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[20897] 【ネタ】アルビオン貴族もの(ゼロ魔オリ主)
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:03
 王都ロンディニウムにあるハヴィランド宮殿の豪奢ではないながらも、所々に匠の意匠が施された勉強机の前に、小さな金髪の子供は座って熱心に本を読んでいた。

 彼はこの読書をする時間が大好きで、所謂文武の武を重視する家柄にありながら、こうしてただの脳筋にならずに文すら愛せていた。 勉強机で『イーヴァルディの勇者』を読む子供の名はクライフ·デーンロウといい、大地を離れ空を翔るアルビオン王国に籍を持ったデーンロウ家という特殊な貴族の長男である。

 アルビオン王国では新興ながらも、着実に軍における名門となりつつあるデーンロウ家は、奇跡的ともいえる珍しく殆どメイジの血を持たない家系であり、ゲルマニアならまだしも他所の国々ではあり得ない剣のみで成り上がった貴族だった。


 デーンロウ家の成り立ちは運によって支えられたもので、8代前の祖先であるノルムは剣に生き酸いも甘いも知った傭兵であり、全国放浪中にアルビオン王国で夜中に大雨の山間で訓練していたところ、幹線道へ向けて土砂崩れが起きたのが見えた。 そこに偶々豪奢な馬車が巻き込まれているのが見え、珍しく仏心がわいたのか遺体の埋葬と、それ以上の金目の物への欲から土砂崩れの現場へと足早に向かって行く。

 馬車の外は大惨事だった。 あちこちには土から腕や足だけを突き出した遺体や、岩か木に潰されて血を吐く遺体に埋め尽くされていて、遠巻きには見えなかったが地獄絵図の惨状をていしていた。 だがそんななか、ミンチになって血の泡を噴き出す白馬が繋がれた馬車は全損とはならず、半分程度が衝撃と重みで砕けたようでしかない。

 余程馬車の持ち主は平民嫌いの私祖ブリミルに愛されていたのか、もしくは強欲貴族らしく金の力でたいそうなまでの固定化をかけたのか…… まあとにかく、馬車に刻まれた土砂で汚れながらも美しい紋様に見覚えを感じつつ、馬車の中の仏さんから金品――ではなく仏さんの埋葬の為に馬車の扉を開いた。

 馬車の中も外に負けない程の華美さを誇っており、安い契約料で命を張ってきた傭兵には触った事が無いほど滑らかでふわふわした手触りのイスがあった。 だが少し残念なのは、土砂崩れを横っ腹に浴びた馬車は横転まであと一息の状態になっており、感動的な座り心地を試す事ができないということと、馬車内も意匠を彩るように血塗れになっているので長居はしたくないということだった。

 馬車内には豪奢な装いをした若い男女2人が倒れていて、顔つきが似ているので兄妹かと考え、そこで思考が凍りついた。 汚れていてよく見えなかった竜の紋様、そして見目麗しいこの兄妹…… まさか、まさかとは思うがこれはアルビオン王家の皇太子と皇女?

 これは危険だ。 他の貴族なら何か盗ってバレても高跳びすれば逃げおおせるが、王家は国外だろうがヤバい。 ことここに至ってノルムは事の重大さに気付いたが、頭が少しばかり回るので打算も考えていた。 その考えは至極全うなもので、いまここで物を盗んで一時的な金貨を得るよりも、王家の者を救って長い富を得られないだろうか? という考えだった。

 そう考えれば後は早く、急いで2人を救いだそうとして――皇女の首が割れた窓ガラスで抉られている事に気付き、頭から血を流しながらもか細い息をする皇太子に手当てを施して救出し、大雨の山中を王城目指して皇太子を背負って駆け抜けた。

 道中では野獣や盗賊を斬り殺し、目覚めた皇太子には事の成り行きと皇女の不幸を伝え、急いで王城へ戻るべく皇太子を背負ってまた駆け抜けた。

 王城に着いてからというもの、宮仕えの貴族からは無礼討ち寸前まで持ち込まれたが、皇太子の話を国王が聞き皇女の不幸を嘆きながらも皇太子の救出に感謝し、シュバリエを与えて国にではなく王に仕えるように言われ、平民でしかない自分を高く評価してもらったと感動し軍人として宮仕えが始まった。

 この時点では宮仕えをする爵位もちの平民でしかないが、ここから3代が懸命に働き王家の信を更に深いものにした結果、とうとうデーンロウ家へ王家より領地が下賜されたのだった。

 最初はそもそもアルビオン王国生まれでもない外様の平民に領地などと、圧倒的に反対意見が多かったが、それに負けない程平民の軍人等の支持があり、しかも拝領した領地は貴族の領地を再編したものではなく、王家直属である王領を切り取って与えたので有力貴族ですら口を挟めず、3代目に至って爵位持ちの平民が王家武芸指南役という栄誉とともに、ついには貴族となり領地すら得たのである。

 だが、他の貴族にあってデーンロウ家にないものがある。 それは目に見えないものだが、とても重要なファクターをもつ所謂《メイジの血》である。 あくまでデーンロウ家の血筋は平民であり、魔法が使えない下賤な民なのだった。

 だからこそ、彼らは画策した。 身の程知らずに痛い目を見せてやろうと。

 短期的に見れば、彼らの陰謀は成功した。 陰謀と言っても嫌がらせ程度のもので、魔法を使えないのは純然たる事実にも関わらず、そんな子息を魔法学校に入れるようデーンロウ家へ圧力をかけた。

 当然家柄が変わっただけで魔法は使えず、そもそも貴族とはいえ平民の家柄に娘を嫁に出す貴族はおらず、あくまで平民の子でしかない息子は魔法を使えないせいで5代目まで酷い屈辱を味わった。

 だが、その陰謀も長期的に見れば大失敗に終わってしまった。 恋は突然であり、美男子で売っていた6代目はなんと魔法学校で女子生徒に恋の告白をされ、はれて両想いになって結ばれたのだ。 女子生徒の親である貴族は憤慨し、娘の翻意を促すも結婚を許さないなら絶縁も辞さないと突き付け、尚も止める両親を振り切り家を捨ててデーンロウ家へ嫁いできたのだった。

 娘の両親からデーンロウ家へ抗議文が届いているが、それに対して5代目は家を捨てた平民が我が家に嫁ぐ事へ、今更他家より文句を受ける筋合いはないと一刀両断し、ついに7代目である父上から薄いながらも《メイジの血》が入ったのである。


 普通に考えれば壮大な夢物語か、ただの与太話でしかないと思うだろう。 だが、この内容の前半は王室編纂の歴史書にも記されていて、土砂崩れの事故からデーンロウ家の成り上がりまで書かれている。 後半も当主代々の日記にも書かれていて、今となってはサクセスストーリーとして本にもなっていた。

そんな歴史故にデーンロウ家のメイジとしての自覚は乏しく、そもそも運と剣で貴族にまでなったこともあり、昆にもなるスタッフのような大きな杖は使わず、枝のような小さな杖も使わず、平民の武器と言われる剣を杖にしている。 慣れない杖を振り回して威力のない魔法を使うより、細胞レベルで手慣れた剣を振り回した方が効率がいいのだ。

 だから、クライフの父である現当主のペイジは祖父と検討した結果、剣と契約する事で不甲斐ない魔法の威力を補っていた。 これならばお家芸である剣術を全面に押し出せ、更に気持程度の魔法の両立ができるようになった。

 なので今はクライフも自由時間の間に読書に勤しんでいるが、他の時間は専ら体力を身につけ剣技を習うという、ある意味では大変メイジらしくない訓練をしている。 ペイジは父や祖父の教育もあり、魔法を使うよりも剣に慣れ親しみ息子であるクライフに剣を教えているのだ。

 クライフの祖母はそんな剣に生きる祖父に惚れ、父であるペイジと結婚した母は領地が無い落ち目の貴族故に文句をつけられず、結果としてメイジになろうが何だろうが剣を重視しているのだ。 だから、クライフは『イーヴァルディの勇者』を読んで勇者がかっこいいと思い、そんな勇者に自分も成りたいと願っていた。

 ここも教育の成果か家柄故か、一般的な貴族の子息ならメイジとしてイーヴァルディの勇者みたいな英雄に成りたいと願うが、クライフはやはり名剣を担って大成したいと願っていて、 まだまだ8歳と少しばかり若い故に悪くはないながらもそこそこの剣しか持っておらず、父や祖父が国王陛下から下賜された名剣を羨むお年頃なのである。

「ここにいたのかクライフ」

「あ、殿下!」

 本に集中していたからか、声をかけられてやっとウェールズ殿下が部屋に来ている事に気づき、かなり驚いて立ち上がって姿勢を正してしまう。

 王家武芸指南役の栄誉を賜ってからというもの、デーンロウ家の子供は歳が近ければ王家の次の代を担う皇太子と共に剣を習い、両家の信頼を揺るぎないものにすべく育ってきていて、こうしてクライフも王位継承権のあるウェールズ殿下のおぼえがよかった。

「僕としては、クライフが読書好きを知っているから気にせず読んでいて欲しいけど、ウィリアム殿が来るように呼んでいるよ」

「またお祖父様は殿下を小間使いにしたんですか……」

「ははは。 剣を教える先生にとって、王子である前に僕は未熟な生徒でしかないからね」

 そう言って爽やかに笑うウェールズ殿下を見ても、クライフには愛想笑いにも満たない引きつった笑みしか返せない。 どこの世の中に、仕える王家の子息――皇太子を伝令として小間使いする人間が居るだろうか?

 年老いてなお豪快な性格のお祖父様に嘆息し、それでもウェールズ殿下が態々自分を呼びに来てくれた事を嬉しく思い、クライフに対して年齢が上だからか、少しばかり兄の気がある殿下に深く感謝した。

「では、失礼させて頂きます」

「早く行ってくれよ? 呼び出しが遅いだなんて八つ当たりされた日には、僕の訓練が酷い事になりそうだからね」

 うーむ…… お祖父様なら「遅い」と文句を言ってやりかねない。 いやいや、思い出してみれば実際に以前食後直ぐに練兵場へ来いと言われて、配膳の都合で少し遅くなった時は足腰立たなくなるほどにしごかれた記憶がある。

 だとすれば、呼び出しに来て下さった殿下の為にも、何より理由はわからないながらも呼び出された自分の為にも、一刻一秒たりとも無駄にはできない!



[20897] 2話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:04
 時を2日ばかり遡り、ここは場所を変わってハヴィランド宮殿にも負けず劣らず豪奢な城塞を模した宮殿。 その中でも、来賓客をもてなす華美な装飾は一切なく、むしろ質実剛健を地でいく会議室で2人は顔を合わせていた。

 片方はこういった根回し等を含めた政が嫌いなのか、表情だけは真剣ながらもピリピリとストレスにイラつく男と、厭味になるほどではないがそれなりに着飾った男だった。 早く話を済ませたくてしょうがない男の名は、色々な意味でハルケギニア中に名を知らしめるデーンロウ家の当主であるペイジ·デーンロウ子爵。

 そんなペイジの対面に座っている男は、それこそアルビオン王国に知らぬ者は居ない名家中の名家であり、現国王とは血の繋がった弟であるモード大公なのだ。

「大公は本日もご機嫌うるわしゅう……」

「君は相変わらずご機嫌斜めじゃな」

 明らかにイラついたペイジの世辞に対し、それもいつもの事なのかモード大公はにこやかに返す。 そもそもウィリアムから一応ながら家督を譲られてはいるが、現当主であるペイジは脳筋ではないが政は嫌いであり、ちまちまと痛くもない腹を探りあう事なんか面倒だとすら思っている。

 だが、そんなペイジの状態についてモード大公は顔を合わせる機会が多いので知っており、普通だったならば交渉事には向かないペイジを門前払いせず、きちんと話を聞いていた。

「あー…… 今回の大公領と子爵領の境に巣くう野盗討伐の件ですが、息子の初陣という形にしますのでご静観をお願いします」

「息子のクライフ君も、もうそんな年齢だったか」

「ええ。 今年で8歳になりました」

 話題が息子の事になったからだろうか、急にペイジも饒舌に話を始めた。 これもモード大公には手慣れたものだが、もうペイジの親バカっぷりは呆れる程に見せられていて、とりあえず話題に困れば息子の話を振れば喜び話し、本来の目的である交渉も円滑に進む。

 その辺りの事が理解できる程に2人が顔を合わせているのにも理由があり、王都南部に位置するモード大公領とデーンロウ子爵領は隣接しており、しかもデーンロウ子爵領は王領の南部にあるロサイスへ通じる街道を下賜されていて、王家からすれば恩賞として破格の扱いであり、街道という生命線を押さえられた形になるモード大公側としては、それ故に綿密な会合を必要としていたのだ。

 当然そんな経済的にも戦略的にも重要な街道を含めた地域の割譲に、モード大公以前にそこを統治していた者は非公式ながら反対意見を示していたが、歴史を紐解けば件の土砂崩れ事故は南部地方で起きたものであり、それだけに声を大にして反対は唱えられなかったのだ。 以来デーンロウ子爵領は南部の首根っこを掴む事になり、それが今でも続いている。

「それで、世継ぎのない私にクライフ君の自慢に来たのか?」

「おっと、失礼をば。 本題はこちらで、調印の方をお願いします」

「ふむ…… あいわかった」

 モード大公はペイジから渡された用紙を軽く読み、問題なしと判断するとサインを記した。 サインを記した用紙に書かれた内容は簡潔なものだった。

『1.クライフ·デーンロウ率いる野盗討伐軍が、野盗を追撃して大公領内部へ侵入する事を認める。
 2.野盗の引き渡しは行わないものとする。
 3.大公領からは兵を派遣しないものとする。』

 1は、まあ問題がない。 野盗を討伐する程度の戦力で、大公領にて何かをするとは考えられない。 2も問題はなく、3は言わずもがなである。

 本来の政治であればもっとつめるところはつめ、相手側の使節団とともに長期に渡り話し合うのが通例であるが、今回は野盗の討伐というなまものが議題であり、更にはそもそもデーンロウ家の使節団が名前だけでペイジ本人と数名の護衛しかいないこともあり、こちらに損もないので深く話し合わずに決定が下だされた。
 通常であるならば、相手側が提示した条件を丸飲みするなど言語道断であるが、今代のペイジといい先代のウィリアムといい、重要な会議以外では通例を無視したものが多かった。

「さて、これで会議は終了するのだが…… 君はこれからどうするんだ?」

「私が領地を離れているのは野盗も気付いているでしょうから、ここに寄って急ぎ帰っては討伐を勘ぐられるでしょう。 護衛として私に着いてきた部下は偵察と情報収集の為に被害のあった村へ行かせ、デーンロウ家から出撃したクライフと合流して野盗を叩かせるので、出来れば少しばかり逗留させて頂ければと存じます」

「わかった。 では、部屋の用意をさせよう」

「ありがとうございます」

 モード大公に恭しく頭を下げるペイジだが、それをいつもの事だと鼻を鳴らす。 デーンロウ家と隣接するので頻繁とまではいかないものの、モード大公家へ来る事が多いペイジとしては、客人に出される食事が美味く酒も美味いモード大公家に寄った際には様々な理由をつけて逗留していた。

 今回も最もな理由はあるが、やはり泊まりたいのが本音なのかもしれない。



 廊下のそこかしこで平民貴族との小声が聞こえてくるが、それを全て無視して目的の執務室へと向かいマントをたなびかせて歩く。 先程まで居たのは宮殿の中央付近であり、そこには上級下級問わず政治に関わる貴族が居座っていて陰口も多かったが、廊下を歩き軍を司る部屋に近づけば近づく分だけ上級貴族は姿を消し、下級貴族に混ざって平民出の兵士が現れ始める。

 そうして平民が増えれば増えるだけ陰口が消えて、堂々と歩くクライフに頭を下げる者が現れる。 これこそが、現在でも続いているデーンロウ家の立場の縮図である。
 頭を下げる兵士には明るく声をかけ、目的である近衛軍の幕僚に与えられた執務室へむかい、お祖父様の居る近衛軍第2部隊本部の扉をノックし即答の合図を受けて開く。

「近衛軍第2部隊所属、クライフ·デーンロウただいま出頭しました」

「うむ。 呼び出したのはデーンロウ家の子息として故、今日は畏まる必要はない」

「了解しましたお祖父様」

 正面に置かれた執務机に座り、顔に幾つもの戦傷を負った強面の老人こそが家督を息子であるペイジに譲り、近衛軍に全力を傾注するウィリアムである。

 そもそも、近衛軍は1部隊しか本来は存在していなかった。 この第2部隊にも紆余曲折の誕生秘話があり、初代デーンロウ家当主であるノルムを軍に入れるにあたり、王家に仕えるよう言った国王は当然のようにノルムを近衛軍へ入れようとしたが、やっかみもあるが下賤な輩を近衛軍へ入れる訳にはいかないと軍部にNOを突き付けられ、ならばと国王は近衛軍を分割しの新部隊の新設を宣言しそこへノルムを隊長として据える事にした。

 が、これに軍部が反発し元居た近衛を第1部隊へ出向と題して呼び戻し、空いた穴には国軍から落ちこぼれやゴロツキを入れて部隊が自然崩壊するよう圧力をかけた。 これをはね退ける権力なぞ成り上がりのデーンロウ家に存在する筈もなく、国王も近衛軍を分割するだけでも強権を使ったばかりなので軍部に強く出れず、圧力に完全に屈する形で悲惨な始まりをみせた。

 集まったのは他人より地位が低く物覚えの悪い落ちこぼれと、協調性を全く理解できないゴロツキだけが集まる事になり、こうして近衛を冠する第2部隊は王家の護衛すら不可能な掃き溜め部隊になったのだった。

 だが、そこで諦めればデーンロウ家はただの爵位持ちで終わっただろう。 しかしながら、ノルムは第2部隊の軍規の取締りを強めると同時に、物覚えの悪い者へは10教えて足りないならば100だろうと1000だろうと教え、傭兵や野盗上がりのゴロツキには暴力をもって束ねていく。

 確かにこの訓練方針は功を奏し、原隊から見捨てらるた物覚えの悪い者は覚えられるまでみっちり教えられ、昔とは違い見捨てられないことに感謝していた。 そして、ゴロツキも口だけ喧しい他の貴族とは違い、体が資本であったノルムは実際に強くて訓練に自らも参加しているのを見て、この指揮官ならばと心酔していった。

 こうしてデーンロウ家の代が重ねられ、遂には3代目にして近衛軍第2部隊は年末に行われた御前大演習にて、とうとう近衛軍第1部隊を破り練兵の功績をもって領地を与えられたのだった。

 そんな歴史を持った近衛軍第2部隊は、平民や下級貴族からすれば花形であり、ある程度の貴族からは煙たがられる存在になっている。

「これよりクライフは屋敷に戻り、モード大公領との境に住み着いた野盗の討伐に出てもらう」

「……大公領との境ともなれば、場所が場所なので危険では?」

「政治的な折衝にはペイジが既に向かっている。 クライフは屋敷の部隊を自ら編成し、部隊を率いて野盗を殲滅せよ」

「了解しましたお祖父様」

 ニコリとも笑わず淡々と命令を言い渡すお祖父様に頭を下げ、与えられた任務を拝命して執務室から出ていく。 与えられたのは大きな任務でも、華々しい任務でもなんでもない野盗討伐である。 とはいえ、お祖父様や父上の行軍に同行したことあはるが、初めて自分が部隊を率いて出撃することに戸惑いは隠せない。

 急いでこの宮殿で自分に与えられた客室へ向かい、必要そうなものをかき集める。 そうこうしていると、部屋の扉をノックする音が聞こえたので入室を促すと、そこには荷物を準備するクライフを不思議そうに見つめるウェールズ殿下が立っていた。

「なにかあったのかい?」

「お祖父様からの命令で、これより屋敷に戻って野盗討伐をしてきます」

「それなら、気をつけて行ってくれよ? もしもクライフに何かあった日には、不機嫌極まりないウィリアム殿と顔を合わせて訓練しないとならないからね」

 そう言って苦笑するウェールズ殿下の為にも、どうやら今回の討伐で怪我をするわけにはいかないようだ。 クライフは怪我をしない決意を固め、ウェールズ殿下への挨拶もそこそこに部屋から飛び出すと厩舎から馬を連れ出し、一路デーンロウ家の屋敷に向かって馬を走らせた。



[20897] 3話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:05
 馬に鞭を入れて街道をつき走り、視界に見えてきた実家の屋敷へひた走る。

 お祖父様の命令により、近衛軍からは兵の抽出は一切なされず、急ぐも急いだり護衛の供回りすらつけずに屋敷に向かって行く。 すると、王都を駆け抜け突き進むと街道に面した屋敷が見えてくる。

 何度か父上についてモード大公の屋敷に行ったことがあるが、そんな屋敷とは比べるにも値しないレベルではあるが、それでも平民の家屋とは桁違いの屋敷が建っている。

 クライフの乗る馬の嘶きが聞こえたのか、門の前に立っていた衛兵がこちらに気づき開門してくれたので、そのままの勢いで敷地へと飛び込んだ。

「お帰りなさいませ坊ちゃま」

 馬を厩舎に預け、屋敷の扉を開けて直ぐに老執事より声をかけられた。

「爺! 現地からの連絡は?」

「はい。 連絡によりますと、カーカス村より南におよそ3リーグほどの丘陵地帯に潜伏しているかと」

「野盗の規模は?」

「周辺にある2つの村の被害を聞きますと、最低でも10から15かと」

 当然のように野盗討伐の連絡が屋敷に入っていたのか、老執事――アイオミ――はクライフに聞かれた事に答え、現場に着かずして満足な情報が手に入った。 うーん…… 規模はそこそこだな。

「訓練場へ行く。 爺は被害地域へ提供する食料と――多めに魚油を用意し、それを荷馬車1台に纏めるよう手配してくれ。 それと、ここに戻って来たらすぐに出られるように、玄関前へ駿馬を回してくれ」

「了解ですぞ」

 せっかくの帰郷――というほどのものではないが、久しぶりに屋敷へ帰って来たというのに部屋に戻る暇さえなく、屋敷に隣接された訓練場へと足を運ぶ。 そこはだだっ広い平原を塀で囲い、柵や的等が点在するこの屋敷の庭のようなものである。

 しかし、庭のようなものだと言っても屋敷の敷地より大きなサイズがあり、平民用の宿舎まで用意してある立派な訓練場だ。 この訓練場は、傭兵でしかなかったノルムが構想をまとめ、数代の後に領地経営が回ってから用意された訓練場で、どこの領地でも、そもそも傭兵ですら困っていた部分を直すべく、ある目的の為に使われている。

『全隊、構え! 斉射3回、撃ち方始め!』

 雇った傭兵を教官として、隊列を組んだ部隊が10人弓矢を全員でよたよたと構え、斉射の声に合わせて狙い定めずあちこちに矢を放つ。 なんと、一斉射撃を3度も繰り返したというのに、10人の誰一人として的に矢を射る事ができなかった。

 隣では弓矢の構造と製作法について講義していて、更に奥では斉射で中々の命中率を叩き出した部隊が居た。

 そう、ここは弓矢専門の訓練場なのである。

 どこの領地にしても平民や傭兵を軍に徴兵し、バカでも剣は振るえアホでも槍を突き出せるが、猟師でもなければまともに弓矢を扱える者は居なかった。 傭兵にしても、剣や槍とは違い矢を消費する弓矢を扱う者は往々にして少なく、メイジとの戦いでは剣を扱う者より弓矢を扱う者が重宝された。 だからこそ、それを傭兵時代に感じていたノルムは弓矢の訓練場の構想を練り上げ、少しでも弓矢を扱える者を増やすよう家訓にまで遺したのだ。

 ちなみに、この弓矢訓練は1年おきに募集をかけ訓練を2年間かけて行われ、参加した人間には宿舎の利用や食事の提供の他に、少ないが給料を支払っており、更には成績が優秀な者には近衛軍第2部隊への推薦状を与えてまでいる。 訓練を済ませた者は有事に必ず徴兵する契約を取り付けているが、訓練でこれほど厚遇すれば経費がかかり、経費の分だけ税が上がり領民への負担は大きくなる。

 そんな領民の苦悩は元々平民だったデーンロウ家はわかっており、還元という名目で訓練に励む平民にやる気を出させる為に給料を払い、女系家族の為にメイドとして子女を雇い入れて1年から2年ほどメイドとして教育し、教育を済ませたメイドはモード大公やデーンロウ家に肯定的な貴族の元へ仕事を斡旋し、空いた椅子には新たな子女を雇い入れた。

 そして、訓練場よりも高額な給料が支払われる近衛軍に入った者や、教育を済ませ他所の貴族の元で高額な給料を貰うメイド達には先に話をすませ、後進の教育の為と謳って少しずつだがデーンロウ家に還元させていた。

 それ故に、他のただただ貴族の欲望な任せた多額の税よりも肯定的に受け入れられ、今でも問題なく領地経営がおこなえているのだ。

 話がそれたが、その訓練場はそれなりの規模があり、設計上平民の弓矢の訓練に重きを置いてあるが、当然ながらこれだけの訓練場を弓矢の訓練だけで使いきれる筈もなく、最奥では即応部隊として常時雇用している傭兵達の訓練場がある。

 そこでは今日も剣を振り回し、槍を突きだす訓練に勤しむ者達が居る。 少なからず弓矢を使う者も居るが、弓矢を扱える殆どが教官として働いている為にこの時間は若干名しかいない。

 こちらにも先に連絡が届いていたのか、クライフが最奥に向かうとすぐさま傭兵達は訓練の手を止め、近づいて行くクライフを向き直立不動の体勢をとる。

「お帰りなさいませクライフ様。 たしか1月ぶりでしたかな?」

「久しぶりだねベック…… 父上から話しは聞いてる?」

 そこに立っていた直立不動の傭兵の中でも、150サントしかないクライフには見上げるしかない大男が、右頬を削ぎ飛ばされ額には幾重もの古傷を着けながらニコヤかに一歩前へ出てきた。 彼はお祖父様が当主の代に傭兵ながら弓矢の訓練を受け、成績が非常に優秀だったので近衛入りを打診したがここに残った古参の傭兵である。

「はい。 今回はウィリアム殿の命により、野盗討伐には編成から指揮権まで、全てをクライフ様に委ねます」

「わかった。 剣士を5人、剣も扱える弓兵を5人、槍兵を10人用意してくれ」

 野盗の予想規模からすれば、最大で倍になる20人の準備をさせる。 一応現場で偵察している4人が合流するので、予想以上の規模だとしても人数を上回られることはないだろう。

「人数の振り分けはすませました。 輸送用の馬車に乗せます」

「いや、全員乗馬して現地に向かう」

「理由を伺っても?」

「歴史書で読んだけど、騎兵は最強だったから!」

 クライフの考える会心の答えにベックは唖然とするが、少しして理由はともあれ編成もクライフの自由だというのを思い出し、苦笑しながら選び抜いた野盗討伐隊の尻を叩いて厩舎に向かう。 それを確認してから、クライフも走って玄関前へ向かって行った。


 到着した頃には陽が傾き空は完全に紅くなっていて、カーカス村の建物からいくつか空へ黒い煙が立ち上っていた。 建物に被害が無い家も明るい訳ではなく、金銭や食料は元より若い娘やそれを止めようとして殺された者が居て、村全体を絶望が渦巻いている。

 だが、そこにあるのは絶望だけではなく諦感も強い。 このご時世どこにも安全な場所はなく、力無い平民は野盗や獣に対抗することもできないのだ。

 そんなカーカス村に到着したので、まず村の中心に馬車をやって食料の配給を村人にさせ、それを尻目にクライフ達は事前にカーカス村へ入って調査していた者達と合流し、詳細報告と合わせて会議を行う。

「偵察ご苦労様」

「いえ、それほどでもありません」

 燃えて家主ごと残骸になった家屋から燃えなかった椅子やテーブルを徴発し、即席の会議場を構築してから会議冒頭に偵察する為にカーカス村に入っていた4人を労う。 野盗討伐のみならず、どんな状況であれ情報は武器になるというのが生き残れる傭兵達の心得で、使い捨て扱いの傭兵は情報が足りない故に酷い目にあうこともあったらしい。

 かくいうベックの右頬もそれが原因で、盗賊狩りとして貴族に割のいい給金で10人ほど雇われたはいいが、小さな盗賊を狩る筈が拠点には倍以上の盗賊団が巣くっていて、何とか死なずに逃げられたが顔に負傷したのだし、他の傭兵に聞いても知らずに云々という嫌な思い出は多いようだった。

「新たな情報はあるか?」

「今のところメイジをみたとの情報は入っていないので、居たとしても割合的にはかなり少ないかと。 それと、これが拠点近辺の地図です」

 手渡された紙を見ると、そこにはおおよその形で描かれた地図がある。 船を出せれば上空からより正確な地図が書けるだろうが、残念ながらそんなバレバレな偵察をさせるわけにもいかず、地上から経験と勘で書かせている。

「拠点は…… 山の頂上付近か?」

「小さな山の頂上付近にある洞穴かと思われます。 これは、昨夜山を降りてきた野盗を取り押さえ、尋問して聞き出しました。 あと、拠点にいる野盗は13人のようで、今回の略奪で村の若い娘を3人ほど誘拐して行ったようです」

「……3人か」

 ここは、当然捕らえられた娘を助けに行くべきなんだろう。 だが、平民である3人の娘を助ける為に、訓練をつんでいるとはいえ同じく平民である傭兵の命を危険に晒せるだろうか? 父上やお祖父様からの教育により、幼い頃からクライフには『安全に。 そして、確実に』という思考が根底に形成されており、そこから導き出す答えは村娘の救出を主眼に置かず、野盗を皆殺しにする際に運が良ければ助かるという残酷な案である。

 もし、ここでクライフがスクウェアのメイジだったならば、自身の身を晒してでも救出に動けるだろうが現実は父上と同じく風のドット止まりでしかない。 理想と現実は違うのである。

「その洞穴の入り口は何ヵ所も開いているのか?」

「いえ。 聞きだせた限りでは洞穴は長い横穴で、奥は行き止まりだそうです」

「じゃあ、野盗には煙の海で溺れてもらおう」

「ですが、今も報告しましたが村娘が……」

「当然野盗もバカじゃないから、入り口から中へ攻めればこちらにも被害がでるだろう。 ここは煙で炙り出し、浮き足立った所を叩く! 運が良ければ娘達も助かるだろう」

『了解!』

 全員が立ち上がって姿勢を正し、即座に自分のすべき仕事へと走り出す。 仕事といっても大それた事ではなく、水筒である皮袋の水を今飲んで空にして中に魚油をパンパンに入れるだけだ。

 クライフも含め全員でそれを済ませると、ここからは野盗討伐の為に道案内をさせて拠点へ向かうのだった。



[20897] 4話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:06
 空からは太陽の明るさが全て消え失せ、月と星のみが仄かに地上を照らしている。 野盗の拠点である山の中腹から山頂の洞穴を眺める。 クライフ達は最初こそクライフの提案通り騎乗して拠点へ向かおうと思っていたが、そもそも火攻めして待ち伏せする戦術を取るにあたって、全く騎兵の速度も突破力も要らないので馬は途中で木に縛り付けて置いてきてしまった。

 建前を抜いて本音を言うならば、鬱蒼と繁る森の中を騎馬で走るのは思いの外難しいものがあり、森の途中で歩いた方が早いとの進言があったのだ。

「クライフ様、ここから先は危険です」

「よし、弓兵と剣士の2人を2組偵察に出して、その洞穴の入り口に見張りが居ないか調べてくれ。 見張りが少なく、確実に始末できるなら殺していい」

「了解です」

 命令を受けて、てきぱきと剣を構える者と弓を構える者の2組が、静かに山を登っていく。 暗いし木々もありよく見えないが、少し登った所で1組が止まり、ゆっくりと弓を引き絞っているのがぼんやりと見えてくる。

 こちらには何の音も聞こえて来ないが、見張りを始末したのだろう1組がこちらに向かって降りてきた。

「見張りは1人だったので、始末しました」

「全員落ちて薪となる木を拾いつつ、上へ行くぞ」

 この後を考えて、魔法を使わずに木を手で拾いながら山を登る。 洞穴に煙を送り込む際に、どうしても魔法が必要なので元々少ない精神力を浪費するわけにはいかないのだ。

 枯れ木を両手にサイレントもかけず山をするすると登り、洞穴前で警戒を続けていた1組に追いついて入り口を見やる。 そこには木々が少なく少し開けた所に野盗の拠点である洞穴が口を開いていて、その横には頭や胴体に数本の矢を受けて絶命している男と、手に持っていたのか小さな蝋燭の明かりだけが残っている。 そして、洞穴の奥からも薄明かりが漏れているので、件の野盗が洞穴の中に居るのは確実だろう。

「洞穴入り口より2メイル離れた所で、7人は横列で槍襖を形勢。 左右には弓兵を2人と護衛に剣士を2人置いて、残りは燻製にされなかったラッキーボーイが後ろから来ないか警戒しつつ、前線の薄くなった部分を援護だ」

 とりあえず、登って来る途中で拾って来た枯れ木を洞穴の入り口に組み上げ、そこに魚油をぶちまける。 少しばかり量を持って来すぎた魚油はそのまま洞穴の奥へぶちまけ、出ないならば中で燻製になり出ようものなら炎でバーベキューになるよう準備を進めていた。

「それにしても、これは失敗しましたね……」

「なにかあったか?」

 魚油に火を放とうとするベックが急に真顔になり、なんとも不安になる事をぼそりと言うのでクライフは動揺するが、そんなことはなかったかのようにベックはにやりと笑みを溢した。

「いえ、どうせなら野盗の燻製だけじゃなく、せめてチーズの1つでも持ってくればよかったと思ったんですよ」

 緊張から精神的に追い詰められていたクライフを和ませる為か、ベックの冗談に他の傭兵も小さく笑いだし、それに釣られてクライフも笑みを溢した。 そんなクライフの笑みにベックも小さく頷き、配置についた全員を見回して気持ちの引き締めると、火の灯った蝋燭を魚油の滴る枯れ木に放り込んだ。

 宙を舞う蝋燭が放物線を描き出し、ちろちろと揺れる下細くも小さな火が、枯れ木を覆う魚油に触れて大火になるのはあまりにも呆気ない程に一瞬だった。 燃える燃えるごうごうと燃える。 大火はおぞましい程の黒煙を生み出し、それが洞穴の奥へ奥へ向かうように、クライフはそよ風程度でしかない魔法によって押し込み導いてやる。

 すると、炎が燃え盛る音の他に洞穴の中からザワザワと、明らかに煙に戸惑っているだろう声が聞こえてきた。 その声を聞いて野盗が多数中にいる事を確認し、いつ飛び出て来てもいいように準備をしながらも黒煙を奥へと送り続ける。

 この閉塞空間にいる野盗を燻るという作戦も、大きく見れば野盗の戦力を削いだので成功だと言えたが、だからといって失点が全くない完璧な作戦というわけでもなかった。

 黒煙を送り始めてそれなりの時間が経ったが、未だに炎の少し奥でむせながらも「ぶっ殺す」等の喚く声が聞こえてくるが、なかなか誰も火だるまになってまで脱出しようとして来ない。 そんな時に、黒煙の奥からふわりと何かが飛び出すと火の海に飛び込み、陶器が割れる音と共に何かがこぼれだして炎が鎮火する。

 液体が蒸発する音がした途端に、枯れ木は黒煙を噴き出すのを止め白煙に変わる。 考えて見ればわかる事だが、川から離れた洞穴を拠点にしている以上は飲料水の備蓄が存在する筈であり、急いで飛び出してバーベキューになるよりは水瓶の用意に多少時間がかかってでも、焼けるよりは水で火を消したがるだろう。

 間抜けな思考の空白を突かれる形で火が消され、燃え盛る火炎の明るさに慣れていた目はの月夜の明るさに即座に慣れず、深く落ち窪んだ闇に視界が飲み込まれてしまう。 だが、それで動揺を押し隠せないのは初めての指揮官という大役に精神的に昂っているクライフだけであり、他の面々は同じ状況ながらも冷静に落ち着きはらって行動を開始する。

 流石に奇襲的に煙を大きく吸い込んだ野盗に出来た有効な反撃はここまでであり、洞穴を塞ぐ火を消せたはいいが呼吸は間に合わず、急いで転がり出てはゼェハァと呼吸をして居場所をこちらに知らせる。 そこへてぐすね引いて待ち構えていた槍を突き刺し、前が見えないと弓を放って剣を構えて逃げようする者を袈裟懸けに斬り裂いていく。

 時間経過とともにクライフも冷静になり、残りの野盗の方も順調に死体が増えていき、そんな昨日まで一緒に生きてきた仲間の死体を踏み分けてでも呼吸を求める者に、剣と槍を与えて呼吸を無用のものにしてやる。

「明かりを用意したぞ!」

 後ろからの大声が聞こえてきたと同時に、暗くなってから急いで作ったのか急拵えの松明に火がつけられ、目の前の惨状が照らされる。 殆どが武器すら持っていない死体の山は赤く染まり、血の河が坂を下って流れていく。 余程慌てたのかグラスを握りしめる死体や、捕らえた村娘で楽しんでいたのか下半身が裸の死体まで転がっている。 洞穴から野盗が出て来なくなったので転がっている死体の数を数えつつ、微かながら息が残っている者に止めをさして皆殺しにする。

「死体は…… 12体分あるんだから、昨日の尋問で1人減ったから尋問相手が数字を理解できていたならば、これで一応は終了か。 松明を持って生き残りが居ないか慎重に中を調べよう」

「では、クライフ様は後ろに」

 松明を持っている者と一緒に囲われるように、ゆっくり奥へと歩いて行く。 洞穴の入り口からは道が右へねじ曲がっていた為に奥まで見えなかったが、そこそこの奥行があったようで、奥に進めば進むだけ剣や鎧や金貨等の略奪した財貨に限らず、食べ物や服等の生活用品が地面に散乱していた。

