ネギま・クロス31 第三章《修学旅行》編
序章その一 ~老魔法教師と壮年魔法教師の場合~
「失礼します、学園長」
一声を掛けて室内に足を踏み入れると、特徴的な瓢箪頭が視界に入る。これはもう、毎回の事なので気にしない。気にしたら負けだと思っている。
「良く来てくれた、高畑君。……ま、座ると良い」
ふぉふぉふぉ、という特徴的なバルタン笑いをしながら、学園長は席を促した。着席して話をするという事は、簡単に済む話ではないと言う事だ。数ヶ月前、ネギ・スプリングフィールドの来訪に関して相談を行った時も、同じ様に席に着いていた。
あの時より、麻帆良における少年の環境は幾分、マシに成ったと言える。
昨日の大停電に置いて、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルとの戦いを経験し――それを乗り越えた。少なくとも、エヴァンジェリンに(辛うじてだが)合格した影響は、この学園で優位に働くだろう。大抵の関係者は、未だに静観しているが、僅かに出始めた感心の声も密やかに届いている。勿論、少年の耳に入らない様に注意をしているが。
源しずなが机の上に置いた緑茶を一口飲み、学園長を見る。対岸に座った近衛近右衛門は、よっこらせ、と腰を下ろす所だった。
「さて……まずは、一つ尋ねよう。調子は如何かの? エルシア嬢と引き分けたようじゃが」
机で向かい合う老人の瞳は、長い眉に隠れて伺えない。この老人が、恐らく、自分とあの『魔界』の王女との対決を設定した事は気が付けている。その真意もだ。
「引き分けた、程では有りませんよ」
言葉を訂正した。
「相手が全力を出しきる前に、此方が全力に成って……何とか、隙を付いてドローに持ち込みました」
「しかし、気絶をさせる事は出来たのじゃろう?」
「気絶をさせただけです。仮に気絶をしていたとしても、今の僕ではエルシアさんは倒せません。倒す前に目覚められて返り討ちですよ。……それに気絶させるだけで精一杯でしたから」
「結構、結構。――引き分け以上に価値のある物を得たのじゃ。その上で勝利を得る必要も有るまい?」
「……ええ」
やはりか、とタカミチは思った。
魔神と言う存在は、渇望している。
長い時を生きる種族だからこそ、儚い人間が、どれ程に輝くかを、見たがっている。
だから、其れが出来ない人間に興味を持つ事は無い。
そして、過去に有していたくせに、其れを失う相手には――――容赦が無い。
例えば、世間の荒波で嘗ての理想を手放しかけていた、タカミチであってもだ。
「――感謝します。学園長」
「なんの。ワシは唯、場を拵えただけじゃよ」
学園大停電の裏で、タカミチ・T・高畑は、麻帆良図書館の地下でエルシアと激戦を繰り広げた。
勿論、その理由は、彼女達が持っている情報だったが、――――学園長の深面は違う。学園長が態々、この大停電に託けて危険な(それも世界クラスで危ない)相手と向かい合わせたのは、己を見失いかけていたタカミチを、もう一度、呼び戻す為だ。
ネギ・スプリングフィールドの来訪と、彼への見えない劣等感。大人の社会で有るが故の足枷と、自由に動けない拘束。そして、ともすれば残酷にも成り得る正義と言う言葉。
幾らタカミチ・T・高畑が有能だからと言って、気が付かずに積み上がれば、何時かは致命的になる。それを見越した学園長は、今この時期だからこそ――これからますます、間違い無く困難に直面するだろう彼を思って――そして、その意志を魔神ならば組み取れるだろうと予想して、敢えて、地下に向かわせた。
結果として彼は、ナギ・スプリングフィールドとネギを繋ぐ事を、己の意志で定める事が出来た。
大停電の間の中心戦力にこそ成らなかったが、彼の存在は、これ以降、より重要になるに違いない。
「アルビレオも気にしておったしの。……ま、年長者の責務と言う奴じゃわい」
まあ、魔神に期待した結果、今度同じ事をしたら殺す、と近右衛門は釘を刺されてしまったが、これは仕方が無い。初めから予想していた事だ。相手には何も伝えていなかったし、学園長とて絶対に地下で戦闘に成るとは思っていなかった。予期していただけだ。
老い先短い自分の命を懸けたって、正直、余り惜しくは無い。
