<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

HxHSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[2117] 雨迷子(現実→HUNTER×HUNTER)【完結】【蛇足付き】
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:45


めのまえのいろは、あか。



見つめたさきはとても赤くて。

振りおろした先も、赤かった





わからない、わからない。

何もわからず振り下ろし、





――――ただ、此処に居てはいけないと、そう思った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


薄汚れた路地に、雨が降り注いでいた。

その勢いは強く、差した傘に跳ねる音が、正直五月蝿い。



甘いものが食べたくなり、食欲と面倒臭さの葛藤の末だったが…。こんな豪雨の中、わざわざ外出したのは、やはり失敗だったかもしれない。





心中で愚痴り、寝床へと足を進める。

そこで、ふと、視界の隅に映った“何か”に目を止めた。



「―――――」



進行方向、俺の膝の辺りまでの高さしかない、黒い何か。

家に近づく内に、当然、俺はそれに近付いていく。

…黒い。

そう思ったのだが、よく見れば、それは、酷く汚れているせいでそう見えたようだ。



更に近付き、その輪郭を理解する。



「…人か?」



低く、小さい声が漏れた。

豪雨に紛れたその音を、蹲るようにして壁に凭れ掛かったソイツは、しっかりと耳にしたようだ。



「……だれ、」



聞こえる声もまた、五月蝿い雨音に紛れて。

それでも聞こえたのは、自然の起こした、ほんの気紛れだろう。



「―――――」



こちらへ問いかけるような声に、答える義務は無い。

理由も、無い。



…無いのだが。



「迷子か?」

「………」



問いかけに、更に質問で返す。

蹲る小さなソイツは、答えることもなく、俯いたようだった。



「来い」

「…ぇ、」



俺は立ち止まらずに。

ただ、横を通り過ぎる際、雑音に消されぬくらい大きな声で告げる。

そうして、そのままソイツの目の前を横切って、寝床へと向かう。



「ぁ、……ま、って、」



途切れ途切れに後を追いかけて来るその声は、幼い子供のものだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


鍋をかき混ぜながら、その眼に映るのは…始まりの日、その情景だ。





視界が開ければ、そこは、外国の風景。

周りには、道を行きかう人の群れ。



その真ん中で、俺は、ただ立ち尽くしていた。



最初の数分は、まともな思考すら働かず、呆けたままにその世界を見つめていた。

次の数秒は、目を見開いて、ただただココは何処なのかと、それだけを探し求めて首を巡らせる。

最後には、頭を抱えながら、「これは夢なんだ」と。



五感を刺激する“現実”に、無様に抵抗していた。





―――――今でも、これが夢だったらと。

そう思わなくもない。



けれど、“此処”は既に“俺の世界”も同然で。

“あの世界”は、もう遠い日の夢のように朧げな―――――





―――キィ…



木材の軋む音に、顔を上げた。

背後を振り向くと、開かれた扉の奥から、サイズの合わない大きなシャツを着た子供が。



「…あれ?」



その姿を見て、思わず声を上げた。





大き目の白いシャツ。それはいい。俺が貸した服だ。

そこから覗く白い足。それも別にいい。シャツが大きすぎて、短パンを隠してしまっているのだろう。

…明るい茶髪。そこも、いいだろう。髪の色なんて、“此処”じゃピンクな奴だって居た。



けど、―――湯上りで上気した桜色の頬。赤い唇。長い睫毛と、大きくて綺麗な青の瞳。





…可愛らしい、顔立ち。





「女…の子、か?」



思わず零れた呟きに、目の前にいる性別不詳のガキんちょが、小さく頷く。

それを認識して、理解して、そうして軽い眩暈を覚えた。



「ありえねぇ…、」



額に手を当て、首を振る。

雨曝しの小さな女の子を家に連れ込み、風呂に入れて、自分の服を着せる。

…変態か、俺は。

嘆息。



女の子に目を戻す。



その顔立ちは、すごく可愛い。

年齢は、ギリギリで二桁といったところだろうか。…実際のところは、よくわからんが。

しかし、その事実に、益々犯罪度が上昇したことを、理解する。





――――年齢が二桁に届こうかという少女を誘拐、しかも今現在、その容姿に僅かなりとも“可愛い”などと思考した。





「…最悪だ。死にてぇ」



頭を抱える俺の呟きに少女が首を傾げたことなんて、正直どうでもいい。

ただ、それをまた“可愛い”と感じた自分の感性に、ひょっとして、俺はそういった方面の、嫌な資質を持っていたのかと。



ただただ、大きなため息をつくだけだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「何してるんですか…?」



細く、耳に心地よい音が届き、集中を解いた。



振り向くと、そこには、相変わらず俺の服を着た少女。

名前は…聞いていない。深く関わると面倒だ。



…が、ともかく、聞かれたことには答える。



「修行だ」



簡素に返したその声は、自分でも少し無愛想かと思う。

低い響きの声は、子供には怖いものかもしれない。過去、これで子供が逃げたことも、一、二度くらいはあった。無駄にリアルな数字は思い出す度に鬱になる。



けれど、少女は、そんな俺のデビルヴォイスに頓着しないようで、



「…修行?」



変わらぬ茫洋とした表情で、短く返すだけだ。

そして、そのまま俺の顔を見つめ続ける。やめろ、照れる。更に言うなら、俺が危ない趣味に目覚めない内に、どこか遠くへ行って欲しい。無理か。俺が拾ってきたんだったよ、この子。



そんなことを考えていたが、少女が去る様子は無く。俺から視線を逸らす気も無さそうだ。

…教えろ、というのか。“修行”という言葉の意味を。





「「念」だ」



再び短く言って、これで終りだと、目を閉じて集中を再開する。

少女がどんな反応をしたかなど、気にしない。



俺は意識を鎮め、ただひたすらにオーラを“練”り上げる。





――――“此処”は、簡単に言えば「HUNTER×HUNTER」の世界だ。





ある日唐突にこの世界の街中で目覚めた俺は、同種の言語と、異種の世界に混乱した。

混乱したままの頭で周囲を巡り、走り回って。

夢だ夢だと言い聞かせた自己欺瞞が通じなくなった頃に、意識が無くなるまで泣き叫んで、――――目が覚めた時にはどうでも良くなった。



常にその場の感情で行動を起こす俺は、泣き疲れて鈍った頭で、そこら中の店の扉を叩き、働かせてくれと縋りついた。

…今になって思い返せば、どうしてそんな行動を取ったのか不思議だ。

それだけ、あの頃の俺は無様だった。少なくとも、思い返す限りは。



定まらない感情の渦。

その、見ることの出来ない流れのままに、とにかく身体だけは動かした。



人のいい店長に雇って貰い、今では俺は、街で噂の“花屋の怪しいお兄さん”だ。





過去を思い返して、自嘲の笑いを浮かべる。

――――そこで、自分の膝に凭れ掛かる重量に、ようやく気付けた。



「―――何やってんだ?」

「……ぅ、ぁ…」

「っ、馬鹿か!」



凭れ掛かっていたのは、少女。

物珍しさか、反応しない俺につまらなく感じたのか、こちらへと近付いてきたのだろう。



―――“「練」を行っている俺”に。





「くっそ、ありえねぇ…!」



悪態を吐きながら、部屋のベッドに少女を寝かせる。



オーラは垂れ流しのまま、体表面のオーラ密度の薄い一般人が――――錬度が低いとはいえ、念能力者である俺の「練」に巻き込まれたのだ。

…下手をすれば、死ぬ。



「―――っち、」



下を打ち、首を振り、呟いて。ベッドで苦しむ少女を見る。

全然苦手だが、目にオーラを集めて「凝」を行い、体内の微細なオーラの流れまでを観察する。

下手糞なため、利き目である左目だけに念を篭めて、“視る”。

そうして、…いや、そうする以前から状況は何となくわかっている。



ただ、そうやって目を逸らそうとしていたのかもしれない。





「有り得ねぇ…っ」



吐き出すように言い捨てる。





眼前の小さな身体。その全身から噴き出す、大量のオーラ。



少女は、俺の「練」に触れた事によって、“精孔”を開かれていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「起きたか、この…クソガキめ」

「……ぁれ、」



外は、もう明るくなっていた。

少女が気になって一睡も出来なかった俺は、小物臭い悪態を吐くのが精一杯だ。



――――少女のオーラは安定している。



怒鳴って、囁いて、最後には懇願してまで言い聞かせたオーラの制御を、この少女はなんとかモノにした。

その出来具合は、…まぁまぁ、だろう。恐らく。

俺の時は、「纏」を成功させて、その後丸二日くらい寝込んでいた気がする。何故かうろ覚えだが。



比較して、翌日にはもう満足に動けている目の前の少女に、少しだけ嫉妬する。



…それは、随分と格好の悪い感情ではあったが。





「飯はキッチンだ。俺は仕事に行く」

「………」



おざなりに告げる俺に、少女は顔だけを向けて、呆としている。

それを気遣う余裕は、俺にはない。



「じゃあな。もし出て行くなら、好きにしろ」



それだけを言って、玄関を出る。

戸締りだけはしっかりと。





もっとも、盗られて困るものなど、あの少女以外に思いつかないのだが。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


店の前に水を撒く。

空から降り注ぐ光は温かく、黒尽くめの格好の俺には、正直辛い。



「あ、黒の兄ちゃんだー!」

「おはよー」



時折掛けられる子供の声に、力無く、手だけを振り返す。





「相変わらず、子供には好かれるなぁ、カミヒトは」



横から掛けられる野太い声。

そちらを見ると、俺の働く花屋の店長が立っていた。筋肉質の体躯は、とても花を売る人間には見えない。

…見た目に関しては、俺も花屋らしくはないが。



「…物珍しいからじゃ、ないですか?」

「かっはっは。それだけで、子供達があんな笑顔を見せるものか」

「………」



俺は黙るしかない。

そもそも手を振り返すところを見られたというだけで、気恥ずかしさに顔が歪む。



「しかし…気にしてんなら、やめればいいんじゃないか? その、黒尽くめ」



言われて、思わず、着ていた服に触れる。

その色は、黒。



「これ、“お守り”なので…」

「ん、そうか。まぁ、ワシの言うことなんざ気にするな」

「いえ、ありがとう…ございます」



俺の礼に、店長は、かっはっは、と笑いながら店に戻る。

口下手な俺にも優しい、店長の大らかな気質は、少し憧れる。

…そんなこと、口には出せないが。





一頻り水を撒き終わって、手を服に触れさせる。



熱い日差しの下、全身を覆う真っ黒な外套に身を包み、その上から花屋の名前の入ったエプロンを着る怪しい男。ちなみにエプロンは花柄だ。

…ありえねぇ。

ため息をつくが、脱ぐわけにはいかない。



外套…コートというよりも、どこかのゲームに出てくる“ローブ”のような、だら長い衣服。

首から下を、ブーツに至るまでしっかりと覆う、重鎧染みた総面積。節々には、身体を保護するプロテクターのようなものが張り付いている。

その形状は何とも頼もしいのだが、


「…本当に、ありえねぇ」



独り恥じ入り、ファンタジー好きな自分の脳に、悪態をつく。

全身を守るように包み込む、黒のローブ。そのデザインは俺の好みだが、決して俺の望みでは無かった。



俺はもう一度だけため息を吐いて、クーラーの効いた店の中へと戻ることにした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…ただいま」



いつもは心の中だけで呟く帰宅の合図も、今日だけは、口に出してみた。



「おかえりなさい」



それに返ってくる声があったことは、正直驚きだったが。





「…ぁあ、」



答えた声は、少し掠れていた気がする。

これくらいで動揺するとは、なんというか…恥ずかしい。





「飯は?」

「あっ、…ごめんなさい、作っていません。勝手に触っていいのか、わからなくて」

「そうじゃない。ちゃんと食ったのか」

「ぁ、――――はいっ」



その言葉に頷いて、キッチンへと向かう。



「肉、食えるか」

「はい」



短い質問に、短い返答。

いつも独りきりの室内に他人の声が響くというのは、少し、気分が高揚する。



食事は、手早く簡単なものだけを作った。

子供がどれくらい食べるのかよくわからないが、少女の腹が空いているかもしれないので、食事までの待ち時間は短い方が良い。





「おいしいです」

「ぇ、…ああ」



夕食の最中。突然言われた一言に、間抜けな声を上げてしまった。

返事を返し、言われた言葉を反芻する内に、じわりじわりと嬉しさがこみ上げてくる。

「美味しい」などと言われたのは初めてだ。

そもそも、自分で料理を作るようになったのは“此処”に来てからのこと。



頬が緩んだのは、しょうがないだろう。…しょうがない、よな。





「そういえば、お前、名前は?」



そう聞いたのは、どういう心境の変化か。

所詮は、その場限りで生きている衝動型の俺だ。褒められたのが嬉しくて、そんな気になったのかもしれない。安い人間だと諦観する。



少女は暫し口籠もり、その様子に俺が不味いことを聞いたのかと、心身共に不安になった頃、ようやくその口を開いた。





「常葉、葉子です」

「…日本人みたいな名前だな」



聞こえた名前は、苗字、名前の順序に思えた。

この世界では、名前→苗字の順に氏名を名乗る。だから、少女の名前に対して俺がそんな事を呟いていたのは、それほど責められることでもなく。



「私、日本人です。ハーフですけど」



少女にそう言い返されて、「ああ…だから目が青いのか」、などと考えた俺は、頭の回転が鈍いにも程があった。



「――――」



一拍の間を置いて、その刹那に頭の中を思考が巡る。





そうして、口からは率直な意見が飛び出した。





「あ、りえねぇ…っ」





吐き出す言葉は、望まずとも苦しげなものになる。





―――“この世界”に、「Jappon」はあっても、「日本」は無い。

それだけは、確かなことだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「“これ”は何ですか」



と聞かれたので、



「それは、「念」だ」



そう答えると、



「漫画の話をしているんじゃ、ないんですけど…」



などと返された。

…お前、読んでたのかよ、ジャ○プ。





だから俺は、もう一度だけ、ため息をついた。





―――「此処は、異世界だ」と。

率直に、解り易く告げたのだが、それが翻って良くなかったのだろうか。



俺は少女の中で、“自分を馬鹿にする嫌な大人”か、“怪しい誘拐犯”かの岐路に立っていた。多分。





ため息をついて、ヤケクソ気味に言葉を吐き出す。



「…分かった。もう俺は嘘吐きで良い。だから出て行、――――…くそっ、」



出て行け、などと。

そんな言葉を、こんな子供に言えるわけが無い。

ここは危険な世界なのだ。少なくとも、最近になってやっと数ヶ月を越えた俺が、身の危険を覚えて常時防御を固めるくらいには。

…そんな所に、こんな小さな女の子を放せるものか。



ため息が止まらない。幸せが超特急で逃げていく。光年は距離だ。





少女を見る。

茶色の柔らかな髪に青い瞳、可愛らしい容姿。…そうじゃないだろう、俺。どこを見ている。

気丈な表情には、どこか不安感が――――俺は、そんな事がわかるほど、勘の鋭い人間じゃない筈だ。そうだろう?

小さな体躯。外に放り出せば、速攻で人攫いか、人買いが群がる…かも知れない。想像するだけで吐き気がした。



「ありえねぇ…」



少女は自分を日本人だと言った。…正確には、どこだかとのハーフだが。

そして、この世界には「日本」が存在しない。



つまり、この少女は、偶然だろうと奇跡だろうと、“俺と同じ”なのだ。





「あの、」



黙り込んでため息ばかりを吐き出す俺に不安になったのか、少女―――「トキワ ヨウコ」嬢―――が声を上げる。

その顔は、それが俺の妄想だろうと、現実に、不安そうな表情を浮かべている。そう見える。



「何だ」

「ここは、何処ですか?」

「ああ、……いや。街の名前、知らねぇし」



問われて、今更ながら、その事実に思い至る。

少なくとも、此処が“ヨークシン”とか、そういった個人的危険指定地域でないことは確かだが。





「俺の家だ」

「………」



数秒の思案の後、ようやく搾り出した言葉は、ヨウコ嬢の期待に応えられなかったことが丸分かりだった。不服そうに歪めた顔に、思わず眉が寄る。



「信じる、信じないはもうどうでもいい。それでも、しばらくはこの家に居ろ。せめて「念」を使えるようになるまでは」



精一杯真剣な顔で告げた、言葉。

ヨウコ嬢は、それに対して何を言うでもなく、ただ顔を俯かせて、頷いた。



「……はぃ」



弱々しいその声は、俺の気分を沈ませるには充分過ぎた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「名前は、ササキ カミヒトだ」



しばらくの後、名前を聞かれたのでそう答えた。



俺の名前を口の中で繰り返す少女は、先程よりは元気そうだ。

やはり、この子を拾った日に買ってきて、それ以来放置していた珠玉のデザートを与えたのは成功か。その成果に免じて、俺の分が無くなったのは我慢しよう。

――――甘いものは、人の心を豊かにする。



それは俺の持つ、唯一といっていい信念だった。





「…日本人ですか?」

「ああ」



顔を上げた少女からの問いに、俺は頷く。



佐々木 守人(ササキ カミヒト)。

生粋の日本人で、やや硬質な黒髪は、全身を包む黒の外套と相俟って“黒い兄ちゃん”の名をほしいままにしている。

…嬉しくは、無い。



少女は、俺の格好―――勿論、いつもの全身黒尽くめ―――に視線を向けて、問いかける。





「日本人、ですか?」

「…ああ」



ヨウコ嬢が聞き返したのは、「先ほどの答えが聞こえ辛かったからだ」と。

そう自分に言い聞かせる俺は、自分の格好に、些かも疑問を持っていないわけではない。



ため息を吐いて、説明を入れる。



「…この服は、脱ぐわけにはいかないんだよ」

「どうしてですか?」

「安全の為だ」

「…?」



不思議そうな顔で首を傾げた様子は可愛らしい。…だから、俺にそんな趣味は無い。



女性との交際遍歴の無い自分に嫌気が差しつつも、とりあえず“同胞”である少女には話すことにする。

どうせ、信じてないし。信じたら信じたで、多分“敵”にはならないだろう。

仮令、敵に為ったとしても……いや、どうでもいいことだ。





「“コレ”は俺の念能力だ」

「…はぁ、」



気の無い返事。

吐息のような頷きと共に向けられる視線は、少なくとも好意的ではない。

…あれか?“イタイ人”だとか思われているんだろうか。



そんな雰囲気を醸し出すヨウコ嬢は、既に無意識に「纏」を行っているという、目覚めさせてしまった俺自身がびっくりの素質持ちである。…なのに何で信じないかな、こいつは。



「ありえねー…」



空ろな顔と声でため息をつく。男の威厳なんぞあったものではない。

もっとも、相手は子供なのだが。





「見えるだろう、お前と、俺を包んでる“もやもや”が」

「…はい」

「それが、「念」。正確にはその内の「纏」だ」



などとのたまいつつも、物知り顔で語る俺の知識は随分前の記憶なため、うろ覚えなのだが。

休載し過ぎだ、あの漫画は。…それでも面白いのが、逆に、腹が立つのだけれど。





「……はぁ、」



先ほどよりも長い沈黙の後の、首肯。…少しずつ腹が立ってきた。

そもそも突然こんな話を聞かされれば、彼女の立場としては俺のことを脳内電波塔所持者と判断してもしょうがない。しょうがない、の、だが……



「お前な、自分自身体験して、それでも疑うのは、既に病気だ。主に、頭の」

「………」



吐き捨てるように言い放つ。

疲れ切った俺の毒舌を受けて、ヨウコ嬢の可愛らしい顔が歪んだ。…怒ったのかもしれない。



怒ったのかもしれない。――――それは理解するが、俺だっていい加減グロッキーだ。

豪雨の中、捨て子を拾って、更にこれだけ面倒を見ている現状は、自分自身ありえないと思う。

だというのに、その対象が、聞かん坊。

…有り得ない。胸中でそう繰り返す。

俺の乏しい優しさなんて、とっくの昔に品切れだ。睡眠による回復を切に願う。





「俺は寝る。そこのベッドを好きに使え」



そう言い残して、部屋の隅へ向かう。

この部屋は、安く、狭く、ボロい。部屋数は、キッチンにくっ付いたこのリビングもどきと、あとは狭いユニットバスが転がっているバスルーム、つまりは実質一部屋のみ。風呂があるだけマシか。

ヨウコ嬢には悪いが、俺みたいな見た目変質者と同じ部屋という現実は最低限我慢してもらいたい。流石に風呂で寝るのは勘弁だ。黴臭い。



そもそも俺は、精孔の開いた彼女の看病で昨夜全く寝ていない。





「おやすみ…」



それだけを告げて、俺の意識は沈んでいく。

いつもは悪趣味なだけのローブも、布団代わりとしては中々だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――中学校の頃のことだ。



新学期の席替えで、名簿順に座り、隣り合った女子生徒が居た。



下の名前で呼ぶことも、そもそも女子の名前を呼ぶこと自体が無かった俺だから、その子の名前は記憶の中で擦れて、その顔も、もう殆んど憶えてはいない。



その女子生徒だが、その後の席替えの度に何度か隣り合ったり、前後の席に着くことになったり、妙に縁があったのが不思議だった。今考えると、「…仕組まれてたのか?」と思わなくも無い。仕組んで得する奴もいなかったが。

ともかく、そういった理由からなのか、いつの間にか女子の間では、俺とその子は付き合っていることになり。更に、高校に上がった頃には、俺の知らない内に、別れた“元カレ”扱いをされていた。





結局、何でそんな悪意の無い―――俺としては、僅かなりとも不可解で、少しばかり迷惑ではあったが―――嘘なのか噂なのか分からないものが流れたのか。



――――女性というのは、本当に不思議なものだ。





…閑話休題。



だらだらと、今更実りの無い思考を連ねて、つまりは何が言いたいのかと言うと、





「…何で、もう「練」までやってんだ」





昨夜は俺を電波男扱いしていたヨウコ嬢が、一転して、その有り余る才能を発揮している現状の、その経緯を知りたく思う。

…わけわかんねぇ。



ため息をつく。

視線の先のヨウコ嬢は、相変わらずサイズの合わない俺のシャツを着て、ひたすらオーラを練り続けていた。



「俺の言った事信じたとか、現実を受け入れたっていうなら、いいんだけどな…」



愚痴っぽく呟く。これが少女に聞こえていればいい。むしろ、聞かせるための愚痴だ。





彼女の行っている「練」。そのオーラ総量は、まだ俺に届いていない。

この様子だと、直に追い越されるのかも知れないが…文字通り折れそうな少女が、ひ弱な小鳥でなくなるというのは、良い事だと、そう思う。



…そういえば、服、買ってあげないとな。



俺に振り向きもせずに「練」を行う少女は、どこか、意地になっているようにも見えた。

多分、気のせいだろうけれど。





「飯だ」

「…いただきます」





「ご馳走様でした」

「ああ」





互いのやり取りは酷く簡素なもので、それにも不満を抱かない俺は、本格的に人恋しかったのだろうか。

バイト先の花屋の店長との会話と、通りかかるガキ共との触れるだけの挨拶。

思えば、かつて居た家族との触れ合いが無い分、今の俺は人として、かなりのコミュニケーション不足だ。

…父親とは、まともな会話をした記憶すら無かったけれど。





――――そんなことを考えながら、食器を洗う。

使ったら洗う。常識である。少なくとも、俺はそう思う。

決して、常日頃洗い物を溜めては不満を零していた、今は遥か遠くに居るだろう母親への忠言ではない。



「…どうしてるかな、今頃」



呟いた声は、ひょっとすると、寂しさに染まっていただろうか。



振り向いた先、迷子の迷子のヨウコちゃんは、俺のことを気にかけることもなく。食事を終えると、再び「念」の修行に没頭していた。





その姿にすら微笑ましさを感じた俺は、きっと、危ない趣味の人では―――ない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「これ、貰って帰ってもいいですか?」



そう聞いたのは、ほんの気紛れだった。



店に並べて売れ残り、明日には枯れてしまうだろう花の束。

捨ててしまうと言われて、「今ならタダで貰えるかも」といった打算的な思考も、確かにあった。





「なんだ、カミヒト、お前花好きだったか?」

「いえ、そういうわけでも無いんですけど…」



嫌いではない。

昔、夏休みの観察日記に使った朝顔や綿花も、それなりにしっかりと世話をした。多分に母親がやった場合もあったが。

ともかく、繰り返すが、あくまでも「嫌いではない」のだ。貰うことを目的としていてさえ、明確に「好き」だと言うのは、…恥ずかしい。


「まぁ、いいか。捨てちまうよりはお前が持って帰った方が、この花も喜ぶ!」



そこまで大袈裟に言われると、流石に躊躇してしまう。

けれど、恐らくは本気でそう思っているのだろう店長の笑顔は、眩しくも気持ちのいいものだ。





「ありがとうございます」





だから俺は、せめて感謝の言葉で気持ちを表した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――帰宅すると、ヨウコ嬢は古いソファに寝転んでいた。



「―――ぅあっ!?」



ドアを開けて入って来た俺を見て、驚きの声を上げて飛び上がる。

…はしたない。ついでに言えば、俺を見てのその反応は少し傷付くかもしれない。



「…まぁ、いいけど」



粗相の悪さを注意するよりも、そこまで驚くほど避けられているのかと、そちらの方が不安ではあった。





部屋の隅で埃を被っている花瓶(らしきもの)を引っ張り出して、水で洗う。

ヨウコ嬢は、先ほどの慌て振りから回復したようで、テーブルの上に抛った大き目の花束をじっと見ていた。

…ふむ。

一つ頷き、説明に乗じて口を開く。小さなコミュニケーションからコツコツと、だ。



「…バイト先で貰った。明日には枯れるだろうから、捨てるよりは、って」

「バイト?」

「花屋だ」

「……はぁ、」



ため息のような頷き。

それは、俺の話を理解しきれていないのか、それとも俺が花屋でバイトしているという事実に疑いを持っているのか、…どっちだ。





花瓶に水を注ぎ、包装を解いた花を生ける。

ちゃんとした生け方は知らないが、ともかく水があればいいだろう。

生けた花の花弁を軽く指で弾いて、その綺麗な色に口元が綻ぶ。…花は、嫌いじゃない。





「そういえば、「念」、どうなった?」

「―――え、」



俺の問い掛けに、ヨウコ嬢は呆けたような返事をした。

…上手くいっていないのか?



「もしかして、飽きたか?」

「い、いえっ! ヨンタイギョーは出来ましたっ」

「そうか」



四大行、の下りの発音が妙だったが、漫画を知っていたのなら、そんなものだろう。この少女は、俺なんかよりよっぽど素質もあるようだし。



「あとは、どんな能力にするかだな」

「はい」





気付けば、随分と簡単に会話が出来ていた。

…生け花効果だろうか。

ヨウコ嬢が現状とどんな折り合いを付けたのか、それとも夢だと開き直ったのか、何なのか…。



それらは俺にはわからないが、少なくとも、俺は“今”が嫌ではなかった。



勢い余って頭を撫でたら、「子供扱いしないで下さい!」と蹴られたが。





――――念を纏ったその蹴りは、今の俺には凄まじいダメージを与えた。





そうして、その日の晩御飯を作る事は、出来なかった。

つまりは余りの痛さに寝込んだってことだ。朝まで。



…ありえねぇ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「何で、ササキさんは出かける時に「纏」を解いていくんですか?」



そう問われたのは、必然だろう。

それに対する俺の回答は、恐らく普通だった。





「“原作”と関わりたくない。ヤバイ人間に近付かれたくない」





俺に向けられた呆れたような眼差しは、夢見る子供のものとしては、至極真っ当だったのだろう。



とりあえずため息を吐く。



「…お前が認めてるのかどうかは知らないが、とりあえず此処は「HUNTER×HUNTER」の世界だ。そういうことになっている。“ハンター協会”の会長も、見覚えのあるチョンマゲポニーの爺さんだった」



時期としては、原作に近い…だろう。ある意味最悪だ。



「あの漫画のことが好きで好きでしょうがない奴らなら別だろうが、俺は平和主義者で、ぶっちゃけヘタレだ。平凡に花屋のバイトを続けて、ゆくゆくは、跡取りのいないあの花屋の店長に成り上がるのが夢だ」



それは、誰にも語ったことのない―――今までは語る相手自体がいなかったのだが―――俺の腹黒い人生計画。

外出時、オーラは常に一般人同様、垂れ流し。「念」を使えない“一般人な俺”は、せっせと花屋に滅私奉公して、店長の引退と共に“花屋の店長”へとジョグレス進化する。



…正直、そんな考えで働いているなどと店長に知られれば、酷く申し訳ない上に、恐らく俺はこれから先の人生を生きていけなくなる。心身共に。





「……はぁ、」



俺の告白を前に、ため息のようなか細い返事を返すヨウコ嬢。

その瞳は、俺自身、生まれてきたことを謝りたくなるような色をしていた。





「…すまん」



なんとなく、謝る。俺は打たれ弱かった。

だが、この計画を崩したくはない。働かずに生きていけるというのなら、それが一番ではあるが。…駄目人間だろうと構わん。



「…いいです。ササキさんの人生には干渉しません」



そう言いつつも呆れた視線を緩めないヨウコ嬢は、干渉、などという難しい言葉を使う辺り、かなり賢いお子さんだ。

ひょっとして、良いとこのお嬢さんだろうか。初対面時は、雨曝しの捨て猫みたいだったが。





「ところで、ササキさんの念能力って、何ですか?」



考え込んだ俺に掛けられた声。

キラキラと光る、好奇心を感じさせる瞳で問われた俺は、思わず唸った。



「念能力は、他人に安々と教えるものじゃない…と、原作に書いてあった」

「そうですね」



俺の言い分に、ヨウコ嬢は頷く。

けれど、その表情は頷いていない。むしろ、「それはそれとして」と語っているようだ。

…ありえない。



俺の能力は、出来うる限り他人に語るべきではない。

能力としての効果自体を考えればそれなりに上質ではあると思いたいが、その能力の概要を話すか、発動の瞬間を見られただけでも、俺の身の危険が倍増する。

――――というか、そう自分に言い聞かせないとうっかり喋ってしまいそうな俺自身が、一番危険だった。





ヨウコ嬢は、未だ瞳の中にお星様の大群を宿したまま、俺を見つめ続けている。普通に可愛い。…が、それが曲者でもある。





「……どうしてもか」

「無理にとは言いません」

「“言って”は、いないな」



“目は口ほどに物を言う”。実体験を伴って、その格言は、俺の中で随分と信憑性を上げてしまった。



ため息をつく。

ありえない、ともう一度呟いて、好奇心旺盛な少女に向き直る。





「…誰にも言うなよ」

「はい」

「使い勝手悪いとか、俺的に酷いこと言うなよ」

「はい」

「お前、本当は男だろ」

「はい……、って、違いますよっ!」

「…だろうよ」



いっそ男なら、俺が性犯罪者予備軍に加入される可能性は下がる。

…いや、逆にヤバイか?ショ○か!?シ○タなのか!?時折“可愛い”とか思ってた俺は、そっち方面もいけたのかっ?!





「……いや、ありえないから」

「はい?」



頭を勢いよく振って、混乱した思考を振り払った。“衆道”なんてファンタジーに過ぎない。そういうことにしておこう。

そんな俺を見て首を傾げる姿を、必死に視界の外へ追い遣る。



「よし」



気合を入れて、顔を上げた。

思考の混乱のせいか、色々な事がどうでも良くなっている。





「…まぁ、俺の能力なんて、自己保身の塊みたいなものだけどな」



そう前置きして、俺は自分の念能力を語った。





[2117] Re:雨迷子(現実→HUNTER×HUNTER)
Name: EN
Date: 2007/04/18 17:51


「外に出たいです」

「―――そうか。そんなことより、能力は出来たか?」

「外に出たいんです」

「…ありえん」



ため息をつく。

なけなしの金を使ってヨウコ嬢専用の服を買ってやると、翌日には“これ”だ。



「外は危険だ」

「私だって、もう一通りの「念」は出来ます」

「もっと強いのもいる」

「そんなに都合よく、会いません」



…だろうよ。

そんなことがあったら、この数ヶ月の内に俺はとっくに死んで、次の人生を歩んでいる。生まれ変わったとして、その“先”が人間かどうかは別として。





また、ため息をつく。

どちらにしろ、俺のとるべき道なんて、決まっている。



「…………」



視線を転じた先には、期待と不安を宿らせた、綺麗な青の瞳が輝いていた。





「全身黒尽くめの、変態男と一緒でいいのなら、な…」



三度目のため息を吐きながら、それと一緒に言葉を吐いた。

投げやりな声音に、返ってきたのは満面の笑み。





「―――ありがとうございますっ!」



それを見て、聞いて、――――その選択が間違っていないなどと。

そんなことを思った俺は、やっぱり犯罪者に近いのかもしれない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


街を歩く。

ヨウコ嬢と手を繋ぐのは、かなり躊躇したのだが…当の本人が嫌がっていないのだから、一応の護衛役となる俺が拒むのは駄目だと、そう自分を納得させる。



指先までを覆う黒の外套は、ヨウコ嬢の小さな掌――――その白さを際立たせた。





「本当に、ハンター文字なんですね…」

「ああ」



呟く声は、少し弱く感じる。

少女が何を感じて、どういった思いからその言葉を紡いだのか。

俺にはわからないし、そこまで勘繰るのは、多分、悪い事なのだろう。



俺も、周囲の景色に視線を巡らせる。



道を行きかう人々の半数近くは、俺の格好と、その隣にいる少女―――ヨウコ嬢を見て、僅かに顔を顰める。

…ありえねぇ。



その呟きは、俺の心の弱さだろう。多分。

この状況で警察(居るのか?この世界)に呼び止められれば、俺はこの街を逃げ出すしかない。打たれ弱い現代の若者は、後ろ指を差される現実に、抗えない。





陰鬱な思考。

ため息をつく俺に、ヨウコ嬢の声がかかる。



「ササキさん」

「何だ」

「…私、迷惑、ですか?」

「ありえん」



心配なのか、不安なのか。

弱々しい言葉に、俺は少しだけ強く言い返す。



「ただ…文字が読めん現実に嘆いていただけだ」



それは、半分は当たりだ。

「ハンター文字」なんて妙な象形文字は、SE○Aのオンラインゲームの宇宙文字を10割方読解する俺といえども専門外。

この世界を彩る、子供の暗号染みた文字群。未だに、僅かな単語以外は理解不能だ。





「それなら、私読めますけど…」

「有り得ねぇ」



ヨウコ嬢の発言に、思わずそう返す。



「―――いや、違う、今のは間違いだ。えっと、…読めるのか?“アレ”が?」

「はい」



それは凄い。凄いのを通り越して、むしろおかしい。

ヨウコ嬢、そこまで好きだったのか、ハンター。





少し情けなくはあったが、本人がわかるというのなら、俺としては外見と内実の対比など気にせず、ヨウコ嬢に手を引かれるおのぼりさんとなるのに異存は無い。



「よろしく頼む、ヨウコ嬢」

「ぁ…、はいっ」



力強く頷くヨウコ嬢に、俺は、「やっぱり情けないかな…」と心中のみで嘆息した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――何が悪かったのか。



俺が「もう少しこの世界で、地に足をつけてもいいんじゃないか」と考えたのが悪かったのだろうか。



それほど多くない所持金を持って、とりあえず作っておこう、と足を踏み入れた先。





「手を挙げろっ!客は全員壁に寄れ!!」



そんな事を言うマスク・ザ・強盗。





――――つまり、今現在俺達は、銀行に口座を作りに来たついでに、そこに盗みを働きに来た強盗さん達にも出遭ってしまったわけで。





「ありえねぇ…」

「ありえないですね…」



二人揃ってそう呟いたとしても、きっと間違いなんかじゃない。





「オラァッ、そこの怪しい黒尽くめとガキッ!さっさと壁に寄れっ!」



…目を付けられた。



やはりこの格好は不味いのか。

だが、この服装は俺の意思ではない。安全のために必要な措置なのだよ。



心中で言い訳を並べつつ、ヨウコ嬢の手を引いて壁に寄る。





――――「長いものには巻かれろ」。俺の信条にしようか。





「…やっつけないんですか?」



そんな決意を固めていた矢先、ヨウコ嬢から不思議そうに聞かれた。

俺の答えは勿論決まっている。





「ヨウコ嬢、俺は一般人だ。付け加えるならヘタレ。…つまりはそういうことだ。お前も、下手な事はするなよ? 大丈夫、盗まれるのは銀行の金。ここに金を預けている人達の懐が痛むわけじゃない。多分」



そう告げた俺は、恐らく、人類の限界付近まで格好悪い。

…なのだが、恐いものは、恐い。



例え念能力を身に付けたとしても、銃弾を必ず跳ね返せるわけではなく。

かつて慣れた“痛み”と、そこから生まれる恐怖に耐え切れるわけでもない。



能力は超人の末端だろうと、精神は脆弱なのだ。





「………はぁ、」



ため息と共に頷くヨウコ嬢は、やはり納得出来ないようだ。

実際そんなものだ。

――――俺自身、感情としては納得いかないのだから。



頭を振って、視線を店内に巡らせた。





強盗の数は、四人。全員が銃を持っている。ショットガンとかか? 銃刀法違反はどこ行った。

銃の種類には詳しくない。詳しいのもおかしいが。

四人の内、一人が念能力を持っている。ありえねぇ。

そいつがどれほどの腕なのか、俺程度ではわからないが、随分と厄介ではある。



――――そこまで考えて、我に返る。





…何で、戦力分析をしているんだ、俺は。



ため息をつき、次いで頭を振った。

ヨウコ嬢の、幼さ故の正義感に心を揺さ振られでもしたのか。

――――ない。有り得ない。これより先、俺は傍観する。決定事項だ。



納得して、何を考えるでもなく、周囲を観察する。





と、一人、犯人の中で念能力を使えるヤツが、こちらを向いた。



「―――?」



ゆっくりと歩き、近付いてくる。

そして、俺の隣のヨウコ嬢を見て、笑う。





「なんだ、こんなガキでも“使える”ヤツがいるのか」

「……初心者ですので、お気になさらず」





そのやり取りを聞いて、思わず全身が冷えた。



――――念能力者は、互いのオーラを知覚できる。

一般人を装っている俺とは違って、既に無意識レベルで「纏」を行っているヨウコ嬢は、目の前にいる念使いの強盗犯から見れば、注意して当然の相手。



…ありえねぇ。



ため息は、抑えた。





「ガキとはいえ、厄介だな。……くっく、どうだ、チビ、俺とやってみるか?」



脈絡もなく告げられたその言葉は、聞いていて酷く不快。少し意味合いを変えれば、下劣な誘いになる辺りが、特に。

周りに居る一般人達は、男の言葉に若干の良心が刺激されたのだろう。その顔を厳しいものへと変えるが、それ以上は、無い。…そんなものだろう。俺はため息を吐く。



それに引き換え、男と対峙するヨウコ嬢は結構冷静だ。まだ若いのに。



「いえ、私の保護者が絶対服従の方針なので、私は大人しくここでエキストラです」

「保護者…?」



―――――ア゛ぁりえねぇええっ!!



ヨウコ嬢の言葉に、強盗犯が真横に立つ俺の方を見る。

予想外の事態に、心臓がバッコンバッコンとその運動を激しいものへと変えていく。そろそろ止まりそうだ。



「何だぁ、そのみょうちきりんな服は。コスプレか?」

「趣味です」



間髪いれずそう返した俺は、馬鹿なのか、本番に強い男だったのか。後者だといい。





「はぁん…?お前ら、親子か?」

「同胞だ…とりあえずは」

「はぁん?」



“親子”と呼べるほど、年齢は離れていない。血の繋がりはありえない。多分。

“家族”、ではない気もする。



なので、とりあえずは故郷を同じくする“同胞”。





「まぁ、いいか。…しかし、ガキが使えるのに、テメェは使えねぇってのは、なっさけねぇなぁ」

「…………」



馬鹿にするような声音と、大きな笑い。いや、事実馬鹿にされているのだが。

そんな言葉にも、俺はひたすら従順を示す。



――――俺は一般人、俺は一般人、俺は一般人…。



そう繰り返して、男が何を言っているのか理解していない、という表情を取り繕う。

…ひょっとすると、顔が脂汗ですごいことになっているかもしれない。





「……いいですよ、やりましょうか」





そんな声が聞こえたのは、俺が自身の発汗量を気にしていた時。





「―――――――――――――はぁっ!?」

「いいぜ、やるか、チビ」

「…………」

「は、えっ、…はっ!?」



理解が追いつかない。

――――イイデスヨ、ヤリマショウカ。

ヨウコ嬢の声だ。ヨウコ嬢の声だった。

そちらを見ると、随分と不機嫌な横顔があった。俺が不機嫌になりたい。むしろ不機嫌だ。

そんな俺は、自分でも思わず引くような表情と声で、現状への疑問を精一杯訴えるだけ。





――――混乱する。



どうしたヨウコ嬢、お前はエキストラ志望じゃなかったのか?

何やる気出してんだよ、お前まだ自分の能力も完成してないじゃないか。もしかしてとっくに出来ていて、俺には教えないとかそういうのか。お父さんの入った後のお風呂は、一回流さないと嫌か。反抗期か。ということは実はさっきまで手を繋いでいたのも嫌で嫌で―――――





「おい、何してんだ?」

「…ああ。このガキ、結構強いぜ」

「はぁ?…んなチビがかよ?」



強盗犯同士の会話で、我に返る。

横を見ると、ヨウコ嬢は一歩踏み出して、そのオーラも僅かに波打ち、やる気まんまんだっちゃ、といった様子。…いや、落ち着け、俺。流石に古い。





「ほら、来いよ」

「…ええ」





周囲の人間も、突然始まった決闘に目を剥いている。

俺は、混乱する頭で、目の前の光景を認識する。





「――――ッ!」



その戦いに、合図は無い。鋭い呼気と共にヨウコ嬢が飛び出して、それを迎え撃つ強盗犯の――――その右手が、巨大な鉤爪に覆われた。



息が詰まる。視界の縁が赤い。





瞬間、俺は決闘の中心へと飛び出し、その鉤爪を受け止めている自分を認識した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


翻ったのは、急激な動きにつられた外套。

振り下ろされた鉤爪は、その“白い”外布に衝突し、そこで止まっていた。



その対面。少女の放った右脚も、白色のローブに触れた所で、その勢いを失う。



「…有り得ねぇ」

「――――ぁ、」



濁った息を吐き出す俺の、その全身を覆っていた黒のローブは、その全面を“白”に変えて、ヨウコ嬢と強盗犯、――――両方の攻撃を無効化していた。





目の前の状況に驚愕した強盗犯が、声をあげる。



「―――てめぇ、“念使い”かっ!?」

「五月蝿ぇ、なりたくてなったんじゃねぇよ、このロリコン野郎が…っ」



放った言葉は、ともすれば自分に返る、諸刃の刃ではあったが。





目の前の強盗犯の鉤爪を手で軽く押し退け、ヨウコ嬢を抱えて背後に飛ぶ。



それを見て、念能力者ではない、他三人の強盗犯が銃を上げる。





それら全てを余す事無く知覚して、間に合うと踏んだ俺は、己の能力を発動させる。





「“黒の城砦(ブラックフォート)”…っ!」





俺は張り上げるような声を上げ、それと共に、白の外套が一瞬溶けるように形を崩し、更に一瞬の後、その色を変貌させて、黒色の外套へと再構成される。



響く銃声は、酷く重い音だった。





先ほどまで防具の存在していなかった頭部分。そこには、再構成と共に頭部全体を覆うゴツイ兜が生まれ、俺の脳味噌とその他諸々を守り通す。

ヨウコ嬢は、無駄に面積の広い俺のローブの背後。銃の射程外。





着弾は、俺に対して、ろくな衝撃を与えなかった。





「何だ、その服はっ!?」

「…見たままだ。その分かり易さに、作成直後、後悔した」



それだけ言って、前へと走り出す。

既にオーラは「纏」によって、全身へと均等に巡らせている。



念能力者の強盗犯に近付けば、巻き添えを恐れて仲間は銃を使えない。多分。





――――そう願って、俺は再び、俺を守る「鎧」の名を叫ぶ。



「“白の城壁(ホワイトウォール)”っ!」



黒の外套は溶け落ちて、白の外套が身を包む。





強盗犯が反射的に振りかぶった「念」の鉤爪は、俺の“白の城壁”を破れない。



「っんだ、それはぁっ!!」

「俺の趣味だっ、悪いかこの野郎!!」



自分の能力が効果を及ぼさないことに動揺する強盗犯。

それに叫び返して、反撃しようと握り拳を固めるが、そこではたと気付く。



「――――やば、“制約”が」



硬直して、一瞬の空白が生まれる。

その隙を見て取ったのか、他の強盗犯達が、銃を構えるのが見えた。

―――仲間ごと、撃つ気かよっ!?





動転する俺を他所に、俺の横を通り過ぎる影が視界に映った。



「―――防御、お願いしますっ!」

「…はっ!?」



俺の前方へ踊りこんだのは、小さな身体。



それを認識した俺は、即座に声を張り上げる。





「“黒の城砦(ブラックフォート)”っ!」



外套はもう一度黒色へと戻り、強盗犯は飛び出したヨウコ嬢に殴り飛ばされ、同時に、俺は急いで目の前の小さな背中を抱きすくめて、全身で覆い隠す。



銃声が響いた。





外套越しに弾丸の接触を感じるが、痛みなど欠片も存在しない。



ため息をついて、思う。

“これ”はつくづく、俺にとって都合のいい能力だと。

それと同時に、危険なことを仕出かした腕の中の少女と、間抜けな俺の生命が無事である事に安堵して、顔を上げる。



音が止み、目に沁みる程度の煙が漂う中で、俺は三人の強盗犯を睨み付ける。





「…終りか?」



…少し、台詞を気取りすぎたかもしれない。





そうして、他の客を巻き込む前にヨウコ嬢に協力を願い、強盗犯は捕縛された。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


連行される強盗犯。念使いの奴は、未だ気絶している。

…大丈夫か?

ヨウコ嬢の力量は、どうやら俺の考えているものより数段上のようだ。

以前の蹴りを思い出し、若干の身の危険を感じて不安がる俺の、服の袖を、小さな力が引っ張った。



「ん?」



振り返った先は、俯いたヨウコ嬢。

その顔は…よくわからんが、何とも微妙な表情をしていたと思う。





そのまま、ヨウコ嬢は俺に頭を下げた。何故だ。



「ごめんなさい」

「?…ああ、いや。というか、助けて貰ったのは俺だ。万事が良いわけじゃないが、いいさ。互いに、無事だったからな」

「…………」



俺の取り成しに、ヨウコ嬢は益々表情を曇らせる。

…何が悪いのかがわからない。



犯人の挑発に乗ったことは…まぁ、かなり危ないことだし、怒るべきなのだろうが。



俺は一応、“男”の端くれ。

確固とした理由や意思が無い以上、“女の子”に対して怒鳴ったりは出来ない。

それに、結局はドジを踏んで、ヨウコ嬢共々危険に晒したのは俺だ。



だから、何を考えているのかはわからないが、ヨウコ嬢の曇り顔に、ただただ慌てるしかない。





「ごめんなさい」

「あー…、いや、それはもういい。帰ろう。腹が減った」



再びの謝罪に困り果てる。

もうどうでもいいからと、早くうやむやにしてしまいたい俺は……自分はともかく、他人を責めることのできない、ただのヘタレに違いない。





「悔しかったんです」

「――――あっ?」



突然聞こえたヨウコ嬢の呟きに、疑問符が上がる。



「出来るのに、やらなかったり。私、カッコワルイって思って…。それに、変なコスプレとか、あの人が、ササキさんを情けないとか…」

「…はぁ、」



文章として滅茶苦茶な、難解極まる言葉。

思わず、ため息のような頷きを返す。

…あれ。

何か話の方向が妙だ。そう感じる。





「それで、……ごめんなさい、我慢出来ませんでした。やっぱり、子供ですね、私」





落ち込んだような声と表情。

俺の胸の辺りまでしかない低身長が、沈み込むようにして、更に小さくなっていく。

その姿に、なんとなく口元が綻んでしまった。



俺は、軽いため息をついて、ヨウコ嬢の頭を撫ぜる。





「…ありがとな」

「…………」



ヨウコ嬢は、黙ったまま。

俺の手も、いつかのように払いのけられる事はない。





「うん。まぁ、情けなかったのは、確かだけどな。結局、俺には強盗退治すら出来なかったし、ヨウコ嬢には助けてもらったし…」



言葉面を、鵜呑みにするならば。

気遣って、俺の代わりに怒ってくれたのだろうか。



それは、まぁ、純粋に嬉しい。…少し、気恥ずかしくもあるが。



「ともかく。色々と、ありがとう」



告げた俺の口元は、笑いを堪えきれずに、緩んでいた。

笑いの理由は、照れと恥ずかしさ。それと、やはり嬉しさだろう。ヨウコ嬢を子供らしく感じた微笑ましさも、あるかもしれない。





想ってくれたというのは、恐らく間違いなく。

だから、お礼くらいは照れずにしっかりと。





俯いて顔を赤くするヨウコ嬢。礼を言って、照れる俺。



懸念するのは、これを機に、俺が本格的にヤバイ性癖に目覚める可能性だけだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


□□□□□□



□名称
“黒の城砦・白の城壁(ブラックフォート・ホワイトウォール)”

□能力
念によって具現化された、外套を模した全身防具。

“黒の城砦”は物理衝撃を、“白の城壁”は念による衝撃を、それぞれ無効化する。

黒白はそれぞれ「物理的/念的」のみを防ぐ。防御対象に混同は無い(“白”で念を纏った攻撃を受ければ、「念」のみを防ぎ、物理的な衝撃だけが通る。逆もしかり)。

能力者から外套が離れた場合、その能力は失われ、単なる衣服と変わらなくなる。

外套が能力者に触れている限り、対象の数に関わらず、覆った範囲の全てを守る。

黒白を同時に使用する事は出来ない。

□制約と制約・使用条件
1、黒白の外套を纏う際、必ずその名を“声”によって呼ばなければならない。

2、黒白は物理衝撃と念による衝撃を互いに防ぐが、範疇外に関しては、逆に衝撃を倍増させる。

3、この能力の使用中、能力者自身は攻撃行為を行うことが出来ない。



□□□□□□



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ぐるりぐるりと思考する。

思い描く最善は、俺とは別個の攻撃機構。

この外套の“制約”に縛られない、俺の代わりとなる攻撃手段。



床の上に広げた紙に思いつく限りを書き殴って、ため息をつく。





「ササキさん。ご飯、出来ました」



キッチンから届く呼び声。

その声に、乱れがちだった集中を解く。



「…ああ」

「今日は目玉焼きです」



告げる声に、テーブルまで歩く。

席に着くと、僅かに焦げてはいるが、上出来の部類に入る目玉焼き。卵は各二つ。



「よくできてるな」

「…はい。頑張りましたから」



少し自慢気に言い返される。



その物言いに、思わず笑みが浮かんだ。

数日前、「料理がしたいんです」と言ってきたヨウコ嬢に、俺は微妙に驚いたものだ。

それから俺の監督の下、早四日。

当初は目玉焼きをスクランブルエッグに進化させる事にばかり才を発揮していたヨウコ嬢も、ようやく目玉焼きをマスターしたようだ。…本音としては、そろそろ卵以外も食べたいのだが。

…今度、近くにあるという定食屋にでも行くか。





食事を進める内に、ヨウコ嬢がこちらを窺い、口を開く。



「どうですか、新しい「念」」

「…微妙だ」



そう、微妙だ。

昼頃から頑張って考えていたのだが、結果は芳しくない。





俺の能力“黒の城砦・白の城壁”は“使用中、能力者は一切攻撃出来ない”という制約を設けてある。

ガンジーの如き非暴力主義。自身の安全のみを重視した、ヘタレ根性の究極点。

それ故の絶対防御、文字通りの城塞だ。多分。限界がどこにあるかは試したくない。





「念」を覚えて数ヶ月の俺が、連続する銃撃や、念による攻撃を無効化するなんて芸当を行えたのは、偏に“制約と誓約”、そのリスクによる。



だが、しかし――――



強盗犯との一件で漸く気付いたのだ。



――――俺は、“戦えない”。



そもそも戦わないための能力だったのだが、それでも戦わなければいけないのが現実で。俺は、自分を守る「鎧」を手に入れた代わりに、他の誰かを助ける「剣」を持てなくなった。



…ありえない。





頻繁に銀行強盗と出くわす予定があるわけではないが、ここは「HUNTER×HUNTER」と世界を同じくする場所。

気が付けば、変な蟻や、蜘蛛の名前の泥棒、果ては未だ未掲載の血生臭いネタによって死ぬ可能性が高い。非常に高い。低くても危険なのが○樫ワールド。少なくとも俺はそう思う。



だからこそ、俺は制約に縛られない攻撃手段を“具現化”させようとしていたのだが…





「ネタが浮かばない」

「糖分足りないんじゃないですか、ササキさん?」

「…ノーコメントだ」

「ですよね」



ヨウコ嬢の辛辣な物言いに、目玉焼きが少ししょっぱく感じた。





「ご馳走様。美味かった。すまんが、洗い物も頼む」

「…はぁ、」



非難の眼差しなんて感じない。

俺は再び部屋の隅に座り込むと、試行錯誤を始める。



と、そこでヨウコ嬢の声が俺を止めた。



「ササキさん」

「――――、何だ?」

「別に、ササキさんが攻撃と防御、両方をやらなくてもいいんじゃないですか?」



軽い調子で告げられた言葉に、しばし硬直する。



「…すまん、意味がわからん」

「つまり、私が攻撃をして、ササキさんが防御を担ってくれれば…いいんじゃ、ないかと」

「…はぁ、」



小さな声で提案された。

言われて、考える。



…つまり、どういうことだ?

ヨウコ嬢が攻撃、俺が防御。役割の分担をすれば、成程、確かに互いの念能力の容量としても、無駄が無い。俺にとっては、向かない試行錯誤を行う面倒も無い。



「成程、」

「はいっ」

「それは―――――」



待て。

おかしい。それはおかしい。

何故俺とヨウコ嬢の間で、役割の分担を行うことが可能なんだ?

居候と家主、ついでに言うと同郷の徒。

イコール、攻防一体。話は繋がる……わけが無い。





「ありえん」

「…どうしてですか」



俺の断言に、ヨウコ嬢の声が曇る。何故曇る。



「道を誤るな、ヨウコ嬢。ついでに言うと、念能力を戦闘方面だけに絞るのは、人として潤いが無いぞ。若い身空で枯れてるのか、お前は」

「今は戦闘面での話をしているんですけど…。それに、私、間違ってません」

「いや、待て。落ち着け?」





攻防を分担。その考えは間違いではない。うん。

だが、それをすると、その二人はパートナーとして、互いと離れることが難しくならないか?…なる。凄まじい勢いで一心同体だ。つまり、駄目だ。ありえん。俺は違う。初恋は小学校だったが。違う、落ち着け。パニクるな。誰も俺の好みの変遷を追っているわけではない。それにあれは本当に初恋だったか?俺は面食いだったと思うが、あの子の顔は結構――――





思考が脱線し、耳の穴から漏れ出したところで、ようやく正気に立ち返る。





「駄目だろう」

「…どうしてですか」

「…駄目だろう?」

「駄目じゃありません」

「……駄目じゃないだろう?」

「駄目です!……あれっ?」



色々とよく分からなくなり、ぼんやりと天井を見つめてみる。

傍らのヨウコ嬢は、どうやら俺を睨んでいるようだった。



天井の染みを数えていると、色んなことがどうでも良くなってくる。

いっそこのまま寝てしまえば、この話もうやむやにならないだろうか。…ならないな。



ため息をつく。





「―――もう、帰れないんですよね…」



そんな声が聞こえたのは、随分と時間が経った後のことだ。落ちかけた意識が覚醒する。



顔を向けると、ヨウコ嬢は、俺の真っ黒な外套を掴み、真っ直ぐに俺の目を見つめていた。



「ずっと、“此処”で生きていくんですよね」

「……多分、」



どこか力強いヨウコ嬢の声音に対して、俺の呟きは、とても弱くなる。



「もう、お母さんにも、お父さんにも、お爺ちゃんにも…会えないんですよね」

「……かもな」



真摯な声を聞く度に、かつての世界での、俺自身の記憶が頭を巡る。

母親と、兄弟と、最低な、形だけの…父親。

周囲の環境。浅い付き合いだけだったが、クラスメイト。



「ササキさんも、同じ、なんですよね」

「ああ」



言葉を返す度に、“帰れない”という現実を受け入れていくような、肌寒い感覚。

俺の黒い外套は、そんな心への痛みを軽減することは無い。

だから、伝わる熱は目の前の少女から与えられるものだけ。



気が付けば、俺は抱きしめられている。

二回り近く小さな、子供の筈のヨウコ嬢に。





「――――だったら、私は此処で生きていきます」

「…マジか」

「マジです」



ヨウコ嬢の口元が小さく笑う。綺麗だと思った。「可愛い」ではなく。

対する俺の顔は…多分、絶対、笑っていない。ひょっとすると、酷く歪んでいるかもしれない。



笑顔のまま、ヨウコ嬢が口を開いた。



「大丈夫です」



笑う彼女の心が、俺には全然わからない。

どうして、“こんな世界”で笑っていられるのかが、わからない。



木材の壁を通して、外からは、いつかのような雨音が響いて聞こえていた。





「私はササキさんと、“此処”で生きていきますから」





雨曝しの小さな女の子が、今、目の前で笑っていた。





――――告げられた言葉は、ひょっとすると告白だったのかと。





そんな不謹慎なことを考えていた俺の瞳から、熱いものが、ひとつだけ零れた。





[2117] Re[2]:雨迷子~常葉 葉子の場合~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:07


「晴天のヘキレキ」、というのだろうか。

“ソレ”は私にとって、理解の追いつかない状況だった。





目を開ければ、そこは暗い道の真ん中。

少しだけ明るい空は、曇っていて。狭い道の左右には薄汚れた壁。

少し、臭い。



最初に疑問が生まれた。

――――此処はどこだろう。私はどうしてこんな所にいるのだろう。

ついさっきまで、一体何をしていただろう?





考えて、考えて。

「わからない」という結論を出して、ようやくその道を歩き出した。

何処に行けばいいのかもわからなくて、裸足のままで、とにかく歩いた。



けれど、進んでも、進んでも。

周りの風景は変わらない。人に出会うこともない。

入り組んだ道は迷路のようで。時折視界の端に見える黒猫は、とても不吉な印象を覚えて、後を追う気力も湧きはしない。





いつ頃からだろう…気付けば雨が降り出していた。





歩き疲れて、誰にも会えないことが寂しくて、でも、「寂しい」と考える自分が悔しくて。そんなことで悔しさを覚える自分は、とても子供っぽくて、それもまた腹立たしい。

「此処は何処だろう」、と。

それだけを考えては、見つからない答えにふらふらと、私の足だけが前へと動く。





倒れたのは、いつだったか。

疲れたのか、躓いたのか。



非現実感に満ち満ちた周囲の状況に、私は壁に寄りかかって座り込む。



雨は、ずっと私の上に降り注いでいた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


もうどれほどの時間が経ったのだろうか。一時間か、一日か。それすらもわからない。

不安は、とっくの昔に何処かへと行ってしまっていた。

寒くて、寂しくて、このままこの“夢”の中で死んでしまうんだろうなぁ、と思っていた。

――――暗い。



膝を抱えて顔をうずめる。

寒いのは、雨のせいか。それとも、全身を包む寂しさのせいか。



――――怖い。



自分はもう少し自己の強い人間だと思っていたけど、随分と諦めがいいと感じる。

この変な場所のせいだろうか。それとも、昨夜、お母さんとケンカをして、仲直りをしないまま不貞腐れて眠ってしまったからだろうか。



――――寒い。



…どうやら、自分は結構打たれ弱いみたいだ。



口元が引き攣るように歪み、衝動のままに目を閉じて、





「人か?」



低い、男の人の声が聞こえた。



「…だれ?」



声は、ちゃんと出せただろうか。

随分と掠れて、自分にすら聞こえ辛かったように思う。

僅かに上げた視線で、声を出した人を探す。…居た。私の左前方。黒く大きな影が見えた。



「迷子か?」



もう一度、声が届く。

そこでやっと、私は人に出会えたという事実を理解した。



「…………」



ぼんやりと黒い人を見上げて、投げかけられた声の意味を考える。

…迷子。

迷子だろうか、私は。

此処がどこかもわからずに、どうして此処にいるのかもわからない。

その結果、こんな所で座っている。こんなに寒いのに、動くことも出来ずに。

――――迷子だろう。きっと。

納得する。



口を開こうと思った。

思って、何を言おうか迷う。

雨に濡れて、寒さに凍った唇が、薄く開いて震えて惑う。



けれど、目の前の黒い人は、そんな私の考えなんか気にしていないようで。





「来い」



その一言だけを言って、そのまま私の前を通り過ぎていく。



「―――ぇ、」



聞き返すことも出来ない。

その人の歩く速度は早くて、大きな黒い影が雨の中を歩いていく。

一人になるのが嫌で。慌てて追いかけた私は、今思い返すと、随分と無用心。



多分、酷く心細かったんだろう。

雨に紛れて、涙を流すくらいには。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


お風呂は、温かかった。

渡された大き目のシャツも、サイズが合わなくて困ったけれど、逆に包み込むような感触が心地いいと思う。知らない人間の匂いは、それほど不快じゃなかった。



少し古い、木で出来た家。

そこで、連れてこられた直後に、お風呂へと放り込まれた。

…その扱いに、何も思わないではなかったけれど。

少なくとも、あの黒い人は酷く久し振りに会えた……“人”だ。





表面の削れたような、ボロボロのドアを開ける。



その奥。部屋の中では、黒尽くめの服を着た男の人が座り込んでいた。

私が部屋に入ってきたことに気付いてか、こちらに顔を向ける。

そして、その顔がポカンとしたものに変わって、一言。





「女…の子、か?」



呟きはしっかりと耳に届き、私は憤慨した。少なくとも、内面に於いては。



――――「女の子か」、と。

疑問形で聞かれた。

生まれて十二年、可愛い可愛いと言われて、クラスの男子からもそれなりに人気がある私。

自分でも、身嗜みには気を使っている方だ。可愛くないよりは、可愛い方が良い。可愛いと言われることも、嫌な筈が無い。

その容姿は、謙遜したとしても、平均以上だと判断している。

なのに、





それが、そんな私が、「女の子か?」、と。

疑問系で。



頭が真っ白になった。

誰しも、少なからず自信を持っていた部分を貶されれば、怒って当然だ。当然だと思う。



「…………」



それでも、一応お風呂のお礼もあるので、無言で頷く。

表面には出さない。軽く、黒い人を睨みはしたが。



黒い人は、こちらを見ることもなく、俯いて頭を振ったり、大きなため息を吐いたり。

その様子はとても挙動不審で、「変な人」と、そう思った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


出されたシチューを食べ終えて。振り向くと、黒い人が胡坐を組んで座っていた。

全身の内で唯一露出している顔は、真剣な顔。

真っ黒な服は、コートか何かだろうか。趣味を疑う。室内だし。



目を閉じて、真剣な表情で黙り込むその姿は、とても不可解。





「何してるんですか…?」



投げかけた声は、まだ少し不機嫌だった。

乙女の恨みは、高く売れ。母の教えだ。



「修行だ」



質問に対して返ってきた答えは、素っ気ない。

座り込んで声も無く唸っていた行為の、どの辺りが「修行」になるのかと、不思議に思った私は、鸚鵡返しに繰り返す。



「修行?」

「ネンだ」



回答は、また簡素だった。



私は、告げられた言葉を吟味する。

――――「ネンダ」。

さっぱりだ。

ネンダ、ネンだ、「ネン」…と胸中で繰り返して、思いつく限りを列挙する。

……つもりだったけれど、「ネン」なんて名前の格闘技や、修行という言葉の合うものは、思いつかない。“セイシンシューヨー”というものだろうか。



誤魔化されたのかと思って、もう一度声をかける。



「あの、「ネン」って、何ですか?」

「…………」



黒い人は答えない。

無視をしているのだろうか。

眉根が寄って、先ほどの憤りがぶり返してくる。



「あのっ、」



もう一度言って、それでも動かない様子に、気分が悪くなった。

面倒だと思われているのだろうか。

私はクラス内でも一番背が低いから、小さな子供だと思われているんだろうか。

…眉が寄る。指先が震える。

自分の思考でコンプレックスを刺激してしまい、不機嫌なまま、黒い人に近付く。





肩を叩けば、流石に顔くらいは上げてくれるだろう。

邪魔に思われるかもしれないけれど、私は、まだ、こんなに―――――





突然、身体が重くなった。





膝が床に落ちて、黒い人の胡坐を組んだ膝の上になんとか手を突いた。



「…ぁれ?」



身体に力を入れても、起き上がれない。ガクガクと震える全関節は、まるで何かの冗談のよう。

全身がポンプのように波打つ感覚と、温かくも柔らかいものが背筋を這い上がっていくような、未知の不快感。



額を黒い膝の上に乗せて、荒くなっていく息を必死に整える。





視界に映った自分の腕から、表現しがたい、奇妙な“靄”が湧き上がっていることを見て取って、目蓋を閉じるように、勝手に目の前が暗くなった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「起きたか、この…クソガキめ」



目が覚めると同時に聞こえてきた言葉は、優しさとは無縁のもので。

でもその声の響きが、ホッとしたような柔らかさで、少し安心した。



「飯はキッチンだ、俺は仕事に行く」



続いて聞こえてきた声は、少し優しさが足りなく感じる。

遠のいていく足音と、黒い人影。

見送って、“ソレ”が離れていくことを嫌だと、寂しいと思いながらも、私の口からは声が出てきてくれなかった。





…どれくらいの時間、寝ていたのだろうか。

目が覚めてからしばらく後、カーテンで締め切られた窓から少しだけ差し込んでいる光は、外の天気が“晴れ”だと言う事を教えてくれる。



起き上がって、ベッドを降りた。

――――そこで、違和感に気付く。





両腕、足、…違う。全身から―――身体の至る所を覆う、柔らかい“靄”の塊。

それに驚いて、けれど不快感は無い。

私を守るように全身を巡っていく“それ”は、どこか記憶に引っかかる。けれど、そうして浮かびそうになる名前に、何故か忌避感が涌いた。



頭を振って、キッチンを目指す。



――――「飯はキッチン」と、そう言われた。



言いつけは、覚えていた。まずはお腹を膨らませよう。

小さく鳴るお腹の音に、黒いあの人がいないことを、少しだけ感謝した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


帰宅した黒い人。「飯は」と聞かれたので、思わず謝ってしまった。

よくよく考えてみれば、今現在の私はこの黒い人のお世話になっている居候だ。確かに、ご飯の用意や掃除、最低限の恩返しくらいはするべきだった。勝手に他人様の家の冷蔵庫を漁る行為が真実恩返しに当たるのかは、微妙だけれど。



そう気付き、自分のことしか見ていなかった不明に落ち込んでいると、続いた声に驚いた。



「そうじゃない。ちゃんと食ったのか」



驚いた。本当に驚いた。

見るからに怪しい風体のこの人が、私のことを気遣っていたのだという事実もだが、今のところ迷惑以外のものを与えた憶えの無い私が心配されたことに驚いた。

…意外と、優しい人なのだろうか。

そういえば、起き抜けの声は優しかった。台詞の内容は別として。



――――反面、自分はこの人に対して、自分勝手な気持ちで一人憤ったりして、随分と子供っぽかったような気がする。

少し、落ち込んだ。





晩ご飯は、美味しかった。

昨夜と、今日の朝昼兼用として食べたものと同じで、メニューがシチューだけという事実には流石に辟易したけれど。…好きなのだろうか、シチュー。

大きな鶏肉―――本当に“鶏”肉だろうか。何故かそんな不安が浮かんだ―――は、わざわざ一度焼いてあり、軽い焦げ目がついている。微妙に手が込んでいた部分は高評価。そういった調理が正しいのかどうかは捨て置いて、次回こそは別メニューをと期待する。



黒い人との食事中、そういえば複数人でご飯を食べるというのは、学校以外では滅多にないことだな、と。そんなことを考えていた。





食事中の何気ない会話。

その回数自体は全然少なかったけれど、嫌なものではない。





「そういえば、お前、名前は?」



聞かれたのは、嫌いな人参の処理に困っていた時だった。



――――私の名前は「常葉 葉子」。

漢字で書くと、「葉」という漢字が連続していて、少し気に入らない。…どうしてそれを気に入らないと思ったのか、そんなことはもう忘れたけれど。



人参を皿の隅に寄せて、名前を名乗る。

今の今まで名乗らなかったのは、やっぱり失礼に当たるのだろうか。それだけで放り出されることは無いだろうけれど、少しだけ不安に思う。





「常葉、葉子です」

「…日本人みたいな名前だな」



…妙なことを言われた。

この髪と目の色のせいだろうか。茶色の髪と、青い目の色。苛められた事はないけれど、からかわれたことならある。

黒い人は、ただ単に、私が日本人に見えなかったんだろう。



「…私、日本人です。ハーフですけど」



少しだけ口籠もったのは、「ハーフ」という言葉を使うと、大抵の人が何らかのリアクションを起こすから。

そして、それらは大抵私にとって面白いものでもない。



黒い人は数度頷くと、突然硬直して、無表情のままに口だけを動かした。





「ありえねぇ…っ」



凄く、嫌そうな声。

…「ハーフ」は、嫌いなのだろうか。

コロコロと表情の変わる黒い人を見ながら、そんな考えが浮かんだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


部屋の隅では、黒い人が丸まった姿勢で眠っている。赤ん坊みたいだ。

名前は、「ササキ カミヒト」さんというらしい。

見たことも無い―――友達に借りたゲームの中になら、似たような物があったけれど―――服を着た、少し変な人。

ササキさんは、自分は日本人だと、そう言った。



――――そして、此処は“イセカイ”だと。





小さなため息を吐いた。ササキさんを起こさないくらい、小さなため息を。



身体中から、黄色いような、白いような、青いような……憶えのある特徴を備えた“靄”が滲み出しているのがわかる。

それらは私の全身を包むように留まって、家に置いてある漫画の本の一種―――その内容を思い出させた。





「「念」に、「纏」…?」





…これは、つまり“そういう”事なのだろうか。



“イセカイ”という言葉が聞き間違いで無いのなら、その単語に適正な漢字を当て嵌めることは酷く簡単で。

ササキさんの言った言葉も、「ネン」という響きに間違いが無いのなら、そこに当て嵌まるだろう漢字も、やっぱり簡単に見つかる。



でもそれを見つけると、私は悲しくなってしまうのだ。すごく、かなしくなるのだ。





顔を、蹲るササキさんに向けた。

猫か何かのように、丸まって眠る、黒い塊。

その全体から立ち昇る“靄”は、起きていた時とは違って、しっかりと固定されている。

身体の周囲を縁取るように、しっかりと巡っていく“靄”。

――――私を包むものと、同じ。



近付いて、その身体に触る。



起こして、怒られてしまうかもとは思ったけれど、…それもいいかと、理由も無くそう思う。

「纏」を越えて触れたその身体。首から上以外の全身を覆う真っ黒なコート。多分、コート。

肌触りは悪くない。すべすべ。

お母さんの持っているナントカの毛皮のように、とても気持ちの良い感触。

これに、毛は無いのだけど。





触って、触って、私の手が、ササキさんの顔に辿り着いた。





硬い髪の毛。真っ黒なその色は、私のお母さんと同じだ。

少し日に焼けた、けれどクラスの男子よりは白い肌。ガサガサだ。手入れがなっていない。

閉じた目蓋に指先が触れて、それでも起きないことに少し驚いた。





「日本人…」



私と、同じ。半分だけ同じ。



…だったら、何でササキさんは“イセカイ”にいるんだろう。私と同じ、この人が。





不意に目頭が熱を持ち、少し前まで感じていた寒さが遠のいていることに気付くと、掌から感じる体温に、ようやく、「他人」を実感した。





少しだけ泣いたのは、誰にも内緒だと。

零れ落ちた涙の流れるままに、眠るササキさんへ向けて、小さな秘事を囁いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「纏」「絶」「練」「発」「凝」「隠」「周」「円」「堅」「硬」「流」。



思い出せる限りを想い出す。

他にも「燃」という四種の偽ヨンタイギョーがあったけれど、そちらはこの際どうでもいい。

どうでもよくは無いけれど、私にとってはどうでも良かった。





オーラを全身に巡らせて留め置く「纏」を行い、流れ出すオーラを全部押し込めて「絶」を行い、オーラを練り上げて「練」を行い、「発」はとりあえず後回し。



続いて「凝」。

練り上げたオーラを両目に集中させる。

意外と簡単だ。“漫画”では難しそうだったのに。



「隠」。

…やり方がわからない。「絶」の応用で、目に見えなくする技術だったとは思う。

後回し。



「周」は、テーブルの上に置いてあったコップを掴んで、手を始点に、掴んだままのコップへとオーラを伝えていく。

自分の身体に巡らせるのとは違って、少し違和感がある。コップを使ったのが悪かったのだろうか。眠るササキさんを、少しだけ睨む。



「円」。

オーラを自分の周囲に広げる。「円」という名前から、円形に広げるのだろうか。

とりあえずやってみるが、何だか床の痛み具合などがはっきりと感じられて、気分が悪い。手入れが行き届いていないと思う。ササキさんを睨む。



「堅」は、単に「練」をし続けていれば良かったように思う。

…簡単すぎて、自分の記憶を疑う。



「硬」。

右拳だけにオーラを集めて、他の部分には「絶」を行い、オーラを絶つ。

一箇所に留まる個のオーラを「練」り、手首、肘、肩、そこから順に「流」して、左拳まで移動する。

…これが、「流」だろう。恐らく。

細かいオーラの量を、身体の部分ごとに調節しなければいけない筈なので、実際にはこれが本当の「流」なのかは、わからないけれど。





そうして、確かめていく。

憶えている限りの「念」を行って、それが出来ることを実感して、納得して。



それが出来るたびに、頭の中が真っ暗になっていくのは、きっと、悲しいことなのだ。





私は、朝になってもひたすらに「念」を試し続けていた。

どれだけやっても、その現実が“嘘”になることは、無かったけれど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ご飯を食べて、気が付けばササキさんはいなくなっていた。

きっと、“仕事”に行ったんだろう。

「念」のことばかりを考えていて、何を話したかも、話が出来たかも憶えていない。



ため息をついた。

ササキさんがいないので、誰にも聞かれないからと、とても大きなため息を。



聞き届ける相手の居ないため息は、本当に幸せが逃げていくような気がした。





壁際のソファに近付く。

埃を沢山かぶって汚いけれど、身体がとても疲れているので、気にしない。

倒れて跳ねる音が部屋を満たすくらいに勢いよく、ソファに向かって全身を落とした。



舞い上がった埃は、目や、鼻や、口に入るけれど、正直そんなことはどうでもいい。





「“イセカイ”だ…」



呟いて、呟いたのはいけないことなのだと、そう言うかのように、私を包むオーラが揺れた。





ササキさんに傍にいて欲しいと思い、それは違うのだと、すぐに気付く。

多分、誰でも良かった。



誰でも良いから、傍に居て、頭を撫でて欲しいと思い、私はそっと目を閉じた。



不快な寒さを感じて、少しだけ、肩が震えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


目が覚める。

ずっとうつ伏せに寝ていたから、顔が痛いし、気持ち悪い。
触ってみると、ソファに触れていた頬には埃がべたべたとくっ付いていた。



それらを乱暴に拭って、仰向けになる。



時間は、何時だろうか。

それとも、“イセカイ”の時間は私の習ったものとは違う長さなんだろうか。

そう考えて、笑った。

多分、酷い顔。友達にも、家族にも見せたくない種類の笑いだったと思う。





「お母さん…」



厳しかったけれど、優しかったと思う。少なくとも、私はそう思っている。

いつも綺麗なお母さんは、私の髪を梳かしながら、綺麗だと、可愛いと褒めてくれた。

それが嬉しくて、身嗜みには気をつかった。可愛くなろうと思ったのは、友達に褒められたからでも、男子に好かれたいからでもなかった。



「…怒られるかな、こんなにしちゃって」



顔も、髪も、汗でべたべた。埃が沢山ついて、すごく汚いだろう。

誰に見られるわけでもないし、誰かが褒めてくれるわけでもない。

もう、このままでいいかもしれないと思って、この家には他の人がいたことを思い出す。



――――黒い人。



黒い髪と黒い眼で、真っ黒な服を着ていた。

「念能力だ」と言った。あの、変な服を。

…“具現化系”だろうか。

そう考える私は、とっくの昔に「念」を疑えなくなっている。



疑えなくなって、つまりはここが“そういう”世界だと認めてしまって、それが悲しいことだと、そこまでをつらつらと考えて、けれど涙は出なかった。



「ササキさん…」



帰ってこないかな、と。

そんな願いを、軽く呟いてみた。





「ただいま」



だけど、一秒も経たない内にそれが叶えられれば、驚くに決まっている。



ドアを開ける音と、帰宅を告げる声。

ブーツの足音。仰向けに寝そべった視界の端に、真っ黒なその人の顔が見えた。





「―――ぅあっ!?」



驚いてあげた悲鳴は、きっと、すごく可愛くなかった。

お母さんに聞かれたら、怒られるような酷いもの。



必死に髪を撫で付けて、顔についた埃をシャツで拭う。

拭って、借り物の衣服でそんなことをした不明に気付いて、更に慌てて。

そこでようやく、ササキさんがこちらを気にもしていない事実に、自分は何を気にしていたのかと恥ずかしくなり、ササキさんを睨む。



キッチンで何かを洗っている黒い背中。

水が大量に流れる大きな音に、“節約”という言葉が思い浮かんで、この人の家だから気にする必要もないかと、納得した私は、一先ずの身の置き所を探すことにした。



そして巡らせた視線の先には、テーブルの上の大きな花束。



疑問が浮かんで、花を見つめる。

花の種類は、概ね知っているものばかりだ。たまに、よくわからない形のものも混じっていたけれど。



「…バイト先で貰った。明日には枯れるだろうから、捨てるよりは、って」



花を見ていた私に、ササキさんが声をかけた。



「バイト?」

「花屋だ」

「……はぁ、」



質問に返ってきた答えは、中々に予想外。

こんな真っ黒な人の仕事といえば、きっと危ない仕事なのだと。漫画やゲームに毒された私の脳は、そんなことを考えていたのだ。

それは随分と失礼なことなのだけど、ここが「念」の存在する例の漫画の世界だからといって、必ずしも危険なことや、“ハンター”関係のことをやる必要など無い。

それは当然のことで、そんなことすら考え付かない私が、ばかだったのだろうか。





色々と考え込む私の目の前で、ササキさんは花を花瓶に生ける。

水の音は、花瓶を洗う音だったのかもしれない。



そうして、生けた花を一頻り眺めたササキさんは、オレンジ色の花弁を指先で撫ぜて、軽く、柔らかく弾く。

――――その指の動きが、どことなく…えろっちぃ。

優しい動きと、意外と細くて長い指が、黒のグローブに包まれていてさえ、綺麗に見えた。

綻んだ口元がどうにも艶っぽいと思うのは、以前友達に見せられた“そういう”雑誌が原因だろうか。





「そういえば、「念」、どうなった?」

「―――え、」



ササキさんの観察に集中していた私が、唐突に聞こえたその声に反応できなかったのは、やっぱり自身の失態だろう。





軽く混乱していた私は、会話の内に頭を撫でられたことに動揺して、思わずササキさんを蹴り飛ばしてしまった。

蹴られたササキさんが、そのまま深夜まで寝込むことになったのは、予想外だったけれど。





頭を誰かに撫でてもらいたいと思って、それが叶えられたというのに。

…私は、ひょっとすると、駄目な人間かもしれない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


翌朝、軽く体調を持ち直したササキさんは仕事に行く。

正確には、お花屋さんのバイトなのだけど。



出て行く時に、つい先ほどまで行っていた「纏」を解除していくのは、ここ数日変わらない。

…疑問。

「纏」はいいものだ。これを使っていれば、私にだってササキさんを半日昏倒させることが出来るくらい、便利。…違う、これは反省するべきことだった。



頭を振って、帰ってきたら聞いてみようと思う。



そう決意して、居候らしく部屋の掃除を始めた。

まずは、あの汚いソファから。





――――そして、帰宅したササキさんに訊いてみた。

以下が、その返答。





「“原作”と関わりたくない。ヤバイ人間に近付かれたくない」





目尻が釣りあがり、そこに篭める感情が冷えていくのは、仕方なかったと思う。



私は“原作”を思い返す。

…成程、危険だ。一度お母さんにあの漫画を見つかって、取り上げられたくらいには、教育に宜しくない。あれは、少し、人が死に過ぎる。あと、時々下品。



だけど、そうそう“原作”の流れに関わる事態など起こらない。



ササキさんが言うところの“ヤバイ人”だって、いくら漫画の世界だろうと、掃いて捨てるほど存在するわけではないと思う。…思う。





つまり、ササキさんの心配は杞憂じゃないだろうか?





