「数が多いぞ、ちくしょうめ」
「チクショウメ」
ガンダムの追加兵装であるGNアームズ二番機は、対艦攻略用のGNミサイルポッド、
GNツインライフル、大型GNキャノン等の大型武装を備えたまさに強襲仕様と言うべき
MAだ。
二番機は、格闘兵装こそ持たないが、制御コアとなるデュナメスの特性を最大限引き出
す為に砲戦に特化した性能は、内部に格納された兵装でも一撃でヴァージニア級を撃滅出
来る破壊力を秘めている。
人型をベースにしたMSとの違い、巨大過ぎる威容の為か、ロックオンは、操作感覚に
デュナメスとは違う違和感を感じていた。
機体の制御をハロに任せ砲撃に集中したいが、武装の特性故に敵を"狙い撃つ"事も出来
ず、無慈悲に火力で押しこむだけの圧倒する戦闘は彼の流儀に反していた。
だが、ロックオンは、国連軍のGN-Xには無い、GNアームズ二番機の圧倒的な火力
で敵の第一次防衛ラインを易々と突破に成功していた。
律儀に流儀に従っていれば、今頃は撃墜され、宇宙の藻屑と消えてはずだ。
流儀に反したこそ、ロックオンは命を長らえ、生き残る希望に縋って戦う事が出来るの
は実に皮肉な話だった、
大型MAは射程が長く、広域攻撃に適しているが、反面小回りがきかず、懐に入られれ
ば途端に不利になる。
流石各国のトップガン達を収集しただけあって、GN-Xのパイロットの操縦技術は素
晴らしい。
後方から指示を出す指揮官の出す指示一つ取っても的確で、こちらの裏を書くように厭
らしく侮れない動きを見せている。
ロックオンの攻撃で一時は浮ついた編隊がオープンチャンネルから聞こえて来た叱咤激
励の声が響くとGN-X隊は瞬く間に態勢を整えていく。
一人だけオープンチャンネルで「大佐さああ見てて下さいねえ!」と戦場に似つかわし
く無い暢気な声が流れたが、声の主だと思われるGN-Xの攻撃は大胆にして精緻な機動
モーションは、まるで、何千回も模擬戦闘を繰り返したように、基本に忠実で洗練された
動きだ。
(手強い…やり難れぇな、おい!)
他のGN-X達も二番機の性能、特性をいち早く見抜き、巧みな連携プレーを仕掛けて
来る。
距離を詰められ、手数で攻められれば、MAの特性が生かせるばかりか、巨大な体躯が
敵の大きな的になってしまっている。
GNフィールドを展開し、致命的な損傷こそ受けていないが、ロックオンは、先刻から
防衛線に釘付けにされ、防戦一方の展開を強いられている。
時間だけを闇雲に浪費し、ロックオンの心に焦りと不安の色が立ち込め始めていた。
「不味いぞこりゃ」
戦術プラン通りならば、既に敵輸送艦を撃破しておかなければならないタイムスケジュ
ールだ。
レンジ外からの長距離砲撃で五機中二機を沈めたまでは良かったが、三機は健在、それ
ばかりか護衛に残されたGN-Xの数が予測よりも遥かに多い。
「GN-Xの数が違う。増援かよ!」」
敵MSの想定数は約二十機と踏んでいただけに、ロックオンは、続々と集結し始める増
援に苦悶の声を漏らした。
三十機、いや、四十機以上もの大編隊を組んだGN-Xの数は、スメラギの戦術プラン
の崩壊を意味している。
「狙い撃てねえ!」
赤い粒子砲の渦を掻い潜り、牽制射撃とばかりにGNキャノンを連続で発射するが、G
N-Xはフォーメーションを崩さす、的確に距離を詰め、無理に攻撃を加えず包囲網を構
築しようとしている。
「邪魔なんだよ!どけええ!」
先の戦闘で失くした左目がジクジクと疼き、脳を駆け抜ける鋭い痛みで右眼までがぼや
け始める。
視力を遮る白い闇が瞳を過る中で、疑似太陽炉から流れる赤い粒子が鮮血のように宇宙
を染め、ロックオンは焦りを隠すように咆哮を上げた。
地響きのような音鳴りがしたと思うと、一際強い衝撃がネーナの居座るパージブロック
を襲った。
電装系が火花を散らし、室内の電気が消え、一瞬だけ非常灯に切り替わると、また直ぐ
に電力が復活する。
「痛ったいわねぇ。もうちょっと静かに戦えないの!」
