノが必要とした時間は短くなかった。






 堆く盛り上がった丘の端に、言われるまではなんとも思わない、しかし指摘されれば確かに怪しいと感じる変色した大岩が鎮座していた。クロノの言うとおりに、三人で協力してその大岩を退ける。正確には破壊する、だけど。
 トマは私とクロノの魔法に驚いていたようだが、私とクロノもトマの爆破技術というか、ルッカの持つような爆弾に驚いていた。流石にルッカのメガトンボムには敵わないけれど、物を破壊するという点に関しては、音響を用いて物体を砕くという音響爆弾は凄まじい効果を発揮していた。本来、埋もれている宝を発掘するのに使うらしいが、物騒すぎる力だと思った。属性的に言えば、冥の力なんだろうな。
 ともあれ、大岩を難なく壊すと、底に人間大の長く深い穴がぽっくりと開いていた。トマが松明を穴の中に放り込み、深さを知ると、手持ちの鞄から長縄を大きな釘を取り出し、釘を地面に突き刺してから、そこに縄を括りつけて、その縄を握りつつ穴の中に降りていった。準備が良いね、と声を掛けると、片手で自分の体重を支えながら、もう片方の手で指を振り「探検家の常識だ」と不敵に笑った。
 同じように私とクロノも穴の中に降りると、思わず口笛を吹いてしまう。予想していたよりも、随分に広大。巨人の爪の名前どおり、巨人が中で生活していてもおかしくはない程だ。奥に目を遣れば、暗く深い闇が途切れる事無く続いている。
 火を手にしながら、トマがあちらこちらに明かりを向けて、感嘆の溜息を洩らした。


「これは、凄いな。これだけでかい未知の空間を見つけたってだけで、探検家界隈では大騒ぎになるだろうぜ」


 それはまた、言っては悪いが小さなコミュニティそうだな、と思い、万一にもその言葉が私の口の隙間を這って出てこないよう強く上唇と下唇を擦り合わせた。それは言ってやりたいなという心の裏返しでもある。
 さくさくと、未知の空間であるらしい、それにしては踏み鳴らされた土を歩き進む。分かれ道もなく一本道であるのはありがたいが、トマはそれが悔しいのか気が抜けるのか、度々「マッピングする必要も無いのかよ」と不満そうな感想を上げた。探検家らしい所を私たちに見せたかったのかもしれない。案外、トマは子供っぽいねと指摘すれば、「子供っぽくなけりゃ夢を追い続ける稼業なんかやってねえよ」と鼻息を強く吹いた。
 クロノは、今の所恐竜人らしき姿は見えず、安心と不安の混ざった、一口に複雑な表情で歩いている。時折壁に手を当てて、目を閉じているのは何処かに恐竜人の想いが残っていないか、と夢想するようだった。
 皆思い思いに考えがあるのか、それに没頭して会話は消える。長い洞窟を物言わず行進するのは少々気が重かったけれど、嫌でも私たちは声を上げざるを得なくなる。途中から、急とも思える下りの道になった時から、少々不安は覚えていたのだ。地下へ、地下へと続く先の闇。足元に気を払わなければ転げ落ちてしまうかもしれない。速度を落とし、慎重に摺り足染みた歩調で奥へと進みゆくと、今度は広大どころではない、島全体と変わらぬのではないか、と思える、本当にここが地下なのか疑うような空間に出た。
 それだけでも「凄いね」、とか「広いね」という凡庸な感想は生まれただろう。ただ違うのだ、その空間がただの虚空だったなら、ただの洞窟としての在り方ならば問題は無い。この場所を占める建造物が問題だったのだ。


「嘘だろ……? ガルディアの城よりもでけえじゃねえか」


 トマは一人、言葉通りに信じられないといった面持ちで呟いた。それもそうだろう。洞窟の中には、その奥には、視界を占領するほどの巨大な城があったのだから。
 ただ、私とクロノの驚きは彼の比ではない。これは、この巨大で、無骨で、天辺に物騒な棘がいくつも付けられているこの城は。過去私たちが訪れた、クロノにとってはあまりに辛い別れとなったこの城は。


「ティラン城?」
「……ああ。間違い、ねえよ」


 私の活気の無い、ぼんやりとした問いかけに、淡々と、噛み締めるようにクロノが同意する。だって、在り得ないのだ。ティラン城は原始の時代に、ラヴォスに押し潰されて消えたはずなのだから。巨大なクレーターと化して、消えた……筈だ。


「恐竜人の生き残りがまた建設したとか?」私の考えた可能性をクロノは蒼白した顔で否定する。
「違う、良く見れば、城はボロボロだ。多少補強や修復した部分もあるが、これはあの時のティラン城のままだよ」
「じゃあ……ラヴォスの圧力に圧されて、原型は壊れないまま地下に埋まったって事? それで、今は遺跡となって……」
「それは、夢のある解釈だな」


 自分でもそう思う。粉々になって全部吹き飛んだ、が一番考えられるのだが、クロノの言うとおりあの時のティラン城が残っているのだとしたら、それ以外に考えられないのだ。
 ……ただ言えることは一つ。間違いなく、ここには恐竜人の生き残りがいるのだろう。もしくは、その遺骸。原始で恐竜人は絶滅しなかった。決戦の場にいなかった恐竜人たちは自分たちの本拠地があったこの城に戻り、氷河時代を、この地下にある城で耐え抜いたのだ。修復されている所からして、そうとしか考えられない。
 クロノは、考え込んでたまに頭を何度も掻き毟っていた。


「お二人さん、感動するのは分かるけどな、そろそろ行こうぜ。未知の城探検へ行こうじゃないか」
「……まんまだね」


 ここで考えても埒が明かないのは確かだ。何も知らないトマの能天気さに思わないところが無いわけじゃないけれど、それ以上にありがたくもあった。
 そろそろと、私たちは懐かしくもあり、クロノにとってはある種忘れたくもあるんじゃないかと思う城へ、石畳の床を越えて進んだ。
 赤茶けた城壁は、年月を感じさせる。古代遺産ならぬ原始遺産だから仕方ないけれど。地上では見ることもできないだろう巨大過ぎる、二メートル前後のムカデを見たときは驚いた。虫は苦手でない私もとりあえずで魔法を唱えるほどに。地上と地下では成長が違うという明らかな証明になった。それこそ、太古の昔から生きていたのかもしれない、現にトマはそれを疑い氷付けのムカデをまじまじと鑑定していた。


「流石、地下世界って所か」感心した様子のクロノに、彼は怖くなかったのだろうかと頼もしさと同時に図太さを感じた。
「地下“世界”は言い過ぎかと思うけれど」世界を強調して、肩を竦める。
「ある意味世界だろ。時の流れに取り残されてるってだけでもさ。今まで地上と関わりを持ってなかったんだろ。でないとこんなでかい城があるなんて事が噂にもならないとは思えない」


 彼の取り残されるという言葉が寂しくて、私は目を背けてしまう。恐竜人という自分の友達が誰からも忘れられている、その事実は彼にとって相当に気にかかっていたのだろう。誰だって、自分にとって大切な人たちを忘れられるのは辛いに違いない。
 取り残されたら、それはもう一つの世界。忘れられているのではなく、異世界だから仕方ない。彼はそうして自分を納得させているようにも見えた。


「さあ、先に行こう。虹色の貝殻を探さないと」


 私には、彼に「それが本当の目的?」と聞く事は出来なかった。
 城内は、酷く静かだった。魔物も、恐竜人もいない。時々、忘れられたような侵入者用の罠が発動するも、それは罠と言って良いのかも分からない、動作が鈍いか動作をしないかのものしかなかった。見当外れの場所で落とし穴が開いたり、振り子のように先に何も付いていない棒切れが頭上を通過したり。辺りを見回せば、棘のついた鉄球が床にめりこんでいたことから、本来は凶悪なトラップだったのだろうと推測できた。
 手近な部屋に入る。そこは恐らく食堂……だったのだろう部屋で、床に黒い染みが付着した、酸化の臭いが充満する長居はしたくない所だった。風化してぼろぼろになったテーブルクロス(古代にそんな名前はついていなかっただろうが)がテーブルの上にべろりと垂れ下がっていて、暖炉らしき中には炭化した骨がいくつか押し込められている。一瞬恐竜人のものかと戦慄したけれど、どうみても動物の骨だったので少し安心する。
 私たちは、虹色の貝殻を探すため、と理由付けていたが、実際はそうではない。何処かに恐竜人がいないかを探しているのだ。特にクロノは表面上何も考えていないように見えたが、それこそロッカー型の物置やベッドの下まで、洗いざらいに目に付く所を確認している。痕跡でも良いのだ、生きている証をくれと懇願するみたいだった。
 トマは自分たちの進行が遅々として進まない事になんの文句も言わなかった。それどころか、私たちと一緒に誰かが生きている形跡が無いかを探してくれるほど。トマには恐竜人とクロノが友達だった、なんて到底信じられないだろうから、話していない。それでも何かを悟ったのか黙々と辺りを探し回ってくれた。「どうして?」と聞けばやはり彼も「虹色の貝殻の為さ」と嘯いたが、食器棚(あくまでも、それらしき物)の中に虹色の貝殻があるとは思えない。優しい人だけど不器用だな、と評した。


「……もういいよ。トマは夢なんだろ、虹色の貝殻を見つけるのが。じゃあ一人で探しに行ってくれ。多分敵もいないだろうさ。わざわざ俺たち……いや俺に付き合ってくれなくて良い」クロノが諦観を滲ませながらそう言うと、トマは悪戯そうな顔で答えた。
「馬鹿。夢と利便性とは関係ないのさ。『そうした方が得だから』で行動してちゃ、夢は掴めねえんだよ」
「そ、っか」


 弱っている所に、打算も下心も無い本心を言われて嬉しかったのか、クロノは右手で目を拭い、立ち上がった。迷いは薄れている。


「大丈夫だ、もう。先に行こう、もしかしたら、奥で見つかるかもしれない。トマの探す物も、俺の探すモノも」


 体中についた土ぼこりを払い、食堂を出る。確かに、ここでいつまでも探していたところで何か進展があるとは思えない。
 トマと私も立ち上がり、クロノの後を追う。
 ここが地下という事を忘れそうな広々としている空間で響く足音が、空虚であることを無理やりに教え込んでくるようで、なるべく音を立てずに歩いた。
 ふと光沢の無い茶色い壁の錆を、矢じりで軽く擦ってみた。錆と一緒にぱらぱらと脆く崩れ去る壁の表面が、もの悲しい。会話が無い退屈な今を変えるべくした意味の無い遊びは、歴史を知るだけで終わる。
 大変なのはそれからだった。大きな城とは言え、あくまでも一つの城。庭も無いここを調べ終わるのには、四時間と掛からなかった。しかし、何も無いのだ。食堂に始まり、武器庫、食料保存庫
(どちらも使い物になるような物は無かった)、大広間からアザーラがいただろう王の間から牢屋まで調べたが、特に発見は得られなかった。朝に出発したというのに、トマの体内時計を信じるならば、現在は夜も更け始めたらしい。通りでお腹が減ったはずだ。
 休もうと提案したトマから携帯食料を受け取り、小休止を取る。三人はたき火を中心に囲み座った。食事をしているその間、会話は無いわけではないが、弾みはしない。皆思っていることは同じだろう。恐竜人は勿論、虹色の貝殻など無いのでは? だ。これだけ念入りに探しても手がかり一つ見つからない。探しきったと豪語する気は無いが、気落ちするのは仕方ないだろう。もそもそと食べる乾いたパンは喉の渇きを促進する事以外さしたる働きを持たなかった。鉄製の水筒をトマから貸してもらい、水を流し込む。当然、味は無い。
 急にクロノがくはあ、と大きく息を吐いた。「やめた」これもまた、急な中途離脱宣言だった。


「多分、違う誰かが持って行ったんだよ。その虹色の貝殻はさ。これ以上ここにいても仕方なくないか?」
「……考えたくないが、そうだな。意地を通すにも限度はある。まあ本当に限界が近いのは、残りの食料だが。というより水」頼りない水音を立てる水筒をトマは振った。こちらまで届く篭った音は、残量を明確に教えてくれる。
「もう一度調査するにしても、まず一度帰ってからにすべきだ。正直、俺はもう来たくないけど……トマはまた訪れるんだろ」
「そりゃそうだ。夢だからな」
「はは、トマの口癖だな。その夢ってのは。良いことだし、似合ってるけどさ」
「当然だ。俺から夢を取れば指紋と血液型しか残らねえ」ひらひらと手を翳して、軽口を一つ。「指紋と血液型のほかに、軽い口も残るね」と言ってやりたかった。
 荷物を手繰り寄せ、そこに頭を乗せて寝転がったトマは長い長い、三拍はありそうな溜息を吐いてごろりと体勢を変えた。子供が不貞腐れるような動きに私は口の中で笑いを噛み殺す。
「何処を探せって言うんだよなあ? 他に見てないところなんざ、壁の中と天井裏に、精々落とし穴の中くらいさ」お得意の軽口に、クロノが乗っかる。「落とし穴の中にあるものなんか、古来から竹やりとか、餓死した死体とかが主で……」話している途中で、クロノの表情が変わる。それを見てトマもまた緩んだ顔を戻し、目を見開いた。
「何? 何か思いついたの? それともトイレ?」食事が終わったばかりで汚いかな? という気遣いは今の私には無かった。


 気を抜いていた私の腕をクロノが掴み立たせる。痛いよ、と苦言する私を相手にせず彼はトマに「ありえるか?」と聞いている。トマは既に立ち上がり荷物を鞄の中に戻し終わっていた。「それしか考えられねえ」と乱暴にたき火に砂を足で掛けると、行き先を告げず歩き出す。クロノもそれに続いたので、私は何がなにやら分からなくてもついていくしかない。座った状態から無理やり立たされたので、体をもたつかせながら、「何処に行くの?」と二人に投げかけた。


「牢屋だ」


 重なった声の内容に、思わず「悪い事したの?」と心配になった。二人はかねてから決めてあったように、また声を重ねて「今からするんだよ」と一言一句違えなかった。






 大広間にある扉から行ける牢屋には、壁に鉄球を付けた鎖が垂らされており、鉄格子という鉄格子が開かれている。ここも前に探し終えた場所で、隠し通路の類も何も無かったはずだ。
 二人は迷い無く、一つの独房に入って行った。私も中に入ると、個人用だったのだろう独房に三人は狭く、肩と肩がくっつきそうな密着具合だった。少しでも助平な顔をしていれば怒鳴ってやろうと思ってたのに、二人の顔は真剣でしかない。ほんの少しだけ、悔しくもある。エイラくらいあれば良いのかなエイラくらいさあ!


「でっ、ここに何があるの?」
「いや、なんで不機嫌なのか分からんが。まあいいか、落とし穴だよ」クロノは指先を下に向けた。
 確かにここの独房には、捕らえておくという役割に反して落とし穴が設置されていた。処刑場代わりか何かだろうと結論付けていたが、普通に考えておかしい。処刑場とは本来見せしめの意味も込められているので、このように狭く閉めきった空間に作られるのは妙だ。
「もしかして、この落とし穴に入れば先に進めるとか?」
「と、睨んでる。でなきゃ、他に探しようが無い。まさか壁の一つ一つを発掘する訳にもいかないだろ……っておい!?」


 クロノが言い終わらないうちに、トマは開かれた落とし穴の先に飛び込んでしまう。これはクロノも予想していなかっただろう。止める暇も無かった。
 心臓が止まるような思いだったが、喜ばしいことに下からトマの「大丈夫そうだー!」という声が聞こえてきて一安心した。探検家って、そういうものなの? もっと慎重に考えて行動すべきじゃないの? ただの馬鹿の集まり? 言い出せばきりが無いので、それらの文句は胸の中にしまっておいた。私とクロノも穴の中に飛び込み、トマと合流する。片手を上げて「大正解だったな」と笑う彼にワンパンチくらいは許されると思うの。いや本当に。


「おかしいぞ、てめえ今のはおかしいぞ!?」私の代わりにクロノがトマの胸倉を掴み壁に押し当てる。彼はぼさぼさの頭をぺしっ、と叩いて「時には博打も必要なのさ!」と軽やかーに、何にも考えてませんよという顔で。反省? 何処の国の食べ物? と言いたげだった。
 言っても無駄なら仕方ない。私はトマの眉毛を四本程千切って捨てた後先に進む。「俺のダンディーアイヘアーががが!!」と狂ったので後で薬でも口に突っ込んでおこう。


「嬢ちゃん。さてはあれだな。先に飛び込む俺を心配して怒ったんだな。所謂アレだ、ツンデレだ」
「消えちまえ。クロノ、この先に貝殻が?」私は隣に行くクロノに確認した。
「多分な。つうかそうじゃなきゃやってられねえだろ」彼は希望的観測を口にしながら、夢追い人またの名を馬鹿、を置いて先を歩いた。


 トマは何か言いたげに口に干し肉の欠片を咥えながらむぐむぐやっていたが、当然彼の相手をする人間はいなかった。この地下だけでなく、地上でもいないだろう。心配を掛けたくせにおどける人間に人権は無い。ちょっと韻を踏んだみたいで、考えながら恥ずかしかった。


「それを口に出すのが恥ずかしいよマール。お前もトマ側の人間だったか」
「やめてよ! 冗談でも酷いよ!」


 私たちの掛け合いを見てトマは何か言いたげに指を噛んでいたが、当然彼の相手をする人間はいなかった。地下だけでなく、あらゆる時代に存在しないだろう。人権は無いのだから。虫と戯れるが良い。
 そうして、キャッキャウフフの空間をクロノと造り(暑いね。地下だからね、地熱かもねという会話しかしていないが)先に進む。いよいよとなって、トマが痛々しく場を盛り上げようとしていたので構ってあげた。三十路前かそこらの大人が子供に構ってもらおうとする姿のなんと寂しげな事か。彼は大人っぽい雰囲気と子供っぽい雰囲気、荒々しい口調と寒々しい性格を持ち合わせている。


「大人を無視するなんて、親の顔が見たいもんさ。こう言うと、お前らはこう返すんだろ? 『見たいなら天国に行きな』ってさ」
「? 私のお父さんは生きてるよ?」
「いやいや、人間は皆神の子って言うじゃないか。だから天国に行けって、そういう意味のジョークなんだが……説明するとつまらねーな。二度と言わねえよ」


 唾を吐きながら、自分のつまらなさを認識したらしいトマは「これはどうだ?」と新しいジョークをひねり出していた。大半つまらないのだが、クロノにはよく受けるので、男の子には人気なのかもしれない。なんというか、ブラックなネタというのは。私と言えば冗談とも思えない内容に驚いたり怖がったり気味悪がったりなので、もしかしたらクロノもトマも私の反応を面白がっていたのかな、だとしたらちょっとむかっ、とする。
 薄暗い室内を歩きながら、足元は見ないようにする。落とし穴の底にはそれはそれは多種多様な骨がばらばらに散らばっているのだ。獣の他に、化け物にしか思えない骨格もまばらに点在している。それらを見ないため、また気にしない為のトマのジョークトークだったと知るのはそう遠くない話だった。
 実際、今までそうトマの良いところを見ておらず、この人もカエルタイプの残念さんか、と勝手に見下していたが、彼の株が急上昇する出来事が一つ。切っ掛けは私のドジなのだが。
 私が変色した床を踏み、ここに来て初めて正常に罠が発動したのだ。頭上から槍のような刃物がびっしりと並んだ吊り天井が落下してきたのだ。魔法を唱えて防御する暇も無く、咄嗟に頭を抱えてしまう、戦ってきた経験を何処かに置き忘れてきたような行動をしてしまった。
 トマは颯爽と私を掴み、飛んで逃げたわけでも吊り天井を止めたわけでもなく、私に手持ちの縄を引っ掛け引っ張って脱出させてくれたのだ。言葉にすると、なんとも間抜けで、なんだったか現代で見た本の……そうだ西部劇だ。に出てくるカウボーイみたいだけど、そう簡単な話ではない。首に縄を掛けられたわけでもないし。一瞬の間に私の体に縄を投げて引っ掛けて引っ張る。それは達人の技、鞄から出して、というタイムロスを含めれば神業だろう。唯一文句を言うとしたら、床に擦られて私の肩の皮膚が少し剥けたくらいだ。勿論、トマが助けてくれなければ擦り傷では済まなかったので誠心誠意感謝を告げる。


「良いさ。これも探検家の先輩として当然だ」
「いや、私は探検家になるつもりは無いけど、ありがとう。本当に助かっちゃった」トマはひひっ、と笑い前髪を撫でていた。
「気をつけろよマール。ほとんど老化してるったって、罠があるのはあるんだから……つっても、俺もトマみたく他人を気にしてなかったから、人の事言えないけどさ」


 しゅんとするクロノに、私は罪深くも、というのは大袈裟だが、嬉しく思う。私の事を助けたかったのかな? だとしたら、彼は可愛いし嬉しい。女の子を守るのは男の子だ、という感情の他に好きな女の子は自分が守りたいという独占欲にも似た感情が含まれているのでは? と邪推してしまった。その考えには私の「だと良いな」という希望がこれでもかと詰め込まれているけれど。


「ねえ、」


 と、それだけの短い言葉を発しただけで、私の問いかけは終わる。本当は、「ねえ、クロノのそれってヤキモチ?」とつつくような想いで話しかけるはずだったのだ。その今までからかわれた復讐代わりの矛先は、突如聞こえた呻き声に掻き消される。
 グルルル、と腹の底まで響くような獰猛な鳴き声に、三人は顔を見合わせた。聞き間違いではないよな、と意見を共有するべくした行動。三者三様とも戦慄した面持ちだった事から、幻聴空耳ではないと確信する。
 クロノが一人、掌から電撃を迸らせた。「これが俺の今の唯一の武器だ。本来刀が俺の一番得意な得物だけど、今は無い。マールは弓と氷を放つことが出来る。他にも多種多様な使い方が出来る。だよな?」彼の意図するところが分かり、私は異議を唱えず頷き、背中から弓を引き抜いて、片手にアイスを応用させて小さな氷の槍を作り出した。


「なるほど、それぞれの得意な戦い方を確認しようってんだな?」トマの言葉にクロノが肯定する。「そうだ。あんたの得意な武器は、縄か?」
「いや、あれはどっちかといえば補助武器だ。俺の得意な武器はナイフかな。とはいえ、戦闘に自信があるかって言われりゃ微妙だ。並の兵士くらいにはやれるつもりだが」


 実際、それでも充分に人として誇れる強さなのだが、これからの事を考えれば心許ない。私たちの考えが正しければ、あの声の主は恐らく恐竜人最強だった彼の鳴き声。まさか彼本人だとは思わないが、それと同じ種族である可能性が高い。ナイフで傷がつくかどうか怪しいものである。
 クロノに刀が無いのも大きく不安だ。最悪魔王と変わってもらうことを考えたが、彼の表情を見る限りその気は無さそうで、私も勿論交代する気は無い。


「マールはいつでも氷の壁を作れるよう詠唱を終わらせておいてくれ。トマはなるべく前に出ないように頼むぜ」
「……なんだか、お前ら荒事には慣れてそうだな。しかも、さっきの声が何なのか大体分かってそうだ、どういう事か、後で説明してもらうぜ?」


 トマの覗き込むような眼差しを受け流して、クロノは小さく「いつかな」と誤魔化した。牢屋を抜け、扉を開ける。その先は、いつか見たような光景だった。
 横幅に長い橋、城の内部ではなく、外に面している、洞窟の天井が見える吹きさらしだっただろう場所。『いつかの時』と違うのは、橋の下にマグマの海が無い事と、空に恐竜人の仲間が浮いて観戦していないことか。
 長い長い橋に足を置く。石の破片が散乱しているその橋は、強固には思えなかったが、崩れ落ちることも無いだろう、歳月の風化が薄い頑丈な橋だった。私とクロノはしっかと前を見続けている。トマは橋の先を見つめた後、二の足を踏み、悲鳴にもならない声を上げた。


「ば……ばけもん、だ」震える口でそう発したトマに、クロノは様々な者の想いを乗せて、ゆっくりと首を振り否定した。
「違う、あれは──」


 端の先には、ぎらぎらとぬめる牙を上顎下顎の左右から一本ずつ伸ばし、舌のような炎を口内で遊ばせている生き物がこちらを見つめていた。その人間よりも大きな瞳は虚空で、最早意思などあるようには見えない。丸太を何本重ねても足りないだろう太い足の先には血の色がこびり付いた凶悪に尖る爪。頭部に百獣の王のような毛髪が蓄えられて、その生物の偉大さを示している。ぐるる、と喉を鳴らし、生物……いや、餌を見つけたことに対する歓喜の咆哮を上げた。


「──ティラノ爺さんだ。多分、その子孫か、同類。気を抜くと死ぬぞ、あいつの事は知らねえが、ティラノ爺さんの炎は山だって燃えカスにしてたからな」


 耳を塞いで座り込んだトマを余所に、私とクロノは走り出した。
 ……こうして走っている最中なのに、私は考え事をしている。クロノは戦いたくないのでは? という疑問が浮かんだのだ。元々、原始に生きていたティラノ爺さんとクロノは仲が良かったじゃないか。アイコンタクトで呼吸を合わせることが可能なほどに。その子孫か少なくとも同種族に雷撃を当てる事が出来るのだろうか?
 今更ながら、私はクロノに魔王との交代を進めようとした。けれど、それは出来ない。彼の目は哀愁でも、憂鬱な思いも映さずただ憤怒のみが浮かんでいたから。
 何故? その疑問は呆気なく解消される。落ちていたのだ、死骸が山のように。恐竜のみに目が行っていたので気付かなかったが、恐竜の足元に崩れるほどの骨が積まれている。
 人間の骨ではない、人間がここまで来るなんて事はまず無いのだから。獣でもない、鳥でも魚なんて可愛らしいものでも無い。限りなく人型に近くて、頭部の膨らみから分かるそれは、確かに恐竜人だろう骨だった。
 共食い。その言葉が脳裏に浮かんだとき、私は痛みを覚えた。肉体的な痛みではない、生理的な嫌悪は確かに感じるが、それ以上にクロノの事を思うと痛みで体の中の何かが破裂しそうだった。
 やはり彼は会いたかったのだろう。もう会う事も出来ない恐竜人たちに、自分を知る者がおらずとも、できればもう一度手を取り合って、なんならもう一度人間との共存を提案したかったのではなかろうか。大地の掟もラヴォスが降って来る事も無いこの時代のこの大地に彼らを招待したかったのではないか。そうすれば、きっと救われると馬鹿らしくも信じたのでは?
 数は減っただろう恐竜人がこの巨人の爪から這い出てくればどうなっただろう。きっと異端視される、それは想像に難くない。けれど魔王を退けた私たちはある意味国の恩人だ。中世の王様はクロノの頼みなら恐竜人を迎え入れたかもしれない。最初の何十年は恐竜人は辛い目に合うだろう。けれど、それも永遠ではない。現代になる頃には人間と恐竜人という垣根を超えて笑い合えたかもしれないのだ。六千五百万年の長い時を超えて、彼の原始での願いは昇華された……かもしれない。
 それはあくまで望み。もう一度クロノが恐竜人と仲良くなれるなんて保障は無いし、人間たちが恐竜人を迎え入れる可能性なんてもっと低い。
 でもあったのだ。か細く小さい陽炎のようなぼんやりしたものでも、希望はあった。恐竜人が生きていれば。
 彼らはもういない。本当の意味で滅んだのだ。今生き残っているのは仲間と食料の区別もつかずただ空腹を満たしたいだけの過去の残骸。到底人間と生きていくなんて出来ない、滅ぶしかない化け物が一匹。


「殺すぞあいつを。良いなマール」
「……うん」


 同意しながら、あまりの皮肉に泣きたくなった。
 おかしいじゃないか。人間でありながら恐竜人の生存を望んだクロノが何故終止符を打たねばならないのか。彼は殺したいと願ったことは無い。彼は恐竜人を愛していたのに、きっと考えるまでも無く人間の中で一番彼らを知っていた。彼らがどんな性質でどんな性格でどれだけ気性が荒いのかどれだけ優しいのかどんな時に泣くのか全て分かってたのに。
 だからこそ、なのだろうか。これが運命の為した事だというのだろうか。恐竜人と彼は繋がれたのに、愛情も友情も分かち合えたのに、その彼が恐竜人を絶滅させるってどういうことなの?


「サンダー!!」


 クロノが右腕を払いながら直線に雷を穿つ。十二分に充足された雷はティラノの額に当たり、焦がす。肉の焼ける臭いがこちらまで届き、その異臭に鼻を覆いたくなった。
 傷を負ったことに怒りを感じたティラノは口の中に充満させた炎を吐き出す。私は立ち止まり、先に行くクロノの前に氷の壁を精製すると、炎は上向きに方向を変えて天井の壁をぼろぼろとこぼしていった。ティラノが苛立たしげに「グルゥ!!」と頭を振る。
 氷の壁から飛び出して、クロノは幾度も雷撃を放った。その一つ一つがサンダガ級の威力。魔王と力を競い合い、まぐれだかどうか分からないが、勝ったというのは本当なのかもしれない。魔王と遜色ない威力……むしろ、雷撃だけなら彼の方が力を秘めている気もする。感情の昂ぶりも影響されているのは確かだろうが。


「でも……効いてない!」


 皮膚の表面が剥がれるだけで、ダメージを受けている様子は無い。だが、だからどうしろと言うのか。悔しい話、私のアイスはクロノのサンダガ程強力ではない。一応、形としてはサンダガと同じだけ強いと自信があるアイスガも使えないではないが、それでも彼の方が上だ。クロノの魔術で効かないなら、私たちの攻撃は全て効かないと思って良いだろう。
 

(クロノのサンダガを超える威力なんて、魔王のダークマターかルッカのメガトンボムくらい……無いよそんな威力の攻撃!)


 そうこうしている内に、クロノが頭に怪我を負う。ティラノの前足蹴りによって飛散した石の破片がぶつかったのだ。衝撃が如何程か分からずとも、その出血の量は甘くない。頭を切れば通常よりも血液が溢れ出る。ある程度後退したクロノに近づき、ケアルを唱える。
 だが、治癒する寸前にクロノが私の翳した手を掴み、「このままで良い」と言う。当然私は目を白黒させた。


「血が上りすぎてた。冷静にならないと、勝てるもんも勝てないだろ? ……くそ、魔力を消費させすぎた、これじゃシャイニングも打てねえか」
「しゃ、しゃいにんぐ?」聞き覚えの無い単語に私は頭を捻る。
「切り札の一つだが……今の魔力じゃぎりぎり足らん。小さいサイズなら出せるかもしれないけど、それじゃ意味が無い。馬鹿みたいな消費魔力だからさ」


 いまいち理解出来なかったが、魔王のダークマター級の魔法と仮定して良いだろう。いつのまにそんな技を……じゃなくて。今はそれを使えないという事実が先だ。
 どうしよう、クロノと協力するにも、単純な威力だけを見た魔法は私は不得意だ。どちらかというと、小技で攻め立てていくのが私の得意戦法。セコイんじゃなくて、現実的な戦闘が得意なの。
 試行錯誤を繰り返すが、どれも後一歩足りない策ばかり。ティラノを水で濡らして、サンダーで感電させる等、動きを止めることが出来ても倒すには至らないような作戦しか思い浮かばないのだ。


「マール、お前どれくらいでかい氷塊を作れる? コントロールは気にしなくて良い。ただでかさだけなら」何か思いついたのか、クロノが目を光らせた。
「お、大きいだけなら、十メートル以上は作れると思うけど……ただ作るだけだよ? 相手に投げることは出来ないと思う」私の不安を滲ませた言葉に、彼は白い歯を見せながら女の子にとっては殺し文句だろう言葉を放った。
「マールは作るだけで良い。当てるのは俺だ。共同作業だよ」
「……ッ! 良いね、それ!」


 文字通り、初めての共同作業だ。これはもう、出来ないと言う方が嘘だろう。十メートル? 今の私なら三十メートルを超えてやる!


「ああ待ってマール。作る氷塊の中に、マールの矢を入れておいて欲しいんだ。形としては、矢を凍らせる要領で」
「矢を? 分かった!」


 何をしたいのか聞く気は無い。クロノならやってくれる、彼の考える方法に口出しする気はない。私はただ信じるだけで良いのだから。
 背中の矢筒から全部の矢を空中に放り出し、凍らせる。そこから周りに氷を膨らませていく。コーティング作業と同じだ、外側を分厚く大きく重く、念じれば念じる程私の限界は広がっていく。


「完成したら返事をくれ。その間は、俺があいつの気を逸らす。魔法を温存しなきゃならねえのが、面倒だけどな」
「じゃあ俺が行ったほうが良いな。普通に考えてよお」


 クロノが前傾姿勢になり、飛び出す瞬間、後ろから現状を理解しているのか分からない、軽薄そうな、野太い声が。
 疑う必要も無く、トマが片手を上げて立候補するように後ろに立っていた。「どうして……」と不思議そうなクロノの肩を握り後ろに引っ込ませた後、指を鳴らして犬歯を見せていた。


「あれ? 逃げたと思ってた」嘘だ。彼も男の人だから、逃げはしない。私の気に入った人は皆、馬鹿で勇敢な人ばかりだ。
「正直そうしようかと思ってたがな? 子供が出張ってるときに後ろで観戦するのは老後の楽しみなんでよ、ちいと腰を上げてみたのさ」トマが鞄から縄を引っ張り出し、ピンと張った。
「ナイフは使わないのか?」気に掛けるように問うクロノに、彼は「そんなもん、ナマクラ以下だってのがお前らの戦いで分かったよ」と取り出したナイフを橋の下に投げ捨てた。
「良いか? 一分だ、一分以上保たねえ、それ以上は俺の体が消し炭になっちまう。チョラス村のドラス亭で注文した焼肉みたいにな」


 そのお店には行かないほうが良いね、と言えば「魚は絶品なんだ」と残してトマが走る。その速さは、メンバー二位の速度である(私の勝手な考えだが。ちなみに蛙状態のカエルと同率)クロノに負けずとも劣らない。橋の所々に付けられた棒柱に縄を掛けて立体的な動きを可能にしている。炎を私たちに届かぬよう上手く動き、振りかぶられる爪も飛び交う石も紙一重にかわしている様は、とても一兵士並には見えない。今も必死の状況に立っている彼から「逃げ足は速いのさ!」と言われた気がした。
 ……もう少し、もう少しで私の全魔力を使いきれる、私の最大の氷が完成する!


「まだかマール!!」
「……今、出来たぁぁぁ!!!」


 天井に届かせるのは無理でも、目標三十メートルはクリア! 間違いなく過去最大の大きさである氷塊が完成した。クロノはその大きさに満足したか、指を鳴らして彼も魔力を紡ぎ出した。
 ……これは、私との戦いで使った磁力操作? ふつふつと橋を構成している石畳が浮かび上がるのを見て、私はそうであると確信した。あの時はクロノが負けた。でもそれは手加減してのこと。本気のクロノなら、私でも……ああいや、あんな怪獣モドキに負けるわけが無い。
 こめかみに血の管を浮かばせながら、クロノは精神を尖らせている。跳べ、跳べ、と私の氷塊を浮かせようとしている。正確には氷の中にある鉄の矢じりを浮かせようとしているのだが、結果は同じだ。
 跳べ。私は願う。跳べ、クロノは願う。跳んでくれ、浮くのではなく跳んでくれ。飛んでくれ。ここにいる恐竜人の恨みも後悔も乗せて、何処までも飛んで行け!!


「飛べーーーー!!!!」


 そう叫んだのは、今火炎を避けて転がったトマだった。彼に私とクロノの考えが分かったとは思えない。私たちの想いが通じたとも思えない。ならばこれは、単純明快な奇跡なんだろう。


「あがああぁぁああ!!!」


 クロノが両腕を頭上に振り上げた時、三十メートル以上の巨大氷塊は浮き上がった。それこそ天井につく程に、高く高く舞い上がる。それは上に浮くだけではなくて、少しづつ重心を回しながらティラノの上へ持っていく。
 トマも自分に出来た陰を見て気付いたのか、慌てながらこちらに走り寄ってくる。駆け寄った際に、私たちにハイタッチすることは忘れない。これは、この攻撃は三人の攻撃なんだ。
 ティラノは三人固まったのを良しと舌か、大きな目玉をぐるりと回し、瞳孔を開いて大きく口を開ける。遠めにも喉の奥から火炎の舌がちらついているのが見えた。でも、もう遅いのだ。


「潰れろ、お前が最後だ、それで全部終わるんだッ!!」


 ぐうん、と空気を割って氷解が落下した。大口を開けて炎を吐こうとしていたティラノの首に直下して、顔面が床に埋まっていく。げちゃ、という忘れがたい音を立てて潰れゆく様は、最後にするには見たくない、噴水のような赤を撒いていた。ぱしゃぱしゃと血飛沫は溜まりとなり、橋を染めていく。すでに透明ではない氷はゆっくりとずれ落ちて、橋の下へ。砕ける音は鎮魂歌としては粗雑なものだった。
 ふと、風を感じた気がする。土と埃とカビの蔓延するこの場所ではありえない、清涼な風。
 きっと、ここに埋もれている様々な負の念が浄化されて、空に浮かび上がっていく、それらが通り抜ける際に起きた風だろう。
 私はクロノに笑いかけた。大丈夫だよ、と。気にする必要は無いよと言ってあげたかったのだ。
 ──馬鹿な私は、それで今日という日が終わるのだと勝手に考えていた。


「──避けろ嬢ちゃん!!」
「きゃっ」


 肩と背中にぬくもりを感じ、横に転がった私が見たものは、目の前を通り過ぎる業火と背中を焼かれているトマの姿。
 火、焼かれる、私が今抱かれている。それらの事柄から、私は自分の愚考を恥じた。風? それはただの火炎によって巻き起こったものではないか。ロマンチシズムに浸るのも大概にしろ、馬鹿め。


「トマッ!!」


 飛び起きて、彼にケアルを唱えようとして、力が抜ける。それは、体に魔力が残っていない証拠。ならばせめて消費魔力を抑えたオーラを、と考えたが、結果は同じだった。私はあの氷塊を作るのに全魔力を費やしたのだから、当然だ。
 後ろを見ると、クロノも同じく魔力を使い果たしたのだろう、ふらふらと夢遊病に似た動きでティラノを見つめていた。その目に力は、無い。
 ティラノは生きている。それも怒りに目を血走らせて。首からだくだくと血を流してはいるが、絶命には至ってなかったようだ。牙を擦り合わせ、時に合わせ鳴らし、私たちを喰らう、それだけを考えていた。ずんずんと橋を移動して、私たちに近づいてくる。


「……嬢ちゃん、退いてくれ。俺が行く」トマが擦れた声で、私の体を押しのけた。
「だっ、駄目だよ! 背中のほとんどが焼けてるんだよ!? 血だって凄いし、一旦逃げよう!」
「逃げ切れねえよ、あいつは何処までも追ってくる。俺もお前らも全力で走れるような体じゃねえ、だろ?」片目を瞑り、ウインクのつもりだろうか? 半目になっているそれは決まりようの無い、残念なポーズだった。
「でも!」
「でもじゃねえ!! ガキの頃からの夢なんだよ、すぐそこにある、俺には分かる! 探検家の勘だ、根拠もねえし説明のしようも無いが、間違い無いんだ」


 響く足音が段々に大きくなっていく。トマがそれに気付かない訳は無い。肩は震え、見るからに怯えている。けれど、彼は前を見続けていた。


「夢なんて、いつでも追えるよ! 夢よりも命の方が大事でしょ!? だからここは……」断っておくが、私は正論のつもりだった。夢を持つのは素晴らしいし、そこに突き進む人は尊敬すべき人物だとも思う。でも命と引き換えにならば、それは夢ではなく自殺への道でしかないとも思っている。金で命は買えないのと同じく、夢で命は買えないのだから。ただ、目の前の人物にとってはそうでなかったらしい、トマは弱った雰囲気を一変させて私に詰め寄った。「違う、違うんだよ嬢ちゃん」
「何が? 何も違いなんて」
「良いか!? よく聞けよ嬢ちゃん、よく聞け。俺だって馬鹿じゃない、死ぬか生きるかの瀬戸際だってのは理解してる。だからもう二度と言えねえ可能性も見えてる。その上で、あんたにきっちり言っとかねえといけねえ事がある、分かるな?」
「そ、そんな事してる暇は」私の言葉を遮って、トマはこれ以上大切なことは無いと語り始めた。
「良いから聞け! いいか? 俺たち探検家ってのはな、夢で作られてるのさ。朝起きたら朝食に夢を食べてトイレに篭って、昨日喰った夢を消化して夢をふんばり出す。仕事で夢を追って夜になれば夢を肴に夢を飲み、夢のシャワーを浴びて、ベッドに寝転がり夢の上に頭を乗せて夢を見る、それが俺の生き方だ、これ以外なんて知らねえ。頭から爪先、吸って吐くものまで夢で出来てるんだ。夢の為に死ぬんじゃねえんだ探険家ってのはよ。夢の為に生きてるんだよ! それより大事なものなんてある訳ねえ、あって良い訳がねえ!!!」
「……それ、は」


 彼の言っている事なんて、半分も分からない。夢の食べ方も出し方も、夢を飲む方法も分かりはしない。
 ただ、彼は真剣だった。自分の言っている事になんの疑いも持っていない。私でいうところの、毎日息を吸う事くらいに当然の事を語っているのだ。ある意味、彼の正真正銘の自己紹介のようなもの。必死に前を見て、脇道に逸れない彼の生き様を彼は教えてくれた。


「大丈夫だ、俺は負けねえ。あんなでかいだけのウスノロに喰われるのはごめんだ。俺にはまだ、これがある」言って、トマは右手を開いた。そこには、大岩を砕いた時に用いた爆弾が握られている。次に、ティラノの首を眺めた。
 ティラノの首には、私の氷塊をぶつけて出来た傷の穴が残っている。そうか、あの傷跡に爆弾をぶつけて爆発させれば流石のあいつでも死ぬだろう。首が吹っ飛ぶほどの爆発力を秘めているはずだ。問題はどうやってあそこに爆弾を当てるか。


「俺が行く。あんたもクロノも機敏に動くのは無理だろ? 俺なら、出来る。見てろよ、トマ・レバインの一世一代の活躍劇を見せてやるからな」


 私の手を振り払い、クロノの制止も聞かず、トマは血だらけの体を死地へ送り込んだ。
 止められた。私も体が満足に動かないとはいえ、怪我人の彼を止めるくらいは出来たはずだ。少なくとも、あっさりと行かせない位は可能だったんだ。でも、しなかった。それはクロノも同じで、何処か見送るように彼の特攻を見送ってしまった。
 どうしてか? 見てみたかったのかもしれない。彼の夢への信念と、その結果を。私には、男の人のロマンや大志なんてものは分からない。今までそういった男臭い話は極力聞かなかったから。そんなものに心動かされるくらいなら、恋愛の話で顔を赤くしていたほうが楽しかったから。
 ──今ならなんとなく分かるよ。そりゃあ心動かされるよね。命を張って前に進む男の力強さと格好良さは、メルヘンの世界には存在しない。賭ける物が大きければ大きいほど見る者を魅了させる。期待させる。彼が賭けたのは命ではない。彼が賭けたのは人生であり、己であり、生き様であり、トマの言うとおり、全てだった。


「頑張れ……頑張れトマ!!」


 声の聞こえた方向を見ると、クロノが両手を握り声援を送っている。恥ずかしいと思うかな? 勝手に他人に全部任せてのんきなものだと蔑むかな? でもそれは私も同じ。心は既に観客と化している。トマの起こす活躍劇とやらを心待ちにしている。
 彼がいつから探検家をやっていたか知らない。子供の頃からかもしれないし、大人になってからかもしれない。でもそんなのはどうでもいい、彼が人生全てを探検家に費やしているのは間違いないのだから。
 碌々収入が無い日もあったろう。世間から爪弾きにされた事もあったと思う。家族どころか、妻も恋人も作れなかったろう。命が危ない出来事だってザラだと彼は話してくれた。彼に人並みの平和なんてあっただろうか? 時折一人で酒を飲んで自分だけが知る自分の勇気と冒険を思い返すくらいが精々じゃないのか。
 誰が褒めてくれるでもなく、認めてくれるわけでもなくただ愚直に夢へ進む彼が、負けるわけは無い。何も考えず口を開けて突進する化け物に負ける理由は一切存在しない。
 私たちの声援は、いつのまにか頑張れではなく、さっきと同じ「飛べ」に変わっていた。
 飛べ。しがらみも世間の常識も超えて。前だけでなく上を見る彼に精一杯のエールを。飛べ、と口にするたびに彼の動きは目を見張るものへ変化する。
 トマがティラノの正面に立つと、ティラノは牙を晒して彼を捕まえようとする。左右にステップしてその猛攻を全て避けた後、彼は中腰に膝を曲げた。勿論、私たちが彼に投げかける言葉は。


「飛べ! トマ!!」


 思い切り足を伸ばす彼の背中に、私はワシのような巨大で力強い羽根が生えているのを幻視した。
 羽は彼の落ちる先を誘導するようにひらりと羽ばたき、彼を首筋の傷跡へと着地させた。腕を振りかぶり、傷の中に右腕を突っ込む。痛みに吼えるティラノは体を揺らし彼を振り落とそうと躍起になる。そこでまた羽の活躍だ。水平に羽を揺らし、彼のバランスを補佐する。危なげなく、爆弾のスイッチを押した。その後、背中の羽をはためかせて、後ろに跳んだのだ。どこまでも飛んでいけそうな跳躍に私は目を細めて、感嘆の吐息を洩らした。


「天使みたいだね」


 爆音はまるでファンファーレの音のよう。祝福の鐘よりも盛大で、なんともトマらしい響きだった。






 俺を運んでくれ、とトマは細々と呟いた。爆発の余波にやられ、腕も足も折られて、顔面に裂傷を残しながらも、彼は帰ることを選択しなかった。選択できなかった。
 ふらついているのは理由にならない。私とクロノで彼の両腕を持ち上げて、ティラノがいた建物の中に入る。探索するまでもなく、私たちの目的である虹色の貝殻を見つけることが出来た。
 渦巻き型の貝殻は、虹色というより、虹を構成する七色を纏めたような、大層美しい代物だった。目を覆わんばかりの輝き、細部に現れている薄紫の彩色。見ているだけで心を落ち着かせるなだらかなディテールは人工物ではありえない曲線を描いていた。
 その美しさに声を失っていると、私は指に水滴を感じた。それは、トマの瞳から流れた、赤い涙。顔に塗れた血を洗い落とし生まれた滴だった。視界もおぼろげだろう目は、確かに虹色の貝殻を捉えている。口を開けて、何かを言おうと「あ……あ……」と言葉にならぬ嗚咽を洩らしていた。涙は止まらない、どれだけ流しても、どれだけ喉を震わせても、終わりはしない。
 私とクロノは顔を合わせて、トマを虹色の貝殻の近くまで運ぶ。手を震わせながら、ゆっくりと掌を貝殻に当てて、撫で回す。流れるように全体を触り終わると、彼はなんとも満足そうに口を緩ませた。


「俺、俺は、見つけた。夢に触ってるんだ。は、はは……冗談じゃなくて、本当に、夢みたいだ。俺、今夢を触ってるんだ」


 辛抱出来ぬ、と貝殻に抱きついて、トマは号泣する。俺の夢だ! と誰に聞かせるでもなく叫び続けた。感涙か、それ以外か。彼以外には分からない、その貝殻にも負けない美しい涙だ。
 しばらくそのまま泣き続けて、トマはゆっくりと崩れ落ちた。私とクロノは静かに彼の伏せた隣に座る。トマは寝る直前のような、ゆったりした口調で聞いてきた。


「俺を、夢想家だと、笑うか? 嬢ちゃん」
「……笑わない。笑えないよ、トマ」
「そ……うか。あんがとよ」


 その言葉を最後に、彼は目を閉じた。












 虹色の貝殻をそのままにしておくわけにもいかず、かといって持ち運ぶ事など出来そうにない貝殻をどうするか。考えた挙句、私たちは中世の城に行き、王様に「城に持っていってくれませんか?」と頼み込んだ。彼は魔王を退治てくれた勇者一向の頼みなら、と鷹揚に了承して、兵士をすぐさま派遣してくれた。その際にお願いを一つ。


「その貝殻の発見者として、トマ・レバインの名前を歴史に残して欲しいんです」


 誰じゃそれは? と不思議そうではあったが、王様はそれも許可してくれる。これで彼の名前は世界的に有名なものとなるだろう。
 虹色の貝殻だが、ガルディア城に保管された後、家宝として代々守り続けられるそうだ。家宝といっても、持ち主はガルディア王家ではなく、トマ・レバインという偉大な探検家の物なんだけれど。
 王様に御礼を言って、帰る途中に王妃──リーネにお菓子会に誘われたが、丁重に断った。今日は、どうしても外せないのだ。


 城を出て、トルースの飲み屋に入る。トマと私が初めて出会った場所だ。二人しかいないけれど、カウンターではなくテーブルに座る。他に客もいなかったので、店主は何も言わなかった。注文はクロノがビール。私はラムコークを頼んだ。ついでに、おつまみとして乾き物を幾つか注文して、また後で追加するかも、と言っておく。


「お疲れ様クロノ」
「そっちもな。つっても、俺たちはあれから王様に頼んで、運んでもらうのを見てただけだけどさ」


 やはり、相当に重い代物であり、場所も遠かった為か、私たちが巨人の爪を訪れてから二週間の日数が経っていた。それでも充分に急いでくれたのだろう、少し申し訳無い気もしていた。ご好意はありがたく受け取っておくけれど。本来カエルが王様から褒めてもらうべきなのだろうなあ、その点も申し訳無い、特に私は魔王と直接戦ったわけでもないので、王様に御礼を言われたときはドギマギしてしまった。油揚げを取っていくトンビの気分だ。


「……大変な冒険だったね」虹色の貝殻を探す為に巨人の爪という洞窟に潜った、と言葉にすれば簡単だが、実際長い冒険だったように感じられる。半日以上動き続けた強進軍だったこともあって、今だ疲れは取りきれていない。お風呂に入ると、今頃になって耳から砂が出たりするので吃驚する。海に入った時なんかによくある現象らしいのだが、まさか洞窟でも同じことが起きるとは。確かに、砂埃の多い場所だったなあ。
「まあな……あ、そういえばさ、時を移動するメンバー以外では、キーノ以来か。冒険を共にした仲間ってのは。俺の場合はドリストーン以来だから、随分久しぶりに感じるよ」
「私の場合はクロノを救出する時以来だから、そう昔ってわけじゃないけど」


 運ばれていたカクテルグラスを傾けて喉に流し込み、テーブルに置く。グラスの中の氷片がからん、と澄んだ音を上げた。ちびちび飲もうとしている私とは反対に、クロノはジョッキの半分を飲み干していた。乾いたイカの足を手づかみに二、三本取り口の中に放り込んでいる。私も木の実を乾燥させたつまみを適当に噛み砕いた。


「あんまり、冷えてないな」不味そうにジョッキを掲げながら、クロノは苦い顔をして舌を出した。「冷えてないビールとか、拷問かよ」
「そうなの? カクテルはちょうど良いよ。って言えば、どうせ『マールは味音痴だからな』って言うんでしょ」
「忘れてたよそのやりとり」と彼は答えた。「冷え具合に味音痴は関係ないしな」とも言う。関係無くもないんじゃないかなあと私は思った。「後で私もビール頼もうっと」
「やめとけよ、俺みたいに後悔するぜ」
「後悔したら、クロノに飲んでもらう」
「拷問が続くなあ」彼は既に、今日のこの店のビールは全てぬるいと決め付けているようだった。


 今回の冒険を少し想い返してみる。この時代にまだ残っていた恐竜人の文字。その文字が書かれていた紙を持った探険家のトマと一緒に誰にも知られていない島の洞窟へ入った。そこには原始の頃に存在していたティラン城があり、同じ恐竜人を食い漁って生き延びていた恐竜と戦い、七色に輝く貝殻を見つけ城に持っていった。これほどに荒唐無稽な話があるだろうか? これだけを聞くなら、それぞれに心躍るような出来事を切って貼ってしただけの陳腐な物語が完成しそうだ。
 陳腐、と片付けてしまうのが癪で、私は前言撤回、カクテルを一気に飲み干した。お代わりと一緒にお魚も注文する。クロノが便乗して「野菜も適当に頼みます」とカウンターに声を飛ばした。
 それと同じくして、カランカランとドアが開いた音が鳴る。客は店主に私と同じカクテルを注文していた。男の声だ。


「でさ、これからどうするよ。折角ハッシュの助言に従ったものの、特別パワーアップには繋がらなかったよな?」
「そうだね。でもさ、別にハッシュの助言は単純に強くなるってだけじゃなくてさ、それぞれの成長を促すというか、力じゃなくて心を強くする。そういうものもあるし、虹色の貝殻を手に入れたらパワーアップって事じゃないんじゃないの?」
「うん? ごめん、よく理解できなかった」悪そうに首を捻ったクロノ。うん、自分でも今の私の言葉はおかしいな、とは思った。ちゃんと整理しよう。ええと、
「ええとね。虹色の貝殻を手に入れた時点ではまだ終わってないんじゃないかな? って事。あ、そういえば現代にもあるのかな、私の城に虹色の貝殻は」
「そうだな、一応複雑な所有権だけど、家宝になってるなら四百年後でもあるんじゃないか?」
「だよね。確証は無いけど。なんてったって、四百年だし」
「資金繰りに困った家臣や歴代の王様が売り飛ばしたなんて事があるかもだぜ?」クロノの言葉に私は苦笑いした。


 虹色の貝殻は、見た目だけでも見事だった。売却するなら天井知らずの値がつくに違いない。気の違いで、いつかの時代で何処かの豪商に売られていてもおかしくはないか。仮にも王家の人間が明確な所有権を持っていない家宝(その時点で何かおかしいが)を売るなんて考えたくないけれど。
 下顎をすりすりして考え込んでいると、さっき入ってきた客が「隣良いか?」と聞いてきた。私もクロノもどうぞ、と促す。
 しばらく、グラスを傾けているだけで、会話の無い時間が流れる。すると、店の奥から流麗なピアノの音が聴こえてきた。窺い見ると、暇を持て余した店主がピアノを演奏していた。強面の店主に似合わず、指の動きは滑らかで、それだけで神秘的というか不思議な感覚がした。長年使い続けていたのか、ピアノはもうぼろぼろで、時折調律がずれているのか音を外しているのに、年季のある音は聞き心地の良いものだった。私たち三人の客は、耳を澄ませて目を瞑る。下種な勘繰りをするなら、もう注文せずに帰ってくれという店主からの遠回しの催促では、と考える事も出来る。が、その旋律は優しくて、帰ろうと思ってもまだここに留まり浸っていたかった。きっと店主からのサービスなんだろうと私は決め付ける。


「そうだ、聞きたいことがあったんだ」クロノが目覚めるように体を起こした。隣に座る、体中に包帯を巻いている男に顔を向ける。「良いのか? 城に預けたままで。家宝にするとか言ってるけど、あんたが言えばちゃんと返してくれるぞ」
「良いんだ。見つけた瞬間で俺の目標は達成してる。大事にしてくれるなら、むしろ願ったり叶ったりだ」目が開け辛いのか、片手で無理やり片目を開けて、閉じる。ウインクのつもりかな。
「ふうん」クロノは特に追求する気も無いのか、視線を机の上に置いて、腕を伸ばし鮮魚の切り身を一切れ口に放る。


 男は首を鳴らし、肩に巻きついた包帯を鬱陶しそうに睨んだ。動きづらいのだろう、今にも引きちぎりたいといわんばかりだった。というか、彼は包帯を千切って店のゴミ箱に捨てた。焼け爛れたような跡はあれど、傷は塞がっており、痛みも無さそうだった。
 彼はぺちぺちとその傷跡を叩いて、「良し!」と快方しつつある自分の体を褒めるように撫でた。その様子に、彼に痛覚は無いのではないか? とありそうにない想像をして、ありそうにないことも無いな、と思考を改める。


「なあ、マール」男は低い声で私を呼ぶ。「何?」グラスに入った氷で遊びながら、私は返事をした。彼は両肘を机につき、手の甲に顎を乗せて、楽しそうに言った。
「俺が次は、どんな夢を追うと思う?」
「さあ。世界一の美女とか?」暗にそろそろ良い人見つけたほうが良いよ? とほのめかした。
「残念だけどな、俺に見合う女性なんてそうそういねえんだ。そんな女性は、どんなに希少なお宝よりもレアだ。まあ、マールなら合格点やっても良いぜ? 月初めには必ず俺の下着を洗濯してくれればな」


 やっぱり、彼から夢を取り上げても、指紋や血液型の他にその軽口は残ると思うのだ。
 そんな事を思いながら、私は極上の断り方を探す為、自分の知識を広げた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/06/05 00:55
 退屈だ、と彼女は言う。他に誰もいない、広いようで狭いような、なんとも形容しがたい空間の中で溢す独り言は誰も拾い上げる事はない。恐らく、彼女自身も望んでなどいない。弱音や愚痴は自分にとって嫌いで苦手なもの、その最たる位置に属するのだから。他人の弱音を聞くのも、自分が愚痴を溢すのも嫌だった。嫌悪といっても良い。
 自分を囲う球体に手を当ててみる。自分はそこから出ることは一生叶わない。
 それでも良いと思っていた。あの人と出会うまでは。あの人はあらゆる障害を乗り越え……てきた訳ではなく、ただ来たいから来て、数回言葉を交わしただけで帰って行った。情の無い、と批判したい気持ちもあるが、帰るよう促したのは自分だ。文句を言うのはお門違いだろう。それでも、理不尽に当たりたいのは女性の性か。
 一周するように回る思考を見つめなおし、彼女は頭を抱えた。これでは、私の嫌いな愚痴ではないか。そのものだ、と再度自分を責めて、その自分を責める行為は弱音と等しいとさらに自分を貶める。
 考えれば考えるほど『どつぼ』に嵌る気がして、彼女は実にシンプルな願いだけを思い浮かべる事にする。
 あの人は、また私に会いに来てくれるだろうか? と。
 あの人が忙しいのは知っている。様々な事に頭を悩ませて、耐え難い圧力に身を晒している事も承知している。だからこそ、会いに来てほしかった。それだけ身を切られているというのに私に会いに来てくれるということは、私に対して並々ならぬ想いを抱いていると思えるからだ。
 両手を重ねて、神に祈るように頭を垂れる。ただし祈るのは神にではない。私だ、私が考え私が行動する。今はあの人に会いたいという、あの人が私に会いに来てくれるようにという受動的な願いだが、あの人が私に会いに来てくれるのは私が私だったからだ。結果的ではなく、その過程で考えるなら受動的な行為も能動的な行為へ変わる。
 一考するだけでは理解し辛い思考を回しながら、彼女は大きく息を吐いた。彼女にしては難解な事を考えすぎたのだろう、迷い彷徨う考えを放棄するように、長い長い息だった。












「王様が、王家の宝を売り飛ばしたらしいよ!」


 私たちが現代に着いて、初めて聞いた他人の声がそれだった。
 一瞬、小噺の類か、笑えない冗談を言っているのだと思い一笑に付した。が、町の人々の噂話、その大半が同じだったので流石に耳を貸さざるを得ない。近くを歩いていた高年のおばさんの集まりに詳しく話を聞いてみる。彼女らは一様に、食いかかるような勢いで話し出す。若い人間に自分の話を聞かせるのが楽しくてたまらないといった様子だった。
 眼鏡を掛けた、細長い体格の女性は言う。「国の資金を勝手に使い込んだ王様が、王家の宝を独断で売ったらしいのよ」
 顔中に贅肉をつけた、数えるのも馬鹿らしい数十段腹の女性は言う。「王妃様が御存命の頃から裏で遊びまわってたらしいわ」
 顎が異様に長い、人外を思わせるような骨格の女性は言う。「真面目そうな方こそ、案外アレだったりするのねえ」
 私は言う。「アレって何? 見た目も酷いけど、言う事はそれ以上に酷いんですね。もう一度学校に通ったらどうですか? 受け入れてくれないだろうけど」おばさん連中は猿か、気の違えた可哀想な人のようにきー! と奇声を上げて口々に私に罵詈雑言を放った。聞くに堪えないつまらない、定例句のような言葉だったので何を言われたのかも覚えていない。


「……私、お城に戻るね。悪いけど、ルッカの家に行くのは一人で行ってくれる?」
「いや、俺も行くよ。流石に顔を出す気は無いけど、城の前まではついて行く」


 隣で、私と同様に落ち着いている様子のクロノは、はっきりと意思表示する。狼狽していると思われているのだろうか? その声は落ち着かせようとしているような、ゆっくりと言い聞かせるテンポだった。
 中世から、シルバードに乗り込んだ私たちは、全ての助言を達したと気を抜き、これからどうしようかとクロノと相談した。やはり、黒の夢に乗り込むべきだろうという結果になるが、まだカエルは修行中、ルッカ、エイラ、ロボの三人も帰ってきていない。唯一魔王のみ時の最果てに残っているも、全員揃った状態でないと意味が無いのだ。何より、私たち自身、本当にこれでいいのか、という不安が残っている。気後れしているのかもしれない、けれど漠然とした不安があるのは確かだった。物足りないような、お腹の奥がざわざわするような、妙な感覚だった。
 二人で頭を抱えても仕方ない。とりあえず、とクロノが提案したのは「太陽石が見たい」という事だった。そういえば、彼はまだ太陽石がどういうものか見ていなかった。やることも無し、ルッカの家に行って彼に見せてあげようと現代に飛んだ。
 そして、これだ。シルバードを降りて町についた途端、不穏な言葉を聞いて私が様々な人に話を聞きまわったのだ。誰も彼もが確信しているような物言いに苛立ちを感じたのは気のせいではない。今すぐにでも、城に向かいたい気持ちで一杯だった。


「城の前って、見つかったらクロノ捕まっちゃうよ?」
「大丈夫。そんなヘマはしないよ、多分」
「多分って……へへ、でも嬉しいよ。ありがと」


 正直、父上らしからぬ噂を聞いて不安だった私はそのままに感謝を告げた。彼は照れたように顔を背け服の袖を捲り上げた。





 悲しくも、彼の多分は駄目でしたの一言に変わることになる。
 なんと言う事は無い。不安を掻き消す為に城の途中にある森の中で私がガルディアに伝わる民謡を歌ったのだ。勿論作詞作曲は私ではない。同じ轍を踏む気は無いのだ。
 すると、クロノも便乗し歌いだした。彼も同じ歌を知っていた事が嬉しくて、声量を張り上げて行進した。不思議な事に、歌っている間は胸に渦巻く憂患は姿を潜めていた。その事に気分を良くして、相乗的に声の大きさは上がっていく。講堂で合唱する時と変わらぬ程に。
 次は賛美歌でも歌おうかと思っていたときだろうか? 二十を超える兵士に囲まれたのは。何でも不審者がいると思った兵士が仲間を呼んだらしい。負け惜しみとほぼ同義になるが、不審者の一人や二人で仲間を呼ぶな、兵士。兵士だろうに、この兵士め。


「呆気なく捕まるものだな」慌てた素振り無く、平気な顔でクロノが言う。
「この状況、クロノが悪いに三千点」
「はらたいらさんかよ。俺はそんなに賢くねえし、そもそも歌いだしたのはマールだ」


 私たちが抵抗しないのは訳がある。抵抗するも何も、彼らは私たちを城に連れて行こうとはするが、それはあくまで私を城に連れて行きたいだけらしい。クロノを捕まえる様子は無いのだ。聞けば、どういう訳かクロノの罪状は取り消されたとの事。
 嬉しいことではある、が納得は出来ない。何故今になってクロノを許したのか。いや許すも何も誤解だったのだが。
 その理由を兵士に問うても、皆一様に顔を背けるばかり。そして必ず「私どもの口からは……」と濁す。では誰に聞けば良いのだ? それもまた答えは同じ。「大臣から聞いてください」との事。躍起になってクロノに罪を被せようとした大臣がクロノの罪を消したのか? それはちょっと考えられない。大臣は馬鹿だけど、そんな唐突な事をするほど馬鹿では……あるなあ。
 ふと大臣がどのような人物か、思い出す事にした。彼はやはり、賢いとは言えないいやかなり頭の悪い人物だった。思い込みも激しく、度々「王女様、昨日の夜鏡がワシに言ったのじゃ。この国一の美男子はワシじゃと」と胸を張り自慢? してきた。「面白い童話だよね、あれ」と指摘すれば、「うむ、あれは感動した。あれを見てからワシも姫が良かったと思うようになったわい。せっかくじゃから王女様、ワシと立場を交換せんか」ととんでもない案を出してくる、飽きない人ではあった。疲れるけど。


「どうした? マール」


 回想している私に、クロノが話しかけてくる。はっ、と我を取り戻し、苦笑いをしながら「大丈夫、なんでもないよ」と返しておいた。
 ガルディア城の門につく。私たちを囲む兵士が二、三門番に話しかけてから、重厚な音を立てて門が開く。いつもながらに思うのは、無駄に大きい門だなあという事。歯車を用いた門開閉機を使ってもかなりの人数が必要だろう。十メートルはある門が左右に分かれていくのを見ながらぼんやり考えた。
 城の中は、静寂に包まれていた。魔法王国で見たジールなどではそれが普通なのかもしれないが、ここ、ガルディアでは有り得ない。平常、大臣だか兵士だかが大きな声で笑い、物を割ったり壊したりしてメイドの雷が落ちたり、料理長の奇声が上がる賑やかな城なのだ。それが、誰も会話をしていないなどおかしい。


「碌な城じゃねえなガルディア城」
「クロノは黙ってて」


 良く見れば、城の中にいる人間は皆沈痛に顔を俯かせている。喪に服すような、もしくはそれに準ずるような表情だ。


「マールディア様!!」
「……大臣?」
「おお、よくぞ御無事で!」


 奥の階段から駆け下りてきたのは、床にすれるほど長い、祭服に似た衣装を纏った大臣だった。彼の歓喜の声が静かな城に響き渡った。
 大臣はやはりクロノをキッ、と睨みはするが、周りの兵士に捕まえろと命令する事は無く私の両手を握った。


「心配しましたぞ。そしてその……ある意味、来てくださって良かったと言えば、良かったのでしょうか。もうすぐ始まりますからな」
「始まるって……いや、そんな事より大臣! 聞きたいことがあるの」
「はて? 聞きたいことですかな。そこのクロノなる平民の罪のことならもうお気になさらず。全ては国王の独断で行われた裁判でしたので、その者は無実です。気軽に王女様に話しかけているのは褒められた事ではありませんが、マールディア様も友達は欲しいでしょう……だが一定の関係を超えたら、分かるな小僧?」大臣の目が氷点下となりクロノを射抜く。何処吹く風、というように口笛を吹いているクロノの顔色は決して良いものでは無かったが、それはもういい。クロノの罪が消えた、それは素晴らしい事だけど、私にはもう一つ聞きたいことがある。
「大臣、父上が家宝を売ったって噂が流れてるの。それも私欲でって。そんなの嘘だよね?」


 そこで初めて大臣も暗く寂しそうな顔を作った。何度か左右に首を振った後、私の耳側に顔を近づけて、内緒話をするように両手で輪を作り声が漏れぬようにした。


「その事ですが……真実です。マールディア様からすれば衝撃でしょう、心中お察しいたしますぞ」
「嘘だよ、だって父上がそんな事するわけ無い、あの人は誰よりも自分に厳しい人だもの。自分の為に家宝を売るなんてしないよ!」両手を広げて、ここにはいない父上を弁護するように言った。
「自分に厳しい、ですか。確かにそうですな。故に、他人にも厳しい……いや、冷たい」大臣の目に光が宿る。そして私は悟った。彼は本心を見せていない、何がと言われても分からないけれど、彼は演技をしている。何か、知られて欲しくない秘密を持っている、と。
大臣の話は続く。

「あの方は常に国を、国しか見ておられない。だからこそ、あの人は消えた。胸に寂寞の想いを残して、後悔と羨望を携えながら」


 それきり、大臣は黙りこくり、服を翻して奥に歩いていく。なんとなく、彼の放つ空気に圧されて見送りそうになったが、必死に喉を震わせて呼び止めた。それが「待って」だったか「行かないで」だったかすら記憶に残っていなかったけれど。
 大臣は階段の踊り場にて立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。その顔つきは、何かを決心した、精悍で冷酷なものだった。


「もうすぐワシの仕事が始まりますでな。マールディア様はもうしばらく町にでも出ておられるといいでしょう、用事はすぐに終わります。その後一緒に服でも買いに行きましょう」視線に射抜かれた私は、何の用事? と聞く事すら出来ずそこに突っ立っている事しか出来なかった。
「ワシはそう服を持っておりませんで。喪服の一つも持っておかねばならんでしょうから」


 大臣はそのまま二階に上がり、右手の扉に入っていった。そして、聞こえた。扉の奥から確かに大臣の声が。彼は間違いなく誰かにこう言っていた。


「さあ、裁判を始めるぞ」と。












 星は夢を見る必要はない
 第四十二話 叶え四百年越しの願い












 誰の裁判か? 考えるまでも無い、父上のだ。大臣の喪服という言葉から、ほぼ死刑は確定している。国王が死刑? 普通に考えれば不可能だ、国王とは文字通り国の王、刑に処されるなど有り得ない。むしろ告発した人物こそ死刑になる。
 ……でも、どうだろう大臣の様子は。余裕に満ち満ちている、自分の考えどおりに事が進むと疑っていないようだった。
 そもそも、町の人間の様子すらおかしかった。国王が家宝を売る。確かに褒められたことではない、世論は動くだろう。「あの国王は私利私欲で動く俗人だ」と。だからどうした? 支持者が減った所で国王に不利益は無い。いざとなれば暴君にすらなれるのが国王なのだから。家宝の一つや二つ売り飛ばしたからとてなんだというのだ。
 最悪の形として、王権を交代するならばまだ納得できる。しかし、死刑?(私の想像だけれど)有り得ない。どうして?


「……なあマール。町の奴らが言ってた家宝ってさ、もしかして虹色の貝殻の事か?」
「虹色の貝殻……? あっ」クロノに言われてようやく思い出した。中世、巨人の爪で手に入れた虹色の貝殻の事を。四百年経ってもまだあったというのか、この国に。
「だとしたらさ」クロノが難しい顔で言う。「虹色の貝殻の所有者は、一応トマの物なんだよな? 家宝としてはいるけど。だったら……」
「……あ」


 なるほど、読めてくる。ただの家宝を売ったでは弱い、所有権の複雑な、家宝としてはいるけれど、他人が見つけて預けた借り物の家宝を売ったとしたらどうだ? それも私欲で。国を動かす立場でありながら家宝であり他人の物でもある虹色の貝殻を売ったとしたら。歴とした犯罪になるのではないか?


「いや、でもまだまだ弱いよ。国王を降りさせるならまだしも、それじゃ死刑には程遠い」
「まあ言われりゃそうだけど。俺の時の前例があるだろ? 俺の時は王女誘拐犯にさせられたんだ、今回の王様の裁判でも隠し玉があると思って良いだろ」


 それを言われて、私は初めてクロノが父上を微塵も疑っていないと分かった。他人の父親、それも自分を犯罪者と決め付けた国王を信じてくれるのか。
 途端、抱きつきたい衝動が生まれるも、そのような場合ではないと判断し、思い止まる。首を振って、その後頬を両手で挟むように叩く。落ち着け私、違うだろう。今は感動するべきではない。
 頭を回転させる。これからどう動くべきか、決まっている。まずは裁判場に乗り込んで父上の無実を証明すべきだ。けれど、これは駄目元。どうせ、大臣の権利で私は追い出されるだろう。形式的に立場は私の方が上でも、実質的な権利は彼の方が上なのだ。大臣は国王を除けば最も他人を動かせる。場合によってはそれ以上に。
 ならば、私は今から裁判場に乗り込む目的は事態の収拾ではない。むしろ、


「宣戦布告、だね」
「へ? いや、たまにマールの考えが読めねえよ、俺は」
「ほらクロノ、ついてきて!」


 彼の手を引いて階段を駆け上る。向かうはある意味懐かしく、そして思い出したくない裁判の間。戸惑う彼に構わず走り続けた。兵士が止めようか、と迷っているが無視。体を張って、とされようが吹き飛ばす自信がある。城の空気全体をかき回すような気持ちで体を前に動かし続けた。
 裁判の間に続く扉の前に二人の兵士が立っている。今中に誰も入れるわけにはいかないと緊張した面持ちで私の前に立っていたが、両手で押しのけ、扉を蹴り飛ばす。中から鍵が掛かっていたのか、鉄の錠が床に落ちた。それを端に蹴りやって、中央に突き進む。後ろの方でクロノがぽかん、と口を開けていたものの、気にはしない。よくよく考えずとも、これは私の問題であり、彼は私を支えてくれるだけだ。それ以上頼るのは悪徳過ぎるというものだろう。
 中央の台に立っていたのは、やはり父上。その前方に大臣がさっきの姿のまま立っていた。誰もが私を凝視している中、大臣だけは目を尖らせ私を睨むように見つめていた。


「助けに来たよ、父上」
「マールディア……」


 今までの禍根を思い出してか、父上は助けに来た事を嬉しく思ってはいるのだろうが、複雑に顔を歪めていた。父上の前に立ち、人差し指を大臣に向ける。裁判場内にいる傍聴人や裁判官、裁判長全てに聞こえるよう深呼吸して、怒鳴るように声を張った。


「何のつもり!? 父上は家宝を売ったりしてない! これは、誰かの陰謀よ!」私の怒りの視線を浴びて尚、大臣はへらへらと笑い「困りますなあ」と首を捻った。その様子から、やはりさっきの悲しそうな顔は演技だったと知る。
「マールディア様。いくら王女である貴方とはいえ、裁判中に何度もここへ出入りされては城を追い出さなければなりません、勿論、一時的にですが」
「無駄だね、私はずっと言い続けるよ? 何度追い出されても何回怒られても貴方の言うことなんて聞かない。昔からそうだったでしょ?」


 過去の例を出して挑発する。これで、微かにでも彼の動揺を誘えれば御の字だ。
 そう、考えて出した言葉だった。特に目を見張るような効果を期待したわけではない。なのに、大臣の顔は歪み、最後には、一瞬だけ優しそうな顔つきに変化した。見逃すほど短い、刹那の時間だったけれど。大臣は自分の髭を撫でてから、またさっきと同じ愉悦すら感じるいやらしい笑みに変わった。


「衛兵、王女様をここから連れ出すのじゃ。丁重に、な」大臣の言葉を聞いて、隅の部屋から二人の鎧に身を包んだ兵士が私の腕を掴もうとする。私はそれを振り払い、「一人で出て行けるよ」と言い放った。
「今は退くよ。でも、これはあくまで宣戦布告だから。またすぐに来るよ、この下らない陰謀を阻止する為にね!」


 証人台の机を掌で思い切り強く叩き、足早に部屋を出る。赤い絨毯に皺を残しながら、また閉じられた扉に手を掛ける私へ、大臣が近寄ってきた。「忘れ物ですぞ」と私の髪結びを手に持って。
 受け取ろうとする私の手を無視して、彼は優しげな手つきで私の髪を纏めて髪を整えてくれた。その行為に、昔の鬱陶しくも面白い大臣を思い出して、心が柔らかくなってしまう。まだ駄目なのに、まだ尖らせなくてはいけないのに。
 これでよし、と大臣が私の頭から手を離す。私が離れようとする直前に、彼はおっと、と足をもたつかせ、私に密着してきた。慌てて離れようとする間際、彼はぼそりと呟いた。


「城を出て下され、貴方を巻き込みたくありません」


 大臣はすっ、と身を引き、元の低位置に戻っていった。
 ……そっか。そうだよね。普通に考えてもそうなるよね。
 この騒動の元凶は大臣。もしかしたら違うかも、とか思ってたけどやっぱり彼だった。信じてた、と言うつもりはない。懐いていたのは否定しないけれど、疑っていたのも確かだ。
 けれど、この湧き上がる怒りをそのままにはしておけない。
 次第に吊りあがる眉を意識しながら、肩で風を切り大臣に近づこうとして、隣に立つ衛兵に止められる。拳を振りかぶって殴りつけてやろうとした瞬間、ぞわ、と背中から寒気が這い上がってきた。目の色が、おかしいのだ。
 鉄仮面を被った彼の顔は分からない。ただ、暗い空洞に光る目の色は輝くほど赤かった。耳を済ませてみれば、呼吸音も聴こえない。動悸によって起きる体の脈動すらない。
 ──人間じゃ、ない?
 信じられない考えが頭に浮かんだ瞬間、私はその場から後ろに飛びのいた。そして気付く。傍聴席に座る誰もが熱の篭らぬ視線を、無表情のまま私に向けている事に。
 駄目だな私は。どうやら想像以上にまいっていたらしい。
 赤い目に気が付かないほど目は濁っていて、呼吸音を聞き取れないほど耳に膜が張っていて、貫く視線の冷たさが分からないくらい触覚も鈍っていて──裁判場に蔓延する獣の臭いを嗅ぎ取れないほど鼻が利かなかったなんて。


「それでは、裁判を始めましょう。被告ガルディア王の罪は、四百年前より王家に伝わる『建国千年の暁には国民の前に虹色の貝殻を出す事』。その言葉にある虹色の貝殻を売った罪状です」


 ……そうか。御先祖様の言葉が国王を罪に処させる決め手なのか。
 私の事なんかいないように再開された裁判を止める力は、私には無かった。愕然としたままクロノの元へ歩く。彼は大丈夫だったか!? と心配してくれるも、それに構う力が無い。
 まさか、裁判場の人間全てが入れ替わっているなんて。
 これでも、自分がしてきた旅は短く無いつもりだ。数えられない魔物を倒し、出会ってきた。その私の勘が言っている。あそこにいる人間は、父上しかいない。他は全て魔物であると。外にいる兵士二人に顔を近づけて、じろじろと見遣る。「な、なんですか?」と顔を赤くする様は間違いなく人間だろう。となると、城全体が乗っ取られた訳ではあるまい。それが救いか。あまりにか細い気もするけれど。
 三度息を大きく吐き、ほんの少しだけ余裕が生まれる。所詮はほんの少しなのだけれど。クロノに私が気付いてしまったこと全てを打ち明ける。彼もまた、重い顔つきになり、不味いな、と溢した。


「こうなりゃ、裁判場に乗り込むしかねえんじゃねえか? 部屋の外からしか見てねえから正確な数は分からねえけど、五十人くらいだろ? それくらいなら俺たちだけでもなんとか……」クロノは強攻策を提案する。実際、それくらいしか方法は無いのだろう。でも、私は首を振る。
「確かに、そうすれば父上は助けられると思う。でもその方法じゃあ父上の容疑は晴れない。いや、魔物に嵌められたと言えば晴れるけど、国民の心には必ず疑惑の種が残ってる。『魔物? そんなの言い訳なんじゃないか? 本当に家宝を売ってしまったから出た方便なんじゃないか?』ってね」
「まさか! 考えすぎだろ?」彼はまさか、と笑う。でもそれは違うのだ、私は重々しく首を左右に振った。
「クロノ、私だって王女なの。国民について勉学として学んできたし、実際にどういうものなのか、今日はっきりと目にした」


 思い浮かぶのは、嬉々として父上の失態、罪を話している人々の姿。それが全てだとは思わない。でも一部でもないんだ。民は、上の人間の疑惑を受け入れる。自分の子供よりも、容易く。
 確たる証拠が無ければ、自分の想像を答えとしてしまうものなんだ。父上は家宝を売っていない、そう証明できなければ、魔物のせいだと公言しても受け入れはしない。何故か? 犯人である魔物の悪口よりも、国王たる人物を貶す方が遥かに楽しいから。
 何が真実かなんて、大半の人間に興味は無い。より自分の退屈を紛らわせてくれる答えを欲するものだ。ぼやけた真実なら、尚更に。


「父上が家宝を売ってない証拠を見つけないと、終わりじゃないよ」
「じゃあどうする? 証拠ったって、それこそその家宝とやらを見つけない限りは無理だぞ!」
「でもそうしないとガルディアがバラバラになっちゃうよ! 今だってパレポリとの外交問題で揉めてるのに──」


 ──家宝を見つけないと?


「……クロノ。ナイスだよ、それ」


 は? と首を傾げるクロノの額にキスをする。彼は顔を真っ赤にして『な』を連呼した。私はと言うと、恥ずかしさよりも発見に対する嬉しさが勝り、飛び跳ねたくて仕方が無い。


「家宝の虹色の貝殻を見つければ、父上は家宝を売ってないっていう完全な証拠になる! 一発大逆転だよ!」
「うおお。簡単過ぎてアホみたいな帰結だけど、確かにそうかもしれんな」
「褒めてるんだよねそれ。後どうして額を服で拭うのかな?」


 様々に腹の立つ言動だけれど、今は制裁の時ではない。両腕を引いて気合を込める。問題はその家宝が何処にあるのかということ。家宝というだけあって、相当の警備が予想される。さらに、父上が知らない場所であることも分かる。父上が虹色の貝殻の場所を知っているのなら真っ先にそこに兵士を送り込み調べさせるはず。


「マール。思ったんだけどさ、その家宝を大臣たちが売ってたならどうするんだ? 商人と口裏合わせて、国王が売ったことにしてればもう詰みだぜ」
「……え?」
「探すも何も、どこぞの商人が買った後なら証拠なんて作れない。売買の契約書があったとして、それを手に入れたとしてもそこに国王の名前が書かれてれば終わりだ。筆跡なんてどうとでもなるし」


 言われてみれば、確かにそうかもしれない。私の中ではすでに虹色の貝殻はまだ城の中に保管されてあって、それを裁判場に持っていけば勝ちだと考えていた。馬鹿らしい、城の中に家宝があるわけないじゃないか。既に大臣が手回しして店に売ったか、そうでなくても何処か遠い場所に持って行っているだろう。少なくとも裁判中には見つからない場所に。
 掌から汗がじんわり浮かぶ。焦るなと自分に言い聞かせても言うことなどはなから無視している己が体が憎い。皮膚という皮膚をはがしてやりたい気分だ。八つ当たりできるのが自分の体しかないなんて、頭が痛くなる。


「……いや、探そう。この城を、きっとまだガルディア城の中にあるはずだよ」迷いを断ち切るように、断言した。でないと、歩き出そうとしている足が凍り付いてしまいそうだった。
「へえ、根拠があるのか。聞いても良いか?」当然の事ながら、クロノが理由を聞いてくる。その目には期待と感嘆が映っている。
「ごめん、説明してる時間は無いの。要はクロノが私を信じて動いてくれるかどうかだけ。信じてくれるなら、この城の何処でも良い、とにかく探索して」首から掛けているペンダントをクロノに手渡す。ちょっとした通行証代わりだ、これがあれば大抵の場所に行くことができるだろう。クロノはペンダントを受け取り、数瞬私と見つめあった後、にかっ、と歯を見せて指を鳴らした。
「マールの言葉を疑う理由も、必要も無いな」彼らしい言葉を残して、クロノは駆け出していった。その歩みに迷いは見受けられなかった。


 それを見送った後、私はクロノの進んだ方向とは逆に歩き出し、誰にも聴こえないように「ごめん」と謝った。誰に? 勿論クロノにだ。この城に家宝はまだ残っていると信じた理由はあまりにか細く、馬鹿らしいものだったから。
 この事件の首謀者は、恐らく大臣だろう。彼が考え彼が動き彼が扇動したに違いない。だからこそ、私は一つの可能性に縋った。今その事のついて考えるつもりは毛頭無いけれど。


「ああもう、虹色の貝殻を手に入れて、良かったことなんて一つも無いじゃない!」


 天井の虚空に向けて、私は誰かに聞かせるべく文句を放った。






 虹色の貝殻を探すに当たって、最初は聞き込みから始めようと考えた。結果から言えば、それは大失敗だったといえよう。家宝というからには、国の機密と変わらぬ存在なのだ。国王や私を除き、大臣以外に詳細を知る者がいるわけがない。兵長から団長、給仕長に果ては料理長にまで聞き込んだ私は馬鹿か阿呆か。魔王がこの場にいれば頭を叩かれたに違いない。
 無駄だと知りつつも、大臣の部屋に勝手に押し入り、中を探し回った。寝具やタンス、天井裏まで破壊しながら探しても貝殻のかの字も見つけられない。隠し通路や隠し階段の類も無く、スイッチか隠し仕掛けがあるとも思えない。仮にあっても、私では見つけられるかどうか。探索の経験が豊富なトマか、もしくはカエルがいないと話にならない。
 他にも様々な部屋に入り探してみる。父上の部屋にあるわけもなく、私の部屋は論外。宝物庫にも目を通したが、そこにあるなら苦労はしない。宝物庫の見張りや管理者が見落とす訳がないだろう。一応兵士たちが魔物と入れ替わっている可能性も考えたので探しては見たけれども。
 四方八方走り回った結果、残る場所は一つしか残っていなかった。それは、国王と私以外出入りを禁止されている神聖な部屋。
 ……お母様の部屋だ。その部屋の前には兵士すら立っていない。思い出の品々に傷がつかないよう、許可が無い限り誰も入れないのだ。月に一度、給仕長が軽く水拭きをする為に入室する以外訪れる事は無い。
 そういえば、私は子供の頃よくよくお母様の部屋に入り思い出を振り返ったけれど、父上はお母様が亡くなられて以来、この部屋に入ったのだろうか? 一度も鉢合わせたことはないけど……たまたま、なのかな。
 昔と変わらぬ装飾の扉を開き、中に入る。人のいない室内には埃も無く、昔のままの姿を保っていた。天蓋付きのベッドに触れると、柔らかい毛布がへこみ、私の腕を吸い込んでいく。時間が無いというのに、その上に横たわりたいという欲望が芽生え出す。
 流石に、今も走り回っているだろうクロノを置いてベッドの上に体を放り出す訳にはいかないが、代わりに枕を手にとってぎゅう、と体に押し付けた。力を貸してくださいと、お母様に願うように。


「……そうだ、お母様なら何か知ってたんじゃないかな」


 ガルディアは、国王が最も権利を持つが、一部の場合においては国王よりも権利がある役職が様々に存在する。例えば大臣。裁判を一番にした犯罪の取り締まりでは彼が最も人を動かすことが出来る。他にも輸出輸入の際に値段や納入数を大体取り仕切るのも彼だ。兵士団長なら戦争などの戦では、基本的に国王の指示よりも自分の判断を優先できる力を持っている。
 そして、王妃。この場合お母様になるか。彼女は国の歴史を取り仕切っていた。建国から今までの歴史を記した古文書を拝見出来るのは王妃だけである。その内の一部を神官や国王、時には大臣に伝え、その中からさらに一部を民に教え教育とする。水の濾過に近い仕組みだ。王妃は国を動かす人物になら教えて良い事を選出し、神官たちは国民に伝えても良い当たり障りの無い歴史を提供する。


──エゴよね、私たちがどれほど賢いっていうのかしら。


 お母様はよく言っていた。このような形式は妙だと。全ての歴史を民に教えてしまえば良いのだ、ガルディアが産んだ美しい英雄譚も、逆にガルディアが行ったおぞましい民族虐殺も全部全部ぶちまけてしまえば良いと。それで潰れるようなら、それは国ではないと。
 国というのは、決して素晴らしい歴史だけではない。むしろそんな事は少ないのだ。国に逆らった村や町を焼き払い、人々を思って立ち上がった英雄を不当に殺し、財源を得る為に人身売買に国が関わっていた事もある……これは、お母様の受け売りだけど。そのような事実が、ガルディアにあったかどうかは定かではない、けれど、それを語っているときのお母様の様子から、それは真実だったのだと考えるのは至極当たり前だと思う。形式的に、王妃であるお母様が歴史上の出来事をそのまま私に教える事は無かったけれど、彼女はそんなしきたりを馬鹿にしているようだった。
 それが、悪いわけではないのだ。むしろ、千年も続いている国家が悪事に手を染めていないわけが無い。綺麗事だけで生きていけるのは個人が精々。幸運が重なり合っても、群集がそれで生きていけたら奇跡だ。いや群集であっても不可能かもしれない。だって、悪事に手を染める事無く善を貫いた個人がどう呼ばれるか、私は知っている。そう、聖人だ。神の生まれ変わりと称えられる。それくらいの偉業なんだ。その偉業を国家という莫大な集合体が為すなんて、後にも先にも、仮にこれから先何千億年人間が生きたとしても存在する訳が無い。


──国は生き物なの。歯車で回る単調な物じゃない。赤子のように繊細で、影響を受け易い脆い生き物なのよ。そんな事、誰だって知ってる。


 これもまた、お母様の受け売り。耳にたこが出来るほど聞かされた。それくらいに聞かされたからこそ、幼い頃の話だとしても思い出せるんだけど。
 国に、ランダムではない、規則的な動きを期待するなんて馬鹿げていると笑っていた。だって、生きているのだから。
 国を構成しているのは誰か? 民は勿論兵士や給仕、馬を世話する人間に祭司、神官、兵士団長に大臣、裁判官、牢屋長、国王に王妃に王女、王子、力のある豪族も合わせれば数えられるものではない。
 国を動かすのは人間だけじゃない。天候や災害地形に国で取れる国産物も大いに関わってくる。そのどれもが複雑に絡み合い、成長していく。その中の一つが変化を見せれば全てが変わる。国は永久に変化を止めない。
 なら、千年という長い歴史の中に聞こえの悪い真実が混じっていたとして、何の問題があるのか。その程度の理屈を分からないほど国民は馬鹿ではないと、お母様は私に優しい顔で教えてくれた。


──国は国王が作るものではない。当然私でも兵士でも大臣でも、よくある夢物語で使われるような、民が国なんて夢想を言うつもりもない。国は皆で作るものなんだから。


「……駄目だ。思い出してばっかりで、何にも出来ない」


 枕を元の位置に戻して、部屋の中を歩き回る。お母様の思い出に浸っていても、何も進展しない。私がすべきことは、虹色の貝殻を見つける事。言葉にすれば単純明快、これ以上短縮する必要の無い一言。
 ……虹色の貝殻。そんな事をお母様から聞いた覚えは一度も──
──頭に何かが流れ込んでくる錯覚を覚えた。ルッカと太陽石を取りに行った事を思い出そうとした瞬間覚えた、波に攫われそうな感覚に似ている。これは、ええと。どう言えば良いだろうか、まるで記憶が上乗せされるような、新しい記憶が私の脳の中に、最初からあったとするような、不思議な感覚に襲われた。
 気分が良いものじゃあ、ないけれど。その新しく生まれてくる記憶の端っこを掴み取る事に、私は成功した。


「……ああ、そっか。過去である中世で虹色の貝殻を家宝にした時、現代の世界は少しだけ変わったんだもんね」


 本当に、不思議な気分だった。今の私には、二つ記憶がある。といっても、相違点が多いわけではないのだけれど。
 一つは、虹色の貝殻が家宝として昔から存在していたマールの記憶。もう一つは虹色の貝殻は中世で見つけて、城に届けたマールの記憶。枝分かれするように存在する二つの記憶が私の中で鬩ぎあっていた。私は、前者の記憶から一つだけ抜き取って、“元のマール”の記憶を呼び戻した。残りはいらない。私自身が経験していない記憶なんてつまらないから。
 抜き取った記憶は、お母様との会話。そこに含まれていた、確かな言葉を再生する。


──綺麗な虹色でしょう? 誰にも言っちゃ駄目よマール。これは、ガルディアに伝わる大切な物なんだから。欠片でも取ってきたってばれたら、私怒られてしまうわ。


 お母様は、悪戯を報告する子供みたいな顔で、私に笑いかけていた。彼女の掌には、七色に輝く、それはそれは美しい──


「……ありがとう、お母様」


 私は部屋を飛び出した。












「はい。確かに国王様から買いました。なにやら、大層お金に困られていた様子でして、黒いフードを目深に被っておられましたが、この売買契約書のサインに……あ、皆様見えますか? この国王様の印判。いやはや、相当な代物だとは思いましたが、まさか家宝とは思いませんでした」


 ワシが用意した偽の商人は打ち合わせどおりの台詞を話し、ワシの部下である裁判長の言葉に従い、頭を下げ証人台から離れる。退出の際にワシに目を向けるので、国王に見えぬよう親指を立てた。それで良し、という合図だ。
 着々と、偽の証拠が固められていく。全ては計画通り。唯一不安点を上げるならば、国王が一言も反論せず、ワシの仕切る裁判を受けていることか。諦めたか? 所詮は国家の操り人形か。このような場合でも凡庸と場を見送るだけとは、傀儡にも劣る。置物とさして変わらぬ、いやそのものか。
 裁判長と国王の間に立ち、陪審員たちを見回した後、口を開いた。


「それでは、この罪人の罪を皆様に決めていただきましょうか。裁判長!」
「陪審員たちよ、この者を有罪とするならば左へ、無罪ならば右へ行け!」裁判長はだん、と鎚を叩き陪審員たちを促す。前に出てきた髪の薄い陪審員は当然のように「有罪」と宣言し、左へ足を向ける。次の陪審員も有罪の判決を下す。当然だろう、全てワシの部下なのだから。彼奴の罪は有罪と決まっておる。
 ──ああ。長かった。あまりに長すぎて、気が狂うかと思った。前に立つ、俯いたままの国王を睨む。
 幾度こやつの姿を見ただろう。あの日以来、何度も何度もこの外道の顔を眺め、何度その歪んだ性根と共に薄汚く老いさらばえた顔を引き裂いてやろうと思ったか。
 夢の中で、ワシはこいつの赤い装束を千切り、頭の王冠を床に叩きつけ、金で出来た重さに反比例して中身の無い王冠を踏み、上からこう言ってやるのだ。「こんなものが大切か」と。「こんなものの為に貴様はあの方を捨てたのか」と。万感の想いを込めて、万年にも感じられる恨みを吐き出しながら、我が身に流れる瘴気と怒りと暴れる血脈を押さえつける事無く長く尖った爪を振り下ろす。そんな夢を毎日毎夜見続けて……
 何度も忘れようとした。あの方は復讐など望みはしないだろうから。いつも通り、単純で馬鹿で周りから嘲笑される『大臣』であろうとしたのだ。例えこの糞ったれ野郎に笑われようが呆れられようが、それがワシの人生だと諦めていた。
 だが。忘れぬぞ、あの言葉は忘れぬ。こいつは、この国に憑り依かれた怪物はこう言いおった。あの日のことは忘れぬ、実の娘に、あの方が愛したマールディア様にこう言いおった。


──いい加減にしろマールディア。お前は一人の個人である前に、一国の王女なのだぞ。


 なんだそれは。個人である『前に』、一国の王女だと? 『前に』とはなんだこの場合の『前』とはなんだ。個人は個人ではないか、マールディア様は王女ではあるがそれこそ王女の前に『女の子』ではないか。
 認めようとも認めよう。ワシは嫉妬していたとも。アリーチェ様が亡くなられて笑顔を失っていたマールディア様に光を与えたクロノとかいう男に嫉妬したとも。あれほどに笑顔を振り撒き、他人に力を与えるマールディア様をワシは見たことが無い。どれだけ馬鹿をやっても、どれだけ尽くそうとも口を吊り上げる事のなかったマールディア様が大口を開けて快笑していた姿に燃えるような怒りを覚えたとも。
 そうして、マールディア様の御友人を殺そうとしたワシも同罪だ、だが貴様も同じだ。死んで償え、全てを国家に捧げる精神を否定はしない。勝手にすれば良かろう、ワシの知る所ではない。
 しかし、その全てはあくまで貴様個人が捧げるものだ。その中にマールディア様やアリーチェ様を入れるな、近づけるな。貴様のエゴを押し付けるな。
 あの場でぶち殺してやろうかと思った。実際、隠れて爪を伸ばしさえした。だが思い直す、それでは温い。訳も分からず死を迎えるなど許さない。あの方の億分の一でも苦しみを味合わねば不平等に尽きる。
 結局、目の前にいた侵入者たちと馬鹿げた話を続け、気を逸らした。幸いにも、自分を誤魔化す為に幾度も道化を演じてきたお陰か、演じている最中に殺意が漏れる事は無かった。歳月によって鍛え抜かれた仮面はぎりぎりにワシを押さえ込んでくれた。
 ……最早言っても詮無いことか。アリーチェ様は悲しみのあまり死に行き、マールディア様は愛情を知らず育ってきた。貴様しかいなかったのに、夫であり父親でもあるのは貴様しかいないのに。


「有罪!」


 四人目の陪審員が高らかに有罪を言い渡す。全ては思惑通り。周りを見渡すと、ここにいる全ての人間(正確には魔物だが)がにやにやと笑っている。国を壊れる瞬間を今か今かと待ちわびている。所詮、金で雇った愚劣な魔物よな。ワシの考えなど理解できる事はないだろう。
 この場が終われば、後は処刑するだけ。今度は魔物と入れ替えることなく、人間どもの手で殺してくれよう、国家の為に生きた貴様が国家に殺されるのは、素晴らしい結末ではないか。
 五人目の帽子を被った陪審員が中央に歩いてくる。最後の審判を言い渡すのだ。ワシは、腹の奥から湧き上がるオーガズムに似た何かを抑えきれずにいた。結果が分かっているとしても、陪審員の口に注目せざるを得ない。
 終わりだ、これでワシの計画が終わる。復讐も、計画も、奴の人生も!!


「無罪」
「……は?」


 呟いたのは、ワシだけではない。周りの人間に化けた魔物たちも、全員が口を開けて陪審員の言葉を疑った。
 陪審員の男は、ゆっくりとワシを見据えて、分かり易く、一語ごとに区切って口を開く。


「む、ざ、い、つってんだろ馬鹿大臣」男は中指を立てて、この場に言葉を響かせた。


 誰だ、この男は。
 ワシは全ての人選を行った。しかし、このような男は見た事が無い。よく思い出せば、陪審員に帽子を被った者などいなかったはずだ。それも、帽子から零れた髪を見るに、赤毛らしい。そのような目立つ髪色の者を忘れる訳が……
 赤毛? 確かワシは、そのような男を知らなんだか? そう昔の事ではない。大臣であるワシに向ってそのような暴言を吐く男など、今まで数えるほどもいた訳が無い。


「貴様……!!」


 その人物が誰か思い当たった瞬間、視界が赤くなったような幻覚を見るほどの怒りを感じ、掴みかかろうとしたその時。背後から何かが割れるような音が聞こえた。
 振り返ると、裁判長の席の背後に位置しているステンドグラスを突き破り、誰かが飛び出していた。
 宙に舞う美しい金の髪は流れ、純白の服が揺れている。意思の強い瞳はただ一点を見つめ、曇る事無く、その眼を止めている。
 その姿は、まるで、初めてワシを認めてくれたあの人にそっくりで。共に落下しているガラスの破片が光を反射して輝いていて、神の使いにも似た、幻想的な御姿だった。
 陪審員の男が、ぽつりと囁いた。


「来たな、マール」












 ガラスを突き破って飛び出した私は、大臣の目の前に着地した。ぱくぱくと魚類のように口を開け閉めする彼に、私は右腕を差し出し、閉じていた指を開く。彼の目はさらに開き、動物を思わせた。
 私が握っていたのは、虹色の貝殻。昔、お母様から聞いた話を頼りに探し出したのだ。虹色の貝殻の場所を。そして、昔お母様がやったみたく欠片を頂戴してここに持ってきた。虹色に輝くそれは、誰の目にも明らかに家宝である虹色の貝殻であると分かるだろう。今ここに、逆転はなった。


「来たな、マール」


 声を掛けてきたのは、大臣ではなく、帽子を目深に被った男の人。その声で分かっていたけれど、帽子を取った姿は、やはりクロノだった。
 黒い服に身を包み、いつもの明るいズボンではなくシックなズボンに履き替えていた彼は何処と無く大人びて見えた。似合ってるよ、と伝える代わりにウインクを一つ飛ばしておいた。


「ちょっと遅れた。ごめんねクロノ」
「全くだ。これ以上遅れてたら、俺一人で王様を助け出すところだったぜ。まあそれを見るに、探し物は見つかったらしいから、良いけどさ……なんだその背中に背負ってるのは」彼は私が背負う袋を見て、訝った。
「ううん、ちょっとね。とりあえず、ブイ」


 指を二本立ててVサインを送る。彼も同じようにVサインを返してくれた。「その服、どうしたの?」
 クロノはああこれ? と服の胸元を摘んでから「奪った。今、奥の廊下に半裸のおっさんが寝てるよ」と説明し、気になるなら見てくるか? と聞いてくる。誰が見るもんかそんなの。
 さて、と洩らしてから大臣に話しかける。


「分かるよね? これが虹色の貝殻。言葉通り虹色に輝いてるでしょ? 現物を見たことがないかもしれないけど、これが本物かどうかくらい分かるはず。虹色の貝殻がここにあるって事は、父上の容疑は解けた」
「……マールディア様」
「もうこれでこの茶番は終わり。すっきりさっぱりね。で、私は聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるよね?」大臣は肯定も否定もせず、私と虹色の貝殻、その破片を交互に見比べているだけだった。
「なんで、こんな事したの?」


 上から落ちてくる粉のように細かく砕けたガラスの破片が全て床に落ちても、大臣は答えない。ただぶつぶつと口の中で言葉にもならない音を鳴らしながら、俯くだけだった。
 しばらくその姿を見つめて、時が来るのを待つ。
 最初に動き出したのは父上だった。ゆらり、と老年を感じさせない体格を動かして、震えつつもある大臣の肩を叩いた。が、その後言葉を紡ぐことなくただ肩の上に手を乗せただけに留まっている。その姿は泣き出しそうな大臣を慰めようとしているようにすら見えた。


「──終わりではない」大臣が、がばっと腕を振り払い、父上の首を掴む。私もクロノも驚き、あっ! と声を上げるよりも早く父上を連れ去り、大臣は裁判場の奥の大部屋に続く扉へと走り去っていた。
 勿論、ただそれを見送るわけにはいかない。その素早い動きに一瞬気を取られはしたが、そう間もない時間差で私たちは彼を追おうとした。
 だが、それを阻んだのは近くに立っていた陪審員の男たち。すでに人間の模倣を止めたのか、一種の動物的な牙を晒して両手を広げ、私たちを威嚇している。目の色は戦闘色である赤に染まり、腕の筋肉がみちみちと膨れ上がっていた。人間用に仕立てられた衣装は見る間に破裂し、緑色の肌色が目に入る。
 ぎゃり、と牙を擦りながら、だくだくと涎を垂らす姿は魔物そのもの。これはつまり、彼らも演技をしている必要はないと悟ったわけか。陪審員たちに呼応するみたく、二階席に座る傍聴人たちも舞台に上がる。各々自分の本当の姿を露にしながら。


「行け、貴様ら。ワシがこやつを血だるまに変えるまで、その二人を足止めせい!!」


 扉の奥に消える間際、大臣が命令を発す。それを聞いたからか、それとも関係なく自分の暴力欲を満たしたいからか、魔物たちは奇声を上げて襲い掛かってきた。


「サンダー!!」


 クロノが網状に電力膜を張り巡らしその進行を遮る。アレンジ方法が多種多様だな、と思いながら、彼の目を見て自分が為すべきことを確認する。
 彼は口にはせずとも、言っている。「父上を助けて来い」と。


「ケツは俺が守るさ」
「……なんか、下品だよその表現!」


 彼の言葉を借りるなら、確かにお尻を叩かれたような檄を感じた。開かれた扉の中に突進する。阻む有象無象は全てクロノの雷光の前に焼け落ち、黒こげの体になりばたばたと倒れていく。押しのける動作すら必要ない。私がやるべき事はただ足を前に出し、両腕を振りしきる事以外に他ならない。
 やっぱりそうだ、彼だ彼なんだ。クロノがいれば何でも出来る。彼が前でも隣でも後ろでも私の周りにいるなら出来ないことなんて無い。


「……ああもう。旅が終わったら覚悟しててよねクロノ」


 その時には、彼を連れ去ってやる。エゴ? 我侭? なんとでも言うが良い。私は王女だ。食べる物にも着る物にも住む所まで生涯困る事はない、一口に言うなら欲しいものは大概手に入る裕福な生活をしてきた、これからも困らないだろう。その全てを捨てても彼が欲しい。金も綺麗な服も煌びやかな舞台も必要ない。ただ私という個がそこにいて、彼という個があればそれ以上はこの世にありはしないのだから。
 人によっては、男にとっての人生の墓場というらしい。良いさ、死んでも彼は蘇る。それはとうに証明されている。気後れするのは馬鹿だ。馬鹿以外の何者でもない。
 彼を手に入れるのに、迷う道理などこの世の何処にも存在しないし、させはしない!
 大部屋に繋がる階段を飛ぶように走り抜けながら、ただひたすらに前を見続けた。聞いて欲しい、私の想いを、将来の展望を。反対するのは眼に見えているけど、他ならぬ父上と、幼少の頃から私を見てくれていた大臣に。だから。


「戻れるよね? きっと」


 私の夢見る未来は、あの二人が笑っている。このマールディアがそう決めたのだから。






 物心がついた頃、いやそれよりも前か。世の中の道理を知る時期を物心つくと表現するなら、まだ私は物心ついていないのかもしれない。ともあれ、まだ私が弓も格闘も学んでいなかった子供の頃。あの頃の私は体が弱く、泣き虫だった。いつもいつも、暗がりを除くとそこから見たことも無い化け物が私に襲い掛かってくるのではないか、と怯えていたのだ。父上も、お母様も私の言葉に笑い、「怖がりだなあ」とからかうばかりで真面目に話を聞いてくれることは無かった。
 私はむくれた。どうして皆分かってくれないのか。ただ意味も無く怖がっているのではないのだ。ちゃんと、怖いと感じるには訳があるのだ、と。
 その内、この世界には怖い化け物しかいないのではないかと考え、城の外も中も、自分の部屋という空間以外に身を置くのが怖くてたまらない時があった。結果、私は部屋に閉じこもってしまう。これには父上もお母様も困っていたけれど、お母様は元々、その頃の父上は楽観的で「小さい時にはそういう事がある」と鷹揚に笑っていたのを思い出す。
 食事が運ばれた時、ドアがノックされただけで飛び上がっていた私を何処か可愛いとすら思っていたのかもしれない。臆病な娘というのが、活発な娘よりも良いと判断したか。今となっては正に活発な私になったのだけれど。
 来る日も来る日も怖かった。毎日毎夜、恐ろしい夢を見るようになった。そして、それはお母様が亡くなられてから一層酷くなった。お母様を殺した病魔という呪いがじわじわと私に迫ってくるような気さえしたのだ。
 お母様が死んで、厳格になった父上は(それだけが理由ではないだろうけど)いつまでも引きこもる私を外に連れ出した。精々、庭を散策する程度だったけれど。あれは、父上なりの娘とのコミュニケーションだったのかな。
 その日の散歩の時間は、夜だった。忙しい身の父上がようやく作れた時間だったのだろう、小さい私が出るには少し遅い時間だった気がする。
 久しぶりの外は、鬱屈した空気の漂う室内にいた私を少し爽快にさせた。庭の中を歩くだけの散歩がいつのまにか範囲が広がり、城を一周することになった。
 もうそろそろ帰ろう。父上がそう言ったときだ。私は今までの晴れそうな気分が一変した。恐ろしい事実に(当時はそう思っていた)気が付いてしまったのだ。


「パパ、お月様が私を狙ってるよ? 私食べられちゃうよ?」


 そう。空を見れば、真ん丸い月が、私が何処へ行こうと追ってきたのだ。今の私なら流石にそれが当たり前だと分かる。理屈は知らない、でも月は空に雲がかからない限り見えるものだ。ただその頃の私にはそんな当たり前を知らず、ただ恐ろしい追跡者のように思えて仕方なかった。
 父上の努力空しく、私はまた部屋の中に引きこもる事になる。頭を抱えて、窓の外を見ないように震えていた。だが、ある時ふと夜中に目を覚ました私が窓の外を見てしまったことがある。空に映っていた月が薄ら笑いをしているような形になっているのを目にした瞬間恐怖は何倍にも膨れ上がった。
 恐ろしくて、叫んでは泣いて。夜中にも関わらず、もういないお母様を呼び続けた。何度も何度も、声が嗄れても叫び続けた。
 早く誰か来て。でないと私は食べられてしまう。あの黄色く光る怪物が空から降りてきて私を丸呑みにしてしまう。想像なのに、目を瞑って開いたら目の前に大口を開けた月が迫っているのではないかと思ったときには決して目を閉じないよう指で無理やり開かせていたものだ。



「おかあさーん!! おがあざぁん!!!」


 鼻水を流し、真っ赤になった目を指で開く私の姿は、それこそ怖かっただろう。勿論そんな事に考えが行く訳もない。もういっそのこと、誰か私を殺してくれないかとさえ思った。そうすればお母様の傍に行けるのに、と。
 今まで自発的に開けようとしなかった扉を開けて私を助けてくれたのは、お母様ではなく、父上でもなく、私の部屋から四階離れた部屋で寝ている筈の大臣だった。
 彼はいつものふざけた顔つきではなく、細く皺の寄った目を見開いて私を見つめていた。
 すぐさま彼に抱きつこうとして、私は歩みを止める。映っていたからだ、大臣の目に私が恐怖している月が。
 一転して彼に枕や玩具、果ては燭台まで投げつけてしまう。痛いはずなのに、顔から血が流れているのに、大臣はその場を離れる事はなかった。彼が行ったのは、ただ目線を低く、私と同じくらいにまで腰を下ろし、「マールディア様は何故お月様が怖いのですかな?」と聞いたこと。
 半狂乱ながらに、私は思っている全てを吐き出した。お月様が私を追ってくる。きっと食べちゃうんだ、私を狙ってるんだ、と。
 大臣は、私の考えを笑うでもからかうでもなく、ゆっくりと首を振り、「それは、マールディア様が可愛いからですぞ」と笑った。


「可愛いから……?」
「そうですとも。マールディア様は知っておりますかな? こんな話を」


 大臣はすっと視線を窓の外に浮かぶ月へと向けた。私もおずおずと、怖がりながら大臣に倣う。あのお月様が私を可愛いと思ってくれているのだろうか、と考えると少し怖さは治まった。


「亡くなられた方は、あの月に行くらしいのですじゃ」
「なくなられた……? じゃあ、お母様も?」月を見たままに、大臣が頷く。
「あそこには、アリーチェ様がおられます。アリーチェ様は、マールディア様のことが大好きだったでしょう?」


 僅かの時間も無く、私は自信たっぷりに頷いた。お母様はいつでも私の事を思ってくれた。大嫌いなにんじんを食べれず泣いていた私を応援してくれた。風邪を引いたときも、自身の体の調子が悪いにも関わらず林檎を剥いてくれた。まだ熟しきっていない林檎は酸っぱかったけど、とっても美味しかった。


「アリーチェ様があそこから見ておいでなのです。だから、可愛くて仕方ないマールディア様をしっかり追いかけて、見てくれているのですぞ」
「じゃ、じゃあどうして朝とか、お昼とかにはいないの? お月様は夜しか出ないよ?」
「アリーチェ様は夜更かしでしたからな。きっと、朝や昼はぐうぐう寝ておられるのです。夜になると慌ててマールディア様を探して見つけてくれるのですじゃ」
「へえ……お母様ったら、変わってないね!」


 既に、私の中に怖いという感情は無かった。代わりに、いつでもお母様が私を見ていて下さるという安心感がほっこりと胸を埋めていた。
 それからは、単純だ。外に出て体を鍛え出したのは、お母様に自慢する為。生前、お母様に勧められた武術や弓術をお月様の出る夜に披露するよう、毎朝練習して、毎晩発表会をする。嫌だったけど、お昼には勉強もした。そっちは、ほとんど効果無かったけどね。
 ──ああ、忘れていた。何でこの事を今の今まで忘れていたのだろう。中世でヤクラが死んだ時に、この言葉を思い出せば無様な姿を晒さずにすんだのに。
 大臣の事を考えていたら、ひょこっと春のモグラみたく顔を出してきた。当たり前になっていたからか、そもそも昔の話故忘れていたのか。
 私の、国を想う気持ちや兵士たちに堂々と命令できるのは、きっと父上のお陰。悪い頭でも回転できるようになったことや、誰かに優しくしないとと思えるのはお母様のお陰。私がこうして旅をしたり、なにかをなしたいと思えるほど強くなれたのは大臣のお陰。皆家族なんだ、皆大切なんだ。
 ──そんな当たり前を、私は噛み締めるように思い出していた。






「大臣! 父上!」


 大部屋の扉を開けると、そこには青紫に顔色を変えた父上と、その首を絞めていた大臣の姿。「マールディア……」と苦しげに呻いた父上の言葉を切っ掛けに、私は弓を取り出した。撃ちたくない、でもいざとなれば! と覚悟を固めつつ。


「マールディア様。しばしお待ちください。貴方様のお相手はこの……」
「がっ!」爪を立てるように父上の喉を圧迫させる。父上の声に泡を立てるような音が混じっている事から、その力の強さが知れた。
「外道の始末を終えてからに致しますので」
「ま、待ちなさい! そんな事許すわけないでしょう!? 早く父上を解放しないと、私が……!」


 声が、止まってしまう。
 同じだったんだ。私を救ってくれたときの目と、今の大臣の目が同じだったんだ。
 肺とか気管支とか、呼吸器官とかいう機能が止まる。酸素を送るという仕事を一旦放棄して、これで良いのか? と語りかけてくる。
 黙れ。良いに決まってる。大臣は今悪い事をしようとしてるんだから。父上を、国の王を殺そうとして魔物まで集めて。止めるのを躊躇う必要なんかありはしない。


──赤子のように、繊細で脆い生き物なのよ──


 なのに、どうして今お母様の言葉が蘇るのか。


「……マールディア様は知っておりますかな?」


 話し始めた大臣の言葉は、奇しくも過去私を助けてくれた事柄を話す際に用いた言葉に酷似していた。


「アリーチェ様が死んだ理由を」
「おかあ……さまの?」体の力が抜けていくのを理解しながら、大臣は父上の首から手を離した。父上はどさ、と床に倒れ、荒く息を吸っていた。
 それに構う事無く、大臣が左手を己が胸に当て、祈るように目を閉じた。


「アリーチェ様は殺された。ここにいるガルディア三十三世によって」


 私の手から、弓が零れ落ちたと気付いたのは、私の膝が地面に着いた時だった。












「ええい、人間のくせに生意気な! さっさと死にやがれ!」
「いやそんな、三下丸出しの台詞使われても。大体死ぬのに遅いも早いもないだろーが」


 なんだかカツアゲに近い雰囲気だなあと思いながら、俺は両手を前に出して言う。
 マールを先に行かせて、数分が経過した頃、いつまでたっても魔物の群れを通さない俺に苛々しだしたようだ。誰も殺さずのらりくらりとやり過ごしているのも彼らが怒っている原因に一役買っているのかもしれない。熱した鉄みたいな顔色で一際大型の魔物が怒鳴り散らしている。こいつの顔色が赤いのは、マールを先に行かせる為にサンダーを当てたのが理由でもあるだろう。体は黒こげ、なのにわんわん大声を張れる辺り中々の生命力らしい。


「お前らだって、どうせ大臣に金だかなんだかで雇われただけの魔物だろ? 俺人は当然、魔物も出来ればあんまり殺したくないんだよ。恨みがあれば別だけどさ。という訳でこの辺りで帰ってくれないか?」
「何がという訳だ! ここまでコケにされてすごすご帰る訳ねえだろ!!」
「うん……そこをなんとか」
「なるかタコ助!」


 汚らしい唾を飛ばしながら、盛った犬のようにわんわん騒ぐ。いよいよ愛着湧くぞこのやろー。飼ってやろうかこのやろー。世話するのは俺じゃなくて母さんだから地獄の日々だと思うが。餌は自分で賄えよ、あの人が他人に食事を提供する事なんてまず無いんだからさ。この場合の他人とは自分以外の人間を指す。家族とかそんな垣根関係無いかんね、あの人。


「もうすぐマールがなんとか事態を終わらせて戻ってくるからさ、それまで辛抱できない? 話の流れによってはお前ら討伐されないかもよ?」
「なんで負けるのが前提なのだ! 今すぐ貴様を殺してあの娘も裂けばそれで終わる!」
「いやあ、俺はともかくマールは倒せないと思うぜ、お前らじゃあ」


 格が違いすぎるんだよ、と付け足せば火に油。空腹の肉食獣に生肉。喧々と騒いでいた魔物たちがごうごうと耳鳴りがするくらいに大声で喚き出す。飴でもやれば落ち着くだろうか。手ごと食いちぎられる気がしないでもない。


「じゃあもう無理だよ。お前ら頭おかしいのかよ」


 言葉で反論する事も無くなったか、一匹の魔物が俺に飛びかかってくる。とりあえず横に避けて、中段構えのそいつの腕を取り群れの中に戻してやる。背中を蹴って。
 いくらなんでも、平和な現代に生きる魔物相手に手こずる訳がないんだよなあ。せめて古代の兵士くらいに強くなってから来て欲しいものだ。中世の裏山に生息する奴らと大差無いじゃないか。
 ……そういえば、初めて時を越えて裏山に着いた俺を追い掛け回したあの魔物どもは今何をしているのだろうか。毎晩「あの時の赤い男まじしょっぱかったよな」とか言いながら盛り上がっているのだろうか。滾々と怒りの泉が尽きる事無く溢れてくる。今すぐリーネ広場に駆けて行って裏山に飛び奴らをこんがり焼きたい衝動が俺の背中を押してくる。
 あれだな、小さい頃虐めてきた奴らに、大きくなって定職に着いたやつが見下しに行く心象と似ている。とにかく鼻で笑ってやりたい。あの時はよくもこいてくれたなと足蹴にしたい。


「用事を思い出したから、俺ちょっと出て行きたいんだけど。お前らそれが終わるまでここで待っててくれないか? 正座で」
「お、お、お、おおお!!!」
「おーい。翻訳係前に出ろー」


 言語中枢がぶっ壊れた魔物が体中を掻き毟りながら暴れ出した。なんだなんだ、産気づいたか?


「逃げる事しか能の無い屑がいつまでも調子に乗ってるなよ……貴様など、今すぐにでも挽肉にしてやるのは簡単な事なのだぞ!」
「……ちょっとムカついたな。久しぶりに言ってやるか、この台詞」
「何……を?」


 右手に少し大きめの電力体を作り出す。そこから磁力をコーティング。そして回転、放電。加熱された中の空気は膨張して、魔物の体と変わらぬボール状の力となる。
 相も変わらず魔力をばかすか喰う魔術だ。その分威力は魔王のお墨付きだが。アイツが素知らぬ顔でダークマターの威力を底上げするとか言いだした時は噴出しそうになった。切り札を超えられて悔しいのか? とからかったら顔を紅潮させて「悔しくなど無い」と膨れたときは危うく恋に落ちるところだった。マールの言うとおりデレ時は期待出来そうだ。


「俺はな、他人に見下されるのが大嫌いなんだよ……ッ!!」


 裁判場の天井に俺の魔法──シャイニングを放ったとき、魔物の群れは例外なく俺に平伏していた。さてどうするかな、まるごと天井が消失しちまったんだけど……こいつらのせいにすればいいか。
 溜息を吐きながら、扉に背中を預けて座り込む。シャイニング以外録に魔法を使ってないんだが、それでもこれか。魔力の半分近く持って行かれた。


「あ、あのお。用事はもう良いんですか?」さっきまでの上から目線は消えはて、慇懃というか畏まった態度に変わっている魔物が下から上目遣いに聞いてくる。
「ん、ああ。さっきので少し疲れた。また今度にして、今は休憩したい」
「ほほお、という事は今の貴様は力の残っていない脆弱な人間という事か……!!」
「後一発くらいなら、さっきの撃てるからな」
「一生ついていきやすぜ、兄貴!」
「お前何処生まれだ」


 ほいほい変わる魔物の頭をぺし、と一度叩いてから、背後の扉を見遣る。その先では、きっとあの王女様が頑張っているのだろう。そんな中ここで一息ついているのは憚られたが、俺に出来ることは無いのだ。足を伸ばし、両腕を頭の後ろで組んだ。


「兄貴? さっきの小娘……ああいやお嬢さんの援護に行かなくていいんですかい?」


 おずおずと、左右に瞳を揺らしながらまたもや魔物が話しかけてきた。沈黙の時間が怖いのだろうか? 何もしないなら、俺とて彼らの危害を加えるつもりはないのだが。
 いやしかし、マールの援護か。考えてもみなかった。彼女に手助け? いるかそんなもん? 彼女は何処までも突き進み、あらゆる困難を自分の手で解決できる人だ。いやまあ、それだけで彼女を助けようとしないわけではないが。
 この問題は、基本的にマールの問題だ。大臣と国王の確執だか、単純に大臣が国王の座に欲を示したか。どちらにせよ俺が出張って良いのはここまでだ。彼女を舞台に上げれば、後は閉幕を待つのみ。
 だが、それを一々こいつらに説明するのは面倒だし、俺とマールの関係を話すのは、別に恥ずかしい事でもないのだけど嫌だった。
 ので、ここは一つ脅してみようかと思う。嘘ではないし、構わないだろう。出来るだけ怖がらせるように低い声で、にやにやと笑いながら言ってやる。


「知らないだろうけどな? さっきの女の子は俺の倍は強いんだぜ」


 思っていたよりも、魔物たちに衝撃が走ったらしい。そりゃあそうか。裁判場の天井を消し去った俺よりもさらに強い、見た目はか弱い女性がいるなんて、と戦慄しただろう。まあ嘘は言ってない。現に俺は原始でマールに負けたしな。最近は戦り合ってないし、マールの魔力の性質からしてシャイニングを超える魔法を使えるとは思えないけど。それでもこいつらが束になったってマールには勝てっこないさ。


「……お、俺。いつかこの国に仕えます。そして、兄貴や姉さんみたく強え魔物になります!!」
「俺も俺も!」
「知らなかったぜ、まさかガルディアがそんなイカれた人間の集まりだったなんて!!」


 五十以上いる魔物たちの就職先が決まった瞬間である。いやまあ、モンスターを受け入れてくれるかどうかは知らんけどね。そうなったら面白いと思うけど。我ながら無責任だなあ。
 と、このままここにいるモンスターがガルディア城の兵士募集会場に集まる様子を思い浮かべ含み笑いをしていたのだが、それよりも面白い思い付きが浮かんだので進言してみる。


「おいおい、俺やマールなんて序の口だぜ? この国にはもっととんでもない化け物がいるんだ。その人に鍛えてもらえば、本当の強さを手に入れられるさ……その人が誰か、知りたいか?」


 今までのざわめきをさらに超えるどよめきがこの場を支配する。口々に「なんだそれは、神か悪魔の類なのか!?」と話し合っているのは痛快でもあった。神か悪魔か。どっちかに分類するなら間違いなく悪魔だけどな。


「知りたいなら教えてやる。その化け物の住む所は……」






 その後、トルース町のある一軒家に魔物の群れが大挙し、住人を混乱させたが、一人の主婦の手により成敗されたそうな。
 さらに驚くべきは、魔物たちが揃ってその主婦に弟子入りし、「私の弟子? はっ、んなもんはボケた息子一人で充分よ。どうしてもってんなら、人助けしながら裸一貫で世界一周してきな。そしたら考えてやる」の言葉通り、海を渡り大陸を越え時折人間の集落を訪れ町の修復から町おこし、時には悪漢から人間の子供を助けつつ、おまけに各地の魔物を武者修行の旅に同行させながら世界を周っているという。
 それは、あくまで噂の域を出ない与太話ではあるが。
 真実を知っているのは、トルース町の武神唯一人。












「アリーチェ様は、いつでも奴を待っていた」


 大臣が、感情を表に出さないまま語り始めた。言葉の一つ一つを大切に、思いの一粒も溢さぬよう。父上よりも年季のある皺ばかりの手が絡み合い、両手を繋いで握り締めていた。血が圧迫されて白い色に変わりつつあるのを見ながら、彼の話を聞き漏らさぬよう集中する。


「雨の日も、晴れの日も、嵐の日も。その度アリーチェ様は訊ねて来たワシに言うのじゃ。『今日あの方に会えたら、明日は雨ですよって伝えないといけませんね』と。少女のように笑うのじゃよ。発作のきつい日は『今日はあの方来て欲しくありませんね。だって、心配をかけてしまいますから』と、言葉とは裏腹に期待の篭った声を、咳混じりに、夢見るように呟くのじゃ」


 その時の事を思い出しているのか。大臣は目を細めて、上を向いた。流れそうになる涙を堪えているようだった。事実、その通りだったのかもしれない。だって、大臣の声は震えていたから。


「マールディア様も知っての通り、アリーチェ様は春が終わる頃に容態が急変された。夏の気候に耐えられんかったのかもしれん。じゃが……」


 大臣がばん! と倒れた父上の顔を踏みつけた。ぐにゃ、と歪む父上の顔は泣いているようにも見えたけど、今の私にはそれを止めることも、流れている血を流している鼻を治療する事も出来なかった。零れた白い歯が痛々しくて、顔を背けてしまう。


「こいつは一度もアリーチェ様の病床を訪れる事は無かった! あの方が吐血しても、高熱に魘されても、貴重な薬が切れたとしても! ただの、ただの一度も!!」まるでその頃の無念の塊を踏み潰すように父上を踏みつける。私は自分の父親が踏みつけられているという現実を、何処か夢物語のように捉えていた。どうしても、目の前の真実を認めることが出来ずにいる。


「一度で良かったのだ! 一度アリーチェ様に会えば、アリーチェ様はこいつに何でも話せた! 『最近寒くなってきましたね』でも、『食料が傷みやすい季節ですね』でも、世間話だけじゃなく弱音を吐くことも出来た! 例えば『胸が痛んで辛いです』や『熱が下がらなくて苦しいです』とか、無限に会話はこなせたのだ! それだけアリーチェ様は毎日国王と話す内容を考えておられた! 何故だか分かるか? 貴様に会う日を一日千秋の思いで願っていたからじゃ!」


 喘息のように呼吸を荒げて、整いきる前に大臣は次の言葉を放つ。探すまでも無いのか、彼の話す内容に澱みは無い。いつか必ず言ってやろうと反芻してきた言葉の波が父上を襲う。


「幾万の会話を、アリーチェ様は考えていた。会話だぞ!? 何も貴様に病を治してほしいと願った訳ではない! 常に一緒にいて欲しいと嘆いた訳でもない! ただ話したかっただけだ! それすら出来ぬなら、何故貴様はあの方を娶った!? その程度のささやかな、願いとも言えぬごくありふれたことを叶えずして、それほどまでに貴様は国が大切か!」


 大臣だけでなく、私も涙が止まらなかった。
 それは、ごめんとありがとうの気持ち。
 謝るのは、彼が私的な理由で父上を殺そうとしていると、そう思っていたから。それは違った。彼はただ、叫びたかったのだ。お母様の無念をどうしても父上に知っていて欲しかった。それはもう、殺したいほどに。
 地位なんかの為じゃない。彼はこうして大臣の座を捨ててまでお母様を愛していたのだと分かる。


「貴様が直接アリーチェ様を殺したわけではないと、重々承知している。原因は病じゃ。だが貴様がもう少しアリーチェ様に愛を注いでいれば何かが変わったかもしれぬ! 少なくともアリーチェ様が悲しみながら逝く事は無かったはずじゃ!!」


 感謝するのは、そこまで私のお母様を想ってくれた事に対して、ありがとう。彼の激情は激しければ激しいほどお母様への愛が感じられたから。
 でも、気付いてないの大臣? 泣いているのは私と貴方だけじゃないよ? 貴方が踏み潰そうとしている父上もまた、貴方に負けない程唇を噛み締めて、滂沱のように涙を流してるんだよ?


「貴様にとって国とはなんだ!? 国など、何度滅びようとまた生まれる、人間の感情が操作する醜い化け物ではないか! そんなものを千年も後生大事に守らず、とっとと滅びればいいのじゃ!! 貴様のような国王では、それも時間の問題かもしれんがな!!」


 ──そこで。父上の涙は止まる。今まで為すがままに大臣に踏まれていただけの、何も話す事無く大臣の罵詈雑言に耐えていた父上が初めて動いた。
 自分に落ちてくる大臣の足を受け止めて、こちらにまで音が聞こえる程力強く握り締めた。
 当然、大臣は戸惑い「離せ!」と喚く。しかし、聞く耳持たず父上は下から見上げつつ、はっきりと言葉を作る。


「国は……滅びぬ。私がそうさせぬ」


 父上の声は、とても満身創痍の体から発せられたとは思えない重く、力強い断言だった。
 その様子に大臣は気圧されたように後ろに後退する。ふん、と気合を吐きながら、父上がゆっくりと体を起こし、大臣と私を見遣り、いつものように胸を張り、近くに落ちていた王冠を拾い上げて頭の上に乗せた。


「私を愚かと糾弾するのは良いだろう。事実その通りだ、娘に充分な愛情を注げず、妻に寂しい思いをさせた。父親として、また夫としてこれほどの出来損ないは他におるまい」


 ふらつきながら、体を前後に揺らす姿は頼りないの一言に尽きる。死に体とさえ言えるかもしれない。
 でも私は、これ程までに雄大で尊厳溢るる父上を見たことがない。山の如く巨大で聳え立つような立ち姿は、国王の名に恥じないものだった。父上は「だが」と大臣を見据えた。


「国王としての私は、決して貶されるものではない。宣言してやろうではないか。私が、私こそが長きに渡る歴代国王の中で、最も誇れる国王である事を!!」
「ばっ、馬鹿を申せ! 貴様の為したことなど何も無いではないか!? 貧困層の解消もならず、チョラスとの交易は衰え、メディーナの冷戦状態も続いておる! パレポリとの睨みあいは停滞の一言ではないか!」
「それでも! 私は間違いなく最高の国王だ! それだけは決して譲れぬ!」
「貴様、何を根拠に……」
「でなければ!!」


 大臣の反論を一刀の下に切り伏せ、父上の言葉は続く。涙の後を顔に刻み、それでもマントをたなびかせて、勇敢なる戦士と同じ闘争心の宿る瞳を輝かせている。
 ──そうだ。この人は私のお父さんで。でもそれと同じくらいに。


「でなければ、先に逝ったアリーチェに顔合わせなどできようか!? 私が愚君であるならば、アリーチェとマールディアの立場はどうなる!? 二人の為にも、私は名君であらねばならぬのだ! 貧困層? チョラス? メディーナ? 全て政策の用意は整っておるわ! パレポリとの外交も水面下で着実に進行しておる! 誓おう、必ずやガルディアの名の下に世界を平定させる、それも私の代で必ずな!」


 あの人は、ガルディアの三十三代目国王なんだ──
 それを悲しいとは思わない。父上の事を、家族を省みない酷い人だと、今までに私は思っただろうか?
 寂しかった。頭の固い父上だと呆れるほど思ったし、隠れて口にした。正直、お母様が寂しい事を知っていて何故見舞わないのかと恨みもした。
 でも……父上に変わって欲しいと願った事は、一度だって無いんだ。父上は父上だから、私は尊敬して、愛していたのだから。私はこの父上に構って欲しかったんだ。


「もう、もう良い。もう分かった。貴様がどれほど愚かでアリーチェ様の事を思っておらぬか心底分かった。最早言葉は要らぬ、刹那の間に肉塊に変わり、汚らしい臓物を撒き散らせ。アリーチェ様のいたこの城の中で、貴様が息をしているだけで耐えられぬわ!!」
「……魔物だと?」


 大臣の形相が変わる。変わったのは顔つきだけではない。老人特有の細い足は見る見る太く強靭なものに変わり、体がぼこり、とあちこちが膨らみ出した。服ははち切れ、その下から薄茶色の肌が飛び出てくる。背中は曲がり、四速歩行となる。甲羅をつけているような、丸まった体。巨大なイボのようなすり鉢状の穴がぶつぶつと全身に浮かび上がり、作り物の目玉はずるりと床に落ちて、青色のぎょろついた眼光が盛り上がってきた。
 その姿は、中世の大臣と入れ替わり、リーネ王妃の心を癒しまた傷つけもしたヤクラと全く同じものだった。
 グルル、と一鳴きした後大臣は人間の姿をしていた時とはまるで違う、魔物特有の篭った声を放つ。


「我が名はヤクラ十三世。貴様の罪を今罰してくれる!!」
「危ない、父上ーーーッッ!!!」


 腕を振りかぶり、父上に下ろされる。力も中世のヤクラと同じというなら、父上の体など一撃でひしゃげさせることが出来るだろう。いや仮に中世のヤクラよりも弱いとして、普通の人間が喰らって良い攻撃ではない。
 しまった、父上の言葉に耳を傾けていた事で、注意を怠っていた! 弓は床に落ち、魔法の詠唱も間に合うはずが無い!
 見届けるしか出来ない私はヤクラ十三世の暴力的にまで研ぎ澄まされた爪が父上にめり込むのを黙って見守るしかないのか。
 違うんだよヤクラ、そうじゃないよ。お母様は、そんな事望んでない。お母様は言ってた。虹色の貝殻を私に見せてくれた時確かに言ってたよ。
 お母様のくれた言葉を渡す暇も無く、無情な腕は父上に覆い被さり、


「……よもや、国王が椅子に座っているだけとは思うまいな?」


 ……父上はヤクラの腕を、難無く片腕で受け止めていた。浮かぶは余裕の笑み。
 ヤクラが動揺を表に出す前に、父上はもう片方の腕を正拳突きに出し、巨体を吹き飛ばす。相手に当てた腕を振って、ふうと息を吐いた後、何が起こっているのか掴むことすら出来ない私とヤクラを尻目に外套を脱ぎ、その下に着込んでいる王族専用の衣服を脱ぎ出した。
 不可解なのは、服が落ちるたびに重い音が地面に這うこと。一つの服が、十キロ近く無ければ有り得ないはず。有り得ないと言えば、そんな物を着込みながら生活など不可能じゃないか。
 父上が脱ぐのを止めた時、見に纏っていたのは黒いレザースーツのみ。何度か拳を空に突き出している。拳速は私以上だろう、生まれた風音は豪快の一言。エイラに迫るんじゃないかな、これは。


「国王心得その一。あらゆる外敵にも負けぬよう心身を鍛えよ。四百年前の王妃が定めた規則らしいが、忠実に守って間違いは無かったようだ」首を鳴らしながら、魔物以上に獰猛な眼光を見せて、父上は己が拳と拳を衝突させた。その音は、鋼と鋼をぶつけたような、金属音と同質の甲高い音だった。
「来るが良いヤクラ……いや大臣。貴様の思いの丈をぶつけよ。全て受け止めてやる」


 ……まさか。父上が隠れた戦闘狂とは思っていなかった。
 ただ一つ言わせて貰う。ありがとうリーネ王妃。あなたがバトルマニアで本当に助かった。






 着火音に似た突きは、樫の木で出来た壁柱を砕き、豪快に回転する蹴りは鉄でコーティングされた扉をぶち破る。服の上からでも分かる筋骨隆々の肉体は何者の攻撃も通さない。合気による呼吸で床の埃は舞い上がり、朦朦と浮き上がる汗は蒸気と変わり、父上の体を大きく見せる。
 構えはゆったりと、大きい。しかし、これは自慢ではないけれど、私に比べれば隙はある。技術としては父上の格闘は中の上に届けば良い方だろう。だがその落ち着き払った動作はどうだ、達人にして、人間の三倍はあるヤクラの巨体を前にここまで心揺らされず構えを崩さないでいれるだろうか?
 一度両腕を前に構えれば、肉の壁はヤクラの凶悪な蹴りも通さない。微かに体を後ろに倒すだけで、さらに強力な反撃を加えていく。
 一度足を後ろに回せば、年齢に似合わぬ丸太のような脚が回り、相手を薙ぎ倒していく。その迫力たるや、伐採機を思わせる。
 肉弾戦を不利と悟ったか、(それを認めるにも相応の時間を要したものの)ヤクラが距離を取り、体をぶるぶると痙攣させた。体中に撒き散らされたイボから徐々に長く細い、一メートル三十前後の針(それはすでに投槍の大きさであるが)を発射する。その数、十二本。速度はルッカの放つ火炎と同じか、それ以上。数本は避けれても、無傷で済む本数ではない。
 危機的と言える状況に置いても、父上は構えを解かない。握った両拳を胸の前に置いたまま、重心を左右に揺らし、摺り足で皮一つ分直撃を避けていた。残る飛来してくる針は七本。


「シッ!」


 ほぼ同時に右拳を上段中段下段に払い、三本撃墜。残る左手を上から下へギロチンのように振り下ろし二本の針を床に叩き落す。残る針は二本。避ける隙も迎撃する両腕も今しがた使用したばかり。父上の最後のいなし方は。


「ゼパァッッッ!!!!!!」


 傍で見ている私は思わず両耳を押さえて目を瞑ってしまう。急いで視界を開くと、とんでもない方向に落ちる二本の針。まさか、大声だけで飛んでくる針の方向を変えるなんて、それは嘘だよね父上。そんなの出来たら父上もう人間じゃないもんね、普通に魔物っていうか、人外だもんね。


「これぞガルディア戦闘術六十六の技の一つ、音響壁。私にチャチな針投げなど届かぬぞ大臣」
「そんなのあるの!? いやそれよりも、ああ私人外の娘だったんだ!?」
「マールディア、少しせわしいぞ、女性たるものもう少し御淑やかにしなさい」


 せわしいと言われてしまった。今日一番でかい声を出したのは父上で間違いないはずなのに。


「くそっ、化け物めが!」遠距離戦闘は意味が無いと、自分から距離を取ったにも拘らずヤクラが父上に突進する。人間の掌の優に四倍以上あるヤクラの手と父上の手が合わさり均衡を取る。
「ほう、組み手だな。懐かしいものだ、アリーチェにせがまれて何度もお前とやりあったものだ。その時のお前は人間の姿だったが。なるほど、よぼよぼのお前が団長以上に私とやりあえるなど少し妙だとは思っていた」
「そこは気付こうよ父上。仮にも兵士を束ねる団長より強い大臣とか、普通怪しいでしょ」


 中世では王妃がおかしかったけど、現代になると実は父上がおかしかったなんて、全然笑えない。父上はもっと真面目でまともな方だと信じてたのに……
 見た目だけで言うならば、ヤクラと父上の優劣は明らかだった。魔物と人間というだけで早々覆せない差があるはずだ。その上巨大な体格に敵を殺す事を容易にする長い爪、弾丸よりも早い飛針。
 なのに、その実優を得ているのは父上の側。天秤は父上の側に傾き地に着いている。ヤクラは肩で息を吐き、体中に擦り傷を散らしている。反面父上は自然体に相手を受け止め、怪我は戦いとなってからは一つも負っていない。


「何故じゃ、何故そこまで強いくせに今の今までワシにやられておった!? その気になればいつでも逃げる事は可能だったはず! 何故!?」
「前者の質問にはこう答えよう。私には貴様にやられる確かな理由があった。お前が私を恨み傷つけるに足る理由が。それ故ある程度は耐えた。これ以上は国務をするに関わるのでな、悪いが黙ってやられる訳にはいかぬ。そして後者の答えだが……」父上は答えを出す前に、にやりと不敵に笑った。
「国王が逃げるなど、冗談だろう?」


 両手を互いに組ませたままの状態で、父上が一歩前に歩き出した。ヤクラは床を滑り、強制的に後ろに退く事となる。だが、微かにヤクラの足裏が床から離れた一瞬を父上は見逃す事はなかった。力が緩んだその隙に父上が咆哮と呼べる叫び声を吐き出し、猛烈な力でヤクラを押し倒す。額に血管を浮かばせながら吼える父上は修羅となんの変わりもなかった。


「眠れ大臣。貴様も私に言い足りない事はあるだろう。私にもある。だが今は休息の時だ」
「……アイス!!」


 握った拳を持ち上げて、父上が床に倒れているヤクラ目掛け打ち落とそうとするので、今度は間に合うよう氷魔法を父上の拳目掛けて放つ。凍った後砕かれぬようアレンジを加えて。
 父上は自分の右腕が半分以上凍っているというのに、「おや」と全く焦っているようには見えない様子で呟き、それどころか私を見て嬉しそうに微笑んだ。


「驚いたぞマールディア。まさかガルディア戦闘術六十六の技の一つ、氷凜凝縮点穴を使えるようになっていたとは」
「聞いたこと無いよそんな技。そして違うよ」
「照れるでない。相手に触れずしてこの技を使える豪の者など、ガルディアの歴史上、十七人しかおらぬのだぞ」
「結構いるね……じゃなくて、私は大臣に話があるから父上を止めたの!!」倒れているヤクラ……いや、戦いをここで終わらせるんだ。今は大臣と呼ぼう、を指差した。
「ワシに……?」
「そう。貴方に聞いて欲しいの。お母様が私に教えてくれた事を」


 そう言って、私は懐に入れた虹色の貝殻の欠片を取り出して二人に見せる。二人とも、私の意図が分からないのか、何も言わず私の行動を見ていた。


「昔ね、お母様に見せてもらったことがあるの。この虹色の貝殻を。まあ、これと同じ欠片だけどね」王家の家宝を欠片とはいえ理由無く持ってくるのは重罪なんだけど、流石に父上もその事についてお母様を咎める気はないようだ。
「お母様言ってたよ。『綺麗な虹色でしょう? 私はね、虹色って大好きなの』ってさ」


 さっき、お母様の部屋に入って思い出した、とても大切な台詞。それはあまりに幼稚で、人間の行ってきた悪事を歴史書として閲覧していた人が語るとは思えない、可愛らしい言葉だった。
 凄いことだと今なら分かる。人の、国の嫌な面を丸暗記するほど見て、それでもこんな綺麗な言葉が作れるなんて、と。あの人は凄い人だ。大臣がここまで慕うのも道理だと思う。だから……もっと生きていて欲しかったと願ってしまう。


「どうして、お母様が虹色が好きか知ってる? 正確には、虹色じゃなくて、虹が好きだったの。だって──」


 ──あんなに沢山色が重なってるのに、それぞれ他の色を邪魔せず、綺麗に空を彩っているでしょう?


