食堂の喧騒から離れ校内を散策していると、無性に喉が渇いた。
よくよく考えれば、マーボーの様な辛い食物を水無しで食べたのだ。
そりゃ喉も渇くっちゅーねん。
「み、みず……みずをくれ……」
何となく砂漠を放浪する旅人風に廊下の壁にもたれながら歩いた。
水が欲しい。
今は他のどんなものよりも水が欲しい。
「プリーズミーモアウォーター!」
エキサイト訳:『以上が水をやらせる私をお願いします!』
実際にここは砂漠ではないので、それこそトイレに行けば好きなだけ蛇口から水は出る。
しかし、トイレの水を飲むような非紳士的行為を取る訳にもいかない。
俺は黒須太一。
全世界の少年達の憧れるスーパー紳士なのだ。
休日ともなれば、手術を控えている少年の元を訪ね、ホームランの約束をする。
そんな俺が情けなくもトイレの水道に齧り付いて水を飲むなどという、野蛮このうえない真似をするわけにもいかない。
真似。
まね。
マネー。
そう、マネーだ!
確か天使ちゃんと日向が言っていた。
事務所に行けば、奨学金が貰えると。
そうとなれば、すぐさま事務所に言ってマネーを貰おう。
†††
「あ~、金は天下の回り物~、マネーが無くちゃ何も出来ないこの世の中ー、ハーハーン♪」
事務所に行くと、特に面倒な手続きも無く、ただ名前を名乗るだけで金の入った封筒を貰えた。
どういうシステムかは分からないが、既に俺はこの学園の生徒として登録されているらしい。
封筒を弄びながら即興で歌を紡ぎながら歩く。
「……お。あそこに見えるは自動販売機」
丁度いいや。
あそこで飲み物を買おう。
「さあ、この黒須太一の前に平伏し、その身に宿す水分をよこすがよい」
自動販売機の前に。
お茶、紅茶、炭酸、スポーツ飲料。
色んな種類の飲み物があった。
突然だけど、自動販売機って凄い世界っぽい。
全く違うの味の物が一つの箱に詰められているところとか。
一つの大陸に色んな人種が住んでいる俺達の世界を彷彿とさせる。
こうなんていうか、一つの完結した世界だよね。
こんな感じに世界を自動販売機に例えたりする俺のポエマー度はかなりのものだと思う。
「よし。せっかくだから俺はこのKEYコーヒー……の隣のFlyingShineコーヒーを飲もう」
何か惹かれるものがある。
硬貨を投入。
学園価格なのか、硬貨一枚で購入可能だった。
ボタンが点灯。
目的のコーヒーのボタンをプッシュ。
「……?」
あれ?
おかしいな。
出てこない。
「……そしてボタンが消灯した」
……。
……ふーむ。
これはあれか。
飲まれた、ということか。
「……ま、いいさ」
これもまた運命。
百円飲まれたくらいで、怒る黒須太一ではない。
世間では仏の太一と呼ばれている俺だ。
いや、実際元の世界で仏壇に写真が飾られてるかもしれんけど(死後ジョーク)
「別のにしよう。じゃあこの……KIDコーヒーだ」
再び硬貨を投入。
ボタン点灯。
ボタンプッシュ。
無反応。
の・ま・れ・た(二回目)
「ビーーーーーッチ!!!」
怒った。
仏の顔は三度までならぬ、黒須の顔も二度までだ。
「何枚も何枚も咥え込みやがって、この淫乱自販機がー!」
自販機にしなだれかかり、釣り銭レバーを三三七拍子のリズムで上下させる。
カチカチカチカチ。
「俺の汗水が染み込んだマネーを返せよぅ!」
自販機を揺する。
ガタガタガタ。
別に俺が汗水流して得た金では無いが、そうしておいた方が悲壮感が増すのだ。
『……』
自販機は当然ながら無反応だった。
そして俺には彼(擬人化)がこちらを嘲笑っている様に思えたのだ!(喉が渇きすぎて錯乱している可能性アリ)
「返す気は無いか。ならば戦争だ! ウオー! ウォー!」
あちらから仕掛けてきたから、こちらには大義名分がある。
ボコボコにして、倍額払わせてやんよ!
