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[22833] 血溜まりのクドー(アークザラッド2二次創作・転生オリ主)
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2013/08/27 08:51
習作。
転生オリ主。
強キャラ。
厨ニ文章。
ゲーム準拠。
既プレイ推奨。
どう足掻いても厨ニ文章。

以上、注意書き。









[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2010/11/02 04:34
眼下に広がる灯の一つ一つをなぞっていく。
緑、赤、黄、そして白。
どれもこれも街明かりのそれと言うには目にきつ過ぎる。
空を見上げた。
黒が一面に広がるその空には、所々に煌めく星の光。月の光。
そしてその黒の中に蠢く雲。蠢く白。
目を細める。見えたのは巨大な飛行船だった。

心がざわついた。

再び眼下に眼をやれば、その光景がやたらと輪郭を帯びてくる。
航空灯、誘導路、滑走路、少し遠くに聳え立つのは管制塔か。
ふと空に響く轟音に釣られて空を見上げる。
先ほど見えた白い飛行艇がエンジンとプロペラを回しながら高度を下げつつあった。
唸る風。身に纏う外套と衣服と包帯を靡かせる。

心がざわついた。

耳が遠くなるほどの音が次第に小さくなり、飛行艇の中からは大勢の乗客が。
いや、どちらかというと兵隊か?
全身を黒で塗りつぶした兵隊服。肩に背負われた銃。どれもこれも見慣れた物だった。
見慣れ過ぎた者共。

≪あれか?≫
≪運命の時≫
≪キヒヒ……始まるみてぇだな≫

幾つもの心がざわめいた。

内に溢れる様々な声共に一喝する。
それぞれ無言と謝罪と愚痴を飛ばして黙りこくった。
どれもこれも曲者ばかり。
しかしこれがなくては何も出来ない。

この身をすっぽりと覆う灰色の外套が一度大きく揺らいだ。
その下の胸元に取り付けられた5本のナイフを手でなぞる。
幾人もの血を啜ってきたナイフ。
おそらくは最も忌避されなければならない手段そのもの。
だが何の因果か、俺はそれに慣れてしまった。

≪お? 乗っ取っていいか?≫
≪止めておけ、軟弱者≫
≪あァ? 犬っころは黙ってろよ≫

心情が筒抜けと言うのは決して心地良いものではない。
外套。衣服。包帯。皮膚。その下にいる輩が小うるさく吠える。
一匹はそれなりに協力的だ。
一匹は攻撃的だが阿呆だ。
一匹はあまり喋らない。むしろ先ほど聞こえた声が久々の声だったかもしれない。

心がざわつく。

だが揺れることは許されなかった。揺れればこいつらが喰いにかかる。
人を名乗るのならば、迷いも、躊躇も、葛藤も必要なものだろう。
だが、それ許されるほどの境遇に立つことは出来なかった。
自己を明確に認識した時点で、既に逃げ場はなかった。
故に、襲いかかる全てをねじ伏せようと決めた。

≪けっ、分かってるっつの≫
≪ふっ≫
≪…………≫

恨もうとは思わなかった。
こういう理不尽がまかり通るのが、この世界だったから。
いや、むしろ俺が生きていた世界でもこのような闇はあったのかもしれない。
平和を嗜むことに溺れていただけで。
だとしても、この世界は俺にとってあまりにも――――。

絶望しかけた。
しかけた、だけだ。
すればよかったのかもと稀に考えることがあるが、そのような邪念など一秒も続かない。
それほどに俺は救われた。

だが、彼女らは、彼らは救われない。

≪へへへっ、血溜まりクドー、今此処に反逆せんってかァ?≫
≪それを見届けるために我らはいる≫
≪運命の、時≫

故にそれだけは……友だけは救うと決めた。
例え彼らが救いを求めないとしても、例えそれが崩壊の兆しを含んでいても。
ただ、俺のために。
ただ一つ執着出来た心のために。

爆音。

それに続いて瓦礫が崩れ落ちるような金属音も聞こえた。
さらには誰かの悲鳴も。
合間に銃声。
先ほど飛行場に着陸したばかりの飛行艇を見やれば、人影が二つ。
逃げる誰かと、追う誰か。

片方は知識と記憶にしかない。
つまりは逃げる方。
片方は、記憶と知識と、そして縁があった。
俺を繋ぎとめる縁の一つ。

飛行艇の中に入る二つの影の内、追う方ばかりを見つめていた。
彼の後ろに靡いていく赤のターバン。浅い黄緑の外套。
管制塔のてっぺんより眺める彼の顔は、まだ見えない。
やがて二つの影に一つの影がいつのまにか加わり、飛行艇の甲板にてそれぞれは相対した。
そういえば背丈の小さい獣の姿もある。

始まる。
始まるぞ、血溜まりクドー。
既に歯車は狂っている。
何を恐れるものか。
この日を俺は待ちわびていたのだ。

空にこの身を躍らせる。
足を付けるのは遥か眼下の飛行艇甲板。
ただの人間には耐えられない衝撃がこの身を襲うのだろう。
あそこにいる三人は凄腕ハンターと魔女と正当な血筋を持っていただろう混ざり物。
ただの人間には介入することも許されない闘争が始まるのだろう。

この腐った身体を叩きつける風が俺を襲う。
果たして風に靡く外套の音に気付いたのはハンターか、魔女か、獣か、混ざり物か。
ハンターはこちらに気付くと同時に、背後から襲いかかる魔物を槍で捌いた。
ジャイアントバット、だったか?
混ざり物が召喚した魔物故にか、その力は羽虫の如く。

破砕音を立てながら甲板に着地。
同時に魔女の傍にいた獣が俺に向かって吠えた。
魔女は俺に気付いて身体を震わせた。
俺は見る。
他の誰でもない、そのハンターの姿を。

「おい、こいつも追手の一人って奴か?」
「ち、違う、と思う。あんな人は見たこともないし」

ハンターと魔女が互いに此方を警戒した。
彼らを挟んだ向こう側。
混ざり物は、俺の姿を捉えるなり悲鳴を上げた。
絶望にも似た悲鳴だった。

「ヒッ……お、お前っ! く、来るなっ! 来るなよ!!」

恐慌に陥る混ざり物と俺だけが状況を理解出来る。
ハンターと魔女には分からないだろう。
混ざり物が地べたを這いずるようにして飛行艇よりその身を投げ出そうとした。
しかし――――。

すまんな。
確か、アルフレッドとやら。
知識と記憶だけでは、お前を助ける選択肢は取れないんだ。

瞬間、風を切る音。
ハンターと魔女の間を縫うようにして線を残す銀色は、混ざり物の額に赤をぶちまけた。

「あがっ……あ、あァ……ねえ、さ……」

悲しげな断末魔と共に、アルフレッドは大の字のままに倒れて事切れた。
外すわけもない。
幾度もこのナイフは肉を突き、切り裂いてきたのだから。

「なっ……」

声にならぬ戸惑いを上げる魔女を尻目に、ハンターはその鋭利な槍の先を俺に向けた。
やがて薄暗がりにはっきりと見えてくるハンターの貌。
童顔なそれは俺の待ち望んだヒーローの顔。
その身が構える牙は、全てを燃やしつくす紅蓮の炎。

その瞳は、俺の思い出の中にある紅のままだった。

やがて俺の背後よりぞろぞろと現れる、黒のスーツに身を纏った男達。
槍を向けられながら感傷に浸っていた俺の隣に並び、空気の読めないことを言う。
魔女の獣なぞは、そんな俺と黒服に唸り声を上げている。
魔の住人がそのような気高い心を持つ。
俺も魔女の下僕になれればそのような心を持てるのかと考えた。

黒服が言ったのは諦めろだの、娘を渡せだの、ハンター風情が、だの。
よく聞いていなかったから記憶にも残らなかった。
ただ銃を突きつけ、甲板の端まで追いつめて行く黒服。

「私……そっちに行きます」

ふと、魔女が――――儚げに笑いながら肩を落とした。
彼女とハンターの『今現在』の関係は記憶している。
飛行船ジャックの犯人を追ってきたハンターが、たまたまその道中で拾った火中の栗。
それを巻き込むなどと……おそらくは心優しいだろう魔女にはできなかった。

にやりと汚らしく笑う黒服に眼を顰めるが、俺は動かない。
記憶でもなく、知識でもなく、俺は彼がどうするのかを分かっているから

多勢に無勢の状況の中。
おぼつかない足取りで黒服へとその身を預けようとする魔女に呆けていたハンター。
こちらに近づいてくる魔女の表情はよく見える。
諦めの表情。
チラリと俺の方を見ると、彼女はもう一度身体を震わせた。

「俺を……」

風が吹く中、ハンターが、彼が、炎が声を漏らした。
俺の待ち望んでいた声だった。
そして炎は、ただがむしゃらに吼えた。

「俺を見損なうんじゃねえ!!」

エルクよ。
あの白い家で友になった炎のエルクよ。
俺のことは覚えているだろうか。
俺の事を思い出してくれるだろうか。

まるでヒーローのようにその魔女を掻っ攫ったエルクは、鉄線を伝って一気に遥か遠くまで逃げて行ってしまった。
そしてそれを無様に止めようと銃を乱射する黒服。

「クドー! 何故止めなかったっ!」

やがて飛行場の奥へと姿を消していった彼らの後を眺めていれば、黒服が俺に叫んだ。
怒号。戸惑い。そして少しの恐怖を。
どうせすぐにばれることだろう。
俺は物語を加速させるためにさっさと真実に近い事を話してやる。

「炎使いのエルク。白い家。ガルアーノ様に言えば分かるだろう」
「白い家……? 何のことだ」
「さて……俺も少々度肝を抜かれただけだ」

もはや俺に向ける黒服達の声など届かなかった。
先ほど見たエルクの顔を、声を、もう一度思い出す。

≪あれが、エルク、ねぇ。ただの餓鬼じゃァねえのかい?≫

小うるさい心の一つが思い出を邪魔する。
だがその言葉は頑として否定してやろう。
彼は、ただの餓鬼じゃあない。

物語の主人公とでも言えばお前達には分かりやすいのだろう。
彼をただの絵本上の人物と見るには、少々深くかかわり過ぎた。
所詮幼少の頃の数か月ではあるが。

≪さて、物語通りに動くのだろうか≫

もう一つの心が言う。
動くはずがない。
断言出来るほどに、俺は既に色々と狂わせてしまっている。
だからこそ、俺が動かねばならない。

≪決意≫

そうだ、その通りだとも。
俺の望みはただ一つ。

友を救う。
それだけだ。








[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:d5cc582e
Date: 2010/11/23 05:09
東アルディアをさらに東部と南部に分かつアルディア橋より北。
一般にはプロディアス市長が住んでいる豪邸などと認識されているが、はたして真実は。
どちらにしても一般市民には縁の無い所だ。
何より入口に立ついかつい黒服の警備員は、好んで来客をもてなすような輩でもない。
そしてそこに住むプロディアス市長もまた。

「逃がした?」
「は」

豪邸の一室である市長室。
黒光りする椅子に座ったまま、俺の目の前で面白くなさそうな顔をする男がいる。
瞳を探らせない赤茶のサングラスと乱暴に加えられた葉巻。
ギャングかマフィアの親玉を感じさせるいかついスーツ。
悪役の三点セットを身につけるのは、話題の市長・ガルアーノ。

「お前ほどの者がたかがハンターに後れを取るとは思えんが」

こちらの失態をねめつけるように紫煙を吐いて先を促すガルアーノ。
どうやら今回のことはこいつにとってもそれなりに痛い出費だったらしい。
何せガルアーノの進めるプロジェクトには必要な人材だったから。

キメラ・プロジェクト。
馬鹿げた企みではあるが――――まぁ、複雑な所だ。

エルクによって奪われた魔女の名前はリーザ。
フォーレス国の伝説に名を残す『ホルンの魔女』の生き残り、だったか。
その血筋はガルアーノのプロジェクトにとってこの上ない材料になるのだろう。

「我らの邪魔をしたハンターのことですが……私の記憶が正しければ、炎使いかと」
「炎使い……? まさか、あの脱走した……」
「ほぼ確定かと。プロディアスのハンターズギルドで炎使いと名乗っていたようです」
「ク、クククッ……そうか。そうか!」

俺にとってはさも幸運を得たりと笑う目の前の男を嘲笑せざるを得ない。
顔を絞って腹の底から笑うガルアーノに眼を細める。
包帯の合間より見えた視界に映る奴の顔は醜悪だった。

どちらにしてもこれで舞台の幕が上がる。
この東アルディアで起きる演目はそう多くない。
どれもこれもプロローグに過ぎず、本舞台はあの忌まわしき白い家。
それまでに演者の立場を盤石にするのが俺の役目だ。

「で、足取りは?」
「ハイジャック事件の影響でプロディアスに戻るようなことはないでしょう」
「インディゴスか?」
「魔女を連れながらではそう遠くには行けないかと。部下の一人が手傷を負わせています」
「殺してはいないだろうな?」
「無論」

ククッと口角を吊り上げて笑うガルアーノに、俺は無言。
嫌悪感を隠すことなど既に慣れた。
しかし物語の始まりに俺の心を浮かれているのか。
少し身体が揺れれば、外套の下のナイフがカチャリと揺れた。

やがて命令を待つ俺を放って受話器を取り出したガルアーノ。
話した内容は……まぁ、分かりやすいものだ。
白い家への連絡。手駒の要請。凍結プロジェクトの再開。
そんなにエルクの消息を知ったのが嬉しいか、ガルアーノ。

「サンプルMは沈黙。Jはヴィルマーと共に消えた。お前は……まぁ、使えるが」
「…………」
「フハハハ……。奴の力は本物だ。知っているだろう?」
「レポート上での話であれば。あの時の私は、未だ力も知らぬ餓鬼でした」

鼻を鳴らして俺の顔に葉巻の煙を吐くのは、機嫌がいいのか、悪いのか。
気の利いた台詞が欲しいのであれば、同じ狂気に見舞われた研究者にでも告げればいい。
エルクの帰還を知れば、白い家の奴らは諸手を上げて狂喜乱舞するのだろう。
吐き気を催すほどに邪悪だ。

どちらにしてもエルクを見つけたガルアーノはどうするのか。
おそらくは炎使いと魔女のどちらも手中にするために、それなりに慎重に動くのだろうが。
いや、慎重ということではないな。
まるで狩りをするかのようにゆっくりと楽しむつもりか。
いかつい髭面を徐々に歪ませていくガルアーノを見ながら、俺はそんな予感がしていた。

「適当に捨て駒でもぶつけておけ。足止めにもなるまいが……」
「釘づけには出来る、と?」
「空港を抑えつけておけばそう遠くには行けまい。それよりも殉教者計画の方だ」

忌々しそうに舌打ちを鳴らすガルアーノではあるが、所詮エルクのことも偶然の話。
ハイジャック事件の真の目的とは別にある。
そもそもは殉教者計画の要である女神像の輸送こそが本来の目的だったのだ。

この世界の中心。この世に蔓延る悪の巣窟。
そんな腐った国であるロマリアからの贈り物。
女神像を起点に始まる殉教者計画。
その流れを円滑にするための空港占拠だったのだ。
しかし、物語の流れは本筋通りに『アルフレッド』の反乱に。

「計画の遅延は認められない。貴様が空港占拠の舵を取れ。失敗は許さん」
「式典の開催は?」
「二週間後だが三日以内に終わらせろ」
「御意」

占拠と言っても空港の係員を全て魔に取り入った部下達にすげ替えるだけだ。
まあ、元の係員はご愁傷様と言うしかないが。
やりようによっては暗示を掛けるだけで済むかもしれない。
所詮俺に残された良心の呵責に左右されることだ。

さも成り金が好みそうな椅子にふんぞり返るガルアーノに一礼。
これ以上交わす言葉などないと部屋のドアに手を掛ければ、背後に声が掛かった。

「貴様から見て、エルクはどうだった?」
「……手強いかと」
「クックック……手強い……手強いか!」
「…………」

それはエルクのことを考えた狂笑ではない。
その嘲笑は俺に向けられたもの。
言ってしまえば白い家で苦楽を共にした俺の立場を突いてのことか。
どうしようもないほどに嫌な奴ではあるが……。
さも自分の思い通りに動いていると考えている辺りが無様だ。
笑ってやりたいのはこちらだよ。ガルアーノ。





空港占拠の指揮を任されたとはいえ、俺が直接空港に出向くことは出来そうもない。
そもそも傍から見える俺の容姿は、その全てを包帯で巻かれたミイラ男。
アリバーシャやアララトス辺りであれば俺の姿も珍しくはないだろうが、ここは都会だ。
表だって動くのにはこの姿は目立ち過ぎる。

他の魔物やキメラモンスター然り、ある程度の擬態能力を持っていればいいのだが……。
あいにくこの身はプロトタイプだ。
人の生活の中に溶け込む様な目的には作られていない。

故に黒服の部下達を使うしかないのだが、面倒な話だ。
幻術を扱える部下には任せているが、面倒だと言って空港関係者を皆殺しにしかねない。
そもそもロマリアの威光を笠に着れば、そこらの一般人など簡単に引かせるだろうに。
いや、ハイジャック事件のおかげで厄介な警察の輩が出回っている影響もあるか。

全くもって魔法と魔物が蔓延る世界だと言うのに、こういうところはどこだって変わらない。
むしろ高層ビルを連ねるプロディアスの街が異様に思えてしまう。
何故にこうもアンバランスな世界に俺は生きているのだろうか。
――――無用な思考。愚痴のようなものだ。

兎にも角にも俺が考えなければならないところはそんなものではない。
物語の流れに乗ることになる人物達。
エルクとリーザは流れ通りにインディゴスに身を隠しているだろう。

空港の占拠など片手間でも三日以内で出来る。
そんな折に、部下より一つの報告が上がった。

「情報屋?」
「……女だ。どうやらガルアーノ様の周りを嗅ぎ回っているらしいが」
「殺したのか?」
「ふん……権力を持つ者に纏わり付く馬鹿など、一々構っていられるものか」

俺の言葉にさも不愉快と言わんばかりに答える黒服。
部下と銘打ってはいるものの、俺に対する風当たりは強い。
俺がもしもキメラプロジェクトの成功例だとなれば、こんなこともなくなるのだろう。
だが、実際にクドーという存在は……。

どちらにしても闇に手を染め、そのまま溺れる輩から受ける態度になど興味はない。
いずれ殺す三下など放っておけばいい。
むしろ無用な同情を抱かずに済んで楽なものだ。

「おい、聞いているのか?」
「…………その女の名は?」
「シャンテ。酒場で歌い手として働いているところも見られている」

少しばかり考え事に回した頭を目の前で苛立つ黒服に向ければ、女の名を答えた。
予想通り、か。
……物語どおりなのか。





プロディアスの街はロマリアの中心街に負けず劣らずの大都市だ。
多くの人間が住みつき、東アルディアの玄関口として観光客を受け入れる下地もある。
勿論、冒険者のそれらを受け入れるものも。
『金さえあれば何でもやる』と言われるハンターが生まれたのもこの街だ。

故に武器屋や鍛冶屋、さらにはこの世界でも一番大きなハンターズギルドもある。
つまりは、それなりに物騒な姿をした荒くれ者もいるということだ。
無論こんな大都市で、ガルアーノの眼が光るこの都市で調子に乗る馬鹿はいないが。

そんな大都市の中心部より滅法外れた路地裏。
大きければ大きいほどに影の濃くなる裏の街であれば、俺の姿もそう目立つものではない。
優雅な都市の裏側で蠢く悪の匂い。
その匂いのどれほどが、俺のよく知る腐臭を漂わせているのだろうか。

魔に属する以外で悪党を名乗る者は結構少ない方だと理解しているのだが。
盗みを働く。誰かを殺す。人を騙す。
分かりやすい犯罪とは、大抵にして人間が起こすものだった。
俺の世界ではそうだった。

しかしこの世界は俺のそれよりも厳しく、危険がすぐ隣に潜む世界だ。
モンスター、魔族といった分かりやすい悪がいる。
ひょっとしたら、俺の世界よりもこの世界の方が罪を犯す割合は低いのかもしれない。
必要悪のつもりなのか。どちらにしても無意味な思考だ。

≪まァた、わけわかんねーこと考えてやがる≫

心の奥底。
鬱陶しい一匹が嘲るように零した。
馬鹿をそのまま声にしたような音に、こちらも腹立たしくなる。
しかしこいつの言う通り、世界の仕組みを考えることなど無意味過ぎた思考だ。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為すか≫

あまり喋ることのない一つの声を流しながら、路地裏の一角にある小さな建物に入る。
ドアノブに手を掛ければ軋んだ音を立てて開く。
中は物置のようになっており、ただ小さな蝋台があるだけだった。

≪けけっ、お前ん所じゃ雅って言うんだっけか? それとも粋ってやつか?≫

相変わらず小馬鹿にしたような声。
幾度こいつを逆に喰ってやろうかと思ったことか。
いや、既に喰っているのか。

周りを見回しながら他に光源となる物を探しても、目当ての物はない。
電気の通っている街でこの灯りはどうにかならないものか。
…………いや、これから会う人間に俺の姿をつま先から頭まで知られるよりはいいか。
暗がりであれば、俺の姿も妙におどろおどろしいだけだ。

≪シャンテ。主が出会う一人目であろうか。どちらにせよ、感慨深い≫

やけにバリトンの利く一つの声が心に落ちる。
一番協力的であり、なおかつ理性をきちんと保っている声ではあるが、こいつは傍観者だ。
馬鹿も鬱陶しいが、俺の行動一つ一つを観客のように見るのもまた、鬱陶しい。

――――この世界の住人から見れば、俺もまた一種の傍観者に過ぎないのか。
灰色の画面に映し出されるこの世界は、悲しみも苦しみも等しく俺の娯楽だった。
ナンセンス。
ああ、全くもってナンセンスだ。

しばし蝋台に火を付けたままシャンテの来訪を待つ。
結局彼女と交渉するのは部下を通すことなく俺が行う事にした。
彼女の行動を直接操れるのは利点であるし、他の横やりも気にせずに済む。

胸に付けているナイフの一つを取り出し、彼女が車でしばし弄くる。
包丁は握っていても、ヒトを切るナイフを持ったことはなかった。
しかし、今となってはこの通り。
曲芸師のようにそのナイフを掌で躍らせる。
躍らせている手は肌色のそれなぞ一部も見せず、その全てが白い包帯だった。





◆◆◆◆◆





今この世界の裏ではどす黒いほどの闇が蠢いている。
幾つもの国家や大陸の裏で蠢く闇に気が付いている勇者は少ない。
気付かずにそのまま闇に埋もれた国も少なくない。

闇の名はロマリア。

世界でも一番に発展している超大国であり、それが誇る軍事力は各国を遥かに凌駕する。
闇が緩やかに入り込んだのは、この国が最初であった。
果たしてその過程に一体何があったのか。
そもそも闇がロマリアを狙ったのは何故か。
今となってはそんなな始まりの話などどうでもいい。
結果として、そのロマリアが闇に染まり、そして世界が闇に埋もれようとしている。

無論光を担い、世界を救おうという勇者もいる。
エルクとリーザもまたその戦いに巻き込まれ、いずれ光を担う人物だった。
英雄譚では珍しくもない光と闇の戦い。
これからもその戦いは激化していくのだろう。

そしてクドーは、闇に佇む存在であった。
その住人になってしまった。
彼が生まれたのは白い家。
闇の中で猛威を振るう四将軍。その中の一人であるガルアーノの居城であった。

クドーは生まれるなり自分の運命を呪った。
彼がただ闇の中に生まれた凶児であるのならば、傲慢なままに生きたのだろう。
しかしクドーには、誰にも知られぬ秘密があった。

転生者。真実の一部を知る者。
この世界に生きる光と闇の物語を、彼は知っていた。

そして今、彼は血溜まりクドーという異形の身でガルアーノの下にいる。
獅子心中の身として一人世界の流れを征しようとしている。
彼が望んでいるのはただ一つ。
友を助けることのみである。

果たして彼は光に立つ者か。
それとも闇に立ってしまう者か。

彼はそれを気にしたことはない。
どちらに立とうとも、彼が願い、そして動く理由は変わらないのだ。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:925e2f22
Date: 2010/11/06 17:39



恐る恐るといったように開かれたドアの音に気付き、そちらを見やる。
足音もドアを開ける音も静かに、同時に漏れてくる外の世界の光。少しだけ眼が眩んだ。
そして光を背負いながら現れたのは、深い青のドレスに身を包んだ妙齢の美女。
蒼の瞳と大きな輪のイヤリングが特徴的だった。
俺の記憶と知識にある姿と変わらない、勇者のうちの一人。

「ブラッド、でいいのよね?」
「シャンテ、だな?」

偽名は必要だが、合い言葉など必要だとは思わなかった。
戸が閉められ、薄暗がりが戻る中で相対する美女と異形。観客など集まりそうもない演目だ。
小さな光源が支配する部屋の中でも、目の前の彼女が歪めた表情はよく見えた。
……既に弟が此方側にいるのは知っているか。それとも俺の姿は醜悪だったか。

「で、依頼の話なんだけ、どっ……!?」
「動くな」

シャンテがため息を吐くかどうかの合間。
一気に間合いを詰め、彼女の首元にナイフを突き付ける。
椅子から立ち上がる物音も、気配も、ただナイフが空を走る音だけしか残さない。
銀色の光るナイフと、金色に光る彼女のイヤリング。蝋燭の火を反射して、互いの顔を照らす。
シャンテの息を飲む音が鮮明に聞こえた。

「…………」
「嗅ぎ回る相手を間違えたな」
「……これでも分は弁えているつもりなんだけど」
「弟」

震える声で言葉を選ぶ彼女には申し訳ないが、もはや逃げ場はない。
物語ではそうなる予定だ、などと言い訳するつもりなどない。
ただ俺の目的のために巻き込み、そしてあなたの努力を無駄にする。
――――俺が、無駄にする。

心の中。
愚図共が騒ぐ。
視界が、ぼやける。

俺の言葉にシャンテはしばし呆然とするが、堰を切ったかのように俺へ手を伸ばした。
既に俺の突きつけたナイフになど意識がいっていないのか。
無論その手を抑え、彼女と真っ向から瞳を合わせる。
真実、その瞳は怒りに満ちていた。

「返して」
「条件を付ける」
「返して!」
「騒ぐな」

握るナイフに力を込め、甲を首に押し付ける。
口は閉じられ、腕の力が抜かれたというのに、その瞳だけは揺らがない。
まるでエルクの炎のように燃え上がっているようにも見えた。
心が締め付けられるような沈黙の中。逸らすことのない互いの瞳。
俺はナイフを彼女の首から外さぬままに言葉を連ねた。

「お前と同じように、此方を嗅ぎ回る奴がいる」
「…………」
「インディゴスに身を隠している少女と少年の二人組だ」
「……殺せと?」
「二週間後にプロディアスで開かれる式典の会場に二人を誘導しろ。それだけだ」
「そうすれば、弟は……アルはっ!」

怒りを燈しながらも、縋る様にして声を荒げる。
彼女にとって何よりも大事な家族。自らの半身とも言えるだろう愛する弟。
条件をいくら付けようとも、シャンテは歯を食いしばり頷くのだろう。
どれほどの罪を背負うとも、前に進むのだろう。

≪クッ……クククッ……≫

失せろ。
ざわめくな。
人間のように迷うな、クドー。


「ガルアーノ様の周りでその命を投げ出していたお前を拾ったのは此方だ」
「ぐっ……」
「だが、前向きに考えてはおく」
「外道っ」

吐き捨てるように投げ掛けられた言葉は、何一つ反論し得ない罵倒だった。
そして、何よりも的を射ていた。
そうだ。そうだとも、血溜まりのクドー。
今更、だ。

いやらしいほどに醜悪な笑みをシャンテに返す。手本なら上司に一人いる。
唇を噛み、白くほどに握りしめられた両腕を垂らし、彼女はただ睨むだけ。
待っていたと言わんばかりに、心の三つはそれぞれ笑う。嗤う。嘲笑う。

「仕込みが欲しいのなら言え。部下の2,3人なら貸してやる」

逃げ出す様にして、逃げ惑うようにして。
暗がりの部屋を後にすれば、彼女の泣き声が聞こえたような気がした。





余計な情報は渡さない。
余計な命令も与えない。
ただ式典会場という舞台に役者を与えれば、後は役者の問題だ。
俺が手を出す意味はなく、これ以上は歯車を軋ませることになりかねない。

徐々にエルクとリーザはシャンテの誘導によって此方側に気付き始めるのだろう。
キメラ研究所であった白い家での記憶。
背後で暗躍するガルアーノの影。
そして、記憶の底に沈んだ思い出がよみがえる。

先を考える。先を考える。
既に歯車は狂っているというのに、俺は歯車をひたすら回す。
俺の望みが叶う時。
その時まで回っていれば――――それでいい。

アーク。
この世の闇を光でもって照らしだし、人々に希望を与える勇者。
明確な意思を持って闇を打倒せんと世界を廻る勇者。

殉教者計画の一部を知り、式典当日に奇襲をかけてくるのだろうか。
それとも、ただ単にガルアーノの手を潰すために来るのか。
運命の日。
エルクはシャンテに誘われて舞台に上がるだろう。
アークも舞台に駆け上がるのだろう。

不安だ。
果たして物語通りにエルクはあの孤島へと辿り着くのだろうか?
シュウは? リーザは? …………ジーンは、元気にやっているのだろうか。

だろう。だろう。だろう。
確定出来たものなど一つもなく、俺の知識などどこまで通用するのか分かったものではない。
しかし勇者ではなく、闇でしかない俺には伸ばせる手が濁ったままだ。

ガルアーノより情報を貰う。
話によればロマリア近辺で動いていたアーク一味が飛行船で他大陸へと渡ったようだ。
淀みなく、物語は動いているようにも思える。

シャンテという手駒を得て、式典会場にエルクたちをおびき寄せる旨を話す。
無論ガルアーノは喉を鳴らして笑った。
何一つ失敗を可能性に求めていない、傲慢な奴。
既に弟が死んでいる事を話せば、さらに声を上げて奴は笑った。

もう少しだ、クドー。
もう少しだけ、運命に抗い、死ねることに歓喜しろ。
誓いの時は近い。

ミリル。もう少し待ってくれ。





◆◆◆





魔とヒトを掛け合わせ、そのどちらよりも強い力を持った存在を生み出す。
キメラプロジェクトの内容は大体にしてそんなところだった。
魔にしか持ち得ない強靭な身体。ヒトにしか持ち得ない知能。
このプロジェクトの始まりはそんな単純な試みでしかなかった。

だが闇の手腕を持って加速したその研究は、もっとおぞましいものへと変貌していく。
元々倫理観などあってないような研究だ。
どのような変化を遂げたとしても、根本は変わらないだろう。
キメラプロジェクトは、人間という種にとって忌むべくことだ。

しかしこの世界には、それを好む人間がいる。
貪欲に求められる『力』。
人間という弱者の立場から逃れることによって得られる充足感。
それに惑わされる愚者は、存外に多い。

「……裏切っただと?」
「第7世代のプロトキメラだが、元々は単なるチンピラに過ぎない奴だ」
「…………」
「よくある話だ。適当に処分せよとの命令だ。分かったらさっさと行け」

部下であるというのに、黒服の言葉はどこまでもその関係を考慮しない。
ガルアーノから得た信頼と信用は確かだと自負するが、下からの嫉妬には構っていられない。
兎にも角にも、そんな命令を受けて俺は『ウィルの岩場』へと足を踏み入れた。

被検体であるサンプルF……通称『フラッド』と呼ばれる男が組織を裏切った。
元々ガルアーノの手駒の一つに入っていたらしいのだが……馬鹿な話だ。
黒服の言う通り、珍しくもない話。
キメラプロジェクトによって与えられた力に酔い、溺れた。

岩場と称されるに相応しく、視界を塞ぐ俺の背丈以上の巨大な岩が散らばる広場。
いつもはへモジーやロックといったモンスターが戯れているが……。
それらの姿など何処にもなく、血の匂いだけがやけに漂っている。

樹木一つ生えていないただの広場だというのに、岩のせいで死角が多い。
右手にナイフを一つ握り、ただその岩場の中心まで足を進める。
構える様な真似などしない。
曰く、釣り餌。
眼先の力しか見えていない馬鹿ならばすぐに喰いつく。

「へっ……この馬鹿がッ!」

ほら、こんな風に。

背後に聳え立っていた岩の一つ。
その影から剣を振り上げ襲いかかってきたのは、写真で確認した被検体サンプルF。
奇襲だというのに雄たけびを上げるそれに呆れつつも迎撃する。

ただ力任せに俺の脳天に振り下ろされる剣を半身でかわす。
背後からの奇襲とは言うものの、避ける瞬間には既に俺は奴を正面に捉えていた。
半身のみ逸らして回避したためか、俺の目の前を風圧が流れる。
外套を掠らせず、衣服を掠らせず、包帯を掠らせず。
ただ無様にその無骨な剣は地面に罅を入れた。

サンプルF。フラッド。
素体となった人間に異能はなく、掛け合わされたものは『ナイトマスター』だったか。
ただの人間が得たのは強靭な体。眼にも止まらぬ剣技。
成程、ここら一帯で調子に乗るには十分な力だ。

「ケッ……一撃でやられてりゃ済んだものを」
「…………」

少しばかり間合いを開けるために後ろに跳んだフラッド。
血がべったりとついたそれを愛おしいかのように舐めるのはお約束か。
余程ヒトを、ナニカを殺すのがお気に召したようだ。

フラッドが俺に向ける視線は敵と判断した鋭いそれではない。
まるで狩りの獲物を見る様な残忍で、そして生温かいそれ。
ナイトマスターとしての剣技などどこに忘れてきたのか。
ただ単純にそれを振り下ろし、そして薙ぎ払うことしか考えていない。

「うおらァ!!」

突進。
そして袈裟斬り。
無論、当たらない。
バックステップ一度でかわせる。

そういえばナイトマスターの力を受けているのならば、幾らかの能力も使用できたはずだ。
例えば補助魔法のストライクパワー。
例えば力を一気に解放するチャージ。
剣士でありながら遠距離攻撃を可能とする振り下ろし、エクストラクト。
だがフラッドはただ我武者羅に剣を振るうばかり。

これならキメラにしない方が幾分マシというものだろう。
無論、その悪しき心によって通常よりも地力が上がっているのだろうが。
キメラプロジェクトの過程で分かった事実だ。
ヒトの悪意が深ければ深いほどに、負の感情が濃いほどに魔はその力を増す。

ふん。
どこにでもありそうな理論である。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為す≫

フラッドの剣閃を苦も無く避けていけば、心の一つが口を開いた。
ボキャブラリーの少ない奴。
こいつは、面白くもないことしか言わない。

「く……避けるんじゃねぇ!」

横薙一閃。屈んで避ける。
苛立ったような怒声と共に放たれたフラッドの剣は、やはり当たらない。
眼を瞑っていても避けられるだろう。

肩で息を吐き、剣を地に突きたてたまま此方を睨むフラッドをしばし見つめる。
頭に湧いたのは、憐れみ。哀れみ。
もういい。終わらせよう。

たった一歩。
彼からは瞬速としか思えぬ疾さでフラッドの懐へ潜り込む。
呆けたような声。少しだけ引けた腰。動かない剣。
その全てを置き去りにして俺はただ、右手のナイフを彼の胸へと突き刺した。

「……あ?」

刺されたことにようやく気付き、間抜けな声を上げるフラッド。
俺の耳元に近かったからか、その声はしっかりと聞こえた。
もはやヒトの音色など残さない、しゃがれた声。血の匂い。

「ポイズンウィンド」

それらを鬱陶しく払うように、俺は呪を唱える。
刺しこまれたナイフを起点に吹きすさぶ風。毒を孕んだどす黒い風。闇の力。
そして――――フラッドの身体は内側から爆ぜた。

断末魔など残さない。
ただ足や、手や、頭や、剣や。
その全てがバラバラとなって空に飛びあがるのを、俺はその真下で眺めていた。

≪相変わらず綺麗に殺す≫

この殺し方を心の一つは綺麗と言う。
部品が舞い、命が舞い、血が舞うこの有様を。

黄土色の地面に残ったのは、凄惨な姿に変わった部品と血。
その血溜まりの中心に、俺はいた。





[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:24
あの時と変わらぬ夜。
運命の日と同じく、雲も疎らな夜。
ハイジャック事件などという物騒なことが起こっても、プロディアスの夜は変わらない。
街行く人々の群れはそれぞれ家路に向かい、荒くれた男たちは酒場に向かう。

ただ一つ違うところがあるとすれば、プロディアスの街からでも見える女神像の存在か。
建てられたのはアルディア空港の南にある孤島。
式典スタッフたちによる過剰なライトアップに晒され、街からでもよく見える。
風に流されるゴミクズの中に、適当に丸められた式典宣伝のチラシがあった。

そんな式典会場の裏方として、俺はいた。
雑用を任されたわけではない。
ただガルアーノの右腕として。
ただガルアーノが企みを成功させる所を見せられるため。

ガルアーノに失敗の予感は存在しない。
それほどに女神像に備え付けられた洗脳装置は完全であるらしい。
ロマリアが密かに企む『殉教者計画』の試験として選ばれたのが此処、プロディアスだった。

≪しかしガルアーノというのも哀れだな≫
≪クケケ……見る限りじゃあ、ただの小物だな≫
≪お前と同じくな≫

裏からでも聞こえてくる会場の人々のざわつきを影から見つつ、心の声に呆れた。
最初こそ恐怖しか抱かなかったガルアーノも、5年も共にいれば慣れる。
そして慣れていけば成程。
奴は真実小物染みた性格をしていた。

異常な自尊心の塊。
人間にも勝るとも劣らない貪欲なそれ。
不必要な加虐心に溺れやすく、そしてまた調子にも乗りやすい。
ただ唯一恐れるとなれば……何だろうな。

≪見た目じゃァねェか?≫

げらげらと汚く笑いつつ、それなりに正鵠を射る一つの心。
同じく裏側で式典の打ち合わせをしているガルアーノを見やる。
なんだかその姿は魔物と言うより、権力に溺れるただの人間のようにも見えた。
魔に属する者が打ち合わせと言うのも、なんだか笑える。

表情に出さずしてその光景を眺めていれば、ガルアーノが此方に気付き近づいてきた。
自然と、崩していた体勢が直立不動に変わる。
俺の身体は既に俺はガルアーノの狗らしい。

「エルクの話は確実だろうな?」
「はい。インディゴスから離れ、既にプロディアスの街に」
「クッ、クックック……馬鹿な奴らめ」
「…………」

腹の底から来るものに耐えるようにして笑うガルアーノ。
だがこの自信も分からぬわけではない。
それほどの信頼を寄せるほどに、女神像の洗脳効果は絶大で、事実エルクも囚われかけるのだろう。

鍵はアーク。
ロマリアから齎される情報の中に、ロマリアの研究所の一つが彼によって落されたというものがあった。
そこは女神像が製造された研究所。
作戦の概要を知る一般兵も多かったとなれば――――。

来る。
物語に変更はない。

舞台の流れを知り、歯車を操っているのは自分だと俺は思っている。
しかしその実、歯車を回すのは彼らに過ぎない。
俺はただ、その歯車が歪む度に手を伸ばしているに過ぎない。

アークが来なければ俺の企みなど水泡に帰し、シャンテが上手く動かなければ意味はない。
俺はただ、歯車が回るのを見ているだけ。

プロディアスの空にはまだ、あの飛行船の姿はない。





崩れ落ちる女神像。
式典会場にいた人々はパニックに陥り、そこら中で悲鳴が響き渡っている。
その人々の瞳には、既に虚ろな色など存在しない。

石塊が降り注ぐ会場の中で、此方側の魔の者たちもまた慌てふためいていた。
空に浮かぶはシルバーノア。
けたたましいエンジン音を鳴らしながら、その合間に聞こえる轟音。
眼を眩むばかりの雷光は絶え間なく女神像に降り注いていた。

「くそっ……あと少しのところで」
「どうされますか?」
「フンッ、今は退くしかあるまい。余計な邪魔が入ったな」
「御意」

苦虫を噛み潰したようにして顔を顰めるガルアーノの横の立つ。
すでにパニックとなった会場では俺の姿も目立つようなことはないだろう。
俺の声を聞いてか聞かずか、ガルアーノはそのまま会場から退いてしまった。

だが、今はそんなことなどどうでもいい。
ただシルバーノアの姿をじっと見つめたまま動かなくなっているエルク。
リーザとシュウの呼びかけにも答えず、ただ見上げる彼を見て確信する。

エルクは動く、と。

現にエルクは本来の目的であったガルアーノのことなど気にも留めず、どこかへ走り去っていってしまった。
無論、仲間であるリーザ達の声など聞きもせず。

未だ破壊された女神像の破片が降り落ちる中。
シュウだけが此方を、俺の方を見ていた。

「…………」

やがてどこかへ走っていくエルクに追随するかのように、シュウとリーザも走っていく。
順調に歯車が回っているようで結構だ。
だがしかし、この後のエルクの行動は本当に大丈夫なのだろうか?

アークたちの乗るシルバーノアに遠い記憶の残滓を感じ、暴走するエルク。
その無茶な行動は彼らをとある孤島へと導き……エルクは、記憶を取り戻す。
あまりにも運に任せた流れではあるが、確信はある。

エルクがヤゴス島に辿りつけないわけがないと。
この世界が勇者を中心に回っていると言うのなら、あの島での出会いは絶対だ。
――――ヴィルマー博士には申し訳ないと言う他ないが。

ジーンよ。
お前は、どうするのだろうか?





◆◆◆◆◆





まどろみの中。
エルクはただ観客と化していた。
眼下に映る光景は、自分の失われた記憶の中にある一つの場面。
まだ剣を握る力もない子供。背丈も今よりだいぶ低い。声も――――まだまだ若い。

今でこそ一級ハンターを務めているエルクではあるが、未だその年齢は15歳と4カ月。
自分の素性を知らない大人から見ればまだまだ子供であり、そしてそれは正しい認識だった。
それ故か、エルクは子供扱いされることを嫌う。
そも、子供としてはあまりに危険な環境と過去にいる子供だ。
子供じゃないというよりは、子供であっては生きていけなかった。

そんなエルクの眼前には今よりも子供だったころの自分がいる。
クレヨンで絵を描いていた。
砂場で城を作っていた。
――――とある女の子を好いていた。

ノイズが入る。

エルクがそのノイズに瞳を絞れば、目の前の景色は変わっていた。
そこでエルクは気付く。
成程。これは夢かもしれない。

正解。
だが眼の前の光景にエルクの胸は締め付けられた。

銀色の髪をした小生意気な少年。
真っ黒の髪をした陰鬱そうな少年。
金糸の髪を振りまいて笑う少女。

その誰もが自分に大事な人だと理解しているのに、エルクは彼らの名前を知らない。
昔の夢を見たことは数えきれないほどもあった。
一緒に過ごしていた部族の皆を殺された夢。
白い壁に囲まれながら、見知らぬはずの子供と戯れる夢。
助けを願う、少女の、声。

ノイズ。
ノイズ。
ノイズ。

割れる様な頭の痛みと、どこまでも締め付けられる胸の痛み。
頭を抱えるようにして蹲ったエルクの前には、先ほど見た黒髪の少年が立っていた。
救いを求める様にして手を伸ばすエルク。
ただ少年は、子供ども思えぬ力でその手を握った。

「守る。守ってみせる。だから――――」

俺達を救ってくれ。
黒髪の少年の声を聞けば、エルクの意識は深く深く沈んでいくのだった。





◆◆◆◆◆





「待ってくれ!」

叫び声と共にエルクは上半身を飛び起こした。
滝のように流れる汗。
握りしめられたシーツは酷い皺が出来ている。
そして、蒼白の顔。

エルクが夢を見ると、大抵にしてその目覚めは悲惨なことになる。
兎にも角にもいつもの夢だと気付いたエルクは、少しずつ息を整え始めた。
そして周りに眼を向ければ、徐々に妙な現状にエルクは首を捻った。

ベッドに寝かせられているという状況。
目に入る部屋の内装は今まで見たこともない様な木製で、なんだか原始的で。
ふと柱に眼を向ければ、動物の骨のようなものも飾られていた。

「…………どこだ?」

つい漏れてしまった疑問に答えるものは誰もいなく。
そこでようやくエルクは自分の周りにシュウとリーザがいないことに気付き――――思い出した。

数少ない記憶の中に刻み込まれた白い飛行船。
燃え上がる様に熱くなっていった自分の頭。
二人の制止の声すら聞かずに乗り込んだヒエン。
そして。

そこまで思い出せば、ふと何処からか足音のようなものが聞こえてきた。
その音はエルクの寝ていた部屋よりも下。
ぱたぱたと階段を上がってくるような音に、エルクは少しばかり身構えた。
そしてやってきたのは。

「エルク? 目が覚めたのね!?」

エルクを見るなり慌てたようにして嬉々とした声を上げるリーザだった。





「そうか……悪かったな」
「ううん、いいの。それに、シュウさんもすぐに見つかるわ」

此処に自分が眠っていた経緯をリーザから聞けば、エルクはその顔を顰めざるを得なかった。
無理をさせたヒエンはオーバーヒートによって墜落。
運よく此処、『ヤゴス島』と呼ばれる孤島に墜落したものの、シュウの消息は不明。
ヒエンそのものも何処に墜落したのかは不明で、リーザとエルクの二人は海岸に流れ着いていたのだとか。

そしてそんな自分達を助けてくれた人の住む家がこの家らしい。
九死に一生を得る。
そんな偶然に胸を撫で下ろすエルクだったが、同時に自分の暴走に酷く落ち込んだ。

シュウがあの墜落で死んだとは言い切れない。
そもそもシュウはエルクにとって育ての親であり、戦闘の師匠でもあった。
自分達が生きているのに、彼が死ぬはずがない。
そんな勝手な自信があるエルクだったが、やはり自分の仕出かしたことのツケは大きい。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせつつも、リーザに向ける顔色は良くない。

「魘されてたみたいだけど……大丈夫?」
「ん? ああ……ちょっと、夢をな」
「えっと、記憶喪失っていう?」
「多分な……嫌なことしか思い出さないけど、何だろうな」

ひょっとしたら楽しかったことも、と言いだそうとした手前、再び下の階から聞こえる足音が。
話を遮られたことにちょっとだけ顔を膨らませたリーザにバツが悪そうに頭を掻くエルク。
どちらにとっても重要な話だったのかもしれない。

そして下から現れたのは、肩よりも長い銀色の髪にきざったらしい笑みを浮かべた少年。
ひょっとすればエルクたちと同い年とも思える若さに、しばしエルクは意表を突かれた。
しかも、その少年。ニヒルな笑みが似合うほどの美少年だった。

エルクは本能で察する。
こいつ、苦手かもしれない。

「よっ! 寝ぼすけさん。身体の具合はどうだい」
「……ああ。なんとかな」

一見軽薄そうなその態度に、エルクはあるはずのない感情を抱いた。

懐かしい。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/09 17:04




ヤゴス島唯一の村であるユドの村。
その中のちょっと外れた場所にある大きな一軒家の庭にエルクはいた。
家の前にあるベンチに座りながら絶え間なく貧乏ゆすりを繰り返す様はどう見ても不機嫌のそれ。
彼の目の前で遊んでいるリーザともう一人の少女を眺めつつ、エルクはため息を吐いた。

庭の中でリーザとままごとのようなものを遊んでいる少女の名前はリア。
何でもエルクを救ってくれた少年の妹分らしく、エルクが目を覚ました時は諸手を上げて喜んでいた。
南国育ちの健康そうな日焼けした肌と、活発そうにそこらを走り回る様はどこにでもいる子供。
リーザもその元気に何かと振りまわされていた。
さらに一緒にいたパンディットはモフモフされていた。

が、そんな騒がしいリアのお陰でエルクの機嫌が悪くなったわけではない。
彼の不機嫌の原因は、そんなリアの兄貴分である『ジーン』のせいである。
何を隠そうあの銀髪の美少年の事なのだが……。

「…………ちっ」

リーザとリアが遊ぶ和やかな雰囲気の中、エルクの舌打ちが場を乱した。
首を傾げて彼を見るリアと、エルクの行動を人差し指を立てて注意するリーザ。
エルクは頭をがしがしと掻いて誤魔化すしかなかった。

別段ジーンが何かをしたわけではない。
確かに軟派な男のようでエルクの嫌いなタイプなのは事実だが、所詮印象の話だ。
現にエルクをからかった様な物言いは『まだ』ない。

だがエルクには何か引っかかるものがあるのだ。
ジーンという名前。
その銀色の髪。
その性格。
ひょっとすれば他にも幾つもの違和感が上がってしまうほどに。

喉の奥に小骨が引っかかったような気持ちの悪い心地。
どこかで会ってないかとジーンに聞けば、こんな孤島に来たことがあるのかと笑われた。
それもそうかと納得しかけたが、結局エルクの居心地の悪さも治らなかった。

「まだうだうだやってんのか?」
「……当の本人に言われてもな」

どうにもならない違和感に頭を悩ませているエルクの傍。
家の中から現れたジーンが呆れながら彼の隣に立った。
日光を背後から受けて暗がりに映るジーンの顔を見上げれば、エルクはどことなく不快になった。
なんだかこいつに見下されるのはムカつく。
愚痴る様にしてそのまま立ち上がれば、無理矢理に無表情を作って答えた。

「で、あんたの言うじーさんってのはもういいのか?」
「あー……シュウ、だっけか? 俺が見た時はあんたら以外に誰もいなかったけどなぁ」
「そんなはずない! 絶対に此処に来てるはずなんだ」

ジーンのそっけない言葉に喰い下がるエルクに、庭にいたリーザとリアも耳を傾けていた。
目を覚ましたエルクが最初に気に掛けたのは、未だ姿を見せないシュウのこと。
一緒にヒエンに乗っていたのだからこの島にも一緒に流れ着いているはず。
そう考えたエルクであったが、ジーンの話を聞く限りそんな事実はなく。

行方不明。

顔を強張らせたエルクを察してか、ジーンは自分の爺さんに何か聞けば分かると申し出た。
何でもジーンとリアの保護者であり、しかも村の中では博士と呼ばれる立場の人物なのだとか。
一体それがシュウの消息と何の関係があるのかと思ったエルクだったが、人手は多い方がいい。

というわけでジーンに頼んでその博士と話すべく、待機中というわけだった。
そして話をつけたとジーンもエルクを呼びに来たのだが……。
ジーンの苦い顔にエルクはただ首を傾げた。

「いやぁ、うちの爺さん、ちょっと人見知りが激しくてなー」
「歓迎されてないのか?」
「速攻で帰れって言われたらごめんな」

手を合わせて謝るジーンに、エルクは面倒なことになりそうだと息を吐いた。





エルクとリーザが連れられてきたのはジーンの家の地下。
一軒家の地下室と言っても、博士と呼ばれている者の有する場所故か随分と大きい。
音を立てつつ階段を下っていけば、エルクの目に入ったのは島の雰囲気に似合わぬ機械類の部品だった。

「メカニックか何かの博士なのか?」
「いや、特に専攻してるもんはないかな。むしろ生き物の生態とかに詳しい」

エルクの答えにジーンは被りを振って答えた。
そも、ヤゴス島の文化に比べれば、アルディアにある何か一つでも持っていけば珍しがられるだろう。
生物学だろうが機工学だろうが、少しでもかじっていれば博士と呼ばれるに値する立場には立てる。

「おーい! じーさーん?」

響き渡るジーンの声に答えはない。
ジーンが探し人を見つける間にもエルクとリーザは部屋を見物していた。
大きな机に広げられた設計図のようなもの。本棚に並んでいる様々な書物。
リーザが書物に興味を惹かれたらしく、エルクからすれば文字が並ぶそれに抱く興味は微塵もない。

「あっれー? 下に降りててくれって言ったんだけどなー……」
「いないのか?」
「いや、奥の部屋にいるかもしれないけど」
「じゃあ、そっちを探せばいいだろ」
「お、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

やがて顔を苦くしながらぼやくジーンにエルクは面倒くさそうに答えた。
そしてジーンの制止の声も聞かずに、部屋の奥に見える大きな広間へと足を踏み入れた。
その大広間にあったのは墜落したはずのヒエンの姿。
所々装甲が剥げている部分もあったが、拙いながらも修理された跡もある。

「ヒエン? 何で……」
「ジーンが修理してくれたの?」
「いや、あーっと、まぁ、なんつーか」

茫然としながら愛機を見上げるエルクと、恐る恐るジーンに聞くリーザ。
当のジーンはバツが悪そうに言葉尻を誤魔化しては眼を泳がせていた。
そして、ぬらりとヒエンの内部よる現れた壮年の男。
白い髭をたくわえたその男は、エルクたちの姿を見るなり顔を顰めた。

「……ジーン。何故彼らを此処へ入れた」
「爺さんが約束通りあっちの部屋に居てくれなかったからじゃんか……」
「ふん……で、何の用だ」

たったそれだけの会話を交わしただけで、エルクもリーザも歓迎されていない空気を感じた。
低く低く響き男の声は、不機嫌なそれ。
リーザは内心で明るいリアとジーンの保護者が本当に彼なのか疑ってしまった。
それほどに博士と呼ばれる男のエルクたちを見る視線にはきついものがあったのだ。

「本当は連れの一人についていろいろ聞きたかったんだが……俺のヒエンを修理してくれたのか?」
「別にお前達のことを思ってやったんじゃないわい。面倒事に巻き込まれん内に出て行って欲しいだけじゃ」

怒っていいのか悪いのか微妙な答えをする男に、エルクとて少しばかり困ってしまう。
その脇ではジーンがやれやれといった風に頭を振っていた。
どっちにしても修理してくれるというのなら拒否する理由はない。
しかし、エルクにとって重要なのはシュウの行方である。

「なぁ、アンタ」
「小僧にアンタ呼ばわりされる謂れはない」
「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「……ヴィルマー。村じゃ博士で通っとる」

どこまでも自分達は嫌われているらしい、とエルクはその態度に反発する気さえ失せた。
この調子ではおそらくシュウについても協力してくれることはないだろう。
隣で苦笑いを浮かべるジーンとちょっとだけ悲しそうな顔をするリーザをちらりと見る。
どうやらここでこれ以上やれることはないと、エルクは黙って踵を返した。
その時。

「はかせ! たいへん! たいへん!」

村の住民が悲鳴を上げながら部屋に飛び込み、重くなりつつあった空気を吹き飛ばした。





◆◆◆◆◆





ヤゴス島東・封印の遺跡と呼ばれるモンスター達の住処。
そこに足を踏み入れたエルクとリーザとジーンの三人は、魔物特有の湿っぽい空気に気を引き締めた。
リーザの傍にいたパンディットがグルルと喉を鳴らし、威嚇するように一度吼えた。
彼らの目の前には既に巨大な蝙蝠が此方に襲いかかろうと飛びまわっている。



村の住民によって齎された事件とは、庭先で遊んでいたリアがこの遺跡に遊びにいってしまったということだった。
ヴィルマーからも入ってはいけないと言いつけられていた封印の遺跡は、子供の生き残れる場所ではない。
その事実に顔を真っ青にさせながらヴィルマーは膝から崩れ落ちた。

「リアは、儂にとって……」
「爺さん、諦めるには早すぎるぜ?」

目が虚ろなままに零すヴィルマーの姿に、ジーンは一歩彼に近づくと笑って声を掛けた。
そして後で話の流れを見守っていたエルクとリーザに視線を向ける。

「俺達三人がいれば遺跡のモンスターなんて軽いもんさ」

その言葉に少しだけ目を見開くエルクと、一つ頷くリーザ。
どうにも意表を突かれたエルクに、ジーンは囁きかけた。

「うちの妹分を助けてくれるってんなら、爺さんも協力してくれるかもね」
「見損なうんじゃねえよ。誰かの危機を黙って見ていられるほど腐ってない」
「……すまない」



そして今、エルクたちはこの遺跡の中でリアを見つけるべくモンスターたちを蹴散らしていた。

「炎の嵐よ! 全てを飲み込め!」

遺跡の奥より這い出てきたミイラの姿をしたモンスター『マミィ』。
強力な腕力を持って殴りかかるそれに、エルクの唱えた魔法が火焔を以って襲いかかった。
ファイアーストーム。
地面ごと巻き上げるようにして炎の渦がマミィを取り込み、やがてその身体を消し炭にした。

「へぇ……すげーな、その魔法って」
「こちとらハンターの中では炎使いって名で通ってるんでな!」
「エルク! あんまり調子に乗らない!」

ジーンの言葉に胸を張るエルクだったが、その背後で狙いを定めていたバットにリーザの短剣が刺さる。
見事命中して地に落ちるそれを視界に入れれば、エルクは一度鼻を鳴らして槍を構えた。
ジーンは憎たらしい笑顔を浮かべていた。

「んじゃ、こっちも負けられねーな」
「え?」
「まぁ、見てなって」

エルクの油断にプンスカ怒っていたリーザだったが、そんな彼女を安心させるようにジーンが前に躍り出た。
彼が定めた相手は、未だ虫けらのように空を舞う複数のバット。
ジーンはその中心に向けて両手を翳し、そして唱えた。

「風の刃よ! 全てを斬り裂け!」

遺跡内部に届かぬはずの風がバットを中心に渦を巻き、やがて対象を遺跡の壁や地面ごと切り裂いた。
その力にリーザは眼を丸くして驚き、エルクは口笛を一つ吹いてにやりと笑った。
ウィンドスラッシャー。
やがてその風の余韻を受けて長い髪を靡かせるジーンの姿は、まるで絵画のように似合っていた。

「ま、こんなもんよ」
「この島には風使いの部族でもいたのか?」
「……いや」
「それよりもリアちゃんを助けないと!」

両手をギュッと握り二人を急かすリーザの姿に、エルクとジーンは力強く頷く。
何にしてもこの遺跡に住むモンスターは彼らに敵うような強い種族は存在しない。
不安なく階段まで走り抜けていく彼らを阻むものなどありはしない。

ただ一つ、リアが今でも無事にいることだけが唯一の不安要素ではある。
そんなリアが進行形で魔物に追い詰められている遺跡の中層。
壁に埋め込まれた一体の機械が、少女の危機にその相貌を光らせていた。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:22



見慣れた部屋。見慣れた玩具。見慣れた景色。
俺の始まりであった場所はいつだって白のままだ。
連れられてくる子供達を『保管』する大広間。

小さな砂場。色鮮やかな滑り台。散らばったクレヨン、絵本。
どれもこれも俺のいた世界では珍しくもない子供の遊び道具。
例え世界が変わっても子供の欲する物は変わらないのかと、どこか懐かしさの様なものも感じる。

だがこの大広間には、その主役たる子供達の姿はない。
あれから4年。いや、5年だっただろうか。
ただ一つの救いを求め、大勢を変えることを捨てた事実は、重い。

この広間に居ない子供たちは、揃って『調整』を受けているのだろう。
既に手遅れ。ただ戦力として安定する為の道具となり果てている。
見た目はそこらの子供と変わらないかもしれないが、一つその皮を剥げば……。

夢想した。

未来の知識を得て、大きな流れに近い場所を漂う凡人が抱きやすい夢があった。
悲しむ人を救い、起こるはずだった悲劇を変え、全てが上手く収まる終焉を。
別段、珍しくもない。
愚者は叶うはずの無い夢を見るものだから。

だが現実の俺は、どこまでも臆病で。
現状に悲観し、未来に悲観し、終わりに怯えた。
もしも、もしも、もしも。
現状から逃れる度に、またしても夢想に逃げ込む。

白い部屋。
俺は、一人だった。

他の子供達とは違い、俺はサンプルの名で呼ばれることはなかった。
プロト。
それが俺の名前だった。

無論、前の世界で元々持っていた名前以外で呼ばれることに、俺は眉を顰めた。
そんなこんなで俺がささやかながら起こした反抗は、周りの子供にこの名前で呼んでもらう事。
クドー。
久藤だったから、クドー。

今思えば下の名前の方が良かったかもしれないが、少しばかり日本人の名前はこの世界で異質だ。
タロウとか、ツトムとか。
俺を管理する研究員に前世関連の事を気取られるのは怖かったから、そんなことを気にしていた。

どこかで前世の残滓を残そうとする。
周りに疑問を抱かせないように調整しつつ、自分を保とうとする。
しかしそんなもの、長くはない。

この世界での自分の立場を考えれば、結局は同じ結論に辿り着く。
死ぬ。ただそれだけ。
いや、ひょっとしたらキメラの実験台にされ、自我すら失うのではないだろうか。

怖い。
怖い。
怖い。

そんな中、彼らが来た。

勇者と。救われなかった者と。救われなかった者と。
精神年齢を考えれば、俺の半分も生きていないかもしれない子供たちに、縋りついた。
助けてくれ。あの悲惨な物語の中でも希望を失わない心で、俺を救ってくれ。