それよりも、次の希望へとつなげる事の方が、もっとずっと有意義なのだ。
内心は勿論、おくびにも出さず、ふぉふぉふぉ、と笑い、学園長は、さて、と言葉を区切る。
「挨拶は此処までにして――本題に、入ろうかの」
伝えるべき仕事は山ほど存在するのだ。
●
「さて、まずは後始末の事からじゃな。エヴァンジェリンが暴れた事への反応は様々じゃが、外部に関しては――動かない様に話は付けておる。少なくとも、暴れた事に関しては、文句こそ出たとしても強硬な行動をする者はおらんし、麻帆良が責められる状態でも無い。今迄通り、彼女は此処の生徒で、ネギ君のクラスのままじゃ」
「……色々と、手を回したようで」
「いや、其れほど面倒でも無いわい。学園が停電になる事は事実じゃし、停電の最中はセキュリティの代わりに警備員や巡回の教師を増やす事も当然じゃ。こっそり内部に入り込もうとする不埒な輩が現れる事ものう。警備員が少々、特殊な人材と言うだけの話だからのう……。学校故の治外法権もある。だから、エヴァンジェリンが動いた事に関してのみを、気を付ければ良い」
まず初めに、本国とも繋がりが深い《協会》に関してじゃ――と、学園長は語り始める。
「エヴァンジェリンに関しての通達は無い。『魔法世界』の関係では《必要悪の教会(ネサセリウス)》も含めて、文句は出ておらん。麻帆良で暴れた事については、殆ど無視の状態に近いじゃろうな。『魔法使い』としての行動理念に反している訳ではないし、《協会》に被害を与える可能性も――エヴァンジェリンが『吸血鬼』である以上、低いわい。《カンパニー》との問題も有るでのう。……最も、学園に襲来した、別の吸血鬼については、情報を与える様に要請が有ったがのう」
「もう一体、ですか」
「そちらの話は、少々長いから、後で纏めよう。――ともあれ、魔法世界本国からのエヴァンジェリンに関する注文は無いし、その意を受けて動く《協会》や《必要悪の教会》でも、彼女の行動が問われる事は無いと言う事じゃ。……ま、多少の世論の変化と、波紋が広がりはするかもしれないがのう」
白い髭を撫でつけながら、学園長は話を先に進める。
「政府機関の方も、問題は無い。……麻帆良の土地に被害は無いし、神木・幡桃にも、霊脈(レイライン)にも影響は無い。無論、一般生徒にもじゃ。文句を言われる様な隙も、付け込まれる隙も、残しておらんよ」
それに、と学園長は付け加える。
「余り良い言い方ではないが……この地は少々、特別だからのう。頭の固い役人どもも、エヴァンジェリンに関する不満よりは、国家と利益を取る位の分別は有るし……それに、大神の大老も、何かと気にかけてくれておる。御大が生きている限り、早々に麻帆良への国家権力の介入は無いわい」
麻帆良と言う土地を語り始めると、成立や歴史に始まり、膨大な情報となる。故に、全てを語る事は難しい。働いているタカミチとて、かなり深い部分を知っているが、全てを知っている訳ではない。知る程の余裕も無いし、知っても現状に何処まで役に立つかは微妙な情報も多いからだ。
しかし、例えば。
麻帆良という土地が、重要視される霊脈地の上に築かれている事。
『世界樹』と呼び親しまれている、本国からも重要視される神木が聳えている事。
その成立が、動乱の明治期であり、当時設立された、他の組織――――『神州世界対応論』を唱えた《出雲技研》であったり、帝都防衛の秘密組織《帝国歌劇団》であったり――――そんな、謂れ有る、“特殊な組織”と、ほぼ同時期に開校したとなれば……その中に多くの問題を抱えている事が、十分に判るだろう。
そして、問題と同時に、相応の権力を有していると言う事も。
彼の内心を知ってか知らずか、学園長は飄々とした態度のまま、話を進めていく。
「エヴァンジェリンも、あれで自分の行動に対する後始末の準備はしておる。基本の助力は《カンパニー》に請うておるし、彼女の行動は『調停員』に監視されておる。最も、だからこそ、彼女――確か、レレナ・パプリカ・ツォルドルフ、君じゃったか――彼女が停電で倒れた時は危なかったが……それは主のお陰で、解決した」
「ええ」
これはタカミチも把握していた。
人間から脅威とみなされる吸血鬼。怪異の代表とも言われる彼らを相手に、交渉するだけの力を持った組織が有る。