フックで固定されたコンテナが激しく振動し、ネーナ自身も衝撃でそのまま天井に打ち
付けられてしまうかと思った。
怪我こそ無かったが、ベルトやエアクッションで体を固定しているわけも無く、そこら
じゅうに体を打ちつけたネーナは、苛立たしげに立ち上がり、半ば八つ当たりのようにロ
ックされた扉を蹴りつけた。
靴底の磁石がドアに当り重苦しい音が流れると「ピー」と言う間抜けな電子音が周囲に
響き電子ロック外れる。
「あっそっか、停電したんだっけ」
一時的に電力が遮断された為に機能がリセットされる。
戦闘中のスペースシップに良くあるトラブルだが、いざ目の前にすると、こうも都合良
く開くものかと呆れるよりも感心してしまう。
「…電気系の故障って本当に便利なんだか、そうじゃないのか」
ネーナは、扉から顔を覗かせ辺りの様子を伺うが、人の気配は愚か、ハロの気配すら感
じる事が出来ない。
戦闘に入ってから、どの程度時間が経ったのか知らないが、ネーナは静か過ぎる艦内を
不気味に感じていた。
「チャンスか」
だが、人気が無いと言う事は、それだけ脱出には適していると言う事に他ならない。
ネーナは身を屈め、三叉路手前の端末目掛け、低重力移動用のハンドグリップを使わず
角の端末まで一気に跳びぬける。
そのまま、端末にかじりつく様に着地し、もう一度辺りの様子を伺うが、やはり、人の
気配は感じられない。
一息ついたネーナは「チャンス!」と一人呟き、HAROの口を強引に開かせ中に手を
ねじ込んだ。
「ギャクタイダ、ギャクタイダ」
「うっさい、さっさとケーブル端子寄越しなさい」
艦内各所に設置された、検索用端末に降り立ったネーナは、文句を言うHAROを黙ら
せ喉奥から引き抜いたケーブル端子を端末に直結させる。
バチリと火花が散るが、CBの共通コマンドを打ち込むと、幸運にも最低レベルの権限
で艦内データベースにアクセスする事が出来た。
だが、一度繋がってしまえばこちらの物。
ハロの性能では引き出せるデータには限度があるが、艦のダメージコントロールを覗き
見るくらいならば、スローネの支援AIであるHAROには朝飯前だ。
「レンジ外からの極大粒子砲でメイン推進機関の第一粒子出力炉が大破…同炉への出力を
カットして第二出力炉に回して敵粒子砲を回避。フィールドを展開しつつ後退か。どんな
敵とやってるか知らないけど、全然駄目じゃない」
彼我戦力差一対六と言うレベルではない。
擬似太陽炉搭載型に加え、レンジ外からの粒子砲を撃つ謎の敵の出現。
大してトレミー側の戦力は新型大型MA二機とガンダム二機。
艦載機の強襲用コンテナがあるらしいが、パイロットがザルでは、国連軍との戦力差を
埋めきれるとはとても思えない。
「先制攻撃も失敗してる…このままじゃ死ぬわね」
今はヴァーチェとキュリオスが必死で最終防衛ラインを構築しているようだが明らかに
多勢に無勢な状況だ。
二機が撃破されるなり鹵獲されるなり、そう遠く無い時間に防衛線を抜かれ、非武装の
トレミーは撃破されるだろう。
生き残る為に最も必要な事は何か。
サーシェスを倒す為に必要な処理を構築し、優先度を決定し、不必要な案件はその度排
除して行く。
導き出された選択は逃亡。
二機ある強襲用コンテナかドライを使い戦闘空域を速やかに離脱。
緊急避難プランに従い、現地エージェントに接触するのが最も簡単な手段だが、サーシ
ェスが襲撃して来た事を考えれば、ネーナの持つ伝手を頼る事は避けたほうが良い。
宇宙に出てしまえば、戦闘のドサクサに紛れて逃げる事は容易いだろうが、あても無く
世界を彷徨えばいつか捕まってしまうだろう。
しかし、逃げると決めたからには、今は足の確保が最重要事項だ。
ネーナは、そうと決まれば話は早いとHAROを抱え「まずは足の確保だ」格納庫目指
して床を蹴ろうとした瞬間、突然"左目"が疼き目の前が真っ黒になる。
真空の宇宙に裸一貫で放り出されたような寒気を感じると、目の前に永遠に広がる白く
広大な空間が広がった。