彼らといた時間は、そんなに長くない。
二カ月も無かったのかもしれない。
だが、必死に俺は彼らと共に過ごした。

つまらないお遊戯。
つまらない話。
つまらない価値観。

前世であれば笑ってしまいそうな子供達との触れあいも、俺にとっては癒しだった。
ちょっとだけ先輩風を吹かせて、大人気ない話を教えてやったりするのも楽しかった。
時折感じる彼らの強さと、暖かさに嫉妬してみたりもした。

冷静に把握していく現状。
そんなことが出来るようになったのは、彼ら知り合って一カ月。
そして、違和感を抱き始めたのもその位の時だった。

プロトと呼ばれる自分。
この世界に何故俺がいるのか。
特殊な子供がこの施設に入れられる事実を鑑みれば、俺の身体ももしや。

徐々に、徐々に、俺は情報を集め始める。
そして知る。

プロトの由来を。
プロトの正体を。





◆◆◆◆◆





「ヴィルマーが?」
「はい」

再び俺はプロディアス西にあるガルアーノの屋敷へとこの身を置いていた。
アークによって女神像が破壊され、そのおかげで東アルディア一帯に広がる殉教者計画が一時頓挫したせいで、ロマリアも足踏みしたのだろう。
一時俺は白い家へと戻され、休息も兼ねて身体の調整を行っていた。

そして白い家の研究員から聞く、ヴィルマー博士の話。
何でもガルアーノ直轄のキメラ部隊の情報部が、彼らの居場所を掴んだらしい。
無論、俺の流した情報に乗って、だ。

そもそも博士の隠れ住んでいる場所は孤島であるヤゴス島。
発着場の一つもなく、どこかの国と交流しているわけでもないあの島に、ロマリアの手が届くことはない。
と言っても、物語の流れでは何の因果かエルクがいる時期にばれていたが。

「今すぐヤゴス島へ部隊を送ることも出来ますが」
「……ふん。秘匿のために消すか。それとも再び研究に戻すか」

葉巻を荒々しく噛みちぎったガルアーノは、椅子にふんぞり返りながら火を付けた。
いつもより吐く煙が多く、そして彼の顔もしかめっ面のまま。
どうにもアークの邪魔が入ったせいで、ガルアーノの機嫌は底辺を突っ切っているらしい。
そういえば先ほどは受話器越しに、誰かに向かって唾を吐いていた。
おそらくはアンデル。

「お前が知っている通り、今のキメラ研究は新たな段階に向かおうとしている」
「機械、ですか」
「もはや世界に散らばる希少な能力者を集める必要はない。機械とはそれ以上に頑強で、優秀だ」
「…………」
「お前のように、ただ命令を遵守するという意味でな」

溜めこんでいる剣呑を吐きだす様にして紫煙を吐く。
ただ棒立ちで突っ立っている俺に向かって向ける笑みは醜い。

「そもそもエルクの事もただの偶然。得ることが出来れば儲けもの程度の話だ」
「…………」
「クドー。どうにも貴様はあいつにご執心が過ぎるな」

サングラス奥に鈍く光るガルアーノの瞳が、俺を射抜く。
さすがにエルクがガルアーノとの接点を見出してからは積極的に動き過ぎただろうか。
いや、それでもロマリア側に不利益になるような動きはないはずだ。

「ガルアーノ様。私が今の力を得るために願った事を覚えておいででしょうか?」
「……クッ、ククク、クハハハハハ!! そうか! そうだったな!!」

俺の言葉を聞くや否や、脇にあった机を大きく叩きながら笑うガルアーノ。
面白くてたまらないと言う風に乱れて笑う彼に、俺は出来るだけ無表情を向ける。
出来るだけ、出来るだけ。

「ククッ……友を置いてまんまと逃げ仰せ、表の世界で幸福を貪る者を許しはしない」
「は」
「ジーンはヴィルマーに連れ去られ、エルクはハンター家業、ミリルはただの眠り姫か」
「…………」
「そしてお前は……ククッ……そんなにも醜い姿で生きている!」

椅子から立ち上がり、本当に嬉しそうな顔を浮かべて俺に近づくガルアーノ。
外套の中にぶら下げられたナイフが鳴る。
顔に撒かれた包帯越しにもガルアーノの紫煙は通ってくる。

俺の中に居座る心の幾つかは言っていた。
人が悪を為し、悪が魔を為すのだと。
ならば。

「裏切り。嫉妬。素晴らしいな。我が右腕よ」
「滅相もありません」

おそらくはそれこそが魔の最も好む在り方。
負の感情に溺れ、闇に片足を突っ込んだような人間こそが餌。
ならばロマリアで王の位にいるあの人間は、何よりも魔の餌となり得る人材だろう。
……まあ、今は関係のない話だ。

「ガルアーノ様。そのジーンが、恐らくはヴィルマー博士と共に居ると」
「成程な。ならばヴィルマーもジーンも取り戻さねばなるまい」
「そしてジーンもキメラへと」
「……そこでジーンを消すと言わないお前の忠実さを買っているのだよ、儂は」

既にガルアーノの興味は異能者から機械へと向いている。
故にまだ。どうにかしてガルアーノの興味を再び戻さねばならない。
エルクに。ジーンに。ミリルに。

甘ったるい言葉を選び、機嫌を直してもらうことを前提に紡ぐ。
既にガルアーノは歓喜の中にいた。
それほどまでの俺の闇は面白いものなのか。
――――所詮、それは表側だけだと理解できないのが彼の小物らしさ故か。
確かに俺の中には負の感情が渦巻いているが、そんな単純なものではない。

「しかし当のエルクはあの式典以来姿を見せていません。彼の所有する飛行船も何処かへと」
「構わん。既に奴は儂に狙いを付けているのだろう? ならば来るだろうよ」
「では今は、ヴィルマーとジーンを?」
「そうだ。ヤゴス島へ部隊を送れ。くれぐれもその二人へは丁重に、な?」
「御意」

さて、準備は出来た。
流れを信じるのならば、エルクは既にあの島に居るのだろう。
そして、ジーンもまた。

いや、ジーンは此方が動かした歯車の一つだ。
ヤゴス島で元気に生きているという情報は独自に得ているが、彼が戦いに加わるかどうかは別だ。

まぁ、それでも。
彼もまた勇者の一人になり得る者。
羨ましい限りだ。





◆◆◆◆◆





場所は変わってヤゴス島。
既に陽は落ちかけ、夕焼けを浴びた海の浜辺にエルクはいた。
夕焼けを浴びても尚、彼の瞳は赤く燃え、地平線の向こう側をじいっと見つめていた。

彼が此処に居る。
既にリアの救出は完了していた。

ジーンとリーザ、そしてパンディットと共に遺跡内部を駆け抜けた彼らは、その中層にてリアを見つけていた。
しかし彼らが駆け付けたのは、今にも遺跡内に蔓延るマミィ達が手を伸ばしている瞬間。
リーザが短刀を構え、遠距離からエルクとジーンが魔法を放とうと言う時にそれは起こった。
後ずさる様にして壁に背を付けたリアが頭を掛けた時、その背後の壁に埋もれていた何かが光を放ったのだ。

その光はリアを囲んでいたマミィを吹き飛ばし、エルクたちはその光景に唖然とするしかなかったのだ。
泣き喚くリアを抱きしめながらほっと胸を撫で下ろしたジーンが呟いたのは『機神』という言葉。
何でも壁に埋もれたまま光放ったこのガラクタがそう言われるオーパーツらしいのだ。

(どうみてもオンボロにしか見えなかったけどなぁ……)

夕焼け空を眺めながら、エルクは一つ息を吐く。
無事にリアを助けることが出来、なんとかヴィルマーの信用を得ることは出来たものの、やはり釈然としない。
何にせよ、リアの無事に破顔したヴィルマーとエルクは、とある交換条件を結んでしまったのだから。

ヒエンを完全に修理してやるから、あの『機神』をここまで運んで来てくれ。

何が悲しくてモンスターの蔓延る遺跡からあのオンボロを運ばなければいけないのか。
しかしシュウの情報が手に入らず、この島にいる理由も無くなりつつあったエルクには渡りに船。
リアの懇願もあってか渋々エルクはそれを受けることにしたのだ。

「お、こんなとこにいたのか」
「お前か」
「んだよ。そう邪険にしなくてもいーんじゃねーの?」
「じゃけ……何?」
「あー……お前ってあんまり頭の中よろしくない系?」

へらへらと笑いながらやってきたジーンに向けるエルクの表情は厳しい。
しかしジーンにとっても悪口ばかりは通じるエルクに苦笑を浮かべるしかない。
ちょっとばかりの沈黙が続き、どうにも嫌な空気が流れてしまっていた。
そんな空気が流れる中、慌てたようにしてジーンが口を開いた。

「そうそう! 飯の時間だってんで探してたんだ」
「あ? あぁ、そうか。わりぃな」
「いや、リアも大勢で飯食えるって喜んでるしいいってもんよ」

キラキラと夕陽を受けて靡く銀色の髪。
エルクの視線はやはりその珍しい髪の色に向いてしまっていた。
どこか、記憶の片隅に残してきてしまった様な虚無感に苛まれる心。
エルクの表情は、やはり厳しい。

「なぁ、俺って嫌われるようなことしたか?」
「……いや、多分してないと、思う」

故にジーンの問いかけは道理であった。
まるで子供のように道理の通らない感情にエルク自身が苛つき、ジーンが首を傾げる。
いや、ジーンの方もそれはそれで違和感を感じていた。
何しろ彼は――――。

「あのさ……本当に俺たちってどこかで会ったことはないのか?」
「…………」

今度はエルクの問いかけに、ジーンは沈黙を返した。
さざ波の音がただ耳に残り、遠くでカモメの鳴く声がする。
ジーンは、決心したかのように一つ息を吐き、重苦しく言葉を連ねた。

「確かエルクは、記憶喪失ってやつだったよな?」
「ああ」
「実は、俺もなんだよな」

照れくさそうに、苦そうに笑いながら頭を掻くジーンにエルクはしばし呆然とした。

「俺が気付いた時はこの島に爺さんと一緒に辿りついててさ、そん時にはまだリアもいなかったかな」
「そ、そうなのか」
「爺さんに記憶の話を聞いても全然答えてくれないし、俺はなんかすっげー魔法が使えるし」

そこでジーンはやれやれと両手を上にあげ、首を振った。
諦めの表情とも言うべきか。そこか疲れているようにも見えた。

「今じゃ幸せにやってるけどよ……なんか、気味が悪いとは思うね」
「何が?」
「俺の過去だよ。隠そうってことは……碌でもないことなんだろうなって」

地平線の向こう側を見つめるジーンの横顔をエルクはじっと見る。
――――見覚えがある、その横顔。

揺れる。
揺れる。
揺れる。

視界が揺れる。

「まぁ、たまに夢で見るんだけどな。昔っぽいこと」

繋がる。
ばらばらに点在していた記憶が、繋がっていく。
既にエルクの視線はジーンに、そしてその向こう側に。
約束を交わした、あの男の子に。
――――あの、女の子に。

「白い部屋と、男の子二人と、女の子一人が見えて……俺はそこで目が覚めて、泣いてるんだ」

ジーンがエルクにゆっくりと、ゆっくりと視線を戻す。
エルクは、口を、手を、目を震わせ、声を零した。
ただ万感の思いを込めて一言。

「ジーン」

その瞬間、ジーンの頭にノイズが走った。



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Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/18 16:04




「えーっと……」

石壁に囲まれた遺跡の中を進む人影が三つ。そしてそれに追随する動物の影も一つ。
その集団の戦闘を行く男二人の後ろで、リーザは困惑していた。
気まずそうに眉をハの字に曲げたまま、先を歩く二人を見やればパンディットも心配そうに喉を鳴らす。

無論モンスターの蔓延る遺跡内で油断する様なパーティーではない。
戦いとは無縁だったリーザもここ最近ではすっかり慣れ、エルクやパンディットの援護なしでも対一で対応できる。
そもそもこのヤゴス島の封印の遺跡内で、彼らを脅かす強力なモンスターはいないのだ。

そんな中、リーザの浮かべる困惑の理由とは。
それはエルクの態度にあり、そしてジーンの態度にもあり。

ずんずんと先を進む男二人は確かにリーザにとって頼もしいのだが、様子が余りにもおかしいのだ。
事あるごとに双方共に互いの動きやら表情やらを見定め、じいっと見つめた後に無言で歩きだす。
互いの様子を観察していると言うか、なんと言うか。

どちらにしてもその異様な状況にリーザは困惑を覚え、そして気味の悪さも覚えていた。
男二人が互いを気にし、しかし言葉には出さない。
煮え切らぬ空気。

(も~……何なんだろ)

腰に手を当て、困ったようにパンディットに視線を向ければ、彼女の愛犬もまた困惑したように声を上げていた。



彼らが遺跡内に再び入っている理由は勿論、ヴィルマーとの約束を果たすための機神発掘。
リーザ自身としては初めて見るロボットに好奇心が少しばかり疼いていたのだが、そこはやはりモンスターの巣窟。
ひょっとしたら封印されている魔物が、などという不安も抱いていた。

しかし昨日の夕食時からエルクとジーンの様子が目に見えておかしいのだ。
エルクは前にも増して無口になり、ジーンは軽口を言う気配すら見せない。
ぼーっとしていた所をリアに話しかけられて意識を戻すジーンなど、余りに不自然過ぎた。

無論、リーザはその変化を双方に直接聞いてみた。
しかし返ってきたのは納得のいかない曖昧な返答。
エルク曰く。何でもない。
ジーン曰く。何でもない。

さすがのリーザもこれには眉を顰めた。
しかし此処でずけずけと喰い下がるわけもいかず。
もやもやとしながら一晩過ごし遺跡内に再び入る準備をしていれば、昨晩と変わらぬ二人の姿があった。

だからといって遺跡探索に影響が出たかと言えばそうでもない。
相変わらずエルクの槍技は冴えに冴え、放つ炎は遺跡内のアンデッドを容赦なく屠っていく。
ジーンはジーンで自らの役目を知っているがごとく、飛びまわるバットを風の刃で切り裂いていった。

パーティーとしては何一つ文句のないメンバーではある。
前衛をパンディットに任せ、中衛前衛を入れ替わりながらジーンとエルクが動く。
後衛には勿論リーザが。
最初こそ女の子に前衛は任せられないという過保護な理由からの決定だったが、今となっては重要な援護役。
これほどにバランスのいいパーティーはないだろう。

なのに何故こんなに妙な違和感を抱きながら戦わねばならないのだろうか。
度重なる戦闘に少しだけ疲弊の影を見せたパンディットにキュアをかけながら、リーザはため息をついた。

といっても変わり映えのしない遺跡を歩けばうんざりしつつあるのはエルクたちも同じ。
機神の階へ降りる頃には既に二人の様子もいつもと変わらぬものになっていた。



「なんだか面倒なことになってきたな」
「同感。爺さんもさすがにあのポンコツに手を出すのは止めた方がいいと思うけどなぁ」
「で、でもあのロボットさんを助けないとヒエンが……」

三者三様。
といってもエルクとジーンの内容は同じようなものではあるが、目的である機神が埋もれた壁の前に三人はいた。
目的の機神は相変わらず壁の中で不気味な眼を光らせ、完全に機能を停止しているのかどうか微妙なままの姿でそこにある。

所々壁の土が削れているのは、面倒だと言い放つなり力づくで掘り起こすと提案したエルクのもの。
手持ちのソードで全力の剣撃を叩きこめば、壁がほんの少しだけ欠けただけで、エルクの手を痺れさせるばかりだった。
脳筋。ぼそりとジーンは呟いた。

しかしそれが功を為したのか、動かぬはず機神が目と思われる部分を金に光らせ、言葉を発した。
グロルガルデがどうだの。七英雄がどうだの。封印された力がどうだの。
はっきり言えばエルクたちにとって意味不明な単語の羅列であり、そもそも機神はヒエンに対するただの交換条件に過ぎない。

その言葉の大半を聞き流した後、結局彼らに重要だったのは『そこから出られるか』ということである。
知能の高そうな物言いと見識の深さを感じさせる言葉を話す機神であったが、残念なことにそれを聞く人間には興味のないことだった。
そしてそんな興味の抱けない話の中に、今は朽ちつつある機神の力を取り戻す部品の話があった。

パワーユニット。

何でも同遺跡内の最下層に封印されるユニットを使えば、機神自ら壁より抜け出ることが出来るのだとか。
そもそも、この壁そのものが機神を封印する術式が掛けられているらしい。
うさんくせー。ぼそりとジーンは呟いた。

しかし自ら解決策を提示し、さらにその鈍重そうな身体をわざわざ誰かの手で運ぶ必要がなくなるのであれば是非はない。
面倒だ。止めた方がいい。などと愚痴を零すエルクとジーンの尻を叩くようにしてリーザは二人を急かした。
年齢こそ三人揃って同じように見えるが、その実、何だかリーザが姉気質のようなものを時折見せる面子であった。





◆◆◆◆◆





手強い。
狭い遺跡内にも関わらず、その翼を広げ飛び周るガーゴイルと死神を捉えつつエルクは思った。
今まで出会ったモンスターはどれも貧弱なバットか、動きの遅いアンデッド。
アンデッドの不死能力によるしぶとさは面倒だったが。

エルクが手に持つ槍は基本相手の間合いにより攻撃することを前提にした装備だ。
マミィの格闘戦。バットの急襲。
どれも一般人からすれば驚異のものだが、凄腕のハンターのエルクからすればただ猪突猛進してくる獲物の群れでしかない。

しかし、今エルクたちが相手をしているのは、空を飛び、さらに槍まで装備したモンスター。
さらに遠距離から魔法を仕掛けてくる死神。
成程、確かにパワーユニットを守るにしては十分な戦力だ。
ふとエルクは納得したように視線を隣に戻せば、ジーンもまた面倒そうにため息をついていた。

「全く……あのオンボロくんは何なんだかね? こんな訳の分からん魔物まで襲ってくるし」
「どっちにしたって倒すことには変わんねーだろ」
「ま、そうだけどよ」

眼の前にいきり立ち、逃さぬとばかりにじりじりと間合いを測る魔物の群れを前に二人は軽口を叩く。
エルクは槍先を若干上に上げたまま構え、ジーンは既に魔法の準備に入っている。
パンディットはその牙の生えた口に冷気を溜め、リーザは短刀を投げる体勢に入っている。

遠距離からの一斉掃射。
狭い遺跡内であるからこそ、ジーンの魔法やパンディットのブレスは効果を発揮する。
逃げ場の多い屋外では矢鱈めったら魔法を放っても当たらないだろう。

「グロルガルデ様ノ敵に死ヲ!」

魔物の内の一匹。
エルクたちが降りてきた最下層にあったパワーユニットの前で番人の如く立ちふさがった死神が吼えた。
グロルガルデ。エルクたちにはまるで関係の無い話である。

「なぁ、リーザ」
「なぁに?」
「ぐろるなんとかって知ってるか?」
「ううん。知らない」

エルクとしては学が足りず、ジーンとしては孤島の住人。
唯一見識が高そうなリーザでも知らないとすれば……そもそもオンボロのことなんて誰も知らないか。
エルクは自身で納得すると開戦の声を上げた。

「さぁ、かかってこい! お前ら如きに時間なんざ取ってらんねーんだよっ!」

それを聞くや否や、ガーゴイルの二匹が低空飛行をしながら飛びかかってくる。
狭い狭いとは言ったものの、さすがに天井近くを鬱陶しく飛びつつけられれば厄介だが、どうにもそこまでの狡猾さはないらしい。
所詮モンスター。
ガーゴイルの特攻に合わせてコールドブレスを吐いたパンディットを横目に、エルクはにやりと笑みを浮かべた。

「オオオオオォン!!」

聞く人間の心すら奮い立つ咆哮と共にパンディットが吐いたブレスは、湿っぽい遺跡内に冷気の渦を作っていく。
地を、空気を、そしてガーゴイルを凍らせていく吹雪。
一撃でガーゴイルを氷の彫像にするほどの威力ではないが、確かに突貫してきたガーゴイルの動きが鈍った。

「逃がさねぇ!」

追撃。
両手を前に向けたエルクは即座に魔法を唱え、炎の嵐を創り出した。
ファイアーストームによる氷と炎の連携。
視界と動きをコールドブレスによって鈍らせ、動きの止まったガーゴイル達を燃やしつくす、なんともえげつない攻撃。

耳に障る断末魔を上げながら灰へと変わっていく二匹のガーゴイル。
弱い。
エルクが呟けば、薄くなった炎の壁の向こう側から天上付近を飛んでくるガーゴイルが視界に入った。
二度も真正面から突っ込んでくるほど馬鹿ではないらしい。

「リーザ! ナイフ!」
「え? あ、うん!」

叫んだのはジーン。
背後にいるリーザに振り向くことなく手を伸ばし、短刀の何本かを貰い受けた。
既に事細かに説明がいるほどちぐはぐな連携をしてしまうチームではない。
ただそれだけでリーザはジーンの言う事が理解出来た。

投擲。
ジーンとリーザが投げたナイフは未だ手の届かぬ高度にいるガーゴイルの翼へと吸い込まれるように投げられた。
その光景に、そういえばジーンは刃物の扱いに優れているということを思い出したエルク。
それよりも何だか同時にナイフを投げる二人の姿が何だかお似合いのように見えたのが、心にささくれを作る。

「ギャッ」

短い悲鳴。
見事に深々とガーゴイルの翼に刺さったが、それでもすぐさま地に落ちるほどの手傷を負わせたわけではない。
しかし既にジーンは行動を始めていた。
ナイフによる投擲と同時に――――魔法の詠唱。

「斬り裂け!」

腕を横に薙ぎ払えば、少しばかり高度を下げたガーゴイル二体を巻き込むようにして刃の嵐が巻き起こる。
ウインドスラッシャー。
既にガーゴイルの悲鳴など聞こえない。そんな隙さえ許さない。

火に焼かれた羽虫のように無様に地に落ちたガーゴイル。
絶命させたというわけではないが、それでも既に虫の息であった。
そこへ。

「私に任せて!」

未だ息の根の止まらない二匹に自然と舌打ちが漏れ出たエルクが振り向けば、何やらリーザが見覚えのない魔力を手に宿していた。
すぐにジーンにも疑問を視線で投げ掛けるが、どうやらジーンにもリーザのやろうとしていることは分からないらしい。
そんな一瞬のやり取り。
気付けばリーザが地面に両手を押し当てて叫んだ。

「アースクエイク!」

リーザの声に応えるように地響きが鳴り、地にひれ伏していたガーゴイルを突如現れた土の突起が勢いよく弾き飛ばした。
いつのまに新しい魔法を。
驚愕に眼を見開くエルクと、口笛を吹きつつ笑うジーン。

「いつまでもお姫様じゃないみたいだな、エルク?」
「……にしてもえげつねー追撃だとは思うけどな」
「ははは……はは」

えへんと胸を張るリーザを見ながら、ジーンとエルクは乾いた笑いを漏らしていた。
いつ使えるようになったのか。
元々地面に埋もれたマミィや、この状況でなければ使えないガーゴイルやバット相手では機会がなかったのだけか。
どちらにせよ、すっかり彼女もハンター顔負けの力を有していた

もはや敵は少しばかり焦ったように鎌を振り下ろしてくる二匹の死神のみ。
魔力の強い厄介な敵ではあるが、前衛を失くした死神にもはや耐えられる術はない。
エルクたちの勝利は決まった様なものだった。

そんな圧倒的な戦闘の流れの中、ジーンはどこか胸に刺さる想いを感じていた。
元々風使いとしての素質を持っていたものの、この平和な島国では戦いを経験する機会は少ない。
彼の剣術もユドの村にいる商人に師事を乞い、ヴィルマーの手伝いになれれば程度に考えていたものだった。

モンスターと戦うのが好きなわけでもないし、そもそもそこに愉悦を見出すほど戦闘狂でもない。
それなのに、エルクと共に闘うと何故か心が躍る。
後ろに女の子であるリーザを守る様に剣を構えると、あるはずもない闘志に火が付く。

彼の頭にノイズが走った。

果たして自分が戦う事を決めたのは、これが最初だっただろうか。
まるで白昼夢のように頭の中をフラッシュバックしていく場面の中、彼は確かに見た。
誰か一人の女の子を救うべく、守るべく、三人で誓いを交わす瞬間を。

今はまだ戦闘中。
そんな訳の分からない現象に、ジーンは頭を振って切り替える。
自分の隣にはエルクと、そしてパンディットがいて、後ろにはリーザがいる。

足りない。
ジーンはなんとなく思った。





◆◆◆◆◆





既にエルクたちの戦闘は圧倒的な蹂躙で勝利を迎え、跡はユニットでロボットを引き上げるだけとなった頃。
ヤゴス島に近づく小型の飛行船の姿が空にあった。
ヒエンのそれと同じか、少し小さいくらいの飛行船。

ユドの村でもその姿に気付く者はそれなりに少なくなかったはずだった。
しかし村人は既に一度そのような事態に遭遇していた。
無論エルクの乗ってきたヒエンのそれである。

だからか。
村人たちはその飛行船にちょっとだけ驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻していた。
故に、ヴィルマーへの報告も遅れる。
そもそもヴィルマーは今現在ヒエンの修理中で地下に籠っており、他の誰かの声が聞ける状態ではない。

ただ一人、家の傍で独り遊んでいたリアが胸騒ぎを覚えた。




[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/21 16:55




五年前。
キメラプロジェクトの糧となる能力者を集める白い家には、一人の少女がいた。
施設の目的に違わず、強力な異能を持って暮らしていた彼女がガルアーノの眼に止まるのはそう遅くはなかった。
どこに住んでいたのか。家族は。その幸せな記憶は。
白いに家に攫われた次の日、彼女はその一切を奪われた。

なんと残酷な話だろうか。
なんと惨いことだろうか。

しかしその少女は記憶を失う前と変わらず、いつだって笑顔を振りまいていた。
自分を世話してくれる担当者の心を和ませたこともあった。
同じ境遇に苛まれる子供を拙い言葉で慰めたりもした。
悲劇の中に居ながら、その笑顔に影はなかった。

そんな少女と特に仲が良かった者がいた。
炎の子と、風の子と、闇の子。

最初に仲良くなったのは闇の子だった。
そもそも闇の子は白い家で暮らす子供たちの中で、最初から此処にいる子供らしく、様々なことを知っていた。
そして、誰よりも絶望に濡れた瞳をしていた。

次に仲良くなったのは風の子だった。
白い家に来た当初は、自分の記憶がないという現状に少しばかり困惑したのは当然だった。
しかし、記憶が消されても風の子の楽観的な性格は変わらなかった。
笑顔が二つ。風の子と少女が仲良くなるのは早かった。

最後に炎の子が来た。
少女や風の子と同様に記憶を消され、炎の子はそのことに悩み、そして悲しんだ。
そして荒れもした。
そんな暴れん坊を少女が放っておくわけがない。
怒りに任せ荒れる炎の子を、少女はゆっくりゆっくりと優しさで包んでいった。

記憶を消され、攫われた。
そんな惨たらしい事実の中、4人は『友達』になった。

そしてある日。
炎の子と少女が、真実を覗いた。





◆◆◆◆◆





ガルアーノと二人で並び、目の前に聳え立つ鉄の巨人を見上げる。
鉄臭い倉庫のような大部屋に配置されたその巨人は、所々にパイプやらコードやらが飛び出ており、どことなく鈍重そうな印象を思わせる。
所詮『彼女』を繋ぎとめる棺のようなもの。
空想のように空を自由に飛び周る機能など付いていない。

「……未だサンプルМは眼を覚まさない、か」
「…………」

腕組みをしたまま渋面を浮かべるガルアーノの視線は、その巨人の頭部に向けられていた。
その頭部にはひと際多くのコードやら何やらが繋がっており、その装甲も肩部や胸部と比べると遥かに厚い。
白銀色をした頭部の奥はコックピットのようになっており、そこには一人の生体動力が組み込まれている。

生体動力の名はミリル。
巨人の名はガルムヘッド。
白い家に配置された最新の迎撃兵器のようなものである。

「宝の持ち腐れとは言わぬが……ただコアにするならば他に代用が利く」

濃い顎鬚をなぞりながらガルアーノは独り言のように呟いた。
ガルアーノの言う通り、ガルムヘッドを起動させるには強い魔力を宿した人間が必要である。
となれば白い家でも最強の能力者として知られるミリルはそれに合致する人材だろう。
しかし、ガルムヘッドはミリルを使うほど重要な兵器でもない。

宝の持ち腐れ。確かにその通りだろう。
わざわざ物言わぬコアになるよりも、俺と同じように人型のままの兵器となる方がミリルの価値は上がる。
だがそれは出来ない。

「五年前、だったか……エルクが逃げ、ミリルが意識を閉じたのは」
「は」

倉庫の外から聞こえる研究者たちの声や足音を聞きながら、ガルアーノの話に相槌を打つ。
相変わらずこの施設にいる研究者たちは寝る間も惜しんで研究に勤しんでいるらしい。
害悪にしかならない、狂気に囚われた研究者たち。
果たして元は人間だったのか。それとも元々魔物だったのか。
どちらでもいいか。

「エルクとジーン。これは別にいい。所詮小僧である奴らなど儂の手からは逃れられん」
「問題はミリル、ですか」
「コアとして使用するならこのままでも構わん。限界までガルムヘッドの性能を引き上げればいいのだからな」

カツリ。
一歩ガルヘッドに近づけば、鉄製の床が音を鳴らした。

「だがミリルの力はそれ以上のものがある。こんな鉄くずでは収まらない力がある」
「……意識の覚醒方法に心当たりが」
「ほう……言ってみろ」

初めてガルアーノの視線が此方を射抜き、その瞳に宿る期待に内心でほくそ笑んだ。
俺がやらなければならない、最も重要なこと。
それを遂げるには、どうにかしてガルアーノに俺の方法に賛同させなければならかった。

ジーンが抜けた穴。
狂った歯車をそのまま回せねばならない。
止まることだけは許されない。

「やはりミリルの意識化にあるのはエルクの存在かと」
「友情か? どちらにしてもくだらん要素に過ぎん」
「いえ、愛情でしょう」
「……くだらん」

ガルアーノが俺に寄せた期待は一気に霧散した。
だが引き下がるわけにはいかない。
さもつまらなさそうに懐に手を入れたガルアーノに構わず、言葉を連ねる。
彼が懐から出したのはやはりというか葉巻であった。
――――兵器庫である此処で火を使うのか、こいつは。

「まだ材料として管理されていた頃、二人の関係は私やジーンとのものとは明らかに違いました」
「いよいよもってくだらんな。正義の味方が来るのを待っているとでも思っているのか?」
「白馬の王子様、といったところでしょう。事件当時のレポートにも記載されていました」
「何だと?」
「『エルクが必ず助けに来てくれる』。錯乱する彼女を保護した警備兵が聞いています」

俺の発言に少々考え込むようにして黙りこくるガルアーノ。
静寂が広がる倉庫内において、この男と二人でいるのは心が擦り減る。
視線をガルムヘッドに向けた。
見上げた先に居た巨人は、当たり前ではあるが動く気配さえ見せない。

「…………それで?」
「現在、エルクの記憶もほとんど覚醒しかけているといっていいでしょう。故に彼がガルアーノ様に近づく目的というのも」
「ミリルを救うためか? ……ふん。所詮お前の推論でしかないな、クドー」
「ならば確かめますか?」
「ほぉ……」

紫煙一吹き。黒一色で染まる倉庫内に灰色が漂う。
ガルアーノの興味がミリルから俺の案へ動く。

「どちらにせよ、エルクとリーザを捕獲し、エルクをミリルの前にでも突きだせば結果は分かるでしょう」
「…………」
「それでなくとも、逆にエルクたちをこの白い家に誘い込むのも一つの手かと。リスクの高い手ではありますが」

ガルムヘッドに向けていた視線をガルアーノに戻せば、彼は既に悪巧みを巡らせる瞳をしていた。
どこまでも濁った黒い瞳。
サングラス越しでも理解できるその邪悪に、しばし震えた。

「……ミリルの改造は既に終わっているな?」
「はい。意識さえ覚醒すれば洗脳して自由に使役出来る上、個体の特性を失わない程度の強化を受けています」
「ククッ……ククク、ハハハハハ!」

嗤うガルアーノを、俺は嗤う。
心で。
心の奥で。

「クドー」
「は」
「エルクとリーザを白い家におびき寄せることは可能か?」
「彼らは既に小型の飛行艇を所有しています。ある程度の情報を流せば此処に来ることは可能でしょう」
「そうか、そうか!」

喜ばしいことだ、ガルアーノ。
俺も、お前と共に嗤ってやりたい気分だ。

「クドー、貴様が案内人になってやれ。手段は問わない。白い家に辿り着く道を用意しろ」
「……その過程でエルクを捕獲することは?」
「駄目だ。奴には足掻いて足掻いて、此処にその足で来てもらわなければならん。それこそくだらん愛情やら正義感やらに誘われて、な」
「…………」

変わらない。この男は本当に変わらない。
他者の苦しみや悲しみに愉悦を見出し、その上で踏みつぶすことを至上の喜びとする。
どこまでも小悪党の、それでも俺達の命を握っている怨敵。

まぁ……何にせよ歯車を回すことはどうにか出来そうだ。
本来の流れであったのかもしれない『斬り裂きジーン』。
その代わりに動く必要があったのはかなり前から懸念していた問題だったが、この流れならば不安はない。

ガルアーノから下された命令は容易い。
ただエルクたちを白い家に案内すればそれでいい。
おそらくは今頃ヤゴス島に辿り着いた俺の部下を蹴散らし、ヴィルマーの話から大よその記憶を取り戻すだろう。
その後にアルディアに戻ってきた彼らを俺が誘導すればいい。

果たしてジーンは。
それだけが唯一の不安要素であるが、それに反して一つの期待もある。
ひょっとすればジーンも、エルクの傍で戦ってくれるのではないのだろうか。
再びジーンとエルクとミリルが共に笑い、隣り合って戦う日が来るのではないのだろうかと。

どちらにせよ、もう少し時が経てば次第に分かることだ。
それ以上に俺にはやるべきことがある。

シャンテ。
再び彼女を利用し、大きな流れに巻き込むことになる。
いや、彼女もまた勇者の一人だったか。

再びガルムヘッドの頭部を見つめる。
直接見るには久しいミリルの姿がそこにはあるのだろう。

もう少し。
もう少しだ。





◆◆◆◆◆





東アルディア首都、プロディアス。
女神式典で起こったアークによる女神像破壊事件による騒動も鳴りを顰め、人々がそれぞれの日常を取り戻しつつあった。
それでも空港ジャックやアーク襲撃などの事件が続発したせいで、ハンターズギルドは警戒態勢を保ち続けている。

プロディアス市警という犯罪に対する公式の組織が存在するものの、腕っ節の強さや対応の速さはハンターの方が優秀だ。
先の空港ジャックの事件とて、寝起きのエルクがそのまま解決に迎えるフットワークはたいしたものだろう。
金さえ払えば即座に対応すると言う評判は確かなものである。

そんなハンターズギルドプロディアス支部の建物内に、一人の中年男性が足を踏み入れた。
何やら胡散臭そうな人相と片眼鏡が特徴的なその男の名は、ビビガ。
エルクのアパートの大家にして、あのヒエンを改造したりして過ごしている変人であった。

ハンターでもない彼がギルドに踏み入れたことに、ギルド内で屯していたハンターはしばしその眉を顰めた。
何せハンター内におけるエルクの評価は真っ二つに二分されるのだ。
力任せではあるが事件の解決率に価値を見出す者。
所構わず炎を撒き散らすその戦闘やら、単純な思考に嫌悪感を抱く者。
そんな後者の評価を下す者からすれば、エルクの関係者であるビビガに向けられる険しい視線は当然のものかもしれない。

しかし当のビビガはそれを知ってか知らずか鼻歌を歌いながら飄々と歩を進めるのみ。
周りの視線など柳に風と言った感じにギルドの受付に声を掛けた。

「ちょっと聞きたいんだが」
「人探しの依頼か?」
「……わざわざハンターの消息くらい依頼でなくてもいいだろうに」

勝手知ったるが如く。
ビビガの質問を聞いてか聞かずか、受付の男は唐突にそう切り出した。
世間話さえ始めた本題に少しばかりうんざりとした表情を浮かべるビビガに、眼鏡をかけた青髪の受け付けは一つ息を吐いた。
そもそもハンターギルド側とて、ビビガの依頼内容におけるハンターの消息に頭を痛めているのだから。

無論そのハンターとはエルクのこと。
何せ彼は空港ジャックで行方不明になってみたり、ヒエンに乗ったまま行方不明になったりで此処最近は本当に酷い。
基本的に一人のハンターが消息を絶った所で気にはしないギルドであるが、問題の人物がエルクというならば話は別だ。

「うちのヒエンを持ってったままどっかに行きやがってな。ひょっとすればあいつだけでも帰ってきてるとは思ったんだが」
「いや、インディゴスの方にもそう言った話は来てないな……そういえばシュウもいなくなったって話も出てるんだが」
「あぁ? シュウの奴もいないのか……ったく、おじょうちゃん連れたまま何処行ってんだあいつ」

ぼやくようにして受け付けのテーブルに肘を突いてぼやけば、受付の男は白い眼でビビガを見ていた。
ただ管を巻くだけならさっさと帰れということなのだろう。
といってもやはりビビガはそんなことなど気付かずにあーだこーだと、エルクについて愚痴を零しているのだが。

「俺がせっかく調整してやったヒエンを勝手に持って行きやがって……しかもそん時に俺を高圧電流の金網に突き飛ばしやがるしよ」
「高圧……? 何やったんだアンタ」
「うちのヒエンに手を出す奴は許さねぇ、って話さ。ま、エルクのことがわかったら教えてくれ。暇でしょうがねぇ」

手をわきわきと動かすビビガに受付の男は気味の悪いような物を見る目で見送った。
何でもビビガの趣味は機会弄りらしく、大家として暇を持て余している時間は大抵それらを手にしているのだとか。
ヒエンの改造もその一環なのだろう。

兎にも角にもエルクの消息を知りたいのはギルド側も一緒。
彼のような手練がいないせいで討伐されていない指名手配者も多くアルディアに潜んでいる。
ふとギルドの壁に貼り付けられ手配書に眼を向けた受付の男は、ギルド出入り口の扉に手を掛けたビビガに声を掛けた。

「最近じゃあ何だか奇妙な殺し方をして世間を騒がす奴もいる、用心しとけよ」
「はん、このビビガ様に勝てる奴なんていねぇが……どこのどいつだ?」
「『血溜まり』って呼ばれてる奴だ。まだ姿も見られてなくてな。殺された人間は揃って床一面に血をぶちまけている」

ピクリ。
ビビガの肩が少しだけ上がった。

「……ご、護身銃くらい持ってくか」
「そうしとけ。趣味の改造でも以って強力な奴をな」

少し小走りで去っていくビビガの背を見ながら、受付の男はもう一度手配書を見る。
血溜まりと記載された手配者の写真は、未だunknownを表す黒一色のままだった。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/26 23:11



「っっっ…………っくあぁー!!」
「ファイトだ……ファイトだ、俺」

封印の遺跡入口。
太古に作られた遺跡に相応しい石塊のモニュメントが立ち並ぶ草っぱらに、エルクの奇声とジーンの絞り出すような声が響く。
湿っぽい遺跡内から出た彼らを眩いばかりの日光が照らすが、彼らの気を晴れ晴れとさせることは一切ない。
むしろ蒸すような熱帯特有の茹だる様な暑さに、慣れているはずのジーンでさえも鬱陶しさを感じるほどに辟易していた。

彼らを疲弊させる原因は、疲れて座り込んだ両人が背に預けている赤錆びた鉄塊。
どことなく人型を思わせる形をしたソレは、エルクたちが目的としていた機神『ジークベック』であった。
といっても今はエルク達によって引き摺られるだけの動かないガラクタ。
そもそもパワーユニットさえあればあの壁より出ることが出来ると言ったのはどこの誰だったのか。

無論エルク達が何かを仕損じたわけではない。
遺跡最下層にて襲いかかってきた魔物を蹴散らし、その奥に安置されていたユニットを見事回収。
その足でジークベックの埋もれる中層に戻れば、当初の話通りにジークベックは壁より自力で這い出たのだ。

しかしその後がどうにもかっこの悪いことになってしまっていた。
七英雄がどうだの、古代の機神がこうだのと意気揚々に這い出たはいいものの、所詮は機械。
長い期間埋もれていたせいか、すぐにジークベックは機能を停止させてしまった。

「だ、大丈夫?」
「あぁ……いや、まぁ、女の子には無理させらんないさ。ははは……」
「…………」

一人乾いた笑いを浮かべながら空を仰ぐジーンの言葉に、どことなく罪悪感を滲ませつつ心配するリーザ。
どちらにしてもこの『ガラクタ』と化した物を運ぶには、リーザの腕力は心許ない。
此処まで辿り着く道中でもリーザは何度も彼らに声を掛けていた。

そんな二人のやり取りの隣では、エルクがパンディットを恨みがましそうな目つきで睨んでいた。
当のパンディットは呑気に後ろ足で頭を掻いており、エルクの視線など意に介していない。
いくら魔獣とはいえ、四足歩行のパンディットに物を運べと言うのは少々意地汚い。
ロープでもあれば別だったが……どちらにしてもエルクの奴当たりめいた視線に意味はなかった。

「村から応援でも呼んでそいつらに持ってってもらった方がいいんじゃねぇのか?」
「駄目だよ。これは私達が受けた依頼なんだし。ほら、えと、エルク、ハンターだし」
「ちぇっ。このポンコツ……転がしていってやろうか」

疲れたままに拳を振り上げたエルクは、一瞬何かを考えてそのままジークベックを蹴り上げた。
鈍い音立てたものの、ぐらりとも揺れずに相変わらず動かない機神。
これでは胡散臭い骨董品どころか、情けない鉄くずの過ぎないのではないだろうか。
ジーンもまたうんとも寸とも言わない機神の姿をジト目で見つめていた。

そんな機神運搬の休憩中。
コレを村まで運ばなくてはならないことに一向にやる気も出ない彼らの下に、村の方から走ってくる人影が見えた。
まだエルクとリーザは村でお世話になって数日程度。その人物が何者かまでは分からない。

ジーンから見れば、その人物は時々助手と称してヴィルマーの研究に首を突っ込んでくる変わった村人だと分かった。
名はポポ。
ちょっとだけ寒そうな頭といかつい顔つきに似合わず中々にファンシーな名前の男。
わざとらしいくらいに肩を上下させて現れた彼は、息を整えるなりジーンの肩を掴んで緊迫した表情を見せた。

「ジーン! たいへん! たいへん!」
「ちょっ、まっ、落ち着けって!」

そのままジーンの肩を激しく揺らしながら涙目まで見せるポポの姿に、ジーンは冷や汗を浮かべつつも何とか彼を抑えようと努めた。
中年の男が涙目でたどたどしい口調を話すのは中々に厳しい。
エルクは二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていた。

しかしポポの口から語られたその『たいへん』なことを聞いた時、エルクの表情は一変した。

「はかせのところにへんなやつらきた! なんか、くろいふくきてるやつら」

何故。
エルクとリーザは困惑の表情を浮かべ、それを見たジーンは即座に察した。
こんなポンコツを運んでいる余裕などないと。





◆◆◆◆◆





ヴィルマー。
彼はロマリアのとある研究所で生物学と機工学を嗜む一介の博士に過ぎない男だった。
元々偏屈な性格ではあったものの、良心や常識を忘れず研究に没頭する良き科学者であった。
科学者としての博識な頭脳こそ一線を画するものを持っていたとしても、ただの科学者にしか過ぎない男。

そんな彼が、闇に飲まれかけたのはいつの話だっただろうか。
ロマリアが闇に飲まれた時か。
彼がその科学を手放すことが出来なかった時か。
それとも、ガルアーノという男がやって来た時か。
何にせよ、ヤゴス島で平和に過ごすこのヴィルマーという男には、決して孫娘には話せない秘密があった。

「止めて! おじいちゃんをいじめないで!」

ヴィルマー博士の家の地下。
あのヒエンの修理工房と化した大広間に、リアの金切り声が響いた。
苦しそうに膝を突くヴィルマーを庇うように、その小さな身体で侵入者達を真正面から睨みつける。
しかし侵入者である黒服の男たちはそれを鼻で笑い、憤怒と苦悶の入り混じった様な表情を浮かべるヴィルマーを見下ろした。

「博士、探しましたよ。随分とね」
「ぐっ……帰れ! 貴様らに用などない!」
「そういうわけにもいかないのですよ、博士」

震える声を荒げるものの、黒服の男たちはどこまでもその醜悪な笑みを崩さない。
ヴィルマーの意思など元々聞く意味がないというのに、ねめつける様にして言葉を連ねるだけだった。
そんな中、恐怖に折れず大きく手を広げて黒服の男達の前に立ちふさがるリアの行動は、少なからず黒服達を苛つかせた。

その笑みをさらに歪ませ、黒服の一人が懐より銃を取り出しリアにそれを向けた。
何をするのか、何を言いたいのか。
さっと顔を青ざめたヴィルマーがそれを察するのは早かった。

「止めろ! 止めてくれ! リ、リアには、手を出すなっ!」
「さて、止めるにはどうすればいいか、分かりますね?」
「ぐっ……この、外道共が!」
「ふん……ああ、それともう一つ。サンプルJ、ジーンはどこにいるのですかねぇ?」

せめてもの反抗と吐きだした言葉に黒服はさも楽しそうに嗤った後、目的のもう一つを切りだした。
強張りながらも、その可能性を思いついていたヴィルマーは内心で舌打ちをしながらも眉を顰めるだけで留めた。

予期していた事態だった。

あの『施設』から逃げ出し、その過程で託された一人の子供。
あの子供を、ジーンを見る度に自分の罪を見せつけられるようでヴィルマーは苦しんだ。
この孤島に逃げ込み、全ての闇を忘れて生きるのに、あの風の子供は自分を苦しめる罪の具現でしかなかった。
それでも、ジーンという男は笑顔を忘れぬ男だった。

やがてリアという孤児を引き取り、孫として共に過ごし、新たな生活に生きて行く中でそんな自分の弱さと向き合う事も出来た。
何一つ罪もない子供に憎しみをぶつけようとする自分の弱さを認め、彼もまた大人が守るべき子供なのだと。
守るべき息子なのだと。

震える身体に鞭を打ち、黒服達を睨みつける。
戦う力など持っていない。
罪から逃げ出した男。
それでも、愛しい子供たちを守ることだけは、その誓いだけは違えない。

「…………そんな男、知らん」
「それはおかしい。おかしいですねぇ……あなたが組織から逃げ出した時、サンプルJを連れて行ったことなど分かっているのですよ?」
「知らん。サンプルJなどという者など知らんし、そもそもこの島にそんな男などいない」
「……強情な老いぼれめ」
「もう一度言う。儂はそんな者など知らん。ただ、大切な者を守りたいだけだ」

眼の前で足を震わせながら立つ小さな身体を抱きしめ、もう一人の子供の顔を思い出す。
どこまで能天気で、どこまでも笑顔を絶やさないおかしな子供。
戦う手段を覚え、爺さんを守ってやるんだと頼もしい笑みを浮かべたあの息子。
罪と向き合う機会をくれた、あの、大切な――――。

ヴィルマーはゆっくりと立ち上がり、一歩、黒服たちの前に進み出た。

「儂の大切な者に手を出してくれるな……そちらに、行こう」
「おじいちゃん!?」
「くく……最初からそうしておけばいいのですよ、博士」

苦笑を浮かべ、リアの頭をその無骨な手で何度も撫でた。
惜しむように、愛しむように、優しく撫でた。
すまない。
ヴィルマーは、今はこの場にいない一人の息子に声を届け――――。

「風の刃よ! 全てを切り裂け!」
「なっ……ぐあああ!」

ヴィルマーと対峙していた黒服達の一番後ろ。
大部屋入口に最も近い所に立っていた男が、突如現れた竜巻に切り刻まれながら地面に叩きつけられた。
竜巻を唱えた声はどこまでも届くほどに澄み渡り、なおもその声色に烈火のごとき怒りが込められていた。

「おにいちゃん!」
「……どこの誰かは知らないが、家族に手を出すっていうのなら容赦はしない」

リアの言葉に、低くその意思を露わにしたのは銀色の髪を靡かせる男。
未だ竜巻の余波を受けて靡くその長髪の奥に、深緑の瞳を湛えた一人の息子が立っていた。





◆◆◆◆◆





サンプルJ。
その言葉を聞いた瞬間に、ジーンの頭に雷鳴のような衝撃が走った。
ヴィルマーの危機にこの大広間へと掛け込み、遠くに見えるヴィルマーとリアを視界に収めたその瞬間のことだった。

しばし様子を見ながら絶妙のタイミングで横合いから殴りつけるか、それともまず二人の安全を確保する為に特攻するか。
5人の黒服が背を見せる光景を前にして、ジーンは少しばかりその駆け足の歩を緩めたはずだった。

広間に続く廊下の一角に重ねられた木箱を影にして黒服達の様子を見やる。
ヴィルマーの危機に頭が瞬く間に沸騰したせいか、既にエルク達のことなど気にせず村の真っただ中を突っ走っている。
故に未だジーンの傍にエルクはおらず。
自身の愚かさに唇を噛んだジーンであったが、それと同時上階よりエルク達と思われる足音がかすかに聞こえてきた。

(5人……エルクたちと一緒なら、やれる)

腰にぶら下げた短めの剣の柄に手を掛け、おそらくは碌な話をしていないだろうと予期される黒服達の声に意識を傾けたその時だった。

サンプルJ。

ズキリ。
あからさまなほどに視界がぶれ、こめかみに痛みがはしる。
眼を絞り、苦痛に歪めたジーンの表情には確かな困惑があった。

フラッシュバック。
あるはずの光景が、失ったはずの光景がぶつ切りにその深緑の瞳に映る。
海辺でエルクと話した時と同じ、エルクとの関係がギクシャクし始めたあの時と同じ違和感。喪失感。

(くそっ……何だよ、何なんだってんだよ、これはっ!)

今すぐ叫び声を上げたくなるほどの痛みが、切なさが心を苛ませる。
すぐ目の前では大切な家族が虐げられているのではないのか。
家族を救うために此処へ来たのではないのか。
なのに、何故、こんな、見知らぬ少年と少女の姿が――――。

「ジーン」
「っ! あ、ああ……来てくれたのか」

気がつけば物影で蹲る自分の肩に、心配そうな表情を浮かべたエルクが手を掛けていた。
その後ろには同じく心配そうに顔を歪めたリーザと、黒服達のいる大広間の方に静かに静かに唸り声を上げるパンディット。
既にジーンの頭の痛みは消え去っていた。

「ヴィルマーさんは?」
「あそこだ。黒い服着た奴らもいる」
「あいつら……やっぱり」

どちらにせよ、この人数ならば、エルクと共に剣を振るえるのなら突撃しても構わない。
腰から抜き去った剣と、仄かに魔力を帯び始めたジーこそがその相図だったのだろうか。
凛々しい瞳で敵を射抜き、一つ頷けばリーザとエルクもまた頷いた。

詠唱。

ジーンの放った魔法は、確かに一人の黒服を吹き飛ばしたのだ。





◆◆◆◆◆





「なぁ、じいさん……あいつらは」
「…………」

既に黒服達はエルク達によって速やかに撃退され、その残骸すら灰になって消えていた。
怒りに燃えるジーンの力故か、それとも現れた黒服との関係に力が入るエルクの力故か。
どちらにしてもその人型の身体をモンスターへと変えて襲いかかってきた黒服など、ほとんど彼らの相手にならなかった。
瞬く間に葬ってくれたお陰かヴィルマーにも大した怪我はなく、今は泣きじゃくるリアを抱きしめながら一人俯いていた。

ジーンの問いかけにヴィルマーは沈黙を続けるだけだった。
そして、エルクとリーザの視線にも。
何故ガルアーノの手先である黒服達が此処に居るのか。
誰も彼もがヴィルマーの言葉を待っていた。

「博士。あいつらは……ガルアーノの手下だよな?」
「…………」
「答えてくれ。何故あいつらがアンタを狙っているんだ」

思いがけない所で現れたガルアーノの影。
幸か不幸か。
偶然に不時着したはずの孤島にて見つけたガルアーノへの手掛かり。
エルクの問いかける口調にも力が籠っていた。

「奴らは……キメラ研究所の者たちじゃ」

苦しそうに歯を食いしばりながらも答えたヴィルマーの言葉に、エルクとリーザ――――そしてジーンが目を剥いた。
再び意味不明な光景が過るジーンは、頭を片手で押えながらも後に続くヴィルマーの言葉をひたすらに待つしかない。

この心の痛みは何だ?
この光景は何だ?
この、記憶は何だ?

すでにジーンの表情には常の軽薄そうな笑顔などどこにもなかった。
しかしヴィルマーがポツポツと話していく数多の真実は、エルクにとってもジーンにとっても看過出来ぬ事ばかりだった。

キメラ研究所。
モンスターの力を軍事運用することを前提に発足した、ロマリアの研究機関。
その研究は人としての倫理観など既に崩壊しており、その過程で主となったのは『人とモンスターの合体』という狂気染みたものだった。

人には魔物にない特別な力がある。
精霊に干渉する古い部族の血筋が為せる業。
古来より伝わる鍛錬にて鋼のような肉体と闘争に優れる人種。
伝承に伝わる神とも魔とも言われる御業の数々を行使する人物。

そんな人間特有の異能に眼を付けたキメラ研究所が人間とモンスターの合体に手を出すのは道理であった。
たとえそれが多くの屍を生み、数えきれないほどの悲劇を生みだすとしても。
既にそのようなものを悔いる価値観などこの機関には存在しない。

「ワシは……研究員の一人としてそこにいたんじゃ」
「爺さんが、か?」
「ああ」

まるで懺悔するかのように途切れ途切れに零される真実の中、ジーンの悲しげな声が落ちた。
そんな非道な機関に、自分のかけがえのない育ての親が。
気難しいながらも優しかった自分の親が。
――――キメラ研究所と言う言葉を聞くたびに過る嫌な予感が。
その全てがジーンに影を落としていた。

「だが儂は……そんな研究の非道さに気付き、そして逃げ出したんじゃ」

言いながらヴィルマーはジーンの顔を見つめる。
言うべきか、紡ぐべきか。
既にそのような選択肢など取れなかった。
一度首を横に振ると、決心したかのように未だ戸惑いを見せるジーンに告げた。

「ジーン……お前も、そのキメラ研究所の、白い家に拉致されていた子供の一人だった」
「…………」
「白い家……白い家だと!?」

真実に口を真一文字にしたまま押し黙るジーンに代わって、声を荒げたのはエルクだった。
ヴィルマーの傍に足早に駆け寄り、力強くその老人の肩を掴みながら先を促す。
一つ一つ。点と点が繋がっていく。

「そうだ……白い家……博士! 俺は其処に居たんだ!」
「お主が?」
「ああ。俺だけじゃない……もっとたくさんの子供たちが掴まっていて……ジーン!」

勢いよくエルクが振り返った先。
未だ黙ったままのジーンに今度はエルクが声を荒げた。

「お前だって居たはずなんだ。俺たちは……クドーとミリルもいた!」
「クドー……ミリル……」
「俺は、俺は思い出したぜ……あいつらが、ミリルが待ってる!」

叫ぶエルクの声が徐々に遠くなっていくのをジーンは感じていた。
その闘志を燃やす様に深紅の瞳を輝かせるエルクを前にして、多くの真実を認めようとする自分がいた。
キメラ? 白い家? 記憶喪失の理由? クドー、ミリル?

