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[21592] 機動戦士ガンダムOO-Fresh verdure【再構成】
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/09/20 21:41
ちょいと投稿させて貰います。
それなりの再構成で多分ネーナもヒロインです。
作中は敢えて設定を変更している部分もあります。
そこを含めて再構成を楽しんで頂ければ幸いです。

2010/9/20
現在忙殺中です。
あしからず。



[21592] 第一話『変革の序曲』
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/08/31 00:38
「私達はガン…ダム…マイ」
「にーに!」


通信から聞こえてくるヨハンの声は、自信と強さに満ち溢れた声とは違
い、弱々しく絶望に彩られていた。
 カリと金属が擦れ合う音と"何か"が焼きつく、一瞬の残響の後、 赤い
粒子を撒き散らし、爆発炎上するスローネ・アインを見て、ネーナ・トリ
ニティは絶叫を上げていた。
 スローネ・アインの漆黒の装甲が、機体内に内蔵された擬似GNドライ
ブの莫大なエネルギーで赤熱化し、膨れ上がる溶岩のように内部から溶け
爛れ、夕暮れの空に流れ星のように散っていく。
 赤く燃え盛った破片が、海面に轟音を上げて落下し、熱と衝撃で水蒸気
を濛々と漂わせた。


「はっっは!!ご機嫌じゃねぇか!」


 スローネ・ツヴァイの機体から聞こえてくる声色は、ネーナの良く知る
兄のミハエル・トリニティの声では無い。
 他人を打ち倒す事に喜悦を覚え、闘争を好む喜び叫びに満ちた声に、ネ
ーナの下腹部が冷たく凍えた。
 騙まし討ち同然でミハエルを殺害し愛機を奪った憎い仇が、ミハエルの
機体でヨハンを残虐なまでに蹂躙している。
 砕け散ったスローネ・アインの機体片を道端の石を蹴飛ばすような感覚
で、サーシェスの放つ粒子砲が無慈悲に撃ち砕いていく。
 生体認証がクラックされたとは言え、スローネ同士のリンクは未だ健在
なのか通信から漏れるサーシェルの狂笑はネーナの耳朶を打ち続けた。
 スローネの砕け散った破片がヨハンの肉に、大気に舞い散る赤いGN粒
子が血に見え、ネーナはドライのコクピットの中で唇を噛み締め、サーシ
ェスに対する怒りで手が鬱血するほど握り締め、憎悪を込めて奪われ、本
来の目的を見失ったツヴァイを睨みつける。


「このおおお!」


 怒りとも悲しみとも似つかない雑な感情がネーナの心を支配し、支援A
IであるHAROが止めるのも聞かず、ネーナはスローネのフットペダル
を踏みこむ。
 擬似太陽炉が生み出す爆発的な加速がネーナの体を包み込み、後ろ向き
のまま隙だらけのサーシェスに、ドライの左腕に装着されたGNハンドガ
ンの砲身が照準され、ネーナはトリガーに指をかけた。
 コクピット正面のレティクルがロックオンを告げてもサーシェスに動く
気配は無い。
 スローネ・ドライのハンドガンにチャージされた擬似GN粒子が砲身を
赤く染め、ネーナは「殺った」と必殺を確信した瞬間、


「遅いんだよ、お嬢ちゃん!」


 突如振り向いたスローネ・ツヴァイの腰部に装着された誘導兵器GNフ
ァングが弧を描き、視覚、意識の外からネーナを襲った。
 赤い粒子砲がスローネ・ドライのメインスラスターに命中し、機体背部
から黒炎が立ち昇る。
 全身を揺さぶる激しい衝撃がネーナを襲い、撹拌された内蔵から競り上
がって来た胃液が喉を焼いた。


「やられたの」


 メインスラスターを破損し揚力を失ったドライが大地へと錐揉み上に落
下する中、ネーナはフットペダルを巧みに操り、空中でドライの態勢を整
える。
 しかし、ツヴァイのファングがドライに与えた損傷は大きく、太陽炉外
装上部の駆動機関に亀裂が生じ、ドライの粒子変換効率が急速に低下し、
粒子残量が見る見る内に減っていく。
 やがて、機体を支える最低限度のGN粒子を無くなり、スローネ・ドラ
イはネーナの手から完全に離れ、重力に逆らう事なく大地に向け"飛翔"し
た。
 ネーナの操縦技術が水準以上の技量だとしても、機能停止寸前の機体を
支えるのは不可能に近い。
 推進剤を失ったドライは轟音を立て孤島のジャングルに墜落した。
 巻き上がる土砂がドライの濃紅の装甲を汚し、激突の衝撃でひび割れ装
甲が、ネーナの砕けたプライドのよう無数の網目模様を走らせた。
 コクピット内には機体大破を告げる警報が鳴り響き、ネーナは罅割れた
メットを投げ捨て帯空するツヴァイに目を向ける。
 ツヴァイの橙色の装甲が夕日に煌き、あの"優しかった"赤いツインアイ
が、視る者全てを破壊せしめる獰猛な殺意をネーナに向けていた。


「ちくしょう…」


 墜落の衝撃で額を切ったのか生温い感触が頬を伝い、唇に鉄の味が染み
渡る。
 強打した背中は、息を吸うだけ激痛が走り操縦桿を握る手が震えた。
 HAROが何かをしきりに叫んでいるが、遠い遠雷のように判然とせず
、鈍った頭は思考をすり減らし、聞こえてくる仇の声すら異国の言葉に聞
こえ、ネーナは薄ぼんやりと昨日の夕食を思い出していた。


(にーに…私…)


 ぼやけた視線の奥に、ツヴァイが銃口を定めている。
 缶詰の豆と携帯食料はネーナの口に合わず、兄たちに何度も我侭を漏ら
した。
 苦笑いしながら、自分達の携帯食料を分けてくれる兄にネーナは気分を
良くし微笑みを浮かべた。
 獰猛な笑みを浮かべるスローネ・ツヴァイに二人の面影を見たネーナは
、兄が何故自分を狙うのか自分自身に問うが終ぞ答えは見つからなかった。
 ただ、自分が何か悪い事をしたから、兄が怒っているのだと、幼子のよ
うな思考がネーナを支配し放さない。


(ちょっと疲れたかな…まぁいっか、明日になれば全部元通り)


 自らに起こった現実を理解出来ず、忘却の彼方へ沈もうとしたネーナの
心を揺り起こしたのは、皮肉にも兄達の声では無かった。
 荒削りな怒りと迷いを秘めた耳を劈く猛々しい声、そして、大気を揺る
がす剣戟の残響だった。


「…貴様は…歪…い…!」


 オープン回線から聞こえてくるのは、自らの苛立ちを直接叩き付けるよ
うな苛烈で鮮烈な響きだ。
 声の主はまだ若く、感情を制御する術を持たぬ若者のように聞こえる。
 しかし、ネーナは映像を繋がなくとも、声だけで彼が誰であるのか理解
出来た。
 刹那・F・セイエイ。
 一度は命を助けたのにも関わらず自分達の命を狙った恩知らずの一味で
ガンダム・エクシアのパイロットだ。
 正統なるガンダムマイスターを名乗る癖にやっている事は、消極的な平
和思想と散発的な武力介入のみ。
 戦争根絶が、イオリア・シュヘンベルグの意志だか何だが、ネーナ個人
には全く関係の無い事だったが、彼らが不甲斐ないから、ネーナ達セカン
ドチームにお鉢が回ってきたとヨハンは教えてくれた。
 蒼穹を彷彿させる装甲と大振りの両刃の剣を携えたガンダム・エクシア
が同じく巨大な剣を構えたツヴァイに空を蹴って向っていく。
 擦り切れることを知らぬ生乾きの感情をサーシェスに叩き付けるエクシ
アの打ち込みは激烈の一言に尽きる。
 しかし、刹那とサーシェスの操縦技術には元々大きな差があったのか、
機体性能が同一となった現在では、刹那はサーシェスに遅れを取っていた。
 大空を縦横無尽に駆け巡るツヴァイにエクシアの反応が徐々に遅れ始め
る。
 エクシアの青い装甲がツヴァイのGNバスターソードで削り取られ、動
きが鈍くなり始める。
 平和を唄おうとも、武力によって敵を打ち倒すガンダム・マイスターに
正義は無い。
 有るのは、どちらが強いのか弱いのかを決める純然たる力のせめぎ合い
だけだ。
 その結果、勝った方が選択権を得る。
 世の中は複雑に見えて、実の底と単純な思想と思考で構築されている。
 力を振るう事に躊躇いを覚えた者から脱落して行く世の中で、理由を付
けて犠牲を最小限に止めようとするソレスタルビーイングの思想は、ネー
ナ理解する事が出来なかった。
 所詮死ぬか生きるかが世の中ならば、自分は生きる側に回りたい。
 勝者が世の中を決めるならば、尚更の事そう思う。


(同じ穴の狢の癖に・・・出しゃばるから)



 ネーナの目から見ても刹那の劣勢は明らかだ。
 もう後幾許も無い内に刹那はヨハン達と同じ運命を辿るだろう。
 家族の喪失を信じられない反面、マイスターとしても資質がネーナにヨ
ハン達の死亡を冷徹に告げていた。
 死を認めてしまえば、兄達の一戦闘単位でしか無いあっけない死に様に、
ネーナは、不思議と何の感慨も抱くことが出来ない自分に僅かながらも戸
惑いも覚えた。


(計画に縛られてたのは私も同じか)


 だが、兄達の死に冷めた視線を送る反面、サーシェスへの強い憎しみが
胸に根付いたのは彼女にとって幸運だったのだろう。
 ネーナは、作られた存在、デザインベイビーである自分に人間的な感情
がある事に自虐的な笑みを漏らしながら、暁の空で戦うエクシアに目を向
けた。
 自慢の大刀も根元からポキリと折れ、Eカーボン製の装甲も視るも無残
に傷ついている。
 方やツヴァイの方は型の装甲板に若干の傷があるものの、ほぼ完動の状
態に近い。
 満身創痍のエクシアとは雲泥の差だ。
 エクシアにアドバンテージがあるとすれば、無限とも言える活動時間だ
が、傷つき戦う力失くしたMSに活動時間が何の役に立つのか。
 勝敗は既に決した。
 計画の妥当性を考えるならば、戦闘に勝利するのを目的とするのでは無
く、速やかに戦場を離脱するべきだろう。
 しかし、刹那は戦闘を続行し、獣のような獰猛な叫びを上げ、サーシェ
スに挑み続けている。


(何をそんなにムキになってんだか…) 


 ネーナも刹那が自分達セカンドチームを助けに来たとは微塵も思ってい
ない。
 逆に刹那達が自分達を倒しに来たと考えた方が妥当だ。
 しかし、刹那が割って入らなければ、ネーナは確実に死んでいたのもま
た事実であり、間接的とは言え刹那はネーナの為に傷つき戦い続けている。
 そんな側面も少なからず存在する。
 刹那が傷つき続ける間は、ネーナは世界に存在する事を許され、あまり
長く無い人生を振り返る事が出来た。
 一瞬の油断が命を突き破る戦場で、死ぬ前に家族の事を思い返せたのは
幸運だっただろう。
 ここで死ぬ運命だったとすれば尚の事だ。


(礼は…言わないからね)


 刹那の絶叫と共に、エクシアの装甲がスローネのように真紅に染まり、
ネーナの視界から消失した瞬間、ネーナの意識は冷たい闇へと滑り落ちて
行った。





「で、刹那…お前、このお嬢さんをどうしたいんだ」
「分からない」


「どうする」では無く「どうしたいのだ」と聞いたのは、ラッセ・アイオ
ンの精一杯の優しさだった。
 髪を短く刈り込んだ髪型に鍛え上げられた肉体は、屈強な海兵隊員を彷
彿させるが、彼の本職はあくまでパイロット、ソレスタル・ビーイングガ
ンダム運用艦"プトレマイオス"の砲撃手を務めと同時に予備のガンダムマ
イスターでもある。
 正統たるガンダム・マイスターが任務続行不可能をヴェーダに告げられ
た場合、予備役である彼らがガンダムに搭乗する事を義務付けられている
が、ヴェーダとのリンクが途絶しイオリア・シュヘンベルグの計画に狂い
が生じた今、戦術予報士であるスメラギ・李・ノリエガから、ガンダムマ
イスター達の情緒に気を配るようにラッセは申しつけられていた。
 ガンダムマイスター達は、皆卓越したMS操縦技能と身体能力を秘めて
いるが、まだ若く、メンタル面で不安が残る。
 最年長であるデュナメスのガンダムマイスター"ロックオン・ストラトス
"ですら二十代前半を迎えたばかりの血気盛んな若者なのだ。
 ラッセも似たような年齢だったが、一線を控える身であるからこそ、冷
静に見えてくるモノもまた存在する。
 マイスター達が過酷な計画の中で心折れた場合、若い刹那達に代わって
自分が戦わなければならないと、ラッセは心静かに誓っていた。


(なんだってんだろな)


 言葉が聞こえているのか、ラッセは目を伏せ、子供のように何か考え事
に興じる刹那・F・セイエイに向けて大きな溜息を付いた。
 刹那は、感情を表現する事が苦手な少年だったが、感情の起伏が極端な
だけで、口籠ると言う事は滅多に無い。
 敵であるネーナ・トリニティをコンテナまで、犬猫のように拾ってきた
のは、大らかが信条のラッセも参ったが、口籠り唐突に「すまない」と言
う刹那にはもっと参った。


「まぁ、なんだっていいけどよ。我らが戦術予報士様からトレミーに戻れ
って指示が出てるんだ。宇宙に上がった国連軍の動きも気になる。こんな
状況であまり悩んでいる時間は無いぞ、刹那」
「…分かっている」


 刹那自身、ネーナの扱いを決めかねているのか、落ち着きなさげに周囲
を忙しなく見回している。
 一度戦場に出ると鬼神のような活躍を見せる刹那だが、こう言う態度は
年齢相応の少年らしく、時折見せる幼い態度を含め、ラッセは刹那を気に
入っていた。


「分かってると思うが、そいつは"悪戯"に民間人を殺した人間だ。情や情
けで助けて簡単に改心する相手じゃねえぞ」
「…分かっている」


 ガンダム専用強襲用コンテナ内の治療ポットには、敵であるはずのネー
ナ・トリニティが静かに眠っていた。
 薄緑の再生液の中で死んだように眠るネーナは、まるで、茨の森の中で
王子を待つ姫のように可憐だが、その正体は刹那と同じガンダムマイスタ
ー。
 イオリアの計画を遂行する為に生まれたガンダムと言う絶大な力を持つ
戦う為の存在人の皮を被った獣だ。
 いかに戦争根絶を謳ったとしても、一般人から見れば彼らのやっている
事は人殺しでしか無い。
 刹那もその事実を否定するつもりも無かったが、だからと言って簡単に
肯定し、開き直るつもりも無かった。
 ガンダムマイスター達は、己の罪と罰を背負って戦っている。
 刹那も一度は怒りと使命感に駆られネーナ達に戦いを挑んだ。
 怒りと憎しみで戦えば、戦争に拍車がかかり、後に待つのは完全な無だ
と知りながら、胸中に渦巻いた感情の昂ぶりと圧倒的な全能感に飲み込ま
れ剣を振るった。
 戦場、闘争の場で勝敗を別けるのは常に怒りと憎しみだ。
 より強い憎悪を相手にぶつけ、骨と肉を食らった方が勝利者となる。 
 戦争を憎み、戦争を仕掛けるモノを憎み、世界を歪ませる存在を憎み、
ガンダムによって駆逐する。
 全ての憎しみはガンダムに集約され、憎しみは浄化され、そして、世界
は清浄な姿を取り戻す。
 そう信じて戦って来たにも関わらず、最近刹那の真っ白な心に僅かな染
みのような濁りが現れた。
 真っ白な平原に浮かんだ、真っ黒な染みは、形を変え、意義を変え、不
変であった刹那の信念を歪ませ、呪いのように汚染し始めている。
 憎しみだけで戦っていいのか。
 ガンダムと言う偶像に頼っても世界は変わらないのでは無いのか。
 空を覆い尽くす新緑のオーロラが、大地に降り注ぎ、焼け付いた頬に優
しく絡みつく戦場で刹那は、あの時、あの瞬間、機動兵器であるガンダム
の存在に確かに神の残滓を見出した。
 迫り来る鋼鉄の巨人を濃緑の粒子が貫き、捲くれ上がった爆炎が仲間の
遺体の骨と肉を真っ白に浄化させた光景は今でも刹那の目蓋の裏に焼きつ
いて離れない。
 神の名の元に親を殺し、稚拙な願望に縋った結果刹那は家族も友も当た
り前の平穏も失った。
 神の名の元に人を殺し、争い続け世界を歪ませた罪から開放された友人
達を見て、刹那は、心の底から安堵したのを覚えている。
 刹那にとって、ネーナ・トリニティは間違いなく悪であり世界の歪みの
一部だ。
 しかし、歪んだ存在だからと言ってあの場所でネーナを放置すればどう
なるのか。
 子供でも理解出来る設問だ。
 大破したスローネでは、人里まで飛ぶことは不可能に等しく、考えられ
る選択肢は、絶海の無人島で一人孤独な死を迎えるか、よしんば、救助さ
れたとしても全世界のお尋ね者であるソレスタルビーイングの一員が、ま
ともな待遇を受けるとは考えにくい。
 懐柔か服従か屈服か。
 どちらにしてもネーナの未来は愉快な事にはならないだろう
 もし、ゲリラや犯罪組織に保護されても、彼女に待つのは想像するのも
胸糞悪い末路だった
 スローネ・ドライやソレスタルビーイングの機密保持の問題もある。
 しかし、幾ら取り繕った所で、刹那がネーナを見捨てれなかったのは事
実であり、刹那自身もあの時どうすれば良かったのか、最善手を見つけら
れず考えあぐねていた。


「…俺は…ガンダムだ」


 結局刹那は、困った時の御決まりの台詞を呟き、胸中に蠢く迷いを強引
に押し込めた。



[21592] 第二話「キスを頂戴」
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/08/31 23:13
 スローネチーム壊滅より五日後。
 ソレスタルビーイングガンダム運用艦"プトレマイオス"
 通称"トレミー"メインブリッジ。


「全く理解し難い…あのスローネのマイスターを"保護"してトレミーに連れ帰るなど。
刹那・F・セイエイ。君は本当にどうかしている」


 普段は静かなトレミーのブリッジで、腕を組み壁際にもたれかかったティエリア・
アーデが殺気さえ含んだ視線を刹那に向け、苛立たしげに怒声を放った。


「すまない…」


 ティエリアの叱責にも刹那は甘んじて受けるつもりなのか、視線を伏せ素直に謝罪
の言葉を述べた。
 ティエリアは、刹那の殊勝な態度に鼻白みはしなかったものの、出鼻を挫かれたの
か、怒りを堪えるように眼鏡を光らせ鼻息を荒くする。
 常に冷静沈着で思慮深いイメージを携えているティエリアだが、その身に秘めてい
る激情は他のガンダムマイスターにひけを取らない。
 深層の令嬢とはいかなくとも、学校の図書室で静かに読書に勤しむと言った様子が
ぴったりと当てはまるティエリアだが、一度感情の枷が外れてしまえば、激情に任せ
言葉も選ばずに激昂してしまう癖がある。
 ヴェーダとのリンクが途絶し、一時は自己のアイデンティティを失いかけたティエ
リアだが、仲間達の強力を得て、現在は苛烈な決意を胸に戦っている。
 そんな矢先に敵の一人を理由も言えず、犬猫のように拾ってこれば、ティエリアで
無くとも憤りの一つや二つ抱えるだろう、


「だが、擬似太陽炉の件もある。ネーナ・トリニティをあのまま放置しておけば、俺
達の情報が外部に漏洩する恐れがある。捨てて置けなかった」
「…屁理屈だ」


 刹那の言葉に、やはり納得がいかないのか、ティエリアは、憮然とした態度のまま
隣に控えた長身の青年、ロックオン・ストラトスに無言のまま同意を求めた。


「まっ、確かにな。ペットを拾って来るとは訳が違うしな」


 何も不機嫌なのは、しかめっ面のまま刹那を睨むティエリアだけでは無い。
 大声こそ張り上げていないが、アレルヤ・ハプティズムも物言いたげな表情で刹那
を静かに見つめている。
 ブリッジクルーである操舵手のリヒテンダールは、我が身に火の粉が降りかからぬ
よう、肩を潜め、静かに聞き耳を立てる事に没頭していたが、陽気な彼はブリッジに
充満する"張り詰めた"空気がお気に召さないようだ。
 今後の方針を決める大事は話をしているのは分かっているが、ジョークの一つでも
飛ばして淀んだ空気を吹き飛ばした気分にかられる。
 刹那達は、この針の筵のような刺々しい雰囲気をどうして我慢出来るのか、リヒテ
ンダールには理解出来ず、顔を引きつらせながら、漆黒の宇宙に目を向け現実逃避に
余念が無かった。
 そして、隠すまでも無く、ロックオンもティエリアに勝るとも劣らず不機嫌だった。
 ロックオンは、刹那を睨みこそしないものの、何度か溜息と髪を苛立たしげにかき
あげ、憂鬱気な表情のまま刹那から視線を逸らしている。
 ロックオンも刹那の言い分の全てが間違っているとは思えない。
 彼らは快楽殺人者ではなく、戦争根絶の為に無数の命を奪ってきたが悪戯に命を散
らした事は決して無かった、と信じていた。
 しかし、チームトリニティは武力による戦争根絶を目指すソレスタルビーイングの
一員で有りながら、民間人が集まるパーティ会場を襲撃し何人もの犠牲者を生んだ。
 ロックオンは、そんな人間を自分達の本拠地に招き入れた刹那の正気を最初こそ疑
ったが、自分達も「同じ穴の狢か」と諦めに似た溜息を漏らした。
 チームトリニティと自分達は別の存在だと、自己陶酔のように思い込むが、力を失
い丸裸同然の少女をその場に残して、姿を消すのもまた人道に反する行為だ。
 命を賭けて世界と戦っているからこそ、ロックオン自身が偽善だと理解していても
譲ってはいけない最低限の人としての良心は持ち合わせていたかった。


「で、刹那。どうすんだよ、あのお嬢様を」
「…分からない」
「分からないってお前な…あぁもぅ!」


 刹那にどう反応仕返せば良いのか分からず判断を一旦保留したロックオンは、爆発
寸前のティエリアを羽交い絞めして押さえつけ、ティエリアの口を塞ぎ、罵声と怒声
の感謝祭を間一髪で遮ったアレルヤに内心拍手を送った。


