「じゃあ、一週間前に引っ越してきたばかりなんですか?」
「ええ。それまではイタリアの方に居たの」
上品な微笑を浮かべながらプレシアさん―――プレシア・ハーヴェイさんは私とすずかに淹れたての紅茶を勧めてくれた。
二人で礼を言うと柔らかく微笑を浮かべて、
「口に合ったようでよかったわ。インスタントで淹れた物だからちょっと不安だったの」
「お砂糖は、どのくらい入れますか?」
落ち着いた声で砂糖の入った壷を進めてくるフェイトに思わず私もすずかもじーっと見つめてしまう。それが恥ずかしいのか、彼女は少し頬を赤くして照れたように俯いてしまった。そんな様子にプレシアさんはくすくすと笑い始めて、
「そんなに、うちの娘と貴女達のお友達とは良く似ているのかしら?」
「ええ、まあ……」
「似ているというよりもそのまんまですよ。入れ替わったって分んないくらい」
言いながら尚も私達の目はフェイトに釘付けだった。というか、名前まで同じなんて滅多に無い共通点だと思う。辛うじて違う箇所を探そうと思うなら、こちらのフェイトは六年前に出会った頃のように長い髪を左右で纏めたツーテールにしている程度だろうか。
私たちがいるのはプレシアさんたちのお宅。あの場で言い合っても埒が明かないと招待されたというわけだ。
連れて来られたのは二階建ての一軒家。
建物自体はそれ程でもないけれど庭が結構広めに作られていて、その手入れをしているような人影が見えた。お手伝いさんなのか敷地に入ってきた私たちに一瞬だけ目を向けて、その隣にプレシアさんたちがいるのに気がついて軽く頭を下げてきた。それにならってこちらも会釈を返したけれどその顔を見て少し驚いた。その人の顔は目と鼻と口を除いて包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。
不気味さを感じずにはいられないがプレシアさん曰く昔事故で顔に大きな火傷を負ってしまっていて、あの包帯はそれを隠すために巻いているものらしい。
「慣れてしまうとさほど気にならなくなるのだけれどね」
「そう、なんですか」
「うん。無愛想だけど、とっても優しいんだ」
ここに来るまでの道中もあまり話さなかったフェイトの言葉に一先ずその使用人さんの話題を止めて、再度屋敷の方に意識を向ける。
内装は白を基調に暖色でまとめられている。清潔感と柔らかさがあって好感が持てた。
と、きょろきょろしてた私の袖をすずかが引いた。
「ちょっとアリサちゃん」
「うん? なによすずか……て、あ゛」
「ふふ。なにか気になるものでもあったかしら?」
それでようやくプレシアさんが私に微笑を向けているのに気が付いた。掛け値なしの美人と言って過言ではないこの人にそういう表情を向けられて、反射的に顔を伏せてしまう。なんだか顔が異様に熱いのはきっと勘違いに違いないとか思っていると隣ですずかがくすくす笑ってるのが分った。
おのれこの恨みはらさでおくべきかぁ~~~
「そういえば、プレシアさんたちはどうして海鳴にいらっしゃったんですか?」
そんな私の視線に気がついたのかあっさりと受け流して、すずかが話題を変えた。
「ここへは知人の紹介で越してきたの。娘があまり体の丈夫な子ではないから、良い病院が近くにあって静かな所を探していたのだけど、あまり条件にあった場所が見つからなくて苦労したわ」
「そいえば海鳴中央病院って結構有名なんでしたっけ」
又聞きの話だが、名医が沢山いるとか設備が整っているとか言う話は結構聞いた気がした。なのはのお兄さんとお父さんは顔まで覚えられているとか何とか。
「ええ。ここはいい土地だわ。周辺の施設もそうだけれど、何より環境が理想的だもの」
満足そうに微笑みながら西日の入る窓へ目を向ける。沈みかけの夕日に彩られた海鳴の街は私も好きだし、それが気に入ってくれたといわれると関係ないけれど嬉しかった。