俺は自販機を正面に見据え、カラデの構えをとった。
ここで俺が習得しているメタアーツ、カラデについて語ることはしない。
既に大衆に認知されつつあるこれを説明することなど時間の無駄だからだ。
さて、このカラデ。
自動販売機相手に通じるのか、という疑問があるだろう。
本来カラデとは、地球外生命体(エイリアン)を相手取る為のアーツ。
機械に通用するのか?
A,します。
カラデとは体内の水分に衝撃を与えることで内部から相手の肉体を破裂させるアーツ。
体内に水分を、だ。
自動販売機とは何だね?
そう、水分を放出する機械。
人間なんかとは比べ物にならない量の水分をその内に保有している。
こうかはばつぐんだ。
カラデは自動販売機の天敵と言えよう。
「せっ!」
裂帛の気合とともに突きを放った。
顎(に当たるであろう部分のペットボトルが並べられている場所)に右拳を打ち込む。
「せやっ!」
連続して、ほぼ真下。
股間(に当たるであろう取り出し口)に左拳を打ち込んだ。
微動だにしない自販機。
硬い。
尋常じゃなく硬い。
しかしカラデに表面的な防御力は問題ない。
カラデは内部にダメージを与える格闘技だ。
一見無傷でも、そのダメージは蓄積されているはず。
「さいっ……ぁん!」
突きが釣り銭のレバーに直撃したため、情け無い声が出てしまった。
ぐ、ぐぅ……狙う場所も選ばないとこちらが自滅しかねん……!
「ぱいっ!」
引き続き比較的柔らかそうな場所を狙う。
相手に傷一つ付かず、こちらの拳には傷が刻まれていく。
しかしめげない。
少しづつ積み重ねれば、いつかは倒せるはず。
そも相手は攻撃をしてこない。
文字通り棒立ちだ。
こちらの一方的な攻撃。
仮に相手のHPが9999あり、こちらの打撃で1しかダメージを与えられなくても、9999発打ち込めば倒せる。
「ここだッ!」
直感で、釣り銭取り出し口を狙った。
吸い込まれる様に狭い入り口の中に入る右拳。
内部からズンという鈍い音。
どうやらより内部に近い場所に攻撃したことで、深いダメージを与えたらしい。
「ククク……ここが弱いのかい?」
突き込んだ拳をグリグリと中で回転させる。
気分は傷口に銃口を突きつける西部のガンマンだった。
「へへへ、じゃあもう一発お見舞いしてやんヨ!」
釣り銭口から右手を引き抜き、今度は左手を突き込もうと――
「……んん。あ、あれ? お、おかしいな」
引き抜く。
引き抜く
引き抜く。
「ふんっ、ぬんっ……ぐぬぬぬ! うーおーがーがががががががが! スキャンティー!」
色々と掛け声を変えつつ、引き抜こうとする。
しかし右拳は抜けない。
釣り銭口という名の、三段締め風名器の如き圧力が俺を逃さないのだ。
な、なんということだ……!
一見無抵抗だったこの自販機。
それはフェイクだったのだ!
そして俺はまんまとその罠にかかり、こうして捕えられてしまった!
「オーエス! オーエス!」
釣り銭口が低い位置にあるので、座って引き抜こうとする。
どれだけ思い切り引っ張っても抜けない。
自販機の正面を地面に見立てて、足を立て引き抜こうとするがやはり抜けない。
「ふんぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」
え、えらいこっちゃ。
ほんとに抜けない、冗談抜きで。
いや、マジでこれやばいよ。
抜ける気配が全く無い。
こ、こういう時はフレンズメモリーを使うんだ……!
