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[22421] 【習作】モンテとタラスク(civ4、D&D、エルシャダイ
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2011/01/08 20:52
このお話は、civ4のアイドルことモンちゃんが、タラスクをはじめとする若干インチキな蛮族や、少々コミュニケーション不能な周辺諸国におびえつつ、どうにか宇宙脱出を目指す話です。

追記
なお、元作品に対する筆者の知識としては

civ4:python研究中(残り4825ターン)
D&D:D&Dという名前のアイドルグループがあるそうですね
エルシャダイ:公式の音楽切り替えられたことをいまさら知る


といった程度です。
見るも無残な体たらくではございますが、一生懸命やってまいります。
ご笑覧いただければ幸いです。

なお、文中における誤りや知ったかは例外なく作者に責任があります。
ご面倒でなければ、そうしたところを見つけたときにはお知らせいただくと幸いです。

追々記
名前を「としかき」から「座席指定」へ変更しました。

追々々記
読みやすくなるよう少し整形してみました。
しかしこんなんでよいのかあまり自信がないので、もしよければご指摘やアドバイスなどいただければ幸いです。

追々々々記
10-2.法律(承前)をもって、モンテとタラスク第一部『太古・古代編』を終了とします。
引き続き中世編(仮)を書きます。
これからも読んでいただければこの上ない喜びです。
よろしくお願いします。



[22421] 1.瞑想
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/17 22:28
モンテとタラスク
 1.瞑想
 
 話をしよう。アレは今から六千年ほど前、いや、八千だったか? まあいい。いずれにせよ、まだ人間が時間の計りかたすら知らなかった頃の話だ。
 
 一人の男がいた。名前はモンテズマ。年月が立つに連れて彼の名前はどんどん長くなっていったが、このときはただのモンテズマだ。
 
 モンテズマは勇敢な男だった。人がようやく狩られる側から狩る側に立てるようになって間もない頃。モンテズマは仲間を率い、日々の糧を得るために狩をして回った。仲間が見逃した獲物の痕跡を目ざとく捉え、周到にわなを張っておびき寄せて一網打尽にする。人間というのは群れを成し、協力し合う事でとても大きな力を発揮する。『全体は部分の総和より大きい』ってわけさ。その言葉を発するのはこの世界じゃアリストテレスじゃなくて別の人間だけどね。まあ、今は関係ない。
 
 そんな調子で、モンテズマは群れのリーダーを立派に勤め上げていた。この時点では世界中に似たような群れが生まれては消えていたわけだが、モンテズマの群れはなかでも最先端を行っていた。家を建てて定住する事を覚え、獲物を上手に加工して服や装飾品を作り出す。モンテズマは特に頭蓋骨と鳥の羽がお気に入りだった。色とりどりの羽で身体を飾り、モンテズマは日々獲物を持ち帰っては、集落の中心に立てたモニュメントの周りで祖先の霊に感謝の踊りをささげた。そう、彼らは信仰を知っていたんだよ。もっとも、この時点ではかなり原始的な形態ではあったけどね。
 
 さて、そんな彼らに、あるとき転機が訪れた。
 
 モンテズマが直接指揮を執るほかにも、いくつか狩りの集団があった。チームを分ける事で効率的な狩猟が可能になる。そんなチームの一つが全滅したというんだ。唯一戻ったメンバーは完全に錯乱していた。見たこともない巨大な化け物が出たというんだ。
 ほどなくして息を引き取った生き残りを盛大な葬儀で見送ると、モンテズマはその『化け物』を狩る決意を固めた。まあ、無謀な話ではあったんだけどね。結局彼らは星から飛び立つその時まで、アレを傷つけこそすれ、殺すことは出来なかったから。
 
 見つけるのは簡単だった。巨大な化け物が森の樹をなぎ倒していってるわけだからね。そしてそこからが問題だった。
 
 化け物はとても大きかった。ヒョウや虎といった猛獣ですら、モンテズマたちはひどく恐れていた。でもこれはそれとは比べ物にならないほどだった。口だけで二人か三人はまとめてひとのみできるんじゃないかな? 実際、かつての仲間たちはそんな目にあってたようだしね。モンテズマはとても目がよかったから、歯の間に引っかかっているかつての仲間の残骸なんかも見えていた。まあ、それがいいほうに作用したと言えなくもない。他の仲間たちはそれを目にしたとたん、腰を抜かして使い物にならなくなっていたからね。ほうほうの体で仲間が全員逃げ出しても、モンテズマは逃げなかった。それどころじゃなかったんだ。モンテズマは何かと頭に血ののぼりやすい男だったんだよ。
 
 モンテズマは雄たけびを上げて、一人それに向かって突っ込んでいった。怒りに震えながら、全身の力を込めて槍を投げ、怪物の目を狙った。最高の一投だといってもいいだろう。
 
 結果? ああ、もちろん駄目だったよ。
 
 そのときのタラスクはたまたま瞬きしてる最中でね。まあ瞬きしてなかったとしても、目をつらぬけたかどうかは疑問だ。狙いの問題じゃなくて、武器の質の問題だ。当時の人類が持ってた中では一番いい装備だったかもしれないが、まあいかんせん石と木だったからね。これがたとえセラミックと複合合金だったとしても、タラスクに傷を負わせるには足りなかっただろう。タラスクをどうこうするには、それこそ神の知恵が必要なんだ。例の爪楊枝とかね。
 
 そうそう、こいつの名前はタラスク、とにかく通り道にあるもの全てを破壊し、食べる。それ以上の知恵は持たない、はっきりいってどうしようもない化け物だ。生まれたばかりの人類なんか到底敵う相手じゃない。渾身の槍が弾き返されたとき、そしてタラスクの目が自分を捉えたのが分かったとき、モンテズマもそのことを思い知っただろうね。
 
 タラスクはしばらく、モンテズマの事を見ていた。モンテズマも、タラスクの事を見ていた。もしそういう立場におかれたら、だれだってそれ以上のことはできないだろう。そうやってずいぶん時間がたち――タラスクはその場を立ち去っていった。
 
 モンテズマが仲間の元に戻ったのは三日ほどしてからだ。
 
 自分の葬式の最中に戻ってきたモンテズマはすっかり変わっていた。身体を飾っていた羽はなくなり、毛皮を一枚身体に巻きつけただけのシンプルな格好。葬儀を中止して驚くやら喜ぶやらの仲間たちにむかって、モンテズマは静かにこうつげた。『――俺は悟りを開いた』ってね。
 
 これがこの世界における仏教創始のあらましだ。
 
 モンテズマがタラスクと対峙したあの瞬間に何を見てしまったのかはなんともいえない。ただ、彼はそのときからひととは違うものを見るようになったことだけは間違いないだろうね。どうかすると私や、似たような何かの存在に気付いたんじゃないかと思うことすらある。彼の精神は時代を越え、人類の歴史を通じて人々を導き続けた。宗教を考え出したことなんて、ほんの小さな発露に過ぎないわけさ。
 
 ああ、念のため誤解のないようにいっておくと、この仏教というのは君たちの知っている仏教からは程遠いものだよ。遠い未来には世界を分かつ宗教戦争の一翼を担うことになるし、モンテズマは戦争を起こすのによく異教徒の征伐を理由に掲げた。こういうこともあって、より戦闘的な教義が生き残ったんだ。発端こそ同じでも、君たちのそれとは全く違う形、ありえたかもしれないもう一つの仏教として成長を遂げたわけさ。
 
 モンテズマはいまや村の建物を一つ押さえ、そこに人類史上初の僧院を打ち立てた。諸行無常の教えを説き、輪廻を語るモンテズマがこれからどのように人々を導いていくのか――
 
 私にとってはすでに見た出来事だが、モンテズマと君たちにとっては、たぶんこれから目にする出来事だ。



[22421] 2.採掘→青銅器
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/17 22:28
 2.採掘→青銅器
 
 話をしよう。モンテズマたちの住処、ゆくゆくは人類最高の都と称されることになる都市、テノチティトランの話を。
 
 といっても、今はまだ都市なんてもんじゃない。掘っ立て小屋がいくつかあるばかりの、小さくて惨めな集落だ。曲がりくねった川とそれなりに豊かな森に周囲を囲まれ、北の草原には角の生えた草食獣――野生の牛が群れを成している。まだこのときには、彼らは家畜を飼うだけの知恵は持っていなかった。ただ狩りの獲物としては最適で、それこそが、彼らがこの場所に腰をすえた理由でもあった。南に下っていけばそこには木々がより密生して、モンテたちを阻んでいる。西と東については――ちょうどいい、少し別の話をしてから、その後に話すとしよう。
 
 さて、いまやテノチティトランには、世界中に散在する似たような集落とは一線を画す建造物が二つあった。
 
 まず一つ目、巨石建造物――ストーンヘンジだ。
 いくつもの巨石を組み上げ、アーチを作って円形に並べる。もちろん神の知恵とは比べ物にならないほど稚拙なものだ。だが考えても見てくれ。彼らはこれを人力だけでくみ上げた。かつては動かしてみようとすら考えなかっただろう大きな石を選び、運び、そして持ち上げる。一人二人でできることじゃない。大勢の人間が力を合わせて初めて成し遂げられることだ。これはいわば、人類の力そのものといってもいいだろうね。
 
 こんなものを作ったきっかけ? ああ、それはやっぱりあのタラスクだったんじゃないかな? タラスクも巨石も、どちらも大きくて手に負えないもの。そんな巨石を自らの意志でもって自由にしてみせることで、自分たちにはあの怪物に抗う力があるんだと証明しようとした。こういうのはちょっと考えすぎかな? なんにせよ、ストーンヘンジを自分たちの手で作りあげたことが、彼らにとって大きな自信となったのは間違いないだろう。
 
 将来的には、このストーンヘンジはタラスクをどうにかする上である役割を果たすことになるんだが、それはしばらく後の話だ。
 
 そんなストーンヘンジの傍らにはもう一つの建物が立っている。僧院だ。
 といっても、この時点ではまだ彼らの中には宗教の専門家、いわゆる僧侶はいない。そうした職業というか階級が生まれるのはもう少しあとのこと。日常生活の傍らで、仏の教えを熱心に学ぼうとする人間もいて、僧院はそうした人間たちの集会場の役割を果たしていたわけだ。人々はここに集まって祈りをささげ、あるいは互いに議論を交わす。話題は仏の教えに関することばかりとは限らない。いまだ高度な哲学や神学などを知らない彼らにとっては、祈ることも日々の暮らしについて考えることも同じようなもの。それは周りを取り巻く世界と相対するということだ。いかにして今日を乗り切るか、明日を見出すのか。それはつまり、己の行く道を選択するということだ。彼らの持つ唯一絶対の力さ。
 
 さて今しも、僧院では一つの議論が持ち上がりつつあった。時は昼下がり、獲物が充分とれたというので狩りはお休みになり、普段たむろしている人々以外にも大勢の人が集まっていた。時ならぬ全村集会といったところか。急速に白熱し始めた議論の内容を大まかに言えば、どちらを選ぶべきか? ということだった。どちらかとはつまり、戦うか、逃げるかだ。
 
 何とかって? そりゃもちろんタラスクさ。
 
 あの化け物、タラスクはテノチティトランの東にあって、当たるを幸い食い散らかしながら進んでいるらしい。らしいというのはずいぶん遠くまで行ってしまった様だから。それで今どこに向かっているのか? といえば「今のところはテノチティトランに向かってこなさそう」ということしか分からない。毎日命がけで張り付いている斥候たちの長は声を大にして「アレがいつこちらに向かってくるか分かったもんじゃない」とみなに訴えかけている。彼らは続けてこうも言う。

「西のほうに豊かな地を見つけた。狩りの獲物はあまりいなさそうだが、代わりに食えそうな実がたくさんなっている。ここから川沿いに行けばすぐにたどり着ける。そこに村を移そう」

 彼らの言う「食えそうな実」とは、要するに野生のとうもろこしだ。探索に出た斥候の中に途中で部隊からはぐれたものが、彷徨いながら飢えをしのごうと何でも口に入れているときにたまたま見出したもの。彼らはまだ農業すら知らないが、それは穀物が近くに利用できなかったというだけのこと。斥候の長はとうもろこしの穂を振りかざして、これがあれば生きていけるはずだと主張した。

 それに反対したのが、村の戦士たちだった。一言でまとめれば「逃げてどうなる?」というものだった。

 彼ら戦士たちは彼らは狩りにも出るが、主な仕事は村を守ることと思い定めている。彼らは武器を揃え、日々の訓練を欠かさず、仏教の思想と結合した独特な行動規範に基づいて生きていた。時代が変われば、あるいはそれは「武士道、warrior code」と呼ばれていたかもしれないね。

 とにかく彼ら戦士は闘う事を主張した。無謀すぎるって? 君たちから見ればそうかもしれない。だが彼らにはたまたま、何とか出来そうな材料があった。

 ほら、戦士の中から年若い男が進み出て、皆に小さな塊を示しただろう。あれはただの石ではない。銅を豊富に含む鉱石だ。かつてこの星で起きた地殻変動によって、テノチティトランのそばに露出した鉱床からとってきたものだ。まだ精錬のせの字も知らない彼らだが、その価値にはいち早く気付いたようだね。

「きっと骨や石で作るより丈夫な武器が作れるはずだ。そうすればあいつを殺せる」

 なんの衒いもなしにこう言ってのけるこの年若い戦士、全身を羽と頭蓋骨で飾ったこの色男こそ、我らがモンテズマだ。

 え? タラスクと対面して悟りを開いたあのモンテズマはどこに行ったのかって? もちろんあの世だ。享年60と少し。この時代としては信じられないほど長生きし、多くの子供をなして、尊敬に包まれながら死んでいった。だがそこで彼の意志が絶えたかというとそうじゃない。後に続いた指導者たちはみな、この偉大な初代モンテズマの精神を受け継いでいた。一つは超自然的な存在や宗教に思いを致すこと――そしてもう一つは、常に戦いによって道を切り開こうとすることだ。

「逃げてどうする? あの化け物が東にある全てを食い尽くしたなら、次は西に、こちらに向かってくることは明らかだ! どこまでいってもきりがない! それよりはこの地に踏みとどまって戦うべきだ! この石を上手く加工できたなら勝てる! もうおびえる必要はないんだ!」

 いっていることは全く筋が通っていない――作る見通しが立ってすらいない武器を頼りにしようというんだからね。だがそれにしても、若きモンテズマの演説ときたら年かさの斥候長すら圧倒する迫力だった。斥候長は唇をかんで引き下がり、一方若きモンテズマを包んだ興奮は夜がふけても冷めることはなかった。ちょうどこのとき、彼の指導的な地位が確定したわけだ。

 それからしばらくして、ある一団がテノチティトランを発った。率いているのは斥候長、付き従うのは開拓者たち、長い旅に耐え、あらたな住処をつくる覚悟を決めた者たちだ。支配的な地位を固めたモンテズマに反抗して、別の村を打ちたてようとしたわけさ。モンテズマは彼らを止めなかった。まあ、いい判断だろうね。当時のテノチティトランはすこし人が増えすぎ、全員を養うには狩りの獲物も足りなくなっていたから。

 人の少なくなったテノチティトランで、モンテズマたちは日々研究にいそしんだ。鉱山を開いて鉱石を集め、ふいごを作って火をおこし、高温まで持っていって維持する。そしてある日、ついにそれが完成した。錫と銅の合金、青銅だ。

 とてもささやかな知恵。だがそれで全てが変わった。槍の穂先につければ、どれほど突き刺しても鈍ることはなくなった。刃として柄に取り付ければ、それまで難渋していた大木をやすやすと切り倒せるようになった。そうして生み出された木材はテノチティトランにとって大きな恵みになった。採掘道具や日用品、なにより武器の材料として、青銅と木材はあっという間に普及していった。斧を携えた兵士たちは訓練を重ね、それによってモンテズマたちは自信を深めていった。

 問題が一つだけあったとすれば、肝心のタラスクがまったく近寄ってこなかったことかな。

 東のほうで大暴れしているらしいが、危険を感じるほど近くではない。遠征には危険が伴うからホイホイ出かけるわけにも行かない。テノチティトランの周辺部では、モンテズマたちに加わろうとしない少数のグループ、いわゆる蛮族が出没するようになってはいたが、それもずいぶん散発的だった。はっきり言って、今のテノチティトランが備える軍備はあまりにも過剰だ。無駄飯ぐらいの軍隊を養うために人々の生活は大きく圧迫され、それに不平を言ったものは罰として重労働を課せられた。いわゆる奴隷制度の始まりだ。

 だがモンテズマは水面下でたぎる不満に目もくれず、ただ何かに憑かれたように軍隊を増強し続けた。まるでそれがすぐにでも必要
 になるとでもいった具合にね。

 そしてそれは正しかった。このモンテズマもまた、人には見えないものを見通していたのさ。黄銅鉱の可能性を見出したその時とおなじように。

 知らせを持ってきたのはテノチティトランに逃げ込んできた集団だ。かつてこの地を飛び出し、新天地を開拓しようとしたものたち。目指していた地に根を張れず、大きく数を減らしながら彼らは逃げ帰ってきた。悔しさと恐怖に顔をゆがめて、かつての斥候長たちはモンテズマにこう報告した。

 ――我々でない者たちがいる。我々ほどに強く、大きく、恐ろしい集団が。すでに村まで作っている。
 ――奴らは我らを追ってきている。もうすぐそこにいる。

 とても印象的だったからよく覚えているが、モンテズマただひとりだけはこの報告に笑みを浮かべていたよ。己の選択が正しかったと知ったとき、自らの望む未来を選び取ったときに浮かべる、いわゆる会心の笑みだったね。

 モンテズマたちがこの後何と出あったのか――それはまた、次の機会に話すとしよう。



[22421] 3-1.鉄器
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/17 22:27
 3-1.鉄器

 話をしよう。モンテズマが率いる最強の戦士たち、すなわちヒューマンファイター斧兵軍団の話を。

 一口に斧と言ってもたくさんの種類がある。片手で振るう鉈のようなもの、バランスが取れていて投げることにも使えるものから、人の背丈ほどもある柄に重い刃を取り付け、全身の力でもって振り回さないといけないものまで。大量生産なんて概念はない。鍛冶仕事を専門に請け負う職人もいない。戦士たちは自分の武器を自分で鍛え、自らのやり方に会うようカスタマイズして振るった。だから、モンテズマの軍隊でもたくさんの種類の小野が用いられていた。文字通り、一人ひとりの得物が違っていたんだ。

 テノチティトランの外縁部には兵舎と、隣接して練兵場が建てられている。武器を持った男たちが集い、戦士長の監督の下日々鍛錬に励む。ちょっとした兜と前垂れ以外の鎧も身につけず、かといって振り回すのは多少鈍らせただけの本物の刃。モンテズマは訓練用にまがい物を使用するを許さない。だから怪我や死は当たり前だった。極限まで追い込まれた戦士たちは生き残るために、武器だけでなくその技法にもさまざまな工夫を凝らしていた。今日もまた、新たな試みが生まれつつある。

 そんな中でもとりわけ目立つ斧の使い手たちがいる。ちょうどいい、すこし覗いてみよう。

 練兵場の片隅で男たちが輪を作り、武器を振りたてて騒いでいる。唾を吐き散らし、足を踏み鳴らして興奮した声を上げる。視線の先にいるのは見上げるような大男、副戦士長だ。得物も見合ったもの、常人の身の丈をはるかに越える大斧。周りからの喝采を浴び、副戦士長は満足げな笑みを浮かべると、大斧を片手でやすやすと持ち上げた。柄を長く持ち、頭の上でぶんぶんと振り回す。かと思えば急に引き戻して短くかまえ、身体の周りですばやく往復させる。縦横に傷が走る筋肉が盛り上がり、振りかぶられた斧を二度三度と大地に打ち付ければ、そこには大穴が出現している。まさしく力と破壊の権化だ。

 そんな斧の中の斧に相対するのは、ひどく変わった武器の使い手だ。

 これを斧と言い張るのはとても無理があるだろう。確かに刃はついている。重量で断ち切ることを目的とした鈍くてシンプルなものが、先端から左右に向かって突き出している。だが柄はついていない。長い鎖の先端には、手斧に用いるような小さな斧頭がいくつもつながれている。いわば斧で作られた鎖、棘つきチェインだ。

 周りから野次が飛ぶ。そんな装備で大丈夫かって。だが棘つきチェインの使い手は問題ないとばかりに一顧だにしない。大斧に寄りかかって胡乱げな面持ちの副戦士長にむかって一礼すると、ゆっくりと鎖を頭上で振り回しはじめた。どっとあがった声に、青銅のすれる音が混じる。無責任な野次を飛ばしていた観衆たちはやがてあることに気がついて息を潜め、ひそひそといいかわし始める。頭上で鎖を回し、引き戻してからだのそばで刃が躍る。まさに先ほど副戦士長が披露した動きをそのまま、それも取り回しが難しいはずの鎖でもってやってのけている。掛け声とともにチェインが地に叩きつけられ、舞い上がった砂塵が風に流されれば、そこにあいているのは大きさこそ劣ったものの確かに穴だ。鎖を引き戻してどうだとばかりに顎をしゃくると、一瞬遅れて歓声が湧き上がった。鎖を掲げ、チェイン使いは満足げな笑みを浮かべた。

 周りにこたえる鎖使いを見やり、副戦士長は顎をかいている。やおら斧を持ち上げ、とん、と軽く地面に打ちつけた。そんな些細な音一つで、男たちはあっという間に静かになった。大斧を持ち上げ、大上段に構える。鎖使いも応ずるように腰を落とし、男たちが固唾をのみ、まるで時間が凝固したようにお互いがにらみ合って――

 先に仕掛けたのは副戦士長だ。

 見た目からは想像もつかないほど俊敏な動きで間合いをつめ、斧を振り下ろす。全ての動作は一つの目的、相手に反応する隙を与えることなく斧を叩きつけるというその一点に向かって研ぎ澄まされている。まるで雷のような一撃だ。その場に居合わせた誰もが――私も含めて――鎖使いの頭蓋が砕け散る様を見た。

 だが鎖使いは動じなかった。瞬きする間にも満たないほどの時間、彼は確かに待っていた。ほんの少しでも遅れれば命をもぎ取られるような、そんなタイミングを確かに捉え、相手が自分の間合いに踏み込んできたまさにその機会を見出した。

 身を低く投げ出すようにして、鎖使いはチェインを撃ち放った。力強く大地を踏みしめる副戦士長の足に向かって。

 副戦士長もさるもの、当たれば足首をからめとっただろうチェインを見切り、それどころか踏みつけようとまでする。だがその一方で、大斧にはさっきまでのような勢いはもう失われている。歯車のようにかみ合った一連の動作が乱されたからだ。

 鎖が蛇のように踊り、副戦士長の足をかわす。そのまま伸び上がって太ももを狙い、それを副戦士長は身体に柄をひきつけて受け止める。なおも追撃しようとする鎖から副戦士長が身体を引き、鎖もまた引き戻されて、練兵場には何事もなかったように静寂が戻る。唾をはき捨て、再び斧を構えなおす副戦士長と、鎖を握り締めて目を見開いた鎖使い。瞬きすら致命的な隙になりかねない緊張の中でにらみ合いながら、二人はじりじりとお互いの周りを回るように足を摺り、そして今まさに――

「そこまでだ」

 観衆の一角がさっと割れた。現れた姿を目にするや、居合わせた全員が頭を垂れた。副戦士長と鎖使いも武器を下ろし、膝を突く。戦士長でもあるモンテズマの登場だ。対峙していた二人にそれぞれ短くねぎらいの言葉をかけてから、モンテズマは男たちに向かって両腕を掲げた。

「時が来た」

 ほんの一言だけで、モンテズマはこの場を掌握してしまった。

「かつて我々の元を離れた同胞たちが帰ってきた。追われたのだ。我々とは違う何者かが、我々の得るはずだった土地に居座り、我々が喉を潤すはずだった水を汚し、我々の腹を満たすはずだった食物をいたずらに浪費している。それどころか彼らはここ、テノチティトランに迫っているとすら言う。奴らは我らの生活を覗き見、好きあらば奪い取ろうとしているのだ。かつてあの化け物が我々を蹂躙しようとしたように、彼らもまた、我らを踏みしだこうとしている!」

 戦士たちは雄たけびで応えた。

「だがそうはならない! 蹂躙するのは奴らではない! 我らだ! もっとも鋭い武器を持ち、もっとも賢い我々こそが、この地上の支配者であるべきだ! 地上の王たる我々は断じて屈しない! また、奪われたものをそのままにしておくこともしない! 我らは彼らを打ち倒す! そして奪い返すのだ!」

 再び、戦士たちは雄たけびで応えた。

「いま、敵の斥候らしい一団がここ、テノチティトランに迫っている。まず手始めに我らはこれを迎え撃つ。我らの得るべき勝利を祝う生贄として奴らはとてもふさわしい。奴らを細切れに引き裂き、御仏の元へと送り出してくれようではないか!」

 三度、戦士たちは喉もさけよとばかりに声を張り上げ、得物を掲げて互いに打ち合わせた。ナイフを抜いて胸や腕に薄い傷を走らせ、にじみでた血を身体に塗りたくってさらに大声を上げる。血と汗と、そしてアドレナリンのにおいが練兵場に満ち溢れた。自信に満ちたモンテズマが先頭に立ち、戦士たちは次々と兵舎を飛び出していった。

 彼らがどうなったかは、すこし場所を移して、それから話すことにしよう。



[22421] 3-2.鉄器(承前)→弓術
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/14 14:56
 3-2 鉄器(承前)→弓術

 話をしよう。テノチティトランの南に広がるジャングルと、そこに潜む者たちの話を。

 テノチティトランは低緯度と中緯度のちょうど間ぐらいに位置している。赤道と、中緯度高圧帯が作り出す砂漠地帯に挟まれ、弱い乾季を除けば年中雨に恵まれている。豊かな水は森を育み、生い茂った木々はたくさんの命を宿す。微小な菌類から大型の肉食動物に至るまで――そして今、森にはあらたなものたちの姿があった。

 今しも、一本の木から何かが滑り降りた。身体中に泥を塗りたくり、辺りの光景に身を溶け込ませながら、彼は地を音もなく駆ける。油断泣く耳を澄ませ、あたりに目を配りながら、彼は確かにどこかを目指している。と、彼が不意に身をすくませた。何者かにみられている。

 彼はすばやく辺りを探り、その正体を突き止めた。昼尚暗いなかで輝く縦長の瞳――ジャガーだ。樹海で最強と言ってもいいこの肉食動物を前にして、しかし彼はひるまない。それどころか、どこか安心したようにすら見える。確かな意志をこめてジャガーを睨み返し、ジャガーが足元の小枝を踏みおるや否や、彼は腕に通していた弓を引き抜き、矢を番えて射た。

 宙を走った矢はいともあっさりジャガーに命中することになるが、その前にちょっとこの弓使いを観察してみよう。

 たとえば、この矢じりだ。素材は石とはちがう。モンテズマたちが手に入れたばかりの青銅でもない。黒くてつやのないこの金属は鋳鉄、モンテズマたちにとっては未知の金属だ。彼が身につけているものも同じ。泥や葉っぱを透かしてみれば、彼が身につけている装具やサンダルの類は、モンテズマたちとは似ても似つかないデザインだと分かる。彼らの道具はより繊細で、手間がかかっている。自分たちでなんと言おうが、モンテズマたちはいかんせんちょっと道具の使い方を覚えただけの蛮族に過ぎない。だが彼らは違う。明らかに、文明をその身にまとっているわけだ。まあ、モンテズマたちはそもそも弓すら知らないわけだけどね。

 片目を射抜かれ、ジャガーが悲鳴を上げて逃げ去った。油断なくそれを見送り、弓兵は再び行軍を再開した。歩みを進める彼の前で視界がぱっと開けた。木が倒れ、緑の天蓋が敗れて光が注いでいる場所だ。

 そこには彼を待つ一団がいた。いずれも緊張の面持ちで、中には怪我をしているものもいる。怪我をしていないものも血のにじんだ布を巻きつけ、あるいは汗みずくでひどく疲弊している。力なく顔を上げて、男たちは帰ってきた彼にものいいたげな目を向ける。彼は首を振る。男たちの目からみるみる光が失われていく。

 リーダーと思しき男が立ち上がり、仲間たちに語りかけはじめた。彼だけは鎧をまとい、房飾りのついた兜を被っている。ぼろぼろになっているとは言え赤い布がその身を飾り、背負っている盾は磨きぬかれて輝き、しかし身体は一番ぼろぼろだ。

 剣を吊った腰に手を当て、実に堂々たる物腰でリーダーは言う。

「お前たちは行け。私が時間を稼ぐ」

 男たちは不意を撃たれたように呆然とリーダーを見返している。首を振り、それは出来ないと言い立てる男たちに向かって、リーダーはあくまでも引こうとはしない。

「我々の使命を思い出せ。皇帝陛下から授かった任務はかの蛮族を偵察し、できる限り情報を持ち帰ることだった。そうだな? だが彼らは予想よりはるかに強力だった。我らは無敵だが、あんなに数がいてはな」