 そして、行き止まりの最奥に到着すると、そこには表とは似てもにつかぬ惨状が広がっていた。 まず1人目の村娘は美しい肢体をさらけ出して全身に白濁液をかけられ、喪われた眼球の代わりに暗く窪んだ眼窩からすら白濁液が溢れていた。 2人目は全身に切傷と刺傷があり、手足の指は全て無く刺傷も痛みを優先した死ににくい場所ばかり刺されていて、隣に落ちている赤く染まったナイフは刃が欠けて錆び付いているのからして、明らかに野盗は拷問を楽しんでいたようだった。 最後の1人も似たような惨状で、滅茶苦茶に犯された後に腹部を股から縦に胸元まで切り裂かれているようだ。

「こいつは酷いな……」

 人を殺し慣れているベックの言葉に、さすがにここまで酷いものを見慣れていない者は顔を蒼くして頷き、クライフに至っては込み上げる吐き気と戦っていた。

 人間はどうしたらここまで残酷になれるんだろうか? 吐き気に苛まされつつも、自問自答を繰り返すがまったく理解出来ないししたくない。

「大丈夫ですかクライフ様?」

「ちょっと気持ち悪い…… もしよければ、この娘たちを葬ってやれないかな?」

「わかりました。 では、ここは私にまかせて、クライフ様は外で新鮮な空気を吸ってきて下さい」

 ベックに埋葬を任せると、クライフはよろよろと出口に向かって歩いていく。 すると、そこには入り口の警戒をして残っていた者達が居た。 彼等も周辺の警戒を続けつつ、帰る準備として死体から首を斬り落とし、首から伸びる髪をベルトにくくりつけて証拠を持ち帰れるようにしている。

 無念そうな野盗の瞳がクライフを貫くが、平穏な日常を急に崩され玩具として残酷な目に合わされた村娘と比べれば、それをなした野盗にはこの程度ではまだ生ぬるいだろう。

「クライフ様、中での作業は終了しました」

 後ろから肩を叩かれて振り返れば、そこには盗まれた財貨を肩に引っ提げたベックが立っていて、ほかの面々も作業が済んでいたのかクライフの顔を見ていた。 どうやら、思考が物騒な方向に向いてから悶々と考え込んでいたようだ。

「わかった。 それじゃあ、村に寄ってから帰ろう」

 戦闘の終結を全員に確認したクライフは、オーク鬼等の餌にならないよう首のない死体の処理も済んだのを見て、略奪品と首を持たせて下山を始める。 これからする作業は面倒な類いであり、奪われた物を返す作業が待っている。

 返すにあたってはこの領の規則があり、被害者に盗品を見せずに盗まれた物の説明をさせ、その説明を聞いた者が2人がかりで略奪品の山から探し出すというものである。 こうでもしなければ奪われたと言ったもの勝ちになってしまい、持ってもいないのに指輪を盗まれたと言い出す輩が出かねない。

 探した結果として見つからなかった場合、それは嘘の可能性もあるが見つけ損ねた可能性や、野盗が既に換金済みの場合もあるので嘘だ何だと強くは出ることはない。

 当然そうやれば死亡等の理由で持ち主が不明の物が出てくるが、それは残念ながらデーンロウ家での接収という形になる。

 現金は更に面倒な扱いになり、水増しを考えればこれも略奪されたと申告された金額を言い値で渡すわけにもいかず、集まった現金を被害を受けた村の生き残りの頭数で割って、平等な金額を村に支給するという事になる。 割合によっては奪われた金額より損得がでるが、これが一番裁きとして単純明快なのでこうしている。



[20897] 5話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:08
 野盗の討伐を済ませ、略奪品の返還も済ませた時には沈んだ太陽も反対側から登っていて、眠気の残る頭を容赦なく燦々と照りつけていた。

「ふぅ…… これで、今すぐすべき事は終わったかな」

「ええ、後の作業は後日ですがペイジ様が片付けてくれるでしょう」

 一睡もしていないので疲れたが、それでもやるべき事をやったという達成感の方がクライフには多く、ふらつきそうになりながらも笑顔が溢れている。 そんなクライフにベックも笑みを漏らし、この人が当主になっても仕えてみたいとほのぼの考えていた時、ハヴィランド宮殿にはある一報が入り激震が走っていた。



 会議場の空気は重く、そこに出席している居並ぶ貴族は口を固く閉ざし、国王であるジェームズ1世の発言を固唾を飲んで見守っていた。

「――この報告は事実か?」

「はっ。 これは、ガリア王国より正式に発表されたものです」

「そうか…… 優秀と噂の弟であるオルレアン公が謀殺されたか」

 アルビオンにも電撃的に飛び込んできた報告は深刻なもので、前ガリア王の王位継承権のある遺児の内、優秀と言われた弟にあたるオルレアン公が1週間前に毒殺され、話題にもあがらぬ兄であるジョゼフ公が王位に着いたというものだった。 これはハルケギニアに激震をもたらしていて、それは空に浮かぶアルビオンにまで激震をもたらしていた。

 会議場の貴族は、不用意な失言を溢さぬ努力として無言を貫く。 心情的には当然ここまであからさまな謀殺をされれば、ガリア王国のジョゼフ王とは距離を置くように進言したいが、ガリアほどの大国に正面きって非難を出せるほどアルビオンは大きくない。

 もし、ガリアの現国王と親密にすべきだと口にして、結果としてロマリアやトリステインにゲルマニアといった国からガリアへ非難が出された場合、必然的にアルビオンは親ガリアとみなされ外交的に干されるだろう。 逆に非難を出すべきだと声高に叫んだとして、それがガリアとの亀裂を生んだならば政治犯どころの話ではなくなってしまう。

 だからこそ政治勘の強い者は黙り込み、勘が良くない者もそんな空気に負けて黙り込む悪循環。 そんな悪循環に、次の報告は負の劇薬を投入する。

「更には非公式な情報ですが、所謂オルレアン派であった者は政治的圧力による排斥のみならず、既に事故死や行方不明などが多発しているようです」

「ふむ…… あまりいい噂はなかったが、今更王位に欲がでたのか」

 国王の問いかけであるというのに誰もが黙して語らず、ただその声だけが虚しく会議場に響き渡る。 いつもならば、誰しもが自分の考えを頼まれもせずに述べあげ、少しでも利益を自身に誘導しようとするが今日に限っては、誰もが口を開けば貧乏籤を引くと理解して黙すか唸るかのどちらかである。

「アルビオン王国の方針を決めたい。 現国王に対して距離を取るか否か、自由な意見を述べよ」

「恐れ多くも陛下、我々一同は陛下の定めし指針に全力を尽くすべく所存でございます」

 兄にあたる国王の質問に対して、急遽屋敷より招聘されたモード大公が口を開き、当たり障りのない言葉を発する。 この発言は深く読まずとも誰にでも理解でき、外交に失敗した場合に責任の所在を国王のみにしたいが為だった。 だが、それを快く思わない者も多く、王弟という強大な御輿を担いでからというもの南部の発展は著しく、他を治める貴族としては苦々しいものがあり、ここぞとばかりに蹴落とそうとつまらない事ばかりを考える。

「モード大公、それは責任逃れに過ぎませんぞ。 兄君である陛下が悩める以上、陛下の弟君であるモード大公には精力的に意見を頂き、この国や我々を引っ張って頂きたい」

「その通りですな。 陛下の弟君にあらせられるモード大公だからこそ、これほどまでの難題を受けるに相応しい人物であると私は愚考します」

 モード大公は責任を国王だけに絞ろうとした結果、北部や西部を治める貴族により口々に急な攻撃を受けるも、一瞬だが顔をかすかに顰めるも素知らぬ顔で聞き流している。 そんな回りも転がりもしない会議場で、正直なところ本人からしても自分は政治的手腕がないと理解しているウィリアムは、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つように腕を組んで黙り込んでいたが、ジェームズ1世の口にした発案により旗色が大きく変化した。

「これは最悪の場合、国家の大事ともなりかねぬ。 全員で考えて乗りきるしかないのだ…… 1人1つ自らの意見を述べよ」

 その言葉に、全員が自然と息を飲む。 国王によるこんな『意見を述べよ』という些細な発言とはいえ、これはれきしとした王命である。 故に全員が黙りを決め込めない。 もしも黙りを決め込んだが最後、王命に背いたとして他国の御家騒動が自分の家へ転がり込んで来ることになるだろう。

 だから、会議場の席次が高いモード大公から順に小さな意見が出され、ついには会議場の末席を汚していたウィリアムの順番が回ってきていた。 最後であるからして他人の意見が聞け、その中でウィリアムは会議場の微妙な雰囲気を感じ取っていた。

 今のところ大小差があれど、意見としては2つに分けられた。 1つはモード大公や南部に与する貴族の出した『ガリアとは距離を置くべし』という意見と、北部や西部の出した『ガリアとは緊密になるべし』というモード大公に対抗した意見である。

 派閥のような形が露呈しているが、生憎とウィリアムとしては国家に与してはいるが派閥に興味はなく、どちらとの遺恨も残さぬべく口を開いた。

「私が愚考しますに、陛下からはガリア国王の戴冠について一切書状をしたためず、外交関係は維持すべきかと」

「書状を出さぬ意味は?」

「大手を振って非難をせず、無言の非難という形で本質を表しつつ、されど声高に非難をする気はないと伝えます」

 あまり難しい政治はわからないが、ウィリアムもウィリアムなりに他の貴族との折衝も考えて出した意見に、国王は顎に手を当てて考え込んでしまう。 あからさまに過ぎて国王も微妙な派閥の存在に気付いており、そこでどちらを選んでも対立の溝が深くなるだけだと考えていたが、その両方の案を少しずつ取り入れた案が最後にだされたのをきっかけに、心の内では即座に採用しつつも悩むポーズだけは見せておく。

「結論を出す――我がアルビオンからは、今回の事について正式な書状は一切出さぬ。 だが、外交関係を冷やすつもりはない事を忘れるな」

『杖にかけて!』

「それでは、本日の臨時会議を閉会する」

 折衷案の採択とともに会議の閉会が宣言され、どうにも多少の凝りは残ったようだが今回は収まったらしく、お互いに顔も合わさず次に会った時に使えるカードを集めるべく、そそくさと退室して行った。

 政治に不得手なウィリアムからしてもこの状況はよくない事だとわかり、以前から儲かる地域とそれ以外での対立は存在してきたが、まだ決定的ではないがここ数十年では稀に見るほど大きく対立していたと思える。 いや、当然ながらいつだって水面下での政戦は熾烈な激突をしていたのだろうが、陛下の御前会議で政治下手なウィリアムですら不味いと思える激突は初めてだっただろう。

 これから陛下はどうなさるのか…… 臣下の声を聞かずに孤独にも自らが裁断を下すのか、肉親についたと揶揄されてでもモード大公と歩調を合わせて進まれるのか、はたまたガリアの御家騒動を理由にアルビオンでも兄弟による骨肉を争う政争にまで持ち込まれるのか。

 こうも政局が捻れるくらいであれば、今はウィリアムとしても武の才よりも政局をみる機敏さが欲しかったが、無い物ねだりでしかないなと頭を振ると、王家に仕えると誓った言葉に殉じて陛下の万難を排すべしと深く心に刻み込んだ。

 そんな考えに耽っていたウィリアムは急に声をかけられ声の方を向くと、そこには先程そそくさと帰ってしまった北部に与していた記憶のある貴族が立っていて、瞳に隠せない程の侮蔑を押し込めつつも渋々といった風に話しかけてきた。

「デーンロウ君、我々は頑なに陛下へ責任を押し付けようとするモード大公に対し、断固として反対しなければならないだろう。 王弟ともいう権力に対抗するには頭数が必要であり、我々は猫の手でも借りたいのだ」

 名前も思い出せない自分よりも若い小太りの貴族は、その後もペラペラと口にしていたが面倒なのでウィリアムはそれを聞き流しつつ、最後の最後になってようやく口を開いた。

「それで、私に何を求めるので?」

「ここまで話して解らないとは、これだから平民貴族は…… ゴホン、モード大公による王権への増長に対し抗議を続けるにも、あちらとこちらの権力の差は埋めがたいものがある。 なので、君には近衛軍第2部隊の掌握をお願いしたい」

 途中を聞かずに最後の質問だけを聞いたウィリアムからすれば、それは足りないものを他で補うという考えに基づいて足りない権力を武力で埋めるものだと理解できた。

 一瞬で激昂し剣を抜きそうになるが、寸でのところで堪えて深呼吸をする。 そんなウィリアムの雰囲気に気圧されて怯んだ貴族だが、深呼吸とともに消えた雰囲気に内心安堵の息をこぼしつつも訝しんだ表情でウィリアムを見る。

「――それは王の盾である近衛を私兵とし、この政局を乗り越える為の尖兵にしたいという事で相違ないか?」

「い、いやいやいやいや、別にそこまで大きい話ではない! 求めているのは簡単なもので、モード大公側から近衛への接触があっても先走ったりしないでくれればいいだけだ!」

「近衛は王の矛先でもあり、王以外による専有も独断も許されるものではない」

「そう、か、いや、そうならいいんだ。 よ、よろしく頼むぞ」

 恐怖に体を強ばらせてから、短い足でのしのし走るように逃げ去る貴族の背中を睨み付けながら、心胆にたまった気焔を吐き出して剣の柄に手をかける。 もし、あの貴族の吐いた言葉に嘘がなく、このままごうつくばりの貴族の横やりによって近衛が玩具にされたならば、自分はどうするべきなんだろうか?



[20897] 6話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:14
 野盗討伐を済ませてもう1週間以上が経過したが、何故か任務を完遂して屋敷に帰ってからというもの殿下に会えていない。 それは別に喧嘩して避けられているといった話しでもなく、ただ単純に帰って以来お祖父様からハヴィランド宮殿への登城を禁止され、屋敷にクライフが籠らざるをえず会えていないのである。

「暇だなぁ……」

 窓から訓練場に視線を向ければ、そこでは今日も休まず弓矢を弄る平民達の姿と、その奥で乗馬しながら障害物を避ける訓練をしている傭兵達の姿が見えた。 彼らにしてみても野盗討伐の時の森での乗馬は褒められたものではなく、木々を避けるせいでただの縦陣での移動ですらぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 本来ならば縦陣で進むだけならば前の人間に着いていき、前が右に曲がれば右へ左に曲がれば左へと着いていくものだが、今もまだ障害物に慣れていないのか一列で走っているにも関わらず、個々が右へ左へ判断して曲がってしまい障害物を避けきった時には一列のようなものに成り下がってしまっていた。 明るくてこれだとすれば、あの日は夜間行軍だった事も加味すれば冒険過ぎたかもしれない。

 こんな状況では森での縦陣移動ならなんとかなるが、横列や並列にして突撃を敢行した日には敵とかち合う前に馬同士でぶつかって被害が出かねない。

「でも、平原での突破力は魅力的だけど、メイジが混じってた日には目も当てられない被害が出るだろうし…… あ、でも平原なんて開けた所でメイジと敵対したならば、弓兵でもなければどのみち大打撃をうけるのか」

 メイジと騎馬隊の戦闘を重い浮かべるが、全方位から囲うように突撃を繰り広げるならまだしも、横列で突っ込んだ日には悪夢しか待ってないだろう。 そもそも、馬はこんななりでありながら非常に臆病で、火や音に過剰に敏感な部分もあって大規模な戦場ほど厳しい調教をして克服させなければ、当たりもしない大砲の音ですら壊滅的な被害が出てしまう。

 そして、もう1つの欠点は騎馬隊は野戦築城のない会戦が本領で、防衛戦も出撃しては嫌がらせに敵を翻弄するのに向いているが、逆に城塞等に籠る相手を叩く時には騎馬隊は役に立たなくなる。 これは近衛軍の研究で出された結論だが、土塁のようなものを相手にすれば騎馬隊の攻撃力は半減し、土塁の周囲を塹壕が囲った時には騎馬隊は無力化されるとの結論が出されていた。

 暇だからと空を見上げるも、今のところクライフは部屋から出る事が出来なかった。 理由はクライフ本人からしても父上であるペイジからしても面倒この上ないことで、ガリアの政変の煽りを受けて活発化し始めたアルビオン国内の政局の、近衛という御旗の1つを奪い合うべくデーンロウ家は両陣営から切り崩しの的になっていたのだ。

 だから、今日も青い空の下で平和な日常に紛れ込み、つまらない話が進んでいたのだ。



 ソファーにかけて机を挟み、面倒そうにペイジは対面に座る男を見やる。 最近になって政治がどうなったのかは知らないが、我が家に招かれざる来客が多い。

「お久しぶりですサウスゴータ殿」

「2年ぶり、といったところかな?」

 デーンロウ家の家柄から考えれば、サウスゴータの太守などは来てもらうよりは会いに行かねばならない大物だが、それほどまでに近衛を重視しているのかこうやって訪ねてきたのだった。

「本日はどのようなご用件で? 手紙には来訪するとしか書かれていなかったので…… 言って下さればサウスゴータまで向かいましたものを」

「いや、書き忘れていたようで悪かったな。 今日はデーンロウ家の訓練場で弓矢を使わせていると昔から聞いていたので、それがどのようなものか視察したくてな」

 そう言って爽やかに笑うサウスゴータ殿に、ペイジは内心舌打ちをしながらメイドに出させた紅茶を飲む。 サウスゴータと言えば南部に属し、渦中のモード大公の直臣として名をはせる大貴族である。 それがこんな時期に、こちらも渦中に叩き込まれたデーンロウ家に寄ってそんな代理の貴族に来させれば済む理由の筈がない。

 だが、相手も相手だけにそれをおくびにも出さない強かさがあり、聞かれたならば答えなければならないのでペイジも弓矢の優用性を語り、それを使える者達の育成について話を続けていた。

 そして聞かれた事について粗方語りつくし、全くもって家主側としては良くはないが夕食に宴を催すと誘ったところで、サウスゴータ殿がさも今まで忘れていたかのように次の話題を落としてきた。

「そういえば、君の息子のクライフ君は今年で幾つになったんだ?」

「む、息子ですか? 今年で8歳になりました」

 不意に息子の話を振られ、思いきり食い付きそうになる所を気合いで堪えきる。 ここからは危険だ…… 気を引き締めないと、妙な事を口走って言質にとられかねない。

 そんな風にペイジが気を引き締めなおしているとはいざ知らず、まるで世間話の延長線上にあるかのように引き締まった頭を粉々に砕く爆弾が放り込まれた。

「もう1つ話があってな、私も可愛い娘を蝶よ花よと育てた結果、気付けば未だに婚約者1人居なくて困っていたんだ。 もしよければ、クライフ君を娘の婚約者にしてもらえないだろうか?」

 少しばかり困りながらサウスゴータ殿が発した言葉に、ペイジは全身に電流がはしるかのような衝撃を受けた。 自分が覚えている限りではサウスゴータ家の子息は、今のところ長女だけだった覚えがある。

 長男が居ない状況で長女を嫁に出す意味は大きく、もしも世継ぎに男児が産まれなかったならば、場合によってはサウスゴータの地はデーンロウ家の預かりとなり、クライフとの間に産まれた子供が正式にサウスゴータの太守となるだろう。

 今まで貴族がこの屋敷を訪ねて来ては、面白くもない思想を語りつくしありもしない権益をちらつかせ、それにあやかることができるとほのめかしてきたが、ここまで大きく出てきた貴族は居なかった。 それほどまでに、南部にしてみればデーンロウ家が――いや、近衛が重要らしいとみえる。

「ああ、そうそう。 お互いの事を知ってもらうのが一番だから、娘のマチルダにはクライフ君のもとへ行ってもらったよ」

 あのサウスゴータ殿の笑顔には悪意しかないんだろうか? ああ、クライフよ…… この話しは危険過ぎるのだ。 もしかすると、悪質なハニートラップの可能性が高いだろう。

 頼むぞクライフ、言質に取られるような事は言ってくれるな! ペイジはサウスゴータ殿の笑みから視線を外し、天を仰ぐしかなかった。



 お父様に言われ、同じデーンロウ家の屋敷に行くのに違う馬車に分乗し、更にはお父様の馬車より遅れてサウスゴータを出たマチルダは、お父様の狙い通りまんまとペイジの目を潜り抜けて屋敷に入り込んでいた。

 実は先に着いていたマチルダの父が、事前に娘の到着が遅れるとメイドだけに話しており、サウスゴータの紋様も相成り何の疑いも無しに屋敷に入り、お父様たちが会議をしている部屋へ連れようとするメイドに「ご子息のクライフ君に会って来なさいと、お父様に言われていますのでそちらに連れて行って下さい」と言えば、何の疑いも無しに政治から遠ざける為にクライフが籠っている部屋に通された。

 今回お父様より言い付けられた内容は、マチルダからすればとうとう来たかというものだった。 まるで確認するように何度も何度も可能性でしかないとは言っていたけれど、私のもとにも遂に婚約者ができると言っていた。

 今まで私と歳の近い貴族達の婚約話しばかりを聞いていて、いつくるのかいつくるのかと悩んで待って他の人たちよりも遅くて、もしかすると私は知らない所では嫌われているんじゃないかとも考えたけれども、実はお父様が私をお嫁に出したくないと頑なに拒んで居たと知ったときには、安堵の涙さえ出てしまっていた。

 それで、今回私に出来た婚約者の話を聞いた時、私は少しだけ失望してしまった。 相手はデーンロウ家の長男で、何度か私も当主の方とは会った事もあるし家柄に文句を言うつもりはないが、問題は年齢差である。 私の婚約者のクライフ·デーンロウは、未だに8歳であって私の半分しか生きていないのだ。

 もし私が8歳で16歳の男性に嫁がされたならば、内心では恐怖しか感じないかもしれないが今は逆のパターンである。 それに8歳と言えば口外できないけれど、最近何度かサウスゴータの屋敷にモード大公の屋敷から連れて来られた妹みたいなティファニアよりもまだ若い。

 運命なんて数奇なもので、流石にティファニアよりも若い子に嫁ぐとは思ってもいなかった。 婿になる自分より年下の男の子が居る部屋の前に着き、コンコンと軽くノックをしても返事がなく、2回目のノックをすると中から入室を許可する声が聞こえてきた。

「失礼します」

「えっと……………… どちら様ですか?」

「私はサウスゴータ太守の娘、マチルダ·オブ·サウスゴータです」

 部屋に入って来たマチルダを見て、目をまん丸に開いていたクライフに苦笑しながら自己紹介をし、そのまま部屋に足を踏み入れたマチルダは部屋の壁を構成するかのような本棚と、それを埋め尽くす蔵書に少しだけ驚いていた。

 いや、正確に言うならばマチルダが驚いたのはそれだけではなく、その本棚にかけられた梯子に――本人かは確証がないが――クライフが登って本を取り出している事に驚いていたのだった。 既にラインになっているマチルダからしてみれば、本の出し入れなんてものは杖の一振りで済んでしまうものである。

 目的の本を取り出したクライフはいきなり入って来た見ず知らずの女性に動揺しつつ、梯子からゆっくりと降りてきて小さく一礼してから自己紹介を済ませた。 曖昧に覚えている範囲で考えても、サウスゴータはデーンロウとは比べ物にならない家柄であり、クライフから見れば闖入者でしかない相手であれ礼節を欠かせなかった。



[20897] 7話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/21 20:59
 部屋に入って来た艶のある緑髪のお姉さん――マチルダに対し、クライフが「ミス·サウスゴータ」と呼んだら「私も貴方をクライフと呼ぶから、マチルダと呼んで構わないですよ」と口にしたので、今は家名もなにも関係なくマチルダお姉ちゃんと呼んでいた。

「随分と難しそうな本を読んでるのね」

「これはお祖父様の遠いお祖父様から編纂している本で、国軍や近衛軍の出陣記録です」

 何を読んでいるのか気になったマチルダは、椅子に座って本を読むクライフの後ろに立って本を覗き込むが、書いてあるのは兵隊の数やそれぞれの武装についてで、他にも細々とその日の風向きから果ては食べた戦闘糧食についてまで明記されていた。

 生憎貴族として勉強する為にハルケギニアやアルビオン、ブリミルについての歴史書を教科書として勉強をしてきたが、こういった軍事一辺倒の本は未だに読むどころかお目にかかった事すらなかった。

 こうしてクライフが本を読む姿は、そのくりくりっとした目を真剣にさせて可愛いものがあるが、やはり可愛いだけで異性としてみる事はできない。 そういう点から考えても、随分とお父様も無茶な縁談を組んだものである。

「私は読んだこと無いけど、戦争の本は面白いの?」

「戦争だけじゃないですよ。 日々の訓練に関する考察や、野盗退治から反乱鎮圧まで色々あったりします」

「へぇ、そうなんだ」

 軍事に関する教育は受けていないマチルダからしてみれば、野盗退治も反乱の鎮圧も人数の規模が違うだけで差がわからないが、どうにもわかる人間からしてみれば大きく違うらしい。

 特に共通の話題はなかったが、マチルダが思いついた事を質問すればクライフは読書を中断し、質問に対して十分な返答をおこなっていたが途中でふと、マチルダは大きな疑問を抱いた。 まだ8歳のクライフからしてみれば縁談なんて何ぞやといったものかもしれないが、それでも未だに婚約者になった事について一切触れられず、そもそも初めて会ったというのにその辺についてなんらアクションがないのは如何なものだろうか?

 確かに8歳の男の子に乙女心の機微を読み取れというのは酷かもしれないけれど、それを求めてしまうのもまだ16歳で乙女真っ盛りなので許してもらいたい。

「えっと、クライフは私についてお父様から何か言われてないの?」

「何も言われてないよ?」

 小首を可愛く傾げるクライフに少しばかり胸がキュンとくるが、今はマチルダからすれば聞き逃せない言葉を聞いた。 私の聞き間違いでなければ、クライフは婚約者について何も知らない状況にあるらしい。

 流石にデーンロウ家と私の家を比べたならば、デーンロウ家にとってこの縁談は正に大縁談であり、それをまかり間違っても当事者に伝えていない筈はないと思う。 場合によっては家を甘く見られたととられ、最悪の場合には破談だってあるかもしれない。

 じゃあ、もしかしてもしかすると……

「――お父様に担がれたのかしら?」

「どうしたのマチルダお姉ちゃん」

 不思議そうに私を見るクライフの頭を軽く撫でてから、大きく溜め息を吐いて私はクライフの隣の椅子に座った。




 デーンロウ家の立場と政局が変わらなければ、2年後にクライフが10歳になるのでそれに合わせて挙式をしたいと圧力をうけた。 立場や政局というのは、どう読み取っても『デーンロウ家が敵に回らなければ』という意味であり、ここまで一方的にとはいえ取り決めがなされた以上は、破談となると大変な問題がデーンロウ家に覆い被さることになるだろう。 いや、そもそも現状でも大問題でしかないが。

 とにかく、あの縁談から既に1年が経過していたが、何とかアルビオン王国の政局は小康状態に押しとどまっていた。 しかしながらそれは政治的な安定を意味せず、南部や近しい領地の親モード大公派と東部や北部を基幹とする反モード大公派が不安定な政局をつくり、皮肉にもそんな不安定な2つの派閥が政局を二分してささやかな安定を意図せずして作り上げていた。

 水面下での激闘は続いているが、表だった論戦は既になりを潜めてしまっていた。 デーンロウ家には縁の無い話だが、相手に表だって噛み付くにも情報が必要であり、その情報を手にいれるには金が必要不可欠だったのだ。

 東部と北部からなる寄せ集めの貴族達と、王弟でありさらには財務監督官の地位まで持ったモード大公。 元より財力には圧倒的とまでいえる差があり、反モード大公派の切り崩しも始まり流れは終息に向かっていた。 今回の政局の勝敗をあえてつけるならば、反モード大公派の惜敗か無効試合かといった形である。

 だからこそ、誰もがこのままうやむやに決着がついてしまう事を心から望み、そして誰しもが潜在的な対立は残しながらも今までの政治に戻るだろうと考えていたが、アルビオンという空飛ぶ大陸は波間に浮かぶ木っ端のように、また他国から寄せた波に翻弄されていた。

「それでは、これより会議を始める。 議題は風物詩ともいえるものだが、来年のロマリアによる親善大使来訪についてである」

 数年に1度の間隔ではあるが、ロマリアより外交を目的としない親善大使が送られてきた。 彼らは事実アルビオンに来ても政治的な話や通商についての話しもせず、ただただ1つの事柄を聞くためだけにロマリアより派遣されてくる。 その事柄は簡潔なもので、アルビオン王国の『聖戦についての如何』を伺いに来るのである。

「陛下、やはり聖戦とは損あって実がないもの。 やはり静観するのが良いかと」

「我々もモード大公と同意見ですな」

 この内容に関しては、派閥を越えて軍備拡張を目指す武家以外から全会一致で聖戦の不参加が意見として出され、国王も当然のようにそれを受け入れてエルフとの聖戦は不参加が採択された。

 やっと必要性の高いものには派閥を越えて話し合い、ぶつかるところはぶつかり正すところは正すようになって半年が経過し、このままいけば半年後にはクライフとマチルダの挙式となるところまで来て、とうとうハヴィランド宮殿の上空に政変の嵐が吹き始めていた。



 ウェールズは、最近になって急に父である国王が不機嫌になり、まるで八つ当たりのように政務官に文句を言っている姿をよく見ていた。

 流石に最近の国王の機嫌の悪さは目に余る領域に入りつつあるが、アルビオン王国という政治体制の頂点を窮める国王に苦言を呈する者はおらず、そもそも何に怒りを覚えているのか正確に知る者すら居ないのではないだろうか?

 だからこそ、アルビオン王国の皇太子として自らが動き、その理由を知る事で父王に代わってその問題を排除するか、もしくは内容次第では自分こそが家臣に代わって苦言を呈すべきだと考えて、ここハヴィランド宮殿で独自に聞き込み調査を行なっていた。

 しかし、調査は難航に難航を重ねる結果となった。 この事については未だに父王は口を開いて居ないようで、直臣から重臣に限らずメイドや執事のような者にすら溢していないようである。

「この事なんだが、パリーはどう思う?」

「そうですな…… 陛下のお心など私には検討もつきませんが、ここまで隠されている以上は何かしらの思惑があるやもしれませんな」

 そう、確かに国王という権力がある以上は、乱暴に言ってしまえば気に入らない部分を指摘さえすれば、政治は国をあげてそれを正すべく動き出す筈である。 それなのに、今回の件は国王以外の誰一人として知らされておらず、これは何かしらの理由なくしてはあり得ないと考えられる。

「ですが殿下、これを調べるには少々お気をつけ下さいませ。 どのような理由にせよ、陛下のお隠しになった心を調べるとなれば、野心を抱く諸候に『殿下に叛意あり』として、政治的な火種にされかねません」

「わかった。 じゃあ、気を付けて調べないとね」

 パリーの心配する言葉にそうだなと頷きつつ、しかし調べるからには徹底して調査をして、苦言を出せないが故に目に見えて最近精神的な疲弊がみてとれる政務官やメイドたちの為にも、迅速に調査を開始したのだった。


 ここ1週間程だが皇太子自らが調査を始め、様々な者に声をかけては国王の怒りの矛先を聞いて回ったが、分かったことは何一つなく得られたのは皇太子自らが動く物珍しさからくる悪目立ちと、国王の息子たる皇太子にすら情報がないと周囲に言い触らしただけになった。

 いやまあ、確かに実際は何も分からなかった訳ではない。 得られたのはほんのの少しの情報と、そこから生まれた情報の何倍もの謎である。

 例えば謎の手紙。 これは父王が叔父であるモード大公へ宛てて、ここ最近で3通もしたためられたものである。 内容は不明であり、そもそもそれをモード大公の屋敷へ配達するよう言い付けられたメイドしか書状の存在を知らず、しかも厳重に秘すようにとの言付けまでされていたようだった。

 だが、調べる限りではモード大公からの返信が到着した事実は確認できず、返信を要さない書状の可能性もなきにしもあらずではあるが、流石に短期間で出された3通もの手紙が全てそうである筈は限りなく低く、調べられた少ない範囲で考察しても何通かは黙殺されていると考えられる。 如何に王弟とはいえ現国王の書状による伺いを黙殺できる謂れはなく、何かしらの理由から父王の不機嫌を買っているのかもしれない。

 そして、もう1つだけ謎がある。 何処の誰かは解らないが、確実に国王の寝室へ不届き者が入ったという可能性である。

 調査を進めた結果として、何人かのメイドや貴族が国王の寝室へ入った誰かを目撃していた。 僕も調査をしていて思い出したが、確かに父王の寝室へ向かう者を見定めた上で入室を許可している。

 だが、一重に皆が口を揃え――例外なく僕もだが――国王の寝室へ入った者について『黒髪でローブを着た女性』という記憶しかなく、何処の誰が入ったのか知る者が居ないという恐ろしい現実だけが残っていた。 顔も名前も知らない誰かであるが、自身のか細い記憶を手繰っても覚えているのは、確かに僕はその女性に対して「彼女なら寝室へ入っても問題はない」と、何を根拠にしたのか不明な事を言っただけである。



[20897] 8話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/22 20:48
 ここ最近は皇太子の奇異な動きが目についたが、昨日になってその皇太子主催の会議が開かれ、そこで賊の侵入についての報告がなされた。

 会議を仕切る殿下の話しによれば、誰も知らない何者かが堂々とハヴィランド宮殿の正面より侵入し、何らかの手段を用いて衛兵やメイドはいざ知らず、ハヴィランド宮殿へ参内する貴族の目や殿下すらだまくらかして陛下の寝室へと侵入したとの事だった。

 その間には何人もの目をくぐり抜けておきながら、証人として喚ばれた者も殿下本人も黒髪でローブ姿であった事しか憶えておらず、しかも独自の調査をしてメイドの1人が思い出すまで誰もが忘れてすらいたのだ。 今回は目的が不明だったが、もし陛下の暗殺が目的だったならば何の障害もなく成し遂げられてしまっていただろう。

 しかしながら、部屋に侵入された陛下曰く盗難品すら存在せず、賊の目的は何も分かっていないのが現状である。 一応無駄とは分かっているが、近衛軍第2部隊を使って独自に警備を強化しているが、対策ができない以上は同じ手を使われても防ぐ手立てがない。

「こういった事は、まだ自分より父であるウィリアムの方が得意なんですがね。 父は今日中にでも帰って来ますが、それからではどうでしょう」

「先生は君の屋敷で近衛選抜の視察だったからね。 それに、僕としてはペイジに頑張ってもらわないと」

 父であるウィリアムは、近衛に入れても実用に耐えうる人材が居るかどうか屋敷の訓練場で視察していて、その間は2人の仕事は入れ替わりウィリアムは屋敷で政務と訓練の指揮をとり、近衛軍第2部隊司令ウィリアムという席があいた場所に息子たるペイジが代理として座っている。

 実際にウィリアムは屋敷で視察を行なっているが、実のところそのウィリアムが近衛から退けば次の司令はペイジになるので、そのお試し期間という意味合いも大きい。

「それで、どんなご用件ですか殿下?」

「これは内密な話なんだけど…… ペイジはモード大公の屋敷へは何度も足を運んでいるよね?」

「はぁ…… まあ、それなりには行っていますが」

尋問染みた後ろ暗さは介在しないとは言え、相手の真意すらわからず後の最高権力者と2人きりの部屋で話を聞かれるというのは、ペイジからしてみれば薄気味悪いことこの上なく、自分なりに失点を思い出してみるが領内の政治にしか手をつけず、国政はウィリアムがこなしていているペイジにしてみれば心当たりは皆無である。

「いや、その――叔父上は大過ないかな?」

「ええ、相変わらずお元気でしたが…… そう言った話しは、それこそ本人になさるととても喜ぶと思いますよ?」

ことここに至って、ペイジの思考を支配していたのは何を聞かれるかという先程までの不安から、現在では殿下から出された歯切れの悪い質問に対する疑念しかなかった。 わざわざこんな事を聞くためだけに、あえて副官を部屋から遠ざける必要はあったのだろうか?

 ここ最近は特に奇行が悪目立ちしているが、殿下とは元々聡明な方である。 もしかすると政治の苦手な自分には理解する事もできないような、壮大な質問だった可能性もなきにしもあらずである。 いや、珍しく挙動不審な殿下を見ていると、そんなわけもないかと感じてしまうのは臣下の人間としては不味いだろうか?