それとも、既に関わっているのか、関わる予定があるのか。

ササキさんの内々の事情まではわからないので、私は考えるのをやめにした。



「…いいです。ササキさんの人生には干渉しません」



その一言で、追求の矛を納める。

深く追求するのは、不味いのかもしれない。

なので、別の質問を取り上げた。





――――ササキさんの念能力は、何なのか。



これは、かなり気になっていた。

漫画を読む限り、「念」は使い勝手がいい。良過ぎるくらいに。

だとすれば、発想次第では、ひょっとすると何でも出来るのはないか。掌を合わせて錬金術とか、名前を書いたら人が死ぬノートとか。



そこから転じて、私と同じ場所から“此処”に来たササキさんは、一体どういった能力を考え付いたのか。考え付くことができたのか。



何だか知能テストのようにも思えてくるが、知りたいと思うのはどうしようもない。





自分でも少ししつこいかと思うくらいに追求すると、ササキさんは面倒くさそうな顔をしながら、けれどもう少しで陥落しそうな雰囲気を醸し出す。…いける。私がメガネをかけていたら、そのレンズ部分がキラリと光るくらいには、優勢。



渋りながらも、口をモゴモゴと動かし、今にも喋りそうなササキさんは弱々しい声を吐き出す。その様子は、私の気分を高揚させる。なんだか、小動物みたいだ。



「…誰にも言うなよ」

「はい」

「使い勝手悪いとか、俺的に酷いこと言うなよ」

「はい」

「お前、本当は男だろ」

「はい……、って、違いますよっ!」

「…だろうよ」



…この人は、未だに私を男だと思っているのだろうか。

眉が寄る、唇を突き出す、頬が膨らむ。ついでにオーラが煮え滾る。





「…まぁ、俺の能力なんて、自己保身の塊みたいなものだけどな」



そんな前置きから始まった能力説明会。



――――結論として、ササキさんの能力は、なんとなくササキさんらしくも思えた。





“制約”という取り決めによって、自分が誰かを傷付けないようにする代わりに、他人の攻撃を寄せ付けない。

白と黒に分けることで、それぞれ得意な防御対象を決める。…この辺りは、少し使い勝手が悪いとも思った。



ともかく、粗探しをすれば欠点なんていくらでもあるだろうけれど、いい能力なんじゃないだろうか。





ただ、“名前を呼ばなければ着ることが出来ない”制約は、“男の子”といった感じがして、少しだけ苦笑い。

これこそが、一番の欠点にも思える。色々な意味で。…というか、ちょっとかっこ悪くないですか?



疑問は尽きない。





[2117] Re[3]:雨迷子~常葉 葉子の場合~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:12


ササキさんに服を買ってもらった。思ったより、センスはそれ程悪くない



――――“此処”に来た当初に着ていた服もあったけれど、染み付いた汚れは落ちなかったらしく。私自身確かめてみても、あの妙な緑色の染みは遠慮したいものだった。



そして、新しい服を買ってもらったということは、それを着てみたくなるということで。

着てみたということは、それを着たまま、どこかへ出かけてみたく思うのも人情だと、そう結論を出すのはきっと当然のこと。

だから、上申してみる。





「外に出たいです」

「―――そうか。そんなことより、能力は出来たか?」

「外に出たいんです」

「…ありえん」

「…………む」



あっさりと却下された現実に、不満が募る。

そもそも、私はこの家から出たことがない。

たまには日の光を浴びなければ、人間というのは駄目になるのだ。



「外は危険だ」

「私だって、もう一通りの「念」は出来ます」

「もっと強いのもいる」

「そんなに都合よく、会いません」



言い募り、言い返されるうちに、ひょっとするとササキさんは過保護なのかと、そんな考えが生まれる。

大事にされるのは多分、喜ばしいことだろう。

けれど、それと感情は別。

別なので、外には出たい。



私は必死に、ササキさんに懇願する。主に視線で。



ササキさんはため息を吐いている。

ため息を吐いて、天井を仰いで、額に手を当てて。

思いつく限りの“考える”ポーズを試した後、ボソリと言った。





「全身黒尽くめの、変態男と一緒でいいのなら、な…」



そう、言ってくれた。

言葉の内容なんか関係なく、許可を出されたという事実だけに喜んで、大きな声でお礼を言う。





「―――ありがとうございますっ!」





私は久しぶりに普通に笑い、それを受け取ったササキさんも、少しだけ、笑ってくれた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


サアキさんと手を繋いで、道を歩く。

周囲の風景は、少なくとも私にとって見覚えのない家の形、道の形。

どこか似通って、なのに何かが違う。外国の街に旅行で訪れたような、奇妙な感覚。



けれど、そういったものを流し見ながら、私の意識はササキさんと繋がれた左掌に集中していた。





…恥ずかしい、というわけではない。

全くそう思わないでもないが、それよりも。

ササキさんの指の細さや、少しだけ厚くて、私よりも大きな掌を感じ取る。



僅かに絡めるように合わせた指から、「やっぱり細いなぁ…」と考えた。



そして、ふと思う。

…私、なんだか変態みたいだ。

確かにササキさんの指は細い。繊細、というのだろうか。グローブ越しなのに、私と変わらないくらい細くて、私よりも長い。

こうなると、実際の手はどんな形なのだろうか。



ササキさんの「念」であるこの黒い服は全身を覆っていて、脱いだところは見た事が無い。

お風呂の時も、わざわざバスルームに行ってから脱いでいるようだ。

以前蹴り飛ばしたことから警戒されているのかもしれない。



…ああ、見てみたい。ササキさんの、指。





そこで、ようやく思考を止める。

疑問に思ったのだ。

先ほども思ったけれど、これじゃあ私が変態みたいだ、と。

「黒尽くめの変態男と一緒でいいなら」とササキさんは言ったけれど、これでは逆。

私は一体、いつから男の人の“指”なんて、そんなマイナーな局部に関心を覚えるようになってしまったのか。



頭を振って、もう一度景色に目を向ける。

向けた先にあったのは、看板。見覚えのある、通称“ハンター文字”で書かれた、パン屋の看板。



「本当に、ハンター文字なんですね…」



そんな声が出たのは、先ほどまで自分の考えていたことを吹き飛ばすためか。

それとも、やっぱり悲しくなる理由のせいだろうか。



「ああ」



頷きを返したササキさんの声は、いつも通り。

…この人は、寂しかったり、帰りたいと思う事は、ないんだろうか。

疑問を抱いて、その顔を見上げた。身長差のせいで、少しだけ首が痛くなる。



黒い服と、黒い髪。その間に挟まれた肌に灯る、真っ黒な目。

周りを見渡しては、ため息をついている。



そんな様子を見て、なんだかこのまま捨てられてしまうような、本当に一人ぼっちになってしまうような…そんな不安が生まれてくる。

――――それは、すごく寒い。





「ササキさん」



呼びかけは、弱い。

無視されるだろうか。怒鳴られるだろうか。



そんなことは無いと思うけれど、可能性だけならいくらだって生まれてくる。



「何だ」



返された声は、やっぱりいつも通り。

向けられた顔も、いつも通り。



「…私、迷惑、ですか?」

「ありえん」





不安のままに口にした言葉は、僅かな隙間も無く続いた声に、否定された。

怒ったような声音は、私にとって恐いものなんかじゃなくて、悲しいものでもない。



「ただ…文字が読めん現実に嘆いていただけだ」



更に続いた言葉は、間の抜けたもの。

それが私に対する気遣いなのか、本音からのものなのか、私にはさっぱりわからない。





「それなら、私読めますけど…」



ただ、そう返した私の心は、「捨てられたくない」「役に立っておけば独りにならないで済む」という、とても嫌な色をしていて、





「よろしく頼む、ヨウコ嬢」



――――初めて名前を呼んでもらえたのが、こんな時だなんて皮肉だな、と。

そう考えながらも、“頼られた”という現実が、とてもとても嬉しかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――詰まる所、何が悪かったのか。



私の醜い心根か、ササキさんの不幸加減か。

それとも、「なんとなくだが、口座を作ってみよう」と突然言い出したササキさんに、上手いツッコミを思いつかずにここまで来てしまった、私の頭の堅さが悪いのか。





「手を挙げろっ!客は全員壁に寄れ!!」



そんなことを言いつけられながら、私はただ呆然と、ササキさんの手を握っていた。





「ありえねぇ…」

「ありえないですね…」



思わず呟いた言葉は、何故かササキさんとかぶっていた。

…伝染したのだろうか、ササキさんの口癖が。



「オラァッ、そこの怪しい黒尽くめとガキッ!さっさと壁に寄れっ!」



ぼんやりと立ち尽くす私たちに、銃を持った強盗が声を上げる。

少し、眉根が寄る。



…怪しい?怪しいって言った?マスク被ったあなた達の方が断然怪しいです。ありえないわよ。さっさとその足りない頭を以下略―――





噴き上がる悪感情は、表面にまで上らない。

ササキさんに手を引かれて、壁際に寄る。

見上げた顔は、いつも通り…いや、少し歪んでいるように見えた。



「…やっつけないんですか?」



ササキさんがいつ頃から「念」を使っているのかは知らないけれど、毎日数時間を修行に費やしているのはよく知っている。あの家、部屋が一つしか無いし。

だから、あんな強盗四人くらい楽に倒せて当然だ。当然です。太鼓判を打つ。



――――なのに、ササキさんからの答えはどうにもヘタレていた。



「ヨウコ嬢、俺は一般人だ。付け加えるならヘタレ。…つまりはそういうことだ。お前も、下手な事はするなよ? 大丈夫、盗まれるのは銀行の金。ここに金を預けている人達の懐が痛むわけじゃない。多分」



必死に言い募っているのは、言い訳だろうか。ササキさんの表情は真顔だ。



確かに、このまま大人しく盗ませておけば、誰も怪我をしないし、死んだりもしない。銀行のお金が盗まれたって、私達にはどうでもいいことだろう。まだ、預けてないし。



けれど、納得いかない。

…ササキさんは、こういう場面で“助けない人”なのだろうか?



ササキさんなら、純粋な「念」だけで大人の数人くらい倒せるはずだ。いや、倒せる。

そう思うのは、私の考えが足りないのか。





不満を押し殺して、黙って強盗の現行犯を見守る。



その内の一人が、ふらりとこちらへと向かってきた時は、特に気にもしていなかった。

けれど、近付いて来たその人を見ると、「纏」をしていることに気付く。

…ああ、念能力者か。

そう納得して、どうでもよくなる。関わる気は無いのだ。



なのに、その強盗はこちらへと話しかけてきて。





「なんだ、こんなガキでも使えるヤツがいるのか」



その口調は、笑っていた。

…煩わしい。



「……初心者ですので、お気になさらず」



感情を押し込め、それだけを言い捨てる。さっさと離れて欲しいと思う。

思うのだが、念使いの強盗は、更に言葉を重ねていく。



「ガキとはいえ、厄介だな。……くっく、どうだ、チビ、俺とやってみるか?」





その言葉を聞いて、気分が悪くなった。

「厄介」だなんて言っているけれど、その表情をマスクで隠しきれていない。

…この念使いは、面白がっている。

余程腕に自信があるのか、子供を殴るのが好きな変態なのか。



――――酷く、面倒くさい。



「いえ、私の保護者が絶対服従の方針なので、私は大人しくここでエキストラです」

「保護者…?」



本音を包んで、断りをいれる。

不満はあるけれど、私自身が何かをする気は元々なかったし、ササキさんの言い付けを破るのも、好ましくない。



念使いは私の言葉に疑問符。

顔を横にスライドさせて、僅かに私の前に立つササキさんを見、顔を顰める。



「はぁん…? お前ら、親子か?」

「同胞だ…とりあえずは」

「はぁん?」



受け答えするササキさんは素っ気ない。

本当に相手をする気が無いんだろう。…やっぱり、不満だ。

私が不満に思うのは見当違いなんだろうけれど、それでも、気分が良くなることはない。

この男も、さっさとあっちに行ってくれないだろうか…。



「…まぁ、いいか。しかし、ガキが使えるのに、テメェは使えねぇってのは、なっさけねぇなぁ」



その言葉で。溜まりに溜まった不機嫌メーターに、更に数値が加算され、



続く男の笑いが耳に届いた時、色々なことがどうでも良くなった。





「……いいですよ、やりましょうか」





だから、そう呟いたのは、しょうがなかったと思いたい。





私は、不機嫌で。酷く…寒かったのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


強盗男の右腕を覆った鉤爪。

形があまり整っていない、ただ「念」の形状を変えただけの武器。

――――変化系だ。

納得して、飛び掛る。



私は身長が低い。とても低い。クラスで一番低い。コンプレックスになるくらいだ。

身長が低いから、無駄に背の高いこの男の下方から、その股の間を思い切り蹴り上げればいい。きっと、かつてのクラス男子数名と、同じ末路を迎えるだろう。

口元が嗤う。嫌な笑い。私の気分が良い時の、笑い方。





そうして蹴り上げた右脚が、突然現れた、“真っ白”なササキさんに受け止められていることに気付き。目の前の状況がうまく理解できない私は、固まることしか出来なかった。





「…有り得ねぇ」



聞こえた小さな声は、すごく不機嫌。

ついさっきまでの自分の行動が頭の中を巡って、「怒らせた」、「嫌われた」という言葉だけが全身を巡って、寒気が走る。



「――――ぁ、」



か細い声は、きっと悲鳴だった。

それだけを呟くが、目の前の光景は私を置いて、次へ次へと変化していく。





怒声と怒声。

移り変わる白と黒。

ササキさんが銃に撃たれた瞬間、思わず飛び出そうと思ったけれど、その瞬間、黒いコートに包まれた姿に、結局何も出来ないまま立ち尽くす。



気を持ち直したのは、ササキさんの呻き声が聞こえた時だ。





「――――やば、“制約”が」



それを聞いて、「駄目な人だ」と思った私は、多分笑っていた。

…本当に、しょうがない人。



笑いながら、浮かんだ考えは、簡単なもの。

――――ササキさんが守ってくれるのなら、代わりに私が殴っておけばいいのだ。



だから、飛び出す。思考の整合性なんて確認しない。求めているのはたった一つ。

後の事は、大人なササキさんに全部丸投げだ。





「防御、お願いしますっ!」

「…はっ!?」



悲鳴のような声は、返事だったのだと。

無理矢理に納得した私は、ササキさんの影から飛び出して、



「――――“黒の城砦(ブラックフォート)”っ!」



後ろから聞こえる、普段は聞けない力強い声と同時に、目の前の念使いを殴り飛ばす。

振るった拳は、全力の「硬」で固めてある。



吹き飛ぶ男を目で追っていると、視界の端で、他三人の強盗犯がこちらに銃を向けていることに気付く。

けれど、驚愕は感じなかった。





驚く前に私を覆う、真っ黒な布があった。

胸の前へと滑り込む腕に抱きすくめられて、布越しの体温に少しだけ動揺する。





破裂音。

ついさっきも聞いた、多分これが“銃声”という名の音。





煙が漂い、黒い布が動き、…視界が開けていく。





「…終りか?」



耳元で響いた低い声に、動悸が弾んだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


強盗犯達が連行されていく。

ドナドナを歌うべきなのだと、私の中の冷静な部分が提言する。



強盗達は、この銀行で三件目という、それなりに凄い人達だったらしい。



私が殴り飛ばした男と違って、「念」を知らなかった他三人は、あっさりと私達に白旗を振った。「念」の存在を知らされていなかったことは不思議だったけれど、多分あの頭の悪そうな念使いは、独占欲の強い人間だったのだと納得しておく。ついでに言うと、変態だ。



どちらにしろ、彼らにとって“銃の効かない化け物”であるところのササキさんと、自分達の中で一番の腕っ節の男を殴り飛ばした“怪力少女”の私相手では、そのやる気も失せて当然。

警察や銀行に感謝されて、金一封もない現状に、ただ流されるだけだ。





ササキさんは、ぼんやりと強盗犯達を見ている。

歪んだ顔は、気絶したままの念使いの男を見つめている。

…もしもあの男のことを心配しているというのなら、ササキさんは「セイジンクンシ」という人なのだろう。



その優しさが、私にも向けられていればいいな…と、不安を滲ませながら近付く。



軽く、その袖を掴んで引いた。

触れたコートは相変わらずすべすべで、振り向いた顔はいつもの通り。



「ん?」



不思議そうに覗き込む顔に、手を繋いで楽しく歩いていた昼間の情景を思い出して、今の状況と比較することに疲れていく。

…どうしてこうなったんだろうか。



答えは簡単、私のせいだ。



「ごめんなさい」



ようやく口を突いて出たのは、捻りのない言葉。

謝れば許してくれるだろうと考えて、銀行内で自分がやったことを思い返すと、そんな考えも霧散する。身体が、酷く寒い。



「…ああ、いや。というか、助けて貰ったのは俺だ。万事が良いわけじゃないが、いいさ。互いに、無事だったからな」



優しい言葉は、温かいのに信じられない。

“此処”に来て疑い深くなってしまった自分は、きっと“以前”よりも可愛く無い。



「ごめんなさい」

「あー…、いや、それはもういい。帰ろう。腹が減った」



嫌な考えだけが頭の中に生まれて、あの雨の日を思い出す。

誰も居なくて、すごく寒くて、其処がどこかもわからない。



…あれは、とても嫌な場所だった。



捨てられる、怒られる、嫌われる。

昏い感情ばかりが浮かんできて、頭の中でササキさんの声に変換されて、最後の一日、ケンカ別れしたままのお母さんの声に変わり、その言葉に埋め尽くされる。



『お母さんは、あなたに構っている暇はないの。だから、一人で行きなさい』



――――それは、単純な言い合いで、我慢できなくなったお母さんが言った、何気ない言葉。子供の癇癪に合わせた、反射の行為。





その言葉が、今はこんなにも近い。

帰る家は、借り物。居る世界は、偽物。家族だって、紛い物。





…私は“独り”で、“何処”に行けるだろう。





どろどろとした心の内。

口から零れたのは、単なる言い訳だ。



「悔しかったんです」



それは本当。けれど、真実じゃない。



「出来るのに、やらなかったり。私、カッコワルイって思って…。それに、変なコスプレとか、あの人が、ササキさんを情けないとか…」



“保護者”が立派でないのは、不満を感じると同時に、不安だった。

“ササキさん”を馬鹿にされたのは、癪にさわった。

ササキさんはそんな人じゃないと。優しくて強くて、「私を捨てたりはしない人」だと言い訳を連ねた。連ねることも出来ずに、それを口に出した男に反発した。そいつを壊せば、そんな嫌な現実は消える。そう信じた。今でも信じている。…嗚呼、やはり■せば良かったのだ。



そこに含まれた、本人への気持ちなんて、よくて二割くらいだったろう。





「それで、……ごめんなさい、我慢出来ませんでした。やっぱり、子供ですね、私」



だから、そんなことを言う私は、どこまでも嘘吐きだ。

取り繕って、本音を隠して、それでも嘘は言っていない。だから、私は大嘘吐きで、



頭上から降りかかる声は、際限も無く愚かしい。



「…ありがとな」



そんなことを言いながら、ササキさんは私の頭を撫でる。

温かい感触は、きっと、醜い私には不似合いだけど。それを払いのけたくはなくて、こうなることを望んで、そのために私は言葉を紡いだ筈で。



言葉を重ねるササキさんの優しさは、正しく、私に利用されるだけ。

その様は、私にはとても可愛らしく想える。



「ともかく。色々と、ありがとう」



締め括られた言葉は、とても温かかった。





口元は、緩む。頬は、熱に染まる。

――――ああ、この人はこんな嘘を簡単に信じて。



本当に、ササキさんはしょうのない人。





胸を渦巻く騙すことへの罪悪感と、騙されてくれる愛しさと。

倒錯した情愛は、愚かにも可愛らしい小獣に向ける感情に似た熱を持つ。





けれど、「離れたくない/捨てられたくない」と思ったのは、本当のこと。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


フライパンの上で音を立てる目玉焼き。

そろそろ頃合いかと、ターナーを差し込んで、フライパンと目玉焼きの底面―――その境界がくっ付いていないかを確認。



「…よし」



頷いて、フライパンを皿に向け傾ける。

移動させやすいように、目玉焼きの底面には、ターナーを当てたまま。
スルリと滑るように皿の上へと移動した目玉焼きは、その形を崩す事無く、しっかりと教本通りの姿を保っていた。



――――これをもって、この目玉焼きは私の人生最高の料理へと昇華された。





出来具合は完璧だ。百点をあげてもいいだろう。

一人頷いて、部屋の隅で悶々としているササキさんに声をかける。

…褒めてくれるだろうか。

生まれた思考は、霞んで埋もれる。





席に着いて、箸を取る。

この世界にお米が存在することには、素直に感謝。パンは余り好きじゃないから。



目玉焼きに目を移したササキさんは、しばらくそれを見つめた後、私の方を振り向いた。



「よくできてるな」



その言葉に、テーブルの下でガッツポーズ。はしたなくも密やかな行為に、目撃者は皆無。

隠行は乙女の嗜みだ。



「…はい。頑張りましたから」



机下の熱気とは別に、表情は優雅に。

それでも微笑んだのは、ここ数日の努力が実ったのが嬉しかったから。

…練習当時のことは、正直思い出したくない。





嬉しさと共にご飯を食べる。

だけど、食事の合間に窺ったササキさんの顔色は、優れない。



「どうですか、新しい「念」」

「…微妙だ」



問い掛けに返ってきた言葉は、半ば予想通り。



――――ササキさんは、銀行強盗の件から今日まで、ずっと攻撃系の「念」の開発に余念が無い。



修行の最中も、どこか考え込むような、そんな影がある。

…私としては、考える程のことでもないと思うのだが。

ササキさんの目は、節穴だと実感する。でなければ、私が男の子に見えよう筈も無いが。



「ネタが浮かばない」



どこぞの作家かと思うような疲れた台詞。



「糖分足りないんじゃないですか、ササキさん?」

「…ノーコメントだ」

「ですよね」



私の悪態にも、反応が乏しい。

…この状況は、あんまり嬉しくない。

ササキさんには、もう少ししっかりして欲しいと思う。“しっかりしたササキさん”というのも、正直微妙ではあるけれど。





「ご馳走様。美味かった。すまんが、洗い物も頼む」

「…はぁ、」



完食の挨拶も、お礼の言葉も、元気が無い。





そんなササキさんを見て、私は常々考えていたことを言ってみることにした。



「ササキさん」



振り向いた顔は、真っ直ぐに私を見つめてくれた。

だから、少し調子に乗って、勢いのままに口に出す。





「――――別に、ササキさんが攻撃と防御、両方をやらなくてもいいんじゃないですか?」





言うと、ササキさんは私を見つめ、次いで首を傾げて、もう一度私を見た。

…ああ、この表情はわかっていないな。

軽いため息をつく。



予想は外れず、返る言葉はヘタレていた。



「…すまん、意味がわからん」



その力無い声と表情は、私の今一番好きなものだ。



「つまり、私が攻撃をして、ササキさんが防御を担ってくれれば…いいんじゃ、ないかと」

「…はぁ、」



もう一度、今度はわかりやすく告げた言葉は、少し、不安に揺れた。

―――が、それに対して、ため息のような返事を返された。

わかりにくかっただろうか? 噛み砕いて説明したとは、思うのだが。



「成程、」



見守っていると、小さな呟きが聞こえ、その内容を理解すると、気分が高揚した。



「はいっ!」

「それは―――――……ありえん」

「…どうしてですか」



了承されたのかと、自分でも分かるくらいに喜色を浮かべて返事をした私を打ち落とす、ササキさんの口癖。

…焦らしプレイですか?

眉根が寄る。自分が不機嫌なのがわかる。そんなもの、わからなくても事態は変わらないけれど。





ササキさんの顔は歪んでいる。

渋るような声と共に、私に対する説得が飛ぶ。



「道を誤るな、ヨウコ嬢。ついでに言うと、念能力を戦闘方面だけに絞るのは、人として潤いが無いぞ。若い身空で枯れてるのか、お前は」

「今は戦闘面での話をしているんですけど…。それに、私、間違ってません」

「いや、待て。落ち着け?」



言っている事は間違っていないけれど、何だか、適当に言って誤魔化そうとしているようにも見える。

そもそも枯れる以前に未発達、第二次性徴は未だ来ず。…下品ですよ、ササキさん。





一体何がいけないのか。

ササキさんが「防御」しか出来ないのなら、「攻撃」専門のパートナーがいてもおかしくはない。

幸い私の能力は、一応、未決定。都合が良いと思う。

戦闘は常に二人で。その方が安全だろうに。

それに、何も、必ず一対一でなければいけないなんて、そんなルールは存在しないのだから。

なのに、





「駄目だろう」

「…どうしてですか」

「…駄目だろう?」

「駄目じゃありません」

「……駄目じゃないだろう?」

「駄目です!……あれっ?」



…また誤魔化された。

不満なのだろうか、私のような“子供”では。

天井を見上げ始めたササキさんを、軽く睨む。



私だって、「念」の修行はサボらずにやっている。以前習っていたお花の稽古よりも熱心に。

料理も……じきに出来るようになる。

年齢は、積み重ねるものだと、お爺ちゃんが言っていた。



それでも不満なら、―――――「泣き落とし」しかない。





決意して、“台詞”を反芻。

想定通りの“演技”が出来るように、目を閉じて集中。

目蓋と同時に、口を開いて、ササキさんへと詰め寄った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――“此処”からは、帰れない。それはもう、確信に近かった。



その認識に理由も無く。

あるとすれば、ササキさんが居ることで、このまま戻れなくても構わないと思ったのか。



お母さんも、お父さんも、お爺ちゃんも、友達も、嫌いな人たちも。

沢山の人達と会えなくなるけれど、それでも此処にはササキさんが居た。

私は独りじゃなかったのだから、それを幸運と受け取ろう。



ササキさんは、私を捨てない。

事実がどうかなんて、知らない。“捨てられない”と信じて、“捨てさせない”と信じる。





…気が付けば、私はササキさんに抱きついていた。



私の唇近くに寄ったササキさんの耳元に、感情のままを告げる。





「私はササキさんと、“此処”で生きていきますから」





それは、私にとって精一杯の告白。

離さないという、私の“制約”。

あなたを「鎧」に、私が「剣」に。





――――だから、私を独りにしないで。





途中からは、演技を忘れて必死に言い募っていた。

そして、それが全然嫌じゃない。

思うままに言葉を重ねて、少しずつ、ササキさんを縛っていく。





弱々しい頷きを返されたのは、雨音の鳴る頃。





ササキさんが泣いてしまうとは、思わなかったけれど。

その顔は、まるで親を求める迷子のよう。





日が落ちて、いつの間にか、食器を洗うことも忘れて。

涙を流すササキさんが可愛くて、私はずっと、彼を抱き締めていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


□□□□□□



名称:黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)

能力:念を変化させた近距離用の“白の剣”と、中距離用の“黒の槍”。

   ナイフや指など、“尖ったもの”を起点として、その先端部から直線に念の刃を形成する。

   最大射程距離は、“黒の槍”による十メートル。

制約:1、「ササキ カミヒト」から百メートル以上離れれば、「念」能力を喪失する。

   2、「ササキ カミヒト」を護れなければ(死亡すれば)、能力者は死亡する。



□□□□□□



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


―後書き―



はじめまして。その他投稿板に於いては、初の投稿でございます。



こちらの掲示板にご投稿なされているHUNTER×HUNTERの小説らに感化され、二番煎じか、それ以下ではありますが、この度投稿を行ってみました。



作品内の矛盾、違和感、不快感等々、多々あらせられるでしょうが、ここまでお読み下さる方がいらっしゃることを願います。



僅かなりとも、読まれた方に楽しんで頂ければ幸いです。





※4/16 改"悪"に為っていないことを願って、微妙な修正を致しました。



[2117] Re[4]:雨迷子~佐々木 守人の場合~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:14


「………むっ、」



ヨウコ嬢が気合を入れる。

それに伴い、翳された両手の間に置かれた、葉っぱの浮かぶ水入りのグラスに、もよもよとしたオーラが纏わり付いていく。



そのまま数秒。

見守る限り、グラスの水が増えたり、色が変わったり、水の上に浮いた葉っぱがバク転をするといった事態も起こらない。





「…失敗か?」



まさかそんなことは、と思いながらも、口を突くのは疑問の言葉。



手を翳したままのヨウコ嬢は、変わらぬ表情でグラスに指を突っ込んで、その指を口に咥える。

その様子に、俺もようやく事態を悟る。

…ああ、そうか。成程。

俺もヨウコ嬢に倣い、指をグラスの水に浸して、舐める。



結果――――





「しょっぺぇ…」





しょっぱかった。すごくしょっぱかった。

塩水のように…けれど明確に表現するならば、それはよく漬けられた梅干のような。



「…不服です」

「…だろうよ」



顔を顰めるヨウコ嬢。俺も多分似たような顔だ。各々の理由は別として。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「水見式をしよう」



そう提案したのは俺だ。

理由としては、思い出したくないのだが、ヨウコ嬢が俺とパートナー組む、とか何とか…そういった話をしたからだ。



その経緯としては、色々と…俺にとって恥ずべきことが起こったのだが。その記憶については、永遠に封印したい。

あの会話以降、ヨウコ嬢の視線が生温かく、見守るような按配になったのは、気のせいだと、淡い希望を胸にして。





――――ともかく、俺は、ヨウコ嬢の提案に頷いた。頷いてしまった。



こんな小さな子になんて事を、とか。

“一緒に居る”という言葉が、泣くほど嬉しかったのか、とか。

思い悩む要因は沢山ある。

あるけれど、俺は結局頷いた。そういう結論を出した。



「行動した」という事は、取り返しがつかないという事でもある。



だから考えるのはやめにして、せめて建設的なことをしよう。

…それはひょっとすると、現状からの逃避かもしれないが。

俺の臆病な感情は、それを絶賛推奨していた。





「用意、出来ました」

「ああ」



考え込む俺を他所に、ヨウコ嬢はテキパキと準備を終えていた。

その様子に、再び情けなさが襲ってくるが、とりあえずは、無視。



「…やるか」

「はい」



テーブルに置かれた水の入れられたグラス。

水面には、一枚の葉っぱ。





そうして――――先鋒、ヨウコ嬢の系統が判明する。





…結果、恐らく変化系。



「恐らく」と枕詞が付くのは、原作を読んだ記憶を思い出しても、“甘くなった”描写しか思い出せないからだ。

“しょっぱくなった”という事態は、味が変わったことから、変化系だろうと結論付ける。

…それが間違っていたらと思うと、かなり不安ではあるが。





「不服です」

「…文句を言うな、ヨウコ嬢」



「しょっぱい」という言葉の、字面が間抜けからだろうか。

ヨウコ嬢は不満顔。…気持ちはわかるが。



「確か、変化系の傾向としては、「気紛れで嘘吐き」だったか…」



…うろ覚えだから、自信は無いが。

グラスを見つめるヨウコ嬢にそれが当て嵌まるかは、付き合いの浅い俺にはわからない。



俺の呟きを耳にした当の本人は、変わらぬ顰めっ面で、ただ一言。





「不服です」





だろうよ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「次は、ササキさんの番です」

「ありえねぇ…」



奨めるヨウコ嬢の瞳は、爛々と光っている。

…俺の系統如何によっては、胸が張り裂けそうな罵声が飛びそうな気がする。

そんなことを考えるが、頭を振って、否定した。

――――ヨウコ嬢は、優しい子だ。そんなことはしないだろう。多分。



軽く納得すると、手を翳す。

…変なものじゃありませんように。



――――そう願う俺は、念に目覚めると同時にファンタジックな外套を具現化してしまった、系統知らずのバカヤロウだったりする。





「……むっ」



気合を入れるのは、なんとなく。

こういう時は、どうしても力が入ってしまう。





そうして、目前のグラスからは、水が零れ―――――





「強化系…?」





…嘘、俺って単純バカだったのか?熱血主人公タイプだったのか?

混乱する脳内。

そんな俺を叱るように、ヨウコ嬢の声が飛ぶ。



「違います。よく見て下さい」

「…ぬ?」



見る。見た。

水が、零れる。それは、“溢れて”いるわけじゃない。“水が、グラスの外へと出て行く”。

這いずる様なその動きはナメクジを想起させ、見ていて、余り気分がよろしくない。



ずるずると、音も無く。

グラスの縁から外へと流れ出した水は、グラスの周囲に広がり、そのまま輪形の水溜りとなって、動きを止める。

残ったグラスの底には、一枚のハッパ。

グラス表面の水滴すら零れ落ち、全ての水が、グラスの周囲数センチで薄い水溜りを作っていた。





「…ありえねぇ」

「特質系―――?」



驚いたようなヨウコ嬢の声。

俺の呻きは、系統による感慨からではなく、目前で起こった奇怪な出来事のせいだ。



コップから這い出す水、水、水。

その様子は、それ自体が何か一つの能力のようにも見えて、なんだか謎っぽくて嫌だ。





「…俺は、妖怪か?」



器から逃げ出す液体。気味の悪くなるようなその光景。





どこから生まれたのか定かでない、偽らざる、俺の本音だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


特質系の傾向は、「カリスマがある」だった気がする。





「ありえねぇ?」



思わず疑問系で呟いた。

カリスマ、という一文しか憶えていないせいか。とにかく、自分には当て嵌まらないとしか思えない。

俺に、カリスマが―――――

…ありえない。実はこの世界がドッキリでした、ってくらいありえない。プラカードは何処だ。





「…そうですか?」

「そうだろう」



不思議そうなヨウコ嬢は、多分、幼さゆえに人を見る目が養われていないのだろう。

それとも、俺を弁護してくれているのか。

不意に、笑いが込み上げてきた。自嘲ではない。こういう時は、無性に可笑しい気分になるものだ。ヤケクソとも言う。



頭を振って、笑いを振り払う。



「…この系統別傾向、言ったのはピエロさんだからな。仕方ないか」



あれは、「俺より強い奴に会いに行く」という言葉を、ちょっと横方向にズレながらも地で行く人だ。

多少の勘違いがあっても仕方ない。そして、俺がその“多少”に含まれていた、というわけで。





「――――よし、落ち着いた」

「…そんなに、変ですか?」

「変だ。おかしい。異常だ。俺は今後一切、職業・ピエロを信用しない」



即答する。

…というか、既に自分の能力を作ってしまった俺は、系統云々を考えても無駄な気がするし。ていうか、俺の系統如何によっては、“黒の城砦・白の城壁”は激しく役立たずだったのではなかろうか。





――――記憶によると、習得できる能力には、“容量”というものがある。うろ覚えだが。



それがどういったものなのか詳細を憶えていないが、俺の外套の能力は、無駄に複雑な気もする。

だから、これ以上能力を増やしても、それほど大仰なものは無理かもしれない。





散々捲し立てる俺。ヨウコ嬢は不満そうに見えるが、自分のことは自分が一番よく分かるものだ。せめてその優しさだけを受け取っておこう。





「それに、今重要なのはヨウコ嬢の能力だ」

「……はぁ、それなら、一応考えてあります」



軽い吐息の後に、ヨウコ嬢はサラリと告げる。

俺は一瞬の忘我の後、聞き返す。



「マジか」

「マジです」

「ありえねぇ」



気が早いと思う俺は、ヨウコ嬢に比べて思考速度が遅いのか。



「名前は、“黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)”」



…その名前に既視感を抱くのは気のせいか。



「変化系だったのは、都合が良かったですね」



淡々と言葉を重ねるヨウコ嬢は、真っ直ぐに広げた右手の指先から、その延長線にオーラを伸ばしていく。

――――白い、剣。

…それは、多分、容量の無駄遣いだ、ヨウコ嬢。

色を付ける意味が無いと思うのは、遊び心に乏しい、拗ねた大人の考えだろうか。



広げた掌、その真っ直ぐに伸びた五指。

その先へ続く、五本の白剣は、まるで爪のよう。





続けて、左手を伸ばす。



グラスの中から拾い上げた、一枚の葉。

その先端から真っ直ぐに伸びたのは、予想通り、黒い刃。

「槍」じゃなかったのか、という俺の茶々は、更に伸長し、黒いオーラの先端部が横に広がり、“穂先”を形成した時点で打ち落とされた。



「近距離と、中距離です」



声が得意気なのは、自慢したい気持ちがあるからだろうか。子供らしくて良いと思う。





改めて、両手に構える黒白の念刃を観察する。

「剣」と「槍」は、どちらも“斬る”より“突く”――――“貫く”ための形をしていた。

その攻撃的な能力に、防御担当の俺は少し尻込みする。

俺の能力は、主に“俺を”守るためのもの。ヨウコ嬢まで守りきれるのかという疑問と不安が、どうしても付き纏う。





それでも頷いた手前、俺から断ることも出来ず。僅かに微笑むヨウコ嬢を撫でることで、自分の弱音を振り払った。

――――守ろう。守れなかったら、出家でも、何でもしてやる。

貧弱な決意を秘めながら頭を撫でる俺を、ヨウコ嬢は笑いながら見つめ返す。



笑いかけられるのが辛いと思うのは初めての経験で、恐らく、俺の贅沢だ。





「これだけでは弱いので、“制約と誓約”を課します」

「…は?」



ヨウコ嬢は表情を消して、自分の「剣」と「槍」に向き直り、静かに告げた。





「――――“ササキさんから…百メートルの距離。それ以上を離れれば、私の「念」能力は永遠に無くなっちゃいます”」





誰かに言い聞かせるような声色。

呟くヨウコ嬢は、満面の笑みで。





その言葉に、俺の脳味噌が活動を停止した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


いつも通り、店前の通りに水を撒く。

手に持つホースは力無く垂れて、ドボドボと零れ落ちる液体は、地面に跳ねて俺の外套を濡らす。

その事自体は知覚しているのだが、認識までには至らない。



今鏡を見れたなら、そこに映る顔は死人そのものだろう。間違いない。





「ササキさん」

「…………」



声に反応。この辺りはただの反射だ。

向けた先にあったのは、俺と同じエプロンに、白のワンピースを着込んだ見慣れた顔。ワンピースは俺の金。

…いっそ、見慣れない方が世間のためだったかもしれない。

つらつらと感情を伴わない思考を行っている俺に向けて、平素と変わらぬ彼女の声が届く。



「配達、行ってきて欲しいそうです」

「…ウィ」



理由もなくフランス語で返事をしてしまうのも、仕方がない。





今の俺は真性の「犯罪者」だ。更に言うなら、その頭には性別の“性”の文字がくっ付いている。



ため息もつけない今の俺は、真っ青な花束を受け取りながらも、頭の中で「アリエナイアリエナイ」と宇宙人のような片言を繰り返す。

そんな怪しい黒尽くめに、新・バイト要員であるところのヨウコ嬢は、手を伸ばす。



出された手を軽く握るのも、既に慣れてしまった。柔らかい。…落ち着け。もしくは死ね。



「それじゃあ、行きましょうか」

「Да」



…待て、今変な言葉が出た。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


…なんというか、離れられなくなったのだ。

俺と、ヨウコ嬢が。距離的に。



予め考えていたというヨウコ嬢の能力、そのお披露目の直後に行われた、制約の儀式…のようなもの。

止められなかった俺は馬鹿だし、鈍間だ。自分の悪口レパートリーの貧弱さが恨めしい。





――――大人しく見ているだけだった俺は、ヨウコ嬢が目の前で口にした言葉の意味を、しばらく理解出来なかった。





“俺から百メートル以上離れれば「念」能力を喪失する”。



それは“黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)”が使用不可能になる、なんて甘い物じゃない。

文字通りの「喪失」。「念」そのものを操ることが出来なくなる、絶対の制約(レッドカード)だ。





馬鹿か、と言いたい。…言ったけど。

何を考えているんだ、とも言った。



対するヨウコ嬢の答えは、「簡単な制約じゃないですか」だった。





ため息が漏れる。駄々漏れだ。



確かに。わざわざ無理に離れるつもりもなく、パートナー関係を結ぶのなら、それはおかしくない。

条件としては困難であると考えられるその制約は、一定条件を備えた人間達にとっては、それほど破格ではない…場合もあるだろう。極、稀には。

――――けれど、俺達は、違う。



百メートルという短距離。それを一ミリでも越えた時点で、ヨウコ嬢の「念」は“一生涯”封印される。

俺と少しの距離を置く――――下手をすれば、人込みに紛れただけでも、それは彼女にとって、この世界に於ける死刑宣告にも為り得る。



…重過ぎるのだ、条件が。少なくとも、俺にとって。





――――以上は、言い訳だ。ただ俺の為だけに並べられた言い訳。

こんな世界だ、本当に生き延びたいと考えるなら、それくらいの覚悟はいるのかもしれない。漫画を読んだ限り、“あの”主人公は、少し覚悟が強すぎる気もするが。





「………はぁ、」



ため息をついて、手を繋ぐヨウコ嬢を見遣る。



表面上、その様子は変わらない。至って普通。

…わかっていないのだろうか、あの制約の辛さが。

拘束される窮屈さと、押し込められる不便さ。そんなものは、誰だろうと、大小の違いがあっても、理解の出来ている事。



それともこの少女は、それすらわからないような環境で生きてきたとでも…?





もう一度、ため息をついた。

それは、酷く重く、暗い。





そして、紛れも無く俺自身に向けた、「痛み」を伴っている。





[2117] Re[5]:雨迷子~常葉 葉子の場合~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:15


「水見式をしよう」



ササキさんが脈絡もなくそんなことを言い出したのは、私の作ったカレーが、甘口の筈なのにハバネロカレー並のスコヴィルを記録した昼食後のこと。

…ちなみに、スコヴィルというは、辛さの単位のことですよ、ササキさん。





「…はぁ、その、何でですか?」

「俺だって考えているのだよ、ヨウコ嬢」



そう言い返すササキさんは、私の問いに全く答えていない。





「…はぁ、」



小さくため息をつく。

見ると、ササキさんは席に着いて俯いている。

その顔が少し歪んでいるのは、やはり私が原因だろうか。



…そう考えると、少しだけ、背筋がゾクリとする。





ほんの少し気分の良くなった私は、キッチンに向かい、水見式の準備に取り掛かる。

思い悩むササキさんは嫌いではない。むしろ、どちらかと言えば好きな方だろう。

俯き、考え込む時のササキさんは、目を細めて、口を引き締め、いつもより少しだけ男らしいのだ。





「――――用意、出来ました」

「ああ」



声を掛けると、少しだけ肩が大きく揺れる。

また、考え事で周りを見ていなかったのだろう。

そこは欠点だと、そう思う。



「…やるか」

「はい」



テーブルの真ん中に置かれたグラス。葉っぱは、花瓶の花から一枚だけ拝借した。

窓からの日差しで、中の水が少しだけ光って、綺麗。



「私からでいいですか?」

「ああ」



申し出に深い意味は無い。

敢えて言うなら、少しの好奇心か。



――――自分の念系統。

それはちょっとした、占いのようなもの。

特に意義がなくたって、自分の知らない何かを知るというのは、少し、期待してしまう。

報われる事は、余り無いけれど。





「………むっ、」



手を翳して、「練」を行う。

オーラを練り上げて、その内にグラスを巻き込むだけ。それは凄く簡単なことなのに、篭めた力が声になって漏れてしまうのは、自制が緩いからかもしれない。



クスリ、と内面だけで笑う。





オーラに晒されたグラスの水は、表面上、何も変わらない。

その様子に、ササキさんは顔を顰めて呟きをこぼす。



「…失敗か?」



…早計過ぎです、ササキさん。



日に日にツッコミ要員として輝きを増す自分の思考には、少しだけ憂鬱だ。

ため息をつきながら、グラスの水に指を浸した。

口に含み、舌で、付着した水を舐め取る。



そして、――――眉が寄る。顔も歪んだ。



視界の端で、私と同じ行動を取るササキさんを見ても、同じ水に浸した指と互いの舌の関連性について思考する余裕が無い。





「しょっぺぇ…」





吐き出すような顔で呟くササキさんの顔は、僅かなりとも私の乙女心を傷付けた。

…責任は、とってくれるのだろうか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


しょっぱかった。すごくしょっぱかった。

それは乙女としてどうなのかと言うくらいに、しょっぱかったのだ、あの水は。

…つまり、そういうことだろうか。私の「念」は、“塩分”に関するものに専念すれば、より良く伸びますよと、そういうことだろうか。ふざけないで欲しい。



「不服です」

「…文句を言うな、ヨウコ嬢」



正直に心情を吐露する私を、ササキさんが嗜めた。

言っていることは正しいのだろうが、もう少し私の気持ちを察して欲しい。



ササキさんに悪態をつきながら、気持ちを切り替える。



…味が変わった、ということは変化系だろうか。

それは、割合、都合がいいのではないだろうか。

希望としてはササキさんと同じ具現化系が良かったが、私の考える「剣」のイメージとしては、変化系でも事足りる。

六性図に於いて“放出系”から離れている系統だから、戦闘時の敵対距離について、少し余計に考える必要もあるけれど。



考え込んでいると、そこに、ササキさんの無神経な声が聞こえてきた。





「確か、変化系の傾向としては、「気紛れで嘘吐き」だったか…」





呟くような、いつものササキさんの声。

持ち直した精神が、再び下降する。「気紛れで嘘吐き」。まず、良いイメージなど湧かない言葉。

…わざとですか?





不服だ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「次は、ササキさんの番です」

「ありえねぇ…」



ササキさんは項垂れているけれど、順番からすれば、当然であろう。

傷付いた乙女心は、とりあえずササキさんの内面を暴露することに生甲斐を見出した。



僅かに顔を顰めたササキさんは、軽く頭を振る。

そうして、両手をグラスに翳して、「練」を行う。





「……むっ」



力を篭めると同時に突き出される唇が、アヒルか花の蕾のようで、面白いと思う。

そんなことを考えつつ、私はグラスに注視する。

ササキさんのオーラに包まれたグラスは、その縁から、僅かずつだが水を滴らせていった。



「強化系…?」



ササキさんの安直な感想。

そして、私はそれが違うとわかる。



「違います。よく見て下さい」

「…ぬ?」



水が、グラスから零れていく。

グラスの縁、その全周から。

音もなく零れ落ち、グラスの中の水は見る間に減っていく。



けれど、その中の葉っぱだけは、底に落ちて、動かない。





…何だろうか、“これ”は。



――――葉っぱから、“逃げている”…?

そんなことを考え、目の前の光景から察するに、あながち間違っていないようにも見えた。

葉っぱとグラスには、一滴の水分すら残っていない。

異常なほど明確な線引きは、素直に“おかしい”と、そう思う。



零れ落ちた水は、グラスから数センチの距離を置き、その周囲に綺麗な円を描いて動きを止めた。





「特質系―――?」



私の呟きは、純粋に驚きからのものだ。

もっとも、驚いた理由は「特質系だから」というものでは無かったけれど。





乾ききったグラスと、葉っぱを見て。更に、考え込んでいるササキさんを見た。

…何だろうか、これは。

目前の水見式。その結果は、少なくとも、良いものではない、そんな気がした。





それは多分、私にとって。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


特質系の性格傾向が「個人主義者、カリスマ性あり」であるからか、自分に自信を持とうとしない人達の筆頭であるところのササキさんは、随分と、自分の系統を否定していた。



…私は、別におかしくもないと思うけれど。



というか、ササキさんはもう少し自信を持つべきだろう。

そんなことだから、ヘタレた台詞ばかりが口をつく。

そもそも将来の展望が「店長の引退を待って花屋を相続する」などという貧相なものだというのが問題だ。…一体、何歳までバイトを続ける気なのか。私は、そう気の長い方じゃ無いんですよ?



「……はぁ、」



ため息をつく。

私が、なんとかしよう。頑張って、ササキさんを真っ当にしてみせよう。

その決意は、駄目亭主を持った姉さん女房のそれにも似ている。





「――――よし、落ち着いた」



私の心配を他所に、ササキさんは立ち直ったらしい。意外と早い。

そのマイペースさは、充分特質系の条件を満たしていると思う。



「…そんなに、変ですか?」

「変だ。おかしい。異常だ。俺は今後一切、職業・ピエロを信用しない」



…即答された。

美形なのにな…、などと考えてため息をつく私は、“ヒソカ”というキャラが嫌いではない。少なくとも、漫画を読む限りに於いては。



最も、ササキさんが嫌っているのならそれで構わないし、関わる予定もないからいいのだが。



「それに、今重要なのはヨウコ嬢の能力だ」



ササキさんが話題を変える。

逃げたかな、とも思うが、確かに重要事ではある。





能力作成のイメージは、既にある。系統が判明して、あとはそこに当て嵌めるだけ。

名前については、最初から決まっていた。





――――“黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)”。



名称は私のセンスからは外れるけれど、ササキさんとお揃いだというのは、少しだけど、きっと私の力になる。

「念」は、能力者のイメージに依存するから。





「変化系だったのは、都合が良かったですね」



言いながら、右手の指を開いて翳す。

その指先から伸びるのは、白い「剣」。



色をつけるのは、簡単だった。私の望むものが、それしかないから。あとは勝手に、“そう”成っただけ。





左手の指でグラスの底の葉っぱを摘み、ソレを挟んだ指と共に真っ直ぐに、伸ばす。

腕の延長として、“白の剣”よりも遥かに長く、僅かに太い“柄”が延びていく。

伸びきった先端が広がって、私の思い描く“黒の槍”を作り上げる。



――――能力の作成は、酷く簡単だった。



思っただけでそのまま形になってくれる。

私が、望むように。私の願いのままに。



そこまで考えて、その「剣」と「槍」に、私の“望み”を打ち付けたくなった。





じっと手の先を見つめていると、ササキさんに頭を撫でられた。

ササキさんの、繊細な指と、掌。

見上げた顔は、相変わらず難しい表情。きっと、また悩んでいる。

…悩む必要なんて、どこにもないのに。



そう考える私の口元は、きっと歪んでいるのだろう。



「これだけでは弱いので、“制約と誓約”を課します」

「…は?」



両手と、そこから伸びた“私達”の「剣」を見つめる。

これから告げるのは、あの雨の日の誓い。

――――あなたを「鎧」に、私が「剣」に。

絡め取られたのは、きっとお互い様で。





「“ササキさんから…百メートルの距離。それ以上を離れれば、私の「念」能力は永遠に無くなっちゃいます”」





縛る。

縛り付ける。



離れない。離れられない。それ以上に、離れたくない。捨てさせない。





私の全身を狙い撃つ、無数の剣の群れを幻視する。

両手の甲から始まって、私の全身へと打ち付けられたソレらは恐らく、“制約の楔”。

私と、私の「剣」による、「契約」。その儀式。



無数の「剣」によって中空に縫い付けられながら、傍らのササキさんに目を向ける。





目を見開いたササキさんは、あの日の泣き顔のように可愛く見えて。私はきっと、それを眺めながらに笑っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


契約は、成った。



ちょっと面倒だったのは、その後自分を取り戻したササキさんとの問答だった。



「ば…っ、馬鹿か、お前はっ!!」

「…はぁ、」

「何で、おま、なぁ…っ!」



何を言いたいのかわからない。多分混乱し過ぎで、興奮し過ぎ。

慌てるササキさんは、怒っているというよりも、ただ、戸惑っている。

私はそんなササキさんを見ながら、一つ一つに頷いていく。…“首肯”は、必ずしも同意ではないことを、先に断っておく。





「何で、何であんな制約を付けた…っ? 何考えてんだよっ!?」



吐き捨てるように問いかけられた。

だけど、私の答えなんて、決まっている。



「だって、ササキさんは、私から離れたりしないじゃないですか」



――――あなたを、私から離したくないからじゃないですか。



「違う、ヨウコ嬢…、あれは、そんな簡単なものじゃないだろう? 百メートル、百メートルだ。その距離が、どれだけ短いのか、わかってるだろう?」

「はい」



――――つまり、それだけ近くに居てくれるのでしょう?



「生活、出来なくなる」

「物はやりよう、です」



―――― 一緒に生きていけばいい。ずっと、一緒に生きていけば。



「…俺のバイトは、どうする。金が無いと、生きていけない。常識だろ」

「二人で、考えましょう。どうにもならないことは、世の中にはそんなに沢山無いです」



――――いっそ、そんなもの辞めてしまっても……駄目、か。頑固だな、この人は。



「お前は、馬鹿だ…っ」

「私、それほど馬鹿じゃありませんよ」



――――はい、その通りです。



「………ぅ、くっ」

「他には、もうありませんか?」





ササキさんは、呻くような声を漏らす。

もっと執拗な抵抗に遭うかと思ったけれど、私は思ったほど、この人から厭われてはいないようだ。少し、安心する。

それとも、混乱して頭が回っていないだけ、だろうか?

…もしもそうだとするのなら、





「――――本当に、しようのない人…」



クスリ、と。



小さく漏れた嗤いは、隠し切れぬ歓喜に満ち満ちて。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんの懸念、お仕事についての問題は、案外早く片付いた。



ササキさんのバイト先、花屋(本当に花屋でバイトしていたのは、驚きだ)の店長さんは、私とササキさんが頭を下げて頼み込むと「かっはっは」と、妙な笑い声をあげながらも、私の就業を認めてくれた。

…年齢制限とかは、どうなっているのだろうか。





生活についての問題は、そもそもバイトとお買い物以外に出歩かないロンリーなササキさんのことだ。時折ある外出も、私と手を繋いで出かけることで、解決した。





――――全部が、簡単。簡単過ぎるくらい。

私の課した制約を阻むものは何もなく、同時にササキさんの反論材料も無くなっていく。





…と、いうのは詭弁で。



最低限の問題がクリアされても、ササキさんが一言「嫌だ」というだけで、私の制約は簡単に破られる。

それが無いのは、単にササキさんが“甘い”から。それだけ。

ササキさんの胸先三寸で反故にされる現状。それは薄っぺらで、本当に脆い。



なのに、それが破られない。



優柔不断なのだろう。意志が弱いのだろう。撥ね付けるほどに嫌うことが出来ないのだろう。

それら全てが愛おしい。





「ササキさん。配達、行ってきて欲しいそうです」

「…ウィ」



虚ろな返事は、また無駄なことを悩んでいるのだろう。

最近、ササキさんのことが、少しずつわかるようになってきた。

そしてそれは、純粋に嬉しいこと。





手を繋いで、配達へ向かう。

慣れてきた「手を繋ぐ」行為。呆けたままのササキさんは、必要以上に指を絡める私のことなど見ていない。



その様子に、少しだけ不安を感じる。



…“このまま”で、本当に大丈夫だろうか。

いつか、私を捨てるだけの「理由」を見つけて、ササキさんが私を――――





考えて、少しだけササキさんに身を寄せた。

繋いだ腕の肘を曲げ、ほんの数センチだけの接近を許す。

…触れるまで近付かないのは、どういった理由によるものだろうか。

これほどまでにこの人の“世界”を壊しておいて、それなのに、手を繋ぐ以外、私から触れることだけは、あの夜以来一度も無い。



――――いっそ、全部知られてしまえばいい。



私の醜い心根も、この人を縛るためだけに課した制約も。





だから、もう一つを誓ったのは、ただの自己満足。この人のためだと自分を偽った、気色の悪い、贖罪行為。





――――“この人だけは、私が守る。この人が死ぬなら、私も死のう”。





そう呟いたのは、心の中。

せめて、一度くらいは“名前”で呼んでみたいと思いながらも、心の内でさえ、自分自身にそれを許せない。

ササキさんのために命を賭けることは出来るのに、“名前”で呼びかけることだけは、どうしても出来ない。





真実臆病なのは、この人ではなく、私の方。





――――カミヒト、さん…。





その響きは、とてもとても甘美なもので。

故に、例え心中だけであろうとも、口にするには、生命以上の勇気が必要だった。





[2117] Re[6]:雨迷子~後書き~
Name: EN
Date: 2006/10/12 00:16
―本文は短く、後書きは長く―



いっそ、この設定を使って、誰か他の方が続きを書いてくれないだろうかと思案する、そんな行き詰った現状に涙しております。

冒頭部分のみに気合を入れて、以後の展開に不安を感じるのは、計画性の無い自身の悪癖。

その場凌ぎではありますが、幕間に当たる今回の投稿分、受け入れて頂けるでしょうか。



以下は、感想に対する私なりの返答を。…不必要なのかも、知れませんが。



>“黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)”について。

制約の厳しさについて、幾人かが懸念なされておりました。

制約による「念能力の喪失」に関しては、本文の通り。そもそも、本人にとっては“能力強化”の為ではなく、ササキ氏を“縛り付ける”為の制約ですので。…そのことを読み取れるように表現出来なかったのは、初回投稿分末尾、ヨウコ嬢の独白に於ける、私の表現力が足りなかったのだと、反省しております。申し訳ありません。

特殊能力付加につきましては、余分な一切を省くことによって、破壊力だけを向上させられるのではないか、と。只管に“貫く”ことに特化した「剣」ということで。

制約によって、貫けないものを最低限にまで減らすことが、当初の考えでありました。熟練者の「堅」を貫くことが出来るのかは、原作の設定を理解し切れていないので、実際には結論を出しきれていませんが。

ササキ氏とヨウコ嬢。二人揃うことで、中国の故事における、“最強の「矛」と「盾」”をなぞらえたかった、という考えから生まれた能力です。



>“黒の城砦・白の城壁(ブラックフォート・ホワイトウォール)”について。

僅かにネタバレのような気もしますが、恐らくそんなことも無かろうと、以下に。

『“黒の城砦”は物理衝撃を、“白の城壁”は念による衝撃を、それぞれ無効化する。』

以上の能力は、本文中の通り。

実際の効果としましては、“黒”は物理衝撃のみを、“白”は念による衝撃のみを防御。

“黒の城砦”に対して、念を纏った拳を打てば、純粋に肉体的な、拳による衝撃を無効化し、全衝撃から除算された結果に、“念のみの衝撃”を倍増させて、ササキ死亡。

“白の城壁”に対して、念を纏った拳を打てば、念による衝撃―――純粋に「念」のみを無効化し、拳による、肉体的な破壊力を倍増させ、当たり所が悪ければ、ササキ死亡。

以上、意識無意識に限らず、自分に対してのみ融通の効かない男、ササキ。

 強盗犯との戦闘時は、「念」による鉤爪を“白の城壁”で無効化。鉤爪で攻撃する場合、拳まで相手に当てるようなことは、まず無いと思われます。「念」しか当たらなかった、ということで。…「鉤爪」の形にもよりますが、腕から手の甲にかけてつける、DQの鉄の爪のようなもの、ということでご納得頂ければ。

ヨウコ嬢の蹴りに至っては、同年代の中でも一際小柄な、一般人の少女の蹴りならば、「念」さえ無効化すれば、いくら倍化されたとしても、当時「纏」を行っていたササキにとっては、蚊ほども効きません。多分。

放出系には、“白の城壁”で完全無効化かと。…実力にも寄りますが。

――――以上、説明に穴がありましたら、後々、そこから齟齬を来たしてしまいますので、違和感を抱かれた場合は、言及して頂ければ幸いです。



>「カエレ」について。

今しばらくのお待ちを。余り時間をかけるつもりもございませんので。…恐らく。



>2ch「嫉妬・三角関係・修羅場統合スレ」まとめサイトについて。

「あの女の匂いがする…」は名言だと、そう信じております。



>精神疾患について。

ササキ氏についてならば、前世界での対人コミュニケーション不足(『付き合いの浅いクラスメイト』という本文より)と、伏線としては弱いものですが、父親に対する不仲という、「自己に対する壁=父親」との衝突への忌避からくる、精神的未熟。エディプス・コンプレックスの傾向は、微小。

加えて、突然見知らぬ場所(異世界)に置き去りにされたことによる、“自己”の不安定。

足場が脆ければ、その上に立つ人間も脆いのではないかと。

ヨウコ嬢は、「HUNTER×HUNTER」の世界に来た当時、二十四時間以上を会話も、他者との接触すらも無く、孤独に過ごしたため、過度の「孤独への恐怖」、精神異常を抱えております。

――――以上が、キャラクター紹介を交えた回答であります。

素人の設定ですので、やはり間違っている点もあるかも知れませんが。

ササキ氏の“少女性愛”への傾倒については、作中で。

 もし「精神疾患」という言葉が私に対するものだったのならば、申し訳ありませんが、その場合はノーコメントを。



>ヨウコ嬢について。

感想を読んで、妙に人気がある事実に、私自身、首を捻っております。それ以前に、感想のコメント数が多いことに、エヴァ投稿板から入った私は、何か良からぬ前兆かと勘繰る日々。

ヨウコ嬢の「腹黒ロリ」展開におきましては、作者自身、どこをどう間違ったのか理解できておりません。

「過剰に依存する少女」が初期コンセプトだったのですが…。

それから、ただの子供の癖に「念」の才能が有るのは変だ、などの意見が出ていない事は、一安心であります。最も、そういった表現自体が少ないからかも知れませんが。

 心理描写については、執筆中、これは本当に十二歳の少女の思考として大丈夫なのか、と考えさせられました。指と脳が勝手に文を構成していく時というのは、なんとも不思議なものだと思います。違和感を抱かれなかったのなら、良いのですが。



>H×Hである理由について。

「書きたかった」。ただその理由しか存在しなかった故に、H×Hでなくてもいいだろう、という意見には、賛同する以外にありません。

「制約」の存在から、ヨウコ嬢の“依存”を表現し易かった、考えていた“結末”のために、とある原作キャラが必要だった、というのが、“後付け”の理由です。

せめて違和感だけは抱かれないように、推敲には時間をかけております。投稿頻度が下がる程度には。



>定食屋について。

このキャラクターによる「ハンター試験編」を受け入れてもらえるのなら、伏線を一つ回収する未来が開けます。

複数の感想の中で、定食屋に対する指摘が一つだけというのは、その部分に、目を惹かれなかったからでしょうか。



>更新スペースについて。

不定期、という言葉を使わざるを得ないかと。

ササキ氏・ヨウコ嬢の二人についての設定のみを考えて書いたものなので、次の展開への“繋ぎ方”が思い浮かばず、現在筆が止まっております。どちらにしろ、少々展開が強引になっているかもしれませんが。

最低でも週一投稿を希望したく。筆が進めば、週二、三といった按配でしょうか。前回投稿作品のように、連日投稿というのは辛いかと。思考と推敲に時間をかけすぎている現状です。



>H×Hについて。

設定が出尽くしていない作品の二次創作が、これほど辛いとは思っておりませんでした。現在、見通しの甘さに凹んでおります。アイデアを下さい(切実)。

最近、ジャ○プを買うことすら無くなってきておりますが、H×Hの単行本くらいは購入すべきなのでしょうか。考察サイトだけでは物足りないのは、探しているサイトがまずいのか、それとも私の読解力の拙さ故なのか。

原作の最終回は、一体いつになるのでしょうか(遠い目)。



>斑鳩、白と黒、について。

シューティングは…申し訳ありません、パ○ディウスをプレイしたのが、恐らく最後かと。

“白”と“黒”の配色については、「境界線」というササキ氏の無意識下の(ネタバレ)であります。別に重要事ではありませんが。

陰陽の対極という案もありました。チェスは、考えておりませんでした。



>ネテロ爺さんについて。

顔を確認したの場所は、ネットです。ハンター世界にも存在していた筈。

「会長近影」という一文と共に、年甲斐も無くはしゃぐ会長の写真が、ハンター協会の公式HP内に飾られていると信じています。一般人が見れる場所にあるのかは、自信がありませんが。



>褒め言葉について。

貶されれば生来の打たれ弱さ故にヘタレますが、褒められすぎれば生来の疑り深さと小心故に心臓が引き絞られます。難しい年頃であります。

面白い、良作、新鮮、といった言葉は素直に嬉しく、やっぱりどなたかが引き継いで書いて下さらないかと、そんなことを思考致します。

恐らく、今後期待外れな展開もございますが、少ない時間を使いながら、手を動かし続けてみようかと。





以上、無駄に長くなりましたが、途中で読むことをやめた方々には、謝罪を。



追伸:ところで、原作沿いのストーリーというのは、望まれない方が多いのでしょうか。もしそうならば、少し考える必要が出てくるのですが。

ご意見頂ければと、厚かましくもお願い致します。





それでは機会があれば、また、次回の投稿にて。



[2117] Re[7]:雨迷子~佐々木 守人の場合~
Name: EN
Date: 2007/04/17 20:04


あかいうみのうえでくるって哂う。

足元とこしもとはそまって赤く。



ぎもんの声をあげただろう。

答えるこえは、狂ってゆがむ。





逃避を望んだ、赤い海。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ヨウコ嬢と二人、無事に配達を終える。

最近では、この黒い格好も余り驚かれなくなってきた。

街全体、というわけでは無いが。花屋を中心とした、それなりの範囲に、“花屋の怪しい店員”の情報が出回っているのだろう。多分。

…全てが、隣で微笑むヨウコ嬢の魅力に相殺されたお陰とは、思いたくない。





「そういえば店長さんが、お昼、食べてきてもいいって言っていましたよ」

「…そうか」



覇気の無い返事を返す。

ヨウコ嬢は、あの一件から続く俺の憔悴ぶりにも無反応だ。

なんというか、意識して無視しているように思えるくらいに――――



そう考えて、強く頭を振る。



…考えすぎだ。こんな優しい子供を疑うのか、俺は。





「あれは…」

「ん?」



足を止めたヨウコ嬢。

その視線の先を辿ると、一件の店。定食屋だろうか。

店先からは、なんとも美味しそうな匂いがする。異臭騒ぎとかで訴えたら勝てるかもしれない。それくらいに、匂いが濃い。



俺は、暗い気分を一新するためにも、力強く頷く。





「よし、あそこにするか」

「…えっ?」



俺がその店に足を向けると、ヨウコ嬢が焦ったような声をあげた。

…不服か。



「…あの店は嫌か?」

「いえ、そういうわけじゃ、ないんですけど…」

「そうか。じゃあ行くか」

「あ、あのっ、ササキさん!?」

「…何だよ」



さっぱりわからん。あの店に何かあるのか?

閉め切られた建物から漂うこの大量の旨そうな匂いは、確かにある意味異常ではある。漏れ過ぎだ。甘い匂いで虫を呼び寄せる、食虫植物を連想する。



だが今現在、そんなことが問題になろう筈もない。この世界の訴訟率が高いのならば色々とお気の毒だが、どちらにしろ、俺達には関係無い。



「あの、ササキさんって、ハンター文字、まだ読めないんですか?」

「……すまん」



勉強はしているんだ。捗っているとは、言い難いけれど。



「…………はぁ、」





ため息を吐かれた。しかも、かなり、大きなため息。

俺のネガティブモードにも無反応だったヨウコ嬢がこの反応…少し、腹が立つ。俺のネガティブは昼食以下か。ありえねぇ。

そして、そんなことで不貞腐れる俺自身も、ありえない。





「もう、いいです」

「…何がだよ、」



投げ槍気味に呟くヨウコ嬢に、苛立つ俺。

論点が曖昧過ぎる。

あの店がゲテモノ料理の店だとでも言うのだろうか。それなら、さっさと教えてもらいたいものだ。俺だって、蜂の子や猿の脳味噌を食べたいわけじゃない。



ヨウコ嬢は考え込むように、眉間に皺を寄せる。俺はそれを見て、一つだけ溜め息を付くと、ヨウコ嬢を促した。





「…もういい。行くぞ」

「あ、はい」



言って、足を踏み出す。

表現は大仰だが、気分としてはそんなものだ。

店のドアを開けると、店内に客はいなかった。…大丈夫か、この店。ひょっとして、開店前か?



顔を顰めて店内を見渡す俺に、一人の女性店員が近付いてくる。



「いらっしゃいませ、ご注文は?」

「…すいません、今、開店時間ですか?」

「ええ、お席は空いておりますよ」



そう言われて、ホッとする。というか、空いてるのは一目見てわかる。可哀想なほどの空席の数。ここまでくると、逆に褒めたくなる。

無理矢理気味にヨウコ嬢を引っ張ってきて、「席がありませんでした」というのはなんだか切ない。というか、俺の精神に重度のダメージが見込まれる。



ニコニコと注文を待つ店員。メニューすら渡してくれない理不尽さに僅かばかり訴えたい感情もあるが、これはひょっとして何でも作ってくれるということだろうか。それとも、この店に入った客は、何か一つボケてみせろとでも?…思考が迷走する。





――――だから、俺が以下のように馬鹿なことを言ったとしても、罵詈雑言は最小限に留めて貰いたい。疲れてたんだよ、俺。なぁ、ヨウコ嬢。…いや、責めてるわけじゃないんだ。本当だ。



口を、開く。





「ステーキ定食、弱火でじっくり」



――――なんちって☆



…などという語尾を付けるクソ度胸は俺にはない。一瞬、首を吊りたくなった。

ついでに言うと、わざわざ店長にまで取り次いでくれる店員さんの気遣いに、少しばかり胸が温かくなる。先程抱いた悪感情について、心中で、謝罪。



「こちらへどうぞ」

「あ、はい」



ヨウコ嬢の手を引いて、促されるままに扉の前へ。…あれ、マジであるんですか、“ステーキ定食”。



首を傾げ、先ほどから無言のヨウコ嬢を窺う。

俺の所業に怒っている様子は無いが、その顔はどこか真っ白だった。別に美白肌を褒めているわけではない。なんだか感情が薄いのだ。燃え尽きたぜ、みたいな。…何を言っているんだ、俺は?