横浜海上沖の人工島に築かれた『特区』を起点とする《セカンド・オーダー・コフィン・カンパニー》。
その社長、葛城ミミコを麻帆良に呼び、『調停員』の派遣を初めとした各種取り決めを、エヴァンジェリンは停電で暴れる前に結んでいた。
吸血鬼と人間の間を取り持つ『調停員』が居ると言う事実を持って、『自分は最低限のラインは守る』と言う事を、内外に示していたのだ。言いかえれば、周囲の安全と、彼女の不自由を保証していた。
しかし、その『調停員』レレナが、外部からの攻撃で倒れてしまった。
故に、エヴァンジェリンの停電中の行動を証明する為の『記録』を、タカミチが地下まで取りに行く事に成ったのだ。
「主の努力に免じて、と言う事で、地下で観戦していた魔神が、ウィル子ちゃんを通じて、あの停電で発生していた事件、事象は、ほぼ全て映像として送ってくれおった。多少欠落している部分は有るが、問題無いレベルじゃ。今度、ヒデオ先生にも礼を送っておくべきじゃな」
「ええ。伝えておきます」
「《カンパニー》の方も、レレナ君が直接話を付けたようじゃ。彼女の怪我の責任は麻帆良に有るが、エヴァンジェリンに有る訳ではない、と言う事でのう。それに、此方も尋常では無い被害を受けていたからのう。大きく責められる事も無かった。……《乙女(メイデン)》からも苦言を呈されただけで、文句は無かったよ。……ともあれ、もう少しレレナ君は、麻帆良に滞在する事に成った。表向きは麻帆良教会のシスター・レレナじゃから、シャークティ君の同僚、じゃな」
「……なるほど」
一通り、エヴァンジェリンの話を聞いたタカミチは、頷いた。
如何やら、外部から彼女に対して攻撃が加えられる事は――少なくとも、今は無いらしい。
勿論、彼女を警戒する組織は有るだろうし、不満を持っている者もいるだろう。しかし、彼らが動くにも多少の猶予は有ると言う事だ。この辺り、学園長は抜け目が無い。
流石、エヴァンジェリンの行動を、全て承知の上で見逃していただけの事は有る。
《赤き翼》として共に戦ったタカミチは、エヴァンジェリンを信じても当然だろう。しかし、幾ら彼女を預けたのがナギ・スプリングフィールドだからと言って、悪名高い《闇の福音》を受け入れるには、相応の器が必要だ。
そして、其れを周囲に示す為の、外交手腕と権力の上手な振い方も。
やはり、タカミチは、まだ、この学園長には及ばないのだ。
●
「外の組織に関しては、そんな感じじゃが……内部の方も、概ね、問題は無いわい」
そう言って、話題を変えた機会に、学園長はもう一回、緑茶を呑む。タカミチも呑む事にした。
ずず、と温かい一杯を呑んで、気分を一新する。
そうして、今度は麻帆良と繋がる組織の話だ。
「《UCAT》の機竜『雷の眷属(サンダーフェロウ)』の墜落は侵入者の仕業じゃ。乗員の二人、ヒオ君とダン君にも大きな怪我は無い。佐山君に話した結果『心配は無用』と返されたよ」
ダン・原川とヒオ・サンダ―ソン。
両者共に《UCAT》から、ネギ・スプリングフィールドの来訪に合わせて送られてきた戦力だ。無論、その真意が、ネギよりも“他の組織”への牽制の意味を持っている事は言うまでも無い。
《UCAT》の代表、佐山御言も、その本音を隠す為だろう。『存分に麻帆良の一戦力として使用してくれて構わない』という趣旨の連絡を学園長にしていた。結果、彼らは日々、アルバイトの様に警備員の仕事を行い、同じ様に大停電の最中も働いていたのだ。
しかし、彼らは撃墜された。
全長十メートルを軽く超える、機竜『雷の眷属』と一緒に。
高度、数百メートルの場所で。
一撃で。
とんでも無い、――と思う。
乗っていた二人は無事だったが、機竜は大破したそうだ。
停電中。彼らの撃墜を聞いて、隙を見てタカミチは二人と接触している。図書館に潜る前の事だ。その際、被害状況などを聞き、治療用の装備を与えて置いた。その影響か、停電の翌日には二人とも、揃って元気になっていた。
機竜の修復の為『停電が終わった後は出立する』……と言っていたが、此方に責任を被せる気は無いようだった。相手にしても、まさか機竜を落とせる怪物が来るとは思っていなかったのだろう。