「私も単刀直入にうかがいますが殿下、本日は何を聞きに来たのでしょうか」

「あーいや、恥ずかしながら僕が最近動き回っていたことは知っているよね? その時に偶々知ったんだけど、父上はモード大公に対して書状を何通かしたためているんだ。 未だに1通の返信もなく、最初に書状を出した時期と父上の不機嫌の始まりが一致してね。 もしかしたら、ペイジは叔父上が父上の不興をかったならば理由を知っているかと思ってね」

「モード大公…… ですか?」

 殿下にそう言われ自分なりにモード大公について考えてみる。 最近になってもモード大公の屋敷に寄っているが、本人も何かに悩むような仕草も出していなかった上に、そもそも自分より圧倒的に政務能力の高いモード大公の失敗は想像さえできない。

 そのままペイジはうーんと唸るだけで何も思い付かず、元々ウェールズも期待してはいなかったのか黙ってそれを見ていた時、ふっとペイジにとって苦々しい過去が頭をよぎった。


 あれはもう何年前だろうか? 忘れたくて忘れようとして、それでも記憶から消せないもの。 あの場にいる全ての人間に平等に不幸を撒き散らし、その一切の誰にも得を与えなかった悪夢。

 その日は野盗討伐代行の要請を受け、珍しくサウスゴータの近くまで行った時の事だった。 部隊を率いて野盗を皆殺しにし、盗品を持ってサウスゴータ太守の屋敷へ向かっていた。 あの時はこちらの手違いで書類の数字を読み違い、野盗討伐を要請された日程より1日早く仕事を済ませて屋敷へ向かってしまった。

 だからこそ起きた入れ違いは、絶対的な不幸を撒き散らす。 討伐部隊は野営の準備をさせて、ペイジだけが馬車に乗り屋敷まで来ていたが、どうにも玄関前に1台の馬車が止まっていて先客が居るように見受けられた。

 だが、その馬車はペイジにとって違和感の塊でしかなかった。 そもそも近付いて見ても四方に窓すらなく、言ってしまえば犯罪者の移送に使う馬車の方が牢越しとは言え外が見える分だけマシだし、サウスゴータ太守という名家に停めるには家紋すらない馬車は不釣り合いであるが、しかしそんななりでありながらも足回りは精巧に造られているのに違和感がある。

 まず最初の失敗はここで、誰かは知らないが先客が居るならば日を改めようと考えればよかったのだ。 だが、当時のペイジはそれに何も感じる事はなく、まあ誰かが来ているんだろう程度の考えで中に入ってしまっていた。

 そして、屋敷の中に入ってからも気付くべき点はあった。 大きな屋敷にしては明らかに仕事に従事するメイド達の数が少なく、玄関で出会った老執事がペイジを客間へ招く際には荷物持ちすら呼ばずに、重いだろう盗品を老執事自らが運ぶ徹底ぶりであった。

 そのまま誰ともすれ違わず客間へ向かい、連れられた部屋へ真っ直ぐに入っていれば問題はなかったのだ。 なのにペイジは余りにも人気のない屋敷に疑念を感じたのか、部屋に入る前にちらりと周囲を見回したのが最悪の事態を招いていた。

 ちらりと確認した長い廊下の向こうを、2人の男性と1人の女性が歩いていたのが見えた。 距離があった上に数秒しか見えなかったが、それを見たペイジにとって2人の男性には見覚えがあったが、見覚えのある内の1人であるモード大公と腕を組んだ金髪の女性には心当たりがなかった。

 あれは確かにモード大公の正妻である奥方様ではなかったので、もしかしたら何人かめの妻か妾なのかもしれない。 世継ぎこそ重視される結婚において、男児をなす為ならば何人もめとる貴族は多々いるので問題はない。

 だがしかし、見間違いならば全く問題は存在しないが、本当に存在しないんだが…… 気のせいでなければモード大公と腕を組んで歩いていた女性の耳が長かった風に見えた気がした。

 見てしまった現実を頭が理解できずに廊下で立ち止まっていると、もう1人の見覚えがあるサウスゴータ太守も廊下に立ち止まってペイジを凝視していて、それに気付いた時には目が合ってしまっていた。 見てしまったものが怖くなり、そそくさと客間に入ったペイジは正直に言ってその日にサウスゴータ太守と何を話したのかすら憶えていない。


 あの時の盗品返還について何を話したのかわからないが、ただ、見てしまったものを墓まで胸にしまっていくと何度も確認した事だけは鮮明に覚えている。

「……残念ながら、自分の知る限りにはありませんねぇ」

「そうかい? となると、本人に聞くしか無いのかな」

 確かに心当たりとしてあの日の風景を思い出しはしたが、ここではそれをウェールズに伝えずにペイジはシラを切るという選択を選びとった。 ここでそれを口にして、もしも陛下の怒りがそことは違った場合、それは藪蛇として甚大な被害をもたらしかねないのだ。

 モード大公本人にどう聞くべきかと悩む殿下を前に、臣下でしかないペイジとしてはいたたまれない気持ちに苛まされるが、これは国を割りかねない事実なので口にするのは憚られたのだった。

 それからも、陛下の不機嫌についての理由を考察し何言か会話を交えた時、今日は千客万来なのか今度はノックもなく扉が開かれた。 いきなり開いた扉にペイジとウェールズは訝しげな視線を送るが、そこに立っている人物を見て2人慌ててソファーから立ち上がる。

「陛下!」

「父上!」

 疚しい事は何一つないわけだが、やはり個人的には今しがた話題に上がっていた陛下が急に部屋に入ってきたというのは、ただでさえ機嫌がよくないのもあり軽く取り乱す程度には驚いてしまった。

「ウィリアムはどうした?」

「父上でしたら、今日まで屋敷にて近衛への引き抜きの視察へ向かっています。 ですが、今日中には帰って来ますので、陛下の元まで向かわせますが」

「いや、居ないならペイジでもよい。 ウェールズ」

「はい」

「内密な話しになるから席を外しなさい」

「……はっ」

 有無を言わさない陛下の迫力に、殿下は疑念を飲み込むと一礼して部屋から出てしまった。 今日だけで大物が2人も来室してきたが、どうしてこんな日に限って父上の代理としてこの部屋の主として居座っているんだろうか?

 内心かなり焦っているペイジを気遣う事もせず、ジェームズ1世は平静の中に微かな侮蔑を混ぜて口を開いたが、それにペイジは気付く事は出来なかった。

「これより近衛軍第2部隊に密命を言い渡す」

「はっ!」

「船に乗りロサイスへ急行し、ロンディニウムから出撃し南下する近衛軍第1部隊と連携、北上しつつ逆賊モードに与する街をことごとく焼き払えい!」

「……………………は?」

 最初は何を言っているのかすら理解出来なかった。

 段々と言葉の意味は理解でき始めたが、それでも脳は理解を拒んでいる。 真顔で言う陛下に状態を言う雰囲気はなく、恐ろしいまでの静謐だけが部屋を支配していた。



[20897] 9話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/23 21:08
 近衛軍第2部隊司令室の空気はソファーに座り机を挟んだジェームズ1世とペイジを中心に、まるで凍りついたかのように冷たく、そして動きを忘れたかのように停滞していた。

 やっとの事で陛下に言われた内容を自分なりに咀嚼し、何とか理解にこぎ着けたペイジは仰天すべき内容に目を見開き、ただただ間抜けのように憮然とする陛下を見つめるしかできなかった。

 本来ならば無礼でしかないペイジの態度に対し、あくまでもジェームズ1世は鋼鉄の意思と微かな嘲りの意志だけを全面に押し出すと、腕を組み無言でペイジを睥睨する。 そんな戯言の一切が介在しない現場に気付いたペイジは、慎重に気になる部分を問いただす事にした。

「へ、陛下。 逆賊と仰られましたが、モード大公に叛意でもあったのでしょうか?」

「奴めは何年ものあいだ余を裏切り続けてきたのだ!」

 最近不機嫌だと聞いてはいたが、あまり登城する機会のないペイジからすればここまで感情を露にし、ただただ怒りの感情だけを見せつける陛下を見るのは初めてであり、その迫力に怒りが自分に向けられていないながらも仰け反ってしまった。 だが、これでもペイジは武門のはしくれであり、仰け反りながらも聞くべきことは口にして聞き出す努力をする。

「……裏切るとは?」

「あの者は、おぞましくも悪の尖兵たるエルフめを娶るという暴挙にでておる! このような事が今までバレていなかったからよかったものの、もしもロマリアにでも嗅ぎつかれでもした日には『聖戦を望まない理由はエルフに荷担している』とでも難癖をつけられ、それこそハルケギニア全土と開戦になる! この様な軽率な行いをする者を弟だとは思えん…… 証拠など残さず焼き払ってくれるわ!」

 激情に猛る陛下の目には国への純粋な想いのみがあり、実の弟を討ち取ると口にしているのに雰囲気からは狂気が感じられなかった。 しかしながら、こうもタイミングのいいエルフという話題にペイジの内心混乱が激しい。 まさかとは思うが、心を覗かれでもしたのではないかという不安に陥るが、流石の陛下とてそれはないだろうと否定する。

 だとしたら、モード大公の元から情報が漏れだしたのだろうか? 最近までモード大公派と反モード大公派で政争をしていたから、不運にも反モード大公派が嗅ぎつけてしまったのかもしれない。 情報とは確実にどこかから漏れるものでありながら、もしかするとここまで秘匿できていた方がおかしかったのかもしれない。

 それにしても、この状況は不味い。 誰がその情報を陛下にたれ込んだのかは知らないが、かなり確信を帯びるレベルで陛下はエルフが存在していると睨んでいる。 では、この状況で自分はどうするべきか?
 今までモード大公より享受してきた義に報いるか、デーンロウ家の成り立ちに則り忠に生きるべきか。

「――陛下、少々落ち着いて下さいませ。 私めが愚考するに、モード大公ほどのお方が薄汚れたエルフ等を身の傍に置く筈がないと思えます」

「………………」

「これはあまりにもアルビオンという国にとって見ても事が重大過ぎます。 何ぞと、この件はエルフの存在が確信に至るまで、陛下の胸のうちにお秘めくださるようお願いいたします!」

 ペイジは懇願するように額を机に擦り付け、無心になってジェームズ1世へと頭を下げる。 その背中や額には滂沱の汗が流れ、寒くはないのに全身が細かに震える始末であった。 ああ…… 私はとうとう陛下を裏切ってしまった。 冷めた思考は自身の軽挙を罵り、後の代となるクライフや先代であるウィリアムへの謝罪だけを考え続ける。

 必死に頭を下げるペイジには見えていないが、それを睨めつけるジェームズ1世の瞳には隠しきれない憎悪だけが灯っており、ペイジにしてみれば再考を促す事に怒りを感じていると的外れな考えをしていたが、ジェームズ1世は違う事に対して剣呑な雰囲気を発散していた。

 今回のエルフの存在であるが、ジェームズ1世としてはこれは可能性ではなく、既に存在を確認してすらいたのだった。 そう、あれは少し前の事だ。 いつも通りの公務を全て済ませて部屋へ戻れば、机の上に見慣れぬ10サント四方の小さな鏡と差出人不明の手紙が置かれていた。

 その日は後にウェールズによって知ったが、奇しくも物盗りか何かが部屋に入ったようだが盗まれたような物はなく、実際にはむしろ物が置かれていただけである。

 とにかく、ジェームズ1世としては手紙の存在を話しとしては聞いていないが、それでも寝室に運ばれているならば読むべきものだと思い手紙を読み始めたが…… あまりにも突拍子のない内容に、読んでいる内に不快感から眉間に皺が寄ってくる。 アルビオンに生きる者が――ハルケギニアに生きる者が、どんな思考をすればエルフなどを娶るというのだろうか?

 しかも、それが他ならぬ自分の弟であるモードだと書かれていれば、この手紙は眉唾物の価値すら無くなるだろう。 他に書かれているのはエルフの存在を知っているという、モードの腹心や直臣等のいわゆるモードにちかしい者達の名前と、手紙に添えて置かれていた鏡の使い方だけである。

 鏡の使い方は単純明快で、これは遠見の鏡となっていて魔力を込めれば定められた秘密の場所だけが覗け、これは覗かれる側からのディレクトマジックを受け付けないと書かれていた。 だからだろうか? どうせなら手紙を置いた者の思惑に乗り、その鏡を覗き込もうと考えてしまったのは。

 どうせそんな事はあり得ぬ事とたかをくくり、むしろ鏡を使い国王である余を謀ったとして手紙を置いた者を捕らえさせ、そこから黒幕であろう反モード派の誰かを引き摺りだしてしまい、今後の政局で更なる発言力の強化をしなければな。 そうして半ば今後の展開に笑みをこぼしながら鏡を覗き込み――予想だにしなかった現実に息を飲んだ。

 何処の誰の屋敷かはわからないが、その寝室のベットには眠そうに横になっても美貌に陰りのない金髪の美女と、余の弟たるモードが仲睦まじく抱き合っていた。 2人は心底幸せそうな笑みを浮かべ、その屋敷へ招待したというサウスゴータ太守への感謝を口々に喋っているが、そんな雑音はジェームズ1世の耳には微かたりとも入ってこない。

 ただただ食い入るように、それしか知らないかのように眼を大きく広げ、美女の顔に視線を向ける。 この光景は、ジェームズ1世にとってそれほどまでに衝撃だった。

 何度見ても、何度確認しても、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も見直しても、金髪の美女の耳はエルフの特徴である"尖った耳"という特徴と一致していた。

 完全に裏切られたと感じたジェームズ1世は、先程確かにサウスゴータ太守の屋敷と言っていたのを思い出し、いつの間にか床に落ちていた手紙へと手を伸ばして読み直す。 確かに知っている者の中にはサウスゴータ太守の名があり、こうして読めば本当にモードと――奴と近い者だけの名前しかない。 しかも家族全員が知っている訳でもなく、情報が漏れぬよう出来る限り知る人間が少なくなるよう努力している節さえうかがえる。

 ことここに至ってジェームズ1世は手紙が事実だと確信し、それから奴には黙殺されたが3度秘密裏に書状を出している。 1度目が奴自身によりエルフを国外追放を求め、2度目には国が放逐するからエルフを差し出せと書いた。 3度目になり余は奴自身によってエルフの処刑せよと迫ったが、遂にどの書状なも返答がなく今日に至って南部の征伐まできてしまったのだ。

 如何に弟だったとてエルフの存在は許されるものではなく、ロマリアに目をつけられるまえに全てを始末せねばならない。 だからこそ近衛軍を動かし、もしも屋敷から逃していた場合も鑑みて住民諸とも早期殲滅をしなければならないのだ。 そう思って近衛軍に話をつける為にも第2部隊の司令室に入り、今向かいで頭を下げているこの男も存在を知る者として手紙に名を連ねていたデーンロウ家唯一の男であるペイジだった。

 エルフの存在を知りながらひた隠し、更には余の前であるにも関わらず背任にもあたる言動に怒りを感じてしまう。 どこまでエルフの存在を知る者は余を裏切れば気がすむのだろうか?

「――面を上げよ」

「陛下!」

「余の言葉が聞こえぬか、面を上げよと言っておるのだ」

 怒りが頂点を通り抜けたからだろうか、穏やかな声が出てきているのが理解できた。 それを良い兆候と判断したのか、ペイジは顔を上げてジェームズ1世の顔をみたが、今までに見たことのない能面のような表情に息を飲んでしまう。

「偽臣が悔い改めぬのは道理らしい」

「陛下?」

 デーンロウ家の先代であるウィリアムと供に先々代に稽古をつけられてからというもの、出来る限り腰に下げていた剣を立ち上がって引き抜き、呆然とした偽臣に突き付ける。

「余の元にエルフを示す証拠と、その存在を知る者の名が書かれたリストが届けられている。 そのなかには、貴様の名も入っていた」

「私の名が……」

 その宣告はペイジとしてみれば悪夢でしかなく、そもそも微かにしかエルフの存在を知り得ないペイジの名が入っている時点で情報の精度は恐ろしく完璧で、どこから出てきた情報かはわからないが言い訳なぞはできそうにもなかった。

「陛下…… 1つだけお願いがございます」

「申してみよ」

「これは私だけしか知らぬこと。 父上や息子たるクライフには処罰なきよう心よりお願い申しあげます」

「デーンロウ家で手紙に書かれていたのは貴様だけだ」

「では、これにて失礼させて頂きます」

 自らも立ち上がり陛下にデーンロウ家への処罰なきよう願うと、どうにもそれは無いようで安心できた。

 少しだけこの世に未練があるとすれば、愛息子たるクライフの成長が見られない事だが…… 振り上げられた剣が自身の体を袈裟に斬り裂いた時には、瞼の裏にクライフの笑顔が映りペイジは静かに事切れた。



[20897] 10話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:14
 近衛へ推薦の出せる者が居るかどうか見極め終え、夜になって今日は久しぶりに孫のクライフと馬車に乗ってロンディニウムへ向かっていた。 だが、道中珍しく馬車馬の手綱が切れたと御者から連絡があり、その修復に立ち往生しながらもこうしてハヴィランド宮殿まで到着したのだった。

 並みいる貴族を無視する形で宮殿の端にある軍部へ向かい、今日も慣れない仕事に苦戦しているだろうペイジを思い苦笑する。 だが、近衛軍の司令室が近くなれば近くなるだけ周囲の空気が変わり、廊下やあちこちを近衛軍第1部隊の隊員が緊張感を孕んで動いているのが見てとれた。

「お祖父様…… 本日は何かあるのですか?」

「いや、予定にはないはずだが」

 とにかく気になって足早に歩き、既にこの宮殿における自室と言って過言ではない第2部隊司令室の扉を開き、芳しいまでに漂う嗅ぎ慣れた鉄錆びの臭いと鮮烈な赤に息を飲み、地に臥せ動かないペイジと鮮血滴る剣を構えた陛下を見比べて固まった。

「……ち、父上?」

「陛下…… これはどういう事ですかな?」

 唖然とする孫の前で自分まで取り乱すわけにはいかず、毅然とした態度で息子を討ったであろう陛下にまずは口答でたずねるが、個人的には腰に下げている剣の柄を握るだけで抜かない自分を誉めて欲しい。

「この者はモードめがエルフを妾として匿っているのを知りながら、それを余に隠していた罪がある」

「……ッ!」

 あまりにも想定外な罪状に、ウィリアムは歯噛みしてしまう。 エルフを娶り匿うのは誰でもわかる大罪であり、それを知りながらにして陛下に隠すのは紛れもない罪である。

 まさかペイジがそんな事を知っていたとは露知らず、そんなまさかという疑念がウィリアムの心を揺らすが、ジェームズ1世によって口にされた次の言葉に疑念など欠片も吹き飛ばされてしまった。

「フネに乗りロサイスへ急行し、ロンディニウムから出撃し南下する近衛軍第1部隊と連携、北上しつつ逆賊モードに与する街をことごとく焼き払えい!」

「――はっ!」

「余は戦場働きでこそ、武家たるデーンロウ家の人間は汚名を雪げるものだと確信している」

「ウィリアム·デーンロウ並びにクライフ·デーンロウ、我が命にかけても任務を達成致します!」

 訳のわからぬ感情を捩じ伏せるべく唇を噛み千切り、血の流れる口元を拭わずにクライフの頭を掴み自分と共に一礼させると、迸る気焔をたぎらせて近衛軍第2部隊の宿舎へと向かう。 宮殿の敷地の端に位置する建物は、陛下の御盾になるには即応性が必要だと昔直訴した結果として建てられたもので、そこには100人以上の戦闘員が泊まり込みをしていた。

 そこで3人の隊員に声をかけ、1人には出撃準備を告げるラッパを吹かせるように指示を出し、もう1人には空軍に輸送船をロサイスまで王命で出させるよう伝え、最後の1人には他の仲間と手分けして近衛軍の旗を多く用意するよう命じて外でまつ。 すると、ラッパの音と同時にガタガタと建物の中から音が聞こえだし、今までの訓練通り素早く全員が整列した。

 そこに伝令を頼んだもう1人が到着したのを確認し、空軍基地へ行軍し輸送船へと乗船するよう命じれば隊列に乱れなく、任務が何かという疑問すらなく空軍基地へ向かい乗船していく。 内陸部の夜間哨戒を前に既に風石を積んでいたのか、乗船が済んだ途端に発進する輸送船の上で訓示を始める為に、副官たるクリストフが大声を上げる。

「全員傾注!」

「諸君! 我々に新たな任務が与えられた! この任務は私にとっても、諸君にとっても心苦しい任務である。 陛下は仰られた…… 南部に位置する逆賊モードと、それに連なる南部の民を皆殺しにしろと!」

 任務を聞いた瞬間、流石に先程まで何の迷いもなく動いていた第2部隊も任務の異様さに驚き、急に浮き足立つようにざわめきが伝搬していく。 だがそれも、副官の怒声によって黙り込みウィリアムの言葉の続きをまだかまだかと待ちわびる。

「諸君にも考えて欲しい! 今まで実戦訓練と称して野盗の討伐も行ったが、必要以上に陛下の民を害した記憶があるだろうか! いや、私はない! 今回の任務は陛下のご意向を無視する形になるが、逆賊モードに連なる首謀者の首級のみを求めるものとしたい。 諸君、陛下への忠誠篤き諸君! 陛下の意をくみ悪戯に民草を殺したい者がいれば、どうかこの私を斬って欲しい!」

 そこまで叫び、辺りを見回す。 これはジェームズ1世に対するウィリアムなりの小さな抵抗だった。

 陛下の激情は民すら斬り捨てる算段を立てていたが、それを現場指揮官であるウィリアムは無視して民を救う。 当然元より民まで皆殺しにする必要がないので、首謀者の首級さえ集めればこちらの判断に間違いはない。

 ただ、ここまで叫んでから思い至ったが、もしもここで私が斬られたならば孫は日に2人も肉親を失う事になってしまうなと苦笑してしまった。

「異論はないか?!」

『はっ!!』

「我々は平和的に要求を行うつもりであり、敵が迎撃をとらないかぎり武力行使はないと心得よ!」

『はっ!!』

 まだ状況が把握できていないのか、訓示に対しても目を白黒させているクライフに内心暗澹たる気分になりながらも、今後を伝えるべくロサイスまでの短い航路で伝えるだけ伝えてしまおうと考え、部隊には待機を言い渡し与えられた船室へと向かう。

 この船に与えられた任務は内陸部の哨戒であり、外洋を哨戒する船のようにある程度単独での攻撃力は求められておらず、3門という有るのか無いのかわからない程度の火力と1騎の竜を備えただけの旧式船である。 そんな船には当然貴族が乗船するような予定はなく、薄汚い船室を済まなそうに船長より与えられたが、これはウィリアムとしてはこれから戦場に向かうのに華美な部屋を与えられるよりはありがたかった。

「クライフ」

「…………」

「クライフ」

「…………」

「そろそろ我を取り戻さんか!」

「はっ、はい!」

 鼻息を荒くし腑抜けた孫へ檄をとばす。 それでやっとクライフの瞳の焦点がウィリアムにあい、困った孫の頭を撫でてやる。

 だが、それも逆効果だったのか、クライフは先程よりもあからさまに固まって自分を見ている。 もしや頭を撫でられるのが嫌いだったかとか、もしや撫でられた頭が痛かったのかと不安が頭をよぎるが、そこである事実に思考が行き当たる。

 ――いったい、最後にこの頭を撫でてやったのは何年前だろうか?

 ここ数年を思い返すが、人より下手な故に同じ量をこなす為に他人より政務に倍近くの時間を割き、歴代国王より任じられてきた近衛軍第2部隊の司令官として恥じぬべく軍務に心血を注いで過ごしてきていた。

 しかしながら、ここ数年は忙しいというありきたりな理由を免罪符とし、こうして孫に向き合う事はなかったのではないだろうか?

「……くくくっ」

「お、お祖父様?」

「いや、なに…… こうしてクライフの頭を撫でるのも、存外久しぶりだと思ってな」

 急に笑いだした私に対し、クライフは見ていて滑稽に思えるほどあたふたと慌て始め、それを制するようにそのままぐりぐりとクライフの頭をもうひと撫でしてやる。

 色々伝えるべき事はあったが、ペイジが亡くなった以上は自分がクライフの父親がわりをするべきであり、亡き息子の早すぎる死を悼みウィリアムはロサイスに到着するまで静かに涙を流していた。



 ロサイスに到着して早々、全員に下船を通達しロサイスの守備隊に近衛軍の名の下に、この軍港の封鎖を要求する。 最初は守備隊としてもそんな命令に渋っていたが、懇切丁寧とまではいかないがエルフについて隠しながら、陛下の密命でモードの叛意が確認されたのでサウスゴータ太守以下を討伐する為にも、近衛軍としては敵の船による脱出も背後からの追撃も嫌だと伝えて軍港の封鎖を確約させる。

 後顧の憂いを断つと、そのまま徒歩で街道を北上していく。 ロサイスからシティオブサウスゴータまで多少の距離があるが、その程度で自らが率いる第2部隊がへばるような訓練は行なっておらず、このままの速度で行軍すれば払暁にはシティオブサウスゴータまで辿り着く計算である。

 当然ながら到着は出来る限り早い方がいい。 早ければ早い程に街中を出歩く人間が減り、下手な刺激を与えないで済むのだから。


 太陽は東に微かに登り始め、空は朝焼けにより赤く染まるころに第2部隊は目的地であるシティオブサウスゴータの城壁へ辿り着いていた。 朝焼けに染まる城壁は赤く美しいが、交渉次第では紅い炎と紅い血に染まるかと思うと陰鬱である。

 とにかく目を白黒させる門兵に開門させ、部隊を東西南北の各門外に10人ずつ配置し、ゆっくりと残りの部隊はシティオブサウスゴータへと侵入していく。 静かに街に入ってから、そこで更に部隊を分断し各々に近衛軍の旗を挙げさせると、そのままサウスゴータの議会に関わる有力貴族の屋敷を囲ませる。

 旗が足りた事に安堵しつつ、一昼夜起きているのに目が爛々と輝くクライフの手を引き、慣れない自分達の戦場を求めてサウスゴータ太守の屋敷へ足早に向かって行った。



 昨夜は珍しく仕事が嵩み、深夜まで眠る事が出来なかった私はベットで惰眠を貪っていたが、そんな幸せも長くは続かず廊下をドタドタと慌てて走る音と、その後に扉を力強く叩かれる音で嫌でも目を覚ましてしまっていた。

 全く何を慌てているのかは知らないが、遊びに来ているティファニア嬢やマチルダが起きたらどうするというのだ。

「どうした、うるさいぞ」

「し、失礼致します! た、たた大変ですぞサウスゴータ様!」

「何が大変だというのだ?」

「近衛が、近衛軍が屋敷を包囲しています!」

 余りにもいきなりな話しに、もしかするとまだ寝ぼけているのかもしれないと考えて窓の外を覗くと、そこには武装した少人数の部隊と近衛軍の旗が棚引いていた。

「近衛軍…… が? 要求は何だ?」

「その、司令官であるウィリアム様がとにかく会談をもちたいとだけ申しております」

「今すぐに準備をすると伝えよ! いいか、絶対にティファニア嬢だけは隠しきるぞ!」

 頷く執事を尻目に私も着替えを始め、急いでウィリアムと会談すべく廊下を走り出した。



[20897] 11話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/10 17:56
 あまりに予想外の展開に驚きながらも、それは近衛軍が動いたからではなく早朝に訪ねて来た事だとでも言いたそうに、私とクライフの前に机を挟んでサウスゴータ太守が席に座った。

 緊急事態だとわかるだろうに政治に慣れた涼しい表情を崩さないが、その着衣は所々が乱れていて泰然とした態度とは違う余裕のない本心を見せてくれる。

「こんな時間から近衛は軍務ご苦労さまですな。 事前に言って下されば朝食の準備をさせましたのに」

「サウスゴータ殿…… あまりここで時間をかけられない故に、単刀直入に申しあげる。 モード大公に反逆罪が適応された」

「なっ?! 陛下に忠誠を誓う主君が何をなさったというのです!」

「罪状は――エルフの保護だサウスゴータ殿」

「……っ!」

 いきなり主たるモード大公に反逆罪を被せられたという衝撃から、すかさずサウスゴータはウィリアムに噛みつくが、その罪状を聞いて顔からみるみる血の気が引いて蒼白くなっていく。

 エルフの存在は誰にも漏らしてはならぬ事であり、それがどのような形であれ陛下の耳に入ってしまったならば、このような動きも理解できるが故にサウスゴータは近衛軍がここに何をしに来たのか理解してしまったのだが、力なくか細い声で尋ねた。

「陛下は…… 陛下は何を御望みか」

「この件は既に陛下の怒り心頭に至り、愚かしくもエルフを匿った南部の諸候を民衆諸とも焼き払うようお命じになられた」

「な、なんと、陛下はそこまで……」

 それを聞いて、陛下の怒りにどれほどまでに触れたか理解したサウスゴータは、目の前が真っ暗になり机に崩れ落ちた。

 なんと恐ろしくも陛下は、ただただエルフの存在を秘匿した大罪を何も知らぬ民にまで連帯責任となさったのだ! これから近衛軍によって行われるであろう虐殺を想像し、絶望の渦に飲まれそうになり――ある違和感に気付いた。

 目の前に座るウィリアムは、いったい何のためにこうして会談したのだろうか? もしも私が直情的であったならば、こうなれば陛下に弓引くのも如何なるものぞと民を助けるべく近衛軍を戦闘し、そのまま我々は逃げおおせられるかもしれない。

 そんな可能性がある中で、わざわざ奇襲的に街に火をかけて燃やすという常道を捨てて、こうして私の前に座している理由はなんだろうか?

「……ウィリアム殿、我々にいったい何を求めると言うのですか?」

「エルフの存在を知る者全てに書状をしたため、存在を知る者の首級を階級の貴賤なく求める旨を書いて頂きたい。 陛下は何者かにより、エルフの存在を知る者のリストを得ています…… その者の首級さえ揃えば怒りは収まるかと」

「そうか――そうか。 ウィリアム殿、とても申しあげにくい事ではあるが、これは私の責任として伝えねばならない事がある。 知らないとは思うが「ペイジがエルフについて知っていた事は、既に存じています」……言ったのか?」

「いえ、陛下自らの手により昨夜討たれました」

「すまない…… 本当にすまない」

 虚ろな表情でサウスゴータ太守はウィリアムに謝ると、執事を呼び出し紙と筆を用意するよう口にすると、偶々その日にペイジがエルフを見てしまったのかという説明と謝罪が続いた。



 執事によって届けられた紙に一心不乱に文字を書き記し、自身の思いとエルフの存在を知っている者の首だけを渡すよう通達する書状を書きつくす。

 判例として未だにデーンロウ家には処罰がなく、エルフの存在を知っていたペイジだけが討たれた事実も載せ、皆殺しを避けるべく残り少ない命を燃やして準備をすませ、先程の執事にこの屋敷でエルフの存在を知る者を庭に呼ぶよう頼む。

 ぞろぞろと窓の外で庭へ集まってくる面々は、囲む近衛軍を見て既に涙を流すものまでいて葬儀のような空気が部屋にたちこめるようだった。

「エルフの存在を知っている者の名前は、このリストにある者だけです。 どうか、どうか民の命をお願いします」

「……あなた」

「巻き込んでしまって本当にすまない……」
 夫人と抱き合うサウスゴータ太守が別れを惜しみ、2人も庭へと促そうとした時、この2人にとって最も望まざる人物が――マチルダがこの部屋にやって来てしまった。

「お父様? お母様?」

「マ、マチルダ!?」

「どうか、どうか娘にも御慈悲を! 今更婚約者のよしみにすがるのも口を憚られるのですが、どうか娘だけはお目こぼし下さいませ!」




 執事のスミスに起こされて、私とテファは隠れていた。 今までにない屋敷の雰囲気に目をつむっているが、下の階から泣きわめくような声や絶望に苛まされる声が聞こえだし、怖くなってテファと一緒に外から見えないよう壁を二重になるよう錬金して隠れていた場所から外へ出ると、先ずは恐る恐る窓から外を覗いた。

 執事からは緊急事態だから隠れろとしか言われていないが、いったい何が起きているのか気になってしまう。 覗いた窓の外には庭があり、庭には10人の武装した軍人とたしか近衛軍だと思う旗が立っていた。

 壁の向こうで小さな声で泣いているテファを守る為に、私も両親の元へ向かおうと思い声がする方向へ向かえば、そこにはお互いに抱き合って涙を流す両親が居たのだった。




 ウィリアムは床に崩れての自分の裾を引き、涙を流しながら娘の助命を乞う夫人を無視してマチルダの方を向くと、彼女はどうにもまだ思考が定まっていないのか状況に置いてかれているように呆然と立っていた。

 ただ、呆然としながらも一歩一歩ゆっくりとした足取りで両親の元へ近付いていて、マチルダがクライフの前を通ろうとした時、ここに来てから無言を貫いていたクライフが動いていた。

「ヒッ!?」

「動くな」

 クライフはいつの間にか剣を抜き、そのまま無表情で刃をマチルダの首へ突き付ける。 その瞳に生気はなく、何の意志も感じられぬまま当然のように剣を突き付けていた。

「クライフ?」

「………………」

 蝋人形と言われても信じてしまうほど今のクライフには生気がなく、いきなりの動きに訝しがるウィリアムの言葉にも全く反応する事なく、突き付けた剣が首の皮を1枚斬ったのか薄く流れる血を見て足に掴みかかっていた夫人が悲鳴をあげる。

「やめてぇ!」

「やめろクライフ!」

 足元で必死に叫ぶ夫人を力任せに引き剥がし、クライフの肩を力強く掴んでこちらを振り向かせる。 そこには何も映っていない硝子玉みたいなクライフの瞳と、止めどない涙だけが流れ続けていた。

 明らかにこれはクライフの精神がどん詰まりまで行き着いた証であり、このまま手放しにでもしてマチルダを殺した日には、感情が抑えきれなくなって発狂してしまうやもしれないだろう。

「わかった…… 馬を1頭と門まで護衛を用意しよう。 マチルダはそれに乗って逃げるんだ」

「ありがとうございます。 ありがとうございます……」

 助命を受け入れた事で一層涙を流す夫人の肩を叩き、クライフの剣を鞘に戻させて抱きしめる。 数回だけ頭を撫でてやれば、クライフは胸ですやすやと気持ち良さそうに寝息をたてているので、とりあえず家主の居なくなった屋敷の一室を借りて部屋に護衛を1人立たせて寝かせておく。

 この護衛は慕われている主人以下信頼のおける執事やメイドが殺される事に怒りを感じ、その捌け口としてクライフが狙われない為のものである。

 庭に出る際にサウスゴータ太守の書状を部下に渡し、それを各地で屋敷を包囲する部隊まで運ぶように指示し、これから骨の折れる作業である庭での処刑が開始されるのだ。



 何がなんだかわからなくなったマチルダは、クライフの突き付けた剣から解き放たれると全速力で部屋へ戻り、荷物を鞄に詰め込みティファに深い帽子を被らせると急いで逃げようと玄関に向かい、庭からその声が聞こえてしまった。

「ご両名、最後の言葉はあるか?」

「マチルダ! 私はこれからもお前を愛しているぞ!」

「私もよマチルダ!」

 父と母の大声が玄関まで聞こえたかと思えば、何かを叩き斬る音と共にその声もかき消えていた。 泣いているのか背中にテファの涙を感じ、自分はお姉さんだから泣いてはならないと言い聞かせ玄関を出る。

 すると、そこには2頭の馬と軍人が1人立っていた。

「門の外まで護衛を言いつけられましたので、そこまでご同行致します」

「……勝手にしてくれ」

 愛しの我が家から離れるのは心が潰れそうなほど怖いが、それでも今は愛しい記憶よりも忌まわしい記憶の方が強く、少しでも早くここから離れたくて仕方がなかった。

 泣き続けるテファを馬に乗せて私に抱きつくよう伝え、護衛だと名乗った者を先頭にして私はそれについていくように門まで追いかける。 お父様が死んだのもお母様が死んだのも、全部全部全部全部全部全部アルビオン貴族が悪いんだ!

 絶対に絶対に絶対に、いつか貴族に復讐してやるんだから!


 生き絶えたサウスゴータ太守の書状の効果があったのか、2軒の屋敷を除いて4軒の屋敷は即座に降伏し首を差し出し、残りの2軒の屋敷は悪いが皆殺しにさせて貰っていた。

 これで首級を集めて第1段階を終了とし、ここからこそが第2部隊の練度の見せどころである。

 近衛軍の第1部隊と第2部隊の大きな差はどこだろうか? まずは世に言う名門貴族等は第1部隊に入り、実力主義のメイジや傭兵が第2部隊の基幹になっている言である。 そして、第2部隊はハヴィランド宮殿に常駐し即応態勢をとっているが、第1部隊は各々が自身の屋敷で過ごしているので招集をかけなければならない事だ。

 だからこそ、第1部隊が招集と編成を済ませて出撃する前に北上し、シティオブサウスゴータ以北で唯一エルフを知る存在――否、エルフを愛妾として囲うモード大公の首級とエルフの首さえとれれば、わざわざ町や村を焼かれずに済むのだ。

 息子をクリストフに背負わせ、少しだけ悩んでしまう。 屋敷から駿馬を徴発してモード大公の屋敷へ1人ででも向かうべきだろうか?

 私の知っている限りでは、モード大公はここまできてしまえば民衆を救うべく首を差し出すだろうが、だがしかしエルフについての性格などの情報がないので抵抗されれば私は消されるだろう。 だが部隊を連れていくにはロサイスまで戻るしかないが…… やはり不確定要素であるエルフは怖い。

 近衛軍第1部隊の練度の低さからくる遅れを願いつつ、第2部隊はロサイス目指して南下を開始した。



[20897] 12話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/13 22:15
 行きと同じ船室で、今は急いで第1部隊司令官宛の書状をしたためている。

 内容はサウスゴータの鎮圧成功と以北での罪なき民衆への戦闘行為の停止を求めるもので、責任はこのウィリアムの首でとると血判で書き記してこの船の竜騎士に持たせる。 だから今すぐにでも、目の前で行われるアレを止めるべきなのだ!