単語と共にぐるぐると廻る失ったはずの光景。
その光景すらも徐々に黒で埋め尽くされ、意識が遠ざかっていく中、ジーンは懐かしい少年の声を聞いた。





――また皆で笑えるといいな、ジーン――





そのままジーンは意識を手放した。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/29 19:10




インディゴス西にある明りの一つも灯らぬ寂れた街。
立ち並ぶビルの割れた窓ガラス、中途半端にぶら下げられた看板、道路上に何故か散乱しているボロボロの家具。
どれを見ても、この『廃墟の街』と言われる場所に人が住んでいる気配など感じさせないものだった。

街の名前もなく、ただ廃墟などと称される以前は一体どのような街だったのだろうか。
肌寒い風に吹かれながらタイヤの無い車が不法投棄された道路を進めば、肌の泡立つような嫌な気配に晒された。
魔物、と言うわけではないが、碌でもない者共が住みつくには絶好の空気。環境。
指名手配された魔物を追っては、ハンターたちがこの廃墟に来ることも少なくない。

となればガルアーノの部下の部下という輩達もそうなのだろう。
所謂下っ端たちが作戦会議やら連絡の受け取りやらを企むには丁度いい場所ということでもある。
無論ガルアーノ本人やその位に近い幹部がこんな埃と油臭い廃墟に立ち寄るわけもなく。使い捨てにしか過ぎない部下が集まるだけなのだが……。

≪キヒッ、予想はついてんだろォ?≫

頭の悪そうな声が心の中で響いた。
胸にストンと落としてくれるような優しさなど欠片もない、棘だらけのしゃがれた声。
耳に聞くのではなく心で聞くためか、その鬱陶しい声はよく響く。

≪シャンテの歌声にはまるで届かぬな≫
≪ケッ……テメェの涎だらけの口から出る遠吠えよりはマシなんだよ≫
≪…………何だと?≫
≪ほれ、言って見やがれ。ワンワンってなァ≫

貴様、と心のもう一人が叫ぶのは早かった。
心を三つ飼っているとはいえ、所詮それは思念だけの話。
俺の腐った身体の内側で心の持ち主だった輩が牙を剥き、腕を振るう事など出来はしない。
つまりこの小うるさい者共はただキャンキャン騒ぐだけしかできないということ。

同情など欠片も抱いてはいないが、肉体を喰われ、ただ思念だけが残るのは暇で仕方がないのだと思う。
故にこいつらは言葉を連ねるのを止めない。
…………残り一つの心のようにただ黙ることもできはしないのだろうか。

事あるごとに戯言を吐く心。
俺の行動に様々な感情を浮かべ思案する心。
ただ佇む心。

どれもこれも唾棄すべき者共だというのに、その個性ははっきりと確立している。
俺の力。
俺の餌。

≪で、だ。大将。部下が次々消えてるってのは此処でいいのかい?≫

おそらくはこめかみ辺りを震わせながら牙を剥いているだろう心の一つを無視し、汚い声がつまらなさそうに話しかけてくる。
事の次第はこうだ。
女神像の式典を終えた数日後から、この廃墟の一角をアジトにしていた部下の数人が消息を絶ち始めたのだ。

まるで影に引き摺られるようにして一人、また一人と部下達が人数を減らし、つい先日にその全てが何処かへと忽然と消えたのだ。
おそらくは何者かによって殺されたのだというのは想像に難くない。
だがその遺体や戦闘の跡すら残さないというのが不気味だ。

≪魔に属するものが、影より伸ばされた手に怯えるとは情けない≫
≪同感だァな。うちの大将みたく根性の一つでも見せねェもんかね≫
≪…………≫

それこそ同感ではある。
この異変そのものに恐慌する部下も少なくなく、仕方なくこの俺が担当することになったのだが、ほとほと呆れざるを得ない。
常では力の弱い人間を痛ぶり嘲笑っている輩が、このような状況になるとすぐに顔を青ざめるなどと。

≪強く、強く、そして弱く≫

わけのわからないもう一つの心の言葉は無視することにした。
こんなものに頭を捻っても意味はない。
都合のいいように受け取るだけだ。

相も変わらず寒々とした風の止まない路地裏通りを、外套をはためかせながら先へ進む。
部下達がアジトとしていた小さ雑居ビルはこの道の先。
どこからともなく奇襲をかけられそうな、死角だらけのごちゃごちゃとした道に自然と視線が彷徨うが、特に問題はない。
もし奇襲され、凶刃が俺の首元を通っていったとしても――――。

詮無い懸念だ。





◆◆◆◆◆





直に辿り着いたアジトに変化はないかと調べてみたが、特に変わったところは見られなかった。
連絡を取り合うための無線機。
キメラ強化されている部下達の体調を整えるための医薬品。
机の上に乱雑に置かれた偽物の指令書と、多くの暗号が立ち並ぶパソコン、機械類。
アジト、というには異存ない設備と備品がごちゃごちゃと散乱する部屋の一角で俺は首を捻った。

部下達が消息を絶ったのはこのアジト近辺に違いない。
キメラ処理をされた兵には例外なく自らの居場所を組織に知らせる発信機が埋め込まれており、その消失が今回の問題を提起する証拠にもなったはずだ。
故にこのアジトに何者かが押し入り、部下達を殲滅されたというのが予想されていた顛末なのだが……。

強盗ではない。そも、そんな輩にやられるほどにキメラというのは弱くない。
確かこの廃墟周辺に現れた手強い魔物……指名手配されたのは、『リーランド』だったか?
いや、確か奴は少し前にキメラプロジェクトの被験者となり……。
ああ、そうか。エルクに倒されたのだったな。

どちらにせよ偶発的な侵入者にやられたという線は薄い。
だとしてもアジト内に荒らされた形跡がないと言う事実が、計画された襲撃であるという線を薄れさせる。
そもそも偽物とはいえ、指令書に手を出した形跡が全くないというのも……。

刹那。

ミシリと何処からともなく床を踏みしめる音が聞こえた瞬間に身体を仰け反らせた。
手にしていた薄汚れた指令書が宙に舞い、黒色の影は俺の上半身があった場所を唸り声と共に通り過ぎて行く。

どこに隠れていたのか。
奇襲そのものとも言える攻撃を紙一重でかわした俺は、そのままバク転を二度ほど繰り返して襲撃者との間合いを取った。

≪ヒュウッ! サーカスでも食っていけるぜ、大将ォ≫

襲撃者にではなく、相も変わらず軽口を止めない此処の一つに舌打ちを一つ。
光源の少ない薄暗がりの中で相対した襲撃者は、俺の予測と違わぬ人物であった。

身体を影に紛れる黒装束で多い、銀色の短髪を怪しく揺らめかせながら鋭い瞳を此方に向ける男。
背中に見える重装備を背負いながらも放ってくる体術に、無意識ながらに舌を巻いた。
そのどれもがただの人間が出せる動作ではない。

「…………」
「…………」

既に俺はバク転と同時に一本のナイフを胸元から抜き去っており、その襲撃者は未だ無手のまま。
といっても彼のことだ。
そのうち何処からともなくマシンガンを取り出したり、いつのまにやら時限爆弾をセットされていてもおかしくはないだろう。

「……血溜まり」

一体どこからその情報を得たのか。
『血溜まり』という名を轟かせるために色々と動き回ったが、そのどれもに俺の容姿を直結させる情報など漏らした覚えはない。
その証拠に未だハンターズギルドの手配書も真っ黒なままだったはずだ。

なのにこの男は、ハンターとして一流であると知られるこの男は即座に俺の正体を見破った。
これでは俺がガルアーノの右腕として動いているということもばれているのではないかと――――自然と、顔に笑みが零れた。

「何がおかしい」
「……クッ、いや、な」

シュウよ。
ここであなたが俺に追いついたというのは、僥倖以外の何物でもない。
そろそろあなたと個人的に接触を図りたいと思っていた頃だったのだから。

「ハンター、シュウ」
「…………」
「どこまで知っている?」
「言うとでも思うのか」

思ってはいない。
物語で語られる勇者の中でも、ひと際シビアな考えで知られるこの男に、柔な交渉など通るはずもない。
そして殺戮ばかりに慣れていたこの俺が、そんな交渉事に長けているわけでもない。

本当ならば味方の一人でも作りたい。
だがしない。
今更意味不明な真実を羅列して、物語に軋みを作る意味などない。

シュウよ。
あなたは正義の味方で、勇者で。
そして俺は悪で、敵でいい。

にやついていた笑みを止め、真正面にナイフを構える。
それが合図であるかのように、俺たちは互いの腕を振り下ろした。





◆◆◆◆◆





所詮知識だけの話ではあるが、シュウが刃物や鈍器の類を得意とする様な人間ではないというのは分かっていた。
いや、ロマリアの特殊部隊にいたなどという過去が本当であれば、そういった武器類に関する扱いも慣れているという可能性はあるのだろう。
しかし彼が好むのは手甲や具足のような、超接近戦に流用できる格闘武器のようなもの。
現に俺のナイフを受け止めたのは黒装束と同じく、真っ黒に塗り固められた鉄製の小手であった。

特に力を入れたわけではないが、そのような武具に何度も小ぶりなナイフで切りつけるという選択肢は取れない。
相手の防御をすり抜ける様にして切り付けねば、いくら5本の余裕があったとしても手持ちのナイフが全て駄目になってしまう。
……そんな攻撃が彼に通用するとはまるで思えないが。

小手に受けたナイフを受け流す様に身体を半回転させたシュウが放ってきたのは回し蹴り。
拮抗していた力をそのまま利用する形でこちらの体勢を崩し、尚も強力な一撃を放ってくる。
先ほど俺を奇襲してきたときに放った攻撃の正体はこれか。
瞬時に屈むことで頭のすぐ上を通ったその蹴りは、頭そのものをふっ飛ばさんまでの速さと重さを持っていた。

≪うへぇ……こいつが人間だって言うんだからおっかねェ≫

次の攻撃行動に移り始めていたシュウの身軽さと、戦闘中だというのに黙らない心の声の両方に眉を顰める。
当たり前の話ではあるのだが、シュウは俺に対して手加減というものが見られない。
もし俺をただ殺すという目的で襲いかかってきたというのなら……なんだかシュウの目的がよく見えない。

ガルアーノの手下を殺し、やがて来る幹部レベルから情報を取り出すべく動いているのかと最初は思っていた。
しかし彼の苛烈な攻撃は情報を手に入れるために半殺しにするというよりは、即座に抹殺することを目的にしたようなもの。
……ひょっとすれば『血溜まり』である俺も、所詮下っ端と思われているのだろうか。

≪主よ。たかが人間の生を脅かす殺人鬼程度の者が、闇に潜む大物にはなり得まい≫
≪ま、確かに大将の賞金もまだ大したことねェしなァ。2000ちょっとだったか≫

相手は俺を本気で殺しに来る一流のハンター。
しかし俺に彼を殺すと言う選択肢など取れず、双方共に致命傷を負わないままに調整しなければならない。
シュウ相手にそんな難易度の高いことなど、骨の折れるというレベルではない。

それこそ、命を掛けねばならないくらいに。

シュウが此方の首筋を狙い、放ってきた手刀をギリギリの速さで腕を差し出し、受ける。
ただ包帯で包まれているだけの素肌に近い俺の腕は、嫌な音を立てながらギシリと歪んだ。
この身もある程度の強化を受けているというのに、防御力という点では何一つ安心出来る要素が存在しない。
そもそも俺は真っ向から切り合う肉弾戦の魔物よりも、影に紛れて奇襲離脱を繰り返す暗殺型の個体だ。

故に身に纏う装備も最低限。
大立ち回りをするための大剣やシュウのような重火器など有していない。
――――故に、魔法というモノが俺にはあるのだが。

≪主の魔法は、手加減や軽傷を望めるようなものではない≫

既に分かり切ったことをしたり顔で言う心の一つに頭が沸騰しかけた。
いや、確かに手加減という意味で使用出来る『ポイズンウィンド』もあるのだが、それを使用した後に毒に犯されたシュウをどうするのだ。
わざわざ解毒剤を用意する理由が思いつかない。

「シッ!」

低くしなる様な声と共にナイフを一つシュウ目がけて投擲するも、忍者のように分身を伴いながら避けられる。
魔物の中に存在する『ニンジャ』と彼の間に一体どんな関係性があるのやら。
手加減などというハンデを背負いながらシュウを圧倒せねばならないという現状に、徐々に俺はため息すら吐くまでにうんざりとしていた。

そんな俺の態度を疑問に思ったのか、やがてシュウは此方への警戒を解かぬままに口を開いた。
隠密行動故か、彼の口元は装束によって隠されていたが。

「解せん」
「……何がだ」
「何故貴様は手を抜いている。何故俺を生かそうとする」

さすがにばれるか、などと内心で頭を振る。
ただ生かそうとするだけなら、生け捕りにして何やらよからぬことをするという確信を取れるだろう。
しかし俺のそれはもはや手加減という話ではない。

シュウの攻撃を余裕なく交わし、元々掠りもしない攻撃にさらに手心を加え……そもそも殺気すらない。
滑稽なまでにその実力と目的が合致しない様に、シュウが疑問を抱かないはずがなかった。
そして何より。

「毒を以って対象をバラバラに殺害するという貴様の手口に合う戦い方ではない」
「殺した後にバラバラにする。そういうこともあるかもしれない」
「ほざけ。そも、ただの殺人鬼が何故このアジトに関わる。貴様も……」
「…………」

ああ、成程。
別に奇襲でも何でもなく、シュウもまたこのアジトの様子を見に来ただけだったのか。
つまり、偶然に俺と彼が鉢合わせしてしまい、そのまま戦闘に移っただけ。
となれば何故俺を『血溜まり』と知っているのかが疑問だが…………。

どうでもいいか。
シュウが此方に対する情報を多くは持っていないというのが好都合。
これならば多少なりとも俺の思う通りに物語を動かすことが出来る。

既に骨が砕け、ただぶらぶらと揺れるだけだった右腕など眼中になく、浮かんできてしまいそうな笑みを抑えることで俺は必死だった。
おそらくシュウはエルクの所在についても未だ情報を得てはいないだろう。
今はエルクの帰還を信じ、自分に出来ることをただしているだけといった所か。

「シャンテ。白い家。キメラ」
「……?」
「ハンター、シュウ。お前が調べねばならないことはそんなところだ」
「どういう意味だ」

こちらの言葉に眼を細めたシュウ。
じり、と間合いを測る様に構え、すぐに飛びかかってきそうなままに此方を睨む。
論点をずらせ、隙を作れ。

「直にエルクが戻ってくる」
「何だと!?」
「この地で踊るのもあと僅か。かの地で救済が為されることになるだろう」

少しばかり、『台詞』を言うことに高揚した。
この世の流れを裏から全て操っていると勘違いするかのような、全てを掌に握っている様な優越感。
隙なく殺気を纏わせていただけだったシュウの顔に困惑が浮かんだ瞬間、何もかもが成功している様な錯覚を覚えた。

――――もう、俺は、どうしようもないほどに狂っている。

そんな感覚を覚えれば、俺の中にいる心たちが一斉に笑いだした。
言葉の少ないこいつも、いつもは冷静を気取るこいつも、常と変らぬこいつも嗤い出す。
揃って俺も嗤ってしまいたい衝動に駆られた。

駄目だ、嗤うな。
まだ嗤ってはいけない。

「……B-2棟。042号室。パスコード『アークザラッド』」
「……何?」
「覚えておけ。ただ覚えておくだけでいい。何よりも、エルクのためにな」

託さねばならない言葉を、伝える。
詳しいことなど話す必要はない。
これだけを言えば、頭のよいシュウならば適当に理解して答えに辿りついてくれるだろう。

ただ戸惑いのままに隙だらけの身を晒すシュウを一度見やり、俺の背後にあった窓より即座に身を投げ出す。
こちらを呼びとめる様な怒鳴り声と共に、幾つもの弾丸が風切り音を鳴らしながら俺の身体を通って行った。
被弾したのは胸か、腕か、足か。

≪人間だったら死んでるな、これ≫

いかにも自分が痛そうに顔を顰める心を放り、少ない血を流しながらひたすら走る。
点々と廃墟の街に垂れ流す血はそのうち止まり、俺の身にあった幾つもの傷も、折れたはずの腕もすでに元通りになっていた。

便利な身体。

全てをねじ伏せ、全てを屠る力すら持てなかった。
だが選択肢は多かった。

真っ向から叩き潰すか。
魔の御業に身体を浸すか。
獣の如く四肢を得るか。

そのどれもが使いこなせるとは思えなかった。
そもそも元の俺は戦いのない世界で生きた軟弱者。
戦いという世界に放り込まれれば即座に腰が引ける。
すぐに捻り潰される。

故に、選んだ。

再生能力。
不死性。
アンデッド。

それに特化した存在が『血溜まりのクドー』。
多くの魔を、人を喰らい、命を蓄え、何度でも這い上がる。
出生の特殊性から、何体もの魔物と合体する術を得た固体。

数え切れぬほどの魔を取り込み、おぼつかない汎用性と絶対的な不死性を誇る個体。
故に――――。

間に合えばいい。
ただ救済の時まで、間に合えばいいのだ。






[22833] 十一
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:43


ジーンが意識を失ってその場に倒れ伏した時より数刻後。
瞳を閉じたまま魘されるジーンをベッドに眠らせ、それを囲むようにしてエルク達は沈黙を保っていた。
隣のベッドでは黒服達の襲撃で心身を疲弊させていたリアも寝息を立てている。
二人の子供を眺めていたヴィルマーも、一つ安心したようにして息を吐いた。

とりあえず一人の怪我人も出さずに事を収めたものの、未だ多くの疑問が残っている。
いや、疑問と言うよりは問題だろうか。
ジーンの出生、過去。
ヴィルマーが隠していたキメラ研究所との関係。
完全に思い出したエルクの記憶。

そして、これから。

考えなければならないことなど無数にあった。
そんな多くの問題に思案していたのかしていないのか。
ただ黙ったまま虚空を眺めていたエルクが独り言を呟くように口を開いた。

「白い家では……いつも4人で一緒にいた」
「?」
「俺と、ミリルと、ジーンと、クドーと……みんなガキだった」

首を傾げたリーザとただ視線を向けただけのヴィルマー。
エルクは照れくさいのか頬を指で掻きながらも、まだまだ子供だった頃の記憶を語り始めた。
懐かしさに少しだけ声も柔らかに。

「ミリルはお節介だし、ジーンは生意気だし、クドーはなんか根暗だし……」
「でも、仲がよかったんでしょ?」
「わけのわかんねぇ場所だったけど、あいつらと居る時は本当に楽しかった」

エルクが思い出したのはどの場面だったのか。
一度首を横に振ると、エルクは眠っているジーンの顔を見つめ、しばし言葉を失った。
いや、その表情は怒りに満ちていた。

「そんな中、俺とミリルは……仲間の子供たちがモンスターに変えられる所を、覗いちまったんだ」
「子供を……モンスターに」
「…………」

そのおぞましい事実に身体を震わせたリーザに、足元にいたパンディットが安心させるようにその身体を押し付ける。
ヴィルマーは苦虫を噛み潰したように顔を歪めたまま、無言で掛けていた老眼鏡を上げた。

「まだまだガキだった俺達は動転して、すぐに逃げようって話になったんだ。ジーンとクドーも連れて」
「…………」
「でも隠れてた俺達はすぐにばれて、ジーン達を連れる余裕もなく……俺を逃がすためにミリルも囮になって」

気付けばエルクは無意識のままに固く拳を握りしめていた。
肩を震わせたまま俯き、自分だけ助かってしまったことに自分自身に怒りを抱いていた。
助かっておきながら、今の今まで記憶を失いのうのうと生き続け。
しばし後悔に身を震わせ、強く強く歯を食いしばる。
次に顔を上げた時、エルクの顔にはただ一つの決意が浮かんでいた。

「博士。俺は白い家に行かなくちゃならねぇ。まだあそこには助けを待っている奴らがいる」
「…………」
「ジーンを助けてくれたことには感謝する。過去を忘れていたいのも分かる」
「…………ワシは」
「だけどっ! 俺は、もう……逃げてらんねぇんだ」

既にその瞳に後悔はなく。
既にその瞳には深紅の炎が燃え上がり。
これを勇気と呼ぶのだろうか。
彼を勇者と呼ぶのだろうか。

「教えてくれ。白い家ってのは何処にあるんだ?」
「…………」
「博士っ!」

一度ジーンの方をちらりと見たヴィルマーは肩を落としたまま、エルクの声に応え始めた。

「西アルディアの何処か。移転してなければ今もその場所は変わらないじゃろう」
「西アルディア……」
「ただ詳しくはワシも知らん。もっと詳細を得るためには」
「ガルアーノの野郎に直接聞けってわけだな!?」

両手の拳をガシリと叩き合わせたエルクは、ようやく道が開けたと獰猛な笑みを浮かべた。
その様に思案した面持ちで黙り込むヴィルマー。
リーザもエルク同様目的の輪郭がはっきりしてきたことに喜ぶが、どことなくヴィルマーの態度に違和感のようなものを感じていた。
まだ何か、隠しているような、そんなものを。

「ヴィルマーさん……その、まだ何か?」
「ジーンのことだがな……こいつが記憶を戻したら、おそらくは」
「ジーンがどうかしたのか?」
「お主らについていくだろう。友を助けようとするだろう。そういう奴じゃ」

魘され、少しばかり息苦しそうにしていたジーンもようやく落ち着いたのか。
リアと同じように胸を上下させながら安らかな寝息を立てている。
ヴィルマーはそのゴツゴツとした手で、ジーンの頭をクシャリと撫でた。

「正直な話……ジーンはとある人物から託された子供なんじゃ」
「とある、人物?」
「クドーじゃよ」
「クドー……って、どういうことだよ!?」

唐突に明かされた事実にエルクは声を荒げてしまった。
当然の如く眠りついていたリアはぐずり、今にも起きてきてしまいそうに身体を捩らせた。
しかしエルクの驚きも当然であり、リーザもまた話の要領がつかずに首を傾げていた。

「えと、クドーくんって、エルクと同じ白い家に入れられてた子供じゃないんですか?」
「リーザの言う通りだ。あいつは俺達と同じ子供で……どうやってあいつが博士に」
「どこから嗅ぎつけたのか知らんが機関から逃げ出そうとするワシに、眠ったままのジーンを押し付けてきたのが、あやつだった」
「……どういうことだ?」

未だ子供で、研究員であるヴィルマーに近づく術もないはずで、そもそもジーンを連れてくる過程も不明。
エルクには何が何だか、一体クドーが何をしているのか分からなくなっていた。

「ワシが白い家に派遣されてきたのは、おそらくお主が脱走した後なのじゃろう。必要以上に施設の警備が厳重にされておった」
「それは……そうかもしれないけどよ」
「ミリルという存在も直接関わることはなかったが知っておる。無論クドーという男も」
「じゃ、じゃあ、クドーは何してたんだ?」

既にエルクに冷静さなど欠片もなかった。
縋る様にしてヴィルマーに詰め寄り、早く先を話せと急かす。
ただその態度と裏腹に、ヴィルマーはただひたすらに悲しそうな眼を浮かべていた。

「ガルアーノ直属キメラ部隊所属。個体名『プロト』」
「…………あ?」
「いや、そもそも彼はキメラじゃない。彼はもっと別の……」
「……ふざけんなよっ!!」

ただ悲鳴にも似たエルクの怒号が響き渡るだけだった。





◆◆◆◆◆





遠い記憶。





暗がりの中に居た俺は、ただひたすらに現状を理解することに躍起になっていた。
前世か。憑依か。転生か。転移か。
ありとあらゆる可能性に思いを馳せ、そして諦めた。

身に覚えのない部屋。
身に覚えのない身体。
身に覚えのない他人。

ここが俺の知る物語の世界と知ったのはいつだったか。
研究員が俺に向ける視線の歪さに気付いたからか。
申し訳程度に渡される絵本の内容を曲解した時か。
そこらに散らばる単語が俺の知識に引っ掛かった時か。

どちらにせよ、死にたいと思ったのは早かった。

元々俺が入れられていた部屋は、多くの子供たちを遊ばせるような大きなものではなかった。
むしろ何処となく牢屋を思わせる様な簡素すぎて味気ない部屋。
ベッドと、机と、あとは――――あまり覚えていない。

ただこの世界における『俺』という存在は、研究員のそれらから見ても歓迎されないものだと理解した。
食事を運んでくる係員と言葉を交わすこともなく、定刻に合わせて検査に来る白衣の男の態度もそっけない。
孤独。
この施設で行われるであろう惨たらしい実験よりも、そんなことに心を削っていた気がする。

やがてある程度の時を無駄に過ごし、係員に連れられていったのはあの知識にあった大きな部屋であった。
そこでようやくにして俺は、本来の物語の流れよりも早くに存在しているのだと察した。
次々に部屋に入ってくる虚ろな目をした子供達。
誰も彼もが記憶を失い、そして研究員に名前で呼ばれることはない者達だった。

俺は知っていた。子供達の大まかな立場を。
君たちは強い力を持っていて、悪者に攫われて、記憶を消されて、直にモンスターに変えられてしまう実験体なんだよ。
未だ俺という存在がキメラプロジェクトにとってどういう立ち位置にいるのか理解出来なかったが、子供たちの中で最古の者だということは理解できていた。

自然と、頼られることになった。
絵本の朗読。描かれた絵を褒める。転んで泣いた者を宥める。
それが続いたのは一週間か、それとも一カ月か。

それだけで『孤独』というものを克服したのだろう。
既に俺は新たな贅沢に味をしめ、何故こんなことになったのだと今更に現状を恨み始めた。

子供の世話なぞしていられない。
このままじゃキメラにされる。
誰か俺を助けろ。
……何故転生?

転生云々の不満が最後に来てしまう自分に、失笑する時もあった。
無論その全てを解決することの出来る手段というものも存在する。
すなわち、自殺。
食事の時に渡されるフォーク辺りを首に突き刺せば、おそらくは死ねるだろう。

だがやらない。
だって、あんな尖ったものを首に刺すなんて、怖いじゃないか。
血は出るだろうし、即死出来ないから痛いだろうし、そもそも死ねるかどうかも微妙だし。

――――俺は未だ、平和な世界に生きていた人間のままだった。

鬱鬱とした中でしばらく無意味なままに生きてきた俺は、ある日、唐突にして思いついた。
物語にあった勇者たちの話。
おそらくはもう少し時が経てばこの施設に連れられてくるだろう子供達のことだった。

エルク。ジーン。ミリル。
どのような過程で白い家に運ばれてくるのかなど知らないが彼らは来る。
前世で得ていた知識通りになるかなど分かったものではないのに、俺はとにかく彼らの来訪を盲信した。

そして彼らは来た。
俺は一体どれだけ喜んだことだろう。
どれだけ狂喜したことだろう。

彼らと共に居れば、エルクと仲良くなれれば、エルクと共にいれば――――。
やがてこの忌まわしき施設から逃れられるチャンスが来る。
人間のままで、辛いかもしれないけど、この世界で生きることが出来る。

まずは身の安全を。
おそらくは不可能かもしれないけど元の世界に戻る方法を気ままに探すのもいいかも。
どこが一番平和だろうか。
やはりエルクというキャラクターに半ば寄生する形で生きるのも。
いや、そうなれば物語に巻き込まれる可能性が……。





――――未だ俺は、プロトと呼ばれることに疑問はなかった。





◆◆◆◆◆





エルク。
ジーン。
ミリル。
そして俺。

俺達が白い家で過した時間はそう多くない。
互いに同じような悲劇を有したまま、笑顔を失くさないように日々を過ごしただけ。

時に喧嘩をするジーンとエルクを俺が窘め、それを聞きつけたミリルが頬を膨らませて怒る。
眠れないと駄々を捏ねるミリルに俺が絵本を読み、それを悔しく思うエルクが文字を習い、それをジーンがニヤニヤ笑う。
ミリルのことをエルクが好いているという事実をジーンが察し、それに俺が苦笑し、エルクが顔を赤くし、ミリルが首を傾げる。

仲の良い、4人だった。
しかしその友情は、俺にとってただの手段に過ぎなかった。

自分が救われるため。
自分の安全を確保するため。
生き延びるため。

前世からの経験で嘘をつくことには慣れていたこともあってか、彼ら3人の中に紛れ込むのは容易いことだった。
子供という生き物の鬱陶しさに我慢しながらも表で暗い笑顔を振りまき、ただひたすらに運命の日を待ち続ける。
子供たちの純粋な優しさに時折胸が締め付けられるようなことがあっても、俺の目的は変わらなかった。

未だクドーと名乗らず、プロトと名乗っていた頃の話。
与えられた不可解な名前を名乗ることに疑問がなかった頃の話。

俺は、とある研究員から真実を告げられた。

その真実は、俺が目を背けていた様々なことが叩きつけられる、全ての『答え』だった。
何故俺はプロトと呼ばれる。
何故俺は初期の頃から此処に居る。
俺も何かしらの異能を持った一人なのか。

アイデンティティの消滅。
根本の崩壊。
そして、開き直るきっかけでもあったのだろう。

既にエルク達を踏み台に生きることなど眼中から消え失せた。
その結果、ただ何もかも失った俺をヒトとして繋ぐものが、エルク達と紡いだ偽りの友情しかないのだと気付いた。
あまりに皮肉な、そして笑える事実。

それと同時に怒りを覚えた。
ただ一つ執着出来る彼らとの友情が、そう遠くない未来、エルクを残して完全に破壊されるのだということに。
キメラとして改造されるジーン、ミリル。
しかも二人揃ってエルクの前で非業の死を遂げると来た。

それで?
傷つきながらもエルクは立ち直って?
結局生き残ったのはエルクだけで?

ああ、ふざけている。
全くもってこの世界は、物語はふざけている。

世界の危機。
死んでいく人々。
破壊されていく環境、精霊。

そんなものどうだっていい。
ただ唯一、俺が執着出来る存在が死に行く運命など、認められるわけがない。

ジーンをヴィルマーに託したのも、別にジーンのためではない。
ミリルが救われるように動くのも、別にミリルのためではない。
エルクに救う機会を与えることも、別にエルクのためではない。

その全ては、俺がクドーとして、何かを成し遂げられたという結果を得るためのもの。

ただひたすら自分の願いのために、欲望のためだけに動く。
成程。
確かに俺は、光ある世界に生きる人間ではなく、闇に生きる魔物なのだろう。



魔物。



何のことはない。
俺とは、プロトとは。
キメラプロジェクトの前身として行われた研究で生み出された――――。

人間の女性に産ませた魔物の子だった。

単純でより力のある『合体』という手段が主流になるより前。
魔と人の混血を生み出すという実験で生まれた半人半魔。
多くの犠牲者と廃棄される胎児の中で唯一生き残った存在。

それがプロト。
故にプロト。

――――認めない。
あんな醜悪な存在と俺が同義などと。
ただ誰かを傷つけることしか脳のない、闇に蠢く者などと。

故に俺は求む。

人間である証として、ただ一つこの世界で作り上げた偽りのモノを。
迷う必要などない、甘ったるく、分かりやすい友情を。
他の何を犠牲にしてでも、あの子供達と紡いだ縁を守り抜いてやる。

ただ俺が人間だと思いこむためだけに。

人間であるが故に、何一つ生死の境を彷徨う世界に生きていなかった故に狂っていく俺の心。
人間である証を望む。人間『らしい』心を、縁を。
しかしそれを望めば望むほどに俺は生き残る術として魔を取り込み、人を殺し、世界を操ろうと画策する。
ヒトを、離れていく。

矛盾。

ただコントローラーを握り、この世界の行く末に一喜一憂していた俺はどのくらい残っているのだろうか。
いつ俺は、俺でなくなるのだろうか。
もはや親の名など覚えていない。前の世界にあったであろう友人たちの声など覚えていない。

エルク。
ジーン。
ミリル。

絶対に死なせはしない。
死んでも、守ってやる。
軽々しく死ぬなどと、この俺が許さない。






[22833] 十二
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/04 17:31




「どういうことよ!」

相も変わらず謀を企むにはうってつけの廃屋内で、その寂れた場所に似合わぬ青いドレスに身を包んだ美女が声を荒げた。
俺への怒りを隠すことなく、目の前に申し訳程度に存在しているテーブルを力強く叩きつける。
眼に宿るのは憤怒。常は妖艶であるだろう整った顔を歪ませる様は、否が応でもその感情を思い知らせた。

罪悪感があるかどうかすら、俺にはもう分からない。
そこに疑問を抱くことが出来るから、ひょっとすれば俺はまだ人間で居られているのかもしれない。
詮無い思考だ。

「私はっ、私は言われた通りにエルク達をっ……」
「そこに疑問を挟む余地はない。が、いつ私がすぐさま弟を解放すると約束した?」
「なっ……」
「勘違いするな。お前の要望を受ける義理などこちらにない。お前は、命知らずにもガルアーノ様の周りを嗅ぎ回った排除される者でしかない」

善などそこにはない。
俺の言葉は一字一句違わず悪が語るもので、それでも折れずに言葉を連ねようとするシャンテとの差に無意識に失笑が漏れた。
詫びも、贖罪も、裁きも、俺は求めていない。

「だが次の命令をこなせるならばあるいは」
「くっ……約束しなさい。それをこなせばアルを返してくれると」
「何度言わせるつもりだ。お前にそんな権利など……いや、権利はあるのか?」
「何ですって?」
「正当性も、権利もお前にはある。だが私達はそれを理解せぬ集団なだけだ」
「…………外道」

――――さて、もはやそんな言葉に心を迷わせるのにも飽いた。
その殺意を俺に向けるシャンテに今回の命令を事細かに説明する。
無論、その流れは本来の物語の流れを踏襲する形ではあるのだが。

ガルアーノの企みに合わせる形で彼らを誘導するには、少々のアレンジが必要だろう。
本来であればキメラ化したジーンが現れ、シャンテによってエルク達はガルアーノの館に誘われる。
無論ガルアーノなど居るわけもなく、その場でジーンが死に、贖罪と復讐にためにシャンテが勇者の一人となる。

随分と阿呆な話だ。
そもそもあの流れにおけるガルアーノの行動は、全てエルク達に対する執拗な嫌がらせによる様なものに過ぎない。
友と友を戦わせ、一人の女を道化にし、その舞台を眺める醜悪な客。
不安や絶望を煽り、闇に落そうとするその所業は闇に蠢くものに違いないとはいえ、そんなものに愉悦を求めるのは下の下、三流のすることだろう。

どちらにせよ、そんなくだらぬ趣向があるために俺が付け入る隙があるというもの。
ガルアーノの目的は、エルク達を白い家に誘き寄せること。
先日における献策にて、決戦の地へと役者を集める道を繋げることには成功している。
すなわち、こんな場所で余計な劇などおっぱじめる意味などない。
さっさとエルク達に手紙の一つでも寄こして白い家の場所でも教えてやればいいのだ。

≪つまんねェ。つまんねェぞ大将≫

心の言葉は無視。そもそも面白い面白くないで俺が動いているわけではない。
しかしある程度の舞台を整えねばならないという懸念はある。
シャンテがエルク達と共に進まねばならないという本来の流れがあるから。

白い家へと続く西アルディアのサルバ砂漠か、それともかえらずの森か。
そこを突破して白い家に来るとしても、研究所内で待ち受けるモンスターやキメラを撃退するには彼女の力がエルク達には不可欠だろう。

ガルアーノを筆頭とする下らない魔物たちの眼には止まらないであろう彼女の力。
傷を治し、魂を浄化させ、犠牲の名の下に行われる癒しの力。
その異能の方向性故にガルアーノの眼に止まらなかったシャンテ。
闇ではなく光に生きる彼女であるからこそ、エルク達にとってその存在は大きな力になるだろう。

「故に……」
「……?」
「いや、何でもない」

俺から発せられる命令を待ち、表に出ていた怒りを腹の底に収めつつあったシャンテは、俺の言葉に怪訝そうに首を傾げた。
暗がりの中でもその妙齢の美女たる美しさは損なわれない。
蝋台の光によってぼんやりと照らされるその顔に、動きに、どこかしら抱擁感を思わせる母たる影を見せるのは幻覚か。
――――これほど憎しみの瞳を向けられているというのに。

≪彼女もまた≫

ああ、分かっている。





◆◆◆◆◆





鉄を叩くような小気味よい金属音が響き渡る様に続いていく。
時に何かを削る様な音と共に鳴る、火花が散るような弾ける音。
ヒエンの修理という行程において響くこれらの音は、上階で眠るジーンやリアにとっては少々鬱陶しすぎるものであった。

といってもそんな喧しい音を度々研究のために立ててしまうヴィルマーの下で暮らす彼らには、ある程度慣れている節があった。
現にリアは未だベッドの中でクマのぬいぐるみを抱きしめながらも口元から涎を垂らしている。
黒服達の来襲という恐怖を味わっているにも拘らず、その寝顔は中々に図太いものを感じさせるのかもしれない。

無論ジーンも、とは言いたいところであったが、今現在彼は修理に汗水を流すヴィルマーを眺めながら、ぼんやりと作業机の上に腰かけていた。
ヒエンの置かれる大部屋に響く音など気にも留めず、その視線は、意識は全く違う世界に飛んでいるようにも見える。
心此処に在らず。
その隣では、ヴィルマーがヒエンの修理のために拵えた設計図とにらめっこをしながらエルクがうんうんと唸っていた。

「これでも持ち主のつもりだったんだが……さっぱりわかんねーな」

ヒエンを駆り、その操縦方法を習ってからそれなりに乗りこなしてきたはずの愛機が描かれた設計図。
所々のパーツやら何やらはなんとか理解出来ても、ヴィルマーが描いたその設計図をエルクが理解することは出来なかった。
ヴィルマーが天才なのか。それともエルクがあれなのか。

眉を顰めながら設計図と睨みあうことを諦めたエルク。
彼がヴィルマーの方に視線を向ければ、リーザが差し入れと称してサンドイッチやらコーヒーやらを手渡していた。
苦笑しつつもそれに被りつくヴィルマー。
随分とこの島に来た時に抱いた第一印象とはまるで違っている。
エルクはその姿にどことなくヒエンの世話を任せているビビガのことを重ねた。

「博士も機械オタクとかいうんじゃねーだろーなぁ?」
「…………」
「なぁ、ジーン」
「……ああ、そうだな」

別に応えなくてもいい、何でもない話のはずだった。
そのまま無視されてもそれでいいし、いつものように軽口を叩かれてもエルクに怒る気などなかった。
既に互いに消失していた記憶は戻り、空白だった5年の月日を埋める様にして言葉を交わすことだって望めたはずだった。

自分の話を聞いているのか、聞いていないのか。
生返事を返すジーンに、エルクは開きかけた口を真一文字に閉じ、再び修理作業へと戻ったヴィルマーに視線を戻した。
互いに向ける視線の先は同じだと言うのに、二人が見ているモノはまるで違う。
ただエルクに出来ることは待つことだけだった。

「…………」
「…………」

沈黙。相も変わらず沈黙。
心此処に在らずとは言うものの、ジーンの深緑の瞳には虚ろなものも失意のものも浮かんではいなかった。
ただそこにあったのは、戸惑い。
そして決意を逸らせるような焦り。

既に記憶を取り戻したジーンではあるが、彼にはこのまま島でのんびりとエルクの動向に祈りを捧げるという選択肢など存在しなかった。
幸か不幸か自分にはエルクと共に闘う力があり、救うべき縁があり、それらに負けない強固な意志すらも存在した。
ぼんやりとしている暇などない。
今すぐにヒエンの修理を手伝い、そのままアルディアに乗りこんでガルアーノの顔面に剣を叩きこんでやってもいいほどだった。

しかし、空白の5年は長過ぎた。

エルクのように戦いという血生臭いものに近い生活を常とするハンターとして生きたのではない。
平和な島の、優しい家族の下、充実した生活を堪能してきた。
しかし自分の失った過去は、この長閑な島に似合わぬ壮絶なものであり――――。

(俺は……戦えるのか?)

実力に疑問を抱くものなどいないはずだった。
エルクも、リーザも、そしてパンディットも既に仲間だと認めてくれている。
しかし、信用できない。
今まで呑気に過ごしてきた自分が、大きな組織を相手に戦い切ることが出来るのだろうか。

「……何だろうな」
「何がだ?」
「何でクドーは……俺だけを逃がしたんだろうなって」

ポツリ。
ジーンが誰に言うでもなく呟いた言葉に、エルクが聞き返した。
エルクとて悩まざるを得ない、クドーの動向。

「半人半魔って言うけどよ」
「ああ……」
「はっきり言って、知ったこっちゃないって感じだよな」
「まぁ、結局のところ、友達だからな。あいつ」

過去を否定する意味などないと、二人は理解していた。
クドーの出自がどうであれ、自分達は短い期間の中で友としての契りを結び、絶望の中で笑いながら生きてきたはずだったのだから。
今更クドーの正体を聞かされても、彼が友であるという事実には何一つ変わりはなかったのだ。

「とっくにガルアーノの下で動いてる奴がさ、俺を逃がしたってことはさ」
「ああ」
「まだ、間に合う、よな?」
「…………ああ」

否が応でもなく、縋る様な声が出てしまうジーンに、エルクは苦々しい顔をしながらも頷いた。
あいつは俺達を覚えているのだろうか。
あいつを助けることは出来るのだろうか。
あいつは、俺達に――――。

嫌な考えを遮る様にして再び鳴り始める金属音。
鉄製の工具面で顔を隠しながら火花を散らせるヴィルマーの後ろで、リーザが周りに散らばったガラクタをせっせと片づけ始めていた。
少女の力では少々おぼつかないその作業を、男二人はただぼうっとしばし眺めていた。

どれほどその光景を眺めていただろうか。
突然長い銀髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしたジーンが、疲れたような表情を浮かべながら吐き捨てた。

「……止めた」
「は?」
「悩むのはもう止めにするってことさ」

片眉を吊り上げながら間抜けな声を出してしまったエルクを笑うように、腰かけていた作業机から飛び下りるジーン。
その顔には既に陰鬱なものなどなく、常の胡散臭いようなニヒルな笑みがあった。

「ミリルも、クドーも、何もかもが5年前で止まったままだ」
「ああ……」
「どいつもこいつも俺を蚊帳の外においたまま動いてばっかじゃんか……助けられてばっかりじゃんか」

両手を上げたままやれやれと首を振れば、茫然とするエルクに、ジーンはにやりと口元を吊り上げた。
腰に下げていた剣を鞘から抜き放ち、まるで曲芸のように一回転させ、勢いよく足元へと突き刺す。

「エルク。お前は言ったな。ミリルとの約束を果たせていないって」
「……ああ。あいつは、俺を待ってるんだ」
「なら俺は願いを叶えていない……俺たちはな、また皆で笑いあえなきゃいけないんだ」

昔を懐かしむようにして遠い視線を虚空に向け、その記憶の中にある言葉の真意を思い出し、ジーンは少しばかりその表情に影を浮かべた。
悲しそうな顔でその言葉を告げたクドーは、このことを予期していたのか。
散り散りになって記憶を失うことを恐れていたのか。
――――それすらも、ジーンは知らない。だから。

「確かめなきゃいけない。何もかもを、だ」
「……そうだな」
「ミリルがピンチだって言うんなら助ける。クドーが苦しんでいるってんなら救う」
「ああ!」

既に悩むことすら愚かなことであった。
悩んでも、悩んでも、悩んでも。
常に救われ、何も分からぬままにあの白い家を後にしたジーンが知るものは少ない。
自分もまた、因果を持つ者だというのに。

「仲間外れっていうのは気に食わないな、俺」
「……助けたい、って言えばいいのに」
「ハッ! どっちにしろ約束したじゃないか、俺たちは」

ジト目を向けられたジーンが思い出した一つの誓い。
ミリルが好きだと知られて顔を赤くするエルクを前に男三人で交わした幼き誓い。
女の子を助けるのは男の子で、男の子が交わした友情は変わらないのだと。

「友達は、助けなくっちゃな?」
「勿論だ」

もはや迷いなどない。
未だ戦いに向ける迷いも、不安も、友と一緒ならば、エルクと一緒ならば乗り越えられる。
その風を阻むものなど何一つありはしない。

「よろしく頼む、エルク」
「こっちこそ、ジーン」

ようやくにして、二人が揃う。
照れくさいものをどこかで感じながらもがっちりと交わした握手に、エルクとジーンは力強く頷いた。
記憶を失い、まどろみの中に生きてきた者が、未来への輪郭を取り戻し始めた瞬間だった。






「ヤゴス島出るっつーのも……リアにどう言い訳すりゃいいと思う?」
「別に普通に言えばいいだろ」
「あいつお兄ちゃんっ子だからなぁ……もし泣かれたら一緒に行くって話は無しな?」
「うへぇ……シスコンかよ」








[22833] 十三
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:48




けたたましく響き渡る風切り音とエンジンの唸り声。
ヴィルマーの突貫修理の甲斐もあってか、エルク達の頭上でプロペラを回すヒエンには傷一つない新品そのものの姿を披露していた。
南国然りの快晴と暖かい風を受けてエンジンを回すその姿は、本体に描かれたペイントのせいもあってか、随分と勇ましい。

そんなヒエンの前にエルク達は集まっていた。
見送る形でそれを見上げるヴィルマーと、少しだけ瞳に涙を浮かべたリア。
やはりというべきかその泣き顔を見せられると、既に運転席の隣に座っているジーンの心は痛んでしまう。
せめて自分だけは清々しい笑顔を向けてやろうと思うジーンであったが、常日頃浮かべているニヒルな笑みも今日ばかりは出来そうもなかった。

「ジーン!」
「心配すんな、爺さん! 絶対帰ってくる!」

既に回っているエンジン音のせいでか、ヴィルマーとジーンの交わす声も自然と大きくなった。
耳にズシンと残る重低音のエンジンの向こう側で、互いの耳に残る決意の言葉。
どことなくヴィルマーは一度だけ心配そうな表情を浮かべ、やがてフッと笑ってジーンを見上げた。

「リア! お兄ちゃんな! ちょっと友達助けてくる!」
「うぅ~……」
「後でそいつらにも紹介してやるんだぜ! 俺の妹は世界一かわいい女の子だってな!」
「ホント!?」
「約束だ! そいつらも全部助けて! 俺もここに戻ってきて! また一緒に遊ぼう!」

ジーンの浮かべたそれは軽薄そうなそれではない。
何一つ混じり気のない純粋な笑顔。
優しく、勇ましく、清々しいほどに。
その女性とも見えるほどに整った顔に映えるそれに、リアもまた太陽のような笑顔で頷いた。

笑顔ばかり。
これよりジーンが向かうのは、失った過去を取り戻すための戦い。
一筋縄ではいかず、既に悲劇の陰りを見せている厳しい戦い。
それでも彼らの顔に悲観めいたものは何一つない。

「爺さん! リアを頼むっ!」
「勿論じゃ! 一段落したら必ず戻ってこい! ただ待ってるだけはワシの柄じゃないんでな!」

一体何を企んでいるのか。
エルクの操作によってゆっくりと浮かびあがったヒエンの下で、ヴィルマーは何やらかけていた眼鏡を光らせるような『マッド』めいたものを見せた。
ジーンが連想したのは昨日のヴィルマーが行っていた作業の一場面。
『ポンコツ』なはずのアレをにやにやしながら弄くっているヴィルマーの姿だった。

「おい、ジーン。博士のアレ、何だ。なんかこえーぞ」
「何だか最初話した時と比べると、ヴィルマーさん、何だか楽しそうだよね」
「ははは。今は気にしなくていいさ」

若干冷や汗のようなものを額に浮かべたエルクとリーザに、苦笑いで返すジーン。
既に眼下で見送ってくれるヴィルマーとリアの姿は豆粒のように小さくなり、徐々にヤゴス島の全体も見られるほどに離れていた。
記憶を失ってから一度も出ることがなかった小さな世界。
ただ平和を享受し、悲しい過去から逃げ続けた閉じた楽園。

「…………」
「名残惜しい?」
「まさか。すぐに帰ってこれるさ。絶対に、な」

リーザの問いかけにジーンはやはり満面の笑みを返し、胸を張るのだった。





◆◆◆◆◆





東アルディアという大陸において主要な街として挙げられるのは、大体にしてプロディアスとインディゴスの二都市だろうか。
魔物という存在が人間の営みに近しい所に存在するこの世界では、小さな集合体を作ったところですぐにそういった『人間の敵』に滅ぼされるのが常だろう。
故に街自体はプロディアスを見て分かるように巨大ではあるが、数自体はそう多いわけではないのである。

アルディア飛行場、ガルアーノ市長によるロマリアとの貿易、ハンターズギルド発足の都市。
様々な要因が重なり合って大きくなったプロディアスと比べれば、インディゴスはどうしてもその華やかさに差が出てしまう。
少ない街灯。道行く人々の少なさ。道路上を飛ばされる新聞紙。寂れたアパート群。
プロディアスとインディゴス。
その差は往々にして貧富の差というものがあるのだろう。

といっても別段日々の暮らしをひもじく過ごしているわけでもなく、都市間における貧富の差など気にすることでもない。
他大陸のそれらと比べれば、アルディアという国自体がそれなりに恵まれている国なのであり、世界的にも発展している国なのである。
無論、軍事国家として暴走めいたものを続けるロマリアとは比べ物にならないのだが。

「おおー……おおー……」

そんなアルディアという国から見れば寂れているはずのインディゴスの街に、頻りに視線を彷徨わせる『お上りさん』の姿があった。
銀色の髪を都会の汚れた空気に靡かせ、どこかで見たような枯れ草色の外套を羽織った美系の男子。
その銀髪の少年の後ろでは、ややうんざりしたような表情を浮かべたもう一人の少年がぶつぶつと文句を垂らしながらついてきていた。

「おおっ? ……おおー」
「…………ちっ」

我慢できずに舌打ちを鳴らしてしまったのはエルク。
眼に入るもの全てに好奇心を抱き、しきりに感嘆の言葉を漏らしているのはジーンだった。

仕方がない話なのかもしれない。
何せジーンの記憶の始まりはあの殺風景な白い家なのであり、それから先は文明の利器が少なすぎる孤島で培われたもの。
研究者であるヴィルマーという父の下で暮らしているせいもあってか、他の島民よりはそういった文明に触れる機会はあっても、所詮は知識。
実際にその目で見、その手で触れ、その世界に身を置いた経験はない。

故にこうやって田舎者丸出しでインディゴスの街を歩き回ってしまうのも仕方がないことなのだろう。
それに付き合わされているエルクにとってはたまったものではないが。
人の視線が多いプロディアスではなく、外に出ている住民も少ないインディゴスだったことが唯一の救いだった。

「ん? 何やってんだ、あれ」
「……また宝石泥棒でも入ったんじゃねーのか? あの店、よく狙われてんだよ」

そんなジーンがショーウィンドウの並ぶ店を指させば、そこには何やら仰々しい警官やらテープやらが張られた『いかにも』な光景があった。
インディゴスに唯一存在する宝石店故か、エルクの言う通りにその店はとにかく金目の物を狙う泥棒に付け狙われている。
ハンターであるエルクも何度かその防衛の依頼を受けたことがあるのだが……。

ごたごたとしているその有様を見るなり、エルクは深く深くため息をついた。
確かにハンターとしては金を稼げる絶好のチャンスというかカモではあるのだが、こうも何度も何度も被害にあっては呆れてしまう。
ネックレスや指輪やらで着飾った眼に痛い店長が、甲高い声を上げながらギルドの受付で喚き散らしている光景すらエルクは連想出来た。

「泥棒ねぇ」
「あれか、やっぱあんな小さな島で悪さを企む奴なんていないか?」
「いやいや、たまーに食い物を盗もうとする奴はいたけど、ちょっとのお叱りと罰を受けてはいおしまいって感じだった」
「……ハンターも必要なさそうだな」

平和ボケと言っていいのか悪いのか。
ジーンの言葉に何とも言えない様を感じ取ったエルクは、ただぼんやりと未だに警官たちでごった返している宝石店の入り口を眺めていた。
と、しばしジーンと揃って見ていれば、その宝石店より草臥れた土色のコートを着た中年の男が焦燥した面持ちで出てきた。

「げっ、あれは……」
「知り合いか?」

その姿に眉を顰めたのはエルク。
当然のようにジーンは首を傾げるだけだったが、その中年の男も此方に気付いたのか、しかめっ面を浮かべていた。
互いに苦虫を噛み潰したような、不倶戴天の敵を見つけた様な。
やがてのしのしと此方へ近づいてくる中年の男に、エルクは分かりやすいまでの嫌悪感と共にやれやれと頭を振った。

「戻っていたのか、炎使い」
「戻ってきちゃ悪いか」
「フン……貴様のようなゴロツキなどいない方がマシだ」

開口一番に吐いた言葉は互いに痛烈。
宝石店から出てきたという事は警察関係のものであるということはジーンにも理解出来たが、その物言いは少々その職業に似つかわしくない。
エルクのことだ、どうせ生意気の一つでも言ったんだろうななどとジーンは一人で結論付けた。

「リゼッティ警部。こう何度も宝石泥棒に出し抜かれるってのもどうなんだろうな?」
「きちんとした捜査や捕獲を念頭に置かず、好き勝手力づくで解決しようとするお前らが蔓延るからこうなるというのがわからんのか」
「おいおい、自分達の『怠慢』を俺たちのせいにしてもらっちゃ困る」
「……くだらん言葉ばかり覚えおって」

エルクの言葉に、リゼッティと呼ばれた男はそのいかつい顔をさらに顰め、しばしの間二人は睨みあっていた。
事情を知らないジーンは蚊帳の外。
知らないとは言うものの、なんだか二人は似たもの同士なような気がしてならないジーンだった。

「あー、リゼッティ警部でしたっけ?」
「……エルク。こいつは?」
「知り合いのジーンだ。言っとくがハンターじゃねーからな?」
「フン。貴様の知り合いなど碌な奴じゃないんだろうな?」
「何だと?」
「あーもー! 煽らない煽らない。あとエルク。知り合いなんて言わずに友達って言ってくれなきゃ泣いちまうぜ?」

なんとか場を和まそうと少しだけわざとらしく笑ってみれば、エルクはジーンの言葉に少しだけ恥ずかしそうにしたままそっぽを向いてしまった。
別に友達などと言って紹介することくらい何のことでもないはずなのだが、彼にとっては中々に困難なことらしい。
少年らしいその反応にリゼッティも毒気を抜かれたのか、自分を落ち着かせるように一度息を吐き、ジーンを真正面から捉えた。

「で、何かね?」
「いや、宝石泥棒っていうにはちょっと物々しすぎやしませんかね? 何だか汚れた空気の中に血の匂いも混じってるんですが」
「……おいエルク。こいつも一般人じゃないな?」
「ノーコメントだ。どっちにしろアンタらの世話になるようなことじゃねーよ」

文明の、純粋な自然に長く囲まれて生きてきたジーンにとっては、別段そこまで言われるようなことではない。
風の精霊に愛された異能を以って白い家へと連れ去られた彼には、街中を流れる風の中に鉄錆びた血生臭いものが紛れていることに気付いていた。
文明の進んだ都市へと来たせいで、やや嗅覚が過敏になっている具合もあるのだが。
もしもパンディットがここに居れば、すぐにこの異変に気が付くだろう。

「あ、でも宝石泥棒って言うからにはナイフとか持ってる強盗紛いだったり?」
「エルク。お前らがここに戻ってきて何日目だ」
「一々俺に話を振るなよ……今日戻ってきたばっかりだ」
「ふむ……」

軽めの調子で質問していくジーンだったが、それに対してリゼッティは次第にその顔色を険しいものへと変えていく。
エルクの投げ遣りな答えを聞いた時には、既に顔つきは警部のそれに戻っていた。
しばし顎をなぞりながら思案していたリゼッティは、その鋭い瞳を湛えた表情のまま話し始めた。

「ここ最近アルディアでは『血溜まり』という名の殺人鬼が暴れ回っている」
「血溜まり?」
「床一面に被害者の血をぶちまけることからそう名づけられただけでな。未だその姿も顔も見た奴がいない、のだが」
「……こわー。もしかして其処の宝石店でとうとう捕まったとかそういう話で?」
「いや」

どことなく怒りを腹に溜めた様な低い声を絞り出したリゼッティに、エルクは職業柄聞き耳を立てる他なかった。
そんなあざといエルクの様子など気にかけることなく、リゼッティは続々とその詳細を話し始めて行く。
彼ら警察側も捜査の手詰まりというものを感じているのかもしれない。

「今まで顔も見せなかった奴が、堂々白昼の店内に押し入り、強盗を企てることもなく、一人の客を殺害した」
「模倣犯、ってわけじゃねーな」
「ナイフでその客の心臓を一刺し。魔法か何かは知らんが、それと同時に身体の内側から爆発するようにその身体が破裂したらしい」
「うわぁ……」

その有様を連想してか、ジーンは声を漏らした。
戦闘事に慣れているとはいえ、さすがにそのような猟奇的な光景には慣れているはずもない。

「しかも血溜まりはその他の客に向けてこのインディゴスにしばらく滞在すると抜かしやがった」
「……それでアンタらが躍起になってんのか」
「今は目撃者たちにも口止めさせているが……街を見ただろう? もうすっかりゴーストタウンだ」
「前からこんなもんじゃなかったか? インディゴスって」

久々に戻ってきたエルクの感覚が鈍ったのか、ジーンの田舎者丸出しの様子が流されるこの街の雰囲気は、常のものではなかった。
多くの目撃者に見られた故か、人の口に戸を立てられるわけもなく、インディゴスの人々はその話を怖がって引き籠ってしまっている。
ともすればリゼッティの機嫌の悪さも当然の話なのだろう。
その機嫌の悪さとエルクとの仲の悪さが関係しているかどうかは別だが。

「外套や衣服の下に見えた素肌をくすんだ包帯に包んだ異常者だ。火傷なのかは知らんが、今頃ハンターの手配書にも似顔絵は描かれているだろう」
「アンタにしては珍しいな。俺にそんなことを教えるなんて」
「…………」

エルクの言葉にしばしリゼッティは押し黙ってしまう。
そんな彼の様子に、ジーンは余計なことを言わなければいいのに、などとエルクのわき腹を小突いていた。
そしてやがて怒りを噛み殺したようにしてリゼッティはゆっくりと口を開いた。

「俺はな、インディゴスだろうがプロディアスだろうが、あんな殺人鬼が存在するなど許せん。警部という立場を差し引いてもな」
「…………」
「だが既に何人も殺している殺人鬼に真正面から挑み、部下を捨てる様な愚行に走るほど青臭いつもりもない」
「だからハンターの力を借りるってか?」

エルクは腕組みをしたままに聞き返す。
相変わらず此方に滲み出ている様なリゼッティの嫌悪感を感じているエルクだったが、何故か搾り取るように言葉を連ねる彼を悪くないとも思えていた。

「……平和を守るためなら手段は問わん。そういうことだ」
「口止めとか言ってるわりに俺らにペラペラ喋ってたのはそういうことか」
「……好きに捉えるといい」

その言葉を最後に、リゼッティは二人に背を向けたまま再び宝石店の中へと帰っていってしまっていた。
相も変わらず汚れた風が流れるインディゴスの一角に取り残された二人は、何とも言えないような感覚に陥り、顔を見合した。

「……都会って物騒だな」
「ポンコツを掘りにモンスターの巣に向かう研究者よりはマシだと思うけどな」
「ははは……で、どうすんの?」

苦笑いを浮かべたままのジーンに聞かれたエルクは、しばし悩むようにした唸った。
そもそも彼らが此処に戻ってきた目的とはまるで関係のない話だ。
確かにハンターとして、ヒトとしてそういった問題を解決したいという心はエルクにも、ハンターでないジーンにもある。
しかしそれに時間を割く余裕が彼らにあるかと言われれば微妙な話なのであって。

そもそも実際の話、これからどのようにして動くのかエルク達は相談すらしていなかった。
今、ジーンとこの街をぶらついているのも、作戦会議という名の夕食の準備をすべく食料の買い出しに来ているだけなのだ。
今頃彼らのアジトであるシュウのアパートでは、エプロンをしたリーザが腕まくりをしたまま今か今かと食材の到着を待っているだろう。

「大体やることっていったらガルアーノの居場所と、シュウ、だっけか?」
「ああ。とにかく情報を集めなきゃな……こういうことはシュウに任せたんだけどな」
「お前、そういう細かいとこ下手そうだもんなぁ」
「うるせー」

宝石店を横目に本来の目的を果たすべき食料品店へと足を向けた二人。
ズンズンとジーンを放っておきながら歩いていくエルクと、それを慌てて追うジーン。
ゴーストタウン化してしまっているインディゴスの雰囲気に似使わぬ、何とも和やかな空気。

しかしその一部始終を路地裏の影から見詰める一つの人影があったことに、二人は気が付かない。
やがてその影は路地裏の奥へと消えて行く。
路地裏に似合わぬ、深く鮮やかな蒼の影だった。






[22833] 十四
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/14 19:15




インディゴスの街中でリゼッティ警部に遭遇し、そのまま買い出しを終えたジーンとエルク。
見るものすべてが真新しいジーンの好奇心に煽られたせいか、拠点であるシュウのアパートに着いたエルクの表情は何やら焦燥染みたものが浮かんでいた。
どさりと重たげに下ろした買い物袋から転がる果物やら野菜やら。
フローリングを転がるそれを半眼で辿れば、その先にはエプロンをしたリーザがぱたぱたとこちらに駆け寄ってきていた。

「おかえり」
「ああ、今戻った」
「お、その格好似合ってんぜー、リーザ」

自分の苦労も知らずにそんなことをのたまうジーンに、エルクがイラッとしてしまうのも仕方がないのかもしれない。
顔を赤くして照れるリーザと一人盛り上がるジーンのやり取りから視線を外せば、部屋の入口で番犬の如く丸くなっていたのはパンディット。
尻尾を左右に揺らしてのんびりとする有様を見やれば、エルクの頭には自分のアパートに預けた『茶太郎』のことが浮かんだ。

(そういえばビビガの奴にヒエンのこと何にも言ってねーな)

勿論ヤゴス島からアルディアにはヒエンに乗ってきたのだが、それをビビガには伝えていない。
あの高台にあるヒエン置き場に機体を置いてきたのだが、それを報告する為にプロディアスに近づくのは少々危険な選択だろう。
ガルアーノと本格的に争い始めた現状で人の眼に映るようなことは避けたいエルクの考えだった。

(ま、そのうち勝手に気付くだろ)

などと都合のいいことを並べてみても、実のところエルクはビビガのことなど忘れていただけに過ぎなかった。
ビビガよりも、ハンターの仕事において成り行きで預かったペットの犬が先に思い出すあたり、彼の扱いが分かる。
所詮エルクにとって機械貪りが大好きなおっさんの一人に過ぎないビビガだった。

「おい、エルク! 聞いてんのか?」
「ん、わりぃ。ちょっと考え事してた。で?」
「いや、リーザのことだよ。どーよ。あのエプロン姿」

ジーンが馴れ馴れしくエルクの肩に手を掛け、指を指した方を見れば、エプロン姿のリーザが買い物袋を抱えながらキッチンの方へと消えていった。
同世代の少女だというのに、その後姿だけでもやけに家庭染みた雰囲気を漂わせる彼女に、エルクはしばし見とれてしまった。

おそらくは元々住んでいた村特有の民族的な衣装。
肩から背中にかけてかなりの露出を含んだ衣服だと言うのに、リーザが着込むそれはどことなく清楚なものを感じさせる。
金糸のような長い髪を後ろで結び歩くごとに優雅に揺らし笑顔を浮かべれば、どことなく聖母のようにも見えるのだろう。

「…………」
「なんだろーなー。俺達と同世代とは思えねーよなぁ。包容力っつーかなんつーか。リアもああいう風になってくんねーかなー」

ただ見とれるエルクと、何やら妄想を膨らませながら虚空を見つめるジーン。
容姿で言えば女性にも引けを取らぬものを持っているというのに、ジーンの言動はどことなくアレだった。
そんなジーンの言動と違って、どことなく『本気の様子』が見て取れるエルク。
横で呆けるエルクの姿に、ジーンはにやりと笑った。

「エルクー! ジーンー! 嫌いなものとかあるー?」
「もうリーザの作る物だったら何でも食える! ……ってエルクが言ってる」
「なっ、てめぇ! 何でたらめ言ってんだ!」

キッチンの奥から聞こえてくるリーザの声に、ジーンは嬉々として出鱈目を答えてみせた。
茫然としていた割には、ジーンの言葉にすぐさま痛恨の一撃を腹に入れるエルク。
おぉぅと唸ってその場に蹲るジーンを見下ろして、エルクは慌てたようにリーザへ訂正を申し入れるのだった。

「あ、あれだっ! ニンジン食えねぇ!」

その訂正も情けなかった。





◆◆◆◆◆





結局のところ彼らの晩御飯は当たり障りのないカレーライスに決まっていた。
どうにもニンジンの抜けたカレーは味気ない。
といっても料理好きなリーザが作るそれに、エルクもジーンも満足に舌づつみを
打っていた。