「…刹那。ネーナ・トリニティはどう?」


 一触即発の危険な空気が漂うブリッジで、指揮官席に座り、今迄沈黙を守り続けて
いたスメラギ・李・ノリエガが今日初めて口を開いた。


「肉体的な健康状態に問題は無い。今はフェルト達が面倒を見ている」
「おいおい大丈夫なのかよ」


 ネーナ・トリニティがマイスターであるならば、生身でもそれ相応の戦闘能力を秘
めているはずだ。
 内勤組のフェルトとクリスティナでは、もしもの時に対応出来ないばかりか、彼女
達の身に危険が及ぶ恐れがある。


「心配は無い。ラッセを護衛に付けた。何かあればすぐに警報が鳴る」
「そう言う問題じゃないんだよ、刹那。俺が言ってるのは」
「ネーナ・トリニティは曲りなりにも"家族"を失っている。暫くは強引な手段に出な
い、はずだ」


 声を荒立てる意見するロックオンの胸を刹那の重い感情が抉った。
 鉛のように重苦しい重圧は"家族"と言う単語の勢いを得て、ロックオンの深く柔ら
かい心に無遠慮に突き刺さる。


「刹那、お前!何言って…クソ!」


 我知らずと何かに突き動かされるように声を張り上げていたロックオンは、苦々し
い表情のまま刹那から視線を切った。


「悪党に家族愛かよ…やるせねぇよ」


 両親をテロで失ったからこそ、ロックオンは刹那の言い分を認める事が出来なかっ
た。
 自分達の家族を殺した同族が、自分と同じ悲しみを抱いている。
 ロックオンは、たったそれだけの本当に当たり前の感情が許容出来ず、ネーナ・ト
リニティの存在を肯定出来ずに居る自分自信がが酷く滑稽でちっぽけな存在感じてし
まう。
 そして、そんなネーナを肯定出来ない人物が、ロックオンの他にも居た。 


「そう、分かったわ。それでスローネは?」
「イアンが修理中だ」


 坐して語らず、黙して語らずのスタンスを貫きスメラギだったが、本当はトレミー
クルーの誰よりも刹那の行動に憤っていた。
 荒い雑感を覆い隠すようにスメラギは、手元の端末を操作し、刹那が"拾ってきた"
スローネのデータを検証し始める。
 戦術予報士に必要な素養は、戦術シミュレーションの戦績でもなければ、無数のデ
ータを解析し有効活用する処理能力でも無い。
 事実"だけ"を認め、最適な戦術を最速で取捨選択する、氷のように冷たく鉄のよう
に硬い精神だ。
 "敵"に感情移入してしまえば、事実は客観性を失い、戦局は主観と偶然が支配する
神の手に委ねられてしまう。
 自己の感情を極限まで封印し、不確定要素が渦巻く戦場のノイズを事実のみよって
殲滅する。
 それが戦術予報士の仕事であり役目だ。
 そんな職業を生業としている彼女だからこそ、スメラギは刹那に「精神的には?」
と敢えて聞かなかった。
 聞いてしまえば、スメラギの心の中でネーナの悲しみを肯定し、彼女の悲しみを知
る"人"である事を認めてしまうかも知れない。
 スメラギの胸には、未だ埋める事の出来ない光量子の一欠けらも届かない巨大な暗
黒の空洞が穿たれている。
 笑いながら人を無慈悲に殺す彼女が人を"失う悲しみ"を知っている。
 大切な人を失う耐え難い喪失感は筆舌に尽くし難く、もう二度味わいたくない。
 誰にも味合わせたく無いが故にスメラギはCBの誘いを受けたのだ。
 ネーナの存在を肯定する。
 世界の歪みを肯定する事は、彼女の信念と覚悟を根こそぎ奪って行きかねない危険
な存在だった。


「装甲の破損が酷いがプラン通り浮き砲台として使うならば、問題はないと言ってい
る」


 メインモニターが格納庫へと切り替わり、MS用の固定台に収容されたスローネに
整備用ハロが無数に群がり溶接の光を上げている。
 スローネもCB製MSの技術系統の流れを組むのか、装甲の組成成分はガンダムに
使用されているEカーボンに酷似している。
 ガンダムの予備資材を使えば、応急修理程度ならば十分に可能だった。


「概ねこちらの想定通りか…使えそうね」
「スメラギさん、まさか」


 スメラギの言葉にアレルヤがギョッとして目を見開く。アレルヤの耳が正常ならば
、スメラギはドライを実戦投入すると言っているのだ。
 敵の鹵獲兵器を使う事は戦場では良くある事だ。
 だが、アレルヤ達はソレスタルビーイングだ。
 ガンダムによる戦争根絶を目指す彼らにとって御印以外のMS使用は禁忌に反する
行為だ。


「国連軍が擬似とは言え太陽炉搭載型MSを投入して来た以上…こちらも戦力の増強
を図る必要があるわ」
「でも、あれは!」
「アレルヤ…貴方も見たでしょ国連軍の新型…GN-Xを」
「それは…」


 スメラギの強い意志にアレルヤは語尾を濁した。
 特徴的なX型のテールバインダーと四つの赤いカメラアイ。
 赤いGN粒子を身に纏った国連軍の新型MSは、従来のMSとは一線を画す性能を
秘め、CBのガンダムに勝るとも劣らぬ性能を持っている。
 それに加え各国のエース級のMS乗り達が完璧な統制の元に戦闘を仕掛けてくるの
だ。
 多勢に無勢に加え、皮肉にもガンダムの存在によって一つになり始めた世界に対し
て、マイスター達の迷いは計り知れない。
 性能差や実力差と言った字面以上に深刻な彼我戦力差が現在のCBと国連軍との間
には大きな壁として聳え立っている。


「力が…足りないのよ。私達には」


 スメラギの苛立ちと断腸の思いを込めた言葉にアレルヤは唇を噛み締め押し黙る。


「イアン、修理状況は?」
『おお、いきなりだな』


 メインモニターには、CBが誇る総合整備士のイアン・ヴァスティが大写しになる。
 整備用ハロと共に工具と端末を広げ、スローネのコクピットに座り込んだイアンは、
電装系の調整に余念が無いようだ。


『時間が無い。作業しながらで失礼するぞ』
「問題無いわ」
『助かる。同じガンダムタイプと言えど、スローネとガンダムじゃ基本が違うからな
整備にはちょいと時間がかかるだろうな』
「どのくらいで出来るかしら」
『どのみち部品が圧倒的に不足してる。トレミーの資材じゃ完全稼働には程遠いが、
スメラギさんのプラン通り、浮き砲台として使うのなら、あと二、三時間時間程度で
終るなこりゃ。でも、ここの設備じゃガンダムの生体認、バイオメトリクスまでは突
破出来ん。浮き砲台って言っても、腕部の信号を一時的にジャックする極めて強引な
手段だ。どんな不具合が出るのか予想も出来ん。背負うリスクは高いぞこりゃ』
「急増仕上げだもの。贅沢は言えないわ。スローネは使えればいいわ。それで肝心の
動力源の確保はどうなってるかしら?」
『トレミーには擬似太陽炉を運用出来る設備が無いからな。スローネには試作品のG
Nコンデンサを使う。稼動限界も有線でトレミーの動力炉と連結すれば飛躍的に伸び
るはずだ』
「いいわ、引き続き作業を続けて頂戴」
『了解だ。吉報を待っててくれ』


 イアンからの通信が途絶えると同時に、スメラギは戸惑いすら孕んだ重苦しい吐息
を吐き出した。


「でも、スメラギさん。パイロットは誰が」


 何かを振り切るようにイアンに向け、盲目的に報告を促すスメラギにアレルヤは違
和感を覚えた。
 普段の冷静なスメラギでは無い。
 止めなければと考える一方で、GN-Xの性能を目の当たりにしたアレルヤにはス
メラギのプランを否定する具体的な解決案が考え付かない。
 国連軍、しいては世界中から包囲網を引かれつつあるCBに手段を選んでいる暇は
無いのだろう。
 アレルヤは段々と小さくなる語尾の中で、脳内に設けられた空白の脳量子言語野か
ら「無様だな」とハレルヤの声が聞こえたような気がした。


「俺が出来ればいいんだけどな」


 エアロックが開く音と共に野太い声がブリッジに響き渡る。


「俺はGNアームズの操縦役が待ってる。まぁ普通はこいつらに頼むしかないだろう
な」


 ラッセの肩から赤色のハロが滑り落ち「マカセロ、マカセロ」と根拠など欠片も見
つからない自信満々の合成音で軽快に話し出す。
 赤ハロの後ろから「ズルイゾ、ズルイゾ」と色取り取りのハロ達が溢れ、あまりに
騒がしい様子にうんざりとしたラッセが、赤ハロを除いたハロ達を静かにブリッジ外
に蹴りだした。


「ネーナ・トリニティ」


 ラッセとハロ達の"アタタカイ"交流を他所に、ブリッジに入ってきたネーナに刹那
は目を丸くした。
 ラッセの後ろに控えたクリスティナが何とも言えない表情でマイスターの面々を見
回す中、フェルトだけが、スメラギの前に飛び出たネーナを静かに見つめていた。


「責任者に合わせなきゃ…舌噛み切るって聞かなくてな」
「アンタが…ここの責任者かしら」


 ネーナにとって敵地のど真ん中だと言うのに、高圧的とも取れる態度を崩さない彼
女にラッセは心底嘆息し、そんなラッセをネーナは一睨みして黙らせる。
 スローネチームの制服である特徴的な白いインナーウェアに身を包んだネーナは、
低重力空間を軽やかに移動し、スメラギの前に蝶のように静かに降り立った。
 身体的な外傷は認められないが、ネーナの両腕には無骨な手錠がかけられ、首は暴
徒鎮圧用の探触子が当てられている様子は痛々しい。
 第三者から見れば、可憐な少女に理不尽な仕打ちをしかけるスメラギ達こそが悪人
に見えるだろう。


「個人的には趣味じゃねぇんだけどな。規則だ」
「誰も責めてやしないわよ」
「ネーナ・トリニティ」
「改めてお礼を言わせて貰うわ、刹那・F・セイエイ」
 
 決まりが悪そうに顔を背けるラッセにネーナは呆れたように呟き、刹那ににこやか
に微笑む。
 ネーナも花も恥じらう満面の笑顔に刹那は無意識に一歩後ろに下がってしまう。
 治療ポットから出ても誰とも目を合わせずにまともに口も聞かなかったネーナが、
可憐な微笑みを浮かべればたじろぎもするだろう。
 刹那は天使のようなネーナの笑顔に、何処か薄ら寒い物を覚え顔を顰めた。


「俺はお前に礼を言われるような事はしていない」
「助けてくれたじゃない」
「偶然だ」
「優~しい。でも、あんたの言う偶然のお陰で私は生き延びたの」
 
 ネーナは微笑みを絶やす事無く、手錠で繋がれたままの手で刹那に握手を求める。
 無条件で差し伸べられた手に、刹那は戸惑い、差し出された手を微動だにしないま
ま見つめる。
 この手を取る事は、どう言った意味があるのか。
 考えれば考える程、頭の中で無数の答えが生まれては消えていく。
 彼女が自分に何を望んでいるのか理解出来ず、答えを保留した刹那はやや憮然とし
た様子のまま、渋々とネーナの手を取った。
 ネーナは、自分の言う事を"素直"に聞いた刹那に気を良くしたのか、もう一度だけ
微笑を返す。
 しかし、スメラギに振り返った時には、笑顔は消え去り、鋭い眼つきと凄惨とも言
える笑みを浮かべていた。


「国連軍の中にアリー・アル・サーシェスの姿があるんですってね。ミハ兄のツヴ
ァイも」


 サーシェスとツヴァイの単語の各々が表情を強張らせるなか、ネーナだけが泰然と
した態度を崩さず、逃げる事は許さないとばかりにスメラギに詰め寄る。
 国連軍にスローネ・ツヴァイが合流した情報は、暗号通信では情報漏洩の恐れがあ
るからと、宇宙に上がる寸前にエージェントから刹那に直接口頭で伝えられた完全な
極秘情報のはずだ。 
 ブリッジクルーは当然知っているだろうが、"保護"されたネーナが知るわけも無い。
 少なくとも刹那はネーナに喋っていない。
 刹那の予想が正しければ、口を滑らせたのは恐らくクリスティナの方だろう。
 やはり、刹那の予感通り、クリスティナはラッセの後ろに身を隠し、「ごめん」と
平謝りを繰り返している。


「単刀直入に言うわ。私にガンダムを一機頂戴。そこで惚けてる腑抜けのマイスター
達よりも、もっと巧くガンダムを操縦してあげるわ」
「貴様!私達を何処まで愚弄すれば気がすむ!」
「黙ってろティエリア。話が進まない」


 今度こそ完全に堪忍袋の尾が切れた、むしろ爆砕し粉々に砕け散ったのだろう。
 白く曇った眼鏡から怒りの波動が撒き散らされ、華奢な割りに強い膂力にロックオ
ンとアレルヤは、ティエリアを必死で押さえ込む。


「スローネがお前達のバイオメトリクスに反応するように、俺達のガンダムは俺達に
しか動かせない」
「そんな事知ってるわ。でも寄越しなさい。理屈じゃないのよ」
「無茶を言う。例え出来たとしても、俺達は自分のガンダムを渡すつもりは無い」


 刹那の言葉にマイスター達が無言で頷く。
 誰しもが引くに引けない目的を持っている。
 戦争根絶の裏に隠れた個人の自我<エゴ>が、マイスター達に戦う力を与え、今日
まで生き残らせてきたのだ。
 彼らの目的の為にはガンダムは必要不可欠な要素であり、寄越せと言われて「はい、
そうですね」と素直に言う事を聞くマイスターはこの場に居ない。


「そう言うと思ったわ」


 ありきたりな対応には興味は無いのか、刹那から目を背け、ネーナは嘲るような視
線をスメラギに向けた。


「だから、私に直談判しに来たってわけ」
「ご明察。話が早くて助かるわ」
「最近の娘は礼儀を知らないわね。こう言うときは菓子折り持ってご機嫌伺いから入
るのがセオリーよ」
「私ピッチピチのナウでヤングだから、礼儀分かんないの。ごめんねオバサン。言葉
使いもこれで良い?」
「お、おばさ、ん」


 年齢層を揶揄したような言葉使いよりも、おばさんとストレートに指摘された事の
方が腹に据えかねたのだろう。
 スメラギの冷静な表情が崩れ去り、罅割れた心の殻の隙間から激情家の顔が鎌首を
もたげ始める。
 両者の間に紫電が飛び交い、狭いブリッジには重苦しくも派手な火花が舞い散った。
 帯電する大気は、触れれば黒コゲになりかねない危険性を帯びており、女と女の譲
れないプライド同士のぶつかり合いには流石のティエリアも顔を引きつらせ後ずさら
せた。


「刹那。あなたトンでもない"お荷物"拾ってきたわね」
「す、すまない。善処する」


 スメラギが刹那をジロリと睨みつけると、背中に寒気が走り、居心地の悪さからか
刹那はロックオンに無言で助けを求めた。
 こんな状況を作った刹那をロックオンが簡単に助けてくれるわけも無く「諦めろ」
と目線のみで促し、刹那はガクリと肩を落とした。


「お荷物かどうか、実力も見ずに決めるの?」
「次から次へと減らず口を。貴女はなんでそんなにガンダムに拘るの。貴女はスロー
ネのパイロットじゃないの」
「勝てないからよ。私のドライじゃツヴァイに勝てない。ううん、正確に言えば、ア
リー・アル・サーシェスの駆るスローネ・ツヴァイには逆立ちしたって勝てない」


 ドライではアリー・アル・サーシェスに勝てない。
 ネーナの淡々と告げる言葉にはなんの感情も乗せられておらず、また浮かんでもこ
ない。
 淡々と事実だけを見つめた割り切り過ぎた思考は、戦術予報士の視点から見てもい
っそ潔いとさえ感じる。
 勝てないから次策を練り策の為に奔走する。
 一度疑い出すとネーナの挑発的な態度ですら、こちらから情報を引き出す為の方便
に聞こえてくるから不思議だ。
 最も高圧的な性格はネーナの"地"であり、スメラギの買い被りに過ぎなかったのだ
が。


「ガンダムならそれが出来るって言うの?貴女も良く知ってるだろうけど、スローネ
とガンダムの基本性能は殆ど変わらないわよ。攻撃性と特殊性ならスローネの方が秀
でてるくらい、ガンダムに貴女の言う優位性があるとは思えないけど」
「あるわ…あの赤い鎧なら…、アリー・アル・サーシェスに勝てる」
「赤い鎧…トランザムシステムの方なわけね」


 機体に蓄えられた高濃度圧縮粒子を全面開放する事により、一時的にスペックの三
倍相当の出力を得る、純粋太陽炉搭載型の最大の切り札。
 太陽炉がオーバーロードした濃緑色のGN粒子は、緑から赤く変質し、粒子励起状
態にあるGN粒子は通常の物と比べ密度も濃度も段違いに濃く強い。
 赤い鎧とは言い得て妙だが、遠目から見ればガンダムが赤い高濃度粒子を纏ったガ
ンダムは、確かに鎧を纏っているようにも見える。


「名前まで知らないわ。でも、ボロ負けしてた刹那が、赤い鎧を纏ったらツヴァイを
圧倒してた。あんな機能はスローネにはないもの。赤い鎧は純粋太陽炉にのみ与えら
れたイオリア・シュヘンベルグの置き土産ってとこかしら。あれなら。あの力ならあ
いつに勝てるわ」
「だから、ガンダムが欲しいと…力の為に」
「そうよ。私は力が欲しいの。誰にも負けない。誰にも屈しない絶対的な力が欲しい
の。もう奪われない為に…」


 手錠で繋がれた両手が怒りで青白く鬱血する。
 確かにトランザムシステムがあれば、刹那達を何度も窮地に追い込んだサーシェス
と互角以上の戦いが出来るだろう。
 しかし、トランザムシステムは爆発的な性能を得られる反面、システムが活動限界
を迎えると粒子を再圧縮するまで、機体の運動性が極端に低下する。
 一対一の決闘ならば、スメラギも使うのを止めない。
 しかし、サーシェス一人倒した所で後ろに控える二十機以上のGN-Xに嬲り殺し
にされるのがオチだ。
 スローネ。ドライは戦闘支援、索敵や情報解析に優れた機体だ。
 そのメインマイスターならば、戦局を読む事に優れた、言わばスメラギと同質の存
在のはず。
 不確定で断片的な情報とは言え、半ば捨て鉢にも見える戦術プランを選択するのは
理解に苦しむ。
 仇さえ討てれば、後はどうでも良い。
 長い間戦場に浸かり、いつしか人の死を一戦闘単位でしか悲しめなくなったスメラ
ギには、例え認められない存在であろうとも、生の感情を剥きだしで悲しむネーナを
羨ましく思う面もある。
 しかし、無理と無茶が違うように、戦場では己を律する事が出来ない人間から堕ち
て行く。
 激情に駆られたネーナでは、トランザムを用いようとサーシェスには勝てないだろ
う。
 そんな人間にガンダムを託す事は出来ないし、太陽炉の中で眠る"コア<彼ら>"が
彼女をきっと認めない。


「貴女…アリー・アル・サーシェスに会ってどうするの」
「殺すわ…」


 殺すの一言で、これまで形を持たず判然としなかったネーナ気配が、薄ら寒い感触
と共に形を持って立ち昇る。
 ネーナの背後に姿を現す暗く重苦しい畏怖は、粘性を持った思惟となり、刹那の骨
身を犯し、今迄感じた事の無い恐怖を刹那は目を見張った。
 殺意や憤怒では表現しきれない慟哭。
 冷たい雨の中で一人佇んでいる冷気を含んだ絶対の孤独。
 包んでくれる人も頭に手を当てて撫でててくれる人も居ない。
 待ち人は現れず、空から降り注ぐ雨に体温を奪われ、永遠とも言える時間をたった
一人で過ごす苦痛が刹那の中に流れ込んでくる。
 悲しんでいる。 
 脳裏に電流のような煌きが走り、脳髄と背骨を迸るネーナの思惟の光が、雑な感情
と共に刹那の感情に宿り、刹那の右眼がほんの一瞬だけ金色に輝いた。


「やめなさい…復讐に身を焦がしてもろくな事になんかならないわ。過ぎたる炎は身
を焼くだけよ」
「身を焼かなきゃ勝てない相手もいるわ」
「それでも、やめなさい」
「あんたに何が分かるのよ!」
「…分かるわよ」


 スメラギの万感の想い込めた呟きも、ネーナには皮肉に聞こえるのだろう。
 労わるつもりで放った言葉も、相手に受け容れる余裕が無ければ、勘に障る発言で
しかない。
 ネーナの目がカッと見開かれ、理性の檻から抜け出た本能が、ネーナの心を開放し
激情が堰を切って暴れ出た。


「嘘!分かるわけ無いわよ。大事な人を失った事も無い癖に!にーにー達は私の全部
だった。私の全てだった。にーにー達が居れば他に何も入らなかったのに、なのに、
あいつは、アリーアル・サーシェスは、笑いながらにーにー達を殺した。私はあの男
を、絶対、絶対に絶対許せない!見つけ出して必ず殺してやるんだから!」
「愛した人を失ったのは、貴女だけじゃないの!子供みたいに癇癪起こさないで頂戴」
「あんたのちっぽけな愛と私の愛を同じにしないで!」
「ちっぽけですって」


 ネーナのちっぽけと言う言葉がスメラギの心と記憶を犯し、スメラギの頭の中で何
かが音を立てて切れた。
 確かに互いに稚拙な愛だったとは思う。 
 愛、夢、希望、人生の全てがエミリオとスメラギの間には存在した。
 勇敢で荘厳で適度にドラマチックで、舞台が戦場で無ければ、極々有り触れた恋愛
をスメラギとエミリオはしていたのだろう。
 人を救いたいと大層な目標を掲げる反面、小高い丘の上には白い一戸建てに子供は
二人と犬一匹。
 たまには優しい旦那様と豪華なレストランで食事をして、待ち草臥れて眠り込んだ
子供たちの寝顔を旦那の肩からそっと覗き視る。
 血で汚れた手にも関わらず、スメラギはそんな少女顔負けの淡い幻想に心踊らせた
時期もあった。
 きっと、自分は刹那達の十分の一の使命感も持ち合わせていないと、スメラギは常
々思っていた。
 彼女にとってエミリオ、想い人を愛した時間は、血と鋼鉄の巨人の咆哮に塗れた人
生の中でも宝石のように輝いている。
 彼女の中であの時間こそが一番輝いていた時であり、まさに青春と呼ぶに相応しい
時間だった。
 失った時間は、これから余りある人生の天秤の対としては軽すぎる。
 その輝かしい時を意も知れぬ他人から土足で踏みにじられあまつさえ罵倒された。
 冷静な面の皮を剥ぎ取ってしまえば、後に残るのは年並の女の情念だ。
 大津波よりも激しいうねりがスメラギの胸の中で渦巻き、火山の噴火にも等しい感
情のエネルギーが出口を求め、スメラギの小さな体を食い破ろうと蠢いている。
 いっそ爆発させた方が、体にも心にも良いだろうが、指揮官としてのプライドと年
下に対する温情が彼女にに最低限の体裁を取り繕わせた。