(なによ、これ)
ネーナを中心に広がった白い闇は、無音の静寂と共に威圧感を伴い、物理的な衝撃とな
ってネーナの体を突き抜ける。
肺と骨が圧迫され頭痛を覚えるが、嫌な気配を含んだ重圧は、風が吹きぬけるとその後
に残された物は、馬鹿みたいな静けさと心を直接掻き毟りたくなるような焦燥感だった
闇の中にはネーナ以外おらず、生物の気配を感じる事が出来ない。
人間の気配も営みも、全てを拒絶するかのように白く輝く空間は、地獄と称するのが正
しいのか、天国と推測するのが正しいのだろうか。
どちらにしても、人間の住む空間ではないように思えた。
ただ、天地の感覚すら曖昧な荒涼と続く白い闇を照らすように、濃緑の粒子がキラキラ
と輝き、ネーナに何かを伝えるように目の前で滞留している。
「GN粒子?」
ネーナが粒子に手を触れると、粒子は形を変え、虹色の光彩を放ったナニカがネーナの
心に飛び込んでくる。
熱く、冷たく、柔らかく、硬く、多種多様の感触がネーナの全身を揺らし、七色に輝く
虹の光が戦場に散らばる無数の思惟を運んでくるかのようだ。
その殆どは小鳥がさえずりのように儚く、ネーナに耳に届きはしても、何を喋っている
のか聞き取れないほど脆い。
無数の思惟は、淡い光を燈しネーナの体をすり抜け白い闇へと無音のまま消えていく。
しかし、無数の思惟の中でも、一際大きな光を燈した四つの思惟がネーナの心を貫いた。
『いけない、このままじゃ』
『お前…一…にするじゃ…え』
『私は…私・・・は』
『…エク…ア、目…を駆逐する!』
「なによ、これ」
ネーナを貫いた四つの内、緑、橙、紫色に輝く思惟は、ネーナの体を貫いただけに留まっ
たが、砂漠の空のように煌々と輝く青色の思惟がネーナの心に纏わり尽き、深い場所まで染
み込んで来る。
ズルズルとネチネチと硬く閉ざされたネーナの外皮を強引に引き剥がし、鍛えようがない
一番脆い部分を土足で蹂躙される感触に、ネーナは経験こそないがまるで強姦のようだと毒
づいた。
「なんで、涙…私泣いてるの」
青い謎の光に散々心を蹂躙されたにも関わらず、ネーナの胸に去来したのは、辱められた
怒りでも無く、青い光に対する悲しみだった。
青い光は、ネーナとの名残を惜しむように、ゆるゆると動き続け、やがて、白い天の彼方
へ昇りゆっくりと輝きを消していく。
青い光が消えていくと同時に、生暖かい雫がネーナの頬を滴り、低重力の中で球形を作り
シャボン玉のように宙を舞う。
頬を伝う涙は止め処なく溢れ、まるで、青い光が刹那そのモノのように感じ、そして彼が
すぐ傍で悲しんでいるような緻密な現実感を抱いた。
刹那の息遣いが、骨と肉の軋みがネーナの耳朶を打つ中、名状し難い刹那の悲しみが胸を
苛み、ネーナはいつの間にか涙を流している。
素直に泣けば心にも体にも優しいはずが、戦う事しか表現する事を知らぬ獣は、悲しみを
怒りに転化し更なる悲しみを紡ごうとしている。
笑う事も知らず、悲しみを心に蓄え、強固過ぎた心の壁が、悲しみの一切を外に漏らさな
い。
堆積した悲しみの欠片は、いつか刹那の心を壊し、彼を絶望の底にたたきと落とすだろう
が、今はまだ刹那の心は悲しみに耐え続けている。
人と自分の悲しみが同一であると無意識に信じ込んでいるから、悲しみを悲しみと認識で
きない。
心が磨耗し切った人間のなせる業なのか、悟りを開いた仙人の境地か、どちらにしても多
感な十代前半の少年が至れる境地ではなく、溢れる涙の前には、ただ虚しさだけが募ってい
く。
「そっか、あんた心が鈍いんだ」
植物のように鈍く重い感性を備えているから、人一倍痛みに鈍感になれる。
人の何倍も傷つき易い心の持ち主であるに関わらず、痛みに蓋をして我慢する術だけを磨
いて来た刹那をネーナは憐れに思った。
いつの間にか白い闇は消え去り、虹色の光も消え去っている。
虹色の光は、まるで、白昼夢のようにネーナの心をかき乱し唐突に姿を消した。
胸に残るのは、無防備な心を蹂躙された怒りと誰の物とも知れぬ胸を抉るような深い悲し