そんなこんなで腹ごしらえも済み、これからどうしようかとテーブルを囲んで話しあう三人。
食事時の団欒にはない真剣な表情が揃っていた。

「で、どーすんのよ。正直な話ガルアーノって言われても俺にはピンとこなくてね」
「東アルディアを治める首都プロディアス市長ってのが表向きの肩書きだ」
「式典の時に遠巻きに見えたよね……なんかいかにも怖そうで、その、えーと」
「マフィア?」
「そんな、感じかな?」
「ま、悪者ってわけね」
 
頷いていいのかどうか分らないエルクの例えにリーザが苦笑い、ジーンが単純に眉を顰めた。
マフィアとは簡単に言ってみたものの、エルクの中ではそんな甘いものではないことを痛感している。
ハンターの仕事で稀に見掛けるギャングやマフィア程度では、比較することすら馬鹿馬鹿しい話だった。

「とりあえず俺達の目的は……」
「どした?」
「??」

兎に角自分達の目的を明確にすべきだと思い、それらを口に出そうとした手前、エルクは口を開けたまま固まってしまった。
当然のようにその様子に首を傾げる二人。
エルクの深紅の瞳に映っていたのは、まだ幼げな表情を残して此方を見つめるリーザだった。

――――果たして、彼女を巻き込んでいいのか。
唐突にエルクの脳裏に走った声は、自らのものだった。

本当に今更の話であった。
空港ハイジャック事件からほとんど成り行きのように共にいるリーザ。
半月ほどを共に過ごし、互いに背中を預けていたパートナー。

ハンターとして生活し始め、炎使いとして戦い始めたエルクの横には誰もいなかったはずだった。
遠くぼやけて見えていた過去の記憶。孤高を好む自らの性格。闘いの日々。
シュウという保護者はいたものの、彼を隣にしていたのは一年か、二年か。
兎にも角にもエルクは一人でいることが多かった。

冷めているとも、言えた。

今にしてエルクは思う。
他のハンターと連携することもなく、ただひたすらに炎使いとして名を轟かせたのは一種の逃避だった。
失った記憶の果てで抱えた、『誰かを守ること』への拒否感。
ミリルを守れなかったことに苛まれる罪の記憶。恐れ。

一人であれば何も失うものはないという逃避。
そんな無意識の恐れの中で見たあの飛行場での光景は、全ての始まりだった。


――――私……そっちに行きます――――


幾人の黒服とナイフを構えた包帯男を前にして儚げに笑ったリーザが、ミリルとダブった。
一気に湧き立つ身体中の血と、その時は理由の分からぬ激情と震えを覚え、エルクは吼えた。

あれこそが全ての始まり。
無意識に抱いていた誰かを守る恐れを打ち砕き、踏み込むことを覚えた日。

それを考えれば、エルクがリーザを疎んじる理由は何一つ存在しなかった。
何より目の前で助けを求める者を見捨てる選択肢など、元々エルクには存在しない。
感謝している。単純に言えばエルクこそがそれをリーザに感じていた。

「ねえ、エルク? どうしたの?」
「おーい、エルクさんやー……リーザ、デコピンやっちまえよ」
「ええっ? い、いいよ……」

目の前で呑気な会話を続ける二人を見ても、エルクの中に湧いて出た疑問は留まることを知らなかった。
ジーンならば分かる。そもそもにして互いにミリルとクドーを救うことを決心した仲だ。
ならばリーザはどうなのか。
パンディットという魔獣を操る異能を持っていたとしても、本来は戦いを好む人間でも、得意な人間でもない。

リーザを守るために黒服の男達を追い、その果てで自らの記憶を取り戻し、為すべき誓いを思い出した。
今、自分達がやっていることはリーザを守る戦いではない。
――――リーザを巻き込んでいい戦いじゃあない。

やがてうんざりとした顔を浮かべながら徐々にエルクの顔に手を伸ばすジーン。
その途中でエルクはゆっくりと口を開き、半ばジーンを無視する形でリーザの方を向いた。

「あの、よ。リーザ」
「なぁに?」
「えっとだな……」
「…………」

しかしエルクには話すべき言葉が見つからなかった。
相変わらずガルアーノに狙われているのは自分達だけではない。
リーザを守るためにも共にいなければならない。
しかし、今から自分達は危険な敵の縄張りにまで手を出さなければいけない。

瞳を絞り苦しそうに顔を歪めたエルクに、ジーンも空気を呼んで伸ばし掛けた手を下ろした。
しばし続く沈黙の中。
意を決したようにして口を開いたのはリーザだった。

「戦うから」
「リーザ」

琥珀色の瞳の奥にあるそれは、エルクのものともジーンのものとも変わらない決意のそれ。
揺らぐことのないその瞳で射抜かれたエルクは、ただ口をつぐむしか出来なかった。

「今度は、私が助けるから」

ただその一言にどれだけの思いが込められているのだろうか。
いつもの幼げで優しい表情を残しつつも、リーザはその瞳をエルクから逸らさなかった。

「私もね。ちゃんとあるんだよ? 戦い理由」
「……そうか」
「大丈夫。パンディットもいるし、ジーンも、エルクだっている」

ただにこりと笑ったリーザが、少しだけ震えていたエルクの手を包み、力強く言葉を連ねた。

「一人じゃ、ないから」

その隣でふふんと鼻を鳴らして胸を張るジーン。
どことなく馬鹿にしたような感じのするそれに、エルクはいつもの調子を戻しつつ一つ息を吐き、思い知らされるのだ。

(また、救われた)

しかし、それがどこまでも心地良かった。





◆◆◆◆◆





ようやくにして今後の動きについて話し始めた三人であったが、彼らが必要としたのはやはり情報であった。
エルク達がしなければいけないことと言えば、勿論白い家への侵入であるが、まずは場所を知る人物と接触しなければならない。
それに忘れてはいけないのがシュウの行方だ。

「生きてるとしてもさー、何で表に出てこねーの? そのシュウって人」
「多分行方不明を利用して情報を集めてると思うんだが……」
「ギルドに行って依頼してみる?」
「……ハンターが人探しでギルドに、か」
「別にいいんじゃねーの? むしろハンターの仕事に興味津々な感じです。はい」

どこか楽観的なジーンに半眼を向けつつも、ギルドに向かうのはある意味有効だともエルクは思えた。
情報を集めると言えばハンターズギルドは有用であるし、同じハンターであれば誰かがシュウの行方を知っているかもしれない。
そして何しろ。

「金も稼がないとな」
「世知辛いね」
「世知辛いなー」

はぁ、とため息の重なった三人の後ろ。
夕食に出された餌の入っていた皿を舐めていたパンディットが、ふと顔を上げた。
パンディットが顔を向けた先は部屋の入口。
それに気付いたエルクが早々に立ちあがり、玄関口の壁際に身体を寄せた。

「神経質すぎねぇ?」
「一応俺たちは追われてるんだ。用心に越したことねーだろ」
「…………」

その言葉を受けてごくりと喉を鳴らしたのはリーザ。
続いてジーンは部屋にあるソファーに眼を向け、そこに立て掛かっている自分のナイフを視界に入れた。

やがて聞こえてくる誰かの足音。
エルク側が用心しているというのに、その足音は忍び足を感じさせるようなものではない普通のもの。
パンディットも別段唸り声を上げる様な事はしなかった。

しかしその足音の人物が目的にしているのは、どうやらこの部屋に間違いないようだった。
エルクの構えるドアを挟んだ向こう側に止まり、軽くドアの鳴る音が響いた。

「誰だ?」
「ホントに戻ってきてたのね」

短いエルクの問いかけに返って来たのは、どことなく妖艶な響きを持ち合わせた女性のもの。
その声の正体に気付いたのはリーザだった。

「もしかして……シャンテさん?」
「その声はリーザね? というか開けてよ。一応あれからいなくなったあなたたちのことを探してたっていうのに」

どことなく疲れたような様子を感じさせるシャンテの声に、エルクはゆっくりとそのドアを開けた。
そこにいたのは前と変わらず豪華な青のドレスに身を包んだシャンテの姿。
エルク、リーザと姿をきちんと確認して微笑めば、その先にいた見知らぬ一人に首を傾げた。
つまりはジーン。
そしてジーンもまたシャンテの姿を見ながら大きく息を吐いた。

「あら、美少年」
「すっげー美人」

あからさまに鼻を伸ばしたまま呟くジーンとどことなく怪しく笑うシャンテ。
先ほどまで用心に神経を尖らせていたエルクとリーザは、一気に脱力せざるを得なかった。






[22833] 十五
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/18 20:00



ガルアーノの屋敷にて俺に宛がわれた一室で、ただ黙々と書類に目を通していく。
自分の身体に関するレポート。キメラ強化された部下達の統括。これから行われる作戦の概要。
ファイルに綴じられた多岐にわたる書類を捲っていけば、俺の眼に止まる草案が一つあった。
といってもそれは前々からガルアーノ本人に提案されている案件である。

それは俺の身体をさらに機械化させるという試み。
元々キメラとしては極限まで強化され、今現在も命をストックすべく様々な魔を取りこんでいるこの身体。
はっきりいってしまえば機械の入り込む余地はないようなものである。
こんな状態でさらに身体を改造すれば一体どうなるのか。

(……まぁ、いい結果にはならないだろうな)

パチパチと明りが点滅する蛍光灯に視線を上げ、少しだけ気だるくなった首筋を伸ばす。
スペック上では不死を誇る身体だというのに、ただの人間だった頃の記憶が疲れというものを感じさせる。
所詮気分的なものだった。

どちらにせよガルアーノが何故俺にこの案を出してきたのかは容易に想像できた。
確かに俺は奴の望みを須らく叶え、さらにその右腕として十分な結果と信頼を得てきている。
しかしガルアーノは満足しない。するわけもない。

さらなる結果を望むその姿は、欲望の尽きぬ人間のようだった。
ガルアーノが元々魔族に連なる者なのか。それともキメラに影響されて堕ちた人間だったのか。
なんとなく他の四天王からの評価を見るに、後者の様な気がしてならない。

興味のない話ではあるが。

兎にも角にもガルアーノの提案を突っぱねるか、それとも一連の望みを託して受け入れるか。
俺の身体が壊れるから、などと言ったところで奴は納得などしないだろう。
説得するのならば、はっきりとメリットとデメリットを提示した上で納得させなければいけない。
貴重な配下であるだろう俺にそんな綱渡りをさせるのは……まあ、エルクやミリルがようやく手に入るだろうという事実に興奮気味なのだろう。

――――それとも、彼らが手に入れば俺は用済みか?

その考えに至れば、無意識に俺の顔が凶悪に歪むのを感じた。
声を出さぬように肩を震わせて笑い、手に持ったファイルがしきりに揺れた。
どこまでも楽観的な奴だと笑い飛ばしたくなる感情に囚われる。

宝物を前にしてはしゃぐのはガルアーノも俺も同じだった。
執着していたものが成就される瞬間を待ち侘び、高笑いの準備をしているかのように唇を舐める。
俺は、俺たちは、この世の全てが自分の思い通りになると信じている。
数多の失敗を経験し、数えきれぬ挫折を思い知りながら自分自身を盲信している

阿呆と呼べばいいのか、小悪党と呼べばいいのか。
ファイルの中に綴じられているエルクに関連する情報を纏めながら、俺はやがて機械的にそれらを眺め始めた。





◆◆◆◆◆





エルクを取り巻く物語の流れは様々な変化を伴いながらも、ある程度は本来のそれと同じく流れているといっていいだろう。
ジーンが彼らと共にアルディアへとやってきた事実に、胸を弾ませたり微妙な気持ちになったりとはしたものの特に変更はない。
ジーンが戦う理由もエルクのそれと同じなのだろうか。

そこらに廃棄されたガラクタの間を縫うようにして崩れかけたビルの中を進む。
明かりとなるのは煌々と照る夜空に浮かぶ月だけ。
いくら廃墟とはいえ多少は切れかけた街灯でもないのかとも思ったが、そんなものはこの廃墟の街に存在しない。
ここはいつも通り血と鉄の匂いを漂わせたままだった。

≪我らの為すことは全て神によって認められているのである!≫
≪……何だそれは≫
≪ピエール・べロニカの真似。旦那の記憶じゃあこんなことを言ってなかったか?≫
≪くだらん≫

内で響く声に耳を傾けながら、その話題の本人に会うべく周りを探る。
部下から回された情報とシャンテからリークされた話を聞けば、この廃墟の街にエルク達が来るのは確定済みだろう。
エルクがとある依頼をハンターズギルドで受けたというのも既に確認出来ている。

廃墟の街で邪教を広める宣教師となったピエールと、それをいぶかしんだ依頼人の依頼を受けて此処にくるエルク一行。
他に誰の目も入らない場所で俺と彼らが接触するには、この廃墟の街はこれ以上ない場所だった。
ここならば他の邪魔は入らない。

やがて辿り着いたビルの一室。
盛大にひび割れたガラス窓から大通りを見下ろせば、確かにそこには7、8人の妙な集団と、それと相対する三人と一匹の姿があった。
エルク、リーザ、パンディット……そしてジーン。

穴が開かんがばかりに眼を広げ、その姿を瞳に映す。
エルクと似たような衣装を黒く染めた、どちらかというとシュウ寄りの格好をした少年の姿。
どこまでも目立つ銀色の髪が風に靡き、そこから垣間見られる顔は絶世の美少年とも言うべきそれ。
ただ記憶の中に残っているあの幼い少年の影を少しばかり残しつつ、あの銀の髪だけは変わっていない。

どんな声を上げるのだろうか。
どんな心を持っているのだろうか。
……あの頃のようにニヒルに笑ってくれるのだろうか。

出ないはずの涙が出そうになり、しばし自分の為すべきことなど忘れてその姿だけを茫然と眺めていた。
やがて始まる彼らの戦闘も、ただひたすらに俺は眺めていた。
エルクの槍裁き、舞うように切りつけるジーンの剣舞をただ……眺めていた。

≪……やりやがる≫
≪主よ。シュウの時もそうだったが、単独では手加減のしようもないぞ?≫
≪来たりて≫

それぞれの声に引き戻されるようにはっとすれば、既に眼下で行われている戦闘はエルク達の圧勝に終わっていた。
なにやらへこへこと頭を下げる宣教師たちと、その取り巻き。
どことなくうんざりしたような表情を浮かべるエルクと、その様子をげらげら笑っているジーン。

――――ジーン、そのような人間だっただろうか。

ふと浮かんだ疑問など即座にどこか遠くに投げ飛ばし、俺は胸元に装着された真っ黒な刀身のナイフに手を掛けた。
そして一声、心の内へ吐き捨てる様に命じた。

「シャドウ、アヌビス。出番だ」
≪ケケケッ、久々に身体を動かせるゼ≫
≪御意≫

俺の足元から真っ黒の霧が流れるようにして滲み、やがて影とも呼ばれるほどに色を濃くしたそれは、魔物の形を取り始めた。
霊魂のように影そのものを宙に浮かべ、両手に鋭い刀身を光らせる魔物、『ブラックレイス』。
黄金のフレイルを手に持ち、その顔を犬のような面で覆った人型の魔物、『ウルフアンデッド』。

双方共に自ら勝手に名乗り出した名を呼べば、どちらも嬉々として身体を震わせた。
シャドウはただ単に戦いを味わえるからか、アヌビスはエルク達に興味を持っているからか。
どちらにしても俺の命令通りに動くのならば問題はない。

「シャドウ。もしも余計なことを口走れば即座に喰い消してやる。いいな?」
「ケケ。こんな面白ェことなんてやめられねェからな。旦那の命令には従うぜ」

一応のため釘は指しておくが、シャドウはそれに憎たらしくのっぺらぼうの顔を歪めて応えてみせた。
どこまでも鬱陶しい奴。
隣でただ黙って佇むアヌビスを見習うつもりはないのかと半眼を向けた。

まぁ、どちらにしてもただ誘うための戦闘だ。
本腰を入れて戦うことなどなく、そもそも俺がエルク達を傷つけることなどあり得ない。
ガラスの破片が散らばる窓に足を掛け、俺は依頼を果たして家路に着こうと踵を返したエルク達の前に降り立った。





◆◆◆◆◆





着地点に散らばっていた車の部品を踏み抜き、羽織っていた外套を翻せば、既に俺の目の前には驚愕に眼を丸くしたエルク達がいた。
すぐさま戦闘の用意に槍を向けたのはエルク。
やがてパンディットとジーンがリーザを守る様にしてこちらを睨み、リーザが俺の姿を見るなり息を飲んだ。
あのハイジャックの時に相対していたことを覚えていたのか。
どちらにしても今は彼女に興味はなかった。

「てめぇ……」

槍の穂先を下ろすことなく月の光を受けた鈍色をこちらに向けたまま、エルクは低く呟いた。
アレ以来久しく聞いていなかった彼の声はまだ幼げなものを残しつつも、どこまでも通るような声の中に獣染みた鋭さを感じさせる。
正しく戦士の声だった。

ばさばさとけたたましく靡く外套を鬱陶しく感じながらも、その中に隠していた右手をだらりと下ろす。
その手に握っていた黒のナイフを晒せば、彼らは呼応するかのように武器を構える。
このパーティを組んでから一カ月か、半月か。
そう時間も経っていないというのに、彼らは長年付き合ってきたような雰囲気を感じさせた。
ジーンに関して言えば、彼らと合流してから一週間経ったかどうかだろうに。

「あの人……空港で」
「リーザ?」
「思い出したぜ。お前、あの時の黒服に紛れてた包帯野郎だな?」

徐々に此方の正体に当たりを付け始めたエルクとリーザの声を聞きながら、俺はいつこの右手を振り上げればいいのか迷っていた。
長く彼らと顔を突き合わせていたい。
例え敵と味方で分かれようとも、成長し、戦う術を覚え、今運命に立ち向かおうとする彼らの傍にありたい。
ただそれだけが俺の手を固く留めさせる思いだった。

情けない。
俺は一度深く息を吐き、わざとらしく首を振るとゆっくりと口を開いた。

「早々に此方に下ってくれると面倒がなくていい」
「へっ。あの時みたいにだんまりかと思ったが、ただの魔物じゃねぇみたいだな?」
「ガルアーノ様に仕えさせて頂いている者なれば、当然。ただのキメラではない」

キメラ、という単語に如実に顔を歪めさせたのはリーザだった。
暗がりの中でも見える、悲しみと怒りに歪んだような表情。
エルクとジーンも似たようなものだったが、彼女のそれは常人以上にその所業を近く感じている節がある。
同調するようにパンディットもまた唸り声を上げていた。

「何しに来たっていうのも馬鹿な質問だよな?」
「……ふ」
「何がおかしい」

なるべく気障に、なるべく醜く鼻で笑って見せる。
あまりに気の長い方ではないエルクがそれにこめかみをヒクつかせるのは早かった。

「貴様たちは此方に聞きたいことがあるのではないのか?」
「何だと?」
「白い家。サンプルМ…………いや、ミリルだとか言う実験体の救出だったか」
「……どこでそれを聞いた」

意外にも俺の言葉に反応したのは、今までただ沈黙を守ってきたジーンだった。
一歩こちらにじり寄り、手に持ったソードを向けながらその視線は揺れることがない。
エルクの燃える様なそれとはどこか違う、心の芯から凍えさせるような冷たい瞳。
こと目的のためならば非情になれることを知っているのはジーンの方だったのだろうか。

「さて……虫が、な」
「…………?」
「ここ最近ガルアーノ様の周りを飛び回っていた虫の話だ……いい声で歌いそうな女だったな」
「まさか」

暗にシャンテのことを匂わせてみれば、エルク達の顔に蒼いものが浮かぶのは早かった。
直に苦虫を噛み潰したように此方を睨みつけるエルクとジーン。
ここまで来ればもはや話すことなど双方あるわけもない。
激昂したかのようにこの場の温度が上がった感覚を覚え、エルクの方を見れば彼は既に呪文の詠唱に入っていた。

そして俺の足元巻き上がる嵐のような炎の奔流。
周りの廃棄物を巻き込みながら全てを灰にしてゆくその炎に戦々恐々しながらも、俺はすぐさま何歩か跳びながら回避に移った。
感情によってその威力を増減させると言われるエルクの炎だったが、ただの怒りでここまでの力を持つのだから恐ろしい。

やがてその炎の揺らめきを挟んではっきりとしていくエルクの姿を捉える。
相も変わらず槍を構えたまま此方を睨みつけるその姿に、俺はしばし魅入っていた。
紅の嵐を携えながら赤茶の髪を逆立たせ、深紅の瞳で此方射抜く一人の英雄。
まるで英雄譚の挿絵からそのまま持ってきたような勇ましい光景に、俺は内心逸る心を抑えられそうにもなかった。

確信。
彼ならば、必ず上手くいく。
やはり彼ならば、必ずミリルを助けることが出来る。

俺が避けた時に幾分かの包帯があの炎に巻き込まれたのか、虚空を彷徨う包帯の切れ端がエルクと俺を挟んだ間で赤に消えた。
否が応でもなく高まる戦闘の空気。
それに応える様にリーザとジーンの背後で真っ黒な影が蠢いた。

「っ……パンディット!!」

リーザの声に魔狼が応える。
身を竦ませるような遠吠えの後に吐かれた蒼く冷たい吐息に、その影達は即座に散開して見せた。
黒の影のままに佇む異形はジーンの前に。
威風堂々の様を見せる武装した人影はリーザとパンディットの前に。

「リーザ! ジーン!」
「心配するな。殺しはしない」
「ちっ……覚悟しやがれ!」

戦闘開始。
だが、もはや結果などどうでもよくなっている。
目的などどうでもよくなっている。

ただ、彼らと共に踊りたい。
再会を、祝したい。






[22833] 十六
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/22 17:45





揺らめく炎を間に気を高めていたのは数瞬。
嬉々とした感情に囚われ今にも破顔しそうになる俺と鬼気とした表情を浮かべるエルクは、合間の炎さえ置き去りに弾け飛んだ。

肌を焼くような熱気を携えて激突する二つの刃。
槍の切っ先は迷いを匂わせることなく俺の額に伸び、その苛烈な突きを俺は両手のナイフを交差することによって受け流した。
ナイフなどという脆いものに防御という選択を取らせるほどに……俺の反応速度などまるで間に合わないほどの速度を以って放たれた突き。
エルクの槍は俺のこめかみを抉るような形で背後に突きぬけて行った。
――――これでは受け流した、などとは言えないな。

「ハッ! 口ほどにも……ッ」
「あるさ」

必殺を確信したエルクは、少しばかりよろめく様にして顔を上げた俺を見てか、酷くイラついたように舌打ちを一つ。
ぐるりと槍を一回転させると、驚愕などという油断などほんの一瞬で捨て去ったようだ。
戦い慣れている。いや、目の前の異常に見覚えがあるのか。
一方の俺はこめかみを抉られたことで垂れてきた包帯の切れ端を引き千切ると、手に持ったナイフをゴミの様に放り投げた。

「たった一度でか」
「雑魚のくせに……面倒くせぇ」

放り投げたナイフは地面のアスファルトに落ちると同時に無残に砕けた。
まぁ、槍の一撃をナイフのような小物で受け流すという事自体、無理な話だ。
といっても身体能力など二の次。抉られたはずの俺のこめかみは灰色の煙を上げながら再生を始めていた。
不死身の有能性を誇ったところで既にこちらの技量などエルクに見切られていたが。
随分と悲しい話だ。

そもそもの話、こんな所でエルク達と戦う意味など何もない。
こちらの作戦の成功のみを目的にするならば、彼らが住み込むアパートに『シャンテは頂いた』などと手紙を送って誘えばそれでよい。
シャンテを情報屋として頼りにし、ガルアーノとの邂逅を求めていたエルクを誘うにはこれ以上ない誘い文句だろう。
なのに俺たちは今、ここで戦っている。

あぁ――――作戦を、いや――――俺の望みを叶えるならばこれほど無意味な戦闘はない。

だってそうじゃないか。
こんなところで戦ったところで何の意味がある?
エルク達の力を見極める? まさか。彼らの力を疑うはずもない。
彼らの戦力を削る? まさか。俺も、ガルアーノもそれを望んではいない。
偶然? ……笑えない冗談だ。

間合いを測る、といってもすぐに攻撃できる間合いにいながら、エルクは此方にそれをしようとはしなかった。
先ほどの怒りによる一撃で頭でも冷えたのか、此方の出方を窺うような、何かを見定めるような様子。
それともこんな戦闘の中でありながら、棒立ちのままに肩を震わせる俺をいぶかしんだのか。

駄目だ。
耐えられない。

まずい。
まずい。
まずい。

「なぁ……エルク」
「……馴れ馴れしく俺の名を呼ぶな」

腕が上がる。勝手に。
手を伸ばしてしまう。勝手に。
歩を進めてしまう。勝手に。
顔が、歪んでしまう。

視界に映る全てが鮮明になった。

もはや狂気としか思えない此方の動きに少しだけ狼狽し、困ったような表情を浮かべたエルク。
その後方ではリーザとパンディットがアヌビスと攻防を繰り広げ、ジーンはシャドウと刃をぶつけ合わせている。
何一つ見紛うことのない戦闘の光景。

敵と、味方。
エルク達と、俺と。
同じ場所に、いる。

「なぁ、エルク」
「何なんだよ、てめーはっ!」




耳の奥まで通るような声を引き金に、俺はつい、口に出してしまった。




「お前、元気か?」
「…………はぁ?」




時が止まったかのようにエルクは俺の言葉に固まってしまった。
俺の声を聞いたのはエルクだけだ。
動きを止めた俺達の後ろではジーンもリーザも頻りに声を上げながら戦っている。
時折風や大地が揺れ動くのは二人が魔法を使っているからだろうか。
そんな中、俺の、おそらくは意味不明であるだろう言葉にエルクは止まってしまった。

「な、何を……」
「頼む。答えてくれ。応えてくれ」
「…………」

僅かの逡巡。
呆ける様にして俺の言葉の意味を考えるエルクは、すぐさま獰猛な笑みを浮かべ、こちらに踏みこみ――――。
嘲るようにして言葉を口にした。

「お陰さまで、てめぇをぶっ倒すくらいには元気だぜっ!」

息むようにして放たれた言葉と、刃。
既にそこには逡巡などなく、一部の容赦もないほどにその槍は俺の右腕を通っていった。
改良された身体とはいえ一応は血の通う身体である俺は、あったはずの右腕の部分から吹き出る血を横目にしながら、ただ宙を仰いだ。

視線の先には月があった。

聞いた。
確かにガルアーノとこれから戦おうとしている人間が、元気でないわけではない。
シャンテから聞いた彼らの様子とて、年相応の少年少女のように生命に溢れていた。
それぞれが過酷な過去を持ちながらも、笑えていた。
そんなものを物語が始まってから、俺は遠巻きに幾度も確認してきたはずだった。

だけど、この耳で聞いた。

遅れてぼとりと地面に落ちた右腕はその場に血溜まりを作り、無論それを失っている俺の足元にも血溜まりは出来ている。
それでも、そんな状況でも、俺はまるで気にならなかった。

「エルクっ!?」
「旦那ァ!? 何やってやがる!」

此方側を気にする魔の者。
戦闘を終わらせる一撃に、勝利者の名を嬉々として呼ぶ者。
双方繰り返してきた剣撃の音も、風や大地が唸る音さえも止まり、ただ静寂が続く。
無論、その勝利者であったはずのエルクでさえも、此方を茫然と眺めたまま動かない。

もういい。
十分だ。

相変わらず血の出る右腕をそのままに、遠くにいたシャドウとアヌビスを影に戻して回収すると、ただ気が向くままに足を街の出口へと向けた。
その足取りは今まで感じたことがないほどに軽く、まるで翼の生えたようだ。
そういえば、この肉体にも羽を付けるプランもあったが、あれは確か拒否反応のせいでお釈迦になったのか。

どちらせよもはやここでエルク達と戦う意味などなく、さっさとガルアーノの屋敷に誘い、適当にシャンテを仲間にさせ、白い家に来てもらう。
そういえばあちこちで此方を嗅ぎ回るシュウも合流するのだったか。
まぁ、そちらはどうでもよろしい。

「お、おいっ! 待ちやがれ」

蕩けたような頭で考え事をしていれば、未だ戦闘態勢のまま此方を睨むエルクの声が背中より響いた。
ああ、そうだった。
まずはシャンテのことを話してやらねば。
何のためにここに来たのかわからなくなる。

「シャンテはプロディアス西にあるガルアーノ様の屋敷に捕えている。三日後の深夜十二時、そこに来い」
「お前はっ」
「ただのメッセンジャー、だ。そう息巻くな」
「違う! ……お前は……一体何なんだよ」

ドクン、と。
鳴っているのかどうかも分からない心臓が跳ねたような気がした。
名前を言えばいいのか、それとも正体を明かせばいいのか、どちらか。
だがそのどちらを答えてもいい方向には転がらないような気がしたので、俺はただ沈黙で返してみせた。

たったこれだけの会話が作戦を進めることが出来るというのに。
あんな無様な戦闘を俺達は繰り広げてしまった。
…………しかし、最高だ。

追撃は、来ない。
ただ無防備に、そう、とぼとぼと帰っていく俺の背後から襲いかかるようなことはせず、エルク達はその場に留まっているようだった。
ただ血の跡が俺の足を辿っていく。
やがてその血が止まり、蠢く様にして右腕のあったところが肉で盛り上がってきた頃に、心の内の一つであったシャドウが愚痴をこぼすように声を上げた。

≪そんなに嬉しいかァ?≫

勿論。
いくら分かり切っていたことだろうとも、エルクの口からあそこまで勇ましい声を聞けた。
ジーンが未だ健在で、エルクの隣で笑い、その背中を守る戦士のようになっていた。
救うべき内の二人が、あそこにいた。
――――元気で、いた。

≪まぁ、主がいいというのなら構わないが≫

もう片方の声、アヌビスは納得がいかぬような口調でその言葉を吐き捨てる。
お前達のことなど知るか。
そう言って喰い消してやるのもいいが、今の俺は実に機嫌がいい。

ついスキップしてしまいそうな足取りを抑えながら、俺は月下の街をただ軽い足取りで走り抜けていた。
そういえばここ最近は少し死にかけて逃げ伸びる様な戦闘ばかりしている様な気がする。
殺してはいけない、傷つけてはいけないという前提があったとしても、情けないものだ。





◆◆◆◆◆





違和感。
壮絶なまでの違和感。
拠点となっているシュウのアパートにあるソファーの中で寝がえりを打ったエルクは、ただぼんやりと汚れた天井を眺めていた。

廃墟の街であの包帯男と会ってから彼らはすぐにこの部屋に戻り、問題について話し合うべくテーブルを囲んだ。
攫われ、囚われの身になってしまったシャンテのこと。
自分達を誘うガルアーノの手。
3日という猶予。

無論彼らにシャンテを見捨てるという選択肢などなかった。
自分達の安否を確かめにやってきたシャンテを半ば強引に願い倒し、ガルアーノの居場所を探ってくれと言う依頼をしたのは他でもない自分達。
確かにそこには金という取引があり、失敗したのはシャンテという情報屋の不手際だろう。
だがエルク達はそんなことで納得するような人間ではない。

おそらくは罠であろうガルアーノの誘いに乗るのが彼らの選択である。
虎穴に入らずんばというやつである。
そのためにも三日と言う猶予は貴重であり、その準備をするためにリーザとジーンに武器や医療品の調達を頼み、エルクはシュウの捜索を受け持った。
敵地に向かうに当たり、シュウの存在はこれ以上ないくらい頼りになるはずだろう。

ゴロリ。
もう一度寝返りを打てば、窓の近くにあるベッドの上ではリーザが寝息を、テーブル下の床ではジーンが妙な寝相のままにいびきをかいているのが目に入った。
共に闘う仲間であり、守るべき大切な人であり、取り戻した人。

徹頭徹尾自分達の目的はミリルとクドーを救う事に注視している。
その果てにキメラプロジェクトの破壊だとかそういうお題目も見えているが、やはりエルクにとってはその二人の救出こそが最優先事項であった。
ガルアーノに喧嘩を売る。
それがどのような問題を生み出すのかを理解出来ないエルクではなかったが――――。

足を止める理由にはなり得ない。
拳を振り上げない理由にはなり得ない。
それを若さと取るか英断と取るかはそれぞれだろうが、エルクは止まるつもりなど何一つなかった。

ならば今感じるこの違和感は何だ。

すっかり暗くなった部屋の中で、夜目に慣れた瞳を絞り、頭を振る。
脳裏に浮かぶのはあの包帯男……いや、血溜まりのくぐもった声だった。
無論、あそこまで奇異な格好をしていれば、リゼッティ警部の証言と合致すると気付くのは当然の話だ。
といってもそれに気付いたのはジーンとリーザだったが。

兎にも角にもあの魔物は、キメラは異常であった。
恐るべき再生能力、自らの影のようなものを魔物として使役する力。
どちらを取っても厄介な能力ではあるし、終始自分が圧倒していたが血溜まりが本気を出していないことはエルクにも分かっていた。

しかしそれらは厄介なだけであって、異常と言うには程遠い。
エルクの頭に引っ掛かっているのは、あの血溜まりと交わした言葉。
こちらを気遣うような、返答を聞いて満足したかのような。

――――笑っていたような。

そう。確かに血溜まりはエルクを見ながら笑っていた。
包帯に巻かれ、ただ口と、眼しか見えていなかったというのに、あの満足そうな笑みは誰が見ても理解できる笑みだった。

(…………あいつは)

毛布を頭から被り、あり得ない予感を打ち消す。
キメラが、ガルアーノ側がこちらの無事に喜ぶ理由など一つしかない。
未だ実験に利用できる素体が五体満足で、刺客を退けるほどに強力。
故に笑う。

自らをガルアーノの手先だと名乗った血溜まりからすれば、そこに矛盾はない。
こちらを道具としか、ただの材料だとしか思っていない奴らにすれば当然の反応だろう。

しかしエルクは見た。

あの笑みはそんなものではない。
既に戻っている記憶の中。
あの白い家で子供であった自分の力に狂喜して笑っていた科学者達と同義なものではない。
むしろ打算がありつつもこちらを真に気遣うようなぎこちない笑みは。
年齢と表情があまりに不釣り合いな笑みを浮かべる人物は。

(…………ありえねぇ)

結局、エルクは満足に睡眠をとることが出来なかった。






















<どうしても聞きたい作者からの質問>
Q.主人公、変態っぽく見えね?



[22833] 十七
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/26 17:35




迂闊であった。
何やらそわそわと落ち着かない様を見せるシャンテを対面に挟んで、煌びやかな装飾に施された応接間で俺は項垂れていた。
VIPへの対応も考慮されているからか、多種多様な調度品と大きめのテーブルが鎮座する応接間。
俺とシャンテという二人だけがくつろぐには少々広すぎる部屋だろう。

「ねぇ」
「…………何だ」
「……いえ。何でもないわ」

そんな俺の様子をいぶかしんだのか、シャンテはチラチラとこちらを見ながら恐る恐るといった風に声を掛けてくる。
無論俺は分かりやすいように地面に両手を付けて肩を落としているようなことはない。
ただ自分でもわかる位に今の俺は傍から見れば酷く落ち込んでいるように見えるかもしれない。

エルクとの邂逅から既に3日。
ようやくにして舞台を白い家へと移すことが出来る今日という日なのだから、多少は気も引き締まるはずだった。
しかし俺の脳裏に浮かぶのはあの廃墟の街で心の赴くままに行動してしまったことばかり。
いくら何でも気持ち悪い様を見せすぎだろう、クドー。

「…………」
「…………」

部屋の中央にぶら下がった大きなシャンデリアを仰ぎ、一つ息を吐く。
シャンテと俺は元々敵同士。
そもそもシャンテからすれば俺は弟を縛り付ける悪党であるし、彼女が親しげに会話することなどあり得ない。
その上今にもエルク達がシャンテを救いにやってくるはずなのだ。
当人からすれば、彼らへの罪悪感やら何やらで落ち着いていられるはずはないだろう。

その証拠に大テーブルを囲む椅子の一つに座った彼女はしきりに足を組んだり解いてみせたり、静寂の中で鳴る時計に眼を向けてみたり。
彼女の立場を考えればそうもなるだろうとは思うが、今の俺にはまるで関係の無い話。
シュウの乱入でエルクとシャンテの関係は適当に丸く収まるのだろうし、もしそうでなくてもこちらから適当に誘導すればそれでいい。
所詮その程度の懸念だ。

そもそもこの場で行われることもガルアーノによる悪趣味な茶番のようなものである。
部屋の隅々に配置された監視カメラから送られるであろう、俺とエルク達の戦闘を眼にし、今一度彼らの力に心躍らせるつもりなのだろう。
実際に踊るのは俺とエルク達であるが。

消化試合でしかないことに一抹の憂鬱を感じてみれば、天井からはこちらをねめつける様な低い男の声が響いてきた。
すなわち今頃は白い家に移動するべくアルディア空港付近で待機しているガルアーノの声。
さっさとあちらへ移動すればいいだろうに、わざわざご苦労なことだ。

『さて、そろそろか』
「おそらくは。先ほど屋敷の入口方面より爆発音が聞こえました」
『ふん……部下共など足止めにも準備運動にもならんか?』
「はい」

スピーカーを通して聞こえるガルアーノの声は、ノイズ混じりのせいで余計に醜く聞こえる。
眼の前にいるシャンテもその声を聞けば聞くほどに不機嫌に、いや、憎しみを募らせるように表情を歪めていった。

ガルアーノからすればシャンテなどただのゲストに過ぎないのだろう。
弟の無事を信じ、そのためにエルクを裏切りながらも無駄な希望に縋る一人の女。
エルクと繋がりながらもこちらに情報を流していたことを対価に臨んだ弟の返却は、為されない。
何しろ既にそのアルフレッドという弟は誰でもない俺の手によって殺されているのだから。

『ご機嫌は如何かな? シャンテ嬢』
「…………最低ね。アンタの声を聞いたら余計にそう思うわ」
『クハハハッ! 貴様も似たようなものだろう? まぁ、弟との再会には祝福させてもらうよ』
「…………」

スピーカーによって多少エコーの掛かったガルアーノの笑い声に、シャンテは白くなるほどにその拳を握りしめた。
憎しみだけで人をも殺せそうな雰囲気に、俺はしばしその様を観察する。
…………ガルアーノにその様では、実際に殺した俺へはどれほどのものか。
無用な思考だ。

どちらにせよまずは主賓を待たねばならないのが億劫である。
エルクを此処に呼び、シャンテの裏切りを目の当たりにさせ、ガルアーノのご高説から俺との戦闘に移り、適当にエルク達の力をモニター越しにガルアーノに見せる。
どこまでも、どこまでも茶番に過ぎない舞台。
ガルアーノの眼があるせいで多少は力を入れて戦わねばならないとはいえ、こんな茶番に俺の憂鬱が吹き飛ぶわけもない。

『クドーよ。適当に間引いても構わんぞ? リーザ辺りの魔狼など邪魔なだけだろう』
「…………出来るかどうか。ただ踊るだけならば彼らは一筋縄ではいかないでしょう」
『ほう! 既に貴様の力をも凌駕するか?』
「踊るだけならば、です。殺すつもりで刃を向けるならば劣りはしません」
『ハハハハ……クハハハハハッ! そうむきになるな。お前の有用性は知っている』

そんなにも俺の返答は負けず嫌いなものを含んでいたのだろうか。
ガルアーノの弾けたような笑い声を耳にしながら、やれやれと首を振って見せる。
エルクとの邂逅で感情の抑え方が歪になっているのかもしれない。
気を付けねばな。





◆◆◆◆◆





いくらプロディアス市長という表向きの顔を持っているとはいえ、エルク達が入り込んだ館は念入りに探索せねばならないほどに広かった。

そもそもエルク達からすれば元々の誘いが罠有りきのような胡散臭いもの。
いつも以上に周りからの奇襲や罠に注意しなければならない事態に、彼らの足は思ったよりも遅かった。

「エルク。どうだ?」
「…………休む暇もねぇな。そこら中から嫌な気配がしやがる」
「パンディットも……うん。やっぱり魔物の気配はあるみたい」

ハンターの勘か。魔物としての感覚か。
二つの意見を聞いたジーンは手に持ったソードをそのままに、うんざりとため息をついてみせた。

「しかしおかしな話だな。いや、裏口とかそういう考えがなかった俺らが言うのもなんだけど」
「こっちはシャンテを盾にされているんだ。真正面から打ち破るしかねぇだろ」
「それがおかしいんだけどな。罠っつっても奥まで誘い込むわけでもねーし、普通に巡回兵っぽいのが襲いかかってくるし」
「……確かにちょっとおかしいかも。ホントにあの人、ガルアーノの部下だったのかな?」
「リーザ。その発想はなかったわ」

敵地のど真ん中と言う割にはそれなりにジーンとリーザは余裕があるように声を交わしてみせた。
既に彼らがいるのは部屋に隠れていた魔物を倒した後の小さな小部屋。
休憩の意味も兼ねて少しばかりその歩を止めてはみたが、彼らの抱く疑念はそう少ないものでもなかった。

エルクもまた、周りへの警戒を解くことなく顎に手を当てて思考に沈む。
確かにジーンの言う通り、名指しの誘いがあった割には此処の守りや歓迎の仕方は杜撰なものがある。
てっきりシャンテの無事と引き換えに無理難題を突き付ける交渉でもするのかと思いきや、門番並びに巡回兵は普通にこちらを襲ってくる。
……の割には敵の攻勢が苛烈というわけもない。

むしろこんな場所で休憩を取れるくらいに安全なことに気が抜けるといった所だった。
自分の想定していた多くの不利な状況に陥ることなく進むことのできることに、エルクは首を傾げざるを得ない。
室内の戦いということで今日は彼も槍ではなく剣を持ってはいるが、それすらもあまり血を吸うことなくここまで辿りついてしまっている。

――――敵の目的が読めねぇ。

どこか苛立ちを隠さずに頭をガリガリと掻けば、リーザが心配そうにエルクのことを見つめていた。
霧の中を彷徨うような手ごたえの無さと、純粋にシャンテを思うが故の不安。
余裕を見せてはいるものの、ジーンもまたどことなくいつも以上の緊張感というものを感じていた。

「大丈夫だ……これ以上誰かが犠牲になってたまるかよ」
「うん……うん! 頑張らなくちゃ」
「…………」

力拳を作り、お互いに気合いを入れるリーザとエルク。
しかしその光景をジーンはどことなく微妙な気持ちで眺めていた。
黙って見つめる先はエルク。
自分達を率いて先頭を進んでくれる頼もしきリーダーのはずなのに、ジーンが抱くのはどうしようもない違和感だった。

「ジーン?」
「……いや、そろそろ敵の親玉さんに登場してくれないとな。もうこの屋敷も見飽きたぜ」

条件反射のようにリーザの自分の名を呼ぶ声に出たのは軽口だった。
自らの内に燻る疑問を無理やり消すかのような出来の悪い言葉。
もうちょっとマシなことは言えないのかと苦笑するジーンであったが、その感覚こそがエルクに抱いている疑問。

どこか不安を、疑問を無理やり消すような迷い。

確実にその迷いをエルクは持っている。
あの包帯男との邂逅からエルクの様子がおかしくなっていることにジーンは気付いていた。
薄らと、こちらに気取らせない程度の違和感。
リーザもまたそれに気付いている節があるが、シャンテが攫われたという事実にそれを問い質す余裕を喰われた。
シャンテとそれなりに仲が良かったリーザからすれば当然の反応である。

(何があった? ……エルク)

しかし、言い方が悪くとも昨日今日の付き合いでしかないジーンにとっては、シャンテの誘拐という現状に少なかれ余裕のようなものを持つことが出来ている。
シャンテの救出。ガルアーノとの接触。ミリルとクドーの救出。
そのどれもに迷いなく邁進する中で不自然に浮かぶエルクの迷い。

(迷う理由は、何なんだ)

ジーンが胸中で問う言葉に無論エルクは答えない。
仲間を信じないことは何よりの裏切りであると理解しつつも、ジーンはどこかやせ我慢のように振る舞うエルクに危機感のを抱かずにはいられなかった。
ただの迷いならば問題はない。

ジーンは見た。

エルクのその渋るような表情の奥に、途方もない悲しみがあったことを。





◆◆◆◆◆





あまりにも広大な館に似合わず、奇襲から始まる戦闘が行われない限りガルアーノの屋敷は不気味なまでに静寂が支配していた。
大理石の床を歩いていくエルク達の足音と、時折響くパンディットの唸り声だけが続く中、彼らはただ黙々とシャンテの居場所を探す。

あっちから誘っておきながら何のために誘ったのかがまるで分からない状況に、エルク辺りは次第に苛立ちを覚え始めていた。
こちらを小突くように現れるキメラ兵。
物量で押しつぶす気配もなく、ポツポツと表れては使い捨てのゴミのように屠られていくそれらを尻目に、エルクはやがてリーザの言葉を真剣に考え始めていた。

血溜まりは、本当にガルアーノの手下なのか。

此処まで来ておきながら、そんな馬鹿げた可能性を頭に浮かべるのは一つの逃避。
三日前からエルクの心を蝕む『予想』を必死に否定しようとする弱さの表れだった。

しかし悩むばかりで一向に答えは出ず。
迷いを抱いたままに屋敷の中を突き進めば、とうとう探索すべき大部屋一つを残すだけとなってしまった。
大きな扉の前に並ぶ一行は同時に息を飲み、その先におそらくはいるだろう『何者か』に注意を向ける。

「開けるぞ」

エルクの声に黙って頷く二人は、既に戦闘の用意を完了させている。
無論エルクとて右手に持ったジーンと同じ型のソードを力強く握りしめたまま、警戒を緩めることはない。
ただゆっくりと押された扉の先に広がっていたのは、大人数が詰められても余裕のあるだろう大広間だった。

「…………誰もいねぇな」

少しばかり動きの固いジーンが誰に言うでもなく呟き、エルクとリーザもそれに応えぬままに同意してみせた。
彼らの入った大広間には様々な調度品やら部屋の真ん中に鎮座する大テーブルなど、豪華な様は見せても血生臭いキメラの姿は見て取れない。

どこか拍子ぬけたようなものをエルク達が感じたその瞬間。
ただ一人エルクだけが顔を驚愕に変えたまま勢いよく後ろを振り向いた。

「ッ……お前っ!」

その先、自分達が入ってきた大きな扉に寄り掛かったまま腕組みをする男の姿が一つ。
全身を薄汚れた包帯で包み、それ全体を大きめの灰色の外套で覆った奇妙な男。
その顔も表情も包帯で覆った男は、ただ黙ってこちらを注視したまま動かない。
血溜まりと噂されるガルアーノの手下の一人だった。

エルクにつられるようにして同じく血溜まりの方を振り向いたジーンとリーザ。
そこまでいけば互いに戦闘態勢を整えるのは早かった。
廃墟の街で出会った時のように、互いの素性を探るようなやり取りなど必要ない。
既に敵と味方だとはっきりしている限り、ジーンとリーザが油断なく武器を構えるのは当然の話だった。

「シャンテさんはどこ!?」
「あんな美人を攫うなんて随分下衆なことをやるもんだね、あんたら」

リーザとジーンの言葉に血溜まりは未だ腕を組んだままじっと動かない。
ただこちらの動きを見定める様にその灰色の瞳を向けてくるだけだった。
その瞳の先は、エルク。
ソードをだらりとぶら下げ、無防備な様を見せる彼を、血溜まりは眺めていた。

「エルク?」
「…………おい」

敵と味方。
そんなものは疑いなくはっきりとしているというのに、互いの纏う空気はそんなに剣呑なものではなかった。
やがて、リーザとジーンの呼びかけに呼応するかのようにゆっくりと口を開くエルク。
しかしエルクが何かを言いかけた時、広間の天井に備え付けられたスピーカーから男の声が響いた。

『感動の再会、というわけか? 炎使い』
「っ!?」

突然広間に響いた声に辺りを見回したのはエルク一行。
どこまでもこちらを小馬鹿にし、面白くて仕方がないと言わんばかりに笑いをこらえる声。
ノイズまみれで聞こえるその声を聞けば、それは半月前の式典会場にて聞いたあのガルアーノの声だった。

「ガルアーノっ! どこに居やがる!」
『そう慌ててくれるな、エルク。主賓は儂ではない。そこの男と……』

どこまでもこちらの感情を煽り、それを笑うガルアーノの声。
それを受けて大広間の一角の壁が動き、そこに隠されていた扉がゆっくりと開き始めた。
やはり罠か。
今更感も漂う判断であったが、その先から出てくるかもしれない敵の影にエルク達は警戒せざるを得ない。
しかし。

「シャンテ!?」
「シャンテさん! 無事で…」

その奥から出てきたのは誘拐されたはずのシャンテ本人であった。
彼女の周りには見張りのキメラ兵がいるわけでもなく、当然のようにあっさりとエルク達の方へ近づいてくるシャンテ。
いつも通りの衣服と怪我ひとつ負っていない無事な様子にほっと胸を撫で下ろすリーザとエルクだったが、ジーンはただ一人眉を顰めた。

「……どういうつもりだ?」
『ほう! 風使いよ、気付いたか?』
「別にあんたに褒められても嬉しくはないがね……」

冷め切った視線をシャンテに向けたまま、その痛烈な言葉を向けるジーンに、やがてガルアーノは噛み締めるような笑いを上げた。

『そうだとも! 元からシャンテは此方側の人間だったのだよ。貴様たちの情報をこちらに流し、今日もまた貴様らはここに誘われたに過ぎん』
「何だと……?」





◆◆◆◆◆





茶番。
つまらないやり取り。
意味もない遊び。

俺は目の前で繰り広げられる言葉の数々と話の流れを、ただ黙ったままに聞いていた。
シャンテの登場とその真実に揺れるエルク達と、唇を噛み締めたままその非難を受けるシャンテ。
そして三流役者に過ぎないガルアーノ歪んだ声。
どれもこれもが予定調和にすぎないつまらないやり取りだった。

「ガルアーノ! もういいでしょ!? 弟を、アルを返してよ!」
『ククク……弟、か。おい、教えてやれ』

そんなやり取りの果てに弾けたように叫ぶシャンテと、それこそ茶番だと言わんばかりに嗤うガルアーノ。
スピーカー越しに促されたのは俺であり、それはこの広間にいる人間の視線が俺に集まる瞬間でもあった。
縋るようなシャンテの視線と、弟という人質を取る所業に眼を顰めるリーザとジーン。
そして微妙な顔のエルク。

俺は広間の扉から背を放すと、ゆっくりとシャンテの目の前まで近づいていった。
今にも泣きそうなほどに顔を歪めているのは、今まで耐えに耐えてきた苦渋で限界に近いからか。
うっすらと瞳に涙を浮かべるシャンテに真実を言うのは、やはり億劫なものであった。

しかし、告げねばならない。
この俺が。
例え下したのはガルアーノであれ、この刃を振るったのはこの俺だ。

「既に死んでいる」
「…………え?」

ごくあっさりと。
まるで何でもないことのように告げた声は、存外、人の少ない大広間にはよく響いた。

「嘘でしょ? 何で……嘘よ……」
『クククッ……ハハハハ……ハハハハハハハ!!』

消え入るような声と共にこちらに弱弱しく掴みかかってきたシャンテをそのままに、頭上から振る雑音に顔を歪める。
こちらを必死に揺さぶり、幾度もそれが嘘だと問い続けるシャンテを振り払うつもりなど、俺にはなかった。
そして、慰めの言葉をかけてやるつもりもない。

ただ横目に見えたエルク達が茫然と立ち尽くす姿を見て、俺はほんの少しだけ心を痛め。
――――その一行のただ一人がこちらに突撃してくるのを捉えた。
銀色の髪を振りまき、何一つ迷いなく刃を振り下ろすその男。

「うおおォッ!!!」
「ジーン!?」

意外、というべきか。
未だ再会してから交わした言葉は少なく、彼の性格をはっきり理解しているわけでもないのだが、そう言う他ない。
未だ縋る様に掴みかかるシャンテをどかし、怒りのままにソードで切りかかってきたのはジーンだった。

無論真っ向から受けてやる道理もなく、新調したばかりのナイフで重心をずらすようにして受け止める。
怒りに任せた攻撃だからか、受けるのは容易い。
だがそれでも尚、その激昂した剣閃は俺の手を痺れさせた。

「甘かった……ッ」
「…………」
「あの島から出て、エルクの話を聞いてッ……聞いていただけだった!」

その美系の顔を怒りに歪め、顔と顔がぶつかってしまいそうなほどの距離で叫ぶ様に、俺はしばし呆然としてしまった。
あの子供の頃に見ていた彼とは違う、風などでは収まらない嵐のような心。

「ガァァルアァノッ!!」
『ふん。生かされている身で生意気な……遊んでやれ』

本当に、ただシャンテに絶望を見せる舞台のためだけにこのやり取りを仕組んだのか。
ジーンの言葉に興を殺がれたのか、ガルアーノはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、そのまま俺に対応を丸投げしてきた。
小悪党であることには相変わらず変わりないが、それでもいくらなんでもお粗末過ぎやしないだろうか。

「待て! ガルアーノ!」
『まだ此処は貴様らと儂が相見える舞台ではない。始まりの場所、白い家で待っているぞ、諸君』
「チッ……」

それきりスピーカーからはノイズすら流れなくなり、本当に通信を切ってしまったようだ。
それはそれでこちらには都合がよいが……まぁ、いい。
どちらにせよ、兎にも角にもまずはこの戦力差をどうにかせねば始まらない。

刃と刃を弾き、即座にジーンとの間合いを取った俺は、先と同じように足元からシャドウたちを生み出すべく影を溢れさせた。
今回ばかりはもう一体を温存するわけにもいかない。
エルクたちも一度見たこちらの力に驚くこともなく、むしろ新たな敵の増援にすぐさま陣形を整えて見せた。
放心としたまま動かないシャンテを守る様にして武器を構える彼らだが、無論こちらに手加減をしてくれるわけもないだろう。

「ファラオ、お前も出ろ」
≪…………≫

シャドウ、アヌビス、そして続く様に無言で現れたのは俺と似たような姿……全身を包帯で包んだミイラの姿。
キングマミィ――――すなわち俺の不死能力の元にもなっているアンデッドの魔物。
相も変わらず何を考えているのか分からない無言のままだが、戦力にはなる。

「まぁ、消化試合にすぎねェなァ」
「必要なことなのだろう……少々ガルアーノの手際には愕然としたがな」

好き勝手言ってくれるシャドウとアヌビスをまずは黙らせ、こちらも密集して彼らに相対する。
流れ通り――――いや、部下からの情報通りであるならば、ここら辺で奴が来るはずだ。
などと思っていれば、唐突に閉めたはずの広間の扉が吹き飛んだ。

「……いやァ、期待に応える男だねェ」

シャドウの軽口にその場の全員が白い煙の上がる方を向けば、その先から現れたのはシュウ。
こちらにとっては予定通りの流れに戸惑うことなどないのだが、エルク達にすれば目まぐるしく変わっていく状況についていけているかどうか。
ちらりとエルク達の方を向けば、嬉々とした表情でエルクは乱入者の名を呼んだ。

「シュウ!? 無事だったのか?」
「話は後だ! まずは奴らを蹴散らすぞっ!」

この状況をどこかで見ていたのか、シュウの表情に焦りのようなものは一つもない。
即座にエルク達と合流したシュウは、シャンテの守りを一手に引き受けるかのように彼女を庇うように俺の前に立ちはだかった。
前に接触した時と変わらない、いつも通りの黒装束。
見てくれは忍者そのものだというのに、登場の仕方はまるで忍んでいなかったな。

「キヒヒ……忍ばれたら困るのはこっちだろ?」
「主よ、これだけ相手が揃っているのだ。多少はやる気をみせてはどうだ」
「無情」

…………そんなことを言われても、茶番に過ぎない戦闘に力を入れる道理など無い。
そもそもガルアーノによる出来の悪い芝居など既に終わっている。
白い家の場所を事細かに教えてやらなくてもシュウが既に調べ上げているはずだろう。

「ウィンドスラッシャーッ!」

どうにもやる気のおきないままにその場で佇んでいれば、そんなこちらの隙を突くように放たれたのは烈風。
そこらのテーブルやら何やらを切り裂きながら襲いかかる風の刃に、俺たちは散開せざるを得なかった。
そして、一人シャドウたちより離れた俺を追撃してきたのは、風と炎。

咄嗟に繰り出したナイフとあちらの剣が火花を散らし、ギリギリと押し合いながら膠着した俺達の向こう側ではシャドウ達がリーザやシュウと戦っている。
どう考えても戦力の分散がおかしいこの状況ではあるが、この面子で戦い合うことになったのは幸か不幸か。

「逃がすと思っているのか?」
「…………」

歯をむき出しにしてその鉄の刃に力を込めるのはジーン。
反してエルクは無言のままで剣を押し付けるだけ。

――――ドクン。

心臓が高らかに鼓動したような気がした。





◆◆◆◆◆





いくら大立ち回りが可能な大広間とはいえ、この人数がそこらで風やら炎を巻き起こすのはあまりに窮屈だった。
確かにエルクとジーンの眼はこちらに向き、リーザやシュウの方をシャドウ達が抑えているとはいえ、いつ乱戦に陥るか分からない。
シュウ辺りならばシャンテをかばいながらもこちらを横合いから殴りつけてきそうな気がして恐ろしい。

「おおおっっ!!」
「はぁっ!」

ジーンとエルクによる歪な連携による攻勢を往なしながら、俺は徐々に戦闘の場をシャンテが出てきた隠し扉の向こう側へと移していく。
無論無傷ではない。
身体を翻す度に彼らの斬撃が俺を襲い、既に様々な部分の包帯が千切れ千切れになりつつある。

「ハッ……逃げてばかりだな!」

というかジーンの攻勢があまりにも苛烈すぎる。
シャンテに対するガルアーノの所業がそれほどまでに彼の心に触れたのか、斬撃そのものよりもそれに乗せた怒りの方が俺には染みる。
対してエルクはどこか迷いを残したような終始無言のまま。
廃墟の街で遠巻きに見ていたあの完成された連携が歪になっている理由は、おそらく彼の精神状態にあるのだろう。

剣閃の中に混じるあやふやな迷い。
ジーンの烈火の如き攻撃とはまるで正反対の揺れる剣。
そこにあの炎のような煌きは一つもない。

思い当たる所がないわけでもないが、その迷いは必要でない。
お前は、お前達には、その迷いは要らないモノなんだ。

逃げる様にして後退していったシャンテの隠し部屋――――つまりはガルアーノの私室。
今となっては重要な資料やらガルアーノ私物は持ち運ばれており、どこか殺風景な様と豪華な装飾が合わさって何とも気味の悪い部屋になっている。
が、ある程度の戦闘ならば十分に可能な広さだ。

ここからが本番。
彼らになら適度にやられても問題はないが、ガルアーノの要望をこなすにはそれなりの戦闘を経て此処から脱出せねばならない。
足止めの意味でシャドウたちを動かすことも出来る。
ようやくにして準備が整ったと体勢を立て直せば、俺の前に立ちはだかる二人の内一人が、だらりとその剣を下げた。

「…………」
「エルク……何やってやがる」

無論それに異を唱えたのは、徐々にその怒りを収め冷静さを取り戻してきたジーンだった。
隣り合わせに並ぶ二人の少年。
剣の切っ先をこちらに向ける風の少年と、その悲しげな眼をこちらに向ける炎の少年。
なんとなくではあるが――――ばれてはいるのか、などとお気楽な思考を俺は頭の片隅に浮かべていた。

「お前は、聞いたな……元気か、って」
「おい? 何の話を……」

ぽつりと零した言葉。
遠くに聞こえるシュウたちによる戦闘の騒音がありながら、その言葉はどこまでも俺の心に響いていく。
ああ……気付くのか。思い出したのか。認識してくれるのか。
様々な想いが胸の内に浮かび上がる。

ぞわりと体中に鳥肌が立つようなおぞましさと、どうにも止められない高揚感に手先が震える。
果たして俺の取るべき選択はどれだ?
一番俺の結末に近い返答はどれだ?
用意していたはずの反応は何だった?

予期していた。
この瞬間を。

シュウによる情報によって。
戦いの中で俺を呼ぶ名によって。
もしくはこの小さな英雄達と繋げた絆が為せる業か。

俺の珍しい名が齎す秘匿性など、あまりに脆い。
故にいつかはエルク達に俺の正体がばれるのだと。
俺は――――ただ一人ではいられないのだと。

じっと待つ。
唇が震え、手も震え、瞳に悲しみを浮かべたエルクの言葉を。
唇が震え、手も震え、瞳に感動を浮かべたままに。





「お前は、元気なのか……? ――――クドー」





聞いたか?
おい、今の言葉を、聞いたか?