機竜の撃墜は両方に責任がある、と言う結論で落ち着いたようだった。
UCATは慈善組織ではないが、一本芯が通った組織でもある。
やるべき事を確実に、其々の立場からやっていけば、性質的に、敵に回る可能性は少ないだろう。
「次じゃ。大英図書館の関わる『麻帆良図書館島』には被害は一切、無い。故に、Mrジョーカーから何かを言われる筋合いは無い。……まあ、個人のレベルで動こうとしているようじゃが、読子・リードマンは信頼のおける女性じゃしのう」
話題が変わった。
タカミチは、読子・リードマンという女性を思い浮かべる。
大英博物館所属・大英図書館から派遣されたエージェント《紙使い》。その立場故に、必ずしも味方であるとは限らないが、それでも他に比較すると普通の女性である。生徒に被害を出す可能性も低いし、被害を与える可能性も低い。特異な性質さえ除けば、普通の図書館司書の女性である。
宮崎のどかとも交流が深いらしいし、図書館探検部でも有名だ。
確かに大英図書館の動向には注意が必要だが、彼女が動く際には、何かしらのアクションが有る。此方に何も見せないまま、彼女が行動すると言う事は――読子・リードマンの性格や実力からしても、難しい。
故に、問題無いという結論だった。
「次じゃ。エヴァンジェリンに協力した、麻帆良所属の警備員達の処分について。具体的に言えば、ルルーシュ先生と、C.C.君。あとは寮監の高町さん。三名については、しっかりと報告書を提出する様に命じてある。停電終了後に、しっかりと対面して釈明をさせてもおる」
更に話題が変わる。
今度は、麻帆良学園に在籍していながらも、エヴァンジェリンに協力した三名に関してだった。
半年ほど前、エヴァンジェリンが警備中に発見した、不死の魔女C,C,と、その相棒のルルーシュ。
同じ時期に転位して来た、高町なのは。
三名は、学園の警備員の一員だ。そして、警備員の仕事は大停電がメインである。
問題は、“エヴァンジェリンへの協力”以上に、己の責務を優先させるべきである、という部分だ。エヴァンジェリンの行動は、最初から不干渉ということで学園長が黙認している。しかし、他の警備員に関しては――――例えエヴァンジェリンが引っ張り込んだとしても、許可を出していない。
「彼ら三名が、エヴァンジェリンに協力していた事は事実じゃ。ただ、三名とも、言われた仕事は十分にこなしておる事も事実でのう。……C.C.が刹那君を相手に喧嘩した部分を除けば、警備員として動いていた、と見る事も出来るのじゃよ。高町さんは、霧間先生と協力して侵入者を抑えていたし、ルルーシュ先生は大橋に援軍として向かい、相手の撃破に貢献した。その真意がどうであれ、そしてエヴァンジェリンの為であれ……事実だけを捉えると、そう解釈出来る。だからまあ、今回は多めに見る事にした。次は無い、と警告もして置いたわい」
「なるほど」
頷いたタカミチは、頭の中で情報を整理する。
エヴァンジェリンの停電での目的は“己の封印解放”では無かった。真実を伝えるつもりが無かった為に、その言葉を「建て前」として宣言していた様だが、本音は違う。
もっと別の――――《赤き翼》の血を引くネギ・スプリングフィールドを見る為の――――序に言えば惚れた男の息子を知る為の、敢えて架された“試練”に近い。
エヴァンジェリンは、交渉で巧みに協力者を生み出したが、彼らへ頼んだ事も“ネギと戦う戦場の調整”という意味合いが強かった。
エヴァンジェリンとネギを一対一の戦いへ運ぶ事。
ネギが全力で戦えるように成長を促す事。
更には、自分が警備員を抜ける事へのフォローも有ったか。
彼女は極力、麻帆良という土地に被害を出さない様に行動していた節が有る。
事実、高町なのははエヴァンジェリンに助力していたと言っても、限定されたレベルだ。なのは自身は娘を思っての行動だったようであるし、その娘・ヴィヴィオは、『使い魔』の犬とオコジョと共に警備員として動いていた。
ルルーシュとC.C.が、真っ当な善人であるとは学園長は、微塵も思っていない。しかし、分別をわきまえた、無辜の存在に無作為に危害を加える程の外道でも無いことは十分に判る。そして、彼らが学園警備員を壊滅させた相手に奮戦した事は確かだ。
