金色の髪をツーサイドテールにした少女が、スーパーで買い込んだお菓子やジュースの入った袋を抱え込み、よたよたと道を歩く。
思うのは、ちょっぴり買いすぎたかなという反省ではなく、自身の使い魔であるアルフを連れてくれば良かったかなという後悔。
もっとも、まだ生まれて三歳ほどでしかないはずの使い魔は、最近では「君は私のお母さんなの?」と言いたくなるほどに口うるさくて、連れて来たが最後お菓子を買う事を許してはくれなかっただろう。
使い魔なら、もう少し主の意に従ってくれないものかと思うが、そんな事を言っても「主の健康に配慮するのも使い魔の役目だ」なんて正論を返してくるに違いない。
まあ、ご飯の代わりにお菓子でお腹いっぱいになろうなんて考えてしまっている自分が悪いのだという自覚はあるわけで、だから反論の言葉が見つからない少女としては使い魔にバレないようにこっそりお菓子を買い込むしかないのである。
そんな事を考えていたせいかもしれない。
前から自分と同じ年頃の少女が歩いてくるのに気づかず、軽い接触の後に袋の一番上に乗った一つだけ買ったリンゴを落としてしまったのは。
「あっと、ゴメンな」
そんな謝罪の言葉と共に、落としたリンゴを拾い上げ渡してきた少女の顔を見てハッとする。
茶色の髪を肩に届くかどうかのところまで伸ばしたその少女は間違いなく初対面であるはずなのに、それが知っている人間であるという既視感があったから。
そして、その少女がこちらにぶつかったのも、同じ事を思い驚いていたからだと知るのはすぐ後のこと。
◇ ◇ ◇
お互いに既視感を覚えた二人は、なんとはなしに公園に向かいそこにあるベンチに腰かけると自己紹介を済ませた。
フェイト・テスタロッサ。それが金の髪の少女の名前。
八神はやて。それが茶色の髪の少女の名前。
元々二人が感じていた既視感は、相手の名を聞くことでますますそれを強くする。
「どういうことなんだろう?」
「どういうことなんやろね?」
さっきフェイトが買ってきたポッキーを二人して食べながら呟いてみるが、簡単に答えが出るようなら最初から悩んだりはしない。
「んー?」
フェイトがはやてに顔を向ける。
「むー?」
はやてがフェイトの顔を見つめる。
「はやてを見てると何かが思い出せそうなんだけど」
「奇遇やな。わたしもや」
ひとしきり悩んでみたが、こうして考えているだけでは、それ以上の何かが思い浮かぶことはないらしい。
どうしたものかと空を見上げてみたフェイトは、ふと大切なことを思い出す。
「あっ!!」
「どうしたん?」
「アルフが待ってるんだった」
ご飯の買出しに出かけると言って、置いてきたのだ。すぐに帰ってくると思っているだろうし、心配性なあの使い魔のことだから帰るのが遅くなると心配して迎えに来かねない。
お菓子ばかりを買い込んでしまった事で叱られる覚悟はすでに完了しているが、白昼の往来で叱られて通行人の見世物になろうとは思わない。
だから、すぐに帰らなければと思うも、ここではやてと別れる踏ん切りもつかない。
「えーと、家に来ない?」
「家って、そういえばフェイトちゃんは、どこに住んどるん?」
「いや、家って言うのは言葉のあやで……」
フェイトの家は、この海鳴市にはない。
そもそも、日本人でないどころか地球人とすら言えないフェイト・テスタロッサの暮らす家と言える場所は、現在は次元世界の狭間を航行中の移動庭園、『時の庭園』である。
そうして、実は現在プチ家出中と言える状況だったりするフェイトはホテルに宿泊しているわけで、今言った家というのは借りているホテルのことであった。
実は、アルフが家に連絡をしているので、家族には家出扱いされていなかったりするが。
そんな説明を聞いたはやては、ちょっとした疑問を思う。
「ひょっとして、フェイトちゃんもご両親と上手く言ってないん?」
「も、って、はやても?」
問い返され、たははと、はやては笑う。
別に、両親に問題があるわけではない。むしろ問題は自分にあるのだろうと、はやては自覚している。
両親は普通に善人で、なのに一緒に生活をしていることに違和感がある。
間違いなく血が繋がった相手なのに、自分の家族はこの人たちではないという誤った確信を抱いてしまう。
しかも、その違和感は家族だけに向けられたものではない。性質の悪いことに、小学校に行っても同じように思ってしまうのだ。自分が小学校に通うのは間違いだと。
だから、つい小学校に行かず図書館に通ってしまったりして、そのせいで親が呼び出され更に両親との溝が広がってしまう。
自分のやっていることが、悪いことだと理解しているのに止められない。