心が粟立つ。
転げ回りたくなる激情に駆られる。
声を上げて笑いたくなる。

ああ、多分。
俺は、幸せだ。

だがしかし廃墟の街で犯したような失態を繰り返すわけにはいかない。
ガルアーノによって引き裂かれた4人の子供たちが織りなす物語は、ハッピーエンドではいられない。
大団円で居られる可能性など既に潰えている。
故に俺がソレを受け持つだけ。
簡単な話だ。

「…………冗談じゃ、ないんだな?」

思いもよらない事実のはずだというのに、ジーンのエルクに問い質す声はただ震えるだけだった。
どこかエルクの様子に考えるところがあったのか、それとも彼もまた俺の正体を予期していたのか。
おそらくは先ほどまで掛けていた迷いのない攻撃を考えれば、前者。
エルクとジーンが、友としてきちんと思いを通じ合わせていることに歓喜する。

「なぁ、答えてくれよ。俺は答えただろ?」

縋るような、それでも俺がクドーであることは確信しているエルクの声。
もはや互いの間に闘争の空気など存在せず、ただ互いの視線を合わせて俺の返答を待つだけだった。
どう答えてやればよいものか。
そんなことを考えていれば、俺の口は勝手にべらべらと喋り出した。

「…………ああ。死んでいない程度には元気だよ、エルク」

多分、これでいい。
言葉を選ぶ必要など無いのだろう。





◆◆◆◆◆





しわがれた声。
人ならざる身を得た代償か、既にクドーの声はエルク達と同年代の若々しいそれからは離れ、どこか血生臭いものすらも感じさせる。
エルクの問いかけに天を仰ぎ、噛み締めるようにその灰色の瞳を向ける様は、どう言い繕っても化け物のそれ。

エルクは悲しかった。

だがその声の調子だけは、敵と味方に分かれたものが出せるものではなかった。
そこらに蔓延るキメラが出せるものではなかった。
少なくともエルクとジーンの記憶を呼び起こすには相応しい、懐かしき声。
敵と味方ではない。
人間と化け物ではない。
――――友と友のそれ。

ジーンは悔しかった。

ジーンとエルクが互いに視線を落としたのは、怒りか、悲哀か、無念か。
クドーと彼らの心は交わらない。
クドーが歓喜を覚えれば覚えるほどに、エルクとジーンはその心を痛めた。
絶望的なまで、双方の立場は交わらない。

「俺たちは、俺は……遅かったのか?」
「互いに元気であれば十分だろう」
「そんなわけあるかよっ! お前は、お前はっ」

おどけたようなクドーの口調。
今まで沈黙や静観を続ける様を見せる彼からすれば、どこかあやふやなものを感じさせる声。
ただ彼はエルク達と話せて嬉しいだけ。
だがそうであればあるほどに、エルク達は唇を噛み締めた。

「クドー……俺を、お前は」
「気にするな。気にしなくていいんだ。ジーン」
「は、ははは…………無理に、決まってんだろ」

クドーは笑う。
ジーンも笑う。
ただ笑い合った。

そこで途切れてしまった互いの言葉。
もはや掛ける言葉を失くしてしまったエルク達を前に、先に狂気を取り戻したのはクドーだった。
犬歯をむき出しにして造り物の笑みを浮かべ、十分に受け止められる余地のある速さを以って双方に切りかかった。

「ぐッ、クドーっ!」
「ハハハ。過去がどうであれ、今は敵と味方だろう? 呆けられては困る」
「おっ、れたちが戦う意味なんてないだろうが!」
「敵と味方。それ以上のモノが必要か?」

エルクとジーンは既に戦意すら喪失していた。
だというのにクドーはその隙を突く様にしてナイフを振るう。
その武器による機動力を活かして、部屋の中を跳び回るようにしてエルク達を切りつけていく。

「俺たちの敵はガルアーノだろ!?」
「何を寝ぼけたことを」
「何だとっ?」
「俺が……この血溜まりが……貴様らを殺さない理由があるものかっ!」

一気に距離を詰めたクドーが放った回し蹴りに、エルクは為す術なく跳ね飛ばされた。
そのまま壁に叩きつけられ、苦悶の表情を浮かべたエルクの前に立っていたのは、どこまでも狂気に浸された親友であった者の姿だった。

「エルクッ! クドー、お前っ!」
「ハハハハッ! 既に人としての感情などあるものか! 私はガルアーノ様の右腕として、貴様らを屠るのみ」
「ク、ドー……」
「だがガルアーノ様が望むのは貴様らの力だ。どうだ? こちらに来てみないか?」
「お前……」

人としての心など持ち合わせてはいないのだと高笑うクドーを前にして、エルクとジーンは茫然とするしかなかった。
あれだけ仲が良かった親友が。
あれだけ救いを決意した仲間が。
既にクドーは彼らの手の届かない遠い何処かにいた。

絶望とも言える状況。
だが入口の方から弱弱しく漂う影が入り込み、それがクドーの足元に這いまわると、その扉の先からはシュウたちが続々と入り込んできた。

「エルクッ、無事か!?」
「ジーン、大丈夫!?」

既にシャドウ達は情けなくも退けられ、多少は戦闘の疲れを見せつつもシュウたちは健在な様を見せている。
だが、その声を聞いても尚、エルクは立ちあがることが出来なかった。
ただつまらなそうに、悪党のように鼻を鳴らすクドーを見上げるのみ。

「まぁ、舞台はここじゃあない。シュウよ。白い家の場所は分かっているな?」
「何?」
「其処で待っているということだ。では、な」
「クッ……逃がすか!」

徐々にクドーの足元に漂う影が濃さを増し、やがて部屋中を覆う黒い霧のように変わっていく。
だがそれを黙ってシュウが見過ごすわけもなく、背に背負ったマシンガンを取り出そうとしたその時、その手を遮ったのはエルクだった。

「エルク、何故……」
「…………」
「エルク? ジーンも……どうしたの?」

霧が晴れた時には既にクドーの姿などそこにはなく。
ただ今にも壊れそうな表情を浮かべて地面に手をついたエルクと、どこか茫然と虚空を見上げるジーンに掛ける言葉など、リーザ達は持ち合わせてはいなかった。







[22833] 十八
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/29 19:19




今となってはロマリアという大国を盾に世界中を侵し続けている魔物の軍勢ではあるが、だからといって彼ら全てが優秀なわけではない。
政治的な駆け引きなど魔物には出来ないし、自国の人間を養うことなどできるわけもない。
ただ絶望的なまでの暴力を以ってして世界を侵していくだけだった。

しかしガルアーノを含む四将軍の影響や人から魔に堕ちる者の働きによって、この世界における魔物はそれなりにずる賢くなっていた。
人の生活の隙間に潜み、争いや悪意を加速させる。
今となってはガルアーノによるアルディアのロマリアへの属国化、四将軍の一人であるヤグンによるミルマーナとグレイシーヌの戦争など随分とその陰謀も大きくなっている。

ただ悪意を暴にのみ変える魔物にとって、人間達の心を犯すことによる快楽はある種の麻薬のような物なのだろう。
人間の心を飲み込み、そのパーソナリティを奪い、さらなる力を取りこむキメラプロジェクト。
自分の力を底上げし、さらにその麻薬にどっぷり浸かることの出来るキメラは、魔物達にとっても望まれる手段だったと言えよう。

そう、キメラ化した人間は例外なくその魔物によって精神を喰われるはずだった。

基本的に合体直後は微妙に人間としての記憶や意思が残っているが、徐々にその人間は内なる魔を認識していく。
引き摺りこむ様な声と悪意で心を犯していき、身体が取りこまれていき、光の精霊でさえ届かぬ悪意に満たされた時、人間としての感情も意思も消え去る。
自ら力を求めキメラ化を望む人間もいるが、所詮あれは表側だけに意思の残骸が表れているだけ。
力に酔い、充足しているような様子でさえも、見せかけにすぎないものであった。

魔が差すとは言うが。
魔に入り込まれた心は、『例外なく』喰われる。
それが常識であった。

そんな悪魔にとっては旨味のみしか存在しないキメラ機関。
どうしようもないような人間と掛け合わされ、ただの特攻兵器として生み出された魔物にはご愁傷様とし言うしかないが、基本的に魔物側にはデメリットなどない。
例え役立たずの人間が素体だとしても、人の心を侵す過程はこれ以上ない快楽である。
故にキメラ施設として最も先を行く白い家は、魔物たちにとってもそれなりに有名で、焦がれられている節さえみせる楽園だった。

そんな白い家の奥の奥。
最低限の研究者のみが入ることの出来る部屋の中には、他の場所でも見られるような機械の類がごく普通に鎮座している。
パスワード付きの扉やIDカードが必要な通路など、いかにも重要そうな印象を持たせつつも、その部屋にあるのはなんら珍しくない実験機械。
人と魔物を掛け合わせるためのそれだった。

もはや見慣れてしまい特に忌避感を持つことも無くなった、病院などで見かける診察台。
その隣には大量の管に通された巨大なカプセルやタンク、そして幾列もの記号が絶えず流れて行くコンピューター。
いかにもこれから実験しますと言うような光景に、どことなくうんざりとしたものを感じさせる。

≪さて……今回の命知らずはどちらさんかねェ?≫

既にその診察台の上に自分の身体を乗せ、俺の視線は眩しすぎる光を落とす照明の方を向いている。
そして周りには幾人か白衣に身を包んだ研究員の姿。
ゴポゴポと気泡を浮かせるカプセルの中の液体が、不気味に胎動していた。

「開始するぞ?」
「やれ」

そんな研究員の内の一人から問われた言葉に、にべも無く返す。
無表情のままに頷いたその研究員は、いつもとなんら変わらぬ調子のままにキーボードをいくらか叩いた。

その瞬間、部屋内を漂わせていた魔の気配が一向に高まり、新たな誕生と快楽を祝福するかのようにその濃度を濃くしていく。
カプセルの中で揺れる紫色の液体が波打ち、どす黒い光を放ち、繋がれた管を通っていく。
その先は俺の身体。
包帯が全て解かれ、所々全身火傷の跡のような腐乱死体のような姿を見せている俺の身体。
透明な管を通っていく紫のソレが俺の身体に届いた時、俺は密かに笑みを浮かべた。





◆◆◆◆◆





その魔物にとって、それは歓喜であった。
ミノタウロスという小鬼のような姿を持ったその魔物にとって、白い家の施設に素材として使われることは歓喜以外の何者でもない。
少々知能が低く、ロマリアの世界征服やら何やらとはまるで無関係でいたこの一介の魔物にとっても、この施設に漂う気配は媚薬のようなものであった。

そこら中に漂う絶望の影。
幾度となく繰り返され、濃くなった血の匂い。
光の届かぬ闇の世界。

あまり細かいことを気にしないオーク属のミノタウロスであっても、この施設の意味を即座に理解出来た。
此処は、俺達の餌場だ、と。
そしてその哀れな餌が眼の前にいる。

全身爛れたまま、とても旨そうとは言えない一人の人間。
どうにも漂わせる匂いが魔物と混じっているような気がするが、それは周りの雰囲気に呑まれた結果だろう。
そんなことはいいから早く喰わせろ。侵させろ。
ミノタウロスの脳は蕩けていた。

既にカプセルの中で純粋な力と悪意に変わっているミノタウロスは、その逸る気を抑えきれずして暴れ回った。
ガタガタと機材を揺らし、液体を発光させ、自らの悪意を部屋全体に広がらせる。
そうして我慢できない様を見せていれば、その餌と繋がる管が一斉にその門を開けた。

口さえなくとも雄たけびを上げる様にして勢いよく流れ込む魔物の意思。
見た目こそただの気味の悪い液体ではあるが、あれは意志であり、悪意であり、そして邪悪な力であった。
これよりこのどす黒い意思がこの餌を侵し、喰らう。
その液体が餌の身体の中に辿り着いた時、ミノタウロスの悪意は頂点を突いた。

掻き回す様にこの餌の心の中を這いまわり、その精神の壁すら壊し、中へ中へと進んでいく。
しかしミノタウロスはその高揚の中でも徐々に妙な違和感に気付いていく。
何やら心を取り巻く全てがどうにも仄暗い。
人間ならばもっとその心は脆弱で、明るくて、もっと旨そうなはずだ。
悪意となって忌避されるはずの自分が、無数の触手に這いまわられるかのような嫌悪感を抱いている。

そんな闇の住人であるはずの魔物が分不相応な違和感を感じた時。
ミノタウロスは、その心の奥底で一つの真っ黒な何かを見た。
見惚れるほどに濁り切った黒。

≪よう≫
≪ようこそ≫
≪来たりて≫

いつのまにかミノタウロスを取り巻く環境は一変しており、小柄でありながらも筋肉質な身体が彼には戻っていた。
元々の身体は橙色の硬化した肌と、申し訳程度に下半身を覆う薄い腰巻。
そしてその腰にはボロボロの手斧。
完全にミノタウロスは自分の身体を取り戻していた。

そんな彼を漆黒の闇の中で出迎える三つの影。
背景と混ざってしまいそうな身体をしているというのに、その影達が漂わせる気配は、やけにはっきりとした輪郭を感じさせる。
人間が着ているようなワイシャツとスラックス。
名称こそミノタウロスには分からないが、その影三つはどれも同じ人間の青年のような輪郭を持ち、尚かつその顔には部品の持たないのっぺらぼうを浮かべている。

≪ココハドコダ?≫

ミノタウロスが問えば、三つの同じ影はクスクスと笑い始める。
声こそどれもが違うのと言うのに、手を口に当て馬鹿にしたような笑いはそのどれもが変わらない。
むしろ鏡映しのように全く同じの動きを見せる気味の悪いものだった。

≪エサハ……ニンゲンハドコダ!?≫

知能が低いとはいえ、眼の前の異常にミノタウロスは腰から手斧を抜き放つなり叫び声を上げた。
闇の広がる空間で反響する自らの勇ましい声。
それが震えていることにミノタウロスは気付かない。

やがてその反響して木霊する自らの声が鳴り止んだ時、ミノタウロスの前にはいつのまにか三つの影とは違うもう一人の青年が佇んでいた。
他の影と違うところは、その顔がどうしようもないほどの黒に塗りつぶされていること。
色ではない。
それは、ミノタウロスが今まで見たことも無い様な闇だった。

≪ア、 アァ、ォオ≫

言葉になっていない声がミノタウロスの牙だらけの口から漏れた。
後ずさるように眼の前のわけのわからぬ存在から距離を取ろうとして、尻持ちをつく。
ナンダコレハ。ナンダコイツハ。
やがてその存在が手をこちらに伸ばしてきた時、ミノタウロスの頭に妙なものが入り込んできた。

それは記憶。
心を同じ場所に置いた故に起こる記憶の流入。
本来であれば餌である人間を侵すために利用するであろう、その人間の心。

見たことも無い様な世界。
あり得るはずもない世界。
交わることなどない世界。

その記憶が、知識が、世界が。
ミノタウロスの悪意を侵す。
本来は狂喜乱舞するはずの魔物が、その全てに侵されつくしている。

≪お、お、お。これはいけるか?≫
≪ふん……ここまでは誰でも可能な域だろう≫

奥にいた影の内の二つが何かを言った。
だがミノタウロスには届かない。
今彼は必死なのだ。
この餌に呑まれないように必死なのだ。

しかしこのミノタウロスは存外タフで、強くて、中々に位の高い魔物らしい。
記憶の混同が終わり、その全てを理解した時、ミノタウロスは荒い吐息を吐きながら獰猛な笑みを浮かべた。
這いつくばったまま眼の前にいる青年を見上げれば、それがクドーと言う名の精神を持つ人間だと気付くことが出来た。

まだ上澄みまでしか同化出来ていないというのに、ミノタウロスは笑ってしまった。
アークザラッドという知識。
キメラとして極限にまで改造されたこの男の身体。
圧倒的な力。
それを眼の前にして、未だクドーの心の根源に触れぬまま、未だ彼は自分の餌であると思ってしまった。

≪あー……こりゃ駄目だ≫
≪眼の前の餌に釣られるなど愚かな≫
≪失望≫

もはや三つの影が語る言葉など聞こえない。
眼の前にはあまりにも美味しい餌がある。
いや餌ではない。これは料理だ。
一級の材料と料理人によって創り出された極上の料理だ。

もはや止まることなど出来ない。
我慢することなどあり得ない。
ぼたぼたと涎を垂らしながらよろけるようにして立ちあがったミノタウロスは、雄たけびを上げながら眼の前の青年に襲いかかった。





そして――――その青年によって、ミノタウロスは頭から喰われた。





◆◆◆◆◆





眼の前でさも当たり前のようにミノタウロスを喰らっているクドーの姿を見ながら、シャドウは一人ため息を吐いた。
眼の前の異常すらはっきりと理解出来ない馬鹿さ加減、眼の前にぶら下げられた餌に飛び付く馬鹿さ加減、クドーに敵うと思っている馬鹿さ加減。
どれをとっても眼の前でバラバラになっているミノタウロスは失笑モノだった。

無論ここはクドーの心象世界。
何一つモノが見当たらないただの真っ黒の空間ではあるが、原作におけるエルクの心象世界を考えれば何か面白い光景があるわけでもないのだろう。
ただ居座るだけでは面白くも無い空間ではあるが、クドーの心に直に触れることが出来る彼らにはこれ以上ないご褒美であった。

そう、シャドウ達はクドーに心酔している。

死ねと言われれば喜んで死ぬのだろう。
喰わせろと言われれば喜んで自分の身体を差し出すだろう。
何を言われても、自分達の心は宿主に囚われている。

シャドウから見ればアークザラッドと呼ばれるこの世界の知識も、違う世界があるいう事実もどうでもいい餌であった。
自らも同じようにクドーをただの餌として見、今眼の前で餌食になっているミノタウロスのようにひざまづいたあの日。
今まで魔物にとって人間はただの餌だと思っていたあの日。
ただクドーという男に自分の心を粉々に壊された。

魔物が英雄によって打ち滅ぼされる。
ただ単なる力の問題であれば人間が魔物を凌駕する事実はシャドウにも理解出来る。
だが彼の宿主はそんな事実とはまるで枠外の存在だった。
この世の善悪も、優劣も、何もかもをその狂気で以って飲み込む。
それを理解した時シャドウは、いや、アヌビスもファラオもクドーの下僕となった。
ただ一つの目的のために悪も正義も自分も世界も歪め、ただひたすら終点まで駆け抜けるその意思に、彼らは取りこまれた。

脆弱な世界の人間であったからこそ。
悪意ある存在など知らぬ世界の人間であったからこそ。
何一つ力の持たぬ人間であったからこそ。
『人間』であることに執着してひたすら足掻くその心。

人間であるためならば、何を捨てても構わない。
人間であるためならば、人間であることを捨てても構わない。
最後の最後に、人間であったならそれでいい。

エルク達の救いを以って自らを人間と定めるクドーにとって、この世界の悪意たる魔物などただの餌に過ぎなかった。
単純に魔物と人間とで悪と善が区分されているこの世界の者では気付きにくい、人間の悪意と狂気。
それを極限にまで濃くしたクドーに触れれば、シャドウたちにとってそれは一つの畏怖であり敬意を向ける存在に他ならない。

口の周りを血で濡らし、真っ黒な顔の中に赤黒い瞳を光らせるクドー。
眼の前の光景に、シャドウは素直にその身体を震わせた。
人間ほど恐ろしいものはいない。





◆◆◆◆◆





新たな魔物の補給。
いや、度重なるエルク達との戦いで幾らか浪費した命を蓄えるために行った合体は不具合なく完了し、俺はとある場所に赴いていた。
白い家の武器保管室手前。
今はエルク達と戦わせるために少しばかり大広間の方に移動したガルムヘッドの保管室だった。

ただミリルの棺桶として存在して時よりもいくらか整備された様子が見て取れ、これをそのままエルク達にぶつけるというガルアーノの作戦が見とれる。
原作ではミリルの身体は別室に宛がわれ、そこからコンピューターを介した遠隔操作でこの鉄くずを動かしていたはずだが……。
巨大な人型の上半身を見せるガルムヘッドの頭部を見上げれば、其処にはタンクの中に横たわるミリルの姿があった。

あの頃より意識を取り戻していないはずだというのに、身体強化とその類の補助でそこらの少女と変わらぬ身体にまで成長し、その容姿はリーザと少しだけ似た金髪の美少女。
衣服こそ入院患者の着る様な素っ気ないものだが、きちんとしたものを身に付ければそのあどけないものを残す容姿はさらに可憐さを増すのだろう。
どこか童顔を残すエルク。男子とは思えぬほどの美系なジーン。眼を覚ませば天真爛漫な姿を見せるだろうミリル。
さすがにここまで容姿の優れた者が揃うと、少しだけ嫉妬してしまいそうになる。

そう、その彼らが揃う瞬間を夢想する。

願うのは二つ。
眼を覚ましてくれ。
その身に宿る魔の悪意に負けないでくれ。

俺にはどうすることも出来なかった。
この五年間、幾度も声をミリルに掛けるも、彼女はその意識を目覚めさせてはくれなかった。
エルクがこの白い家から脱走し、ジーンをヴィルマーに預けることに成功した後もここに俺が残った理由はそれ。
わざわざ原作になぞらせなくとも、さっさと残ったミリルを連れて逃げればよかった。

だが出来ない。
ミリルが、俺の言葉に応えてくれない。
こんなにも彼女達のことを思い、身をこんな醜悪なものにまで落しても尚、俺は彼女を救う事は出来ない。

エルクはミリルの手引きによって救われ、ジーンの救出はヴィルマーにほぼ丸投げ。
重要なミリルは未だガルムヘッドの中で眠ったまま。
俺はいつだって自分の手で誰かを救う事は出来ず、誰かの手に委ねるだけだった。

――――英雄たちの手に。

そして最後の最後までそれは変わらない。
ようやく白い家に舞台を移し、やがてやってくるエルクとジーンが彼女の眼を覚ましてくれるだろう。
その戦いの中で改造されてガルアーノに操られるミリルも、エルク達と培った絆の中で自ら魔を打ち払うのだろう。
そういう、流れだ。

どいつも、こいつも、英雄ばかり。

鉄臭い倉庫の中でガルムヘッドを見上げ、思う。
俺は一体何をしてきた?
俺は一体誰を救えたのだ?
この手で出来たのは、いつだって誰かの命と希望を絶つことだけだった。

「クドー。ガルアーノ様がお呼びだ……どうやらサンプルたちがこちらに辿り着くらしい」

くだらない自己嫌悪に陥れば、やがて俺の背後から声をかけたのは先ほど魔物との合体を担当していた研究員だった。
サンプルと呼ぶ声。
エルク達をサンプルと呼ぶその言葉。
俺は内に燻る惨めな感情と共にその研究員の頭を力いっぱいに殴りつけた。

びしゃりと何かが破裂する音を耳にしながら、生温かいものを感じる俺の右手。
そのまま崩れる様にしてその研究員は床に転がり、動かなくなった。
所詮そこらにいる非戦闘員の一人。いや、中身は堕ちた人間か。
もうすぐ崩壊を迎える白い家の者など、一人や二人死んだところで気にしない。
ガルアーノには適当に気が昂ぶっていたなどと言えばいいだろう。

そうだ。
気が昂ぶっている。
ようやく、俺は人間になれる。

――――最後だ。行こう。








[22833] 十九
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/05 17:16




風が唸り、エンジンがけたたましく回るヒエンの内の中で、ただエルクは黙ってその舵を握りしめ続けていた。
リーザ、ジーン、シュウ、シャンテ、パンディット。
自身を含めればそれなりに数の多いパーティーでもあり、エルクの操縦するヒエンの中は少しばかり窮屈であった。
ふとエンジン音の響く船内で耳をそばだててみれば、操縦席の奥にある座席からはかすかに寝息のようなものも聞こえてくる。

飛行艇・ヒエン。
ビビガの個人的な趣味として製作された小型飛行船ではあるが、個人所有の飛行船としては高性能なものであり、大陸間の航行も楽々こなすことができる。
といってもそこは所詮個人製作の域を達することは出来ず、攻撃を加える様な機関銃や爆撃装置など付いておらず、無論最大乗船人数も少ない。
ガルアーノの式典において遭遇したアーク一味のシルバーノア追跡に酷使させ、ヤゴス島へ墜落させてしまったものの、ヴィルマーの手によって完全に修理されている。
雲を掻き分けて進むヒエンの速度もヴィルマーが何か細工をしたのか、前よりも大分速くなっていた。

彼らが向かうのは西アルディア。
プロディアスやインディゴスなど人の住む地としてそれなりに発展している東アルディアと比べれば、この地は魔物の住む地であると言う他ない。
砂地が延々と続き、ロックやマントラップといったモンスターの蔓延るアルバ砂漠。
一度迷い込んでしまえば二度と出ることの叶わないと噂される帰らずの森。
どちらをとってみてもこの西アルディアは人が根を下ろす地としてはあまりに過酷な大陸であった。

「エルク」
「……シュウか」

途切れぬ雲の合間を前に、遥か彼方まで続く大海原を眼下に。
ただひたすらにその西アルディアを目指し舵を握るエルクの背後から、シュウが静かに声を掛けた。
ただエルクは視線を後ろに回すことなく返す。

「そろそろ4時間は経つ。交代したらどうだ」
「いや、いい……寝ていられそうもないしな」

そう言いながら初めてちらりと後ろを振り向けば、操縦席の後方ではジーンが手荷物を広げながら装備品の確認やら何やらを延々と行っていた。
どこか落ち着かないようにソードを研いでみたり、回復薬の数を数えてみたり。
身体を動かしていなければ、立っていられない。
それはエルクも同じであった。

「…………」
「…………」

絶え間なく一定のリズムで音を鳴らすエンジンを耳に、エルクとシュウの会話は途切れてしまった。
唯一パーティーの中で因縁を持たず、何よりもベテランのハンターとして冷静な判断を下すことが出来るシュウからすれば、あまり褒められたものではない現状だった。
迫る決戦の地に近づくたびに面々の表情は重くなり、緊張に顔を強張らせ――――生き急いでいるようにも見える。

血溜まりのクドー。

シュウが自身の行方不明を利用して得たガルアーノに関する情報の中にその名前はあった。
ガルアーノの右腕としてキメラ部隊の総括を一手に引き受け、ガルアーノの起こす陰謀の中には必ずこの男が関係していた。
無論シャンテを巡る裏切りの舞台を整えたのも、そしてそれをガルアーノに提案したのもこの男であった。

そんな、外道とも取れる行動の数々を取ってきたキメラの男が、エルクとジーンの馴染みであり、救出するはずだった相手などと。
不幸とも言える運命にシュウは人知れず眉を顰めざるを得なかった。
落ち着きなく視線を彷徨わせるジーンの背後、リーザと寄り添うようにして眠るシャンテを眺めれば、彼女はリーザの手を握ったままであった。

自らの運命を狂わせ弟の命を奪った男が、エルクとジーンの救うべき者。
今でこそエルク達との間で行われていた裏切りは水に流され、自らもまたガルアーノを倒すと動向を求めてきた彼女ではあるが……。
シュウの彼女に向ける視線は鋭い。

「なぁ、シュウ」
「何だ」
「…………いや、なんでもねぇ」

ぼそりと呟いたまま頭を振る様にして口を閉じたエルクであったが、シュウから見ればそれは隠しようがない迷いと恐れの表れだった。
ただひたすらに親友の救出を願い、求め、ここまで来たというのに、そこに待ちうけていたのはキメラと化した親友。
間に合わなかったという現実。

クドーを討たねばならないのか?
俺たちは戦えるのか?
ミリルは間に合うのか?

果たしてシュウの手によって知ることが出来た白い家の場所に向かっていることも正しい選択なのかどうか。
ヒエンの行き先の西アルディア、帰らずの森の奥の奥。
その天然の砦に守られるようにして白い家はエルク達を待ちかまえている。
全てが始まった忌まわしき家。

「……やるしかないのだろう」
「ああ、そうだな」

気休めの言葉。
シュウの声にエルクは半ば自分で納得するかのように頷いた。





◆◆◆◆◆





西アルディア、アルバ砂漠。
砂塵を巻き上げながら着陸したヒエンより足を踏み出せば、エルク達の前に広がっていたのは砂漠とも荒野とも取れる魔物たちの巣窟だった。
ふと遠くを見上げれば魔鳥ロックの姿が見て取れ、そこらに生えるサボテンに紛れて食虫植物のマントラップが触手をうねらせている。

砂塵舞うこの砂漠を越え、まずは帰らずの森の入口へと。

エルク達の足取りは重い。
ただし遅くはなかった。
再会を願うように、希望に縋るかのように、誓いを果たすために。
ただひたすらと彼らは襲いかかる魔物を蹴散らしながら進んでいった。

「あっついな……シャンテのねーちゃんは大丈夫か?」
「魔物ならとにかく暑さくらいでへばっちゃいられないわよ」
「うへぇ……タフなこって」

照りつけるような日光と、風に煽られて舞う砂を防ぐ岩場の影。
ひとまずは休憩ということで立ち止まったエルク達。
一人偵察に向かったシュウと、食事の準備をしているリーザとエルクがそれぞれ動き、ジーンとシャンテは荷物番の役目を負っていた。

「半分くらいかね?」
「どうかしら。シュウが言うには帰らずの森だったらそんなに遠くないって話だけど」
「とりあえず暑くなきゃいーや……帰らずの森って熱帯雨林的なものじゃねーだろーな?」
「ヤゴス島だっけ? エルクからは結構暑い土地だって言ってたけど」
「海が近いからなー、むしろ涼しくて過ごしやすい。バカンスにでも来る?」

おどけて言うジーンにクスクスと口元を抑えて笑うシャンテ。
パーティーの中では大分余裕がありそうな雰囲気を見せる二人ではあったが、その実、腹に潜めたモノは大分歪んでいた。
言うなればメンバーのムードメーカーとして軽口を交わすジーンと、どこか大人特有の余裕を見せるシャンテであるために抱く双方の違和感。
ひとしきり笑った後に視線を合わせ、その軽かった口調を落し、ジーンは口を開いた。

「うちのダチが、すまんね」
「いいわ。悪いのは多分……ガルアーノだもの。そう今は思ってる」
「…………すまない」
「水に流してもらったのはこっちも同じ……裏切りは、重いわ」

岩を背にして陽炎の揺れる荒野を真っすぐに見つめた二人は、ただ許しを乞うかのようにポツポツと語り始めた。

「俺たちは多分、復讐者だ」
「……そうね」

ジーンの頭に浮かんだのは、あの包帯に巻かれた異形がクドーであると知った場面だった。
ガルアーノの所業に視界が真っ赤になるほどの怒りを抱き、様子のおかしいエルクをそのままに吼えた。
そしてクドーが優しき声を投げ掛けた時、やはりジーンの頭に浮かんだのは怒りだった。

何故クドーが。
親友をこうしたのは奴か。
不幸を振りまくのはあの男か。

純粋にクドーのことを思い刃を鈍らせたエルクと違い、ジーンはただ怒りのぶつける先を見失い掛けたことからの鈍りだった。
育ての親と愛すべき妹にまで手を出し、自分の過去を歪め、親友を苦しめる悪への義憤。
クドーに対する万感の想いよりも先に、ただどうしようもない怒りが先走っていたことを、ジーンは理解してしまっていた。

「……私も、どこか弟のことは諦めていたわ。アルのことは……別れて随分経っていたしね」
「仲、よかったみたいだな」
「そりゃそうよ。孤児院から出て、ずっと一緒だったもの」

懐かしむように空を見上げたシャンテの瞳には、ほんの少しだけ涙が浮かんでいた。

「本当にアルを見つけたかったのか。それともアルに手を出した者を殺したかったのか」
「…………」
「あやふやなままに生きて、希望をチラつかされ、罪を犯した……そして今も」
「今?」
「本当にあなた達への償いがしたくて力を貸そうと思ったのか。それとも復讐の機会を得るために利用しているのか」

深く深くため息をついたシャンテは、どこか不安げな表情を浮かべていた。
自分が本当に正しいことをしているのかどうかすらはっきりしない有様に、心が揺れる。
目的が何であれ、未だ不幸を生み出すガルアーノを倒すことにためらいなど必要なはずもないというのに、二人はエルク達とは違った迷いを抱いている。

果たして自分達は正しいのか。
エルクと共に刃を並べていいのだろうか。
自分達もまた、私欲に戦う『悪』ではないのか。

ただ風の音だけが響く中で沈黙が続けば、やがて二人が目を向けていた荒野の中に、一つの黒点がぼんやりと浮かび上がってきていた。
やがてその点が輪郭を帯び、次第にこちらへ近づいてくることに気付けば、その正体はシュウ。
どうやら偵察を終えてきたらしく、先へ進む道も発見してくれていた。

「……まぁ、まずは進まなきゃな」
「光明がなくとも進め、か」
「お、なんか知的な姉さんっぽくていーじゃん」
「あんまり茶化さないの」

腰に付いた砂を払いながら立ちあがる二人は、どこか問題から目を背けるようにして軽口を交わした。





◆◆◆◆◆





エルク達の進むアルバ砂漠は確かに広大で多くの魔物が巣食う場所ではあるのだが、幸か不幸か目的地である帰らずの森まで続く道としては幾分か短い。
砂漠の端を横断するような形で進んでいけば、その先に森林地帯がエルク達の前に見えるのは早かった。

徐々に砂だらけだった地面に草が生い茂り、どこか湿っぽい空気すら漂わせている風が森の奥から流れ込んでいる。
しかし厳しい大地を抜けて現れたこの森林はオアシスにはなり得ず。
迷い込んだ者を捕まえて逃さない帰らずの森。
その入口で辿り着いたエルク達は、全てを飲み込んでしまいそうなほどに奥まで続く濃緑の森を眺めていた。

「…………」

生ぬるい風に外套を靡かせながらエルクはその景色に想いを馳せた。
ミリルと共に脱出すべく駆け抜けたあの森。
周りに生えた草木全てが自分の小柄な背よりも高く生い茂っていた頃の出来事。
つい前までは霞がかっていたようにはっきりしなかったあの光景も、今ではその全てが鮮明に思い出すことが出来る。

ふぅ、と心の中に溜まった様々な不安を吐きだす様にして息を吐く。
ふと気付けば、エルクの隣には腕を組んだままのジーンが立っていた。

「帰ってきた、か」
「別に実家でも何でもないけどな」

どこか懐かしさすら漂わせて語ったジーンの言葉に、少しばかり口を尖らせるように答えたエルク。
しかし自らに関わる全てが始まったのはこの先にある白い家であることは、無意識ながらも感じているのだろう。
ジーンの言葉を否定しながらも、エルクの頭に浮かぶ記憶の中には決して不幸なものだけではなかった。

友として仲が良くなった子供たち。
傷をなめ合うようにして肩を寄り添わせた日々。
誰しもが不幸な眼に会いながらも、日々を笑って過ごすことが出来ていた。

ミリル、そしてクドー。
酷い目に会いながらも笑顔を絶やさず、ささくれだったエルクの心を穏やかにさせていったミリル。
常に後ろから見守るようにして子供たちを纏め、そしてジーンをこの白い家から救い出したクドー。

「借り云々の前に、まぁ、親友だからな」
「……そうだな」

昔を懐かしむのはここまで。
友を助けることに理由は要らず、ただ自ら出来ることを為さねばならない。
そして、自分達は一人ではない。
顔を引き締め、エルクとジーンが振り向けば、その後ろには頼もしい仲間達が自分達を見守るようにしてそこにいた。

奇運の果てに知り合い、なお且つ似たような因縁を持つ仲間達。
始まりは歪なものであれ、今は背中を預け信頼出来る者達。

「頑張ろうねっ」
「行きましょう、エルク、ジーン」
「行くぞ」

強大なロマリアの影をチラつかせるガルアーノに立ち向かうにはあまりに少ない。
それでも負ける気は、屈する気はまるでない。
頼もしげな仲間達の声に、二人は力強く頷くのだった。

そんなエルク達のやり取りをひっそりと森の影から眺める一つの影。
やがてそれに気付いたのはシュウかパンディットか。
即座に視線を向けられたその影は、やがて観念したように影を纏いながら森の中より這い出てきた。

「いやはや、無事に辿りつけて僥倖ってどころかァ?」
「お前は……」

日光さえ通さぬ深い森の闇に紛れていたのはクドーが手持ちにしていた魔物の一体、ブラックレイスを種族とするシャドウだった。
真っ黒な霊魂らしき身体に赤黒い瞳を光らせ、顔さえなくともどこか嘲笑うかのような表情を携えてケラケラと笑う。
当然の如くエルク達が戦闘の構えを見せれば、シャドウは慌てたようにして身体を震わせた。

「おっと勘弁してくれよ。別に戦いに来たわけでもねェし、勝てるとも思っちゃいねェ。シュウさんよ、そう周り警戒しなくてもいいゼ? 奇襲なんて考えてねェから」
「どうだかな」
「何しに来やがった」

おどけた様子でペラペラと言葉を連ねるシャドウに、シュウとエルクがいい顔をするはずもない。
シャドウの言葉など信じる理由も無く、そしてそれが敵と味方で別れている者の当たり前。
しかし、じりじりと攻撃の隙を窺っていたエルク達の中で、ただ一人リーザだけが違和感を覚えた。

「……あなた、本当に魔物?」
「リーザ?」

そう零した本人でさえ確信がなく、リーザは恐る恐るといった風にシャドウへと問いかけた。
それに一瞬唖然とし、やがて大きく笑い始めたのはシャドウ。
人間らしく腹を抱えて笑うその姿は、異形のモンスターであるという括りさえなければ人間のそれそのものだった。

「ギャハハハハッ! まァ、そうなるよな」
「どういうことだ?」
「さぁ? ……魔物に侵された人間はキメラだが、人間に侵された魔物は何て言うのかねェ?」

困惑するエルク達の前でひとしきり笑い、シャドウは満足そうにして帰らずの森の奥を指差した。

「北東の方角に行きゃあ白い家には着くが、バルザックっつー森の番人が森ん中をうろついてる。気を付けな……まァお前らにしたら雑魚だろうが」
「……何のつもりだ」
「いやね、こっちとしてもお前らには白い家に来て貰わなきゃ困るのよ。そこら辺はシュウさん辺り気付いてるんじゃねェのか?」
「…………」

沈黙で返したのはシュウ。
シャドウの言う事を鵜呑みにすることは出来ないが、自分達を誘っている感じはエルクも気付いていた。
というよりもどことなくここ最近起きている問題の全てが、そういった誘いの影を見せているとも。
――――全て仕組まれているなどと考えたのはいつだったのか。
それを思い出せばエルクはシャドウの言葉を戯言と切り捨てることは出来なかった。

「ふん。余裕だな、ガルアーノの野郎は」
「……ガルアーノねェ。旦那にとっちゃあれは舞台装置の一つくらいにしか考えてねェが」
「何?」
「おっとここまでだ。まぁお前らがさっき休憩してた小屋に置いておいた支給品も俺が用意したんだから感謝してくれよ?」
「あ、待って!」

リーザの追求を遮るかのように捲し立て、そのままシャドウは森の中の影へとその身を顰めていった。
一体なんの意味があってエルク達に接触したのか。
シャドウの言っていることを全て肯定するのなら、ただの誘いに変わりはないが……。
どちらにせよ兎に角進むことしか選択肢がない現状にエルクがため息を吐けば、そこでジーンが首を傾げながらリーザに声を掛けた。

「どったの?」
「えと、うーん……あの魔物なんだけど」
「まぁおかしなな魔物ではあったわね」

うんざりとしたように両手を振るシャンテ。
しかしリーザが言いたいのはそういうことではなくて。

「何だろう。何て言うか……あの魔物、人間と近い心を持ってたような」
「…………いやぁ、もしかして仲間にする気?」
「私は嫌よ、あんな頭の悪そうな……エルクじゃあるまいし」
「あんだと!?」

結局のところリーザの違和感が素直に受け入れられたわけではなく。
シャンテがぼそりと付け足した言葉に声を荒げたエルクによって、どこかその違和感は吹き飛んでしまった。
ただシュウだけが、シャドウの消えていった森の奥をただずっと見つめていた。





◆◆◆◆◆





帰らずの森と言っても人の歩く道がないほどの樹海というわけでもない。
どちらかと言うと人が横に5人ほど並べる程度の道があり、それは今まで迷い込んだ人間が踏みならしていったものなのか。
それとも森自体が迷い込む人を誘うために開いたものなのか。
なんにせよ、先の見えない暗がりの道はおどろおどろしいものだったが、木々の張る根に足を取られてしまったり草を掻き分けるといった苦労はなかった。

しかし周りが木々に囲まれているからか、エルク達は魔物からの奇襲に手を焼かせることになった。
唐突に草木を分け入って出てくる遭難者の慣れの果て、スケルトン。
太陽を遮る様にして高く聳え立つ大樹の枝から飛び下りてくる食虫植物。
気配や魔物匂いに敏感なパンディットのお陰で大分楽にはなっているとはいえ、少しでも気を抜けば危険な道中にエルク達は気を滅入っていた。

そんな疲れが見え始めたパーティの中で、どことなく上の空な様を見せるのはリーザだった。
魔物に侵された人間がキメラならば、人間に侵された魔物は。
帰らずの森の中を進むリーザの頭に浮かぶのは、シャドウの零した意味深な言葉。
鬱蒼とした森の中を魔物からの奇襲に備えながら一歩一歩慎重に進む中でも、その言葉が彼女の頭から離れない。

魔物を操り、心を交わすことの出来る異能。
ホルンの魔女としての能力を代々伝わる村の生まれとして受け継いだリーザにとって、シャドウの言葉は考えたこともないものだった。
何せ魔物とは人を襲う者であり、人間との関係は強者と弱者のそれに違わないものだったのだから。
例え魔物と近しい位置にいる魔女と言えども、それを否定するつもりはリーザにはなかった。

(あの魔物は……)

森の入口で接触してきた魔物を思い浮かべながら、ふと隣でキョロキョロと辺りを見回しながら歩くパンディットを見下ろす。
魔物で在りながら心を交わし、主である自分のために戦ってくれる頼もしい仲間。あるいは家族。
敵と判断した者への攻撃性と、すぐに喉を鳴らして威嚇する獰猛さは野生の魔物と変わらなくとも、彼はその力を仲間のために使ってくれる。
そんなパンディットに抱く心の有様と、あのシャドウの心が微妙に重なった。

そこまで考えてリーザは――――簡単に頭を振ってその考えを否定することが出来なかった。
あのシャドウという魔物に感じた違和感、そして何よりもクドーという『キメラ』に感じた想い。
そのどちらにも眼を背けたくなるような、野生の魔物や魔に堕ちた人間が発するような悪意をリーザは感じられなかったのだ。

「リーザ? 疲れたか?」
「えっ、あ、ううん。大丈夫だから」

考え事をしていればエルクがリーザの肩を叩いて心配そうな顔を向けていた。
その顔を見て、リーザは思う。
これからエルクは友達を救うべく白い家に入って、ガルアーノと戦って。
それでも、既にクドーはキメラと化した敵になっていて。

――――本当にあの人は、ガルアーノの手下なのか。

いつだったか考えなしに言ってみた自分の言葉が、リーザの中で浮かびあがる。
それは自分達の間で半ば絶望的になっているクドーの救出に繋がる希望であるようにも思えた。

「ねぇ、エルク」
「何だ?」
「多分、諦めちゃ駄目なんだ」

唐突にリーザの口から出た言葉にしばし目を大きく開けたエルクは、その意味を解するなり顔を俯けた。
クドーに関する想い。いくら固く誓ってみても、それはもはや叶えることの出来ないものなのではないのか。
エルクの後ろを歩くジーンも、いつのまにかリーザの言葉を聞こうとその隣まで歩み寄ってきていた。

「友達だったら、声は届くよ」
「リーザ……それは甘い考えでしか」
「あの人は魔物なんかじゃない。魔物に負けたキメラなんかじゃない。私には分かるの」
「…………」

ホルンの魔女としての力か。
そんな考えが過ったエルクだったが、すぐにその認識を改めた。
こちらをじっと見据え――――守られるだけではなく、戦う事も知っている少女が浮かべる真摯な瞳。

「だから、声を掛けてあげて。あの人に巣食う魔物には私が心を届ける。だから、まだ人間なままの彼には、あなたたちが心を届けて上げて」

いつからだったか。
エルク達の間で淀みかけていた誓いの心。
間に合わなかったという現実が齎した諦めの影。
目的さえあやふやになり、ただ牙を剥くことしか残っていないかのような荒れた心。

「まだ間に合うかどうは分からない。だが希望はある」
「シュウ?」

一度堕ちかけていた英雄達の心。
だが希望はまだ潰えない。
一つ一つ、クドーの起こした何かが繋がり始める。

「エルクと合流する前にも彼と接触したが……どうにも彼はガルアーノとは違うところで動いている節もある」
「……本当か?」
「彼の管轄する部下達から情報を得ていたのだが、どこか意図的にこちらへ流していたのかもしれん。そして妙な言葉も」
「言葉?」
「B-2棟。042号室。パスコード『アークザラッド』。かの地での救済。エルクのため。何を意味するのかは分からんが……」

間に合わなくとも、手遅れだとしても。
やり直せる。
また一から。

「そもそも俺を爺さんに任せたっていうのもな。それにあの真っ黒な魔物のことも……ちっと不自然だぜ」
「ガルアーノが白い家に誘ってるって言うけど、私やシュウを生かす必要はないものね。なのに彼は私を殺していないし」

次々に浮かびあがる違和感の中。
エルクは思い出した。





――――お前、元気か?





あの時の言葉は。
あの時の心は。
あの時の俺達は。

クドーが投げ掛けた心は、決して魔に侵された悪意の籠ったものではなかった。
確かにこちらのことを想い、どこか温かい声で投げ掛けたものだった。
あの時確かにクドーはこちらに、心を投げ掛けた。

「まだ、やれるのか?」

どこか無意識に零したエルクの声に、その場にいる全員が力強く頷いた。
既に決戦の地である白い家はすぐ目の前。
ただ目的とするのは親友の救出。

弱弱しく灯るだけだった炎が、徐々にその輝きを増していった。





◆◆◆◆◆





耳の奥に残るような電子音。
カタカタと絶え間なく叩かれるキーボードの音。
俺の立つ背後では白い家の職員たちが慌ただしく駆け回っていた。

エルク達にぶつけるために表に移動させられる巨大な鉄の塊。
拠点防衛型兵器『ガルムヘッド』。
その姿は人型の上半身を鉄の装甲で覆い、頭部に操縦者たるミリルのカプセルを置き、背中部にはランチャーやら機関銃『ツォルンブリッツ』やら。
とても内部での戦闘を考慮した兵器ではない気がするが。

(まぁ、元々は意識の戻らないミリルを保護するためだけの機械だったか)

その鈍重そうな身体をレールに乗せられて移動していくガルムヘッドを眺め、息を吐く。
いくらエルクといえどもこんな鉄塊に真正面から挑まされるなどというのは、あまりに無茶な話なのではないのだろうか。
まぁ、ミリルの覚醒を促すためにある程度の手加減はなされるのだろうが。

「搬出完了いたしました」
「分かった。下がれ」

作業着を身に纏った部下を下がらせ、しばしガルムヘッドがいなくなってガラリとした倉庫内に一人佇む。
思えばこの殺風景で鉄臭い部屋へは、白い家に戻る度にほぼ毎回通っていた気がする。
声の届かぬミリルに言葉を一人投げ掛け、一人結末への不安を隠す様にして彼女の瞳を閉じた姿を見つめる。
監視カメラがあるせいで滅多なことを口走るわけにはいかなかったが、少なくとも俺の平静を保つための一端にはなっていたはずだ。

ミリルが意識を失くしたあの日。
その原因は、エルクを逃がすために自ら囮となりその身に眠る異能を強引に開花させたせいだとも言う。
俺がその場に立ち会う事は叶わず、ただ後に送られてきた逃亡事件のレポートから読み取ることしかできなかったが……。
確かにあの時、ミリルも幼い子供ながら戦っていた。

例え意識がなくとも、例えその身が知らぬ内にキメラと近いものに弄くられていても、ただ静かに眠る彼女と俺は全く違う生物だった。
まだ年端もいかぬ少女の内に自分の不幸を受け入れ、それでも未来に足掻くことを知っていたミリル。
絶望に暮れる俺やエルクを前にして、必死に笑うことを教えてくれた子供。
ただ眠るだけの姿となっていても尚、彼女は俺を勇気づけてくれる。

(…………)

この数年、ただひたすらに舞台を整えることに尽力してきた。
自らの持つ全てを捧げ、それでも足りず、名も知らぬ罪なき人々を捧げ、機を狙い続けていた。
足掻いて、足掻いて、足掻いて。
それでも出来たのはほんの少し、この世界の流れを狂わせることくらいだった。

既にミリルの身体は肉体が変わるほどではないがキメラ強化され、ガルアーノの思うがままの身体になっている。
そんな身体になる光景を、俺は力が足りずただ黙って見ているだけだった。
そして万が一のためとして――――ミリルが本来の流れの中で犠牲となった要因、自爆装置を取り付けられていた光景もまた。

といってもさすがにガルアーノお気に入りの個体故か、普通に考えられるような自爆装置ではなく。
そもそもにしてミリルのキメラ強化は、俺やそこらの一般兵のような肉体が変わるようなものではない特別製なのだ。
人間として、可憐な少女の肉体を保ったまま魔物の力を注ぎこむ特殊な方法。

それを知ったのは、せめてもの幸運か。
故に俺が付け入る隙がある。

「クドー、ガルアーノ様がお呼びだ」

顔に出てしまいそうな笑みを無理やり隠し振り返れば、ガルアーノより使わされた部下の一人が面白くなさそうな顔をしてそこにいた。
同胞である魔物を喰い物にする故に、俺はどうも同じ魔物やキメラ連中からは受けが悪い。
しかしどうでもいいこと。
ガルアーノからの呼びだしとなれば、ついにエルク達がこの白い家の辿り着いたのだろう。

ただ今は牙を研ぎ、踊ってやろう。





◆◆◆◆◆





コンピューターによって統率される内部に配置されたキメラ兵。
白い家内部で回っている監視カメラの映像を映すモニター。
起動準備に入っているガルムヘッドの状況を表わす複数のデータ。
白い家そのものの頭脳でもある情報室に俺は呼びだされた。

既に幾人もの科学者たちが様々なデータが流れるウィンドウに眼を向けており、それを統括するかのようにガルアーノが指揮を取っていた。
指揮を取るとは言っても、監視カメラが写すエルク達の姿ににやけていただけだが。

「来たか、クドー」
「『白の部屋』へのガルムヘッド搬入、完了いたしました。次の指示を」
「まぁ、そう慌てるな。見てみろ。エルク達の奴らは既にこの白い家の地下内部まで辿りついているぞ?」

エルク達が地下通路を走り抜ける様子が映し出されたモニターを指差し、期待を隠しきれないような顔を見せるガルアーノ。
どうやらエルク達が無事ここまで来たことで、積りに積もった期待感が破裂寸前らしい。
ガルアーノからすればサンプルの中で最強を競う素体の一つが白い家に戻り、なお且つもう一人のサンプルを目覚めさせる要因を持っているというのだ。
ガルアーノの感情に熱が帯びるのも仕方がないのだろう。

隙だらけ。だからといってこちらがボロを出すわけにはいかない。
最後の最後で自分の感情が抑えられなくなりつつあるのは俺も同じなのだから。
それに、油断してはならない理由も、直にこの白い家へとやってくる。

「ガルアーノ様、そろそろキメラ兵の引き取りにアンデル様が来ます」
「チッ……まぁ、そこらの出来そこないでもぶつけていけば、重要な場面を取り逃すこともあるまい」

いつもと変わらず。ガルアーノの気付かぬ部分を進言してみれば、嬉々とした表情を一変させて顔を曇らせた。
内に燻る不快感を吐きだすために懐から葉巻を取り出せば、乱暴にその先を食いちぎる。
この男がそこまで不愉快に思う理由はそうたいした話ではない。

四将軍の内の一人としてその功績がどうにも地味であり、なお且つ使い走りのような役目を負っているからである。
ヤグンはミルマーナとグレイシーヌの間で起こっている戦争を裏で操り、ザルバトは本国ロマリアで将軍を務める守りの要。
そしてこれより白い家にやってくるアンデルは、世界を悪意に包むための最終計画『殉教者計画』を統括する役目を担っている。

そしてガルアーノが負うのは、その他の将軍達の戦力となるキメラ兵器の開発。
一見すれば縁の下の力持ちとして胸でも張れそうなものだが……そんな殊勝な気持ちがこの男にあるはずもない。
どこか自分が他の将軍達の下に見られているのではないかと疑心暗鬼に駆られているのだ。

だから、そんな不安を掻き消すために弱者を甚振るために余計なことを考え、それに固執する。
このエルクを取り巻くその全ても、効率を考えるならばなんと無駄なことであろうか。
それを進言したのは他でもない俺とは言え、それを嬉々として受け入れたとあってはガルアーノの高が知れる。

「で、アンデルはどこにいる」
「今はロマリア本国へ移送されるキメラ兵を選定していらっしゃるかと」
「ふん、細かい奴だ。キメラ兵などいくらでも代わりが利くだろうに」

心底馬鹿にしたように嘲るガルアーノから視線をエルク達の映るモニターへと移す。
既に彼らは地下通路を抜け、徐々にあの白い部屋の方向へと近づいている。
俺達が本を読み、絵を描き、遊具で遊んでいたあの部屋。
今も尚多くの子供たちが幽閉されている綴じられた遊び場。

そういえばエルク達は、いや、シュウは地下通路の途中にある俺の私室に気付いてくれただろうか。
所詮気休め程度ということでパスコードを伝えておいてはいたが……まぁ、別に必要なものではない。
あれに気がつかなくとも、早いか遅いかの違いで自力でどうにかするだろう。

全てが終わった後。
置き土産などとは言わないが、せめて役には立ってもらいたいものだ。

そんなことを考えていればやがて情報室の自動ドアが開き、中からはそれなりに高価そうな、言うなれば国の宰相や王族が着ていそうな衣服を纏った壮年の男が入ってきた。
片眼鏡の奥にその見た目の年齢にはそぐわない鋭すぎる視線をこちらに向け、その気配が漂わせる魔の空気は濃厚。
部屋が一瞬にして重くなったような錯覚に、俺は顔を顰めざるを得なかった。

「出迎えくらいは欲しいものだがね、ガルアーノ」
「出来のいいキメラ兵を融通するだけでも有難いと思え、アンデル」

来て早々ガルアーノと辛辣な物言いを繰り広げたこの男こそがアンデル。
スメリア国の大臣であり、もっとも効率的に世界を闇に落そうとしている者。
上下関係などないが、俺から見れば四将軍という集まりもこの男が指揮を取っているようなものだろう。

「しかしつい前までは機械との融合に執着していたお前が珍しい。こんな僻地で何をしている?」
「儂のキメラプロジェクトは未だその底を見せん。その可能性がこいつらだよ」

噛み締める様に、自分の道具を自慢するかのようなにやけ顔と共にアンデルをモニターの方へと促せば、そのアンデルはいかにもつまらなさそうに息を吐いた。
あまりにも正反対の二人の態度。
むしろアンデルはガルアーノのそれを見下しているようにも見えた。

「……遊んでいる暇などないのだがな、ガルアーノ」
「何だと?」
「いくら殉教者計画が完璧とは言え、アーク達の妨害は未だ続いている。奴らの前では貴様ご自慢のキメラ兵とてただの木偶だろう?」
「……その木偶に頼っているのはどこの愚図なのだ? アークの妨害は止まぬと言うが、随分と情けないことを言う。あの方に仕える者として不甲斐ないと思わんのか?」

眼を閉じ、部屋中に満ちる殺気と魔の気配に耐える。
科学者としてこの部屋にいる者たちは既にその手足を震わせ、必死にこちらの状況を視界にいれないように眼を伏せていた。
この世界を陥れる四将軍。
その二人がぶつけ合う殺気は、いくら先ほどまで馬鹿にしていたガルアーノでさえも桁違いのものだった。

「まぁ、よい。私はもう少しキメラ兵を厳選しに戻るとしよう。石の多い玉石混合とはいえ、こちらの配下になる価値のある者はいるだろう」
「……好きにしろ」
「人形遊びも大概にしておけ、ガルアーノ」

既にガルアーノの興味が向いているモニターにも、そしてガルアーノ自身にも興味がなくなったのか、アンデルはそのまま情報室を出ていってしまった。
無論残ったのは惨めに流されたガルアーノと、逃げる様にしてモニターを睨み続ける科学者。
面倒なことにならなければとは思うが…………。

そこで気付く。
俺はアンデルが何か介入してくるのかもしれないと胆が冷えたものだったが、それ以前に奴の眼中には俺など入っていない。
そして恐らくはこの白い家で起こることも。

モニターを見れば、そこには白い部屋を前にしたエルク達の姿が。
誰かメンバーが欠けたわけでもなく、全員五体満足のまま。
全ては順調。

あとはエルク達に任せるとしよう。
まぁ、恐らくは癇癪を起したガルアーノによって俺もその戦いに放り込まれることになるのだろうが。
どこまでも小物な奴め。

「クッ……クククッ……アンデル。儂は最強の手駒をこの手にするのだよ」

ただ狂ったように笑うガルアーノの声など、俺の耳には届いていなかった。











[22833] ニ十
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/17 18:53




未開拓大陸であるはずの西アルディアにはまるで似つかわしくない、真っ白に塗装された人口建築物。
帰らずの森の奥地にひっそりと佇むその『白い家』は、その名に似合わずどこか邪悪な雰囲気を感じさせる建物であった。
入口に黒服を着こんだ屈強な人間らしき人影が立ち、その視線が向けるものは随分と物々しい。
しかし人の手が入らぬ大陸、と言うのならばこの建物とて不自然ではない。
何故ならここは魔物の巣窟に他ならないのだから。

「よく考えれば、外からこの建物見るのも初めてかもしれねぇな」
「……脱出した時に見なかったのか?」
「振りかえる暇なんかあるかよ」

そんな白い家に辿り着いたエルク達は、入口で見張る番人に見つからぬよう森の影に身を顰めて小さく声を漏らしていた。
隠密として行動出来るエルクとシュウに白い家の周りを見て周らせても、白い家に入ることが出来る場所はこの入口と裏手にあった大きな搬入口くらいなもの。
裏手の方にいたっては大きなハッチのようなものも見られ、さらに入口よりも多くの警備兵がうろついていた。

「歓迎されているって言ってもな」
「真正面から入る馬鹿はいるまい」

隣で侵入方法を考え込むシュウの言葉に、エルクは最近の自分の行動を思い出しては頬を掻いた。
シャンテという人質がいたとしても、さすがにガルアーノの屋敷に真正面から殴り込んだのは論外であったらしい。
しかしシュウの言うように侵入事にはお約束の裏手の方も守りは固い。
森の手前で遭遇したクドーの手駒の言う事を信じるのならば、既にここまで自分達が近づいていることはガルアーノにもばれているのだろう。

しばし侵入方法について考え込み、やがて名案としてエルクの脳裏に浮かんだのは、ミリルと共にここを脱出した時の記憶だった。
下水道にも似た地下通路を駆け抜け、建物の横にあるマンホールから這い出たあの記憶。
今度は逆にそのマンホールから地下通路を抜け、やがて内部の中心近くまでも。

キメラ研究の最たるものとして重要な場所故に、この白い家は隅から隅まで探索するにはあまりに広い。
もしもミリルが、そしてクドーが建物の中心部にも近い研究施設に居るというならば、この侵入ルートはうってつけの道であった。
未だ五年前のエルクの記憶と白い家の内部が変わっていないというのならば、迷うという可能性も少なくなる。

「ま、ばれてたって構わないさ。やることは同じだ」
「…………」

ここまで色々とは考えてみるものの、結局最後は力押しに任せてしまうエルクの思考。
すぐ隣で息巻くそんなエルクの様子にため息を落しつつも、シュウもまた不安とは遠いものを感じていた。
迷いなく進むのであれば、眼の前に立ちふさがる全てを喰い破って見せよう、と。



地下通路からの侵入ということで大多数の戦力を真正面から受け止めることはなくなったといっても、やはりそこらを徘徊するモンスターはいる。
一体この下水道にも似た区画が何のために存在しているのか。
白い家の現状を考えれば、どことなくエルクの脳裏には時折道中に現れるゾンビ型やスライム型のモンスターに嫌な予感を重ねざるを得なかった。