<フレンズメモリー>
そのまま友人との記憶である。
太一の記憶にある友人達の言動、行動からその人間がその状況で言うであろう言葉を再現するのだ。
記憶が鮮明であれば鮮明であるほど、再現度は高い。
よーし。
えーとじゃあ、冬子だ。
こういう時冬子ならどう言うか。
冬子『フフフ……腕、斬っちゃえばいいんじゃない?』
怖い!
本当に言いそうで怖い!
あー、いやしかし、それも一つの手段としてはアリじゃないか?
死なないらしいし。
い、いやいや……親からもらった健康の体、そんな簡単に切ったり繋げたりしちゃいかんでしょ。
そんな密室脱出系の映画じゃアルマーニ。
よしじゃあ友貴だ。
俺達三人仲良しトリオの参謀役だったアイツならこの状況を何とかしてくれる案を出してくれるはずサ!
友貴『石鹸だよ石鹸。こういう時は石鹸を使うに限るね』
普通!
何だよお前。そこでそんな普通の案出されても反応に困るんだよ!
これだったら冬子の前にしておいた方が良かったっつーの。
インパクト弱すぎ!
友貴『そんなこと言われても、わけかわしまづだって……』
ほ、本当に言いそうだなアイツ。
もう友貴は駄目だ。あいつはクビだ。
家で仲良くシスコンしてればいいさ。
じゃあ〆はラバだな。
全くもって期待はできんが、オチ的には期待できる。
桜庭『……困ったぞ太一。オレも右足が嵌った』
はいオチきた!
ラバらしい!
っていうか何で足が嵌るんだよ!
どういう状況なんだよ!
桜庭『……照れるな』
照れんなよ!
「……ふぅ」
ま、こんなもんだろう。
たまにはこうやって記憶の整理をしておかないと、薄れていくからな。
さ、そろそろ真面目にどうにかしないと。
いや、しかしマジでどうしようか。
うーん、むむむ。
「く、くふふふふふ……あはははは……っ」
と、突然背後から笑い声が聞こえた。
女の声だ。
拳を抜くのに必死で、気配に気づかなかったらしい。
NPC……の気配じゃない。
振り返る。
「フ、フフッ……」
同い年くらいの少女だった。
赤い髪と背負った大きなバッグが非常に目を惹く。
少女は口を押さえ笑い声を抑えているが、押さえ切れていないのか、断続的に笑い声を発している。
無論俺を見て、だ。
「……失礼だが、人を見て笑うのはどうかと思うがね、レディー?」
あくまで紳士的に対応する。
右拳を釣り銭口の中に突っ込んだままという状況ではあるが。
「あ、ああゴメン。アンタがあんまりおかしくって……ふふっ」
懲りもせずに笑う。
目の端には涙が浮かんでいた。
「あー、ほんとにゴメン。うん。もう大丈夫。笑って悪かった」
「いや、構わんよ。お名前を伺っても?」
「ああ。ガルデモ……って、ガルデモって分かる? 陽動部隊なんだけど」
ガルデモ……知らないな。
陽動部隊……聞いたような、どうだろう。
この少女も戦線のメンバーか。
そういえば戦線にはどのくらいの人間がいるんかね。
「そのバンドのボーカルをやってる岩沢。よろしく」
とても美人だったので、握手をするフリをして転びスカートを覗こうとしたが、残念ながら俺は自販機に囚われたままだった。
本当に残念だ。
岩沢。
戦線の本部で聞いた名前だ。
さて、名乗られたからには名乗らねば。
「よろしくレディ岩沢。小生の名前は――」
「黒須、だろ。黒須太一」
なんと。
既に俺の名は広まっていたようだ。
恐らくは紳士然としたイメージが広がっているんだろう。
「見た目で分かるって聞いてたけど、本当にすぐに分かったよ」
視線は俺の髪に。
しかし全く不快さを感じさせない視線だった。
俺の髪を見ても、特別気を遣わないのは正直嬉しい。
そういう性格なんだろうか。
クールな姉御っぽい印象を受けた。
「して、小生のイメージは一体どんな風に広がっているので? も、もしかして抱かれたい男ナンバー1だったり?」
「いや。ユイって子が『あの男とんでもねえ変態ですぜ! 初対面でこちらを妊娠させに来ましたよ! 岩沢さんも気をつけて下さいよ!』ってさ」
「なぬ!?」
そ、それだと俺は変態じゃないか!