故に学園長は、彼らに関しては恩赦と言う事で、お咎め無しにした。
何らかの措置を取る事で生じるデメリットよりも、手元に置いて置くメリットの方が大きいと学園長は判断をしたのだ。
まして、修学旅行が間近に控えている今、手持ちの戦力を減らす事は得策ではないのだから。
「川村先生は――――此方は、エヴァンジェリンの手回しで、殆ど関与を隠されておる。彼も見逃すよ。注意をするとすれば、ウィル子君に、もう少し自粛を促す程度じゃな」
「……それはそれで、難しそう、ですね」
「じゃな。まあ、何とかするわい。……で、その他の。民間からの協力者は、自己責任じゃな。勝手に動いていた生徒や、大学生の殺人鬼やら。麻帆良で騒乱を引き起こした事への対処はするにせよ、良くも悪くも個人の意志で動いておる連中に関しては、忠告で済ませることにした。最低限の仕事はしてくれておるし、今後に協力をすることを条件に、のう。……今回は見逃そう」
喰えない笑みを見せながら、ふぉふぉ、と真意の見えない笑い声を上げる。
さらに、学園長は続ける。
「そんな中でも最も“要注意”の――――超鈴音に対しては、しっかりと釘を指しておいたわい。彼女は確かに、何を考えているのか見えない部分も有る。しかし、クラスを壊すつもりも、麻帆良に敵対するつもりも無い事は、確認しておいた。……それに、ネギ君もおる」
“今”は余り、心配はしておらんよ、と学園長は静かに告げた。
一区切りが付いた事を機会に、タカミチは一歩、話題を進める事にした。
「処で、学園長。《完全なる世界(コズモエンテレケイア)》の動きですが……」
停電での彼らの動きは――――? と訊ねた。
長年後を追っている彼としては、この先の彼らへと通じる情報は非常に重要だ。
「まだ映像を確認した訳では有りませんが、何人かが姿を見せていた事は、聞き及んでいます」
「そうじゃな。その話に行こうかのう」
空気を立て直す様に、学園長は、再度、真剣な目をした。
●
「……はっきり《完全なる世界》として確認出来たのは三名じゃな。フェイト・T・アーウェルンクスと、その従者の焔。そして、彼に助力する、アリシアという少女じゃ」
その言葉に、タカミチは渋い顔に成る。
フェイト・T・アーウェルンクスと、アリシア・テスタロッサ。この二人に関しては、タカミチも承知している。本人達と深い関わりが有る訳ではないが、《赤き翼》として、あの二十年前の『大戦』では接触した事が有った。
進む道が違っている事は理解していたが、それでも多少の感情の乱れは有る。
恐らく、エヴァンジェリンの方が、思う所は大きいだろうが。
「……すいません。――続きをお願いします」
心に走った動揺を押し殺し、先へと進める。
今、大切なことは、正しい状況の把握だ。
「断定できる訳ではないが、フェイトの来訪した目的は、恐らく四つじゃ。一つ目が、エヴァンジェリンと接触する事で、彼女の信頼性について、周囲に疑念を抱かせる。……自分達の味方へと引き入れる為の算段じゃな。二つ目が、ネギ君の確認。何れ自分の敵に成る事を予見しておるのじゃろう。そのような事を言っておる。……三つ目が、此方の戦力の確認。ネギ君の来訪に前後し、麻帆良学園に新たにやって来た人材は多い。彼らを見る為じゃろう」
そこで一端、学園長は言葉を切った。まあ、この辺の事情は、大きな問題では無い。決して小さな問題でもないが、今現在、早急に対処する程の問題では無いのだ。
エヴァンジェリンを《完全なる世界》に引き入れる事は、まず不可能だ。それは相手も承知の上だろう。ただ、周囲から懐疑的な目線を与えることで、自由な行動を阻害する位の効果は見込める。
ネギの実力を観察する事や、此方の戦力を確認する事。これは、今後の彼らの活動に関わって来る事だ。今現在の、麻帆良学園――――と言うよりも、ネギを中心とした勢力へのアプローチだ。冷静に対処すれば其れほど、脅威ではない。
唇を緑茶で湿らせて、しかし、と学園長は続ける。
最も大きな脅威は、別にあった、と最初に告げる。
それだけで、四つ目の目的は把握が出来た。
「最後じゃが、これは恐らく、同盟を組んだ相手の実力を見る意味があった。この場合は《螺旋なる蛇(オピオン)》のツィツェーリエや、大橋で新たに名乗った『セイバー』という青年。……そして――」