 ポンと遠くの船から音が聞こえると、地面にある家が消し飛んだ。 誰かが杖を振れば人が消し炭になり、誰かが杖を振れば人が上空に舞い上げられ地に堕ち、誰かが杖を振れば人が井戸に引き摺り込まれ、誰かが杖を振れば人が尖った地面に刺し貫かれる。

 あの地獄絵図を止めるべく竜騎士には動いて貰っているが、こんな時ほど自身がメイジとして空を飛べない事を悔やんだ事はない。 とにかく私も乗せるよう頼んだがこの船にあてがわれていた風竜はまだ子供で、2人乗りで飛ぶには自信がないと既に断られてしまっていた。

 馬にならば乗りなれているが、流石に風竜の手綱を握った事などないから代わりに行くこともできず、今できるのは内火艇を積んでいないこの船が地面に向けて強襲揚陸を始めたので、無事に船が倒壊する事なく地面へ着陸できる事を祈るのみである。




 焼け崩れた教会前の広場で、ウィリアムは第1部隊の司令官であるデイヴィッド侯爵と対峙していた。

 対峙しているとはいえ腕を組み蔑みの視線を向けてくるデイヴィッド侯爵をまずは無視し、自分の周囲をゆっくり見回す。 ここは空から確認する限りでは平原に位置し、住居も20に満たない小さな村だったが…… 今はごうごうと黒い煙を吐き出さない家はなく、背後の教会も辛うじて形は残って半壊しているに留まってはいるが、砕け散った壁の奥には上半身が折れて砕けたブリミル像が虚しく残っている。

 確かにこちらの連絡もあり第1部隊は戦闘を停止しているようだが、広場の反対側では未だに武装をしたままの第1部隊の捜索によって捕らえられた生き残りが、絶望と怨嗟のまなざしでこちらを睨んでいた。

 ちなみに地上へ強襲揚陸をしかけた船だが、船員の技倆は群を抜いていて奇跡的に船が小破する程度に収め村の西に降りたが、着陸のショックで壁にぶつかるなどして5名ほどが怪我をしていた。

「それで、あの手紙の真意を伺いたい」

「既に情報を知り得る者は皆殺しにされただろう。 第1部隊がここまで南下をしているのはモード大公を討った証拠であり、これ以上何も知らない民衆を無為に殺す必要はない」

「ですぎた事を抜かすな! たかが貴様如きいち貴族が、陛下より与えられたご意向である王命に意見するのか!」

「だからこそ…… だからこそ手紙に書いた通りお願いしたく」

 軍人としてのウィリアムからすれば、普段は軍務に励まず有事にれば威張り散らす肥えた豚に頭を下げるのはごめんだったが、ここで止めなければ第1部隊はサウスゴータまで南下を続け、息子の死で相殺したいがそれ以上の恩恵があるモード大公の民が殺されるのをとめることこそが、討たれたであろうモード大公への手向けである。

「貴様の首ひとつに価値があるて思っておるのか?」

「どのような結果であれ、職を辞す用意がある」

「……ふむ」

 今後の立ち回りでも考えているのであろう豚は、何やら妙案が思いついたのか仕切りに頷くと、勝ち誇りながらもしょうがないという口ぶりで笑いだす。

「くはははは、そうか、そうだな。 うむ、これ以上の殺戮は私も忍びないと思っていたのだよ」

「では」

「うむ、うむ。 そうと決まれば急いで陛下に報告せねばな――ああ、貴様も辞任の報告があるだろうから共に奏上しなければなるまい」

 かんにさわる声で豚は笑うと、自分の副官に命じて内火艇へ撤収作業を開始し、ついでとばかりに自分の方がハヴィランド宮殿に戻るのが早いとサウスゴータで集めた首級を奪って行った。 その姿に歯が砕けんばかりに力が入るが、ともに怒りを内心に秘めて自制する部下達の為にも怒りを嚥下する。

 ウィリアムは撤収作業の開始によって放置された生き残りの元へ向かうと、次は何だとばかりに悲鳴を上げる民衆に静かにするように言い、とにかく焼かれずに残ったサウスゴータへ避難するように伝えてから、我々第2部隊も撤収を開始した。



 ハヴィランド宮殿にある謁見の間は、自身と近衛軍第1部隊の素晴らしさを語るデイヴィッド侯爵の独壇場となっていた。

 やれデイヴィッド家は素晴らしいかと口にしたかと思えば、次には自身の育て上げた第1部隊の活躍を囀ずり、合間合間に全てはウィリアムの指示によって作戦が中断されたと罵る。

 そんなデイヴィッドを玉座から眺めつつ、無言を貫き通していたジェームズ1世は鳴きやまなあデイヴィッドに苛立ちを感じたのか、両の手を軽く叩いて言葉を止めさせた。

「デイヴィッド侯爵、報告は後でうかがおう。 今はウィリアムと話がしたい故に、侯爵は下がれ」

「へ? で、ですが陛下」

「余が下がれと言っているのだ」

「はっ」

 陛下の言葉の圧力をうけたデイヴィッドは、一度隣で傅くウィリアムを憎悪のこもった瞳で睨めつけると、渋々ながらもそそくさと謁見の間から姿を消した。

 謁見の間からデイヴィッドが退室するのを確認し、そこでジェームズ1世は周囲にいる護衛連中の退室を促して人払いを済ませると、つまらなそうに肘あてに肘をついてウィリアムを何の感情も介在しない瞳で見つめる。

「ウィリアム…… デイヴィッドの奴も言っていたが、余は確かに南部の民を皆殺せと言ったはずだが」

「ご再考をお願いしたく、こうして参上いたしました」

 いや、正確にはジェームズ1世は目の前で傅くウィリアムを見ておらず、その奥に陳列された首級にある裂傷激しいモード大公の顔を見ていた。

「民衆はエルフなど何も知りませぬ。 故に罪に問えるはずもないかと」

「たしかにそうだな…… しかし、余の命に背いたのも事実」

「この首を差し上げます」

 軽く左手の手刀でウィリアムは首を後ろから叩き首を斬り落とすジェスチャーをしてみせるが、それでも陛下は一切の興味がわかないかのように物言わぬモード大公の首級を見つめている。

「――ふむ、処罰が決まったぞ」

「なんなりと」

「ウィリアム、今までのそちの働きとこの件の功罪を相殺し、この場で中央の政界から隠居し家督を孫へ譲れ。 それによって近衛軍はデーンロウ家から召し上げる事になり、減俸はなされるが領地の改易は行わぬ」

「はっ!」

 陛下により下された沙汰に対し、ウィリアムはただただ目をつむり黙ってそれを受け入れる。 与えられた処罰は横暴だと叫びたくる程の厳罰ではなく、しかしながら手ぬるいと言えるようなものでもない。

 いや、むしろこれが理性なき権力者であった場合、王命に逆らった時点で首と胴がわかれているであろうから、生きているだけでもかなりの恩赦であるのは間違いないだろう。

 こうして処刑どころかデーンロウ家の取り潰しすらないのも、一重に先祖代々の功績による賜なのだろうが、それもここで瑕がついたか――いやはや、そもそもデーンロウ家は名より実をとる家だったと言うのに、こうして家名の瑕を思慮に入れられるようになったとは貴族に毒されてきたかな?

 そういう意味では、こうして陛下に引導を渡されずとも潮時だったのかもしれぬ。

「陛下」

「なんだ?」

「どうか、南部の民をお願いいたします」

「ああ、余の名にかけよう…… 済まないが退室して1人にしてくれぬか?」

「おおせのままに」

 陛下に退室を促されたので、頭を下げて最後の挨拶を済ませて謁見の間から退室する。 その際最後に陛下のご尊顔をと願って表情を伺ったウィリアムは、陛下のその表情に息をのんだ。

 高台にある玉座に寛ぎ、何も見通さぬ瞳でモード大公の首級を眺める男は誰だろうか? 自身の知っている陛下とは強い意志を感じさせる瞳と、老いなどどこ吹く風だとばかりに全身から溌剌とした気迫を感じさせられ、ただそこに居るだけで退きたくなる程の威圧感と近くに残りたいという安心感を与えてくれるものであった。

 ――だが、今はどうだ?

 やはり肉親の首級を眺める今は、南部の征伐を命じた際の苛烈さやこれまでのように立ち上るかのような気焔は消え失せ、心労が全身にたたっているのかこの一瞬で10も20も老けたかのように感じられる。 そこには幼い頃、共に父によって剣を教わっていた若々しき王はなく、年相応に――否、年以上に老けた老王が座していた。

 もしも許されるならば、私はこのような陛下だからこそ支えたいと願ってしまうが、息子の死を悼む為に王命を裏切った自身にはもうその資格がない。

 さあ、クライフを連れて屋敷に帰ろう。

 寝ながらにしてここに到着したクライフは殿下に見咎められ、今は殿下の部屋で眠っている事だろうから。




 真っ暗で色の存在しない空間、音も味も五感の何もかもが切り取られ機能しない異界。

 そんな何もない世界で、ただ1人たゆたう感覚という矛盾を孕みながらも、目をつむっているのか開けているのかわからないが暗い中にクライフは居た。

 だが不思議と不安はなく、むしろ安心感すら感じてしまう。

「……。 …………」

 耳に、ではなく頭に直接何かが語りかけてきて、驚き周囲を確認すればある1ヶ所にだけ靄が輝くように密集している。

「………。 ………」

 靄がそう言ってクライフを包むと、クライフは靄の暖かさにうっすらと涙を浮かばせる。 体が頭が心が全て暖かく染め上げられ、全身で幸福を甘受していたが、靄は所詮靄でしかないのか段々と掠れるように薄まっていく。

 いや、靄が薄まっているのではなく、まるで自身が遠くへ…… 二度と出会えないほど遠くへ引きずり込まれている気がする!

 嫌だ嫌だと抵抗するが、そんなものは無駄だとばかりに視界を光が占拠し、気付いた時にはベットで眠っていた。

「こ、ここは?」

 それは屋敷では考えられない程フカフカした豪奢な天蓋付きのベットから身を起こし、自身がどこにいるのか確認すべく周囲を見回す。

「ん? ああ、起きたか」

「で、殿下?」

 振り向いた先にはボヤけた視界で椅子に腰かけてカップを傾けた殿下が、こちらを心配そうに眺めていた。 そんな視界に違和感を覚え、両目を擦ってみて初めて自分が泣いている事に気がついた。



[20897] 13話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/15 21:33
 何があったかわからず混乱しながらも、目尻をごしごしと拭っていると少し困った顔をしながらも、どこか真剣さを隠せない殿下がゆっくりこちらまで歩いてくると、顔を伏せてボスンとベットの端に座った。

「クライフ…… 僕は本当にすまなかったと思っている」

「……何がですか殿下?」

「アルビオン王国の皇太子として僕はちやほやされながらも、今回の真実を知ったのは運び込まれた叔父の――モード大公の首級を見てからなんだ」

 そう言って肩を落とすウェールズだが、それをいきなり聞かされるクライフには何が言いたいのかわからず首を傾げると、やっと顔を上げたウェールズが口を開いた。

「クライフはさっきまでベットで魘されながら泣いていたんだよ…… 亡くなられたペイジ殿の名前を漏らしながらね」

「父上の名前を、ですか」

 父子だけあって陛下の面影が強い殿下を見て、クライフは頭にカッと血が上るのが感じられ、沸々と父上を斬られた怒りが沸き上がってくるのがわかる。

 もしもだが、クライフがサウスゴータ太守が娘の慈悲を願っていたのを聞いていた時の精神状態であれば、誰が止めるまでもなく怒りのあまり殿下を斬るという軽挙に出ていたかもしれないが、今はそんな怒りを他人事のように見れる諦観があったので無表情でウェールズを見つめるに留まっていた。

「本当ならこんな事は謝ってはいけない事だろう…… 父王にも僕にも、全てに責任をもつ義務がある。 だけど、王位のない今だけは言わせてくれ――本当にすまなかった」

 目をつむり自分へ頭を下げる殿下をみて、怨み辛みや怒り悲しみ等の感情がぐちゃぐちゃに入り交じり、気付いた時には嗚咽混じりで泣き出している自分がいた。

 泣き出したクライフの声を聞いたウェールズは、大きな罪悪感と仄かな期待を胸に秘めながらクライフの頭を胸に抱きもう一度だけすまなかったと謝罪すると、泣き疲れ再び眠るまでの短い時間ではあるがクライフを弟のようにあやしながら考えごとをしていた。



 再び眠りについたクライフをベットに寝かせ、ウェールズは思考が叩き出した合理的な考えに罪悪感を更に根付かせていた。

 王や王族は本来ならば謝ってはならない。 絶対的な権力者であり以上は、謝るということは政治的に大きな意味をもつからである。 幼い頃より帝王学を叩き込まれてきたウェールズからすれば、そんなものは初歩にも劣る常識であった。

 だが、今はそんな常識を無視してでもクライフに謝りたかったのだ。 もしも父王の思考を理解し、先手を打っていれば誰も死なずに全員が黙秘する形で話が済んだかもしれないものを、何故書状の存在まで知りながらモード大公に問い詰める等ができなかったのか。

 思考が負のスパイラルに陥りそうになった時に、隣ですやすやと年相応の顔で眠るクライフの頭を撫でながらも、その純粋な顔をみて更なる自己嫌悪に陥る。

 ウェールズにとってみれば、この世界に友人という者がクライフくらいしか存在しなかった。 ゴマを磨り耳心地のいい言葉だけを囀ずる貴族の子弟は多々いたが、彼等は皇太子と近づきたい者達だけであり、ウェールズという個人にはなんら興味を示さない者達だった。

 皇太子として生まれた以上は政治の絡まない関係を構築するのは難しく、表では仲良く手を繋いでいても出身地の違いや派閥の違い、更には与えられた爵位や役職の差だけで互いに裏切り牽制しあう、まさに面従腹背を絵に描いたような人物が犇めくのが貴族なのである。

 ここに眠るクライフにはまだ政治的な感覚はなく、将来的に家督を継げばそういったドライな関係になるのかもしれないが、今だけは政治の関わらない純粋な関係でいたいと願っていた。

 だからこそ、自分の導き出した正反対の結論に吐き気がした。 今のアルビオン情勢は複雑怪奇であり、自分の見立てでは御輿を失ったモード大公派は瓦解し、中央政治は北部と西部の諸候が力を持つだろう。

 そんな時に、自分を絶対に裏切らない仲間がウェールズには必要だった。 当然ながらクライフ謝りたかったのも本音だが、こんな立場にありながらも親身になって謝るスタンスを見せるという打算がないわけではなかったのだ。

 貴族という存在を怨むのは構わない。 父王個人を怨むのはしょうがない。 だが、その怒りの矛先を王家に国家に自身に向けさせてはならない。

 ウェールズ個人としての友人でありたいと願いながらも、父王についての謝罪すら打算で動いてしまう自分なんかに、本当に友人ができるのだろうか? この事をクライフが知ったならば、幻滅して去ってしまわないだろうか?

 そんな思考は、ウィリアムがクライフを受け取りに来るまでウェールズの頭をぐるぐると支配していたのだった。




 あの忌々しい政変からというもの、デーンロウ家にはまさにありし日の屈辱の日々が戻ってきていた。

 代々デーンロウ家が輩出してきた近衛軍第2部隊司令官の座は王家に召しあげられ、今は第1部隊と合流し近衛軍は1つの部隊に纏まっている。 だが、近衛軍の人数は第1部隊から少し増えただけであり、合併することで大きくなったのは軍の規模ではなく、彼等の給料の規模だけのようだった。

 爵位の剥奪や領地の改易は行われていないが、最も屈辱的なのはジェームズ1世によって討たれたペイジや、その他数々の貴族の罪状が『国家反逆罪』だと銘打たれたことである。

 たしかにエルフの存在を漏らさない為に討たれた以上、ある意味では国家反逆罪ではあるだろう。 だが、そう銘打たれたが為にペイジの葬儀をすることはおろか、その遺体を墓に埋葬することすらできなくなっていた。

 家督を孫に譲りつつも内政は自分が受け持ち、今ではそれを3年続けていた。

 最初の1年目は息子の死に嘆き悲しみ、領民には悪いが仕事に手がつかなかった。 ロンディニウムに晒された息子の首級を思い出す度に、握りしめた拳からは血が流れさえした。

 次の2年目は嘆きや悲しみから目を反らす為にも、クライフを寵愛し内政に打ち込んだ。 例え金にしか興味のない愚物どもに軽んじられ蔑まれようが、一時の我慢がクライフの未来に繋がると信じて下げたくない頭も下げた。

 今年である3年目は仕事に精を出しつつも、自分の向かうべき未来を真剣に考えた。 様々な手段を考慮し外国への亡命まで視野に入れはしたが、やはりクライフの事を考えるならばこうしてこのままアルビオン王国に仕えるべきだと思い至った。

 個人的な感情論でいくのならば、当然ながらアルビオン王国など捨て去りたいのが本音であるが、現国王はあの政変以来というもの年相応以上に老けてしまい、今では病まで患っているとの噂もあり自身もそうであるが老い先長いとはいえないだろう。

 ジェームズ1世が崩御したならば、次の王位は問題なくウェールズに引き継がれるだろう。 そのウェールズに覚えがいいのが、今はウェールズに剣の訓練だと言ってハヴィランド宮殿へ呼び出されたクライフである。

 現国王は長くないが、次期国王はまだ若く長いだろう。 代替わりさえすれば、ウェールズによってクライフは重用される可能性があり、今から他国へ亡命するよりは苦難もなくなるだろう…… だとすると、やはり今は王家に忠誠を尽くすべきだと結論をだしている。

 だからこうしてアルビオンに残り、今も商人と商談などに勤しんでいるのだ。

「――では以上の金額でよいかな」

「ええ、このお値段であれば問題ありません」

 お互いに最後の確認を済ますと、部屋の空気が少しだが軽くなる。 商談さえ済ませてしまえば、どちらも不利な商売にならないよう一言一句に集中する必要もなくなるのだ。

「そういえばですが、なんともお国様とはえげつないものですねぇ」

「何の話だ?」

「最近アルビオンのあちこちで流れてる噂なんですが、モード様といいペイジ様といい謀殺されたんだって民はみんな口にしてますよ」

 最初ウィリアムには商人が何を言っているのか理解できなかった。 息子が謀殺された? あれは謀殺ではなく粛正である。

 そんなウィリアムへ同情するように商人は続きを口にし、それが更なる混乱の坩堝へとウィリアムを叩き落とした。

「いや、専らの噂でしてね。 何でもモード様やペイジ様等の南部諸候の皆様がたは、陛下に聖地奪還を目指すロサイスと共に軍を出すべきだと迫ったとか。 それが気に食わなかった陛下は国家反逆罪を捏造して、3年前に粛正を行なったらしいですね…… これには粛正の巻き添えをくった南部の民衆は激怒してますよ」

「聖地奪還…… だと?」

 全く意味がわからなかった。 そもそも、粛正の原因はその聖地に住むエルフをモード大公が娶ったからであり、そのエルフを殺す為に聖地奪還をしようと言うはずがない。

 確かに王家は3年前の粛正については国家反逆罪とだけしか発表せず、具体的な内容については一切黙秘していたのは事実である。 だから民衆の中で噂が尾ひれを付けて大きくなるのは理解できたが、ここまで真逆の意味で噂が広がってしまったのは想像だにしていなかった。

 これほどまでに王家を乏しめる噂でありながらも、王家には噂の火消しをすることはできない。 それはエルフの存在を公表することになり、内外からの激しい批判に晒されるからであろう。

 歓談も済ませてメイドを呼び出し商人を玄関まで送らせ、自身はそのまま部屋で腕を組み思考を巡らせる。

 何がと聞かれても明確に返せないうえに、何故と聞かれてもあやふやなものでしかない。 だが、確かにウィリアムの勘が違和感を叫ぶのだ。

「考えすぎならばいいが…… 判断は難しいな」

 たかがアルビオンに流れている噂でしかなく、それも信憑性も皆無――そもそも真実ではない――の噂である。 これだけで違和感を感じるのは自由だが、何を疑えばいいのかはわからない。

 噂を流したのは誰か? 何を目的にして流したのか?

 そこまで考えてから、どうにも頭が陰謀論に凝り固まってしまっていると思い頭を振ると、本日のスケジュールを思い出して気分転換をはかるも次の予定に思い至り微妙な気分になる。

 次の予定は余り会いたくない人物の1人であるデイヴィッド侯爵の来訪であり、送られてきた手紙には来る旨だけが書かれて用件は書かれていない薄気味悪いものだった。



[20897] 14話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/16 20:55
 ハヴィランド宮殿で殿下と剣を合わせて剣を競い、その後にはアルビオン王国の将来のありかたについての考えを語られてから、くたくたになりつつ屋敷へ帰って来てからというもの、こうしてお祖父様と不可解な書類を睨んでいた。

 机に置かれたやたらと質のいい用紙を睨み付け、何度も無駄だと理解しつつも瞬きをしたり文面から視線を外したりするが、固定化の魔法がかかっているかのように内容に変化はない。

 だからこそ意味が分からず対面に座るお祖父様の表情を伺うが、そこにはただ無表情でこちらを見つめるお祖父様がいた。

「それで…… その、これは何ですか?」

「入学願書だ」

 そう、それはただの入学願書だった。 王立の魔法学院だからこそ、こうして質のいい紙を使っているんだろう。

 だが、問題はそこじゃない。 問題なのは――

「――何故トリステインなんですか?」

 わざわざ祖国であるアルビオン王立の魔法学院に通わず、海外の魔法学院へ留学しないとならないのか? そこが一番の問題であって疑問だった。

 そんな当然の質問を受けたウィリアムは、さも当たり前だと言わんが表情で疑問に答えるべく口を開く。

「勧められたのだ」

「勧められ…… た?」

「歴史深く格式高いトリステイン魔法学院こそ、ウェールズ殿下の腹心であるクライフ君には相応しい。 そしてトリステインの貴族と友誼を結び、後々の治世に役立てるべきだと言うのが相手の言い分であり、更にはそれに嘘か真か他の貴族もお墨付きを出していると聞かされれば、こちらとしては真っ当に断れる理由がない」

 そう言ってウィリアムは無表情を崩して口の端を歪ませると、呆けるクライフに向けて「要は殿下の覚えがいいことに嫉妬され、海外留学なんぞにかこつけてお前はていよく他国へ飛ばされたのだ」と繋げておく。

 これはまだ13歳の子供に嫉妬する輩も輩だが、それを断れないウィリアム自身への自嘲も多分に含まれた笑みである。 相手の器もたかが知れたものだが、それをはね除けられなければこちらの力量もたかがしれている。

「まあ、ちょうどいい機会でもあるからお前はトリステインに行ってこい」

「ですが、その…… 私はまだ13ですよ?」

 当初の予定では来年ないし再来年の入学だと考えてきたクライフからすれば、これはあまりにも性急な話であり不思議だった。

 だが、それはウィリアムをしても不思議な話であり、自身が親によって魔法学院に入学させられたのは14歳になってからであり、息子のペイジは15歳になってから学院に入れている。

 しかし、不思議な話ではあるがトリステインではアルビオンよりも入学が速いのか、逆にアルビオンは他所に比べて遅いのかのどちらかだろうとウィリアム自身は自己完結しているので、そういうものなんだろうと伝えればクライフもそんなものですかと納得するほかない。

「だがまあ、この申し出も悪くない」

 そう言ってウィリアムは何かについて納得したのか、本人不在の上でしきりに頷いているがまさに寝耳に水というクライフからすれば、納得なんてものは思考の片隅にさえ浮かんではこなかった。

「どういう意味でしょうか?」

「中央政治からは遠ざけられたが、それでも現状が異常なのは見てとれる。 近く何が起こるかは皆目検討がつかないが、先の粛正に劣らぬ何かは起きるだろう…… クライフよ、お前は内側からではなく外からそれを客観的に見極めろ」

「何が、何が起きるんでしょうか?」

「今も言ったが、それまではわからん。 だからこそ、何が起きても逆に起きなくとも長期休暇を返上し1年間はアルビオンに帰る事を禁ずる」

 異論は認めぬとばかりに厳格に言いつけるウィリアムだが、口では起きるか起きないかわからないと言っているが、現実としてどの程度の規模になるかまではわからないが何かが起きるという確信があった。

 自身で思い至った結論ではないが、与えられた情報がその何かを報せるには十分すぎるものである。 そう、それは差出人不明の手紙だった。

 内容は文章は簡素なものであり、むしろ目を引いたのは手紙の下段に描かれた絵である。 絵にはデーンロウ家の家紋である丸盾と剣があり、その丸盾を3匹の竜が踏み潰し剣を噛み砕いていた。

 その3匹の竜こそアルビオン王国の国旗にも描かれていた竜で、そこに大きなばつが上に描かれ手紙上段には見たこともない三色旗とともに『聖地奪還と貴族による統治』とだけ書かれていた。

 具体的なことは何も手紙には書かれていないが、内容をどう解釈してもいい意味としては読み取れるものではない。

 ネガティブな解釈をするならば、デーンロウ家の家紋からペイジを連想し、踏みにじり砕く竜は陛下でありともに復讐しようと打診してきた内容にうかがえる。

 反対にポジティブな解釈をするならば、デーンロウ家と王家を打倒しようと書かれている風にも解釈は可能である。

 ネガティブな解釈もポジティブな解釈も同じようなものだが、当然王家に反旗を翻そうと誘われる方がよくない考えであり、ともに打倒すべきと見られている方がクライフの為にアルビオン残留を決めたウィリアムからしてみればまだましなのである。

「ところでお祖父様、トリステインに出るのはかまわないのですが出立はいつ頃に?」

「話ではフェオの月の第2週には入学式があると言っていたから今から丸々1月は残っていないが、いらん気をきかせて早く追い出したいのか入寮の準備もあるだろうと次のスヴェル――翌週の虚無の曜日に船を取ってあるらしい」

 相手はただの1日すらアルビオンにクライフが存在するのが嫌なのか、7日後のスヴェルに当たる虚無の曜日に船室を抑えたと伝えてきており、最初は暗殺の可能性を考えてはみたものの取った船はトリステイン船籍なので余程の馬鹿でないかぎり船内で暗殺は無いと考えた。

 如何にアルビオン国内に到着しようとも、トリステイン船籍の船内はトリステイン領内に等しい。 アルビオン船籍ならば隠す事は容易くとも、トリステイン船籍の船内での問題は簡単に国際問題にまで発展するだろう。

 トリステイン領内に入れば7割がた、魔法学院に入学し寮へ入れば9割がたクライフの安全は確保されるだろう。 全てはクライフがトリステイン入りさえすれば、アルビオン国内でどのような政変事変が吹き荒れようと希望を残すことが出来るのである。

「急な話の上に日程が詰まっているが、準備を始めるがいい」

「わかりました。 失礼します」

 クライフはウィリアムに頭を下げながらも、いきなりの話に文句は言わずに飲み込むと執務室を後にした。 貴族の息子としての分は弁えており、政治に巻き込まれれば何かがあると教えられて来ていたのだ。



 部屋にある物で寮生活に必要そうなものは、粗方持ち出せる準備を済ませて出立の前日を迎えた。

 荷物はそこまで多いものではなく、着替えや寝具がだいたいを占めている。 元々クライフは、ウィリアムやペイジから口が酸っぱくなるほど私物は少なくすべしと教えられていて、更に私物は持っても必要な物と不要な物を分けるようにと言われていたので私物は少ない。

 これはデーンロウ家がまだ貴族になったばかりから語り継がれているもので、昔政情不安から軍として出たご先祖様が司令官の部屋に私物として絵画や大量の私服はまだしも、前線に別荘でも建てるのかというほどに家具が届いたのに呆れ、こうしてそんな間抜けが後に出ないよう言い伝わっている。

 それにしても、留学は本当に急な話である。 こうして今は準備を終わらせているが、準備をしている最中は行った事もない海外へ1人で行かされることについてかなりの不安があった。

 既にお祖父様に言われた通り、昨日の時点で殿下には船を手配してくれた貴族の名前と出立日を伝えてあり、これは何でも暗殺に対する牽制だとお祖父様は言っていた。

「ふぅ…… トリステインか。 あまりいい噂は聞いていないけど、どんなものだろう?」

 殿下にその話をしてトリステインはどんな国か聞いたが、少し難しい顔で気難しい貴族が多いねとだけ教えてくれた。 お祖父様にもきいたが、デーンロウ家は政治の中で最も外交と関係がない家柄だから本質はわからないが、噂レベルの内容を総合するに真っ当な貴族以外には住みづらい国ではあるらしかった。

 ちなみに話の最後に付け加えるように「あるとは思うが、苛め程度で弱音をあげるなよ?」と口にしていたのが印象的だった。

 今日の昼には執事がやって来てお祖父様の執務室に呼び出され、最近になりますます軍務に苛烈さを増してきたお祖父様と相対する。

 用件は聞いていないが、明日にはここを発つので次に会えるのは魔法学院に入学して1年が経ってからになるか、もしくはよその貴族に妨害されて更に延びるかといったところである。

「クライフは、明日にはここを発つのだったな」

「はい。 朝一の船でアルビオンを発つよう手配されています」

「つまらない政治に巻き込んで済まないと思っている…… だが、最近のキナ臭い情勢から鑑みるに、ここよりトリステイン魔法学院の方が安全なのだ」

 静かにそう呟くと、お祖父様は執務机から約20サント四方の箱を取り出すと、それを無言でこちらに差し出した。

 何を渡されたのかはわからないが、口に出す前にお祖父様から「開けてみろ」と言われたので、聞かずに中身を目で確かめる為に箱を開いた。 すると、その中身は――

「――パイプですか?」

「お前もいい歳だから、煙草を娯楽にするべきだ」

 そこで思い出したが、亡き父上は嗜む程度だがお祖父様はなりの愛煙家であり、自分も小さい時にそんな父上に憧れて煙草を吸おうとしたら、お前にはまだ早いとお祖父様に盛大に怒られた記憶がある。 そんなお祖父様から煙草を勧められると、何かしらあるんじゃないかと邪推したくもなった。



[20897] 15話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/17 22:01
 机に置かれた1つのパイプを挟み、今はそれを与える必要性を話すお祖父様の言葉を訝しみながら聞いていた。

「そんな目で見るな。 なに、今のアルビオンは微妙な状況で、いつ何が起きても――軍が出動してもおかしくない。 いいか、クライフ。 傭兵だったならば戦場での娯楽は酒と女であり、夜はそれに溺れて生を楽しみ朝には殺しあいに参加する。
 それに対して軍を指揮する貴族は酒や女に溺れれば規律が乱れ、数日もそれを続ければ精兵も弱兵に様変わりする。 だからそんな貴族に許された娯楽は、立ちはだかる敵を殺すことか煙草くらいしかない。
 だが、娯楽で殺しを楽しむのは指揮官として失格であるのを考えれば、煙草に早めに慣れるのもいいだろう」

「そうでしょうか?」

 クライフも既に野盗やオーク鬼の駆除ふ出たことがあるが、どちらにしても精神的にいっぱいいっぱいだったので、そういった戦場で娯楽を求める余裕はなかったが、もしかしたら場馴れすれば娯楽を求めるようになるのかもしれない。

「その煙草には鎮静効果がある薬草も混じっているので、落ち着きたい時に吸うといい。 鎮静化以外にも、トリステインで薬学を学べば自分好みのものが作れるだろう」

 いつも触らせては貰えなかったからか、興味津々といった具合にパイプを弄るクライフを見て、ウィリアムとしては不甲斐ない自分を殺してしまいたい衝動にかられる。

 現在の状況はそれほどまでに逼迫しており、末は飼い殺されるか飼い潰されるかの瀬戸際にまできている。 本当になんらかの事変が起きたならば孫と生きて顔をあわせられるのも最後かもしれない。

 一昨日にそれは起きた。 南部の民衆が20人ほど集団でロンディニウムに立ち寄り、ハヴィランド宮殿の門前で『噂は真実なのか。 モード様は謀殺されたのか』と声を上げたのだ。

 当然宮殿内は焦った。 首都だけにここは人目も多く、ふざけた事を抜かす平民だからと言って説明なく無礼討ちしたならば、世間は噂が真実だと認識するだろう。 そうなれば力を削がれたとはいえ、南部の貴族は黙っていない。

 だからと言って、真実を教えるわけにはいかない。 いや、真実を知っている者もそもそも少ないのも事実だった。

 そのまま色々と対策を考え、何かしらの事を政治家が手打ちできれば何の問題もなかった。 例をあげれば宮殿に招き入れ、金で黙らせ噂を否定させればそれだけでも効果はあっただろう。

 だが、現実は厳しい。 偶々そこを通りかかった軍人が、「陛下にうかがいたてるとは不届き千万」と民衆を魔法で皆殺しにした。 王家や貴族が絶対である場所でそんな事をすれば、平民の扱いなど藁にも劣るものだろう。

 それでも、あの場で軍人が――それも陛下の盾である近衛軍が民衆を殺したのは不味かった。 近衛軍を動かせるのは陛下において他にはなく、だとすればこの殺戮は陛下のご意向だと野次馬は受け取った。

 この噂は爆発的に広まり、もしかしたら今では知らない平民はいないかもしれず、今までとは違い国民と国家の間に不穏な緊張感を孕んでいた。

 だからこそ昨日から今弓を訓練している者達には過剰なまでの訓練を、そして過去にここで訓練をした者達と近衛軍第2部隊が無くなり野に下った者達を呼び戻し、軍備の拡充を図っている。

 これを機として裏切ろうと言うわけではなく、むしろこれを機として南部が立ち上がれば真っ先にぶつかるのはデーンロウ家の領地であり、ここを抜かれれば首都まで目と鼻の先であるならば何かあれば前線になるだろうというのは見てとれた。

 だと言うのに、それが理解できない馬鹿どもに明日ハヴィランド宮殿へ出頭するよう命じられた。 理由は『国家へ反旗を翻す意ありや?』と言う内容で、一昨日の事件を聞いてから急に軍備を拡充し始めたのは反乱が目的かと弁明の手段が与えられたのである。

「お祖父様?」

「ん? ああ、すまんな」

 思考が横道に逸れてからというもの、どうにもクライフが来ていた事を忘れていたようだ。 不思議がるクライフに、自分から煙草を勧めておいてなんではありがほどほどにしろよとだけ伝え、とりあえずクライフを部屋へ返す。

 窓から訓練場を眺め、走る者や掛け声とともに弓を放つ者を見てから、順調に進む徴兵と後の訓練計画について考え始めた。




 大きな馬車と小さな馬車の合わせて2台の馬車が、港町ラ·ロシェールから南にあるトリステイン魔法学院を目指して進んでいた。

 大きな馬車には積み荷である家具しかなく、小さな馬車には持ち主であるクライフしか乗っていなかった。

 トリステインに入ってからこそ護衛は無かったが、祖国にこそ護衛が出されたのはアルビオン国内の治安の変化がみてとれるだろう。

「……遠いな」

 無意識にクライフの口からそうこぼれていたが、それはそのままの意味ではない。 確かにラ·ロシェールを出てから既に1日が経過しているが、これは距離的なものではなく精神的なものである。

 ホームシックとまではいかないが、見知らぬ国へ1人追い出されたら誰でも途方にくれるだろう。 それが例え隣国といったものでも、だ。

 だからこうして窓の外に目を向けるが、あるのは木々か山々か草原ぐらいで見るものもなく、無駄に止まらないため息がまた1つでた。

 アルビオンに残っているお祖父様からは、絶対に1年間はアルビオンに帰って来るなと仰せつかっていて、これは何よりも優先すべきだとも言い含められているので長期休暇に入ろうが帰れはしない。

 何か打ち込めるようなものがあればいいが、無ければ休暇中は地獄をみるだろう。

「はぁ」

 ため息の理由はもう1つある。 それは、右手に握りしめたパイプだった。

 アルビオンを発ってから船室で吸ってはみたものの、それはもう船員が心配して船室に飛び込むくらいには盛大にむせた。 体内を煙が満たす感覚は気持ち悪いだけで、何を思ってお祖父様等を含めた大人が吸っているのかがわからない。

 ただ、お祖父様も最初は何回かむせるだろうが、次第に慣れて美味く感じると言っていたので変な言い方だが嗜好品に慣れる訓練は続けようと思う。

 それと、船に乗る前に気になった事がある。 港町であるロサイスは相も変わらず賑わっていたが、その賑わいかたが少しだけ不自然な部分があった。

 恥ずかしながら気付いたのは自分ではなく私の護衛を率いていたベックだったが、何でも今までより人の出入りが――いや、入りが激しいらしい。 アルビオンへ上がって来る船には満杯になった資材や武装した傭兵が乗り、下りは帰りの行商人だけでほぼ空の状態で降りていく。

 それはベックにとって見たことも聞いたこともない状況で、試しに1人の傭兵に話を聞けば「この国に雇われて呼ばれたんだ」と答えていた。 国に雇われたならば口出しは難しく、急な軍拡はもしかしたらアルビオンの国内不安が顕現したものかもしれなかった。

 少し話は変わるが、殿下は大丈夫だろうか? 最近は剣の訓練も少なくなり、忙しそうに政務にかかりきりだったのが気になる。 お祖父様も何かあるかもと言っていたが、確かにああも王族である殿下が忙しそうに動かないとならないまでに事態は動いているのかもしれない。

 益体もない思考に頭を支配されつつ窓の外に目を向けていれば、陽が傾き視界が徐々に変わってきたことにクライフは気付いた。 自然が自然だけのままだった空間に、ぽつりとまさに城塞とも言える仰々しい建築物が鎮座していたのだ。

 城壁のような壁に周囲を囲われ、壁の中心には天を突く塔が建ち並んで周囲を睥睨している。 実物を見る前は歴史だけ長い魔法学院なんて如何なるものぞと考え、アルビオンにある魔法学院も負けはしないだろうとたかをくくっていたが、この建物はまさに想像の範疇を超えていた。

「大きいな」

 ここで3年間学び、箔をつけ、そして殿下の元へ凱旋する。 それが今の自分に与えられた任務であり、確実にすべき事である。

 馬車はそのまま魔法学院の門をくぐり抜け、塔の前で止められ学院から誰かしらのアクションがあるまで待つ。 さすがにどの塔が何で、どの部屋が与えられた寮なのかがわからなければ荷物を持ち込むどころか、普通に入ることすらままならない。