それからもうしばらく話をして、プレシアさんやこっちのフェイトと私達の知ってるフェイトはやっぱり別人らしいと分った。子供の頃の話とか作ってるとかそういう感じはしなかったし、寄り添うようにしている二人は『仲の良い親子』の代表例みたいに見えた。
そんな感じで話し込んでいると、気がついたときにはもう良い時間になっていた。
「あっちゃ。もうこんな時間なんだ」
「そろそろ帰らないとね」
窓から覗いた外はもうとっくに真っ暗になっている。壁に掛けられている時計は午後の七時を指していた。うちもすずかの家もさして門限の厳しい所ではないけれど、流石に無断でこんな時間になったら家の者が心配しそうだ。
「あら本当。ごめんなさいね引き止めてしまって」
「いえ。こちらこそお茶ご馳走様でした」
「フェイトちゃんともお知り合いになれましたし」
「私も、楽しかったです」
「またいつでも遊びに来て頂戴ね? ……そうだわ、もう暗いしお家まで送らせて頂戴な」
「そんな、悪いですよ」
流石に初対面の人―――って言う事を今までころっと忘れていたけれど―――に其処までお世話になるわけには行かないと辞退しようとしたけれど、それよりも早くプレシアさんはフェイトに言いつけてさっき庭にいた使用人さんを呼んでしまった。
「お呼びで?」
作業着らしい紺色の繋ぎを身に着けた使用人さんは呼ばれて十秒もせずにやって来た。落ち着いた声音は思っていたよりも若い感じがして驚いたけれど、それよりも間近で見て改めてその異様に少し気圧されるものを感じる。
まず身長からして以上に高い。やや猫背気味に曲った腰をしているのにそれでも頭の位置は180近くあり、まっすぐに立ったらきっと天井にぶつかってしまうだろう。それだけの身長がありながら体のパーツはとても細い。ただし、弱々しいという印象は無い。まるっきり外見は違うのに、それはどこか親友の兄・高町恭也さんに似通ったものが感じられた。
完璧に消されていて、そこだけぽっかり穴が開いているような存在感の薄さ、とでも言えば良いのか。
ただ、それでも包帯から覗く瞳が僅かに温かみのあるものだったので、遠目の初見よりは幾分平気だったけれど。
「ハサン。このお二人をお家まで送って差し上げて」
「……畏まりました。奥様」
丁寧に体を折って一礼すると「車を回しますので」と言って部屋を出て行った。それについていこうと私たちも立ち上がろうとして、プレシアさんに待ったを掛けられた。
「そうだわ。これも何かの縁だもの。貴女達に良い物をあげる」
「良い物?」
尋ね返す私に笑みで答えながらプレシアさんは少し待っていてと言って部屋を出て行き、言葉どおり直ぐに戻ってきた。手には小さい宝石箱を二つ持っていて、それを私とすずかそれぞれに手渡してきた。
「ええ。少し前に頂いたものなのだけれど、外国で手に入った『願いが叶う』って言われている石よ。良ければ受け取って?」
蓋を開けてみると、そこには菱形の青い石が納められていた。
「そんな……貴重なものなんじゃないんですか? 悪いです」
礼儀正しいすずかはすぐに辞退しようとした。私も送ってもらった上にお土産まで貰っては心苦しい。
それになまじっか『魔法』なんて御伽噺の代物が身近にあるので、私もすずかもそういった迷信ごとは信じるようになってしまっていた。願いを叶えるなんて便利な物をこんな感嘆に受け取るわけにはいかない。
けれど、プレシアさんはやはり笑顔のまま、
「いいのよ。お守りのようなものだし。私が持っていてもあまり役には立たないわ。それなら、貴女たちが持っていてくれた方が石もきっと喜ぶもの」
それに願いを込めれば、姿を消したお友達も見つかるかもしれないし、とまで言われては流石に何が何でも断る、と言う態度がとりずらくなってしまう。
結局、私たちは押し切られるようにしてその石を受け取ってしまった。
「それじゃあ長々とお邪魔いたしました」
「フェイトちゃん。また来るね」
「またいつでも遊びに来てね。今度はきちんとした葉を用意しておくわ」