 小さい時には、お母様の言葉の意味がよく分からなかった。何が言いたいのか、お母様は虹が好きなんだなあと単純に思うしかなかった。
 でもそれは違うと思う。お母様は重ねてたんだ。虹と同じように言葉を重ねていた。国もそうだったら良いな、と子供みたいに純粋に思ったんだろう。誰かの思惑一つで狂ってしまう国家。たった一人が悪に染まれば歯車が狂い連鎖的に腐っていく国と虹を重ねた。
 虹みたいに、赤を青が助けて青を黄色が支えて……国王を王妃が助けて、王妃を大臣が支えて大臣が国王を導く。そんな事を祈ったんじゃないかなあ。


「私たちだって、なれるよ。お母様はそう信じてたはずだよ? 虹になれるよ。私も父上もヤク……大臣も。兵士も料理長も給仕も国民もみーんな他の人を憎まず、お互いを支えあって、輪になれるはずだよ! 虹に出来て私たちに出来ないなんておかしいもん!」
「アリーチェ様が、そう言っていたのですか?」大臣が尋ねてくる。私は彼を真っ直ぐ見つめて「うん」と思い切り頭を縦に振った。
「……そうですか。でも、もう遅いのですマールディア様。アリーチェ様は、もう……ぐっ!」
「おお、すまんな大臣」


 父上が大臣に覆い被さっていた状態から体を退かせる。その時に力が入ってしまったのか、大臣が苦しそうに呻いた。恨みがましそうに父上を睨んだ後、攻勢に転じようとしたのか、勢い良く体を起こしたものの、力が入らずまた倒れてしまう。糸が切れたような倒れ方だった。
 爪を床に立てて、這うように父上に近づこうとするが、陸生の軟体動物に近い鈍重な動きで、父上がそれを無視するように私に話しかけてくる。
 ……いやそうではないか。父上はちら、と地べたに体を倒している大臣の目を見た。彼に伝えたいことがあると、さっき確かに言っていた。その事についても父上はここで話すのだろう。


「マールディア。私もお前に言わねばならん事がある。本当は、お前が二十になるか誰かと結婚したときに話そうと思っていたのだが……アリーチェの遺言だ」
「お母様の……?」反射的に返す私に父上は頷き、口を開いた。
「ああ。アリーチェはお前に──」
「嘘じゃ!!!」


 大臣が残った力を振り絞り、針を飛ばす。三本の針の内二本は見当外れに飛んで行き、残る一本は父上の掌を貫通して止まった。


「父上!」駆け寄る私を父上は無傷の掌で制止を促し、大丈夫だ、と針を無造作に抜いた。乾いた音を立てて針が床に落ちる。
「嘘ではない大臣。私はアリーチェの最後の瞬間に立ち会っている」
「嘘じゃ! 貴様はパレポリの外交問題とやらで、ガルディアにはおらんかったはず! 覚えておるぞ、アリーチェ様が亡くなった日のお前は確かにパレポリに出向いておった!!」
「それは事実だ。私はあの日パレポリに滞在していた。パレポリ村の村長に会い、今後の展望を聞かせてもらい、不穏な空気になり護衛の兵が緊張感を露にしていたのも覚えておる。そして……」そこで父上は言葉を一旦置いて、自分の髭を撫でて過去を遡るように顔を上向けた。
「昼を過ぎた頃、胸騒ぎが始まった。あれが胸騒ぎと言うのかどうか確定は出来んが、体の底がざわざわと騒ぎ始め、心臓が何者かに掴まれるような感覚をそれと言うなら、胸騒ぎだったのだろう。団長の乗っている国一番の早馬を飛ばし、ゼナン橋を越えて、日が沈む頃まで飛ばし続けた。城に着いた頃には、既に日は落ちていた。後は……分かるだろう、私が何処に赴いたか」


 大臣は小さく嘘だ、嘘だと呪詛のように呟き続けて、やおら父上を見上げてから、何かを言おうと口を開閉して、諦めたように項垂れた。嘘だと断じても、証拠は無いのかな。多分お母様の最後の瞬間に大臣は立ち会っていないのだろう。だからこそ、認めたくないという表情だった。何故自分ではなくお前なのだと呪っているみたいだ。
 彼の段々小さくなっていく呟きに耳を傾けながら、父上が私に近づいてくる。歩調は力強く、いつもの父上のものなのに、その空気に圧されてか私は一歩後ろに足を置いてしまう。そんな私を捕まえるように肩を握り、間近に顔を近づけてきた。


「アリーチェは言っておった。お前に、大好きな人を沢山作れと。大好きな人が沢山いれば、あの娘はとても優しく、強くなれるからと。恐らく気弱で大人しいお前を案じておったのだろう。他にも、マールは体が弱いから、今の内に体を動かしておくのはどうかしら? お腹があんまり強くないみたいだから、今は食べるものを気をつけるよう料理長に言わないと。あの娘が連れてくるお婿さんはどんな人だろう……その光景を見ているように、アリーチェは笑っていた。そして、マールディア、お前を愛していると」
「お母様が、そう言ってたの?」いつの間にか溜まっていた唾を呑み込む。そうしないと、堪らなくなっている何かが溢れてしまいそうだった。涙だけじゃなく、他の、切なさとか悲しみとか寂しいとか、ただ一言に堪らない何かだ。その感情が何か、言葉にすることは出来ない。どんどんと膨張するそれを助長させているのは、お母様の言葉を聞いているからだけでなく、それを話しているお父様が見たことも無い優しい顔をしている事、それも関係している。
「ああ。アリーチェは、お前を酷く心配していたし、案じていた。そして……私にも言葉をくれたよ。あいつらしい、強気で、私をやる気にさせてくれる言葉だ……『私を名君の妻にしてくれるのですよね』とな。思わず笑ってしまった。この期において、まさかそんな脅し文句が聞けるとは。今までの疲れなど吹き飛んだよ、それ以来私は疲れるという言葉を知らん。本当に、笑って、笑って──それ以上に、泣いた」


 奇妙なものだ。
 私がこの部屋に入ったときには、怒りと困惑しか渦巻いておらず、各々生気を失ったような表情と、憤怒で染まった形相と、焦りきった私しかなかったのに。今は皆が、泣いていた。父上でさえも、笑いながら泣いている。
 五十を過ぎて、自分の太股をつねりながら涙を堪えようとして失敗している父上は、今までに無い位可愛くて、切なくて。立派な人だった。
 お母様は見ているだろうか、きっと見ているよね。父上はお母様の言葉を裏切らないよう頑張ってることを、お母様は知ってるよね。私も知った。今お母様と父上の想いを手に入れた。もう失くすまいと、心に扉があるとして、その中に保管する。これでもう何処かに落ちることは無い。いつも覚えていられるんだから。


「……アリーチェ様の遺言は、それだけか? ほ、他には無かったのか?」


 大臣は乞うように手を伸ばしている。そうだ、お母様なら、大臣に何か言葉を遺しているはずだ。まるで、父と娘のような関係だったのだから。間違いなくお母様が倒れてから一番会っていたのは大臣だし、ありがとうとか、今まで助かりましたとか……


「お前が一番アリーチェの傍にいたのは知っていた。勿論私も聞いたよ、大臣に何か言うことは無いかとな。そしたらあいつは満足そうに言ったぞ?『大臣に言うことはありません』とな」
「……っ!」


 涙が止まる。そんなのってない。お母様を想ってクーデター紛いの事をしたのに、お母様が大臣に言葉を遺すことさえしなかったなんて、そんなの悪夢だ。
 嘘だよ、父上はこんな時になって嘘を言っている。
 ふざけるな、大臣がどれだけお母様を愛していたか分からないのか、さっきまでの感動なんかとっくに消えた。最低だ、父上なんかもうお父さんじゃない。勝手に罪でも被ればいいんだ。
 私がこれだけ怒ってるのに、父上はにやにやと笑っている。優越感か、嘘を言われて傷ついている大臣を高みから見下ろしているのか。人間としても最低だよ、本当に。
 拳に力が入る。頭蓋骨を吹っ飛ばすくらいの気持ちで殴り倒してやるつもりだ。それで意識が消えても、大怪我になっても自業自得だ、人の気持ちが分からないのに、国王になんて分不相応な地位についているのが間違いなんだ……!!


「…………そうか。なあ、ガルディア三十三世よ、国王であり、アリーチェ様の夫でもある男よ──悔しいか?」
「ああ、正直貴様を解雇しようかとさえ思ったとも」
「え?」


 怒りのあまり奥歯が折れそうな程噛み締めていた私は、その言葉の応酬に呆気に取られ、歩き出そうとしていた足が止まった。


「ああ、羨ましかったとも。私と違いお前は……遺すべき言葉が無い程、アリーチェと繋がっていたのだからな」
「当然じゃ。ワシとアリーチェ様の仲を見くびるな」
「ふん。後にも先にも、明確に負けたと認めるのは私の人生においてその事だけだ」


 そうなの? そういうものなの?
 確かに、言われれば父上の言葉通りに受け取れない事もない。でも私だったら何か言葉を遺して欲しいと思う。
 そう考えるのは、私も言葉を遺してもらった側だからだろうか。例えばお母様が私に「何も言うべきことはないわ」と言っていればどう思っただろう。きっと辛くて悲しかったに違いない。でも大臣は笑ってる。優越感に浸ってるのは父上じゃなく大臣の方だった。
 私では理解できないほど、大臣とお母様は繋がっていたのだろうか。言葉も不要なくらい分かり合っていたのかな。それって、王妃と大臣っていうより、本当に親子じゃないか。まだ幼かった私とお母様とは違う。長年共に生きてきた親子の関係。彼らの中では、それが構築されていたのかもしれない。


「アリーチェはお前に遺す言葉はなかったようだが、私にはある。今回の件とはまた別に、お前に言いたかったことがな」
「何じゃ、恨み言か? 聞いてやる義理は無いぞい」錯覚かもしれないけど、その声音から、大臣の棘が抜けてきているような気がした。少しづつ、あの馬鹿をやって落ち着きなんて欠片もないおどけた彼に近づいているような。
「私がお前に言うべきは一つ。ありがとう、それだけだ」
「……意味が分からんわ。やはり貴様は愚鈍な馬鹿じゃ」
「意味はある。私は奇跡などという出鱈目な現象を信じはせん。だが、病に伏せているアリーチェの為にお前が何度も見舞い、元気付けていた事は知っている」聞き捨てならないというように、大臣が飛び起きて「貴様の為にやったのではない! 全てはアリーチェ様の為だ! 貴様に礼を言われる筋合いは無い、ふざけるのも大概にせい!」と興奮の為か血走った目で怒鳴る。
 父上はそうではない、と前置いてから「お前のアリーチェへの想いを愚弄する気は無い。ただ……お前のお陰で、私はアリーチェの言葉を聞けた」


 大部屋に設置されてある、銃眼のような覗き窓に近い造りの窓から、隙間風が入り込んだ。汗と血の匂いに混ざり、外の森の香りが混ぎれ込む。


「お前がアリーチェを励ましてくれたから、あいつはその分生きることが出来た。あいつが生きることが出来たから、私は最後の瞬間に間に合った。最後の言葉を聞けた……今の今まで言う事が出来ずにいた、それを今謝る。そして感謝する。ありがとう」


 奇跡を信じないと父上は語った。
 でもおかしい。誰かに話しかけてもらえたからとて、話せたからとて病気が治まる訳でも、寿命が延びるわけでもない。そんな事がもしあるとすれば、それはもう奇跡じゃないか。
 父上が矛盾した事を言うのを、私は初めて聞いた。けれど、その矛盾はとても素晴らしく、信じられるものなんじゃないかと思った。信じたいことじゃないか。


「……だが、さっきも言ったとおりそれと今回の事は別だ。大臣、お前には罰を受けてもらう」
「ちょ、ちょっと待ってよ父上。確かに大臣はとんでもない事をしたけど、だけどさ……」
「いや、良いのじゃマールディア様。お陰で眼が覚めた、まだこやつに思う所はあるが、結局の所……」しゅうしゅうと煙を上げて、大臣が元の人間形態に戻り、ごろりと寝返りを打った。天井を見上げながら、さっぱりとした様子で言う。「ワシが一番馬鹿だった、という事じゃろう。所詮、道化は道化という事か」
「でも!」
「しつこいぞマールディア! 大臣は国王である私を裁判にかけ、嘘の罪を被らせるつもりだったのだぞ!? しかも多数の魔物を城内に侵入させた! 無罪放免などありえぬと考えれば分かることだ!!」
「嫌だよ、それを言えば父上だって、お母様の話を大臣に聞かせてれば、大臣もこんな事しなかったかもしれないじゃない! 父上の責任もあるよ!」
「私が大臣にアリーチェの遺言を話さなかったのは、お前が二十になった時か嫁に行く時に話すと決めていたからだ! ……とはいえ、それ以外にも多少の嫉妬が無かったとは言わん」


 父上が視線を逸らしたことを好機と見て私はさらに喚き続ける。普通に大臣の罪を考えれば死刑だ。けれどそれじゃ意味が無い。お母様は皆仲良くして欲しかったんだから。勿論私だって大臣に死んでなんか欲しくない。生きてまた呆れて疲れるような騒ぎを起こして欲しい。あれがないと、私がお城に帰ったときつまらないもん!
 父上の人でなし! 情の無い人! そんなに髭似合ってないよ! とわんわん責め立てると、父上が折れたように顔に皺が寄った。もしかして、髭の事気にしてたのかな?


「私の過失も省みて、ここは死刑は止めておく。だが、終身刑よりも重い罪を与える!」
「だ、だからそんな酷いこと言わないで……」
「マールディア様! 国王は国王であるべくして言っておるのです! それもまたアリーチェ様の言葉、不肖、私大臣はその程度の刑に処されることなどとうに覚悟しております!」


 大臣が咎めるように私の訴えを止める。
 言いたいことは分かるよ、分かるけどさ、終身刑より重い刑って、死刑と変わらないじゃない! それじゃあ結局仲良くなんて出来っこないもの!


「私は三人で仲良くしたいよ! だから父上、そんな罪は……」
「大臣、貴様は終身雇用刑に処す! これより死ぬまで私を支え、大臣として国を守る事を命ずる!! 勝手に大臣を辞めることも、また死ぬことも許さぬ、私が死ぬまで国の為に働き続けるのだ!」
「……へ?」
「……何じゃと?」


 私と大臣の間の抜けた呟きが辺りに響いた。
 終身……なに? 聞いた事が無い刑なんだけど、それってつまり……え?


「ま、待たんか国王! それでは無罪そのものではないか!」
「馬鹿を言え大臣。これより貴様はこの国の大臣としてしか生きられんのだぞ? しかも牢屋でぼんやり一日を過ごすという優雅な毎日ではない、これから先死にたくなる程私がこき使ってやるわ! はははは!!」
「ふ、ふざけるな! そのような事が罰になるものか!」
「なるとも。大臣、貴様は魔物なのだろう? であれば寿命は長いのではないか?」
「は? ま、まあ人間の三倍から五倍は生きるじゃろうな。つまり貴様が死ぬまでという約束ならばそれは終身ですら無い!」
「であれば! 貴様は私が没した後も大臣として働かねばならん! そしてお前はマールディアの代になればガルディアを捨てる事は出来ぬだろう? 私が死ぬまでという期限でありながらお前は自主的に刑を続行せねばならん訳だ。人、それを終身と呼ぶ。そしてマールディアの子供が国を統治すればやはり国を捨てる事はできぬ。お前は永遠に大臣として働き続ける、無間地獄に陥るのだ! ふはははははっっ!!」
「答えになっとらんわ馬鹿国王がっ!!」


 なんだか、置いてけぼりな気がする。とてもさっきまで殺し殺される関係だったとは思えないくらいだ。
 ちょっと、クロノとカエルの関係に似ている気がした私は、想像したくないような、そうだったら面白いような、妙な考えが頭を過ぎる。
 でもなあ、もしそうだったら複雑だなあ、ええい思いついたなら言葉にしてしまえマール。でないと気になって夜が眠りづらくなるじゃないか。


「ねえ大臣? 一応聞きたいんだけど、大臣って本当は何歳なの?」
「はあ? いや今年で六十九になりますが……それよりも!」
「それって人間換算ならどれくらい?」
「はえっ!? お、おおよそ三分の一にして二十三になりますな。いやそれどころではなくこの馬鹿を止めて」
「ごめん、最後だけど、大臣のその人間形態って偽装なんでしょ? ……実際ヤクラって、男? 女? どっちなの?」
「ま、マールディア様? 既に男の老人として生きて長いですし、曖昧ですが……恐らく雌だったかと。それよりもこのとんちきを止めるなりなんなりしてくださ」
「ファイトヤクラ! 玉の輿だよ!」私の中で面白いが上回ったのでサムズアップしておいた。
「マールディア様までおかしくなられたああぁぁぁ!?」
「ふはははははいつまでも無償で働き続ける人材かふはははははは人件費が浮くぞ! ハーーッハッハッハ!!」


 裁判場から、いつまでも私たちが帰ってこない事に気になったクロノがこの部屋に入ってくるまで父上の高笑いは続き大臣の嘆きは止まらず私の応援は熱を上げていったのだった。






 時は流れ、現在は空に満月が浮かぶ。私は今城のテラスに座り星空を眺めている。
 あの後、父上が空白になり空が覗けるようになった裁判場の天井を見て、顎が外れるんじゃないかと思う位に大口を開け衝撃を受けていた事を覗けば、大したことは無く私とクロノは城で一日を過ごす事となった。
 大臣は愚痴を吐き続けながら、父上に文句を垂れ流しつつも結局父上と共に裁判場の再建費用を考えていた。なんだかんだで、仕事は出来たんだよね、馬鹿な事をしながらも。
 面白かったのは、大臣の道化っぷりはブラフと知っている父上が兵士が現れた途端演技する大臣を含み笑いしながら見ていたこと。そしてそれに気付いている大臣が顔を赤くしながらもぼけ老人の振りをしていたこと。
 クロノがその様子を見て「なんだっ!? 何故か他人を指さして笑える状況な気がするっ!?」とそこかしこを見回していたのには驚いた。人を貶す為の探知機か何かが彼に搭載されているとしか思えない。そういえば、彼が相手していた魔物たちは何処に行ったのだろう? 彼に聞いてみるとにやにやとするだけで教えてはくれなかった。ま、多分逃げ出したんだろうね。あれくらいの魔物にやられるクロノじゃないし。
 とにかく、大臣と父上の仲は案外良好のようだ……まさか本当に新しいお母さんが出来たりしないよね? 応援したものの、やっぱり大臣をお母様と呼ぶのは気が引ける。いや流石にその時は老人の姿じゃないと思うけど。思いたい。


「……ああ、お母様が見てるや」


 月の光に掌を翳して、満月を眺める。今日のお母様は機嫌が良いみたい。光がいつもより柔らかく感じるもの。
 なんだか楽しくなって、影を作って遊んでみる。ウサギにちょうちょ、犬に狐とバラエティを変えながら指を組み合わせる。
 気が付くと夢中になっていた私に影が落ちた。私の狐が消えた事で、後ろに誰かがいると悟り振り向くと、疲れた顔の父上がそこに立っていた。


「隣に座って良いか?」


 左腕を出して、どうぞと合図する。国王が床に座るなんて、と思ったけど親子間でそんな事気にしないか。いや、気にしないようになったのかな。
 父上の顔は疲れていたけど、充実感のある表情だった。一日の仕事を終えた父上って、こんな顔をしてたんだなあ、夜になると私は先に寝ていたから知らなかった。国王の務めが楽しく、遣り甲斐を感じているのだろう。

「手はもう痛まない?」大臣の飛針で貫かれた掌を思って聞いてみる。治療呪文は施したので大丈夫とは思うけれど。父上は指を開いて、傷の塞がった掌を見せた。
「もう痛みも無い。それよりも……すまぬな、マールディア」
「急にどうしたの父上。今日は色んな人に謝るんだね」
「明日、あの青年にも謝るつもりだ。今様子を見に行ってみれば、寝ておったのでな。まずお前に謝ろうと思ってきたのだ」父上は気恥ずかしそうにしている。
「なんで謝るの? ……今日の一件を言うなら、すまぬじゃなくて、ありがとうだと思うよ」
「うむ。礼もせねばならんだろう。だがまずは謝りたい、私はアリーチェの言葉を守れなんだ……あいつの遺言だが、お前には聞かせていない言葉がもう一つあってな」
 一度会話を終わらせて、空に浮かぶ満天の星の輝きを眼に映しながら、父上はまたぼそぼそと語り始める。
「マールディアが、その……好きな人を連れてきた時は、祝福してあげなさい、と。その時は、貴方も幸せな瞬間なのだから、とな。であるのに、あの青年を捕まえろなどと言ってしまった。私は今その事を謝っている」


 うそ? あの父上が、鋼鉄の王、鉄面治世者、感情を落とした男と呼ばれるあの父上が、“戸惑っている”?
 もしかしたら、娘に謝るという行為に照れているのかもしれない。どちらにせよ、私の中の父上像がばらばらと崩れていく。大臣との戦いの件でもえらく風変わりした印象がさらに、さらに。
 十六年では、父上を掴みきるには短すぎたのか。こんなに父上が人間らしい御仁だとは知らなかった、単に私が父上を見てこなかっただけかもしれない。馬鹿だなあ、こんなに面白い人だと分かっていれば、もっと父上と接していたはずなのに、私は馬鹿だなあ。


「いや、とはいえ決してあの若者との交際を認めた訳ではないのだぞ? 恋愛など、マールディアには早すぎる。後二十年は独り身でいるべきだ、うむ」
「結婚適齢期って知ってる父上?」
「そのような世迷言、私は信じぬぞ。本来、男女四十まで席を共にすべきではないのだからな」
「……あはは、四十まで我慢するのは嫌かなあ」


 父上は私を嫌いなんだ、そう思ったことは今までに無い。多分興味が無いんだと思ってた。言う事をきかない、我侭ばっかりの私に呆れて、置物みたいに大人しくしてろと思われてるんじゃないかなって。
 好きな人がいるかいないかでこんなにあたふたしている父上が、私に興味が無い? 馬鹿じゃないか? 普通いないよ、大きくなった娘にこれだけ固執する父親なんて。それも、国王だよ? 普通の親とは違う。
 王女というのは、政略結婚の道具として、外交の手札として使われたって聞いたことがある。十を超えれば色んな国の貴族とお見合いさせられるって。
 今の私は十六歳、今までそんな出会いの場なんて父上は用意しなかった。私が我侭できかんぼうだったからじゃない、父上は単純に私と離れたくなかったのか。可愛いもの好きな私のサーチがびんびんに父上に向いている。抱きついてみようかという邪心が渦巻き出した。


「なあ、マールディア」
「へ、は、はい!」私の考えが読まれたかと思い、背筋をぴんと伸ばしてしまった。婆やに怒られた時みたいな反応。父上はそれに構う様子は無く、空を見上げ続けていた。
「私は……私は酷い父親だ。娘という愛すべき存在がありながら、私にとって一番大切なのは、お前ではない。国だ、ガルディアの為に生き、ガルディアの為に死ぬことを望んでいる」
「知ってるよ。国の為に尽くすっていうのもさ、お母様と私の為なんでしょ?」父上はかぶりをふって、それだけではないと言い切った。
「私自身、この国を良くしていく事に生き甲斐を感じている。私の血も肉も骨もこの国の為にあるのだ……だが、それでも私は断言しよう」


 父上はすっく、と立ち上がって私の頭を撫で始めた。表面をさらさらと流れる無骨な掌はひどく気持ちが良くて、眼を閉じてしまう。


「私は世界で一番ガルディアが大切だ。だが、世界で一番娘を愛している父親は私だ。私の国への愛は宇宙よりも大きいが、私のお前への愛は星を覆う。それだけは、覚えておいて欲しい」


 ここで、私が「屁理屈だよ」と笑って流すのは容易い。言葉にすればいいだけなのだから。でも心が許さない。何より言葉にすること自体難しい。舌が碌に動かないんだから。
 やっぱり言葉って大切だな、と私は思う。言葉にせずに伝わる事は数多いけれど、言葉にすればそこに含まれる想いは莫大に広がり相手に伝わるのだから。胸の中にある気泡のような物が破裂して、その中にありったけ詰め込まれた『愛しい』とか『嬉しい』とか言葉にすればチープになる、でも大切な気持ちがそこかしこを占領し始めた。それらは種となり芽生えるだろう、いつまでも枯れる事無く、ぐんぐんと成長していき、私の口から様々な気持ちを内包させた言葉が生まれた。


「パパ……っ!!」


 私は、旅に出て良かったと心底思う。
 旅に出たから怪我をした。辛い目にもあったし、泣き叫んでしまったことも、枕に涙を押し付けたこともあった。
 けれど、人生において嬉し涙なんてものを流す事が幾度あるだろう? 同情や、他人の幸せに便乗して流す嬉し涙じゃない、私が当事者となり流すそれを、私はこの半年にも満たない旅の中でどれだけ流したろう。
 それは、充実と幸福が合わさった、素晴らしい事なんだ。旅に出たから仲間に会えて、親友を作れて、大好きな人の存在を知って、父上の本心を聞く事が出来た。
 私は笑おう、この有り余る幸せに感謝して、笑っていく。
 父上は言った、歴代で最高の王になると。なら私は誓う、歴代で最幸の王女になると。今現在それは為っている。今の私は絶対に世界で一番幸せな女の子だから。


「パパか……これから先もずっとそう呼ばれたいものだな……と、そういえばマールディア、あの時お前が背負っていた白い袋には何が入っていたのだ? どうやら、虹色の貝殻とやらが保管されている場所から取ってきたようだったが……」
「あ! 忘れてた!」


 涙を拭い、父上に「ちょっと待っててね!」と言って自分の部屋まで走る。階段を降りて、部屋に入り、白い袋から装飾の豪華な額縁を取り出し父上の所まで戻る。父上はまた座りなおし、さっきと同じように空を見ていた。


「これ! 御先祖様には悪いんだけど、国の皆に見せるのは虹色の貝殻じゃなくて、これにしてくれない? 稀代の英雄の姿ってことでさ!」
「ふむ……それは、そうか。面白いな、英雄というのは長年国の人々に憶えられて然るべきだ、千年際最後のパレードにはそれを国民に見せることとしよう」
「さっすがパパ! 話せる!」


 夜空の下、私たちは笑いあった。
 その姿は国王と王女なんて堅苦しいものじゃなくて、ただの父と娘の一時でしかない。いや父と娘じゃないね。お空にいるお母様も笑っていたから、父と母と娘の家族団欒の時間か。
 空に輝く満月が光を反射して、くすくすと笑っているみたいだった。















 これは本筋とはあまり関係がないだろう話。
 翌日の国王と大臣の会話である。急遽大臣を呼び出したガルディア三十三世は、大臣に急用があると呼びつけた。
 呼びに来た兵士の顔が緊急を物語っていたので、まだ寝ている最中だった大臣はナイトキャップを捨て去り国王の間に走り出した。何の用事だろうか、まさかアリーチェ様関連の話か? それともマールディア様の今後についてか、もしくは自分の処罰を変えて死刑にするのか。最後の話なら問題は無い、押し流されてまた大臣の座に戻すと馬鹿げたことを抜かしていたが、そのような甘い事をあの国王がするわけがない。
 そう頭の中で整理して、廊下で通り過ぎる兵士たちに馬鹿の道化を演じることすら忘れて無心に走っていた。


「何用だ、国王」


 言葉だけは平静に、内心は様々な思考が暴れるまま国王の間に体を入れた。他に誰もいないのなら、敬語を使う必要は無いという考えは瞬間に至ったようだが。


「来たか大臣。見よ、今度の千年際にはこれを国民の前に出そうと思ってな」
「何? 虹色の貝殻を出すのではないのか?」
「そうしようとも思ったのだが、早朝に鍛冶屋が現れてな、あの貝殻は武器として加工できるそうだ。ならばあれは武器としてマールディアたちに有用に使ってもらうべきだろう。あの子達の旅はまだまだ険しいそうなのでな」


 旅? と大臣は頭を捻る。あの様子では、マールディア様はこの城にお帰りになると思っていたが、まだ外の世界を見足りないのか。まあ年若く活発なあの方の事だ、区切りがつくまで旅を止めることはないだろう。隣にいた若造も、あの数の魔物を退けた事から頼りにはなる、可愛い王女には旅をさせよと言うし、自分が口出しすることではない。
 この考えに至るまで、大臣の所要時間コンマ一秒以下。決して本来から馬鹿ではないという証明である。
 元来、ヤクラ一族は偽装能力の他、他人と入れ替わった事を誰かに気付かれぬ為の演技、そして状況判断力が問われる種族。頭が悪い者では勤まらぬ種族なのだ。いついかなる時も冷静であり、取り乱す事などあってはならない。一時期は暗殺者としても生きてきたヤクラ一族は氷のような心をもっていなければならない、それが出来ぬようではただの落ちぶれ者である。


「マールディア様たちの為ならば、文句はあるまい。ところでそれは絵画か? 見たところ肖像画か何かああああぁああ!?」


 どうやら、ヤクラ十三世はその落ちぶれ者だったらしい。


「うむ肖像画だ。どうやら四百年前に国を救った人物を描いたらしい。タイトルは決まっている、ガルディアの英雄とな」
「ふざけるな貴様!! それっ、それはどう見ても……」
「うむ。お前の先祖だろうな。それも魔物に変化した時の」
「おまっ、そんな物を国民に見せればどうなる!? なおかつ英雄だと!? 頭がおかしくなったか貴様! いや元々なのか!? 大体変化ではない、それが本来の姿なのだ!」
「何を言う。これを皆々に見せればお前とてその本来の姿で町を闊歩する事も可能であるぞ。いや、めでたい」
「貴様! ワシを愚弄しておるのか! それとも、さてはワシが貴様の顔を何度も踏んだ事に対する復讐か!?」
「フハハハハハ、よく憶えておけ大臣。私に逆らう者は皆例外なく辱められるのだ」
「今辱めると言ったな!? 今はっきりと聞いたぞ!?」
「気のせいだ。年のせいだろう、耳がおかしくなっているのだ」
「ワシは魔物にしてはまだ若いわ! 貴様のような老人と一緒にするな!」


 食い殺さんばかりの勢いで体を前に出す大臣とは相対的に、国王はからからと笑い続けるばかり。いよいよ喉が枯れ始めた大臣はもう何を言っても無駄だと知り身近にあった椅子を引き、腰掛けた。
 頭の帽子を取り、扇ぐ。人力に流れる風は心地よく、汗が引くのを待った。


「……まさかそれだけということはあるまい。ワシを呼んだ理由を話せ」
「ふむ、流石に長い付き合いではあるな。では本筋だが」


 国王は大臣の後ろを見遣る。つられて、大臣も振り返るとそこには開け放たれた扉があるのみ。
 もう一度国王に視線を向けても彼に動きは無かった。そうして国王の意図を知り、立ち上がって扉を閉める。誰にも聞かれたくない類の話らしい。椅子に座りなおすと国王が口を開いた。


「用件は一つ。本当に私とお前は長い付き合いなのか? という事だ」国王の言葉に、大臣はふん、と鼻を鳴らして軽んじるような言葉を吐いた。
「はっきり言えば良かろうに。私がいつから大臣と入れ替わったのか、ということだろう? さらに言えば、元の大臣を殺して成り代わったのか、という事が聞きたい。といったところか」
「話が早いな。重臣たちとの会議が迫っておる、手短に聞きたい。どうなのだ」
「ワシはこの国の大臣に手を掛けておらん。元々の大臣が、ガルディアの森で息絶えておったところで入れ替わったのじゃ。あれは……三十年前になるかの。まだ先代の国王が御存命だった時じゃな」三十年という言葉に、国王は驚いたように眉を上げた。「それほどの年月見目変わらず働いていたのか。気付く者がいて良さそうだが」
「お主が言うな、つい先日まで見抜けんかったくせに」


 苛立ちながら、大臣は机の下で足を揺らす。時折机に膝が当たり机の上にあるペンや紙に振動が走るのを見ながら、国王は「それもそうだな」と認めた。潔いとも、考えなしとも取れる微妙な対応だった。
 椅子の背もたれに倒れながら、自分の手を眺めてみる。国王の言うとおり、長い年月大臣として働いてきた。偽装している自分の手は本当の自分の手ではない。魔術で人間の皮を皮膚の上に乗せ、本来の巨体を圧縮させている毎日は、辛くないと言えば嘘になる。だがその辛さを乗り越えながらここまで乗り切ってきた自分を褒めたいと思う気持ちもまた嘘ではないのだ。
 ぽんっ、と小気味良い音が部屋の中で鳴り、大臣は目を向ける。国王が棚の中に納められていたワインコルクを抜く音だった。果実の醗酵した香りが漂う。


「まだ朝だというのに……そも、この後会議ではないのか」
「どうせ奴らの愚痴を聞くだけの進展の無い会議だ。ただの愚痴を素面で聞けば馬鹿を見る。お前も飲むが良い、王族に献上されたものだけあって、中々の酒だぞ」
「ワシはそんな鼻につく程高価な酒は好かんが、貴様一人に飲み干されるのも酒が哀れだ。貰おう」


 言うが早いが、国王はワイングラスを二つ片手に持ち机の上に並べた。大臣が前々から誰かと酒を飲んでいたのかと問えば、「昔アリーチェと楽しんだ」と洩らす。
 きっとまだ体調を崩す前、マールの産まれるよりさらに前の事だろうと当たりをつけ、自分も王妃様と酒を交わしたかったな、と詮無い事を考えながら大臣は酒の入ったグラスを受け取り、口内に流した。


「国王が酒を注ぐなど、前代未聞なのだがな」
「貴様のような輩が国王に就いた時点で前代未聞なのだ。問題は無かろう」場末の酒屋で出された酒のように、豪快にグラスの中身を飲み干す。大臣にとって、酒は純度が高いか低いかだけで区別しているので味の良し悪しや風味などを味わう習慣は無かった。国王もそれを咎めることなく、瓶を片手に持ち空いたグラスにワインを新しく注ぎ足す。感謝することなどなく、大臣はお前の注いだ酒など見たくは無いと言わんばかりに、すぐさま飲み干して机にグラスを置く。この繰り返しを数回こなして、国王がまた新たなワインを開けようとした時、大臣が話し出した。


「良いのか? 魔物を大臣などに据え置いて。本当ならば、今すぐにでも斬り捨てるべきじゃろうが」
「人間よりも働けるなら、魔物を城に迎え入れるのも良いな。お前は特にそうだ。斬り捨てる理由が無い。むしろそれを言うなら私の方だ。何故この国の大臣になった?」逆に質問を返された大臣は考える事もなく、すぐさま言葉を押し返した。
「知らんのか? 代々ヤクラ一族はガルディアの大臣として生きてきたのだぞ? 勿論ずっとではない。ガルディアは人間の大臣が働いていた時と、ヤクラ一族の誰かが大臣に就いていた時がある。ちなみに、先代の大臣はワシの叔父だ」


 国王はぶはっ、と吹き出した。口に酒を含んでいたなら、まるごと大臣にぶちまけたことだろう。運良く国王は全て喉の奥に流し込んだ後だった。腹を押さえて机の上に顔を置いている。


「ガルディア建国から六百年の頃、つまり今より四百年前の事じゃな。ヤクラ一世が人間の為に戦い、また人間もヤクラという魔物に敬意を払っていた事を知ったワシらの先祖はガルディアを裏で支えようと、時には大臣として、時には暗殺者として活躍しておった。こうなってしまったからには言ってしまうが、この国の兵士団長はワシの弟である……おい、笑いすぎだ。大丈夫か貴様?」


 体を前後させながら笑い狂う国王に大臣は眉根を寄せて問うた。幻覚性の茸でも食べたのかと思うような動きは、心配になるというよりも気味が悪かった。眼には涙すら浮かんでいる。
 足をばたばたと動かし、助けを求めているのではと誤解するような痙攣っぷり。このまま死ねば良いのだが、と心底思う人物がこそがガルディアを支える今の大臣である。その考えが変わる日が来るのかどうかは定かではない。
 とはいえ、ここで国王に死なれては少々寝覚めが悪い。いや後日から実に爽快な目覚めを得られるのは火を見るより明らかだが、大臣にとって大切なのは王妃だけでなくマールディアもそうなのだ。ここで国王死んだらマールディア様泣く? 多分泣くだろうなあという、大の男の背中を叩くだけでそれだけの思考を並べ終えて、立ち上がり国王の背中を叩き落ち着かせる。
 ようやく国王が立ち直った時、大臣はあからさまに自分の手を窓辺につるされた布で拭いた。


「これは、傑作だな。メディーナとの、人間と魔物との和解策を考えておったが、すでにそれは為っていたというのか。早速この事実を国中に知らせよう。我々人間と魔物は共に生きていけるという証になる」国王の言葉を聞き、大臣は血相を変えて詰め寄った。
「馬鹿か!? そんな事をすれば国民は驚き非難するぞ! ワシはともかく、弟まで国を追い出されるのはおかしい!」大臣は自分の迂闊さを呪った。酒に酔ってこのような事を滑らせてしまうとは、と。そんな大臣の後悔を余所に国王は目を光らせている。
「安心せい。お前の人格も、兵士団長の器も全国民が知っておる。国王である私よりも評判が良いそうじゃないか。特にお前は馬鹿の振りをしていたおかげか、他国でも憎めない奴と有名らしいぞ? ……正直私との人気の差を聞くたびに何度縛り首にしてやろうかと思ったか」この国王、ガチである。
「それは私をか? それとも弟をか!?」
「どっちもだ。姉弟ともに私よりも好かれているなど言語道断。不敬罪である。罰としてトイレ掃除二年を申し付ける」
「直訴してくれる! それだけ国民の支持がワシらにあるなら貴様の国王の座など奪い取ってやろうぞ!」
「阿呆が。私は国王だぞ? 投票の数などいかようにも操作できるわ!!」
「きっ、貴様の何処が名君か! ただの暴君ではないか!!」
「素晴らしさと愚かさは紙一重なのだ。名君は暴君の一面を持ち、その逆も然り。お前はよく働くが頭が悪い、精進しろ」


 国王がいつまで経っても会議場に来ない事を不審に思った重臣の一人が、国王の間に現れた事さえ気付かず、二人は延々に怒鳴りあっていた。怒鳴っていたのは大臣だけではあるが。
 最初は大臣の国王に対する無礼どころではない言葉遣いに蒼白とした顔になったが、見ているうちに親友同士の可愛らしい喧嘩に見え始め、いつもは国王の強攻策とも言える国政に文句を垂らしていた重臣は国王の楽しげな顔を見て、今日の愚痴は取りやめて、もっと建設的な考えを提示しようと頭を回したのだった。そして、その考えはいつの間にか集まっていた重臣全てに感染した。






 瓶底のような眼鏡を掛けた、いかにも学者風の重臣は言う。「国王様にも対等に言い合えるご友人は必要ですな」と。
 コック帽を付けた、城の食糧事情を一手に背負う料理長は言う。「ああして見ると、いつも振り回してばかりの大臣は振り回されているのは痛快ですな」と。
 甲冑を身に纏い、由緒ある金色の外套を背中から垂らした兵士団長は言う。「素の姉上……じゃない。あんなに自分を曝け出している大臣は久しぶりです。昔を思い出します」と。
 動き易い白い衣装の、長い金の長髪を後ろで束ねたガルディア王女は言う。「親友か、それを超えるか。どっちにしても、良いコンビだよね」と。


 A.D.千年。場所はガルディアという巨大な国。人々は大らかで、退屈ともいえる日常に飽きながらも愛して止まない人々が生きる健やかな国。
 悲しい歴史もあっただろう。眼を背けたくなる事件も数多い。それでも国は回る。世界と同じようにくるくると。
 ガルディア王国。様々に問題を抱えながらも、普通ではない方法で大きく、争いの無い素晴らしい国へと変貌していくのはそう遠い話ではない。のかもしれない。












「なあマール。結局この城の中に虹色の貝殻はあるって根拠は何だったんだ?」
「え? うーん、結局見つかったんだから言うけどさ。聞いてもクロノ、怒らないでよ」
「怒りゃしないよ。現にマールの考えは当たってたんだからさ」
「それじゃあ言うけど……あのさ、大臣って、基本馬鹿じゃない? 振りとか言ってるけど、根本的に馬鹿な所はあると思うの」
「……それで?」
「……隠すとか、移動させるとか、売るとかって考えに至らないんじゃないかなってさ」
「………………そっか」


 素晴らしい国へと変貌していく……だろうか。
 それは誰にも分からない。星の行く末と同じく、考えても意味の無い事なのだろう。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/06/05 01:49
 齢を重ねた木々が所狭しと並んでいる。蒸し暑い昼下がりであるに、こうまで密集し、それぞれ同じ時を生きてきた老木の仲の良さを見せ付けられると些か気圧されてしまう。腕を組んだ屈強な男たちがスポーツよろしく横並びに突進してくる幻覚を見た。猛る叫び声は天まで響き、天まで届いているという事は然るに俺の耳には殊更鮮明にやかましく聞こえてしまう。
 人は蒸し暑い日には機嫌が悪くなる。これは至って常識的な事であって、人間ではない樹木の類にとってもそうだろう。いや俺よりも遥かに長い年月を生きてこの地に根を張っていた彼らは俺なんかよりもよっぽど老成した知識を備えているはずだ。つまり、俺に自分たちが密集している姿を晒しているのは確信的な悪事であると言える。もしかしたら、俺が幻覚を覚えている事さえ彼らからすれば計画の内なのかもしれない。ふふふ、考えてみれば楽しくなってきた。だってそうじゃないか、幾百年も生きてきた森が一丸となって俺に悪意を向けているなんて愉快痛快、腹を抱えて笑うしかない。
 さあ次はどうするのだ? 己が身を揺らし季節外れの花粉を撒き散らし俺の鼻腔や網膜によろしくない刺激を加えるのか? それとも大概の人間にとって、そう特に女性なんかは毛嫌いするであろう事から名づけられた毛虫を召喚するのか?(毛虫という名前の本当の由来なんぞ知らん。俺が今考えた。毛嫌いされるから毛虫、良いネーミングじゃないか。これが真実として何の不満があるのか。あっても聞く耳なんざもたねえ)万が一自分を縛る根を千切り俺に襲い掛かるというならば、俺も男だ。潔く貴様らと相撲でも取ろうじゃないか、この忌々しい熱気の中組んず解れつ互いの肉体を触りあいたまには愛が芽生えたりなんかしようじゃないか。さあ掛かって来い俺はここだ三百六十度前後左右上下もいれて三次元様々に俺を嬲ろうと虎視眈々に狙ってくるが良いわ!!


「クロノー? 顔が面白いことになってるよ、大丈夫? お水分けようか?」
「マールか。気をつけろ、この森に生息する木々は俺たち人間を嫌悪している。今にも襲い掛かってくるぞ決して気を抜くな、気を抜けば瞬きする間に涅槃に送り尚且つ俺たちの屍を玩び『今宵の晩餐は新鮮だー!』と涎を滴らせるに違いないんだ」
「……暑いもんねえ、今日は」


 マールは木陰に隠れて鼻と唇の間に溜まった汗を拭った。
 暑い? 馬鹿を言うなこれは暑いとは言わない。今ここでマールが言うべき言葉は「今日も地獄だねえ」か「今から空に浮かぶ不躾者を落としてくるね!」と正しく行雲流水に口にして言葉に違わず掌を人間撲滅の最筆頭に躍り出た燦々と光を阿呆丸出しに発しているサン、所謂太陽に向けて気功の波道を打ち俺たち、ちゅうか俺に快適な世界を提供すべきだ。王女だろうがお前。
 マールは俺の希望を素知らぬ顔で無視して、「はい」と顔だけは優しげに俺に水筒を手渡してくる。水? そんなもの今の俺に必要ない。必要なのはあの太陽に近づく術と近づいた後爆砕する方法である。それ以外の施しなんか一文にもならない、があげるといわれたものを無碍に断るのも無粋。俺はクールで悪くて良い男ではあるが無頼漢では無いのだ。意味も無く他人の好意を切り捨てる愚か者など全員滅びろ。それが今日の俺の信念。昨日は一日三善だった。一善目にして計画は頓挫した。何故なら暑すぎて自分の部屋を出る気になれなかったからだ。ちなみに最初の一善は食事を運んできた給仕の女性に御礼を言ったこと。礼儀を忘れない俺の行いは善と言う外無い。身を挺して戦争に赴きゲリラ戦に巻き込まれた一組の家族の為、自分の命を捨てる事と同位である尊き行いだったな。神や仏はこの世にいないがもしいたら俺に師事を願いに裸足でやって来るだろう。ああ、水分が足りないせいか頭が痛い。水筒に入っていた微量の水じゃあなんの解決にもならん。


「ああ、マール。俺はもう駄目かもしらん。幻覚が見えてしまう。マールの姿が天女に見える。もしかしたら、国の王女とは仮の姿でお前は天女なのか?」マールの背中から純白の翼か、はたまた透明の衣が見えた俺は思わず声に出して聞いてみた。すると彼女は一度考え込んだ後、胸を張って(底上げを止めたルッカ程ではないが、なんともなだらかな、丘ともいえない些細な盛り上がりだった)言った。
「良く気付いたね! 実は私は天空から舞い降りた」
「ああ暑い。暑すぎて吐き気がしてきた。頭も重い。もう駄目だ城に戻る。オレ、モウイエデナイ」
「せめて最後まで聞くのが道理でしょうに。ああもう、駄目だよクロノ! そんな風に城に引きこもってからもう一週間だよ!? 全然時の最果てにも帰ってないし、皆に文句言われてるんだから! ていうかガルディア城はクロノの家じゃないし!」


 ぐるりと行き先を変える俺にマールがびっ、と連絡機を突きつけた。時の最果てにてハッシュから貰った物だ。ぎゃあぎゃあと、カエルとロボが叫んでいる声が洩れてくる。いつのまにか、あいつらも時の最果てに戻っていたのか。口々に遅すぎるという内容の雑言を発していた。言わせて貰うならば、なんて品の無い。世界を救う事を目的としている俺たちクロノメンバーの一員としての誇りは無いものか。連絡機をマールから受け取り、俺たち、というか俺に聞くに堪えない悪口を叫んでいる二人に言ってやった。


「黙れちんかす。俺は田舎に住んでた引きこもり蛙や日光に当たり肌が変色しようとも気にしないお子様と違ってシティボーイなんだ。俺は大抵の事は我慢できるが暑さと寒さと苦い事とか怖いこととか痛い事に緑黄色野菜全般と甘い物だけは我慢ならん。後厚着した女。付け加えるならこの糞暑いのに全裸どころか半裸にもならないサービス精神の欠けた王女」
「残念だね、私とクロノでは風習が違うみたい。私は羞恥心を備えてこの国に住んでたから。暑いんなら、クロノが半裸もしくは全裸になれば。サービス精神とやらを発揮して」
「黙れ恥女め。俺の体が目的とは知らなかった。夜に一人で俺の部屋を訪れなければその機会は無いと知れ」
「もう面倒臭いッ! 誰か来てクロノを引っ張って行ってよ!!」


 事もあろうに、マールの卑怯者は時の最果てより増援を要請し、俺は青筋を作った魔王に首から下を氷付けにされた挙句引き摺られながら現代を後にするという羽目になった。
 なんという暴挙、なんという卑劣な手段だ。王女の風上にも置かない。王女とは清廉潔白を地で行く心清らかな女性であるべきではないのか。自分に出来ぬことだからといって他力本願になるとは、仲間として、いやいや同じ人間として頭が痛い。でもいいや、涼しいから。この夏のファッションは氷付けで決まり!
 口笛を吹きながら引き摺られる俺を何故か憎憎しげに見つめながら顔を赤くしている魔王とマールの三人でシルバードに乗り込み、颯爽と現代に別れを告げた。
 時の最果てに戻った後、俺が放った言葉は一つ。眼鏡を掛けた幼馴染に腰を低くして言う。


「寒すぎる。解凍してくれ」
「あんたねえ……魔王に頼めば?」額に手を当てて顔を顰めるルッカに俺はまだ諦めず頼み込む。「魔王も火炎魔法は使えるけど、あいつまだ怒ってるから絶対溶かしてくれないだろ」
「まあそうかもね。ったく、世話焼かせるんじゃないわよ」


 俺に火傷させないよう絶妙な加減で火炎を作り出し俺の体を覆う氷を溶かしてくれる。「サンキュウ」と聴く者をうっとりと陶酔させる俺の発音を聞いたルッカはあっちに行けと言わんばかりに手を振った。これだから学者肌の人間はつまらない。
 溜息を吐いて時の最果てに集うメンバーを見渡した。各々困ったように笑う者、目を怒らせているもの、呆れている者と(最初と最後の反応以外は複数である。つうかエイラとルッカ)様々に分かれているが、とりあえず俺の言葉を待っているようだ。
 ……これ以上遊んでられないって顔だな。まだもう少し英気を養っても良いと思うんだが。
 仕方ないか、最悪作戦会議だけでも立てておかないと、特に魔王がキレそうだ。この中で一番齢を喰っているだろう(ロボという例外を除き)魔王が一番怒りんぼってどういう事だ。若者過ぎる。


「さてと、それじゃあこれからの方針について話そうかね」
「随分とのんびりした作戦会議だがな」
「こらそこ。文句ばっかり言ってるとそののんびりした会議がさらに遅れるぞ」ふん、と魔王がそっぽを向いた。やれやれ、開いた扉がまた少し閉じたようだ。それもまた人によっては愛らしいのかもしらんが。
「とにかく、ハッシュの助言は全てクリアした……だよな?」視線をルッカに送ると、彼女は頷いた。
「中世の女性の心で蘇る森。これは私とエイラとロボで終わらせたわ。ほとんどロボのお陰だけどね。中世で逃げた魔王配下三悪も……」指折り数えていたルッカが魔王に視線を飛ばす。魔王は「私が終わらせた。次だ」と言ってまた目を閉じた。
「それで二つ。未来にて機械の生まれた故郷もロボが達成したし……こうして纏めてみるとロボ大活躍ね。原始より陽の光を集める石は太陽石の事。私とエイラとマールが見つけ出したわ。中世から現代まで彷徨う騎士の魂……カエルが終わらせたんだって?」
「ああ」短く答えて、カエルが己の剣を撫でた。その顔には自信が溢れている。かなり鍛えてきたらしいな、戦闘が楽しみである。
「そして、中世の虹色に輝く物はマールとクロノが見つけてきた……あんたたち、仲良いわねえ。一週間以上二人で行動してたんでしょう?」
「茶化すなよルッカ……つっても、俺はほとんど何もしてないけどな。そもそも俺は色んな奴のサポートしてたくらいで、これだ! っていう活躍はしてねえのか」
「これから頑張りなさいな。で、私たちのパワーアップは全てこなした訳だけど……各々成果はあったかしら?」


 全員がそれぞれの顔を見る。その顔には確かな自信が生まれている。俺はもう行ける、お前らもそうだろう? と問いかけるようだ。魔王はいつものように暗く澱んだ瞳を、しかしその中に光り輝く生きる意思のようなものが見える。カエルも、いつもの威風堂々とした空気に混ざっていた何処か迷っている気配が消え、剣士として何かを得たようだ。ロボからは幼さが鳴りを潜め、確固たる個が作られていた。マールは目立った変化は無い、が彼女がガルディアの事件でさらに強くなった事を俺は知っている。


「私は太陽石を加工して、新装備を作ったわよ。威力は……まあ見てのお楽しみかしら」


 ルッカが腰に付けていた銃を取り出し果ての無い空に向けた。ハッシュの助言にあった太陽石をベースに作った武器となれば、並みの威力では無いだろう。元々頼もしい彼女がさらに強くなるとは、鬼に金棒だな。
 彼女の強気な表情に、俺も腰に付けた刀を触って、喉を鳴らした。
 これが新たな俺の相棒、虹。名前から予想できるよう、虹色の貝殻を削り作った刀だ。いくら俺でも、延々にぼーっ、と城に滞在していた訳ではない。兵士の武器の納入にてガルディア城を訪れていたボッシュに頼み込んで俺の武器を作ってもらっていたのだ。ボッシュはにか、と顔を緩ませて「御主等には借りがある」と笑い快く了承してくれた。
 忘れていたけれど、そういえば俺たちとボッシュはこの時代よりも前、古代にて一度対面しているんだな。今更過ぎて本当に忘れていた。借りというのは嘆きの山の一件のことか、もしくはサラの事か。後者は俺は助けだせなかったので、多分前者だろう。
 ともあれ、彼に作ってもらったこの虹は俺を守ってくれるだろう。一度切れ味を試す為に適当な岩に振り下ろしてみれば、バターの如く、いや流水のように切れてしまった。これは武器なのか兵器なのか。作った本人であるボッシュさえ冷や汗を流していたのは印象深い。同じ虹色の貝殻を削って作った鞘でないと、並の鞘ではこの刀を納めているだけで鞘を切ってしまうだろう。刀の概念を考えてしまうような代物である。
 だが、今から向うは人外魔境すら生温い世界の破壊者が待つ黒の夢。頼もしいとしか言いようが無い。


「あの……エイラ、何も、無い……」皆が戦気を高めている中、エイラだけがおずおずと手を伸ばし肩身狭そうに発言する。
「あ、そういえばエイラが主体となる助言は無かったな」


 それぞれ、己を高めたり迷いを振り払ったり武器を得たりとしたものの、彼女は誰かの手伝いをこなしたものの特に目立つ変化は無さそうだった。
 でも、多分それは。


「エイラの為さなきゃならないことは、全部原始で終わってるんじゃないか? 正直、エイラに迷いや戦いを前に決算しなきゃならない事柄が思いつかねえ、だってエイラは基本イオカ村の人のため、俺たちへの恩を返す為、なによりキーノの為っていう明確な目標があるし、ブレてもいない」
「く、クロ! キーノは、その……」キーノの為と言われたのが恥ずかしいのか、エイラが顔を落としながら真っ赤になり口篭った。
「……ああもう、可愛いったらねえな」


 これでキーノとエイラがくっ付かなかったら嘘だな。何よりも俺が報われん。結構マジに。
 纏めると、エイラに変化も強化も必要無いんだよな。格闘戦に持ち込めば、魔王やカエルすら倒せるだろうし。魔法が無ければ、だけれど。それでも距離さえ開かれなければ彼女の猛攻は止められない。足の速さも尋常じゃない彼女から距離を開ける方法も多くは無いし。いやいや冗談抜きにエイラ最強説は結構濃厚である。次点で魔王か? 前に俺とやった戦闘訓練は俺の奇襲勝ちみたいなもんだしなあ。
 ……まあ、気持ち的には、俺だって誰にも負けないつもりだけどさ。
 剣ではカエル、魔法の種類と戦闘経験では魔王、単純な魔力と機転ではルッカ、回復だけでなく遠距離近距離自在に戦える万能娘マール、素手で岩石も砕く格闘女王エイラ、鋼鉄の体で自在に飛びまわりレーザーで敵を穿つロボ。そこに俺が入ってもいいじゃないか、一般人に近い俺でも出来ることはいくらでもある。シャイニングが良い例だ。二発避けられれば終わりだけどさ。


「……準備は整ったようだな、あんたら」外灯にもたれて帽子を被り直したハッシュが声を掛ける。
「ああ、あんたのお陰だハッシュ。俺たちはきっと、強くなった」焼け石かもしれないけどな、と加えると、彼はゆっくり頭を左右に振った。
「あんたらは十全に強くなったさ。今のあんたらなら……もしかしたら」
「もしかしたら? 違うな御老人。俺たちは必ず勝つ、貴公も見守ってくれ」カエルがハッシュに近寄り手を差し出す。ハッシュは握手に応じて、にか、と笑った。彼にしては珍しく、分かり易い笑顔だった。「頼もしい事だ。本来女性である貴方に言うのもおかしな話だが、貴君たちの勝利を願う」帽子を外し、ぺこと御辞儀をした。






 さあ! 出発だ!
 俺たちは意気揚々に足取りを揃えてシルバードに乗り込み、黒の夢へと……行かない。






「……それは何故だ? 場合によっては貴様を分割し魔物どもの餌にしてくれよう」
「そう怒るなよ魔王。言わずと知れた最終決戦だぜ? 一日くらい自由時間があって良いだろうが。皆にさ」
「貴様は十二分に自由な時間を浪費したではないか」魔王の指が俺の首に迫る。皮の手袋特有のびたびたした触感を感じる。
「俺にはあった。でも皆には無かったろ? ……最後なんだ、皆で飲みにでも行かないか? ほら、ちょっとした幻想記物語なんかでは、最後の敵の本拠地に乗り込む前に英気を養ったりするだろ? ……っと、ここ以外の時代の居酒屋には、皆で行けないだよな」


 そう、思い返せばこのメンバー全員で酒を酌み交わした事は無い。同じ時代に集まる事は出来ない、それは知っている。ならせめて各々の時代にて食べ物なんかをここに持ち込みここで宴会に耽るのも悪くないじゃないか。
 我ながら素晴らしいアイデアを提案した所、魔王を除く全員は乗り気であった。エイラは原始から岩石クラッシュを持ってくると、自分は飲めないくせに胸を張り、カエルは家から干物を持って来るとはりきっていた。彼女にしては珍しい、砕けた態度にサイラスと過ごした時間は無駄ではなかったのだな、と認識する。


「もう良い、貴様らで勝手に準備しろ。私は何もせんがな!」ぷいと顔を背けて光の柱に入る魔王を全員で見送る。その態度にカエルが「つまらん奴だ」と吐き捨てたが、俺とマールの考えは違う。彼女と顔を合わせて予想を出し合った。
「珍しいつまみか酒を持ってくるに千G」
「じゃあ私はそれに追加で『よくもそのような低俗な酒を飲んでいられる。嗜むならこの程度は準備しておけ』的な事を言うに二千G」
「くそっ、俺より付き合いの長いだけはある。魔王の言いそうな言葉を的確にチョイスしやがって」マールはふふふ、と自慢げに笑っている。
「あんたにしては、悪くない考えかもね。折角だし私はトルースの地酒でも買ってくるわ。あんたはお酒を飲まないロボとエイラの為に他の飲み物を買ってきなさいな。マールとロボはそうね……こんな殺風景な場所で宴会ってのも興ざめだし、適当に飾りつけでもしておいてくれる?」


 時の最果てをこんな呼ばわりされてハッシュが何か言いたげに口をもごもごさせていたが、マールとロボの元気の良い返事にタイミングを失い項垂れてしまう。あんたも一緒に飲むんだから、そう落ち込むなよ爺さん。
 ……どうせだ。あの人も呼んでやるか。
 思いついた案を実行すべく、俺はシルバードを貸してもらって良いか? と皆に聞く。後で俺を運んでくれよ、というカエルに頷いて桟橋へと走った。
 さあ、楽しもうじゃないか。明日も来年も地平線と同じよう何処までも続いていくであろう、普通の晩餐を皆で。






 全員の準備が整うのに二時間。晩餐というにはあまりに早い時刻からの開始である。現代での時間は、今は昼を回り一番の猛暑となるあたりか。体面を気にしないなら長く楽しめる分不満は無いけども。時の最果てに太陽が昇っていないのが幸いだ、お日様の下酩酊するのは避けたいところである。
 さて、現在は乾杯の音頭を取ってさらに二時間というところか。既にエイラは酒気のみで酔っ払い、目を重たそうにしてむうむうと唸っている。彼女に何か言うべきことがあるとするならば、飼っていいだろうかこの娘。一々言動が俺の燃え滾る衝動を刺激して止まない。もっと自分の気持ちを露呈するならば触りたい抱きしめたいを超えて舐めたいという人に言えば憚られそうな欲求という名の悪魔が俺の頭で魍魎跋扈している。討伐隊はまだか、すでに理性地帯の五分の二が焼け野原だぞ!
 ルッカは岩石クラッシュの飲みすぎか、良く分からん数式を石畳に刻みクククと笑っている。時折聞こえる「反陽子」という呟きは何を意味するのか。
 マールも皆と騒いでいる時間が楽しくて仕方が無いと皆を牽引するように人一倍はしゃいでいる。彼女が酒に酔うとは信じがたいので、雰囲気に酔っているのかもしれない。それもまた、可愛らしくはある。嫌がるロボをひん剥こうとするのは頂けないが。いやあれって素面じゃないか? っていうか計画的?
 その光景を見ながら、慈しむように目を細めているのがカエル。彼女は珍しい酒が気に入ったのか、早いペースではないもののじっくりと酒を嗜むのを止めない。マールの作り出した即席ロックアイスを鳴らしながら喉を潤している。彼女が気付いているのかいないのか、熱っぽい息を吐きながらカエルを御満悦にさせている酒を持ってきたのは魔王である。ちなみに、俺とマールの賭けはマールに軍配が上がった。二千Gなんて持ってねえよチクショウ!
 その喧騒を一人離れて見守っているのは魔王である。自身が持ち寄ってきた酒をちびちびやりながら、見逃しそうなくらい、正に一瞬と言える時間頬が緩むのを俺は見逃さない。同じ人間とこうして飲むのは久しぶり……というか初めてなんじゃないか? 楽しんでくれているなら発案した俺としても嬉しい。
 さて、残る人間は二人。一人は時の賢者ハッシュ、そして俺がここに連れてきた元古代の賢者である……


「まさか、お前にまた会えるとはな。クロノたちに感謝せねばならんか?」
「そうだろうなあ、時の巡り会わせとは分からぬものだ……お前と飲むのは何十年振りか。と言っても私とお前では過ごしてきた時の流れが違うがな、ボッシュ」


 そう、命の賢者たるボッシュを現代から呼び出しシルバードでここに呼んだのだ。シルバードを見たときのボッシュは「ほおおええええ!?」と仰天していたが、今はこの落ち着きよう。大人というべきか大人の癖に変な驚き方をするなと蔑めばいいのか。曖昧なところである。
 魔王の観察を一時中断して、二人の会話に入る事にする。「どうかな、二人には会わせておきたいと思ってたんだ」
 ハッシュとボッシュは二人して髭を揺らし、頭を下げた。


「止めてくれよ、目上の人間に頭を下げられるのは気が引ける」
「ほほ、初めて会ったとき私を変質者呼ばわりしたというのに、なんと謙虚なことかな」老人特有のしゃがれた笑い声を洩らすハッシュにいらっ、と来たのでわざと挑発するような言葉を選んでみた。
「仕方ないだろ、ぱっと見、あんたそういう類の危ない人間にしか見えないし」
「……謙虚というのは取りやめよう。あんたはあまり変わらんなあ」引きつった顔で、やっぱり笑うあんたは結構変わったように思えるね。
「しかし、ここは時の最果てか? ハッシュの理論は正しかったのだな、莫大な時の流れに取り残された空間が存在するという。出鱈目な理論だとガッシュは譲らんかったが……」ボッシュが遠い目をして言うので、ハッシュもまた同じように何処を見ているのか分からない悲しげな瞳を作り何も無い空を見た。
「そうだな……今奴に会えば、そら見たことか! と大笑い出切るのだが……」
「あいつは今何処に? 生きているのか?」ハッシュはかぶりを振って、消沈した声を出す。「奴は未来のA.D.2300年にて死んだ。記憶を他の生物に移し変えて、仮初の体を保ってはいたが、それも機能を停止させている。私とお前ならば無理やり起こす事もできようが……奴は休息を望んでいた。起こしてやるのも無粋だろう」
「……そうか」


 ボッシュの気落ちした雰囲気に、俺は新しい酒を提供して背中を叩いた。「その人に俺は会って無いけど、ガッシュさんがいなければ俺はここにいない。本当に、凄い人だったんだな」
 無理やりではなく、自然に浮かんだ言葉を呟くと、二人は自分の事を言われたように笑った。ハッシュが言う。「おまえさんが生きていることが、あいつの生きた証だ。大事にしなさい」
 それに「当たり前だ」と告げて、自分の酒を取りに戻る。
 時々マールが絡みに来る以外、静かに酒を飲めた。結局騒ぎまくったのは最初の一時間くらいか。その短い時間で気力を使い果たせるほど楽しめるってのは、出来すぎた仲間だって事なんだろうな。
 エイラは事切れて寝息を立てているし、ルッカも同じ。マールも疲れたのか二人の間で寄り添うように横たわっている。起きているのは俺と賢者二人組みに魔王とカエルにロボ。ロボは乱れた服を調えながら荒く息をついている。一線は守ったのか? と問うとロボは肩で息をしながら「あははは……」と笑うのみだった。大丈夫だったんだと勝手に思っておこう。でないとなんだかぎくしゃくしそうだ。マジで。


「そういえば、スペッキオはいないのか? あいつもいるなら同席したら良いのに」ハッシュにここにはいない獣饅頭の名前を出す。
「あいつは酒を好まんからな。むしろあの部屋の中であんたらの楽しそうな声を聞いているのが最上なんだろうさ」
「友達のいなさそうな奴だなあ」


 本人が良いなら別に構やしないけどさ。
 浮かしかけた腰をどっしりと下ろし、空になった瓶を適当に置いて新しいコルクを抜き始める。にしても流石元王子。魔王の選んだ酒は流れ込むように飲めるし、上手い。芳醇な香りに味もさっぱりとして、明日に響かない味で安心して飲み続けていられる。同じ王族のマールとはえらい違いだ。味覚ってのは立場が同じでも才能によるんだなあ。哀れマール。
 コルクスクリューを回しながら世の不条理を嘆いていると、ロボが歩み寄ってくる。おいおい親役のルッカやマールが潰れたからって酒を飲もうってのか? いかんいかん未少年(見た目は)がそんなものに興味を持つでない。大人の階段をエレベーターで昇っても良いことなんか無いんだぞ。出来る事からこつこつと積み上げて初めて人間は熟成していくんだ。アンドロイドだからとかそんな詭弁は聞かん。


「ねえクロノさん」
「駄目だ、この酒は皆に人気でもうこれしか残って無いんだ。どうしても分けて欲しかったら魔王に買出しを頼め」カエルやルッカがばかすか魔王の持ってきた酒を飲むからほとんど味わってないんだぞ俺は。
「私に買出しを頼むなど、貴様は死にたいようだな」
「頼めば行ってくれるだろ? 魔王は」
「ふざけるな下郎。私は行かぬ。そもそも貴様酒を飲んで良い年齢なのか? そうだとしても、そろそろ飲みすぎだ、その辺にしておけ」
「くそ、思ってた方向と違うデレ方だったぜ」
「あの、話聞いてくれませんか?」


 小さくなりながら俺の袖を引っ張るので、仕方なくコルクを引き抜く前に向き合ってやる。「それで? 何の用だよ」
 ロボははい、と前置いて「良ければ、これから僕と模擬戦闘をしてくれませんか?」とのたまってきた。はいはいコルクを引き抜く作業に戻りましょう。マジ固いこれ。いっそ飲み口を切り落とした方がいいかもしらん。


「ちゃんと聞いてくださいよう」
「やかましクソガキ」あ、なんか良い感じのフレーズになった。「ただでさえ馬鹿げた提案である上に、酔った俺相手になんちゅうことを言い出す。なんだ、酔った俺相手に何をするつもりだ? 正直に言え、場合によっては新しい武器の試し切り第二号にしてやる」一号は前述したとおり岩である。
「体内のアルコール洗浄なら僕のケアルビームで補えます。それに、遊びで提案したわけじゃないですよ僕」
「お前もあの回復光線をケアルビームと認めるんだな。なんちゃらエンジェルスパーキングとか抜かさんようになったのは高評価だ」
「聞いて下さいってばあ」


 ぺたぺたぺたぺた小動物よろしく俺にへばりついてくるロボが鬱陶しい。夏場に大量発生するやぶ蚊の如しだ。あと胸を触るな、背徳な気分になるじゃないか。お前は最後になっても妙な色香で俺を惑わせる奴だな。
 前後左右から「ねえねえねえねえ」と張り付くロボに見かねたのか、カエルが「その辺にしておけロボ」と待ったをかけてくれる。一皮剥けたじゃないかカエル。なんだか女性の姿に戻っても男らしいぞ。


「クロノと勝負するのは俺だと前々からの約束だ。故に今から模擬戦闘をするのは俺であるべきだ」
「テメエが俺の期待を裏切るのは何か? 世界からの盟約か何かを交わしたからなのか?」


 多少の修行では人格に変性を及ぼさないらしい。今度論文にしてみようか、きっと拍手喝采とともに退場願われること請け合いである。警備員に連れ出される俺のみすぼらしい事。


「もう良いや面倒臭い……おいロボ、お前と手合わせした事は一度も無かったな、どうしてもってんなら相手してやる」俺の諦めを大量に押し込んだ言葉を聞いて、項垂れた俺とは対照的に「本当ですか!?」と顔を輝かせるロボ。こいつ以外には、ルッカを覗けば全員と戦い合っていることを考えれば一度くらいは付き合ってやっても良いだろう。
「おいクロノ、俺との勝負はどうするのだ」
「お前とは一度戦っただろ? 魔王城に行く前の話だよ覚えてるだろ? だから無し」
「あの時は俺は魔法の存在を知らなかった! あれは取り消しだ!」
「じゃあティラン城での戦い。あの時お前は魔法を知ってただろ。二度も負けたんだ、潔くなれよ」
「あれは、俺が人間に戻って慣れていなかったからに過ぎん!」
「うるさいなあ、とにかくお前とのリターンマッチは無しだ。機会があれば今度設けてやるよ」


 絶対だからな! と叫ぶカエルを無視して、俺とロボはスペッキオの部屋に入る。中にいるスペッキオに「ここで修行しても良いか?」と許可を求め、「好きにしていいぞ、俺寛大!」との言葉を得る。
 何故だかカエルと魔王もついてきたが、観客がいるのもまあいいさ。どれくらい俺が強くなったのか、二人の評価を聞いてみたい所でもあるし。魔王にはきっちり見せたからあまり意味は無いけれど。
 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、準備体操代わりに体を動かすロボを凝視する。その外見とは裏腹にロボは決して油断ならない戦士である。未来にて記憶を呼び起こされた時から自分の戦い方を思い出したと彼は言っていた。出会ったときから規格外の強さを有していたロボの強化とはいかなるものか、想像するのは難しい。


「そうだ。先に酔いを覚ましてあげますね」
「良いよ別に。少しづつ時間を掛けて飲んでたから、そんなに酔ってねえし」
「じゃあ、さっきの酔ってるからって断り文句は嘘だったんですか?」ロボが顔を顰める。「嘘とは人聞きが悪い、方便と言ってくれ」
「……良いんですけどね」
「むしろ聞きたいんだがなあ、何で今更俺と模擬戦闘なんだよ」
「今だからこそですよ。最終決戦を前に、口だけの人をリーダーに据え置くのは自殺行為ですしね」にやりと口元を歪めてロボは言う。
「なるほど、それはつまり、俺を低く見てると思って良いのか」


 手首を揺らし、掌からレーザー放出口を出して調節しながら「ご自由にどうぞ」とのたまうロボのなんと憎らしい事か。
 挑発とでも思っているのだろうか。いやはや、口が達者になるというのは良いことばかりではないという真理を教え込んでやるべきかしらん。その上で叩きのめしてやるべきだと脳内の俺が国会よろしく騒ぎ立てている。賛成票二百九十九、反対一票。たった一人悠然と反対の意を示した俺は危ない性癖を持っている俺に違いない。後に削除決定。判決は揺るがん。


「久しぶりにぎゃあぎゃあ泣き喚かせてやるよクソガキ」


 尻の拭き方を思い出しただけで子供に侮られるのは侮蔑よりも甚だ癪に障るものなのだ。
 ロボの両腕が腰に当たり、俺を目標に構える。刀を出すまでも無い、子供とのじゃれ合いに刃物は不要である。飛んでくる拳を叩き落とし前進、近寄って踵を落としてやれば全部終わるだろう。
 ──と上手く行けば俺の流れるような動作に黄色い歓声がそこかしこから生まれるのだろうが、事実はそう上手く進まない。ふんぞり返ってロボのロケットパンチを顔面に喰らいながらよろよろとふらつく俺の脇腹に容赦無い左手のロケットパンチがめり込んで、「おぼろっ!」というかくもふざけた呻き声を上げることになろうとは。今現在の俺は床に這い蹲り嘔吐感と聖戦とも言うべき切った張ったの名勝負を繰り広げている最中である。敵軍、優勢。


「クロノさん、ふざけてますよね? 馬鹿にしてますか僕を」
「こ、この痛みに悶える俺に不信感を抱けるならお前は立派な悪党だな」


 発射された腕を回収することなくロボが一足に俺へと駆け寄り、俺の頭を踏み潰そうと足を落とす。無様にごろごろと転がって避けるも、奴は執拗に俺を追い縋る。何だって言うんだ、俺がお前に何をしたっちゅうんだ。やはり今までの恨みつらみをこの場で回収しようという腹か? なんて陰湿な性格なのか。脳内にて唯一反対を示した俺ですら叩きのめすに賛成票を投じてきた。脳内会議員クロノ192番は泣きながら「あんな事する子じゃ無かったのに……」と悲声を上げている。モザイク不可!


「いい加減にしやがれ、俺は温厚じゃねえんだ!!」


 這い蹲ったまま左手を突きつけて直線に雷撃を放つ。ムササビのように広がる雷の翼はクラッカーを思い出す。至近距離からのこの一撃は必中を誇れる自信がある。
 案の定、バリバリと耳を覆いたくなる稲光はロボの体に満遍なく食いつき、貪った。


「とまあ、それがクロノさんの予想なんでしょうけどね」
「……にゃろう、味な真似を」


 今度は正史。俺の集束型サンダガはロボの手首から先が無い左手の中に集められ、姿を消していく。口から蒸気を吐きながら俺を見下しているロボの顔はどこか満足そうだった。吸収とか言うなよ絶対言うなよ!


「電力を用いて動く僕に雷撃が通用する訳無いんですよ、低機能のロボットならともかく、僕は世界に二体しかいないアンドロイドですよ? 電力吸収なんて、息を吸うよりも容易い」
「一家に一台ってあだ名をつけてやりたいぜロボよ」憎しみ満載、牙を出すような気持ちで口を開いた。
「軽口叩いても状況は変わりませんよ、クロノさん」
「上等だ、修理は後でルッカに頼むんだな!」


 床に手をついて、飛び起きる。腰に差してあった刀に手を伸ばし、躊躇無く抜き払う。虹色に輝く刀が電光に照らされその美しさを見せ付ける。
 万里に切れぬ物無し、空に掛かる虹の欠片、果ては落雷隕石に及ぶまでありとあらゆる形あるものを斬る、名刀虹。ちゃちな拳なんぞ触れるだけで切り捨てる!


「俺に抜かせたのは誇れよ、動く相手にこれを使うのは初めて──」俺の前口上の最中だというに、ロボは背中を丸めて素早く接近してくる。顎に一発掌低、おまけに膝を俺の腹にぶち込んでフィニッシュである。
「凄い刀であるのは認めます。でも僕に当たらないなら意味は無いですよ」
「ど……道理だ、げほっ!!」崩れ落ちる俺の哀れな事といったら無い。刀を支えに立ち上がる俺の頑張りやさんぶりったら全国民が座席を立って感涙に咽び泣くこと請け合い。
「いくら模擬とは言っても、戦いです。訓練だからとて手を抜かれては意味が無いですよ」


 俺にこれだけの暴虐を働いておきながら、ロボは膨れっ面になりながら不満を垂れ流した。自分の腕をのらくらと回収して接合する彼に俺は戦慄を覚えざるを得まい。なんだその、覚悟を決めて口に入れたらそれ程苦くなかった事で、目の前のピーマンを馬鹿にするみたいな行動。俺はトウガラシの栽培変種じゃねえ。
 さて……どうする俺? 俺の得意魔術を吸収するということで、サンダーサンダガ両共に通用しないのは確かである。シャイニングすら効かないとは思いたくないが……あまり試したくない。もし軽々吸収されたら俺の立つ瀬が無いからだ。連鎖的に魔王の立つ瀬も無い。刀を振り合うにも、ロボのスピードに俺がついていけるかどうか。トランスを用いれば可能性はあるだろうが、あれもそう多用は出来ない。
 ……シャイニングしかないか? いやあれもそう命中率に信頼が置けるかどうかと言われれば首を傾げるが。当たるか? 範囲を広めれば当たるかも知らんが下手をすればロボを完全に電気分解してしまう。手加減が難しいのだ。であれば可能性がまだあるトランスに頼るしかない。


「……トランス!」


 体中に微細な電流が流れ込む。無理やりに刺激され呼び起こされる筋肉が暴れ出す。古い水道管に水が流れた事で錆の類が浮き出てくるのだ。その痛みは慣れるものではない、体の中にいる不可思議な生き物が暴れ出すような感覚が痛覚を覚醒させる。
 痛みによって吐き出される嘆きを溜息に変えて、腹の底に力を入れる。刀の柄がみし、と音を立てているのを耳でなく掌で感じる。全てが鋭敏になっていく四肢は俺の物であってそうではない。
 ぎゅる、と靴を床と摩擦させながらロボに切りかかる。どの道この程度じゃあ避けられるんだ、遠慮は必要ない。


「っ!」


 咄嗟にしゃがみ俺の刀を避けるロボ、逆立ちの要領で俺に蹴りを放つ。空いている左手でそれらを捌き、もう一度刀を、今度は縦に振り下ろした。
 これをロボは受け止める事無く、胸部からレーザーを放ち俺に攻撃を中断させる。落とす刀を翻し体を後ろに傾けて回避した。俺の前髪を焦がして部屋の壁を焼く光線に舌打ちして、ロボから三歩分距離を取る。ロボもまた、俺と同じく三歩分の距離を置いている。合わせて六歩、五メートル弱の空間が俺とロボを隔てていた。
 こつこつと床を爪先で叩いてから、もう一度ロボが突進。間も無く俺の胸倉を掴み鳩尾に左の拳が刺さった。それは、俺の頭突きが炸裂するのと同時であった。目から火花を飛ばしながらふらつくロボに、きりきりとした痛みから背中を丸めたい衝動に打ち勝ち刀をロボの首に突きつける。勿論、逆刃だが。
 ぬめる刃に気付いたロボが小さく「あっ!」と溢した後、むうう、と目を開き両手を上げたのはすぐの事であった。


「僕の負けです。でも僕が加速装置を使ってたら負けなかった」
「お前加速せずにあのスピードなのかよ、世の中馬鹿げてる!」刀を鞘に戻しながら嘆いた。
「まあ、最後は使いましたけど。ううう、痛みに弱いってのは駄目ですよね、ああいう時に酷い隙が出来ちゃうや」
「確かに、頭突きの一発でああも乱れるとは思って無かったよ。次はそういう所に気をつけろ」
「そんな事言って、クロノさん途中までボロボロだったくせにー! 最後だけじゃないですかあ優勢になったの!」


 負けた事が悔しいのだろう、ロボがばたばたと暴れて喚く。まあまあと頭を撫でてやれば少し落ち着いたが、こちらを睨むのは止めない。その子供らしい駄々に笑ってしまったのが良くなかったらしい、「もう一回やりましょうよお!」と声を荒げる。当然俺の答えは「嫌だ」だ。これ以上殴られるのも髪を焦がされるのも御免こうむる。これ以上髪に被害を与えては後々の将来泣きを見る羽目になりそうだ。
 河豚の腹のように頬を膨らませる姿は中々赴き深い上俺の優越感をこの上なく満たしてくれるが、これ以上ロボの我侭を聞くつもりも無いし、部屋を出る。早足だった訳はカエルが目をぎらぎらと輝かせて「俺とも戦え!」と訴えていたからだ。絶対嫌だ、昔のカエルならともかく、今の吹っ切れた様子のあいつと手合わせするのは何があっても避ける。奇跡が起きて、下手に勝っても面倒そうだ。
 部屋の外には、年甲斐も無く飲みすぎたのかぐっすりと寝入っているハッシュとボッシュ。これで起きているのは俺、魔王、カエル、ロボになったわけか。


「むうう……負けた。むうう……!」いや、ロボはそろそろおねむの時間か。悔しいという感情がある為に起きてはいるが、そろそろ辛そうである。沢山食べてたくさん飲んでたくさん動けば眠くなるのは子供大人関係無いのだが、やはりこいつの場合眠そうにしているとそういう幼さが際立つ。
「もう寝ろロボ、お前も疲れたろ、俺との手合わせでっていうか、マールから逃げるのに」


 背中を押して、横にしてやる。いつまでも唸っていたが、暫くせぬ内にすうすうと寝息が聞こえてきたのでカエルと二人小さく笑う。魔王はつまらなそうに見ていたが、どこから出したのか小さなタオルケットを乱暴にロボに掛けていた。あかん、もうキュンキュンするわこいつの行動。もう絶対こいつ良いお父さんになるわ。


「疲れたな……」外灯に持たれて一息つく。時間的にはそう長くは無かったのだろうが、気を張り詰めている時間とは濃密に感じられる。
「随分楽しそうに見えたがな、勘違いか?」誰かの飲みかけだろう酒を煽って、カエルが俺に話しかける。嫌味か? お前の相手をしなかったから、とかならば不機嫌になるぞ。それ以上は何も出来ないけど。
「子供のお遊びに付き合うのが楽しい程俺は出来た人間じゃねえさ」
「遊びか」
「遊びだ」


 それにしてもまだ飲むのかこいつ。ざる認定して間違いは無いだろうな、うわばみと言っても良いが、元カエルのこいつに蛇とは中々面白い。いや元が人間なんだっけか。
 しかし、こうしてみると中々にこいつも綺麗な顔立ちをしている。勇ましいのは確かだが、美しいや可愛いではなく麗しいといった表現が良く似合う。剣士として戦い抜いてきたからか、細く相手を威圧させるような眼は人を惹き付けるだろう。
 ふと、こいつが剣士にならず極々平凡な村娘として生きていたらどうなっていたんだろうかと想像する。カエルがエプロンを付けて食事を用意して、風呂を沸かし畑か、もしくは店にでも働いて笑顔のまま「いらっしゃいませ」と客を案内する。同じように村人の男と結婚して「おかえりなさい貴方」と愛情溢れる態度でにこやかに迎え入れて夕食を頬張る、か。うわあ想像したくない。でも似合いそうな気がしないでも……無いでも無い。っていうか無い。


「そういえばさ、俺はお前をなんて呼べば良いんだ? このままカエルってのもおかしな話だろ? もうお前は人間の姿なんだから。グレンと呼ぶべきか?」
「別に、クロノが呼びたいように呼べば良いさ。カエルという名も気に入ってはいる」
「そうか……」


 たかだか呼び名ではあるが、気になってしまったのはしょうがない。一通り悩んでみるか。
 今更にカエルという呼び名を変えるのはおかしな話かもしれない、けれどいつまでもこいつの本名を呼んでやらないのは少々気後れする。こいつのカエルという名前はむしろ自嘲が含まれている気がするからだ。こいつは過去の弱かった自分を責めてカエルと名乗り出したのかもしれない、ならいつまでもカエルという名前を定着させるのは過去の失態をねちねちと責め立てている気がした。
 とはいえ、だ。俺が今まで共に戦ってきたのは過去のグレンではなく、カエルなのだ。蛙の姿のこいつと一緒に戦い、笑い合い、慰めてもらったり。仲間というよりも親友というような気持ちで接してきた、大切な人間だ。カエルと呼び続けるのも悪くない。
 無い頭でぐるぐると考え込み、出した結論は。


「じゃあ、これからもよろしくなグレン」カエルではなく、グレンは少し驚いたように腰を浮かして、酒を飲むのを止めた。
「そうか、クロノは呼び方を変えないと思っていたがな」
「幻滅したか?」


 グレンがそれは無い、と断言したので安心する。その程度で評価が下がるようなら一緒に旅なんかしてないか。
 グレンは、弱かったグレンを捨ててカエルを選んだ。そしてまた過去を捨てた自分を取り戻したのだ。ならグレンと堂々と名乗らせてやるのが筋ではないか、と俺は考えたのだ。
 と言えば聞こえは良いが、実際人前でカエルカエルと呼ぶのは、知らない人間からしたらおかしいだろうなあという単純な理由もある。むしろそれが大本を占めている。
 気付けば、魔王も己の外套に身を包み眠っているようだ。今起きているのは俺とグレンのみ、それを確認すると、なんだかこそばゆい気分になってしまった。このままでいるのも気恥ずかしいので、一つからかってやろうかとネタを探す。が、何でもない時にグレンを辱めるのは中々の難題であった。せめてこいつが何かボロを出してくれればな、と願ってしまう。


「おいクロノ」グレンが呼びかけてきて、俺はよし来た! と内心ガッツポーズを取る。
「黒の夢に行く時のメンバーだが……俺を入れてはくれんか?」
「へあ? ああ、何でだ?」到底揚げ足を取れる話題ではない事に落胆しながら、取り繕う。
「試したいのだ、自分の力を。それに、このまま戦いが終われば俺の腕をお前に碌に見せないままとなりそうだしな」


 なるほど、剣士としての自分を発揮したいと。サイラスさんにしごかれたのは間違いでは無かったようだ。さらに、俺の評価も変えたいと。確かにグレンの良い所を探しても、魔王城以降ほとんど無いしなあ。俺もこいつの力は見ておきたいと思っていたし、まあ良いだろう。同じ近接戦闘タイプを入れるべきだとは思っていた。
 ……ここで、俺は自分の考えに疑問を持った。ついでにグレンが俺にメンバーに入れてくれと頼んだ理由にも。


「ええと、俺が黒の夢に行くのは確定なのか?」
「む? お前は必ずそのメンバーに入るとばかり思っていたが……違うのか?」
「いや、行くつもりだったけどさ……ははは、そっか。変わったなあ俺も」
「?」


 最初は何処に行くにも俺は行きたくない、戦いたくないって腰が重かったというのに、今ではどんな所でも赴きたいと考えている。あの自他共に認める面倒臭がりが、偉い変わりようだ。そう考えると、この旅で一番得たものが大きいのは俺かもしれない。これだけ頼もしい仲間たちに出会えて、自分を少しでも良いように変えていける。悪くないものだ。
 特に、ルッカとマールには感謝しよう。彼女らがいなければ俺は時を越える事なんて出来なかったんだから。きっと平和で退屈な日常を謳歌していたに違いない。それはそれで素晴らしいものだったんだろうけど、今は、今の自分を幸福だと信じられる。自分を好きでいれる。


「妙な奴だな……まあいいさ。そろそろ眠るとしよう、明日は早いのだろう?」


 グレンがそう言って、マントを布団代わりに被り横になった。これで、起きているのは俺だけか。
 誰もが寝静まった今、一人起きて酒を飲むのはつまらない。俺もまた横になろうとして……その前に、一人の仲間に歩み寄った。起こさぬよう、慎重に。
 その人物の隣に座り、寝顔を見つめる。その安らかな寝顔を見ているうちに、酷く胸が痛み出した。恋じゃない、大体こいつは男なんだから。たまに忘れそうになるけども。
 出来るだけ優しい手つきで頭を撫でてやる。さらさらと流れる髪が手に絡みつき、何度か繰り返していると「ふむう……」と嬉しそうに顎を突き出した。気持ち良いのかな、なら良いけどな。


「……お前が言わないなら、俺も言わないよ、ロボ」


 座ったまま、暫く彼の寝顔を見つめていた。彼は俺の視線に気付く事無く、健やかな寝息を落とし、俺を安心させてくれる。
 どうか、もう少しだけこの時間が続いてくれと祈りながら、外灯の光を見上げた。






 後日、全員が目を覚まし、朝食を軽く取ってから俺は皆々を見回して今日のメンバーを発表する。黒の夢に入る最初のメンバーである。何度か交代するだろう旨を伝えてから、口を開いた。


「俺、グレン、そして……ルッカだ。異論は認めん」
「異論がある」魔王が一歩踏み出してこれ以上無い睨みっぷりを見せ付けてくれる。「駄目だ、魔王も必ず呼ぶから今は我慢しろ」
「そこの蛙はまあ、良しとしてやろう。だがそこの女が選ばれる理由は分からぬ。私の力を侮るというならば、貴様の弱さを露呈させてやっても良いぞ?」


 殺気をむんむん発露させる魔王を宥めるのには少々時間を要した。魔王沈静剤であるマールが頑張ってくれなければ暴れ出していたかもしれない。戦いの前に暴れる魔王を相手するなんて考えたくも無い、マールに感謝しておこう。
 ──正直な所、ルッカをメンバーに入れたのは、皆に説明した「魔力の強い遠隔攻撃が得意なメンバーが欲しかった」という理由は建前である。では他の理由があるのかと聞かれれば俺は「分からない」と答えるしかない。何故俺が彼女を黒の夢に連れて行かねばならないのか、ただそうしなければならないと思った。そんな出所の分からない気持ちでしかないのだ。
 無論、そんな事を馬鹿面下げて魔王に言えば今日の死傷者が一人になるだけ。笑えやしない。死に方に貴賎はなくともそれは避けたい。


「ルッカはそれで良いか?」
「私? 一応リーダーのあんたが決めたんだし文句は無いわ。戦うのを嫌がるってのも格好悪いしね」


 腕を伸ばしてもう片方の腕でさらに伸ばす。そんな柔軟を続けて、一区切りついたのか、彼女はシルバードへと歩いていった。「ほら、早く行くわよ」
 遅れてグレンと俺が乗り込み、残ったメンバーが見送る形となる。各々「頑張れ、クロ!」とか「いつでも交代して下さいね!」と送り出してくれた時、やっぱり仲間って良いなあと心底感じるのだった。後ろでやはり腑に落ちないのか不機嫌顔の魔王とそれを宥めているマールの姿にもそう感じてるよ? ほんと仲間って良いよね。早く出してくれルッカ、このままここにいたら魔王がまたプッツンするかもしらん。
 手早くエンジンを掛けて、ルッカがシルバードを時空空間に飛ばす。タイムテーブルを弄ろうとする彼女に、俺は疑問を飛ばした。


「そういえば、原始以外の全ての時代に黒の夢はあるよな? どの時代の黒の夢に行くんだ?」ルッカは呆れ眼で「はあ?」と呟いてから、
「古代よ。じゃないと、それより前の黒の夢……例えば、現代の黒の夢を破壊しても、中世や古代に黒の夢が残っちゃうでしょ? 黒の夢が存在する一番古い時代の古代で事を済ませれば、連鎖的に中世、現代、未来の黒の夢は消えるの。何度もあんなヤバそうな所に行きたくないわ」
「よく分からねーけど、まあ分かった」


 ルッカの言うことなら、間違いはないだろう。俺やグレンみたく知識が無い人間ではないのだから。小難しい話はパスである。平素、勉強とは無縁の生涯を送ってきたんだ、しょうがない。


「勝手に俺まで馬鹿と決め付けるな」グレンが気に入らないと言うように顔を歪めている。ははは、虚勢を張るなよ全く。
「じゃあ聞くけどな、お前三平方の定理を知ってるか?」当然俺は知らん。数学が算数に変わる頃諦めた思い出があるからな。グレンは唖然とした様子である、ふん、少々俺の教養が炸裂しすぎたようだ。名称を知っているだけで俺の賢さが天井知らずであると理解したようだな、難しい言葉を知ってる俺カッコイイ!「幾何学の定理の一つだろう?」
「グレン、知ってるか? 俺お前のそういう所嫌いなんだ」
「ならばお前は世の大半の人間を嫌わねばならんぞ」
「もう嫌、私あんたのそういう馬鹿な発言を聞くたびにあんたと幼馴染である事を悔やむわ」


 グレンに続きルッカにまで見下げられる。下手に半端な知識を披露すべきではない。真、教養とは諸刃の武器やでえ。
 何故こんな事で肩身を狭くせねばならんのか、何処かの偉い数学者だかを恨んでると、空が見え始める。どうやら古代に到着したらしい。まだ雪の残る地上を飛ぶ。白銀の世界の中、一つ黒々とした不気味な物体が浮遊していた。臓器の一つに似た造形は畏怖を刷り込ませる。いつ見てもそれは、不気味としか言いようの無い存在だった。
 ──黒の夢。本来あるべきではない海底神殿。ゆらゆらと揺れながら地上を監視しているようなそれに、シルバードを近づけた。間近で見ればその迫力は増す。ただの神殿でしかないはずなのに、生き物のような鼓動を感じる。錯覚だと分かっていても不愉快な気分は晴れはしない。爪先からぞくぞくと昇る悪寒を無視して、何処か着陸場所が無いか目を凝らした。
 そうして、付近を見回しても中に入れそうな部分は存在しない、場合によっては黒の夢上部に乗り移り、天井に穴を開けてやろうかと考えていると、楕円型の黒の夢前方部分から通路が延び始め、まるで艙口のようだった。ここに着陸しろというような、不可思議な行為に俺たちは顔を見合わせる。


「罠よね? どう考えても」ルッカが苦い顔で呟いた。
「だな、けどあそこ以外に入り口は無いぞ?」
「そうだけど……ええい、考えてても仕方ないか!」


 ハンドルを回し、左に滑るように下降する。流石と言おうか、ルッカは難なくシルバードを黒の夢前部に着陸させた。しかしエンジンは切らない。いきなり敵の襲撃があるかもしれないと、いつでも脱出できるようにしているのだ。タイムテーブルを回し時の最果てに針を当てている。一秒と掛からず俺たちは退避出来るのだ。
 そうして立て篭もるようにシルバードの中から降りないこと十分。なんらアクションは無い。先陣を切って、俺は一人機体を降りた。最悪、敵に襲われたら飛び降りるから、その時はシルバードでキャッチしてくれと言伝して。
 黒の夢に降り立つと、なんだか妙な感覚を覚えた。今自分がいる場所に自信が持てなくなるような気持ちの悪い感覚。床を歩くたび硬質的な音が鳴るのに、何故だか床の鉄板から熱を感じる。黒の夢は生きているようだ、とさっき考えた事を思い出し、その考えを発展させて、体温のようだとありえない想像をしてしまう。馬鹿げた妄想を振り払う為に、一際強く足を床に叩きつけた。
 歩いているうちに、目の前には入り口の扉がある。手を伸ばすと、扉は俺に触られるのを嫌がるみたく、左右に開いた。中には誰もおらず、魔物の気配も無い。ただ広い空間がそこにはあった。
 後ろを振り返り、ルッカとグレンに来ても大丈夫だと合図する。二人はさっと機体から降りて走り寄って来た。


「気味が悪いな、敵の本拠地から歓迎されるとは」
「歓迎ね、そうなると招き寄せるだけで終わるわけ無いわ。色んなエスコートを受けるわよ? それも、盛大に」グレンの例えに、ルッカは鼻で笑いながら皮肉めいた言葉を呟いた。
「考えてても仕方ないさ。元々決戦を覚悟してたんだ、ここで尻込みする訳にはいかねえだろ」


 そう言って、俺たちは扉の中に足を入れる。するとどうだろう、今までお入りくださいと自分から開いていた扉が乱暴な音を立てて閉じてしまう。当然俺たちは振り返るが、誰も閉じた人間、もしくは魔物の姿はいない。


「これはただの歓迎ではないな、修飾語の『熱烈な』をつけるべきだ」力を込めても開きはしない扉に苛立って、グレンは思い切り蹴った。扉は震える事さえしない。


 進むしかないこの状況に、俺は昔話の魔女の館に忍び込んだ姉妹の話を思い出していた。彼女らはとある理由から廃屋に迷い込み、探検と称して遊びまわる。しかし、幾許もせぬ内に廃屋を徘徊する魔女に見つかり、逃げ出そうとしても、入ってきた扉は愚か、窓も閉まっており、叩き割ろうとしても傷一つつかないのだ。魔女の魔法のせいだと気付いたときにはもう遅い。二人はいやらしく笑う魔女に食べられてしまう。子供の時分に読んだので、軽いトラウマものになったことを覚えている。
 その物語で言うならば……


「お前が魔女だ、ジール」


 後ろに立っていた、元人間である女性はにたあ、と口角を上げて「私は神だ、下賤の者よ」と声を上げた。


「っ!? 貴様が……!」居合いもかくやという素早さでグランドリオンを抜くグレンを止める。「無駄だ、あれは立体映像ってやつだ。未来のロボの故郷で見た」
 ジールは……いやジールの映像は俺たちを見下ろす為か、人間の腰ほどまでに浮いている。俺が映像であると見破ったことにまたも彼女は笑い、「ただの馬鹿では無いようだ、見破った所で意味は無いがなあ」とケタケタと喉を鳴らした。聞くだけで寒気がする、出来るならば今すぐにでも斬り倒したかった。
「とはいえ、所詮虫ケラか。永遠の命を手にした妾に挑むとは、気が狂うたとしか思えぬ。しかし感謝しよう、虫ケラども……いや、クロノよ」ジールは俺を名指しにして、両手を広げた。愉悦のみを顔に貼り付けて、いかれた瞳孔を開いて。
「夢見ておったぞ、貴様をもう一度バラバラにしてやることをなあ! 一度だけではない、幾度も生き返らせその度殺してやる! 何度も殺し何度も生かしそして殺す! どんな殺し方が良いかなあ、すり潰すか? 焼くか? 腐らせるか? 貴様の性器を切り取り咥えさせるのはどうだ? 過去の文献に載っておったのだ、腐りゆく己の性器が放つ毒に身悶えて死ぬ様は中々に絶景らしいぞ!? ハハハハハハ!!」
「御託は良いんだよ、気持ち悪い! そんなに俺の息子を拝みたいなら、化粧を落としてもう少し分相応な生き方になりやがれ!」
「ハハハハ!! 世界を統べる妾になんという暴言か! まあ良いだろうまあ良い。貴様に分相応な口の訊き方など望んではおらぬ。それよりも、妾とゲームをせぬか? とても楽しい遊びだ、お前ら屑にも分かる、単純な戯れである」


 既にジールとはまともな会話が交わせない。正常ではないのは見て分かる、だが内面はそれ以上に狂っている。目は何処を向いているのか分からず、絶えず体の何処かが痙攣している。麻薬を多量摂取した人間に良く似ている。女王たる威厳は微塵も無く、異常者の末路がそこにあった。
 そう、異常者。故に奴は、突拍子も無い事を突然に言い出す。


「なあ虫ケラ? ここは何だと思う? ……そう、黒の夢である。では黒の夢とは何だ? 一体どのような場所だか分かるか? 分かるまいなあ?」
「知ったことじゃないわよ、あんたの道楽で作られた、胸糞悪い玩具でしょ!」ルッカが敵意を露に噛み付いた。ジールは酷く出来の悪い演技で「おお怖い」と袖口を顎に当てていた。「黒の夢とは、ラヴォス神が妾に力を与えてくれる場所……だがそれと同じ程に素晴らしい力を秘めておる! ……黒の夢とは、時空を超えて、成り立っておるのじゃ」


 映像のくせに、ジールは愛おしそうに近くの壁を撫でて顔を付けた。三度接吻し、三度頬ずりする。そしてもう一度良人との別れ際のように接吻して、また俺たちの前に戻ってくる。
 ふざけた言動に怒りを納めきれなくなったのは、グレンだ。無駄と分かっていても、彼女はグランドリオンを振り下ろした。実体の無いジールをすり抜け、床に当たり火花を散らしても彼女は止まらない。「黙れ、貴様の悪行は知っている。俺には直接関係無くとも、世界を破滅させる貴様を見逃すわけにはいかん、何より……その見下しきった目を止めろ、不愉快だ!」
「ヒヒヒ、息の良い女子よのお、そうそう、名はグレンとか言うたか。哀れよのお、想い人が死んでも男として生きるのは中々に屈辱だったのではないか?」
「貴様が俺を語るな!!」
「ヒヒヒヒヒ!!!」


 ……グレン、分からないのか。いや仕方ない、彼女にとって大切な思い出と覚悟を汚されたように感じている今それを知るのは難しいのかもしれない。
 隣を見ると、ルッカも驚愕に顔を染めている。信じられないと、言外に語っていた。そりゃあそうだ、奴の言葉はおかしい。
 奴がグレンという名前を知っているのはまあいい。もしかしたら、俺が覚えていないだけで黒の夢に降り立ってからグレンの名前を呼んだのかもしれない。無理のある結論でも、納得出来ないではないのだ。だが……
 何故、ジールがグレンの事情を知っている? 男として生きていた事を、想い人を亡くした事を何で知っているのだ。
 俺が凝視している事に気付いたジールが、一度グレンとのやり取りを止めて俺に向き直る。「何故知っているのか? という顔だな」とずばりに当てて見せた。悔しくも、俺は肯定するしかない。


「おい、おい虫ケラ? ガッシュを覚えているかガッシュを。奴の研究も知っているだろうそうだろうでなければ貴様らがあの翼に乗っている訳が無い! ヒヒヒ……ではここで問答をしようではないか。この海底神殿は魔法王国ジールが総力を結集して作り上げた代物。勿論ガッシュもそこに手を貸しておる。そこから、何か分からんか?」
「……嘘でしょ、全ての歴史を監視出来るって言うの!?」唖然とした様子だったルッカが、金切り声を上げた。そんなことは信じられないと頭を抱えて。水位が下がるように、顔の上から顎まで顔色が青褪めていく。血の気が引いていくルッカをけらけらと嘲笑うようにしてから話し始める。
「察しの良い愚図である! 妾は知っておるぞ、貴様らの仲間の数も、元いた年代もその場所も! 全て調べた! ……そこから、何か連想せんか? 妾がいかに雅な戯れを考案するか、少しはその矮小な知恵を絞ってみい」


 何が楽しいのだと問い詰めたいほど、ジールは満悦した様子でくるくると回る。空から降る雪を見上げる少女のように、これからどうなるのか、どんなことが起きるのか楽しみで楽しみで……今にも飛び跳ねそうな勢いだ。無垢な少女と違うのは、目が違う。暗いのだ、黒いのだ。見る者に暖かな物を与える優しい光なんか無い、何もかも吸い取り奪い取る残虐な色が浮かんでいる。


「もう一つ知恵を授けてやろうか、妾とラヴォス神の御所と言えるこの黒の夢には貴様らの呼ぶ、シルバードに似た機能を持つ、先にも申したが、あらゆる時空と繋がっておるのだからな。流石に黒の夢ごと時を移動するわけにはいかぬが……何かを別の時代に飛ばすことは出来る」


 ……今まで大人しく聞いていたものの、煙に巻くような口振りに俺の自制心が耐え切れなくなる。こいつが何を企んでいようが、関係無いのだ。勝手にゲームでもなんでも思いつけば良い。今すぐこいつの待つ場所まで駆け抜ければ全て終わる。こいつの企みなんか知った事じゃない!


「一々煩いよお前、遊び相手が欲しいなら俺たちが構ってやるさ」啖呵を切り、ジールの映像をすり抜けていく。耳障りにも限度がある、こいつの声は人類に対して不快な周波数の塊なのだろうと、本気で信じた。
「惜しい! 惜しいぞクロノよ! 遊びたいのは妾もそうであるが……それ以上にな、うずうずしとるのだ、黒の夢の住人が、大勢の人間を殺したいとな? 育ちが良いのか悪いのか、ラヴォス神にだけ任せるのは気が引けるとの事だ」
「──待てよ」何を言われても奥に進む心積もりだった俺の考えは呆気なく水泡に帰した。聞き捨てならない、それは聞き捨てならない! 今こいつは言った、ジールは確かに『大勢の人間』と言った。
 集めてみよう、ジールの放った言葉の断片を拾ってみよう。まずは、こいつは『ゲーム』と言った。それから先のこいつの発言が全てゲームに関連している事柄だとしたら?
 『歴史を監視できる』それはつまり『俺たちの事を知っている』。現にこいつは『俺たちの仲間の数も、仲間の産まれた年代も知っている』と言ったな。さらには俺たちと同じように『何かを時空を越えて別の時代に送ることも出来る』と。最後に、黒の夢の魔物が『大勢の人間を殺したい』と望んでいる。
 誤魔化すな俺、そんなことあるわけ無いと根拠の無い答えに縋るな。
 でもまさか、そんな事がある訳無いと叫びたい。だってこれは俺たちの旅だ。俺とマールとルッカとロボとグレンとエイラと魔王の旅だ。戦うのは、俺たちだけのはずだ、傷つくのは俺たちだけの、“そういう”旅だったはずだ!


「そうそう、余談ではあるがな? この黒の夢には三千の魔物が存在しておる。貴様も知っての通り、並の人間では手も足も出ぬ剛の者ばかり……国の一つや二つ、すぐにも消し去るだろうなあ……? まあ安心せよ、この黒の夢には二百しかおらぬ。なんせ、B.C.65000000年にだけは黒の夢は無いのでな、他の時代と違い、ここから送り込まねばならんのだ」


 ああ、ああそうだよな。確かに原始にはないものなあ黒の夢は。それじゃあお前のゲームは成り立たないよなあクソッタレ!
 ……なんて事考えやがるこの化け物は。普通の思考じゃあ思いつきやしない、最低の一手だ。敵に使うなら、普通の人間じゃあ立ち上がれない最適の方法だろうさ、それをゲームだと!?


「な、なあおいクロノ。奴は何を言っている? お前やルッカには分かったんだろう? 俺にも教えてくれないか? ……なあ!!」
「グレン……」俺の肩を掴んで、グレンが叫ぶ。「気付いてるくせにさ、俺に言わせるのかよ?」肩の痛みに苛立ちながら、俺は歯を食いしばって言った。


 グレンの目が揺れている。肩を掴む握力、震える声、全てが物語っている。だってグレンは馬鹿じゃない、ジールの言葉が何を指しているのか、もしかしたら俺より早く気付いたんじゃないか?
 どうやら三人とも同じ考えに至ったようだ。ルッカもまた爪を噛みぶつぶつと何か呟いている。これからどうすべきか思案している、いや違うか。どうすべきか分からないでいるのだ。
 けれど、ここまでなら迷いですんだ。ただの戦略だ、ジールが俺たちの動揺を誘おうとして訳の分からない戯言を抜かしているだけだと自分を騙せたのだ。
 しかし、ジールはそれを許さない。クイズのようにヒントを出して俺たちの反応を窺い、答えに辿りついたと見るや否や、俺たちを讃えるように大袈裟に、大振りに拍手して聞きたくない事実を発表した。


「そう! B.C.65000000年イオカ村! A.D.600年ガルディア王国! A.D.1000年同じくガルディア王国に住む人間! そしてA.D.2300年の生き残った人間全てを殺せと『妾』に伝えたのだ! 各々の時代に生きる黒の夢にいる『妾』にな! 流石は妾よな、迷う事無く実行に移しおったわ! 最早どうあろうと貴様らの大切な人間は死ぬ、親も家族も友人も想い人も一人残らず滅ぼしてくれる!! 黒の夢に生きる三千の魔物の手によってな! 楽しい遊びであろう? 妾の考えた遊びは楽しいだろうが虫ケラアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!」


 グレンとルッカが息を呑む音が聞こえ、俺は懐から、時の最果てにて待機している仲間たちに通じる連絡機を取り出した。彼らに伝える事は一つ。


「今すぐ皆が元いた時代に飛んでくれ! 魔王は中世だ! ……頼む、世界を──」


 世界を守ってくれと、出来る限りに声を振り絞って叫んだ。慟哭みたいだ、と思ってしまった時には自分の立っている場所が分からなくなった。
 ……大丈夫だ、皆はそれぞれ頼もしい戦士だ。決して負ける事の無い仲間なのだからと言い聞かせても胸の鼓動は治まらない。
 戦士と戦死は何故同じ読み方なのだろう。ふとそんな縁起の悪い馬鹿げた疑問が頭の中を通り過ぎた。












 星は夢を見る必要はない
 第四十三話 そして、運命の時へ












 夢が閉じる。人間の歴史を閉じる為、己の殻を閉じるように。
 けれどまだ、時の悲鳴は聴こえない。今は、まだ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/06/16 23:53
「今すぐに戻るべきではないのか? 俺たちが戻れば状況を変える事も可能かもしれない!」


 グレンが魔物たちによって攻め込まれているだろう世界を想い叫んだ。その顔にはありありと焦燥が滲んでおり、またその心配の対象がA.D.600年中世のガルディア王国、中でもとりわけ王妃であることは自明の理であった。
 黒の夢を訪れる前とはまるで違う狼狽した様子に、彼女がどれほど己が国を、大切な恩人を想っているのか想像に難くない。本来ならば、すぐにでもシルバードの乗り蜻蛉返りしたいのだろう。
 だが、赤髪の青年──クロノは許さない。首を振って「それは駄目だ」と切った。


「仮に入り口の扉を破壊して、俺たちが元の時代に帰っても、あいつはまた魔物を送り込むぜ? ここにいる魔物が三千と言ってたが、増やせないとは言ってない。延々魔物を撃退し続けるだけだ。なら俺たちの出来ることは元を絶つ事だろ? ……大丈夫さ、中世には魔王が向ってるし、それに……」


 クロノは後ろを振り向き、同じ時代の出身者であるルッカを見た。彼女は不安そうにしながらも、力強く頷く。その通りだ、お前は間違っていないと告げるような肯首だった。それを見て、クロノは一つ笑い、黒の夢深部に向かい走り出した。彼を追ってルッカも、まだまだ迷っている様子のグレンも走り出す。
 後ろ髪引かれるように何度も入り口を見遣るグレンへ、クロノは言った。


「安心しろ、人間は……いや、俺たちの世界はそうヤワじゃないはずだ」


 言い切って、前を見る。
 彼の目には不安がある、迷いがある。けれど、それに負けぬほどの自信も備わっていた。
 彼らの戦いは、まだ先の事となる。まだ時間がある。
 ではその前に、始めようではないか。世界の鳴き声を聞こうではないか。抗う姿を拝もうではないか。
 戦いはまだ、始まったばかりである。












 星は夢を見る必要はない
 第四十四話 中世現代間による、魔物と人間のあり方、またその過程












 時はA.D.600年中世。この魔王軍との戦いを強いられていた世界には、皮肉にも魔王本人が守護者として選ばれた。トルース裏山よりゲートを通じ現れた彼はすぐさまに黒の夢付近の海上へと向かい飛び立った。
 トルース村を襲う魔物どもを殲滅するほうが先であると、考えなかったわけではない。黒の夢より這い出てきた魔物どもによって引き裂かれる人間の叫び声を聞いた時、そうしようかと迷わなかったわけはない。彼とて人間、冷徹を気取りながらも、彼は愛情を得て育ってきたのだ。悲しみも怒りも善の心は人と同じく……いやその育ちと環境ゆえ、それは人一倍かもしれない。
 だが、聴こえたのだ。兵士たちの声が。恐らく城より派遣されたのだろう、今現在村を救おうと奮闘している彼らに自分が姿を現せば混乱の極みとなるのは間違いない。下手を打てば、黒の夢を操っているのは魔王本人であると勘違いされかねない。そこまで考えて、彼は単独に黒の夢より現れる魔物たちと相対しようと決心した。
 既に世界各地に散らばりゆく魔物たちを追うよりも、今から現れる魔物の大群を消し去ったほうが効率的であると踏んだのだ。
 地上の戦乱をなるだけに無視して、心落とさぬよう無心を心がけ、断腸の思いで魔王は飛ぶ。そして、いつしか黒の夢から数百メートル程離れた海上地点に辿りつく。目の前には蜘蛛の子を散らす勢いで溢れ出てくる魔物たち、そのどれもがラヴォスの力を得た化け物たち。少なくとも、魔王城にいた魔物どもでは手に負えんだろうな、と魔王は分析した。彼の目の前に浮遊している魔物の数は、千を超える。主戦力なのだろう、万が一……いや億が一に各地にばら撒かれた仲間の魔物が苦戦すればここから増援に向わせるつもりなのか。


「……なに、所詮はただの屑の集まり。私の敵ではない……」


 嘘だ、と魔王は自分に毒づいた。敵の質も当然、千の魔物を相手取るなど、途中で力尽きるのは眼に見えている。いかに自分が強大な力を秘めているとはいえ、戦いを研鑽し磨きぬいてきた自負があるとはいえ、想定している戦闘にこのようなものは無かった。単独対軍レベルの数など、想定するほうがはなからおかしいのだが。それは戦いではない、象が蟻を踏み潰す行為に等しい。


「ゲゲゲ……おや我らの所へ来たか、ジール様に仇なす者は。好都合だが、ゲゲゲゲ!!!」


 背丈五メートルを越す大型の魔物が近づいてきた魔王に気付き、笑う。魔王はその下卑た笑い声よりも、自分がどのような者なのか知られている事に嫌悪感を抱いた。下種が自分を見ているだけで吐き気を催すと魔王の目は鋭くなっていく。彼自身気付いているのか、彼が怒っているのは目の前の魔物が数瞬前まで黒煙を上げ悲鳴がそこかしこから響く村を見て愉悦を浮かべていたからである。内心のそれに構う事無く、魔王は容赦なく火炎を作り出し魔物の群れに放った。
 空中にて渦巻く炎の雄叫びは海を蒸気に変えていきながら、百の魔物を呑み込む。続けざまに電撃、氷雨、加えて重力球をぶち込む。凡そ、百から二百の敵に損害を与えたのでは、と魔王は計算した。ファイガ、サンダガ、アイスガ、ダークボム。それぞれ込めれるだけの魔力を込めて放ったのだ、消費した魔力は馬鹿に出来ずとも、長期戦になれば体力を削られ不利と悟り、彼なりに最大最高の連撃のつもりであった。
 しかし……海中に魔物が落ちる音は、僅か三十。魔王に話しかけた魔物は無傷で笑っている。胸の前で手を叩き、「恐ろしい、恐ろしい!」小ばかにするように目を吊り上げていた。


「それで全力か。よもや、それで我らがラヴォス神に害を為そうなどと、とんだ法螺を吹くものよ……行け貴様ら」


 リーダー格だったらしい魔物が手を振りかざすと、後ろの控えていた羽を持つ魔物たちが一斉に飛びかかる。魔王は鎌を出現させ、円に振り回した。その速度、タイミング申し分ないものだったが、それにより撃墜したのは三匹。代わりに三度の爪による引き裂きが彼を抉った。辛うじて軽傷といえるのは、偏にビネガーたちより譲り受けた絶望のマントのお陰であろう。背中からじくじくと血液が漏れ出すも、彼はそれを気遣う様子はなく悪鬼のように叫び、孤軍奮闘している。
 終わりなく続く魔法の攻撃、爪の連鎖、巨大な鉄槌を頭に落とされようとも、魔王は鎌を振り、魔法を唱えて死を呼び出していた。


(終わらぬ……!)


 囲まれる前に空を翔けその場を移動する。追いかけてきた魔物をそれぞれに撃破、また逃げるといった戦法を続けても、そうなれば近づかず狙撃される。仮に肉弾戦へ望みを賭けても数の暴力に圧倒される。魔王が己を奮い立たせ、獅子奮迅の動きを見せれば見せるほどリーダー格の魔物は喜んでいるようだった。魔物は、正しく嬲り殺される猫を観察するような目つきで傷を体中にこさえる魔王を見ていた。
 五度目のサンダガを唱えた時、魔王はちっ、と舌打ちを落として翻りもう一度距離をとった。当然狙撃の魔術が雨あられと降り注ぐが、それにはマジックバリアを張り急を凌いでいる。ばりばりと見る間に結界は剥がれ落ちていくが、微かな時間を得る事は出来た。


(どうする、連携に及び数も尋常ではないが、何よりもこやつ等の生命力が突き抜けている……)魔王の懸念、というか彼を疲労させているのは魔物たちの防御力である。三種の属性魔法を直撃させても堪えないのでは、いくら人間では考えられない魔力量の魔王でも分が悪い。中には、彼の渾身のサンダガを身に受けても突進を止めない魔物までいた。単純に雷撃に強いのか、それとも魔法そのものに耐性があるのか。どちらにしても、彼は不利以外の何者でもなかった。
 鎌で敵を薙ぐ事は出来る。一振りに二、三の魔物を殺す事も可能だった。しかし、その二、三の魔物を屠る間に彼がダメージを負うのは確定だと知れている。今結界を張りながら回復呪文を唱えている彼は、既に頭蓋と肋骨に皹が入っていた。腕も碌に上がらず出血箇所は数えるのも馬鹿らしい。群れに突っ込んでは到底もたないと、魔王自身が最も熟知していた。
 既に、勝ちの目は無い。


「……玉砕、か」


 思えば、と魔王は魔物たちの嘲笑のせいで誰にも聞こえない独り言を呟いた。「思えば、サラ以外の為に身を滅ぼそうとした事など、無かったな」
 元来、彼の生きる目的とは己が姉を救う為、その一心でしかない。その為にクロノたちと手を取りラヴォス、引いてはジールを倒そうと一度は折れた膝に力を入れて立ち上がったのだ。そしてその思いは今でも変わらない。


(では何故、今私は立っている。後ろにいるだろう人間の村の為か? ……認めよう、それも無いわけではあるまい、所詮私もか弱き人間であるか)だが、と心の中で否定の言葉を置く。決してそれだけではないと魔王はそれ以外の可能性を模索してみた。
 するとどうだろう、探すまでも無かったという答えが帰ってきただけだった。目の前の壁にボールを当てれば戻ってくるのは当然の帰結なのだ、と言われているようだった。


(私は、この世界を……この薄暗く、戦いに明け暮れて、己を強くする為だけに生きてきたこの世界を、来る時の為だけに踏み台としていたA.D.600年を……)


 ──存外に、嫌いではなかったのだ。人間も、魔物も。


(人間……そうだな、あのサイラスとかいう男、確かに人間にしては素晴らしい力を持っていた。それは私の部下ども全員が認めていた事実。奴ら、私に知られぬようひっそりと奴の遺体を安置していた所からして、間違いないだろう……そして、)彼が思い浮かべたのは、あの憎たらしく、自分に突っかかってくる女性とも言いがたい蛙女、グレンの事。彼は間違いなくグレンを嫌っていた。彼女の生き方も不器用な性格もこれと決めたら頑として変えぬ所も負けず嫌いな点も全て気に入らなかった。何より彼が気に入らなかったのは……


(奴め、私と違い早すぎるではないか、大切な者が消えてから立ち直るまで、奴は迷いながらも自分を鍛えていた。誰にも負けぬよう、己の親友は素晴らしい人物だったと証明するように)


 自分に無かったものを持っている人間を、魔王は嫌う。だからこそ、自分に出来なかった事をやろうとしたクロノを嫌う。自分には出来ない、他人を明るくさせる力を持つマールを嫌う。誰にも負けぬ情熱を抱いたルッカを嫌う。何年生きようがその純粋さを失わぬロボを嫌う。自分よりも大切な誰かを想い、守り、遠く離れてもそれは変わらぬエイラを嫌う。
 ──自分には無い強さを持つグレンを、忌み嫌い、そして……尊敬してしまうのは。彼が素直でないからか、これ以上も無く素直だからなのか。
 想ってしまった、彼は必死に否定しながらも想った。彼らに会えた事で自分は自分を確認できたと。そしてそれが為ったのは自分がこの時代で生きていたからこそなのだと。
 間違いなく、魔王がこの地で行ったのは褒められる事ではない、忌まわしいとされる行為だろう。でも頑張ったのだ。子供の身でありながら、必死に学び魔王軍を作り出した彼はこの上なく頑張ったのだ。


(そうだ……形振り構わずだった)


 振り返ってみよう。彼が作り出した魔王軍がいかな効果を齎したか。人間の土地を奪い、命までも奪った。その数は恐ろしく、魔王軍との戦いで作られた死人の数は万に迫るだろう。
 では、それまでに人間によって不当に殺された魔物の数は?
 例えばの話、それを人間に聞いてみればこう答えるだろう。「不当ではない、魔物を殺して何が悪いのだ」と。「魔物は人間を食うではないか」と。本当にそうだろうか? 魔物は人間を食うのだろうか。それは事実、魔物は人間を喰らう。だが喰らわぬ魔物もいる。現に、魔王軍に在籍する魔物たちのほとんどは人間を喰らわない。大半が森に生息し、人間と同じく木の実や魚、動物の肉を食べて暮らしていた。ひっそりと生きていた魔物たちを殺し始めたのは、なんのことはない、人間だった。魔物の毛皮は高く売れ、その臓物は一部の人間にとって美食の品として扱われたのだ。見世物小屋にて魔物の子供を売りにしたり、裏では女性型の魔物を無理やりに性解消の道具として扱っている所まであった。さらに、生きている魔物の解体劇や魔物同士の殺し合いを強制する闘技場。弾圧とは正にという現状だった。その真実を知った魔王が、心の底では慕っていたビネガーたちを想い結成したのが魔王軍である。
 魔王は、また魔物も自分たちを正義とは決して考えていない。彼らも同じ事を人間に強いたのだ。流石に人間を売り物にはしなかったが、非戦闘員である村人を殺し、不当に人間の兵士の屍を操り戦わせた事もある。外道と言うならば、己たちも外道であると理解している。勿論、恨みは消えないが。


(私は、想いの外恵まれていたのか?)