「ヨウコ嬢?」

「ササキさん…、」



声をかけつつ、開けられた扉の奥へと向かう。いい匂いがする。





「…天然、ですか?」

「―――ありえん。俺は、そんな国宝級スキルに縁を持ったつもりは、無い」





謎の質問を投げかけるヨウコ嬢と、その質問の意図が分からずとも、脊髄反射的に切り捨てる俺。天然?馬鹿いっちゃいけねぇ、あれは、遠いお山の向こうに生えるものさ。



そんな俺達を他所に扉は閉まる。…随分と、分厚い扉だな。



狭い室内に置かれたテーブルの上、準備万端のステーキが、肉汁を滴らせながら俺を待っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――ヴウィィィィイイィ゛ィィイイィイン…



擬音化するならそんな音。

遠くで唸るような音と、小さな揺れが全身に伝わってくる。



そんな空間内――――、





冷ややかな瞳で俺を睥睨するヨウコ嬢を前に、とりあえずステーキを食べるか否か考えていた。

…すまん、嘘だ。食欲など湧くものか。

真正面から突き刺す視線は、酷く鋭い。物理的に痛い気がするのは、是非、錯覚であって欲しい。





「ササキさん、言い訳をどうぞ」

「……その前に、いくつかいいか?」

「いいですよ、遺言ですか?プロポーズですか?」



…プロポーズは無いと思うよ、俺は。

そう思うが、言い返せない。今のヨウコ嬢は、普通に怖い。

これが、一般人が念使いに対峙した時の圧迫感というヤツなのだろう。

さながら、蛇に睨まれた蛙、主婦の前に置かれたドラ焼き。アーメン。



ごくりと固唾を飲んだのは、決して食欲が原因ではない。



数日前から混乱の度合いが加速度的に増している脳内を、必死に整理する。甘いものが欲しくなるが、生憎、ここには塩分と蛋白質くらいしか見当たらない。





状況を整理しよう。



――――まず、俺は、定食屋に入った。これは別にいい、昼食を取りたかったんだ。

注文をした。これもいい、店に入れば注文をする。当然だ。

注文内容が、「ステーキ定食、弱火でじっくり」…ありえないな。その注文で奥の部屋に案内されるのも、ありえない。席は空いていた。空き過ぎだ。閑古鳥も、鳴き過ぎで喉を痛めているだろうさ。…なのに何故、わざわざ奥の部屋へと、案内するのか。



そして、現在の状況。密室内に設置されたロースターの上で、ステーキが美味そうな匂いを醸し出していた。煙が目に沁みる。





状況確認は、以上。俺は馬鹿だが、馬鹿なりに察することだって出来る。

――――さぁ、結論を出そう。その結果、俺の人生がDEAD ENDかも知れないが。…主に、ヨウコ嬢の手で。



息を飲んで、俺は、恐る恐るヨウコ嬢に問い掛ける。

声音は弱く、口調は、ひたすらにへりくだっていた。





「…今の状況、ひょっとして、あれですか?」

「あれですね」

「…走りますか?」

「走りますね」

「…“試験”、されちゃいますか?」

「トランプ、飛んでくるかもしれませんね」

「寿司、買ってきた方がよかったか?」

「…失態ですね。この反省は、また後日」



質問と、回答と。

…わかってる、わかってるんだ。俺がたまにテンション上げてボケてみると、そんな時に限って、こんな冷たい仕打ちが待っているというのは、もう充分わかっていたんだ。





かつて、中学の修学旅行。旅先の開放感に身を任せ、身体を張って笑いを取った俺は、それまでは比較的仲の良かった友人に、以後、少しだけ距離を置かれる羽目に陥った。

…あれは、辛い。俺を見つめる視線が、一昔前ブレイクして、人気の途絶えた頃に再びテレビ出演した芸人に向けるような、「あんたまだ居たの?」的な冷たさを孕んでいた。…無駄に具体的なのは、混乱しているからだろう、きっと。





けれど仕方ないだろう?俺は、疲れていた。この年齢にして扶養家族ゲットな上に、“ロ”の性癖を獲得しつつある心労、ヨウコ嬢との関係、制約への悩み、ついでに言うなら、最近、胃痛が酷い。…違う、責めているわけじゃないんだ。



―――――だから、その冷たい視線を納めて下さい、ヨウコさん。



気分は土下座。最近疲労の蓄積していた精神は、限界に達しつつある。

具体的に言えば、保険証が必要な状況、ということだ。





「ササキさん」

「…はい」

「『原作のキャラに関わりたくない、ヤバイ人に目を付けられたくない』、でしたっけ?」
「……あい」

「ちゃんちゃらおかしい、です」

「ご尤もで…」



…そろそろ、現実に土下座をする気分になってきた。見上げられているのに、見下ろされているというこの感覚。



悲嘆にくれる俺。

だが、落ちそうなくらい垂れた俺の頭に向けて、ヨウコ嬢の楽しそうな声が降ってきた。





「――――でも、せっかくなので受けていきましょうか」

「はい、…―――――――――――――――――はぁっ!?」

「ハンター証、あると便利です」

「いや、死ぬぞ!?」

「大丈夫です。私達、“念使い”ですから」

「万が一ってのが、あるだろう!?」



混乱。

言い募る俺に向けて、ヨウコ嬢はニッコリと笑う。



「信じて、いますから」





―――――その笑顔を前に、俺に選択権などある筈も無く。





流されるしかない、凡人の俺。

せっせと流すだけの、非・凡人であるヨウコ嬢。

とことん俺を玩ぶ、“この世界”。



ため息をつく。首を振るう。

身の内に生まれた願いは、これ以上ないほどに切実で。





「おうちかえりたい…」



呟きは、やはりヘタレていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ギ、アアアアアアッ!」



扉が開くなり、叫び声が聞こえた。



声の方向に目を向けると、腕の無い人が……違う、肘から先を斬り落とされ、血を噴き出している男が、いた。





俺は、思わず目を逸らす。



…あんな“赤い色”は、見ていたくない。理屈抜きに、そう思う。

何か、嫌な思い出があったわけでもない筈なのに。それとも、こういう嫌悪感は、理屈じゃないのか。





「…ジャストタイミング、ですね」

「子供が見るものじゃない」



感心したように呟くヨウコ嬢の両目を、空いている右手で塞ぐ。



「ササキさん、“ヒソカ”です」

「…最悪だな」



「HUNTER×HUNTER」に於いて、知り合いたくないキャラベスト5だ。ベスト3でもいい。

…考えるまでも無かった。俺の踏んだ手順で辿り着ける試験会場なんて、原作の“あの”時期、こいつらが参加する試験だけだろう。“第何期”のハンター試験だったかは、忘れた。

出だしとしては、どん底か。

せめて関わらないよう、極力離れておこうと思う。…無駄かもしれないが。





身近な惨劇から目を逸らし、モコモコした頭の人から番号プレートを受け取って、壁際へと寄る。

番号は、「406」と、「407」。



「主人公は、何番だった?」

「403から405です。キルアは99、ヒソカは44」

「…いらない情報まで、ありがとよ」

「受付時間としては、ギリギリだったってことですね」

「…………」



それは、運が良いのか、悪いのか。俺にとっては、恐らく後者だが。





ため息をついて、座り込んだ。プレートは、俺が両方共預かっておく。



…これって、棄権とか出来ただろうか。



そう考えて、すぐに無理だと気付く。“ヨウコ嬢が望んでいる”。俺に、それを拒絶出来る筈も無い。

出来ることは、せめて怪我をしないように――――合格…は、出来ると、いい、かなぁ…?





合格したいのか、したくないのか。

それすらも曖昧な俺は、とりあえず寿司の作り方でも反芻しようかと、そんなことを考えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ベルの音が鳴る。というか、音がでか過ぎる。誰かツッコめ。

投げ遣りな思考を行う俺を他所に、素敵なお髭の紳士が「付いて来い」とか抜かしていた。

…ありえん。

ピラミッドの壁画に使われてもいいような、記号染みたパーツで構成される、顔。

名前はサトツだ。多分。憶えてない。どうでもいい。





「ササキさん?」

「…ああ、」



…行くよ、行きますよ。

周りを見ると、既に、俺とヨウコ嬢を除く全員が、走り出していた。



それを見て、俺は能力で「兜」を形成して、頭部を覆った。



「“黒の城砦(ブラックフォート)”」



渦巻く黒い霧状の「念」が俺の頭部を包み、硬質な武装を具現する。

…兜を着脱可能なのは、楽だ。効能としては、非常に地味だが。



ヨウコ嬢が、俺を見上げる。



「…被るんですか?」

「ハンター試験は危険がいっぱいなのだよ、ヨウコ嬢」

「……はぁ、」

「行くぞ」

「はい」





軽い会話の後、二人揃って走り出す。

ヨウコ嬢は俺が抱えるか、背負った方がいいと思うのだが、それで俺の体力が続くかといえば……絶対に、不可能だ。

何でこの世界の人間は、こんな――――…



「ヨウコ嬢」

「何ですか」



声をかけられたヨウコ嬢は、随分と楽そうに走っていた。勿論その全身は、「纏」に覆われている。



「これ、何キロ走るんだ」

「80キロまでは憶えていますけど、それ以上はわかりません」

「…ありえねぇ」



最低、80キロ。

42.195キロを楽に超えていらっしゃる。



「ササキさんは、「念」、使わないんですか?」

「……実を言えば、ヨウコ嬢にすら使って欲しくない現状だ」

「無理です。私、“これ”無かったら2キロくらいで終わっちゃいますよ」

「…だろうよ」



ヨウコ嬢は、ただの、小さな女の子。

「念」の無い彼女は、凡人か、それ以下の能力だ。多分。そう思いたい。そうじゃないと、俺の立つ瀬など存在しない。



そして、そんなヨウコ嬢に対して、「纏」を解け、などと言えるわけもなく。

同時に、下手に「念」を使って実力を示すのは、危険だとも思う。

ピエロとかピエロとかヒソカとか。展開によってはキルアからも、嫌な方面に於ける興味を惹いてしまうかもしれない。

…危険球だらけだ、このハンター試験は。

いっそ来年に持ち越したい。…駄目だ、来年はキルアの独壇場だった。



頭を振る。やはり、俺は疲れている。

今日のバイトは、サボリ決定。それだけは理解出来た。…今更だが。





世の不条理と状況の急展開についていけない俺は、きっと恐らく多分絶対に――――馬鹿だ。

色々なものを諦めて、俺も「纏」を行う。



――――“最低80キロメートル以上”。…到底、まともな人間が走る距離とは思えない。



俺達と他の人間の、何が違うのかはわからない。けれど、「念」の無い俺達が“此処”で生き残るのは、恐らく無理だと、それだけがわかっている。



ため息をついて、ヨウコ嬢の手を握り直した。ヨウコ嬢が「念」を使わざるを得ないのなら、俺も一緒に使って、せめて危険を分配しよう。主に、俺の方へ。





そして、一つの疑問を抱く。





…あれ、トンパ来てないよトンパ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あ、あの子も同い年くらいじゃないかな?」



そんな元気ヴォイスを聞いた俺は、着実に、死へのカウントダウンを刻んでいた。

続いて、こちらに近寄ってくる気配。…小僧共、そこは俺の「円」の範囲内だ。斬るぞ。斬れないけど。





「こんにちは!俺、ゴン=フリークスって言うんだ!」



…ああ、元気一杯だなぁ、“主人公”。

そしてその横にいる銀髪は“キルア”だろう。目付き悪いな。

その更に後ろ、民族衣装全開の“クラピカ”と、黒いスーツのモミ上げ男爵・“レオリオ”。

案外、実際に会っても本人だとわかるものだ。“キャラが濃い”という事だろうか。



少しだけ感心しながら、目の前の光景を見守る。





子供同士なヨウコ嬢は、“ゴン”と“キルア”の二人に話しかけられていた。



「名前は……トキワです」

「お前、年、いくつ?」



うちの子にそんなことを聞くのは、色々な意味で将来が楽しみなキルア少年。

…ナンパか?

俺の邪推は、多分外れだ。



そんな二人の横、遠巻きに俺を警戒するクラピカとレオリオの“大人”な態度に、目頭が熱い。…兜は、やめるべきだったかもしれない。外套と相俟って、怪しさが倍増している。





哀愁漂う俺の傍ら、涼やかな声が驚愕を生み出す。





「私は、12歳です」

「嘘っ、同い年!?年、誤魔化してんじゃねぇの!?」

「…ヨウコ嬢、嘘は良くないぞ」



ヨウコ嬢の回答に、キルア少年と一緒にツッコむ。

へーっ、同い年なんだー、と頷くゴン少年は、純粋過ぎて正直眩しい。少しは疑え。



「ササキさん…」



ヨウコ嬢の視線が突き刺さる。何故だ。嘘はいけない。

兜越しにも重圧を与えるこの熱視線は、そろそろ俺自身溶けるんじゃないかという熱量だ。





「――――ていうか、アンタ、何?」





バター寸前の俺を救ったのは、キルア少年。

ヨウコ嬢に比べればマシな重圧だが、その瞳の色が物語っている。「変な奴だ」と。…間違っていないのが困りものだ。反論出来ない。



「…保護者だ」



自他共に認める外見怪人物であるところの俺は、そう言うしかない。

言いながら、未だ手を繋いだまま走っていたヨウコ嬢の頭を軽く撫でる。
キルア少年の訝しげな表情に、嘘は言っていないと開き直る俺。



「本当ですよ」



変人と暗殺者候補の間に漂い始めた緊張を振り払う、ヨウコ嬢の取り成し。先ほどまで率先して俺を睨んでいたとは思えない菩薩っぷりだ。その変わり身の早さに、“変化系”の片鱗を見た気がする。





一人納得する俺に、今度はクラピカとレオリオが近付いてきた。その視線は未だ微警戒だが、子持ちだとでも思われたのか、先ほどより幾分か柔らかい印象を受ける。





「私の名前は、クラピカだ。あなたは…?」

「…ササキだ」

「俺はレオリオ。ま、よろしくな」



とりあえず、名乗りあう。

“メインキャラ”に対して一回名乗る度、俺の死亡フラグが鼠算式に増えていく気がする。…が、せっかくヨウコ嬢に友達の予感なのだ、精々我慢するさ。

ついでに言わせて貰えば、俺自身人恋しい。日々幼女と戯れる日々では、癒されるのはアルプスの少女的なエネルギーと、外道パワーだけ。たまには同年代とも会話をしたい。





煤けたオーラを噴出する俺に、レオリオの問いが投げかけられる。



「しかし、何でそんなもん着てるんだ?重くねぇのかよ」

「趣味だ」





即答した。レオリオが引くくらい素早く即答した。言い訳をさせてもらえるなら、単なる脊髄反射だった。決して全く絶対に、俺の意思ではない。

…グッバイ青春、こんにちは新しい俺。

まさか再び、こんな末期的な回答を行う時が来ようとは。あの強盗犯、元気にしているだろうか。流れる涙は、きっと魂の汗。



「レオリオ。彼―――ササキさんにも、事情があるのだろう」

「あ、ああ。そうだな…」



そして、そんな沈痛そうな、真剣な顔で納得されても困る。

漫画・現実に関わらず、生真面目なクラピカは、正直イケメン過ぎて遣る瀬無い。





俺の真横で語らう若年層は、中々に和気藹々っぽくて、その対比に涙した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


走りすぎて気が遠くなった頃、目の前に階段が現れた。…ありえねぇ、まだ走れってのか。

俺とヨウコ嬢は「念」のお陰でまだ大丈夫だが、他はそうはいかないようだ。幾人かが、階段の途中でへたり込んでいるのが見える



僅か前方には、スーツもシャツも脱いで、汗だくのままに走るレオリオ。…上半身裸にネクタイだけを残すと、妙なプレイの香りがする。

それに倣って、服の上に着ていた外套(?)を脱ぐクラピカ。

…俺も、外套を脱ぐべきなのか?



突然発生した思考に、考え込んで、頭を振る。

脱ぐ理由が無い。俺の外套は、暑くも、重くも無いのだ。すぐ周りに流される性格は、なるべく早く、直したいと思う。





「金がありゃ、俺の友達は死ななかった!!」





突然、前方から、そんな叫びが聞こえた。

振り仰ぐと、そこにいたのはレオリオとクラピカの二人。ゴンとキルアの姿は、見えない。



「ハンターの、志望動機を話す場面です」

「…ああ」



ヨウコ嬢の声で、当時の記憶を思い出しながら、その声に耳を傾ける。



「決して直らない病気じゃなかった!」



叫び声は、文字通りの“魂の叫び”というものだろうか。

レオリオは、走りながらの絶叫にも苦痛を見せず、速度も緩めずに、続ける。





「友達と同じ病気の子供を治して、“金なんかいらねぇ”ってそのコの親に言ってやるのが、俺の夢だった!!」





感動的な話だと、思う。

けれど、それがいざ目の前にあると、現実感が遠い。



作られた世界、作られたストーリー、作られたキャラ。



目の前にあるのは、ただの作り物。

とある人間の脳内で作り出されて、描き出されて――――俺が見ているのは、演劇のような、ただの、物語で…、





「――――ササキさん、泣いちゃ駄目ですよ」

「…泣い゛てねぇ」

「なんで鼻声なんですか」



…割り切るのは、難しい。

鼻を啜る下品な音も、今だけは、許容してもらいたい。





自分の想いを吐き捨てたレオリオの歪んだ顔には、大量の汗が滴っている。

荒れた呼吸は、疲労のせいだろうか。それとも、感情によるものだろうか。



――――「死」という言葉を耳にした俺の掌は、何故か、ぬめるような感触を覚えていた。





「…ササキさんは?あなたは、何故ハンターを?」



振り向いたクラピカが問いかけたのは、しんみりした雰囲気を変えるためだろうか。

…それとも、この場に、暴露話の雰囲気でも漂っていたのか。



「俺は…」



――――「単なる“うっかり”です」。

レオリオの、感動話の後に言うべきセリフではないが、逆に、こんな時だからこそ明るく言った方がいいようにも思う。

それでも多少、取り繕って、口に出す。



「成り行き、かな」

「はぁ、成り行きぃ?」

「…それは、なんというか、」



呆れたような声と、反応に困った声。

どうやら失敗だったらしい。…いや、ある意味成功かもしれないが。

――――しかし、何故俺はこんな地下を走りながら、誇りもクソもない裏事情を暴露しているのだろうか。

いい加減、心労で倒れるかもしれない。

ため息が漏れる。





付け加えたのは、恥を払拭するためか。もしくは、口に出して、自分自身に確認しておきたかったのか。





「後は、――――ヨウコ嬢のためだな」

「ヨウコ…?それは、その子のことか?」

「そいつ、絶対受験の条件満たしてねぇだろ…」

「それについては、俺も同意だ」

「…嘘じゃありません」



呟くような声だったのに、二人にはしっかりと聞こえていたようだ。

…少し、気恥ずかしい。

ヨウコ嬢の不満の声は、俺の言った言葉を深く考えている様子も無く、それだけは少し安心した。真面目に返されていれば、色々と、まずい。





そんな、ヨウコ嬢。

ハンターの受験条件が何歳以上かは知らないが―――というか、年齢制限があるのかも知らないが―――このミニマムさは、絶対に12歳ではない。

不貞腐れたような声を無視して、レオリオと二人で頷きあう。クラピカはノーコメント。賢い彼らしい行動だと、賞賛する。



胸の内で拍手喝采の俺に、クラピカが目を向けた。



「失礼だが、君達二人は、親子…なのか?」

「…ありえねぇ」



兜で顔が見えないからだろう、年齢不詳である俺に対して、クラピカがおかしなことを言い出した。



「俺も、ヨウコ嬢も…故郷が同じなんだ」

「へぇ、何処の出身だ?」

「……Jappon、かな」

「?…聞いたことねぇなぁ」



レオリオは疑問顔。クラピカは、また沈黙する。…余り真面目に考えられると、少し困る。

いっそ、「アトランティス」とでもボケるべきだったのだろうが、とりあえず大筋では間違っていない解答で、場を濁す。





「―――明かりだ、…外か!」

「おおおっ!?」



会話をする内に辿り着いたのだろう、視界内前方からは、白い光。

喜び勇んで加速するレオリオは、随分と考えなしに見える。



クラピカに続いて、俺とヨウコ嬢も、レオリオの後を追って走る。

ゴンとキルアは、とっくに外だろうか。





「ヨウコ嬢、まだ、平気か?」

「はい、大丈夫です」



握り返すのは、小さな手。

「念」の実力においては既に俺の方が下だろうが、そのか弱さは、やはり俺が守るべきなのだと、そう思う。





或いは、そう思いたいのかも、知れない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――ヌメーレ湿原。通称、“詐欺師の塒”。



深い霧、湿った空気。

あと、なんか臭い。泥臭い。



ヨウコ嬢と手を繋ぎ、手を繋ぐ行為に疑問を抱かなくなってきた自身への不安を抱きながら――――俺は開き直って、ヒソカも気にせず、「纏」を行っていた。





「ササキ、お前全然疲れてねぇんだな…。いや、顔は見えねぇけどよ」

「…裏技だ」



ぼやく様に呟くレオリオの半裸は、ヨウコ嬢の教育に、非常に宜しくない。もう少し、離れて欲しい。

おざなりに答えた俺は、これから起こるだろう、“猿”の死ぬ光景から、先立って目を逸らす。





「―――ササキさん、」

「…ありえないな」



ヨウコ嬢の声。その半瞬前。

不意に、“殺気”を感じた。



“気配”というのは、「念」の延長線上なのか。オーラに似た“何か”が、ピエロっぽい生物を起点にして、俺達に向けて注がれている…そんな感触を、覚えた。



「“使える”からか…?」

「はい、多分。アレは、“美味しそう”なら、恐らく何でも良いのかと」

「…雑食にも、程がある」



深く、ため息をつく。

予想はしていたが…ここまで正確に的中すると、逆に不気味だった。

撫でるような、纏わり付くような視線を無視して、傍らのヨウコ嬢を、ヒソカとの射線上から、俺の背後へと隠しておく。





「ササキさん」

「何だ」

「ちゃんと、避けて下さいね?」

「…“白”に変えた方がいいか?」



今現在の、俺の外套は、“黒の城砦”。物理衝撃はバッチリだが、「念」に限っては、恐らく即死級。

“原作”を鑑みるに、「念」を使う“美味しそうな果実候補”な俺達に向けて、ヒソカが戯れにトランプを投げてくる可能性は三、四割程。

それに対する防御を固めるなら、“白の城壁”の方が良い。



けれど、そう言った俺に、ヨウコ嬢は少しだけ顔を曇らせた。



「一応、です。お願いします」

「…まぁ、いいけど」

「はい、」



そう言って、俺の外套を軽く引っ張る。

俺は、身を寄せるヨウコ嬢の頭を、柔く撫でた。

ヨウコ嬢が何を考えているのかはよくわからないが、心配されるのは、嬉しいと共にむず痒い。



「それに、妄りに自分の能力を見せるのは、よくありません」

「…俺はヨウコ嬢に、無理矢理、披露させられたような気がするんだが、」

「気のせいです…――――ササキさんっ!」





――――来た。



僅かに広げた「円」の範囲内、そこに高速で飛んで来る…トランプ。





抱き込んだヨウコ嬢ごと、身を捻るようにして、トランプを躱す。

飛来するその数は、三枚。

俺の頭部、腹部、ヨウコ嬢を遮る右半身腰部。



それら全てを回避して、その次の瞬間、俺の後方から悲鳴があがる。





「――――ギ、ヤァアァアアアッ!!」





振り返ると、一人の受験生が蹲っていた。

その左腕には、トランプが刺さっている。――――俺が、避けたトランプが。



傷口から流れる赤色に、俺の心臓が軽く波を打つ。





「あ、りえねぇ…っ」



呟いた声は、酷く、苦いものになった。



睨み付けたピエロ面は思いのほか美形で、腹が立つと同時に、思った以上の綺麗さに、感心する。

けれど、造形の端整さに比例するように、こちらを見つめ返して哂った貌は、酷く醜悪に見えた。

――――何故かそれに、既視感を覚える。





「ササキさん、兜がっ」

「……ああ、」



指摘されたソコは、ヒソカのトランプが掠めたのか、一筋の傷跡を残していた。

…躱し損ねた。恐らくは、全然本気じゃない、遊びのような一撃だった筈なのに。



鮮やか過ぎる傷跡を撫ぜて、その箇所を修復するのは後回し。

舌打ちをして、頭を振る。今日は苛々しっ放しで、どうにも調子が悪い。



傍らで膨れ上がる不機嫌そうなオーラは、頭を撫でて、宥めた。





「“試験官ごっこ”、どうするかな…」





そう呟いた俺は、酷く、腹が立っていた。

対象は、不明。―――――けれど恐らく、ヒソカではない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「おいササキ、お前大丈夫だったのかっ!?」

「…すまん、何がだ?」



掛けられた声に、数秒間思考が止まる。わけがわからん。

レオリオは、わかってねぇなぁ、というように頭を振って言い直す。…俺が悪いのか。



「お前、ヒソカにトランプ投げられてただろっ!怪我は無かったのかよ!?」

「…ああ、」



…心配、されたのだろうか。

兜に包まれて傍目には分からないのだろうが、俺は少しだけ笑った。





「大丈夫だ。心配してくれてありがとう、レオリオ」

「な、俺は、別に―――っ!」

「…これが噂の、“ツンデレ”、ですか」



ヨウコ嬢の小さな呟きは、俺には理解不能だった。





会話の内に、試験が続行される。

その指示が又も「走れ」だったのは、知っていたとしても腹が立つ。持久走は嫌いだ。



「霧が深いな…」



呟くのは、クラピカ。

先程俺に声を掛けてきたレオリオと一緒に、いつの間にか一緒に進む雰囲気になっていた。

…まぁ、他の受験者は、なんというか、親しみ辛いしな。釘刺さった人とか。



――――そうやって、自分に言い訳を重ねるのも、なんだか慣れてきた気がする。それは恐らく、悪い事だというのに。





要は、“誰かと一緒にいたい”という、俺のヘタレた根性が原因だが。





「レオリオー!クラピカーッ!トキワー!―――キルアが、前に来た方がいいってさー!」



前方からの叫び。…“俺”が入って無ぇ。





ゴンの警告に「いけるかーっ!」と叫び返すレオリオを他所に、ヨウコ嬢が俺を窺う。



「…どうするんですか?」

「どう、するかな」



ヒソカのドキドキ試験官ごっこは、もう間も無くだろう。

――――逃げるのか、逃げないのか。

俺のいつものスタンスなら、速攻でゴンとキルアのところへ走る。ヨウコ嬢を抱えて。

だが、



今の俺は、どうにも感情が不安定だ。





小さなため息をつく。

不安定なのは、ヨウコ嬢とのパートナー契約に始まり、ヒソカの所業。

あとは、よくわからないが…“血”のせい、だろうか。





頭を振る。





「…なるようになるさ」

「ササキさんって、偶に大胆ですよね」



…お前を拾った時とか、な。

心中で呟いて、ほんの少し、自嘲する。

拾ったのは間違いではないが、その結果引き起こされた“今”は、やはり、間違っているような気がする。



考えても、仕方が無いのだけど。





そして、悲鳴が聞こえた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


周囲からは、無数の悲鳴。

来たか、と思ったが、どうやらヒソカではなく、この湿原の原生生物のせいらしい。



「おい、お前ら大丈夫か!?」

「…ああ」

「不味いな。どうやら、後方集団が、途中から別の方向へ誘導されてしまったらしいな」





レオリオとクラピカは、無事。ヨウコ嬢は、常に手を繋いでいる上に、「円」で状態も確認済みだ。…決して、変な意味を伴った「確認」ではない。





「ギャッ!」

「うぁあっ」





無数の悲鳴。そこに紛れた、苦痛の響き。

次いで、俺の「円」に反応があった。



先程も感じた、厚みのない、長方形の飛来物。





「――――“白の剣(ホワイトソード)”」



真横から届いた声と共に、眼前で、白の念刃が縦横無尽に振るわれる。

ヨウコ嬢に斬られ、叩き落とされたトランプが、地面に落ちる。数は――――十三枚。不吉だ。



両手から五本ずつの念刃を伸ばしたヨウコ嬢は、○-MENを彷彿とさせる。最終編は結局観れなかったと、そんな事を思い出した。





「ってぇ――――!」

「レオリオ…っ?」



野太い悲鳴に、顔を向ける。

霧で若干霞むが、左の二の腕にトランプの刺さったレオリオが見えた。



「てめぇ、何をしやがる!!」



怒声。

答えるのは、本当に愉しそうな声で。





「くくく♦ 試験官ごっこ♥」





血臭と鮮血と、その笑顔に―――――赤く染まった箱を、幻視した。





[2117] Re[8]:雨迷子~佐々木 守人の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/18 00:39


にたりと笑みを浮かべるピエロ面は、整っているからこそ、気分が悪い。



「君らは、逃げないのかい?」



言葉の先は、俺とヨウコ嬢、そして原作通りにレオリオ。

クラピカとゴツイ顔の男は逃げて、他の全員は…死んだ。俺はただ、見ていただけ。



そうして残ったのは、ヒソカ以外にこの三人。

レオリオは、俺はともかく、ヨウコ嬢が残っている現状が気に入らない様子で。





「ッバカ、おいガキ!さっさと逃げろ!――――ササキ、お前は俺に手ぇ貸せ!!」

「…不服です」



…だろうよ。

悪気は皆無、口調は荒い。

そこもまたレオリオという人間の魅力なのだろうが、如何せんレオリオよりも、「念」を使えるヨウコ嬢の方が、強い。“オーラを操る”というただ一点が、それだけの溝を、互いの間に設けている。





「クックック♦」



…台詞の語尾に、漫画同様のトランプ記号がついているかは、謎。

その怪しい笑いは、聞いていて気分の良いものではない。





そんなどうでも良い事を考えながら、「堅」を行う。

それを見て、ヒソカの笑いはますます深くなっていく。…まずい、逆効果の香りがする。地雷臭でも可。





「うぅおおおおおおおおっ!!」



叫びは唐突に、ヒソカの背後へと回り込んだレオリオが、太い木の棒を握って殴りかかる。

何が彼の行動の契機になったのか、わからない。焦りか、信頼か、恐怖か、他の何かか。



そして、俺は、ヒソカに飛び掛るレオリオを見ても、足が、動かない。





「残・念♥」



叫びも、俺の焦燥も。全てを掻き消す、酷く愉しそうな声。

ヒソカは振り向きもせずに、背後のレオリオへと、その右腕を振るう。



響くのは、肉と、骨を打つ音。



顔の形を変えながら吹き飛ぶレオリオの姿に、湧き上がるのは不快感。

つい先程知り合った人間の危機にすら反応しない自分に、どろりとした、不快な感情が蟠る。“予定調和”。そんな言葉が浮かび、更に気分が悪くなる。





歯噛みして、俺の頭の中からは、逃げる選択肢が霞んでいく。





「――――ヨウコ嬢」

「わかりました。殺しましょう」

「…違う、ありえん、落ち着け」



予想外にエキセントリックな返答に呻く。

冗談とわかっていても、その単語には嫌なものを感じる。





「“白の城壁(ホワイトウォール)”」





呟くと同時に外套が溶けて、替わる。

“俺的第一級危険指定人物=ヒソカ”の前で能力を使うことに、並々ならぬ忌避感はあるが、気にしないようにする。

…どうせこの試験が終われば、一生、会うことなど無い。





「♠」



ヒソカの口から零れる、よくわからない、音。何語だ。

それを耳にしながら、ヨウコ嬢を抱き上げた。



「サ、ササキさんっ!?」

「すまん。こうしないと、俺が護り辛い」

「ぁ、そうですか…」



「円」を広げる。

「凝」や「流」に比べれば、この技は俺向きのようだ。適当に広げるだけだし。

ただでさえ能力に差があるんだから、これくらいはしないと対応出来ない。



正面のピエロは、相変わらず笑っていた。



「そんな状態で戦うのかい♣」

「俺の趣味だ」

「へぇ?」



…苛々する。口調も、笑いも、胸の内から湧き上がる、不可解な、自分の感情も。



外套に押し込むようにして、ヨウコ嬢を抱え込む。

戦い辛いだろうが、そもそもまともな戦闘自体、強盗犯相手の時しか経験が無い。自分達がどれだけ動けるのかすら、不明。

「念」の熟成だけを突き詰めていた修行は、結局は、戦闘の素人による浅慮だったのかもしれない。



「…ありえねぇ」



…誰か、いい“師匠”でも見つけるべきだったのだ。その程度の危険すら乗り越えようとしないから、こんな状況に陥る。





自分に対する悪態だけが頭を満たし、そこに、飛来するトランプを知覚した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


飛び交うトランプ。

それを躱して、避けて、…見送る。

俺にすら避けられる程度の攻撃は、多分、手加減されている。遊ばれている。腹が立つ。



“ヒソカ”というキャラがどれだけの強さを“設定”されていたのかはわからないが、「蜘蛛」の団長に挑むくらいだ、とりあえず「HUNTER×HUNTER」中、トップクラスということにする。間違っていても、知ったことか。想定は、最悪な程、都合が良い。

…それに引き換え俺の実力は、せいぜいが“モタリケ”クラスか。

自嘲するが、その予想が外れていなかった場合、恐らく俺は舌を噛んで死ぬ。というか死にたい。





「…モタリケとか、マジありえねぇ」

「ササキさん、余計なこと考えないで下さい」

「了解」





腕の中のヨウコ嬢は、小さくて、非常に抱き心地が良い。

自身の内から生まれる不穏な思考に、不安を感じる間もなく。飛来するトランプの速度が、僅かに、上がる。

ヒソカ自身が近付いてこないのは、未知の念能力を警戒してか、それとも本当に“試験”するだけだからか。



「―――攻撃は、出来そうな時に、適当にやってくれっ」

「はい」



俺にはヨウコ嬢の射程距離が未だにわからないから、状況判断も何もかもを任せて、トランプを避けながらも、目前の気狂いピエロに近付かなければならない。

そして、距離が近付けば、多分その時は肉弾戦に移行する。ついでにガムがくっ付く。…ありえない。





「中々の動きだ♥」

「いいよな、あんたは楽しそうでっ!」

「君は愉しくないのかい?」

「正直、気分悪いぜ…っ」



――――こいつからは、酷い血の匂いがする。



…そんなもの、俺にわかる筈が無いのに。

ヨウコ嬢を抱いていない、左手。そこに不快な生温かさを感じて、軽く振る。

ありえない。





「“白の剣(ホワイトソード)”」



小さな呟きは、腕の中から。

ヨウコ嬢が宙に放った、キラキラと光る―――数本の髪の毛。…勿体無ぇ!



勿論、ヒソカもそれに注目する。

刹那の間も開けず、その髪の毛の両端から、白い念刃が飛び出した。



「―――へぇ、変化系、かな?…でも、これじゃあイマイチ、だね♦」



あっさりと見破るヒソカに、可愛げなんてありはしない。あっても困る。

伸ばされた刃は、数本がヒソカへと届くが、それらは全て回避され、その攻撃はこちらの戦力を教えるだけ。戦術の価値としては、マイナス。





けれど、それらに注視せずにヒソカの目前へと走りこんだ俺の、腕の中――――





ヨウコ嬢の掲げた右手刀の先から、“黒の槍”が伸びて、ヒソカに向かった。





「――――っつ♠」



驚いたように見開かれたピエロ面。

豪快に右脇腹をこそぎ取る黒の念刃は、ヒソカの胴体、その三分の一をブチ撒けた。





先手は打った。

念使いにとって、“それ”がどれほどのダメージなのかは不明だが、少なくとも無価値ではない。



それを見て取った俺は、ヒソカの顔を睨み付けて、ヨウコ嬢に告げた。





「――――“逃げる”ぞ」





耳に届くのは、引き攣ったような、自分の声。

返ってきたのは、冷静な声音。



「…“敗走”の、理由は?」



腕の中からは訊ねる声。

それは、否定を表すのではなく、ただ会話を繋げるためのもの。

俺は吐き捨てるように返答をする。





「顔が、“ヤベェ”…っ!」





俺の視線の先。



脇腹から血と、肉を噴き出すヒソカ。





その貌は、先程のものより、漫画で見たものよりも、百倍は醜く、凶悪だった。



―――――狂相。



それ以外に、表現出来ない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


気絶して倒れ伏すレオリオは、“見捨てる”。

俺にはそれだけの力量が無く、先ほどのレオリオの行動から、恐らくヒソカは試験官ごっこに於ける“合格”判定を下す。

……違う。

また、言い訳だ。





――――俺は、腕の中のヨウコ嬢以上に守りたいものを、持っていない。





レオリオの存在は、俺にとって、比べるだけの“価値”を持たなかった。





「ありえねぇ…っ」



歯噛みする。

吐き気がして、全身が泥に濡れたような感覚、不快感。



それらを飲み込み、ヒソカに対して、横方向に走る。

背中を見せるのは、危険だ。獣相手だって、目を合わせながら後退る。



「逃がすと、思ってるのかい♠」



…思いたい。

頬が裂けたような深い笑いはおぞましい。その口元は、蛇を連想する。



「君達があんまり頑張るから…ほら、高ぶっちゃった♥――――責任を取ってもらわないと、ね♣」

「…教育に、悪ぃっ!」





そう叫び返すけれど、力が篭っていない。

局部を直視しないように、けれど決してヒソカから目を逸らさずに走る俺と、ゆっくりと歩いて追い縋ろうとするヒソカ。互いの距離は、ようやく…15メートル。

そしてそれだけの距離を余裕で無に帰す、強大な、ヒソカのオーラ。



ヨウコ嬢の攻撃で、火がついたのか。

表情と、身に纏うオーラと、噴き出す殺気。

それら全てが先程と違う。全く違う。量、質、圧迫感。知覚しうる全ての要素が、俺の内臓を締め上げる。吐きそうだ。内臓を。





「…ササキさん」

「何だ」

「――――…殺りましょう」

「っ…勝てる気かよ、あれにっ?!」



叫び返す。

俺はやり合いたくない。

アレは本当に、“不味い”。

俺が日頃、「纏」を解いてまで散々避けようとした人種、その想像を遥かに超える最悪だ。



俺の叫びにも冷静に返る声は、俺を幾分か落ち着かせる。



「手が、無くはありません」

「…マジか。惚れてもいいか、ヨウコ嬢」

「………大、歓迎です」



ふざけたやり取りの合間に、息を整える。落ち着いた、と言い聞かせることで、自分を騙してみる。成功率は、2割程度。…俺にしては、上出来か。



地道に後退る俺は、既にヒソカと真正面から向き合ってしまっていた。死にそう。

ピエロは、相変わらず笑っている。…人とも思えぬ、形相で。





「…くっくっく、いいね、その“目”。ゾクゾクするよ♣」

「――――気色悪い。調子に乗るな、戦闘狂」

「ちょ…っ!?」

「くっ、くっくっくっくっ、はっはっはっはっ♠」



腕の中から声が上がる。愛らしい声での、突然の毒舌。



…ヨウコ嬢、そんなキャラじゃ、無かったろ。

混乱する頭は、季語の無い句を読む。絶賛混乱中だ。

対するヒソカの笑みは、底が無いくらいに深い。本当に楽しそうな笑いは、醸し出す殺気と相反している。



冷や汗と脂汗の違いがわからなくなってきた俺は、逆に頭が冷めていく。





「ササキさん。一撃でいいです、痛い思いして下さい」

「…二回までならな」



抱いた胸の内から、涼やかな声が、耳に届く。

咄嗟に強がりを言うのは、男子の証。…でも三回目は無理ですよ?



息を吸って、吐いた。



「ゴー、です」

「――――ラジャった!」





掛け声と共に、真正面からヒソカに向かう。

捨て身の特攻など予想していなかったのか、ヒソカは益々笑みを深くした。…切実にチビりそう。

数センチ近付く毎に、今までの修行でせっせと育ててきた俺のオーラが、ヒソカの大量のオーラに侵食されていく。





そして、激突寸前。

俺が、ヒソカの攻撃を耐え切ろうと、「堅」を維持しつつ飛び込むと同時、





「今ですっ!――――――――ゴンッ!!」

「…………へっ?」





ヨウコ嬢の、力強い号令。

その内容に動揺して前につんのめった俺は転び、一瞬きょとんとしたヒソカは、不意をつかれて後頭部に釣竿の洗礼を――――




―――――ゴン!!





その効果音は、洒落だろうか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「大丈夫、トキワ!?あと、……ごめんなさい、名前、」

「…ササキだ」



ササキササキと呼ばれるのも、余り気分が良くはないが。

…名前を、教えるべきだっただろうか。





――――ヒソカは、レオリオを担いだまま、森の奥へと行ってしまった。

ヨウコ嬢が「ドナドナ」を唄っていたのは、何かの洒落か。



「助かったわ、ゴン」

「…うん。でも、二人が気を引いてくれたから。俺だけじゃ、無理だったよ」



恐かったー、と素直に認める少年は、多分、“心が強い”というヤツだろう。というか、全然恐がっているように、見えない。

俺は怖かった。もしチビっていたら、俺の脳内アルバムに、新たな黒歴史が刻まれているところだ。





「マジ、助かった…」

「ササキさんも、凄かったね!ヒソカのトランプ、びゅんびゅんって避けて!」



びゅんびゅん、て…。

その擬音は子供らしいのかどうなのか、疑問だ。頭の悪そうな響きが、特に。



と、背後からガサリと草の鳴る音。



驚いて振り向くと、金髪美形の憎いヤツ――――クラピカが立っていた。

…顔色は、青い。

なんとなく、事情を察する。ヘタレなりに、たまにはわかることもある。





「クラピカッ!」

「やぁ、ゴン。…二人も、」



顔色が目に見えて悪い。というか、よく見ればゴンも。じゃなくて、全員だ。…ヨウコ嬢は、普通に見える。男らしくて、惚れそうだ。





「クラピカ、大丈夫か?」

「それは、あなた達の方だろう。…すまない、手助けに入るつもりだったのに、何も、出来なかった」

「いや、あれはしょうがないだろ。マジで。俺も、レオリオを置いて逃げようとした」

「…………」



軽く励ますが、クラピカの表情は優れない。

…プライド高いな、と思う。

傍観するだけだった自分が、嫌いなのか。それとも別の理由か。俺にはよくわからない。





胸に微かな荷重がかかる。

見ると、抱えたままだったヨウコ嬢が、俺の胸に頭を預けていた。



吐息のような小さな声が、俺の鼓膜に響いてくる。





「…化け物、でしたね」

「主に、精神構造がな」



そこに限っては、あんな奴との戦闘に乱入できたゴン少年も、異常ではあるが。





「ヨウコ嬢、…すまん」

「いえ、私こそ、ごめんなさい」



不意の謝罪には、謝罪が返された。

その律儀さに、小さな笑みが浮かんだが、構わず、言い返す。



「―――違う。…お前の、髪のことだ」

「……あぁ。構いませんよ。どうせ“此処”に来て以来、碌に手入れなんか、してません」

「…すまん」

「いいんですよ、そんなこと」



…甲斐性無しで、すまん。

稼ぎが少ないせいために、手入れを怠る必要を強いている俺は、とにかく、謝るしかない。



撫で付けた柔らかな髪は、手入れを怠っているとは思えないくらいに、綺麗で。

これが若さか、なんて思う俺は、“此処”に来て少し、老けた気がする。

口中の苦味は、様々な懸案の入り混じった結果。





『君達は、美味しくなりそうだ。…特に――――』





そう言いながら、俺の抱くヨウコ嬢を嘗め回すように見つめていた変態ピエロは、出来れば今後一生関わりたくない生物の最上位で、これからも試験中関わり続ける災厄の種。
…何で、こんなことになったんだっけ?





答えは簡単、俺のせいだ。



「……はぁ、」





この世界、凡人が生きるには、少し辛い。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――ぐるるるるるるるるるるるるるるがるるるるるるるぅるるるる…





「すげぇ腹の音…」

「マナー、なってませんね」

「全くだ」



謎の怪音を前にそんな感想を抱けるのは、“知っている”人間の特権だろう。





ゴンの、原人を通り越して、異星人並みに鋭い嗅覚。その恩恵を受け、ようやく、俺、ヨウコ嬢、ゴン、クラピカの四人は、次の試験場に辿り着いた。

レオリオ顔面変形型の様子は、意外と大丈夫そうで、随分とほっとした。主に、俺の安い良心が。



ここに向かう道中、ゴンから「あれ、ササキさん、いつ着替えたの?」なんて訊かれた時は焦ったが、「僕はね、魔法使いなんだ」という発言で誤魔化した俺は、凄まじく最低な人種だろう。

「本当!?凄いんだね、ササキさんっ!」――――などと輝く笑顔で言われた時は、ちょっと首を吊りたくなった。ヨウコ嬢の取り成しが無ければ、俺は今頃、輪廻の輪に還っていたかもしれない。来世は恐らく、昆虫辺りか。



第二候補の「リバーシブルなんだ」にするべきだったと、猛省する。





「ササキさん、ササキさん」

「…ああ、大丈夫。生きてますよ俺は?」

「違いますっ。豚です、豚。獲りに行きますよ」

「あ?…ああ、“あれ”か」



忘我の余り、試験官の話を聞いていなかったが、記憶によれば、次の試験はなんとかスタンプという豚だ。

額をズガンと行けば良かったと思う。うろ覚えだが。





森に向かうと、おるわおるわ豚共が。…いや、少し多過ぎだろ。はぐれた奴を探そう。





「まだ精度甘いですから、ササキさん、ちゃんと受け止めて下さいね」

「ウィ、」



外套を纏っている限り一切の攻撃を行えない俺は、外套を脱ぐ勇気も持てないヘタレであるが故に、たまには勇気を出して、ヨウコ嬢の役に立とうと奮起する。



「…本当に、大丈夫ですか?」

「平気だ」



心配そうに聞き返すヨウコ嬢だが、俺だって、たまには役に立ちたい。





森の中、獲物(俺)を発見して、土煙と共に駆けてくる豚が、一匹。…一“頭”、か?

周囲に人がいないことを確認して、俺は念能力を発動する。



「“黒の城砦(ブラックフォート)”」



外套は溶けて、以下略だ。

急速に近付く豚の巨体に、正直恐くて仕方が無いのだが、今更染色体に文句を言っても仕方の無い“男の子”である俺は、泣くのを我慢して、黙ってそいつを受け止めた。



「――――ぬぁっ」



“黒の城砦”は、“物理衝撃を無効化する”能力。



――――その筈なのだが、巨大豚を受け止めた際、全身に痺れのような痛みが走る。

…まさか、俺の外套の防御限界は、この豚程度で打ち止めなのだろうか。

程度、と嘲るほど手軽な相手では無いが、この分だと、「蜘蛛」のウボォーギンレベルになると、粉砕骨折くらいは余裕で逝けそう。



外套の防御と、更に「纏」を行っているというのに――――そう考えて、目前の豚の額に、真っ白な念刃が突き立てられた。





「…死んだか?」

「はい、恐らく。ササキさんは、大丈夫ですか?」

「…平気だ。何か、変だったが、」

「――――変?」



聞き返されて、言葉に詰まる。余計な心配など、かけたくないんだが…。

俺はなるべく、なんでもないことのように、言った。



「――――痛い」

「…はぁ、それは、まぁ、ササキさんがご病気でも無い限り――――…それって、グレイトスタンプを受け止めて、ですか?」

「…ああ、」



ヨウコ嬢は、何か、慌てた様子で、言い募る。

…何だろう、また俺は、何かヘマをしたのだろうか。

考えて、また、情けなさを覚え、頭を振った。そんなのは、いつものことだ。



「――――つまり、「念」を防ぎきれなかったんですね?」

「…すまん、わけがわからん。あれは、豚だぞ?それとも、今日日の豚は、「念」を使える猛者揃いか?」

「違いますっ。…「念」は、“生体オーラ”です。生きているものなら必ず持っている、絶対条件みたいなものなんですよ」



成程。確かに、他の受験生も、街の人達も、みんなが無意識に垂れ流している。…豚のものまでは、意識していなかったが。

俺は頷いて、ヨウコ嬢に続きを促す。



「ササキさんが“痛い”と感じたのは、その垂れ流しているオーラの分です」

「……ちょっと待て。じゃあ、こういうことか?俺は「纏」をしていてさえ、豚の無作為オーラに負けているのか」

「それもありますけど、違います。原因は、“制約”です。“黒”なら、「念」を。“白”なら、「念」以外の、ダメージを倍化させます。…自分で決めて、憶えていないんですか?」



ヨウコ嬢に言われて、そういえば、と思い出す。…いや、忘れていたわけではないぞ。

だが、そうなると―――――





「俺って、滅茶苦茶役立たずか…?」

「そんなことは無いです」





それが慰めか、そうじゃないのかは、俺にはわからない。

ヨウコ嬢は、続けて言う。



「“特別”なのは、私達じゃなくて、この世界の生き物なんだと思います」

「…何が、」

「まだ、気付いていませんか?この世界の人達、垂れ流しているオーラが、私達より、少しだけ、多いんですよ」

「は…、………ありえねぇ」



それはつまり、どういうことか。

オーラの量が、基本からして違うのか。それとも、この世界の住人は、無意識に、オーラを操っているのだろうか。

前者だとすれば、ヨウコ嬢はともかく、――――俺なんか、劣等種にも程がある。



“黒の城砦”で一般人の拳を受け止めて、余剰のオーラでダメージを受ける。

“白の城壁”で念能力者の拳を受け止めて、余剰の物理衝撃でダメージを受ける。

…ありえねぇ。





「…深く、考えないで下さい。私の勘違いだってありますし、今は、ササキさんの能力についてです」



そう言われて、軽く頭を振った。

確かに。どっちだろうと、俺自身の貧弱さは変わらない。



「…垂れ流しのオーラでさえ痛い、ってことは――――」

「少なくとも、その外套を着てさえ、安全の為に「堅」を使って下さい」

「……ありえん」



貧弱、脆弱、惰弱、蒟蒻。そんな言葉が思い浮かぶ。

周りは化け物揃いで、俺に限って平凡が過ぎる。



――――むしろ、この能力が役立たず過ぎるのか?





ため息を、一つ。





「次の豚、探すか」

「……はい、」



気を取り直して、呟く。逃避、とも言う。

自分が弱いのも、この世界が危険なのも、考えてみれば、今更だ。今更過ぎる。

だからこそ、俺は「念」を使わず、外見上単なる衣服である、この「外套」だけで身を守っていた。危険に関わるのも、避けていた。なのに、この状況。





ヨウコ嬢の頭を撫でて、気を紛らわす。

他の何かに責任を求めるなんて、俺らしく無い。しては、ならない。





――――俺は大人しく、ヨウコ嬢を守ればいい。





吐き出したため息は、決意と裏腹に、心底、弱々しいものだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あたしの課題は、“スシ”よっ!!」



――――カリフォルニア寿司でも、いいのかい?





内心のツッコミを口に出す気は無い。ヘタレだから。

俺は黙って、試験官と受験生の様子を見守る。



「…どうします?」

「オニギリでも食うか?」

「いいですね、それ」



…ああ、ほのぼのとした空気に、癒される。





少し離れた調理台では、主人公グループが話し込んでいた。

ヒソカ関連の一件で少しだけ親密になれた気もするので、あっちに行ってもいいのだが…生憎と、その更に向こうの調理台にはヒソカと、怪奇・釘男が鎮座していた。

…絶対に、近付きたくない。

時折、こちらにチラチラと視線を投げるピエロは、あれか、ラブ光線でも発してるのか、このヤロウ。





「魚ァ!?お前、ここは森ん中だぜ!?」



「スシ」という謎言語に戸惑う試験場内。その喧騒を鎮めたのは、レオリオ君19歳、老け顔が気になるお年頃。

…確か放出系、だったか?

具の入っていないオニギリを頬張るヨウコ嬢に振り向き、口を開く。



「放出系の性格系統は?」

「…短気で大雑把、です」

「おお、」



…すごい、当たってる。

ピエロも、たまにはいいことを言う。



たまにしか良い事を言わないピエロの方を見てみると、争うように川に向かう受験生達を見つめていた。…どちらかと言うと、その目付きは、“品定め”に近い。

そんなピエロ、俺の視線に気付いたのか、振り向いてにっこり。俺もにっこり笑って(兜のせいで見えないが)、親指を下に向けた。この世界にボディランゲージが存在しないことを祈る。





黙々とオニギリを握る。

念製のグローブは余りベタ付かず、地味な方向にのみ、その魅力を放出していた。…役立たずめ。



「…店長、怒ってないかな」

「私なんて、雇ってもらったばっかりです」


制約のせいで離れられない俺とヨウコ嬢。色々と考えた末、店長に頼んで、ヨウコ嬢を一緒に雇ってもらったのが―――多分、三日くらい前。店長、善人過ぎて、俺が困ります。

看板娘の登場によって、花屋の売り上げが伸びたのか、否か。真実は不明だ。





――――気付けば、試験場には受験生の姿がなくなっていた。



「どうする?」

「どうしましょう?」



ヨウコ嬢の食べるオニギリは、とても美味そうだ。…作ってるのは俺だが。

俺も食いたいけれど、ここまで来て今更兜を外すのは、何だか負けたような気分になる。

目元のスリットから入れる案は、却下。

…ステーキ、食べておいた方が良かったな。



軽いため息をつくと、肩を叩かれた。



「ん?」



振り向くと、頭のそこら中から突起物を生やした女性――――違う、“メンチ”だ。非常に奇抜な髪形。決して、宇宙的突起物の類ではない。



軽く首を傾げる俺に、メンチ(さん)の眉根が寄る。何故だ。

女性の手が肩に置かれていて、俺は少しドキドキである。





「…あんたら、行かないでいいの?」





予想より随分と大人しめの発言。何故だ。ヘタレな俺は、下手に出られると気が大きくなる。





「魚のヌルヌルが苦手だから駄目だ」

「刃物は危ないからと、未だに触らせてもらえません」

「あ、あんたらは…っ」



ぷるぷると震えるメンチさんは、恐らく怒っている。もしくは呆れている。…いや、やはり怒っている。

…だろうよ、俺だって呆れる。しかし、あのヌルヌルが駄目なんだ。すまん。寿司の作り方だけは、なんとなくわかっているのだが。



うんうんと頷く俺に、美人試験官が、キレた。





「い、い、か、ら、行きなさぁーいっ!!」

「うぉっ!?」



吼えるメンチさん。はしたないですよメンチさん。

両手を天に衝き出しながら吼え猛る様は、どこか別のゲームを思い起こさせる。メンチよ、虎になるのだ。





「――――落ち着け、」

「うっさいわね、あたしは試験官よ!あんたらも、不合格になりたくなきゃ、さっさと行きなさい!そしてあたしに美味しい寿司を作りなさい!」

「…今、本音が出たぞ、この女」

「どうせ「不味い」、とか言って、全員不合格にするんですよね、この人」



冷静なツッコミは火に油。メンチさんは、更にヒートアップする。
助けてブハラさん、とか思ったが、多分無駄だ。あの人、とても歩行が可能な生物には見えない。





「…行くか」

「はい」

「ふんっ、始めっからそうすりゃいいのよ!」



…元気な人だ。





――――まぁ、結局、「合格者0」になるんだが。





メンチさん曰く、「形はともかく、あんたの寿司は、普通に“不味い”」だそうだ。

…酷過ぎる。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


天空より舞い降りる爺。

余りにも絵にならないその光景は、水墨画に直せば、見れるものになるかもしれん。

題名:「仙人降臨」、とか。駄目か。





「…高いな」

「高いですね」

「いいから、さっさと行きなさい!」



崖を見下ろして震える俺。素直に感想を述べるヨウコ嬢。何故か背後で仁王立ちの美人試験官。露出が激しくて、正直困る。怒鳴る前に、まずは服を着ろ。



俺は背後を振り向くと、メンチさんに向けて抗議する。





「死んだら、どうすんですか」

「大丈夫よ、下は深~い河が流れてるから」
「…正気か、」

「うっさいわねぇ。あんた、ハンター目指してんでしょ?コレくらい出来なくて、これから先、どうすんのよ。格好の割に、根性無いのねぇ」

「……ありえねぇ」



頭を振る。高いところは恐い。あと、「格好の割に」は余計だと思う。この服装のどこに、そんなアクティブさが感じられるのか。

ノーロープバンジーなんて、限定部族のやる成人の儀式だけで充分。俺は、文明人だ。



「…メンチさん、Sか?」

「その前に、“ド”が付くんじゃないですか?」

「――――いいから行きなさい、つってんでしょうがっ!!」





怒号と共に、蹴り飛ばされた。

“黒の城砦”を見事に突き破る「念」の衝撃は、俺の背骨から前衛的な効果音を醸し出す。――――折れてないよな!?





「…ひょっとすると、殺人か、これはっ」

「もしかして、ハンターなら、無罪になるんでしょうか?」



恐怖の余り、思わず抱きしめてしまったヨウコ嬢。俺の不明によって巻き込んでしまった彼女と共に、真っ逆さまに落ちていく。背中が、洒落にならないくらい、痛い。

縦に流れる景色は意外と恐怖が薄い。落下速度が早過ぎて、よく見えないのが、主な理由だ。



「…着地、私がやりましょうか?」

「ありえん」



「剣」も「槍」も、基点は大抵、ヨウコ嬢の細腕だ。

どこか適当な崖に引っ掛けたとしても、慣性による荷重で、彼女の腕が折れたり痛かったりするのは、正直、見たくない。





「――――っと、」



左手でヨウコ嬢を抱きかかえ、右手で崖の出っ張りを掴む。というか、握る。

――――そもそも、「念」があればこのくらい何でもないのだ。

それにも関わらず、どうしてもこの力を信用しきれないのは、多分、俺の短所。



僅かに腰を落ち着けられる場所を見つけて、そこに留まる。

ヨウコ嬢は、場所が狭いので、抱いたまま。…落ち着け、俺。



「卵、どこにある?」

「あそこです、あそこ」



指差されたのは、現在位置より僅かに上、崖の中空。

縦横無尽に張り巡らされた、蔦、もしくは、蜘蛛の糸のような、“ソレ”。その、垂れ下がった先端に吊るされた、房のような、卵の群れ。

…葡萄が食いたい。

唐突に湧き上がる食欲は、後々満たしておくとしよう。





「というか、崖に掴まったのは失敗か?」

「ですね」

「…ありえねぇ」



卵は、崖同士の中央部分。空中に吊るされるように、ぶら下がっていた。

俺はため息をついて、伝っていける箇所を探そうと、視線を巡らせ――――





「――――げっ」



巡らせた、先。

俺達のいる崖の、数メートル横。にっこりと笑うピエロがいた。眼球が腐る。





そいつが右手を伸ばすと、房となったクモワシの卵が数個、スルリスルリと、右掌まで移動していく。



――――ヒソカの能力・“伸縮自在の愛(バンジーガム)”。

「陰」の恩恵で「凝」無しには見えないとは言え、念使いである俺達の手前、安易に見せてもいいのかと、その精神を疑う。

その詳しい効能は、“ゴム”と“ガム”、だったろうか。便利過ぎて腹が立つ。あと、どの辺に“愛”があるのかと、甚だ疑問だ。法螺を吹くな、このピエロ男。





「やぁ、どうやら取り過ぎちゃったみたいだ♥―――どうだい、君達も、いるかい?」





こちらに向けた笑顔は、屈託が無い。

故に、信用は不可。というか、無理。



「くれ」

「さっさと落ちて死んでください」



提案に対する、返答は二重。内容は正反対。



「くくく♣」



そしてピエロはひたすら笑う。





「…落ち着け、ヨウコ嬢。卵を貰ってからだ」

「駄目です。あんなピエロの採ったもの、触ったら妊娠しちゃいますよ…ササキさんが」

「俺かよ!ありえ―――…いや、ありえるか?」



もう、ヒソカなら何でもありな気がしてきた、俺達。末期だ。「ピエロ恐怖症」という病気を思い出す。助けてドナルド。

当のトランプマンは、俺達のやり取りを楽しそうに見ていた。肌が腐る。





「無理に、とは言わないさ♥ここに置いておくから、欲しくなったら取るといい♠」





一頻り視姦された後。そんなことを言って、その場に、卵を置いていかれた。“バンジーガム”で、壁にくっ付く、卵が二つ。

…ここで取ったら負けな気がする。すごく。





――――が、勿論俺は取った。

ヨウコ嬢は渋って、「絶対に触らない」と言っていた。

…俺が触るのは、良いのか。



この合格、心中複雑。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


メンチさんはご機嫌だった。

その理由は、決して俺の外套が崖登りによって土塗れになったからではない。きっと。…信じてますよ、俺は?



卵は美味かった…と、ヨウコ嬢が言っていた。



俺は、兜を外す=ヒソカに顔を見られる、の図式に勝てず、食べなかった。

この兜も、俺の「念」なんだから、どうにかして口の部分だけを外せないものか。

微妙な融通の利かなさは、一体どこから発生したのだろう。





――――ともかく、試験は合格。

次は…何だったか。思い出せない。ヨウコ嬢に聞こう。



「…何だか私、“便利な女”じゃありません?」



…そんなことは、無い。無いって。頼む、信じてくれ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ハンター協会所有の飛行船。

飛行機はともかく、飛行船なんて初めて乗るのだが、こういった船は、一体、どうやって浮いているのだろう…?



――――そんなどうでもいいことを考えながら、食堂の隅で食事を取る。中々美味い。

考えてみれば、半日は何も食べていなかった気がする。…辛かった。

というか、船内に電話が無いだろうか。店長に電話しておかないと、次に出勤した時、凄い事が起こりそうな気がする。主に俺の身体に。





そんな事を考えていたからか、角から出てきた人影に、ぶつかってしまった。

俺は“黒の城砦”のお陰で痛くないが、相手はそうじゃないだろう。謝ろうと思い、顔を向け、





「――――“キルア”?」

「…あんた、誰?」



ぶつかったのは、銀髪猫目。ゾルディック家期待の星だった。しかも何故か、半裸。





「私の…保護者です」

「あれ、トキワ?…――――ああ、アンタ、あの時の変なヤツか」

「…………」



割って入るヨウコ嬢と、ナチュラルに俺を貶すキルア少年。

――――“変”。わかってはいても、面と向かって言われれば多少はカチンとくるのだが、とりあえず、我慢。色々な意味で、逆らうべき相手じゃない。…というか、印象深さだけなら他の追随を許さないこの俺を忘れるとは、この少年、大物だ。





「――――そうだね、別にアンタでもいいか」

「…何だ?」





軽い口調。





「円」を常時展開しているわけもなく。認識できたのは、触れられる直前。

キルア少年の左手が霞み、俺の心臓に向かって振り抜かれ、外套に触れたところで、――――その動きが停止した。





「――――――あれっ?」

「…ありえん、」





外套に触れた箇所で勢いを失った自分の右手に、不思議そうな顔をする、キルア少年。

小さく呻いた俺は、伝わる衝撃に、心臓が止まりそうだ。



――――俺、攻撃された…、んだよな?何で、だっ?





疑念と、激しく打ち鳴らされる心音。





「キルア」





そして、小さく響いたのは、ヨウコ嬢の、声。



そちらへ振り向いたキルア少年に、向かっていくのは、「念」の“洗礼”。





「ヨウコ――――ッ!」

「ぅ、な…っ!?」





真横に居る俺自身が息を飲むような、重圧。キルア少年は、オーラに呑まれて、その呼吸が止まる。

「纏」をしていてさえ、目前で放たれるオーラの量に、内臓が圧迫される。――――思い出すのは、ヒソカの狂相と、赤い……違う、違う違う!



「ヨウコ嬢、やめろっ!!」

「――――――」



俺の一喝に、果たして効果があったのか。

ぴたりとオーラを鎮めたヨウコ嬢は、無言で、キルア少年の方へと歩を進める。



彼女の接近を認識したキルア少年は、大量の汗を流しながら、掻き消えるような速度で、後退る。

乱れた呼吸を整える俺とキルア少年は、程度の差はあれど、互いに混乱していた。





呼吸と心音だけが支配する空間内、ヨウコ嬢の冷えた声だけが、行き渡る。



「――――キルア」

「…な、んだよっ?」



答える声が震えているのは、怖いのか、「念」を受けた身体が不調なのか。

俺より僅かに前へと踏み出したヨウコ嬢の顔は、背後の俺からは窺えない。





「―――――――――」





少女の呟きは、俺には聞こえなかった。





「……悪かったよ。“遊び”でちょっと、気が昂ぶっててさ。それで、気晴らしに殺(バラ)そうとしただけ」

「ありえねぇだろ、それは…」



即座にツッコむ。

…こんな展開、あっただろうか。無かったような気がするのだが、思い出せない。



こちらに顔を向けたキルア少年は、少しだけ持ち直した表情で、口を開く。



「アンタ、何やったのかは知らないけど…やるじゃん」

「…嬉しくねぇよ」

「ま、気分転換には、なったかな…」



そう言って無邪気に笑う様子は、単なるガキんちょに見えた。…それとも、俺の目が、曇っているのか。



ただ、去っていくその歩調が少し、速く感じたのは、多分、“そういう”ことだろう。

一般人に、「念」はきつい。厳密な意味で、彼は一般人というわけではないが、オーラを知覚出来ない者は、それらに対して、須らく、無力。





傍らのヨウコ嬢は、俺の背を向けたまま。





「――――ヨウコ嬢」

「…はぃ、」

「すまん」

「ごめん、なさい」



声をかけ、答え、互いに謝り合う。

それを契機に、俺は、ヨウコ嬢の小さな頭を撫でた。





ヨウコ嬢も、今回は、流石に遣り過ぎだ。

遣り過ぎなのだが…、それでも怒ることの出来ない俺は、将来きっと、“いい親”というヤツには、なれない。

――――そこまで考えて、何かが記憶を掠めた気がするのだが、すぐに消えていった。





ヨウコ嬢の頭を撫でた手。その掌を、見つめる。

黒い、グローブ。その掌。見えるのは、それだけ。





「赤くない、よな…っ?」





そんな呟きの意味を、俺は知らない筈で。





[2117] Re[9]:雨迷子~常葉 葉子の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/18 00:15


――――つまるところ、何が悪かったのか。



やっぱり私の醜い心根とか、その辺りだろうか。

それとも、ササキさんを苛め過ぎた、あの水見式の日。かつて無い程に燃え上がった、私の嗜虐心が悪いのか。…でも後者は、仕方なかった。ササキさんが悪いのだ。あの慌て振りは、愛でておかなければ、絶対に損をする。





「…ステーキ定食、弱火でじっくり」



微かに笑う柔らかな口元は、女性店員への色目などではなく、自分の洒落に酔っているのだろう。

しようのない人。マジで。けれどそんな所も可愛いと思う私は、もう、駄目かもしれない。色々と。





案内された先は、エレベータ。

開かれた先は、密室と、そこに置かれた焼肉用のテーブル。正式名称、不明。





要点を述べるなら――――





「舐めてるんですか、ササキさん」





ため息をつく私を他所に。



ササキさんは、“うっかり”ハンター試験会場まで乱入していた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


…どこで止めるべきだったのか。



ササキさんが、私が思わず注視してしまったお店に、入ろうとした時か。

それとも、ササキさんを押しのけて、私が注文をするべきだったのか。



ここぞという時の自分の押しの弱さに、ほとほと呆れ果てる。



この“ザバン市”に於いて、「めしどころ」「ごはん」という看板を掲げた店が、偶然目に止まっただけだと、そう自分を納得させたというのに、この仕打ち。

ササキさんは、常に天然の範疇内で、私に試練を課してくる。





「…ササキさん、言い訳をどうぞ」



そう告げる私は、怒る以前に、呆れていた。

私とササキさん以外に通じないような、面白くない駄洒落で、注文を行おうとしたこととか。

未だに、「ごはん」程度の単語すら読めない、勉強嫌いなその気質とか。



ため息をつきながら、身長が勝るササキさんを見上げる私。心情的には、逆かもしれない。





「――――の前に、いくつかいいか?」

「いいですよ、遺言ですか?プロポーズですか?」



出来れば後者が望ましい……待て、何を言ってるの、私は。

頭を振る。高速で。

思わず本音が飛び出たが、しっかり聞いた筈のササキさんは、普通に反応していた。

…ありえない。

もう少し、照れたりしてほしいが。やはり、12歳はこの人のストライクゾーンから外れているのか。…違う、そうじゃない。



混乱する私を捨て置いて、ササキさんの質問が飛ぶ。

私は慌てて平静を装い、幾つかの、抽象的な問いに答えた。…このリベンジは、いつか必ず。





――――ただ、寿司くらいは買っておくべきだった。反省。





「ササキさん」

「はい…」

「『原作のキャラに関わりたくない、ヤバイ人に目を付けられたくない』、でしたっけ?」

「……あい」

「ちゃんちゃらおかしい、です」

「ごもっともで…」



いつか聞いた言葉。

本人も、私も、まさかこんな“うっかり”で破られるとは全く想定していなかった、決意。

もう一度、ため息をついた。



そして、少しだけ、思い直す。



ハンター試験。ハンター証。そして、先ほどのやり取りから今現在、恐らくはハンター試験会場に向かっているだろう、このエレベータ。

――――原作とジャストミート?

恐らく、間違っていない。ハンター試験は、毎年試験会場を変えた筈。先程の手順で辿り着けるというのなら、それは、紛れもなく“原作”の同時期。



そこから考えれば、試験内容は既に頭の中ということ。「カンニング」などという概念は、見破られた場合のみ存在する。以上、母のくれた、ありがたい教えだ。…人道的には、別として。



私は、僅かに唸って考える。





――――ハンター証。これは、あれば、便利だろう。

わざわざ店長さんの引退を待って、お下がりのお花屋を引き継ぐ必要もなくなるだろう。土地などの詳しい値段は知らないけれど、ライセンスを二つ売れば、小さなお店くらい簡単に持てるかもしれない。
レオリオ曰く、「七代先まで遊んで暮らせる」。…眉唾かも知れないが、完全な嘘ではない筈。



…だから少し、期待してしまう。



小さなお店。ササキさんと私の二人で。――――そんな、幸せな夢。



それは、人に聞かせれば笑い転げてしまうだろう、絵に描いたような、“少女趣味”。

恥ずかしくて口には出せない、けれど私にとっての、紛れもない幸福の情景。





…少しくらい望んだって、いいかもしれない。それを夢見ることを、自分に許しても、いいのかもしれない。





全身を包む「念」。オーラ。

此処が本当にあの漫画と同時間であるなら、念使いである私達の敵は、厳密には“ヒソカ”というキャラクターただ一人。“イルミ=ゾルディック”は、恐らく、邪魔にはならない。

それにしたって、私にとってはどうでもいい。ササキさんとの比較対象など、存在しない。邪魔なら、■すなり、逃げるなり、どうとでもなる。してみせる。そのために、「剣」を得た。

だから、





「――――せっかくなので、受けていきましょうか」





ササキさんに気付かれないくらいに小さな、震え。

その言葉は、「幼さ故の浅慮」で片付けられたくはない、私にとっての、小さな願い。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんに続いて、エレベータから外へ出る。

それと同時に、悲鳴が耳に届いた。それについては、五月蝿いな、とだけ思う。

視線を向けると、両腕の肘から先を喪失した男の人と、遠目にもわかる、大きなオーラ――――奇術師・ヒソカ。



それを見て、声が零れた。



「…駄目。好きになれそうもないわね、“アレ”は」


小さな、口の中だけで呟かれたそれは、隣に立つササキさんにも届かない。

テレビ越しと、実物は違う。それに似た感情だろうか、これは。漫画越しなら、嫌いなキャラクターでは、なかったのだけど…。





…それにしても、何だ、“アレ”は。

本当に、同じ人間だろうか。それとも、“世界”が違えば、これほどまでに差がつくのだろうか?





考えても、仕方が無い。確認した限り、ヒソカと一対一で戦って勝てる心算が思いつかない。油断、奇襲、罠…。遣り様はいくらでもあるけれど、死ぬ危険性なんて絶対却下。ササキさんにそれが及ぶ可能性は、材料にすら含まれない。



だから私は、ササキさんの手を握り締めながら、いつも通りに心を隠す。



「…ジャストタイミング、ですね」

「子供が見るものじゃない」



私の呟きに対する答えは、忠言と、顔を覆ったその掌。

突然触れられたことに肩が震えるけれど、なんとか平静を保った。

…不意打ちには、弱いんですよ、私。



呟きは、意味無く霧散した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「407」のプレートは、貰ってすぐ、ササキさんに預かって貰った。

後々のことを考えると、隠しておく方が都合が良い。





「あ、あの子も同い年くらいじゃないかな?」



そんな声が聞こえたのは、疲れたように「纏」を行ったササキさんと、手を繋いで、一緒に走っていた時。

…二人きりを邪魔されたのは、正直気分が悪いけれど。

感情を押し込めて、そちらを見る。視界に映るのは、尖った黒髪。ああ、“主人公”だ。



高速で瓦解するササキさんの平和計画に、自分が原因でもあるため、微かな同情が湧く。





「こんにちは!俺、ゴン=フリークスって言うんだ!」

「こんにちは」



「元気」という意味を、そのまま形にしたような、男の子。

かつてのクラスメイトにも、こんな、輝くような人は存在しなかった。

…つまりは、“特別”、ということだろうか。

考えて、どうでもいいことだと判断する。



「私の名前は…トキワです」



名乗る際に、下の名前を名乗ろうかとも思ったけれど、苗字に変える。

他人に名前を呼ばれるのは好きじゃない。特に、理由があるわけでも、ないけれど。





「お前、年、いくつ?」



そう声をかけられて、ようやく“ゴン”以外にも“キャラ”がいることを思いだす。…少し、浮かれていたのかもしれない。

問いかけたのは、銀髪。――――“キルア・ゾルディック”。変化系。「念」を除けば、高確率で敗北――――…



そこまで考え、そういえば先ほどゴンが「同い年くらいじゃないか」と言っていたのを思い出す。背の低い私は、未だに「小学、三年生くらい?」などと言われるのに。…ゴンへのポイントが、少しだけアップする。





「12歳です」

「嘘っ、同い年!?年、誤魔化してんじゃねぇの!?」

「…ヨウコ嬢、嘘は良くないぞ」



質問には、正直に答えた。

正直に、答えました。





………舐めてるんですか、ササキさん?ついでにキルア、このヤロゥ。

私だって毎日牛乳を飲んでいるのに、きっと成長期はもう少し先でどうやって年齢を証明すればあれ受験登録とかってどうなってるんだろう――――――落ち着く。せめて、表面上は。





「ササキさん…」



声を掛けて、精一杯睨む。

うぐぅ、などと呻くササキさんは、兜が無ければきっと愛らしいのに。



「――――ていうか、アンタ、何?」



二人の語らいに茶々を入れたのは、キルア。

ササキさんに「アンタ」呼ばわり。私の脳内で、キルア株が大暴落を起こす。





「…保護者だ」





そんな私の怒りは、頭に当てられた、ササキさんの掌で霧散した。

優しく、力を篭めないよう、柔らかく撫でる手付き。僅かに、頬が熱くなる。

…これは、卑怯だ。

未だ触れられることに慣れない私は、静かに、被保護者を演じるしかない。



「本当ですよ」



訝しげなキルアの表情と、ゴンの不思議そうな顔に向けて、それだけを言った。





「ねぇねぇ、トキワ達は、何処から来たの?」

「…Japponですよ。小さな島国です」

「Jappon…、聞いたことないな」



ササキさんが“レオリオ”や“クラピカ”と話している真横、私はゴン達から質問攻めにされていた。“攻め”、という程しつこくもなかったけれど。



少しだけ見上げたササキさんは、少し楽しそうだ。

…大人同士、弾む話でもあるのだろうか。ササキさんの年齢が、実際幾つなのかは、不明だけど。



不服ではあるけれど、「邪魔をしたくない」とも思う。

複雑な心境で、ほんの少し迷った後。

そっとササキさんの手を離して、ゴンとキルアの傍に寄る。…ササキさんは、私が手を離しても、振り向きもしない。



「………はぁ、」

「トキワ、どうしたの?もしかして、疲れた?」

「いえ、」



私の小さなため息に、すぐさま気遣いを見せるゴンは、中々に将来が楽しみだと思う。

逆にキルア、あなたは駄目です。失格。また来年お越し下さい。

こっそり「円」を行って、ササキさんの位置を常に確認。互いの距離が“黒の槍”の範囲を超えないよう、気をつけておく。

そして、それにすら無反応なササキさんは、本当に私を守ってくれる気があるのだろうか。





「ねぇ、二人は何でハンターを目指してるの?」



私の心中など露知らず、どこかで憶えのある会話を交わす二人の少年。





「――――俺の親父も、ハンターなんだ」





――――だから、父親を探すためにハンターになるのだと。

そんなことを易々と言ってのけるこの子は、正直、傍に居たくない。そう思った。





年齢にそぐわない、明確過ぎる、その心。方向性。

曖昧に流されて生きる筈の若年で、これだけの意思を示せるのは、子供だからか、それとも、本当の大物か。



…この人は、眩し過ぎる。



照らし出されるのは、いつだって、「影」。

そこに惹きつけられるキルアは、どういった気持ちなのだろう。私には、わからない。





「トキワは、何で?」

「…ぇ、」



気付けば、話は終わって、私の番らしい。

…まあ、いいけど。

口を開いて言うのは、自明の言葉。



「ササ…、私の保護者と、一緒にいるため」

「さっきの黒い人?」

「うん、」



問われて、頷いた。



「…何で、ハンターにならないと駄目なんだ?」

「ハンターじゃなくても、いいの。ただ、一緒に居る理由になれば」

「ふぅん?」



感情の篭らないキルアの瞳は、何を考えているのだろうか。

推察する気にもならず、ただ一言だけを、呟いた。





「――――あの人は、私の、“全部”だから」





ゴンが太陽であるなら、私にとってのササキさんは、木陰のようなものだろう。

日の光が恋しくなった時だけ、その陰から顔を覗かせて、欲しいだけの“光”を甘受する。

常に日に照らされ続ける大木は、充分に温まり、寄り掛かるだけで心地よい。



言葉を心中で繰り返し、熱い、吐息を吐く。

…あの“甘さ”を、言葉にするのは難しい。



それでも口に出したのは、言葉に表すことで、今抱いているこの感情に、何か明確な「形」が欲しかったからだろうか。





ササキさんは、そんな私の気持ちを、重く感じてしまうのだろうけれど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんの手を握る。

少し強く握った瞬間に、こちらを見下ろして「どうだった?二人は」などと聞いてくるササキさんは、鈍感だと、そう思う。

この様子だと、私が手を離したことにすら気付いていないのかもしれない。

…それは、流石に無いですよね?