「バイバイ。すずか、ちゃん」
わざわざ玄関前まで見送りに来てくれたハーヴェイ親子に挨拶をしながらハサンと言うらしい使用人さんの回してくれた車に乗り込む。四人乗りの乗用車はゆっくりと発進して、直ぐにプレシアさんたちの姿が見えなくなった。
「はー……にしてもフェイトに良く似た子だったわねぇー」
「そうだね。名前まで一緒だったし、世界には全く外見が同じ人が三人はいるらしいって聞いた事があるけど名前まで同じっていうのは珍しいよね」
「まあね。あっちのフェイトとこっちのフェイトはやっぱり別人ぽいけど」
言いながらスプリングが利いた座席に体重を乗せる。載り慣れたうちの車とは違うけれど、丁寧に整備されているか乗り心地は良かった。そのまま話を続けようとしたら、意外な方向から声を掛けられた。
「……貴女方のご友人、と言うのはどういった方です」
「へ?」
予想外の質問に素っ頓狂な声を上げてしまったが、すぐに運転席で体を小さくしながらハンドルを握っているハサンさんが声を掛けてきたのだと分った。どうしてそんなことを聞くのかとも思ったけれど、特に断る理由も無いので当たり障りの無い部分を話す。
「そうねえ。パッと見はあの子と変わんないんだけど……ん~一言で言えばうちのフェイトは甘え下手な子かな」
「甘え、下手?」
「そうですね。フェイトちゃん、結構自分の内に溜め込んじゃう性格をしていますから」
「まあ、その点は私の友達連中皆に言えた共通点でもあるけどねー」
半眼でつい最近まで隠し事をしていた親友に視線を送る。けれど、最近は受け流す事を覚えたのか小癪にもそっぽを向いて見向きもしなかった。
「それに比べたらあっちはお母さんにきちんと甘えていたからね」
脳裏に浮かぶのは五年ほど前、養子になったばかりの頃のフェイトだ。上手に甘えられないなんていう理由で家出してきたあの子をなだめすかせるのにどれだけ大変だったか。
「そんなエピソードがあるくらいうちのは不器用だったんで。むしろ、あっちのフェイトは上手く行ってる様で良かったよね」
「うん。とってもいい親子ですよね」
「……ありがとうございます」
なんだか思うところでもあるのか、それっきり押し黙ってしまったハサンさんにそれ以上何も声を掛けられなかった。微妙に重くなってしまった空気に耐え切れずにえーいこうなれば無理やりにでも会話を再開させてやろうと口を開いた途端、キキッとタイヤが地面を噛む音がした。慣性に従って前に倒れかけた体をすずかが押さえてくれる。
「失礼。ここでよろしいですか?」
「え、あ、うち?」
車の窓から見えるのは高い塀に囲まれた我が家。正確にはもう少し先に門があるのだけれど、直接そこに横付けさせるわけにも行かなかったのでその手前で止まったようだ。
「あ、大丈夫です。ありがとうございました」
「いえ。仕事ですので」
淡白な応答をしながらそれでもわざわざ運転席から出てドアを開けてくれた。私もすずかももう一度頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました」
「……いえ。それでは、私はこれで」
もう一度丁寧にお辞儀してから、ハサンさんは運転席に戻っていった。そのまま走り去るかと思っていたら、ややして窓からハサンさんが顔を出した。
「お嬢様方」
「はい?」
「…………あまり、遅くまで外は出歩かないよう。昨今は、この国も物騒だと、聞いていますので」
つっかえつっかえに何かを言いよどむようにそういうと、最後に会釈をして、
「それでは。どうぞ貴方たちに幸いが多く訪れますよう」
「はぁ……ありがとうございました」
なんだか訳の分からない言葉を残して、ハサンさんは走り去っていった。
黒塗りの車体は直ぐに闇に溶け込んでしまって見えなくなったが、それを見送ってからポツリと、すずかが漏らした。
「そういえば、ハサンさんってどうしてアリサちゃんのお家を知っていたのかしら?」