 男たちの一人が、とうもろこしの粒みたいにたくさん、ともらした。小さく笑いが巻き起こり、リーダーもまた、笑顔でそれに答えた。

「そうだ。彼らはとうもろこしの粒のように大勢いる。だがとうもろこしとは違う。彼らは帝国の繁栄に役立つものではない。逆だ。我々に向かって牙をむく蛮族だ。このまま放って置けば、彼らはやがてネアポリスに迫り、まだ打ち立てられて間もない彼の地を蹂躙するだろう。それだけは避けなければならない。我々は必ずや生きて帰り、このことを知らせなければならないのだ。必ず」

 リーダーは剣を鞘走らせた。刃が、降り注ぐ日の光を照り返し、その刃で持って、リーダーは傷ついた男たちを一人ひとり指した。
「我らは傷つき、疲れている。そしてやつらはすぐそばにいる。だがこのジャングルに逃げ込んだ事で、彼らも我々を見失いやすくなっているはずだ。現にこうして休むことが出来ているわけだからな。だがそれも長くは持たないだろう。やがてここも見つかり、数でもって押し包まれて皆殺しだ。それでは任務は果たせない。皇帝陛下の信頼を裏切ることになるというわけだ」

 だから、とリーダーは剣を振り下ろした。

「この私が囮となり、お前たちが逃げ出す時間を稼ぐ。私は傷ついている。その上鎧や兜があっては、こんなジャングルの中でお前たちについていくことは出来ん。だが踏みとどまって戦うとなればこれはこれで中々役に立つものだ。それに捨てるわけにもいかん。この私の誇りだからな
 これは命令だ。お前たちは今から解散し、おのおのが最適と思う方法をとってネアポリスに向かえ。私の名誉にかけて、お前たちを追わせることはしない。私とて軍団兵プラエトリアンの端くれ、衰えたりとは言えあんな蛮族どもに遅れなどとらん。必ずやかの蛮族王を討ち取り、ネアポリスに凱旋して見せよう。そのときお前たちは真っ先に私を出迎えるのだぞ。最高のワインと、汁のしたたる肉で。ああ、考えるだけでよだれが出そうだな」

 リーダーの笑みは自信に満ち溢れている。まるで自分の言葉を一言一句信じ切っているか――いや、その通りだろう。彼は自分の未来に待ち構えている出来事を知り、その上で最良の選択をしようとしている。自らに与えられた目的を果たすために。
 まったく、人間というのはとても面白い。

「さあ、行け。時間がないぞ」

 男たちが一人、また一人と立ち上がっていく。必要最小限の装具以外を捨て、リーダーに向かって敬礼しながら木々の中へ姿を消していく。最後に残ったのは先の弓兵だ。彼だけは、リーダーを説得しようとしている。その目に収めてきた敵の数と装備とをつぶさに並べ立てて、正面きってぶつかれば勝ち目がないこと、すぐさま逃げれば振り切れる事を懸命に主張している。

「そうだ。まさしく、お前の言うとおりだ」

 だが、リーダーは聞き入れようとしない。足に巻いた包帯を解き、顔をしかめて再び巻きなおす。盾を背からおろし、剣を抜いて両手をだらりとたらす。

「だが万が一ということもある。この知らせはなんとしても持ち帰らなくてはならぬ。そして分かっているだろう、それにはお前の力が欠かせない。わが小隊の中でもっとも素早く賢いお前ならば、確実に生きて帰ることができるだろう。命令だ、生きてネアポリスへ、ローマへと至り、必ずや皇帝陛下にこのことをお知らせするのだ。行け! 走れ!」

 弓兵はほんの一瞬だけためらった。そして歯を食いしばって頭を下げ、弓兵は風のように姿を消した。リーダーはいつまでも彼を見送り――
 
 そして、彼らがやってきた。

 はじめに届いたのは草を踏みしだく静かな音。目を閉じ、地に胡坐をかいてその時を待っていたリーダーがおもむろに立ち上がる。兜を被り直し、首をめぐらせて辺りの木陰に潜む姿をつぶさに捉えていく。空き地は完全に囲まれている。リーダーが凄惨な笑みを浮かべた。剣を抜き、肩に担ぎ、余裕綽々といった様子を見せ付ける。全く堂々たるものだ。
 
 周囲の木陰から進み出る影があった。全身に戦化粧を施し、冠を頂いて小さな手斧を下げる――モンテズマその人だ。
 
 付き従う戦士が、モンテズマに何事かささやく。モンテズマもうなずくと、鋭い声で号令を発した。リーダーの知らぬ蛮族の言葉に応えるように、木陰に潜む一団の一部が移動し始めた。リーダーは即座に理解した。モンテズマもまた、何が最も重要なのか知っている事を。もはや一刻の猶予もない事を。
 
 ここでの用はすんだとばかりに視線を彷徨わせていたモンテズマが、リーダーに目を留め、指差した。
 
 雄たけびを上げて、斧兵たちがジャングルの闇から光の中へ飛び出してきた。手に手に武器を振りかざし、四方八方からリーダーを押し包む。まるで金属で出来た波のように押し寄せる斧兵たちを前にして、しかしリーダーは一歩も引かなかった。まるで濁流の中にあってなお確かな巌のように、リーダーはじっくりと構え――そして素早く動いた。
 
 飛び出しすぎた斧兵の顔面を、突き出された盾が一撃した。
 
 まるで壁にぶつかりでもしたかのようにもんどりうった斧兵に足を取られ、さらに二人が倒れる。避けるために身をそばめた斧兵たちに銀光が踊り、切り裂かれた首筋から血が吹き上がった頃には、リーダーはすでに囲いを半ば突破している。気を取り直した男たちが振り下ろす刃は空を切り、あるいは勢いが乗る前に兜や鎧の厚い部分で受けられて致命傷には至らない。足をかけられて体勢を崩した斧兵に仲間の斧が突き刺さり、引き抜こうと力をこめた男はしりもちをついて、切断された両手首を呆然と眺める。仕切りなおすべく距離をとり、一人ずつかかっていった斧兵は、いずれもリーダーに傷一つ負わせられないまま切り伏せられていく。
 
 瞬く間に十人が斬られた。モンテズマがほう、と口を丸くした。
 
 実を言うと、この光景はあとで何度か繰り返して見てしまったよ。全く惚れ惚れするような立ち回りだった。
 
 全身に鮮血を浴びたリーダーが、刃で持ってモンテズマを指した。そのまま一歩、また一歩と歩みを進める。一歩歩むたびに五人の斧兵が食い止めるべく飛び出し、次の一歩を進めるときにはその全員が斬られている。屍が山と積みあがるにしたがって、モンテズマの表情がどんどん凄惨なものに変わっていく。それはリーダーも同じだ。
 モンテズマまであと十歩、というところに迫り、リーダーは歩みを止めた。

「どうだ? これが我々、ローマ帝国の力だ。お前たちが敵うとでも思うか?」
 
 リーダーの言葉をモンテズマは理解しない。だが、どうやらニュアンスは伝わっているようだ。モンテズマは顔をゆがめ、自ら斧を振りかざしてみせる。それにあわせるように、二人の男たちがモンテズマの背後から進み出た。携えるのは大斧と鎖――副戦士長と鎖使いだ。

「なるほど、それが答えか」

 そうだとばかりに、モンテズマが手斧を振り下ろした。耳を劈くような怒声とともに、二人の斧兵がリーダーとの距離をつめた。

 まず仕掛けたのは副戦士長だ。突撃して打ち下ろす、単純そのものの戦法は、それゆえに隙を生じない。轟風をまとった大斧がリーダーの頭めがけて打ちおろされ、初めてリーダーが一歩引いた。大地にぶち当たるかに見えた大斧が寸前で止まり、今度は下から振り上げられて姿勢の崩れた相手に襲い掛かる。盾でこれを受け止め、大きく後ろに傾いた体勢から踏みとどまって、リーダーはそのまま副戦士長に向かって刃を滑らせた。

 無防備な背中を狙うその伸びきった手に、チェインが絡みついた。

 篭手に阻まれて切り裂くには至らず、すぐさま振りほどかれながら、チェインは確かに副戦士長を守ることに成功している。足に、頭に、武器に。執拗に踊るチェインを捌きながら、リーダーもまた反撃を試みるが果たせない。鎖に意識を向ければ死の大斧が身体を掠め、かといって副戦士長に狙いを絞れば、いつ何時絡みついた鎖に足をすくわれないとも限らない。リーダーの技量は卓抜しているが、それはこの二人だっておなじこと。十合ほども打ち合い、初めてリーダーはあせりの色を浮かべた。

 何度目かの大斧が叩きつけられ、リーダーは正面から受け止めることを余儀なくされた。鉄で補強された盾は湾曲した表面で攻撃を滑らせ、勢いを逃がすことを主眼においている。だがこの一撃は真心を捉えていた。

 両断された盾が地に突き刺さり、噴出した鮮血が降り注いだ。

 片手を失い、それでもリーダーは膝を突かない。チェインが身体に絡みつき、引き倒されて地に転がされても、なおその目には力が灯っている。見下ろして感に堪えないとばかりに顎をかいていた副戦士長が、やおら大斧を振りかぶった。勇敢に戦った戦士への最後の贈り物、止めだ。副戦士長の筋肉が怒張し、解き放たれようとしたまさにその時――

 鋭い音とともに空中を走った何かが突き刺さり、副戦士長はうめき声を上げた。ついで飛んできたものを転がって避け、肩から突き出したそれにゆっくり手を伸ばして、副戦士長は目をむいた。彼らにとっては未知の兵器――矢だ。

 ジャングルの中から、何者かがモンテズマたちを狙い撃っていた。

 正確そのものの射撃は、モンテのそばに控える戦士たちを次々に撃ち抜いていく。降り注ぐ矢の雨にも動じず、モンテズマは不意に斧を振りかざして一点を指した。その先にあるのは、樹に登った弓兵――リーダーを説得しようとしていたあの弓兵だ。今しもつがええられた矢がモンテズマを狙い、振り回された鎖がそれを撃ち落した。鎖を引き戻して警戒する鎖使いの足元でリーダーがもがき、素早く立ち上がって剣を振るう。あっという間に形勢は逆転した。放たれる矢は斧兵たちをけん制し、あるいは直接喉元を狙って打ち倒し、気勢をそがれた斧兵たちは瞬く間にリーダーの刃の餌食になっていく。ほんの一瞬だけ、モンテズマとリーダーの間には何もなくなった。超然とにらみつけるモンテズマに向かってリーダーは突きかかり――そして、届くことなく倒れた。その背中からは矢柄が突き出している。

 どさり、と音を立てて何かが落ちた。矢の雨はやんでいる。弓兵は喉笛を食い破られて息絶えている。死の一撃を放とうとしたその瞬間に襲い掛かられて、手元が狂ったわけだ。枝の上から捕食者がしなやかに飛び降りた。潰れた片目が未だにふさがっていない獣、ついさっき弓兵が射たジャガーだ。

 モンテズマがジャガーに歩み寄る。ジャガーもまた、モンテズマを見上げ――次の瞬間、モンテズマに身を摺り寄せた。ジャガーの毛並みをなでさすり、驚愕に目を見開く仲間たちに鷹揚に手を振って見せながら、モンテズマは息絶えた敵の亡骸を見下ろした。

「残りを追え」

 短くそう命令すると、モンテズマはジャガーを従え、弓兵とリーダーの亡骸を担ぎ上げた。副戦士長たちも後を追い、彼らはジャングルの中へと姿を消していった。

 このときの経験は、モンテズマたちに大きな衝撃となったはずだ。弓と、軍団兵《プラエトリアン》。自分たちが相対する敵の力を垣間見たわけだからね。だがモンテズマたちも学んでいた。持ち帰った鉄器と弓をまねする事で貧弱な模造品を作ることが出来るようになり、なによりもっと大きなものを掴んだ。ジャガーの意匠をまとい、森に住まう精霊の加護を受けた戦士という概念はその一例だ。ローマ人たちの精神がプラエトリアンを生み出したようにね。

 こうして勝利を収め、モンテズマたちは一路ネアポリスを目指した。待ち受けるローマ兵団とモンテズマがいかに戦ったか――まあ、長い話になりそうだ。



[22421] 4.探検
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/17 22:26
 4.探検
 
 話をしよう。モンテズマたちが挑んだ戦い、その意味するところを。

 モンテズマたちはテノチティトランに戻ることなく、部隊を再編成して川に沿って進軍した。急ぐ必要があった。あのプラエトリアンが奮戦したおかげで、結局ローマの斥候たちを取り逃がしてしまったからね。モンテズマたちは昼夜を問わず進み、ある丘の麓に近づいてようやく止まった。

 丘には作業場が設けられている。ほんの一日まえまで、ここでは採掘作業が行われていた。だがモンテズマの接近を察知して鉱夫たちは早々と撤退、道具すら残さず引き払ってしまっている。ふもとを流れる川には船着場があり、鉱石を運び出すのに使われていたがこれまた破壊済み。ローマ人のやり方は徹底している。

 もともと、モンテズマたちは略奪を行うはずだった。敵の領内を徹底して荒らし、相手をつり出す。だがもう出来ることはない。モンテズマたちは主のいなくなった丘に登り、そこから見える景色に目を凝らした。

 彼らの驚きようといったらなかったよ。

 豊かな水を湛える川、あちこちに群生する森。平野に置かれた大きな囲いの中には、モンテズマたちの知らない獣が群れている。目を転じれば、区画整理された畑らしきものが見て取れる。それらは全て白く細い線でつながれている。舗装された道だ。モンテズマたちの知る道とは根本的に違うものだが、まあ道は道だ。

 だがモンテズマたちを畏怖させたのは別のもの。見た事もないほど巨大な建造物だ。

 モンテズマたちの知るストーンヘンジに似ていなくもない。だが大きさ、そして壮麗さは比べるべくもない。石が互いに組み合わさって作られた巨大なアーチがならんでいる。まるで壁のように、あるいは宙に渡された道のように見えなくもない。
 そう、まさしく道だ。あれは水道橋。地形とサイフォンの原理を上手く利用し、大量の水を遠隔地に運ぶための仕組みだ。ローマ人たちが編み出した知恵千年を閲してなお使い続けられることになる偉大な成果だ。その姿はモンテズマたちとローマ人の間に横たわる差を雄弁に物語っている。水道橋が伸びる先には都市がある。無数の建物が天に向かって伸び、周囲にめぐらされた石壁が町全体をしっかりと守っている。テノチティトランとは到底比べ物にならない規模の人口と防備を備えていることが一目で分かる。

 戦士たちの間に動揺が広がっていく。その顔からは自信が見る見る失われていく。あんなものを作り出せる存在に挑みかかって勝ち目があるのか。口に出すことはしない。言えばその通りになるとでも言うように。代わりに、斧兵たちはモンテズマの背をただじっと見つめた。息の止まるような緊張感が臨界に達しようとしたとき、モンテズマがようやく振り向いた。

「奪うぞ」

 なんでもないことのように言い放ち、モンテズマは歯をむき出して見せた。

「喜べお前たち。これは全て我らのものだ。御仏が我らに与えたもうた恵みだ」

 男たちがどよめき、その隊列がぱっと二つに割れた。姿を現したのはあの片目のジャガーだ。ジャガーはモンテズマのもとにとことこと歩み寄ると、その足元に寝そべった。あの日以来、このジャガーはまるで家来のようにモンテズマに付き従い、そのことによってモンテズマの威光はますます強くなっていた。今こうして現れたこともまた、まさしくモンテズマの言葉を支持するかのようだった。満足げにジャガーの首筋を撫で、モンテズマは天に向かって拳を突き上げた。

「さあ行くぞ。われらはこれよりかの都市を奪う。この地の全てを手に入れ、我らは更なる繁栄を謳歌する。余は確かに知っている。見たのだ。これまでそうしてきたように、余は未来を見通し続け、お前たちを導く。恐れるな。ためらうな。ただ行き、殺せ! 殺すのだ! それこそが未来だ!」

 モンテズマは多分に神がかりとしての資質を備えていた。まあ、頭がおかしかったといっても良いがね。彼の見通している『未来』はいわゆる「これから起きる出来事」とは少々ニュアンスが違うが――まあいい、このことは別の機会にゆっくり話そう。君たちにも関わりのあることだしね。

 とにかく大事なのは、モンテズマが何か言えば他のものたちは簡単に従ってしまうということだ。先ほどまでの不安はどこへやら、斧兵たちは今にも走りださんばかりだ。先頭に立ち、モンテズマたちは再び行軍を再会した。



 少し時間を飛ばそう。モンテズマたちがネアポリスの北東に広がる草原に布陣した、その朝まで。

 天気は快晴だった。遠くの山にかかった朝日に目を細めながら、モンテズマの兵たちは丘の上にそびえるネアポリスを見上げ、開戦の合図をじりじりと待っていた。

 ローマ側も別に指をくわえてただ見ていたわけじゃない。急ごしらえの柵をめぐらして陣地を構え、モンテズマたちを油断なく見張っている。前線に盾を構えて並ぶのはもちろんプラエトリアンをはじめとする重装歩兵たちだ。後方には弓、そしてさらに別の何かがひしめいている。モンテズマたちのところからは見えないが、仮に見えたところでそれがなんなのか理解することは出来なかったろうね。

 モンテズマたちはこの時点で大きく後れを取っている。技術力で劣り、長距離の行軍によって体力は削られ、斥候を取り逃がしたために不意打ちを仕掛けることすらできず、勝っているのは数ばかり。

 だが「こんな状況で大丈夫か?」と聞いたところでモンテズマは聞く耳持たないだろう。彼は今人の話を聞くとか聞かないとかいう状態じゃないからね。ネアポリスに近づくにつれて彼の目はどんどん血走り、言葉は激しく、そして少なくなっていく。無理もない。少なくとも私なら、こんな戦いに臨むなんて真っ平御免だ。それでも彼が前に進もうとするのはもう引き返せないところまできてしまったと、自分で知っているからだろうね。

 昇る朝日をじっと見つめるモンテズマの足元では、ジャガーが残されたほうの目をつぶり、寝そべっている。ふとその耳がぴんと立った。モンテズマもまた、なにか異常がある事を察知して走り始めた。何かを指差してどよめく斧兵たちをかきわけ、戦列の先頭に飛び出したモンテが見たものは、赤い旗を掲げた騎手だった。ローマ勢とアステカ勢のちょうどまんなかを悠々と往復しながら、騎手は旗を振って武器を持っていない事をアピールしている。不意に騎手が声を張り上げた。

「そちらから一人出せ! 少し話をしよう!」

 騎手はモンテズマたちの言葉を操っていた。流暢にとは行かないが、意思疎通が可能だとわかるぐらいにははっきりした言葉遣い。これはあとからモンテズマたちの開拓団を捕らえて、その時学んだものだと分かるけども今は関係ない。モンテズマは少し考え、自分が行くことを部下たちに告げた。部下たちは不安げだったが、足元でジャガーがうなるとそれもやんだ。獣を従え、固唾を呑んで見守る両軍兵士たちの視線を一身に浴びて、モンテズマは騎手のもとに歩いていった。

 モンテズマが近づくと、騎手はまたがっていた馬から下りて旗を地に突き刺した。手綱を旗のさおに結び付け、両手を開いてモンテズマを待つ。板金で打ち出された鎧の装飾はかなりこっていて、地位の高い兵である事をうかがわせる。頭には木の枝を編んだような冠。手をやって位置を直すと、騎手は手をかざしてモンテズマを制した。

「その辺にしとこうや。もう声は充分届くだろう」
「私を恐れているのか?」
「そう見えるかよ。ま、だったらそういうことにしとくか。なあ猫ちゃん」

 騎手に指を指されてジャガーがうなった。おお怖い怖いとおどけてみせて、騎手は再び真顔に戻る。

「お前はモンテズマだな? アステカ族? とかいう連中を率いてるとか言う。まあこんだけ大勢揃えられるってのはなかなか立派じゃねえか。ほめてやるぜ」
「余計な世話だ」
「あ、あと俺の言葉ちゃんとしてる? お前らの言葉はどうにも難しくってさ」
「大丈夫だ、問題ない」
「あっそ。ならいいや」

 騎手が大地を踏みしめた。

「俺はアレクサンドロス。ホントは称号なんかあってもっと長いんだが、アレクでいいや。向こうの連中を率いてる」とローマ勢を指差した。
「いろいろ聞きたいことがあったんでこうやって来てみたわけだ。なあ、その猫ちゃんは飼ってんのか?」
「単に従えている。支配者とはそういうものだ」
「へえ。まあそうかもな。コイツも俺以外に慣れなくってな。な、ブケファロス」

 馬がいなないて応える。実のところこの馬は普通よりはるかに大きい。まだその身体には多分に野生の血が流れているというわけだ。ジャガーを恐れる様子もなく、唾を吐き散らしていななくブケファロスの首筋を撫でさすって鎮めると、アレクは再びモンテズマに向き直った。

「よし、じゃあ最初の質問だ。お前ら何しに来たの?」
「この地を征服しに来た」
「なるほどな。じゃあ次。降伏する気はあるか?」
「それは我々が聞くべきことだ」
「そうか。三つ目だ」

 アレクの声色がわずかに低くなった。

「お前らに追っかけられたうちの斥候いただろ? そんとき俺みたいな鎧の、まあもうちょっと冴えないのがいたはずだな。隊を率いてたリーダー格だよ。そいつはどうなった?」
「死んだ」
「どんな風に?」
「敵ながら実に天晴れな戦いぶりだった。我らが相手でなければきっと勝利していただろう。ねんごろに葬り、御仏のもとに送り出してやった」
「ミホトケ、ね」

 アレクたちは仏教を知らない。後に世界を制する巨大宗教に成長する仏の教えは、今の時点では単なる地方宗教の一つに過ぎない。だが意味するところは伝わったはずだ。勇敢な戦士に対する尊敬の表れ。アレクは満足げに顎をかいた。

「そんだけ言うってことは、少なくともヘタれて死んだわけじゃねえんだな。ならいいや。そこんとこだけ確認しときたかったんだ。お前らと戦った後じゃ、聞くにも聞けなかっただろうからな」

 よし、とアレクがきびすを返した。旗を引き抜き、ブケファロスに飛び乗って、アレクは歯をむき出した。笑顔、いや、挑発だ。

「もうお前らと話すことは無くなった。アステカ王のモンテズマ、なんか言いたいことがあれば聞くぜ」

 モンテズマが腕を掲げた。立ち上がったジャガーが、モンテとともに牙をむき出した。

「貴公の首は――」

 応ずるように、アレクもまた旗を高く持ち上げた。草原を吹き渡り始めた風をはらんで、真っ赤な旗がはためいた。

「――柱につるされるのがお似合いだ」
「いいねえ、その言い回し」

 ふたりが腕を振り下ろした。

 大気が爆発した。

 鬨の声が大地まで揺るがし、まるで堤防が決壊するように戦列を崩して、アステカの戦士たちが戦場になだれ込み始めた。大波のように走る斧兵たちを背負い、モンテズマは血走った目で何かを見ている。馬にまたがって自分の陣地に戻っていくアレク、動き始めたローマの軍団、ようやく姿を現し始めた太陽。

 モンテズマが何を見ているのか――それは多分、明日の出来事だ。



[22421] 5.畜産
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/23 00:02
 5.畜産
 
 話をしよう。ここではないどこか、今とは違う時代に生きる男の話を。
 
 彼には七十二通りの、いやそれ以上の名前があった。一つの名前を持って生まれ、死んでまた新たな名前を持って生まれる。男は何度も何度も生きた。森に息を潜めるハンターとして、資本家たちに反逆する労働党員として、次元界を渡る船の船員として、軌道エレベータの主任設計技師として、そのほかもろもろ。男が生きたその時間を足し合わせれば、それは歴史そのものに匹敵するほどだ。
 
 男はそうやって何度も生き――そしてあるとき、自分が背負わされている運命に気がついた。
 
 男が寿命をまっとうしたことはない。男の人生は常に敗北と失敗によって幕を閉じた。その場で命を持っていかれたこともあれば、時間が経って初めて袋小路に迷い込んでいたことが明らかになることもあった。何より残酷なのは、そうした失敗を何度も繰り返さなければならなかったことだ。新たな生に踏み出すたびに、男の記憶は洗い流された。だがその無念は消え去ることがなかった。その中心にあったのは不屈の精神、勝利を志向する信念だ。
 
 今もまた勝利を信じ、男は戦場を駆けている。
 
 
 
 大地が揺れている。モンテズマたちの突撃だ。
 
 迎え撃つローマ兵は密集体系を取り、斧兵たちが突っ込んでくるのを今か今かと待ち構えている。頭上がわずかにかげり、プラエトリアンたちは見上げて穂をゆがめた。突撃に先んじて放たれたモンテズマたちの矢だ。まさしく雨のように降り注ぐ死に、プラエトリアンたちは盾、スクゥタムを掲げて防ぐ。鉄を張った防具は大半の矢を弾き返したが全てとは行かない。打ち倒された兵を後方に移し、プラエトリアンたちは改めて武器を構えなおした。
 
 もちろんローマ側もやられてばかりじゃない。はるか後の時代まで、射撃は戦場の主役だったといってもいい。合成弓などもなく、威力も射程距離も精度も低い。だがそれでも『遠くから相手を殺せる』という一点だけでとんでもないアドバンテージだ。一本一本はヘロヘロ矢でも、数を揃えれば面に降り注いで全てを打ち倒す。充分ひきつけ、ローマ軍は満を持して反撃の第一射を放った。
 
 多くの斧兵が倒れた。しかしアステカ勢は止まらない。仲間の死体を踏みつけ、乗り越え、あるいは突き刺さった矢柄をものともせずそのまま暴走する。第二射、第三射と続いた攻撃も効果が薄い。モンテズマたちは隊の間隔を大きく取り、兵の密度を下げる事で面攻撃の威力を減じている。いわゆる散兵戦術だ。
 
 矢の雨を首尾よく潜り抜けたモンテズマたちはそのまま、前進してきたプラエトリアンにぶちあたった。大きく広がったモンテズマたちとは対照的に、ローマ兵たちはきっちりと隊列を組んでいる。その身にまとった重装備のおかげで、彼らには弓射を恐れる必要が無い。
 
 そしてひとたびぶつかり始めてしまえば、勝負を決めるのは兵の密集具合だ。
 
 いくつものローマ戦隊が、アステカの兵士たちを切り裂き始めた。小隊長の指示を受け、プラエトリアンたちは隊伍を崩さず戦場を駆け抜ける。アステカ兵たちに群がられてもびくともせず、包囲の薄いところを突き崩してそこから次の獲物目指して移動する。その様はまるでいくつもの手と足を生やした一つの巨大な生き物のようだ。アステカ兵たちも徐々に集まり、体勢を整えて反撃し始めた。敵味方が完全に入り乱れる乱戦の始まりだ。
 
 叩きつけられた斧を盾でそらし、突き出したグラディウスで相手の喉をつらぬいたプラエトリアンが、その伸び切った腕をたたっ斬られてもだえる。兜ごと頭部を打ち砕かれくずおれかかった仲間の死体を蹴飛ばし、避け損なって体勢を崩したプラエトリアンにアステカ兵が襲い掛かる。突っ込みすぎたアステカ兵が三対一を強いられ、まるで獲物を捌くように冷徹な刃で切り刻まれていく。
 
 仲間たちに守られ、モンテズマは最前線で指揮を取っている。そんなモンテズマの姿を目ざとく捉えたプラエトリアンの一団が、モンテズマに向かって突進した。立ちふさがる護衛兵たちを手練の剣技で斬って捨て、プラエトリアンたちはモンテズマの喉もとめがけて迫った。
 
 金属の引き裂ける音とともに、ローマ兵が宙を舞った。
 
 落下したローマ兵はたまたま着地点にいたアステカ兵を押しつぶして事切れる。目を白黒させながら這い出したアステカ兵が見たものはさらに降り注ぐローマ兵の背中だ。今度こそかわしきれず、首の骨をおられてアステカ兵は息絶えた。そんな大破壊を一人で引き起こしているのはアステカ兵団、副戦士長だ。
 
 副戦士長は長大な斧を二本束ねて振るい、触れるもの全てをまるで竜巻のように打ち上げていく。餌食になったプラエトリアンはその場で身体を引き裂かれ、そうでなくても戦闘不能に陥る。だがプラエトリアンたちも負けてはいない。相手をするのは不利と見てローマ兵たちは遠巻きに囲い、比較的無傷な部隊が、なんにでも突っ込んでいく副戦士長をうまく誘導して仲間を守る。だがそうしている間にモンテズマたちは姿を消し、副戦士長はくびきから放たれたようにますます破壊を振りまいている。
 
 両者の撒き散らす汗と殺意が渦巻いて、辺りの大気はまるで沸騰しているかのように揺らいでいる。
 
 両者は拮抗――いや、アステカがわずかに押し始めた。そもそも前進してきたローマ兵だけを見れば、彼らは数で大きく劣っている。劣っていながらプラエトリアンたちはあたえられた二つの役割を充分に果たしている。一つはアステカを食い止めること――そしてもう一つは、アステカ兵をひきつけておくということだ。
 アステカ軍がついにローマの前線を突破しようとしたまさにその時、戦場に新たな姿が現れた。
 
 
 
 後方でどよめきが上がった。弓兵を含む予備軍団、前線でプラエトリアンたちを蹂躙しているのに比べればあまりにも悲しい規模の集団に何かが迫っている。蹄が大地を蹴立て、巨大な車輪からは鋭い刃が突き出し、三人一組で乗り込んでいる兵たちが馬を疾走させながら鬨の声を上げた。
 