多分、自分は心の病気なのだろうと、はやては思う。
そして、同じことを両親を含む周りの人間が考えていることも、はやては理解している。
それでも、心の中に居座り続ける正体の分からない違和感がある限り、どうしようもないのだと開き直ってしまうのだ。
「んで、フェイトちゃんも両親と上手くいってないって?」
「んー。まあ、似たようなものだけど、一緒にホテルに来るなら説明するよ?」
でないと、本当にアルフが迎えに来てしまいそうだと言うフェイトに、「ええよ」とはやては首肯する。
そもそも現在は平日の日中であり、見るからに日本人とは異なる色彩を持ったフェイトはともかく、学校にも行かず外をふらふらしているはやては、いつ補導されてもおかしくない。
だから、この提案は都合がいいものであった。
◆ ◆ ◆
「遅いじゃないか。もう少しで迎えに行くところだったよ」
ホテルに行き、借りている部屋に戻ったフェイトを出迎えたのは、茜色の子犬のそんな言葉であった。
良かった間に合ったと思ったフェイトは、しかし子犬の目がまずフェイトの後ろに続いたはやてに向いて、次に自分の抱えているお菓子の入った袋に向けられるのに気づき、ああ、この後は小言が続くんだろうなと憂鬱な気持ちに捕らわれる。
もっとも、今は子犬の姿をしている使い魔は、珍しく友達を連れてきた主に口うるさく説教をするほど空気が読めないわけではない。
はぁ、とため息を一つ吐くと、変身魔法で少女の姿を取って部屋から出る扉に向かう。
「じゃあ、あたしは買い物に行くから二人はゆっくりしてな」
言って、買い物籠を持って部屋を出た使い魔にフェイトがほっと胸を撫で下ろしたところで、ガチャリと扉が開いて出て行ったはずの少女が顔だけを覗かせる。
「あっと、はやては今日ここで食べていくんだよね。というか、泊まってく?」
「えーと、うん」
別にそこまで考えていたわけではないが、言われてみると自分は最初からそのつもりだったのではないかという気がしてしまったはやてである。
「そっか。なら、今日の食事のお手伝いをお願い」
ごく自然にそんなことを言ってまた部屋を出て行く少女に、ふとはやては疑問を覚える。
あの少女は、初対面のはずの自分に料理が出来ることを自然に確信していた。
確かに、自分は料理が出来る。三度の食事など何もしなくても母親が用意してくれるのに、何故だか自分にはその技能が必要だと感じて料理を学んだ。けれど、そんなことを少女が知るはずがない。
自分が成人した女性なら少女がそう思い込んでもおかしくはないのだろうが、この身は小学生に過ぎない。
普通に考えて料理が出来る小学生というのは希少であるし、初対面の相手がその料理のできる小学生だと誰が思うだろう。
どういうことだろうとフェイトに顔を向けると彼女も疑問に満ちた顔をしていて、ああ同じ気持ちなんだなと思ったが、それは勘違いであった。
「どうしてアルフの変身魔法に驚かないの?」
なんの話だろうと思ったのは一瞬。考えてみれば子犬が人間の少女に変身したり、それ以前に人語を話すというのは地球人の常識的に考えれば驚いてしかるべき事態であろう。なのに自分は、それを自然に受け入れてしまっている。
どういうことだろうと考えていると、フェイトが更なる問いを口にする。
「それにアルフは、はやての名前を知っていたよね。ひょっとして知り合いだったの?」
「いや、初対面やと思うんやけど……」
そういう気がしなかったのも事実である。というか、初対面の気がしないのはフェイトも同じで、だからはやては困惑するしかない。
しかし、考えてみればその辺りの既視感が理由でお互いの事を話すのが、このホテルを訪れた目的であったはずだとはやては思い出す。
その事を言ってみると、フェイトは少し考えてから「まあいいか」と呟きを漏らし、はやてを促し二人でベッドに腰かけると言葉を紡ぐ。
「アルフのこともあるし、今更驚くようなことじゃないと思うんだけど、わたしはこの世界の人間じゃないの」
ごく当たり前のことのように語る言葉に、はやては目を丸くして驚いていた。
フェイトの言葉に驚いたわけではない。
別に何かの根拠があるわけでもないのに、妄言としか思えないフェイトの言葉を抵抗なく受け入れ納得した自分自身に驚いたのだ。
けれど、そんな内心を読み取れるはずもないフェイトは、まずい事を言っただろうかと口ごもってしまう。
「ああ、大丈夫や。フェイトちゃんが次元世界の人間やってのは分かったから、続きをお願い」
「そう?」
首を傾げ、さて自分は次元世界という名称を口にしただろうかと疑問に思いつつも、フェイトは言葉を続ける。