◇◇◇
(なにやってんだかね。俺は)
自分を取り巻く状況の珍妙さに、ランサーは胸の内で悪態を漏らした。
蒼穹の鎧に二メートル弱という槍としては短い部類に入る朱色の槍。尻尾のように長く伸びた髪を項のところで纏めた野性味溢れる美丈夫は、しかしその表情を似合わない仏頂面に変えながら枝を蹴った。
一瞬前まで彼のいた空間に向かって白い閃光が幾つも奔り、木々をなぎ倒す。次いで自然ではありえない炎の球が湿った空気を一瞬で乾燥させながら迫ってくるのが視界に入る。回避行動を見越していくつかの気配が蠢くのを感じながら、なかなか集団での戦闘という物に慣れているなと評価を下した。
「とはいえ、所詮はこの程度か」
手にした槍を持ち直し、“炎を貫いた”。
閃光めいた刺突によって真芯を捉えられた火球は弾けるように消滅した。その向こう、唐突な事態に息を呑んで硬直している馬鹿者へ半瞬で踏み込み、石突での掬い上げるような一撃を加える。顎の骨が粉砕する感触と一メートルほど真上へ吹っ飛んだ相手に軽く舌打ちしながら一歩半ほど右へ動く。作られた虚空へ味方を撃ち抜く事を厭わない閃光が通り抜けるのと倒した相手が射撃魔法に巻き込まれないで地面に落ちたのを確認してから次の獲物へ肉薄する。
次の標的はつい今しがた背後を狙った未熟者。先手を譲って尚手傷さえ負わせられない相手に掛けてやる情けは無いとばかりに愛用の槍さえ使わず固めた拳で殴り飛ばした。フェイントも何も無いストレートはしかし文字通り『目にも止まらぬ』速さであり、十分に必殺の技足りえた。顔面に拳をめり込まされた相手は派手に吹き飛び背後の木に背を強かに打ちつけて気絶した。手加減が上手く行ったのか、かろうじて息をしているのを確かめてからその場から離れるために地面を蹴る。
物足りない、という感情がランサーの内で激しく主張し始めたのは交戦開始してから一分としなかった。
襲撃してきた魔導師を二人……管理局の格付けではどちらもAランクに該当する術者を瞬殺して尚彼の表情は冴えなかった。むしろ不満は募る一方のようで、眉間に築かれた渓谷はその深さを更に険しいものにしている。
「まったく。なんだってこんな面倒くさいシステムを作りやがったんだか」
耐え切れずに愚痴を漏らしながら自身の境遇を嘆くなんて慣れない真似をしてみた。
彼がいまいるのはとある世界のとある森。事前に説明を受けていたはずなのだが名前はどうにも思い出せないかった。興味が無かったので聞き流していたせいだろう。別段覚えていなくて困る事ではないが、自分の受けた精神的衝撃の大きさを再確認して頭を押さえた。頭痛でもしたのだろう。
もっとも、それもむべなるかな。
ランサーが聖杯戦争に応じるのは『英雄とまで呼ばれる強者との闘争』を望んでいたためだ。しかし、彼は今現在その望みを叶えられないように令呪で縛られていた。
いや、その表現は正しくは無いかもしれない。
彼に課せられているのは『アーチャーのサーヴァントとは互いが最後の敵となるまで戦わない』という令呪である。それ故に交戦を禁じられているのはマスターの盟友が主というアーチャーのみ。それを除いた他の五騎―――ライダーでもセイバーでもバーサーカーでも出遭ったなら存分に血沸き肉踊る戦いを愉しむ事が出来る。
……遭遇できれば、の話だが。
今回彼が召喚された聖杯戦争において一番の難関は『索敵』である。
無限に広がる広大な次元世界。そこからランダムで選ばれたマスターを見つけ出すのは至難と言えた。ランサーが召喚されて既に三日。
『聖杯』を奪っていった相手の行方もマスターに関する情報もまるっきり手に入っていないというのが現状だった。一応確認できているだけでランサー自身を含めて三騎のサーヴァントが召喚済みである事が分っているらしい。だが、それ以外のサーヴァントと遭遇する事も無く時間が経過していた。こちらが同盟を組んでいる事に気が付いて警戒している可能性も考えて、マスター捜索には別働隊を動かしているらしいがそちらも芳しくない。