 側面から回り込んでいた二輪戦車、チャリオット軍団だ。
 もちろん、アステカ後方軍団もその存在に気がついていた。矢を射掛け、チャリオットを止めようとする。降り注ぐ矢は馬の、あるいは御者に命中し、横転した戦車はそのまま後ろも巻き込む。だがそうなったのはほんの一部だ。矢が描く弓なりの軌道、その内側に素早く入り込むことで、チャリオットたちは射撃をやり過ごしている。そしてその速度は同時に、敵に二射目の隙を与えないことにもつながっている。
 
 逃げ惑うアステカ弓兵たちにチャリオットが突っ込んでいく。
チャリオットはこの時代のものとしてはとても大掛かりな兵器だ。運用は三人一組、御者に護衛の槍兵、それに弓兵が乗り込んでいる。チャリオットの正面に捕らえられた犠牲者は馬の蹄に襲われ、あるいは加速のついたポールアームで頭を吹き飛ばされる。なんとか横に逃げても待っているのは車軸に取り付けられた馬鹿でかい刃物。頭を下げてこれをかわせば、そのまま振り向いた射手のいい的にされる。
 
 全く、突っ込まれる側には同情するよ。
 
 恐慌状態に陥った弓兵たちの命を、チャリオットが容赦なく刈り取っていく。アステカ兵の横っ腹にまともに突っ込み、そのまま文字通り切り裂いて、チャリオットたちは反対側へと抜けた。そのまま大きくカーブする。引いている車のせいでチャリオットは急には曲がれない。まるで鷹が獲物の上で遊弋するように悠々と体勢を整えるチャリオットたち――このまま後方を制圧してしまおうというのが狙いだろうね。援護を差し向けようにも、前線のアステカ兵は完全につなぎとめられてしまっているからね。
 
 だがアステカ側がやられるばかりだったかといえば、別にそんなことはない。
 
 弓兵たちがだんだんと退き、代わりに姿を現したのはジャガーの意匠をまとった戦士たちだ。
 
 彼らが下げているのはいずれも風変わりな武器ばかり。短剣や手斧、手槍、それになんともいえない珍妙な武器の数々。両手にそれぞれ違う武器を下げているものもいる。弓を引き絞るジャガー戦士も混じっていて、その目には有象無象の弓兵とは明らかに違う何かが宿っている。先頭に立つ戦士がじゃらじゃらと音を立てて武器を掲げた。鎖使いだ。
 
 チャリオットが反転を終える。再び速度を増した集団が土を巻き上げてアステカ勢に迫る。対して放たれた一斉射撃をまたしてもかいくぐり、満を持して速度を増したチャリオットたちに相対して、ジャガー戦士たちはうなるような声を上げた。
 
 衝突。
 
 投げ出されたローマ兵が宙を飛び、地面に突き刺さった。横転した馬がもがき、その目に矢が突き立つ。驚くべき正確さだ。充分ひきつけた辺りで、狙い済まされた何本もの矢がそれぞれ先頭集団の馬に命中、倒されたチャリオットに後続が突っ込んでさらに被害が増していく。打ち倒されたチャリオットたちはいずれも適度に間をあける形で選ばれている。急には曲がれないチャリオットの進路を効果的に阻害する形だ。自軍に邪魔されて、チャリオットの勢いが緩んだ。なんとか衝突を免れたチャリオットたちは、突出して仲間とはぐれた形に追い込まれている。この場を切り抜けるには前方に広がるアステカ兵を突き抜けるしかない格好だ。
 
 退路を断たれていきり立った第一陣を、ジャガー戦士たちが迎え撃った。
 
 唸りを上げて鎖が飛んだ。横に飛びながら放たれた一投は長く長く伸び、御者の首を捕らえて絡みついた。そのまま後方に引き飛ばされ、チャリオットは制御を失ってむちゃくちゃに走り始める。だがその時、暴走する車体にむかって何かが飛び掛った。隻眼のジャガーはいともやすやすと走るチャリオットに飛び乗り、車上の二人を瞬く間に肉塊に変えた。とびちる血肉に煽られるように、ジャガー戦士たちは次々と突っ込んでくるチャリオットに飛び掛った。失敗してひき殺される仲間を諸共せず、彼らは人間離れした跳躍力と反射神経を披露してチャリオットの乗り手を撃墜していく。それにもれたチャリオットには狙い済ました矢が打ち込まれる。集団で運用されるのが前提の弓兵たちと比べれば、ジャガーたちが使う弓の技はまるで魔法のような正確さと威力を秘めている。入り乱れる仲間を通して、あるいは数本の矢を束ねて撃ち放つ。反対側へ抜けることが出来たチャリオットはほんのわずかな数だ。
 
 ローマのチャリオットが退却し始めた。奇襲には成功したが、その分手痛い反撃も受けている。一見すると両軍痛みわけといったところ。だが両軍ともに、そうでないことを理解している。
 
 
 
 太鼓が打ち鳴らされ、アステカ勢が後退し始めた。
 
 前進した弓兵たちが後方に向かって矢を射掛け、退いていくアステカ斧兵団に対する射撃をけん制する。チャリオットによって後方が完全に蹂躙されていれば、この後退すら上手く行かなかっただろうね。ここぞとばかりに群がるプラエトリアンを、副戦士長ひきいるしんがりが引き受け、退けていく。そのままアステカ兵はネアポリスのそばに広がる森に向かった。ここに陣を敷きなおし、再編成などを行おうというわけだ。
 
 森に入って一息ついたアステカ兵たちは不安げに顔を見合わせた。損害は思いのほか大きい。なんといってもこれは遠征だ。戦果を上げなくては何のために戦っているのか分からない。都市の防備を打ち破り、蓄えられた財産を奪い取って、住民たちを奴隷として連れ帰ることが最善の結果だったはずだ。にもかかわらず、最初の衝突でたくさんの兵士が討たれている。ローマ兵は強大で、おまけにここは彼らの土地だ。後ろからいくらでも戦力の補充が利く。互いに戦力を対消滅させていけば、先に敗北するのは数が多かったはずのアステカ勢だ。不安がざわめきとなって、薄暗い森の中に満ちていく。
 
 だがやがて、ざわめきはだんだんとその含むところを変えていく。そのきっかけとなったのは兵たちの間を駆け巡っているモンテズマだ。
 
 今しも、モンテズマに一人の斧兵が引き合わされた。身体中の傷口から血が流れ出し、むき出しの皮膚はほとんど灰色に近い。息をつく体力すら奪い去られて死を待つばかりの斧兵の脇にかがみこみ、モンテズマはやおら傷口に手をかざした。
 
 光。
 
 まるで時間を巻き戻しでもしたように、傷口が見る見るふさがっていく。見守る仲間たちの間でどよめきが広がっていく。信じられないというように自らの傷口をさすり、斧兵は舌をもつれさせながら礼を述べる。応えるモンテズマの目は血走り、大きく丸い瞳はどこか遠くを見ているようだ。やがてその目が斧兵に焦点を結び、モンテズマは言った。

「ここで死ぬ定めではない」と。
 
 奇跡を目にして、アステカ兵たちの士気がよみがえりつつあった。モンテズマが治療を施した兵の数はそう多くないがそれで充分だった。戦いに臨む戦士たちにとって、怪我を恐れる必要がないということは、どんな盾や鎧よりも頼もしいよりどころになる。損傷の少ない兵が集まり、略奪部隊が編成された。ローマ軍の領土を荒らしまわり、兵糧や装具を奪い取ることを目的とした部隊だ。期待を受けて送り出される部隊を見送ると、アステカ兵は改めて自分たちの指導者に群がった。偉大なる戦士にして、森の王者たるジャガーを従えた王の中の王。そこにあらたな一面が加わりつつあった。奇跡を引き起こす行者、御仏に選ばれし者だ。
 
 余計な補足をするなら、これはこの歴史において最も早く行使された信仰呪文でもあった。平たく言えば神の知恵だ。なぜただの人間に過ぎないモンテズマの手にそんなものが宿っているのか――機会があれば、次の話題はそれにしよう。私にも少し関係があることだからね。



[22421] 6.聖職
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/23 00:01
  6.聖職
 
 話をしよう。セムヤザ率いるグリゴリの天使たちが堕天し、地上に神の知恵がばら撒かれたときのことを。
 
 はるか昔、天使たちは人をうらやんだ。天から地上を監視し続けるうちに、天使たちは人が持つ多くの美点に目を瞠り、惹かれていった。我慢の限界に達した彼らは神の命にそむき、より人に近づくために天から去っていった。
 
 神は怒り、人と堕天使とを罰するために滅びを使わした。
 
 世界は滅びた。そうなるはずだった。
 
 だが堕天使たちは、堕天したときに神の知恵も持ち去っていた。堕天使たちは神の知恵を駆使し、定められた滅びを回避しようと試みた。知恵を分け与えられて賢くなった人類は堕天使と協力して神が使わす滅びを迎え撃った。もちろん神の力は絶対だ。はじめのほうこそ優勢だったものの、人類と堕天使は次第に追い詰められていった。そうして彼らは禁忌に手を付けた。盗んだ神の知恵を使って、新たな世界を生み出そうとしたのさ。
 
 そもそも神の知恵というのは、神が世界を創造するために使った力の名残といっていい。堕天使たちの使い方はいわば再利用、それも着古したジーンズを引き裂いて雑巾として使うような類の使い方なんだ。洗練された道具は本来の使い手の手にあって初めて役に立つもの、堕天使たちはそのことに気付くのが少しばかり遅かった。
 
 まあ、気がついたというだけでも恐ろしいことではあるんだがね。神の領域に踏み込むんだ、ちょっとした事で済むわけがない。
 
 堕天使たちは力を合わせ、神のもとから盗み出した知恵を弄繰り回した。研究を重ね、大きな犠牲も出しながら、彼らはついに神の知恵の本質を垣間見ることに成功した。彼らはもうためらわなかった。神に呪われ、滅びが喉ものまで差し迫っていた堕天使たちは、まだなんとなくしか理解できていなかった創造の力を引き出し、新たな世界を生み出した。
 
 話は変わるけど、君たちはカルボナーラを作ったことはあるかな? そう、あのパスタさ。生クリームと卵のソースが絡んでとてもおいしいものだ。実は一度作ってみようとしたことがあるんだ。何度か食べてとても気に入ったから。ああ、もちろん失敗したよ。卵が半端に固まってスクランブルエッグ入りパスタになってしまってね。全くうろ覚えのレシピで料理なんかするもんじゃない。あのときはホント、参ったよ。
 
 ちょうど堕天使たちが世界を創造したときも、これと大体似たようなことになった。
 
 よく分からないまま作り出された世界は因果律がむちゃくちゃに絡まり、適切な物理定数はそろわず、生まれるはずのなかったいくつもの要素が拡大して混沌が荒れ狂っていた。宇宙にようやく秩序が生まれたとき、堕天使たちはほっと胸をなでおろし、一も二もなく新たな世界に人と自分たちとを送り込んだ。まあ多少完成予想図とは違ってたけれども、贅沢は言ってられなかったわけさ。
 
 神は怒り狂い、再び堕天使たちを罰した。堕天使たちは再び戦い、再び負けて、また新たな世界を作ってそこに逃げ込んだ。創造と破壊が何度も何度も繰り返されて、そのたびに作り出された世界はだんだん、人間たちが元々いた場所とはかけ離れた姿になっていった。むちゃくちゃなやり方で酷使されるうちに神の知恵は穢れてゆがみ、世界そのものの織り地に溶け込んでいくようになった。それにあわせるように堕天使たちも姿を変えていった。人に惹かれ、人に近づくために天から降りたはずの彼らは、だんだん人の前に姿を現さなくなっていった。堕天使は人の陰に隠れ、ひそかに人類を支配するようになった。神と戦うための緊急避難だと言い張って、彼らは人を意のままに操り、変異させ、そうやって神に立ち向かわせた。もちろん上手く行くわけがない。人類は何度も打ち負かされ、そのたびに新たな世界に再生させられた。堕天使たちの身勝手な行為によって、ね。
 
 私は神に命じられて、堕天使たちの行動を監視していた。名乗り出たんだ。堕天使たちのやり方について少し思うこともあったし、それに自分で言うのもなんだが、私の力は見張りに最適だからね。
 
 え? ああ、そういえば自己紹介がまだだったかな。すまない。とっくに済ませたものだと勘違いしていたよ。
 
 私の名はルシフェル。神に仕える天使の一人。時を操ることを許されている。天界での地位は――まあ、いいだろう。とにかく私は時間を好きにできる。早送りも、飛ばすのも、そして巻き戻しも。いわゆる時間旅行なんて真似も朝飯前だ。
 
 だが今君たちが考えているほどなんでもできるわけじゃない。たとえば君たちはこう考えたりしたんじゃないかな? 『堕天使たちが神の知恵を盗む直前まで時間を巻き戻して、そこで妨害でも説得でもすればよかったんじゃないの?』ってね。
 
 実にその通りだ。
 
 私も、できることならそうしたかったよ。
 
 
 
 
 さて、モンテズマたちのところに戻ろう。あれから二週間ほど過ぎたあとの時点へ。時刻はちょうど夕方、日課の突撃が終わって休んでいるところだ。
 
 ずいぶん数が減っている。モンテズマたちは日々攻撃を繰り返してはいたが、あまり効果は上がっていない。ネアポリスの外壁に取り付くこともできていない有様だ。タダでさえネアポリスは丘の上に位置していて侵入できる場所は限定される。かといって一箇所しか出入り口がないわけじゃない。兵糧攻めのために全ての出入り口をふさごうにもモンテズマたちは数が足りない。無理に兵力を分散させれば、中から飛び出す軍団兵たちに各個撃破されておしまいだ。
 
 というわけで、モンテズマたちは都市を包囲する代わりに森にこもり、散発的に辺りを荒らしまわる戦術を取っている。トウモロコシ畑を荒らし、水道橋にいろいろなものを投げ込み、後方にひそかに回り込んでネアポリスにやってくる補給部隊を急襲する。これまでローマ軍が森に攻撃を仕掛けてこなかったわけじゃない。だが彼らはいずれもジャガー戦士たちに翻弄されて撤退を余儀なくされている。
 
 今のモンテズマたちを簡単に言うと、辺境に出没する蛮族ということになる。
 
 こんなことをやらされば、アステカの兵士たちは士気がどんどん下がっていたと思うだろう? 何しろ当初の目的と、実際にやってることがあまりにも食い違っているからね。
 
 だが実際は逆だった。彼らは皆意気軒昂、もっというと熱狂していた。決め手になっていたのはやはりモンテズマだ。
 
 モンテズマは森の中に急ごしらえの祭壇を用意した。適当な樹を切り倒して火で焼き、炭化した部分を適当に削り取る。そうして大まかな形を作ったあとは細かく削りながら意匠をととのえ、仕上げに石や皮で表面を研ぐ。出来上がったのは人の半分くらいの背丈を持った仏像だ。といっても、頭はジャガーだし、後光の代わりに背負っているのはデフォルメされた太陽、いわばアステカ流豹頭観音とでもいったところだね。足元に踏みしだいているのはもちろんタラスクだ。中々のできばえだったよ。モンテズマは丸一日かけてこれを彫り上げた。戻ってきた兵士たちを仏像の前に並ばせて、モンテズマはお経を唱えながら傷を癒し続けた。中には怪我を治してもらえず、代わりにその場で胸を切り開かれて心臓をえぐりだされることもある。仏像には連日真っ赤な血が降り注ぎ、なんともいえないどす黒い色に染まってしまっている。もしこれが後の世に残っていればどうなっていたかな。少なくとも美術館に飾れるような代物ではなかったよ。
 
 変化はこれだけじゃなかった。奇跡が広がりつつあったのさ。
 
 はじめに目覚めたのは精鋭部隊たるジャガー戦士たち、その中でも一番の手練だ。補給部隊を襲撃して思わぬ反撃に会い、命からがら逃げ帰っていたとき、森の上空を飛んでいた鷹が急にその肩に降りた。以来彼はまるで、空から見下ろしているかのようにあたりの状況を伝えてみせ、また傷を癒した。他にも多くの兵が力を見出し始めていた。モンテズマが実演して見せたことがきっかけになったのかもしれないし、単にいつ死ぬか分からない状況で、いまや世界そのものに織り込まれてしまった神の知恵に気がついたのかもしれない。ちょうど初代のモンテズマが、タラスクと相対して悟りを開いてしまったようにね。まあいずれにせよ、一度壁が破れればあとは早いものだったよ。
 
 アステカ兵は数を減らし、そしてその質をみるみる変えつつあった。モンテズマは日々兵たちを鼓舞し、戦いに赴かせていた。大々的な攻撃は仕掛けない。それはまるで、何かを待っているかのように見えなくもない。
 
 夕方だ。モンテズマは今日もまた仏像に血を注ぎ、多くの兵士たちがそれに付き従っている。恒例になった夕食前の儀式だ。生き残れたことに感謝し、明日もまた敵を打ち倒せるように全員で祈っている。と、兵士の一人が頭を上げた。耳を澄まし、周りの兵士に注意を促す。森が静かになっている。風もなく、赤く染まった日が木々の影を伸ばす。ざわめきが広がる中で、モンテズマのよこに控えていたジャガーが立ち上がって鼻を鳴らした。兵士たちもにおいの正体に気がついた。焦げ臭いにおい。何かが燃えている。
 
 モンテズマが空を見上げた。
 
 木々の葉によって作られた屋根の隙間から、それは落ちてきた。
 
 真っ赤に燃える火の玉が兵士たちのど真ん中に落ち、爆発した。
 
 熱風があたり一面を叩く。飛び散った火の粉は勢いを失うことなく人に張り付き、悲鳴を上げてのた打ち回るアステカ兵を焦がしていく。はじめの火の玉が破って出来た木々の隙間から、宙を横切っていくいくつもの火の玉が見える。空から容赦なく降り注いだ炎が森を瞬く間に火の海に変えていく。充満した煙に息を奪われ、アステカ兵たちはたちまち統制を失い逃げ回りはじめた。
 
 鷹を従えるジャガー兵が立ち上がり、即座に空に向けて鷹を放った。しばらくして鷹が戻ってくるが早いか、鷹使いは顔をゆがめてモンテズマに駆け寄った。ローマが大掛かりな仕掛けを使い森に火を投げ込んでいること、この森が包囲されつつあること、敵の規模はおそらくこれまでに見た兵力全てであること。
 
 絶望的な事実だというのに、モンテズマと来たら顔色一つ変えようとはしなかった。いや、その口元が吊りあがり、犬歯がむき出しになっていく。なんとモンテズマは笑ってた。

「これだ! 見ろ、この力をどう思う! すばらしいではないか!」

 辺りにはもう完全に火が回っている。降り注ぐ火の玉は数を減らし、代わりに混じり始めたのは火矢だ。森一つを完膚なきまでに燃やし尽くしてしまおうという意志が満ちている。大胆極まりない殲滅戦だ。そんなローマ軍の所業を指して、モンテズマは満足げに笑っている。周りの兵士たちは焦りと困惑に顔をゆがめている。

「そして見ろ! こちらの力を!」

 モンテズマが手をかざした。輝いた光が傍らに控えるジャガーを包み込み、ひょいと跳ねたジャガーはやおら燃え盛る炎の中に飛び込んだ。目を見開いたアステカ兵士たちの前で、ジャガーは炎を踏みしだいて消してみせた。全く熱さを感じていないようだった。

 さらにモンテズマが手をうち振った。風が吹き渡り、こもる煙を吹き散らしていく。振りかざされた両腕から光が降り注ぎ、兵士たちが負っていたやけどが見る見る癒えていった。視線を向けたその先で木々が曲がり、へし折れた。作り出されたのは安全な道だ。

「時は満ちた。いまこそ新たな道を進むべきときだ!」

 モンテズマは炎に踏み入り、燃え盛っていた仏像を取り上げた。凄惨なことになっている仏像をなでさすり、高く高く掲げ上げて、モンテズマは声を限りに叫んだ。

「行こう、戦士たちよ! 今こそ我らは戦う力を得た! 続け! 我らが怨敵の首に手をかけるときがついに来たのだ!」

 モンテズマは黒焦げになった仏像の足元に自らの手斧をたたきつけた。仏像の足もとが砕かれて落ちる。地に転がった残骸、荒削りに掘り出されていたタラスクを、モンテズマの足が踏み潰した。

 わけもわからないまま、兵たちは辺りに充満する熱気に当てられたように声を張り上げた。何人かの信仰呪文使いたちのサポートを受け、アステカ軍は日の落ちつつあった森の中を駆け、そして抜け出した。ローマ兵たちの包囲は間に合わなかった。モンテズマたちの行動はあまりにも早すぎ、損害が少なすぎ、そしてなにより見たこともない不可解な力を振るっていたからね。

 モンテズマたちは首尾よく逃げることに成功した。そう、逃げたんだ。といっても別に臆病風に吹かれたわけじゃないことは、モンテズマの目を見ていれば分かる。モンテズマがどういう意図を持っていたのか――それは、この次に話すことにしよう。



[22421] 7.筆記
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/10/26 23:47
 7.筆記

 話をしよう。人類の成し遂げた偉大な業績と、それが育む精神について。
 
 たとえばこの傘。どんなコンビニでも大体売っている。材料はビニールとアルミ。君たちにとっては大して面白くもなんともないものかもしれないが、私に言わせればそれは大きな間違いだ。冷たい雨から身を守るための知恵が、とても長い時間をかけてこの形に収束したというのはとてもすごいことだ。骨の部分は竹や木材から軽くて強い金属へ代わり、皮の部分は布や紙、プラスチックを使うようになった。そういう材料を揃えるために、どれだけの設備や人間がかかわっているか考えてみるといい。
 
 細工を施して美術品のようになっている傘もあれば、これみたいに雨を防ぐ機能を追及して他をそぎ落としたものもある。言ってしまえば単なる雨をしのぐための道具でしかない傘は、君たちの言葉や文化、考え方にも深く根を張っている。傘が印象的に使われている絵や、映像や、慣用句なんていくらでも上げられるだろう? 
 傘に限った話じゃない。君たち人間は、道具を道具では終わらせない。お互いに作用を及ぼしあいながら変化していける存在だ。
 
 単なる傘ですら人を動かす。ましてや偉大な事業なら、人が受ける作用は傘の比じゃない。簡単に言うと、父祖の功績に触れてインスピレーションを得た人間が更なる大事業を成し遂げ、その大事業が次の世代の精神を育むというパターンだ。偉大な芸術家は劇場や大聖堂で育ち、技術者は過去の建造物から学び、新たな商売のアイディアは市場の喧騒の中で生み出されるものだ。
 
 テノチティトランにも、そういう人を動かす建造物がある。この話は前にもしたかな? まあいい。どのみち、後でもう一度話すことになるだろう。
 
 大事なのは、モンテズマもそういう動かされた側の人間だってことだ。
 
 
 
 
 さて、建物の話をしたところで、今度は今ちょうど建造中な建物の話をしよう。ネアポリスからテノチティトランに向かう途中、ローマ軍が川沿いの平原で休憩しているところだ。作っているのは橋、といっても、別に例の水道橋じゃないけどね。
 
 軍団兵と一口にいっても、その中では技能にあわせていくつかの集団に分けられている。剣と盾を取って戦うほかにも、医療や補給、少ないがいわゆる事務仕事を行う人間もいる。そんな中でも特に重要とみなされているのが、ちょうど今、降りしきる雨の中で働いている部隊、工兵たちだ。
 
 プラエトリアンたちの強さはかなりの水準に達している。後の歴史でも、彼らに匹敵する兵士が登場するのはかなり後になってからのことだった。そんな彼らの強さを支えていたのが、彼らをバックアップするシステムの存在だ。工兵たちは戦う兵士たちの進軍に先んじて道を作り、その道を使って補給を行った。堅牢な陣地を作り上げて兵を守り、休ませた。だから兵士達は万全の状態で戦いに当たることができた。戦争というものをよく理解していたわけさ。
 
 しかも工兵たちの仕事はこれだけじゃなかった。彼らにはもう一つ、組み立てるべきものがある。
 
 ちょうど今、最後の杭が川底に打ち込まれた。三列に並べられた杭の上に板をわたして固定すれば簡単な橋の出来上がりだ。あたりの樹は大体切り倒されて、切り株がいくつも姿を晒している。そんな切り株の一つに、一人の男が座って肘を付いている。ローマ帝国現皇帝、アレクサンドロスだ。濡れ鼠だが、特に気にする様子はない。声をかわしながら作業する工兵たちを退屈そうに見ながら、手に持った枝で足元に転がった石をつついたり転がしたり、手持ち無沙汰でしょうがないといった顔をしている。脇に控えた軍団付属の書記官から報告をうけ、時には承認を求められて適当に印章を押す。急に立ち上がって石を拾い、川面に向かって水平に投げつける。雨量はそんなにたいしたことはないから、水面も穏やかなもの。石は水を切ってとび、アレクはそれを見て気を良くしたように笑い――それから一分もしないうちに、橋の工事をにらんで不機嫌になっている。ひどく落ち着きのなかったアレクが、ついに我慢の限界に達したように側近の一人を呼び寄せた。

「おい、カタパルトはまだか? どこで足止め食ってんだ」

「まだ詳しい報告はあがっていませんが、どうやら奇襲を受けたようです」

 側近は幕舎へ案内しようとするが、アレクは聞き入れようとはしない。傘を持ってきた小姓を無視して、アレクは声を荒げた。

「冗談じゃねえぞ。まさかやられたりはしてねえだろな」
「それは大丈夫だったようです。護衛が何人かやられた程度で」
「そもそも奇襲喰らってるってのも結構おめでてえな。こっちの弱えとこがばれてるってことじゃねえか」
「申し訳ありません」
「もう少し人数貼り付けろ。いいか、虎の子の新兵器なんだぞ。奴らにぶつけりゃそれで勝てるんだよ。で、いつ着く?」
「もうそろそろとのことです。急がせましたので」
「ならいいか。ちょうど橋が架かったみたいじゃねえか」

 走りこんできたのは工兵部隊の隊長だ。完成を知らせた工兵長を腕の一振りで下がらせると、アレクは満足げに橋を見やった。

「急ごしらえにしちゃまあまあだな。これで渡るもんもぴったり間に合ってりゃよかったんだがな」
「申し訳ありません。何しろ彼らは不可思議な術を使うもので、これまでどおりの方法では通じず」
「聞き飽きたぜ。いいわけはいいからさっさと新しいやり方見つけとけ」
「申し訳ありません」
「あのな、無茶言ってるのはこっちもわかってんだよ。敵が無茶なんだからこっちも無茶しねえといけねえだろ? 違うか」

 静かに言い渡すアレクの横顔には焦りがある。まあ無理もない。アレクたちローマ軍団はこのところ、アステカ相手に煮え湯を飲まされっぱなしだからね。

 名目から言えば、これはローマによるアステカの追撃戦だ。無謀な攻撃で数を減らし、疲弊して後退するアステカ軍を追いかけ、完全に叩きのめす。場合によっては彼らの本拠地まで追いかけ、二度とローマに牙を向くことがないようにすることも選択肢に入っている。アステカは敗残兵で、損害も大きく、士気も下がっているはずだ。とても簡単な仕事のはずだった。

 ところが、いざふたを開けてみると、ローマはアステカに翻弄される一方だ。

 原因は主にアステカ兵たちの使う不思議な技。見る間に傷を治したとか、道もない森の中を恐ろしい速度で移動していたとか、獣や鳥に見張られているような気がするとかその他もろもろ。軍団に随行する書記官は戦いの記録を残す役目も負っているが、報告を聞かされる側のアレクに言わせると、書かれている内容は「日に日にばかばかしくなってきやがる」。事実だからなおの事たちが悪い。

 だがそんな事で怖気づくアレクじゃない。むしろ逆に戦意は昂ぶる一方だ。「ここで滅ぼしとかないとまた戻ってくるぞ。こんな連中何度も相手したくねえだろうが」。アレクはそう言って兵士たちを鼓舞している。実際に大した被害を受けていないという事実もある。アステカ兵は少人数で奇襲をかけてばかり、ローマ軍はこれを単なる時間稼ぎとしか見ていない。決定打を失って敗走する軍の末路というわけだ。客観的に見れば、ローマにはたっぷり余裕があるといっていい。だからアレクがいらだっているのは、多分本人の性格だろうね。

「向こう岸のチェック終わってんだろうな? いつまでぐずぐずしてりゃ気が――お?」

 アレクが立ち上がった。視線の先にあるのは、今しがた完成したばかりの橋だ。その上を向こう岸から駆けて来た集団は、アレクを認めるとその場で敬礼した。アレクもまた敬礼を返して手招きする。泥を跳ね上げて皇帝の前に膝をついたのは斥候長、進軍に先立って情報を収集する部隊だ。敵地のど真ん中ということを差し引いても、斥候部隊には被害が多い。アレクはこれも現地の状況をできるだけ分からないままにしておくのが狙いだと見ていた。また時間稼ぎというわけだ。

「よし、報告しろ」
「アステカは兵のほとんどをテノチティトランに集めているようです。予定する進路上には森やジャングルなどもなく、そのままテノチティトランに接近できるものと思われます」
「砲撃兵器は運用できそうか?」
「少し問題が」

 斥候はアレクの足元に転がっていた枝を拾うと、石を地面にまっすぐ突き立て、そばに曲がりくねった線を描きはじめた。アレクが小姓から傘を奪い取り、雨が流してしまわないよう図の上に差しかける。ぬかるんだ地面に枝が溝を掘ると、すぐに水が流れ始めた。なかなかリアルな模型だ。