それは、金の髪の少女の普通とは違う生い立ちと、この世界を訪れるに至った理由。
◆ ◇ ◆
フェイトは、当たり前の人間のように母親のお腹から生まれた子供ではない。
始まりは、27年前に母が勤めていた企業が起こした次元航行エネルギー駆動炉の暴走事故。
その事故は本部から送られてきた者たちの無茶が原因で起こった人災にも等しいもので、そのせいであるいは娘の命を亡くしていたかもしれない上に、安全主任という立場であったという理由で全ての責任を押し付けられたプレシア・テスタロッサという女性は、そこを辞めると共に隠遁を決めた。
元々、暴走事故の責任は完全に社の方にあり、しかしそれを押し付けられたことに対し告訴をしないという条件で多額の金銭が支払われたし、修士課程を終えた一流の魔導師であるプレシアは勤め先に困ることがなく、個人でやっていくことも不可能ではなかった。もう企業の都合に振り回されるのにはうんざりしていたのである。
もっとも、プレシアが隠遁を選んだのはそれだけが理由ではない。
当時プレシアは、仕事が忙しくなったために会社に申請して開発室の一室を寮として借り受け、娘のアリシアと娘が拾い飼い始めた山猫のリニスと共に暮らしていたのだが、それは一時的なものでありその前に住んでいた自宅を処分したわけではない。
そして、事故の時は何故か常にはないワガママを発揮したアリシアが自宅の方に戻りたいと言い出していて、その結果として事前に暴走事故の範囲外に避難することとなっていた。
だから、その日からアリシアが体調を崩しやすくなっていたことと暴走事故には何の関係もなかったはずだ。
けれど、アリシアのワガママがなかったら。そして相手をしてやれない後ろめたさから、それを認めていなければ娘の命はなかったと理解しているプレシアは、強い負い目を持ち、これからはずっと一緒にいようと思ったのだ。
だから、娘が何かワガママを言っても、叶えてやろうと考えたわけだが、実際のところ小さな子供の望むことというのは健康な肉体なしにはなしえないものがほとんどである。
優秀な技術者であっても、娘のワガママのほとんどを叶えてやれないでいたプレシアに気を使ったわけでもないだろうが、アリシアは母にこう願った。
「妹が欲しい」
5歳という幼い年齢であり、忙しい母にあまり構ってもらえない日々を送っていたからこその願いに、プレシアは娘を強く抱きしめ、必ずその願いを叶えてやろうと決心した。
とはいえ、アリシアの妹ということはプレシアの娘ということになるわけだが、人は一人では子供を作れない。
フェイトが去年本人に教えてもらったプレシアの年齢は40歳であり、現在は41歳ということになる。逆算すれば当時は14歳という再婚を望むに遅すぎないというか、むしろ早くないだろうかというか、サバを読んでるだろう常識的に考えてと言いたくなる年齢ではあるが、だから再婚をしようと思うかというとそうはいかない。
仕事人間から、娘一筋に路線変更を成し遂げたプレシアである。アリシアとそれ以外という区別しかなくなったプレシアに男性に向ける愛情などありはしないのである。
そんなわけで、いきなり暗礁に乗り上げたわけだが、そこは優秀な研究者である。人造魔導師という未完成のクローン技術の噂を聞きつけ、それを実用化してやろうと考えた。もちろん、研究だけならともかく人間を使っての実用は倫理上の問題点から違法とされる技術である。
この時点で、何か間違っていると考えなかったのかと、後のフェイトなどは思ったりしたが、研究一筋の仕事人間だったプレシアも、今のフェイトよりもまだ幼かったアリシアに疑問はなかったらしい。
かくして、プレシアは人造魔導師の研究を進め、17年後の10年前に未完成だった理論を完成させフェイトを生み出した。
もっとも、その頃にはアリシアも22歳という年齢になっていて、すでに結婚もしていたので、フェイトとは姉妹というよりも親子といったほうがしっくりする年齢差になっていたわけだが。
さて、そんな数奇な生まれ方をしたフェイトであるが、その人生は特別なものではなかったと思う。
プレシアやアリシアはもちろん、天寿を迎えたためにプレシアが使い魔にした山猫のリニスや、アリシアの伴侶となった男性すら、フェイトを当たり前の子供として扱ったのだから、違法の研究によって生まれた都合上もあって、『時の庭園』という他の誰かと顔を合わせる機会のない場所に住み暮らす少女の人生に特別な何かが入り込む余地はなかったのだ。