み。
戦い傷つき、絶望に苛まれた、希望の一欠けらも見出せない慟哭の響きだけだ。
「…いいわ、いい度胸よ、刹那」
「ドウシタ、ドウシタ」
「そんなに悲しいなら、私が変わりに戦ってやるわよ。それで貸し借り無しよ、刹那・F・
セイエイ!」
悲しみに明け暮れ戦えない腑抜けなら私が敵を倒すと、胸に宿った悲しみに突き動かされ
るように、ネーナは走り出す最中、ネーナの左目が"金"では無く"朱"に輝いて居たのをHA
ROだけが気付いていた。
トレミーの総合整備師であるイアンは焦っていた。
トレミーの護衛機である四機のガンダムは、全て出払いGN-Xの相手で精一杯だ。
多勢に無勢は承知の上。
出来る限りの整備と強化パーツを持たして送り出したが、五分前にスメラギからもたらさ
れた戦況は、最終防衛ラインが抜かれた凶報だ。
「くそ、こりゃ不味いぞ」
武装の無いトレミーにMSを迎撃する力は無い。
必然的に強襲用コンテナで迎撃に出る事になるが、MS戦闘に関してトレミークルーは素
人同然だ
強襲用コンテナを動かすにも、操舵手、砲撃手、火器管制支援に計三人を必要とし、経験
を必要とする戦闘機動はイアン達に務まるとは思えない。
その場しのぎの付け焼刃では、国連軍のトップガン達を相手にする事は不可能に等しい。
この調子で進めば、頼みの綱はスメラギの戦術とハロを搭載したスローネだけである。
整備AI達であるハロに命令を与え、ノーマルスーツを着込んだイアンは、ドライを起動
すべく固い鉄の床を蹴った。
技術屋にしては、運動神経は良いのか、一度の飛翔でスローネのコクピットに到着したイア
ンは、視界の隅に映ったネーナに腰を抜かしそうな程驚いた。
「お嬢ちゃん、なにしてるんだ」
確かネーナは、パージブロックに"保護"されているはず。
だが、白のノーマルスーツに身を包んだネーナは、怒りに燃えた瞳で真っ直ぐにこちらに
向ってくる。
(おいおい)
焦るイアンの心中とは裏腹に、ネーナの姿はスローネへとどんどん近づいてくる。
電気系の故障でドサクサ紛れに捕虜が逃げ出す事は良くある話だが、まさか現行技術の三
世代は先を行くトレミーで、このような事故が起きるとは笑い話にもならない。
ネーナの様子から銃こそ持っていないが、非戦闘員であるイアンに体術の心得などあるは
ずもなく、マイスター相手に白兵戦を挑んでも結果は知れている。
「こりゃ死んだかな」
諦めにも似た諦念がイアンの心をよぎり、ラボで待つ娘と妻の姿に詫びを入れながら、目
を見開いたイアンは、恐れを隠すように、スローネのコクピットに張り付いた。
特にスローネチームは、民間人相手に暴虐の限りを尽くした要注意人物だ。
スローネに乗せたが最後、何がどうなるのか予想もつかない。
いや、イアンの中では予想など当の昔についていたが、あまりに恐ろしすぎる想像の為、
無意識に考えないように最悪の結果を締め出していただけだ。
ネーナをスローネに乗せてはならない。
ただ、それだけの為に、イアンは、助けを呼ぶことも忘れ必死でドライのコクピットに立
ち塞がっていた。
「貸して」
だが、不退転、決死の覚悟で望んだイアンの思いとは裏腹に、ネーナの態度は実にあっさ
りしたものだ。
瞳に純粋な怒りこそ携えているものの、殺意や憤怒と言った根深い怒りではなく、どちら
かと言えば突発的な癇癪、イアンの娘が癇癪を起こし叱られ、不貞腐れた様子にそっくりな
のだ。
人殺しではなく年齢相応の少女が目の前で不貞腐れている。
てっきり殺し殺される泥沼の展開になるとばかり踏んでいただけに、ネーナの予想外の心
証にイアンはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「一体何を」
「何をじゃないの…私が出るわ」
「出るわって、お嬢ちゃん無茶だ!まだスローネの修理は済んでないんだぞ。気密だって不
完全なのに」
「ノーマルスーツ着てるから…いい」