「キスもまともにした事無い娘が愛だなんて調子に乗らないで」


 取り繕わせたはずだが、彼女の口から飛び出たのは、実に大人気ない一言だった。
 激昂するスメラギの口から"キス"と言う浮世離れした言葉が紡がれると、スメラギ
の言葉の何処に反応したのか些か疑問だが、キスと言う単語にネーナの目が釣り上が
り刹那をギロリと睨みつけた。


「刹那・F・セイエイ…ちょっと顔貸しなさい」
「なんだ…」


 殺気を込めたネーナの視線に、刹那の鉄面皮が僅かに崩れ、パイロットスーツの下
に冷たい汗が流れる。
 ネーナの細められた瞳は、猫科の肉食獣を彷彿させ、捕食する物とされる物を隔て
る根源的な恐怖と用途不明の重圧が、刹那の感情を揺り動かし、刹那は我知らずに一
歩も二歩も後ずらさせた。


「いいから来なさい」
「断る…俺は」
「まどろっこしいのよ!」


 刹那はネーナが自分に何かを仕掛けて来る事は理解出来たが、その何かが分からず
戸惑いの表情を浮かべる。
 確かに殺気は感じられるが、殺気のベクトルが刹那が今迄感じ、慣れ親しんで来た
物とは違い過ぎて、鍛え上げられた体と危機感知能力が働かない。
 明確に言葉に出来ないが"ナニカ"が刹那の脳裏を横切り、一瞬の判断ミスが刹那の
行動を鈍らせた。
 殆ど猫のように一足飛びで刹那に跳びかかったネーナは、低重力状態でもしなやか
なに体をくねらせ、刹那の退路を塞ぐように器用に跳びかかる。
 刹那の眼前にぬっと影が伸び、ネーナの顔が至近に迫ったと思ったら、唇に柔らか
いナニカが重ねられた。
 ネーナが刹那の唇を奪った瞬間、ブリッジにの時間が静かに停止した。
 唇と唇を合わせるだけの稚拙なキスだが、一秒、二秒、三秒と時間が流れる中で、
時は緩やかに戻り始める。
 ネーナのキスの最中もロックオンのくせっ毛がより一層パーマがかかり、ティエリ
アの白く曇った眼鏡がパキリと音を立て罅割れた。
 アレルヤの顔の半分がハレルヤと化し、リヒテンダールの間抜け面にクリスティナ
が携帯で写メを撮影し、ラッセが何故かハロの目を隠し、フェルトの頬が熟れた林檎
のように真っ赤に染まる。
 たっぷり三十秒の間、刹那の"唇"を蹂躙したネーナは、スメラギに見せ付けるよう
に刹那から唇を離した。
 唇と唇から唾液の糸が引き、照明に反射しヌラヌラと妙に厭らしく光る。
 ネーナのキスを最後まで振り解くこと無く受けきった刹那の羞恥心には賞賛しかな
い。
 しかし、ネーナの口撃に粒子残量が残り少なくなったのか、刹那は運動機能を完全
に停止させていた。
 刹那の反応は、初めて出会った時「触れるな」と憤ったあの頃とは雲泥の差だ。
 冷たい戦闘機械のイメージしか無かった彼を何がここまで彼の事を変えたのか、ネ
ーナは、ほんの少しだけ興味を覚えたが、やがて胸の中で燃え広がるサーシェスへの
悪意に塗りつぶされて行った。


「これでもあたしがガキだって言うの、スメラギ・李・ノリエガ」
「そう言うのがガキだっていうのよ」


 勝ち誇った表情のネーナを無視し、スメラギは虚空を見つめ苛立たしげに呟いた。



[21592] 第三話『片翼の鳥』
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/09/01 21:29
「刹那」
「フェルトか…何か用か」


 レクリエーションルームから見える景色に変わりは無い。
 荒涼した暗黒が眼前に広がり続け、一日、一ヶ月、一年にも等しい闇が巨大な顎
を広げ、刹那を飲み込もうと待ち構えている。
 広大なる宇宙、無限の開拓地は、近年になり漸く宇宙に進出したばかりの人類に
は過酷過ぎる環境で刹那達は戦いに身を投じている。


「大丈夫かなって」
「危害を加えられたわけじゃない。既にネーナ・トリニティからは一次的粘膜接触
は受けている。事実の事象は微分し積分すれば、指数関数状に昇華されいずれ消え
去る。何の問題も無い」
「ごめんなさい刹那。どうリアクションすればいいのか…私分からない」
「俺は…ガンダムだ」
 やはり、色々な意味でショックを受けているのか、普段の鉄面皮が剥がれ、普段
のクールさが嘘のように乱れ動揺している。
 真空の宇宙に向って何かブツブツと呟く姿は、可愛いと言うより不気味過ぎて、
少々どころか絶対的に近寄りがたい。
 しかし、フェルトは刹那の奇行に顔を引きつらせると同時に妙な親近感も覚えて
いた。
 依然までの刹那ならば、例えキ、では無くネーナとの第二次粘膜接触は「俺に触
れるな!」の一言で幕を下ろしたはずだ。
 どんな心境の変化か知らないが、機械のように能動的だった刹那が僅かながらで
も人間味を見せ始めている。
 口下手でアガリ症、おまけに年齢による手心を除いても、人付き合いが下手なフ
ェルトでは刹那の事を言えないが、彼の変化はフェルトにとっても意外であり、ま
た好ましい変化だった。



「ネーナさんが気に入ったの?」
「意味が分からない。何故俺がネーナ・トリニティを気に入る」
「キス、黙って受けてたから」
「事故だ…」
 刹那は、フェルトから受け取ったオレンジジュースを一気に飲み干すと、機嫌が
悪いのか、苛立たしげな様子でテーブルに叩き付けるように置く。
 刹那の憮然、いや、むっちりとした様子から照れ隠しのようにも見えるが、本
人は、きっと不本意極まりないのだろう。


「変わったね刹那」
「俺は俺だ。それ以下でもそれ以上でもない」
「私もそう思う。でも、きっと貴方は変わったと思う。ロックオンもそう言ってた」
「ロックオンが…そうか」


 自分自身良く分からなくとも、他人から見て変わったと言うなら、刹那は変わっ
たのだろう。
 頭の中にロックオン・ストラトスのシニカルな笑みが浮かんで消える。
 刹那は「ロックオンが言うのならそうなのだろう」と思い、外の宇宙へと目を向
ける。
 眼前に広がる暗黒の空間は先刻と変わらず無限の広がりを見せている。
 虚空に燦々と輝く星の瞬きは死んでいく人の命を彷彿させ、二十年にも満たない
刹那の人生から見ても、世の無常を彷彿させる。
 ここでこうして談笑している間にも人は死に続け、そして、生まれ続ける。
 人の死と生のサイクルは、破壊と再生によって保たれ、危ういバランスの上に成
り立っていると銃を取って初めて理解出来た。
 しかし、本来円滑に行われるはずの破壊と再生が、戦争や見えざる手によって歪
められている現実は、刹那に取って耐え難く、また看過出来る類の物でも無かった。
 人の死を破壊によって新生し再生する。
 自然界では滅多に起こらない歪んだサイクルの一部に自らも率先して手を染めて
いる事実に刹那は眉を潜め、ガンダムでは無く、無限に広がる宇宙に反射的に問質
していた。


(俺は正しいのか)


 分かりきっていた事だが、宇宙は何も語らず、何も答えてはくれない。
 ただ、目の前に広がる星の光が僅かに瞬いただけだ。
 今見えている星の光は、何万年もの前の過去からの来訪者だと言う。
 光は粒子で構成され、波動する事で視認することが可能となる。
 無重力で構成される真空の宇宙空間は、何千年経とうとも光の軌跡を途絶えさ
せる事は無い。
 何億光年離れた銀河から届く星の光は、刹那に何を伝えようとしているのか。
 刹那が何度問いただそうと、やはり、星の瞬きは何も答えてはくれない。
 星の生涯と比較しても、人は一瞬の内に瞬き消えてしまう儚い存在だ。
 だからこそ、生きている間に何を為し何を遂げるのかが重要になってくる。


「俺は何を成し遂げたいのか」
「えっ…」


 当然世界から戦争を失くす為に戦っている。
 その為の武力介入であり、その為のソレスタルビーイング、ガンダムが存在し
ているのだ。
 しかし、幾度と無く死地に身を置き、自身の心底に問い質したとしてもいつも
答えは決まっていた。
 武力によって戦争を失くす以外に一向に答えは見えてこない。
 何度己の無力さを嘆き、諦念の波にさらわれそうになったか分からない。
 いや、一寸先すら見えない濛々と立ち込める霧の中に居るように、本当の意味
で刹那が求める"答え"の片鱗すら見えてこようとしない現実に苛立ちすら抱いて
いる。


「俺は死なない」


 そう死ねない。
 テロや戦争が跋扈し無垢の命が理不尽に散ってしまう世界を刹那は認めてはお
けない。
 例え口に出して表現し切れない迷いがあろうとも、世界の歪みを根絶するまで
は、例え己の命が、吐いて捨てる程に安かろうと簡単に捨てる事は出来ない。
 死屍累々と続く犠牲の上に成り立ってしまった"命"であるからこそ、肉と心を
蝕む呪いのように刹那を突き動かしているのだ。


「強いね、刹那は」


 刹那の確固たる意志を称えた光を、フェルトは時折羨ましく感じていた。
 迷いを抱えながらも自分の思うように振舞える様子は、戦争根絶と言う同じ想
いを抱えながらも、後ろで控える事しか出来ない自分とは大違いだ。
 言葉数が少なくても良い。
 せめて、自分の思った事は素直に口に出したいと思うが、実行に移す事は限り
なく難しく、いつも肝心な所でしり込みしてしまうのだ。
 一瞬フェルトには、刹那の瞳が"金色"に輝いていた気がしたが、瞬きの間に元
の赤い瞳に戻っていた。
 見間違いだろうと、目を擦り、手元の端末に目を落とす。
 スメラギの予報に基づいた国連軍の進行開始時間に向けて刻々と時は刻まれて
いる。
 補給が早いか国連軍の進行が早いか。
 時は一刻を争い、若いフェルト達が十分に迷い考えるだけの時間は残り少ない。
 個人個人が出来る事をやれば運命は自ずと開かれる。
 使いまわされカビが生えてしまった先人達の言葉だが、フェルトは少し違う解
釈を持っていた。
 出来る事をするのでは無く、出来る事しか出来ない。
 最適手も最善手も、提示された選択肢の中から選び取る物であって、選び取る
だけでは、第三の選択、即ち"奇跡"を起こすにはほど遠い。
 膨大なデータから導き出される絶対的な数字は、奇跡は起こせないとフェルト
に如実に語りかけているようで、フェルトがその度に不機嫌になっていたのを誰
も知らない。
 しかし、自分のそんな陰鬱な思いも、マイスター達ならば、数字の呪縛を振り
ほどき運命を切り開いてくれる。
 素直に信じさせてくれる力強さが彼らにはあった。
 フェルト・グレイスと言う少女は、口数こそ少ないが元々感受性豊かで想像力
が旺盛な少女だ。
 クリスティナに年頃なお洒落のイロハを叩き込まれている最中も、仏頂面で興
味が無さそうに聞いているように見えるが、実はクリスティナのお喋りが早すぎ
て、フェルトの考えが追いつかないだけで、興味が無いわけでは無いのだ。
 だから、フェルトは、相手に合わせて話してくれる相手、つまり、ロックオン・
ストラトスや率先して自分の考えを話さない刹那とは波長が合う。
 ロックオンは、ゆっくりと自分のペースに合わせてくれるし、刹那は自分がペ
ースを合わせれば良いから会話する事が非常に楽だと感じていた。


「ねぇ刹那…」
「なんだ」
「手紙を…手紙を書かない」
「手紙?」


 フェルトの微笑に促されるように、刹那は無言で首肯していた。
 やはり、刹那と話すのは楽で良い。
 フェルトは目の前の少年に肉親、まるで、弟と話すような安らぎを覚えていた。



「一人は…嫌ね」
「オレガイル、オレガイル」
「あんたは論外よ」
「テヤンデェ、テヤンデェ」

 言うまでも無く、ネーナとスメラギとの交渉はあまりに呆気なく決裂していた。
 スメラギは、苛立たしげにネーナを一睨みすると、ラッセにネーナを部屋に戻す
よう暗に促し、ラッセの太い手がネーナの肩を掴むと、ネーナは交渉失敗を自覚し
た。
 精一杯の皮肉を込めて特大のあかんべえをお見舞いして、ブリッジを後にした。
 何がいけなかったのかと自己分析を始めるが、どう考えても全てが駄目だったの
だろう。
 苛立ち紛れに相手を挑発し、八つ当たりのように言葉を紡いだ。
 本当に兄達の仇を討ちたいのであれば、泥を啜ってでも、僅かな光明を探し当て
る努力をするべきだった。


「あたしさぁ、実は冷たい人間なんじゃないの」
「シラネェヨ」
「なによ、このポンコツ」


 蹴り飛ばしたHAROが、壁に何度も跳ね返り、コロコロとネーナの足元に戻っ
てくる。
 室温は常温に保たれているはずなのに、肌に纏わり付く空気は冷気のように氷の
ように冷たく痛い。
 死に至る病は孤独だと言う。
 いつもは両隣に必ずあった温もりが消え去って、どれほどの時間が流れただろう
か。
 ほんの数日のはずなのに、二人の兄が死んでから、もう何十年もの月日が経った
ように思える。
 人間は慣れる生き物らしいが、ネーナは違うと思った。
 肉親の喪失と言う耐え難い孤独に、人間は忘れることで対処しようとしている。
 悲しみに慣れるのでは無く、悲しかった事を"無かった"事にして自己防衛を図る
生物なのだと、大事な人を失って初めて実感した。


「嫌だな…一人は」


 誰かに聞かせるようにもう一度だけ繰り返す。
 ネーナの予想通り答えかしてくれる人はおらず「テヤンデェ」とHAROの拗ね
たような声を最後に、ネーナはいつしか眠り込んでしまった。



「起きろ、ネーナ・トリニティ」


 誰かが自分の肩を揺すっている。
 淑女の体を何の断りも無しに触る事はマナー違反で、いつものネーナならば、金的
目掛けて蹴りの一発でもお見舞いする所だったが、泥のようにへばり付く眠気の方が
勝っていたし、生憎と刹那の無作法を咎める人間はトレミーには居なかった。


「なによ、うっさいわねぇ」


 寝返りをうち、薄らぼやけた瞳に強張った顔の刹那が映る。
 肌にぴったりと張り付く白いインナーは通気性に優れているが、慣れないベッドと
劇的に変化した環境では寝汗の一つもかこうと言うものだ。
 元々あまり寝相が良い方ではないネーナは、狭いベットの上で何度も寝返りを打ち、
巻くれあがったインナーから、豊かな乳房が見え隠れしている。


「タダ見かしら。あんたにはまだ早いんじゃない」
「…何を言っている。さっさと起きろ」 


 刹那は怪訝そうな顔でネーナを見つめ、やがて、何かに思いついたように、ネーナ
から慌てて顔を背けそっぽを向いてしまった。


「初心ねぇ、ちゅーしてあげたじゃない」
「…黙ってこれを着ろ、時間がない」
「はいはい」
「来い」


 刹那の有無を言わせぬ様子に、ネーナは毒づくが、訓練された危機感知能力がトレ
ミー中に充満する只ならぬ空気を察知し、文句一つ言わず手渡されたノーマルスーツ
を着込んだ。
 誰の物か知らないが、胸のサイズがキツく着心地は最悪だったが、HAROを抱え
たネーナは、刹那の後に続いた。
 トレミーの中は厳戒態勢が引かれ、乗組員が慌しく動いていると思いきや、艦内は、
まるで、誰も乗って居ないかのように恐ろしく静かだ。
 CBの組織の都合上、人員は極限まで切り詰めなければならず、CBが運用する戦
艦は、半自動化、ワンマンオペレーションシステムプランが実験的に導入されている。
 MSの整備は勿論、格納庫からMS待機位置の移動まで、支援AIであるハロ達が
マイスター達の代わりに働いてくれる。
 おかげで刹那達、ガンダムマイスターは、出撃前の緊迫した時間であるにも関わら
ず、直前まで余裕を持って行動する事が出来ている。


「アリー・アル・サーシェスが来たの?」
「不明だ。だが国連軍の大部隊が接近しつつある。数で劣る俺達はスメラギ・李・ノ
リエガの戦術プランに従ってこちらから先制攻撃を仕掛ける」
「機先を征そうっての?そんな簡単な相手じゃないんじゃないの」


 MSの性能差が拮抗しているからこそ、重要になって来るのは頭数だ。
 判明している擬似太陽炉搭載機の総数は約二十四機。
 ガンダム一機に対して六機を相手にしなければならない。
 彼我戦力比は一対六。
 トランザムシステムの性能を加味してもCBには圧倒的に不利な状況であると言わ
ざるを得ない。


「だが、やるしかない」


 勿論、白旗を上げて降参すると言うプランもある。
 少しでも生きながらえる目的ならば、両手を上げて武装解除すれば、国連軍も非人
道的な手段に出る事は無いだろう。
 生き延びる"だけ"ならば、降伏を選択すべきだ。
 だが、顔こそ明るみに出ていないとは言え、CBの構成員は、世界の敵として国際
指名手配されている身だ。
 満足に裁判を受ける権利すら与えられず、不遇の判決が下り、その後は全く予想が
付かない。。
 乗るか反るか
 掛け率は、武力介入が開始された当初の何十倍も跳ね上がり、刹那達が生き残る為に
は、戦いに勝ち続けるしか道は無くなろうとしていた。


「入れ」


 ネーナが案内された部屋は、窓も椅子も無く、只の倉庫なのか未開封のコンテナが
所狭しと並んでいる。
 およそ居住性が確保されているとは考えず難く、ネーナは、溜息を付きながらコン
テナの隙間に体を滑り込ませ刹那に向き直った。


「行くのね」
「あぁ」


 刹那の味も素っ気も無い言いように、ネーナは忍び笑いを漏らし、両手を組んだま
ま刹那を睨み付けた。


「このまま、あんたを撃って、ガンダムを奪うって手もあるわよ」
「どこに武器がある」
「隠してるかも知れないじゃない」
「しつこいようだが、生体認証もある。俺以外の人間がエクシアを使うのは不可能だ。
お前が俺を殺してエクシアを奪っても動かせないだろう。そして、俺の仲間もお前を
撃つ」
「そんなこと分かってるわよ、私…バカじゃないの」
「理屈じゃ無い・・・そう言いたいのか」
「そうよ、理屈じゃないのよ」


 二人は互いに相手の瞳を見つめ微動だにせず佇んでいる。
 怒気すら孕んだ視線は互いを傷つけ、鏡写しのように向かいあった姿は一体何を揶
揄しているのだろうか。
 刹那は、ネーナと向き合っていると、己の幼い精神が暴かれ、弱い心が剥きだしに
されそうな恐怖感を抱いてしまう。


「…お前は歪んでいる」
「私から見れば、あんたも十分歪んでるわよ」


 強がりにも似た売り言葉に買い言葉とはこの事だろう。
 声を荒立たせこそしないものの、心底に渦巻くマグマのように熱い感情が渦巻き、
自制しようと心がけても、刹那は言葉を押し止める事が出来なかった。


「お前は世界を憎んでいるのか」
「にーにずを殺した世界なんていらないわ」


 一際強い憎しみを込めて言い放ったネーナに、刹那の幼い頃の記憶が弾けて消え
る。
 胸に誓った神だったモノへの絶対の信仰が、心を掻き乱し、思考を放棄し神の礎
となる事を夢見て戦った少年時代が記憶を抉る。
 立ち塞がる現実を神の敵にすり替え、心無いままに機械のように命を奪ってきた
原罪の日々を刹那は忘一度たりとも忘れた事は無かった。
 ふと、気が付けば、ネーナ・トリニティは、あの頃の刹那と同じ目をしているの
に気が付いた。
 信じたモノに裏切られ、降ってわいた理不尽を憎み、現実を別のナニカにすり変
える事で、自分達の罪から目を背けようとしている。
 それが欺瞞であると、無意識下で悟りながらも、詭弁とも逃避とも似つかぬ言い
訳で心を塗り固め自己防衛を図る。
 人は厳しい現実よりも優しい嘘の方を好むのだから、誰もネーナの行動を責める
事は出来ない。
 少なくとも逃げてばかりいた、刹那が彼女を責める事は絶対に出来なかった。


(お前は俺だ…ネーナ・トリニティ)


 認めなければならない。
 人の屍の上に立って来た罪深き人間として、目の前の少女ネーナ・トリニティと
刹那・F・セイエイは同種の人間であると。
 奪い、壊し、殺す。
 刹那の中に根付いた人としての根幹は破壊だ。
 いくら否定しようとも、破壊することでしか彼は物事を為しえず、破壊の為にし
か人生を歩くことが出来ない。
 そして、両親を殺し、戦いに身を投じた罪は---消えず、刹那を永遠に苦しめ
続けだろう。


「俺とお前は同じ物から出来ている」
「はぁ?」


 刹那の雰囲気が変わり、瞳の奥に潜んだ悲しみにネーナは気が付かない。


「俺には戦うことしか出来ない」
「奇遇ね。私も戦うのが一番得意なの。戦う事でしか自分を表現出来ないの。あんた
が私の事を歪んでいるって言うなら、ガンダムマイスターである、あんたも歪んでる。
それも、私"達"以上にね。自分の為じゃなくて、見も知らない誰かの為に人を殺せる
何てまともな神経じゃないわね」

 挑発だと分かっていても、刹那の心にネーナの言葉が突き刺さる。
 ネーナの言うとおりかも知れない。
 戦争根絶の為に無差別テロとも揶揄される武力介入を行った結果、刹那達に与えら
れた運命は滅びの道だ。
 人として戦い続けた結末が滅びならば、いっそ血も涙も無い修羅道に堕ちた方が気
が楽だっただろう。