 魔王の張った結界が音を立てて崩れ去った。魔法障壁はすっ、と透明に変わり消えていく。無防備になった彼の体を射抜く数十の魔法の矢。魔王はボロキレのようにひらひらと海へ落下する。
 しかし、その落下はゆっくりとしたものから急停止する。既に虫の息と見た魔物の一人が全速で近寄り、彼の胸元を捕まえたのだ。


「これで終わりだ、虫ケラ」


 片腕で彼を捕まえている魔物は、最初に魔王を挑発したリーダーらしき魔物だった。爪を伸ばし、残った右腕を後ろに大きく振って……魔王の腹に突き刺した。彼の背中からてらてらと血で濡れて光る爪が貫通して顔を出している。否応も無く、魔王の口から大量の血液が零れ、魔物の顔に飛び散る。それを長い舌で舐め取り、魔王を刺した腕を叩きつけるように振った。
 勢いで爪が抜けた魔王の体は、大きな水しぶきを上げて海へと落ちる。最早浮かび上がろうともがく力も残されておらず、魔王の体は深く深く沈んでいった。




          ※




 中世ガルディア城は混乱の極みとなっていた。突然現れた魔物の大群の知らせを聞いて、国王はすぐさまにトルース町に軍隊を派遣した。その直後、城にも同じように魔物たちが大挙し始めたのだ。ただでさえ魔王軍との戦いで疲弊していた騎士団は城門を守りきる事さえできず、城内に多数の魔物に侵入を許してしまう。既に直属騎士団から近衛兵までに大半の死傷者が現れ士気などあって無いようなものであった。
 ただ、今この状況に置いても逃亡する兵士が誰一人いないのは、何の奇跡であろう? 兵士たちの考えはただ一つ。「国王と王妃を守れ」である。
 彼らの忠誠心は兵士の域ではない。それもそのはずであろう、この城とも呼びがたいほどに壊滅しているガルディア城に、国王王妃ともに残っているのである。それも、逃げ出す準備などもしていない。ただ王の間にて座っている。
 勿論、大臣を始め重臣たちに逃亡を進められたのだが、国王と王妃は声を揃えて発言した。「王族が逃亡するなど、冗談であろう」と。
 その言葉を聞いた兵士たちには、彼らの言葉がこう聞こえたのだ。「国を守る兵士が逃亡するなど、冗談であろう」と。
 なるほど、では逃げられぬ。国の王たる人物が玉座で我らを信じておられるのだ。この国の騎士達は一騎当千に魔物どもを蹴散らすと心の底から信じている。剣を捧げた我らがその期待を裏切っては何を為せというのか。出来ぬなれば、肩をいからせて兵士になど立候補せず、腰を曲げて畑を耕しておれば良かったのだ。
 そう、彼らに逃げ場は無い。ゼナン橋の一件と同じである。そしてそれに酷似した状況でもある。何故ならば……


「かかって来ますか下郎たち。良いでしょう、我が拳を受けてなお立つというならば、貴様らの醜い姿を覚えておいてあげないではないですよ」


 朗々と魔物たちに両の拳を向ける王妃が、兵士たちに混ざり戦っているのだから。
 王妃が前線に出て魔物と戦う。これには、先と同じく重臣と大臣が異を唱えた。「王妃様はどうか国王と一緒にいて下され」と。
 その言葉を聞いた王妃はきょとんとして言った。「我が夫が戦える者に戦うなと仰る訳がありません。例えそれが王妃であろうと。ですよね?」と。言われた国王は苦笑しながら「あまり城の物を壊すでないぞ」と言った。それを聞いた兵士たちは内心で国王に口には出来ない悪口を散々に叩いた。


「ふざけるな、王妃が前に出たら俺たちの活躍が無いではないか」「ついでに、逃げ道も無い」「これでは何か、兵士である俺たちは王妃様以上の活躍をしろと言うのか」「馬鹿な、“あの”王妃様に勝てと言うのか!? さらには王妃様に傷をつけぬよう守りながら戦えと!? 俺たちを信じるのもいい加減にしやがれ尻引かれ国王め!」口に出せば厳罰間違いない罵詈雑言を敬語など無視してぎゃんぎゃん騒いだ。あくまで心の中で。


 そして、彼らの心は一つになる。文句はあれど、不満もあれど、結論は同じだった。
 それでこそ、我らが忠誠を誓ったガルディアであると。
 一人魔物たちを相手に素手で立ち向かう王妃を横目に、兵士の一人が、隣の兵士に話しかけた。どちらも壁にもたれている。二人の間に流れる砕けた空気から、友人であることが窺えた。


「なあ、なあピエール。お前、まだ行けるか?」
「ああ大丈夫だ。王妃様が頑張ってるんだぜ、死ねるかよ、俺たちガルディア騎士団がそう簡単に死ぬわけないだろ?」ピエールと呼ばれた男はにっ、と歯を見せた事で、話しかけた兵士にも笑顔が浮かぶ。
 彼らの腹は、お互いに真横に裂かれ、内臓がこぼれ始めていた。回復呪文を用いても、生き残れるかどうか、という重症だった。されど、その痛みを顔に出さず二人は王妃の戦いを見ていた。王妃は美しいドレスの裾を破き、煌びやかな髪飾りを捨て、がむしゃらに敵陣へと突っ込んでいる。その姿は、昔話に出てくる勝利の女神と同じに見えた。細腕から繰り出される突きは巨大な魔物を吹き飛ばし、壁に叩きつけた後、後ろの壁ごと魔物を蹴りで破壊する。兵士を鼓舞しながら舞うように戦場となったこの城を走っている。


「……遅いな、ビッグスの奴。そろそろ俺、眠たくなってきちまったよ」朧な目で王妃を視線で追う兵士に、ピエールがその肩を揺らす。「安心しろ、ほら、もうビッグスが来たぞ、起きろよウェッジ」
 眠そうに目を擦りながら兵士──ウェッジはピエールの指差した方向に目を遣る。確かに、城の通路の奥から何かを抱えた兵士が息を切らしながら走ってくるのが見えた。彼、ビッグスは「悪い、遅くなった!」と声を荒げて荷物を二人の前に落とす。散らばったのは……大量の爆薬であった。「火薬庫から持ち出してきた。これ以上は持てなかったんだ……悪い」
 頭を下げるビッグスに、ピエールが「充分だよ」と顔を上げさせる。ビッグスを除く二人がその爆薬を分けて両手に持つ。その後、満面の笑みで怪我の無いビッグスの腕を叩き、「じゃあ、後頼んだ。王妃様をよろしくな」と言って魔物の密集している場所に飛び込んでいく。
 とても兵士らしい戦いではない、おそらくそのような戦いを王妃は許さないだろう。長年三人でつるんできたのに、置いていくんじゃねえ。そんな文句を飲み込んで、ビッグスは簡略化した敬礼を彼らの後姿に送り、王妃の援護へと走り出した。
 二度、城内で爆発音が響いた。









     ※現代※









 常に祭りの喧騒を誇っていたリーネ広場は轟轟と燃えていた。屋台を出していた人々や、踊り子たち、演奏者からレースに熱を上げていた者。全員が逃げ回り、悲鳴を上げては魔物たちに背中から襲い掛かられて命を消していく。
 現代を守るべく時の最果てより降り立ったマールは、この現実離れした光景に一瞬心を失った。一度、ジールでも経験したことではある。町の人々が殺され、逃げ惑う姿を見た事はあるが、これは違う。言ってしまえば、ジールの人々は他人であった。勿論リーネ広場にいる人々も他人だが、自分と同じ娯楽を共有した仲間的観念が彼女にはあった。何より、ここは彼女が生まれて初めて外に出てから遊んだ場所でもある。彼女は家族を失っていくような喪失感と、思い出を汚されたような憤怒が体中から溢れてきて、動きを止めてしまったのだ。
 よろよろと、燃え盛る道を歩いている彼女を魔物が見逃すわけは無い。マールは後ろから襲い掛かろうとしてくる魔物に気付けずにいた。


「……!」自分の体に影が覆い被さった時、初めて彼女は敵の接近に気が付いた。しかし、もう遅い。すでに下半身の無い魔物は呪文を唱え終わり、業火を彼女に吐き出そうとしていたのだから。荒れる炎の波は彼女を包もうと恐ろしい速度で迫っている。
 しかし、マールにそれを防ぐ術は無い。急いで呪文を唱えれば防御は可能だったろう、しかし、彼女は今目の前で燃えている自分の思い出に気を取られすぎていたのだ。守らなくては、でもどうやって? という逃避思考しか浮かんでいなかった。


「マールディア様!!!」
「うわっ」


 とぼけた声を出しながら、マールは横から飛び出してきた兵士に押し倒された。結果、魔物の放った火炎は空を切る事になった。苦々しそうに魔物が表情を変え、仕留め損ねた獲物を見つめている。そして人間には聞き取れない言語で新たな魔法を練りだした。


「お逃げ下さいマールディア様! 最早城も町も魔物によって焼き尽くされようとしています! どうか、急いで……ぐっ!」
「え、ええ?」


 顔を振って、何がなんだか分からないとマールは狼狽する。自分に逃げろと告げる兵士は傷だらけで呻いている。その後ろでは魔物が次の魔法を練っている。彼女には、今逃げるべきなのか兵士を治療すべきなのか魔物の攻撃に対応すべきなのか分からないほどに混乱していた。


「ヒイゲギャギャギャギャア!!!」


 掌を天に翳した魔物が、さっきと同じように火炎を作り出す。うねうねと体を揺らす炎は舌なめずりをする蛇を思いださせた。舌を出し、品定めするようにその場を動きマールたちを眺めているようだ。
 そして……ターゲットは決まる。意気揚々としたように、上から飛びかかるみたく曲線を描いて座り込んだマールへと炎が飛び出した。兵士が腕を動かし、抱きしめるようにしてマールを庇うが、その炎の勢いからして兵士ごとマールを消し炭に変えるだろう。魔物が宙返りして、自分の勝利を確信した。
 そう、その時までは確信していた。次の瞬間に何が起きたかなど、その魔物は一生理解出来ないだろう。自分の頭が吹っ飛んでいたなど。
 火炎を操っていた魔物のすぐ隣に一人の女性が頭上から舞い降りて、何の構えも無く腕を突き出したのだ。ボッと燃えるような空気の音を引き連れた拳は、だるま落としのように魔物の頭を横に飛ばしたのだった。
 女性はばらけた髪をポケットに入れてあったゴムで纏め、二度掌を叩いた。それは手に付いたゴミを払うような仕草で、たった今並の人間では敵わないとされる黒の夢の魔物を殺したとは思えないものだった。彼女は倒れ伏したマールを見て、おや? と声を上げた。


「なんだいマールちゃん。いくらなんだって、こんな状況で男と乳繰り合わんでもいいだろうに」
「……ジナさん?」
「そりゃあこういう状況でこそ燃えるなんてのは分からんではないよ? けど文字通り燃えてる所で、ねえ?」クロノの母親たる女性、ジナはマールと彼女を守るべく抱きついていた兵士に問いにもならない疑問をぶつけた。兵士は何が起きたのか理解できず目を白黒させるばかりであった。
「じっ、ジナさん何してるんですか! ま、魔物がいるんですよ!?」
「知ってるさ。今さっき頭吹っ飛ばしたのも知ってる。マールちゃんが案外ヤる子なんだってのも知ってるよ」
「え、え、ええと……じ、ジナさんは魔物を倒してるって事で良いんですか?」マールの疑問にジナはその通り! と腰に手を当てて肯定した。
「久々に暴れるチャンスだからねえ。私は魔物を成敗してるのさ。今は野外で淫蕩な行為に浸ってる少女にも説教をしてやるべきか混ざって指導すべきか迷ってる所だね」
「もうそれは良いから!!」


 彼女自身は認めたくないところであろうが、ジナのすっ呆けた会話により冷静さを取り戻しつつあった。当然彼女がそれを狙ったのかと言われれば甚だ疑問ではあるが。そして、彼女は兵士の言っていた言葉を今になって理解する。『城も町も焼き尽くされようとしている』という言葉だ。
 そして、その言葉にさらに彼女は迷う事になる。城か、町かである。このリーネ広場は、真に勝手であるがジナが守ってくれるだろうと踏んでいる。だが町は? ここに兵士がいるように、町にも兵士は派遣されているだろう。となると城には兵士がほとんどいないということである。蛻の殻ということは無かろうが、到底守りきれるとは思えない兵量しか有していないはず。
 そこまで考えて、彼女は迷っていた。城に行くべきか、町に行くべきか。当然彼女の個人的な感情としては城に向かいたいだろう、だが民を見捨てて家族を助けに行くのは王女としてどうなのだ、と他の自分が責めるのだ。


(どうしよう、父上ならきっと大丈夫だよね……でももしかしたら……!)泣きそうな顔になって俯くマールに、兵士は何事か声を掛けようとして……ジナに先を越される事になる。
「行ってきなよ。マールちゃん。お城にさ」
「……え?」それは自分に言われたのだろうか、とマールは顔を上げた。
「気付いてないと思ったかい? 馬鹿にしなさんな。あんたは王女なんだろ? 昔王女お披露目の際に見たさね。王女だったらお家を守るのが筋ってもんでしょう」からからと笑い、すぐそばの屋台に張っていたテントを押さえる為の拳大の石を持ち上げて、空に投げた。投石と言うにふさわしい速度で飛んでいく石は飛んでいた魔物の頭蓋を砕いていた。自由すぎる戦い方に、兵士は冷や汗を流し「魔人……」と呟いている。
「それにさ」ジナが言う。「町には町で、私ほどじゃないけど馬鹿強い奴がいるし、安心しな。兵士さんも来てくれてるしね」


 だから、行ってらっしゃいと微笑まれたとき、マールの考えは決まっていた。いくら友人の親だからとて、こんなに簡単に信用するなんて、とマールは自分でも不思議に思っていたが、すぐに考えを改める。彼女は母である。例え理不尽でも気ままでも、一人の子供を育てるといった偉業を成し遂げた彼女の言葉を疑う意味があるのか。何よりこれだけの強さである彼女が認める強者が町にいるならば、自分が行っても意味は無い、そう結論してからの彼女の行動は素早い。
 まず、口早にケアルを唱え倒れていた兵士を治療する。それに驚きながらも、感謝する兵士に一言「ジナさんを守ってあげて!」と頼み広場を後にした。遮る魔物には魔法をぶつけ、仕留められなかった魔物にはジナの投石スペシャルがお見舞いされた。
 憂いの無くなったマールの走る速度は、見る間に粒となり兵士たちの視界から消えていった。それを呆然と見送る兵士は、背中にぞくり、といやな感覚が昇ってくるのを自覚する。


「さあて、私を守ってくれるんだよねえ兵士さん?」
「はは、ハハハ。私は、その、一般的な兵士でして、その……」
「あらやだ。私だって一般的な主婦よ? ちょこっと元気だけどね」
「ハハハ、そうですな、ハハハハ!!」


 その乾いた笑い方が気に入らなかったのか、ジナが兵士の兜を取り上げて、片腕の握力だけでひしゃげ壊した。すると兵士は面白いほどに悲鳴を上げて倒壊寸前の屋台の中に隠れてしまう。「失礼だねえ」と唇を突き出し(年齢的に似合わぬはずが、彼女は中々様になっている)「つーん」と言葉にした(以下同文)。


「さて、と。団体さんのご到着かねえ」


 彼女がそう言ったからか、もしくは読んでいたからか、上空より六体の魔物が彼女を囲む形で地上に降りてくる。皆同じ種族なのだろう、六体とも筋骨隆々、二の腕や足が太い柱よりも大きい、見るからに格闘を得意としそうな魔物たちだった。ぎらぎらと赤い目をジナに向け、同胞を殺された事……というよりも自分たちを見て何一つ怖がらない彼女に怒りを覚えているようだった。
 じりじりと焼ける光と、辺りに蔓延する火気により流れ出た汗を一拭いしてジナは「私はねえ」と語りかけるように話し出した。魔物たちに反応は無い。


「昔、ある老人に教えを乞うていた時があってねえ。武の使い手としてちったあ名のしれた爺だった。私も最初から強かった訳じゃない、そんな爺に闘い方を教えてもらって今の私があるわけさ」大半寝て過ごしてた気もするがね、とジナは過去を思い出して自分の修行情景を思い出したか、くす、と笑った。「強くなるのは楽しかったが、『武とはどうあるべきか』なんて空想みたいな話を聞くたびに嫌気が差してた。中でもあれかね、師匠の爺が抜かしてた言葉なんだが、あきれ返っちまうようなものがあったよ」


 魔物の一人がジナに拳を振り下ろした。彼女はそれを左腕で巻き込み、体勢を崩しながら右手を魔物の胸と肺の中心、水月のあたりに置く。左腕で関節を取られている魔物は動けない。仲間意識が無いのか、他の五体は手を出す事は無かった。ジナは話を止めず、続けていた。「『二撃穿てばあらゆるモノを死に至らしめる』つってね、魔物であれ、怪物であれ、見上げる程に大きな岩であれ、二度拳を当てれば粉砕出来るんだってさ。私以外の弟子達は感激してたね、現実にする大言壮語を聞いてアホ面下げながら『僕もいつかそうなるんだ!』ってさあ。馬鹿らしい。私は思ったね、師匠の言葉を聞いてすぐさま思った」
 ジナは回想を思い浮かべながら、右手首を内側に曲げて、扉をノックするように魔物の胸中央に当てる。ぼず、と鈍い音が鳴った時には、魔物の体はそこだけ刳り貫かれたように存在していなかった。急速に死に至る自分の体を不思議に思いつつ、魔物は後ろを振り向いた。遠く道の先に転がり落ちている赤い塊を目にした時、魔物はその場に崩れ落ちた。


「ゲギャ!?」自分よりも貧相で弱いはずの人間が、自分たち魔物を容易く殺した事実に驚いたのだろう、五体の魔物は両手を組む事を止めて、腰を低く落とし、戦闘態勢に移行する。その慌て振りを見て、「おやおや」と子供の失敗を眺めるように頭に手を置き、その後また両手を前に出し、見せ付けるように掌を開いた。そして握る。
「二撃? なんて間怠っこしい事を言うのか。一撃で良いじゃんねえ? 一撃で相手を屠り一撃で砕く。自慢じゃないが、私は産まれてこの方敵を仕留めるのに追撃を要した事は無いよ。一撃必殺を胸に武を極めてきたのさ」


 彼女の言葉を理解できたかどうか、定かではない。だがその圧力に近い気迫に気圧され、魔物たちはそれぞれ一歩体を後ろに下げる。その内の一人が呪文を唱えようとした。己が肉体のみで脆弱と侮っていた人間を捻り殺してきたというに、たかだか一人の人間の女性に近づく事を避けたのだ。それを恥だと思う感情は、彼らには無かった。
 しかしその判断は既に遅い。飛び上がり逃げようと翼を開いた時、武神は距離を詰め、いつものように構えも何も無い無造作である突きを放っていたのだ。首から上と体が離れた事を知ったとき、魔物は絶命を確信した。残り四匹。ジナは口の中で確認する。
 奇声を上げて残る魔物三匹がジナに爪を、牙を、足を肉迫させる。爪は鉄を貫き牙は神話に描かれる獣であれ殺し振りかぶられる足は人間よりも大きい岩石を吹き飛ばすだろう。当たればの話ではあるが。
 爪を伸ばす魔物には体を逸らし腕を蛇のように巻き込んだ後心臓を貫いた。牙を立てようとする魔物の首を遠慮なく引きこみ捻り切った。回し蹴りを片手で受け止め手刀により下半身と上半身を分離させた。それらの動作を行う際に、それを見ている残った魔物は全てが一挙動に見えてしまう。人間が三人に分かれているような光速を超える神速。少なくとも、魔物はそう感じてしまう。


「せやあ!!」


 傍観していた魔物も、屋台から飛び出して来た兵士により剣で頭を割られ崩れる。魔物の意識が途絶える際、ゆっくりと目を閉じて安堵のような溜息をついていた。これで悪夢と対峙する事は無く終われるのだ、と。
 

「おや、私を助けてくれたんだね。いやん、何だかか弱い娘になった気分だよ」体をくねくねと身悶えるように揺らす返り血だらけの女性に兵士は「ハハハ……」と乾いた声を洩らすしか無かった。
「ねえ兵士さん。ついでに包帯か何か持ってないかね?」急に動きを止めたジナに疲れた顔を見せた後、「え!?」と悲鳴に酷似した声を放った。「まさか、何処か怪我でもなされたのですか!?」
「いやいや違うよ。その様子だと持ってないみたいだね……それならそれで別に良いさ。にしても私を体を心配してくれるなんてもうこれはあんた朝帰りだね」
 まさか「貴方が一番の戦力ですので脱落されては困る」という兵士として一般市民に願う事ではない考えを持っていたと、彼には言えなかった。乾いた声は続いていく。
「まだまだ敵は増えるよ、あんたにも頑張ってもらうからねえ!」


 再び降下してくる魔物を見て、着地点を読み取りジナは戦闘後とは思えない速さで走る。後ろから兵士が追いかけてくるのを感じ、口端が持ち上がっていった。それと同じくして、額から一筋の汗が零れ落ちる。ジナは走りながら、何度も己の拳を擦っていた。彼女の拳は、僅かに血が滲んでいる。


(骨に異常は無い。まだ戦えるだろうが……厳しいねえこれは)


 どのような状況であれ、一撃必殺を掲げている彼女の拳は些か、いや相当にダメージを追っていた。せめてバンテージ代わりの包帯があれば、と願ったが無いものねだりは意味が無い。一瞬兵士の手甲を貸してもらうことも考え、それでは技が鈍ると却下した。
 彼女は武闘家であるが兵士ではない。そうそう相手を殺す殺さないの場で、さらに大人数と拳を交える機会など数少ないのだ。つい最近に魔物の群れをどつきまわしたが、全てに敵意は無く殺す必要も無い輩であった。あの戦いは面白かったなあ、と一週間程前の組み手を思い出し、ジナは首を振る。


(昔ばかり思い出してたら、老けるのも早くなるってものよね……いや老けてないわまだまだピッチピチだもの)


 自分の若さを自分の中だけで強調させて、突如鳴り響いた爆発音に足を止める。彼女が見上げたのは町の上空。何度も派手に空を彩る爆発に「やってるねえ」と笑った。次に、空に浮かぶ今のこの状況を作り出したのであろう黒の夢を眺めた。その目は、魔物たちを送り込んできた恨みや恐怖は無く、羨望のような眼差しが込められている。


「あんた、そこにいるんだろ? ……ったく、いつまでも家の家事をやらずに何処ほっつき歩いてるんだと思ってたらさあ、まさか空にいるなんて。とんだ馬鹿だねえ」親ゆえとするにはありえない感覚で、ジナはなんとなくではあるが自分の息子の所在を予想した。何故だか、この異常事態には息子が関わっている気がして仕方が無かったようである。
「な……何がで、ありますか?」ジナが立ち止まり、暫くしてようやく兵士が追いつき、彼女の言葉の真意を得ようと声を掛ける。息は乱れ顔中に汗を浮かばせている彼の姿は少々哀れみを誘った。
「いやね、家の馬鹿息子の話さ」
「ええ! 息子さんがいらっしゃるのですか!? 到底そのようなお年には見えません……」彼の言う言葉には、若く見えるというだけでなく、その強さで!? という驚きが強いのだが、彼女はそれに気付かずむふ、と笑った。
「ねえ兵士さん……もしもだけどねえ、私が死んだら……死んだら、私の息子に言ってやってくれるかい? 放蕩息子めっ! てさ」


 彼女の言葉に、兵士は顔を顰めた。このように美しく強い母親から逃げ出すとはなんという子供だと怒りすら湧いてしまう。まさか彼女が息子に向って「あんた暫く帰ってくるな」と発言する母親だと思ってはいないだろう。彼はただ思春期というだけで母親を避ける馬鹿な子供だと信じていた。というか、今の彼はジナの事を苦笑いで対応しながら内心仕えている君主に近い信奉を感じてすらいる。
 そんな女性が、今悲しげに目を揺らしている(と思い込んでいる)彼は、何と言葉を掛ければ良いのかも分からず、ただおろおろと手をこまねくばかりであった。兵士がそんな心境であることなど露知らず、ジナは言葉を重ねる。


「それで……それから、もう一つ。よくやったって、言ってくれるかい? ああそれと最後に。ごめんって、言伝しておくれ、碌に愛せやしない、酷い母親だったねって」


(……何という方だ)兵士の心に芽生えるのは、彼女のその言葉から発芽したのは、それはもう信奉を超えて。もしかしなくても、愛だったのかもしれない。
 このような状況に置いても、何処にいるとも知れぬ息子の為に激励を遺し、さらには謝罪まで遺そうとする彼女の心はいかに大きく、慈愛に満ちていることか。酷い母親? 彼女がそうである訳が無い。彼女の教育も子供に対する接し方も知らぬ身であるが、彼女は聖母そのものではないか。強く気高く優しさが滾々と溢れ出る奇跡のような方ではないか。
 兵士がその勘違いに気づく事は、恐らくこれから先もない。妄信とはそういうものである。


「……まあ、死ぬ気は無いけどね。息子が頑張ってるっつうに、母親が野垂れるなんざ笑い話にもならない。それじゃ行くよ兵士さん!」
「ま、待って下さい!」今まで何も言えずにいた兵士は、火の中に飛び込むより、崖の上から甲冑を付けて海に飛び込むより、凶悪な魔物たちに剣を向けるよりも勇気を出し、短時間に尊敬すべきと悟った女性を抱きしめた。
「……?」ジナはそれに顔を赤らめるでもなく、ただ「何かねこの兵士さんは」と思考するだけであった。
「私が、いや僕が貴方を守ります! 必ず息子さんに会わせますから、絶対に守りますから、安心してください!!」
「……へえ。随分な覚悟だねえ、私を守るって事は、そりゃああんた私の子分になるって事かい?」
「はい! 貴方の為に尽くす覚悟は、今この瞬間に決まりました!」
「そうかね……それじゃあこの戦いが終われば、あんたには家の家事を手伝ってもらおうかい」手伝いではなく、内心全部やれ、と思っていたかどうかは彼女にしか分からない。


 そうして、周りが燃え盛るというのに、ジナファンクラブの一員がさらに増えたのだ。非公式な者を数えずとも三桁は優に超えている。非公式を数えれば四桁に迫るとか。




     ※




「やあ、中々壮観じゃねえか? ええおい」


 トルース町広場にて、一人の男が空に浮かぶ魔物たちがぼろぼろと落ちていくのを目にし、腰に手を当てた。もう片方の手で隣に置いた砲台を撫でる。砲口からはちりちりと煙が吐き出されていた。


「流石は『タバン特製空中支配用誘導弾』だぜ。このジェット噴射を作成するのに大変だったが……いやまさか使う時が来るとはな」
「……本来ならば、そのような危険な兵器を作っている事は違法なのですが、状況が状況です。見逃しましょう」


 男──タバンの喜悦染みた説明に、兵士が頭を痛そうにしていたが、彼はそれに構わずかっかっと笑い、次弾を装填するよう他の兵士に命令する。本来戦いの最中一般人が兵士に命令するなどありえぬ事ではあるが、タバンの兵器が魔物たちを効率的に撃破しているのは周知の事実であり、兵士たちも彼の命令に逆らうべきではないと理解していた。彼の言うタバン特製空中支配用誘導弾が一発発射されるごとにどれだけの数の魔物が撃ち落されているか、彼らは間近で見ているのだ。そのお陰でトルース町に近づく魔物が極端に減っている事も体感している。
 さらには、タバンの発明した兵器はそれだけではない。弾を装填して、絶え間なく発射する『タバン特製ガトリング砲』から手榴弾という爆弾を発射する個人携帯可能な『タバン特製ロケットランチャー』に水を汲み取るだけで起動可能な『タバン特製携帯式ウォーターカッター遠近両用式』など彼の協力あって、町に送られた兵士の装備は十全に黒の夢の魔物たちと闘える装備となっていた。
 だが、だからとて彼らの前に魔物が一度も接近できないという訳ではない。嵐のような銃弾の雨を潜り抜け、空中に地雷原があるのかと思うような爆撃をかわし辿りつく魔物も少なからず存在する。その時には誰が対処するのか。兵士たちも弱くは無いが、いきなり巨大な魔物が現れて対処できるかと言われれば難しい。


「タバンさん! 危ない!!」


 兵士の一人が指揮するタバンに向けて叫んだ。タバン目掛けて一匹の魔物が羽を広げ飛んできたのだ。その速さは、とても戦いを経験したことの無いタバンに避けられるものではなく、兵士に止められる速度でもない。魔物に背中を向けた状態であるタバンは気楽そうに声を上げた。


「ララ、頼んだ」


 その声と同時に、重なった発砲音が木霊する。飛来する魔物が体中に穴を開けて石畳の上に滑り家の壁にぶつかった。既に虫の息である。血を吐いて悶える魔物は腕を伸ばし、もう一度飛ぼうと羽をゆっくりと伸ばすが、その羽は根元から弾け飛んだ。痛みに叫びまわる魔物の前に現れたのは、黒いジャケットに身を包む女性。両手に拳銃を持ち顔だけはにこにこと微笑んでいる女性は舌を出して悶絶する魔物の腕や足、致命傷にはなり辛い部位を狙って撃ち込んでいる。悲鳴を聞いても肉が飛び散っても止めはしない。その姿に兵士たちですら慄いた。


「うちの亭主が隙を見せたのも悪いわ。それは確かに悪い。でもあんた何をしたの? うちの亭主にうちの亭主にうちの亭主に何しようとしたのよあんな速さで当たったら怪我どころじゃすまないわよつまりそれはうちの亭主を殺そうとしたって事よねウフフ嫌だわあそんなことするなんてありえないわよねえごめんなさい貴方はうちの亭主に隙があることを教えてくれようとしたのよね御礼に鉛をくれてやるわほらほら何十発でも苦しみなさいよ喜びなさいよほらあああ!!!」
「おいおいララ、その辺にしといてやれよ。弾がもったいないじゃねえか」
「……タバンがそう言うなら、仕方ないわね」


 一発頭に銃を撃ち、ララはその場を離れ常にタバンを守れる場所に戻る。彼女にとって最愛の娘がここにいない以上、己の夫を守る事に全てを注ぐのは至極当然の事であった。タバンが空の魔物を撃ち落し、取り逃がした魔物をララが拷問に近いやり方で殺す。魔物たちが中々飛来してこないのは彼女の行動が原因でもあった。兵士たちが町に来てから剣を抜かないのは抜くまでも無いというのが大きな理由である。
 兵士たちは「いやあ愛されてるなあタバン殿は」と夢想するようにララの行動を見ているが、正直、今すぐ城に帰りたいと願っている。彼らがこれから先菜食主義になるかどうかは神のみぞ知るである。レア肉なんぞ出された日には胃の中の物を吐き散らすかどうかはどうでも良い事であった。


「なあ、魔物を撃ち落とした時の銃声何回聞こえた? 俺、四発位しか聞き取れ無かった」兵士がぼそぼそと新しい弾を詰める作業をしながら呟いた。
「俺六発は聞き取れたぜ。隊長は?」
「俺か? 俺は八発だ。多くても十発くらいじゃないのか?」砲口の詰まり物を取り除きながら、隊長が言う。
「残念、十八発よ」それらを耳にしたララは答えを提示して、銃弾を装填する。かちゃかちゃという物音以外、誰も音を立てなかった。彼らの帰りたい衝動が底抜けになっていく。


 静寂とした空間で、タバンのみが豪快な笑い声を作り己が妻に話しかける。「流石ララだ! 昔ジナと渡り合ってただけの事はあるぜ!」自分の事のように語るタバンとは対照的に、ララは「失礼ね」と頬を膨らませる
「いくらなんでも、ジナさんと同じにしないで。あの人との勝負で私は三十二勝四十敗なの。ジナさんみたいな化け物と一緒にされたら困るわ」
「あいつに三十二回勝てるなら大したもんだろうが! ガッハッハ!!」


 尚も文句を言おうとするララをタバンが抱きしめる。するとさっきまで苦言を呈そうと眉を顰めていたララは借りてきた猫のように大人しくなり、夫の胸板に顔を擦り付けるのだった。その恍惚とした顔に、兵士一同のフラストレーションは天高く聳え立っていく。バベルもかくや、という勢いである。神の怒りは届かなかったようで、兵士一同は言語を混乱させぬまま、やはり「帰りたい」と願うのであった。


「……何でこんな時にバカップル具合を見せ付けられなきゃならねえんだよ。ああ、帰りたい……」


 兵士の一人が口にした時、その場にいる隊長含む兵士は滂沱の涙を流したという。




     ※




 現代ガルディア城も、その堂々たる姿は消え、望楼からは火が上がり、胸壁は崩れ去り、そこかしこに建てられた小塔は優に三つが落ちている。城としての外観は保っているものの、既に負け時であろうと思わせるに足る有様であった。そしてその荒れ具合は中世と然して変わらぬ……いやそれ以上であろう。何せ、兵士の数が異様に少ないのだ。魔王軍との戦いにより激減していた中世よりもなお兵の数は少ない。
 それもその筈であろう、ガルディア三十三世はトルース町だけでなく、遠く離れたパレポリにまで兵士を派遣したのだ。ガルディアを敵視しているパレポリにまで兵を送るなど! と様々批判を受けながら、国王は言った。「いざと言う時に助けずして、外交など何の意味があるのか」と。
 ならば、ガルディアを守れずして良いのか! と反対意見は勢いを増す。それらの批判を身に受けながら、国王は笑った。「千年の歴史を持つガルディアが、この程度の侵攻で破れるなど在り得ぬ」と断言した。
 屁理屈だ、と言い続ける重臣たちの気持ちは分かる。だがいつまでも言い争っているこの時間は何なのだ? と一人の老人──ヤクラは思った。今この時間は早急に考えを纏める為設けられたのだろう。この会議は手段の一つであり、肝心なのは実行である。それを考えると、ぐだぐだと話を伸ばさず即座に実行した国王にはほんの少しだけ好感を抱いた。
 そして、その好感は一挙に嫌悪へと翻る。あろうことか、国王は重臣たちを逃がし、自分は敵の的になっている城に残ると言い出したのだ。一週間前に自分に言ったとおり、「国王が逃亡するなど、冗談であろう」と同じ事を言いながら。
 さらには、城に残す兵士を極限にまで減らしている。パレポリとトルースに兵を送り込みすぎたのだ。実際、大臣であるヤクラもトルースに行くよう命令されている。城に残している兵への命令は、すぐに逃げ出せるようにしておけであった。後にトルースの加勢へ向えとも言い渡してある。これは間違いようも無く、国王は城と心中しようとしている。誰の目にも明らかな事実であった。
 ここでヤクラは「王を一人にしてはおけない!」と声高に宣言するような人間……いや魔物ではない。敵視している国王が死ぬというならば万歳三唱、マールディア様が王位に就くならばガルディアは万代不易である。ヤクラは鼻歌混じりに己が部屋で服を着替え準備を整えていた。命令どおりにトルースへ向い国王が死んだ頃に凱旋し高笑いしてやる心積もりであった。
 彼女──いや今は老人に変化しているのだ、彼というべきか。の間違いはそれからである。どうにも探していた服が見つからなかったのだ。国王より命令されて一時間、既に兵士部隊は送り込まれていた。城門が破壊された音が彼の耳にも鮮明に届いている。ヤクラの探していた服はベッドの上に畳まれて置いてあった、部屋に入ってすぐに見つかるだろう場所だ、普通ならば。


「おやおや、こんな所にあったか」


 聞く者がいれば、なんと白々しいと考えたろう。だが今この場に彼を咎める者も白い目を送る者もいない。いつものだぼだぼした服を脱ぎ捨て畳まれた服を着る。赤い彩色に二の腕が除く軽装束である。首に百を超える小さなしゃれこうべを模した装飾具を掛けて彼は部屋を出た。
 窓から魔物たちの鳴き声が聞こえて来る。「どうやって町に出向いたものか」と一人呟き、大広間へ向う。階段を下り、王の間へ続く階段が続く大広間には大勢の魔物が群れを為していた。彼は声を上げる。「おう、団長殿か。御主も出遅れたと見える」ヤクラが手を上げた先には同じようにトルースへの出撃を命じられていた兵士団長がもたもたと歩いていた。
 団長は呼び掛けに答え、「ええ。大臣殿もですか? これはまいってしまいましたね」言葉とは裏腹に、何ら困った様子は無い。二人は近寄り団欒とした会話を続けている。


「何だあ貴様ら? 見たところ人間に化けているようだが、我らと同じ魔物ではないか。ジール様の号令に答えたと見えるが、国王を食いに来たか」


 のったりした調子で話し込んでいる二人に、魔物の一人が苛立たしげに尋ねる。それに大臣が「おお!」と今気付いたように驚き、魔物たちの前に歩み出る。団長はその後ろに陣取っていた。彼は小さく「ケケケ」と兵士を束ねる団長らしからぬ、奇怪な笑い声を上げた。それを耳に入れたのは大臣のみであるが。


「のう御主等? 今のワシの服装はどうじゃ? 中々イケてると思わんか?」
「はあ? 貴様頭がおかしいのか」


 魔物は首を捻り、怪訝な顔を浮かべる。攻め込んでいる最中に自分の服装センスを聞かれては当然の反応であろう。頭を指差しくるくると回した。言葉にした通り、狂っているのではと疑いだす。
 これだから、地上の魔物は嫌だ、と声に出してから、魔物は今もまだうきうきとした様子で自分の評を待っている老人に化けた魔物、大臣に言う。「大体なんなのだその服は」
 大臣は「知らないのか」と呆れたように溜息を吐き、それがまた魔物の怒りに触れていく。いっそ、仲間であろうと縊り殺してやろうかと考えた時、大臣の体に変調が起きる。目が赤く光り、爪がずぶずぶと指を捲らせながら伸びていく。額に二つのすり鉢状の穴が産まれ、その中から針らしき輝きを見た。後ろの団長もまた同じく、兵士の鎧からこげ茶色の肉体を毀れさせていた。


「これはな、戦装束なのじゃ。代々ガルディアを守ってきた先祖より受け継がれてきた、戦の前に着る為のな。服の色が赤いのは国に仇なす者の血で染まり、首に掛けたしゃれこうべは今までに暗殺してきた要人の数を意味しておる……今日は随分としゃれこうべの数が増えそうじゃ」
「大臣殿……いや姉上。彼奴らなど数に加えるべきではない。過去殺してまいった要人たちにはそれなりの仁義があった、有象無象をその中に加えるなど冒涜の極み」団長が苦い顔をした。
「であるか。であるな。それでは魔物どもよ、今この場にて散るが良い。ガルディア千年の歴史を砕くなど、儚き夢であると知れ」今の自分の言葉が、国王の台詞とほぼ同じであることに、彼は気付いているだろうか。


 二人から不穏な空気を感じ始め、身構えようとする魔物たちの額に、長く鋭い飛針が突き立った。
 二つの暴風が、城の大広間にて展開される。己を竜巻のように変える二人は、なんとしてもこの城を守ろうとする意思が見えた。
 そして、奥の間にて待機しているだろう誰かを守ろうとも。









     ※そして中世へ※









 時は戻り、A.D.600年。場所は同じくしてガルディア城。王妃ら必死の防戦も虚しく、戦況は時が経つほどに悪化していった。王妃を守ろうと奮起する兵士の数は減り、今や動ける者は王妃を除き僅か二十数名となっている。逆に魔物の数は城内だけで百を超えている。とても守りきれる数では無かった。
 サイラスがいれば。そう考えているのは王妃だけではあるまい。一人でも良いのだ、一人でも王妃ほどに闘える者がいれば戦局は大きく変わる。
 元々、魔物たちを仕留められるほどの力を有しているのは王妃と辛うじて騎士団長のみ。他の兵士たちも奮闘しているが、一対一で敵を打ち倒す剛の者はいない。実質活躍しているのは二人だけという事態である。兵士のほとんどは自分の力に絶望し、先のように自爆特攻を試みるばかりである。
 その現実に誰より歯噛みしているのは王妃であった。何故兵を散らさねばならない、自分がもっと強ければ彼らにそのようなむごい決断をさせることもなかっただろうと。


「はあ……はあ……はあ……」


 彼女の体もまた傷だらけになり、限界が見えている。既にそれを超しているのかもしれない。特に左足の傷は深く、彼女の得意なステップもスライドも使えない。敵の攻撃を流す事さえ難しくなり始めた彼女は棒立ちのまま魔物の攻撃に対応せざるを得なかった。徐々に弱っていく彼女を嘲笑する魔物の数は多く、それに絶望し自分を叱咤するも動けない兵士の戦気は削られる。
 騎士団長が部下に激励を送ったのは三十分程前。その僅かな時間で彼の心は打ち砕かれたと言って良い。愛する自分の部下が散っていくのも、爆弾を抱え群れに突っ込むもさして効果を得られない現実を見るのも彼は嫌になっていた。いっそ先に自分が特攻しようかとさえ思っている。
 偏に彼らが自棄にならないのは王妃の存在である。彼女が今だ闘っているからこそ自分が守られねばと奮い立たせるのだ。例え僅かな力にしかなれぬとしても、魔物の突撃を凌ぎきれず王妃に傷を負わせているとしても、彼女が生きているからこそ彼らはまだ立っている。
 それに気付いた魔物の数は少なくない。敵は執拗に王妃に向かい殺そうと躍起になっていた。躍起、とは少し違うかもしれないが。彼らは一様に楽しげに王妃を襲っている。
 楽しみなのだ、魔物たちは。心の支えである王妃が鮮血に倒れた時兵士たちがどのような表情となるのかが見たくて仕方が無かった。ただそれだけの為に一人の女性を嬲り殺そうとしている。古代にてジールが言ったとおり、彼らからすればゲームに興じているような感覚であった。相手に勝ち目が無い遊びに魔物たちは夢中である。


「王妃様に近づけさせるなあ!!! ……げひっ」


 膝に力を入れて檄を飛ばした一人の兵士が上顎を吹き飛ばされて倒れる。それを見た隣の兵士が胴体を破裂させられて絶命する。それでも兵士は王妃を守る壁たらんことを止めない。腕をもがれようと足を食われようと一心不乱に彼女を守る為動く。
 彼女が一番の戦力だから。彼女が自分たちが守るべき王妃だから。そもそも女性だから。そのような道徳的、忠誠心に基づくようなもので彼女を守っているのではない。王妃が泣いていたからだ。一人の兵士の断末魔が聞こえる度に彼女は涙を流す。勇猛なる表情のまま、機械的とさえ言えるほどに淡々と涙を流すのだ。
 彼女は模範的な王妃であろうか? 兵士たちはきっと「そんな訳が無い」と答えるだろう。当たり前だ、このような状況で城を逃げず前線に出るような破天荒な女性を模範的と言えるほど彼らは嘘つきではない。お菓子を好み、毎日城の中を駆け回り遊び相手を見つけては仕事を放棄させて球遊びや追いかけっこなどを提案する彼女が素晴らしい王妃か? 魔物の企みに乗り自分から囚われの身となりなおかつそれを楽しんでいたような王妃を尊敬できるものか。
 そうだ、王妃はいつも兵士だろうと遊びに誘った。成人した者がするような事ではない幼稚で稚拙な遊びに何度も誘った。彼女の考案したとんちきな遊びに巻き込まれなかった者などいない。
 だからこそ……彼らは王妃を愛していた。
 彼らはいつまでも覚えている。城に長年仕えている騎士団長は小さい頃の王妃様が「遊ぼうよう」と寂しげに呟いて服を掴んできたのを覚えている。恐れ多くも肩に彼女を乗せたときの嬉しそうな声を心に刻み、今でもその声は一瞬で再生できる。城に仕えて長くない者でも王妃様が「遊ぶのです!」と鼻息荒く誘い、ドレスのまま少女のように球を追いかけるのを魂に刻んでいる。料理長の作った甘菓子を頬張ったときの見ているだけで頬が緩む笑顔を忘れた日など一日も無い。一緒に食べましょうと明るく誘われたのを断ると、神が死んだように落ち込む彼女の寂しそうな表情は未だに胸を締め付ける。
 愛情ではない。言葉になどできる訳が無い。ただそこにいてくれさえすれば良かった。ただそれでも言葉にするなら、彼ら兵士はただただ王妃が好きだった。
 けれど彼らは知っている。自分たちが王妃様を想うより王妃様は自分たちを想ってくれていると。一人の兵士が風邪で休めば王妃は「風邪は治りましたか?」と駆けてきて問うのだ。戦争で亡くなった者たち全員の墓を王妃は一人で作り、寝る前に全員の兵士の名前を呼ぶ事も知っている。その為か、王妃はいつも床に就くのが早かった。そのくせ寝るのは酷く遅かった。
 彼らは今死を恐れている。死ねば王妃様を守れないからと。願えるならば、今だけは死にたくなかったのだ。そうして願っていても、また新たに兵士の屍が積まれた。死ぬ直前に彼が遺したのは「王妃様を頼む」という戦友に王妃を託す言葉だった。


(どうか……どうか……)


 次々に倒れゆく兵を見て、王妃は魔物を闘いながら願った。幼子のように熱心に祈った。誰か来てくれと。この身を捧げよと言うならば捧げよう。この身を喰らわせろというなら喜び飛び降りようではないか。だからどうか自分を慕い自分が慕う愛すべき国の子供たちを助けてくれ。


(もう遊びません、我侭も言わないしお菓子も沢山食べたりしません。だからどうか、どうか……)


 彼女は涙を拭わない。拭えば死んでしまった兵士たちが本当に消えてしまうと想ったからだ。自分の涙には彼らの魂が宿っていると馬鹿のように信じ込んでいる。涙を拭う暇も無い事も確かだが。
 しかし、涙は視界を曇らせる。肉迫して戦う彼女にとってそれは致命的であろう。隙を突かれた彼女は一匹の魔物に肩を貫かれてしまった。呻き声を上げてふらついた彼女を襲うのは城の中を滑空していた空を翔ける一つ目の魔物。掌程度の大きさでありながら、手にはシャンデリア程に大きい火炎球を握っている。魔法への耐性を持たぬ彼女がその身に浴びれば跡形も無く塵と変わるだろう。


(もう、ここまでですか……?)


 目を強く閉じ、迫り来る火炎球を待った。せめてと体を縮こまらせたものの、肩を貫かれた左腕は動かない。防御も出来ないのか、と王妃は自嘲した。これでは仮に生き延びたとしても闘えない。ならもう死んでも変わりないじゃないか。そうすれば兵士たちは逃げるかもしれない、でもそれで誰かが生き残ってくれるかもしれない。あやふやな期待を残し、彼女はねばついた血液を浴びた。


「……へ?」


 閉じた目を開けると、王妃は大小様々な針に貫かれ標本のようになっている魔物の姿。操作者を失った火炎球は魔物たちに向かい落ちていった。爆発とともに、多数の魔物が絶命する。
 黒煙がもうもうと立ち上る中、両の足で王妃、引いては兵士たちに近づいてくる人間たちの姿。それは父であろう男であり、妻であろう女性であり、その子供たちであろう青年に幼さを残した双子だろうか少女と少年の五人。彼らは確かに人間だった、けれど部分的に人間らしからぬ部位が存在していた。それは額に二つのすり鉢状の穴が存在していた事。さらに、耳の後ろから前髪より長い触角が伸びていた。魔物の変化である事は明白である。
 戸惑ったのは兵士だ。魔物であるならば己の敵であるはずだが、彼らの行動は王妃を守ったようにも見える。どのような対応をすべきか迷っている中、無意識に指示を窺うべく王妃を見て……絶句した。王妃が震えていたのだ、恐怖でも悲しさでもなく、まるで歓喜に打ち震えるが如く。


「……あはは、いたんだ。いたのですね、貴方たちは、あの人の……!!」
「左様ですリーネ王妃。我ら、父の恩に報いるべく遅ればせながら馳せ参上致しました」集団の父らしき男が傅き、他の者もそれに倣う。表情無く礼を尽くす子供に違和感を感じながら、兵士は何事なのか分からず成り行きを見守るばかり。
 同じく場を掴めずいる魔物たちに、突如現れた家族は先と同じように針を飛ばし六匹の魔物を絶命にたらしめた。騒ぎ出す魔物を無視して、今度は父だけではなく、妻に青年幼子二人声を揃えて発言した。


「リーネ王妃に寵愛されたヤクラ一世の恩、我らヤクラ一族この身を賭して返させて頂きます」
「……ッ!!」


 口元に手を当て、一度は止まった涙をまた流す。悲しみは無い。ただ嬉しいだけだった。
 繋がっている、あの人はまだ死んでない、どんな時にも私を助けてくれる! いつも私を見守ってくれている! 王妃は胸が破裂するのではないかと想うような、確かな喜びと微かな切なさを抱いた。
 王妃とヤクラ一世は共にいない。これから先一生そうだろう。
 けれど、彼女らは血が繋がっておらずとも、種族が違えども、きっと自分たちが父と娘である事を疑わないだろう。少なくとも、王妃にとってヤクラはもう一人の父であった。
 ヤクラ一族の父親が前に出た。「まずは、この場の不埒者を片付けて見せましょう。どうぞ王妃様は後ろにて怪我を癒してください。兵士殿らは手を貸して頂きたい」


「……ふざけるな、魔物め」兵士の一人その呼びかけに腹の底から洩れたような、怨嗟の丈を放つ。それに同調し、兵士たちも「そうだそうだ!」と声を荒げた。その中には騎士団長も加わっている。
「我らが手を貸すだと!? 貴様らが手を貸すのだ!」「主導権を間違えるな、俺たちが王妃様を守るのだ! お前たちは応援に過ぎぬ!」「そもそも、貴様らがおらずとも勝てる戦である! ガルディア騎士団を舐めるな!」


 醜かった。いい年をした大人である兵士たちが悔しさから非難轟轟にヤクラたちを責める。
 彼らにとって、ヤクラたちが魔物であるか否かは関係無い。ヤクラ一世がいかな人物か彼らは知っている。その子供たちである彼らに不信は無い。ただ悔しかった。諦めかけていた王妃様を立ち直らせたのが自分たち騎士団では無いことが堪らなく悔しかった。自分たちの役割を横取りされたような気がしたのだ。
 彼らの考えが読めたのか、父親である男はふっ、と笑い「では貴方達の活躍がいかほどか、私に見せてください」


 言うが早いがヤクラ一族は魔物たちに突っ込み、針を乱射し蹴散らしていく。その誰もが強く、幼く見える双子でさえも巨体である魔物を翻弄している。
 その姿を見て彼らは……猛烈な嫉妬と覚え、体の底から力が噴出してくるのを感じた。「俺の方が強い」「俺の方が敵を倒せる」「俺の方が勇敢に戦える」そして……「俺の方が王妃様の為に敵を倒せる」と。騎士団の本分、本懐を思い出して、声を張り上げ自分たちの四倍以上の数を有する魔物たちに突撃した。
 その姿を見て、自爆しようと爆薬を括りつけていた兵士は爆薬を鎧ごと捨てて剣を握り走りこむ。何故か? 臆したのではない。ただ目の前にて戦う兵士ではないヤクラたちは自爆せずに敵を倒していたからだ。奴らに出来て己に出来ぬ筈は無いと、それが意地だと自覚することも無く剣を振り回している。
 今の彼らに士気は無い。命令を聞く冷静さも平静も無い。ただ一匹でも多く騎士団として敵を倒したいと、子供のような意地だけが彼らを動かしていた。
 故に、強い。
 魔物たちは一体どういう事かと慌て始める。今の今まで悲壮な顔で応戦していただけの兵士たちの動きが獣染みてきたのだ、恐れぬはずはない。魔物の腕を無理やり掴み剣を刺し、魔法を唱える魔物の腕を切り落とし発動中の腕を魔物の集まる場所に蹴り暴発させる。さらには巨体の魔物の足を振り回し投げ飛ばした者や、噛み付こうとしたところ逆に噛み付いた兵士までいた。彼らの目は魔物を見ていない。自分らと同じく魔物を倒しているヤクラたちを見ている。ヤクラたちの一人が魔物を一匹倒すと負けてられるか、俺は二匹だと予想も出来ぬ動きで剣を振り槍を投げ猛攻する。


「貴様らもっと俺に掛かって来ないかあ!!!」
「くそ、あいつらもう十匹は倒しやがった! こうなりゃ俺は三十匹だ!! 俺の王妃様への愛を知れえええぇぇぇ!!!」
「何だそりゃ火花か糞どもおぉぉ!!!」


 せわしいほどに猛る兵士たちと、上手く彼らに攻撃が当たらぬようフォローするヤクラたちの連携。全てが彼らに味方していた。落ち着けば魔物たちの優勢は揺るがなんだろうが、彼らは侮っていた。人間を、弱いものだと決め付けていた。故に急な反撃に対応出来ずにいたのだ。
 息を荒げながら、階段の手すりにもたれていた王妃はくす、と笑った。これで大丈夫だと確信して。体から失われていく血液の量は酷いが、きっと死ぬことはないだろうと当たりをつけて睡眠に溺れてみようかと目を閉じた。
 彼女が意識を落とし、大広間の魔物を撃退している間、こっそりと王の間から出てきた国王が王妃を治療しているのを彼らが見つけるのは、もう少し先の事である。


 この時を皮切りに、各地にて人間の反撃が始まった。




     ※




 例えば、パレポリとサンドリノ村の中間に位置しているフィオナたちの住む小屋付近にて戦うは、砂漠を森にしようとしている、まだ『クロノたちに合流していない』ロボは作業用パーツを脱ぎ捨て魔物たちと戦っていた。
 フィオナとマルコの二人を小屋に匿い、一人魔物たちと戦っていたのだ。数は多くないが、単独で戦うには荷が重い彼は苦戦を強いられていた。長引けば彼がやられるのは瞭然だったろう。そして長引くどころか、次々に新しい魔物が彼を狙って降りてくるのだ、ロボに勝ち目は無かった。
 けれど、今現在ロボはしっかりと立ち迫る魔物たちを睨み続けている。傷も少なくはないが、ケアルビームを使える余裕もある。いつまでも、とは大言壮語であるが、まだまだ戦闘は可能な様子である。
 彼一人では、確かに荷が重い相手だった。そう、彼一人では。
 今のロボの隣には、一人の少年が立っている。戦いなど冗談ではない、痛いのも死ぬのも御免という少年だ。ただし、力だけは何の因果か並外れて高い少年。


「きっ、来たよロボのあんちゃん!!」


 彼の名は、タータという。


「どおりゃああ!!!」タータはその人外的な腕力でロボが森を耕す際に使っていた巨石を魔物たちにぶん投げた。およそ考えがたいスピードで迫る岩石を止める術無く、一匹の魔物がひしゃげて落ちていく。
「良いよ、タータ君!」


 ターターはへへ、と鼻の下を擦り照れた顔を見せる。
 彼は最初、パレポリの自分の家で身を縮こまらせていたのだ。
 しかし、そうして布団の中に隠れている時、ある言葉が浮かんできた。それは自分を殴り倒した青年の言葉である。己の勇気が足りなかったせいで大勢の人間が死んでしまった事を責める彼の言葉は全て胸に刺さっている。
 その中でも一際大きな棘として残っているのが──


──無理やりでも、偽者でも、勇者だったんだろ? 自分の道は自分で切り開けよ──


 今なら分かる。彼は自分を責めたのではないのだ。むしろ、己自身を責めている自分にチャンスをくれた。
 まだ間に合うぞと背中を押してくれたのだ。勇者ではないと告白して、そのことを身勝手にも辛いと言った自分をまだ勇者の端くれとして見てくれた。タータがそれに気付いたのはその時から随分の時が経過した頃である。
 であればどうだ? 今のこの、何処から来たとも知れぬ魔物の襲撃は正にそれを示す時ではないか? 自分の道がまだ残っているなら、卑怯にも、卑劣にも勇者を騙った罪人である自分が為すべき事が現れたのではないか?
 確認するが、タータは少年である。子供である。勇者の名が重荷であったのは確かである。だが恐らくそれ以上に彼も“いい気”になっていたのだ。例え仄かに恋心を抱いていた幼馴染が離れようと、見ず知らずの大人たちから賞讃を浴びるのは気分の良いものだった。彼くらいの年齢であればそれは当然だろう。誰しも、英雄願望というのは存在するものだ。男であるなら、なおさら。
 それを戒める気持ちは今の彼に存在する。だが……その英雄願望は未だに根付いている。
 タータは考える。今、自分が戦いに赴けばまだそうであれるのではないか? 国を救う英雄でなくとも、村を守る勇者にはなれるじゃないか。贖罪への願望と勇者への憧れが彼を突き動かした。まだ勇者であれるという希望が恐怖を押しのけた。
 布団から飛び起きて、制止する親の言葉を無視して、あの事件以来冷たい視線を送っていた村人たちを尻目に彼は魔物たちに立ち向かう。


「こ、怖いけど、オイラ凄え怖いけど……」


 そして、彼は今ロボと共に村を、いや世界を救う英雄として勇敢に戦っていた。
 袖で汗を拭い、タータは自分を叱咤するように叫ぶ。


「お、オイラは勇者だ! 出来損ないだけど、力だけで他には何にも出来ない馬鹿だけど! 嘘つきの卑怯者だけど!! オイラはパレポリの勇者だああ!!!」


 勇気を持って立ち向かう者を、勇者と呼ぶに何の問題があろうか。
 ロボとタータの前にはまだまだ尽きる事無く魔物が襲来する。ただその迸るような戦気は途絶えはしないだろう。何故なら、彼らには守るものがある。守りたいと願う心が真実ならば、折れる事は決してないのだ。
 二人の小さな戦士は、まだ膝を折らない。




     ※




 例えば、場所はトルース村。兵士に混ざり、一人の男が咆哮を上げる。縦横無尽に鞭を振り、近づく魔物の心の臓に湾曲に反ったナイフを突き立て、誰もが心折れるような凄惨たる場にて名を名乗り続けている。
 彼こそは、夢を追い続ける大馬鹿者であり、世界一の探検家である──


「へっ! てめえら覚悟するんだな、この俺のロマンを砕こうなんざ百年早え! おらもっと掛かって来いよ、この俺、トマ・レバインはなあ、世界中の夢を見つけ出さなきゃあ倒れやしねえのさ! まあ、及第として爆乳の姉ちゃんがいりゃあ話は別だがよ」


 男、トマ・レバインは生き物のように鞭を操り敵を絡め取る。そのまま回転して、遠心力を乗せながら家の壁に叩きつけた。まるでトマトを潰したような赤が広がる。


「ほら次だ次! 夢の探求者トマ様はここにいるぜ!」


 彼の目には、殺されるかもしれないという覚悟は微塵も無い。目をキラキラと輝かせ、この事態を楽しんでいる節さえ見える。これも、ロマンの一部と考えているのだろうか。
 恐怖も無く、躊躇いも無い彼は確かに強かった。同じく村を守ろうとしている兵士たちが感嘆の息を洩らすほどに。


「ハハハハハ!! 何だよもう来ないのか? ……ちょうど良い。てめえら全員聞きやがれ、シスターのつまんねえ道徳の授業なんかより万倍は大切な事だ」


 魔物たちが自分を襲わなくなったのを良い事に、瓦礫に片足を乗せ、親指を自分に向けた。その行為に兵士のみならず、上空を浮遊している魔物ですら視線を彼に集めた。
 トマ・レバインは高らかに宣言する。朗々と、堂々と。


「トマ・レバインだ。トとマとレとバとイとン、続けてトマ・レバイン。覚えておけよ魔物ども。いや兵士たちもこの村の住人も皆だ! これから先歴史なんてもんが勉学の類に加われば、その教科書の扉絵は俺様よ! 世界一の探検家であり世界一の男前であり世界一器の大きな素晴らしい男性である事がこれから先この星がある限り語り継がれるだろうぜ! 宗教? 神話? んなもん目じゃねえ、俺が自伝を書けば飛ぶように売れ、後世まで残る。そして子供たちは俺を綴った本を見て言うのさ!『僕も探検家になって夢を追いたい』ってよ! そう、夢は終わらねえ、俺が終わらせねえ! この世界に俺様がいる限り、人間の夢を消し去ることなんて出来ねえ!!」


 啖呵を切った後も、彼は何度も自分の名前を叫んだ。俺がトマ・レバインだと誰しもに聞こえるよう、叫び続けた。激しい動きで息が切れようと止める事は無い。
 彼の叫びは支離滅裂な内容ばかりで、聞いている者も首を傾げたに違いない。
 だが、彼らの勇気を灯す事にはなった。地下室で隠れて泣いている子供たちや、彼らを抱きしめる親に、彼の名前は響いていた。何度も何度も叫び続ける彼の名乗りは、避難者に多大な力を与えてくれたのだ。
 この名乗りが聞こえるうちは、魔物たちが襲ってくる事は無い。この名乗りが聞こえるうちは絶望せずにいれる。この名乗りが聞こえるうちは泣く必要は無い。
 地下で隠れている彼らの声は、トマ・レバインには届かない。届いた所でどうという事は無いのだが。
 トマ・レバインが守るつもりは無くとも守っている人間たちは怯えながらも呟き出した。そして、呟きは叫びに変わる。怯えていた子供たちも一般人である人々も口々に叫ぶ。


「トマ・レバイン!!」家族の大黒柱として家の中で武装した男は叫ぶ。
「トマ・レバイン!!」このような事態で、支えあえる人がいないことを嘆いていた独り身の老人は叫ぶ。
「トマ・レバイン!!」いつも、トマが通っていた居酒屋にて店主を務めていたマスターが、自殺を止めて叫ぶ。
「とま・ればいん!!」身を寄せ合って震えていた幼い子供たちも、言葉の意味は良く理解していないが、拳を上げて叫ぶ。


 叫びは伝染し、魔物たちに襲われているというのに人間たちの熱気は高まっていく。同じく戦っている兵士ですら彼の名前を叫ばずにはいられない。剣を振るいながらトマ・レバインの名を呼び、槍で魔物を突き殺しながらトマ・レバインの名を上げる。
 その光景は、実に異様だった。魔物からすれば、人間たちが狂いだしたと考えるだろう。誰もが一人の人間の名を掲げ、その名前こそが力であると言わんばかりに、自分たちにぶつけるべく言葉を発しているのだから。
 トマ・レバインは恐れない。トマ・レバインは諦めない。その姿に人間は勇気を抱いた。死ぬかもしれないなどと考えるものはいない。だってトマ・レバインがいるのだから。
 トマ・レバインを英雄だなどと考えている者はいない。彼は探検家であると何度も言っている、だからこそ彼らは勇気を失くさずにいれる。何故なら彼は英雄ではないのだから。豪傑でもない彼が生きているその事実こそが彼らを支えていた。


「何だこりゃあ? 俺の名前と同じ祭りでも始まったのか?」


 ただ一人、この狂乱の意味を悟らない男が呆けた顔で呟いた。
 彼のその時の表情が、正しく彼の言ったとおり扉絵として後世まで語り継がれる事になろうとは、この時の彼に知るよしも無い。




     ※




 例えば、場所はチョラス村。本来ガルディアを攻めるとされていた魔物たちが気紛れに訪れた辺境の村。住人を守るべき兵士はおらず、傭兵の類も在籍していない、本来ならばただ魔物に滅ぼされるのを待つ村。
 だが、妙な事に住人たちの中に死傷者は出ていない。攻め込んでくる魔物は須らく切り裂かれ、死んでいるからだ。その太刀筋たるや、達人と評してもまだ甘い。全てが一瞬の内に命を奪われていた。
 残る魔物も、立ち往生したまま動きはしない。それもその筈か、魔物たちの前には文字通り不死身の人間が立っていたからだ。その上、言動も奇妙たるもので、近づく事すら危ぶまれる人物。
 その人物は、見た目には極普通の兵士に見える。それだけならば、精々ガルディアの兵士が一人でチョラスを訪れていたのか、それとも駐在所的な場所で一人警戒していた兵士に似た誰かかと考えるだろう。現に魔物はそう考えて、軽く引き裂いてやろうと飛びかかった。
 それが間違いだったと気付いたのは、魔物の死体が十を超えたあたりだろうか。何度も攻撃を当て、魔法をぶつけているのに飄々としている彼に魔物たちは同様を隠せずにいた。
 兵士らしき男は、己を兜を取り髪を払って「ふう」と息を洩らした。その後、魔物たちに視線を遣り、


「すまんな。生憎今は鞭も“それ”用の蝋燭も無いし、加工した縄も持っておらん。故に貴様らへの調教には剣しか使えんが……耐えられるか私の躾に?」


 剣を左右に振り、いやらしく笑う彼のそれを挑発と取った魔物の数匹が飛びかかる。彼は体を後ろに倒れさせて、後転しながら剣を振り一匹の魔物を断つ。次に気を取られた魔物たちに一足で近づき難なく体を両断させた。そしてまた、魔物たちと彼の間に牽制の時間が訪れる。
 いつまで経っても碌に動きの無い彼らに、兵士は溜息を洩らし、今は遠い親友を思い出した。


「全く……グレンを見習え貴様ら。奴はこの程度の調教難なくクリアしたぞ。やはりあれは天性のものだったな」


 兵士──サイラスは呆れながら魔物たちの根性の無さを嘆く。これでは私の腕を披露出来ぬではないか、と肩を落とす様は、魔物たちに「俺たちのせいかよ」と思わせるに足る行為であった。
 サイラスの戦い……もとい、調教時間はまだまだ終わらない。彼の加虐心が満たされたのか、それは杳として知れぬ所ではあった。




     ※




 そして……黒の夢付近。
 海中深くに沈んでいたはずの魔王ははっ、と目を覚まし口から海水を吐き出した。頭上からは、「目覚めましたか」という優しく、聞き覚えのある声が。


「ビネ、ガー?」
「左様です魔王様。ソイソー、マヨネー。魔王様が目覚められたぞ!」
「本当ですかビネガー殿!? いやあ、流石魔力だけならば天地魔界最強を謳うだけはありますな! 回復魔法も御得意とは!」
「今回だけは褒めてあげて良いのネー。まあ魔王様を抱っこしてるのには殺意を抱くけど……けっ」
「貴様ら……! 敵は何処だ!?」


 魔王は自分の良く知る人物たちが揃っている事に一瞬の安堵を浮かべたが、すぐに自分が戦っていた魔物の群れを思い出し顔を上げた。
 すると、手を組み思案している魔物たちが変わらず空中に浮いている。何故攻撃を仕掛けないのか疑問を抱くと、それはあっさりと氷解した。


「おい、貴様らは我らと同じ魔物であろう? 何ゆえそのような虫ケラを守る? 場合によっては貴様らごと消滅させてやるが」


 黒の夢の魔物たちは、自分たちと同じ魔物……いや魔族をどう扱えば良いのか図りかねているのだった。いや、牙を鳴らしそれぞれに魔法を唱え出している所からすれば、凡そ答えは見えていたが。
 ビネガーたちは虫ケラという言葉に眉を一瞬上げたが、見た目には冷静に答えを返す。「我らは魔王様に就き従う僕じゃ。このビネガー含め、ソイソー、マヨネーも同じ気持ちであろう」
 ビネガーの言葉に、魔物たちは堪えられぬと笑い出す。人間風情に忠誠を誓うなど、彼らからすれば異常者か、ただの笑い話としか思えなかったのだろう。実際彼らとて元は人間であるジールに従っているのだが、ラヴォスによる力を与えてもらった彼女は別格のようだ。
 主格である魔物がぐったりとしている魔王を指差し、「脆弱な人間に誇り高き魔族が頭を垂れるか! 貴様らもこいつと同じ虫ケラ、いやそれ以下か! ガハハハハハ!!!」
 自分と部下たちが笑われている最中、魔王は他の事に目がいった。目、というか感覚というべきか。
 妙なのだ、目の前にいる魔物たち以外にも魔物の気配が濃厚に感じ取れる。それは海から、空から、大陸から、また山から。あらゆる場所から気配が集まっている。魔王はきょろきょろと辺りを見回した。しかし、何の姿も目視できない。


「ふむ……それはあれか? 我らと戦うと、そう捉えて良いのか? ……久々に武人たる本領を発揮する時が来たか……」ソイソーが組んでいた両手を解き、ぶらりと両手を下ろす。
「言うまでも無いのネー。魔王様一人にそれだけの数で襲い掛かる卑怯者に情けなんかかける必要は無いし……つうか、ドタマかち割って脳みそ引きずり出してやらあ」魔道士たるマヨネーが拳を鳴らし険悪な顔つきとなる。
「面白い、我ら千の魔物を相手に貴様ら四人で対抗する気か? ……頭が悪いのは虫ケラゆえか。もう良い、テメエらやっちまえ!!」


 主格の号令を合図に、様々な魔法が降ってくる。氷の矢、炎の槍、電撃の舌、闇の球体。それらがビネガーたちに集束し……砕け散った。


「あ、ああん?」
「安い力であるな。我が結界に傷一つ付けられぬとは」


 ビネガーの全員を囲う程の巨大障壁が魔法の悉くを消し去っている。まさか、百数十を超える魔法を受け止められるとは思っていなかった魔物たちは目を擦り、今起きたことが本当なのか考え込んでいた。


(……おかしい。私の感覚が狂ったのか? これではまるで……世界中の魔物が……)
「良いだろう! 魔王様に害為すと言うならばそうするが良い! だがその前にこのワシ魔王軍総司令ビネガー!」魔王の思考を中断させて、ビネガーが朗々と声を張り上げる。
「外法剣士ソイソー!」ビネガーに名を呼ばれた剣士はあらぬ空間から剣を取り出し正眼に構える。
「空魔士マヨネー!」同じく、魔道士である彼女……? は纏めていた髪を解き、高笑いを始めた。
「そして……!!」
(やはり……この魔物の数は、まさか!?)


 ビネガーが『そして』と宣言した時、海から大渦が産まれた。空の雲は割れ、黒い塊が意思を持ったように下降し始める。大陸から雄雄しい声と共に何かが飛来する。山は揺れ、大地揺れ、聞くだけで耳が割れそうな鳴き声が魔物たちを威嚇する。
 その冗談のような気配に慄いている主格へ、ビネガーが顎を上げて言った。


「この世界に存在する全魔王軍、一万七千六百三十五全ての魔物を倒せたならばな!!」
『ギギギギギャアガガガガアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』


 海は昇り立ち、中から数えられぬ海棲のモンスターが牙を剥き、空ごと落ちてくるのではと想う羽を生やした魔物が落雷の如く落下する。大陸の魔物たちは海の上を走り武器を振るい、山に住む高山棲のモンスターは鼓膜を潰すような鳴き声を発した。
 是、全て魔王軍なり。魔王唯一人に忠誠を誓い、戦いを厭わず死を厭わず、前進を続ける雑兵たちの集まり。彼らの信念は人間を滅ぼす事に非ず、魔物の世界を作る為でも無い。孤高な主君に仕え、己が命を矛に変え盾として命を散らすことのみ。そして、その状況は今この時に為った。
 主君に仇なし無礼な口を聞き、尊敬すべき魔王三大将軍を貶す不届き者に世界各地から総集合したのだ。
 世界を覆うほどの敵意の目に晒された魔物たちは、一言呟いた。


「冗談だろ?」


 彼らの断末魔は、決して魔王の元に届く事は無かった。






 戦いは終わり、全身を返り血に染めたソイソーが魔王の元に戻った時魔王が口を開いた。「何故奴らは私を助ける?」
 魔王が見る方向には海の彼方まで届こうかと思えるほど集まった魔物たち。到底、魔王を辞めると決意した自分を慕う理由が彼には分からなかった。もう彼には人間を滅ぼそうとする意思は無いというのに。
 その言葉に三大将軍は顔を見合わせてから、ビネガーが代表として不思議そうに問い返した。「魔王様を助けずして、何が魔王軍なのですか?」
 理屈ではないのだ、彼ら魔物たちが魔王を敬い仕えるのは。人間でありながら魔物を従え、常に自分を鍛え魔物にはない知恵を振り絞り守ってくれた存在に忠誠を誓うのは当然であった。
 魔物であるだけで弾圧され、親兄弟を狩られ行く所を失った魔物を魔王は誰であれ受け入れた。優しい言葉など掛けず、淡々と受け入れたのだ。それが、途方も無く彼らには嬉しかった。受け入れて当然だと言われているようで、特別な事ではないと教えられたようで。
 ただただ、生きて良いのだと思わされた彼らの心情たるや、人間では理解出来ぬものだろう。
 魔王は感慨無さげに、「そうか」と言うだけで、ビネガーの腕を離れ、飛び去ろうとした。その背中に声を掛けるのは三大将軍のビネガー。他の魔物たちは狂信とさえ言える感情を持っている為、とても声など掛けられない。ただ視線を送るだけである。


「何処へ行くのですか魔王様? まだ傷は完全に癒えてはおりませんぞ」
「……貴様らには関係の無い事だ。人間を助けに行く」
「人間をですか? ……はあ」


 気の無い返事を返すビネガーに構う事無く、魔王はもう一度飛翔速度を上げようと試みる。大半の魔物がここに集合していたとはいえ、所詮三分の一前後。人間たちの脅威はまだまだ終わらない。紛いながりにも世界を守ってくれと言われ承諾したのだ、魔王にそれを破るつもりは無い。仕方ない事とは言え、約束が果たされない痛みを彼は姉の件でよく知っている。


「待つのネー、魔王様! 何か私たちに言う事は?」
「言うことだと? ……ああ、なるほど。良くやってくれた、貴様らの事は魔王として誇りに想う」
「いやいや、そうじゃ無いのネー! まあ、嬉しいですけど……」


 顔を赤くして両手を振るマヨネーにいよいよ不信感を抱く。何をどうしてほしいのか、彼にはまるで理解が出来ずにいた。黙々としていると、焦れたようにソイソーが「ええい!」と魔王の前に出て自分の胸に手を置いた。彼の表情は悲しげであり、寂しげでもある。


「どうして我々に命令を下さぬのですか!?『人間を救う為に手伝え』と!」
「……何だと?」魔王は耳に異常があるのかと自分を疑いながら聞き返した。まさか、そのような事があるまいと驚きを持ちながら。
「ですから! 我々に命令を! 人間どもを守れと命令して下され! 武人として、主君の為す事に身を捧げられぬなど恥以外の何者でもありませぬ!」
「ば、馬鹿を言え! 貴様ら魔族は人間を忌み嫌っているだろう! それを救えなどと、誰が命ぜられるものか!」
「人間が嫌いである以上に、我々は魔王様を慕っております! それを疑うというならば、不肖、私ソイソーはここで腹を切る覚悟にございます!」
「貴様……」


 ソイソーの目に本気を見て、周りの魔物たちにも目を配る。海も空も悲しそうに歪んだ目だけが彼を捉えていた。何故悲しいのか、魔王は馬鹿ではない。
 彼らは訴えている。連れて行ってください、命令して下さいと。貴方の力になりたいのですと。
 彼らは確かに人間を恨んでいた。仲間を殺され家族を奪われ、己の命と引き換えに人間を殺し尽くしてやると願っていた。
 だが、その陰惨たる想いもある時を切っ掛けに変わる。それも一瞬で。彼らの恨み辛みは、魔王に受け入れられた時に消えていたのだ。
 人間を滅ぼす為に戦いを仕掛けるには文句は無い。むしろ望む所である、けれど魔物たちはそれ以上の気持ちを見つけたのである。命を賭ける主君を見つけた喜びを彼らは言葉に出来ない。至る所に魔王の像を立て、毎夜像の前で祈りを捧げる事は彼らの日課であった。いつしか、魔物の望みは魔王の望みへと変わっている。
 魔王は少し勘違いをしていた。魔王である自分を愛するのは幼き頃より一緒にいたビネガー、ソイソー、マヨネーの三人だけであると。
 それは違う、彼を愛しているのは三人ではない、一万七千六百三十五の魔物が彼の為に命を捨てられるのだ。


「……ああ」


 魔王は思う。想いの外恵まれていた? 実に頭が悪い、これでは馬鹿だ馬鹿だと言ってきたマールやクロノ以下である。
 最上の幸せを手にしていたのではないか。これほど多くの者に愛されて不幸を気取るなど馬鹿馬鹿しい、胸を張って言い歩こうではないか、私は歴史上最高の幸せ者だと。


「……魔王様!?」


 ビネガーが魔王に声を掛けるが、彼は答えられない。泣いているから、隠す事無く涙を流していたから。
 辛くは無い、悲しくも無い、ただ嬉しくて泣いている。人生を復讐に捧げるという自己的な理由だけを掲げ生きてきた彼は、いつしか全てを手に入れていた。それに気付かぬ愚を呪う事はしない。今の自分がすべきことを彼は良く理解していた。
 魔王が片手を上げる。


「全軍……」


 彼は理解している。今から自分はとんでもないことを命令しようとしていると。歴史上……いや物語の中でも存在しまい。魔物を統べる魔王がこのような命令をする話など聞いた事も無い。
 だが恐れない。自分を愛してくれている者がいる事も彼は理解しているから。震える喉を必死に動かして、彼は命令する。


「私と一緒に……人間を守って、いや、守れ!!」


 魔王の命令が発せられた時、世界中に鬨の声が響き渡った。









     ※そして現代へ※









 時を超え、場所はリーネ広場。
 戦いはまだ続いている。一撃に全てを賭け、一振りで魔物を屠っているものの、ジナは戦況の悪さを自覚していた。拳から滴る血は見るからに骨が砕け、白い何かが皮膚を突き破っている。それでもまだ彼女は一撃必殺を辞める事は無い。普段ならば取ることの無い構えを作り入念に気を込めて腕を突き出している。
 彼女の味方として唯一背中を守っていた兵士も満身創痍を超え立っているのがやっと、生きているのが不思議である様。戦況が悪いというのは語弊があるか、彼女らが立たされた現状は絶望的である。
 援軍は来ない、敵は減らない。言葉にすれば句点を合わせて十五文字の理由が全てである。剛毅の塊であるジナとて、これには苦笑せざるを得なかった。


(まさかねえ、この私が助けを待つなんて女々しいことを思うなんて、年ってのは残酷だわ)


 紫の肌色である見目醜い魔物の臓物を吐き出させながら、ジナは弱音に近い思考に埋もれる。その考えに驚いたのは当の本人である。まさか、武を極めたと豪語する自分が、と。家事でも子育てでも無い、唯一他人に誇れる争いごとで躓くならば自分に何が残るのかと、己の生涯を振り返る。


(はは、あんたがいなくなってから、私はこんなに弱くなっちまったよ。この期に及んで白馬の王子様なんて柄でもないしねえ……)


 今は無き良人を想い、喉奥から込み上げる熱い液体を思うままに吐き出した。今までに蓄積されたダメージが臨界を突破したようだ。心と反面し、体から力が抜けていく。


(ああ、駄目かあ……そりゃそうか。子供一人育てられない私が皆を守るため戦うなんて、戯け過ぎる。そんな名分に縋るなんて、汚すぎる)


 それでも彼女が願うのは、せめて彼女の良く知る、まともな愛情を与える事もできなかった息子の顔を見たいという、実に母親らしいものだった。
 言うに及ばず、ジナが乞うたのはクロノに会いたいというものである。例えば、顔中に鋭い棘を生やした水色の巨体を持つモンスターなどでは断じて無い。ましてや巨大な腕を持ち上げ己の顔を隠しながら同じ魔物を挑発するような生き物では絶対にありえない。
 故に、体を後ろに倒した後見える光景を、彼女は夢だと考えた。夢にしても突拍子が無いものだ、と思った。
 まるでジナを守るように魔物たちと向かい合っている魔物は、表情を腕で隠しながら呟いた。


「攻撃してみろ。そうしたら……」


 弱った敵を倒そうと意気込んでいた最中に突然現れた見知らぬ魔物の一言は、黒の夢の魔物たちを不愉快にさせるもので間違いない。攻撃してみろという言葉自体苛立たせるものだ、後に続く言葉が何であろうと、望むままに攻撃することを躊躇う事は無い。機械の体を持つ、黒の夢にて開発された自動人形は鋼鉄の腕を回転させて、ジナの前で仁王立ちしている魔物──ヘケランの顔面にねじ込んだ。
 自慢の牙が折れ、骨格が変わるほどの衝撃を受けながらも、ヘケランの愉悦とした雰囲気は変わらない。殴られて嬉しいと言わんばかりに、変形した頬を緩ませた。紡ぐのは、力のある言葉。


「……うぉーたが」
「!」


 自動人形のセンサーらしき、頭部に設置されたパーツが赤く光り始める。が、遅い。今まで水気も何も無い乾いた石畳から猛烈な勢いで水が迸り始め、うねりながら彼らを包む。そして、絡み付くように自動人形を巻き取った後離れて見ていた他の魔物たちをも襲い始める。ヘケランを除き。
 彼は地面に落ちた己の牙を拾い、折れた牙とくっつかないかせっせと試して、肩を落とした。どうやら、彼は治療呪文を使えないようである。未練を切るようにぽいと牙を捨てるヘケラン。
 彼……と呼ぶべきなのか、とりあえずヘケランに声を掛けるジナ。彼の真意を知るべくして、「何者だい?」と声を出す自分がやはり信じられない。いつもならとりあえず声を掛けるではなくとりあえずぶっ飛ばすなのに。彼女の天衣無縫とも言える生き方に文句を言う人間はいなかったのだ。


「俺は、ヘケラン。貴方はジナでよろしいか?」妙に畏まったような口調にジナは警戒したままに首を引いた。肯定された事にヘケランは喜びを見せる。
「そうか、そうか。やはり、遠目にも貴方は相当な武人と分かった。奴らの言う通りだ!」
「奴ら? 私の事を誰かから聞いたってかい?」
「ええ。奴らときたら、巣で寝ている俺にも誘いを掛けてですな、どの道暇を持て余していた所ですし、乗りかかってみたのですよ。世界最強の女というのも興味があったもんで」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。全く話が読めない」片手を出して圧し留めるような構えを取るジナ。魔物とのうのうと話している自分にも疑問が湧くし、相手にもそれ相応の妙を感じ取っている。彼女らしからぬ、戸惑った空気が流れている。後ろに立つ兵士に至っては、口を開けたまま動きもしない。
「……──!!!」


 いつもは碌に動かしはしない頭を抱えている所、遠くから何者かの声が聞こえる。それは空から聞こえた気もするし、違う気もする。ばらばらと屋台が焼け落ちる音などに邪魔されて位置が把握できないのだ。四方に目を凝らしていると、彼女はようやくその声の正体が掴める。そして、何処からとも無く現れたヘケランと名乗る魔物が何故自分を守ったのかも繋がった。
 徐々に自分を呼ぶ声が大きくなるにつれて、ジナは笑顔を作り始めた。堪えようにも堪えられない、その気も無い純粋な笑み。火の粉が飛び交う地獄的な光景にも関わらず、彼女は今晴れ晴れとした気分であった。


「ジナさん、いや、師父ーーー!!! 言いつけ通り、世界を周ってまいりましたあああーーー!!!!」


 ジナを師父と呼ぶ声は一つではない。その数は三百を超えている。その内の五十弱は彼女の知っている顔であった。
 時は遡り一週間前、突如家を訪れて力試しと言いながら襲ってきた、黒の夢から飛んできたのではない、野生らしい魔物たち。彼らを叩きのめしたのは今では懐かしいとすら思える出来事である。
 ジナにまるで敵わなんだ魔物たちは言った。「どうか自分たちを弟子にして下さい」と。
 仁王のように見下ろしていたジナは言った。「弟子になりたいなら、世界中を周って、人助けをしながら己を磨け」と。
 記憶を掘り返した彼女は、馬鹿みたいな嘘だ、と断じる。世界を周るのに一週間で足りるものか。どうせこの騒ぎを聞きつけた弟子たち(仮)が約束を破り戻ってきたに違いない。一度は自分を心配して駆けつけた彼らに感動を覚えたが、むらむらと彼女の胸に怒りが湧いてくる。よって、


「誰が師父だ馬鹿垂れ!!」
「おげえ!?」


 とりあえず先頭を走り近づいてきた者をど突き倒し、あわゆくば抱きついてやろうとしていた魔物は悲惨な声を出した。ヘケランは顔を背けている。


「私との約束を破った上に、嘘までつきやがって!」
「で、でも師父が危ないかもしれないと思ってですね……こんな騒ぎだし、万一があったら……」
「私があんなへんてこな魔物に負けるかね!? ハ、師匠の心配なんぞしやがって、半人前どもが!!」


 あんまりと言えばあんまりなジナの物言いに「そんなあ……」と倦怠疲労を露に彼女の為に駆けつけた魔物たち。それを横目で見ながら、怒っていたはずのジナは思わず噴出してしまう。
 これが、今さっきまで自分が戦っていた凶悪な魔物と同じなのか、と。町を焼き人間を殺しその事に喜びを見出していた奴らと同じなのか。この膝を抱え、たかだか一人の女の機嫌を損ねた事で落ち込んでいるこいつらが。
 見た目には、人間的感覚で言って醜いかもしれない。魔物とは本来そういうものである。けれど、今のジナにはとてもそうは思えず、むしろ……


「師父、俺たち来ちゃ駄目でしたか?」


 しゅんとした様子で聞いてくる魔物の頭をさらに叩く。「私の事を師父と呼ぶなって言ってるだろう!」
 腰に手をやり正しく説教らしい体勢で叱る。叱咤はあっても激励は無い言葉に涙すら浮かんでいる魔物も。
 ジナは、彼らは確かになっていないと思う。弟子でありながら師に嘘をつき勝手に心配してくるのは無礼の域である。だがどうだろう、一つ考えを変えれば、彼らは実に優秀な……である。ジナは今はここにいない息子を思い、その後自分の考えを改めた。


(子供一人育てられない? ……違うねえ、やっぱり私は完璧だ。これ以上無いくらい完璧だ)


 彼女の視界には、叱られて縮こまる魔物たち。立てばジナを覆うほどの巨大でありながら、俯いて座り込んだ姿は小さな子供のようだった。


「私を呼ぶときは、師父なんてもんじゃない、勿論呼び捨てなんて以ての外だ! 私を呼ぶときはね……」


 黒煙立ち上り、火の手が上がろうと空は青空。いかようにも、多少の力では万象は変わらない。それと同じくらいに力強く、ジナは宣言した。
 彼女の顔に、怒りも悲しみも寂しさも、最早無い。笑う彼女は、少女のようにまっさらで、見る者を見惚れさせるような確かな魅力があった。


「お母さんって呼びな!!」


(こんなに沢山の子供が私を慕うんだ。最高の母親のはずだ。だからクロノ、あんたもそれに恥じない男になるんだよ……いや、もうなってるんだよ!)


 ジナの言葉を聞き、落ち込んでいた魔物たちは一瞬耳を疑い、彼女の母性を感じた瞬間立ち上がって歓声を上げた。
 魔物と人間は繋がれる。四百年の時を超えても、それは為ったのだ。




     ※




 弾薬はやがて尽きる。それは当然の事だが、その消費の速さはタバンの予想を超えていた。というよりも、敵の多さを侮っていたというべきだろう。いくら撃ち落してもいくら爆散させても一向に衰えない敵の増軍は彼の想像を上回るものであった。
 秘蔵の兵器も、飛来する火の息や魔法に壊され、残骸として散らばっている。最新装備に身を固めた兵士たちも、数の多さに押し切られ大半がやられてしまった。ララの銃弾も底を尽き、兵士の剣を借りて応戦するも銃以外の武器を得意としない彼女の戦力は激減したと言って良い。
 タバン自身はその大柄な体とは反対に戦いを得意としない。機械の操作はお手の物だが、科学者は戦えない。無様に剣を振るくらいなら彼の娘と同じようにハンマーを振り回しているほうがマシなほどだ。当然金槌程度で沈む魔物はここにはいない。
 とまあ、本来ならば絶望の内に沈むしかない戦況だったのだが……今の彼らに不安は無い。どちらかと言えば戸惑いのほうが色濃く彼らを彩っている。
 彼らからすれば何が起きているのか理解するのも難しいだろう。彼らの目には今、魔物同士が戦っているようにしか見えないのだから。


「ははははは!! ワシの名はビネガー八世!! ご先祖様に倣い、人間たちを助けに来た!!」


 黒の夢の魔物たちの攻撃を全く通さぬ結界を張る青色の魔物。


「三代目ソイソーの名を継ぐ私に切れぬ物は無い!!」


 同じく、魔物を手刀で切り裂く武人らしき男。


「群がってんじゃねえよテメエら! テメエらなんか、精々一生暗い所で自分をシコシコ慰めてんのがお似合いなのネー!」


 見た目には可愛らしい乙女だが、反面言葉遣いは荒々しいにも程がある女性。
 彼らほどではないが、勢い良く魔物たちと戦う魔物たち。自分たちを守るように戦っている魔物は、どうやらメディーナ村より飛んできたようだった。


「あ、あれか? 国王様が外交を成功させてたのか?」
「いや、私どもは存じませんが、もしやしたらそうなのかもしれません」


 疑問を呈したタバンに兵士は自身無さげに返す。
 ジナと同じく魔人衆として名を連ねているララもまた、この事態にはついていけないのか、口をぽかんと開けていた。あくまで片手でタバンの腕を掴みながらではあるが。どのような状況であれ愛した人間と離れたがらない辺り、何処かの娘を思い出さざるを得ないものである。
 魔物大戦争とでも言うべき光景は、どちらの勝ちだったのか。詳しくは言えないものの、このトンデモな争いに幕が降りた後、正式なガルディアメディーナ間での同盟が為されたのは、国民全員が知る事となる。




     ※




 ガルディア城玉座の間にて。
 そこへ繋がる大広間はヤクラ姉弟が死守していた。確かに、相当の数を彼女らは押し留めていたものの、玉座に繋がる道はそこだけではない。空を飛ぶ魔物であれば城の天守閣ともいうべき天辺から城内に侵入することも、また王族の居住区である塔から向かう事も可能である。
 何が言いたいのか、つまりは国王はただ一人玉座に座りぼう、と国の行く末を案じていることは出来ないという事だ。
 大分前より現れた魔物たちとガルディア三十三世は応対し、戦いに身を投じている。すでに重りである国王の装束は脱ぎ捨て拳を固めていた。体に傷をこさえて阿修羅のような面を表情に付けて来たる来襲者を退けている。
 そして、彼は一人ではない。魔物が飛び込んできたのと変わらぬ時間で彼と共に戦いだしたのは、彼の娘、マールである。親子で揃いお互いに背中を預けている彼らはこのような状況下でも、歌舞歓楽に興じるように楽しそうな雰囲気を見せていた。二人とも視線は人を殺すほどに剣呑としているも、体から滲み出る喜のような気迫は抑えきれずにいる。
 体で押し潰すような特攻には国王が相手取り叩き伏せ、その隙を突こうとする魔物にはマールが氷で阻み小刻みなステップで蹴りの乱打。飛び交う魔物を弓で落とし、落ちてきた魔物は国王が踏み潰す。
 国王が剛、マールが柔。お互いを補助しあい、共に伸び伸びと戦えるのは彼らが親子であるからか、共に同じ武を学んできたからか。


「まったく、パパったら無茶苦茶だよ!」氷の壁を壊し、その氷片を相手に散弾銃の如くぶつけながら、マールは言う。
「ふむ、何の話だマールディア」魔物の顔面を掴み取り、握力だけで潰しながら国王。潰れていく魔物の断末魔を耳を顰めながら聞いて、王女はズバ、と言葉で切る。「兵士のほとんどを町に送ったでしょ! トルースにはともかくパレポリにまで送るなんて! 狙われてるのはガルディアなんだよ!?」
「なるほど、その事か」傍らの燭台を掴み、三位一体に合体した首の三つある魔物の胴体に投げつけた。怯んだ様子の魔物の首を掴み投げながら国王が思い出したかのように語る。「城には私がいる。何の因果か、お前も戻ってきた。さらには、広間の音を聞く限り大臣に兵士団長までいるようだ。これ以上戦力を城に集めていかんとする」


 国王の口振りから自分が間違っているとは微塵も思っていないようだ。マールは頭が痛そうに顔を顰めつつ、敵から奪った槍の柄で敵の眉間を突く。苦痛に呻く鳴き声を耳にしながら、体を翻し背中を狙う魔物には刃先を向け投擲した。刃先は魔物の額を貫き、また一体の魔物が地に伏せる。


「まったく! まったく!」憤慨しながら魔物を打ち倒しつつ、その実怒りは共に戦う父に向けられているという、なんともおかしな戦い方を続けているマール。言葉とは裏腹に、スポーツに打ち込むような爽快とした表情はいかんともしがたい。流れる汗も正にそれである。赤とも紫とも判別できない体液を除けばであるが。
「マールディア、そう怒るな。まるで私が間違っているようではないか」


 実際、マールはガルディア国王の城に兵士を回さず、その上領地に無い村に戦力を割いた事に苛立ち間違っていると考えているのだが、どうも国王はその事に気付いている様子は無い。そもそも、自分に間違いなど過去にはともかく、今現在にあるはずがないという絶対の自信がそうさせているのだが。
 戦闘の合間を縫って蓄えた髭を伸ばし整える父親に激昂するのは時間の問題だとマールは思った。
 彼女は国王を考えなしの能天気め、と内心毒を吐いているも、油断の出来ない敵溢れる今この時に考え事をしている彼女も大概に能天気と言えた。それでも彼女らが魔物を相手に立ちまわれるのはやはり連携の巧みゆえだろう。


「国王だからってね、何でも出来るわけじゃないんだよ!」敵との距離が僅かに開いた隙に矢を三本番えて放ちながら、国王に噛み付くと、彼は大口を開けて笑い出した。
「学が足りんなマールディアよ。国王とは何でも出来るのだ」
「学が足りないのはどっちよ!」
「良いかマールディア」大切な事だぞ、と内容を強調させるように人差し指を出して、国王は言う。「国王とはな、残酷であり、卑怯であり、臆病者でもあり、また勇気を必要として、尚且つ……国民の誰よりも、強欲なのだ」


 だから私は守りたいものを守るのだ、と子供染みた理想論を翳す国王。駄目だこりゃ、と天を仰ぐマール。お互いがお互いを分かってない! と評しつつ、一般的な見地から言えば二人とも何をやっているのか、と呆れたくなる姿であった。


(でも、それでこそパパなのかもね)


 マールは呆れつつも、驚嘆に値する出来事ではないかと自分を落ちつかせた。城よりも、国王よりも大事な者を父は知っている。それが度を越えているだけの話だ。
 ならば、支える者がいればそれで良い。それは今自分たちと同じく城内で戦っているだろう大臣や兵士長であったり、また娘であったり。これは中々凄い事だぞ、と彼女は胸を知らず張った。
 自分は今年で十六になる。十六の娘が嫌がらずに……いや多少思うべき点はあるが、それでも父親を慕い守る覚悟があるというのは世間的に見てかなりの孝行娘ではないか? 一般親子がどのような関係でいるかなど彼女は知らないが、世に流れる一般小説から鑑みると希少な娘ではないか。マールの胸にちょっと誇らしい気分が生まれ、ほんのり暖かかった。
 彼女が素晴らしい娘なのかどうかは分からない。世の中には彼女よりももっと親思いで、父を大切にする気概溢るる女性もそこかしこに存在するだろう。
 だが、恐ろしい魔物が迫り来るという脅威の中二人で共に戦い合える親子は確かに希少だろう。お互いがお互いを守りつつも「ここは私に任せてお前は逃げろ!」と父親が男らしく叫ぶ事も、「パパ! 私が食い止めるから先に逃げて!」と悲壮感を露に己の身を捧げる娘の言葉も無い。魔物の牙が体に食い込もうと構う事無く敵を打ち倒し続ける親子は異様である、およそ血の繋がった者たちの動きではない。
 それを関係が希薄と取るか、信頼あってこそと考えるか、それはそれぞれだろう。
 分かるのは、彼らがこの上なく戦いを楽しんでいるという事だけだろう。国王の責務も、王女の嗜みも無い原始的な遊びに没頭する彼らは、例えようも無く親子なのだった。


──彼らが、これよりもうすぐに現れるメディーナの住民による加勢を喜びつつも、少し惜しそうな顔をしていた事により『ガルディアは修羅の統べる国』として有名になる理由の一つになる。





     ※己の時代を追い出された男の話※





 兵士たちがガルディアを出発し、ゼナン橋を越え、魔物たちの襲撃に受けているはずのパレポリへ向った時の話である。
 隊を率いていた二番隊隊長である兵士は、村に入るなり大勢に襲われた。
 襲ってきたのは魔物ではなく、村人である。いや正確には襲って来たのではない。そのように感じるほどに、熱気ある対応を受けたのだ。いやいやそれも正しくない、それでは歓迎を受けたかのように受け取ってしまうだろう。そうではない、パレポリの村人は一様に焦った顔で兵士たちに懇願したのだ。
 しかしどの人間も口から泡を飛ばすばかりで碌に聞き取れはしない。何が言いたいのか分からず、兵士たちは困惑した。魔物が何処に潜んでいるのかも分からない今、兵士たちとて冷静ではいられないのだから。


(……だが、何処に魔物がいるというのだ?)


 隊長は疑問を浮かべ、村の様子を見る。襲撃にあった様子は見受けられど、魔物たちの姿も声も聞こえない。戦いが終わった後のような印象を受け、ありえぬ話だが、村人が退治てしまったのかと馬鹿らしい考えが過ぎる。


「落ち着いてください皆さん! 私たちは黒の夢より降りてきた魔物たちを倒すべく派遣された……」
「それはもうええんじゃ!! それよりも、早く、早く助けてくだされ!!」
「も、もういいって……それに、た、助けるですか?」隊長の声を遮り掴みかかってきた老人の言葉は何ら意図のつかめぬ、意味不明な台詞だった。魔物を倒すのはもういい、しかし助けてくれ。まるでとんちのような内容に困惑は深まる。


 隊長の困惑は部下に広がり、各々仲間内で小さく会話を広げる。ざわざわと浮き足立つ彼らを見て、子供たちが前に出る。皆十を越えるか否かという幼子である。顔に墨がついているが、目だった外傷は無いようだ。
 どうやら友達の集まりらしい彼らの内、頭一つ背の大きな、お姉さん役だろうか? の少女が拳を震わせて、涙を堪えながら兵士に向って声を出す。


「怪我をした人がいるんです……その人が、村を守ってくれたの!」


 兵士の疑問は一つが解消され、代わりにまた新たな疑問が浮上する。
 彼らの助けてくれというのは、その怪我人を治療してくれという事だろう。見た限り道具屋も焼け落ちたのだろう、ポーションの類も無いらしい。幸い兵士たちには携帯のポーションをいくつか常備させてある。最低限の応急処置は可能だろう。
 もう一つの疑問は、魔物の群れを一人で退ける人物の事である。そのような偉業をどのような人物が可能とするのか、果たしてそれは人間なのか。
 何がなにやら分からぬ隊長が言葉にならぬ声を洩らしている間にも、少女は泣き出し、眉を垂らしている。


「お願い……助けて……」


 縋るような声にはっ、と我を取り戻した兵士たちは、急ぎその怪我人のいる場所まで案内してくれるよう村人の一人に頼み込み、各々懐から全てのポーションを取り出しつつ村人の後を追った。
 兵士たちが村の奥に走り去っていくのを目にしつつ、少女とその友達の子供たちは声を揃えて、自分たちの村を守ってくれた男の名を叫んだ。


「お願い、あの人を、ダルトンさんを助けて!!!」


 子供たちの声は木霊した。



















『とある男の一ヶ月』


 古代にて、マールに破れゲートに飲まれた男──ダルトンは何の因果か、現代の辺鄙な村、パレポリに飛ばされていた。
 時間移動を経験したのは初めてであるが、彼はすぐさまに己が古代ではない違う何処かへ消えたのだと理解する。空気も村人の和やかな会話も己が住んだ時代にはあり得なかったものだからだ。
 誰かに弾圧されるでもない、伸びやかに健やかに自由に生きている人々の笑顔を見て、悟る。


(そういやあ、ラヴォス神とやらの力の一つにそんなものがあったかもしれんなあ……つまり俺はジール女王に狙われたわけか。反旗を翻したのは確かだが、よくもまあ勝手な事をしやがる)


 ダルトンは自分がゲートに呑み込まれた理由を大体に決め付けた。実際はただの不幸な事故でしかなかったのだが……(ダルトンの無理やりとも言える時空を歪め使い魔を召喚する魔法が時空を歪めたのも関係する。自業自得でもあった)彼にそれを知る方法は無い。
 それから彼は……何もしなかった。新しい土地で権力者となるべく動き出す事も、新天地を開拓しようという好奇心も疼かず毎日ぼんやり村の片隅で寝ているだけの毎日を過ごしている。
 元々死ぬつもりであったのだ、見知らぬ時代に飛ばされるのも悪くは無い。けれど一々命を絶つのも面倒。結局ダルトンは自分を動かす理由を見つけられずにいた。
 村人たちは、そんな見目珍しい奇妙な来訪者に冷たかった。見たことも無い服を着込む巨大な男が、誰と喋るわけでもなく村の中で寝泊りしているとなれば当然か。とはいえ、気の弱い森の民が面と向って出て行けと言える訳も無く、奇異の視線を浴びせる事以外に何もしなかった。
 毎日、毎日、腹が減れば木の実を食し、森の中で見つけた湖で喉を潤し。戦いとは無縁の生活を続けていた。そして、ダルトンは気付く、案外に、戦わずにいる自分も悪くは無いと。
 忘我のまま己を鍛え戦い続ける修羅の道しか残されていないと信じていた彼からすれば、慮外千万、青天の霹靂たる事実である。と同時に、湧き上がる羞恥心と確かな安心感が湧き出した。
 数え切れぬ命を奪った俺が平穏を愛するだと!? ありえぬ! と断じたくもあり、誰かを傷つける事も、傷つけられることも無いのだと歓喜から騒ぎたくもある。複雑と、一口には言い切れぬ猥雑な思いが圧し掛かった。
 とはいえ、それは彼の内心の話。彼は見た目には怠惰に毎日を生きているだけだった。何かを産み出すでも消し去るでもない凡庸な日々。それが変化するのは、彼が現代に流されて二週間と経った日の事だった。
 いつもの通り、村の中にある四辻の道を見渡せる森の一帯にて寝転んでいた時、彼の耳に切り裂くような悲鳴が届いたのだ。
 心では、どうせ俺には関係無いと無関心を決め込みながらダルトンは反射的に身を起こしその現場に走ってしまう。林の中をすり抜け、小さな川を一足に飛び越え渡り、極端な坂を服が枝に引っかかる事を気にせず一心不乱に走った。
 伐採した木を保管する森小屋に着いた時、ダルトンは悲鳴の発生源を目にした。村の子供たちが魔物に囲まれていたのだ。いかに弱い魔物であっても、戦いなど経験も見たことも無い子供には恐怖でしかないだろう。
 ダルトンは追い払うような気持ちで魔法を唱え……一瞬硬直した後気にせず走り、魔物たちをその屈強な肉体で蹴散らした。鍛錬を怠っていたにも関わらず、長年酷使していた体は訓練の中断よりも休息を喜んでいたようで、思い通りに動いた。
 一息つき、肩を払う彼に尊敬の目を向けていたのは、説明するまでも無く子供たちである。きらきらとした瞳を作り、まるで正義の味方でも見るようにしているのを、ダルトンは煩わしく感じ、言葉を掛ける事無く立ち去ろうとした。
 それを許さないのは、子供たちを率いていた女の子である。見るからに最年長らしき彼女は離れ行くダルトンを見て、慌ててその背中を追いマントを掴んだのだ。しかし、その後に続く言葉を見つけられずにいた。対して一部も優しさを見せる事無く手を振り払うダルトン。そのまま森の奥へ消え行くも、彼は背中に当たる視線をいつまでも感じていた。
 翌日、ダルトンが目を覚ますと形の悪い握り飯が傍らに置かれているのを見て、少し目を見開く。辺りを窺うと樹木の陰に隠れる子供の姿を捉え、溜息をついた。
 そのまま握り飯を手に取らずにいると、期待の篭った眼差しを感じられ、背中がむず痒くなってくる。諦めるような心持ちでそれを頬張ると、隠れるつもりがあるのか? と問い質したくなるような歓声が聞こえ、盛大な、盛大な溜息を吐き出した。
 それからは、ある意味とんとん拍子である。無愛想ながらも面倒見の良いダルトンはあっという間に子供たちに懐かれ、好かれだしたのだ。
 毎日毎日子供たちに「ダルトンのおじさん!」と呼ばれ、おじさんと言われるたびに頬が引くついたが子供たちにその辺りの機微を感じ取れというのは無理があった。
 唯一最年長らしき少女にだけは「ダルトンさん」と頬を染められながら呼ばれたが、彼が少女の淡い初恋に気づく事はあるのか。


「ダルトンのおじさんは、どうしてそんなに強いの?」


 ある日、子供の一人がどうして空は青いの? と聞くように問うてきた事があった。ダルトンは特に迷う事も無く答える。


「俺様は俺様だからだ。この俺、ダルトン様が強いのは当然の事だからだ」


 我思う、ゆえに我ありというような、哲学にも似た台詞を子供は理解出来なかったようだ。ううんううん、と考え込んだ後、難しい考えを放棄して、勝手に要約した言葉を並べた。


「じゃあ、おじさんは世界一強いんだね!」
「ふん、まあ間違いではない」
『おおおー!!』やっぱりそうなんだ! と声を同じくして子供たちが手を叩きあう。彼を尊敬する目に一点の曇りも無かった。


 大言壮語だ。虚言だ。ダルトンの心の中で自分を責める槍が続々に投げ込まれた。負けに負けて島流しのように時代を越えた自分が強い訳が無い。むしろ自分よりも弱い存在があるのかと本気で悩んだほどである。
 けれど、子供たちには自分が強い存在であると認められた。慕われて、尊敬されて、ヒーローのように思われている。それがどうしようもなく、彼を救った。だから、嘘をついてしまった。たかだか子供の尊敬を崩さないために嘘を重ねる。


「俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ」


 何度も何度も嘘をついた。
 何度も何度も「凄い」と賞讃の声を浴びた。それがまた、彼を喜ばせて、それ以上に後悔させた。
 その日の夜、ダルトンは久方振りに訓練をしようと魔法を唱える。鉄球も、光線も問題なく発現させることは出来た。ただ……唯一、彼の最も得意とする召喚呪文だけは何の反応も返ってこなかった。


(もう、見捨てられたか……)


 自分の不甲斐なさに呆れられて、使い魔としての約束を放棄されたのだ。
 平和なこの国で戦いなど無いと分かっていても、彼女らと会えない事は彼にとって酷く寂しいものであった。
 それを思い至ったときには、彼はすぐに訓練を止める。戦いが無いと分かっていて、何故自分を鍛えねばならんのか。平和を謳歌し、好きなように生きれば良い。なんなら、このまま子供たちの英雄として村で暮らすのも悪くない。土を耕し魚を釣り裕福でなくとも不自由があっても緩やかな時間を生きるのも良い。
 日和った考えだと、過去の己なら笑ったろう。それでも過去は過去。ダルトンは新しい自分を見出し始めたのだ。
 ──日がな一日、のんびりと暮らし、子供たちと戯れ、毎日を踏みしめて生きていた。小さな幸せを堪能していた。
 それも、長くは続かない。ある日、いつも通りに森の中で転寝していた時、村から巨大な火柱が持ち上がったのだ。遅れて聞こえてくる悲鳴の数々。森を飛び出し、村を見ると、村人を裂き燃やす魔物の群れ。何処かで見たような魔物だという考えは、おぼろげなものから確かな確信に変わる。


(あれは……あれは、海底神殿の!!)


 海底神殿改め、黒の夢がこの時代にあるのは彼も知っている。探すまでも無く、空を見上げれば黒の夢が存在しているのだから当然か。いつものように黒の夢を見上げれば、そこから続々と現れている魔物たち。


「そうか……あのヒステリー女、世界を滅ぼすつもりか」


 最初、気付いたときには慌てたが、すぐにも落ち着きを取り戻す。
 良いじゃないか、元々死ぬつもりだったのだ。最後に良い夢を見た。ならば流れに任せて死ぬのも悪くない。
 村が焼かれようと知ったことか。自分には関係無い、生きた時代も違う他人の事に気を使うのは馬鹿げている。何者かを嘲笑するように笑い、いつものように森の中で寝る事にする。次に起きたときには死んでいるだろう。死地に自ら赴く事すら彼には億劫だった。


「助けて、誰か助けてー!!!」


 どこぞの村人が悲鳴を上げている。もう沢山だ、勝手に死んでくれ。もうあの時のような思いをするのは御免なのだ。


「ティナ!? 誰か、女房が倒れた家に巻き込まれたんだ! 手を貸してくれ!!」


 誰かの夫が、家の下敷きになったらしい妻を助ける為、誰かの手を借りようと叫んでいる。ダルトンは耳に入れず、背中を向けている。


「ガルディアだけじゃ物足りねえ! お前ら全員皆殺しにしちまえ!!」


 魔物らしい、下卑た号令が響いている。皆殺しか、ジール女王の部下らしい考え方だ。全てに耳を閉ざし聞こえぬ振りをして遠ざかる。


「──おじさん──」


 ふと、糸が弱かったのか首に掛けていた首飾りが落ちてしまい、それを拾うためにしゃがむ。それは古代にて受け取った由緒ある代物ではなく、価値のある装飾品でもない。子供たちから受け取った、貝を繋げて作った玩具のようなアクセサリーである。巨体の男である彼に似合う物では無い。可愛らしいと言えば聞こえは良いが、みすぼらしいとも出来が悪いとも言える価値の無い首飾り。
 けれど、子供たちがせっせと作り、彼の為に作ってくれたという事実は、とても……


「ダルトンのおじさん!!」


 とても、嬉しかったのだ。子供たちと別れた後、一人で泣いてしまうほどに。


「助けて! ダルトンのおじさーーん!!!!」


 彼は、嬉しかったのだ。


「ゴーレムども!!!!!!」


 ダルトンの呼び声に、時空を越えて使い魔が召喚される。薙刀を駆り、鋭い眼光を備えたゴーレムに、法衣を纏ったシスター。そして、彼の親友であり、最も信頼できる相棒、マスターゴーレム。彼女らがすっ、とダルトンの後ろに控えた。ダルトンは背中を向けているため、彼女らがどのような顔で彼を見ているのかは分からない。
 睨んでいるかもしれない、何を今更、と恥知らずを見下す目つきで見ているかもしれない。だからこそ怖かった、けれど彼女らを頼らねば魔物を倒す事はできないとも分かっていた。


「……今更かもしれぬ。今の今まで呼びかけに応えなかったのは、俺に呆れていたからだろう? 戦いを避け、卑屈に生きていた俺を蔑んだだろう。だが……頼む。俺にはこの光景は我慢できぬ……ッ!!」


 断腸の思いで語る彼の言葉を聞き終わる前に、ゴーレムたちはダルトンの横を通り過ぎ、村の中に入っていく。俯いていたダルトンは、彼女らの表情を確認する事は出来なかった。
 三人は彼から一定の距離が生まれた所で立ち止まる。その場で僅かの間沈黙が続き、次に声を発したのはマスターゴーレムだった。


「……呼びかけに応えなかったのは、私たちではありません。御主人様が、私たちを呼んでくれなかったのです。心を閉じて、私たちとの対話を試みてくれなかったから……」
「俺が、心を閉じて?」
「けれど、その事は良いのです。今は私たちを真に望み、御呼び下さったのですから……さて」戸惑った様子のダルトンに構わず、マスターゴーレムが言葉を切り、
「主人」「ダルトン様」「御主人様」
『御命令を』


 三姉妹は声を合わせ、薙刀を振り、拳を揃え、魔力を迸らせる。
 蹂躙を楽しんでいた魔物も、悲鳴を上げ続けていた人間も、誰しもが彼女らの気迫に誘われ動きを止める。
 手放しかけていた。戦いも、自分に着いてきてくれる者も。彼女らに感謝を告げる必要は無い。だからこそ、ダルトンが言うべき言葉は一つ。


「……蹴散らせ。俺様の、最大の忠臣たちよ!!」


 突風のように、彼女らは戦地に突っ込んでいく。分割し、噛み砕き、消滅させて。彼女ら三人が一つの生き物のように敵を散らしていく。まだまだ敵の数は多い。どれだけに彼女らが強かろうと敵は黒の夢の精鋭部隊。海底神殿の魔物たちよりもさらに強化されているようだとダルトンは分析した。その考えは間違っていない。ラヴォス神より力を貰った黒の夢の魔物は、黒の夢が海底神殿だった頃の警備モンスターとは格が違う。
 つまりは、決して楽に勝てる相手でも、勝てると確信できる相手でも無い。一瞬の油断で殺されるような一撃を全員が有している化け物集団である。
 考えてみれば、勝てる道理は無い。ダルトンを入れても四人で倒しきれる数でもないのだ。“普通ならば”。


(……そうだ。俺は弱い、俺様に出来ることなんか、子供を虐める奴に拳骨を当てて、そうだな、後は缶蹴りが得意なくらいか)


──じゃあ、おじさんは世界一強いんだね!
──ふん、まあ間違いではない
──おおおー!!


(だからこそ、あのような嘘をついたのかもしれんな。憧れを口に出しただけ……ただそれだけだ)


──俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ


(ただの嘘だ。だから、だからこそ……)


 一歩足を前に出す。家の陰からこちらを見る視線を感じる。不安や、恐怖や、期待、そして尊敬の混ざったそれは、望外に彼の気分を高揚させた。
 今まで自分を鍛えていたのは、きっとこの時の為だと、疑いなく彼は確信した。血を吐き熱を出し骨が折れてもひたすらに己を高みに掲げたのは、地位の為でも、そして恐らく両親の為でも無かった。
 自分が守りたいと思ったものを守れるように、自分の為だけに自分を鍛えたのだ。
 なんと傲慢か。なんと自分本位の生き方か。本来ならば責めているような表現が、ダルトンには心地良い。


(そうだ、俺は傲慢だ、俺様だからな、俺様が傲慢でないなど笑えない……何を迷っていたのだ俺は。簡単なことなのだ)


『俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ』


 胸の内に澱んでいた迷いが晴れ渡ったとき、ダルトンは口端を上げて、自分だけに聞こえる声量で、これから自分が行う事柄を確認した。


──さあ、嘘を本当に変えようか。


 とてもとても、簡単なことなのだ。それは。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/06/17 00:55
「私たちには、何も出来んのか?」


 弱弱しい呟きに、聞いていたボッシュは顔を伏せていることしか出来なかった。彼とて、本来ならば現代にいたのだ。今現在、魔物たちに蹂躙されている世界に何も思わぬでは無い。元は賢者として称えられていた自分の無力さに歯噛みしていた。


「じゃがな、ハッシュ。ワシらに出来ることは精々この時の最果てから彼らの戦いを見守るしか無い。年寄りに出来ることなど、既に……待てよ?」


 悲しげなハッシュの肩を叩きながら、ボッシュはふと思いついた事を彼に話してみた。最初は何を馬鹿な、と取り合わなかったが、話を聞くうちに、表情を隠していた帽子を落とし、驚愕と興奮の入り混じった顔でハッシュの話に没頭した。
 ボッシュは、己の提案の無茶を分かっている。けれど、もし彼が、時の賢者たるハッシュがいけると判断したならば、それは可能であるという事。一縷の望みに賭けるような想いで彼は思いつくままに言葉を作った。ハッシュの目は見開いていく。


「そうか……可能性はある。だが、それを行うとするならば私とお前だけでは不可能だ。我々の魔力だけでは、到底……」
「うむ……だからこそ、そろそろ起きてもらう事にせんか? 目覚ましは鳴っておる」ハッシュの言葉に頷き、ボッシュが近くの光の柱に目を向ける。
 彼の考えが読めたハッシュは帽子を拾い、目深に被りなおした後、口端を持ち上げて、年甲斐も無く悪戯小僧の気持ちに浸り、口を開けた。


「そうだな……私らは三人で一つの三賢者だからな」


 彼らは彼らなりの戦い方を模索し、見つけ出したようだった。











 星は夢を見る必要はない
 第四十五話 六千五百万二千三百年の歴史において、各々の類似点、その検証結果












 荒廃した大地に、悲鳴が木霊している。人々は汚れ、擦り切れた服のまま逃げ惑い迫り来る死の恐怖に耐える事もできず、ただ背中を見せる。
 中には、勇敢にも鉄骨を振り回す者もいたが、食料を満足に得られない痩せ細った人間が、屈強な黒の夢の魔物に抗える訳が無いのだ。
 今、未来は終わろうとしている。元来より終焉を迎えていたではないかと思うかもしれないが、それはある種時の流れゆえでもあった。だからこそ、人間はそれを受け入れているような節さえあった。
 貧困に喘ぎ、希望を閉ざしたまま死ぬことを覚悟していた。しかして、他に引き裂かれるのは望んでいない。そこまでのニヒリズムを得る事は、人間には到底不可能だったのだ。
 荒れた空を悠々と泳ぎながら現れる魔物によって、久方振りの生きた感情を垂れ流す。それが正であれ負であれ関係は無く。星と同じように、恐怖と痛みに嘆いている。


「レーザー一斉放射!!」


 その中で、戦いに挑み、唯一互角に戦える存在がロボである。凶報を聞き急ぎ己が産まれた時代に向った彼はその惨状から激情し、何を考えるでもなく魔物たちと相対していた。
 しかし、分が悪い。他の時代と違い戦える人間は未来には存在しない。皆戦いとはある意味無縁な、むしろ虐げられる事こそ本領と言っても良い彼らだ。ロボの力為り得る者は存在しない。
 それでも彼は退かなかった。これは無理だろう、と悲観し逃げるを良しとしないからこそ彼はロボなのだろう。必死に拳を振るい、爆薬で敵を吹き飛ばし、加速装置を作動させたまま走り続ける彼は確かに強かった。
 とはいえそれが長続きするとは思えない。加速装置自体、作動時間を長引かせればその分いかに頑強な体であっても徐々に壊れていく。空気との摩擦で装甲が削れていくのを自覚しながら戦い続けるのは愚策とすら言えよう。
 瓦礫の山に立ち、砲台の如く魔物たちに爆薬を放ち、光線を発射する。当たる当たらないではなく、まず効きそうにもない魔物が多数。直接拳を当てるならまだしも、彼の遠隔攻撃はあまりに功を奏さなかった。
 彼にとっての僥倖は一つ。人間の助けは皆無だが、人間以外の存在が彼を助けていた。それは、皮肉にも人間たちを襲い喰らっていたミュータントである。廃墟より這い出してきた意思無き物体が牙を向き魔物たちと戦っているのだ。
 勿論、彼らに人間を助けようという意思は無い。ただ自分の領域に入り込み攻撃する者を敵と認識し、狂っているだけだ。証拠に、中には人間を攻撃するミュータントもいた。その数は少なく、見つけ次第ロボが殲滅する為目立ってはいないが。それでもロボとしては戦力として……というよりも、魔物たちの狙いが人間以外に分散するのは好ましい事態である。
 さらに幸運というのは皮肉だが、人間の数が少なく、集まっているのもロボとしては守り易い。世界中に人間が分かれているなら、彼一人で守りきるのは不可能だったろう。
 ただ……未来に人間が生きているのは一箇所ではない。トランドームにアリスドーム、この二つを一人で守ることは出来ない。廃墟を境にしている二つの施設を守るならばもう一人ロボが必要となってしまうのだ。その事実に、ロボは歯噛みした。


(このままここに留まっていれば、アリスドームが! でも……)


 トランドームの住人すら守りきれていないこの状況で何を言っているのだ、という自責が駆け巡る。また守りきれなかったトランドームの男の断末魔を聞きながらロボが表面上は冷静に拳を突き出す。物語に出てくる鬼のような魔物のショルダーガードを飛ばした。次に肉迫し、体内に蓄積された爆弾を破裂させ肉片に変える。
 個人個人ならば、ロボの力ならば問題は無い。再度となるが、ミュータントに魔物が集まっている事が彼を助けている。
 しかし、ミュータントといえど無限ではない。いつかは魔物全員が障害となっている彼に襲い掛かるだろう。だからこそ、今の間に出来うるだけ数を減らさなければならないという焦りもあり、ロボは思うままに戦うことが出来ずにいた。


「サークルボム!」


 適度に群れた魔物たちを一掃すべく、惜しげ無しに爆薬を消費するも、内蔵武装も底を突きかけている。レーザーを充填するエネルギーは既に無い。トランドーム内部に戻れば充電も可能だろうが、そのような暇があるとも思えず、ただ身を晒すのみ。実際彼がトランドームにて……例えばエナボックスなどを利用しようと思ってもそれは不可能なのだが。既にトランドームの機械類は大半が使用不可となっていた。ドーム上部に付けられた辛うじて稼動していたアンテナも破壊され、発電機も木っ端微塵。仮にロボが魔物たちを全滅させようとトランドームで生活するのは無理だろう。今そのように先の事を考えるのは無意味であるが。
 落ちていた鉄の棒を折り、槍投げの要領で敵に投げつつ、ロボは舌打ちする。


「戦力が違いすぎる……どう戦えって言うんだ!!」


 アリスドームの様子が気になって仕方ないロボは、見えない何かに向って叫んだ。体力は削られる、人間は死んでいく、魔物は増える。
 彼には、守るものが多すぎるのだ。


「……エンジン音?」


 今にも頭を抱え跪きたい中、奇妙な音に気を巡らせる。嘆きと魔物の叫声以外に混ざる機械音、アンドロイドである彼の物ではない。そもそも自分のそれを聞き間違えるという馬鹿を彼がこの状況で犯す訳が無い。


「暴走ロボット!?」


 驚愕するロボには、確かに四輪を走らせる元ガードロボの姿が見えた。マザーの司令により人間を殺し続ける殺人機械。最早命令を聞く事すら可能なのかどうか分からない、危険極まりないロボットである。砂煙を上げながら走る数は、六台。一つ目みたく、赤いセンサーをぎょろぎょろと左右に振りながら近づいてくる。
 予想外であった。これ以上増えないと勝手に考えていた。魔物の数だけで手一杯を超えるというに、ロボットまで相手にしなければならないのか。銀髪の少年は拳を握り締める。その際に爪が食い込み血液に酷似した液体がロボの掌から流れ出した。
 人間はもう御終いだと逃げる事すら止め、抵抗用に持っていた角材を落としはらはらと涙を流す。その内の髭を思うままに流している男と、男に抱きつき泣いている少女を見たとき、ロボの目は赤く光る。少女は「兄ちゃん……」と泣いていた。
 そもそも、ロボはこの時代の人間と面識が無い。遥か昔、人間を殺していた時代以降話したことも無いのだ。よって、冷たいことを言うならば他の時代に向った者たちよりも幾分か守らなければという決心は弱い。いや、弱かった。
 彼は様々な人間たちと出会ってきた。その中でも、フィオナの森を耕していた時の事だ。老若男女問わず彼の植林を手伝ってくれた。その中で別れを数え切れないほど経験した。それは子供であったり、老人であったり。一方的な死に別れを経験したのだ。


(この人たちと、あの人たちは、同じなんだ)


 彼とて、中世の人間と未来の人間が同じ種族なのは当然知っている。だけど、どこかで差別的な感情が無かったかと言われれば頷いてしまうだろう。
 中世では、笑い、悲しみ、未来を見て生きている人ばかりだった。魔王軍という恐怖が消えてすぐの事だった為、浮かれていたのもあったろうが。それに比べて未来の人間はどうだ? 肩を落とし項垂れ未来など無いと決め付けている。とても同じ人間として扱う事は出来そうに無い。クロノたちからの話を聞いてロボはそう思っていた。
 それが、少女の涙で間違いだったと気付く。彼女を守る人間の姿に思い知る。例え擦り切れようが、諦めようが、人間は誰かを好きになれるのだと。


「やめろおおおおぉぉぉ!!!!」


 声の限り叫ぼうと、ロボットたちは止まらない。人間たちを轢き殺そうとスピードを上げて突き進んでいる。彼らにぶつかれば、見るも無残な轢死体が出来上がるだろう。
 六台の魔物がお互いの間隔を開けていく。上から見ればまるで亀の甲羅ような陣形である。そのままに走り、人間たちが目を瞑り始めた時──急ブレーキを掛けたロボットたちは、歌いだした。いや歌なのかどうかはよく分からない、しかし、仮に歌だとすれば、それは陽気な歌だった。


『アニキ! アニキ! アニキハハヤイ!!』
『アニキ! アニキ! アニキハツヨイ!!』
『アニキ! アニキ! アニキノデバン!!』




「風ニナローゼ! ベイベー!」


 唐突に現れた声の主は瓦礫の山を飛び越え、少女と男に爪を振りかぶっていた魔物の顔に己のタイヤを落とし、吹き飛ばす。その反動でもう一匹の魔物に回転しながら衝突し、同じく瓦礫に突っ込ませた。ロボのセンサーにして、時速二百を超えるスピードで体当たりを食らった魔物は、いかに生命力が高かったとしても生きてはいまい。数回痙攣して、動かなくなった。
 頭をとさかのように立て、逆三角形のサングラスを掛けたアニキと呼ばれる男はその場で半回転し、タイヤを腿の裏に収納して人型の形態を取る。タイヤの焼ける臭いがロボの鼻腔をくすぐった。


「ッタク! 折角のレース場が台無シニナルジャネーカ! ソノ上観客マデ減ラソウトスルナンテクールジャネエナァ! ソウダロオメエラ!?」
『アニキノイウトオリ!』
『オレタチノレースジョウメチャクチャ!』
『チカヂカ、オレタチデ“スズカサーキット”ヒラコウトシテタ! モウダイナシ!』
「……えっと、暴走族とかいうやつですか? ……なんて全時代的な……」突如現れた彼らを、ロボはそう判断した。判断理由は、見た目。


 自分としてはあまり大きな声を出したつもりは無かったのだろうが、彼らが一斉にロボに顔を向けたので、思わず「うっ!?」と声を上げてしまう。その顔にはありありと関わりたくないなあという感情が色濃く出ていた。
 ロボの願い空しく、四輪駆動形態可能な彼らはあっという間にロボを取り囲む。はや、戦うのかと身構えるが、彼らは先と同じように歌いだす。


『アンタ! アンタ! アンタモナカマ!』
「オメー、中々良イ根性シテルジャネーカ! 一人デ闘ウナンテ男ダゼ! ダガ一人デ格好ツケルノハ頂ケネエ、俺タチモ祭リニ参加サセナ!」サングラスを指で持ち上げながら、ぐい、とリーダーらしきロボットが顔を近づけてきたので、ロボは反射的に腰を引かせてしまう。
 理由も分からないが、とりあえず首を縦に振っておこうかな、と惰弱とした考えが過ぎるが、その前に彼には聞かなければならない事があった。正直に言えば、聞きたくは無いのだろうが。ロボの顔があからさまにそう語っている。


「あの、貴方は?」
「オレカ? オレノ名ハ……」


 名前を言う前に、ロボットは時間を掛けずもう一度四輪形態に移行しクイックターンを行った。そのまま前輪を上げたままウィリー走行で走り出し、ロボの後ろの魔物を圧し掛かるようにして押し潰した。タイヤを押し付けたまま回転させ、ばりばりと肉を削いでいく。ロボットの顔に返り血が付き、サングラスに付着しても排気ガスを止める事無く前輪を動かし続ける。
 やがて、魔物が息絶えたとき、彼はサングラスを、やたらと派手な服で拭った後妙に高揚した顔で言った。


「俺ノ名ハジョニー! ジョニーサマト呼ビナ!!」


 その言葉を聞いて、ロボは様付けはしたくないなあ、と思った。




     ※




 ジョニーたちの「ココハ俺サマタチニ任セテオメーハ他ノ人間ヲ助ケテ来ナ!」という言葉に甘え、ロボは一路アリスドームへと向う。
 彼らだけで大丈夫だろうか? という考えは無かった。彼らが頼りになりそうだから、という事では無い。今現在彼らが人間を守ろうとしている事実を知ったとき、彼は一つの確信を得た。『仲間はいる』と。それも、並大抵の数では効かない莫大な仲間が。
 何故そう思えたか。そも、ジョニーたちとてロボットである。何らかのバグが生じて人間を襲わなくなったとしても、わざわざ助けようとするのは有り得ない。元来ロボットとは電子頭脳に命令されているのだから。『人間を殺せ』と。レース場がどうとかいう理由はあくまで建前だろう。ロボはそう考える。
 殺せという命令に抗えても、守るなどという真っ向から反する行動は出来ない。ロボのようなアンドロイドであり、他者から修理されてそのプログラムを書き換えられなければ。それはアトロポスの例で証明されている。普通ならば、ロボットよりも遥かに高度な存在であるアンドロイドでそれなのだ。ジョニーのような特別製ならばまだしも、有象無象の警備ロボットが逆らうなど天地が逆転しようと有り得ない。
 そう、有り得ない。電子頭脳に命令されているから有り得ない。命令は製造時点で行われているのではないのだから。常にリアルタイムで行われているのだから。
 その彼らが人間を助けようとしているという事は、それはつまり、その命令が書き換えられたという事だろう。『人間を殺せ』から、『人間を守れ』へと。


「それにしたって……吃驚だな。僕もまさか、そう出るとは思いませんでしたよ……マザー」


 古今東西、未来のロボットに命令を下せるのは、彼の想像通りここより遥か遠い島に存在する工場を統べるマザーコンピューターのみであった。


「ふふっ、でもちょっと楽しみかもしれないな、あのマザーがどういう考えでこういう事をしたのか」


 彼は独り言を喋るのに抵抗は無かった。それだけ高揚していたのだ。今の状況に。
 敵の数が極端に減ったのではない。過去の彼の願い通りにロボが無敵の存在に変化したでもない。彼が見ているのは前であって、空でもある。
 廃墟の中を走り抜けている彼は、何度か魔物に遭遇した。しかしどの魔物も彼に見向きもしない。戦っているからだ。
 魔物たちが戦っているのはミュータントだけではない。過去何百年と人間を虐殺すべく作動していたロボットたちと戦っているのだ。そこらから機関銃の発砲音が鳴り響き、硝煙の臭いが蔓延している。油や魔物体液と混ざり合い、嗅覚がイカれるのではないかと思うような臭い。ロボはそれを嫌がりはしなかった。
 彼にとって、この臭いは嫌悪すべき、思い出したくも無いものである。この臭いが溢れる時は常に人間を殺している時の臭いなのだから。
 けれど今回は違う。ロボットと人間の争いではなく、人間を守る為のロボットの戦いであるのだ。高揚しない訳が無い。だって、今正に彼の願いが叶っているのだから。
 ロボは人間とロボットが手を取り合って生きていきたいと望んでいた。その代償は大きく、見返りもないものとなったが……その願いは未だに色褪せていない。叶わぬ限り願いは色を落とさない。胸の中にこびり付いた錆がぼろぼろと落ちていく気分だった。
 空に赤い花が咲いた。また新たなロボットが魔物に向けて炸裂弾でも撃ったのだろう。鼓膜が潰れそうな轟音も、彼にとってはファンファーレ。始まりを教える短い曲であるが、心躍らせる音色には違いなかった。


「……ほらね、ほらやっぱり、叶うんだ。願えば叶うんだよクロノさん。僕、今更だな、結構長く生きてきたのに、今更分かっちゃった。変に斜に構えた知識ばっかり蓄えたからだな、きっと。そうだよ、頑張れば叶うんだよ、それは絶対なんだ、無駄な努力なんて言葉はおかしいよ、だって無駄になんかなる筈ないんだもん。頑張れば森も作れる、人間と機械が協力する事だって出来るんだから!」


 両手を振りしきり、涙を拭う。ほらね? と誰かにこっそり教えるみたく、呟き続けるロボは酷く楽しげで、嬉しそうで、達成感に満ち溢れたものだった。
 廃墟を抜け、アリスドームの形が分かるようになる。半球型の形は崩れようとも、トランドームに比べ被害は少なそうに見える。ロボが自身のセンサーを起動させた。


「良し、電子系統はまだ生きてる。人間もまだまだ生き残ってる。清浄機能は完全に壊れたみたいだけど、これなら直すのにそう時間は必要無い。人間は死なない!」


 アリスドームに近づく前に、ロボは急停止して魔物たちを迎え撃つべく構えを取った。数えられぬ程のロボットがアリスドームを守っていたからだ。自分まで防衛に周る必要は無いと判断したらしかった。
 自分の血が滾るような感覚に、不思議を覚える。体中が沸騰するような状態というのは、怒りを堪えきれぬ時のみ罹るものだとばかり思っていたからだ。本当の血液じゃないし、血管も作られたものなのになあ、と苦笑しながら、右腕を高く掲げた。彼の掌にあるのは、サークルボム用の爆弾。それを握ると、爆弾が破裂し魔物たちの目が彼に集まった。瞬時に三匹の魔物が彼の前に降り立つ。まるで戦場でのうのうと名乗りを上げ敵の注目を得るやり方は自分の好む所ではない、口の中でもごもごと呟いたのは、誰に対しての言い訳だったろう。
 ロボは口をひくつかせる。ざわざわと興奮が背筋を走った。まるでアドレナリンが分泌されて、脳を浸していくみたいな感覚が滲み口内に唾が溜まり出す。知らず鼻息は荒く、今なら山でも持ち上げられそうだった。
 血臭漂う口を開いて魔物がロボを噛み砕くべく迫る。まずは平手で攻撃を避け、距離を取る。当然叩かれた程度で怯む魔物ではないが、今の平手の際に自分の頬に爆弾を仕掛けられた事に気づくのが遅れた。頭部が破裂し絶命する。


「僕のサークルボムは体のどこからでも出るし、相手にくっ付ける事も可能なんだ。分かり易く言おうか? 僕の攻撃はなんとしても避けないといけないって事。少しでも触れれば爆発しちゃうよ?」


 全身に黒い爆発物を浮き出させながら、からかうように言う。


「もう来ないの? ……久しぶりに言ってみようかな……宇宙開闢の時より、聖を持って魔を滅することの生業としてきた僕に挑むなんて、イデオローグとして机上に愚痴を吐いていたほうが良い。出来ないことをやるべきじゃないんだよ」


 出来るだけ格好をつけたつもりだったが、どうも今一つだなあと首を捻った。充分に意味深なようで意味の無い意味不明な発現だったが、満足は出来なかったようだ。
 彼の口上に付き合う気はないようで、魔物がさらに迫る。一体は直接の攻撃へ、もう一体は魔法にて。
 ロボは近づいてきた一体に密着する。彼の速さに魔物が戸惑っている隙に思い切り体を押した。ふら、とよろけた相手の首を掴みハンマー投げのように魔法を放とうとしていた魔物に向って投げつける。離れていた一体は当然投げつけられたそれを避けようとする。速度もそう無かったので、詠唱を止める事も無い。
 二匹の魔物が交差するように近づいた瞬間、魔物たちは爆発した。魔物を投げる際に、ロボが爆弾を付着させていたのだ。ばらばらと魔物の肉片が霰のように降ってきた。
 退場した魔物と交代するように、巨大な、三メートルを超えるだろう機械型の魔物、黒の夢で製造されたのだろう、が落ちてきた。同じ機械という事で少々戸惑ったが、その形状的に明らかに未来で作られたものではないと分かり、ロボは構えを戻す。


(でかいし、頑丈そうだな……僕のボムじゃ破壊しきれないかも……)


 弱音を吐きながら、それでも彼の表情は崩れなかった。負けるかもしれないとは考えない。そもそも今の自分に勝てない存在があるとは思えない。個人が持てる限界ギリギリの自信を膨らましていた。


(まず装甲に穴を開けて、中から爆発させれば良いかな? 大丈夫さ、僕に出来ないことは無い)


 足を慣らすようにその場で二度跳躍して、加速装置を起動させる。まずは渾身のボディブローを叩き込んだ。鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合った音は見た目とは裏腹にとてつもなく高い音を立てた。相手の装甲は少しへこみはしたが、穴が空くにはまだまだ時間が掛かりそうだった。ロボが自分の目論見を達成させるのは骨だと感じ、代替案を出した。
 ロボは相手に当てた拳を、そのまま発射させる。ブーストのかかった拳は前に飛ぼうとして巨大ロボットを後ずさりさせる。二メートルと距離が開いた所で、もう一つの拳を射出させた。着弾点は飛んで行った自分の拳。
 敵にぶつかっている拳を後押しさせるような一撃は、相手の腹を貫通させる事に成功した。電気の糸を散らしながらじたばたと暴れていたが、やがて沈黙する。


「良かった、これで駄目ならちょっと面倒だったよ」


 発射させた拳を回収すべく、歩き出す。敵を破壊した時点で勢いを失っていたそれは案外近くに落ちていた。拾って装着する。接着具合を確かめる為にぐっ、と押し込んで異常は無いと判断する。
 ふと拳を見遣れば、表面に傷が無数に刻まれている。今の事だけでなく、随分の魔物を屠ってきたのだ、当然かもしれない。これは後でマスターに修理してもらわないとな、と拳を擦り、次の敵を待つ。しかし、いくら待てど中々魔物が降りてくる気配は無い。空中から魔法を撃つだけに専念するのか、と舌打ちをした。空に浮いたままでも戦えないわけではないが、少々面倒である。彼のレーザーでは致命傷には至らない。基本的にロボもエイラと似て近接を得意とするのだから。
 どうしたものか、と考え込んでいても、魔物からの攻撃は無い。いよいよ妙に感じ始め、周りの様子を見る。アリスドーム付近の魔物さえ数が激減していた。一体どういう事なのか? もしや残る敵が相当に減ったのだろうか、いやまさか。いくらなんでも三千もの魔物を倒しきったとは思えない。
 様々な可能性を模索し……ロボは、「ああ、そういうことか」と感嘆したように息を吐く。


「……そういえば、次に会う時は戦争ごっこをしようって言ったよね」


 足裏からブースターの火を噴出しながら一人魔物相手に優雅に待っている、己と同じアンドロイドを見つめて彼は約束を思い出していた。









     ※原始※









 四方に迫る魔物を蹴散らしながら、エイラは肩で息を吐くことしか出来ずにいた。
 獣を狩り、熱帯の中暮らしていた原始人たちは現代、中世の住人とは一線を画す戦闘力を有していた。ただ、今の彼らが相手をしているのは獣ではなく、獰猛であり、知性を持つ魔物である。つまりは、今の彼らは狩る側ではなく狩られる側であった。
 石で削った槍など何の効果も無い。太古の時代にのみ発掘できた希少な鉱石を使った斧や、マンモスの牙を削り取った斧などは攻撃にはなるも、それを持っている人間は少ない。魔物と戦えるのはエイラ、キーノ以外には百人を超える程度しかいない。それだけで二千八百の魔物を相手できる訳が無いのだ。猛々しく吼えながらも、人間の数は減っていく。圧倒的な戦力差は、過去の恐竜人たちとの争いと比べ物にならないほど劣勢である。
 その中でも、エイラは十二分に活躍した。女を助け子供を救い敵を打ち倒し、戦女神と呼ぶに申し分ない戦いである。それでも、局面を変えるには届かない。
 キーノの指示とエイラの活躍にて、辛うじて士気は保たれている。本来ならばいかに勇猛な原始人であっても戦々恐々、腰を抜かし逃げ出してもおかしくはないのに武器を手に立ち向かっている、それだけで彼らを褒め称えるべきだろう。


「くそ! 一旦、退く! 村、放棄放棄!! 男たち逃げない! ここで守る!」


 キーノの声を聞き、戦いには向かない女性や子供、老人などは若い男集に守られながら戦場であるイオカ村を脱出すべく走り出した。
 逃がすものかと囲む魔物はエイラが倒し、動き回る。それでも守りきれない者は大勢いたが、元より全員を助けられるとはキーノも考えていなかっただろう、せめて二百も助けられれば、という考えだった。
 藁葺きの屋根は燃え、冬を越すために貯めた食料もぐしゃぐしゃに潰される。その光景に諦観の想いを抱きながら、人々は逃げる。己の努力の結晶が、生きていくための糧が潰えていくのを知りながら、涙を流して逃げていく。


「うう……うあっあ……」エイラが涙を堪えるため、吐息を洩らす。吐き気が込み上げるが、無理やり呑み込み飛ぶ。敵の襲撃は終わらない。
 仲間が消えていく、慟哭の間も無く次から次に、己を酋長と慕いついてきてくれた仲間が死んでいく。感受性の高い彼女に耐えられるものかどうか。本心を言えば、彼女は思うままに泣き出し膝を抱えたかった。勝てる勝てないなど二の次、皆で生き残りたいという願いだけが占めていた。もしかしなくても、死んでしまいたいという逃避に似た自殺願望すら抱いている。


(勝てる訳無い)


 誰かがエイラに肩を置き、促すように語り掛けてくる。誰が彼女の心を折ろうとしているのか。


(もう良いじゃないか。諦めて死んでしまおう。ほら見てみなよ、キーノだって半ば諦め始めてるみたいだよ?)