不安気に思うけれど、その想像は、意外と真実味があって…。

私は小さなため息をつく。





目前に、上りの大階段が見えた。

終点が見えない程の威容に、そういえばここが中間点だったな、と思い至る。

しばらく走ると、続々と脱落者が出てくる。

そして、未だに走り続けている人達を見て、思う。



――――オーラが、多い。



出勤するササキさん(オーラ垂れ流し)を、何度も見ていたからだろうか。

違和感を抱いた。



ササキさんが「纏」を解いた場合、全身から滲み出すように、頭頂部の辺りで、寄り集まったオーラが昇っていく。

それに比べて、前方で走り続けている人達は、全身から漏れ出すようなオーラが漂い、それが波打つように上へと昇る。





小さな違い。滲むような薄いオーラと、漏れ出すような淡いオーラ。

それはほんの少しの違いで、気にする私は神経質なのかもしれない。けれど、この両者の違いには、理由がある気もする。



――――違いは、“世界”。



私達の居た世界と、この「HUNTER×HUNTER」の世界。

世界の違いで、無意識時のオーラ量が違う。





…考えすぎ、だろうか。

生体オーラの量が違う、互いの世界。

それこそが、“漫画”であるこの世界の住人と、私達の違いで。異世界人であるところの私達が「念」を使えるのは、量は違えど、元々オーラを所持していたからだとする。

それなら、“前の世界”にも、ひょっとすると念能力者が―――――





「……はぁ、」





ため息をついて、思考を振り払う。



私はどうやら、疲れているみたいだ。

無意識に、他愛の無い空想を重ねて、超長距離持久走による倦怠感を、振り払おうとしていたのだろう。

…それにしても、連想が過ぎるというものだけれど。





ぎゅ、とササキさんの手を握った。





前の世界なんて、もうどうでもいい。オーラの違いも、大したことじゃない。

悲しい想いもあるけれど、“此処”なら、ササキさんが居る。一緒に居てくれる。





――――だから、守る。



ササキさんに尽くす以外、私が与えられるものなんて、何も無いのだから。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「後は、――――ヨウコ嬢のためだな」



そんな言葉だけで幸福の絶頂に至れる私は、恐らくは、“安い女”なのだろう。





きっかけは、“クラピカ”の問い掛け。

それ以前に“レオリオ”の過去話でササキさんが涙ぐむといった場面もあったが、兜が邪魔で、ササキさんの泣き顔が見れなかったし、どうでもいい。



――――何故、ハンターを目指すのか。

私の答えは、「ササキさんとの幸福な日々のため」。

多分にササキさんの都合を度外視しているけれど、本人に気付かれなければ、なんとかなるだろう。





クラピカの問いに対する、ササキさんの答えは、「成り行き」。

そんなことを躊躇いも無く言ってのけるササキさんは、意外と根性がある。残念なのは、それらが総じて、“間違った方向へのみ発揮される”ということ。



そんなことを、思っていたのだが。





――――“私の、ため”。

時折聞ける、ササキさんの真摯な声音。



嘘のつけない筆頭である、ササキさんの言う事だ。そこには、間違いなく、嘘が無い。





迷惑しか齎さない、自分の生活基盤すら崩した私の、ために。



その言葉に深い意味は無いと、そう自分に言い聞かせ、それでも熱いのは、胸の奥か、他の、何かだろうか。

口を突いたのは、その場凌ぎの、震えた声。

クラピカがこちらを窺うのが、視界の端に見えて。そんなのは、やっぱりどうでもいいことだった。





「ヨウコ嬢、まだ、平気か?」



気遣いの声は、優し過ぎる。台詞も、声音も、篭った心さえも、全てが。

そんな事を言われては、もう、あなたを疑えなくなってしまう。

絡め取られて、離れられなくなる。…永遠に。





「――――はい、大丈夫です」





掠れた言葉は、ちゃんと相手に、届いただろうか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――ヌメーレ湿原。通称、“詐欺師の塒”。



濃い霧と、その向こうに見える森林。

似顔絵を描きやすそうな造形、ちょっと不思議な顔をした試験官、“サトツ”さんが説明を行う。





ササキさんの掌。その手触りを楽しんでいた私は、不意に、こちらへと向けられた“気配”に、眉を顰めた。



発生源を見ると、そこにいたのは――――“奇術師”。





「―――ササキさん、」

「…ありえないな」



声を掛けると、即座に反応が返ってくる。

兜の下に隠れたその顔は、きっと歪んでいる。慰めてあげたいけれど、今は出来ない。



「“使える”からか…?」

「はい、多分。“アレ”は、美味しそうなら何でも良いのかと」

「…雑食にも、程がある」



…アレは恐らく、“両刀”だ。

不意に浮かんだ下品な思考は、ゴミ箱へと捨てる。淑女は、そんな知識を、持っていない。





突然ササキさんに腕を引かれて、私の軽い身体は、その背後へと移動した。

ササキさんに隠れ、ヒソカが視界から消えたことに、胸が温かくなる。

「庇ってくれている」という事実は、純粋に嬉しい。結果如何は関係なく。…ササキさんが、頼りないとか、そういった意味じゃ、ないですよ?





「ササキさん」

「何だ」

「ちゃんと、避けて下さいね?」

「…“白”に変えた方がいいか?」



せめて怪我をしないようにと、警告をする。

それを聞き取ったササキさんは、独白染みた疑問を漏らして、私に顔を向けた。

…ササキさんの考えは、恐らく間違いではないのだろうけれど。



「一応、です。お願いします」



気のせい、だろうか。

私の感じる、嫌な予感は。



「…まぁ、いいけど」

「はい、」





この世界は、不可解だ。

わからないことが多過ぎて、判断材料も少な過ぎる。



だから、出来るだけの予防策を取っておきたい。



「それに、妄りに自分の能力を見せるのは、よくありません」

「…俺はヨウコ嬢に、無理矢理、披露させられたような気がするんだが、」

「気のせいです…――――ササキさんっ!」



会話の最中、風の音を耳にした。

ササキさんの向こうから、規模の小さい、「念」を纏った攻撃を感知する。



「―――――っ」





抱きしめられて。

廻る視界の中に、引き攣ったように嗤う奇術師を見た。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――私は、怒っている。





ササキさんは、ヒソカのトランプを全て避けた。代わりに傷を負った人は、ご愁傷様、と言うだけのこと。

けれど、



ササキさんの兜が、パックリと切り裂かれていた。





“黒の城砦”は物理衝撃だけを、完全に防ぐ。

あれだけ綺麗に切り裂かれたのは、“範疇外の衝撃を倍増させる”制約によって、トランプを強化した「念」が威力を増したからだろう。

そしてそれ以上に―――――無様な怯えを理由に、“白の城壁”を使わせなかった、私のせい。



歯噛みする。

ササキさんに撫でられて、その場だけは我慢したけれど、あの道化を許す気は毛頭無い。有り得ない。

本人にとっての“遊び”であろうと、“殺す”気だったのだ、あの男は。私の、ササキさんを。





「君らは、逃げないのかい?」



だから、これは絶好の機会。正当防衛の言い訳だけは、万端だ。

ササキさんの考えはわからないが、私が恐る恐る窺っても、ヒソカとの戦闘を忌避しているようには、見えない。…何故だろうか。



「ッバカ、おいガキ!さっさと逃げろ!――――ササキ、お前は俺に手ぇ貸せ!!」

「…不服です」



邪魔といえば、他に唯一残った、レオリオ。

別段、嫌いな人ではない。少なくとも、その心根は。





ササキさんが「堅」を行う。

私も、それに倣った。それを見てヒソカが笑い、その隙を突こうとしたレオリオさんは――――以下略だ。どうでもいい。



「――――ヨウコ嬢」



吹き飛ばされるレオリオさんを目で追いながら、ササキさんの声を聞く。

それで、最後の決意を固める。





「わかりました。殺しましょう」

「…違う、ありえん、落ち着け」





私の決意は、即座に否定された。

…何故?ササキさんは、そのつもりじゃなかったのだろうか。

首を傾げる。どちらにしろ、私はササキさんに逆らう気は無い。あの道化面を“トンパ”のように変形合体させるだけ。…想像して、口元が歪む。



私の笑みを見て取ったヒソカが、笑い返したように、感じた。



「“白の城壁(ホワイトウォール)”」



呟きは、聞き慣れた声。心地いいと感じる低音。

それに聞き惚れていると、突然抱きかかえられ、びっくりした。





「サ、ササキさんっ!?」



――――そんなこと、私まだ、心の準備が…っ!





「すまん。こうしないと、俺が護り辛い」

「――――ぁ、そうですか…」



一定方向に暴走した思考は、落ち着いた声音に、瞬殺された。

僅かな期待すら抱かせない、それこそがササキさんクオリティ。…酷い話である。

ため息をついて、気を持ち直す。

一応、初めてのタッグ戦なのだ。失敗は、嫌。

抱きかかえられて、いつもより身近に感じるササキさんの体温は、私のやる気を倍増させる。





「そんな状態で戦うのかい♣」

「俺の趣味だ」

「へぇ?」



緊急時以外の理由では、決してこんなことをしてくれないだろうササキさんは、余り緊張していないように見えた。少なくとも、冗談を言うだけの余裕がある。

そこに感じる僅かな違和感は、何だろうか。





「…ありえねぇ」



何を考えていたのか、相変わらず脈絡の無い、ササキさんの呟き。



それを合図に、無数のトランプが私達を襲った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


真横を掠めるスペードの3。踏み出す足に飛び越えられる、ハートの9。

飛び交うトランプを躱し続けるササキさんは、やはり本人が言うほど、弱くはない。

細かいオーラの操作は苦手なようだが、「円」や「練」では、私はまだササキさんより一歩出遅れている。

オーラで強化された足運びは、全てのトランプを躱しきっていた。





「…モタリケとか、マジありえねぇ」





その言葉に、一瞬、思考が漂白された。

…何故ここで、“モタリケ”?



「ササキさん、余計なこと考えないで下さい」



素早く的確なツッコミは、相方として当然だろう。





全身を抱きすくめるササキさんの腕は心地よく、正直このまま寝てしまいたい。

けれど、現実はそうもいかないようだ。



「―――攻撃は、出来そうな時に、適当にやってくれっ」

「はい」



動きに合わせて途切れながら、告げられた声。

それに頷いて、距離を測る。



――――私は、変化系。放出系との相性は“微妙”。距離が離れる程に、威力が下がる。



最も、それすら乗り越えるための“制約と誓約”。

ササキさんと共にあるための“制約”と、誰にも言うことのない、私の命を賭けた、もう一つの“誓約”。

私はただ、「剣」を振るえばいい。

ササキさんという「鎧」にどんな欠点があろうと、全て私が貫けば、意味は無い。



何も、いらない。

見た目の華麗さや、使い勝手の良さ。面倒な能力も必要無い。





守るだけ。貫くだけ。■す、だけ。

余分な一切を取り除かれた私の「剣」は、只管に、その破壊力だけを突き詰める。





「――――“白の剣(ホワイトソード)”」



呟きは、ヒソカにもちゃんと届いただろうか。



痛みも身嗜みも度外視して引き抜いた、数本の頭髪。勿論、「念」に使用するのだから、自分のものが望ましい。

それらを宙に舞わせ、風に乗った数本がヒソカの四、五メートル付近に散らばり、その両端から刃を噴き出して急襲する。





「――――懐へ、」

「―――――」



確認は意識の隅で。ササキさんの首に両腕を回し、耳元に囁いた。

要求を聞き届けた私の「鎧」が、止まることなく、ヒソカに向けて走り出す。





「―――へぇ、変化系かな?…でも、これじゃあイマイチ、だね♦」



標的は、馬鹿だ。

念刃の精度から、即座に私の系統を見破るのは変態的に素晴らしいけれど、“囮”にかまけるとは、お前はそれほど強いのか――――――





「“黒の槍(ブラックスピアー)”…っ」



全力で伸ばした右腕。

その先端から刹那に飛び出す黒い「槍」は、その威力と速度によって、ヒソカの右脇腹を“分解”する。





――――けれど、しくじった。





舌打ちを堪える。

本当なら、今頃目前の変態は上と下とが泣き別れの筈だった。予想以上に、反応が早い。

…化け物め。





血を噴き出しながら、ヒソカの表情が変貌する。



口の両端が頬まで釣り上がり、細められた目は――――――ソレを見て、思う。…駄目だ、勝てない。



オーラが、先ほどとは桁違い。感情一つでここまで上昇するなんて、本当に…デタラメ。

私やササキさんとは、やはり元々のオーラ量自体が違うのかもしれない。そんなことを考える。





「――――“逃げる”ぞ」





真横から聞こえたのは、力強い声。少し震えているのは、愛嬌に過ぎない。



「…“敗走”の、理由は?」



聞くまでも無い。あれは、ヤバイ。目が合っただけで妊娠しそうで、吐き気がする。

返された言葉も、私の意見と大して変わらなかった。





「顔が、“ヤベェ”…っ!」





視線の先には、悪魔のような歪んだ相貌。

無駄に強力な攻撃が、ヒソカのギアを上げてしまった事実に、私は歯噛みした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「逃がすと、思ってるのかい♠」



顔も、声も。

嗤っているのに、笑っていない。

今更だけど、認める。こいつ、――――“怖い”。



“怖い”と認めるのは、酷く癪にさわるけれど。



単なる興味本位から、窮鼠が牙を剥いたことに昂揚するヒソカ。

…そういった感情の動きを理解できてしまう自分も、また、癪にさわった。



ササキさんの腕の中、戦闘中にも関わらず、ヒソカに対する苛立ちだけが膨らんでいく。

噴きつけられるオーラは、私の二、三倍。

不快感は、その五倍。





「君達があんまり頑張るから…ほら、―――高ぶっちゃった♥」

「…教育に、悪ぃっ!」



ササキさんの叫びは、尤も過ぎる。

いきり立つ局部に視線を向け、すぐに逸らす。

…ありえない。化け物か、こいつは。





逃走を行っていた筈のササキさんは、いつしか、素早い動きが出来なくなっている。

空間を満たしていく、この、ヒソカのオーラ。

先程までの纏わり付くようなものとは全く違う。押し潰して、呑み込もうとするような、圧倒的な規模。

“これ”のせいで、息をするのすら苦しくなってくる。

私の「堅」は既に限界が近い。何分保ったのかと、自分のスタミナの低さに、自嘲する。



ササキさんも、多分それほど長くない。

深く息を吐いて、兜に覆われた顔を見上げる。



「…ササキさん」

「何だ」





その時何を言おうとしたのか、後になってもわからない。

ただ、そう声をかけた瞬間、視界の隅に、“尖った黒髪”を見出した。





それで、決心した。分は悪いけれど、“主人公”に賭けるのなら、倍率だけは良さそうだ。





「――――殺りましょう」

「っ…勝てる気かよ、あれにっ?!」



私の言葉に、ササキさんが怒鳴り返す。

…嗚呼、こんなに怖がって。

兜越しの頬を、緩く撫ぜる。口元が緩むのは、歪んだ愉悦によるものか。



「手が、無くはありません」



そう語る私の声は、ササキさんにも、ヒソカにも――――その背後の草むらに立ち尽くすゴンにも、聞こえているだろう。

…この賭けに負けたら、二度と「HUNTER×HUNTER」など読むものか。



決意に意味は無い。

ただ、“主人公”というだけで、その存在に神頼みを試みる自分を、詰っているだけ。





「…マジか。惚れてもいいか、ヨウコ嬢」



――――なのに、その一言は、非常に………コホン、





「………大、歓迎です」



底無しの本音で、頷いた。





この賭け…、負けても多分、私は幸せだ。





[2117] Re[10]:雨迷子~常葉 葉子の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/18 00:17


覚悟は、決まった。

将来の永久就職先まで決定済みの私に、恐れるものなど何も無い。



全身にオーラが漲り始めたのは、“必然”でしかない。





「…くっくっく、いいね、その“目”。ゾクゾクするよ♣」



――――五月蝿い黙れついでに■ね。



「――――気色悪い。調子に乗るな、戦闘狂」





思ったままに、言葉が口を突いて出た。

それを受けても、ヒソカは笑みを深くするだけ。うろたえているササキさんの五分の一くらい、可愛げがないものだろうか。…無理か。道化には、あれが精一杯だろう。





「ササキさん。一撃でいいです、痛い思いして下さい」





これをお願いするのは、正直、嫌。

それでも、もしゴンが動かなければ、結局は私がヤるしかない。

“白の城壁”。「念」を纏った攻撃の、物理衝撃だけが貫通するとして、更にそのダメージが倍増するならば―――――わからない。「念」とは、何故こんなにも曖昧なものなのか。



発展途上の、「念」を使えないゴンですら、トリックタワーの壁を拳で砕いたのだ。

ならば、ヒソカの純粋な筋力、格闘技術…それを更に倍増させた威力となると―――――





「…二回までならな」





簡単に請け負う、その浅慮が憎らしい。けれどそれ以上に愛おしいと思うのは、私が“変化系”という変態ピラミッドの一角だから、だろうか。



息を吐いて、吸う。



「ゴー、です」

「――――ラジャった!」



出来るだけ軽く口にした号令は、ササキさんの、力強い肯定に掻き消された。





直線距離は、十メートルより、少しだけ長い。

全力で走る念使いなら、正に一瞬で踏破する距離。

近付く毎に強まるオーラの圧迫に耐えて、一瞬半後に激突する、そのタイミングで、声を張り上げる。





「今ですっ!――――――――ゴンッ!!」

「………へっ?」





その叫びは悲痛に聞こえたかもしれないが、湿原に響き渡る音と共に、私は――――――賭けに勝った。





―――――ゴン!!





小気味いい効果音は、ヒソカに対する私の溜飲を、確かに下げた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「は、…はぁっ!?えっ、あれ、えええええっ!?」

「ササキさん、下がってください!」

「あ、はい…」



予期せぬゴンの登場に、ササキさんは目一杯挙動不審。…可愛い。けれど兜が邪魔。

けれど、このままここに留まるのは、危険。ここは、ヒソカの間合いの範疇。それも、極近距離。



私の言いつけ通りに後退ったササキさんは、首を傾げて疑問符を放つ。



「…何で、ゴン少年が?」

「“原作”でも、居ました」



私が呼ぶまで全く動く気配が無かったのは、タイミングを計っていたのか、単にヒソカの変態オーラに怯えて、動くに動けなかったのか。

…どちらでもいいけれど。





視線の先、高速で振られた釣竿の錘を後頭部に受けたヒソカは、じっとゴンを見つめていた。

…これで、その興味が完全にゴンへと移れば、私達は逃げられる。ササキさんは好まないだろうけど、それが、最善。



「―――いつからだい♦」

「……え?」

「いつから、僕の後ろに居たんだい?」



怪しげな笑みを浮かべたヒソカは、ゴンに向けて、質問を投げかける。

先程までのオーラが嘘のように、ヒソカは、つい数分前の状態に戻っていた。

――――その注意が、まだ私達から逸れていないのは、ゴンに期待した、私の狙いが甘かったのか。噂の“主人公補正”も、それ程役には立たないらしい。





「えっと、レオリオが殴り飛ばされた時に来て、あとはずっと…三人の闘いに、見惚れてた」

「――――っ♠」

「…ありえねぇ、」



ゴンの物言いに、ササキさんが呻いた。

私も同感だ。一度、病院に行くべきだと、切実に思う。

“作者”が作者なら、“主人公”も主人公だ。





「くっ、くっくっくっくっくっ、はっはっはっははははははははっ♦」



ゴンの言葉に大笑いするヒソカ。…こいつは、元々おかしい。





しばらく笑った後、ヒソカはこちらへと視線を向ける。

その笑顔は、先程のように凶悪じゃないけれど、やはり不気味だった。





「君ら皆、合格だ♦いいハンターになりなよ。君達も、君も♥」





そう言って、不意に視線を草むらに向ける。



「…君は、まぁお目溢しといったところかな♣」



僅かに、つまらなそうな声音。

そんな、僅かな言葉に篭められた感情すら理解出来るのが、不愉快で。



「…いいから、さっさと逝って」

「くっくっく、嫌われたものだね♥」



…あれで嫌わないでいられるなら、それは真性の変態でしかない。





「君達は、美味しくなりそうだ。…特に――――」



そう言ったヒソカから、舐めるような視線を受けた。

鳥肌がたつけれど、身震いすることも忘れて、睨み返す。





…その視線の意味が、従来の“果実”へのものか。“同類”の匂いでも、嗅ぎ取られたのか。――――どちらにしろ、最悪。





「残念ね。私の進む道は、決まっているの。道化如き、――――お呼びじゃないわ」





そう言い返した私に向けて、ヒソカは、もう一度だけ笑む。

そこに篭められた感情など、類推する価値も無い。





向ける対象と、その方向性が違おうと。

ヒソカの抱く「執着」と、それに付随する感情を理解できることが、私には、非常に腹立たしかった。





それは、文字通りの、「同属嫌悪」。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――ギギギギギ、ごるるるるぐおおおおおおおおおぉおおガグゲゴッ



「すげぇ腹の音…」

「マナー、なってませんね」

「全くだ」



到底、生物の出す音ではない。少なくとも、腹の音には聞こえない。





ササキさんと、私。それからゴン、合流したクラピカ。――――四人は、森を抜けて、ようやく、二次試験会場に到着した。

途中で見かけた受験生の死体は、他の人には黙っておいた。

無駄な心労は、ササキさんの胃腸に良くない。





第二次試験は、料理。

まずは、豚―――グレイトスタンプの丸焼き。…それが“料理”かどうかは、微妙。



試験官の話が終わると、受験生が、一斉に森へと駆け出していく。

私は呆けているササキさんに声をかけると、





「…ああ、大丈夫。生きてますよ俺は?」





その返答に、困り果てた。





「――――違いますっ。豚です、豚。獲りに行きますよ」

「あ?…ああ、あれか、」



…大丈夫だろうか。

やはり、無理をさせすぎたのか。次に会ったら、今度こそあの道化面を歪ませてやろうと、望みの薄い決意を固める。





「――――ヨウコ嬢、俺も、何かやれる事ないか?」



ササキさんがそんな事を言い出したのは、歩きながら森に向かう、その途中。



「…あの、私じゃ、そんなに頼りないですか?」

「それはありえん。―――そうじゃなくて、俺も何か…役に立てないかな、と」



兜の奥から漏れるのは、弱々しい響き。少し、ゾクゾクした。

無理に頑張らなくても、ササキさんなら、そこに居てくれるだけで充分なのに。

そのいじらしさは、私好みであると同時に、少し、危うい。





「それじゃあ、グレイトスタンプ、受け止めてください」





感情に任せてそう言った私は、やはり、浅慮。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんは、「痛い」と言った。



――――纏う外套は、“黒の城砦(ブラックフォート)”。

名前からも防御の高さを窺わせる、その外套は、ササキさんに、絶対の物理防御を齎すと、そう思っていた。

…けれど、ササキさんは「痛い」と言った。



一次試験前にも感じた、世界毎の、個々のオーラ量の違いなど。

ササキさんに、その能力についての推測を話しながら、私は別のことを考えていた。





――――この「鎧」は、“脆過ぎる”。





「念」と、それ以外。

相反する二種の耐性を持ちながら、それ故に僅かの例外も許さない、間違えた“強さ”。



…これでは、むしろ「防げるもの」の方が、少ない。

この念能力は、酷く脆く。

その脆弱さは、いっそ“異常”と言ってもいい。



これでは、何も無いのと同じか、それ以下。

纏うことによって、逆に逃げ場を無くしてしまうような、最低の避難所。「城砦」と「城壁」は、防ぐためのものでは無く、ササキさんを閉じ込める、“障害”となっている。





口を突くのは、もっともらしい、辻褄合わせの言葉雨。

心中を満たすのは、言葉に出来ない、暗雲立ち込む不安の渦。





「…次の豚、探すか」

「――――はい、」



頷きながらも、ササキさんと、その能力の歪さに、私は、大きな不安だけを感じていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あたしの課題は、“スシ”よっ!!」



――――お寿司を食べるのに“箸”を持ち出すような人が、偉そうに。





私の思考は、大した問題ではない。

一個人の、小さなこだわり。…それ故に、譲れない部分もあるのだけれど。





周囲の受験生は、未知なる「スシ」という存在に、頭を悩ませていた。

ここでちゃんとした寿司を作って合格すれば、私とササキさんだけが今期の合格者。後々の不安要素も、一気に払拭出来るの、だが……



「…どうします?」

「オニギリでも食うか?」

「いいですね、それ」



根本的な問題として、私は、寿司を握れなかったのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「魚ァ!?お前、ここは森ん中だぜ!?」





“ササキさん特製のおにぎり”という至福を堪能していると、憶えのある台詞が耳に届いた。

こういった、見知った台詞を聞くという、ゲスト的な特権は、なんとなく気分が良い。小さな、優越感を感じるのだろう。





「――――放出系の、性格系統は?」



そんな邪まな想いを抱いていると、唐突にササキさんからの質問が飛ぶ。



「…短気で大雑把、です」

「おお、」



間髪入れずに答えると、ササキさんは感心したような声をあげた。

ピエロすげー、たまにスゲー、などと呟く姿は、つい最近命を狙ってきた相手に対して、警戒心が薄過ぎやしないかと、心配になる。

どこぞへ向けて親指を下に向けるササキさんは、ちょっとお茶目過ぎ。





黙々とおにぎりを握るササキさん。…いい加減、“酢飯”でおにぎりを握る現状に、疑問を抱いて欲しい。

黙々と食べる私。…熱いお茶が欲しい。



そうやってほのぼのとした時間を過ごしていると、不意に、それを乱す闖入者が現れた。





「…あんたら、行かないでいいの?」





声の主は、ハンター試験二次試験官・“メンチ”。

気安くササキさんに触れている罪は、試験官だからということで、一先ず我慢。

どこか気後れした様子は、多分、ササキさんの奇抜なファッションに引いている。…失敬な。中身は可愛いのに。マジで。





「魚のヌルヌルが苦手だから駄目だ」





メンチに対するササキさんの返答は、いつになく強気だ。何故。

とりあえず、それに倣って、私も続く。



「刃物は危ないからと、未だに触らせてもらえません」



ササキさんは、過保護。念使いに、刃物が簡単に刺さる筈もないのに、「手を怪我したら、どうするっ」なんて、悲愴感漂う表情で私の手を握る。

心配されるのは、嬉しいのだけど、花嫁修業としては、随分と…駄目な感じ。





「あ、あんたらは…っ」





私達の返答は、メンチにとって、酷く気に入らないものだったらしい。…当然よね。
震えるメンチ。意味無く何度も頷く、ササキさん。どうでもいい、私。



そして、メンチは爆発する。





「い、い、か、ら、行きなさぁーいっ!!」

「うぉっ!?」



…驚いた。

いきなり吼えたかと思うと、メンチの身に纏うオーラが、倍増したのだ。なんて、安い女。強化系だろうか。無駄に神経質そうだから、具現化系かも知れない。…いや、短気そうだから、放出系?



思考を重ねる私は、多分、突然のオーラに、混乱していた。





「――――落ち着け、」

「うっさいわね、あたしは試験官よ!あんたらも、不合格になりたくなけりゃ、さっさと行きなさい!そしてあたしに美味しい寿司を作りなさい!」

「…今、本音が出たぞ、この女」



ため息が出た。

…ハンターって、こんな人ばっかり。





「どうせ「不味い」、とか言って、全員不合格にするんですよね、この人」





そんな私の呟きは、恐らく、当たる。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「形はともかく、あんたの寿司は、普通に“不味い”!」



ササキさんに対する物言いは、多分に私情が入っていないだろうか。…もっとも、うっかり惚れたりすれば、“刺す”以外に道は無い。





「美味しいのに…、一応美味しいのに―――――何で、形が星型なのよぉ、あんたわぁっ!!」



…そんなこと、私が知りたい。その前は蛙の形をしていたのだから、まだマシになったと、納得して欲しい。

それでも一応口にしてくれたのは、年長者の優しさだと、受け取っておこう。



ところで、ちゃんと“素手”で食べるのはいいけれど、それなら、あの箸は何のためにあるのだろうか。

疑問。





「二次試験後半の、料理審査――――合格者は、0!!よ」





…メンチって、なんだか不思議な人。色々な意味で。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


吹き飛ぶレスラー。

今日の天気、晴れ、時々、会長。

萎縮するメンチ。

そしてゆで卵。





「…高いな」

「高いですね」

「いいから、さっさと行きなさい!」





深い断崖絶壁。

それを見下ろして相談する私達と、背後からその様子を監視する、メンチが一人。

…ササキさんのお尻でも狙っているのだろうか。渡す気は、無いけど。



「死んだら、どうすんですか」

「大丈夫よ、下は深~い河が流れてるから」



先程、海に繋がっている、とか言ってた気もする。大丈夫とは思えない。



「…正気か」

「うっさいわねぇ。あんた、ハンター目指してんでしょ?コレくらい出来なくてこれから先、どうするのよ。格好の割に、根性無いのねぇ」

「……ありえねぇ」





言い争う二人は、それ程、相性が悪いようには見えない。

…不服だ。





そんなことを考えていると、突然ササキさんに抱きしめられて、脳味噌が沸騰する。





――――そんな、いくら何でも、衆人環視の前で…っ!?





生まれた思考は、死にたいくらいに場違いで、恥ずべきものとなった。





…なんてことはない。メンチに蹴り飛ばされたササキさんが、本能で寄る辺を求めて、近くにいた私を抱きしめただけ。


小さな、ため息をつく。



「…ひょっとすると、殺人か、これはっ」

「もしかして、ハンターなら、無罪になるんでしょうか?」



冷静に返す私は、それ以前に、ササキさん自身の罪を問いたい。

乙女の心を弄ぶには、私の年齢が、あと四年程足りないのだ。





「…着地、私がやりましょうか?」

「ありえん」



提案に対する力強い拒絶は、決して、嫌なものではない。

崖に捕まったササキさんは、運よく抉れていた岩肌に腰を落ち着け、私を振り向いた。



「卵、どこにある?」

「あそこです、あそこ」



崖同士の、広い空間。

その合間に張り巡らされた糸の先に、房になった卵が、ぶら下がっていた。

予想外に近付いたササキさんの顔に、頬を赤くして、





「――――げっ」





そんな呻き声と共に、私の至福は終りを告げる。





「やぁ、どうやら取り過ぎちゃったみたいだ♥―――どうだい、君達も、いるかい?」



――――死ね。



知覚と同時に浮かんだ思考は、口には出せない。

こんなところでコイツと戦うのは無理だし、ササキさんに、今の私の呟きを聞かれたくも無い。



「くれ」

「さっさと落ちて死んでください」



だから、半瞬の後に口を突いて出た言葉は、随分と、遠回しなもの。

…それでも、一番大事なところだけは、省かない。



「くくく♣」



――――笑うな、気色悪い。



視界に映すだけで、気分が悪くなる。

…この先一生、この生き物とは相容れない。

それは、確信。





「…落ち着け、ヨウコ嬢。卵を貰ってからだ」

「駄目です。あんなピエロの採ったもの、触ったら妊娠しちゃいますよ…ササキさんが」

「俺かよ!ありえ―――…いや、ありえるか?」



ササキさんとの会話だけが、ささくれ立った心を、落ち着かせてくれる。

冗談染みた会話だが、言っていることは、互いに本音。

ヒソカなら、それくらい出来そうな気もする。…この思考は、末期、だろうか。





「無理に、とは言わないさ♥ここに置いておくから、欲しくなったら取るといい♠」





会話の末に聞こえたその声で、ヒソカの存在を思い出す。…最悪。せっかく、忘れていたのに。

こいつの前で感情を露わにしたことは、私にとって、末代までの恥だ。





置いていかれた卵は、崖の途中にくっ付いていた。



――――“伸縮自在の愛(バンジーガム)”。

他愛なくその存在を晒すのは、余裕の表れか、変化系の、気紛れか。どっちにしろ、碌なものではない。





置いていかれた卵は、ササキさんが回収した。

私は最後まで反対したというのに…。





…ササキさんの馬鹿。妊娠しちゃえ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


メンチは、ご機嫌だった。

その理由が、ササキさんに必死にしがみ付いて“ヒソカの視界から逃れる私”に向けたものではないと、それだけを願う。

…メンチめ、変な髪形のくせに。





卵は、美味しかった。

ヒソカに貰った卵から、茹でる最中も目を逸らさず。結局私が食べたのは、クラピカの取ってきたもの。…正統派美形の取った卵は、非常に、美味しかった。

ササキさんが、何で食べないのか、私には不思議。それくらい、美味しかった。





少し離れた場所では、メンチとレスラーさんの、心温まるエピソードが展開されていた。

最も、あの人は来年も、不合格。…キルアのせいで。





「ヨウコ嬢、次の試験は、何だっけ?」

「…何だか私、“便利な女”じゃありません?」



訊かれて、言い返した言葉は、本音ではない。

必死に言い訳をするササキさんを見て、私の心は、存分に癒されることとなった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――殺そうと思った。



礼儀を知らず、分際も弁えず。お前如きが生を謳歌するなんて、烏滸がましいと。

その思考の末、ヒソカを思い出し、次に自分の失態を思い返し、最後に、目の前にいるキルアの行った行為に、ハラワタが煮え繰り返った。





「キルア」





呟いた声には、オーラを乗せた。

原理も、方法も、思考の必要が無い。この体内に巣食うオーラは、私が望めば、それだけで諸手を挙げ、付き従う。

それは、肉体の呼吸と何ら変わらぬ、反射運動。

絶叫のように全身から噴き出したオーラは、キルアを飲み込んで、目前の空間に縛り付ける。





「ヨウコ――――ッ!」





ササキさんの声に、オーラの動きが鈍る。

視線の先、私の「念」に囚われたキルアは、無駄にしぶとい。



――――「纏」の片鱗すら見えない癖に、まだ、“死んでいない”。



けれどあと二、三秒もすれば、その四肢の何れかが、欠落しそう。

私の口が、愉悦に歪む。

その想像は、中々に、愉快。



なのに、





「ヨウコ嬢、やめろっ!!」

「――――――」





その言葉で、私のオーラが、“勝手に”萎んでいく。

主の意思に反して、それ以上に――――主の“望み”を反映して動くオーラは、“私”と違って、凄く、素直。



オーラから開放され、跳ね飛ぶように距離を取ったキルアは、未だ私の「円」に、無様な姿を晒したまま。

――――“其処”はまだ、私の「剣」の、射程内。





「――――キルア」

「…な、んだよっ?」


惑う様子は、別段可愛いとは思わない。私の好みは、ササキさん、…だけ。



震える声も、噴き出す汗も、「念」による危険を前に“それだけ”で済んでいる才能も、未だ、容易く摘み取れる段階に過ぎない。

“果実”とは、よく言ったものだと。道化の発想には感心する。





「“次”は、無いよ?――――“キルア=ゾルディック”」





“宣告”は、意識せずとも、甘いものになった。

腐った果実にも似た、毒のような、爛れた甘露。

今の私は、酷く…あの道化に似通っていることだろう。―――それを、感情とは別の部分が、はっきりと、理解していた。





――――気持ち悪い。





制御出来ない自分自身は、殺したいくらいに、“アイツ”の“同類”でしかない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――ヨウコ嬢」



キルアが消えて、ササキさんの声を聞くと同時に、私を侵した“熱”が引く。

心臓が打ち鳴らされ、その呼吸は、先程のキルアより、数段切羽詰っている。





「ごめん、なさい…」

「すまん」





必死に頭を下げて、下げ返されて。

自分が謝られた事実に驚き、私が口を開くより先、頭の上に、暖かな掌が乗せられた。





柔らかな掌で、前後するように、柔らかく撫でられていく。溶かされていく。

それに伴って、私は強制的に、“いいこ”に戻った。





…これは、やっぱり、卑怯だ。

けれど、そんなところが、気持ち良い。



まるで、ササキさんが“猛獣使い”のようで、使役される自分自身は、泣きたいくらいに心地よい。





――――こうやって、ただ身を任せるままに生きていけたらと。

そう考えて、そういえばずっと以前からそうだったと、納得する。





口元が笑う。

その笑みは、先程のものとは全く違って。きっと、誇れるほどに愛らしいものだと、そんな確信だけが、意味も無く、胸の内に存在した。





私は、幸福だ。



恐らくは、無限に広がる、数多の“世界”の―――――誰よりも。





[2117] Re[11]:雨迷子~後書き~
Name: EN
Date: 2006/10/18 00:47
―後書き―


推敲をする度にあの頃の輝きが翳っていく…。

時間があるからといって良いものが出来上がるとは限らない。

―――そんな言葉を体現する今回の投稿でございます。

「展開が強引過ぎる」とは私自身感じておりますが、自身の浪漫回路を信じて突き進む所存です。





以下、惰性で続く、感想に対する返答を。





>ハンター試験編のこと


本文はこういった展開となりました。

投稿する度に主人公二人の内面が二転三転しておりますが、当作品を受け入れて頂けるか否か…毎度、反応が不安なのは、既に私の一個性なのかもしれません。

ハンター試験編か、オリジナルか。意見を書いて頂いた方、要望を述べて下さった方、皆々様、本当にありがとうございました。お陰でこんな代物が生まれてしまいましたが。

オリジナルを望んだ方々には、本当に申し訳ありません。ネタが浮かばなかったのです。

この展開を面白いと思って頂けるのか、個々人の判断を仰ぐ次第でありますが、これが現時点での、私の精一杯であります。


メンチとの掛け合いのためだけにハンター試験編を決行しました。以上。

 原作のキャラクターの性格を掴めているか、個性を潰さずに表現できているのか、トランプ記号はちゃんと表示されるのか。…クラピカ・キルアの扱いの酷さに、私自身、反省することしきり。

受験申し込みについては、一応、後々補足を入れるつもりであります。

受験資格条件は、原作でトンパが「10歳から参加している」と言っていたので、色々と曖昧ではありますが。

トリックタワー問題についても、次回の投稿で。

追記:神懸かるのは、無理そうです。





>ササキ カミヒトのこと


「念」の系統については、某サイト様のコンテンツ「系統&性格診断」で特質系だったから、という浅い理由があります。

水見式の内容については、微妙に深い意味もありますが、気にしなくても大丈夫な伏線です。回収予定は最終回付近。近くて遠い頃に。

「行動した」という表現は、決して、犯罪者予備軍から一軍に昇格するような意味合いはありません。“パートナーになる、という提案を了承した”、という意味で。この感想には本気で焦りましたが、セーフです。そういった展開は、ありません。ご了承を。

 ヘタレなササキ氏が好評なのは嬉しいのですが、それ故に今後の展開・ネタ晴らしに不安感を抱いている現状。

口癖がくどい、という事実に、今更気付いてしまいました。

既に投稿した分はともかく、今後はそのような不快感を与えない程度には削れている、と思うのですが、如何でしょうか。微妙。





>“黒の城砦・白の城壁”のこと


一般人が垂れ流している程度のオーラに、衝撃を倍化されたとはいえ、「纏」「堅」を行えるヘタレ能力者のササキ氏がダメージを受けるのかは、数値化されなければ判断が難しい問題でした。仰られたパターンが通常時の「垂れ流しササキ」の場合であるならば、確かに生死が難しいところです。

――――結果としては、他の小説にも取り上げられる「ハンター世界と現実世界の、それぞれに住む人間の能力の相違」を絡ませて、本文のようなことになりましたが、如何でしょうか。少し、甘く感じられるかもしれません。

雰囲気としては蛇足にも感じますが、今回の投稿分はこのような展開ばかりなので、他に紛れて、影が薄く感じられることを願っております。
 具現化系の武器ならば、やはり無効化の対象かと。物質化していようと、やはり構成はオーラによるものですので、恐らくは。

能力の効果範囲は、「能力者が触れている状況で、外套が覆った範囲のみ」です。

ササキ氏の手を離れている間はその特殊能力が失効するので、使い勝手の悪さは、絶品。

外套の“二枚重ね”については、能力の元となったイメージによる理由で、不可。

ノブナガ・ヒソカなどの武器を使う相手にも、勿論弱いです。当初は“黒の城砦”によって「物理効果=斬る力」を防いで、「念」による純粋な衝撃だけを、とも考えておりましたが、結果は本文の通り。

…しかしこの能力、説明を重ねるごとに、ササキ氏の首が絞まっていく気が。



>トキワ ヨウコのこと


暴走しているのは、ヨウコ嬢か、作者の脳か。

読まれる方々が、いつ、彼女を受け入れられなくなるのか。とても心配です。何でこんな子に。

けれど、その一途さだけなら随一。一途さ、だけならば。

正真正銘の“イタイ子”ですが、そもそもヨウコ嬢がいなければ、ササキ氏は平凡に花屋のバイトで一生を終えていたので。…どちらが当人達にとって良かったのかは、不明ですが。

本文中、念能力者として強力過ぎですが、そう受け取られた場合は、今までの描写が不足し過ぎだったのだと、私の力量不足が浮き彫りとなる結果に。

 制約の「念能力の喪失」については、「念」自体を行えなくなる、という認識で。破ったが最後、一生涯、“オーラの垂れ流し”以上の操作を行えなくなる、と。

それでは今後とも「腹黒ロリ」を宜しくお願い致します。





H×Hの三巻以降が、注文以後中々発送されないので、次の投稿は、やはり未定で。



わざわざここまで読んでくださった人々と、様々なご意見を下った方々に、感謝を。

それでは、また、次回の投稿で。





[2117] Re:雨迷子~佐々木守人の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:41


塔の最上階。某ロッククライマーが食べられる音が、聞こえてくる。

兜の上から耳を覆っても、それ以上、聞こえる音を遮れるわけではない。



込み上げた吐き気は、唾と一緒に飲み込んだ。





俺が呆と突っ立ったままでいると、相変わらず手を繋いだままのヨウコ嬢が、声をかけてくる。



「どうします?」

「……あそこから、落ちるか」

「…ハンター証貰ったら、病院、行きましょうね?」



酷く優しいその声音は、殴りたいほど可愛らしい。

ついでに、ハンター証が身分証明になることを、思い出す。…成程、必要かもしれない。



「“黒”を着ていれば、落ちてもなんとか…ならないか?」

「無理です。その前に食べられます。口だけでも、大人より、大きかったです」

「…ありえねぇ」



一度、この世界の生態系を調べてみたい。

とりあえず、でかくて凶悪なら何でもいい、と言わんばかりだ。





「けど、“離れられない”だろう」

「……しっかりと抱き締めてもらえれば、一緒に落ちることも出来ます」

「出来なかったら、念能力が消えるぞ」

「……………む、」



不服そうな表情は、仕方ない。制約に縛られているのは、お互い様だ。

縛られる不満の大きさは、女の子であるヨウコ嬢の方が、大きいのだけど。





手を引いて塔の縁へ。見下ろすそこには、確かにバカでかい人面鳥が飛び交っていた。…なんて、不細工。面食いの俺には、正視することすら、辛い。

だが、ここから落ちれば、落下の衝撃は俺の外套が相殺。時間も短縮され、万事解決なのだ。流石に、自然落下に「念」は加わらない筈。

…一か八か、というには、得るものが安いだろうか?





「おーい、ササキー!」

「…む」



ササキと呼ばれて、やはり名前の方を教えるべきだったかと思いつつも、振り返る。

見遣った先には、主人公チーム。キルア少年が居るのが、ちょっと怖い。トラウマが、また一つ、増えたかもしれない。

ため息が出た。



「…何だ?」

「静かに。“ここ”を―――」



クラピカに促されるまま、汚い床を見下ろした。

石の床。僅かに細い溝が刻まれて、形を辿っていくと、細長い長方形をしているのがわかる。

「円」を行ってみると、床下には、広い空間。軽く押してみれば、石の板が僅かに沈む。



「隠しイベントか」

「それは違うと思います」

「言ってみただけだ」



軽い漫才を交わして、四人の方を振り仰ぐ。

その意を汲んだのか、クラピカが、代表で話を進める。



「先程から、受験生の数が徐々に減ってきている。状況を鑑みるに、複数ある隠し扉から塔内部に侵入し、そこを進んで、下まで降りていくのだろう」

「入口は、五つ。俺達と、あと一人。罠の可能性もあるが――――お前らどっちか、…どうだ?」





皆の申し出は嬉しい。胸にジーンと来た。

俺のような、兜にマントの怪しいヤツを誘ってくれるとは、ちょっと優しすぎて、詐欺の心配があるくらいだ。

なの、だが――――



「すまん、断る」

「――――なっ!?」

「え、何で?」

「…理由を聞いても?」



驚くレオリオと、ゴン。キルア少年は、静観している。

問われた理由だが、簡単だ。





「一身上の、都合でな。俺は、“こいつ”と離れる気は無い」

「…ササキさん、」



そう言って、ヨウコ嬢の頭を撫でる。

台詞自体は本気なのだが、その響きは、犯罪的なまでに怪しかった。

…だが、この扉の向こうは、恐らく五人制。試験官がどう判断するのかはわからないが、“制約”を確実に守るため、こんな地味な賭けに乗る気は、無い。

四人には悪いが、原作通りトンパと宜しくやってもらおう。頑張れ。





「…だがよぉ、それだとお前ら、どうやって下まで行くんだ?」

「そうだ。隠し扉の中に、二人で進める道があるのかも、わからないのだぞ?」



レオリオとクラピカの、心配そうな声。

だが、今の俺には勝算がある。



塔の縁、そこから広がる空を指差して、告げる。





「――――無論、あそこから落ちる」

「…ササキさん、」





まだ諦めていなかったんですか、と。

空を指差す俺に向けたヨウコ嬢の瞳は、何よりも雄弁に語っていた。



「落ちる、って…まさか塔の側面をっ!?」

「でも、さっき他の人が―――」

「悪いことは言わねぇ、やめとけ!」

「危険過ぎる。私が言えることではないが、目の前で、みすみすそんなことを…」



他の面々からは、重ねるように捲くし立てられた。

互いの言葉が混ざって、正直何を言っているのかわからない。





そこで、ずっと黙っていたキルア少年が口を開く。



「いいんじゃないの?本人達が納得してんなら、それでも」

「――――キルアッ、どうしてそういうこと言うんだよっ!」

「…何だよ、ゴン。俺、間違ったこと言ったか?」



…落ち着け。

何故目の前でチビッ子共が喧嘩をしているのか、さっぱりわからん。





「大丈夫だ。こう見えても、俺は“硬い”」

「…それは、見たまんまじゃねーか?」

「……マジか」



やはり兜が悪かったのか。このデザインが悪いのか。

頭を振る。



「気遣いは、ありがたくもらっとく。そっちも、頑張れ」



そう言って、軽く手を振って、離れる。

というか、あんまり話し込んでいると、彼らが塔を進むための時間が無くなりそうだ。



「二人も、頑張ってね!」



ゴン少年の声は、俺のささくれ立った心に、響いた。あれが本当の“優しさ”ってやつだ。バファリンとは、含有率が圧倒的に違う。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


下方から吹き上がる風は、けっこう、強い。



「―――本気ですか?」

「ヨウコ嬢、男にはやらねばならない時がある」

「…なんだか、試験始まってから、ササキさんが可愛くないです」



…俺が可愛くてどうする。





塔の縁に立つ、俺とヨウコ嬢。

下では人面鳥がギャアギャアと鳴いている。…風流とは程遠い。



「というか、「念」使えれば“あれ”くらい、楽勝じゃないか?」

「…はぁ、」

「駄目、か?」

「いえ、出来ますけど」



渋るヨウコ嬢は、ひょっとすると高いところが苦手なのかもしれない。



「大丈夫だ、俺……の能力を信じろ」

「それ、あんまりかっこ良くないです、台詞」

「…わかってる」



だが、「俺を信じろ」なんて、冗談でも、言えるわけが無い。

自慢にはならんが、俺はこの世界に於いて、最下層である自信がある。

伊達に“モタリケ”レベルを自称していない。…いや、せっかくの能力が、このヘボイ外套であることを鑑みると、それを下回る可能性も、あるのか。

…鬱だ。





ともかく、“百メートル”の制約を確実に守るためには、この方法が一番だと、俺は思う。多分に感情で突っ走っている気が、しなくもないが。



「それじゃあ危なくなったら、頼む」

「…はぁ、」



情けない台詞だが、事実なのでしょうがない。

小さなヨウコ嬢を抱き上げて、外套で覆う。外に出ているのは、その小さな顔と、手先だけ。…二人羽織?

縁に掛けた足に力を篭めて、



「一番、ササキ カミヒト、落ちまーす…」

「二番、トキワ ヨウコ。地獄の底まで、お供します」



囁くようにボケてみると、何故かヨウコ嬢が乗ってきた。何故だ。ついでに、縁起の悪い台詞は、禁止して欲しい。地獄、とか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


塔の縁を蹴る直前、ヨウコ嬢が“黒の槍”を伸ばす。

思わず足を止めた俺を他所に、一直線に進む「槍」は、一匹(一羽?)の人面鳥を貫いた。



「―――ヨウコ、嬢?」

「ゴー、です」



問いかけると、号令がかかる。

視界の向こうでは、血を巻き散らしながら落下する人面鳥を追って、鳥同士の共食いが起こっていた。

雑食、と言うことだろうか?仲間の死体に群がる姿は、酷く、気分が悪い。





「…エグいぞ」

「必要な措置、ですから」



冷静な声音に、最近の子は怖いな、などと思う。





中空に飛び出すと、背後、塔の上からは、幾人かの人声が聞こえた。

激励か、罵声か。…多分、後者だ。好き好んでこんなルートを通る奴は、馬鹿にしか見えないのだろう。否定はしない。





落下しながら、空中、仲間の死体を食いちぎる、人面鳥達の姿が、近付いてくる。

至近で起こる共食いの光景に、嫌な苦味を覚えた。



「もう一度、いきます」

「……好きにしろ」

「“黒の槍(ブラックスピアー)”」



呟きは麗質。惨劇は醜悪。

こんな小さい女の子の手先から、あんな光景が生まれるという事実。…随分と、納得のいかないものを覚えた。





――――数分後。

どれだけの距離を落下したのかわからないが、軽い衝撃と共に、地面に至る。

所々赤く染まった外套は、黒に紛れて、赤色を隠す。

…けれどその匂いだけは、到底、誤魔化せるものじゃない。



「平気か?」

「はい。ササキさんは、大丈夫ですか?」

「…これくらい出来ないと、この外套の立つ瀬が無いさ」



一応「堅」を行っていたのは、自分への不安から。

見上げた塔は、その頂上を霞ませ、全貌を窺えなくなっていた。



投身自殺の死因は、その大半が、「落下途中のショック死」と聞くが、俺もヨウコ嬢も、少しは逞しくなっているということだろうか。





「受験生――――“念使い”、か」





声が聞こえたのは、その、次の瞬間。

腕の中でヨウコ嬢が身構え、一歩遅れて、俺も数メートル後退る。



そこに居たのは、黒服の男。サングラス付き。無論、顎鬚も完全装備。…漢惚れしそうだ。





「…何処のMIBだ、」

「まさか、このルートを通る奴が居るとは、思わなかった」



渋い声でそう告げる黒服は、俺のツッコミに微塵も揺るがない。少し、寂しい。だがそこがいい。…どっちだ、俺。





「ここを通るのは、駄目なんですか?」



俺の腕の中から問い掛ける、ヨウコ嬢。

それを見て、黒服がピクリと肩を揺らす。…何だ?うちの子は、嫁にはやらんぞ。



「…三次試験の合格条件は“制限時間内に、生きて、下まで降りてくる事”。どこにも、問題は無い」

「そうですか。…良かったですね、ササキさん」

「ああ、」





本当に良かった。

これで不合格、なんてことになったら、どんな目に遭うかわかったものではない。…主に、俺が。ヨウコ嬢の手によって。



「――――付いて来い。後は、塔内で、制限時間までを、好きに過ごしてくれ」

「…どうも、」

「ありがとうございます」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「カタカタカタカタカタ」



MIBに付いて部屋に入ると、随分と小気味いい音を鳴らす生き物が、いた。





「…あれは、何かの病気か?」

「風土病じゃないですか?」

「可哀想に。まだ若いのに…」



この話が当人に聞こえていたらと思うと、緊張の余り、腸が捩じ切れそうになる。





黒服に案内された入口から、塔に入ってみると、そこには既にカタカタさんが居た。隅っこのヒソカは、無視。

顔中に釘(のようなもの)を刺した姿に、見ていて鳥肌がたってくるのは、俺だけだろうか。





「カタカタカタカタカタカタカタ…」



もう少し、落ち着きを持て。…大丈夫なのか、ゾルディック家。



「…じっと見てると、何だか楽しそうに思えてきた」

「ササキさん、落ち着いてください、それって洗脳ですよ」



ヨウコ嬢に軽く揺すられて、正気に戻る。

…ハッ、危ねぇ。

頭を振って、息を吐く。うむ、平常心。

この分だと、カタカタさんは多分、操作系辺りだろう。間違い無い。



一人納得し、ヨウコ嬢の手を引いて壁際へ向かう。



言うまでもないが、希望地は、出来るだけヒソカから離れた位置。

当の本人は、トランプタワー作成に対して変なスイッチが入ったようで。俺達に気付くこともなく塔を組み立てている。…崩したら、どうなるだろう。それは禁断の果実。





頭を振って、ため息一つ。



制限時間までの暇を、どう潰すか。

とりあえず、そんなことを考えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…暇だな」

「暇ですね」



この試験が後何時間かかるのか、現在の経過時間すら、わからない俺に、察する術は無い。

軽い仮眠も、何度か摂った。あとは適当に、残った時間を潰すだけ。



カタカタ鳴いている釘男は寝る前からそのままだし、ヒソカに至っては、俺達のことなんかアウトオブ眼中。トランプで塔を作っては壊すという、非常に暗い遊びを延々と行っていて、とても楽しそうだ。…頼むから、病院へ行け。

その他、いつの間にか増えていた一般受験生達は、正直どうでもよかった。





「暇ですね」

「暇だな」

「ササキさん、何かお話して下さい」

「…ありえねぇ」



それは、どういう思考の結果なんだ。

どういった酔狂かは知らんが、俺に、面白い話でも期待しているのか。

――――断言しよう、無理だ。

にっこりと無言で首を振る俺に、ヨウコ嬢はただじっと視線を向けている。



「…無理だって」

「でも、聞きたいです」

「……ありえねぇ」



ため息をつく。首を振る。

このままだと、いつか振り過ぎで首が取れるかもしれない。望むところだ。





「…何でも、いいのなら」

「何でも良いです」



即答するヨウコ嬢。

なんだかいいように使われている気がするのは、多分俺の気のせいだろう。



僅かに天井を見上げて、“話”というものを考える。

何でも良いとは言われたが、何を話せばいいのかわからない。

注文が無いというのは、逆に難しい。



首を振って、頭を下げる。視線の先には、ただの壁。





「「三匹の子豚」でいいか」



子供といえば、童話だ。



「…私、子供じゃありません」

「何でもいいって、言っただろう…」



俺のチョイスは、最近の少年少女には、好まれないものらしい。贅沢言うなよ。



ため息をつく。

幸せが逃げていくのが、目に見えるようだ。



「――――俺、あの話けっこう好きだったんだよ」

「三匹の子豚が、ですか?」

「ああ。…狼に追われて、それでも、逃げ込める――――信じられる場所があるって話しだろ、あれ」

「…何だか、少し違う気もしますが」

「えっ、そうなのか?」



小さく頷くヨウコ嬢に、俺は首を傾げた。

…俺はずっと“そう”なのだと思っていたが。

俺がおかしいのか、ヨウコ嬢がおかしいのか。……俺だ。間違いない。



どうでもいい結論を得て、話を続ける。



「あれって、最後の煉瓦の家が壊れたら、どうなるんだろうな」

「さぁ、童話ですから」



随分と夢の無いことを言うヨウコ嬢。

ほんの少しだけ笑って、続ける。



「俺は、“煉瓦の家は絶対に破られないんだ”、って信じてた」

「ササキさんらしいですね」

「…どういう意味だ」

「いえ、お気になさらず」



馬鹿にされたような気もしたが、しょうがない。

大の男が、小さな少女に向かって、童話の話を真面目に話すのだ。自分の意見も、交えて。

それは、少し恥ずかしいと思う。…そう考えるのは、俺だけだろうか。



「ハッピーエンドってのは、いいものだと思うよ、俺は」

「…そう、ですね」

「逃げ込んで、救われて、皆で笑って…おしまい。やっぱり好きだな、あの話は」





ついさっき“恥ずかしい”なんて考えて、それでも止まらない俺は、本当に、どうしようもない。

ヨウコ嬢に話したい気分になって、それがそのまま、今の行動に直結している。

考えなしの自分は嫌いだが、それをちゃんと聞いてくれるこの少女は、好きだな、と思う。





…違う、“そういう”意味じゃない。俺は、“そんな”趣味じゃないぞ!?





焦る。

自分の思考で、自分の首を絞めてしまった。最悪だ。



「ササキさん…、」

「何でモなイ、」



動揺は、声にも表れる。最悪だ。

なんということだろう、俺は、本当に“そっち”の国の住人だったのか?

感情直結型の俺は、だからこそ、感情だけは、自分に嘘を付かない。ということは、つまり、結論としては――――





「ありえねぇ、落ち着け。俺は、ノーマル。はい、復唱。俺は、ノーマル…」



ぶつぶつと呟く俺は、凄まじく可哀想な人だったろう。



気付けば、三次試験の終了時間が、迫っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――このクジで決定するのは、“狩る者”と、“狩られる者”」



四次試験の内容は、文字通りの「HUNTER×HUNTER」。

…これって、作者の洒落なのだろうか。



考え込む俺を他所に、くじ引きが始まる。





「…53番って、誰だ」



引いたクジの番号は、「53」。

自分の番号すら、プレートを仕舞って以来、見ていないのに。他の受験生の番号なんて、わかる筈もなかった。

ため息を付いて、ヨウコ嬢を振り仰ぐ。



…我が知恵袋よ、すまん。決して「便利な女」だなんて思っていないが、わからないんだから仕方が無いんだ。わかってくれ。



「――――53番は、“ポックル”ですよ、多分」

「ぽっくる?」



誰だよ。





「…ああ、“王さま”か、」



暫く考え込み、ようやく思い出す。





しかし、そんな俺の呟きに、ヨウコ嬢は首を傾げた。



「何ですか、“王様”って」

「…ん。あれだ、キメラアント編。あいつ、食べられて蟻の王さまになったろ?」

「え、あれってポックルだったんですかっ?」

「…違うのか?」



…おかしい。俺はてっきりそうだと思っていたんだが、勘違いか?実は電波だったのか?

訝しむ俺を見て、ヨウコ嬢はキッパリと言い放った。





「だって、王様って、ポックルより全然かっこいいじゃないですか」





――――ヨウコ嬢の意見は、ちょっと、酷過ぎた。





…嫌いじゃないんだがな、ポックル。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ほら、ヨウコ嬢。番号札、」

「ありがとうございます」



そうして、再びの飛行船内。



ずっと仕舞っておいたプレートを渡す。

本当はずっと俺が持っていてもいいのだが、試験終了後に点数を計算するため、今の内から渡しておこうと思ったのだ。面倒だし。

…ところで、今までの試験官達は、俺達の番号をわかっていたんだろうか?

疑問だ。プレート配布係のマメ頭から、ちゃんと報告があったのかもしれない。



「407番、ですか」

「…それだったろう?お前の番号」

「はい。預ける前は確かにこれでした」



「ですが…」、と口篭もったヨウコ嬢。

首を傾げる俺に、顔を上げて、小さな口を開く。



「あの、ササキさんの番号って、いくつですか…?」

「406番だ」

「…はぁ、」



…何だ。

更に首を傾げる。

相変わらず、ヨウコ嬢は要点を話さない、と思う。

生憎、俺は察しの良い人間ではない。むしろ鈍い。なので、こういった状況は、正直気分が悪い。



首を傾けたまま凝視する俺に、ヨウコ嬢が、冴えない声をあげる。





「私のターゲット、ササキさんです」





軽く不機嫌な俺に告げられたのは、なんともデンジャラスな答え。

俺を見上げるヨウコ嬢は、少しだけ困ったような顔で、俺を見つめてくる。





――――俺は、戦慄した。





「…狩る気か、」

「やりませんっ!」

「あれ?」

「…もぅ。そんなこと、するわけないじゃないですかっ」



俺は大きく息を吐く。

…正直、焦った。

ヨウコ嬢と俺が戦えば、間違いなく俺が負ける。というか、勝負にならん。

例え外套を脱いで戦闘可能になったとしても、「念」の修行暦に数ヶ月の差があったとしても、彼女には、勝てる気がしない。



…ついでに言うなら、“戦える”気も、しないのだが。





「プレート、少し、無駄に取らないといけませんね」

「…すまん」



ため息をつくヨウコ嬢に、謝る。

直接の責は無いが、一応の“パートナー”である俺がターゲットであるという状況が、ヨウコ嬢の邪魔になったのは、確か。



「大した手間じゃないですよ。それより、どうするんですか、ポックル…」

「無論、――――狩る」

「ですよね」



ヨウコ嬢が何を心配しているのかは謎だが、あのターバン小僧には、平和的に、落第してもらおう。

受験理由は“偶然”だが、俺だって、貰えるものなら、ハンター証が欲しい。

そして、適当に売り払って、もう少し贅沢をしてみるのも、いいかもしれない。

…駄目だろうか。ヨウコ嬢、怒るかな。





そんな俺の思考を他所に、飛行船は、四次試験会場へと着陸していく。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


俺の出発は、三番目。

一番、二番がピエロとカタカタさんで、次が俺。トリックタワー攻略の順らしい。

最も時間をかけない筈の落下ルートを通った(あれを“通った”と呼べるのかは微妙だが)俺達が三着目だった理由は、単純に、落下決行の、結論を出すまでにかかった時間のせい。



二人の怪しい生き物が、森へと消え、俺もその後に続くように、ゼビル島内へと、踏み入った。





――――次に来るのは、落下当時に俺が抱えていた、ヨウコ嬢。

制約を破らないよう、ほんの少しだけ進んだ後は、その場で立ち尽くして、彼女を待つ。





「ササキさん」

「来たか、」





待った時間は、本当に僅か。

近寄ってくるヨウコ嬢の手を握って、とりあえずの方策を考える。



「――――で、具体的にどうする?」

「ここで「絶」でもして待っていれば、沢山の獲物が、自分から来てくれるんじゃないですか?」

「……成程」



すげぇ腹黒い答えが返ってきた。人型のゴキブリホイホイみたいだ。或いは、虎バサミ。



…いや、俺が言うべきことでは無いのだろうが、なんというか、ヨウコ嬢ってこういう子だっただろうか、と。そんなことを考えるわけだ。俺は、一体どこで、この子の育て方を間違ったのか。



「まぁ、いいか。とりあえずポックルを狩って、あとは適当に見繕うぞ」

「ササキさん、その台詞、ちょっと犯罪者っぽいです」

「…ありえねぇ」



口とは裏腹に、内心では少し、同意してしまった。通り魔っぽい。





俺の思考はさておいて、「絶」を行い、二人で草むらに隠れ潜む。

少女と二人、手を繋いで草むらに座り込むというシチュエーションに、若干の疑問を抱きつつ。じっと息を殺しながら、通りかかる受験生を待つ。

…獲物の待ち伏せとか、マジで犯罪者じゃないか?

ヨウコ嬢と繋いだ手からは、別種の犯罪臭が漂っている。



「ササキさん、来ました」



隣から届く、小さな声。

「絶」によって限りなく薄くなった互いの気配は、繋がれた手のお陰で、なんとか感じ取れている。



顔を草の合間から覗かせると、そこにいたのは、なんというか…地味な男だった。



「誰だよ、あの少林寺フェイス」

「訴えられますよ、ササキさん」

「…すまん」



俺は、てっきりハンゾーとか、その辺りが来るかと思ったのだが。

…別の道を進んだのか?

スタート地点からここまで、大した距離は無いはずだが。



「ふふふ、ちょろそうなツラです」

「…ヨウコ嬢、キャラが変わっているぞ」



本当に、何があったんだ。

…ヒソカか。あのピエロ野郎が、お前をそんな子にしてしまったのか。





「それじゃあ、行きますね」

「無理、するなよ」

「…平気です。私、念使いですから」



それはわかっているのだが、それでも心配になるのは、感情的な俺の気質か、ヘタレ根性のせいなのか。





飛び出す刹那、ガサリと音をたてた草花に、受験生が反応する。

けれど、ヨウコ嬢がそんなものを、気にするはずもなく。男が振り向いた瞬間には、その小さな掌が、男の腹部に叩きつけられていた。



吹き飛ぶ受験生。数メートルの距離を滑空し、一本の大木に当たって、そのまま動かなくなる。…大丈夫か、あいつ。



「…しかし、見事過ぎて、劣等感を感じるなぁ」



そんな自分が、情けなくもある。





ともかく、これでヨウコ嬢の分は、四点。

自身のプレートが三点、ターゲット以外のプレートが、一点、計四点。多分。





意気揚々と戻ってくるヨウコ嬢と、再び手を繋ぐ。



「しかし、ポックル、探さないといけないのか…」



そう呟いて、俺は、深い、ため息をついた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「絶」を維持したまま、手を繋いで二人、森を歩く。

途中で見つけた受験生を、もう一人狩って、ヨウコ嬢のプレートは、計五点。あと一枚で合格だ。



「ササキさんも、ポックル、諦めた方が、早くありませんか?」

「…かもな」



その提案は、随分と魅力的だ。

けれど、つまりはその分のプレートを、“ヨウコ嬢が”狩るということで。





「…俺、外套脱いだ方がいいか?」

「駄目です」

「何でだよ」

「それは既に、ササキさんのチャームポイントですよ」



…それは一体、どういう魅力だ。

真っ黒な外套に兜の男―――外見からは性別年齢一切不詳―――の、どこに魅力を感じるというのか。どういったフェチシズムが働けば、こんな俺が、魅力的に思われるのだろう。…謎だ。



首を捻る。



「…まぁ、いい。とりあえずポックルだ、ポックル」

「そうですね、ポックルです」



ポックルポックル鳴きながら歩く俺達は、「絶」のために、一般受験生からは知覚し辛いわけで。

このままいけば、受験生の間で、「怪奇・森に響く、謎の鳴声!!」とかいう怪談が出来上がりそうだと、そんな期待を抱きたい。



「発見です」

「マジか!?」



言われて、ヨウコ嬢の視線の先を辿ると―――――ゴン少年が、居た。





「何だ、ハズレか」

「でも、これで私の点数は合格ラインです」

「…ちょっと待て、ヨウコ嬢。よく見ろ、ゴンだぞ、ゴン」

「? ええ、ゴンですよ?」



疑問符を返されて、首を傾げる。ヨウコ嬢も、同じく傾げる。

…おかしい。何かおかしい。



「ヨウコ嬢」

「何ですか?」

「ゴン、だよな?」

「ゴンですね」

「いや。…ゴンを、狩るのか?」

「え、狩らないんですかっ?」



すごく不思議そうに訊き返された。目がまん丸だ。可愛い。…違う、落ち着け。

…なんだ、この反応は。俺がおかしいのか?

焦る。何故か分からないが、焦って、言い募る。



「待て。駄目だろう、ヨウコ嬢。ゴンだぞ、ゴン。主人公だ。恐れ多い」

「でも、同じ受験生です。つまりは、サーチ・アンド・デストロイじゃないですか」



サラリと返されて、言葉に詰まる。

何故、ヨウコ嬢が強硬し、俺が必死にゴンを守る、という構図が出来上がっているのか。そして、何故、よりによって“デストロイ”なのか。

兜の中で、だらだらと大量の脂汗を流す。

…おかしい。この状況はおかしい。ヨウコ嬢の発想もおかしいし、俺が慌てる展開も、充分おかしい。いとをかし。…違う。黙れ。





混乱したまま、口を突いて出たのは、冷静に考えると、恥ずかしい台詞だった。





「――――友達、じゃないのか?」

「えっ?」



ヨウコ嬢の目が再び、丸くなる。

それを見て、俺は「あれ?何で不思議そうなの?」などと考えていた。



「あっ、そういう、ことですかぁ…」

「…どういうことだ」



ヨウコ嬢は、なにやら納得したようだ。俺は未だにわけがわからん。

顎に手を当て、ふむふむと頷き、俺の方を振り仰ぐ。





「わかりました、見逃しちゃいます」

「ああ。…え、あれ?」



…待て。何で俺が許しを貰っているんだ。





「じゃあ、無視して行きましょうか」

「…ああ」



手を引っ張られ、ヨウコ嬢の後に続く。

視界の端にいるゴン少年は、川に向けて、一心に釣竿を振るっていた。



「ササキさん」

「…何だ?」

「“貸し”、一個ですね」



突然呼びかけられて、小さな微笑と共に、そんなことを言われる。

…どういう、ことなのだろうか。



俺は首を傾げながら、ヨウコ嬢に引き摺られていく。





――――女性は、対岸の存在。

そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「いませんねー」

「いないなぁ」



ポックルが見つからないまま、空はもう暗くなっていた。



周囲には他の受験生はいない。

「円」を使う限り、半径十メートル内には、誰もいない。

ヨウコ嬢が、「受験生には監視員がいる」と言っていたが、俺の実力では、そんな人間など確認できない。「円」は、得意なつもりなんだが。…まだ、範囲が狭いのだろうか。



頭を振る。



「今日は、野宿ですね」

「…すまん。というか、この試験中、ずっと野宿だ」

「……いえ。平気、です。ええ、」



…平気には見えない。

俺だって、風呂に入りたい。枕無しには、寝ることも出来ない。





岩の壁面に背中を預け、俺の外套の中、ヨウコ嬢を包む。



…落ち着け、俺。



最近は鳴りを潜めていた、俺の、目覚めつつある新たな特殊性癖が、ヨウコ嬢の体温で刺激されている。

というか、ヨウコ嬢も嫌がって欲しい。…いや、別に嫌がるリアクションに興奮するとか、そんな高校の元クラスメイトのような趣味は、俺には無いのだが。…あいつ、元気かな。“お縄”になってたり、しないだろうか。





ホゥホゥと、暗い世界に、鳥の鳴声が響いていた。



「ササキさん」

「…何ダ、」



声が上擦ったのは、ぎりぎり見逃して欲しい。俺だって、いっぱいいっぱいなんだ。まさか自分に、そんな素質があったなんて、“此処”に来るまでは、思いもしなかった――――





「何か、話、してください」

「…またか」



…ありえん。

トリックタワーでも話をしたが、途中から、勝手なことばかりを話していた記憶しかない。

“あれ”が面白かったというのなら、ヨウコ嬢は随分と…個性的だ。





「何でもいいです。例えば、ササキさんは、いつ「念」を覚えたんですか?」

「いつ、って…」



それは、当然、“此処”に来て――――





「あれ?」





思い出す。

確か、近くの森まで花を摘みに行ってくれ、と店長に言われて、そこで――――違う。

道を歩いていて、ダンプカーが突っ込んで――――“黒の城砦”のお陰で、無事だった。

じゃあ、もっと遡って、そこら中の、店という店の扉を叩き、雇ってくれと頼み込み、「そんな怪しい格好の奴を雇えるか」、なんて―――――…落ち着け。





「……あ、れっ?」

「ササキさん?」

「“いつ”だ――――?」





『俺は、念に目覚めると同時にファンタジックな外套を具現化してしまった、系統知らずのバカヤロウで――――』



何かが違う。

違わない筈なのに、違和感を抱く。



『ファンタジー好きな自分の脳に、悪態をつく。全身を守るように包み込む、黒のローブ。そのデザインは俺の好みだが、決して俺の望みでは無かった』



違わない。「念」は、自身のイメージから作られる。俺の嗜好に沿って、この外套は織られた筈。

視界が赤い。どろどろとした肉液の色が、眼球に染み込んでいく。





――――俺は、いつ「念」に目覚めて、いつ“黒の城砦・白の城壁”という能力を生み出した?





思い出す。



クラスメイト。押しの弱いあいつと、眼鏡をかけたあいつと、馴れ馴れしいあいつと、妙に近寄ってくるあいつと――――

街の人達。“此処”に来て出会った、店長、近所の子供、おばさん、ヨウコ嬢――――

家族。優しくて気の弱い母さんと、ゲームばかりの兄さんと、遊んでばかりの兄さんと、大嫌いな父親と―――――





「ササキさんっ!!」

「―――――ん、」





顔を掴まれて、視界が戻る。

キスをしそうなくらい間近にある、ヨウコ嬢の顔。

青い瞳が、俺の目の前。暗闇の中、透き通るその色に、内から染み出していた“赤”が、流れていく。



「…あ、りえねぇっ」



頭が痛い。頭蓋に皹がはいったのかと、そう思うほどに。





「ササキさん」





少女の強い、声。俺を叱りつけるような響きは、何故か心地よく感じる。

俺の腹上。馬乗りになったヨウコ嬢が、優しく、頬を撫ぜる。黒い「兜」は、いつの間にか外されていた。



頬に当たる柔らかな感触が、俺の動悸を、鎮めてくれる。



「眠りましょう。夜更かしは、駄目です」

「…ああ」



頷きながらも、俺の心は、脳に刻まれた記憶を反芻していた。





“以前の世界”の記憶は、はっきりとしている。

“此処”の記憶も、はっきりしている。





けれど、その境界が見えてこない。





“この世界”と、その始まり。雑踏の中で目を覚ました俺は、“既に黒の外套を纏っていた”。

雇ってくれる店を駆けずり回る俺は、とっくに守りを固めていた――――何のために?





――――わからない。俺が能力に目覚めたのは、いつだ。俺の知らない、二つの世界の、“境界”は、いつだ。





優しく触れる、両の掌。

伝わる熱は、いつかのように、とても温かく、離し難い。

吐き出した息は、酷い熱気が篭っていた。酷く不快なそれに、吐き気だけを感じている。



星空の下で、ヨウコ嬢を抱きしめながら、ヨウコ嬢に抱きしめられながら、目を閉じた。

擦り付けられる柔らかな頬に、目頭が熱を零す。





疑問、疑問、疑問。

頭も心も胸の内も。全てがソレに埋め尽くされて、触れ合う熱だけが、俺の意識を冷ましてくれる。

それはとても暖かく、溶けるように沁み込んで。



なのに、





―――――何で俺は、泣いているんだろうか?



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


朝日の眩しさに、目蓋を抉じ開ける。

胸にかかる重みに首を動かすと、仰向けに寝ている俺の上――――ヨウコ嬢が、小さく丸まっていた。…猫か。



動いて起こすわけにもいかないと思い、首だけを巡らせて周囲を確認する。



見る限り、近くに誰かがいるようには見えない。

「円」を広げても、小さな獣くらいしか認識できない。

…無防備に寝たのは、随分と無警戒だったが、二人共が無事だと言う事は、運が、良かったのだろうか。





「…ん、」





胸元からの声に、視線を向ける。

薄く目を開けたヨウコ嬢は、呆とした目で俺の顔を見つめ、一度強く目を瞑って、開く。

開かれた目は、いつもの彼女のもの。





「おはようございます、ササキさん」

「おはよう…」



開いた俺の口からは、嗄れたような声が、漏れた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ポックル、どこに居るかな」

「そうですね…」



…というか、腹が減った。

俺はともかく、ヨウコ嬢はさぞ辛かろう。早急に食料を確保せねば。



「…川に行こうか」

「川、ですか?」

「ゴンがいる。魚が食べたい。あいつに、釣って貰おう」

「…はぁ、」



小さなため息。

それでも、反対する気は無いのか、ヨウコ嬢は大人しくついてくる。





――――頭が痛い。



繋いでいない左手で、米神の辺りを揉み解す。

昨夜以来、時折じわりと、染み込むような痛みを感じる。

一体、何が“タブー”に触れたのか。……“タブー”?