「否定はしない。だが、戦って来たからこそ見えるモノもある。今の世界は悲しい程
に歪んでいる。世界は俺達を滅ぼす事で世界は一つに纏まろうとしているが、俺達の
戦いが世界に何を与え、何を変えようとしているのか。戦う事しか出来ない俺には分
からない。想像すら出来ない。
 だが、俺もお前も…世界の歪みの一部だ。
 殺す事で今日まで生きて来た歪みだ。歪みが世界を正そうとするから、真実が尚更
歪んでしまうのかも知れない。だが、歪んだ俺でも理解出来た事も一つだけある。
 俺"達"に出来る事は破壊する事だけだ。だが、破壊の先には再生が待っている。そ
う信じて戦って来た。そして、俺はこれからもきっとそうするだろう。ネーナ・トリ
ニティ。お前の歪みはいつか必ず俺が断ち切る。だから、それまでは…もう無駄に殺
すな」
「あんた、さっきから何言ってんのよ、意味分かんない」
「俺は…もう行く。戦闘中はここから出るな。非常時はイアンの指示に従え」
「ちょっと、待ちなさいよ」


 ネーナが止める間も無く、刹那は扉をロックしてしまう。
 分厚い扉に阻まれ、ネーナの手は刹那に届く事は無かった。


「何よ…それじゃまるで遺言じゃない」


 刹那の遠ざかる足音を聞きながら、座り込み、扉に上半身を預けたネーナは我知らず
自然と呟いていた。


 ガイドビーコンが点滅する中、格納庫から直結の輸送エレベーターの中から、刹那の
乗るエクシアが現れリニアカタパルトに拘束される。
 カタパルトの両脇のウエポンラックから、エクシア専用の武装がマニュピレーターに
より次々に搬出され各部に接続されていく。
 サーシェスとの戦いで傷ついたGNソードも復元され、刃先にはGN粒子を蓄え、中
和する性質を持つレアメタルの加工処理が施されている。
 先行したロックオン機に続き、アレルヤのキュリオス、ティエリアのヴァーチェが続
々と出撃して行く中で、刹那はエアクッションの効いた、シートに背を預け一人、物思
にふけっていた。


(やはり、ガンダムの中は落ち着く)


 無骨な機械の巨人は、幾多の危機を共に乗り越える内に刹那の血となり肉となり、最
早切り離す事の出来ない存在となった。
 羊水の中で眠る胎児だった頃の記憶がそうさせるのか、自分を包み込んでくれるガン
ダムに刹那は、無垢な安堵感を覚え、俯いたまま操縦桿を握り締めていた。
 先行したGNアームズ二番機を装備したデュナメスの目的が敵輸送艦の撃墜ならば、刹
那の目的はティエリア達が撃ち漏らした敵を掃除する事だ。
 出撃と同時にラッセの操るGNアームズ一番機と合体し、最大火力による一点突破を時
間をずらし国連軍に連続で畳み掛ける。
 数で劣るならば、先制攻撃でまず頭数を減らす。
 ファーストフェーズの成否こそが、これからの戦局を左右する大事な接点だ。
 失敗すれば、生き残る確率は格段に下がってしまうにも関わらず、迫り来る死の脅威と
は裏腹に刹那の心は早朝の泉のように静けさを保っていた。
 開き直りではなく、ただ、ガンダム(母)に守られているよう気がして、彼の心はいつ
にもまして穏やかだった。


『刹那、ネーナさんは?』


 そして、永遠に続くと思われた沈黙は、フェルトの戸惑い弱々しい声で唐突に終わりを
告げた。


「C26番倉庫に預けた」
『C26番…物資排出用のパージブロック?』
「戦闘時に"非"戦闘員を主要各所に入れる事は出来ない」
『うん…でも、きっと、そこがトレミーで一番安全だと思う。水と食料も備蓄されてるし
最悪切り離しちゃえば良いから』


 作戦開始を告げる刻限は、もう直ぐそこまで迫っている。
 こんな風に仲間と穏やかに会話する時間は、刹那には残されていない。


「フェルト…マリナに手紙は届くのか」
『大丈夫だと思う』


 刹那達の手書きの書面は、暗号通信でエージェント達に託された。
 この戦いで例え、彼らが滅びようとも、刹那の言葉が綴られた手紙だけは、マリナ・イ
スマイールに届くだろう。


「そうか…ならいい。フェルト、リニアカタパルトの制御権限をエクシアに」
『了解』


 刹那は安心しきった様子で、リニアカタパルトの制御をフェルトから受け取る。
 思えば彼女とはすれ違っていたばかりのように思える。
 互いに言いたい言葉は山程あるはずなのに、お互いの立場を気にして、満足に言葉を交
わす事すらなかった。
 一方的で実に卑怯な言い方だが、マリナに手紙が渡れば刹那の言葉"だけ"は彼女に届く。
 希望と言うには余りに儚く脆い存在だが、刹那の平和に対する思いだけは、彼女の胸に
残る、残ってくれれば良いと刹那は思う。
 フェルトから刹那に制御権限が譲渡され、ガコンとリニアカタパルトが重苦しい音を鳴
らし、エクシアが前傾姿勢を取った。
 後は、作戦開始と同時に刹那の呼吸で出撃するだけだ。


『ねぇ刹那…ネーナさんには手紙は書かないの』
「ネーナ・トリニティに…何故だ」
『そうだね、私、何聞いてるんだろう…忘れて』


 思いつめたようなフェルトの声に、刹那は何とも言えぬ気まずさを抱く。
 叱責されたわけでも無いのに、刹那は何故か居た堪れない気分になり声を濁した。 


「…ネーナ・トリニティには、言いたい事は全て言った。これ以上あるなら、この戦いが
終ってから言う事にする」


 フェルトが何を思って、自分にそう聞いて来たのか、刹那には伺い知る事は出来ない。
 戦いを通じて他者と触れ合う事で育ってきた自分の感情を否定はしない。
 今何を思い、何を感じ、何を為すのか。
 曖昧で判然としない思いが胸中で渦巻き、恐らく自分を心配して声をかけて来てくれた
でろう少女には、気の効いた言葉一つかけてやる事が出来ない。
 マイスター達の兄貴分であるロックオンならば、微笑み混じりに歯の浮くような台詞で
彼女を勇気付けるのだろうが、悲しいかな異性を慰める語彙を持たぬ刹那には、彼の真似
事など無理な話しだった。
 だが、全てはこの戦いが終ってからの事だと、刹那は割り切り、エクシアのシステムを
戦闘モードに切り替える。
 純正太陽炉から精製されたGN粒子が、エクシアの機体全域に行き渡り、関節から濃緑
の粒子が力強く溢れ出す。


『刹那…』
「なんだ」
『死んじゃ駄目。ロックオン達と皆と絶対一緒に帰ってきて』
「約束は出来ない。戦術プランにもあるように国連軍の戦力は」
『駄目、理屈じゃないの。約束して』


 刹那の言葉を遮り、有無を言わせぬ様子でピシャリと言い放つフェルトに、刹那は鼻白
み、無口な表情に皹が入るのを自覚した。
 女は強い。
 思えばマリナ・イスマイールもそうだった
 母のような暖かさを持っていたが、砂漠の過酷な環境に耐え、花を咲かせ種を飛ばす、
アフナダの花のような芯の強さを持っていた。
 珍しい青い六枚の花弁は、命を育む海を彷彿させ、花弁と対照的にその種子は炎のよう
に赤い。
 炎は命を焼き、奪う半面、巧く使えば命を守り育む事が出来る。
 アフナダの青い花弁は、慈愛に満ちた民族ドレス姿のマリナを思い起こさせ、赤い種子
は、マリナの揺ぎ無い意志を象徴するようだと、刹那は漠然と思った。


「…あぁ。約束する」


 刹那は、フェルトに人は一人で生きて行けないのだと暗に思い知らされたような気がし
て、両手を力強く握り締めた。
 傷つけ、傷つけられて、それが当たり前の世界を拒否して戦う。
 自己嫌悪と後悔を何千、何万回と繰り返し、しかし、人はその度に強く逞しく前に進ん
できたのではないだろうか。
 刹那には、そんな生き方が眩しく映る。
 そして、いつか自分にもそれが出来ると信じてこの戦いを乗り切ろうと、暗黒の宇宙
に睨み付けた。


「フェルト、後は任せる。エクシア、刹那・F・セイエイ、目標を駆逐…いや、目標を
"破壊"する」


 エクシアの太陽炉が濃緑の粒子を吐き出し、刹那は裂帛の気合と共に真空の宇宙へと
駆け出した。



[21592] 第四話「愛のままに我侭に僕は君だけを傷つけない 太陽が凍り付いても君だけは消えないで」
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/09/02 22:26
「数が多いぞ、ちくしょうめ」
「チクショウメ」


 ガンダムの追加兵装であるGNアームズ二番機は、対艦攻略用のGNミサイルポッド、
GNツインライフル、大型GNキャノン等の大型武装を備えたまさに強襲仕様と言うべき
MAだ。
 二番機は、格闘兵装こそ持たないが、制御コアとなるデュナメスの特性を最大限引き出
す為に砲戦に特化した性能は、内部に格納された兵装でも一撃でヴァージニア級を撃滅出
来る破壊力を秘めている。
 人型をベースにしたMSとの違い、巨大過ぎる威容の為か、ロックオンは、操作感覚に
デュナメスとは違う違和感を感じていた。
 機体の制御をハロに任せ砲撃に集中したいが、武装の特性故に敵を"狙い撃つ"事も出来
ず、無慈悲に火力で押しこむだけの圧倒する戦闘は彼の流儀に反していた。
 だが、ロックオンは、国連軍のGN-Xには無い、GNアームズ二番機の圧倒的な火力
で敵の第一次防衛ラインを易々と突破に成功していた。
 律儀に流儀に従っていれば、今頃は撃墜され、宇宙の藻屑と消えてはずだ。
 流儀に反したこそ、ロックオンは命を長らえ、生き残る希望に縋って戦う事が出来るの
は実に皮肉な話だった、
 大型MAは射程が長く、広域攻撃に適しているが、反面小回りがきかず、懐に入られれ
ば途端に不利になる。
 流石各国のトップガン達を収集しただけあって、GN-Xのパイロットの操縦技術は素
晴らしい。
 後方から指示を出す指揮官の出す指示一つ取っても的確で、こちらの裏を書くように厭
らしく侮れない動きを見せている。
 ロックオンの攻撃で一時は浮ついた編隊がオープンチャンネルから聞こえて来た叱咤激
励の声が響くとGN-X隊は瞬く間に態勢を整えていく。
 一人だけオープンチャンネルで「大佐さああ見てて下さいねえ!」と戦場に似つかわし
く無い暢気な声が流れたが、声の主だと思われるGN-Xの攻撃は大胆にして精緻な機動
モーションは、まるで、何千回も模擬戦闘を繰り返したように、基本に忠実で洗練された
動きだ。


(手強い…やり難れぇな、おい!)


 他のGN-X達も二番機の性能、特性をいち早く見抜き、巧みな連携プレーを仕掛けて
来る。
 距離を詰められ、手数で攻められれば、MAの特性が生かせるばかりか、巨大な体躯が
敵の大きな的になってしまっている。
 GNフィールドを展開し、致命的な損傷こそ受けていないが、ロックオンは、先刻から
防衛線に釘付けにされ、防戦一方の展開を強いられている。
 時間だけを闇雲に浪費し、ロックオンの心に焦りと不安の色が立ち込め始めていた。


「不味いぞこりゃ」


 戦術プラン通りならば、既に敵輸送艦を撃破しておかなければならないタイムスケジュ
ールだ。
 レンジ外からの長距離砲撃で五機中二機を沈めたまでは良かったが、三機は健在、それ
ばかりか護衛に残されたGN-Xの数が予測よりも遥かに多い。


「GN-Xの数が違う。増援かよ!」」


 敵MSの想定数は約二十機と踏んでいただけに、ロックオンは、続々と集結し始める増
援に苦悶の声を漏らした。
 三十機、いや、四十機以上もの大編隊を組んだGN-Xの数は、スメラギの戦術プラン
の崩壊を意味している。


「狙い撃てねえ!」


 赤い粒子砲の渦を掻い潜り、牽制射撃とばかりにGNキャノンを連続で発射するが、G
N-Xはフォーメーションを崩さす、的確に距離を詰め、無理に攻撃を加えず包囲網を構
築しようとしている。


「邪魔なんだよ!どけええ!」


 先の戦闘で失くした左目がジクジクと疼き、脳を駆け抜ける鋭い痛みで右眼までがぼや
け始める。
 視力を遮る白い闇が瞳を過る中で、疑似太陽炉から流れる赤い粒子が鮮血のように宇宙
を染め、ロックオンは焦りを隠すように咆哮を上げた。




 地響きのような音鳴りがしたと思うと、一際強い衝撃がネーナの居座るパージブロック
を襲った。
 電装系が火花を散らし、室内の電気が消え、一瞬だけ非常灯に切り替わると、また直ぐ
に電力が復活する。


「痛ったいわねぇ。もうちょっと静かに戦えないの!」


 フックで固定されたコンテナが激しく振動し、ネーナ自身も衝撃でそのまま天井に打ち
付けられてしまうかと思った。
 怪我こそ無かったが、ベルトやエアクッションで体を固定しているわけも無く、そこら
じゅうに体を打ちつけたネーナは、苛立たしげに立ち上がり、半ば八つ当たりのようにロ
ックされた扉を蹴りつけた。
 靴底の磁石がドアに当り重苦しい音が流れると「ピー」と言う間抜けな電子音が周囲に
響き電子ロック外れる。


「あっそっか、停電したんだっけ」


 一時的に電力が遮断された為に機能がリセットされる。
 戦闘中のスペースシップに良くあるトラブルだが、いざ目の前にすると、こうも都合良
く開くものかと呆れるよりも感心してしまう。


「…電気系の故障って本当に便利なんだか、そうじゃないのか」


 ネーナは、扉から顔を覗かせ辺りの様子を伺うが、人の気配は愚か、ハロの気配すら感
じる事が出来ない。
 戦闘に入ってから、どの程度時間が経ったのか知らないが、ネーナは静か過ぎる艦内を
不気味に感じていた。


「チャンスか」


 だが、人気が無いと言う事は、それだけ脱出には適していると言う事に他ならない。
 ネーナは身を屈め、三叉路手前の端末目掛け、低重力移動用のハンドグリップを使わず
角の端末まで一気に跳びぬける。 
 そのまま、端末にかじりつく様に着地し、もう一度辺りの様子を伺うが、やはり、人の
気配は感じられない。
 一息ついたネーナは「チャンス!」と一人呟き、HAROの口を強引に開かせ中に手を
ねじ込んだ。


「ギャクタイダ、ギャクタイダ」
「うっさい、さっさとケーブル端子寄越しなさい」


 艦内各所に設置された、検索用端末に降り立ったネーナは、文句を言うHAROを黙ら
せ喉奥から引き抜いたケーブル端子を端末に直結させる。
 バチリと火花が散るが、CBの共通コマンドを打ち込むと、幸運にも最低レベルの権限
で艦内データベースにアクセスする事が出来た。 
 だが、一度繋がってしまえばこちらの物。
 ハロの性能では引き出せるデータには限度があるが、艦のダメージコントロールを覗き
見るくらいならば、スローネの支援AIであるHAROには朝飯前だ。


「レンジ外からの極大粒子砲でメイン推進機関の第一粒子出力炉が大破…同炉への出力を
カットして第二出力炉に回して敵粒子砲を回避。フィールドを展開しつつ後退か。どんな
敵とやってるか知らないけど、全然駄目じゃない」


 彼我戦力差一対六と言うレベルではない。
 擬似太陽炉搭載型に加え、レンジ外からの粒子砲を撃つ謎の敵の出現。
 大してトレミー側の戦力は新型大型MA二機とガンダム二機。
 艦載機の強襲用コンテナがあるらしいが、パイロットがザルでは、国連軍との戦力差を
埋めきれるとはとても思えない。


「先制攻撃も失敗してる…このままじゃ死ぬわね」


 今はヴァーチェとキュリオスが必死で最終防衛ラインを構築しているようだが明らかに
多勢に無勢な状況だ。
 二機が撃破されるなり鹵獲されるなり、そう遠く無い時間に防衛線を抜かれ、非武装の
トレミーは撃破されるだろう。
 生き残る為に最も必要な事は何か。
 サーシェスを倒す為に必要な処理を構築し、優先度を決定し、不必要な案件はその度排
除して行く。
 導き出された選択は逃亡。
 二機ある強襲用コンテナかドライを使い戦闘空域を速やかに離脱。
 緊急避難プランに従い、現地エージェントに接触するのが最も簡単な手段だが、サーシ
ェスが襲撃して来た事を考えれば、ネーナの持つ伝手を頼る事は避けたほうが良い。
 宇宙に出てしまえば、戦闘のドサクサに紛れて逃げる事は容易いだろうが、あても無く
世界を彷徨えばいつか捕まってしまうだろう。
 しかし、逃げると決めたからには、今は足の確保が最重要事項だ。
 ネーナは、そうと決まれば話は早いとHAROを抱え「まずは足の確保だ」格納庫目指
して床を蹴ろうとした瞬間、突然"左目"が疼き目の前が真っ黒になる。
 真空の宇宙に裸一貫で放り出されたような寒気を感じると、目の前に永遠に広がる白く
広大な空間が広がった。


(なによ、これ)


 ネーナを中心に広がった白い闇は、無音の静寂と共に威圧感を伴い、物理的な衝撃とな
ってネーナの体を突き抜ける。
 肺と骨が圧迫され頭痛を覚えるが、嫌な気配を含んだ重圧は、風が吹きぬけるとその後
に残された物は、馬鹿みたいな静けさと心を直接掻き毟りたくなるような焦燥感だった
 闇の中にはネーナ以外おらず、生物の気配を感じる事が出来ない。
 人間の気配も営みも、全てを拒絶するかのように白く輝く空間は、地獄と称するのが正
しいのか、天国と推測するのが正しいのだろうか。
 どちらにしても、人間の住む空間ではないように思えた。
 ただ、天地の感覚すら曖昧な荒涼と続く白い闇を照らすように、濃緑の粒子がキラキラ
と輝き、ネーナに何かを伝えるように目の前で滞留している。


「GN粒子?」


 ネーナが粒子に手を触れると、粒子は形を変え、虹色の光彩を放ったナニカがネーナの
心に飛び込んでくる。
 熱く、冷たく、柔らかく、硬く、多種多様の感触がネーナの全身を揺らし、七色に輝く
虹の光が戦場に散らばる無数の思惟を運んでくるかのようだ。
 その殆どは小鳥がさえずりのように儚く、ネーナに耳に届きはしても、何を喋っている
のか聞き取れないほど脆い。
 無数の思惟は、淡い光を燈しネーナの体をすり抜け白い闇へと無音のまま消えていく。
 しかし、無数の思惟の中でも、一際大きな光を燈した四つの思惟がネーナの心を貫いた。


『いけない、このままじゃ』
『お前…一…にするじゃ…え』
『私は…私・・・は』
『…エク…ア、目…を駆逐する!』


「なによ、これ」


 ネーナを貫いた四つの内、緑、橙、紫色に輝く思惟は、ネーナの体を貫いただけに留まっ
たが、砂漠の空のように煌々と輝く青色の思惟がネーナの心に纏わり尽き、深い場所まで染
み込んで来る。
 ズルズルとネチネチと硬く閉ざされたネーナの外皮を強引に引き剥がし、鍛えようがない
一番脆い部分を土足で蹂躙される感触に、ネーナは経験こそないがまるで強姦のようだと毒
づいた。


「なんで、涙…私泣いてるの」 


 青い謎の光に散々心を蹂躙されたにも関わらず、ネーナの胸に去来したのは、辱められた
怒りでも無く、青い光に対する悲しみだった。
 青い光は、ネーナとの名残を惜しむように、ゆるゆると動き続け、やがて、白い天の彼方
へ昇りゆっくりと輝きを消していく。
 青い光が消えていくと同時に、生暖かい雫がネーナの頬を滴り、低重力の中で球形を作り
シャボン玉のように宙を舞う。
 頬を伝う涙は止め処なく溢れ、まるで、青い光が刹那そのモノのように感じ、そして彼が
すぐ傍で悲しんでいるような緻密な現実感を抱いた。
 刹那の息遣いが、骨と肉の軋みがネーナの耳朶を打つ中、名状し難い刹那の悲しみが胸を
苛み、ネーナはいつの間にか涙を流している。
 素直に泣けば心にも体にも優しいはずが、戦う事しか表現する事を知らぬ獣は、悲しみを
怒りに転化し更なる悲しみを紡ごうとしている。
 笑う事も知らず、悲しみを心に蓄え、強固過ぎた心の壁が、悲しみの一切を外に漏らさな
い。
 堆積した悲しみの欠片は、いつか刹那の心を壊し、彼を絶望の底にたたきと落とすだろう
が、今はまだ刹那の心は悲しみに耐え続けている。
 人と自分の悲しみが同一であると無意識に信じ込んでいるから、悲しみを悲しみと認識で
きない。
 心が磨耗し切った人間のなせる業なのか、悟りを開いた仙人の境地か、どちらにしても多
感な十代前半の少年が至れる境地ではなく、溢れる涙の前には、ただ虚しさだけが募ってい
く。


「そっか、あんた心が鈍いんだ」


 植物のように鈍く重い感性を備えているから、人一倍痛みに鈍感になれる。
 人の何倍も傷つき易い心の持ち主であるに関わらず、痛みに蓋をして我慢する術だけを磨
いて来た刹那をネーナは憐れに思った。
 いつの間にか白い闇は消え去り、虹色の光も消え去っている。
 虹色の光は、まるで、白昼夢のようにネーナの心をかき乱し唐突に姿を消した。
 胸に残るのは、無防備な心を蹂躙された怒りと誰の物とも知れぬ胸を抉るような深い悲し
み。
 戦い傷つき、絶望に苛まれた、希望の一欠けらも見出せない慟哭の響きだけだ。


「…いいわ、いい度胸よ、刹那」
「ドウシタ、ドウシタ」
「そんなに悲しいなら、私が変わりに戦ってやるわよ。それで貸し借り無しよ、刹那・F・
セイエイ!」


 悲しみに明け暮れ戦えない腑抜けなら私が敵を倒すと、胸に宿った悲しみに突き動かされ
るように、ネーナは走り出す最中、ネーナの左目が"金"では無く"朱"に輝いて居たのをHA
ROだけが気付いていた。