「――――“もう一人”の、ネギ君の事じゃな」
学園長の空気は、先程までと違い、固かった。
数秒前までの柔らかな空気が引き締まり、タカミチですらも圧迫感に息を乱しかけた。
その鎮められた部屋の中で、学園長は、停電の喧騒を思い出す様に語る。
「完全に、此方の予想以上の相手じゃった。幾ら停電で、主やエヴァンジェリンが、普段通りの警備の仕事が難しいと言っても……、それを補うだけの戦力は確保しておいた」
「しかし、其れは破られた」
「そうじゃ。刀子君や、シスター・シャークティは、負けて不甲斐ない、と思っているようじゃが、アレは相手が悪すぎたわい。……はっきり言ってしまえば、あ奴が、全てを狂わせた、とも言える」
さて、と言いながら、学園長は腕を組んだ。
その表情は、固い。
「奴がいなければ、何も問題は無かったのじゃ。……エヴァンジェリンとネギ君の対決。警備員の奮闘。停電に本来発生する筈だった騒動”以上“を、生み出しおった。……それも、かなりの被害を伴って、の」
今回の侵入者で、最も注目するべき相手が、『もう一人のネギ』だった。
もう一方の。『王国(マルクト)』ツィツェーリエの存在は置いておこう。彼女の本来の相手は麻帆良学園では無いのだ。アルトリアに撃退され、逃亡してもいる。ただ単に、フェイト・アーウェルンクス――――ひいては《完全なる世界》との顔見せに現れただけであり、好き勝手に暴れて帰って行ったのだ。
京都における《協会》との一大決戦の傷跡も癒えていないだろうに、ご苦労な事である。
話がずれた。戻そう。
「……結局、彼は何者、なのでしょう?」
タカミチの言葉に、ふむ、と学園長は黙考する。
学園の停電中に出現した『もう一人のネギ』。
当初は『アーチャー』と名乗っていた彼の実力は、非常に高かった。
組織だった行動を防ぐ為に情報室と『雷の眷属』を抑えた後、光速戦闘を軸にゲリラ戦を展開。
レレナ・P・ツォルドルフを初め、『雷の眷属』。弐十院満。ルルーシュ・ランペルージ。シャークティとココネ、春日美空。更には、神楽坂明日菜と空繰茶々丸までもが、簡単に堕ちたのだ。
最終的には、大橋で、アルトリア・E・ペンドラゴン、高町なのは、《ゼロ》の連合に倒されたが……しかし、其れでも尚、死んではいない。
後詰めに様子を伺っていた焔・アーウェルンクスと、その従者らしき『セイバー』と名乗った青年に救出され、逃亡してしまった。
「断定は出来ないが。多分、主の師匠らと、関わりが有る、と思うのじゃ」
「……やはり、そうですか?」
「うむ、恐らくは、じゃが。……判断材料が少なすぎるのでのう。直接、本人に聞ければ良いのじゃが……」
学園長は、ナギ・スプリングフィールドに言われた事が有る。
その時の言葉は、『身分を証明する手段は無いが、俺の信頼出来る仲間だから、安心して欲しい』だった。
もう二十年近くも昔の話だ。そして、その時から、彼女達が年を取った様子は見られない。
勿論、緊急事態と言う事で学園長が訊ねるべきなのだろう。恐らく、向こうも聞けば教えてくれるだろう。今迄、尋ねなかったのは、純粋に、ナギの言葉を守っていたからに他ならない。
しかし……それも、そろそろ、限界なのかもしれなかった。
反省をしながら、学園長は口を開く。
「あの『もう一人のネギ』は、『アーチャー』と名乗っておった。そして、正体不明の仮面の青年が『セイバー』じゃった」
実際は、霧間凪と森の中で激闘を繰り広げた『アサシン』なる女性もいるのだが、此処で学園長は、敢えて彼女の存在を無視した。話を複雑にしてもいけない。
「ええ」
「一方で、アルトリア君達――――この場合は学園の味方として動いてくれた面々の事じゃが――は三人。アルトリア君が『セイバー』。高町先生が『アーチャー』。ルルーシュ先生、本人かどうかは微妙じゃが、あのゼロと名乗った存在が『ライダー』じゃ」
重複しているが、何らかの関係が有ると見て、間違いは無いだろう。
ただ、この問題の本質は、其処では無いのだ。