「この石をテノチティトランだと思ってください。北はこちら、この溝は川です。今渡っているこの川の下流部分に当たります。我々はここです。ここからテノチティトランまで三日ほどの距離ですが」

 斥候は目をさまよわせ、懐を探ると小さな皮袋を取り出した。手を突っ込み、なかから引っ張り出したものを地面に転がす。輝きに目を射抜かれてアレクは素っ頓狂な声を上げた。なんとダイヤモンドの原石だ。

「おいおい、なんだそりゃ。どこでそんなもん」
「後ほどこのことについてもご報告します。まず先に、進軍に付いて申し上げたいことが」
「そうか。じゃ話せ」
「この川ですが」

 斥候は地面に書いた地図上の川を枝でなぞった。テノチティトランのそばを流れる川、アステカ人からは水の女神チャルチウィトリクエ(翡翠の淑女)、あるいは女神の名を縮めて翡翠河とか呼ばれることになる川だ。翡翠河はテノチティトランの南西部で曲がり、斥候の示す進軍予定線を横切っている。アレクが顔をゆがめた。

「川幅は?」
「かなり広いです。また水量もあります。渡河には手間取るものと思われます」
「敵のまん前じゃ、橋を架けるってわけにもなあ」

 残念そうに橋を見やるアレクの視線を捉えて、作業から戻る途中の工兵たちが拳を挙げた。雨のなか作業をさせられたというのに、その顔に現れているのは疲労よりも達成感だ。鹿爪らしい顔でアレクがうなずいてみせると、工兵たちもまじめくさった敬礼を返した。
「『やれ』っつったらやるかな、あいつら」
「無謀では」
「冗談だ。いちいち突っ込むな」
 顎をかきかき鼻を鳴らして、アレクは地図の上にしゃがみこんだ。
「すると予定してた進路はおじゃんってことか。にしてももっと早く気付けただろう、こういうの? 川なんてそうそう動くもんでもないんだからよ」
「申し訳ありません。何しろ」
「『奴らが妙な技を使うもので』とか言うなよ。聞き飽きてるからな。いい知らせはないのか」
「少し遠回りになりますが、テノチティトランの東側が開けています。また南部には敵の、おそらく銅鉱山と思しきものがあります。南を通りながら東に抜ける道はすでに調べさせております。すぐにご報告できるものかと」
「よしよし、いい知らせもちゃんとあるじゃねえか。じゃその東で決まりだな。褒美はその石でどうだ?」

 アレクが足元に転がるダイヤの原石を小突いた。斥候が懐から取り出した皮袋の口を広げて差し出し、アレクは中身を見て口笛を吹いた。
「んじゃ次はこれの話をしてもらおうか。どこで拾ったんだ?」
「銅鉱山のさらに南です。ジャングルの中に小規模な採掘所のようなものがあり、そこに残されていたのです」
「そんだけ捨ててくってことはよっぽどあせってたってわけだな。にしても戦争やってるってのにのんきなこったな」
「自分には、採掘所自体ががかなり新しいものだったように思われました。おそらく彼の軍勢が出立してから採掘を始めたものかと」
「そりゃアレだろ? 上が遠征でいないから下が好き勝手して私腹を肥やしたってことだろな」
「関係ないかもしれないと思いましたが、念のため、一応ご報告した次第です」
「それでいい。よし、褒美はそこのやつ全部だ。お前もこの際だから私腹肥やしとけ」
「規律に反します」
「言い方がわるかったな。軍律が禁じてんのは私的な略奪だろうが? この場合はおれがくれてやるっつってんだから違反にあたらねえよ。だからほら、貰っとけ。おまえたちゃよくやってる。そいつはその印だ。雨ン中ご苦労だったな。あとこいつもやるわ」

 アレクは傘を斥候長に差し出して笑った。木を組み合わせた骨に、なめした皮を張ったものだ。もちろん畳めない。これでも、この時代としてはぜいたく品の部類に入る代物だ。貰った傘を差して引き下がる斥候長を見送ると、アレクは再び声を張り上げた。

「おい! まだカタパは着かねえのか! 雨ぐらいで予定遅らせてんじゃねえぞ」

 待っていたものが実際に到着したのはそれから一時間ぐらいしてからのことだ。散々怒鳴られた側近たちには気の毒だったね、ほんと。

 雨は上がり、雲の間から日差しが差し込んでくる。ぬかるんだ地面にわだちを刻みながら、何台もの馬車が森の中に作られた道を通って現れた。幌をかけられ、中身がなんなのかは見ただけでは分からない。それでも、かなり重いということだけはすぐに分かる。えりすぐりの馬たちが何頭もつながれているからね。アレクは馬車を一台一台まわって担当者と話をすると、すぐに河を渡るように命じた。急ごしらえの橋をゆっくり渡っていく馬車の一団を見ながら、アレクは満足そうに腕を組んだ。

「こいつも組み立ていらなきゃもっと楽に運用できるんだけどな。あとは自分で勝手に走るとか。装甲なんかも張ってよ」

 ぼそっとつぶやいたアイディアはさすがといったところかな。もっとも、実現には千年以上待つ必要があるけどね。

 大体、現状ではこれに敵う火力は存在しない。時代が下れば火力魔道師団なんかも編成されることになるが、それはまた別の話だ。カタパルト――てこの原理で石や可燃性の弾丸を投擲する巨大兵器。この星中をを眺め渡しても、この時代にこれを運用できたのはローマしかいない。

 全ての馬車が河を渡りおわった。後に続いて他の兵たちが渡っていく。雨がやんだ今、できるだけ進軍しておこうというアレクの指示だ。泥を跳ね上げ、ローマの兵士たちは歌いながら行進する。偉大なるローマ帝国を讃える歌だ。一番大声を張り上げているのはもちろんアレク、まあ、あまり上手ではなかったけれどもね。

 これから数日たつと、ローマはテノチティトランを望む場所までたどり着くことになる。この間、アステカ側はずっとローマに小規模な嫌がらせを続ける以外にはなにもしなかった。ほとんど全ての兵をテノチティトランに集め、アレクたちが東に布陣するのをただじっと待っていた。いや、待っていたという言い方は正しくないな。モンテズマはローマを東の平原に誘導したんだ。傷ついた弱弱しい軍勢の悪あがきを装ってね。乾坤一擲の大作戦を実行するためには、ローマが東にいる必要があったのさ。それも、できるだけ戦力を保持したまま、ね。前にも話したように、これはモンテズマの狙い通りだ。

 ――え? ああ、すまない。もう話したものと勘違いしていたよ。ならちょうどいい。ここで種明かしをするより、実際に見てもらったほうがいいだろう。アステカとローマの歴史に残る、記念すべき戦いをね。

 さあ、時を飛ばすことにしよう。



[22421] 8.筆記(承前)
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/03 00:24
  8.筆記(承前)
 話をしよう。ローマとアステカ、両方にとって運命の分かれ目となった日の事を。

 ローマ兵は予定通りテノチティトランの南から東に抜けた。途中で銅鉱山を略奪し、歩哨を置いてアステカが利用できないようにする。略奪とはいっても実際には鉱山はもぬけのからで、衝突が起きたわけじゃないがね。それにローマ側にしてみれば、敵に鉱山を利用させるような時間の余裕を与えるつもりもなかったはずだ。一撃で大打撃を与えてしまうつもりだったはずだからね。

 ローマ軍は可能な限りの速さで進み、テノチティトラン東の草原に陣を敷いた。アステカの妨害はなかった。ことさらに悠々と幕舎やテントを並べ、陣地の周りに柵をめぐらしてたいまつを焚く。アステカは奇襲一つ仕掛けてこない。一番危惧していた段階を切り抜けられて、ローマ兵の間には安心感が広がりつつある。降伏することに決めて殊勝になったのか――さもなくば都市にたてこもって徹底抗戦の構えなのか。どちらか次第で大きく変わりそうなものだが、ローマにとってはそうじゃない。

 東の空が白み始めた。幕舎から兵士たちがアレクサンドロスが姿を現す。朝露の降りたテントに指を滑らせ、空を見上げて天気を確認する。表情から察するに、今日の天候はどうやらローマの味方のようだ。

 アレクサンドロスはそのままずいずいとどこかへ向かっていく。焚き火やたいまつのそばで不寝番をしていた兵士たちに挨拶を返しながら、やがてアレクは陣地を囲う柵のところにまでたどり着いた。柵は人の肩ほどの高さの杭を打ち込み、先端は尖らせてある。急ごしらえとはいえ立派なものだ。

 アレクは手に唾をくれると、柵を補強している縄に手をかけた。一息に身体を持ち上げ、尖った杭同士の隙間に足をかけた。あっという間に杭を上り、バランスを取りながらゆっくりと立ち上がる。私もちょっと試してみたんだが危うく怪我するところだった。身のこなしはさすがといったところかな。

 アレクはしばらく西を、テノチティトランに面した草原の方を眺めていた。私のところからはちょっと同じものを見ることはできなかったが、あとでそこまで行って時間をもどしてみたら、ちょうど早起きした工兵たちがカタパルトを展開していたところだった。実際に作業をしていた兵士たちは皇帝に気付いていた様子はなかったし、アレクも声をかけたりはしなかったようだね。下から見上げるアレクの表情はとても満足げだ。視線をちらりと上げて、アレクはそのままとんがった杭の上で向きを変えた。いやはや、なんとも器用なことだ。アレクは東、自分たちの陣地に目をやった。いまや、ローマの陣地はだんだん目覚め始めている。テントから這い出した兵士たちが朝の空気を吸い込み、目を細めて身体を伸ばす。兵士たちの状態は良好だ。

 満足げに頷き、降りようとして腰をかがめたアレクが、ふとそのまま固まった。

 次の瞬間には落ちていた。いくらなんでもバランスが取れるもんじゃない。駆け寄ってくる兵士たちに助け起こされながら、アレクサンドロスは眉をひそめて目を擦っていた。気を使って問いかける兵士たちに、アレクは朝日が目に入ったとだけ答えると、そのまま本陣のほうに歩き去っていった。

 この後の出来事を知っている私にはアレクが何を見たのかはなんとなく想像がつくけれども、具体的なことは分からない。なんといっても、柵を登るなんて私にはちょっと難しかったからね。
 


 日が地平線から顔を出した。

 ローマ帝国は展開を完了している。前線にプラエトリアンたちが居並び、両翼をチャリオットと弓が固める。最後方にはカタパルトの威容がある。弾丸は山と積み上がり、綱は巻き上げられるときをじっと待っている。

 対するアステカ兵も、すでに準備を整えていた。

 目を引くのは全身を青い毛皮と羽毛で包んだジャガー戦士たちだ。ネアポリス侵攻のときとは違って、彼らは正装に身を固めている。斧を掲げ、あるいは弓を下げ、テノチティトランを守るように布陣している。戦列の中には動物たちの姿も混じっている。猛獣たちはまるで戦士たちの一員であるかのようにとてもくつろいでいる。アステカは都市にこもるという戦法は取らなかったようだね。

 それにしても、ローマと比べると数がずいぶん少ない。新たな兵士を訓練する暇は与えられなかったわけだ。

 と、アステカの戦列から二つの影が飛び出してきた。影――モンテズマと隻眼のジャガーはローマとアステカのちょうど中央で止まり、両者ともその場に座り込んだ。両手を掲げて武器がないことを示しながら、モンテズマは「そちらから一人出せ! 話がある!」と怒鳴った。ローマの言葉だ。

 アレクサンドロス? もちろん一番前だ。愛馬ブケファロスにまたがり、軍団の前を悠々と右に左に往復しながら、不敵な笑みを浮かべてテノチティトランをにらんでいたところだ。突撃の号令をいつ発したものか迷っていたアレクサンドロスは、呼び出されて少し面倒くさそうに顔をしかめた。だが次の瞬間には、ブケファロスのひづめが土を蹴っていた。

 程なく両者がご対面した。最初に声を発したのはアレクサンドロスだ。

「あんときの俺の真似したつもりなら旗と馬が足りないぜ。それと迫力もな」
「我らは馬を知らぬ。迫力に関してはあれこれ言うまでもない」
「言葉はいつおぼえた?」
「御仏の加護だ」
「例の妙な技か? なるほど、お前がびっくり人間どもの親玉ってわけだ」

モンテズマは肩をすくめ、目顔で馬を下りるように促した。アレクも鼻を鳴らして従い、モンテズマの目の前まで歩み寄った。

「そんで? 呼び出しておしまいか?」
「少し話し合うことがあってな」
「『降伏と全滅どっちがいいか迷ってます』ってか? その二つだとそうだな、降伏がお薦めだな」
「降伏などありえぬ」
「おーいいねえ。今のはなかなかいい。こっちの記録にお前らのことは特別にページを割いてやるよ。『勇敢なるアステカの王モンテズマ、雄雄しく戦ったが、最後は民族と運命をともにした』ってな。蛮族風情にゃ破格の扱いだぜぇ」
「我らは蛮族ではない。お前らと同じ、知恵と誇りある文明人だ」
「腰ミノどもはみんなそういうんだよ」

 アレクはモンテズマの肩越しにテノチティトランに目をやった。立ち並んだ石造りの家屋に朝日が降り注いでいる。最初の掘っ立て小屋を知っている私に言わせれば、とても立派なものだ。アレクは街を眺め回して、一点に目を留めるとやおら口笛を吹き鳴らした。
「なあ、あの石碑みたいなのはなんだ? 貧相なところに住んでるかと思えば中々立派なのがあるじゃねえか」
「我らの祭儀所だ。太陽と御仏に祈りをささげ、この世が滅びぬよう祈願する場所だ」
「ご大層なこった。この世の前に自分たちの心配してりゃよかったんじゃねえか? お前らこれから全滅するんだぞ」
「我らはここで死ぬ定めではない。アレクサンドロス、お前たちもだ」
「わけわかんねえこと言って煙にまこうってんなら無駄だ。じゃあな、モンテズマ」

 アレクがきびすを返した。その背中に、モンテズマが言葉を投げた。

「これまでに我らは四回滅びた。今の太陽は5つ目だ」

 アレクが立ち止まった。

「古い、とても古い伝えだ。アレクサンドロスよ、おそらくはお前たちも似たような伝説を知っているはずだ。我らより先にあり、そして滅びたものたちの事を」

 アレクが振り返って肩をすくめた。

「今は鉄の時代だ。なんでも黄金から始まってだんだん品下っていったんだとよ。それがどうした」
「やはりか」
「それがどうした? ご先祖様一流の与太話がそんなに大事か?」
「与太ではない。事実だ」
「そんな言い草で頭大丈夫か? 話にならねえな」
「耳を澄ませ、アレクサンドロス」
「何?」
「そろそろこちらに気が付く頃だ」

 モンテのジャガーがうなり始めた。アレクサンドロスが眉をしかめ――低く重い振動が大気を、大地を揺さぶった。地の果てからでも響き渡る、悪意に満ちた咆哮だ。

「おい、なんだ、こりゃ」

「この世を滅ぼすものだ」

 モンテズマが静かに笑った。


 
 少し話をしよう。タラスク、この恐るべき魔物について。
 見た目は大体亀に似ている。甲羅を背負っているところとか、鱗があるところとかね。四本の足を持つが、前足の主な用途は目の前のものをなぎ払うか、口に運ぶことだ。長い尻尾を持ち、そこから背中にかけて生え出した棘は恐るべき武器になる。体高は20メートルを越えるが、その前足に生えた爪だけでも人の全身ほどの長さがあるといったほうが分かりやすいだろう。ただ進むだけでも、タラスクは恐ろしい破壊を引き起こす。タラスクは何にも阻まれない。ましてや牙や爪を使いだしたなら、耐えられるものはほとんどいない。

 何より厄介なのは、タラスクの本質は破壊にあるのではないということだ。こいつはとても深刻な、神の呪いなんだよ。
 


 東の向こう、ローマ軍のはるか後方に広がる森。その中から巨大な影が飛び出し、しばらくの間宙を横切った。

 ちょっとした低空飛行をしているようにも見えるが、実際のところは単なるジャンプ。タラスクにもいいところが一つあって、それは飛べないということだ。この世界の人間は秘術呪文のおかげで君たちよりはるかに早い段階で空を征服したが、それにはもしかしたらこの事実が影響してたかもしれないね。まあ、今は関係ないが。

 タラスクは再び森の中に姿を消した。いや、消したというのは正確じゃないかな。進むたびに樹がなぎ倒されているのがここからでも分かる。大地が掘り返され、人よりもおおきい岩がまるでおもちゃのように跳ね上げられているのが見える。地面の揺れはますます強くなり、タラスクのうめき声が腹のそこを揺らしてくる。地平線ほど遠くにあっても、どちらに向かっているかは一目瞭然だ。タラスクはテノチティトランを目指している。それもまっすぐに。

 アレクの顔から見る見る血が引いていく。ようやくといった様子で声を絞り出した。

「なるほどな、あれがお前らの狙いか。挟み撃ちってわけだ」

 不意にアレクが剣を抜き、モンテズマに掴みかかった。モンテズマは抵抗しない。首筋に刃を突きつけられても顔色一つ変えず、モンテズマは静かにアレクを見返している。

「にしてもわからねえな。あんな切り札があるならなんでまたノコノコきやがった? お前は大将だろうが。首を取っちまえば配下は壊走、せいぜい街に篭るぐらいしかできっこねえ。つうかしょっぱなから篭ってるだけで用が済んだはずだろう? ホント何しに来たんだお前?」
「一つ聞きたいことがあったのだ」
「いいぜ、この際だからなんでも答えてやる。さあ言え!」
「では問おう、ローマ皇帝アレクサンドロスよ――ローマはどれほど強い?」

 虚を突かれたようにアレクの顎が落ちた。剣を突きつけたままアレクの視線が泳ぎ、再びモンテの顔を正面から捉える。その眼はまるで燃えているようだ。食いしばられた歯がかっと開かれて、そこから言葉がほとばしった。

「ローマは地上最強だ! これまでも、そしてこれからもな! 生憎だったなモンテズマ! 俺たちがあんなのに背後を突かれたぐらいでやられると思ったら大間違いだぜ! 化け物を適当にあやしながらお前ら蛮族を追い散らし、あの街に入城して占領するなんて訳もねえ。化け物はその後でゆっくり料理してやる。あんだけでかけりゃさぞかし食い応えがあるだろうな。お前らの墓にも供えてやるからあの世で楽しみにしてろ」
「我らは追い散らされなどしない」
「なら試してみるか? お前がここでくたばりゃどうなるか」

 アレクが手に力をこめた。モンテの首筋に赤い筋が走り、染み出した血がモンテの胸を伝っていく。だがモンテは動じない。脇に控えるジャガーを手で制しながら、ただ静かに言葉をつむぐ。

「ローマ皇帝アレクサンドロスよ、お前たちが今ここにあるのは、我らと争うためではない」
「気の利いた遺言だな」
「お前たちがここにあるのは、我らとともに滅びを打ち倒すためだ」

 ローマの戦列から一騎の騎馬が飛び出し、モンテズマたちの下に向かった。指示を請おうとする伝令だ。だが近づこうとした伝令をアレクは手で制した。剣を突きつけたまま、いまやアレクは、モンテズマの言葉に全神経を注いでいる。

「我々は今日このときが来るのを待っていた。あの滅びが、タラスクがテノチティトランを嗅ぎつけ、全てを粉砕する日が来ることは分かっていた。我々だけではかの怪物をとめることは叶わない。だから助勢が必要だった。ローマよ、お前たちのことだ。

 アレクサンドロスよ、お前は今、『ローマは地上最強だ』と言った。いかにもその通りだ。戦って分かった。我らが及びも付かぬほどにお前たちは強い。それでも、タラスクを打ち倒すことはお前たちには決して叶わぬのだ。あれがこの世の理から外れており、お前たちローマが所詮人の身に留まっているがゆえに。
 だが我らアステカには力がある。御仏のご加護を請い、あの滅びに抗って戦う術を知っているのだ。お前たちも見たはずだ。我らが引き起こす奇跡の数々を。我らがお前たちの文明を畏れたように、お前たちもまた、我らの技に驚嘆しているはずだ」
「だったらお前らだけでやりゃいいじゃねえか。その奇跡とやらでぶっ飛ばして見せろよ? え?」
「我らには戦力が足らぬ。お前たちに奇跡が足らぬように。タラスクを止めることは相叶わぬ」
「『だから共闘しましょう』ってか? ハハハハハ! いい冗談だな! これまでの戦いはじゃあなんだったんだ? え?」
「はじめはお前たちを蹂躙するつもりだった。タラスクに脅かされぬ安全な場所を確保し、改めて彼のものに戦いを挑むつもりだったのだ。だが途中で考えが変わった。
 お前たちは強かった。我らの想像をはるかに超えて賢く、力と自信にあふれていた。お前たちとぶつかったことで、我らもまた目を開かされた。自分たちがどれだけ矮小な存在で満足していたか理解したのだ。我らは学び、そして新たな道を見出した。お前たちから奪うのではなく、お前たちの力を利用する道を。
 我らはお前たちを導いた。今日この時この場所で、力を合わせてタラスクを屠らんがために」

 アレクが刃を引込めた。どんと突き放されてモンテズマがよろめく。その手が傷口を撫でると、指の間から光が漏れた。治癒だ。アレクが苦々しげに唾を吐いた。

「わからねえな。こんなめんどっくせえことする必要はあったのか? 最初から『助けてくださいアレク様』っていえば済む話だろうが」
「それで助けに来るのか、アレクサンドロス? どうせ適当にあしらって追い返しただろう。さもなくば、アステカはローマ帝国に組み込まれて属国となり、我らは顎でこき使われる身になっていただろう」
「蛮族どもには身に余る光栄じゃねえか」
「御免だ。われらはアステカ、ローマではない。お前たちがローマであり、アステカではないように。だからこそ、この道こそが我らにとって最善だったのだ。我らがアステカのまま、ローマと共闘せざるを得ない状況に持っていくことが」

 アレクが地平線の向こうに目をやった。タラスクは着々と近づいてきている。いくらもしないうちに、その姿が目に入るだろう。ものいいたげな伝令がアレクの視線を捕まえようと必死になっているが、アレクは無視してモンテズマに向き直った。

「お前のたわごとにゃおかしなところがいくつもある。もし俺たちだけでタラスクを倒せちまったらどうする?」
「そのあとで疲弊したお前たちの首を悠々と刈り取る」
「先にお前たちを倒してもいい」
「そしてタラスクの餌になるがいい」
「俺やここの連中がくたばってもローマ帝国が仇をとるぜ」
「われらの力がなくてはタラスクを抑えられぬ。信じぬのは勝手だ、アレクサンドロス。信心を知らぬな」

 モンテズマは自信に満ちている。獣を従え、傷を癒し、異国の言葉を操る。後光が差してもおかしくないぐらいの奇跡っぷりだ。

 対するアレクはどんどん勢いを失っていく。そして失っているのはそれだけではないことにアレクも気がつき始めている。それは時間だ。タラスクがテノチティトランに到達するまであと少し、そしてそうなったとき、最前線に置かれるのはアステカでなくてローマだからね。

 アレクがゆっくりと剣を納めた。

「ローマは蛮族ごときに膝は折らない。絶対にだ。何かを乞うなんざもってのほかだ」

 首を曲げたモンテズマに、アレクは搾り出すように言葉を継いだ。

「だがもし、蛮族の方が膝を折り、頭を垂れて許しを乞うたなら、休戦ぐらいはくれてやってもいい。弱者を叩き潰す趣味はねえ。俺たちゃ栄えあるローマ帝国だからな」

 モンテズマは静かに笑った。ジャガーを呼び寄せ、ともに膝をついて地面に頭を擦り付ける。

「乞おう、ローマ皇帝アレクサンドロスよ。休戦だ。あのタラスクが大地に倒れ、二度と起き上がらなくなるその時までの休戦を乞う」
「誓え! 何でもいい、お前たちの最も大事にしているものにかけて誓え!」
「御仏の御名にかけて誓おう」

 しばらくの間、アレクはモンテズマを見下ろしていた。そうして顔を上げ、実に朗々たる声で、アレクは答えた。

「いいだろう! ローマ帝国皇帝アレクサンドロスは、蛮族アステカからの休戦要求を受け入れる! あのタラスクが大地に倒れ、二度と起き上がらなくなるその時まで! ローマを作り上げた偉大な祖先の名と、やがて生まれ来る子らの名にかけて誓う! 立て! アステカ王モンテズマ!」

 アレク自ら手を貸してモンテズマを引っ張り上げると、二人は両軍にそれぞれ向き直った。どちらの軍もぽかんとしている。まあしょうがない。殺し合いをするつもりだったわけだからね。
 
 だがやがて事態がなんとなく飲み込めてくると、両軍はどちらからともなく足を踏み鳴らし始めた。足音がだんだんとそろい始め、やがてそれはタラスクが起こす地響きを上回った。足踏みのペースがどんどん上がり、大地を激しく打ち鳴らす。最高潮に達したとき、アレクとモンテはふたたび拳を掲げた。

 鬨の声が一つになった。何千もの腕と足と頭を持つ、ローマ=アステカ連合軍という怪物の誕生だ。

 さて、それじゃ、怪物同士の戦いを見に行くとしようか。



[22421] 9-1.(研究停止)
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/14 14:32
 9-1.(研究停止)
 
 
 それじゃ、話をしようか。

 二つの色がが混ざり合っていく。赤を基調としたローマの装束と、青い衣をまとったアステカのジャガー戦士たちだ。ローマ軍は中央から二つに分かれ、後方に向かって移動を開始し、ジャガー戦士たちも追随する。カタパルト群は入れ替わるように後方、要するにテノチティトランのほうへ。いくら車輪が付いているとはいっても、組み立て終わったカタパルトはあまり動かすようなものじゃない。弾丸だって運ばないといけないからね。だが背に腹は代えられないということで、ローマの工兵達はカタパを馬で引き、弾丸の積み込まれた台車をひいこらいいながら押している。

 そんな台車の一つが、不意にがくんと傾いた。

 埋まった石に車輪を引っ掛けた格好だ。バランスを崩した台車は大きく揺れ、衝撃で飛び出した丸石がばらばらと転がった。罵声が飛び、あわててかがみこんだローマ兵に先んじて、一つの手が石を拾い上げた。モンテズマだ。

「小さい」

 石を工兵に返しながら、モンテズマがつぶやいた。

 なおもかがみこんで石をふたつ拾うと、モンテズマはやおら呪文を唱え、両手に持った石を打ち合わせた。石をぶつける音の代わりに響いたのは、柔らかいものを踏みつけたような音だ。両側から力を加えられた石はお互いに向かってめり込み、やがて一つの大きな塊になった。モンテズマの手がその表面を撫で回すにつれて、石はまるで粘土のように形を変えていく。ほどなく、さっきよりもちょっと大きな弾丸が完成した。

「あのタラスクにはこんな弾では足らぬ。より大きなものを使え。こちらでも弾を用意させる」

 目をむきながら頷く工兵に石を預けると、モンテズマは付き従うジャガー戦士に何事かささやいた。しばらくして集まってきた別のアステカ兵たちが、ローマ工兵たちに混ざって石の詰まれた台車を押し始めた。ジャガー装束の頭巾を下ろせばそこにあるのは禿頭、ストーンシェイプを発効できるアステカのクレリックたちだ。

「あんまりびっくりさせてやるなよ」

「必要な指示だ」

 見守っていたアレクが苦い顔をしてもモンテズマはどこ吹く風だ。あわただしく駆け回る周りの兵を捕らえては、何を持てとかここに移動しろと言った指示を下していく。ローマもアステカも関係ない。はじめのうちこそ「指揮権までくれてやった覚えはねえ」なんて文句を言っていたアレクサンドロスも、今ではおとなしくモンテズマの指示を受け入れている。命令系統が二つ以上あると軍団が瓦解してしまうことを知っているからだろうね。

 やがて二人は軍団の最前列に出た。

 前面に居並ぶのは弓兵たち、それも両軍から選びぬかれた精鋭だ。矢を何本も地面に突き立て、弦の調子や互いの位置関係を入念に調節している。ジャガーレンジャーの一人が地面に座り込み、もぐさをいくらか積み上げて火を焚きはじめた。そこから上っていく煙を見て、周りの弓兵が満足げなため息を漏らす。風はない。コンディションとしては上々だ。ジャガーレンジャーはそのまま煙を見つめ、ゆっくりとトランス状態に入っていく。戦いを前にした精神統一の儀式だ。

 興味深そうに見入るローマの弓兵に、ジャガーレンジャーが片目を見開いて顎をしゃくってみせた。あわてるローマ兵にジャガーがもぐさを差し出し、地面に盛り上げ火をつける。ぽんぽんと地面を叩くと、ジャガーレンジャーは再び瞑想に戻った。恐る恐るといった調子でローマ兵が煙の周りに集まりはじめ、ついにはもぐさを中心として車座が出来てしまった。ジャガー戦士たちが低い声で詠唱を始め、なんとなくと言った調子でローマの声が合わさっていく。ローマの言葉でもアステカの言葉でもない、不思議な響きの歌だ。
「あの歌は?」
「我らは『ババイェツ』と呼んでいる。始まりをあらわす歌だ」
「始まりって何のだよ」
「全てだ」
「お前の話聞いてるとそのうち頭おかしくなっちまいそうだな」
 頭を振ったアレクが、首筋を掻いて目を眇めた。
「まあ、曲としては悪くねえな」
「神の歌だからな」