軽く、頭を振る。



突然浮かんだ“禁忌”という言葉に、何故か、笑いが込み上げた。

…そんなもの、俺には無い。憶えが無い。

今の俺はおかしい。「念」に目覚めた、当時の記憶が曖昧だからと、何を、難しく考えているのか。



「…ササキさん?」

「平気だ」



心配そうな声音に、出来るだけ、柔らかく返した。





そんなことが何の役に立つのか、俺には、全くわからないのだけど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


川に向かったが、ゴンはいなかった。





「…ありえねぇ」



やはり、楽をしようなんて、虫のいい話だったか。

頭を軽く振って、川の中を覗き込むと、沢山の魚が、元気に泳いでいるのが見えた。



「ヨウコ嬢、捕れるか?これ」

「…はぁ、多分、出来ますけど」

「じゃあ、ここで朝飯にしよう。流石に、腹が減った」

「わかりました」



そう言って、ヨウコ嬢は、川に向けて左手を翳す。

掌に集まるオーラが黒ずんでいく様子は、何だか、悪役っぽい。





「…はぁ、」





目の前のヨウコ嬢を見ながら、聞こえないように、小さなため息をつく。



最近、不安定だ。心も、身体も。

ヨウコ嬢とのこと、ヒソカとの戦闘による恐怖感、嫌な感覚を覚える“血”、よくわからない…俺自身の記憶。

そのどれもが、望むように進まなくて、一つたりとも、俺には理解出来ていない。





思い浮かぶのは、「煉瓦の家」。





逃げられるのなら、逃げてしまいたい。

立て篭もれるなら、篭ってしまいたい。

逃げて、篭って、吹き飛ばされて。

崩れた煉瓦の、瓦礫の中から覗くのは、血走った、狼の瞳。俺を食べてしまう、終りの灯り。



乾いた唇から、微かに、笑い声が漏れる。



こんな状況で思い付くものが、童話の一節とは。しかも、何故か、BAD END。…ありえねぇ。

俺は自分で思うより、ずっと、“子供”だったらしい。





「ササキさーん」



声に、顔を上げた。

視線の先には、“黒の槍”の先端に、数匹の魚を突き刺した、ヨウコ嬢。ダンゴ三兄弟を思い出す。



「…獲れたのか」

「はいっ」



元気な返事は、少しだけ、俺の心を軽くする。





こんな時間が、ずっと続けばいい――――





そんな思考は、どこから生まれたのか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…生焼けだ」

「…こっちは、苦い、です」



素人が慣れない調理法を試せば、結果としては、こんなものだろう。

俺は、一口だけ齧った魚を、再び、焚き火の傍へと突き刺した。

ヨウコ嬢は、苦いと言いながらも、手に持った魚を食べ続けている。…やめろ、健康に悪いぞ。



やる事のなくなった俺は、じっと、焚き火の、揺れる炎を見つめる。

何が見えるわけでもないが、こういった不定形に動くものを目にすると、意味も無く注視してしまうものだ。…俺だけ、だろうか。





「ササキさん」

「…何だ、」



呆けていると、魚を持ったままのヨウコ嬢が、名前を呼んだ。

顔を向けると、弱気な表情が、そこにあった。



「―――何を、悩んでいるんですか?」

「…………」



返せたのは、長い、沈黙。





お前が遠因だ、とか。

血を見ると変な感覚を覚えるんだ、とか。

記憶障害が、とか。

ピエロはもう二度と見たくない、サーカスなんか絶対却下、とか。



…そんなこと、どう言えばいいのか。

彼女に無駄な心配をかけるだけだし、どれも、何とかならない類の問題ではない。

ヨウコ嬢のことは、…何とかしよう。俺が、頑張って面倒を見ればいい。その“失効期限”が、いつなのかは、わからないけれど。

血を見て変な感触を覚えるのは、ただの生理的な嫌悪感である可能性もあるし、そもそも、日常的に見るものでもない。

記憶障害は、これからも“此処”で生きるのだから、問題なんて、有り得ない。“どうやって此処に来たか”なんて、今更、どうでもいいことだ。

念能力は、…どうしようか。





「――――大丈夫、平気だ」

「……はぁ、」



そう言って、俺は多分、笑えた。多分、だが。





考え込む傍ら、焚き火に炙られた魚が、真っ黒に焦げていたのには、気付かなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「いましたっ」

「よし、ヨウコ嬢、君に決めた!」

「…なんですか、それ?」

「知らないのかっ!?」



驚愕した。





――――視線の先、草と倒木の組み合わさった、天然の城砦。…いや、少し、表現が大仰過ぎた。“櫓”で充分だ。

ともかく、色々なものがゴチャゴチャと積み重なったそこに、僕らのポックルが、居た。居ました。



「行きますっ」

「うむ、苦しゅうない」

「…………ササキさん?」

「…すまん」



冷たい視線に射竦められて、俺は深々と頭を下げる。調子に乗りすぎた。





――――瞬間、不吉なイメージが、脳裏を駆け巡る。



完全に“ヒモ”な、俺。

駄目男を養う健気な少女、ヨウコ嬢。

…泣けてくる。かなり、本気で。



そんな未来予想図が現実にならないよう、俺は、もう少し頑張らないと、駄目だ。





「…行きます」

「いってらっしゃいませ、ヨウコ嬢」

「よろしい、」



お辞儀の角度は、しっかり九十度。礼節は大事だ。命がかかってるから。

右手から“白の剣”を伸ばすヨウコ嬢。

接近戦か、と心配する俺は、ただ黙って見ているしかない。…有事の際、すぐさま彼女の壁になれるよう、両足のオーラは、常に最大限。けれどそれしか出来ないのも、情けなく思う。





「――――あれ。お前ら、何してんの?」





声を聞いたのは、ヨウコ嬢が足を踏み出す、瞬間。

俺の、すぐ背後からの、声。

「円」を習慣化するまでに至っていない自分に、悪態をついて、背後に向き直る。





「…俺、今度は何もしてないんだけど」

「――――キルア少年、か?」



気が付けば、俺の目前に、ヨウコ嬢。

彼女を挟んで、その先に居たのは、キルア少年だった。





「…ちっ、」

「おい待てトキワ。お前今、舌打ちしたろ?」

「気のせいじゃないですか?そんなこと気にするなんて、お尻の穴…小さいんですね、キルア」

「誰が尻の話をしたよっ!」



敵じゃなかった、と安心した俺を他所に。

突然言い合いを始める二人を見て、俺は戸惑う。…仲、悪いのか、こいつら?



「落ち着け、二人共」

「……はい」

「おいおっさん、俺は悪くないだろ?先に仕掛けてきたの、そっちだし」





…おっさん。





「――――“狩る”か」

「―――短い付き合いでしたね、キルア。あなたの懸賞金は、しっかりと、頂いておきます」



俺の中の“何か”が傷つく音が、確かに聞こえた。故に、俺の判断は、間違っていない。

相対するキルアは、俺達の様子に、身構える。



「…何だよ、やる気か?」

「五月蝿い。俺は今とても傷ついた。まさか自分が、たった一言でここまで傷つくなんて、産まれた時には思いもしなかったくらいだ」

「ササキさん、生後数分の記憶、あるんですか?」

「無い」

「…ササキさん。少し、落ち着いて下さい」

「……すまん、」



ヨウコ嬢に宥められて、ようやく落ち着く。

宥めた当人は、未だに「剣」を消さず、やる気満々に見えるのだが。…きっと、気のせいだ。



キルア少年は、じっとこちらを見ている。互いの距離は、先程と変わらない。

戦えば、「念」による耐久力の関係上、恐らく、俺達が勝つだろう。けれど、それでは色々と不都合が―――――無い、か…?





「…最終で、落ちるんだったか」

「はい。反則です」

「――――? 何の話だよ、」



零れた呟きは、ヨウコ嬢に肯定される。聞き届けたキルア少年は、訝しげな顔。





四次試験で落としておけば、後々の試験、彼に殺人を犯させるということも、無い。

どうせ彼は、“来年”合格するのだ。落ちるか否かも、大して意味が無い。

だったら、ここで落としておいた方が、“兄貴”に揺さぶられることも無く、キルア少年にとっても……いや、それを乗り越えたから、ゴン少年との友情が…違う、どちらにしろ、俺程度が考えようと考えまいと、あの二人なら―――――…?





「――――ササキさん、」



深みに嵌り掛けた俺の思考を、ヨウコ嬢の声が押し留める。



「他人の運命に、ササキさんが責任持つ必要、無いです」

「…そう、だが」



俺の思考は、無駄か、役立たずか、気の揉み過ぎか。…それって、どれも駄目じゃないか?





「…で、やるの?やらないの? やらないなら俺、もう行くけど」

「あー…、お前、プレート、揃ったのか…?」

「ああ、楽勝過ぎて、正直つまんなかったね」



キルア少年の獲物は、“イモリ三兄弟”、だった筈。変な名前だ。

四次試験のタイムスケジュールはさっぱりだが、随分と、早い展開だと思う。





「キルア」

「…何だよ、トキワ」





何気ない、ヨウコ嬢の呼びかけ。

オーラは通常通り(俺より洗練されている気もするが)、声音もいつも通り(俺の声とは違って、綺麗なものだが)。

なのに、キルア少年が身構えるのは――――…そういえば、少し揉めたことがあったな、と。ようやく、自分が死に掛けたことを思い出す。他の懸案事項の方が、比重が大きかったため、つい、忘れていた。

思い出すと、少し、足が震える。





勝手に忘れて、思い出して。

震える俺を置いて、少年少女は、ちょっと予想外な展開を見せていた。





「この前は、ごめんなさい」

「――――別に。俺も、…悪かったよ」



…微笑ましい。

そんなことを思った俺だが、目前の幻想は、たやすく打ち砕かれる。



「ええ、凄く、悪かった。最悪ね」

「て、めぇ…、」



…落ち着けヨウコ嬢。煽ってどうする。キルア少年も、ほら、クール、クール。

何故この場で焦っているのが、俺だけなのか。疑問過ぎる。





「あの時も言いましたが、“次は無い”ですよ、キルア」

「わかってる、っつってんだろ?しつこいぜ、お前」



苦々しげな声。

言って、キルア少年は、大きく息を吐いた。でかいため息だ。ストレス溜まってそうで、親近感が湧く。

一拍の間を置いたキルア少年が、ヨウコ嬢に視線を向けて、口を開く。





「―――ああ、何で俺が、お前のこと気に食わないか、わかった」

「…私のこと?」



…ていうか、気に入らなかったのかよ。

こんなにいい子を? ありえない。





「トキワ、お前さ、――――俺のお袋に、そっくりだよ」

「不服です」





ヨウコ嬢、即答。

ゾルディック・ママ――――あのバイザーの人か。包帯の。名前は知らない。

言葉とは別の箇所に納得する俺、顔を顰めるヨウコ嬢、それを見てニヤリと笑うキルア少年。



「なんつーの? 価値観が全っ然合わないとことか、さ」



最初は、俺の“同類”と思ったんだけどなー、と。

そんなことをのたまうキルア少年。…ゾルディック家ホープは、目が腐っているのかもしれない。心配だ。



顔を顰めたままのヨウコ嬢は、小さく、言葉を零す。



「…同属嫌悪、ですね」

「ありえん、」



ヨウコ嬢の呟きも、俺には、納得出来ない。

言い方は悪辣だが、笑って人を殺せるキルア少年と、優しげなヨウコ嬢に、共通点が見当たらない。何でこの二人は、当然のように会話を成立させているのか、俺にはさっぱり、わからなかった。

一応の大人である俺より、子供である二人の方が賢い雰囲気を醸し出しているのは、何故だろう。





「まぁいいや。じゃあ、俺は行くぜ」

「……ああ、」

「さよなら」



話は終わったと、背を向けるキルア少年に、俺は、それを止めるべきなのかどうか、迷っていた。



「ササキさん?」

「………見逃す。駄目か?」

「いえ」





俺の決断は、恐らく“原作”通り、“ボドロ”を殺す。



“ここ”で食い止めず、“その瞬間”に止められる保証も無く。

俺は今、紛れも無く、“人を殺した”。





「ありえねぇ、な…っ」





軋む心は、毒を生む。

それは際限なく、俺自身を蝕んで。



自身の感情が、言っていた。





――――“腰抜け”が、と。





[2117] Re[2]:雨迷子~常葉葉子の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:43


第三次試験・トリックタワー。

合格条件は、「制限時間七十二時間以内に、生きて、下まで降りる」こと。





筋肉質の男の人が、自慢げに、塔の外壁を伝って、降りていく。

その場面から、ササキさんは、目を逸らす。

…弱い人。人の死ぬ光景を見たくなくて―――それなのに、止めるだけの勇気も持てない。



数分の後に、叫びと、ゲップのような奇怪な声と、咀嚼音が聞こえてきた。



肩を揺らしたササキさんが、一体何に脅えているのか、私にはわからない。

わからないから、わからないなりに、ササキさんの掌を両手で包んで、温めた。

そんな浅い気遣い、鈍感なこの人には、届かないのだろうけれど。





「――――どうします?」



問いかけたのは、それから更に数分後。

落ち着いた様子を見せるササキさんに、これからの指針を尋ねようと思ったのだ。

ササキさんは一応、私の、“保護者”だから。





「――――落ちるか」





けれど、そんな返答は、予想していなかったわけで。




個々に隠し扉を見つけなければならない、三次試験。

その事実を思い出し、子供の我儘でハンター試験を受けようなどと奮起した自身の不明を恥じていたというのに、この返答。

…大雑把過ぎる。実は、放出系ではなかろうか、この人。



「…ハンター証貰ったら、病院、行きましょうね?」



だから、こんな可愛くない事を言うのも、落ち着く時間が欲しかったから。

言葉の内に秘められた本気は、二割五分くらい。…あれ、けっこう多い。





確かに“黒の城砦”ならば、この高度からの落下も、安全かもしれない。

けれど、私は不安なのだ。

ササキさんの能力は、おかしい。はっきりと、“役立たず”と言ってもいい。

不慮の交通事故などならば、奇跡の生還を果たせるだろう。でも、この世界では、殺人よりも、事故の方が少ない気もする。

何を考えて、こんな能力と条件を作り出したのか、とても、不思議。



――――あなたの能力に任せるのは、不安です。



そう言えたなら、どれほどの快感…もとい、楽だろうか。





「けど、“離れられない”だろう」



言い募るササキさんは、自分の能力に、疑問を持たないのだろうか。





「しっかりと抱き締めてもらえれば、一緒に落ちることも出来ます」





密かな希望を胸に。

私の提案は、ササキさんの愚鈍さによって、敢え無く撃墜された。

…鈍感。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんは、自身の落下案に、随分とご執心の様子。

ゴン達の誘いに対して、ササキさんが、私を理由に断ったのは、嬉しいと同時に、少し複雑。

…“だし”に使われた、という気がする。



完全に、考えすぎなのだけど。





「…本気ですか?」

「ヨウコ嬢、男にはやらねばならない時がある」



そんなに、高いところが、好きなのだろうか。



「…なんだか、試験始まってから、ササキさんが可愛くないです」



呟きは、結構、本音混じり。

原因は私で、ついでにヒソカ。けれど試験開始以来、ササキさんはどこか、変。

斑があるというか、どこか、挙動不審に見える。

結果、いつもより、私の恍惚イベントの発生が、散発的。



「駄目、か?」

「…いえ、出来ますけど」



…二人きりの時は、普通なのに。





ササキさんの着る“黒の城砦”。

その兜に刻まれた切り傷が、残されたままなのは、何故だろう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


落下に当たり、近場の人面鳥を殺害、“撒き餌”にする。

うまくいくかどうか、半ば賭けに近いけれど、奴らは予想通り、雑食だった。



喰い散らかされる鳥の身体。醜く歪んだ、胎児のような顔が、仲間の身体を貪っていく。

それらを見たササキさんが、顔を歪める。それは美徳でもあるけれど、欠点でもある。

同時に、そんなササキさんに、変わらないで欲しいとも、思う。





「…エグいぞ」

「必要な措置ですから」





そう、必要な措置なのだ。

決して、撒き散らされた血と肉に歓喜したり、しない。

身近で感じるササキさんの体温を拠り所に、ただただ機械的に、殺していく。



――――“手段”だ。絶対、“目的”なんかじゃ、ない。



言い聞かせるのは、自信が無いからかもしれない。

或いは、確信しているからなのか。



どちらにしろ、そんな瑣末事に、不安感は無い。



ただ、ササキさんに、そんな“自分”を知られた時のことを考え、震えて、泣いて、喜んで。



「もう一度、いきます」

「……好きにしろ」



その許しが、“赦し”ならば良い。

それならば良い。けれど酷く悪い。望む心は、相反して。





匂い立つのは、血の香り。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…暇だな」

「暇ですね」



着地は、思いの外うまくいった。

私の抱いていた、ササキさんの外套への不安は、何だったのか。

冷静に考えれば、能力の内容と矛盾しない状況は、必ずササキさんを守る。それにすら不安を抱いたのは、説明を行ったササキさんを疑うことで、それは…良くない。



心中の謝罪は、口に出さなかった。



ササキさんは、絶対に気にしない。気にしているのは、私だけ。

謝ろうと謝るまいと、私は捨てられない。ササキさんは、捨てることをしない。





「ササキさん、何かお話して下さい」



考え込むことが馬鹿らしくなって、私は、そんなことを口走っていた。

ササキさんの返答は、予想通り。



「…ありえねぇ」



その口癖に、何か“こだわり”でもあるのだろうか。

事あるごとに現状を「有り得ない」と否定して、それでも、現実に他人を否定出来ないササキさんは、ひょっとすると優しいのではなく、正真正銘の“ヘタレさん”なだけかもしれない。…そんなところも、嫌いじゃない。



話をねだる私と、頑なに渋るササキさん。

無論、陥落は常に目前である。否定されないのは嬉しいけれど、流石に、心配になる。

これは一生監視しておかなければ、ササキさんが、どんな酷い目に遭うか、わからない。




「…「三匹の子豚」でいいか」



そういった思考の隙間に差し込まれた言葉は、私の予想、その斜め下を、直滑降していった。





「私、子供じゃありません」



十二歳は子供だが、この世界に於いては、関係無さそうだ。なんたって、普通に十二歳の暗殺者が、身近に存在している。



「――――俺、あの話けっこう好きだったんだよ」



返された言葉は、ため息と、そんな言葉。

…「三匹の子豚」を話して、とお母さんに強請る、小さな、ササキさん。

そんな想像をして、私の脳は、程よく限界を突破した。

――――その可愛さは、犯罪級だろう。疑問の余地は無い。



心中で悶えながらも、表面上は冷静に。嘘吐きここに極まれり。

変化系で良かった、と唯一思える瞬間だが、いっそそんな内面をぶちまけても、面白いかもしれない。



「…狼に追われて、それでも、逃げ込める――――信じられる場所があるって話しだろ、あれ」



―――――…?

それは、違うと思う。



ワラの家と木の枝の家。家を吹き飛ばされた二匹の仔豚は、狼に食べられて、三匹目、レンガの家を作った仔豚だけが生き延び、鍋に落ちた狼を、逆に食べる。あれは、そんな話だった。

食べられた二匹の兄弟ごと、狼を食べる。

初めて聞いた時は、なんて見事な弱肉強食なのだろう、と感心したものだ。



「…何だか、少し違う気もしますが」

「えっ、そうなのか?」



けれど、疑問を呈したのは、間違いだったかもしれない。

恐らく、ササキさんが読んだのは、子供用。表現を、ソフトに直された本で。

私が読んだのは、原本に近いものか、原本そのまま。

外国の童話は、意外と残酷。ササキさんの夢を壊すことなんて、したくない。



取り繕おうと、口を開いた私を遮り、ササキさんがぽつりと零す。





「――――あれって、最後の煉瓦の家が壊れたら、どうなるんだろうな」





問われても、私はちゃんとした答えを、返せない。…そんなの、考えたことも、無かった。

続くササキさんの答えは、微笑ましいもの。



「俺は、“煉瓦の家は絶対に破られないんだ”、って信じてた」

「ササキさんらしいですね」

「…どういう意味だ」



真っ直ぐに信じる、そんな素直さは、愛らしい。

疑うことが出来ないのか、頑なに信じる瞳は、向けられれば少し苦しいけれど、同時に、包まれるような安心感もある。



「いえ、お気になさらず」



あなたは、そのままでいい。そのままが、いい。



私の胸中も知らず、ササキさんからは不機嫌そうな、不貞腐れた雰囲気を感じた。

私を、子供扱いする癖に、自分は大真面目に、昔読んだ、童話の話をしてくれる。

そんなこの人のことが、他意もなく、ただ純粋に、「好き」だと思う。

そう考えて、頬が熱い。





「ハッピーエンドってのは、いいものだと思うよ、俺は」



ササキさんの優しい声が届く。

微笑むような声色は、とても、優しかった。



「…そう、ですね」

「逃げ込んで、救われて、皆で笑って…おしまい。やっぱり好きだな、あの話は」



――――拾われて、一緒に居ることを許されて、二人で笑って、おしまい。

そうなればいい。そうなれると、嬉しい。





話を続けるササキさんを見つめて、私は微笑む。

元の位置よりも、少しだけ、ササキさんに身を寄せたのは、迷惑だろうか。



ササキさんの小さな呟きも、幸せに微睡む私の耳には、子守唄のようで。

その肩に顔を埋めて、目を閉じた。





試験時間終了の合図が鳴るのは、その、少し後のこと。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――このクジで決定するのは、“狩る者”と、“狩られる者”」



塔の試験を突破したのは、恐らくは原作と同じメンバー。ササキさんと私は、別。



ちょっとだけ緊張して、クジを引く。

番号は―――――「406」番。
嫌な予感がした。





「…53番って、誰だ?」



傍らのササキさんは、そんな言葉を零して、私を見る。

以心伝心、という程ではないけれど、この反応は分かりきっていた。予想の、範囲内。

吐き出した吐息には、少しだけ、頼られた嬉しさが、混じっている。





ササキさんから渡された、私のプレート。

番号は、「407」。

ため息を吐いた。今度は、純粋に、嘆息。



「あの、ササキさんの番号って、いくつですか…?」

「406番だ」

「…はぁ、」



もう一度、ため息。

憂鬱な、私。





首を傾げるササキさんに、一言。



「私のターゲット、ササキさんです」



告げた瞬間、ササキさんが後退った。





「――――狩る気か」

「やりませんっ!」





驚いたというか、泣きそうになった。





私は、未だにササキさんから、警戒されているのだろうか。

そうだとすれば、かなり本気で、泣く。周りの人達がササキさんを責め立てるくらい、盛大に。



直接的でない“害”なら、既に沢山与えているけれど、それは、“ササキさんが健在である”という前提が必要だし、そのための、私だ。

ヒソカや、キルアから守れなかった過去も、あるけれど…。





「…そんなこと、するわけないじゃないですかっ」





呟きは、色々な気持ちが入り混じって、弱々しかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ササキさん」

「来たか、」



四次試験会場、ゼビル島。

鬱蒼と繁る、潅木の群れ。その中を、少し進んだ先、ササキさんが待っていた。





手を繋ぎながら、周囲を警戒する。

私の「円」は範囲が狭く、索敵には、「念」で強化された自分の感覚以外、頼れるものが何も無い。

ササキさんは、私よりも「円」の範囲が広いけれど、逆に、その範囲外に於いては、全くの不感症。近距離内の精度はともかく、総合的な能力から鑑みて、索敵は、私の仕事だった。





「――――で、具体的にどうする?」



問い掛けるササキさんは、相変わらずの無防備状態。

「円」は行っているが、それは無意識、通常の半分程度の範囲。

無意識に「円」で警戒しているのは凄いけれど、そんな狭い範囲では、私の感覚の方が、反応が早い。…もっと、しっかりして欲しいと思う。



「ここで「絶」でもして待っていれば、沢山の獲物が、自分から来てくれるんじゃないですか?」

「……成程」



頷きには、少し、間があった。

…駄目だろうか。かなり効率が良いと、思うのだけど。



「まぁ、いいか。とりあえずポックルを狩って、あとは適当に見繕うぞ」

「ササキさん、その台詞、ちょっと犯罪者っぽいです」

「…ありえねぇ」



気楽な会話で、気分が昂揚する。

周りは、血生臭くて物騒な“狩場”なのだけど、ササキさんといるだけで、そんなものは、関係なくなってしまう。

警戒は怠らないけれど、繋いだ手と、伝わる声で、頬が緩んでいく。





さぁ、狩りの時間だ――――





私は機嫌良く、呟いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


“狩り”は、ちょろかった。

所詮、念使いと一般受験生では、こんなものだろう。

原作に於いて、名無しだった受験生を、二人撃沈して。あっという間に、五点分のプレートが集まり、合格までは、あと一人。



「ササキさんも、ポックル、諦めた方が、早くありませんか?」

「…かもな」



このままなら、ヒソカとギタラクル以外、狩り尽くせそう。

…いや、そうすると、最終試験が、危険かもしれない。

眉を寄せて、せっかくの案を、却下。やはり、“寿司”を握れなかったのは、致命的だった。

あの時二人で合格しておけば、楽だったのに――――





「…俺、外套脱いだ方がいいか?」

「駄目です」



横から届いた声は、認識以前に、却下した。



「何故、」

「それは、既にササキさんのチャームポイントですよ」



他の人に、ササキさんの顔を見せるのも、面白くない。

せっかくここまで隠したのだ、誰にも―――特にヒソカに―――見せずに、終わらせたい。



それは、私の小さな独占欲で、防御の意味でも、間違っていない。





「…まぁ、いい。とりあえずポックルだ、ポックル」

「そうですね、ポックルです」



ササキさんは、私の言葉に、納得したようだ。どんな思考の末に、了承したのか、私にはよくわからないが、目的は達した。

ポックルポックル繰り返す私達は、雰囲気だけならピクニック、傍目には怪しげな二人組、他の受験生にとっては……何だろう。



手を繋いで歩くササキさんは、どこか楽しそう。

それを感じて、私も気分が良くなる。ハンター試験を受けたのは間違いだと、常々そう思っていたが、その合間に、こんな気分になれるなら、あながち――――





「発見です」

「マジか!?」





視界の先には、黒髪の少年。釣竿付き。これは、お買い得だ。



「何だ、ハズレか」



ササキさんは、視線の先―――ゴンを見て、落胆の声をあげる。

“ポックルを発見したのか”、と期待させてしまっただろうか。少し、反省。





「でも、これで私の点数は合格ラインです」





ゴンのプレートを奪えば、私は合格。残り時間は、全てポックル捜索に費やせる。

ついでに、ゴンを狙っている“横アフロ”の人も、狩っておこう。何の得にもならないけれど、点数が多い方が、次の試験時に都合が良い。





意気揚々と、オーラを練り上げる私。

それを挫いたのは、ササキさんの、不思議な言葉。





「…ちょっと待て、ヨウコ嬢。よく見ろ、ゴンだぞ、ゴン」

「? …ええ、ゴンですよ?」



…何を、言っているのだろうか。

もう一度、川原を見る。ゴンが居る。間違いない。ギタラクル変形Ver.では、無い…と思う。



ササキさんに目を戻すと、首を傾げている。私も真似をして、首を傾げた。



「ヨウコ嬢」

「何ですか?」

「ゴン、だよな?」

「ゴンですね」

「いや。…ゴンを、狩るのか?」

「え、狩らないんですかっ?」



驚愕。



目前には、獲物。

ならば狩るのが当然で、“狩らない”選択肢なんて、普通は、考えない。

ササキさんはちょっと普通じゃないけれど、やっぱり普通の人の筈。ここで目の前の受験生を狩るのは、当然。

…なのに、この反応は、何なのだろうか。



「待て。駄目だろう、ヨウコ嬢。ゴンだぞ、ゴン。主人公だ。恐れ多い」



その言葉に、ちょっと納得。

ササキさんは、きっと「HUNTER×HUNTER」が、大好きだったのだろう。

だから、ゴンを狩ることに難色を示している。成程、ファンの鏡である。



もしもゴンが今回の試験に落ちたら、しばらくはくじら島で軟禁かもしれないけれど、それもまた新しい未来予想図として、面白いのではなかろうか。―――くじら島内オンリーで展開する、ハートフルなH×H。…ちょっと、見てみたい。



第一、ゴンがハンターになれなくても、別に、世界が滅ぶわけでも無いし。多分。



――――思考、終了。オール・グリーン。





「でも、同じ受験生です。つまりは、サーチ・アンド・デストロイじゃないですか」



ひぎぃ、と呻くササキさん。その悲鳴は、どうかと思う。

博愛精神は立派だけど、私自身、ゴンには、特に執着も感じない。ヒソカとの戦闘時、彼の主人公パワーで危機を脱したのも、感謝はしたから、問題ない。

だから、ゴンを見逃す選択肢なんて、無いのだけど、





「――――友達、じゃないのか?」

「えっ?」





ササキさんの、真摯な声。

その言葉が、頭の中で木霊した。



友達。

キルアじゃあるまいし、私にとって、それほど欲しいものじゃない。

友達。

誰が?――――ゴンが。

友達。

誰の?――――私の。…あれ? そうだっけ?



…そうだったろうか。

考え込んで、思考が止まる。

止まって、回って。もう一度、止まった。

そうして弾き出された答えは、ササキさんらしい、“優しい”ものだった。



「そういう、ことですかぁ…」





何度も、何度も頷く。

まさか、一度話し込んだだけの男の子を、私の友達と思って、それで手が鈍るとは。

それは酷く予想外で、可笑しくて、ちょっとだけ、嬉しい。



「――――わかりました、見逃しちゃいます」

「ああ。…え、あれ?」



つまり、転じて、私のことを想ってくれたのだ。事実がどうあれ、そう決めた。

口元が緩んで、ついでに、心が広くなる。

ササキさんの手を引っ張って、歩き出す。目的地は、ゴンから離れられるなら、どこでもいい。この気持ちを、他人に邪魔されたくはない。





微笑んで、声をあげた。



「ササキさん」

「…何だ?」

「“貸し”、一個ですね」



私をこんな気持ちにさせてくれた、“借り”。

どうやって、返してあげようか。それを考えるのが、楽しくて堪らない。



もっともっと私を想って、心配してくれないだろうか。

私はそれを、一生をかけて返すのだ。



ずっと、あなたの側で。





踏み出す足は、楽しげな韻を踏む。

次の“獲物”まで、遠ければいい。それだけの間、私はこの気持ちを持て余すことが出来る。





ササキさんに見えない場所で、深く、微笑んで。



繋いだ手は、とても、温かだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


空が、黒く染まっていく。

星が光って、月明かりが地上に落ちる。



そんな中、私は崖になった大岩の下、ササキさんの身体に、全身を預けていた。





寒くないようにと、私の全身を、ササキさんの外套が包んでいる。

その下に着込んでいる服が邪魔だけど、いつもより、ササキさんの熱が近い。

…しかし、外套の下にまで、インナータイプの“黒の城砦”があるとは。

侮りがたし、ササキさんのガードの固さ。



鼻腔に届く香りには、花々のものが混じっている。

私の幸福度は絶頂を超え、きっと今頃8の字を描いているだろう。無限大です。



…最近の私、ちょっと、変態っぽいよね。反省。





「ササキさん」

「…何ダ、」



返ってきた声は、少し変。

…やっぱり、迷惑だったのだろうか。

野宿を嫌がり、寒いから二人で温め合いましょう、と提案したのは、私。

少し開けた、崖の下。そこに広がる、平らな平野。

敵味方を問わない、見通しの良い環境で、私の研ぎ澄まされた全感覚は、索敵を放棄して、ササキさんのみをロックしていた。





「何か、話、してください」

「…またか」



淫蕩うような気分で、どうでも良い要求を告げる。

答える声はやっぱり拒絶の色があるけれど、結局は、撥ね付けることなく、受け入れてくれる。

――――私は少しずつ、ササキさんに対して、我儘になっている。

そう理解して、それでも続けるのは、試す意味合いなど無く、ただ純粋に、叶えて欲しいから。



「何でもいいです。例えば、ササキさんは、いつ「念」を覚えたんですか?」

「いつ、って…」



思考力が鈍磨していたのだろう。どうでもよい質問、どうでもよい興味を口にする。

――――私の願望は、常に、どこかで躓くのに。





「あれ?」





靄のかかったような微睡の中、ササキさんの疑問の声が、私の心を冷やしていった。





ササキさんは、兜に包まれたままの瞳を、遠くへと向ける。

そのまま固まって、じっと、何かを考え込んで。

時折漏れる呟き―――「違う」という言葉。それだけが、数秒置きに繰り返された。



「……あ、れっ?」



兜の奥から漏れる、喉が詰まったような、疑問の声。

疑問を抱くのは、私の方だ。

身を乗り出して、近付いた兜の、切れ目。そこからササキさんに呼びかける。



「ササキさん?」

「“いつ”だ――――?」



私の呼びかけにも、返るのは、ただの疑問符。

それは、私にはよくわからない、言葉。





「――――違う、――――違う、――――これも、違う…」

「ササキさんっ、」





おかしい、不安感を感じる。

ぶつぶつと繰り返す姿は、私を見ていない。目の前で、触れ合ってさえいるのに、私が“其処”にいない。



「ササキさんっ!!」

「―――――ん、」



次の呼びかけは、叫び声に、なった。



ようやく反応を返したササキさんは、ただ大声に驚いただけにも、見える。

もどかしくなって、兜に手を掛けた。これでは、ササキさんの顔が見えない。

けれど外し方がわからない。

防御のための「念」なのだから、能力者本人にしか外せないのか――――そう思って、手を掛けると、突然兜が霧と化し、オーラに還って、霧散する。



覗き込んだ顔は、僅かに汗をかいていた。

大して暑くもなく、むしろ少し肌寒い、この環境で。



「ササキさん、」

「…あ、りえねぇっ」



今度の呼びかけには、呻き声が返った。

いつもササキさんが口にする、“否定”の言葉。それは、“逃避”にも通じる。



嫌だ、と思った。

対象もわからず、理由もわからず。





「ササキさん」



呼びかけて、その頬を撫でた。

触れることには勇気が必要だけど、もう、どうでもいいのかもしれない。

触りたく思って、触るだけ。ササキさんは、拒まない。――――拒めない。





どれくらいの時間が経ったのか。撫で続けたササキさんの頬からは、熱が引いて、呼吸も、汗も、静まっていた。





「眠りましょう? 夜更かしは、駄目です」

「…ああ」



今度こそ、言葉に、言葉が返ってくる。

そのことに安心して、ササキさんの顔を、頭を、抱きしめる。

頬に頬を寄せ、擦り付ける。

犬が自分のテリトリーに、己の匂いを、擦り付けるように。



慰めるように、優しく。





触れ合わせた頬と、そこから伝わる、鼓動に酔った。

零れ落ちる涙を、自身の唇と、舌で舐め取り、歓喜した。

私に縋りつくような、その両腕に、抱きしめ返すことで、応え続けた。



全身で味わう幸福に、つい先程の事態すら、忘却した。





けれど、脅えたようなササキさんの声だけは、耳にこびり付いたまま、離れない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


月明かりが薄れた頃、意識を保つことも出来なくなって、眠りに落ちた。

警戒は怠れず、けれどササキさんも心配で。眠り続ける大きな身体を抱きしめながら、一晩中、敵襲に備えていた。

――――結果、何事も、無かったのだけど。





私の目覚めは、早かった。

身を預けていた“もの”から、僅かにオーラの動きを感じる。続いて、「円」の気配。空間を走る、円形のソレが、ササキさんを起点に、広がった。



薄く目を開けると、素顔のササキさんが、首を巡らせていた。起き上がることもなく、視線だけで周囲を見回している。

私を起こさないようにとの、そんな、小さな気遣いが嬉しい。





目の前、私が起きたことに気付いたのか、互いの視線が絡む。一度、強く目蓋を閉じて、開いた時には、しっかりと目が覚めていた。



「おはようございます、ササキさん」

「おはよう…」



起き抜けの私の声は、変じゃなかっただろうか。そんな心配をする。

私が身体を起こすのに倣って、ササキさんも起き上がる。

手櫛で髪を整えながら、その顔を盗み見るが、顰められた表情は、余り調子が良いようには、見えない。



そんなササキさんを見て、私に何が、出来るのだろう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…川に行こうか」

「川、ですか?」

「ゴンがいる。魚が食べたい。あいつに、釣って貰おう」

「…はぁ、」



ササキさんは、お腹が空いたらしい。…私もだけど。

二人、手を繋いで、川原へ向かう。

私と繋がれた、ササキさんの右手。その反対の左手は、兜越しの頭を、ずっと、押さえている。





沈黙のままの道程。

頭が痛いのか、俯いた顔は、兜のせいで、表情すらもわからない。

川が近付いた頃、ササキさんが、勢いよく、頭を振った。何かを、振り払うように。





「…ササキさん?」

「平気だ」



嘘だ。

平気だと、大丈夫だと。ササキさんは、いつもそう言うけれど、いつも、嘘。

痛くても、辛くても、我慢ばかり。

それは、私を受け入れたことも、“我慢している”ということなのだろうか。



何が起ころうと、ササキさんは自分だけで抱え込む。





頼りにされない、役立たずな自分が、ただ純粋に、嫌いだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


川に向かったけど、ゴンはいなかった。



それも、当然。

だって、ここ、ゴンの居た川原じゃないし。…何で気付かないかな、ササキさん。





――――それでも、黙っておいた。



今のササキさんは、出来るだけ、そっとしておきたい。

ゴンの謎テンションで押し切られれば、その後の展開に、予想がつかなくなる。

傍にいるのは、私だけでいい。…そんな我儘も、含まれていたけれど。



川を覗き込んだササキさんは、水に手を浸して、魚を追いかけている。



その様子には気合が感じられず、やっぱり、どこか、苦しいのか。





一頻り水をかき混ぜて、ササキさんが、私を振り向いた。





「…ヨウコ嬢、捕れるか?これ」

「はぁ、多分出来ますけど」

「じゃあ、ここで朝飯にしよう。流石に、腹が減った」

「わかりました」



頼まれて、奮起する。川に向けて、左手を伸ばす。



“黒の槍・白の剣”の顕在化までの時間は、多分、私の思考と、同速程度。

魚を捕まえる程度、行動予測すら、必要無い。

水面に集中する振りをして、ササキさんを注視する。目は、向けないけれど。





「…はぁ、」



聞こえるのは、小さなため息。

疲れているのだろうか。…違う、それにしても、昨夜の様子はおかしかった。

ぶつぶつと一人呟く様子は、表現は悪いけれど、“異常”だった。

…何があったのだろう。私なんかじゃ、役に立たないのだろうか。





考え込みながら、視覚が魚を捉え、左手と“黒の槍”が、その魚体を、貫き、仕留める。

捕獲は、既に二匹。…ササキさんは、どれくらい食べるだろう。





盗み見て、考えて。

私に出来ることは、食料調達、だけ。



情けなくて…それでも、どうしようもなく。





「拒絶」されているような感覚が、錯覚だったら、いいのだけど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――あれ。お前ら、何してんの?」



その声を訊いて、思わず、反射的に、殺してしまいそうになった。





焚き火による“焼き魚”は、意外と難しかった。

焦げたり、生焼けだったり。そもそも、私、魚は嫌い。



食事を終えて、歩くこと数十分。



ようやく見つけたポックルを狩ろうと、足を踏み出し、背後からの声に、身体が跳ねた。





移動した先は、声の主―――キルアの目前。“白の剣”で殺すのは、寸前で止まった。

…恐らくササキさんは、ゴンに並んで、キルアも、私の友達なのだと、そんな勘違いを抱いている。

だとすれば、ここで殺すには、“許可”が要る。





「…俺、今度は何もしてないんだけど」



私は、雪げない罪も、あると思う。

だけど、そんなのはササキさんにも、誰にも、関係ない。



「――――キルア少年、か?」

「…ちっ、」



考えてみれば、ササキさんが反応する前に殺して、死体を遠くに投げ捨てれば、「今の何だ?」「空耳じゃないですか?」で済んだかもしれない。

…失敗した。



「おい待てトキワ。お前今、舌打ちしたろ?」

「気のせいじゃないですか?そんなこと気にするなんて、お尻の穴…小さいんですね、キルアは」

「誰が尻の話をしたよっ!」



…煩い。ちょっとからかっただけなのに。

やっぱり“変化系”は苦手だ。ヒソカといい、キルアといい、どうしても、我慢ならない。

話すだけで、目の前にいるだけで、背筋をムズムズとしたものが、這い上がってくる。

行動の一つ一つが、どこか噛み合わない。不快感。





「落ち着け、二人共」

「……はい」



ササキさんの声で、嫌な気分が、少し治まる。

その低く心地よい声は、清涼剤のようで。





「おいおっさん、俺は悪くないだろ?先に仕掛けてきたの、そっちだし」





――――おっさん。





……“次”は無いって、言ったよね? …ね?





「――――“狩る”か」

「短い付き合いでしたね、キルア。あなたの懸賞金は、しっかりと、頂いておきます」



ゾルディック家の懸賞金は、顔写真だけでも、一億貰えた筈。私の結婚資金としても、キルアの命の値段としても、上々だろう。



「…何だよ、やる気か?」



殺る気です。

真横でマシンガントークを続けるササキさんは、一体何があったのか。



「五月蝿い。俺は今とても傷ついた。まさか自分が、たった一言でここまで傷つくなんて、産まれた時には思いもしなかったくらいだ」

「ササキさん、生後数分の記憶、あるんですか?」

「無い」



ため息を吐く。

もう少し、落ち着きを持って欲しい。

その激しい混乱ぶりに、傍らの私は、逆に冷めていく。



「少し、落ち着いて下さい」

「……すまん」



やはり、ササキさんは聞き訳が良い。まるで犬のよう。ちょっとゾクッときた。





視線の先のキルアは、未だ警戒中。…私に勝てるなんて、まさか、そんな妄想を抱いているわけでも、無いだろう。ただの威嚇か、虚勢かもしれない。

イルミの「念」に縛られたキルアが、格上である私に刃向かえる筈は、無いのだけど。



「…最終で、落ちるんだったか」



思考を止めたのは、ササキさんの声。相変わらず脈絡が無く、思考の経過が謎。そのマイペースは、操作系でもやっていけそう。



「はい。反則です」

「――――?何の話だよ、」



最終試験。キルアが“ボドロ”を殺して、不合格。

それによって、他の受験生全員が合格。それが「HUNTER×HUNTER」の“ストーリー”。

私達というイレギュラーが存在するから、そこにどんな齟齬が起きるのか、わからない。

…でも、多分変わらない。

イルミは、キルアを不合格にさせたいだろうし、キルアは、イルミの暗示や「念」に、―――勝てない。





そこまで考えて、ササキさんに声をかけた。



「――――ササキさん、」

「――――――」



反応、あり。

声による返答じゃなかったから、きっとまた、一人で悩んでいたのだろう。





「他人の運命に、ササキさんが責任持つ必要、無いです」

「…そう、だが」





心配しているのが、“どの場面”なのかは、わからない。

それでも、こう言っておけば、間違いは無い。ササキさんの考え事なんて、他人の心配か、自己批判くらい。あとは、面白くない洒落。





「…で、やるの?やらないの?やらないなら俺、もう行くけど」



キルアの余裕は、一体、どこから生まれているのだろう。

変化系故の嘘か、はったり?

体術の差を看破していることからの、余裕?

罷り間違って、私のオーラで“目覚めて”いる可能性は―――――無い。

「纏」は行っていない。オーラの流れは、素人そのまま。私の“白の剣”に反応しないことから、目の精孔も、開いていない模様。



…これだから、変化系は苦手。

「嘘」と「本当」の境界線が、外からは全くわからない。…場合によっては、本人にさえも。





「キルア」

「…何だよ、トキワ」



声を掛けると、身構えた。つまり先程までの態度は、“はったり”の方?



考えながら、頭を下げた。



「この前は、ごめんなさい」

「――――っ、」



今、キルアが息を飲んだ。―――「円」によって、それを知覚する。

真正直な態度には、弱いのだ、この子供暗殺者は。



「別に。俺も、…悪かったよ」



今なら、殺せる。

顔を赤くして、私から視線を逸らすキルア。動けば、即座に反応されるだろうけれど、私の「剣」の方が、キルアの足より、速い。私の“制約”とキルアの長年の鍛錬は、恐らく同速を弾き出す。





「――――ええ、凄く、悪かった。最悪ね」

「て、めぇ…、」



――――茶化して、思考を止めた。

ササキさんは、望まないと、思うから。

今以上の心労を、重ねさせたくは、ない。





軽い言い合いは、傍目から見れば、確かに“友達”に見えるだろう。

苦々しい表情をするキルアは、最初から、私の「円」の中。

それでも、殺さない。





「…ああ、何で俺が、お前のこと気に食わないか、わかった」



突然の言葉には、少し、戸惑った。



「…私のこと?」



…というか、「気に食わない」は、私の台詞。





「トキワ、お前さ、――――俺のお袋に、そっくりだよ」



キルアの“お袋”――――“キキョウ=ゾルディック”。第一回人気投票13位、百二十五票。

…思考終了。





「不服です」





何故私が、あんなミセス・バイザーと…。

言った本人は、自分の母親に順位が付けられているなんて、知らないのだけど。



「なんつーの? 価値観が全然合わないとことか、さ」

「それだけで…」



ひょっとすると、好きになれない女性全て、「お袋に似てる」で済ませる気だろうか。

自分が人気第一位だったからと、少し図に乗っているのだ、こいつは。



「最初は、俺の“同類”かと思ったんだけどなー」

「あなた、馬鹿?」



私が、キルアと同じ…? 私が暗殺者と同類? …ありえない。

他の可能性としては、“変化系”だという共通項や、他の“何か”を見破られたのか。

……どうでもいい。





私の胸中は、キルアの言葉、その一つ一つを否定している。

そんな自分の心の動きは、余り、好きじゃない。



「…同属嫌悪、ですね」

「ありえん、」



独白には、答えがあった。

背後に歩み寄っていたササキさんが、私の頭を撫でる。

それだけで、もう、他のことなんかどうでもいい。心底から、他の全てが、締め出されていく。





ぎょっとした表情で私を見るキルアなんて、どうでもいい。…いや、ちょっと、失礼じゃないだろうか、あの顔は。





「――――まぁ、いいや。じゃあ、俺は行くぜ」

「……ああ、」



ササキさんに撫でられながら、キルアの背中を見送った。



「さよなら」



ちょっと冷えた声が出たのは、まぁ、仕方ない。





遠ざかる背中を見送って、口を開いた。



「…ササキさん?」



最後の、確認。

答えは、やっぱり予想通り。



「………見逃す。駄目か?」

「いえ」





ササキさんの答え。それを私が拒む理由は、無い。

キルアはこのまま、最終試験で殺人を犯す。それは、この世界にとっての、“予定通り”。

けれど、ササキさんは傷つくだろうな、と。



それだけが、酷く、心配で。





[2117] Re[3]:雨迷子~佐々木守人の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:46


会話を終えて。





――――気が付けば、ポックルがいなくなっていた。





「…………」

「…まぁ、多少鋭い人なら、気付きますよね」



視認可能な距離で、あれだけ長々と話し込んでいたのだ。

見た目狩人なポックルが、敵の存在を察知・逃亡したとしても、不思議ではないのだろう。



「…………」

「ササキさん?」



不思議では、無い、のだが――――





喉が震える。





「あ、り、え、ねぇぇええええええええあああああ―――――――っ!!!」





激情のままに。

俺はとりあえず、吼えてみた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――ポックル、ポックルポックルポックルポックルポックル…」

「ササキさん、怖いです。本当に怖いんです。それ、やめてくれませんか…?」

「…ポッ、クル、」

「はい、私は、ちゃんとわかってますから。二人で、頑張りましょう、ねっ?」



小さな掌に、優しく、兜を撫でられた。じーんと来る。やっぱり、この子が変化系って、間違いじゃなかろうか。きっと“菩薩系”とかだよ。いや、そんなの無いけど。

更に別の思考で、俺って本当に駄目人間だな、と。それは疑いようのない、真実で。



――――森の中で癒しを振りまく小さな少女と、それに撫でられる全身黒人間。

…ありえない。



頭を振って、思考を冷やす。

感情のままに暴走しても、俺程度では、何も出来ない。逆に、ヨウコ嬢に迷惑をかけるだけ。

そう納得して、ため息をつく。





「…まだ、そう離れていない筈だ」

「はい、」

「時間も、まだある」

「はい」

「ポックルと、後一人…頑張って、狩るか」

「ええ、頑張りましょう、ササキさん」





――――“手のかかる大人”。

そんな言葉が思い浮かんだのは、きっと、気のせいなのだ。





木々の合間に、差し込む夕焼けが、酷く目に沁みた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


四次試験、三日目。

ポックル探しの途中、ヒソカを見かけた。



出来るだけの距離をとって、ヒソカの風下へ向かう。…匂いとか、嗅ぎ付けそうだし。



「…相変わらず、画風変わってんじゃねぇか、ってくらい、“変形”するよなぁ」

「ある意味、前衛的ですよね」





――――ヒソカさん(職業・ピエロ)は、思いっきり“欲情”していた。





「ともかく、逃げるぞ」

「はい、見つかったが最後、ササキさんのお尻が危ないです」

「……ヨウコ嬢、一体、どこでそんな知識を、」

「ササキさん。女の子に、そんなこと訊いちゃうんですか?」

「あっ、いや、すまん。………ちょっと待て、今の、俺が悪いのか?」





言い合いながら、少しずつ、距離を離す。

ヒソカに見つかって、湿原の続きをやる羽目に陥るのは、嫌だ。

それは、二人に共通の見解なのだが――――





「あっ、ササキさん、見つかっちゃいました」

「――――ありえねぇえええ!!」



最悪の展開を耳にすると同時、ヨウコ嬢を抱えて、全速力で走る。





「…本当にすごい顔ですね。ササキさん、ほら、凄い顔ですよー」

「見る暇が、無ぇえええっ!!」

「―――――っ♠」



今、後ろから聞き覚えのある“音”が――――って、近ぇええっ!!



「ヨウコ嬢、何か、手はっ!?」

「…記憶によれば、近くに、ゴンが居ます」

「役に立たん、却下だっ!」



「念」を使えないゴン少年―――使えても、無理だろうが―――が、役に立つ筈も無い。巻き込むのも、心苦しい。

それでも、俺達が追われている現状、あの優しい少年が傍観するわけも無く。



「――――急がないと、死体が三つ、か…っ!」

「そんなことは、させません」

「んな事言われても、なっ!」



速度を、更に上げる。限界は、微妙に近い。



そこに、背後からのトランプ。



逃走開始と共に行った「円」の恩恵で、なんとか事前に察知、数枚のトランプを躱すけれど、正直、このままじゃ、辛い。

ヒソカと俺では、“強化”の熟練度も、熟練可能な割合も、全く違う。このままだと、脚力強化に於いて大幅に劣る俺は、ヒソカに捕まる。勿論、抱えたヨウコ嬢も。





「やぁ、久しぶりだね♣ …それにしても、逃げることないじゃないか♥」

「鏡を見なさい、変態ピエロ。友達が欲しいのなら、まずは、整形をお奨めするわ」

「挑発するなぁあああっ!!」



…泣きそう。

ひょっとして、ヨウコ嬢は変化系との相性、悪いのだろうか。



激しく不必要な上に今更な考察を開始しつつ、「円」の範囲―――半径十メートル―――内に居るヒソカの、その形相に至るまでを、緻密に認識した。



「ってか、早っ!お前、早っ!!」

「くっくっく、相変わらず、面白い反応をするね、君はっ♣」

「う、れ、し、く、ねぇえええ――――っ!!」



止まる、心臓が止まる。

まだ残り六メートル程の猶予がある筈なのに、ヒソカの声だけが、俺の耳元で囁くよう。

速度は、とっくに俺の限界を超えていた。周りの風景が、ただの、色付きの線にしか見えない。





「“黒の槍(ブラックスピアー)”!」

「おっと♦」



抱き上げていたヨウコ嬢が、俺の肩をよじ登って、背後を振り向いた。

視界には映らないが、彼女の左手から長大な念刃が放たれたことを、「円」によって、感じ取る。

――――無論そんなもの、ヒソカには、簡単に避けられたのだが。





「本当に、おかしな二人だ♣」



余計なお世話だ。



「黒い服の君―――その子に隠れて、君は、一体何を隠しているのか…♠ 君がどれだけ“使える”のか、見てみたいな♥」

「…黙れ。同性愛なら、シンガポールへ行けば良いわ」

「今は、君に、用は無い――――っ!」





全身に、突き刺さるような、寒気が走った。





「ササキさん、右にっ!!」

「――――っ」

「遅い♦」



ヒソカの一言が、耳の中へと侵入してくる。

突然、両腕が引っ張られるような感覚を覚え、両手で抱きしめていたヨウコ嬢が、俺の腕から、放り出されていた。



「―――ヨウ、コッ!!」



投げ出されたヨウコ嬢の位置は、「円」の範囲内、約六メートルの距離。



すぐさま近付こうと、両脚に力を篭めて――――右の足先が、空を切る。



「“バンジー、ガム(伸縮自在の愛)”かっ!!」



叫びには、見当違いの嬌声が答える。



「…へぇ♣ もしかして、君は、情報系の能力者?」

「――――ササキさんっ!!」



今まで聞いた事の無い、ヨウコ嬢の逼迫した声。

背後へと引っ張られた右足は、“バンジーガム”で、宙に浮いていた。今現在、俺の自由になるのは、左足、だけ。両腕は、とっくにガムの餌食。



「ササキさんを、放しなさい」

「駄目だね♠ 君らの本気を見たくて、わざわざ探しに来たんだから♥」



…いいから、“ハンゾー”辺りで我慢してろよ、お前!

脳髄に侵入するようなヒソカの声音は、その表情も相俟って、気分が悪い。





「“青い果実”に会って、欲情しちゃってさ、どう静めようかと、困ってたんだ♠ …でも、君達なら―――申し分、無い♣」



…買い被り過ぎだ。

ヨウコ嬢はともかく、俺のどこを見れば、この変態の満足できる要素が、見つかるというのか。





「“白の城壁(ホワイトウォール)”」



俺の一言で、外套が溶ける。

――――“バンジーガム”の張り付いた箇所を含め、全て。



「――――っ♦」



吊り人形のような、無様な体勢から、跳ねるように、地を蹴った。

構成途中の、白い外套を全身に絡ませたまま、ヨウコ嬢の傍らへと、到達する。





「…そういえば、“前回”も、そんなことをしていたね♣」

「手品のタネが欲しけりゃ、自分で探せよ、“奇術師”」





不快だ。

不快だ不快だ不快だ。

顔も目も口調も声も――――匂ってくる、血臭も。





「じゃあ、そうしよう♥」





呟きに、全身が震える。



ハンター試験開始以来、もう何度目の、危機だろうか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ササキさん、「凝」を、怠らないで下さいっ」

「苦手なんだよ、あれっ!!」

「我慢して下さい! あとで、いっぱい撫でてあげますから!」



…ソレで俺が奮起するとでも?



ヨウコ嬢の柔らかい掌は嫌いじゃないが、変態の前で、俺を変態扱い、しないで欲しい。

…違う。撫でられるのが嫌なわけじゃ、ないんだ。





身に纏う“白の城壁”。

ヒソカの純粋な筋力がどれ程か…、試したくは無いが、やらないわけにはいかない。

少なくとも、全力の「堅」か、「硬」。それを行って、一撃を受け止める。後は、きっとヨウコ嬢が何とかしてくれる。

「凝」に並んで、「硬」も苦手だ。しかし「堅」だと、不安が残る。



――――本当に、俺は何で、こんな能力を…っ



歯噛みして、けれどそれに意味は無い。

少なくとも、「念」は無効化出来る…筈。物理的な損失なら、まだ、何とかなる。





「くくくくくくくくくくくははははははは、ハッ♠」

「…壊れたぞ、あいつ。どうする、今の内に、逃げるか?」

「ササキさん、ひょっとして、結構余裕、あります?」

「無ぇよ…」



ある筈が無い。

“この貌”のヒソカは、二度目。けれど、その殺気とオーラに慣れる程、馴染んでいるわけでも、ない。



唾を飲んで、お伺いをたてた。



「どうする、」

「抱き上げてください」

「…マジか」



…戦い辛く、ないか?

疑念はあるが、ヒソカから目を逸らさないまま、要望通りにヨウコ嬢を抱き上げる。

それを見て取ったヒソカが、動く。



「――――ちっ、」



彼我の距離は、約九メートル。多分。

こちらへと向けられた右手から、“バンジーガム”が伸びる。

正面から、「隠」しもせずに向けられたそれを避け、安心する暇もなく、ヒソカが、“目の前”に居た。



「ッハ、」



呼気に意味は無い。笑いか、驚きか、気合か。

思わず反応しそうになった左腕を、押さえ込む。“攻撃行為は、行えない”。



「“白の剣(ホワイソード)”!」



腕の中からの叫びは、白い、一本の刃を生み出して。“それ”と相対したヒソカは、身を捩るように「剣」を躱し、そのまま真っ直ぐに、俺達の背後へと通り過ぎていく。

――――まるで、“引き寄せられるような”、速度で。





「後ろの、樹木にっ?」



ヨウコ嬢の呟きを、判断する暇は、俺には無い。



跳ね返るように戻ってきたヒソカの、その右拳が、俺を狙っていた。





「――――頼むぞ!!」

「はい…っ!」



覚悟は一瞬。感情で判断する俺は、瞬間的になら、後先考えずに、蛮勇を行える。

…受ける。受け止める。



真っ直ぐに向かってくる拳。

背を仰け反らせた反動を使い、それに向かって頭突き、を――――――――





砕けた。





白、が――――



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


俺は、ただいま、と言った。



おかえり、と答えたのは、胸糞悪くなる声。父親のものだ。

それを聞き間違うことは、有り得ない。それだけ不快で、聴き慣れている、耳障りな旋律。



顔を歪めて靴を脱ぐ。



二言目以降は口にしない。するつもりはなかった。

けれど、





そこは、酷く、“赤”く。





染まる。





振り下ろす。





醒めた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あぁああああアアアああアぁああ嗚呼亞ああああああァあああAH―――っ!!!?」



痛い痛い痛い。

熱い、■ぬ、眼が。捩れた。砕ける。





「■■キ■んっ!!」



五月蝿い。



「―――――」



やめろ。



「な、んデ――――」



疑問の声をあげる。



『――――――って、』





答えた声は、哂っていた。

それは酷く、愉しそう。





「何、で…っ」



わからない。

わからないわからない。何も、わからない。

目の前の状況も、それに対する疑問への、答えも。



だから、俺は、





「■サキさん■!!」





赤い色をした■■に、振り下ろした。



何度も、何度も。

哂う■■に向かって。



理解出来ない。理解したくない。

わけもわからず、ただ振り下ろし、





「■■■■さんッッ!!」





目の前が、真っ暗になった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…気分悪ぃ」

「はい、お水です」



嗄れた声に返るのは、綺麗な声。聞き慣れた、声。

…ああ、ヨウコ嬢の、声だ。



大木に背を預け、差し出される水を、ゆっくりと、口に含む。

ようやく一口、喉に通して。

そこで、現状に気が付いた。





「…ヒソカ、は?」

「見逃されました」



返答は、簡潔。

そこに篭められた感情を類推する術は、俺には無い。



「大丈夫ですか…?」

「余裕だ…、」



気遣わしげな声には、出来るだけ、間を置かずに答えた。

状況はわからずとも、自分が“大丈夫”とは程遠いと、それだけはわかっている。



頭が痛い。



割れたような、という表現を通り越して、割れているだろう、と思う。

開かれた孔から、中身が零れだしているような、激痛。

それでも、茫洋とした意識と、目の前にいるヨウコ嬢に心配させないため、苦痛に悶えることも出来なかった。





「………すまん」

「いえ、私の…せいです」

「それは、ありえん」



自分の謝罪の理由すら分からず、心身共に燃え尽きたような心境だが、“それ”だけは、無いと言える。

ヒソカとの戦闘時の記憶すら無いし、今がどんな状態かもわからない。

けれどきっと、今悪い奴がいるとしたら、それは紛れも無く、俺だ。ヨウコ嬢が悪いという状況なんか、想像出来ない。…したくもない。





「俺、どうなってる?ひょっとして、凄い事になってたり…」



なんとなく、それを訊くのは怖かったが、話題を変えたくて、なんとか、口に出来た。



「額が、少し。血も出てます。でも、それ以外は何も」

「…マジか」



それなら、この激痛は何だろうか。

個人的見解としては、頭頂部から血が噴水を作っていても、不思議ではないのだが。



頭を俯けて、息を吐く。

視界に入った外套は、白。ほんの少し、小さな、血の跡があるだけ。



「俺さぁ、どうなったん、だっけ…?」



記憶が繋がらない。

キレたヒソカとのデス・ゲームが行われたと思ったのだが――――





「兜―――、“白の城壁”の兜を、ヒソカに砕かれて。そうしたら、ササキさんが叫んで」



…頭が霞んで、思い出せない。ついにボケたのか、俺は。



「それで、苦しそうに、私、…何も、」

「もう、いい」



何で、ヨウコ嬢が、泣きそうな声で話すのか。

心配をかけた自分に腹が立って、原因を作ったヒソカは…いや、俺が、“弱い”せいだ。



ため息を、一つ吐く。





「ああ、“タブー”か…」

「…ササキさん?」

「いや、―――“白の城壁(ホワイトウォール)”」



名を呼んで、けれど、……それだけ。



外套は、元々“白”だから、変わらない。

「兜」も、“砕かれたまま、戻らない”。





「ササキ、さん?」

「…ありえねぇ、」



頭痛がする。

それは、目覚めてから、ずっと。兜が、俺の“「城壁」が破られて”から、ずっと。





その内で守っていたものは、曝け出された。





「つまり、どういうことだ…?」



断片的な、“赤い情景”。

それだけを残し、何一つ、俺には理解出来ていない。





恐らくはそれこそ、俺の「鎧」が、守るもの。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「今、何日目だ?」

「え、っと…多分、四日目です」

「後、丸三日…最低、二日…くらいか」



四次試験の期間は、一週間。

馬鹿みたいな頭痛には、もう、慣れた。

頭が崩れるような痛みも、そういうものなんだ、と納得して。あとはもう、根性の問題だ。





「行くぞ―――」

「駄目です」



…ありえねぇ。



「ヨウコ嬢、時間が、無いんだ」

「そんなのどうでもいいです。もう、やめましょう。ハンター試験なんか、どうでもいいんです。早くリタイヤして、病院に行きましょう…」

「平気だ」

「嘘です」

「マジで」

「嘘です…」

「――――泣くなよ、」



言い争い、小さな身体を、抱きしめる。

なんで怪我人の俺が、他人を労わっているのか。不思議だ。

不思議ではあるが、俺に出来るのは、結局、これくらいしか、ない。



「「念」が使えるから、少々の怪我は、なんてことない。出血くらい、止められるんだぞ」

「でも、ササキさんはっ」



…それは、俺がヘタレだから、そんなことは出来ない、と言いたいのだろうか。



「ありえねぇ…」



俺の何気ない一言に、ヨウコ嬢の肩が震える。

梳かすように髪を撫でて、深い、ため息をつく。





「ハンター証を取る」

「…………」

「それで、終わりだ。もう先も長くない。大した事じゃ、ない」

「………っ…」



語り聞かせる言葉は、理由にすら、なっていない気がする。



「…何か、言ってくれよ」

「嫌です…」

「頼む」





頼み込んで。頼める立場じゃないことに、気が重くなる。

ハンター試験を受けたのは、俺が原因で。それを続けることになったのは、この子の意思で。

ハンター証を取れば、喜んでくれるんじゃないか、とか。ここまで来たんだから、貰っておかないと損だ、とか。俺の思考なんて、その程度。



ぶっちゃけると、ただ、ヨウコ嬢が望んだことを、叶えられれば、と―――それだけで。





それはきっと、俺程度が望んでいいことじゃ、ないのだけど。





「頼む、…ヨウコ、」





霞んだ視界は、意識がヤバイのか。それとも、俺はまた、泣いているのか。





小さな頷きが生まれたのは、太陽が真上に差し掛かった頃だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「スタート地点に、戻ります」

「…マジか」



ヨウコ嬢の肯定、更にその数十分後。

ポックルを見つけるための作戦会議は、随分とアバウトな言葉で、始まった。



「漫画の描写では、試験終了後、スタート地点までの帰還猶予時間に、ポックルは、そのすぐ近くの草むらから出てきました」

「…よく、覚えてるな」

「―――なので、スタート地点周辺で、ポックルを探します。恐らく彼は、既に自ターゲットのプレートも、入手済みの筈。……ポックルを倒せば、二人共合格です」



そこまで都合良くいくのかは、わからないが、俺に、何か案があるわけもない。



「了解だ」





外套は、“黒”に戻す。

もう一度ヒソカが「欲情しちゃった♥」な展開は恐らく無いし、釘男は、時間までは地中で寝ている。他の受験生は、「念」自体知らない。

色々な面で、兜の存在しない“白の城壁”よりは、マシだろう。





「方角は?」

「……なんとか、なります」

「覚えてねぇのかよ」



ありえねぇ。

…いや、俺も覚えてないけど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


“黒の城砦”を着込むと、少しだけ、頭痛が遠のいた気がする。

…俺の気のせいかも、しれないが。



頭痛が小さくなると同時に、ごちゃごちゃとした思考も、一般人より一段下、くらいには澄み渡る。

しかし、あの“赤い情景”は、何だったのか。

先程までは頭の中にあったのに、いつの間にか、少しずつ、霞んでいた。





「…わからん」

「何が、ですか?」

「いや、それがわからん」

「………はぁ、」





独白に疑問を呈されても困るが、言葉に言葉が返るのは、良いものだ。

俺の脳は、現状に、平和を感じていた。



「…平和だなぁ」

「……………はぁ、」



ため息は、頭を撫でて、誤魔化した。

そういえば初めて撫でた時は、「纏」付きの、蹴りを食らった。…痛かった。

“黒の城砦”を着て「念」を受けたのだ。数時間の昏倒で済んで、本当に良かった。

…いや、習得直後の「纏」で俺を昏倒させた、ヨウコ嬢が、凄いのか?



「…むぅ、わけがわからん」

「私の方がわかりませんよ。…ササキさん、本当に大丈夫ですか?まだ、休んでいても―――」

「平気だ」

「嘘です」



完全に嘘、というわけでも、ないのだが。

即断されるのは、俺に信用が無いのだろう。未だにその程度の信頼も勝ち取れていないとは、俺の駄目さ加減も、ちょっと凄い。



「……はぁ、」



ため息。





そして、ポックルを発見した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――ヘッ、手間を掛けさせやがって」

「ササキさん、それって悪者の台詞です」

「…マジか」



だとすると、やはり俺は、下っ端幹部だろうか。後半、番組のネタが無くなった辺りで、復活するタイプの。





そんな会話を交わす、俺達の足元には、我らのポックルが倒れ付していた。

――――殲滅まで、僅か三秒。カップラーメンもびっくりだ。

戦闘シーンの描写すら、必要無い。類稀なる小物性を発揮する彼は、実はハンターの素質が凄いらしい。ヨウコ嬢が言ってた。

…信じられねぇ。





「プレート、ゲットだぜ」

「これで、二人共合格ですね」

「……ああ、」



感動としては、微妙。





そっと撫でた、兜の側面。そこに残った傷痕に、なんとなく、自分の能力がわかってきたような気がした。



…いや、勘違いの可能性も、多分にあるが。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ササキさんに、ヨウコ…だったか?」



三度目の飛行船。

ヨウコ嬢と二人。ベンチに腰掛け、外の景色を見ていた俺達に、声が掛かる。



「―――クラピカ?」

「やぁ、お互いに、合格、おめでとう」

「ああ、」



膝の上のヨウコ嬢は、じっとクラピカを見ているだけ。

…何故だ。具現化系とも、相性が悪いのか?





挨拶の後、クラピカは口を噤むと、唐突に、俺達に向けて頭を下げた。



「二人共…一次試験の時は、本当にすまなかった」

「……古いことを持ち出すな」



律儀過ぎる。場合によっては、“陰険”と言い換えてもいいくらいに、しつこい。



「いや、数秒のこととはいえ、私は、自分の目的と、信念と…君達の命を、秤にかけた。かけて、しまった…!」

「…………」



律儀で、ついでに、いい人過ぎる。

…何を難しく考えているのか、こいつは。



眉を顰めながら、口を突いたのは、汚い、打算。



「――――じゃあ、借りを返せ」



そう言うと、クラピカは僅かに動きを止める。

硬直は一瞬で、すぐさま、その口が開いて、言葉を続ける。





「……私に、何が出来る? 言っておくが、“次の試験で手を抜け”というのは、出来ない」





吐き捨てるような、俺の横柄な態度は、わざとじゃない。

…わざとじゃなかったのだが、多分、こういった真面目な状況が苦手なのだろう、俺は。

逆にクラピカは、どんな場面も、真面目に考えるタイプのようだが。



ヨウコ嬢の頭を柔く撫で、“頼み事”を、口にする。





「いつか、この子が、何か困ったら…助けてやってくれ」

「…ササキさん?」



胸元からの疑問は、とりあえず無視した。





俺の要求に少しだけ目を見開いたクラピカは、一拍の間を置いて、答えを返す。





「それは、構わないが…。あなたがいるのに、私の助けが、必要になるのか?」

「…ありえねぇ、」



俺を買い被っているのか、ただ単に、そのままの意味なのか…。

首を振って、欠片ほどの誠意を、見せた。





「――――頼む、」



俺は、兜に包まれた頭を、下げて。





それを受けたクラピカの返答は、勿論、決まっていた。





本当に“此処”の人達は、いい人過ぎて。その様子に、少しだけ困った。



それでも、少しだけ、気が楽になったのは、確かなこと。

…願わくば、この“貸し”が、役立つことが無ければ、いいのだが。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『受験番号406番の方、406番の方、お越し下さい』



その放送に、腰を上げる。

応接室の扉の前、そこでヨウコ嬢と別れて、中へ入る。



「…少し、待ってろ」

「はい、待ってます」



他の受験生は、もう面談を終えている。

俺と、その次のヨウコ嬢が最後に回されたのは、番号順なのか、成績順なのか。





室内は、和風だった。



…すげぇ、和風だ。懐かしい。

そしてそんな場所で全く違和感の無い会長は、一体何処の国の人なのか。それとも、“ジジイ”という年代は、誰だろうと、こんな感じなのだろうか。





「ほれ、ワシも疲れてきたんじゃ、さっさと座らんかい」





…落ち着け。“扱いが悪い”だなんて、そんなのは、気のせいだ。



俺が座布団の上に腰掛けると、唐突に、枯れ木のような手を、差し出された。

それを見て、とりあえず、握る。ついでに、軽く上下に振った。

――――成程、意外とフレンドリーなジジイだ。苦しゅうない。



しかし、ジジイは何故か、不服そうだった。



「…何をしとるんじゃ、おぬしは」

「握手。シェイクハンドだ」

「そんなもん知っとるわい! ワシには、男の手を握る趣味なんか無いぞいっ!?」

「いや、俺にも無ぇよ。何言ってんだ?アンタ」



当然だろう。こちとら、日々ヨウコ嬢の手を握っているのだ。一体どんな電波を受信すれば、老人の肌の手触りを楽しむような、奇特な趣味が生まれるのか。ジジイの発言は、ある意味、名誉毀損に近い。





「受験料じゃ」



会長の一言は、要点だけだった。





「……すまん、意味がわからん」

「―――じゃから、ハンター試験の受験料。というかおぬし、受験登録申請すらしておらんじゃろが」



ジジイの言葉に、暫し、考え込む。

たまにおるんじゃよなー、などと言っているが、激しくどうでもいい。…ていうか、居るのかよ、偶に。



「悪い、うっかりしていた」



…勿論、嘘だ。事故で試験に乱入してしまったのだから、登録など、している方がおかしい。

それを聞いた会長は、あからさまな、ため息を吐く。…カチンときた。年上には容赦しませんよ、俺は?



もう一度手を差し出されて、一言。



「ほれ、受験料」

「…………」



それを見て、俺は懐を探る。

取り出したガマグチの中には―――――





「すまん、いくらだ」

「一人、一○○、○○○ジェニーじゃ」

「――――嘘だな」

「…ほう、何故じゃ?」





十万ジェニー。日本円に換算した額は、謎だ。ヨウコ嬢なら、知っているだろうか。

ともかく、十万。

そんな額を、くじら島でゴン少年の帰りを待つ“ミト”さんや、人の命を救うために、自分の命を賭けてまで受験した、“レオリオ”に、払わせたのか?…ありえない。ありえるのなら、そんな非人道的組織、潰れてしまえ。というか、ボロ儲け過ぎて腹が立つ。





ついでに言うと――――俺のガマグチ君の中には、一万一千二百三十ジェニーしかない。





「世知辛い、世の中だ…」

「ふむ、」



思わず零れた呟きは、純度100%の本音だった。





「まぁ、嘘なんじゃがな」

「よしジジイ表へ出ろ」





確信した。

――――このジジイとは、絶対に、馬が合わねぇ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ほいじゃ、ここに、指を当ててくれんかの」

「…何だ、これ」

「“ハンター試験応募カード”。名前、書いてあるじゃろ」

「読めん」



即答する。

このジジイを相手に、体面を気にする必要も感じなかった。会長っぽい威厳が無ぇし。



「…まぁええわい、ほれ、指」

「断る」



もう一度、即答する。

傷ついたような表情をするジジイにも、同情など、湧かなかった。



「………おぬし、ワシのこと嫌いかの?」

「フン、メンチさんに説教する時、「チチでけーな」とか考えてたジジイの、どこを好きになれと?――――大人しく逮捕されていろ、変態ジジイ」

「おぬし、何故それを――――っ」



会長が、戦慄する。メンチさん本人に、その当時の思考がバレたら、きっと袋叩きだ。



「…何じゃ、おぬし、メンチ狙いか?」

「ノーコメント。…つーか、その結論に至った、経緯がわかんねぇよ」

「てっきり、童女趣味なのかと思っとったがのう」

「ノー、コメントだ…っ」



完全に否定できないのが、色々と辛い。胃薬はどこだ。

機会があれば、カウンセリングを受けよう。いい加減、俺の理性も、限界が近い。

苦悩する俺に、ジジイの声が降り注ぐ。





「ふぅむ。それじゃあ、名前、年齢、出身…くらいかのう。後はええわい」

「…いいのか?」

「構わんよ。“自分の情報を他に漏らしたくない”というのは、ハンターなんぞやっておれば、自然とそうなるもんじゃしの」



――――その言葉に、思い出す。



協会の電脳ページに、自分の写真を、大写しにしていたジジイ。

「会長の今日の一言」というコーナーに、趣味や、誕生日(プレゼント大募集じゃ、とか書いてあった)、果ては個人のアドレス(美女からのメール、大歓迎じゃ、とか書いてた)まで公開していた、ジジイ。ジジイ、嗚呼、ジジイ――――…!!





「おいジジイ、説得力無ぇぞコラ」





ツッコミは無視された。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「それでは、最終試験前に、いくつか質問をいいかのう?」

「駄目だ」

「まずは―――何故、ハンターを目指す?」



…また、無視。ぶっ飛ばしていいか?



「先立つものが、必要だから」

「…ライセンス取って、速攻売る気か、おぬし」

「ノーコメントだ」



というか売る。きっと売る。

ヨウコ嬢の許可が下りれば、俺はその時こそ、音速を超え、質屋へと走る。





それに答える、ジジイのでかいため息は、普通に腹が立った。





「では、おぬし以外の9人中で、一番注目しているのは?」

「……407番」



実際には、主人公チームやヒソカやギタラクル…殆んどだ。



「9人の中で、今、一番戦いたくないのは?」

「407番以外、全て」

「…“一番”、と言ったじゃろうが」

「他は全員、同率だ」



本当に“戦いたくない”のは、407番―――ヨウコ嬢、だけ。ヒソカは…試合になれば、さっさと降参すると、既に決めている。





ジジイは一枚のボードを見ながら、ふむふむと頷く。



「質問は終りか、ジジイ」

「そうじゃのう…」



…まだあるのか?