日々積み重ねられる実験の果てに増え続ける『失敗作』の影。
プロディアスやインディゴスの地下下水路にも稀に腐敗したモンスターが現れることがあるが、所詮それは都市の汚物が引き寄せた力の弱いものだ。
だがしかし、地下通路を進んでいく中で現れる『廃棄物』たちは、そんなゴミ漁りにやってくるような連中とはまるで違う。

両手を大きく振り上げて襲いかかるゾンビ共。
ボロボロの衣服も纏わず、身体中は膿で爛れ、ほぼ完全に五体を保っているゾンビなど一体もいない。
それらを槍、炎、そして剣で振り払いながらエルク達は前に進む。

ただのモンスターだというのに、ただのゾンビだというのに。
キメラプロジェクトの果てに打ち捨てられた『元人間』かもしれないという予感が、じわりじわりとエルクの手先を蝕んでいく。
そして、その過程で浮かんでしまう一つの予感。確信。

「…………」

声に出して、仲間に聞いて。
そんなことが一体何の意味があるものか。
言葉を飲むようにして頭を振りながら、エルクはその苛立ちを襲いかかってくるモンスターへとぶつけていた。

全身を包帯で覆ったあの姿。
いくら攻撃を加えても瞬時に再生し、腕一本断ち切ったくらいでは意味も無い。
さらにはまるで召喚獣のようにその身に魔物を宿す異能。

――――おそらくは、そこらの魔物以上に。

それ以上の言葉を喉まで出しかかり、エルクは唇を強く噛んだ。
もはや否定できない現実に膝が折れそうになり、リーザの言葉を思い出しては再び強く一歩を踏み出す。
まだやり直せる。まだ救える。諦めてなるものか。

「炎の嵐よ! 全てを飲み込めっ!」

地下通路から研究施設に繋がる最後の区画。
上へと伸びる梯子を守るかのように群れを為す『間に合わなかった者たち』に向けて、エルクはただその不屈の炎を以って応えるのだった。





◆◆◆◆◆





駆け抜ける。ただひたすら記憶の叫びに従って廊下を駆け抜ける。
視界を流れていくその光景は、幾分エルクの記憶とはまるで視点が高すぎる。
五年前のあの時。あの白い部屋で共に遊んでいた子供の一人が見たことも無い様な化け物に変えられていたことを知ったあの時。
ミリルの手を引き、ただ息を切らせながら走った道を逆に行く。

研究区画ということでかそのまま魔物の形態でうろつくものをおらず、非戦闘員が集まるということで巡回兵らしきものも存在しない。
まるでこの広大な白い家に自分達以外の誰も存在しないような違和感。
ただ自分達の足音だけが遠く続く廊下に響いていく現状に、徐々にエルク達は罠の予感を感じ始めていた。

「今更だな」

しかしその可能性を一息吐いて切り捨てる。
シュウの言う通りもはやその懸念は切り捨てるべきものにすぎなかった。
左右に等間隔に並ぶ扉の向こうからも誰かが潜んでいる気配はなく、目的地である白い部屋に向かう過程で出くわす研究者すらいない。
誘われている。それこそがエルク達の前提であったはずだ。

「鬼が出るか、蛇が出るか」
「その程度で済めばいいんだけどね」
「つーかなげーよ、この廊下。合ってんのか、本当に」

走りっぱなしの現状に愚痴を零したジーンが胡散臭いものを見る様な眼でエルクを見れば、当人は迷いなく前方を見据えるだけだった。
ここまで来て過去の記憶があやふやでした、などといったことはあり得ないらしいが、それでもやはりうんざりせざるを得ない。
ふとジーンが後ろを振り返れば、パンディットに押されるようにしてリーザが息を切らせながら顔を歪めていた。

「エルク。ちょっと休憩」
「あ? 何で……」
「女の子には優しくするべきよね」

焦る気持ちは誰もが一緒で、その理由も分かっている。
だがしかしエルクは振りかえった先で膝に手を付くリーザを視界に収め、ばつが悪そうに頭を掻くだけで足を止めた。
一刻も早く。
しかしその一刻のために切り捨てるなど馬鹿な考えに過ぎないのだ。

「はぁ、けほっ……ご、ごめんね」
「いや、こっちこそすまん」

ぺたりと地べたに腰を下ろしてしまったリーザと眼を合わせる様にしゃがみ込んだエルクが頭を下げた。
その横では恨みがましそうな視線をエルクに向けるだけのパンディット。
さすがに自分達が焦ってしまう状況を理解しているのか、唸り声を上げる様な露骨すぎる敵意は向けていなかった。
魔狼パンディット。
ホルンの魔女としての力に呼応出来るその知能と意思は、そこらの魔物とは一線を画するものらしい。

「…………」
「シュウ?」
「B-2棟。042号室」
「?」

やがてシュウが廊下の途中に並ぶ扉をじっと見つめていることにシャンテが気付いた。
ぼそりと呟いた彼の言葉に首を傾げながらもシャンテもまたその視線を辿れば、扉の上部にはその入口を区別する部屋番号のようなプレート掛けられていた。
掛けられていた番号は『C-1-003』。
部屋番号ということはひょっとすれば研究施設というよりかは、研究員たちの住居区画などを予想させるものだった。

「……どう思う?」
「さあな。お前が彼を信じるかどうかだ、エルク」

クドーがシュウに伝えた言葉は一体何を意味するのか。
ただ一度の邂逅でついでのようにその言葉を漏らし、その後も別に念を押したようなことがなかった故に、それほど重要な言葉ではないのかもしれない。
それともただあの廃墟の街で偶然にも遭遇した瞬間こそが、その暗号めいた言葉を伝えるチャンスだったのか。

シュウがあの廃墟の街で行ったことはただ力比べにも似た戦闘を、ほんの少しだけ交わしたぐらい。
ただそれだけで血溜まりのクドーを推し量ることはいくら何でもシュウには不可能だ。
だが彼の心の深奥まで触れかけ、それを望みにここまで来たエルクならば。
考え込むようにその扉に掛かったプレートをじっと見つめ、やがてエルクは口を開いた。

「寄り道になるかもしんねーけど」
「別れて動くのは……愚策だな」
「行ってみよう」





◆◆◆◆◆





道中に見られる案内板のようなものを頼りに、クドーの指した場所を目指す。
その数字と英字の並びからすれば、おそらく先ほど見掛けた居住区の部屋番号を指すものであるというのは間違いない。
灰色のタイルと殺風景な白い壁がどこまでも続く居住区の廊下を走るが、あまりにどこまでも変わり映えしない光景に自分の現在位置があやふやになる。
魔物が造った研究施設ということでか、さすがに『飾り付ける』といった概念のものなど一つも存在しない。

そんなつまらない道中をクドーの言葉を探していけば、やがてエルク達はその言葉の指し示す場所へと辿り着いた。
C棟からB棟へ。

少しくらいは研究区画の方へ近づくかとも思えば、結局のところA~Cまでの区画はほぼ全てこの白い家に住み込む研究員やら戦闘員やらの個室だったらしい。
途中途中で覗き見たその部屋の全てに、エルクが昔見てしまったキメラ合成機械に似たタンクやコンピューターが設置されていた事実が、やけにあるべきはずの生活感を薄れさせる。
魔物でも人間の生活に近いことをするのかとも思い掛けたエルク達であったが、そのおぞましい機械を眼の前にしてしまえばその気まぐれな親近感も即座に消え失せる。

そんな部屋が続く区画を探索すれば、やがてエルクたちの探していた『B-2-042』のプレートが掛けられた部屋に辿り着いた。
等間隔で扉が並ぶこの区画にしてはやけに他の部屋よりも広い間隔を取られた、どこか特別な様子が窺える一室。
よく見てみれば他の部屋と違って入口の扉にはパスコード認証のようなモニターが表示されていた。

「此処、だよな?」
「クドーの言葉が本当だった、ってんならな」
「疑ってんのか? ジーン」
「勘弁してくれエルク。お前だって万が一の可能性はって思ってんだろ」

目的の扉を前にして、ジーンがエルクの咎めるような視線に首を振って答えた。
クドーに近づけるかもしれないという焦りからなる少しばかりの苛立ち。
エルクはすぐさまジーンに軽く謝罪の言葉を零すと、そのモニターへと顔を近づけた。

「これは……」
「クドーの言ってた『アークザラッド』ってパスワードじゃねーの?」
「アークって……前にハンターギルドで見たような」
「賞金額に0が六つあったわね」
「極悪人じゃねーか」

後ろでガヤガヤと騒ぐ連中を尻目にエルクはそのモニターに件のパスワードを入力すべく手を伸ばした。
そこでふと気が付く、モニターの中に表示された文字。
それは既にこの扉には鍵が掛けられていないUNLOCKの文字列であった。
ならばと特にパスワードを入力せずにそのモニターに触れれば、呆気なくその自動ドアは開いた。

「あれ? パスワードは?」
「いや、元々開いてたらしいな」
「…………クドーの奴、何考えてんだ?」

ジーンの最もな疑問に「さあな」と返せば、少しばかり警戒を強めながらエルクは仄暗い部屋の中へと足を踏み入れていった。
棚に幾重にも重ねられた書類の束、床に広がっている複数のコードを辿れば何やら高性能らしきパソコンとデスク、そして他の部屋と同じくキメラ調整機のようなタンク。
もしもこの部屋をクドーの部屋だと仮定すれば、ガルアーノの右腕ということで単純な戦闘行為以上に研究に携わることもあるのかもしれない。
ただの私室以上のものがこの部屋には散らばっていた。

「来たはいいが、何をすりゃいいんだ?」
「エルク、あれ」

クドーを信じて来てみたはいいものの、結局のところそれ以降のことをよく考えていなかったエルク。
確かに重要そうな書類やら何やらが散らばるこの部屋で見つける物も多いかもしれないが、片っぱしから探している暇は彼らにはない。
首を捻るようにしてエルクがもう一度周りを見回せば、その肩を叩きながらリーザが部屋にあるパソコンデスクの脇を指差していた。

「金庫?」
「さっきのモニターみたいなものもある。パスワードってそれじゃないかな?」

リーザの指差した通り、デスクの脇には真っ黒に彩られた金庫がパソコンから垂れ下がるコードの束に隠されるように置いてあった。
隠しているつもりなのか、それとも別にそういった意図などないのか。
どうにも曖昧なものであったが、その金庫以外にモニター入力できそうなものはない。
これでなければあとはパソコンの中身くらいしか調べるものはないのだろう。

部屋の中をいろいろと探しまわっていたシャンテやジーンもその金庫を囲むようにして集まり、それが開く様子を固唾を飲んで見守っていた。
ただシュウだけが、部屋の片隅に配置されたタンクをじっと眺めて動かない。
兎にも角にもあまりのんびりしていられるというわけでもなく、エルクは特にためらうことなく金庫のモニターにパスワードを入力した。

「おっ、正解みたいだな」
「……ファイル?」
「しかも……何書かれてのかわかんねーし」

何かしらクドーやミリルと繋がる手掛かりでもあるのかと期待してみれば、中から出てきたのは紙媒体の書類の束を綴じられたファイルだった。
しかもそこに書かれている内容はその場の誰にも解読できないような文字の羅列。
中にはグラフの様なものも散見され、どこか研究報告書のようであった。

「慎重すぎだろ……」
「まぁ、組織とかそういうモノなんざこんなもんだろ。それよりもクドーがこれをどうして俺らにってことだが」
「あら……?」

パスワードの入力を経て、中から出てきたのは暗号の羅列する理解不能なファイル。
まるで終わらない宝探しと化している現状にため息をついたジーンの横で、シャンテがとあることに気が付いた。

「エルク……ミリル、ジーン……で、こっちがクドーかしら?」
「お、こっちにはシャンテとシュウの名前も……ヴィルマー? なんで爺さんの名前が」

何一つ解読できない文字列が並んでいるはずだというのに、何故かエルク達に関わっている人物の名前だけが解読できる文字で書かれていた。
暗号化されている書類だというのに、およそ一番重要であるはずの人物名を暗号化するでもなく羅列される違和感。
まるでこれらの名前に聞き覚えのある人間に注意を向けるように仕組まれていた。

「クドーはこれを渡したかったってわけなの?」
「でも名前だけわかっても他の文字が全部意味不明なんだけど。紙切れだけ渡されてもなー」
「キメラプロジェクトに関係する書類だったらお前んとこの爺さんなら分かるんじゃねぇか?」
「どうだろ。爺さんは俺らの担当ってわけじゃないって言ってたじゃん。たまたまクドーが俺を爺さんに預けたくらいの関係だって」
「じゃあ何で同じ書類上に並んで名前があるんだ? そもそもシュウとシャンテなんかまるっきり関係ねぇし」
「知るかよ…………これ、クドーが書いたのか?」

疑問は尽きない。
エルク達にしてみればもう少し手掛かり的なものを期待していのだが、結局は余計な謎を抱え込んだだけ。
考えても考えても答えなど出るわけも無く、ただ一つの紙の束を眼の前にして唸るだけになってしまった。

「考えても仕方あるまい」
「シュウ」

ひんやりとした床に胡坐をかいて腕を組むエルクの後ろには、いつのまにかシュウが立っていた。

「ただ一つ言えるのは、この書類を奴はガルアーノにも秘密で俺達に託したということだろう」
「託した後のことを知りたいんだがな、俺は」
「知りたければ」

先に進むこと。
シュウの言葉を追うようにして、エルクが誰に言うでもなく呟いた。





◆◆◆◆◆





クドーの指し示した部屋にて書類を手に入れたエルク達。
気がかりになっていた案件を処理し、そして新たな謎を抱え込んでしまったが、ようやくにして彼らの目的は一つに固まった。
ただミリルとクドーを救うためにあの『白い部屋』から繋がる区画へと。

キメラプロジェクトによって拉致された者が集まるその区画に足を運ぶには、あのエルク達が一日の大半を過ごしていた白い部屋を通らなければならなかった。
元々実験材料として集められた子供たちが施設内を自由に行き来できるわけも無く。
まるで保育所の遊戯室のように造られたその白い部屋と、それぞれに宛がわれる保育室くらいが子供達の行き来出来る区画であった。

エルクはただ一度だけミリルとともに脱出した記憶に沿って、その道筋を辿っていく。
ぼやけていたその行程が輪郭を帯び始め、自分の記憶と寸分も間違っていないという確信がエルク達の足を逸らせる。
何かしらを運搬するベルトコンベアが立ち並ぶ搬出部屋。キメラ研究のデータを集める様な総合情報室。警備員が詰めているだろう警備室。

その全てを脇に見ながら、ただひたすらにエルク達は白い部屋を目指す。
そうして目的地に近づいていけば、やがてジーンすらもこの道行く光景に覚えがあることを認識し始めた。
どこか見覚えのある壮年の男性に抱えられ、この道を走り去っていく懐かしい感覚。
大切なものをこの地に残し、一人安全な地に向かうことに心を痛めたような、そんな記憶。

胸の鼓動が速くなる。
人の住んでいる雰囲気すら感じさせぬこの空気に、どこか懐かしさを感じてしまう。
置いてきてしまった大切なモノに、想いを馳せる。

「エルク」
「ああ」

勘だったのか、記憶にあるものだったのか。
長い長い廊下を駆け抜ければ、彼らの眼の前には大きな鉄の扉があった。
ただ子供のために用意された玩具の集まる遊戯室と、おぞましい研究を隔絶する大きな機械の扉。
白い部屋へと繋がる扉。

「ロックは……へっ、あるわけもねぇか」
「油断するなよ」

シュウの言葉に警戒を強め、エルクがその扉脇にあるスイッチへ手を伸ばし掛けた時、眼の前の扉はひとりでに開き始めた。
今まで研究施設として造られた機械作りの内装とはまるで違い、壁から床までを真っ白に塗りつぶされた純白の部屋。
多くの子供達を入れるためか、天井を見上げればインディゴスのアパート群を見上げるかのごとく高く、広さは都市部の公園を模したかように広い。
滑り台や砂場のような遊び場があり、絵本や積み木のような玩具の収められた区画があり、360度見回してみても、この部屋は子供のために造られた部屋だと理解出来る。
そしてその光景は、エルクとジーンの記憶と何一つ変わらぬ閉じられた世界だった。

――――そして。





「クドー」






まるで、この空間とは似合わない、全身に血の匂いを纏った包帯男。
その痛ましい身体を外套で隠し、その包帯に覆われた顔から覗き出る瞳は灰色に濡れ。
それでも、エルク達はこの白い部屋にいることも相まってか、その異形の奥に黒い髪を伴って共に遊んだ少年の姿を垣間見た。

求めて。
ここまで来た。

一つ、一つと部屋の中心にてエルク達を待ちうけていた彼の元へと足を進める。
やがてエルク達の後ろで入ってきた扉が音を立てて閉まり、もはや逃げ場などなくなったということを知らせる。
しかしそんなこと、エルク達にとってはもはや関係のないことだった。

「止まれ」

扉が閉まってしまったことに振り返るでもなく真正面に捉えるエルク達を制したのは、クドーの砂を噛んだようなしわがれた声だった。
エルク達と、クドー以外には誰もいない広い部屋に響き渡るその声。
無論、エルクはその声に足を止めた。

「誘われた、という立場であることは理解しているな?」
「関係ねぇ。俺は、お前らを連れて帰る」
「結構」

どこか機械的な響きを持ったクドーの問いに、エルクは迷うことなく応えた。
その震えることなき真っすぐな声に驚くことなく一歩、二歩後ろに退いたクドーがゆっくりと右手を上げた。
その手の先をエルク達が辿れば、その先にあった白い部屋上部のガラス窓の向こう側にガルアーノがいた。
こちら側全てをあざ笑うかのような笑みを浮かべ、後ろに何人かの研究員を従える諸悪の根源が。

『元気そうで何よりだよ。エルク』
「黙っていろ。クドーとミリルと助けたら、てめぇは灰も残らず燃やしてやる」

叫ぶことはない。
マイクを通して聞こえるガルアーノの尊大な言葉に、エルクは静かな怒りを見せた。
ぎちりと拳を握りしめ、避けられぬ戦闘の気配にすらりと腰に下げたソードを抜き放つ。
ジーン達もまたそれに連なるように構えて見せた。

『まあそう怒らないでくれ。今日はとっておきのゲストを呼んでいるのだからな』

ガルアーノ声に呼応して、クドーとエルク達の間に開けた床が部屋全体を揺らしながら開き始めていた。
真っ白の床の奥、鉄臭い匂いを漂わせながら真っ暗な空間から現れる鉄塊。
卵のような曲線を帯びた人間大の頭部、鉄の装甲で盛り上がった肩部とその後ろに備え付けられた巨大な砲台。
肩から伸びる大きな両手は、所々関節部に無数のコードを晒しながらも、それは人間らしいまっとうな『掌』を模している。

『拠点防衛型兵器・ガルムヘッド。まぁ、結局は不良品であり重要なものではないのだが』
「はっ。こんな鉄くずがゲストなんて笑わせるぜ」
『クククッ。だと思って、少し趣向を凝らしてみたのだよ』

勇み、鼻で笑って見せたエルクに、ガルアーノはマイク越しに指を鳴らしてみせた。
ガルムヘッドの頭部から蒸気が上がり、その灰色の装甲が徐々に開き始めれば、その奥に鎮座しているのは一つのタンク。
水色のガラスに遮られた向こう側では、一人の少女が眠る様に瞳を閉じていた。

「ガルアーノ……お前……まさか」
『感動の再会だな? エルク』

もはやガルアーノの声すらエルクには届いていない。
眼を伏せたまま肩を怒りに震わせ、部屋中に木霊するガルアーノの下卑た笑い声にしばし唇を噛む。
しかし、もう一度その顔を上げた時、其処には悲壮感など欠片さえ存在しなかった。

「王子の前に眠り姫をわざわざ寄こすなんて馬鹿な奴だなぁ」
「クドーにミリル。手っ取り早くて丁度いいわ」
「ふん。三流が」
「エルク。やろう」

誰ひとり。

「ミリル、クドー。今行く」

起動音のようなものを響かせ、ゆっくりとその鉄塊が顔を擡げた。
徐々にその機械仕掛けの上半身を躍動させ、けたたましい警報を鳴らしながら頭部に備え付けられた双眸を赤く光らせる。

「侵入者ハ排除スル」

響いた声は無機質な電子音。
しかしそのあまりにも巨大な兵器を前にして、エルクが臆する理由は何一つ存在しなかった。

「来やがれっ!!」

剣を振るい、吼える。
長い戦いが幕を開けた。






[22833] ニ十一
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/20 17:58





「威勢はいいが」
「……させんッ!」

ミリルの眠る棺桶と化している鉄塊に向け武器を構えたエルク達の背後、ガルムヘッドの機械的な咆哮に紛れる様にしてクドーが周りこんでいた。
影に、闇に隠れる様にして放たれた凶刃。
しかしクドーが狙い、振り上げられた二刀は即座に反応していたシュウの手甲によって甲高い金属音を鳴らして遮られた。

「ふん。甘くはないか」
「エルク! そちらは任せるぞ」
「くっ……ああ!」

クドーの言葉に応えることなく、シュウは背後で奇襲に眼を開かせていたエルク達に役を課した。
クドーを救うにしてもミリルを救うにしても、今は兎に角あの鉄くずが邪魔だった。
同時にシュウに課せられるのは一人受け持つクドーの相手。
倒してはならない救うべき者。

「チィッ……」

ギャリギャリと削るような音を立てるナイフと手甲。
どこかデジャヴにも似たこの光景に、シュウの脳裏に浮かんだのは廃墟の街で行った戦闘とも言えない両者の激突だった。
しかし今彼の眼の前で刃を突きたてるクドーの動きは、過去のものとはまるで違う。
突き合わせていた二刀の内の一刀からバランスを崩す様にして力を抜き、シュウの身体を一瞬揺るがせてみれば、驚くべき速さでクドーは残った刃で切りつけてきた。

もはや手加減というものなど一つもない。
一撃一撃に必殺の意思が込められ、過去に相対していた時の違和感が欠片も存在しない。
クドーとは親友でもまして知り合いですらなかったシュウが、唯一、クドーが自分達に味方していると考えるに値する事実が消え失せた。

「やはりっ……」
「不要な考えだ。シュウ」

速さを増し、狂気を乗せてやってくる刃に苦悶の表情を浮かべながらそれらを掻い潜るシュウ。
あの時見せたクドーの実力は本当の物ではないと正しく理解しておきながらも、これほどまでに動ける輩だとは思いもよらなかった。
キメラだという事実を差し引いてみても、シュウの眼に映るクドーの力は苛烈を過ぎてどこか狂気的なものまで見えていた。

袈裟斬りに繰り出したクドーのナイフに自らの拳を合わせ跳ね上げる。
その反撃によって隙だらけになったクドーに回し蹴りを繰り出せば、そのシュウの足が顔に近づく寸前で彼がにたりと笑う。
クドーが選んだのは防御でも回避でもなく、攻撃。
迫りくるシュウの蹴りなどお構いなしと言わんばかりに強引に手に持ったナイフをシュウに向かって投げつけた。

「ガァッ!」

痛みに声を漏らしたのはどちらか。
鈍い打撃音が響き、跳ね飛ばされるようにして宙に舞ったクドーは顔に張り付いていた包帯を靡かせながら受け身を取る。
それに対し万全の状態で攻撃したはずのシュウの肩口に深々とクドーの真っ黒なナイフが突き刺さり、シュウの黒装束に赤黒い染みを広げていた。

蹴られた衝撃で少しだけ歪み、巻かれていた包帯に視界を遮られながら犬歯を剥き出しにして笑うクドー。
それを見やるシュウの視線には、ナイフによる痛みで少々苦痛に歪みながらも、どこか先ほどまで持っていた甘さが消えかけていた。
不死という能力を活かし、『相討ち』などという馬鹿げた戦法で襲いかかる一体のキメラ。

そう、もはやキメラ。
クドーの行動にはこちらを生かそうだとか、助けようだとかそういった狙いは何一つ見られない。
廃墟の街、ガルアーノ屋敷と会った時に見せた知性の欠片も、何かを企む様な匂いすら感じさせない。
ここまでくればもはやシュウの頭に相手を助けるなどというたわけた考えは浮かばない。
しかし。

「俺は、お前を殺さない」
「何を馬鹿な。あの名高きハンターシュウといえども、所詮は人か」
「そうだ。人だ」

互いに傷を負い、少し離れた所で轟音を響かせるエルク達とガルムヘッドの戦いを耳にしながら言葉を交わす。
部屋全体を揺らすほどの音に包まれながらも、寡黙な男と狂気の男は向かい合った。
言葉という物を扱うには、あまりに似つかわしくない二人。
ただ、シュウの瞳には冷酷なものだけではない。

「人はやり直せるものだと知っている」
「何を」
「血に塗れ、硝煙の匂いを漂わせ、その身に狂気を宿していても」
「…………」

肩の傷口を抑えつけていた血で真っ赤に染まった右手に拳を作り、構えを取る。
どこか悟ったようなものを感じさせるシュウの静かな声が、クドーにただ沈黙を促した。
徒手空拳の構え。
銃器などという相手を攻撃する為の武器は一切使わず、迫りくる刃全てを受け止める覚悟がその構え。
そして息を合わせたように二人は真っ向からぶつかった。

爆音、破砕音が響く部屋の中で静かに響く手甲とナイフのぶつかる音。
戦いの傾向が似通っているのか、身軽さを活かしての高速戦闘や手数による連打の戦いは接近戦と間合いを取る行動を繰り返しながら続いていく。
そしてその過程の中で再確認していくシュウのクドーに対する認識。

果たして血溜まりという所以は一体どこから来たのだろうか。
この戦い方の様に相討ちを狙って両者共に傷を負い続けるのならば、成程、それはこの床一面に血をぶちまける要因にはなり得る。
しかしプロディアスやインディゴスの街でクドーが手を掛けた人間の死に様はそのようなものではなかった。

まるで体内に仕掛けた爆弾を起動させたように四肢が飛散したあの殺し方。
およそ今クドーが使っている小さな刃物では、例えそれを以って切断したとしてもあのような殺し方にはならない。
だがしかし、シュウにはあの殺し方に覚えがあったことを思い出していた。

「クドー」
「何だ」

戦いをしているというのに、拳と刃を突き合わせているというのに、互いの言葉は緩やかでそっけない。
それが出来るくらいには双方共に血みどろの戦いに慣れていた。
そう、二人は、その戦闘方法から雰囲気までが似ている。

「風か」
「何がだ」

言うが早いか、それこそニンジャが行う様な印をシュウが胸の前で結び始めた。
それにすぐさま気付き、自らも口元から呪を結ぶクドー。
そんな溜めの時間は一秒か、二秒か。
双方の目前には風の刃が舞い上がり、風切音を鳴らしながら互いの術とぶつかった。

「やはりな」
「…………」
「未だケツの青さが取れんガキの頃。そんな殺し方をしていた」
「何だと?」
「お互い、魔の才はないらしい」

シュウの言葉の通り、互いに放った風はそれこそ魔法として成立しつつも、同じ風系統の魔法を使うジーンからすればあまりにお粗末な出来だった。
掠り傷つけば御の字というレベルで放たれた風の刃は、ぶつかった先に広がる床にすら傷を負わせない。
それそのものを攻撃手段とするにはあまりに貧弱すぎた。

「相手の体内から風圧で四肢を吹き飛ばす。接近して魔法を仕込む時間さえあれば一撃で仕留められる。そうしなければ仕留められないという前提があるからこそだが」
「…………先達者がいたか」
「そんな非効率なものより時限爆弾の方がいくらか楽ではあるがな」

相殺され、クドーの外套とシュウの真っ赤なマフラーを靡かせるほどに弱まった魔法を受け、再び双方は接近戦に戻っていく。
ただ先ほどまでとは違うところを挙げるとするならば、クドーの刃が鈍り、シュウの拳には迷いなきはっきりとしたものが浮かんでいる。
当人達でしか知り得ぬ、しかしそれははっきりとした変化だった。

「やはり手加減をしている」
「…………」

それはシュウの確信だった。
クドーの操るナイフも、そしてその動きも傍から見えるものはどれも『全力』そのものであれ、効率を突き詰めるならあまりにお粗末だ。
しかも彼の放った風はシュウのそれとは違い、どこか邪悪なものを含んだ闇の魔法。
毒か、石化か、それとも睡魔か。何にしてもクドーの操る魔法はただ風ではない、身体に状態変化を来す魔法だった。

そして、彼はそれを使わない。
奇襲を行うというのなら、本当にこちらを仕留めたいというのならば、そんなチャチなナイフよりもそちらの絡め手の方がより有効である。
さらにこちら側が多人数であれば――――。

シュウの長年の経験に渡る知識と、徐々に明らかになるクドーの動きの違和感から答えを探し当てていく。
エルク達の望む友との想いによるものではなく、その場の状況から『クドーが未だこちら側にいる』という事実を浮かびあがらせていく。

「ガルアーノが狙うのはエルクか、それともジーンか。いや、始まりこそリーザだったか」
「…………」
「奴の下卑た欲望の中に俺もシャンテも含まれてはいない」

拳を交わしながら、絶え間なく動きながらシュウの言葉は止まるところを知らない。
本来のシュウと言う男を知る者からすれば、お喋りとも言える無用な行いに終始する姿はあまりに似つかわしくない。
ただ言葉など要らず、行動で示すのがシュウという男だった。

「ガルアーノの屋敷。廃墟の街。そのどちらでもお前はシャンテか俺を間引くことができたはずだ」
「ガルアーノ様が貴様らの絶望を見たいと仰っただけだ」
「にしてはガルアーノが俺やシャンテを見ることはない」
「…………」

シュウの言葉に反論する声をクドーは持ち合わせていなかった。
暴論を並べ立てる者へ呆れから来る沈黙ではなく、真実へと順調に近づく輩に出来るものはそれしかないのだから。
ただクドーは眉を顰め、刃を以って応えるだけだった。

「俺がお前を信じることはない」
「…………」
「エルクの想いに従うだけだ」

その言葉に違いはあったのか。
シュウの行動に迷いなど無く、その動きはただ時間を稼ぐためだけのものと化している。
ただクドーの攻撃を受け続け、こちらからはまるで攻撃を仕掛けようとはしないシュウが、その無表情だった鉄仮面の上でほんの一瞬だけ笑みを浮かべた。

もはやそこに敵に対する時の非情な男の姿などどこにもなく。
シュウがクドーの望み全てを見透かしていることなどあり得ない。
だがしかし、既にシュウはクドーを敵としては認識していない。
そしてそれ以上に問いかけ、クドーを揺さぶってみてもただ沈黙が返ってくるだけだろうと理解していた。

故にシュウは、エルクの想いに。
クドーを信じるという想いに順じるのだ。





◆◆◆◆◆





「風よ! 全てを遮る盾となれっ!」

ガルムヘッドがエルク達に向けて差し出した掌から銃口が覗き、数えきれぬほどの銃弾が放たれた時、ジーンの魔法によって造られた風の壁がその銃弾の勢いを削ぎ落していく。
ガルムヘッドという兵器がたかだか数人を相手にするには、その全ての攻撃は一発一発が致命傷である。
人を相手にするよりも同等の規模の兵器を相手にすることを前提に設計されているガルムヘッドに、エルクは脅威的なものを感じざるを得なかった。

しかしそれに故に動きは鈍重。速さを以って相対すればどこかに隙は見つかるはず。
ガルムヘッドの背部に見える大口径の大砲や、どこか広域兵器のようなものを感じさせるその見てくれに、エルク達が取ったのは即座に散開することだった。
鈍重であればこそ四方からかき乱すことが一番有効であるのは当然。
痛烈なガトリング銃の対応も、リーザ、シャンテ、そしてエルク自身ともにそれぞれが有した魔法の盾によって可能であった。

「しっかしエルクさんよぉ! 手を出すにはミリルをまず助けださねーと」
「分かってる! まずは手とか砲台とかぶった切っていきゃなんとかなるだろ」
「…………誰がやるのよ」

動きこそ緩慢であるものの、一度振り下ろされれば部屋が揺らぎ煙を巻き上げる鉄の拳を避けながらシャンテは呆れたように呟いた。
誰も彼も余裕を見せつつも、一度当たれば五体満足で居られそうもない破壊力を見せつけられ冷や汗を浮かべる。
特攻染みた攻撃の果てに人間よりも大きな拳にクロスカウンターをくらうのは誰であれ御免であった。

「パンディットッ!」

地面に埋もれるほどに拳をめり込ませたガルムヘッドの腕に、リーザの指示によってパンディットの口から吐かれた冷気が降りかかる。
青白い靄は即座にガルムヘッドの拳を覆うが、表面上は凍らせた様子を見せつつもガルムヘッドがその拳を開閉させればすぐにその氷は剥がれ落ちてしまう。
グルルとその結果に唸り声を鳴らしたパンディットにガルムヘッドは銃弾を見舞わせるため、その手の銃口を向けた。

「させない!」

リーザは叫ぶとともに両手を人工物であるはずの床へと叩きつけた。
奔る魔力。
パンディットに襲いかかる多数の弾丸を遮ったのは、地面から盛り上がる様に突起した黄土色の大地であった。
グランドシールド。大地の加護によって対象を守るリーザの魔法は室内でも健在らしい。

『もっと踊ってくれたまえ。ミリルもお前と会えて嬉しいのかもしれんな』
「何? ……どういうことだ」
『ガルムヘッドを動かしているのは他でもないミリルなのだよ。彼女の力によってその兵器は動かされているにすぎん』

轟音鳴り響く戦闘の中、唐突に天井のスピーカーから降ってきたガルアーノの声に、エルクは視線をガラス窓の向こう側にさえ向けず、耳だけで聞いた。

『確かにガルムヘッドは未だ完成形に満たぬ兵器であるが、ミリルの力を用いることによってそれだけの反応を見せている』
「てめぇッ……」
『ともすれば……ミリルの意思がその動きに反映されているのかもしれんなぁ、エルク』

キメラ改造などという見た目さえ変えてしまう実験に使われなかったとはいえ、ミリルをまるで機械の部品のように扱うガルアーノの所業にエルクは歯を食いしばることで耐えた。
いますぐあの男を屠ってやりたい。
全ての悲しみの連鎖を生みだしたあの男を打ち倒してやりたい。

しかしその燃え上がるような瞳をガルアーノに向けるには、眼の前で拳を振り上げる鉄の棺桶は、ミリルを救うという目的にとってもあまりに邪魔なものであった。
その兵器故の脅威よりも、ミリルをコアにし叩きようによっては彼女にまで被害が及ぶという事実がエルク達の手を鈍らせる。
動きを止めようにも生半可な手段ではまるで意味がないのだ。

――――ミリルが俺たちに敵意を向ける。

そんなはずはないと叫ぼうと口を開き、エルクは舌打ち一つ打つだけで顔を歪めた。
もしもミリルが自分達に敵意を、恨みを抱いているのならば、それは否定できないものなのかもしれないという考えがエルクの脳裏を過る。
ふとシュウの方をちらりと見ればクドーは手加減などと言う陰りなど欠片も見せず、シュウに猛攻の限りを尽くしていた。

――――俺は、二人を、見捨てた。

数ある理由を述べてそれを否定するには、あまりにエルクは優し過ぎた。
ならばミリルが自分達を襲う理由も分からなくはない。
だとするのならば、自分達はどうするのか。
このままミリルの、クドーの殺意に従い首を差し出すのか。

「そんなことないっ!!」

幼さが残り透き通ったような声が叫ばれた。
度重なるガルムヘッドの攻撃によって土埃が舞い、その合間より姿を覗かせるリーザがガルムヘッドを前にして立っていた。
前に出るべきではない少女が、震える足を抑え叫んでいた。

「ミリルさんっ! 聞こえますか!」

リーザの声にガルムヘッドは胸部に見える緑色の部分を点滅させて応える
話すことなどないと機械という存在にとって何一つ間違いのない対応。
徐々にその胸部前の空間が歪み始め、空間さえねじ曲がって見えるような熱量が収束し始める。
殲滅兵器『ツォルンブリッツ』。
未だ絞り出す様にして叫ぶリーザに向けて、あまりにも無慈悲な一撃が放たれた。

「リーザッ!?」

シャンテの声はガルムヘッドが放った大口径のレーザー砲によって掻き消された。
耳の奥が掻き回されるような轟音を上げ、その発射された後に残ったのは部屋の地下まで貫通した真っ黒な傷跡。
ツォルンブリッツが発射された跡にはそれだけが残されていた。

「あっぶねっ……無茶すんなよ。リーザ」
「ご、ごめん」

白煙の中、ガルムヘッドの裏に周る様にしてリーザを腰に抱えたジーンが冷や汗を額に浮かべていた。
無事に助け出すことには成功していたらしいが、よく見ればジーンの銀色の長髪の一部が焼け焦げている。
どうやら間一髪だったらしい。

そんな二人の光景に一つ安堵の息を吐き、再びエルクはその視線をガルムヘッドの頭部――その先で眠るミリルへと向ける。
ミリルが自分を憎んでいるかもしれない。自分は逃げ出した卑怯者なのかもしれない。逃げ出した時に誓った想いを忘れた罪があるのかもしれない。
しかしそんなことはどうだって構わないのだ。
今、生きて、ここに集う事が出来た。

「ミリルッ! 聞こえるか! 俺だ、エルクだ!」

声を大にして叫ぶ。
返ってきたのはエルクの背丈以上もの大きさを誇る鉄拳。
当たる義理など無く、当たってやれる弱さなど無く。
ひらりとそれを避ければ、エルクは再び口を開く。

「俺たちが望んだのはこんなことじゃないっ! お前が願ったのはこんな結末じゃない!」

人目など憚らず、部屋の上部で邪悪な笑みを浮かべるガルアーノの視線など気に留めず、叫ぶ。
人の声などすぐに小さくなってしまう戦闘の中でも、エルクの言葉は、声は、確かに届いていた。
それでも止まらぬガルムヘッドの攻撃。
しかし無防備を晒すエルクへの銃弾は風の盾によって阻まれた。

「へへへ。エルク。言ってやれよ。俺達のお姫様に言ってやれっ!!」

戦闘の場には相応しくない、ジーンの清々しい笑顔がエルクの心を押していく。
もう少し、あと少し。
ギチギチと鉄の擦れるような音を出しながら動くガルムヘッドが、しばし揺らいだ。

「記憶をなくし、誓いを忘れ、迷い、それでも俺はここに来た」

誰もエルクの言葉を咎めはしない。
シャンテも、リーザも、ジーンも、その誰もがエルクの言葉に胸を張っていた。

「まだ間に合うと言ってくれるなら、まだ手を繋げると言ってくれるなら、ミリルッ! 眼を覚ましてくれ!」

剣もいらない。
炎もいらない。
ただこの心だけが通じてくれれば――――。

「ミリルッ! 俺は、お前を、助けに来たんだっ!!」

響き渡るエルクの声。
鉄塊と炎の子が相対するその間。
誰かの声が聞こえた気がした。

それは希望を望む都合のいい幻聴か。
それとも度重なる金切り声に紛れた少女の声か。
ただ一つ分かっているのは、ガルムヘッドの動きがピクリとも動かなくなったという事。
それを眼の前にして、ジーンとエルクは示し合わせたかのように剣を振り上げ、ガルムヘッドの頭部へと跳び付いた。

「援護するわよぉ……凍てつけっ!」

援護する為に詠唱へと入ったシャンテの周りに、人の丈もある氷の槍が次々に具現する。
シャンテの踊る様に振るわれる腕に従うように空間を走り、勢いよくガルムヘッドへと降り注ぐ氷結魔法『ダイヤモンドダスト』。
その氷の群れはシャンテの狙い通りに、装甲が薄く、赤白のコードを晒す関節の隙間へと吸い込まれていった。

「お願い! パンディット!」

氷の槍を杭のようにして地面に打ち付け、動けなくなったガルムヘッドをさらにパンディットの吐いた冷気が襲う。
今度こそはとひと際大きな咆哮を以って吐かれたコールドブレスは、ガルムヘッドの胸部までを瞬く間に青白い氷の塊へと変えていく。
もはや指一本まで動かせなくなったガルムヘッドの頭部では、エルクとジーンがほぼ同時に鉄の頭部へと剣を振り下ろしていた。

「「うおおおおおおっ!!」

気合一閃。
共に砕け散らんばかりの力を以って叩きつけられた剣によって、やがてミリルの眠るカプセルを守っていた装甲に罅が入り始めた。
まるで獣のように低く唸った様な音がガルムヘッドの口部から漏れ始め、それと同時にボロボロと鉄の仮面が零れ落ちていく。
エルクとジーンはすぐさまその先のカプセルを強引に開き、そこで眠る入院服のような衣服に身を包んだ少女を眼に映した。

リーザと同じく金糸のような髪を腰辺りまで伸ばし、その眼をつぶった顔はどこまでも戦闘の気配とは似つかわしくない穏やかな表情を見せる。
しかし長くガルムヘッドのコアとされていたのか、どことなくぐったりとした様子を感じさせる有様はエルクを焦らせた。
すぐさまミリルを抱き寄せ、ジーンと共にガルムヘッドから飛び下りれば、もはや収めるものを失くしたはずの鉄の棺桶がギシギシと上半身を震えさせていた。

「こいつ……」

宿主を失くしたガルムヘッドが、あるべきコアを取り戻す様にして氷漬けの手をエルクに、ミリルに伸ばす。
もはや兵器としてはほぼ完全に破壊されている状態でありながらも、未だガルムヘッドにその機能を停止させる気配は感じられない。
やがてエルクが右手に抱いたミリルをジーンに預けると、徐にその両手をガルムヘッドに向けた。

「もう、ミリルを縛るものはいらない」

エルクが呟くと共に膨大な魔力がエルクの周りに渦を巻き、意思を持ったようにしてとぐろを巻いていく。
そのあまりの力に唖然としながら見つめてくるジーンを尻目に、エルクはその魔力の渦を両手に集め、一気に解放した。

「怒りの炎よ……敵を薙ぎ払えっ!」

崩壊しかけた白い部屋が、瞬く間に紅に染まる。
まるで太陽かと見紛うばかりの光がガルムヘッドを中心に広がり、やがて全てを吹き飛ばすほどの力が爆炎を以ってガルムヘッドを包み込んだ。
その力は一瞬。
眩いばかりの光と巻き起る風が止んだ時、ガルムヘッドがあった場所には何一つ、灰すら残ってはいなかった。





◆◆◆◆◆





遠く、見つめる。
シュウと拳を合わせ、すでに見切られた時間稼ぎを行う事数分。
エルクの叫びに頬が緩んでしまう感情に耐え続け、その有様を見守る。

見守る。

あれだけの言葉を吐けば、ミリルは俺の声に応えてくれたのだろうか。
ミリルが瞳を閉じるより前。
閉じたはずの心に光を灯すほどの約束を結べば、ミリルはその眼を覚ましてくれたのだろうか。

――――何が、違う。

こちらまで及ぶほどの爆風に外套をはためかせ、シュウとの戦闘を中断せざるを得ないほどの光景を眼にし、しばし立ち尽くす。
シュウは、勿論無防備なはずの俺に攻撃は仕掛けてこない。
そもそもここまで来れば何をしようがガルアーノには興味を持たれないだろう。

ガルムヘッドを塵一つ残さず消し去り、助け出されたミリルを囲むようにして集まるエルク達を見下ろすガルアーノを――――見やる。
マイクを切ってあるのか、肩を揺らし、狂ったように笑う男がそこにいた。
望みに望んだ玩具に、狂笑するガルアーノ。
全てはシナリオ通りであった。

――――ガルアーノのシナリオでもあり、そして俺の望んだシナリオの。

やがてシュウが本当に何もしてこない俺の様子に奇妙なものを感じたらしい。
構えていた腕を下ろし、油断なき瞳を細くして俺を見やる。
俺はただ、シュウに対して短く言葉を投げ掛けた。

「行け」
「何?」
「…………彼らの元へ行け」

俺が彼らを攻撃しないということを見切っているシュウからすれば、俺の言葉に対する迷いはほん一瞬で十分だった。
見切れるかどうかという程の影を残し、すぐさまエルクの元へと駆け寄るシュウ。
それを追うようにしてエルク達の方を見れば、どうやらミリルが意識を取り戻したらしく、ジーンとエルクが何やら声を上げていた。

――――そうか。意識が戻ったのか。

血溜まりのクドーとして生き、幾度も願っては実現し得なかった状況に、心が歪む。
しかしそれも今更な話だ。
ガルアーノが言っていた嫉妬染みた感情など折り合いは付けているし、何してもミリルが眼を覚ましてくれたのは嬉しい。

むしろこれからが全て。
そしてこれが最後。
俺は外套に隠していたトランシーバーにも似た機械に話しかけた。

「ガルアーノ様」
『ハハハハハハッ!! 見ろ、全てが、全てが儂の手の上だ!』

マイクの向こう側で狂乱するガルアーノ。
まぁ、確かにガルムヘッドを一撃で葬ったエルクの力を見れば、ミリルの力も推して計れるというもの。
そうでなくてもジーンや、ともすればシュウやシャンテといった戦力さえもガルアーノの手札に加えられるのだ。

「ご命令を」
『クッ……クククッ。ああ、クドー。貴様の望んだ結末だ』
「では」
『ミリルの中に渦巻くキメラエネルギーを解放させ、こちらの制御化におく。戦闘が始まればすぐさま貴様はミリルと協力し、エルク達を無力化しろ』

始まる。

『といってもミリルの強化もまだ実験段階だ。手綱は貴様が取れ』
「御意」
『締めくくりに失敗など犯すなよ? クドー』

マイクのスイッチを切り、一歩、一歩、エルク達の元へと近づいていく。
やがて俺に気付いたエルク達が一人一人と俺に視線を向けてくる。

敵ではない。
彼が、彼女が、英雄たちが向ける瞳に敵意はない。
俺達の間に、既に憎しみ合うものなど何一つ存在しない。

このまま俺が頭の一つでも下げて、エルクの服にしっかりとしがみついたミリルと共に笑い合えば、最高の終わりが待っている。
しかしそれは叶わない。叶えるためには、もう一度だけ俺は、彼らに刃を向ける。
それでもミリルが偽りとはいえエルクの腕の中にいるという事実に顔が綻んでしまう。
よく見れば意識を覚醒し始めているらしいミリルが身を捩りながらも小さく小さく声を漏らしていた。

零れてしまう笑みを隠す様にして手で顔を覆う。
そして瞳を閉じてみれば、今までの経験全てがまるで走馬灯のように脳裏を駆け廻っていく。
そのどれもが血生臭いものであったのが残念だが――――。

『諸君ッ。貴様らは本当によくやってくれた!』

もはや三下風情の声など遠く、俺の耳には届かない。
さっさと始めてしまおう。





あるべき世界を。

物語の結末を。

全ての運命を。





――――――捩じ伏せてやる。








[22833] ニ十ニ
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/23 18:09




「え」

ガルアーノの意味不明な言葉を聞き、その狂い嗤う様子に呆けていたエルクの口から乾いた声が漏れた。
部屋の上部、ガラス窓の向こう側に向け見上げていた視線をゆっくりと下ろす。
自らの胸元に眠るミリルをしっかりと確認し、長く伸びた金の髪に隠れて見えない彼女の顔に不安を覚えつつも、ようやくにしてエルクの意識は彼女ではなく自分の身体へと届いた。

唐突に腹部に走る激痛に気付き、ミリルを抱いていたはずの右手からどんどん力が抜けていく。
震える左手で唐草色の外套の下を弄れば、あるはずのない水気がその左手を濡らす。
どろりと纏わり付くような、赤いモノ。
やがてその赤に隠れた透明な何かに視線を落とし辿れば、それはミリルがそっとエルクの下腹部に当てた手から出た氷の刃だった。

「ミ、リル…………?」
「……ふふふ」

茫然と彼女の名を呼んだエルクの耳に、あまりにその人と似つかわしくない邪悪な声が遠く聞こえる。
もはや意識すらおぼろげで、救ったはずのミリルの表情さえぼやけて見える。
ただそんな中、自分と同じくシュウやジーンまでもが息を飲んでいる様子を感じ取れたのが、これは夢ではないのだと認識させた。

やがて薄れていく意識。
エルクが身体を支える力さえなくその身を地面に横たえた時、手から自分の流した血を滴らせて見下ろすミリルの顔が一瞬はっきりとした輪郭を帯びた。
人形のような可憐さをそのままに、少しだけ大人びた陰りを見せる顔。
三日月を描き、本当に心の底から嬉々とした感情を見せている様な口元。
そして……嫌悪感を抱かせるほどに濁ったサファイアの瞳。

「フフ……あははははははは!!」

それはエルクの望んだ音色ではなかった。
共に笑えることを目指し、今この手にミリルを抱いていたはずだったのに、その彼女の口から漏れる嗤い声は、エルクの望んだものではなかった。
部屋中に響き渡るミリルの狂笑と、その中に混じって響くガルアーノの者が同じ物だと理解した時、エルクは絶望のままにその瞳をゆっくりと閉じていった。

「エ、エルク…………エルクッ!」

即座にこの混乱した状況に声を上げたのはリーザだった。
うつ伏せに伏したままピクリとも動かなくなったエルクに駆け寄りその身を抱き起こせば、既にエルクの倒れた床には血の跡がべったりとこびりついていた。
リーザの表情から血の気が失せ、それでも、パニックに陥りながらも治癒魔法を唱えようとエルクの腹に手を翳す。

「おおおおおッ!」

すればそんな様を見下ろして嗤うミリルにシュウが咆哮と共に回し蹴りを放つ。
今の今まで繰り返したような蹴りとはまるで違う、とても人間の身体とは思えない唸りを上げて空を切るその蹴りは、残像すら残さない。
しかしその大樹さえへし折ってしまいそうな蹴りは、ミリルの前面で見えない壁に阻まれたかのように止まった。
眼を凝らしてみれば見える、氷の壁。
シュウの蹴りもまた人外染みた威力を以って放たれたものであるが、それは氷の壁の中ほどまで足をめり込ませただけで止まっていた。

「エルクがっ、エルクが!」
「落ち着きなさい! 急所には入っていないわっ」

ただエルクの名を叫び、矢鱈目ったら治癒魔法をかけようとするリーザを叱咤するかのようにシャンテが声を上げる。
しかしシャンテもまた最悪の状況に陥った状況から表情に余裕など残らず、エルクの腰にぶら下げたポシェットから医薬品を引っ張り出していた。
そして、そんなそれぞれの様子を茫然と見つめたまま立ち尽くすジーン。

「…………」

彼の視界に広がる光景は、まるで予想だにしなかったものであった。
ミリルを助けて、そして次にクドーを。
次だけが彼には見えていたはずだった。
忌々しいガルアーノの声を聞きながらミリルを縛る鉄塊を叩き伏せ、そして次は、クドーの、親友の。

茫然と口を半開きにし、瞳に灰色を混ぜながらそのクドーを見やる。
ジーンの視界に映る彼は、ただ腕を組んだままこちらの状況を無表情で眺め、やがてその隣には計画通りと言わんばかりにシュウの攻撃を受け止めたミリルが立つ。
そこでようやくミリルの表情を見れば、その美貌には不自然なほどちぐはぐな印象を受ける邪悪な笑みが浮かんでいた。

ジーンの頭で、心の中で急加速する混乱。
何が起こった。何故こうなった。どこで、間違えた。
やがて音すら無くなってしまった中で唐突にジーンの耳に届いたのは、マイクから流されるガルアーノの声だった。

『ハハハハッ! 傑作だ……これを喜劇と呼ばずに何と言う!?』

瞬間、ジーンの視界が真っ白に染まり、気付けば練ったことも無い様な強大な魔力をその手に具現させていた。
美女と見紛うばかりのジーンの表情がどす黒い怒りで塗りつぶされ、一挙手一投足が限界を振り切ったように狂い奔る。
薙ぎ払うかのようにしてその魔力の籠った右腕をガルアーノへ振るえば、軋んだ音を響かせながら一閃のかまいたちが一直線に飛んでいく。

「うおおおおおおあああああッッ!!!」

叫びにならぬ叫びだった。
ただジーンが理解出来たのは、ガルアーノに向ける純粋な怒り、憎しみ。
それに従うようにして爆発した彼の力は、それこそ先ほど見せたエルクの力に抗するほどに巨大なものであった。
しかし彼の刃は届かない。
轟音を上げ、白煙に塗れたガルアーノを守る強化ガラスは、それでも傷一つ付かないものであった。

『ほぅ……孤島でぬるま湯のまま生きてきた素材と言えど、やはり風使いのジーンか。安心しろ、貴様もエルクともどもキメラとして使ってやろう』
「テメェはっ…………テメェだけはああああ!!」

もう一度腕を振るう。
しかしその都度巻き起るかまいたちもガルアーノに届くものではなかった。
次第に息が切れ、それでも憤怒の表情を緩めないジーン。
銀髪を振り乱しながら悪鬼のごとく怒り狂う彼ではあったが、それは救いを閉じられたことに絶望したジーンの最後の手段であった。
エルクが沈み、ミリルが嗤うその中で、ただ唯一ジーンが縋れる感情であった。

「ジーン」

ふと、どこまでも通るような凛とした少女の声が響いた。
残酷なことに、声だけはジーンの記憶にあるそれと似通っていた。
成長してもなお、声の奥にある優しげな響き。そして尚も意思の強さを感じさせる透き通った声。
ゆっくり、ゆっくりとジーンが声のした方を振り向けばそこにはミリルがいた。

「ジーン」
「……ち、違う」
「ジーン? 私だよ? ほら」
「あ、ああ……」

優しい。
それなのに、ミリルは氷の刃を右手に携えながら嗤っている。
望んだ姿が。
それなのに、瞳に映す黒はミリルではない他のナニカ。

「ジーン! しっかりしろ!」
「違う、違う、違う。お、お前は、ミリルじゃ……」
「酷いよ。ジーン」

本当に悲しそうな貌と声でミリルは儚げに俯く。
そのあまりにもミリルに似通いながらかけ離れた様子に、ジーンはわけのわからない存在に怯える様にして剣を突きだした。
戦う構えではない。
腰が引け、足は一歩一歩と後退し、シュウの掛ける声など聞こえていないかのように一人否定の言葉を繰り返す。
蒼白な顔を浮かべたまま、ガチガチと歯を震わせて剣を振りまわしていた。

舌打ちを一つ。
今までにない危険な状態に顔を歪めて零したシュウの舌打ちなど、何の意味も齎さなかった。
倒れ伏したエルクの治癒に慌てふためくリーザとシャンテ。友が倒れ、友が牙剥き、友が見つめるその中で恐慌状態に陥るジーン。
未だ自分達は虎穴の中。

目まぐるしく回転する頭の中に一つたりとも現状を打破する作戦が思いつかない。
ふと一つの可能性に行きつき、シュウははっとしてピクリとも動かないクドーに視線を向ける。
辿り着いた可能性は、あまりに残酷な事実だった。

「このために俺達を、エルクを」
「そうだ。不良品のまま動かないミリルを覚醒させるため、貴様らをここへ招いた。どうも俺の狙いを貴様らは勘違いしていたようだが」
「エルクは貴様を信じていたッ!」
「信じたかっただけだろう。本当に甘いのだな。シュウ」

あまりに無慈悲で残酷なクドーの言葉。
まるで機械のように並べたてられるクドーの真実に、シュウは砕け散るほどの力で拳を握りしめた。
果たして攻められるのは愚かにもクドーを信じたエルクか。それともそれを裏切ったクドーか。全ての元凶であるガルアーノか。
――――甘きに身を委ね、この現状を創り出したシュウか。

「もう、躊躇はせんぞッ!」
「もう一度だ、シュウ。今更だ、と」

吼えるシュウを嘲笑うかのようにクドーは徐に自ら包帯塗れの胸元に勢いよく右手をねじ込ませた。
自ら心臓の部分に抜き手を入れる行動に眼を大きく開いたシュウを尻目に、血を巻き散らせながらどんどん奥までめり込んでいくクドーの手。
やがてその胸の中から何かを引っ張り出す様に腕を振るえば、クドーの手には背丈ほどもある巨大な赤黒い大鎌が握られていた。
武器として存在する一般の大鎌とは違い、先端や柄が奇妙に捻じれ曲がったそれは、クドーの血を滴らせながらもどこか生きているかのように脈を打っている。

「同じ殺し方? 魔の才はない? キメラである俺と人間を比べるなどあまりに愚か」
「クドーッ……」
「そう縋るような眼で見るなよ、ジーン。直に共にいられる。キメラとなって」
「私はそれが望みなの。大丈夫。ちゃんとエルクも一緒になれるから」

一人、クドーとミリルの前に立ちはだかるようにして構えを取るシュウ。
その背後で剣をただ持っているだけと化したジーン。
望まれない戦いが、始まってしまった。





◆◆◆◆◆





「あはははは! 誰かは知らないけど、私達の邪魔をしないでよっ!」

死闘。しかしそれは対等なものではない。
ただ一人ミリルとクドーの攻撃を避けながら耐え続けるシュウを甚振る、ただの殺戮ショーであった。
異能の才がないとはいえ、それでもエルクの戦いの師であり、未だ現役を誇るシュウの力はこのメンバーの中でも最も高いものである。

それでも、その差はあまりにも強過ぎるミリルの異能とクドーの不死能力の前にあまりに無意味。
まるで天候を操るかのように部屋には猛吹雪が吹き始め、ミリルが操る氷の力はガルムヘッドを足止めしたシャンテとは天と地ほどの差がある。
ただ手を翳せば、壊死してしまうほどのブリザードがシュウを襲い、腕を振るえば人間大の氷塊が数えきれないほどの群れをなして飛んでいく。

そんなミリルの雑な援護を背中から受けつつ、それでもまるで止まらないクドーの大鎌は幾度もシュウの身体に赤の跡を付けていった。
時折ミリルの放つ氷の槍がクドーの背を貫いても、彼はまるで気にした風もなくシュウに襲いかかる。
痛みに耐える表情など浮かぶわけも無く、ただただ笑みもなくシュウを圧倒するのみだった。

「ガッ! ……ゲホ」
「もはや万策尽きたか。さっさと沈め」
「ねぇ、早くエルクとジーンと一緒になりたいの。だから早く死んで?」

ぎしりと歯を食いしばれば、シュウの口元からは血が流れ落ちた。
せき込むごとに大量の血が吐き出され、それでもまるでクドーとミリルは手を休めることも無く、銃を抜く暇すら与えない。
ただ一人戦力として数えられるシュウの立場からは後退という選択など無く、彼の後ろでは未だジーンが方を震わせているだけだった。

いや、違う。確かにジーンは震えていた。
それでも彼はその震える右手を握りしめ、その手に持ったソードを徐々に持ち上げ始めた。
おぼつかない足取りで立ち上がり、瞳を絞ったまままっすぐクドーとミリルの方を睨みつける。
もはや友ではなくなってしまった者を、まっすぐ見つめる。

「オオオオオオオオッ!!!」

ただ吼えただけだったのかもしれない。
未だ剣を振り上げる気力も無く、天に叫んでみればそれだけでジーンが幾度も肩を上下させてその銀髪が垂れ落ちる前髪に表情を隠した。
だが、確かにその咆哮はミリルとクドーの動きを止めた。
そしてその瞬間を見逃さなかったシュウが拳をクドーの胸にめり込ませながら吹き飛ばし、それに反応したミリルの氷塊は後ろから飛び出したジーンの剣に叩き斬られた。

「ジーン? 私達を傷つけるの?」
「…………」
「私たちは、友達じゃないの?」
「友達だったら、こんな真似するわけねーだろーがっ!」

その手に握った剣をジーンは今にも放してしまいそうになる。
その逆、その手の剣を今にも眼の前のナニカに振り下ろしてしまいそうにもなる。
これがミリルだというのなら、剣を握る意味はない。
これがミリルでないのなら、振り下ろさない理由はない。
しかしそのどちらを選ぶことも出来ず、ただ喚く様にしてジーンはミリルの言葉を否定した。

「頼む。やめてくれ……なぁ、ミリル。俺たちはっ」
「フフフ……おかしなジーン。どっちも友達って言ってるのにちぐはぐなんだもの」
「くそっ、ちくしょうッ……」

勇んで前に出た。シュウを助けるために剣を抜いた。
しかしジーンがミリルを斬れるわけなどなかった。
どんなにその心を闇に染めても、邪悪に顔を歪めても、嘲笑っても、ジーンの眼の前にいる少女の姿はどこまでもミリルだったから。

「足掻くな、ジーン。そう苦しむこともないだろうに」
「こんなのおかしいだろっ! 何で俺達が……お前らと……」
「嘆くばかりだな……そんなザマだからエルクはああなったのではないのか?」
「ふざけんなよ! あいつがどれほどお前らのことを考えてたのかわかんねーのかよっ!!」