 不意に立ち上る煙が揺れた。ババイェツの朗唱が途切れた。

 軍団が再編成を行っている間に、タラスクはどんどん近づいてきている。接触まではあと一時間ほどといったところかな? 上空を飛び回る鷹や鷲たちが、軍団に向かって急降下してはまた飛び立っていく。レンジャーやドルイドたちの使い魔、彼らに言わせれば相棒だ。

 そんなレンジャーの一人がモンテズマの足元にひざまずき、タラスクの位置を告げた。満足げにうなづいたモンテズマが視線を上げた。その先にあるのは、地の向こうであがる土煙だ。

 アステカのレンジャーと入れ替わるように、プラエトリアンが膝を突いた。

「陣地からの物資撤退、完了しました」
「よし。後はどうするかな、油でもまいとくか。火責めだ」

 アレクの言葉に頷きかえし、プラエトリアンが立ち上がる。と、モンテズマが首を振った。

「奴に火は効かぬ」
「おいおい冗談抜かせ。火がきかねえならなにが効くってんだ」
「火は効かぬ。試したのだ。火は我らの動きを妨げるだけだ」

 何事か言いかかっていたアレクが口をつぐんだ。確かにタラスクには火が効かない。他にも効かないものは山ほどあるけどね。モンテズマは人知を超えた努力でそれを知った。まったく、恐れ入るよ。

「だったらどうやって足止めする? あんなデカブツと接近戦なんざ御免だぜ」
「足止めせねば、そのまま後方まで抜かれるだけだ」
「お前らお得意の生贄でも置いとくってのはどうだ? 腹がくちくなりゃ帰ってくれるかもしれないぜ」
 意地悪く笑ったアレクを、モンテズマがきょとんとした目で見返した。
「なんだよ」
「理解していなかったのか?」
「何をだ?」
「我らこそがその生贄だ」


「いいか聞け! 栄えあるローマの兵士、そしてアステカの誇り高き戦士たちよ! 俺たちは今から死にに行く!」

 騎乗したアレクが高らかに宣言し、皆は武器を掲げて応えた。私ならもっと言葉を選ぶが、こういうのも彼ららしくて中々いい。何より、言ってることは事実だしね。

「お前らの中に『死にたくねえ』って奴のがいるなら今のうちに外れろ。今から走ればどうにか逃げ切れるからな。なに、臆病者呼ばわりするつもりは毛頭ねえ。俺たちの墓の手入れをする奴だって必要だからな」

 全軍から低い笑い声が響いた。兵士たちの誰一人として、この場を立ち去ろうとはしない。

「それから『死にたい死んでもいい』って奴も失せろ。よりにもよってこんな場で命を無駄遣いしたくなるような間抜けに出来ることは何一つねえ」

 ずぅん、と地面が揺れた。兵士たちはもうどよめかない。みなじっと息をのみ、目の前の光景に視線を凝らすばかりだ。

「俺たちゃ戦士だ! だから戦う! 歴史に残る大戦の、それも一番いいところで戦う! こんな晴れ舞台を逃す手があるか? 千年語り継がれるいさおしになる! お前らの誰もが伝説になるわけだ! こりゃ鼻が高いってモンだ!」

 大地が揺れた。響き渡る轟音をかき消そうとするように、皆の喉から声がほとばしった。

「よおしその意気だ! 退くな! 倒れるな! 諦めるな! 俺たちに必要なのは勇気だ! 勇気ってのはなんだ!? 死ぬのが分かってて、それでもどうにかして命にしがみつこうとする意地汚さだ! 生き残るために死地に身を投じる狂気だ! そして何よりも、針の穴より小さい勝機を掴み取れると信じる心だ! 俺たちは必ず勝つ!」

 アレクのまたがっていたブケファロスが前足を高く上げていなないた。歯をむき出し、唾を撒き散らして威嚇している。はっきり言うと馬に見えない。これは多分、もっと戦闘的な何かだ。

 もう一度、大地が揺れた。さっきよりも大きく、腹を揺さぶる振動だ。誰もが息を呑んでいる。近い。もうすぐそばまで来ている。
「そろそろだ。お前らに武運があらんことを! あとミホトケとやらの加護もな!」

 剣を掲げたアレクに応える様に、三度大地が揺れた。はるか遠くに見えた巨体が不意に舞い上がり、宙を滑ってローマの陣地に着地した。湧き上がった土煙がおさまるにつれて、徐々にその姿があらわになっていく。むき出された歯を挑発するように打ち合わせて、タラスクが一声大きくないた。

「さあ、行くぞ!」

 アレクの号令とともに、兵士たちが前進し始めた。悠々と前足を着き、地面を引っかき始めたタラスクをにらむと、アレクは小声でこうつぶやいた。

「本当にこれで上手く行くんだろうな、おい」
 
 
 アレクたちの役割は単純そのものだ。つまり、タラスクを足止めすること。両軍が持つ歩兵戦力のほとんどを投入したこの作戦の勝ち目は、計画を聞かされてアレクが発した次の言葉で大体言い表せている。つまり、「そんな作戦で大丈夫か?」。

 モンテズマはこれに応えて曰く、

「大丈夫だ、問題ない」
「なわけあるか! へのつっぱりにもならんわ! 奴が跳んだらどうするんだ」
「確かに奴は跳ぶ。それこそが我らが勝機だ」
「突っ込んでいく俺たちを飛び越されたらどうするんですかって聞いてるんだ!」
「跳ばぬ」
「何でだ」
「奴は餌を逃さぬ。言っただろう。我らは生贄なのだ。かの化け物を、ほんのひと時の間つなぎとめるための」
「つなぎとめてどうすんだ?」
「奴が跳ぶ。そのときお前たちは奇跡を見るだろう」
「ハァ?」

 決戦前の会議はもうすこし続いたけど、それは後で話すことにしよう。アレクは最後まで納得はしていなかったが、結局代案は出せなかったというところだけいっておこうかな。
 
 
 アレクたちが近づいても、タラスクは特に反応しなかった。手元に転がるローマのテントや柵を踏みつけたり、爪で引っかいたりして破壊しているその姿は、退屈した子供が遊んでいるように見えなくもない。だがアレクたちが300フィート、まあ大体100メートルぐらいかな、ほどに迫った辺りで、タラスクが動きを見せた。

 タラスクがしたことは、単に視線をローマ軍に据えただけだ。だがたったそれだけのことが、絶大な効果を発揮していた。丸い目はまるで光を吸い込んでいるかのように暗い。見るもの全てになんの愛着も抱いていないことがすぐ分かる。悪意とかなんとかそういう話じゃない。ただ破壊したいという意思だけが滲み出している泉みたいなものなんだ。

 そんな視線に射すくめられれば、果たして立っていられるかどうか。

 最前列にいたジャガー戦士が、悲鳴を上げて棍棒を取り落とした。

 きびすを返して一目散に駆け出し、仲間をかき分けて進む。止めようとする仲間を半狂乱になって退け、そのまま戦列を飛び出してタラスクから遠ざかろうとする。逃げ出したのは彼だけじゃない。他の戦士たちにも動揺が広がっていく。緻密な密集隊形が、あっという間に瓦解し始めた。

 それを見ていたタラスクが身を縮め――次の瞬間、大地を蹴って突進した。200フィートほどを瞬く間に詰め、突然ブレーキをかける。突進の勢いを全てのせるかのように、尻尾が前に大きく投げ出された。

 尻尾に何本も生えている棘が、根元から外れて宙に飛び出した。

 まだ距離があるから、本当なら体勢を立て直すことも出来ただろうね。だがタラスクはこの通り遠距離攻撃もそなえている。恐慌状態に陥った軍隊の上に、大きさが人間ぐらいある棘が降ってくるわけだ。

 全く、すさまじい威力だよ。

 さっきのジャガー戦士が、空を横切る棘に注意を取られて振り向き、転んだ。見上げた顔には影が落ちている。彼めがけて飛んで来る棘が落とす影だ。悲鳴を上げる暇すらない、恐怖すら忘れてぽかんとした表情を浮かべている間に、棘は彼の目の前まで迫った。

 そんな彼の足元に、鎖が絡みついた。

 そのまま引きずられた彼の頭を棘が掠める。太さが頭ほどもある棘が彼の被っていたジャガー頭巾を地にとめつけ、命拾いをしたと気がついた彼は大きく息を吸い込んだ。足に絡まっていた鎖は引き戻され、駆け寄ってきた鎖使いが頭巾を切りさき、ジャガー戦士を引き起こす。ガクガクと震えるジャガー戦士を仲間に預けると、鎖使いは視線を上げた。

 タラスクはもう、目の前にいる。視界のほとんどを占めるほどにね。

「ぶっ殺せええええええ!!!!」

 アレクが声の限りに叫んでいる。アレクだけじゃない。ほかの誰もが叫んでいる。助けて、殺せ、なにこれ、その他もろもろ。全ての雄たけびに共通しているのは、もう理性なんかこれっぽっちも感じられないということだ。大気を満たしたうねりに乗って、アレクたちが突撃していく。狂乱の槍が突き進んでいくその先では、タラスクがあぎとを開いている。

 さあ、戦いの始まりだ。



[22421] 9-2.(研究停止)(承前)
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/17 01:24
9-2.(研究停止)(承前)
 
 
 まとわり着いてくる喚声を振り払うように、タラスクが腕を横に薙いだ。
 
 爪で掬い取られた兵士たちが、そのまま宙を舞った。地面に叩き付けられたときには、身体はばらばらになっている。直撃した兵士の中には、その場で血しぶきになってしまったものもいる。鎧を着ているとかいないとかそんなことは関係ない。君たちの感覚で言うと、ちょうど電車に轢かれるようなものだと思えばわかりやすいかな。
 
 降り注ぐ血肉から目を庇っていると、そのまま闇が落ちてくる。
 
 鼻を刺す異臭に息を呑んだころには、哀れな被害者はタラスクの胃に直行させられている。中で暴れれば吐き出してくれるかもしれないが、それまで持つ人間がどれほどいるかは疑問だね。周りからは強酸が染み出してくるし、なによりタラスクの中はとても臭いんだ。
 
 こうやって暴れているあいだにも、タラスクの体から生え出した棘は常に周りを脅かしている。特に意識しているわけではなくて、単なるおまけみたいなものだ。間断なく叩きつけられている尻尾も同様。タラスクは本当に動いているだけで周りを破壊していくんだ。まったく、やっかいな存在だよ。
 
 だが人間たちのほうも負けてはいない。タラスクがこの上なく鋭い抜き身の刃物とするなら、対するアレクたちはちょうど蜂の群れみたいなものだ。一個の巨大な力と、無数の小さな棘というわけさ。どんな鋭い刃物でも、蜂の群れを一度になぎ払えるわけじゃない。そこに付け込む隙がある。

「放てえっ!」

 アレクの号令を受けて、プラエトリアンたちがいっせいに槍を投擲した。

 この槍はピレス、とても重い、鉄で出来た接近戦用の投槍だ。本来の用法は敵やその盾を地面に縫いとめること。だが今回はちょっとばかり違うやり方で使っている。タラスクと比べるとそれこそ爪楊枝にしか見えない槍だが、きちんと当てれば、タラスクの鱗をつらぬくだけの威力はある。

 ぱらぱらと降り注いだ槍が弾き返され、だがほんの何本かが鱗に突き刺さった。タラスクがぶるんと身を震わせて槍を振り落とそうとする。ほんの少しの間だけ、タラスクの注意が地面からそれた。

 その隙を突くように突進していくのは、アステカの斧兵たちだ。

 目指すはタラスクの足元だ。そこらじゅうに散らばった槍の中から踏み折られていないものを拾っては投げ、あるいは穂先を回収して懐に抱える。タラスクが振り落としていく槍が散発的に降ってきて、中には頭からつらぬかれてしまう兵士もいるが、アステカ兵は動じない。そのままタラスクのつま先にとりつき、斧を、拾い上げた槍の穂先を叩きつける。

 うっとおしいとでも言うように、タラスクが足を上げ、下ろした。

 悲鳴すら上がらない。タラスクはぐりぐりと地面を踏みしめている。まるで足の裏で潰れていく兵士たちの感触を楽しんでいるようにも見える。まあ、そこまで考えているかどうかは疑問だけどね。

 ひるんだアステカ兵が後退するなか、一人だけ飛び出した男がいる。アステカの副戦士長、巨大な斧を携えた狂戦士だ。

 副戦士長の全力をのせた大斧が、タラスクのつま先を打った。

 副戦士長はただ斧を叩きつけたわけじゃない。刃を返し、柄で狙ったのはピラムの穂先、誰かが鱗の隙間に引っ掛けていたものだ。ただ投げるだけじゃ肉に食い込むだけでも難しいが、釘みたいに打ち込むとなれば話はちがう。ぐらぐら揺れる地面の上で、タラスクが垂らす強酸性のよだれを浴びながら、これまた不安定な穂先の芯に全ての力を叩きつける。とんでもない離れ業だが、副戦士長は確かにやってのけた。

 タラスクの巨体がほんの少しだけ揺らぎ、たたらをふんだ。

 再び斧を振りかぶった副戦士長の目の前から、唐突にタラスクの足が消えた。

 まあ、消えたというのは正しくないかな。ちょっと離れて横からスローモーションで見てみれば、タラスクのつま先が副戦士長に近づいていく様の一部始終が見て取れる。ただ、蹴飛ばされている側からしてみれば何がなんだか分からなくてもしょうがない。

 だが、副戦士長は本当に立派だった。眼前に迫るつま先に向かって、斧を力いっぱい打ち込んだんだからね。

 蹴り飛ばされた副戦士長は何十フィートも吹っ飛び、地面を転がって鮮血を撒き散らした。歯を食いしばり、手を突いて立ち上がろうとするが上手くいかない。両方の腕からは白い骨が飛び出し、左の掌なんかは薄皮一枚でやっとくっついているような有様だ。だが副戦士長はまだ生きている。本来なら体全体がひき肉みたいになっていてもおかしくないような衝撃を、斧の一撃でなんとか弱めることに成功したわけだ。

 ジャガードルイドが駆け寄ってきて、後方に引っぱりながら治癒を施しはじめたが、傷は中々ふさがらない。ぼろぼろに鳴った腕を修復するには、もっと強力な呪文が必要なんだ。歯を食いしばって苦痛に耐えていた副戦士長が、不意に目を見開いてドルイドを突き飛ばした。そのせいで左手がもげてしまったが、彼もそれどころじゃなかったはずだ。タラスクのあぎとがすぐもう目の前にある。漏れ出した腐臭がまるで液体みたいに絡みつき、牙に引っかかった兵士たちの残骸がぼろぼろと崩れ落ちているのがはっきりと見える。その奥にあるのは真っ暗な穴だ。

 見せ付けるように牙を打ち鳴らし、タラスクは長い長い雄たけびをあげた。足を傷つけてくれた相手への、こいつなりの挨拶ってところかな。

 タラスクの体が沈んだ。

 下あごが地面を大きくえぐり、副戦士長をすくい上げようと迫っていく。副戦士長はほとんど気絶している。至近距離でぶっ放された轟音に鼓膜は破られているだろうし、タラスクの口から漏れ出した臭気で息も出来ないはずだ。負った傷はいうまでもない。風前のともし火だ。

 だが――

「てぇ!」

 号令とともに、投げ槍が風を切った。

 低い位置から投げ撃たれた何本ものピレスが、大きく開かれたタラスクの口に飛び込んでいく。口の中に槍を突きたてられて、たまらずタラスクがあぎとを閉じた。打ち合わせた牙は、副戦士長のつま先にぎりぎり届かない位置で止まっている。再び開かれた口から、大量の土とつばが撒き散らされた。

「いいぜ! もっとたっぷりくれてやれ!」

 力強い声が、戦場に秩序を取り戻していく。 アレクは号令を発しながら自らも突撃した。鞍の上から体を大きく傾け、ブケファロスの胴を足でしっかりとはさみながら、地面に向かって両手を伸ばす。タラスクから庇う位置に割って入りながら、アレクは残った右手を差し出した副戦士長をしっかりと拾い上げた。

 ローマ軍とアステカ軍はここぞとばかりに矢と投げ槍の雨を降らせ、タラスクがうるさそうに腕を振り回した。もぐもぐと咀嚼しながら吐き出した唾が、疾走するブケファロスの進路を曲げていく。もちろんブケファロスとアレクも負けてはいない。むちゃくちゃに降り注ぐ酸をかわし、急制動をかけてはまた飛ぶ様に駆け始める。まさしく人馬一体だ。

 だが、タラスクがついにアレクたちに気がついてしまった。

 爪、爪、顎。

 たったそれだけで、タラスクは大地の表面を切り取ってしまった。三箇所から持ち上げられた地面がゆっくりと持ち上がり、しなり、弾けとんだ。ひとたまりもなく吹っ飛ばされたアレクたちが地面に叩きつけられる。うめき声を上げながら頭を振ったアレクと副戦士長の身体の下で、ブケファロスが小さくもがいた。クッションになった格好だ。

 そのことに気がつくと、アレクは半狂乱になった。

「お、おい……嘘だろ……ブケファロス!」

 体に取り付き、揺さぶる。ブケファロスは力なく頭を地に横たえている。まだ息はあるようだが、どうやらかなりの重症を負っているようだ。ブケファロスに向かってこわごわと伸ばされたアレクの手が、ぐっと握りこぶしを作った。

 地面が揺れる。タラスクが悠々とこちらに向かって歩いてくる。アレクは背を向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。

「てめぇ、よくもこんなまねを……!」

 アレクが腰の剣に手を伸ばし、一気に刃を鞘走らせた。

「畜生、この野郎!」

 突進しようとしたアレクの裾を掴んだ手がある。副戦士長の残った右手だ。

 機先を制されて勢いを失ったアレクの手から、副戦士長は剣を実に何気なく奪い取った。

「我らが王が言っていた。お前はここで死ぬ定めではない。お前も、お前の友も」

 その一言で、アレクの怒りにさっと水が浴びせられたようだった。副戦士長はアレクの剣で、タラスクとは逆の方向を指した。ジャガーレンジャーとプラエトリアン、ローマの戦車や弓騎兵隊が一体となって、タラスクの注意をアレクたちからそらそうとしていた。射掛け、すれ違いざまに刺し、挑発するように地面を踏み鳴らす。駆け寄ってきたドルイドたちがブケファロスに手をかざすと、馬の瞳にわずかながら力が戻った。肩を下ろしたアレクに向かって、副戦士長は言葉を継いだ。

「王はこうも言っていた。俺はここで死ぬ定めだと」

 ずたぼろになった両手と顎を使って、副戦士長は右手に剣を結わえ付けていた。アレクに振り返って見せたその顔は土気色だ。ゆっくりとなぶるように近づいてくるタラスクに視線を据えると、大きく息を吸い込み、駆け出した。

 タラスクの目が副戦士長を捉えた。とたんに、タラスクはそれまでかかずらっていた相手をほっぽりだした。甲高い雄たけびを上げて突き進むその様はまるで歓喜しているようだ。そして、足元まで近づいてきた副戦士長を見下ろすと、まるで抱きしめるように、タラスクは副戦士長を飲み込んだ。

 上を向いてことさらに長い息をつくと、タラスクは満足げに尻尾をうち振った。吹き飛ばされていく軍勢に注意を払う様子もなく、舌なめずりをして次の獲物をみつくろう。――と、その腕が急に喉を引っかき始めた。

 もがき苦しみながら、タラスクはむちゃくちゃに突っ走り始めた。しきりと唾を吐き散らし、地面に顔を叩きつけては土を掘り起こし、飲み込んでいく。呆然と見守る両群の前で、タラスクは体をピンとそらせた。

 あらわになったその喉から、細長い何かが突き出した。

 ピレスだ。

 タラスクの口の中に山ほど投げ込まれ、飲み込まれる途中でも折れなかったもの。飲み込まれた瀕死の副戦士長が、命の限りを尽くして打ち込んだ杭だ。タラスクがついに大きな塊を吐き出した。もうほとんど人の形をとどめていないが、確かに副戦士長の亡骸だった。

 大気が爆発した。タラスクのうめき声と、両軍が上げた歓声だ。タラスクは傷つけられる。喉から飛び出した槍はまさにその証拠だ。副戦士長の後に続くにはさらなる犠牲が必要なわけだけど、それでもこれは初めて打ち込んだ有効打だったからね。勢いづいた兵士たちは次々に武器を取り上げ――そして唐突に言葉を失った。

 タラスクの喉から突き出した槍が、だんだんとその色を変えていく。酸に濡れた金属の光沢から、ぬらぬら光る肉の色へ。槍全体が覆い尽くされると、やがてその表面に皮が張っていく。何重にも覆われていく皮はやがて爪や棘のような質感を帯びていく。喉から伸びだした棘が人ほども大きくなると、タラスクは満足げに息をつき、頭をぶんと撃ち振った。

 喉から発射された棘に打ち抜かれて、プラエトリアンの一人が爆散した。

「くそ、くそくそなんだありゃ!」

 さすがのアレクサンドロスも狼狽している。ドルイドたちとともにブケファロスを支えながら、アレクは絶望に顔をゆがめている。タラスクの本当の姿を理解してしまったからだろうね。

 そう、タラスクは傷つけることができる。でも、その傷はすぐに癒えてしまうんだ。たとえ粉々にしたところで、タラスクの再生能力を止めることはできない。いうなればこれが、タラスクの真髄だ。怪獣じみた巨体や、恐るべき破壊力はおまけに過ぎない。タラスクは単に倒せない。だからこそ恐ろしいんだ。

 身体を伸ばし、タラスクが勝ち誇るように咆哮した。長い長い雄たけびを上げて、タラスクはゆったりとローマ=アステカ全軍を、自分を取り囲む矮小な存在を眺め回した。どこから散らしてみようかとでも言わんばかりに、そしてそんなことはどうでもいいといわんばかりに。タラスクは無造作に走り回り、殺戮を再開した。

「やっぱりどうしようもねえじゃねえか!! こんなんどうにかできるわけがねえ! 何が『我らなら倒せる』だこんちくしょうがあああああああ!!!!」

 アレクが歯を食いしばった。

「何が奇跡だ! 何が犠牲だ! 思わせぶりな事いいやがって! くそ、こんなの無駄死にじゃねえかああああ!!」

 タラスクが体をひねった。身体に植わった棘が震えている。どうやら棘で遊ぶことにしたようだ。

「お前らのミホトケとやらは何やってんだよ! ご加護って奴があるんだろ! さっさとその奇跡とやらを見せてみろってんだよおおおおおお!!」

 統制も何もなく逃げ惑う全軍をあざ笑うように、タラスクが頭をふり上げた。

 そして、そのまま固まった。

 固まっているのは他も同じだ。といっても別に私が時を止めたとかそういうわけじゃない。みな一様に、上を見上げて固まっている。もちろん私は別だ。いまから何が来るか、大体分かっているからね。

 空中に突然黒い光が生まれた。黒光はいくつも数を増やし、地面に舞い降り、そこから異形の存在が踏み出しはじめた。みな仮面をつけ、ローマもアステカも見たこともないような武器を下げている。一見すると弓のようにも思えるこれはアーチ、神のもとから盗み出された知恵の一つだ。もっとも、今はゆがめられ、汚されて見る影もないがね。

『ああ、よくがんばりましたね、私のかわいい子供たち』

 神々しい――いや、失礼、むやみにエコーの効いたおばさんの声が、戦場全体に響き渡った。

『愛する家族のために命をかけるその姿、確かに見届けましたよ』

 タラスクの上空で遊弋していた黒い光の中から、異装をまとった姿が現れた。

『さあいきなさい、あなたたち。皆の仇をとるのです』

 やれやれ。
 おばちゃん堕天使と、その使役獣たちのお出ましだ。



[22421] 10-1.法律
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/20 00:40
 10-1.法律
 
 ちょっと時間をもどして見にいこう。このおばちゃん堕天使が、どうしてアレクたちのもとに現れたのかってところをね。

 アレクたちがタラスクと対峙していたとき、モンテズマははるか後方にいた。

 カタパルトは移動を完了し、タラスクに向かって狙いをつけている。とはいっても、カタパルトは動き回る目標を狙い打つようには出来ていない。弾道は弓なりだし、弾丸はいくつもの丸石を散弾状に投げつけるのが普通だからね。タラスクはとても大きいからまだマシだが、それにしても外れる弾のほうが多いはずだ。ただ外れるだけならいいが、タラスクの足元では味方が戦っている。とばっちりを食うのが目に見えているんだ。

 ローマの工兵たちは不安を隠そうともしないが、かといってモンテに文句をいう人間もいない。アステカのクレリックたちと連携して石の弾丸を準備し、飛んで来る注文にしたがってカタパルトをあっちに押したりこっちに向けたり。時間が本当に足りないんだ。

 それを差し引いても、文句を言えるような雰囲気でもない。モンテズマは今、とても重要な儀式の真っ最中だからだ。

 低く静かな朗唱。

 大勢のクレリックたちを従えて、モンテズマは祈りをささげている。そのあしもとには宝石が小山を作っている。テノチティトランの南でとれたダイアモンド、あの時ローマの斥候部隊が見つけていたものだ。輝く宝石と太陽とに交互に目をやりながら、モンテズマはゆっくりと呪文を唱え、ここではないどこかに声を届けようと躍起になっている。

 不意に、宝石が燃え上がった。塵になっていくダイアモンドを見て、モンテズマが満足げなため息を漏らした。

 炭がいくつもの筋になって舞い上がり、モンテズマの眼前に寄り集まって丸くなった。

 そこからずるりと這い出したのは、大きな目玉が描かれた頭巾だ。

「おお、呼びましたか、私の大事な子供たち」

 少ししわがれた声で、エゼキエルはモンテズマに呼びかけた。

 これはグレーター・プレイナーズ・アライ、他の世界から味方を呼び寄せる呪文であり、盗まれた神の知恵の一つ、その成れの果てだ。本来は天界からの移動や通信なんかに使われていた力だが、堕天使たちが作り上げたこの世界では、正常に機能する代わりに堕天使たちとその配下を呼び寄せてしまうことになる。君たちのテレビで言うチャンネルのようなものがあって、それを上手く調整すれば他の存在も呼び寄せられるんだが、今のモンテズマはその方法を知らないんだ。

 まあ、出てきた相手は大体モンテズマの狙い通りだったんだけどね。

「ああ、いと貴き存在よ、我はモンテズマ、どうか御名を問う事を許し給え」
「私はエゼキエル、全ての家族の守護者です」
「おお、御仏の使いよ、比類なき慈愛の持ち主よ、全ての家族たちを守護する者よ、我らの声を聞き届けてくださったことに心からの感謝を申し上げます」
「あらあら、あなたたちはまだ生まれたばかりの赤子だと思っていたのに、立派な事を言えるようになったのねえ。私はあなたたち全てを愛していますよ。あなたたちが、私を愛してくれているように。そうよね?」
「その通りでございます」
「よく出来ましたよ。お利口になったのね。さすが私の子供たち」
「しかしエゼキエルよ、我らは今、滅びに瀕しています」
「ええ、知っています。あの忌々しいタラスク! 前々からあの怪物のことは案じていましたよ。ちっぽけなプライドなんかにこだわらずにさっさと逃げておけばよかったのに。あなたたちまるで分別がないのね。無茶ばかりして親に心配をかけるのはあまり感心できませんよ」
「母よ、申し訳ありません」
「あれ、別に構いませんよ。子供たちの世話を焼くのが母親というものですからね」
「我らが母、エゼキエルよ! 願わくば我らが窮地を救いたまえ! かの魔獣タラスクを退けたまえ!」
「いいでしょう。でもお願いを聞くのはこれで最後だけですよ。あなたたちは今すぐ逃げて、他の場所でやり直すのです。勝手に戦おうとしたら、次はおしおきしてあげます」
「ありがとうございます」
「絶対ですよ。子は親の言う事を聞くものです。あなたたちの事を思っていっているのですからね」

 エゼキエルは頷くと、黒い光の中に引込んで消えた。

 モンテズマが肩を落としてため息をついた。あんな押し付けがましいおばさんの相手をさせられて本当に気の毒だよ。だが、これはどうしても必要なことだった。他のやり方を試したときは成功しなかったからね。これからやる事を考えれば、モンテズマの気も晴れるだろう。

 モンテズマは振り返り、固唾を呑んでいた全部隊に呼びかけた。

「我らの戦いはこれより最終段階に入る! 我らはこれから奇跡を眼にする! 我らが起こすのだ!」

 カタパルト部隊は未だに半信半疑だ。さらに具体的な作戦の説明が続くと、工兵たちはうろたえるのを通り越して脱力してしまった。とても無茶苦茶な言い草だったからね。だが結局、彼らはそんな無茶をやってのけることになる。まさしく、奇跡を起こしたのさ。
 どんな奇跡かって? それじゃ、見に行こうか。

 
 
「なんて醜く浅ましい魔獣だこと! タラスク、よくも私の家族を傷つけてくれましたね! きつくお仕置きしてあげます!」

 エゼキエルの声が響き渡り、空中からタラスクに向けて火線が走った。神聖な炎で敵を焼き尽くす呪文、フレイムストライクだ。自ら発効した魔法だが、それにしてもこれはちょっとチョイスが悪かった。