さて、アリシアがフェイトが生まれるよりも前に嫁に行っており、たまに夫婦で里帰りするだけになっていたのも相まって、3年前にアルフという狼の仔を使い魔にするまでの間、基本的に母とその使い魔の3人きりの変化のない生活を送っていたフェイトだが、現在から見て5年前、5歳になった頃から意味の分からない違和感を覚え始めていた。
母も、その使い魔も、優しく接してくれるのに、何かが違うと感じてしまう。
その事を、どうも同じ違和感を持ったらしい自身の使い魔に話してみた事もあるのだが、曰く「確かに、あのプレシアはおかしい。あの女が、あんなに優しいわけがないし」という、それは違うんじゃないか感じる返答が帰ってきたので、二度とその事は話題にしないと決めた。
優しく接してくる母に違和感があるのは確かだが、母は優しい人間であるという確信もあるのだから。
ともあれ、正体の分からない違和感に苛まれていたフェイトは、何とはなしに時空管理局という組織で事務員をやっている義兄が趣味で集めているらしいニュース記事で気になる単語があることに気づいた。
次元航行エネルギー駆動炉ヒュードラの暴走事故、闇の書事件、ロストロギア──ジュエルシードを発掘したスクライア一族の少年ユーノ・スクライア。
ヒュードラ暴走事故以外は、直接間接を問わず自分には何の関係もないニュースのはずで、ヒュードラに関しても当時は母が関っていたことを知らなかったのに、どうにも気になってしまった。
そうして、それらについて調べた結果、その資料がおかしいのではないかとフェイトは感じ始めた。
ヒュードラの暴走事故で一人の犠牲者も出なかったのはおかしい。闇の書事件は11年前ではなく、その後に守護騎士たちを家族と呼ぶ主との出会うことにより解決に向かったはずだ。ジュエルシードは、それを輸送していた次元航行艦の事故により第97管理外世界にばら撒かれたはずだ。そんなありもしない妄想が頭に浮かんでしまう。
だから、その違和感の原因を調べに行きたいと母に訴えたわけだが、当然それは却下された。
管理外世界に無許可で滞在するのは違法であるし、違法の研究で生まれたフェイトが許可を取れるはずもない。
罪を憎んで人を憎まずの時空管理局が、その研究で生まれたフェイトに罪を問うことはないが、当然プレシアは罪に問われてしまうのだ。
ついでに言えば、事務員とはいえ管理局員でありながらプレシアの罪を告発しなかったアリシアの夫である男性も、ただでは済むまい。
実に理に適った理由で反対をされたフェイトは、そこで強攻策にでた。
許可が出ないのなら無許可で行けばいい。どうせ、自分は存在自体が違法なのだ。今更、管理外世界に違法滞在したところで大した違いはない。
そんな理由で、プチ家出をして来たわけである。
◇ ◆ ◇
フェイトの話を聞いたはやては、むー、と考え込む。
第97管理外世界とも呼ばれる、地球という世界に生まれた育った自分には夢物語としか思えないはずの妄言を、何故か信じてしまえているのもビックリだが、それ以上に気になることがある。
闇の書。その単語がどうにも気になるのだ。
そんな単語は、今までの人生で聞いたことがないはずである。黒の書なら昔の漫画で出てきたが。
「闇の書……」
口に出してみたことで、心の中で何かのピースがはまったような気がする。
「守護騎士、ヴィータ、シグナム、シャマル、ザフィーラ」
無意識に呟いた、心に浮かんだ単語を聞いてフェイトが、訝しげな顔になる。
「どうして、闇の書の守護騎士の名前を知ってるの?」
「へ?」
守護騎士の存在は教えたが、その個体名どころか人数すらフェイトは口にしていない。そして、ヴォルケンリッターとも呼ばれる守護騎士たちの名を管理外世界の人間が知るはずがない。
なのにどうしてと思うが、はやての方としても何となく口をついて出た言葉に何故と問われても困るというものだ。
ただ、分かったこともある。お互いが心に引っかかる単語を並べていけば、知らないはずの何かを思い出せるのだという事実だ。
だから、二人は語り合う。
記憶にある気になる単語を、記憶にはないはずの言葉を。
そうして、二人は共通の記憶を呼び覚ます。
「なのは……」
口に出したのはフェイトだったが、その名を聞いてすぐにはやても思い出す。
「そうや! なのはちゃんや!」
高町なのはという名を持つ、不屈の心を持つ少女を二人は知っているた。
会ったこともないはずの少女の峻烈な生き様を知っているのだ。
◆ ◆ ◆
聖祥大付属小学校に通う10歳の平凡な少女、高町なのはは自分にも理解できない焦燥感を心に抱えていた。
自分には、やらなければならないことがあるのではないか? 自分にしかできない何かがあるのに、それを忘れているのではないか?