 だから誰かが出てくるのを待つべく、こうして玄関口で立ち往生していると自分の案内に来た、というより偶々通りかかったと思われる人物に声をかけられた。

「そんなところで何をしているのです?」

「今年よりトリステイン魔法学院に入学する事になったクライフ·デーンロウです。 失礼ですが寮へ荷物を運びたいのですが、ミスえっと……」

「申し遅れましたわ。 私は2年生の授業を受け持つ『赤土』のシュブルーズですミスタ·デーンロウ」

 そう言って女性――ミス·シュブルーズはにこやかに笑い、「それと私はミスではなくミセスですわ」と朗らかに言ってから顎に手を当てた。

「少々ここで待っていて下さい。 新入生の案内を受け持っていたオールド·オスマンの秘書のかたが、昨日ついに逃げ…… ゴホン! 諸事情でお辞めになったので、学院長室から部屋割りを持って来ないと」

「あ、いえ、待ってますから大丈夫です」

 走らない程度に急いで塔を登るミセス·シュブルーズの背中を見送りつつ、学院長であるオールド·オスマンの秘書が逃げたってどういう意味だろうかと思考を張り巡らせ玄関に突っ立つ。

 玄関に馬車を止めて人が突っ立っていればそれなりに目立つ筈だが、何人か通る生徒からしてみればこの時期では日常的な風景でしかなく、社交界で顔を合わせた事があれば声をかけようと思って顔を見るも見知らぬ顔だとして去って行く。



 そんな状況で少し待たされはしたが、こうして今は部屋に家具を入れたのでベットに横になりながら配置を考えている。

 部屋割りを聞いてから家具にレビテーションをかけて1つずつ運ぼうと考えていたが、そんな私の非効率的な運搬方法にミセス·シュブルーズは苦笑してから杖を振り、ゴーレムを作り出す事で家具の運搬を手伝ってくれたのには感謝した。

 もしもミセス·シュブルーズが手伝ってくれなければ、まだまだ何往復かしていてベットに寝てはいないだろう。

「駄目だ…… 眠い」

 まだ机も棚も何もかもが部屋に乱雑に置かれた状態だが、それを片付けるのは明日でも問題はないだろう。 ひとつ大きく欠伸をすると、クライフは眠りに誘われていった。



[20897] 16話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/18 20:36
 トリステイン魔法学院に到着してからというもの、特にやるべき事はなく部屋で黙々と本を読んでは体が鈍らないよう剣を振る生活を続けてきた。

 これがトリステイン在住の貴族であれば、某かの友人が居ればお茶を楽しみ自分達が受ける授業について話に花を咲かせただろうが、生憎と外交にはとことん関わっていないデーンロウ家の人間からすれば他国に知り合い等が居るはずもなく、こうして1人で過ごしていたわけである。

 しかしながら、そんな生活も今日で終わる。

 入寮してから渡されていた学生服を着込み、こうして今はいつもとは雰囲気の違うアルヴィーズの食堂に入り椅子に座る。 朝食は既に済ませていて昼にはまだ早いが、そわそわとした緊張感ある空気が満ちる食堂では食事ではなく、今から入学式が行われるのだ。

 広いアルヴィーズの食堂にはやたらと長いテーブルが3つ並んでいるが、今はその一部である中2階に近いところに前から詰めて座っていた。

 座ってから周囲を見回すが、まだまだ食堂の入口から人が増えている段階なので入学式は始まらないだろう。 次に前後左右に座っている人の表情をうかがうが、女子も男子も緊張したように膝の上で手を握りしめて黙っていつ始まるかわからない入学式を待っていた。

 まあ、パッと見て緊張にのまれていない金髪の男子はチラチラと周囲の女子に目を向けていて、さっき入って来たであろう赤髪の女子は緊張どころかつまらなさを全面に押し出していたのが印象的だ。

 ただ、少し気になったのは自分と同じ周囲の新入生は軒並み大きく、というか自分だけ目に見えて小さい。 明らかに同じ年齢の可能性は少なく、1つないしは2つは違うだろう。

 そもそもだ、あの赤髪の女子と自分が同い年ないしは近い年齢だなんて、全くもって想像できない。

「生徒諸君!」

 そわそわした空気を吹き飛ばす声が聞こえ、思考を放棄してゆっくりと声が聞こえ続ける方へ視線をずらし、視界を無視して地面に消えた老人を見た。

 それと同時に、テーブルの前方からドンともガンともつかない音が聞こえたかと思えば、上からばたばたと慌てるように教師陣が降りてきては動かなくなった老人――学院長であるオールド·オスマンの介抱を始めたようだ。

 前に詰めて座ってはいるものの、前でも後ろでもなく丁度中間付近に座っている自分にはオールド·オスマンの惨状はわからないが、前に座っている生徒はみんな顔色が蒼くなっているのを見れば酷いのだと理解できた。

 実物は見れないが前に座る人の反応から何があったのかわかる中間くらいは変に落ち着いているからいいが、逆に丸で状況が理解できない後方からは何があったんだとざわめきが溢れ始める。

 だが、そんな空気もどこ吹く風だと学院長は立ち上がり、自身の杖を虚空に掲げると「ハルケギニアの将来は諸君の双肩にかかっている!」と目を光らせて叫び、教師の1人に肩を借りてそそくさとアルヴィーズの食堂から去ってしまった。

 嵐のように現れて嵐のように去って行くと言うのは、まさに今の学院長の為にある言葉だろう。 残された生徒は目を白黒させつつも、なんとか条件反射だけで疎らな拍手を返している。

 それにしても、学院長が落ちた影響からだろうか周囲から程よく緊張感がとかれ、トリステイン人はアルビオンでは誇りの塊だとばかり聞かされていたが、実はそれは偏見でありユニークな人達じゃないのかと思い始めた。

「あー諸君、諸君。 これからクラス分けを発表しますので、呼ばれた人は後ろにミスタ·ツァルリーノが居ますのでそこに集まり教室へ移動してください」

 中2階からこちらを見下ろす教師がそう言うと、「まずはシゲルのクラスからです」と続けて生徒の名前を大声で呼び始めた。 名前を呼ばれた生徒は椅子から立ち上がると、そのまま後ろへ下がって行くのだが、呼ばれて立ち上が人を見て周囲があれやこれやと漏らし始める。

 ひそひそ話ではあるが、やれ「あの人が○○家の」だとか「あの子は可愛い」やら「あの人はかっこいい」と皆が似たり寄ったりな会話をしているので、こうして誰も知らないので興味のない自分でも耳に入ってくる。

 しかし、そんなひそひそ話を超えた怒鳴り声が聞こえて来たので、眉を顰めながらもそちらに視線を向けてみる。

 そこには、先程の赤髪の女子が分厚い本を掲げて立っていた。 そんな彼女を睨むように桃髪の女子も立っていて、横では素知らぬ顔で青髪の女子がばたばたと無言で本に手を伸ばしていた。 全くもって理解不能な状況である。

 そんな混沌も長くは続く事はなく、手持ちぶさたにしていた教師の1人が近寄って大声で怒鳴ると、赤髪の女子はわかってますよと言わんばかりに椅子に座り、青髪の女子はやっと手が届くとばかりに本を奪い取り、桃髪――ルイズ·フランソワーズ·ル·ブラン·ド·ラ·ヴァリエールだと大声で叫んだ彼女は恥ずかしそうに教師に頭を下げながら赤髪の女子を睨んでいた。

 程なくして先程聞いた名前であるミス·ヴァリエールの名前が呼ばれて後ろに下がり、纏まった集団がアルヴィーズの食堂から居なくなった所で「残りはソーンのクラスです」とだけ言って、特に名前を呼ぶような事もなく「全員着いてきて下さい」と残して食堂から出て行ったのでそれに着いていく。

 ぞろぞろと階段を上り廊下を進み、目的の教室についたのか入っていく教師に置いていかれないように教室に入る。 入ったそこは、さすがに歴史や格式があっても想像とは変わらない机や椅子の置かれた教室だった。

「どこに座ればいいんですか?」

「席は自由です」

 みんなの疑問を1人の男子が代弁し、帰ってきた答えに頷くと勝手気ままに全員が席に座った。 教卓を向いた席の構図としては、まさに紅一点にして男子は右端に座った赤髪の女子の近くに陣取り、そんな男子を女子は面白くなさそうに離れた左端に寄って座っている。

 特に波風を立てる気はないので、自分は少し周囲に人が少ない真ん中に座っているが、あくまで非武装の緩衝地帯染みた雰囲気を纏っているのが玉に瑕だった。

「えー学院長も仰いましたが、諸君は将来的にハルケギニアを背負ってたつ責務があります。 なので、授業はきっちり受けて単位獲得を目指して下さい」

 そこからは学院内でのマナーや決めごと、授業の受け方から選び方といった諸注意事項が語られて時間割りを記した紙が配られた。

「あーわからない事があれば、先生に何でも聞いて下さい」

 そう言って1人頷いた教師は生徒1人1人の顔を見渡して、質問があるのか手を挙げた女子に気付いて顔を向けた。

「あの、先生……」

「質問ですか?」

「はい。 その、先生のお名前は?」

 そう言う女子に教師は怪訝そうに顔を見つめ、小さく手を叩くと「そういえば自己紹介をしていませんでしたね」と口にしてから自己紹介を始めた。

「えー私はヴィンチェンツォ·ガリレイで、『風』のライン『不協和音』の2つ名を持っています。 担当の授業は四科の内の音楽論なので、私の授業前には喉を潤してから来るように。 よろしいかな?」

「ありがとうございますミスタ·ガリレイ」

「あーそうだね、ついでだからみなも自己紹介をしようか? 同じクラス同士で3年間も授業を受けるのに、名前を知らないなんて将来損をする。 じゃあ、左端から順々に始めてくれ」

 女子の指摘からそうだそうだと何かに思い至ったのか、とりあえず左端に座っていた赤髪の女子を指差して全員に自己紹介をするよう伝えた。 それを受けた彼女はすくりと立ち上がると周囲の男子を見回し、軽くしなを作ると自己紹介を始めた。

「あたしはゲルマニアから来たキュルケ·フォン·ツェルプストーよ。属性は『火』で、ここには情熱を求めてやって来ましたの」

 そう言ってウインクをするキュルケに男子は息を飲み、女子はそんな男子に歯軋りするが何人かは自分の体を見ては俯いていく。

 そんな教室の反応に一通り満足したのか、小さく微笑みキュルケはガリレイの方へ向き直った。

「ミスタ·ガリレイ、あたしの微熱に一晩燃やされてみないかしら?」

 蠱惑的な笑みを浮かべて誘うような声を出せば、周囲に陣取っていた男子は生唾を飲み込みながらもガリレイが何と答えるのか気になり教卓へ向いたが、そこには困った顔をして立っているガリレイが居た。

「あーすまないミス·ツェルプストー、私には献身的な妻が居るのだよ」

「そうだったのですか」

「むー君が私の愛する音楽ほどに美しければドキリとしたかもしれないが、あれは人間には出せない淫猥さと情熱がある」

 それを聞いたキュルケの表情は固まり、音楽に対する惚け話を始めたガリレイに他の生徒の時間も止まる。

 キュルケからしてみれば、実体もない音楽に自身の美貌が負けたのであり微妙な気分だ。 男子はこの誘いを嘘か真か音楽をだしにかわしたガリレイに驚愕と尊敬を半々に、女子はむしろガリレイ家はこの先生で途絶えるんじゃないかと冷や汗を流していた。

「――であって、やはりバイオリンの音色もいいがリラこそが弦楽器の至高であり…… あー話が横道にそれたな、ミス·ツェルプストーは座って次の人が自己紹介を」

 何事もなかったかのように今までの千言万句に及ぶ音楽に対する想いを流し、キュルケに座るように促して前に座っていた男子を指して自己紹介を続けさせる。

 しかし当然ながら、時間は無限ではなくキュルケの周囲に集まる男子の半分も自己紹介が済まずに終わりの時間がやって来る。

「えー時間が来てしまったので、自己紹介の続きは後日に回します。 それにしても、先に呼ばれて居なくなったクラスと最後に集まって教室に入ったこのクラスとで、始まりは違うのに終わりは同じなのは不公平ですね」

 ため息をつきながらももう一度生徒の顔を見回すと、ガリレイは「明日は受けたい授業を考える日なのであなたたちは休みですが、上級生は授業があるので余り騒がしくしないように」と言ってから教室から出て行ってしまった。

 それを見て全員が席を立ち、自由な時間を満喫すべく教室を去って行ったのだった。



[20897] 17話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/20 23:55
 トリステイン魔法学院に入学してからというもの、クライフは毎日幸せな生活を送っていた。 来るまでの不安に押し潰されそうだった日々など忘れ、今は水を得た魚のように授業が済めば図書館暮らしの毎日である。

 クライフは毎日本塔にある図書館に来ては、気になる本を手に取り読みふける。 今手にして読んでいる本のタイトルは『東部戦線日報』と書かれていて、1000年近く前にゲルマニアとトリステインの間で開かれた戦端について、ある貴族が率いた部隊の日報を纏めて本にしたものである。

 こういった話は昔話のような領分であり、他国には大雑把な動きは口伝や文章で届いてはいるものの、こうして詳細な動きが書かれている本は他国には通常出回らない。

 デーンロウ家にも書斎はあるが、内容はアルビオン王国が関わった戦争について書かれた本だけであり、こうして何の労もなく過去のものとはいえ他国の部隊の運用ドクトリンを研究ができるというのはクライフにとって幸せだった。

 どれくらい幸せかというと、こういう本が読めるなら来年はガリアへ、再来年にはロマリアへ転校したくなるくらいに幸せだった。

 幸せついでに本から顔を上げ、対面に座る少女に顔を向ける。 大きな杖を机に立て掛け、黙々と本をよむ青髪の女子――タバサは最近一緒にいる事が多い。

 別に浮いた意味は一切なく、彼女も自分と同じく授業が終われば図書館に入り浸り、こうして本を読んでいるのだ。 こうして今は対面に座っているものの、申し合わせて座ったわけではなく今日は他が埋まっていただけである。

 それに最近一緒にいる事が多いというのも、そもそもとして杖として契約はしているが剣を腰に帯びている人間は好まれていないらしく、授業でしょうがなくといった場合を除けば積極的に話しかけてくる相手はいない。

 なので、こんな存在の有無も確認できない関係が、今のクラスの中で一番親しい関係だというのは自身の社交性の不足なんだろうか?

 と、そんな風にして彼女の顔をのぞいていれば、不躾な視線に気付いたのか顔を上げて目があった。

「……なに?」

「いや、別に」

「そう」

 何度かタバサと話したことについて思い出してみるが、今のように1言2言以上の会話をしたことがないのも微妙な気分である。 まあ、図書館で饒舌に話す相手というのも厄介なものだが。

 そう、図書館の原則はアルビオンだろうとトリステインだろうと、たぶんゲルマニアもガリアもどこも変わらず『私語厳禁』の筈である。 しかし、そんな常識をひっくり返す闖入者がそこにはいた。

 自分とタバサが座る机の横に立ち、その杖を突き付けタバサに決闘を挑む口上を上げているクラスメートなどは、本来ならば居るはずもないのである。

「ミス·タバサ、あなたに『風』をご教授願いたいのだが」

 周りから何事だといった視線が向けられるが、自分は全く関係ないのである。

「人がものを頼んでいるのだ。 本を読みながら聞くとは、無礼ではないかね?」

 このクラスメートは何を言っているんだろうか? 図書館は静かに本を読み勉学に勤しむ場所であり、決闘相手をナンパするような場所ではない。

 口を閉じないクラスメートに周囲の目が厳しくなるが、どうにも自分の世界に入っているのか周囲なんて気にもせず杖を振ってそよ風を起こしているが、タバサは気にした風もなく読書を続けていた。

 無視を続けるタバサに気付いているのかいないのか、よくもまあ静かな図書館でそれだけ言えると言った具合にクラスメートはタバサへ侮辱の言葉を投げ掛けていたが、流石に耳障りになったクライフは席を立つ。

「――僕の家名に傷がつく!」

 目の前に座っていた筈のタバサと、部屋で本を読もうと立ち上がったクライフの目があう。 立ち上がったのはまさに同時だったのだ。

「ミス·タバサはやる気になったようだが――君はなんだい?」

「私は部屋へ戻るだけなのでお構い無く」

 厄介な輩に目をつけられたと思ったが、まあ自分に興味はないようなので問題ないとの公算をつけていたのだが、予定や予想はことごとく外れるのが条理である。

「そうだね、君は『風』が盛んなアルビオンからの留学生だったね。 誰よりも劣る『風』メイジの君には、僕の決闘の立会人になってもらえないかな」

 こちらを嘲るような視線を向けてくるクラスメートに腹が立つが、彼の言っていることは事実なので黙って剣の柄を握るだけに収める。

 今ここで剣を抜けば魔法を撃たす暇なく刃を突き立てられるだろうが、それはアルビオン王国に、ひいては殿下に外交問題としてのし掛かるので自重する。

「なんだいその目は? 君は立会人が終わったら、僕に魔法の手ほどきをしてほしいのかい」

「いや、立会人は構わないがそもそもミス·タバサがやるとはまだ言っていない」

 自分との決闘についての提案を流してタバサに話を振り、どうするのかだけ聞いておく。

 トリステイン貴族との決闘の提案なんてものはアルビオン貴族からすればゾッとするものであり、もしかしたらこけに入学させられたのはこうして外交勘を磨くことを求められたのか、逆に失敗して外交問題に発展させる事を求められたのか邪推する。

 とりわけクライフからしてみれば、メイジと正面きっての決闘などは狂気の沙汰だと父上やお祖父様から教えられており、メイジと"やる"場合は"戦る"のではなく"殺る"状況でないとダメだと叩き込まれている。

 そんな事を知るはずもないクラスメートとタバサは、決闘をする場所を決めたのか図書館から出て行こうとしていたので、もしかしたら自分は忘れられたのかと思いきやクラスメートに名前を大声で呼ばれ、死にたい気分でその後に着いていった。



 学年問わず生徒に囲まれながら立会人を務めているが、目の前で行われているのは決闘の皮を被ったただの一方的な蹂躙だった。

 クライフは立会人として公正に開始を宣言したまではいいが、そこからはとんとん拍子で決闘は進み今となっては――

「死ぬ! 助けて!」

 ――このざまである。 ウィンド·ブレイクを反射するという考え方には驚いたが、それにしてもミスタ·ギトーはタバサをドットだと言っていたが格が違い過ぎる。

 授業の時でもタバサはミスタ·ギトーにフライを誉められていたが、フライはなんとか数十サント浮くのが精一杯の自分とは明らかに次元が違う。

「勝者タバサ!」

 壁に氷の槍で縫い付けられて泣きながら失禁するクラスメート――決闘時にド·ロレーヌだと名前を叫んでいた――の精神的安定を取り戻してもらう為にも、杖を落としてもいないが今はさっさと決闘を終わらせるのが吉である。

 決闘が終わると同時に氷は溶けだし、瞬きする間に水溜まりを残して跡形も無くなってしまう。 それをチャンスと受け取ったのか、彼は涙や鼻水を垂れ流しながら逃げ出してしまいこの決闘は幕を閉じる。

 だが、クライフはこの時本当に厄介なのはこれからだと言うのを知らなかった。




 あの日以来というもの、ヴィリエは他人の視線が嫌でしょうがなかった。

 決闘は娯楽の少ない閉鎖空間であるトリステイン魔法学院では野次馬がやたらと集まるものであり、そこで鎧袖一触にされた事実は一瞬で学院内に知らぬ者が居ないほどに伝搬していた。

 ある時は僕を嘲笑する声が誰も居ない扉の裏から聞こえた気がした。 またある時は誰も居ない廊下から僕を見下すような視線を感じた事があった。

 そんな思いをするたびに圧倒的な風が自身の首を狙っているのではないかと不安になり、夜もまともに眠れぬ日々が続いていた。

 ――栄光ある学院生活はどこへ消えた?

 トリステイン魔法学院に入学するまでは、名門であるド·ロレーヌ家の人間として、そして数少ない1年生ラインとして栄光に満ち溢れた学院生活を送るはずだったのが、今はどこぞの馬の骨ともわからない子供に風を撃ち破られこのざまだ。

 だけど、ラインにドットが勝てるはずがない。 ならば何かしらのインチキやズルがあった筈である。 畜生、神聖な貴族の決闘を汚しやがって忌々しい!

 そこまで考えたはいいが、ドットがラインを倒す為のインチキが思いつかない。 自分は確かに何かをされたから負けたのであり、それを見つければ相応の報いを受けさせねばならない。

 あの場で僕に何かが出来た人間。 野次馬がたくさんいたから犯人を絞り込むのは難しいだろう。 いや、まて…… あの場で僕に怒りを感じていたのはタバサだけじゃなく、立会人のデーンロウもいたじゃないか!

 たしかに彼も風の使い手だから、もしかしたら2人がかりで僕は攻撃されていたのか?! そうだ、そうに違いない! そうでなければ、エリートの僕が負けるはずがないんだ!

 思い出してみれば、彼は決闘の立会人を務めながらも僕が杖を離すまえに勝手に決闘を打ち切ったのも、2人がかりで攻撃した証拠を隠す為だ! 絶対にこの落とし前はつけてもらうからな、デーンロウめ。

 自室のベットに横になり、ヴィリエはその鬱屈した精神の矛先をクライフに向けていた。 本能的な恐怖から、彼は知らず知らずのうちにタバサを狙うのを諦めたのである。

 クライフを狙うにあたってヴィリエは頭を使い、どうにか自分の手を汚さずに制裁すべき方法を考えていると、頭にそれをなす為に丁度燻っている1つの因子を思い出した。

 そうなると、女子の何人かを捕まえて計画に引きずりこむ必要があり、ここからは交渉が全てになる。 そうと決まれば善は急げであり、陽が陰りきるまえに学院内で対象の女子を見つけなければならない。


 ほどなくしてみつけた集団は、所謂ツェルプストーに彼氏を奪われた集まりであり、今回の作戦は彼女達が伸るか反るかで話が変わる。

「やあ、ミス·シャラント」

「ミスタ·ロレーヌじゃない」

 声をかけられてシャラントは少し顔を顰めたが、笑顔を取り戻して話しかけてきた。

「そういえば、聞いたわよ。 ミス·タバサに決闘で負けたとか」

「ああ、そのことか…… それには重大な誤解があるんだよ」

「誤解?」

「彼女は立会人であるデーンロウと結託し、2人がかりで襲ってきたんだ」

 その時の事を説明すれば、話を聞く彼女達もそれは酷いと同情してくれたので例の計画を持ちかける。 内容はデーンロウとツェルプストーをぶつけて潰そうというものである。

「――でも、それをしてもツェルプストーには何もないわよ?」

「デーンロウは魔法が上手くないのは誰でも知っていて、そんな奴をトライアングルが潰すんだから良くて謹慎だし悪ければ退学だ。 謹慎期間があれば、彼氏を取り返せるだろう?」

「そうね…… 私たちに害はないし乗りましょう」

 燻った火種にヴィリエは風を与えて燃え上がらせ、悪巧みの夜はふけていく。



[20897] 18話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/21 21:14
今日は授業を済ませてからいつも通り図書館へ向かい、いつもより早く読書を切り上げて自室に戻る。

 いつもならギリギリまで図書館に残っているが、この後に新入生は全員『新入生歓迎会』に参加するようにとのお達しがあったので、歓迎会が始まる時間を考慮すると読書を切り上げるしかないのだ。

 だからこうしてクライフは渋々ながら部屋に戻り、かけていた筈の鍵が開いている事に違和感をもった。 挿す前から開いていた鍵を抜き、腰からすらりと剣を抜いて息を整える。

 特に盗まれるような金目の物はないが、賊に出くわす可能性はある。 ドアノブを少し回して扉を半開きにし、呼吸を止めて勢いよく蹴りあけ自室に飛び込む。

 しかし、飛び込んだはいいものの人影はない。

「鍵を閉め忘れたか?」

 閉めた気がするが、どうにも物忘れだったのならばさっきまでの緊張感を思い出してしまい、恥ずかしくて床に転げ回りたくなってしまう。 賊は居らず、居たのは間抜けだけである。

「気が抜けてるようじゃダメだな……」

 蹴りあけた扉を閉めてから今度こそ鍵をして、着替える前にパイプを取り出して軽く吸って精神を落ち着ける。 まだまだ慣れはしないが、言われてみれば鎮静化の薬草が混ざっているからか落ち着いた気がする。

 とにかくパーティー用の衣装に着替えようと思い、部屋の隅に置かれたハンガーラックを見てから唖然とした。 衣装がないのである。

「あれ? まだ出してない…… わけはないしなぁ」

 ハンガーラックにはハンガーは残っているものの、目的の衣装だけはハンガーに残っていない。 そこで、やっと鍵が開いていた意味に気付いた。

 トリステイン魔法学院に在学する生徒にとってすれば、魔法をどれだけ使えるかが存在価値の根幹を担っている。

 それに対して自分はドットの中でも下の下を地でいく存在であり、更には杖ではあるものの所謂平民の武器である剣を振り回しているのも加味すれば、生徒たちから見て自分は下賤な云々になるんだろう。

 そして、これは「お前なんかがパーティーに出るな」というメッセージだろうか? 当たらずとも遠からずだとは思うが、今日の身の振り方を考えれば新入生歓迎会には出ない方がいいだろうか?

 まあ、最低限のパーティーマナーは教えられてきたものの、デーンロウ家を呼ぶような社交界は王族くらいしかおらず実践的なマナーには疎いので、出るなというなら出ないのも選ぶべき選択肢ではある。

「だったら、続きでも読むか」

 借りてきた本を開き、本塔からかすかに聞こえる音楽を耳で楽しみながら新入生歓迎会を欠席していた。




 教室に入ってからの視線は、まだ昨日の事を引きずっているのか男子は顔を赤くしながらもあたしの全身を舐めるように見て、女子は嘲笑うようにいやらしい笑みを漏らす。

 好きなだけ想像させるように男子に向けてしなを作りながらも、教室を見回して目的の人物が来ていないか探す。 彼でもない彼でもない、目の前をタバサが通るがこの子でもない。

 私の目的の子は――

「えっと、入れないんだけど」

「あらごめんなさい」

 小さな男の子が顔を顰めながらあたしにそう言ったので、教室に入ってすぐの入口に突っ立っていた事もあり反射的に謝ってから道をあけ、その子が目的の人物だと気付いてその子に着いていく。

 何も気にした風もないこの子は真っ直ぐ男女が別れた中間に座り教科書を開いたので、他の男子に人差し指を口にあてて黙るように頼んでからこの子の隣に座る。

 事実クライフはキュルケに興味がなく、むしろいつもなら男子が集まる右側に座っているキュルケが隣に腰掛け、怪訝そうにするだけである。

「ねえボク…… 昨日の差し金は誰かしら?」

「何の話?」

 昨日の差し金と聞いて少し表情が揺れたけど、知らぬ存ぜぬを通す気のようだった。

「あたしはねボクには用がないの。 ボクの後ろに誰が居るのかだけを聞いているの」

「だから、何の話?」

 少しだけ苛ついたような声に、むしろあたしが昨日この子のせいで有象無象に肢体を晒した事から考えれば、怒りたいのはあたしの方であるが子供に怒るのも大人気ない。

「誰にそそのかされたのかは知らないけど、子供が考えるほど恋っていうのは単純じゃないの。 だから、誰が後ろに居るのか教えてくれれば、そそのかされた子供を許すくらいの度量はあたしにもあるのよ」

 ゆっくりと理解力の低い子供を諭すように、とにかく誰の差し金で動いていたのかだけ聞く。 それでも理解ができないのか、ただ何の話かわからないとだけ続けてくるこの子に対して、そろそろ自分は子供だから安全だなんて考えさせない為に釘を刺しておく。

「犯人が黒幕を話さないなら、まずは犯人に恥をかいてもらってもいいのよ?」

 そう言われてこの子がこちらを睨み付けるのを無視して、あたしは立ち上がって余裕の笑みを向けてあげる。

「いいわ、考える時間をあげる。 明日も同じ事を聞くから、黒幕を話して助かるかボクも同じ目にあってから黒幕を話すか決めなさい」

 ツンとそっぽを向いて席を立ち、男子の集まった席に戻るキュルケを見て何人かの生徒は上手くいったとほくそ笑む。

 特にヴィリエからしてみれば、新入生歓迎会で女子の為に魔法でキュルケのドレスを斬り裂き、更には犯人として「純粋な子供は言葉ひとつでそそのかされる」と口にしてクライフに罪を被せた甲斐がある。

 人間は焦っている時に与えられた選択肢に多少の説得力があれば鵜呑みにし、現にキュルケはヴィリエに踊らされた形になってしまっていた。



 朝の授業ではまだ混乱から抜けられず、昼過ぎになってやっとクライフとしては本調子が戻ってはきたが、だからといって我が身に振りかかるなにかがわかる筈もない。

 授業が終わり図書館帰りに出会ったメイドに連れられ衛兵の詰所に行ってみれば、そこにはハンガーにかかったままの無くなった衣装がかけてあった。 何でも今朝がた木にかかっているのが見つかったらしく、サイズからクライフのものではないかと考えたらしかった。

 実物を見れば事実自分の物であり、見つけた衛兵と連れて来てくれた黒髪のメイドに感謝してから部屋に戻り、また鍵が開いている事に気付いた。

 まだ友人のいないクライフからしてみれば、誰も呼んだことのない部屋が本人不在では千客万来もいいところである。 次は何が隠されるのか不安に思いながら扉を開き、嗅ぎなれた臭いを感じて眉間に皺が寄る。

「これは……」

 本が燃えていた。 火は消えているものの、焼け焦げた臭いが充満する部屋の惨状を表している。

 燃えた本の原本は全てアルビオンにあるが、ここにある本はそれを読んで注釈や自身の考えを書き記した写本だった。 それゆえにそこまで大した被害はないが、だからといって許容範囲は既に突破している。

「……昨日と侵入の手口は同じだけど、内容は圧倒的に違うな」

 燃えかすの本を持ち上げて表紙の灰を叩いて落とせば、中のページは燃えていたのかバラバラとこぼれ落ちていく。

 憤懣やるかたないが犯人は十中十九メイジである。 となれば政治的に剣は向けられないので、教師に言って取り締まるよう促すしかないだろう。

 だからと言って溜まったストレスがかき消えるわけはないので、制服のマントを外して動きやすくすると剣を振るべく夜の広場へと降りていった。



 昼間ですら人の少ないヴェストリの広場では、星々の光を浴びるクライフがただ無言で杖である剣を振り回していた。

 上から下から右から斜めからと剣を繰り出しては構え直し、もう一度同じ動きを繰り返しては剣を振り回す。

 それに一定の感覚を得たのか、衛兵の詰所から借りて地面に突き刺していた手槍を抜くと、今度は剣の代わりにそれを突き払いと振り回し始めた。

 こんな所に、そしてこのタイミングにキュルケがここを通ったのは偶々だった。 月夜に誘われ外に出たはいいが目的もなく、どこかに目ぼしい男子でもいないかと庭をぐるりと周り、そこで剣を――今は手槍だが――を振っているクライフを見つけたのだ。

 だから懸命に剣を振るクライフを見て、少しだけ優しさが出たのも偶々である。

「ねえボク、明日皆の前で聞こうと思ってたけど、そこで答えても答えなくてもボクにとっては恥よね…… だから、今答えを聞かせて。 今なら誰も見てないわ」

 教室でだからこそ意固地になったんだと推察したキュルケは、こうして今なら誰も見てないからと気を利かせて尋ねているが、そもそも朝から同じだが何の話かわからないクライフからすれば要らぬ気遣いである。

「だから、何の話かわからないんだって」

「言わないのならここで決闘してもいいのよ? その時は、私の炎がボクを焼き尽くすだけだから」

 そう言って剣呑に笑い、杖から出した火球を2人の丁度間に飛ばして草を燃やす。 その言葉にクライフは思い当たる節があり、キュルケの炎が本からクライフに的を変えると言っている風に聞こえた。

 どちらも勘違いでしかないが、いつ事が起こるかとわくわくしていたシャラントとヴィリエからしてみれば、こうして隠れながら着いてきた甲斐があったというものだ。

「それで、どうするのかしら」

「決闘はごめんだ」

「はぁ…… そこまで黙ってるくせに決闘を断るなんて、ボクはホント腑抜けね」

 ここまでしてやっているというのに反応の薄いクライフに苛つき始めたキュルケは、とにかく罵詈雑言を浴びせればどっちかには動くだろうと考え、さっきまであった優しさなんて忘れたように侮辱の言葉を投げ掛ける。

 しかしながら、殿下の為だと何を言われてもクライフは押し黙っていたが、その言葉でそれも無為にきっした。

「ボクはそれで本当に貴族なの? こんな腑抜けを産む家系なんて、どうせ親もみんな腰抜けなんでしょうね」

 それを聞いたクライフは、無言でキュルケに近づいていく。 1歩2歩3歩と近づいて行き、2人の間が3メイルになったときに歩調がとまり、手槍を右側の地面に突き刺すと剣を抜いた。

「剣を抜くって事は…… そういう意味でいいのね?」

 やっと動いたクライフを見て獰猛な笑みを浮かべると、キュルケは杖を上げてからゆっくり降ろした。

「ボクの魔法はドットよね。 弱い者苛めになるから、先手は譲るわ」

 勝って当然、負ける要素が微塵も見えないキュルケはそう言うと微笑み、こうして2人の決闘は幕が開いた。



[20897] 19話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/23 20:28
 美しい月夜の晩に、こうしてタバサが開けた窓から外に目をやったのは偶然が重なったものだった。

 偶々本を読み終わり、偶々目の疲れを感じ、偶々月明かりがさしこむ外を見ようと思ったのだ。 だから窓から庭を歩くキュルケが見えたのも偶々であり、その後に塔の影から強い炎と微かな風が聞こえたのも偶々である。

 だが、そのどれもが偶然なんだろうか? そもそもタバサ自身が強力な『トライアングル』でなければ微かな風は聞き分けられず、それほどまでに卓越した『風』の使い手だからこそ決闘をする2人と、草木に隠れて風を纏って姿を隠す2人に気づけたのだ。



 先手を譲られた事に対して、クライフは特に深くは考えなかった。

 そもそも『ドット』と比べてしまえば『トライアングル』とは天地の差、しかも下の下であり平民に毛が生えた程度でしかないメイジの魔法であれば、後から動いてお釣りが来ると考えているのだろう。

 実際にメイジの格で戦えば歯牙にもかからず終わるのは必然だが、平民にメイジが倒せないわけじゃない。 方法は色々あるが、例えば飽和攻撃。 デーンロウ家の人間は、弓矢による飽和攻撃でメイジを殺す。

 しかしながら、1人で飽和攻撃を生み出す実力はない。 ならば、ここで有効なのは虚を突く奇手である。

 そんな考えをしているとは露知らず、キュルケはこの消化試合を早く済ませて黒幕をいかにするか考えていた。

 先手を譲った以上、相手は全力で大技を使ってくるだろう。 だからそれを軽くいなし、そこで優しくもう一度だけ誰が黒幕かを聞けば諦めて答えるだろう。

 さっきまでああは言っていたが、キュルケとしてはこんな子供に怪我をさせる気は毛頭ない。

 静寂に包まれるなか、3メイルの距離を縮めずにクライフは剣を左下段に構えた。 剣の間合いとしては遠いが、魔法の距離としては2人とも必殺の間合いである。

 この距離で剣を構えたクライフを見て、風か何かの魔法がくると多少身構えたキュルケからしてみれば、そこからクライフがとった動きはまさに予想していないものだった。

 『ドット』だと舐めてはいたが、相手の口元から目を離してはいない。 だからこそ魔法を使っていないねはわかるが、正面でクライフは届く筈もない剣を下から振り上げた。

 キュルケはそれが魔法ではないと判断を下したからこそ、自分の顔の目の前まで土が飛んで来ている事に気付くのが遅れてしまう。

「キャッ?!」

 明るければ奇手にはなり得ないが、暗いからこそクライフは魔法を使わず剣を地面にぶつけて剣の面に土を乗せ、それを相対するキュルケの顔面目掛けて吹き飛ばす選択をした。

 暗いから違和感を感じない動きになったが、ペイジやウィリアムは明るくても動きに違和感が無いのでクライフは何度も試合で苦渋を飲まされていたが、こうして使ってみるとかなり使えるのがわかる。

 土が目に入ったのか背を丸めるキュルケを見てクライフは剣を地面に刺すと、隣に刺してある手槍を抜いて心肺の集まっている胸部目掛けて投げつける。

 人間という的は見た目よりも小さく投げれば避けられる可能性はあるが、近づいて炎にまかれるよりはマシである。

 風の魔法を受けてはいないが風を斬る手槍は、何とか片目を開ける事に成功したキュルケの炎によって防がれた。 口に入った土を我慢しながらも、今度はなにも見逃さないようクライフを睨めつける。

 甘く見た。 舐めていた。 今のキュルケの頭を巡るのはこれだけである。 これは決闘であり、弱い者が強い者と戦うには力押し以外にも技術や試行錯誤が必要なのだ。

「……やってくれるわね。 ごめんなさい、あたしはボクを――ミスタ·デーンロウを舐めていたわ」

 決闘の最中だというのにふざけた言葉だが、キュルケは絶対に今言っておきたかったから口にした。 思考が冷えていく。 さっきまでとは意見がかわるが、多少の怪我を負わせても決闘だからしょうがない。

 仕切り直しというわけではないが、ここからが本番である。



 目の前でキュルケがクライフに罵詈雑言を浴びせ、やっとこさ始まった決闘の高みの見物を決め込んで推移を見つめる。

「本当に汚い奴ね…… 神聖な決闘をなんだと思っているのかしら?」

「ふん。 下賤な輩には神聖さが理解できないんだ。 だからあの決闘でも奴はタバサと結託して、神聖な決闘を汚したんだよ」

 卑劣な攻撃を仕掛けてから投げた手槍を炎で燃やされてからというもの、キュルケはクライフに何か言って怒りからかやる気を出したようで、『ドット』に対して『トライアングル』の力をぶつけて圧倒している。