空振りに終わる調査自体は、まあ不満が無いわけではなかったが、むしろランサーにとってはいま目の前にいる『敵手』と戦わないという事に不満を感じていた。
「どうせいずれ戦うんだ。いま此処で決着をつけたほうが早い思わないか? なあ、アーチャー」
「それは令呪の縛りを受けたままでも私と戦うという事かね? ランサーよ」
手にした槍を肩に担ぎながら振り返りもせずに声を掛ける。気配を消したままあと半歩でランサーの間合いへと踏み込む位置に立ちながらアーチャーは声を返した。それと同時にどさりと何か重たい物が落ちる音がする。振り返ってみるとアーチャーの足元に二人の男が呻きながら倒れていた。服装からして先程ランサーが倒した相手の仲間だろうなのだろう。
アーチャーは何処からか取り出した赤い布でランサーが倒した相手ともども男たちを拘束する。その様子を白けた表情で眺める槍兵に弓兵が意外そうな声を掛けた。
「ふむ、戦闘狂であって殺人狂ではないらしいな君は。向こう半年はベッドから起き上がれまいが死ぬほどではない」
「そらどうも。そういうお前は加虐趣味の気でもあるのか?」
「その認識は非常に不名誉だぞ。ランサー」
半眼の視線を向けるアーチャーに、しかしそう思われて当然だろうという意味でため息を返した。
ランサーが倒した相手は完全に気絶していたが、アーチャーが倒した相手は二人とも微かに意識が残っているらしかった。時折小さい呻きや恨み言のようなものを漏らしながら、アーチャーが拘束を強める度に「ぎゃっ」と短いが悲痛な叫びをあげていた。暗色の法衣めいた格好のため分りにくいが男たちの全身は満遍なく切り刻まれていた。大きな血管を避け、必要最低限の流血で苦痛を味合わせるような太刀筋は拷問官のそれに似ていた。
「……呼び鈴代わりに相手の仲間を使うってのはいくらなんでも悪趣味じゃねえか? ってか、この手の連中が仲間の為に動くなんていう殊勝な心構えを持ってんのかね」
「誘き寄せる必要は無い。相手の警戒を高めて敵の最大戦力を引き出すのが目的だからな」
言うと、処置が終わったのかすっと立ち上がり上空へ向けて黒塗りの弓を構えた。空手で弦を引くとそれに合わせて一本の矢が生み出され、次の瞬間には軽い音を纏って上空へと放たれた。戦場の上にいるはずの主たちへ自分たちの現在位置と捕獲した敵の場所を知らせるための合図だ。
そして、これは敵に対しての圧力でもある。
少数での正面突破。
その行軍が寸暇と停滞せずに進められている事に相手も気が付いているはずだ。進むにつれ、彼らの前に立つ術者はその位階を上げているのは直接戦った二人には分っていた。
「ま、最初の雑魚に比べたらマシって程度の変化しかないのが珠に瑕だがな」
「そういうな。それにこの組織の頭目はAAA+というクラスの召喚魔導師らしい。ひょっとしたら、我らに拮抗するほどの存在を呼び出せうるかも知れんぞ?」
「そう願いたいもんだ。本当に」
言いながら期待はまるで出来なかった。最初この森に踏み込んだ時に襲い掛かってきた小型の竜を思い出した。いや、こちらの常識では竜種という分類に入るだけでランサーやアーチャーに言わせれば上等な蜥蜴という程度の脅威でしかなかった。
「はぁ。こんな事なら本当に縛りがある状態だろうとアンタとやりあった方がいくらか楽しめるかも知れねえな」
「主の命に背くのは騎士の在り方としてどうなのかね?」
少なくとも私は付き合わんぞ、と両手を挙げて宣言する。
「まあ君に加虐趣味があるというなら、抵抗はしなくてはならないがな」
「……悪趣味な野郎だ」
気分を変えるために無造作に槍を旋回させて石突を地面に立てる。
同時、空を引き裂くような咆哮が森に響いた。
「……流石は槍兵。軽い一突きでこれほどの迫力を出すとはな」
「冗談言ってる場合じゃねえだろうが!!」