やはり不貞腐れた態度のままで、ネーナは、イアンを押しのけるようにドライのコクピッ
トに滑り込み、ドライの起動プロセスを立ち上げる。
擬似太陽炉が生む赤い粒子では無く、スローネの腰部に増設されたGNコンデンサから純
正太陽炉と同じ濃緑の粒子が舞い散り、スローネのツインアイが"翡翠"色に明滅した。
(装甲以外の駆動性は問題無さそう。でも、スラスターが変更されるから、細かい機動戦闘
は事実上不可能か…)
サブモニターに表示されたスローネのパラメーターは所々エラーが表示されているが、強
引に捻じ伏せ各種兵装を強制的に待機状態へと起動させていく。
「誰かお嬢ちゃんを止めてくれ。人間が乗れるようには整備してないんだ」
『いいわ、イアン。ネーナを出して』
「なんだって、正気か!スメラギさん」
インカム目掛けて怒鳴るイアンの声とは別に、スメラギの同意の声が聞こえてくる。
拒否されれば、殴り倒してでも強引に奪う腹積もりだったのだが、意外な人物の意外な提
案に当の本人はキョトンとしていた。
「いいのおばさん?後ろからブリッジ撃っちゃうかも知れないわよ」
『そうしたら化けて出るだけよ。』
強襲用コンテナ内から聞こえる声は、粒子の影響もあってかノイズ混じりの酷い声だ。
だが、スメラギからは明確な意思、何かを託すような声色を感じ取る事が出来る。
『ネーナ・トリニティ。スローネを貴女に預けます。幸運を』
「元々あたしのよ、この年増!」
唸り声を上げるネーナを無視し、スメラギは通信を強引に終らせる。
どうにもやり込められた感はあったが、四の五の言ってはいられない。
ネーナは、イアンに食ったような視線を送ると、イアンは嘆息しながら、コクピットへ
の道を明け渡した。
「良いかお嬢ちゃん。ギリギリで粒子の充填は終ったが、スローネの動力はあくまでトレ
ミーから有線で供給されている。腰部のGNコンデンサは有線をパージされた時の緊急用
と思ってくれ」
「それで何分くらい戦えるのよ」
「内蔵電源での最大稼動時間は三十分が限度だ。当然攻撃にも移動にも粒子量を使う。粒
子残量には常に気を配るんだぞ」
「上等。誰に物言ってるのよ」
「それだけ言えればたいしたもんだ。いいぞあげろ」
イアンがコクピットから離れると、HAROの瞳が赤く光り、スローネのシステムが戦
闘態勢に移行する。
ハンガーが鈍い音を立てて移動し始め、ドライをリニアカタパルトに移動させて行く。
視界の隅でイアンがランチに飛び乗るが見え、ネーナは、眼前に広がる宇宙を真正面か
ら見つめた。
まだ戦場は遠いが、擬似GN粒子の飛び交う軌跡が瞬き光芒を散らしている。
慣れ親しんだ戦場が目の前にあるというのに、高揚感も充実感も何も感じない。
ただ、目の前に広がる空間が命と命のやり取りが続いている、そんな漠然とした事実だ
けをネーナは他人事のように感じていた。
『ネーナさん…刹那達が苦戦しています』
右上に通信ウィンドウが開き、フェルトの強張った顔が映る。
確か髪の長い癖っ毛の後ろで、こちらを伺うようにしていた少女だ。
話しかけてくる雰囲気すら無いので、こちらも無視していたが、意外に感情表現豊かの
ようだ。
「知ってる。聞こえたから」
機嫌が悪そうに言ってのけるネーナに、フェルトが驚きの表情を浮かべた。
『通信を傍受してたんですか、どうやって』
「違うわよ…直接聞こえたんだからしょうがないでしょ」
『直接って。一体どうやって』
「知らないわよ、ネーナ・トリニティ…スローネ・ドライ、出るわよ」
耳の奥に直接語りかけてくるような刹那の声は幻聴だと切って捨てるのは容易かったが、
虹がもたらした心に直接響いてくる切迫感と焦りは本物だ。
ネーナは、驚きの声を上げるフェルトを無視し、フットペダルを踏みこむ。
ドライの背部のスラスターから"翡翠"色のGN粒子が迸り、リニアカタパルトから射出
され、鈍い加速の後にドライの体が宇宙に投げ出される。
ネーナは、宙空で機体の態勢を整え、トレミーの前に躍り出た。