憶えている限り、これ以上の質問は、無かった筈だが…。





「おぬし、――――巨乳派?貧乳派?」

「病院へ行け」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


入れ替わりに呼ばれたヨウコ嬢を、扉の前で待ちぼうけ。

決めた当初は色々と考えていたが、距離の制約を守ることにも、慣れた気がする。





周囲に、誰もいないことを確かめて、兜を外す。

両手で抱えたゴツイ黒兜には、綺麗な切り傷が一筋、残っていた。



――――“黒の城砦・白の城壁(ブラックフォート・ホワイトウォール)”。



俺を守るための、俺の「鎧」。

その筈なのに、酷く脆い。条件も、無駄に厳しい。



その弱さは、俺の貧弱さによるものなのか、それとも、何か別の理由があるのか。

例えば、そもそも、その能力を勘違いしている、とか――――





「ササキさん、」

「…終わったか」

「はい、セクハラが酷かったです」

「――――よし、殺そう」



あのジジイ、うちの子に何しやがった。殺す。殺せ。俺が許す。





「あの、…冗談です」





俺の熱意は、ヨウコ嬢の一言で消え去った。

…笑えない冗談は、やめてほしい。

危うく、外套の制約を破るところだった。ジジイの命と制約では、割に合わない。…無論、比重は制約寄りだ。





「…組み合わせ、どうなるんでしょう?」

「…さぁな、」



目論見通り、俺とヨウコ嬢が当たれば、いいのだけど。



もっとも、俺の狙いなんてジジイは全部わかっていて、吐いた嘘が全部バレて、尚且つ狙いを外されれば、―――あとはもう、祈るしかない。

俺のベストは、ヨウコ嬢と俺が当たり、俺が敗北宣言を行い、結果としてヨウコ嬢の無血合格を成すこと。俺は、合格できるのなら、合格したい、といったところか。

…そう上手くいくことは、無いのだろうけれど。





「ジジイが、素直に汲み取ってくれれば、いいんだがな」

「…はぁ、」



組み合わせは、面談の他にも判断要素があった気もするが、後は、祈る以外に、方法がない。





放送が行われ、飛行船は、一件のホテルに到着した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「よくやったな、ジジイ」

「おぬし、もう少しワシを敬おうとは、思わんのか…?」

「何故だ、ちゃんと褒めたぞ? ジジイは大人しく、はにかみながら、恭しく礼を述べるべきだと思うが」

「ササキさん、それも、ちょっと気持ち悪いです」

「…そうか。すまん、」

「おぬしら…、」



ジジイとの戯れに、大した意味は無い。

組み合わせの結果は、まぁ、良いものだと、思う。多分。





第一試合が、ゴン少年と、ヨウコ嬢。



――――その敗者と当たるのが、何故か、「俺」。

…何故だ。ジジイ、俺の目論見としてはありがたいが、おかしいだろ、これは。ついにボケたのか。





その敗者が、更に次の、ヒソカと当たる。

次が、レオリオ。

更に負けると、隣ブロックの敗者との、決勝戦だ。



…負け越し・勝ち抜けのこのシステムは、考案者の根性が腐っていることを、明確に表していると思う。





残りの受験生は全て、隣のブロックに。

そちらの組み合わせは、大して関係ないから、気にする必要も無い。





「しかし、――――何故だ」

「気にしなくても、いいんじゃないですか?評価が良いに越したことは、無いです」

「……何かの陰謀か、これは」



この最終試験では、チャンスが多い=今までの試験評価が良い、ということ。

そして俺は、かなり、チャンスを多く、与えられている。…ありえねぇ。



俺の評価が良いだと?俺がこの試験中、一体何をしたというのか。―――考えるまでもなく、何もしていない。絶対の自信がある。俺の評価は最低値。それがデフォルトの筈。

どうしてだ、一体何処で間違った? 俺は一体、何をしてしまったんだ!?





…ああ、頭が痛い。すげぇ痛い。

常駐しているものとは違う、別の種類の痛みだ。幻痛かも、しれないが。





「………はぁ、」



ヨウコ嬢のため息が、少し遠い。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「第一試合、ゴン対トキワ!」



そういえばヨウコ嬢は、試験中の名前を、苗字で通しているんだった。…俺も、だが。

トキワという名前に、一瞬、誰のことかと首を傾げた。

俺は名前で呼んでいるのだが、それも、本人には好まれていないのかもしれない。



唸る。

唸って、考えても仕方ないことだと、視線を、ヨウコ嬢へと向けた。





「ゴン」

「うん、何?」



部屋の中央で、少年少女が向かい合う。

その場面だけを見れば、とても、ハンターになるための、最終試験とは思えない。

俺は制約の百メートルを維持しながら、観戦する。

…二人共、怪我、しないといいんだが。





他の受験生たちの見守る中。



――――突如、ヨウコ嬢のオーラが膨れ上がり、ゴン少年を、飲み込んだ。





…ありえない。また、規模が大きくなっている気がする。



呑み込まれたゴン少年は、縛り付けられたように、動きが止まる。

その光景に既視感を感じたが、…大丈夫。“そんなこと”は、ありえない。信じよう。



ヨウコ嬢の小さな口が開かれて、そこから零れた言葉が、場内に響き渡る。





「――――退く気、無い?」





疑問系だが、それは紛れも無く、“脅迫”。



一体、いつから、こんなことをする子になったのかと、俺は走馬灯を走らせる。

周囲の受験生も、一部例外を残して、息を呑む。

俺も後退りたいが、制約は、守らなければならない。…泣きたくなる。





義理と人情の板挟み。

俺が途方に暮れていると、予想通りの声が、広い会場内に響き渡った。





「嫌、だ―――っ!!」



…だろうよ。

ハンゾーの拷問にも耐え切れるゴン少年は、目前にあるのが“死”の可能性であろうと、“自分”を折る事だけは、多分、絶対にしない。



どうするのかと、見守っていた俺の、目の前で――――





「そう。じゃあ、“降参”するわ」

「――――――え?」





会場が凍った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――“蟻”に向ける「剣」は、持ってないの」



そんな酷い台詞を言い捨て、ヨウコ嬢は、俺の傍に戻ってきた。





「…いいのか?」

「はい。子供の我儘には、付き合えません」



…お前も、“子供”の筈なんだが。

そんな思考は、口に出さない。怖いから。



「時間、かけたくないですから」

「まぁ、お前がいいなら、いいんだが…」



いっそジャンケンでもすれば…駄目か。ゴン少年は、ジャンケンが強い。

…それでも、少し頭を捻れば、ゴン少年に勝つくらい、簡単だと思うのだが。そう思う俺は、やはり考えが足りないのか。





「第二試合、ハンゾー対クラピカ!」



第二ブロックに於ける、第一の試合。

この最終試験、随分と“ストーリー”が変わっている。



「どっちが勝つ?」

「“ハンゾー”です」

「…何でだ? クラピカも、強いだろ」

「忍者ですから」



納得出来たような、出来ないような。微妙な説得力だ。

ハンゾーの強そうなシーンなんて、記憶に無い。けれどクラピカには、ある。――――俺の判断材料は、その程度に過ぎないから、ヨウコ嬢に対する反論も、思いつかない。





クラピカの武器は、互いの柄を紐で繋いだ、二刀流。

対するハンゾーは、手の甲の辺りから真っ直ぐに伸びた、剣が一振り。





俺には、互角にしか見えなかったのだが、――――スピードの差か、ハンゾーの勝利。…本当に勝ったよ。





「…マジか」



横を見ると、自慢げなヨウコ嬢。

褒賞が無いのも可哀想なので、とりあえず、頭を撫でて、褒めておく。





「第三試合、トキワ対ササキ!」



次は、俺と、ヨウコ嬢の試合。

覚悟を、決める。





「始め!!」





聞こえるのは、開始の合図。それ以前に、俺は、息を大きく吸っていた。



―――――勝てるっ!!





「参った!!」

「参りました!」





互いの声が、同時に響く。



会場が凍る。





「…ヨウコ嬢、俺の、勝ちだな」

「そんな、ササキさん…っ、ズルいですよ!?」

「ふ…っ、勝ちは、勝ちだ」



勝ち誇る、俺。

ただ、ヨウコ嬢も同じ考えだったのは、少し驚いた。“狩られる”ことを、覚悟していたのだが…。





「あの…?」



審判が、恐る恐る、声をかけてくる。



それに向かい、俺は自信満々に、言い切った。





「ああ、審判、俺の――――“負け”だ!」

「卑怯です…っ」



きっと、今の俺は、凄くいい笑顔だろう。輝いているかもしれない。

悔しがるヨウコ嬢は、中々に微笑ましかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「馬鹿ですか?馬鹿ですよね?どうするんですか、次はヒソカなんですよヒソカ。勝てるんですか? ササキさんは」

「勿論、神速で降参する」

「……はぁ、」



ヨウコ嬢の繰り出す、マシンガンのような責め苦も、今の充実感溢れる俺には、蚊ほども効かなかった。





「お前ら、何やってんだ…?」

「レオリオか。俺は、勝った。褒めてくれ。―――言えるのは、それだけだ」

「いや、お前が負けたんだろ」



…凡夫にはわからぬか、この、輝ける勝利が。これだから、放出系はいかん!

肩を竦めて、首を振る。俺のアメリカンな仕草に、レオリオは去っていった。…呆れられたのだということは、なんとなくわかる。わかりたくもないが。





次の、第四試合。

クラピカ対、キルア。

これでキルアが合格だ、と俺は安心していたのだが…。





「手負いのあんたなんかとやっても、つまんないからね」



そんな一言と共に、クラピカが勝利、合格。



俺の気持ちとしては、お先真っ暗、といったところだ。

嫌な未来予想図だけが、脳裏を駆け巡る。

まさか、ボドロまで「戦ってもつまんなそう」とか言って、次のギタさんに――――





頭を振る。必死に振った。





「ありえねぇ…」

「ササキさん?」

「なんでもない、」



そう言って、ヨウコ嬢の問い掛けは、流す。

流せた、つもりだったのだが、



「キルアですか?」

「……ああ、」



口に出すと、更に、不安感が増す。

まさかそんなことは、と思いながら。それでも不安を感じるのは、ただ、俺の弱さのせいであればいい。

そうでなければ、救いが無い。BAD ENDのご都合主義は、却下だ。



「…調子に乗る癖、ありますからね」

「キルアが?」

「はい」



その会話も、不安感を払拭することは出来ない。むしろ、倍増する。





「それより、次はササキさん…ヒソカと、です」

「平気だ、速攻で、土下座してくる」

「………はぁ、」



ため息が痛いが、当然の措置だ。あんなピエロとやってられるか。ドナルドに謝れ。

戦えば、半殺し。…いや、この外套があるから、不慮の事故で死ぬかもしれない。

俺も、DEAD ENDは、勘弁して欲しい。





「第五試合、ササキ対ヒソカ!――――始め!」

「参った」





会場が、凍る。



…ですよね。本日三度目だもんね。仕方ないよね。やってる俺だって、そろそろ、首吊りたくなってくるからね。



だからみんな、その冷たい視線を、やめてくれ。心臓が痛い。





「くっくっくっ♦」



だが、ヒソカにはウケたようだ。…嬉しくねぇ。



「期待外れ…と思ったけど、やっぱり君は面白いね♣」

「いや、全っ然、期待はずれだから」

「♠」

「…わかんねぇよ。日本語を喋れ」



本当に、何語だろうか、この“音”は。





ため息をつく。

疲れた心を癒そうと、会場内に居る俺の“癒し”を求め、視線を巡らせると――――





「…はっ?」





巡らせた先に、“キルア”が居ない。





ギタラクル――――“イルミ”の姿も、消えていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ありえねぇ―――っ」



呻いて、叫んで、歯噛みした。

この馬鹿でかい部屋の出入り口は、一つ。観戦する受験生達の背後。そこにある、両開きの扉だけ。

――――いつ出た。どうやって出た?誰か止めなかったのか?



考えるのは、今更で。焦るのだって、今更だった。





「くそ…っ、」



踵を返して、扉へ走る。

途中、駆け寄ってきたヨウコ嬢が、俺の手を握り締めた。



「ササキさん?」

「キルアがいない。ギタラクルも、」

「…どうするんですか?」

「―――――」





どうしろ、というのか。

今更二人を探すくらいなら、四次試験で、キルアを不合格にしておけばよかった。絶対不可能なことでは、なかった。むしろ、分の良い賭けだった。

あの時“見放した”癖に、今更、気にしている。



「―――俺は、馬鹿だ」

「……はぁ、」



ヨウコ嬢のため息は、当然だ。俺だって呆れている。

刹那的に生きている自分は、嫌いだった。



誰かを傷付けた時に、いつも、それを思い知る。





「止めるぞ」

「――――はい!」





快い返事には、やはり、罪悪感を得る。

こんな子供を良いように使っている自分は、悪い人間だ。ヨウコ嬢も、さっさと見切りをつけてくれればいい。



そうなった時、何も出来なくなるのは、間違いなく俺の方で。





「おい、お前らどうし―――」



掛けられる声は、無視した。時間が無い。

今現在、キルアが、ギタラクルに“苛められて”いるんじゃないかと。そんなことを考えて、その想像に、心臓が痛い。

それより、何よりも気に食わないのが、自分自身。





「最悪だ…」



扉の外は、左右に、道が分かれていた。

互いに、しばらく進んだ先は、曲がり角。その先は、何があるのか、わからない。



「「円」、三百メートル可能な人も、いるんですよね」

「人間かよ、そいつは…」



俺の限界は、半径十メートル。この広いホテルを探すには、不足過ぎる。





「―――適当に行きましょう。下手な鉄砲、です」

「適当に行って失敗したら、俺は首を吊るぞ」

「させません、」





頭を振って、走り出す。

手を繋いで走りながら、自分が、ヨウコ嬢の足手まといになっていることが、わかる。

オーラの密度が違う。強化の習得率が違う。歩幅の差なんて、小さなものだ。

特質系の自分を、適当に呪って、全力で走る。





「――――どこ、だっ!?」



いない。

走った先、曲がった先。聞こえる物音も、俺達の走る音しか、聞こえない。



このホテルは、今日はハンター協会の貸し切り。試験関係者以外がいないのだから、何も聞こえないということは、何よりも分かりやすく――――進んだ道が、間違いだということを、明示していた。



「焦らないで下さい。一度、戻りましょう」



涼やかな声で、必死に、気を落ち着ける。

考えてみれば、次はキルアの試合。相手は――――





「マジ、か…っ」



ここで、ボドロが殺される展開は、“あり”か、“なし”か?





メタ的な疑問は、恐らく、ただの逃避だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


走って、走って、ようやく戻った最終試験会場。その扉の前。

そこで聞こえてきた声は、ブチ切れそうなほど、タイミングの良いもので。





『――――ア対ボドロ、始めっ!!』

「ありえねぇ…っ!」

「壊しますっ!」



無数の“黒の槍・白の剣”が、扉を、粉々に粉砕する。

飛び散る破片の中で、白髪に白髭のボドロが見えた。そしてその対面に――――キルア。



「…どっちだ、“後”か、“前”かっ!?」



俺の、勘違いなら、いい。

たまたまキルア少年とギタラクル―――イルミが同時にトイレに向かった。

もしくは、試合後、巡らせた視線の先で、俺がどちらかを見落とした。

二人が会場外で会っても、キルアが、ボドロを殺すような事態にまで、至らない。





――――馬鹿め。言い訳だ、“そんなもの”は。





床を蹴った。俺と、キルアが。ほぼ同時に。

距離は、キルアとボドロの方が、近い。俺が「硬」で地面を蹴っても、間に合わないくらいの差が、そこにある。



俺により近いのは、ボドロ。けれど、そこまで。

俺がどれだけ速く走ろうと、キルアの攻撃を防ぐには、至らない。





…違ったら、謝ろう。土下座でも、何でもいい。俺が取ったハンター証を、失格者にあげてもいい。





「“黒の城砦(ブラックフォート)”っ!!」



右手で握り締めた外套が、振るった腕に引き摺られるように、全身から剥がされる。

霧状のそれを、ギリギリまで振り翳した腕の先、ボドロの目の前に広げた。





「何を―――っ!?」

「406番っ!!1対1の―――」





俺の指先に、ギリギリで引っ掛かったままの、外套。



それに覆われた、キルア少年の右手。

黒布を“突き破った”指先は、鋭く形を変えて、不吉なものを感じさせる。





「一応、聞いとくぜ。今、何しようと、した…っ」

「……何で、」



質問には、小さな呟きが、返ってきた。



けれど俺は、それを聞き終える前に、“赤”に呑まれて。





意識の落ちる直前。

幼い少年の顔が、泣いているように見えたことが、酷く、腹立たしい。





[2117] Re[4]:雨迷子~常葉葉子の場合~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:47


――――気が付けば、ポックルがいなくなっていた。



「…………」

「…まぁ、多少鋭い人なら、気付きますよね」

「…………」

「ササキさん?」



振り仰いだササキさんは、無表情。…兜のせいで、顔なんて見えないけど。





「あ、り、え、ねぇぇええええええええあああああ―――――――っ!!!」





突然空を振り仰ぎ、ササキさんが絶叫した。



私はびっくりして、思わずメートル単位で飛び上がりそうになり、ササキさんに引き摺られて、着地する。





「…………」

「さ、ササキさん…?」



恐る恐る。

こんなササキさんなんて、初めてで。私はちょっとドキドキだった。色んな意味で。





「ポックル…」

「…はい?」

「ポックルポックルコロポックルポックルポックル」

「――――落ち着いて下さい、ササキさん」



途中、アイヌの小妖精が混じっていた。





ササキさんは、壊れたようにポックルポックルと繰り返し、私を引き摺ったまま、歩き出す。

…進む先に、ポックルが、いるのだろうか。

ササキさんの「円」は、半径十メートル。既に“ノブナガ”を超えているのは、ササキさんが、そちら方面の才能に恵まれているのか、ノブナガがアレなのか。どっちだろう。



ともかく、ササキさんの「円」では、そう簡単に、逃亡中の人間を見つけるなんて、出来ない。

にも関わらず、早足で進むササキさんは、迷い無く、脚を動かしていた。





「ポックルポックルポックルポックル…」





――――ああ、これは、わかってないな、と。



私がそれを理解するのは、数分の後。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


四次試験、三日目。

今朝もササキさんに抱かれて起きた私は、正に絶好調であった。

今なら、ヒソカだって、怖くない。





――――そんなことを、考えてしまったからだろうか。





暴走中のヒソカと、私の、目が合った。





「――――ありえねぇえええ!!」



私もササキさんのように、叫んでしまいたい。





強い力で抱きしめられつつ、“お姫様抱っこ”で運んでくれないかと、そんな、どうでもいいことを考えていた。

背後から追ってくるヒソカは、相変わらず、表情がおかしい。オーラの量がおかしい。ついでに、頭もおかしかった。



現在の私のコンディションは、現在望める中での、最高値。

制約による能力強化によって、攻撃が当たりさえすれば、ヒソカを瞬殺することも、恐らく、可能。



逆に、防御力には、不安がある。

私の「念」は、オーラの量や、スタミナが、イマイチ。技術は、出来うる限りを、積み重ねてある。けれど、それだけ。

あとは、――――戦闘経験?





…微妙に、勝てそうにない。

私の攻撃は、全部直線だし、ヒソカの攻撃は、なんでもありな気がする。



「ヨウコ嬢、何か、手はっ!?」



安易に尋ねてくるササキさんも、不安材料。

怪我なんて、させたくない。でも、ササキさんは私単独での戦闘行為を、絶対に、許してくれないだろう。



「…記憶によれば、近くに、ゴンが居ます」

「役に立たん、却下だっ!」



一応口には出したけれど、この時点で、既にゴンを利用する手段は、不可能になっている。

いくらゴンでも、念能力者二人の全力疾走に、数分以上も、追い縋れるとは思えない。元より、ササキさんが了承するとも、思っていない。





「――――急がないと、死体が三つ、か…っ!」

「そんなことは、させません」



ササキさんの呟きに、それだけを返す。

…させない。

あのヒソカを、どうやって殺すか。どうやってササキさんを傷付けずに、殺すか。

それだけを考えて、結局はやってみなければ、わからない。



「やぁ、久しぶりだね♣ …それにしても、逃げることないじゃないか♥」

「鏡を見なさい、変態ピエロ。友達が欲しいのなら、まずは、整形をお奨めするわ」

「挑発するなぁあああっ!!」



挑発は、確かに、意味が無い。

動揺するようにも見えないし、逆に、燃え上がるタイプに見える。…変態め。



「ってか、早っ!お前、早っ!!」

「くっくっく、相変わらず、面白い反応をするね、君はっ♣」

「う、れ、し、く、ねぇえええ――――っ!!」



叫びながら走るササキさんは、意外と、余裕がありそうに見えた。

顔の全面を笑みに染めたヒソカは、相変わらず、怖い。ゾクゾク、する。



「“黒の槍(ブラックスピアー)”!」

「おっと♦」



その顔を見ていたくなくて、ヒソカに向けて、“黒の槍”を放っても、予想通りに、躱された。

直線では駄目。けれど、私の「剣」は“貫く”もの。直線以外は、恐らく効果が見込めない。

…どうしろと、いうのか。





「本当に、おかしな二人だ♣」



おかしいのは、お前だ。鏡を見ろ。



「黒い服の君―――その子に隠れて、君は、一体何を隠しているのか…♠ 君がどれだけ“使える”のか、見てみたいな♥」

「同性愛なら、シンガポールへ行けば良いわ」



――――狙いは、ササキさんか!



前回の戦闘で、無駄に力を見せ過ぎた。

私が中途半端な力を誇示して、そのせいで、パートナーのササキさんにまで、不快な期待を向けられるなんて…。





「今は、君に、用は無い――――っ!」



ヒソカの殺気が、膨れる。





寒気がした。





「ササキさん、右にっ!!」



私の正面、ササキさんの背後。

ヒソカが「陰」によって隠した“バンジーガム(伸縮自在の愛)”。

それが、真っ直ぐに、こちらへと伸びて―――――



「遅い♦」



宙に投げ出される。

私に向けられた“バンジーガム”を避けて、けれどそのせいで、ササキさんから、手を離してしまった。

視界の端のササキさんは、その両腕を捕らえられている。





「―――ヨウ、コッ!!」



その呼び声に、頬が緩んだ。不謹慎だけど、「念」による戦闘は、精神状態が関係するのだと、そんな言い訳を、自分に投げかける。



爪先から地面へと、“黒の槍”を伸ばし、そこを基点に宙返り、着地する。



自分の行った、咄嗟の機転に、ほっとする。

あの速度で放り出されれば、どこに飛ぶかはわからない。数メートルとはいえ、ササキさんと離れるのは、かなり不味い。



「――――ササキさんっ!!」



呼びと同時に、ササキさんの状況を確認する。

両手と右足を“バンジーガム”に捕らえられて、まるで人形のような姿勢。

…かっこ悪いです、ササキさん。



「ササキさんを、放しなさい」

「駄目だね♠ 君らの本気を見たくて、わざわざ探しに来たんだから♥」



本気が見たいなら、すぐに殺してやる。

ブチ撒けられた、自身の血肉の中で、それを確認するといい。





「“青い果実”に会って、欲情しちゃってさ、どう静めようかと、困ってたんだ♠ …でも、君達なら―――申し分、無い♣」



“青い果実”――――推測するに、クラピカとレオリオ。

厄介な場面だ。大人しく、原作通りに大鼻の男を襲えば、いいのに。



「――――“白の城壁(ホワイトウォール)”」

「――――っ♦」



その声で、外套が溶け落ちた。――――“バンジーガム”との、接着面も、他も、全て。



拘束から抜け出したササキさんに、私は、目から鱗が落ちたような気がした。

――――霧状の外套は、“バンジーガム”でさえ捕らえられない。



まさか、そんな使い方があるとは、思わなかった。

すぐ傍へと駆け寄ってきたササキさんに、私も近付いて、その手を握る。





「…そういえば、“前回”も、そんなことをしていたね♣」

「手品のタネが欲しけりゃ、自分で探せよ、“奇術師”」



威勢よく啖呵をきるササキさんが、ちょっと、かっこいい。





「…じゃあ、そうしよう♥」



答える道化は、舌なめずりをして、嗤った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ササキさん、「凝」を、怠らないで下さいっ!」

「苦手なんだよ、あれっ!!」

「我慢して下さい! あとで、いっぱい撫でてあげますから!」



というか、私を撫でて欲しい。



左目だけにオーラを集めたササキさんは、随分と辛そう。

細かい調節が、苦手なのだ、この人は。





「くくくくくくくくくくくははははははは、ハッ♠」

「…壊れたぞ、あいつ。どうする、今の内に、逃げるか?」



身構え、オーラを「練」り上げる、私達。

それを見て嗤うヒソカと、その様子を揶揄するササキさん。



「ササキさん、ひょっとして、余裕あります?」

「無ぇよ…」



…嘘っぽい。

未知の能力に歓喜する、ヒソカ。私自身、相対するだけで、震えが走る。

この期に及んで、軽口の続くササキさんは、ちょっと…おかしい。特質系というのは、こういう人達の集まりなのだろうか?



「どうする、」

「抱き上げてください」

「…マジか」



主語の無い問い掛けには、本音で答えた。

ササキさんを守るためにも、私のオーラを充実させるためにも、必要な措置だ。…決して、状況を利用しているわけでは、ない。

私の身体に回された腕は、意外と、力強い。

攻撃の出来ないササキさんは、空いた両腕で、私を支えてくれる。





「――――♠」



そして、私の至福を邪魔する、道化が一人。



右手から伸びる、“バンジーガム”。

ササキさんはそれを避けるけれど、避けられた“バンジーガム”は、そのまま私達を通り過ぎて、背後に伸びる。

――――違和感。



そして、それを追うように走りこんできた、ヒソカ。



「“白の剣(ホワイソード)”!」



伸ばした「剣」は、一本だけ。

当たる確立が低いからこそ、オーラを無駄にするわけには、いかない。

威嚇に過ぎない一撃を避けて、ヒソカはそのまま、真っ直ぐに私達の背後へと、“跳ぶ”。





「…後ろの、樹木にっ?」



振り向いた先、私達の、すぐ後ろ。

背後、潅木に張り付いた“バンジーガム”を基点に、ヒソカがぐるりと、進行方向を転換する。

逆転した力の流れ。その動きは、速い。



そこには、今度こそ、確かな攻撃の意思が、見えた。





「――――頼むぞ!!」



――――ササキさんは、受け止める気だ。



嫌だ、駄目、止めろ――――拒否の言葉が浮かんで、押さえ込む。





「はい…っ!」



殺す。絶対殺す。次で殺す。

手首から先を軽く振るって、準備をする。ヒソカの末路は、粉微塵に、決めた。

…その結果、ササキさんが死ねば、私も一緒に死ぬ。それだけだ。

「剣」の誓約が、必ず、それを叶えてくれる。





ヒソカが、その右拳を突き出す。

迎え撃つササキさんに、“期待”しているのか。今までの中で、一番大きなオーラが、迫ってくる。



嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――





呪うように繰り返す、その言葉のままに、ササキさんが、ヒソカの拳を、その兜で受け止めて、





断末魔にも似た、愛しい叫びが、私の臓腑を、凍らせた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あぁああああアアアああアぁああ嗚呼亞ああああああァあああAH―――っ!!!?」





思いも寄らぬ、大絶叫。

こんなもの、ただの一度も聞いたことが無い。聞きたくない。何故。



“白の城壁”。

その兜は、ヒソカの拳で砕け散り、ササキさんの顔を外気に晒している。

露になった額からは、赤い、一筋の血が流れている。





「っ、ササキさん、ササキさん、ササキさん―――っ!!」



呼び声に、力が、篭らない。

いくら呼び掛けても答えない、抱きしめても、冷えていく。

脅えるような叫び声は、衰えることもなく。



寄る辺のなくなった私は、唯一の、感情の行き場を、ヒソカに求めた。





「ヒ、ソカ!!何をしたっ!?」

「…………♦」



振り仰いだ姿には、何の感情も見えなかった。

敢えて当て嵌めるならば、それは、酷く、つまらなそうな。



「ボクは、何も♣ 強いて言うなら、かなりのオーラを、篭めていたけれど♦」

「――――っ!」





…わかっている。

この絶叫は、痛みに苦しむものとは、思えない。何か、別の―――。



ヒソカの能力は、二つ。“バンジーガム(伸縮自在の愛)”と“ドッキリテクスチャー(薄っぺらな嘘)”。それ以上があったとしても、ヒソカは変化系。

操作系の能力は、無理がある。特質系は、不可。“脳、若しくは心に働きかける”という能力を、力技で作り出すことは、可能かもしれないけれど。…ヒソカは、そんなタイプじゃ、ない。





「アァアアァァァあああぁあ阿Ahhhhああああああああっ!!!」



叫びが止まない。

震えて、見開いた両目は、私を映してくれはしない。



「ササキさん!ササキさん、ササキさんササキさん…っ!」



その身体に縋っている私は、何も出来ない。

今から回復形の能力を、作り出す?――――何が原因で、どこが悪いのかもわからないのに?

呼び掛け続ける?――――私なんかの声が、届くとでも?

じゃあ――――――





「ササキさん…、ササキさんササキ、さん…!!」



零れる涙に、もう死んでしまおうかと、そんなことを考えた。

ササキさんは苦しそうで、叫びは痛々しくて、私は、寂しくて、酷く…寒い。





血を吐くような叫び声をあげて、見開かれた瞳は、私を素通りした。

もがく両手を握れば、弾かれた。





「…期待はずれ、だったかな♣」

「ササキさん、ササキさん……」



縋って、叫んで、聞こえる音は、叫び声。





「ササキさん、ササキさん…っ!」



呼びかけることしか出来ない。



縋って、拒まれて、それでも。





「――――カミヒトさんッッ!!!」





血を吐くように、それだけを呼びかけて。





叫びが止まったのは、――――――どうして、だろうか。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


気付けば、ヒソカはいなかった。

叫び声が止み、目を閉じて眠るササキさんの、額の血を、拭き取った。

木々の合間へと隠れて、静まり返った寝顔に、息を吐く。



膝の上に乗せた頭。

表情は、本当にただ、眠っているだけに、見えた。





「ササキさん、」



頬を撫で、自身から零れた涙で、ササキさんを汚すのが、嫌で。私は乱暴に、目尻を拭った。

啜る鼻音は、ササキさんには聞かれたくなくて、出来るだけ抑えようとしても、抑え切れない。



「ササキさん」



止まらない涙と、垂れ落ちた鼻水は、酷く、嫌な感触を覚える。

こんな顔、例えササキさんが寝ていても、見せたくはない。

けれど、離れたくない。



「ササキさん…っ」



起きて欲しい。

撫でて欲しい。

悪態を、ついて欲しい。

私のみっともない顔を見て、顔を顰め――――違う。ササキさんは、こんな私を見ても、ただ、心配するのだろう。



今は想像するだけの優しさが、また、涙を誘う。





「起きてよぅ…っ」





涙が零れて、ササキさんの寝顔を濡らす。

それが申し訳なくて、汚してごめんなさいと、反応の無い寝顔に謝って、拭き取り、けれど繰り返し。





そうしてササキさんが起きるまで、私は、ずっと独りで、泣いていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…あり、」



そんな声が聞こえたのは、いつだったか。

視界が暗くなって、明るくなって、日付の感覚なんて、泣いている内に、曖昧になっていた。



「ざさき、あん…?」

「…誰だよ、それ」

「ささきさぁん…っ!!」

「う゛ぉあ、!?」



名前を呼んで、ササキさんの、声が返る。



そんな当たり前が嬉しくて、相手の状態も考えずに、抱きしめた。





「――――痛いところ、ないですか?痒いところは?何か、何か私に出来ること、ないですかっ?」

「…あ゛ぁ、喉、乾いた」

「五秒…いえ、三秒、待って下さい」



そう言って、走った。

川の位置は、耳でわかる。丁度河原に落ちていたリュックから、コップ代わりになるものを失敬する。…危なかった。容れ物が無いなんて、初歩のミス。





最速で戻った私は、変わらずそこにある、ササキさんの姿に、心底から、ホッとした。





「…ヒソカ、は?」



問い掛けに、思わず言葉が詰まる。



「見逃されました」



正直、何がどうなって、ヒソカが消えたのか、わからない。

多分、見逃されたと言って、間違いは無いだろう。

ササキさんの異変と、ただ混乱するだけの私。殺すには、絶好の機会で、けれどヒソカは、それを良しとしない。…だから今だけは、ヒソカに感謝しよう。



どちらにしろ、今、ここにササキさんが居る。

私にはそれが全てで、見失いかけたものが帰ってきたことに、心の底から安堵する。





窺ったササキさんは、茫洋とした目付き。

その様子に、とても、心配になる。“あれ”は、一体何だったのか。

聞きたくて、けれど、聞けない。…話して、くれはしない。



「大丈夫ですか…?」

「余裕だ…、」



問い掛けには、少しの間を置いて、“嘘”が返ってきた。

顰められた眉と表情に、荒い息。

その様子は、健康体とは、程遠い。





「………すまん」



謝られて、胸が痛い。

私がもっと強ければ、こんなことには、ならなかった。

私がハンター試験なんて、望まなければ、こんなことには、ならなかった。



私が居なければ――――



「いえ、私の…せいです」



その先は、考えたくない。

自分が“此処”に居ないなんて、そんな寂しい想像は、嫌だ。

状況は、際限なく私を責める。けれど、私が此処に居ない“If”だけは、考えたくない。





「ありえん」



私の弱音を否定するような声が、嬉しい。

嬉しいと同時に、本当に、申し訳なく思った。



あなたをそんな目に遭わせたのは、間違いなく――――





「俺、どうなってる?ひょっとして、凄い事になってたり…」





そんな思考を遮ったのは、やはり、ササキさんの声で。



意識してか、無意識なのか。

強引な優しさが、死にたくなるくらいに、嬉しかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「今、何日目だ?」

「…え、っと、多分、四日目です」



日時は、よくわからなくなっていた。

まさか、泣いていたせいでわかりません、なんて言える筈もなくて。

自信なく答える私にも、ササキさんは、特に頓着しなかった。



そして、おもむろに立ち上がる。



「行くぞ―――」

「駄目です」



即座に、切り捨てた。

これだけは、譲れない。





「…ヨウコ嬢、時間が、無いんだ」

「そんなのどうでもいいです。もう、やめましょう。ハンター試験なんか、どうでもいいんです。早くリタイヤして、病院に行きましょう…」



どうでもいい。心底、どうでもいい。

ハンター試験? ハンター証? 私の、子供っぽい、小さな夢? ヒソカ? ゴン、キルア、レオリオ、クラピカ?―――――どうでもいい、全部、要らない。



「平気だ」

「嘘です」



ササキさんは、また、嘘を吐く。

平気で嘘を付いて、誤魔化して。けれどそれは、全部、バレバレで。



早く試験を辞退して、病院へ行って、ササキさんを診てもらおう。

何も要らない、どうでもいい、必要ない。ササキさんが元気じゃないのは、それだけで、





「泣くなよ、」





ため息交じりの、優しい声。

いつの間にか、私は抱きしめられて、ササキさんの外套に、包まれていた。





「―――「念」が使えるから、少々の怪我は、なんてことない。出血くらい、止められるんだぞ」

「でも、ササキさんはっ」



ササキさんは、怪我をしている。

頭の怪我は、本当に危ないと、授業で習った。「念」だろうと、例外は存在する。

早く病院に行って欲しい。元気になって欲しい。





私の頭を撫でる手は、優しくて、それに少しだけ、苛々する。





「ありえねぇ…」



その言葉で、全身が震えた。

――――拒絶された。否定された。



歯がカチカチと音を鳴らして、体の熱が、逃げていく。

抱きしめられた身体は、ササキさんから送られる熱さえ、受け付けなくなる。





震えながら、頭の上に、声が、降りかかった。





「ハンター証を取る」

「…………」

「それで、終わりだ。もう先も長くない。大した事じゃ、ない」



――――「終わり」「先も長くない」。



違うとわかっていても、言葉の響きに、震えが止まらない。

どうしてもその言葉が、“私との別れ”に聞こえる。



…違う、捨てない、違う、終わらない、違う。





「…何か、言ってくれよ」



優しい響きが、急かしているように、聞こえた。





ようやく搾り出したのは、否定の言葉。



「嫌です…」



嫌だ。

嫌だ、もう嫌だ。黙って欲しい。静かに、抱きしめていて欲しい。

もう、それだけでいいから。我儘は言わないから、何でもするから。



「頼む」



身体が冷えて、酷く寒い。

聞こえる言葉も、何も感じられなくて、





「頼む、…ヨウコ、」





呼ばれた名前に、涙が零れた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「スタート地点に、戻ります」

「…マジか」



…吐き出した声は、おかしくなかっただろうか。

泣き腫らした顔が、みっともなく、ないだろうか。





ササキさんの膝の上、優しく頭を撫でられる私は、ただの、お人形のよう。

お腹の前に回された腕に、両手を添える。

離さないように、離れないように。





気を抜くと零れそうになる涙を、必死になって、抑え込む。





「…漫画の描写では、試験終了後、スタート地点までの帰還猶予時間に、ポックルは、そのすぐ近くの草むらから出てきました」

「よく、覚えてるな」

「―――なので、スタート地点周辺で、ポックルを探します。恐らく、既にターゲットのプレートも、入手済みの筈……ポックルを倒せば、二人共合格です」





語り合う私達は、ボロボロだった。

ササキさんは、兜がなくなって、白いコートも、少し、血に汚れている。

私は、数日間のサバイバル生活で汚れた衣服に、心が、ボロボロ。



ササキさんに名前を呼んでもらって、それでようやく、繋ぎ止められて。



名前を呼ばれただけで持ち直す自分に、随分と安い女だと思うけれど、それだけで繋ぎ止めてしまうササキさんも、凄いと思う。





その胸元に預けた、後頭部。そこから伝わるのは、ササキさんの、心臓の音。

とくんとくんと響くそれは、子守唄に近い。

微睡んでいく私の意識は、眠りなんかじゃなく、ササキさんの匂いに、包まれていく。



「もう、離さないで下さい…」

「ん、何だ?」

「いえ、」





呟いた言葉は、届かなくてもいい。



伝わらなくとも、叶えて欲しい。

他にはもう、何も、いらないから。だから、どうか――――



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――ヘッ、手間を掛けさせやがって」

「ササキさん、それって悪者の台詞です」

「…マジか」



マジです。





経緯を省いて、ポックル発見。省く理由は、言わずもがな。私とササキさんのハートフル珍道中を結果的に邪魔したポックルは、瞬殺されて当然である。



――――というか、既に滅殺していたりする。





「プレート、ゲットだぜ」

「これで、二人共合格ですね」

「……ああ、」





ポックルは、ちょろかった。

ハンターとしての素質は、原作の最終試験時、組まれた試合数がキルア以上であったことから、かなり高い筈なのだけど。

その溢れる素質が、キメラアントの王様になってから発揮されるのでは、ちょっと、救われない。ラブコメ要素があるのが、僅かな救いか。





「…結局、王様なんでしょうか、違うんでしょうか」

「王様に賭けるぞ、俺は」

「何を賭けます?」

「ポックルの命」

「…不謹慎ですよ、ササキさん」

「む、…すまん」



指摘して、即座に謝るササキさんは、素直で、非常によろしい。





「…死なないのが、一番なんだけど、な」



聞こえた呟きは、無作為に優しくて。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


島中に響き渡る、協会の放送。

どうやら、ササキさんが眠って、私が泣いていたのは、二日近い期間だったようだ。

期間終了が、予想よりも、一日早い。



ポックルがスタート地点近くに居て、本当に、良かったと思う。





――――結果、四次試験の合格者は、十人。



メンバーは、ポックルの代わりに、私達が入っただけ。

大きな変更も無く、原作に沿う形になったのは、何か、そういう“流れ”のようなものでも、存在しているのだろうか。





私達に気付いて、手を振るゴンに、小さく振り返す。

その隣のキルアにも、一応。戸惑った様子は、意外と、可愛らしいかもしれない。…違う、私がキルア母と似ているなんて、そんなことはない。“あれ”と嗜好が一緒だなんて、嫌。



必死に否定して、息を吐く。



ぶるぶると頭を振る私に、ササキさんが、首を傾げる。



「髪が乱れる。やめなさい」



…ササキさん、なんだか、“お父さん”みたい。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ハンター協会所有の、飛行船。

飛行船好きなのかな、なんて思う私は、ササキさんの、膝の上。



――――こうすると、安心する。

前はよく見えるし、後ろには、ササキさん。私のお腹で組まれた、ササキさんの両腕に、破格の安定感が約束されている。





満足げに息を吐く私の至福は、今度はクラピカによって、破られた。…美形だからって、許せないものは、ある。





「お互いに、合格、おめでとう」

「ああ、」



私はそれに、小さな、お辞儀だけを返す。

…というか、この体勢に、疑問を抱かないのだろうか?

クラピカの意外な包容力に、私は少し、感心する。





「二人共…一次試験の時は、本当にすまなかった」

「……古いことを持ち出すな」



頭の上では、大人の会話が展開されていた。

ササキさんは気にしてないし、私も、一次試験の時のことなんて、気にしていない。

美形に、罪は無い。多分。



「数秒のこととはいえ、私は、自分の目的と、信念と…君達の命を、秤にかけた。かけて、しまった…!」



辛そうな顔。

“誇り”を大切にして、それ以上に、“仲間”を大切にする、“クラピカ”というキャラクター。

…生真面目だと、思う。

そんなことだから、「蜘蛛」の団長を、生かして帰すことになる。それは真実、美徳で、無くしちゃいけないもので、それでも結局は、“邪魔なもの”。



クラピカは、色々なものが、間違っていると思う。



クルタ族が滅びなかったり、「蜘蛛」のことを知らずにいたり、戦う力を手に入れなかったり。

そんな“If”があれば、きっと幸せになるのに。





「――――じゃあ、借りを返せ」





厳しい声に、思わず、頭上を振り仰いだ。



「私に、何が出来る?…言っておくが、“次の試験で手を抜け”というのは、出来ない」



…ササキさん、らしくない。

人に要求を突きつけるなんて、初めての気もする。

というか、いつも、突きつけられる側に回っているだけ…かも?





「いつか、この子が、何か困ったら…助けてやってくれ」

「…ササキさん?」



私の頭を優しく撫でて、なんだか凄く嬉しくなることを、言われる。

でも、その言い方は、少し不吉で、嫌だと思った。

まるで、ササキさんが、私の傍からいなくなるような。



ぎゅ、と外套を掴む。

力を入れすぎると、破いてしまうかもしれない。けれど、離さずに。





クラピカは、そんな私達を見て、少し笑った。綺麗な微笑み。





「――――そうだな。私に出来ることがあれば、必ず」





力強い返答は、少し、眩しくて。だからこそ、不安が浮かぶ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『受験番号407番の方、407番の方、お越し下さい』



放送で、私の番号を呼ばれる。

それ以前に、私は応接室の前に居て。丁度、直前のササキさんが、応接室から、出てきたところだった。



「いってきます」

「ああ、何かあったら、すぐに呼べ」

「…はい、」



心配されるのは嬉しいけれど、子供扱いされたみたいで、少し不服。



扉を開けて、中へと入る。

ササキさんが隣にいないのは、少し、寒かった。





「おぅ、早かったのう」

「すぐそこに、居ましたから」

「そうかそうか」



微笑む会長さんは、“コーコーヤ”、という奴だ。意味は、優しそうなお爺さん、だったと思う。



「ほれ、お菓子はどうじゃ?」

「…はぁ、」



…もしかして、過剰に、子供扱いされているのかもしれない。

そうだとするなら、かなり、不服。





差し出されたお菓子は、美味しかった。…高級品ね、これ。





「美味しいかの?」

「すごく上質なものですよね、これ」

「おお、わかるのか」

「はい、餡の練り具合が、絶品です」

「そうじゃろうそうじゃろう、ほれ、もっとあるぞい」

「あ、はい」



…あれ、何しに、来たんだっけ?





「――――それでは、いくつか質問するが、いいかの?」

「はい」

「まず、スリーサイズは、いくつかの?」

「…………はい?」



とりあえず、「剣」を向けておいた。



「…冗談じゃよ」

「セクハラです。乙女に対して、年齢とスリーサイズと出身地を聞いちゃ、駄目です」

「…なんと、そうじゃったのか!?」



つまりこれは…、むぅ…、などと呟く会長さんは、“駄目な大人”だった。間違いなく。



「あの、ちゃんとした質問、して下さい」

「む、そうじゃった」

「……はぁ、」



…変な、お爺さん。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「お前さんが、ハンターを目指す、理由は?」

「406番の人と一緒に居たいからです」

「…即答か」



即答です。



「…では、おぬし以外の9人の中で、一番注目しておるのは、誰じゃ?」

「406番です」

「……では、他の9人の中で、今、一番戦いたくないのは?」

「406番です」

「………まぁ、ええじゃろ」



会長さんが、疲れたように、呟く。

…何だろう。何か、おかしなところでも、あったのだろうか。

首をひねるけれど、わからない。





「それでは、おぬしのホームコードは?」



…何か、雲行きがおかしい。



「持っていません」



ササキさんは、持っていたと思うけれど。





「ふぅむ、そうか。五年後が楽しみな素材なんじゃが…」



ボソリと聞こえた呟きは、無視しておいた。

…“先物買い”、という言葉なんて、知らない。知りません。乙女ですから。





「―――これで、終わりですね。それじゃあ、お菓子、ご馳走様でした」

「そうかそうか、ふぉっふぉっふぉっ、また来なされよー」



さっさと話を遮り、お辞儀をして、退室。



応接室を足早に去って、





「――――しもた!受験登録を忘れとった!!」




…セクハラで必要書類を忘れるなんて、健忘症より、たちが悪い。



こんな会長さんで、大丈夫なのだろうか、ハンター協会は。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


四次試験終了から、更に三日。

ハンター試験審査委員会が所有する、一軒の、立派なホテル。



その中の、大きな一室が、最終試験の会場だった。





「最終試験は、1対1の、トーナメント形式で行う」



ストーリー展開は、原作と、全く変わらないみたいだった。





ただ、発表された組み合わせは、かなり違う。





第一試合は、ゴンと、何故か…私。

一体自分のどこが評価されたのか、凄く、不思議。



そして、その試合の敗者が――――ササキさん、ヒソカ、レオリオの順に、当たる。

最終試験は勝ち抜けで、負けた人が、次の人と戦い、負けるごとに、更に次へ。



最終的な敗者が、只一人、不合格。



…嫌な試験。





「…何故だ」



そして、私の隣で呻いているササキさんは、自分の位置が、気に入らないらしい。

その理由が、“評価が良すぎる、何故だ!?”というのだから……しようのない人。



「気にしなくても、いいんじゃないですか?評価が良いに越したことは、無いです」

「……何かの陰謀か、これは」



何でこの人は、こんなに、自己評価が厳しいのだろう。

ちょっと、異常。

もう少し、ポジティブでいいと思う。





勝ち抜け式のトーナメントによる、最終試験。

その組み合わせの不公平さ、チャンスの多さの違いは、受験生それぞれに対する評価に基づいている。

「試合回数=合格するチャンス」が多ければ、評価が良いということ。逆は、言わずもがな。

そして、ササキさんは、かなり、チャンスが多い。



――――評価の良い理由としては、ハンター試験以前に「念」を使えることとか、形だけは完璧だった「寿司」で、メンチの評価が、微妙に良かったのか。…別の、“私情”がないと、信じたい。

三次試験で二人だけ、落下ルートで合格したところとか? 順位も、三番目だった。





…色々と考えると、微妙に、良いのか悪いのか、わからなくなってくる。



四次試験中は散々だったし、身体能力・精神能力の評価、というのも、「念」があるから、どう審査されたのか、よくわからない。「念」の無いササキさんの身体能力は、微妙だし、精神能力――――は、私には、よくわからない。





頭を振る。

考える程、わからない。ササキさんをフォローするための思考が、逆に否定に繋がりかねない。私自身の評価なんて、問題外。



…もう、いいや。





「………はぁ、」





早く終わらせて、ササキさんのシチュー、食べたいな。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「第一試合、ゴン対トキワ!」



呼ばれて、部屋の中央へと向かう。

考える事は、唯一つ――――――「面倒臭い」。





同じく、中央に立つ、ゴンを見る。

元気一杯だ。四次試験中に、チラリと見かけただけで、結局、ヒソカとどうなったのかは、わからない。

原作通りに、ヒソカとの因縁が生まれていなければ、この先ゴンが死ぬ事態も、有り得る。…それも、単なる可能性に、過ぎないけれど。



「ゴン」

「うん、何?」





言葉と同時に、―――――「発」。





一瞬で、練り上げたオーラを、放出。私の“呼吸”が、部屋を満たす。

勿論、その中心には、ゴン。



私のオーラに呑まれたゴンは、呼吸すら、停止した。





「――――退く気、無い?」





問い掛けは、一度だけ。チャンスも、これ一つ、だけ。

その全身を、押し潰すようにオーラで圧し、それでも、やはり、





「嫌、だ―――っ!!」





ゴンが叫び返せたのは、ちょっと、びっくり。

その意志の強さは、少しだけ疎ましくて、けれどもその姿は“漫画の通り”で、嬉しいとも感じるのは、複雑な、ファン心理。



少し笑って、オーラを治めた。



「そう。じゃあ、“降参”するわ」





躊躇いも無く、言い切った。





キルアだけじゃなくて、私も…この“主人公”に、少し、絆されたのかも、しれない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「え、何で!? オレ、まだ何もやってないよ?」

「だって、退く気ないんでしょ?」

「うん!」

「じゃあ、降参」

「―――だ、だから何でっ!? ちゃんと勝負しようよ!」

「やだ。面倒。私、早く帰りたいの」



…ゴン、しつこい。

「自分が納得したいから」という理由は、正直、面倒。

というか、原作に於いて、ゴンのやった“参ったと言わない”手段は、ちょっと、卑怯っぽいし。別の方法で成否を決めるのも、時間かかりそうで、嫌。



――――それに、これで次は、私と、ササキさんの試合。

私が降参して、ササキさんが合格。あとは、ヒソカか、その次のレオリオ戦で、私も合格。



それが一番“楽”だから、ゴンの勝利は、都合が良い。





「ねぇ、トキワ、」

「…五月蝿いなぁ。私は、早く帰って、ササキさんのシチューが食べたいの!」

「……トキワ。オレって、シチュー以下なの?」

「え、何で疑問形なの?」



…疑問の余地なんて、どこにあるのだろう。何故、わざわざ訊くのだろう?



「ゴン」

「…うん、何?」

「あなた、弱いの。…わかる?」

「―――うっ、」



それは、ヒソカとの“イベント”を通過済みなら、よくわかっている筈。

違っても、私のオーラを感じ取れる“素質”持ちのゴンには、それを悟る、器量がある。





「私の「剣」は、護る為にしか、使わない。あなたは、それだけの価値、ないもの」



指先に生やした“白の剣”は、ゴンには見えていない。

軽く指先を動かすだけで、この世界の主人公は、ゲームオーバー。…それは、ちょっと寂しい。





「――――“蟻”に向ける「剣」は、持ってないの」



そんな言葉が口を突くのは、変化系だから。



「えっと、…オレ、蟻以下?」

「それ以下」

「うぅ…ん、いや、でも…っ!」



悩む様子は、本当に素直。

けれど、これ以上の時間を、かける気は、無い。





「強くなったら、ちゃんと相手、してあげるわ」





それだけを言い捨てて、ササキさんの元へと、帰る。

ゴン好みな、少年漫画風のやり取りと、捨て台詞。

後々、面倒なことになりそうだけど、その時は、また別の台詞で、誤魔化そう。

私は、“ゴン”が、嫌いじゃないから。戦うことは、したくない。



―――というか、女の子に向かって「勝負」だなんて、かなり、なってない。減点。





そういう意味では、ササキさんも結構、駄目なのだけど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


第二試合は、ハンゾーとクラピカ。

私の予想通り、ハンゾーの勝利。ギャグ要員なのに、けっこう強いのだ、あの、つるつるした人は。



予想が当たると、ササキさんが褒めてくれた。

頭を撫でる掌は、充分なご褒美である。



そして、次の試合。





「第三試合、トキワ対ササキ!」



…しかし、苗字で呼ばれるのは、なんだか久しぶり。

いつも、ヨウコ嬢ヨウコ嬢と呼ばれ、“常葉”と呼ばれても、少し反応が遅れてしまう。



「始め!!」



試合開始の合図、ササキさんがどういうつもりかはわからないけれど、私は速攻で――――





「参った!!」

「参りました!」





――――っ!?



会場が凍る。





「ふっ、…ヨウコ嬢、俺の、勝ちだな」

「そんな、ササキさん…っ」



…阿呆ですか、あなたは。

その言葉を、全力で飲み込む。言ったが最後、きっとササキさんは、落ち込む。かなり、本気で。



「っ、ズルいですよ!?」



ずるい。卑怯だ。

私と戦う気が無かったのは、嬉しい。凄く嬉しい。

けれど、



「勝ちは、勝ちだ」



勝ち誇るササキさんに、少し、腹が立つ。

――――次は、ヒソカなのだ。

この試合の敗者は、ヒソカと当たる。イコール、危険。赤信号以上に、明確なサイン。





「あの…?」

「ああ審判、俺の、――――負けだ!」

「卑怯です…っ」



こんな場面でばかり輝くササキさんは、ちょっと…いや、かなり、おかしい。



特質系って、こんな人ばかりなのかな…。

違うと思いたい。助けてお母さん、娘の常識がピンチです。





1,2,3、ダーッ、とか言ってるササキさん。

それを見て、ため息を吐く、私。

ササキさんのパフォーマンスを、理解出来ず、それでも真似して、ダーッ、と拳を突き上げる、ゴン。一応、主人公。





…この世に救いは、無いのだろうか。



かなり本気で、そう思った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「馬鹿ですか?馬鹿ですよね? どうするんですか、次はヒソカなんですよヒソカ。勝てるんですか? ササキさんは」

「勿論、神速で降参する」



答える声は、響きだけは、無駄にかっこ良かった。





「……はぁ、」



助けを求めて巡らせた、視線の先。

ゴンは、役に立ちそうに無い。キルアは、呆れている。全身で、そう表現している。

レオリオは、たった今撃沈。クラピカは、頑張れ、とアイコンタクトを送られた気がする。…気のせいだと良い。

ヒソカはくすくす笑って、ギタラクルはカタカタ言っていた。

会長さんは、鼻をほじっていた。…最悪。死んで下さい。





次の試合は、クラピカと、キルア。

哀れクラピカ、と思っていたら、キルアが余裕綽々で、“不戦敗”を宣言。



私は、ため息をつく。





「ありえねぇ…」



隣から聞こえた声は、私よりも、更に疲れた響きを、伴っていた。



「ササキさん?」

「なんでもない、」



…と、いうのは嘘だろう。



「キルアですか?」

「…ああ、」



少しだけ深く質問をすると、あっさりと白状する。

簡単に明かすなら、隠さなければ、いいのに。

…能力と同じで、微妙に、脆い人である。



「…調子に乗る癖、ありますからね」

「キルアが?」

「はい」



“原作”でも、こんな展開だった。

ポックルと戦ってもつまらないから、と。

――――そして、次のギタラクル戦で、兄と再会してThe End。



その迂闊さに、ため息をつく。





「それより、次はササキさん…ヒソカと、です」



キルアよりも、ササキさんだ。

次の相手は、ヒソカ。

四次試験は、どういうわけか見逃されたけど―――その理由は、既に予想出来ている―――、今回は、そうもいかない。

運がよければ、半殺し。運が悪ければ――――私が乱入して、ササキさんの不合格だ。





「――――平気だ、速攻で、土下座してくる」





私が気を揉んでも、無駄なこと。

ササキさんの返事はいつも通り、ヘタれていた。



声の響きだけは、何故か、無駄に、かっこ良かったけれど。

…舐めてるんですか? ササキさん。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ありえねぇ―――っ」



顔は見えなくても、その叫びに、身体が、忠実に反応していた。



駆け出すササキさんに走り寄って、その手を握る。





「ササキさん?」

「キルアがいない。ギタラクルもだ」



言われて、ようやく気付く。

試合中は、ササキさんとヒソカだけを注視していたから、気付かなかった。

今呼ばれた二人だけが、いない。そしてその組み合わせは、ササキさんにとっての、最悪。



「…どうするんですか?」



問い掛けには、一瞬の沈黙が返る。



周りの受験生は、突然駆け出したササキさんに、声をかけ、歩み寄ってくる。

もっとも、本人に気付いた様子は、欠片も無い。





「…俺は、馬鹿だ」





次の言葉は、何を意味しているのか、わからない。

ただ、酷く辛そうな声に、私の眉根が寄る。





「止めるぞ」

「――――はい」





ササキさんが望むなら、自殺教唆だって、構わない。

一度見逃したキルアが、殺人を犯すのを、止めるのか。キルアを触発するイルミを、止めるのか。



どちらだろうと、従うだけ。





扉を開けて、外に出る。

そこは左右の分かれ道。「念」で感覚を研ぎ澄ましても、知覚範囲には、誰も居ない。



「…「円」、三百メートル可能な人も、いるんですよね」

「人間かよ、そいつは…」



歯噛みする。

何で私は、こんなに役立たずなのだろう。

ササキさんの要求を、いつも、果たせない。役に立てない。



「適当に行きましょう。下手な鉄砲、です」

「適当に行って失敗したら、俺は首を吊るぞ」

「させません、」



鋭く言い放ち、その腕を引っ張って、走る。





――――いない。



――――――いない。





――――――――いない。



走り回って、どこにも、二人の姿が、見えない。

全力で走って、全く見つからない。つまり、



「一度、戻りましょう」





…道を、間違ったのか。



「マジ、か…っ」

「…ササキさん?」



走りながらの道中、隣からの、呻き声。



「次は、キルアと…ボドロだ」

「―――――」





もしも本当に、既存の“ストーリー”をなぞるような、ある種の“流れ”があるとすれば。





「――――チェックメイト…?」



呟いて、役立たずな自分を、もう一度詰った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『――――ア対ボドロ、始めっ!!』

「ありえねぇ…っ!」

「壊しますっ!」



戻ってきた、試験会場、その扉の、真正面。

始めから、ここを動くべきじゃなかったと、そんな思考は、今更、無駄。





「“黒の槍・白の剣(ブラックスピアー・ホワイトソード)”」





手の甲を、扉へ向けて、一閃する。

無数に伸びた、極細の黒白の「剣」が、豪奢な扉を、微塵に散らす。





――――私の「剣」は、『尖ったものを起点に形成』される。

面倒な条件に見えるけれど、起点さえあれば、面倒なイメージも、必要ない。



私の手の甲。

若く、未だ水を弾く玉の肌。その表面には、見え辛くとも、無数の“産毛”が生えている。

…あとは、簡単。

それらを起点に「剣」を形成すれば、使用オーラの制限はあれど、全身から、ほぼ360度の攻撃を、可能とする。





本来、ヒソカを血煙に変えるための、技だったけど。





「―――どっちだ、“後”か、“前”かっ!?」



叫びの意味は、恐らく、イルミの“処置”について。

ボドロ殺害の直接の理由は、キルアの心の問題か、イルミの“能力”か。

どちらだろうと、二人の接触は、不味い。



私は、走り出すササキさんを、見送る。





そして、こちらへと歩み寄る、イルミを迎えた。





「何か用?“お兄さん”」

「…カタカタカタ、」

「気持ち悪い。演技はやめて、“針男”」



そう言うと、目前に迫った“ギタラクル”が、口を開く。





「――――君、何?」

「探偵でも雇えば?」



こいつと相対している限り、ササキさんの行動の成否が、わからない。

意識を逸らすのは、きっと、絶対、自殺行為に、直結する。





「唖゛ァアアァアアアああああが亞ああああアアぁアAHHHHHHHHHっ!!!!」





会場に響き渡る叫び声。それを聞くのは、もう、二度目だ。

身体がそちらへと動こうとするのを、全力で制止する。





「邪魔だね、あいつ」

「五月蝿い、死ね」



空ろな瞳に、涼やかな声が、酷く不似合い。



「…君も、邪魔するの?」

「邪魔は、あなたよ。大人しくハンター証貰って、次の殺人に、心血を注げばいい」

「――――もしかして、俺のこと、知ってる?」



ギタラクルのオーラが、大きく揺れた。

…気持ち悪い。

こいつのオーラは、酷く真っ直ぐに、“歪んでいる”。



「別に、隠していないでしょう? 知っていても、不思議じゃない」

「うん、そうだね」



早く、早く、早く――――!



自分自身、何を待っているのかわからない。

わからないけれど、とにかく、誰か、早くこの状況を、何とかして欲しい。

ササキさんは、大丈夫だろうか。また、何日も寝込むのだろうか。心配で、さっさと、目の前の男を殺したく――――





私たちの目の前を、一つの影が、横切った。





「――――キル?」

「…コンプリート、」



イルミの気が逸れた瞬間、全速力で、部屋の中央へ走った。





「ササキさんっ!!」



そこにいたのは、倒れたササキさんと、五体満足な、ボドロ。





「何なのだ、…一体?」

「ササキさんに、礼を言って下さい。一応、今、“運命を変えた”、ってことになりますから」

「何を…?」



説明は、酷く陳腐な表現。


ササキさんの叫び声は、もう、止まっていた。

最初に聞こえた、一番大きな悲鳴だけ。





「おい、そいつ、どうしたんだ!?」

「…レオリオ、19歳、医者志望?」

「え、おっ、おう!一応な」

「お願い、」



眠り込むササキさんを、レオリオに任せて、会場内を振り返る。





殆んどの受験生は、目の前の出来事を、理解していない。

この場に居た、ハンター協会派遣の試験官達も、同じ様子。…本当に、使えない。





「…対応が遅い。――――会長さん、医務室ありますか?」

「…うむ、すぐ隣の控え室に、一通りの設備が、運び込まれておる」

「それなら、そちらを一室確保。お願いします」

「わかった。マーメン、」



指示を出す会長さんを横目に、ギタラクル――――イルミを見る。

相変わらずの、ハリネズミ。オーラは静まっているけれど、殺気が、僅かに肌を刺す。





「おいおい、試験はどうなるんだ?」

「黙れ。ササキさんと世界、どっちが大切だと思ってる」

「…は?おい、嬢ちゃん……、」



空気の読めないハンゾーは、無視。

ササキさんに駆け寄っている、他の受験生は、及第点。

ヒソカは、面白そうに観察中だ。…こいつは、既に、減点するほど、点数が残っていない。





倒れたササキさんを、視界から締め出して、必死に、落ち着く。



動揺したままだと、イルミの攻撃に、反応出来ない。

この件の説明も、私がしなければならない。



私は、ため息を吐いた。





ササキさんが隣室に運び込まれたのは、事後、三分も経ってからだった。





[2117] Re[5]:雨迷子~佐々木守人の結末~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:48


夕焼けが紅かった。

少し、雨も降っていた。小雨、だったけれど。



高校からの帰り道、通学のバスを降りて、家路を歩く。

塀の外から覗く自分の家は、明かりも無く、それだけで、どこか嫌な印象を覚えた。

玄関扉を開けて、家へと入り込む。



「ただいま、」

「おかえりぃ~」



返ってきた声は、酩酊したような、どろりとした音調。

それは、父親の声。

あからさまな舌打ちをして、靴を脱ぐ。





俺は、父親が嫌いだ。

俺だけじゃなく、兄も、その更に上の兄も。恐らく、母親も。…何で結婚したのか、若い俺には、わからない。



日々勤労に励むでもなく、何をするでもなく。

大抵は家に居て、時折ふらりと外に出かける。酒を常備していることから、さっさと問題を起こして、警察にでも捕まればいいと、そんなことを、いつも思っていた。



家に居れば、寝て、酒を飲んで、わけのわからないことを怒鳴り散らして、暴力を振るって……思いつく限り、最悪の記憶しかない。





一度、包丁で切りつけられた。子供の頃だ。

今も、俺の左の二の腕には、太い傷痕が残っている。

他の家族も、似たようなものだったと、思う。訊くことなんて、出来ないけれど。

小さな頃から、そんなことの繰り返し。

自分自身、不思議だが―――そういった“痛み”が積み重なると、反発心や抵抗も、いつの間にか、消えていた。



ただ怯えて、怯えている自分も気に食わなくて。自分にとって、あんな奴は何でもないのだと、そんな強がりだけを心中に抱く。

そして、只管に、関わらないようにと距離を置く。病的なまでに。



――――父親の仕事が、「殺し屋」という、陳腐な呼び名を持っていることを知ったのは、高校に入った頃だった。





反発する―――反発“できる”兄達と、ただ怯えて謝るだけの、母親。

つい昨日も、あの父親は、俺の部屋の鍵を壊して、室内で一頻り叫ぶと、ふらりとどこかへ出かけていった。…誰か、殺しにでも行ったのだろう。想像などではなく、現実に。

俺は目前の光景を、音楽を聞きながら、適当に無視していた。



…ありえねぇ。

そう言って、毎日を過ごした。

――――本当に、“有り得ない”現実であれば、いいのに。





意識せずとも浮かぶ回想に、吐き気が、込み上げた。

フローリングの床を歩き、ただ自分の部屋までの道だけを、まっすぐに見つめる。…あの男を、視界に入れたくない。





ぐちゃり、とした音が鳴ったのは、その途中。

足元すら見ていなかった自分に悪態をついて、下を向く。真横は恐らく、父親の居る、ダイニングルーム。





――――目に映ったものは、“よくわからないもの”だった。





赤くて、丸っこくて。ゴムホースのようだけど、その表面には、妙な皺。

赤い水に濡れて、それが白い靴下に染み込んで、自分の思考が止まっていることに、気が付いた。





「あ、…?」

「おかえりぃ~」



漏れた声に返るのは、数秒前にも聞いた、同じ言葉。



機械的にそちらを向くと、そこに映ったのは、四つ。





頭を■■させて、ピ■クの■味噌と、赤い■を撒き■らし■、二■目の■さん。

腹■横に引■■かれ、上■に分■れ■身体■、四肢■■き千■って、更に■■を切り■いた■の断面■埋■込ま■■、母■。■は、潰れてい■。



■して、両■を■られて、頭に■振り■■イフ■刺さった■■兄■ん。更にその■■腰■■し付け、■■■前後■振■■■■父親■満面の笑■で俺を見て、だから俺は――――





「何、してる、」

「あっはっはっはっ、面白いだろう?これがお父さんの仕事なんだよーっ」

「何して、るんだ…っ?」



俺の声は、震えていた。

視界に映るものを、一つとして、理解出来ない。したくない。違う、不可能だ。わからないんだ。わからないから、疑問の声さえ、必要ない筈で。





「ああ、家族を■したらどんな気持ちかな、って! かなり面白かったぞ、どうだ、お前も――――」





振り下ろした。





「―――――っ!!」



口から漏れる音は、意味が掴めない。





振り下ろして振り下ろして砕いて混ぜて踏み付けて、それでも喋るから気分が笑い悪い俺はやめろまだ上の兄さんがまとめてごぼごぼと血泡と一緒に父親が口を、





「ナ、愉シ、ィだ…ロ?」





その問い掛けに、叫びをあげた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


目が覚めたら、ベッドの上だった。

頭痛が消えていることに、逆に、違和感を覚え、


「ササキさんっ!!」

「んが…、」



返答は、鼻声になった。

首を動かすと、そこには、泣き腫らした顔の、ヨウコ嬢。



「泣くなよ、」

「じゃあ、倒れないで下さい、よっ!」

「…ありえねぇ、」



しゃくり上げながら、怒鳴られた。



その頭を撫でて、こちらの胸元へと、引っ張り込む。

押し付けた顔は、少し、熱っぽい。

心配を掛けた自分に腹が立ち、次いで、状況の把握を開始する。





「ひぇっひぇっひぇっ」

「帰れジジイ」

「……おぬし、もう少し、ワシを敬ってもええんじゃないか?」

「すまん、体調不良で、耳が聞こえないんだ」

「…もう、ええわい」



ジジイが居た。俺の枕元に。

どこの妖怪かと思ったが、それ以前に、俺達に向ける視線がムカついた。



「ジジイ。…試験、どうなった」

「おぬしだけ不合格じゃ」

「――――ジジイ」

「…しかたないのう」



ジジイがため息をつくが、ため息をつきたいのは、俺の方。

わがままじゃのー、とか言っているが、それも、俺の台詞。





「――――不合格者は、キルア、ボドロの二名のみ」

「…ちょっと待て、俺はどうなってる」

「不合格者が出た時点で、他の者は全員、合格じゃよ」

「……ありえねぇ、」



ということは、俺も、合格…?



「仕方あるまい。そういうルールじゃからの」

「―――合格権の譲渡は?」

「無理じゃ」

「…だろうよ」



…ありえねぇ、ありえねぇ、ありえねぇ。

一頻り現実逃避をして、もう一度、ジジイに目を向けた。

俺が聞きたい事は、わかっているだろうに、こちらの質問を待つ姿。…本当に嫌なジジイだと、そう思う。





「キルア少年はどうした」

「…おぬしが彼の攻撃を止めて、叫びながら倒れた後――――」



…叫んだのか、俺。

最悪だ、恥ずかし過ぎる。





「彼は走って、会場内から逃走した」

「―――――…」

「試合は、そのまま、不戦敗ということになった」





結局、大筋では、変わっていない。

むしろ、イルミの所業が表沙汰になっていない分、悪いかもしれない。

ボドロの殺害からキルア少年の不合格。その流れが嫌だからと、直前になって動いて、このザマだ。





「…ボドロ、さんは?」

「不合格じゃ」

「違う、生きてるのか?」

「無論じゃよ。不合格、と言ったじゃろう」



…わかりにくいんだよ、くそジジイ。

悪態は、心中のみで。

一度見捨てて、それでも生きていて。その結果も、単なる、偶然の産物。

それに喜ぶ自分は、随分と、安い人間で、嫌な人間だ。



「…ちょっと待て。何で、キルア少年とボドロさん、二人共? キルア少年が不戦敗なら、ボドロさんが合格。ボドロさんが不合格なら――――」

「ワシは、“彼”に、チャンスをあげただけじゃ」

「ちゃんす…?」



わけが、わからない。



「来年、恐らくは、“乗り越えて”来る」

「キルア、か…?」

「ふぉっふぉっふぉっ、」



笑うジジイ。笑うな、ジジイ。



納得出来ない。試験官の勝手な裁量で、不合格なんて―――…いや、ハンター試験って、そういうものなのか?メンチさん、とか。

…わからん。





黙り込む俺に、ジジイが、髭を撫でつつ、続けた。



「―――理由は、その子から、全て聞いた」





ジジイの視線の先は、俺の胸に顔を埋めた、ヨウコ嬢。

嗚咽は止んで、無意識に撫でていた俺の手に、身を任せたまま。…寝てない、よな?



「301番―――ギタラクルも、隠す気は、無かったようじゃしの」

「…変人一家だからな、あそこは」



凡人には、理解出来ない。

顎鬚を弄るジジイも、一体どこまで理解して、何を考えているのか。





「ジジイ、ハンター証、貰わないと…駄目か?」

「駄目じゃ」

「…ありえねぇ」



心苦しい、というか…純粋に、気分が悪い。

ボドロさんを不合格にさせて、キルア少年も、俺のせいで――――そう思うのは、傲慢なのだろうか。



「…おぬしが、何に、気を病んでいるのかは、ワシにもわかる」



…簡単に悟られるほどの、単純な悩み、ということか。

小さなため息に、ヨウコ嬢の髪が、解れて揺れた。





「決定は、絶対じゃ。合格は、合格。不合格は、不合格」

「最低だな」

「それが不服ならば、ハンター証を受け取った後、如何様にも処分すれば良い。―――そうじゃろう?」



言う事は、もっともらしい。

けれど、それは…「嫌だ」と思う。理解して、けれど、感情で躓く。



もう一度、ため息をついた。





「おぬしの分のハンター証、自分の足で歩けるようになったら、取りに来なさい」





ジジイはそう言って、静かに、部屋から出て行った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


静かになった部屋を見渡すと、そこは、なんというか――――普通の、ホテルだった。

そういえば最終試験は、ホテルを貸し切ってやるんだったな、と。

そう納得して、花瓶の花を見つめていた。



…俺の家の花は、いい加減、枯れてしまっただろう。

バイトも、一週間以上無断欠席。…クビだろうか。もしくは、失踪届けとか、出されていたり。





「憂鬱だな…」

「それ、私の台詞です」





独白には、声が返ってきた。

聞き慣れた声。俺の好きな、声。



「…とりあえず、すまん」

「許しません」

「…ありえねぇ」



こういう時は、「いえ、もう、いいんです。あなたが、無事なら…」とか言って、目に涙を浮かべるんじゃないのか。それともそんな情景は俺の妄想世界にしか存在せず、既に俺の脳は、ドラマや漫画の見すぎで、病んでいるのか。隔離されるのか。





「何が、あったんですか」

「…………」



小さな問い掛けには、答え辛い。

言いたくない、というのもあるし。聞かれたくない、という意味でもある。



「ササキさんの服、“赤く”なってます」

「…ありえねぇ」





現状、不審な材料は、充分。

言われて見下ろした外套は、ヨウコ嬢の言うとおり、朱色と茶色の、中間くらいの色をしていた。

――――“煉瓦色”。英語なら、“Brick Red”。



「でも、それだけです。ただ赤いだけで、」

「…これ、“逃避用”だからな」



自嘲に、口が歪んだ。





「嫌な話、するぞ」

「構いません。聞かせて下さい」



即答されて、やはり、喋りたくはないと、思う。





「…聞いたら、さっさと、俺から離れろよ」



鋭く言い捨てて、その言葉に、ヨウコ嬢が肩を揺らした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――父親を、殺した。殴り殺した。



正確には、殴っても殴っても死ななかったので、そこら中にある、灰皿や椅子で、何度も殴り直して、何度も殺し直した。



気付けば、赤い色の、ヘドロのような塊が、そこに在った。





形を無くした真っ赤な父親を見て、周りに散らばっている、母親や、兄さんだったもの達を見て、俺は、崩れるように、膝をついた。

パシャリ、という音が鳴って、それが血で出来た、赤い水溜りの音だと気付いて。





軽く撫でた、下の兄さんは。ボトリと、■■を零して、それ以上は、動かなかった。

――――笑いが零れた。

震える手で縋った母親は。どれが腕で、どれが脚なのか、わからない。何で腹の中から■■が生えているのか、わからない。

――――涙が零れた。引き攣った口端で、弾けて落ちた。

上の兄さんは。赤い、ブヨブヨになった父親と混ざって、もう、何がどうなっているのか、わからない。

――――掌から、熱い、血液が垂れ落ちた。俺が■した、父親の、





見回す世界が、赤かった。

四角い部屋の前面が、飛び散った血液で、赤く染まって。

部屋と廊下の仕切りの上は、流れ出した血液と肉で、境界線すらわからない。



見下ろした両の掌は、赤く。

着ていた学生服も、赤く。

視界の隅、髪の毛の先端から垂れるものも、赤く。

自分の顔を見ようと、振り仰いだ鏡も、真っ赤に濡れて、ただ赤く。



赤。



赤。赤。赤。赤。赤。



赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。

赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。





「――――っは、」



震えた喉にも、絡みつくような液体が、流れ落ちていた。





「はは、はははっは、はははははぁははははハハハハハハハハハハハアハハハハ――――っ!!!」





火事場の馬鹿力か。

極限状態で、行き着いた精神が、悟りでも啓いたのか。





――――“茜色の牢獄(ブラッディ・ジェイル)”。





声が聞こえた。

俺のもののようで、けれど歪んだ、泣き叫ぶ怒号が。





全身を覆った“赤色”は、俺を現実から、隔離した。





それは紛れも無く、逃避を望んだ、俺自身の、“心の形”。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


□□□□□□



□名称

“茜色の牢獄(ブラッディ・ジェイル)”

□能力

全ての境界線を越えて、目の前の 現実/世界 から逃避する。

逃避先は、完全なランダム。あらゆる枠組みに囚われないため、“何処”に移動するのか、能力者自身にも、わからない。

□制約と誓約・使用条件

1、使用に当たり、能力者自身が、外套“茜色の牢獄”を、全身に纏っていなければならない。

2、使用に当たり、能力者自身の手で、一人以上の殺人を犯さねばならない。

3、使用に当たり、能力者自身の「家族」を、全て喪失せねばならない。

4、「逃避」は、能力者単独でしか、許されない。

5、「帰還」は、許されない。

6、能力の使用後、能力者は、一日~一年の昏睡を強制される。期間はランダム。

7、この能力の使用は、“一回限り”。

□□□□□□



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…俺の能力、全部、“逃げてる”だけなんだよな」



黙って聞いているヨウコ嬢は、未だに、俺から離れない。

目の前で、自身が殺人犯だと、言い切っているというのに。…冗談だとでも、思われているのか。



早く、離れて欲しいと、思う。

見られたくない、聞かれたくない、――――こんな自分を晒すのが、理由も無く、怖い。





「外套の…黒と、白。よくわかんねぇけど、両方共、俺を守ってたんだよ」





――――「纏」を覚えた直後のヨウコ嬢に蹴られて。ヒソカのトランプに斬られて。ヒソカの拳で砕かれて。キルアの手刀に貫かれて。

それ以前に、ずっと纏っていた頃から、沢山の無作為オーラに、晒されて。





ボロボロに擦り切れて。

そうして破られた後に、失くしていた、俺の「記憶」が還ってきた。





「自分の能力がよくわかってないのは、おかしいけど。――――俺、覚えてないんだよな、この赤い外套以外を、作った時のこと」



記憶を守っていたのが、“黒の城砦・白の城壁”だとするならば。

記憶を守る外套が、防御力を持っていたこと自体がおかしくて、だからこそ、“脆かった”のだろうか。それとも、それは「鎧」ではなく、脆い、俺自身の、心の「殻」を表すのか。



考えて、必要の無い思考に嵌まった自分に、気付いた。





「えっと、つまり、…そういうことだ。俺は殺人犯で、なんつーか…危ないから、離れた方がいいぞ。制約も、頑張れば、別のに出来るんじゃないか?」

「…………はぁ、」



思わず、関係ない事まで、喋ってしまった。

それが場違いにも、気恥ずかしくて。誤魔化すように言った俺に、返ってきたのは、いつもの、ため息。





続くのは、やはり、“いつもの”声。





「出来ませんよ」

「…何がだ?」

「制約の置き換えです」

「……何がだ!?」

「ですから、制約は、“一度決めると変えられません”。ササキさんが危ない人でも、私は、今後一生、ササキさんから離れられません!」



…落ち着け。

何を言っている、ヨウコ嬢。俺は、なぁ、危険だぜ?マジで殺した。本気で殺した。殺したくて、殺した。“父親”を、だ。

完全な、異常者だろう。人を、殺したんだ、俺は。この、さっきまでヨウコ嬢を撫でていた、手で。



そんな俺から、離れられない? 一生? 誰が―――――?