 それは誰でもなく、彼女の心の声なのだろう。その声を、耳ではなく頭で聞いているのだから。
 爪を立て、竜巻を起こし、飛び上がり蹴りを放っても、彼女が一つの行動を起こすたびにいくつもの悲鳴が響く。彼女が魔物を一匹倒せば三人の人間が死んで行く。じゃあ頑張っても無駄じゃないか。勝てるわけ無い。意味の無い努力を重ねて、結局待っているのが全滅なら、その意味があるのか。いやあるものか。自棄になりながら、少しずつ走る速度が落ちていく。今や、彼女の足は止まり俯いている。ぶつぶつと、意味の無い言葉を積み重ねながら。


「つまらねえなあ! 屈強な人間が集まってるって割には、えらくつまらねえ」魔物の一人が空からエイラたちにも聞こえるよう、大声で嘆いた。
「もっと頑張れよおい。ジール様から聞いた話じゃ、この時代の人間はなんだったか、恐竜人だったか? に勝った勝者なんだろ? もうちょっと足掻いてくれよ。それとも……」大きな体を揺らして、嘲るように口を横に裂いた。
「恐竜人ってのは、そんなに弱い奴らだったのか? ……まあそうだろうな、ラヴォス神に潰されたトカゲに勝った所で、強いとは限らんか。潰されたって事は、爬虫類じゃなくて、虫だったのかもしれねえな、恐竜人ってのは」


 違う! と言いたかった。そうではない、彼らは確かに人間を殺してきた。何度も虐殺してきた。子供でも女でも殺した。けれど意味の無い戦いをしたことは無い。皆大地の掟に従い、誇りを持って戦ったのだ。生きる為に戦ったのだ。決して関係の無い者に見下されるようなものではない。互いに生存を賭けた強敵だったのだから。
 言いたいことは沢山あっても、エイラが反論する事は無い。もう堂々と彼らに反抗できる意思は薄れている。右を見れば体を砕かれ、ひしゃげた人間の死体。左を見れば体中を焼かれ半分以上炭化している子供。前には足の動かぬ親を守ろうと槍を振るい、頭から飲み込まれる女性の姿。それを見て狂ったような悲鳴を上げる老婆。彼女の顔に血飛沫が舞った時、老婆は糸が切れた如く倒れこんだ。
 今力強い言葉を吐いたとて何になる? 全て虚勢だと嘲笑されるだけではないか。拳を握る力も、今の彼女には残っていない。


「──違う」
「ああ? 何処のどいつだ、今のは」魔物が癪に障ったように顔を顰め、地上を見下ろす。真っ向から彼を睨んでいたのは、キーノだった。キーノは首を振り、違うと連呼していた。
「恐竜人、凄かった。部下も、ニズベールも、アザーラも。あいつら、勇気あった。強かった。お前ら馬鹿にする、キーノ許さない!!」
「許さなければなんだよ人間。知ってるんだぜ俺は。お前らは屑だ、同じ人間なのに戦うだの逃げるだのでもめた挙句、真っ二つに別れたらしいじゃねえか。そんなあやふやで結託も出来ねえ人間が俺たちに勝つって? 見ろよ俺たちは全員仲間だ、テメエラを殺すって目的の為一つになってる。それに比べて、悲しいよなあ人間ってのは。お互い分かり合えず避けあって生きていく、それは悲しいだろう? だからさ、俺たちは手伝ってやるのさ。同じ一つの生命にしてやる、死ねば皆同じだろ? 安心しな、お前らを殺したら次はラルバとかいう村の人間も残らず殺してやる。人類皆兄弟ってやつだ」


 諭すように、嫌に優しい口調で話し終えた後「ゲギャギャギャギャ!!」と笑い、キーノに向って火球を吐いた。急な動作に、キーノは避けきれる事が出来ず右手を焼かれる。
 苦悶に呻く彼に、魔物は腹を抱えた。「虫けらに怒るなんて高尚な感情はいらねえんだよ! 馬鹿が! ゲギャギャギャ!!」手を叩く彼に、何が面白いのだとつのる人間はいない。


「キーノ……あは、あはははは」


 エイラも笑う。何よりも大切な人が倒れこんで苦しんでいるというのに、助けねばという思いすら浮かばない自分がおかしくて堪らなかった。そこまでに己が折れているのだと思い知ったからだ。
 いつもの彼女なら弾丸のように飛び出しキーノに駆け寄ったろう。それはエイラにとって息を吸うよりも当たり前の事であり、エイラをエイラたらしめるものだった。それをしない彼女は既にエイラではない。
 エイラはふと昔自分が吐いた言葉を思い出した。


『生きてない。死んでないだけ』


 それは、今の自分にこれ以上無く、正しく当て嵌まるではないか。生きる気も自分から死ぬ気も無い自分はなんとみっともない事だろう。唾棄すべき汚らしい生き物だ。中途半端と言うのも憚られる。
 太陽の光を乱反射する水溜りを見つめ、自分の顔を見て、彼女は自分が泣いてもいない事を知る。悲しむ力も残ってないのか、じゃあそれは死人と何が違うのだ。
 早く殺してくれればいいのにと願うエイラの目に、太陽の子と言われていた面影は無い。


「あはははは、あははは、はは……」


 壊れたエイラは、空を見ながら擦れた声を垂れ流し続ける。
 普通の戦いなら、彼女は壊れない。それは恐竜人との戦いでもそうだったのだから。しかして、これは戦いではない。何を目的に何を得る為に戦えばいいのか、その答えは何処にも無かった。


「は……はあ、あ?」


 破壊音が鳴り響く中、なんとも頼りない鬨の声が彼女の耳に届いた。
 イオカ村の北、元ラルバ村の方角から、勇ましいとは言えない叫び声が産まれていたのだ。見ると、石斧や棒切れを持って走っている人間の姿。かんかん、と拳二つ分の短い棒を叩き合わせ鳴らす女性や、杖をついた老人までもが必死にイオカ村へと走っていた。
 恐らく、イオカ村との共存を望まなかったラルバ村の住人だろう。過去恐竜人たちとの戦いを拒み、村の奥へ逃げ去った人間たち。そこには、過去にエイラに怨嗟をぶつけたラルバ村酋長の姿もある。彼は鳥の羽をつけた帽子を被り、松明を持ちながら曲がった腰のまま駆けている。
 助けに来てくれたのか? とエイラは考えた。しかし、それにしても異様なのだ。戦いに赴くというのに、老人や女性も前に出ている事それ自体異常ではあるが……彼らは一人残らず、泣いていた。
 怖かったのだ。恐竜人と人間という、数にそう差は無い戦いでさえ避けた彼らが強大な魔物に挑むことがどれだけ怖いか、エイラには分からないだろう。
 今まで生きてきた中で、彼らがこれ程に勇気を振り絞った事は無いだろう。震える体を叫び声で叱咤し、涙を流す事で蹲る事を我慢している。
 ラルバの人間は臆病だった。けれど、それは責められるような事だろうか? 彼らは戦いを避け、普通の生活をしたかったのだ。川で魚をとり、森で獣を捕まえ、木の実を拾い時には土器を焼き、戦いから離れ細々と、静かに暮らしていきたかっただけだ。命を奪われるのも奪うのも嫌だっただけだ。
 勿論、褒められる事でもないと彼らは知っている。同じ人間を裏切ったと言われても仕方ないと諦めている。事実、彼らはイオカ村が襲われていることを知りつつ、森の中で静観していたのだから。魔物の言葉が聞こえるまで。
 卑怯者と言われても、彼らは怒らない。嘘ではないのだから。
 臆病なサルと恐竜人のリーダーに言われても反論できない。嘘ではないのだから。闘う事を避け、逃げ回る自分たちはそれそのものだろう。
 同じ人間に、生きてない。死んでないだけと言われても、項垂れるしか出来ない。生きる為に抗う努力をしていない自分たちは、何を為せるのか。


 ──けれど。彼らは怒らないわけではない。ラルバ村の人間にはどうしても許せない事がある。嘘だ、嘘を用いて貶されるのだけは許せない。同じ人間からも蔑まれる彼らの最後の誇りである。
 卑怯者でもいいだろう、臆病なサルでもいいだろう、生きる意志が見えずともいいだろう、だが虫けらではない。人間だ、踏みにじられ軽んじられても人間なのだ。それだけが触れれば崩れそうな尊厳を形にしている。食事をして寝て夢を見て笑って泣いて怒って生きている人間だ。
 サルまでは妥協できる。サルは立っている。虫はどうだ? 下を向かねば見ることも出来ない。踏み潰されることもしばしばある。我らは立って歩いている、その事実がラルバを支えている。唾を吐きかけられる事には慣れている。けれど、唾を吐くこともできない存在として見られるのは許せない。


「おおおおお!!!」


 無様な突撃だ。中には足が縺れて転ぶ者までいる。石斧を引き摺りながら走る子供さえいる。それを言うなら杖をついた老人がどうやって戦えという話だが。
 全員が非戦闘員。全員が戦うことを得意としない。けれど、得意としないからといって戦えない訳ではない。狂気染みた奇声を上げての行進は、より一層魔物の笑い声を強くした。火炎を一噴きすれば腰を抜かす者もいた。魔物は「俺たちを笑い殺す気だな!」と浮きながらじたばた足を動かした。


「エイラ!」自分の名前を呼ばれ、呆然としていたエイラがはっと背中を伸ばした。キーノが右腕を押さえながら叫んでいる。
「な、何? キーノ……」
「生きろ!!」


 キーノはただそれだけを口にした。戦えでも逃げろでも無く、生きろと口走った。
 自分にとって、生きるとはどういう事か、エイラは頭を回転させた。するとどうだろう、いとも簡単に答えは見つかったではないか。記憶の扉を開くまでも無く、扉自体が答えだった。
 彼女にとって生きるという事は、いつも行っていた行動に過ぎない。彼女は生きる為に拳を振るった、足を唸らせた。牙を突きたてた。
 それは、戦うという事に違いなかった。


「……うん。うん、ごめん、キーノ。エイラ馬鹿、すぐ忘れる」


 負けるに違いないと蹲るのは楽だった。どうせ無理だからと投げ出すのは簡単だった。
 それらから真っ向に戦うのが己の人生ではなかったか? 女だてらに必死に酋長であるべく戦いに身を置き皆を引っ張るのは容易なことでは無かった。全員が、女である彼女を見下しているのを知りつつ認めさせようと躍起になったのは何故だ。住人の思い通りに酋長の座を明け渡し女仕事をしていれば、傷を負う事も無く想い人を傷つける事も無かったのに。プレッシャーから夜な夜な泣くことも無かったのに。何故膝を折らなかったのか。
 答えは……生きたかったからだ。自分でも何かが出来ると愚直に信じ込み、その証を立てたかったからだ。それならば、今のエイラに出来ることは単純だった。


「ウ、アアアアアァァァ!!!!」


 長い髪を振り回し、ラルバ村の人々と同じように真っ直ぐ敵に突っ込んでいく。竜巻? 馬鹿を言ってはいけない。台風? それでもなお足りない。暴風? それではありきたりだ。
 彼女はエイラ、自然災害に例える必要は無い。エイラはエイラとして敵を巻き込み振り回し走る。首を掴み噛み千切り、頭を乱暴に引きちぎり蹴りで内臓を吐き出させて拳で粉砕する。攻撃中も止まる事は無い。彼女が通った後には生きた魔物はいない。
 戦力が増えたとも言えない、むしろ足手纏いが出来ただけの状況になってから彼女の本領が発揮された。戦況は悪い、とてもひっくり返されるとは思えない。


(でも、抗ってこその、人生)


 彼女の戦い方は、まるで恐竜が憑依したような暴れ方だった。顎を開き、噛み砕く様は幻視しそうなほどに酷似している。足を回転させるだけで竜巻を発生させ、回転しながら体当たりをすれば巨体の魔物を四散させる。自然現象では例えられないと言ったが、どうしてもというならば近い表現がある。噴火だ、近づく者皆荒ぶる振動に体を震わせ、その熱気は触る者を蒸発させる。


「調子に乗ってやがるなあ、あの女」悠々と地上を観察していた魔物が苛立たしげに首を鳴らした。そして、手の中に巨大な戦斧を召喚する。幅三メートルを超える人間には到底扱いきれない代物だ。それを軽々と一回転させて、隣にいた二匹の魔物に声を掛けエイラの元に飛来する。
 それを遮ろうと飛び出してきた原住民を斧を一払いし二つに分けながら、血を浴びつつ低空にて飛ぶ。
 まずは、二匹の魔物を先に攻撃させる。さしたる障害にもならぬとエイラが回し蹴り一つで沈黙させたが、次に落ちてくる斧はそういう訳にもいかない。横っ飛びにかわして体勢を戻す。避けられると思っていなかったのか、魔物は少しだけ目を見開いた。


「まさか、今のを避けるたあ、屑の割には頑張るじゃねえか」
「お前、仲間、わざと捨石にした。本当に仲間か、お前」仲間の魔物を無理やりに突進させて己の隙を突こうとしたやり方に怒りを覚え、思わずエイラは問う。魔物は何故怒っているのか分からない様子で空手の左手を持ち上げ、「利用できるのが仲間だろうが」と答える。
「……下種。お前、もう死ね」


 彼女にしては強すぎる言葉を放ち、後ろ足を蹴り体を前に飛ばした。距離は詰まり、渾身の拳を突き出そうとした時、魔物が何らかの言葉を呟いた。


「ストップ」


 その言葉を聞いた瞬間、エイラの動きが止まる。呼吸すら満足に行えない。腕も足も凍り付いてしまったようだった。


「神経系に作用する魔法だ。動けないだろ? 俺様の切り札だからな……見た目で俺をただのパワーファイターとでも勘違いしたか? 甘いんだよ、黒の夢で作られた俺たちを舐めるんじゃねえ、下等生物」


 喋りながら一歩ずつエイラに近づいていく。
 焦りは勢いを増し、体は動かないというのに冷や汗が流れる。
 エイラの危機を知ったキーノが駆けつけようとするも、他の魔物たちが邪魔をして辿りつくことも出来ない。ぎらりと鈍い光を放つ斧が禍々しかった。お前の体に食い込むのが楽しみだ、と舌なめずりをしているようにすら見える。


「お前を最初に見た時には、悪くない女だと思ったよ。正直、ストップを掛けてそのまま犯ってやろうかとも思ったが……お前は少しばかり殺しすぎた。頑張りすぎたのさ。だがまあ……」斧を振り上げて、にたりと笑う魔物の顔は、嫌悪感を誘うには充分な醜悪な笑顔だった。
「殺してから楽しんでやるから、喜べよ」
「ッ!」


 目を閉じてやがて来る衝撃に備える。斧が彼女の体に入り込み、肉を裂き骨を断ち切り内臓を破壊しながら体内を断っていく。捌かれるような感覚を待つ。
 視界を消してすぐに、遠くも無い場所から「ゲヒ」と魔物の悲鳴が聞こえる。何かに潰されたような声だった。衝撃は来ない。
 目の前の魔物が「何だあ?」と戸惑う声が聞こえる。衝撃は未だ来ない。そろそろと目を開けると、何も持っていない魔物が目をぱちぱちと瞬かせながら右を見ていた。それに倣い、エイラも首は動かないので、眼球だけを動かし右を見遣る。
 そこには、巨大な戦斧に潰されている羽の生えた魔物の死骸があった。
 何がなにやら、エイラにも魔物にも、傍から見ていたキーノやイオカ村の人々、ラルバ村の人間、誰にも分からず一瞬戦いの喧騒は治まった。
 まるで、魔物の斧が瞬間に移動したような現象に誰もが驚いている。
 風が吹き、さらさらと藁が流れていく。この場に居る全員が声を失っている中、エイラが場違いに甘く幼い声を聞いた気がして、視線を前に戻した。斧を持っていた魔物のさらに後ろ、村を出てさらに行った所の開けた丘の上に誰かが立っている。普通の人間とは段違いに目が良いエイラですら視認するのがやっとの距離である。


「なんだなんだ、魔法か? ……まさかな、この時代に魔法因子を持つ人間はいないはずだ。一体どういうことだよ?」


 指を閉じたり開いたりと動かして、斧が移動した原因を探る。言葉調は落ち着いているものの、額から流れる汗が魔物の狼狽振りを語っている。
 敵が慌てているというのに、エイラはそれを一切気にしない。彼女が意識を向けているのは、丘の上からこちらを見ている人影のみ。目を細めて正体を知ろうとするも、時折魔物が彼女の視界を邪魔する為もどかしい気分になった。


────随分なザマじゃなあ


 今度ははっきりと聞こえた。周りが静かな為か、遠く離れた場所にいる誰かの声は他の魔物や人間にも聞こえたらしい。全員の視線が丘に集まる。
 “何者か”は丘の上から下り、ゆっくりと村に近づいていく。丁度、丘の麓についた頃には、その何者かが誰なのか、エイラとキーノには分かった。見紛う事無き人物だった。しかし、そうだと断言は出来ない。むしろそうであるはずがないという気持ちの方が強かった。
 何者かは立ち止まり、腰に手を当てて戦場を見回した。


────所詮、人間のサルということか? ……無様じゃ。そうは思わんか?
────はい。仰るとおりで御座いますな。私も奴らがこうも脆弱であると、些か憤りを感じます。


 何者かは、丘の向こう側から現れた誰かに声を掛ける。二人のその話し方と声に、エイラとキーノのみならず、人間たちは聞き覚えがある。驚愕がイオカ村を覆った。
 彼らの驚きなど関係無いと、嘆息しながら、何者かがゆっくりと手を上に掲げた。


────まあ良い。私たちの戦い方をサル共に教えてやるとしようじゃないか……全軍、


 何者か──彼女は獰猛な笑みを口元に貼り付けた。









     ※そして未来※









 空を駆けている女性型アンドロイド──アトロポスは榴弾をばら撒き、次々に魔物を爆破した後、今までの冷徹な表情を一変させてロボの前に降り立った。


「おはようプロメテス! 今日は良い天気じゃないわね、けど絶好のコウラクビヨリだわ」朝一番の挨拶をかわすような気楽さが込められていた。
「行楽日和ね……意味を分かって言ってるのかいアトロポス?」
「ええ勿論。観光地なんかに赴くのに最適という意味でしょう」
「まあ、凡そそうかな」
「そんな事よりも、今日は待ちに待った戦争ごっこの日よ。ほら一緒に遊びましょう? 私とプロメテスは白組で、あいつらは、」アトロポスが指先を魔物の群れに向けた。「赤組よ」
「ええ、僕は赤の方が好きだな、男らしいもの」彼女の楽しそうな口振りに、ついロボも便乗してしまう。後悔は見られない。


 アトロポスは不満げなロボの言葉に、「駄目よ」と端的な否定を口にした。


「だって、赤く染まるのは彼らの方だもの」
「それは、違いないね」ロボは肩を竦めた。


 二人は手を握り合い、軽やかに廻る。ダンスを踊るようなステップだ、爪先立ちになっているアトロポスが変に似合っている。
 戦いの中で舞踏に励む彼らは異色な存在だった。
 踊りの最中に、アトロポスが予兆無く右手を空に向ける。指を開くと、掌の中央に小さな穴が空いていた。そこから一筋の閃光が洩れ、空中の魔物を一体落とす。隙間無く、ロボも左手をアトロポスの後ろに向け、親指を除く四本の指を立てた。彼の指関節がマシンガンのように飛び魔物数対を蜂の巣に変える。生え変わるように、彼の指は復元した。


「ねえプロメテス、私はお空を掃除するわ。貴方には下をお願いしていい?」
「奇遇だねアトロポス、僕もそう言おうと思ってた所さ」
「流石、私たちよね。意思疎通が速やかだわ。阿吽の呼吸と言うのかしら? それとも、ツーカー?」
「アトロポス、それは死語なんじゃないかな?」
「あら、『つうかあ』はちゃんと辞典にも載ってるのよ?」


 彼らは同時に手を離し、各々に魔物を殲滅すべく駆け出す。
 アトロポスは右腕を砲筒のように変形させて炸裂弾を無造作にばら撒き、空に爆裂の華を咲かせて、時には煙幕を、時にはロボよりも強力な集束型レーザーを用いて、先ほどと同じように踊るように魔物を滅している。
 ロボも負けてはいない。地上を闊歩する魔物を倒す彼の動きは眼に見えるものではない。拳を乱発射し、敵に近寄り爆発し、炎の中から飛び出して行く。エネルギーが切れれば補修ロボットから分けてもらい、爆薬の消費が著しくなれば補給専用機械から補充する。


(こういう所にまで気が利くあたり、マザーだよなあ)


 ただ戦闘用ロボットを操作するのではなく、補充部隊の重要性を熟知しているマザーに心の中で敬意を表す。当然と言えば当然だが、魔物の急襲にも関わらず即座に準備できる手腕と言うか、行動力にロボは有り難いと思わざるを得ない。
 頭が下がる思いながら、十全に戦える現状を楽しんだ。


(所詮僕は戦闘ロボットか。それでも良いよ、誰かを守れるならそれで良い。甘っちょろいと馬鹿にされても、それを嬉しいと思える僕でいれるのが嬉しい)


 彼はマザーと自分の仲間に感謝した。こんな僕にしてくれてありがとうと、全霊の気持ちで。
 彼の体に血が舞う。けれどそれは人間の血ではない。誰かの痛みを思うあまり自分が感じる痛みを怖がった彼は今傷だらけである。それでも泣きはしない。痛みに呻くよりも大事な事を見つけたから。
 遠くから、爆撃の音が耳に入る。アリスドームから西、トランドームの辺りだろう。見遣れば、空から飛行ロボットが地上に爆弾を落としている所だった。世界中を巡回する無人飛空機が人間の援護に回っているのだろう。爆発音は立て続けに起きている。トランドーム周辺に心配はいらなそうだった。
 爆撃はロボの近くにも起きる。ピンポイントの爆撃は魔物を的確に狙い、吹き飛ばしている。ロボは無茶苦茶だな、と笑った。
 落ちてくるのは爆弾だけではない、飛空機から落ちてきた縄を伝い銃を装備した兵隊機械が降下し、新たな戦力が追加される。魔物に増援があっても、それはこちらも同じ。人間と機械の連合と黒の夢の魔物たち、条件はこれで同じとなった。いや、世界中に存在する機械が全て仲間になるのなら、その数の差は段違いであるが。魔物が三千ならばロボットの数は万を超える。
 二匹の魔物を拳で沈めた頃、ロボの近くに二体の単独飛行可能ロボットが降りてきた。補充ならまだ良いと伝えようとして、ロボの動きは止まった。飛行するロボットは両手にひし形の水晶に似た映像機を持っていたのだ。立体映像を作り出す機械が今ここで何の役に立つのかは考えるまでも無い。ロボットたちが映像機を操作しているのを黙って待つ。
 時間を置かず、映像が作られた。ノイズ交じりの映像が映し出したのは、やはり、人型を模したマザーコンピューターである。見下ろすようにロボを見ている彼女は優越に浸った、優雅な構えを取っていた。


「これが答えですよ、プロメテス」彼女の第一声はロボを心配するでもない、どうだ! と言わんばかりの言葉である。「これで、私たちロボットが人間より優れているという証明になりました」
「ええと、マザー、今一つ貴方の言いたいことが分かりません」
 ロボの戸惑った様子に、マザーは出来の悪い子に言うみたく溜息をついて「貴方が前に言ったでしょう。人間に出来ないことをやらなければ私たちの方が劣っていると」


 そのように決め付けた言い方では無かったが、ロボがそれを指摘する事は無かった。


「見なさいプロメテス。人間ではこの魔物たちを倒す事も退ける事も出来はしない。けれどどうです私の息子たちは! 低俗な魔物など相手ではない! 人間では到底勝てはしない魔物をこの私の息子が! ロボットが! 難なく御しているではないですか!? 人間と私たちの優劣の差は明らかです! あはははは!!」
「ま、マザー?」


 飛びまわりながら回転する彼女は、頭でも打ったのかと思うような躁具合だった。ロボは腰を引かせて彼女の暴走を見ている。明らかにマザーの目は何かしらの液体を打ったように瞳孔が開ききっていた。
 どうしたものか、と混乱しているロボの耳に通信が入る。同じアンドロイドからのみ、つまりはアトロポスからの通信だけ受信できるロボの機能である。昔マザーに無理を言って取り付けてもらった彼らだけの為に必要となった少し微笑ましい機能だった。
 ロボが通信機能をオンにして、離れたアトロポスの言葉に耳を傾ける。


「貴方が工場を離れてから、ずっとああなのよ。私を修理した時も鼻息荒く、『人間の技術など私たちに遠く及ばないのです!』って言ってたから」まるでこちらの状況を見ているような程的確にマザーの状態を説明してくれるので、ロボは彼女が近くにいないか顔を振り確認する。近くにアトロポスの姿は見当たらなかった。
「元々負けず嫌いな人だったけど、それに拍車が掛かったみたい。今じゃどんな些細な事でも負けたくないみたいよ、特に人間にはね」
「なるほど、つまり今回魔物を倒して人間を守っているのは、人間と一緒に生きていく為じゃなくて、単に自分の凄さを知らしめたかっただけなんだね?」
「見も蓋も無い言い方をすれば、そういう事になるかしら」
「プロメテス!!」
「はいっ!?」


 マザーが怒鳴るように自分を呼んだので、無意識に通信を切ってしまう。彼は体験した事が無いが、学び舎にて教師に悪さを見咎められたような反応である。


「見ているでしょう貴方も! うふふ人間の慌てふためいた様子といったら実に面白いものでしたよ? 私たちロボットが助けに来た時なんか平伏する勢いでした! まあ、これから私たちに敬意を払って生きていくならロボットの庇護下に置いてあげてもいいかもしれませんねホホホホ!!」


 笑い方は統一してくれないかなあ、と思ってしまう彼は相当混乱しているのだろう。
 元々人間と仲良くさせようと考え発現したのは彼だが、こうまで意味の分からない成功を収めると複雑ではある。首筋を掻きながら、「そうですね」と気乗りしない返事をするのがやっとであった。
 こうしている間にも魔物は次々に撃墜されている。見れば、工場からも誘導弾が発射されているようで、黒の夢の魔物射出口にも爆撃を加えているようだ。流石に黒の夢本体にダメージは無いようだが、出ようと体を出した魔物からすれば堪らない。外に出た瞬間爆破させられるのでは、非道な魔物であっても哀れだと感じてしまった。
 私の科学力は世界一ィィィ!! とガッツポーズを取るマザーを見て、ロボのマザー像はぐずぐずに壊れていく。
 曰く、冷酷無比で感情を表に出したがらずどのような相手にも笑顔で応対しつつも腹の底ではいつでも処理できるのだと見下している機械の母。それが今では狂喜乱舞に踊り熱狂している。冷静? 彼女が冷静ならば赤い布に飛び込む猛牛は氷のような自制心を持っているに違いない。感情を表に出さない? 赤子の方がよっぽど弁えている。
 それほどに、ロボの挑発は彼女を変えたのだ。生来の負けず嫌いを刺激された彼女の性格は実に面白い方向に誘導され、今ではクローン技術を用いて実際の自分の肉体を作り出した程である。何故そのような事をしたのか? 映像などではなく、自分の体を使って誰にも負けない美しさを持った女性になろうと考えたのだ。彼女は知性や力だけでなく、美でも人間に負けたくなかった。元々美しい外見を模して作った映像を基に肉体を作成したのでズルイけれど。その辺りは彼女は意識的に無視した。彼女のダイエットは今二週間継続中である。理想としては後五キロ痩せたいとか。


「……あ、魔物が近づいてますよマザー」


 やる気無く、映像機を持っているロボットに魔物が迫っている事を告げるロボ。彼の力なら守りきる事は出来るが、彼としてはとっととこの気を違えたように笑う彼女の姿をこれ以上見たくないのでとっとと壊れろ、と念じている為手を出す気は無い。今だけ彼は魔物を応援していた。頑張って映像機を破壊しろ! それが出来たら僕が相手する。こうしてロボは少しづつ汚れていく。


「ええ!? 何をしているのですかプロメテス、早く私を守りなさい。映像機が壊れれば私の凛々しい姿が拝めなくなりますよ? 何より人間たちに見せ付けられなくなりますよ」
「歓迎ですね。身内の恥を晒したくありませんし」
「恥とは何ですか? ……なるほど、美しい私を人間の穢れた目に写したく無いのですね? 大丈夫ですよプロメテス、いつまでも私は貴方の母足らん事を誓いますから。ああっ、アンテナが折れたあ!?」魔物の飛来した攻撃がかすり、映像機から突き出ている受信棒が一本折れた事でマザーの顔が蒼白になる。隠す事無く拳を握り喜びを表現するロボを責めるべき者は今慌てふためいているので気付かない。
「大丈夫ですかマザー。僕は今深刻な考え事をしているので助けられませんが、頑張ってください」とても心配しているような様子ではないが、口だけは案じるように伝えておくロボ。誠意が篭らない事山の如し。
「考え事!? 何ですかそれは私の御姿を拝見するよりも大切な事ですか!」
「ええ、オムライスのオムって何なのかなって」
「過去に存在した国、フランスにてオムレツをオムレットと呼んでいました! そのオムレットにライスを足してオムライスと呼ぶようになったのです! オムとはつまりオムレツの事です! これで貴方の疑問は解消しました、私を守りなさい、というか映像機を守りなさい! 良い子だから!」
「へえ、そうなんですか。じゃあわびさびのわびとさびについて教えてください」
「外国人が日本人に質問するような内容を……そもそも今はそのような時ではありません!」
「大体、他のロボットに命令を下せば良いでしょうが」
「映像機を介して私をここに出現させるのに手一杯です。他の息子たちは全て自動で動いてもらってますから、私を守る為に動かす事はできません」戦場での指揮系統よりも自分の姿を晒す方を優先した彼女に、ロボは言葉も無くなった。
「ですか。じゃあ好都合ですね」彼女を守るものがいないという事に、ロボはあえて好都合という言葉を使う。


 割と必死に頼み込むマザーと何処噴く風のロボ。この場にクロノがいれば嬉々とマザー弄りに参加したろうが、彼がここにいないのは彼女にとって救いなのかそうでないのか。
 今でも魔物たちの攻撃は続いている。地面に魔法が炸裂し、破裂した地面の石や土が映像機に当たる。それを持つロボットですら、映像機を守る仕草は見えない。むしろ盾として活用している節さえあった。今、彼女の尊厳は地に落ちている。機械に意思があるのかどうかは知れないが、尊敬する相手を選ぶ知能は存在しているようだ。それを彼女に伝えれば自分の科学力を誇り胸を張るのだろうが。
 今戦場で響いているのは爆音、銃弾の飛び交う音、魔物の鳴き声、女性の泣き声。ロボからすれば四番目が特に顕著に聞こえている。
 土錆が舞い上がり、弾丸が我が物顔で辺りを飛ぶ今を、ロボはなるほど戦争ごっこだと考えた。メモリーから過去の歴史を抽出して、1900年代後半のそれに良く似ているな、としみじみする。戦力はこちらが上回っているが、指揮官が役立たずである所なんか帝国主義傾向が強くなった~本国そのものではないか。
 痛烈であり風刺的な考えに身を寄せながら、隣の喧々と騒ぐ女性を無視する。内容もさることながら、「良い子」という子供扱いをする台詞が彼を不機嫌にさせる。それ自体に苛々するということはすなわち子供である証拠とも言えるが、それを鑑みても苛々するので、悪循環であった。
 馬耳東風を実践していると、ロボの目に一筋のレーザーが映った。花火が打ちあがる様を眺めるようにその軌跡を眺めていると、やがてそれは魔物に当たり、貫いていく。ロボは酷く機嫌を害した。穿たれた魔物こそが、映像機を狙っていた、つまりは彼が応援していた魔物だったからだ。黒い煙を上げながら落ちていく魔物に向けて小さく合掌した。


「おお! 私の息子が私を助けてくれたのですね。プロメテス、貴方と違ってなんと優しい息子なのでしょう」
「別に、貴方に優しい息子と思われたくも……ああいえ、そうですね。随分優しく頼もしい方がマザーを助けたのでしょうね」前半意見を切って捨てて、ロボがマザーに同意する。それが彼女の高揚を高めたか、むふ、と鼻で息を吐いて言う。
「ええ、ええ。後でご褒美をあげましょう。後で頭でも撫でてあげましょうか」
「是非そうして下さい……ちゃんと、撫でてあげましょうね?」


 気味が悪いほど同調するロボに、いよいよマザーも不信を抱く。
 センサーを使い、誰が自分を守ったのかを探るも、レーザーの発射された方向にロボットはいない。いや、いるにはいるのだが、遠距離装備を搭載したロボットはいない。彼女の見ている方向にはアリスドームがある。そこには番人代わりに装甲の厚い格闘戦を得意とするロボットを多数待機させたが、彼らがマザーを守ったとは考えられなかった。
 考えてみた。世界有数の知識を有した彼女は奥深くまで探り、可能性を探し当てようとした。答えは見つかっているものの、考えたくは無いものしか無かった。
 まさかそんな、世界中のロボットを起動可能にしたけれど、起動可能になった機械にはたしかに“そういった物”もあったけれど。ロボットには必要無い機械まで動かせるようにしたけれど。認めたくないと、マザーは首を振りロボを見遣る。彼はにこ、と可愛らしく微笑んだ。対照的に、マザーは慄くように目を垂らした。
 そもそも、アリスドームとは一体何なのか。過去、ラヴォスの力により滅びかけた人間が己の叡智を結集させて作り出した物を保管してある、ある意味人間にとって最大の希望だった場所である。この荒れ果てた世界で不十分ながらに機械が作動していたところからしても、重要な施設だった事が分かる。
 ではアリスドームに保管されていたものは何か? 宝石でも石油でも衣食住でもなく、人間たちが最後の抵抗として作り出した、ラヴォスを倒す為に作り上げた武器が保管されていた。今まで保管装置のロックをマザーが掛けていた為使用不可であったが、それは解かれた。アリスドーム地下にてひっそりと牙を隠していた兵器が解き放たれたのだ。
 兵器名、GR-9974型、別名二足歩行人類搭載機械兵。八メートル強の大きさを誇る、歴史上類を見ない天才科学者達が作り上げた、マザーですら作ることも叶わない操縦式ロボットである。その数七体。本来は五十を超える程量産されていたが、他四十三体は長い年月を耐える事が出来ず壊れていた。
 その七体を駆るのは、アリスドームの住人に他ならない。その中でも一際目立つ彩色なされた、青色の機械兵に乗っている者こそ、過去にクロノを同じ仲間だと認め、大勢で鼠狩りを決行した老人。名前を、


「マスター・ドン。一匹撃墜しました」
「そうか……こちらも整備不良は見当たらない。思い出すな、パールハー○ーの爆撃戦を」
「指令を、マスター・ドン」


 ドン。アリスドーム指導者のドンである。
 無骨な鉄の腕を操縦して、空に上げる。少々錆付き、鉄の擦る音を立てながら、ドンは命令を下した。


「敵殲滅のみが作戦目標だ、総員、抜かるでないぞ!!」


 祝砲代わりに、残る六体の機械兵が天に機関銃を撃つ。鈍足ながら歩行を開始したそれらは、魔物たちを圧倒するに足る力強さを備えていた。


「撫でるんですよね、あの人たちを、人間を。いやあ、マザーは人間が好きなんだなあ」細く目を開いたまま薄笑いを浮かべるロボは、彼らしくないいやらしい顔をしていた。
「え、いや、でもそれは、私はロボットがやったと思ったからで、その……」両手の指を絡ませながら困っているマザーは、とても何百年と機械を支配してきた女傑とは思えない有様だった。
「それにしても、とんでもないですね、あれ」ロボが見ている先では、ドン率いる機械兵が蝿を落とすように魔物を倒している姿。仮にもラヴォスと戦う為に作られた兵器である、いかに相手が黒の夢の精鋭とはいえ、分が悪いのは間違いなかった。「守ってもらいましたね、マザー。人間も馬鹿にはできないでしょう?」


 人間の底力を目にしたマザーに、人間がどれ程強い生き物であるかを分かってもらいたかった上での発言だった。ロボとしては、これで彼女の人間を扱き下ろすかのような考えを撤回してもらえれば、と思ったのだ。「全くですね、今まで私は人間を見くびっていました。これからは共同歩調を図り、共に楽園を築き上げましょう!」
 とはいかない。愉快そうなロボと違ってマザーは自分の胸に燃え滾る何かが膨れてくるのを自覚した。溶岩のようにじわじわと奥底を熱気で充満させ溢れ出し、やがて土石流と化して全体を支配する。舞い上がったどす黒い灰は口から吐き出せそうなほど。灰を含んだ雨は平常を嫉妬へと耕していく。
 纏めよう。彼女の精神を、あえて可愛らしく装飾して言い直すなら、「まだ負けてないもん、こっちの方が凄いもん!」であろう。那由他の知識を持ち幾百の年月を監視してきた彼女らしからぬ感情だが、所謂子供のような幼稚な心が育っていた。
 いかに人間を見下そうと何するものぞ。完成された感情を作るのならば、それ相応の時を掛けて育て上げなければならない。積極的に対話を試みる事の無かった彼女は、もしかせずともロボ……プロメテスやアトロポスに劣る精神年齢なのだろう。


「……全軍に告ぎます、私の子供たちに命令します」マザーの目は内心とは裏腹に、非常に冷ややかであった。凍てつく程に。


 ふるふると拳を震わせながら、唾を吐き散らす勢いで空を仰ぎながら、譲れぬ想いを放った。
 余談だが、彼女が映像機を介しながら全ロボットに命令する為に、各地の工場の電源が落ちた。完全復旧には数ヶ月の時が必要である事を、頭に血が上ったマザーは気付かない。


「魔物を滅しなさい!! 人間よりも撃破数で劣れば、一機残らず処理しますよ!!!!」


 彼女は今、天にも昇る負けず嫌い精神を発揮した。









     ※そして原始※









「魔物を滅せよ! サル共より敵を倒せなんだら、ニズベールのお菓子は抜きじゃ! 三日もだぞ!」


 過去、ティラン城にてラヴォスに押し潰されたはずの、恐竜人の女王、アザーラの鬨の声が原始の空に響き渡った。
 その声を聞き、後ろに控えていたニズベールが彼女を肩の上に乗せ、猛走する。その勢いたるや、火炎を纏う隕石を思い出させた。


「あざー、ら?」エイラの夢を見ているような声は、魔物の声によって掻き消される。
「死に底無いの恐竜人か。たった二体で何をほざくか!!」


 魔物は言う。それにエイラは心の中で否を呈した。二体? 本気で言っているのかこいつは。この地響きが聞こえないか。大地が揺れる振動を感じないのか。猛々しい呼吸音を知らないのか。びりびりと肌を焦がす空気が分からないのか。
 ニズベールの突撃から丁度十秒。丘の向こうから一体の恐竜が顔を出した。その名を、ティラノと言う。既に老体であるティラノが真っ青な空に火炎を吹くと、それに呼応したように他の恐竜人たちも姿を現す。巨大な顔面を左右に振りながら走るドデッカダッダ、鉄をも通さぬ緑の肌を晒し、嗤う人型恐竜人、小さな噴火山ような外見で、頭頂の空洞からマグマを吐き出すドッカンに背中に二翼をつけた細長い体格のティラングライダ。家を包めるほど長い手を持つ大猿サルガッサ。三角で頭部を飾るトリケラトプスに酷似した恐竜もいれば長い首を鞭のようにしならせて走る恐竜まで。
 その数は、千を超えるだろう。続々と集まるところからして、その数はさらに際限なく増えていく。


「……おいおい、恐竜人は絶滅したんじゃないのか? しかも、人間と敵対してたんだろ? 何で人間と共闘しようとしてるんだ!?」


 魔物が冷静さを欠いたからなのか、理由は分からずとも、エイラは自分の体が動くようになっている事を知る。気付いた瞬間、慌てている魔物の顎に痛烈なアッパーを加え距離を取った。顎を揺らされ朦朧としているも、倒れるには至らない。すぐに目の色を変え憤怒に染める。
 エイラに飛びかかろうと走り出せば、途端目の前に人間の胴体程の岩が現れ、顔をぶつける。
 岩を砕きもう一度前に足を踏み出せば、突然地中から盛り上がってきた石に躓き転等。起き上がったところで何故か丸太が空から落ちてきたので大地に接吻をする羽目となる。傍から見れば、実に滑稽だった。
 エイラには分かる。実際経験したことのある攻撃だからだ。他人で遊ぶ事を好む彼女らしい攻撃方法だと苦渋を飲んだ感覚は忘れられない。アザーラのサイコキネシスに違いなかった。
 魔物が七転八倒している間に、アザーラは既にエイラの隣にまで距離を近づけている。ニズベールの肩の上から見下ろす彼女の目は、酷く呆れたものだった。
 エイラだけでなく、他の人間たちも何を言えば良いのか分からない。感謝すればいいのか、過去の争いを思い出し憎めばいいのか、戸惑えばいいのか。彼らは戸惑う事を選んだ。それしか選択肢がなかったのだ。
 口を開閉させるエイラに、アザーラは問う。「何をしておるのじゃ」と。


「そ、それ! こっちの言うこと、アザーラ、何をしてる? いや、何で生きてるお前ら!?」
「何故生きているか、か。貴様も神頼みとやらをしてみると良い。案外、神とやらは気紛れらしくてな、思いも寄らん願いを叶えてくれたわ」アザーラではなく、ニズベールがエイラの質問に答える。答えているかどうか、微妙なところだが。


 神はニズベールの願いを叶えなかった。思いのままに願いを叶える神など存在しない。
 ニズベールの望みは、自分が死んでも良いから、それと引き換えに主人を助けてくれというものである。神はそれを承る事はしない。
 神は、アザーラだけでなく、ニズベールをも助けることとしたのだ。
 実際には、アザーラを死なせる事をどうしても避けたいと願うニズベールに、それに協力した恐竜人あっての生存ではあるが、それは正に奇跡としか言いようが無い結果である。空も飛ばず、ラヴォスに潰されずその爆発に巻き込まれず今まで生きてこれたのは、なんらかの力が働いたとしか思えない。そのなんらかが何なのか、それを奇跡と当て嵌めるより他は無いではないか。


「なんという体たらくか。お主ら、本当に恐竜人である我らに勝利した者なのか? 技にキレも無く見え透いた罠に掛かる。とても歴戦の戦士とは思えぬ……ニズベール、れきせんとは何じゃ?」
「れっきとしたせんしの略で御座いますアザーラ様」
「そうか……れっきとしたとはどういう意味じゃ?」
「歴戦の略で御座います」
「そうか……分からぬ」
「それでこそ我が主」


 聞くに堪えない堂々巡りっぷりを見せ付ける彼らに、エイラは開いた口が塞がらない。最早笑えばいいのか的確な突っ込みを加えればいいのか。
 今は戦いの最中であると念頭に置きつつも、混乱してしまうのは無理からぬ事である。
 長年敵対し続け、命を賭けて戦ってきた相手が何ゆえ自分たちと共に戦ってくれるのか。後から突撃してきた恐竜人たちも戦線に合流し、目を白黒させているキーノたちと手を結び魔物たちに牙を向けている。思う存分に戦っているのは恐竜人のみ、人間はどのように扱えばいいのか分からず、中には呆然と座り込んだままの者もいた。


「があああ!! 猪口才な真似をしやがって、クソッタレの恐竜人がああぁぁぁ!!!」玩ばれるようにアザーラの術中に嵌った魔物が地面から体を起こし吼える。それを汚らわしそうに見つめて、アザーラはニズベールの肩から降りた。彼女は告げる。「ニズベール、やれ」と。
「御意に」両腕を胸の前に持っていき、二の腕に力こぶを作る。ニズベールの両腕に浮かぶ血管は大蛇のように太く、びくびくと痙攣している。
「ふざけるなよ、俺たちジール様直属の魔物が、お前ら出来底無いの恐竜人に負けるか、すぐにまた殺してやるよ、もう蘇らねえようになあ!!」


 ニズベールが頭の角を前に出し、そのままに走り出す。魔物はそれを眺めつつ、口元を歪め、エイラに掛けた呪文「ストップ」を唱えた。時が止まったように、ニズベールの動きが固まる。
 その間に、魔物の乱打が始まった。拳から棘を突き出させて、ニズベールの顔を、体を、腕を、喉元を殴りつける。容赦無く、終わりの無い打撃。弾けるような音がいつまでも続き、エイラはそれを止めようと駆け出す。
 ……が、アザーラのサイコキネシスによりそれを遮られた。前足を超能力により持ち上げられ、後ろにすっ転んでしまう。後頭部を強かにぶつけ、涙を浮かべながら「何する、アザーラ!」と怒鳴った。


「大丈夫じゃ。あの程度でニズベールは倒れん、なにせ……」


 アザーラが頬を緩ませた。


「私の友人だからな」


 その笑顔に嘘は無い。もう一度ニズベールを見ると、数十発は殴られているというに、血の一滴も垂れてはいない。殴りつけている魔物の方が疲労している程である。己の拳を見つめて、揺らぐ事の無い恐竜人に恐怖を感じてさえいるようだった。
 ストップの効果が切れ、ニズベールが動きを取り戻すと、魔物は悲鳴のような声を上げた。


「嘘だろ、俺の拳はテラ様を除けば黒の夢一の破壊力を持ってるんだぜ? こ、鋼鉄の柱も、大理石も、金剛石の塊だって砕くんだぞ! なのに……なのに何で恐竜人なんぞを潰せねえんだ!?」
「……教えてやろうか」


 ずん、と地面を揺らしながら前に出る。巨体である為、見下ろされる事の少なかった魔物には、自分を上回る背丈のニズベールが近づく、それだけで恐ろしくて堪らなかった。
 震えているのは地面か、自分か、その判別も上手く出来ない。頭も回らない。
 目の前の怪物はなんなのだ、後ろに立って蔑視を送る恐竜人の少女はなんなのだ、自分は選ばれし魔物だ、俺に勝てる奴なんか、黒の夢の中以外にいるものか。それが分かっているのに、ああ、何故これ程に体が震えるのか。


「貴様程度の拳では、俺の肉を破るどころか、皮膚を削る事も叶わぬ。ましてや、俺の……我々恐竜人の誇りを砕くことなど永劫為せぬわ!!」


 右腕を振りかぶり、鉄面のような拳を突き出す。空気を裂き、魔物の腹に当たった瞬間、大地が割れるような音を出して、魔物は遥か後方に飛んでいった。四匹の魔物にぶつかっても勢いは止まらず、人間と恐竜人を侮辱していた魔物は息を止めた。


「俺を倒したくば、せめてあの男並の蹴りを覚えてからかかって来い、魔物風情が」


 ニズベールの言うあの男が誰か、それが分かったのはアザーラとエイラだけであろう。彼の目には、憧れにすら届きそうな色を齎したままに、キーノの姿が浮かんでいた。


「どうじゃ、私たちは強いだろう?」


 歯茎を見せながらふんぞり返るアザーラは、とても誇らしそうだった。己の友人の姿を見たか、その雄姿に驚いたか、と言うようだった。
 なるほど凄い。確かに彼女も彼も理屈ではない強さを備えている。それを認めた上で、エイラは尚も思う。私たちだって、負けてはいないはずだ、と。
 ニズベールの覚悟は見せてもらった。アザーラの信頼の絆も教えてもらった。恐竜人たちの強さを改めて刻み付けた。ならば、次は自分たちの番ではないか?
 エイラは、決して強くない。今までにも、今回でも、幾度も膝を折り自分程度では、と自責した。キーノに大怪我を負わせた時、クロノたちに迷惑を掛けたとき、村の皆が殺され倒れていくのに何も出来ない自分に、罵声を浴びせ続けた。


(でも、エイラは……エイラ、酋長)


 それが、何より悔しい。魔物に軽んじられるよりも、目の前の大地の掟を賭けて戦い続けてきた強敵に呆れられるのが身を焼かれるほどに悔しい。無理やり臓腑を吐いてもこのような想いには至らないだろう。
 だからこそ、彼女は声を張り上げた。その声は凜としたもので、キーノが体に深い傷を負ってからは一度も聞いた事が無いものだった。


「皆聞く! 恐竜人たち、今は仲間! でも負ける駄目! 人間の意地見せる時、エイラたち強い! それ教えてやる! だから……戦え!! 怖くない、エイラたちが世界で一番強いから!!」


 その激励に住人たちが応えたのは、キーノの洩らした「それでこそ酋長。エイラ、頑張った」という零れるような言葉を聞いた瞬間だった。




     ※




 風向きが変わる。数としては、三千を相手取るには心許ない恐竜人の増援。しかし、彼らはお互いの戦い方を熟知していた。恐竜人は人間の、人間は恐竜人の戦闘を幾度も見てきたのだから。
 この恐竜人は火を吐くが、間近の敵には弱い、逆にその牙も爪も比類なき鋭さを誇るが遠くからの射撃には何も出来ないなどと、その習性を己が身で経験している。恐竜人も人間の強さと脆さ、賢しさを理解している。人間はどの程度の攻撃ならば耐えられて、どの程度踏み込めるかを知り尽くしている。その上での連携はこの上なく効率の良い戦闘を繰り広げることが出来る。
 キーノの指示は冴え渡る。元々指揮官のいなかった恐竜人も、渋々ながら彼の命令に従っているのは、偏に彼の頭の良さが理由であろう。戦況を未来まで見通しているような先見力は多種族であっても尊敬せざるを得ないものだった。
 対してキーノも恐竜人という仲間が来た今、水を得た魚のように命令を飛ばす。言い方は悪いが、十全に活用できる駒を得た彼は湧き上がる興奮を抑えきれない。万事に対応できる駒を持つというのは、指揮官として最高の状況だろう。戦いは少しづつでも、押し返すように恐竜人・人間連合が有利なものと化していく。
 エイラはそれを深く理解はしていない。ただ……今の彼女は、誰彼構わずに抱きつきたいような衝動に駆られていた。愛情でも興奮からでもない。それが何なのか分からないまま、彼女は風になっている。
 敵を屠りながら、彼女は過去を掘り返し始めた。それは、遡る事二十年前後の事。まだ彼女の父が存命だった時にキーノが父に聞いた、答えの帰ってこなかった問い。“強いとは何だ”?
 エイラにその答えは分からない。そこまで人生を送っていないし、一生を戦いに捧げる覚悟も、まだ無い。けれど薄靄を掴む程度に理解できたかもしれない。
 強いとは? 力が強いのか、仲間が大勢いればいいのか、不可思議な能力を使えればいいのか、黒の夢の魔物たちのように残酷になれば強いのか。アザーラのようにサイコキネシスを巧みに使えることか、ニズベールのように強固な心と体を持っていれば強いのか。それは違う気がした。


「父さん……」


 正しいかどうかは分からないけど、分かったよ。これがそうなんだ。少なくとも、私にはそうだと思える。
 エイラが見ているのは、とても心が通じ合っているとは思えないけれど、お互いの憎しみは消えないだろうけど、共に戦い合う人間と恐竜人たちの姿がある。時には憎まれ口を叩きながら、迫る敵を倒し、守り、手を貸して生き延びている。そこには戦いがあり、生があった。
 強いとは、こういうことなんじゃないだろうか。『昨日の敵と分かち合える事が強さ』なんてつまらない、よくある言葉なんかじゃない。絆なんて安っぽいものでもない。ただこの光景こそが強いという証なんじゃないか。今の自分たちならば、例え世界を滅ぼす力が迫ろうと退けられるとエイラは確信した。


「……あは、」


 戦いは終わっていない。魔物を倒し尽くしたとしても、黒の夢は依然と空に浮かんでいるし、ラヴォスを倒す目的も残っている。それ以前に、これから恐竜人たちとどのように接していけばいいのか、問題は山積みである。それこそ数えればきりが無い程に。
 良いじゃないか、やる事があるという事は、生きる目的があるという事だ。そもそも、困難な事態に直面するのにエイラは慣れている。難題が襲い掛かろうと、彼女にはキーノがいる。村の仲間がいる。これからどうなるか分からなくとも、いざとなればアザーラたちが何かアクションを起こしてくれるかもしれない。
 全てこうなれば良い。全部が全部一つになれば、越えられない山は無いのだから。それもまた、大地に生きる者の真理。


「あははははは!!!」


 面白いほどに、彼女の拳が敵に当たる。飛んでくる魔法も、武器も、彼女には届かない。風を蹴散らすなど出来るわけも無いからだ。背中を気にする必要は無い。エイラの背中を守るのは人間だけではないから。
 恐竜人の援護を有り難く思う一方、何処かでやりきれないような想いが浮上する。人間の力を見せ付ける為には、恐竜人の助けをもらうのは気が引けるというか、意味が無い気がするのだ。
 そのなんとも言えない歯痒さを知ってか知らずか、キーノは生き生きと恐竜人にも活躍を与える。それが、彼女には不満であった。
 不満の理由は二つ。一つは人間の強さを信じてもっと戦わせてやれという想い。
 もう一つが、もっと自分にも指示を! という渇望。言い換えれば構ってほしいという欲望に他ならない。今の自分は何でも出来るのだから。
 一度考え始めると、そのことばかりに考えが行ってしまうのは悪癖かもしれない。それを自戒する気も無く、エイラはキーノの顔を凝視した。視線を回さずとも戦えるのは凄いと言うよりも不気味であったが。
 ねっとりと絡みつくような彼女の視線に気付いたキーノは身震いして、エイラを見た。恨みがましそうな彼女に戸惑いながらも、長い付き合いからか、彼女の思惑を悟る。
 キーノは迷った。エイラに指示と言われても、彼女は自由奔放に戦うのが一番合っている。下手に『広場西の敵を撃破しろ!』と伝えれば逆効果になるだろう。エイラの事である、指示の内容を気にしすぎて反対に身を縛る結果になるのが落ちだ。
 彼にしては時間を掛けて、エイラへの命令を口に出した。内容は単純そのもの。


「エイラ! 暴れろ!!」
「……っ! うん! 分かったキーノ、エイラ暴れる!」


 キーノが自分を頼ってくれたと都合よく解釈したエイラは今まで以上に動き回り魔物の掃討に力を入れる。彼女の笑顔に顔を赤くしたキーノの様子を見ることは無かった。それが、どちらにとって幸福だったのか、また不幸だったのか。






 弾圧気味な戦いから反転して、一路優勢へと傾いた原始の戦いは、およそ三時間の時を経て終わりを告げる。地平線の向こうに太陽は落ち始め、大地は赤く染まっていた。皆々傷を負いながらも、怪我人の治療に勤しんでいる。死傷者の数は莫大、恐竜人の死者も少なくなかった。
 それでも……勝敗は決し、人間たちは立っている。この広大な大地の上で、その両足で。それだけが結果だった。
 倒壊した酋長のテントの上で背中を預け合い座っている二人──恐竜人のリーダーと人間の酋長の影法師は何処までも続いている。他の人間も恐竜人も、膜の張ったようにゆるい時間を纏っている二人を見つめていた。


「……それで、何でお前ら生きてる? ティラン城、潰れた。なのに何でだ?」先に話しかけたのはエイラである。戦いの最中も、喉に小骨が刺さったような気分だったのだ。一番にそれを聞こうと考えていた。
「今更、それか」くっ、と噴出して、アザーラは空を見上げる。橙の空には既に星が輝き始めていた。「さてな。私たちにも分からぬ。それよりもクロノは何処じゃ? また思いきり遊びたいのじゃ」
「クロ、今戦ってる。だから会えない。それより、分からないじゃ、エイラも分からない。ちゃんと言え」
「なんじゃつまらぬ」アザーラの肩が落ちる。本当に楽しみだったようだ。
「誤魔化すな、アザーラ」


 言葉は厳しいが、口調は柔らかい。アザーラに対しては決して良い感情は少ない筈なのに、どうして今自分は背中を預けきって座っているのかエイラには分からなかった。
 垂れた右手に当たる石ころを掴み、ひょいと前に投げる。湾曲を描き飛んでいく石は、夕日を浴びて消えていく。流れる風が髪を揺らすたびにエイラは肺の中の息を吐き出し、気持ち良さそうに目を細めた。この時間は、案外に悪くない。背中の感触も、暖かさも。


「そう言われても、分からんものは分からん。じゃが、何だろうな。誰かに助けてもらった気もする。酷く優しい声を聞いた覚えがあるのじゃ。とはいえ、目を覚ませば森の中だったのじゃから、確信は無いがな……それよりお腹が減った。何か食わせろサル」
「エイラたち、サル、違う。調子に乗るな恐竜人」
「おうおう、サルめ、言いよるわ……それより、我らは恐竜人ではない。間違えるな」否定されると思っていなかった為、エイラは肩越しにアザーラを見つめて「何言ってる?」と聞き返した。
「我らはもう恐竜人ではない。貴様らに負けた時からな。我らを呼ぶ時は『アザーラ族』と呼ぶのじゃ。うむ、良い名前じゃろう」彼女のなんとも言えない決断により、恐竜人の名は歴史から消えたらしい。開けてみれば、随分馬鹿らしい真実であるのは、万象、どの歴史でも同じ事なのかもしれない。
「……それ、頭悪い、アザーラ」
「何い!? 頭が悪いと言う方が頭が悪いのじゃあ!」


 二人の刺々しい言葉は、傍目には仲の良いじゃれ合いに見えて、それは伝染する。ニズベールとキーノは笑いながら再戦を誓い、お互いの健闘を称える。イオカ村の人間は何処からとも無く太鼓を用意し、ラルバ村の人間は怪我人の治療を。恐竜人はその手伝いを。
 恐竜人の薬は、イオカ村特製らしい薬草をすり潰しただけの物よりも効果があり、ラルバ村の長はその作り方を聞きだしてすらいた。


 ──とまあ、寂寞とした空気と、静けさを保っていた彼らだったが……それもすぐに終わる。
 一度太鼓が鳴り始めた時、イオカの人々は怪我をしていようが疲れていようがお構い無しに踊り始めた。ボボンガのリズムが広がっていく。戦勝会のようなものなのだろう。食料も水も僅かながらに、それは宴だった。
 ラルバの人々は呆れた。この疲れて動きたくも無い状態で踊るなどと正気なのか疑った。恐竜人も同じく、やはり人間は妙な生き物だと訝しい表情を作った。
 とはいえ、それも一時の事。いつのまにか、宴の空気は広がり、皆々で大いに騒ぎ、踊り、飲んだ。貯蔵水の桶は壊されていたので、飲むものなど酒しかない。戦の後ならば、それも良いだろう。手を取り合う彼らに、人間と恐竜人という種族の壁は無かった。
 苦笑しながらそれを見守っていたキーノは、自然エイラの元へ歩き出している。
 エイラの周りには、アザーラ、ニズベールと恐竜人のリーダーが揃っていた。それを見て、キーノは顔を引き締める。恐竜人のリーダーが揃っているならば、人間の代表格として、言わなければならない事があったからだ。


「アザーラ、お前ら、大地の掟、忘れてないな?」
「当然じゃ。悔しいが、私たちは敗者じゃ。その決着をつけるというならば、いつでも首を差し出そう」キーノの突然の切り出しにも慌てず、目を閉じるアザーラ。何処と無く大人びているように感じられるのは、彼女が成長した証拠だろうか。
「決着はつける。それ、大地の掟」
「キーノ!?」


 折角、長年の争いを終えられるかもと希望を持っていたエイラは驚愕しながら、彼を責めるように刺すような眼差しを向ける。
 けれど、エイラの予想と反し、キーノはにこやかに笑って見せた。安心していいよ、と言われているみたいで、エイラの勢いは瞬時に止まる。もぞもぞと背中を丸めて、顎を引いた。


「掟として、負けた方は消える。でも、いつまでに消える、決めてない。だから別に、お前ら消える、今じゃなくて良い」
「妙な事を言うなキーノ。確かに、消える期限は大地の掟に定められていない。ならば、貴様の言う決着はいつつけるのだ?」ニズベールの言葉に、キーノはそんな事は知ったことではないと首を振った。
「そんなの知らない。明日でも、来年でも、百年後でも、大地が消えた後でも、良い。いつかはお前らも死ぬ。その時に掟は守られる」
「……それでは、掟などあって無いようなものではないか?」アザーラは困惑した。そんなものは詭弁だと言いたそうな様子である。
「掟は大事。でも、それよりも仲間は大事。お前ら、クロの仲間。なら、キーノたちの仲間……何で、それ、分からなかったか。キーノ、頭悪い……エイラもそれで良いか……っ!?」


 キーノの呟きは途中で終わる。今正に答えを貰おうとしていた相手から、抱きつかれたからだ。エイラは座ったままの体勢から、飛び出すように立ち上がり、キーノの体に手を回して押し倒した。
 疑問符を上げて目を回すキーノに、彼女が送るのは、熱烈過ぎる接吻。アザーラはさっきまでの堂々たる態度を崩し、小さな悲鳴を上げる。手で顔を隠しながらも、指は開いているのは思春期ゆえか。ニズベールは己の主の顔を手で覆う無礼を働くべきかどうか思案している。
 普通のキスにしては長い時間唇を合わせた後、酸素を求めて、エイラはぷは、と口を離した。その顔は、沈む夕日に負けず劣らず、赤くなっていた。勿論、キーノも。


「エイラ、キーノ好き! やっぱり、一番好き!!」


 キーノの答えを待つ事無く、再度口付けを行使する。今度は、されるがままではなく、キーノも彼女の背中に手を回し、左手をエイラの後頭部に回してより深く求める。
 実に彼女ららしい原始的な求愛である。けれど、これ以上の愛情表現が他にあろうか?
 長々とした説明は要らない。ただ、一人の女性の片思いは終わり、一つの恋が成就した瞬間である。
 それを見つけた人間と恐竜人たちは、今まで以上に騒ぎ立て、彼らを祝福した。中には、涙を流している者さえ。きっとエイラの恋心を知りながら報われずにいた今までを見てきた人間だろう。拳を突き上げ「ホホーー!!!」と歓声を上げている。
 そんな中、一人だけ頭を押さえている者がいた。彼はぽつり、と誰にも聞こえない小さな声を洩らす。


「……アザーラ様の情操教育に悪い……」


 恐竜人に情操教育が必要なのかはともかくとして、彼の案じている恐竜人の女王は顔を隠す事も忘れて、きらきらと輝く目でエイラとキーノの行為を見学していた。
 彼女が見学して得た知識を披露する日は、恐らく遠い。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/07/04 14:24
──本当に持っていくのですか?
──何を今更。これを使わなければ勝てないと、貴方が言ったんじゃないですか。


 少年は、口を尖らせて不満を洩らした。


──そう……ですね。けれど、出来るなら私は……いえ、絶対にこれを使っては欲しくありません。きっと違う道もあるはずだと信じています。
──ありがとうございます。僕もそう願いますよ、でも、万一の為にこれは預からせて貰いますね。


 女性の手から、少年は銀色に輝く何かを貰う。思わず目が行くような光沢と輝きは美しく、見るからに価値の高い、そして頑強そうな印象を受ける。ただ、それと同じほどに、見る者に不安感を植えつけるようなそれは、なんとも不可思議な代物だった。


──分かっていますね? これを使うとき、貴方は……


 女性の警告を耳にしながら、少年は空を空を見上げた。太陽も星も、まだ見えない。












 正直に言って侮っていた。
 敵ではない、彼女である。強いというのは分かっていたし、それなりに頼りになるのも確かだ。けれど、詰めが甘い。それを感じ出したのは、やはり女性化してからの醜態が印象深いのだろうが。
 魔王城で、彼女の強さはある程度理解していた。それがそもそもの間違いか。それから多少の修行をしたところで、私やクロノには及ばないと勝手に考えていた。私自身、相当の魔力を秘めていると自負しているし、クロノも今では立派な戦士と化していた。何より、場を動かす事に関しては彼は特級である。
 よく言えば剣の達人、悪く言えばそれしか出来ない不器用な人間だと、カエル──いや、クロノと同じくグレンと呼ばせてもらおうか。グレンを評していた。
 ……グレンは、今や八匹の魔物を切り倒し、血糊を払っている。彼女の動きを、私は見ることは出来なかった。魔力を練って、二体の魔物を焼き尽くした後に見た光景がそれだ。速さならエイラに次ぐと思っていたクロノでさえ、三体の魔物を薙ぎ払っただけ。残る魔物はグレン一人で相手したのだ。
 正に閃光。彼女の剣先が揺れたと思った瞬間、摩擦熱すら生じる飛込みで魔物の脇を通り過ぎ、その際に切り刻み、鞘に剣を戻す。数瞬後に、魔物たちは膝を落としていた。


「随分強くなったんだな、グレン。いや速くなったか?」同じように刀を納めながら、クロノがカエルに声を掛けた。
「まあな。蛙だった頃に比べて力は落ちたが、その分速さを鍛えた。元々の、俺の戦い方を思い出したというところだ」


 血飛沫さえ体に付けず戦う彼女は、流麗というか、優雅にさえ映る。多分に嫉妬を込めて言えば、かまいたちみたいだ、と思った。


「グレンがそこまでやれるなんてね。援護役の私なんて必要なかったかしら?」
「そうでもないさ。流石に俺も空中に浮かぶ敵にはてこずる。ルッカを頼りにしてるからこそ、自由に動けるのだ」
「へ、へえ。ところでクロノも強くなったのね。グレンほどじゃなくても、三匹の魔物を刀だけで倒すなんて!」


 謙虚でもなく、奢るでもない彼女はなるほど、騎士と言えよう。紳士的で、本音だと分かるそれに私は赤くなった顔を見られないよう、クロノに話を振る。


「だろ? もっと褒めろ」


 彼はもう少し謙虚でいるべきだと思う。いっそ性別が逆なら……グレンはともかくクロノは気持ち悪いわね。
 黒の夢に入って一時間。かなり歩き回ったと思うのだが、一向にジールの姿は見当たらない。魔物は際限なく現れ私たちの体力を削るばかり。とはいえ、他の誰かに交代することも出来ない。ここにいない仲間は皆それぞれの世界を救うべく奔走しているのだから。


「のんびりはしていられない。先に進むぞ」


 グレンを先頭に、奥へ奥へと入り込む。黒の夢内部は、造りは海底神殿と変わらない。いつものように黒々として、発光する天井や床(恐らく電気の光だろう)の明かりすら吸い込んでしまうような、暗澹とした洞窟染みた雰囲気だった。何ゆえか暖かい内部は安心感よりも化け物の胃袋の中にいるような錯覚を覚えさせる。それこそ壁から伸びたコードなんか、化け物の血管では、と見紛うような不気味な形状だった。間違えて踏んでしまった時の感触はきっと一生忘れないだろう。
 窓が無い為、太陽の光はここまで届かない。それがここまで心細くなるとは思わなかった。魔物たちにとってはそれが居心地良いのだろうか。私には分からない。


「なあ、なあ。そろそろ着くかね?」気だるそうに、クロノが言う。
「海底神殿と同じ大きさなら、ようやく半分ってところでしょ。あんた、もう疲れたの?」
「寝てないんだ、あんまり」そういえば昨日時の最果てで、私が寝入るまで彼は起きていた。それからもまだ騒ぎ続けたのだろうか? とはいえ自業自得だが。決戦にて寝不足だなんて、気が抜けているとしか思えない。
「我慢なさいな。最低他の皆が合流できるようになるまで交代なんて出来ないからね」
「交代したいってわけじゃないさ。ただまあ……いや、なんでもない」


 様子がおかしいな、と感じたが特に深入りすることも無く、そう、とだけ告げておいた。なんとなくだが、彼の不調の理由は分かっている。私も同じだからだ。
 この黒の夢に入ってから、どうも調子がおかしい。頭の中に靄が浮かんでくるみたいな、ふわふわとした感覚だ。熱病に浮かされた時と似ているが、別に気分が悪いわけでも頭痛がするでもない。戦闘に入れば忘れられるのだが、こうして歩いていると靄がまた発生する。どうしたものか。
 と、悩みながらの行軍だが、ようやく今までのように狭い廊下ではなく、広い場所へと出ることができた。円形のドームのような部屋で、広さは半径二十メートルというところか。私たちが出てきた通路の対面に、同じような通路の入り口が見える。
 内心、ようやく先に進んでいると確信できる場所に着いた喜びが生まれ、また戦闘か、と呆れている気持ちも生まれた。
 対面の通路を塞ぐように、両手の長い、顔が異様に膨らんでいる機械とモンスターを出来損ないに融合させたような魔物が立っていたのだ。肌と電線のようなコードが繋がっている部分で、肉がぐじゅぐじゅと盛り上がり、また戻るの繰り返しをしている様は、生理的嫌悪を及ぼすには充分だった。


「俺が先に行こうか? グレン」
「いや……所詮大きいだけの魔物だ。俺一人で良い」


 グレンは先んじて走り出し、単身魔物に肉迫する。念のためにとファイアの上位呪文、ファイガの詠唱をしておくが、おそらく放つ必要は無いだろう。
 確かに、目の前の魔物は強敵だが、それでもグレンには届かない。これも魔物たちと戦ってきた為か、なんとなく敵の力量は分かるつもりだ。確信はしても油断はしたくないので、一応魔力は練っているが。
 魔物が長大な腕を伸ばし走り来るグレンに振るが、彼女は跳躍してその腕に乗り、そのまま腕の上を走って魔物に近づいている。
 それを好機としたか、魔物は腕を振り回して振り落とそうとすることもなく、そのまま口を開き豪快な火炎の息を吐いた。その威力たるや、魔王のファイガに迫るだろう。
 猛炎の壁が迫る中、グレンは自分の頭の上に申し訳程度に水を生み出し被ってから、火の壁に突っ込んだ……後で髪の毛を梳かしてあげないと。
 後は、いつも通り。壁を突っ切り飛び出したグレンは魔物の首筋に刃を当てて振りぬいた。首の半分以上を両断された魔物は絶命の声を上げることも無く床に倒れ、死ぬ。宙を回転しながら着地するグレンは、先ほどと同じように剣を一振りしてから鞘に戻している。


「番兵にしては、質が低い。我がガルディア騎士団の方がよっぽど屈強だ」


 目を細くして亡骸を見つめる彼女にクロノは口笛を吹いて、やんややんやと手を叩いた。


「本当に強くなったなあグレン。今までとは丸っきり別人じゃねえか!」
「い、今までのことは忘れろ。これが俺の本当の姿だ」
「いやいや……メイド服で暴走したお前もお前だ。忘れないよ、あの時の事はさ」
「忘れんか!!」


 そういえば、あの時の映像ってまだ残ってるのよね……今度グレンには何か奢ってあげようかしら? あんなに面白い映像を残してくれたんだから。
 そんな事を思いながら、離れた場所でクロノとグレンの掛け合いを眺めていた。
 ──いつも通りの光景なのに、何でだろう。酷く胸が痛むのは。
 ここに来てから、おかしい。時折頭ががんがんと痛む。誰かが私の頭の中で暴れている感覚に冷や汗すら浮かび始めた。気を抜けば泣き出しそうになるくらいの、心臓を締め付けられる感覚。私は左胸をぐっ、と押さえて、二人に走り寄る。


「ほらほら、速く先に進むわよ? まだ先は長いんだから……」
「なんだよ、もっとグレンで遊びたかったんだけどな…………ルッカ逃げろ!!」


 急に形相を変えて叫ぶクロノに、私は「へ?」と間の抜けた声を出す事しか出来なかった。
 ふと下を見てみると、私を覆う黒い陰があった。続けて上を見ると、目の前には何も見えない。巨大な何か以外には、何も。
 そこまでして、ようやく魔物らしき存在が私の上に落ちてきている事が理解できた。できたからとて、何が出来るでもないのだけれど。
 すると、クロノが状況を上手く把握出来ていない私の腕を持ち、引き摺り落とすように床に伏せさせる。彼は早口で呪文を紡ぎ、右手を魔物に向けた。「消し飛べ」という小さな声が聞こえた。


「シャイニング!!」


 クロノの右腕が歪んだように見えた。彼の掌から産まれ出でた莫大な電流がそう錯覚させたのだろう。電流はすぐさまに集束し、球体へと変化する。丸い球体が四つに分かれて広がり、それは敵を捕食しようとしているみたいだった。
 面と化した電流塊に魔物が触れた途端、その部分から消滅していく。焦げるではない、消えていくのだ。微塵と残らず、下半身から徐々に分解されている痛みと恐怖から、魔物は耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げた。
 魔法なのだろうか、その球体が魔物を全て消滅させると、クロノが開いていた掌を握り、座り込んでいた私に手を伸ばす。「大丈夫か?」
 助けてもらった礼を言わねばならないのに、何故だか私は顔を俯かせてしまった。一応、絞り上げるように、「ありがとう」と呟いたが、とても彼に聞こえたとは思えない。もごもごと口篭ったようにしか思えないだろう。


「クロノも随分強くなったな。いや、それは中世で分かっていた事だが……もう魔法ではお前に敵わんか」グレンが感嘆の声を上げる。
「でもないさ。今のでかなり魔力を消耗した。連発は出来ないし、コントロールも完全とは言えない。暴走させるとまでは言わないけどさ」


 にぎにぎと拳を握る彼は少し疲れた顔をしていた。私の不注意でそうなったのは間違いない。感謝の気持ちより、申し訳ない気持ちの方が強かった。
 どうしたことか、深刻に私はおかしくなっている。敵中にいるというのに気を抜くなんて、私らしくない。
 ──あれ、私らしいって、どんなだっけ?
 まるで、『もう一人の私』が存在するような気持ちの悪い感覚。誰かに足首を掴まれているような煩わしい倦怠感が体に残っている。それでいてふわふわと体が浮くような気分なのだから、もう何がなんだか分からない。


「……どうした? 立てないのか?」ずっと手を伸ばしてくれていたクロノが訝しく顔を歪めていた。
「だっ、大丈夫よ。ありがとね」


 彼の手を借りて、ゆっくり立ち上がる。貧血みたく、よろ、と視界が揺らいだがそれを悟らせたくない。ぐっ、と足を踏ん張らせた。大丈夫、大丈夫。
 どうした事か。黒の夢に入った時よりも、この妙な気分が強まっている。特に、この部屋に入ってから際限なく浮遊感が高まっていた。
 こんな時に風邪なのか? と考えるも、それとは違う気がする。いや、絶対に違うとは言い切れないけど、こんな状況で病気になっていたなんて笑えない。
 と、今度は歩き出した二人についていこうとしない私がいた。クロノたちが先に進んでいた事にも気付けずにいたのだ。慌てて走りよるも、彼らは不審そうに目を細めている。クロノが私の肩に手を置いて視線を合わせてきた。叱られるのかな、と思ったが、反対に彼は酷く心配そうだった。揺れている瞳に私は困惑してしまう。ああ、世界中で皆が頑張っている時に私は何を心配させているのだ。自己嫌悪が頭を占める。


「なあルッカ……あの日なのか?」
「違うわよ。凄くとても違うわよ!!」肩に置かれたクロノの手を虫を触るような手つきで払い落とした。死ねばいいのに。
「恥ずかしがる事は無いぞ、ルッカ。体調が悪いなら言ってくれ。大丈夫、グレンがお前の分まで戦ってくれるさ。ほら、あいつ生理無いから。半分蛙だから」
「あるわスカタン!!」


 …………まただ。二人からすれば、有り触れた光景なのかもしれない。ただそれが、私の胸を焦がしていく。楽しげに会話する二人が、嫌で嫌で仕方ない。
 嫉妬か? まさか。クロノにそんな想いを持つなんて有り得ない。もしかしたら、思い出せない位前には彼の事が好きだったかもしれない。けど今は違うはずだ。良い奴だと思うし、案外優しいのも知ってる。でもそれとこれとは話が違う。悪い点よりも良い所の方が知ってるのも確かだが、恋愛とは理屈じゃない、良い所を沢山知っていたとしても、心が従わなければそれは恋愛にはならない。もう少し年を取ればその考えは変わるのかもしれないけれど。とにかく、クロノをそういう目で見てはいない。
 なら、なんでこんなに痛いんだろう? 心臓にのこぎりを押し当てられて、削られるみたいだ。──自分の場所を取られたみたいだ。


「……返して」
「え? 何をだルッカ?」グレンが私の言葉を拾い、問うてきた。
「なんでもないわ。さあ、行きましょう」


 そう。なんでもないのだ。ただの気の迷いか、最終決戦の中で少しおかしくなっているだけ。すぐに慣れるわ、この嫌な気分も黒の夢の中が気持ち悪くてそう感じているだけ。深い意味なんて無い。ある訳無いのよ、絶対。
 少しずれていた帽子を被り直して、深呼吸。気にしなくて良い、気にしている余裕もないでしょうが、と言い聞かせる。でないとどこかから壊れてしまうのではないかと危機感を感じていた。
 ドーム状の部屋を出ようと、先の通路に足を向ける。まだ私に思うところがあるのか、二人は少々渋るようだったがついてきた。大体、一人で時の最果てで休憩するなんて出来るわけ無いじゃない。私だって未来を救う為に戦ってるんだから。


──本当にそれが目的だったの?──


 誰かからの問いが聞こえた気がした。
 しかしてそれは勘違いで、実際には部屋の天井から、何者かが声を掛けてきただけだった。


「くそ、まだいたのかよ!?」


 クロノが連戦に疲れたように愚痴を溢す。頭上から、人影が降りてきた。
 結構な高さにも関わらず、そいつは音も立てず床に落ちた。薄笑いを浮かべて、感情を込めている訳でも無いのに底冷えするような声を放つ。


「よおルッカ。久しぶりか? そうでもないのか? ここじゃあ時の概念が無いからなあ、よく分からねーや」
「テラミュータント……!」


 古代での戦い、海底神殿にて私が戦った魔物。マールに大怪我を負わせた憎むべき敵。その力は決して侮れない、私特製の爆弾を用いても致命傷を与えることが出来ず、その時は完敗した。
 他にも、私の唇を奪った恨みも忘れていない。そのお陰で、私は……私は? どうなったんだっけ?
 思考にノイズが走る。思い出せない、思い出せない。そもそも何で私はこいつを恨んだんだっけ? 強引にキスされたから? 勿論それもある。でももっと深い恨みがあったはずなのに。
 ……ああ、そういえば無抵抗のクロノに暴力を振るった事もあった。なんて酷い奴なんだと思った。
 それだけ? 『酷い奴だ』としか思わなかったの? それで良いの? 良いに決まってる、それ以外に何を思わなければならないのか。そこに、幼馴染のクロノの痛みを返す以外に理由が必要なのか。
 ああ、頭が痛い。割れそうに痛い。でもそれは表に出さない。


「クロノ、グレン、二人とも先に行って。こいつは私がやるわ」
「なっ!? 本気かルッカ! 見るからに、奴は他の魔物とは違うぞ、別格と言って良い!」


 グレンが慌てながら私を止めようとする。
 彼女に何か言う前に、クロノが一言、「分かった」と頷いてくれる。彼は私とテラの因縁を知っているからだろう。そうするのが当然とさえいうようだった。


「おいクロノ!? 奴が何者か知らんが、ルッカ一人で勝てる相手かどうか分からんのか!」
「大丈夫だグレン……ルッカはそうヤワじゃねえよ。だよな?」


 クロノの確認に、私は笑って応える。なぜか、こんな風にお互いを分かり合っているような行為が嬉しく思えた。全く持ってどうにかしてる。


「何より、ルッカが決めた事だ。それなりの理由も知ってるつもりだ、邪魔できねえよ……後からすぐ追いつくんだよな?」クロノの言葉に、私はいつか誰かが言ったような台詞を放つ。
「その質問に、答えがいるかしら?」
「……違いねえ」


 二人がここから離れていくのを感じる。テラと向かい合っているので分からないが、足音が離れていった。
 存外、信用されるのは悪くないわね。


「待たせんなよなあ、でもま、お前と二人っきりになれんのは嬉しいけどさあ」過去の記憶通りに、テラは軽い口調で笑った。
「そう? 私は虫唾が走るわ。とっとと終わらせるわよ」言いながら、火炎を体から迸らせる。すぐに決めてやるつもりだった。
「強いなあ、言葉だけは……それとさ、もしかしてなんだけど、お前……」


 手首を鳴らしながら、テラは私の顔を覗き込むようにして、ぽつりと呟いた。
 その言葉の意味は分からなかったけれど、私の心はざわめき始めた。何かが始まる予感と、終わる予兆を感じながら、戦いの鐘が鳴る。


「記憶、改竄されてねえ?」












「本当に良いのか? ルッカ一人に任せて……」走りながら、グレンが眉根を寄せながら言う。
「心配し過ぎなんだよグレンは。ルッカの強さはお前も知ってるだろ……いや一緒に戦った事はあんまり無いのか?」


 そもそも旅に出る三人パーティーではいつも俺が組み込まれているので、そう他のメンバーは俺以外の力量をあまり知らないのかもしれない。かくいう俺もルッカと共に戦ったのは俺が死ぬ前だから、どれ程に強くなったのかは分からないのだが。
 確かに、ルッカは単独で戦うタイプじゃない。後方から魔法や銃で援護するのが最もらしい戦い方なのだ。近接戦闘は得意で無い彼女を一人で戦わせるのは悪手だろう。そんな事は俺でも分かってる。けれど、それでも。
 何故だか、奴と戦うのはルッカでないといけない気がしたのだ。ルッカがあいつを倒さない駄目なんだ。ルッカがそう言ったのだから。
 ──あいつがそれを言ったのって、いつだっけ?
 絶対殺すから、と言ってた気がする。それはいつの事だろう。記憶を手繰り寄せても、一向に答えは出なかった。酷くもどかしい。


「……負けないさ。あいつは負けない。約束は破らないんだから、あいつは」


 念入りに言う俺を、グレンは小さく笑った。


「信頼しているんだな、ルッカを」
「長い付き合いだ、ある程度は信頼してるさ」
「ははっ、そうか……」
「悪いか?」気恥ずかしくなって、ちょっと不機嫌に言う。
「悪くない。むしろ良い事だろう」


 若さを羨むような視線がうっとうしい。なんだその弟分を見るような目つきは。非常によろしくない。背中がむずむずする。
 知らず後ろに手を伸ばし肩甲骨の辺りを擦る。「ダニか?」と聞いてくるこいつの何とも言えぬ感覚がある意味羨ましい。


「……それでも、離れがたいと考えるのは、信頼してるってことなんだろうな、お前も」


 何を言われたのか分からなかったグレンは「?」と首を傾げる。それで良いさ。面と向かって言うつもりも、遠回しに伝える気も無い。そういうものだろう、仲間とは。
 ……そういえば、覚えているだろうか、あいつは。俺はあまり記憶に無いけれど、何故おぼろげなのかも分からないくらいだけど、覚えていてほしい。出来れば、俺が忘れているそれを教えてほしい。とても大切な事だったと思うんだ。勝手な理屈だけど、俺は忘れてもあいつは覚えていてくれればそれでいい。そんな瞬間があった筈なんだ。
 だからこそ、あいつとは特に離れがたい。
 そんな事を考えながら、深い闇に突き進んでいく。足を一歩前に出すだけで辺りから魔物の気配が濃くなっていく。深淵に近づくにつれ、その姿は克明になるだろう。ある意味それって真理なのかも知れないな、なんて俺に似合わず浸ってみる。
 そのままぼう、としながら走っていると、暗がりから肌の赤い、目玉が全身の大部分である魔物が襲ってくる。数は一体。俺は回避行動を取るでもなくそのまま走る。俺が身構える必要も避ける必要も無いからだ。


「シッ!!」


 グレンが時を超えたかと思う抜き払いで魔物を両断する。瞬発力などの、一瞬の速さならエイラ以上……いや今まで出会った中で最も速い彼女である、この程度は造作も無いのだろう。


「おいクロノ、無防備に走るのは感心できんな、剣士たる者常に気を張っておくものだ」
「グレンを信用してるのさ。それに、俺は剣士じゃねえ」
「剣士ではない? ……ふむ、まあお前は剣と魔法、どちらも使えるからな、魔法剣士とでも言うべきか?」
「俺は俺だ。肩書きはただの悪戯小僧で構わねえよ」


 嘯くように言った後、舌を出す。グレンは顔を顰めた後、諦めたように息を吐き、「まあ、お前らしいか」と言ってくれた。褒め言葉として受け取っておこう。彼女は笑っていたから。
 様々な魔物を切り倒し、時には消し飛ばし、止まる事無く走り続ける。
 最後の戦いは、近い。多分、俺たちが思っているより、ずっと。












 テラの腕が伸びて、私に迫り来る。咄嗟に右に転がり避けるが、テラの腕が壁にぶつかり、破片が飛び散り、私は足に傷を負った。まさかただの拳が海底の圧にも耐える黒の夢の壁を壊せるとは思っていなかったのだ。
 ……いやそれは言い訳か。結果として彼を侮っていたという事に違いは無い。それからもテラの攻撃は留まらず次々に攻撃は続いていく、銃を出す暇も、魔法を唱える時間も与えられず、私は無様に転げまわるだけだった。
 腕を伸ばす事を止めたテラは、少し落胆した表情を見せて、距離を詰めてくる。私と彼までの距離は七メートル程度、彼の脚力ならば油断できる距離ではない。
 腰に手を回し、ホルダーに納められていたメガトンボムを取り出す。詠唱を破棄した簡易の呪文を唱え、右手に火を作り出し、メガトンボムを誘爆させる。魔法の恩恵として結界染みた力が私を爆風から守ってくれるも、ダメージは必至だ。
 それでも、テラに傷を負わせられるなら、と一縷の望みを賭けた、自爆とほぼ同義の攻撃。未だ彼に傷一つ付けられていない私の苦肉の策だった。
 私の目論みは、残念な事に不発に終わる。いやダメージは与えられたのだ。集束された熱と爆発はテラの左腕を奪う事に成功した。が、秒と掛らず彼の腕は再生し、爆風の影響で尻餅を付いていた私の腹を蹴る。
 涎を撒き散らしながら飛ぶ私は、酷く惨めに見えたろう。床に落ちて、蹴られた箇所に手を当てながら、咳き込む私をテラは実に冷ややかに見下ろしていた。


「驚いたなあ、前とこんなに変わってないとはさー。いや、むしろ悪化してない? マジ、つまんねーんですけど?」
「それは……ごほっ!! 悪かった、わね……!」
「いやいやまあまあ、俺の期待が大きすぎたのもあるんだろーさ。残念なのは確かだけど。だって期待してたんだし」


 勝手に期待して勝手に失望するな! と叫ぶには、痛みが強すぎた。結局私は言われるがままになってしまう。


「だってさぁ、これじゃ報われないだろ? お前との戦いをすっごい楽しみにしてた俺が。中々無いんだぜ、俺が人間に期待するなんて。名誉だろ? 普通、誰かに期待されたらもっと頑張るでしょー」


 ひらひらと手を振って、頬を膨らませる彼は嘆いているようにも見えた。それ以上に楽しんでいるようにも見えるが。
 恐らく、彼の心情はどちらでも無いのだろうけど。いまや、彼の殺気は鳥肌が立つ程に強まっている。今彼の感情を二語で表現するなら、『退屈』に尽きる。彼の眼は一切笑っていないのだから。


「なあなあ、隠し玉とか無いの? 俺を倒す為のとっておきとかさ、準備してるんだろ? ……なあおい!!」
「ぐっ!!」


 テラに首を掴まれて、無理やり立たされる。喉を締め付けられて何も言えない私に、テラは尚も詰問する。


「嘘だろ……? 俺ってば、こんな奴を望んでたのか? 俺にまともに攻撃も当てられず、逃げ回る所かそれすら出来ないクソッタレの人間を」


 一方的な理屈で私を待ち望み、足に怪我を負わせて腹に蹴りを放ち今首を絞めている私を、テラは心底恨んでいるようだった。親の仇を見るような、といった感じだろう。
 ……駄目だなあ、どんどん視界がぼやけてきた。テラの放つ言葉が耳鳴りに負けていく。頚動脈を押さえられているからだろうか、意識も薄れてきた。
 ああ、私だって待ち望んでいたのになあ。彼との再戦を。必ず殺すと決めていたのに、私の親は健在の為比べるべきではないが、親の仇、それ以上に恨んでいたはずなのに。その相手が目の前にいるのに、悔しいなあ。
 ──それくらい恨んでいたのに、何故私は彼を恨んでいる理由を思い出せないのだろうか。どうしても、彼を心から恨んでいるその原因を掘り起こせない。
 彼と初めて出会ったのは何年も前の話じゃない、精々二週間足らずの事だ。なのに何故だ? どうして私は思い出せない? 記憶力には自信があるのにな、私は。
 証拠にほら、もう十何年も前のクロノとの出会いを、私は覚えている。あれは確か、お父さんに連れられてジナさんの家に初めて行った時の事だ。クロノは私よりも小さくて、気が弱かった。何だか、私は弟が出来たような気分になって、いつもお姉さん風を吹かしながら彼を連れまわしたのだ。時には町に、時には森に、時には町外れの丘の上に。
 その頃のクロノは友達が少なかったから、私以外に遊ぶ子供がいなくて、私が彼の家を訪問するとほにゃ、と笑った。頼られている、と感じられるのは、小さい私には嬉しかった。


──違うよ


「あーあ、時間無駄にした。もういいよ、お前。早く死んでくれ。他の奴らを追わないといけないしさ」


 喉を絞める力が強まる。頚椎ごと折られるのではないかと思う力は私の意識をぶつぶつと千切りとっていく。ざっくばらんにコンセントの束を抜いていくみたいに、私を動かす力が消滅する。もう、彼の腕を掴む力も無い。すぐさま私は死ぬのだろう、なんだか現実味が無くて、何処か私は今の自分の状態を客観的に見ていた。
 こういう時って、誰かが助けに来てくれたりするのよね。代表的な存在を出すなら、キリッとした顔の美形で優しい、笑顔の素敵な男の人が颯爽と現れて「ルッカ、大丈夫か!?」なんて……
 年甲斐も無く青臭くて恥ずかしい妄想が始まる。もしもそんな事があったら良いのにな、という状況と合わない考え事。マールたちには言ってないけど、こういうのは嫌いじゃないのよね。
 そこから、私の初恋が始まるのだ。まさかこの年になるまで誰も好きにならなかったなんて、小さい頃の私は思って無かったろうな。思ってたら怖いけどさ。


──いたよ


 でもさ、恋って何? どうなれば恋してるって事になるの?
 その人と一緒にいれば幸せ、それは恋をしてるって事? 他の女の子と一緒にいる場面を見て胸が苦しくなったらそれは恋なの? 体を重ねたいと思えたら恋なの?
 科学的に言って、生殖本能を刺激されているという事で、性行為を望むという事が恋なんだろうか。それは何だか直接的過ぎてつまらない。
 私には、まだ分からない。正直に言えば、あまり知りたいとも思っていない。知っちゃったら、大概のものは面白くなくなってしまう。夢は夢のままが良いという理屈と同じだ。


──知ってるんだよ


 
「本当に、つまんねー。お前みたいな奴に口付けしたとか、悪夢じゃん。後で念入りに洗っとこー」


 それは、強引に奪ってきたお前が言う事なのか? と苛立ち混じりに疑問をぶつけたかったけれど、喉からは微かにひゅうひゅうと音が鳴るだけで、言葉は形にならない。
 彼とのキスは思い出したくも無い。魔物相手に、という問題以前に彼と、というのが我慢ならなかった。そもそも、私は初めてだったのだ、もう少しロマンチックなものを想像していた私に対してなんという非道な。この年になって夢溢れるファーストキスを願っていた私は結構哀れなのかもしれないが、それは置いておこう。


──初めてじゃないよ


 そう、初めてじゃない。確かに私は誰かと口付けをした気がする。でも相手は思い出せない、誰とキスをしたのだろうか?
 クロノか? いやまさか。何度も言うけれど、私はあいつとそういった甘酸っぱい関係になった事も、予定も無い。では村の誰かか? まさか、言い方は悪いが、凡庸な村の子供に捧げる程私は軽い女ではない。
 じゃあ、誰だっけ。何度もロマンチックたる自分を強調しておいて、相手を思い出せないとは逆に恥ずかしい。一度口にしたならば、突き通すのが筋だろうに。


──小さい頃だったね。もう思い出せないかな?


 私の記憶力を馬鹿にするな。覚えているさ覚えている。そうだ、あれは海に行った時じゃないか。小さい頃の私ははしゃいでしまって、足がつって、溺れてしまったのだ。がむしゃらに体を動かし浮こうとするも、犬掻きにすらなっていなかったのだ。
 私は誰かに助けられた。私の体力は尽きていて、助けられたというのにお礼もせず目を瞑ったまま砂浜の上で横たわっていた気がする。
 私を助けた誰かは、意識が戻っていないと思っている私を起こそうとして、飲んだ水を吐かせようと何度もお腹を押してきた。意識はあるんだから、水なんて吐き出している、効果は無い。でも私は目を開けない。
 多分それは、ちょっとずるい期待を思っていたからなんだ。このままなら、彼と私は……するかもしれないなんて。子供らしい、人に心配をかけても自分の望みを叶えようとする幼稚な願い。


──でも、それは“ここ”の話じゃないよ


 ここって何? ……あれ、言われてみれば確かに。私は小さい頃に誰かと海で泳いだ記憶なんか無い。泳ぎに行ったのはある程度大きくなってからで、溺れた事なんて一度も無かったはずだ。
 じゃあいつの記憶だろうか。今私が鮮明に思い浮かべられるこの記憶は何なのだろう。大事な記憶である気がする。今の今まで忘れていたような気もする。忘れていないといけない気がする。
 覚えているのは、私の手を握る、とても暖かな力。目を開けた私を堪らず抱きしめる、彼の涙。そして、柔らかい笑顔。
 私は彼が「ルッカ」と呼ぶ声を、忘れはしない。


「じゃあな、派手に潰れろ、糞女」


 私の喉を締め付けている左腕をそのままに、テラは右腕を持ち上げた。尖り伸びた爪は、容易く私を引き裂くのだろう。
 私は、力無く目を閉じる事にした。夢の続きを見る為に。


──ルッカが隣にいてくれれば、俺は無敵なんだ。お前の声が聞ければ俺は何処までも飛べる。お前の存在を認識できれば、俺は何でも倒せる。嘘じゃない。それは、絶対の絶対だ!


 随分と、胸を張って言うものだ。確証なんか無いのに。信じられる要素もまるでありはしないのに。それが全てだというように私は、その言葉を受け入れてしまった。


──俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。それは……


「絶対の絶対、なのよね……」


 碌に呼吸もできないのに、何故かその言葉だけは発する事が出来た。力が宿り始める。体の末端部位から徐々に熱が戻り始めて、戦えと語りかけてくる。
 ……そこまで言うなら、守りなさいよね。その約束。
 ああ、でもその約束を守るって言うなら、私も守らなければならない。
 彼が隣にいることで私を泣かせないというなら、私もそれ相応の対価を払うべきだ、それが筋だ。
 彼は、私に隣にいてくれと言った。過去の自分を切り捨てるなと言ってくれた。過去の自分とは誰だ? クロノに言い寄る女共をへらへら笑いながら彼に紹介していた私か? そんなもの生ゴミと一緒に廃棄してやる。母さんと一緒に笑いあった日々か? それは貰っておく。良い所だけは貰って必要ないものだけ残して、私を再構成する。
 ──簡単な事だわ。
 戻ってきた。続々と私を作り上げて“いた”何かが集まり始める。それらが私の中で蘇るたびに、体の中の何かが息吹を再開する。


──ほら、立てるよ


 言われるまでも無い。
 私はルッカだ。強情で意地っ張りで女の子特有の焼きもちだって備え持っている。でも普通の女と思うな、私は誰より強くあらねばならない。目の前の敵を食い殺し、踏み潰しながら己の道を邁進する女なのだ。そうであると、私はとうの昔に決めている。


「肉食系……だもんね」


 垂れ下がっていた指が、腰にささっている銃に触れた。後はもう、慣れきった動作を始めるだけだ。











 星は夢を見る必要はない
 第四十六話 もしもがあったとしても












「あがあ!?」


 テラの、随分と間抜けな声が空間に響いた。顎が外れそうなほどに口を開かされたら、そんな声しか出なくなるのも頷けるけれど。それにしてもやっぱり間の抜けた声だ。思わず、彼の口に突っ込んだ銃の引き金を引いてしまう。
 銃声は、思っていたよりも地味なものだった。ジュ、と焦げるような音が一つ。後は肉片が床を跳ねる音だけ。上あごを吹き飛ばされたテラは私の首を離して、よろよろと、後ろずさった。


「げほっ、げほ! げほ! ……うげえ……!」


 咳き込み過ぎて、一度嘔吐する。びたびたと胃液を撒き散らした後、袖口で口を拭う。口に蔓延する臭いが鼻につくけれど、それを捨て切る気持ちで唾を吐いた。膝に手を当てていた体勢から、深呼吸して体を起こす。その頃には、テラの自動治癒も完了間近となり、私を見つめていた。


「……ようやくお目覚め? って事は、戻ったんだなあ」
「ええ、有り難い事にね。感謝すべきかしら?」
「別にいいや。俺が面白くないから、戻す手伝いしてやっただけだし……結局どの言葉がキーワードだったんかだけ教えてくんね?」テラの言葉に、私は首を捻らせた。
「そうね……口付けの下りは助かったわ。でも、ほぼ全て私の力だけどね。あんたの助けなんか微々たる物よ」指で輪を作り、いかに彼の手助けが矮小なものだったかを教える。テラは苦笑していた。
「当たり前だろ? 忘れた出来事を思い出すのに、他人を当てにするなっちゅうに」呆れたような声に、私は笑ってしまった。
「道理ね」


 カカ、と笑ってテラはまた腕を伸ばす。私に一直線に伸びてくる腕を、焦らず冷静に銃口を向けて、引鉄を引く。
 銃口から光が溢れ出す。放たれる弾丸は鉄ではない、電力の塊でもない。私の新しい銃、ミラクルショットは所有者の思いの強さに比例して威力を上げる。
 “前の”私なら岩を簡単に砕く力を有していた。では、“前の”私に“今の”私が入り込んだ状態の私が撃てば、その威力たるや、どうなるものか。果たして、私の思いを力に変えて飛ぶ弾丸はテラの腕を蒸発させ、黒の夢の壁を何枚も貫通した。


「……なんだあそりゃあ」テラが消えた己の腕を見遣りながら、口を開けた。
「この私の自慢の一品よ」


 再装填は必要ない。私の思いは途切れない、いつまでも変わりなく燃え続け、弾丸を形成する。引鉄を二度引けば、テラの左肩と右足首は吹き飛んだ。
 べたり、と這い蹲った後、彼は四つんばいのまま横に飛ぶ。壁に張り付き、天井に走るパイプの上へ消えた。
 姿を消して、警戒心を煽るつもりか? 時間稼ぎが見え見えね、そもそも、今の私に死角は無い。せめて、逃げるなら上方だけは避けるべきだったわね、テラ。
 一旦銃をホルダーに戻し、印を切る。前に魔王から魔力増幅の印を教わっておいて良かった、お陰で私はさらに上へ進める。
 印を切り終わり、テラにも聞こえるよう、上を向きながら力ある言葉を放つ。


「フレア」


 部屋の空気が変わる。体感的に一瞬だけ室温が下がった。それは後に起こる災害の前触れか、反動か。私もこれを使うのは二回目なんだから、上手く調整できるか分からない。分からないのなら、暴発するくらいの勢いで力を込めるのが正しいだろう。
 最初は小さな爆発だった。精々、大き目の石を壊すくらいの爆発。その程度の魔法で黒の夢の壁もパイプも壊れるわけが無い。
 次の爆発は二度、その次は四度。乗法で増え続ける爆発はやがて千を超え万を超え、室内の温度は喉を焼き体を溶かし生物の存在を許さない。熱量が上がるにつれて、微かに誰かの叫び声が聞こえた気がする。恐らく隠れて治癒を待っていたテラのものだろう。いくら彼とて、計る事も出来ない熱量には耐えられなかったようだ。赤く染まる視界の中に、頭上からぼと、と何かが落ちてきたのが見えた。姿は黒焦げで、何がなんだか判別もつかないが。
 爆発は終わり、溜め込んだ火炎と熱が誕生する。円状に広がる火炎の波は我先にと飛び出し、それは火の形すら為していない。ぶわ、と飛び交う熱で部屋の中の壁もパイプも溶け落ちていく。液体状に流れてくる材質は黒く光っていた。それもやがて、炭化する。


「これが、私の最大の魔法、フレアよ。あら、もう聞こえてないかしら?」
「……ぎご……る、よ」
「やっぱり、まだ生きてるんじゃないかなあって思ってたのよ」


 ぐずぐずに崩れ落ちた体のまま、テラがナメクジのように這いながら声を出していた。どこが声帯なのか分からないが、中々根性のある魔物らしい。一応尊敬でもしておいてやろう。
 敬意として、テラの体が一通り元通りになるのを待ってやる。じっくりと時間を掛けること二分。ようやく人型であると言える程度に回復したようだった。


「マジかよ……お前、本当に人間か? ジール様だってこんな魔法使えねえだろうぜ……」
「でしょうね、彼女に火なんて似合いそうにないもの」
「そういう問題かよ……っと!!」


 彼が右腕を前に出すと、そこからロボの放つレーザーに似た光線が放たれる。太く大きな光の柱は人間の体に当たれば堪らず消し飛ぶほどの力を秘めていた。速度も狙いも申し分ない力。魔王ならこれくらいの魔法を放てるだろうが、詠唱も動作も無く一瞬で放てるかと言われれば難しいところだろう。
 が、今の私には意味を為さない。
 早撃ちの要領で銃を取り出し腰に構えて撃つ。テラの放った光線は見る間も無く私の弾丸に掻き消され、テラの腹部に大きな風穴を空けた。


「ぐぶっ! ……お、おおい、今のは俺の決め手の一つだぜぇ? んな、簡単に消すなっ、つーの……」
「そっちこそ、お腹が無いのに喋るなっつーのよ」


 垂れ落ちた臓器から触手のようなものを伸ばし、筋肉も骨も臓器も皮膚も再生させる様は中々気分の悪いものだった。であるのに、当人のテラは噴出して、「似合わねー、その喋り方」と笑った。


「面白い女! お前マジに俺の女にならねえ? 大丈夫、お前は殺さねえよ、寿命だって百倍くらいに延ばしてやる。お前のその力も同じくらい飛躍させてやることもできるぜ? どうだルッカ!」
「それ本気で言ってる? 形勢は逆転してるのよ。そんな誘いをする時点でおかしいわよ」
「何でだよ、命が延びるんだぜ? 悪い話じゃねえじゃん」
「お生憎、仲間が死んでいくのを見守るだけの生涯なんて真っ平なのよ」
「ちぇ、俺が誘うなんてそうそう無いのになー」


 子供っぽく頬を膨らませる彼がなんだかおかしくて、私も彼と同じように笑う。
 それを見たテラは、急に表情を変えて訝しげにこちらを見た。


「お前さ……俺の事憎んでるんじゃねーの? 何で笑うんだよ。お前の初キス奪ったんだぜ?」


 なんだ、反省云々はともかくとして、悪い事をしたという自覚はあるのか。あるなら自殺しろ、と言いたいところだが、今は良い気分だし、答えてあげるとしましょうか。ていうか、彼にははっきり言いたい事だし、ね。


「残念だけど、私のファーストキスはあんたの前に捧げちゃってるの。あんたとのキスはサードキスよ……それでも不愉快な事に変わりないけど」


 それでも、彼に感謝したい気持ちもある。ある意味彼のお陰で思い出せたのだから、あの出来事を。引き上げようとしていた物とは違う、けれども大切な思い出を一緒に思い出せたから。
 海に溺れて時に、彼から貰ったキスを私は忘れない。人工呼吸であっても唇を重ねた事に違いは無い。それは、この世界の私が行った事ではないけど、覚えている。あの頃の、気弱な私がしっかりと覚えている。二度目は……まあ、事故に見せかけた云々かんぬん……良いのよ、私は肉食系かつ計算出来る女なんだから。流石に大きくなってからは恥ずかしくてそんな画策をしたことは無いけど。


「サード……三回目かよ。なんだ……つまんね」彼の本当に残念そうな動作に、私は彼との関係も忘れて、少しからかうような言葉を出した。
「あら、私に本気だったの? いやねえ、もてる女って」
「そうだな、結構本気だったかも」
「……あ、そう……」


 ……ちょっと、嬉しかったりして。
 いつも追ってばかりだったからね、たまにはこうして変化球気味に他からボールが飛んできても良いじゃない。こんな奴を相手に打ち返す気は一切無いけど。


「なあ、俺無理か? 俺多分お前の事かなり好きだぜ? うん。好きだな、一番好きだ。悪いけど、あの赤毛の男よりもお前の事好きだわ、どうだ?」
「どうだ? って言われても……無理よ」
「何でだ? 俺魔物だからか? それとも今までお前を傷つけたから? 信じられないからか?」


 一度に説明を求める彼を見て、すとん、と得心がいった気がする。
 彼は、酷く子供なのだ。残忍な事もするし、戯れで誰かを嬲り、殺す。善悪の境界がどうとかいうのは、子供とかそういう事ではなく、そう作られたから。
 軽い口調も相手を小ばかにするような発言も、それしか知らないんだ、関わり方を。
 だから……彼には分かりづらいかもしれないけど、彼の目を見て、答えを探した。


「貴方が魔物だからとか、傷つけられたからとか、信じられないとかは関係無い。いや、ゼロじゃないかもしれないわ。でも一番の理由は全然違う。それと比べたらさっきの三つはまるで些細な事よ。理由は単純に……私には大切な人が、他にいる。例えその人が私をそういった意味で好きじゃなくてもね」首を振りながら、断言する。テラにはその答えでは納得いかなかったようだ。
「あの赤毛だろ? ……あいつ、ルッカの事好きじゃないぜ、多分仲間とか、幼馴染としか見てねえよ。歴史が変わったから、それはより一層強くなってるはずだ」
「かもね……でも良いのよ。好きとか嫌いとかじゃないの。そのもっと向こうの話なんだから」


 この、燃え滾るように熱くて、冷氷のように寒々しく軋んで、堪えきれない程幸福で、叫び出したくなる程苦しい感情を二文字三文字で表せるものか。恋じゃない、愛じゃない、そんな所はとうの昔に過ぎ去ったんだ。初恋にして、私は運命に出会えた。それだけは間違いなく幸福なんだろうけれど。
 テラは考え込んで、「分からねえ」と呟いた。彼には、少し難しかっただろうか? そりゃあそうだろう、私だって、自身の事なのに今一つ理解していないのだから。


「分からないのは、何でそんなに一生懸命になれるのかって事だよ。そんなに身を削るくらいなら、俺にしとけばいいじゃん。そこそこ気負わず、楽しませるぜ?」
「……貴方は、一生懸命になった事は無いの?」テラははっ! と鼻で笑った。「当然だろ? だって、なんかダサイじゃん」


 けらけらと笑う。表情の変化が凄まじく、それだけで少し気圧されてしまう者もいるだろう。真剣な表情は一瞬、次にはもういつもの彼に戻っていた。
 それがなんだか、寂しく思えてしまうのは、今の私はそこまでに彼を嫌っていないからだろうか。


「そう……笑って誤魔化せるのね、貴方は」
「誤魔化す?」


 眉根を寄せる彼に、私はとても大切な事を言おうと思う。魔物だとか人間だとか関係無い、万物全てがそうである事実を。


「あのね、生きてる限り、皆一生懸命なの。必死なのよ。それはどんな人生でも変わりは無い。毎日家でだらだら過ごしてるのも、汗水流して働くのも、戦場で命を張るのも、皆それなりに一生懸命に生きている証なの……でもね、同じ一生懸命でも、違う所がある。質が違うとでも言うのかしら? それを見分ける方法もあるのよ」言い切ってから、そこで呼吸を挟む。
「笑えるかどうかって事よ。真実掛け値無しに一生懸命生きている人間は、己の人生を笑わない。誤魔化したりしない。心底に『自分は頑張ってきた』と思えるなら、決して嘘をついたりしない。自分はなあなあで生きてきたなんて言いやしない。言えるわけ無い。私は誇れるわよ、自分の人生を。変わってしまった私も、母親を失くした時の私も同じように一生懸命生きてきた、戦ってきた。絶対に、笑ったりしないわ!」
「いやそれがなんなんだよ? 長々と御高説ありがとさん。でもさ、それが今何の関係があるわけ?」


 テラは自分から話を持ちかけたくせに、焦れている様子だった。
 でも、確かに戦ってるのに長々と話し過ぎたかもしれないわね。だから、もうここで終わろう、私たちは仲間じゃない、一時脱線したけれど、やるべき事は決まっているのだから。


「私が何を言いたいか? 簡単よ。つまり、自分の人生を笑える貴方は、誤魔化せる貴方は……」


 銃を取り出して、彼に向けた。


「私には、勝てないって事よ」
「……くそ、やっぱ良い女だなあ」


 そして、三度目の鐘が鳴る。












 今までの黒一色の装飾から、幾分色が薄れ出した光景。それとは正反に濃く篭る空気とその重みが、俺たちの目的に近づいている証であった。
 ルッカと離れてから、幾度の扉を開け、魔物を倒してきた事だろう。そのほとんどがグレンの活躍によって倒れたのだが。彼女の剣速と判断力、瞬発力は並外れたものがあった。
 それと同じく凄まじいのは、それだけ剣を振ってきたというに、刃毀れ一つ無いグランドリオンだろう。血糊の一滴もこびり付いていないのは、何らかの力が働いているとしか思えない。まるで魔物の体液がその剣に触れるのを嫌がるような、美しい刀身のままだった。うっすらと、光を反射している剣は、聖剣と呼ぶに相応しい輝きを放っている。
 まじまじと、グレンの腰に納まっている剣を見ていると、彼女がこちらを見て、「ああ」と溢した。


「良い剣だろう? 剣士として、剣を選り好みするのはいかんが、もしやしたら俺はもうこれ以外の剣を振れんかもしれん。それ程に俺の手に馴染んでしまった」
「別に良いだろ。グランドリオンが折れて他の剣を使わざるを得ない事態なんて有り得ないしさ」俺の言葉に、グレンは満足そうに頷いた。
「うむ。この剣には、言い過ぎではなく俺の魂が篭っている。この剣が折れるときは、俺が死んだ時だろう」
「じゃあ、折れやしないさ。ていうかさ、その理屈を反転したら、その剣が折れるまでお前は死なないって事か? 何百年生きるんだよ」呆れたように呟くと、冗談に乗ったみたいな表情でグレンが目を細めた。「もし俺が数百年生きるなら、元いた時代に戻っても、俺は現代にいるお前に会えるかも知れんな」
「……そうだな」


 グレンは冗談めかして、中世から現代まで生きれるなら、という意味で伝えたのだろう。俺も俺で笑い飛ばせば良いのに、必ず訪れる別れを思って少し沈んでしまう。それを感じ取ったグレンは小さく「……すまぬ」と頭を下げた。別に、お前が謝る必要なんて無いのに。


「良いさ。俺たちはいつか自分のいた時代に帰る。多分、そうなればもう会えないのも分かってる。ただ……やっぱりちょっと寂しいな」子供みたいな事を、ぽつぽつ語る俺は、なんだか惨めだった。
「それは寂しいさ。でもなクロノ、本来会える筈の無い俺たちが会えただけでも良いとしないか? ……いや、しないといけないのだろうな、きっと」


 所詮俺たちは生まれた時代の違う遠く離れた存在なんだ。だからこそ、今の時間を大切に……なんて考え方は、ちょっと出来ない。寂しいものは寂しいのだから。
 現実的に、A.D.600年に住むグレンがA.D.1000年に住む俺たちと出会える訳は無い。現代では、当たり前にエイラもグレンも死んでいる。魔王は……どの世界に戻るか分からないから微妙だけど。同じように、ロボの時代では俺もルッカもマールだって生きている訳が無い。この旅が終われば、皆と永別する、それは当然の事なんだ。それを再認識すると、すぐ傍に迫る最後の戦いを遠ざけたいと思ってしまう。弱い人間だな、俺は。
 本当は、そりゃあまだまだ皆といたい。時々に時代を遡って、または超えて未来や中世、原始に行って皆と会いたいさ。でもそれは……色々と、やっちゃいけない事なんだろう。


「時を超えるなんて不条理な事を、人間がやるべきではない。この旅が終われば、ゲートホルダーも……いや、そもそもラヴォスが消えた後にゲートがあるとは思えんが。とにかく、ゲートホルダーを壊し、シルバードも壊すべきだろう。それがあるべき姿なのだから」
「言われなくても分かってるよ。だからこそ……ああいや、こんな時にする話じゃなかったな」


 そうだ、すぐ傍に敵の総大将がいるってのに、感傷に浸るのはおかしい。そんなのは、本格的な別れの場で済ませるべきだ。今から後の事を考えてどうする。皮算用どころの話じゃないぞ、まだまだ俺たちは渦中にいるのだから。
 目の前には、仰々しい扉がある。左右にはラヴォスを模しているのか、半円の物体に棘が多数ついている彫像が立っていた。
 扉に取っ手は無く、押し開くものだろうと辺りをつけて手を当てた時、俺から見て左から何かが飛来する。
 慌ててしゃがむ前に、グレンが剣を抜き何かを切り落とした。床に落ちた何かは甲高い音を立てて、その姿を現す。正体は、長く鋭い針だった。グレンがいなければ、俺は呆気なく標本になっていたかもしれない。胸に手を置きふうと息を吐く。


「ありがとな、グレン」
「礼は良い。来るぞ!」


 剣を抜いたまま、通路の先の暗闇に目を向けているグレン。それに倣い視線を送ると、もそもそと何かが蠢いているのが分かる。同じく、這いずるような、ずりずりと引き摺るような、気色の悪い音が聞こえる。
 息を呑み、じっと待っていると……やがて俺に針を飛ばしたのだろう何かが光の下に照らされた。全長は五メートル前後か、背中には万遍無く棘が生えており、目が無い変わりに発達した黄色い嘴を備えている。時折開かれる口内にはびっしりと牙が。さらに奥には文様のような、眼球のようなものが浮かんでいた。全身は黒く染まり、楕円状の体。まるでラヴォスをそのまま小さくしたような魔物だった。


「あれは……死の山に生息していた魔物か?」グレンが確認するように呟く。
「死の山? というと、俺が生き返った山か? ……こんな奴いたっけか?」
「山頂につくまでに、俺……というか、マールと魔王が粗方片付けたらしい。まさかここにも……いや、ここにいてこそ、か」


 緊迫した口調から、聞くまでも無いが一応俺は聞いてみる。


「……強いのか? あれは」
「強いさ。恐らく、殻の部分はラヴォスと同じ硬度だろう。弱点と言えばあの嘴だが、近づけば不可思議な魔術で距離を取ろうとする。厄介な相手だ」
「勝つ自信は?」
「無い」


 えらくあっさりと言い切るものだから、一瞬彼女が何を言ったのか分からず、敵を目の前にして呆けてしまう。彼女らしくないどころの話ではない。例え勝てないと分かっていても口では強がるのがグレンだったのだから。それを、勝てないと断言するとは驚いた。
 しかしそれも一時の事。彼女の口はいつものように、自信有り気に吊り上がっていた。


「前の俺ならな」


 合図も告げず、彼女は単身小さいラヴォスに飛び込んでいった。
 どうやら、またもや俺の出番は無いらしい。不謹慎かもしれないが、少々退屈ではある。彼女の勇猛ながらに、剣を振るうことの使命感を帯びた横顔を見ていると、それは特に強まった。












 まさか、戦いがこうも面白いとは思わなかった。
 テラはまだ二度目にも関わらず私のフレアに対応した。無傷とは行かずとも、初撃時に比べそのダメージは激減したように思える。どういう原理か、熱に対抗できる体組織でも作り上げたのか。突飛な考えながらに、瞬間自動治癒が可能な彼ならばその程度の荒業は訳無いように思えた。
 ……全力をぶつけ合える事が、こんなに興奮するなんてね、肉体労働もそう悪い事ばかりじゃないわ。
 フレアを浴びた後、全身を赤褐色に変えながらも彼は走りこんでくる。近距離では私は戦う術を持たない。なんとしても私との距離を詰めようとするのは当然か。
 私と言えば、フレアを使った反動で秒単位の時間硬直していた為、反応が遅れてしまっていた。銃を抜く暇も無い。ほぼ無防備な私の体にテラの拳が突き刺さったのは自明の理だった。
 本来なら、内臓も体も破裂するだろう一撃。けれど、私は体を揺らす程度で治まった。
 渾身の力をかけていたのだろう、テラは拳を出したまま、鼻に皺を寄せて、剣呑な声を出す。


「何をしやがった?」
「体の表面に熱の膜を張ったの。見えなかったでしょう? そういう風にコントロールしたから、無理ないけど。まああくまでダメージの軽減しか出来ないから、骨の一本くらいは折れたかもね」
「骨一本かよ……お返しがこれじゃあ割に合わねえ」


 テラの右拳はドロドロに溶けていた。私の熱のバリアーに触れたのだ、それ相応の反動は覚悟してくれないと困る。
 痛む腹を無視して、至近距離にいるテラに銃を放つ。急ぎ飛び退くも、彼の右足は膝から下が消失していた。どうせその傷もすぐに癒えるのだろうけれど。


「俺の治癒力も無限じゃねえ。正確な残量は分からねえけどさ、底は見え始めてるぜー?」
「それを信じろって? 馬鹿にしないでくれるかしら」


 嘘じゃねえのに……と唇を尖らせる彼は嘘を言って無いように見える。だからといって、やはり信じる気にはなれない。大体、終わりが見えたからといってなんだというのか。気を抜けばいつでも死ぬのだ。今だって、熱の膜……とりあえずプロテクトと呼んでおこう。が間に合わなければ今頃地べたに這い血反吐を吐いていたのだ。
 ……よし、幸い折れた骨は臓器を傷つけていないようだ。痛みも、我慢できる。あまり走ったり飛んだりはしたくないけれど。


「……魔法が使えるのは、お前だけじゃねえぞ」見せてやると言わんばかりに口を歪め、手を二度叩く。溌剌とした声が響いた。「カオティックゾーン!!」


 テラの魔法が発動すると、バリ、と鼓膜を揺さぶるような音が鳴る。音は段々と大きくなり、頭蓋を割るような暴音へ変貌していく。取り乱す事無く銃を構えていられるのは気力でしかない。かちかちと無意識に奥歯が鳴るのは、体の危険信号を分かり易く伝えてくれているのだろうか。
 視界が点滅する。気を許せばすぐさま意識を失いそうになる。舌を噛んでその痛みで離れゆく正気の糸を掴んでいるも、途切れるのは時間の問題かもしれない。


「いっ……たい……」


 思わず床に膝を突き頭を左右から押さえる。こうしていないと、中から脳みそが弾け飛んでしまいそうだった。


「いやあ、痛いだけですんでるなんて凄いぜ。普通の人間が喰らえば脳漿が飛び出るんだからさ。結構笑える光景なんだ、今度見せてやろっか?」
「い、ら……ない! ああっ!!」


 意地で大声を出すと、痛みが何倍にも返ってくる。いっそ狂ってしまえれば楽なのに、という選択が勝手に生まれてくる。逃げでしか無いとしても、それが正解だと誰かが叫ぶ。それがまた頭の痛みを増幅させる。脳を直接握られているみたいだ。指で指したり掻き分けたり、ぶちぶちと千切られている感覚もある。頭を掻き毟ってその痛みを取り出そうとしても、一向に改善しない。
 あまりの痛みに涙が出てきた。床に這い蹲って痛みに呻いている私をテラは悠々と眺めている。


「……本当はさ、お前には使いたくなかったんだよな、これ。頭が狂って死ぬと、凄い汚い死に方になるんだ。糞尿が出て涙も鼻水も好き勝手に溢れてて、白目で野垂れる様ってのは、そりゃあ醜いもんさ。他の人間がそうなるのは面白かったけど……お前がそうなるのは、ちょっと嫌だった」


 哀れむような視線を感じる。でも何を言っているのかは聞こえない。だって痛いの、凄く痛いのよこれええぇぇぇ!!!!
 頭が痛い、首も痛い肩も痛い腕も痛い胸も痛いお腹も痛い足も痛い膝も肘も血管内臓眼球全部全部痛くて堪らない!!! もう嫌だこんな痛みに耐えられるわけ無い殺してくれと叫びたくなるくらい痛いもう痛い以外に碌な考えが浮かばない! 
 でも、こんなに痛い思いをしたのは初めて────じゃない!!
 彼が泣いているときはもっと痛い彼が他の女の子と楽しそうにしている時程辛くは無い、彼と会えない日々はもっとしくしくと胸が痛んだ、彼と喧嘩をした時は目の前に何も見えなくなった、彼が死んだ時は口から臓器も血管も骨も筋肉も何もかも引きずり出されるような痛みを感じていた! それに比べれば、こんなものは痛みじゃない!!


(そうよね? 二人の私?)


 二つ前の私と、一つ前の私に聞いてみる。声は帰ってこなかった。そりゃあそうね、今の私は新しい私なんだもの。


「ア、ア、ア、ア、アアアアあああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
「…………アハ、やっぱ立つのか、ルッカは」


 全身の力を腕に総動員させて、銃を向ける私にテラは、確かに言った。「良かった」と。
 暴発するんじゃないかと危惧するくらいに、我武者羅に銃を撃つ。紙切れのように舞うテラの体を幾つもの弾丸が貫通する。胸喉腹肩肘腕膝足と、顔を残して全ての部位を消し去っていく。もう、彼からの反撃は無かった。目を閉じている彼は、なんだかとても綺麗だった。







 色々な思いが吐き出されて、やがて空撃ちに変わる頃、テラは床に寝そべりながら天井を見ていた。
 どれだけ見ていても、彼の体が元通りになることはない。彼に残っているのは腕の無い上半身と顔だけだった。
 いつのまにか、痛みも嘘のように消えていた。私の思いが尽きたのか、歩き出すのも一苦労だった。奥歯を噛みながら、一歩ずつゆっくりと前に出る。彼は、私が間近で見下ろせる位置に来るまで口を開く事はなかった。
 手を伸ばせば届く距離にまで近づいてようやく、彼は訥々と話し始めた。


「凄いね、お前……もう、残量切れだよ。本当に、凄えや……」
「なんだか、錯乱してたら勝ったみたいで、腑に落ちないけどね……」悔やむような言葉を、テラは消え入りそうな声で笑う。
「人間らしくて、良いんじゃねえ? ……それも、一生懸命だったって事だろ?」
「真似するなってのよ」


 テラ。テラミュータント。私は彼をとても憎んでいて、クロノを傷つけて私に無理やり口付けしたんだからそれは当たり前の事で。
 なのに……なんだろうかこの憂愁な気持ちは。そのつもりは無い筈なのに、消えゆく彼を悼もうとしている私はなんなのだろう。何もかも、今更だろうに。私も、彼も。


「ねえ……あんたさあ、どうしてこんな所にいたのよ? あんたくらい強ければ、別にジールなんかに従わなくても生きていけるでしょ? そもそも、あんたって誰かに従うのを良しとするようには思えないけど」
「あんたじゃねえよ、俺はさ」
「……テラはどうしてジールに従ってたの? まさか、ラヴォスに心酔してたとか言わないでしょ?」『テラ』の部分を強調して言う。彼は「強気だなあ」と苦笑した。
「別に……あえて言うなら、弟たちがいたからかな? 今となっちゃどうでもいいんだけどさ」
「弟? ……あっ」
「気付いた? 全然姿は違うけど、俺と同じように腕を伸ばす魔物いたっしょ? それ、俺の弟たち。さっき赤毛の男に消されたのが次男のギガで、その前にもう一匹同じような奴いただろ? それがメガ」


 謝るべきだろうか? と考えて、それは道理に合わないし、侮辱になりうると思い直し口を噤んだ。それが正しかったのかどうかは分からないけど、やっぱりテラは笑う。
 彼は、よく笑う。何が面白いのか分からないけれど。もしかしたら、彼にも分かっていないのかもしれない。


「まあ、それは建前で、本当はさ、他の奴らを沢山殺せるからここにいただけ。これは本当だぜー?」
「……そう。貴方は人間が嫌いなの?」
「嫌いだよ。勝手に俺たち兄弟を改造したのも人間だし、それはジール様だけど、それに限らず、勝手だよ人間は。皆勝手だ、誰だって自分だけはって思ってる。自分は悪い事をしてもいいんだ、自分は特別なんだってさ。それを指摘されて他の人間に責められたら決まってこう言うんだ。『他の奴だって、同じじゃないか』ってさ。自分の特別性を謳うくせに、いざとなれば他にも責任を押し付けようとするんだ。本当勝手だよ、だから俺はそんな人間を殺すのが好きだ、大好きだ」


 けらけらと喉を鳴らしても、彼には消えようの無い寂寞感が漂っている。一皮向けば、と言うが、傍若無人で人を陥れることを好み傷つけることを厭わない彼も、実像は酷く物悲しげに見えた。
 風船が萎んでいくように、彼の笑い声も擦れていく。強がりにしか見えないそれは、見ている私を痛ませる。彼を恨んでいる想いがぼやかされていく。
 腕を持ち上げようとしたのか、肩がぴくりと震えるも、その先に何も無いことを思い出したか、テラが澱んだ溜息を吐いた。
 暫し間を置いて、ぽつりと洩らす。


「……そんで、そんな俺が、凄え嫌いだよ」
「……変えようとは思わなかったの?」
「思わないって、だって好きなんだもん、殺すの。でも、そういう自分は嫌い。おかしいだろ? 全然笑えないけどなー」


 笑えないと言ったわりに、彼はもう一度喉を鳴らす。子供みたいだ、という評価に猫を追加しよう。それで順当だ、多分。
 しばらく彼を見下ろしていると、テラがむっとした顔つきになって顎を先に進む為の扉につい、と向けた。


「行けよ。最後の舞台に間に合わなくなるぜ? 折角のパーティーなんだ、一人だけ取り残されたら嫌だろ? 取り残されたお前が俺を愚痴の肴に使うのも嫌だ。ていうか、使われる俺が嫌だ」


 眼球を上向けて、舌を出す様はとても彼らしいもので、もうすぐ死ぬというのにその変わらなさは讃える気持ちすら産まれさせた。
 背中を向けて、クロノたちが出て行った扉に向う。痛む腹を押さえながらだから、追いつくのに時間を要しそうだった。ポーションは常備しているのだから、今すぐ使えばいいのだろうけれど、彼の前で彼から受けた傷を癒すのは、なんとはなく憚られた。
 開かれた扉に手を当てて身を入れる直前、テラが「なあ!」と声を荒げる。意識する事無く、ふっ、と振り返る。


「やっぱり、俺じゃ駄目かな?」テラの眼は不安げに揺れていた。子供に猫に子犬に、忙しない性格らしい。とても彼と恋愛関係になるつもりにはなれないが、近くにいれば飽きないだろうな、とまで彼に対する印象が変わっている。私も、案外根の無い人間だ、と自嘲した。
「そうね……まずは、友達からっていうのが妥当なんじゃない?」
「……そか。やっぱりあの赤毛が好きかあ。でもさ、お前の記憶はこの黒の夢だからこそ蘇っただけだぜ? ここは全ての時空に繋がってる。だからこそ、お前はあるはずの無い記憶を取り戻せた。ここを出たらやっぱり元に戻っちまう。それは分かるだろ?」
「言われなくても、覚悟はしてたわよ」これは強がりではなく、本当だ。黒の夢の特異性故に産まれた奇跡だと理解している。
「さらには、お前が思い出せたのは、お前がそれだけ元の記憶を大切に思ってたからだ。普通はそうはいかねえ、あの赤毛が今のお前と同じ記憶を共有できる事は無いぜ? お前の狂ってるんじゃねえかってくらいの愛情があってこそ、お前は元のお前を取り戻せたんだから」


 どうにも、テラの説明はもどかしかったが、私は要約して言葉に代えた。


「つまり、私よりも元の記憶に執着の無いクロノが元の記憶を蘇らせる事はないって話でしょ?」
「んまあ、有り体に言っちまえばそーかな」


 有り体も何も、それ以上でも以下でも無い気がするけれど、わざわざ指摘する事は無かった。
 彼は、「つまりさ」と前置きしてから話し出す。


「不毛なんだよ。どういう理屈か知らないけど、今の世界にあるべき、本来のお前は赤毛の男を好きじゃないんだろ? だったら、不毛だよ、そんな恋」
「……馬鹿ね」


 つまり彼はこう言いたいのだろう。「どうせクロノを好きである気持ちは無くなるんだぞ」と。
 酷い侮辱だ。私がその程度で心折れるとでも思っているのか。それとも試しているのか。だとすれば、随分ちゃちな試練だこと。算数レベルにも到達しないテストね。
 靴をかつかつと鳴らした後、勿体つけるように人差し指を伸ばし、宣言してやる。


「いいこと? 確かに私は未来を変えたわ。クロノとの付き合い方が一変するほどの大きな改変だった。でもね……私は『もしも~が~だったら』で消えるような恋心を持った覚えは無いわ。そんな次元とうに超えてるの。例えこの記憶が無くなったとしても、いつか必ず、近いうちに私はまたクロノに恋をする。これは確定なのよ」
「……ふうん。じゃあ別に良いんじゃね? 羨ましいわ、あの男がさ」
「ええ。あんたにも、いつか現れるといいわね、私みたいな人が」


 私の言葉に、彼がどういう反応を示したか分からない。私はすぐさまにその部屋を出たから。
 今でもやっぱり、テラは憎い。サラさんを殴り、何よりクロノに暴行を働き、私を汚したのだから。その罪はとても重いのだ。彼が死んで清々しているのは確かである。
 でも、そうだな。次に会うことがあれば……それは決して無いのだけれど。生まれ変わってまた会えたなら。
 その時は、町で連れ回して、二人でお茶を飲むくらいなら、いいかもしれない。
 指を鳴らした後、床を蹴って、私はその場を離れた。出来るだけ、速くここから離れられるようにと。












 もう行っただろうか、あの女は。行ったようだ、例えこの身が再生不可なほどに傷ついても、耳はまだ正常に機能している。あの女の足音が消えて二分。既に次の部屋にでも着いた頃だろう。今頃は治療でもしているんだろうか。
 それにしても、実に珍しい女だった。まさかラヴォス神の力を存分に浴びた俺を倒すなんてなー。人間にしては勿体無い。
 ……いや、人間だからこそなのかな。きっとそうなんだろう。人間が皆ルッカみたいなら、多分俺は数え切れないほどに人間を殺す事は出来なかっただろう。そんな弱気を覚えるくらいに、あの女は稀有、いや奇異な存在だった。
 なにより、一番俺が驚いたのは……


「友達だって? ……ばっかみてえ」


 まあ俺から付き合わないかと聞いたのだ、友達にならなれると言われたからとて馬鹿にするのはおかしいかもだけどさ。
 友達……友達か。友達って何するんだろ? 殺し合いじゃないよな、多分。楽しいけどすぐ終わっちゃうし。協力して誰かを殺すとか? それならあの女が了承する訳無い。どういう事をすれば友達なんだろう?
 確か一緒に遊んだりすれば友達なんだと思う。何かのつまんねー本で書いてた。すぐ破り捨てたけど。暇つぶしにもならなかったからイラついて近場の人間を殺したのも覚えてる。
 遊ぶって何だ? 何すれば遊ぶになるんだ? ええと……そうだ、鬼ごっこだ。缶けりにかくれんぼにそれから、ええと……玩具を使ったりもするんだ。
 で、鬼ごっことか缶けりとかって何だ? 玩具なんて言葉でしか知らない。見たことも……あるかもしれないけど分からない。多分俺は遊んだ事は無い。メガやギガと戯れた事も無い。気が付けば俺は何かの培養槽に入れられていたから。産まれた時からメガもギガも言葉の通じない化け物だったから。他の魔物は俺に傅くだけだし、人間は怯えてた。誰かと遊んだことなんて、無い。
 友達がいる奴って凄えなあ、毎日どんなことしてるんだろ、知りたいなぁ。それって楽しいかな、殺すよりも楽しい事なのかな? 知りたいなぁ。
 様々な憶測が飛び交う中、その考え事自体が無意味であることを知る。どの道俺と遊んでくれる奴なんていない。皆死んじゃったし、俺が殺しちゃったから。


「……もしかしたら、ルッカは遊んでくれるかな。でもあいつ忙しそうだしな」


 あいつは俺の事を嫌ってるだろうけど、なんだかんだ言って手が空けば遊んでくれそうだ。まあ、絶対御免だけど。
 嫌われてるのが分かってて縋るように遊んでもらうなんて惨め過ぎる。極みじゃないか。それなら一人でいる方がずうっと良い。でも、誰かと『遊ぶ』という事をしてみたい。
 ふと、横を見ると何処から入ったのだろう、蛾なのか蝶なのかも俺には分からないけど、とにかく羽を持った小さな生き物がふよふよと浮いていた。天空に存在する黒の夢にそんな生き物がいるわけ無いのだから、これは夢なのかもしれないと無粋な考えが過ぎる。無理やりにそれを端に追いやって、俺は小さな生き物を見ていた。


「お前も……一人か?」


 そいつはふよふよと浮くだけで、とても楽しそうには見えなかった。俺と同じで、寂しそうだった。遊び相手を探しているようだった。だから俺は声を掛けた。


「なあ……遊ばない? 俺と」


 手が無いから俺はそいつを捕まえられない。動く事も這いずる事もできない。だから俺はそいつに近づけない。そいつから俺に近づいてくれないと触れられない。こんなにも、俺は触れたいと願っているのに。


「なあ、遊ぼうよ」


 何回も何回も遊ぼうと言っているのに、そいつはまるで俺に興味を示さず浮いているだけだった。とても苛々したので、残った力を振り絞り、火炎を放つ。小さな火球だったけれど、小さなそいつを焼き尽くすには十分だったみたいで、黒く焦げたそいつははらはらと床に落ちた。呻く事も無く、苦悶の表情を浮かべているのかも分からない。
 いつもなら、他の命を奪って高揚しているはずの俺なのに、今は胸が痛かった。大切な何かが擦り切れて、遠く下の方に落下したみたいな感覚に陥った。


「おーい、死んだ?」


 黒く焦げたそいつは何も返事を返さない。悪かったよ、もう火炎を出したりしないからさ、遊ぼうって。俺、腕も足も無いけど頑張るから無視するなよ、良いだろ?
 ……無視、しないでくれよ。皆そうするんだ、いつもそうだ。
 だって、しゃあないじゃんか。殺さないと、力を見せ付けないと誰も俺を見ないんだ。いつもラヴォス神から力を得た異形って事で皆俺に近づかないんだ。話してくれないんだ。隠密部隊も、他の魔物も、ジールだって俺を一魔物としか見ないんだ。
 俺には名前がある、テラミュータントだ。即席で付けられた愛着も何も無い名前だけど、名前があるんだ。知って欲しい、俺には名前があるんだ。テラだよ、俺の名前テラだよ?
 聞いてくれよ、返してくれよ。俺だって誰かと関わりたいよ。
 俺だって……俺だってさ、


「友達、欲しいよ……」


 恋人じゃなくていいんだ。ただルッカは俺を見てくれたから。例えそれが怒りでも、殺意でも真正面から俺を見てくれたから、期待したんだ。こいつなら俺と話してくれるかもって。怖がらずに同じ立ち位置で話してくれるかもって思ったんだ。どんな話でもいいから、したかったんだ。
 外の世界の話でも良いし、好きな奴の話も聞くさ。暇な時にちょっと時間つぶしに付き合わせるでも良い。そんな時間を共有したかっただけだ。世界の崩壊とか、永久の命とかどうだっていい。
 怖がるなよ、殺すのは仕方ないじゃないか、お前らがそう作ったんじゃないか、俺をさあ。飯食うのと同じくらい自然に何かを殺せって俺に教えたじゃないか。ルッカの言葉を借りるなら、俺は一生懸命それに従ったじゃん。駄目なの? 駄目なら、なんで駄目なの?


「俺も、友達欲しいよぉ…………うああん……あああ、ひっく……あああ……」


 泣いてたら、誰か慰めてくれたりするのかな? そんな誰かがいたら、いいな。次はそんな人がいる人生がいいな。
 生まれ変わったら……ルッカは俺と遊んでくれるかな?
 次は……あいつの近くで産まれたいなあ。俺が子供の時からずっと、あいつの近くにいたいなあ……そしたらあいつはお姉ちゃんになるのかな?