 トレミーの総合整備師であるイアンは焦っていた。
 トレミーの護衛機である四機のガンダムは、全て出払いGN-Xの相手で精一杯だ。
 多勢に無勢は承知の上。
 出来る限りの整備と強化パーツを持たして送り出したが、五分前にスメラギからもたらさ
れた戦況は、最終防衛ラインが抜かれた凶報だ。


「くそ、こりゃ不味いぞ」


 武装の無いトレミーにMSを迎撃する力は無い。
 必然的に強襲用コンテナで迎撃に出る事になるが、MS戦闘に関してトレミークルーは素
人同然だ
 強襲用コンテナを動かすにも、操舵手、砲撃手、火器管制支援に計三人を必要とし、経験
を必要とする戦闘機動はイアン達に務まるとは思えない。
 その場しのぎの付け焼刃では、国連軍のトップガン達を相手にする事は不可能に等しい。
 この調子で進めば、頼みの綱はスメラギの戦術とハロを搭載したスローネだけである。
 整備AI達であるハロに命令を与え、ノーマルスーツを着込んだイアンは、ドライを起動
すべく固い鉄の床を蹴った。
 技術屋にしては、運動神経は良いのか、一度の飛翔でスローネのコクピットに到着したイア
ンは、視界の隅に映ったネーナに腰を抜かしそうな程驚いた。


「お嬢ちゃん、なにしてるんだ」


 確かネーナは、パージブロックに"保護"されているはず。
 だが、白のノーマルスーツに身を包んだネーナは、怒りに燃えた瞳で真っ直ぐにこちらに
向ってくる。


(おいおい)


 焦るイアンの心中とは裏腹に、ネーナの姿はスローネへとどんどん近づいてくる。
 電気系の故障でドサクサ紛れに捕虜が逃げ出す事は良くある話だが、まさか現行技術の三
世代は先を行くトレミーで、このような事故が起きるとは笑い話にもならない。
 ネーナの様子から銃こそ持っていないが、非戦闘員であるイアンに体術の心得などあるは
ずもなく、マイスター相手に白兵戦を挑んでも結果は知れている。


「こりゃ死んだかな」


 諦めにも似た諦念がイアンの心をよぎり、ラボで待つ娘と妻の姿に詫びを入れながら、目
を見開いたイアンは、恐れを隠すように、スローネのコクピットに張り付いた。
 特にスローネチームは、民間人相手に暴虐の限りを尽くした要注意人物だ。
 スローネに乗せたが最後、何がどうなるのか予想もつかない。
 いや、イアンの中では予想など当の昔についていたが、あまりに恐ろしすぎる想像の為、
無意識に考えないように最悪の結果を締め出していただけだ。
 ネーナをスローネに乗せてはならない。
 ただ、それだけの為に、イアンは、助けを呼ぶことも忘れ必死でドライのコクピットに立
ち塞がっていた。


「貸して」


 だが、不退転、決死の覚悟で望んだイアンの思いとは裏腹に、ネーナの態度は実にあっさ
りしたものだ。
 瞳に純粋な怒りこそ携えているものの、殺意や憤怒と言った根深い怒りではなく、どちら
かと言えば突発的な癇癪、イアンの娘が癇癪を起こし叱られ、不貞腐れた様子にそっくりな
のだ。
 人殺しではなく年齢相応の少女が目の前で不貞腐れている。
 てっきり殺し殺される泥沼の展開になるとばかり踏んでいただけに、ネーナの予想外の心
証にイアンはすっかり毒気を抜かれてしまった。

「一体何を」
「何をじゃないの…私が出るわ」
「出るわって、お嬢ちゃん無茶だ!まだスローネの修理は済んでないんだぞ。気密だって不
完全なのに」
「ノーマルスーツ着てるから…いい」


 やはり不貞腐れた態度のままで、ネーナは、イアンを押しのけるようにドライのコクピッ
トに滑り込み、ドライの起動プロセスを立ち上げる。
 擬似太陽炉が生む赤い粒子では無く、スローネの腰部に増設されたGNコンデンサから純
正太陽炉と同じ濃緑の粒子が舞い散り、スローネのツインアイが"翡翠"色に明滅した。


(装甲以外の駆動性は問題無さそう。でも、スラスターが変更されるから、細かい機動戦闘
は事実上不可能か…)


 サブモニターに表示されたスローネのパラメーターは所々エラーが表示されているが、強
引に捻じ伏せ各種兵装を強制的に待機状態へと起動させていく。


「誰かお嬢ちゃんを止めてくれ。人間が乗れるようには整備してないんだ」
『いいわ、イアン。ネーナを出して』
「なんだって、正気か!スメラギさん」


 インカム目掛けて怒鳴るイアンの声とは別に、スメラギの同意の声が聞こえてくる。
 拒否されれば、殴り倒してでも強引に奪う腹積もりだったのだが、意外な人物の意外な提
案に当の本人はキョトンとしていた。


「いいのおばさん?後ろからブリッジ撃っちゃうかも知れないわよ」
『そうしたら化けて出るだけよ。』


 強襲用コンテナ内から聞こえる声は、粒子の影響もあってかノイズ混じりの酷い声だ。
 だが、スメラギからは明確な意思、何かを託すような声色を感じ取る事が出来る。


『ネーナ・トリニティ。スローネを貴女に預けます。幸運を』
「元々あたしのよ、この年増!」


 唸り声を上げるネーナを無視し、スメラギは通信を強引に終らせる。
 どうにもやり込められた感はあったが、四の五の言ってはいられない。
 ネーナは、イアンに食ったような視線を送ると、イアンは嘆息しながら、コクピットへ
の道を明け渡した。


「良いかお嬢ちゃん。ギリギリで粒子の充填は終ったが、スローネの動力はあくまでトレ
ミーから有線で供給されている。腰部のGNコンデンサは有線をパージされた時の緊急用
と思ってくれ」
「それで何分くらい戦えるのよ」
「内蔵電源での最大稼動時間は三十分が限度だ。当然攻撃にも移動にも粒子量を使う。粒
子残量には常に気を配るんだぞ」
「上等。誰に物言ってるのよ」
「それだけ言えればたいしたもんだ。いいぞあげろ」 


 イアンがコクピットから離れると、HAROの瞳が赤く光り、スローネのシステムが戦
闘態勢に移行する。
 ハンガーが鈍い音を立てて移動し始め、ドライをリニアカタパルトに移動させて行く。
 視界の隅でイアンがランチに飛び乗るが見え、ネーナは、眼前に広がる宇宙を真正面か
ら見つめた。
 まだ戦場は遠いが、擬似GN粒子の飛び交う軌跡が瞬き光芒を散らしている。
 慣れ親しんだ戦場が目の前にあるというのに、高揚感も充実感も何も感じない。
 ただ、目の前に広がる空間が命と命のやり取りが続いている、そんな漠然とした事実だ
けをネーナは他人事のように感じていた。


『ネーナさん…刹那達が苦戦しています』


 右上に通信ウィンドウが開き、フェルトの強張った顔が映る。
 確か髪の長い癖っ毛の後ろで、こちらを伺うようにしていた少女だ。
 話しかけてくる雰囲気すら無いので、こちらも無視していたが、意外に感情表現豊かの
ようだ。


「知ってる。聞こえたから」


 機嫌が悪そうに言ってのけるネーナに、フェルトが驚きの表情を浮かべた。


『通信を傍受してたんですか、どうやって』
「違うわよ…直接聞こえたんだからしょうがないでしょ」
『直接って。一体どうやって』
「知らないわよ、ネーナ・トリニティ…スローネ・ドライ、出るわよ」


 耳の奥に直接語りかけてくるような刹那の声は幻聴だと切って捨てるのは容易かったが、
虹がもたらした心に直接響いてくる切迫感と焦りは本物だ。
 ネーナは、驚きの声を上げるフェルトを無視し、フットペダルを踏みこむ。
 ドライの背部のスラスターから"翡翠"色のGN粒子が迸り、リニアカタパルトから射出
され、鈍い加速の後にドライの体が宇宙に投げ出される。
 ネーナは、宙空で機体の態勢を整え、トレミーの前に躍り出た。
 出撃して初めて分かったが、単体で迎撃機構を持たないトレミーは、宇宙に浮かぶ巨大
な岩塊を盾に、GN-Xを迎え撃つつもりのようだ。
 トレミーの隣を強襲用コンテナが併設し二対の砲門を向けている。


「完全に待ち伏せじゃないの、打って出ないで守りきれるの」


 刹那達マイスターの防衛線が抜かれた今、トレミーの命は風前の灯だ。
 マイスター達が敵を撃破し帰艦するのが早いか、トレミーが撃墜されるのが早いか。
 時間と時間の勝負にすらなっていないような気がしたが、打って出る為のピースが自分
なのだと思えば、スメラギがスローネの搭乗を許したのも頷ける。


『Eセンサーに反応。擬似太陽炉搭載型来ます』
「来た来た。死ぬつもりも馴れ合うつもりもないけど、今は貸しとくわよ、スメラギ・李
・ノリエガ!」
『スローネは牽制射撃を、』
「素人は黙ってなさい!」


 ネーナは迫り来るGN-Xを獰猛な視線で見つめ、スメラギに対する僅かな感謝と怒り
の雄叫びを上げる。
 フットペダルを踏みこむと同時に、兵装システムをアクティブに設定する。
 支援AIであるHAROが敵に即座に照準を合わせると、正面のレティクルがロックオ
ンを告げ、ネーナは躊躇せずトリガーを引いた。
 GNハンドガンから翡翠色の粒子が迸り、編隊を組み接近しつつあるGN-X三機の中
央部を打ち抜く。
 二発、三発と一機を追い込むような執拗な牽制射撃は、GN-Xの編隊を切り崩す事に
成功し、右上方へと散開したGN-Xにドライを差し向ける。
 濃緑の粒子がスラスターから迸り、細かい旋回性能を除けばドライの性能は良好だ。
 一瞬で距離を詰めたネーナは、スローネドライの登場に困惑するGN-Xを他所に、臍
部にあるコクピット目掛け、GNハンドガンを連射する。
 濃緑の粒子に貫かれたGN-Xは赤い粒子を撒き散らしながら爆砕し、ネーナは虚空に
散らばる擬似GN粒子を隠れ蓑に残りに二機へ肉薄した。
 メインモニターにコクピットが拡大表示され、獰猛な笑みを浮かべたネーナは、GNビ
ームサーベルを引き抜こうと機体を操作すると、ガクンと重い衝撃が機体を襲い、ドライ
が唐突その場で動きを停止させる。
 トレミーに接続された船外活動用の動力供給ケーブルは、全長12キロにも及ぶが、無
重力戦闘時のMSの航行速度は音速を容易く突破する。
 超高速起動で縦横無尽に移動するMSには12キロなど軒先から一歩を踏み出した程度
の感覚に過ぎず、敵の目の前で動きを止めたドライは挺の良い的だった。


「ハロ!外部電源パージ!」
『Yes,sir』


 拾い食いでもしたのか、それとも、純正GN粒子の影響でソフトウェアがバクったのか。
ネーナの呼び声に突然調子の変わったHAROの瞳が怪しく光ると、腰部に直結された
電源ケーブルが爆砕ボルトと共に弾け跳び、メインモニターに粒子残量を表示したタイム
メーターが起動する。


『Activity limit, 1734 sec. Get cold feet,My Mater?BA-RO!(活動限界まで1
734秒。怖気づいたかバーロ!)』
「Yes. But I can not lose, I do! Absolutely!(そうね、でも、負けてられないのよ、
私は!)」


 目の前の二機を相手にして、トレミーに戻り有線の再接続。
 不慮の敵に編隊を乱され、浮ついた相手には三十分もあればお釣りが来る。
 戒めから解き放たれたドライは、背筋を屈め、豹のようにGN-X達に襲い掛かる


「スラスターが動けなくても!」


 スラスター機動の全盛の時代にAMBAC(ACTIVE MASS BALANCE A
UTO CONTROL)機動を使えるパイロットは少ない。

「Eカーボン製三層積層構造の装甲と」

 機体の一部を高速で動かし、発生した反作用で機体を制御するAMBAC機動は、粒子を
無駄使い出来ないドライには打って付けの駆動手段だ。

「私の腕があれば!」

 その上、スラスター光が発生し難い為に、粒子の動きから挙動を察知される心配もない。

「これくらいは出来るのよ、HAROフィールド展開、範囲は極小。照準をずらせればそれ
でいいわ」
『Yes,sir!』


 ドライの装甲板が開き、中から濃緑のGN粒子が機体を覆うように展開される。
 ステルス性に優れたドライのGNフィールドは、ヴァーチェのように対物防御特性こそ持
っていないが、既存のレーダーシステムを完全に無効化する事が出来る。
 フィールドを展開する際に擬似と純正粒子でどのような違いがでるのか、全くの未知数だ
ったが、基本構造が変わらないのであれば、それに準じた効果が得られるはずだ。
 パイロットにあるまじき丼勘定だったが、機動戦闘が出来ない以上、使える物を使う事が
戦場で生き残る秘訣だとネーナは直感で理解していた。
 ネーナがドライの機体を反転させるのに約一秒、思考にコンマ五秒。
 ドライは、まるで、人が乗り移ったような滑らかで無駄の無い動きでGNハンドガンを構
え、振り向き様に左側のGN-Xに照準し発砲する。
 濃緑の粒子束が虚空に煌き、GN-Xの着弾すると、Eカーボン製の装甲がGN粒子の発
生させる熱量により融解し、背中の擬似太陽炉を貫通する。
 一瞬で塵も残さず消滅した国連軍のパイロットの命を送る篝火のように、破裂した擬似太
陽炉から伸びた赤い粒子が血化粧のように黒い地平にぱっと散った。


『馬鹿、前に出すぎなのよ!』


 放射状に広がるGNの粒子の輝きにネーナは一瞬目を奪われ、スメラギの怒声ではっと我
に帰った。
 慌てて正面を見据えると高速で接近するGN-Xが瞳に映りこみ、ネーナは、HAROの
警告を無視し、半ば反射的に、フットペダルと操縦桿を操る


「この!」


 怒声交じりにドライを動かし、急制動とAMBACを繰り返す。
 接近するGN-Xにすれ違い様に引き抜いたGNビームサーベルで左腕を両断し、AMB
AC機動で機体を制御し反転、再度振り向き様に照準を付けずGNハンドガンを速射で三発
お見舞いする。
 濃緑の粒子束が、GN-Xのスタスターと右足太腿部を削り、X型のテールバインダーを
破壊し、スラスターを破壊されたGN-Xは岩塊目掛けノロノロと退避行動を取り始める。
 ネーナは、トドメの一撃を与えるべく、銃口をGN-Xに向けた瞬間それは起こった。


『よぉ…お前ら…か、こんな世界で…俺…やだぜ』
『嘘だ、ハ…ヤ…ルヤ!』


 電撃のように脳裏に過ぎった今際の声。
 悲しみに満ちた、ぽっかりと空いた空虚な穴に吹き荒む風が ネーナの心に吹き荒みネー
ナはここが一瞬戦場である事を忘れた。
 荒涼と続く真空の闇の中で蠢く胸を締め付けるような圧迫感と誰の物か知らぬ毒々しい思
惟がネーナの中に溶け込み、心の柔らかい部分をまたも犯されて行く。
 自己と他者が混ざり合う、精神がざわめく感触は、自分自身の自我が海に漂う藻屑のよう
に脆い存在のように感じて、ネーナは顔を無意識に顰めた。


「誰かが死んだの…」


 間違いない。
 全身が泡立ち、舌の上がピリピリする感触は、ヨハンとミハエルが死んだ時に良く似てい
る。
 なぜそんな事を感じたのか、ネーナ本人にも理解出来なかったが、この広大な戦場の何処
かで今まさに命が散った。


「しつこい!」


 爆発で腕とスラスターを損傷し、破れかぶれになったパイロット程御しやすい存在は無い。
 ネーナはGN-Xの無防備なコクピット目掛け引鉄を引くべく、GNハンドガンをまるで
道端の虫を踏み潰すように無造作に向けた。
 引鉄の軽さが命の軽さに直結するように、ドライは無造作に引鉄を引く、ひいたはずだっ
た。


「嘘…」


 情けや慈悲では無い。
 ネーナは殺意を持ってGN-Xに銃口を向けたし、やはり、どす黒い憎しみを持って引鉄
を引いた、つもりだった。
 だが、現実はドライの鉄の指は、引鉄を引いておらず、間際を通り過ぎるGN-Xを無防
備で見送っていた。
 迷いと戸惑いは致命的な遅れを生み、ネーナの後ろで赤い光が瞬き光芒となって散る。
 次いで無音の衝撃がドライを襲い、暗い宇宙を大きな光の渦が照らした。


「なんで…うっ」


 反射的に口を覆うが、バイザーに遮られ、手が口に届く事は無い。
 喉奥から競り上がってくる内容物が胃液共々メットに内に充満しすえた匂いに、ネーナは
もう一度えづいた。
 メットの中の撒き散らされた吐瀉物を、エアクリーナーで除去し、メットを投げ捨てる。
 気密が不完全と言いながらも、コクピット内には新鮮な空気が溢れ、限られた資材で時間
内に最低限の生命維持レベルをクリアするイアンの技術には敬意すら抱く。
 ほんの数時間前に食べた携帯食のすえた匂いで鼻が曲がりそうだったが、敵を目前にして
引鉄を引けなかったのが事の方が衝撃だった。
 確かに殺したと確信も覚悟もあった。
 だが、殺せなかった。
 最終防衛線であるネーナが抜かれ、無防備なトレミーのメインブリッジがGN-Xの砲撃
で消し飛んだ。
 回線から聞こえてくる悲痛な叫び声がネーナの耳朶を打つ。 
 強襲用コンテナの砲門が手負いのGN-Xを破壊し、赤い粒子が満天の星空に舞い、その
中で、誰かが、また---死んだ。


「おぇえ、うぁえええ」


 胸を襲う不快感にネーナは、吐き気を我慢する事が出来ず、コクピット内にも関わらず嘔
吐を繰り返す。
 胃液で喉が焼ける痛みよりも心が痛い。
 手が緊張で震え、足が恐怖ですくみ上る。
 背中から這い上がってくる寒気に振るえ、反射的に両肩を抱くが、心底より湧き上がる震
えを止める事は出来なかった。


(なによ、なによ、これ)


 ネーナは、自分の体に起きた変化に戸惑い、何より恐怖していた。
 引鉄を引き、命を奪う行為は、ゲームのボタンを押すよりも簡単だ。
 目標をセンターに入れてトリガーを引く。
 たった、これだけの事で敵は死に、そして、ネーナは生き残ってきた。
 少なくともネーナの中の常識はこれまで引鉄を引いた結果、ショックで体が竦む事など無
かった。


『ネ…ナ…さ…聞こ…ますか』


 耳元でフェルトが大声で叫んでいるが、ネーナには届かない。
 フェルトの声が遠い異国の見知らぬ言葉に聞こえ、心が言葉を認識しない。
 巨大なうねりに飲み込まれるように、ネーナの心は萎縮し、感じた事の無い感情の波に半
ば放心状態にあった。


「…行かなきゃ」
『行くって何処に』
「分かんないよ。でも、行かなきゃ駄目なのよ…きっと」


 虹色の光が脳内でフラッシュバックし、去り際の刹那の表情が胸に焼きついた。
 色々な感情が混ざり合い、もう何色も写せないまま、世の無常と後悔を噛み締めた表情は
素直に言葉を綴る感情を持たないだけで、彼は自分にナニカ大切な事を伝えようとしたので
は無かったのだろうか。


「そう…行かなきゃ…駄目」


 口調は放課後の気だるげな女子学生のように軽いが、瞳に宿った炎は気高く熱い。
 強姦のように心に植えつけられた悲しみと人を撃った衝撃は何を表しているのか。
 刹那が、人に伝え聞かせるほど器用でないのなら、首根っこをふん縛ってでも聞きだして
やる。 
 何も言わせず、こちらの感情などお構いなく言いたい事だけ言って、はいさよならなど、
何処の誰さんが許してもネーナが許しはしないだろう。
 こちらの心の弱い部分を覗き見られたのだが、少しでも文句を言おうものならば、キスと
拳骨で黙らせる。
 一言一句漏らさず、刹那・F・セイエイの全てを語って聞かせ、全てを手に入れさせて貰
わねば、天秤が全く持って吊り合わないのだから。


「私はスパルタなの、甘やかすとかキャラじゃないのよね」
『ネーナさん、待って!何を言って』


 まるで、二日酔いの体のように気だるげな表情で、ネーナは無言のままフットペダルを踏
み込んだ。
 ドライが背後から濃緑の粒子を散らせ、ネーナの意志に逆らうことなく、ゆっくりと足を
進める。
 フェルトは、ネーナが危険な状態にあると瞬時に理解したが、止める術を持たない彼女は、
ネーナを黙って見送る術しか持たなかった。
 フェルトが己の無力を噛み締める中で、ネーナは濃緑の粒子を纏うドライを走らせる。
 もう彼女を止める"人間"は誰もおらず、いつの間にか戦場は、驚く程の静けさを取り戻し
ていた。



[21592] 第五話「蒼のエーテル」
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:7dbd514e
Date: 2010/09/05 17:36

揺れる宇宙と脈打つ心臓の鼓動。
 耳鳴りと胸を掻き毟る焦燥感だけがうず高く積もり上がり、激戦で傷ついた内臓から
吐き出され吐瀉物とむせ返るような血臭がコクピット内に立ち込めても、ティエリア・
アーデは、不思議と意識を失っていなかった。
 流した血は致死量にも関わらず、意識レベルは覚醒値を保ち、現状を委細承知とばか
りに認め、両腕を握り締め唇を噛み締めている
 装甲を失い傷ついたナドレは、太陽炉を排出し、機体に残った粒子も残り僅か。
 このまま宇宙を放流し緩やかな死を迎えるのかと漠然と思いながらも、ティエリアに
は、奇妙な確信にも似た予感があった。
 そう、まだ、自分達のソレスタルビーイングの戦いは終わってはいない。
 暗闇の中で輝く星々がティエリアの瞳に届く度に、胸の奥で疼く直感が沸々と鎌首を
もたげ、ティエリアは、反撃の予兆と言える高揚感に胸を高鳴らせていた。


「まだ終わってはいない」


 イオリア計画の目的の中に自分達の滅亡が含まれていようと、この惨劇が例え予定調
和の出来事であろうとも、終わっていない、まだ負けていないと、今度は確信を込めて
目を見開く。