声を張り上げ、クドーの言葉に噛みつく。
しかしクドーはただ一つ呆れたようにため息を吐いただけで、シュウの攻撃など歯牙にも掛けぬまま震えるジーンの首元にその大鎌を貼り付けた。
有無を言わさずジーンの開きかけた口が閉じ、それを防ごうとするシュウもまたミリルの攻撃によって動けない。
カラカラになったジーンの喉から出るのは、ただ何故と問う言葉だけだった。

「クドーッ……」
「おかしな奴だ。キメラとなった人間を、自分を騙した化け物を、刃を突きつける敵を友と呼ぶなどと」

懇願するようにクドーの名を呼ぶジーンに、もはや興味は失せたと言わんばかりにその鎌を振り下ろすクドー。
ただコマ送りのように捻じれ曲がった大鎌がジーンの首元に吸い込まれていく中、ただリーザもシャンテも、そしてシュウも茫然と見ているしかなかった。
声を上げ、それを制止する余裕すらなかった。

静寂が。
もう数瞬後には起こってしまう凄惨な結末に誰もが口を紡ぐしかなかった。
故に何一つ音の残さない静寂が彼らを包む。
そんな中で誰かの耳に届いた、誰かのか細い声は確かにクドーの手を止めた。

「―――――――――」

ゆらりと、立ちあがる者がいた。
動きを止め、一つの絵画のようにして動向を見守るだけとなった者達の中、足を引きずってクドーとミリルに近づく者がいた。
血を流し、治癒しかけた腹の傷跡を抑えながらも、その足を止めぬ者がいた。

「ガキだった頃」

ふらりとおぼつかない足取りでジーンの隣に立ち、彼の首元に赤筋の薄い線を作った大鎌を血だらけの右手で握りしめる。
その蚊ほどの力も無い腕で握られた大鎌を、クドーは不自然なくらい簡単に地面に下ろす。
素直に、従順に、クドーはその手から力を抜いた。

「俺たちは何度も約束を交わしていた」

ポタリ、ポタリ。
足を進める度に血が流れる。

「ずっと一緒に。誰かを守る。生き延びる……助けに、行く」

徐々に広がっていく声。
死闘を繰り広げていたはずの中で、どこまでも遠く響き渡るような震える声。
そこに絶望は欠片ほども存在していなかった。

「それは嘘でもなく、本当に心の底から交わした約束だった」

違和感。
ミリルがそれを感じたのは、その者の声をしっかりと聞いてしまってからだった。
痛いほどに胸が締め付けられ、身体を覆う何かが苦しむようにして心の底を這いまわる。
ただ暴力に酔いしれた身体には、どこか懐かしい感覚。
ミリルは、無意識に胸を強く握りしめていた。

「でもそれは、大切じゃ、ない」

まるで自分の身体も心も全てが裏返ってしまう感覚。
茫然と立ち尽くし、ただその声に聞き入るミリルの心に、ナニカが溢れ返る。
ようやくにしてミリルは、自分が自分ではないことに気付いた。

「約束とかじゃなくて」

炎は、炎を湛えた瞳は、笑っていた。
ごく自然に優しくクドーの肩に手を置き、瀕死の顔で笑っていた。

「友達だったら、助けるだろ?」

その言葉が響いた時、ミリルの頭に激痛が走った。

「あああああああああっ!!」

まるで金切り声のように響くミリルの悲鳴に、誰もがはっとして彼女の方に眼を向けた。そこには弄る様にして身体を両手で抱きしめ、頭を振るうようにして苦しむミリルがいた。
顔は苦痛にゆがみ、まるで自分自身を縛り付ける様にして自分の肌に爪を食い込ませるほど抱きしめる。
あまりに唐突な異変だった。

「ミリル!?」
「あ、ああああ……うああああああッ!」

ジーンの声に反応するかのように、ミリルの身体からは今まで以上もの吹雪が渦を巻く様にして漏れ出ている。
有象無象区別なく氷の彫刻に変えていく極寒のブリザード。
しかしそれはまるでエルク達を避ける様にして部屋中を蹂躙するばかり。
やがてその様子に誰よりも早く声を上げたのは、強化ガラスの先から眼下の様子を見続けていたガルアーノだった。

『なッ、何だと!?』

今の今まで一度も聞くことがなかった、珍しくもガルアーノの焦ったような声。
そちらの方を見上げたエルク達の視界に映ったのは、ガルアーノのいる部屋奥から炎のような赤い揺らめきだった。
そしてそれに続く様にして聞こえる部屋を揺らしながら響く爆発音。

「に、げてっ……」

そして聞こえたのは、苦しむままに絞り出す様に聞こえたミリルの声だった。
吹雪に包まれながらも、必死に途切れ途切れの言葉を送ろうと絞り出されるその声に、エルク達は大きく眼を見開いた。
涙を流し、身の内に潜む何かに苦しむようにして地面に這いつくばる彼女の姿に、クドーがいち早く声を漏らした。

「洗脳が解けかけている」
「ど、どういうことだよ!」
「俺達の知るミリルがこんな馬鹿げたことをするわけがないだろう? お前の言う通りだよ、ジーン」

ジーンの質問に応えるクドーの声は、どこか満足げなものだった。





◆◆◆◆◆





誇りだ。

未だ望まれた結末には足りない段階でありながらも、俺の身にはこれ以上ないほどの充足感が満ち溢れる。
干からびた肌が粟立つほどに震え、眼に映る視界はどこまでも透き通って見える。
耳に通るジーンの声は、何よりも欲した響きだったような気もする。

少々やり過ぎたか、などと考えながらシュウやエルクの傷跡を眺めれば、少しだけあるかどうかも分からない心が痛んだ気がした。
誰かを傷つけることに関してはそんなことなど随分久しい感覚だというのに。
眼の前で苦しむミリルの姿を見れば、果てしなくガルアーノが憎くなり、そして彼女の苦しみをなんとしてでも取り除きたいと心が逸る気がした。

色を取り戻していく心。
ただ一つ求め続けた『証』を元に、都合のいいまでに変わっていく灰色の心。
目まぐるしく変化していく記憶全てに感情を塗りつけたくなり、そして感傷に浸りたいとも思い始めた。

「……クドー?」
「もう少しだ、エルク。ミリルにもう一度声を掛けてあげてくれ」

先ほど見せてくれた、どこまでも俺を信じてくれたエルクの笑みには到底敵わないようなぎこちなさで俺も笑う。
ただ包帯に塗れた男の顔が見せる笑顔は醜いものかもしれないが、エルク達は何かおかしいものを見た時のように唖然と俺を見つめるだけだった。
そして、シュウの向けるあまりに厳しい敵意に心が痛んだ。

そう、今更に俺は心を、被害者気取りのように痛めた。
ならばやはり、俺は――――。

徐々にミリルの支配すら効かなくなっていた猛吹雪の中に混じる氷塊がエルクを目がけて飛んでくる。
無論それを通す理由などなく、持っていた大鎌で弾き返す。
今まで敵対していた者をかばった形になった事実は、やがてジーンやリーザ達にも事態を飲み込もうとする冷静さが生まれ始めてきた。
ミリルの抵抗によってパニックに陥っているガルアーノの眼が届かない今こそが好機。

「ジーン。俺たちは露払い役だ。気張るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! な、何が……」

見た感じでは一番冷静になれそうな男だと思っていたというのに、案外誰よりも状況を理解していないのはジーンだった。
その様子にちょっとだけため息を付きつつも、共に言葉が交わせることにこれ以上の無いほどの至福を感じる。
そんな感情にほんの少しだけ呆ければ、エルクの凛とした瞳が俺を射抜いていることに気付いた。

「…………」
「やれるさ。みんないるんだ」
「……ああ!」

――――。
誰ひとり、俺に勝てる者など存在しないなどという傲慢にも似た自信が膨れ上がる。
俺はこの世で最も幸せな『人間』ではないのかと心が高鳴る。
俺は間違っていなかったと全てが肯定された気分に酔いしれる。

気付けばエルクだけでなく、リーザも、シャンテも、シュウも、パンディットも、エルクを後押しするかのように俺の隣に並んでくれた。
ようやくにしてなんとなく流れを理解したジーンに吹きだすものを堪えながら、真っ先に吹雪の中心で苦しむミリルへの道を切り開く。

身体中を蝕む吹雪が、徐々にエルクの放つ熱風によって色を失っていく。
それでも止まない氷塊の雨はシュウの銃弾に、ジーンの放つ風に、リーザの唱えた魔法で、相殺されるシャンテの魔法で、パンディットの拳で砕いてゆく。
専ら俺は、ただ愚直にミリルへと走り抜けるエルクの盾となるべく、彼の隣を疾走する。

『クドーッ!? 貴様何をしている!!』

何やら聞こえた気もするが、すぐにその声は頭に入るでもなく右から左へ聞き流す。
一歩、一歩、すでにミリルはエルクの手の届く場所で蹲っている。
一人、内に潜む魔と戦いながら、それでも助けを待っている。
やがてエルクの方に真っすぐ飛んできた氷塊をその身で受け、咄嗟にこちらに駆け寄ろうとしたエルクを咎める様にして先を促す。
俺など構わず先に行け。心躍るような情景に氷塊によって吹き飛ばされたまま笑みを浮かべてしまった。
これは気持ち悪い。

「――――――」

残念ながら、ミリルの下に辿り着いたエルクが何と声を掛けたのかは部屋中で巻き起る吹雪のせいで聞こえなかった。
それでも、ぐったりとして動かないミリルを抱きしめ、やがて白に埋め尽くされる景色の中でエルクがその顔をミリルの顔に重ねた絵が見えた気がした。
このマセガキめ。本当にこれじゃあお姫様と王子様じゃないか。
でも祝福する。





――――ああ。
こんなにも晴れ晴れとしたのはいつぶりなのだろうか。
エルクによって、いや、皆の力によってミリルの暴走が収まった部屋で俺は大の字のまま天を見上げた。
あれほど忌まわしく、何もかも全てを破壊したくなった白の部屋から見えるライトの並んだ天井が、今は青空よりも貴く思える。

ちらりとジーン達の方を見れば、シュウなどは重傷を負いつつもどうやら皆無事でいるらしい。
諸手を上げながら抱きしめあうミリルとエルクに駆け寄るジーンが見えた。
そして照らされるライトの光を遮る様にして俺を見下ろすシュウ。
光に遮られて黒く影を残す彼を見ても、俺が付けてしまった赤い傷跡は生々しい。

「……これが、お前の望んだことか?」
「ああ」
「なら、いい」

それきりシュウはこちらを見下ろしていた視線をエルクの方に向け、それをただじっと見つめていた。
いつものような鉄仮面の、俺にも出来ないような無表情。
だがしかし、その奥に隠された嬉々とした感情を俺は知っている。
この人は、そう言う人だ。

やがてエルク達が俺の方にも寄ってくる。
何だかミリルと比べると優先度が低い様な気がして悲しくもなったが、まあ、俺たちにとってミリルとはそういう人間だ。
彼女こそが俺達の支えであり、彼女の言葉に幾度も救われてきた。
幼き日に受けた恩はこの救出劇を以ってしても返せないだろう。

「クドー!」

ミリルの、聞かなくなって随分と久しい俺の名を呼ぶ声。
少女であった時のたどたどしい喋り方は消え、天真爛漫なものを残しつつも凛とした声は変わらない。
――――満足だ。

「だ、大丈夫か?」
「……問題ないさ」
「でも……」
「それよりも」

こちらを心配そうに見つめる面々を尻目に、ゆっくりとこの身を起こして部屋の上部、強化ガラスの向こうを見やる。
見なくても分かるほどの怒りがひしひしと感じられるが、顔の形が歪む歩に怒りを滲ませられても今となっては間抜けな面ににしか見えん。
ガルアーノという小物が、肩を震わせながらこちらを見下ろしていた。

『クドー、貴様が何をしたか分かっているんだろうな?』
「いちいち問うな、面倒くさい。お前が阿呆だった。それだけのことだろう?」
『貴様ァ!!』

ちらりとエルクの隣で縮こまるミリルを見る。
未だ彼女がその身に抱えるものは除かれず、それこそが悲劇の象徴たる忌まわしき物。
ガルアーノが密かに埋め込んだ自爆装置。
だがしかし『不死身』という力をどこまでも突き詰めたクドーという存在こそが、その可能性を捻じ曲げた。

「もはやここにいる意味などない。ミリルの救出はつつがなく完了。それで貴様ともおさらばだ」
『……儂がこのままみすみす逃すと思っているのか?』
「殺さずに撤退するだけでもありがたいと思え。俗物が」

簡単な爆発物によるものではなく、身体に残った魔の力を暴走させることによって発動する自壊。
それこそがミリルの中に埋め込まれたもの。
単なる爆発では死なない俺という存在がいたからこそ、変更されたもの。
どちらにせよ、命を奪うという点では変わらないが。

『ク……ククッ……ゲギャギャギャギャギャギャギャ!!!』

唐突に、壊れたように響き渡るガルアーノの声なのかもわからぬ音に、誰もがその目を疑った。
腹を抱え、眼の前のガラス窓を絶え間なく叩きながら唾を吐き散らすガルアーノ。
しかし俺はその一挙手一投足を注意深く見つめ、その時を見逃さぬように構える。
準備完了。せいぜい吼え面掻くがいい。

『貴様には何も渡さんよ、クドー』
「つまらん」
『くふっ……うふうふううううふふふ………………やれ』

短いガルアーノの合図と共に、俺の近く、エルクの隣にいたミリルから尋常でないほどの魔の気配が膨れ上がった。
同時に跳ね上がる様にしてその身を逸らせ、口をパクパクとさせるミリルに眼を見開くエルク。
だがさせない。
これだけが、俺の仕事だ。

「ミリル!?」
「どいてろ」

慌ててミリルの身体を抱きしめるエルクをどかし、右手をミリルの心臓の部分へと押し当てた。
一気にその手からどす黒い液体のような影を滲みだし、ミリルの身体を侵食するように一点に染み込んでいく。
そして、俺の身体には煮えたぎったマグマが流し込まれたような激痛が走った。

「ぐ、う、おおおおお……」

痛みを感じるはずの無いこの身体が悲鳴を上げる。
ミリルという優秀な素体故に用意された自壊装置は、俺のようなものにといっては許容範囲以上の膨大な魔の……キメラの力だった。
しかし、歯を食いしばり、震える右手を抑えながらも耐える。
気がつけば唇からは血が流れ、突きつけた右腕からはまるで噴水のような血が噴き出していた。

「あ……あ、あ、あ……」

苦しいのはミリルも同じ。
まるで気が触れてしまったように口を大きく開けたまま痙攣するミリルに、嫌な光景を重ねてしまう。
遠い日、遠い記憶。
誰ひとり助からずエルクだけが残ってしまうその結末を。

「おおおおおおおおっ!!」

大きく吼えると共に、ミリルを侵食していた影をこの身に戻す。
相変わらず身を焦がすような激痛は収まらないが、それでもすっかり死相など消え去り、少しだけ苦しそうに眼を瞑ったままなミリルを視界にいれれば自然とその痛みを耐えられた。
どうやら――――全てがうまくいったらしい。
ミリルの身体に渦巻くどす黒い力のほとんどを、この身に移し替えた。

『なっ……』

耳鳴りがするほどの激痛の中、ガルアーノの驚くような間抜けな声が聞こえた。
今まで幾度も傲慢に悲劇を重ねては、友を苦しめ、悦に至り、運命を弄んできた男の情けない声。
眩暈がする。息が苦しい。身体が痛い。
だが、叫ばずにはいられなかった。

「……貴様に! 何一つ渡してやるものかっ!!」

響き渡る一つの足掻き。
俺の言葉の意味を理解したガルアーノが拳を振り上げた時、この白い家そのものを揺るがすような振動が俺達を襲った。
鉄が悲鳴を上げる様な音を上げ、警報が鳴り響き、エルクもガルアーノもふと天を見上げた。

そう、全ては俺の計画通りに動き、そして結末に至る全てが俺の勝利で幕を閉じる。
ミリルの身体から取り除いた魔も大きくはあるものの、俺そのものを暴走させるにはまだ足りない。
未だミリルの身体には少しばかり魔の残滓があるものの、それに関する対策も用意してある。

『…………』

地面に手を付きながらも、慌てふためくガルアーノを睨みつけ、嗤う。
すれば奴もまたこちらに気付き、轟音の上がる真っ最中だというのに、奴は無表情のままこちらを見やり、何やら後ろの研究員に向けて何かを告げた。








ただ一つ。

ただ一つどうにもならなかったものと言えば。





奴が俺に仕掛けた自壊装置を、どうにもできないのだということだ。
















<あとがき>

次回更新でその他版に移しますので更新確認の際はご注意を。




[22833] 最終話
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/09/11 17:09




金属を引き裂くような音が響き渡り、白い部屋の天井に巨大な爆発が起こった時、誰もが突然のことに眼を疑った。
天井そのものを吹き飛ばすほどの爆発のあとに見えたのは、黒煙を上げながらその合間に見える青い空。
どうやら白い部屋の上階に当たるエリアは存在せず、ぽっかり開いたその穴からはちらほらと部屋とは違う白の装甲が見え隠れしていた。

「シルバーノアだと!?」

その装甲の正体に気付いたのはエルク。
叫ぶと同時に張れつつあった黒煙の中を睨みつければ、ガルアーノの式典会場にやってきたアーク一味の乗るものと全く同じ飛行船が見えた。
予期せぬ襲撃者に息を飲み、混乱の中でさらなる戦闘の気配に眉を顰める。
満足に戦う事の出来る者は何人残っているのか。ミリルなどは先ほどクドーによって行われた侵食によって気絶したままだ。

「……あれは」

巨大な船が響かせるエンジン音と崩壊し続ける白い家の爆音に唖然としながらも見上げていれば、徐にシルバーノアのハッチが開き、何者かがロープを伝って降りてきた。
真っ黒な点のような影。
それが徐々に高度を下げれば、それはアーク一味に連なるものではなく、クドーの手下だったシャドウだった。

「てめぇはっ」
「おーっと待った待った。今はそんな暇ねェだろ? さっさと上がった上がった」
「はぁ!? 何言ってんだお前」

のっぺらぼうにも似た顔におどけた表情を貼り付け、ジーンとエルクの問い詰めに両手を上げるシャドウ。
面倒な状況に説明を求めるためにシャドウがこの結末の先にいるはずのクドーを探し、ミリルの影でピクリとも動かないクドーを視界に入れた。
そして、シャドウはおどけていたはずの表情を黒の顔から消し、ただ力なくその両手を下げた。

「もう……終わりかァ」

唐突にしみじみと零したシャドウのその言葉にエルク達はただ首を捻り、そして目を見開いた。
しゃがみ込み自らの胸を握りしめたまま動かないクドーの右手が、砂のように崩れ落ちていた。

「クドー……何で」

茫然としてその名を呼んだエルクの言葉に、答える者は誰もいない。
ただ崩壊が続く周りの状況に関わらず、まるで血の気が失せたかのようにクドーを囲む者の中から音が消えていった。
誰も彼もが助かったはずの結末に、綻びが生まれてしまった。

言葉を失い、立ちつくす者達。
しばらくすれば、やがてシャドウの辿ってきたロープからもう一人赤い鉢巻を額に巻いた青年が降りてきた。
真っ赤な外套と鉢巻、整った顔つきとその若さに似合わぬ隙のない立ち振る舞い、超然とした雰囲気を感じさせる真っすぐな琥珀色の瞳。
ハンターであるシュウとエルクにはその青年の顔に覚えがあった。

「アーク……」

100万Gを越える賞金首、アークその人であった。

「君がクドーだな?」
「ああ」

颯爽と崩壊する白い部屋の中心、エルク達の傍に降り立ったアークは、足早にしゃがみ込むクドーへと近づくと、彼の名を確かめた。
元々知り合いだったのか、双方共にぎこちなさを感じさせるような様子はなく、受け答えも全て決まっているかのようにすらすらと互いの口から出てくる。
ただクドーの声は、今にも消え入りそうなほどに小さいものだった。

「……君の勇気に、敬意を表する」

そしてアークはクドーの眼の前に跪き、頭を深く下げた。
一体何が起こっているのかエルク達にはさっぱり理解できない。
ただエルクが理解出来たのは、眼の前の友の身体がどんどん砂のように崩れて消えていくことだけだった。

「何やってんだよ! クドー、お前っ、身体が……リーザ!」
「う、うん!」

慌てたようにエルクがリーザを呼べば、彼女もやるべきことを理解したのかすぐさま治癒魔法を掛けようと手を指し伸ばした。
だが、クドーは頭を擡げるだけでそれを留めた。
いや、クドーの浮かべた表情にリーザは絶句し、ただその手を引っ込めるしかなかった。
あまりにも穏やかな――――もう、『それ』をクドーは受け入れてしまっていた。

「ふ……ふざけんなよッ!!」

それは、震える様なエルクの声だった。
周りで起こる崩壊にも、突然現れたアークにも興味を向けず、ただ必死にその事実を受け入れまいとクドーに近寄る。
放すまいと腕を掴めば、その腕が砂となって零れ落ちた。
いかないでくれと叫んでも、クドーの崩壊は止まらない。
ただ誰もが悲痛な顔を浮かべ、エルクの慟哭を眺めるばかりだった。

「エルク、俺は」
「うるせぇ!! 許さねぇぞ! いなくなるなんて、そんなこと……」
「……俺はな、エルク」

クドーの言葉すら効かず叫ぶだけのエルク。
涙を浮かべた彼の様子にふっと笑いかけたクドーは、ぼろぼろに崩れ落ちた手でエルクの顔を撫でた。
血を吸い過ぎた彼の手には、少しだけ不器用な触れ方だった。

「俺は、幸せだった」





◆◆◆◆◆





命を掛けてくれた。
どこまでも信じてくれた。
そして、泣いてくれた。

ああ、幸せなのだと、感じずにはいられなかった。
そしてそれは、許されないことだった。

「俺は幸せだったよ。エルク」

自らの目的を果たすために心を狂わせ、犠牲を他者に強いり、ただ振り向かずに生きてきた。
ただ自分のためだけに。
人間であることを証明する為に、今俺が感じている想いを知るために罪を犯し続けた。

では、化け物ではなく人間だと知ることが出来た俺は――――人間である俺は。
罪を償わなければならない。
人間であることを証明することと、罪を償うことは取って切り離してはならない。
人であるならば。

――――卑怯だ。

化け物だという立場を思いこみ、贖罪を考えることなく罪を犯して。
いざ人間だと理解すれば、今まで溜めに溜めこんだ罪から逃れるべく死を選ぶ。
エルク達を、裏切る。
心の弱い俺には、これがせいいっぱいだった。

「だから、すまなイ」

何に俺は謝っているのだろうか。
ただ、エルクが涙を瞳に浮かべていた。
ただジーンが、顔を伏せていた。
ただ、ただ、ただ――――。

もう、時間はない。

語るべきことが頭に浮かばず、纏まらず、そんな状況で彼らの歩みを止めても意味はない。
既に役目は終え、後悔はないのだと自ら理解している。
俺はどこまでも自分本位の、英雄にはなれない男なのだと。

「アーク。行テく、れ」
「いいんだな?」
「あァ」

こちらを安心させるような、優しい声。
いくら勇者とはいえ、見知らぬ者でありながら余計なものを背負わせた。
ただそれが、申し訳なく思う。

「お前もこいっ! こんな……」

再び声を上げるエルクに、最後の力を振り絞って近づき、崩れかけた拳を腹に叩きこむ。
弾ける様にして崩れる拳と共に、崩れ落ちるエルクの身体。
うっすらと閉じていく彼の瞳と、かすかに俺の名を呼ぶ声を忘れぬように心に留めた。
多分、いや、怒るだろうな。エルクは。

「ジーン。こ、ィつを、頼む」
「……お前が、やれよ」
「タノむ、シンゆ」
「…………最低だぜ。親友」

ぼやけた視界の中だというのに皆の輪郭だけがはっきりと見える。
俺を取り巻く全てが消え失せたような感覚に、怖くなる。
それでも、繋ぐことの出来た絆が、俺をまだ現世に留めさせる。

本当に、本当に、すまない。





◆◆◆◆◆





崩れかけた身体を起こしフラフラとクドーが立ち上がれば、崩壊によって歪んだ白い部屋の扉から、数体ものキメラ兵が這い出てきた。
この状況でエルク達を逃がさんとガルアーノが放った使い捨ての兵隊たち。
欠陥品なのか、どれも人型モンスター『ソードマン』の姿を保ちながら、言葉さえ放すことなく手にぶら下げた剣を振り上げるのみだった。

「いケッ!!」

もはやクドーの声は、人間らしき言葉を留めてはいなかった。
身体は崩れかけ、腕は消え、もはや視界すらはっきりとしていない。
だが、クドーの耳には確かに自分の名を呼んでくれる者たちの声が届いていた。
悲劇の幕に涙を流してくれる親友の声が。仲間の声が。

それでも彼らはこんなところで瓦礫に埋もれる選択は取れるはずもない。
やがて砕けんばかりに歯を食いしばったアークがシュウ達を先導し、そろそろ白い家の崩壊に巻き込まれつつあったシルバーノアへと逃げ込んでいく。

「……クドーさん」
「シャ、どぉ、ァぬび、ス、をこき、ツかえ。やツらは、す、ベて、シテル」

震える声でリーザが名を呼べば、クドーの途切れ途切れの声が静かに零れ落ちた。
もはや会話することさえ叶わない。
リーザはただ涙を流し、アークの後に続いて白い家を飛び出した。
シャンテも、シュウも、ジーンも。
誰も彼もがただ悲劇を飲み込んで先に進むしかできなかった。

「…………」

シュウ達がアークによって助け出され、もはや化け物しかいなくなった崩壊し続ける白い家。
絶え間なく響く崩壊の音の中、ただガルアーノは脱出を急かす部下を背後で慌てさせながら、眼下でこちらを睨みつけるクドーを見下ろしていた。
怒りさえ消え失せ、無表情のままに。

「ヴ、ァオオオオオオオッ!!」

そしてそれはもはや自制すら失ったクドーも同じであった。
最後の力を振り絞った故か、それともその身の内で狂う魔の力が暴走し始めたのか。
周りの瓦礫と、襲いかかってくるキメラを取り込みながら徐々にその肉を膨張させていく。
灰色の肉が膨れ上がり、まるでヘドロのように流動しながら白い部屋を侵食していく。

やがて灰色の肉とその身体の至るところか血を噴き出しながら暴れ回る化け物は、ガルムヘッドに似た上半身だけの身体を捩り、未だ脱出せぬガルアーノを正面に捉えた。
真っ赤な瞳が怪しく光、泥のように流動しながら巨大化し続けるその拳が強化ガラスの向こう側にいるガルアーノへと叩きつけられた。
未だ続く爆発音に紛れて響く轟音。
ベチャリと嫌な音を立ててガラスに灰色の花を咲かせたようにクドーだったものの肉は飛び散った。

「ふん。見事なまでに手を噛まれたな。ガルアーノ」

呆れたようにため息を吐きながら、クドーだったものの拳を不可視の壁で受け止めるアンデルが、ガルアーノの隣に立っていた。
手に持った杖のようなものの先端を拳に向け、やがて具現化し始めた魔法陣はクドーだったものの力を止めて尚有り余るほどの魔力が込められた防御壁。
やがてその拳からも煙が出始め、クドーだったものは痛がるようにしてその拳を引っこめた。

「……許さん」
「何を今更」
「アークも、エルクも、ミリルも、ジーンも……その他の全ての有象無象も!! 儂がくびり殺してやる」

ようやくにして捻りだしたガルアーノの言葉は、結局のところただの恨み事。
この現状でありながら未だくだらないことを吐き散らすガルアーノの様に、アンデルは心底うんざりとしたように失意の目を向けた。
もはや自慢の右腕を失い、執着していたもの全てを逃し、キメラ施設を失ったガルアーノはただの愚図に過ぎない。
アンデルの脳裏にはどのようにしてこの男を使い捨ててやろうか、などというものしか浮かばなかった。

「ヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

クドーだったものは、ただひたすらにガルアーノに手を伸ばそうとする。
とうとう自壊装置が完全に作動し、そのヘドロ状の身体さえもぐずぐずと崩れ落ち、ウジ虫のようにその破片が飛び散りながら消えていく。
最後の足掻きのようにして両手でガルアーノとアンデルのいる部屋にしがみ付き、その部屋の大きさほどもある顔をねじり込ませれば、腐臭を漂わせながら咆哮した。

「それにしても、コレはキメラ研究に使えるのではないのか?」
「ふん。裏切り者など糧にすることすら許さん。ここで無様に朽ちていくのがお似合いだ」

揃って蔑むようにしてクドーだったものに視線を流すが、ガルアーノはアンデルの見せる侮蔑の視線に自分が入っていることに気付かない。
やがてアンデルが残った左手をクドーだったものに翳せば、灰色の頭はまるで風船が割れたようにあっけなく霧散した。
消し飛ばされた頭と同じように、次々に砂となって崩れていく巨体。
崩壊した白い部屋に残ったのは灰色の塵だけだった。





◆◆◆◆◆





まどろみの中。エルクはクドーの名を呼んでいた。
隣には笑顔を振りまくミリルがいて、それに釣られてニヒルに笑うジーンがいて、クドーはそんな有様に苦笑を浮かべていた。
みんな、笑っていた。

しかし右手にミリルの手を握り、左手にジーンの手を握れば、眼の前にはちょっとだけ寂しそうに笑うクドーがいた。
そして彼は、一つ頷くと遠い何処かへと走り去っていってしまった。
自分達三人を残して。

エルクは叫んだ。
ただ彼の名を。

エルクは手を伸ばした。
すればジーンとミリルも手を差し出してくれた。

エルクは走った。
ジーンとミリルも、その後に続く様にして走りだした。

誰一人、何も届かなかった。

やがてエルクの視界が現実を帯び始める。
見たことも無い部屋、天井。
自分の身を横たえていたベッドから這いずりだし、クドーの姿を探し始めた。

ヒエンのそれよりも力強く唸るエンジンの音を聞きながら、人の気配をする方へと。
どうやら飛行船のような内装をしているが、そんなことはエルクにとってどうでもいいこと。
ただクドーを、彼を探さなければならない。

「エルク!?」

一つのドアを開ける。
そこはまるで会議室の様に多くの椅子やテーブルが並んでいて、その部屋の奥に飾られた世界地図の前に、自分達の仲間が集まっていた。
自分の名を呼んでくれたミリルを筆頭に、ジーンも、リーザも、シュウも、シャンテも。
そしてその中には見知らぬ青年や、黒い身体を持った魔物の姿もあった。

「…………」

しかしその青年をアークだと思い出しても、エルクは声を荒げることも無く辺りを見回した。
もう一人いるはずの親友の姿を懸命に探した。
包帯に巻かれ、ボロボロの外套を身に纏いつつも、自分のかけがえのない親友であるはずの彼の姿を。

「…………クドーは」

しかしいくら探してもこの部屋には彼の姿などない。
縋る様にしてその名を聞けば、誰もが瞳を伏せ、口を噤んだ。
気付けば、ミリルが涙を流しているのがエルクには見えた。
そう言えば、とエルクはこの部屋に入ってきた頃からミリルは既に大粒の涙を流していたことを思い出した。
エンジンの音に隠れて嗚咽のようなものも聞こえた気がする。

「クドーは」
「分かってんだろォ?」

金槌で殴られたような衝撃が走り、気付けばエルクはシャドウに殴りかかっていた。
腹に負った傷の痛みなど気にも留めず一直線にシャドウへ詰め寄ったエルクは、そのまま右腕を振り抜く。
鈍い音を立ててシャドウが吹き飛べば、エルクもまた腹の痛みに耐えかねたのかその場に膝を付いて顔を歪めた。

「お前らッ……お前らがぁ!!!」

床に拳を叩きつけて叫ぶ。
その真っ赤な瞳にただ浮かぶのは涙だけだった。

エルクは、クドーがあの地に残り死んだのだと、既に思い出していた。
悲しそうな、嬉しそうな、複雑な表情を浮かべながら今しがた抑えている腹に見舞われたクドーの拳は、ミリルによって負わせられた傷以上にエルクに痛みを残していた。
その痛みが覚えている。
クドーの最後の姿を覚えている。

「ごめん……ごめんね。わたっ、私が……」

腕で目元を擦り、その場に崩れ落ちてしまったミリル。
右手で顔を隠しながら天を仰ぐジーン。
誰もが、クドーの最後に掛けるべき言葉を失くしていた。
そんな中、ふとシャドウが人間でいう頬のようなところを摩りながらむくりと立ち上がる。

「旦那は、最低だからな」
「てめぇがあいつを語るなっ!」

即座にエルクに睨みつけられたシャドウは、やれやれと肩を上げてため息を付いた。
そしてその態度もまたエルクの瞳が燃え上がる様にして熱を帯びた。
ガルアーノが、白い家が、キメラが、魔物が。
――――こいつらさえいなければ何一つ悲劇は起きなかったというのに。
そんな憎しみにも似たエルクの感情に晒されながら、シャドウはただ無表情のままに言葉を連ねた。

「あれが最善だった。アレ以上は望めなかった」

呟くようにして静かに落ちたシャドウの声に、誰もが応えるべき声を失くした。
拳を握りしめ、悲痛に顔を歪ませ、口を真一文字に閉じる。
シャドウの言う通り、数ある可能性の中でも最も最善に近い結末でありながらも、彼らの表情に嬉々とした物は欠片も存在しない。

「下手すりゃジーンもミリルもそしてアンタも、キメラになって野たれ死んでた」
「だからクドーが犠牲になったって言ってんのか……?」
「犠牲? はっ。旦那はただ一人の勝利者だよ」

吐き捨てたように答えたシャドウの言葉。
クドーは、この戦いの果てに残った最後の勝利者だった。
自ら救いたい者を全て救い、あるべき未来を掴み取り、何一つ未練を残すことなく逃げた。
死に、逃げた。

「別にお前らが死のうが、俺が殺されようがもう旦那には一ミリたりとも関係ねェ話だ」
「…………」
「お前が望むんだったら俺は黙って殺されてやる。旦那にはアンタらの命令に従えって言われてるからな」

止まぬ涙に、エルクはただ押し黙るだけだった。





◆◆◆◆◆





重苦しい会議室より退出し、しばらくシルバーノア内の操縦室に繋がる通路から見える雲の流れる空を見ていたシャドウに、近づく影があった。
シャドウと同じく今は時間を置くべきだと判断して退出してきたアーク。
彼は徐にシャドウの隣に立つと、アークではなくシャドウの方から徐に話しかけた。

「トウヴィルに向かう前に、ヤゴス島へ寄って行きな」
「何故?」
「あいつらが旦那の部屋から回収したファイルには、ミリルが身体改造された際の内容が全て明記されている」
「まだ、彼女は蝕まれているのか?」
「旦那が無理やり飲み込んだだけで、完全に人間に戻ったわけじゃねぇ。だが、聖女の力と元研究者のヴィルマーが組めばどうにかなるだろ」

興味なさ気にそう零すシャドウに、何とも言えない感情を抱きながらも掛ける言葉にアークは迷った。
一体どれほどまでこの状況を作り出すまでに動いていたのか。
白い家に突入する前、着陸地点を定めた砂漠の端でアーク達を待つシャドウを眼にした時をアークは思い出した。

敵側であるはずのロマリアから流されたキメラプロジェクトの情報。
それを知った時は罠としか考えなかったアークたちであるが、そこに示された情報の多くはあまりにも常軌を逸したものばかりだった。
王家や精霊などにしか知り得ない世界の仕組み。ロマリアが企む計画の全容。そして世界の結末。
異常染みた数々の真実に、アーク達はそれを無視する選択は取れなかった。

そして魔物とも言えない、眼の前の生物。
もう一体のアヌビスと呼ばれるウルフアンデッドは、シルバーノアの操縦室に佇み、つまらなそうにこちらを見つめるばかりだった。
まるでその興味は、自らの主であったクドーのみにしか存在しなかったかのように。
――――彼もそうなのか、とアークがシャドウを見つめれば、黒の身体に着いた赤の瞳がこちらをじっと見据えていた。

「アンタは、旦那に勇気があるって言ったらしいな」
「……ああ」
「勘違いも甚だしいゼ。旦那は俺が知る人間の中で最もそんな言葉に無縁の男だ」

選ばれた勇者として、光を受け継ぐ者として魔物の対極に当たる存在を前にして、シャドウはその身に圧しかかる重圧を物ともせずにアークに向かって吐き捨てた。
敵意を向けるという程のものではないが、シャドウが向けたのは確かな怒り。
触れれば消えてしまいそうなほどの格の違いを前にして、シャドウは怯むことなくアークを睨みつけた。

「旦那はな。徹頭徹尾自分のためにしか生きちゃいねェ。あの小僧どもを助けたことだって結局は自分のためだ」
「しかし結果的に、彼らは救われたはずだ」
「あァ? 結果を言うならあの様だろ。ボロボロ泣いてるあいつら見てもそう言うのか? 勘違いするなよ。旦那は勇者なんかじゃねェ」

人としての邪悪さに惚れ込み、屈服し、その生を最初から最後まで見続けていたシャドウにとって、クドーの行いが他者に認められるのは決して許されないことだった。
クドーという男は最後まで誰ひとり救わぬ愚者で在り続けなければならない。
勇を知ることのない弱者でなければならない。
クドーが心の底から願った想いが歪なものであれ、それを捻じ曲げることは許容できないものだった。

「アンタらみたいに世界と人を同時に救えるほど、俺たちは強くねェんだよ」
「……未来を知っていてもか」
「時の精霊に祝福された親父を持ちながらそれを言うのか?」

アークの父、ヨシュア。
世界を救うべく時の精霊に認められ、全ての次元を移動する力を授かってもなお、ただ一人ができることなどたかが知れている。
そう考えてしまえば自らを犠牲にしながら、全てを救ったクドーの行いは到底自分たちに真似出来ることではない。
しかし、アークは胸の内に淀む想いを吐き出さずにはいられなかった。

「本当にこれでよかったのか」
「小僧どもにとっちゃ最悪だろ。旦那にとっては最高だが」
「…………」

それきりアークは口を開くことはなかった。
だがシャドウの想いを、クドーの想いを認めても尚、それに納得することはアークにとって出来ない。
例え理由がどうであれ、生き伸びることが出来た命がある。
ならばそれを無駄に散らせることは許されない。

ふと、自分が出ていった会議室の方を眺める。
膝を降り、絶望に濡れてしまった子供達。
彼らの保護を誰でもないクドーによって頼まれた手前、いや、そんな理由がなくとも彼らをこれ以上戦いに巻き込むのは許容できるものではなかった。

「もし、もしも……」
「あ?」

シャドウによって齎された未来の知識を浮かべながら、アークは最後にシャドウに問いかけた。

「彼らが、立ちあがらなかったらどうする」
「知らねェよ。それはそれでアンタらにとっちゃ戦力は減るかもしれんが……それでも俺の知識は有用だろ? それに……」
「それに?」

どこか聞いてはいけないものを問うかのように、恐る恐るアークはシャドウの言葉を繰り返し聞き返す。
すればシャドウはそののっぺらぼうの顔を凶悪なまでに歪ませ、けたたましく笑いながらこう答えるのだった。





「あいつらなら立ちあがってくれる。旦那なら、そう言うね」





                                                                             【end】



[22833] あとがき
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/02/24 19:50
注意。
べらべらと作者が今作品について語ります。

















これでアーザラッド2二次創作『血溜まりのクドー』は終わりでございます。
今まで呼んでくれた読者のみなさん。本当に本当に本当にありがとうございます。
本当の意味で『原作キャラを踏み台にして幸福を得る転生オリキャラ』という結末で終わったことに戦々恐々しているわけです。はい。

アークザラッド2の珍しい二次創作として期待してくれた方、万人受けのしない鬱エンド、並びに微妙な最後ですみません。
どうしても主人公が復活して後のストーリーにも関わるという展開を、作者が許容できませんでした。
様々な終わり方も考えたのですが……それを文にする力量が足らず。
結局これが作者の納得出来る終わり方でした。

しかしよくよく考えれば非常に二次創作には優れた世界観だと思うんですよね。
別に本筋に関わらせなくてもハンター的な意味で世界の片隅で活躍するのもいいですし、世界各地に散らばっている原作キャラと仲良くなるのもいい。
さらに多種多様の精霊がいることで特殊能力には事欠かない、さらに剣も魔法もモンスター育成も重火器によるガンアクションも出来る。
まぁ、そういった世界観のみの話であれば『アークザラッド3』はもっとも優れていると作者は個人的に思っておりますが。
荒廃した後の世界で頑張る人とか胸熱っ。



で。



何はともあれこれでこのssはこれにて終幕。
拙い文章と陳腐なストーリーでありながら多くの方に見てもらったのはこれ以上ないほどの喜びでした。感謝感激。
感想を書き込んでくれた方にはさらに感謝を。幾度も励まされました。
そしてこの掲示板に自らの妄想を晒す機会を与えて下さり、管理人の舞様には頭があがりません。本当にありがとうございました。
あ、ちなみ何か質問があれば感想の方で応えたいと思います

もしも原作に触れる機会、もしくはもう一度やり直そうと思っていただいた方がいれば、それもまた同じくアークザラッドのファンとして嬉しく思います。
グルガ育てようぜ!

兎にも角にも、今までありがとうございました。
では。



[22833] 後日談設定集
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/03/02 10:50


最終話以降の設定集。
といってもその後の原作の流れとは明確に違う形になったキャラのみですが。
設定集というよりは簡単な後日談とも言う。
ネタばれが酷いので本編未読の方はご勘弁を。

そして何よりも、最終話以降のモヤモヤとした余韻と想像を楽しみたい方にはお勧めできません。
自己判断でよろしくお願いします。

おそらくこれは蛇足ですから。











































≪エルク≫

届きそうになった手が、空を掴んだ。
許せなかったはずの結末は炎を弱め、そして誰かと共にいることすらも恐れはじめた。
それは過剰なほどに仲間が傷つくことさえも許容できなくなり、やがてガルアーノを倒すという目的の中でミリルやジーン、そしてリーザすらも戦いの中から突き離そうとし始めた。

仲間たちもそれぞれの目的のため戦おうとするため、最後には決裂。
誰かを失くすことに耐えられないエルクは、一人仲間達から離れて個人行動を取り始めた。
大事な親友の犠牲の下に手に入れた平穏に、手を伸ばそうとする元凶を打ち滅ぼすために。

ククルの導きもあってかエルクが最初に訪れたのはパレンシア城跡。
そこで出会った一人の気弱な勇者が、エルクに仲間を信じることの大切さを思い出させていくのだった。

希望の炎はまだ消えない。





≪ジーン≫

白い家脱出後、ジーンは誰よりも自分の力の無さを悔いた。
エルクのように最後までクドーやミリルを信じ続けた心の強さも無く、クドーのように全てを捨てて戦う覚悟も無い。
仲間と親友に対して何一つできなかったジーンがその身を委ねたのは、ガルアーノに対する復讐心だった。

彼にとってガルアーノのみでなくその裏にいるロマリアという大国とも戦うアーク一味という存在は、何よりも自分の復讐を完遂させるために利用できる者たちだった。
結果同行を拒否するアークに無理やり付いていくようにして、大国グレイシーヌへ。
そこで知る、ラマダの拳・勇者の剣。それは誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るための強さ。

真の強さを知るために、ジーンは風の精霊の住まう小国・ニーデルへと一人旅立つ。
闘技大会が盛んな国として有名なニーデルの地に辿り着いた風の子ジーン。
しかし確かに闘技大会が盛んなように街中を屈強な男たちが闊歩するものの、何かおかしい。
偶然出会った盲目の少女に聞いてみれば、この地は一年に一度の闘技大会で盛り上がるクレニア島。

残念、ここはニーデルじゃない。





≪ミリル≫

クドーの死という結末が彼女に与えたのはあまりに重い罪の意識だった。
自分が目を閉じなければ、もっと早く自分が心を開いていれば。ただ眠るだけだった間に親友たちはどこまでも辛い思いをし、結果自分はただ助けられるだけの足手まといだった。

そんな誰かの負担になることを恐れたミリルは戦いに参加することを禁止したエルクの言葉にも従い、一人トウヴィルの下に残る。
せめて皆の力になれればと暗い雰囲気の中で作りだす彼女の痛々しい笑顔など何の意味も無く、それぞれが喧嘩別れのように離れていく仲間達の姿に、彼女もまた自分の罪の重さを感じていく。

誰の負担にもならないように、誰かの邪魔もしないように。
やがて笑顔すらも消えていくミリルに声を掛けたのは、同じく待つ身でありながらもアークと戦いを共にしているというククルだった。

自分が出来ること。慈愛の意味を。本当の笑顔の意味を。
彼女が向かうはアリバーシャ・水の神殿。凍てつく氷を癒しの水に変えて。
陽気な陽気な機神と共に。





≪リーザ≫

目の前で起こってしまった悲劇。
信じて、信じて、信じて。それでも自分を助けてくれた人たちは涙を流した。
傷を残しながらも進もうとするエルクとジーン、そしてミリル。リーザに出来ることは何もなかった。
そんな中、自分の言う事を聞いてくれるというシャドウとアヌビスの言葉が彼女の心に突き刺さる。

お前の言葉は優しさか。それとも甘さか。ヒトを信じる意味はあるか。

やがてシャドウの誘われるような言葉につられてやってきた故郷、フォートレス。
そこにホルンの魔女の居場所はなく、魔物も、そして人すらも魔女を傷つけ裏切っていく。やがて助けたはずの人間の裏切りで囚われたリーザは、一人獄中で誰かを信じる意味を失っていく。
そんな彼女に聞こえる一つの言葉。

勇気ある行動は人の心を開く。

捕まった彼女を助けた自称・大魔道士の言葉に、言葉の内に燈る本当の優しさの意味を、誰かを信じる意味を取り戻していくリーザ。
助けられるだけではない。彼女もまた一人の英雄であり勇者なのだ。





≪シャンテ≫

行き場を失った憎しみが悲鳴を上げた。
自分の愛する弟を殺した者を目の前で失い、そしてその者もまた誰かに大切なものを奪われていたと知った彼女は、密かに自分とクドーを重ねていた。
目的を果たすために誰かを犠牲にし、罪を重ね、そして訪れる残酷な最後。

そうでなければ誰かは救えないのか。

この身の内に眠る憎しみの心をどうすればいいのか。
この悲しみを一体どうすればいいのか。
ガルアーノ打倒に向けて動き出した仲間たちとは離れて、彼女は一人崩壊した白い家に足を伸ばす。

先日入った時とはまるで様子の違う、帰らずの森に囲まれた惨劇の地。
青葉一枚もなく灰色の森へと変わった帰らずの森。その中心で砂に埋もれた白い家。
子供の遊び場を思わせる砂場の中心、悲劇はいた。

壊れ、壊れ、壊れ果て。
悲劇を前に、シャンテは願う。
もう誰も、失いたくはないと。

命も罪も想いも背負い、その魂を解き放て。




















こんな感じで本来ならば後日談的なプロットも存在しておりました。
存在しただけでそれを文にするのはないと思いますが。
生意気を言うようであれですが、やはり多少妄想の余地が入る位が丁度いいなんて言ってみたりもして。

あと、感想で突っ込まれていたファラオのこと。
裏設定ではありますが、クドーが一番最初に行ったキメラ合成の相手がキングマミィのファラオでした。
ですからクドーの容姿がミイラ染みた包帯姿と描写していたわけです。
で、何故にファラオが最後まで出なかったかと言うと、まあ、最初の合成相手という事で最終決戦において全開の不死能力を維持する為にはとか、なんかそんな理由でクドーと心中しました。
台詞すらあまりに出ずにいたキャラを最後の最後に深く描写するのは、ただテンポが悪くなるだけだと思いはしょったわけです。
これは完全に作者のミス。
思わせぶりな台詞を吐き、妙なキャラ設定にはしたものの、完全に絡ませるタイミングを計り損ねました。反省。

ちなみにブラックレイスのシャドウは元々ニンジャ系列の魔物で、ウルフアンデッドのアヌビスも元々の素体はケルベロスでした。
クドーに取り込まれ、特別に自我をそのまま保った代わりにシャドウは影としての特性を帯び、アヌビスは人型の特性をそれぞれクドーという媒体から受け継いだ、という無駄な設定でした。

さらに言えばクドーの親元となった魔物はデーモン系列。
序盤からリーザが仲間に出来る強力なモンスターですね。
どれもこれも描写する必要も無い設定なので、結局は本編に活かされることはなかったですが。






兎にも角にもホントに終わり。
最後までお付き合いいただき、有難うございます。




[22833] 蛇足IF第二部その1
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/09/11 17:00
死後の世界、などというものに想いを馳せたことは――――多かった。
ミリルとジーンという人間二人を救うために思考の大半をそれに傾けたとはいえ、自らの終点を明確に『死』と定義してからはどうにも頭の片隅から離れない概念であったから。
…………死を終点になどと特別視した覚悟を持たぬとも、それは誰にでも訪れる平等な話。
しかし俺にとってそれは重要なことだったのだ。

死を、救いと、罰と、完全な逃避と考えていた俺にとっては。

故にエルク達をアークに任せ、ミリルとジーンの無事を確認してからの俺はこれ以上なく清々しい気分でいられ『た』。
微かな意識の中でまるで歯が経たないアンデルとガルアーノの余裕面を感じつつも、崩れかけた心に感じるのは紛れもなく達成感『だった』。

そんな感情を過去形で認識できるこの状況に、俺はしばし呆然とした。

まるで陽光に眼を向けて瞼を閉じた様な、眩しく燃える白い視界。
身体中を今まで感じたこともないような暖かさが覆い、化け物として生き続けた感覚からは久しい脱力したものを感じている。
もはや記憶にも薄れた肉親の腕に抱かれる様な奇妙な雰囲気。

目的を達成し、完成した最後を迎えられた俺にとってはこれ以上ない祝福であったが、それを感じれば次々に疑問は浮かんでくる。
まるで天国とも言えるこの柔らかな感覚は、あまりに血溜まりのクドーにとって不釣り合いだった。
俺は、地獄に行くはずだろう。



――――誰かが俺の名を呼ぶ。



耳鳴りにも近いその声に気付いたのはいつだったのだろうか。
視界は未だ白のまま、身体はピクリとも動かず、不自然なほどに柔らかなその感覚は未だ健在。ここまで来るとどこか不気味なものさえ感じてしまう。
そんな不可思議な状況の中で、俺の名を呼ぶ声だけはあまりに鮮明としていた。
上辺でなどではなく魂の奥底に響く様な、跪きたくなるような人ではない何かを感じさせる荘厳なそれ。
女? 男? いや、中性的にも聞こえる。そんな声がしきりに俺の名を呼んでいる。

ここはどこなんだ。俺は、一体どうなっているんだ。
名を呼ぶ声に応える前に、それだけが知りたかった。
もはや人として定義することが出来た俺にとって、この暖かな感覚はあまりに、あまりに――――俺の心を責める。

「ここで終わってもいいのかい?」
「それが望みだ」

名を呼ぶだけだったその声が、俺に問う。
この状況に狼狽していながらも、その問いには驚くほどすらすらと答えることが出来た。
なぜならその問いは幾度も俺自身が自問自答してきたことなのだから。

――――無論、エルク達と共に最後まで一緒にはいたかったさ。

だがそんなことをすれば必ず俺の心は壊れる。
今の今まで多くの命を吸い、消えかけた命を見捨て、悪行の限りを尽くしてきたこの俺が、彼らと歩を合わせるなどと耐えられるわけがない。
だから逃げたのだ。こうして今、死の向こう側で笑っているのだ。

「卑怯な悪党で終わっていい。無残な死で終わってもいい――――最低の『人間』で、終わっていい」
「…………」

呼吸。
その動作が出来ることに心で苦笑したが、あるかどうかも分からない肺に通る空気は新鮮だった。
もういい、意識を閉じよう。死という逃避を以って、罰を以って――――。
そんな想いに駆られたその時、『ソイツ』は、吐いた。





「君は、本当に罰を受けたのかな?」
「――――」





全てが強張った。
隠し続けてきた矛盾の深奥が貌を覗かせた。
意識が――――逆流する。





◆◆◆◆◆





「――――――――」





果たしてその荘厳な声が真実化け物と堕ち、ぐずぐずに崩れ掛けた身体のクドーの意識に届いたのかは定かではない。
耳すらあるかどうかも分からぬヘドロの身体に、ただ終わりに向かう狂気の意思だけを携えて吼える彼の眼前には静かに怒るガルアーノと素っ気ない態度を見せるアンデルしかなかったのだから。

白い部屋全てを覆い尽くすまでに膨れ上がった灰色の身体を、シルバーノアが侵入してきた際にぶち破った天井から降り注ぐ陽光が鈍く照らす。
あまりに多くの魔を取り込み、不死たる存在に近しいためかその醜悪な身体は焼けるような音を立てながら崩壊する建物の煙と混じり合っていく。

終焉。
疑う余地もない、血溜まりと呼ばれた化け物の最後だった。

アンデルによって放たれた膨大すぎる魔力が『クドーだったもの』を打ちぬき、やがて力なくヘドロの塊は灰となり、崩れた白い部屋の中に落ちていく。
脱出したアーク達の足止めと残されたキメラ兵たちを巻き添えにして、消えていく。
あるかどうかも定かではない意識が、魂が、心が消えていく。

これ以上の願いはなかった。
例え彼を少なからず取りまく人間達の涙があろうとも、彼はこの結末だけは妥協しようとしないだろう。そしてこの結末こそが、彼にとっての最良だった。



そう、最良。



数多の勇者、数多の戦い、数多の犠牲者。
それを以ってして尚、救われない世界において一人の異世界人がもぎ取った唯一の最良。その結末。
アークザラッドと呼ばれる世界において図々しくも選び取った最良。
あまつさえ未来の知識を勇者たちに残し、死後の世界の行く末にまで彼は希望を残した。

ただ一人この残酷な世界で毟り取ったこれ以上ない最良。
それを、世界が、許すのか。










「すまないな」










巻き戻される歯車。
凍りつく灰色の世界。
人の手に抱かれる崩れかけた身体。

奇妙な歪みが白い家を覆い尽くした時、アンデルとガルアーノという強者にさえ気取られずクドーという存在を構成する核は救い上げられた。
ただ何事もなかったかのように、『正史』であったのかのように抜け殻の身体が灰へと崩れ、何事もなかったかのように白い家は崩壊したのだ。

救いは、齎されない。
今一度、血溜まりのクドーは地獄に還る。





◆◆◆◆◆





重苦しい空気が漂っていた。

赤黒い岩肌を晒す高台には熱気を伴った風が吹き、時折遠くでは空を飛ぶ魔獣の鳴き声が薄暗い空に響き渡る。
水気なく乾き切った空気が絶え間なく吹きすさぶその高台は、凡そ人が住めるような場所ではなく、その有様は切り立った崖とも入り組んだ洞穴とも呼べる自然の要塞だった。

アゼンダ高地。

砂漠の大陸『アララトス』奥地に広がる、人々が歴史を始めたと呼ばれる場所。
今でこそ怪鳥であるロック種や土の魔人と呼ばれる魔物が蔓延っているとはいえ、時折埋もれた岩の隙間からは骨董品が出土するとその筋の人間に知られる秘境である。
専らトレジャーハンターたちは同大陸に存在する『遺跡』に眼を奪われているのだが。

どちらにしても人気など欠片もない場所に違いないのだが、そんな足場の悪い岩場の隙間を縫うようにして奥へ奥へと突き進む人影があった。

身体から頭まですっぽりと隠れる様な唐草色のローブを見に纏い、腰にはどことなく由緒あるものを感じさせるような装飾付きの剣を一振り。
深々と覆われたフードの中からは時折、少しだけしわがれた肌が見え隠れしており、どうにもこの険しい場所を踏破するには心許ない人相の男だった。
しかししっかりと踏みしめられたブーツは持ち主と長くを共にしたのか随分と草臥れており、翻したローブの中から見えた衣服も色を失せた灰色を基としていた。

旅人とも、自殺志願者とも言えるような。
そんな、現実からどこかしら乖離した気配を漂わせる男。
そんな人影が頭上を飛び交うロックから隠れるようにして前に前に進んでいた。

「……………………」

そしてやがて辿り着くアゼンダ高地の奥地。
山の頂上を思わせる様にして眼下に砂漠と遠目に見える砂の街を収めたその開けた場所で男はひとまず息を吐いた。
フードをゆっくりと脱げば、そこから見えたのは白髪と灰色が混じった壮齢の男の顔。どこか弱弱しくも凛々しさの伴った矛盾したものだった。

「光の精霊よ……」

その場に跪き、祈る様にして言葉を連ねる。
しばしの静寂。乾いた風で男が首から下げていたアミュレットが少しだけ揺れた。

そしてやがて高まる不可思議な力場。
仄暗かったはずの周囲に眩い光が広がっていき、その光は男の前で集約し始める。
魔獣ともヒトとも違う気配を漂わせながら、その光源は少なからず人型と判断出来る形へと変えていく。
まるで後光のようにして光の輪を背負い、右手に持った杖は鈍く光り、見に纏う衣装も凡そ現代では見られないどこかの部族を思わせるものだった。

「ヨシュア」
「はい」

その光源が、不可思議が、『光の精霊』が男の名を呼ぶ。
どこまでも見透かす様な眼は真っすぐヨシュアと呼ばれた男を射抜き、その蒼の瞳は彼の向こう側を見る様にして不動。
ただ今だけは魔獣の遠吠えさえも遠く、此処一帯全てが聖域とでも思える様な荘厳な雰囲気に支配されていた。

「君は、彼をどう見た?」
「…………」

その問いかけにヨシュアは浅く歯を食いしばった。
数多の戦い、数多の命、数多の時を越え、積み重ね、そして見つけた一つの命。
世界がロマリアという暗雲に包まれてから――――いや、包まれる前より戦い続けてきた彼にとってその問いは重かった。

ヨシュア・エダ・リコルヌ。
精霊から認められた勇者として世界中を飛び回るアークの父にして、時を跨ぐ者。
この世界が暗黒の王によって支配されることを予見した『恵みの精霊』によって、時を越える力を齎された『始まりの男』。
勇者と呼ばれるアークの戦いの裏側で動き続けてきた男。
ただ彼は眉を絞り、悲しげな表情を浮かべたままに口を開いた。

「光の精霊よ。私は――――今日ほど己の無力を恨んだことはない」

その言葉は、紛れもないヨシュアの本心だった。

時を越える。
果たして人を越え、神をも超える力で何を為し得ることができるのだろうか。
悲劇、喜劇、茶番。その全てを横から崩壊させる力を以ってなお、ヨシュアは無力だった。

人にはあまりに不釣り合いな力故に、日々蝕まれていく身体。
時を越えたとて干渉することすら満足に出来ず、間接的に物事へ接触するしか出来なくなった現状。
あまりに強力な力故に、無力。あまりに矛盾した力。

「私は、無力だ」
「…………」

懺悔するようにして頭を垂れ、地についた右手を固く握りしめる。
ただ光の精霊はそれを黙って聞くだけだった。





◆◆◆◆◆





目を、覚ます。
それが出来たことに俺は驚いた。

泥へと変化し、あの決戦の地で消滅したはずの自分の身体になど気が付かない。
肌を乾いた風が叩き、音無き風の音が耳に届くことにも気付かない。
土のむせかえる様な匂いが鼻を刺すことすら気付かない。
ただ視界に映る満点の星空と、その視界の端に映る赤黒い台地だけが意識の大半を占めていた。

「此処、は……」

誰に聞くでもなく、すらすらと口から出る声の音にまで気付かない。
あの時は声すら満足に出なかったはずだと言うのに、意識が覚醒し始めた第一声すら明瞭だ。
おかしい。身の回りの状況全てが、いや、俺の現状そのものがその疑問に行き着くのは道理だった。

「死んだ、のか?」

上半身を起こし、やがて視界に映る光景に辺りを見回す。
文明の影など欠片もない岩と土の群れ。
認識できる色が赤と黒と頭上の浮かぶ星の光だったことに少しばかり呆ければ、どこか馬鹿馬鹿しくなって声が漏れ出た。

「……地獄か」
「違う」

座り込んだままに吐き捨てた俺の声に応える声が背後から聞こえた。
ゆっくりとそちらの方を向き、暗がりの中に輪郭を持つその人型を見やる。
ローブを見に纏った中年の男と眼があった。

「……死神か何かか?」
「それも違う、クドー君」
「俺の名を?」
「ああ」

得体の知れない存在が目の前にいるというのに、俺の心はどこまでも平坦だった。
死んだ、のだから当然かもしれないが――――いや、それ以上に目の前の男になど興味はなかった。
死後がどうであれ俺の物語は既に終わり、これからどうなるかすらもはや興味がない。
俺は、成し遂げたのだから。

だというのに、この男は随分と悲しそうな顔で俺を見る。
悲しそうな瞳で、俺を見やる。
だから俺は聞いたのだ。聞かなければよかったのに。

「ここはどこだ?」
「アゼンダ高地だ」

時が凍った気がした。
急速に廻り出した思考は様々な言葉を記憶の奥深くから浮かびあがらせていき、やがて真っ白になった頭の中で俺は言葉を失った。

アゼンダ高地?
アララトス?
――――アークザラッド?