 そんな怒り狂う炎に対してクライフは魔法を撃つが、そよ風の如くあしらわれてほうほうのていで転がって避ける。

 これはIFでしかないが、もしもここで決闘をしているのがクライフではなくタバサのような圧倒的強者だったならば、この決闘は相手が違うとわかりすぐに終わった筈である。 強者は強者故に強者を理解し、どこがどう強くどこがどう優れているのかは一瞬で看破できるだろう。

 しかし、強者故に弱者を理解できない。 強者が弱者に下す判断は、どこがどう弱くどこがどう劣っているかではなく、ただただ弱者だという烙印だけだ。

 だから今も殺さないまでも圧倒的な炎を操り、今もこうして決闘が続いているのであった。

「これで奴が大怪我でも負ってくれれば僕の溜飲め下がるんだが。 そうじゃなければ、僕がドレスを切り裂いたりミス·シャラントがデーンロウの本を焼いたりして、ここまで舞台を整えた意味がない」

「私としては、できるだけ大怪我させてツェルプストーに重い処分を下して欲しいわね」

「……」

 決闘に企みを張り巡らせるヴィリエは、当然『ライン』というエリートの自分が2人の気配を隠す為に使っている魔法が決闘中の2人にバレる筈がないと思い込でいる。

 その隣で決闘をうかがうシャラントも、頭の中では既にキュルケの退学が決まっているのか「ペリッソンさま……」と夢見心地で自分の世界に入ってしまっている。

 だから、ここにもう1人居たことにどちらも気付かなかった。



 迫る火球をなんとかかわし、何度目かわからない魔法を放って炎にかきけされる作業を繰り返す。

 あの一撃で手槍は消えて無くなり、決闘に集中したキュルケには奇手は通じない。 奇手とは1回こっきりのものであり、そう何度もチャンスはないのだ。

 最初の1手で勝てなかった時点で、そうそうクライフに勝機はない。 今もなんとか炎を避けてキュルケの隙をうかがうが、その目に油断も遊びも存在していないのがわかる。

 だから覚悟を決めた。 避け損ねれば炎は熱いだろうが、死なずに最後まで立っていれば自身の勝ちになる。

 立ち上がりざまに剣を構え直し、必殺の意志でキュルケとの距離を潰すべく足を踏み出そうとしたとき、遠くの草木から強烈な風が吹いたかと思えば1組の男女が2人の間に落ちてきた。

「えっ!」

 驚いたのはキュルケも同じらしく、2人揃って間抜け面で風の吹いた方向に向き直り、そこから大きな杖を片手に歩いて来るタバサを見て目を見開いたが、この流れがクライフにもキュルケにも理解できなかった。

「ちょっと、今あたしとミスタ·デーンロウは決闘してるのだけど」

「知ってる」

「だったら邪魔しないで下さらない?」

「話を聞いて欲しい」

 キュルケとしてもクライフとしても、急に決闘へ割って入ったかと思えば話を聞いて欲しいというタバサに面食らったが、クライフからしてみれば手詰まりの状況なので時間稼ぎには丁度いいと感じて話を促す。

「ドレスを切り裂かれた」

 大きな杖をキュルケに向ければキュルケは当然だと頷くが、クライフは首を傾げる。

「本を焼かれた」

 誰にも言った訳じゃないのに知ってるのは不思議だが杖を向けるタバサにクライフは頷き、それを聞いたキュルケは首を傾げる。

「犯人」

 今度はその杖を地面に転げている2人に向けるが、2人は顔を青ざめさせると抱き合って悲鳴をあげながら「違う」だの「知らない」だのと叫ぶ。

「どういうことなのかしら?」

「2人にハメられた」

 それを聞いてキュルケは訝しみながらもクライフを見るが、クライフが「ドレスなんか切り裂いていない」と言えば驚いたように転がる2人を見る。

「そう、あたしのドレスを切り裂いただけに留まらず、あなたたちはミスタ·デーンロウを巻き込んだのね。 だとすれば、それ相応のお礼をしなくちゃならないわ」

「ひぃぃいいいい!」

 事実をやっと飲み込んだキュルケは、恐怖心に苛まされる2人に凄味のある笑顔を向けている。 それを確認してここから離れようとするタバサを見て、クライフはいい忘れていたと口を開く。

「ミス·タバサ」

「……」

「ありがとう」

 完全に巻き込まれた形になるが、去る前にそれを証明する犯人を連れて来てくれたタバサに礼を言う。 しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「私のせいだから」

「え?」

「あの時の決闘」

 タバサが杖を向ける先には既に気絶し、髪をじっくり焼かれていくド·ロレーヌが転がっていて、それからだいぶ前にそんな決闘の立会人をしたことを思い出す。

「負けたのは2人が結託したからだって」

「へ? 僕は――じゃなくて、私はそんなことしてないんだけど」

「逆恨み」

「あー……」

 だとすれば、本当になんの疑いの余地なく純粋に巻き込まれた形になる。 そんなことのためだけに、あの写本は焼かれたと思うと泣きたくなってさえくる。

「ミスタ·デーンロウ」

 後ろから声をかけられて振りかえれば、そこには一仕事したとばかりに爽やかな笑顔を振りまくキュルケがいて、クライフの手とタバサの手を掴むと上下に振って握手をしてきた。

「2人ともごめんなさい、そしてありがとう。 危うくつまらない考えに巻き込まれて、素敵な人に怪我を負わせるところだったわ!」

 そう言ってからキュルケに顔を見られると、クライフとしても少しばかし恥ずかしくなる。 が、やはり恥ずかしさよりも怒りが大きいのは純然たる事実であり、睨んでしまうのは自分が狭量なわけではない。

 隣をみれば、手を繋がれたタバサもタバサで黙ってキュルケを見ていた。

「ねえ2人とも、あたしの友達になってくださらない?」

 いきなりの言葉にクライフは驚くが、そんなクライフ以上に隣でタバサが驚いていたのをみてキュルケは微笑んでから2人を引き寄せると、有無を言わさず抱きついた。

「いいでしょ! 借りも1つずつ作っちゃったし、いつか必ず返すわ」

 タバサはキュルケの目をみてゆっくりと頷き、予想外の行動にクライフの怒りはどこへ行ってしまったのか、ただただ恥ずかしそうににわたわたしながらも黙って頷いた事で、晴れて3人は3人とも学院で初めての友達を作ったのだった。



[20897] 20話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/29 20:23
 初めて友達と一緒にやった作業は、また何とも言えないものだったが日にちは進む。

 翌日になって塔から逆さ吊りになった2人が見つかったが、追加制裁を恐れた2人は自らロープを巻いたんだと言って聞かず、初めての共同作業が世間の明るみになることはなかった。

 授業になればキュルケを挟むように3人で座り、食事も同じようにしと座っている。 こうなれば唯一の男であるクライフに男子の怒りが向きそうだが、3人が座る絵面が良くて姉弟悪くて親子なのでそうもならなかった。

 そしてこれからお茶の時間が始まる。 いつもは男子を集めていたキュルケも、本に没頭していたタバサやクライフも3人のお茶会は新鮮なものである。

「そういえば、言うのが恥ずかしいけど2人とも軽く自己紹介してくれない? ちょっと聞いてなかったのよね」

 笑いながらも軽快に話すキュルケだが、普通に考えれば結構言っている事は酷い。 だがしかし、残りの2人にしてみても自己紹介を聞いているとは言い難い。

 元々気になった男子の自己紹介ですら流す程度に聞いていたキュルケに、本を読みながら自己紹介を聞き流したタバサ。 そして、他人の自己紹介にあまり興味がなかったクライフである。

「あたしから始めるけど、あたしはキュルケ·フォン·ツェルプストー。 『火』のトライアングルで、『微熱』のキュルケって呼ばれてるわ」

 よろしくねと言ってから紅茶を口に運び、タバサに次の自己紹介を促す。 ここの誰もが授業での自己紹介で「タバサ」とだけ言って口を閉ざしたのを聞いていなかったのだ。

「ガリアから来た。 『雪風』のタバサ」

 前回の自己紹介と比べれば驚くべき情報量だが、キュルケにしてみれば簡潔な自己紹介に驚くばかりである。

「それだけ?」

 聞いてはみたが、頷かれたからには終わりなのだろうと興味をそらし、次はあなたよとクライフを見る。 クライフとしても驚いてはいたが、とりあえず自己紹介を済ませるのが先である。

「ぼ…… 私はアルビオン王国から来たクライフ·デーンロウ。 『風』のドットで2つ名は『野風』です」

「タバサにクライフね。 あたしもキュルケで構わないわよ――って、どうしちゃったのタバサ?」

 さっきまで本を読みながらもクライフを見ていた瞳は真ん丸に開かれ、見慣れた大きな杖を地面にひっくり返しながらタバサはクライフを見つめていた。

「あなたがクライフ·デーンロウ?」

「……あ、ああ」

「アルビオンにあるデーンロウ家の?」

「そうだけど」

 意味のわからない問答にクライフは目を白黒させつつ、しかしタバサは会心のなにかがあったのか驚きながらもクライフの手をとって握手した。 そるにはキュルケは驚いたが、むしろ何で急にそんな事をしたのか知りたいので口を挟まない。

「本物に出会えるなんて」

「ほ、本物?」

「これ」

 するとタバサは本を1冊取り出すと、その表紙をクライフとキュルケに見えるように置いた。 それに釣られるようにして2人は表紙を覗きこみ、キュルケは訝しみクライフは驚いた声をあげた。

「『デーンロウ家の興隆』? デーンロウ家って、クライフの家かしら」

「うちの歴史について書かれた本だけど、え?」

「デーンロウ家は外交使節団に入らない。 それに、積極的に社交界にも出向かないからか、アルビオン王国内でも軍務や政務でもなければ出会わないという貴族だから存在を疑ってた」

 明らかにさっきの自己紹介よりも饒舌に話しているが、クライフからしてみれば外からみたデーンロウ家については驚き気にならない。

「そんなに面白い本なの?」

「面白い」

 笑いながら「だったら今度貸しなさい」と言うキュルケと「今度」と言って頷くタバサを見ていると、クライフは2人が知ってか知らずか自分が書いた本ではないのに妙にむず痒くなってくる。

 いや、嬉しそうに話すタバサを見て笑っていたキュルケがこちらを見ても笑っているのを考えると、どうにもそれはキュルケには筒抜けのようである。

「さて、そろそろ授業の時間ね」

「次は三学の修辞学だからミスタ·サイモンの授業か」

 回収しにきたメイドにカップを渡して3人で席を立つ。 静かで暖かく平和な時間がトリステインには流れていたのだった。




 執務机に座りながら3週間前であるヘイムダルの週に届けられた辞令を眺め、ウィリアムはため息ならぬ紫煙を吐き出した。

 内容は難しいものではなく、領地を離れて北部とロンディニウムの間にあるハムステッド城塞へ徴兵した兵を率い、ニューイの月から2ヶ月という短期間とはいえ入城するようにと書いてあるだけだ。

 反乱を起こす気などはないが、当然断れば反乱の意志だとみなされ処刑もありうる。 だから今は急いで手の届く範囲で書類を片付け、自分が居ない間の領地運営について書いておく。

 唯一の救いはハムステッド城塞はこの屋敷からロンディニウムを挟んで丁度反対側で遠くもなく、緊急時には直ぐにでもハムステッド城塞から屋敷に帰る事ができる。

「ウィリアム殿、出陣の準備が整いました」

 開いた扉から副官のベックが顔を出したので、わかってはいるが確認だけはとっておく。

「わかった。全て揃っているな?」

「ええ、傭兵446名メイジ71名の合計517名欠けなく揃っていますし、軍馬200に馬車を15台、剣300に槍を300と弓400に矢を10000を揃えて馬車に積んであります」

「食料は?」

「手はず通り3週間分だけ積んで、残りは2週間毎に後発される予定です」

 頼れる副官にかるく頷き、出陣準備が完璧に整った事を理解する。 何もないのが一番いいが、もしもの為に備えるのが兵を率いる者の義務である。

 書き終えた書類を回して引き継ぎを済ませ、ゆっくりと訓練場へ足を向ければ一糸乱れぬ隊列がウィリアムを待っていた。

「全員傾注!」

 ウィリアムが来たのに気付いたのか、最前に立っていたクリストフが大声をだし、それに合わせて視線がウィリアムに突き刺さる。

「これより我が軍は訓練場を出陣し、ロンディニウム北部に位置するハムステッド城塞へ入城する! 我々はそこに駐屯することで北部の浮わつきを抑え、更には南下してきた場合は首都を守る盾となる!」

 目指す先も目的も先に伝えてあるが、こうしてもう一度力強く言って部隊を見回す。 こうして見ると全員が精強な兵の集まりであり、この練度があるからこそウィリアムは彼等を何より信頼していた。

 屋敷を出てからの行軍は三日三晩続き、何度目かの野営を済ませて街道を北上すればそこには古の戦争で使われたハムステッドの古城が姿を表した。

 ハムステッド城塞は設計方法も防衛概念も古い造りの城ではあるが、それでもハヴィランド宮殿のように魅せる為のものではないので戦略的に見て防衛戦にはかなり向いている。

 街道の東側の森林が急に途切れそこから横に広がるのがハムステッドの街であり、街道の西側に山の切り立った崖を背にして建っている古城こそが2ヶ月も駐屯する古城だった。

 元々ハムステッド城塞には守備隊としてハイマン伯爵が駐屯しており、見張りがこちらの部隊と旗に気付いたのか南門が開門されたので中に入城する。

「ようこそハムステッド城塞へ。 ここの守備隊を率いるハイマンです」

「歓迎ありがとうございます。 陛下の命を受けて駐屯することになったウィリアムです」

 門をくぐっるとそこには守備隊が整列していて、その1歩前に立っていた白髪混じりでがたいのいいハイマンが挨拶をしてきたので、ウィリアムも言葉を交わして握手をする。 これから何があっても無くても2ヶ月間はともにするので、どちらも印象よく相手に映ろうと考えていたのだった。

 挨拶もそこそこに守備隊の人間にうちの部隊に割り当てられた部屋を聞き、クリストフには荷物を置く部屋へ部隊を連れて行かせベックには搬入した物資を倉庫へ運ぶよう指示をだすと、今度は地理を把握すべくハイマン伯爵に連れられて城を登って行く。

 高所にある見張り台に連れられ、事前にハイマン伯爵が製作した地図を片手に地理を頭に叩き込む。

 まず基本情報としてハムステッド城塞は四角く城壁に囲まれ、その城壁は高さ20メイルもなく南北に少し長い長方形になっていて、北側の城壁には4門の大砲が配置してあるらしかった。

 他には、この城壁は出入口となる門は2箇所のみで、敵の侵攻ルートになりやすい北と崖に向いた西には門が存在しないようだ。

 西にある山はそれなりの峻厳さと切り立った崖があるので、そちらからの侵攻は考えなくてもよさそうであるし、この山の北側には1門とはいえ着弾観測所も含めた大砲陣地が構築してあるらしい。 山から反対側を見れば街道を挟んで東側には市街地が広がっている。

 そして、最も敵の侵攻ルートになりやすい北側だが、城壁から北に120メイル少々の平原を挟んで東西に幅20メイルぐらいの河が流れている。

 流れは見た限り速そうではないが、ハイマン伯爵曰く河の中心は5メイル近くあるらしいので渡河は難しく、城壁に垂直になるような位置に架橋された石橋が侵攻ルートとしては濃いものになる。

 ちなみに、河と市街地の間には畑が広がっていて、そこで採れる新鮮な野菜は美味いそうだ。

 橋向こうの対岸は一面平原となっていて、北に500メイル東にも400メイルくらいは障害物がなくこちらから相手を見つけるのに苦労がないように見える。

「防衛戦向きですな」

「ええ、敵にメイジと大砲が無ければ何ヶ月でも籠城してみせますよ」

 固定化のかかった門や城壁を遠くから突き崩す大砲、そんな大砲より射程は短いながらもより高機動で戦術戦略両面からして強いメイジ。 この2つの要素が現代において、籠城戦で――野戦でもだが――最も相性の悪い敵である。

「ところで1つウィリアム子爵にはお願いがあるのですが」

「……願いとは?」

「実際に何かが起きた場合、私はここで大砲の指揮をとらないとならないので守備隊の野戦要員の指揮を預けたいと思っています」

 どんな無理難題を振られるかと思えば、想像以上に普通の頼みだった為にウィリアムは2つ返事でそれを受ける。 野戦における指揮権の1本化にデメリットは少ないので、あながち的外れな願いでもないのだ。

 地形を把握したウィリアムとハイマンは部屋に戻り、防衛計画の策定について2人で話し合いそれは夜中まで続いたのだった。



[20897] 21話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/29 20:21
 ハムステッド城塞に駐屯してからというもの、既に2週間何事もなく平穏に過ごしている。

 新天地とまではいかないが、初めて来た城塞での生活に部隊の皆は慣れてきたようで、今日も今日とて守備隊を交えての連携を密にする為の訓練をしたり、策定した防衛計画に則ったものを右へ左へ作っている。

 事前に策定した防衛計画というのは、あくまで有事が起こるのは北一本に絞って考えたものである。 街道を南下してきた敵は石橋ないし平原から渡河で城塞から市街地までのラインを渡り、その足でこのハムステッド城塞を攻撃するだろう。

 結論付けた理由としては、城塞より西から渡河しても攻城には山を迂回しなければならず、西から渡河し城塞を無視して南下してもここの部隊に背後から攻撃されるので、無視もできず敵にとってハムステッド城塞の攻略は必要不可欠だと考えた。

 それを決めてからは城壁北部3メイル地点に人が中に立っても見えない空堀を作成し、敵襲があり橋を落とす時の為に橋脚の弱い部分を研究した。 橋さえ落とせば河の深さから敵の渡河を防ぎやすくはなるが、あくまで今は平時なので交易馬車が行き交う石橋はギリギリまで落とせない。

 よって有事には城壁にある大砲で砲撃して落とすとし、城壁の3門は川目掛けて何発か試射をして角度を橋に直撃するようにして固定しておかせた。 いやらしい考え方ではあるが、石橋から少数を引き込み橋を落とせば被害は大きく出せるだろう。

 それと、市街地付近の川辺に渡河防止ようの柵を設置させ、少しでも渡河された場合はそこに釘付けにできるよう準備を整えて、一応柵の裏に土塁も作らせて渡河に対する簡易的な弓兵陣地にしておく。

 磐石ではないが手抜かりはない。 一番いいのは敵が来ない事だが、まあ2ヶ月の短い期間であれば何かが起きる方が難しいだろう。

 だからこうして準備だけは終わらせ、今も後発の食料とともに届けられた書類仕事をしていたのだが、中央はどうやら私たちが嫌いらしい。

「失礼、ウィリアム子爵」

「ああハイマン伯爵。 何かありましたか?」

 部屋に入ってきたハイマン伯爵は難しい顔をし、1枚の書類をこちらに見せてきた。 それを受け取って読むと、こちらの眉間にも皺が寄ってくるのがわかる。

「これは?」

「今日中央から届いたものだ。 メイジの少ない部隊に城壁は守れないと叫び、わざわざ近衛軍から300もの頭でっかちを分派してくれるらしい」

「到着は?」

「中央の書類はいつも急だ…… 明日には到着なさるそうだ」

 部屋には沈黙がおりる。 メイジ至上主義で生きてきた近衛軍から分派され、この平民である傭兵がほぼ全てのハムステッド城塞に来たところで戦力のあてにはならない。

「唯一の救いは、書類に書いてある通り我々と近衛軍の指揮系統は違うので、あちらからこちらへの命令は出せないことだ」

「それだけが救いですな……」

 頭痛の種ができた2人は、ただ黙ってため息をつく他になかった。




 ニューイの月はエオローの週に入ったその日、中央に位置する軍港ではどの船を見ても平の水兵から司令官までてんやわんやと動き回り、そのどれもが出港準備を急いでいた。

 北から風竜にまたがる竜騎士が伝令に飛び込み、恐るべき報告をハヴィランド宮殿にもたらしたのだ。

「アルビオン大陸北部にて大型のドラゴンとおぼしき群れを確認。 進路はそのままアルビオン大陸を目指しています!」

 この報告に宮殿内は蜂の巣をつついたかのような騒ぎが広がり、宮殿で重職を担う北部諸候が泡を食ったかのように中央からの艦隊出撃を喚いた為に、いまこうして足の遅い旧式の3隻だけを残して空軍のありったけ全艦が北へ向かっている。

 当初宮殿首脳陣は北部による虚報も考えたが、それならば艦隊を使って北を威圧すれば問題ないとして、こうして旗艦『ロイヤル·ソブリン』以下全てが北を目指して飛んでいた。

 こうして旗艦を先頭に乱れぬ陣形を見れば、どこの誰が見ようと『やはりアルビオン空軍は最強だ』と思うような美しさがあった。

 彼等は軍人だからこそ出ろと言われれば出撃し、戻れと言われれば戻る人種である。 だが、だからと言って疑問までを抑える事は不可能だった。

 この中では最も旧式であるが、ギリギリ出港のラインをパスした『ソード·フィッシュ』の艦内では、艦長の気風も相成ってか仕事をこなしつつも今回の出港に関して思い思いの会話が広がっていた。

「雲が多くてよく見えないが、やっとハムステッド上空を越えたか…… ところで、今回の出港はどう考える副長?」

「はぁ…… 艦長たかが木っ端軍人の私にわかるわけがないでしょうが」

 厳格な艦長や軍人が多い中では珍しいタイプの2人である。

「中央に遊弋していた空軍のほぼ全力が出港だそうだが、北にまだドラゴンは上陸していないんだろ? 王家と仲がいいのは西部諸候くらいしかないいま、力を誇示するなら南や東からかき集めてぶつけるべきじゃないか?」

「いえ、本当にドラゴンの群れがいるなら一時の恥だと泣きついて、いっそ中央に被害艦でも出てくれないかと願ってるのでは?」

「そういわれれば、確かに虚報なんて可能性も噂になったがそんな嘘に価値はないか。 だとすれば、本当にドラゴンの群れがいるのか?」

 これからの戦いをおもい、面倒だとばかりに帽子を深く被る艦長を見て、副長はまだ戦闘空域に入っているわけでもないので文句は言わない。 言わないが、こんな艦長は自分が支えなければと深く誓う。

 そんな静かな艦橋に変な報告が入ったのもこの時である。

「艦長! 見張りの1人が雲の隙間から街道を南下する部隊を発見したんですが」

「野盗退治か何かだろ?」

「その可能性は高いんですが、何でもそれを見た奴がそれにしては規模が大きいし、見たことのない三色旗を持っていたとか何とか」

 その報告に艦長と副長は顔を見合わせ、艦長は真剣に考え込み副長は部隊専用の旗なんて全部知らないだろと頭を抱える。

「はぁ…… どうせどこぞの貴族が野盗なり亜人なりを狩る為に出した部隊だ。 報告ご苦労、下がっていいぞ」

 副長にそういわれて報告にきた水兵は頭を下げ、艦橋から出ようとしたところで艦長は声をかけた。

「待て。 その部隊規模は?」

「えっと、長時間確認できなかったので詳しくはわかりませんが、なんでも400以上は居たとか」

 その数字を聞いて副長の眉がはね上がり、艦長はそうかと言って顎に手をあてる。

「よし、我が艦に乗ってる風竜を出して連絡するぞ」

「どこに向けて出すんです艦長? 未確認部隊ですか? それとも旗艦に?」

「わざわざ艦隊を北に退かして南下する部隊…… 北が何を考えているかわからんから旗艦には出すな。 出すのは部隊がぶつかるだろうハムステッド城塞だ」

「ハムステッド城塞ですか?」

「『400人規模の未確認部隊が街道を南下中』とでも伝えてやれ。 敵なら亜人退治だなんだと言って追い払われるだろうから、ハムステッド城塞に奇襲されないようにだけ気を使ってやればいい」

 かくして存在しない筈の部隊が1つ、誰にも知られる事なく明るみになっていた。




 ハムステッド城塞の雰囲気はウィリアムの部隊と守備隊だけだった時とくらべ、今は増援としてここに駐屯する兵が増えたせいでかなり悪くなっている。

 ただ人数が増えた程度で雰囲気は普通悪くはならないが、それを悪くするだけの理由が分派されてきた近衛軍300人にはあった。

 まず近衛軍のメイジは平民でしかない傭兵をさげずみ相手にせず、分派された近衛軍がまず要求したのは『平民と同じ宿舎で過ごすなどあり得ない。 速やかに宿舎を近衛軍に明け渡せ』という内容であり、断ることも出来るが中央へ面倒な報告を出されたくないとハイマンが折れたのでこちらも明け渡して部隊は野営している。

 そんなことをすれば当然両者の間に角がたち、城塞内における近衛軍との関係は険悪になっていた。 そんな城塞に到着した伝令の内容は、いがみ合う内部を分断してあまりある破壊力を秘めていた。

「いいか、敵が来ているのだぞ! 今出なければいつ出るのだ腰抜けどもめ!」

「陛下より私の守備隊に与えられたのは城塞の守りであり、敵か味方かわからない相手に城塞からうって出る理由はない」

「我が部隊もハイマン伯爵と同じく」

 近衛軍は分派する隊長の人選を間違えたのではと思う程に顔を真っ赤にする相手に、そもそも近衛軍とこちらでは指揮権が別れていると伝える。

「そんな事は百も承知だ! もういい、臆病者どもはここに残っていろ! その腰抜けぶりは陛下へ奏上させてもらうぞ!」

 怒鳴るだけ怒鳴り散らし、嵐のように去っていく背中をながめて2人は疲れからため息を吐くが、伝令を寄越した竜騎士からすればそんな心地ではないようだった。

「あの…… よろしいのですか?」

「よろしいも何も、彼等にこちらの指揮権が無いように逆もまた指揮権が無いから、率いる者が行くと言うなら行ってしまうんだろう」

 頭痛の種が居なくなりはしたが、更なる頭痛に見舞われそうだとハイマンは逃げる幸せに構いもせずため息を吐いた。 そんなハイマンを見て苦笑しつつも、ウィリアムは真剣な顔に戻って伝令に話しかけた。

「近衛軍は捨て置き、幾つか質問をいいかね?」

「何でしょうか」

「その部隊の装備はどうだったかわかるか?」

 南下してくる部隊の規模やハムステッドに到着する予測時間についての報告はあったが、例えばマントを着けているのが多かったからメイジ重視だとかいう見た目についての報告はなかった。

「申し訳ありません…… 艦長より『奇襲をかけようと知っていれば、それはこちらが相手に奇襲をかけるのに等しい。 故に南下する部隊に見つかったと知られぬ為にも偵察を禁じる』と言われていたので、見張りが見た以上の情報はありません」

 吉とでるか凶とでるかはさておき、その艦長の考えに1理あるのはわかる。 相手が本当に敵であって奇襲を目論んでいるのならば、こうして相手の意図を掴んでいるのは大きなアドバンテージである。

 ただし、相手の情報が少な過ぎて敵か味方かの判断すらできないのも考えると、それもまた一長一短だろう。

 窓の外を近衛軍の300が空を飛んでいくのを誰もが見向きもしないが、どうせぶつかってくれるなら情報は必要なのが本音なのでハイマンは彼に少し仕事を頼む事にした。

「君は艦に戻らず、近衛軍と南下する部隊がどうなるか上空から観てきてくれないか?」

「了解しました!」

 ハイマンとウィリアムの2人きりに戻り、とにかく南下してくる部隊の存在と住民の避難勧告の準備を含めて、これから忙しくなるなと2人は自分の仕事を始める事にした。



[20897] 22話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/01 23:33
 不幸や不運には流れが存在する。

 それは常人に逆らう事ができない大きな流れであり、その流れにぶつかったならば全てを諦めるべきなのである。

 何が言いたいのかというと、不幸や不運は1度出会ったならば連鎖的に起きるものなのだということだ。

「伝令! 伝令!」

 得てしてこういう時に入る伝令というものは、耳を塞ぎたくなるほどの悲報しかないのである。 だからこうして先程偵察に出した竜騎士が飛び込んで来たとき、何の報告も聞く前からハイマンとウィリアムの顔色は悪かった。

「近衛軍が南下してくる部隊と衝突! 包囲撃滅され潰走しました!」

「バカな! あれでもメイジ300の軍勢だぞ!」

「敵はメイジをかき集めて来ていたのか!?」

 誰もが予想していなかった報告に、首脳である2人にはまさに激震が走った。 それでも楽観的見地からハイマンやウィリアムは、顔を青ざめさせて帰って来た竜騎士の報告内容はあり得ないと思っている。

 人格などはさておいて、メイジの強さを誰もが深く理解している。 指揮官からみたメイジは如何に崩し難く如何に強力であるか、兵士はメイジが如何に恐ろしく如何に心強いか身心ともに理解している。

「あり得ん! あれでも近衛軍だぞ! 何があったんだ」

「詳細な推移をお話します。 私が近衛軍に追いついた時は、まだ戦闘が始まっておらず指揮官同士でなにかを話しているようでした――」




 意思と仕事は必ずしも一致しない。 それは、軍人にとってみれば切っても切れない真理である。

 たかが下級指揮官でしかないパットンにしてみれば、それがどれほどまでに愚挙でしかなく短絡的に過ぎなくとも、それを受けたからには被害を最小限に抑えながら遂行する義務がある。

 先遣隊の士気はそこそこあるが、あると言ってもこの軽挙の源である思想を信奉している奴等が大半だからであり、残りの人間は不安半分に諦め半分といった具合である。

 そういう意味では指揮官たる自分の士気も低く、先遣隊の後ろ500メイル程度離れて進む本隊の士気も高くない。 やはり先遣隊は先に敵と――心情的にはアルビオン王国は味方だが――ぶつかるのは先遣隊が先であり、可能なかぎりこれでも士気の高い信奉者を纏めて組織してあるのだった。

 こんな奴等だからこそ今回の目的を吐露したくなるが、言ったところで笑いながら流されるか無駄に士気を落とすだけである。



 手紙を握り潰し隠しきれない淀んだ笑みを漏らす男の前で、パットンとチェンバレンは直立不動の姿勢を崩さなかった。

 笑みを浮かべる男こそが自分達の雇主であり、更に正確に言うならば主君に位置する人間だった。 だからこうして2人は先代が亡くなってから好ましくない方向に成長してしまったとはいえ、今も先代への義理立てもあり頭を垂れている。

「チェンバレン、兵の準備はいいか?」

「はっ。 ボールドウィン様の訓示もあり、兵らの士気は天もつかんばかりでございます」

 無表情で隣に立っていたチェンバレンが労いの言葉をかけるが、ボールドウィンからすれば当然だといわんばかりの表情である。

 だからこそ、パットンはこれからについて確認しなければならなかった。

「しかし、ボールドウィン様…… 本当に今から我々は出陣するんですか?」

「そうだと言っているだろう。 今こそが主導権を握るチャンスなのだ」

 ボールドウィンはつまらないものを見るように、何を今さらとばかりにパットンを眺める。 だが、それでもはっきりさせなければならない。

「ですが、我々は再来週行われるレコン·キスタの結成式に参加してから、宣戦布告と同時に北部諸候と連合部隊を組んで南下する手筈を整えていたのでは……」

「ふん、お前は思慮が足りないな。 レコン·キスタの面々は王家という我々の共通である敵の敵なのだ。 あくまで味方ではなく、奴等も潜在的な敵だと考えて構わない」

 口の端を笑みに歪め、自身が将来的に得られるべき名声の為ならば味方すらも欺くのだと口にしたボールドウィンに対し、そもそも当初の戦争計画にすら内心では反対だったパットンは血の気が引くのを感じたが、それでも表情に出さないように努力はした。

「連合部隊を組み頭数が増えれば増えただけ名誉は希薄し、私が受けるべき名誉は目減りするのだ。 だからこそ、こうして艦隊が北から中央へおお返しする前にハヴィランドを攻撃し、誰よりも速やかに攻略する必要性がある。 落城した際には略奪は許すなよ? 全てが私の財産だからな」

 こうして本音を漏らすこの姿がボールドウィンの生来の気質であり、テラスから訓示で今の王権の惰弱さを語り民衆の為に立つべしと叫ぶあの姿はおぞましい化けの皮なのだ。

「既に宮廷内では工作がなされ、ロンディニウムに近い軍は地方へ移動させられて即応戦力は存在していないに等しい。 それならば万の軍がいなくともハヴィランド宮殿は落ちる」

「ですが、ボールドウィン様が出陣を早めたので攻城兵器がありません」

 そうチェンバレンが急な出陣による編成の不備を伝えるが、軍人ではないボールドウィンには攻城兵器のない戦いがどれだけ面倒で厄介かはわかっていないようだ。

「なんだ? まさか、ほぼ空の宮殿を落とすのにメイジが居ても大砲が無ければできないと泣き言を漏らすのか?」

「数百でも残存兵力が存在した場合、並の要塞であればメイジの火力でどうとでもできますが、試していないので不確実ですが王城ともなれば固定化の規模が桁違いかと愚考します」

 事実人の手に合わせた銃は未だに使い物にならないが、本来の大きさである大砲による砲撃は攻城戦の花形である。

 矢や魔法の届かぬ距離をもってしても城壁を破壊する力は魅力的であり、それを背にして城を調略する者には何者にも代えがたい美女の甘言に聞こえ、城に籠る者には悪魔の轟きにしか聞こえないだろう。

 確かに攻城兵器がなくメイジだけによる攻城戦は古今東西に例が多く、必ずしも大砲の存在がなければ城が落ちない訳ではないのだと歴史が証明している。

 大砲よりも機動力に優れ、大砲よりもものによっては打撃力に富み、大砲よりも攻撃の汎用性が高いのが魔法だ。

 大砲よりも利点が多いが、欠点もそれなりに目立つものが多い。 例えば精神力こそが魔法の弾丸に値するが、大砲の弾と違って明確な残弾数が見えないのは継戦能力の把握に支障をきたす。

 それに、魔法は如何に強力だとしても『固定化』の魔法の前には無力である。 ドットのメイジを100人用意したところで、それなりの作戦と統率がなければ懐に入れんとする敵をかいもぐり、スクウェア1人が『固定化』をかけた城壁すら崩せないだろう。

 そんな時でも大砲は音と振動で人心を攻めるが、メイジを絶対の戦力として捉える風潮からメイジが城を落とせないならば魔法を使えない者に城が落とせる筈がないと、ネガティブな考えが味方に伝搬して士気を揺らがしかねない。

「それをなんとかするのが、君達現場の者だろうに。 君達には先代様のよしみで安くはない金を払っているんだから、こういった武がものを言わす現場では期待以上の結果が欲しいんだよ」

「……わかりました。 王城は空の可能性が高いのでどうにかするとしますが、ハムステッド城塞は如何いたしますか?」

 軍略が伝わらないと諦めたのか、チェンバレンは次の矛先を行軍予定路にあるハムステッド城塞へ向ける。

 ここは型落ちした過去の遺物でしかないが、城塞そのものの戦術的価値も戦略的価値も落ちてはおらず、ロンディニウムへ攻め込む者の喉首に牙を突き立てる立地である。

 あまり広くない橋は行軍速度をそこで遅滞させ、攻城戦を仕掛ければ王家は遅延戦術に乗じて他所へ退避されてしまい、無視をすれば背後を突かれ輜重隊による輸送もままならなくなるので無視もできない。

「それこそ、どうとでもなるだろう。 あそこの城塞に駐屯する守備隊の定数は、今まで通りならば500にも満たない。 それに比べてこちらは3倍どころか5倍の兵力があって、まさかそこでやられはしないだろう」

「それは、ハムステッド城塞への攻撃許可と受け取ってよろしいでしょうか?」

「構わない。 邪魔なら廃虚にでもしてやれ。 質問は以上だな? 下がっていいぞ」

 ボールドウィンは根回しに忙しいのだと口にしてから、もう話すことはないとばかりに執務机に散乱する書類に目を通し始めたので、パットンとチェンバレンは待ち受けるであろう前途多難に絶望しつつ士気を考えて事実を伝えずに屋敷から軍を率いて出陣した。



 思い出せば出すほど憎々しいが、困難な任務に打ち勝つには自身の指揮官としての手腕が問われる。 今のところ何の問題もなく進んではいるが、まだ自分達が敵だと相手に喧伝しているわけではないので当然だろう。

 だからこそ、目の前に近衛軍の旗を掲げた集団が着地した時に、胸元に隠れた小さな鼠に合図を送ってにこやかに彼等を迎えいれた。




 順調な行軍にチェンバレンは安心しつつも、どこか不安が内心でとぐろをまいていたが抑え込んでいた。

 だが、そんな時にこそ嫌な伝令が入るものである。

「チェンバレン様、先遣隊が国軍の接触を受けたようです」

「規模は?」

 大軍ではないはずだと期待しながらも、実体を知るべくパットンの胸元に隠れた彼の鼠からの報告を待つ。 距離をあけることによる連絡の遅延は、先遣隊と本隊内でメイジにサモンサーバントをさせて小型動物を配置することで、こうして距離を潰している。

 役に立つ幻獣がでたなら話は別だが、それだけの才能があればこんなところで雇ったメイジが燻っているわけもなく、大小微妙な動物を召喚しては屠殺するのはある種の地獄絵図ではあったが、今は関係ないので割愛する。

「敵は…… 近衛軍! 規模は200から300!」

「近衛だとすれば、全てメイジと見るのが妥当か…… しかし、その程度ならば当初の予定通り連絡される前に殲滅するぞ! 2000の本隊を2つに分け街道左右の森林に伏せて囲むから、事前に分けた通りに走って動け!」

 敵が近衛軍だとすれば、驕りをつかなければならないだろう。 その為にもパットンは今頃近衛軍の指揮官と会見し、腸が煮えくりかえる気持ちで揉み手にごまをすり包囲する時間を与えてくれている。

 急いで着かねば先遣隊が叩かれる…… その想いが本隊にも伝わったのか、低い士気を挽回するほどの熱意が全員から感じられたので、我々は近衛軍を叩くべく行軍を早めた。

 この時、チェンバレンは会敵した位置からして、先遣隊の目の前にいる近衛軍こそがハムステッド城塞の守備隊の本隊だと確信していたのである。



[20897] 23話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/14 23:48
 報告を聞けば聞くだけ部屋の空気が重くなり、ハイマンとウィリアムの眉間に皺が深く刻まれていく。

 偵察によってわかった事は、上空から偶々見えてしまった敵部隊は本隊から切り離された先遣隊であり、本隊自体は先遣隊の数倍にも相当する程の軍勢だということだ。

 更にはそれを巧みに操る用兵に長けた者が敵には存在し、近衛軍は先遣隊の指揮官と会見していると相手に刺殺され、指揮官が居なくなった瞬間に周囲から雪崩こむ敵に奮戦虚しく敵の300から400を討ち取るも最後の1兵まで皆殺しにされたらしかった。

 泣きそうな顔で報告する竜騎士に対して、ハイマンは報告を労い医務室へ帰らせる。 彼は不幸にも戦場へ近づきすぎた結果、メイジの魔法を受けて右腕を負傷しているのだ。

「どうするべきか…… 意見はあるかウィリアム子爵?」

「とにかく、南下してくるのが敵であるならば市街地に住民の退去を命じ、報告と援軍を求めてハヴィランド宮殿へ風竜を飛ばすべきかと」

 現状の戦力を考えるならば、こちらの兵力は700に対して相手側は2000以上であり、まともにぶつかってかなう相手ではないのは明白である。

 明白ではあるが、敵軍が街道を南下している以上は目的地の有力候補はロンディニウムであり、ここはかなわないとわかっていても積極的攻勢に出てでも敵を釘付けにしなければならない。

 その為には1日でも早く後詰めとして援軍を派遣して貰うべく、急いでハヴィランド宮殿へ急報をいれなければならないだろう。

 ウィリアムが提示したその意見に一致なのか、ハイマンも頷き副官を呼び出すと急いで住民に避難命令を出すと、次には守備隊に在籍していた竜騎士にハヴィランド宮殿への急報を書状に記して持って行かせた。

「敵はどう来ると思うか?」

「難しいですな…… 被害の程度から考えるに、先遣隊と本隊を纏めるにしても分けるにしても、それなりの再編成をしなければ動けないでしょうな」

 難しい判断であるが、今は何より判断材料が少ないのも現実だった。

「そうだな、守備隊にはあと1騎のみ無傷で任務に耐えうる竜騎士が居るので、敵の攻撃が届かない上空から偵察をさせよう」

 言うが早いかハイマンはそう言って副官を呼びつけようとしたので、ウィリアムはそれを急いで止める。 止められたハイマンはいったい何だとばかりに振り返るが、ウィリアムはハイマンを見ずに地図を眺めていた。

「ハイマン伯爵…… 我々も腹をくくるべきです」

「どういう事だ?」

「近衛軍の旗のみ城塞に残し、我々の旗を全て下ろし空城に見せかけます」

 いきなりの提案だが、ハイマンは即座に異を唱える。 そこには欠陥があるのだ。

「敵の用兵もさるものだ、流石にその程度の工作にはかからないだろう」

「だからこそ、近衛軍の旗のみを城塞に残して橋も落とさぬのです。 敵は撃破した近衛軍の旗が城にあれば、未だに兵力が残っていると思うでしょうし、風竜が全滅を知らせたとも思うでしょう。 そこで、橋を残してここに戦力が残っていないと誤解させるのです」

 視線を上げてハイマンの顔をウィリアムは覗きながら、自身の策についてウィリアムは熱弁を振るう。

 確かに見方によっては近衛軍は捨て駒のように見せかける策ではあるが、通常ならば近衛軍がかちあう前に他の部隊がひと当たりするのが常識であり、その後ろから悠々とやってきて戦うのが近衛軍ね常道である。

 そんな中で、今回は近衛軍自ら先に出て壊滅していて城塞から他の旗が無ければ、この城塞の兵力が居ないとは思うだろう。

「だが、相手も戦巧者だから罠の存在に気付くだろう」

「それ故に、相手は先遣隊を出して城塞へ威力偵察も含めてひと当てするでしょうな。 そこで手はず通り先遣隊を叩き、橋を落として渡河を強いれば時間は稼げる」

 ウィリアムもハイマンも、これが北部諸候による反乱の尖兵なのかは判断できなかった。 そもそも2千と少々だけを先に送る必要があるのだろうか?