 炎はタラスクの鱗で滑り、そのままぼんやりと宙を見上げていたジャガー戦士たちに飛び込んだ。燃え上がったジャガー戦士が悲鳴を上げてのた打ち回り、仲間たちが手を差し伸べる暇もなく灰になった。

 エゼキエルもこれには大慌てだ。

「ああ、なんて事を! また私の子供たちを傷つけてくれましたね!」

 聞こえているのかいないのか、タラスクが退屈そうに尻尾を揺り動かした。タラスクはこの通り、魔法を弾いてしまう。モンテズマたちには魔法を攻撃に使えるほど余裕がないのが幸いした。それに魔法が弾かれなかったとしても、タラスクは痛くもかゆくもなかったはずだ。コイツには炎が効かないからね。

 それにしても、エゼキエルときたら怒り心頭のご様子だ。ここからだと顔ははっきり見えないが、まあ予想はつく。自分がしでかしたことについてはふたをしてしまったんだろうね。彼女は昔から、なにかと一方的だった。

「いいでしょう。お前たち、この化け物を切り刻んでしまいなさい! 私の子供たちの仇をとるのです」

 エゼキエルの号令に、使役獣たちが鼻息も荒くうなり声を上げた。彼らも元は豚だったはずだが、すっかり変質してしまった。後にオークやオーガと呼ばれることになるこの亜人たちは、この時点ではまだエゼキエルに盲目的に従うしもべだ。

 タラスクに群がったオークたちが、手に手にもったアーチで鱗に斬りつけた。

 肉を切り裂かれて、タラスクが悲鳴を上げた。

 アーチは武器だ。人類が決してたどり着くことの出来ない神の英知として、神が天使たちに与えるものだ。かつてはどんなものも一瞬で浄化するだけのエネルギーを秘めていた。堕天使たちによって汚された今でも、その力は確かに宿っている。これからの歴史で人類が生み出しえた最高クラスの刃物と比べても、なんら遜色ない切れ味だ。

 痛みに駆りたてられて、タラスクは狂ったように腕を、尻尾を振り回した。オークたちは次々に蹴散らされていくが、確実にタラスクに打撃を与えている。いわば消耗戦だ。ローマアステカ軍もほとんど同じ戦術を取っていたわけだが、はるかに分のいい戦いだ。

 だがそれでも、少しかげりが見え始めた。

 アレクたちとは違って、オークたちにはたぎる戦意がない。エゼキエルが叱咤することで敵に向かっていくが、湧き上がる恐怖を抑えきれない連中が多すぎるんだ。せっかくのアーチも、投げ捨てられて地面に突き立ち、あるいは泥や肉片に埋もれていく。彼らの本質はまだ獣のままで、アレクたちを支えていたものを心の中に持っていないんだ。あるいは、心そのものもね。

 エゼキエルは大層お冠だ。

「おお、お前たち、どうしたのです! 言う事を聞いて戦いなさい! あなたたちの母が言っているのですよ!」

 エゼキエルが光り輝やいた。逃げようとするオークたちの前に、突然壁が出現した。これはブレード・バリア、相手を取り囲む刃の障壁を作り出す呪文だ。勢いを殺しきれず飛び込んだオークが旋回する刃に切り刻まれ、取り落とされたアーチが挟まってガチガチと音を立てた。恐慌状態に陥ったオークたちは反転したが、そこに待ち受けているのはタラスクの爪と牙だ。まったく、彼らには同情するしかないね。
 
 戦況はますます悪化していく。後退して遠巻きに見守っているローマ=アステカ軍団にもそれが伝わっていく。最後のオークが蹂躙されると、人間たちはみな低いため息を漏らした。まるでげっぷをするように、タラスクが喉を鳴らし、歯に挟まっていたアーチをペッとはき捨てた。

「ああ、ああなんということを! よくも私のかわいい子供たちをこんなに! タラスク、お前は必ずやきつくお仕置きしてあげますからね!」

 エゼキエルは涙でも流しそうな勢いだ。だれがそこまで追い込んだのかは頭からすっぽり抜け落ちてしまったんだろう。エゼキエルがまた発光し、黒い光が生まれた。空間にポータルを開けて逃げようというんだ。まったく、大した母親もあったものだね。まあ、かなり動揺していたのは間違いないし、逃げる事で精一杯だったんだろう。だから、彼女は次に待ち受けている出来事には気がつかなかったんだ。

 出来事というより、衝撃と言ったほうが近いかな。

 地上の人間たちは彼女より先に気がついていた。耳の鋭いレンジャーが頭を上げ、目のさとい弓兵が空を指差した。仲間を引っ張り、姿勢を縮め、プラエトリアンたちが盾を掲げて皆を守った。アレクもまた、駆け寄ってきた護衛とともに盾を掲げながら、しかししっかりとその瞬間を捕らえようと目を見開いていた。

 ポータルが開いたまさにその瞬間、エゼキエルに巨大な石が叩きつけられた。

 石は即座に砕け、ぺしゃんこになってエゼキエルに覆いかぶさった。スローで見てみるとはっきり分かる。全体としては一抱えほどもある岩だが、じつは握りこぶしほどの石をいくつもつなぎ合わせて作ったものだ。着弾の衝撃で石同士のつなぎ目が切れ、まるで硬い地面に叩きつけられた饅頭のように潰れる。そうして潰れた岩は、ぶつかった相手に運動エネルギーを余さず伝える。モンテズマとクレリックがストーンシェイプによって作り出した特注の弾丸だ。

 ひとたまりもない。他にいくつも降り注いでいたほかの砲弾と一緒に、エゼキエルは落下していった。体勢を立て直すこともできたはずだが、動転していたんだろうね。気がついたときには、もう間に合わないところまでタラスクが迫っていた。大地を蹴り、高々と跳躍したタラスクだ。このとき彼女は確か死んだんじゃかったかな? すまない、あまりよく聞いていなかったのでね。まあ、その話は後でいいだろう。今ちょうど、クライマックスの前半が終わりつつあるところだからね。

 タラスクのあぎとに飲み込まれて、エゼキエルは見えなくなった。タラスクがエゼキエルに集中していたから上手く言ったのかもしれない。いずれにせよ、跳んだ時点でタラスクの負けは決まっていた。

 あぎとを閉じたタラスクの頭に、岩が叩きつけられた。いくつも、いくつも、いくつも。先ほどエゼキエルに降り注いだものをはるかに超えた数の大岩が、タラスクの頭に次々とぶち当たり続けた。

 まったく、ふざけた出来事と言っていい。カタパルトの弾道は弓なり、つまり目標を狙うには全然適していない。経験をつんだ人間でもだいたいの範囲を狙うことしか出来ないし、それで本来は充分なんだ。ローマ軍は今回の戦いの後、巨大な弓で石を引き、直射弾道で城や艦船を狙うオナガーという兵器を開発するが、それでも狙って当てるのはとても難しいことだった。

 だが今、ローマのカタパルトたちはそれをやってのけてつつある。古代の人間が手を伸ばしうる最大火力が、ありえないほど狭い範囲に集中している。その威力は全てを貫き――だが、タラスクの鱗はさらに硬い。

 硬いけど、それはむしろ好都合なぐらいだ。

 タラスクが空中で身をよじった。その頭がのけぞり、のけぞり、口から飛び出した牙が地面を向いた。

 タラスクは硬く、動きもすばやい。だが空は飛べない。体が空中にあるとき、頭を押されたならのけぞるしかない。空中でのけぞらされれば、姿勢を立て直す方法はない。タラスクは懸命に尻尾を振ってバランスを立て直そうとしたが、そこにも岩が降り注いで邪魔した。絶対に必要な箇所に、正確極まりない射撃。タラスクは姿勢を崩したまま、背中から地面に落下した。巨大な土煙が上がった。

 そして煙が晴れたとき、逆さになったタラスクが見たものは、肩をすくめるアレクの姿だった。

「『奴が飛ぶとき奇跡を見る』ってか。こりゃ恐れ入ったぜ」

 アレクがぼそりとつぶやいた。とても複雑な表情、呆れながらも喜びを隠し切れない顔だ。肩に担いでいた武器をゆっくりと構え、タラスクに向かって示した。エゼキエルが連れてきたオークたちのアーチ、タラスクをたやすく傷つけられる神の知恵だ。

 タラスクはいまや、アーチを携えたローマ・アステカ軍に包囲されていた。

 タラスクの目が、初めて色を帯びた。

 タラスクがその身をよじった。だが背の棘が地面に突き刺さり、抜けない。棘を打ち出す時とは全く姿勢が違うせいで上手く勢いが付けられないからだ。

「それじゃ、奇跡の仕上げといくか」

 静かな、とても静かな一言。だがアレクの言葉は、どんな号令よりも早く全軍に伝わり、準備を整えさせた。

「かかれええええええええ!!!!」

 そうして振りたてられた神の知恵は、タラスクの鱗を、肉を、全てを切り裂いた。



[22421] 10-2.法律(承前)
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/20 00:37
 10-2.法律(承前)
 
 細かい事を言えばタラスクはもう少しもがいたし、アレクたちにも被害が出たんだが、それは飛ばすことにしよう。

 モンテズマとその配下が到着したとき、アレクたちはタラスクの頭を解体しているところだった。牙を切り取ろうとしたところで、アーチが欠け、へしおれた。他のアーチも大体そんなところだ。汚された事で、アーチは見る影もなく弱体化している。確かに鋭いんだが、使いすぎるとすぐに痛んでしまうんだ。結局は消耗品でしかないアーチをエゼキエルたちはどれだけ隠し持っているのか――まあ、今はどうでもいい話だろう。

「よ、遅かったな」

 歯が欠けたアーチをほおり捨てると、アレクはモンテズマを自ら迎えた。

「上手くいったようだな」
「お前何言ってんだ。必ず上手く行くはずだっただろうが。信心のたらねえ奴だな」
「――そうだな」
「おいもっと喜んだらどうなんだ。歴史に残る大勝利じゃねえか」
「そうだな」

 モンテズマはタラスクを見上げた。その目から、一筋の涙が零れ落ちた。

「なんだ、うれしいならはっきりそう言えばいいだろうが」
「やっと、ここまでたどり着いた。何度も何度も、この光景を夢見た。繰り返される失敗の中で、この光景を夢見ることだけが私の救いだった。初めて見る光景だ。私は今、抜け出した」
「おいおい、書記の一人ぐらい連れとけよ。今のは中々いい詩だったぜ。よし、もう一回言ってくれよ。うちのにメモらせるからよ」
「断る!」

 モンテズマの剣幕に、アレクがたじろいだ。

「なにもそこまで怒ることないだろう。単なる冗談じゃねえか」
「冗談ではない。私はもう、抜け出したのだ」
「ハァ? あのな、そろそろ落ち着いてもいいと思うぜ。確かにあれだけの事をやらかしたら興奮するのは分かるがな。なあ、どうやってカタパであれだけ上手く狙ったんだ? あんなの万に一つもおこらねえだろ。あれか? 奇跡ってやつだよな?」

 アレクはとても無邪気だ。興奮しているのは自分も同じだということに気がついていない。だから、モンテズマの表情を読もうともしない。私に言わせれば、アレクの問いは、モンテズマが答えるにはちょっと残酷すぎる代物なんだ。

 もっとも、残酷というのは私が言えた義理じゃないがね。

 モンテズマが、アレクを押しのけてタラスクの元に進んだ。アレクもそれを追いかけた。タラスクのあぎとがだらしなく開いているさまを、二人は並んでしばらく無言のまま見つめた。

 先に口を開いたのは、モンテズマだった。

「休戦協定を確認したい」
「は?」

 思わぬ一言にあっけに取られたように、アレクが口を丸くした。だが、すぐさま気を良くしたように、アレクは笑みを浮かべた。

「あのことならきにすんな。お前らの働きに免じて今回は引いてやるよ。俺たちも大打撃を受けちまったからな。しばらく戦争はなし。ま、お前らがおとなしくしてりゃの話だがな」
「文言を言え、アレク。お前が、父祖と子孫の名に懸けて誓ったあの言葉を」
「はあ?」
「言え!」
「ああ、うん、分かった」

 モンテの剣幕に気おされて、アレクが口元を引き締めた。

「『ローマ帝国皇帝アレクサンドロスは、蛮族アステカからの休戦要求を受け入れる。あのタラスクが大地に倒れ、二度と起き上がらなくなるその時まで。ローマを作り上げた偉大な祖先の名と、やがて生まれ来る子らの名にかけて誓う』――これでいいか」
「必ずや、その誓いを守れ」
「何言ってんだお前。もう期限切れちまっただろうが」
「剣を貸せ」
「わけわかんねえことばっかり言ってんじゃねえよ。剣はお前のところの副戦士長にやっちまった。あいつも大概すげえやつだったな。もったいない事をしたもんだ」
「そうか。そうであったな」

 モンテズマが静かにつぶやき、地を探った。アーチを拾い上げ、捨てる。斧や槍を拾って歩き回り始めたモンテを追って、アレクはなおも言葉を投げかけた。

「そういやこの妙な武器を持ってたあいつらと、その親玉もお前が呼んだのか? あっちのほうが奇跡だったのか? どれが奇跡だか分かったもんじゃねえな。あの羽生やしたおばさん、気がついたらいなくなってたが、ありゃちょっとおっかなさそうだったな。あー、アイツみたいなのが復讐に来ると面倒だな。どう対処するか、これから話し合ったほうがいいんじゃねえか、停戦はその間まで延長――おい、何してやがる?」

 アレクが見咎めた相手は、アステカの鎖使いだ。ひざまずき、頭を垂れて、鋭いナイフをモンテズマに差し出している。後ろに従えているクレリックの一団もろとも、とても沈痛な面持ちだ。

「お前たち、後を頼んだぞ」

 モンテズマの言葉に、アステカ兵が頭を地面に深く擦り付けた。

 言葉を失っていたアレクに、モンテズマは振り向き、微笑んだ。

「何が奇跡と問うたな、ローマ皇帝アレクサンドロスよ」

 鋭いナイフに、太陽の光がきらめいた。日はまさに暮れようとしている。地平線に近づいた真っ赤な太陽の光を浴びて、モンテズマは静かに笑った。

「全てだ。これまで起きた出来事、その全てだ」

 地面が、揺れた。

 モンテズマ以外の誰もが、それを見た。

 切り刻まれたタラスクの目が、ふたたび動くのを。

「う、嘘だろ」
「嘘ではない。こうなるのだ」
 
 モンテズマの言葉は、いっそ優しいぐらいだった。

「タラスクは死なぬ。倒せても、いずれ必ず起き上がる。終わりはないのだ、ローマ皇帝アレクサンドロスよ」

 ゆっくりと体を起し、何とか立ち上がろうとするタラスクをいつくしむかのように、モンテズマはタラスクに向かって手を差し伸べた。

「だからお前たちには敵わぬといったのだ。私のいったとおりになってよかったな、アレクサンドロス」

 アレクが息を吸い込み、絶望に顔をゆがめた。視線の先には地面に突き刺さり、もろもろと崩れていくアーチがある。もう頼れる武器はない。タラスクを打ち倒す方法はないと悟ってしまったんだ。だがそれでも、アレクは歯を食いしばった。

「停戦協定を忘れるなよ、ローマ皇帝アレクサンドロス。『あのタラスクが大地に倒れ、二度と起き上がらなくなるその時まで』だ」
 
 タラスクの両足が、地面をしっかりと掴んだ。両腕が大地に突き立てられ、躍動する筋肉が次々と再生し、鱗に覆われていく。

「そしておそらく、お前は更なる奇跡を目にするだろう。しかと、その目に焼き付けるがいい」

 タラスクが大きく口を開いた。完全に再生しきった巨体が、破壊を引き起こすべく震えた。

「御仏よ、わが祈り、聞き届けたまえ」

 モンテズマがナイフを差し上げた。みずから服の裾をめくり、モンテズマは深々と、自らの胸にナイフをつきたてた。
 
 
 
 ここで、時を止めよう。止めるしかないんだ。なぜなら、今こそまさに、人間の持つ唯一絶対の力が発揮されつつある瞬間だから。
 
 私はルシフェル。時を操る事を神に許され、時間の流れを自由に行き来する天使だ。私には出来ないことがある。それは歴史の流れを決定することだ。私が見る未来や、あるいは過去の出来事は、どれも『そうであったかもしれない可能性』に過ぎない。どれだけもっともらしく見えても、きっかけさえあれば雲散霧消してしまう、とても頼りない代物なんだ。
 
 そしてそのきっかけとは、人間による選択だ。
 
 私が行き来する『そうなったかもしれない時の流れ』の中から、人間はこれという現実を選び取ることができる。そうやって、彼らは自らを存在させている。ただなるようにしかならない人間以外の全ての被造物と違って、彼らは意志を持ち、明日の出来事を掴み取っているんだ。望む未来を選び取る力。とてもすばらしいものだ。
 
 モンテズマもまた、そうした力の持ち主だった。彼は特別だった。人類の歴史の中でも類を見ないほど、強力な意志を持ち、諦める事を知らない人間だったんだ。
 
 だから私は彼を選んだ。タラスクによって滅ぼされる運命にあるこの世界を救うために。
 
 
 
 
 
 胸を切り裂き、肋骨に指を差し入れて広げ、へし折り、モンテズマは自らの心臓に手をかけた。

「ああああああああああああ!!!!!!」

 言葉にならない声を上げながら、、モンテズマの目からは力が消えない。ナイフを捨て、両手で心臓を差し上げて、モンテズマは必死に言葉を発した。

「御仏よ、我に輪廻の試練を課した御仏よ! 私はやり遂げた! だから、この供物をお納めください! 輪廻の輪を抜け出し、御許へ近づく事をお許しください!」

 タラスクが息を吐きかけた。うれしそうに、怒り狂ったように、ただ無邪気に、タラスクの牙が激しく打ち合わされた。

「御仏よ! 御仏よ! 御仏よ! そしてどうか、我らが子孫に今しばらくの時間を与えたまえ!!」

 そうして、モンテズマは生涯を閉じた。
 
 


 私はモンテズマにとても残酷な事をした。彼が言っていたように、無限の輪廻に叩き込んだんだ。

 何回やり直したのか、私はもはや覚えていない。銅鉱山を発見できないままタラスクに挑んだあの時も、ローマの斥候を取り逃がしたあのときも、ネアポリス攻防戦で全滅したあのときも。ローマの軍勢を上手く誘導できなかったときも、当て込んだ火責めが効かずにアレクたちが予想より早くタラスクに食い散らかされてしまったときも。カタパルトの砲撃が不十分だった時も。

 モンテズマが失敗し、タラスクに蹂躙されると、私はモンテズマを巻き戻した。記憶を保ったまま、過去へと送り込みつづけたんだ。

 無数の失敗を積み重ねさせられながら、モンテズマはそれでも諦めなかった。

 彼は私の存在にうすうす気がついていたはずだ。そうして私を、己の運命を呪っていた。だが次第に、彼は受け入れ始めた。何がそうさせたのかは今もって分からない。だが、彼は確かに受け入れたんだ。砂漠の中からたった一つの砂粒を探し出すように、タラスクを倒しうるたった一つの可能性を見つけ出す事を。

 そして彼はやり遂げた。

 全ての締めくくりとして、歴史に残る最初のクレリック、偉大な預言者はその生涯を捧げたんだ。

 となれば、待っている出来事は一つしかない。そうじゃないかい?
 
 さあ、そろそろ私の出番だ。



 
 地上に足を下ろすと、泥の中に靴がめり込んだ。おろしたてだったんだが、まあ贅沢は言っていられない。
 
 私はちょうどタラスクとモンテズマの亡骸の間に降り立った。タラスクがたじろぎ、身を引いた。

「な、なんだ――お前」

 おっと、姿を消すのを忘れていた。まあいい。アレクや他の観客のことはほっとこう。今は大事なことがある。まずは、偉大な預言者の供物を受け取ることにしよう。よいしょっと。

 手にした心臓はしめって、まだ動いていた。あんまりいいものじゃないが、それでもむげに扱いたいとは到底思わないね。これはとても神聖な意味を持っている。いわば、モンテズマが選び取ろうとした未来の象徴、とても暖かい命そのものだ。

 心臓の時間を凍らせてからしまいこむと、私はタラスクに向き直った。

 ああ、こうしてみると本当に、醜い姿だ。いくら神の呪いとは言え、これじゃちょっと無慈悲すぎる。もう少し行儀のいい存在にするべきだったね。特に、今横から迫ってくる爪なんか、無粋そのものじゃないか。

 というわけで、全てを止めた。

 タラスクは腕を振り下ろした姿のまま固まった。時間の流れを止めたんだ。普段は私以外の全てが止まってしまうんだが、今回は神も融通を利かせてくれたんだろう。何度も言うと陳腐だけど、これは本当に奇跡的なことだよ。

 これがいつまで持つか、私にはまだ分からない。まだ、歴史を収束させうる意志の持ち主を見つけてはいないからね。可能性の雲はいまや、急激に拡散し始めている。私はまた、何をいつ話したのかも曖昧な存在に逆戻りというわけさ。

 まあ、それも悪くないけどね。

「おい、お前、お前は一体――」

 アレクは何やらごちゃごちゃ言ってるが、答える義務はないし、もうそろそろもとに戻りそうだ。私にとって時間はたっぷりあるが、そうじゃないときもあるのさ。
 
 




 話をしよう。その後の話を。

 ローマ全軍が準備を整えおわるその瞬間まで、アレクは固まったままのタラスクの前に座り込み、モンテズマが残した血のあとをずっと眺めていた。出発するその時、アレクはアステカ側の代表として出てきた鎖使いに向かって、静かに、しかしはっきりとこう繰り返した。
 
「ローマ帝国皇帝アレクサンドロスは、蛮族アステカからの休戦要求を受け入れる。あのタラスクが大地に倒れ、二度と起き上がらなくなるその時まで。ローマを作り上げた偉大な祖先の名と、やがて生まれ来る子らの名にかけて誓う」
 
 アレはもういっぺん起き上がったし、その後はまだ倒れてねえからな、と付け加えると、アレクは軍を率いて帰って行った。
 
 モンテズマの葬儀はストーンヘンジでとり行われた。モンテズマはストーンヘンジの中心に葬られた。クレリックたちによってストーンヘンジは清められ、ここは聖なる地として、今後何千年もの間、アステカ人の心のよりどころとなった。
 
 タラスクの周りも清められた。タラスクの周囲をたいまつが囲い、見張りが絶えることのないように置かれた。残されたアステカ人もまた、理解していたんだ。タラスクの脅威が完全に去ったわけではなく、単に時間が与えられたに過ぎないって事をね。
 
 どれぐらいの時間かって? ハハハ、それを語るのもいいが、少なくとも今すぐはやめとこう。今はまだ、彼らをもう少し見ていようじゃないか。なに、あせらなくってもいい。時間はたっぷりあるからね。

モンテとタラスク 太古・古代編 (完)



[22421] 11-1.市場にて
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/11/25 01:21
 11-1.市場にて
 
 
 あれから少し、時が流れた。
 
 あの日、タラスクがモンテの発効したミラクルによって封じられた日から五年、いや、三百年ほどだったか。私にとってはつい昨日の出来事だが、アステカ人たちにとっては、新しい社会を築き上げるのに充分な時間だ。彼らもずいぶん数が増え、生活圏も広がった。一つの都市に集まる部族に過ぎなかった彼らは、いまや国家になっている。
 
 その象徴と言えるのが、たとえばこの建物、テノチティトランの階段ピラミッドだ。
 
 見ての通り、継ぎ目一つない美しい石組みだろう?
 
 この岩はオルメカ近くの採石場から運び込まれ、司祭たちによるストーンシェイプによって整えられたものだ。先々代の皇帝であるティソクによって打ち立てられたこの巨大建造物は、もともとは皇帝が受けた神託によって計画されたものだった。神託いわく、『タラスクの周りを幾重もの壁と屋根で覆い、あの化け物を未来永劫閉じ込めておく檻を作るべし』。ティソクはすぐさま建設を命じた。これは宗教的に大事な意味を持つ国家的なプロジェクトだったんだ。
 
 ところが残念な事に、建設直前になって石が足りないことが発覚、計画は頓挫してしまった。残った石はテノチティトラン郊外に積み上げられ、雨ざらしにされて痛んでいくばかり。威信に泥が塗られた形になった皇帝がなんとか挽回しようとして、石を再利用して作ったのがこのピラミッドというわけさ。これはこれで中々役に立つものだし、この時期におけるアステカ建築の代表として歴史に残るんだが、この時点ではただのがっかり建造物とそしられていたし、ティソクも落胆してそのまま病死してしまった。散々な結果に終わったんだ。
 
 結果を見て後から色々言うのもなんだが、これはしょうがなかったともいえる。見方を変えれば、この計画に足りなかったのは石じゃなくて、アステカの国力そのものだったと言ってもいいからね。
 ちょうどいい、すこし話をしよう。アステカの社会が、一体どんなふうに運営されているのかについて。

 
 
 
 
 アステカにおいては、政治と経済と宗教の三つはがっちりと結びついている。
 
 皇帝は宗教組織の支配者でもあって、世俗と宗教の両方において権威を持っている。その権威でもって、皇帝はお布施という形の税を要求する。各地の都市国家によって徴収されたお布施は首都にして聖地でもあるテノチティトランに集められ、国を運営する皇帝の意向に従って再分配が行われる。お布施をちゃんと収められるように民を管理したり、租税を運ぶために都市の間をつなぐ街道を整備したりするのは、皇帝によって承認された都市国家の長と、それを補佐する僧院の役目だ。
 
 何? 「そんな仕組みで大丈夫か?」だって? はは、いい質問だ。
 
 この仕組みを保障しているのは宗教的権威だ。『破壊の権化であるタラスクを抑え、国家を鎮護したもう御仏の加護に感謝する』という名目で税を集めているということは逆に言えば、「仏なんぞ知るか」という相手からは取り立てようがないということを意味する。「知るか」はいい過ぎにしても、「本当に御仏が守護してくれているのか?」と疑われたらおしまいじゃないかって、そういいたいんだろう?
 