い、いやまあ変態な面があることは否定しないこともないこともないですけど……。
いくらなんでも初対面の女子を孕ませようなんてせんわ!
そのユイとかいう野郎……俺に恨みでもあるのか?
こっちに来てそんな恨みを買うことをしてないし……。
と、とりあえずその不穏なイメージを払拭せねば……!
「い、いやいや! そ、それは根も葉もない噂ですぜ! 本当の太一君は誰にでも優しい、地球にも優しいエコ少年ですヨ! も、もう失礼しちゃうワ!」
必死に弁解する。
その必死さが通じたのか、特にこちらへ侮蔑の篭った視線を向けたりはしていない。
それどころか面白いものを見るかの様に笑っている。
「いや、さっきから後ろで見てたけど……ふふっ、本当に面白かった」
思い出したのか、クスクスと小さく笑う岩沢さん。
み、見られてたのか……。
これは恥ずかしい。
思わず両手で顔を覆う……が、片手は釣り銭口なので左手で顔を隠す。
目の辺りだけしか隠れないので、雑誌の素人投稿コーナーみたいになってしまった……。
「それでどうかした? さっきから自販機にえらく当たってたみたいだけど……ふふっ」
よっぽどツボに嵌ったのか、名残り笑いを浮かべる。
ちなみに名残り笑いは造語だったりする。
「い、いやね。このコシャクな自販機めがマシンの分際で人間に牙を向いてくるとですよ。私は果敢に立ち向かったが、相手の装甲を突破するに至らず、それどころかこの身を囚われてしまう次第で。ハハッ、かつて群青学園の愛貴族と呼ばれ民衆に慕われていた俺が……情け無いね、ハハッ」
仄かに過去を匂わせつつ、自嘲する。
黒須太一流女を落とすテクニックその一だ。
ちなみにこのテクニックで落とせたのは桐原さんしかいません。
「ふーん、どれどれ」
岩沢さんが近づいてくる。
近くで見れば改めて分かるが、やはり相当な美人だ。
生前はモテたに違いない。
顔立ちでいえば、曜子ちゃんに近いかな。
少し近づきがたい見た目だが、性格は思ったより柔らかそうだ。
「……釣り銭の取り出し口から手が抜けないんだ?」
小さく笑い、結合部を見ながら言った。
これは本当に恥ずかしい。
何か初めて自慰を親に見られたとき見たいな恥ずかしさがある。
まあ、そんな経験は無いんだけど。
「ふーん、見事に嵌ってるね。ってこれ……ふふっ」
何かに気づいたかの様に言った。
「な、なにか? ま、まさか腕を切断しないと抜けないとか……!?」
「あ、いやいや。そうじゃなくて、黒須さ。壷から手が抜けない猿の童話とか知ってる?」
む。
それはこの黒須太一のインテリジェンスを試そうとしているのかね?
フフフ、この黒須太一、ヤングアダルトを目指すために様々な知識を脳内に溜め込んでいる。
その中にはさきほどの童話も無論入っているさ。
確か、壷の中で金平糖を握っているから抜けないのであって、手を開けばあっさり抜けるという童話さ。
人間に当て嵌めると色々と面白い風刺だ。
手を離せば苦しみから逃れられるのに、離そうとしない。
ちょっと曜子ちゃんを思いだす。
俺を切り離せば遥かな高みへと至っていたであろう曜子ちゃん。
彼女は何故俺を手離そうとしなかったのか。
まあそれはそれとして。
その話が俺の今の状況の何か関係があるのか。
首を傾げて疑問符を頭上に浮かべていると、岩沢さんは再びクスクスと笑うのだった。