そんな想いが常に心の中にある。
二人の親友の一人であるアリサ・バニングスなどは「そういうのを、ちゅうにびょうって言うのよ」と言ってきて、もう一人の親友である月村すずかは、持ってきたオカルト雑誌の文通コーナーに載っている前世がどうの使命がどうのといった文章を見せてきて、自分もそういう人たちと同じなのかなと赤面したりもしたわけだが、それでも焦燥感が消えたわけではない。何かが足りないという想いも消えない。
自分が、間違っているのだということは理解している。
なのはの人生は、客観的に見てもさして不幸なものではない。
父親が大怪我をして長らく入院して、母は始めたばかりの喫茶店の経営で忙しくて、そのせいで兄と姉も相手をしてくれずにいた頃があるのだが、その時期にしても公園に一人でいた時にたまたま出会った二人──アリサとすずかとすぐに友達になり、孤独な時期というものを過ごさずに済んだ。
だからこそ、物足りないなどと考えてしまうのだろうと思う。人間は、不満のない人生にこそ物足りなさを感じるものであり、この焦燥感も一年前に急に心に浮かんできたものでしかないのだから。
そうと理解しているのに、常に何かが足りないと感じてしまう自分の心に罪悪感をすら感じる。
そんな頃である。同じような想いを抱えた二人の少女がなのはの前に現れることになるのは。
◇ ◇ ◇
はやてとフェイト。
自分たちの出会いは必然だったのだろうと二人は思う。
であれば、もう一人との出会いも必然に違いない。
だから二人は、もう一人の少女に会いに翠屋という喫茶店に向かった。
なぜ、そこに高町なのはという少女がいると自分たちが確信しているのかということへの疑問はない。
疑問の余地などないと、根拠もなく確信できる衝動が心底にあるからこそ二人は行動できる。行動せずにいられないのだ。
一つ誤算があったとすれば、はやてが登校拒否児童であり、フェイトがそもそも学校に通ったことなどない子供であったことだろう。
二人が翠屋を訪れたのは、まともな小学生なら学校に通っているはずの時間である。
つまりは、なのはが家にいるはずなどないということで、そんな時間に学校にも行かずふらふらしてるなんてと、なのはの両親である高町士郎と桃子に説教をされる始末である。
ただ、ここで奇妙な事実が存在する。
少女たちは、なのはとは面識がなく当然その両親とも初対面であるはずである。
なのに、士郎と桃子は二人に顔見知りであるかのように接した。
それだけなら、そういう人間なのだろうと思えが済む話であったが、説教の途中で夫婦が二人の名前を口に出して叱ってきたのだからこれは何かあると考えるのが普通であろう。
もっとも、なのはの両親にその辺りの自覚はないらしい。
それは、大人の固定観念が常識と照らし合わせて少女たちが名前を呼び合っていたのを聞いたのだろうと勝手に自分に説明をつけたのかもしれないし、単に二人のような焦燥感がないために不思議だとは思っても重視しなかっただけなのかもしれない。
はっきりしてるのは、自分たちもこの夫婦には初めて会った気がしないという既視感で、だからここに来たのは間違いではなかったと確信できる。
なんて顔を見合わせて笑っていたら更に説教を受けることになったわけだが、そんなのは何年も続いてきた理由の分からない懊悩に比べれば小さなことだ。
そして、明日からは、はやては学校に通いフェイトもプチ家出をやめて家に帰るという約束をすることでようやく許してもらい、しばらくの時間の経過の後、二人が待ちに待った高町なのはが帰宅した。
◇ ◇ ◇
高町なのはが自分の日常に違和感を覚え始めたのは一年前からであり、それははやてやフェイトに比べれば短い期間であったと言える。
だが、その心にある焦燥感は二人に劣るものではない。むしろ、勝ると言っても過言ではないだろう。
だからかもしれない。
その二人に出会って、声も出ないほどの驚きと歓喜に捕らわれたのは。
自分は、初めて会うはずのその二人を知っている。そんな確信が口を開かせようとした時、信じがたい言葉が耳に届く。
「あれ? フェイトじゃない」
「はやてちゃん? 足は大丈夫なの?」
それは、なのはの親友のアリサとすずかの口から出た言葉。