 結論から言えばそこの点は問題ない。この仕組み自体はわりとよく出来ている。キーポイントは、仏の加護があることをアピールする機会には事欠かないという事実だ。仏のご加護とは、つまり信仰呪文さ。
 
 君たちの知っているお坊さんと違って、アステカのクレリックたちは即物的な奇跡に手が届く。その頂点に君臨する皇帝は精神的な指導者でもあり、同時に物質的な力をも有していることになる。たとえばアステカの軍隊には必ずクレリックたちが組み込まれ、治癒や後方支援、あるいは指揮官としてきわめて重要な役割を担っている。呪文があるのとないのとでは軍隊の強さは全く変わってくるから、これはとても大事なことだ。
 
 軍隊以外のどの組織でも、クレリックと信仰呪文は大きな役割を担っている。魔法によって都市の衛生や防衛環境を整え、祝福という形で農産物や工芸品の品質にお墨付きを与え、さまざまな知識を教える教師や学者の役目も果たしている。精神的なケアは言うまでもない。こんなふうに社会の屋台骨になっているクレリックたちを育成する僧院の権威に、表立って文句を言える人間はそうはいない。
 
 いないんだが、不満が一切出ないのか? というと別にそうでもない。そこが面倒くさいところだ。
 
 労働や物品などで税は重いし、しかも寺とは別に領主が税を課することも許されている。これはアステカがその版図を拡大していくとき、周辺にいた部族たちをできるだけ滅ぼさずに、懐柔して取り込んでいく形で発展したという事実が根底にある。軍事力と信仰呪文をちらつかせつつ、仏の教えを受け入れてお布施をするならある程度の自治も認めるというやり方だね。この方針によってアステカの国家規模は急激に発展したけども、代わりに体制としては弱さを孕んでしまったんだ。歴代の皇帝たちは周辺部の都市国家に対する支配権を強化しようといろいろな政策を取っている。さっき話したピラミッド建設なんかもその一つだ。まあ、失敗したけどね。都市国家オルメカが課されたノルマを満たすだけの石を集められなかったのは、それだけオルメカが皇帝を軽視しているという事実の表れだ。
 
 宗教によってゆるやかに結びついた都市国家の集まり、それが、これまでのアステカってわけさ。
 
 
 
 
 
 
 すこしがっかりさせてしまったかな。すまない、だが本当のことなんでね。さらに言うなら、アステカが抱える問題は他にも山ほどあって、内憂外患よりどりみどりなんだが、それはまた別に機会に話そう。あまりゲンナリさせてもしょうがないし、少し長くなるんでね。
 
 よし、じゃあ今度は、アステカのいいところを見に行こう。なんといっても、今日はお祭りだからね。
 
 実を言うと、テノチティトランの中央市場はいつもお祭りみたいなものだ。ここには国中から集められた品物が所狭しとあふれかえり、活気に満ちた商人たちの声がやむことはない。アステカにおいて商人たちは特別な地位を認められている。自由に国中を行き来して商品を運ぶ彼らは、寺からお布施を運ぶ仕事を請け負うこともあるし、単に売れそうなものをあっちからこっちへもっていくだけのこともある。商売の規模もさまざま、ほとんどは自分の店を持たない行商人だが、なかには寺からお布施関連の商売を一手に引き受けている御用商人もいるし、翡翠河をはじめとする河川や沿岸で、船と倉庫を掌握している舟主もいる。近郊の畑や牧場、河から集められた新鮮な食料品は市に運び込まれ、食料品店や宿屋の主人たちが群がって飛ぶように売れていく。巨大な人口を支えるのはなんといってもまず食品だからね。
 
 こうして市場を見て回るだけでも、色々目を引かれるもんだよ。
 
 大きなフックで店先にぶら下げられているのはテノチティトラン特産の肉牛、無口な店主の前に並べられているのはテスココ沿岸で水揚げされた干しあわびにいわしの燻製。南方のジャングルから運ばれる果物の数々はどれも色鮮やかで、とても食欲をそそるものだ。あちこちに目を奪われながら歩いていると、とうもろこしの焼ける匂いが漂ってくる。食品市場のそばには、屋台がたくさん立ち並んでいるんだ。贄祭が執り行われる今日は地方から出てきたおのぼりさんたちでごった返しているし、おまけに時間は正午、食事の時間だ。どの店も大声で客を呼び込んでいる。どれ、ちょっとのぞいてみよう。
 
 アステカ人の食卓におけるメインディッシュになっているのはローマから種を輸入したとうもろこしに豆、そしてイモ類だ。とくにとうもろこしの粉を薄くのばして焼いたトルティーヤで肉や野菜をくるんだものと、アトレと呼ばれるこれまたとうもろこしのおかゆが鉄板メニューといったところ。味付けは大体香辛料が主体だ。岩塩の鉱山はマジャールにあるんだが、今の時点ではまだ発見されていないし、テスココに塩田ができるのも大分先だからね。
 
 というわけで、ためしに一つ貰うとしよう。やあ、この肉は本当に香辛料が利いてるみたいだね。見てるだけで汗が出てきそうだ。それじゃ、いただきま――
 
 
「何勝手に食ってやがんだこのただ食い野郎!」
 
 
 ――ああ、念のために言っておくが、私が怒られてるわけじゃないよ。単に、よそで食い逃げが出たってだけだ。この市場じゃよくあることなんだよ。生憎いまはちょっと持ち合わせがないんだが、あとで時間をさかのぼって置いていくことにしよう。
 
 それにしても、伝わってくる雰囲気がちょっと剣呑だ。聞こえてくる言葉は異国のもの、怒鳴り返す店長の声はどんどん甲高くなっていく。回りもどんどんざわつき始め、屋台の席を立って野次馬に混ざろうとする連中も出始めた。今ちょうど私の横を通り過ぎようとしている、頭巾を深くかぶった巨漢もその一人だ。ただ彼は、周りの人間とはどうも反応が違うように見える。アトレのお椀を投げ捨て、とがめようとする屋台主に小さな袋を乱暴な手つきで渡すと、頭巾の巨漢は人ごみを掻き分けて進み始めた。どうやら何か面白そうだ。彼に付いていってみることにしよう。
 
 
 
 
「アノ、デモ、ちゃんと払ッテ」
「全然足りねえつってんだろうが! そのご立派な耳は飾りか!? あ?」
 
 腕をむき出した髭もじゃの店主が、手に持ったものを振りたてて地面に投げつけた。

「確かにうちのは良心的な値段だけどな、この程度の塊じゃ全然引きあわねえんだよ! 食いたきゃちゃんと見合った分のおあしを出しやがれってんだこの野郎! おい奥さんも! 口をつけるのは控えてくんな!」

 店主に怒鳴られて、異国人の女はびくっと肩を震わせた。唾を飛ばす店主から庇うように肩を抱くと、異国人の男のほうは辛抱強く片言の言葉を繰り返した。

「オ金、払イマシタ」
「あんまり馬鹿にしてると衛視を呼ぶぞこんちくしょう! 食ったもんに金払う! エルフってやつらはそんな当たり前のこともわかんねえってのか? ああ?」

 店主の言葉に、また女のほうが首をすくめた。手は申し訳なさそうに下げられていて、手に持ったトルティーヤから肉汁がこぼれて、彼女のサンダルを汚してしまっている。端正なつくりの顔には泣きそうな表情が浮かび、尖った耳は真っ赤になっている。きょろきょろと周りを見回していることから察するに、彼女は多分言葉がわかってないね。
 
 ふたりとも着てるものはこの時代の標準的なものよりちょっと上等で、特に女エルフのほうは赤いラインが鮮やかだ。女の首飾りは見えてるだけでもダイヤに翡翠、腕輪もはめているらしい。こりゃなかなかお金持ちだ。
 
 どうやら店主も、そのことに気が付いたらしい。

「なんならその腕輪一個で勘弁してやってもいいぜ? ちょっと取りすぎかもしれねえが、ただ食いするよりゃマシだろうが? なに、おれも見た目ほど鬼じゃねえ。ちゃんと引き合うだけ食わせてやるからよ? どうよ? ほらよこせって」

 店主は相当に柄が悪い。周りの客もはやし立てる連中ばっかりだ。店主は悲鳴を上げる女エルフに手を伸ばし、腕輪をもぎ取ろうとする。割って入ろうとした男エルフを突き飛ばして、店主が下卑た笑いを浮かべる。

「そんな騒ぐなってお嬢さん、こいつは正当な取引じゃねえか。文句言うなら衛視を呼んだっていいんだぜえ」
「その辺にしとけよ」

 横合いから伸びた手が、店長の掌を払った。
 
 そのまま店主と女エルフの間に割って入ったのは頭巾の巨漢だ。いや全く、この男と来たら、見た目に見合わず俊敏な身のこなし。追いかけるのにもずいぶん苦労したよ。周りから頭一つ飛び出しているおかげで、見失わないですんだんだけどね。
 
 巨漢は店長を真正面から見下ろしている。店長からしてみれば、ずいぶん威圧的な眺めだろうね。

「あんだいおま……え」

 しどろもどろになった店長には答えず、頭巾の男は後ろに庇った女エルフの腕を取った。こうして女エルフの指と見比べてみると分かるが、巨漢の指は毛むくじゃらで、肌も灰色、まわりのアステカ人ともずいぶん違うのが分かる。あっけに取られている女エルフの手から冷めたトルティーヤを奪い取ると、巨漢はそれを一口で飲み込んだ。ことさらに喉を鳴らして飲み込むと、巨漢は満足そうなため息をついた。

「けっこうまっとうな味じゃねえか」
「ああああああ! あんた! ただ食い!」
「払うからでかい声出すな」

 調子を取り戻した店主とは裏腹に、巨漢は落ち着いたものだ。まとっているローブの胸元に手を突っ込み――こんどは腰の巾着を探る。巻いている帯をごそごそやった末、ぱっと小さな袋を取り出してひっくり返す。中身は空だ。
 
 固唾を呑んで見守っていた店主に向かって、巨漢は肩をすくめて見せた。

「すまん、ツケといてくれ」
「あ、ハイ、分かりました――なんていうとでも思ったかこんちくしょう!」

 どっと周りが沸いた。店主はもう頭から火を吹きそうな勢いだ。決まり悪そうに腹を掻いている巨漢は、未だに財布をどこにやったかと首をひねっている。まあ、さっきここに来るときに財布ごと投げてたというのが正解なんだが、彼には知るよしもないことだ。

「そう怒るなよ。ちゃんと払う」
「信用できるか! 今払え! 今!」
「分かった分かった、あのな、これ持って寺まで行け」

 巨漢が腕から何かを外して店長に手渡した。磨き上げられた石で作られた珠が、いくつも紐に通されている。数珠だ。

「そんで払ってもらってくれ。今日はちょっと人がいないかもしれないけどな」

 周りからどよめきがあがった。そう、この男は自分がお坊さん、仏教のクレリックの関係者だと言っているんだ。

「適当な事言ってんじゃないだろうな? 大体あんたさっき肉食ってたじゃないか」
「旨かったな」
「聞いたかおい! 肉食うなんざ坊主のすることかよ! 大方この数珠だって盗んだもんなんだろう? それで持っていったら俺がとっつかまるってそういう話に決まってる! ああ、俺はただトルティーヤ売ってるだけなのになんでこんな目にあわねえといけねえんだ? 俺が何をしたってんだ」

 店主の泣き真似はずいぶん堂に入ったものだ。屋台のおやじなんかより芸人がむいてるんじゃないかな。芸能小屋の走りみたいなものはこの時代にもあるからね。まわりはやんやとはやし立てるし、さっきまで怒鳴られていた女エルフすら口元を隠して笑っている。顎を掻いていた巨漢も、しまいには鼻を鳴らして肩から力を抜いた。

「肉食は気にするな。どのみち殺生しないことには生きていけないんだからな。坊主だって生きてることには変わりねえよ。それに、その数珠だって俺のだ」

 実際には、アステカ仏教にも肉食を禁じる戒律がちゃんとあるし、それなりに守らないといけないものだったはずなんだが、彼はどうやら普通とは違うようだね。

「信用できねえ。ほんとうに徳のある坊さんなら、魔法が使えるはずだぜ」
「――これでいいか?」

 食い下がる店長の目の前で、巨漢の指が印を組んだ。低く短い呪文を唱え終わると、巨漢はさっと飛びのいた。

 店主に水が降り注いだ。これは最も簡単な信仰呪文の一つ、クリエイト・ウォーターだ。ずぶぬれになった店主がくしゃみをして、跳んだ鼻水を巨漢がよける。食って掛かろうとした店主を見下ろすと、巨漢は一言一言をゆっくり区切って言った。

「この通り坊主だ。じゃ、あとで寺に来てくれ。この街で一番でかいところな」

 きびすを返し、立ち去ろうとした頭巾の巨漢が、ふっと振り返った。地面に落ちた塊、さっき男のエルフが店主に差し出して突っぱねられたものを拾うと、そのままあっけに取られていたエルフに返した。やおら発した言葉はなじみのない異国の言葉だが、意味するところはだいたいこんなところかな。

「こういうのじゃなくてカカオ豆を使え」

 頭ひとつほども低いエルフをぽんぽんと叩くと、頭巾の巨漢はまとわり付いてくる人垣を押しのけて立ち去っていってしまった。
 女エルフが男のほうの袖を引いている。男エルフもうなずくと、頭巾の巨漢を追いかけ始めた。
 店主はやっと自分をとりもどしてわめき始めたけど、構っていてもしょうがなさそうだ。私も、エルフたちの後を追ってみることにしよう。



[22421] 11-2.選ばれし者
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2010/12/14 17:30
 11-2.選ばれし者
 
 
 追いつくのは簡単だった。頭巾の巨漢はまた別の屋台に席を見つけて飲み食いを始めていたからね。まだ昼時だというのに、今度は酒まで注文し始めた。リュウゼツランを醸したとても強いお酒をぐいぐいと干していく。傍から見ていて心配になるペースだ。それにお金も持っていないはずなのにね。

「あの」

 さっきのエルフたちも追いついた。気のなさそうに振り向いた巨漢に、二人で深々と頭を下げる。

「先ほどはありがとうございました。まだこちらに来たばかりで、言葉も分からず難儀しておりました」
「そういうときは坊主を探せ。まともな奴ならローマの言葉ぐらい使える。それと、こいつはもらっとくからな」

 巨漢は先ほど拾った何かをひらひらと振った。模様の刻まれた金属塊、まあ平たく言うと貨幣だ。

「ええ、もちろんですが、そんなものでよろしいのですか」
「アホか、払いすぎなんだよ――交易の窓口でカカオに代えてもらって来てみろ、一抱えにはなるだろよ」

 巨漢はエルフに貨幣を押し付けた。この貨幣はローマから輸入したもので、テノチティトランではまだあまり流通していない。絶対量が少ない割りに、ローマからの輸入品を買うときには必ず必要になるから、本当はけっこうな価値があるものなんだ。払った側のエルフにしてみればビタ銭感覚だったみたいだけどね。

 エルフは渋るが、巨漢は頑として受け取ろうとしない。負けたエルフが苦笑いして、傍らの女エルフを促した。

「わたしはマルクスといいます。こちらは妻のアウレリアです。テルモピレーから参りました」

 巨漢はあくまで無視を決め込むつもりだったようだが、エルフの夫婦はどちらも笑顔を崩さず、巨漢が答えてくれるのを待っている。巨漢の杯にお代わりを注ぎにきた給仕の少年に怪訝な目を向けられてもものともしない。かえって、巨漢のほうが居心地悪そうにし始めた。根負けしたのか、巨漢が背を向けたままぼそぼそと言葉を発した。

「テノクだ。坊主をやってる」
「はい、確かに」
「呪文ははじめて見ました」
「テルモピレーじゃ見なかったのか。坊主がいないわけでもないだろ」
「呪文を使えるようなお方は中々。やはり聖都は違いますね。奇跡があふれている」
「そんなありがたがるもんでもねえよ」
「とんでもありません。とてもすばらしいものだと思います」

 アウレリアが意気込んだ。しばらく黙りこむと、おずおずとテノクの正面に回り込もうとする。テノクもそれに合わせて位置をずらすが、マルクスと挟まれてしまって上手くいかない。

「あの、テノク様、差し支えなければ、きちんとしたお礼をしたいのですが」
「いままでごちゃごちゃ言ってきたのがお礼じゃねえか。ずいぶん回りくどいんだな」
「そうはおっしゃいましても」
「いらんっつってるだろうが。どうしてもってんならその辺の物乞いにでもくれてやれ」

 どういうわけか、テノクの声はどんどん荒くなる。何もここまで邪険にすることもないだろうにね。照れ隠しにしても、どこか剣呑だ。
「わたしたちはあなたにお礼がしたいのです。恩人でございますから」
「こっちは単にむしゃくしゃして八つ当たりしたかっただけなんだ。失せろ」
「そんな乱暴な方には見えません」
「これでもか?」

 はき捨てるように言うと、テノクはもう何杯目だか分からない酒を一息に干し、勢いよく立ち上がって頭巾を脱いだ。

 禿げ上がった頭の肌は灰色で、鼻は大きく反り返っている。口の端から飛び出しているのは鈍く短い牙だ。特徴が薄れてはいるが、かつてはエゼキエルの使役獣だった種族だ。
 アウレリアが驚いたように身を引き、震え始めた。それを見て、テノクが口の端をゆがめた。
「ローマにいたころはお前らみたいな連中にさんざん世話になった! こっちが坊主と見るや擦り寄ってきやがるくせに、この面見せたが最後びびりやがる! ははは!」

 テノクの剣幕に、マルクスもアウレリアも呆然となっている。無理もない。テノクはまた腰を下ろすと、空になった杯を握り締めて砕いた。ぼそぼそとつぶやいて卓に突っ伏す様は完全に酔っ払いだ。

「誰でもいいから痛めつけたかった。そういう血なんだよ俺は。見りゃ分かるだろうが。なにが『きちんとしたお礼をしたい』だ。くそ、馬鹿にしやがって。のこのこ出て行ったところでさらしもんにする気なんだろう。お前らに矛先が向くまえにとっととあっちいきやが――」
「――森にいた頃、オークたちが襲撃してきたことがありました」

 マルクスが、静かにテノクをさえぎった。

「とても恐ろしい体験でした。ローマの軍も力を貸してくれましたが、それでも大きな被害がでました。暗闇の中襲い掛かってきたオークの光る目、あれは忘れられません。妻を許してやってください。あれから何年もたった今でも、時々うなされるのです。でも、これだけは信じてください。私はあなたを恐れない。恩人だからです」
「――うせろ」

 マルクスがアウレリアを助け起こして頭を下げた。

 去っていく二人を見送りながら、テノクが杯に手を伸ばそうとした。もちろんさっき握りつぶしてしまったわけだが、テノクはそのことに中々気が付かない。もう完全に酔いつぶれる寸前だ。むなしく卓の上を往復していた手が、力をなくしてくたっとなった。

 そうして上を向いた掌に、ふっと数珠が置かれた。さっきテノクが預けた数珠だ。

 寝ぼけたまま反射的に数珠を握り締めたテノクの掌に、こんどは拳骨が降ってきた。これは痛い。悲鳴を上げたテノクの頭に、もう一度拳骨が降った。そしてもう一度。骨ばった拳には遠慮が全然感じられない。
「こんなところにおったか」

 しわがれていながら、とても力強い声。骨と皮ほどに痩せた小さな老人は、そういうとテノクを見下ろした。

「じじい、何でこんなところに」
「『大僧正様』じゃろうが」

 もう一発拳骨が降り、テノクは鈍いうめき声を上げた。
 



 
「全くお前ときたら突拍子もないことばかりしおる。数珠をくれてやる坊主がどこにおる? 数珠というのはお前が考えておる以上にありがたいものなのだ。それをまあツケだかなんだか知らんがあっさりと手放しおって。おまけに何のツケかと聞いてみればトルティーヤ一枚ときた。百枚とならまあつりあったかも知れんものを。物の価値すら弁えておらんとはまったく、寺で何を学んできたのか。お前に教えてきたことは右から左というわけか? 全くもう。お代わり!」

 ものすごい勢いでお説教を垂れながら、じじいこと大僧正さまはどんどん食べる。食べながら話しているんだが、口から物は飛ばないし、言葉が乱れることもない。食べるのが早すぎて皿の上から消えていくようにすら見える。全く不思議な技だ。

 テノクは大きな体を縮めてうなだれている。うなだれた頭を、大僧正様はバシバシ叩く。

「だいたい何が情けないといってこの程度の酒で正体をなくしとるのが情けない。そのでかい図体は飾りか? 何がつまっとるのかしらんが少々の酒ぐらい入れる余裕はあるじゃろうが。飲まされとるならともかく自分から飲んでおるんだからなおさら」
「うるせえなあ。坊主が飲んじゃまずいんだろうが」
「いかにも行儀よくしろとは言ったがそれはあくまで建前だ。額面通りに受け取る奴があるか。わしがお前くらいの時には僧都の目を盗んで浴びるように飲んでおったものだ。夜通しどんちゃん騒ぎをして、翌朝の勤行をすっぽかすのは日常茶飯事、仕置きで書庫の整理と筆写を命じられたおかげで経典にくまなく目を通し、結果的にはその辺の僧都より勉強することができた。まったく、酒なくしてはわしの今の地位があったかどうか疑わしいものだ。坊主が酒を飲んだらいかんというのはな、結局自分を試してみろという仏のありがたーい教えよ。ということはな、試すまでもなく明らかな器の持ち主なら気にせんでもいいということだ。すまんこれとこれもう一杯ずつ」
「なあ、そういうのあんまりでかい声でいうなよ。綱紀が乱れてるって散々突き上げ喰らってるんだろう?」
「今まさにお前が乱しておったくせに、どの口で綱紀などと言えるのか。これか、ん?」

 大僧正様はテノクに手を伸ばした。口の端から突き出た牙を掴み、テノクの頭をゆすぶる。いつの間にか、食べる手は止まっている。いたずらっぽい表情は消えうせ、代わりに宿っているのは強い意思の輝きだ。

「よいか、飲酒肉食なんぞはな、どうでもよい些細なものに過ぎん。本当に乱れておるというのはな、坊主が坊主の何たるかを忘れることだ。自分の根本にあるものがなんなのか分からんようになってしまうことだ。ついこの間まで生真面目一辺倒だった坊主が、ツケで飲み食いし、数珠を手放し、自尊心を満たすために呪文を用い、挙句の果てには初対面の男女に歯をむき出して威嚇するようになることだ。違うか」

 テノクは答えない。大僧正の手を掴み、牙から引き剥がすと今度は自分で牙を撫でた。その指に力がこもり、突き破られた肌に赤い珠が浮いた。

「見てたのか」
「一番いいところまでしっかりな。なんださっきの八つ当たりは。見てたこっちもわけわからんのだから、あのエルフたちもさぞかし困惑したことだろう。どうやら悲劇の主人公気取りらしいと見ておるがあっとるか? ここぞとばかりに不遇の生まれを強調したところなんか笑いをこらえるのに苦労したわ。なにが『そういう血なんだよ』じゃ。何をいじけておるのやら。いらいらしとるならそれこそ薪割りでもして――」
「うるっせえ!」

 卓に拳を叩きつけてテノクが怒鳴る。あたりの喧騒が一瞬途切れて、またざわめき始める。他の客たちが、料理を持ってこそこそと移動し始めた。一人落ち着いているのは、大僧正だけだ。
「お前に何が分かる! 育ての親だからって何もかも分かったつもりになるんじゃねえよ!」
「生贄になりそこなったことがそんなに不満か?」

 テノクの顔からさっと血が引いた。ゆっくりと腰を下ろしたテノクに向かって、大僧正様が肩をすくめて見せた。

「図星か。じゃあ謝る。確かにお前の言うとおり、わしはお前のことをさっぱり理解しておらなんだ。手をかけたつもりではあったが、こんな阿呆に育っておったとはな」
「――何故候補から外した? 俺が無能だったからか?」
「いや。お前はきわめて優秀だった。教育の賜物だな。わしも鼻が高いわ」
「なら、俺がオークだからか?」
「半分な。それも関係ない」
「しらばっくれるな! お前が外したんだろう! せっかく生贄になれるところだった! 俺はずっとがんばってきた! 誰にも文句のつけようがない僧侶として、今日この日の生贄に選んでもらえるように生きてきた! 最高の形でこの世におさらばして、後生に備えられるはずだったんだ! それをお前が横槍入れてつぶした! そうだろう!?」
「御仏に誓って言う。わしは横槍なんぞいれとらん。生贄の選定に私情をさしはさむなどもってのほかだ。それに、お前が生贄となるのなら、それはわしの誉れじゃ。なんぞ邪魔立てすることがあろうか」

 言葉とは裏腹に、大僧正様は沈痛な表情を浮かべている。枯れ木の枝のような手が、そっとテノクの頭を撫でた。

「テノクや、お前がなんと思おうが、お前はわしの息子だ。二十年前、冒険者がお前を寺に持ち込んできたあの日からずっとそうだった。あの大惨事からかろうじて生き残り、おくるみに包まれてわけもわからずむずかっていたお前を見たとき、わしは決意したのだ。いかにもオークは救いようのない蛮族やも知れぬ。血そのものからして穢れておるのやも知れぬ。生きて長じたところで、この世のどこにも身の置き場などないのかもしれぬ。だが、そのまま殺してよい道理などあろうはずもない。どうにか居場所を見つけられるようにしてやらねばならぬ。だからわしはお前にせっせと教育を詰め込み、こうして一人前の坊主へと仕立て上げたのだ。お前は立派だ。お前が自分で考えておる以上にな」

 大僧正が立ち上がった。給仕を呼びつけ、カカオ豆の小袋を渡す。そのまま立ち去ろうとする大僧正の背中に、テノクが声を投げた。
「だったら何で俺は候補から外されたんだ。やっぱり血か。俺がハーフオークだからか」
「生贄の最終決定権が誰にあるとおもっとるんだお前は。わしがその手の差し出口を許すように見えるか? ん?」
「でも結局、俺以外の奴に決まったそうじゃないか」
「わしは正式な手続きを経てお前を選んだ。だが決定は覆されたということだ」
「おいじじい、それってまさか」
「大僧正様と呼ばんか!」

 わざわざ戻ってきて拳骨をくれると、大僧正様はテノクに顎をしゃくった。
 
 
 もうそろそろ日が沈む頃合だが、祭りの熱気は一向に冷める様子がない。クライマックスはこれからだという事で、人は次第に移動を始めている。テノクと大僧正さまも、その流れに乗っている。ああ、もちろん私もね。

 大僧正さまの背筋はピンと伸びていて、足取りも年齢に見合わずしっかりしたもの。だがさすがに周りには置いていかれがちで、そんな大僧正様にテノクはしっかりと目を配っている。地面が出っ張っていれば先に見つけて教え、不注意な人がぶつかってくれば庇う。いまの大僧正様は礼装ではなくて簡素なローブをまとっているだけだが、中には目ざとく見つけて挨拶しはじめる手合いもいる。そんな連中で流れをせき止めてしまわないように適当にあしらうのもテノクの役目だ。小さな老人が巨漢を従えて歩く姿はなかなかユーモラスで面白い。

 人々が向かう先は、テノチティトランの大ピラミッドだ。かつては、これから行われる儀式は街の外、もっというならタラスクのもとで行われていた。儀式そのものも秘祭として、一般人が見物することは許されなかった。だが先代になって、儀式は大ピラミッドに場所を移し、大勢の目の前で国家的な行事として大々的に執り行われることになった。国内外から招いた賓客や民衆たちに、アステカの繁栄と、それをもたらしている皇帝の権威をアピールするのが狙いだ。

 ところで、アステカの儀式といえば欠かせないものがある。生贄だ。

 アステカの僧院では若い僧侶たちに次のように教えている。「彼の魔獣タラスクが再び目覚めたとき、偉大なる皇帝大モンテズマは己が心臓をささげ、神性の介入を願った。御仏はこれに応えて使者を遣わし、タラスクを永代に渡って眠らしめた。これこそが、史上最初に発効されたミラクルである」とね。ひどい話だが、この使者というのはもちろん私のことだ。別にミラクルを発効するには心臓が必須というわけでもないんだが、歴史的事実というのはすこし変わった形で伝えられることがあるんだね。まったく、参ったよ。
 ともあれ、アステカ人たちはあの出来事を彼らなりに消化し、自分たちの文化的背景の背骨として組み入れた。アステカこそは、奇跡を呼び起こしてタラスクを封じた大モンテズマの正当なる後継者というわけだ。当然、奇跡の対価は命という観念が生まれるのは自然な事で、加えてアステカ人たちはタラスクが死んだわけではなく、ただ眠っているだけだということも正確に理解している。だから、いつかやってくるタラスクの目覚めをできるだけ遅らせたい彼らは、生贄をささげる事であの日の出来事を再現しようとしているわけなんだ。生贄だって誰でもいいと言うわけじゃない。滅びを食い止め、仏の気を引くには偉大な魂でなくてはならないんだ。あのモンテズマがそうだったように、ね。ましてや今日のような大祭ともなれば、生贄には並大抵の人物では勤まらない。

 さっきの話からするに、どうやらこのテノクは土壇場で選から漏れたようだね。

 大僧正はテノクを従えて、ゆうゆうと歩みを進めている。と、テノクが大僧正を呼び止めた。
「そんな格好で大丈夫か。いつもの礼装に着替えてこないと」
「必要ない」

 言うが早いか、あっけに取られているテノクをおいてずいずい進んでいく。自分を取り戻したテノクが、あわてて追いついて言った。

「いいのかよ。仮にも大僧正だろう? この行事に参加しないなんて許されるわけがない。とうとうボケちまったのか」
「お前は本っ当に血の巡りが悪いのう。そんなんでこの先勤まるかどうか心配でならんわ。そら、着いたぞ」

 人ごみが密度を増してきた。見上げれば、目に入るのはテノチティトランで一番高い建物、階段ピラミッドだ。

 夕暮れ時の太陽が照らす中、階段ピラミッドにはたくさんのたいまつが焚かれている。鮮やかな鳥の羽や布で飾り立てられた階段の天辺には、これまたきらびやかな装飾を施された祭壇がすえつけられている。祭壇のすぐ下の段では侍祭たちがお経をあげ、さらに少し下ったところには、貴賓たちが儀式を間近で見るための壇や天蓋がいくつも設けられている。頂上により近いところほど、高い身分がなくては上れない。普通の民衆たちはピラミッドの周りに群れ集まり、兵士たちにさえぎられて押し合いへし合い場所を取り合っている。近くの建物はどこも人が鈴なりだが、ピラミッドの東側だけは別だ。ここはピラミッドの正面にあたり、建物を建てることは禁止されている。ただ天幕が二つ張られているだけだ。

 大僧正は人垣を掻き分けると、天幕の一つへ向かっていく。呼び止めようとした兵士も、大僧正が突き出した数珠を見るや引込んだ。わけが分からないといった顔つきで付き従うテノクを引っ張り、大僧正は天幕の入り口をくぐると膝を突いた。

「皇帝陛下、ご機嫌麗しゅう」

 薄暗い天幕の中で、光る目が動いた。人を一口に飲み込める巨獣、ダイアパンサーがその身を横たえ、一人の男を寄りかかるに任せている。低いうなり声を上げて、獣の体がしなやかに動いたかとおもうと、頭を撫でられて再びもとの位置に戻った。

「整ったか」
「問題なく」
「そうは見えぬがな。まあよいか」

 パンサーに座っていた男が手を振った。息を潜めていた侍従たちが、大僧正とテノクの脇を通って退出していく。ようやく膝を突いたテノクを指差し、アステカ皇帝モンテズマ二世は口の端を吊り上げた。




 天幕の中は薄暗い。地平線のすぐそばまで迫り、外の全てを赤く染めている太陽の光は、入り口からわずかに差し込む光ばかり。天幕の外では、観衆たちが興奮し、期待で胸を高ぶらせている。そろそろ儀式が始まるからだ。

 だが、主役の一人であるモンテズマ二世――この際、ただのモンテズマでいいだろう――は落ち着いたものだ。ダイアーパンサー、力あるドルイドが引き連れる動物の相棒の毛皮に体を預け、手に持った黒曜石のナイフを弄っている。白を基調とした簡素な長衣が、薄闇の中でモンテズマの姿をぼうっと浮かび上がらせている。だがどんな衣をまとっていたところで、モンテズマの印象は変わらないだろう。ただそこにいるだけで強烈な存在感を放射するモンテズマはよく太陽にたとえられている。その源泉となっているのは、圧倒的な自信だ。即位するときにモンテズマの名を選ぶことができたのもその現われと言っていい。アステカの歴史を通して、モンテズマの名を受けつぐことを許されるのは偉大な指導者だけだったが、その伝統を作ったのはこのモンテズマ二世だ。

