―――自由惑星同盟史の掘り尽くされ、語り尽くされた題材の筆頭という話になれば、
一番手に上げられるのは、ヤン・ウェンリーとヨブ・トリューニヒト、同時代を生きた二人の関係性ということになるだろう。
なぜ、この題材が人の興味を殊更に惹きつけたか。
最も大きな理由は、大きな空白があることがはっきりしているにも関わらず、その内容がはっきりしないからだ。
二人が私的接触を行っていたことについては、ミンツ氏等の複数の証言者があり疑う余地はないが、
ヤン・ヨブ両氏ともに自身の記録には残しておらず、詳細は完全に不明である。
また、両氏が私的な接触を行っていたことがある、という事自体が彼らの生前ほとんど知られておらず、
ミンツ氏の回顧録によって初めて公的にその事が知られた後では、どんな会話が行われていたのか、確かめることは完全に不可能だった。
現在では、接触が行われた時期と、政治的・軍事的にドラスティックな事件が発生した時期が余りに近い点から、
両者の間でそれらの事件に関する直接的・間接的な対処・対策が打ち合わされたのだろう、というのが歴史家達の一般見解ではあるが、
実際のところ、それらはすべて推測に過ぎないのである。
アスターテ会戦終結。
倍の兵力を持ちながら、ラインハルト・フォン・ローエングラムの軍事的才能に振り回されて一矢を報いるに留まった同盟は、その敗北を糊塗するために英雄を必要とした。
勿論、英雄として選ばれる側には、何の選択肢も与えられなかったが。
戦没者追悼式典におけるトリューニヒト国防委員長の演説は、ようやく最高潮を過ぎた気配だった。
(ちょっと、夢の中に片足を突っ込んでたかな?)
気にするほどの中身は無いようだったので、開始早々聞き流し態勢をとってこの時間をゆっくり過ごすことは出来たが、疲労は全く抜けてない。
事後処理、事後処理、事後処理。
ヤン・ウェンリーが所属していた第二艦隊は、旗艦が直撃を受けて幕僚陣が壊滅した為に、生き残りであるヤンの実務は一時的に激増。
一応の引継ぎが終わった今は、『当分は無駄飯食らいで過ごしたいなぁ』という燃え尽き症候群となっていた。
(お涙頂戴の演説をたっぷり1時間、台本はあるにせよご苦労様だね)
あのバイタリティだけは正直認めざるを得ない、と思いつつ、ずり落ちかけた帽子の位置を修正する。
(まぁとにかくさっさと終わってくれ。そして俺は帰って寝る。明日は一日寝て過ごす)
周りの人間が聞けば呆れるだろう心の声は胸の内にとどめ、ヤン・ウェンリーは残り数分であろう演説を聞き流すことに務めた。
が、演説は不自然に止まる。
空白の中心には、ひとりの女性がいた。
その女性を目にして、ヤンは目眩を覚えた。
(……ジェシカ? ジェシカ・エドワーズ?)
戦死した友人、ラップ大佐の婚約者……元、婚約者。
強烈に気の強い彼女が今、この場に来て何をするかに思い当たったヤンは、僅かな躊躇の後、席を立った。
「……ありがとうございます。ただ、私は委員長に一つ質問を聞いていただきたくて参ったのです」
「あなたは今何処にいます?」
「私の婚約者は、祖国を守るために戦場に行き、現在はこの世の何処にもいません。委員長、あなたは何処にいます?戦死を賛美するあなたは何処にいます?」
「あなたのご家族は何処にいます。私は、婚約者を犠牲に捧げました。
それなのに、国民の犠牲の必要を説くあなたのご家族は何処にいるの。あなたの演説はそれらしく聞こえるけど、ご自分はそれを実行しているのですか?」
ジェシカ・エドワーズの口から放たれる言葉は質問の形をとってはいたが、答えを求めていないという意味で、質問にはなっていなかった。
それは弾劾であり、怨念であった。
私は犠牲を捧げた。犠牲を捧げようともしないお前が、なぜそんなに偉そうにしている?