「アリサちゃん、すずかちゃん、あの二人を知ってるの?」
「どうしたのよ、なのは」
「知ってるも何も、あの二人は……」
続けようとした言葉が途切れる。
問われて初めて、自分たちが何やら驚いた顔でこちらを見返してきている二人と初対面であると気づいた。
途切れた言葉の続きに何を言おうとしていたのかすら分からなくなる。
もちろん、困惑しているのはなのはたち三人だけではない。
なのはしか見えていなかったフェイトとはやても、名を呼ばれアリサとすずかを認識した。そして、その二人を知っていると理解してしまった。間違いなく初対面だというのに。
だから混乱は当然であったわけだが、そんな中でなのはとフェイトだけは驚いている自身を客観視し考えを纏める思考を始めていた。
なのはは、一目見てフェイトが自分にとって重要な存在だと理解していた。
フェイトは、なのはの姿を見たその瞬間に、相手が自分にとってどれだけ大切な存在なのかを理解した。
その存在が、お互いの心の中にある記憶のピースを組み上げていく。
「ジュエルシードを集めていた。そう頼まれたから。そうしなければ大変なことになるから」
「ジュエルシードを集めていた。母さんに、そうしろと言われたから」
「そんな時に出会った、寂しそうな瞳の女の子」
「そんな時に出会った、まっすぐな目をした女の子」
「フェイトちゃん」
「なのは」
あるはずのない記憶が蘇り、二人は自分たちが親友であったことを思い出す。
もっとも、それで何かが解決したというわけではないのだが。
◆ ◇ ◆
「つまり、問題は私たちに別の人生の記憶があることなのよね」
真面目くさった顔のアリサの言葉に、その通りだと他の四人が頷くそこは、フェイトが借りているホテルである。
最初は、翠屋で話そうと思っていたのだが、なのはの家族を含めた不特定多数に見られる中で話すには電波が過ぎる話題だ。
なのはには、この第97管理外世界と呼ばれる地球の海鳴市にばら撒かれた、ジュエルシードというロストロギアを集めるために魔法を使い働いた記憶がある。
フェイトには、同じ物を求め、魔導師としてなのはと戦った記憶がある。
はやてには、闇の書というロストロギアの主となり、それによって落とすはずだった命をなのはとフェイトの手を借りることによって、救われた記憶がある。
アリサとすずかには、闇の書によって起こった事件に巻き込まれ、魔法というものになのはたちが関っていたことを知った記憶がある。
けれど、
「あくまで、記憶だけなのよね」
すずかの言葉に、うんうんと他の四人が頷く。
そう。あくまで記憶だけだ。
なのはの過去に、魔法なんてものと関った事実はない。
フェイトの過去に、管理外世界にいた魔導師と戦った事実などない。
はやての過去に、闇の書を保有していた事実はない。
当然、アリサとすずかが、なのはたちを通じて魔法や次元世界について知る機会など存在するはずもない。
そもそも、別の人生の記憶には前提からしておかしい部分がある。
次元航行艦が事故を起こしたのが、たまたま第97管理外世界で、偶然ジュエルシードだけがばら撒かれた海鳴市には、都合よく高い魔力資質を持ったなのはがいて、ちょうど強力な魔力結晶を欲しがっていたプレシアの保有する『時の庭園』が近くを通っていて、また都合よくプレシアの所には彼女の代わりにジュエルシードを集められる能力を持った魔導師であるフェイトがいた。
そして、同じ世界には闇の書があって、闇の書の守護騎士たちが主の命を救うために独断で活動し、なのはを襲ったのが偶然フェイトが地球に向かいやってきた頃であり、なのはの親友の一人であるすずかが、これまた偶然にはやてと出会い友人となっていた。
あまりにも、不自然なまでに偶然が続きすぎているのだ。
それらが何者かの作為だったというのなら分かるのだけれど、そんな事実があったという記憶はない。
だから、その記憶をただの妄想ではないと言い切ることができない。
「でも、妄想なんかじゃない」
フェイトの言葉に、他の四人も神妙に頷く。
妄想とは個人のものであるが、他人が共有できないものではない。