「ロックオン…」


 茫漠たる光の渦に飲み込まれ、声一つ聞かせず、ティエリアの恩人はこの世から消失
した。
 ティエリアは、ロックオンの皮肉交じりの微笑を思い浮かべ涙を流すが、胸に灯った
思いは、幾許の間も無く無残にも消える。
 しかし、ティエリアは彼の存在に救い救われ、そして、最後にはかけがえの無い大切
な何かをに残してくれた。


「ロックオン・ストラトス!」


 ティエリアは、悲しむのはこれが最後だと言わんばかりに、郷愁を振り払うように巨
大な声を張り上げる。 
 悲しむ事よりも、もっと大事な"何か"を受け取った自分は行動する事でしか気持ちに
答える事は出来ない。
 呪いより強固な絆がティエリアの鋼の心臓に刻まれ、彼、彼女は、慟哭の雄叫びを上
げ、絆を求めるように手を掲げた。
 しかし、伸ばした手は虚しく空を切り、掴めた物は何も無い。
 だが「今はそれで良い」とティエリアは自嘲気味に呟き、一人静かに黒い宇宙へと精
一杯の宣戦布告を掲げる。
 装甲を削り取られ、四肢を失ったナドレの胸から血のような潤滑油が漏れ、宇宙に涙
雨を振らせていく。
 ただ、砂漠に浮かぶ一粒の砂のように、ナドレは、緩慢な動きのまま宇宙の風に導か
れ、ゆっくりとだが一時、舞台から退場した。


「ネーナ・トリニティ、何故ここに居る」
「何って…なにがよ」


 突き動かされるようにドライを走らせて見れば、辿り着いた場所は、何のことはなく、
ネーナの命の恩人である、刹那・F・セイエイの元だった。
 特徴的な青みがかった装甲は所々で焼け落ち、自慢の実大剣は刀身の中程からポッキ
リと折れ、見るも無残な惨状だったが、反面エクシアの周りを漂う黄金の破片が純正太
陽炉の濃緑の粒子に反射し、激戦を勝ち抜いた勝利者を称えるように美しく輝いていた。


「アリー・アル・サーシェスは?」
「分からない」
「そっ…」


 素っ気無く答えたネーナは、エクシアの周囲に漂う金色の破片に目を向けた。
 辺りに浮かぶMSの装甲らしき残骸の量は、少なく見積もってもMS数機分はある。
 MSの編隊を相手にしたのか、それともMS数機分の質量に相当するMAを相手にし
たのか。
 刹那に聞けば早い話だったが、ネーナはサーシェス以外に興味が無かったのか、それ
とも、もうこの戦い自体に興味を失ってしまったのか。
 まるで、他人事のようにうそぶきながら、エクシアを見つめた。
 恐らくトランザムシステムを使ったのだろう。
 圧縮粒子を最大開放する純正太陽炉搭載機にのみ与えられた荒技は、機体にかかる負
荷も大きく、そう何度も使える機能では無い。
 設計限界を超える高速稼動により、エクシアの関節から白煙が立ち昇り、太陽炉から
漏れる光は弱々しい。
 甚大な損傷を受け粒子残量が著しく低下したエクシアは、普段の雄々しい姿と比べる
と酷く頼りなく見えた。


「倒したの」
「あぁ…倒した」


 通信から聞こえてくる刹那の声は、荒い息を吐き、憔悴し切っている。
 トランザムシステムを用いても尚、ここまで消耗する相手とはどのような怪物だろう
か。
 当時最新鋭機だったスローネが霞む程、インフレを起こしてしまったMSの性能に、
ネーナは馬鹿馬鹿しいと心底苦笑しながら、一旦肩の力を抜いた。


「…終ったの?」
「分からない」


 ネーナは、ひとまず戦闘が終結したのかと質問したつもりだったが、刹那から帰って
きた言葉には重く苦しい響きを含んでいた。
 目の前の敵は倒した。しかし、未来永劫と続く終わりの無い争いの幕が上がったよう
な気が拭えず、刹那はエアクッションの効いたシートに持たれ込み、呆然としながら大
きく息を吐いた。


「分からないか…かもね」


 ネーナも色々なモノを失った今だから思う、思える事がある。
 やはり、戦争根絶など夢物語では無いのか。
 大きすぎる力は争いと憎しみを産む。
 ガンダムと言う存在が世界を一つに纏めようとしているが、そこには大国同士のエゴ
が絡み合う複雑怪奇で歪な関係が浮き彫りになろうとしているだけのこと。
 ガンダムマイスターが己の命を賭けて戦っても、後に残るのはマネーゲームのような
妥協と打算の産物が生み出した歪んだ世界だとしたら、悔やむに悔やみ切れない。
 そんな世界の為にロックオンは死なねばならなかったのか。
 刹那は見た。
 見てしまった。
 四方を大量のGN-Xに囲まれ縦横無尽に飛び交う粒子砲と、そして、スローネ・ツヴ
ァイの誘導兵器に貫かれるデュナメスの姿と爆発炎上するGNアームズ二番機を、流星の
ように射出される太陽炉の影を、そして、刺し違える鬼気と共に発射された極大のGNキ
ャノンが、ツヴァイの下半身を融解させた光を。
 周囲を包む閃光が消えた後には、ツヴァイの姿は見受けられず、刹那は慟哭と共に"敵"
に対する殺意を開放してしまった。
 大儀も信念も戦争根絶と言う平和への意志も無く、失った物を憎しみで埋めるかのよう
に闇雲に剣を振るい結果、後に残ったモノは誤魔化し切れない虚無感と胸にぽっかりと開
いた大きな穴だった。
 無数の皹の入った刹那の心は今や崩壊寸前だった。
 大事な仲間を失くし、信念も憎しみと悲しみで汚してしまった。
 憎しみで剣を振るい、人を殺めた刹那が、幾ら戦争根絶を主張しても、熱を失った風のよ
うに薄ら寒い響きしか持たない。
 刹那が人で居られた境界線は、私利私欲では無く、あくまで戦争を根絶する為に命を奪
って来た自己弁護の為だ。
 ギリギリの所で押し止めていた虚しさが堰を切ったように漏れ出すが、泣く事は愚か、
我慢する事しか知らない稚拙な情緒は、彼に涙を流す事を許さなかった。
 刹那が、忘我するように無垢の宇宙を見つめる中、スローネのコクピットに活動限界
を告げる警報が鳴り響く。


「ネーナ・トリニティ!」
「煩いわね。活動限界よ活動限界。もうまともに動けないの。システムも生命維持モー
ドに移行したら、通信だって出来なくなる…わ」
「そうか、そうだったな」


 太陽炉を積むエクシアは、半永久的にエネルギーが尽きる事は無いが、今のスローネ
の動力は擬似太陽炉ですらなく試作品のGNコンデンサだ。
 むしろ、ここまで粒子がもった事の方が驚きだろう。


「どうするの」 
「…帰る」
「何処へよ」


 刹那はトレミーへとは即答出来なかった。
 いや、唇は僅かに動いたが、汚れた自分が仲間の元へ帰るのは何より怖かった。
 受け容れて貰えるだろうかと思うと同時に、堪えようの無い罪悪感が心底から駆け上
ってくる。
 フェルトは、ロックオンの事を好いていた。
 仏頂面で他人の感情の機微に疎い刹那でも分かったのだ。
 不器用でも、思いの欠片が僅かにも伝わっていなかったとしても、間違いなくフェル
ト・グレイスは、ロックオン・ストラトスを好いていた。
 恋心を抱いていた。
 そして、ロックオン・ストラトスは、刹那の目の前で死んでしまった。
 刹那がもう少し早く駆けつけていれば、もう少しMSの操縦が巧ければ、もうすこし
、いや、刹那・F・セイエイがもっと強ければ助けられたのでは無いだろうか。
 ロックオン・ストラトスは、肉も骨も欠片一片も残さず、塵一つ残さずこの世から消
滅した。
 それは、本当に人の死に方に相応しかったのだろうか。
 刹那の脳裏には、光の海に消えたデュナメスの最期が焼きついている。
 幼き日、ガンダムと出会ったあの時は、光の渦に消え行く友の死に様を美しく、そし
て、羨ましいと感じた。
 光によって罪を浄化され、汚れ無き姿のまま、友は神の元へ召され永遠の救いを得た。
 本気でそう考え、思い込もうとしていた。
 しかし、改めて友の死を目の当りにした刹那は、自分の考えがいかに馬鹿げているの
か痛感してしまう。
 何処の世界に存在すら残さず消滅する死に方が美しいのか、
 残された人間は、旅立ってしまった人へ別れの言葉を言う事も出来ない。
 好きだった思い。
 愛していた記憶。
 何に怒り、何を憎み、何に絶望したのか。
 遺体とは、人が存在した証、故人の清濁の全てを内在した"生きた"証だ。
 生きた証がこんな簡単に平然と無慈悲に失われる行為に何処に救いがあるのか。  


(何がガンダムだ…俺はガンダムにも人にもなれなかった)


 爪が肉を押し込める感触が、ノーマルスーツの上からでも鮮明に感じられる。
 真っ白なカンバスにこびり付いた染みは、拭っても拭っても拭いきれず、いつの間
にか真っ黒に染まってしまった。
 カンバスの紙を張り替えようとも、内から滲む黒い染みが永遠に刹那のカンバスを汚
し続けるだろう。
 胸を掻き毟りたい衝動に駆られ、そして、同時に襲ってくる罪悪感と無力感が刹那を
苛み、濁ってしまった瞳で無限に広がる宇宙を恨めしそうに見つめている。


「"帰るわよ"」


 慣性で流れ接触したのか、それとも刹那が藁をも縋る思いでネーナの手を取ったのか。
 いつの間にか接触回線が開かれ、正面でネーナが不出来な弟を視るような瞳で刹那を
見つめている。


「帰る…」
「そうよ帰るのよ」
「何処へだ。俺が何処へ帰れると言う。こんな俺が…」


 帰れない。帰れるわけが無い。
 信念も仲間も信頼も、一緒に戻って来ると言う約束すら守れなかった。
 自己嫌悪の波が津波のように押し寄せ、信念と誇りを剥ぎ取られた刹那の脆い心を容
赦無く押し流していく。
 波の間に潜んだ巨岩が飛礫となり、刹那の身も心も粉微塵にしようと打ち付ける。
 フェルトの笑顔や心配そうに見つめる顔が浮かび、まるで、刹那を責めて立てるよう
に無垢に微笑む。
 心の優しいフェルトは、きっと刹那の事を責めないだろう。
 涙こそ流すかも知れないが、必死に我慢して、刹那に「無事で良かった」と心から迎
えてくれるだろう。
 そして、誰も居ない場所で泣くに違いない。
 その場面がありありと想像出来る現実に刹那の心は折れ曲がり、無力な自分に殺意す
ら抱いてしまう。
 反射的にエクシアの自爆機能を起動させようと手を伸ばし、反射的に端末にコマンド
を打ち込むが、いざ、最後のコマンドを打ち込もうとすれば、手が氷柱のように固まっ
てしまい微動だにしない。
 ネーナを巻き込んでしまう事や太陽炉の損失、託された想いが死を拒んだなどと高尚
な願いでもない。
 きっと、敵に撃たれ戦いの中で命を失うのならば平気なのだろう。
 しかし、いざ自ら手で命を断とうと、死の瞬間を目前にすれば、体が竦み、体中の力
が空気の抜けた風船のように死のうとする気持ちが萎えてしまうのだ。


「俺は死ぬことすら出来ない臆病者か」
「はぁ?」


 項垂れ自嘲気味に呟く刹那に、ネーナは心底分からないと言う呆れた声を漏らす。
 理解するつもりも努力もしないのか、ネーナは小馬鹿にしたような声で、ドライでエ
クシアの腕を掴んだ。


「馬鹿なこと言わないでよ。ボケたのあんた?帰るってんなら、決まってんでしょ、あ
んたのホームへよ」
「仲間<ホーム>…」


 ホームの意訳は多種多様に存在し人の主観に左右される。
 地球、故郷、実家、家族、刹那は、そのどれも選択せず"仲間"を選択した。


「そうだ…帰ろう」


 死の恐怖に打ちのめされたのか、感情が麻痺して何も考えたくないのか。
 それとも、ネーナの一言で正気に引き戻されたのか、胸に抱えた後ろめたさはあるが、
帰ろうと素直に思う事が出来た。
 仲間を失った罪は罰として刹那の心を一生苛むだろう。
 ロックオンばかりでは無い。刹那達のもう一人の兄貴分であったラッセも死んでしま
った。
 死体こそ確認していないが、大破したGNアームズ一号機の惨状を省みれば、無事で
あるとは到底思えない。
 刹那は戦争の代償と割り切るには、あまりに多くの物を失くしてしまった。
 少なくとも今日は、今だけは戦う事を忘れて眠りにつきたい。
 戦争への想いも仲間も戦う意思も、全てを忘れ泥のように眠り、そして、起きてから
何をすべきか考えたい。
 刹那は、茫然自失のまま、ホームへ帰る為にエクシアのスロットルをゆっくりと押し
倒す。
 だが、神は彼に束の間の安息すら許さなかった。 


「会いたかった、会いたかったぞ少年」


 突如、愉悦に満ちた大声がオープン回線に割り込み、赤い光を携えた黒い閃光が、エク
シアとスローネの直上から出現する。


「この沸き立つ高揚感!漸く理解したぞ少年。この気持ちまさしく愛だ!少年、いやガン
ダム!」


 モニターの中で小さな光点でしか過ぎなかったMSが、瞬きの合間に巨大な威容を現
し、赤い粒子が宇宙に乱風のように咲き乱れる。
 竜巻のような流れを伴い一機の黒いMSが燦然とエクシアの前に舞い降りた。


「フラッグ!だが、新型か!」


 茫然自失と言いながらも骨の髄まで染みこんだ戦士としての習慣が、無意識に剣を構え
ドライを庇うようにエクシアに戦闘態勢を取らせる。
 登録されたデータには該当機種は存在しない。
 背中から立ち昇る赤い粒子は、謎のフラッグが擬似太陽炉搭載機であると如実に告げて
いた。
 刹那の前に立ち塞がったフラッグの装甲は、擬似太陽炉の出力に耐える為に、従来のフ
レームに比べ二倍以上に大きさに増設されている。
 継ぎ接ぎに継ぎ接ぎを加えたフラッグの装甲は、プレートを組み合わせる西洋の騎士を
彷彿させ、擬似GN粒子を一点に集約した巨大ビームサーベルの刀身は、剣と言うよりも
、馬上から敵を射殺す大槍のようだ


「何者だ!」
「敢えて言おう、グラハム・エーカーであると!」


 オープン回線に流れ込んでくるグラハムの名に刹那はハッとし意識を尖らせた。
 ユニオンの誇る超トップエリート。
 専用のカスタムフラッグを駆り、何度無く刹那達を苦しめた因縁の相手だ。
 故郷であった金髪の青年は、油断の無い視線で刹那を睨み付け、瞳の奥に宿った戦意を
堂々とぶつけて来る。
(グラハム・エーカー…作戦に参加していたのか)


 各国のトップガンが終結する戦いで、グラハムを見なかったのは違和感があったが、乱
戦の戦場では取り立てて珍しい事では無かったが、力を出し尽くした今、彼の乱入は予想
外の痛手だ。
 ガンダムが完調の状態でも苦戦する相手だと言うのに、粒子も武装も使い切った状態で
は話にもならない。


「勝敗は決した。俺達の勝ちだ」


「勝敗の時節は私にはなんら関係無い事。私は私の意志でこの戦場に存在している。馴れ
合いは断固拒否する!」


 せめて、はったりにでもなればと刹那は強気な態度に打って出たが、グラハムの意外過ぎ
る返答に刹那は面食らってしまう。
 剣を交えたのは数度しかなくとも、馬鹿正直までに公正で騎士道精神に溢れるパイロッ
トが、仲間の事など知った事では無いと言い切ったのだ。


「私怨で戦うつもりなのか!」
「そうだ。愛は愛を重過ぎると理解を拒み、やがて憎しみに変わっていく。行き過ぎた信
仰が内紛を呼び、愛を失った魂が叫び、憎しみの連鎖を再び繋ぎ続ける。貴様も知ってい
るはずだガンダム」


 グラハムの言葉が刹那の胸を抉る。刹那の故郷は幾度と続く宗教戦争の末に滅び、アザ
ディスタン王国として再編された。
 石油燃料の枯渇や宗教紛争、欧米列強による中東危機などの外的要因はあったとは言え
紛争の根底にあったのは、人と人との繋がり、愛に他ならない。
 刹那の故郷は、愛で滅びた多くの国の一つだ。


「それが分かっていながら、何故貴様は戦う」
「ふっ、軍人に戦いの意義を問うとは…ナンセンスだな少年」


 まるで、興ざめと言わんばかりにグラハムの刹那にへの呼び方が、ガンダムから刹那に
変わる。


「…貴様は歪んでいる」


 刹那とグラハム。
 戦いを憎むが故に剣を取った刹那と戦いに悦びすら感じるグラハム。
 信念と主義が舌戦でぶつかり合う中、魂の慟哭とも言える言葉が刹那の精神を焼き、違
う意味とは言え、戦いの虚しさの原因を骨身にしみた人間同士であるが故に、刹那は、こ
の場、この時において、グラハムと未来永劫に理解し合えないと悟った。


「貴様は歪んでいる」
「大事な事なので二回言ったか、ガンダム」


 刹那の地の底から響くような怨嗟の雄叫びに、グラハムの心が悦びで打ち震える。


(そうだ。こうでなくてはならない)


 信念を捨て、矜持を捨て、仲間を捨て、ガンダムと決着を着ける為に全てを捨てた。
 地位も名誉も輝かしい将来すら、目の前のガンダムとの決着に比べれば、路傍の草以下
の存在だ。
 全てを捨て、純粋な脅威と存在し、己の目の前に立ち塞がってくれねば修羅道に堕ちた
意味が無い。


「そうだ。世界など関係ない。国家の威信など関係ない。私は私の為に、エゴと我の為だ
けにガンダム、貴様を倒す!」


 フラッグの背後に立ち昇る凶悪な殺気は、異様な重圧となって刹那に襲い掛かる。
 気・剣・体・全て揃った鬼気迫る様子は、刹那の皮膚を総毛立たせ、無意識の内に筋肉の
筋が強張るのを感じた。


「さて、おしゃべりはここまでだ、ガンダム。そろそろ力は戻ったかな。あの力は今一度使
うには暫しの時間が必要なのだろう」
「あの力だと」
「とぼけるなガンダム。金色のMAとの戦いしかとこの目で見せて貰った。MAを圧倒した
赤い流星。剣を交えるに相応しい力だ」
「出のタイミングを計るか…小癪だな」
「勘違いして貰っては困る。全力で急いだが間に合わなかっただけだ!」


 いけしゃあしゃあと堂々と言ってのけるがグラハムだが、ハッタリの類では無く恐らく真
実なのだろう。
 刹那がトランザムを使いアレハンドロ・コーナーを倒したのを偶然目撃し、戦い場に降り
立つ。
 ここまで来れば、神の悪戯を疑いたくなるが、グラハム・エーカーは、敵を倒す事一点の
みにおいて高潔だ。
 敵を観察し出方を伺う戦術の初歩は踏襲しない。
 全身全霊で敵に挑み、その結果例え返り討ちにあったとしても笑って死ぬ。
 生き恥を晒すくらいなら死を選ぶ攻撃性は、確か東洋の言葉で武士道と言ったのを刹那は
思い出していた。


「戯言を…それこそ、貴様を油断させる為の罠だとすればどうする」
「それは有り得ないな、ガンダム」
「何を根拠に」
「勘だ」
「か、勘…だと!」
「と言ったが、種を明かせば通信が通じていることこそがその証。ガンダムが纏うGN粒子
が極端に消耗しているからこそ、互いの声が聞こえ通じ合える。皮肉な話だな少年」


 これは一本取られたとばかりに、刹那はコクピット内で忍び笑いを漏らし、擬似GN粒子
で構成された紅い大剣を見つめる。


(まるで、血の色だ)


 正気に戻り、センサーの反応を見れば、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェの反応がい
つの間にか消失している。
 そればかりか、マイスター達の帰るべき場所であるトレミーの反応すらも消失し、周囲の
存在する機体は、刹那のエクシアとネーナのスローネ、そして、眼前で大剣を構える改造型
のフラッグのみだ。


(俺は一人になったのか)


 音が伝わらない真空と言う特殊な条件を除いても、周囲は耳が痛くなる位に静けさに満ち
ている。
 心に荒涼たる風が吹き荒み、命一つ残らない暗黒の空間が酷く煩わしく感じる。虚しさと
静けさの中で、荒い息遣いが刹那を捉えて離さない。
 ふと、刹那はここで死ぬのも悪くないと思えた。
 戦いだけの人生で、今迄運良く生き残ってこれた。どうせ、壊す事しか出来ない運命なら
ば、最後の血の一片まで敵を壊し続ければいいとさえ思う。


(そうだ…敵は破壊する。破壊こそが新生の幕開けだ)


 救いも良心の呵責も純粋な破壊衝動の前では何の意味も持たない。
 奪い、壊し、突発的な衝動に身を任せ、目の前の敵を完膚無きまでに破壊したいとさえ思
える。
 しかし、刹那は怒りに呑まれながらも、ドクン、ドクンと弱々しいながらも脈打つ命の鼓
動を確かに聞いていた。
 ゆっくりと後ろを振り返ると、機能停止寸前のスローネが目に入る。
 濃緑の粒子が腰部のGNコンデンサから弱々しく漏れ、刹那は、鉄の体の中のネーナ本
人を垣間見た気がした。


「ネーナ・トリニティ」
「なによ…」」
「お前は生きているのか?」
「あんた馬鹿?散々だけど生きてるに決まってるでしょ」
「そうか…生きている」


 生きていると呟くと、刹那は自分の中で、失くしたと思った大事な"何か"が中でもう一
度息吹くのを感じた。
 折れかけた意思が蘇り、血と肉に戦意と言う熱が通い始め、刹那はもう一度グラハムを
見つめ返した。


「少年…私が望むのは"ガンダム"との"決着"のみだ」
「…感謝する」
「構わんさ」
「ちょっと、あんた、何するつもりよ!」


 苦笑するグラハムを他所に、刹那の操るエクシアが、ドライの胸に手を置き、力強く彼
方へ押しやられ、ドライは慣性に従い、宇宙を駆け抜け、見る見る内にエクシアから遠ざ
かっていく。


「ネーナ・トリニティ…生きろ」
「冗談でしょ」


 ネーナは慌ててフットペダルを踏みこむが、粒子の切れたドライは文字通り鉄の塊だ。
 巨大な操り人形は、主の呼び声には答えず無言で巨躯を封印し、流れに身を任せ宇宙を
流れて行く。