出撃して初めて分かったが、単体で迎撃機構を持たないトレミーは、宇宙に浮かぶ巨大
な岩塊を盾に、GN-Xを迎え撃つつもりのようだ。
トレミーの隣を強襲用コンテナが併設し二対の砲門を向けている。
「完全に待ち伏せじゃないの、打って出ないで守りきれるの」
刹那達マイスターの防衛線が抜かれた今、トレミーの命は風前の灯だ。
マイスター達が敵を撃破し帰艦するのが早いか、トレミーが撃墜されるのが早いか。
時間と時間の勝負にすらなっていないような気がしたが、打って出る為のピースが自分
なのだと思えば、スメラギがスローネの搭乗を許したのも頷ける。
『Eセンサーに反応。擬似太陽炉搭載型来ます』
「来た来た。死ぬつもりも馴れ合うつもりもないけど、今は貸しとくわよ、スメラギ・李
・ノリエガ!」
『スローネは牽制射撃を、』
「素人は黙ってなさい!」
ネーナは迫り来るGN-Xを獰猛な視線で見つめ、スメラギに対する僅かな感謝と怒り
の雄叫びを上げる。
フットペダルを踏みこむと同時に、兵装システムをアクティブに設定する。
支援AIであるHAROが敵に即座に照準を合わせると、正面のレティクルがロックオ
ンを告げ、ネーナは躊躇せずトリガーを引いた。
GNハンドガンから翡翠色の粒子が迸り、編隊を組み接近しつつあるGN-X三機の中
央部を打ち抜く。
二発、三発と一機を追い込むような執拗な牽制射撃は、GN-Xの編隊を切り崩す事に
成功し、右上方へと散開したGN-Xにドライを差し向ける。
濃緑の粒子がスラスターから迸り、細かい旋回性能を除けばドライの性能は良好だ。
一瞬で距離を詰めたネーナは、スローネドライの登場に困惑するGN-Xを他所に、臍
部にあるコクピット目掛け、GNハンドガンを連射する。
濃緑の粒子に貫かれたGN-Xは赤い粒子を撒き散らしながら爆砕し、ネーナは虚空に
散らばる擬似GN粒子を隠れ蓑に残りに二機へ肉薄した。
メインモニターにコクピットが拡大表示され、獰猛な笑みを浮かべたネーナは、GNビ
ームサーベルを引き抜こうと機体を操作すると、ガクンと重い衝撃が機体を襲い、ドライ
が唐突その場で動きを停止させる。
トレミーに接続された船外活動用の動力供給ケーブルは、全長12キロにも及ぶが、無
重力戦闘時のMSの航行速度は音速を容易く突破する。
超高速起動で縦横無尽に移動するMSには12キロなど軒先から一歩を踏み出した程度
の感覚に過ぎず、敵の目の前で動きを止めたドライは挺の良い的だった。
「ハロ!外部電源パージ!」
『Yes,sir』
拾い食いでもしたのか、それとも、純正GN粒子の影響でソフトウェアがバクったのか。
ネーナの呼び声に突然調子の変わったHAROの瞳が怪しく光ると、腰部に直結された
電源ケーブルが爆砕ボルトと共に弾け跳び、メインモニターに粒子残量を表示したタイム
メーターが起動する。
『Activity limit, 1734 sec. Get cold feet,My Mater?BA-RO!(活動限界まで1
734秒。怖気づいたかバーロ!)』
「Yes. But I can not lose, I do! Absolutely!(そうね、でも、負けてられないのよ、
私は!)」
目の前の二機を相手にして、トレミーに戻り有線の再接続。
不慮の敵に編隊を乱され、浮ついた相手には三十分もあればお釣りが来る。
戒めから解き放たれたドライは、背筋を屈め、豹のようにGN-X達に襲い掛かる
「スラスターが動けなくても!」
スラスター機動の全盛の時代にAMBAC(ACTIVE MASS BALANCE A
UTO CONTROL)機動を使えるパイロットは少ない。
「Eカーボン製三層積層構造の装甲と」
機体の一部を高速で動かし、発生した反作用で機体を制御するAMBAC機動は、粒子を
無駄使い出来ないドライには打って付けの駆動手段だ。
「私の腕があれば!」
その上、スラスター光が発生し難い為に、粒子の動きから挙動を察知される心配もない。