「――――ありえねえ、っ!」

「いえ、ありえるんです」

「…嘘、吐いてないよな?」

「私が、嘘吐くメリット、ありますか?」

「………無い、な」





呟いて、思考が、真っ白。

どこを悩んで、何に悪態をつけばいいのか、わからなくなった。



頭を抱え込み、ため息をついた。



「ササキさん」



微笑みが、耳に届く。

歪んだ俺の顔、その目の前に、ヨウコ嬢の笑顔が近付いた。





「――――は?」





近くて、近過ぎて、視界が彼女で埋め尽くされて。





触れ合った感触に、俺は、死んだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


窓から、明るい日差しが、差し込んでくる。

その光を浴びながら、俺は色々と、“終わって”いた。





「責任、取ってくださいねっ」



そんなことをのたまいながら、微笑むヨウコ嬢は、顔が赤い。

俺の顔は、着ている外套に負けないくらいに、赤く。同時に、青い。何色だ。

…ところで、“責任”って制約の方か? 数秒前の、犯罪的行為の方か?





「昔のことなんて、関係無いです。私はササキさんと一緒に居たくて、ササキさんが、嫌じゃないなら…私は、ずっと、一緒がいいです」





茫然自失とする俺の耳に、ヨウコ嬢の声が届く。

文字通りの、右から左。

両耳を真っ直ぐに通り過ぎる声は、その数割が脳に居残り、確実に、俺を洗脳していくのだった。



…ああそうか。ヨウコ嬢は、操作系だったんだな。





俺の思考は、いい具合にテンパっていた。





「もし、少し…いいかな」

「…はい、どうぞ?」



ノック音と、渋い声。

それに答えるのがヨウコ嬢である事実は、気にしない方向で、行こうと思う。





「――――あれ、ボドっさん…?」

「それは、私のことかな?」

「あっ、いや、すいません」



入ってきたのは、ボドロ…さん。

その姿に、慌てて思考を通常に…戻せた、と、思う。多分。



そして、戦慄する。



「…もしかして、“闇討ち”ですか」

「ササキさん、もう、お昼です」



しょうがないですね、などと口走るヨウコ嬢は、数十分前とは随分、様子が違う。





俺は、震えていた。

目の前には、ボドロさん。“俺のせいで不合格になった”ボドロさん。槍と盾で武装完了のボドロさん。



―――――死んだな…、俺。





その結論は、ある意味では望むところなのだが、せめて、ヨウコ嬢との生臭い問題に、決着をつけてから、逝きたかった。

窓からの日差しが、天からのお迎えに見えたのは、錯覚ではあるまい。パトラッシュ、疲れたのかい?僕も、もう――――





「まずは、礼を言おう」

「………落ち着け、」



唐突に頭を下げた、ボドロさん。

俺に言えることは、いつもの口癖か、状況に待ったをかける、制止の声のみ。



「正気か、ボドロさん。ジジイとキャラかぶってるからって、悲観しちゃ、駄目だ」

「…君が、何を言っているのかはわからないが、今日は、礼を言いにきたのだ」

「え、何で?」



前世で、あんたの世話でもしたのか、俺は。

その恩は、俺の命を救ってくれる程のものなのか。





「君のお陰で、私はこうして、生きている」

「いや、それは――――」



遮ろうとした俺は、ヨウコ嬢に口を抑えられて、言葉が続かない。

それを見て取ったボドロさんは、更に、言葉を紡いでいく。



「あの少年、“ゾルディック”と言うそうだな」

「むぐ、」

「…あれほどの名だ、私とて知っている。それが例え、少年だろうと、私の勝てる相手ではない、という事も」



俺には何も言えない。

あの時、キルア少年とやりあえば、必ず、ボドロさんが死んでいた。



「それに、彼の一撃を防いだ君が、倒れた時。―――私には、彼が何をしたのか、全くわからなかった…っ」



…それは違う。あれは、俺の一人絶叫ショーに過ぎない。恥ずかしいから、早く忘れて欲しい。



そんな俺の反論も、ヨウコ嬢の掌で、言葉にならず。





「私は、来年もハンター試験に挑む。そのチャンスをくれた君に、一言、礼が言いたかった」





まっすぐに見つめられて、俺は、相手がオッサンだというのに、照れて、目を逸らした。

…俺は、そんなことを言って貰えるほどの、“何か”を出来たわけじゃ、ない。



正面から見つめ返せるほど、俺のやったことは、立派じゃない。

一度見捨てて、直前になって、抵抗して。

それだって、ボドロさん個人のことを考えたわけじゃなく。





「…まぐ、」



だから俺には、そうやって、呻くことしか、出来なかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ボドロさんが、もう一度頭を下げて、部屋から出て行く。

見送る俺は、頭を下げ返すくらいしか、出来ない。





「………はぁ、」



ため息の大きさは、苦悩の大きさ。

俺の悩みなんて、十割が独善なのだが。





俯いた俺の頭を、小さな掌が、ゆっくりと撫でていく。

上げた視線には、青色の瞳が応えた。



「―――大丈夫ですよ」

「…そうか?」

「はい」



図体だけはデカイ俺が、こうして、小さなヨウコ嬢に撫でられていると、子供に戻ったように感じる。

撫でられるのは、心底恥ずかしいけれど。

誰が見ているわけでもなく。今くらいは、この少女に、甘えてもいいかもしれない。





「ヨウコ嬢―――」



口を開いて、優しげな微笑に―――



「ササキさん、起きたって本当――――!?」

「おいササキ――――」

「二人とも、もう少し静かに――――」





何か言う前に、部屋の扉が開かれた。凄い、勢いで。バーン、って音がした。





入ってきたのは、ゴン、レオリオ、クラピカの順。

そうして、俺と、俺を撫でるヨウコ嬢を見て――――





「すまない、失礼した」

「ていうか、お前誰だ――――っ!?」

「え、ササキさんだよ?だって匂いが―――」

「二人共、邪魔をしては悪いだろう!」

「そ、そうだな、悪い!!」

「え、何で――――」





出て行った。





閉じられた扉と、身を縛るような静寂と、少女に撫でられる、俺。





「ふ…っ、」

「ササキさん?」



日差しが眩しく。

俺の言うべき事は、決まっていた。





「ありえねぇ――――っ!!」





…もうやだ、この世界。



わりと本気で、そう思った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


お前、意外と若かったんだなー、とか。

怪我は大丈夫? とか。

これが私のホームコードだ、何かあったら連絡してくれ、とか。





先程の数秒間を、無きものとして。

キルア少年を欠いた主人公チームは、和気藹々と、俺の部屋を蹂躙していった。





「…疲れた」

「お疲れ様です」



過ぎ去った嵐に、ため息をつく。





三人は、キルア少年のことは、何も言わなかった。

ただ一言、ありがとう、と。



それすらも、俺には、勿体ないのだけど。



恐らく、三人はこれから、ゾルディック家訪問編だろう。

それを口に出さなかったのは、仲間はずれか、慮ってくれたのか、忘れていたのか。…どれも、意外と有り得そうで、それでいて、外れっぽい。





「帰るか、…ハンター証貰ってから」

「はい。講習は、面倒ですけど」

「お前が覚えてるなら、いいだろ」

「……はい、そう、でしたね」



何故かは知らないが、ヨウコ嬢は上機嫌。

俺も、少しだけ笑って、歩き出す。

荷物は、外套だけ。ヨウコ嬢も、今着ている服だけだ。

…帰ったら、新しい服を買ってやらないと。

女の子が、着替えも無しに、一週間以上。それは、地獄にも等しいだろう。



「店長、怒ってるかな…」

「ひょっとすると、泣いているかもしれません」

「…マジか」



常軌を逸した“いい人”な店長だ、俺達が行方不明になって、泣くくらい…ありえそうで、怖い。帰ったら、謝ろう。土下座で。





「――――というわけで。ジジイ、ライセンスくれ」

「…おぬし、最後くらい礼を尽くそうとか、思わんのか」

「ありえないな」



断定する。

ジジイはため息をついて、ハンター証を手渡す。

が、俺が手を伸ばすと、その手を止めて、見つめてくる。キショイ。





「“これ”を手に入れて、おぬしは、何をする――――?」

「売る」

「……最悪じゃ。なんでこんな奴が…」



…知るか。



「まぁ、適当に考えるさ。とりあえず身分証明になるから、しばらくは、売らないって」

「最悪じゃ、マジ最悪じゃよ、こいつ」

「…うるせぇよ」

「お嬢ちゃんも、こんな男のどこがいいんじゃ?」

「全部です」



…待て。今、凄く恥ずかしい言葉を、聞いた気がする。

ジジイの目付きが気に食わない。何だ、そのどろりとした視線は。濁り過ぎだ。

ヨウコ嬢も、冗談は、時と場合と相手と世界を考えろ。頼む。性犯罪ハンターなんて、勘弁して欲しい。





ジジイの背後には、頭部から突起物を生やしたメンチさんや、直立姿勢に違和感を感じるブハラさん、きっちりスーツのサトツさんと……あのパイナップルは、誰だ。



そんな人達に、手を振られて、俺も振り返す。



直接言葉を交わすほどではないけれど、こういう一期一会というのは、少し好きだ。

染み入るような寂寥感は、苦手だけど。



「ササキさん、ハンカチいります?」

「…いら゛ねぇよ」

「はい、しゃがんで下さい。チーンしましょうね」

「自分でっ、拭くから、いぃ」



腹の立つ目付きでこちらを見るジジイは、殴っておいた。赤い外套は、攻撃可能な所が、良いと思う。それ以外は、無能だが。





「ほいじゃ、これでおぬしも、ハンターの一員じゃな」

「…ああ、」



殴っても、全然堪えた様子の無い、ジジイ。

ハンター証を受け取り、ただのカードにしか見えないそれに、少しだけ感動する。



アルファベットのXを二つ並べた協会のマークに、俺の名前が表記されていた。

…たったそれだけの、この簡素なカードが、漫画で読んだ、“ハンター”の証。

空想と現実が混ざったような“今”に、不思議な感覚を覚えた。





「ササキ、といったか。おぬし…」

「――――カミヒトだ」

「む?」

「カミヒト=ササキ、かな。“此処”だと、そうなってる。…俺の、名前だよ」



今までを“ササキ”で通して、今更名乗ったのは、多分、ただの感傷。



「カミヒト…か。良い名じゃ」

「父親が、決めたんだけどな…」



何を考えて、決めたのか――――“守”る“人”と書いて、“カミヒト”とは。

その名付け親を殺して、逃げた先で、その名前を名乗る。妙な人生だ。





「カミヒト、トキワ、両名。おぬしらが、どんなハンターになるのか、ワシは楽しみにしておるよ」





それだけを言って、ジジイは背を向けた。

何か、適当に言い返そうかとも思ったが、やめておく。茶化す気分じゃない。



遠く離れて、小さくなったジジイの背中は、少しだけ、大きく見えた。





それすらも、俺の感傷なのだろうけれど。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ホテルの外で、大きく伸びをする。

パキパキと鳴る骨の音は、気持ちいいのと同時に、蹴り落とされた、二次試験の悪夢を思い出して、痛々しい。



傍らには、ヨウコ嬢。



「じゃあ、帰るか」

「はいっ」



繋いだ手は、小さくて…けれど俺より強いのだろう。

懸念は色々と…ありすぎるけれど。少なくとも、部屋で起こったことの“責任”くらいは、しっかり果たさないといけない。



「ありえねぇー…っ」



呟いて、けれど少しだけ、気が楽になっていることに、気付いていた。





繋がぬ左手は、未だ、殺人の不快感を訴えている。

自分から湧き上がる、濃い血の匂いは、単なる錯覚で。きっと、随分と長い間、染み付いたまま、消えはしない。



そんな俺を受け入れたヨウコ嬢が、隣にいた。





空は、快晴。



もうしばらく、雨は降らない。





「行こうか、ヨウコ――――」





答える微笑は、優しかった。







End...?



[2117] Re[6]:雨迷子~常葉葉子の結末~
Name: EN
Date: 2006/10/24 12:50


その外套は、赤かった。



どこかくすんだ赤色は、何か――――レンガの、ようだった。

手触りだけは、相変わらず、すべすべ。

眠り込むササキさんは、それほど、辛そうにも見えない。





イルミのやったことは、会長さんに、洗いざらい、ブチ撒けた。

それを否定しなかったイルミは、おかしい。この世界に来てから、変な人にばかり会う。

ただ、その内容が「ちょっと弟と話をしただけだよ」なのだから、間違ってはいないけれど、腹が立つ。



イルミの念能力については、言わなかった。

…言えなかった、というのが正しい。

それが原因である確証は無いし、今更確認しても、もう遅い。試験の合否は、覆らない。

ササキさんが乱入して、ボドロを庇った瞬間。庇われたボドロの不合格が、確定した。

そのルールが、庇ったササキさんに適用されないのは、得をしたと思うけれど、少し、おかしいと思う。やっぱり、この世界はおかしい。変な意味で。



更に、キルアが失格になったのも、少し、変。

…本当に、原作のストーリーに沿うような、“運命”染みたものが、あるのだろうか。





考えて、頭を振る。

念能力と言う“魔法”が存在するからといって、そんなものまで認めたら、本当に、何でもありになる。





「ササキさん。ボドロ、助かりましたよ?」



語りかけて、答えは無い。

それに、少しだけ、寒気を感じた。



…これだけ私に心配をかけて、きっと、目が覚めた時には、また、とぼけた言葉を返すのだ、この人は。



そう考えて、少し、笑った。

撫でた頬の温かさに、凍えるような寂しさが、少しだけ、和らぐ。





「――――どうかの、彼の具合は?」



突然、誰もいなかった筈の室内に、会長さんの声が響く。




「起きません。多分、最低でも、一日は」

「ふむ。こういうことが、以前にも、あったのかの?」

「…………」



答える義務は、無い。

今の状態が、以前と同じとも、限らない。そして、その想像は、酷く――――寒い。



「泊まっても、いいですか?」

「構わぬよ。隣に、一室――――」

「いえ。この部屋で、お願いします」

「…ふむぅ、」



眠るこの人の傍を、離れる気は無い。離れたら、多分、私は駄目になる。そしてそれは、きっと、文字通りの意味で。



「他の受験生は?」



訊いた言葉に、特に意味は無い。

早く、部屋を出てくれないかと、そんな気持ちで放った言葉。



「ハンゾー、ギタラクルは、既にここを発った。他の受験生は、ササキ君が心配だからと、な」

「道化…、いえ、―――ヒソカも?」

「うむ」

「ありえない…」



何を、考えているのか。

起きたら、もう一戦? 私に用がある? 自殺志願? …後者を希望する。





「ワシも、彼が起きるまでは、居るつもりじゃ。何かあったら、そこの電話で連絡をおくれ」

「はい、」





そしてようやく、二人きり。



静かに呼吸を続けるササキさんを見つめ、その唇に、指を滑らせた。

寝顔をじっくり観察するのは、まだ、二度目だった。

標準以上の造形と、僅かに白い肌。閉じられた目蓋が、口惜しい。

頬を滑った指が、左の耳に触れる。

そのまま耳の奇形をなぞって、穴の奥へと、僅かに指を差し込んだ。





…つまらない。



動かないササキさんは、嫌いだ。

呼吸も、いつもより、ずっと静かで。普段は鋭角を刻む眉にも、力が無い。





「…ササキさん、」



シーツを捲り上げ、ササキさんの隣に、潜り込む。

赤い外套に包まれた身体は、直接触れることも出来なくて、やはり、つまらない。

私の前で、一度も脱いだことのない、この、「鎧」。





その存在に、少しだけ、嫉妬した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ササキさんの目が開く。

準備は万端、発声練習も、完璧だった。





「ササキさんっ!!」

「んが…、」



涙交じりの叫びと共に、その胸元へと、飛び込んだ。

答えるのは、鼾のような、色気の無い声。…舐めてるんですか、ササキさん。

こういう時はもっと、こう…、飛び込む私を、力強く受け止めるべきじゃないだろうか?

…ササキさんに期待するのが、そもそもの間違いなのか。



顔を上げて、間近で見詰め合う。

目尻から零れ落ちた“目薬”は、見事にその役目を果たし、ラインに沿って、軌跡を描く。角度も、完璧。練習した甲斐があった。





「泣くなよ、」



演技百%の私を迎えたのは、優しい声音。

その言葉に、声に、自身の涙腺が、限界まで緩んだ。





「―――じゃあ、倒れないで下さい、よっ!」



みっともなく、鼻を啜り上げる。

演技はぶち壊し。ただの一言で、私の本音が、引きずり出された。



でも、それすらもすぐに、どうでもよくなる。





「…ありえねぇ、」





零れた声は、私に辟易としているのか。

…関係ない。

口でどう言おうと、その腕は、確かに私を包んでくれている。





その傍ら、一部始終を見守っていた会長さんは、怪しげな笑いによって、部屋の雰囲気を全壊させた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


上半身を起こした、ササキさんの胸元。

凭れ掛かった私は、会長さんのいなくなった室内で、恍惚とした時間を過ごしていた。



流した涙も、目薬も、もう、乾いた。

無言のササキさんは、何を考えているのだろう。





「憂鬱だな…」



――――ぶち壊しだった。



「…それ、私の台詞です」



…もう少し、色気のある台詞とか、ないんですか?

見上げた顔は、眉をハの字にして、漫画みたいで、面白い。





「…とりあえず、すまん」

「許しません」

「…ありえねぇ」



牽制のジャブは、成功。

訊きたいことも、言いたいことも、他にある。



「何が、あったんですか」

「…………」



ハンター試験開始から、今まで。

二度の絶叫と、昏睡。どこか違和感のある、ササキさんの挙動。



今までのササキさんなら、そもそもハンター試験自体、受けない。

ヒソカとの戦闘は、真っ先に回避。…避けられない事態だった、なんて言い訳は存在しない。

“知っている”ササキさんには、それが出来て、尚且つ、それをしなかった。





「ササキさんの服、“赤く”なってます」





――――それは、外套の色。

気を失ったササキさんの外套は、その時既に、見たこともない、くすんだ赤色に染まっていた。





“黒”と“白”が、ササキさんの能力。

新しい能力かとも思うけれど、発動の経緯が、わからない。その能力も、わからない。



「…これ、“逃避用”だからな」



呟きの意味は、わからない。

かつての“水見式”を思い出して、それでも、わからない。





「嫌な話、するぞ」

「構いません。聞かせて下さい」



間髪いれずに返して、ササキさんの表情が、見たことのない、冷たいものに、変わった。





「…聞いたら、さっさと、俺から離れろよ」





拒絶の言葉は、私にとって、死ぬことよりも、大きくて。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


話の前置きは、夕焼けと、雨。

以前の世界でのササキさんの話かと、少しだけ、心が動く。



震える身体は、その外套を掴むことで、抑え込む。





――――その語りの結論は、家族の喪失と、犯人である父親の殺害。

言ってしまえば、“それだけ”だった。





ササキさんは、話しながら、自分が泣いていることに、気付いていないのだろうか。

単調な語り口調は、その情景を、容易には浮かばせない。

それでも、直接触れた“惨劇”というものは、ササキさんにとって、事実以上に、大きな筈で。





「…俺の能力、全部、逃げてるだけなんだよな」



逃げることが出来ているなら、泣く必要は、無い。



「外套の…黒と、白。よくわかんねぇけど、両方共、俺を守ってたんだよ」



嘘だ、守れていない。

心も、身体も、結局は、ボロボロになっている。



「自分の能力がよくわかってないのは、おかしいけど。――――俺、覚えてないんだよな、この赤い外套以外を、作った時のこと」



ササキさんは、無意識に、家族を喪失した“現実”から逃避した。

そんな、壊れそうなササキさんを守ったのが、“黒の城砦”と、“白の城壁”。



それらの崩壊が原因で記憶を取り戻したというのなら、“黒白”が守っていたのは、その記憶。





“黒の城砦”が、その肉体を。

“白の城壁”が、その精神を。





そうして、全部忘れて。だからササキさんは、笑えていた。

私も、ササキさんに出会えた。

役立たずな防御機構は、一応、役には立っていたのだ。



…それにしても、もう少し丈夫でも、いいと思うけれど。





語り終えたササキさんは、私を見て、戸惑っていた。





「えっと、つまり、…そういうことだ。俺は殺人犯で、なんつーか…危ないから、離れた方がいいぞ。制約も、頑張れば、別のに出来るんじゃないか?」

「…………はぁ、」



思わず、ため息で答えてしまった。





ササキさんは、“此処”を何処だと、思っているのだろうか。

十二歳の暗殺者が居て、人を食べる蟻が居て、殺人嗜好のピエロも居る。

数え上げれば切りの無い、こんな異常な世界で、今更、親殺し?……ぬるい。風邪を引きそうなくらい、ぬるい。



それでなくとも、私には、どうでもいいことで。

逆に、“こんな”私と、ササキさんに共通項出来たようで。



歪んだ歓喜が、込み上げた。





「出来ませんよ」

「…何がだ?」



そんな私の感情なんて、この人には関係なくて、多分、理解出来ない。



「制約の置き換えです」

「……何がだ!?」



だから、まぁ…また、絡め取ろう。縛ってしまおう。



「ですから、制約は、“一度決めると変えられません”。ササキさんが危ない人でも、私は、今後一生、ササキさんから離れられません!」





そう、言い切った。疑う余地を残さず、断定する。

本当か嘘かなんて、どうでもいい。ササキさんが信じれば、あとは、なるべく早い内に、既成事実でも作って、ゴール・イン。…完璧ですね?



上を見て、左を見て、下を見て、じっと掌を見る。

そうして、ササキさんは、最後に私に、目を合わせた。





「ありえねえ」





呟きは、酷く弱い。ため息よりも、弱い。



「いえ、ありえるんです」

「…嘘、吐いてないよな?」



吐いてます。ばっちりです。



「私が嘘吐くメリット、ありますか?」

「………無い、な」



あります。ありまくりです。むしろ、デメリットが、存在しない。





私の心なんて、知らず。

ササキさんは頭を抱えて、大きな、ため息をつく。

困惑して、悩んで、困って。…そんな感情を、隠しもせずに。





その表情に、我慢できなくなった、という理由もあるけれど。

無防備な姿に、私は勇気を振り絞る。





思い浮かぶのは、寝ているササキさんの唇。

指でなぞった、その時の、柔らかさ。





「ササキさん」





“誓い”には、――――口付けが必要だろう。





両手で挟んだ頬と、近付くその顔に、頬が熱くなった。



「――――は?」



驚いたような、声。





“そこ”は少し、かさかさしていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「責任、取ってくださいねっ」



告げた言葉は、嬉しさに満ちて。



私の顔は、絶対に赤い。

風邪をひいた時と、同じ。熱い頬に、両手を当てて、頬は緩んだ。

正面のササキさんは、赤くなったり、青くなったり。顔全体を流れる汗は、ちょっと、私に対して失礼だと思う。



けれど、そんな表情にも、私は、笑えた。





「昔のことなんて、関係無いです。私はササキさんと一緒に居たくて、ササキさんが、嫌じゃないなら…私は、ずっと、一緒がいいです」



――――ずっと、一緒。

そう、在れたらいい。そのための制約も、設けたけれど、それが理由だなんて、寂し過ぎる。

一緒に居る理由が、無くなってしまえばいい。それでも二人、一緒に居られるのなら、それはきっと、とてもとても幸せなこと。





微笑んで、唇を、指先でなぞった。





私の幸福は、軽くて、重い。

それは常に、すぐ傍にあるものだから。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ボドロに、ゴン、レオリオ、クラピカ。

連続する訪問者に、私は、少しむくれた。



主人公チームが騒ぎ立てる背後、開かれたままの扉の向こうに、見たくも無い生き物もいる。





――――消えろ、道化。今の私なら、お前程度、瞬殺出来る。



対する道化面は、笑みを浮かべていた。



――――それは楽しみ♥ けれど、また今度にしようか♦ ボクだって、君らの邪魔をしたいわけじゃ、ないから、ね♣





アイコンタクトで会話を成立できる現実に、激しい殺意が湧いた。

死ね、死んでしまえ。お前なんか、団長と戦って、返り討ちに遭え。



微笑むヒソカは、涼やかに手を振って、一言。





――――また、会おう♥





それだけを伝えて、姿を消した。





せっかくの幸せに水を差されて、私は酷く、不機嫌。

それに拍車をかけるのは、ヒソカが、“本気で私を祝福していた”という、確信。



不快な仲間意識でも抱かれたのか、道化の祝福なんて、大きなお世話。





ため息を吐く。



傍らで騒ぐ主人公チームと、それを見て、少し嬉しそうな、ササキさん。



…さっさと出て行ってくれないだろうか、この三人。



離された体温は、私を徐々に冷やしていく。





邪魔達は、その数分後に、立ち去った。

祈りが、通じたのだろうか。





それもやっぱり、どうでもいいことで。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…疲れた」

「お疲れ様です」



息を吐くササキさんは、本当に疲れていた。肉体的には、丸一日、寝ていたのだけど。





「帰るか、…ハンター証貰ってから」

「はい。講習は、面倒ですけど」



その声に、私も腰を上げる。

荷物は、着ている服と、懐の、ハンター証。講習は、実はこの部屋で受けた。制約の話をちょっと歪めて話した、特例措置。…勿論、真正直に話す愚は、冒さない。



だけど、ササキさんはこれから、延々と面倒な講習を――――



「お前が覚えてるなら、いいだろ」

「―――――」



言葉に、ちょっとだけ止まって、頷いた。



「…はい、そうでしたね」



…それは、“良い”、ということだろうか。





――――傍にいても、“良い”のだろうか?



今の言葉には、深い意味など篭められていない。それは、知っている。きっと、いつものように、私を知恵袋扱いしているのだ、この人は。

私がいないと、文字もろくに読めない、しようのない人なのだ。



それを思い、嬉しくなって、歩調が弾む。



繋いだ手に引き摺られ、ササキさんも一緒になって、歩き出す。



「店長、怒ってるかな…」

「ひょっとすると、泣いているかもしれません」

「…マジか」



半ば冗談だったのだけど、ササキさんは、真面目に考え込んでいた。

そんな会話も、楽しいと思う。





進んだ通路の先、ホテルの正面玄関。

会長さんや、他の試験官達が、居た。





「ジジイ、ライセンスくれ」



ササキさんの一言は、恐ろしく簡潔。

会長さんを相手に、そんな暴言を吐けるなんて……偽者ですか?



けれど、それが会長さんとササキさんの、“普通”だったらしい。





最悪じゃ最悪じゃと繰り返す会長さんと、悪態をつくササキさんは、二人共、なんだか楽しそう。

ササキさんは、どんな人との相性も、悪くない気がする。ちょっと、不思議。



「お嬢ちゃんも、こんな男のどこがいいんじゃ?」

「全部です」



不意の質問には、思わず、本音が出た。

…照れるじゃ、ないですか。…もうっ、





会長さんの背後、数人の試験官。

メンチが寄ってこないことに、少し、ほっとした。…つまらない、焼餅だけど。

手を振られたので、振り返す。





「ササキさん、ハンカチいります?」

「…いら゛ねぇよ」



…何でこんなに、涙もろいんだろう。





ササキさんが、会長さんに名前を名乗る様子を、じっと見守る。

…私も、いい加減――――、



考えて、すぐに飲み込んだ。





「カミヒト、トキワ、両名。おぬしらが、どんなハンターになるのか、ワシは楽しみにしておるよ」





そう告げて背を向ける、会長さん。…お菓子、ありがとうございました。

頭を下げて、見送る。



ササキさんは、会長さんの背中を見つめて、一言。





「…行くか、」

「はい」



その呼びかけは、ちょっと涙ぐんでいた。

私は答えて、歩き出す。



感傷の余韻は、ちょっと短くて、物足りない。





色々な事があった、ハンター試験。



本当に楽しかったと、今なら、そう思えた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


太陽の日差しが、眩しい。

街中で浴びる日光に、生き返ったような気分になれた。



「じゃあ、帰るか」

「はいっ」



そんな何気ないやり取りが、素直に嬉しい。

手を繋いで、青い空を見上げて、ちょっとだけ、お母さんやお父さん、お爺ちゃんや、友達のこと――――そんな、昔のことを、思い出す。



…私は、元気です。幸せです。すごく。





繋いだ手を伝って、ササキさんを見上げる。



「あの、」

「ん?」



兜に隠れていない顔は、懐かしく、感じてしまう。



「か、」

「か?」



…頑張れ、私。根性だ、私。

決めたじゃないか、いい加減、自分も、そう呼ぶべきだ、って!



「か…っ」

「かー?」



四文字。たった四文字が、出てこない。

ああ、なんて、もどかしい。

今が、転機なのだ。今こそ、他人行儀な自分からの、脱却を…!





「か、か、かみ、カミヒ―――ッ」

「神? …ヨウコ嬢、お前、キリスト教か?」

「カ―――――――ッ、」

「ちなみにうちは、仏教だ。個人的には、キリスト教の方が、好きなんだけどなぁ」



震えた拳に、オーラが篭る。その輝きは、ゴンの時より、強いかもしれない。



「カ――――…っ!」

「ん?」





私は思い切り振りかぶって、





「カバ――――――っ!!」

「ぶべら――――っ!?」





“カミヒトさん”を、青空に向け、全力で、殴り飛ばしたのだった。







End...?



[2117] Re[7]:雨迷子~後書き~
Name: EN
Date: 2006/10/24 13:25
―後書きというか言い訳―



 雨迷子、完結致しました。

ふと気づけば、我が家のネット環境が死んでいたため、ネット喫茶なるものに来訪、後書きを書いております。



色々と言い訳はありますが、とにもかくにも、感想に対するちょっとした返答と、本文と微妙に噛み合わない補足説明を。



■黒の城砦・白の城壁について



□名称

“黒の城砦・白の城壁(ブラックフォート・ホワイトウォール)”

□能力

念によって具現化された、外套を模した全身防具。

“内外”に対して、物理的/「念」的(精神的)遮断効果を持つ、ササキ カミヒトと世界を隔てる「壁」。

“黒の城砦”は肉体面に於ける記憶を、“白の城壁”は念=精神面に於ける記憶を、それぞれ封印している。

黒白の外套が損なわれた時、抑制された記憶は、強制的に表出する。

白と黒、肉体と精神。その記憶を堅固に守ろうとする余り、二種に分けた「壁」は、外界に対して、非常に脆い一面を持つ。

同時に砕かれることによって突発的に記憶が表出する事態を防ぐため、黒白を同時に使用する事は、不可能となっている。

□制約と制約・使用条件

一、損失した部位を取り戻す事は出来ない。

二、取り戻した記憶を、再封印することは出来ない。

三、記憶の封印は常時展開しているため、能力者は、外套から長時間離れることが出来ない。

1、黒白の外套を纏う際、必ずその名を“声”によって呼ばなければならない。

2、黒白は物理衝撃と念による衝撃を互いに防ぐが、範疇外に関しては、逆に衝撃を倍増させる。

3、この能力の使用中、能力者自身は攻撃行為を行うことが出来ない。

■茜色の牢獄について

現実逃避の究極形。

場合によっては「ササキ氏INドラ○ンクエスト」等が展開する可能性を秘めていた、トンデモ異世界トリップ能力。攻撃行為が可能。ダメージ強化は、無し。

文中の表現で、この能力がトリップの原因であると、読み取れましたでしょうか。少し、不安です。



※三種の外套は、全て、錯乱状態のササキ氏が無意識に作り出し、目的を果たす能力を得るため、次々と制約や条件を組み込んだ、その場凌ぎの能力。

基本イメージは「三匹の仔豚」。

“木の枝造りの家・藁造りの家・煉瓦造りの家(ブラックフォート・ホワイトウォール・ブラッディジェイル)”。無理があるのは承知の上。



■佐々木守人>ササキカミヒト

実は、ドメスティックでバイオレンスな家庭環境持ち。

極度のヘタレである理由は、長年抑えつけられ、”自己”を狭められ続けたことによる、少し複雑な事情による。精神分析は、苦手です。

精神を病んだ父親の行った一家惨殺から、加害者である父親の殺害を行い、非現実な”現実”を拒絶した末、念能力に目覚め、H×H世界へ。

…こう書くと、ずいぶんと突拍子も無いのですが、ご納得頂けるのか、否か。



■常葉葉子>トキワヨウコ

能力によって移動したササキ氏とは違う、純粋なトリッパー(異界漂流者←こう書くと、少しかっこよい気がします)。

きっと、数年後には結婚しています。ササキと。間違いありません(断言)。



■キルアの挙動について

ヨウコ嬢とキルアの仲が悪いのは、私の中ではデフォルトだったのですが、そもそもその意識が、いつ、どこから生まれたのか、気づいてみればおかしな話。

補足は本文で一応、行っておりますが、うぅむ…。

「念」に対する危機意識は、私の想像が甘かったのでしょうか。

若しくは、同年代の女の子にかっこわるいところを見せたくないという男心……いえ、申し訳ありません、私のキャラ把握の拙さが原因です。

今後修正するか、否か。

直したとして、読み直す方がおられるのかも微妙ですが、私自身、一度発表したものを改変するのは―――面倒臭いと思うのが、正直なところ(遠い目)。

うぅむ、…どうしても、駄目でしょうか。この場面。



■トンパ

お察し下さい。





 「雨迷子」自体、曖昧なイメージを元に書き上げた話であるため、深く設定を突っ込まれた場合は、…謝罪しか、思い浮かびません。



 今作、自身のイメージを文章に直す困難さと、オリジナル要素の難しさを思い知りました。

読まれた方々の天秤が、僅かなりとも「面白い」という意見に傾いて頂けていれば、私の文章も、報われるのですが。

私自身の、書き終えた感想としましては、「HUNTER×HUNTERは鬼門だ」という一言で、充分かと。



 数々のお褒めの言葉、作品に対する意見、私への人格批判、その他、本当に、ありがとうございました。

これから一ヶ月ほどはネット環境が整いませんが、その間に、本作品を読んで頂ける方が、一人でも多くいらっしゃれば、私が歓喜致します。



「雨迷子」―――「さまよいご」と読んだ方がいらっしゃればと、どうでもよい思いを抱きつつ、それでは、このような作品にわざわざお目通し頂き、ありがとうございます。本当に、お疲れ様でした。



[2117] Re[8]:雨迷子~【追奏/現実風景】~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:23


「―――“殺し”か」

「はい。被害者の内一人が、面相もわからないくらい顔が潰されていまして…」

「怨恨か?」

「…らしい、としか」



そこまで言って、相棒の若い刑事は唾を呑み込んだ。

顰められたその顔は、吐き気を耐えているのだろう。





「“佐々木”、…ねぇ」



呟いて、“赤い部屋”を見渡す。





――――そこは、視界一面が、赤色に染まっていた。





床に散らばる、バラバラの四肢。乾き始めてはいるが、未だ瑞々しさを保っている肉塊と臓物。濃厚な…濃厚過ぎる、血の匂い。

頭の割れたヒトガタと、腹を割られたヒトガタと、繋がるように倒れた、挽肉状の、二つの、“何か”。



「…ヘマ、しやがったか、あの莫迦」



死体は四つ。

かろうじて形を残しているものは、内、三つ。



残り、微塵に潰された最後の一つは、“誰”なのか。



――――それによって、“オレ”の、次の仕事が決まる。





「おい、撤収だ」

「あ、はい…っ」



呼びかけに答えたのは、苦しげながらも、嬉しそうな声。

死体と、赤色の惨状に怯えたのだろう。

逃げるように現場を後にする背中は、蹴りつけたい程に“軟弱”だ。



「あいつも、“そう”だったな…」

「えっ、何ですか、先輩?」

「…………」





“佐々木 来人(ササキ クルヒト)”。

同僚だ。昼間の仕事とは別の―――“本業”に於いて。



あいつも、軟弱だった。



一度目に組んだ“仕事”で、ヤった後に、現場で吐きやがった。事後処理の班から苦情が来た。オレに。当人に言えと怒鳴りつけた。

二度目は、その後三日ほど寝込んだ。オレの仕事が増えて、金も増えたが、腹が立った。

三度目は、酒を持参し、酔気で必死に誤魔化していた。オレは酒の臭いが嫌いだと、そう言ったというのに。

四度目は、クスリ。“組”が回した格安品だと言っていた。この辺りから、言っている事に一貫性がなくなった。ピンクの豚って何のことだ。



それ以降は、もう、憶えてもいない。





佐々木家の家族構成は「五人」。

佐々木夫妻と、三兄弟。



現場に残された死体は、「四人分」。



――――生き残ったのは、あいつか、未確認の三男の方か。



どちらにしろ、オレのやることは変わらない。





「軟弱野郎が…っ」



顎に力を込めて、奥歯がギシリと音を鳴らした。

それに脅える後輩の刑事も、気に食わない。





ここからは、“本業”の時間だ。

当然だが、“上”は目立つのを好まない。この件の関係者一切を生かす気は無いだろう。最低限の口封じが求められる。





“的”は、限界まで擦り切れ、イカれちまった“佐々木 来人”か。

それとも、惨劇から生き残って、逆に殺し返した、“佐々木 守人”か。



どちらにしろ、変わらない。

金さえ入れば、オレにとって他の全てが関係ない。





ただ一つ。

もしも、生き残ったのが“息子”の方ならば。



――――軟弱者だろうと、常識外に殺し慣れていた筈の“佐々木”を殺し返した、あいつの息子。



そいつに対する純粋な興味だけが、少し、燻ぶっていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――――それで?」

「相変わらずですよ。常葉さんの娘自慢に付き合わされて、商談に入れた頃には二時間は経ってました」



愚痴っているのは仕事上の後輩。

散々どうでもいいことばかりを聞かされたのだろう。ご愁傷様、と思わなくもないが、愚痴を聞かされても、煩わしいという感情以外を抱くことは無い。





「幾つだったっけ、その子?」

「確か、11か、12…だったと思います」

「ふぅん…」



それでも一応の合いの手を入れる。

私だって若干の同情くらいは感じる。あくまでも、若干、だが。



肩を竦めて、書類を漁る。



「大変だったな。それで、本題の方はどうなった」

「えっ、はい。今後も継続して下さると」

「そうか、ご苦労。 ほら、企画書。これ隣に持ってって」

「あ、…はい」





一頻り会話に付き合った後、成果を聞いて、お使いを命じて放り出す。
立ち去る背中を見ながら、煙草を取り出す。

火をつけて、煙を軽く吸うと、勢いよく吐き出した。



「…どうでもいいことを、ベラベラと」



悪態は、小さく呟いた。誰かに聞かれては堪らない。



期待していただけの成果は出してくれたが、次も事後の愚痴に付き合わされるのだとしたら、先方との交渉には他の奴を宛がった方がいいかもしれない。

自分が行くことは考えない。確かに常葉さんはお得意様だが、交渉相手の家庭事情なんて知ったことではなかった。

…下らない。面倒。勝手にやってろ。



心中で散々に貶して、懐から携帯を取り出す。

今は上司も外出中。

こういう気分のささくれ立った時は、愛しい彼との会話が一番だ。





「――――何だ、いないのか?」



鳴らした番号は、付き合っている恋人のもの。

女らしくない私にも根気よく話を合わせてくれる、笑顔の魅力的な、年下の大学生。

…若いツバメ、なんて揶揄するのは、捕まえ損ねた負け犬の遠吠え。好き合ってさえいればそんなもの、右から左だ。





今夜辺りどうか、と。

半ば同棲状態の恋人との約束を、楽しみにしていたのだけど――――。



陰鬱なため息をついていると、携帯が繋がった。





「あ、“ミッキー”っ?」



諦念の末の喜び。けれど声が弾んだのは失態だった。

周りの視線が痛い。…いいじゃないか、ミッキーはミッキー。“幹人”くんの愛称。可愛いだろう!?





『申し訳ありませんが、わたくし、“ミッキー”さん、という方ではありません』

「――――誰だ、てめぇ」



反射的に漏らした声は、“やんちゃ”だった過去の名残だ。





電話口の向こう。聞こえた声は、見知らぬ“女”の声。

笑みを含んだその声音に、自然、眦と口調が引き攣っていく。





『ああ、申し訳ございません。わたくし、警察の者ですが』

「…どうして警察が? ミッ…幹人さんに、何か?」



“彼”の携帯から、見知らぬ女の声。それも、警察関係者? …いや、信用するのは早計か。



―――盗難、喧嘩、事故、冤罪、詐欺、性転換、略奪愛。



幾通りもの予想をたてて、けれど私の質問に返ってきたのは、そのどれにも含まれない埒の外。





『――――“佐々木 幹人”さんは、昨夜、亡くなられました。…ご存知、ない?』





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




遠く、叫び声が聞こえ。“ソレ”の感覚で、一拍の後。

骸から立ち昇る多量のオーラが凝縮され――――そうすることで、■は生まれた。





目を見開くと、最初に、真っ赤な箱があった。

赤くて、色々なものが置かれてあり、“肉”も落ちていた。

此処が、自分の生まれた場所。まずはそれを理解する。



その部屋は外との境界を黄色いテープに仕切られていて。

“仲間はずれ”なのだと、なんとなく、そんなことを思った。





べしゃり、と。

前肢を床に付ける。肢先が、爪が、赤く染まる。

口端から零れた唾液は、床に広がった赤い色に混ざって消えてしまった。





深い青の毛並みを揺らして“肉”に近付く。

少し時間が経っているけれど、大丈夫。■は、悪食だった。



噛み千切る音を鳴らして、水っぽい音を響かせて。

ボロボロの“ソレ”を、咀嚼する。





不味い、と思う。

けれどそれはしょうがない。この汚らしいモノこそが、■を生み出す元凶となったものなのだから。





食べ終わって、残りは三つ。

けれどそれらは食べられない。食べてはいけない。何故か、そんな気がする。

■はその感情に従い、それら三つを捨て置いた。





するべきことを終わらせて。■は、足りない、と思った。





巡らせて。巡らせて。

視界の何処にも■■■■がいない。

それに寂しさを感じて、■は、啜り泣くように音を鳴らす。



鳴いて、泣いて、啼いて。





「探そう」と、それだけを思った。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




その報告を聞いた時、思わず、後輩を殴り倒したくなった。





「死体が、消えた…だと?」

「はっ、はい! 例の、身元のわからない撲殺体だけが、一つ…」



細めた瞳が後輩の身体を突き抜け、遠い事件現場へと向かう。

勿論、単なる妄想に過ぎない。そんなことが自分に出来るわけもない。



「…目撃者は?」

「はっ、いえ…。誰も、見ていないとのことです」

「軟弱共が…っ」



呻いて、歯噛みする。

現場保存は、どこの、誰がやっていたのか。

忌避。怠慢。怯懦。推測される理由は多々。しかし結論としては一つ。

警察の馬鹿共は職務を怠っていたのだろう。このご時世、何処も彼処もいい加減な仕事ばかりをする。





「…現場へ行く」

「えっ!? …あ、はいっ」



後を付いてくる後輩は、邪魔でしかない。





歯を食い縛り、未だ行方の掴めない“佐々木”に向けて、悪態を吐いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――――綺麗さっぱり、か」



遺体は、欠片も見当たらなかった。

重なり合っていたもう一つは、全くの手付かず。挽肉になっていた身元不明死体だけが完全に“消失”していた。





床の血溜まりは、その余りの量に未だ固まりもせず、風に揺られて波打っていた。

足を踏み入れると、耳障りな水音が室内に響く。



「せ、先輩、現場保存…」

「知るか」



その場に残っているのは、バラバラに解体された死体や、切り刻まれた死体。



「何故、こうも綺麗に“あの死体”だけが…?」



殺した本人が持ち去ったのか、他の誰かか。

前者ならば、何を考えているのか。後者ならば、何を考えているのか。





「…知ったことか」





いくら殺しても、“同業”の気持ちなんて、わかるものじゃない。

俺が殺るのは、金のため。

“佐々木”がやっていたのは――――あいつの理由なんぞ、それこそ知ったことか。





表の仕事も、本業も。

未だ、何の進展も見られない。



苛立たしげにため息をつき、首を鳴らす。

傍らの後輩が、恐る恐る口を開く。





「ところでこのホトケさん達、いつ、片付けるんでしょう…?」

「知るか」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




警察に行った。仕事なんて早退した。

遺体には会わせてもらえず、写真だけで、確認を求められた。

けれどそんな身元の照会も、警察の方では既に終えていたのかもしれない。

私に確認を求めることも、ただの手順に過ぎないような、そんな印象を受けた。



見せられた写真には、目蓋から顎までしか、写っていない。



僅かに見えたその背後は、赤い色をしていたような気がした。

青白い目蓋に残るうっすらとした血の跡は、私の気を遠くするには充分過ぎるもので。



傍らに立つ女刑事の口元が嗤っているような気さえして、見当違いの八つ当たりを抑えることすら出来なかった。





「ミッキー…」



掠れた声で呟き、手探りでビール缶を手繰り寄せた。

握り締めると、ベコリ、と音が鳴る。

顔を上げて見渡すが、テーブルの上には中身の入った缶など残っていない。転がる全てが、飲み尽された、空き缶ばかり。





携帯で話した女は、“麻生”と名乗った。刑事、だとか。

女性なのに?と聞いた私に対して、麻生は「あなたも、人のことは言えないと思いますよ」などとのたまった。

…今思えば、あれはあれで、動転したこちらを気遣っていたのかもしれない。

その時は思わずガンつけてしまったけれど。



「彼の遺体に会わせて」と言い募る私に七面倒な言葉を並べ立て、結論としては、「今は出来ない」。





「――――何だ、それはっ」



そう吐き出し、手にした空き缶を握り潰す。ベキリ。





彼は、死んでいない。死んだなんて、嘘だ。



――――そう呟いて、信じて。けれど見せられた唯一の、彼の情報は―――あの写真に写った顔は、間違いなく“幹人くん”のもので、その色は、とても生きているものとは思えなかった。



見た瞬間、思ったのだ。





何だ、“コレ”は、と。





その顔の造形は、見慣れたもの。

唇は、幾度も口付けた、その感触すらも覚えている。

閉じられた目蓋に、隣り合って目覚めたあくる日の朝日を思い出した。



なのに――――





「うっ、くぐぅ…っふ、うぅ…っ!」



噛み殺せない嗚咽が口端から零れ落ちる。

落とし忘れた苦手な化粧が、溢れる涙で洗い流されていく。





「誰、が…っ」



――――■してやる。



初めて出会った時。曲がり角での出会いが思い起こされた。

突然飛び出してきた彼とぶつかって、尻餅をついた私に、彼が手を差し伸べる。

ドラマじゃないんだぞ、と鼻で笑った私に、幹人くんは照れ笑いで謝った。



――――ころしてやる。



デートに誘われた時は、まさか自分が「デート」なんて言葉を使うなんて、思いもしなかった。しかも、一度は混乱したままに断った。…今思い返しても口惜しい。

花を贈られて。けれど花なんて好きじゃないから、贈られても余り嬉しくなくて。

それでも贈られた事実が嬉しくて、急いで買いに走った花瓶は、今では愛用の一品になっていた。



――――コロしてやる。



“家庭の事情”で家に居たくないからと遊び歩くことの多い彼は、友人の家に世話になることが多いという。

それを聞いて、「うちに来ればいい」なんて言ったのは、いつのことだったか。



―――― 殺 し て や る っ !!



昨日も、今日も、明日も、その…次も。

ずっと、続く筈だった。

幸せなのは夢なんかじゃなくて、錯覚なんかでもなく。これから先も続く、私には不似合いなほどの幸福な現実なのだと。

結婚まで考えて……けれどそんな考え、彼には“重い”だけだろうと、ずっと、黙って、



それでも“今”が心地よくて――――





「殺してやる――――っ!!」





誰、だ。

誰が殺した。

誰が、彼を殺した。





「殺してやるっ、殺してやる、殺して、やる…っ!!」





喉の奥からは鉄の味。

叫び声に重なる不規則な連続音。ぱたた、ぱたぱたパタ。パタリ。



いつの頃からか、窓の外では雨が降り始めていた。



けれどそんなもの、聞こえていようと聴こえはしない。





恋人を、失うことも。

泣きながら、これほどに怒り狂うことも。

人を、真剣に殺したいと思ったことも。





それら全てが、私にとって生まれて初めての経験だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




ゲップを一つ。

捕らえた猫は、余り美味しくはなかった。

贅沢はいけないが、それと味覚は別問題。



■にとって“食べる”ことに意味はないが、何故か、そうすることが正しいように感じられた。





さて、“匂い”を辿ってきたけれど、ここは一体何処だろう?



大きな建物と、その中には、沢山の同じもの。

同じような部屋と、その中に並べられた沢山の机と、椅子。





ひたひたと長い通路を歩いていくと、小さな、明かり。





そこに近付くと、大きな悲鳴が出迎えた。





明るい部屋には、男の人が、一人。

後退るそれを見て、小さく、問い掛ける。





――――喰ッテイイ?





問い掛けに答えは無い。それをくれる筈の“親”は■を生むために死に、或いはそうなってくれたかもしれない■■■■は、■と出会う前に消えてしまった。





口にしたソレは、“まぁまぁ”の味だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




舌打ちを一つ打ち、乱暴に通話を切る。



「好き勝手、言いやがって…」



電話の内容は“本業”の催促。他班とのすり合わせ。

常識によって認められずとも、人を殺すことだって“仕事”の一つだ。分業しなければやってられない。専門だってある。





“組”の援助も受けずに自分勝手な殺しを行った佐々木には、当然、“処理”の命令が下っていた。

それをやるのは、勿論、オレ。死んだ後まで奴の尻拭い。最低だ。



検死の結果では、消失した遺体こそが“佐々木 来人”だという。

それを報告したら、今度は「生き残ったであろう“佐々木 守人”を処理しろ」と来た。





――――それらは全部、予想していたことだ。

だが、それでも口で言うだけの“上”には多少腹が立つ。手を動かす方の身にもなれというのだ。オレは“掃除夫”だが、奴隷ではない。

腹が立ったので、バックアップなんぞいらん、と突っ撥ねてしまった。…クソッタレめ。





肩を竦めて銃の手入れに戻る。

“本業”用のものだ。警察で配布されたものなんぞ、二重の意味で“使えない”。



一部品毎に細かく点検を行い、そういえば佐々木はナイフを好んでいたと、どうでもいいことを思い出した。

殺すことに怯え、嫌悪していた癖に……その手段には殺しの感触を覚えるナイフを使う。

矛盾したあいつは、一体何を考えて、自分の家族なんぞを殺したのか。



そして、それを更に殺し返した“佐々木 守人”は、一体何を考えて、あいつを殺したのか。殺せたのか。





「…ちったぁ、手応えがありゃあいいがな」



今はその足跡すら掴めないが、必ず、近日中に見つけ出す。

その時、佐々木 守人がどんな奴なのかも、わかる。





近い未来を思い描いて、オレは、多分、嗤っていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「―――駄目です。問題外」

「何故…、」

「あなた、一般人。私、刑事。―――わかります?」



警察で渡された電話番号に連絡して、話をしたいと、刑事の“麻生”を呼び出した、の、だが……。



「ドラマの見過ぎです。一般人が、刑事と一緒に捜査? あなた、私を懲戒免職処分にするという奇特な野望でも抱いているのですか?」

「いや、違う。私は、ただ、」

「“ただ”、何ですか―――?」

「…っ、いや、」



問い詰められて、言葉に詰まる。

“犯人を殺したい”から捜査に協力したい、だなんて、言えるわけがない。





「あなた…えぇと、ごめんなさい、名前は?」

「郭――――郭 容子(クルワ ヨウコ)、…です」

「変な名前ですね」



…余計なお世話だ。

歯噛みする。こんなやつを頼りにした自分にも、腹が立つ。

私はただ、幹人くんを殺した犯人について何か知らないかと、それを聞いただけなのに…。





「郭さん?」

「…はい、」

「あなたの気持ちがわかる、なんて、私には言えません。あなたが何を思っているのかも、わかりません」

「…………」



当たり前だ。

彼との時間は、私だけのもの。彼への想いも、今、胸に抱いている激情も、誰にも譲れない。



「近日中に、佐々木 幹人さんのご遺体との対面の場を設けます。―――それでは、いけませんか?」

「会えるのかっ!?」

「ええ。その時は、ご連絡致しますわ」





にっこりと、常消えぬ笑みを浮かべる麻生は、とても刑事には見えない。

精々が、敏腕OL、といったところか。

張り付いたような微笑は柔らかく、先日の対面以来、笑顔以外の表情を見た憶えがない。

…いや、それは流石に考えすぎだろうか。



銀縁のメガネが、無駄に“デキル女”のイメージを助長していた。



「それでは私はこれで。こう見えて、忙しいもので」

「あ……っ、」



麻生はそう言い捨てて、席を立つ。

注文されたコーヒーにも、一切手を付けず。



立ち去る背中にかける言葉なんて、私には無い。



今回の行動も、ただの衝動に過ぎない。

「殺したい」と思ったのは、いつか衰えてしまう気持ちなのだろう。安易な思いつきは酷く魅力的だったけれど、現実問題、“そんなこと”を実現出来る筈もなく。

大人しくしていれば、近い内に、幹人くんに会える。

それは、もう私の声に何も返さないけれど――――





「……くっ、う」



何も、…返さない。



不器用に笑っても、笑い返してなどくれない?

話しかけても、声を返しては、くれない?

そんな、そんなこと――――





「―――殺、す。絶対、諦めない…!」





思い出せ。

警察に赴いた時、刑事達は、“一家惨殺”と言っていた。

そういえば、あれから酒を飲んでばかりで一度も新聞を読んでいない。一家惨殺、と呼ぶほどの事件ならば既に新聞に載っていてもおかしくはない。そうさ。そうだろう?



こんな簡単なことを思いつかず、のこのことあんな女に電話するなんて。



「私も、ヤキが回ったかな―――」





呟いて、席を立つ。



テーブルの上には、一度も口を付けられなかったカップが、二つ、残されていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




白、黒、赤、青。

そんな色を、どこかで見たような気がする。





…■■■■は何処だろう。

どうして■は■■■■を探すのだろう。どうして■は会ったことも無い■■■■の匂いを知っているのだろう。

どうして■■■■はいなくなってしまったのだろう。





わからない。

わからないけれど、探さなければ。



例え■■■■が■のことを嫌っていても。




■は鳴く。

啜り泣くようなその音は、■自身、生き物の出す声とは到底思えない。



“何処”に行ったのだろう。

どうしていなくなったのだろう。





まだ■には、名前すらも無いというのに。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「先輩! 近くの学校で、用務員が血痕を遺して失踪した、って―――」

「知るか」



言い捨てて、安物の缶コーヒーに口を付ける。オレの仕事は迷子探しだ。用務員の名前が佐々木 守人だっていうなら話くらいは聞いてやる。



心中で悪態を吐き、手にした書類は、佐々木 守人の身辺調査結果。





――――成績は上の下。運動は、中の上。交友関係は、狭い。…いや、広いのか?

友人関係は、聞き込みをした生徒達の自己申告では多かったが、担任や、親しくない生徒に聞くと、大抵は一人で行動していたらしい。



“元恋人”、という女子生徒が居たが、その小娘から得た情報は、どれも要領を得ないようだ。直接会って見たが、形式通りの質問だけをして引き上げた。

恋人、ってのも嘘っぱちかもしれんが、ササキ カミヒトの失踪に動揺していたのは演技に見えなかった。…どちらにしろ、“オレにとって”の手掛かりにならないのだから、無駄足か。





本人の性格は――――「無愛想」「よくわからない」「真面目」「クール」「意外と話がわかる」「巨乳派」。…多面的過ぎてわけがわからん。しかも後輩に任せた後半部分にはふざけたような言葉しかない。あとで適当な理由をつけて殴っておこう。

身長は高いが、特に鍛えているわけでもなし。部活は書道部。ただし幽霊部員。

得意科目は特になし。ただ、家庭科・裁縫関係が得意だと、そんなどうでもいいことが書かれていた。





「…平凡だな」

「何がですか?」

「知るか。お前は自分の仕事をしろ」



佐々木 守人の調査結果は、多少の歪さを見せるものの、平凡だった。



…到底、気の違った“殺人鬼”を殺せるようなガキとは思えない。

それとも自分を隠すタイプか?

事故が重なって、偶然殺せたのか?

――――違う。あの無残な殺し方は、絶対に、一つの意思を持った犯行だ。狂的なまでの一つの“意思”を感じる。





佐々木 守人の交友関係は狭い。周りから厭われていたわけではないようだが、本人にそれほどの社交性がなかったのか。

…これでは誰か友人の元に身を隠している、という考えも、可能性としては曖昧に過ぎる。対象も、絞れない。



「ちっ、面倒な家系だ…」



親父といい息子といい、手間ばかり、かけやがる。

缶コーヒーに口を付けて、もう一度最初から





「―――その調書、私にも見せて下さいませんか?」





声をかけられ、咄嗟に、缶の縁で口を塞ぐ。

声の方向にいたのは、銀縁メガネを掛けた一人の女。同僚だ。勿論、“表”の。

…相変わらず“気配”を感じさせねぇ、薄気味の悪い奴だ。



「麻生か。どこ行ってやがった」

「少し、事件関係者に」

「…誰だ」

「佐々木家次男の、恋人です」



次男――――佐々木 幹人、といったか。



「ほらよ。大して、面白い事は書いてねぇぞ」

「それでも、あなたが目を通す価値は、あるのでしょう?」

「……ちっ、」



こいつは苦手だ。

常に笑顔の裏で何かを抱えてやがる。錯覚だと判じるのは馬鹿だけだ。

こんなやつが“正義の公僕”とは、おかしな世の中になったものだ。





「事件の、生き残り…ですか」

「確証はないがな」

「そうでしょうか。ほぼ決定事項では?」

「死んでないからと言って、生きているとも限らん。もしかすると、とっくにどこかで野垂れ死んでいるかもな―――」



言い返しながらも、傍らの女を、煩わしく思う。

思考の邪魔だ。仕事の邪魔だ。

それに、――――“危険”、かもしれない。





「…少し、外に出てくる」

「ええ、いってらっしゃいませ」



恭しいお辞儀にも、何か含まれているような気にさせる。

麻生という女刑事は、どうしても好きになれない。



もしかすると、オレの“本業”関係を探っているのでは―――





そんな思考も、笑い捨てる気には、なれなかった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




一家惨殺事件。その唯一の生き残り―――“佐々木 守人”。

幹人くんの、弟だ。



本人に会ったことは無いが、幹人くんから話は聞いている。



―――「無愛想で、何を考えているのかわからない奴」。



それが、幹人くんの話から総合した、私の抱く、佐々木 守人のひととなり。

幹人くんは弟さんのことを嫌っていなかったが、弟もそうだとは、限らない。





生き残り=犯人。

安直ではあるが、一番、可能性も高い。

どちらにしろ、これを見逃す気は、ない。





佐々木 守人は、現在行方不明。

…そういえば、仕事を休むと後輩に言伝を頼んだ時、また常葉さんのお宅がどうとか言っていた。

そこに思考が繋がり、頭を振る。

どうでもいい。関係ない。この二つを関連付ける意味も、理由も、存在しない。思考を遊ばせている余裕もありはしないのだから。



弟さんの携帯番号がわかれば楽なのに。

幹人くんの携帯になら、番号があるかもしれない。けれど、彼の携帯は、恐らく警察で預かってある筈。



「くそっ、何も、無いのか…っ?」



失くして、恨んで、意気込んで。

その結果が、開始直後の行き止まり。最悪だ。





幹人くんの家まで行ってみたけれど、警察っぽい人間が、現場を封鎖中。

周りをこそこそする記者のような奴らも、近付くことさえ出来ず、互い、無益な親近感だけを共有する。



「…くそ、くそ、くそっ」



幹人くん、幹人くん、ミッキー…!

呟いて、繰り返して、爪を噛んで、気を落ち着ける。





声を掛けられたのは、噛み切った爪の欠片が、地面に落ちた、その時。





「―――困っているようですね。お力、お貸ししましょうか?」





振り向いた背後。変わらぬ笑みを浮かべた“麻生”が、車の窓から手を振っていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




…いないのだろうか。

本当に、何処にもいないのだろうか。



延々と歩いて、彷徨って。

全身を叩く雨に、青色の毛皮が萎れていく。





■を構成する“オーラ”も、既に、小動物の捕食程度では賄えない。

そもそも、そうやって補給するものでは、ないのだから。



■■■■は、何処なのだろう。このままでは、■は消えてしまうのに。



一度、生きている人間を喰べて、少しだけ持ち直した。

けれど、それもすぐに尽きてしまう。オーラが身体に合わなかった。量も、酷く少なかった。

この身体を形作るのは、■を産んだ、最初に喰らった肉塊のオーラ。形を保つために、それを少しずつ削っていく。

削って、削って、補給して、また削って。

…もう、半分以上が、無くなってしまった。



何処だろう。

どうして、■■■■のオーラが、感じられないのだろう。

どうして、■■■■は消えてしまったのだろう。

どうして、どうして――――





■■■■の匂いを辿って、次々と彷徨う。

今度こそ、今度こそ。



今度こそ、■■■■を見つけよう。





見つけて、そしテ――――――





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




佐々木 守人の行動パターンは、「地味」の一言だった。

朝早く家を出て、学校へ登校。

そして終業時間に帰宅。

外出は近所のコンビニ程度。

遊びに行くのは、時折。一月に一、二度あれば多いと言える、その程度。



…本当に、友人付き合いが乏しい。





「最近のガキってのは、こうも淡白なのかね」

「いえ、その子が特別なんじゃないですかぁ?」

「“特別”に内向的、か?」



そんなことだから、“あんな”大人になるのだ。



――――佐々木の三男坊は、知れば知るほど、出会った当初の“佐々木”に似ている。



寡黙で、その内側は、気が弱く。

けれど殺しの時だけは、誰よりも率先して動く。

そうして、終わった後に、勝手に悔やむのだ。馬鹿の典型でしかない。





「…期待、外れか?」

「どうでしょうか…。後は、近くのゲームセンター、ですね」



独白を勘違いした後輩は、地味な書類仕事にだけは、重宝している。





そうして数分後。



到着したゲームセンターは、とっくに潰れていた。





「…おい、」

「す、すいません! その、閉店しているなんて情報、聞いてなくて―――」



歯軋りをして、ゲームセンターのガラスを叩く。



――――此処は、以前佐々木 守人が訪れていた、馴染みのゲームセンターだった。

馴染み、とはいっても、本人は本当に面白みのない人間で。ここに来たのも、ほんの三、四度。

それでも訪れたのは、…まぁ、藁をも掴む、という奴だ。



「帰るぞ、」

「あ、はいっ」

「全く、無駄足を―――っ」





“それ”が聞こえたのは、偶然だった。





「…お前、先に、署に帰ってろ。もう一度佐々木 守人の行動範囲を洗い直せ。出来てなかったらぶっ飛ばす」

「えっ? あ、はぁ―――」



言い捨てて、ゲームセンターの、裏口へと回る。





「誰か、いやがる…っ!」





踵を返した瞬間、何か、硬質な音が、耳に届いた。

―――ゲームセンターの、建物内から。





「ビンゴかっ!?」



吐き捨てながら、懐に手を入れた。

コートの裏ポケット。そこに、“仕事”用の銃が、厳重に仕舞われていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「―――ビンゴ、ですね」



車内から、寂れたゲームセンターと、その前に立つ男二人を見つめて。

嬉しそうに零した麻生は、その貌に掛けられた銀縁メガネの縁を、しきりに、指先で弄っていた。



「私は行きますが、あなたは?―――郭 容子さん」



微笑みながら聞いてくるこの女が何を考えているのか、私には、全くわからない。





幹人くんの家を見つめていた私に突然声を掛けてきて、「力を貸す」と言う。

…信用、できない。出来るはずがない。

一度は頑なに突っ撥ねておいて、一体、どういう風の吹き回しなのか。



訊いても、返ってくる言葉は「あなたの熱意に絆されました」、と来た。





「…行くさ。行くしか、無いんだから」



そう返す私の懐には、スタンガンと、小振りと大振り、二つのナイフ。

ついでに、催涙スプレー。

ナイフはギリギリで合法な刃渡り五、六センチ。旅行先で気に入って購入した、趣味の品。
小振りのスタンガンと催涙スプレーは、幹人くんからの贈り物だ。「女の人だから」と。それを言われた時は、思わず笑ってしまったものだけど。





「それでは、行きましょうか」

「…ああ」



笑う浅生は、酷く不気味で、不可解だった。

多分私は、今、“何か”を決定的に、間違っている。



…けれど、それでもいい。



殺してやる。

殺して、彼の墓前に頭を下げさせて―――違う。殺したい。殺したい、だけだ、私は。彼の仇を、この手で。





「殺してやる…っ!」



漏れた呟きは、麻生の耳には、届かなかったようだ。





だって麻生は、変わらぬ笑みを浮かべたままに、私に向けて、微笑んでいたのだから。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




人が来た。

■■■■の匂いを辿ってきた“此処”に、人が。



最初は、誰もいない、寂しい場所なのだと思っていた。

お父さんの匂いも、他と同じように、違う臭いと混ざって、薄まっている。



「―――?」



声が聞こえる。

■が入ってきた方向から、男の声が。

それは■■■■のものではなく。■は、此処も違う、と鳴く。





「そこニ居るのハ“さサキ カみひト”カ…? 違ウならそう言エ。こッちも、ワザわざ浮浪者を相手にすルほど暇じゃア無いんデな」





聞こえた声は、名前を呼んだ。

■■■■の―――■が探す相手の名前を。



一度も耳にしたことがない筈のその名前は、何故か、■■■■のものだとわかった。





新しく来た人間は、■■■■を知っている。

ようやく、「カミヒト」の手がかりを見つけた。



嬉しくて、嬉しくなって。





だから■は、歓喜の叫びを上げて、男の元へと走り寄った。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




空気の抜ける音が、二つ鳴った。

続いて響くのは、床を、壁を、砕く音。



「―――なんだ、こいつはっ?」



ソレは、“狼”に見えた。

青…いや、藍色の毛並みをした、大きな、狼のよう。



オレは狼なんて実物を見た事はないが、それでも、その尖った鼻先と身体つきは、簡単に思い浮かぶ典型的な「狼」の形をしていた。





「――――ッ!」

「ち…っ!」



素早い。

低い、笛のような鳴声を漏らし、執拗に、オレに向けて飛び掛る。

人間相手なら“慣れている”オレだが、獣相手なんて、専門外だ。



また一発、弾が外れる。



いくら潰れた店だろうと、事後処理が大変だなと。

自分には関係ない仕事が増えることに、苦笑いを零した。





「一体、どこの動物園から逃げてきたんだぁ、てめぇはよっ!!」

「――――ッ――ッ!!」



…当たった!

囮の二発、本命の一発。

動きは中々素早いが、こいつの動きは、ただ走り回るだけ。

怯んだ姿に銃を向け直し、このまま―――





「―――あら、お楽しみ中、でしたかしら?」





聞こえた声で、咄嗟に動きが止まり、





「狼」は、その隙を見逃さなかった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「―――あっけない。やはり“普通”の人間では、この程度かしらね?」





目の前で、大きな犬が、人の身体を、引き裂いていた。





「…何、だ、これっ」

「あぁ…、そういえば、あなたが居ましたね」



漏らした呻き声に、麻生が私の方へと視線を向ける。

自分で連れてきておいて酷い言い草だが、それに頓着する余裕なんて、私には無い。



「ぁ、あの人、助けないと…!」

「そう? それなら、いってらっしゃいな。助けに」

「な―――っ!?」





ひらひらと手を振る、麻生。

その顔は、やはり、微笑んでいて。



私は、驚きと震えで、わけもわからず立ち尽くす。





「あぞぅ…! お前、なんデ、こごに―――」

「あら、まだ生きていらしたのですか?」

「あぞぉ―――っ!」



倒れた男の人が、麻生に向けて声をあげる。

その間も、大きな犬――――「狼」が、男の身体に爪を立て続けていた。

男は必死に抗うけれど、その巨体を前に、人一人の力では全く足りていない。





「その癖、直した方が良い、って言いませんでした? 他人の声を聞くと咄嗟に動きを止めてしまう…、その癖」

「ぁ……ご、ぉ…っ!」

「何か、疚しい“お仕事”でもしていらしたのでしょうね。だから、咄嗟に取り繕う」



―――それも、あなた自身不器用だから、成功しては、いなかったけれど。





麻生はそう言い、その足元では、いつの間にか、男が、その動きを止めていた。





“幹人くんを殺した犯人を、殺す”。



それが私の目的だったのに、いざ目の前で人が死んでみれば、私は、無様に震えて、尻餅をつくしかない。





「―――さて、あなた、“「力」で造られたモノ”ね?」





「狼」に問い掛ける麻生の声も、理解などできず。

眼鏡の蔓を頻りに撫で擦る麻生の仕草にすら困惑を重ねて。



この空間に存在する全てが、私の恐怖を助長していた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




男は、喰った。

痛かったから。



「狼」は痛くする方の立場のはずなのに、痛くされたから、男を喰った。





そうすると今度は、一人の女が話しかけてきた。

ずらされた眼鏡の向こう側、不思議な色をした瞳が覗いていた。





「アなた、“「力」で造らレたモの”ネ?」



問い掛けには、頷くことで答えを返した。間違っては、いない。「狼」はあの醜い肉塊のオーラで作られた。それだけは、最初から知っている。

女は満足そうに微笑むと、膝を突いて、「狼」と目を合わせる。



「あナたのゴ主人さマは、何処かしラ?」

「――――」



今度の問い掛けに、「狼」は答えを持っていなかった。

ご主人様―――あの醜い肉は「狼」を産んだモノだけど、違う。カミヒトは、主ではない。むしろ、それは「狼」にとっての―――



「狼」は項垂れ、小さく鳴くことで、否定を示す。



「ソう、言えナイ? それトも、知ラないのかしら?」





女は、「狼」にとって初めて出会った、話を聞いてくれる“優しい人”。

知らない、いない、と伝えたくて。身振りでそれを伝えようと、努力した。



それは、女にも伝わった様子。





「そウ、それジャあ―――わたクしと一緒ニ、来ない?」

「――――?」



言われて、疑問を返す。

不思議な色の瞳に見つめられて、思考がぐるぐると廻ってく。

――――自分は、カミヒトを探している。この女も、捜している? …そういう、ことだろうか?





「ドうかしラ。もしも嫌じゃナけれバ、わたくシと一緒に、」



再度の問い掛けには、頷いた。

きっと、一緒にカミヒトを探してくれるんだ。優しいこの女は、優しいから。



「狼」の思考は女に追従する。

そこに疑問など生まれない。生まれる要素は産まれない。ぐるり、ぐるり。



「狼」の肯定に、女は優しく、微笑んでいた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




麻生が立ち上がる。

「狼」はそれに追従するように、身体を動かした。



先ほどの男の死体は、もう、欠片も残ってはいなかった。

僅かな血痕と、襤褸切れのような衣服だけを残して。その全てが、「狼」の腹の中に―――





「―――ぁ、…あっ」

「あら、まだ居たのですか」



麻生の声は、言葉とは裏腹に、居てくれて良かった、と言っているようにも聞こえた。

その傍らの「狼」も、私の方へと視線を向ける。





「本当は、もしもの時の“盾”代わり、だったのだけど…。あなた、“これ”、食べる?」



語りかける相手は、前半が、私。後半は―――傍らの「狼」に。



「――――ッ」



低い、風のような音が鳴る。

それが目の前の獣の鳴き声だとわかって、私はもう、何が何だか、わからなくなった。





「何だ、一体、何なんだ、これは…っ!」



叫んで、それが酷く無様な行為に思えた。



こちらを見る麻生の顔は、笑ったまま。

それがまるで、“仮面”のように見えるのは、何故だろう。



「幹人くんは、何で、誰が―――っ」



叫び声は、ただ、声を出すという行為にしかならなかった。

この女にそれを訊いても、わかるはずがない。

叫んでも、何も―――





「―――ああ。あの事件なら、死んだ彼の父親が犯人だそうよ」

「――――え、?」



聞こえた言葉に、数瞬、呆ける。



「それで―――その父親を更に殺したのが、現在逃亡中の“佐々木 守人”君、というのが現在最有力ですね。でもあのミンチ状態は、少し…過剰防衛よね。くすくす」

「な、にが…っ」

「警察も、あなたが思う程には無能ではありません。一家惨殺の真犯人は、“佐々木 来人”。これはほぼ、断定されていますわ」





…それは、

どういう、ことだろうか。



犯人は、もうわかっていて。

私の追っていた弟さんは、つまり…いや、むしろ、彼の仇を、討ってくれていた?

そうだとすると、もしかすると―――



…あれ? それじゃあ、私は? ……あれ?