「そんな、勝ち逃げみたいな。許さないわよ、刹那・F・セイエイ!」


 刹那の声が届くと同時に粒子残量が完全に底を尽き、緊急用動力によりスローネのメイ
ンシステムが生命維持モードに移行する。


 電力節約の為に、非常灯のみが点灯したコクピットの中で、ネーナは過去最大級の怒り
にまみれていた。


「最低!信じらんない!終わってるわよあんた!」


 こちらの気持ちなどお構いなしに勝手に考え、勝手に行動し、挙句の果てに命を助けた
気でいる。
 馴れ合う気は毛頭無かったが、こんな馬鹿な終わり方、認められるわけが無い。
 刹那・F・セイエイは、自己陶酔に加え自己完結型の最低の男だ。
 怒りに打ち震え感情の抑制が利かない。ネーナは、何度も操縦桿とHAROを殴りつけ
、蹴り飛ばし、子供が癇癪を起こしたように喚き散らすが、ネーナの怒りも虚しく、ドラ
イはただ流れていくだけだ。


「…刹那!」


 しかし、そんな中でも分厚い装甲の外で刹那の息遣いが聞こえたような気がした。


「悪いが俺は死ねない。まだ、死ねない」


 例え一人になろうとも戦い続ける。
 この気持ちがあれば、今から進む道が悲しみと後悔に満ちていようともきっと戦ってい
ける。
 茫漠たる思いは、宇宙の遥か彼方に消え去り、母なる地球目掛け流れていくネーナが目
に入った。


『この馬鹿刹那、あんたなんか最低よ!』


 GN粒子影響下の中で、通信が届くわけも無い。
 だが、刹那は、まるで、耳元でネーナが怒鳴り声を上げたような気がして、無意識に微
苦笑を浮かべた。
 遥か遠く、母なる地球へ向け、ゆっくりと流れるネーナを見つめ、刹那は再び剣を取る。
 ネーナは、視る事は無かったが、赤い流星が宇宙に舞い、そして、ソレスタルビーイ
ングの戦いは一度幕を下ろす事となる。
 そして---流星が散り世界は静けさを取り戻す。


 アザディスタン王国第一執務室。


「マリナ、聞こえてるの?」


 アメリカのCBCテレビから流れているのは、ソレスタルビーイング壊滅作戦『フォー
リンエンジェルズ』の実況中継だ。
 しかし、番組名は実況とうたっているが、内容はこれまでのガンダム関係のソースの総
浚いでしかなく新規映像など微塵もない散々な有様だったが、CBの行方を知る細い糸に
は違いなかった。


「聞こえてるなら返事ぐらいしなさい」
「ごめんなさい、シーリン。ニュースが気になって」


 どんな数奇な運命か、機動兵器ガンダムを有するCBと中東の小国とアザディスタンは
保守派のマスード・ラフマディー拉致事件を皮切りに何度も関わって来た。
 今でこそ嫌疑は晴れてるが、マリナとガンダムパイロットの関係を国連軍から厳しい詰
問を受けた事もある。
 たまたま時節の幸運が重なり証拠不十分で不問に問われたが偶然は偶然にしかずぎず次
はどうなるか分からない。
 マリナにはもっと国の代表として自覚を持って公務に望んで貰わねば困る思いと御輿と
担ぎ上げられた親友を不憫に思う事もある。
 だが、例え御輿であるとしても、担ぎ上げられてしまったが最後、御輿は御輿として機
能しなければならない運命だ。
 今の母国の現状を考えても、マリナに泣き言を言っている暇は無い。 
 化石燃料が枯渇し経済が立ち行かず、軌道エレベーターの恩恵も受けれないとなれば近
い将来アザディスタン、いや、中東諸国は、欧米列強の自我に取り込まれ、衰退の一歩を
辿る事になる。
 切れる外交カードが無いのなら、せめて、御輿であるマリナには清廉潔白であって貰わ
ねば困る。
 少なくともテロリストであるCBのガンダムパイロットと繋がりがあると噂されるなど
あってはならない事なのだ。


「手紙?誰からかしら」
「ソランさん、知り合いかしら」


 ソランと言う響きにマリナの眉が跳ね上がり、シーリンの呼びかけを無視してテレビに
齧りついていた癖に、手紙を半ば奪い取るような形で持っていかれれば、シーリンも面白
くは無い。


「ソランなんて私は知らないけど、一体どちら様?」
「私の祖母の古い友人。最近会ってなかったけど、どうしたのかしら」


 本人は隠せていると思っているようだが明らかに行動が怪しい。
 幼少から使い続けている机から、震える手でペーパーナイフを取り出し、慎重極まる手
付きで手紙を開ける様子は、どう見えも普通ではない。
 まるで、待ち人からの返事を心待ちにしていた乙女のようにさえ見える。


「今時紙媒体って、随分古風な方ね」
「そうね、彼無口だから」


 彼と言う事は男性だろうか。
 だが、マリナの家系図、親戚や交友は全てシーリンの頭脳にインプットされているが、
ソランなどと言う名前の男性に心当りはない。
 僅かなプライベートを覗けば、マリナとシーリンが別々に行動する事は殆ど無く、いや
、皆無と言っても過言では無い状態で見知らぬ男性かた逢瀬を重ねる事は難しい。
 可能性は零ではないが、やはり、現実的とは言えない。


(まぁ、害にならないのならいいけど)


 もう、マリナも良い年齢だ。 
 アザディスタンの適齢期は早く、早い者ならば成人の十五歳で身を固めるのも珍しく無
いが、王族と言う特殊な条件を除けば、封建社会真っ只中ではあるまいし、王女も自由に
恋愛する権利はある。
 政略結婚と言う古風な戦略も一時は議題に上がったが、こんな貧しい国の王女では政略
の足しにもならず、そうなれば、マリナ個人を気に入って貰わねばならないが、何も知ら
ぬ片田舎の王女では他国の権力者達の食指は今一つ感触が悪いのも事実だ。
 勝手な言い草だが、シーリンも女だ。
 好きな男性と添い遂げたいと思いは少なからずあるし、誰か一人を犠牲にしてアザディ
スタンが救われるレベルならばこれほど国の未来を憂いてはいない。
 シーリンは親友の恋心を否定する気は毛頭無かったし、相手がガンダムのパイロットで
なければ誰でも良い。
 投げやりな言い方かも知れないが、王女の責任を全うしてくれれば勝手にすればいいと
さえ思っていた。
 シーリンは、盛大な溜息を付き、飲みかけの冷めた珈琲を口に含み、陰鬱な表情で眼下
に広がる街並みを見下ろす。
 そこそこに近代的なビル群が立ち並び、景観こそ近隣諸国と何ら変わりは無いが、国内
に跋扈するテロリストの影は後を断たず、内需は悪化の一歩を辿っている。
 このままのペースでは後十年、いや、五年以内にアザディスタンの内政は崩壊し国と言
う体裁を保てなくなるだろう。
 その前に抜本的で革新的な手段を講じなければ、アザディスタンは滅んでしまう。
 最もそんなサヨナラ満塁ホームランのような劇的な最終手段があればの話ではあるが、
少なくとも今の消極的な対話中心の外交姿勢では永久にこの国は変わらないだろう。
 オービタルフレームの遥か向こう側、宇宙の何処かで国連軍とCBの最後の戦いが繰り
広げられている。
 彼らには気の毒かも知れないが、彼らの存在は世界には猛毒だ。
 誰しもが一度は考える戦争根絶、恒久和平を武力によって実現する存在が矛盾した存在。
 皮肉にも彼らが流させた血によって世界は一つに纏まろうとしている。
 彼らの存在が世界に何を与え、何を変えたのか。
 全ては薄暗い霧の中で蠢き、未だ全容すら見えてこない。
 しかし。いかに彼らの存在が大きかろうと、世界にとって猛毒ならば、アザディスタン
にとっても猛毒と同じだ。
 毒は毒として静かに退場願わねば、抵抗力の無い小さな国々は毒によって溶け命を落
とすだけだろう。
 世界の平和を願っているのは、シーリンとソレスタルビーイングも同じだ。
 だが、志は同じ物だとしても、シーリンの世界とはアザディスタン王国で彼らに取って
の世界とは人の生きる世界その物を指すのだろう。


(憂鬱ね)


 形と出会いこそ違えば、シーリンとソレスタビーイングは近しい友になれた存在かも知
れない。
 それ故に宇宙の何処かで彼らの命が消えようとしていると事を思えば、憂鬱の一つでも
覚えようものだ。


「らしくないわね…」


 ここ数日、砂漠に飲まれたアザディスタンには珍しく、景気の悪い事に雨が不機嫌なま
でに降り注いでいる。
 恵みの雨は、水源確保に持ってこいだが、シーリンは雨如きに奥底に抱える懊悩を見破
られた気がして、冷めて不味くなった珈琲を陰鬱な表情のまま喉に流し込んだ。


「マリナ、そろそろいい加減に、マリナ!」


 机に蹲り肩を揺らすマリナを見て、シーリンは顔面を蒼白にする。
 暗殺と物騒な単語が頭を過ぎり、手紙の中に毒ガスが込められているなど、良くある手
口だ。
 大慌ててでマリナに近寄り、容態を診れば、ただ、マリナは涙を流して嗚咽を堪えてい
るだけだった。
 ほっとするのも束の間、一体どんな内容が手紙に書かれていれば臆面も気にせず泣き腫
らす事が出来るのか。
 シーリンは、どんな顔でマリナに接すればいいのか、困り果ててしまい、無言で背中を
さすり、ハンカチで涙を拭いてやる。


「マリナ…」
「なんでも、なんでもないの」
「何でもないってことないでしょ。急にどうしたのよ」
「なんでも…ないの」


 くしゃくしゃに握り締めた手紙を胸に握り締め、マリナが空を見上げるとシーリンの努
力も虚しく、瞳に溜まった大粒の涙が頬を伝い勢い良く滑り落ちた。
 今、宇宙では国連軍との戦いに刹那が命を賭けて戦っている。
 刹那の苛烈過ぎる意志は、彼の脆さと同時に、衰えていく母国を目の前にしながら、何
の手段もプランも持たず、無力感に打ちのめされる日々に風穴を開け、萎えかけた戦意を
取り戻してくれ。
 マリナには、刹那が間違っているとは言えなかったが、正しいと断言する事も出来ない
でいる。
 力に力で対抗すれば両者の軋轢を生み、待っているのは滅びの道だけだ。
 マリナも黙って滅ぼされるくらいならば、戦って意義を勝ち取る手段も考えなかったわ
けではない。
 しかし、マリナには、刹那の考えを肯定する事も否定する事も出来ず、己の我を通せる
程の勇気も持ち合わせていないのが現状なのだ。


「刹…那…」


 ポツリと呟いた一言は幸運にもシーリンに届く事は無かった。
 憐憫でも同情でも無い、苦さと憧れを込めて呟いた一言は、マリナと刹那の関係は現し
ているように思える。
 刹那がマリナに送った手紙には、ただ一言、「ありがとう。さようなら」とだけ書き綴られ
ていた。
 ありがとう。
 さようなら。
 たったこれだけの言葉の何処に平和への思いがあるのか。
 普通の人が見れば、狐に包まれたような表情を取るか、もっと言えば馬鹿にされたと思う
かも知れない。
 だが、マリナには、刹那の気持ちが痛い程分かった。
 戦いに身を窶し、悲しみを背負った刹那が一生懸命考え、ありったけの気持ちを込めて
吐き出した言葉が「ありがとう」なのだろう。
 その一言を搾り出すのに彼にどれだけの苦悩があったのか、マリナには伺い知る事も出
来ない。
 思想、機会、感情、立場、生い立ち、物理的な距離等の様々な要因を含め、刹那とマリ
ナを隔てる溝は深く重い。
 だが、遠く離れてしまった現在があるからこそ、マリナは刹那の気持ちを客観的に、い
や、的確に受け容れることが出来た。
 ほんの僅かな優しさであろうとも、隣人にあます事無く伝える事が出来れば戦争などき
っと起こらない。
 起こらないが、たったそれだけの事がどんなことよりも難しいと言える。
 有史以来人類はお互いを傷つけ、戦争による莫大な恩恵に預かり、文明の発展を遂げ
てきた。
 闘争と殺戮の歴史こそが、人類の進化の大多数を占めて来た。
 しかし、言い換えれば、人類は互いに傷つけあわなければ、前に<進化(すす)>む事も出来な
い未成熟な生物なのだろう。


(刹那…何故、貴方と私の運命はこんなにも重ならないの)


 残念ながらマリナには、人類の不出来を嘆く暇も人の思惟に絶望する程年老いてもいな
い。
 今は、ただ、刹那の声を聞きたい。
 マリナの前に突然現れ、現実と過去を見せつけ、戦う意志をくれた少年にもう一度会い
たい。
 直に触れあい、自分の考えと想いを余す事無く伝えたい。
 ただ、今のマリナでは嗚咽を堪え、手紙に込められた悲しみに涙を流すだけであった。


 ---4年後、西暦2312年


「どうだネーナ、こいつの調子は」
「相変わらずのじゃじゃ馬。これで出力の二十パーセントって言うんだから設計者の正気
を疑うわ」
「違いない」
 桃色のノーマルスーツに身を包んだネーナは、ハンガーで仁王立ちするMSに目を向け
た。
 格納庫の奥には、特別製の拘束具に身を固められた新型MSが安置され、青色と基調を
装甲板、腰に装着された二対の実大剣は見る者を圧倒する。
 工業規格製品に見られがちな質実剛健の趣こそ無いが、丸みを帯び曲線で構成された
機体は、量産機には無い一品物の風格、ある種の職人のこだわりのような気概が見て取れた。


「OOガンダム…か」


 OOガンダム。
 一度は、国連軍によって滅ぼされたソレスタルビーイングが、もう一度戦争根絶を掲げ
る為に用意された、新生ソレスタルビーングの御旗となる機体だ。
 CB技術部の持てる技術とデータを全て集約させた新型ガンダムの一機だ。
 シールドは依然調整中なのか、OOの隣で今も作業中のようで、溶接の光がバチバチと
昇っている。
 ふと、ネーナがラボのラウンジを見上げると、強化ガラスの向こうに桃色のノーマルス
ーツに身を包んだ王留美の姿が瞳に映った。


「王留美?あのお嬢様がどうして?」


 ガラスの向こうで手を振る王留美にネーナは、愛想笑いを浮かべ、データ処理を続ける
イアンの端末を覗き込む。
 ディスプレイの隅に、王留美の顔が映りこみ、ネーナは背筋に嫌な感触を覚えた。
 本音を言えば、ネーナは王留美が嫌い、いや、苦手だった。
 片手で数える程しか会った事は無いが、王留美のネーナを見つめる険のある視線には毎
回「ご勘弁願いたい」と思うし、特に人を食ったようなと言うか、中身を見透かそうとするあ
からさまな視線が気に食わない。
 ここまで執拗にあからさまな敵意を向けられれば、流石のネーナも辟易してしまうし、
何より、穏やか過ぎる笑顔のまま向けられる害意と言う物は、感情表現豊かなネーナにと
って未知の領域であり想像の外の感情だった。


「滅多な事は言わないでくれよネーナ。王留美はCBのエージェントだが、同時に大事な
スポンサー様なんだ。新型が見たいと言われれば、見せないといけないのが、現実って奴
だな」
「はいはい、そりゃよかございました」


 今は気に食わないスポンサー様よりもOOガンダムだと、ネーナは、処理されたデータ
を食い入るように見つめる。


「新システム…やっぱり安定しないわね」 


 端末にはGN粒子の励起状態を表示するアプリケーションが走らされているが、OOの
出力を表現するグラフは、不定形状に固定され安定していない。


「ゲインを瞬間的に振り切ったと思えば、次の瞬間には起動指数を割るか。こうまで不自
然だと、テストパイロットに問題があるんじゃないのか、お嬢ちゃん」
「失礼ねえ。私は善人じゃないけど、実験とちる程間抜けじゃないわ。システムが不安定
なのはハード的な問題でしょ。こっちに振らないでよ」
「違いない。今のは技術屋失格だ。黙ってスルーしてくれ」
「はーいはいはい…でも、ツインドライブシステム。二機の太陽炉を同調させ粒子加速増
大させる新技術。その際の出力は二倍では無く二乗化され、トランザムシステムに並ぶイ
オリアからもたらされた遺産の一つか…何回聞いても眉唾よねぇ、現に動いてないし」
「失礼な。動くが安定しないだけだ。そりゃ実戦で使うとなれば考えもんだがな。現在の
状態でもOOはエクシアの三倍強の出力はあるんだ。新型としては及第点だと自負しとる」
「それは伯父様達の成果でしょ。今のOOガンダムは、ツインドライブの性能をこれっぽ
っちも使ってないの。そんなの意味無いじゃない」
「ごもっともだ。確かに意味が無い。毎回手痛いなお嬢ちゃん」


 エクシアを改良新造させたプロポーションをしながらも、エクシアとOOガンダムには
絶対的な差異がある。
 CBのガンダムタイプには太陽炉は通常一基しか使用されない。しかし、OOガンダム
にはツインドライブシステムの根幹を支える太陽炉が両肩に装備され燦然と輝いている。
 太陽炉などの器官技術はイオリアにおんぶに抱っこのCB技術者だが、MSの基本設計
はイアン達生え抜きの技術者達が携わっている。
 機体単体の性能を褒められれば、素直に嬉しい物だが、肝心のシステムと連動しなけれ
ば宝の持ち腐れだろう。


「これで、わしらの持つ全ての太陽炉のマッチングは済ませてしまったわけだ」
「残された太陽炉は、エクシアのみか…ったく、あの馬鹿一体何処をほっつき歩いてるん
だか」


 国連軍との最後の戦いから四年。
 ネーナの前から姿を消した刹那は依然見つかっていない。
 刹那ばかりだけでは無い。
 ロックオンは死に、アレルヤも行方不明。
 ガンダムマイスターの内、三人を失ったCBは刃を失った剣に等しく、国連軍の追撃を
恐れ、地下に潜ったネーナ達は、彼らを大手を振って探す事も出来ずにいた。
 ネーナ達、残された人間に出来る事は、彼が戻る事を信じ反撃の狼煙を上げる為に、彼
らの機体を作り続けるだけだ。


「データ登録終了。起動試験ご苦労さんお嬢ちゃん。後はゆっくりシャワーでも浴びて休
んでくれ。なんなら、わしと一緒に入るかお嬢ちゃん?」
「変態中年…デスヨと奥さんにチクるわよ」
「…勘弁してくれ」


 茶目っ気と嫌味を程よくブレンドしたネーナの視線に顔を引きつらせ、イアンは端末を
閉じ、OOの整備をハロ達に指示を出し溜息を付いた。
 本当は人の手による整備の方が遥かに効率的なデータ採取や整備マニュアルの改訂には技
術的には遥かに有意義なのだが、人員や資金の問題よりも人員不足が致命的な問題として
CBの運用に影を落としている。
 この秘密ラボにもイアンとネーナ、医療班とソフト開発担当のアニューの五人しか滞在
していない。
 国連軍との戦いでCBの人員も随分と減ってしまった。
 質の問題ではなく単純に純粋な量の問題なのだ。
 四年前は、もう少し無鉄砲に勢いと理想だけで進んでいけたはずが、今はやたらと昔を
考えてしまう。
 イアンは、目頭を押さえ「たった四年で随分と歳を取ってしまった」と自嘲気味に呟い
た。


「お嬢ちゃん」
「なによ、汗臭いから早くシャワー浴びたいんだけど」


 だが、嘆く暇があれば、今は前に進む事だ。 
 でなければ無数の屍の上に立っている自分達が、道化以下の存在に成り果ててしまう。
 死んでいった者達に報いる為にも、今はがむしゃらにでも前へと進む勇気が必要なのだ。


「三時間前、エージェントから連絡があった。近々カタロンの部隊がアロウズ直轄の収容
所へ襲撃をしかけるらしい」
「へぇ。民間上がりのレジスタンスが最精鋭の部隊に喧嘩吹っ掛けるの…負けるわよ」
「やって見れなければ分からないと言いたい所だが、旧式の機体ではアロウズには勝てん
だろうな」
「見捨てておけないってわけ?相変わらず我らがCBはお優しいわね」」
「ティエリアの指示だ。エージェント経由で警告はしたらしいが、どうも押さえ込めんら
しい」
「あの眼鏡、相変わらず甘い過ぎね」


 カタロンとは圧政を敷く地球連邦に立ち上がった、反地球連邦組織の名称だ。
 構成員の殆どが地球連邦の直轄特殊部隊『アロウズ』の存在に異を唱えた、ユニオン、
人革連、AEUの軍人達だが、練度は兎も角、旧式の機体ではアロウズの標準装備である
擬似太陽炉搭載機には、大きな遅れを取る頃は間違いない。
 襲撃作戦には、それ相応の人員を投入するらしいが、やはり、勝敗は"比"を見るより明
らかだろう。


「恐らくこれがアロウズとの始めての実戦になる。Oガンダムの整備も上々だ。いけるか
お嬢ちゃん?」
「誰に物聞いてるわけ、伯父様。これ以上お預けだったら、機嫌の良い猫でも爪だしちゃ
うんだから」


 ネーナは、戦意を隠す事もせず、猫のようにすっと目を細め、まだ見ぬ敵に向け薄く笑
う。その様子が捕食寸前の獰猛な猫科の肉食動物のように思え、イアンは、思わず身震い
してしまう。


「分かった、分かった。あまり年寄りは威嚇せんでくれ。お嬢ちゃんの覚悟は四年前に嫌
と言う程聞かされた。そして、わしらは行動として見てきた。今更信用だ信頼だなんて言
葉は陳腐だったな」
「ご明察、決意表明はしたから、後は行動で示すだけなのよ、私の場合は」


 暫く実戦から遠のいているとは言え、ネーナは、あの悪名高きトリニティの一員だ。
 味方となった今は頼もしい事この上無いが敵だったらと思うとイアンは背筋が寒くなる
思いだ。


「それで、お前さんのコードネームはどうする?やはり、トリニティの名を使うのか」
「そうね、私、もうトリニティ(三人)じゃないしね」


 トリニティであるネーナは、四年前に死んだ。
 今、この世に存在するネーナは、サーシェスに対する憎しみと刹那への執着で出来た、
ネーナ・トリニティの残滓にしか過ぎない。