 ナイフを弄う手が止まった。平伏するテノクに、モンテズマがちらりと視線を向けた。

「お前はテノクと言ったな。今日の生贄候補であった」
「おっしゃる通りでございます」
「だが外された」
「皇帝陛下のご決定でございますので」
「いかにも。大僧正の決定を覆せるのはただひとりだからな」

 モンテズマの言葉は、斧のように会話を断ち切った。

 こと大きな視点で見れば、アステカ皇帝の存在はまだまだ軽いものだ。だがそれでも、アステカにおける最高権力者であることは間違いがない。歴史のこの段階では、アステカ仏教組織における最高指導者は大僧正、つまりテノクの横で平伏しているおじいさんだ。テノクはものすごくいい加減に扱っていたが、実はかなり偉い人だったんだね。そして、その偉い人の決定をあとから覆せるのは皇帝しかいないと、テノクは言っているわけだ。

「問わぬのだな。何故自分を生贄候補から外したか、と」
「皇帝陛下のお考えに異を唱えるなど考えられません」
「全ての都市国家がお前のように聞き分けがよければいいのだがな。まあよい。着替えておけ。あとの段取りぐらいは心得ておるだろう」
「あの、お言葉ですがそれはどういう――」
「ではそろそろ始めるとするか」

 モンテズマの言葉を待っていたように、侍従たちが天幕の中に入ってきた。ささげ持っているのは折りたたまれたローブだ。わけもわからないまま受け取ったテノクの脇を、すっと風が走った。立ち上がったモンテズマが、いつの間にかテノクの脇にかがみこんでいる。動物じみたしなやかさでモンテズマはテノクの手を取ると、持っていたナイフを握らせた。

「では、また後でな」

 そのままモンテズマは天幕を出た。儀式の始まりと知った民衆たちが、爆発的な歓声でもって皇帝を出迎えている。大僧正が立ち上がると、服を脱ぎはじめた。下帯一つになった大僧正は侍従から渡された腕輪や首飾りをまとい、数珠を握り締めて息を吸い、吐いた。はいつくばったまま呆然と見上げるテノクに、大僧正は静かに言葉をかけた。

「アホ面さらすな。そんなのではせっかく授かった大役が勤まらんぞ」

 テノクが目を落とし、手の中のナイフを見た。黒曜石で作られたナイフは唯一つの目的のためにしか用いられない。それは心臓を生きたまま抉り取ることだ。本来ならば儀式を執り行う司祭の手に握られるべきだが、その司祭たるモンテズマは、いま外で民の声に応えながら階段ピラミッドを昇っているところだ。

 だから、テノクはモンテズマの元まで届けなければならなくなった。ナイフと、ナイフを振るわれる生贄とを。

「――嘘だろ」

 テノクの口から言葉がこぼれた。助祭の衣装を差し出す侍従を突き飛ばし、テノクは大僧正の肩を掴んだ。むき出しになった肌は、年相応にかさかさで骨が浮いている。鶏がらのような指が、テノクの毛むくじゃらな腕にかけられた。

「言うのが遅れたな。そう、わしは選ばれた。この良き日に、最高の形でこの世をおさらばできるというわけだ。どうだテノクや、うらやましいだろう、ん?」
「何で、何でじじいなんだよ!」
「侮ってくれるな。これでも大僧正だぞ。この偉大な儀式における生贄としてこれ以上ふさわしいのがおるものか。それとも何か、わしでは徳が足らんとでも言いたいのか」
「そういうことじゃねえ! 大体何にも言わずに――」
「喜んでもらえるとおもっとったのにな。自分が生贄になったときにわしが喜ぶだろうと、お前が考えたように」

 大僧正の目から涙がつたった。大僧正は泣きながら笑っていた。ところどころ欠けた歯をむき出して、大僧正は呵呵大笑した。外の歓声は大きくなる一方だが、それでもこの老人の言葉がかき消されることはなかった。

「よう聞けテノク、わしは坊主だ。坊主とはとても尊いものじゃ。といっても呪文を使えるからではないぞ。誰かを救う存在だからじゃ。かの大モンテズマがアステカを救ったように、今日お前が、知りもせぬエルフたちを捨て置けなかったように。御仏が呪文を授けなさるのも、困難な道を歩む手助けとするためだ。御仏はおそらくこう考えておられるのだ。全てを救え、と。
 だからな、テノク。わしがこの身をささげ、それで滅びが少しでも遠のくのなら、そりゃ坊主冥利に尽きるというものではないか。老いぼれにできる最後のひと働きというわけだ。これを喜ばんでどうする?」
「だからって、だからって」
「お前の誤解だけが心残りだった。まったく、よりにもよって今日へそまげて飛び出すことはなかろうが? お前が祭りをすっぽかしてあとから知るのもまずいし、なによりお別れが言えんじゃないか。だがまあ結果的にはよかったな。お前が大立ち回りを演じてくれたおかげで寺に知らせが入り、お前の居場所を突き止められたんだから。ついでに腹いっぱい食えた。ああ、お前、モンテズマ様がしくじりなさることなどないと思うが、腹は裂かんように気を払うんだぞ。死んだあとで肉食いまくっとったことがばれていらん恥をかいてもいかん。
 さあ、そろそろだ。あまりお待たせしても申し訳ないからな」

 大僧正が、テノクの腕を解いた。先ほどまでの歓声が嘘のように、あたりはすっかり静まり返っている。準備が全て整った。あとは、生贄が祭壇に上がるだけというわけだ。テノクの震えが止まった。握り締められたナイフに、赤い筋が伝った。

「行くぞ、テノク。笑顔で送っておくれ」

 テノクは答えなかった。無言で大僧正の手を取り、天幕の入り口に手をかけた。
 そうして、二人は天幕を出て行った。
 




 
 テノクたちが階段を上る間中、あたりには厳粛な沈黙が満ちていた。

 咳払いやしわぶき一つ許されないといった雰囲気だが、それでも抑えきれない動揺が低い囁きとなって漏れている。それは生贄の人選に対するものかもしれないし、テノクの質素な格好に対するものかもしれない。だがそれも、二人がピラミッドの頂点に着くと静まった。

 出迎えたモンテズマが、大僧正を祭壇へと促した。祭壇は膝を抱え、目や口が極端に大きく形作られた前期様式の仏像を模したものだ。その像に抱え込まれるようにして、大僧正は身を横たえた。侍祭たちが朗唱を始め、祭壇の脇についたモンテズマが、悄然と立ちすくんでいたテノクに目で合図した。

 テノクは動かない。まるで他には何も目に写らないといった様子で祭壇に目を瞠っている。手にはナイフを握り締めたままだ。滴り落ちる血が、ローブにしみこんで染みになっている。

 モンテズマが笑い、歯をむき出した。

 犬歯が長く伸びた。頭蓋骨が変形し、見る見るうちに毛皮で覆われていく。高位のドルイドが身につける変身能力だ。はらりと落ちたローブを振り払うと、モンテズマが変じたヒョウは祭壇に飛び乗り、大僧正を押さえつけた。テノクがナイフを取り落とした。食いしばった歯の隙間から、押し殺した息が漏れた。

 テノクが何かをするつもりだったのかは分からない。なんにせよほんの一瞬のうちに、モンテズマの牙は大僧正の胸を食い破り、その心臓を抉り出していた。

 モンテズマがくわえた心臓を高く掲げて示すと、民衆はいっせいに声を上げた。生贄はささげられた。とても徳の高い僧侶が自らの命を供し、それによって滅びが遠のいたというわけだ。下の段で見守っていた貴顕たちが声を合わせて、皇帝と生贄とを称える歌を歌い始めた。侍祭たちがそれに声を合わせ、控えていた奏者たちがおのおのの楽器を取り上げる。やがて流れ始めた旋律が民衆の歓声を捉えて朗唱に組み込み、そうして満ちあふれた歌声はピラミッドの全てを包んでいる。儀式は大成功と言っていい。モンテズマの変身なんていうドラマチックな要素もあって、このときの様子は長く語り継がれることになる。といっても、モンテズマがそうさせた部分もあるんだがね。この時期にアステカに出現し始め、今回の様子を国中に伝える役割を果たしたバードという職業については、またあとで語る機会があるだろう。

 モンテズマは満足げにうなると、祭壇を降り、駆け寄った侍祭が差し出した器に心臓を落とした。そうして人の姿に戻ると、モンテズマは再びローブを身につけ、テノクの足元に転がるナイフを拾い上げた。

「亡骸を包め。お前の仕事だ」

 大僧正の亡骸を注視しているテノクに言葉を投げて、モンテズマはピラミッドを降りていった。生贄の後始末をするのは本来侍祭の役割なんだが、テノクに遠慮してしまってなかなか作業を始められない。やむなく取り掛かろうとしたところをテノクが威嚇して邪魔してからは、諦めて帰ってしまった。

 日が沈み、辺りが暗闇に包まれても、テノクはずっと、大僧正の元に残っていた。亡骸の傷を閉じ合わせ、血を拭い去って布で丁寧にくるんでいる間中、一言も発することはなかった。処置が終わってからは亡骸の脇に座り込み、まんじりともせずただ大僧正の顔をじっと眺めていた。

 他の姿が現れたのは、東の空が白み始めたときのことだ。
 




 
 
 モンテズマが姿を現しても、テノクは目もくれなかった。

 モンテズマが大僧正の横にかがみこみ、手を合わせて念仏を唱えても無反応だった。見る人が見ていれば、すさまじく不敬だとしてテノクは指弾されただろう。だが、祭りの翌日、それも早朝とあっては、おきている人間なんかほとんどいない。昨日までの喧騒が嘘のように街は静まりかえっている。

 念仏が終わると、モンテズマはしばらくテノクを見下ろしていた。テノクの顔がゆるゆると持ち上がり、そして落ちた。モンテズマも何も言わず、視線を上げて東のほうに目をやった。地平線が輝きはじめている。遠くの山際からほんのわずかに顔を出した太陽が、空を朝焼けで染めていく。その色は血にとてもよく似ている。

 そして空から大地に目を落とせば、目に入るのは遥か東の草原に屹立するタラスクの巨体だ。ピラミッドの天辺からだととてもよく見える。このピラミッドは、こうしてタラスクを見下ろすために作られたといっても過言ではないぐらいだ。朝日を浴びて長い影を投げるタラスクは、あのときからほんの少しも変わっていない。まだちゃんと、時から切り離されているんだ。

 タラスクを見つめるモンテズマの目は不思議な色を湛えている。まるであのモンテズマのようだ。彼は確かに死んだはずだが――まあいい、いずれ分かることだろう。満足げに息をつくと、モンテズマは再びテノクに向き直った。

「何故お前が生贄にならなかったと思う?」
「――俺の徳が足りなかった」
「それは少し違う。お前はいずれ死ぬ。ただ、それが今この場所ではなかった。それだけのことだ」
「そんなの、じじいにだって言えたことだ」
「その通りだったかもしれぬな」

 モンテズマは深くうなずいた。

「誰でも死ぬ。そのことにもともと意味などない。ないのだ。のたれ死ぬことも、生贄として名誉ある死を迎えることも、死に行くという点では何一つ変わらぬ。死に意味などない」
「じじいの死を侮辱するのか!」

 テノクの声が割れた。

「じじいは最高の坊主だった! だから選ばれた! 皇帝陛下自らが選んだんじゃないか! じじいはちゃんと死んだ! 滅びを遠ざける生贄としての役割を完璧に果たしたんだ! それを――」
「死に意味を見出すのは死者ではない。残された生者なのだ。今まさにお前がそうしているように」

 テノクが目を見開いた。うろたえるテノクをよそに、モンテズマは静かに言葉を継いだ。

「大僧正は生贄として己の命を捧げる事を選んだ。それはなかんずく、彼の自信の表れなのだ。己の人生が捧げるに足る価値をもっていると確信したからこそ生贄となった。だからこそ我も認めたのだ。お前とて、同じ事をしようとしていたではないか」
「俺じゃ駄目だった理由にはならない! はっきり言ったらどうなんだ! これまでの俺の人生には価値がないってことを」
「その通りだ」

 思わぬ答えに言葉を詰まらせたテノクに、モンテズマは静かに言葉を投げた

「なぜなら、お前の価値はこれから生まれるからだ。お前は何かを成し遂げる。そう生まれついているのだ。テノク、オークとの合いの子よ」
「――それは一体、どういう」
「知らぬ。ただ、そうなるらしいというだけだ。託宣というものは分かりにくいものということぐらい、坊主なら心得ておるだろう?」

 空が青く染まっていく。太陽はもう完全に地平線の上に出てしまっている。人々が窓を開け、動き回り始めた。だんだんと街が目覚め始めている。モンテズマがきびすを返してヒョウに変じた。歴代の皇帝たちとは違って、このモンテズマはかなりドルイドとしても高い実力をもっているようだね。ピラミッドから近くの屋根に飛び移り、モンテズマは行ってしまった。

 テノクはしばらくの間、モンテズマを見送っていた。そうして大僧正の亡骸を抱え上げると、テノクもまた、ピラミッドを後にした。
 
 


 話をしよう。これから先、テノクが成し遂げるという何かについて。

 実を言えば、まだ彼の先にいかなる未来があるのか、私はまだ見通せない。いくつもの可能性があって、まだ選ばれていないんだ。だから、しばらくこのテノクという名のハーフオークの男を観察してみることにしよう。もしかしたら、歴史を確定させうる意志の持ち主かもしれないし、仮に違ったとしてもただ巻き戻るだけだからね。それに、モンテズマが得た託宣とやらの正体に心当たりがないでもない。私の考えていることが正しければ、この出来事はすでに何かの引き金となってしまっているはずだ。私にとってあまり好ましくない事態の、ね。
 
 まあいい。全てはこれから決まっていくことだ。今はただ、時間の流れをたどっていくことにしよう。



[22421] 12.アリと巨人
Name: 座席指定◆703e7aa1 ID:5ccb3c4f
Date: 2011/01/08 20:47
 12.アリと巨人 (君主政治を研究 哲学と一神教、羅針盤を交換
 
 
 話をしよう。この大陸に存在する国家と、そこに広がる網目の話を。

 大まかに言って、この大陸は「つ」のような形をしている。大きく丸い大陸に、西から海が侵入しているような形なわけだ。この内海は全体的に浅く、周りを陸に囲まれて穏やかで、加えていくつかの島が点在している。いずれも火山島だ。かつてはこの海――仮に地中海とでも呼ぼうか――はなかった。火山活動が大陸を引き裂いたんだ。地質学的な時間を掛ければ、この大陸が完全に二つに分かれるところも観察できるんだろうが、すまない、興味がないんでね。まあとにかく、この世界の造山帯はきわめて浅いところに位置している。おかげで地表の金属資源は豊富で利用しやすいんだ。代わりに化石燃料などは不足していて、これはこの世界の生まれそのものに原因があるんだが、まあそれはいつかまた別の機会にしよう。

 さて、この大陸には今のところ四つの勢力がある。我らがアステカは北東部に、その南にはインカが、そのまたさらに南にはヴァイキングが領土を確保している。そして残りの領域全てを保有しているのはローマだ。実際、この大陸は大体ローマのものといっても差し支えない。

 土地は資源を生み出し、それらは大陸を縦横に行き来して豊かな帝国を育んでいる。もちろんローマに限った話じゃない。アステカの貢納ネットワークをはじめとする国内交通路はだんだんと整備が進み、都市と都市とを結ぶ街道が成立している。そして街道は国の外へも伸びていく。キャラバンや行商が荷物を満載し、国境をわたって商売する国家間通商という概念が生まれるわけだ。

 だが国内を行き来するのと、国境を渡るのとではすこし違いがある。国としては余計なものを入れないようにしたり、あるいは国内から出て行って欲しくないものが出て行かないように見張りたい。国外に出て行くための手形を発行したり、関所をおいたりして人と物の流れを管理するわけだ。もちろん国内でも都市国家が同じような事をしているが、厳しさは国境の比じゃない。

 そしてもう一つ、国境を越えることに付きまとうものがある。曠野に潜む異種族やモンスターの存在だ。

 国境と言っても野原にそれとわかる線が引いてあるわけじゃない。大体は山や河川、砂漠といった自然が国境代わりになっている。特に砂漠や荒野、湿地帯がこうした自然国境となることがあって、これはお互いが「ここから先は別にいらない」と考えたために生まれた空白地帯だ。何か獲れるわけでもなし、ただ住むにも面倒があるこうした場所には人が寄り付かず、代わりにそうした気候に適応した人間以外の種族が集まった。人間の土地を追われた彼らは集落を作り、人間たちを脅かすようになっていった。ノールやリザードフォーク、そしてオークといったこれらの種族は、国境付近を行き来するにあたって大きな障害となっている。街道を脅かし、遠出して街を襲い、自分たちと生活圏が重なっているモンスターを人間のほうへ追いやってきたりもする。まったく、厄介な存在だよ。

 もちろん人間も黙ってやられてるわけじゃない。隊商や個人のレベルでも人を雇って身を守り、こうした護衛は後に冒険者と呼ばれるようになっていく。より大規模な対策として、周囲の都市や寺が討伐隊を組織し本拠地に攻撃を仕掛けることもある。国境付近ともなればどちらが手を出すか曖昧だが、大抵は結果を優先して手を組むのが普通だ。もちろん、両者それぞれ思惑があったりするもんなんだけどね。ちょうどいい、一つ実際の討伐隊を見に行ってみよう。
 
 
 
 
 攻撃は早朝に開始されることになったらしい。

 私は途中からしか聞いてないからなんともいえないが、話し合い参加者の顔を見れば延々もめたことは一目瞭然だ。テーブルの周りに集まったアステカ側もローマ側も絵に描いたようなゲンナリ顔、一人意気盛んなのはでっぷり太ったハゲの男だけだ。周りがみな軍装だというのに、彼だけはゆったりとしたローブに華美な装飾品、傍らの小姓にもたせた器からバナナをとっては口に運んでいる。くっちゃくっちゃと口を鳴らすその音に周りは眉をひそめるが、やめさせるには至らない。

「しかしわかりませんな」

 太ったハゲが、腹の肉をゆすってゲップしながら言った。

「本当に今すぐ攻撃するわけにはいかないのですか?」
「サビニウス殿、先ほどから何度も申し上げているように、敵は暗闇でも目が見えるのです。わざわざ敵が有利な状況で仕掛けてもしょうがありません」
「それはすでに知っています。ユリウス将軍閣下みずからなんども同じ事を教えていただき、恐縮至極でございます」

 ユリウスと呼ばれた髭のローマ人が絶句した。ローマ軍人たちがそろってにらみつけたが、サビニウスのほうはどこ吹く風だ。

「いらいらされると消化によくありませんぞ。先ほどここの兵士たちの食事を拝見しましたが、ずいぶん貧弱なものしか口に入れられていないようですな。これでは精強をもって鳴らすプラエトリアンと言えども息粗相してしまうのも無理はない。だから戦えないなどと言い出すのです。しかしローマの戦士は世界一、犬頭どもなんぞどれだけ群れようが物の数ではないはずですぞ。謙遜も過ぎるといやみなものですなハハハハ」

 小姓が更なる果物を運んできた。皆さんもどうぞと鷹揚に手を振りながらも、サビニウスは誰にも渡さないといわんばかりの勢いで口に運んでいく。見る間になくなっていく果物と、あたりに撒き散らされた皮を目にして、その場にいた誰もが鼻白んだ。

「攻撃はすぐに開始してもらいます。闇討ちは兵法の第一と聞いておりますよ。ローマの誇るプラエトリアンならこの程度の雑魚、さっさと追い払って下さることは疑いようもない。ああ、もちろんアステカのお坊さん方もね。このサビニウス、御仏が日ごろの信心に報いてくださると信じておりますぞ」

 サビニウスがぞんざいに両手を合わせてむにゃむにゃ言う。日ごろの信心とやらがどれほどのものかはなんともいえないが、少なくとも僧侶にこれっぽっちも敬意を払ってないことは簡単に見て取れる。それを言うなら、このデブが食べ物以外に注意を払っているかどうかも疑わしいけどね。

 ローマの軍人たちは反論する気力も失せたといった様子でたたずんでいる。自分の主張が通ったとみたのか、サビニウスはさっさと出て行ってしまった。サビニウスのサンダルの音が聞こえなくなるや、居合わせた面々がいっせいにため息をついた。

 その中には見覚えのある顔がある。例のハーフオーク、テノクだ。
 
 
 
「準備にかかってもらおうか、マクストラどの」
「お断りだ。ローマがどれほどやる気かしらんが損害を増やすだけだ。我々は静観する」
「そういうわけにも行かない。これはローマとの円滑な関係を維持するために必要なことなんだ」
「それは我々が考えるべきことではない。テノク殿とローマの連中には悪いが、うちからは人員を一人たりとも出すつもりはない。無駄死にするのが落ちだ」
「しかし」
「何度も言わん。そうでなくてもトラショカルには坊主が足りないのだ。ホイホイ死地に投げ込めるものか。どうしても行きたければテノク殿だけで行っていただきたい」

 マクストラと呼ばれた僧はいい捨てると腕を組んだ。

 ここはトラショカル僧院の大広間だ。

 先ほどまでいたローマ軍人たちはすでに退出し、残っているのはトラショカルの大僧都たるマクストラとテノクだけ。急に夜襲を仕掛けることになったんだから本来は大急ぎで打ち合わせや準備をしていないといけないはずなんだが、マクストラが秘密の話があるというのでローマ軍を追い出した。今もひっきりなしにローマ軍人たちからの問い合わせを伝える僧たちが大広間の入り口に現れては、マクストラに怒鳴られて追い返されていく。マクストラの主張は「人は出せない」で一貫している。無理もないと思うがね。だがテノクは食い下がり、おかげでマクストラの態度はどんどん硬化していく。

「どうか聞き入れてはもらえないか。大僧正の手紙をご覧になったはずだ。トラショカルに人手が不足しているのはこちらでも把握している。だから我々に協力する見返りに、テノチティトランから人と金を送り込み、トラショカルの僧院を増強すると。そちらも納得した条件のはずだ」
「確かにかねてから僧院の増強はお願いしていた。だがそれはトラショカルを食い荒らす蛮族対策という名目であったはずだ。つまり我々が我々の民を守るため運用すべきもの。ローマの、それもあんなわけの分からん奴の使い走りにするためではないわ! 何が『日ごろの信心に報いてくださる』だ! テノク殿もあの腹をごらんになっただろう。それとあの汚らしい食い散らし様、まさしく放縦な豚そのものではないか! ……あ」

 気まずそうに黙り込んだマクストラに、テノクが肩をすくめて見せた。

「豚でももう少し綺麗に食う。それと、サビニウス殿のひととなりについてはとやかく言うつもりはない。食い散らしたということについては同意する」

 言って床にかがみこみ、拾ったものをテーブルの上におく。トラショカル特産バナナの皮だ。マクストラが怒鳴り声を上げ、たまたま現れた小坊主が怒鳴りつけられて床のゴミを拾い始めた。その様子を見ながら、テノクは平板な調子で言葉を継いだ。

「マクストラ殿、どうかこらえてはもらえないか。信じられないかもしれないが、あのサビニウス殿はローマではかなりの大立者なんだ。いくつもの隊商を抱えているし、中央からの信頼も厚い。サビニウス殿が『商売の邪魔になるあの蛮族どもをさっさとどけろ』なんてせっつけば、ローマの軍監でもひとたまりもない。いわんや下っ端をや、だ」
「ここはアステカでローマではない。そのサビニウ某がいくらわがままを抜かしたところで我々がそれに付き合う道理などあるものか」

 テノクの返事は大げさなため息だった。怪訝そうに首を傾けるマクストラに、テノクは渋面を向けた。

「残念ながらあるんだ、そういう道理が」

 その通り。残念ながら、そういう理屈がある。根っこにあるのは、アステカが公式にはローマの属州として扱われているということだ。
 


 
 ローマとアステカは不戦条約を結んでいる。その大元はモンテズマとアレクサンドロスが交わしたあの口約束だ。長い年月が立つうちに、口約束は文書になり、文言には細かな注釈が増えて、今ではローマとアステカにおける主要な外交条約の基礎になっている。再び動き始めるかもしれないときのためにタラスクを見張るという名目でローマはテノチティトランに駐留軍をおきたがり、それを嫌がったアステカは代わりに大使館を置かせてローマの窓口を作った。不戦条約の延長という名目でアステカはローマに貢納を行い、ローマも代わりに自国の産物を下げ渡すという形で貿易を行った。またタラスクのような存在が現れたとき協力し合うためという名目で技術交換が行われ、特にアステカの提供した信仰呪文やドルイド呪文は、その大元たる仏教を布教するという形でローマ帝国に浸透していった。ローマとアステカの利害関係はだいたい一致しているといっていい。

 とは言え、円満な仲とも言いづらいのが事実だ。

 ローマは未だにアステカのことを恐れている。同じ宗教を奉じていることになっているが、ローマ国内、特にアステカから遠く離れた大陸西岸にはまだ布教が行き届いていないし、それはローマが意図的に妨げたためでもある。クレリックの力は欲しいが、それらを束ねる寺社の発言力は伸ばしたくないという思惑があるんだ。アステカ仏教界も経典はローマに持ち込ませず、クレリックをローマ領内で教育することもしない。信仰呪文の秘密を知られることは避けたいわけさ。

 一方で、アステカはローマに属国呼ばわりされているのが不満だ。ローマは何かと居丈高な態度を取り、アステカの事をけん制している。蛮族を文明化するという触れ込みで多くの技術を持ち込むが、それはあくまで貸しているという格好を取る。ローマはアステカに技術の真髄を渡してしまわないようとても気を使うし、おかげで今ではローマの職工なしではアステカの都市生活に支障が出るほどまでになっている。文句を言うと、ローマは軍事力をちらつかせる。不戦条約のおかげでおおっぴらに逆らっても攻められる気遣いはないはずなんだが、それもなかなか信用できない。ローマが条約を破棄して攻撃してくれば、アステカにとどめる手段はない。首都はローマ支配圏のすぐそばだしね。

 こういうわけで、アステカにとって、ローマは頼りがいある仲間であると同時に、油断のならない相手でもあるのさ。そして今のところ、ローマとアステカの力関係はさしずめアリと巨人だ。
 



 
 以上を踏まえてだなあ、とテノクはまくし立てた。

「アステカ仏教界はローマにできるだけ友好的な姿勢を見せておきたいというのが大僧正の意向なんだ。それにサビニウス殿はローマ領内でアステカ物品の専売権ももっている。さっきのバナナなんかもな。だから奴の機嫌をとっておけば、アステカが交易で上げる利益も増え、めぐり巡ってトラショカルへの見返りもあるということなんだ。『情けは人のためならず』とも言うだろう? こういうのは巡り巡ってだなあ――」
「生憎その手の説教なら間に合っておる。そこまで言うなら致し方ない」
「ありがたい、では早速ローマの将軍と打ち合わせをやってもらおう。もう余り時間が――」
「うむ、確かに今日はもう遅い。ではまた明日」

 意気込んだテノクとは裏腹に、マクストラの言葉はとても冷たい。かみ合っていない答えにテノクの顎が落ちた。

「今確認したのは『トラショカル寺院はローマ軍と連携してことに当たる』という点ですな。だが今日は収穫があってよかった。サビニウス殿と大僧正が協力の見返りを用意してくださるということが分かりましたからな。実り多い時間だった」

 あっけに取られたテノクを見下ろして、マクストラは高笑いした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、見返りというのは別に具体的な中身が決まった話ではないし、そもそも人員を増やす話こそその見返りという奴であって――」
「大僧正のご厚意には感謝申し上げる。かねがねお願いしていた人員補充にようやく応じてくださったわけですから。お知らせをもってきてくださったテノク殿にも」
「お知らせって、違う! だから協力すればその見返りとして補充を――」
「誤解があるようですな。もともと補充はお願いしていたことだ。何度も申し上げているように、トラショカルには坊主が足りなかったわけだから。これはトラショカルの仏教徒たちを安んじるために当然必要なことであって、条件付きだとか見返りがどうだとか言うような話でもありますまい。仮に、あくまで仮定の話として、大僧正どのがそのような無茶な物言いをされているのだとしたら、それはおそらく何かの手違い、改めて事実関係を確認せねばならないということになりますなあ。どれぐらい時間がかかるかはなんともいえんが、少なくとも今日の夜討ちには間に合いませんな。というわけであしからず」

 なんとも、お手本のようなごねっぷりだ。テノクはまだ若く、対してこのマクストラは海千山千で余裕しゃくしゃくだ。伊達にトラショカル仏教界のトップにいるわけじゃないみたいだね。

 マクストラはさっさと部屋から出て行ってしまった。一人残されたテノクは頭を抱えて悪態をついている。やおら立ち上がって頭を振ったテノクが、突然ぐらりと体制を崩した。派手な音を立てて転んだテノクに、掃除していた小坊主が首を縮め、やがて抑えきれないように笑い出した。人類の歴史は長いしその文化もさまざまだけど、バナナの皮で転ぶのはどの時代でも笑いの鉄板だ。

 小坊主の笑い声を聞きながら、テノクは床に伸びている。はなを啜り上げてため息一つ、ふと脇を向いたやったテノクの視線の先を小さな何かが横切った。アリだ。

 アリが自分の体ほどもあるバナナの欠片を引っ張っていく。その様子をしばらく眺めてから、テノクは脱力したように目を閉じた。


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