「ごめんなさいね、あなたを呼び止めた時、既に鑑識から、答えをもらっていたの」

「じゃあ、何で…?」

「現場から、若干の「力」を感じたのよ。それで、初めて出会えた“お仲間”かと、随分期待していたのですけど…」





そう言いながら、麻生は既に私を見ていなかった。

知りたかったこと、知らなかったことを知らされて。私は、今度こそ本当に、何も、わからなくなっていた。

俯いて、握り締めていた催涙スプレー。

幹人くんから贈られたそれを、見つめて、





「…ああ。目撃者、消しておかないといけませんね?」





小さな呟きに顔を上げ、麻生がその銀縁のメガネを外すと―――





視界が暗転して、





そうして、郭 容子は死亡した。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「“美人薄命(イービル・アイズ)”―――なンて、もう、聞こえテイまセンよね」



人が倒れ、それに向けて、女が言葉を投げかけている。その声は、酷く愉しそう。

目の前で起こったことが、「狼」にはよくわからない。



ただ、これは「念」なのだと。

どこか遠くから、知らない知識が聞こえてきた。





「ほラ、喰ベて、いいわヨ?」

「―――ッ」



女に言われて、倒れた人間を、喰らった。

口にすると、中々に、上質なオーラ。

先ほど喰った男ほどではないけれど、この倒れている女も、美味しい。





食べ終わり、女を見上げる。

窓から差し込む日差しに、その顔に掛けられたメガネの縁が光った。



「行キまショうか?」

「――――ッ」



頷いて、女の後に続く。



胸の奥が、わくわくする。

カミヒトは、何処だろう。いつ、見つかるのだろう。



女の後に続きながら、「狼」は、それだけを考えていた。





少し進むと、不意に女が立ち止まり、「狼」に向けて、声を掛ける。



「ソうだ、アナたの名前、決めナイと」

「――――?」



名前。

「狼」が持っていないもの。あの肉塊が付けてくれなかったもの。カミヒトならくれるかもしれないもの。

カミヒト以外に名づけられるのは嫌だったけれど、この優しい女なら、いいかな、と思った。





「”紺碧の空洞(ディープ・ブルー)“―――なんて、どうかしら?」



その言葉の表す意味も、よく、わからない。

わからないけれど、“優しい”女を落胆させるのは忍びなく、「狼」は頷く。



そんな「狼」に対して、女は優しく、嗤い返した。





――――黒、白、赤、青。

木の枝と、藁葺きと、煉瓦屋根と。それらを喰らう、藍色の。





そんな光景が浮かんで、けれど「狼」には、何一つ理解することなど出来なかった。





End.
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


□□□□□□



□名称

“紺碧の空洞(ディープ・ブルー)”

□能力

 佐々木 来人の、死亡によって発現した怨「念」。

オーラによって具現化された、藍色の毛並みを持つ「狼」。その攻撃方法は牙と爪による原始的なものに限定される。

「狼」の戦闘能力・存在時間は保有オーラに比例する。

「狼」は自立行動を可能とするが、その知能は然程高くなく、およそ人間の二、三歳程度。本能で動く以外には、ろくな知性を持ち合わせていない。

佐々木 来人が今際に抱いた妄念の具現。目的は佐々木 守人―――の殺害。狼自身にその自覚は無い。能力者から受け継いだ無自覚の妄執による渇望を抱いている。

□制約と誓約・使用条件

1、「狼」の行動は、全て「狼」の自立意思に因る(能力者といえども、その行動を完全に操ることが出来ない)。

2、「狼」は、十二時間以内に最低一度以上、必ず、殺害・捕食行為を行う。

3、「狼」の行動は、結果的に、その全てが“悪”でなければならない。“悪”の定義は、“佐々木 来人”の社会通念に基づく。



□□□□□□





[2117] Re[9]:雨迷子~【夜奏/斑の人形】~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:25
夢を見た。



何処とも知れない草原、岩山、大きな街。

そこで笑い合うオレと―――――黒髪の少年。



逆立つような、特徴的なその黒髪。

日溜りよりも眩しくて、昼を創り出す太陽のようなその笑顔。

それを眩しいと感じて、見つめ続けることが苦しくて、けれどとても心地よい。





「■■■―――ッ!」





屈託のないその声がオレを呼ぶ。

些かの含みすらなく笑い返し、そいつの元へ。友達と同じ場所へ。



―――――幸福の情景。





夢を見た。



何処とも知れない暗い部屋、城壁の内側、大きな街。

全身を朱に濡らすオレと―――――物言わぬ肉の殻。



内側から流れ出る、赤黒い生命の形。

宵闇よりも濁り落ち、終わらない悪夢のように閉塞的なその情景。

それを気色悪いと感じて、全身を覆う赤色が泣きたいくらいに冷たくて、けれど心の何処かが歓喜する。





「■■■」





平坦な声がオレを呼ぶ。

微塵の揺れすら生み出さない呼び声に顔を上げ、その主の下へ。自らの生まれた巣へと。



――――――■■の情景。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「あ、あの子も同い年くらいじゃないかな?」



そんな声を上げたのは、俺の隣を走っていた“ゴン”。

周りオッサンばかりのハンター試験。自分と同年の子供が居るなんて、少しだけ珍しく、同時に「面白い」と思った。

声を掛けたのは興味本位。

自分もそいつと同じように走ってみようと思ったのも、興味本位。



“自分”とは違う“普通”の少年―――ゴン。



その認識は色々な意味で間違っていたのだと、後々思い知らされるのだけど……少なくとも、飽きるまでは一緒にいてみようかと、そう思えるくらいには楽しい奴だった。





ゴンの指差す先。

目を向けると、そこに居たのは――――黒くてデカイ、変な奴。



「…何だよ、アレ?」



小さな呟きは、ゴンに聞こえなかったのだろう。横を走っていた筈のトンガリ頭は、止まることなくまっすぐに走っていく。

というかお前、アレは同い年には見え――――





「こんにちは! 俺、ゴン=フリークスって言うんだ!」

「…こんにちは」





耳に届いたのは、小さな声。

細くて、まるで女みたいな、子供みたいな声が聞こえた。





「名前は、…トキワです」



僅かに口籠もるそいつにようやく目が届く。

黒くてデカイ奴の真横。その陰に隠れて見えづらかったけど、確かに、子供がいた。





小さくて、細い身体。

明るい茶髪に、白い肌。透き通るような青の両瞳。

整った顔立ちだけど、それ以外に特色のない、小さな女が居た。



僅かに興味を覚えたのは、ゴンに対するものと同じ理由だろうか。





「お前、年、いくつ?」



小さな背丈は、オレの目線の辺りまでしかない。

「同い年じゃないか」と言ったゴンの目は、節穴だろう。





「12歳です」





――――嘘だ。

オレは直感する。





「嘘っ、同い年!? 年、誤魔化してんじゃねぇの!?」

「…ヨウコ嬢、嘘は良くないぞ」



驚きよりも、大きな呆れによって、言い返す。演技過剰は、それが“普通”の少年の挙動だと、そんなことを思ったから。

―――すると、オレの声に被せるような、低い声が近くから聞こえた。



元を辿れば、そこに居たのは“黒い奴”。





頭部を包み込む黒の兜は、実家にあった拷問器具に似た形。

全身を覆ったコートは病的なまでに全身を覆い隠し、節々に取り付けられた板金のようなものは、本当に防護に役立つのか甚だ疑問。「試してみたい」と思い、その衝動をゆっくりと鎮めた。



「――――ていうか、アンタ、何?」



会話の邪魔をされたのが不愉快で、妙な格好も気に入らない。

わけのわからない輩はうちの家族だけで充分。“外”に出てまでそんな奴らと関わり合いになるのは御免だった。



オレの言葉を受けた“黒いの”は、トキワと名乗ったチビ女の頭を撫でる。

…その光景に、面白くないものを感じた。何故かはわからない。





「…保護者だ」





――――嘘だ。





「本当ですよ」





オレの思考に被せるような、細い声。

それは肯定だったけど、どこか否定にも感じられた。



…疑わしい。

オレの直感は当たり外れが激しいけど、これについては間違っていないような気がした。





「ねぇねぇ、トキワ達は、何処から来たの?」



そんな周りの空気を読まない、ゴンの大声。

釈然としない気分だったけど、まぁいいか、と思考を振り払う。



「…Japponですよ。小さな島国です」

「Jappon…、聞いたことないな」



一瞬の間と、返答。

本当かどうかなんてわからないのに、それは“嘘”だと、もう一度、オレの直感が囁く。





妙な感覚。

何でそんな事がわかるのか、それこそがオレにはわからない。

相変わらず当てにならないオレの直感は、“仕事”以外では役に立たないこと甚だしい。





しきりに黒いのを窺うトキワに、ゴンの連れの二人―――名前、何だったっけ?―――と会話をする黒いの。トキワのことなんて見向きもしない。

その対照的な様子に、少しだけ、面白いと感じる。

それは、少し意地の悪い感情ではあったけれど。





「――――ねぇ、二人は何でハンターを目指してるの?」





走る途中に投げかけられた、ゴンの疑問。



聞かれても、大層な理由なんて、オレには無い。

家を飛び出して、けれど何の目的も無くて。

そこで思いついたのが、“難関”と言われているハンター試験。



だからこれはちょっとした腕試し。

ガキの頃から散々扱かれたオレの腕前と、“外の世界”に対する興味。



…親兄弟に決められなくたって、オレにも出来る。





ハンターになって、それで、それで―――――…?



…どうすれば、いい?





決まらない。

わからない。

けど、決めなくちゃならない。



オレにだって、出来る。出来るさ。出来るとも。



『お前には――――』



暗闇の中に、兄貴の目。

常に見開かれている闇色のソレは、オレのことなら何だって知ってる。

家を飛び出したことも、こうしてハンター試験に挑んでいることも、これからどうなるかも“知っている”。――――そう、言われているような気がした。



『お前には――――無、』





「――――俺の親父も、ハンターなんだっ」





墜ちかけた思考を引き上げたのは、ゴンの、輝くような声音。





「俺も、親父みたいなハンターになりたい」



ゴンは自慢気に言う。

親父みたいなハンター―――翻って、自分の親父の事を思い出す。…凄いとは思う。尊敬も、してないわけじゃない。

けれど、そうなりたいのかは、オレにはわからない。



笑うゴンの顔は、やはりオレとは違う種類のイキモノに見えた。



ゴンの言い分に納得する自分と、不安に思う自分。面白いと思う自分と、面白くないと思う自分。



――――その時、トキワの顔を窺ったのは、何故だろう。





そこに見える、冷めたような瞳に安心したのは、何故か。





「トキワは、何で?」

「…ぇ、」



ゴンの一言で、その“色”が消える。刹那の内に、欠片も残さず。

そうすると、先程感じたものが何だったのかすらわからなくなって、元に戻ってしまったトキワから“それ”を探そうと、隠れるように窺った。





「私の保護者と、一緒にいるため―――」





微笑みながら告げられたその言葉を、何故か、面白くないと感じた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


霧の向こうからは、嗅ぎ慣れた匂い。

血の匂い―――“殺気”の匂い。突き刺し、纏わり付く、凶色の瘴気。



それを感じて、背筋がゾクゾクと震える。



オレも混ざろうかと、そんなことを考えて、けれどやっぱりやめておく。

あのヒソカとかいう奴からは、随分と濃い血の匂いが漂っている。それは、ある意味オレよりも濃厚な。





『勝目のない敵とは、戦うな』



頭の中に、兄貴の声が二重三重になって木霊する。





―――違う。

“そう教えられたから”そうするんじゃない。

あんなわけのわからない殺人狂と殺り合うのが面倒なだけ。



オレを律するのは、冷静な暗殺者としての自分。

決して、兄貴や親父や…“家”の教えなんかじゃない。



オレは縛られてなんかいない。





霧の只中を走る。



結局は“仲間”が心配なんだろう、ゴンの背中が―――背後、霧の中へと遠のいていく。

それを見て、けれど足が動かない。



いいさ、どうせ単なる興味本位、暇潰し。

あいつが自分から進んで行ったんだ、殺されたって、文句は言えない。

それを見送るオレだって、ちゃんと忠告はした。それで充分だろ?





――――だからこの行動は、“何か”に従ったわけじゃない。





「……クソッ、」





一人毒づいて、それでも足は試験官を追う。

オレが向かうのは、ゴンの居る方角じゃない。オレの行きたい方角だ。

あんな、ちょっとの間一緒に居ただけの奴を、そこまで気にかける必要なんか―――





遠くから、悲鳴が聞こえた気がする。

―――錯覚だ。そんなもの、聞こえていない。

聞き覚えのある声だった気もする。

―――馬鹿か。だったら、……どうだっていうんだ!?





そういえば“トキワ”とかいうチビ女も、霧の向こうに居たかもしれない。





「…………っ、」





それが、どうした。





ゴンも、トキワも。他の奴らも。

運がなかった。…それだけだろ?



オレが行かないのは、賢いから。

オレが気にしないのは―――――――殺し屋だから? ゾルディック家だから?





「クソ、」





『キル、お前の■■は■■■だよ』





聞こえる兄貴の声も、幻聴に過ぎない。

そんなものを気にする必要はない。そんなものを聞いた気がするなんて、そんなことは有り得ない。



違う。

オレは違う。

絶対に、違う。



敷かれたレール。

教えられた通り、教えられたままにだけ走る、人形のような自分。

――――“闇人形”。

以前一度だけ、兄貴がオレのことをそう表した。

暗殺者になるための才能、殺すためだけの人生、生き方。



押し付けられて、塗り込められたその教え。



それを振り払えていない自分に、そう教え込んだ奴らに、腹が立つ。





――――だから、決してオレ自身が“そう”であるわけじゃない。





「クソ、クソ、クソ…ッ!」





気が付けば、前方を走っていた試験官の姿が、遠い。

霧の向こうに僅か覗く黒のスーツ。段々と、視界を遮る邪魔なカーテンが薄まってきていた。



そんな周囲の状況は、オレの心とは大違いで。





脳裏に浮かび上がるのは、ゴンの笑顔と、トキワの―――あの瞳だ。

認めたくはなくとも、前者は分かる。オレは、確かにゴンに興味を持っている。今までのつまらない殺し屋生活には無かった、“何か”を期待している。それを認める。ああ認めてやるとも。



――――それじゃあ、あのトキワには、何を……期待、したのか。



垣間見えたのは、ただの青い瞳。

濁りの無い色だった。けれど普通の色だった。

それなら、オレが目にしたあの“色”は?





思考が巡って、いつの間にかそれに没頭している。

そうすることで先程までの焦燥は消え去り、代わりに、わけのわからない感情が込み上げる。





『アノ人ハ、私ノ、“全部”ダカラ―――』





ポツリと呟いた、普通なら聞こえないような小さい声。

記憶野に焼き付いたその声と、言葉と、淡い微笑み。





それを面白くないと感じて、けれどオレにはわからない。





何が面白くないのか。

どうしてアイツは笑っていたのか。



それが“何”なのか教えられていないオレには、トキワの感情も、オレ自身の感情すらも判断が付かない。





冷えた瞳の“色”が過ぎり、小さな微笑が曖昧に溶ける。

わからないオレはわからないまま、そんな記憶映像だけを反復していた。





――――ハンター試験二次試験会場。



そこに辿り着いたゴンと、金髪と、黒いのと、トキワ。

微かに匂った血臭に、誰のものかと観察する。





その根源は、先程までオレの思考を埋めていた、トキワからのものに違いなく。





他者の血の匂いを纏う小さな姿に、オレは理由なく歓喜した。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




思えば、随分と高ぶっていたんだろう。

ハンター協会会長―――ジーサンとのゲーム。



面白そうだと思って、挑んで、家族以外の“凄い奴”というものを、初めて見たように感じた。

…それを真正直に認めることなんて、未来永劫有り得ないのだろうけれど。





上着を脱ぎ、上半身裸のまま、風に当たって熱を冷ます。



けれど、それだけで冷めるほど、身体に染み付いた“闇”は、ぬるくない。





――――軸足への蹴り。あれをフェイントにして眼球を狙えば、隙を作ることが出来なかったか?

――――ジジイとは思えない、硬い身体。それなら全力で間接を狙えば…どうだ? 関節技のイロハも、当然習得している。

――――まだだ、まだある。鼓膜への衝撃。内臓への浸透圧攻撃。無数の急所。





考えて、考えて。

“ゲーム”の枠を越えた方法での勝利を思考して、試行する。



「オレは、負けてねぇぜ――――」



本気でやれば、勝てた。オレは“プロ”だ。伊達にガキの頃から修行漬けの毎日を送っていない。

なのに――――、





ゴンの笑顔が過ぎった。

ゲーム―――“遊び”を、本気で楽しんでいる姿。





この違いは、……何だ?





「くそっ、スッリしないな…」





目の前には、曲がり角。

その向こうから近付いてくる気配が、二つ。





思いついたのは、簡単な、ストレス解消法だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――――そうだね、別にアンタでもいいか」

「…何だ?」



間抜けな返答に、口元が笑う。



誰でもいい。誰だっていい。

けれど、





その横には、トキワが居て。





――――アンタなら、もっと面白いかもしれない。





振るった腕が、最初に胸を分断する。

返す動きで首が飛ぶ。

そこから斜めに振るって、腰から下を、地に落とす。





―――――筈、だった。





「あれっ?」





振るった腕―――肉体を“操作”して、切り裂きやすい形にしておいた―――が、黒いコートに触れたところで、止まっていた。



その状況は間違いなく“異質”。



いままで一度だって、“こんな風”にししくじったことはなかった。

黒い布の内に何かが仕込まれている様子もなく、ただオレの篭めた力が――――





「キ ル ア」





震えたのは、声を聞いたからか、一瞬で変化したその場の空気のせいか。

オレの全身を、目に見えない重圧が縛る。突き穿つ殺気が、心臓と脳味噌を蹂躙する。





気付けばソレに呑まれて、首を動かすことすら出来なくなっている。



「ぅ、な…っ!?」



喉から漏れたのも、声にすらならない、無様な呻き。

さっきまで身体に溜まっていた“熱”も、一瞬で冷えて、抜けきった。





視界に映った歪な哂いは、紛れも無く、オレが■■していたモノで―――。





「ヨウコ嬢、やめろっ!!」

「――――――」



場を裂く声に刹那の間すら置かず、全身を縛っていた重圧が解ける。

暗殺者の肉体は、叩き込まれた修練のままにその場からの撤退を開始する。





辛うじて留まれたのは、意地か、オレ自身のよくわからない熱望か。





荒れた呼吸と、多量の発汗。

きっと今、オレの目は“闇色”をしている。





こちらに踏み出すトキワと、同じ“色”をしている。





その事実に口が引き攣る。

笑っている。

オレは笑っている。

例えその様相が無様だろうと、紛れもなく、歓びを感じている。



理由もなく、けれどそれに間違いはなく。



「――――キルア」



冷たい声は、オレと同じだ。

オレの家族と同じだ。

感情が窺える分だけ、兄貴よりも強く感じ取れる。“近く”に居ると、認識する。



「…な、んだよっ?」



引き攣った声が出て、それを叱咤する。

もっと、毅然としろ。オレにも出来る。それが出来る。

目の前のコイツのように、コイツよりも、もっと――――





「“次”は、無いよ?――――“キルア=ゾルディック”」





その言葉と声色に全身が震える。

引き攣った口元が、紛れもない笑みに変わった。



それは正しく、歓喜と愉悦。





肉欲の絶頂にも勝る、闇色の蟲惑。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




呼びかけに続いて、全部、消えた。

欠片ほどに残っていた重圧と、殺気。トキワの微笑と、背筋を這い上がる昏い悦び。



トキワの貌から表情が消える。



それを見て、もう“終わった”のだと、それだけを悟った。





「……悪かったよ。“遊び”でちょっと、気が昂ぶっててさ。それで、気晴らしに殺(バラ)そうとしただけ」

「ありえねぇだろ、それは…」



告げる言葉は、終わりの合図。



答えるのは、疲れたような、黒い男の声。

それに笑って、普通に笑えたことに、少しだけ驚く。



目の前のコイツは、“アレ”を前にしても、然程の変化が無いように見えた。

そのことに面白く無さを感じて、けれど今だけはどうでもいい。



「アンタ、何やったのかは知らないけど…やるじゃん」

「…嬉しくねぇよ」

「ま、気分転換には、なったかな…」



どうでもよくて、早くこの場を切り上げたくて、言葉を連ねた。

始まりは、この黒い奴の“異能”。何をやったのか、今のオレには分からない。

そこから転じて、随分と面白いものを見たと思う。



――――未だ全身を犯す“闇色”に嗤う。

どんな殺しにだって感じなかった、最上の快感。





視線を転じたトキワは、俯いてその表情が窺えない。



そこに居るのは、ただの子供。

さっきまでの気配なんか微塵も感じさせない、“普通”の側の人間に見えた。





もう一度笑って、足早にその場を離れる。

“元”に戻ったトキワに用は無い。

今は早く一人になって、先程目にしたあの光景を、只管に反復、想起したい。



「“あれ”は、兄貴と、同じ―――」



あの圧迫感。

以前も何度か受けた、兄貴からの重圧。

似たようでも、違うものだった。





圧し付けて蝕む、兄貴の“アレ”と。

溶かすように、けれど逃げようもなく絡め取る、トキワのもの。





前者は、恐ろしい。

恐ろしいと思う感情を必死に隠して、けれどそれすらも、兄貴の前には暴かれる。

後者は、……ゾクゾク、した。



甘く、じわじわと細い針が、全身を侵していくような。

――――あれは、蹂躙の快楽だ。

もしもあれを殺せるなら、それはとても強い歓びを生むだろう。

もしもあれに殺されるなら、それはとてもとても、キモチノイイ――――…





「…はっ。何、考えてんだよ、オレ」





自分の中で生まれた感情を、笑って捨てた。





あいつは―――トキワは、オレと同類だ。

血の匂いはとても薄く。けれど、裏の…“闇”の匂いだけは、誤魔化せない。



それがどうして、こんなところに居るのか、





『私の保護者と、一緒にいるため』





足が止まる。





『――――あの人は、私の、“全部”だから』





呟くような、小さな言葉。

保護者。あの人。黒い、アイツ。



常に繋がれていた、大きな黒と、小さな白。互いの手。





全身の熱が冷めて、わけのわからない焦燥にも似た何かが駆け上がった。



「…クソッ」





漏れた悪態に、更に腹が立つ。

オレは一体、何が気に食わないのか。

何に腹を立てているのか。立てなければ、いけないのか…っ!





食い縛った歯と、握り締められた掌。

湧き上がる不快感。冷めていく全身の熱気。



身体は未だ悦びを宿して、けれど心だけが冷えていく。





その対象も理由もわからずに。





何かが、酷く、……気に食わなかった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…そーだよ、大体なんでオレが、あんなチビ女のこと気にしなくちゃいけないんだ?」



手で弄んでいるのは、先程手に入れた、“ターゲット”のプレート。

全部が全部ちょろすぎて、やはり、つまらない。



試験はもう第四次試験に突入していた。

島での生活は一向に構わないけど、暇すぎて、つまらない。手応えの無い獲物にも、うんざりだ。





「つーかオレ、暗殺者家業が嫌で飛び出したんじゃなかったっけ…」



もう家出の理由すらあやふや。

ハンター試験が始まってからは、ゴンやその連れとの掛け合いが楽しくて、いろんなことがどうでも良くなっていた。



「試験終わったら、どうすっかな―――」



“ライセンスを取ったら、家族を取っ捕まえて金にする”。



それをやりたいと思ったのは本当だし、嘘なんかじゃない。

けれど、このままゴンと居るのも、楽しそうだと思う。酷く、楽しそうだと思っている。

この、まま――――…



「……オレ、どうしようかな」



自分は、暗殺者だ。

家族も暗殺者で、殺し屋で。人だって、随分と殺した。

染み付いた血の匂いは落ちることもなく、叩き込まれた殺人者としての習性も消えはしない。
そんな自分がゴンと一緒に居られるのは、“いつ”までのことだろうか…?





一人きりだからか、そんな不安を感じて。不安を感じている事実を、認めることすら出来ていた。



「…ハァ、」



ため息をつくなんて、自分にしては珍しい。

そう思って、―――――――それらを“見つけた”。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




そもそも、“見つけた”と思ったのは、どうしてだろうか。



オレはそいつらを探していたわけでもなく、見つけたからといって、何をしようというのか。

戦う?

殺す?

話をする?

それとも―――――





「――――あれ。お前ら、何してんの?」





考えながらも、身体だけが先行していた。定まらないままの感情に、引き摺られるように。

前方へと身を乗り出していたトキワと、その後ろに立ち尽くす黒いの。

この機会を逃すと、また一人になる。





不安が、あったのかもしれない。

一人なんて、慣れている、筈なのに。



もう一度、欲しかったのかもしれない。

あの昏い微笑みと、歓びが。





感情が定まらず。望むことだけが相反して。





声を掛けた、刹那の後。



オレの目からも“速い”と感じる速度で、トキワが目前に迫っていた。

向けられる殺気は、疑いようもなくオレに対するもの。



突き刺さる殺気を嬉しく思い、そう思う自分に、不可解と不快感が降り積もる。



「…俺、今度は何もしてないんだけど」

「キルア少年、か?」

「…ちっ、」



三者三様。

「少年」という呼び方に少し面白くないものを感じながら、オレの気に障ったのは、別のことだ。



「おい待てトキワ。お前今、舌打ちしたろ?」

「気のせいじゃないですか?そんなこと気にするなんて、お尻の穴…小さいんですね、キルアは」

「誰が尻の話をしたよっ!」



…コイツ、こんな奴だったか?



違う。絶対違う。

会う度に別の顔を見せるこのチビ女は、一体、何者なのだろうか。

気になって、気になる自分に、更に不可解な思いを抱く。





――――その理由が本当に“わからない”のか、それすらもわからない。





会話を交わしながらも、首元に刃を突きつけられているような錯覚を覚える。

それは紛れもなく、トキワの殺気。

平然と会話をしながら、こんなにも自然に、相手に殺気を叩きつける。



その様に、小さな嗤いが浮かぶ。





「落ち着け、二人共」

「……はい」





そしてそれを壊すのも、やはり“コイツ”だった。





その一声にオレを襲っていた殺気が消えて、トキワもあっさりと大人しくなる。



…こんな、変な格好の奴に。

とても強そうには見えないのに、ただの一言で。



「おいおっさん、俺は悪くないだろ?先に仕掛けてきたの、そっちだし」



――――面白くない。

トキワがあっさりと引き下がるのも、こんな奴の言う事を聞くのも。





返ってきた言葉には、少しだけ驚いた。



「――――“狩る”か」

「短い付き合いでしたね、キルア。あなたの懸賞金は、しっかりと、頂いておきます」





声と共に、突然、黒い奴の声色が変わる。

ただ低いだけだった声が、押し殺した、殺気にも似たものを感じさせる。

けれどそれも、やはり素人のものにしか思えない。



あれだけの殺気をオレに叩きつけたトキワが従う程の“凄い奴”には、見えない。



「…何だよ、やる気か?」



―――言いながら、勝てないこともわかっている。





あの時感じたトキワの“力”。

あれは兄貴から感じるものと同じ。オレには無い、“何か”だ。

それを持たないオレは、持っているコイツには、勝てない。





兄貴の“目”を思い出す。

その教えを思い出す。



「勝てない敵に挑むな」、と。

「逃げろ」、と。



木霊する。





――――それでも、退かない。

まだ退かないでいられる。この距離なら、まだ。





そう考えて、何故退いてはいけないのか、退きたくないのか、それがわからない。





――――また、“見たい”から?

――――それとも、アレに惹かれた自分を否定したい?

――――“普通”に為りたい? 家の教えになんか縛られない、ゴンと同じ、フツウに…?





呼吸が荒れるのは、トキワからの圧迫感のせいだ。

足が退こうとするのは、あの夜感じた重圧のせいだ。

心臓が打ち鳴らされるのは、…違う、違うっ、違う―――――っ! オレ、は





「少し、落ち着いて下さい」

「……すまん」





必死に抗うオレを他所に。



たったそれだけの会話で、何もかもが消え去った。殺気も、トキワの表情も。何もかも。



それだけで、オレの身体は平常状態に戻る。

先程までの震えが消えて、汗が引く。

乱れた動悸が治まり、呼吸は急速に落ち着いていく。





拍子抜けしたような気持ちと、安堵感と、何よりも大きな悔しさがあった。





どれだけ離れても、親父や、兄貴の敷いたレールからは逃れられないのだと、そういうような、自分自身に。

オレなんか問題にしようともしない、目の前の二人の態度に。





紛れも無く“逃げる”ことを望んでいたこの身体と、取るに足りない、オレ自身の存在の卑小さに対して。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「…で、やるの?やらないの?やらないなら俺、もう行くけど」



聞かなくても、分かっている。

お前らは、オレなんか問題にしちゃいないんだろう。



殺気を治めてからずっと、オレには意味のわからない、二人だけの会話がなされていた。



…そういった全てが、面白くない。





そんなことを考えていると、突然トキワが頭を下げた。



「キルア、この前は…ごめんなさい」



謝られて、陰鬱な思考が全て止まった。

下げられた小さな頭から、地面に向けて、柔らかな髪が垂れ落ちる。



その光景はオレの溜飲を僅かに下げて、けれど事態の急転に、意識だけが混乱する。





「別に。俺も、…悪かったよ」



数瞬の、後。

それだけを、ようやく口にした。





困惑して、歯噛みする。



オレは、自分のことだけを考えて、勝手につまらないと憤っていたのに。

軽く扱われている現状に、面白くないと、自分を蔑んでいたのに。それだけだったのに。



何で、コイツはこんなに――――





卑屈な自己嫌悪と、対象も内容もわからない、コンプレックス。

そんなものを感じて、そんなものは嘘だと、全力で振り払う。

…オレは、弱くない。

弱くないから、そんなものは感じない。





「――――ええ、凄く、悪かった。最悪ね」





暗い思考の傍らで。

投げかけられたその言葉は、狙ってのものではなくとも、オレの心を軽くした。



「て、めぇ…、」



他愛の無い言い合い。“普通”の会話。

そうやって楽しいことだけを繰り返し、先程までの考えを、一つずつ消していく。





不意に空を見上げたのは、言い合いを中断させて、トキワの調子を崩したかったからだ。



「…ああ、何で俺が、お前のこと気に食わないか、わかった」

「…私のこと?」



口から零れる言葉も、嘘ばかり。

気に食わない―――嘘だ。むしろ渇望している。

けれどソレを渇望している自身は、嫌悪していた筈の、作られた、“殺し屋”である自分なのだろう。





「トキワ、お前さ、――――俺のお袋に、そっくりだよ」

「不服です」



即答されて、それに笑う。



「なんつーの? 価値観が全然合わないとことか、さ」



違う。全く違う。

言いたいのは、全く別の事だ。

吐き出す言葉の意図すら、子供染みた、つまらない理由。



ゴンとは、多少なりとも、分かり合えた。分かり合えたと思いたい。

――――だから、きっとオレと近しいトキワなら、もっと分かり合える。もっと、近づける。

だから、だから……、





「まぁいいや。じゃあ、俺は行くぜ」

「……ああ、」

「さよなら」



声を掛けると、軽い返答と共に、見送られた。







しばらく進んで、後ろを振り返る。

…追っては、こない。



“追ってきて欲しいと思った”なんて、誰にも言えはしない。認めることも、出来ない。



「…ハッ、」



軽く笑って、もう一度前に向き直る。

ざくりざくりと“音を立てて”、歩き出した。

―――わざと、音をたてた。

足音を殺す習慣も、何もかも捨てて、歩く。



意識して音を立てるのは、意外と難しいものだと知った。



「はは、」



わからない。“わからない”ことすらわからない。



「はははっ」



寂しい。寂しいなんて認めたくないくらいに寂しい。



「あは、ははは…」



酷く、寒い。そよぐ涼風も煙る木々の熱も関係なく、ただ冷えていく。



「は―――…っ、」





一頻り哂い、けれど心が晴れることはなく。

嘲笑するのは自分自身。渦巻いているのは、定まらない、無様な心。





気に食わない?――――嘘だ。そう言って、そんな言葉を投げかけることで“気にかけて欲しかった”のは、誰だ。

価値観が合わない?――――違う。合っていて欲しかった。近しいと思った。信じたかった。





『お前には、無理だよ―――キル』





声が聞こえる。

頭の奥から。視界の上から。オレよりも遥かに高い位置から。





『“次”は、無いよ?――――“キルア=ゾルディック”』





全身で味わった毒のような蟲惑に、唾を飲み込んで尚渇く。

あの“闇色”にもっと触れていたいと、そんなことを想う自身すらも嫌悪して。それでも、



本当に、もう“次”が無いのか。

“次”なんて機会、もう二度とオレには無いのか。



もっと上手く話せていれば?

もっと素直になれていれば?

自分が暗殺者でさえ、なければ?





ゴンには、仲間が居る。夢も、目指す先も、確かにある。輝いていると、そう感じるほどに。

トキワには、“力”がある。気に食わないけど、傍に居る奴だって居る。きっと、望みだって、持っている。





――――なのにオレには、何も無いのか。





「く、そ、くそ…、くそ―――っ!」



身体が震えるのは何故だ。

寂しいなんて思うのは何故だ。



冷えていく。

全身が、その最奥に蟠るオレ自身の心が、酷く……寒い。



――――なれると思ったのか?



オレみたいな奴に対しても分け隔てなく接してくれる、太陽のようなゴンなら。

あいつなら、トキワなら――――あの闇色の瞳を持つアイツとなら、“なれる”なんて。



「違うっ!!」



寂しくなんかない。

怖くなんかない。

独りであっても構わない。

友達が欲しいなんて、思って……、





『お前には、無理だ』

「違う!!」





寂しくなんかない。

怖くもない。

独りだろうと、構わないだろう。

けれど―――――





ゴンの眩しさが、温かい。

一緒に居たいと思った。“なれたら”いいと、心底から思った。



トキワの垣間見せた、粘り付くような闇色が欲しい。

毒のような闇の深さに、呑み込まれたいとすら思った。





「あ、あ、あっ、あああ゛――――…っ!」



頭が痛む。



何故そんな箇所が痛いのかと、そんな疑問すら浮かばない。

輝くような笑顔と、全身を侵す毒のような微笑。

交互に現れるそれらと、更に深い場所に響く“ゾルディック”の呪言。



――――側に居たい。

居て欲しい。

誰か、オレと、オレを――――





「オレ、は―――、っ」





呻いて、けれどその先は言葉になどならなかった。



漏れたのは、音。





苦しみと痛みを篭めた、弱々しい、ただの音だけが零れ落ちていく。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




はっきりと現実を認識したのは、突き出した右腕が温かな何かに包まれた、その時。





「今、なにしようと、した…っ」





苦しげな声音が鼓膜を震わせる。

重厚な、実家の扉を開いた時のような低い音。声。



どこか聞き覚えのあるその声を聞いて、続くように視界が晴れた。





「―――――」





口が震えて、音が漏れる。



目の前に居たのは、見覚えの無い男。

綺麗な黒髪に、白い肌。

切れ長の眼は無駄に鋭く、けれど其処にはオレが何かを感じるほどの重みなんて欠片も存在しない。



その右手から伸びた、黒い布。



オレが前方へと突き出した右腕に絡まるのも、そこから続く布の延長。



「…っあ、」



男が呻く。



オレには、状況がわからない。

数秒前までの自分の行動の記憶が曖昧で。目の前の男が誰なのかなんて、それこそ何も――――



「――――ぐ、」



目の前の男が、もう一度だけ呻く。

天井を振り仰いで、その口が大きく開かれた。





「唖゛ァアアァアアアああああが亞ああああアアぁアAHHHHHHHHHっ!!!!」



開いて、叫びが漏れた。噴き出した、と言い換えてもいい。

それは両耳に痛みを覚えるくらいに五月蝿く。





こちらへと駆け寄ってきた審判の存在に、ようやく気付いた。





「406番! 406番、どうしたっ!?」



叫びを上げる男を、審判が抱き留める。いや、それは拘束に近いのか。

くず折れるように倒れた黒髪の男はそれでも、右手に掴んだ黒布を離さない。



そこから繋がるオレ自身も動けない。

まるで拘束しているように。或いは、繋ぎ止めるように。





黒布に包まれたオレの右腕。

“包まれた”なんて考えた自分を笑う。これはどう見ても“捕まっている”。

なのにそこから伝わる温かな熱が、それを錯覚させて。





思い出したのは、その黒布が消えた瞬間。





布が、霧のように分解される。オレの右腕を解放したソレは、渦を巻くように黒髪の男へと向かう。





「キルアッ!!」





耳に届いた自分の名前。

振り向いたその先にはゴンが居て、その後ろにはスーツと金髪の――――





認識の以前に、オレの頭蓋が激痛に揺れた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――――キル、」





呼び声は聞きなれたもの。

何の感情も感じさせず、けれど逆らうことを許されないその声に、自分は幾度狂わされてきたのだろう。



けれど、違う。



狂ったのは狂うことが可能だったからで、それを“狂う”と認識したのはオレがその家に於ける異質を求めていたから。

異常の中で普通を求めて。つまりそれは異常の中に於いては異常である、ということ。

“普通”であることを求めたのにそうすることが既に異常だなんて、おかしいと言うよりも可笑しかった。

けれど、



――――そんな言葉遊びで思考を逃がすことに意味はなく。





つまり“その声”を此処で聞くということは、このハンター試験という“普通の世界”に於ける、異常であるということ。





弾かれるように振り向けば、視界の先にあったのは揺れる大扉。



誘われるようにそこをくぐった理由なんて、一つしかない。





結局オレは、ゾルディックという名前から逃れられていないのだ。



それこそ――――ただの、一度も。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




ざくり、ザクリと。



突き刺さっているのか掻き雑ぜているのか、それとも突き出しているのか。



染み出すような痛みに、自身の肉体的損失すら認識出来ない。





或いは、それは肉体を伴う欠損ではないのか。





一刺しごとに、全身の穴と言う穴から“何か”が噴き出そうとする。

それはまるで、そうすることが身を守ることに繋がるとでも言いたげな――――





『…もうコレは駄目だな。俺の針がこんなにボロボロになるなんて、随分と悪質な「洗礼」を受けたんだね』



痛みの間断に、紛れる声。



『やっぱり、あの二人組のどちらかかな?』



考え込むような、けれど波を持たない声色。

とても聞き覚えのあるソレに、自身を形作る全てが恐れを抱き、死んだように鎮まっていく。





『…いいかい、キル?』



傍聴する。



『お前は、殺し屋だ。殺すことに不思議は無い。――――そうだろう?』



追従する。



『うん―――、』



オレの中の何かがその言葉を拒絶して。けれどそれ以外の全てが拒絶することを拒絶する。





『いい子だね、キル』





甘く。けれどそれは酷く苦々しい。



頭を撫でられる感触と、自身の中に居残る異質の残留感。

抗うことなど出来ず。蝕まれていくのは大切なもの。大切だったものたち。





『さぁ、いっておいで――――』





その声に、青の瞳が塗り潰されて。





黒の瞳が、霧散した。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




忘我は刹那。

叫び声は、まだ続いていた。

苦しげなソレに僅かな共感を覚えて。けれどそんな暇などありはしない。



突き出した右腕に目を向ける。



変形した右腕。先端を尖らせた、貫くための形。殺すための、その形。

右腕の延長線上にいたのは、叫び続ける黒髪の男。その更に先には、髭を生やした一人の男。見覚えがある。同じ受験生。ハンター試験最終、次の、オレの対戦相手。





「――――ぁ、」





零れる音には意味が篭らない。

篭めるべき意味すらもわからない。





「キルア、どうし―――」





声に目を向けて、向けた先にはゴンが居て。



「―――ゴ、ン…」

「キルア? どうしたの、何が」



声を返す自分の右腕は、人を殺すためのモノで。

そんなものを持った自分はゴンと会話をしていて。

つまりは、オレは人殺しで、今も殺そうとしていて、頭蓋の奥から語りかける兄貴とオレと黒髪の男は目の前の男を眩しい笑顔は曇りオレの身を案じるようなだからやはりオレは―――――





「ご、めん、ゴン…ッ、オレ、オレは―――」

「キルア?」





不思議そうな、けれど心配そうな表情と声音。

そこに嘘は見えず、だからこそオレは辛いのだ。辛過ぎる。比較してしまう。



――――自分と、ゴン。



その両者の違いは明確で、傍に居たいなんて思ったこと自体が間違っている。





オレの頭を、突き刺すような痛みが襲っていた。



それは右腕を包んでいた黒布がなくなってからずっと。

つまりはオレを守るものも、繋ぎ止めるものも、縛り付けてくれるものすらなくなったという事実に刹那涙を流し





「ご、めん……っ!!」





言い捨てて、走った。





「キルアっ!?」



後を追う声も、足音も。

何もかもが恐い。恐くて怖くてたまらない。



指摘される。表出される。断罪される。露呈する。自覚する。何よりも明確に突き付けられる。



オレは違う。オレには出来ない。オレでは駄目だ。ゴンでも駄目だ。誰だろうと。





握り締めた右手は、獣のように尖った指先にその掌を食い破られる。

流れる血液の熱と滑りが、更にオレを囃し立てる。

その匂いがオレを昂ぶらせる。その熱がオレを動かしている。その痛みが、オレという人格を肯定する。





――――そんな些細な自傷行為にすら、悦楽を覚えている。



『お前には、無理だよ』



声が頭に響いて、縛り付けるような悪寒を感じた。

否定出来ない。してはいけない。その現実は目の前にあり、それすらも否定すれば、オレにはもう何一つ残らない。



『お前は熱を持たない闇人形だ』



全身が冷える。

人形。それはただ一つの行動だけを繰り返す、ヒトとは異なるヒトガタの。



『お前が唯一歓びを抱くのは、人の死に触れた時』



そうさ。そうだ。その通りだ。

傷付ける行為に心が透く。噎せ返る血の匂いに歓喜する。触れた闇色に絶頂を感じた。

それは紛れもなくオレの性質。植え付けられたのでもなく、生み出されたのでもなく、生まれ持ったオレ自身の―――。





だから、





「あ、ぁ、あ゛あ…っ、ぁぁあああアアア――――…っ!!」





叫んだ。泣き叫んでいた。

脳を犯す激痛にも頓着せず、食い破られる右掌にも意識が及ばず。

響き渡る声に疑問も抱けない。



裏切った。裏切られた。



何が何を何のために。

理性的な思考など残っていない。涙を流すことも、ただ人間を真似ただけの模倣行為なのだと、そんな絶望的な回答を自身の内で得て、否定するだけの力も無い。





気が付けば、森の中。



梢の向こうから降り注ぐ雨粒は冷たく、けれど鍛えられた肉体は、そんなもので損なうことなど考えられない。





――――なのに、この肌寒さは何なのだろう。





「あぁぁあ、ぁ…ああああああああああああアアアアアアア…ッ」





零れる涙を手で受ける。

右掌から溢れる血液が雨水に薄まり、けれど匂い立つ芳香は肉体を反応させる。





暗闇の向こうから、声。



『お前は――――』





「あ、あぁあぁああアアアアぁあアアアアう、アアアアアアアアア゛ア゛ア゛――――ッ!!!」





寒くて、寒くて。

腐り落ちそうなほどの寒さの中、ただただ叫びだけを轟かせた。



それに返るものなどなく、求めることも出来ず。





雨粒に晒されて。

拾い手の現れぬ迷い子だけが、ただ其処に立ち尽くしていた。





End.



[2117] Re[10]:雨迷子~【狂奏/血色の道化】~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:27
――――彼女のその様はまるで、縋り付いているようで。

或いは縛り付けているようで。





だからボクは、何故“あんなモノ”に拘るのかと、それが不思議でならなかった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




探して、見つけて、その実を捥いだ。

枝から千切り取られた果実はその瞬間に停止する。その先には進歩も劣化も存在しない。

この手に掴んで咀嚼する。

刹那に於いて永遠を喰らう。対象の全てを味わい尽くす。





泥のように甘いソレは、恐らく柘榴よりも人に近い。





「くっ、…くっくっ、くっくっくっくっくっ♠」





自分は今、酷く昂ぶっている。それがわかる。

今まで数え切れないほどの上質と芥を口にして、けれども決して味わうことの出来ない筈だった、その果実を目にして――――





「――――気色悪い。調子に乗るな、戦闘狂」





可憐な声だ、と思う。



未成熟な声帯から齎される鈴のような声音に絶頂を予感する。

見下し、侮蔑し、純度という点に於いては最上であろう、脳髄を犯されるほど明確な嫌悪を全身に受けて、尾骨の先端から突き上がる溶けてしまいそうな快感は既に不感の域。



眼差しは殺意を形にしてそのものが色づいたかのよう。

練度としては未熟に過ぎることが一目でわかるそのオーラは、けれど何よりも彼女の心を表していた。





――――この小さな少女は、“自分と同じ”だ。





近似という表現では生温い。

ボクという存在をドロドロに溶かし、「少女」と言う鋳型に流し込めば正に目前の形に成り上がるのだろうと理解できる。それほどまでに明確な“色”。

別固体であるが故、逆に“同じ”なのだと、思った。





思った



…筈、だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




プラプラと右の拳を軽く振る。



痺れたような、その部位が消失したかのような、曖昧な感覚。

…妙な、感触だった。

痛みと言うほどのものではなく、けれども確かに何かを打ち、何かを砕き、けれども――――決定的な失敗を犯したような。



「……………♦」





…半分は、本気だった。それは興味本位と僅かな期待。

もう半分は、ただのからかいか、或いは、不快感にも似た、純粋な嫌悪。



――――黒い外套の彼は「ササキ」と呼ばれていた。

その名前。聞きなれない響き。それは少女も同じではあったが。





「期待はずれ、だったかな♣」





漏れた声音に、残念そうな響きなどはなかった。

…そう、元より期待などしていなかった。

ただ「理由」が知りたくて、ひょっとすると其処には何か―――自分にとっても面白い“何か”があるのではないか、と。



あの少女が―――自分と同じ“匂い”を持つ少女が執着するだけのものを、自分も見てみたかった。

或いは、彼女の見せる“執着”が面白くなかったのか。





深く考える必要は無い。アレは、大したものではなかった。

ただの一撃で砕け散り、理解の出来ない苦境に立った。そして、“ソレ”はボクにとっての快楽には繋がらないのだろうと、ただそれだけを悟って、可能性を打ち捨てた。





ただ、泣き喚く白の外套に縋りつく姿に、未だかつて感じた事のない“何か”を覚えた。





「一つ、二つ、三つ、か……」





数えているのは果実の個数。

この試験内で見つけた有望株は存外多かったけれど、中でも特に美味しそうなものが――――三つ。



不可解で、その価値の程が知れなかった“四つ目”は、外してしまった。



それは当然の事で、期待の出来ない野菜屑に用は無い。

美味しく実ることを、可能性を期待できるからこそ、目を掛けるのだから。





ただ、一つだけ。





「…匂いが、したんだよねぇ♠ 酷く臭い、血の匂いが―――」





耳の奥にこびり付くのは、白色の兜を砕いた際の悲鳴――――彼の慟哭。



傷付けられたことによって疼く痛覚に因る叫びではない。

哀れみと赦免を乞うための無様な哀願ではない。

あれは、―――――





酷い、渇きを訴えていた。





ササキ カミヒトのあの叫びは、ともすればトキワ ヨウコよりも飢えていた。





“何”に対して飢えていたのか、そんなことは、今更だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




楽しげな声が聞こえてくる。

中途半端に開かれた扉の向こうには、ゴンと、後は確か…レオリオ、クラピカ。そして件の二人が居た。



その光景に特別な感慨など抱かない。ボクはただ呆と眺めているだけ。



笑い、騒ぎ、肩を叩く。

目前の彼らはとても愉しそうで、眺めるだけでそれが知れた。





…何をどうしようと思ったわけでもない。

彼らのやり取りに不快を覚えたわけでも、憧憬を抱くわけもない。

自分にはそんな機能が付属していないことを知っている。あれらに触れて歓びを得ることなど有り得ないという事実も変わらない。



『ヒソカ』という生物は倫理の外にしか悦びを見出せない。

――――それは、あの闇色の少年が生れ落ちた闇から抜け出せない事よりも尚明確な事実。





そんな事を認識して。ふと、視線を受けた。





合わせられた瞳と向けられた殺意。

それに小さな疼きを覚え、暫しの疎通を終えて、別れを告げた。





「――――また、会おう♥」





また会おう。再び遇おう。偶然だろうと運命だろうと、ボクは必ず君等と出逢おう。

その時こそ、ボクは叶わぬ筈の果実を口に。

「自分自身」という名の果実。決して味わうことが出来ない筈のソレを、異なる世界の枠を越えて決して出会う筈のなかった運命に歓喜して、だからこそ



「く、」



未だかつて無い未来への期待。



「くく、くっくっくっくっくっ♠」



いずれ口にするだろう未知の甘露。

そのための肥が“彼”であり、“彼女”の抱く熱情だ。





「くっクッく、くはははははははハハハハ――――――ッ!!!!!」





待っている。



血塗られた道化師は彼と彼女が行き着く“先”で、必ずやその道程を妨げる障害として立ちはだかる。



そ の 時 ま で は 







「幸福に溺れて、甘く、苦く、――――生い茂るといい♥」





いつか実り熟す、血色の果実。







ソレを喰らうことだけが、奇術師ヒソカの幸福なのだから。





End.



[2117] Re[11]:雨迷子~【埋奏/守人】~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:28
見渡す限りの草原と、白く掠れた、けれど綺麗な青空。

海に面した小さな丘と、そこに建つ一軒の赤い屋根の家。



「…平和だ」



万感を篭めてそう呟いた。



ハンターズライセンスを売り払って得た金で買った土地、家、ペットの猫。…幸せ過ぎる。特に猫。雑種。

このまま老衰で死ねたらどれほどの幸福だろうか。此処には俺を脅かす変態ピエロも、ハンター試験も、血みどろの家庭環境も、テストも何にも無いのだ。

青い空を見上げながら、腰掛けたロッキングチェアをぐいぐい揺らす。優雅過ぎる。これで傍らにメイドが居たら言うことはないのだが、俺にそちらの属性は無い。眼鏡は捨てがたいが。



「ササキさん」



鈴のような声音に振り向く。

パタパタと可愛らしい足音を立てながら近付いてきたのは、ヨウコ嬢。薄茶の髪に透き通るような青い瞳、整った容貌は可愛らしく、ついでに言うと相変わらずちんまりとしている。そしてそれをテラ可愛いなどと思う俺は、もういい加減駄目なのかもしれない。帰って来い、かつての俺、かつての常識よ。



脳内で葛藤する俺を横に、ヨウコ嬢は頬を染め、はにかむような顔でこちらを見つめていた。



「どうした?」

「いえ、その…」



もじもじ。―――可愛い。…よし、落ち着こうな、俺。



一頻りもじもじしたヨウコ嬢は、俺が自己嫌悪で「フランダースの○」最終回を幻視した頃に、ようやくその口を開いた。



「ササキさん」

「ん、」

「その―――…」



うむ。





「で、妊娠(で)きちゃいましたっ(はーと」





ハレルヤ。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




明るい家族計画。子供が育つ魔法の言葉。立腰教育書。今日から始める大人の倫理。人名漢字五百選・新版。子育てブログ。癒しの育児書。バレリーナへの道。ええうちの子は三歳から英語を始めまして、妻に似て出来が良い子なのですが父親としては少し寂しいな、なんてハハハそんなことはないですよ俺なんて、え?…そうですね、愛していますよ。俺は、こいつらと――――





「あ゛―――っ、り、え、無ぇえええエエEEEEEEHHHHHHWWWRRRYYYYYッ!!!」





絶叫する。喉も千切れよと轟き叫ぶ。自身の存在意義を遥かなる大宇宙に問い掛け兼ねない魂の本流が遥か遠きアルデバランを越えてもう何がなんだか―――



「…ササキさん? どーしたんですかっ」



その一言で全ての挙動が停止した。





音源を求めて首を巡らせる。

俺の着衣はいつもの黒コート、その上から薄くて安い一枚の毛布。周囲―――部屋の中は暗く、時間帯はまだ夜だろう。

ギギギ、と動いた視線の先には一台きりの安ベッド。

暗闇の中でぼんやりと光る白いシーツと、それに包まりながらこちらへと四つん這いでにじり寄る幼女。…違う、少女。



「ヨウコ嬢…?」

「はい、」



名前を呼ぶ。声が返る。

…嗚呼、現実だ。



「し、死ぬかと思った…っ」



どう死ぬかと言うと主に精神的に。



額を抑えて荒い息を吐く。

良かった。夢だ、夢だった。そうだよな、俺は真人間なのだから、あんな悪夢のような、或いは文字通り夢のような出来事は起こりえないのであって、つまり夢とは無意識からの警告。あれ? 俺って結構ギリギリですか?



「大丈夫、ですか?」

「ぁ、いや、余裕だ」



余裕でギリギリだ。



「…すまん、少し夢見が悪くて」

「…はぁ、」



本当に大丈夫ですか?と心配してくれるヨウコ嬢。ええ子や。こんな子に対してあんな夢を見る俺は一片の迷いも無く死んだ方が良い。…良いのだが、冗談抜きで死ぬのは嫌で、俺としてはこの子に対して自分に出来る事は全部してあげたいというのが当面の生きる指標だった。それが出来ない内は、文字通り、死んでも死に切れない。そういうことにする。





無論、「離れたくない」というのが、最も強い、俺自身の本音なのだけど。





「…何考えてんだろ、俺」



自嘲する。

こんな子供に依存して、現状が心地良いからと変化を嫌って。

それがヨウコ嬢にとっての利益に繋がるなんて、そんなことは冗談でも考えられない。少女の優しさに溺れるには、俺の価値は到底足りない。



「ササキさん?」

「何でもないよ」



不思議そうな声音に頭を振った。

優しく問い掛ける声に、目頭がほんの少しだけ熱を持つ。



「すまん、…眠ろうか」

「…はい」



軽く頭を撫でて、お互いの領域に戻る。

明日もまた花屋のバイト。一時期無断欠勤していた負い目から、以前にも増して真面目に働くようにしている。



全身を丸め、頭から毛布を被った。





あの子に対して、俺は、ちゃんと笑えていただろうか。

―――それだけが、少しだけ心配だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ほらササキさん、ひまわりですよ、“向日葵”」

「…落ち着けヨウコ嬢。俺の知っている向日葵は、ぐげぐげ笑ったり、しない」



…というか、それは絶対に“向日葵”ではない。現代日本の健常者は、これを向日葵だなんて、そんな妄言は、決して吐かない。

これがゆとり教育の弊害なのか、それともヨウコ嬢の天然なのか。知りたいような知りたくないような、複雑な心境だった。





「おぅい、カミヒト、ヨーコちゃん、昼飯行って来ていいぞぉ」



最近ではもう聞き慣れた野太い声。店長だ。

俺とヨウコ嬢が血で血を洗うハンター試験から帰還して、すわ「解雇→金欠→大地に還る」の黄金コンボかと恐れていたのだが、何事にも図太く無制限に人の良い店長は、かっはっは、と笑いながら「おお久しぶりだな、ちょっと背ぇ伸びたんじゃないか?」などと言ってごく普通に出迎えてくれた。

―――敢えて言おう、有り得ない。

ひょっとすると凄い人なのだろうか、とか。…いや、ひょっとしなくても凄いのはわかるが。

この人詐欺か何かで酷い目に遭わないか心配だ、とか。

俺ってまだ成長期だったのか、それともヨウコ嬢に言ったのか謎だなぁ、とかとか。



「わかりました」

「いってきます、店長」



…どうして俺の周りはこうも優しい人ばかりなのか、正直、不思議でならない。

ついでに言うと、そろそろ俺は自身の不甲斐無さに首を括りたいところだ。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「何処に行きますか?」

「“めしどころ”以外だ」



即答する。既に反射の域に達しているかもしれない。これも「念」の恩恵か。



「……はぁ、」



そうして、返ってくるのは呆れたようなため息。言うな、俺だってわかっている。

だが、これだけは譲れない。ハンター試験参加の経緯は、我ながら悶死しそうなくらいに馬鹿馬鹿しかった。タイムマシンは何処だ。



「もう二度と、ステーキ定食なんて物は頼まない…っ」



決然と言い切った。

ステーキは好きだが、定食は別だ。あの出来事は俺にとっていろんな意味でトラウマに近い恥体験。こうして思い出すだけでも頭を抱えて地面を転げ回りたくなる。ヨウコ嬢と手を繋いでいるからやらないけど。

クールだ、ク-ルになれ守人。後悔を糧に今こそ俺はもう一歩大人になる。一歩だけかよ、なんて戯言は聞きたくない。

そもそもあの時は結局ステーキ食ってない。最悪だ。



「ラーメン食いに行こう」

「…またですか?」



俺の提案に、ヨウコ嬢は微妙に嫌そうな顔と声。嫌か、嫌なのか。



俺はラーメンが好きだ。むしろ愛している。この世界にラーメンが存在すると知った時、俺は、泣いた。本気で。

往来で立ち尽くして涙を流す一人の青年。そんな俺を見て慌てるヨウコ嬢。ぎょっとして注視する通行人多数。

はらはらと静かに泣く俺を見かねたのか、「大丈夫ですよー、痛くないですよー。ほら、ササキさん、痛いの痛いのとんでけー」なんて言いながらヨウコ嬢が頭を撫でてくれた。背伸びをしながら。

泣き止んだ後の周囲の視線は生温かく、自分の行動が恥ずかしかったのか、赤い顔で俯くヨウコ嬢。…神よ、俺にどうしろと。





「…駄目、か?」

「………はぁ、」



小さなため息。ふっ、そんなもの既に見慣れて、大した痛痒も……なくはない。すまん。だがラーメンは食べたい。出来ればネギラーメン。ネギ大盛りで。



「わかり、ました…」



俯きながら承諾の意を伝えるヨウコ嬢。あんたマジで男前やで。



ふざけた思考を重ねながら、礼を言いつつ小さな頭を撫でる。撫でて、嫌がられてはいないと思うが、これでは俺がヨウコ嬢を必要以上に子供扱いをしているようで、やはりいい加減控えなければとも思う。なでなで。



「よし、行くか」

「はい」



快い返事に、軽く、笑みが浮かぶ。

色々と考える事は山積みなのだが、とりあえず今日も、俺は幸せだった。



それが自身には過ぎた代物だと、わかってはいるのだが―――。



「…まぁ、な」



呟いて、彼女と繋いでいない、自身の左手を握り締める。

そうするとやはり、にちゃり、とした歪な感触を覚えた。

―――これは錯覚だ。

事実を胸中で反復し、二、三度掌を開閉。徐々に遠ざかる触覚に仮初の安堵を得て、小さく息を吐いた。



「ササキさん?」

「ん、」



呼びかけに首を巡らせる。こちらを見上げた小さな美貌に、少しだけ、不安感に似た何かを見たような、そんな錯覚を覚えた。



「どうした?」

「いえ…」



顔を伏せられ、向けられていた視線が逸れる。

小さく、ほんの少しだけ強く握られた右の掌に、やはり少しだけ笑みが浮かんだ。





「ヨウコ嬢」

「…何ですか、ササキさん」



名前を呼んで、名が返る。

そのやり取りにもう一度笑んで、合わせた歩調のままに、強く足を踏み出した。

そうして、声を掛ける。



「行くか」

「はい」



繋がれた右手は温かく、不快な感触を覚える左手を、晴れ渡った空に向けて掲げた。



そんな芝居がかった所作に恥ずかしさを覚えるけれど、空が綺麗だったので、とりあえずは我慢する。

空は、綺麗な青だ。

いつかも、そのまたいつかの日も、雨が降っていた気がする。ろくに憶えちゃいないが、なんとなく、雨の日には色々縁があったような。

…どうでもいいこと、なのだろうけれど。



「ササキさん?」

「む、」



そのままの姿勢で空を見上げていた俺を、ヨウコ嬢の不思議そうな瞳が見つめていた。

…やばい、恥ずかしい。やっぱやめときゃ良かった。

頭を振る。この程度で顔が赤くなるような素直さは無いと思いたいが、そもそも俺は何ロマン臭いことを考えていたのかと、あーあー唸りながら誤魔化した。



「行くぞっ!」

「……はぁ、」



大きな声で取り繕う、というか誤魔化す。そして小さなため息。

くいくいと小さな手を引っ張って、ずんずんとラーメン屋へと急ぐ。隣から聞こえる小さな笑い声は幻聴だ。妖精さんだ。不覚にもヨウコ嬢の妖精ルックを想像してしまった俺は死ねば良いと思う。



左手は、もう何も感じなかった。



「…安い男だ、俺は」

「はい?」

「何でもないさ」



何でもない。

これっぽっちで最低最悪な自分の罪悪を誤魔化せる、俺自身の莫迦さ加減も。

いつか離されるだろう、温かな、繋いだ手の感触も。

とっくの昔に離れられなくなっている、自身の歪んだ嗜好とか、みっともない依存とか、俺の常識を超過し切った、この幸福も。

―――何でもなくなればいい。



せめてこの子が少しでも笑っていれば、なんて。



そんな言葉で誤魔化さないといけない現実の罪深さに、辟易とする。





「やっぱ、別のトコ行くか。ヨウコ嬢、お前何処行きたい?」

「……はい?」





せめてもう少しだけ、傍に居ても良いだろうか。



この子が俺を「必要無い」と捨ててくれる、その時までは。





End.



[2117] Re[12]:雨迷子~【埋奏/葉子】~
Name: EN
Date: 2007/04/17 20:05
シトシトと雨音が広がる。

目蓋を開いて、孤独に濁った瞳に暗闇が映る。



壁、壁、壁。

横に水平に垂直に縦に、澱んだ色合いをした石の壁が視界を区切って、だから其処は息が詰まる。

何時しか引き摺るように前へと進む両脚は靴もスリッパもなく素足のままで。ぬめった地面を踏み、転がる小石に肌を食われて、ふらりふらりとただ動いた。



―――もうどれくらい、“此処”に居ただろう。



一時間? ううん、十時間くらい? それとも一日? もしかすると……もっと、もっと長い間だろうか?

もう随分と前からこの暗い場所を歩いていたような気がする。大声をあげる恥ずかしさを耐えて人を呼び、けれど何の返答も得られなかったのは一体どれくらい前のことだろうか、“独りぼっち”という言葉がこんなにも怖いものだと知ったのは、どれだけ昔のことだったろうか。



そもそも、どうして自分は―――私は、こんな所に居るのだろう。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




生家は、裕福な家だった。多分、凄く。

どこだかの会社から、わざわざ偉そうな人が挨拶に来ては、お父さんとお母さんを相手に愛想笑いを浮かべていた。

その様子を見て私は、格好悪いだの気持ち悪いだのといった気持ちはなく、ただ、「大人は大変だなぁ」なんて考えていた。

思えば、可愛くない子供だったろう。少なくとも、内面に於いては。



私の家は裕福な家だった。

裕福な家だったので、世に蔓延るその他大勢のお金持ちな人達に倣い、私は昔から何の役に立つのかもわからない“乙女の嗜み”とやらを学ばされていた。

お花、お茶、英会話、アロマ、ピアノにバイオリン。未だにバイオリンとチェロの違いがわからない私は、それなりにズレた生来のダメ音感を発揮して、事あるごとに家庭教師を困らせたものだ。…そのことについては、正直、思い出したくない。



「お母さん、どうしてこんなに習い事をするの?」



そんなことを聞いたのは、楽しくもないお茶のお稽古にうんざりした頃のこと。…ちなみにピアノやバイオリンは早々に諦めていた。上達しないし。



「いい、葉子? イイ男をオトすためにはね、それなりの投資が必要なのよ?」

「……はぁ、」



よくわからないことを言われた。

しかし、それも仕方が無いのかもしれない。当時の私はまだ小学三年生、男女の区別すら付かない子も多い年齢だったのだから。



首を傾げる様を見て、お母さんは私の頭を撫でた。ふざけた色を消して、小さく微笑む。



「いつか、あなたに好きな人が出来た時、自分の至らなさに恥じ入る事無く、その気持ちを口に出せるようにね…」

「…はぁ、」



よくわからない。わからなかったけれど、お母さんがとても優しい顔をしていたから、私は頷いた。

頷いて、けれどやっぱり、お茶のお稽古は好きになれなかった。





そういえば、最近になってようやく乙女の基本スキル“お料理”を習うことを許可された筈。

強面に似合わず子煩悩なお父さんは「葉子がこの綺麗な手に火傷でもしたらどうする――っ!!」などと中々に気持ちの悪いことを言い張ったので、珍しくお母さんが折れたのだ。本当に珍しい。

―――なので、私はずっと料理をすることが出来なかった。

小学校も卒業間近、やっと許可が下りた頃には、もう学校で何度か家庭科の調理実習をしていた。…結果は散々だった。恥ずかしいので思い出したくない。



乙女としての“基本”であるらしい料理全般が練習出来ない分、他の習い事はみっちりと仕込まれた。主にお母さんに。

音楽については才能が無いらしくて散々。アロマは結構好き。英会話は面倒臭い。お花は……褒められた。鋏の扱いが上手いと、飾るセンスは中々だと、先生とお母さんが微笑みながら褒めてくれた。



褒めてくれた。





「おかぁさん…」



ずるり、と足が滑る。

視界の急転に混濁する景色に、反射的な動作で右手を壁へと付いた。ゴツゴツとした表面に掌がじくりと痛み、それでも転ぶことだけは防いで、感情の篭らないため息を吐く。



「ぉとおさん…」



呟いて、呟いて。

どれだけ呼んでも、私の思い描く温かさなんて、幻影ですら現れない。



「おじーちゃ…」



もう舌も回らない。私の全身を打ち付ける雨は酷く冷たくて、手も、足も、寒さと疲れでずっとずっと震えていた。

目の前も後ろも横も、ずっと以前から朽ち果てた灰色の壁だけ。

暗い景色に感じ入るものなんて残っていない。鼻の粘膜を刺す臭いも気にならなくなっていた。

見上げた空は相変わらずの曇り空。けれど始めに見上げたときよりもずっと黒い色をしていて、そこから降り注ぐ雨は周囲が暗いせいで灰色にも見えた。





そういえば、ケンカをしてしまった。



つまらない理由だった。子供のわがままだった。

お母さんと一緒に歌劇を見に行くという約束をして、けれど何か役員の仕事があるからと、その日の予定は延期しよう、なんて言われて。

…我儘を、言ってしまった。

歌劇なんて好きじゃない。趣味じゃない。大きな声は煩わしいと思うことだってある。

けれど、おかあさんと二人っきりの外出だったのだ。



普段は習い事や食事程度でしか一緒に居てくれないお母さんとの、久しぶりに叶った、“お出掛け”だった。



お父さんはよくお土産を買ってきてくれる。邪魔だと思う時にだって、何だかんだで一緒に居てくれる。女の子の趣味なんてわからないだろうに、無理にわかった振りをして、私の遊びに付き合ってくれる。

お爺ちゃんは“インキョ”しているらしく、離れで本ばかりを読んでいる。それでも時折遊びに赴けば、にこにことお菓子やお茶を出してくれる。食べ過ぎると太ってしまうのに、お母さんに怒られてしまうのに、美味しいお菓子ばかりを用意して、私の好みを的確に突いては、よくわからない、けれど面白い話を聞かせてくれる。



久しぶりのお出掛けで、楽しみにして、でも、駄目になって。

どうしてと、わかりきった理由を問い掛けて。嫌だと、相手の理由も考えずに言い張って。



「…お母さんは、あなたに構っている暇はないの。だから、一人で行きなさい」



―――そんなに行きたいのなら、独りで。行きなさい。



違う。

行きたいわけじゃない。わがままを言いたかったわけじゃない。落ち込んで、慰めてくれるお父さんと観たかったわけじゃない。

違う。

そんな言葉を聞きたくて言ったんじゃない。そもそも、何処かへ出掛けたかったわけでもない。



普段は習い事や食事程度でしか一緒に居てくれないお母さん。褒めてくれるのも、本当に頑張って、ようやく成果を出した時だけ。

本当は褒められたかったわけでもない。怒られたかったわけでも、当然、ない。



ただ、普通に居たかっただけ。

普通に、そんな義務や作業に関係なく、お母さんと一緒に居られる時間が欲しかっただけ。

そのための理由を欲しがって、真正直に望むことだって怖くて出来なくて。





「ごめんなさい…」





気付けば私は倒れていた。

疲れたから寝そべったのか、躓いて転がったのか。廻る想い出の中ばかりを見ていたから、自分がどうなっているのか、暫く理解出来なかった。



投げ出された手足を縮め、全身を丸め込む。

そのまま近くの壁へと這いずって、寄り掛かるように座り込んだ。



「ごめんなさぃ…」



震える唇で呟いて、そんな小さな音は自分の耳にすら届いていない。

震える肩も、抱きすくめるように丸めた手足も、目に映る視界も、何もかもが酷く寒い。

暗い。

寒い。

怖い。

嫌だ。

ごめんなさい。

ぐるぐると意味の無い言葉と感情だけが廻り、疲れたように、眠るように目蓋が閉じていき、





「―――人か?」





その簡素な言葉に、一体どれだけ救われたのか。



降りしきる雨の中。

罅割れた心を抱いて、“常葉 葉子”は掬われた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ほらササキさん、ひまわりですよ、“向日葵”」

「…落ち着けヨウコ嬢。俺の知っている向日葵は、ぐげぐげ笑ったり、しない」



場を和ませようと苦心した私の気遣いは、目標からの反撃によってあっさりと撃墜された。

確かに生え揃った鋭い牙やぐぎぇぐぎぇと笑う様子はおかしいかもしれないが、この黄色い花びらに花全体の形は私達の知っている“ひまわり”に似ていると思う。…思う。……思います、よね?





「おぅい、カミヒト、ヨーコちゃん、昼飯行って来ていいぞぉ」



店の奥から届く、店長さんの野太い声。

微妙に良い人、というか人の良いおじさんだが、ハンター試験期間中絶賛無断欠勤だった私達を朗らかに出迎える様子は、ちょっとゆるいんじゃないかと思うくらいに変だ。

私をバイト要員として雇った時も思ったけれど、どういう人なのだろうか、この店長さんは。



「わかりました」

「いってきます、店長」



ササキさんと私、二人で店長さんに声を掛けてエプロンを外す。

手を振り振り見送る店長さんに、私も小さく振り返す。



…やっぱりこの世界って、ちょっと不思議。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「もう二度と、ステーキ定食なんて物は頼まない…っ」



決然と言い放つササキさんは、強い日差しも相俟って、ちょっとかっこいい。

言ってる台詞はアレだけど。ポーズもちょっと、アレだけど。格好は相変わらずの黒コートだ(キルアに破られた箇所はササキさんが徹夜してチクチク縫ってた。可愛いかった)けど。



一頻り決意表明をしたササキさんは、数秒の後にクールダウン。

口を開いて提案したのは、最近頻繁に食べるメニュー。



「ラーメン食いに行こう」

「…またですか?」



やだなぁ、と思う。顔にも出てたかもしれない。

ラーメン。またラーメン。私はあの油ぬるぬるが余り好きじゃない。食べた後に口を拭うのも面倒臭い。

けど、ササキさんはこの世界のラーメンが大層お気に入りらしい。



この世界で初めてラーメンを目にした時、ササキさんは、―――泣いていた。恐らく、本気で。

マジですかササキさん。それほどですかササキさん。私よりラーメンですかササキさん。



直立不動で涙を流す黒コート、…もといササキさん。



それを見た私は慌てた。思考が混乱して、通行人の視線が痛くて、あああハンカチですかティッシュですかそれとも私が舐め取ってあげましょうかうふふ、なんて言ってしまった。不覚。

混乱する余り、涙を流すササキさんの頭を撫でながら「大丈夫ですよー、痛くないですよー。ほら、ササキさん、痛いの痛いのとんでけー」なんてやってしまった。



直後、周りの人達が生温かい眼差しで目を逸らしてくれた。



(ササキさんの泣き顔が)微笑ましくも(自身の行動が)恥ずかしく、ついでに言うと穴があったら入りたい。出来れば……いや、なんでもない。





ふと気付けば、ササキさんと繋いでいない右手、その指先から“白の剣(ホワイトソード)”がにょっきり伸びていた。

…どうやら、過去の自分に恥じ入る内に、無意識に、私のオーラが「剣」を形作っていたようだ。

無駄に素直なオーラだ。素直すぎて、自律しているような錯覚さえ、覚える。…余り意識し過ぎると本当に自律しそうなので考えるのはやめよう。



ぶんぶんと腕を振りつつ、オーラを霧散させる。往来での危険行動は乙女としてどうかと思う。ササキさんに野蛮な行為を見られるのも好ましくない。…手遅れかもしれないが。





「…駄目、か?」



思考に没頭していた私をどう思ったのか、不安そうな声と表情でササキさんがこちらを窺っていた。

八の字に垂れた眉、半ばまで伏せられた瞳、不安そうな声音。熱を持つ(私の)鼻。

―――(お嫁に)貰ってもいいですか? ―――イエス、アイ・マム。



はぅ、と熱っぽいため息を吐く。



「わかりました…」



小さく搾り出した声に、柔く頭を撫でられた。

その感触に頬が緩み、コンプレックスであった低身長も、なんだかこのまま撫でられ過ぎて縮んでもいいかな、なんてばかな事を考えるくらいにはどうでもいい。



「よし、行くか」

「はい」



笑みを含んだ呼びかけにしっかりと頷く。

未だ自分は“同郷の子供”としか見られていないだろうけれど、このままこの心地良い関係に淫蕩っていても幸せだなと、そんな幸福な諦観に身を委ねたくなった。



…けれど、そんな役立たず、ササキさんには必要無い。



今はまだいい、ササキさんは私の作った“誓約”に目を向けたまま、この役立たずを守るために、決して離れようとはしないだろう。

…けれど、それも何時まで続くかわからない。

私はただの子供で、ほんの少しの心変わりで捨てられてもおかしくない、この人にとっての厄介者に過ぎないのだから。



早く大きくなりたい。

もっと強くなりたい。

ササキさんに求められる人間になりたい。

……もっと、求めたい。



渦巻いた思考は酷く不安で、酷く、寒い。



「ササキさん?」

「ん、」



呼びかければ応えてくれる。

その優しさに甘えて、けれど甘えるだけの現状はやはり、よくない。



欲しがるだけで手に入るなら、それはどれほど幸せな妄想だろう。

“愛されて当然”なんて有り得ない。与えてもらえたなら返さなければいけないし、与えなければ、与えてもらうことは叶わない。

求めて、与えられるだけで終わるなんて、そんな不明は、もう―――。



「どうした?」



問い掛けられ、その顔を見つめ続ける事もできずに顔を伏せた。

きゅ、と繋いだ手を握り締める。「纏」を行っている左手で、半ば壊れているとはいえ“黒の城砦(ブラックフォート)”に触れるのは、ササキさんの危険に繋がるけれど、それでも、ササキさんの負担にならないギリギリの力加減でその掌に縋りついた。



「いえ…」



本当なら「絶」でもして、全身で抱きつきたい。ササキさんを包む“黒の城砦”を引き千切ってでも直接触れたい。

そう望んで、けれど、明確に“望む”ことが怖かった。



「ヨウコ嬢」

「……何、ですか、ササキさん」



名前を呼ばれる。擦れた声でようやく返す。



軽く腕を引かれ、引き摺られるようにして足が動く。

見上げた顔は少しだけ微笑んでいて、垣間見えた既視感に、少しだけ、ほんの少しだけ目尻が熱くなった。



「―――行くか、」



呼ばれる。呼びかけられる。

私に尋ねて、私を待っている。私に求めている。求めてくれている。仮令ほんの些細な問い掛けでも。



「はい」



応えた声はするりと流れた。繋いだ手は先程よりも強く握られて、進みだす足は先程よりも少しだけ力を篭められている。

ふと見上げた黒い影姿は、その左手を空に向けていた。



「ササキさん?」

「む、」



問い掛ければ唸り声。意味がわからない。

少しだけ赤く染まった頬と目尻に、よくわからないけれど笑いが零れる。

あーあーうーうー唸り続けるササキさん。それを見上げて、意味も無く笑う私。なんだろう、これは。



「行くぞっ!」

「……はぁ、」



突然声をあげて前へと踏み出す。ため息のような相槌は、もう吐き慣れたものだった。



くすくすと笑う。すいすいと腕を引っ張られる。とことこと足が進む。

やっぱり、わからない。

―――わからないけれど、何故か、幸せだ。

強引な声が楽しい、引き摺られるような力強さが嬉しい、一緒に歩いている事実が誇らしい。





「…私って、安い女」



小さく呟いて、やはり笑う。



色々なことがわからないし、不安も沢山あるけれど、何でもない仕草に幸せを感じて、一人微笑んでいる私はすごく不気味で、すごく、軽い。



「……、俺は…」

「はい?」

「何でもないさ」



何でもない。そうだ、何でもない。

何でもない日常だ、“これ”は。

何の理由も無く、何の義務も無く、ただ、愉しい。ただ、一緒に居る。それを形作ったものの中に私の醜さが介在しているのは間違いないのだけれど、少なくとも、今は―――。





「やっぱ、別のトコ行くか。ヨウコ嬢、お前何処行きたい?」

「……はい?」





疑問。疑念。問い掛け。謎。というか、不思議。

聞き返しながらも、やはり私は笑っていた。



せめてもう少しだけ、“このまま”が良い。



この人が私を「要らないもの」と切り捨ててしまう、その時までは。





End.



[2117] Re[13]:雨迷子~今度こそ後書き~
Name: EN
Date: 2007/04/16 21:43
【後書き】


 一ヶ月間ネット環境から遠ざかる、などとのたまいながら、復帰した時には既に三ヶ月を超過していた私は真性の大嘘付きでもありました(過去形)。今回投稿は更に数ヵ月後という…。



 恐らく既にお呼びではない雨迷子・蛇足Ver.、内容の六、七割は冗談抜きに妄想から成り立っておりますが、如何でしたでしょうか。

警察機構や組織体系については何も知りませぬ故、異常があった場合には犬に噛まれたと思って頂きたい今作。



 三ヵ月越しに感想欄に目を通し、何故か続編・後日談を望まれており、しかし書かなかった時期のブランク…と言うよりもモチベーションの低下が酷かったためにこのような有様に。

本来ならば「キメラアント編・ヨウコ嬢蟻化」までの予定はあったのですが、そもそもSSを自身の妄想手段として用いている私はプロットなぞを作った場合、「プロット完成=妄想終了」といった具合に満足してしまい、文章を書くだけのテンションが残らないので、まともな予定を組むことが出来ず。

そのような行き当たりばったりな作風ですので、後々修正をしようと読み返せば、易々と暗黒史を発掘してしまう有様でございます。



――以上、言い訳でございました。





私が四の五の言おうとも当作がつまらなければそれだけですので、ここまでと致します。



PS.雨迷子、今度こそ、続きません。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.1066529750824