「それにあの馬鹿から、もう無駄に殺すなって言われてるしね」
「そうか…なら、どうする?」


 破壊の後に新生が訪れる。
 以前のソレスタルビーイングは、国連軍と世界の歪みによって破壊された。
 ならば、破壊を受け入れ、来るべきに備え耐える時間は終わりを告げた。
 ネーナの脳裏に四年前の刹那の顔が浮かぶ。 
 あれかた四年も経った。ネーナのチャームポイントだったソバカスは消え、少女の面
影こそ残しているが、ネーナは出る所はしっかりと出た大人の女性に一歩も二歩も踏み
込んでいる。
 身長も七センチも伸びた。バストのカップも二つも増えた。ヒップは大きくなり過ぎ
た気もするが、小さすぎるよりは良いだろう。
 四年前、刹那とネーナの身長は、殆ど変わらなかったが、今はどうだろうか。
 自分がこれだけ分かりやすく成長したのだから、刹那はどうなっているだろうか。
 良い男に育っている、むしろ育って貰わねば困るとネーナは思った。


(まっ、会ってからのお楽しみか)


 何せセカンドキスまで上げた相手だ。
 腕を組んで恥ずかしくない位には、身長は伸びていて貰わねば困ってしまう。
 逸る気持ちを抑えながら、ネーナは「再開の時は近い」と明確な予感を抱いていた。


「伯父様、私、コードネーム決めたわ」
「了解だ。それでどうする?」
「私の名前はネーナ。ただのネーナ。新生ソレスタルビーイングのネーナよ」


 華のような笑みを浮かべ、何処までも挑戦的な瞳のまま、ネーナは、呆気に捉えるイ
アンを他所にOOガンダムを睨みつけていた。


次回予告

機動戦士ガンダムOO-FRESH VERDURE-
第六話「イゾラド」

---舞台は四年後へと移り、世界はただ緩慢に続いて行く。



近々投稿します。



[21592] 第六話「イゾラド」
Name: 段ボール◆c88bfaa6 ID:c80c24c9
Date: 2010/09/12 14:48
 悠然と降り注ぐ星の光。
 何度も見慣れた地球の青い輝きに、沙慈な溜息を漏らした。
 軌道エレベーターの高軌道オービタルリングの外壁の隙間に、背中から伸びたホー
スを射しこみ、放射線抑止用の充填剤を注入する。
 硬化ベークライトの赤黒い粘度の高い物体が、オービタルリングの外層に芋虫のよ
うに入り込むのを見て、沙慈は尚更深い溜息をついた。
 学校を卒業して宇宙開発事業公団の採用試験を受けたが結果は不採用。
「三次試験まで行けただけでも奇跡だ」と教師は慰めれてくれたが、採用されなけれ
ば一次落ちも三次落ちも変わらない。
 併願していた、宇宙開発に携わる大手企業や研究機関も尽く惨敗した沙慈は、教師
の伝手を頼り、公団の協力会社に滑り込み、ルイスとの再会を信じ現在に至っている。
 しかし、希望に満ち溢れた四年前とは裏腹に沙慈の心はゆっくりと荒み始めていた。
 沙慈が今、就いている仕事は、学生時代に学んだ事がこれっぽっちもいかされてい
ない、いわば"誰にでも出来る肉体労働"だった。
 現場の自動化が進んだ昨今の宇宙開発において、ノーマルスーツと機材の使い方、
そして、ごく一般的な物理と"算数"の知識があれば本当に誰しもが出来る仕事。
 嫌な言い方をすれば、誰にでも出来る仕事にしか沙慈には就く事が許されなかった。
 宇宙開発は、国の威信を賭けた一大開発事業だ。
 優秀なだけの人間では到底立ち入る事の出来ない聖域でもある。
 トップエリート達を選別に選別を重ねて捻出される宇宙開発の根幹を司る最前線の
担い手の一員になるには、沙慈のレベルではまだまだ足りなかった。
 後、何年か努力を重ねれば、もしかしたら、合格出来たかも知れない。
 しかし、若い沙慈には今を"耐える"事がどうしても出来なかった。
 ガンダムに関わったが故に、沙慈は多くの物を失い続けて来た。
 ジャーナリストで女手一つで沙慈を育ててくれて姉の絹江は、ガンダムを追い、沙
慈が知らぬ国で帰らぬ人となった。
 体温を失い物言わぬ人形になってしまった姉と再会した時、沙慈はガンダムをCB
を殺意だけでは言い表せない程憎んだ。
 絹江だけではない。
 ガールフレンドだった、ルイスもそうだ。
 親戚の結婚式に出席したルイスは、ガンダムが放った凶弾で体と心にも深い傷を負
った。
 傷ついたルイスは、沙慈に別れこそ告げなかったが自ら姿を消した。
 宇宙で会おうと約束とも言えない言葉を残して。
 ルイスが沙慈との連絡を断って四年。
 宇宙での仕事に希望を乗せ、ルイスとの再会を信じていた沙慈も、もうそろそろと
現実が見えようとしていた。
 沙慈・クロスロードはルイス・ハレヴィに振られた。
 こんな単純な理屈もルイスとの約束が邪魔をして、現実を受け止める事が出来ない
でいる。
 それが互いの為だと思いながらも、みっともなく約束と言うか細い希望に縋りつい
ている自分を沙慈は女々しく、そして、情けないと感じていた。
 こんな情けない男だからこそ、ルイスに愛想を尽かされたのだと、自虐にも似た笑
みを零し、ふと、地球の蒼い姿を見つめた。
 何百年も前、初めて宇宙から地球を見た、人類初めて宇宙飛行士は、地球を青く美
しいと言った。
 そして、来るべき大宇宙時代へ向けて人類の躍進を約束した。
 しかし、沙慈はそんな大先輩が予見した未来に生きていながらも、全く別の印象を
抱いていた。

 ---宇宙は人を腐らせる、と。
  
 ただ、世界は緩慢に続いて行く。
 あるべき姿を取り戻すように。



機動戦士ガンダムOO-Fresh verdure
第六話「イゾラド」


『おはようございます刹那』

 耳を打つ明るい声に急かされるように、刹那はゆっくりと目を覚ました。
底抜けに明るい声とは打って変わって、エクシアのモニターから見る宇宙は暗く陰
鬱な光を灯している。
 刹那は、まるで、今の自分のようだと自嘲気味に呻き、コクピットの時刻を確認し
た。
 時刻は既に午後八時を回っている。
 寝過ぎたと刹那は焦ったが、周囲の様子は眠りこける前と同じ静寂を保ち続けてい
た。
 刹那はほっと一息付き、マグボトルに残った栄養剤を胃の中へ流し込んだ。

『おはようございます刹那』

 コミュニュケーション用の簡易AIが壊れたレコードのように決められた言葉を繋ぎ
続ける。
 刹那はAIの声に幾分かうんざりとするが、もう慣れた物なのか頬を僅かに緩めた。
 ある程度自分で考え自分で行動するハロと比べると雲泥の差だが、無線封鎖と隠密
行動が常だった孤独な刹那にとってAIの合成音声は機械とは言え、自分以外の貴重な
声だった。


『おはようござ、』
「分かっている。おはようだ」
『…はよう…ご』
 
 刹那の問い掛けにAIが「ブチ」と不貞腐れたように反応を切る。
 物珍しさと自棄気味の微妙な気分が相まって、中東の闇市で購入したAiだったが、
エクシアの基板に強引に乗せてだけの雑な設置では、チップがそろそろと限界のようだ
った。
 刹那は深く嘆息し、むっちりとした表情で眼前の宇宙を見つめる。
 別段苛立っているわけでは無かったが、作戦前の緊張を小馬鹿にされたような気がし
たのも事実だ。
 刹那の操縦するエクシアは、戦艦程度なら楽々覆い隠せそうな巨大な岩塊の隅に敵に
怯えるように身を潜めていた。
 対物センサーとECM素子が編み込まれた防護布をマントのように、エクシアに巻きつ
けている様は、四年前世界を混沌と闘争の渦に巻き込んだ機体とは思えない程みすぼら
しく貧相だった。
 エクシアの象徴とも言えるGNソードは、根元から折れ、刃こぼれも相まって棍棒に
しか見えない。
 左腕は肩口から弾け飛び、インナーフレームが骨のように競りだしていた。
 特徴的なツインアイは片眼が抉れ、奥から伸びた配線が目の視神経のようにだらしな
く、垂れ下っている。
 蒼と白銀の装甲は、見るも無残に傷つき、表層に無数の傷が網目状に走り、応急処置
とばかりにティエレンとイナクトの装甲が貼り付けられ、形だけの重装甲がまた悲哀を
そそる。
 傷ついたエクシアは、孤高の戦士が操る誇り高き騎士では無く、怨念を纏い、現生を
彷徨い歩く亡者、亡霊と言い変えた方がぴったりだった。

「あれが…アロウズの強制収容所か」

 エクシアが隠れ忍ぶ先には、岩塊よりも巨大な資源採掘用コロニーが悠然と立ち構え
ている。
 採掘された資源を運び出す為の輸送艦が日に何往復もし、護衛のMSが周囲を油断無
く警戒している。
 警備に配置される重武装のMS、日に何隻も往復する小型輸の輸送艦。
 一応公的には資源採掘用のコロニーと宇宙開発事業団に登録されているが、昨今設立
された独立治安維持部隊"アロウズ"の強制収容所である事は公然の秘密だった。
 アロウズは、地球連邦、取り分けアロウズに弓を引く人間には容赦は無く、老若男女
問わず厳しく弾圧して来た。
 推定無罪の精神もアロウズの前には虚しく響き、恒久平和の為に何人も罪の無い人々
が無実の罪で命を散らしてきた。

「これが俺達の生んだ歪みなのか」

 四年間の放浪の末、刹那は世界の現状をその目とその耳で見聞きして来た。
 自分達の行動が世界に一筋の光明を生みだし、戦いの犠牲が決して無駄では無かった
と確認したかったのかも知れない。
 しかし、結論から言えば世界は変わっていなかった。
 戦争と貧困は続き、富める者はより豊かに富め、貧しき者はその場の食事にも困る
有様だ。
 とりわけ刹那の故郷である中東は酷い現状だった。
 軌道エレベーターの恩恵に預かれない諸国が多い中東では、未だ国を支える主要エネ
ルギーは化石燃料だ。
 化石燃料の消費量が、一時期に比べ世界的に現象としたは言え、二十一世紀初頭から
枯渇が深刻になり始めた燃料だ。
 限り有る資源を奪い合い、小競り合いにも似た紛争は数えるのが馬鹿らしいほど、毎
日だった。
 自国に採掘基地を持つ国が潤い、他国を従属させる。
 世界に従わない国を恒久平和の名の下にアロウズが粛清する。
 神の手を疑う情報統制と規制によって、貧しい国々の真実は世界に明るみに出る事は
無い。
 世界は刹那達が決起する前を何も変わっていない。
 ただ、緩慢に傲慢に強者が弱者を虐げる平穏な日常が続いている。
 しかし、何かが違う。
 今の世界は、何かが決定的に違ってしまった
 四年前、世界はCBを世界の共通の敵とする事で一つとなり、刹那達は世界と戦った。
 しかし、それは、現在のアロウズのような存在を生みだす為では決して無い。
 刹那達は刹那達なりに世界の行く末と現状を憂い、悲しみ、憎み、世界の歪みを正す
為にエクシアのガンダムマイスターになったのだ。
 歪んで変容してしまった世界を生みだす為に戦ったわけでは無い。
 
「俺は…ガンダムだ」

 刹那は我知らず目を伏せ、後悔と共にエクシアのスロットルを吹かしていた。




「こんな…馬鹿げてる」
「キリキリあるかんか、馬鹿者が」

 パンと漫画でしか聞いた事のない鋭い鞭の音がが沙慈の耳朶を打ち、溶鉱炉から漏れ出
す火花が防護服を煤けさせる。
 機械油の独特の濁った匂いと刺激臭で喉と鼻を痛め、防護服こそ来ているが溶鉱炉から
漏れる高熱は作業者の体力を着実に奪っていく。
 自動機械を使わない、高重力空間作業はまさに拷問に等しかった。
 自動機械が掘り出した鉱物資源をトロッコへと"人力"で押しこみ、輸送艦が待つ埠頭へ
と押し続ける。
 機械を使えば効率的に鉱物資源を採取出来るはずが、資源コロニーの支配者であるアロ
ウズは非効率と分かりきって人の手で採掘を続けさせている。
 僅かな休息と粗末な食事で、何人もの作業者が帰らぬ人となった。
 これは、生産活動では無く、アロウズに逆らった人々に対する恒久的な拷問なのだと、
沙慈はトロッコを押しながら毒づいた。

「ちっアロウズの犬が」

 沙慈の隣で同じくトロッコを押す目付きの悪い男が、沙慈と同じようにアロウズの監督
官に毒づく。
 彼と沙慈は、取り分け親しかったわけでは無いが、長年一緒に仕事をして来た仕事仲間
だ。
 仕事が終わり、シャワーを浴び、雑談混じりの愚痴をこぼしていると、突然控室に軍警
察が乱入して来たかも思えば、沙慈は男と一緒に無実の罪で強制収容所に収監されてしま
った。 
 男が反地球連邦組織カタロンだと知ったのは、護送船の中のことだ。
 巻き込まれたと感じた一方で、何かの間違いだ、調べれば分かると沙慈は何処か他人事
のように考えていたが、蓋を開けてみれば 満足な取り調べも始まらず、裁判は愚か弁護
士を呼ぶ暇も無く強制収容所送りだ。
 沙慈もアロウズの特異性に薄々気付きながらも、経済特区出身の彼は、未だ話せば分か
ってくれる、投獄は何かの間違いだと祈るような気持ちを捨てきれずにいた。
 当然、無実の罪を訴えたくとも、アロウズは沙慈の話を聞く耳持たなかった。
 
「へっ、心配するなよ沙慈、近いうちに俺達の仲間が助けに来てくれるからよ」

 口を開けば仲間が助けに来るの一点張りだ。
 そんな調子でもう二週間以上経っているが、助けが来る気配は一向に現れなかった。

「僕には…カタロンもアロウズも区別がつきませんよ」
「お前…こんな状況で良くアロウズの肩を持とうと思うな。博愛主義もそこまで行けば感
心するぜ」
「別に僕は博愛主義で潔癖症でもありません。僕は何も悪い事をしてないんです。こんな
仕打ちを受けるなんて何かの間違いなんですよ」
「悪い事をしてない清廉潔白な人間が、こんな強制収容所でいつ終わるともしれない労働
に就かされてる。満足な裁判も無しでな。もう分かってるだろ、疑わしきは罰する。連邦
に不都合な真実は闇の中へ。それがアロウズのやり方だ。それでもアロウズは恨まないっ
てんだ。これが博愛主義でなくて何て言うんだよ」

 男の怒りでは無く、憐れみを含んだ言葉に沙慈は敢えて沈黙を貫いた。
 確かに返す言葉も信念も沙慈は持たなかったが、殊更それを主張しようと思わなかった。
 カタロンだろうが、沙慈が憎むソレスタルビーイングだろうが、戦争根絶だの、世界の
真実を日の元に晒すだの、御大層なお題目を掲げこそするが、力による反抗の対価はいつ
も決まって無辜の民の命だ。
 戦っている本人たちは良い。
 当たり障りのよい言葉と使命と自己を正当化し"客観的"に自分に酔いしれる事が出来る。
 でも、それだけだ。
 世界を変えようと銃を取った先には、ソレスタルビーイングのような滅びの道しか残され
てはいない。
 ただの人間が、力で世界を変えようなどと、おごがましいにも程があるのだ。

「地球連邦と俺達は違う。志半ばで消えちまったソレスタルビーイングとも違う」
(どっちも同じですよ、そんなの…)

 収容所の一日は長く辛い。
 こんな馬鹿馬鹿しい押し問答で余計な体力は使っている暇は無い。
 吐き捨てるように呟いた男の言葉に、沙慈は瞳を伏せ、静かに心を閉じた。
 ルイスともう一度会う為に、沙慈はこんな所では死ぬ事はわけにはいかなかった。


『ルイス…ルイス・ハレイヴィ准尉。聞こえているのか』

 通信から先任士官であり、ルイスの上官であるバラック・ジニンの苛立った声が聞こえ
る。
 軍規でも上官の命令は絶対で、部下は上官の命令に速やかに応じる義務がある。
 新人とは言え、ルイスも軍に身を置く人間として、そんな当たり前の"社交辞令"は身に
ついているが、簡潔に言えば、彼女はそれどころでは無かった。
 赤く塗装されたジンクスのコクピットでルイスは胎児のように蹲り全身を襲う痛みに耐
え忍んでいた。
 寒気と熱気が入り混じった悪寒が背中を駆け抜け、胃が撹拌されたような不快感が喉奥
から競り上がり、胃液で焼ける痛みを押さえ込む。
 目が霞む中、ルイスは、振るえる手で腰のポーチから薬瓶を取り出し、小粒の薬を無造
作に口に放り込む。
 ガリと奥歯で薬を砕くと甘い香りが鼻腔を擽り、柑橘類系の刺激匂で口腔が満たされる。
と全身を襲っていた痛みが嘘のように引いていく。

「聞こえています。大尉」
『准尉聞こえているなら、返事くらいしろ』

 アヘッドのコクピット内、オールビューモニターから覗く景色は四年前、ルイスが居た
現実とは似ても似つかぬ異質な景色だった。
 地球圏独立治安維持部隊"アロウズ"が運用するイーストシミター級戦艦"デルフィング"
の格納庫では、出撃前の喧騒に俄かに活気づいていた。
 キャットウォークには、無数の整備員が走りまわり、疑似太陽炉に直結された野太いケ
ーブルが無重力空間を生き物のように蠢いている。
 疑似太陽炉から溢れる赤い粒子にルイスは顔をしかめ、もう一度コクピットの中を見回
した。
 メインフレームこそGN-Xの物を流用しているが、ルイスの乗る"アヘッド"はアロウズが
新規に開発した疑似太陽炉搭載機として最新鋭の機体だ。
 准尉と言う中途半端な身分と士官教育を満足に受けたルイスでは逆立ちしても乗れる機
体では無かったが、スポンサー様が上手く取り計らってくれたようだ。
 ルイスの首の動きに連動し、アヘッドの四つのメインカメラが怪しく蠕動する。
 ルイスの目の前には、ジニンのアヘッドと随伴のアヘッドが鎮座し、垂直式カタパルト
で出撃の時を今か今かを待ち構えている。
 巨大な鉄の塊の中でルイスは、失くしてしまった左腕を握りしめ、無意識に首からかけ
た指輪を手に触れた。
 ノーマルスーツ越しでも分かる指輪の感触に、ルイスは自嘲気味な笑みを零す。
 四年前、ソレスタルビーイングに復讐を誓い、全てを捨て去った頃の景色とは、ルイス
が今見てる景色は、本当に何もかもが違っていた。

『初陣で緊張するのも分かる。しかし、今から俺たちが向かうのは戦場だ…気を抜いてい
ると死ぬぞ』
「すいません」
『…敵を落とせとは言わん。死なないよう俺の後を付いてこい。今はそれ以上望まん』

 上の空のルイスの態度にジニンは呆れ顔で通信を切ってしまった。
 申し訳ないと思う反面、薬が効いている時のルイスには正常な判断がつかない。 
 先刻のように、熱に浮かされたように"楽しかった"頃を思い出すなど、ルイスにはあっ
てはならない事だった。
 ほんの一瞬だけ沙慈の顔が脳裏に浮かぶ。
 ルイスは、頭を振り、沙慈の笑顔をかき消し、苦しい願いを胸の奥へと押し込める。
 ルイスの体はガンダムのGN粒子によって細胞レベルで深い損傷を受けている。
 定期的に細胞異常を抑制する薬を飲み続けなければ、体中の細胞が変異しいつしか死に
至る病だ。
 ルイスの細胞異常は失くした腕だけに留まらない。
 有体に言えばルイスは、もう新しい命を宿す事は愚か、女性として生理機能をも失って
いる。
 ルイスの手が無意識に下腹部に当たる。
 新しい命を宿し体内で育む行為は、女性としての特権だが、ルイスは、その権利を失く
してしまった。
 彼女がどんなに望んでも、彼女の"女性"としての部分はもう"男性"の"愛"を受け入れる
機能を失っている。
 どんなに刺激を加えようとも排卵は愚か、蠕動も収縮も分泌もしない、本当にただ有る
だけの臓器になり果ててしまった。
 きっと、沙慈はこんな体になってしまったルイスを優しく受け止めてくれるだろう。
 だからこそルイスは、沙慈に別離を告げる他無かった。
 心だけの繋がりでは、いつか必ず限界が訪れる。
 女だからこそ、そう遠く無い未来に訪れる"限界"を直感によって悟り、自ら身を引いた
のだ。
 何より汚れてしまった"体"では、沙慈を繋ぎとめる自信も愛して貰える資格も無いとル
イスは思っていた。

『カタロンの襲撃がはじまったようだ。ハレヴィ准尉』

 息つく暇も無く再度伝わって来たジニンの言葉に、ルイスは無意識に表情を引き締めた。
 襲撃はまだ先だと情報部からの見立てだったか、どうやら事態は性急に動き始めたよう
だった。
 間抜けなのはこちらの情報屋なのか、カタロンなのか、ルイスにはどちらにも文句を言
いたい気分だったが、グッと堪え、操縦桿に力を込めた。
 薬も抜けきらない内からの初陣は正直に言えば不安は残る。
 しかし、不幸が時と場所を選ばないように、戦場も状況と手段も選ばないのだろう。

『オートマトン"TATIKOMA"の投下後は、各々の判断でカタロンに応戦しろ。敵の
機体は旧型だが気を抜くなよ。未だ地球連邦に逆らうテロ屋に一撃をお見舞いする。ハレ
ビィ准尉は私の直援に回れ』
『…了解しました』

 小さく、しかし、重苦しい決意を込めルイスは一人呟く。
 ジニンもルイスの並々ならぬ決意を感じ取ったのだろう。
 それ以上は深く言わず通信を切った。
 ジニンは、ルイスが気負っていると感じつつも、新兵はその位が丁度良いと表情を引き
締めフットペダルをに力を込める。
 ガンと機体を支えていたハンガーが解放され、疑似太陽炉に直結されていた有線がコネ
クタと同時に弾け飛ぶ。
 バチン、バチンと余剰電力が火花を散らし、全圧力から解放されたアヘッドが三機、宇
宙に解き放たれる。

『ジニン小隊出撃するぞ』

 ジニンの怒気を孕んだ声に、ルイスもフットペダルを同時に吹かした。
 アヘッドの四つ目が戦意新たかに明滅し、疑似太陽炉が赤い血のような粒子をまき散ら
し、漆黒の空を血のように染めた。


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