「ああ、それって、凄え、良いなあ……」


 次に目が覚めた時は、光のある世界だと信じて、俺は目を閉じた。




















──分かっていますね? これを使うとき、貴方は……


「分かってますよマザー。でも、それでも良いじゃないですか」
「……もしかして、気付いていますか? もしあの方たちが未来を変えれば……」マザーの迷いのある問いに、僕は深々と頷いた。
「はい。そんなの、旅の最初から気付いてましたよ。多分、クロノさんも気付いてるんじゃないですか?」
「それでも、貴方は先に進むのですね? プロメテス」
「ええ、歩き続けます。誰だってより良い未来があるのなら、そっちを選択したいじゃないですか」
「そうですか……なら、私から言うことはありません。貴方の無事を祈っています」
「それ、結構無茶じゃないですか?」彼女から貰った物を擦りながら、苦笑する。彼女も釣られて笑っていた。


 僕もマザーも知っている。この旅の結末を。どちらが勝っても僕たちを待つ未来は同じ。それがとても美しいと思えるのは、彼らと旅をしてきたからだろう。
 そう、未来は変わる。こんな荒廃した世界じゃなくて、とても美しい世界を作り上げる事が出来るなら、素晴らしい事だ。偽り無しにそう思える。きっとアトロポスも喜ぶだろう、花や緑が満面に生い茂る世界を彼女は夢見ていたから。
 だから、僕は彼女の為にも戦う。それが、今の僕にとって唯一無二の願いだ。


──例え、そこに僕たちがいなくても。


 僕は時の最果てに戻るべく、歩み出した。引き返す道は、もう無いのだから。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2012/04/24 23:17
 死にたくないと思った。
 今までに無い程濃密に、手に取るように分かる死の気配を感じて、尚一層その想いは高まった。
 もし生きれるなら、何でもしてやると思った。民の誰であれ殺してやろうとまで考えた。最低最悪の為政者として歴史に名を残しても構わないとまで。
 けれど、生き残った。特に何のリスクを背負う事も無く生き残ることが出来た。それがまた恐怖心を煽らせた。次は無いぞと誰かに言われたように感じて、何をしていても背中に死を意識した。
 ……だから、死にたくないという想いは強まった。何に変えても生きたいと願った。その為なら何を犠牲にしても構わぬと。
 けれど、自分は何故死にたくないと思ったのだろうか? 何故にそこまで生を渇望したのか。今はもう思い出すことさえ叶わない。
 唯一脳裏に刻まれているのは、病床に臥せる私の隣で泣いている、子供たちの姿。


 では、子供たちとは誰だったろう?
 もう、自分の子供が誰なのか、どのような姿でどのような声でどのように笑うのか泣くのか怒るのか、いくら記憶を掘り返せど、発掘する事は出来なかった。
 それが不老不死の代償だというなら……甘んじて受け止めよう。
 だが、胸の内に巣食う寂寞感は消えようが無かった。


「……来たか」


 もう過去を振り返るのは止めようじゃないか。
 来客だ、素晴らしい来賓がお越しになられた。これは丁重にもてなさなければならぬ。その事を思うだけで胸が張り裂けそうなほど歓喜に震えている。目がチカチカと明滅するほどに、自分は興奮している。
 さあ来い、さあ来い虫ケラども。盛大に歓迎してくれる。そうすれば、訳の分からぬこの感情も次第に消え失せよう。さすれば、妾はもっと高らかに笑えるだろう。迷い無く、真っ白な自分を取り戻せるだろう。
 呼吸が荒くなる。まるで畜生よな、と自嘲するが、止められない。親指の爪を噛んで今か今かと待ち望んでいると、爪を噛みすぎて血が零れてしまう。
 生々しいほどの赤は、目に余るほど美しかった。
 だってそれは、紛れも無い生の証だから。


「良くぞ来たな、虫ケラども。さあ、踊ろうではないか、最後の時に相応しい、血飛沫舞い散る艶やかな舞を」












 星は夢を見る必要はない
 第四十七話 それはきっと、遥か遠く












 グレンは、小さなラヴォス──プチラヴォスとでもしておこうか。案外正式名称っぽくて気に入った──を絶命させると、汗も掻かずに剣を一振りして体液を振り落とす。鞘に剣を入れながら、振り向きざまに声を掛けてくる。


「怪我は無かったか、クロノ」
「……まあ、ねえよ」実際敵に近寄る事も無くグレンの剣舞に見惚れていただけなのだ、怪我などするわけが無い。それを正直に伝える気にはなれず、少々気まずさを持ち合わせながら答えた。
「そうか、では先に進むぞ。このような所で立ち止まっている暇は無い」


 サラ、と長い髪を揺らしながら扉に手を掛けた。開かれた先は暗く、奥行きの深い部屋に繋がっていた。
 足を踏み入れる前から感じていた、扉から洩れていた冷気が一身にこちらに迫る。凍える程ではないが、体ではなく魂を凍てつかせるような冷気に思わず体を抱きしめてしまう。女々しい事だ、と自分を嘲っても震える体は治まらない。掌と体を擦りあわせる行為は止まらず、摩擦で生まれる小さな熱を頼りに歩き出す。
 十歩と歩かぬ内に、妙な不安が疼き出す。何故だか、前を歩くグレンが遠く感じられた。関係的なことではない、目の前にいるはずなのに、手の届かない場所にいるような錯覚。この場に一人しかいないのではないか、と馬鹿げた考えが鎌首をもたげる。この耐え切れない程の孤独感は何だ? 孤独感はやがて焦燥に変化する。せっつかれるように、俺はグレンとの会話の糸口を探し出した。何でもいいから、彼女と……誰かと繋がっていたいと思ったのだ。


「なあグレン、その髪切らないのか?」自分でも、突拍子の無い質問だと自省したが、何でも良かったのだ、それなりには無難だろう。いきなりの俺の質問にも関わらず、律儀に振り向いて答えようとしてくれるグレンを見ると、彼女も俺と似たような感覚を覚えていたのかもしれない。
「ああ、確かに戦闘では長髪は不利にしかならんが……昔、な。サイラスが褒めてくれたのだ、グレンは長い髪が似合うとな。まあ、俺に残った唯一の女らしさと思ってくれ」
「そっか……そうだな。確かに、男っぽいお前だけど、その髪型は良く似合ってると思うよ」


 そこで会話は終わる。咄嗟に出ただけの内容なのだ、広がりはしない。お互いに無言になり、またお互いに次の会話を見つけようとしている。ちらちらとこちらを見てくるに、グレンもきっと会話を続けたいのだろう。少しでもこの不安を紛らわせたいのだ。
 情けないとは思わない。この誰でもいいから縋りたくなるような感情は覚えがある。この空気はあの時の、ラヴォスと対面した時に酷似している。目の前で立っているそれだけで殺してくれと懇願したくなるような、体をそのままに心だけを刳り貫かれるような不快感は馴染みが深い。長くも無いあの時間で刻み込まれたのだから。
 何処まで続くのか分からないこの部屋に響くのは足音だけとなった。誰も口を開かないのだ、当然である。嫌に靴だけがはしゃいでいるのは、逆に不気味であった。
 やがて、暗闇は終わる。緑のような、青のような不可思議な薄ぼんやりした灯りが視界に入った。心持ち、俺とグレンが足早になる。誰でも光が無いよりも、頼りなくとも光に触れていたいと思うのだ。
 結局それは、無意味なものだったのだけれど。光の正体に気付いた俺たちは、どんな感想も吐く事は出来なかった。


「人間……いや、これは!?」グレンが目を見開き驚愕の声を出した。


 彼女と俺が見ている先には光の柱がぽつぽつと立っていた。時の最果てにある物に酷似している。『形だけは』。
 光から洩れる粒子は薄暗く澱み、体に触れる事を避けたいと思わせる物。何より、その光の柱の中に何かが浮いていた。身動き一つしないそれは、まるで光の柱に縛り付けられているようだった。
 その何かとは、グレンが言ったとおり人間である。それだけでも十分なのだ、それだけでもう腹一杯だ。それ以上はいらないのに、なのに。その光の中に縛られてるのは、確かに『俺たち』だった。紛れも無く俺たちだったのだ。
 光の柱は六つ存在した。その内の一つに閉じ込められているのは、俺。次にマール、ロボ、グレン、ルッカにエイラ。魔王以外の全員が光の柱の中で目を瞑りたゆたっている。水面に揺れるように、夢を見ているように。それが目覚めるものなのかどうかは知らないけれど。


「……悪趣味な。偽者、人形か?」
「馬鹿を言うな、人間の雌が」
「ッ!?」


 光の柱を凝視していた時、暗闇の奥から篭った、それでもよく通る声が届く。聞きたかった声、聞きたくなかった声。
 俺たちの旅を操り、直接では無いにしろ、俺を殺した女性、女王ジールが高みから俺たちを見下ろしていた。愉悦に唇を歪め、狂気を孕んだ表情を浮かべながら、喉を鳴らして。


「それは、貴様らの未来だ。分かるか? それがここにある意味が。いかに貴様らが反抗しようとも、抗おうとも、結果はここに集束されておる。足掻くな、潔く死ぬべきだぞ……? 何せ未来は決まっておるのだから!」


 俺たちの言い分を聞く暇も無く、ジールは掌を振って、そこから火炎を迸らせた。大蛇のように形を変えて俺たちに牙を向く火炎の波。
 流石、ラヴォスの力を得ていると豪語するだけあって凄まじい熱気だ。ちりちりと大気が怯えている。氷河であろうが氷解させるだろう熱が間近に迫る。


「くっ!」


 すぐさまに横に転がり飛び避ける。すぐ後ろを濁流の如くなだれ込む火炎を感じて背中から冷や汗が一筋流れていった。それもすぐに蒸発したが。


「いきなりだな、話も無しか!?」


 剣を抜き払いながら言う。ジールはさも呆れたように掌を己の額に当て、嘆くように囁いた。


「本気で言うておるのか? 野蛮な貴様らに礼儀作法など必要なかろうが」
「……間違ってはいないな」グレンが指を顎に立てて納得したように言う。どっちの味方だお前。
「いや、戦いとはそうあるべきだと言いたいだけで、他意は無い」
「言い訳しないといけないって、分かるくらいには成長したんだなお前も……もういい、また来るぞでかいのが!」


 空間から逆巻くように水流が現れ、隣にも放射状に作られ始める電流の束。それらは各々に形を変えて、三叉の槍となった。矛先はこちらを向いている。
 水と電気を槍に形状変化させる……俺やグレンには出来ない芸当だな、そりゃあ。小器用じゃねえか。
 電気の槍はグレンに、水の槍は俺に向う。避けるにも、飛来する軌跡を見る限り追尾してきそうな気配である、いっそ魔力で気化させることも考えたが、シャイニング級の魔力を必要としそうだ、防御だけの為に切り札は晒したくない。
 ようやく出番が来そうだな、虹よ。
 先ずは一本の槍を袈裟切りに叩き落す。剣先を上向きに変えて、二本目を切り上げ、体を半歩分右にずらし三本目の槍を避ける。予想通りに、目標を見失う事無く残る槍は方向を反転させてもう一度俺に向い迫る。術者の執念を具現化させたみたいな能力だな。
 とはいえ、二本の槍を叩き落とすに比べれば、一本の槍を無力化させるなんて容易い事だ、と口端を吊り上げた。
 その油断が、いけなかったのだろう。


「……執念深さって、そこまで比例するもんかね?」


 今さっき床に落ちて流水に変わった水の槍が、俺に巻き付く様に絡み付いていた。まさに自由自在か、極めれば水の魔力とはここまでになるのか。グレンも剣ばかりでなくこういう魔法の使い方を覚えれば良かったのにな!
 からめとられたのは両足と左腕。動くのは頭と右腕。流石に腕一本だけで豪速の槍を落とせるかと言われれば難しい。シャイニングを使うか? ……それも癪である。


「他に、方法も無いか……? ぐっ!」


 そも、俺を締め付ける水の力も尋常ではない。万力もかくや、体をバラバラにせんと収縮していた。このままでは骨をやられそうだ。悩んでいる時間は無い、今すぐに魔力を解放すべきだ。
 ……そう、もしも俺が一人ならば、その選択しか無かっただろう。


「醜態だぞ、クロノ」
「……はっ、なんの。序盤のミスなんかいつでも取り返せるだろ」


 露に消える俺を縛る水の触手。切り裂く剣光は一筋の線になり俺に自由をくれる。
 剣の銘はグランドリオン、繰り出すはグレン。戦いにおいて、今や最も頼りになる仲間だ。彼女の剣舞は力強く、それでいて鮮やかな、完成されたものだった。
 舞うように切り、風のように走り、自然的な何かを感じ取らせるような動き方だった。


「面倒な……不敬である! が、まあ良い」


 ぎりぎりと歯噛みしたと思えば、一転無表情に変わりジールが近づいてくる。長いドレスと法衣を足したような変わった衣装を揺らしながら、あくまでも雄大に尊大に歩み寄ってくる。彼女に似つかわしくない、と言えばそれもまた不敬なのだろうか。
 それに対しグレンは剣を構え、眼光鋭く睨みつける。左足を引き、常時飛び出せる事が分かる。


「急くな、小娘。妾はただそこな男に話があるだけだ」
「話? 馬鹿な。世迷言にもほどがあるぞジール女王!!」
「貴様に話は無い、暫し黙れ!」


 手を翳し、落雷をグレンの前に数度落とす。剣で遮り、また回避するものの、ジールとの距離が広がっていった。そして、俺とジールの間に距離は無い。手を伸ばせば触れる程身近に、奴がいる。
 お互いに、一瞬で殺しあえる位置なのに。俺もジールも何処か気を抜いた表情をしていた。
 ジールはうっすらと笑い、軽く首を右に倒した。子供がするみたいな動作に戸惑いが生まれる。


「嬉しいぞクロノ、よく戻ってきてくれたな?」
「その台詞は、十年前に聞きたかったなジール女王。俺がその気になるにはちょっと老けすぎてるよ、あんたは」嫌味に堪えた様子も無く、ジールはむしろ楽しそうに笑った。
「妾は不老じゃぞ? すぐにお前も追いつくさ。そして妾を残し、追い越していく」
「真面目に走れよ、じっとしてるだけの人生なんて楽しいか?」
「走るだけの人生よりは、幾分充実しておる」胸を張る彼女に、迷いは無かった。「そうか、そりゃあ価値観の相違だな、分かり合えることは無い」


 右手の虹を握り締める。縛られた事による体の痺れはもう無い。
 存分に、振るうことが出来る。目一杯に、渾身に。問題があるとするならば、一つだけ。
 こいつは切るべき敵であり、世界の仇であり、あらゆる人に恐怖を刻み込んで、文字通り世界を滅ぼそうとする悪魔みたいな……人間なんだ。
 ──俺に、人間を殺せるか?


「迷いがあるか?」
「どうかな、お前は?」問われて思わず聞き返すことしか出来ない自分が、情けない。下らない事を聞くなと言うようにジールは顔を顰めた。
「迷いだと? 戯言よな」
「……そう言い切れる自信が俺も欲しいねえ!」


 大丈夫、剣は振れた。振った。辛うじてかわされたものの俺はこいつに、人間に剣を振る事ができた。
 そりゃそうだ、俺は殺せるさ。人間だからなんだっていうんだ、ダルトンにだって、マールにすら剣を振れたじゃないか。殺す気があるかないかの違いがなんだっていうんだ。魔王には殺気を込めて剣を振るったぞ、あの時は、あいつが同じ人間とは知らなかったけれど……
 人一人殺すだけで何戸惑ってるよ、俺?


「……つまらぬなぁ、その程度の覚悟か、赤毛」
「うるさい」吐き捨てるように言う。
「面白う無い。もっと本気で来ぬか貴様。そのままではいたぶるにも興が乗らぬ……もう良い、勝手に朽ちよ、ラヴォス神の力の一部となるが良い」


 失望に近い感情を露にして、ジールの姿が消えた。と同時に部屋の明かりも一斉に落ちる。ぼん、と重い何かが落ちたような音が響いた。
 刀をだらりと垂らして、俯いてしまう。剣先が床に擦れて金属音がちりちりと鳴る。煩わしい。
 僅かの間、ぼうとしていると、後ろから肩を叩かれる。振り返るまでも無く、それはグレンだろう。彼女は、取り逃がした俺を怒るではなく、申し訳無さそうに眉を落としていた。


「……お前は人を殺めた事は、無いのか?」
「無い。ある訳ないだろ、戦争なんて起こりっこない国で産まれたんだから」
「お前に、斬れるか? 奴を」
「…………」


 聞くなよ、そんな事。


「……暗いな。明かりを消して不意打ちする心積もりか?」


 気を遣ってくれたか、グレンが周りを見渡しいつまでも暗がりのまま変わらない部屋を嘆くように顔を曇らせた。とはいえ、暗いせいで彼女の顔も良く見えないのだが。
 暗澹とした空気が流れゆく。じっ、と動かずにいても何も変わらない、けれども動く事は憚られる。そんなあやふやな雰囲気の中だった、現れたのは。
 まるで、元々そこにあったような錯覚に囚われる。それは、音も無く気配も無く急にそこに存在したのだから。
 丁度玉座と俺たちとの間の位置の床から銀色の、仰々しい銅像のような人型の物体が姿を見せている。上半身の部分は鉄仮面をつけた騎士然とした風体で、下半身は二つのコードが垂れ下がり、それらを支えるように一本の柱が胴体代わりに床に刺さっている。それは、過去魔法王国ジールにて見た魔神器に他ならなかった。
 まだ、俺は魔神器を見たことがあるため驚きも軽減したが、初見であるグレンは慌てふためき目を丸くさせていた。


「敵、なのか? これは」
「多分な、魔法王国で見た魔神器ってやつだと思う。ラヴォスの力をジールに送るだか増幅するだかする機械だったな、つまり、壊しておいて損は無いだろ」
「なるほど、壊せるならな……」


 ぎら、と魔神器の双眸が光り、空間が歪んだかと思うと、そこから一筋の光線が発射された。じくざぐに交叉しながら、やがて網目状に光線は姿を変える。面と化したそれは、俺たちを押し潰しように迫ってきた。
 虹で払えるか? いやそれは無理だ、二三の線を消し去れたとて、その後に残る光線が俺をバラバラにするだろう。グレンの剣に頼るにも限界がある。で、あれば。


「まるごと消してやる……!!」


 詠唱を開始。体中に分かれている魔力を総結集。イメージは凝縮されていく電子。何者をも通さない電気の壁を精製。触れれば消滅、触れずとも消滅、須らく敵を消し去る魔法を俺は知っているはずだ。
 後は、右手を前に出して、言葉を紡ぐだけだ。それで終わる……のに。
 なんだか、とても嫌な予感がした。良い予感は当たらないのに、悪い予感は当たるんだよな、俺はさ。今更、止められないのだけれど。


「シャイニング!!」


 俺の魔法は、何の狂いも無く発動した。迫る熱線を悉く消し去り、そのままの勢いに魔神器の大半を塵芥と変えた。
 魔神器のコードは半ばから千切れ落ち顔面部分の鉄のコーティングはずるりと溶けて中の電子機器を剥かせた。バチバチと火花が爆ぜて、体を支えていた柱は鈍い音を立てている。崩れ落ちるのは時間の問題だろう。奇妙な色の液体がぶくぶくと泡を立てて零れていく。灯油みたいなものだろうか? それにしては、刺激臭が酷い。鼻がまがりそうだった。


「いつ見ても、お前のその魔法はとんでもないな、クロノ。魔術だけなら、魔王をすら凌駕しているんじゃないか?」グレンが混じりっ気無しに褒め称えるので、俺は少し肩を落とした。
「連発できない、使った後体が碌に動かない。これだけ使い勝手が悪い魔法が凄いとは思い難いけど」俺の謙遜染みた答えに彼女は笑って肩を叩いてきた。
「そう言うな。お前のその魔法は誇っていいだろう、ラヴォスの力に耐えうる魔神器……だったか? を一撃なのだからな」


 そう、それが怖いのだ俺は。
 “あの”ラヴォスの極大な力を吸収出来る魔神器がこうも容易く壊せるものだろうか? たかだか人間の魔力程度で。
 既に、魔神器は横倒しに倒れて沈黙している。残骸となったそれにもう力は無いはずなのだ。作動音も聞こえない、攻撃してくる意思も感じられない。言ってしまえば、ただのガラグタであるそれに俺は恐怖すら覚えていた。


「大丈夫……なんだよな、これで」
「心配性だな、何を怯えているんだクロノ」
「笑うなよ。別に怖がってるわけじゃないさ」彼女の言い方に不満があった俺は声のトーンを下げて、不愉快を示した。それでも、彼女の笑顔は変わらない。
「なあに、怖がる事は悪い事ではないさ。まだ子供なのだから、お前は」
「グレン、お前今までの事かなり根に持ってるだろ? そこだけ女らしいよな、お前は」
「執念とは剣士にとって必要なものだ。褒め言葉として受け取っておく」


 無い胸……もとい、ある胸を張って鼻から息を吐くグレン。一頻り揉んでやろうかという願望……いやはや、使命が浮かんだが理性で押さえ込む。次は無いが。


「ちっ、先に進むぜ。お前と構ってたら俺のムラムラが終わらん」
「? たまにクロノは分からん言葉を使うな?」
「黙ってろ、お前のそのハテナ顔でさえ俺を悶々とさせるのに一役買ってるんだ……!?」


 背筋が、凍った。
 視界の先に、緑が見えた。その緑は馴染みの深い色彩だった。電力という電力を込めて、それを魔法で包んだ結果浮き出る幻想的な色。時折雷の線がはみ出る辺りが酷似している。
 魔神器から、確かな力を見つけた時、情けなくも俺は動きを止めてしまっていた。
 嫌な予感がしたなら、もっと調べておくべきじゃないのか。何故もっと警戒しなかった。様々な自責の念が浮上する。どのみち、結果は同じだと分かっていても。
 崩壊寸前の魔神器が作り出していた力は、確かに俺の放った魔法、『シャイニング』と同じだった。


『エ……ネル……ギー……放……出……』


 電子音が聞こえて、世界の色が変わる。一面に広がるのは俺の全力の魔力を込めて作り上げられた電流の壁。どんな物でも消滅させられるだろう力。それは誰よりも俺が知っている。防御も回避も不可能な、俺が唯一絶対を信じられる魔法。
 ……そうか。魔神器は世界を破壊するラヴォスのエネルギーですら吸収できるんだ。俺の魔法を吸収するのも当然だろう。
 つまりは、俺のシャイニングを吸収し、本体が破壊されても、魔法を解放し反撃することが出来た訳だ。
 ……最悪だ。魔神器相手に魔法は御法度だったわけだ畜生!! よりによって、シャイニングを使っちまうなんて……どう乗り越えりゃ良い?
 相殺は無理だ。前にルッカを守るのに一回、さっきので二回。魔力は底を尽いてる。仮にエーテルで回復したとしても、こんな短い時間で発動は無理だ!
 消滅の壁は、徐々に俺たちに迫ってくる。部屋の柱を軒並みに消し飛ばせながら。俺もグレンも後ろずさるが、もう既に後ろは壁。逃げ場は無い。
 いくらなんでも、俺のシャイニングはここまで範囲は広くない。それは恐らく、魔神器が俺のシャイニングにラヴォスのエネルギーを足して、強化しているからだろう。下手をすれば、奴のシャイニングは黒の夢全体を覆うほど広がるのではないだろうか?


「下がれクロノ!!」


 肩を後ろに引かれ、よろけながら俺は後退して尻餅をついた。とはいえ、僅か三歩分の距離。その三歩分の距離の前で、グレンが剣を縦に構えていた。迫る電力の壁から、立ちはだかるように。俺の、失敗から産まれた危機から俺を守るように。
 何も声に出せない。だって、守ってもらうなんて事を想像していなかったから。それくらいには強くなったと自惚れていたから。


「グレン!?」


 シャイニングの壁がグランドリオンに触れて、発光する。バチバチと音を上げて、彼女を喰らおうとしている。緑色の牙が迫っているのに、俺は後ろでぼんやりと見ているしか出来ない。手を伸ばせば届く距離なのに、こんなに遠いのか、俺とあいつとの距離は。
 縮まったと思ってた。むしろ追い抜いたとさえ思っていた。もう俺は守られる事なく、守れるだけの男になったのだと過信していた。それが過信だと気付いたのは今更だった。
 まずは立とうと思った。だから腰を上げた。次にグレンとの立ち位置を交代しようと思った。だから手を伸ばした。けれど、俺の右腕は俺自身に逆らうように前に出ない。
 壁は徐々にグランドリオンをすり抜け、グレンの体を侵食していく。血飛沫でさえ浄化する“俺の”魔法。俺が不用意に放って返された俺の過ち。
 ふざけるな、それならば尻拭いは俺のはずだ、背負う人間を間違えるんじゃねえ!!


「グレ……!!」


 唐突に光で弾ける視界。グレンもシャイニングも黒の夢も消え去ったのでは無いかと思う程の、白一色の世界。それはやがて終わりを告げ、元の世界が顔を出す。光が止んだ景色に浮かぶのは、見知った人の、俺の師であり恩人であり、俺が辛い時には支えてくれた親友が床に伏している姿だった。
 ──彼女は死んではいない。それを間違えるほどには俺は狼狽していない。
 でもおかしいんだ、グレンは剣士なんだ。それに誇りを持っていたし、確かこの旅が終わっても剣の腕を高めるべく武者修行をしようとしていたはずなんだ。
 剣を使うには何が必要か? 剣は勿論、腕が必要なはずだ。でもおかしいんだ。
 なんで、今のグレンには腕が無いんだ?


「……が、ああ……」


 倒れているグレンが呻き声を上げる。痛む箇所を押さえたいだろうに、腕が無い。傍に落ちている剣を拾うことさえ出来ない。だって腕が無いのだから。
 初めから無かったみたいに空間が広がる肘から上をゆらゆらと揺らしながら、その度に並ではない血が垂れ流れている。ぼとぼとと音が聞こえる程に、濁流のように。命の灯火が急速に消えていく。耳を塞ぎたくなった。それから俺の腕を千切ってグレンに手渡したかった。意味が無いとしても、贖罪気取りでも、そうしたかった。


──俺のせいだ。また、俺のせいなんだ。


 ……だったら、初めからリーダー風吹かすなよ、考え無しの臆病者め。


「クロノ!!」


 盛大な音を立てながら後ろの扉を開けて、テラと戦っていたのだろうルッカが現れる。その顔はようやく見つけたという達成感ある表情から愕然としたものへ変わった。
 慌てふためいた様子で走りより、俺の隣に座りこみグレンの容態を悟る。一目に分かるだろう、腕が無いという事実はこれ以上ないほど明白なのだから。
 どうしたものか、と俺を見遣るがこっちだってどうすればいいかなんて分かるわけが無い。沈痛に顔を俯かせるしかないのだ。「どうしよう……」と声を落とすルッカもそれは同じだろう。


「ポーションはある? 私の分はさっき使い切っちゃったの! クロノとグレンのは無いの!?」
「持ってねえよ、グレンが回復呪文を使えたからな、持ってたらとっくに使ってるさ!!」
「そんな……」


 こうしている間にもグレンの腕から血は流れ、すぐ傍に座る俺たちの服を濡らす。今や真っ赤になり、終わりは刻一刻と迫っている。
 彼女の呼吸が荒いものから力弱いものへ変わり始めた。それはつまり、そういうことなんだろう。
 頭を抱えたくなるような状況。それが全て俺のせいだなんて、冗談であってほしい。そんな風に保身に走る俺は、もっと。


「面倒だろう? 繋がりというのは。断ち切りがたいからこそ、背負うものは際限無く増えていく」
「……かもしれねえ」
「かも、とは弱いな。そうなのだ、誰かと関係を持つそれだけで生きるには重たい。それは生きてきた年数分絡みつき澱み、いつしか腐っていく! だが切れる事も解ける事も無い、どちらかが死ぬまで続くそれは因果か? 違うな、それは業としか言えぬ。罪を犯すでもなく増えるそれはいかに厄介か、分かったのではないか?」
「長々とうるせえな……」


 いつ現れたか、またも玉座に姿を見せて俺に何かしかを語りかけてくるジール。己の髪の毛をしっかと掴み揺さぶりながら口を上げている。愉快かよ、そんなにさあ。
 刀の柄を握り、立ち上がる。突然登場したジールに警戒を払うルッカに頼みごとを一つ。「グレンを頼む」
 彼女は言う。「分かったわ」と、「終わらせて」を。迷いながらもルッカはどうしたらいい? とは問わなかった。ならばグレンは助けてみせるということだろう。なんて頼もしい、俺のミスを彼女に押し付けたままの出陣とは格好悪いな、俺は。
 でもそれでこそ、俺なんだ。頼りっぱなしでようやく立てるのだ。


「待たせたな、俺が相手だ。文句は無いだろ? それがお前の望みなんだから」切っ先を向けて宣言。抜き払う瞬間のしゃらん、という音が鳴った時ようやく奴の笑みは消えた。
「……良かろう、遊びは終わりか。しかし、魔神器を一撃で砕いたのには驚いたぞ。内心二人とも殺す、とは言わずともどちらも生きているのは予想しておらなんだ。とはいえ……」奴の細めた目が倒れているグレンに向く。「片方はもう、終わりだろうがなあ」
「……ほどほどにしとけ、俺は気が短いんだ……!」
「つまらぬのお。しかして、ここではちと場所が悪い。妾と貴様らの最後の戦いなのだ、場所は選ぶべきであろう」


 そう言ってジールが印を結ぶ。指先掌腕全てが意味を為し、最後に円を描いて空中に陣を作り出した。青白く光るそれはゆっくりと地面に降りていき、柱となる。魔王城にて目にした光の柱と同質の気配。恐らく空間移動の呪文だろう。
 目が眩む事を嫌った俺は目蓋を下ろし、最後の舞台を待った。
 始まるというなら始まれ、終わるというなら終われ。
 肩書きも何も無い、未来を救うなんて大層な願いも無い。
 生きたいから生きて何が悪い、誰かを守りたいと思って何が悪い。
 グレンを守る為、ルッカを守る為、世界に散らばる仲間と出会った人々。それに……
 約束は、もう一つ残ってる。






 まず目を開く前に感じた事、それは肌寒さと叩きつけるような風。目を開けると空一面に黒が浮かんでいた。まだ昼過ぎだろうに太陽が見えない。雲一つ存在しない世界。吸い込まれそうな光景だった。
 壁も無い、床は妙にごつごつとしている。ここは、そうか。黒の夢の中ではなく……


「黒の夢の上部である。光栄に思うが良い、貴様は今この星に生きるどの生命よりも高い場所で息をしておるのだから」


 空中に浮かびながら、ジールが俺を見下ろしながら答える。その理論なら、お前はこの星の生き物ではないのか、と言ってやりたかった。


「黒の夢はこんなに高い所を飛んでたか? 雲が浮かぶ所と同じ程度だったと思ったが?」
「言っただろう? 場所は選ぶと。わざわさ貴様らを招待するにあたり浮遊域を変えたのだ。感涙に咽ぶ泣くがよい」
「馬鹿言え、俺が泣くのは誰かに虐められた時と妹と別れる時だけだ」
「そうか、では今すぐに虐めてやろう」加虐心を孕む顔で告げる。


 戦いの前に深呼吸を一つ。そこでふと気づいたのが、いやに呼吸がしやすい事。死の山よりも遥かに高いはずのこの場所でこうも呼吸が容易とは考えがたい。なにかしらの結界が張られているのか。流石、魔法王国の技術を結集させただけの事はある。皮肉を言いたいが、助かっているのは確かなので抑えておこう。
 そのまま暫く時間を置く。風の音だけが耳に入る。
 自分から動き出そうか、と足に力を入れた瞬間に、ジールが動きを見せた。腹の底から響くようなどす黒く重たい声で、聞き取れない呪文を吐いたのだ。
 言葉を紡ぎ終えた瞬間、最初からそこにいなかったみたくジールの姿が消える。逃げたのではない、戦うにあたり、最高の力を出し切る為の下準備なのだろう。俺と同じであいつに逃げるは無い。
 ジールが消えて十秒と経たぬ内に奴の姿が浮かび上がった。姿というのは語弊があるか。俺が捉えたのは、手袋を付けた彼女の左手と右手、そして顔だけ。それしか無かったのだ。
 人間の体を優に超える両手と、同程度に巨大化した仮面を付けたジールの顔が暗い空に浮かび俺を見据えていた。酷く奇怪な光景だった。
 お互いの指をぐねぐねと揺らし、曲げてその内の一本を突きつけて、随分と大きくなった声が響いた。「始めよう、人間」
 彼女の開幕宣言は、酷く端的で、シンプルだった。






 ジールの右手がすっと俺を指す。それだけで指先から黒く鋭い光線が俺を射抜こうと発射された。虹で受け止めたものの、両手が痺れてまともに動かなくなる。二度目は無いな……
 このまま狙い打ちにされるのは上手くない。シャイニングはまだ使えない、さっきの失敗もあり使いたくないのも本音ではあるが、それだけで怯えていては逆にグレンに申し訳無い。あいつは情だけで俺を助けるほど馬鹿じゃない。あいつは腕を犠牲にしても俺を助けるべきだと判断してくれたのだ。ならそれに応えよう、全力で。


(狙うべきはどれだ? 左手? 右手? 顔か? 頭部を破壊すれば倒せそうな気もするが、ブラフの可能性も無くは無い……)


 三つに分かれた敵の本体、どれに攻撃を加えるべきかを考えても答えは出ない。教えてもらった訳じゃない、分かるわけは無い。だが時間も無い。悠長な真似は命を落とすのみだ。


「……顔に決めた!!」


 理由は単純、ジールの性格からして引っ掛けなどを用いるとは思えなかったのだ。案外、正解である気がする。
 愚直に顔目掛けて走り出すが、決して通さぬと言わんばかりに左手と右手が俺の進路を邪魔する。光線、火炎、冷気の雨と乱雑な、多種多様な魔法で足止めさせられる。そのどれもが一度喰らえば命とりな強力な魔法。
 元々女王として君臨していたジールがラヴォスから力を貰っていたのだ、人間の域は遥かに超えているのだろう。それは彼女の今の姿を見れば一目瞭然だが。
 左手はぼろぼろと掌から魔法を落とす。中にはダルトンが得意とした鉄球や火炎球、電流の槍などもあった。救いは召喚魔法は無かったことか。元々一体三のような勝負なのだ、これ以上敵が出てきてたまるものか。
 いつまでも攻撃が当たらない事に業を煮やしたか、左手が魔法ではなく直接に殴りかかってきた。立ち止まって刃先を返し、タイミングを合わせてかわしながら初太刀を入れる。指を切り落とすには至らなかったが赤い傷跡を残した。続いて減速した左手に二の太刀を叩き込む。相手の手の甲から止め処ない血液が流れ始めた。
 三の太刀を入れるまでは出来ないだろうと踏んでいたが、左手は動きを止めて俺に向け巨大な手を広げた。しまった、その場に留まり攻撃を受けながらも反撃するつもりか!? 生命力が高いからこそ出来る荒業、ごり押しじゃねえか!


「HFYW&’SFJ!!」


 何を言っているのかも分からない言語が左手から聞こえる。発声器官があったのか? という疑問を抱く暇もなく俺は魔法の直撃を食らった。咄嗟に電流壁を作り出しガードしたが、衝撃はまるでない。痛みはなく、間抜けに突っ立っているだけだった。勿論痛みも傷も無い。
 失敗したのか? まさか? と胸を撫で下ろしていると、己の異常を悟る。これは、中世にてヤクラを殺したジャンクドラガーが最後に放った魔法か!
 魔法力をまるで感じられない。俺の持つ魔力を全て吸い取られたようだ、念じても構成を頭に描いても魔法が発動する気配すらない。
 つまり、俺はもう奴の魔法を受け止める術は無いってわけだ。はは、随分面白いじゃねえか。序盤でいきなりやられたぜ……


「残るのはこの刀だけか……良いぜ? 試してみろよ、俺の剣術だって、それなりには鍛えられてるんだよ!!」


 果たしてそのそれなりが世界崩壊を操る女王ジールに通用するのか甚だ疑問だが、真偽は分からない。今は、まだ。






「あ、がああ……ルッカ、か?」
「起きたの、グレン! 良かった……まだ動かないで、体の熱を高めて治癒力を活性化させてるから……」


 自分の魔力特性“火”で出来る応急処置を施すも、体力を僅かに回復させるしか出来ず血を止めることにすら至らない。自分の服袖を破って腕を縛り、傷口に当てるものの碌な役には立たず、グレンの顔色は悪くなるばかり。


(駄目だ、これじゃあ時間を引き延ばすだけ、それも本当に僅かな時間……!)


 私は唇を噛み己の無力を呪う。頼まれたのにという重責が肩に圧し掛かる。それを圧力と考えている自分をさらに呪う。


「……いてくれ」
「え? グレン、今なんて?」


 私はグレンが呟いた言葉を聞き取れず、聞き返した。
 本当は聞こえていたのかもしれない、ただし、意味が分からず問い返した。およそこの状況には似合わない言葉だったから。


「焼いてくれ……」


 グレンの顔は悲壮に染まっていた。瞳の色はいつもと変わらず、力強いまま。






 魔力とは心の力。徐々に回復はしていくが、エーテルなどの特殊な液体を含まねば早々回復はしない。そして、枯渇したままでは正常な心理状態にいるのは困難な事だった。分かってはいても、いざ体験してみると気持ち悪いよなあ、これはさ。
 ゆらゆらと視界が揺れるまま攻撃を避けるのは中々に難儀だった。何度か光線や火の壁が体を掠り、痛みがまたふらつく意識を遠のけさせる。連鎖だな、こりゃ。


「剣術ねえ、啖呵は切ったが、何の役に立つんだか……っと!!」


 千鳥足気味の足に無理やりに動かし左に飛ぶ。すぐ隣の床が焼かれて、後転すれば床下から氷の棘が突き出し、前に飛び出せば後ろから電撃の爆ぜる音がありありと。地雷ゲームでもやってる気分だった。迫力は段違いであるが。
 モスキート音に近い高く振動するような音が耳元で聞こえて、二足前に出る。やはりと言おうか、頭上から落雷が三つ。仮に魔法が使えても防御など意味を為さない三対の電鎚が床を抉っている。放射状に広がる白い網は残り香を思わせた。
 心を鋭く尖らせろ。自分自身で思い込む。昔母さんから聞いた教えだ。子供心には何を意味深で意味の無い教えだと馬鹿にしていたが、今なら(それでも多分に理解はしていないが)それなりに掴める。要は注目しろということだろ? 相手と、それ以上に己を。
 俺がどれだけ動けるかなんて俺が一番知ってる。いつもそれは心掛けてきたつもりだ、だから知ってる。想いの外俺は自分の限界を容易く超えられると。それはつまり自分を過小評価しているという事なんだ。
 これは出来ないと思えるラインを俺は飛び越えることが出来るはずだ、今までだってそうだったんだから。原始古代中世現代未来どの時代でも俺は生き残ってきた、絶望的な戦いだってあった、でも俺は生きてる。死んでも蘇ったんだから、俺の限界は遥か先のはずだ、俺自身が知覚出来ないくらい、地平線の果てまで。


(直線に突いてくるか? ならさっきと同じく避け様に斬る……いや、左手を斬った時の事を考えると、右手も同じように反撃の手段があるかもしれない。出来るだけ攻撃は顔以外に加えないほうが良い……)


 イフを考えて、考えすぎる事は無い。なにせ今戦えるのは俺しかいないのだから。後ろには伏しているグレンと看護しているルッカのみ。ルッカもポーションを使い切ったという言葉から、テラを相手にかなりの深手を負ったのだろう。戦闘は酷なはず。魔法が使えないだけの俺が最も戦える。いや俺しか戦えない。


「良いねえ、こういう自分に全部が圧し掛かってくる感覚。俺の一番嫌いなパターンだ」


 いつも頼ってばかりじゃいられないっていう、良い見本だ、この状況は。教訓になったよ。
 ぐおん、と空中で回転しながらジールの右手が俺に突っ込んでくる。焦らず冷静に、を念頭に左に身を逸らすが、右からも左手の突っ込みが俺を襲う。今まで同時に攻撃を仕掛けてこなかったのは、俺の油断を誘う為か。読んでるさ、伊達に戦ってきたわけじゃない。
 床に体を伏せて難を凌ぐ。これで、体勢を整えて顔に攻撃を加えに行けば良い。左手も右手も攻撃直後ですぐに応戦は無理のはず!
 体を飛び跳ねるように起こし、前に足を踏み込んだ。
 ──が、硬直する。びく、と一痙攣した後呼吸が止まってしまった。目の前にいたのだ、俺の攻撃目標が。
 ジールの顔部分が二メートル程先に浮かんでいる。口を開いて、俺を食い殺そうと言わんばかりに。
 幸いにか、奴は俺を咀嚼しようとはしていないようだった、彼女はぶつぶつと何事かを唱えている。食うではなく、唱えている。この至近距離で、避けるなど出来ようも無い体勢で、俺はそれを迎え撃たねばならないのだ。
 視界いっぱいに広がる彼女の表情は、何かを終えたようににこり、と綻んだ。背中が凍えるような笑顔だった。


「ハレーション」


 彼女の声を聞いた途端、体から力が抜ける。特別傷を負ったわけではない。痛みを感じたわけでもない。体に巣食うのは虚脱感と危機感。あるべき物が失われていく感覚は俺から生命力のようなものを根こそぎに奪っていった。
 視界が黒く染める。暗幕を下ろしたみたいだ、見ることを拒まれているみたいだ。刀が手から滑り落ちたのに拾おうという気持ちすら生まれない。落ちた音さえ届かない。
 奴の魔法がいかなものなのか、正当な判断が作り出せない今でも、なんとはなく予想できた。魔力を吸い取る魔法を使えるんだ、命を吸い取る魔法を使えてもおかしくはないか。


(これは、不味いか……)


 体を倒した今も続く抜き取られる感覚。疲労とは別種の脱力感は時が経てば癒える類の物ではない。魔法による治癒か、特殊な加工を為された液体、例えばポーション等じゃなければどうにもならない。そのどちらも今は使えない。


「ざっ……けんなぁぁぁ!!」


 拭けば飛ぶような命を振り絞って、立ち上がる。それだけで膝が砕けそうな気分だった。何百キロと走り回ったように感じられた。たった一挙動が果てしないほど辛く、重たかった。鈍重な体は引きづる方がまだ、という速度でずりずりと前に進む。刀を拾った瞬間、羽のように軽く感じられた虹が鉄板のように思ってしまう。勢い良く持ち上げようとして背中を伸ばし腰を使うと右腕が脱臼し、激痛からまた倒れこんだ。どんだけ虚弱だよ、俺は。


「無様よな。逃げるかクロノ? 良いぞ、逃げても。このような幕引きでは呆気が無い。妾はラヴォス神に仇なす貴様の仲間全員を殺し、最後に貴様を屠りたいのだ。今逃げるなら、僅かの間だが貴様を生かしておいても良い」
「────!!!」


 馬鹿言うんじゃねえ! と言ってやりたかったが、肩の痛みで言葉にならない。呻いた声を大きくするだけで精一杯だった。悔しくて、悔しくて堪らない。
 負けるのがじゃない、侮られている事が、だ。少し前の事だが、ダルトンに俺が行った事がどれだけ奴を傷つけたのかを思い知った。
 こっちは本気なんだ、なのに相手が遊戯感覚でいてはどうなる? こちらの熱意も情熱も何処に消えるというのか。消えはしない、延々と胸の中に渦巻き澱んでいくのみだ。そりゃああいつも肩を砕くさ。対等というのはどこまでも尊いものだから。
 だからこそ、あいつに見せてやりたい、俺が何処までできるのか、それを証明したい。


「案外上手く行くかも知れぬぞ?」俺がどれほどの怨嗟を溜め込んでいるのかも知らず、ジールは薄笑みのまま言う。「言ったであろう、他人との関係が全て消え去れば、貴様もまた強くなるかも知れぬ。これは真理なのだ、誰でも、他に考えが行くよりも己が事のみで構成されたほうが突出する。万来、鬼才天才とはそういう者を指している」
「……」聞きたいわけじゃないのに、声を出せる余力が無いため強制に静聴させられる。収監所にでもぶち込まれた気分だった。
「今は逃げろクロノ。そして貴様を知る者が妾以外に存在しなくなった孤独の世界を味わうが良い。なあに、すぐに慣れる。想いの外気楽なものぞ? 一人というのは何でも出来る、何にでもなれる。妾のように神になることもまた容易い」


 神、と口の中で繰り返す。神か、神ってなんだ? 一人でいることが神というなら、今の時代かなりの数が神になれる。なんだそりゃあ、逃げてる奴の言い訳じゃねえか。聞く耳持てるか。
 でも、その逃げた奴に俺は負けてるわけだ、不恰好な体制を晒して殺してくれと言わんばかりに蹲ってるわけだ。そりゃあどういう訳なのか、分からない。反論も口に出せないのでは一方的じゃないか。
 ……誰でも良い。声を聞きたいと思った。立て! とか、勝て! とか安易なもので良いんだ。頑張れとか勝手な期待が込められた無責任を具現した言葉でも良いし、格好悪いって侮蔑を含んだ罵詈雑言でも歓迎だ。選別したりしない、だから俺にこの女以外の声を聞かせてくれ。一握りでいいから力をくれ!!


「………………げほっ」


 声は、届かない。
 生まれたのは、待った挙句に反応がない事に絶望し、無意識に息を止めた代償に咳き込んだ俺の苦しげな声だけ。世界は甘くは無いのだ。
 それを受け止めて、自分の力だけで起き上がろうとする。それでも、やはり腕に力が入らない。床に置いてもすり抜けるような感覚に襲われてまた倒れるだけ。鼻から床にぶつけた為、片方の穴から鼻血が出てくる。元々端整でもないのに、また不細工になるわけだ。何度も言うが、それはどういう訳なんだよ。
 倦怠感を垂らして、睡魔が圧し掛かってきた。心拍が遅く、長くなっているのが分かる。見えない誰かにあやされているみたいだ。眠れ、眠れと目蓋を下ろされる。
 眠ればどうなる? グレンとルッカは殺されるだろう。他の世界の皆も死ぬんだろう。現実感がないからか、その問題を先延ばしにして眠ってしまえと考えてしまう。段々に視界がモノクロへ変わってきた。色の識別すら困難になったか、末期だな。
 自分の症状を知ってどうなるというわけでもないのに、じっくりとその作業に映っている自分が不思議だった。もう俺は刀を握れない。立てないし視えないし話せない。出来ることはただ聞くだけ。目の前にいるだろう女の戯言を子守唄にするだけ。






──ったよ──






 だからなのか、それだけに集中していたからか、俺は胸の中から聞こえてくる声に気づく事ができた。
 風の音に邪魔をされても、服の下に隠されていても、耳が遠くなった今の状態でもしっかと捉えることが出来た。声は徐々に大きくなり、声の主は増えていく。
 彼らは一様に俺に告げている。俺がこれだけ失望しているのに、耐え難い無力感に苛まれているのに、彼らは皆胸を張っているような自信と希望に満ち溢れた『元気』な声だった。


「勝ったよクロノ!! 現代は無事魔物たちを追い払った! 凄いよ、魔物たちが皆人間を守ってくれたの! あ、それとクロノのお母さんって凄いんだね、父上が『是非一度手合わせ願いたい』ってさ! その後は私もお願いしといてね! って、ああちょっと取らないでよー!」
「これに話しかけりゃあの馬鹿に繋がるんだね? 聞いてるかい馬鹿息子! なんだか分からんけどあんたどえらい奴と戦ってるんだって? 私ならそんな奴三秒なんだがね、息子のあんたにそこまでは言わない、十秒で蹴りつけてきな!!」
「奥方、悪いが私に代わってくれないか? 貴方の息子が私の娘をかどわかした容疑が産まれているのだ。よくもまだ年若いマールを……マールは一生私と生きるのだ」
「国王、今すぐ死になされ! いつまでも子離れの出来ぬ馬鹿め。マールディア様はこのワシが一生世話をするのじゃ」
「おいクロノ! うちのルッカがそこにいるんだってな? 良い機会だ、やるべき事が終わっちまえばその場で押し倒しちまえ! なに、こういう切羽詰った時こそ男女の仲ってのは燃え上がるもんさ!!」
「そんなの駄目ーー!! もう皆、私がクロノと話してるんだから返してよー!!」


 声は、どうやら通信機から聞こえているようだった。実に喧々としたもので、無理やりにでも耳に入ってくる。皆の声が、すっと俺に届けられる。
 通信機からは今、現代の人間の声が流れていた。次々に繋がる時代は代わり、声が聞こえ続ける。


「クロノ、中世は無事だ。所詮黒の夢の魔物とて私の力には及ばぬ。全て無に帰してくれたわ」
「魔王様! それでは貴方様のみの活躍に聞こえてしまいます! この私ビネガーが七万の軍勢を退けた武勇伝を語らねばなりませんぞ!」
「七万もいないのよネー。嘘ばっかりつく緑の化け物は引っ込みなさい。私の魔法で五万の魔物を虜にしてやったわ」
「虚言を弄し己が功績を過大させるとは、つくづく哀れな奴よマヨネー……だがこれだけは言っておく、我が剣の錆になった数は三万を超えるとな!」
「……そういう訳だ。人間の声を聞かせることは出来んが、我が魔王軍が全力をもって人間共を守ってやったのだ、被害は少ない。端的に言えば、私たちの勝利だ」


「クロノさん! 未来は無事です、マザーがとち狂って人間たちを助け始めました! ロボットも人間も共に手を取り合って新たなイデアを作るべく新しい一歩を……」
「狂ってなどいませんよプロメテス、私は私の理想を貫くべく人間たちを見下す為そして優劣をはっきりと見せておく為に我々機械の偉大さを知らしめたのです!」
「このような物で遠くの者と会話が出来るとは、昔の人間は凄かったんじゃのお……やはり年寄りは無敵なのだ。ともあれクロノよ、早くアリスドームに顔を見せなさい、ワシの戦いっぷりをとくと聞かせてやろうぞ!」
「キイテルカクロノ! サイワイサーキットハソコマデハカイサレテネー、イツデモオマエトノサイセンハカノウダゼ! マタカゼニナロウゼベイベー!!」
「皆はしゃぎ過ぎね。気持ちは分かるけど……ともかくクロノさん、私たち勝ちましたよ。だから安心して下さい。それと、この前の事で謝りたいですから、またいつでも未来に訪れてくださいね。プロメテスも一緒に私のお花畑に招待しますから。あんまり大きくは無いですけどね」


「クロ! エイラたち勝った! もう原始大丈夫! それに恐竜人たちも生きてた、皆一緒に生きていく! 心配する、無い!」
「聞こえるか我が友よ。お前の帰還、我々恐竜人も心待ちにしている、必ず生きて帰ってくるのだ、我が主もそれを今か今かと待ち望んでいる」
「なんじゃこれは? 新しい玩具か、それともお菓子か……!? クロノとお話が出来るのか! 聞こえるかクロノ! また遊べるぞ、たくさん話せるぞ! 早く来るのじゃー!!」
「クロ、帰ってきたらまた飲み比べする! キーノ、また強くなった! だから……帰ってくる!!」


「……うるせえなあ、畜生……」


 ふざけた話だ。俺が願ったものなんて何もくれやしない。
 勝ても立ても頑張れも挑発の悪口もありゃしねえ、あいつらが言ったのは『勝ったよ』の言葉だけ。「こっちは勝ったぜ」という一方的な勝利宣言だけだ。俺を心配してもいいだろ、俺の勝利を願ってもいいだろうが。なんて自分勝手な、仲間想いじゃない奴らの集まりか。仲間ってこんなか? それとも俺にだけ冷たいのかあいつらは。そんなの旅の始まりから知ってたけどさ。
 ……つまりあれだろ? 疑っちゃいないんだ、あいつらは。昔も、今も。俺がしくじるなんて想ってもいないんだ。わざわざ励ましの言葉を掛けるほどの事じゃないと思ってやがるんだ。世界を片手で操り未来を変える奴を相手に、敗北するなんて夢にも、夢にも。


「……確かに、嫌なもんかもな、繋がりってのは」


 そんな物を持ち歩いていたせいで、俺は頑張らなきゃならなくなる。
 別にそれは仲間の為とか大層な事じゃない、単にこれは、俺の意地なんだ。あいつらが勝って勝利の気分に酔いしれてるってのに俺だけ敗北の苦渋を味わうなんて冗談じゃない、公平じゃないだろ? 俺もあいつらと同じくらい頑張ったのだから。同じ所に立つ為には勝たねば。
 本当に嫌なものだ、仲間とは。信頼や友情よりも対抗心の方が強いなんて。


「……ジール、お前、言ったよな?」


 いつのまにか、声を出せる。それが意外なのか、ジールは片眉を上げて俺を見る。彼女の表情は不快そうだった。まさか黒の夢の魔物を退けられるとは思っていなかったのだろう。手間の掛かる……と舌打ちしていた。


「他人と関係を持たなければ、一人なら、何でも出来るってさ。それ、間違いじゃねえよ」


 刀を持てる、足が俺を支えてくれる、顔を上げることができる。それは戦えるという事であり、負けていないという証である。


「現に、お前は一人で国を滅ぼした、桁違いの力を持つ魔物たちを統べて、世界を変えた。永遠の命なんてもんまで手に入れてるんだ。そうさ、一人でも世界を破滅させるくらいのことができるんだ」もう視界は揺れない、切っ先は常に一点を見つめている。「でも」と言葉を残しておく。
「一人じゃなければ、誰かといれば、力を合わせるなんて夢見事が叶えば、世界を壊すだけじゃねえ、世界を守ったり……何より、運命だって変えられるんだ。どっちが偉大だ? どっちが凄えかねえ!!!?」
「戯言だ、それはただの戯言だ!!!」随分と熱した様子のジールが片手を払い叫び散らす。その慌てたような顔が、俺は見たかった。
「そう想わなきゃ、やってらんないよなあ? 哀れだよ、あんたは」
「……もう良い、貴様の顔も息遣いも気配も存在が妾を苛立たせる!!」


 ジールの右手が俺の頭上に現れ、降下する。避けるには速すぎる。受け止めるには力が残っていない。奴はこれで終わりだと想ってるんだろう、羽虫を潰すようなものだと考えているだろう。
 舐めるな、俺をじゃない。俺の仲間を舐めるな、そう簡単に退場するような奴らじゃねえんだよ。
 俺に覆い被さる直前に、俺を守るようにして現れた炎の波がジールの右手を包む。それを突っ切る事もできず、右手の半分近くが炭化する。ぼたり、と一度床に落ちてひくひくと震えていた。どうせ自動に治癒されるんだろうが、すぐさま癒えるような傷ではない。
 片手を上げて親指を立てる。後ろにいるだろう、俺を守ってくれた幼馴染に感謝を。もう、走り出せる。
 右足を前に出し、前傾になり飛び出した。何でも斬れる刀がある、後ろは仲間がルッカが守ってくれる。振り返る必要なんか一っつも無い!


「阿呆が! 腕は二つある、妾には届かぬ!!」


 残る左手が俺に魔法を撃とうと構えていた。今なら避ける事も出来るだろう、伏せてもいいし防御体勢に入るのもありだ。どうせ右手の復活はかなり後になるだろう、一度余裕を持つのは悪い事じゃないのだから。
 普通はそう考える。自分でも無茶だと理解している俺でもそれが最善と考える。誰でも分かる答えだ、馬鹿じゃない限りそうする。馬鹿じゃなければ。


「本当、憧れるよ、お前のそういうところにはさ」


 左手が魔法を放つことは無かった。必死の形相で飛びついてくる馬鹿のお陰だ。
 人間ではありえぬほどの跳躍で宙に浮く左手に剣を突き立てた彼女に腕は無い。グランドリオンを口で掴み持ち上げ刺す。全くもって普通じゃない、常人の行動じゃない。彼女の両腕、その切り取られたような傷口からは煙が上がっていた。傷口を焼いて止血したのか。血は止まっても、痛みとショックで延命にすらなっていない治療とは呼べない、むしろ拷問と同意の応急処置。
 彼女の……グレンの顔には冷や汗と脂汗がびっしりと浮かんでいた。痛みか、吐き気か、無理な動きを死に体で行った反動からか、その全てか。理屈も過程もどうでもいい、とにかく彼女は“やった”のだ。やり遂げたのだ。
 彼女の目がゆらり、と細くなり俺を垣間見る。アイコンタクトのつもりか? いらねえよ、お前の心配もしない。死なねえだろうがお前は。動きも止めない、ただ走り続ける。
 両腕を仲間が止めている、ジールの顔に攻撃を加えられるのは今だけだ。恐らく奴の行動からしてもそこがジールの唯一の弱点。
 出来る限界を出して近づき、グレンほどではなくても飛び上がる。刀を振りかぶり振り下ろした。
 刀が奴の顔にめり込む感触は無く、がきん、と硬質な音が鳴った。


「虫ケラが、人間の攻撃など妾が易々と受けると思うてか!!」
「結界かよ、クソッタレ!!」


 一度飛び引いた。時間が無いのに、この間が煩わしかった。
 ルッカはともかくグレンは限界を超えている。意識を保てている事が奇跡の彼女に戦いを続けられるとは考え難い。


「人の心配してる時かよ、馬鹿!」


 一発自分の顔を殴る。目を覚ませ、俺はこの中で一番弱いんだ、一番何も出来ないんだ、それを刻み込め!! 自分の身の丈を知れ、でなきゃ、出来ることも出来なくなる!!
 ジールを睨みつけたまま次の行動を探っていると、何やら奴の様子が妙だった。その形相は呆気にとられたようで、俺ではなく違うものを見ていた。
 最初は俺が自分の顔を殴った事に驚いているのかと思ったが、それでは俺を見ていないのはおかしな話だ。彼女の視線を追うと、俺の胸元からこぼれた物を見ていた。どうやら、自分を殴った拍子に胸元がはだけ、中に入れてあったものが飛び出したようだった。
 俺の服の中から出てきたものは、薄茶色の古ぼけたロケットだった。それは、未来の監視者のドームで拾った、写真入りのロケット。蓋が外れて、中の写真が見えていた。
 写真に写るのは、ハッシュ、ガッシュ、ボッシュの三賢者とダルトン、それにジールとその子供のジャキとサラの七人が笑いながら、またはむくれながら、それでも嬉しそうな、幸せな光景。
 ジールはじっと、その写真を見ていた、まるでその頃を思い出すように、夢想しているかのように。


「……なあ、どうしてそうなったんだよ、あんたは」
「………………」


 答えは、無かった。
 ロケットをもう一度服の奥に隠す。刀を握りなおし、またジールに向って攻撃を仕掛ける。何度でも、何度でも繰り返してやる。いつかこの刃が届くまで。
 そして、そのいつかは存外早く訪れたのだった。






 ジールの体が元に戻る。巨大化された両腕も顔も消え、あるのは小さな一人の女性が倒れているだけだった。
 ルッカはもう動く力の無くなったグレンを看ている。具合は酷く悪そうだった、急ぎマールに見せなければ命が危ういらしい。
 ルッカとグレンには時の最果てに先に戻ってもらう。「後は俺に任せろ」と告げた時のルッカの表情は曖昧なものだったが、了承してくれた。今ここに残るのは、俺とジールの二人だけ。
 ジールは、弱い呼吸のまま、のったりと視線を俺に当てた。


「よもや……よもや、妾がやられるとはな……はは、虫ケラも侮れぬわ……」
「五分以上に魂は持ってるつもりだけどな」
「ふん……」


 時折辛そうに顔をゆがめる。見た目には傷は無いが、変身している時のダメージはそのままに残っているようだ。残る命は少ないように思える。
 彼女が長い袖を捲り、自分の顔に手を当てた。何度も撫で擦り、異常が無いか確認しているみたいだ。


「妾は……妾は不老である、美しいか、妾の顔は……?」彼女の問いに首を振る。怒り出すかと思えば、彼女は「だろうなあ……」と納得したみたいだった。
「……死にたくなかった。絶対に死にたくはなかったのだ……なあ、おい」


 右手を俺に向けて、指を伸ばす。何かを掴もうと足掻くみたいに。


「妾は、何故死にたくなかったのだ……?」


 彼女の手は何も掴むことは無く、だらりと腕を垂らした。
 本当の意味で、魔法王国ジールが終わった瞬間だった。


「……返すな、これ」


 言って、ロケットの蓋を開けて、写真を見せながらジールの亡骸の上に置く。続けて、苦しげに顔を顰めているのを戻してやる。そうしてみると、なるほど十年前とは言わず今でも充分綺麗な顔立ちだ。魔王やサラの母親なんだ、そりゃあそうか。
 立ち上がって、右手に持った虹を見る。刀身にはびっしりと血がこびり付いていた。魔物じゃない、人間の、それも女性の血。俺が初めて殺した人間の血。


「……俺は、お前にどんな理由があってこんな事をしたのか知らねえ。でも、仮にどんな理由があったってお前を許す気は無い。お前を殺した事に後悔は無い」


 大勢の人間を殺し、未来をあんな風に変えちまったんだ、お前を許す道理が無い。けれど、


「俺は忘れない、お前の事を。お前は俺が初めて殺した人間だから。お前が最初で最後だ、俺が人間を殺すのはこれが最後だから。だから、忘れねえよジール」


 例え全ての生き物がお前を忘れて、魔法王国の存在すら忘却されても、俺は覚えておくから。












「……来るんだろ? 待ってたぜ」


 次元が揺れる。ジールの体はそのままに俺だけを包んで時空の壁が迫る。
 抗う事無くそれに従い力を抜いた。呼んでいるのだろう、奴が。牙を向いて、世界の前にお前だ、と前菜代わりにするみたく。
 絶好のチャンスじゃないか、是非招待に預かろうじゃないか。世界も運命も『まだ』変えてない。


「約束が、あるんだ」


 守りたいと、心から思ったんだ。
 誰かじゃなくて、その約束を。これだけ願うのは最初で最後かもしれないから。


「始めようか、ラヴォス。……見てろよサラ」


 お前にも届くよう、派手に騒いでやろうじゃないか。
 虹が一際強く輝いた。























 もしもがあれば。あの時に戻れれば。
 妾……いや、私があの時に戻れたら。
 どうしようもなく怖かった。今まで生きてきてこれだけ怖いと感じるなんて思わなかった。
 最初はたかだか風邪の類だと想い、薬を飲みながらごく普通に国を治めていた。特別に体調が悪いとは思わなかったし、咳が厄介だとは思ったが、邪魔と言えばそれくらいだった。
 ……いやまだ若いジャキに風邪が移ってはならぬと近づけないのは頂けなかったが。ともかく軽く思っていた。
 それが、三日も過ぎた頃か。熱は体を蝕み歩く事すらままならなくなった。呼吸は碌に行えず、視界は黒く染まり布団の感覚すらあやふやとなった。
 唯一機能する耳が聞こえたのは、これは難病ということ。治す為の薬も魔法も存在し無いという事。つまりは、私の病気は治らず、生きるのは絶望的だという事。
 怖かったのは、それじゃない。充分に生きたとは思わない、けれどもとりわけ短命とも思わない。思い残しも無い、国は順調に廻り平和である。魔法を使える者と使えぬ者との間で差別が行われているが、それはあのまだ若い男……ダルトンが重役に就けば変わるだろう。戦争も無く、犯罪も無いこの国は永遠に栄えていくだろう。
 ……あるとすれば、幼い子供たちのことか。
 いや、なに。それも大丈夫だ。元々私は子供たちと触れ合っていない。寂しい想いばかりさせて、遊び相手にもなっていない。ジャキにいたっては私の顔を覚えているのかどうかすら微妙だ。
 そのような母親が消えた所で悲しみはしない。それで良い、あの子らにはきっと新たな大切な人が、私などよりもあの子らを愛してくれる人が現れる。それは、決まっている。あの子らはあんなに愛らしいのだから、皆が放っておく訳が無い。


──であるのに、何故この耳はこのような声を聞く? 私に届けるのか。


「お母様!! お母様ぁぁ!!」
「いけません! 女王は今病を患っておられます、サラ様やジャキ様にうつっては……」
「いいからどけよ!! 僕の母上だぞ、近くにいてもいいじゃないか!!」
「で、ですから……」


 耳を閉じたいのに、腕が動かぬ故にそれも叶わない。
 何故嘆くのか、国のことばかり考えてほとんど構いもしない母親を何故欲しがるのか。必要ないではないか、意味が無いではないか。
 何より、思ってしまうではないか、死にたくないと。もっと一緒にいたいと乞うてしまうではないか。こんな時になって、もう取り返しもつかないのに。未練を覚えてしまう。
 耳に届くのは、部屋の門番に止められる子供たちの声、門番をすり抜け耳元で泣き喚く子供たちの声。死なないよね? ずっと一緒だよね? と幼いからこその直接的な願い。一言「大丈夫だよ」と言ってあげれば泣き止むだろうに、声が出せない為それも叶わない。答えが返ってこないから子供たちは幾度も問うてくる。
 地獄があるとすれば、そこで与えられるのは痛みではない。無限の労働でもない、きっとこういう事が地獄というのだろう。
 体が動かぬ事がこれほどに辛いとは。子供たちの頭を撫でて上げる事も出来ない。
 目が見えぬのがこれほど辛いとは。子供たちを見ることも出来ない。
 感覚が無いのがこれほどに辛いとは。子供たちの柔らかく暖かい感触すら感じられない。
 口がきけぬのがこれほど辛いとは。子供たちを安心させてやることもできない。
 耳が聞こえるのがこれほど辛いとは。子供たちの泣き声ばかり聴こえてしまう。
 毎日毎日そのような日々が続く。もういっそ死にたいと思ってしまうが、死んでは子供らが悲しんでしまう。折角知ったのに、子供らが私を母として見ていてくれたことを、愛していると気付いたのに。
 忘れたくない、だから死にたくない。死んだら終わってしまう、死んだらもう伝えられない、子供たちに「私も愛している」と言えない。
 教えたいことがあるのだ、国の政治の仕方やこの国の歴史、私が行ってきた制度の数々、他にもジールにはどんな場所があるか、城の裏庭には私が幼い頃作った池があるとか、二の塔の最上階には屋根に繋がる所があって、そこから吹く風はとても気持ちが良いとか……ああ、そんな事を言っては私は昔やんちゃだったと知られてしまうか。いや、それも良い。それを真似されては困るが多少きかんぼうなのも愛らしい。特にジャキは外に出たがらないようだから、これを刺激にしてくれれば。
 ……なにより、もっと二人と触れ合いたい。朝起きたらおはようと言ってあげたい。食事は家族皆で、寝る時は一緒に寝てあげるのもいいだろう。最後のは嫌がられるだろうか? でも私はそうしたいのだ。


「……た、……な、い……」


 死にたくない。死にたくない。なんとしてでも生きたい、死にたくない。
 死ぬのは怖い、死ぬのは恐ろしい。死んだらもう会えない。ずっと、ずっと死にたくない。永遠に、ジールが終わっても世界が終わっても生きていたい。家族で笑っていたい。






 病床から起き上がった時には、私はそれしか考えられなかった。唯一、『死にたくない』と。
 死にたくないという想いは禁忌を生み出した。決して触れてはならないと言われているラヴォスを研究し、そこから力を得る方法を躍起になって探した。その中で『不老不死』なるものを見つけた時には頭の中が真っ白になった。
 研究した、研究して、研究して……最後には、もう何がなんだか分からなくなっていた。
 死ぬのが怖いと考えた時には、もう自分以外の全てが怖かった。魔物も国の人間も三賢者もダルトンも……子供たちも。
 だって、奴らは私ではないのだ。私ではないということは、私を殺すかもしれないという事だ。何も信じられない、私を脅かす可能性がある全ての生き物が恐ろしい。死に直結するかもしれない存在が怖くて……憎かった。
 私は死にたくないだけなのに奴らは私を脅す。私を殺そうと虎視眈々に狙っている。
 もう良いもう良い、分かったそれならばこうしよう。
 『妾』がこの計画を完成させる前に妾を殺せば気様らの勝ちだ。だがもしも妾がこの計画を完成させ、ラヴォス神から力を得たならば貴様らを全て葬り去ってくれる。どれだけの時が経とうと必ず殺してやる!! もう二度と妾に恐怖を与えぬように、殺しつくしてやる!!
 ……ああ、それにしても怖い。生きるのが怖い。生きている事だけで、恐ろしすぎる。






 ……妾は、何故死にたくなかったのだろう。


 そして、何故あの時に死ななかったのだろう。
 何故妾を生かした?


 子供と生きたかったんです。
 子供と行きたかったんです。
 子供と逝きたかったんです。
 永遠に生きて気に入らない他の生物を皆殺しにしたかったんです。


 さあ、答えはどれでしょう?
 私には(妾には)分かりません(分からぬ)。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/01/11 01:33
 きゅるきゅると、テープを回す音を極端に大きくしたような鳴き声が響く。まだこの目で見るのは二度目なのに、嫌に見慣れたような気がする。地面も空も果てという概念すら無いような奇妙なこの場所。ラヴォスのいる場所。最悪の居所。
 どっしりと、この世界の支配者たるラヴォスは巨躯を震わせながら俺を見下ろしていた。その目には何も浮かんでいない。憎悪も、敵愾心すらも。敵として認識する事すら億劫なのか、それに値しないからなのか。
 その気になればいつでも天を穿ち大地を殺すことが出来る背中の黒針が鈍く光っていた。まるで銃座がびっしりと張り付いているみたいだった。その圧迫感、破壊力共にその比では無いが。
 三つに分かれる口がだら、と垂れ始めた。口内の牙と喉がありありと見える。ここが、今からお前が入る所だと教えるみたく、その動きは緩慢だった。教えを乞う立場にある俺の身からすれば、それは堪らなく業腹な事である。
 はたして、俺の体は震えていた。やはりこいつを目の前にした時の絶望感は底を知らない。身体から内心まで震え上がらせられる。魂や精神なんていう体を動かす為の動力を無造作に掴み取られて押し潰されるような、腹の奥がじくじくと痛みを覚える。
 そう、だからこそ前回とは違う。前回はその事すら気付かないほどに狼狽し怯えていた。自分が怯えている事にすら気付かなかった時と比べれば雲泥の差だ。その差は大きい、つまりは戦えるという事なんだから。
 半ば無理やりに自分を納得させて、通信機を取り出す。


「……さて、爺さん、誰でも良いからルッカとグレン以外が時の最果てに戻ってきたらここに転送してくれ……爺さん?」


 時の最果てに連絡を取ろうと声を通信を図るが、返事は返ってこない。それどころか、無機質なノイズすら無い。繋がっている様子が無いのだ。
 壊れたか? と不安になるが、それよりも納得のいく答えが見つかる。ゲートが発生した理由や、今俺が対峙している存在を思い出せば簡単な事だった。


「──単身挑むのがお好みってか? えらく自分勝手な武士道精神だぜ……」


 ラヴォスがあくびをするように口を開けた。時の賢者の魔法を断ち切るくらい造作も無いと言いたいのか。
 奴は仲間と俺との繋がりを消したのだ。これでもう応援は期待できない。本当に、俺だけでラヴォスを倒さなければならなくなったという事か。
 ……言いたくないが、無理だろう。そんなの。


『────ロノ』
「……ッ!?」


 ラヴォスの前だというのに、突然に頭に響いた声が俺の視点を振るわせる。左右後ろと見回してしまった。だってその声は、ここにいるはずのないあいつの声だったから。
 暫く声の主を探したが、姿は見えず、代わりに違う誰かの声が響いた。それは随分と老齢そうな、低く重たい声質だった。


『……ニンゲン、ワタシガワカルカ?』


 耳からではなく頭に響く声というのは酷く気持ちが悪い。ぐるぐると脳みそをかき回される気分だ。その後乱暴に掻き分けられて、頭蓋の中心に声をかけられるような……想像しただけで吐きそうだ。
 ……にしても、こういった不思議な現象にも耐性がついたものだ。昔はルッカの時間を移動した云々にも耳を貸さなかったというのに。これも成長の証か? 人間的にはどうかと思う成長だな。
 自嘲気味なことを考えながら、こめかみを曲げた人差し指と中指で叩き、想い人を見つけられなかった苛々も含めた怒鳴り声を発する。


「分かるか! 今は忙しいんだよ、くそでけえ海洋生物の出来損ないみたいな化け物を倒さなきゃならねえしな!!」


 今現在、こうして話している最中でもあの悪魔のような針の雨を浴びるはめになるかもしれない。会話なんかしている暇があるのか……


『ナルホド、ニンゲンカラミレバ、ワタシハソノヨウニミエルノカ、キョウミブカイ』
「……なんだって?」声の主の言っている意味が理解できず聞き返した。その時の自分の顔は控えめにも呆けたものだったろう。
『ワカラナイカ、ワタシダ、キサマガラヴォストヨブモノダヨ』
「…………聞いてねえぞ、こんな話……!!」誰も言うわけないだろうけど。
『マッテイロ、イマニンゲンニモキキトリヤスイオトヲコウセイスル……』


 言うと、ラヴォスの体にしては小さな目が(それでも俺の頭以上はあるのだが)薄く閉じられ、暫しの時間が空く。その間に攻撃でもすれば良かったのかも知れないが俺の体は意に反して動く事は無かった。
 それは、この不可思議な体験に戸惑っているのか、やはりまだ怖がっているのか、判別できない。
 じっ、と立っていると、ラヴォスの顔、その目の前の空間が歪み出す。一定の部分だけがぐにゃりと曲がりくねり湾曲しているのは、まるで透明な何かがそこに立っているように見えた。


『…………では、これで良いだろう。さて人間、貴様は中々に希少な種のようだ。とても人間の枠に入る存在とは思い難い』
「待った、小難しい話を進める前に、本当にお前がラヴォスなのかが分からない。そこをハッキリしない限りは対話なんて試みられると思うな」精一杯の強がりに似た言葉を、会話相手は笑っているように聞こえた。
『信じるも信じないもお前の勝手だが、どのみち私に従うしか方法はないぞ? 拒否しようが私の好きなようにやらせてもらう。説明を加えているのは私の慈悲だ、気紛れだ』
「言い回しが嘘くさいんだよ……」


 なんにせよ、相手に俺の願いが通じそうに無いのは分かった。久しぶりだな、こっちの言葉を頭から無視するような奴は。
 ただ、その傲慢さがラヴォス本人というのを信じられる一要素にはなってしまう。丁寧な話し言葉が鼻につくが……


『何、そう難しい話ではない。私はお前に興味を持ったのだ。ただの人間に過ぎない、産まれも育ちも極一般的なお前が何ゆえここまで戦い続けられるのか……お前の仲間たちはまだ分からぬでは無い。私とも関わりのある魔法王国王子、原始にて他の種族と争い続けてきた戦闘集団、その人間の頭領、荒廃した世界で二人しか現存しないアンドロイド、幾多の戦争を潜り抜けてきた中世の勇者……現代だけが不可思議だ。争いも無く、たかだか人間の王女に科学に特化しているだけの女……しかし、お前は特に奇妙である』
「話が長いな、要約しろ」ラヴォス(仮)の話が続き、内心苛々していた俺は随分と正直な言を発してしまう。が、奴は気にした様子も無く『平凡に過ぎるという事だよ』とのたまう。
『これという特異性も無く、幼少より鍛錬を続けたわけでもない。何処にでもいる人間でしかない。故に妙だ、凡人たる貴様が何故突出した人間たちを率いて、なおかつここまで私に迫るのか。その真を知りたい、お前がここまでに強くなった訳を、過程を目にしたい』


 言い終わると、ラヴォスが大口を開ける。明確な敵意は無く、それでも油断はならぬと腰を落とす。
 その行為に、「怯えるなよ」と言わんばかりにラヴォスの目が細くなった。警戒しているだけだ、紙一重な気もするが。
 間を置かずして、ちりちりと髪の毛が逆立ってきた。逆巻きながら集束する魔力に反応しているのか。ラヴォスの周囲に無造作に放たれていた魔力の気配が一点に集まっている、その量たるや膨大の一言。無限に限りなく近いものだろう。世界に散らばるそれを集めつくすような勢いだった。
 どのような変化でも看過せぬよう目を見開いて監視する。まだ、魔力以外に眼に見える変化は無い。


『貴様が強くなったのは何故か? それを知るには過去を見届けるべきだろう、私にはそれが可能だ。だが単純にお前の過去を覗くだけでは興に欠ける……だからこそ、見せてもらおうではないか、お前の歩んできた戦いを、強敵との争いを……!』


 ぶわ、と風が吹く。目を瞑らずにはいられない強風。腕を前に出し顔を守るようにして、しゃがみこむ。僅かにも無い魔力を出来うる限りに放出して防御へ回す。到底ラヴォスの攻撃を避けることなど出来ない微量で矮小な魔力壁。生き残れば奇跡、怪我が無ければ夢であろう防御方。半ば死すら意識しつつ、風が止むのを待った。
 結果、さっきの俺の考えならばこれは夢ということになるだろう。俺にはかすり傷一つ無いのだから。
 うっすらと目を開いていく。すると、ああ、これはやはり夢なのだろう、あるはずのない物が目の前に生まれていたのだから。


『驚いたか? さもありなん、これはお前が戦い、苦戦の末に御した相手だ。見覚えはあるだろう? お前の過去を探り見つけた存在なのだから。わざわざそれを再構築し、ここに作り出したのだ……』


 ラヴォスが何かを言っている。俺には大半が理解不能な台詞だったが、凡そは掴めた。つまり、今までに俺が戦ってきた強敵をここに呼び出し、俺に直接戦わせて、俺をテストしようって腹なんだろう。
 体力も無く、魔力も尽きた俺になんて無理難題をほざくのか。
 過去、俺は様々な強敵を相手にしてきた。未来ではルッカを傷つけ、俺が憤怒したガードロボ、グランとリオンや魔王城での戦い……数えればきりがないほどの難敵と剣を交わした。つまりは、そいつらの幻影と今ここで戦え、そういう事なんだろう。
 ああ、恐ろしい。なんて恐ろしいのだろう。恐れ戦きたいくらいだ。普通ならば。


『戦慄したか? ……さあ、お前の力を見せてくれ、まずはこの竜が如き巨体とその鉄壁を持つ動く戦車を倒して見せろ、さしずめ、これが第一の試験だ』


 ぎりぎりと鳴く巨体は天を衝き、踏みだす足は無く、代わりに何者をも押し潰す車輪が俺を狙う。開かれた口は敵を威嚇し光る体は己が頑強さを知らしめるかのよう。噴出す蒸気は戦気を表し俺の体を粉々に変えようと武者震いしているようにさえ見えた。




 いかにもな雰囲気をだすならばそう描写すべきだろう。ただ、惜しむらくは、現れた物体は何もしないでも勝手にぶっ壊れそうなほどぼろぼろのガラクタと言い換えることが出来る粗悪品だという事。ぎりぎりという音は無理に詰め込んだ装備の重量に装甲が耐えれていないという証。車輪は半分ずれているため車体が傾いている。口部分は開かれているのではなく壊れて元に戻らないのだろう。体が光っているのは唯一本当の事である、整備士は故障部分を直す事ではなくオイルで磨く事のみに執心したようだ。蒸気の量が尋常ではないのはもうすぐ壊れるぞ、というサインに思えた。
 その、見るからに哀れな兵器の名前は……


「ドラゴン……戦車?」
『お前たち人間はそう呼称していたらしいな……さあ、抗え人間。今こそ過去の恐怖と向き合い、再び乗り越えるが良い…………あ、』


 ラヴォスが間抜けな声を出した瞬間、折角大仰な力で作り出したドラゴン戦車の車体が決定的に傾き横転した。
 そのまま、俺もラヴォスも何も言えないまま時間が過ぎていくと、洩れたオイルが引火したのか、ドラゴン戦車が火を噴き爆発した。非常に危険な為玩具にもならない、実に産業廃棄物な代物だった。からからと空廻る車輪が哀愁を漂わせている。


『…………流石だな、人間。ジールを殺したのは伊達ではない、か』
「恥ずかしいなら、恥ずかしいって言って良いんだぜ?」
『だが、あくまでもこれは初手。お前の力を知るには足りぬ』
「そりゃあな、俺何もして無いし。ほら言ってみろよ、穴があったら入りたいってさ」
『さあ、もっと私に見せてみろ、お前という人間の可能性を、全て!』
「忘れて欲しいなら、ちゃんと口に出せよな。顔赤くなってないか? 風邪ですか?」
『黙れ下等生物!!』


 ラヴォスの第一印象は俺を殺した恐怖の象徴だった。
 第二印象は案外可愛い奴という事。というか何故あれを俺にとっての強敵と認識したのか。結構頭のあれな奴なのかもしれない、ラヴォスって。












 星は夢を見る必要はない
 第四十八話 彼女は夢を見ていた












「どうして!? なんでクロノの所に行けないの!?」


 マールが絶叫と呼べるほどの大声で叫ぶ。対して、二人の賢者は俯くしか出来なかった。
 私とグレンが時の最果てに戻ってきた時には、クロノ以外の全員が集まっていた。各々、飛び立った時代を救い駆けつけてくれたのだ。
 その事に喜んだのも束の間、今度はクロノの増援に行けないという最悪の結果へと変わっていた。マールに至っては、グレンの腕の治療を終えた途端狂ったように喚いている。グレンもまた、魔王とマールの共同で治療された事に苦い顔をしていたが、その面影は無く、押し黙ってはいるが親の仇のようにボッシュたちを睨んでいる。それは、全員が同じ事だ。あの温厚なエイラでさえ殴りかかりそうな雰囲気だった。
 逆に、私はというと皆とは違い、一歩引いた目線で考えをすることができた。恐らく、黒の夢が消えた事で記憶が元の“ルッカ”に戻ろうとしていることに起因しているのだろう。頭の中がごちゃごちゃになっている為、逆に考えが纏まるという皮肉な状態だ。今の私は何を言われても見た目には慌てる事はないだろう。慌てる事ができないだけなんだけどね。


「今暫し、待て。間も無く来るはずだ……」
「さっきから同じ事ばっかり言ってますけど、誰が来るっていうんです? そして、その誰かが来たからって何が変わるんですか? クロノさんは今にも死ぬかもしれないんですよ!!」


 いよいよロボが爆発した。二人に詰め寄り、犬歯を見せる。
 ロボとマール二人掛かりで責められるボッシュたちは、それでも同じ事を繰り返していた。


「まあ、落ち着け二人とも。賢者と言えど、もう老いさらばえた老人だ。不足の事態に対処できないのは仕方が無い……期待した俺たちが馬鹿だったのだ」


 腕を再生し、顔色も戻ったグレンが二人を庇うような口調でその実痛烈に批判する。目上には礼儀を置くグレンがそのような事を口走るという事は、腹の中は煮えたぎっているのだろう。彼女もまた、クロノを愛すべき弟分として扱っていたのだ、無理は無いが。


「……魔王、貴様は何か方法を持っていないのか? 貴様の魔力でゲートを開ける事は出来んのか!?」
「八つ当たりをするな馬鹿が。ラヴォスの魔力を超えることが出来るなら、とうの昔にやっている……!!」
「くそ! 偉そうな事を言っておいて、そんなものか!!」
「蛙が……今すぐに殺してやろうか?」
「魔王! グレン! もう止める!」


 険悪になるグレンと魔王をエイラが止める。
 ……脆いわね。本当に私たちはクロノがいなければ、前に進む事も出来ないのかしら?
 それは、もしそうならば……なんて醜い。
 今の彼らは、昔の私だ。クロノがいなければ何も出来ない、考える事もできない。なるほど、これは呆れられる。これでは阿呆の集団だ。
 ……けれど、私では彼らを元に戻せない。私にその力は無い。正しい思考を持っていても、卓越した頭脳を持っていても、こればかりはどうしようもない。
 だから、私は託すことにしよう。彼女なら、彼らを元に戻せる。彼女は賢いから、すぐに分かってくれるはず。そして彼女の声ならば……彼女の声は、良く通るのだから。


「マール」
「!? 何ルッカ? 今はのんびりできないの、ていうか、ルッカも何か思いつかないの!?」
「聞いてマール、お願いだから」


 彼女の怒声に取り合わず、静かに彼女に声を掛けると、矛先をかわされたマールは小さく肩を落とした。
 さあ、彼女に何を言うべきだろう。落ち着いて? 油を注ぐに等しい。すぐに何とかなるわよ? 何を根拠に言うのか。深呼吸を……馬鹿にしているとしか思えない。では、単純に行こう。それだけで分かってもらえるはずだ。
 息を、吸った。


「貴方から見たクロノは、どんな人かしら」
「……っ!」


 分かって……くれたみたいね。もう、マールの目が変わる。本当にこの子は暴走し易いけど、賢いわよね。
 胸に手を置いて、目を閉じる。次に私を見る目は、いつも誰かを牽引して、正解に突っ走るいつものマールだった。


「私が見たクロノは、誰にも負けない男の子だよ……女の子以外にはね」
「……正解よ、王女様」


 後は大丈夫、私は壁に背中を預けて成り行きを見守るだけとなった。私は私を侵そうとする記憶の濁流に飲まれぬよう平静に保つことにする。存外に、辛いものだけれど、耐えられる。私はまだ、彼に言っていないから。今の私は勿論、前の私も。
 一番取り乱していたマールが静かになったからか、他の皆も次第に声が小さくなっていく。マールは仲間を混乱させるけれど、落ち着かせるのも彼女だ。クロノよりも、リーダーに向いてるんじゃないかしら? そんな事を言えば、きっと彼女は怒って反論するのだろうけれど。


「ねえ、ハッシュにボッシュ。貴方の言う誰かがくれば、何が出来るようになるの?」マールは別人かと思うほどに落ち着き払った声で、知るべき事を模索し、聞くべき事を選択した。
「……私が、いや我々が出来ることなどたかが知れている」


 ハッシュは隣のボッシュを垣間見た後、すっと空を見上げた。時の牢獄とも言えるこの場所には星も月も太陽も無い。けれど、彼の目には光が点っていた。


「常識と、真理を書き換えることさ」


 彼の声は力強く、確定した事柄を話すようだった。






 まだ、ラヴォスの言う所の試練は続いている。幾度刀を振るったか、幾度死を予感させたか。その答えは、言いたくは無いが酷く少ないと言えるだろう。
 俺が過去に対峙した強敵との強制的な再戦。ドラゴン戦車との戦いは手を下すまでも無く、未来でのガードロボは今の俺の敵ではない。唯一グランとリオンの二人を俺一人で相手取った際は手こずったが、命を脅かすまではいかない。あの頃と比べ俺は格段に強くなった自信がある。細かな傷はいくつか付けられたが、死を覚悟するには程遠い。
 それを見ているだけのラヴォスとて、随分退屈に違いないだろう。違う言い方ならばアホらしいだろう。見世物にしては格が低すぎる。


「おお、ここは広いのお! クロノ、これはなんという所なのじゃ?」
「ああ、多分それは……あれだ。これは夢の中なんだ」
「そうかー……良く分からんが、凄いのじゃな!」


 そして、今俺と戦っている(じゃれている)相手はアザーラとティラノじいさんの二人。ラヴォスは俺とこいつらが戦った敵同士と思っていたようだが、実の所こいつらと戦った記憶も無いし、世間話をするくらいに仲が良いのだ。こいつらを再構成したところで戦闘になるわけもない。なってもこいつらと戦う気なんざさらさら無いのだが。だって、家族だし。


「……もういいだろラヴォス。俺とこいつらとで戦いなんて起きねえよ。さっさと次の試験とやらに移れよ。でないともう帰るぞ」帰り方なんか分からないが。
『ふむ……仕方あるまい。だが、中々面白い結果が産まれた。お前の戦闘力はともかく、どのようにして歩んできたかは凡そ掴めてきた。収穫は、あったのだ』
「……本当かよ」


 ラヴォスによる俺の試験内容は上々らしいが、とてもそうは思えない。こういう場合、俺の死力を尽くした戦いが必要なんじゃないかと思うのだが……気にした方が負けか?
 ……だが、こうして直接にラヴォスと戦わないでいれるのは有り難い。今こうしてあいつの提案する試験に従っているのは時間稼ぎが目的なのだから。
 俺の仲間は必ずここに来る。今は無理でも、もうすぐにラヴォスの時空封鎖を破り現れてくれるはずだと信じている。問題はその間俺がどう生き残るかだ。この下らない茶番も今は幸いである。
 幸いであるが──やはり下らないものは下らない。最終決戦でこんなに肩の力を抜かれるってどうよ?


『それでは、最後の試験といこうではないか、人間』
「ようやくかよ……仮にその試験を無事終わらせれば、どんなご褒美があるのかね?」


 冗談交じりに礼を期待した一言をぶつけると、ラヴォスは一呼吸分考えたような沈黙を置いて、声を響かせた。


『私の、本体に会わせてやろう』
「本体?」聞き捨てならない言葉が聞こえ、鸚鵡返しに聞き返す。
『そう、本体である。今お前が見ているこの姿は……“くそでけえ海洋生物の出来損ないみたいな化け物”は私の本当の姿ではない。いわば、外殻のようなものだ。いや、それそのものか。この巨大な外殻の中にこそ、本当の私が存在している。お前は私を倒したいのだろう? ならば、そこに招待するのはお前にとってこの上ない褒美ではないか?』


 脳天から、衝撃が落ちた。世界を破壊し、未来を粉々に変えたラヴォスにはまだ本体が隠されているというのか。外殻とやらのみで世界を壊せるのなら、その本体とはいかなものなのか。出来るなら、本体の方が弱い事を祈るしかない。


『安心しろ、広範囲の攻撃や、硬度ならば外殻よりも私の方が弱い。この外殻は私を守る鎧と剣のようなものだ。裸同然の私ならば、案外お前一人でも勝てるかもしれんぞ』
「けっ、思っても無い事をずらずらと……あと、人の考えを読むんじゃねえ」
『気にするな、癖だ』


 人の思考を読めるという事は否定しない。それは本体が存在するという事実に匹敵する事実であった。正真正銘の化け物が、今目の前にいる。そりゃあそうか、この旅の最大最後の敵なのだから。いかほどの常識も通じない、当然だ。


『とはいえ、それはお前が最後の試験を突破出来れば、の話だ。命を賭けろ、人間』


 それはその通りだ。今ラヴォスの本体の事に頭を回しても皮算用。だが、今までの試験内容からして、とても俺が負けるような存在が出てくるとは思い難い。もう一度ジールなんかを出されれば負けるのは確定だが……どうも、このラヴォスの試験、その目的は俺を苦しめる事に無い気がする。もしその気なら、最初から本当の意味での強敵をばかすか出せば勝負はつくのだから。
 例えば、一体ずつなんて言わずに魔王からジールにダルトン、後はそうだな、魔王の部下も入れれば間違いないだろう。とても勝ち目が無い。


『最後の敵は、なに。お前の旅が始まって間もない時に御した相手だ。苦戦などするまい』
「……? いたか、そんな敵?」


 それこそ、俺が最初の頃に戦った敵といえば出来損ないのドラゴン戦車くらいだろう。ガードロボも倒したし……誰が残っているのか。
 ラヴォスは口を開き、また今までと同じく魔力を練って何かを再構成し始めた。
 過去に出会ったらしい俺の強敵は、魔力を擬態化させて産まれる。次第に輪郭も整い始めた。
 大きさはさほどではない。というよりも、今までに比べて随分と小さい。アザーラほどではないが、ドラゴン戦車よりも小さく、ごく普通の人間程度だった。巨大な爪も腕も無ければ気味の悪い装備をつけた訳でもない。作られ始めるそいつからは魔力すら感じられない。
 ただ一つ、特異な点があるとすれば……その闘気。
 徐々に形が完成されていくそいつからは、今まで碌に感じたことが無いような、恐ろしい気迫が感じられた。それは、怖くとも懐かしい気配だった。


「……なるほど、やってくれる……!!」


 ようやく姿を現したそいつは、確かに強敵だった。恐らく初めて、これ以上ない程の負けを意識した相手で、俺に本当の意味での戦いを教えてくれた、ある意味恩すらある人。人間だ。
 この人と戦って、その時が俺の旅の始まりだったと言っても過言ではない。立場も地位も関係なく、高貴な身でありながら己の強さに揺ぎ無い自信を持っていた、たった一つの武を極めたと豪語する、俺の知る限り五本の指に入る最強の女性。


「──もう、手加減はいりませんよね? クロノさん」
「連戦続きなんだ、出来れば手心加えて欲しいね、リーネ王妃」


 こんな形のリベンジマッチは、期待してなかったんだがな。






 ぶん、と女性が振るったにしては似つかわしくない拳音を鳴らして王妃が正拳突きを繰り出す。辛うじて半歩後ろに上体を逸らして、刀を横に払う。難なくサイドステップで避けられるも、アドバンテージを奪えたと、俺はまた刀を袈裟切りに振るう。
 振り落とした刀は、ガキン、と妙な金属音を上げてその軌道を止める。
 王妃の右腕には、無骨な金属手甲が付けられていた。過去の王妃は持っていなかったそれは、恐らくラヴォスが作り出した擬似手甲なのだろう。間違いなく世界最高峰の切れ味を誇る虹の斬撃を受け止められるのだ、それ以外に考えられない。
 尋常ならざる魔力を込められたラヴォス特製の手甲に、王妃の拳速が合わさり、その破壊力たるや異常。ボッシュの傑作虹で受け止めた時、ぎし、と嫌な音が響いた。そう何度も受け止められはしないと宣言されたも同義。


「どうしましたクロノさん。これではまたその他の方に逆戻りですよ?」
「そいつはごめんだ……な!!」


 気合と共に横に刀を凪ぐ。風を切り断ち切る刀はあっさりとよけられ、カウンターに前に王妃が近づいてくる。アッパー気味の拳を顔を横に置いて避けた。


「脇がお留守ですね?」
「……ぐっ!!」


 左鉤突きが脇腹に刺さり、肋骨が砕けたような音が聞こえる。一時的に痛みを無視して飛び下がり、患部を抑えた。……砕けてはいない、だが皹が入ったか折れたかはしただろうな、これは。
 見ると王妃はハプキ(合気)にて呼吸を整え、息一つ乱さぬまま立っていた……いや本気でこの人エイラや母さんばりに強いんじゃないか? ニズベールクラスと言われても信じそうだ。流石にあれだけの耐久力と破壊力はあるまいが、技術と体運びの巧みさは他の追随を許さない。瞬発力はグレンとタメを張るぞ!? いや、それは言いすぎか。
 ともあれ……今までの試練を超える難敵なのは確かだろう。


「……来ないなら、私から行きましょう!」


 足音無く、風のように駆けてくる王妃。迅雷もかくや、追いきれぬでは無いが対処するには困難なスピード。ましてや体力が尽きかけている俺にはかなり厳しい。せめて体が回復していれば話は変わるのだが……嘆いていても変わりはしない、か。
 刀を正眼に構えて、隙を減らす。元々正眼はあらゆる場面でも対処が可能な万能の構え。にも関わらず、王妃は突進を止めない。どのような攻撃も蹴散らす自信があるのか、俺が低く見積もられているのか。
 ……前者だろうな。王妃は、今の王妃は俺を過小評価する事は無いだろう。ラヴォスが作り出した王妃はえらくストイックに見える。というか、能力はともかく性格は丸々違わないか? どうせ、都合の良いように作り変えてるんだろうが。
 王妃の姿勢は酷く低かった。振り下ろすには面倒で、切り払うにも角度が難しい迎撃し辛い、模範的な攻撃方法。武術を学んだ人間がこうもやり辛いとは。これなら黒の夢の魔物を相手しているほうがよっぽど楽じゃねえか!!


(実際、俺の能力からして人間相手は得意じゃねえんだよな……そういうのはマールやグレンの得意とする所なんだから……俺は魔物特化型なんだ)


 そんな事を考えている時には、俺は高く宙に舞っていた。下からの掌底にて顎を揺らされ、肘突き一発、持ち上げるようなハイキックの三連打で見事にダウンだ。
 違うな、これは違う。ラヴォスの手甲がどうとかじゃねえ。王妃自身が強いんだ。よくもまあ、あの頃の俺が勝てたもんだ。あの王妃にさ。油断されてたとはいえども。正しく化け物じゃねえか。
 ……駄目だな、勝てる気がまるでしない。もう走る気力も無いっていうのに。力強い言葉をかけ続けてもまるで燃えやしない。
 ──でも。


「立つんだよなあ、俺はさあ」


 古ぼけたからくりみたいにぎしぎしと、無様に立ち上がる自分は酷く不恰好だろう。そんな事は理解している。けれど、それがなんなのか。ただ見守るだけでは何も変わらない。
 これはきっと礼なんだ。俺がここまで戦ってこれたのは……戦い続けていられたのは。彼女のお陰なのが大きいから。
 今でも続けていられるか? 俺は俺だけのプライドを持っているのか?
 答えは、持っていない、だ。正確には持っていなかった。
 ……だせえ。仲間が来るのを信じて、あいつらならきっと来てくれるとか信じ込んで、時間稼ぎだ? 天晴れな馬鹿だよ、本当さ。
 逃げてるんじゃん。俺一人ではラヴォスに勝てない? じゃあ仲間が来てくれたら勝てるのかよ? 一人じゃ出来ないけど皆がいれば僕頑張るよ? 何それ、群れなきゃ何も出来ないなんちゃって不良か俺は。
 よく考えろよ俺。一人で出来るなら皆いればもっと簡単に出来るんだよ。そっちの方が得じゃね?
 そうだろう、大体今も昔も俺は未来の事なんかどうだって良いんだ。マールには怒られるだろうけど、経験した事の無い、経験する事の無い未来がどうなろうと知ったことか。そう考えればラヴォスなんかどうだって良い。
 でも、あいつは俺を見下した。今だってそうだ、試験だとか言って俺を試してる。少し前には俺をばらばらに分解して殺したりもした。ジャキやボッシュたちに頼まれた約束を破る羽目になったのはこいつのせいだ。
 つまりは、こいつは俺の顔に泥を塗ったんだ。丹念に丁寧に侮蔑と嘲笑を混ぜ合わせて。
 刀を握る手に、力が入る。もろ、気合が入った。思い出さなきゃ力の出ない俺はアホの極みだな。身に染みこませろってんだよ。


「思い出させてくれて、ありがとな王妃。俺はまだ、持っていられそうだ。砕けず折れず、あるがままの俺のプライドをさ」


 本当の王妃とはかけ離れたリーネは、それでも静かに笑った気がする。
 それが、とても嬉しかった。認めてくれたみたいで、凄く。


「はああぁぁ!!!」


 迫るのは右手手刀、左手正拳、顔面と水月を狙う両手突き。それらを捌ききっても、また足技が繰り出される。足払い気味の側刀蹴りは飛んでかわした。そのまま大根斬りに持ち込むが、腕を絡まされて投げられる。
 受身を取り前転しながら立ち上がると、目の前には王妃の靴が飛び込んでいた。素直に受け止めざるを得ないため、顔面に喰らい後ろに飛ばされる。
 浮き上がった体を持ち直し立ち上がるのに秒の間も掛けない。じりじりと刀が床に滑るが、手放しはしない。俺を守る唯一のものだから。
 追撃に備えると、王妃は構えを解かぬまま、俺を見据えていた。その表情には訝しげなものがあった。何か疑問でもあるのか、と問いたくなるような、分かりやすいものだった。


「どうして、魔法を使わないのですか? 今の貴方は魔法が使えるのでしょう?」王妃は、俺がサンダーやシャイニング、トランスを使わない事を不思議に感じたのだろう。
 何故王妃が魔法を知っているのかは問わない。どうせ、ラヴォスが作った王妃だ、魔法の事くらい知ってても不思議は無い。そもそも、大事なのはそこじゃない。
 俺は、王妃の問いの答えを探して、放つ。


「これは、あの時の戦いの再現だから。あの時のあんたは本気じゃなかった。だから、今度は本当に決着をつけるべきなんだ。あの頃の俺を塗り替える為にも。その為には、魔法なんかあっちゃいけない。あんたにとっての戦いは、そんな不可思議な現象が混ざるものじゃないだろ?」


 そうだ、王妃が自分を鍛える為におこなった鍛錬には、魔法を使う相手なんて想定していない。そんな裏からの隠し道を頼るのはルール違反だ。俺は真っ向から王妃と闘わなければならない、いや闘いたい。真実、俺はこれ以上無いほどにこの戦闘を味わいたいから。


「お互い、自分が鍛えた自分だけの技術で闘おうぜ。昔の人間の力だかなんだか知らねえが、今ここで魔法なんてのは無粋だ」
「……これは、私は貴方を見くびっていたのかもしれませんね。中々どうして、良い男になったではありませんか。今度パーティーに招待してさしあげますよ」
「そりゃあ、あんたの好きなお菓子パーティーか? ……甘すぎるのは苦手なんだが」
「ビターで揃えましょう」
「そりゃあ、楽しみだ」


 今ここにいる王妃は、ラヴォスの作りだした偽者なのに、どうしてだか俺はその約束を大切にしたいと思えた。無意味とわかっていても。
 そろそろ幕引きにしようじゃないかと言うように王妃が一つ両手を合わせ音を鳴らした。構えは彼女が極めたと豪語する縦拳の構え。腰を落とし眼光は真っ直ぐにこちらを見つめ、控える拳はバリスタの圧力を見せる。引き絞られたそれが放たれれば何者をも貫き通すという信念を込められた一撃。
 女性特有の柔らかなバネを限界までに使用、いや酷使とも言えるだろう。前回と違い、手甲をつけた彼女の拳は小細工ではかわせない。止める事も、ずらす事も果てのない考えである。
 勿論こちらも小手先の策なんか用いない。ただ剣を振るい俺の剣と彼女の拳を競わせるのみ。どちらが高みに辿り着くか、賭けてみようじゃないか。
 やがて、硬直は終わり俺が前に出る。力を入れる必要はない、ただゆっくりとその時を待ちながら足を動かすだけ。警戒はない、彼女から前に出ることはないのだから。
 互いの距離が四メートルを切った辺りで虹を抜く。酷く滑らかに鞘を出た刀は、まるで呼吸でもしているように脈動しているように感じられた。確かな重みが俺に安心感を与えてくれる。


 ──さあ、始めよう。
 温い風が頬を刺激した時、一足に飛び出し刀を真正面に振り下ろす。王妃もまた同時に拳を突き出す。大砲に似た風を貫く轟音を共に、俺を吹き飛ばそうとする脅威。俺の刀は王妃の拳に押し負けて、跳ね上げられる。まだ止まらぬ王妃の拳が迫りくる。


「俺がこの旅で得たのはなあ!!!」


 真上に弾かれた刀をそのままの勢いに一回転させて下段から突き上げる突きに変化させる。その速さは王妃の縦拳が凄まじければ凄まじいほどに比例する。それでも僅かに俺が遅いだろうか?
 予想は当たり、まず俺の体に王妃の拳が突き刺さる。回転も込められたそれは俺の筋肉も内臓も一緒くたにブツブツと千切っていく。けれど吐き気はない。今の俺はそんな不快な気分を忘れてしまっているから。


「あ、、ぎらめの、悪ざだあああぁぁぁああ!!!!」


 づぶり、と王妃の腹に刀を突き刺した途端、王妃の体が霧散する。
 消える直前に、彼女はしっかりと、俺を見て笑ってくれた。もう大丈夫だと背中を押すような、柔らかな笑顔だった。
 確かに彼女もまた俺の恩人だった、疑いようもなく。


『……見事だ』


 どこか清涼な気持ちに浸っていた俺に、ラヴォスが賞賛の声を上げた。
 こっちの気も知らずに、と心の中で悪態をつき、ぺっと血の混じる唾を吐き捨てた。
 痛む腹を押さえて、痛みを顔に出さぬよう努めながらできる限り見下ろすようにしてやろうと首を上げて見遣る。空いた左手を腰に当てる。


「さて、これでお前の本体とやらに会わせてくれるんだろ? 会わせろよ、すぐに切り刻んでやる」
『虚勢ではないのだな、流石人間。傲慢の化身よ』だが、とラヴォスは前置きした後『約束は守ろう』と律儀であることを晒すように一々告げてくる。
『折角である、見せてやろうじゃないか。私を、生物が悠久の年月をかければ辿り着くであろう最終進化というものを』
「御託だな、見せてみろ亀野郎」


 奴の魔力が俺の周りに浮遊し始めるのを感じた後、徐々に俺の姿が消えていくのを感じた。人一人を飛ばすのに詠唱も予備動作も必要無いわけだな、分かっていたが、目の前で行われると少々戦慄する。
 生きて帰れるだろうか? ふとそんな事が頭に浮かんだときには、皆に会いたいと思ってしまった。これは俺を殺すかもしれない考えだと、頭の隅で感じていた。


「情けねえぞ、クロノ……」


 しくしくと腹部が痛むのは、戦いの後だからか、それ以外か。
 自分の名前を自分で呼んだとき、皆が俺の名前を呼ぶ声を思い出して、より寂しくなった。本末転倒だな、と自嘲して俺の姿は消えていく。
 その、寸前のこと。


『……来客か。無粋なことだ』


 何者かの来訪を知らせるラヴォスの声が耳に入ったのだった。
 それが誰なのかなど、考えるまでも無いというのに、俺はそこから消えていくのだ。












 そも、三賢者とは何か。
 ただ魔力が他を寄せ付けぬほどに優れている人物であること、それだけではない。人柄か? それもあるだろう。しかしそれでは勤まらぬ。知恵がある、逸脱した発想力、類まれなる精神力。これらは当然のごとく兼ね備えていた。
 だが、それだけであるならわざわざ三賢者と呼称する必要は無い。各々の力を認め、一人一人を一賢者として呼べばいいだろう。あるいは科学者、研究者というように分けてしまえばそれまでである。
 何故彼らは三賢者と呼ばれたのか。その所以は至極最もであり、また納得のできるものだった。
 ただ、彼ら三人が揃えば何事をも可能としたのだ。巨大に過ぎる山々を宙に浮かせたり、空を飛ぶ乗り物を作り出すも、魔法を概念ではなく理屈として解明し、科学と融合させることも三人揃えば可能となった。
 だからこそ、彼らは今ここ、時の最果てに集まることとなった。


「ヌゥ、まさかお前たちに叩き起こされるとはな……古くからの友人を労わる気は無いものか」


 青く、太古より生存していた生物ヌゥに姿を変えた理の賢者、ガッシュが愚痴るように漏らした。
 その動きは緩慢で、寝起きを髣髴とさせるものであった。事実、彼は永い眠りからボッシュ、ハッシュの両人に魔力で強制的に起こされたのだが。気だるそうに目を擦っている。


「何を言うか。ラヴォスを蘇らせる装置の基盤を作り上げたのは私たちだ。自分たちの過ちを少年たちが正そうとしてくれている、その様なときに大口を開けて寝ているなぞ、誰が許すものか」
「全くだガッシュ、お前は昔から最後の詰めを誰かに放り投げる癖がある。その悪癖は治らなかったようだな」


 ボッシュとハッシュの二人に立て続けに責められ、ハッシュはヌゥの長い両手を上に上げて降参のポーズを取る。「悪かったとも。だからこそ今こうして重い体を引きずりここまで来たのではないか」
 唇を尖らせるその姿は、ふて腐れている様そのものだった。その様子を見て、二人の老人は笑いをかみ殺す。
 やがて、ハッシュが不意に笑顔を止めて、遠くの果て無き空を見定めた。


「さあ、風穴を開けてやったぞ。見たかラヴォス、これが我らの力だ、人間の力だ。何者にも負けぬ、地上も人間も、あるべき姿に変わっていく。彼らがそれを為してくれる」


 そこに誰かがいるように語り掛ける。傍から見れば奇行と言えるが、今の彼は真剣に口を開いている。
 今は一線を退き、年老いた老人の目は燃え上がり、力溢れる男の目をしていた。


「頼むぞ、クロノさん。あんたらに賭けるよ、未来も運命も……これで、我らの出番は終わる」


 ぐら、とハッシュの体が揺れ、硬い石畳に落ちる。衝撃の音は軽く、人一人が倒れたとは思えない乾いた音だった。
 それに続きガッシュとボッシュもまた力を失い倒れていく。立ち上がる力も無いのか、彼らは皆起き上がろうとすらしなかった。
 己の力を使い果たした彼らは、魔力も体力も尽き果てたのだ。呼吸音が小さくなっていく。やがて、消えていく。
 しかし、緩やかに死が近づいている最中にも関わらず、彼らは一様に目を細め、笑っていた。あるいはその目には憧憬に近い物を宿していたのかもしれない。今は遠い、平和で明るい故郷を思い浮かべ、夢に浸っていたのだろう。
 そう、彼らは今夢を見ていた。願うならば、覚めることの無い夢を。


「……じいさん、お前ら馬鹿」


 時の最果て広場から通じるスペッキオの部屋、その扉の裏側にもたれかかっていた戦の神が、ぽつりと漏らしていた。
 彼の姿は、頭上から角を生やし、はち切れんばかりの筋肉の鎧をつけた見るからに戦の神と呼ぶに相応しい姿である。
 戦の神──スペッキオは力なく座り込んだ。その目に光るものが涙とは、認めずに。
 この孤独な空間で唯一彼と話をしてくれたハッシュが消えていく。それは、いかに神を自称する怪物でも、思うところはあるのだろう。だが、彼はこの部屋を出られない。出ればその時彼は消えてしまう。限られた空間のみ存在することができる、だからこそ人智を超えた力を持っているのだから。


「でも、俺も馬鹿。俺戦の神、人助けはしない、普通は」


 けれど、スペッキオは扉を開けた。それだけで帯びるような激痛が彼を蝕む。扉の外に出れば、出た部分だけ体の部位が焼け付いていく。力があろうと無意味なのだ。彼は『そういう』存在なのだから。
 一歩ずつ足を踏み込んで、倒れている自分の友人と、その友人の友人に近づいていく。
 急速に消えていく己の魔力をこれ以上消費させない為にもスペッキオは自分に回復呪文を使わない。ガッシュたちの為に残しておくべきだと判断したのだ。それがいかなる結果になるかなど、知っているのに。


「……俺、戦の神。俺のやりたい事をやる! だから、邪魔するな!!」


 なんとしても彼を消滅させてやろうとする現象に、スペッキオが吼える。
 彼を殺そうとする現象は怯むことなく、存在を許さない。
 果たして、彼が三賢者を助けられたのか、それは誰も知らない。












「クロノは!? 何処にいるの、クロノー!!」


 私は、浮遊している感覚が終わり、目を開いた途端に叫んだ。未だかつて見たことが無い気味の悪い、眼下に渦を巻いた海が見える、世界の何処にも存在しないだろう空間に放り出されたことや、私たちの仇敵であるラヴォスよりも大事な事だから。
 慌てながらふらふらと目をそこかしこにやっている私の隣を一筋の風が駆けていった。横目に捕らえたのは青く、長い髪。
 弧を描く大振りの鎌を手に、魔王が飛び出したのだ。右から左への一閃は空を切る一撃。その微塵たりとも容赦の無い必殺の一撃を、ラヴォスはいとも容易く受け止めていた。
 受け止めた、という表現は妙かもしれない。実際ラヴォスは体を、指一本として動かしていないのだから。魔力による防御壁か、もしかしたら単純に体の硬さから魔王の攻撃を弾いたのかもしれないが。出来るなら前者であってほしい、でなければ直接攻撃でラヴォスにダメージを与えられるかもしれないのはエイラのみとなる。あくまでも魔王と比肩できる、というだけで以上というわけじゃないんだけど。
 ふと、考えたくも無い想像が浮かび、私の口は無意識に疑問を……というよりも、糾弾するように叫んでいた。


「ラヴォス……!! クロノは、クロノを何処にやったの!?」
『……驚いたな娘よ。私が言語を解すると知っていたとは。流石に想定外だった』
「え?」意味も分からず感心されたので、思わず疑問の声を上げてしまう。
『何?』
「何って、え?」
『娘、何を戸惑っているのだ』ラヴォスがぐうん、と巨体を震わせた。本当に意味が分からず、身じろぎした、という感じだった。
「うわ、大きい!! ら、ラヴォスってこんなに大きいんだね! 未来のモニターでしか見たこと無かったから、分からなかった!!」
『そうか、娘。貴様劣性の頭脳を持っているのだな』


 なんだか分からないけど、とてつもなく馬鹿にされた気がしたので言い返そうとしたが、その前に苛々した様子のルッカに顔を掴まれて後ろに投げられた。いや、押しのけられたという方が正しいのだが、彼女としては私を放り投げようとしたかったに違いないのでそう表現しよう。
 何で怒ってるのかな、あの日かな?


「マール、貴方突拍子も無い時に突拍子も無い事をするから突拍子も無く貴方を嫌いになる時があるわ。それはさておき……」


 私としてはさておいてほしくない問題なんだけれど、きっと問い詰めたらまた顔を掴まれるんだろうなあ。あれは痛かったから今は我慢するとしよう。


「人の言葉を話せて、理解できるとは……正直恐れ入ったけど、今は助かるわ。私たちの前に赤毛の男が来たでしょう? というよりも、私は貴方が彼を連れ去ったと睨んでるけど、どうかしら?」ルッカの言葉にラヴォスは螺旋を孕んだ瞳を細めた。
『ふむ……正解だ。伊達にここまで来たわけでは無いのだな、科学者、ルッカよ』
「……!! 趣味が悪いわね、勝手に人の事を調べるなんて」心底嫌そうにルッカが唇を震わせ、嫌悪を表に出した。ところが、ラヴォスはそれを気にした様子も無く、頭を下げて──人間で言う所の方を竦めるような行動なのだろうか──声を放つ。
『調べたのではない。“知っている”のだ。履き違えるな、人間』
「何を……そう、そういう事。なんてデタラメ……」
『フフフ……それだけで分かるか。悪くないぞルッカ、お前はこの星の人間の歴史上でも、五十には入る頭脳の持ち主だ』
「残念、私は歴史上一番の天才なのよ」


 ……なんとなく、ルッカの独壇場であり、さっきまで騒いでいた私の立つ瀬が無かった。
 何より、さっきは脱線したものの、私はクロノの居場所が知りたいのであって、ルッカとラヴォスの意味の分からないやり取りを聞いていたい訳ではない。
 大声を出して、彼女らの会話を途切らせるため、大きく息を吸った。


「そのような事はどうでも良い!! 今やるべきはこいつを殺す事! もしくは、クロノの場所を吐かせる事だ! これ以上無駄な時間を使うな女!!」


 私の前に、魔王が殺気を露に叫ぶ。私の言いたいこととほぼ同じなので、不満は無いがしこりは残る。もしかしたら、今は私はいらないのかもしれないと深く深く考え込み、やがてそんなことはないという結論に至る。紆余曲折あったが正しい解を導き出したという自負があった。
 亀のような姿のラヴォスの首がずるり、と垂れながら伸びて、魔王を真正面から捉える。過去の恐怖が癒えていないのか、それだけで魔王は小さく呻き、半歩体を後ろに下げた。そして、それが屈辱だったのか、反対に大きく前に一歩を踏み出し睨みつける。
 どうやらそれはさして効果を得なかったようで、ラヴォスは声音を変えることなく淡々と話し始めた。


『彼は、今私と会いに行っている。少し興味を持ったのでな』
「……興味、ですって?」
『そう。意外かね? 私のような生き物が興味などと……不可思議に感じるかね?』ラヴォスの問いにルッカは迷うことなく深く頷いた。
『そうか……良いことを教えてやろう。何故この星では人、魔族、恐竜人。この三種が繁栄したと思うかね』
「考えるまでも無いわ。考えることが出来たからよ」
「ねえ、何の話をしてるのか、私にも教えてくれない?」
『違うな、その三種はただ、他の生物と比べ、貪欲に過ぎたからだ。ただ食べるでは満足せず、ただ飲むでも満足しない。生きるという事を極限にまで味わおうとする。では貪欲とは何だ? 何が貴様らをそうさせる?』


 心なしか、ラヴォス(らしい)声のトーンが上がっている気がする。この問答を楽しんでいるのかもしれないと、あり得ない想像が浮かんだ。何故あり得ないのか、その根拠は私には無いのだけど。
 ルッカは暫しの間を置いて、徐に顔を上げた。


「好奇心、知識欲のことかしら」
『……正しいぞ人間。正鵠を射るばかりでは興もそがれようが、お前は中々、話していて楽しい。そうだ、お前たちは知りたいと願うから、それを許されたからこそ繁栄を誇れた。生きていればどうなるだろう、これを作ればいかなるものか……殺せばどのような事態を作り出し、いかに楽しめるのか。傲慢で残酷な知識を遮二無二得ようとする。それは、見ていて実に面白いものであるぞ』
「分からないわ。分かったのは貴方が酷く偉そうで回りくどいって事かしら。そろそろ私も我慢したくないのだけど?」


 喉を鳴らす音が響く。金属音に似た聞き覚えのある、嫌な笑い声だった。横目に、魔王が顔をしかませるのが分かった。今すぐに首を跳ね飛ばしてやりたいという思いがありありと表情に出ていて、背中が寒くなるほどだった。
 私は、いい加減に結果を出してほしいと、結論を聞かせろと。何よりも……まだなのか、と思ってしまう。怖いくせに、徐々に膨れ上がっていく奴の殺気に怯えだしているくせに。
 ふっ、と足の力が抜けると、背中を支えられた。私を支えてくれた彼女はいつものように力強くにか、と笑ってくれた。


『つまりは単純だ。私とて例外ではないのだよ。知識欲とは強者にとって持っていて然るべき感情なのだ。私は特に顕著だよ、ありとあらゆる事柄を知っていながら、まださらなる事実を追求したい。いやはや、中々厄介な性質であると理解しているが……止められぬ。抗えない快楽と同義であろうな』ラヴォスの言葉に合点がいったとルッカは指を鳴らし、
「つまり、あんたは色狂いとそう変わらないって事ね、気持ち悪い」
『……言い得て妙か。さて、次は私にも質問させてくれるかね?』


 時間だ、と皆が気づいた。剣を抜き、あるいは拳を抜き。腕から銃口を生み出し鎌を持ち上げた。最後に、ルッカが口端を吊り上げて、笑う。これまでの問答はこの質問に答えるべくあったのだと言うように。


『何故、お前たちがここにいる? それも──六人。生きてきた時代の違う三人以上の群集を時は許さぬのだが?』
「さあね、ありとあらゆる事柄を知っているんでしょ? 当ててみなさいよ。私たちがあんたを袋叩きにする前にね」


 ルッカが銃を握り、引き金を引こうと指に力を入れる。その様子がありありと分かるほどに彼女らのやり取りを集中して見ていた私は、戦いの火蓋が切られると知り、慌てて声を上げた。まだ、大事なことを聞き終えていないのだから。


「待って! クロノは何処にいるの? まだ聞いてないよ!」必死の形相に止める私を、誰かが嘲笑う。今それが重要か? と馬鹿にされているようだった。
『全てはお前たち次第だ。私を倒せれば、すぐに会えよう。そう、倒せればな……』
「それって……つまり、教える気は無いってことだよね?」
『ふむ、王女よ。知ってはいたが、お前はそう頭の回る個体ではないようだ。なれば、やることは一つしかあるまいに』
「……さっきから、延々と話し込んで、馬鹿にして、私を無視してさ。そろそろ怒っても良いよね?」


 恐怖は確固として生まれてる、根を生やしてる。でも怒りも負けてない。何より……後ろに皆がいる。その安心感には勝てはしない。
 今までずっと、不満に思ってたんだ。心に残ってたんだ。あの時のことを。
 私とクロノが出会った時だ。あの時私と一緒にお祭りに誘ってくれた時の事だよ。結局それは、私が王女だって知らなかったからだけど。私が王女だって知ってたら、クロノは口を濁らせたけど、きっと遊んでくれなかったと思う。
 だから、今度会ったら言ってみよう。私と遊んでくれますか? って。前にクロノは良いよって言ってくれた気がするけど、まだ私はちゃんと誘ってない。私は王女だけど、友達になってくれますかってはっきり聞いてみよう。
 そしたら答えをきちんと聞こう。わからないなんてあやふやな誤魔化しじゃない。彼の笑顔と、了承を願って聞いてみよう。
 その為にも彼に会いに行こう。彼を探そうじゃないか。見つけ出して、救い出して……私を中世で助けてくれた恩を返そう。この旅の終着点がここだというならば、今を置いて機会は無いじゃないか。
 清算して、あの時に欲しかった言葉をもらって、ハッピーエンドを迎える。夢のような終わり方となる。
 私は、夢を見ている。見続けていく。


「──行くよ、私」


 自分自身への号令だったのに、皆がそれを聞いたみたく同時に動き出した。
 始まるんだね、終わりが。
 いつのまにか、空は赤く染まっていた。夕日の色が、今は憎い。












「あき……らめねえぞ……くそったれ!!!」


 腕に力が入らない。顔の半分が焼け爛れて、臭気が酷い。己の皮膚の焼けた匂いが常に付きまとう。左腕の骨は原型を残してはいないんだろう。軟体動物のそれのように曲がりくねっている。動かすたびに中で散らばった骨が動くのが分かる。痛みは無い、とうに領域を超えている。でなければ心が保たれるはずが無い。
 コー、コー、と枯れたような呼吸音が耳に入る。聞き苦しいことこの上ない。今すぐにも止めてやりたいのに、刀を持つことすら覚束ない。血で塗れた柄は滑り、俺の手から落ちていく。それと一緒に落ちていきそうな大事なものを無様に握り締めて、それでも指の隙間からぱらぱらと毀れていく。取り返しがつくのかどうか、俺には分かりようがない。
 畜生。何がむかつくって、何が苛立たしいって、さっきまで俺に興味が湧いたとか抜かしてたこいつが、ラヴォスの野郎がすまし顔で俺を見ていやがる事が何よりむかつく。本当に興味が失せたと、白けた目を向けているのが屈辱で堪らない。期待外れだと言外に言っているようなものじゃないか。


『──見届けたいか?』
「……」
『見届けたいか?』
「さっきから、何を、言ってんだよお前は……」


 何を言おうと、目の前の奴はただ見届けたいかとしか言わない。それ以外の言葉など不要だと告げるように、何度も何度も繰り返しては、俺を見ない。
 見届けたいか。
 あいつは誰に言っている? 誰に問いかけている?
 光の差さないこの場所で、奴の体はちらちらと輝いている。ぬらりとした嫌悪感の催す皮膚面は内部から発光し俺を威嚇する。
 奴がどのような形で、どのような攻撃を俺に仕掛けているのか分からない。この暗闇の中いくら目を凝らそうと奴を明確に視認できない。時折へばりつくような腐った視線を感じるだけ。奴が大きいのか小さいのかすら定かではない。案外凡庸な姿なのか、今までに無い異形の姿なのか。攻撃方法すら分からない。ただ、何の気配も無く俺の顔を焼き腕を粉砕しへばりつかせただけの事。力の波動も空気の振動すらも気づけなかった。
 圧倒的とか、そういう事じゃないんだ。とんでもない力を有した技を持ってるとかでもない。絶対的な負けを意識するような攻撃はまだ無い。
 ただ……勝てると思えない。衝撃的な劣等感を感じるではない。じわじわと上り詰めてくる絶望感を奴は放っていた。緩慢に、緩やかに鈍重に俺を蝕んでいく。がりがりと奥底から俺を削りだしていく感覚が、堪らない。道が見えない。


『見届けたいか?』


 さらには、薄気味の悪い言葉。仮に、こいつが俺に聞いているとしよう。そして肯定を示して見よう。そうすればどうなるのか。慈悲など毛頭なく俺を消し去るのか。これが見届けた結果だとでも言いたいのか。逆に、否定すればならば価値は無いと消し去るのか。そのどちらも有り得る。だからこそ俺は何も言わない、言えない。
 覚悟の無い、と罵倒されようが今は駄目だ。何も思い浮かばない。何をすればいいのかさっぱりだ。今は駄目だ、今を乗り越えれば……


 ……何が、あるというのだ。
 自分を待つ結末がおぼろげに見えてくる。
 頭の端に、見たくもない映像が流れ込む。
 迷うな、言い聞かせてもずっと後ろをついてくるこの想像は真実か、妄想か。願うなら……想像であってほしいのだ。


『……そうか。見届けたいか。ならば、良いだろう』
「!」


 答えを得たのか、という驚きとまた攻撃が始まるのか、という警戒心が反発しあい体を硬直させてしまう。しまった、と頭を抱える暇も無い。ただ出来るのは無意味と分かっていても両腕を上に上げて頼りない防御姿勢を取るだけだった。
 ──嫌なことを思い出した。俺のこの構えは、小さい頃、俺に友達が出来ず周りの子供たちにいじめられた時取っていた降参のポーズだった。
 目を強く閉じ、もう許してくれ、もう殴らないでくれと懇願する、哀れな構えだったのだ。


『……見よ』
「…………?」


 恐る恐る目を見開くと、目の前に長細い長方形型に暗闇が切り取られていた。白く光るそれは、未来で見たモニターに良く似ている。ラヴォスが真似たのか、たまたまか。単純に俺に分かりやすい形にわざわざ為しているのかもしれない。たとえどれが正解だとしても、大差は無いが。
 暗闇の中生まれたその光は俺の眼には強く、数瞬目を閉じてしまう。ゆえに、最初に入るのは声。聞きたかったと、渇望に近いそれを覚えた人たちの声だった。
 そのどれもが、叫びと怒りと……苦悶。


「お前……まさか」俺のぽつぽつとした問いかけに、ラヴォスは微かな昂ぶりを思わせる声音で、言う。
『遠路遥々やってきたのだ。相手をしてやらぬのは、無礼と言えよう?』


 地獄に落ちろ。
 俺の声は、きっと誰にも届かない。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/03/20 14:08
「ワシに何か用かい? クロノさん」ハッシュは何かを窺うように俺を見た。試すようなその視線は少々居心地が悪い。纏わりつくような幻覚すら覚えた俺は多少身震いしてから口を開く。
「ああ、あんたに聞きたい事があるんだ」そう言って、緩やかに指を伸ばす。指し示すのは、小さく、それでいて薄気味の悪い発光を続けるバケツ。1999年、世界終焉の日に繋がる悪夢への行路。でも、それだけじゃないはずだ。だって、間違いなくそこから聞こえる。あいつの声が。
 すう、と息を吸い込み、確かめる。


「あそこは、何処へ繋がっている?」俺の言葉に、一つ目を丸くさせた後(出来の悪い演技だ)、「前にも言っただろう?」とだけ返す。答えになっていねえだろうが。
「もう一度聞くぜハッシュ。今あそこに入れば、“誰に”会える?」
「……ラヴォスに決まっているだろう」もうそろそろあくびが出そうだ。三文芝居に興じる暇はない。こうしている今も、仲間たちが運命に逆らうべく、また各々を鍛えるべく奔走しているのだから。
「なあハッシュ……俺は誰に、と言ったんだぜ。何に、じゃない。俺は人間を指したつもりだったんだけどな」
「──誤魔化す気は、無かったんじゃがな……いつ知った?」目深に帽子をかぶり直し鋭く目を尖らせるハッシュ。なるほど、これは機密事項なわけだ。誰にも知らせる気は無かった訳だ、この爺さんは。
「いつ、か。そうだな、ついさっきだ。どうも生き返ってからこっち、随分感覚が澄んでる。どんな遠くからでも声を聞き分けられるし、感じられる。あいつのやかましい声なら、尚更だ」
「そこまで分かっているなら、ワシの答えは必要無いだろう?」
「いや、確信が欲しい。頼むよ、あんたの言葉なら信用できる。三賢者のあんたなら」


 俺の声に何かを感じ取ってくれたか、諦めたように溜息を吐く。次いで、背中を伸ばし、この暗く深い時の最果ての空を仰ぎ見た。そして、開口。


「お主の想像通り。その中にはラヴォスではないラヴォス……そして、」一泊の時間を置いて、ハッシュは愛しさと哀願の意を込めて一つの名前を創った。


「サラが、あんたを待っている」






 これは、クロノの仲間たちが、ハッシュの助言を理解し、飛び立っていった直後の話である。











 星は夢を見る必要はない
 第四十九話 夢は終わりを迎えて、星は夢を見る。されど、












 ──過去──






 無限に広がる空間で、爆音が響き渡る。
 それは一方的な蹂躙であった。各々の思いは違えど、眼に見える違いは無い。針ほどでもない攻撃を、児戯に等しいとあしらい反撃にしては酷く割に合わぬ猛撃を払う。
 言わずとも、前者は未来を救わんとするマール一同。後者は星の破壊者ラヴォスであった。
 前者──マールたちはこれを戦いと疑ってやまないだろう。だが、客観的に見れば子蝿が集るのと同じ。意味が無いという一点では同じなのだ。
 精神力では、迷うことなく随一たる彼女らだが、微量な絶望感が場を支配し始めた。決して顔には出さずとも。


「マール! エイラが怪我を負ったわ、治療を急いで! その間ロボとグレンはマールの援護をお願い! 魔王はそのまま攻撃に集中して!!」


 切り裂くような声で指示を出すルッカに、反論を出す者はいない。あの魔王さえもそのままに従っている。
 特に、彼女の指揮能力を認めてのことではない、ただそれ以外に無いのだ。己が為す事が、他には。
 それでも、魔王は実に良くやっている。前回の戦いと違い、身を守る術を使う事さえなく倒れ伏す事は無い。懸命に攻撃を繰り返し、時には身を翻し、相殺には至らぬまでもラヴォスの攻撃の軌道を逸らし幾度も仲間の窮地を救っている。それもまた、彼の優しさとは無関係である。彼自身分かっているのだろう、自分一人では刹那の間も凌ぐことはできまい、と。歯噛みし、無力感に際悩まされても認めざるを得ない状況であった。


(ならば、尚更……!!)


 鎌を大仰に構え、踏み込み浅く飛び込む。ラヴォスに触れた途端に火花を放つ鎌は悲鳴をあげているようだった。
 魔王軍最高峰の技術、術式を結集させて作り上げた絶望の鎌でさえラヴォスに傷を負わせるのは至難の業であった。辛うじて、魔王の魔力を上乗せさせて、暫しの時間をかければ巨大な棘を切り裂き微かにダメージを与える事は可能となる。幾千幾万の中の一つの棘を落とすだけでしかないが。
 だが、その一つ一つを落とす事に、魔王は意義を覚える。


(私が倒す。私が切り裂かねばなるまい。私の後ろには、もっと偉大で、もっと大勢の家族がいるのだ、支えてくれているのだから!!)


 思考に走り、すぐさまに魔王は笑った。激情にも似た感情を憎悪以外で覚える事があろうとは、と笑う。今までに無かったな、とも。
 ダークマターを練る時間は無い。詠唱に身を置き回避を疎かにすればその瞬間に串刺しになるだろう。さらには仲間の身を守る事にも気を回さねばならない。彼は今、マールたち未来を救う者の要であった。
 と、秒間二百以上発射されていたラヴォスの破壊の針、雨のいくつかが軌道を変えた。今まで無造作に振り続けていたそれは意思を持ち、今最もわずらわしい存在である魔王目掛け回転し、滑空した。
 目端に捉えた時には、魔王も流石に防御魔法を唱えようとして……止める。放つのはダークボム。重力操作にてルッカに直撃していたであろう針を圧し潰した。
 スゥ、という空気が吸い込まれる音を背後で聞き、魔王は不思議に感じる。針ではない。あの城を支える鉄柱よりも巨大な針が迫る音はそんなものではないはずだからだ。
 疑問を抱いている間に彼を狙っていた数本の針は地面(そう呼ぶべきか定かではないが)に吸い込まれていった。煌く銀光を背負う一人の女性が彼に犬歯を晒し、鋭く睨んでいた。


「落ちたな魔王。己が身を守れず他者を庇うとは。いや、それはまだまともになったと褒めるべきか? ……気が緩んでいる証拠だ、馬鹿が!!」


 体中に傷を負いながら、荒い息を吐くグレンがそこにいた。
 未だ、治療したばかりの右手は震え、正常に振るう事は叶わないだろう。それでも彼女は、まだ走り続けている。やがて来るだろう未来へ。
 軽く眼を瞬かせて、魔王もまた、彼女に似た威嚇染みた笑みを刻む。


「愚物め……貴様がそこにいるのは計算の内だ」
「ほう、俺が貴様を庇うと信じていたのか。縋ったのか。いやに甘え上手な奴だ」
「……また蛙に戻してやろうか」
「その前に貴様の首を刎ねてくれる」
「よく舌の回る事だ。蛙にしたのは正しい選択だったようだな……だが」嫌味とも恨み言とも取れる言葉を中止して、一拍置き、無表情に変わる。言葉に感情が乗らないようにと考えたのかもしれない。
「助かったぞ、グレン」
「……え?」


 彼女が聞き返す前に、魔王はまた飛び立ち攻撃という攻撃が四方に迫る空へ向かった。
 後に残るのは、今起こった出来事を信じられないと呆け、危うく串刺しになるところだったグレンただ一人だった。


「……ええい、これでは俺が馬鹿みたいだろうに……」


 不満を漏らしつつも、彼女の顔には少しだけ余裕が生まれていた。
 剣を握る。まだ持てる、まだ振れると肌で感じながら、前に出る。それしかないだろうと、それしか考えられない頭で。
 火柱がそこかしこで上がる。ラヴォスの魔法か、と錯覚するほどの猛る炎はルッカのファイガであった。うねりながら猛進する炎を浴びてもラヴォスは怯まない。
 だが怯まないと効いていないは別であると言い聞かせて、またも詠唱を始める。倒すという目的には達せずとも、それは仲間に勇気を伝染させる効果があった。
 魔力を過剰に消費した代償として襲ってくる倦怠感をねじ伏せて喉を震わせる。眼は充血し、頭蓋の奥が悲鳴を上げる。
 けれど止まらない。止まっては己が仲間を失うだろう、想い人と会う事は無いだろう。何故自分がクロノを愛しているかすらよく分からぬままにルッカは叫ぶ。最早黒の夢が消えた今、彼女の記憶は消えつつあった。


(……なんて、ありがたいのかしら)


 怒りでも恐怖でもなく、場違いな感想を彼女は抱いた。
 彼女の大切な記憶が欠けていく事で、人間にとって最も恐ろしい感情を上書きする事が出来るのだ。今この場においてだけはそれを感謝した。仮にこの場を乗り切れば、間反対の感想が浮かぶのだろうが。


「ルッカ! 一度下がる! 頑張りすぎ、駄目!!」限界を超えようとしている彼女に、エイラが制止の声をかける。眼を逸らすわけにはいかないので、視線を寄越すことは無かったが、ルッカの雨のように降り注ぐ魔法の量を知れば様子を見ずとも考えが至ったのだろう。
「下がれって……何処によ?」


 突拍子も無い事を、とルッカは笑う。安全な場所など何処にも無いのだ。千里離れようが万里離れようがラヴォスは世界を砕く力を持っている。奴がその気になれば、何処にいようとも結果は変わらない。ましてや、ラヴォスが作り出すこの空間の中では後衛も前衛もない。防御に徹することさえ無駄なのだから。
 諦める気は毛頭無い。意味が無いからだ。今でも勝利を掴もうと躍起に放っている。だからこそ、ルッカには一つの答えが分かっていた。
 あまりに単純、力が足りないである。彼女らは、今もラヴォスに攻撃を通せずにいる。魔王のダークマターもマールの氷河もエイラの豪腕もロボのレーザーもカエルの剣もルッカのフレアでさえラヴォスの甲殻を破ることは出来ない。
 決定打が無いのだ。それではジリ貧は確定、徐々に体力が(徐々にというには厳し過ぎるが)削られるばかり。ともすれば一撃で死に至るこの状況は心すらも砕いてしまう。
 一筋でも先が見えない今はただ声を振り絞るより他に無いと、解決案ではない妥協にもならない誤魔化しを続けている。


「マスター……」冷静を失いつつあるルッカに、ロボがのったりと、しかして力強い声をかけた。それが、じりじりと追いやられている空気の中では異質で、少々苛立ちながら「何!?」と鋭く返してしまう。
「もう、終わりにします」


 ロボの声は、金属的な冷ややかさを持っていた。











 ──現在──






 額から大げさに血が流れているせいだろう、右目に侵食してきた赤は俺に視界を与えない。いくつか爪が割れた右手はナメクジのようにじとじととしか動かない。もう刀は握れない。喉が潰れたのだろうか、焼けたのだろうか、声も出ない。反して、俺は以外にも平静であった。振り切れたのかもしれない。もしくは壊れたのかもしれない。


『苦しいか』


 ラヴォスの声が木霊する。無駄にだだっ広いせいだ、おかげで虫唾が走るような声が俺の体を震わせる。辺り一面奴の声で支配されている。右も左も上も下も前も後も。
 今じゃ炎の高鳴りも氷の澄んだ破砕音も雷鳴の轟きも聞こえない。なんて事の無いように理不尽な魔力を放出しているラヴォスの、その声しか聞こえやしない。それが大層腹が立つ。お前の声なんか聞きたくないんだ。早く黙ってくれないか、でないと気が狂ってしまうんだ、色んな声が俺を呼んでいるんだ。


『悲しいか』


 左手だけで振るっているのに、虹は恐ろしい切れ味を見せてくれる。ラヴォスの気味の悪いチューブ型の触手も、魔法の類も霧散させる程に。念じてもいない魔法は勝手に俺の体から吐き出されて大蛇のようにラヴォスに噛み付いていく。数十とある雷の首はサンダガを優に超える力を持っているだろう。大気をも震撼させているのが肌で分かる、鋭敏になった俺の触覚が直にそれを知らせてくれる。そのおかげだろうか、俺の放つ電流一つ一つに備わる意思さえも分かってしまう。
 曰く、『噛み殺してくれる』と。
 ラヴォスの魔法に半身を消滅させられてもすぐさまに形を取り戻し執念のままに奴に迫っていく。首元に牙を残し、腕を引きちぎろうと眼光を光らせて猛攻を続ける。そのどれもに俺自身を守ろうとする気配は無い。
 当然か、それどころではないのだろう、『彼らも』。自分たちを作り出す為の魔力を放出している俺を守るより大事なことがあるのだから。
 それでいいのだ、俺を守ってはいけない。俺を守る暇があるなら少しでも奴に肉薄してその命を食い尽くせ、咀嚼しろ、出来ないなら魔法なんかいらない。お前たちなんか必要ない。


『辛いのか』


 ……もう、何がなんだか分からない。


「だから……もう、終わりにしてくれよ」喉が潰れようが、鳴けるんだな、と思った。


 ラヴォスの触手を切り飛ばすと、筒状になっていたそれから緑色の液体がこぼれだした。血管のようなものなのか、その量は勢いを止めない。あっという間に俺を染めていく。髪も、服も。だから多分俺の涙も緑色に変わるのだろう。


『二度と仲間に会えないのは、そんなに辛いか』
「お前に分かるかあああぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 ああ、俺に付着している液体が蒸発してしまった。もう涙を誤魔化せない。喉が潰れても吼えれるし、鳴けるし……泣いてしまうのだ。
 泣いてしまうと自覚すれば、声を思い出してしまう。もう会えないと知ってしまう。だから泣きたくなかったのに。
 俺の雷を砕こうと飛来した氷の飛礫、その流れ弾が迫ってくる。もう使えない右手を前に出して前進、掌が砕けたが歩行に問題は無い。指先から毀れた白い骨がぽと、と床に落ちた。軽い音だった。


『分からんな、人間というものは。幾万年と対話を繰り返しても貴様らだけは分からん……分かりようが無い』
「何様気取りなんだよ、何をどうすりゃてめえみたいな化け物が出来るんだよ……!」
『他の生物はもっと簡単だった。植物も魚も動物も。お前たちだけが分からない』
「気持ち悪い、二度と喋るな、化け物!!」
『心外だな、そう化け物化け物と呼ぶものじゃあない。私はもっと分かりやすい存在だよ』


 これは会話じゃない。ただただ自分の気持ちをぶつけているだけの俺と、意図の分からないラヴォスの呟きがぶつかっているだけ。そもそもぶつかっているのかも分からない。
 大体会話なんて必要ないんだ。俺は前に進むだけでいいのだから。次第に奴の攻撃手段である触手は蒸発し、または俺に切り裂かれ減っていく。奴の魔法は俺には届かない、いくら体を壊されよようが俺は止まったりしないんだから。
 代わりに俺の作る雷は底が無い。何十何百と数を増やし食らいついていく。ほうらまた一本、次は三本と無限に増殖していくのだ。


『私は、宇宙からの来訪者であり、この星の破壊者であり……代行者でもある』
「…………」代行者という言葉に、少しだけ足が止まりかけたが、呼吸を整えてからまた歩き出す。
『私には長い時間があった。それこそ、この星に生きる全ての種と対話を交わせる程度にはね』


 俺が相槌を打つ気がないと分かり、数瞬の間を置いてから、また口を開く。


『知っているかな? 君たち人間──ああ、魔族も含むが、今はあえて人間と呼称しよう。君らは酷く毛嫌いされている。いや、嫌悪ではなく憎悪かな。その理由は聡明でもない君にも分かるだろう? 植物も動物も昆虫、魚ありとあらゆる生き物に忌み嫌われているのだ』


 耳を貸すな、奴は俺に何をしようとしているのか、その意図を探ることさえ無駄なことなんだから。


『その怒りは凄まじく……そうだ、A.D.1800年頃か、怒りは激化した。そう、自分たちを巻き添えにしてでも滅ぼしたいと思える程に』
「……何が言いたいんだよ」真面目に聞く気は無い。ただ……なんとなくだ。なんとなく奴の話に乗った振りをしようとしただけなんだから。なのに、ラヴォスがいやに眼を細めたのが見えた。
『分からないか? 私は別に自分の意思でも……ましてやジールとかいう女の為でもない。人間以外の生物……いわば、この星の代わりにこの世界を滅ぼそうとしているのだ』
「馬鹿言うな、それじゃあべこべだ。星を守るために星を壊すなんて、矛盾してるじゃねえか!!」
『ふむ、言い方が悪かったな。世界を滅ぼすのではなく、君たち人間を滅ぼそうとしたのだ』
「そんなもの、同じことだろうが!!」
『同じではないよ。君は未来で聞いただろう? 人間がいなくなればこの星は蘇ると、マザーから聞いたじゃないか。彼女は賢しい、この私が彼女を壊さず残しておいたのがその証拠だ。きっと、彼女は荒廃した世界を立て直す為に必要不可欠な存在となるだろう』自分の考えに悦に浸っているような口調で断定した。『そして、世界はもっと素晴らしいものとなる。星が蘇るのだ、より強く、より美しい世界へ。その為には……君たちは必要ない。これは私の意志ではないよ、星の総意だ』


 もう、足は動かなかった。


『勿論、私は馬鹿ではない。私という存在がそうなった世界に必要かそうでないかくらい分かる。君たち人間が完全に滅びたときには……私も消えようじゃないか』
「お前も、消える?」ぼそりとこぼした言葉に、ラヴォスは丁寧に反応し、『ああ』と答えた。
『どうかな。星の全てに嫌われている君たちを倒した後、自分から去っていく私は悪か? それとも、星の悲鳴を聞いてなお生きようとする君たちは正義か? ……化け物はどっちだろうね、化け物』


 膝が震えだした。嘘だ、星は俺たちの味方だ、最悪そうでなくともお前を正義とは認めない。そう言えたらどんなに心強いだろう。でも根拠が無い。だったら条件は同じじゃないかと叫べたらどんなに良いだろう。でも納得してしまった。そして想像してしまった。人間がいない世界がどれだけ美しいのか。思うままに生を謳歌している生物がどれだけ……か。
 おいおい、あれだけ王妃に自分のプライドの為に戦うと豪語しておいて、星の意志とやらを聞けば足が止まるのかよ?
 止まるさ。
 止まらない訳がない。誰だって、声援が欲しいんだ、誰かのためだと言うお題目が欲しいんだ。
 となれば、これは最たるものではないか。一頻り往来で刃物を振り回し「俺の為したいことを為したんだ」と叫びまわる狂人と同意。
 それでも……これだけは否定したい、でなければ立てはしない。


「お、俺は……化け物じゃない」
『そう、君だけが化け物なんじゃない。君も化け物なんだ。お前の仲間も、お前を育ててきた全てが化け物なんだよ……運命は、お前を殺す為に動いている。何故それが分からない?』
「じゃあ! じゃああいつはどうなんだよ、あいつは良い奴だった! 人間じゃないし、森を作り出した! お前の言う美しい世界には必要な存在なんじゃないのか!?」


 そうだ、こいつがどれだけ綺麗事を抜かしても、あいつを消したことに変わりは無い。だったら俺がやるべきことは一つのはずだ……!!