 可能性としては薄いだろうが、陽動だったならばこうして北から南下する部隊に目をつけさせて援軍を送らせ、それを傍目からみつつ東か南からロンディニウムへ攻め上がるというものだが、そんな陽動にしては数が少ないのが気にかかる。

 他には複数から同時侵攻していて、偶々ハムステッド城塞の前に来たのがこの規模だった可能性もある。 しかしながらそうだった場合判断はさらに難しくなり、この戦場を放棄してでも陛下の元へと撤退すべきか、ハヴィランド宮殿の防衛体勢が整うまでここで陛下の御盾となるべきか。

「……ウィリアム子爵、私は砲兵の指揮を執り旗を降ろさせる。 他の指揮を頼む」

「わかった。 始祖の加護があらんことを」

 定まった方針は撤退ではなく邀撃。

 ウィリアムが提案し、それをハイマンが受諾し決めたからには必勝をきしてそれに取りかかり、勝利を陛下に奏上するまでが仕事である。

 ハイマン伯爵の部屋を辞したウィリアムは、その足で部下の居る天幕へと足を向けている。

「ベック! クリストフ! 戦争の時間だ!」

 近衛軍が出撃してからというもの、天幕での待機を言い渡されて暇を持て余していた2人は椅子から跳ね起き、これからの流れを確認すべく口を開いた。

「という事は、南下してきたという部隊が相手ですか」

「何を言ってるんだベック? 流石に近衛と言うかメイジならば、たかだか100や200の差で負ける筈がないだろう」

「……そう言われてみれば、確かにそうだな。 となると、新たな敵軍を確認したんですか?」

 知らずに事実を口にしたベックに対し、近衛軍第1部隊を近くから見てきたクリストフは実力を信頼してはいないものの、やはりメイジの力は信用しているのか間違った指摘をしている。

 そう言われれば、非メイジではあるがメイジの力を知っているベックもそれに納得し、更に間違った答えを引き出していた。

「残念ながら、近衛軍は壊滅した」

「なっ!?」

 驚愕の真実にベックは驚きの声をあげ、クリストフに至っては掠れた声すら出せずに瞠目している。

「偵察の情報によると、敵の規模は本隊を合わせて2000を超えるだろう」

「先に見つけたのは先遣隊か……」

 ウィリアムは机に広げられた地図に近づき、戦場になったであろう位置に近衛軍の駒と敵の駒を2つ並べ、近衛軍の駒には壊滅した事を知らせるマークを印して3人でそれを睨む。

「こちらは700弱ですが、どうするんですウィリアム殿?」

「万事予定通り我々も動く」

「という事は、迎撃ですな?」

 にやつくベックの言葉に対して、ウィリアムも薄く笑みを浮かべながら行動指針を伝えれば、クリストフもクリストフで獰猛な笑みを浮かべて命令を待っているようだった。

「作戦は以前定めた通りだ。 2人は守備隊も含めた自軍から弓の上手い者を選抜し、150を城壁に備えて50を空堀の中に伏せさせろ」

「奴等には我々の矢が的を外さないと言うのをお見せしないと!」

 舌舐めずりをしながら弓を引く動作をして、随分と威勢のいい事をいうベックにウィリアムは苦笑を漏らしてしまう。

「それから、騎兵を200と歩兵を100用意しろ。 30を山の砲台の防備とし、残りは予備隊として城内に残す」

「日頃の訓練の成果を見せればいいだけですね」

 先程のベックに刺激されたのか、クリストフも強大なまだ見ぬ敵に燃えているようだった。

「敵軍がここに到着するまで時間的余裕は少しあるが、我々が城塞に存在しないと思い込ませる為にあまり配置についたら喋らせるな。 それ以外は防衛計画通りに動く! ベックは空堀の弓兵を、クリストフは騎兵の指揮を執れ!」

「了解ですウィリアム殿!」

「了解しましたウィリアム様!」

 緊張を見せず余裕の笑みを浮かべる2人は、仕事が決まったからには拙速を尊ぶとばかりに天幕から飛び出して行き、この天幕にはウィリアムだけが取り残されていた。

 椅子に座ると懐からパイプを取り出し、タバコに火をつけて紫煙を腹いっぱいに吸い込んでから、それをため息とともに吐き出した。

「……それなりの被害を与えられるだろうが、この布陣で勝つには難しいな」

 彼我の数があまりにも違い過ぎる。 策にはまれば最初は快勝できるだろうが、本隊とはまともにぶつからねばならないので厳しい戦いになるのは必至であった。

「本隊とやるか否かは伝令次第だな。 緒戦には間に合わないだろうが、本隊に渡河を強いるまでには帰って来るだろう」

 もう一度だけため息とともに紫煙を吐き出し、ウィリアムも弓兵の指揮を執るべく城壁へと登って行くのだった。




 なんとか近衛軍を撃滅するも、自分が率いる先遣隊からは150人近い死傷者を出してしまい、本隊からも200人以上の死傷者が出たので先遣隊と本隊は行軍を停止して部隊の再編成を急いでいた。

 部下からの報告によれば、風竜に跨がった騎士を攻撃したらしいので近衛軍との戦闘が相手に知られ、ここから先は今までとは違い厳しくなるのは明らかだったので、がたがたの編成では話にならないと時間を惜しんで今は編成をしている。

「パットン様」

「どうした?」

「先行させた偵察隊からの報告です」

 当然こちらも再編成で無駄に時間を浪費するわけにも行かず、少しでも遅れを取り戻すべく馬に乗せた3人を走らせており、彼等には戦闘は極力避けて地図に描かれたハムステッドへ渡る橋の有無を確認させにいかせていた。

「え? あ、その『橋は問題なく架かっているのを確認。 なお、城塞には近衛軍の旗が靡いているものの周囲に敵影なし』とのことです」

 偵察隊から報告を聞いたメイジも予想外だったのかパットンへの報告にどもり、報告を受けたパットンはパットンで近衛軍が守備隊の基幹だったのだと確信し、偵察隊にはそのまま橋の監視と周囲の警戒をさせておかせる。

 この報告をパットンは即座にチェンバレンの元へ持ち込んで話し合い、兵力が相手にわれているので分離するのは危険だと判断しつつも、もぬけの殻だと言われるハムステッド城塞にどのような奇策があっても対処できるよう先遣隊を組織して城塞に突入させる結論をだした。

 それを受けてパットンは再編された先遣隊の450人を率い、未だ再編成にごたつく本隊を後方に残したまま無人のハムステッド城塞へと歩みを早めた。

 後世に語られる『アルビオン王国内戦』の初端である『ハムステッド城塞の戦い』が本格的に幕を開くのである。



[20897] 24話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/17 21:44
 森林に囲まれた街道を出てから3リーグもの平原を進み、そこから20メイル程度であろう眼前の河を渡ったならば、そこはもうハムステッド城塞の射程である。

 まずは森林の境目に隠れ、望遠鏡によってハムステッド城塞の偵察をしていた偵察隊と合流し、確認がてらパットン自身も望遠鏡を覗き込んでみたが珍しく風が凪いでいるのか蹴散らした近衛軍の旗が力なく垂れ下がるのみで、確かに敵影を確認する事はできなかった。

 だからといって疑いは晴れず、偵察隊には隠れながら東へと移動させ城塞の門が見える場所を探させた。 そして、もたらされた報告こそが『ハムステッド城塞の東門が開門されているのを確認』という内容である。

 城は入られなければ強いが内からは脆いのは周知の事実であり、その門が開いているのには相応の理由がある筈である。

 どちらにせよ、パットンは安堵していた。 ボールドウィンにはハヴィランド宮殿を落とすよう言われていたが、そんなことは無理だと感じていた。

 だからこそ、交通の要所である橋とハムステッド城塞を得られればそれなりの勝利を捧げられると考えていたのだ。

「命知らずの先遣隊勇士に告ぐ! 間抜けにも予備隊を残さず潰えたハムステッド城塞は貴君ら勇士の誇りである! 未だ虫けらが中に潜んでいるかもしれないが、勇士らの牙をもって敵の腸を食い破るのみである! 先遣隊突撃!」

 抜いた杖をハムステッド城塞へ向け、勇ましい声をあげて先遣隊の先陣を切って突撃を開始する。 指揮高揚した先遣隊に敵は居らず、必ずや城を奪い取る気概に満ちていた。

 山中に偽装された砲台は、森林で隠れていた街道から吠えて飛び出す先遣隊を冷ややかに見つめ、マジックアイテムを触って敵の発見を城内に報せる。

 城内では既に戦意が天をつかんばかりに高ぶりつつも、見事な統制により息を潜めて潜伏しており、そこでも土のメイジが地に伏せて五感をもって索敵を行なってはいたが、さすがに川向かいの様子まではわからないのである。

「砲台より『敵を確認せり。 北西Da-03より街道を突撃中』だそうです!」

 分厚い北城壁には4箇所に大砲が設置されていた。 そして、ハイマンが詰めているこの部屋こそが城壁内からそれを指揮すべく造られた砲兵指揮所であり、各大砲へと繋げられた伝声管が纏められた部屋でもあった。

 本来ならば敵の上空に風竜を進出させて敵の動きを逐一報告させたいが、ここは空城だと見せる為には下手に風竜を出すわけにもいかず、対岸の監視は専ら砲台任せになっているのだ。

 難しい顔でハイマンは机に広げられた地図を睨みつけると、駒をハムステッド城塞から北西に位置する街道を囲ったDa-03に置いて地図上に再現すると、4本の伝声管に向けて大声をあげた。

「砲台から敵の発見が伝えられた! 砲台の砲撃音が聞こえしだい2番と3番は榴弾で橋が落ちるまで狙い続けろよ! 1番と4番は仰角に注意しつつ、橋を渡った敵軍へ散弾で斉射5発だぞ!」

 当然伝声管に声をかければ声が管を通って4箇所の大砲に届く。 声は砲兵全てに届いているが、内部はあくまでも事前に通達してある作戦の確認でしかない。

 だが、それでも指揮官から事前に声をかけられるだけでも気が引き締まり、単純に士気すら違ってくるものである。

 装填の済んだ大砲が、まさか5門も自らの部隊を狙っているとは思いもしないパットンは、そのまま罠を警戒しつつも今は多少の罠ならば勢いで踏み潰すべしと力を込めて突撃を敢行する。

 既に要所である橋は目前であり、未だに城塞からは音沙汰どころか人の気配すら感じられず、警戒が考えすぎなのかと感じてしまう程である。

 誰も居ない。 橋を渡って見れば柵や土塁の防御陣地が丸見えだが誰も居らず、それだけではなくまだ昼間であるのに畑を耕す農夫も町を行き交う人々も昼食の準備を示す煙突の煙だって見えてこない。

 これは些細な情報でしかないが、それでも大きな疑問をパットンにもたらしていた。 いったい誰が住民を避難させたのだろうか?

 可能性は幾つか思い付くが、同時にその可能性に対する対案も鎌首をもたげて混乱に拍車をかけてくる。

 最も常識的でありながらも最もあり得ない可能性は、避難命令を近衛軍が発令した場合である。 これがそれなりの軍であればあり得るが、所謂ガリアやトリステインのようなメイジ至上主義とまでは言わなくても近衛軍には隠しようがない選民思想が蔓延っていて、わざわざ平民に避難命令を出すとは考え難い。

 それに、だ。 橋が残っている所から予備隊を残さなかったところを見れば、避難命令なんてものを出さずとも近衛軍の独力で事態を収拾できると考えており、尚更避難命令を出しているとは考え難いだろう。

 もしも、少数ながら予備隊を残していたとしたならば、そもそも橋が残っている筈がないので前提からあり得ないのだ。 当然ながら竜騎士も予備隊が居ないのならば、こんな所で避難命令をだしている暇などは無く、迅速にハヴィランド宮殿へハムステッド城塞の陥落を伝える為に飛ぶだろう。

「……む?」

 パットンの脳裏に違和感が掠る。 近衛軍というメイジ部隊を打倒できてパットンもチェンバレンも含めた誰もが歓喜したが、冷静に考えてみれば大きな疑問が残る。

 メイジ部隊の売りはその機動力と打撃力なのは周知の事実であり、確かに籠城にもメイジは重要視されるが籠城の基本は平民の頭数である。 ならば、ハムステッド城塞に元々近衛軍と同規模ないしそれ以上の部隊が配置されて然るべきじゃないか?

 先陣に混じったパットンは橋を既に渡りきり、しかしながら思考がそこに至って不安が増したのか知らず知らずの内に自身の足が遅くなっていて、先遣隊450の内400が橋の真ん中に至った時には足が止まって先遣隊は棒立ちになっていた。

 敵がハムステッド城塞に残っていて橋までもが残っているのは、どう考えても我々を引き込む罠であるのは間違いないだろう。

 先遣隊の足が止まっている事にようやく気付いたパットンは、止まったのは完全に下策でしかなかったと悔い改め突撃を叫ぼうとし、風が吹いて襤褸が揺れた事で陽光を浴びて一瞬だが輝いた砲身を城壁に確認し、自身の失態に苛立ちながらも杖を振り上げ声をあげた。

「散開! 全員走って散――」

 だが、全てを語る時間がパットンには与えられなかった。

 唯一敵を捕捉していた砲台は、急に立ち止まる先遣隊を見て一瞬罠の有無を考えてしまったが、わざわざ狙っている橋の上でも止まっているのを神に感謝して大砲を唸らせた。

 その轟音に時きたりとばかりに城壁の2番と3番大砲も追随し、ここに合計3発の榴弾が開戦の狼煙を上げる。

 もとより狙いを定めていた大砲から撃たれた榴弾は、その狙いを大きく外しはしないも2発は惜しくも橋を挟叉して水柱を上げるに留まったが、残りの1発は見事に橋へと吸い込まれて行くと橋脚に仕掛けた硫黄と共に大爆発を起こして敵諸とも消えていった。

 余りの出来事にまごつく先遣隊に慈悲は与えられず、1番と4番の大砲も負けてはいられぬとばかりに散弾を吐き出し、先遣隊の上空に死の洗礼を与えていく。

 城壁から先遣隊を見下ろせば、各所でメイジが奮闘して降り注ぐ散弾から味方を守っているが、それほどメイジが多くないのか焼け石に水でしかない。

 あちこちで傘を張るメイジは悲鳴を上げ、いたるところでメイジの庇護を得られず傭兵が散弾に四肢を食い千切られ、断末魔とともに血の海に沈んでいく様はさながら地獄絵図とも言えた。

 ここまで追い込まれてパットンは腹をくくり、なんとか恐慌状態に陥った先遣隊を統制すると城壁目掛けて突撃するように叫んだ。 あくまで懐に潜り込みさえすれば、大砲は無力化できると踏んだのだ。

 死中に活を求めんと体勢を崩されながらも飛び込む先遣隊に対して、防御側もそんなことは百も承知だとばかりに合図代わりの鼓が打ち鳴らされた。

「やっと騎兵隊の出番か。 よし、俺に続け!」

 てぐすね引いて待っていたとばかりに開かれた門からクリストフの率いる騎兵隊は飛び出すと、砲台が景気付けにと1発の散弾を先遣隊に向けて吐き出すと全砲が沈黙した。

 大砲の攻撃力は魅力的だが、乱戦に入れば敵味方の区別ができなくなってしまうので、敵にそれを知られてでも撃つ事を止めざるを得ないのだった。

「突撃! 突撃! 突撃ぃ! 柔らかい腸を食い千切れぇ!」

 騎兵隊は飛び出した勢いをそのままに統制をとりきれていない先遣隊の間延びした薄い横腹に食い付くと、勢いの差を見せつけるようにして先遣隊の隊列を前後に二分させて多い方の包囲に回る。

 馬上から槍で貫き剣で薙ぎ、数が多いながらも砲撃によって恐慌状態に陥り正常な判断どころか怪我のない健常者すら少ない後部を騎馬隊で包囲しながらも、クリストフは冷静に前部へ視線を向ける。

 敵はバカではないと聞かされていたが、あちらの方が統制がとれた動きで東へ回り込むように門を目指しているのをみると、どうやら敵の指揮官は陣頭指揮を執る敬意を払うべき相手のようだ。

 前部に視線を向けるクリストフに対し、戦場で気を抜いたバカな獲物だと勘違いした相手に報奨代わりに剛槍を与え、栄誉代わりに相手から生命を奪って清算とする。

 城塞から次の鼓が鳴らされて、出番が来た事に歓喜の声をあげて歩兵が門から飛び出すと、動きが纏まり始めた前部への包囲攻撃を開始した。

 前後を二分された事に怒りを感じつつも、今は新たに現れた歩兵に対処すべくパットンは動揺を抑えるべく大声を出す。

「円陣を組め! いや、このまま包囲を食い破るべし!」

 周囲を囲もうと動く歩兵の奔流を見て守勢に入ろうかと考えたが、あいにくここは敵の勢力圏のど真ん中であるならば守って勝てるものではない。

 振り上げた杖をくるりと回してメイジに招集をかけると、集まった5人と供に包囲すべく動いた歩兵の内、動きの悪い左翼の中央へ余力は残しつつも最大威力の魔法を解き放つ。 こうして敵にも血を強いる事で、左翼を浮き足だたせて突破を試のだった。

 各々が火や風や土の魔法によって左翼の意図を挫き、更に残酷に見えるよう火だるまになって悲鳴を上げる歩兵をエアカッターで切り刻み、止めを後ろに任せて石で膝を砕かれて倒れる若者の顔面を蹴り抜いて駆け抜ける。

 急拵えにしては中々うまく作戦遂行できたようで、先遣隊を分断した騎馬隊とは違い場馴れしていないのか、左翼は顔を強張らせて固まってしまい有効的な反撃のないままお行儀よく通してくれるようだった。

 パットンは分断された後部へ振り返らない。 助けに行きたい衝動にかられるが、追撃してきているであろう歩兵を蹴散らして騎兵隊を打倒して救援に向かうよりも、今は追撃を振り切り城塞へ飛び込む事が人的被害を最小に抑える術なのだ。

 神でなき人間は俯瞰して戦場を眺める事ができない。 故に、城外決戦を仕掛けてきた規模からパットンは敵数を見誤り、ハムステッド城塞が空だと考えていたのだった。



[20897] 25話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/19 21:38
 一方的な攻撃にしかなっていないが、この戦いが始まってからと言うものベックのストレスは溜まりに溜まっていた。

 空堀に潜り込んで待機する弓兵部隊には今のところ出番が無く、作戦では先遣隊がこちらの砲撃の意図を掴んでいて城塞への密着を目指した場合、その行軍を矢で阻止して砲撃機会を増やす為に配置された部隊である。

 故に先遣隊の動きが途中で止まり、砲撃が的確に行われてからは空堀の中で身をすくませながら弾着の振動をこらえ、来ないのはわかっているがやはり誤射を畏れて部下も空を仰ぐばかりだった。

 だからこうして見事に分断された敵の前部が、これまた見事に歩兵部隊の左翼を抜いた時にはついに独自で動く事を決意していた。

「動くぞ野郎ども! 走れ走れ!」

 空堀の両端に造られた階段の内、東側の階段を駆け上がり弓兵を率いて戦場へ飛び出すベックは、そのまま走り続ける前部に一定距離まで近付くと、いきなり現れた弓兵に苦虫を噛み潰した表情のパットンが率いる前部に向けて弓を構えさせた。

「合図は無しだ! 俺がいいと言うまで射かけろ!」

 前進の意図を挫くべく叫びながらもベックは自身の剛弓を引き絞り、その矢を斜め上空に打ち出すと次へ次へと矢を放つ。 そんな指揮官に負けられないとばかりに、周りの弓兵の射も速くなるので矢弾が上空を覆ってパットン達へ猛威をふるう。

 だが、パットン達からしてみれば弾雨とばかりに降り注いだ砲撃から比べれば、たかが矢などはくらべものにもならない程楽な物でしかない。 しかしながら、不幸にも先程の歩兵を突破した弊害が顕著に現れてしまったのだ。

「メイジは走りながら矢を防御しろ! 他は出来る限りメイジに近づいて身を護れ!」

 包囲を突破する為にパットンはメイジに集合をかけており、今はこの部隊に何人居るかもわからないメイジが一ヶ所に固まっていることになる。 それは面を防御するに当たっては非常に不利な状況であった。

 雑な指揮に見えるかもしれないが、ベックの率いる弓兵はそんな指揮官を心酔しており動きが統制されていて、嵐のような矢が第一波は前部の全体的に降り注ぎ、第二波からはメイジの少ない場所を的確に読み取り念入りに射続ける。

 明らかに一波ごとに甚大になっていく被害に対し、このままでは本隊到着までに城塞を死守する兵力すら残らないとの答えに至ったパットンは、後から来るであろうチェンバレンの事を考えて自分がすべき事は敵の名指揮官を1人でも殺す事だとして、弓兵の先陣で弓を放つベックに狙いを定めて距離を潰すべく弓兵部隊へと進路を変えて前進を開始した。

「よし、敵が食いついたぞ! 背面に注意しつつ全速後退せよ! 最後尾にはメイジが付け! 魔法は撃たせても絶対に防げよ!」

 食いついた前部と弓兵には距離があり、またその前部とそれを追いかける歩兵部隊には距離がある。

 なので普通ならばここは挟撃というのが最もよい戦術にも思えるが、挟撃をするには弓兵部隊には死にものぐるいの敵を――ここまで封殺されてなお脱走兵すら出ない士気の高さがある――ここで金床として押さえ、ハンマーたる歩兵部隊が到着するまでの時間を稼がねばならない。

 ベックの率いているのは弓兵であり、如何に遅延戦術を用いろうとも敵と友軍が近付いたならば、いかに練度が高かろうと誤射を恐れて弓など使えたものではないのだ。

「追え! まずは目障りな弓兵から皆殺すぞ!」

 まともな配置でないところから考えて、歩兵を引き連れていないたかが弓兵なんてものは、近づいてしまえば怖れるに足りない弱者でしかない。

 どんどんと城壁に向かって逃げる弓兵に対して、追撃を仕掛ける前部を見つめる2人がいた。

 まずは騎馬隊を率いているクリストフである。 彼は既に掃討戦になりつつある後部にうんざりしていて、歩兵部隊の左翼が前部に抜かれた時には後部を包囲している騎馬隊から幾人か引き抜いて援護に向かおうと考えていたが、空堀からベック達が出たのを見ていらぬ心配だったなと効率的に包囲を狭めて掃討を続けていた。

 こちらの後部にも下級指揮官は何人もいるのだろうが、やはり前部にいるのが先遣隊の柱となる指揮官のようで、特に有効な反撃もなく葦を刈り取る作業のように敵兵を殺していく。

 そんな時、偶々視界の端で矢を射かけられた前部が進路を変え、その矛先を弓兵部隊に向けて動き出したのを見て動こうかと考えたが後退する先をみて小さく笑みを浮かべ、そちらから意識を外して自身の仕事に集中することにした。

 それを見ていたもう1人であるウィリアムは、自身の率いる弓兵が詰めている城壁の射程圏に敵を連れてベックが逃げて来るのを見て、口の端に笑みが浮かぶのを感じていた。

「ベックが間抜けどもを引き連れて逃げて来る! 奴等の信頼に答えてやらんとならんから、敵前方斉射2回合わせろ!」

 年甲斐もなく身体に血がたぎるのを感じてしまい、それすらも喜悦にかえてウィリアムは凄絶な笑みを浮かべる。

 未だに城壁からは1発の矢すら放たれて居ないので、こちらの存在はバレていないのは大きい。

 引き絞る弓が狙いを定めてタイミングを探る。 こちらの射程圏に入ってからと言うもの、徐々に後退速度をおとしている弓兵と前部の距離は縮んでおり、そろそろ魔法の射程に入り始めているのだ。

 だからパットンは見誤った。 追撃を仕掛けている弓兵が門のある東側ではなく、西側へ逃げているのは城壁内には砲兵が少ししか居ないのだと。

 後部を囲む騎馬隊は、有効的な反撃にあい弓兵を援護しに来ないのだと。 これは事実だが、他の部隊と比べて追撃してくる歩兵は御しやすいと。

 だからパットンは、遂に崩壊への引金を引いてしまった。

 追撃を仕掛けながらも何とか部隊を統制し、前方に集めたメイジは自分も含めて7人。 そのうち、魔法を撃ちだす余裕のあるメイジは風メイジだけだが4人。

「血を強いれば敵も怯んで動きが乱れる! エアカッターで静かに後ろから切り刻むぞ!」

 短い詠唱と供に4人がエアカッターを解き放ち、風の刃が贄の血を欲して静かに真っ直ぐ突き進む。 何も知らずに逃げる弓兵の血飛沫が舞うと信じ、凄惨な笑みを浮かべようとして目の前に見せつけられた真実に戦慄した。

 逃げる背に向けて牙を剥いた4筋のエアカッターが、その研ぎ澄まされた牙を柔らかい肉に食らい付く前に、襲いかかる風や土の壁によって防がれて僅かに防ぎ損ねた血が舞うのみである。

 それに呆けなかったと言えば嘘であり、何故メイジを擁していながら今まで魔法を使わずにいたのか考え込んでしまったのである。 だからこうして逃げる弓兵以外から矢が射かけられるとは、誰も考えていなかったのだ。

 敵のメイジが魔法を撃った瞬間こそが、ウィリアムの求めていたタイミングだった。 常であれば魔法を2度3度と繋げて撃ち続ける事ができるだろうが、それは全く疲労がないという前提条件を要する。

 戦場という極限状況においては、本人の自覚の有無に関わらず精神的にも肉体的にも疲労が体を蝕み、体力や集中力は刻一刻と失われていくものである。 更にウィリアム達の存在は未だにお披露目していないので、奇襲にまでなるのだから魔法を撃ち終わった瞬間に起きる思考の間隙が最高のタイミングなのだ。

「味方には当てるんじゃないぞ! 射かけろ!」

 引き絞る玄が解き放たれ、城壁から矢が唸りをあげて敵を目指す。 その光景にベックは笑みを漏らし、パットンは自らの右肩に矢が刺さった事でそれに気が付いた。

「……え?」

 右肩の矢を抜こうとして、無様にも地面に転げて左膝の少し上にも矢が刺さっている事に驚いた。 追撃を仕掛けていた弓兵ひきちんと監視していて、弓を放つような仕草が無かったのは確かである。

 だからこそ、この矢が何処から飛んできたのか聞こうと周囲を見回して――自分以外に生き残っていたメイジが全員針鼠のように矢が刺さっているのを見て、そして騎兵隊が包囲した部隊を潰したのかこちらへ走り始めたのを見て終焉を理解した。

「……そうか、負けたか」

 満身創痍ながらも生き残った兵に囲まれ、次の指示を求められるなかでパットンはポツリとそう溢してしまった。

 気の抜けたように黙り込む自分達の指揮官を守るべく、何の指示も無しにパットンを中心として円陣が組まれて追いついてきた歩兵と相対する。

「パットン様! 指示を――我々はどうしたらいいのです!?」

 地面に伏したパットンに肩を貸して立たせた男は、恐慌状態に陥りながらも次の指示を要求しているのだが、声を出すだけで左胸に赤く染まった矢の刺さった痕がやけつくように痛み顔が歪む。

 部隊の頭たるパットンが押し黙った今、何の指示もなく効果的に守る事すら出来ない。 殺到する歩兵部隊はただ闇雲に守りに徹する前部に対して攻勢をしかけ、既にパットンの周囲は阿鼻叫喚ともいえる状態である。

 あそこでは周囲が後退したのに気付かず突出した部下が歩兵に囲まれて滅多斬りにされ、あちらでは恐慌状態に陥った歩兵が既に生き絶えた俯せの部下だった人間に跨がり泣きながら何度も背中を刺し、そっちでは足を斬られ倒れて命乞いをする部下の顔面を歩兵が蹴り飛ばし何度も何度も顔を踵で踏み抜いている。

 一切のモラルも慈悲もない戦場で、パットンは黙ってしまっていた。 ただ1秒黙るだけで何人もの部下が殺されるとわかっていながらも、こうして逃げも隠れもせず無為に時間を過ごしてしまった。

 偶々どこかの歩兵が投げたであろう槍が飛んできて、パットンの肩を支えている男の胸を貫いた。

 支えが急に無くなった事で体がぐらつき、また地面に逆戻りして倒れ込む。 今度は先程とは違い周りも自分の命を守るのに忙しいからか、誰もパットンに駆け寄っては来ない。

「……降伏すべきか?」

 勝算なんてものは無い。 ならば彼等を、部下を1人でも助ける為に降伏をするのは指揮官の義務である。 勝利の栄華も、敗戦の屈辱も指揮官の仕事なのだ。

 だが、パットンは栄誉ある戦死を自身も含めて全員に与える事を選んだ。 降伏は簡単だが、罪が罪だけに捕縛されれば簡単な死を与えられないだろう。

 情報を得る為という大義名分のもとで我々は惨憺たる拷問を受け続け、身も心も壊されてからじっくりと殺されていくだろう。

 チェンバレンや本隊には悪いが、先遣隊は華々しく散ってしまおう。

「全員聞けぇ! うるさい歩兵を押し貫いて突破する! 私に続けぇ!」

 立ち上がり杖を捨て、隣で胸に刺さった槍を引き抜き血塗れで戦場を駆け抜ける。 それに部下は感激し、最後の突撃が敢行されたのだった。



[20897] 26話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/23 20:19
 作業の命令を済ませ現場を任せたウィリアムは、既に砲兵指揮所を出て自室に戻っていたハイマンのもとへ向かっていた。

 壮絶な戦いになったが、先遣隊との戦いはなんとか防衛側――要するに我々の勝利で幕を下ろしている。

 外では今頃ウィリアムが与えた命を受けたクリストフやベックが、砲撃によってもげた腕を治そうと押し付ける者や怪我をしつつも地を這ってでも落ち延びようとする者、既に息の微かな者を区別なく殺している頃だろう。

 出した命令は今までの戦闘から比べれば簡単なもので、生き残りの処分と武器や鎧等といった使えそうな戦利品の回収、そして敵の戦意を挫く為に死体を川辺に築城した柵に引っ掛けておくように伝えてある。

 ウィリアムとしては命令するだけではなく最後まで付き合うつもりだったのだが、風竜がロンディニウム方面から飛んできて城塞内へ降り立ったのをみて、現場を部下に任せてハイマンのもとへ来たのだった。

「失礼する」

 扉を開けて部屋に入ったウィリアムが見たのは、苦々しいハイマンと手柄を独り占めするわけにもいかないとの建前から歩兵部隊を率いていた彼の副官だった。

 2人は沈痛な面持ちで1枚の紙切れを睨みつけ、まだ緒戦とはいえ戦勝の雰囲気とは程遠いさまである。

「ああ、ウィリアム子爵。 先程の戦いはご苦労だった…… 被害と戦果を教えてくれないか?」

「渡りきった敵を皆殺しにし対岸への砲撃で砲台が得た戦果を抜かせば、今回の戦果は約400程度かと。 それに対して、被害は弓兵で重傷2人が魔法薬で回復可能、騎兵隊に16人の死者と回復可能な重軽傷者20人、軍馬は30頭が死亡し重軽傷を負った18頭は潰させてある。 最後に歩兵部隊だが」

「はい、私の率いた部隊では28人が死亡し18人の重軽傷者が出ましたが、怪我人はいずれも回復可能です」

 出された被害と戦果をくらべてみれば、かなりの大戦果といえる内容である。 これも全て大砲が出した結果と言っても過言ではなく、最大4門による集中砲火によって先遣隊の大半が一方的に食い潰されるという戦果があったからこそ、ここまで被害を抑えられたのだ。

 しかしながら、戦闘の全体像を掴みながらもハイマンの表情は暗く、それを訝しむウィリアムに向けてその現実がゆっくりと突き付けられた。

「これを見て欲しいウィリアム子爵」

 ハイマンに渡された紙切れに目を通せば、そこにはあまりにもふざけた内容が書かれていてウィリアムの表情が憤怒に変わる。

「何だこれは! 中央の奴等は現状が理解できない愚者しか居ないのか!」

 上質過ぎる紙切れに書かれた内容、それは――

『北部諸候によると、北部より南下する部隊は存在しない。 確認された南下する部隊は政治不安を煽る愚者の軍勢であり、ハムステッド城塞駐屯軍は現有戦力をもって王権にかけて断固そのしれものを撃滅せよ』

 もしも許されるならば、ウィリアムはこの紙切れを滅茶苦茶に破り裂いて捨ててしまいたいが、紙には王家の紋章もありそんな対応すらできない。

 それにしても、ここに居る誰もが知らないが、中央から派遣された王権を冠する巨大戦艦が既に奸計により着々と反乱すべく動いていると知っていたならば、この紙切れに書かれた王権がどれだけ白々しく皮肉に映っただろうか?