「これくらいは出来るのよ、HAROフィールド展開、範囲は極小。照準をずらせればそれ
でいいわ」
『Yes,sir!』
ドライの装甲板が開き、中から濃緑のGN粒子が機体を覆うように展開される。
ステルス性に優れたドライのGNフィールドは、ヴァーチェのように対物防御特性こそ持
っていないが、既存のレーダーシステムを完全に無効化する事が出来る。
フィールドを展開する際に擬似と純正粒子でどのような違いがでるのか、全くの未知数だ
ったが、基本構造が変わらないのであれば、それに準じた効果が得られるはずだ。
パイロットにあるまじき丼勘定だったが、機動戦闘が出来ない以上、使える物を使う事が
戦場で生き残る秘訣だとネーナは直感で理解していた。
ネーナがドライの機体を反転させるのに約一秒、思考にコンマ五秒。
ドライは、まるで、人が乗り移ったような滑らかで無駄の無い動きでGNハンドガンを構
え、振り向き様に左側のGN-Xに照準し発砲する。
濃緑の粒子束が虚空に煌き、GN-Xの着弾すると、Eカーボン製の装甲がGN粒子の発
生させる熱量により融解し、背中の擬似太陽炉を貫通する。
一瞬で塵も残さず消滅した国連軍のパイロットの命を送る篝火のように、破裂した擬似太
陽炉から伸びた赤い粒子が血化粧のように黒い地平にぱっと散った。
『馬鹿、前に出すぎなのよ!』
放射状に広がるGNの粒子の輝きにネーナは一瞬目を奪われ、スメラギの怒声ではっと我
に帰った。
慌てて正面を見据えると高速で接近するGN-Xが瞳に映りこみ、ネーナは、HAROの
警告を無視し、半ば反射的に、フットペダルと操縦桿を操る
「この!」
怒声交じりにドライを動かし、急制動とAMBACを繰り返す。
接近するGN-Xにすれ違い様に引き抜いたGNビームサーベルで左腕を両断し、AMB
AC機動で機体を制御し反転、再度振り向き様に照準を付けずGNハンドガンを速射で三発
お見舞いする。
濃緑の粒子束が、GN-Xのスタスターと右足太腿部を削り、X型のテールバインダーを
破壊し、スラスターを破壊されたGN-Xは岩塊目掛けノロノロと退避行動を取り始める。
ネーナは、トドメの一撃を与えるべく、銃口をGN-Xに向けた瞬間それは起こった。
『よぉ…お前ら…か、こんな世界で…俺…やだぜ』
『嘘だ、ハ…ヤ…ルヤ!』
電撃のように脳裏に過ぎった今際の声。
悲しみに満ちた、ぽっかりと空いた空虚な穴に吹き荒む風が ネーナの心に吹き荒みネー
ナはここが一瞬戦場である事を忘れた。
荒涼と続く真空の闇の中で蠢く胸を締め付けるような圧迫感と誰の物か知らぬ毒々しい思
惟がネーナの中に溶け込み、心の柔らかい部分をまたも犯されて行く。
自己と他者が混ざり合う、精神がざわめく感触は、自分自身の自我が海に漂う藻屑のよう
に脆い存在のように感じて、ネーナは顔を無意識に顰めた。
「誰かが死んだの…」
間違いない。
全身が泡立ち、舌の上がピリピリする感触は、ヨハンとミハエルが死んだ時に良く似てい
る。
なぜそんな事を感じたのか、ネーナ本人にも理解出来なかったが、この広大な戦場の何処
かで今まさに命が散った。
「しつこい!」
爆発で腕とスラスターを損傷し、破れかぶれになったパイロット程御しやすい存在は無い。
ネーナはGN-Xの無防備なコクピット目掛け引鉄を引くべく、GNハンドガンをまるで
道端の虫を踏み潰すように無造作に向けた。
引鉄の軽さが命の軽さに直結するように、ドライは無造作に引鉄を引く、ひいたはずだっ
た。
「嘘…」
情けや慈悲では無い。
ネーナは殺意を持ってGN-Xに銃口を向けたし、やはり、どす黒い憎しみを持って引鉄
を引いた、つもりだった。
だが、現実はドライの鉄の指は、引鉄を引いておらず、間際を通り過ぎるGN-Xを無防
備で見送っていた。
迷いと戸惑いは致命的な遅れを生み、ネーナの後ろで赤い光が瞬き光芒となって散る。
次いで無音の衝撃がドライを襲い、暗い宇宙を大きな光の渦が照らした。
「なんで…うっ」