「だから、俺はお前を……」
『詫びよう』
「……あ?」


 暗闇に隠れていたラヴォスの体が、光に照らされ露になる。脳が透けて見えるおぞましい頭部をゆっくりと垂らしていた。その体から伸びる触手はほとんどが噛み千切られ、または切り捨てられて酷く無残なものとなっていた。それはとても惨めで、悲壮なもので……眼を見張るには十分なものだった。
 ──詫びる? 詫びるって何だ? 頭を下げるってどんな意味があったっけ?


「……やめろよ、おかしいだろ? お前が謝るなよ、お前が謝ったら……終わりじゃないか。全部おかしなことになるだろ? 謝るなぁ!!」半狂乱と言われようが、半ば以上その通りだと自覚できる俺は無意味に頭を振り回し掻き乱した。右手の割れた爪が痛かった。でも、特に気になるほどのものじゃなかった。
『結果的に私が彼を──プロメテスを殺したのは間違いだったと認めているのだ。彼は、確かに必要な存在だった。お前たちの中で唯一、歴史上にもそう類を見ないほどに』
「お前が認めるなよ、あいつを褒めるなよ勝手なことしてんじゃねえよ!! あ、あいつは俺の仲間で、弟分で、大事な……そうだ、お前が消しやがった!! もう二度と会えない!!」自分の話している言葉が理解できない。文法だとかまどろっこしいものが作れない。それがおかしいとも思えないけれど。
『だから謝っている。彼は素晴らしい生き物……例え機械だとしても、だ。私は彼だけは、殺す気は無かった。お前たちや、私の代わりに美しい世界を生きて欲しかった。あの片割れのアンドロイドと共に』
「あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 斬れ焼け焦がせ消滅させろ。奴の言葉は戯言だ、全部嘘っぱちだ、俺を騙そうとしてるだけだ、何が星の総意だ、誤魔化そうったってそうはいかない。だってそんなのおかしい、俺たちが守ろうとしていたのは星そのものだ、色んな人を助けて助けられてここまで来たんだ。そう、『人間に』
 砕け潰せ地獄に送れ。奴は嘘をついたのだから。いや、仮に嘘でなくても、本当に真摯に謝っていたとしても奴は殺した俺の仲間を殺したんだ。例え直接的でなくてもこいつのせいで死んだのは間違いない許せない許すべきじゃない俺が俺であるならば許してはいけない。
 ──でも、こいつが一番あいつを認めていたのかもしれない。ラヴォス程の存在がああまで言うなら、あいつは本当に凄い奴だったんだろう。そう思えてしまうなら、それが真実ならば。


『──満足か』


 そう呟くラヴォスの体は頭蓋を残し炭と変わらぬものになっていた。頭部すらも中身がずるりとこぼれ出ていて、薄桃色の臓器が顔を出している。目だけが厳しく冷徹に俺を見据えていた。


『ここでお前が勝てば、人間……いや、人間を含む人間と友好的な存在はお前を祝福するだろう。だが世界は違う星は違う。ありとあらゆる生き物はお前を恨むだろう。森も海も空もあらゆる時に生きる人間以外の生物は怨嗟の声を向けるだろう。その力は凄まじく、時空を歪め本来の理を無視してお前の運命を変える。断言する……お前は時に殺される、すでに銃口はお前に向けられ引き金に指は掛かっているのだ、私だけでなく、星すらも貴様に向けて』


 ……じゃあ、俺たちが戦ってきた意味は何だ?
 命を賭けた理由は? 痛い思いしてさ、怖い目にもいっぱいあってさ、死んだり恨まれたり恨んだり。仲間を泣かせたこともあった。仲間が消えたこともあった。良い事もあったけど辛いことも吐くほどあった。
 いつ間違えた? 俺はどこから違えたのだろう。ラヴォスと出会った時? ラヴォスの存在を知った時? 歴史を変えた時? ……いや、そもそもの始まりは。


 多分、時を越えた時だ。
 そうだよ、なんだかんだ言ってさ、いい気になってたんだよ俺は。
 時間を越えられるなんて非日常に酔ってたんだ。世界を支配した気分にでもなってたのさ。もしくはヒーローか? 星を救うスーパーマンにでもなれたつもりかよ? その実救おうとしている星に嫌われてたなんて、コメディに過ぎる。出来が悪すぎる。物を投げられても仕方ないくらいだ、馬鹿臭え。


『もう一度言おう……お前が化け物だったんだよ、クロノ』
「馬鹿、クロノはクロノで、化け物はあんたよ、化け物」


 急に投げ飛ばされた声は無機質で、でも青い炎みたいに熱が内包されているように感じた。
 続いて、轟音。間近で鳴らされた為か、少し耳が痛かった。












 ──過去──






「へ? 何言ってるの? 急にどうしたのよロボ?」


 ふ、とこぼされた言葉に驚き、ルッカは頓狂な声を上げた。場違いな言葉は場違いな反応を引き出すものらしい。
 けれども、ロボに戯けた様子は無く、どちらかといえば淡々と、業務染みた物言いで話し始める。


「終わりにしましょうよマスター。大丈夫、全部僕に任せてください。あいつは僕が倒します」
「あのね……あんたの好きな設定だの大言壮語だのを聞いてる暇は無いの。とにかく、ロボはヒールビームで全員の……」「僕は僕ですよ。世界に選ばれもしてないし天啓を得た訳でもないただの僕です」ルッカの言を遮って、ロボは一歩踏み出した。
「大丈夫です、僕なら奴を倒せる。むしろ僕に倒せないなら誰にもあいつは止められない。だから行かせてくださいマスター」


 握った拳を突きつけて、自分の意志の固さと自信を表すロボ。彼の迷いの無い素振りを見ても、ルッカはため息を吐くのみだった。


「寝言は寝て言いなさい。今はラヴォスの弱点を探る時よ。変な自信に溢れてるみたいだけど、結果から言えば却下よ、以上」
「マスター、お願いだから僕の話を……」


 ルッカの肩に手を置いたとき、ロボの手に衝撃が走った。叩かれたのだ。敵愾心すら垣間見える程の表情をしたルッカに。
 いつもならば息を呑んだだろう、おろおろと視線を逸らしただろうロボは彼女の目から視線を離すことは無く、堂々とした様子だった。


「その右腕で何とかするの?」
「──気づいてましたか」
「馬鹿にしないで。大方、マザーコンピューター辺りから譲ってもらったのかしら。なるほど、調べなくても凄い出力が隠されてるのは分かるわ」
「分かりますか、普通のロボットでは扱えない、アトロポスのような本来園芸、愛玩用でも不可。戦闘用アンドロイドのみが使用できる特殊装備なんだそうです」


 言うと、ロボは自分の右腕を差し出し二の腕部分の装甲を開いた。人口骨の周りにびっしりと敷き詰められたコード、それらを避けるように内蔵された赤く発光するパーツ。ルッカはそのパーツの持つ力、またそれを作り出す科学力の高さに一瞬状況を忘れ感嘆のため息を吐く。秒とかからず我を戻したが。


「『クライシスアーム』という名があるらしいです。まあアームとは名ばかりに実際は腕に内蔵させるだけのチップのようなものなんですけどね」
「まあ、そのパーツ本来の力を出し切るならダメージは通るかもね。で、それを使えばあんたはどうなるの? 右腕が消し飛ぶくらいで済むのかしら? なら止めないわよ、相当痛いでしょうけどあんたが決めたことだし、すぐに私が修理すれば良い話だし」
「……痛いのは嫌ですけどね」
「なら馬鹿な考えは……っ!」


 話が長くなりすぎたか、ルッカたちにラヴォスの針が飛来する。直前で気づき、魔法で対抗しようと掌を翳す。幸いか、針は一本しか無い。ファイガ程度なら撃墜出切るだろうと考え魔力を練る。
 しかしその必要は無いとロボが前に出て、腕を振るう。その際彼の右腕が赤く光ったのがルッカには分かった。そしてそれがクライシスアームの力なのだとも。
 腕を振るう、それだけで針は遠く彼方に方向を変えあらぬ所に吹き飛ばされる。風圧だけで世界を殺す魔物の攻撃を防いだと、明晰な彼女にも理解し難かった。理解したときには、したくもない真実すら垣間見えてしまう。


「痛いのは嫌ですけど、クロノさんに会えないのはもっと嫌です。クロノさんと皆さんが笑ってる姿が見たい。昨日みたいに、笑ってるのが僕は好きです」
「……その力をフルに使って、壊れるのは右腕だけ?」彼女から許可が得られそうだと分かり、ロボは微かに微笑んだ。
「ええ。安心してくださいマスター」
「そう……そうなの」


 焦燥したような顔を見せて、ルッカは静かに俯いた。人差し指を前に向けて、行きなさいと言外に告げる。ロボは普段どおりの笑みを見せて歩き出した。
 何やら、遠く見える背中にルッカは通常でもなく、荒げるでもない声量で呼び止める。爆砕音が彼女らのすぐ隣で響いた。


「ねえロボ、貴方はクロノに『良い子になるって、そう言ったのよね?』」
「はい、言いました」
「そっか……分かった。じゃあ行ってらっしゃい」
「……ねえマスター」ロボの呼びかけに、ルッカは下を見るばかりで言葉を返そうとしなかった。それに痺れを切らした様子は無いが、そのままロボの声が続く。「僕は良い子になりたいと思いました。そうしたら、クロノさんや皆さんと一緒に旅が出来ると思ったから。あの人の後ろにいても許されると思ったから」
「……はは、別にそんなに大げさに考えることないじゃない、ロボったら」
「ですよね。でも、残念だけど僕の性格がそうさせるんだと思います」


 口調とは違い、無邪気な照れ笑いを浮かべて頬を掻く。無意識にルッカはロボに手を伸ばし、意識的に彼に触れることを止めた。留めたと言うべきだろうか。
 ぎこちなく、それこそ年代物のカラクリ染みた動きで手を引っ込める。視線は逸らさぬままに行ったその行為は本当に、歪だった。


「僕ね、マスター」
「なによ」
「良い子よりも、なりたいものができたんです」『もの』と表現するものなのか、と疑問が湧いたが、それ以外にらしい表現も見当たらない。ルッカは静かに彼の言葉に耳を貸していた。
「僕は、良い男になりたくなったんです。あの人の後ろじゃなく、皆さんに守られるものじゃなく、胸を張って隣にいられるように。今まで口にした夢物語にいる僕に近づけるよう、そうなれるように」
「あの、運命の神とか、選ばれたとか存在とかいう自分に?」ルッカの言葉に、昔の自分の発言を思い出したか、少しだけ気まずそうに視線を逸らし、耳を赤くしたまま「そうです」と短く答えた。
「でも、神様だとか、そんな物に選ばれなくても、僕はもっと凄い人たちに選ばれてたんですよね。原始の世界に住む酋長や、現代の王女に中世の勇者、果ては魔王なんて存在にまで一緒に戦える……勿論、稀代の天才科学者にもね」
「気に入らないわね、稀代の美少女天才科学者で手を打つわよ」
「じゃあ、それで」苦笑と微笑が混じったような笑顔だった。


 右手を軽く回し、見上げる程の巨体であるラヴォスを視界に入れる。彼の見ている景色は自分と同じでは無いのではないか、と不思議な想像を飛ばして見た。特に形として得られるものは無くとも、少しだけ得心がいったような満足感を手に入れた。
 こういうのも、良いんじゃないか、とルッカは思ってもいない綺麗な嘘を飲み込んだ。次いで、口にはしないが、「クロノは貴方にとってどんな存在?」と聞いてみる。言葉にしていないのに、その答えは呆気なく返された。


「クロノさんは、クロノさんです。それ以下にはならなくても、実はそれ以上にも成り得る人なんですよ」


 ぎゅる、と踏み込む音にしては摩擦音の強すぎる踏み出しを経て彼は真っ直ぐに走り出した。きっと彼はどのような形であれ自分たちに道を示してくれるだろうと確信して、ルッカはそのまま右手に持つ銃を己のこめかみに持っていった。
 いつもは安全性を重視して重くしてある引き金が、触れれば銃弾が飛ぶフェザータッチに感じられる。引け! と体が命じているのかもしれない。流されるのも良いかもしれない。けれどもそれでは彼の信じたルッカでは無いだろう。結局そのまま引き金を引くことなく腕は落ちていった。


「……そっか。そうなんだ」


 ルッカはもはや朧に消えていく記憶の中、閃光のように一つの過去を思い出した。それは中世より動き続けて一つの森を作り上げたロボを現代で回収した時の事。その日の夜、こうして記憶が消えていく原因にはなったが、最愛の母を取り戻すことが出来た。
 あの時生まれたゲートが誰の力で、もしくはどんな理由で作られたのかは分からない。けれどもルッカはロボが作ってくれた奇跡なんだと理解した。砂漠でしかなかったあの場所を緑に変えてくれたロボが与えてくれた夢だったのではないか、と。
 緑の夢を、ロボがくれたのだ。


「私がロボを直したんじゃない」


 自分が人間として、女として壊れた切っ掛けをロボが無かったことにしてくれたのなら。機械に対しての怒り、憎悪を癒してくれたのが彼ならば。


「ロボが、私を治してくれたんだ」


 こうしてルッカは、科学者であり、普通の女の子でもあれたのだ。












 ──現在──






 響く銃声は重く猛るようにラヴォスへと吸い込まれた。咄嗟に右腕で受け止めるも、奴の中指が弾け飛び苦悶の声が漏れる。


『ぐう……』
「はあ、情けないわね……」


 呆としている俺の胸倉を掴み、ルッカは目の前のラヴォスの事などどうでもいいと言うように顔を近づけてきた。


「お疲れ様。一人でよく頑張ったわね。それで? もう帰る? 正直やる気の無いあんたなんか反吐が出るほど必要無いんだけど」
「う、うるせえ……」
「うるさくて結構。悲劇真っ最中のあんたに同情しないでもないけど、そういう場合じゃないの。皆必死なのよ。そう、ロボだってね」
「!! うるさいってんだろ! あいつの名前を出すなよ! あいつは……あいつ、もういないんだぞ? おまえ、お前たちが止めろよ! あんな特攻認めるなんてお前頭おかしいのかよ、お前らだってそうだよ、魔王もマールもグレンもエイラだって! 止めろって一声かけるだけで良いんだろ! 何で出来ないんだよ、勝てれば仲間が死んでもいいのかよ!!」


 ルッカの後ろに立つ仲間たちを糾弾する。身勝手な意見だろうと関係ない、ロボは仲間だった。弟みたいに……いやそのもののように思ってた。それがいないなんて信じられない。今この場に揃ってないことが耐えられない。俺の名前を呼びながら泣きじゃくるあいつの幻影が終わらない。
 ……飛び込んで来いよ、俺が怪我しようがどうだっていいからさ、あいつを叱りながら頭を撫でるのが、今じゃ習慣なんだよ、辛い時でもさ、もう勝てないんじゃないかって時でもあいつが俺を見てくれるから、信じきった目を俺に向けるから背筋を伸ばせたんだ。それが無いなら……俺は何を頼りにすれば良い?


「知らない。私はあんたじゃないし。他の皆も一緒でしょ」
「だから、なんでそんな風に言えるんだって聞いてるんだよ!!」
「──凄いね、クロノ」


 ふ、とマールが俺にささやいた。小さく、消え入りそうな声だった。


「本当に凄いね。こんな状況でも仲間を思いやれるなんて、尊敬する。嘘じゃないよ? 皮肉でもない。けど……そんなクロノなら私は貴方を好きにはならなかった」マールは微笑みながら、言い切った。何かを切り捨てるような表情だった。それが無性に切なかった。
「今あんたが悩んでるのはさ、ロボの事で? それとも、星が私たちの負けを望んでますとかいう話の事で?」ルッカが俺の反応を待たず次の言葉を放つ。
「……どっちも、だよ」
「へえ。忙しいのね、じゃあ聞くけど」


 と、そこで彼女は俺の体を横に投げ捨てる。次に早口で詠唱を終わらせて目の前に炎の壁……白く光る壁は炎というか、擬似的な太陽を思わせるが、を作り出しラヴォスが放ったらしい爪の弾丸を消滅させた。相当な力技であり、魔力を消耗したのも間違いないだろうに、彼女は涼しい顔のまま続けた。「ロボの言葉は聞いてなかったのかしら」
「聞いてたさ、聞いてたからなんだよ? それだけで立ち上がれってのか? 無理言うなよ、死ぬってそういうことじゃないだろ!!」
 旅が始まった頃に比べ、少し伸びた髪を揺らしながら、ルッカは冷徹に言った。


「ロボは、どの道消えたわよ」
「……は?」
「今更知ったみたいな顔は止めてよね。あんただって気づいてたんでしょ? そう──」それから彼女が言葉にするのは、確かに俺だって分かってた事実。
「ロボはラヴォスがいる未来だからこそ生まれたアンドロイド。ラヴォスのいない未来では、彼は産まれない。その必要性がないから。つまり──私たちが勝っても負けてもロボは消える運命だったのよ」
「よく、言えるよな。そんな事」自分でも驚くほど声が震えていた。体はそれ以上に。


 そんな事分かってた。未来を変えれば全てが変わる。199×年に現れたラヴォスを倒せば、それから先の未来にいる全ての生き物が消えて、新たな未来となる。俺たちの行うことは未来を救うことでもあり、殺す事でもあるのだと。そして、その殺す未来の中には俺の大切な仲間がいることも知ってた。
 ……でも言わなかったんだ。あいつは。分かってたはずなのに、それに気づかないほど馬鹿じゃないって知ってたのに。でも言わなかった、皆が動揺すると思ったから、気を遣われるのを嫌ったから。自分が消えるのに必死で道を作ったんじゃないか。
 お前はこう言いたいのか? 「どの道消えるんだから今消えても一緒だろ」と。


「ふざっ……!!」俺の怒声が産まれる中、それを邪魔するように俺の後ろ頭が叩かれた。邪魔をされた怒りと、どうにもならないと突きつけられた現実に対する怒りが混ざり殺気すら込めた目で後ろを見遣る。そこには、いつものおとなしい顔つきではない、ひょっとすると俺よりも怒気の強い顔で睨むエイラが立っていた。
「クロ、ルッカ言うこと、聞いてたか?」
「聞いてたって。だからこうしてキレてんだろうが!!」
「それ、嘘。嘘じゃないなら、クロ、大馬鹿。救いよう、無い」
「な、なんだよそれ……」少し怯んだ俺の髪を掴み、エイラが立たせる。乱暴で粗雑なそれは、エイラとは思えない行動だった。
「ロボ、どっちも分かってた。負けても勝っても消える、分かってた! その上で、選んだ!」
「何を選んだってんだ!!」
「新しい、未来を!!」


 新しい未来?


「所詮、誰しも死ぬときを知れば、他はどうでも良くなるものだ。仕方ないさ、例え英雄と言われて死のうが卑怯者と言われて朽ちようが、本人からすれば大差は無い。むしろ、微々たる差もありはしない」良く通るグレンの声が響いた。こんな時でも、心地のいい声なのだな、と不思議に感じた。
「それでも奴は掴み取ったのだ。勿論俺たちには生きていて欲しいと願ったためかもしれない。むしろそれがほとんどかもしれない。けれど奴は……見たかったのではないか? 例えそこに自分がいなくても、永久に消えて、存在しないとしても。新しい未来を、な」


 ──そこには、あるだろうか。
 あいつがアトロポスと見たいと望んだ、盛大なお祭りと、綺麗な青い空が──


「あいつは子供だ。何百年と稼動し、様々な困難と向き合おうが、所詮は幼子でしかない。それが奴の本当の姿だからだ」フォン、と澄んだ音を鳴らす鎌を片手に、優しさを含ませない台詞。このような事態でも魔王らしい言葉だった。
「甘える、煩い、分を弁えない。子供というより他に無い……だが、馬鹿ではない。勇気が無いでもない。奴が憧れ慕い続けてきたのは、己が為すべきを忘れ呆けているだけの愚図か? 一層哀れだな、お前も、奴も」


 無茶な言い分だ。冷たい物言いだ。突き放すとはこの事だ。
 ……でも、なんでだろうか。言わせておけないと、下腹に力が入っていくのは。


「……本当言うとね、私……なんか信じられないんだ」薄い笑みを貼り付けたまま、目線だけを下げてマールが語りだす。
「いつもいつもクロノにくっついて、私がそれを可愛いなって笑って。気が利いてその癖近寄りすぎると恥ずかしがる、あのロボがもういないなんて、自分の目で見たのに信じてないの。馬鹿みたいだよね?」
「……そんなの、当たり前だろ。どれだけ一緒にいたんだよ、俺たちは」そう言うと、だよね? とほんの少しだけ寂しそうに唇を歪めた。
「だから私はこう思う。こう思い続けるの。ロボはいないんじゃない。『いた』んだって。同じことじゃないよ、全然違うんだよ。分かるよね?」分かるよ。マール。
「お願いだからロボを忘れないで。ロボはいたの。ロボは今いないけど、彼がどんな気持ちで戦いに出たかを思い出して。答えはきっとクロノのすぐ近くにあるよ」


 ああ、あるよ、見えてるよ。もう手に掴んであるよ。引き寄せられるよ。
 内心思ったんだ。俺が死んだ時、あいつはこんな思いだったのかなって。取り残される気持ちに浸ってたんだ。こんなに辛いのかって、泣き出したかった。
 でもさあ、マールの言うとおりだ。全然違う、似ても似つかない。あいつは、先を促したんじゃないか。俺のときとは違う、もう勝てないって、自棄になってヒーロー気取りに皆を助けただけだ。いや助けたって思い込んだだけだ。
 今なら言い返せる、ラヴォスが人間がいなければ美しい世界になるとか、そんな馬鹿げた事を言い出しても、はっきりと答えられる。「お前が未来を語るな、未来を作ったのはお前じゃない、ロボなんだ」と。今では、あいつの姿は見えないけど、あいつの手が見える。こっちですよ、と無邪気に前で手を振っている。その姿は、ラヴォスの後ろにあるのだ。


「大体何よ、星が望んでるからどうとかって、そんな話で悩んでたの? くだらないったらありゃしないわ」トリガーに指をかけて、くるくると銃を回しながらルッカは疲れたため息を吐く。
「あんた、いつのまにそんな大看板背負ってるの? なんか、逆に笑えるわ、元々私たちはどうして星の未来を救おうとか言い出したんだっけ?」


 元々? ああ、そういえば、未来の世界でこの星が荒廃したのはラヴォスが原因だと知った時が、ある意味始まりなのかもしれない。その時の事を思い出そうと頭を捻る前に、ルッカが答えを示してしまう。


「マールが言い出したの。未来を変えちゃおうって。その時あんた何て言った? 未来の星なんか関係ないから別に良い、よ。そんなもんでしょ、星の行く末とか、考えとか無視しちゃったってさ。人間以外の生物の事なんか考えてどうするの? 聖人にでもなるの? ……いつからそんな大人物になったのよ、あんた」言ってる事が悲しすぎるぞおい、とは言わない。事実だしなあ。
「まずは、眼の前の事に集中しなさいよ。私たち、仲間でしょ? 私もマールもグレンもエイラも魔王も……ロボだって、これから先ずっとあんたの仲間でしょうが!!」
「でも……でもさあ………」


 こうまで皆に言われても、まだ俺は甘えようとする。汚いよなあ、でもどうしても認めたくないんだ。いなかろうがいたんであろうが、結局は同じだと思ってしまう。だって……あいつは、きっと生きたかったはずだから。例え未来が待っていなくても。
 眉を歪ませ俯く俺の肩を叩き、ルッカは中腰になり、目線を合わせた。
 その眼には、侮蔑も嘲笑も、また立ち上がれ! と鼓舞するような輝きもない。ただ見くびるな、と目が語っていた。


「まあ、さっきはロボは消えるって言ったけど……別に決まった話じゃないわ。いやあり得ない話よね、うん……ラヴォスがいないからなんなのよ。ロボは産まれない? 決めつけないでくれる?」そう言って、ルッカは強く胸を叩いた。
「私は天才科学者ルッカ様よ? 例え幾世代先になろうと、私の血は脈々と継がれていき、必ずロボを作り出す!! この私の血よ? 数えられない程薄れていこうが、私の子供なら出来ない訳がないわ!! だから……あの子は、未来で待ってるの」


 願望染みた言葉のくせに、確約を得たと言わんばかりの自信。なんらその未来を疑っちゃいない瞳。疑う訳ないか、他人の俺でさえその映像が浮かんでしまうのだ、彼女なら殊更鮮明に想像できるのだろう。
 言いきった後、彼女はふっ、と笑った後俺の頭を上からぐりぐりと押し付けるように撫でた。


「だから、あんたは作りなさい。未来への道を。あの子に繋がる確かな世界を」
「……作れる……のか?」夢見るように、俺は微かに言った。
「勿論よ。だってあんたは、凄く頑張ったでしょ?」


 ──ああ、そっか。俺忘れてたけど。こいつらに褒めて欲しかったんだよな。夢、叶っちまった。


『……茶番だ!!』


 地の底から這い上がるような、うめき声に酷似した叫びをラヴォスが上げた。と同時に、奴の背後からこの空間を全て埋め尽くそうと思える火球、氷弾、雷、魔力球が産まれる。さらには、確かに俺がかき消した筈の自由自在、されど強靭な触手がうごめいている。
 俺と一対一であった時は加減していたのか? 遊んでいたのだろうか。


『お前たちの言葉など、全て理屈になっていない。こうであればいい、という願いで凝り固められた妄想だ。未来で待っている? 馬鹿げたことを、未来はお前たちを望んでいない、未来が望んでいるのは人間以外の動物、虫、魚、植物、機械にアンドロイドたちだけ。星を真に愛し、守ろうとする意志がある者だけだ! 何故分からぬ? いや、分からぬだけならまだしも、分かろうとしている者を何故引き込むのか!? その亡者が如き行動、流石に度し難い! 星の夢を砕く愚か者どもが、今すぐに消えて無くなれ!!』
「……ククク、怒ったか。星の代行者たろうとする貴様が怒りを覚えたか。大言を吐くものだな、ラヴォス!!」
「魔王、貴様と意見が合うとは遺憾だが……否定はできんな。少々見苦しいか」
「見苦しい……うん。エイラもそう思う。それに、お前頭悪いな」
「えー、私は可愛いと思うよ? 動物たちがお星様を愛してて、お星様が私たちを嫌ってる……凄くロマンチックだよね。私もそういう風にお星様も考え事をするんだって信じてたもん。まあ、十歳になる頃にはそんな馬鹿な、って思い直したけどね」
「妄想はどっちよ? 星に意志? 夢? 馬鹿みたい。三文小説か、子供用の絵本でしかそんな事書いてないわよ。良いかしら? 星は夢を見る必要はないのよ。だって、」


 予め決められていたみたいに、皆が声を合わせる。格好良い言葉じゃない。真理とか哲学に則ったものじゃない。だから学があろうと無かろうと理解できる、誰に言っても「まあそうだろうな」と返されるだろう単純な事実を。







「星に生きる人間だけが、夢を見ていくのだから」












 ──ロボ──












「これ、皆さんに渡してくれますか?」


 左手に包んである物を、マールさんに手渡した。彼女は眼を丸くした後、何かを言おうとして、やっぱり口を閉じた。そのまま、何も聞かずこっくりと頷く。
 良かった、聞きだそうとされれば、少し困ってしまうところだった。何より、今も敵の攻撃は続いている。出来るだけ時間はかけたくないのだ。
 そのまま立ち上がり去ろうとする僕の手を、マールさんが強く引っ張った。一瞬振り払おうかと悩んだけれど、僕を引っ張る手が震えていたからそのまま身を委ねる。そうすると、僕の大きいとは言えない身体がすっぽりと彼女に包みこまれてしまう。とても、暖かいなあと思った。


「……終わりじゃない、よね?」
「ええ、終わりじゃない。始まってる最中です」
「……ロボも?」


 僕のやろうとしている事に察しがついたのか、硬い声だった。僕は出来るだけ優しく彼女の掌に手を置き、安心させるように強く言葉を放つ。


「勿論。ただ、0と1の境に行くだけ。始まりを待ちに行くんです。終わりなんか、ずうっと先なんですよ」
「……すぐに、追いついちゃうもんね、私、足速いから。そしたら、いきなり抱きついちゃうかも」いきなり抱きつかれるのは困るなあ、と苦笑いを零してしまう。でもまあ、ちょっとの間お別れなんだから、約束するのも良いだろう。
「良いですよ。でも、あんまりやり過ぎるとクロノさんに嫉妬されるかもしれませんね」
「えへへ……それも、いいなあ。でもきっとそんな事無いよ。まず最初にロボに抱きつくのは私じゃなくて、クロノだもん」
「……想像したら、凄く良いですね、それ」


 今度は、引き止められる事無くするりと前に出る事が出来た。
 胸が痛まない自分が、とても誇らしかった。もしも引き留めてほしいと願う自分が少しでもいるのなら、僕は背負いきれない後悔を背負って未来に向かう事だろうから。
 カエル……いや、グレンさんがひどい剣幕で僕に声を荒げている。地に突き刺さる棘と、それが巻き起こす爆音で何を言っているのか聞き取れないけれど、おそらく「危ない」に近い事を発しているのだと思う。大丈夫ですよ、と声を掛けに行きたいが、再三言うようにもう時間は無い。
 だって、今もクロノさんは一人なんだ。今何処にいるのか分からない、きっとこのラヴォスを倒せば分かるのだろうが……ともあれ、彼は今僕たちと一緒にいない。ならば、誰といようが彼は一人なのだ。
 クロノさんは一人じゃダメなんだ。僕もそうだから、分かる。あの人は誰かといなければ駄目になってしまう。一人でも、思いもよらない力を発揮するのだろうけど、自分を顧みない戦いしかしない。それは戦いじゃない。戦いは皆でするから戦いなんだ、誰かが見てくれているから戦えるんだ。特に、あの人はそれが顕著だ。
 近くにいる事は、もう出来ないのだけれど。


「……迷うな」


 自分に言い聞かせるはずの言葉は、呆気なく霧散して空に消える。
 消えるのは怖くない。存在しなかった事になっても泣いたりしない。これから先生まれる事が無いとしても悔やまない。ただ……あの人たちと一緒にいられないのがもどかしい。もっと、皆に甘えてみたかった。甘えて欲しかった。あの人からの「よくやった」をもっと聞きたかった。
 僕がこれからする事に、あの人は言ってくれるだろうか? どうだろうな、あの人は照れ屋だから、言ってくれないかもしれない。
 そうしたら、うんと泣きついてやろう。駄々を捏ねてやろう。「どうしてですかあ!? 僕、凄く頑張ったんですよ!」って。そしたらあの人は嫌々でも頭を撫でてくれるだろう。ぎゅうと腕に抱きついても許してくれるだろう。


「……もっと、遊びたかった」


 今度は、皆で。アトロポスやマザーも一緒に。何もないけれど、汚い世界だけど。どこまでも広大で地平線の先すら伺えない広すぎる大地の上で駆け回りたかった。空気が悪くても油と鉄の匂いが充満する決して居心地の良いとは言えない所、でも僕の生まれた未来で、へとへとになる位に遊んでみたかった、誘いたかった。
 結局、何年生きても動いても、僕は子供のままなのだ。運命に選ばれやしない、馬鹿みたいに幼いガキなのだ。
 でも、それもまあ、誇らしいじゃないか。ただの子供でも、十分格好良いじゃないか。選ばれし戦士なんてあやふやなものよりずっと胸を張れるじゃないか。
 だって僕は友達がいるんだ、仲間がいるんだ、好きな人がいるんだ。なんて特別な存在なのか。


「クライシスアーム、発動」


 右手が赤く染まる。赤の光は僕の体まで浸食していく。センサーが熱暴走を起こし始めた。警告が網膜の上に張り付きアラームがけたたましく僕の耳に振動する。もう限界だと動力部が告げている。
 少し黙ってほしい、僕だって分かっているのだから。
 僕の心に反応したのか、音は鳴り止みいつもの視界が戻ってきた。不釣り合いなくらい穏やかな心でいられる。心臓なんて無いのだけれど、鼓動が聞こえる。幻聴だろうけど、正確なリズムを発するそれは時間をゆったりと感じさせるには十分だった。


「さあ、行こうぜ僕。痛いのは苦手だけど、格好良いのは好きだろう?」


 限界を超える熱を得たボディが、機体を焦がす程の移動を可能にする。微量にだが、体が溶け始めているのが分かる。
 でも良いさ、我慢するのはそう多くない。
 ラヴォスの頭に、拳をぶつける。その際すれ違った魔王さんとエイラさんが声にならない叫びを上げていた。驚かせてしまったかな、ちょっと強く飛び出しすぎたかもしれない。まず音速は超えていただろうから。
 僕の拳がラヴォスに触れた瞬間、キロメートルはありそうな奴の巨体がぶれて持ち上がる。ごぱ、と水面に大きな物を落としたような音が鳴り、初めて奴が苦悶の声を流した。それはつまり、絶命には至っていないということ。ひしゃげ潰れてはいたが、奴の顔面はまだ確かにそこに存在していた。
 もう一撃加えようと腕を持ち上げるが、自分の手首から先が消滅している事に気付き三歩距離を取る。
 左手の拳を取り外して、ドロドロに溶解した右手に無理やり装着させる。その後、神経回路が焼き切れて握れない拳を歯で押し込み握り拳にする。クライシスアームが発する熱で顔のコーティングが溶け、皮膚が崩れ落ちていく。見るに堪えない顔になっている事だろう。それでも、彼らは僕の顔を覚えてくれているだろうから、寂しさは無い。


「ああ……何が怖かったのかな」


 目の前が弾けるような痛みが断続的に続く。でも怖くない、泣きたくもない。こんなものが怖かったのだろうか僕は。膝を抱えていたのだろうか。全然、なんてことないじゃないか、それよりも僕はずっとワクワクしてて、でも切なくて、そんなものが溢れている。言葉にするには惜しい感情が僕の頭に敷き詰められている。


「……ぎッ!!」


 噛みしめた歯の奥から悲鳴が漏れる。力を込めすぎたからかもしれない。二度目の拳は綺麗にラヴォスの首を飛ばしていた。遥か後方に落ちていくあいつの頭は大量の水をぶちまけたみたいな音を放ち地面に落ちた。
 でも、まだ駄目だった。ラヴォスはまだ生きている。首のあった部位、その奥に蠢く何かが生きていた。ぐぼ、と泥濘から手を出した時みたいな音と共に新たな首になろうというのか、這い出してくる。グズグズと赤黒い液体を落としながら再生を始めている。
 しかし、そのスピードは実に遅い。弱っているのは明確である。それと同じくらい僕の腕が動かない事も、分かり切っていた。肘から先が無いのだから、動く動かないの問題じゃないんだろうけれど。
 だから僕は、もう外れかかっているクライシスアームのコアを取り出して口に放ったのだ。その際に、もうぐらぐらと折れそうな歯で噛み砕く。そこに溜めこまれた熱は凄まじく、口から嘔吐するように火花を吐き出した。吐きだしたものの中には視界センサーも含まれていただろう、ブラックアウトは速かった。その甲斐あって、クライシスアームのエネルギーは驚くほど素早く僕の体に吸い込まれていった。


(でも、流石にきついなあ……)


 立ち上がろうとしているのに、僕の意志を無視して膝が落ちてしまう。力は十全に溜まっているのに、後はぶつけるだけなのに身体が逆らう。
 ふざけるな、僕の体なんだぞ。僕の言う事を聞かないなんてふざけるなよ。動けるだろ、だって僕はアンドロイドだ、ロボットなんだ。普通よりも頑丈であるはずだ!
 あの人は、もっと重体だった。なのに立ち上がったじゃないか、皆を助けたじゃないか。僕に出来ない筈がないだろうが。


 ──………


 なんだなんだ、本当に立てないのか僕。なんて奴だ僕め。神経回路だろうが心臓部だろうがどうでも良いじゃないか、そういう問題じゃないだろうが、僕だ、僕が立てと言っているのだ。膝から下が融解したからなんだ、立てよほら、無茶なんか一つも言ってないじゃないか!!


「……ロボ!!」


 ああほら、皆僕を見てる。情けないぞと叱咤しているじゃないか。
 だから……早く立てって!!


「おのれ……近づくことさえ出来ぬのか!?」魔王さんが僕に駆け寄ろうとしてる。危ないですよ、何してるんですか。千℃とか二千℃の話じゃないんですよ、今の僕の体。
「マール! グレン! 回復出来ないか!?」エイラさんは魔法を使ってくれと二人に頼んでる。魔法? 何の?
「くそっ! 俺のウォーターではロボに届く前に蒸発してしまう! マール!」
「……分かってる! 何度もアイスガを唱えてるけど、私の魔力でも無理だよ! 回復魔法なんて、届くわけないじゃない!!」グレンさんとマールさんまで血相を変えている。何の為に?
 ……とぼけるのは止めよう。僕だよ、僕を助けようとしてるんだ。情けないなんて思ってない、頼りないなんて思ってない、殺人機械でしかない僕を心から助けようとしてくれている。
 もう中身のない眼孔から涙が零れている。あるわけないんだけど、きっと流れていると思う。
 全世界に伝えよう、見たか! と。これが僕だと。人を殺すための機械じゃない、人に嫌われる存在じゃない。僕は好きだよ人が好きだ。そして、人も僕を好きになってくれるんだ! 思い知ったか!!
 誰に言った訳でもない、心の中で誰でもない誰かに啖呵をきって、見たか、見たかと高らかに笑う。
 ふっと、熱源を探知して、首の向きを変える。それだけで各々の関節部位が崩れたが、それだけの価値はあるはずだ。僕にはもう眼は無いけれどあの人の目を視て声を聞きたい。
 僕はアンドロイドだから。やっぱり機械でもあるから。こういう時はマスターの声で決めたいのだ。


「ロボォォォォーーーー!!!!!」


 助けようとするではなく、守ろうとするでもない言葉を僕は待っていた。これ以上優しくされたら、戻ってしまうから。もう怖いから、何かに怯えて縋りつく自分はとても怖いものだから。
 あの人は、きっと進めと言ってくれる。心中はどうあれ、きっと叫んでくれる。
 彼女がどういった顔で叫んでいるのか知らない。出来れば誇らしそうな顔であってほしい。でもそれは無いのだろう。
 あの人の声は、酷く震えていたから。


「はっしーーーーん!!!!」


 ギアが、入った。


「ウアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!」


 かろうじて形を保つ頭を地面にぶつけた。その反動で宙返りに前に飛ぶ。足が無くても手が無くてもこれなら進める。発進出来るさ。
 ぐるぐると前方に回転しながら、僕の体はまっすぐにラヴォスに向かう。顔面だけを破壊すればいいと思っていたけれど、いっそのこと壊してやろう、盛大にかましてやろうじゃないか。背中を丸めて爆弾みたいに落ちていく僕。例えとしてはこれ以上無いだろう。今の僕に衝撃が加われば、間違いなくそのものになるのだから。
 声は出せるだろうか? 出来るならば……いや絶対にこれだけは伝えたいのだ。あの人の真似みたいになるのは悔しいけれど、あの人のあの言葉はこの時に使うべきだから。弧を描き落ちていく中、僕は喉を振り絞って叫び散らした。
 届くと良い。あの人の所にも。できるなら、彼女らの所にも。マザーやアトロポスが聞いてくれるように、クロノさんが悲しまないように。
 それでは皆さん、今まで本当に、僕と仲良くしてくれて、


「ありがとうございましたあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」






 本当に、そう思っています。
 暫くお別れだけど、きっとまた会えますから。
 やがて、光が溢れ、闇が訪れた。
 いつかは明けるさ、手を伸ばせば届く距離に未来はあるのだ。







──現在──







 山が崩れるような轟音激しく、ラヴォスが動きを見せる。嫌に滑りのある二本の巨大な腕を振りかざし、風を切りつつ突き出した。誰しもが、受ければ吹き飛び四散するであろう凶悪な一撃を前に、エイラだけが前に出た。他は、顔すら向けない。


「エイラ、先に出る。後、任せた」


 端的な言葉を残して、彼女は高々に空へ飛び上がった。前方へ三度回転、そのスピードは遅くもなく早くもない。勢いを付けるというよりは機を図る為の行為に見えた。一種の、リズム取り染みた跳躍は、ラヴォスの攻撃の的になるのは自明の理である。
 一つは先端の尖った中世の突撃槍が如く、もう片方は城すら切り崩すだろう大型船級の刃と化しエイラに向かう。
 彼女に殺意の塊が触れる、その寸前にラヴォスの両腕は……砕けた。俺達が立つ遥か後方に、ラヴォスの腕が飛び行き暗闇へ消える。
 未だ空中に残る刃の残骸を足場に、エイラは直線的に飛ぶ。その方向は、ラヴォス。奴はまさか己の攻撃をあっさりと潰されるとは思わなかったか、微かの間無防備にこちらを見ているだけだった。


「キエアアアァァァ!!!」


 エイラの獣の様な気合いの声、同じくして先ほどラヴォスの腕を砕いたように、上段回し蹴りを叩きこむ。ぐらり、と大仰にラヴォスは揺らめいた。
 とはいえ、それだけでは終わるまいと赤い目を開き、喉奥からちりちりとマグマのような熱源を吐き出すラヴォス。しかしその動きはエイラという戦女神からすれば余りに鈍重なもの。避ける事は目を瞑っていても可能だろう。
 ──が、エイラはそれを良しとしなかった。彼女は眼の中に光を収めたまま上を向き、炎の中に自ら入りこむように上へ跳躍した。体躯に差のある二人、必然見下ろす形で炎を吐いたラヴォス、飛び上がるエイラ。見る間もなく彼女の体は炎の中に消えていく。心配はない、必要がないからだ。彼女に炎なんて吹けば消えるようなものは障害になりはしない。俺は原始でとうに知っている。ラヴォスも馬鹿なやつだ、俺以外の人間ももっと調べておくべきだったな。
 炎の檻とでも表現できそうな濃密された火炎をエイラは体を回転させて巻き起こす突風にて、難なく突っ切った……いや、体中に火傷を負い、皮膚が所々盛り上がり血を滲ませているが、彼女はなんという事はないと感じているだろう。故に難は無い。
 もうエイラを遮るものが無くなり、彼女は目を閉じて空中で体を横たわせた。落ちる、飛ぶの違いはあれど天女が下りてくる一つの場面に似ている気がした。それは、盲目が過ぎるか。
 上へと進む力が消え、重力に縛られようとするその瞬間、目を開き、エイラは小さく、呟いた。


「奥儀、三段蹴り」


 ブン、と耳を押さえたくなる音が広がる。振動が視認できるほど空気が震えている。こんな事が起こりうるのか、とルッカを伺い見るが、彼女は両手を上げて「あの子は規格外よ。出会った時からね」と溜息を吐いた。
 途中までは、見えていた。トランスを重ね掛けした上、それで得られる恩恵の力を動体視力一点に集結させたというのに、途中までしか見えなかったのだ。
 エイラは、左足を鞭の様に撓らせながら極々のんびりと足を持ち上げていた。その悠々たる動きは余裕、というよりもあるべき力を発揮するための予備動作に思えた。足が頂点に達した後……ラヴォスの巨体は沈み、肩を上下させながらふらつくエイラの姿。口元に小さく笑みを乗せて、拳を突き上げ後ろに倒れていく。流石に炎の中に飛び込むのは無茶が過ぎたか、気を失ったのだろう。顔にも火傷が少なくないが、やはりエイラは美しかった。


『……舐めるな、人間!!!』


 頭蓋が窪み、両腕が半ばから崩れようともラヴォスは止まらない。すぐさまに体を起こし頭上に無数の魔力体を出現させる。その一つ一つが小さな村程度なら消滅させよう威力を孕んでると、俺の目には見えた。小粒のシャイニングとでも言おうか、数から言って俺の魔力の比ではないが。星の代行者たる所以か。
 見るだけで屈服させよう光景を前に、魔王は手袋を強くはめ直し、倒れ伏すエイラを見て鼻を鳴らした。


「良い活躍と言ってやろう。魔力も知らぬ人間が奴に三撃入れたのだ、誇れ原始の女王」


 ふとそこで、彼は掌を開く。魔王が手に握るのは……ロボが散り際マールに託した──ロボのパーツ。ネジ、だろうか。遠目からでは灰色の小さな塊にしか見えないが恐らくそうだろう。しばしそれを見詰めた後、また強く握りしめる。ぎゅう、と革を擦る音が此方にも聞こえてきた。


「さて、未来で待つも良いが、些か遊び足りぬのだろう? 短い付き合いだがその程度を図るくらいには貴様を知っているつもりだ……さあ──」
「一緒に行くわよ! 魔王、ロボ!!」


 突然、魔王の持つロボのネジと、ルッカも持っていた掌大の鉄板(ロボの外装だろうか)が青い光を放つ。二人はそれを掲げて、力ある言葉を紡いだ。放たれる魔力が光を包みこみ、か細い青は力強い意志を発揮する。魔王の冥力とルッカの炎が周囲を包み、お互いに掌をラヴォスに向けて押し出した。


「オメガ、フレア!!!」


 魔王の力が青い光を極大のレーザー砲へと変化させて、その周りを炎の大蛇が包み込む。青き光を邪魔するものは赤の炎が喰らい、討つべき敵を穿つ必殺の光線。派手な爆発がそこかしこと舞い上がるのに、景色に赤は無い。火柱も爆炎も青で統一されていた。さらには、音も無い。何もかもを吸いこむように青が全てを包むように、静寂は終わらない。下半身を消し去られたラヴォスの悲鳴すら掻き消してしまう。
 残ったのは、青い夜霧の様な寂寞めいた空間だけ。藍の夕靄がほろほろと浮かんでいた。


「初コンビ呪文にしては、上手くいったんじゃない?」
「馬鹿め、言葉が違うぞ天才科学者とやら」魔王の皮肉めいた言葉を聞いてもルッカは怒る事無く、「そうね」と納得した。
「三人の呪文なんだから、トリオよね」


 そうして、二人はとさ、と力無く倒れこむ。エイラと同じように力尽きたのだろう。魔王という規格外の力の持ち主でも限界なのだろう、人知を超えた力を吐き出したのだ、無理からぬことなのかもしれない。
 倒れている二人は、隣を通り過ぎる二人に視線を送る。言葉にならずとも、“言葉”が聞こえた。「後は任せた」と。


「貴様に言われるまでもない……!!」


 そうして勇者は剣を握る。
 英雄譚のように、隣に王女を連れて人類の敵を切り伏せる為に。


「御託はいらん。俺はただ斬るだけで良い……そうだろうサイラス。ロボ!!」


 グレンが猛ると、マールは厳かに、神への祈りを行うように両手を空へ、何事かを呟いた。彼女から光溢れ、青の空間を壊し白光を生み出す。燦燦とした光は妙に優しく傍で見ている俺をも心地良くさせる。
 それを横目に、グレンが胸元から銀色の髪の束を取り出した。言わずもがな、ロボの髪だろう。一房分を握りしめて、緩やかに目を閉じる。すると、髪はマールと同じように光を作り二人の姿が覆われていく。


『馬鹿な……なんだそれは? とうにあのアンドロイドは死んでいる。なれば、何故そのような遺品程度が力を持つのだ!?』


 解せぬ、と頭を揺らし、背中から無数の触手を作り出す。千、万、もしくはそれ以上の殺意は皆同じく俺たちを狙う。最早驚異は感じない。
 勇者と王女の組み合わせだぜ、なんとかならねえ道理がないんだから。


「いつでも良いよ、グレン、ロボ!!」
「……グランドリーム」


 マールの掛け声に、グレンはぼそりと零した。
 その時、視界が変わる。今まで目を背けたい程の眩しさは唐突に終わり、ただ一筋の剣光が空を衝いていた。
 ゆらゆらと揺れるグランドリオン、やがて動きは止まり、両手に構えたグレンの姿。腰を落とし背中に届くほどに振り上げた構えは一撃必殺のものである。
 そう、一撃なんだ。返す刀も存在しない生き物というよりは無機物を力任せに叩き斬るような構えなんだ。とても千以上の触手を相手取るのに適した構えじゃないんだ。それが分からない人間はここにはいない。誰でも分かる理屈。
 だからこそ、それをグレンが為しているのならば、不安を覚える必要はない。彼女が戦いにおいてミスを犯すはずがないのだから。
 前方を埋め尽くすほど暴力的な数の触手。何物をも穿ち二、三十の魔法を受けようと目測を誤らぬ必中の攻撃が彼女らを襲う。それに対し、グレンは右足を踏み出し渾身の力で剣を振り下ろした。


『…………何?』


 随分と間抜けな声を発するんだな、とラヴォスに僅かながらの呆れを覚えてしまう。
 何という事は無い。ただ斬られただけだ、星を壊すと豪語する馬鹿の御自慢の触手だろうと、それ以上の力で斬られれば無為と為す。当然の事であろう。
 もしくは、グランドリオンの放つ光に驚いたのだろうか、確かに視覚を潰すほどの発光だった。
 それとも……万前後の触手を一振りで斬り飛ばされた事か? 人間如きに?


『グアアアァァ!!!!?』


 グレンの剣にマールと“ロボ”の力が働き生まれた奇跡の一閃はラヴォスの攻撃を無効化するだけでなく、奴の顔面に巨大な傷跡を残す事にも成功した。濁流のように吹き出る血流に俺は溜飲が下がるのを自覚する。
 ……まだ十分の一も借りは返せてないがなあ!!


「終わらせろ!! クロノォ!!!」


 皆と同じようにマールも床に倒れている中、グレンだけは剣を支えに叫ぶ。その声を聞いたのは俺だけではない、痛みに身悶えるラヴォスも同じこと。眼球らしき部位に血が並々と塗りつけられている中、奴は間違いなく驚いていた。
 いや、怯えていたのか。自分の方へ走り込み、飛び立っている俺の姿に。
 悪いなあ、ここまで来て引きこもって喚いて文句ばっかり言ってる糞野郎に見せ場を譲ってくれてありがとうなあ。
 でもさ、何度も言うけど俺、頑張ったと思うんだ。辛い目にもあってきた。悲しい事を沢山知った。だから……


「俺がけりをつけたって、許してくれよなあラヴォス!!!」
『ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!』


 ラヴォスの胸部が開き、肋骨らしい鋭利な塊が伸びてくる。全てがうねり予想のつかない動きで俺を串刺しにしようと迫ってきた。
 鞘に入れておいた虹を解き放ち袈裟切り、続き腰に手を当てて、左に切り払う。多少目標がずれたか、それでも俺の肩や太腿を削り取るが意味はない。俺はまだ生きているし刀を落としてもいない。命を狩るのに申し分ない状態なのだから。
 体が痛い、全身が重い、頭が痛くて蹲りたい。鞘に刀を戻す。
 もう会えない人を思い出す。また会える人を想う。いつか出会うだろうあいつを想像する。敵を睨みつける。
 旅を振り返る。自分の変化を自賛する。自分の弱さを自嘲する。手に力を込める。


 ──俺は、頑張ったぜ。だから、こんなにも幸せだ。でも、お前は幸せだったか?






「でなきゃ、こんな旅続けてませんよ。クロノさん」






 ──だよな。







 幻聴は終わり、終焉を告げる。残るのは立ち尽くすだけの俺と、首が離れて落ちているだけのラヴォス。仲間は倒れ満身創痍。今にも誰かが息を引き取るのではないか、と思える肉体疲労と精神困憊。
 ……俺は、まだ大丈夫。皆と違って最後にちょっとだけ動いただけ。それまでの俺はただ休んでいただけに過ぎない。あいつの決心と想いに唾を吐いただけだ。まだまだ、あいつに背中を見せるならもっと前に行かなくては。


「……終わった……のか」
「まだ終わってねえよグレン」力を抜こうとしたグレンに俺は無慈悲な言葉を渡す。当たり前か、尖り気味の彼女の瞳が丸くなる。可愛いな、とでも言えばあいつは顔を赤くするだろうか。
「終わらないよな。だって、まだ」空気が変わっていない。


 しばし、空虚な時間が過ぎていく。秒にして二十程だろうか、言葉にすれば短い物だが、今さっきまで濃密な時を生きていた身としては、随分と長く感じてしまう。
 と、目を覚ましたらしいエイラが「うあー!!」と叫ぶ。肘を伸ばし髪をかきあげる様は勝利の喜びに満ち満ちていた。ぶんぶんと腕を振り回す度に血が舞っているので、次第貧血となりまた横たわったのは、こういう状況であれ微笑ましい。


「勝った!! エイラたち、勝てた、終わった!!」


 倒れながらも、背中を弓なりに反らし声だけは威勢良く勝鬨を響かせる。それに呼応して、同じく目を覚ましていたルッカが花火のつもりか、祝砲そのままに銃弾を空に放ち、珍しくも魔王が皆に聞こえる程度の声量で笑い声を上げた。目端に涙が浮かんで見えたのは俺だけか。いや、マールも気付いてたか。起き上がったマールに指摘された魔王が真赤になって……それでも小さく笑っている。
 ただ、呆然としているのは俺の「終わってない」という言葉を聞いたグレンのみ。彼女と俺だけは仲間の和気とした空気に馴染めず暗闇を見ていた。
 闇は動かない。じっとりとした生臭さを思わせる偽的な平穏を見せるのみ。何かが息づくような薄い気配を晒せど、何もない。


「ク……ロノ! どうしたの、もしかして、まだ訳の分かんない事で悩んでるんじゃないでしょうね?」
「ルッカ。そこは駄目だ。もう少し下がれ、グレンの隣か、その後ろまで」
「? やっぱりあんたおかしいわよ。もっと喜んで……」
「下がれ!!!」
「ッ!!」


 強い語気に押されるかと思えば、ルッカは少し身を縮こまらせただけだった。なんてこった、折角俺を立ち直らせてくれた大切な女の子を怖がらせてしまった。駄目だな、ルッカにならどれだけ言っても怯えたり、怖がったりされないと思ってしまった。
 ……そんな訳ないのに。彼女がどれだけ脆いか俺は知ってるくせに。
 そもそも、今のこの構図が最悪だ。意気地のない俺を叱り飛ばしたルッカを怒鳴る俺。逆ギレにしか見えん。うわあ最低だ俺。万一そういう勘違いをされては困るので、違うぞ、と訂正の意味も込めて手を左右に振りつつ、「ごめん」と謝罪する。


「悪い、怒ってるんじゃないんだ。むしろルッカには凄い感謝してる。ごめんな、格好悪い所見せて、腹が立っただろ? でも、これからはもう少ししゃんとするからさ……ごめん、今はちょっと離れててくれ」
「わ、分かったわ。こっちこそ、変に怖がったりしてごめん」
「いやそれは俺が悪いんだ、ごめ……いや、終わらねえなこれじゃ」


 延々と続きそうな謝罪に、罰が悪そうに頭を掻いて困っていると、ルッカがくすりと笑ってくれた。うん、それだけで随分救われる。
 本当は、もう少し話してても良いのだと分かっている。すぐにでも始まると思っていたそれは、今この場にあってもまだ始まらない。であれば、多分あいつは待っている。俺だけを引きずりこめるそのタイミングを虎視眈々に。だから、望みどおりにしてやろう。このまま終わっては、良い所が無さ過ぎる。俺だけがロボを待てない。情けないままの俺ではあいつの抱擁を受ける資格がない。
 ルッカが離れていく寸前、彼女の頭を一撫でしてみる。汗だらけなのに、指はさらりと髪の間をすり抜けた。きょと、とするルッカを見てもっと撫でまわしたいと思ったが……その前に顔を赤くしたルッカに手を払われた。


「な、な、何!?」
「いや、なんとなく」
「なんとなくって何!? ……もう!!」


 小走りに俺から離れていく。ぶつぶつと何やらを呟きながら、何度も自分の頭に手をやり、その度目を細めるのは……自分の行為が原因だとしても少々恥ずかしいな、これは。いや結構嬉しいけど。
 と、グレンの立つ場所と、俺の立つ場所の中間点程に離れた時、電流を浴びたようにぴた、と歩行を止める。すぐさまに俺の方へ振り向き顔を強張らせていた。ああ、気付かれたか? 凄いな、魔王でさえまだ気付いてないのに。あいつは、それだけ限界ってことなんだろう。


「……クロノ」不安そうに、寂しそうに俺の名前を呼ぶ。出来れば、そのまますぐに行きたかったんだけどな。無理か、そりゃあ、そうか。
「大丈夫だ、ルッカ」


 何が大丈夫なんだか、分かりゃしないけどとにかく口に出す。もしもここでルッカが気付いた、感づいたかな? 事を皆に話せば多分、皆がまた立ち上がるだろう。もう立つだけで精一杯の癖に。馬鹿ばっかりだ。だからこそ、俺は大好きなんだろう。
 マールが好きだ、ルッカが好きだ、エイラが好きだ、グレンが好きだ、魔王が好きだ、ロボが好きだ。これはもう、絶対の絶対だ。この言葉だけは覆したりしない。皆もそうであると、確信できる。でなきゃ、最終決戦で膝を抱えた馬鹿を立ち上がらせてなんてくれないだろうから。


「そう。ああそうなの、最後の最後でそういう事するんだ」次第、目が細く冷たくなるルッカ。その視線はちいと痛いなあ。俺も同じことされれば、と考えれば無理はないが。
「頼むよ。これが終われば実験だろうと付き合うから」
「そんなの……ああもう、分かったわよ。良く分かったわ、あんたの勝手な行動にはうんざりよ」


 うんざりされるのはちょっと嫌だなあ、と肩を落とす。


「……あのさ。あんたに言ってもしょうがないんだけどさ」
「あの、出来ればこれ以上呆れられると腹が痛むというか……勘弁してくれないか?」許しを乞うと、彼女は違うわよと首を振る。
「良くも悪くも、旅はここで終わりなんでしょ? なら、言っておきたいのよ」
「……何を」
「記憶、消えるのよね。黒の夢が無くなったし、ラヴォスもいなくなるんだから、そうなるのよ……意味分からないでしょ」
「ああ、分かんねえ」


 ならば良し、と何が良いのかも分からない俺を無視してルッカは腕を組み、偉そうに続けた。


「私が私じゃなくなるって事。まあ、それも私ではあるんだけど……」
「大丈夫か? 今のお前頭悪いぞ」
「あんたよりマシよ」どうやら頭の悪いルッカはいつもの俺より頭が良いらしい。不平等だ。
「……今の私と、次にあんたが会う私は別物。それだけ理解して」
「難しいが……まあ、ニュアンスは掴める」
「十分。だから……ええと……」


 ぐしぐしと、今度は手が頭を貪るように荒々しく頭を掻くルッカ。視線はそこらを飛び交い、「ええと、ええと」と同じ言葉を繰り返す。分からない問題の解を問われたみたいだ。彼女の子供っぽい行動に、俺は急かすみたく咳払いを一つ。意図を察したか、ルッカは肩を怒らせて口を開いた。


「わっ、私はあんたの事を好きと思わなくなる!!」言ってやったぞ! と鼻息を強く吐き出しつつ、ふんぞる。何が言いたいのか我が幼馴染は。
「……ああ、そうか。え?」
「だっ、だからあ……」


 今しがた飽きるほど見た「ええと」タイムが再開される。はきはきしようぜ、いい加減身体が冷えちまうだろうが。


「あのさあルッカ、その話はまた今度……ぶっ」


 落ち着かせる兼切り上げさせようとした俺の言葉は勢い良く投げられたルッカのゴムハンマー(呆れるほどに痛い)に遮られた。鉄じゃない事に俺は驚けばいいのか喜べばいいのか。怒ればいいのだ。
 しかして、怒鳴る前に叩き倒す前に、ルッカは更に次々に物を投げる。ハンカチであったりメガネケースであったり……武器ではないのが救いか。鬱陶しいのは間違いないが。


「おまっ、いい加減にしろよ! 何が言いたいんだかさっぱり……!」
「話聞いてないじゃない!!」俺の怒りを上回る激怒の形相でルッカが叫ぶ。もう本当になにがしたいのかさっぱりだこいつは。
「だから何が!?」
「今の私はすぐいなくなるの!! だから、この話は今度するとか、出来ないの!!」


 ああ、そういえばそうだった、と反省する間もなく「ええと」タイムは「うー」タイムへ移行。顎を引いて上目にこちらを睨む幼馴染。嫌に可愛らしいな、なんだその芸風。
 近くに来て殴り倒したいのだろうが、ルッカは俺の言葉通りに俺から離れた距離を保っている。素直なのかそうでないのか判別をし難い。
 こんな事してる場合じゃないのに……と大きなため息をついて、仕方なく俺から彼女に近づく。ぴく、と体を震わせる彼女は頼りないファイティングポーズを取る。殴りかかる気が全くしない構えもあったものだ。
 ぎゃあぎゃあと不平を洩らす彼女を無視。とりあえず、小さな頃と同じように彼女の体を引き寄せて抱きしめた。すると、やはり昔と同じように押し黙ってくれる。


「落ち着いたか? 悪かったよ。今度はちゃんと聞くから……何が言いたいんだ?」
「……急なのは、ずるいわ」弱々しい声もずるいんだぞ、とは言わないでおく。
「いつものことだろうに」


 しばし、静かな空間が……いや、マールが後ろで「ひゅうひゅう」と慣れない口笛を吹いているのでそうでもないが……まあそういう雰囲気が流れる。何をとは言わんが読まねえな現代の王女。


「そうか、終わってないというのはそういう睦言を吐くのが、という事か。戦士の風上にもおけんな、屑め」
「お前もか勇者!!」
「下らん」
「何だお前何拗ねてんだお前」


 ふん、と剣を手放し座りこむグレン。盛大に剣が地面に倒れる。その得物をぞんざいに扱うのは立派な剣士のすることなのか?
 頭が痛くなり、ルッカの背中に回していた手を離して頭を押さえると、それを待っていたようにルッカが俺を両手で押しのけた。右手が鳩尾を捉えていたので呼吸が止まるかと思った。知ってるのか、お前たちほどでは無いにしても俺はかなりの重傷を負っている。


「……ああそう。これよ、これが不安だったの。いつだってそうよね、あんたは一緒に過ごせば過ごす程人を惹きつけちゃうんだもんね」
「どうしたルッカ。お前怖いぞ、いつもより凄く怖い」
「黙ってなさい。それと、これ初めてじゃないから、あんたとするの」
「何を……!?」


 突然だった。目の前が暗くなり、体が重くなって後ろに倒れてしまう。目の前が真っ白だ。強く背中を打ったのにまるで痛みを感じない。息苦しさを感じるが、それは痛みが要因ではなかった。恐らく、驚きと……恥ずかしさから。
 耳から、ひゅうひゅうと口で言っていたマールの「ひゅあああああ!!!?」という暗殺拳の発声みたいな叫びが入ってくる。見たくもないが、両手で顔を覆うグレンの姿も。
 いらぬ所に気を遣っているのに気付かれたか、顔を離したルッカが深刻な熱を出したような顔色で、俺の額を叩く。


「私が、またあんたを好きになるまで他の女の子と付き合っちゃ駄目だからね!! 絶対の絶対!!」


 言うが早いが、ルッカはさっと身を翻し俺から離れていく。皆の下に着くや早々マールに肩を揺さぶられエイラから応援のメッセージ、魔王から肩を叩かれグレンは赤い顔が戻らない。狙ってるのか貴様。


「……ったく。緊張感に欠けるねえ、どうも」


 一人ごちた後、足もとから嫌な気配が充満する。奥の方から這いずってくる闇が、とうとう俺を掴んだようだ。待たせてしまったか、気にしねえけどさ。
 喧々としている彼らに一言残すべく、皆に「おーい」と声を掛ける。暫しの時間を置いて、全員の視線がこちらに集まった。大した事を言う訳でもないので、少しばかり気恥ずかしい。
 何事か、と訝しがる彼らの目が徐々に見開かれていく。疲れきっていても流石に分かったか、これだけ濃密に集まればなあ。
 でも、もう間に合わない。計ったようなタイミングだ。事実、見計らったのだろうが。だからこそ、慌てるでもなく朴訥に告げる。


「ありがとう。俺も、もう一回頑張って来るから、」


 後でな、の言葉を言い切る前に世界が変わる。俺と皆の間を境界線に時空が歪んでいく。皆は恐らく元の世界……時の最果てに。俺は……奴の下へと。
 分かるさ、声が呼んでるんだ。奴だけじゃない、あの馬鹿の声も聞こえる。そうだと教えている。
 皆が慌てているのが見える。空間が混在しつつある今でも分かる。
 まだ声は届くかもしれない、だから、一言だけ残してみよう。皆に当てる言葉は伝えた。だから、言われっぱなしは癪に障るから、ルッカに一言告げてみよう。彼女の目を見て、そう思った。


「告白、二度目だな」


 あの花の芽吹く丘の上での出来事を思い出して、口に出してみた。忘れようにも忘れられない記憶。一度忘れてしまいそうになったけど、結局俺の中に強く根付いているあの出来事。
 ルッカは弾かれたように顔を上げて……涙を流していた。声は聞こえなくても、分かったさ、口の動きで。
 あいつは確かに、「覚えててくれたんだ」と零していた。













 世界が変わる。ゆったりと、大仰に。なにもかもを巻き込んで。
 コーヒーにミルクを入れたような、螺旋の中に身を飛びこませた感覚。うねるのは周りか己自身か。曖昧な気分と曖昧な触覚が相反して、不思議に清廉な心地になる。
 やがて、景色は開ける。夢遊とした落下感が終わり地に足がついた、と分かった途端辺りを見る事が出来た。今の今まで暗澹とした空間だったのに、今は明るい。というよりも暗闇、影がない。それはつまり光もないのだが。ただただ白の世界だった。
 円柱状の建物(おそらくそういった概念ではないのだろうが)、その中にいるようだった。大きさは魔王城よりも小さい。直径にして二百とあるか無いかだろう面積である。全てが白いので、奥行きに確信が持てないがまあ大凡正解だと踏む。
 天井は、あるのかもしれないが前述したとおり区切りも分からぬ白一色なので、高さに見当がつかない。俺程度の脚力では、魔力強化したところで届きはしないだろう。エイラでもまず無理か。魔王なら浮遊して届くかもしれないが。
 かつかつと靴を床に打ちつける。踏み心地としては石床に似ている気がする。レンガ程軟くは無く鉄というには頼りない、気味が悪いと言えば気味の悪い感触だった。
 白色の世界の中心に、唯一混ざり物が立っている。二足歩行なのだ、立つという言葉に間違いはない。フォルムだけを見れば人間と言えなくもない造詣の、生き物。両手は鋏……鉄製のそれではなく、どちらかといえば蟹に近い形状である。首から上は、紫の頭頂部。顔の前面の半分に眼球だろうか黒い点がべたりと付いている。体はバネを合わせたような不安定な肉体。四肢は肌色、脈々と血管が太く蠢いている。全身の脈動は凄まじく、形はまるで違えど大きな一つの心臓を直接見ているような心持になった。


「……うえ」


 想像であるのに、気分が悪くなり舌を出す。グロテスクというか、俺にカニバルな趣味はまるっきり存在しないと証明された。臓器に愛着が湧くなんて正気とは思えん。
 半眼になり、不可思議な生命体を見ていると、腕をぎちぎちと鳴らしながら動かした。右腕を俺の方へ伸ばし、挟みの様な二又の手をこちらに差し出す様は握手を求めているように見えた。当然、応じはしないが。代わりに、刀を抜き剣先を向ける。これでもまだ握手をしようというなら躊躇う事無く腕を根っこから落としてやろう。


『──意外だな。君は、戦いの前の礼儀を重んじると思っていた』先ほどのラヴォスの会話と同じように、頭の中に声が響く。今までになく、荘厳でも暴力的でもない少し幼い声だった。
「やっぱり、お前も話せるのか。なら一つ聞きたい、お前はラヴォスなのか? 随分イメージが変わったけど」
『そうかな。そうかもしれない、僕はそれぞれに異なる性格を要しているから』


 その言葉から、やはり目の前の生き物がラヴォスであると知る。再度、まじまじと相手を見つめると大きさは俺よりは大きいが二メートルあるかないかの身長。ダルトンと同じくらいか、横幅を見ればダルトンよりも細い。ラヴォスなんて化け物に体格なんてどうでも良い事だろうが、生っちろい印象を受ける。
 ラヴォスは腕を下げて、左手を自分の胸に置いた。


『外殻……世界を滅ぼす為の“僕”は老獪な自分を、内部の“僕”……君が首を切った僕だね、は敵を諭す冷静さと弾圧する暴力性を持っていた。そして中核……今の“僕”は全てを知ろうとする好奇心を備えているんだ……ああそうだ、安心してね。僕を倒したらまた新たな僕、なんて事は無いから。正真正銘僕が消えればラヴォスは死ぬよ』
「てめえの自己紹介なんか毛ほども興味無かったが……そうか、最後の情報はありがたい。いい加減お前と付き合うのもうんざりなんだ」
『そう? 僕は嬉しいよ。久しぶりにこの身体で他の生命体に会えたんだ。久しぶり、じゃないか。初めて会えたんだから、初めまして僕の最初の人かな』


 そのおっとりした話し方に、調子が狂ってしまう。見た目との差が激しすぎる。とはいえ、どういう話し方なら違和感が無いのか、と考えるがこの奇妙な物体に似合う会話が思い付かない。冗談ではなく「ワレワレハウチュウジンダ」以外に浮かばない。
 クスクスと笑う姿は(見た目に変化はないが)正しく幼かった。


『君は僕と戦おうとしてるね? でもちょっと待ってよ。お話したいんだ。出来れば、僕が飽きるまで』
「ふざけんな、うんざりだって言ったろ? お前の首を落として此処を出る。お前とのくそつまらねえ会話なんかもう御免だ」
『そんな事言わないで……だって、でないと君、死んじゃうよ?』
「……平坦に言うな、くそったれ」


 こうも殺気の無い殺害予告もあるのか、と気押される。少ないとか隠しているとかじゃなくて、無かった。多少なりとも鉄火場には慣れたつもりでもこれには驚かされた。針の先ほどにも感じない敵意は初めてだったから。
 右足を引き、警戒を露わにすると……またも意外。肩を震わせる事も顔を動かす事もなくラヴォスは声だけで笑った。けたけたと、無邪気に。


『違うよ違う……クスクス。僕が君を殺すんじゃない。此処を出たら、君は殺されるって言ったのさ。内部の僕が言ったでしょ? ──君は、時に殺される』何でこんな事も分からないのだろうと不思議がるように、抑揚をつけて楽しげに語り出した。
『自業自得でしょ? そりゃあ殺される。だって君は、沢山の生物を殺したんだから。数で言えば、僕と大差無いよ? いや後々を考えれば君の方が殺したかもしれない』
「……それは、未来を変えたからか?」
『うん。分かってたんだ? 例えば君は原始にて恐竜人を生かした。直接的に生かした訳じゃないけど、君が彼らと関わり交流を得た事で起きえた奇跡だ、君が助けたとしても問題無いだろう。その結果、恐竜人と人間との諍いは絶えず起こり、食糧面や地位の問題で戦争がまた始める。その際に潰えた命は百程度では済まない。例えば君たちが為した人間と魔物の共存でも、“そうならなかった未来で生まれるはずだった命が無かった”事になった。その数は千や万では終わらない。仮に僕を倒せば、僕がいたことで生まれた命が全て清算される……それは、君の仲間のアンドロイドなんかがそうだね。その数はこれから続く無限に等しい未来にも関わり……間接的に君が殺した命は億か兆か……それどころじゃないね、想像も出来ない単位になるはずさ。分かるかい? 君は歴史上最大最悪の凶悪人だ、凶人だ……殺されない訳がない』
「分からねえな、言いたいことも勿論だが、それで俺が誰に殺されるんだよ」その疑問を発した時、ラヴォスの声が不思議がる、から少々不満げな口調に変わる。何故ここまで言って分からないのか、と責めているようにすら聞こえた。
『何度も言わせないでよ。時にさ。もっと言えば君に殺された世界に、だ。恐竜人がいなければ平和に生き残れた人々から、魔物と共存しなければ生まれた初々しい命から。未来で強く逞しく生き抜いていく機械から、それらが生む怨念に君は殺される。怨嗟は力を生み運命を動かす。そうして君は殺される……教えてあげようか? 仮に君が生きてここから出られたら、どういう死に方をするか』


 言いたくてたまらないという声音に呆れて、俺は何も言えなくなる。馬鹿馬鹿しい、くだらない。世迷言だ。そんなものがこいつに分かってたまるか、と。
 ……そう、俺が黙ったのはそういう理由だ。決して……ではない。
 だというのに、ラヴォスはそれを肯定と取ったか、喜々として語り出す。


『君は……そうだ。ガルディアの王になるよ、君のお仲間のマールと結婚してね。その後同盟が為ったメディーナと共に盛大に祝福される。世界の王だ、救世主だ!! でも、それも長くは続かない。すぐに他国からガルディアは攻め込まれる。夜には包囲網が完成し、町と城は切り離される。するとどうだい? 修羅の住まう国と呼ばれたガルディアは抵抗を封じられる。そこで敵国は言うんだ、前国王と現国王、その両名を差し出せば民の命を助けてやるとね。ああ、ちなみに君の仲間、ルッカは当時外海に飛び出していて行方を掴めない。大失恋の末国を出るシナリオらしいね。後にガルディアに帰るけれど……その時はもうガルディアじゃない。おっと、それは今は良いか』コホン、と必要もないくせに咳払いを挟むのが、人間らしくて気持ち悪い。
『君は勇敢にも健気にも、前国王と共に敵国の兵士に身を差し出し処刑される。普通、民の為に命を差し出すんだから皆嘆き悲しむよね? でも君の場合は違う。皆言うよ、「無能君主め、お前みたいな平民上がりが国を治めるからこんなことになったんだ」ってさ。当然、その妻であるマールにも怒りは向けられる。君が首を刎ねられ川に晒された後、国を追われ、やがて自決する。見た目が良い彼女を狙う暴漢が彼女を襲った時、体を遊ばれる前に舌を噛んだのさ』
「やめろ、もう」
『ルッカはね、君もマールもいなくなった後一つの孤児院を立てる。まあ、深く言うのは止められてるから言わないけど、その孤児院が放火され、彼女は殺される。無残だね、体中串刺しだよ。ああ、最後の瞬間君の名前を呼んでる。でも助けられないよ、君はとうの昔に朽ちているんだからね』
「やめろっつってんだ」
『エイラは恐竜人との諍いの際責を問われ、最愛の人と共に生きたまま石棺に詰められて埋められる。中世に帰ったグレンは旅の途中子供に化けた、今だ人間を恨む魔物に腱を絶たれて犯され、殺される。死ぬ時には目に光は無いね。可愛そうに……ジャキはもっと滑稽だね。自分の姉に会えないと悟った彼は自分の記憶を消して名前をアル』
「やめろーーーーーッッッ!!!!!」


 遮二無二魔力を放出して落雷を起こす。聞きたくねえどころじゃない。なんでそんな夢妄想を聞かされなければならないのか、ふざけるな化け物!!


『妄想? 事実だよ。僕は時を知ることが出来る。こんな事が出来るのは君が世界を壊してくれたからなんだけど。ゲートを知ってるだろ? あれは僕の力の副産物なんだ……って、これは君の仲間のルッカは知ってただろうけどね。あの子だけは、世界の仕組みに気付いてたみたいだから。時が狂い悲鳴を上げて、僕のゲートに逃げ込んでしまった。手当たり次第に鞄に詰め込むようなものさ。違いは、時に飽和は無い事。僕のゲートの中には、今や無限が内包されている』
「何度も言わせるな興味無いんだ今お前を殺すのにその妄想虚言に何の意味がある!!」一息に言いきって睨む俺を、尚も奴は不思議そうに見ていた。
『妄想じゃないよ……そう思いたいのも分かるけどさ。大体、何で君が怒るのさ? 君のお仲間を殺したから? それは外殻の僕であって、ここにいる僕じゃない。お門違いってやつだよ。そうだ、怒ると言うなら、僕が君に怒るべきだ』
「いまっ……!! 今更そんな戯言吐くな、外殻だかなんだか知らねえが、お前である事に違いは……待てよ、お前が俺に怒る?」


 鋏状の手を擦り合わせて、ラヴォスは『そうだよ』と言う。その動作は、人間でいう指を鳴らすに近い行動だったんだろうか。


『僕はさ、知る事が好きなんだ。それだけなんだよ。なのに、君のせいだ、君のせいで全てを……未来さえも分かるようになってしまった』


 妙な事を言う。信じちゃいないが、仮に……仮にこいつが未来を知る事が出来たとして、それが俺の行動が生んだ産物だとすれば、俺はむしろ感謝されるべきじゃないのか? ありとあらゆる事を知りたいと願うなら、俺はそれに手を貸した形になるのだから。
 あくまでも、勝手な妄想に過ぎないが。


『不思議そうだね? しょうがないか。君はあんまり学が無さそうだから……失礼、そうじゃないね。君は何かを知る喜びを深く理解はしていないんだね』
「言い方を変えたって、同じだ」それもそうか、とラヴォスは笑う。
『良いかい? 本当に知識欲の深い人間は、奇妙な事に知ることじゃなく、知っていくことが好きなんだ。結果より過程を重視するものなんだよ。“これはこういうことなんじゃないか、こうなっていくんじゃないか”と想像していく、それが楽しいんだ。想像は知恵のある生き物全てにとって思考の快楽なんだから。だから、君の言う妄想はとても素晴らしい娯楽だと思うよ……でも、君は』


 突如、がつんと頭に衝撃が走った。そのままに俺は後ろに倒れ後頭部を強かに打つ。痛みよりも、何をされたのか分からない驚きが先に立ち、反射的に上半身を起こし奴を見遣った。顔形は変わらずとも、先ほどとは違う怒気がラヴォスを包んでいた。


『僕に全てを与えてしまった。あらゆる未来と可能性を僕に教えてしまったんだ。つまらないよ、つまらない。僕は経験より先に結果を教えられた。染み込まされた。知る喜びを奪い取られた。これでは、僕は何を糧に生きていけばいいんだい? 侮辱だ、僕という生き物を根底から否定するような酷い行為だよ、鬼畜生、それ以下だ君は』


 僕に限ってだけは、だけどねと最後に少しおどけた態度で締めくくるが、その怒りはあからさまに消えていないと分かる。ひたすらに両手をすり合わせて不協和音を奏でる様は、こいつ限定の不快である印なのだろう。
 耳を塞ぎたくなる音を作りつつ、ぎしり、と足を一歩前に出してきた。歩行はのんびりとしているが、俺は動けない。当たり前に奴は俺のすぐ側まで近づいてきた。


『だから、君は僕と話すべきだ。沢山の事柄を僕に教えるべきだ。会話をして、僕を楽しませて、知る喜びを思い出させるべきだ。でないと不条理だろう、君が奪ったんだから。盗ったものは返すべきだ、返せないなら、等価値の物を渡すべきだ。つまり、君は永遠に僕と一緒に生きて、話相手になるべきなんだ』
「……気持ち悪いんだよ!!」


 筒状の、電力を凝縮したサンダーを直線に放ちラヴォスに当てる。奴が下らねえ話を続けていた時から練っていた魔力は、下級の魔術にしても十分な威力を有していた筈だ。恐らく、相打ちにはならずとも魔王のサンダガを貫く程だと自賛出来る。
 稲妻は一条の槍の如く、鋭く空気を裂きながら突き進む。火花を散らして手を伸ばす!!
 ──パス、という音が鳴った。
 目を閉じる。愚行だ、眼の前だと言ったじゃないか。すぐそばに敵がいる、その上攻撃したのは俺だ。魔法を唱えたのだ、次弾はそう早く装填出来ない。であるのに俺は呆けてしまった。
 だって、嘘みたいだ。仰け反る事も、守る事もせずただ俺の魔力は霧散したのだから。魔力壁は無い、そんなものがあればそれ相応の音が弾けてもおかしくない。体表が硬すぎて、というなら同じく痕や音が鳴る筈だ。眠る赤子を起こす事も無いだろう小さくみすぼらしい音は、そういうことじゃない。


『あはは、何それ。魔法かい? 人間が生んだ奇跡かあ。効かないよ、当たり前でしょ? だって僕は』
「ゼイッ!!!」


 腹筋を使い前に転ぶような構えで飛び込み、ラヴォスの横を通り過ぎる形で剣を払う。瞬間に魔力を練って、出来そこないに筋力を強化。体の中を流れる電流は荒く、節々に悲鳴を上げたくなるような痛みが走ったが、それでもいい。確かめなければならない。否定しなければならない。
 だって、俺の考えが正しいなら。


『……全ての生き物の遺伝子を持っている。歴史上全生命体の優れたモノを内包している。いや、この星に在るモノ全部の性質を持っているんだ。それって、どういう事か分かる?』


 俺の目の前には、無数の煌びやかな破片が舞っていた。一つ一つが視認できる理由は、各々が眩い光を反射しているからだろう、その彩は美しく七色に見える。鮮やかな光景だと想う。必要以上に砕けたそれらは、見紛う事無く俺の刀。魔法王国の頭脳であり三賢者であり世界最高の鍛冶屋であろうボッシュが鍛えた名刀虹の無残な姿だった。
 声が、出なかった。嗄れているのだろう、掠れた呼吸が聴こえる。
 いや、もうつまらない言い回しは止めよう。砕けたのだ、俺の持つ全てを切り裂けると信じきっていた虹が。俺の刀が。魔法が効かない奴に対抗する唯一の攻撃手段が。


『つまりさ……無駄なんだよ。この星に生きた生物が生み出した魔法も、この星から削り出した鉱石で鍛えられた武器も。単純な事だよ、この星に存在する全ての攻撃方法は僕には通じない。僕を倒したければ、宇宙から飛来する隕石でもないと不可能さ。まあこの星ごと爆砕するようなサイズの隕石でなきゃ傷一つ付かないだろうけどね』
「……どんな魔法でも、効かないのか」聞いて答える訳がない、弱点の有無を敵に問うという愚行を犯す俺。されど、ラヴォスは間を置かず口を開いた。
『そうさ。君の持つ魔法、シャイニングでも、またルッカのフレア、ジャキのダークマター、グレンのグランドリオン、マールの氷塊、エイラの豪力……今はもういないけれど、プロメテスのレーザー。そのどれも僕には無意味だ。魔力量とか、威力とかじゃない。僕には効かない、理屈じゃなくて“そういうもの”なんだよ』


 そういうもので片付けられてしまう、それがラヴォスなのか。
 ……内部の僕とやらが自慢げに話していた事を思い出す。自分は星の代行者であると。それをそのまま鵜呑みにする気はないが、なるほどラヴォスの力は星そのものであると言えるだろう。この星に生きている限り、この星を出ない限り奴に傷を負わせる事は出来ないのだから。ありとあらゆる性質を持っている為、魔法は愚か、武器や打撃すらも無効化してしまう……ああくそ、理屈じゃないと諭されても意味が分からない。こういうのはルッカや魔王の得意分野か。
 そうか、そういうことか。だからこそのラヴォスか、この旅の最終目標か。出鱈目なんてものじゃない。卑怯とか圧倒的とかでもない、そんな次元を超えちまってる。どうあっても倒せないんじゃ、知恵を働かせても根性を出しても無意味なんだから。


『──その割に、目が死んでないね』


 ……だから、人の心を読むなよ。お前みたいな存在には簡単な事なのかもしれないけどさ。


「冗談言うなよ。正直参ってるさ、嘘じゃない」
『だよね。僕もそう思うよ、だって君が勝つ方法なんか一切無いんだから。でも……君、笑ってるよ? 気付いてない?』
「馬鹿言え、自覚してるさ」


 そりゃあ、笑う。笑わない訳がない。こうまであいつの思い通りになるなんて思ってない。とことん馬鹿な癖に、呆れるほど無知な癖に、こういう先読みは出来るんだなあの馬鹿は。
 右手を宙に翳す。その際、半端に破れている服を破り取る。上半身裸の状態ってのは思いの外解放感があるね。何でもできそうだ、と勘違いしてしまう。


「変な性癖とかじゃねえぞ?」
『……何も言ってないのに、変わってるんだね』
「言わなきゃ良かったか、くそ」


 改めて、右手を翳す。そこには当然何もない空虚があるだけ。掴んでも掴んでもあるのは生暖かい空気のみ。それを幾度も繰り返す。幾度も幾度も飽きる位に。
 すかすかと空を切る五指は滑稽に映るだろうか。暫くそれを見ていたラヴォスは俺の目の前に腕を差し出した。『それは、何かの遊びなのかい?』と言う。
 遊びとは聞き捨てならない。こちらは目一杯に真剣なのだから、甘く見てもらっては困る。


「もうすぐさ、形が成るまで、な」
『形? 君には召喚呪文は使えない筈だよ? それとも言葉通り形成呪文? どちらにせよ、君に扱える魔法にそんなものはない』
「当たり前だ、俺はそんなに器用じゃねえ。今から俺がやることはただ借りるだけだ」
『借りる?』
「はっ、当ててみろよ。何でも知ってるんだろ?」侮辱の類と受け取ったか、微かにむっとした気配を乗せてラヴォスが言葉を吐いた。
『気でも狂ったかな。もういいよ、お話ししよう? 君とは話したい事が沢山あるんだから。例えば──』


 それから、ラヴォスは延々と話し始めた。やれ星が生まれた理由、魔族とはいかなるものか、グランドリオンとはどういう剣で、実は魔剣にも成り得る、さっきの妄想の続きかこれからのガルディア、猫がどうとか。酷くつまらない話だった。
 奇妙な空間だ。この広く何もない場所でふざけた化け物と人間である俺が向かい合って立っている。片方は熱心に(言葉だけで判断するなら)語りかけ、もう片方は同じ動作を繰り返すだけ、相槌も挟まない。それでもラヴォスは満足らしいが。
 籠った声は絶え間無く、俺の動きもまた止まない。各々が違う行動を起こし、その実各々互いに何らかのアクションをするべく行動している。俺は奴を倒すため、奴は俺と会話をするため。ちぐはぐながら、お互いを必要としているのだ。俺のそれと奴のそれとではまるでベクトルが違うが。
 さあ、そろそろ良いだろう。『これ』を出すのは魔王との模擬戦以来だが、その時と全く同じ。魔王にはこれが何かを説明していない。すれば、あいつは必ず言及し最悪奪い取ったかもしれない。それは、少し困るし何より手渡す方法も分からない。これは俺だけが使える代物なのだから。







 ──ふと、過去を思い返す。といっても昔の話じゃあない。俺の仲間たちがハッシュの助言を理解し、飛び立っていった直後の話だ。
 あの時、いや俺が生き返って死の山に降り立った瞬間から……聴こえたんだ。声が。酷くせわしい、なのに耳障りじゃない優しく朗らかな声。少し、寂しそうな声を。
 ああ聴こえたさ。だから俺は跳んだ、あのバケツの中に。本当なら1999年に跳ぶべき所に。
 多分、そのまま身を任せれば世界崩壊の瞬間に立ち会えたのだろう。けれどあの時空を超えていく中……違う道が見えた。か細い糸が伸びていたのだ、手を伸ばす事に躊躇いは無かった。
 そこからどう移動したのか分からない。記憶が曖昧なのだ、バケツの中に入ってからの記憶が靄がかかったみたいなんだ。何一つ鮮明に思い出せやしない。でも、会話をしたのは覚えてる。なんとなく、会話の内容も掴み取れる。
 その内容はなんてことのないもの。多分、元気だったか? とか辛くないか? とか当たり障りのないつまらない会話。そのどれもをあいつは喜んでくれた。手を叩いて俺との再会を祝ってくれた。それが……たまらなく嬉しかった。


 “握る右手が、何かを掴んだ”


 また会えるかなって、何度も聞いた気がする。その度あいつは頷いてくれた気がする。
 それはいつかなって、幾度も問うた気がする。その度あいつは首を傾げていた気がする。
 じゃあ、俺から会いに行くぞって、何度も言った気がする。その度あいつは…………


 “掴んだものを引きずりだす。抵抗は無い。するすると俺の手に馴染む。最初から、生まれた時から握っていたみたいに”


 ──あまり待たせないで下さいね、赤い人──


 笑って、いた。






「あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」


 俺の放った斬撃は、いとも容易くラヴォスの右腕を断ち切った。


『……え?』


 ──刮目して見るが良い。是、刀にして刀に非ず。形にして形を取らず。存在を成して存在を許されぬ物也。何物をも切らず何一つ断つ事が出来ぬ──
 ──其れは斬るのでは無い、ただ散らすのだ。殺すのではない、戻すのだ。不条理も平等に、在らざる物を在らぬ物に。唯一つの空虚へと──
 ──されば、散らされる物は消えてゆく。その様は正しく夢か幻の様に消えてゆく。是に銘は無い。だがもし仮に名があるとすれば、付けるとすれば──


「──夢幻。この世界に存在する筈が無い、唯一の刀だ。これなら……」


 未だ右腕を失った事に愕然としているラヴォスへ、俺は切っ先を向けた。その刀身は白く、柄は無色透明。鍔は無い、柄色を除けば凡庸も凡庸、不完全とさえ言える刀、夢幻。
 そうだ、この刀はこの時この場所この敵の為に存在を許されたのだ。あいつの許可を得て顕在している。


「テメエを殺せるな? 高みから見下ろしやがって……」


 魔法は効かずこちらの体力は底が見えている。でも零じゃないのだ、勝ち目はすぐそこに。
 さあお互いスタート地点だ決着だ。相手ばかりが有利な戦いには飽き飽きなんだ、もう良いだろうそろそろさあ。どちらも同じ土台で、一方的に強いとか死なないとか面白みのない設定も小細工も無しだ。最期の闘いってのはそうあるべきだ。


「引きずり下ろしたぞ、星を統べる代行者さんよ? ただの人間の小僧に、なにも知らねえただの阿呆と同じ土台に立たせたぞ? これも、知ってたのか」
『……あ? え。何で……? それ、何なの?』
「だから、夢幻だ。呆けてる所悪いが……待ってはやらねえぞ」


 そして、俺は夢幻を前に突き出す。何も無かったように刀はラヴォスの腹に入り込み、右に払う。血も何も出ないが、確実に奴の気配が薄れた。それはそうだ、効いていない訳がない。これはお前だけの為に存在する刀なんだから。


「終わろうぜラヴォス。長い旅路だった、俺にはこれから皆と話したい事も、これからの事も考えたい。旅を振り返る一時があれば最上だ。でもな……そこにお前はいらねえ。俺の旅はここで終わる!!!」


 一度距離を取り、後ろ脚を踏み出して大きく切りかかる。大上段に構えた一閃は奴を別つ為には十分なものだった。












『……あはは、なんだ。これって凄く…………面白いじゃないか』


 時を越え、歴史を変えて運命に逆らい誰かと出会い誰かと別れる。
 旅は終わる。終息は近い。手を伸ばさずとも触れるほどに、密接に、間近に。
 思い出すだろう、夢を見たことを。彼らはそう、夢を見ていたのだ。



[20619] 星は夢を見る必要はない最終話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/04/18 02:09
 止まっている、と確として意識できたのは初めての事だった。余りに驚いたので、今や自分が何処にいるのかすら分からなかった。分かった時のその驚きは今まで生きてきたどのような出来事よりも大きかった。母様の豹変すら些事であると思えるほどに。
 私は、薄皮のような円型の膜に閉じ込められていた。手で触れると、ふよふよとした柔らかい感触が手に伝わる。ただ、閉じ込められたという表現通り、私はそれを破ることは出来なかった。さらりとした表面には頑強である、強固であるという概念を忘れただ壊れないという事実だけを持っていた。それを理解できるのに要した時間は少ない。単に私が半ば以上諦めていたという点もある。
 円型の膜は私の座る場所から伸びていた。地面ではない、そもそも場所という表現も的確ではない。座るというのも妙な話だ。私は“乗っている”のだ。この奇妙な化け物に。
 姿は……妙な事にラヴォスに似ていた。酷似と言っていい。けれど、それは違うものなのだと私は知っている。こうして触れるほどに近づいた私は分かっている。これは、きっと私でもあるのだ。この醜くて厭らしい、掌で生物を弄びかつ現象すらも操る化け物は。いや、いずれそうなるとでも言おうか。
 それと同時に、私は理解した。きっと私は助からない。助ける者もいない。いや、いたとしてもその人は私を助ける事は叶わない。永劫、こうして下を向いて私が私でなくなる時を待つのみ。
 それも、良いのかもしれない。だって私は……沢山の人を殺した。母様の言うとおりに従ってあの悪魔を呼び起こしたのだから。


「……あはは」


 従っただって。今更になっても私は誰かのせいにしようとするのか。私だ、私がやったんだ。人質とか、肉親から頼みごととか。突っぱねる事も出来た。突っぱねたら誰かが死んだ? 理不尽な二択なんか生きてれば誰だって経験するでしょうに。それを恨むなんて生きている資格は無いのだ。
 体を掻き毟りたくなった。もやもやとする気持ちが溢れて体表から漏れだそうとしているのか。掻いても掻いても霧散することはないその気持ちは徐々に私を浸食していく。狂ったように体中を掻いた。爪は皮膚を破り血が滲み肉を削り出した。
 血は、流れない。
 そうか、私はもう死んでいるのか。なら考える事は無意味なんだ。でも、ならばなんで痛いのだろう。痛いという感覚だけは正常に私を際悩ませる。
 痛みから気を逸らす為、私は昔を思い出す。楽しかった事を。
 昔は、母様は優しかったなあ。厳格であれなんであれ優しかった。弟が出来てより一層私を構えなくなった時、私が泣いて抗議したら、その日の夜は家族三人川の字で寝たものだ。次の日から、母様は溜まった仕事を片付ける為に眼の下にクマが出来ていた。私と一緒の時間に寝る為に仕事を後回しにしたからだと、今の私は分かる。
 ジャキは、可愛かったなあ。いつも口を尖らせて何にも興味がないと言わんばかりだった癖に、アルファドを拾った時は眼をキラキラさせていたものだ。何をするにもアルファドと一緒だった。ちょっと、寂しかった。それに気付いたのかどうか、あの子は「姉様も一緒に遊ぼう」と提案し、私とジャキとアルファドで宮殿中走り回ったものだ。婆やまで混ざって(今考えれば必死に止めていた気もするが)とても楽しかった。日食だったか、ジールが珍しくも朝から暗かった日は、あの子は私の手を離さなかった。姉様が怖くない様にって、強がりじゃなく、自分も怖いくせに私を守ろうとしてくれたのだ。そして、それは今もですか。
 ──ダルトンは意地っ張りでしたね。寂しいのに寂しいと言わない分からない鈍い人。優しいくせに優しいと認めない頑固者。母様が忙しい時、嫌がりながらも私と付き合ってくれた人。嫌なら私の部屋を訪れなければ良かったのに。私の教育係なんて名目だけだって分かってた癖に。うるさいうるさいと言いながらも私の相手をしなかった時はなかった。ずっと一緒にいてくれた。
 私はそれが……悔しかった。求めているのは私だけじゃないか、と気付いた時とても悔しかったのだ。だって私は王女なんだから、そっちが私を求めるべきだと思った。
 歳を取り、一人で外出を認められた時私はあまりダルトンと遊ばなくなった。ジールの民と関わり沢山笑い沢山関わった。皆優しかった……と思う。たまに悪戯したり私の事をパーだのアホだの言っていたのも知ってたけど優しかった……私は馬鹿じゃないです。
 知らないでしょうね、全部、貴方を悔しがらせたかったからなんですよ? 俺以外の者と笑い合うなんて……と寂しがらせてやりたかったから。なのに、貴方はまるで違う事で思い悩んでいた。私は凄く、悲しかった。
 だから貴方の家に行ったのだ、いい加減私に構え!! と叫び散らしたかった。なのに……
 貴女の家の前に立つと、悲しそうな呻き声が聞こえた。泣いていたのだと分かったら、怒りの気持ちは消えていた。
 そうですよ、両親が死んだら泣きますよ落ち込みますよ、私の相手をしてる場合じゃないですよ。なんで私はこんなことも分からないのか。
 帰ろうと思った。私みたいな奴は宮殿に引きこもっていればいいのだから。でも出来なかった。思い至ったからだ。
 私が寂しくて悲しい時は貴方がいた。でも貴方には誰がいるのか。貴方は頑固者だから、誰かに悩みを打ち明けたりしない。誰も貴方を嫌ってないのに、とても大切に思っているのに。貴方は馬鹿だから、とてつもなく馬鹿だからそれに気付かない。
 そこまで考えたら、私は大きな声で貴方を呼んでいた。言葉にしたのは、下らない遊びの誘い。でも私が貴方を意識してから初めてのお誘い。
 貴女はびっくりしてた。何を考えているのかと怒ってた。でも怒るのは私だ。なんで自分だけで悩むのか。私は貴方の力足り得ないのか。怒っている相手は貴方じゃなく……私は私に怒っていた。
 今の今まで私は何故、幼いころより私を助けてくれたこの恩人に礼を返さなかったのか。笑いながらも、自分を貶し続けていた。そして、それらの考えを一蹴するため、私は言葉を紡ぐ。


『格好悪いですね、ダルトンは』(格好悪いですね、私は)


 それから、励ましにもならない生ぬるい言葉を彼にぶつけていった。それらは全部、自分に向けた言葉なのだけれど。
 頑張った事は無意味じゃない、母様に構ってもらえるよう勉強をしたのも魔術の訓練に励んだのも、ジャキやアルファドしか話し相手がいない自分に嫌気がさし人と関わりをもとうと思い行動したのも貴方を……になったのも、そのために努力したのも全て無駄じゃない。
 頑張ったからこそ、私は貴方に会えたのだから。
 貴方は、そんなものかと軽く納得した素振りを見せた。なんだか、たまらなくなった。


 うん。私は貴方が嫌いじゃなかった。これほど貴方の事を思えるのだから、きっとそうなんでしょう。……好きとは、こういうことでしょうか。
 それから…………そうだ。不思議な感情と言うなら、あの人が最たるものだろう。恋愛? ……多分違う。とても嫌いな言葉ですが、敢えて使わせてもらいましょう。これは、運命だった。あの人も似たようなものを私に感じていたはずだ。
 彼は、とても気に食わない人だった。とても無礼だった。嫌な人なんだと思った。それは、妙な話だった。
 私は自分を良く見せたい、構ってほしいという至極利己的な理由で他人を嫌う事は無かった。馬鹿な振る舞いの結果怒られても嫌う事は無かった。それが私だった。でも私はあの人が気に入らなかった。間違いなくそれは特別な人である証。
 いつも下らない喧嘩ばかり、あの人と話していると私は私のままだった。演技なんかなく、とぼけた自分が顔を出していた。いつもは笑いながらにも冷静に相手を分析し自分を貶すことで相手を立てていた私が……躍起になって彼に勝とうとしていた。結局、馬鹿にされましたが!
 ──でも、私が本気である時は、彼は笑わなかった。一緒にいる時は笑ってくれて、頑張っている時は笑わない、真摯に私を見てくれる。本当の友達って、こんなのかな、とアルゲティを出る時に考えた。
 そして、彼は消えてしまう。ラヴォスと出会った時に消えてしまう。それは仲間を守るため。でもその中に私も含まれていた。だってあの人は私を見ていたのだから。もう身体が動く事が奇跡である状態で私を見ていた。真剣に逸らす事無く短い時間でも雄弁に語っていた。生きろって。
 胸の内に甦るのは、業深くも歓喜。私を想い私の為に歩んでくれた、命すら賭けて。ラヴォスなんて破壊神を敬うくらいならば、私は彼を神だと断じよう。その心は気高く美しい。荘厳に堂々と歩むではない、震えながら怖がりながら泣きながら悔みながら敵と対峙する彼のなんと人間らしいことか。死んでもいいと思っていないむしろその場にいる誰よりも死ぬ事を恐れていた。私が見てきた誰よりも怖がりだった。でも立ったのだあの人は。なんと勇敢な事か!
 ……故に。私は彼に興味を持った。幸いか、私と同位体と化しているこの化け物は私に様々な力を与えてくれた。その恩恵(こう呼ぶには些か以上に不満があるが)の一つにゲートを覗くという力があった。それを使い、私は彼らの軌跡を追った。
 彼が出会った仲間たちは、マールさん、ロボさん、カエルさん、ルッカさん以外にも存在した。例えば原始に生きる人間たち。彼らは魔法王国にあるような裕福な生活などしていない。毎日が死の危険と隣り合わせ、それでも笑う事をやめない剛健な人々だった。灼熱の如き大地に根を張り野獣を狩り、喰らい果実を集め魚を得る。雨が降り落雷に怯えようと立ち止まらず明日の糧を求め槍を握る。それは、泥臭く野蛮ながらに憧れるほどの力強さを有していた。
 だから、だろうか。私は彼ら……いや彼らと同じく己の手で未来を切り開こうと足掻いていた種族、彼らの敵であり彼らの理解者でもある恐竜人に手を貸してしまう。
 といって、何も全てを救いあげた訳ではない。人間たちを滅し彼らの時代を作り上げたでもない。ただ、生かしたのだ。今の私の体は万能と言っても過言ではない力をもっている。空より振り出でるラヴォスの脅威から身を守っただけだ。それだけで、彼らは燃え盛りマグマに落ちる城から抜け出す事が出来た。数多の恐竜人は死んでしまったが……流石にそれら全てを拾い上げる事は出来ない。元々決まっていた事象に介入して、その上それだけの力を寄こすのは無理があった。その日、といっても今の私に時の概念があるのか定かではないが。ともあれ彼らを助けた後しばらくは並でない脱力感と頭痛に考え事も出来ない程疲労してしまった。次第にそれは薄れ、またあの人たちの旅を追っていくのだが。


「……はあ一息に思いついた言葉を並べていくのは、少々疲れるものですね。けれども、それ以外に為すべき事柄が無いのだから、仕方がない。まだ長くなりますが、ついてきてくれますか?」


 空を見上げて、目には見えない誰かたちに呟いた。今までに、好き勝手と時を遡ったりまた進んだりと、その光景を目にしていた私はこの場所がなんなのか、なぜこのような事が出来るのか、なんとはなく理解しだした。それは言葉にし辛いが……そう、ここは時が集まるのだ。そして、私と同化している薄気味の悪い化け物は……いや、それは私もか。私とこいつは夢と時を喰らい生きている。それ故に、時に逆らい恐竜人たちを救った時の反動は筆舌に尽くし難い。体間時間なので、断言はできませんが年単位に痛みを堪えていた気がします。もしかしたら、数時間なのかもしれないけれど。それくらいにあやふやな世界なのだ、ここは。
 話を戻します。原始の世界を見て、次に彼らが訪れたのは私が元いた世界、魔法王国ジールでの話。ここからは、多少私が体験した内容が含まれているため見る必要はない。気になるのは、彼が消えた後だ。赤い人が死んだ後マールさんたちは何をしたのか。


 ──そうか、そうですか。諦めませんか。彼の事を。
 幾節とあり、カエルさんが裏切りに近い行動を取り、それでもマールさんは下を向かない。魔王──我が弟ジャキに背中を叩かれてまた己の足で進んでいく。それは、私にはないものだ。あると騙し続けていたものだ。
 なんだか、とても悔しくなった。私は持っていない、そんな綺麗なものを。貴方だけずるい、私にも分けて下さいよ。私の声はマールさんには届かない。それはそうか、私に出来るのはただ見るだけなのだから。彼女らが死の山を闊歩していくのを指をくわえて見ているだけだ。魅入られていた、とも言う。
 されど、時は残酷だ。時の賢者より託されたクロノ・トリガーはまだ十全に力を得ていない。もし仮に彼を蘇らせてもすぐに死んでしまうだろう。想いが足りないんじゃない。本来ならクロノ・トリガーは張り裂けんばかりの力を得ているはず。それを阻害しているのは……怨嗟の声。彼を逃しはしないと、彼に殺された未来が、時が束になり呪いとなっている。
 と、大げさにのたまうが、それは然したる障害ではありません。何故ならば、我が身は夢と時を喰う者。彼を恨む時をさらい、消し去った。メインディッシュのお礼に、一言マールさんに添えて。


『いいですよ、その代わり……』


 そこから先は、声にはならなかった。馬鹿げている。もう一度会いに来てくださいなど、不可能じゃないか。そして、会えたとしてどうするのですか。この醜い姿を晒せと? どう見ても私と彼らは相容れない。そういう存在と化した私が、どうしたいのか。
 それでも……私は手を伸ばしてしまった。彼らが再会を喜び、涙を流し、祝う姿に向けて。そこに私を入れて下さいと呻きながら。
 ええ、ええ、慣れませんよ。幾ら一人でいる時間が長いからとて、現世に戻れる事は無いと理解したとて、化け物になったとて慣れたりしませんよ。だって見ているのだから。動き泣き笑い合う人々を見ているのだから憧憬は絶えません。
 いいなあ、あの人たちは触りあえて。話しかけられて。お互いを認識し合えて。私も見てますよ、仲間なんて呼べるくらいに貴方たちと一緒じゃなかったけど、仲間と呼べるくらいに私は貴方たちを見てきた。沢山知ってます、マールさんがどんな人が好きで嫌いな勉強は何か、ルッカさんが一日にどれだけ無意識に赤い人の名前を呼ぶか、ロボさんが初めて泣いた日から今まで泣いた回数、カエル……グレンさんが実は甘いお菓子が好きだとかジャキの家族の方も全員生まれた時から知ってます。エイラさんのお父様もお母様もキーノさんの事も事細かに知ってます! 赤い人が、どれだけ……どれだけ。


「もう、いいですよー、だ」


 口を尖らせてきっぱりと彼らの事を放っておく、そう決心した。もういいですもん、欲しいと願っても届かない。そう分かってしまえば不思議と欲は消える。それに、案外楽しいかもしれませんこの生活。色んな事が知れるんです。他人の秘密を覗いたり、本当の歴史を洗いざらい知ったり覚えたり。これだけ知ってる事が増えれば、あの人に馬鹿にされません。今度は私が馬鹿にしてやりましょう。ああ、もう会えないのか、でも想像の中で彼を貶し尽くして……それで。


「いい、ですよー……」


 よくなんか、ないけれど。
 ひとっつも、良くないけど。


「いいんです! いいったらいいんですよ!! だって……ひっ、うう……もういいもういい! もういい!!!」


 だって、もういいって思わないとどうしようもないじゃないですか。でないと壊れてしまう。これだけ耐えたのに、分からないけれど凄まじい時間を一人で、この夢喰いと過ごしたのに。けれどその何万倍ではきかないほど一人でいなければならない、そう考えるとどうしようもない。
 いっそ死ねたらと思う。死ねば一人とかそうじゃないとか考えないですむから。それはとても甘美なものに思えました。羨ましい響きでした。
 どうして私だけこんな目にあわなければならないのか。こんな思いをするくらいなら、世界なんて消えてしまえば良い。あの人たちだって、どうせ私を助けてくれない、なら丸ごと消えてなくなれば……もう寂しいなんて思わないだろう。
 だから、そう。だから。







「もう……いいよー…………」












「じゃあ、次はお前の鬼だな。みょうちきりんな所に隠れやがって」












 今度会えば馬鹿にして笑ってやろうと思っていた人が、私の泣き顔を見て笑っていた。
 他人に笑われるのが大嫌いな私だったけど……なんだか、悪くないなあと思ってしまったのだ。












 彼は、特に何も言わなかった。私が夢喰いと同化している事についても、泣いている理由を問いただす事も無かった。ただ、おどけた態度を崩す事無く「久しぶり」と片手を上げた。つられて、私も手を上げる。手を伸ばせば届きそうだった。
 一言二言挨拶を交わし、彼は平然と魔力を練り始めた。私は目を見張らせる。


「何を、しているのですか?」
「そりゃあお前。動きにくいだろそれ」指先を夢喰いへ向けて呟いた。
「まさか。倒すつもりですか? これを?」
「うん。え、その魔物を倒したら、お前も死ぬ感じ?」
「さ、さあ……分かりませんけど」
「分からないのか。じゃあ、止めとくか」


 そうして下さいとぼんやり言うと、彼はまた魔力を霧散させて溜息を吐く。残念がる風でもなく、事務的な行いに思えた。それならしょうがないと空気がそう伝えてくる。
 なんだか、おかしいです。その強大さに恐れ諦めていた存在を、彼はあまりに軽々しく扱う。勝てるわけも無いのに。
 まいったな、という声に私は喉で笑う事を止めて顔を上げる。彼は頬を指で掻きながら悩んでいるようだった。


「それじゃあ、俺はどうやってお前を連れて帰ればいい? お前を思いっきり引っ張れば良いのか?」
「カブみたいな扱いはやめて下さい。訴えますよ、痴漢で」
「せめて暴行罪に当たるんじゃないかなあ」


 この人は、まさか私を引っこ抜こうとしているのか。というか本気だったんでしょうか? 知らず背中から冷汗が流れた。身体がちぎれる以前にこの場所が壊れてしまいそうだ。その影響は恐らく外の世界……通常に時の流れる世界の崩壊も考えうる。やはり赤い人は馬鹿なようです。私の方が賢いのですね、当然ですが。


「こう……Tボーンチキンみたく上手い事体を切り取ればなんとかなりそうじゃないか?」彼はナイフを握り肉を切り取るような動きを見せた。どれだけ凄惨な事を言っているのか理解しての事でしょうか。貴方は私をどうしたいのか。
「変態ですね」
「まあ待て。安心していいぞ、何があろうとその乳だけは傷付けん。俺の誇りに賭けて」
「変態ですね」
「さっきも思ったが、お前の変態のニュアンスがおかしいのはお前の語彙力の問題か? それとも単純にお前の頭の問題か?」
「なっ! 気持ち悪い救出方法しか提案しない貴方に言われたくありません!」
「そうか。ところでお前微妙に服が破れてるな。ちらちら見たい物が俺に見えてるぞ。変態め、またの名を露出狂め」初めてラヴォスに出会い、その際爆風に巻き込まれたのでしょう。今更に服が破れている事を知る私。悲鳴を上げて顔を赤らめるのもわざとらしい。そもそも、羞恥心など遠い昔に忘れているのですから。胸を張り私は鼻息を吐いた。
「ふふん、下賤の者にひけらかしているだけの事ですよ」
「ひけらかしてるのか。重症だな」
「…………べー、です!!!」とりあえず、手で服が破れている部分を隠しておく。


 ああ、楽しい。人と話すというのはこれほどに楽しい物だったのですね。涙まで溢れてくる。舌を出しながらぽろぽろと零れるそれを、彼は指摘する事は無かった。不満があるとすれば、その優しい瞳。あやされているように感じて、それが嬉しくて悔しくて、楽しくて。此処に来てから空虚でしかなかった私の時間はすでに塗り替えられてしまった。


「……なあ、戻ってこないのか? あっちに」赤い人は、変わらず平坦に言う。急だったので、出したままの舌を引っ込ませる時危うく噛んでしまいそうだった。口にしたらドジだと言われそうなので、わざわざ言いませんが。
「あっちには、ちょっと難しいかもです」
「帰りたくないのか?」
「帰りたいですよ」
「じゃあ帰ろうぜ。ここ、何も無くてつまんねーだろ」
「無理ですってば。少なくとも、今は」今、どころではないのでしょうけれど。


 私の言葉を聞いて、彼は難しい顔で唸り出した。こめかみを幾度か指で叩き、面倒だなあと呟く。


「じゃあさ。また会えるか? ここじゃなくて、あっちで」
「あ……会えますよ。当たり前です」


 嘘だ。こうして彼がここにいる事事態信じられない。そもそも、私の妄想かもしれない。だって、ラヴォスの力を持つ母様ですら私を元の世界に戻す事が出来なかったのだから。あくまでも普通の人間である彼がここに来れる訳がないのだ。兆が一奇跡が起こり彼がここにいるとしても、また来れるなんて……そんな可能性確率にすらならない。
 けれど、それを言葉にしてしまうと、私はもう無理だ。またさっきの私が起きてしまう。何もかも消えてしまえと心底願う私が来てしまう。それは、彼の前では嫌だ。彼にそんな私を見られるのは嫌だ。人間の頃のサラを覚えていてほしいのだ。


「ふうん。じゃあ、それはいつだ?」
「ええと、それは……ちょっと、分からないです」


 止めて。
 もう聞かないで。言わせないで。一生このままだなんて認めさせないで。このままでは言ってしまうじゃないですか。そうなったら、私は殺しますよ、貴方を殺します。それだけじゃない、貴方のいる世界もいない世界もこれから先の未来まで全部全部!!
 不平等だもの、貴方はとても優しい、そんな貴方はきっと優しい世界を生きてきたんでしょう? それは私にとってあまりに妬ましい。嫉妬だけで人を殺せる私には、それは十分すぎる殺す理由と化す。
 口を開くな、開けばもう……だから、もう聞かないで。楽しくお喋りして、そして……元の世界に帰って下さい。その後私がどうなるか、分からないけれど。


「じゃあさ、」


 ……ああ、もう。キカナイデッテ、イッタノニ。
 イママデウゴカナカッタヒトクイガ、クチヲヒラキ、アカイヒトヲクラオウトスル。ワタシノメイレイデ、カレヲコロソウト……


「俺から会いに行くな。皆を連れて」


 ──夢喰いが、止まった。私の命令で、彼を殺さないよう。






「あまり待たせないで下さいね、赤い人」
「ん。了解だ」


 目の前に、真紅の牙が迫る中彼はやはり平静を崩さぬまま答えた。私がおかしくなっている……いやなりそうだったことすら見抜いていたのか。
 また馬鹿にされる要因が増えたなあと、私は落ち込む。そしてそれ以上に嬉しかった。
 貴方は、頼まれもしないのに私の弱い部分を分かってくれるんですね。
 ダルトンとはまた違う、私の好きな男の人。恋愛は無くても、きっと私は貴方が好きでしょう。いつまでも一緒にいる、そうなったとてきっと恨みはしない。
 なるほど、魅力的な女性であるマールさんやルッカさん、他に思い人がいるけれどカエルさん……じゃなくて、グレンさんが貴方を好きになるはずです。私? 私の場合は違う。これは恋じゃない。けれど、そうですね。お互いに違う相手と結婚して、刺激がほしくなれば走ってみてもいいかもしれない。そんな関係でしょうか。
 妙な恋愛構造を考えてから、私は噴き出した。いつのまにか私は、将来の予測を立てている。それがどんな事なのか、少し前の私ではあり得ない事。でもそれは誇らしい変化です。そうですね、これが私なんです。


 ──了解と声を出した後、赤い人はすぐに消えた。夢か幻か。まるで蜃気楼を相手にしていたような寂寞とした空気が流れる。いいんです別に。だって私は確固として覚えている。あの人との会話も、あの人がどんな言葉を私にくれたのかも。けれど、そうですね。ここは酷く歪な空間、私はともかくあの人は私と交わした会話をほとんど覚えてはいられないでしょう。夢の中の出来事程度の記憶しか残りはしないのだから。それは、やはり悔しいし不平等ですよね……この短い間に私は幾度『悔しい』と『不平等』という言葉を念じたでしょう。


「まあいいです。悔しいも不平等も、今の現状を変えたいと願わなければ、考えはしないのですから」


 そのまま腐るよりよっぽど有意義な感情だ、と自分を納得させる。
 そして、さっき思いついた案を行動に起こしてみる。作業は単純で、創って渡すだけ。創るのは貴方には似つかわしくない特殊な物。けれど、私にとっては貴方そのものの様な一振り。この世に存在しない、する筈のない刀。
 刀である理由は、彼が刀を使っていたから。存在する筈のない刀なのは、私にとって彼がそうだったから。この刀では何も斬れないようにしたのは、あくまでもプレゼント代わりだから。この刀が決して折れないようにしたのは、いつまでも持っていて欲しいから。
 名前……刀の場合は銘と言うのでしょうか? 私が勝手に作り生み出したのだから、そんな高尚な物は必要ありませんね。無銘で結構です。
 けれど……もしも、この刀を呼ぶ時は、こう呼んでほしい。それは貴方を表す言葉。何処にでもいるし、けれど何処にもいない一人の男の子、私にとってそれは……


「夢幻。現ではあり得ない夢と幻を凝固したような存在。貴方は私にとって、信じられないくらいの救いでした」


 私が生み出した柄が透き通っている刀は、泡の様に消えて無くなった。恐ろしい程の倦怠感と頭痛が襲ってくるが、今度は笑顔を保っていられた。体の不調以上に気分が良かったから。あの人は、どう思うだろうか、私からの贈り物を。思えば男性への初めての贈り物ですか。刀とは色気のない事ですね。しかも碌に使える物ですらないという。
 ──上を見上げてから、でもね? と呟く。今の私はどんな顔でしょう。きっと悪い顔でしょうね、昔母様の寝室にコオロギを持ちよりベッドに忍ばせた時みたいな表情ですかね? まあ、鏡なんて洒落た物はないから確認はできませんが。大きく口を横に裂き、私は此処にいない星の破壊者へ言葉を放つ。


「貴方だけは別ですよラヴォス。こんなつまらない所に私を閉じ込めたのですから、びっくりさせてあげます。赤い人……いえ、」一度目を閉じてから、今度は腕を突き上げた。この閉鎖された空間を突き破る気持ちで強く、強く。
「クロノさんは、貴方みたいな半端者に負けたりしませんよ?」


 クロノさんは私の救いなんだ。なら、知識だけのあたまでっかちに負けるはずありませんよね。
 喉が鳴る。実に楽しみです、こんな風に思うのは私の性格が悪いからですか。いやいや無いです無いです。
 けれど言わせてほしい。彼の言葉を借りて、高らかに、後悔しろと言うような声音を演じて。






「目にモノ見せてやりますよ、ラヴォス!!」











 星は夢を見る必要はない 最終話
 星は夢を見る必要はない












 跳ねるよう大きく飛び上がり切りこんだ俺の刀はラヴォスの体に深々と入り込んだ。両断まであと僅か。けれど断つには至らず、股関節と腰の間で切り裂く事を止めた。
 ラヴォスを斬る、それだけの為に作られたこの刀に問題は無い。なれば、問題は俺の方か。斬りこむ構えも力の入れ具合も、完璧とは言い難い出来そこないな一撃だった。高揚が過ぎたか、と自分を戒める。
 そのまま追撃としても良いが、反撃の恐れありと判断し、俺はまた後ろに跳んだ。刀には血の一滴も付着していない。ただ透明な液体が滴っていた。
 朝露みたいだ、とボケた考えを巡らせた後もう一度刀を正眼に構える。こいつに攻撃時以外に構えなんて意味があるのか分からないが、まがいなりにも剣士として闘ってきたのだ、隙のあるまま立っている事は出来ない。


『痛いなあ。これが痛いなんだ。凄いよ君、こんな短時間で僕の生きてきた何十億年の歴史、その中で知り得なかった事を教えてくれた。やっぱり君は素敵だ、ねえ僕と一緒にいようよ、そんな物捨ててさ』
「懐柔のつもりか? つまんねえよもっと上手くやれよ」
『あはは、そういう風にも取れちゃうか。うん、また新しい事を知れた』
「会話が出来ないならそう言え。一々返答するのも億劫なんだから」


 踏み込み、振り下ろしの動作を流れるようにと意識して放つ。重心を変える事無く繰り出された斬撃は剣道に近いそれ。基礎であるが故に最も攻撃に適した一撃である。
 流石にまた呆として受けるラヴォスではなく横に体を流し、燃えるような音と共に右の腕を俺に突き出した。構えは崩れていない、下ろした刀を持ち上げて刀の横腹で滑らせる。並の刀では容易く折れそうな無茶な防御でも夢幻はそれを良しとしてくれる。決して折れないこの刀は俺の無謀に応えてくれるのだ。
 火花を散らせて、左足をラヴォスの斜め前に置く。ありとあらゆる事柄を知る、そう豪語する割りに奴は体裁きも反撃の想定もしていない陳腐な打突だ。欠伸が出るくらい簡単に胴を頂ける。
 夢幻を走らせて奴の胴体に切れ目をやると、後ろ脚での回し蹴りが飛んでくる。こちらも刀を横薙ぎに払った勢いで、そのまま体を回しながら体制を低く変える。


「ドンピシャだな、回転斬り!!」


 旅が始まる前から俺を支えてきた得意技。最初の胴を斬った時を含め、左足と首の三分の一を別つ事に成功する。片足で体重を支える事が出来ず、ラヴォスはゆっくりと体を倒していった。
 立ち上がるのを待つ馬鹿はしない。得物を下手に構えて、飛びかかる。頭蓋を貫かれれば、死なずとも相応のダメージを負うだろう。


『……へへへ。天泣』
「!?」


 何事かを紡いだラヴォスの眼前から、白い空間にいてまだ白い、形は雷を意識したような糸をぶちまけた様な、形容しがたい何かが生み出された。思考するまでも無く攻撃の類であろう。スピードは緩く、それだけに策も無く飛び込んでしまった自分の愚を呪う。
 ああ、避けれないんだなと分かった瞬間、鳥肌が全身を覆う。攻撃に使えないと知って温存していた魔力を前へ楯を意識しながら放出。体を小さく丸めて夢幻を前に。出来る限りの防御体制を整えた……と、一握りもできない安心を得た時に衝撃は来る。俺の体は感じた衝撃とは裏腹に、後方へ少しばかり飛ばされただけ。体格の良い男に肩をぶつけられた程度の距離だった。尻餅をついたと言えば分かりやすいか。それだけなのに……この痛み。
 体中を何かが這いまわる。血管にムカデを何千匹と送り込まれたみたいだ、激痛が止まない。普段意識していない所作の一つ一つがウンザリするほど困難だ。呼吸も、目を開く事も、刀を握るだけなのに万力を要している感覚。
 三度体を地べたに擦りつけて尚、頭を支点に上半身を僅かに持ち上げるしか出来ない。


『痛々しいなあ。自分の視覚で誰かが痛がるのを見るのは初めてだからね……でもまあ、』


 言葉だけなら、自分が行った暴力(そう呼ぶのが正しいのかどうか、あやふやであるが)に後悔していそうな空気ではある。
 でも、くそっ。コイツ……


『分かるなあ。君たち人間が他者をいたぶる事に愉悦を感じるのを』


 笑い、やがった。


『巨岩』


 無の空間から現るのは小さな城なら一息に押しつぶせそうな岩。捻りも何もない技名だな、と思った時には痛みも忘れて腕に力を入れて体を左に飛ばした。
 俺が回避を行ったと同時に岩が躊躇なく落ちてくる。ただの力技、故に避け難く弾圧的な力を秘めている。
 落下の衝撃に伴い粉塵が舞う。ここに砂など落ちていないので、粉々に砕けた岩が煙状に変わったのだろう。視界はすぐに晴れる。


『避けれたね、“体は”』
「あたり……まえだッ!!」


 岩に潰される事は避けたが、避けきれはしなかった。蛇口を捻ったみたいに血がぼとぼとと零れていく。
 俺の左肘から、だ。そこから先は無い。岩に挟まれた時、無理やりに引きちぎったので皮膚が無様に垂れている。白い骨が僅かに突き出ている腕は見ただけで気分が悪くなる。自分の腕なのだから、尚更。


『次はどうかな……巨岩』
「シャイニング!!」


 奴の呼び出した岩に目をくれず刀を握りながら上に魔法を放つ。奴自身に魔法が効かずとも、奴の呼び出したものには通用するはず! どれだけデカかろうと岩は岩だ、シャイニングで消えない物質は無い、いくらなんでも魔神器よりも硬い岩なんてありえないだろう!
 急速に魔力が消費される感覚。いつもなら座り込みたい程の虚脱感が今は無い。次こそ仕留める為再度距離を詰めていく。大丈夫、いかに強力な魔法を使おうと奴自身はそう強くない、何より攻撃は通るのだ、勝てる!!
 刀を引き狙いを定め、目標は頭。貫けば勝てるのだと念じて腕を前に突き出した。
 風を切り夢幻が吼える。俺と共に同じように叫んでくれる。


「オラアアアァァァァァアァァ!!!!!」


 目測、凡そ五センチ。刀身とラヴォスとの距離である。今まで特に俊敏な動きを見せなかったラヴォスの身体がぶれた。音の鳴き声が聞こえる程の、音の衝撃が産まれる程の速さで。
 巨岩が落ちても傷すら付かなかった床が陥没している。それだけの踏み出しで俺の右側に体を落としていた。当然俺の突きは避けられている。当然俺はこれから来るであろう反撃に対して為す術を持たない。
 肩を回し、ラヴォスの右腕が俺の腹部に届く。そのままにぶっ飛ばされるかと思ったが、予想に反し痛みは無い。奴はただ俺の体に手を触れただけだった。
 ふざけているのか、戦いだぞこれは! という相手への怒りと、それを上から覆いかぶさって余りある安堵が体を占めた。
 そして、甘いのは俺だと知らされる。


『天泣』口の無いラヴォスが、笑ったのが見えた。


 奴の右手から発されたエネルギーの塊は、所詮人間である俺のどてっ腹に風穴を空ける事は容易だったろう。胴体の三分の二を消滅させられた俺はぐにゃりと体を落とす。背骨も吹き飛んだ為、上半身はあらぬ方向へ伏せている。屈伸運動をしている時の様な体勢だろうか……? いや……考えが……まとまらな


『じゃあ、ばいばい』


 慈悲も無く躊躇いも無くラヴォスは両拳を合わせて振り下ろした。卵の殻を割るように俺の頭蓋は砕け散る。












 これが後、二十六回繰り返された。
 いや、それは正確ではないか。繰り返すと言うが俺の死に方は多様である。
 あるいは炎に焼かれ炭と化した俺。あるいはラヴォスの水呪文で作られた水の檻で溺死した俺。あるいは不快な音波で脳が溶けだした俺。あるいは生きながら臓器を取り出された俺。あるいは全身を粉々に砕かれた俺。あるいは頭から股まで貫かれた俺。あるいは極度の苦痛でショック死した俺。あるいは────


『これで、二十七回目だね』


 今度の俺は、四肢を岩で潰されながら死ぬらしい。意識も薄い、痛みももう無い。感じ取れるだけの機能が体に残っていないのだ。


『じゃあ、ばいばい。またすぐに生き返らせるからね』


 とどめを刺すのも面倒なのか、ラヴォスは足を持ち上げて乱暴に俺を踏みつけた。残るのは俺だったモノのミンチと血だまり。











『──そろそろ、僕の話し相手になる決心はついたかな?』
「……くどいぞ、何回目だその誘い」
『君こそ諦めたら? 何回僕に殺されたと思ってるの? 諦めなよ、本当ならとっくに君は負けてるんだよ。人間とはいえ、蘇らせるのは僕でもちょっと疲れるんだからさ』


 今しがた死んだはずの俺は確かに意識を持って今ここにいる。ひしゃげた体も元通り。奴曰く、意識、魂と呼ぶべきもののみに干渉して時を戻し、体は回復呪文で再生するそうだ。魔王でも右腕の再生くらいやってのけたのだから、体を修復するのはこいつにとって造作もないのだろう。


『厳密には、そうじゃないけどね。いくら僕でもゲートを使わず時間を戻すなんてできっこないよ。もし出来るなら君が生まれた瞬間まで時を戻して殺せば僕の楽しみは増えるし。それができるのは……いや、これもどうでもいいか。とにかく、僕は時を取りこむ事は出来ても時を操作する事はできない。君を蘇らせているのは、単純に他の在り得た可能性から別の君の一部を拝借して今の君に分けてるだけ……分からないか。悪いけど、他人に説明するなんて今までなかったからさ、上手い教え方を知らないんだ』
「別に良い、興味無いし」


 幾度俺が砕けようと夢幻はそのままの姿を保っていた。どんな重質量に押しつぶされても曲がる事も無い。唯一の武器は酷く頼もしいものだった。
 俺の相棒を構えて、もう一度走り出す為姿勢を低く。愚直だろうか? そうじゃない、どのような方法でもこいつに突破口らしい突破口は無いのだ。
 距離を置いても岩に潰される。魔法は目くらましにもならない。間合いを計りながら近づいても天泣で吹き飛ばされる。なら走って近づけば? ……いなされて天泣、または的確に俺の首の骨を折る。体術もお手の物ってことか。流石、歴史という歴史を網羅しているだけある。毎度毎度俺の知らない体捌きで翻弄されてしまう。
 俺の戦意が途絶えていない事を知り、ラヴォスが肩を落とす。見る間に人間らしい動きを知りつつあるのは、模倣されている俺としてはあまりに不快だった。


『ねえ、もう良いでしょ? 死んでは生き返り死んでは生き返り……最初はさ、僕も自分の目で人間の死体や死に方を見れて面白かったけど、そろそろ飽きたよ。君だってそうでしょ? いくら生き返る事が前提だって、痛いのが好きなわけじゃない……よね?』
「当たり前だ、不安そうに聞くな!」実に、不快だ!
『じゃあ何で? いつかは僕に勝てるかもって思ってる? まさかねえ、明らかだもんね、僕と君とじゃあ実力に差があり過ぎる。君の仲間のジャキ、彼と子供位の差だよ。その夢幻とやらを持っていて尚、ね』
「じゃあ安心だ、あいつは子供は殴らねえ、俺の勝ちだっ!!」


 足を伸ばし前へ。今度は勝てる絶対勝てる。何度負けても最後は必ず勝つ、死んだ? でもまた戦える、敵のお情け喰らおうが嘲り浴びようがそれでも良い、俺自身負けたなんて微塵も思っていないから。勝てると信じて疑わないから。
 勝ち負けは多数決だとか、魔王が言っていたらしい。マールから聞いただけの話だけれど。ならこの場合勝つのは俺だ、星がどうやら人間以外の生き物がどうやらと奴は言っていた。でもそんなの関係ない、だって俺はそんな声を聞いていない。
 俺が聞いたのは、俺と同じ人間達の声。俺とは違うけど、違う俺を仲間と呼んでくれた、家族として見てくれた恐竜人の声。何度も戦い何度も恨み大切な仲間を殺されたけど最後には俺たちと一緒に戦ってくれた魔族の声。忌み嫌いあい、星の覇権を賭けて戦っていた、でも一人の子供が変えてくれた機械たちの声。
 そいつら皆が俺を応援してくれているわけじゃあないさ、そりゃそうだ。だって殺し合ったんだから。俺が殺した魔物や恐竜人や壊した機械、人間だってそうさ破滅願望を持つ人間だっているだろう、全員に歓迎なんてされるわけがない。
 でもそりゃあ少数だ、何で分かるかって、俺の耳は二つしかないんだ。その二つの耳には応援と歓声しか聞こえない。抗議の声は届かない。なら俺が決めた、俺の勝利を願う声が圧倒的多数であると俺自身がそう決めた!!