「まだ、詳しい事は解らんよ。だが……あの『もう一人のネギ』は非常に高い実力を有しておった。恐らく、主が本気になったとして、引き分けや撤退ならば兎も角、勝つのは難しいじゃろう。そして一方、アルトリア君達の実力もまた、十分に認知されておるが……あ奴は、張り合っていた。――――如何いう意味かは、判るの?」
「判ります」
真剣な瞳で、タカミチ・T・高畑は頷いた。
「つまり。《完全なる世界》は、下手をすれば師匠達に比肩しうる戦力を、有し始めている、と」
今迄『もう一人のネギ』の存在が現れた事は、噂のレベルでも無かった。だから、彼が加わったのはごく最近の筈だ。何処から来たのか、正体は何者なのか、其れは全くの不明だが、彼がフェイト・アーウェルンクスと行動を共にしている事は間違いない。
それも、ここ数カ月から。
「そうじゃ。無論、多少の差はあるじゃろう。《赤き翼》の方が、実力的には上じゃろ。しかし、同盟を結んだ《螺旋なる蛇》を除いたとしても。――あちら側は、確かに、戦力を確保している。それも、非常に強力な……言いかえれば、主の本気で倒せぬ様な。ワシやエヴァンジェリンでも容易く勝てぬ様な相手が、のう」
「……僕が下部組織を叩いている間に、僕以上の速度で復活していた、と言う訳ですか」
「人数、と言う意味では、確実に減少しておるじゃろ。主が叩いて壊滅させた関係組織は、十や二十では効かんし、検挙された連中も二百では効かぬ。お主の活動は確かに成果が有ったし、ダメージを与えて折った。――しかし、残っている面子、主でも捕まえられぬ中心戦力の質が、非常に高く成り始めておることも事実じゃな」
率直な言葉に、タカミチは臍を噛む。無論、自分の責任ではない事も承知しているが、感情を割り切る事は簡単ではない。
《完全なる世界》。
かつて『魔法世界』で起きた大戦争を演出した黒幕。
《赤き翼》が立ち向かい、ゼクトと間桐桜の犠牲の上に壊滅させた秘密結社。
戦争終結後も、残党たちはしぶとく活動を続けていた。その残党を刈っていたのがタカミチだ。
執拗に狙い、草の根を刈る様に叩き、立ち上がれぬ様にしていたが……如何やら、彼の努力の空しく、確実に再興している。それも、今度は少年を狙って。
「しかし……どうやって、でしょうね。高い実力が有る者は、大抵、有名です。しかし僕は、今迄一回も、噂すらも聞いた事が有りません」
「ふむ。……不明じゃな。こればかりは。まさか何処からか呼ばれて飛び出た訳でもあるまいし。――――早急に、アルトリア殿に聞いてみるべきじゃな。あるいは、アリアドネーの遠坂殿か。……彼女達ならば、多分、知っているじゃろう」
「……判りました」
●
「ところで。学園長。修学旅行、ですが」
「うむ、勿論、実行するよ」
「――この状態で、ですか」
「この状況だからこそ、じゃな」
学園長は言った。
ネギ・スプリングフィールドは、爆弾だ。それも、その辺の小さな爆弾では無い。使い方を誤れば――それこそ、世界を揺らがす程に大きな爆弾へと成りかねない。近衛近右衛門は。いや、彼だけでは無い。『魔法世界』を知る者、《赤き翼》を知る者、そしてナギ・スプリングフィールドを知る者ならば、これ以上無く、知っている。
『日本で先生をやる事』。
そのネギ・スプリングフィールドの試練に偽りは無い。
しかし、その彼が引っ張られた、見えざる運命の糸が――――世界に波紋を広げた事も、また、事実だ。
そして、その影響の大きさを知る者達は、少年を見極めようと動いている。
「無論、言われずとも承知しておる。修学旅行でも《完全なる世界》は動くじゃろうし、ネギ君と、彼の生徒達と、麻帆良とを巡る、幾多の勢力が跋扈するじゃろう。一般人に手を出さないのがプロの流儀、とはいえ、3-Aの生徒達に、“一般人”はおらん。危険が有る事も承知しておる」
「しかしそれでも、実行する」
「そうじゃ」
「……敵をあぶり出す、為ですか?」
「それも有る。ネギ君達が集団で旅行に行くとなれば、何処かの組織は必ず動く。まして、古来より歴史を受け継ぐ京の都じゃ。間違い無くアクションを起こすじゃろう。……しかし、そのデメリットは、別に京都に限った話では無いよ」
ネギ・スプリングフィールドの修学旅行が『何処で有ろうと関係無く』、彼を狙う組織は動くだろう。
ならば《赤き翼》近衛永春が居座る京都が、一番マシだと、学園長は考えた。