「どうしたものか…… 率直にウィリアム子爵、今の状態で勝機はあるかな?」

「現有戦力という事は援軍がないと考えると、先遣隊は奇襲が成功しましたが本隊との戦力差から難しいかと」

 そもそも砲兵や予備隊にはそこまで疲労は無いだろうが、騎馬隊や歩兵部隊といった部隊には疲労がそれなりにある。

 如何に勝利に弾みをつけて士気旺盛の部隊とはいっても、流石に3倍以上は居るであろう敵を抑えるのは難しく、しかも先遣隊が壊滅している時点でこちらの存在を察知しているから奇襲もままならない。

 まともに正面からぶつかる以外に選択肢がないのだ。

「子爵、ウィリアム子爵。 色々言いたいだろうが、まずは私の意見を聞いてほしい」

 そう言って真剣な眼差しをハイマンがウィリアムに向けると、ウィリアムはその瞳から苦渋と覚悟をみてとり黙って続きを促した。

「私はね、こんな機会を待っていたんだ」

 訥々とまるで自分に言い聞かせるかのように、ハイマンは自身の家への思いを語り始める。

「私の家は元々中央の政治家でね、国の為にそれは心血を注いでいたんだよ。 だがそれも、ありもしない横領を祖父が着せられて失脚し、今となってはこうして"栄転"させられて城勤めだ」

「栄転?」

「任された裁量はハムステッド城塞の守備だけで、街の治安維持も税の徴収も何から何まで取り上げられているがな」

 どうやら昔を思い出しているのか、「今は守備隊だけで200人は居るが、両親が存命していた子供の頃は100人すら持つことを禁じられたよ」と苦笑するハイマンに、ウィリアムも苦い顔になってしまう。

 いい話ではないが、失脚という意味では親近感がわいてしまった。 そして、半ば飼い殺し状態で"左遷"させられたハイマンに同時に同情してしまっていた。

「それ故に、常々汚辱を雪ぎ中央へ必ずや戻るべしと教えられてきた。 そして今、そのチャンスがきたのだ! この命令を出したのが愚昧であれ奸臣であれ、王家の紋章を背負っているからには陛下のご意志であり、ここが自身の裁量でくだせる見せ場なんだ!」

 状況を省みない盲目な熱意に燃えながら、理性を捨てて私情をハイマンは全面に押し出した。 当然理性的な判断ができるのならば、ハムステッド城塞を破壊して後方へ下がるのが他人の命を預かる指揮官の正しい判断である。

 だが、今のハイマンは目の前にあるチャンスを掴む為ならば多少の犠牲に目をつむる残酷さを持ち合わせていながらも、勝機が無いのは誰よりも理解していると思っていた。

 あまりにも自分勝手過ぎる物言いに、いつものウィリアムならば階級の上下もなく叱責をとばしていただろうが、様々なものを失った今のウィリアムは少しだけ考え方が変わっている。

「……勝てたら英雄ですな」

 勝敗だけではなく、ここで退かずに王家の盾として戦う事はデーンロウ家の益々の忠誠を王家な見せつけ、孫の地盤を磐石にせしめると考えてしまったのだ。

 だから、ウィリアムも勝てないのは理解しつつこうして防衛戦の準備が幕を開けたのだ。



 中天を越えた太陽はゆっくりと西に傾き始め、あと少しばかりで夕方になりそうな雰囲気をかもしている。

 まだ激戦が終わってから2時間と経っていないが、既に敵の渡河を抑えるべく弓兵500人は川岸に作った土塁の東から西へ広く配置され、来るべき時を待ちながら先程なにもしなかった予備隊によって炊き出された遅い昼食をとっている。

 今回は先の戦闘とは違い上空を風竜が舞って偵察をしているのが特徴で、それは奇襲を捨てて策なく正面からぶつかる意志の現れだった。

 事実として敵本隊への対策を迎撃と伝えられ、現場で弓兵を指揮するベックやクリストフも交えて作戦会議が開かれたが、そこで導き出された作戦もあくまで砲撃と弓により敵の強行渡河を防ぎ、渡河により浸透された戦線には後方から歩兵を充填して対処する堅実な作戦が決定された。

「大丈夫ですかね?」

 如何に先程の戦勝が大きくとも、ベックの率いる弓兵には簡単に浮かれるような者は居ない。 逆にこのような人材が部下に揃っているからこそ、こうして戦況を不安に感じているのだ。

「勝てば俺達は英雄さ」

 不安を肯定も否定もせずに苦笑で流し、勝った後の事だけを見据えてベックは周囲を見回した。 勝てる事はないだろうというのが、ベックどころか上の人間は全員そう感じている。

 それは作戦内容の一部に大きく反映されていて、渡河を止められない場合はハムステッド城塞内で大砲を破壊し、物資を全て焼き払い撤退すると定めていた。

 それでもこちらも簡単には負けて死にたくないので、手持ちのメイジの大半を弓兵とともに最前線に注ぎ込んでもらったのだった。

 夜に備えて篝火の準備がなされる戦場は、未だ戦闘の気配はない。




 ハムステッド城塞では次の戦闘への準備が行われている頃、アルビオン王国の中央たるハヴィランド宮殿や現在は東部に拠点を置いたレコン·キスタはてんやわんやの大騒ぎになっていた。

 ハムステッド城塞からハヴィランド宮殿へもたらされた予定された戦場での予想外の戦闘は、吟味する暇もなくすぐさまレコン·キスタの元へと届けられ、予定を前倒しにして勝手に動き出した北部諸候の誰か――誰かは確認できていない――の行動は驚愕をもって受け入れられたのだ。

「……どうします閣下?」

 円卓に座る初老の男が難しい顔で中央に座った神官のような男に問いかけるが、その男――クロムウェルは薄い笑みを崩さず黙ったままだった。

 居並ぶ東部諸候の視線に対して北部諸候は肩身が狭い思いを感じているが、何にしても末端までは制御も理解もしていないのでこれが計画的なものなのか暴走なのかの判別すらできないでいる。

 そんな中で当然議題に上がるのは、レコン·キスタが近く定めていた時計を早めるのか取り除くかである。 今回のこれはタイミングがあからさまに悪く、予定通り動く事に大きなデメリットが影をおとしていた。

 このような武装蜂起があれば、当然アルビオン王国は防衛拠点に兵力を集めるだろう。 そして、下手をすれば中央からの査察が入り、事前に集めていた兵力を過剰戦力として解散ないし中央への摂取が考えられる。

 それを避ける為には乱された足並みを前倒しにして揃え、今からアルビオン王国に宣戦布告を行い攻めようにも地上戦力は揃いきっておらず、更には裏切らせた空軍による支援は間に合わず受けられないだろう。

 不安は肥大していき、彼等は突き付けられた選択肢から最も良いものを選ぶべく、こうして会議を続けていくが誰も中止という言葉を出てくる事はなかった。

 そんな状況にクロムウェルは先程までとは違う意味で小さな笑みを浮かべ、自身の手を飾る指輪をひと撫でしてから口を開いた。

「諸君には余が、諸君には"虚無"がついている。 だからこそ、これも始祖が遣わせた報せなのだろう」

 芝居がかった振る舞いでクロムウェルが立ち上がると、そのまま仰々しく円卓に座る貴族の顔を見回して大きく頷いた。

「時計の針を早めよう。 何事も慎重さは必要だが、それで機を逃してはならないのだよ」

 東部と北部、そして盟主たるクロムウェルの連名で宣戦布告の文章が記され、翌日の日の出とともに進軍を開始することを定めて会議は解散となった。

 ゆっくりと着実に歴史は動いていき、激動の時代が幕をあけようとしていた。



[20897] 27話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/27 02:12
 太陽が地平線へと傾いていき、大地を紅く鮮明に照らしているような時間になり、やっと戦場へ本隊は到着した。

 そこは貪欲に血を求める悪鬼の住処であり、常の判断を誤りやすい場所でもある。 それは歴戦の勇士にも当てはまるもので、先遣隊を任せていたパットンからは偵察隊との合流を最後に、砲撃らしき音のみを残して連絡を絶っている。

 そこからハムステッド城塞に敵が駐屯していて、更に有力な火砲を音から2門以上擁しているのまでは簡単に推理することが出来るが、駐屯する兵力に関してはわからずじまいである。

「兵を止めろ」

 先頭を歩くチェンバレンが片手を挙げてそう言えば、即座にそれを見て順々に前から歩みを止めて隊列を正す。 これだけの部隊を率いていながらも、全てに統制が行き届いている証拠である。

 兵を止めたチェンバレンが近くに居る数人の顔を見れば、各々が顔面蒼白ながらも小さく頷いた。

「敵の砲はここから半リーグ先の弾着痕まで届いて来ました……」

 彼等は幸運にも橋を渡りきる前に橋を落とされ、砲撃の雨をかいくぐり這う這うの体で命からがら逃げ切れた先遣隊数少ない生き残りである。

 だからといって彼等は彼等で先遣隊と分断されて逃げて来たので情報源になることもなく、こうしてこちら側への射程圏を確認する程度のことしかできはしなかった。

「まずは敵の規模を把握すべく、小手調べ代わりに強行渡河を敢行する。 本隊より800を抽出し、500が渡河を敢行し残りの300は――」

 チラリとチェンバレンが上空に目をやれば、そこにはこちらをじっくりと監視している風竜が見えた。

「それを阻止する為に動く部隊を弓で攻撃する。 メイジは橋を架橋しろ」

 先行する800人の選抜をしている副官の肩を叩いて残りの1000の指揮を頼むと、自身は渡河を指揮すべくゆっくりと前進して行った。

 ボールドウィンによる事前情報では、ハムステッド城塞前の川幅は20メイルとかなり幅広いが流れは緩く穏やかで、、渡河も容易いだろうと言われていた。

 だが、だからこそ敵は渡河には敏感に反応すると思われ、それを阻止する為に敵の反撃はそうとう熾烈なものになるだろう。

 そうなればかなりの被害は必至だが、だからといってハムステッド城塞の影響圏を西や東へ大回りする暇もなく、こうして被害が大きいだろうと知りつつも行かざるを得ないのだ。

「準備ができ次第行くぞ。 編成急げ!」

 声をかけながらも自前の地図に敵が築城した陣地を書き込み、望遠鏡を使ってこの距離からでも見える範囲で敵の布陣を考え、こちらがすべき効率的な渡河への出方とそれを阻止する相手の出方を考えていく。

 渡河した部隊への足止めだろう柵は川の東西へ伸び、その備えは東へ行くにつれて土塁も強固になっているのがみてとれ、逆に西へ――ハムステッド城塞の正面へ向かえば向かうほど大砲の集中運用と命中率が期待できるからか、もしくはそこを抜かせてから叩きたいのか備えが薄くなっていく。

 やはり最東端にはメイジを配置して敵砲の命中率を下げさせ、西にかけては一点攻撃をして敵の兵力集中を避ける為にも面で攻めるしかないので、敵をメイジのいる東へ集中させないよう横長に列を作らせつつも西を厚目に陣形を作らせる策を考えて、選抜された部隊へ伝えて戦列を形成する。

 対岸上空からは竜騎士が興味深げにこちらを見下ろしていて、既に渡河を敢行するのは知られているのは明白である。 ならば、敵に聞こえるように行くまでだ。

「鼓を鳴らせ! これより強行渡河を敢行し、敵を皆殺しにして先遣隊幾百の英霊を慰撫するのだ!」

 力強い咆哮と突撃を報せる単調な鼓により、今ここに開戦が知らされる。




 ここで考えてみて欲しい。

 人生で水浴び程度で実践的な水練を行なった事のない人間が、膝や腰までの水位ならまだしも自身の倍ある水深の川を、流れが緩いとはいえ着衣の上に鎧や武器を持って知らず入っていった者の末路を。

 それを例えるならば、まさに蟻地獄の様相である。

 最初は浅く気にもならない。 それが段々と膝まで水位があがり、腰に迫る頃には彼等は川に異変を感じ始める。

 だが、感じた異変に彼等はどうすることもできない。 何故ならば、遮蔽物のない川で立ち止まる事は矢の的になることを意味し、当然それは死への誘いになるからだ。

 死にたくない彼等は自ら死地へ飛び込んで行くのは皮肉だが、川の真ん中に差し迫る頃には動きも遅くなり爪先立ちでも呼吸が難しくなってしまう。

 動きの悪い的を外しはしないと上空からは砲弾と矢の雨が降り注ぎ、大きな水柱を上げて甘んじて矢を受け物言わぬ屍となった彼等は川下へと流されてしまう。

 そんな未来の自分へと起こりうる惨状をこの目で確認した彼等は、一心不乱に前進を続けて一定距離を進むと暴れだして浮かばなくなる。 彼等は傭兵であり剣や槍や斧など様々な武器を持っているが、そのどれもがそれなりに重い物なのだ。

 重りを抱えた着衣泳は甚大な被害を引き起こし、なんとか命からがら渡河に成功した者も重りである武器を捨てていて、抵抗らしい抵抗もできないままに殺されていく。

 架橋の任務についていたメイジには大きな被害がでてはいないが、その正面に敵もメイジ部隊を移動させたらしく、架橋阻止の為に猛反撃にあい更には運よく直撃弾は無かったものの周辺には竜騎士の弾着観測もあってか濃密な砲撃に見舞われて任務失敗となっていた。

 既に大きくなりすぎた被害を鑑みて、そして後方の予備隊まではわからないもそれなりに戦力評価ができたとして、ここに渡河中止の鼓が鳴らされて小手調べは弓兵を率いたベックに手応えとチェンバレンには被害と情報を与えて終結した。




 既に空は一面の星模様をみせていて、対岸に築かれた陣地には篝火が焚かれ、こちらを睥睨するハムステッド城塞には闇夜に照らし出される程の灯りをもって浮き上がり、相応の敵予備隊がいると考えるとチェンバレンは嫌になってくる。

 対岸の灯りの具合から敵はかなりの大軍勢であるが、執拗なまでに照らされているさまから兵力を大きく見せたいのだと解釈しているが、逆に疑心がわき先程の戦力評価では300以上700未満と考えていたが上方修正を要するかもしれない。

 そして、今はハムステッド城塞の西を囲む山に薄く火が焚かれ、ぼんやりと道が山嶺に浮き出ているのが問題だった。

「チェンバレン様、地図が書き上がりました」

 簡易椅子に座ったチェンバレンは部下から渡された地図を覗き、これからの出方を考えてみる。 メイジに危険だがフライを使わせて、距離を詰めずに空から偵察させたのだ。

「ふむ…… このラインが山に偽装された砲台への登山道か」

 まるでこちらに向けて口を開く腹を空かせた幻獣を思わせるように、登山道を照らす篝火は城塞の北西、崩落した橋の南西という近からず遠からずな場所から始まり城塞のすぐ西隣へ続いて篝火は途切れていた。

 わざわざこちらから攻めやすい場所に入り口があり、誘っている風にしか見えないのはどうしたものか。

 この時チェンバレンには預かり知らぬはなしだが、ハイマンは明らかにチェンバレンを侮っていた。 先遣隊に居たパットンが優秀であった為に、無策にも渡河を強行して被害を拡げたチェンバレンを愚者だと断じて策謀を行い、ウィリアムが止めるのを無視して存在しない登山道を崖に篝火で偽装したのだ。

 しかしながら、このチェンバレンを甘く見た今後代償は大きくつくことになる。

「本当にここで登山道の篝火が止まっているのか?」

「はい。 地図に描くため再三確認しました」

「随分と舐められたものだ」

 あからさまに罠を仕掛けたものだとチェンバレンは小さく肩を竦め、夕方に後方で待機していた本隊が隠れながら遠巻きに調べた地図を受けとれば、山から見えた砲煙はかなり登山道より北側である山の先端付近にあると記されていた。

 先の渡河を阻止する為に砲撃を行わず、この時の為に隠しておいたならまだしも勝手気ままに撃っていた砲台が本気でバレていないと考えているのか…… 難しい判断である。

「作戦を伝える。 我々はいみじくも罠を仕掛けた敵に乗ってやる事にする」

 次の会戦も近い。




 城壁から川岸を照らす炎だけを頼りに、ウィリアムは心底安堵した表情を浮かべていた。

 先遣隊が先遣隊だけに指揮官が戦上手ではないかと危惧していたが、敵がとった策は趣向を変えただけの強行渡河であった。

 見た限りではメイジを先頭に川へと突撃し、そのメイジがレビテーションで浮かばせていた筏を川へと放り投げ、それに傭兵が矢から身を守る盾を持ちながら乗り込んで渡河しているようである。

 身を守っているからか傭兵に被害は少なく、メイジも幾つかいるのか効率的に筏を沈める事ができずに渡河の阻止は芳しくない。 殺到する敵の多さに既に戦線は圧され始め、川岸の第1線から2線へと防衛ラインは下がって来ている。

 だが、ウィリアムはほくそ笑んでいた。

「まさか、ハイマン伯爵の策がここまではまるとは」

 目で見えはしない闇夜に浮かぶ篝火。 そして、その篝火が崖に並んで織りなす虚飾の登山道。 これこそがウィリアムが最初反対した策である。

 敵に砲がないのは先程の攻撃で確認済みであり、それならば敵の戦略目標としてこちらの砲台に鎮座する大砲を欲すると考え、大砲を誘蛾灯代わりに敵を存在しない登山道へ誘導する。

 篝火の周囲には崖しかなく、集まった敵には地面や崖の斜面に埋められた大砲の弾から集めた火薬の爆発が与えられ、更には斜面が崩落して敵を飲み込み戦意を砕くのだった。

 高所から観ていれば、ゆっくりながらも敵は陣地を噛み砕き東へ向かおうとすれば激しく抵抗され、西へ向かおうとすれば緩やかに防衛ラインが敵をある程度抵抗しつつも呼応して下がり、敵はそのまま西へ西へ――登山道へ向かって進んでいるのがみてとれ、ウィリアムはこのままいけば戦勝もあるいはと考え始めていた。



[20897] 28話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/10/31 00:34
 山林に身を潜めた彼等は、とある任務を負ってこの場まで辿り着いていた。

 頭を隠す先には1門の大砲があり、それを10人程が東側の警戒をしつつ護衛しているのが見える。

 ここは件の山の上であり、大砲を囲むのは位置をばらさない為に撃つ事もできない砲兵であり、それを虎視眈々と見つめるのは大規模な渡河を囮に西側から回り込み、隠密任務でありながらも迅速に予測砲台位置へたどり着いた分遣隊だった。

「おいおい、バカな奴等が罠だと知らずに攻めてるぜ」

「こっちから撃てないのが腹立たしいが、特等席から爆発を見られるなら我慢するか」

 口々に騙されたふりをして罠に近づく味方を罵倒し、大声は流石に出さないまでも笑っている護衛のバカを見ていると、こちらまで笑ってしまいそうになるのはご愛敬である。
 だから彼等は剣を静かに構えると、敵の怠慢と侮蔑は死をもって贖ってもらうべく、静かに襲撃を開始した。

「え…… ぐぎゃ」

「てっ、敵しゅぶがっ?!」

 静寂を引き裂くのは掠れた悲鳴のみであり、あとはブリミルのみもとに送られた肉があちこちで地面に倒れる音のみである。

「数えろ」

「殺害11人、被害0」

「完璧だ」

 ここから先は余り慣れない作業になるが、それでも彼等は自分達がどれだけのジョーカーになるか理解していて、黙って主人が居なくなった大砲を東へ向けた。




 上手く戦線をずらされて東へ誘導されているとわかりながらも、チェンバレンは敵に気取られる事なくエスコートに付き従い西へ足を向けていた。

 東へ向かおうとする戦線は固く、西へ向かう戦線は柔軟に下がっていくさまは敵の指揮官の能力が如何に素晴らしいかまざまざと見せつけられる。

 だが、どれほど素晴らしい敵であれ今頃指揮官が笑みを浮かべていると思うと、チェンバレンは苦笑を浮かべざるを得ない。

 どのような罠を仕掛けてあるかわからないし、それがこちらを一網打尽にする威力があるのかもわからない。 唯一わかるのは、実は二重三重の罠が無い限り踊っているのは敵だと言うことだ。

 それを相手に教えてやる為にも、罠にかかったふりをしながらその合図を待ち続けるていたが、ついに想いが実った。

 チェンバレン側からすれば、事実確認はできないがまさしくそれはラッキーパンチだった。 ベックが率いる弓兵側からすれば、まさしくそれは神の悪戯か悪魔の諸行と言って差し支えなかった。

 山の砲台を制圧した彼等は、使った事はあるが馴れてはいない手つきで大砲をいじりまわし、こうしてやっと初撃を放つ事に成功していた。

 上手く敵に当たらないのはしょうがないが、間違っても味方には当てられないので試射として仰角をつけて敵陣奥に撃ち込もうと準備をし、こちらには大金星で敵には悪夢たる散弾を撃つ事に成功した。

 砲台が砲撃をする音に後方に弓兵本部を構えるベックは首を傾げながら山に視線を向け、一切狙っていない散弾は弓兵本部にいる指揮官を纏めて薙ぎ払っていた。

 目に見えて動揺が広がっていく敵を見て、砲台からの砲撃に歓喜したチェンバレンは獰猛な笑みを浮かべた。 だが、それも敵の指揮官が死んだとはつゆとも知らず、あくまで動揺と士気低下が認められたからであるが。




 その砲撃が開始されてからと言うもの、まさに阿鼻叫喚ともいえる敵の再攻勢が開始されウィリアムは敗北を悟った。

「敵の攻勢により左翼は戦線を維持しているも、中央は既に浸透されつつあり!」

「報告! 右翼が孤立し包囲されそうになるも騎兵隊の助力により後退開始!」

 城壁に残る弓兵は射程圏に攻撃対象を収めず、こうして戦線把握のために戦場を観測させる事しかできないのが歯痒い。

 城壁を降りて援護に行くべきなのはわかっているが、だからと言って伏兵がまだいるかもしれない状況で予備隊すら残って居ないハムステッド城塞を空にするわけにもいかず、苛立ちながらも戦況を眺めるに留めていたわけだが――

「急、報! げほっ…… 弓兵本部、が砲撃により壊滅! 生存者無し!」

 ――片腕を無くした血塗れの男が持ち込んだ報告を受け、戦線の立て直しを図るべくウィリアムは城壁を駆け降りていく。

 この間も城壁に配置された大砲は山に向き、だいたいそこだろうという曖昧な目標のもとで砲撃を加えていたが、未だに命中弾がないようで砲台の制圧には至っていなかった。

 それに一番焦っていたのは砲兵を指揮するハイマンであり、そして砲兵自身であった。 焦る指揮官に急かされた砲兵は、本来ならばやってはいけない事をしてしまう。

 それは、砲弾を火薬庫から纏めて持って来てしまうという事である。 こうして4ヶ所にありったけの砲弾が集められ、連射速度は上がったもののそれなりのリスクを背負ってしまったのだ。

 ハイマンが冷静ならば、既に眼下で5分にまで持ち返された戦線があるなかで、砲台が次に何を狙うかわかっていただろう。 今こちらから砲台を狙える物が唯一同じ大砲であり、敵の攻撃目標が何に定められるかを。

 固定化のかかった城壁が少し揺れた時、とうとう砲台が直接ハムステッド城塞を狙ってきたのだとハイマンは理解した。

 そして同じく城壁から砲台を狙う大砲も、かなり危険な状況にあることをやっと理解して、ゆっくり2~4番までは砲弾を火薬庫に戻そうと運んでいたのだった。 そう、1番の大砲は砲弾を未だに抱えていたのだった。

 砲弾というものは乱暴に噛み砕いて要約してしまえば、単純に爆弾といって差し支えないものである。

 たしかに種類は様々あり、地面で大爆発するものもあれば空で爆発するもの、中身の鉄球を散らすものもあれば直接破片をばらまくものもあるが、総じて爆発はついてまわるのだ。

 そんな火薬の塊である砲弾が集められた無防備な1番大砲に、砲台から撃たれた砲弾が火薬庫とも言いかえられる場所に落ちたのならば、それが引き起こす結果は悲惨なものとなる。

 衝撃とともに起きた炸裂は1番大砲の周辺に存在する人間を嬉々として爆風で四散させて火炎を撒き散らし、その炎はまるで悪魔の舌を思わせる動きで周囲を舐め回すと残った肉片や城壁に籠る弓兵すら消し炭に変えると、更には他の砲弾を焼き払い誘爆を続けていく。

 そして不幸にも城壁内の通路を走る衝撃と炎は、固定化のかかった壁を上手く破れず奥へと駆け巡り火薬庫へ戻そうと運ばれていた幾つかの砲弾にまで魔の手を伸ばすと、最終的には城壁に大きな孔と巨大な皹を残して災厄は止まった。

「ぐっ!? な、なんだ?」

 城壁内を降りて外へと出ようとしていたウィリアムは、あと1歩というところで爆風に追い付かれて外へ放り出された。 何がおきたのかもわからず後ろを――城壁を見れば、まさしく被害は甚大だった。

 ごうごうと1番大砲があった穴からは炎が燃え上がり、今でも偶に残っていた砲弾に火がついたのか爆発を起こしては城壁が崩壊していく。

 それを見れば生存者は期待できないのはあきらかで、他の大砲も引火を気にして消火作業をしているのか沈黙してしまっていて、山の砲台は反撃も受けず悠々とこちらへ攻撃をくわえてくるのが弾着の音からわかる。

「――潮時か」

 侵攻を遅延させるという意味では、完全に失敗だった。 ハムステッド城塞をもってして、敵の侵攻を1日も防げなかったのだ。

 そんな感慨を抱く暇すら与えないかのように、ハムステッド城塞には砲撃に負けない大きな音で鼓が鳴らされ、前線を失意に叩き落とす撤退が知らされた。

 撤退の決断はハイマンかウィリアムにしか権限が無いので、まだ自身が出していないのならば決断したのはハイマンだと考えて、とにかく今は撤退の準備をすべくウィリアムも動き出した。

 撤退の構想はハムステッド城塞に存在する物資の処分から始まる。 金銀財宝はここに無いが、軍にとっては金塊より目が眩む兵糧の山々があり瑠璃よりも豪華な武器に秘宝とも讃えるべき大砲まであり、麦の1粒すら与えてはならないと今は躍起になって処分が開始された。

 あちこちで資材や兵糧に火が放たれ、もくもくと黒い煙が空へとのぼっていき、生き残った大砲も念入りに砲弾に囲まれて爆破処分をされていく。

 敵もこちらの意図に気付いたのか更に攻勢を強めるが、前線が奮戦して時間を稼いでいるので最初の段階は完遂する事ができた。

「……ウィリアム子爵」

 撤退への指揮を執るウィリアムのもとへ、幽鬼の如く微かな声がかけられた。

「ハイマン伯しゃ――大丈夫ですかな?」

 立っていたのは右腕が肘から千切れたハイマンだった。 顔色はどう見ても悪く、息も浅く細かいながらも自らの足で立っていた。

「指揮所が崩れてこの様だよ…… 撤退準備は?」

「これから本格的な撤退戦ですな」

 撤退戦は厳しいものである。 だからこそ、できるかぎり追撃を受けない為に事前に策が練られ、撤退は纏まらずに分散する事にしていた。

 まず南下するのは竜騎士と騎兵隊で、彼等はその機動力をもって敵と距離をとりつつ情報をいち早く王都や各都市へ持ち帰り、そこで新たな戦線を築かせる。

 そして残りの歩兵は東西へ分断し、半々に分けて撤退させる手筈になっている。 これは敵がロンディニウムへと向かっていると考えた場合、追撃が来るならば南下する兵力を減らす事ができ、追撃が無いならば大回りしてハムステッド北部で部隊を合流させ兵站を断ちつつ背後から攻撃できる。

「ですが、ハイマン伯爵は竜騎士と供に南下を」

「大丈夫だ! 私は西へ回る」

 当初の予定では西周りの指揮をハイマンが担当し、東周りの指揮をウィリアムが担当していたのだが、明らかにハイマンが撤退戦の指揮に適した状態とは程遠くなっていた。

 だからウィリアムは死にそうとも言えるハイマンを指揮から外すべく説得し、なんとか本人にそれを認めさせると鼓の音を変えさせて前線に撤退を開始させた。

 ハムステッド城塞を巡る短いながらも大規模な攻防は、クリストフが東へとウィリアムが西へと部隊を率いて撤退を開始し、ハイマンとその部下が南下する部隊を率いて撤退を開始した事で幕を閉じた。

 このハムステッドに残されたのは、数多の死体と守勢側の勇名と――東西にわかれた撤退部隊の全滅という結果だけだった。



[20897] 29話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/11/01 23:15
 虚無の曜日は休日であるのだが、当然学院が休みだからと言って生徒が食事をとらないという訳ではなく、今もこうして食堂に生徒が集まっていた。

 だが、そんな食堂に来るにあたっても来てからというものも、何故かクライフは周囲からの微妙な視線を感じて首を傾げていた。

「クライフったら何かしたの?」

「特に覚えはないんだけど……」

 隣で朝食を楽しんでいたキュルケも周囲からの視線を感じるのか、ぐるりと見回すも視線の先がクライフだと気付いたのか食事を止めないタバサの分まで尋ねるが、生憎とクライフ本人にも現状はわかっていなかった。

 そんなクライフを見つつも、キュルケとしては問題点が違うのか「視線の先が私の美貌じゃないのよねぇ」と言って最後に一口分だけ残っていたワインを飲み干すと、周囲へこれみよがしに胸を反らして伸びをすると男子の視線が自身に向いたのを感じてご機嫌そうに頷いた。

「そう言えば、タバサとクライフは今日暇かしら?」

「何故」

 特に今日の予定がなかったタバサが話題に食いつくが、どちらかと言えば食いついているのは話題より食事であるらしく、2人から貰ったハシバミ草のサラダを未だに食べながらキュルケに尋ねた。

「特に何か欲しい物があるわけじゃないけど、せっかく王都が近いから覗きにでも行きましょうよ」

「……行く」

 今日はゆっくりと図書館に籠り、その魅力的な蔵書を読んでいこうと考えていたタバサであったが、どうせなら一緒にトリスタニアへ行って本屋も見ておきたいと考え予定を順延して頷いた。

 肯定の意見を聞いて笑みを浮かべながら頷いたキュルケが言外に「あなたも当然来るでしょ?」とばかりにクライフの顔を見つめれば、予定のないクライフとしては断る理由もないので「僕も行くよ」と頷いた。

 かくして彼等の休日に王都見学という予定が入ったわけだが、これには大きな落とし穴があった事に気付くのはもう少し先の事である。


 予定さえ決まってしまえば後は早く、特に食後は歓談もせずに部屋へ戻りでかける準備を進めて行くが、流石に女性の準備は遅いと言われても食堂へ行く時点で9割がたの準備は整っており、こうして一番時間がかかるであろうキュルケも問題なく準備を済ませて外へ出ていた。

 最後に出てきたキュルケと合流し、3人は厩舎へ向かい馬を借りるとそのままトリスタニアまでの3時間は休む間もなく走りとおしである。 如何に馬に乗り馴れていようとも、愛馬でもないその場で借りた馬と呼吸を合わせるなんて芸当ができるほど乗馬が達者でもないので、来て早々それなりに疲れていた。

 事実を言えば疲れていたのはキュルケだけなのだが、とにかく馬を預けてから目についた店に入ってお茶を飲んで休みながらどこに行くか決める事になった。

「……あんたたち疲れないの?」

「平気」

「体を動かして鍛えてるからね」

 出された紅茶を楽しみつつも、あまり疲れている風に見えない2人にキュルケは微妙な眼差しを向けるが、本人達からすればどうということもないらしく、もしかすると自分がおかしいのかと疑問をキュルケは抱き始めていた。

「とりあえず、何処へ行くの?」

 そもそもクライフは――タバサもだが――主催者ともいえるキュルケからトリスタニアに来て明確に何処へ行くとは聞いておらず、とりあえず行動指針だけは聞いておきたかったのだ。

「そうねぇ…… 最初に言ったけど、特に用があるわけじゃないのよね。 寄るなら服屋かしら?」

 本当に目的は無かったのか、少しだけ顎に手を当てて悩むような仕草をすると思いついたのか服屋を目的だと言うと、キュルケからすれば善意の笑みだがクライフからすれば企むような笑みを浮かべると、「そうね、あなたたちの服を見繕ってあげるわ」と口にした。

 既にキュルケの頭の中では、クライフとタバサの様々な服装がめくるめく幻想のように浮かんでは消えているが、その大半がクライフが女装してタバサとの姉妹のような状況か、タバサが男装してクライフと兄弟のような状況なのは黙して秘めている。

「本屋に行きたい」

 次の目的地としてタバサが力強く――他人からは差がわからないが――主張したのは、短くしか接していないがタバサの性格というか行動を見ていれば納得できる場所である。

 目的地を出した2人の視線に促され、クライフも自分の行きたい場所を考えるが特に行きたい場所も無く、少しばかり困ったような笑みを浮かべてから「僕の予定は決まったら言うよ」とお茶を濁したのだった。

 支払いを済ませてから店を出て、そしてキュルケが姉気取りで2人を引率すべく「それじゃあ、まずは服屋へ行きましょう」と口にした瞬間、遂にその落とし穴に転げ落ちてしまった。

「ねえ、タバサとクライフは服屋がどこだかご存知?」

「トリスタニアは初めて」

「僕も来たことないからなぁ……」

 そう、これがヴィンドボナであればキュルケは嬉々として馴染みの服屋からお勧めスポットまで連れて行っただろうし、ここがリュティスだったならばタバサが大好きな本屋を2人に何件も連れて行っただろうし、当然ロンディニウムならば裏道の1本1本とまではいかないがそれなりのエスコートがクライフにもできただろう。

 しかし、だ。 ここは言ってしまえば3人からすれば異国の街であり、誰も知らない未知の場所だったのだ。



 とにかく目的地を目指して歩くのではなく、まずは目的地を探す為に歩く事になった3人は大通りを歩き、いくていくてに見える露店や出店を覗いては目的地を探し求めて歩きまわっていた。

 今は笑い疲れて困ったと言わんばかりのキュルケを先導に、次の目的地である本屋を目指して歩いているわけなのだが、タバサは微妙に満足げにクライフは影をともなって歩いていた。

 服屋についてからの2人は、まずは在り来たりな服の着せ替え人形にされて幾つかの服をキュルケが見繕うと、遠慮する暇もなくプレゼントとして代金が払われて後日学院へ届けられることになっていた。

 そして、その代償としてキュルケの魔の手がついに伸び、気付いたらクライフの服装がスカートになっていたのだった。 そんなクライフはタバサと並べば姉妹にしか見えず、姉妹という言葉に思う所があるのかタバサは一瞬顔を顰めるが、特に何も言わず男装も楽しんでいるようだった。

 もうすんだ事だとクライフは頭を横に振ってから前を向いているが、やはり消せない過去に重い何かを感じながら本屋を探して歩いていた。

 効率だけを考えれば服屋で場所を聞けば済む話だが、こうやって何も知らない場所を探すして歩くのも実は楽しかったりするのだ。

「見つけた」

 本人としてはウキウキと弾んだ声音で本屋を指差すと、キュルケとクライフを気にする事なくタバサは颯爽と中へ入って行ってしまう。

 遅れて2人も本屋へ入っては行くのだが、クライフは本をよく読むが所謂『読書家』ではなく読むのは出回らない事もないが出回り難い軍事関連の本であって、まあ期待薄で書棚を眺めて歩いていた。

 一緒に入ったはいいが、あまり本に興味のないキュルケからすれば手持ちぶさたもいいところであり、黙々と本を探すクライフにも喜悦のオーラを振り撒いて本を探すタバサにも声がかけられず、少しばかり寂しい思いをしながらも本を手に取っては値段を見て眉間に皺を寄せていた。

 だが、それもそこまで長持ちするものではない。

「ねぇタバサ…… 続きは今度にして、お昼にしましょうよ?」

「……わかった」

 そんなキュルケの提案にタバサは無言の抵抗をしようとして、自身のお腹を軽く撫でると実は集中して気付かなかっただけでお腹が減っていたのか、手持ちの2冊の代金を渡すと既に一通り見終わっていたクライフも連れて昼食をとるべく貴族らしい店――ではなく、タバサのお腹の都合で平民で賑わう手頃な値段で量の多い店を店主から聞き出して向かう事になった。

 本屋の店主教わった店からは既にいい香りが立ち込めていて、店に入る前から否応にもなく空腹を掻き立てられてしまう。

 いったいどんな料理が食べられるのかとわくわくしながら店に入った3人が最初に見たのは、その身なりから彼等が貴族だと気付いた店員の警戒する眼差しである。 悪い意味で貴族は目立つのだ。

 だが、そんなものは気にしないとばかりにキュルケは自分達が客だと伝えると、そのまま空いている席に座ってから幾つか手探りに注文を出して笑みをこぼした。

「中々活気があっていいじゃない」

 店内の席は殆どが埋まっており、あちこちから喧騒と彩り豊かな料理が並んでいて涎が口に溜まってくるのがわかる程である。

 既にタバサは何が来てもいいように臨戦態勢に入っていて、やたらと張り切っているタバサを見てキュルケは可愛いなぁと想いながらもそれを黙って眺めていたが、それも料理が届くまでの短い時間に過ぎなかった。

 続々と届けられる料理の数々に家や食堂で食べる料理のような気品さはないが、着飾ったような美意識を気にした盛り付けではなく食欲を意識した盛り付けに目を奪われ、早速食べれば食べなれない味付けにキュルケは舌鼓を打っていた。

 テーブルを埋め尽くすような料理の数々にクライフは戸惑っていたのだが、その味付けに手が止まらず着々とその総量は減らされていき、3人の記憶にこの店は深く刻まれていく。

「次はどこに行くの?」

 怒涛とも言える食事を済ませてワインを軽く舐めるように飲んでいたタバサは、同じく食後のワインを飲み干していたクライフに聞いてみた。

 今までの順番で言えば次の目的地を決めるのはクライフであり、決まったら教えてもらう筈が未だになんの回答も得られていなかったのだ。

「できれば、薬屋か武器屋を覗きたいかな」

「あら? どこか悪いの?」

 実は病弱なのか気になったキュルケがストレートにそう聞くと、クライフは「僕は至って健康だよ」と苦笑する。

 それから右手で何かを口にくわえる仕草をしてから息を吐き出してみせ、「煙草は学院じゃ揃わないからね」と言ってからまた苦笑していた。


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