「負ける? 冗談だろ? アウェーはテメェだラヴォス!!!」


 今度は突きではなく直前で止まり袈裟切り。体を倒して反撃なんてさせやしない。ななめから迫る長物は避けにくい、あくまで人間の常識だけれど、それでも積み重ね続けた人間の知恵だ、信じるに足るものがある。
 力任せに振るった刀は空を切り、ラヴォスは僅かに宙に浮いていた。魔法じゃない、跳んだのだ。
 体を横回転させながら俺の刀を避け、右回し蹴りが俺の頬に炸裂、ソバットのようなものか。頭蓋が揺れ、眼の前が暗くなる。床に擦れながら大げさに転がった。上に何も着ていないから、摩擦熱で背中と肩の皮がずる剥けてしまう。でも今更こんな痛みどうってことはない。首を飛ばされたでも無いんだ、死んでないなら戦える。


「……ぐっ!!」


 頭でそう念じても、体は動かない。顎が揺らされたからだろうか、力が入らず目眩が激しい。これは脳に強く衝撃が加わったからか。意識を保つ時間には限りがあるように思えた。


『…………ねえ、どうして諦めないの? もう良いじゃない、勝てっこないって分かったじゃない。誰も見てないし、誰も君を貶さないよ? 君は頑張った。僕が言うんだ、間違い無いよ。歴史上君くらい頑張った人間は少ない。ただの人間が僕に会えたんだ、奇跡的な幸運もあれど努力は本物だ。なのに……なんで諦めないの?』
「がっ……頑張った? ……ああ、そうだなあ」


 奴が会話を始めたからじゃないけれど、少しだけ力を抜く。妙に冷たい床が体に当たり、火照った体を癒してくれる。それが、いやに俺を冷静にさせた。有難い、僅かでもこうしていれば意識を保つことができそうだ。


「うん、俺頑張ったよな。いやいやでも刀を振って、気付けば未来を救うなんて事になって、魔王と戦うなんて話にまでなった。太古の時代に飛んだりかと思えば空中に浮いた国なんて所にも行った。その間にも死にかけたり、仲間に罵倒されたりもした。逆に罵倒したりもした、これは俺が悪いんだけどさ」


 さて、もう良いだろうか。
 立てるな俺? 立てるぜ俺。
 行けるな俺? 行けるぜ俺。
 勝てるか俺? んなもん──


「でも違う。この戦いは頑張ってるには頑張ってるが、質が違う、まるで違う。簡単な事だ、目標を立てただけだ」
『目標?』
「ああ、目標。これをこなすまではやってみようってものだ。目指すところがあるんだ、それを離さなければいいんだ。頑張るったって、難しいことじゃない」拳を握り、腹に力を込めて起き上がる。


 ──確認してんじゃねえよ、ばあか。


「絶対折れない。怪我しても死んでも絶対に負けない。俺がそう決めた。ならそれに向かって走るだけだ、長距離走と同じだよ、ゴールがあるなら走れるだろ? お前と俺とで何万キロの差があっても走れば追いつく、なら諦める必要あるか?」
『──そっか。なら、趣向を変えようか。うんそうしよう』


 ぽつり、と呟いてラヴォスは自分の頭蓋を……砕き始めた。両手で殴り、じわじわと己の頭を落としていく。
 その様は精神疾患に近い何かを感じた。過去療養所にて似たような症状を起こしていた老婆を思い出す。狂気の度合いは違うものがあるが。
 予兆がないのだ、驚きは隠せない。砕かれていくラヴォスの皮膚は床に落ちるたび蒸気を発し消えていく。蒸気は量を増やしもうもうと上がり続けていく。今や奴の全身は見えない。煙幕の類か、と勘繰ってみてもそのような手間を必要とせず俺を殺してきたこいつがそんな小手先の技術を用いるとは思い難い。単純に吹っ飛ばして踏みつけるだけで俺を絶命させるのだから。故に、この行為の意味を掴めない。


『──君はゴールがあるから進むんだろう? 先が見えるから頑張れるんだよね? じゃあこうしよう』


 訝しむ俺に奴の声。とてもじゃないが構えと警戒を怠れない。いつのまにか、頭の痛みも消えていた。あまりの驚きに痛覚が麻痺したのか。驚きも度を過ぎれば熱を冷ますらしいが、痛みすら消すのか。
 やがて煙は晴れる。そこに奴の姿は無かった。あるのは…………見慣れ過ぎた顔。


『僕はね──別に無敵って訳じゃないんだ。君の夢幻が良い例だよ。誰だって殺されれば死ぬ、僕も同じ。当然だよね? けど一対一ならその限りじゃない。僕は無敵になれるんだ。どういう事か分かる?』


 赤い髪、ツンツンと評された事もある、鶏頭と馬鹿にされたこともある特質的な髪形。
 目は吊りあがり初対面では良い印象を持たれないとルッカに囃された。
 身長は高くも無く低くも無い。足も長くないが、唯一筋肉質であることが自慢と言えば自慢。
 額に鉢巻を巻いて腰には刀をぶら下げて、自分でも悪癖と分かっているが止められないあくどい笑み。
 それは、毎朝いつも鏡で見ている人間。俺と生涯を共にした体。
 見間違いじゃない、それは誰が見るまでも無く“俺”だった。


『俺はな、自分を変えられるんだ。あらゆる遺伝子が混ざっているからこそ可能なんだけどな? ──そう。これはお前だよクロノ』奴の声は、もう脳内に届くではなく、直接俺の鼓膜を震わせていた。
「俺に、姿を変えたのか? ……何で?」俺の問いを聞いて、“俺”へと姿を変えたラヴォスはハッ、と笑いねめつける様にこちらを見た。
『だから、お前が言ったんじゃねえか。ゴールがあるなら走れるってよ。だからこうしてお前に化けた……この言い方は正しくねえな。お前になったんだ』
「意味分かんねえ……言いたくねえが、さっきのお前の方が強かったぞ? どう考えても弱体化しただけだ!!」
『あっそう。そう思うならかかって来いよ? 怖がってんじゃねえぞトサカ野郎!!』


 チンピラみたいな台詞吐いてんじゃねえよ……ッ!!!
 掌を揺らし挑発する姿があまりに俺で、理解を求めるままに切り込む。
 俺と化したラヴォスは空中から産み出した……いや俺と同じに呼び出したのか? 二つの刀を両手に携え迎える。
 動きは見た目通り遅くなっている。あの風なんかよりもよっぽど速かった体の動きは成りを潜め、あくまで人間的な動きに変わっていた。カエルよりも遅くマールよりは早い。魔王程の威圧感は無くてもロボよりは眼圧鋭くエイラ程の力は無くてもルッカには負けない。打ち合ってみた感想は酷く凡庸に聞こえた。
 ただ……一手届かない。好機なのは違いない、奴の思惑はどうあれ疑いよう無く奴は弱くなったのだから。なのに、どうしても俺の刀はラヴォスに近づかない。惜しい時はあった、瞬く程の時間があれば奴を切り裂けた瞬間は何度もあった。けれど……どうしてか傷付けられない。
 代わりに俺への攻撃は微かに届いてくる。斬られた、というよりは掠ったくらいの傷が俺の体に刻まれていく。
 二刀流だから、は言い訳にはならない。その分奴の一つの攻撃が遅くなっているのは事実だろうから。それを踏まえても……何故か俺の攻撃だけが当たらない!!
 焦燥は形となり太刀筋を鈍らせる。ラヴォスの交差した二刀に俺の夢幻が挟まれ、その隙に俺の下腹に強烈な蹴りが放たれた。


「うぐっ!!」


 この戦いになって何度目か数える事も忘れたが、背中から床に落ちる。痛いのは確かだが、さっきまでの攻撃とは格が違う。落ちる、という意味でだが。体は動くし骨がいかれたでもない。ただ、普通の男の蹴りが入った程度でしかない。それが、不気味でしょうがない。
 尻餅をついたままでいる俺に高笑いが降って来た。ラヴォスは片手を顔に当てて口を大きく開けていた。


『ハーッハッハ!!! 何びびってんの? さっきまで御大層な口きいてたじゃねえか!? ゴールがどうとかさあ! 寒いってあれ! アハハハハハ!!!』


 刀を落としそうな勢いで笑うラヴォス。侮辱されているのに、怒りが湧かないのは混乱があまりに大きいからだろう。


『ハハハ……種明かししてやろうか? このまま死ぬんじゃつまらねえだろ? ──簡単な事さ。俺は、お前の、常に一歩先を行く、俺だってこと』
「はあ?」
『ああ? 分からねえのかよ。だからさ、お前腕立てした事ある?』唐突過ぎる質問で、また頭が混乱する。混ざって乱れるとは、上手く言うものだ……ああほらまたおかしくなってきた。
「何の話だってんだよ!!」
『良いから。腕立てすれば、お前の筋肉強くなるよな』
「まあ……そういう事になるけど……」不承不承答えると、奴は指を鳴らした。
『つまりそういう事。今の俺は全部お前よりも一歩だけ優れてるんだよ。お前よりも一度だけ戦闘をこなした。死に直面するような戦いを経験した。効率の良い戦闘の方法を思案した。剣術を磨いた。魔法の鍛錬を重ねた……まあお前を生き返らせるためにも魔力量だけはラヴォスのままだけどな。心を強靭に技を練って体を鍛えたそれが俺だ。そしてそれはこの戦いの最中でも変わらない』
「それは、要するにこの戦いで俺が成長しても同じって事か?」
『話が早いな、そうそう! 空の月みたいなもんさ! 付かず離れず一定の距離を保ちながらお前より優れた俺を維持する。な? これなら例えどんな相手でも一対一なら負けねえのさ。さあもうゴールは無いぜ? お前が走れば走った分だけ遠ざかるゴールだ!! そろそろ、諦めついたか? なあ?』
「うるせえ……似てねえんだよ、俺はもっと好青年だっての!!」


 弧を描きながら、半回転の一閃『手首のしなりが鈍いんだよな、今の頃のお前は』はラヴォスの右の刀で払われた。
 体を横に倒し、倒れるくらいに背中を逸らしながら打突『そうそう、無茶な動きはお手の物なんだよな、それくらいしか戦える要素も無いから』もステップで避けられた。
 倒れざまに後転、続いて『下手だねえ、距離の取り方がさ』起き上がる直前顔面にひざ蹴りを叩きこまれる。
 鼻血を出しながらも、刀を振り上げて『がむしゃらだなあ、当たる訳ないだろ。今のお前なら分からねえけどさ!』肩を押さえられる。それだけで、もう振るえない。


『もう壊れろ! 劣ってる俺!!』


 押さえられた肩に力を込められれば、流れるように肩を外される。脱臼の痛みよりも、悔しさや怒りが勝り過ぎていて……舌が震えた。涙も出てしまった。膝を、ついてしまったのだ。
 無様だなあ、と笑うあいつの顔が耐えられない。何がさっきより弱いだ、これなら勝てるかもしれないだ、甘ったれやがって……!!
 余裕ぶっているつもりか、呆れたのか。ぼろぼろと泣きだした俺を相手にする事無く背中を見せて離れていく。確かに隙はあるのに、俺ではそれを優位に持ち込んでいく技術がない。グレンならできただろう、魔王でもできただろう。いや俺以外ならこいつに勝てることは容易いだろう。優れていると言っても、あくまで俺なのだから。
 それが……なんて屈辱か。またか、また俺だけ勝てないのか。いつだってそうだ、俺だけ負けてしまうんだ。中世の魔王相手でも心が折れたのは俺だけだった、恐竜人の時もアザーラの想いを受け取り切れなかったのは俺だけだ、初めてのラヴォスでも一番早く諦めやがった。庇った? 違うねただもう勝てないと誰より早く決めつけたからあんな事したんだよああそうだよ!! ロボが消えた時も我儘に駄々をこねてそれが通ると思い込んでたさ、皆が「そうだな俺たちがもっとしっかりしてればロボは生きていたな」「私たちのせいだからクロノは悪くないよ一番ロボを大事に思ってたよ」と言ってくれれば、そう願ったんだ。
 “お前のせいじゃない”と、言って欲しかっただけだ。


『まだ立つのか? 馬鹿なだけに、痛みには鈍感なんだな』


 馬鹿だよ。うん間違ってない。
 結局そうだ、独りよがりが好きなんだ、それなのに誰かに褒めて欲しいんだ。ゼナン橋の頃と変わってない。
 ──それが、誇らしい。


『その刀のせいかな。それがあるからお前勝てるかもなんて夢見てるんだろ。本当、馬鹿だなあ』


 死にたくないさ、認められたいさ、自分は悪くないって喚きたいさ。人間だから。
 自分より他人が大事? 嘘だよそんなの、ありえねえって。
 だって俺だろ? 大切な奴ができたって、その大切な奴に会ったのも大切に思えるようになったのも俺だったからだろ? 俺じゃなきゃそんな奴に会えたか分かんねえし、大事に思えたかなんて怪しいもんだ。そうだ、後者が大事なんだよ。
 よくある詩にあるじゃないか、何十億人から君と出会えた奇跡とか、陳腐な台詞が。そこじゃねえんだ、出会えたのはどうでもいい。だって会っただけじゃ他人と変わらねえ、そんな事言い出したら毎日奇跡の嵐じゃないか。奇跡って言うんなら、俺だから仲良くなれたって一点だ。
 俺だから好きになれた、俺だから夢が叶った、俺だから誰かを助けられた、俺だから……星を守ろうとしてるんだ。
 もっと上手くやれた奴もいるだろうさ。ルッカに辛い思い出を作らせずもっと早くからマールと国王を和解させてヤクラも死なせずグレンがサイラスさんの記憶に縛らせないようにロボを出会った時から理解してすぐさま機械を諭しエイラの恋を素晴らしい方法で成就させてアザーラたちに怖い思いをさせず人間と仲良くさせて魔族たちと手を結び魔王をジャキのままにサラを助けてジール王国をそのままに差別を失くし三賢者を不幸にさせることもなくそもそもラヴォスを蘇らせる事も無い……
 そんな、夢みたいな奴がいたかもしれない。もしかしたら俺だからこんなに沢山の人間が不幸になったのかもしれない。
 でも、俺だから。現代で魔族と手を取り合って中世で戦争は消えて恐竜人は死滅しない。未来でも機械は人間を殺さない。三賢者たちはまた集い紛いなりにまたサラに会えたし笑顔も見れた。
 ──ルッカがお母さんを取り戻した、マールも国王と和解した、ロボは……きっと笑っていた。エイラも長として強くなれた、グレンも悲しみを乗り越え勇者になり、魔王も大切な誰かがいることを知り優しい魔王になったんだ。
 全部が全部“俺だから”って訳じゃない。あいつらは凄いからほっといてもそうなったかも。でも幾許かの貢献が、俺の手が混じっているはず。仲間だからな。


「卑怯で…………」
『ああ?』ラヴォスが煩わしそうに眉を潜めた。諦めますの言葉以外、あいつは聞きたくないんだろう。
「臆病で、すぐ泣いて、誰かに八つ当たって、弱いし根性も無いよ。すぐ誰かを頼るよ、寂しいのは嫌だし、我儘だし他人より自分を優先する。命乞いも気にしない、そのくせ命を大切にもしない、礼儀も無いわ頭も悪いわそれを直そうともしないわ、良い所なんてほっとんどねえよ!!」
『今更自傷されてもな。気持ち悪いだけだぜ?』頭を掻き毟りながら喚く俺を、奴は錯乱者を見るように一歩退いた。
「顔も平凡性格悪い!! 刀の練習してたのも、小さい頃ルッカを悪漢から助けられなかったから? 違うね、強ければ格好良いと思ってたんだ。いやもうはっきり言うわ、その頃のルッカを俺は好きだったからな、強くないとルッカと付き合えないかも、なんて不安だったんだ。不純な理由だ、そんなもんまともに鍛練する訳無いだろ! 全っ然続かなかった!!」
『同じ姿取ってる俺に、何を言ってんだ? 知ってるよ馬鹿。ついでに、強くなりたかった理由は母親をぶん殴りたかったってのもあるんだよな』
「母さんが辛いのも知ってた。俺がおかしくなってるのを気付いて遠ざけてるのも知ってた! でも恨んだ! 皆嫌いだった、どっかで自分と比較して自分が上の部分を探した!! ルッカが好きな理由も俺より劣ってたからだ優劣感が欲しかったからだ!! ほらな、だから大きくなって俺はあいつに恋愛感情なんか持たなくなった。だってあいつ頭良いんだもんなあ、俺なんかよりよっぽど出来た人間になったんだもんなあ!!」
『…………ルッカが俺を好きなのも知ってたさ。でも無視したし知らない振りをしてきた。それが唯一あいつに勝ってる所だったから。あいつは俺の事が好きだけど、俺はあいつの事が好きじゃない。気分良かったなあ、実験が嫌とか虐めてくるとか、口ではそう言っていても気付けば足はあいつの所に行くんだよ。ていうか分かりやす過ぎるんだよなルッカは。いつでも俺の顔を見てにやけるし……』
「流石にあいつの部屋は引いたけどな……」
『ああ、引いた……あいつの部屋の窓から俺の写真が満遍なく散らばってるのを見てどん引きした……カーテンの柄まで俺だったからな、己の目が良い事を恨んだぜ』
「…………それが、俺だ。皆俺の良い所ばっかり見過ぎなんだよ。最低な奴は言い過ぎだと思うけど、決して出来た人間じゃない」
『エロいしな』
「そりゃ欠点じゃない。美点だ」


 そこで、俺もラヴォス……いや、“俺”も笑った。げらげらと、友達とするみたいに。どっちも今は俺だからな、俺の話をすれば盛り上がるのは当然だ。


「──でも、頑張った」
『ああ、頑張った』


 いつのまにか、涙は止まっていた。涙の跡も、乾き始めていた。


「でも正直さ、一番最初、覚えてるか俺?」
『覚えてるぜ俺。マールがゲートに飲まれた時だろ?』
「そうそう! ハハハハ!! マールを追うって決めた時! あれさ、ルッカの為とか言ってたけど……いやまあそれもあるにはあったけど」
『ぶっちゃけ煩悩だよな! あんな可愛い子とお近づきになれたんだ、そりゃ危険も犯すって!』
「ルッカ以外ではほとんど女の子と遊んだ事が無い俺だ、当然だよな。つうか、そういう時だけ俺度胸あるんじゃね?」
『ああ、思い出したくねえけど、ペンダント持って逃げた理由、まだマールに言ってねえぞ俺……』
「思い出させんなよ俺……」


 お互い同じ記憶を共有している者同士、思い出したくない事柄は同じなんだ。言うなよ本当に。二度と掘り返したくないっていうかマール忘れてないかなあ……忘れてないんだろうなあ……
 同時に溜息をついて、それを振り切るようにもう一人の俺は声を大きく張り上げた。


『中世の王妃! あれは確かに頑張った! 今でも思うけどよ、あれおかしいだろ。刀と魔法無けりゃ、お前よりも成長した俺ですら勝てねえぞ』
「マジかよ、聞きたくなかった……そうだ中世では、嫌々だけどゼナン橋で命賭けたよな」
『あったなあ! 死体がそこらに落ちてて……あの状況に今なっても絶対行かねえ自信ある』
「あの時も半分以上ヤケクソだしな……ああ、ロボはうざかった!!」
『すぐに可愛い奴と思えたけどな。あのさ、性別の壁越えそうだったこと一度や二度じゃねえだろ』
「数えるのも忘れたよ……なんなんだろうなあいつのケアルビーム、推淫作用でも垂れ流してるんじゃねえだろうな?」
『残念だな、単純にあいつの色香だ。関係ないが、あいつが女でもう少し成長した姿だったら、俺たち絶対にあいつに惚れるらしいぞ。並行世界の俺を含めても確実に、だ』
「あああ、知りたくねえ知りたくねえ!!」


 床を叩いて恐ろしい想像を振り払う。床を叩く力は想像が容易であるほど増していく。ちなみに拳から血が出ているのは記述すべきかどうなのか。
 見れば、目の前の俺も遠い目で上に顔をやっている。哀愁が濃いぜ。


『魔王との戦いも、恐竜人との出来事も……』
「頑張ったよな……今思っても、俺がいなくても良かった気がするけど」
『言うなって。魔王なんて奴と戦うのに、ついていっただけ表彰もんだろうが。恐竜人の時もまさか恐竜人側につく人間なんてさ、中々いないぞ』
「良い事なのか悪い事なのか……わかんね」
『ああそうだ。聞きたい事あったんだよ俺。俺にだから話せる事なんだけどな、こういう機会でも無けりゃ聞けねえし』
「なんだよ、今の言葉絶対おかしいぞ。俺だから分かるけどさ」
『いや、あのさ……』ついさっき俺を蹴とばして鼻で笑っていたとは思えないくらい顔を赤らめて、頬を掻いていた。『お前、今一番好きな奴誰なんだよ』
「はあ!?」その言葉に、当然俺も熱が上がる。湯気が出そうと言ってもおかしくないだろう。


 何言ってやがる、という思いを込めて睨みつけるとやおら慌てた様子で両手を振り乱す“俺”。あちらこちらに手をやり『違うんだよ!』と何やら否定している。そう言う俺だって何言ってやがる、しか言えてない訳で。もてない男なんてこんなものだ。
 お互い頭がヒートアップしている為、必要無い時間が刻々と過ぎる。やがて、気まずい空気が流れ始めた。なんで同じ顔同じ姿同じ記憶を共有している奴とこんな空気を味合わなければならないのか。別れて三年経ったカップルが偶然街中で出会ったみたいな雰囲気だ、と例えを思いついた時苦虫を噛んだような気分だった。まだロボとの方が健全である。


『いや……自分で言うのもなんだけど、今俺モテてるだろ。マールにルッカ、どっちからも好かれてる訳で……どっちが良いとか選べるかお前?』
「選べたらとっくに答え出してるわ! 出せねえから後回しにしてるんだろ!!」
『うわ、最低だなお前。女の子の告白を無碍に扱う感じ、何様だよ』
「お前が言うな、お前が!!」
『それもそうか……で、どっちな訳? せーので口に出さないか?』
「なんだよ、俺もお前も同じ名前を口に出せば迷いなくどちらかを選べるってか?」
『流石俺。察しが良い』
「いやいや……まあ良いけどさ。お前の言うとおりこんな機会でもなければ出来ないし」
『言ったな? よしやるぜ、せーのっ!!』


 そして、同時に大切な女の子の名前を口に出した。どう考えてもアホな展開だが、俺もあいつも至って真剣。それだけ二人とも大切な女の子なんだから。

「ルッカ!!!」
『マール!!!』
「えっ」
『えっ』
「嘘だろ!?」
『何でだよ!?』
「いやルッカだろ! いやまあまだ恋愛対象とは見れないけどさ! やっぱりここは幼馴染が強いって!!」
『いやマールだろ普通に! 確かに所々抜けてるし酷いこともするけどさ! ていうか玉の輿だぜおい!!』
「でたよそういう金が絡む考え! まあリアルな所だよな金銭問題も将来性も! でもな、そういう汚い考えを持って恋をするのは二十代後半からで良いと思う!!」
『はいはい初体験も済んでない奴はこれだから! 幼馴染と主人公は付き合うべき、みたいなつまんねえ妄想でたでた! 俺そういうの大っ嫌い!!』
「引くわー! 小さい頃からえげつない理由でルッカと会ってた面から見てもルッカしかないだろ! あいつ可愛いぞ!? いや暴力的な所あるけどさ、最近のあいつ半端じゃないぞ!? 記憶戻ってからのあいつ凄いぞ!? さっきの別れの時なんかずっと弱々しい力で服の裾掴んできてさ! ギャップっつうの? もう抱きしめてから撫でまわしたかったもん! なんだかんだ言ってあいつ絶対照れ笑いするもん! ものっそい幸せそうな顔で!!」
『無いわー! お前二回もマールの事裏切ってんだぞ!? 中世で助けた後王女だから云々の時と裁判の時! その後ゼナンでもひでえ事言ったし! まだ覚えてるよあの後夜一人で泣いてた時の事! あれもうちょい俺に勇気があれば押し倒してからな! 原始の飲み比べの時だって、あれ意地じゃないだろ仲間だからとか絶対嘘だ! 今にして言うけどな、もうあの時点で俺かなり好きだったもん! 最近あいつと話してると楽しくて仕方ないもん!』
「うわあ……止めろよ、そんな事言われると俺マールも良いなあって思ってくるじゃないか。揺れに揺れてるんだけど」
『いや、それ俺の台詞だから。ルッカもなあ、可愛いんだよなあ。いっそ二人とも幸せにする話で良いと思う』
「あのさあ、ここまで来たから暴露するけど、サラも良くない? あいつ絶対俺以外に好きな奴いるけど」
『あ、それ言うなら俺グレンありかも。あいつも絶対サイラスさんの事まだ好きだけど』
「えっ、そこ言っちゃうかお前!! 重たいって! 決して嫌いじゃない……いや好きだけどな? ジール王国に行く前慰められた時本命かな、とか思ったけど!」
『な! な! ……いやあ、俺ロボも全然ありなん「気持ち悪……」……』
「ま、まあお前には関係無いけどな。俺しか現実には帰れない訳だし」
『うわ。今更そういう事言うかね。きったねー、さっきまで盛り上がってた相手にそれ言うかね?』
「ほざいてろ、俺は誰が何と言おうとマールを幸せにする」
『いやお前ルッカ派だったろーが!!』
「えっ」
『えっ』


 珍妙な空気。優しくも無いけどジャキが言ったような黒い風でもない、正しく碌でもない風が吹き抜ける。この閉鎖空間で風とは一体どういう原理か。解明する気はないし興味もさらさら無いのだが。
 腰に手をやり、“俺”はゆっくりとした動作で周りを見回した。特に何があるでもないあるのは白い壁と白い天井、俺が垂れ流した赤い血が散見している。そろそろ渇きつつあるのではなかろうか。びっくりするくらいに俺とあいつは話をしていたから。
 しょうがないだろうさ、ここまで腹を割って話せる人間なんているわけが無いのだから。俺も、あいつも。


『はあ……おかしいな。こんなはずじゃなかったのに。そもそも、俺は記憶があるだけで経験した訳でもないのにな、随分お前に引き込まれちまった』
「同じだろ、記憶があって行った自信があるなら……それもお前だ」
『分かってたんだよ。こんな感じになるのはさ、だからわざわざらしくない俺を演じたのに……お前のせいでパーだ。まさか泣きだすなんて』
「泣いてねえし」
『いや、認めろよ。明らかだったよ』


 泣いてねえもん。馬鹿にするな。
 一頻り泣いた泣いてないの問答を繰り返し、やがて折れたのは相手の俺だった。嫌に面倒くさそうな口調だったのが癪に障ったが、掘り返してまた虚言妄言で貶されるのは敵わない。渋々ここらでこちらも矛先を収めてやろう。
 しかし……随分と喋ったものだ。それも下らない自分の醜い部分を晒すだけでここまで会話が続くとは。それも含めて嫌になる、自分の汚い所がここまで残っていたなんて。
 でも、さっきも言ったけどそれが俺なんだ。俺だから為せた事もきっと腐るほどあるはずなんだ。“クロノ”だから出来た事は沢山ある。
 ほとんど実のある話なんかしなかったけど、そもそもこいつに言う必要はない。だって、どれだけ俺が頑張ったかなんて、言うまでも無いだろう、俺の経験を知ってくれているのだから。
 うん、知識欲か。分かるな、今なら。こいつが色んな事を知りたがる理由が分かる。知っているのは武器になる、誰かの支えになる。単純に勉学でも俗世の事情でも他人の人生でも。知っているのは選択肢を増やす結果を生む、出来る事が増えるのはそれだけ強い証なんだから。あいつはそういう意味で知りたがったんじゃないだろうけど、わざわざそれを否定する意味はない。それを言うなら俺だってそうなんだから。


『……で、どうする?』
「どうするって?」俺は首を傾げた。意識したわけではないが、あいつにはそれが嫌味か、とぼけた仕草に映ったようだ。うげ、と舌を垂らし馬鹿にしたように指先を頭に向けた。
『だから、もう一回殺しあうかって話』
「殺し合い」堪らず噴き出した。「殺すったって、お前俺を生き返らせるじゃないか。殺し合いじゃない、俺が一方的にお前を殺そうとしてるんだ」


 それだけ聞くと、何故か俺が不平等な重罪人に聞こえる。いや、生き返らせるなんてトンデモを行うこいつもこいつなんだけれど。
 それもそうか、と手を叩き、俺の顔を睨みつけてくる。睨む、というよりは不機嫌になっただけか。似ているようだが、こいつのそれはどこか寝不足なのに叩き起こされた時のような、少し子供っぽい表情だった。


『それ、理不尽だよな。俺だけ不利じゃんよ』
「知らねえよ、お前が決めたルールだろ」
『じゃあそれ、撤回しても良いか? やっぱ俺もお前を殺したい』行く先を変えるような、軽快な言葉だった。『お前が嫌いになったとか、もう話したくないとかじゃなくてさ。俺はラヴォスだけど、クロノでもあるから。なんかお前に対してそういう事するの、嫌だ。奇特だよな、まるで方針が変わっちまう』
「ふうん。色々厄介なんだな、お前の変化。変化っていうのかどうか知らんけどさ」
『別に、外殻が最初にやったことと変わらないよ。誰かを作りだすんじゃなくて、誰かに成り変わるんだ。お前にとっちゃあドッペルゲンガーみたいな感じ?』
「いや、聞かれてもなあ」


 のろのろと、“俺”は両手に持つ刀を持ち上げた。今更に、どちらも長さが違うんだな、と気付く。刃渡り数センチ位しか変わらないけれど、模様も柄の修飾もまるで違う各々別の刀だった。
 刀身はもっと顕著に差が表れている。色が違うのだ、片方は薄く青がかり、もう一刀は微かに赤が混じっている。斬られた為ではない、むしろ血糊は全て払われていた。その刀の特性に関係しているのか……


『ああ、これか?』赤い方の刀を持ち上げて、あいつはふん、と鼻息を吐きだしにやりと口端を釣り上げた。『朱雀ってんだ。お前の夢幻みたいに硬くないし、俺……ラヴォスを殺す事も出来ない。極々普通にお前の世界にある刀だよ。勿論相当な業物だけどな』
「そうか、そういう事も出来る訳だ。まあそんな刀の事なんかどうでもいい、やる気になったんだよな?」
『別にやる気が無かった訳じゃないぜ? ただ今までは殺しても生き返らせたってだけ。それが無くなったってことは、リベンジが無くなったんだよ。逃げる事なんて出来ないしな、俺を倒さないとさ』
「それで良い。そうでないとな……むかついてたんだよ」
『生き返らせることに? 理不尽だろ、折角何回もチャンスをやったのにさ』
「それがむかつくってんだよ。見下しやがって、そういうのが一番嫌いだって知ってるだろ、俺なんだから」
『知ってるよ。思い出したってのが正解だけど、だからもう良いよな? 殺すぜ、俺はお前を。勿論再機会なんか無い。殺して……終わりだ。まだまだ話し足りないけど……でも充分だ。感謝するよ』


 感謝と言われて、胸の奥にもやもやと何かが渦巻いた。
 言いたくないけど、自分と同じ顔をしてるんだから、そんな事思いたくないんだけど、その時のあいつは儚げで、少しだけ呆けてしまった。
 それを見抜かれたか、“俺”……いや、もういいだろう。ラヴォスは悪戯な顔になっていた。


『ナルシストめ』
「しゃあねえだろ、世界一の色男なんだから、俺は」
『思ってない癖に。平均の面しやがって』
「うるさいな……来いよ、ほら」
『分かってるよ……でもさ、ちょっと試したい事があるんだよ。お前、その夢幻が折れたらどうする?』その眼は俺が持つ最後の武器へと向けられていた。
「はあ? 折れないんだよこれは。そういう風に出来てるから」
『そうだよな、折れないんだよ。それは知ってる。でも……折れたらお前はどうするんだろうな? やっぱり諦めるのか、それともまだ立つのか。今の俺でも分からない、だから……実験してみようか』


 言うと、奴は蹴り出し俺に両刀を振り下ろしてきた。同じ軌道の斬撃を両手で受け止めるのは容易い、振り上げる要領で敵の刀を弾き円を描いて切り上げた。


『……外れ』


 俺の攻撃は背中を逸らすだけで避けられる。奴が何事かを呟いていたが、気にしている暇も無く、もう一度振り下ろし。青い刀で受け止められ、赤い刀、朱雀による突きの連打。前髪のある距離を鋭く突かれ、冷汗がどっと溢れてきた。やはり、どうしてもこいつの方が上だ。技術も思い切りまでも!
 情けない、根性まで引けを取っていては追い付くどころか成長も儘ならない。奇跡を求めるしかないのか? 奇跡は求めるんじゃないだろ、結果が出て、その結果が信じられない意気地無しが出す答えだ!


『外れ、外れ、外れ……ッ!?』


 急にラヴォスが目を見開き驚愕の形相と変わる。俺は何もしていない。ただ必死に奴の猛攻を受け止めているだけだ。時折反撃を試みるも奴の青い刀に遮られ掠りもしない。到底奴を出し抜くような剣筋を見せつけたとは思えない。
 俺の何処に奴にとって脅威となり得るものがあったのかを回想するが……間違いだった。
 思い出す事がじゃない。間違いですら無いか、それを言うなら勘違いだ。奴が怯えて驚いたという認識が。奴はただ、待ち望んでいた時が来ただけだった。


『大当たりだッッ!!』


 唐突に、防御に回していた青い刀を放り投げて、朱雀を大上段に構え俺に斬りかかる。隙は存分に存在する。その気なら奴の左腕一本くらいなら斬り落とせそうな無茶のある大振りだった。勿論、そうしようとした。でも出来なかった。
 その余りある気迫と奴の歓喜の顔。ただの振り下ろしが、まるで自分の最大技だと言わんばかりの迫力だった。
 俺にはその斬撃が巨岩や天泣程の力を有しているとはとても考えられない。魔力も籠っていない、普通の斬りかかりなんだ。なのになんだこの自信は?
 結局、この期に及んで怯えてしまった俺の行動とは、横に剣を構えて頭上に置く、つまりは防御の姿勢だった。
 俺の夢幻と奴の朱雀、お互いが触れ合った瞬間……奴の刀が燃え上がった。朱雀という名の通り、火の化身であるように夢幻に絡みつき、啄んでいくように炎が牙を剥く。


『朱雀……刀としても超一流、とはいえ虹には及ばす硬度も夢幻には遠く及ばない。だが……時折こいつは暴走する。己が刃に込められた力が爆発しちまう。それは意図的なものでさ、わざと暴走を引き起こすよう作られた。暴走の際に起こる斬撃の力は持主の筋力ではなく魔力に比例する。暴走の力は……通常の凡そ万倍。それを俺が使う、運動能力も頭の回転もお前より少々増しただけの俺だが……魔力だけは、ラヴォスのままの俺が使うんだ。どうなると思う? ラヴォスの万倍の力が込められた斬撃は、どんな結果を産む? 答えは、これだ』


 光っていた。あいつの目を見れば反射して映っていた。絶対に折れないと思っていた、元にそうであるはずの夢幻が、その欠片が。虹と同じようにばらばらに砕け散っていたんだ。
 あいつから貰ったのに、貸してもらったのに。返さなきゃいけないのに、砕けてしまった。砕けたのは刀と、多分俺。


『確かに、それは砕けない刀だったよ。ラヴォスのままじゃ、例えどんな魔法を使っても傷一つつかなかっただろうさ。でもな……俺は、お前だから。あいつの言う頭でっかちの半端者じゃねえから。だから砕けた。哀れだと思うし、皮肉だよ。お前の為に作られた刀がお前と同一存在の俺に砕かれるんだから』


 刀身の砕けた朱雀を後ろに投げて、ラヴォスは言葉通り哀れんだ目で俺を見ていた。空いた手にはまた新たに朱雀が生成されていた。そうか、暴走すれば朱雀も壊れるのか、そして壊れればまた作りだせば良い。
 それじゃ……夢幻があっても勝てるわけないじゃないか。同じ土台に立った? 何処がだ、圧倒的に不利じゃないかよ!!


「うそ……だ…………」
『そう願いたいよな? 俺も何度もそう思った。例え借り物の記憶でもお前と同じ体験をしたつもりだから。でも、無駄だぜ。ここに助けは来ない。お前も俺なら、都合の良い奇跡なんか起きないって知ってるよな?』
「うそだああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
『気の毒だな。でも駄目だ、俺だってわざわざお前に殺されたくないんだから……』


──私マールって言うの。あなたは?


 声が聞こえた。


『……クロノだ。よろしくなマール』
「……え?」


 確かに俺は聞いた。目を閉じて耳を塞いで膝に頭を埋めているのに、叫んでいるのに聞いた。でも、それは。
 お前もか? ラヴォス。
 呆としている俺を見て、はっと顔色を変えるラヴォス。何かを払うように頭を振って、もう一度俺を見やる。その眼に浮かぶのはさっきのような同情じゃなくて、迷いだった。


『お前……じゃないよな』
「ああ、俺は何も言ってない」
『ああそうだ、お前じゃない。お前の声とあいつの声を聞き分けられない訳がない』


──ああ、ちょっと待って! ……ありがとね、クロノ。


『じゃあよ、』


──最後まで気を抜くな、勝利に酔いしれた時こそ隙が生じる。


『今頭に響くこれはよ、』


──……僕は、できれば皆さんと一緒に行きたいです。皆さんのやることが人間、この星の生命を何処に導いていくのか見届けたい……後一人でいるのはつまらないし、寂しいです……


『誰の声だよ!?』


──あ、あたい、エ、エイラ……言う。お前たち……あの……


『いや、言われなくたって分かってる!! 誰でもない俺が知ってる!!』ラヴォスの叫びに共感する。そうだ、知らない訳がないんだ。この言葉も、その声も。


──姉上ともう一度会わせて……


『うるせえ!! 俺のせいか? 違う!! ジールだろうが、お前があいつに会えなかったのはジールのせいだろ! 俺の気に当てられたなんて知るか!! 俺は……俺は!!』


──まだ嫌だ。折角お兄ちゃんが出来たのだ。ニズベールと三人で……いや、恐竜人皆も合わせていっぱい遊びたいのだ。


『関係無い!! 俺が降って来たのは俺の意思じゃない!! それに、お前ら生きてるじゃん、死んだ奴もいるけど、俺が降ってきたから氷河期になったけど……でもそんなん俺知らねえよ、やりたくてやったんじゃねえよ!!!』


──クロノが死んだ……? ねえ何で笑ってるの!? もういないんだよ? 私たちが泣いても叫んでも届かないんだよ!?
──私はここにいるわ! だからクロノここに来てよ、私に触ってよ、笑ってよ怒ってよ私を好きになってよ一緒にいてよぉぉぉ!!!
──……なあクロノ、清算してくれ。俺はお前を守っただろう? お前が泣いてるときに涙を止めてやったじゃないか。だから今度はお前の番だ、俺を助けてくれよ。
──だから……うるさいんですよ貴方は! クロノクロノって……もういないんですよ、いつまでも延々同じ言葉を聞かされて、思い返される身になってくれませんか!?
──クロ……
──約束を守れないのなら……出来ぬ事を言うくらいなら……最初から、希望など見せなければ良かったのだ!!


『違う違う違う!!! 俺はラヴォスじゃない! ラヴォスだけど、殺したけど……俺の意志じゃない、星がっ、星がそう言ったんだ! あいつらずるいんだ、自分じゃ何も出来ないから、俺に任せてきたんだ! 関係無いのに、僕は関係無いのに!! 僕もクロノだ、僕だって今はクロノなんだから、僕も愛してよ、僕の為に泣いてよおおおぉぉぉぉぉ!!!!』
「お前……」


 俺の話し方じゃない。一人称も違うし、ラヴォスのままでもない。奴はこんな風に取り乱さなかった。今のあいつは、誰でもなかった。
 下手に俺になり過ぎたのだろうか? だから俺を殺した、いやそれを思い出したあいつは、もうラヴォスにも戻れない。今のあいつは……誰だ? 俺が戦うべき相手で、俺が諦めかけた敵は何処に居る? この、さっきの俺よりもずっと苦しそうに喚いているこいつが俺の敵なのか? 星を破壊し未来を変えて人類を滅亡に追い込んだ?


『喋るなよジール!! お前が弱いのがいけないんだ、子供と一緒にいたかったなんて知った事か!! お前が望んだんだお前が! だからそこに取り入っただけだ、他の魔物も勝手にお前が改造したんだ!! 賢者なんて知らない、サラも知らない! 黒の夢もゲートも俺はクロノだ、トルース町で育ってお祭りでマールとルッカに会って中世でカエルに会って原始で魔王に会って未来でサラにあってロボヲコロシテジールトキョウリュウジンヲナカヨクサセテラヴォスヲナカマデワカレテコロシテイイイイマクロノヲコロシタ、タ、タ』


 何でだ? 何で泣いてしまうんだろうか俺は。きっとあいつが泣いてるからだろう。
 さっきまであんなに得意気にしてたじゃないか。お前は俺より凄い、優れてるって偉そうに話してたじゃないか。俺と一緒に昔を思い出してたじゃないか。なんでその時はおかしくならなかったのに、今は壊れてしまうんだ? 声が聞こえたからか? だとしたら、何で聴こえたんだ?


「……え?」


 いつの間にか、眼の前に夢幻が置かれていた。砕けたままじゃなく、完全に復元されている形で。俺に握れと命じている。殺せと伝えてくる。
 俺は、誘われる様に刀を取った。その途端、ぐるりと目玉を動かしてラヴォスが斬りかかってくる。


『そそ、そうだお前がラヴォスだ!! お前を殺せば未来が救われる、お前が死ねば俺は皆の所に帰るんだ!! 皆俺は仲間だから認めてくれて沢山の人が俺に話しかけてくるさ、星の命令も知った事か! ラヴォスは悪だ最悪だお前がいなければ皆幸せだったんだだからお前は死ぬべきだそうだあああぁぁぁ!!!』
「止めろよ……ッ!! お前が言うなよ!!」
『オオオオマエが悪いんだ生まれてこなきゃ良かったんだなんでずっと宇宙にいなかったんだお前なんか落ちてくるなずっと一人でいろずぅぅぅぅうっと永遠に悠久に一人で勝手に死ねば良かったんだああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』


 どんな想いだったろう。
 ずっと宇宙にいたんだ。知恵もあったし、考える事も沢山あった。きっと言語なんてものも理解していたんだろう。
 でも、一人だった。こいつはずっと一人で生きていた、そしてようやく話しあえる生物がいる星を見つけた。
 初めてこいつがこの星に来た時、原始の空で見つけた時、俺は何を思った? きっと恨んだはずだ。こんな物が落ちてこなければアザーラたちは死ななかったのにって。星は終わりを告げる事無く豊かなまま原始の生物は生を謳歌し、未来が無くなることもないのにって。
 こいつは何を思ってた? きっと喜んだ筈だ。ずっと迷子のままで、ようやく生物に会えた喜びで一杯だったんだろう。まるで子供の様に幼子そのままに飛びついて行くような気持ちだったんだ。その生き物たちが自分の体で押しつぶされて悲鳴を上げるのを、こいつはどう感じたんだろうか。
 そして、意志の疎通が可能になり、その相手は星であり植物であり魚であり動物であり虫であり。そいつらは揃ってこう頼んだんだろ?「この星を焼き尽くして下さい」って何千年……いや何千万年も延々と言われてきたんだろ?
 仲良く、したかったんじゃないか? だからこの星に来たんじゃないのか? 友達が、家族が、仲間が。なのにずっと言われる訳だ、殺して下さいって。僕たちごと人間を。
 何が知識欲だ、格好つけやがって。そうじゃないだろ知りたいのはそんな大層なもんじゃないだろ? 誰かと話す喜びを、誰かと交わる楽しさを、誰かと生きる充実感を知りたかったんだろ? でも、教えてくれたのは憎悪。
 でも染まらなかった。こいつくらいの力があればもっと早く人間を殺し切れたはずなんだ。でも……こいつは抗った、話す事も出来ない人間の為に何千万年耐え続けたあの世界終焉の時、AD1999年まで!!
 普通染まるよな、無垢なガキがあっさり犯罪に手を染めるみたいに殺してくれなんて言われ続けたらすぐに黒くなるよな。でも頑張ったんだな、お前。


──そう? 僕は嬉しいよ。久しぶりにこの身体で他の生命体に会えたんだ。久しぶり、じゃないか。初めて会えたんだから、初めまして僕の最初の人かな──


 万感の想いだったんだろ? 本当に嬉しかったんだろ? あの無表情な、俺が化け物と評した姿で飛び上がりたいくらい喜んだんだろ? 外殻や内部のお前と違って嬉しかったんだよな?


──君は僕と戦おうとしてるね? でもちょっと待ってよ。お話したいんだ。出来れば、僕が飽きるまで──


 勇気がいったんだろうなあ、告白とか、そんなの目じゃないくらいにさ。初めてだったんだもんな。何億年だかそれ以上か知らないけどさ、ずっと一人でいて、初めて会話が出来るんだから、そりゃあ楽しみだったんだろうさ。断られたらどうしようって凄い緊張したんだろうな。
 でも、俺が吐いた言葉は。


──ふざけんな、うんざりだって言ったろ? お前の首を落として此処を出る。お前とのくそつまらねえ会話なんかもう御免だ──


 鍔迫り合いの最中に後ろに飛び跳ねてから、自分の頭を拳で殴りつける。頭皮が破れ、血が流れ出た。それに構う事無くラヴォスはまた斬りかかる。
 いっそのこと斬られちまえ。そう思っていても臆病な俺は受け止める。それが身を斬られるよりもずっと痛かった。
 あいつに表情が無いから、俺は何も気にしていないんだと思ってた。気にしても、関係無いと思っていた。勝手にあいつを悪者だと決めつけていた。
 辛かったに違いない。ふざけんな、もうんざりも首を落として此処を出るもまあ良いさ。きっとあいつを傷付けたけど、でも良いさ。その後に比べればずっとマシだ。
 「くそつまらねえ会話なんか、もう御免だ」。これは駄目だ断罪級だ。嘘だろ、よくもまあそんな事を言える、そこまで相手を陥れられる。手を伸ばしてきたガキを殴り飛ばして、唾を吐いて、それでもまだ足りず「お前なんか話していたくない」ときたものだ。素晴らしいな、完全無欠に最低じゃないか。
 悪いのは誰だ? 星か? 人間以外の生物か? それとも俺たち人間か? 分からない。分からないけど……


「お前じゃ……ないよなあ……? ラヴォス」
『ッッ!?』


 荒く息を吐いて、瞳孔を見開いたままラヴォスが俺から離れた。後ろに飛び下がるじゃない、慌てて背中を向けて逃げるように俺から距離を取った。子供みたいな仕草が、より一層俺の心を痛めつける。震えた手で刀を握り、近づかないでと言外に伝えてくる。
 涙が止まらない、粘着質な唾がどぷどぷと溢れて、口の外へ流れる。汚い顔だろう、でも近付いて行く。


「ごめん……俺、勝手に思い込んでた。お前が悪いって、ずっと思ってた。アザーラを殺されたと勘違いして、ジール王国を滅ぼして、未来を壊して、ロボを殺して……恨んでないって言えば嘘になる。でもだからってこの星が、そこに生きている生物がお前にしたことを忘れてた。最低だ、やっぱり俺、屑だ」
『クルナ、クルナヨ……』
「言いたくなかっただろ? 自分で認めるの嫌だったよな? ずっと一人でいれば良かったなんて……それがお前の本音か? だから、この星が再生したら自分から死ぬなんて言ったのか?」
『クルナッテバァ!!』刀を遮二無二振るって俺が近づくのをやめさせようとする。両手を振り回して、誰も来てほしくないとアピールするみたいだ。そして、そうさせたのは俺“たち”だ。
「でもそんなのおかしいって!! お前仲良くなりたかったんだろ? この星につけば楽しい事一杯だって思ったんだよな? 楽園みたいな、夢みたいな所を想像してたんだ。でも……ごめん、そんな所じゃない。人間同士で殺し合うし星の仲間たちは他人が嫌いだ、嫌われても気にしない奴ばっかりだ!! お前がおかしくなる理由なんか全然無いんだ!!」
『ヒッ!!』


 ラヴォスの刀は、振り方が無茶苦茶すぎて俺の腕に当たっても刃が食い込むだけだった。それでも、三分の一は切断されたと思うけど。おかしくなったのは俺もか、まるで痛くない。
 だからそのまま、俺はラヴォスの両腕を握った。俺と同じ腕のはずなのに、随分細く感じた。
 そして、どちらも涙に塗れた顔を見つめる。呼吸が定まらないラヴォスは俺の形を取る事を止めて、元の形に戻った。とはいえ、大きさは変わらず俺と同じ背丈だったけれど。そこまで魔力を回す余裕が無かったのだろうか。
 口も無いし鼻も無い、目も何処にあるのか分からないけれど、初めて見た時と違って、それは恐ろしい物でも不気味な顔でもなく、真っ白で純粋な赤子にさえ見えた。


『テ、天泣!!!』
「……グッ!!」


 俺に掴まれたラヴォスの両手、そこから放たれたエネルギーは、俺の頭を微かに逸れて右耳と一緒に左足と背中を削り取った。内臓がはみ出てるかもしれないな、もう一生立てないかもな、それがどうした!!
 そのままもたれるみたく、ラヴォスに抱きつく。もしかしたら離した両手で吹き飛ばされるかもと思ったが、それならそれで良い。でも、ラヴォスはそんな事も思いつかないくらい怯えているのだろう、為すがままに俺に抱きつかれた。
 両手を背中に回して子供をあやすように撫でてやる。いつまでこうしてやれるだろう、きっと短いに違いない、でも頑張れ俺。今までの努力なんか水泡に帰して良い。でも今だけ、本当に頑張れ。じゃないと俺が許さない。


「大丈夫、だから。お前ここにいて良いから。ずっとお話してやるから。だから……泣くな。俺がここにいるんだから」
『天……』
「俺、お前の事好きになる。皆怒るかもしれないし、お前の事を嫌う奴もいる。でも、俺はお前の事好きになるから……」
『…………本当に?』
「ああ、本当だ…………」
『……うん』頭を俺の頬に擦りよせて、こいつも俺の背中に手を回してくれる。皮膚が無いから、回すだけで触りはしない。ほら、こいつはこんなにも優しい。


 こういうのも、俺らしいだろう。
 こんな終わり方も、俺だから出来た答えだ。未来は救えないけど、仲間に会えないけど、運命を変えるなんてできなかったけど、こいつを救えた。俺だから救えた、そしてこいつが救われて、俺はもっと救われた。


『じゃあ、いっぱいお話しよう? 僕ね、君の……えっと、その……』
「? ……どうした?」もう、耳が遠い。でもこいつが嬉しそうなんだ、ちゃんと聞く。
『あのね、あの……クロノって呼んでも良いかな?』


 あんまりにも重大そうに言うから、思わず笑ってしまう。力無い、笑顔だったけれど。
 こいつ無表情じゃねえよ、明らかじゃないか。顔赤くしてやがる、照れてるんだ。可愛いので、右腕を上げて頭を撫でる。ほうら、気持ち良さそうにしてる。


「良いよ。俺も、お前の事ラヴォスって呼んでるし」言うと、ぱあっ、と笑う。お前愛されるよ。俺じゃなくてもお前なら絶対大丈夫だよ。
『じゃあね、クロノ! ……僕、クロノの話が知りたい……じゃなくて、聞きたい!』
「お……れ、の?」
『うん。僕も、クロノの事好きだから!』
「そう、か。ハハハ……照れるな……うん……話す、よ」
『うん……でも、そうだな。その前に、もう一つ聞きたい事があるの』こつん、と額を俺の頭に当てて、少し浮かれた調子でラヴォスは聞いてきた。
『僕の事、好き?』


 俺は、ちゃんと答えたよ。好きになるって言っといて、すぐさま好きになったから。もう、とても斬り合うなんて出来なくなったから。
 ごめんな皆、また約束破っちまうみたいだ。でも許してくれるよな? こいつ一人なんだ、側に誰もいないとかじゃなくて、ずっと一人なんだ。一人が辛いのは知ってるから、だからごめん。やっぱり俺は誰かが泣くのは嫌なんだ。俺が嫌だから、失くしたい。
 ……でも、ああ。もっとこいつと話したいのにな、もう声が出ないや。こいつまた一人になっちまうな。
 ……………………………あ、でもこいつ…………






 わらっ、てる………………



















 良かった。




















 鐘の、音?
 そうだ、鐘の音だ。もう支度をしなければ、遅刻してしまう。
 急ぎ寝間着を脱いでタンスから服を取り出す。いつも通りの白いシャツに水色の、少しだぼっとしたズボンを履いて、額に鉢巻を巻く。


「よし、隠れたな」


 額を擦りながら鏡を見る。原因は分からないが俺の額には妙な痣が出来ていた。いつまでも治らないので、医者は不思議そうにしていたのを思い出す。
 腰に木刀を差して、頬を叩き階段を下りた。


「母さん、おはよ」
「おはよう。何あんた、今日はあっさり起きたわね」
「まあ、たまにはね」
「ふうん。まだ千年祭の気持ちを忘れられないんじゃないかい? もう二か月も経つってのにさ」


 母さんはふわあ、と欠伸をして肩を鳴らしながら外に出て行く。いつものように、魔物たちに訓練を行うのだろう。その光景は今じゃトルース町の名物になっている。噂を聞きつけた魔物たちが続々と母さんの下に集まり教えを乞うているらしい。総勢千を越えたと前に町長が話していた。誇らしいと言えば良いのか、寂しいと思えば良いのか。
 俺以外の人間では決して悩まない悩みを抱えつつリビングに向かう。
 今日の朝食は、目玉焼きとサラダ、バターを塗ったパンだった。サラダを口に運ぶとレモンの香りが漂い、もう一度口に頬張る。飲み込んだ後、カップに入った熱々のコーンスープを流し込みパンを齧った。
 焼きたて、だった。


「それじゃ、俺出かけてくるよ」
「そうかい。今日だったかね、お城に呼ばれてるのは」
「まあね。覚えといてよ、息子の大切な日なんだから」
「ふん。世界を救っただかなんだか知らないけど、そんな事どうでもいいわよ。あんたが息子なら、それで全部さね」
「……ん。行ってくる」


 砂利道を終えて、石の道路に出る。左に続く稲穂の広場が風に煽られさわさわと鳴いている。日差しを目一杯浴びて気持ち良さそうに身を倒している、俺も同じように寝ころびたいなあと羨ましそうに見ていた。
 途中、果実畑の隣で果実酒を販売していた。もぎたて一番の香りは堪らないよ! と道行く人々に声をかけているお姉さんは、きらきらと輝いて見えた。
 懐から十ゴールド出して一つ頂く。小さな木のコップに入った酒は飲みやすく、もう一杯貰う事に。今度は赤みがかったもので、こちらもまた味わい深い。
 飲みっぷりが気に入った、とお姉さんは顔を綻ばせて、おつまみ代わりだと林檎を手渡してきた。あまり聞いた事がないつまみだが、その好意が嬉しい、有難く受け取った。
 林檎を食べ終わる頃には、大通りに出てくる。騒がしく人々が行き交い店の営業が始まり出した。そこには人間も、魔物も、恐竜人──アザーラ族と言うそうだが、皆が仲良く笑い合っている。ハーフの種族もまちまち存在しているが、誰もが彼らを受け入れている。
 ふと、賑わう喫茶店を見つけた。何の気なしに近づいて看板を見ると何でも四百年前から存在している喫茶店だそうで、夜になるとバーに早変わりするらしい。店内には歴史上最高の冒険家の絵画が飾られているそうな。
 折角だ、ここでモーニングコーヒータイムとしようか……


「おい」
「おいと言われても俺の事か分からんしな。お洒落な空気を纏うためにも俺は断固この店に……」
「俺を無視するとはいい度胸だ、愚民が」


 たった一度聞こえないふりをしただけで随分怒りの形相へ早変わりしている男が俺の肩を掴む。力任せに引き寄せられたので、少々痛い。でかいだけの体格ではなく筋肉も並ではないのか。まったく度し難い、ただでさえ巨体と筋肉と俺より三段は劣るがそこそこイケメンという理由で町の女から黄色い声を投げられているというのに、尚且つ俺の午前の楽しみを奪うのか。この店に入るの初めてだけど。


「なんだよダルトン。パレポリにいるんじゃないのか?」
「今日は俺もガルディアに用事があるのだ。俺様を呼びつけるとは無礼であるが、器の大きい俺様は仕方なく訪れて来てやったのよ、叩頭しろ」
「なんで頭を下げにゃならんのか暇人め。しかもお前馬車で来たのか? 流石、小さいとは言え国の王は違うね」ダルトンの後ろを見ると、王族が使うような屋根つきの馬車が待っていた。屋根は赤く車輪は金色。馬を操る人はマスターゴーレムだった。服装は貴族が着るような礼装だったので、気付くのが遅れた。
「今は小さいがな、俺が率いるのだ、パレポリはやがて世界最大の国へと変貌するだろう」
「そりゃあ……無理と言えないのがお前である性だな、ダルトン」ちゅうか、そこのマスターゴーレムだけでちんけな国三つ分くらいの力を持ってるんじゃないか?


 話もそこそこに、ダルトンは俺の首根っこを捕まえて馬車に詰め込んだ。きゃー誘拐犯!! と叫んだら俺の頭の半分はありそうなどでかい拳で頭を殴られる。目の前が真っ白になるとは思わなかった。馬鹿力め! ていうか乱暴してからさらうってまんま悪人じゃんか、こいつが善人とは思っていなかったが。


「お前も城に招待されているのだろうが。連れて行ってやるだけのことよ」
「なんだろうな、この職場で出来る先輩みたいな空気。お前らしいけど」


 馬車の中は存外広く四人は座れる空間だった。左右に二人分の席があり、ダルトンの向かいに腰を落とす。とてもあいつの隣には座れない。心情的にもそうだし、隙間的にも無理。絵的はもっと駄目。
 はあ、と溜息をつくとダルトンは俺の顔の前で鼻を鳴らしていた。いやいやだから駄目だって気持ち悪い。窓の外から見ている女の子がきゃあきゃあ騒いでるじゃないか。楽しそうなのは無視だ、無視!!


「お前、仮にも王城に招待されているというのに酒を飲んできたのか。豪気よな、お前らしいわ!!」
「二杯だけだよ。それも弱い奴を、こんなに小さいコップで」頭を撫でくり回されながら指を立てて『小さい』を表現する。それにしても頭撫ですぎだろーが、あのな? もう俺マールで慣れてるからいいけどさ、外の女の子狂喜乱舞してるから。止めてくんないマジで。
「うむ、ならばこの会合が終われば俺と酒を飲むか。この俺が誘っているのだ、よもや断るまいな?」
「わーったよ。けどな、パレポリには行かねえぞ、ガルディアの酒場ならいいぜ」
「構わんが、俺のパレポリも美味い酒は腐るほどにあるぞ?」
「良いんだよ。パレポリでお前と飲むのは絶対に嫌だ」


 一月半程前の話だが、こいつと一緒にパレポリに行った時。男も女も眼の中にハートを浮かべてこいつを見てやがった。中でも十四かそれ位の女の子はこいつの腕から離れなかった。ダルトンさんダルトンさんと連呼して、たまあに「あっ、なんだか知らないですけど、英雄さんなんですよね、凄いです」と取って付けたように話していた。あからさまに『でもダルトンさんのほうが凄いですけどね』と目が語っていた。死にたくなった。滅ぼしたくなった、パレポリごとダルトンを。
 そこからこいつの従者のゴーレムとその女の子がダルトンの取り合いを始めて……あああ心臓の辺りからムカムカがっ!! ムカムカが這いずってきやがる!!


「ふん、貴様も相応に女人から好意を持たれているだろうが」
「違う、お前への好意と俺への好意はまるで違う。俺の場合はちょっと良いかも、くらいだ。お前の場合は抱いて下さいなんだよ」
「当然であろう。貴様と俺では格が違うのだからな」
「……そういう奴だよ、お前は」


 力が抜けて、背もたれに左手を置く。普通ありえないんだろうな、国王が目の前にいるのに崩した格好になるのは。それを言えば今までの言動なんか斬首であるべき無礼なんだろうが。
 ──そう。俺が戦いを終えた帰った後、元の現代には驚くべき事にダルトンがいた。それだけでも目玉が飛び出そうな出来事なのに、こいつはあろうことかガルディアと冷戦状態だったパレポリの主導者になっていた。国王とはこいつが名乗るだけで、実際はそんなものだろう、村長と言っても過言じゃない。それを言うとこいつは決まって「この俺がそんな田舎臭い地位で満足すると思うのか!?」と怒るので口にはしないが。どう見たらあの小さな村を国として取れるのか。こいつがいるだけで軍事力は国に相当するんだろうけど。
 聞いた話、ダルトンがこの時代に来た理由は曖昧らしい。こいつ自身はジールがゲートの力で古代から現代に飛ばしたと思っているのだが……それも考え難い。あのジールならそんな面倒を犯さずさっさとダルトンを殺してしまっただろうから。
 でも、それを言葉には出来なかった。誰からも好かれず悪として死んだジールが、出来心だとしてもダルトンを平和な世界に飛ばしたと思うのは悪くない。ま、結局この世界にも黒の夢の魔物を飛ばしたのだからどうとも言えないけれど。
 だが、皮肉にもダルトンは黒の夢の魔物からこの村を守り狂信的とさえ言える求心力を手に入れたのだ。最近ではガルディアでの人気も上々とか。シンジマエ。
 ……もし、ジールがそれすら見通していたのなら? いやまさか。それこそ考え過ぎだろう。何しろ、世界を崩壊させるには十分な力を持つ魔物の大軍を送り込んだのだから、ダルトンの為なんて言い訳にもならない。大体その戦いでダルトンは死の淵を彷徨ったらしいし。
 でもそうだな。少しは思う所があったかもしれない。出来の悪い娘の教育係として、自分の娘を支えてきた一人の男に、何かを感じていたのかもしれないな。


「でもさ、良いのかダルトン」
「何がだ。言葉が少なすぎるぞクロノ」
「ここに残ってて、だよ。お前のいた世界は古代だぞ? いや、帰ってほしいって事じゃないんだけど」内心その気持ちが零でも無いんだけど。
「ふん、良いのだ……あそこに俺は必要ない。俺の部隊の人間も、きっとそこに残る住民を守るだろう。そう……必要無い」


 そうだろうか。俺にはダルトン部隊の人間は皆こいつの事を多かれ少なかれ慕っていたように思える。国を操る女王と、魔物たちに逆らってまでこいつの命令に従うくらいには。
 それは、全く言う必要の無い事。だからこそ俺は思い浮かんだ言葉を飲み込んだ。


「それにだ、パレポリの人間は俺を求めている。力などという一時の幻想も含めてな。だが、力など見せつけずとも俺様の威圧、カリスマ、美貌を持ってして治めきってやるわ!!」
「あっそ……」
「それに、」一瞬、こいつの何物をもなぎ倒す眼光が消え、宮殿で見た悲しい色に変わる。「それに、あいつのいないあの世界は寒すぎる」
「……あっそ」


 がたがたと車体が揺れる。舗装が完璧ではないのか、少々揺れが酷くなる。ありがたいな、今の無言の時は揺れのせいで起こったものだと誤魔化す事が出来るから。
 しばらくして、前の車窓から外の景色を見ると森が遠くにあった。ガルディアの森か、流石馬車は歩くのと違って随分早い。


「うわっ」
「そも、貴様はシルバードを壊したのだろうが! 今更そのような話を持ち出すな!!」
「ご、ごめんって! 悪い悪い!!」


 首に腕をまわされぶんぶんと揺さぶられる。良かった、町の中でこんなんされたら次の日の朝刊は決まりだった。どこかに怪しい関係という一文があるのは間違いないだろう、そして俺がその記述の担当者を闇討ちするのは確定だろう。


「良かったのか?」首を絞める力が弱まり、ダルトンは神妙な声で呟いた。
「? 何が」
「シルバードを壊して、だ。もうゲートは無いのだろう? 仲間たちに会えなくなったのだぞ」
「ああ。それならもう──」


 それならもう……



















「……ロノ! クロノ!!」


 身体を揺さぶられている感覚。掴んでいる腕の力は強く、痣になるんじゃないかと心配になるくらい。そして俺を呼ぶ声はあまりに悲壮で、悲しくて。
 気が付いたと言うのに、何故だか目を開けるのが憚られた。
 視界を開けぬまま手を弄ると、小さな粒が指先を掠める……砂か…………砂!?


「ッ!?」


 すぐさまに体を起こし辺りを見回す。あるのは白い空間ではなく、緑の木々に石畳、上には満天の星空と満月がぽつり。少し視線を遠くにやれば、未だに置きっぱなしのルッカのテレポート装置。そして、装置と森の間には丸いゲート空間が蠢いていた。
 間違いない、ここはリーネ広場の、初めて時を渡った始まりの場所。


「クロノ! 良かった、目を覚ま」
「マール!! ラヴォスは? あいつは何処にいる!?」
「え、ええ?」


 隣にいたマールの肩を持ち質問を飛ばす。戸惑っているのは分かる、でも聞かないと。もうこれ以上約束を破りたくないんだ。側にいてやろうって決めたんだから、好きになったのだから。
 それから、俺の近くで驚いたままの他の仲間にも聞いてみる。混乱しているかもしれない、いきなり起きた俺が何の説明も無しにラヴォスの所在を聞いてくるのだから。そんな当たり前の事を知るのに、俺は多少の時間を要した。
 やがて、グレンが「落ち付け!!」と宥めてくれるまで俺は矢継ぎ早に質問を繰り返すだけだった。


「ラヴォスは、お前が倒したのだろう? 証拠にほら、ゲートが閉じようとしている」
「……え? そんな……」
「凄いクロ! やっぱりクロ強い!!」


 エイラが嬉しそうに跳ねる。でも待ってくれ、俺はあいつを倒してない、倒そうともしてないのに……
 喜ぶな、勝手に決めるな。そう怒鳴ろうとして……口を閉ざした。それにどんな意味がある? もう分からない事があったって、理解できなくたって、誰かに当たり散らすのは止めるって決めたじゃないか。ロボの件で俺はまだ懲りないか。
 急に喋らなくなった俺に、意外にも俺の容体を気にしたのは魔王だった。


「怪我はないのか? 表面上は無傷に見えるが、見えぬ所に負っているのかもしれん。おいグレンにマール、こいつに回復呪文を唱えてやれ」
「……あ、う」
「どうした? やはり傷があるのか、痛むのならばエリクサーもある、使え」
「あ、いやそうじゃなくて……ははは」
「何を笑う?」
「……優しいな、魔王は」
「ッ!!」


 見知らぬ人間に撫でられた猫みたく俺から飛びのいた魔王はそっぽを向いて「いらぬ心配だったようだな!」とむくれた。
 こういう風に、仲間に心配してもらうのが、辛い。それを嬉しいと思っている俺は、ラヴォスを裏切っている気がしたから。
 そうか、あいつ……そういう道を選んだのか。ふざけるな。
 ゲートが消えかかってるという事は、あいつが消えたという事。それ以前に俺がここにいるという事は、あいつが死んだという事。考えてみれば単純な帰結だ。でも俺はあいつを殺してない。そんな気は無かったし、そんな事が出来る身体じゃなかったから。今俺が無傷なのは、あいつが治療してくれたからだろう。そして……こういう結末をあいつ自身が選んだのだ。


「……まだ、俺達は滅亡してないぞ。自分から死ぬのは、もっと後だろうが……!!」
「ど、どうしたのクロノ? やっぱり魔王の言うとおりどこか怪我してるの? だったら」
「いや、大丈夫。大丈夫なんだ、俺は」


 俺の手に置かれたマールの指を押し戻す。そう、俺は大丈夫なんだ。優しくしてもらうべきは……優しくしてほしかったのはあいつの方だ。俺は、そうしてやれなかったから。
 涙が溢れそうだ、でも出してはいけない。こいつらに心配をかけるべきじゃない、ラヴォスとの約束も邂逅もこいつらには関係ないんだから。俺が一人で見つけて一人で交わしたものなんだから。
 ぎこちなく笑って、「ごめんな」と伝える。出来そこないの笑顔だ、無理してると解釈されたかもしてないけれど渋々マールは身を引いた。


「やったわね!! これで、未来を救えたのよ!!」
「いてっ」


 肩をぺしんと叩くルッカの顔は喜色満面、眼尻には涙まで浮かんでいた。きっと心配してくれたのだろう、無意識に頭を下げてしまう。
 すると、彼女はきょとんとした顔になり、やれやれと言わんばかりに指で眼鏡を上げた。


「お礼を言うなら、マールとグレンにしなさい。この二人の慌てようったら見てられなかったわよ?」
「お、俺は別に慌てていない! 嘘をつくな、ルッカ!」
「へえ、二人して気絶したクロノに抱きついてた癖に、良く言うわ」
「言うなあ!! 剣士の誇りをなんと心得るか!!!」


 今まで少し離れたベンチで見ていたグレンが飛びこむようにルッカに迫り牙を見せている。そんな中でもちらちらとこちらを見ているのは、当然俺を心配している証拠。
 幸せだな、俺は。あいつは幸せじゃなかったのに。
 ……やめろ。あいつは返してくれたんだぞ此処に。皆のいる所に、俺が望んでやまない場所に。それがどういう事か分からないのか、馬鹿がッ!!
 それに──残された時間も、僅かなんだぞ。


「クロ、本当に痛い、無いか?」
「大丈夫だってエイラ。痛かったら、ちゃんと言う。今度は皆に隠したりしないよ」
「……そう。思い出した。クロ、黙って行った、エイラたちに何も言わずに、黙って」


 そう言うとエイラは拳を丸めてぽこ、と俺の頭に当てる。全然痛くないけど、きっとお仕置きのつもりなんだろうな。これは効果的だ、だって叩いた本人のエイラが泣きそうな顔で俺を見ているんだから。とても、とても悲しそうに、目を震わせて。


「もう、もうクロ、無理しない。約束、する!」
「うん、約束する。エイラに嘘はつかないよ。ついた事無いだろ、俺」
「えと……うん。した事無い! クロ正直!」


 手を伸ばして、ふわふわの髪を撫でる。カールした髪は触っているだけで俺の指を癒してくれた。ふむぅ……と息を漏らすエイラを愛しく感じる。
 けれどそういう意味じゃないよ、守ってあげたい気持ちは沢山あるけど、エイラは俺が守れるような女性じゃない。エイラを守ってあげられるのはたった一人だけだから。
 でも、心配掛けたり、笑わせたりできるくらいにまでなったんだな。失恋した頃の俺に教えてやりたい、お前はいつかこの子の笑顔を引き出せる男になるぜって。


「……時間だぞ、貴様ら」


 む。さっきまで名前で呼んでたのに貴様らに逆戻りか。少々照れさせ過ぎたか。しょうがないじゃないか、嬉しかったんだから。魔王に心配されたのがさ。
 魔王の言葉通り、ゲートの歪みが不規則になっていく。それに、外幅が徐々に狭まっている気がした。
 そうか、もう時間なんだ。もっと話していたかったな。
 誰も、その後言葉を出さない。皆同じ気持ちだったんだろう、疑う必要もないくらい、ここにいる俺たちは生涯最高の仲間なんだから。
 そうして、短い時間が過ぎた後、何も発する事無く魔王がゲートへと歩いて行った。このまま何も言わずに帰るつもりなんだろうか? そう不安になった俺は思わず声を上げていた。


「こ、古代に帰るのか!?」


 慌てたため、声が裏返ってしまう。恥ずかしいな、そこを指摘されたらどうしようか。
 それでも良い。もう少しだけでも魔王といたい。グレンとは違うけど、こいつもまた俺が憧れた男の一人なのだから。


「……いや、まずは中世に帰る。私には家族がいるからな、何をするにせよ奴等に話をせねばならぬ」
「そ、そうか……寂しいな」


 寂しいなって、それだけかよ俺は。くそっ、何も言葉が浮かばない。もっと言いたい事はあるんだ、ありがとうを喉が枯れるくらい伝えたいのに、この喉は詰まってしまって何も出ない。
 そのまま俯いてしまう俺の女々しさは、この旅を終えた今も俺を縛るのだろう。
 そんな自己嫌悪に陥っていると、魔王がふっ、と笑うのを聞いた。そして、マントを翻し俺を見る。そこに、昔の様な暗い空気は無い。あるのは清廉された瞳と、細く柔らかい瞳。とても優しい笑顔だった。


「知っているか、クロノ。貴様は……私の目標だった。貴様を超える為に私は強くなったのだ。故に、胸を張れ。魔王に目標とされたのだ、誇り、そして高くあれ。でなければ、あっさりと貴様を超えてしまうぞ?」


 ……なんだよ。お前もか、お前もそうだったのか。
 魔王の言葉はいつも優しくなかった。でも立ち上がる強さを俺にくれた、こいつにならどんな無茶でも叶えてくれそうな頼りがいのある背中を俺に見せてくれた。そんなお前が……そんなに嬉しい言葉をくれるなんて、予想外だよ。そんで……すっげえ嬉しいよ、畜生。


「俺も……お前が目標だった。いつかお前を倒して、誇りを返してもらおうと思ってた。結局叶わなかったな、俺の願いは」
「馬鹿を言え……私はとうの昔に、子供の頃より貴様を目指していたのだ。年季が違う……そうだ、あの時言わねばならんかった言葉があったな」そう言って、魔王は小さく息を吸った。あいつの後ろに、小さな男の子の幻影を見る。
「あの時、私(僕)を庇ってくれて、ありがとう」


 そして、魔王はゲートの中に消えた。
 風が通り過ぎて行く。もうあいつは、黒い風なんか感じなくて済むのだろう。あいつの周りには、きっと沢山の家族が集まり優しい世界があるのだろう。そう願うよ。


「じゃあクロ。エイラも帰る、元気でな」
「そうか……キーノと幸せにな」
「うん!! エイラ、幸せ!」


 てっきり顔を赤くするかと思ったが、あっさりと肯定されてしまった。そうか、叶ったんだな恋心。どこか寂しいけれど、それ以上に嬉しい俺がいた。
 そして、言伝を思い出す。大事な事だ、そして申し訳ない事だ。


「アザーラたちに謝っておいてくれるか? 会えなくてごめんって。そして、生きててくれて、ありがとうってさ」
「分かった、伝える。エイラもクロに言いたい事、ある」
「何だ?」
「クロの事、好き! キーノの次に好き!」


 エイラは顔を近づけて、俺の頬に唇を押し当ててからゲートに飛び込んだ。
 ……ははは、これがあのエイラかよ。別人みたいだ、あのおっかなびっくり俺と話してた、あのエイラなのか。
 やっぱり、俺は見る目がある。あんなに素敵な女の子を好きになったんだから。いや、そもそも俺の周りにはそういう女の子しかいないのかな。
 ……ありがとう、エイラ。君のおかげで俺は、とても強くなれた。臆病な君が戦うのなら、俺も逃げちゃいけないと前を向けた。


「ええと……だな、クロノ。俺も帰るよ」
「……カエルだけにか?」
「死の山の事は忘れろ!!」
「ごめんごめん。なんかさ、やっぱりグレンはこうだよな」
「それは、苛めがいがある、という事か?」
「違うって。気を使わないですむっていうか、信頼してるって話だよ」
「便利だな、その言葉は」


 首を傾け、細目に俺を見る。信じてないというのが丸分かりだ。まあ、それがこいつと俺の関係だろうさ、今更否定はしない。
 別れの為、ゲートに近づくのかと思えば、もじもじと手を合わせるグレン。まだ何か言い足りない事があるのだろうか? 急かす事はせず、彼女の言葉を待った。
 やがて、しゃらしゃらと葉が擦りあう音と共にグレンが口を開く。


「あの、な! あの……俺も、だ」
「?」何を指しているのか分からず疑問符を上げる。そんな俺に痺れを切らしたのか、グレンはうがあ! と口を開けて叫んだ。
「だから!! 俺もクロノが好きだ!!!!!」


 好きだ、という言葉が辺りに木霊する。響いてくる反響に、みるみる赤くなるグレンは卒倒するのではないか、と心配になった。
 目を固く閉じている様は、とても剣士とは見えず一人の女の子らしい姿で。俺は素直な気持ちを告げた。


「ありがとう、グレン。嬉しいぜ……けど、」
「……ああ。分かってくれているだろうな……お前の知ってる通り、私はサイラスも好きだ。このままここにいれば、いつかはお前の方が好きになるかもしれない、でも……やっぱり今はサイラスが好きだから。でも伝えたかった。迷惑だったか? ……んっ」
「だから、嬉しいって言ってるだろ」


 立ち上がって、片手でグレンを抱き寄せる。小さい体は俺にすっぽりと収まってしまう。きゅ、と服を掴まれると離したくないな、なんて思ってしまう。
 けれど、別れはあるのだ。やがてグレンが俺の胸板を押して、遠ざかる……寸前に、俺の唇に柔らかい感触。


「……じゃあな、愛弟子」
「ああ、師匠」
「ずっと……忘れない」


 一足にグレンはゲートへと消えていく。その目にもう、迷いは無く。彼女は勇者であり、最強の剣士であり……愛おしい女の子であった。
 しばし、彼らの消えたゲートを見ていると、音も無く時空空間は閉じてしまった。リリリリ、と虫の音だけがこの場を支配している。


「行っちゃったね……」
「そうだな。二人はお別れの言葉を言わなかったけど、良かったのか?」
「うん。私もルッカも、先に済ませちゃったから」
「あんたがいつ目覚めるか分からなかったからね、最悪ゲートが閉じた後かもしれないし。早めにね」
「そうか……良かったよ。ぎりぎり間に合って」


 ゲートが消えた後も、俺たちは長い間そこから離れる事無く、また話す事も無く立ち尽くしていた。彼らの残照を、微かにでも記憶に刻みつけるよう、強く、強く。
 もう会えないんだと、今でも信じられない。けれどそれが自然なんだ、意味も無く時間の行き来なんてして良い訳がない。それは自然の摂理に反している。それを言うなら、未来を救うのもおかしいのだろうけれど、あれもまた摂理に反しているのだ。正すべきことなんだと納得できた。でも……もう時を越える理由は無い。必要も、無い。
 呆、としていると隣に立つマールがふあ、と欠伸をした。もう疲れたのだろう、考える事もあるしまだ整理できない事も山ほどある。今夜はそろそろ各々の家に帰るべきだ。
 でもその前にやるべき事がある。誰に言うでもなく、俺たちは揃って一つの場所に向かう事とした。
 実験場を抜けてリーネ広場に出る。千年祭最後のパレードという事で祭りは最高潮に盛り上がっていた。踊り子は楽しげに舞い、屋台の人々は盛況に人々を誘う。ここもまた黒の夢にやられたのだろうが、タイムパラドックスというやつか、襲われた傷痕は消えていた。


「……なあ。思ったんだけどさ」疑問が浮かんだのでルッカに話しかける。彼女は何? と俺を見た。「黒の夢の襲撃は無い事になったんだよな? なら、魔物と仲良くできてるのは何でだ?」祭りに交わっている魔物たちを指差して言う。誰も彼もが人間も魔物も無く騒いでいた。彼らが仲良くなる理由は黒の夢の襲撃を共に凌いだからのはずだ。今でも友好関係があるのは妙だ。同じ様に恐竜人がいるのは納得できる、黒の夢は古代で消えた。それより前に存在していた原始には黒の夢の襲撃があった事それ自体は消えないのだから。何よりエイラたちがアザーラたちを殺す訳がない……って、あ。
「自分で気付いた? そうよ、魔王が原因でしょ。彼が中世で人間と魔物とのかけ橋になったんでしょうね。魔王である彼が行うのは、並大抵の努力ではなかったんでしょうけど……彼が人間と魔物との戦いを許すわけはないし、きっとグレンも手伝ったんじゃない?」エイラたち、という事で俺も理解した。共に戦った仲間、という関係で魔王を思い出せば事は一目瞭然だ。
「そうか。なるほどね、あいつらなんだかんだで仲良いからな」
「どっちもツンデレだし、グレンも結局は魔王を仲間として認めてたしね」


 歴史が変わったという事は何処かで軋轢を生む。ラヴォスの言葉通りなら俺もあいつらも惨い死に様を晒すのだろうか……?
 不吉な予想を消すように首を振る。そんな訳がないと思っても疑惑は消えないものだな。嫌に纏わりついてくる。
 落ち込みかけた気分を払拭するため、軽く祭りの喧噪を楽しんだ。ルッカは射撃屋でいかんなく自分の腕を発揮し、マールは珍しい屋台を見つけては走っていった。俺は型抜き屋で無駄な手先の器用さを使い商品を得る。とても楽しかった。これでまずマールの約束の一つはクリアだ。


「むうう……ルッカ、私の応援してくれるんじゃなかったの?」
「わ、分かってるわよ。でもなんか……今はクロノと貴方を一緒にするのは違うかなって……」
「むうー……まあでも、今日は良いよね。ルッカとクロノとで回るお祭りも楽しいし!!」
「で、でしょ! 大丈夫、次はちゃんとロマンチックにするから!!」
「いや、別にクロノと二人きりになれるなら変なことしないでいいよ」
「だ、ダメよ。うん、まだ二人とも若いんだからちゃんと保護者の私がついててあげないと……」
「いつ私の保護者になったのルッカ?」
「と、とにかくまだ付き合うとかそういうのはダメなの! なんでか分からないけどダメなのよー!!」
「理屈になってないよう……」


 なんとなく、二人の会話に入るのは危険だと考えて離れる。待ち合わせ場所は指定してあるしはぐれても構わないだろう。その方が良い、多分なんかしら絶対に。
 歩いて行くのは、祭りの中心から離れた芝生。辺りには数人しか人はおらず、人ごみに酔った人々が座り込んでいた。中にはカップルもいるようだが、マナーを守り静かに空を見上げていた。
 こうして、ライトの光が敷き詰められた中でも星空は見えるんだな、と一人呆けてみる。


「未来でも、この空があるのか? ロボ」


 思い出すのはあいつのきゃっきゃとはしゃぐ声。今頃お前はアトロポスやマザーと一緒に野原を駆け回っているのかな。そっちの世界には青空があるか? 花もあるよな、きっとここと同じようなお祭りも。
 見に行きたい、それはもう心から。けれど……あいつは待っていると言った。ならズルは駄目だ、ちゃんと自分の足で会いに行かないと。
 だから…………俺たちは。






 祭りを堪能した俺たちは、広場を出て街の外に向かう。今日は誰しもが祭りに参加しているのだろう、人とすれ違う事は無かった。畦道を歩き目的の場所へ近道すると、水の音が聞こえる。心地の良いそれは、疲れた俺たちを慰めるような、優しいファンファーレとなった。
 二人も同じ気持ちか、話声は消えて目を瞑りたくなるような沈黙が訪れる。
 こんな風に、落ち着いた気持ちになるのは久しぶりだ。なんだかんだで駆け抜けてきたんだな、俺たちは。
 暫くして畦道を抜け少し幅広い道筋に出る。途端、左手から暖かい温もりを感じた。マールが駆けて来て握ったのだろう。少しだけ俺も握り返した。
 ルッカはと言うと、俺たちの後方で俯いている。一人だけ仲間外れとでも感じているのか? そんな奴だったかこいつ──
 いや、多分そういう奴なんだろう。俺が思ってるよりルッカは強い女の子じゃないのかもしれない。何より悲しげに地面を見る彼女が見ていられなくて、俺は空いている右手で彼女を呼び手を差し出した。一瞬だけためらった後、おずおずと手を握る、左からため息が聞こえたが……まっいいやという明るい声が聞こえたので気にしないでおく。
 なだらかな丘を越えると遠くに山々が映る。その手前には細く長い川の筋、左には花畑があり、そこから少し行くと村はずれの大木が立っている。花畑と川の間には、この自然には不釣り合いなシルバードの姿。銀色の体が月明かりに照らされ、幻想的な姿だった。
 近づくと、二人は俺の手を離しシルバードに触れる。


「えへへ……シルバードにはお世話になったよね」マールの言葉にルッカは深く頷いた。
「そうね、私たち二人は特にシルバードを運転したからね、思い入れも深いわ」


 確か二人はガッシュの助言をこなす際に皆の送り向かいをしてくれたはず。なるほど、ある意味一番付き合いが長い訳だ。


「私は太陽石を取る時だけだけどね。まあその時にあっちこっちに運転したから、他のメンバーよりも長くこの中に座ってたわよ」
「ルッカが降りた後は私が皆を集めたし、ほとんど二人でシルバードを運転してたよねー」


 楕円形の車体を撫でながら、愛おしそうに、その活躍を称えるように二人は会話する。お世話になった礼を伝えようと、何度も何度も撫でていた。
 そうだな、こいつが無ければ俺たちはこの戦いに勝てなかった。シルバードも俺たちの大切な仲間なんだ。
 けれど、それでも。


「……やっぱり、壊すんだよね」


 俺がシルバードに近づいて行くと、マールが強張った声を出した。たとえ物でも愛情を捧げられるマールには辛いのかもしれない。彼女は誰にでも愛情を与えられる人だから。
 しゅんとなるマールにルッカが歩み寄り肩に手を置いた。「仕方ないわ」と首を振って。


「旅の目的を終えた今、シルバードはあってはいけない物よ。私たちにその気は無くても、これは簡単に時を変えられる危険な物。心無い人が悪用すればたちまち世界はまた危機に陥るわ……例え私たちが守ろうとしても、存在する以上可能性は否定できないの」
「そう……だよね。でも、これを壊したら、もう皆とは……」
「それで良いんだマール」
「クロノ……」


 それで良いんだよ。もう会えないけど、一緒に笑ったり話したり恋をしたりなんて出来ないけど、それが当たり前で、当たり前だから尊いんだ。心の奥底で宝物みたいに思えるんだよ。
 それに……俺たちは忘れない。エイラもキーノもアザーラもニズベールも。グレンも魔王もトマもサイラスさんも王妃もヤクラも。ロボやアトロポス、ドンにマザーやジョニーだって、古代の三賢者に……サラ。それだけじゃなくて、出会った人々皆、皆との出会いは絶対に忘れないんだ。だから、それで良い。
 もう会えなくても、会えたことは消えたりしない。皆にとっても俺たちは消えない。それは……もしかしなくても、運命を変える事よりよっぽど凄い事だから。


「生きようマール。あいつらに笑われないように、そしてあいつらを忘れないように。何度も思い出そうぜ、何度も話をしようぜ、あいつらの事を、あいつらとどんな話をしてどんな事をしたのかをさ」
「……うん。分かったよ、私忘れない。一生、一生忘れない……!!」
「よし……じゃあ、やるぞ。二人とも離れててくれ」


 俺の言葉を聞いて二人はシルバードから離れていく。
 唱える呪文は俺の最大の魔法、シャイニング。大津波でも傷一つつかないシルバードだけれど、今ならあっさりと消滅しそうな気がした。こいつ自身望んでいるんじゃないかって思うから。
 詠唱を終えて、解き放つ。両手から膨れ上がる力はゆっくりとシルバードを飲み込んでいき…………


──ありがとな、クロノさん──


 …………残ったのは、揺れる芝生だけだった…………



















「それならもう、良いんだ。別れは済ませたから」
「そう……か。潔い奴だな、褒めてやろう」
「ありがとよ、たくっ」


 吹っ切れたかっていうと、本音は吹っ切れてない。まだあいつらと笑いたかったし一緒に戦いたかった。でもそれは世界が崩壊するかもって状況にならないといけない。また色々な人が泣かないといけない。それは望まないさ、俺もあいつらもさ。
 だから、良かったんだと思おう。つうか良かったじゃないか、万々歳だ。目標を終える事が出来た、これ以上無い事なんだ。でも寂しいのは嘘じゃない。
 今もこうして、窓の外を見ながらあいつらの姿を思い出してしまう。そんな事を二か月も繰り返して、よく飽きないなと自分で感心する。人生で一番濃い時間だったんだ、無理もないだろう。あれだけ悲しむ事も、あれだけ楽しむ事も心躍る事も、誰かを好きになる事もその瞬間も。だから俺は……きっと幸せ者だ。


「ふん。寂しいか若造め」
「え? ……ああ、寂しいな。別れってのは寂しいもんだ。でも落ち込んでないぜ?」
「ほう」
「あいつらは死んだ訳じゃない。きっとそれぞれの時代で逞しく生きてるんだ、それを悲しむのは妙な話だろ?」
「だな。それになクロノ、この世界には俺もいるだろう。多少ならば貴様の寂しさを癒す事も出来るぞ? なんせ俺様だからな!!」


 アッハッハ!! と狭い馬車の中で笑うこいつはやはり大物だった。古代で会った時からそうじゃないかとは思ってたよ。外れて欲しい予感だったけどな。


「まあさ、俺もお前と友達になりたいと思ってたよ、ダルトン」
「ようやく本音を見せたかクロノ」
「本音?」
「お前……ここ最近嘘くさかったぞ」
「嘘くさい? 俺が?」俺の疑問にダルトンは迷う事無く頷いた。
「ああ。何やら急に大人びたのでな、少し気になっていた。誰にとは言わん、俺には話せ。お前の迷いも寂しいも、俺様ならば笑い飛ばしてやろう……だから、もう少し甘えろ。お前はお前が思うより慕われている」
「……えっ!?」


 馬鹿かこいつ馬鹿かこいつ!! いきなり恥ずかしい事抜かしてるんじゃねえよ!! 別に大人ぶったつもりもねえし、言葉にはしたけどそんなに寂しくねえし!! 甘えるとか気持ち悪いんだよこいつは! 俺様とか一人称も気持ち悪いし、甘える事も一生ねえ! 絶対ねえ!!


「きっ、気持ち悪いんだよお前!! 俺が好かれてる事なんて周知の事実だっつの!!」
「はっ、お前さては甘えられる事は慣れていても逆はそうではないか。良いぞ、兄と呼ぶ事を許さんではない!! これほどの名誉、現世にて他にないだろう!!」
「うっせえバーカ!! 黙ってろバーカ!!」
「ハハハ、赤い顔を隠してから悪言をつくのだな」
「ぐうう……」


 こいつと話していると気分が悪い。もう一度窓の外に視線を移す……にやにやするなぶっ殺すぞロン毛!!
 ……平和だな。こいつと馬鹿な話をしている今も、これから先もきっと平和なんだろう。人々は畑を耕し魔物と協力して町を発展させて恐竜人の知恵を借りて国を大きくしていく。そこに敵はいない、この周辺で戦争なんて馬鹿をしよう国は一つも……一つも……


「ッ!!?」
「どうしたクロノ。今度は顔色が青いぞ?」
「ダルトン! 聞きたい事がある!」
「まずは落ち付け慌て者。何を言いたいのだ? 畏まって話してみろ、この俺様にな!!」


 無駄にポーズを決める事を無視して、俺はラヴォスから聞いた話をする。
 ガルディアが他国に侵略されて、町は切り離され王族は公開処刑。これは有り得ることなのか、起きた時にどういう対応をすれば皆を救えるのか。
 俺は焦りながら答えを乞う。馬鹿は俺だ、何故今までのうのうと暮らしていた!! ラヴォスを倒してから二か月、確かに俺はまだマールと結婚し王族にはなっていないが、それが安心できる保障が何処にある!?


「いや、無いだろうな。阿呆か貴様」
「……え?」
「何処の国がガルディアを滅ぼせるのだ? パレポリか? メディーナか? どちらも友好関係にあるのはトルースを見れば明らかであろうに。そもそもその二つの国が攻め入ったとてガルディアの軍事力に叶う訳なかろうが。いやまあ俺様の力ならば容易いが……お前は俺がガルディアを裏切ると思うか?」
「いや……お前はそんな事絶対にしない。それは知ってる」
「ほう、お前が女ならば抱いてやらんではなかったな、ツンデレめ」
「黙ってろ!! ……じゃ、じゃあ外海からの侵略とか。確かまだ外の海には俺たちの知らない国が沢山あるんだろ!?」


 俺の言葉にダルトンはふむ、と顎に手をやり考えた後、さっきと同じように「無いな」と答えた。


「いや、確かにお前の知っているように外海には多種多様な国が存在する。短いとは言え、俺も国を束ねる者であるしな。どれくらいの国があるかも把握済みだ……が、どこをどう探してもガルディアに勝る軍事国家は存在しない。というか、メディーナに劣る国々ばかりよ」
「そ、そんな小さな国ばっかりなのか?」
「うむ。そもそもだな、お前の言う通りなら確か……町と城を分断されて民を人質に取られるのだな?」
「ああ、ラヴォスはそう言ってた」
「阿呆か。ガルディアはとんちきな事に城の人間よりも強い者が町に潜んでいるではないか。まずはお前だろう? ルッカという小娘にその母親ララ、お前の母親など論外だ、あいつの力だけで城を落とせる。あいつの弟子を含めれば世界を取れる。どこの国がそんな町を侵略出来るのだ? 海から軍船を引き連れてきてもルッカの父タバンが作る兵器で上陸前に沈没せしめるだろう」
「いや、あのそれは」


 面白い位にその状況が想像できる。万が一敵兵の上陸を許してもララさんとルッカが敵兵を全滅させるのが目に浮かぶし、仮に陸路を使っても母さんやその弟子の魔物がむざむざとやられる訳がない。正直内部のラヴォスならあの人たちで倒せるんじゃないかな?


「さらにはガルディアは修羅の国、城の人間はヤクラ一族である兵士長に大臣、クロノの仲間マールに軍神ガルディア三十三世。こいつら四人で人間の軍隊が幾つ潰せると思う? さっきはああ言ったが、真面目な話流石の俺様も世界征服に乗り出したとしても、ガルディアとだけは争わぬな。いくら俺様とて勝率が零であると言わざるを得ん」
「……だよなあ」
「言うなれば、黒の夢が十も現れたというなら納得も出来ようが……それこそ有り得ぬだろうよ」


 普通ならばおかしい、けれどこの国では極々普通の話をされて力が抜ける。だよな、ガルディアが……いやガルディアだけじゃなくメディーナも魔王三魔の子孫がいるし、パレポリには元古代王国隊長のダルトンがいる。並の国が攻めてきても負ける訳がない。さらにはその三国は強固な絆で結ばれてるんだ、そのどれもが戦いになれば協力しあう、それは黒の夢の一件で確認済みだ。


「ん? そう言えばダルトンは記憶が消えないんだな。黒の夢の事を覚えてるなんて」
「当然だろう、俺は元々この時代にいるはずがないイレギュラーだ。黒の夢に関しては記憶を改竄される事は無い。あれが現世に現れる前で、黒の夢と直接関係無い事柄ならば改竄されたろうがな」
「へえ」
「さらには、黒の夢は時の流れが狂った異物だ。勘の良い者なら丸ごととは言わんが、微かに黒の夢の一件を覚えているはずだ、例えばお前の母親とかな」
「だから最近母さんが俺に優しいのかな? ……関係があるとは思えにくいけど」
「どうかな? 案外黒の夢の魔物と戦い、その中でお前との関係を改めようと思った……そんな事があったかもしれんぞ」
「想像つかないな……まあ、昔みたいに仲良くやれるのは嬉しいんだけどさ」
「ふむふむ、しかし魔物の弟子とばかりいるのでお前は面白くないと。マザコンめ」
「だからそういう事言うなよ!!」


 喉を鳴らすダルトンが憎らしくて、図星を指されたみたいな反応をした自分が悔しくて。震える手はどこに叩きつければいいのか分からず、立ち上がってしまった事を恥じてまた座った。どすん、と乱暴に腰を落としたので多少振動が馬車に伝わった。
 多少軋んだ音が鳴る。急造で作られたのか、道理でパレポリの代表になって日が浅いのに豪華な馬車に乗ってるもんだと思ったよ。良く見れば内装もこいつにしては地味で、椅子の座り心地も良くない。どこもかしこも、不景気って事か。今まで他国との交流が無かったパレポリなら尚のことだろう。


「窓開けて良いか?」
「好きにしろ、俺様は寛大だからな」


 これで寛大とは大きく出たな、と思ったが口にするのは馬鹿らしい。何も言わず車窓に手を掛けて持ち上げる。がらがらと音を上げながら開き、外の風が舞いこんだ。草花の香りが鼻に入る。悪い気分じゃない。多少青臭いが、これこそが俺の世界だ。争いは無く、緑豊かなガルディア。俺が死ぬのなら、やはり此処が良い。
 景色は変わり、森に入る。鳥の鳴き声とさんさんと笑う木々の群れ。緑の空気は川と混ざり潤っている。馬車の軋みは収まり揺れは微量のものとなる、時折車輪が轢く枝の音はからからと、程よく気持ちを覚ましてくれる。


「これからどうするのだ?」
「これから、か」ダルトンの言葉はいかようにも取れる。無限なんだ、これからの俺の選択肢は。今までもそうだったし、これからもそうなんだ。「あんまり、考えてないや」
「どうせなら、俺の国に来ないか? お前なら大臣に任命しても良い」
「政治なんて、俺には出来ないよ。ちょっとばかり刀が使えるだけだ」
「いや……お前は人を惹きつける。頭だけの政策よりも必要な才だ、俺様が言うのなら間違いないだろう」
「へっ……考えとくよ」
「心にもない事を。まあ良い、クロノ、お前は自由に生きるのが最も正しいのかもしれんな」


 自由ときたか。それはまた難解な言葉だ、実行するのは愚か、理解するのにも時がいる。
 空は晴れ晴れ風が歌う。緑は息吹き海は清く山々は並ぶ。鳥も魚も動物も虫たちも月に吠えて人々は笑う。
 素晴らしい理想郷、けれどそれはここに限った事ではない。今はもう垣間見ることすら叶わない遥か昔、遥か未来でも同じことなんだろう。


「そうだな。どうしようかまだ考えてない……もしかしたら何もしないで生きていくのかもしれない」


 良い事ばかりでは無いだろう。この世界でも泣いている人はいる。世界を恨む人は大地を埋め尽くす程に、けれど喜ぶ人は空を覆う程に。
 俺が為した事で生きるべき生命は消え、世界は混沌に包まれるかもしれない。ラヴォスの言うとおり俺たちを待つのは絶望かもしれない。だけど……それは未来の話。


「でも、なんとかやってみるよ。俺は俺だから、俺でしか出来ない事も山ほどあるさ、きっとな」


 知ってるかラヴォス。未来って、未だ来てないから未来って言うんだぜ。誰にも明日は分からないんだ、だから……俺たちは強いんだ。運命とかさ、誰かが作り出した弱音を指すのだろう。それが悪いなんて言えるほど俺は人生を味わってないけれど。
 別れもあるさ、出会いもあるさ。まだ別れていない人の中には今まで感じた事がない別離を知るかもしれない。まだ出会ってない人の中には聞いた事がないような人がいるかもしれない。
 故に、俺は夢を見る。


「だから、生きてみるさ。俺たちには、無限じゃ足りないくらいの明日があるんだ」


 ダルトンはただ一言そうか、とだけ呟き目を閉じた。
 俺はあいつらを忘れない。旅の事も忘れないでいよう、でもきっといつかは薄れていくのだ、膨大な明日と、濁流のような日々に。
 それを楽しいと思えれば、これから先何があっても無敵じゃないか。隣に誰かがいるのなら歩みを止める事は無い。足早に進むなかれ、歩く事を止めるなかれ。今まで会った人々が支えてくれる。時には道を示し時には道を示してあげよう。
 一瞬、木々の群れが消えて窓から太陽が見えた。空高く俺たちを見ているそこにも誰かがいるのだろうか? なら、そうだな。今度はお前を見つけてみよう。届く事は無い、だからこそ追ってみる価値がある。夢か幻のような思いつきで、荒唐無稽な発想。それもまた俺だ。
 窓から手を伸ばし、掌に太陽を閉じ込めた。
 大切に包んだそこには、俺たちが──今まで出会った人が、魔物が、恐竜人が……一人寂しく泣いていた星の被害者がいた。
 もう、一人じゃないよ。
 俺の声は届いたろうか。馬車は止まる事無く走り続けていく。


















 ある時、星は夢を見た。
 己を壊す化け物から身を守る誰かを思い描いた。あるいは己を壊す人間を滅する為、空より来訪した化け物に縋った。あるいは運命に身を委ね己の命運を託した。そのどれもが正しく、奇妙な程に曖昧なのだ。
 されど、星は夢を見る必要はない。
 人が、人こそが明日を夢見て、歩きだそうと歯を食いしばり、やがて未来を掴むのだ。

















END



[20619] あとがき
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0
Date: 2012/04/28 03:03
 これはあとがきです。本編を見ずにこれを見ると果てしなくネタバレなのでお勧めしません。ここだけ見て、良さげなら本編を見るという素敵発想の方はそれはそれで大変素晴らしいのですがお勧めしません。食事でもいきなりデザートが来て「これ食ってから前菜な」とのたまう店員がいたら会計の際小銭があっても万札を使うに違いないでしょう? だからお勧めしません。
 本編を御覧になって下さった方対象のあとがきですので。いい加減しつこいですね。
















 段取り通りこの小説を書こうとしたきっかけを書かせて頂きます。実は私、昔ライトノベルの賞に応募したことがあります。身の程知らずにも。今は諦めているので大丈夫です、ボクゲンジツミレル。
 その際の評価に「もっと会話を多く、キャラを立たせて」とありました。本当は文章力の無さ(それは第一話を見て下されば一目瞭然かと)や構成の甘さ(それは本編を見て下されば一目瞭然かと)も理由でしょうが、特にその二つが顕著だったようです。
 ので、二次創作にて思いっきり弾けてみようかなと考えました。つまり実力を上げたかったんですね。
 本来そういう考えだったので、正直前半はストーリーを蔑にしていたと言われても仕方ありません。とにかく馬鹿をやろうとしていました。ですが王妃編辺りで愛着がもくもくと溢れ出し、最終的には完成した際泣いてしまうという惨事。いい年して何してるんだ。
 良くある台詞ですが、この小説の一番のファンは私です。客観視できないのは短所になりそうですが、それでも書いていて異様に楽しかったのです。
 やがて文章も私が好きな形に寄っていきます。前半と後半で文がかなり変わっていたと思いますが、つまりは後半になるにつれ私のこの小説への愛着が増していった証です。その分アホみたいな行動は減りましたけど。
 けれども、前半の馬鹿をやっている彼らは何処か私が滲み出ていた気がします。後半の馬鹿はあくまでキャラが動いてくれましたが。徐々に彼らにも命があるのだと思えるようになりました。長いからこの話はここらで終わろう。






 書き始めたきっかけは前述通りですが、この小説にも一応テーマというか、ここはブレないようにと心がけた事があります。
 それは、人間を書くということと、徹底的な悪役は書かないということ。
 前者の言葉の説明をば。例えば賛否あったと思いますがグレン。彼女(本当は彼なのですが)は本来のクロノトリガーでも同じくサイラスへの想い、それが強化され酷く脆い性格になっております。ルッカも依存という縛りがありますしあまり表現できませんでしたがマールは世間に疎く我儘であります。
 私は脆い人間が好きです。淡々と目標に向かい出来て当たり前、というキャラクターは嫌いではないのですが皆が皆そうであるのは不自然だと思いましたので。感想でも書いたと思いますが、星は夢を見る必要はないで完全な人間というのはサイラスのみだと私は思っています。(変態であれ、脆い部分は無いので)
 ビネガー、マヨネー、ソイソーもある意味完成されていると思いますが彼らは魔族であり長い年月を生きているため自然じゃないかなーと思ったり。ラヴォスは例外です、彼は(彼なのかどうなのか)ずっと一人だったので。一人では成長できませんよね。
 長々とすいません、とりあえず、この小説では迷ったり失敗したり間違えたりの繰り返しを重点的に書きたかったのです。ほぼ同じ理由で仲間の不和も何度か書かせてもらいました。未来に行く前とか、グレンの裏切りとかが分かりやすいのではないでしょうか。
 いきなり会って、一緒に戦う戦友とはいえいきなり信頼できる、一生喧嘩しない関係なんてつまらないので。どこか凸凹しつつ、でも強固な繋がりを意識しました。
 次に悪役を書かないというのは私の願望が含まれています。
 勿論物語のスパイスとして悪を書くのは当たり前ですが、これはクロノトリガー、夢を見るお話です。悪でしかない存在は書きたくなかった。
 とまあ、それは建前で本音は「私の大好きなクロノトリガーに悪い奴がいるわけがない」というアホみたいな理由。でも私にはゲームをやっていてもそう見えたのだから仕方ない。アンチヘイトと言われても仕方ないですね。けれど私はクロノトリガーが大好きなので譲りません。ちなみに悪役を書かない理論は手塚治虫大先生の言葉でもあります。手塚先生の言葉を見たとき衝撃が走りました。パクリですね、最低!!
 話を戻します。悪役を書かないとしたので、どこかテラミュータントもジールも憎めない理由を書きました。ついで、意識したのは「寂しい」という感情。テラもジールもラヴォスさえも寂しいには勝てない、という事です。寂しいは一番辛い感情なんじゃないかな、と私は思うので。
 ああ! もう伝え方が下手で嫌になる。
 そもそもプロット無しに書くのは初めてなので緊張します。この小説は全てプロットを見て書きましたから。勿論勝手にキャラが動く事もありましたが。むしろそんなんばっかりでしたが。喜ぶところなんですかね、これ。
 ちなみにプロットですが、私はエクセルを使っています。使いやすいですねこれ、慣れれば時系列に混乱せず同時並行で何が起こったか混乱しないで済みます。や、そんな複雑な物語ではないんですが。






 では、キャラクター紹介になります。全員書くと妙な量になるのでメインと重要な人物のみ。
 皆様の考えるキャラクターとは違うかもしれないので、これはあくまで作者が思う人格像であると先にお断りしておきます。やっぱり皆様が受け取った人格が一番正しいし、面白いと思うので。飛ばしたい方は飛ばしても構いません。
 キャラ紹介ですが、彼らを作る際に用いた方法を。
 原作の性格は勿論骨子にします。そして、あくまでこれはコメディでもあるのでぶっとんだ性格にするのも当然。そしてその中にもスパイスを加えています。それはキャラクターによって違うので、そうなのかあと思って頂ければ。例外としてクロノだけは一から作ったので加えたものはありません。





 クロノ。
 彼は見ててイライラするくらい考えや性格が変わったんじゃないかな、と思います。臆病だしスケベだし時たま頑張るしでも逃げるし。一貫してない彼はキャラクターが定まっていないのでは? と不快になった人も多数だと予想。
 でもそれが主人公じゃないかな、と。等身大の人間ってこんなものだろうと思うのです。意見はコロコロ変わるし自分の言葉に責任を持ち切れないし怖いものは怖いし。だからこそ頑張れるんじゃないか? いざという時は誰よりも前に出るんじゃないかと。
 昔のクロノは特にそれらしいと思います。彼が必死になる時はもう逃げられないだろ、という時のみだったり。王妃戦でも女でしかも王妃に鼻で笑われればこの歳の男子なら踏ん張りますよね。ゼナンでも仲間の女の子にぼろくそ言われて、後ろから背中を押されれば前に出るんじゃないか、と。更に言えば、強い仲間が戦線に加われれば生き残れるんじゃないか、という打算も少なからずあったり。
 彼だけは私の書きたいように書かせてくれませんでした。でもだからこそ今のクロノなんだと思います。書いていて悔しがらせてくれた人物第一位です。一番好きなキャラクターでも第一位です。いつかパソコンから出てきて一緒に話してくれないかな、と痛い妄想をしています。なんであの時ああしたの? という質問を大量にぶつけたい。
 クロノは見ていて下さる方に少しでも良いから共感を覚えて欲しいなーと。そうなればこの物語は途端に生き生きするのではないでしょうか。




 マール。
 彼女を書く際意識したのは世間知らずです。最初彼女はクロノに対し辛辣な扱いをするのはしばしばありました。最初は何処か遠慮がちでしたが、徐々に叩いたり殴ったりしています。その理由は近くにいたルッカがクロノに対しそう接していたからです。
 これは長年共に生きていたクロノとルッカだから許されることなのですが、マールは他に友達がおらず距離感が掴めません。それも少しずつ解消されていくのは、彼に対する接し方が変わってきた事に関係していますね。
 だからこそ後半では彼女は立派に成長していきます。メインキャラで一番成長したのは彼女だと断言します。
 ちなみに、彼女視点の話はとても楽しく書けました。王女である故に少し斜に世界を見て、でも何処か抜けている彼女の世界は何でも楽しかった。もっと彼女視点の話を書きたかったのですが、そうなるとクロノ視点に戻りにくいので諦めます。死の山付近は指が動く動く。
 最終的にマールは距離感を知り、甘える事を知りました……打算的とも言えますが、それはそれで。天然で計算が上手くて誰よりも楽しみ方を知っている女の子です。




 ルッカ。
 彼女を書く際意識したのは勘違いです。私は彼女をツンデレとは思っていません。あくまでも勘違い全開の恥ずかしい子ですね。
 本編で書きましたが、彼女がクロノを好きになったのは、マールに指摘されてからです。多分マールに「あなたはクロノが好きなんじゃないよ」と言われなければ、数年くらい勝手にクロノを好きだと思いつつ振り回し、勝手に違う誰かを好きになるでしょう。嫌な女! サラマンダーか! いやあれはサラマンダーじゃねえけど! ……つまり、クロノとラヴォスの会話に出てきた「絶対ルッカ俺の事好きだったし。まじ罪な男だし俺」発言も勘違い。これは恥ずかしい。
 マールたちが死の山に行っている最中彼女はクロノとの思い出を振り返ったと思います。そして思い出の中で、恋心ではなかったと認識して、認識したうえでようやく彼に恋をする事が出来ました。分かり辛いとは思いますが、彼女の初恋は現代の花畑で始まります。
 現に、そこからルッカは彼に対し狂的な想いを発露しなくなりました。それはあくまで表に出さないだけで嫉妬心は変わらず強いのですが。己を弁えるというのでしょうか、それを知ります。さらには、今になって初めて恋をしたので恋愛に疎く幼いものであります。幼稚園かよ、とつっこみたいくらい。でも常識を知っているので悶々する……傍から見れば可愛いけどクロノからすればウザイだろうなあ……クロノにとってマールもそうですがルッカにもすでにべた惚れなので気にしませんが。二股とかサイテー!!
 ちなみに、分かり辛かったかもしれませんが、第四十九話にて彼女が「覚えててくれたんだ」と零しますが、その意味はテラから「狂的な想いが無ければ記憶は残らない」というセリフで想像がつくかと。クロノはルッカに負けず彼女の告白を心に刻みこんでいた、という事です。ここで説明するとかまじどっちらけ。分かってもらえたら嬉しいな、と思ったので。
 最終的にはルッカは恋を知り、本当の恋愛に漕ぎ出します。時折昔クロノに対して酷い事をした思い出を掘り返し夜な夜な枕を投げまくるでしょう。タバンの悩み再発。クロノに掴みかかって「子供でも作ってやれよ!!」と怒鳴ること間違いなし。それを知ったルッカが気絶すること疑う余地なし。それを見たマールがルッカを抱きしめること流水の如し。クロノが眼福と手を合わせるのは世の理のように。長いわ。




 カエル、ひいてはグレン。
 彼女を書く際意識したのは寂しがりで臆病です。サイラスが死に一人で生きてきた、けれどクロノたちに会って一人の時間が減ってしまう。その為生来の寂しがりが顔を出し始めました。後半になるにつれて、王妃様の話題が減ったのはそこに起因します。それでも好きなのは変わりませんが考える回数は明らかに減りました。寂しい気持ちを紛らわせる為に彼女の王妃様の愛が育ったんですね、気持ち悪いくらいに。
 省いたエピソードなのですが、王妃を好きになった理由があります。単身城に忍び込み、逆恨みでグレンが王妃を襲ったシーンです。本編おまけで出たと思いますが王妃には体に傷があります。グレンに刺された傷ですね、当然処刑の為投獄されたグレンに王妃は毎日会いに来ます。その度にグレンは恨み事をつらねますが、王妃は黙って聞いていました。兵士が彼女に暴行を加えようとしても(兵士たちは王妃を尊敬しているのでグレンの悪言に耐えられなかった)自ら止めます。
 やがてグレンは自分の行った事が逆恨み、しいてはサイラスへの裏切りであると気づき、その事でさらに落ち込むグレンを王妃が支えます。つまり、グレンが王妃を守っていたのではなく王妃がグレンを守っていました……というエピソード書いてみたもののバイト数八十。本編より長いじゃないか!! しかも書いたデータは全部吹っ飛ぶ。面白ッ!!
 やがては彼女もサイラスへの想いをある程度吹っ切り(全てではありません。そうなれば彼女は完璧な人間になるので)クロノへの想いを募らせます。最初は代わりだったのに、徐々に想い惹かれ……とまあ聞こえは良いですが、ぶっちゃけ長い間グレンと同じ時間を過ごせば大体彼女は惚れてしまいそうですが。勿論、共に魔物と激戦を潜り抜け蛙である自分を気味悪がらず魔王なんて恐ろしい存在と戦うのに一緒に来てくれれば、ですが。そもそも長い間一緒にいた男がサイラスのみの彼女です。何気に一番初心だったり。
 ただ、やっぱりクロノは二番目ですね。サイラスへの想いは途絶えません。たとえもう一生会えなくてもです。ただ、本編終了後もクロノと一緒に三年くらい過ごせば変わるでしょうが。それからさらに三年したら「付き合ってくれ」と言えるかもしれない。その前にクロノから告白しても「いやいや……」と口を濁すでしょう。無理やり押し倒した方が早い気がするっていうか早い。奥手すぎて気持ち悪いですね。
 けれど、付き合ってくれと言えるまでにクロノが誰かと付き合いだしたら凄い怒る。冷たい視線しか送らなくなるでしょう。付き合わないし一番でも無いのにクロノに好きな人ができれば怒るとか、何様なのか。臆病や寂しがりの他に面倒くさいも含んでいいかな、いいだろうなあこれ。
 最終的にグレンは過去よりも未来を見る事を選択し、女である自分を認めていくようになりました。きっと男に恋もするでしょう。クロノを逃せば数十年は無いでしょうが。ていうか独身かも。好きになる事はあってもそこから関係を深めるのは自分からしない受身過ぎる人なので。
 ちなみに彼女が女体化した理由は重要です。うん、ただ単にルッカがクロノを好きだからですね。ウヒー
 なんとなく、原作ではカエルはルッカとお似合いっぽいので、ルッカがクロノを好きならあぶれてしまうではないかという単純な帰結。最初はクロノへの恋心が幻想だったと知ったルッカがカエルを好きになるというオチも考えたのですが、NTR感半端じゃなかったので没。今考えればそういう少女漫画的な事もありだった。まあサイラスとの仲をもっと深めたかったというちゃんとした理由もありますがね。少しは。こいつが一番長いってどういうことかね。




 ロボ。
 彼を書く際意識したのは背伸びです。何をするにも誰かといたいのに我慢する。唯一クロノにだけは全開でしたけど。
 自分なら出来る自分ならやりこなせるという強迫観念に似たものに迫られて、必死にやりくりします。けれど、根は弱いのですぐ折れてしまう。でも頑張りやなので他人に見せたくない。
 それが、兄貴分として慕うクロノが泣いても頑張って歩きだすのに感化され彼も強くなりはじめます。弱くて足手まといなのに喰らいつき無茶をしても敵を倒す、でも弱虫なクロノを自分と比較して、それでも良いのかな、と思い出して少しずつ本当の彼を思い出して……結局最後には素直に甘える、素直に泣く彼になりました。
 彼を書いていて一番気を使ったのはフィオナの森以降です。四百年生きても変わらない、でも何処か違う彼を意識しました。変化が最も出たのは彼が消えるシーンですね。彼が死んでも仲間たちが戦いを止めないのは、それもまた仲間たちの成長が起因するでしょう。クロノだけは駄々を捏ねましたが。
 彼のクロノへの想いは憧憬にも似た尊敬です。恋心? まさかそんな、彼は男ですよ? アルワケナイジャナイカー……多分ありなんでしょうが、アトロポスが普通に好きですよ彼は。でも出来るならアトロポスと結婚してクロノと同棲なんて将来がベストなんでしょうね彼は。業が深い……ッ!
 最終的にロボはありのままの自分を受け入れてくれると知り、殺人機械である自分を否定して“ロボ”を見つける事が出来ました。彼に関しては成長ではなく、後戻りしていた事に気づき一歩を踏み出しただけでしょう。そんなキャラクターがいても良いと思うのです。
 これも蛇足ですが、彼がアンドロイドという人間に近い存在になったのは、
ロボ「ソウデスネ、ワタシモクロノサンガスキデスヨ」
 とか読み辛かったからです。こんなキャラクター書いてても面倒くさいっ!! という理由。ゲームならともかく、小説という喋る機会が多い中これは無い。愛着を抱いてくれるか分からないという不安からです。つまり私の表現力が少ないから生まれた設定!! 素晴らしい!! 泣ける。




 エイラ。
 彼女を書く際意識したのは一つ一つの言葉です。大人しく無口な彼女は、一つの言葉に気を遣いました。下らない普通の言葉でも生かせるよう悩みましたね。彼女の言葉を書く時に考えた時間は、後半出てきた魔王よりも圧倒的に長いです。グレンと同じくらいかな……?
 たどたどしい言葉使いというのは彼女にとって武器になりました。お陰で言葉を浮き立たせる事に成功……したと思いたい。
 実際彼女について書く事は少ないです。愛着が無い訳ではなく、出番が他のキャラクターより少ないからでも無い。彼女については完全無欠に本編で書き切りました。最後の黒の夢原始編すら蛇足です。ティラン城だけで彼女の出番は無くても良いくらい。これだけ書いて清々しいキャラクターはいませんね。
 恋も考え方も全てを出し尽くした彼女は私が書いたキャラクターでもっとも自信を持てる人物となりました。自分だけで人気投票したら彼女はダントツです。
 最終的にも何も、本編が全てである彼女は私の自信になりました。ありがとう。




 魔王。
 彼を書く際意識したのは独りよがりです。というのも、クロノが約束を破った(しょうがないとはいえ)せいなんですが。何をするにも自分だけ、行動するのは自分が指針。自分には大切な人はいないと思い込んでいました。結局彼は周りを見ていなかっただけで、彼を慕い共に行動している魔族が山の様にいたのですが。熱くなって前以外見えなくなるタイプです。何気に一番熱血派という。
 彼はこの作品随一のツンデレです。次点でクロノ。三番目に若い頃のジールでしょうか。ヒロインが入れない……あっ、グレンかな。ロボはツンデレじゃないよ。
 彼にはシスコンという設定がありますが、見えないだけでブラコンの要素のほうが強いです。ブラザーは勿論クロノ。黒の夢選抜隊に選ばれず怒っていたのは、ラヴォスやジールを倒したい以外に「クロノお兄ちゃんと一緒に戦いたい!! 成長したところを沢山見て欲しい!!」があったり。こんな感じじゃないけど。
 第四十三話の
「そこの蛙はまあ、良しとしてやろう。だがそこの女が選ばれる理由は分からぬ。私の力を侮るというならば、貴様の弱さを露呈させてやっても良いぞ?」←これが彼の精一杯のお願い。彼はグレンの強さを認め切っているので文句は無いが、彼はルッカの強さまでは認め切っていないのでこういう言葉になりました。ここでクロノが
「じゃあ俺が抜けるよ」と言えば大層慌てる姿が見れたでしょう。
 あり得ないことではありますが、彼が立てたフラグはマール。クロノがいなければなんだかんだで面白いカップルになったんじゃないかなあ、死の山みたいなやりとりが延々続くことでしょう。からかわれ続けるマールが哀れではありますが、彼女も心底には嫌がっていないと思います。
 最終的に彼は遠くの大切な物以外に身近にある大切な物を思い出して、己の為でなく、己を愛してくれている皆の為に己を大事にして、それでも目標へ邁進していくでしょう。
 彼についても蛇足。クロノ×サラを一番祈ってるのは彼でしょうね。名実共に兄になるので。年上なのに弟ポジションを狙う魔王ってどうよ? むしろクロノ以外でサラを連れて行くのは許さない。ダルトン? あいつは小さい頃から姉さんを連れ出したから嫌い。見つけたらとりあえず殺そうとするくらい嫌い。生理的に無理っていうか生理的に殺したい。




 サラ。
 彼女を書く際意識したのは強がり。ロボの背伸びに近いですが、彼女は大きく見せるのではなく自分を消して違う誰かに成り変わろうとします。
 けれど、そんな自分に疑問を抱かせたのがダルトン、そんな自分をぶっ壊したのがクロノです。
 最終話で彼女は馬鹿の演技をしていた、自分を好きになってもらうためと言っていましたが、七分の六くらい彼女はアホであります。ただ大切なものに関しては聡明と化しますが。
 それでも演技をしていると思い込んでいるのは事実であり、そういう意味では彼女はクロノに多大な感謝を送っていました。
 恋愛ではないですが、クロノを慕う気持ちは大きいです。クロノが結婚しても「良かったですね」と思いますが、自分が結婚した時に「良かったなあ」と言われればムカツク。そんな関係。彼女が恋愛対象として好きなのはダルトンなので。この作品のサラは、ですよ。
 最終話にて彼女は壊れそうになっています。世界を滅ぼしたい、何もかも気に入らない、どうして自分だけが……と自棄になりますがそれはクロノが止めました。意識してのことではないですが。
 もしクロノが来なければ、彼女はクロスのサラと同じものになっていたでしょう。これは、この作品がクロスには繋がらないという意味ではありませんよ、この時点では、という意味です。想像の余地は壊したくない。
 成長という意味では彼女もまた足踏みをしているだけです。けれど、足踏みをしているというのは彼女にとって素晴らしい事なんじゃないかなあ、サラは良くも悪くも変わってしまうキャラクターだし。
しつこいですが、ちなみに。現代の虹の貝殻編で出てくる独白の人物はマールの母ではなくサラだったり。意味の無いミスリードでした。いや本当に意味ねーな。



 ダルトン。
 彼を書く際意識したのは押尾○。いやそれは冗談でもないけど。ただまあ脆い部分は多大に存在します。あえて言うなら自信が彼のテーマでしょうか。
 プライド塗れの彼が手も足も出ない状況になり、(意識してないフリをしているけど)好きな女性を助けられない。一度彼はグシャグシャになります。それでも、元来ある優しさから大切なものが増えて、今までの自分は間違いではなかったと気づき、やがて力と優しさと誇りをもった立派な主導者になるでしょう。彼を支える従者もいますしね。
 これもまた蛇足ですが、この作品で一番のハーレム野郎は彼です。彼に好意を持つのはゴーレム三姉妹にサラ。パレポリの少女もずっぷり惚れていますので。彼の質実剛健な性格と勇往邁進な生き方は女性を虜にするでしょう。男どもも彼の強さと実直な性格は好印象でしょうし爆発しろ。
 さらにプチエピソードですが、マスターゴーレムの喋り方は、ダルトンがサラを好きだと知りマスターゴーレムがサラの口調を真似したという。主人への好意を伝える事は使い魔として出来ず、そのままのアプローチをするのも出来ない彼女の精一杯のアピールですね。
 関係無いのですが、ダルトンに一人だけ呼ばれたゴーレムは後で他二体のゴーレムに苛められるというエピソードも。マスターゴーレムだけは大姉ということでシスターやゴーレムに何も言われませんが顔を見るだけで舌打ちをされます。マスターゴーレムは一番呼び出されるので、見えない所で彼女がしんしんと泣いているのは日常的。ダルトンに呼び出されていないゴーレムたちの空間はかなり殺伐としているという悲しいお話。




 まだまだ書きたい人物はいるのですが(アザーラとかヤクラとかジールとかラヴォスとかマザーとか)これ以上は本当に長くなるので割愛。もうそろそろ第二話よりも長いんじゃないか? 洒落にならん。
 よって、大分はしょりながら、解説させて頂きます。


 まずはアザーラ。彼女のクロノへの気持ちはラブでなくライクであるという事。嫉妬はするでしょうがそれは年相応のものなので。一人占めしたいという気持ちも普通に。
 ただまあ、それが恋心に変わるのはあっという間なんでしょうね。なんだ意外とクロノもててるやん。ダルトンには敵わないけれど。マザーとクロノはお互い悪友感覚に近いのでは?
 ちなみに、彼女のその後ですが私的には急激に大人びていくんだろうなあと思っています。クロノに会えないと最初は認めず、それでもいつかは現実に直面する。それは彼女を大きく成長させるでしょう。それが良いことなのかどうかは分かりませんが。
 きっと原作に近い性格になるんじゃないかなあ、冷たくて情は無くても規律を重んじて頼られるリーダーに変わる。本当に時々、ニズベールにだけ本音を明かし弱音を伝える。けれど誰にも、ニズベールにも甘える事無く大地を踏みしめて生きていく。そんなのもいいんじゃないでしょうか。


 ジール。彼女は本作品で一番悪に近い存在です。原作でもそうだし。
 けれど、彼女もまた昔は良き母であり女王だったとしています。死に対する恐怖から、ラヴォスの力に当てられ(ラヴォスにその気は無くても)不老不死を望み壊れだす。
 最後には、クロノが持っていたロケットを見て過去の自分を思い出しますが、時すでに遅し、彼女は自分の行いを振り返り到底戻れないと確信します。そして、最後にクロノに問いを渡して死にました。多分この作品でテラと同じくらい不幸な人。でも同情出来ない人。そういう意味でも一番哀れな人でしょう。


 マザーですが、彼女だけはこれからを予想しません。もしかしたらクロスのマザーシステムのような人間を人間と思わない存在になるかもしれないし、そもそも未来が変わったのだから存在するかどうかもあやふや。ですから語る事は多くありません。
 ただ、もし未来が変わらずマザーがあのままならきっと人間を見下しながら、自分の息子たち(機械)と同じように愛して共に生きる道を模索するでしょう。そして見つける事は容易い。彼女もまた完璧な人間(機械だけど)になるのはすぐだと思っています。 


 ヤクラ。彼は初めてプロットに沿わず出現した人格でした。
 王妃と仲が良くて生き残るのは確定でしたが、実はゼナンで死ぬ予定は無くて旅を共にさせようかなーなんて思ってました。
 ただ、後半の黒の夢の魔物が各時代に襲撃する話を作った時に(この時はまだ最後までプロット組んでなかった)彼が一番輝くやり方を思いつき死ぬという形に。まあそもそもここでヤクラが仲間になるのは無茶だし(彼が王妃から離れるとは思えない)そこまでブレイクしたらシナリオ通りにいくのはおかしいから。
 彼を殺した時はアザーラ編の時と同じくらい凹みました。アザーラは殺す気は無かったのですが、やっぱりクロノたちと共感して悲しいのは悲しかったです。
 ともあれ、彼の死はこの話の中で一つのターニングポイントになったのでは、と思っています。ギャグだけでなく、こういうシリアスを織り交ぜるのもありだな、と考えさせられました。ヤクラの死から所々重たい話を入れたのは、それが原因だったり。そのせいで離れていった読者様がおられればお詫びいたします。


 ラヴォス。彼(あえて彼と表記させてもらいます)はこの物語で一番の被害者となっています。サラとどっこいかな。
 彼は本来星を食べる化け物なので寂しいという感情は無いと思いますが(そもそも喋らんし)もしそういう感情をもっていたら、というイフを作ってみました。そしたらきっと辛かったんじゃないかなあと。
 友達が欲しくてこの星に来たのに言われるのは殺して殺してばかり。ここらは本編で言ってますね。
 結局彼はクロノを元の場所に戻すため、そして彼の目標を達成させるため自分からの死を選びました。手を取り合ってなんやかんやで終わらせることは不可能ですし、それでは旅の目的が死んでしまう。物語的にもそれは不可能です。
 多分彼は本作で最も純粋で一番優しい存在だったんじゃないか、と書き上げた今だからこそ思います。










 と、ここでもう一つ。
 泣く泣く削った話も沢山あります。最初の方では、王妃とクロノの戦いなんかそうですね。彼らの闘いですが、じつはそれだけで一話まるまるという予定でした。長いし何小説なのこれ? と思ったので大幅に消しました。ギャグ的な戦いの始まりなのでまだ長いんじゃないかと思いましたが、結構な良い評価をもらいましたのでそのままにしておきます。
 他にも未来でのルッカとマールの不仲、ロボ登場時、カエル弄りなど山のようにあったのですが当然の如くカットォォォ!!! テンポ悪いっつの!
 特に削ったのは前述したカエルと王妃の話と、これもまたカエル繋がりなのですが死の山編です。マールがルッカとロボを置いて死の山に向かうシーンですが、その時にカエルが「ロボとルッカはクロノを強く想っている、マールや魔王などよりもな。こいつらを置いて行くのは傲慢じゃないか?」と言いだしカエル、ルッカ、ロボの三人で死の山に行こうとする、という話。
 心が壊れた後いきなり現れた希望に躁状態になっているロボとルッカなら最後に出し抜くのも容易だと考えたカエルの策略です。その後マール&魔王タッグとロボ、ルッカ、カエルトリオでバトルという展開なのですが、あんまりにもカエルが嫌な奴過ぎるしルッカとロボまるで反省してねー!! となるので没。でも書いていて面白かったのは確か。こういうドロドロ大好きです。正直おまけで出しても良かったけどデータぶっ飛んだからね! どうしようもないぜ! 鬱!
 そもそも、ここに書きだすもののほとんどがカエル関連という。クロノとの絡みがかきやすいんですよねカエルさんは。ずるいね。全部出したら、おおまかに分けても十は超えるという。





 一応、復旧したデータから削った話をちょろちょろと、何故没にしたのかの理由を添えてここに書きます。残ってるのは少ないので、短いですが。どの辺りの話かはさらさらと書きますが、直前直後の話を覚えていると楽しみが増すやもしれません。
 なお、時系列はバラバラですのでその辺りはご了承ください。
















 第二十四話に入れようとした小話。(カエルとクロノのやり取り)


「しかし、なんとも妙な世界だ。こうして屋内にいれば空中都市と言われても分からんな」
「そうだな。いっそそのまま外に出れば良いじゃないか。初めてのお使い気分で、一人で外に出ろ、俺という保護者を頼るな」
「はははは。お前はあれか? 幼子に剣を持たせて竜を狩れと、そう言うのか? 児童虐待者め、恥を知れ」


 もう嫌だ。なんで俺が高所恐怖症だかで怖がるこいつの面倒を見なければならんのか。児童て。お前の年齢は知らんがそこそこ良い年だろうが、竜どころか魔王を倒せるお前を虐待する奴がどこにいる。


「今俺の目の前にいる。良いかクロノ。剣士とは強くあるべきだ、しかし決して泣いてはいけないという訳ではない。剣士たるもの、肉親が他界した時と高い所に連れて行かれれば泣いても良いのだ」
「お前にとって肉親がどれだけ希薄な存在かは分かった。その事については憐れんでやるし充分同情の念を送ってやる。だが駄目だ、そろそろお前のふよふよに俺の何かが決壊しようとしている」
「壊れればまた作ればいいじゃないか。形あるものはいつか壊れるものだ」
「壊れれば再生しないものもあるんだ。そして、この場合失くすのはお前だ。壊すというか、破るというか。いやお前が経験済みかどうかは知らんが。ところでお前夜の組み体操と言われて何を連想する?」
「肉体鍛練の一種か?」


 あながち間違いでもないのが業腹である。鍛えられるのは腰か肺活量か。消費カロリーは多いらしいが……いや違うそこではない。
 今俺とカエルは互いを睨みあい戦いを繰り広げている。場所はエンハーサの入り口。ルッカがここにいないと知った俺たちは今までにない形相で互いの面を突き合わせていた。距離は近い、そりゃそうだカエルは負けじと俺の腕を離さないのだから。その距離数センチ。睫毛長いなこいつ。
 もう嫌なんだ、こんな熱々に見られる姿で外を練り歩くのは。恥でしかない。なんでこのくそ暗い国の住人に遠目からひそひそ話をされねばならんのか。はしたないとか明るいうちからみっともないとか、雲の上にあるこの国に夜があるのか? いやだからどうでもいい!
 マールやエイラならまだしも、いやルッカでもこの際構わんだろう。だがこいつは駄目だ! なんか、色々危ない気がする。嫌な妄想が止まらないのは何故だ? こいつを意識しているからか、絶対に無い。


「カエル。今なら間に合うぞ、今ならお前を真の剣士として認めておいてやらんではない。なんといっても魔王と戦い伝説の剣を持つ勇者だからな。だがこれ以上俺の右腕及び俺の体の一部を元気にするようならお前を見下げ果てた存在として認識せざるを得ない事山の如し」
「甘いな、真の勇者とは風評を気にせんのだ」
「風評じゃねえ、仲間からの評価だ、気にしろ!!」
「ええい、いいだろう! 俺とて恥はあるのだ、お互いに気にしないと誓えば半々だろう!」
「貴様は恥ずかしさと交換に安心感を得るだろう、俺は恥ずかしい気持ちと引き換えに何を得る! 対価はなんだ!?」


 堂々巡りとはこれを言うのだ。このやりとりはついぞ一時間を超えた。入口で騒いでいるので、ここに入る人と出る人の迷惑になって仕方がないこの状況。そして目立つ、つまり恥ずかしい。どういう拷問なのか。こんなことなら一度の恥を捨ててこのまま行けば良かったのだろう。だが最早遅い、意地になっているのだ、このまま引けば何の効果も得られずふりだしに戻るのみ。
 ならば……引くはない!!


「……ならこうしようぜカエル。剣で勝負するのはどうだ?」
「ほう、良いだろう。俺が勝てばお前は大人しく俺の手を握る、良いな!?」
「聞けば聞くほどアホくさいが……いいさ。人間の体に戻ったお前が俺に勝てるかな!?」


 俺の挑発に乗り、上等だ! と意気の良い声を上げてカエルが剣を抜く。相変わらず重そうに剣を持っているが、その目に闘争心がある限り奴は退く事はないだろう。
 俺はカエルのやる気を見て、口端を上げすたすたとエンハーサを出た。


「………………」


 剣を抜いて構えるという事は俺の手を離すという事。手を離された俺は屋内を出るという事。これらは繋がっている。馬鹿正直に俺の挑発に乗ったカエルの無様は嘲笑ものだろう。アホめ!
 エンハーサの門から五メートル程離れた地点で振り返る。すでに剣を鞘に収めたカエルが無表情に俺を見ていた。超面白い。


「ほらほら、あんよはじょーず、あんよはじょーず」


 手を叩きながら足踏みを繰り返す俺は今日一で輝いているだろう。俺たちの会話を聞いていた門番代わりの女性が下朗を見る目で俺を見ていたが関係おまへん。俺は己が道を行くのだ。ていうか色々厄介な目に会わされたのだからこれくらいの意趣返しはあって然るべき。
 暫く手を叩いていたが痛くなってきたので止めた。カエルの奴も全く動かんし、俺はその場で寝転がる。今まで極寒の地にいたせいだろう、太陽の光が直接当たるここは酷く心地よい。このまま目を瞑れば、大変良い夢を見られるだろう……






「……ん?」


 ふと、物音に目を覚ました。がさがさと、何かを掻き分けるような音。
 何事かと横を見れば、倒れた女性。あ、違う這い寄る女性だ。ていうかカエルだ。
 そうか……匍匐前進なら外に出れる様になったんだな……
 感慨深い気持ちに浸りながらカエルの努力を眺めていると、どうにも彼女の顔が怖い。目を真っ赤にして体を震わせながらナメクジの八倍は遅いスピードで近寄って来る。にじり寄るという言葉ですら大げさな速度だった。あ、汗も凄いから地面が湿ってるだろうな、ナメクジまんまだな。蛙のくせに。
 それでも、俺がうとうととしている間に大分距離は縮まった。一メートルあるかないかだろう。むしろ仮眠していたにも関わらず五メートルも進まないって何その速度。分速何センチよ? むしろ何ミリよ?


「…………」
「あっ……」


 とりあえず体育座りになり、地面を蹴って足だけでぐんぐんと距離を離していく。寂しそうというか、さもしそうな顔をするカエルがおもろい。砂漠でやっと見えたオアシスが消えていったような、そんな心境だろうか。
 しばし見つめ合っていたが、カエルはまた前進を開始する。今度は逃がすまいと考えているのか、見える範囲で速度は早まった。それでも異様に遅いけど。
 もう飽きたので、立ち上がり体についた草を払う。近づいて手を差し出した。


「もう良いよ。頑張ったんだな、ほら行くぞ」
「あっ、ああ!」


 嬉しそうに、本当に嬉しそうに手を伸ばすカエル。俺の手を握る直前で手を引っ込めた。


「え……」
「いや冗談冗談。ほら、はやく掴めよ」
「ああ……えっ! おいクロノ!」


 何だか楽しくなってきたのでそのやり取りを繰り返す。猫みたいだなあと思った辺りかな、本格的にカエルが突っ伏して嗚咽を上げ出したのは。
 しまった、泣かせるつもりはなかった。一応女であるカエルを泣かせるなんて小学生じゃないか。俺は後悔の渦に飲み込まれた。
 だがそれ以上の愉悦に身を捧げた。


「超面白え」
「う、う、う、う、ううう!!! ウォーター!!!」
「うおおおぉぉぉ!?」


 涙と土に塗れた顔を上げてカエルが魔法を繰り出す。弾けた水滴は弾丸となって俺に襲いかかる。所詮まだ慣れていないカエルの魔法、避けるのは容易かったが足元の石に躓いて転んでしまった。


「う、え!」


 その躓いた石に背中を打ってしまい一瞬呼吸が止まる。立ち上がれるが、出来るなら少しの間このまま横になりたいくらいのダメージ。慣れっこだけどさこんなの。
 もう許さん、絶対にもっとからかってやる。痛みに悶えつつあくどい悪戯を思案していると、横から不安そうな声が聞こえた。


「クロノ……? おい、まさか当たったのか!? 怪我したのか!?」


 自分の放ったウォーターが直撃したと勘違いしたカエルの焦る声。当てる気は無かったのか、そりゃそうか。あいつも身のこなしだけはそこそこの俺が稚拙な水魔法に当たると思いもしなかったと。驚かす為に放った水の弾丸が直撃すればびっくりもするか。ていうか、仮に当たってもお前のヒールがあれば大丈夫だろうに。いくら怖いからってそこまで慌てるなよ……ああ理性を壊すくらいに怖いのか。


「……」どうせならもっと慌てさせてやろうとこのまま死んだふり……もとい怪我をした振りを続ける。さて、こいつはどういう行動を起こすのか?
「クロノ……くっ!!」


 薄目に見ていると、カエルは匍匐の状態から少しずつプルプルと体を起こし始めた。生まれたての鹿でもそこまで痙攣しまい、という動き。
 それでもこいつは……立ち上がった。そのまま膝に手を当てたまま、ゆっくりと歩行している。汗の量は尋常じゃない。それでも、歩いている。俺の……為に。
 ようやく俺の近くまで来たカエルは倒れるように座り込んだ。剣士にしては小さく、固くなっていても繊細さを失わない掌を俺に当てて揺さぶる。


「だっ、大丈夫か? おい?」


 ついさっき、こいつに抱きついて泣いてしまった事を思い出し顔が赤くなる。そして罪悪感が膨れる。
 仲間を心配させて、俺は何がしてえんだよ……良いじゃないか、腕を組むくらいさ、手を繋ぐくらいなんでもないじゃないか。
 ほら、こうして悔やむくらいなら、早く元気な声を聞かせてやれよ!!