言いながら、何処か嬉々とした表情で跳躍する。手近で一番背の高い木の頂上へ着地するランサーを見送り、
「ふむ。確かに」
一拍置いてアーチャーも同じ木の上へ跳ぶ。
地上15メートルほどの高さから見渡す森は“樹海”と呼ぶに相応しい代物だった。
生い茂る木々は闇の海を作り、風に靡く枝葉が幻の漣を形作っている。
その漆黒の海を引き裂くようにして、血を塗りたくったような真紅の鱗を纏った巨竜が顕現した。
「■■■■■■■■■■ぉぉぉおおおおおオオオオオッッッッッ!!!!」
「ハッ。これはまた……」
「ふむ。今度のは差し詰め蜥蜴の親玉という所か」
世界を震わせる咆哮に、しかし二騎の英霊は笑みをもって観た。赤い燐光を纏って召喚された魔竜――天を突くほどの巨体を誇る巨竜が黄昏色の燐光を纏いながら漆黒の闇を裂いて現れていた。
「これが敵の最大だと思うか?」
「……敵サーヴァントがアサシンかキャスターであれば、逃走のための陽動という可能性もあるが……差し当たりそれ以外の可能性はなかろう」
サーヴァントを保有しているならこの竜召喚と同時に討って来るはずだが、その兆候も見られない。
「また外れ、ね。全く何処に隠れていやがんだか……」
「さて、それは私の方が聞きたいくらいなのだが……まあいい。それよりも」
「ああ。アレは、放置しとく訳にはいかねえよな」
獰猛な笑みを浮かべて蒼い槍兵は六匹の竜を睨む。その横で紅い弓兵はやれやれと肩をすくめて見せて、
「一つ提案があるのだが良いかね、ランサー?」
「おう、なんだ」
挑むような視線をアーチャーに向けると、全く同じ色の視線がランサーに返って来た。
「アレをどちらが倒すか競ってみるかね?」
「いいね。何を賭ける」
「そうだな……では晩の杯、というのは?」
冗談めかした言葉に堪らなく愉快さを感じ、ランサーは力強く槍を握り締めた。
「上等」
「契約成立」
言うと同時に弓兵は枝を蹴り、その寸前で槍兵もまた疾走を開始する。
こうして此度の聖杯戦争開始以来、初めての『英霊の戦闘』が切って落とされた。
◇◇◇
「凄まじいな」
「うん……」
地上数百メートル上空。なのはと一緒に眼下に広がる光景を目の当たりにしながらそれ以上の感想を漏らす事が出来なかった。自身も『管理局の白い悪魔』なんて渾名と桁外れの魔力で周囲の度肝を抜く事が多い不屈のエースも流石にあいた口が塞がらないらしい。
(それも当然といえば当然だがな……)
自分も同じような表情をしている事はよく分っている。
「情報課の連中は何をやってたんだ。アレはSランク級の召喚術だろうに」
血色の鱗をした巨大な竜。文明レベルの低い次元世界では神格化されていてもおかしくない魔力と存在感を発揮している“魔竜”は文字通りの意味で『規格外』としか言い様がない。
それは自分となのはの二人がそれといまは衛星軌道上で停泊しているアースラの全面的なサポートを受け、更に他の戦力との交戦を度外視してようやく拮抗できるかもしれないと言うレベルの戦力だ。
そもそも、竜という生物自体が魔導師にとって天敵といえる。
その皮膚を覆う鱗には大なり小なり魔力防御を備えており、その爪は個人レベルの結界程度は易々と切り裂く。近接戦闘などもっての外だ。たとえベルカ式の達人―――騎士と呼ばれる使い手であっても危険極まりない。
その脅威をして、彼の英雄たちを止める事は敵わなかった。
彼らは別段特殊な事をしているわけではない。
槍兵は槍を突き出し、薙ぎ払い、迫る脅威を跳躍で交わし、魔竜の眉間を貫く。
弓兵は弓を引き絞り、敵を寄せ付けず、かと思えば一転肉薄して双剣を振るい首を切り落とす。
そのどれもが使い古された、言ってしまえば古代の兵士たちが駆使した体術だ。動作をなぞるだけなら、自分でも直ぐに出来るだろう。
しかし、その動作の一つ一つが神域の速度で行われたら?
しかし、その動作の一つ一つが正確無比な計算に裏付けされて行われたら?