だが、それは気心の知れたもの同士が相互に話し合い、理解しあうことによってなしえる結果であり、それまで話したこともなかったはずの記憶が一致しているこの場合には当てはまらないはずだと少女たちは思う。
実際には、人の記憶など後付けで改変されていくものであり、話し合うことで本来は一致していなかった妄想を都合よく捏造してしまうことなど珍しくもないわけだが、大人びているとはいえ10歳やそこらの小学生が知らなくてもおかしくはないし、この場合は関係がない。
「だけど、妄想じゃないのなら何なのかな?」
呟くなのはに、少女たちは胸の前で腕を組んで考え込む。
蘇った記憶がもっと荒唐無稽なものであれば、前世の記憶に違いないとかいい加減な結論を出して自身を納得させることもできるのだろうが、自分たち自身が辿ったもう一つの人生の記憶となるとどう結論をつけていいのか分からない。
「もしかして、闇の書に見せられている夢?」
思いついたことを口にしたフェイトに、他の四人の視線が集まる。
「前に……、じゃなくて思い出した記憶に闇の書に取り込まれた経験があるんだけど、そこでわたしは別の人生を過ごす夢を見たことがあるんだ」
それは、思い出したもう一つの人生とも違う、フェイトの願いが生み出した都合のいい夢の世界。
自分に辛く当たっていたプレシアが優しく、彼女の使い魔であるリニスが存在を続け、死んでしまっているはずのアリシアが姉として生きていて、アルフが傍にいる優しい夢。
それは、今の自分の人生とよく似ていて、だから今の自分たちも夢を見せられているのではないか。
そう思っての言葉に、なるほどと声が上がるが、一人はやてだけはそれに異を唱える。
「それは違うと思うで」
「違うって?」
「ちょう思い出してみて。わたしも、闇……、夜天の魔道書に取り込まれて夢を見せられたことがあるけど、夢は夢や。ちょっと考えれば、現実やないってわかったはずや」
そう。夢の中というものは、別に整合性がなく不条理であっても疑問を感じない世界ではあるが、見ている人間の過去の記憶が改竄されたりはしない。
実際、闇の書に取り込まれ夢に捕らわれたフェイトも、現実の記憶はそのままであったはずだ。
そもそも、今いるこの世界が夢だというのなら、彼女たちはいつから夢を見ていたというのか。
なのはたちはともかく、はやてやフェイトは何年もの間、今の人生を違和感と共に生きてきたのだ。
「なら、いったい?」
首を傾げる少女たちは、しかし正解が見つけられない。そもそも正しい解答が用意されているのかも定かではないのだが。
もはや、自分たちだけでは、これ以上のことは分からないと理解した少女たちは、それなら別の誰かに話を聞くべきではないかと判断する。
「ユーノくん」
「クロノ」
「グレアムおじさん」
なのは、フェイト、はやてが口にした名は、彼女たちの持つもう一つの人生の記憶において、重要な位置にいた者たちである。
彼らと話ができれば、もっと多くの事が分かるのではないだろうか。
そう思ったのだが、いつの間にか部屋に戻って来ていたアルフが口を挟んできた。
「無理に決まってるだろ」
「なんで?」
フェイトの問いは、自分では当然のものであると思ったのだが、それにアルフは呆れた顔をする。
「ユーノは、スクライア一族だから色んな所に発掘に行っててどこにいるか分からないし、誰かに聞いて教えてもらえるものでもない。クロノは、時空管理局の執務官で忙しいし、グレアムも提督とかそんな偉い立場の人だから、あたしらみたいに面識もない一般人が急に会いたいって言ったって会えやしないよ」
実に、ごもっともなお言葉である。
しかし、
「でも、ユーノくんたちだって、わたしたちと同じように別の人生の事で悩んでるかもしれないよ」
「ないね」
なのはの言葉を、ざっくりと切り捨てる。
「もし、同じように悩んでるなら、ユーノはともかくクロノとグレアムは他にリンディやエイミィとも相談して、とっくにあんたたちのところに確認に来ているはずさ。それがないってことは、同じような記憶がないってことさ」
一々ごもっともな指摘に、なのはたちは沈黙するしかない。
それ以前に、アルフがユーノたちのことを知り合いであるかのように気軽に口にしたことに驚くべきであったのかもしれないが、あまりにも自然な口調であったためそれには五人の誰も気づかなかった。