反射的に口を覆うが、バイザーに遮られ、手が口に届く事は無い。
喉奥から競り上がってくる内容物が胃液共々メットに内に充満しすえた匂いに、ネーナは
もう一度えづいた。
メットの中の撒き散らされた吐瀉物を、エアクリーナーで除去し、メットを投げ捨てる。
気密が不完全と言いながらも、コクピット内には新鮮な空気が溢れ、限られた資材で時間
内に最低限の生命維持レベルをクリアするイアンの技術には敬意すら抱く。
ほんの数時間前に食べた携帯食のすえた匂いで鼻が曲がりそうだったが、敵を目前にして
引鉄を引けなかったのが事の方が衝撃だった。
確かに殺したと確信も覚悟もあった。
だが、殺せなかった。
最終防衛線であるネーナが抜かれ、無防備なトレミーのメインブリッジがGN-Xの砲撃
で消し飛んだ。
回線から聞こえてくる悲痛な叫び声がネーナの耳朶を打つ。
強襲用コンテナの砲門が手負いのGN-Xを破壊し、赤い粒子が満天の星空に舞い、その
中で、誰かが、また---死んだ。
「おぇえ、うぁえええ」
胸を襲う不快感にネーナは、吐き気を我慢する事が出来ず、コクピット内にも関わらず嘔
吐を繰り返す。
胃液で喉が焼ける痛みよりも心が痛い。
手が緊張で震え、足が恐怖ですくみ上る。
背中から這い上がってくる寒気に振るえ、反射的に両肩を抱くが、心底より湧き上がる震
えを止める事は出来なかった。
(なによ、なによ、これ)
ネーナは、自分の体に起きた変化に戸惑い、何より恐怖していた。
引鉄を引き、命を奪う行為は、ゲームのボタンを押すよりも簡単だ。
目標をセンターに入れてトリガーを引く。
たった、これだけの事で敵は死に、そして、ネーナは生き残ってきた。
少なくともネーナの中の常識はこれまで引鉄を引いた結果、ショックで体が竦む事など無
かった。
『ネ…ナ…さ…聞こ…ますか』
耳元でフェルトが大声で叫んでいるが、ネーナには届かない。
フェルトの声が遠い異国の見知らぬ言葉に聞こえ、心が言葉を認識しない。
巨大なうねりに飲み込まれるように、ネーナの心は萎縮し、感じた事の無い感情の波に半
ば放心状態にあった。
「…行かなきゃ」
『行くって何処に』
「分かんないよ。でも、行かなきゃ駄目なのよ…きっと」
虹色の光が脳内でフラッシュバックし、去り際の刹那の表情が胸に焼きついた。
色々な感情が混ざり合い、もう何色も写せないまま、世の無常と後悔を噛み締めた表情は
素直に言葉を綴る感情を持たないだけで、彼は自分にナニカ大切な事を伝えようとしたので
は無かったのだろうか。
「そう…行かなきゃ…駄目」
口調は放課後の気だるげな女子学生のように軽いが、瞳に宿った炎は気高く熱い。
強姦のように心に植えつけられた悲しみと人を撃った衝撃は何を表しているのか。
刹那が、人に伝え聞かせるほど器用でないのなら、首根っこをふん縛ってでも聞きだして
やる。
何も言わせず、こちらの感情などお構いなく言いたい事だけ言って、はいさよならなど、
何処の誰さんが許してもネーナが許しはしないだろう。
こちらの心の弱い部分を覗き見られたのだが、少しでも文句を言おうものならば、キスと
拳骨で黙らせる。
一言一句漏らさず、刹那・F・セイエイの全てを語って聞かせ、全てを手に入れさせて貰
わねば、天秤が全く持って吊り合わないのだから。
「私はスパルタなの、甘やかすとかキャラじゃないのよね」
『ネーナさん、待って!何を言って』
まるで、二日酔いの体のように気だるげな表情で、ネーナは無言のままフットペダルを踏
み込んだ。
ドライが背後から濃緑の粒子を散らせ、ネーナの意志に逆らうことなく、ゆっくりと足を
進める。
フェルトは、ネーナが危険な状態にあると瞬時に理解したが、止める術を持たない彼女は、
ネーナを黙って見送る術しか持たなかった。
フェルトが己の無力を噛み締める中で、ネーナは濃緑の粒子を纏うドライを走らせる。
もう彼女を止める"人間"は誰もおらず、いつの間にか戦場は、驚く程の静けさを取り戻し
ていた。