その解答がいま目の前に存在する。
純粋な体術。たったそれだけを駆使して魔竜を次々と屠っていく様は正しく『英雄』と呼べた。
無論、彼らの得物が強力な兵器であるという事は理解している。しかし、そもそも人間と魔竜との『戦闘』において“接近戦”などと言う概念は存在しない。AAA+の戦闘魔導師であっても生来高い魔力防御を備えた魔竜と対抗するには遠距離からの砲撃で対処する他無かった。
ベルカの騎士・烈火の将シグナムでさえアレほどの魔竜には最大出力の『疾風の隼《シュツルムファルケン》』をもって対処する他ないだろう。
そんな常識など知った事かといわんばかりの傲慢さでアーチャーとランサーは魔竜たちを駆逐していく。
交戦開始してから三十分。魔竜は既に四体が滅ぼされていた。
「過去の英雄というのは伊達ではないという事か……」
「そうだね……」
押し黙った彼女の表情は複雑そうだ。自分たちのサーヴァントが強力であると分れば分るほど、それが暴れだしたらと考えるとどれほどの被害が生まれるか予想も出来ないのだろう。それを防ぎたくても、こちら側の持つ情報量は恐ろしく少ない。
「そもそもの発端となった悪魔信仰者たちに色々援助をしていた奴らだけに何かしら繋がりがあるかとも思ったんだが……」
眼下の樹海―――正確にはその地下に広がっている遺跡を見透かすように目を細めながら誰にとも無く言葉が漏れる。聖杯戦争の中核を担う願望機の起動。それを目論んだ悪魔崇拝者たちに武力提供をしていたのがこの組織だった。そのため、何かしらの情報を……あわよくばアサシンのマスターと遭遇できるかもしれないと思っていたのだが結果は空振りだった。
「これは、別働隊のはやてに期待するしかないかな」
いまは別の次元世界でマスターを捜索しているはやてとその守護騎士たちに一縷の望みを繋ぐしかない。
だが、それについて思うところがあるのかなのはは苦笑いを浮かべて同意はしてくれなかった。
「あのぉ~。マスターの捜索ではやてちゃんたち捕まっちゃったりはしない、よね?」
「……まあ大丈夫だろう。特殊捜査官にはそれなりの権限もあるんだし」
言葉を濁しながら今は遠い世界で職務に励んでいるはずの友人を思う。
◇◇◇
「あ、主はやて。本当にやらねばなりませんか」
「しゃあないやん。うちかて出来るならやりたない」
「で、でもお仕事な訳ですし……」
「仕方ねえんじゃねえの?」
「…………………………」
「ほれ。ザフィーラも落ち込まんと」
「……ご心配、痛み入ります。我が主」
「まあザフィーラもシグナムも真面目さんやからね。でも、これも世のため人のためや。もう一頑張りしよか?」
「「「「了解」」」」
「ほなら行くでッ! マスター探しのために。皆の衣服を引っぺがすんや!!」
「「「「……おー」」」」
「……へこむんは分るけど気合くらいいれてこ?」
「で、ですが主はやて。私の剣で婦女子の衣服を切り裂くのは……」
「私も、男性の衣服だけを転送させるのはもう……」
「まーはやてがやれっていうんなら別になんだってするんだけど」
「……我が拳は主のもの。我が牙で引き裂けというならた、たと、例え女性の衣服だろうとぉぉぉ……」
「ザフィーラ、大丈夫やて。次はうちがミストルティンの非殺傷で服を破るから。ほなら、いこ皆」
「りょーかい」
◇◇◇
……なんだか奇妙な幻聴が聞こえてきた気がした。
それを払うように頭を数度振って思考をクリアにする。
「そろそろ頃合かな。なのは、僕らも準備を」
懐から一枚のカードを、頷いたなのは首に下げた真紅の宝石を握りしめて頷く。
「うん、分ってるよ。レイジングハート行くよ」
《All right,my master.》
意思持つ魔法の杖が応じ、核となる紅い宝石がきらりと輝く。
「デュランダル。準備を」
《OK,boss》
簡易応答機能を備えたストレージデバイス―――六年という歳月が愛杖となった氷結の杖を握り締め、戦場となった木々の海に眼を落とす。
すると、幾つかの光点が地上から飛び出してきた。劣勢を悟った相手が逃走を計って来たのだろう。そういった連中を拿捕するのが自分たちの役目だった。
「少しは主の威厳も見せておかないとな」
「うん。ランサーさんにはもうちょっと私に対する態度を考えてもらわないといけないしね」
なにか思うところがあるのだろう。彼女らしくも無い薄ら笑いにやや引き気味になりながらとりあえず哀れな相手に目を向ける。
「まあ、相手は犯罪者だからな。因果応報と諦めてくれ」
聞こえるはずの無いことを漏らしながら、魔力回路に手加減抜きの魔力を注ぎ込む。
虚空に展開するのは100以上の蒼い光の魔力刃。非殺傷設定とはいえ、その威力は結界を撃ち抜いて対象を気絶させるに足りるだろう。
氷結の杖を指揮棒のように振り上げ、
「一気に片をつけるぞ」
「了解!」
力強い返事に押されるようにして、コマンドヴォイスを解き放つ。
「執行者の魔剣《スティンガーブレイド・エクスキューションシフト》!!」
戦場に蒼い剣の雨を降らせた。
「こんな所で足止めされている訳には行かないんでね。悪いが速攻で片付けさせてもらう」