「じゃあ、どうすれば……」
諦め悪く、そんな事を言う少女たちに、アルフはため息を吐く。
「アイツに相談してみたらどうだい?」
「あいつ?」
「アリシアの旦那だよ」
「でも、あの人は……」
この件には、何の関係もない人間ではないかとフェイトは思う。
そもそも、もう一つの記憶ではアリシアは鬼籍に入っており、その結婚相手などという者は存在すらしないのである。
けれど、アルフは言う。
「わけの分からないことが起こったら、ロストロギアを疑うのはおかしなことじゃないだろ。それでロストロギアは時空管理局の管轄だから、管理局の事務員に相談するのは間違いじゃない」
それにと、アルフは言う。
「フェイトが、ここ第97管理外世界に来ようと思った切っ掛けはアイツが集めていた記事を見たことだ。何か知ってても不思議はないだろ」
言われてみれば、その通りな気がする。
少し強引な理屈ではないかとも思うが、代案があるわけでもない。
だから、少女たちの三人、なのは、フェイト、はやては『時の庭園』に向かうことになる。
アリシアとその夫は里帰りしてきて『時の庭園』にいるから。だからこそ、アリシアと顔を合わせるのが嫌なフェイトはプチ家出をしていたのだから。
そして、善は急げとばかりに三人が『時の庭園』に向けて転移魔法で姿を消した後、何の疑問もなくホテルに残ったアリサとすずかにアルフは向き直る。
「あんたたちも大変だね」
告げられた言葉の意味が分からない二人に、アルフは無造作に歩み寄りその額に両手の平を触れさせる。
それが何を意味する行為なのか、二人には分からない。
ただ、次の瞬間二人は一度、まばたきをして顔を見合わせる。
「えっと、わたしたちは、どうしてここにいるんだっけ?」
「うちのフェイトと、あんたたちの友達のなのはが仲良くなったんで、その繋がりであんたらも友達になって遊びに来たんだろ」
打てば響くような明瞭な返答に、そういえばそうだったなと二人は納得する。
「で、あの子らはフェイトの実家の方に行ってるけど、あんたらはどうする? 帰るのを待つかい?」
うーん。と二人は考える。
多少待つ程度なら苦痛ではないが、話からするといつ帰ってくるかも分からないのを待つのは相手の迷惑も考えると悪い気がする。
「じゃあ、今日は帰るから後で連絡するように言ってくれる?」
そんな言葉を残して出て行った二人を見送って、アルフはため息を吐く。
多分、自分がアリサやすずかと顔を合わせることは二度とないだろう。
なぜなら、この宇宙においては、自分の主であるフェイトと管理外世界の少女たちには何の繋がりもないのだから。
「けど、それが悪いとは思わないんだけどねえ」
この世界において、フェイトは友達を持たない。
けれど、それは現時点の話であって将来もそうであるとは限らない。
違法研究によって生まれ、それが理由で『時の庭園』を出る事のないフェイトだが、プレシアも娘を一生涯閉じ込めておこうと思っているわけではない。保護者がいなくとも自分の足で立っていけるくらいに成長すれば自由にさせる気でいるのだ。
その結果、人造魔導師研究の事が露見しても罪に問われるのはプレシアであってフェイトではない。
娘婿も罪に問われるかもしれないが、管理局も鬼ではない。一人では生きていくのも難しい妻を抱えた男を拘束することはなかろう。罰金は取られるだろうが。
そうなれば、フェイトの世界も広がり友達もできるだろう。
もちろん、管理外世界の住人である、なのはやはやてと親友になる事は叶わないであろうが、母に愛され優しい姉夫婦に見守られる今の生活に代えられるものとは思えない。
もっとも、
「そう考えるのも、あたしが偽者だからなのかね」
自分の他に誰もいない部屋で呟いたアルフの言葉は、誰に届くこともなく消える。
後編に続く
────────────────────────────────────────────────────────────────
15kbの短編の予定で書いてたけど、思ったより長くなったので前後編に分けて、前編だけ推敲して投稿してみました。
後編は明日にでも推敲しようと思います。