「大丈夫だよカエル。ちょっと痛がった振りをしただけだからさ。泣くなよ」


 俺が顔を起こし元気である事を告げると、彼女は随分ほっとした様子で……すぐにまた泣き顔に変わる。


「馬鹿者!! 下らん事をするなぁ!!」


 叫びながら俺の腰に手を回す彼女は、とても勇者なんて大仰なものじゃなく、怖がりで小さな女の子に見えた。頭を撫でると嗚咽の度に振動が手に伝わる。
 やり過ぎたか……そうだな。からかうにも限度があるよな。ごめん。


「俺……! 俺はなあ!!」
「ごめんってカエル、もうこんな悪戯しないからさ……」
「二度とここから出られないと思ったんだぞ!!」
「そっちかよ。俺の心配じゃねーのかよ。おら離せ糞ビッチ!!」
「離れない! もうお前から一生離れたりしない!!」
「やめんか!! ほらまた周りから蔑まれてるじゃないか! 俺がお前を捨てようとした男みたいな構図じゃないか!! ……おらお前ら! 仲直りできて良かったねみたいな面するんじゃねえ!!」


 結局、この後も俺の腰から手を離さないカエルのせいでさっきよりも倍密着度が強いまま歩きだす事となる。もう息子は大騒ぎである。出せ! 出せ! と凶悪犯罪者の檻の如し。壁パン禁止だと牢屋主からの命令だぞ!!
 心に決めた事は、次に街に入ってこいつと別行動をした暁には絶対に仏心を出さずこいつを置いて外に出よう、という事だ。


 そうそう、追記になるが、次の町を出てさらに次の町へ行く時カエルは俺の背中に乗っていた事だけを記そう。もう胸が嫌いになりそうだ。絶対夢にみるし。埋もれる夢と押し付けられる夢を、な。









 没理由。
 これはカエルじゃない。そんで、ルッカどうした。さっさと迎えに行け。














 第四十話にいれようとした小話(短い)





「ねえエイラ?」


 爆薬の準備をしながら、すぐ後ろで作業しているエイラに声をかける。


「あのね……私クロノの事が、えっと……好きになったの。いや今までもそうでしょって言われたら、考えちゃうけど、やっぱり違ったのよ」


 そう、私の初恋はつい最近スタートしたばかり。開幕までに随分とかかったけれど、これからは胸を張って恋だと言えるのだ。
 恋……そう認識した途端怖くなった。彼との距離が、接し方が、対応やどう思われているかが。そして何をすれば好かれ何をすれば嫌われるか。恋愛のハウツー本くらい胡散臭いのは無いと思っていたが、飛ぶように売れる理由が分かる。なんでもいいから道標が欲しいのだ、どうやれば好かれるか、確実性を求めてしまう。


「貴方もキーノが好きなんでしょ? ……だから、先輩として教えてほしいの」
「…………」


 彼女からの答えは無かった。確かに、エイラにそういう答えを求めるのは酷だろう。私も大概だが、彼女はさらに輪をかけて臆病だから。それが良いってことなんでしょうね。クロノも明らかに彼女を好きだったから。


「……ぐすっ」


 今更おしとやかになんてなれないもん。可愛げも無いし、クロノに酷い事もしたし。今更無かった事にして大人しい私なんてなれる訳ないもん。
 自分が蒔いた種とはいえ、辛い。私だってただの幼馴染から上に行きたい。一緒にいてくれるだけじゃなくて、やっぱり好きになってほしいし、可愛いって思われたりドキドキしてほしい。
 我儘だろうか? 我儘だろうな。でもそれが恋……なんじゃないかな。
 あー! もっと色んな恋愛小説を読んでおけばよかった! だって私が見てきたのってそういうのばっかりだもの! 女の子が男の子への恋を感じたらとんとんと上手くいったもの! そうなったって良いじゃない、馬鹿!


「お腹……痛い」


 ぐるぐると、胃から締めつけるような痛みが走る。最近はちょくちょくこうなる。今頃クロノはどうしてるだろう、マールと仲良くしてるのかな? 嫌だな、マールを好きになったりしたらもっと嫌だな。
 マールは可愛いから、お姫様だし今の私なんかよりずっと素直にクロノに想いを伝えるに違いない。彼女みたいな美少女に想いを寄せられて断る男なんているのかしら。


「お腹、痛いよ……」


 痛みが酷くなる。目の前が薄ぼやけて、ちかちかと光が飛ぶ。ここまで辛いのは久しぶりだ、月のものが酷い時でもこれほど痛む事は無い。
 喉がからからする、クロノを想う度……辛い。今までは明るくなれたのに、安心できたのに、彼の姿を想うと泣きたくなる。でも、会えばそんな感情は消えて幸福を得る。
 離れてたら辛い、会えば嬉しい。こんな女の子、クロノは嫌いよね……
 お腹の痛みは増していく。まだ別れてから少ししか経っていないのに、今まではそんな事無かったのに、今は僅かな時間で彼を欲してしまう。
 ああ、彼と手を繋ぎたい、それだけで私は飛ぶように幸せになれるのに、それが怖い。断られたら死んでしまうのではないか?


「エイラ……ごめん、ちょっと」


 中断を告げようとして後ろを振り返ると、遠くフィオナさんの家でお菓子を食べているエイラがいた。
 私が見ているのに気づき、彼女は皿を持ったまま走って来る。


「ルッカ! これ美味しい、食べる、良い!!」
「ありがとね、お陰で痛くなくなったわ」
「? どう、いたしまして!」


 そうか。私はこの空の下延々独り言と泣き事を呟いていた訳だ。後ろに仲間がいると、弱音を吐き続けていた訳だ。なんて滑稽。
 いやあそれにしても流石エイラよね。この私は人前で弱い部分を見せようとしたらあっさりぶっちぎってくれていや本当に助かったわー本当に天使だわーあなた。


「る、ルッカ? その手にある、火? エイラ、火好きじゃない……」
「あらそう? ……でも良いじゃない。焼けた肌なんて健康的でしょ? とぉぉぉっっっても魅力的になれるわよお?」
「…………ひ、」










 今は緑無く、砂漠と化した寒々しい大地で、赤々と燃ゆる火柱が立ちあがった。
 エイラ、ルッカ恐怖症再発。フィオナさんはとりあえず家に戻り蓄えていたアロエを集めるのであった。


「ねえマルコ……全身火傷に、アロエって効果あるのかしら?」
「さあ……」


 彼らの疑問は解消されたのか、分かる事は、彼らはもうすぐ焼け石に水という諺を知る事になる。









 没理由。
 この話にギャグは僅かで良い。必要性もない。じゃあいらない。









 第五話~第六話にいれようとした部分。(戦闘シーン)





 一連の動作、なんて言葉があるだろう。しかして、淀み無くそれを行うには相応の繰り返しが必要になるはずだ。
 拳を放ち、引き、その反動で足を前に出し蹴りあげ戻すタイミングを同じく後ろに下がる。単純な動作、覚える必要も無いくらいに思うだろう。だがそれを一切の無駄なく行うのは果てなく厳しい。それも、ヒールを履きながらドレスを纏った状態で、だ。一動作に風は鳴り呼吸を乱さず俺を見る王妃。血の滲む鍛錬なんてものがあるなら、彼女は正しく貫いてきたのだろう。一朝一夕ではならず、絶やせば戻らない技を見せつけた。


「貴方は、同年代の男性に比べかなり敏捷性に優れています。ですが、貴方は戦いを知りませんね? クロノ」
「そりゃそうだろ、こちとら遊び盛りのただのガキだ!」
「ふふ……そこまで卑下することはないでしょう。一兵士分は活躍できそうですよ? 当然新入りの、ですが。入隊を希望するなら私が取り計らっても良いでしょう。クッキーを焼いてくれるなら」
「堂々過ぎる裏道入隊だな。いびりが激しそうだ!!」


 鋼鉄の刀を八双に構え前に出る。受けが基本となるこの型ならば、いかに王妃とはいえ簡単には崩せない……


「男たる貴方が受けに回りますか……惰弱ッ!!」俺の防御を意に介さず、蛇の様にうねる王妃の掌底が俺の顎を貫く。
「げあっ!?」
「勝つ気概が無い!!」俺の腕に手を置き、そこを支点に飛び上がった王妃の膝が俺の側頭部に。「迎撃を心構えたにも関わらず反応が愚鈍!!」着地と同時に跳ねるように俺の顔面に右肘突き。「圧倒的実力差を知りながら女性への暴力に怯え!!」そのまま肘を伸ばし爪を立てて腕を引き、俺の横面に虎爪。「倒れていないという最低限の矜持を守る!!」右腕を引いた反動を利用し左手で顔に掌底。「それが下らぬプライドと知らず!!」左手で髪を掴み引き寄せて頭突き。「いや、唯の意地であるとさえ気付かない!!」飛び上がりながら右足を持ち上げ金的。「心身ともにあまりに未熟! あまりに貧困!!」両手を組み、叩き下ろす鉄槌。「戦いとは、己が誇れるだけの力を得て、初めて敵を得るのです!!」浮いたまま体を前回転させ、両膝を立てて俺の背中に落下した。
「あ……あ……」
「……ガルディア戦闘術五十八の技が一つ。終身。寝る事と掛けているのですよ、面白いでしょう?」


 俺から離れて、王妃は微笑んだ。びくびくと痙攣している男に向かって、自分がそうさせた俺に笑ったのだ。
 鼻はとっくに折れた、頬からの血は床に及ぶ。股間が痛み立てそうにない、頭が揺さぶられてチカチカする。


「……あら、やはり駄目ですか。確かにこれを受けて立てた人間はそう多くありません、落ち込まないで下さいねその他の方」
「ぐっ……!! あ、あああ!!!」
「叫んでも駄目ですよ。かつて、終身を受けて立っていたものは騎士団長とサイ……を置いて他にいませんから。ああ、グレンには試していませんでしたね」


 耳が遠ざかり、彼女の言葉が上手く拾えない。ただ、俺を馬鹿にしているのは分かった。確かにな、確かに立てねえよ。そりゃそうさ、痛いもんな。
 こんな痛いのはいつ振りだ? いつ以来だこんなに痛いのはさ。ルッカの実験が失敗して俺を拘束していた機械が爆発した時か? いやそれでもここまで痛まなかった。馬鹿みたいに崖から海に飛び込んで遊んだ時? いやあの時も岩で頭を切ったがこれ程じゃない。
 ……ああ、そうだ。思い出した。


「たっ……立てるぞ王妃。まだっ……!! まだ立てる!!」
「あら? ……ちゃんと入っていなかったのでしょうか? おかしいですね、私が技を間違えるなんて」
「はっ、効かねえ、んだよこんな打撃!!」


 よしよし刀を持ってるな? 足も動くな? 震えてても怯えてねえな? じゃあ問題無い!!
 ふらつきながら、口だけは余裕そうに弧型に変える。いや余裕そう、じゃねえ。余裕なんだ、これくらい。だって戦えるぞ、こんな程度の衝撃じゃ、ハンマーを振りかぶられたくらいじゃ痛くない。そんな痛みなら幼馴染に散々貰ってる。


「こっちはなあ……」空いた左手を突き出し指を幾度か引き寄せる。この劣勢の最中かかって来いと告げてやる。無様に見えるか? 意地に見えるかよ。
 意地か、間違いねえな。さっきも言ったとおり痛いし辛いし飽きてきたし! でも負けるのは違う。本気を出さずになあなあで負けるのは慣れっこだ、いつものことだ。でも今俺は本気なんだ。真剣勝負で負けた事は、あの人以外では一度も無いんだから。
 肺一杯の空気を吐き出しながら、俺の自信の理由を吐きだした。


「大岩も砕く武神に毎日殴られてるんだ!! あんたの細腕じゃ、何発貰っても効きやしねえんだよ!!!」
「……言いましたね? 地位に胡坐をかかず、国の為兵の為民の為に己を磨いてきた私に向かってほざきましたね? ……良いでしょうええ良いでしょうとも」


 彼女が床に足を置いた時、その音はタン、ではなくドン、でもない。ガン!! と金属音としか思えない不協和な音を立てた。彼女の歯の隙間から吐いたような呼吸が部屋に響く。いつの間にか、ヤクラも、ヤクラと戦っていたルッカとカエルも俺たちを見ていた。
 戦いの最中でもニコニコと笑顔を絶やさなかった王妃が、初めて目を尖らせて、殺気という殺気を体中から放っている。
 腰を落とし、拳を引き首を引いて俺を見遣るその構えは、彼女が最も得意とする技、縦拳。見た目は変わらずとも、分かる事は。さっき見せたものとはまるで別物の気迫であるということ。


「上半身だけを、ぶっ飛ばしてあげますよ小僧……早くかかって来て、そして散らかれ」
「……上オオオォォォ等オオオォォォォ!!!!!!」


 剣を鞘に収め、居合の構えで死地へと走り出した。









 没理由。
 お前誰だよ序盤のキャラじゃねえのかよ後々書く魔王並に戦闘してるじゃねえかよ。










 第四十九話にて。過去頂いた感想から産み出した謎の産物。危うく正史になるところだった。いやそれは嘘だけど。





 世界が変わる。ゆったりと、大仰に。なにもかもを巻き込んで。
 コーヒーにミルクを入れたような、螺旋の中に身を飛びこませた感覚。うねるのは周りか己自身か。曖昧な気分と曖昧な触覚が相反して、不思議に清廉な心地になる。
 やがて、景色は開ける。夢遊とした落下感が終わり地に足がついた、と分かった途端辺りを見る事が出来た。今の今まで暗澹とした空間だったのに、今は明るい。というよりも暗闇、影がない。それはつまり光もないのだが。ただただ白の世界だった。
 円柱状の建物(おそらくそういった概念ではないのだろうが)、その中にいるようだった。大きさは魔王城よりも小さい。直径にして二百とあるか無いかだろう面積である。全てが白いので、奥行きに確信が持てないがまあ大凡正解だと踏む。
 天井は、あるのかもしれないが前述したとおり区切りも分からぬ白一色なので、高さに見当がつかない。俺程度の脚力では、魔力強化したところで届きはしないだろう。エイラでもまず無理か。魔王なら浮遊して届くかもしれないが。
 かつかつと靴を床に打ちつける。踏み心地としては石床に似ている気がする。レンガ程軟くは無く鉄というには頼りない、気味が悪いと言えば気味の悪い感触だった。
 白色の世界の中心に、唯一混ざり物が立っている。二足歩行なのだ、立つという言葉に間違いはない。フォルムだけを見れば人間と言えなくもない造詣の……うん?


「……女?」


 二足歩行もフォルムもなにも、眼の前にいるのは白い髪の女性だった。眼に光は無く、肌は透けるように白い。纏うのは、ワンピースとも言えないただの白い布。その単純で雑な服は彼女が着る事によって素朴、または純粋という表現に生まれ変わっていた。
 ふと、思ったのは似ているという事。彼女は何処か……サラに似ている気がした。きっとあの馬鹿女が生きる事に絶望して、何もかも嫌になったのならこんな雰囲気になるんだろうな、と想像する。というか、凄くもの凄く大きい。何って、サラが大きい所と同じ部位が。
 あああれやばいな下手したらサラよりやばくね抑えつけるもんが無いからより凄いように見えるあっ今身体が揺れた時あれも揺れた凄いなたゆんたゆんしてはる持ち上げたいな持ち上げた後包まれたいな包まれた後剥ぎたいな何をってそりゃ俺の性欲を高めるだけでしかないあの白い布を


『──意外だな。君は、戦いの前の礼儀を重んじると思っていた』気付けば俺は、催眠に掛けられたのだろう、近づいて彼女の胸を持ち上げていた。
「やっぱり、お前も話せるのか。なら一つ聞きたい、お前はラヴォスなのか? 随分イメージが変わったけど」やっべえ今地球上で一番さわり心地の良い物に触れている気がするっていうか指が! もう指が埋もれて見えないよ!!
『そうかな。そうかもしれない、僕はそれぞれに異なる性格を要しているから……あのさ、そろそろ離してくれる? 一応女性体である以上不快感は拭えないんだ。それに僕、潔癖症だし』
「てめえの自己紹介なんか毛ほども興味無かったが……そうか、最後の情報はありがたい。背徳感で良い塩梅に興奮できる。あっいやそうじゃなくてあれだ、お前が俺を操ってるんだろうが、ふざけやがって」
『ふざけてるのはそっちじゃないかなあ。良いからほら、離れてよ』そう言いながらラヴォスは奇怪な腕を振るい俺の体を引き裂かんと万力の力で掴みあげた。だが、ここで距離を取るのは不味い、千載一遇のチャンスで奴に近寄れたのだ、ここで離せばもう奇跡は起きないかもしれない……ッ!!
「ふざけんな、お前の首を落として此処を出る。その為にも俺はここから離れない。そして離さない」
『そんな事言わないで……だって、でないと僕、泣いちゃうよ?』
「そうなれば俺は大喜びだ」


 いーなーいーなーこれいーなー揉ーめるタイプのこれいーなー。持って帰れないかなあ。


『ねえ……お話ししようよ?』
「ふわふわだなあ、俺はふわふわが好きなんだなあ」
『…………ねえ?』
「これ凄いなあ、風呂とか入れば浮くんだよなー、歴史が生み出した奇跡って奴だよな。いいなー俺の家に無いかなこれ」
『………………』
「毎日水とかあげるんだけどな。毎日可愛がるんだけどな。でもあれだな、お前痩せ過ぎだな、飯食った方が良いな、アンダーとのバランスがちょっと微妙だぞ? 俺はどっちかというとふくよかな女性もカマーンな男だから」
「……お、おはなしっ……スン、しよ、うよう……」
「いやいやそんなんどうでも良いじゃないか。俺はこうして乳に埋もれて生きるのが夢である、ビリーヴァーなんだから。そしてドリーマーなんだから。フォーエヴァーなんだから」
「……うぇええええええううう…………!!!」


 流石に耳元で煩いのはうざったいので仕方なく距離を取り話相手になる事にした。ところで泣こうがなにしようが表情が変わらないのは頂けない。涙目で揉まれる女性とか最高じゃないか。歴史的瞬間じゃないか。スクリーンショットとして壁紙にせざるを得ないじゃないか。
 お互い向かい合って何もない空間で座る。ラヴォスは正坐、俺は胡坐。どちらが上座か知らんが、あるとすれば俺が座っているところだろう。


『こほん……そうだね、折角来たんだから君に良い事を教えてあげるよ』
「喋る度に揺れるんだな」
『君は……そうだ。ガルディアの王になるよ、君のお仲間のマールと結婚してね。その後同盟が為ったメディーナと共に』
「いやまあ好き勝手弄ってた俺が言う事じゃないけどな、ブラは着けた方が良いぜ? そのでかさだと後々垂れる」
『お気遣い有難う。それでね、メディーナと共に盛大に祝福される。世界の王だ、救世主だ!! でも、それも長くは』
「なに気にするな、おっぱいというのは世界の母だからな。人類の至宝だからな。ただ今は着けなくていいぞ、自由にはしゃぐおっぱいをもっと見ていたい」
『ああそうなの……ええとね、長くは続かなくてね。すぐに他国からガルディアは攻め込まれるんだけど、』
「でもやっぱりチラリズムも捨てがたいな。折角胸元の空いた服を着てるんだ、下着があるのも一興だろう。谷間も良いが一歩引いた色気というのも悪くない。ほら着けろ」言って、ポケットから一枚の白いブラを取り出した。
『……あれ? ブラジャーって女性用下着だったと記憶してるんだけど』
「ああそうだぜ。これはマールのだ。昨日あいつの荷物からかっぱらった」
『……ちょっと、汗の匂いがするね』
「未洗濯だからな」
『…………入らないよ』
「チッ、あいつもなんだかんだでつまらねえ胸してやがる……」


 今や興味の外と漏れた仲間の乳を思い浮かべ唾を吐く。小さいのも良い? 馬鹿な、これだけの大物を見れば小物など何の価値も無い。例えるのなら、こいつの胸一揉みとマールの胸一揉みでは一回につき千揉みの差はある。ルッカ? あれは単位が揉みではなく一摘みだ。


『あのさ? 僕の話聞いてくれてる?』
「ああ聞いてるぞ。体が疼いて仕方ないの……まで聞いた」
『言ってないよ』
「言ったよ。今火照りを鎮めて欲しい……っておねだりしたじゃないか」
『最初に受け答えしたのに、無理があるよ』
「そうか? ……辛抱堪らん。襲って良いか?」
『駄目でしょ。君普通に犯罪者だよ』
「そうか、良いのか。よっこいしょ」座ってたものだから足が痺れている。困ったな、これでは女性を満足させるに足る動きは可能かどうか。
『ちょっと、ちょっと待ってよ。いきなりそんな……』
「まあまあまあ、最初は誰でも怖いんだ。落ち付いて? ほら深呼吸開始ー」
『君だってしたこと無いくせに』
「だから強引に事を済ませようとしてるんじゃないか!!」
『君が怒れる立場かなあ』
「大丈夫だ、俺はこう見えていざという時は優しい男として生きていけるかもしれないよ」
『不安だなあ』
「ええい! いいからその豊満な体を俺によこ」
『巨岩』
「ん?」





 夢とはいかなるものか。
 目を覚ましてみれば、人々は案外に短く感じるものだろう。だが、それは違う。
 夢は長いのだ、一日だけの夢としても、それは存外に長い。
 だが目覚めは一瞬である。電撃が走るように、瞬間に途絶えてしまうものなのだ。
 ……そう、夢は、終わってしまったのだ。










 没理由。
 言わなくても分かりますよね。まあ没もなにも出すつもりなかったしね!!









 黒の夢内部。グレンとクロノのやり取りを見てもやもやするルッカ。途中から「あ、これ没だな」と気付いたのではっちゃけた。






 途中に現れた、爪の長いモンスターから右腕に少々傷を負わされ、膝を折る。ポーションの無い今、グレンに回復魔法を使ってもらう他無いのだが、エーテルも無い状態で早々ヒールを使う訳にもいかず痛みを堪えながら考えを回していた。
 見た目だけは出血量が多いので、グレンは少しだけ慌てながら呪文詠唱を始めている。俺はしばし待ってからそれを止めた。


「何をしている? 傷は浅くないぞ、邪魔するな」
「いや、そこまで酷い怪我じゃない。ほら、これで血止めすりゃあ問題無いだろ、危なくなったら言うさ」鉢巻を取り傷口に巻きつけた。痛みで流れ出した汗を拭おうと顔に手を当てると、どうやら頬もかすっていたようだ、服に血がこびり付いた。
「ほら、顔も怪我してるんじゃない。早い所グレンに治療してもらいなさい」
「馬鹿言え、外の世界が襲われてる今、戻って回復する暇なんか無いんだぞ。なのに、ここで重要な魔力を消耗してどうするんだよ。元々グレンは魔力量が多い訳じゃないんだから温存しないと」
「ぬ……すまんな、俺が不甲斐ないばかりに」
「嫌みとか、そういう意味で言ったんじゃねえよ。それを補って余りあるくらいお前は強いじゃないか。大体それを言うならルッカみたいに強くて連発出来る魔法も無いのに治療系の呪文を持たない俺が一番不甲斐ないだろ」


 顔の傷を拭って立ち上がる。刀が振れない程じゃないし、恐らく血も勝手に止まるだろう。痛いのを我慢すれば良いだけの話なんだから、気にする事は無い。
 さあ行くぞ、と声を掛けて奥に進む。遅れてルッカはついて来るが、グレンはまだ難しい顔をしたまま戻らない。妙にこいつは面倒見が良いからな、怪我をしている俺を心配しているのか。そういえばこいつは誰かが怪我をすればすぐに回復してたからな。心配症でもあるんだろう。ここまで来てちょいとした傷を想われても困るんだが、それもこいつの良い所か。


「……なあクロノ、魔法を使わずお前を治せば良いんだな?」
「んー、けどポーションは無いし、あっても勿体ないだろ」
「でも痛いだろうに、戦闘に支障は無いと思っていても痛みは感覚を鈍らせる」
「ほら、グレンもそう言ってるんだし、諦めて回復してもらいなさいよ」
「あのな、かすったくらいの怪我だぞ? 一々そんなので魔力を消費してどうするんだよ」
「だ、だから魔法を使わなければ良いんだろう?」


 薄暗い中でも分かる位に顔を紅潮させた……紅潮させた? なんで? ともあれ赤い顔のグレンが歩み寄って来る。そして、乱暴に傷口を押さえている鉢巻を取った。傷口に擦れて、ぐっ、とくぐもった声を出してしまう。


「痛いなあ、何してるんだよグレン…………いやいや何してるんじゃあ貴様あああぁぁぁ!!!」思わず怪我をしていない方の腕を曲げてグレンの頭に肘鉄を埋め込んだ。ぐふっ! と声を上げて地面に沈むこいつは頭を押さえて俺を睨んできた。
「痛いじゃないか! 何をするんだクロノ!」
「何をはこっちの台詞だ! おまっ、お前何で舐めるんだよ!?」そう、こいつは俺の傷口に口を当てて舐めやがったのだ。ぞわっ、とした感覚と妙に気持ちの良い舌の感触が忘れられない。いや、変な意味で無くて。ルッカはふえ? と目を見開いたまま動かない。
「知っているだろう、俺の唾液には治癒の効果があるのだ。これなら魔法を使わずとも怪我を治せるぞ」
「それは蛙の時だけだろ!」
「いや、サイラスとの修行で知ったのだが、未だ俺の唾液、舌には治癒効果がある。認めたくはないが、魔王の呪いのお陰だろうな……ともあれ効果があるのは俺自身で立証済みだ、安心しろ」
「安心できないっ!! 良いからもう放っとけよ!!」
「駄目だ、これから先何があるのか分からん。敵の本拠地だぞ、いくら些細な傷とはいえ無視して進める場所ではない、我儘を言うなクロノ」


 いっそこの場で気絶させてやればこいつも収まるのではないかと考える。その場合のデメリットとメリットを抽出してみよう。
 悪い点は魔物との戦いで不利になる。こいつが戦闘不能になれば、俺以上に前衛として頼りになるグレンの穴は埋めがたい。が、俺が牽制してルッカの力を借りればなんとかならないではない。
 悪い点その二。とち狂っていても俺を心配してくれている女性に乱暴を働く罪悪感が募る。
 悪い点その三。気絶したこいつを運ぶ労力及びその間の危険性。敵から急襲されればかなり面倒な事態になるのは明白だろう。
 逆にメリットを上げてみよう。俺の精神衛生上よろしい。
 決まりだ、早速魔力を練ろう。


「サンダあああぁ!? 顔っ、顔は駄目だろ!! お前もう少し羞恥心とか色々持てよ!! そんなんだからサイラスさんに苛められるんだよ!!」発動の前に猫みたく俺の顔に舌を当てるこいつもう駄目だ、今すぐ蛙形態に戻らないと一生こいつの顔を見る事が出来なくなる。魔法? 出せるか! 集中できるか! 体ぶつ切りにされてる時の方がまともに魔法を出せる気がする。
「恥ずかしいが、俺は恥ずかしくても仲間の治療を優先する」
「やめっ、だから舐めるな、圧し掛かるなああ!! ルッカおい何処行ったルッカ早く助けろおおおぉぉぉぉ!!!」






「はあっ、はあっ、はあ……」
「どうだ、痛みは無いか?」
「無い……俺のプライドというか、尊厳も消えた……」


 あれから五分程度だと思うのだが、延々腕と顔を舐められて脱力中の俺。何が嫌って、舐められてる最中のこいつの息遣いの艶めかしさ。何度押し倒そうとしたか分からない。中途半端に顔が赤らんでいる所なんか誘っているようにしか思えないのだ、どう良いように解釈してもな。
 俺とは対照的に安心した、というように胸を撫で下ろしているグレンの顔。右ストレートを叩きこみたいのだが、今はどうしてもこいつの方を見れない。そもそも拳に力が入らない。詮無い事だが、仮にこいつが現代に生まれていたらとんでもない悪女になっただろう。無意識に男を誘うとか、そんで本気になったら返り討ちにするとか最低。どうせ、返り討ちにした奴にも優しくするんだろ? その上ドエムってなにさ。漫画のキャラみたいなことしやがってくそったれ。


「る、ルッカは何処だ? 今お前と二人でいるのは嫌だ、大層気分が悪い!!」
「おいクロノ、お前の痛みへの覚悟を蔑ろにしたのは悪かったが俺とてお前を想っての事だ、そう怒るな」
「なんなんだよ、その鈍感属性なんなんだよ!! お前幾つスキル保持すれば満足するんだよ!!」


 地団駄を踏んでから振りかえらず奥に進む。確か、ルッカはこちらの方に歩いていったはずだ。こいつに押し倒された時横目に見えた。救助要請を無視して先に進むとか、それでも幼馴染なのか。俺は深い絶望に囚われつつある。
 少し歩くと、右に曲がる角があり、俺たちがいた場所からは見えない少し曲がった先でルッカは壁にもたれて座り込んでいた。両腕を交差してそこに顔を埋めている。寝てたのかこの茶番に飽きて。てめえおいこら。


「おいルッカ、お前俺が何度助けてくれと叫んだか覚えてるか? 覚えてるなら歯を喰いしばれ、覚えていないなら土下座してから歯を喰いしばれ!!」
「ああ、終わったの? 早く行くわよアホらしい」


 俺の責め立てを無視して立ち上がり歩き出す。おうおう俺がどれくらい辛かったか理性と本能激突の凄惨っぷりを事細かに教えてやらねばなるまい。
 思い立った俺は時間が無いというにも関わらず彼女の肩を掴み振り返らせた。


「…………お前、顔色悪いぞ。気持ち悪いのか?」
「大丈夫よ。いいから早く行きましょう、皆が他の時代で頑張ってるのに私たちだけ休んでる訳にはいかないでしょ」


 俺の手を邪魔そうに振り払う。冷たく感じられるのは、俺の被害妄想なのか?
 場所をなくして右手はゆらゆらと空を漂い、やがて落ちた。
 ルッカの言う事は正しい。世界が終るかもしれない、そんな時に遊んでいるのはおかしいのだから。そうだな、くだらない事をしている暇があれば一刻も早く前に進むべきだ。
 だから、少し気になったけど聞くのは止めておこう。そうだ、考えてみれば答えは一つしかないだろう。
 仮眠をとってたから、欠伸でもしたんだろうさ。ルッカの目に涙が溜まっていたのはそういう事なんだ。
 けれどどうしてだろうか、胃が重たく、頭の中が騒ぐのは。そうじゃないだろ、と誰かに言われているみたいで俺まで気持が悪くなった。
 意味の無い不安を捨てるように、強く一歩を踏み出した。






 没理由。
 あってもよかったけど、勢いが欲しかったし、今まででも思ったけれど私はカエルをどうしたいのか。でもベロロンネタは女性化した時から考えてたし出しても良かったかもしらん。


































 他にもありますが、全て出したら番外編で良いじゃないかとなるのでここらで。面白いものではないし。面白かったら本編に出してるし。
 外伝などを希望して下さる方がいれば誠に喜ばしいのですが、その予定はありません、というかまた作品を書くかどうかすらあやふやです。書くとしたらなんだろう、マザー2とかやってみたいな。オリジナルでもいいなあ。どちらにせよかなり間は空くと思いますが。社会人ってなんでこんな面倒臭いの。
 ま、とか言いながらこの作品も結構ぽんぽん更新しましたが。(三十話くらいまで)最終話近くなったらとんでもねえ速度になりましたけどね。半年近くとか面白い。
 なので、もしかしたらすぐに新しい話を書くかもしれません。書き切ったら次の話を書きたくて仕方なくなるものですね。一瞬クロスを書くか? と悩みましたがそこまでになると完全な補完になるので止めときます。そこまでクロスは覚えてないし、この話のままならそもそもセルジュとかいるのかどうか。ていうかガルディア滅びるのか。ってかセルジュ君ハーレムにも程がある。キッドあたりはあの釣り男に譲ったれ! 名前忘れたけどほら、あのツリッキーズピン太郎に出てきそうなほれ。もういいか。
 そもそも、この星は夢を~もまずプロットを書き切って骨組みの部分を書き切って肉付けしてから一話ずつ削ったり埋め込んだりして作ったので相当時間はかかりました。暇な時期があったのでそれほど大変でも無かったですが。むしろ投稿を開始してからデータ飛んだり家を出ていろんな所へ行ったりしたので書いている時間は楽しくて仕方なかった。苦痛と思った事は無いです。ああいや、一時期スランプ紛いの状態になった時は辛かったか。


 ともあれ、星は夢を見る必要はないは精一杯のハッピーエンドで終わりました。
 確かに、もうカエルやエイラや魔王にロボには会えないし、アザーラやトマといった友達にも会えません。けれど、彼らの生きた証は脈々とクロノの生きる現代に受け継がれています。それは魔族や恐竜人として眼に映る形で。これは原作よりもハッピーエンドじゃないでしょうか。
 ロボだけ生きた証はクロノたちには感じられませんが、彼は確かにクロノたちを未来で待っているはずです。三回目になりますが、絶対にハッピーエンドです。
 当初、プロットを組んでいる時にはクロノ死亡のままラヴォス撃破、時の卵も無しという鬱エンドも考えましたが、やはり愛情ある物語なので登場人物には幸せになってほしかった。
 とどのつまり、これは作者がやりたいようにやった願望を詰め込み過ぎて垂れ流れてる作品になっています。少しでも私の幸せが皆様に届けば良いな、と完結した今強く思います。




 そういえば、言う必要もないと思いますが、酷いですね初期の話。
 第一話から第三話くらいまで見て頂いた後黒の夢前後を見て頂ければ違いが分かるかと。ていうか私自身見直して悶えました。いくら会話文多めのライトなノリを目指してたからってこれは無い。軽いとかじゃなくて存在してないくらいしょぼい。
 ここまで成長(や、微妙だけど)出来たことは本当に嬉しいです。少しは見れるものになったんじゃないかな、と自画自賛しております。いいじゃないか、最後くらいそんな風に思ったって。
 次があれば、短くて少し重たい話を書いてみたいですね。どれくらいまともになるか、分からないところですが。





 それでは最後に皆様へ。
 チラ裏時代から支えて下さった方、スクエニ板に来て初めて知り見て下さった方、完結したなら、と寄って下さった方、何処かの紹介で見てくれた方、本当にありがとうございました! 感想を送って下さった方も、勿論見てくれただけの方も等しく私の恩人でございます。
 その中でも、今でも見て下さっているか分かりませんが私の我儘で言わせて下さい。チラ裏より見て頂き、そしてこの作品に初めて感想を下さった露出卿様。SSの右も左も分からない私に様々なアドバイスを下さり、その度に何回泣いたか分かりません。この作品は貴方がいなければ確実に途中で終わっていたでしょう。心よりお礼を言わせて下さい。





 この作品に触れて下さった方、この作品を少しでも楽しんでくれた方、何よりも多忙を極める中、私たちにこのような場、理想郷を作って下さる舞様に最上の感謝を。
 また何処かで会えるなら、本当に嬉しい限りです。
 感無量です。良い夢を!
 かんたろーでした!

































































































































 



 物語崩壊注意! 星は夢を見る必要はないの正式なファンの方は避けて通るのが無難です。ご都合主義な展開も含まれます。
 またこれから先の話はあくまでももしもの話です。あくまで本編は最終回にて終わっております。その点を十分に分かって頂いた上で、それでいてご注意下さい。




























































 物語の中で、クロノが言った言葉を覚えているだろうか。奇跡とは己が努力を信じられない弱者が作った言葉であると。
 故に、この物語に奇跡は無く、あるのは必然と偶然の産物。それらが折り重なったに過ぎない。
 だからこそ、人は死に誰かが泣き運命は覆らない。
 だからこそ、もしもだ。これはあくまでももしもの話である。
 あえてこれから先の物語に題名をつけるならば、『夢』であろう。
















「だから、生きてみるさ。俺たちには、無限じゃ足りないくらいの明日があるんだ」
「そうか……うん?」


 クロノの言葉に、ダルトンは微かに疑問符を語尾に置いた。しかし、クロノは気にする事無く、座り心地に違和感でも感じたのだろう、もしくは車輪が踏んだ木の枝によって発生する揺れに少し驚いたのだろうと決め付け窓の外に視線を置いている。


「おいクロノ」


 ダルトンの呼びかけに、クロノは答えない。意図的に無視したのではなく、ただ空の青さと緑の美しさに数瞬心を奪われていただけだ。呆けていただけとも言い換えられる。それが分かったダルトンはむきになって彼への呼びかけを継続せず、ぽつりと独り言を零した。


「襲われてるんだがな、この馬車が」


 彼の言葉通り、今彼らを乗せる馬車には雨霰と矢が降り注ぎ、そう遠くない位置から多人数の猛る声が聞こえる。断定はできまいが、この矢と不特定多数の怒声。つなぎ合わせて考えるのは至極当然の事だろう。
 彼の細かい事に拘らず、動じない性故なんでもないように呟いたが、通常の人間ならば慌てふためくような事態である。これもまた、命を賭して戦った武人故のことだろうか。戦いとは、あらゆる人間を大きく成長させる。


「のわっち!! なんだなんだ窓から弓矢が飛んで来たぞ!?」


 成長させるはさせるが個人差があるようだ。恐らく誰よりも過酷な戦いを生き抜いてきたクロノは情けない悲鳴を上げて膝を体に寄せ震えだした。さっきまで格好をつけて黄昏ていたのは何だったのか。彼曰く、クロノに対しちょっと良いなと感じている女性が今の彼を見たらなんと思うのか。答えは二文字、幻滅だ。


「おおおおおおいダルトン!! これは何だ? お前に女を取られた男たちの襲撃なんじゃないか!?」
「であれば疾うにマスターゴーレムが消し去っておるわ馬鹿め。ふん、流石の俺様とて少々今の事態には困惑している」
「困惑ぅ!?」


 唯我独尊、我が道を行くを体現するダルトンの口から困惑という弱音にも取れる言葉が出た瞬間、それを上回る混乱がクロノを占めた。それはのどかな道中だと信じきっていた今襲われているという事態よりも驚くべき事柄であった。
 やがて、恐る恐る窓から外を覗きこんでみると、クロノはダルトンが困惑しているという理由を悟った。混ざりあう殺気の群れも、飛び交う矢じりの輝きも今は良い。それよりもまず目を疑うのは……自分たちを襲っている集まりはどうみても兵士の一団だということ。
 鈍く光る鉄製の装備に身を固め「囲めー!!」と騒いでいるのは明らかにガルディア兵であったのだ。


(どういう事だ……? まさかガルディアがパレポリに敵対するのか? どうなってるんだ一体!?)


 考え難い、考え難いが自分を含めパレポリの指導者ダルトンを襲うということは、これ以上無い敵対であり裏切りでもある。義に厚いとされているガルディア王の命令であるなら、これがラヴォスの予言の始まりか、とクロノの背筋から冷たいものが走った。
 兵士たちの中には松明を持ち追い詰めようとする者もいる。また昔マールが使っていたボーガン隊に銃撃隊、ガルディア王国特選武闘隊まで集まっている。小さな城ならば落とせそうな本格的な包囲陣だった。猫の子一匹逃すのは至難の業と言い切れる程に。
 囲むという任務を終え、馬も怯えて動き出さなくなると、兵士たちは攻撃を止めた。ここまで来るとダルトン、引いてはマスターゴーレムも黙ってはいない。こちらから仕掛ける事は無くとも、魔力を滾らせ常に最大の一撃を繰り出せるよう集中を始めた。クロノはまだ状況を把握できていない。それは他の二人も同じなのだが。


「クククク………フワーーッハッハッハ!!!!!」


 兵士の波を超え、森の奥から姿を現したのは、ガルディア王家を支えマールにとって家族とも言える存在……ガルディア大臣その人である。


「無礼な!! わざわざ足を運んできた我がマスターになんという事を!! これが貴様らガルディアのやり方か!!」
「ハーッ……あ、いやすまぬ。その方とダルトン殿はこちらへ」
「なんですと?」


 言われて驚いたのはマスターゴーレム及びダルトンである。てっきり、悪役らしい台詞を吐くのだと思い込んでいた彼らは拍子抜けし、口をあんぐりと開けてしまう。
 そのある種珍しい光景を介さず再度大臣は大声を上げる。


「重罪人クロノ!! 他国からの客人の馬車に隠れるとはあまりに卑劣なり!! 畏まって姿を見せい!!」
「え、デジャヴなんだけど、俺なんかした?」


 ダルトンに助けを請うと彼は何はともあれ面倒そうだという雰囲気を感じ首を振った。
 このやろう今さっき兄と思えとかなんとか言ったじゃないか。掌を返すように態度を変えやがって……
 心持ち怒りを持つ余裕さえ見えるのは、彼が処理できる把握能力に限界が来たからなのかもしれない。最早彼に正常な思考は出来ない、現実逃避真っ最中なのだ。


「え、ええと……俺、いや僕何かしましたっけ? どちらかと言うと良い事したつもりなんですが」おずおずと馬車の扉を開けて出て行くクロノ。汗の量が見ているだけで暑苦しい程に。そして追い詰められているのが一目で分かる程に。
「のたまうな犯罪者!!! やはり貴様は火あぶり後ギロチンの吊るし首後切腹後斬首後さらし首後鳥葬すべきじゃったわあああ!!!」
「無茶苦茶じゃないですか現代の大臣。お前を微かに実はまともキャラだと信じた俺の過去を返せ」
「おのれ……これを見てもまだそのような世迷言を吐けるか貴様!!!」


 大臣が懐から取り出したるは白い便箋。四隅に花柄のマークがついた可愛らしいものだった。言い換えれば俗っぽく町民の娘が好んで使いそうなそれはとても老人であり且つ大臣という地位には似合わない。


「何? 俺と文通したいのか? 率直に言って嫌だ」
「違うわ!! これが国中に届いておるのだ、貴様の仕業であろうがッッ!!!」
「いや知らねえよ。どんな内容……なん……だ…………」


『来たる×月×日、わたくしクロノはマールことマールディア王女に永遠の愛を誓い、共に流離の旅に出る事とします。皆様の暖かい応援を願います』


「………………えええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」


 大臣の持つ便箋に書かれた内容は彼の叫びを起こす効果を持っていた。普通なら喉が潰れるのではないかと心配するほどの声量に、数多の兵士が耳を塞いだ。


「よくも……よくもワシの可愛い可愛いマールディア様に貴様のような愚劣で醜悪な者が触れおったなあ……あまつさえ旅に出るだと? 貴様の血は何色じゃあああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「見せる機会はねえ!! 想像しろ!! ていうか俺書いてない! 書いてないぞおおおおお!!!?」
「ふん! この状況になって言われる言葉など信じるに値せんわ!! 裁判でも貴様は嘘八百を並べ立ておったからな! 大人しく殺されろ!」
「裁判ではお前が俺の言う事を無視しただけだくそ爺!!」


 ああでもないこうでもないと大臣VSクロノの口争い。どの道大臣が認める事は無いのだから、クロノに勝利は無いのだが。
 密かに……いや大っぴらに人気のあるマールを手にかけたと思い込んでいる兵士たちの殺気もまた先ほどより増している。無尽蔵に増え行くこれはやがて津波となりクロノを襲うだろう。秒数カウント入ります!


「まあ待て貴様ら……いや、大臣よ。まずは俺の話を聞かぬか」
「ダルトン殿!! いくら貴方とて庇いだて無用ですぞ! こやつは国家転覆を目論むどすけべえであり……」
「黙らんか老人!!! ……クロノよ。これは誠なのか?」ダルトンは太く長い指を便箋に向けた。
「え……いや、知らないよ……」


 クロノはそっぽを向いてしまう。周りからの視線に耐えられず力無く発言しただけなのだが、ダルトンはそうは取らない。何故なら彼は獅子。例え走っている先に崖があろうと立ち止まらず落下する事を本懐とするのだから。
 獅子は好色で、傲慢で、自意識を高く掲げて。さらには、


「ようしクロノ!! ここは俺様に任せろ! お前は王女の下へ急げ! そして雷電の速度で婚姻するのだ!!」


 空気が読めないのだ。


「おいイケメンのなりそこない!! てめえ俺の話を聞け! 違うっつってんだろうがあああ!!」
「おのれパレポリ!! やはり我が国を裏切るかああ!!! はっ!?」大臣が目を剥き振り向いた先にはまだ幼さを残しながら魅力溢るる少女だった。彼女は右手を振り満面の笑みで声を上げた。
「クロノーーッッ!!!」
「ほう、良かったなクロノよ。花嫁の登場であるぞ!!」
「ああもう何が何だか!?」


 いきなりの参戦報告。渦中の人物その片割れの登場。クロノはこのまま横になり夢なら覚めろと唱えたい心境である。まあそうだろう。


「流石はマスター。友人の為に我が身を危険に晒すとは、やはり私の主人にふさわしいですね」
「…………クロノが結婚するか。これならサラは俺のものに………」
「…………マスター?」
「おっ、おおマスターゴーレム。お前にも手伝ってもらうぞ、敵はガルディア。何、貴様と俺様ならばやれぬ相手ではない!!」
「マスター。突然ですが、有休をもらいたく」マスターゴーレムはダルトンの独り言を耳にして、服のボタンを二、三ぶっちぎる。ぱらぱらと零れる丸いボタンが恐怖を誘うが、当然ダルトンはそのような事に気付かない。読めないから。
「何? 有給だと! 馬鹿めが、俺のゴーレムにそのようなつまらぬものはないわ!!」


 吐き捨てるように切り捨てたダルトンの胸元を掴むのはマスターゴーレム。顔を引き寄せて間近でガンを飛ばすのもマスターゴーレム。百キロ近いダルトンの巨体を片手で持ちあげるのもマスターゴーレム。厳しい訓練を耐え熟練と化した兵士たちをびびらせるのもマスターゴーレム。それゆけマスター戦えマスター僕らのマスターマスターゴーレム。


「ふ、ふんっ、まあ許さぬではっ、ないぞっ! お、俺様は懐が、広いっ、からな!!」首を絞められたままで尊大な台詞を吐けるダルトン。凄いぞダルトン偉いぞダルトン最後の切り札おならぷー。
「ありがとうございますマスター。それではこれより三日ほど休みを頂きますね」
「うっ、うむっ!! ぜはあ!! はあ、はあ、はあ!!」


 あやうく白眼を剥く羽目になったダルトンは体中から酸素を取り入れた。過度な呼吸に一瞬立ち眩みが起きたが、そこは元軍人。立ち直り再度兵士たちに向きなおり、なおかつマールから逃げようとするクロノの襟首を掴んでいる。
 暴れても暴れても腕力の差で逃げられないクロノに光明を差したのは、今さっき休暇を手に入れたマスターゴーレムである。ダルトンの手に容赦なく火を当てる彼女はかなり恐ろしいものだった。太古より存在した魔女が麗しい女性に変化したのではないかと疑う程に。


「のわっち!! 何をするマスターゴーレム!?」
「何と言われましても。私は今休暇の真っ最中であります。よって私はクロノ様を逃がそうと愚考しました」
「何故だ!?」
「気紛れでございますよ、マスター」
「なっ、なんか知らんが助かった!!!」


 マスターゴーレムに礼を言う暇も無くクロノはその場を走り去る。全力で、心なしか泣きながら。自分の悲運を嘆きながら。


「おのれマスターゴーレム!! もう良い、貴様はもう元の世界に戻れ!!」


 ダルトンは右手から疑似ゲートを作りゴーレムたちの待機場所へ繋がる空間を作り出した。舌打ちをしながら親指で指す彼の想いは一重にハリーアップ!! だろう。
 その、女性を女性と思わぬ乱雑な命令に、マスターゴーレムはいつもは冷静な顔を崩し青筋を立てる。そして、その場にいる全員に優雅に一礼した後こう呟いた。


「……しだって、マスターの事……きなのに」
「何? 聞こえぬぞマスターゴーレム。いや問答は良い、貴様との時間など今は必要ない、早くクロノを追わねば……」
「私だって!!!! マスターが好きなのにいいいいいーーーー!!!!!」
「うおゎっ!!! …………ま、マスターゴーレム?」
「……もういい。もう良いですよマスター? 昔から分かりづらくても幾度も幾度もアピールして何度も何度も貴方の側に一生いますと伝えて……結果はこれですか? うふふふ……そうですか。ところでマスター? 私言いたい事がありましたの」
「な、何だ? 俺は、うむ。貴様の為なら多少時間を割いても構わぬぞ、お前は俺様の大事な従者だからな?」
「はい!」


 そこでマスターゴーレムは見る者を安らがせる穏やかな笑みを浮かべて、言葉を発した。


「──超破壊必殺魔法……発動」
「ちょっ!!? それは待て────」
「いやワシは関係な────」


 桃色の髪が浮かび上がり、避けそうな程に口を横に伸ばした彼女は、なるほど魔女そのものであろう。
 こうして、ガルディアの森の三分の二が消し飛んだ。遠く昔、今より四百年前昔に生きた、緑を大切にする女性の念が悲しんだとかなんとか。






 後方より聞こえる爆音を無視して、少年は走り続ける。当てなど無い、安息の場所も国自体が敵となったなら存在しないだろう。それがこの世界最大の国家というなら尚更に。
 だが少年は走る。立ち止まるわけにはいかないのだ。特に嫌な事を押し付けられているわけではないが、自分の意志ではなく勝手に己の行く先を進められるのは我慢ならない。故に彼は自分を押し潰そうと迫る何かから逃げ、また立ち向かっている。と、彼自身は良いように解釈した。


「いっ、嫌だ……いつかはそうなるかなって想ったけど、まだ嫌だ! 正直遊び足りないっ! お姫様とか、一生ものじゃないかあっ!」
「そうでもないよ? 側室とか妾とか、今も昔も珍しくないし」
「うべっ!!?」


 少年は受身も取れず突如前のめりに転倒する。元来運動神経の優れている彼がこのような転び方をするだろうか。足がもつれようと、体勢を整える力を彼は持っている。仮に足を引っ掛けられても難なく走り続ける事が可能な、人間にしては破格な能力を有しているのだ。
 そんな彼が顔面から地面に激突するのは、よほどの理由があったに違いない。そう、例えば急に足が凍ったとか。


「いたたたた!! そして冷てえ!!」


 クロノの右足首から下が氷結し地面と同化している。無理に引き抜けば、皮だけでなく肉まで削げ落ちるだろう。悪くすれば神経もやられるかもしれない。
 そんな彼を尻目に、ゆったりと歩いてくるのはこの騒動のもう一人の主人公、マールである。彼女の視線はクロノの足に付いた氷よりも遥かに冷たいものだった。


「でも、私はそんなの許さないけどね。自分の夫が他の誰かに夢中なんて耐えられないし、私だけを見てもらえる自信もあるもん」
「いや……でもほら、たまには肉以外も食いたいって思うじゃん?」
「何それ? 私が太ってるって言いたいの?」
「そういう訳じゃないよ!! ただ……うん、最近お腹出てきたなマール。だぼった服着て誤魔化してるけど……痛い痛い痛い!!!」


 身動きの取れないクロノに見事な連打キック。キックボクシングの心得が無ければ放てない速度にクロノは戦慄した。べしっとかばちっ、とかではなくスパン!! という快活な音は聞いていて心地よいほどである。蹴られている本人からすれば間逆の心境であろうが。
 何処かに自分を助けてくれる心優しい人物がいないか、クロノは周囲を見渡した。あるのはそよそよと泳ぐ稲穂だけ。目を凝らしてもカエルや虫一匹いない。人間以外の生物は危機意識が強いというが、マールという絶対的強者を恐れてのことだろうか。だとすれば、思いの外両生類や昆虫は賢いのかもしれない。


「大体マールも嫌だろ!? あの手紙俺が書いたんじゃないぞ? それくらい分かるだろ!」
「んー? 全然分からない。私すっごく嬉しくて飛びあがっちゃった。勿論私はクロノについて行くからねー、ふふふう」
「全っ然可愛くねえ……くそおおおお魔法を解きやがれええええ!!!」
「無駄だよクロノ。魔法を使って解凍しようとしたら、その瞬間に意識を刈り取るからね。できるって知ってるよね? 私なら」
「最低だ!! そういう所お前マジ最低だ!!」
「父上も了承済みなんだから、もう諦めてよ。それとも、私のこと嫌い?」彼女の言葉と共に、どこに隠れていたのかぬっ、とガルディア三十三世がマールの後ろから浮かび上がってきた。もう彼は人間を捨てている。


 嫌い? と聞いた瞬間だけ、マールの目が潤む。計算高くやる事は無茶苦茶だが、演技だけは出来ないと知っているクロノだけあって、その動作は彼の胸を掴んだ。
(そうだ、マールは嘘をついたりしない。酷い事をしても、我儘でも、嬉しかったというのは本当なのだろう)
 実際、彼の心境からしてマールからの告白を後回しにしていた罪悪感があるとした上でも、彼女からの告白は嬉しかった。遅かれ早かれこうなっていたのかもしれないという諦めと決心がもたげてきた。


「私としても寂しくはあるが、マールディアを貰ってくれる男が君ならば文句は無いクロノ殿」
「私も、クロノが貰ってくれるなら、こんなに幸せな事は無いよ……?」


 親子二代でそんな言葉、卑怯じゃないかと喉をついた。しかし声にならなかったのは彼の喉が震えたからだろう。
 ここまで女の子に求められるなんて、嘘みたいだ。幸せすぎるじゃないか。応えなくていいのか? 自分の正直な想いを告げるべきじゃあないのかよ?


「お、俺は……」
「おっとその前にクロノ殿。清算しておきたい事があるのだがね」


 一代の決意を胸に恥ずかしい言葉を伝えようとしていたクロノの腰を折るのは国王である。クロノの纏う空気から希望を持ち、きらきらと目を輝かせて両手を合わせていたマールは不満顔になり口を尖らせる。「父上、今更反対しないよね!?」
「しないともマールディア。国王とは嘘はつかぬものだ……それでクロノ殿、精算したい事とはな、裁判で聞いたことなのだが
「……ッ!!」


 そくり、と何かが這いあがってきた。それは悪寒であり寒気でもあり得体の知れない何かである。
 いつのまにか、クロノは両手で自分を抱き寄せていた。足もとから来る寒さではない、聞きたくない現実から、精神は守れない代わりに肉体を守ろうとする意味のない無駄な足掻きである。それでも彼は防衛を選ぶしかなかった。耳を塞がぬ限り、声は聞こえるとしても。


「君は、一度マールディアのペンダントを持って逃げているだろう? ほら、千年祭の時だよ。君が初めてマールディアにあった時の事と言えば思い出しやすいかね?」
「あ、ああ、ああああああ」
「もう一度聞こうか。“何故君は一度ペンダントを持って逃げたのだ”?」


 それはもう昔の事。彼と仲間たちの壮大な旅が始まる最も初めの出来事であり、マールとの出会いでもある出来事。
 酒を飲み、酩酊していた彼にマールが飛び蹴りをかましてきた事がきっかけである。その衝撃で首に繋いでいたマールの母の形見であるペンダントの鎖が千切れ、クロノがその場で吐いた嘔吐物が近くに落ちたペンダントにびったりかかったのである。むしろ埋もれたと言って良い。
 その事実をいつか話すとマールに言いながら、なんやかんやで今まで一度も告げていないのだ。彼はそれを脳裏から這い上がらせた瞬間過去の自分と同じように吐き気を催してきた。


「そういえば……約束だったよねクロノ。いつか話してくれるって未来で言ってくれたよね? ……もう、教えてくれていいでしょ? クロノが本当に私のペンダントが目的だったなんて信じない……ううん、仮にそうでも私はクロノが好きだよ、誰よりも貴方が好き!! 分かってくれるよね? だから……教えてほしい」
「………………そうだ。実は俺はマールの余りの美しさに、あれだ。身に付けていたペンダントを欲しくなって」
「ちなみにな、クロノ殿」内緒話をするように国王はクロノの耳元に口を寄せた。その音量は正しく内緒話のそれであり、マールの耳に入る事は無いものだった。そして、その内容もマールに聞こえてはならないものだった。
「私は、町の住人から話を聞いて真実を知っている」


 血が凍るという言葉を地で体験しているクロノは、己の鼓膜を破りたくなった。これ以上聞いては駄目だ! と己を律する反面もうこれ以上聞かなくても確定的であると悟る。これもまた一つの二面性だろうか。多分違うだろう。
 嘘でダメージを軽減しようとした矢先にこれだ。彼の心臓の鼓動は健康によろしくない方面に働いているだろう。


「さあクロノ殿、嘘偽りなく答えたまえ。真実を語ってくれれば私は文句なく君に娘を譲るぞお?」


 そして王の考えを知る。曰く、この糞親父愛娘を手放す気なんかさらさらねえんだと。
 正直に事の真相を明かしてもマールは許してくれるんだろう。そも、原因は彼女にあるのだから。なれば、嘔吐物云々の流れを聞いても彼女の好意は変わらないだろうし、言い辛かった理由も察してくれるに違いない。
 だが、だ。クロノは思う。あれだけの騒ぎを起こしさも重大な、もしくは悲壮な理由があったのだろうと思われるペンダント事件の事実がこれではなんというか、微妙な空気が流れる事うけあいだと。仮にも人生を変える決断であり、恋の決着という甘酸っぱいかつ永遠の思い出となるこの場でそれを暴露せにゃあならんのか、と。
 歯茎から血が流れる。それはあまりに酷であまりに重い天秤。どちらに傾けたとて彼に良い結果は生まない。彼の迷いは頂点と達していた。


「クロノ!!」


 倒れているクロノの両手を握り、マールが涙を溢している。どのような結果でも良いと、真実だけを欲する無垢な瞳。刑務所に入れられた男の弁解を聞くような姿である。世界が貴方を信じなくても私は信じる、だから私には本当の事を話して! みたいな。今彼女の頭の中ではムードある切実な重大な理由がクロノにはあったのだと夢想していた。心持ち、この悲劇的な、それでも感動に繋がるだろうと思っている状況に酔っている節さえ見えた。


(…………言えないッ!!! 言える訳が無い!!)


 これは、ちょっとした飲み会で話す暴露話だ。実は十年前は~~さんの事好きだったんだよねーみたいなノリの。むしろそれ以下。でも相手が望むのは感涙間違いなしの事情。クロノ君あまりに劣勢。若干不憫。恐らく彼は何も悪くない。


「お……おれ、俺は……」
「うん!! クロノは!?」
「俺、俺はあああぁぁぁぁ!!!」


 発狂と正気の狭間で揺れる彼の心は限界だった。もう幾許もせぬ内に彼は壊れてしまうに違いない。
 太陽を仰ぎ見る彼は罪の無い罪人だった。
 ──ふと、彼の瞼の裏にて、光が消える。おどおどと目を開くと、その理由が判明した。誰しもに注がれる陽光が遮られていたのだ。常識を外れた体躯にて。
 最初はダルトンが来たのだと思った。だがそれにしても大きい。あのパレポリの王は二メートル強の身長だが、今彼の後ろに立つ、逆光で顔の見えない者は三メートルを優に超えていた。
 顔は見えずとも、その肌の色は岩に似ていた。ぶるる、と人間的ではない鼻息。顔の見えぬ誰かは口を開いた。低温で落ち着いた、聞くだけで屈強であると思わせる声だった。


「止めよ、人間の王とその娘。そやつは我が友であり、我が主の兄である」
「……ほう、私にそのような口を聞くとは、何者だアザーラ族の男よ」国王の問いかけに、アザーラ族──恐竜人の男は答えた。響く声は大気を揺らし降りしきる太陽の光さえも押し退ける力を有している。
「名はニズベール。アザーラ様の命によりクロノを連れ戻しにきたッ!!!!!」
「にず、べーる? 何で?」


 ニズベール。過去クロノと友になり同じ恐竜人の王女アザーラを守ると誓いあった戦友。ラヴォス飛来の際に潰れ死んだと思っていたが、後に黒の夢にて生存を知った者。彼が生きている事は問題ではない、彼がこの現代にいる事がおかしいのだ。彼は原始の世界に生きる者、ゲートも無く、シルバードも無いこの現代に現われて良い存在ではないのだ。
 理由が分からぬクロノは頭を回しながら彼の来訪の理由、そして手段と可能性諸々を模索し始める。
 何がどうなっているのだ? と目を白黒させているクロノに、ニズベールはただ一言告げた。


「行け、クロノ。貴様は誰かに強制させられて黙っている男ではなかろう。これは罠よ、俺がここにいる理由はアザーラ様が語ってくれる、今はただ走れ!!」
「わ……分かった、頼むぜニズベール!!」
「はっ、軍神と呼ばれる私から逃れられると思っているのかクロノ殿!!!」


 王族のみが纏う事を許される赤く華美な装飾のマントを払い落し国王は剛腕を振るう。
 それを良しとしないのはニズベール、力だけならば武闘派のマールやカエルを超えよう腕をニズベールが受け止める。国王の次弾である左腕も同じく。二人が両腕を合わせ、力比べをするような状態に落ち付いた。二人の力はほぼ互角……いや国王が僅かに劣っているだろう、彼の手はふるふると震えだした。
 国王が恥じるべきではない、恐竜人として長年戦いを繰り返し恐竜人最大の大きさティラノさえも持ち上げられるニズベールと拮抗しているのだ、彼の力は現代においても世界二位を誇る、彼の上に姿を置くのは規格外である武神ただ一人。彼も十二分に人外の領域に入っている。
 ただそれでも負けは負け、徐々に後退し始める己の体を非力と断じ、訓練の量を倍にする決意をしてからマールに声を出す。


「マールディア!! こやつはワシが留める!! お前はクロノ殿に答えを貰え!!」そしてなんやかんやでそいつの事は諦めて一生私の側にいろ!! というのが本音。
「分かった! ありがとう、パパ!!」
「うぬぅ……!!」


 パパと呼ばれた嬉しさに力が緩みさらに押し返される国王。
 だが、だがである。愛する一人娘が側にいるこの状況で負けるのか? 頼りあるべき父が負けて良いのか? それで国王という国民の父でいられるのか?


「ふぬおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」
「きっ! 貴様人間なのか!?」


 背中が反る程に押し負けていた国王はここに来て力を盛り返し、ニズベールと完全に互角である体勢に戻る。
 誰にも負けぬ、娘の前で敗北はあってはならぬ!! 彼は尊厳を背負い闘う事を決めた。その背中は大きく、国王と父親の誇りが刻まれている。
 ニズベールと国王の戦いは長引く事は自明の理、その中でマールは父の援護ではなく己の為すべき事を優先した。すなわち、今にも逃げそうなクロノの捕獲。聞き出す事もあれど、まずはさっきの答えを貰う事。愛を紡いだ時と比べあからさまにドン引きしている彼がマールにとって良い返事をするとは考えにくい。となれば、今はまず彼と他の世界を遮断すべきではなかろうか? 彼女の考えは少しずつ病んでいる気がする。自他共に認める惚れっぷりの思春期の娘が、直前まで上手いこと行って取り逃がしたのだ、無理からぬことではあるかもしれない。


「クロノ? ふふふ、一緒に行こうよ? 話ならそこで聞くよ、なんだか私悪い予感がするの。鬱陶しいくらい邪魔が入りそうなそんな予感……だから、ね?」
「なんか違う、俺の知ってるマールとなんか違うぞ!!」
「しょうがないなあ、こうなったら氷漬けで持って行くしかないよね?」


 虚ろな瞳は何処を見ているのか。おいおいここに来て本格的にキャラ崩壊は止めて頂きたいというクロノの願い空しく、彼を氷の氷柱と化す詠唱は着々と完成に向かっている。
 残るはただ力ある言葉を放つだけ。マールは両の掌をクロノに向けた。
 ──そして、倒れる。後ろの地面にどさり、と僅かな砂煙を上げて。


「あ、ハハハ……ニズベールがいるならって思ったけど、やっぱり来てたのか──エイラ」
「クロ、エイラ間に合った!!」


 風の如く現われ到底仲間の、それも女の子にするべきではない遠慮なしの飛び蹴りをマールの顔面にかましたのは原始における人間の象徴、太陽の申し子エイラである。原始と違いまだ気温が低い現代に適応してか、いつものような獣の皮を剥いで作った衣服ではなく、皮をなめした衣服を着ていた。膝よりも丈が上に作られた短いズボンに、袖の無い服は派手な見た目の彼女と良い効果をもたらし、クロノは一瞬息を呑んでしまう。
 彼の反応に気を悪くしたのはマールである。思い人が見惚れるのも勿論、彼女にとって記念すべき日になるであろう日に飛び蹴りをかまされるのは我慢ならないだろう。乙女モードに入っている真っ最中ともあらば尚更。


「エイラー……?」


 ゆらりと幽鬼のように立ち上がるマール。昔のエイラならば怯えて引き籠るような恐ろしい顔つきと闘気だったが、今の彼女は昔とは違う。むしろその気迫は相手にとって不足なしと舌を出すほど。振るえるのは武者震い。彼女もまた原始の人間、戦いを好むのは仕方のないことだろう。


「クロ、町に行く。キーノもアザーラも、待ってる」
「キーノに、アザーラもか!?」
「うん。だから、もう行く。ここ、エイラとニズベール任せる!!」
「えへへ。いいよ逃げてもさー。私も用事出来ちゃったし、この顔じゃ雰囲気も出ないし」


 顔に手を当てて睨むマール、指の間からぼたぼたと血が流れ出ているが、考えるまでもなく鼻血だろう。確かに感動を呼ぶべき結婚シーンで花嫁が鼻血だらけでは締まらないことこの上ない。なにより、彼女も戦闘狂。売られたケンカを買わずにはいられないのか。
 言われるまでもない、とクロノは電撃呪文で手早く氷を解凍し脱兎の如く逃げ出した。向かう先はトルース、彼もまた最後まで会えずにいた妹分との再会を心待ちにしていたのだ。
 そして残るのは国王とニズベール、もう一組はマールとエイラ。ごきごきと肩を鳴らし血を垂れ流しているマールは人間を捨て去る五秒前。彼女の頭にはどうして原始にいる筈のエイラが、という疑問も会えて嬉しいという想いも無い。あるのは敵意唯一つ。


「そういえばさあ、エイラも持って帰りたいリストに入ってたもんねえ。一生飼い殺してあげるよー」
「エイラ……もう怖くない! キーノの為、マール、倒す!!」


 クロノパーティーにおける格闘馬鹿二大組の大喧嘩が幕を開けた。





 木塀と太く長い茎を持つ花々に囲まれた、薄暗く細い道を走り抜ける。途中の水路を飛び越えると町外れに出る。ちらほらと外に出ている人々がクロノに注目していた。とはいえ、声をかける事は無い。彼と城の方から聞えた爆音に関係があるのは明白だからである。どうせ、王女馬鹿として知られ出した大臣と国王が、王女を嫁にやらぬよう画策し馬鹿をやっているのだろうと当たりをつけていたのだ。そしてそれはあながち間違いではない、というか正解である。
 彼らがクロノに送るのは同情と憐憫と好奇心。人とは、厄介な出来事でも他人事ならば好物となる。話題作りと酒の肴になるぞ、笑い話にもなるぞ、と心持ワクワクしている。それをクロノが知る事は無い。ただ前に向かって走るのみ。
 行きには使わなかった町への近道を通る。だだっ広い原っぱを抜ける道だ、ズボンに草虫が付く事を嫌がらなければ五分は短縮できる。流石に王城に招かれた身で服が草だらけ虫だらけというのは良くないだろうと思い使用を控えていた。アルコールを取る事は良しとしたようだが。クロノの失礼と無礼講の境界線は常人には理解できない。
 この原っぱには所々草の生えていない穴あきの小さな空間がある。子供たちが秘密基地と称し草を抜いたか、あるいは昔なんらかの言い伝えをモチーフに記念碑を置いているためだ。とはいえ、その記念碑の数々も今や舗装もされず草が生え放題の場所にうち据えられているので、あまり意味のある物とは思えない。
 その穴あきの空間に二人の人間が立っているのをクロノは目についた。
 彼らのうち片方は罰も気にせず記念碑に腰を据え目を閉じている。もう片方は、クロノを見つけるとひどく嬉しそうに目を見開き笑顔を作って、すぐに戻した。笑みは完全には消えていないが。
 街の友達、または知り合いならば失礼を承知で無視しようと思ったが、クロノは足を止める。止めざるを得ないのだ。彼らは、クロノにとって掛けがえのない大切な仲間なのだから。


「お前たちもいるのか!? グレンに魔王!!」
「久しいなクロノ。おいおい喜び過ぎだ、感情を表に出し過ぎるのは良い事とは言えんぞ」
「久しくも無ければ、貴様の方が喜び過ぎだ蛙。見ているこちらが目を背けたくなる。この時代に来るまで死んだような眼をしていたと思えん程にな」


 クロノの仲間──グレンに魔王は顔を合わせて睨みあうが、それもすぐに終わり仄かに微笑みながらクロノを迎える。その対応に思わず心が落ち着いた。


「一体どうしてここに? 魔王一人なら、ゲートを作り出す事も出来そうだけど、それじゃグレンやエイラたちがいる理由が分からないし」
「何? あいつらも来ているという事は……やはりこれは他の者にも届いていたか」


 言うと、グレンは大臣が持っていたものと同じ便箋を取り出した。内容も恐らく同じものだろう。


「なんでそれを? それ、大臣……ああ、現代のな。そいつも持ってたんだ」
「そうか。驚く事ではない、私の家族も皆受け取っていた。推測だが、貴様と関わった全ての者に届いているのではないか? この不愉快な手紙は」


 嫌悪感を露に魔王も便箋を取り出し、見せた瞬間燃やした。
 彼の言う家族、というのはビネガーたちを指すのだろう。
 臆面なく家族という言葉を使える魔王に、クロノは何故かほっとする。
 そうか、この二か月でまた優しくなったんだな……いや、それを表に出せるようになったのか。
 ずっと年上でありながら、魔王が自分を出せる事に何故か安心感を得るクロノ。彼は、魔王がジャキである事実を忘れられないらしい。兄貴分で弟分という不思議な感情を抱いていた。


「話は後だクロノ。再会を喜ぶのは中世に帰ってからにしようじゃないか」
「そこの人間の言う通りだ、このままでは貴様は自分の意思ではなくあの阿呆と生涯を共にすることとなるぞ」
「へ? ああいや、中世に帰るって誰が?」


 クロノの疑問に言葉で返すではなく、魔王とグレンは躊躇なく同時にクロノを指差した。クロノもまた自分を指差した。
 しばし、沈黙が流れる。時は止まるという事を幾度か旅の途中知ったのだが、こんなに朴訥とした中でも止まるんだな、とまた一つ知らなかった事を見つけた。
 そして時は動き出す。


「え? 俺!? 何でだよ、俺の生きている時代はここだぞ?」
「分かっている。分かっているが、やはりお前は中世で生きるのが望ましいだろう。お前程の剣の腕ならばガルディア騎士団に入るのも容易だ。俺もまだ、お前に剣の訓練をしていないことだしな、王妃様もお前が来る事を望んでいらっしゃる」
「戯けたことを。望んでいるのはお前であろう?」
「さっきから、嫌に当たるじゃないか魔王よ、今すぐ剣の錆にしてやろうか?」
「ふん、臆病者め。いつの間に一人称が変わったのだ? 中世では自分の事を私と呼んでいただろうに。クロノに会ってから妙に強気よな? あくまでこいつには強い自分を見せたいか」
「で、デタラメを言うな! 虚言を用いるとはやはり魔王!!」
「……じゃ、じゃあな。会えて嬉しかったけど、まだ会いたい奴がいるんだ。また今度……」
『待て』


 魔王が左手、グレンが右手を掴みクロノの逃亡を阻止する。いがみあっていてもこのコンビネーション、魔王勇者タッグは古今東西最強なのかもしれない。
 嫌な事とは連鎖するもの。どこかの偉人が唱えた幸運と不運の関係性また確率の持論を思い出しながら、クロノは遠い過去を思い出した。遠くもないが。
 ──ああ、やっぱり魔王とグレンは憎しみ合ってる方が良いなあ、こうして俺に迷惑をかけなかったから。いやかけてたけど相乗効果で俺に迷惑をかけるくらいなら単独で迷惑な方が良い。むしろ魔王は俺に被害を与える事はなかったしなあ。
 仲間内の不和を願う彼は間違っているのだろうか?


「まあ待てクロノ。良い所だぞ中世とは。結婚などという青い夢は忘れ共に剣に生きようではないか。ゆくゆくは世界最強の剣士の座を賭けて決闘したりしようじゃないか」
「そこの蛙の妄言は忘れろ。中世にて魔王軍に加われクロノ。ゆくゆくはサラを見つけ出し、貴様ならサラを任せてやっても良い」
「黙れ魔王。クロノの隣に女は必要ない、こいつには武人の生き様こそ相応しい」
「頭蓋を爆発させてやろうか? 名前だけとはいえ、我が兄となるのだぞクロノは。貴様が真にこいつを想うなら祝福すべきだろう、魔の王の兄といえば、世界を牛耳るも同義」
「ふん、魔王ともあろう者が、あれだけの仲間に囲まれても人肌恋しいか? 勝手にどこぞの女性とくっつけられても、クロノは不幸になるだけだ」
「下衆が、サラは今世で最も清らかな女性だ。貴様とでは相手にならん。控えろ、自分から想いを伝える事も出来ぬ臆病者が」
「お、俺はそういう事でクロノを呼んでいる訳ではない!」
「良いから手を離せお前ら!! お前らからこういう扱い受けたの初めてだから戸惑う!!


 綱引きの綱そのままに引っ張られるクロノは、綱の繊維がほつれていくように筋肉から嫌な音が鳴っているのを感じ冷汗を覚える。痛いという感覚はとうに通り過ぎている。残るのは千切れるのではないか、という恐怖のみ。真綿で首を絞められるそれに近い迫りくる崩壊のカウントダウンは刻々とスピードを上げている。


「痛いって!! いやもう凄い痛いって!! お前らさ、結構力あるんだから加減しろって!!」
「……ふん」


 クロノの悲鳴を聞き、仕方ないと魔王が手を離す。急に力が抜け、引っ張っていたグレンがたたらを踏むが、そこは中世の勇者転ぶ事無く勝利の笑みを浮かべながらクロノにしがみついていた。半ば賞品扱いされている少年は助かった、と息を吐く。


「俺の勝ちだ魔王!」何が勝ちで何が負けなのか。そも勝てばどうなるというのか。
「目先のことしか考えない馬鹿が、直情にも限度がある」冷やかに伝える魔王には何処か余裕すら感じられた。「クロノ、腕が痛むなら言え。治療の心得はある」
「ふん、治療呪文なら俺にも使える。でしゃばるな魔王」
「良いからは、な、せ!! グレン、らしくないぞ! 意地になるのはお前らしいが、ちょっとずれてる!」
「大方、クロノの声が恋しくなったのだろう。患いだしたのは接吻がきっかけだろうな」
「何故先にゲートに入ったお前がその事を知っている!?」


 向かい合った犬よろしく、喧々騒々と罵り合い指摘し合い果てはお互いの性格を悪し様に言い合い「お前よりはマシだ」と水掛け論に発展する。仲が良いのは分かったがそこに俺を巻き込むな、というのはクロノの本心である。
 空は満天、これは気持ちがうかれるばかりでは無いとクロノは知る。空を見上げる本人の心が曇天模様ではそれらを比較しどちらかをより一層際立たせると知ったからである。天気が悪ければ、無駄と知りつつも空に文句を垂れる事もできようが、鬱々とした気分に愚痴を吐く事はできない。
 一つ賢くなれたなあ、なんて思いながら魔法の詠唱に取り掛かった。適当に電撃でも発せば逃げる事もできるんじゃないか、と考えたのだ。魔法を知りつくす魔王と天性の反射神経を持つグレンに通ずるとは思えないが、零から一にしようと試みるのは悪いことではないだろう。


「仕方あるまい……あの頃の再現だ、今この場で葬ってやるぞ魔王!!」
「私の言葉を先に取るな、下賤の……!?」


 魔王が言葉を区切り、小さく息を吐いた時一陣の風が舞う。綿帽子が浮きちらほらと視界に存在を見せつける。花の種が風に攫われた後、白いエプロンが静かに凪いでいた。


「……母さん?」
「馬鹿息子。お城に行ってから帰ってこないと思ってたらこんな所にいたのね」


 ぎらり、と犬歯を光らせて笑う彼女はジナ。クロノの母であり、ガルディアの軍事力の内三分の二を牛耳るとされる闘神である。
 ジナは長い髪を揺らがせて、気配もなく音も持たず現れた彼女に未だ反応できない魔王グレンの両名を見遣り、目を細めた。そしてまた己が息子に声をかける。


「そんな悪い子は……」


 だらり、と両腕を垂らし丹田から呼吸するような、特殊な音と共に息を吐く。がちりがちりと指を曲げ作られた拳は硬く、武闘家としての強さと母としての暖かみが両在していた。ジナは笑う。


「──私が守るから、あんたは行きなさい」
「……か、あ……」
「行きたい所があるんだろう? ……あんまり待たせるんじゃないよ」
「……ありがとう」


 クロノは突然の来訪者に口を開け気を抜いていたグレンの腕を振りほどき走り出す。あっ、と声を出す前に再度腕を伸ばしクロノの腕を掴もうとするグレンを遮るのはジナ。破裂音のような甲高い音が鳴り制止を跳ね除けられたグレンは驚きを隠せなかった。よもや、戦いに身を置き体を鍛えぬいた自分の手を弾く女性がいると思っていなかったのだろう。グレンは敵なのかどうか、という疑問の前に相手を観察する。
 丁度昼食でも作ろうとしていたのか、白いエプロンを肩から掛けている。深い緑色の袖が長いシャツを着て膝より下のスカートを履いている。少し大きめのサンダルは動きやすいとはとても思えない。


(それで、あの動きなのか!)


 喉の奥から冷たい空気が流れてくる。それを吐き出すようにして、グレンは言葉を出した。


「お、奥方。俺は女性と争う気はありませんし、そもそもクロノに危害を加えるつもりは毛頭ありません」心持ち腰が引けているのを指摘する者はいない。今世に敵なしと考える魔王ですら苦い表情をしている事から万一にも争う事を避けたがっているように見えた。
「嫌だねえ、あんたらがクロノを傷つけるとは思ってないよ、ただクロノには用事があるみたいでね、その間私の相手をしてもらおうと思っただけさ」
「い、いえ俺たちもクロノに用事があって……」いよいよ不穏な空気になってきたぞ、と肌で感じつつそれでも譲歩を引き出そうとグレンは尚も食い付くが、ジナの咳払いにかき消された。
「はっ! 御宅はいいのさ。あんたらクロノが欲しいんだろ?」
「欲しい、というのは語弊がありそうですが……」
「なら話は簡単さね、私を倒して手に入れろって事」
「気に食わんな」今まで静観していた魔王が口を挟む。「クロノは貴様の所有物ではない、例え母とてそれは同じこと。その程度分からずして家族とはな」魔王の言葉に棘があるのは自分の母が姉に行った事と類似して思えたからなのか。今にも鎌を取り出しそうな魔王に、ジナは笑う。
「馬鹿だねえ、誰がただでやるって? 私を倒せたらって言っただろうに」


 ジナはサンダルを脱ぎ、靴下を捨てて、最後にエプロンを地面に落とした。拳と拳をぶつけ合うと鈍い音が響く。ぎらつく瞳は高揚しているように見えた。


「──勝てると思うの? 私に、この私に。舐めなさんな、まだまだ尻の青いガキに膝をつく程老けちゃいないよ」
「ふん、戦いも知らぬただの女が。貴様の程を教えてやる。行け蛙、こいつは私が相手してやろう」


 自尊心の高い魔王にはガキ扱いは相当に苛立たしいものだったのだろう、ぎりぎりと歯を食いしばる音がグレンにも届く。
 いつもならば、どのようなものであれ魔王の命令に噛みつき反抗しているグレンだが、この時ばかりは助かった、と胸を撫で下ろす。いかに強かろうと相手は女性、グレンは彼女と戦う気は無かった。それが自分の騎士道だけでなく恐怖に近い何かがあったとは認めないが。


「では、俺はクロノを」
「待ちなってば」


 ジナの隣を過ぎ、去って行ったクロノを追うため歩き出したグレン、その腕を無造作に掴み、彼女としては軽く魔王の方へと突き飛ばした。結果、筋肉があるため決して女性としては軽くは無いグレンが紙風船のように宙を浮き魔王に激突する。
 常ならば放物線を描くような物体に当たる訳が無い魔王も、そのあまりに常識はずれした腕力に呆けて、二人は無様に地面を転がる。


「通さないって言ったろ? ……二人がかりで来な。女性だからとか、そんなお行儀の良い建前は溝にでも捨てちまえ。何よりそれ、私が一番嫌いな逃げ口上だから」
「……良かろう、貴様は無に放り込んでくれる。だが……貴様とて私とグレン二人を相手取るならば、他に手は回らんだろう……行け、三魔騎士!」


 言われて魔王の影から飛び出てくるはビネガーを中心とした三人の魔族。手刀は城壁を切り裂き敵を穿つソイソー、己が魔法と美貌で敵を虜に堕落させるマヨネー、破壊鎚の一撃も物ともせぬ鉄壁を作り出すビネガー。国をも滅ぼす事容易い魔人である。


「へえ、増援とは案外あんた友達いたのねえ。前に来た時は随分暗い顔してたけど……得心がいったわ」ジナの少し嬉しそうな顔を無視して、魔王は指示を下す。
「行けお前たち。クロノを捕まえて我が魔王城に帰るのだ!!」
「はい魔王様!!」


 ちなみに、中世にて新たに建てられた魔王城は人間も来訪し働きもする、半ば人間魔族の共有場所となっていた。ホテルとして泊まれる上仄暗く不気味な空間がカップルに人気だそうな。オーナーは魔王、経営マヨネー、主任にビネガー、副主任ソイソーという形に落ち着いている。グレンは宣伝を担当しているとかしないとか。蛇足だが、最初に魔王城に宿泊した人間は王妃である。二番目に宿泊したのはグレンである。王妃が宿泊した部屋に無理やり泊まったのは公然の秘密である。それを知った王妃はしばらく来訪しなかったとか。
 今はまだ魔王を恨み、また人間を恨む者も多数いるが、彼らの行動は少なからずお互いの認識を崩す事に成功していた。そも、人間の国の王妃が歩み寄ろうとしているのだからどちらも引き寄せられるのは当然だろうが。王妃がそれを見越していたのかは謎である。


「そっちがその気なら……馬鹿息子どもぉ!! 修行の成果をみせてやりな!!」ジナが空に猛ると、四方の草むらより現る魔物の群れ。ぞろぞろと溢れだすそれらの中にはヘケランやかつてクロノと相対したモンスター、メディーナ村に住む魔族も多数含まれているようだった。
 当然目を丸くする魔王たち、まさか自分の配下である魔物が時代は違うとはいえ魔王に逆らおうとしているのだから当然か。


「きっ、貴様ら主君たる魔王様に牙を向ける気か!?」ソイソーが驚愕したままに叫ぶ。
「魔王? ……何言ってる、魔王様は遠い昔の御方だぜ?」
「それに、仮に魔王様が相手でもお母さんの命令には逆らえねえ!!」
「お、お母さんって……」魔物たちの言葉にマヨネーは自分の口癖も忘れ力を抜いた。心酔もここまでくれば病的か、とつっこみたいがつっこめばややっこしいことになりそうだと直感する彼女……彼は賢い。
「時代は変わるという事ですな……我らの為している事は近い内に叶う」


 中世メンバーは魔王以外が戸惑い、決定権を知らず魔王に託す。グレンですら、尻餅をついたまま動かない。なにより、ジナが舌舐め擦りをしながら「あの子、苛めると面白そうね……」と呟いているのが心臓に良くない。ジナの後ろにクロノの幻影を見るのは親子だから、と納得できようがサイラスの姿を幻視するのは何ゆえか。彼女の敵意を察知する力ゆえだろう。
 しばしの硬直が予想されたが、反して時間は動き出す。魔王は腕を上げ、そして振り下ろした。


「殲滅戦だ!! この場にいる敵を打ち倒せ!!」通る声は原っぱを支配し、それに対抗するように現代の魔族も吠える。
「ふふふ……貴方の相手は夜の八時からなら良いって言ったけど、こんな明るいうちからとはね……興奮するわ」この場の空気など毛ほども気にしないジナの発言。艶めかしい声音と顔がいやに合っている。
「うるさいぞ貴様!! 一児の……いや百児? 分からぬが、母ならばそのような世迷言を口にするな!!」
「嫌よ。母は母でも女でもあるんだから。折角だからそこの緑の髪の人も一緒で良いわよ。むしろ混ぜるわ、そして弄るわベッドの上で」
「い、嫌だ……何を言ってるのか分からんがとにかく嫌だ!!」
「耳を貸すなグレン! 奴の策だ!」顔を赤くしているグレンに叱咤する魔王、彼の耳もまた何故か赤い。初心であると判断するには十分な反応にジナの笑みは濃く深くなる。
「あら、何言ってるか分からないの? あのね………(著しく良くない言葉の羅列)………って事をするの。あら?」
「グレン!! くそ、役立たずの蛙が!!」蛙のように舌を出して気絶するグレンの肩を揺らす魔王。彼の顔もまた何故か赤い。そしてそれを見ている三魔騎士のにやにや。彼の行動は間違いなくビネガーの魔王日記帳に記されるだろう。今夜あたりマヨネーは魔王を襲うだろう。そしてソイソーは心を鬼にしてそれを止めるに違いない。平和だ。


 中世現代間の戦いは現代が優勢らしい。劣勢優勢に意味があるのか、この戦いでは不明である。大体のところ、これが戦いならば、兄弟間のおもちゃの取り合いは最終戦争となるだろう。





 辛い。
 彼を締める感情は多様にあれど、一言で片づけるならそれが妥当であった。息苦しい、足が痛い、何が何だか分からない。どれも喜怒哀楽で言うならば哀に触れる。
 それでも彼は走る事は止めない。ようやく町に着いたのだ、何故町を目指していたのかも朦朧となっているがここで足を止めれば何かが終わってしまう気がした。だから彼は止まらない。


(俺が何をした? 色々したんだろうなあ、でもこの結果は納得いかない)


 勿論嬉しくはあるはずだ、彼は兼ねてより自分を認めて欲しいと、幼少のころより願っていたのだから。その事を省みれば今の彼の現状は願ったりである。度を過ぎなければ、と不満点を除けば。
 彼──クロノがいるのはトルース町中心。遠くから近くから、至る所で彼に視線を送る町民は全て好奇心に溢れている。今さっきクロノの母たるジナにその弟子、または息子たちが意気揚揚に出立したのも相重なり彼らのわくわく心は頂点に。平和ぼけとはこれを言う。ていうか普通にぼけている。


「も、もう無理だ!! 足が、足が棒だっ!!」


 ここまで休み無しに走り続けた彼の息はこれ以上無いくらいに上がり立っているだけでもぶるぶると足が震えている。ガルディアの森からほとんどノンストップで走り続けたのだ、無理からぬことだろう。並の長距離競技では無い。足には自信があると豪語する彼でも限界はあるのだから。
 膝に手を置き背中を曲げる、彼は久しぶりに空気を吸った気がした。


(なんだ、何が起こってる? 誰も彼もおかしいぞ、大体始まりからして妙だ、誰だよこんな事したの!?)


 思い出すのは一枚の便箋。ここに至るまで聞いた話では、時代を越えて届いているらしい。あのマールと結婚しますとしか見えない内容を秘めた手紙が。
 魔王の言葉を信じるなら自分に出会った全ての人間に届いているのか? ゲートが無いのに?
 あり得ない、と断じながら今実際に起きている。クロノは頭を掻き毟りたくなった。その体力も無いので断念するが。


「随分疲れてるみたいね」
「へ? ……ああ、まあな」突然話しかけられ、一度は空返事をするものの、相手が分かると一息ついて答えを返す。
「まあね、えらい騒ぎになってるみたいだし、当人のあんたがそうなるのは無理ないわ」
「だろ? ……なあ、お前ならこの騒動の原因分かるんじゃないか? ルッカ」問われて、彼の幼馴染は首を捻った。
「そうね、最初は魔王辺りかと思ったんだけど、彼には手段があっても……いやあるのか知らないけど、不可能ではないでょうね。でも理由が無いわ」
「そうだよな……いや、そもそも魔王でもこんな真似出来るのか? 全時代に行って手紙を渡して、その上ここに送るなんて」否定の材料だけは出てくるんだな、とクロノは自分が嫌になった。
「あんたの言うとおりよ、いくら魔王でも無茶が過ぎるわ。でも他の人間じゃ可能性を出す余地すらない。とはいえ、魔王のあの様子じゃそれは無いみたいだけど」


 会ったのか? と問うとルッカは軽く首を縦に振った。どうやら、クロノに会う前に魔王はこの街に寄ったらしい。結局答えが出ないままに彼らは唸ってしまう。
 どうしたものか、と空を仰ぎ見たクロノは落ち着いた事で頭が回り出したのか指を鳴らし「そうだ」と声を上げる。それに引かれてルッカもまた声を出した。


「どうしたの? 何か思いついた?」
「いや、用事があったんだ。アザーラがさ、ここに来てるらしいんだよ。エイラとニズベールに会って聞いたんだ」
「…………へえ、あの子たちも来てるんだ」
「ああ、だから探しに行かないと……」立ち上がり歩き出そうとするクロノの腕を掴むルッカ。なんだか嫌な予感がするな、と背中を伸ばすクロノ。嫌な予感は外れた事無いんだよな、と自分の疑惑を確信に近づける。
「大丈夫よ、アザーラなら私の家にいるわ。そこなら他の奴等に見つかる事も無いでしょうし、あんたも安全よ」
「そ、そうか。吃驚した」
「何が?」
「いや別に。そういう事なら行こうか。俺昼飯食ってないんだ、ついでに食わせてくれよ」
「くすっ、良いわよ。久しぶりにご飯作ってあげる」


 楽しみだなあ、と暢気に鼻歌を歌う。「鼻歌上手くなったわね」「だろ?」と会話する彼らはいつも通りの彼らであった。
 ただ、とクロノは小さな違和感を見つける。お互い異性を意識せず、それを特別と思わない心地よい空気が流れているが、いつもより僅かにおかしい。それは、距離間。
 会話ではない、物理的な事なのだ。いつもは手は触れないが離れもしない小さな距離を置いて歩くのだが、今ルッカは言葉はいつも通りでも強く彼の腕を抱きしめている。もしかしたらこれはおかしいのではないか、と疑問に思うクロノはさっきとは打って変わって町民の視線が(特に男)爆発しろというものに変わっているとも気付かない。本来そのような歩き方はおかしいどころではないと気付かない彼は、恐らく幼馴染という関係に安心しきっているからだろうとかもうそんなもの言い訳になるかい。


「なあルッカ、もしかしてなんだけど。ちょっと近くないか?」
「そう? 今日肌寒いから」
「そっか。皆半袖だけどなあ」
「私体温高いから、これくらいでも寒いの」
「そっか。お前汗かいてるけど」


 ここまで来ると、いくら彼とて分かってくる。折角止んだ汗は活動を始め、じわじわと毛穴から這い出て来る。ぬめりのある汗に当たりながらも、ルッカは笑顔を崩さずニコニコと楽しそうだ。
 楽しそう、というのもポイントだろう。科学に関しては熱血では済まない彼女は大抵の事では笑顔を晒さない。町の間で付いたあだ名はクールビューティー、その由来は決して無駄につけられたわけではなかった。


(……いやいや。まさかだよ、そんなのおかしいよ、だって俺だぜ? ないない、ルッカは普通、ルッカだけは至って普通だ。うん、考えてみれば今日寒いかもな、だって俺鳥肌が凄いもの、これは寒いからに違いない)


「ところでクロノ、汗かいたでしょ。一緒にお風呂入ろっか」
「離せ!! なんか今日のお前おかしい!!」
「離さないわ、大丈夫よ。背中洗ってあげるわ」
「あああああ!!! 意志疎通に不備が生じている!!」


 俺がなにをしたああぁぁぁ!? と青空の下泣く彼を守る者はいない。今や爆発しろという視線はルッカの暗いオーラによって掻き消され、町の仲間の冥福を祈るような同情の念に変わりつつある。ルッカファンクラブが激減した瞬間である。彼女にとってそれは些事ですら無いのだろうが。何故か? 言う必要はないだろう。
 本気で抵抗しているというのに顔色変えずクロノを引っ張るルッカ。それはそれは仲睦まじそうに見えてちょっとホラーが入っていた。もしろサスペンス? ミステリーは違うだろう。
 恐怖から口をひくつかせている彼を救ったのは、無重力。
 急にクロノの身体が浮き始めたのだ。あまりの事態に流石のルッカも目を見開き手を離してしまう。楔の無くなったクロノの体は彼女から離れるように飛んで行く。
 飛距離はそうでもなく、広場の中心から端に移動する程度。慌ててもがいていたクロノはゆったりと地面に下ろされ疑問符を上げ続けた。


「え? え? 何がどうなって……」
「クロノーーー!!!」
「また来たー!? ……ってアザーラか! ぐえっ」


 鳥か飛行機か、いやアザーラだ! という面白くない冗談を言う前に恐竜人……今はアザーラ族と言うが、今は良いだろう。恐竜人の主アザーラがクロノの倒れた体に向かい飛び込んできた。今度は重力に反せず落ちてきたので痛みは相応に。軽いと言えど三十はある体重が落ちてくれば呼吸も止まる。
 苦悶の唸り声を上げ咳き込むクロノとは相反し、ひたすらに彼の名前を呼びながら胸に頭を擦りつけるアザーラ。ギャラリーは羨ましいなあという想いとああいう人種も辛いんだろうなあという一種の達観。クロノが嘔吐を我慢して口元を押さえているところなんか特に悲哀を感じていた。


「酷いではないか!! また遊ぼうと言ったのにいつまで経っても来ない!! エイラなんか酷いのだぞ、もうクロノは来れないと嘘をつきおった! 勿論私は信じなかったが、でも不安になったのだ! 聞いているのかクロノ!!」上に乗りながらゆさゆさと揺れるアザーラ。卑猥に聞こえるが、実際に見れば子供が兄に構ってもらえないと喚いているようにしか見えない。そのままじゃないか、とも言える。
「うっごっ、く、なあ!!」胃腸を過度に圧迫されて呼吸ままならぬクロノ。口から波動砲を出すまで後十秒。
「アザーラ、クロ困ってる。一回離れる」
「た、助かったキーノ」


 ずるずるとアザーラを引き離すキーノに倒れながら礼を言うクロノ。はーなーせー!! と髪を振り乱し喚く恐竜人の主は中々威厳の無い阿呆な姿だった。


「でもクロ、アザーラに謝る。こいつ、ずっと泣いてた。ここ来なかったら、多分ずっと泣いてた」
「そうか……ごめんなアザーラ」
「……うん。でも、今度いなくなったら怒るからな。私が怒ったら凄いんだぞ」
「はは、知ってるよ」


 ふわふわとした空間。頭を垂れてくるアザーラに腕を伸ばし撫でているクロノは胸の内からゆったりとした、それでいて暖かい物が湧きあがるのを感じる。そして、罪悪感も。


(そうか、こいつずっと待っててくれたんだな)


 クロノは、黒の夢にて彼女らの生存を知った時、また遊ぼうと告げられていた事を思い出した。
 彼を責めるのは酷だろう、生きるか死ぬかの戦いを終え、そのまま連戦にラヴォスと対峙したのだから。その上、原始に別れを伝えに行く時間も無かった。なればこそ彼に非は無い。だが、それを責めるアザーラに非があるのか。いや、ない。
 彼女は心待ちにしていたのだ、自分の兄に会えるのを。兄が自分を見てくれるのを。兄が自分と遊んでくれるのを一日千秋の思いで待っていたのだから。だからこそ、アザーラは彼が来なければ子供時代をすぐさまに終わらせたことだろう。でなければ、彼女は壊れていただろうから。


「アザーラ……俺さ、」
「クロ。話の前に大事な事、ある」クロノが何かを言おうとした時、それを遮るキーノ。その目には真摯な想いと僅かな下心が見えた。後者に気付く事はクロノには難しいだろうが。
「なんだよキーノ」妹との時間に割り込まれて少し不愉快だったか、軽く唇を尖らせてクロノは問う。
 そんなクロノに、キーノは朗らかに笑いながら肩に手を置いてきて伝えた。「クロ、原始来る。そして、アザーラと子を作る。これ素晴らしい。これ、大地の掟に入れる」
「どうしたキーノお前なんか変わり過ぎだぞ」
「私とクロノの子供? ……なんだか楽しそうだ、そうしようクロノ!」
「まずは黙っててくれアザーラ。キーノ、俺の耳がおかしいのか? それともお前がおかしいのか?」
「大地の掟、これ、皆背負ってる。へらへらして、それ否定するお前、もう友達でも、仲間でも、ない。クロ、アザーラの夫。つまり家族」
「そんな適当に作られる大地の掟なんか従う奴いねえよ!! アホかお前!!」
「良いから聞く! クロ、キーノ今から大事な話、する」


 聞く耳持たないを実践するのが一番正しいのだが、原始にて常識人にカテゴライズされていたキーノがすかたんな事を言うので頭が回らないクロノ。性根は真面目な彼だからこそ、自分が引っかき回さない限り混乱しやすいのだ。キーノの笑みにはそれを踏まえてではないか? と邪推出来るほど悪々しい。


「今、イオカ村大変。魔物の襲撃で、男手減った」
「そ、そうか……それは大変だな」クロノの言葉にこくりと同意をして、続ける。
「そう、大変。狩りもほとんど出来ない。だから、男いる。それも強い男。そいつがイオカに来れば、大分変わる。強いだけじゃなくて、信用できればもっと良い」
「……………………それで?」なんとなく落ちが掴めたが、自分からは言いたくないクロノはあえて先を促した。
「クロ、アザーラと繋がる。そしたら、クロずっとイオカ、いる。キーノ、凄い助かる。エイラ、凄い喜ぶ。皆幸せ! これ、大地の掟」
「クロノ! 繋がろう!」
「アホかってだから!! 俺の意思関係無いんかい! 助かる喜ぶで一生ものの事を勝手に決めんな! それから大地の掟をもっと大事にしてやれ! それとなアザーラ、そういう事を笑顔で言うな。意味分かってから言え。いや、やっぱり言うな、そして知るな!!」


 二人に息継ぎ無く突っ込む彼はとても頑張っていた。思えば、彼が旅の中で最も頑張っていたのは戦いよりもこういう会話の調整だったのかもしれない。彼自身相当に狂わしていたのだが、それ以上に周りがおかしい事を言っていた。なるほど、彼は確かに頑張っていた。今も頑張っている。
 やがて、もう一度逃走を開始したクロノをキーノは追わない。必要が無いからだ。アザーラが少し指を動かせば、走る足は空を蹴り、クロノは宙を浮く。あっという間に鎖に繋がれたような、自由を失う形となる。


「くそ!! それ無敵じゃねえか! 離せアザーラ良い子だから!!」
「で、でもキーノがここで離したらまたクロノに会えなくなるというのだ!」
「うん。アザーラ、クロを離す、駄目。クロすぐいなくなる。今度は本当に、ずっと会えなくなる」
「キイノォォォーー!!! てめえうちの妹を洗脳しやがって!! 必ずたたっ切ってやるからなあ!!」
「ふふふ、副酋長、大変。これくらいの事、当たり前」
「変な風にこじれやがって! 通りで、エイラも躊躇なくマールを蹴り飛ばすなあと思ったが、それもお前の影響か!!」
「クロノ……私といるの……嫌なのか? ……ひっく、い、嫌なのか?」
「いやそういう訳じゃなくて……」


 あまりに抵抗するので泣きだすアザーラ。さっきまでのふわふわした時間はなんなのだ、何処に気が休まる場所はあるのだ、とクロノもまた泣き出しそうになる。ここで泣けば収集がつかなくなると分かっている彼は決して涙を流す事は無い。実に彼らしい、自分を蔑にしても周りを大事にする考えだ。臆病とも言える。
 やがて、項垂れたように抵抗を止めるクロノ。ククク……と笑うキーノは決して良い男ではない。良い男ではないが、半裸の美男子であるが故に周りの女性の視線を浴びている。悪そうな笑みも彼女らの中ではストライクらしくハートの嵐が舞っていた。それを含めても、クロノからすれば気に食わない。クロノ目標、キーノの惨殺。
 暗く深い復讐心を高めていると……彼の顔先にひゅん、という音と共に何かが通り過ぎた。
 何だったんだ、と思う前に鼻から一筋の血が流れていく。青褪めた顔をしたのは、クロノだけでなく腕組みをしながら笑っていたキーノと、クロノも一緒に来る事に同意したのだと勘違いし喜んでいたアザーラ。彼らの視線の先には背中を丸めながら銃を向けるルッカの姿が。


「……ふふふ。別に良いのよ、クロノがどんな相手とくっついても。でもね、異性同士が不純に交遊しているのはちょっとね。それも街の真ん中でね、許せないかなって思うの私。だから……クロノ以外は死んでいいかも。クロノは厳重注意ってことで私の家に持って帰るわ」
「持って帰るって……なんか違うだろ、俺人間だぞ……」色々なメーターを振り切って冷静になっているクロノの言葉を無視してルッカは声を張り上げた。
「やかましいのよ!!! 手伝って! お父さん、お母さん!!」


 ルッカの声と同時……下手をすればそれよりも早い段階でアザーラとキーノに銃弾の雨が降りしきる。当然、当たれば良くて重症、悪ければ死ぬしかない雨。
 キーノは咄嗟にアザーラを抱えて飛び、命中を避ける。しかし急な移動に驚いたアザーラのサイコキネシスは崩れ、クロノは地面に落ちた。
 その瞬間クロノに覆いかぶさる鉄網。銃弾や急な落下、さらには鉄網が降ってくるという災難(災難?)に見舞われてもう彼はまともに考える事が出来ない。無理からぬ。


「外したか……悪くない反射速度ね、貴方」
「お前が外すとは俺も驚いてるぜ。ジナ以外に避けれる人間がいるとはな。ま、俺は見事捕らえたが」


 群衆の中に紛れ込んでいたのか、二人の男女がクロノたちの前に現れる。男は巨体で、人一人が担げるとは思えにくい二メートルを超す巨大な砲塔を担ぎ、女は男の胸に収まりながら二丁の拳銃を構えていた。銃口からはうっすら煙が上がっている。火薬の臭いが広場に漂っていた。一人の女の子が泣き声を必死に噛み殺している、その隣に立つ兄らしい男の子が自分も泣きだしたいのを我慢して妹をあやしていた。ああ、美しきかな兄妹愛。誰もそれに感動する余裕は無かったが。


「ありがとねお父さん。お陰でクロノは捕まえたわ、お母さんも落ち込まないで。次仕留めればいいのよ」
「まあ、ルッカは優しいわ。うん、次は私頑張るからね」
「へへへ、仲が良いなお前らは」
「あら? お父さんも大好きよ、私」
「そうよ貴方。なんてったって、貴方は私たちの柱なんですから。ずっと貴方を抱きしめたまま離しませんからね」


 娘が手榴弾を取り出しながら手で遊び、父親がバズーカを持ち、母親が銃弾を新たに込めていなければとても良い家族の絵になっているだろう。いかんせん会話とのズレが酷過ぎる。殺人一家か、テロ組織の団欒ならばまだ納得できようが、彼らは普通に住民として認識され、外れとはいえ町中に身を置く者である。これがガルディア、されどガルディア。新たにタバンが作った兵器には一瞬で城を灰に出来る代物があるそうな。誰が許可を出したのだろう? 彼らに許可など必要ないそうだ。それを聞いたあの国王が苦笑いをしたのは歴史の一つとして残るだろう。


「もう……やだ」顔を覆い泣きだしたクロノを余所に、アザーラたちとルッカたちの戦いが始まる。
「おのれ! 野蛮な人間め、危ないぞ、怪我をしたらどうするつもりじゃ!」
「アザーラ、人間、皆野蛮違う。あいつらだけ、野蛮」
「随分な言い草ねキーノ。一度は仲間として闘ったのに……まあ良いわ、貴方もクロノを連れていくって言うんでしょ? 私はどうでもいいんだけど、実験対象がいなくなるのわね、困るのよ。それだけなの。だから貴方を葬るわ」
「娘の言う事だからなあ、まあ、従ってくれや兄ちゃん」
「ルッカが言う事だもの、間違ってる訳ないわ。だからきっと貴方たち悪い人なんでしょう? ……抵抗してもいいけど、タバンとルッカに触れたら内臓取り出すからね」


 五人とも、言っている事は違えど、想いは同じ。ぶっ殺す。特に最後の人間は殺すだけでは飽き足らず抵抗をするなと脅しをかけていた。ひっ、と小さく悲鳴を上げたアザーラはまだまともと言えよう。帰ってきなさい、おそらくまだ間に合うから。隣のお兄さんから離れれば大丈夫だから。しかし、その相手は仲間というジレンマ。哀れ。
 じりじりと見合いながら機を待つ四人。キーノだけは腕組みを戻さず、辺りを見回してからアザーラに指示を出した。「アザーラ、吼えろ。そうしたら、仲間増える」


「仲間? ……そうか、分かったぞキーノ! 私は頭が良いからな!」言うと、アザーラは顔を空に向けて口を開いた。その隙を狙われぬよう、キーノは目を鋭く変えてルッカたちを睨む。何をするのか読めないルッカ家族は大人しく成り行きを見守った。
「──────!!!!!」


 言葉に出来ない叫びを上げるアザーラ。声は大気を超え、町中に響き渡る。
 そして、異変が始まった。今の今まで家に籠り、好奇心なんか何処へやら、怯えていただけのトルースの住人が外に出てくる。彼らは皆恐竜人。いつもの優しい瞳は消え、赤黒く輝かせながらつらつらと広場に集まり始めた。
 そのあまりの光景に、クロノは泣く事を止めて問う。


「な、なんだ? どうなってんだこれ?」クロノの疑問を聞き付け、待ってましたとキーノは少し自慢げに言い放つ。
「アザーラ、恐竜人の主。アザーラ吠えれば、恐竜人なら皆彼女の為、闘う。意志があっても無くても、それ、同じ事」
「まんま洗脳じゃねえか!! 最低だぞてめえ!!」
「凄いか? なあクロノ私凄いだろ!」
「アザーラ……お前も染まっちまったのか……」クロノ号泣。気持ちは分かる、簡易なNTR感覚を味わった彼が立ち直る日があるのか。


 ぞろぞろと集まる敵対戦力にちっ、と舌打ちをしてから、ルッカもまた声を張り上げた。


「町の皆!! この私が危険なの! だから助けて!!」




















 その声に反応する者は誰もいなかった。


「……焼き払ってやるわ」
「ルッカちゃんが危ないだって!? こうなったら俺たちも戦うしかねえな!!」
「そうね! 女の私でもやる時はやるわよ! ……だから子供にはどうか……どうか……」
「この老いぼれ、多少なりとも力にならせて貰いますぞ!! ……婆さんは足が悪いのじゃ、逃げられはせん……婆さん、わしの最後、見届けてくれるか……?」
「ルッカちゃんファンクラブの俺たちも力になるぜ!! ……あの、退会届けって何処に出せば良いですか? ……あ、もう解散してますか。ですよね」


 今この広場にはトルース町全住民の九十%が集まっていた。その誰もが自分の意志ではなく強制的に戦いに臨んでいる。これを悲劇と言わずなんというのか。諸悪の根源たちだけは高笑いしている。悪ってなんだ? こいつらの事さ!


「全軍突撃ーーー!!!」
「迎え撃て! 我が同胞たちーーー!!!」


 覇気の無い声を上げて、人間軍と恐竜人たちがぶつかり合う。わざと倒れた人間には、その人物の近くに銃弾をかますという荒業で復帰させるララ。厳しいなあララは、と言いながら彼女の頭を撫でるタバン。今に彼女らへの反乱がトルースで始まるだろう。勝敗は見えていても、人間は諦めない生き物だから。
 統制のとれた恐竜人だが、数の差とララ、ルッカという達人を有する人間側は圧倒的だった。特にララは銃を使わずとも体術のみで恐竜人という人間よりも強靭である彼らを打倒している。銃を使わないのは最後の良心だろう。おかげで、死人は出そうにない。
 だがそこは原始の軍師キーノ、即興の策を披露し人間軍に被害を与えていく。ルッカも知能では引けをとらないが、現場で指揮してきたキーノを相手にするのは荷が重い。それでも数と暴力でねじ伏せていく彼女の手腕も侮れない。


「……平和って良いよな。俺平和大好き、俺平和と結婚する」


 電波的な事を呟くクロノは、眼の前の光景を受け止めない逃げの一手を繰り出している。そりゃあそうだ、何が悲しくて今朝まで仲良く談笑していた街の皆が戦う姿を見なければならないのか。いっその事祭りの一種だと言われればそれを信じるのに、誰も彼に話しかける人物はいない。助ける人もまたいない。
 実際、悪いのはキーノとルッカたちなのだが、それを恨むよりも彼は誰かも分からない手紙の差出人を恨んだ。そいつがいらぬ手紙を出したせいで何かがおかしくなったのだと考え、クロノは泣き事よりも恨み事を呟く方向にシフトチェンジする。


「くそ、誰だよこんな頭の悪い事をしたのは!! 俺に恨みがあるのか? あるんだろうな、そしてとんでもねえ馬鹿だってのは想像できる! という事は…………駄目だ、心当たりが多すぎる」


 雲をつかむような事でも、犯人を探そうとする彼の試みは悪くない。だが惜しむらくは交友関係に尽きた。彼に関わる者でまともな人物がいないというのはキーノが立証してくれた。もう、彼には心から信用できる仲間はいない。精々、自分の母親くらいのものだ。
 旅に出る前と考えが一転したなあ、と寂しい想いと、やはり母親ってのは偉大だなあと思春期らしからぬ事を思うクロノ。彼はきっと母親想いの良い青年になるだろう。
 阿鼻叫喚、午前とは一転して地獄へと様相を化したトルース。それでも空は青かった。
 責任者を探す事も諦め三角座りで空を見つめるクロノの目に生気は感じられない。何処か、この事態を理解する事を放棄したように感じられる彼の心中はずばりそのもので、ありていに言えば今夜の夕食は魚系が良いなあというものだった。もっと丁寧に言えば「刺身も良いけど煮魚の方が良いな、ご飯のおかずになるしなあ」である。
 と、想像の中だけで舌太鼓を打っていると、ふと背中から何か気配を感じ体を硬くする。新たな人物の登場か、と本来ならば喜ぶ再会に恐怖を抱いていたのだ。もしくは面倒くささか。後者の割合が九割を超えている。


「……一体、今度は誰が──?」


 クロノが確認する前に、彼を縛る鉄網がばらばらに切れ、落ちる。鋼糸を編み込んだそれは人の手では勿論、刃物でも傷つかない代物なのだが、いともあっさりしたものだった。
 立ち上がり、前を見る。彼らを気にする者はいない。ルッカやキーノも、よもやクロノが動き出せると思っていないのか目を向けもしなかった。故に、


「…………そっか。なるほど。大体分かったよ、この騒ぎの元凶が」


 故に、彼らが広場から出て、町から離れていこうとも気付かれる事は無かったのだ。






 場所は変わり、彼らが立つ場所は小川の流るる長閑な空間。海から少し離れたそこは潮の香りが薄く、田舎染みた場所だった。そもそも、トルースを出れば見渡す限り緑に覆われているこの国では珍しいことではないが。ひらひらと蝶が踊り、人には近づかないはずのそれはクロノを救った人物の肩に止まる。それを見て、ふわ、と笑ったのがクロノには印象的だった。
 特別相手が笑う事が少なかった訳ではない。どちらかと言えば、彼はよく笑っていたように思えた。しかし、その笑顔は何処かしら成熟したものを帯びていた。


「あんまり、こうして二人で何処かに行ったこと無かったな」


 クロノの声に、相手は声無くただ頷いた。
 どちらからともなく、お互い座りこむ。肩を揃えた彼らはまるで似ていなくても兄弟の様に。


「……どうやって?」
「ゲートですよ。普通に暮らしていたら、手紙と一緒にゲートが出てきたんです。そこに飛び込んだらもうこの時代でした」
「普通に、か。で? お前に俺の記憶があるのはおかしいだろ。エイラたちやグレンたちが俺たちを知っているのは分かるさ、ラヴォスの世界崩壊の日より前に生まれた奴等だからな。でも、お前は?」


 質問に、少し考え込んだ後彼は口を開く。


「覚えていませんでしたよ。この手紙を貰うまではね」言って、今日何度目にしたか、見慣れた便箋を取り出す。疲れたように笑いながら、クロノは肩を落とした。
「なんて言えば良いんですかね……これを持った瞬間色んな事を思い出したんですよ……思い出すっていうのが正しいのか、分からないですけどね」
「だな、けどそうか。って事は、やっぱりあいつか。そんな無茶苦茶が出来そうなのなんて、俺の知る限りじゃあいつくらいだ。確証は無いけど、確信した」


 空いた手を地面に当てて、小さな小石を拾う。手首のスナップをきかせて水面に放ると、幾度か跳ねて沈んでいった。上手いですね、と褒められてクロノは慣れたもんだろ? と得意気になる。それに習って、彼──少年も同じく石を投げるが、一度も跳ねる事無く水柱を上げた。
 あーあ、と伸びをして、クロノを見遣る。その顔は幼くしかし美しく。クロノは腕を持ち上げ、彼の髪に指を絡ませた。


「短くなったな、髪」
「あの頃は、長い方が格好良いと思ってましたから。今じゃもう普通の髪形ですよ。今考えれば流石に腰まで伸びてるのはおかしいでしょう?」
「そうでもない。お前は見た目が良いからな、どんな髪形でも様になってたよ」


 言われて少年は嬉しそうに微笑んだ。クロノも目を細めて、愛おしそうに頭を撫でる。猫のように首を上げ、気持ち良さそうに身を震わせるところまで記憶のままで、それが堪らなくて、目から涙が零れ落ちていた。


「────お帰り、ロボ」
「はい、帰ってきました。クロノさん」
「……っ!! 勝手にどっか行きやがって、馬鹿野郎!!」


 声を震わしつつ、ロボの身体を抱きしめるクロノ。ごめんなさい、と連呼しながらロボもそれに応えて抱きしめ返す。何度もお互いの名前を呼び合い、力の限り背中に回した腕を締める。二人とも、もう涙を我慢する事は無かった。
 夢みたいだ、とクロノは思う。それは今日、森で大臣に襲われた時から始まっていると感じていた。
 本来会える訳がないのだ、ロボだけでなくグレンにも魔王にもキーノにもアザーラにもニズベールにも。そのつもりでシルバードを彼は破壊したのだから。もう割り切ったつもりでいたのだから。
 どれだけ押し殺しても、傍目には成長したように見えても結局は変わらない。会いたくない訳がない。ただ、必要が無いから、これ以上時に干渉するのは人の身では分不相応だからと納得した気でいただけだ。
 それでも、まだ年若い彼には無理だった。こうまで奇跡が連続されてはまともでいれる訳がない。何を言っているのかも分からない、ただ喚いているだけの彼をロボは優しく包み込む。彼もまた泣いているが、それ以上にクロノを慰めていた。


「ごめんなさい、最後に全部任せちゃって」
「まったくだ!! お前、お前がいなくなったから、俺凄い焦って、凄い落ち込んで、皆に怒られたんだぞ? ……ほ、本当にさあ、やめろよなああいうの!!」何度か詰まりながら恨み事を作るクロノは、誰の目にも格好悪かった。そして、ロボの兄だった。
「で、でもクロノさんだって同じことしたじゃないですか。ほら、海底神殿で……」
「俺は良いんだ!! でもお前は駄目だ!!」
「り。理屈になって無いですよクロノさん」
「なってなくねえ!! 俺とお前じゃ全然違うだろ! 俺は俺の事が好きだし、大切だけど!! お前はもっと大切なんだ馬鹿!!」
「っ! ……もう、もう駄目ですよ……僕、泣き止めそうにないですよ、そんなの言われたらぁ……」


 掻き抱くように密着する彼らは暑苦しくも感じられたが、どちらもそのような無粋な想いは持っていないのだろう。ただ、歓喜に震え再会を祝していた。
 もう、二人は言葉を用いない。いや泣き喚いてはいるが、言語として成り立ってはいない。ただ、良かった良かったと連呼している。けれどそれでいいのだろう、彼らが思う言葉は、伝えたい想いはそれで全てなのだから。
 時間にして、凡そ一時間は過ぎただろう。日はまだまだ高くとも、夕を意識してくる時となっていた。
 二人は、大声で泣いた事を恥じているのか少し距離を空けて座っている。沈黙を苦にするような仲でもあるまいに、どちらも気まずいと顔に出ていた。涙を見せる、それを恥と思うのは彼らが男である所以か。


「……これから、どうするんですか? クロノさん」押し黙る事に痺れを切らしたか、ロボは当たり障りのない、けれど大事な事を聞いた。「他にも、クロノさんに会いにきた人は沢山いますよ。未来からも、アトロポスやマザー、ドンさんにジョニーさんまで来てます。きっと、原始以外の人も来てるでしょうね」
「ああ、グレンと魔王にもあったよ。この分じゃ、王妃なんかも来てるかな……いや、流石にそれはないか」
「やっぱり、あの人たちも来てましたか。それで? 結局クロノさんはマールさんと結婚するんですか?」
「……なんだろうなあ。嫌って訳じゃないんだよそれ。実際マールの事嫌いかって言われれば絶対違うし、好きだって言ってくれるのは素直に嬉しい。でもな、それじゃ流されるままだろ? 何より、そういう決断は他人じゃなくて、俺が決めたい」
「ふうん、やっぱりあの手紙クロノさんが書いたんじゃないんですね」
「当たり前だろ、俺に次元を超える力なんてねえよ」
「へえ……それじゃあ、誰がこんな事を……」身を乗り出して、ロボがクロノに問うと、言葉を終わらせる前に辺りの茂みが一斉に動き、多くの人影が姿を現した。それらが紡ぐ言葉は全く同じもので、短いものだった。


『見つけた!!!!』






「……うそお」地面を見つめ、安らぎつつあった心が摩耗するのをクロノは感じた。
「見つけたぞクロノ!! いきなりいなくなったから、また会えなくなったのかと……もう絶対離れんからな!」眼を赤くしたアザーラは叫ぶ。
「クロ、逃げる良くない。大丈夫、イオカ良い所! きっとすぐ慣れる! ……いや、慣れさせる!!」きらきらと未来への展望を想いキーノは叫ぶ。
「アザーラ様が望むのだ。それを叶えるはアザーラ族の願い、お前も兄ならば大人しくアザーラ様の下に戻れ、戦友!!」腕組みをしながらニズベールは叫ぶ。
「クロ! キーノのお願い聞く! ……エイラも、その方が嬉しい!」キーノの力になれている、と実感し体をくねくねと動かして照れながら、エイラは叫ぶ。
「まいったねえ、私も年か、まさか逃げられるとは思ってなかったよ。おおい馬鹿息子! 会いたい奴には会えたのかい!?」肩を揉みながら腕を回し、ジナは叫ぶ。
「へへへ、あのクロノがこんなにもてるたあな。知らなかったぜ、よっ! 色男!!」「昔のタバンにはちょっと劣るけどね……ああ、勿論今の貴方はもっと素敵よタバン!!」お互い睦まじく体を寄せ合いながら、一人はクロノに、もう一人は最愛の人に向けてタバンとララは叫ぶ。
「ふははは!! 何を逃げるのかクロノ! 俺様が祝すと申しているのだ、畏まって礼をせんか!! ……ところで、誰かポーションを持っていないか? 誰でも良いぞ、俺様に献上しろ!!」体中ぼろぼろになりながらもなお偉そうにしているダルトンは叫ぶ。
「ええい! 貴様ら離れろ! 奴は元より貴様らなど相手にしておらぬ! こうなれば、次元の狭間にでもそいつを連れ去ってくれる!」大口を開け牙を見せながら、彼らしからぬ激昂を晒しながら、魔王は叫ぶ。
「何を言っている! クロノの場所は決まっている、ガルディア城で騎士団の一員になるのだからな! ……ま、まあ申請が下りるまでは俺の家に住まわせても構わんが……っ! ロボか!?」指を絡ませる事を止め、別れたはずの仲間を見て驚きながらグレンは叫ぶ。
「うそうそロボがいるの!? おーいロボー! 私いるよー! 約束だからね、後でぎゅーってするからね! あ、でもその前にクロノを捕まえてて! 聞かなきゃいけない事があるから!」ぶんぶんと手を振りながら、満面の笑みでマールは叫ぶ。
「あははは!! 皆さんらしいや!」ロボは笑い転げながら、周りを見渡した。
「……ロボ?」ルッカは、呟く。


 夢遊病のように、ふらふらと前に出てくる。それに倣い、他の面々も飛び出そうとしたが、ルッカの顔色を見て、また事情を知る者たちは邪魔をせぬよう少しだけ口を閉ざした。
 ルッカを見つけて、笑っていたロボもふっ、と表情を失くし「マスター……」と零す。その後顔を逸らし、何を言えばいいのか分からないと俯いた。
 二人の距離は縮まり、手を伸ばせば届く程に。
 誰もが、ロボの隣に座るクロノでさえも静かに見守る中……ルッカは一度空を見上げて、また顔を戻す。流れる雫は美しく、目は細められている。幻想的にすら見えるほど、彼女は美しかった。誰もが、息を呑むほどに。
 開いていく唇。彼女の姿とは裏腹に、力のある、いつものルッカらしい声だった。


「良い男になったじゃない、ロボ」その言葉を始まりに、ロボがまた涙を落とす。小さく、「やっぱり、マスターは変わらない」と呟きながら。
「……良いじゃん、こういうのも」


 クロノは、思った事をそのまま口に出してから、皆がロボとルッカに注目していることに気づき、こっそりと魔法を唱える。
 使う呪文は人を傷つけるものではない、ただ電流を介して己の身体能力を上げるもの。今ならば、最速を誇るだろうエイラやグレンから逃げられはしなくとも、追いつかれもしないだろう。彼女らは強敵との戦い? で相当に疲れているだろうから。そこまで頭を回して、苦笑する。


(なんか、この妙な事態にも慣れてきたみたいだな、俺。すらすら思いつくよ、こすい考えがさ)


 疲れているのは彼も同じこと。どうせ逃げきれはしないのならここで観念してなるようになるのを待つ、それも悪くないだろう。
 けれど、それを彼は良しとしない。クロノならば、自分ならばどうするかと自問自答すれば答えは自ずと現れた。


(俺だったら……このまま流されててんやわんや内に落とし所が見つかる……らしいよな。凄い俺らしいよ、それ。でも、その前に……見つけないとな)


 バヂバヂと、火花がクロノから発せられる。まだ気付いている者はいない……いや、ジナだけはちらりとクロノを見たが、何も言わずそのまま立ち尽くしていた。今の彼女は、息子の行き先を止めようとする意志は無い。元より、ジナは思っているよりも子煩悩なのかもしれない。
 髪が逆立ち始める。そして、ようやくクロノが魔法を唱えていると気付いたマールがあっ! と声を上げた。それに釣られ、その場にいる全員がクロノの異変を知り顔を強張らせる。唯一ジナだけが実にわざとらしい驚きを見せていたが。


(そうだ、見つけないといけねえよ。どうせ、けらけら笑ってるんだろ? 今までのどたばた劇も、俺が困ってる時も、笑ってたんだろうが。知ってるだろ? 俺もさ、お前と同じで……)


 ぎゅっ、と靴を地面に押し当て解き放つ。彼の一歩は大きく、腕を左右に伸ばした姿は空を飛んだようだった。


「人に笑われるのが、大嫌いなんだよ!!」


 一足で包囲を抜けた後、そのまま何処に向かうでもなくクロノは走りだした。風のように速く、自由な歩調は楽しそうなもので。追いかけるはずの者たちは、一瞬見とれてしまったのだ。


「…………って、あああ!! 逃げたー!!」


 マールが口に手を当てて、悲鳴のような声を出す。皮切りに、各々もまた走り始める。
 誰もが声を荒げて、それでも楽しむような声音で、現代の地を、世界を回り出す。


「悪いな、俺にはさ、まだ会わなきゃならねえ奴がいるんだ! あの巨乳女をどつき倒さねえと、俺の旅は終わらないみたいだ!」


 その言葉に顔を赤くするのは三人。マール、グレン、アザーラである。三人目の彼女は特に何かを意識したわけではあるまいが、未だ育ち切らない女心が何かを察知したのだろう。握る拳の力は同じであった。
 そして、遠く向こうでまだロボと向かい合っていたルッカは呆れたように息を吐く。彼女もまた、クロノの発言に確かな怒りを覚えてはいたが、己を見失う程ではない。彼女には大事な仲間が、恩人が側にいるのだから。


「やれやれ……私たちも行くわよ、ロボ」
「そうですね……あはは、また楽しくなりそうです。走りますよ、マスター!!」


 騒がしく、忙しい。平穏などではありえないこの世界で、確かに笑う人がいる。
 それは未来を救った者であり、己の時代で命を賭して戦い合った者であり、自分の時代を追い出され、それでも自分を確立させた男であり、やがて中世の人間を震え上がらせた、今では大切な自分の息子を想う優しい魔族も合流し、未来にて人々を待つ者も、とある国の王妃まで、その王妃を守る魔物の忠臣も集まるだろう。
 時代は回る。決して止まる事無く、川のように波のように押しては返し返しては押して。繰り返しなのだろう。
 けれどそのままではない。もう一回を繰り返す訳ではないのだ。例えいかに似たような日常でも同じを嫌い続ける者がいる。彼らは行くのだろう、やがて来る未来を待つのではなく進み続けるのだろう。
 旅は続く。未来永劫に終わりなど来ないように。願うではなく自分から動いて。
 一つの旅は終わりを告げた。けれど、人生において旅は一つではない。数多の物語が絡み合い、次の場所へ誘いゆく。
 悲しみも楽しいも別れも出会いも全ての感情を込めてようやく形作られる旅が無限に並べられている。
 だから、先陣を切ろうと逸る者がいた。
 名前はクロノ。特別な才能があるでは無い、勇気溢れる事もなく、英雄譚にある宿命を背負うでもない。だからこそ彼だけが始められるのだ、物語を進められるのだ。







 かつて、星は夢を見た。
 そして、殺された未来は彼らに復讐するのだろう。
 しかして、案ずるなかれ。彼らは止まらない。仲間を得たのだから。
 殺された未来は散らばり、また集まり力となる。力は恨みを得て襲いかかるだろう。
 ならば迎えようじゃないか、抗うではなく迎えよう。全てが終わるその時まで。
 夢は覚めるだろう、未来は必ず来るのだろう。その為に出来る事は山以上にあるのだから。
 物語は一度終わりを告げる。されど、
 されど────












『これで、良かったのかい?』
「ええ。だって、私の事放っぽりだしてそのままなんて酷いじゃないですか」


 青く長い髪を束ねた女性は鼻歌混じりに言う。寝ころびながら、両手に顎を置く姿はだらけている見本と言えた。
 彼女に問うたもう一人の、赤い髪の女性は「ああそう」と興味なさげに呟き、青い髪の女性が作りだすビジョンに目を向けた。そこには、クロノとその仲間たちが追いかけっこをしている姿が映し出されている。


「どうやら、私の事を思い出したみたいですし。もう消しますよ」青い髪の女性──サラが手を一振りするとビジョンが消え、また何もない空間に戻る。赤い髪の女性はああ、と切なそうな声を出してサラを睨んだ。
『酷いなあ。もっと見ていたかったのに』
「疲れるんですよ、力を使うのは。文句なら燃費の悪いこいつに言って下さいな」ごつごつと拳を振り上げ自分の下にいる夢喰いを殴るサラ。夢喰いは微動だにせず反応を見せなかった。
『疲れるくらい良いじゃないか。なんなら、僕の力を使うかい?』
「遠慮します。大体、なんでここにいるんですか? ──ラヴォス」


 訊かれて、ラヴォスは呆けた顔を見せる。その表情によく知ったものが混ざっているので、サラは心中で舌打ちする。


『ここ以外にいれる場所がないんだよ。それに、君の考え通りなら、ここにいればまたクロノに会えるだろう?』
「いや……会ってどうするんですか? それに、貴方と一緒にいるのは正直複雑です」
『へえ。じゃあ出ていくよ、サヨナラ』
「出ていけなんて一言も言ってないでしょう! 離れてはいけません! 一人は寂しいです! ほら、早く戻って!!」
『やれやれ……』


 両手を上げてやれやれと“呆れた”と言外に言うラヴォス。見た目と相まって、サラは不快を露わにしながら眉根を歪ませた。


「ずっと訊きたかったんですけど、なんですかその姿。私の知ってる人によく似てるんですけど……」
『え? でも可愛いだろうこの姿』


 その場で一回転してみせるラヴォス。可愛いか可愛くないかは分からないが、決して醜くは無い。少女とは言い難いが成熟したとも言えない難しい年に見える。赤い髪は短く、毛先が跳ねていた。全体的にだぼついた服装なのは、本人の性格からか。勝気そうに吊りあがった目は印象に残りやすいだろう。


「可愛くないとは言いませんが……それって誰の姿を模ってるのです? 予想は出来てますけど」
『クロノだよ。並行世界の、クロノが女だったらっていう可能性から引っ張ってきたんだ』
「でしょうね……道理で貴方に馬鹿にされたらすっごい腹が立つ訳です。あの人はどんな時でも私を馬鹿にしますね」
『それは、サラが馬鹿だから仕方ないんじゃないかな』
「黙りなさい!! 私はとても頭が良いのです! 学術試験では、三十点を切った事がありません!」
『そうなの。何の教科が一番得意なんだい?』
「せいかつです!」
『…………ああ、理科と社会が合体したような、十歳未満の子供が受ける教科だよね。大変だねサラは。そしてジール王国に未来は無かったね』
「馬鹿にしていますね! 私は馬鹿では無いのですよ!? それに、クロノさんなんかの恰好を模している貴方の方がずっと馬鹿です!!」
『どうして? あのクロノが女の子なんだから、とっても可愛いに決まってるじゃないか』
「いやいや、どう見てもクロノさんは可愛くないですよ? アホですか?」
『そりゃクロノは可愛くないよ。彼は格好良いんだ。世界一格好良い男が女になったなら、世界一可愛いに決まってる。やっぱりサラは駄目だね』
「うわお。あの人星喰いまで落としたんですか。見境ないですね……それを言うならダルトンも似たようなものですか」頭を押さえて頭痛を乗り切ろうとするサラ。腰に手を当ててえへんと鼻息を吐くラヴォスはサラと変わらず賢くなかった。


 暫しの間、時間が流れる。もうビジョンの無いこの場所では何もすることが無く、必然としてラヴォスもサラも会話を始める。


『ねえねえ、クロノはもうすぐ来るかな』
「まだですよ。その質問何回目ですか? 来るとしても、手段を見つけて、それを可能にして、準備を整えてここに来るんです」
『待てないよ。サラの力で呼び寄せられないのかい?』
「出来ませんし。出来ても私死にますよそんな無茶したら」
『なんだ、出来るんじゃないか。早くしなよ』
「話聞きやがって下さい。私は死にたくないです」
『僕だってもう待ちたくないよ!』
「我儘過ぎます!!」


 きゃんきゃんと言い争う二人は気の置けない仲としても良いのではないか。そんな風に思う人間はここにいないが、ずっと自分から意志を放つ事をしない夢喰いはそう感じていたかもしれない。もしそうだとすれば、夢喰いも夢喰いで大変なのだろう。
 さらに時間は流れる。二人して息が上がったので口喧嘩は終わりを迎えたが、やがて呼吸は落ち着くのだ。そうなれば、暇を持て余した方が口を開く。これもまた、必然。


『ところでさ、どうして彼らは現代に集まれたんだい? 移動手段のゲートを作ったのは君だって知ってる。でも同じ時代に、違う時代に生まれた異なる存在が三人いれば時空が歪むんじゃないのかな』
「分からないんですか? 貴女の時も同じ事があったでしょうに」少し馬鹿にした風に告げるサラ。それに気分を害したラヴォスはむっ、と顔をしかませるが、やがて解に辿り着く。
『ああ三賢者か。生きてたんだ』
「あそこにはスペッキオがいますから。そう簡単に彼らが死ぬ事は無いでしょうね。今もボッシュたちと一緒に時の最果てにいますよ」
『へえ……って、スペッキオってあの戦の神の? うわ、あいつ外に出れたんだね。そうなると、自他共にあいつが最強の存在になっちゃったか。全盛期の僕でもあいつには勝てないなあ』
「ああ、貴方の敵に変化して敵の一歩先を行く敵になり変わる技って、スペッキオからパクったんですよね確か。偉そうな事言いながら人の技を盗んでそれが切り札とか言い出す星の破壊者乙です」
『いいだろ別に! ……もうやだよサラ。僕君の事嫌いだ』
「ふっはっはー。思い知りましたか! 私はとても頭が良いのでこういう切り返しも出来るのです!」
『そんなのだからダルトンに振られるんだ』
「まだ振られてません!?」
『クロノまだかなー』
「聞きなさい人の話を!!」


 もう会話にも飽きたのか(あれだけ他人との会話を望んだラヴォスが飽きるとは意外だが)サラを無視して三角座りするラヴォス。ふらふらと体を揺らしているのは楽しいのか。少なくともそのなんちゃって運動はサラの相手をするより有意義だと思ったらしい。もしくは、人間形態にまだ慣れていないためどのような運動でも新鮮に感じられるのかもしれない。
 がみがみと喚くサラは一度落ち着いて新たな切り口を探す事にしたようだ。一度黙りこみ頭を動かす。その為に指を頭に当ててうーんと唸るのは彼女が考え事をする時に行うものなのだろうか。妙にアホっぽい事を突っ込む者はいない。敢えて言うなら、今までなんの動きも見せなかった夢喰いが何かを言いたそうに口部分を震わしていた。結局何も言わぬままだったが。今思えば、サラの為に力を使いサラの命令を従順に聞く夢喰いは結構気の良い奴なのかもしれない。誰もそれを言う事は無いが。


「そっ、そういえばあれですね。クロノさんはモテますねー! 貴女なんかよりずっと可愛い人もいますし、誰とくっつくんですかねー」
『僕とだよ。馬鹿じゃないの』ようやく反応した事にサラは微かに笑みを漏らす。やはりここが肝か! と腹の中ではガッツポーズをしているに違いない。
「貴女ですかぁー? 今の所マールさんルッカさんが本命で、次点にグレンさん、ダークホースでアザーラさんってところですよね。貴女の入る隙間なんてありますか?」
『本命も次点も無いよ。僕はクロノに好きって言われたもの。他に誰が何を言おうと一緒だよ』
「おや知らないんですね。男の人は沢山の好きを持っているのですよ? 何処かで聞いた事があります」
『嘘だよ。クロノはそういう事しないもの』
「ぷへー。純粋ですねえ。ぷへー」
『その笑い方やめなってば』


 いい加減とさかに来たぞとラヴォスが遠距離よりサンダーを発射。夢喰いによる結界がある為当たりはしないが間近で稲妻が走る恐怖にふるふると震えだすサラ。力関係が如実に出ている結果だった。
 ──が、それもそこまで。所詮クロノの魔力量しか持たないラヴォスでは、やがて魔力が切れるのは当然の結果だった。そうなると何も出来ないラヴォスに懲りもせずサラは苛めにかかった。


「酷い事をする人です。そんな人にクロノさんはなびきませんね」
『なびくとか、そういう事じゃないもん。好きって言ったもん』気にしていない風を装うが、肩が震えているのを見逃すサラではない。笑いだしそうになるのをこらえる為自分の太ももを抓っていた。
「そういえば、クロノさん私とも仲良いんですよねー。好きなのかもしれませんねえ私の事、ほほほ」サラが言うのは、おそらく死の山での出来事を指して言っているのだろう。顔を赤らめているクロノを弄ったのは唯一彼女の勝利だったのだから。


 だが、ラヴォスはそう取らない。恐らくラヴォスが思い描くのは彼の擬態を行い、恋心を暴露し合った時のこと。その時確かにクロノは言ったのだ。「ここまで来たから暴露するけど、サラも良くない?」と。
 だからどうした、と鼻で笑いはしたが、ラヴォスの耳は髪色と同じく真っ赤になっている。頭に浮かぶ単語はデストロイ。


『…………クロノは、僕に好きって言ったんだ!! サラの馬鹿あああああぁぁぁぁぁ!!!!!!』
「へ、変化を解くのは卑怯ですよお!?」


 見知らぬ空間、閉ざされた孤独な世界で爆音と悲鳴と怒声が蔓延した。
 それをどう思えども、寂しそうと形容は出来まい。彼女らは不幸か幸せか。分かるのは、二人は一人では無いということ。涙を流す事は無いという事だろう。
 そして、やがて来るのだろうその時は。二人にとって最も会いたい人物が。その時彼女らはどうするのか。それはきっと分からない。それでも……
 精々、飽きもせず大騒ぎになるのは間違いない。誰しもが自分に正直で欲望に忠実で。それがどれほど素晴らしい事なのかをサラもラヴォスも知ったのだから。

















 最初に述べた通り、これは夢だろう。
 早々、都合良く話は進まない。誰もが幸せなどあり得ない。きっとサラは孤独に震え闇に堕ちるだろう。ラヴォスは死んでいて、クロノたちは異なる時代の仲間に会う事は叶わない。もしかしたら、ラヴォスの予言通り彼らは無残に息絶えるかもしれない。
 そう、『きっと』。それは絶対ではない証拠である。
 だから、もしかしたら……こんな世界になるのかもしれない。未来は誰にも分からない。未来は誰にも姿を見せようとしない。
 だからこそ、人は未来を掴むのだろう。









 星は夢を見る必要はない。
 人だけが夢を見るものだから。
 そして、夢は覚める。
 けれど、夢は始まっていく。









 人が生きる限り、人の夢は終わらないのだ。






 Fin


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