京都が安全なのではない。他の――其れこそ、自分達が容易に手出しが出来ない、“海外である事”の方が、もっと危険なのだ。
「婿殿も、ネギ君に注目しておる様でな。……修学旅行の際に、一目、会いたい、と言って来た。大停電がエヴァンジェリンからネギ君への試練とするならば、今回の修学旅行は、《赤き翼》が《侍》からの、ネギ君への試練、なのかもしれん」
「……学園長」
言っている口調は軽いが、中身はそんな簡単な話では無い。
京都は複雑怪奇な情勢の上に平穏が成り立っている。《協会》の意を受ける《関西呪術協会》を筆頭に、京都神鳴流、民間企業EMEなど、古くからの歴史を持つが故の、軋轢や領土争いが存在してもいる。
そして、それ以上に、外部から入り込める者が多すぎる。
実際に実行が出来るかは別としても、観光客を装えば、何者であろうとも、現地に潜り込む事が出来る。
「生徒の身が、危険になります」
「……ワシも、それが一番、心配じゃな」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、学園長は静かに室内を徘徊する。
その中には、大人としての苦労と、公人としての責任に加え、限界を知る老人の懊悩があった。
「旅行を中止には出来ん。麻帆良に協力している各組織との協議の末、ネギ君の対処能力と資質を見極める事が大事だとされた。旅行中のトラブルに、何処までネギ君が奮戦するかを、彼らは見極めようとしておる。……麻帆良が教育機関である以上、修学旅行は実施するべき行事でも有る」
ゆっくりと歩く学園長を追う様に、タカミチも立ち上がり、そのまま窓際へと歩いて行く。
二人は大きな硝子の前に、並んだ。
「婿殿。……近衛永春とも、相談しておっての。――《関西呪術協会》内でも、不穏な動きが動き始めている。今回の騒動で、身内の膿を一網打尽にするつもりじゃ。そして、恐らく彼らが狙うだろうネギ君の為に、旅行中は人材を派遣してもくれる。無論、此方からも人材を同行させる。……ただ、それでも万全と言えるかは、判らぬ」
しかし、と学園長は告げた。
その中に、何かしらの言い様の無い、迷う様な感情が含まれていた。
「これは、勘、なのじゃがな。……この旅行は、するべきだと、思うのじゃ」
訝しげなタカミチの目線に応える様に、学園長は続ける。
「危険が有る。ネギ君は、間違いなく騒動に巻き込まれる。一般人である一部を除き、3-Aの生徒とて、平穏無事に旅行を終える事が出来ると思わん。当の彼女達自身も思っておらんじゃろう。だから、生徒の安全を第一に考えるのならば、今からでも中止にするべきだと、ワシも思う……。しかし、じゃ」
何かしら、長い間の経験なのだろうか。
その中で、同時に、行かせるべきだと、心が騒いでもいるのだ。
「この旅行は、何かを齎す。あるいは、何かを明白にする、そんな気がするのじゃ。ネギ君だけでは無い。あの3-Aの問題児達や、麻帆良学園や、あるいは過去に繋がる因縁や……。大きな世界の“うねり”が、形になる。そして、それは――ネギ君や、明日菜君や、他の皆にとっても、重要になる。彼らを取り巻く世界の情勢が―― 一つの大きな形になる予感が有るのじゃ。味方か、敵か、傍観か、相互依存か、あるいは無関係を貫くのか。それは分からぬ。けれどもじゃ。恐らく京都で、ネギ君に今後関わるだろう“殆ど”が、顔を見せる――――気がするのじゃ」
「それが、学園長が旅行を許可する理由ですか」
「そうじゃ。……ネギ君には話さぬ。彼には飽く迄も、西との交流正常化の特使として向かって貰う。裏で動くのは大人の仕事じゃ。そして、彼を助けるのも――――ワシらの仕事じゃ。……ネギ君を英雄にするつもりは無い。けれども、あの子の父親は英雄じゃ。それ故の苦労は多く、彼が解決せねばならない問題は、必ずや存在する。そして、ネギ君があのクラスにいる事は、偶然以上の何かが有る。旅行に行くことで――ネギ君が、己の置かれた環境を知り、そして己を取り巻く世界を、知ること。そして知る以上の何かを、得る事を……ワシは、期待したい、のじゃ」
そう言って、タカミチと共に窓から、麻帆良学園を見下ろした。
視線の先には、屋上で体育の授業をしている、3-Aの女生徒35人の姿が有った。