非常に分かりやすい。明快だ。聴衆の感情にも訴えかける。
彼女には扇動者としての才覚があったのかもしれない。
ヨブ・トリューニヒトは困惑した表情を作りながら、ごく冷静に考える。
場の雰囲気はもう完全に壊れた。
これはもう戻るまい。
ならばさっさと切り上げて、報道に編集を求めるか。
取り乱した女性に退場を促すよう警備兵に指示を出そうとした直後、第二の乱入者が舞台に上がる。
ヤン・ウェンリー。役者としては、まぁ大根役者であった。
手を取る。
ジェシカは反射的に振り払おうとしたが、手を取った相手が誰だったかに気付き、向き直る。
(相変わらずの美人だ)
一瞬、場面を忘れて間抜けにもそう思った。
すぐにその質の違いに気づく。
自分が知る彼女は、少々キツい所はあったが、知的でユーモアを解する美人だった。
こんな、張り詰めた、凄絶な美しさではなかった。
泣かないで欲しい、そう一言だけいってしまうのが一番良かったのかもしれない。
それでも、ヤンは彼女に対して嘘は付けなかった。
「ジェシカ。駄目だ」
一瞬、裏切られた、とでも言いたいような悲しみを彼女は見せた。
違うのだ、と思う。彼女は理解出来ていない。
悲しみのあまり、考えがそこまで至っていない。
「兵士達は皆、頑張った。最善を尽くしたよ。政府も、軍の上層部も、帝国軍に勝てるだけの戦力をしっかりと用意した。
『彼ら』は、祖国を守るために最善を尽したんだ」
そう、誰が一番悪かったのか、というのであれば、話は簡単なのだ。
「……悪いのは僕たちだ。僕たちの能力が帝国軍に劣ったから、大勢が死んだんだ」
無能を罪とすれば、の話ではあるが。
彼女が仮に、一兵士の妻や恋人であったとしたならば、彼女はここに立つ資格があったかもしれない。
少なくとも、自分は肩を竦めてただ見ていただろう。
だが、ジョン・ロベール・ラップは作戦士官だった。
彼は死んだから、責任を追求される立場からは退くことになった。
ただそれだけの話であり、仮に生きて帰っていれば、敗戦の責は上から数えた方が明らかに早い。
彼もまた、多くの人間の命を背負う立場にあったのだ。
その人間の身内が……こと、この敗戦に関してはほぼ無関係と言って良い相手に対して罵声を浴びせる様は、ヤンにとって、酷く醜い様に思えた。
単なる我侭ではあるが。ヤンは、彼女に美しくあって欲しかったのだ。
ジェシカは、恐らくはヤンの言いたいことを完全に理解した。
そしてそれはただの正論でしかなく、彼女の感情を思い切り抉り回した。
彼女はそんなことを言って欲しかったのではない。そんな答えが欲しかった訳ではない。
彼女はただ、戦場で死んだ愛する人の事を知りもしない癖に、口先だけでその死を褒め称え、裏で甘い蜜を吸う男が許せなかっただけなのに。
……だが、彼女に与えられたのはそれだけだった。
目の前の友人だったはずの男は、慰めを奪い、罪を突き刺してきたのだった。
「お嬢さん、ヤン准将を責めてはならない。彼もまた、最善を尽くした一人なのだから」
泣き折れるジェシカの背に、壇上からトリューニヒトの声が降る。
彼の答えもまた、ジェシカに対しての答えではない。政治家としての彼の答えは、常に聴衆に対するものである。
「確かに私は最前線で銃を持ったことはありません。でも、お嬢さん、戦いというものは、ソコだけで行われるものではないのです。
我々は、あらゆる場所で、帝国と戦うための力を蓄えねばならない。
そして、であるがゆえになお一層! 最前線で散った同胞達を讃え! 彼らを記憶に深く刻み! 民主主義を守る力とせねばならない! 自由に勝利を!」
国家の演奏が始まる。
敗者達の慰めのため、復讐者達の誓いのため。
「「「友よ、いつの日か、圧政者を倒し、解放された惑星の上に自由の旗を樹てよう」」」
歌を背に、ヤンは震えるジェシカの肩を抱き、面倒なことになる前に、さっさと会場を後にすることにした。
壇上のトリューニヒトと目が合う。
トリューニヒトは視線が合ったことに気付くと少し笑い。
ヤンは無表情で目礼した。
背を向けた後の、やっぱりサボってりゃ良かった、という独り言は、ジェシカにしか聞こえなかった。