何故。
何故だ。
何故。

死んだ。
死んだだろう。
死ななきゃ。

死後?
アゼンダ?
――――何が起こっている?

何が何だか分からない。
こいつは誰だ?
此処は――――。



こいつは。



聞く。
震える唇で。
心で。

「名を、教えろ…………」

止めろ。
答えるな。
間違えろ。

なあ、終わったはずだろ?
もう先はないだろ?
何も考える必要はないだろ?

死こそが。
死こそが。
死こそがっ――――。



「ヨシュアだ」



瞳の奥が、赤に染まった気がした。





◆◆◆◆◆





「貴様ッ……時を……俺をッ!!」
「そうだ」

軋む身体でクドーが跳ね起きれば、喚き散らす様に叫びながらヨシュアに飛びかかった。
胸倉を掴み上げ、阿修羅の如き形相を浮かべては歯を食いしばる様にして黙りこくるヨシュアを睨みつける。
腹の底から、心の底からわき上がる憎悪と落胆の言葉はクドーに御しきれなかった。

「何故だ!? 何故助けた!!? 何時、誰が救いを他者に求めた!?」
「…………」
「戻せ! 今すぐにだッ!!」

息を切らし、しわがれた目を真っ赤に染めて――――包帯が剥がれミイラのような身体を晒したクドーが叫ぶ。
剥き出しの犬歯などもはや人のそれとは明らかに離れた刺々しさを持ち、その光景は今にもヨシュアを喰おうと襲いかかる魔物だった。
だが、その仄暗い空に吸い込まれる声は泣いていた。

「それは……出来ない」
「願いでもなければ頼みごとでもない……命令だ……さっさと俺の時を」

そこまで言いかけてクドーは唐突にその場に胸を抑えながら座り込んだ。
痛みなど当に忘れたはずのキメラの身体が軋み、彼の顔は苦痛に歪む。
果たしてそれは死の間際に起動したあの自壊装置の影響か。それともヨシュアのように時の干渉を受けてここに存在する対価か。

そのどちらでもなく。
クドーは震え、痛みを感じる身体を引き摺る様にして背に感じる気配へと視線を向けた。
人ならば誰もが幸福と安らぎを感じるであるだろう、その暖かな光の気配へと。

「き、さま……」
「やはりキメラに侵された身体では僕の影響は大きいか……」

闇に生きる者であれば拒否せざるを得ない波動。
誰よりも闇にその身を落したクドーには耐えかねるそれは、悲しげな瞳で彼を見下ろす光の精霊のものであった。
そしてそれと同時に、クドーは察した。

「お、前か……」
「そうだ。血溜まりのクドー。僕が、ヨシュアをあの『時』に向かわせた」
「ぐ、くっ……何故……」

くぐもった声を漏らしながらクドーは這いつくばる様にして光の精霊を睨みつけた。
全てを否定しつつも――――何かに縋る様な瞳だった。

「何故貴様らが今更しゃしゃり出る……貴様らが見るのは、ぐ、が……大局だろう」
「自分のやったことは小事に過ぎないと?」
「はぁ……はぁ……貴様らが俺の行いを重く見るのであれば、真っ先に勇者を……エルク達を救うべきではないのかッ!!」
「…………」
「救うべき時に手を出さず、求めぬ者に手を出す……何が光の精霊だッ……」

怨嗟の声。だがしかし吐きだせたのはそこまでだった。
無理やりに時を越えた影響と、元々死に損ないだった身体、そして光の精霊の気配によって薄れていくクドーの意識。気を失いかけたその時まで彼は今はあるはずもない胸元のナイフを手で探っていた。
一体何のためか。自害か、それとも自分の救いを阻んだ者を殺すためか。
どちらにせよ、気を失って倒れたクドーを、光の精霊とヨシュアは黙って見つめていた。

「……大局、か。僕らは全能な神ではないというのに」

光の精霊が呟くその言葉に、感情は籠らない。
だがその人型の顔が浮かべるのは微かな虚無感であり、そして悲哀だった。

彼の言う通りに、この世にいる精霊は全能などでは決してない。
むしろ日に日に強まる闇の気配にその力は衰え、こうして自らが馴染んだ土地に隠れねばすぐさま消えてしまうだろう。
事実これまでも多くの精霊たちが無情な世に消えて行った。

例え人の営みを人間自身に任せることが精霊の常としても、今この世界を覆うのは闇の精霊による魔手。
ならばその触手が伸ばされる場所へ時を越えるヨシュアを遣わすか、それとも自らの卷属を送るかして闇の流れをせき止めることも出来たはずだった。
だが出来ない。そのような力などもはや残っていない。
ただ最後の願いとなったアークを見守り、その戦いを見守ることしか出来なくなっていた。

そして、アークを通して見るその戦いの中でようやく、光の精霊は『世界の全てから隔絶された何者か』を感じ取ることが出来たのだ。
無論光の精霊もヨシュアも、クドーの正体が何であるかは全く分からない。
だがしかし、この世界中でただ一人クドーは異端者だった。

「どんな人間も、魔物も、草花も空も……そこには繋がりがある」
「…………」
「それを絆と呼ぶのか、それとも世界の祝福と取るのかは別としても……この世に存在するものであれば必ず纏う気配」

それをなんと呼ぶのかは光の精霊でさえも分からない。
だがしかし、確かにクドーの纏うその『魂』は全てから切り離されたような異常性を持っていた。
故に、時を越得ても尚、ヨシュアは簡単にクドーに干渉することが出来、そして救い出すことが出来たのだ。

――――転生者。それは本人しか知り得ぬ事

だがそれ以上に皮肉だった。
間接的にしか誰かの助けになれぬ身にまで落したヨシュアが初めてその手で救った者が、誰よりも救いを求めぬ輩だったなどと。

「光の精霊よ。例え望まぬ結末であれ、ただの独善であれ、消えゆく命を救いたいと私は思う。思っている。故に助けた」
「知っているとも」
「しかし貴方の意思が私には分からない。人を平等に見守る精霊であれば、貴方は私に彼の事を知らせなかったでしょう」

ゆっくりと、確かめるようにしてヨシュアは言葉を連ねる。
死にたいと願うクドーの意思。救いたいと願うヨシュアの意思。
どちらが正しいかなど決められるわけではないが――――。
光の精霊は、空を仰ぎ見た。

「彼に――――勇者の欠片を見出したのかもしれない」
「…………世界の平定のために……」
「今さらだよ。ヨシュア」

誰に言うでもなく、愚かな精霊は呟いた。





「救世の本質とは、犠牲だ」

















[22833] 蛇足IF第二部その2
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:e902f9db
Date: 2011/09/11 17:00



すぐに心の内から這い出て来たのは、理不尽な救いに対する怒りではなく恐怖だった。
今の今まで抑えつけ、見て見ぬふりをし続けて来た常識が顔を覗かせる。
もはやこの世界に、殺し殺されの世界に慣れ親しんだはずの心が予期せぬ事態に崩れ始める。

「何故だ」

自分の歪な身体だけが輪郭を保った黒の世界。
幾度も魔物と人を喰い続けて来た自分だけの世界で膝を抱える。
声だけが憎たらしいほどに響いた。

「何故だ」

誰に、何が――――意味は。
ただ無意識のままに呟いた言葉は、相も変わらずずっと暗闇の向こうまで響く。
俺の目の前にいる、今の俺の輪郭とそっくりなこいつは何も答えてはくれなかった。

「…………」

ファラオ。
救いが成立した時より、最も俺の肉体と密接に絡みついていたために道連れとして死んだはずの意識がそこにはあった。
だが、いつも通りに、俺の問いには何も答えてはくれなかった。

「――――俺を喰え」

そうすれば楽に、あの偽善者共に救われたこの命を捨てられると思い、命じた。
視線も合わさず、声も荒げず、淡々と命じた。
だがやはりこの物言わぬ『最初の魔物』はピクリとも動かず俺をじっと見つめるだけだった。
それが、腹立たしかった。

「言う事を聞けッ!!」

そのまま不格好に蹴り上げる。
まるで駄々を捏ねる子供のように勢いさえ乗らない下手くそな蹴りに、自分自身が苛立った。
そして、少しだけ体勢を崩しただけでやはり俺を見つめることを止めない、俺に似たナニカ。
無言が、見えない視線が、どこまでも俺を不機嫌にさせる。





白昼夢にも近い光景を脳裏に浮かべ、にっちもさっちもいかない状況に苛立てば、俺の視界には変わらぬ砂の大地が広がっていた。
やがて残っているのかどうか怪しい五感が戻り始め、アゼンダ高地一体に吹く空っ風が肌を叩き、砂の匂いが鼻の奥に通る。
バタバタと小うるさい音を立てて靡く外套――――の切れ端が腰巻に巻かれており、相変わらず俺の醜悪な身体は晒したままだった。

「…………」

包帯でこの身を隠すようになって久方ぶりに、何にも縛られない身体に風を受ける。
本来であれば清々しさの一つでも感じられそうなこの一時であっても、やはり俺の心に渦巻くのは眩しく降り注ぐ陽光とも遥か遠くまで続く青空とも違ったどす黒いものだった。

じゃり、と。

砂場を踏みしめる様な足音と共にヨシュアが俺の背後に立つ。
別に振りかえったわけではない。ただこんな辺鄙なところに足を踏み入れる奴がこいつ以外にいないだけだ。

「気分は?」
「殺されたいのか」

アークを20前後の青年と断定するのであれば、背後から聞こえたヨシュアの声が年老いた老人のそれのように弱弱しいのは一つの疑問であった。
時を越える。果たしてその力の代償がどれほどのものか。時折せき込んで見せるこの男の身体を思えば――――やはり納得がいかなかった。
残り少ない寿命を削ってまで、何故俺を。

「…………お前は」
「打算がなかったわけではないさ」

打てば響く。
一体俺の何を知っているというのか、と喉から子供のような雑言が出かかったが、やがて歳の甲ということで無理やりに納得して飲み込んだ。
しばしの沈黙。アゼンダ高地に吹く風は、乾いている。

「死が救いとは、思っていない」
「それはお前の考えだ。俺の考えではない」
「君は知らないだけだ。選べなかっただけだ」
「俺は選んだ。選択肢は少なくとも、少なくとも、俺が選んだ道だ」

――――。

「ならば今、君の前にはたくさんの選択肢が転がっている。それでも死を選ぶのか」
「押し付けられた選択肢に興味はない」
「その押し付けられた選択肢を選んできたのが君の生だっただろう」
「ならば望んだ最後を掴み取り、それを横から奪い去った貴様は何だ。死すべき悪か?」

――――。

「…………何故、死を選ぶんだ」

つまるところ、ヨシュアの言いたいことはそれなのだろう。
光の精霊を背に、無情な救いを与えられた瞬間こそ怒りに心が染め上げられたが、目を覚まし茫然とこの景色を眺めていればそんな激情も鳴りを潜めた。
そんな凪いだ心でヨシュアの言葉を聞けば…………道理だった。

勇者として、世界を救う者として動く輩が死を肯定出来ないのは道理なのだ。
それが意味ある死ではなく、無意味な死であるなればなおさら。

誰かを救うために死ぬ。
罪を償うために死ぬ。
世界を守るために死ぬ。

死ぬことを肯定する時、そこにはそれを以って有り余る『理由』が必要なのだろう。
だからこそ、ヨシュアは俺の死を認められない。
数多くの死を、惨たらしい死を見て来ただろうにも関わらず、勇者は意味無き死に慣れない。そこに理由を求めようとする。
人はそれを優しさと言うのかもしれない。人はそれを甘さと言うのかもしれない。

その上で――――彼らは、死を乗り越えて行く。

笑えた。乾いた唇が弧を描く。
やはり俺は、勇者とは一生相容れないのだと思った。

エルクと、ジーンと、ミリルを救い、彼らとの間に感じられた縁を、俺を呼ぶ声と涙と想いによって知ることが出来た。
故に、俺は人間になれた。
俺の望みを事ごとく完遂し、ただ一つの願いを掴み取ることが出来た。

ありとあらゆる願いと、命を犠牲にして。

「今でも、聞こえる」
「何?」

目を閉じる。脳裏に浮かぶのは掌に握ったナイフで首が飛ばされ、悲壮な顔をしながら死んでい命の光景。
手を開く。そこに広がる感触は肉を裂き、血が吹き出、赤に染まった生温かい命の色。
耳を澄ます。聞こえてくるのは俺を化け物と呼ぶ声と、命乞いで喉を枯らせる必死な音。

「人間であることを願ったのならば、叶ったのならば」
「?」

喉が痛い。
手先が震える。
足に力が入らない。

――――心が、それを受け入れることなど俺には。

「無理だ」

罪悪感。
それに耐えきることなど、無理だ。





◆◆◆◆◆





どう足掻いても俺の中に薄らと残る『常識』『良識』そういった記憶は消えなかった。
いくら化け物の振りをしていても、狂った振りをしていても俺の根本はやはりそれなのだ。
真実化け物であればエルク達と縁を結ぶなどという選択肢は選ばなかっただろうし、そもそもプロトとして生きるのであればここまで執着することもなかっただろう。

どんなに壊れていても、俺の記憶の奥底にはそれがある。

心の弱い平凡な人間。事なかれ主義の模範的人間。怠惰な平和を貪っていたはずの、人間。
だからこそ気付かぬふりをする必要があった。気付かぬふりをしたまま死ぬ必要があった。
だがしかし、俺は、生き残ってしまった。
もはや目的を達成し、無意味に生き残り、自由を飽食する立場になったとはいえ、俺の心に安寧など降って沸いてはこなかった。

後ろに何者かの怨みがましい視線を感じ、振り向く。
誰もいない。
何かが俺の足を掴んでいるような気がして、足元を見る。
誰もいない。
耳の奥に俺の名を呼ぶ声がして、はっとする。
誰もいない。

太陽が沈み、月が煌々と照らしだされる深夜。
アゼンダ高地の一角、ひと際大きな岩を背にして、俺は眠ることが出来なかった。
目を閉じることすら――――怖かった。

何故、死なせてくれないのか。
自らの命を絶とうと岩の一角に頭を潰す覚悟でぶつければ、相変わらず俺の不死の身体は再生を始めた。
ならば未だ俺の胸の中で止まっているだろう自壊装置を暴走でもさせようと胸をこじ開ければ、そこには何もなかった。
今更になって俺は、不死の身体を呪った。

また、俺の名を呼ぶ声が聞こえる様な気がする。
怖くなってすぐさま後ろを振り向けば、そこには薄らと光を灯した光の精霊が佇んでいた。
相手が何を言うより先に、俺は何故だと問い質した。
何故死ねないのだと。

「そういうふうに、弄くったからね」

答えを言うつもりはないらしい。
不死の身体はもはや一つの機能として身体に備わっているために納得しないわけでもないが、自壊装置の方はどういうことなのだろうか。
無論俺に秘密でガルアーノが取り付けたために、その詳細を知っているわけではない。
どのように作動してどのように機能しているのか。不死をただの機械で御しているわけではないだろう。

どうあっても死にたい。逃げたい。この声から逃げ出したい。この心から逃れたい。
およそ懇願にも近い想いだった。
闇と相反する光の精霊。それを考えれば、自壊装置という希望を失った俺を消滅できるのはこの光の精霊か、アークか――――ひょっとすれば、グルガか。 
勇者たる光によって末梢されるか、それとも大いなる闇に取り込まれるか。闇の取りこまれ、この心を誰かに染められるのは論外だった。
そんな、死ぬことばかりを考えていれば、光の精霊は口を開いた。

「そんなに死にたい?」
「黙れ」

俺を、俺を生かした奴が何を偉そうに言うのだ。
こいつが、こいつさえ余計なことをしなければ俺は今頃。
ギチリと歯を食いしばり、恐怖の真っただ中にあった心を怒りで染め上げる。

「アークの力になって、最後に世界を救ってくれるんだったら、叶えても」
「世界を救う頃にはアークも貴様らもこの世にはいないだろうが」
「…………そこまで、知っているんだね」

苛立つ。
この世界が救われる方法はただ一つ。ロマリアの裏で暗躍する闇の精霊『暗黒の支配者』などとふざけた名の者を倒すか、封ずるかのどちらか。
そしてそれが出来るのは精霊に祝福されたアークであり…………いや、止めよう。
俺には関係のないことであるし、俺は死にたいのだ。

「君に、可能性を見た」
「五月蠅い」

どいつもこいつも。何故俺に関わる者は世界を救う勇者しかいないのだ。
もしも平凡な人間なら、剣を取ることに躊躇いを持つ人間なら、分かってくれるだろうに。
いや、ガルアーノの下に居た時はたくさん蠢いていたじゃないか。俺と同じ…………。
…………止めよう、こんなこと。

「…………何故君は」

終わらぬ思考に陥れば、光の精霊が心底不思議だと言わんばかりの声調と共に首を傾げた。
世界を司るこの存在がそんな顔をするのが俺には意外で、少しだけ剣呑が下がった。
だが紡がれた言葉は、逆に俺の口を噤んだ。

「助けを求めないんだ?」

――――。

「人は、助け合うものだろう?」

資格がないと言えば楽だった。
だが資格を決めるのは俺ではなく、おそらくは今まで命を奪ってきた者たちが。
うまく頭が働かない。

「それに、罰は与えられるものだ。君が決めるべきものではない」

何だよ。逃げさせてくれないのかよ。
もう、そんな大層な御託じゃないのは知っているだろう?
違うんだよ、もう嫌なんだよ。逃げたいんだよ。
責任とか、罰とか、どうでもいいんだよ。

もう、悩むことすら億劫だ。

だから、誰かに任せる。
俺を殺してくれる誰かに。
そうだ、助けてもらうんだ。





「おい」
「何だい?」

「今の時間軸はいつだ」
「変わってないさ。白い家が崩壊してから一カ月っていったとこか」

「エルク達はどうなってる」
「…………いろいろ、さ」





「シャンテはどこだ」
「ん?」





彼女なら、俺を殺してくれる。
弟の仇である、俺のことを。












[22833] 蛇足IF第二部その3
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:a064bf51
Date: 2011/09/11 17:00
ハルシオン大陸西部のアララトスとなれば、見渡すばかりの広大な砂漠や木々一つ生えない禿げた高地などは珍しくない。
日中は死が這い寄ってくるほどに苛烈な陽光が降り注ぎ、夜になれば身体を凍えさせる冷たい風が吹きすさぶ。
人が住むにはどうしても厳しい環境ではあったが、だからといって人が集まる街が少ないわけではない。

むしろ古代の文明が埋もれた大陸として冒険者やトレジャーハンターといった命知らずが足を踏み入れる国として、ある程度の施設は整っているというものだ。
無論それに即した交易の国としてもこの砂漠の街はある意味で潤っているとも言えよう。
管制塔やら何やらで整備された空港と、レンガ造りの家々が立ち並ぶガザリアの街を見比べれば何ともちぐはぐな印象を持つのかもしれない。

ガザリアの街。はっきり言えば胡散臭さと荒っぽさしか感じられない砂の街である。
一度商店街に足を踏み入れればどこの遺跡から発掘したのか怪しげな商品を売り付ける露店が並び、酒場ではそういった掘り出し物の情報を求める男達が溢れている。
それに砂の街ということでか、どうしても砂の風を防ぐために全身をローブで隠す人間が多く、顔さえ見せない輩がうろつく様はどうにもよそ者を歓迎しているようなものには見えない。

つまりは――――クドーにとっては有難い街ということだ。

左右にテントを並べたその露店街の通り道を、周りと同じようにすっぽりとローブを頭から被っていたクドーが人ゴミの間を歩いていく。
前まで自分が主な活動場所としていたアルディア大陸ならばすぐさま不審者として通報されそうなそれも、ここでは背景に溶け込むほどに珍しくはない。
むしろ彼が培った陰形と組み合わせればクドーに気付く者など一人もいなかった。

「…………」

何の目的があって彼はここにいるのか。
無論それはこの国から出るためにどうにかして飛行艇を使う必要があったからだ。
前世の――――所謂現代世界のようにパスポートがどうの身元がどうのなどという細かい話はこの世界にはない。
お尋ね者であるはずのアーク一味がそれほど気遣わなくとも私有船であるシルバーノアを空港近場に留めていられるのもそのおかげだろう。

だとしても、この国を出るにはあまりに彼の容姿は特殊すぎた。
全身を包帯で巻けば火傷のせいだなどと誤魔化すことも出来るし、そうすればギリギリ人型として人間と間違われることも出来なくはない。
だが腐ってもキメラ、つまりは魔物である。余計な諍いは避けて通るべきことだった。

(…………わざわざこのような厄介な所に連れてくるとはな)

内心で彼はこの地へ連れて来たヨシュアと光の精霊に向けて唾を吐き捨てる。
時の干渉によって死に体の自分を救いだした事そのものはヨシュアの力を以ってすれば可能であるとでも考えられるが、何故このアララトスなのかはしばし推測が混じる。
おそらくは光の精霊が幾らか手助けしたに違いない。むしろ奴が主導でヨシュアは。

そこまで考えてクドーはそれ以上彼らのことについて思考を巡らせるのを止めた。
どう考えても冷静な心ではいられず、滾ってくるのはどうしようもない怒りに過ぎなかったから。
ヨシュアはまだ許容出来る。彼がアークやエルク、それに準ずる意思を持つ人として足掻くものならばこの行いにも幾らか同情することは出来た――――誰でも無い自分の話であるが。

だが、光の精霊は別だ。

ヒトではない、足掻く者ではなく、見守るものでしかない存在が自らの決心に口を挟むのは唾棄すべき行為だった。
クドーの中ではこの世に存在する精霊とは言わば神と同義であり、ある程度どころか多くの自由が利く輩と捉えていた。
ならば自らが救われたこの事実は、精霊の気まぐれ以外の何物でもない。
救うならもっと早く。救うなら勇者を。救うなら――――馬鹿な考えだと思いクドーは頭を振った。

兎にも角にも今必要なのはこの大陸から出て、自分を殺せる者に助けを乞うことだった。
つまりは、今はトウヴィルに集まっているであろう勇者たちの一人、シャンテの下へ。

(タイミングは…………別行動……別行動するのか? いや、シャドウならば)

これでも自らが世界の流れを回し、制し、操ってきた経験がある。
しかし既に狂いきったこの世界ではクドーの持ち得る知識など棒にも箸にもならない無用の長物であったが、『今の彼』が盲信するには十分な知識だった。
エルクはパレンシア城でポコと出会うだろうし、リーザは故郷であるフォーレス国に行くだろうし、シュウはロマリアでトッシュと邂逅するのだろう。
ならばシャンテは? …………クドーは、彼女がクレニア島へ行くだろうと信じてやまなかった。


――――彼の背後を付き纏う影のことなどに気付かず。





◆◆◆◆◆





取り合えずは何か飛行艇に忍びこむ方法がないかと模索したクドーだったが、誰ひとり伝手などない現状では無理に等しい。
この地で彼を知る者と言えば光の精霊であり、そしてヨシュアだけだった。
シャンテの居場所を聞くなりさっさとアゼンダ高地を降りた彼からすれば今更泣きつくのは愚かすぎる行いであったし、何よりあの二人が自らの考えを肯定するなどありえなかった。

であれば魔物という点を活かし、世界中に拡散しているロマリア関係の魔物兵にでも成り変わろうとでも思ったが、光の精霊の守護が行き渡るこの大陸にロマリア兵の姿などどこにもなかった。
力が衰えたなどと嘯く光の精霊であったが、このアララトス一体に眼を光らせるくらいは出来ていたらしい。

――――彼が目を光らせる理由はそれだけではないのだが。

どちらにしても進退きわまったクドーは、どうにもならない状況にため息を吐かざるを得なかった。
そしてようやくにして気付く。自分をつけ回し、剣呑な視線を影から投げ掛ける存在に。

未だ人ゴミの中、刺さる様なその視線にクドーの肌は泡立ち、心臓が跳ね上がった。
無論ガルアーノの右手として生きて来た彼がそのような殺意の視線に晒されることなど日常茶飯事なはずだったのだ。
なのに、彼の瞳は面白いほどに泳ぐ。

(……どこだ……誰が……追手? …………復讐ッ?)

呆れるほどに臆病になった彼が視線を彷徨わせても、自分の周りにうろつくのはローブとフード深々と被った人間の群れ。
やがてその全てが敵に見えてしまうのは道理だった。
だから彼は、そこから脱兎のごとく一目散に逃げ出した。

(…………ばれた!? 何故!? まだ、ばれてないはずッ! ヨシュアか!?)

死を望む者が、その視線に恐怖する。
あまりに矛盾したその様ではあるが、彼が何よりも忌避したのはその行為ではなくそこに込められる意思。自らを糾弾する意思そのものに彼は怯える。

露店街の通りを駆け抜け、こちらを不思議そうに見やる街の人間の視線に晒されながらクドーは必死に走った。
だがそれでも自分に向けられるあの殺意の視線は途切れることなく後ろから迫ってきている。
もはやそこにアルディア中で恐れられた『血溜まり』の姿などどこにもなかった。



そして、走りに走り、ようやくにして街外れの岩場まで辿りつけば。

「こんな所で賞金首を見つけられるたぁ、儲けもんだなぁ、おい」

彼を追っていたのはハンターの集団であった。
クドーを追い詰めたと言わんばかりに自らが羽織っているローブを脱ぎ捨て、肩で息をする彼を値踏みするようにして剣を向ける。
4人。それぞれが完璧に武装し、手に持った手配書とクドーを何度も見返す様は確かにハンターだった。

「…………何故、俺を」
「はぁ? てめぇ、東アルディアの……あー……インディゴスだったかで暴れたんだろう?」
「お前、ハンター舐めてんのか?」

心底不思議そうにクドーの言葉を小馬鹿にし、やがてげらげらと笑い始めたハンターの姿にクドーは言葉を失った。
今更、今更の話である。例え物語を加速する為に必要だったとはいえ、エルク達と無用な接触を望むためとはいえ暴れたあの一件が無くなるわけではない。

――――来た。来てしまった。ツケを払う時が。

震える手で胸元を探り、ナイフを握ろうと思えば未だ武器すら手にしていなかったことにようやく気付く。
あまりにも迂闊。視野狭窄に陥っていた『ただの人間』が、まともな思考で相対することなどもはや不可能であった。
愕然とし、舌舐めずりをするようにして近寄ってくるハンター達から逃げるようにして後ずさる。

そして――――。



『哀れ』



心の中に唯一残ったもう一つの心が呟いた。

照りつける陽光がクドーの背後に影を作り、その影からやがて真っ黒なもう一人のミイラが現れる。
ぎょっとしてその歩を止めたのはハンターたちだった。

「な、何だ……!?」
「まもッ……チッ、やっぱりただの賞金首じゃねぇようだな、血溜まりぃ!!」

もはや腰が抜け、眼の前で仁王立ちするファラオの背をぼうっと見つめるだけになったクドーは、どこか遠くでハンターたちの叫び声を聞いていた。
何故こいつが、どんな理を以って、俺を――――。

そこからはただ、クドーは見ていただけだった。

クドーのそれすら越える魔法を行使し、強靭な肉体を以ってハンターを屠っていくファラオ。
呪詛のようなものを呟けばハンター達の足元から岩や砂が嵐となって吹き荒れ、そのままボロ雑巾のようにしてハンターたちは飛ばされる。
一瞬でハンターの目の前に移動すれば、彼らが身に纏った軽装の鎧を貫くようにして拳をぶつける。
そこらの遺跡の奥に蔓延るキングマミィと比べればあまりに強化されたファラオだったが…………クドーが呆けたのはそんなもののせいではなかった。

「やめ、ぐ、うわあああああああ!!!」
「ひっ、助け、助けッ…………」
「おいっ! くそ…………聞いてねえッ」

一人、一人、砂漠の砂に血を湿らせていくハンター。
まるで主の危険は排除すると言った風に戦うファラオ。
そして、ただ見ているだけの自分。

「おいッ……ファラオ!! もう、もうッ」

止めろと叫びたかった。
だが自分に殺意を向けてくる人間を生かす道理などあるわけもない。
ファラオを自らに戻そうと力を込め、しかしやがて止める。





――――俺は、何を――――





死にたいと願っているのに、逃げる。
これ以上罪を重ねたくないのに、重ねる。
人間になれたのに自分はこうして――――。





――――俺は何がしたいんだ――――










◆◆◆◆◆





もはや悲鳴すら上がらなくなった岩場の中心。
遠くで空を舞うロックが一つ鳴き声を上げたきり、俺の耳に届くのは風の音だけだった。

「ファラオ」

目の前でただ立つ包帯塗れのマミィに声を掛ければ、やはり何も返ってはこなかった。
それが俺の何かを咎めているようで、視線すら合わせることも億劫だった。
億劫――――いや、怖かった。

何故。俺はこいつのことをただの餌としか考えてなかったのに。
目的さえ達成出来ればこんな奴に関わることなどなかったのに。
俺は、こんなところにいるべき人間ではないのに。

「ファ、ファラオ……」

俺は一体このミイラ男に何を期待しているのだろうか。
目を合わさず、近寄ろうともせず、けれども口からこいつの名を呼ぶ声が漏れるのは止められない。
もう何をやっていいのかさえ分からない。

『哀れ』

吐き捨てるように呟かれた言葉に、何故か俺は座り込んだまま大地の砂を握りしめた。
感情が、心が、どう動いているのかさえ分からない。
哀れだと言うならば、さっさと消してくれればいい。
縋る様にしてファラオを見上げても、こいつは、見えない瞳で俺を射抜くだけだった。

そして唐突に喉元に奔った衝撃に眼を見開いた。

「あぐッ……がっ……」

意図せず苦悶の声が漏れ、瞳を絞る。
気付けばファラオが俺の首元を掴み上げ、その怪力のままに吊り上げていた。
咄嗟に俺を掴むその手に爪を立てるも、まるで俺の力などこいつには通じなかった。

「ゲッ……かっ…………」

息が、出来ない。
だがこの程度ではとてもではないが……死ねない。

遠くなる意識。
いや、首を絞められた程度で俺の身体が意識を閉じるはずもなく――――。
ならばこれは――――。





『魔物ならば、従え』





ファラオの、声が。





『人ならば、抗え』





――――――――――――。





『人か、魔物か』





『告げよ』





――――――――――――。





『友と繋いだ心に』





◆◆◆◆◆





子供、子供、子供。
ブランコ等の遊具の傍、山になった砂場の傍、重なった絵本の傍。
白の部屋に集められた子供たちはそれぞれが無邪気なまま遊び呆けていた。

ぼうっと遠くを見つめれば砂場の傍でミリルが他の子供たちを率いて砂の城を作っていた。
ゆっくりと横を向けば、寝転がったまま絵本をつまらなそうに見るジーンがいた。
そしてジャングルジムやらが集う遊具の傍には、仏頂面のままエルクがブランコに腰を下ろしていた。

気配に気付き、そのまま天井の傍で此方を見下ろしているガラス越しの研究員達を視界に入れる。
じっとりとした視線は此方を研究材料としか認めぬ狂気の瞳であり、僅か10にも満たない子供には理解しえぬ視線だった。

「…………」

その中心。白の部屋の、中心。
俺はただ立ち尽くしていた。

記憶に無い、いや、正気を保っているというのならばこの光景はあり得ない。
何せつい先ほどまで――――その、先ほどまでの自分の無様な姿を思い起こせば無意識に眉を潜めた。
向けられた殺意に、敵意に、ただ慌てふためき、震えていただけだったあの時。

ふと、何かの気配に気付き後ろを振り向く。
そこには先ほどまで俺の首を絞めていたファラオが立っていた。

理解する。
これは、俺の心の――――。
いつもはただ黒い空間で、取り込んだ魔物を喰らうだけの処刑場だったのに。

理解出来て、理解し得ぬ状況にファラオをじっと見る。
自分の心の中だというのにその説明を他者である、しかも魔物であるこいつに求める自分に吐き気がした。
そして勿論ファラオはペラペラと喋るわけもなく、ただじっと俺を見つめるだけだった。

ふと、砂場の中心から歓声が上がった。
ミリルと共に遊んでいた子供たちが砂の城を作り上げたのか、子供の丈程もある城を囲み笑っている。
遠くではそれを眺めながらジーンが顔を緩め、ブランコを漕いでいるだけだったエルクはその光景を一瞥するとつまらなそうに鼻を鳴らしていた。

俺たちの日常だった。

来たる悲劇の時までひたすらに遊び、ひたすらに寝て、ひたすらにお喋りをする。
中身が子供のそれとはかけ離れている俺にとってはつまらない日常で、日々を来たる悲劇に恐怖するだけだった日常だったが――――確かにこの日々は幸せのそれだった。
俺が縋るべき絆を見つけた、日常だった。

初心に帰るというわけでもないが、それでも一緒に遊んでいた子供たちの笑顔を見れば心が安らいだ。
助けられなかった子供の笑顔につい影を心に落とすが、それでもエルクとジーンとミリルが笑っていてくれれば、俺はそれで満足だった。

視界が、暗転する。

気付けば俺はエルクとジーンとミリルに囲まれ、砂場の中心にいた。
どうやら先ほど作った砂の城より高い城を作りたいと駄々を捏ねたミリルに、男三人がせこせこと砂を固めていた。
俺も、身体だけは既にミイラ男のままだというのに、せっせと城を作っていた。

「なークドー。本当におれらよりでっかい城なんて作れんの?」
「わたしたちが作るの! ぜーったい出来るもん」
「ちっ……なんでおれが」
「エルク! もんく言わないで作る!」

幼さが残りながらも不器用なエルクの声に、ミリルが砂だらけの手で人差し指を立てて叱りつける。
それを眺めながらジーンがエルクを馬鹿にしたようにして笑い、そして二人の取っ組み合いが始まり――――。
多分、俺が、いつもは苦笑しながら止めるのだろう。

記憶にないわけがない。
これが、俺達の。

「あれ? クドー? どうしたの?」
「お、おい……なんで泣いて、る?」
「どうしたんだ?」

砂だらけの手で、乾いた眼下を拭う。
何度も何度も拭う。
泣いていると三人は言う。でも何度も何度も眼下を拭いても、乾いた身体はそれを感じない。

よくわからない。
いくら心の中の光景だとしても、自分が今どうなっているのか分からない。

でも多分、俺は泣いているのだろう。





◆◆◆◆◆





暗転した視界に少しだけ意識を取られ、もう一度眼を開ければそこは先ほどハンターに襲われた岩場の中心だった。
俺はただその岩場の一角に背中を預け、相変わらず吹きすさぶ空っ風にローブを靡かせながら座っているだけ。
頭上を飛んでいたロックの泣き声すら響かず、ただひたすらに俺は風の音の中にいた。

いつのまにかファラオも既に俺の中に戻り、一言も喋る気が無いのかただ黙っているだけ。
一体どれほどの時間が経ったのだろうか。未だ太陽が空高く昇っている所を見れば、そんなに時間は経っていないのかもしれない。
そんな何でもないようなことを考えれば、俺が背を預けた大きな岩を挟んだ向こう側で誰かが声を上げた。

「ポルタ、という妻が私にはいるのだが」

何を突然と思うより先に、その声の主がヨシュアはだったことに驚いた。
だが身を起こす余裕もなく、そのつもりなく、ただ独白のように語るヨシュアのそれを背で聞いていた。
どこか昔のことを語る様な柔らかな声だった。

「君は知っているのかもしれないが、今はアンデルに攫われてしまっていてね……」
「…………」
「あれは私のミスだったのだろう」

詳しいことなど知らない。
本来の物語のことなど端から端まで覚えているわけではなく、俺のそれは徹頭徹尾自分が救われること前提の知識ばかりだった。
それでもこの世界は大抵にして悲劇で終わることを俺は知っている。

「時を越える、などという力を得て色々と足掻いたが……結局は他人任せだよ」
「…………一緒だと言いたいのか」
「ははは、そんな、まさか」

勇者にその全てを頼るしかなく、全身全霊を以って『裏から』動くことしかできない俺とヨシュアが一緒だなどと。
そんな想いをそのまま口に出せば、ヨシュアはただ笑うだけで――――どこか誤魔化された気がした。

「君は…………世界と、大切な者と言ったら」
「大切な者に決まっている」
「……即答だね」

ああ、多分、俺は心の中に燻る何か気付いてしまっている。
だが、だが、それは許されないことだ。
それでも――――。

「なぁ、クドー君……」
「いや、いい」
「…………そうか」

あの心の中でエルク達に囲まれ、あの無邪気な笑顔を向けられたその瞬間、抑えつけて来た感情が意地汚くも膨れ上がった。
何故俺がこんな不幸な眼にあわなければいけないのか。何故俺はこれほどまでに道を閉ざされているのか。
そのあまりのも自分勝手な考えと心に嫌悪を感じてもいたが、それでも俺の本音だった。

彼らと、まだ、共にありたい。

俺にとって自己を抑制するのは常のことであり、その隙間で望んだ最後さえ抑圧された選択だった。
死を望むなどと、誰かを救って自らは死ぬなど、俺はそんな献身的な人間では決してない。
ただ立ち向かうことばかりを諦め、誰かに何かを委ねることに慣れてしまっていただけだった。

そして今、俺はまた、死に全ての決定を放棄し、諦めようとしている。
戦う事をせずに逃げようとしている。
ただひたすらに楽を突き詰めようとしている。

それはまるで――――キメラに身を任せた魔物達みたいじゃないか。

「これからどうするつもりだ?」
「シャンテに会いに行く」
「しかし、それは……」

違う、違うんだ、ヨシュア。
逃げるつもりもない。誰かに委ねるつもりない。
俺は。

「向き合いに行く」

多分それが、俺への罰で。
そして、戦いなのだろう。
望む結末が欲しければ、戦わなくてはならない。

まあ、それで、許されないというのなら……どうすべきなんだろうな。

空を見上げる。
俺の心にはまだどうしようもない恐怖が渦巻いている。
先も真っ暗で何も見えない。

それでも、目的が見えた空は、いつまでも見上げていられそうな気がした。











[22833] 蛇足IF第二部その4
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:6ae3bd43
Date: 2011/09/11 17:00
小国ながらも格式ある文化と歴史を誇る王国スメリアが治める大陸の北部。
山々に囲まれた山岳地帯の奥にあり、その有様は文化の波に呑まれず独自の歴史を築く民族のようでもある。
アルディアやロマリアで見られるような科学の匂いが一切せず、ただ背の高い稲穂が広がる田畑と古い遺跡を祭壇として迎えたその村は誰にも知られぬ秘境であった。

トウヴィル。

といっても今はたださえ人の少ないトウヴィルの村も、村中を走る子供の姿も農業に勤しむ大人の姿も存在しない。
まるで棄てられた村とさえ思わせる寂れ具合に、その村の一角、藁が積み重なった所に寝転がっていた男はただ空を見上げていた。

「…………」

鬱陶しいくらいに伸びきった銀の髪を緩やかな風に靡かせながらぼんやりと空を見上げるのはジーン。
ヤゴス島という似た様な文化が形成された場所に住んでいた彼であっても、この人の生きている匂いがしないトウヴィルでは郷愁の念に抱かれることすらない。
むしろ彼の心中は――――不安と、怒りと。

「…………どうなるんだろうねぇ」

誰に言うでもなくぼそりと空に呟く。
ただジーンは、雲の流れる様を見ているだけだった。



そんなトウヴィルの奥地にある古の神殿。
数年前はモンスターの蔓延るただの石造りの遺跡としてあったこの場所も、今となってはアーク達の最後の防衛線であり心休まる止まり木の地。
少数でロマリアという大国、そして闇につき従う魔物達と戦うアークにとってはその真実異常に大事な場所である。

ククル――――聖母の力を受け継いだ仲間が、自分たちの帰る場所を守ってくれている。

兎にも角にも白い家から脱出した彼らが此処に帰還するのは道理だった。
このまま戦い続けるにもあまりに多くの情報が錯綜し、そして一人の犠牲者がまた増えた。
果たしてその犠牲を『犠牲』と称していいかは彼らの中でも定義しきれない話だったが。

未来を知るクドーと言う名の存在。
匿っているエルク達の今後。
ミリルの処置。
――――これから。

どれを取っても軽々しく動くには難しい問題だった。
古の神殿内の大広間、まるで作戦会議室のようにして運び込まれた大きなテーブルと椅子を囲んで、背もたれに背を預けたチョンガラが唸る。
シルバーノアの艦長にして自称アララトス王族の末裔で、商人で――――まあ、アークの仲間である。

「未来をどうのこうのという話は置いておいても、彼の情報が無駄とは思えんじゃろ」
「…………死を賭して伝えられた情報なんだ。信じてやりたい」
「情報元はそこにいる……あー……何なんじゃ? お前さん」
「知らねェよ。キメラと言いたきゃ言えばいいし、魔物と呼びたきゃ呼べばいい」

チョンガラがパイプを吹かしながら連ねた言葉にアークが神妙な顔つきで続き、そして器用に椅子に座ったままだらけていたシャドウがどうでもよさそうに答えた。
クドーの死に様を間近で見届けたアーク自身がその情報を信じ、どこか客観的に見定める様にしてチョンガラがシャドウの眼をじっと見つめる。
どこからどう見ても魔物のそれ。魔物と戦うことがその全てだったアークたちからすれば、シャドウの情報の全てを信じるには半信半疑が正直なところだった。
アークがそれを信じる、否、信じたい理由は、クドー。

「坊主たちはどうしとる?」
「あの少女の、ミリルの身体を見てもらっている頃だろう。もうしばらくすればヤゴス島のヴィルマー博士も此処に来るそうだ」
「全く……ワシは艦長なんじゃぞ? 博士だかなんだか知らんがおっさん一人迎えるのにシルバーノアを持ちだしおって」
「それも…………クドーの言葉だ」

結局か。チョンガラはどこか疲れたようにして白煙を吐いた。
白い家から戻った自分達の状況が一転したのは言うまでもない。

一気に匿う事になったエルク達6人の今後。
ロマリア四将軍による企み全ての急所を掴むまでに至る情報。
そして、俄かには信じがたい世界の結末。

自分達のことでありながらその結末はどこか別の世界の物語の様でもあり、そして実感が沸くにはそう遅くはなかった。
ならばこれからどうするのか、どうやって戦っていくのか。
答えをただ単に投げつけられたとしても、その答えを一気に書き込むのはあまりに手間で、そして戦力も足りない。

「シャドウ、だったか? あの坊主らは本当にワシらに協力してくれるのか?」
「ミリル次第だろうがな。つっても俺が見た限りククルの力だけでなんとかなるんじゃねェのか? 見た感じほとんど闇の力は浄化されてるみてーだし。旦那が残したのは、まァ…………所詮保険程度のことだ」
「彼らを…………戦わせるのか」
「知らねェよ。ま、恨みはあんだろ。たァっぷりとな」

苦悶の表情を浮かべたアークの問いかけに、シャドウは皮肉を添えてニヤニヤと笑う。
はっきり言えばクドーの――――シャドウの齎した情報に沿って動こうとするのはもはや規定事項だった。
各地のキメラ研究所を襲い、その中で着実に積み重ねていった情報とシャドウによって齎されていた情報は驚くほどに合致していた。

元々アーク達が今後取る活動として挙げられていた作戦。
フォーレス国のキメラ研究所の破壊。
スメリア国パレンシアタワー内に捕らわれているトウヴィル村民の救出。
大国ロマリアの膝元、クズ鉄の街にて行われるレジスタンス一斉蜂起への協力。
そして――――キメラ研究所破壊によって手足の捥がれたガルアーノを今こそ。

果たしてこれだけのことをたかが10人にも満たぬ勇者たちが遂行しきれるのか。
無論自分達ならばという自信こそアーク達にはあったが、だからといって不安が残らないわけではない。
逆に言えばこれほどのことを行わねば四将軍の一角は斬り落とせない。
そうなればエルク達の協力は――――アークの中でしばしの葛藤が渦巻く。時間もそう多くない。

「ん……シルバーノアが帰ってきたみたいじゃな」

しばらく沈黙が続いた中、どこか遠くからけたたましくプロペラを回しエンジンを唸らせる音が響いてきた。
議論を一旦中断させるには渡りに船であった。

「兎に角、今はまず様子見じゃな。情報が集まり過ぎててんやわんやじゃが……」
「無駄ではない。無駄にはしない」
「…………そうじゃな」

椅子から立ち上がり、脇に置いていた剣を腰に刺す。
既にアークの瞳に迷いはなかった。





◆◆◆◆◆





科学の波に飲み込まれずに、などと言ったものの、シルバーノアがトウヴィルに到着してからすぐに古の神殿内部には簡易式ながらもパソコンやケーブルといった文明の利器が持ち込まれた。
果たしてヤゴス島という孤島に住んでいたヴィルマーがそのようなものをどこから持ち出してきたかは不明だが。

そんな計測機械が置かれた神殿内部の寝室区画にて、ベッドに横たわるミリルをエルク達が囲んでいた。
忙しなくキーボードを叩くのは急にやってきたシルバーノアから半ば拉致されるようにして連れてこられたヴィルマー。
一緒についてきたリアは珍しい光景に一喜一憂しながら神殿の内部を走り回っていた。

「なあ、博士」
「黙っとれ。今急ピッチでやっとる」

例えククルの癒しの力で大部分を問題無しと判断されたとはいえ、その手の科学者に『良し』と診断されなくては心休まらない。
つい先ほど大事な友を失ったとなれば――――エルクの表情に張り付くのは焦燥だった。
寝かされたミリルを心配そうにリーザとエルクが見つめ、その一歩後ろでは腕を組んだシュウとシャンテがその様子を見ている。
そして巫女服に身を包んでいるこの神殿の主――――ククルもまたその様子を見に来ていた。

「科学、か」
「見るのは初めてかしら?」
「ずっとこの地にいるわけではないわ。昔はアークと一緒に世界中を回ったし、ね」
「そう」

ククルが抱いたのは闇の力に準ずるキメラの力さえもこうして機械によって検査――――しまいには操作することの出来ることへの危機感であった。
文明の利器が闇の力を加速させる。ククルは遠くない未来『科学』が牙を剥くのではないかと理由もない予感に囚われていた。

そんな彼女の心中に気にせず問いかけたのはシャンテ。
どことなく似た様な雰囲気を漂わせる二人だったが、それが気を紛らわせる会話だったのか、そうでなかったのか。
ツカツカと履いているヒールを鳴らしながらシャンテは踵を返した。

「どこに?」
「ちょっと、息抜きにね。どちらにしても今私が何かをしてやれることは少ないわ」
「…………」

そのシャンテの後姿をじっと見やるククルの視線には、少しばかり複雑なものが混じっていた。
エルク達と自分達の間に漂う生温く、そして時に居心地の悪さを感じる様な空気。
100万ゴッズの賞金首として一般に知られるアークの仲間たちとなれば、そのような空気も聊か仕方がないものだとククルはため息を吐いた。
誰かに認めてもらうために、褒めてもらうためにしていることではないと言えども、誤解でアークの心が摩耗するのは『待つ女』にとっては微妙な事実だった。

「別に、信じてないわけじゃないわ」

そんなククルのため息を聞いてか、振り返らずにシャンテは呟く。
見せた背中は子供の様で、どこか疲れているようにも見えた。

「受け入れる余裕がないだけよ」

その会話を聞いていたシュウもまた、壁に背を預けながら眼を閉じた。



どこか心此処に非ず、といったようにシャンテはふらふらとトウヴィルの中を歩いていた。
古と名付けられたからか神殿の中は石壁が崩れていたり隙間風がある場所があったりと散々だったが、村の中はアルディアでは見られない様々な物で溢れていた。
一体この村がどのような歴史を辿ったのかは不明だったが、歌姫として各地を転々としてきたシャンテにもこのような風情ある光景は見たこともない。
今はただゆったりと肌を撫でる風が心地よく、ともすればアークやククルといった勇者が現れる下地もある土地なのかもしれないとシャンテはどことなく思った。

シャンテは、既にアーク達のことを勇者であると認めている節があった。
しかしそれは彼らの行動や心の有り様を見たからではなく、続けざまに語られる真実に心が追いつかないだけだった。
だから、自分と関係のない事実に関しては、そういうものだと折り合いを付けて放棄した。

アルフレッド。

彼女が人生において何より優先したただ唯一の人間であり、かけがえのない家族だった男。
孤児となって各地を彷徨い、様々な街の酒場で歌う事を仕事としてからは常に一緒だった。
その道中、荒くれ者の集まる酒場に姉さん一人で行かせられないとボディーガードを言いだしたのも彼女の弟だった。

少しばかり魔法に教養のある、いや、素質のある自分達。
そこらの暴漢を追っ払う程度は問題なく、そんな物騒なものを行使しなくともシャンテが踵の細いハイヒールで蹴り上げれば、にやついた男たちは揃って泣いた。

厳しくも、楽しい毎日。

そんな魔法の才に眼を付けられたのだろうと、トウヴィルの村の端にあった切り株に腰を下ろしたシャンテは気付く。
弟が攫われたその時は何故こうなったかなど知らなかったが、今思えば自分より誰かを傷つける魔法を得手としていたアルフレッドがキメラプロジェクトの眼に止まったのは当然だったのだろう。
自分は癒すことに長けていて、弟は守ることに秀でていた。

マニキュアの塗られた、女の手で眼を隠す。
隠された表情には自嘲めいたものが浮かび、やがて口紅の塗られた唇を強く噛む。
何度も何度も記憶の底からわき上がっては心を痛めつける、弟との思い出。

裏切り、許し、戦いに明け暮れて。
その果てで見た物は、悲しみの連鎖だった。

エルク。ジーン。ミリル。
そして弟をその手で殺した――――。

果たしてその未来は必要だったのだろうか?
一緒に助けてはもらえなかったのだろうか?

クドーは未来を知ると言う。
黒い身体をして、ニヒル気な表情『のようなもの』を張りつけたあの魔物がそう言った。
ならば何故――――。

何を馬鹿な。
自分とてエルクたちを騙した。
他人の命を自分勝手に捧げようとした。

「あれ? おねーさんじゃない」

そう、自分を呼ぶ声にはっとし、顔を上げる。
そうすれば太陽を背負うようにしてジーンがシャンテを見下ろしていた。
今はそう呼んでほしくなかったのに。シャンテはそれを表情に出さず内心で呟いた。

「ジーン。アンタいいの? あの子の傍にいなくて」
「うーん……まあ、大丈夫でしょ」
「あのねぇ……」
「ほら、爺さんも来たし。それにククルさんだっけ? あの人、勇者だか聖母だかですげーらしいし」

エルクとミリルのことも。アークとククルのことも。果てには育ての親のヴィルマーのことでさえもジーンは他人事のように答えるだけだった。
へらへらと笑っては興味なさ気に頬を掻き、一人黄昏ていたシャンテの顔を心配そうに覗きこむ。

「大丈夫? 色々あったんだし休んだ方がいーよ」
「心配ないわ。どっちにしろ今は休み時だしね。アンタこそいいの?」
「何が?」

意地汚い奴だ、とシャンテは思った。
今までの付き合いでジーンがエルクやリーザほど子供ではないと感じていたのに、自分の問いに真正面から『何が』と問うのは卑怯以外の何物でもない。
そしてそれ以上に迂闊なことを聞いた自分を責めた。
クドーの最後は、死は、到底彼らには許容出来ないことだろうに。

「…………」
「ごめんごめん」

気まずそうに眉を潜めたシャンテに、ジーンは慌てて両手を振りながら一歩後ずさった。
白い家から脱出してしばらく、いやずっとジーンはこの調子である。
エルクやアークといった集団の中にもおらず、軽薄な表情を浮かべては思案するようにしてふらっと何処かへ消える。
――――気まぐれな風のようだった。

「あー……皆、どんな感じ?」
「自分で見てくればいいじゃない」
「そんなこと言わないでくれよ。拗ねちまうぞ?」
「……やっぱアンタ卑怯だわ。その顔で」
「へへ」

それでも今はジーンの軽薄さがシャンテには嬉しかった。

「エルク達はずっとミリルに付きっきり。アーク達は……言ってることが本当ならロマリアに喧嘩を売るんでしょうね。あのシャドウって奴から色々聞きだしてるし」
「ふーん……俺たちも戦いに参加するの?」
「そういうつもりはあっちにはないみたいだけど、本音を言えば私たちに協力して貰いたいんでしょうね。正直、あんな少数で国に喧嘩売るだなんて正気じゃないわ」
「そっかー」

シャンテやジーンも、アーク達の詳しい戦いを聞いているわけでもない。
詳しく聞きだすということはそれすなわち戻ることが出来ない戦いに身を投げ入れると同義であるし、何しろそれよりも色々と今は考えねばならない。
自分達を取り巻く様々な因縁は、即決即断していいほど軽くはない。

それを理解しているのか、アーク達も押し付ける様に自分達の活動を話すことはなかった。
それでもガルアーノという怨敵と戦い、そしてその背後に蠢く闇の影を感じ取れば、アークが賞金首として知られるような極悪非道な輩ではないと確信できる。
敵の敵は味方というには、その敵はあまりに巨大で醜悪だった。

ひとしきり神殿内の様子を聞いてジーンは決心したかのように口に弧を描いた。
唐突だった。

「じゃ、俺はあの勇者さん達に付いていこっかなー」
「は?」
「駄目?」
「…………いや、でも……」

何でもないかのように、まるで遠足に行くかのように言い放つジーンにシャンテは狼狽した。
何故ならば目の前で頭の後ろに両手を組んだジーンにエルクの様な悲惨な表情もなく、アーク達が浮かべるような決意のそれも無かったから。
本当に、本当に何でもないかのように吐いたのだ。
だから恐る恐るシャンテは問いかけた。

「アンタ、いいの?」
「何が?」
「いや、だって、無理に戦わなくてもミリルって子は……」

そこまで言いかけて、シャンテは言葉を失う。
既にそこにいたのは能天気な風の子ではなく、その心の内に嵐を秘めた鬼だった。

「なあ、ねーさん。俺駄目なんだ。誰も彼ももう終わったみたいな、立ち止まるみたいな顔してるけどよ。駄目なんだ。あのアークとか言う奴らは世界を救うみたいなことを言うけどさ。駄目なんだって」
「…………」
「だってさ、ガルアーノ。あいつ生きてるらしいんだぜ? おかしいだろ。あいつ何で生きてんだよ――――あいつは、生きてちゃ駄目だろ」

彼の心の中に渦巻くのは、使命に捧げる正義の心でも無く。
彼の顔に浮かぶのは、哀しみにくれる悲壮ではなく。
ただひたすらに――――憤怒。復讐の、それ。

「それに、まぁ、ついでだけどさ。あいつを殺せばまずエルク達も無事だろ? 爺さんもリアも無事だし。つまるところ、あいつは生きてちゃ駄目なんだよ。つーかさ……」





「あいつが、生きてるってのが、許せねぇんだよッ!!!」





肩で息をし、真っ白に染まるまでに固く拳を握る。
眼は血走り、もはやそこに人のそれを残してはいなかった。
瞳は、濁っていた。

「そう思うよな、アンタも」

ふと、シャンテの背後にジーンが声を掛ける。

「シュウ……」

マフラーを風に靡かせ、鷹のような瞳をした男が、そこにも一人。
誰も彼もが、そよ風ではいられなかった。





◆◆◆◆◆





カタカタと絶え間なくキーボードを叩く音が寝室には響き、相も変わらずベッドの上で眠るミリルの手を握って放さないエルク。
同じようにして横たわる彼女を心配そうにして見つめるリーザだったが、彼女もまたシャンテと同じように自らの無力を嘆き手持無沙汰となっている者だった。

「エルク……休んでた方がいいよ。傷も治ってないし」
「いや、いい」

白い家での激戦に次ぐ激戦。その最中で操られたミリルが放った攻撃はエルクに重傷を負わせているはずだった。
あの氷の刃がエルクの背中から抜き出た光景。それを見たリーザがエルクの自分の身を省みない検診に眉を潜めるのは道理である。
彼だけではない。ジーンも、シュウも、シャンテも、皆傷ついている。

素っ気なくリーザの言葉に返すエルクを前に、リーザは口ごもる。
無力だった。

そんな想いに表情を曇らせたリーザの背後で、手を休ませる暇なくミリルの検査に没頭していたヴィルマーの手が止まった。
脇に重ねられたファイル――――クドーの残したそれと比べる様にして簡易モニターを交互に見やり、やがて一息ついたと言わんばかりに視線をエルク達の方に向ける。

「ま、問題ないじゃろう」
「本当かっ!?」
「お前らの話だと、クドーはミリルの身体の中に渦巻くキメラのエネルギーを無理やり吸い取ったのじゃろう。それが少しばかり強引だったせいかミリルの生命力も一緒に持っていってしまっただけで、一週間は安静にしておけば直に元気になる」
「そうか! …………そうか」

ふう、と息を吐きつつ説明するヴィルマーの言に、エルクはやおら顔を輝かせるとすぐにそれを曇らせた。
元気に生き残ってくれたミリルへの歓喜と、それを命と引き換えに成し遂げたクドーの犠牲。
今のエルクの頭を占めるのはそれだけで、それ故に不安定だった。

「…………あいつとは、話せたのか」
「…………」
「五年前は一方的じゃったからな。儂も……礼の一つは言ってやりたかったわい」

問いかけに応えないエルクを無視するかのように、ヴィルマーは遠くに聞こえるリアの声を耳にしながら一人ごちた。
ジーンを半ば押し付けられるようにして預けられ、キメラプロジェクトからの脱走という危険な状況の中背負った荷物。
しかし、ひょっとしたら彼がいなければリアという孤児を引き取るという気概すらヴィルマーには沸かなかったのかもしれない。
堕ちた科学の中で足掻き、そして苦しんだ一人の科学者に無邪気で悪ガキ然りといった笑顔を見せたジーン。

重たい沈黙が続く中、ヴィルマーは検査のためにミリルの腕や足に取り付けたケーブルのようなものを取り外していく。
もはやこの少女はこんな闇の科学に晒されながら生きるようなことはなくなった。
幾度もその身体を弄くられながら、ようやく自由を手に入れたのだ。

「お前は、これからどうするつもりじゃ?」
「…………これから、って……?」

腕組みをし、ズレ掛けた眼鏡を上げながらヴィルマーはエルクに問いかけた。
エルクはただ茫然とその言葉を繰り返し、やがて無気力な瞳を伏せる。

当然の迷いだろう。
確かに彼らは犠牲を出した。4人揃って笑いあうあの約束を果たすことは出来なかった。
だがしかし残り3人はこうして無事に、一緒にいることが出来ているのだ。

――――ガルアーノへの反撃、復讐。
――――安寧へ手を伸ばす。
――――ロマリアの。

今、エルクは戦うことが怖かった。自分が傷つき、そして倒れてしまう事などはまるで問題ではない。
彼が真実恐れたのは、その戦いの中で自分の大切な誰かが居なくなってしまう事への恐怖だった。
ハンターとして生きた年月が残酷な戦いの現実を頭の中に湧きあがらせる。
自分の背を守り死んでいく親友、手が届かず倒れ伏す大切な人、自分はあまりにも無力で。

そんな想いに囚われた時、彼らがいる部屋に何者かが慌ただしく飛びこんできた。
敵襲かとも身構えたエルクとリーザだったが、肩で息をしながら顔を歪めているのは他でも無いシャンテだった。

「シャンテ!? 何やってんだ?」
「表であいつらが争ってんのよっ!!」
「あいつら?」

鬼気迫るシャンテの言葉に首を傾げるエルク一同だったが、その反応に苛立ったシャンテが告げた二の句に彼らもまた表情を強張らせた。

「シュウとジーンよ!!」





◆◆◆◆◆





もはやトウヴィルを包む様な暖かい風はこの二人の間には流れていない。
片方からは憤怒の嵐が、片方からは冷血な風が。
肩を怒らせたままのジーンとそれを無表情で見つめるシュウの間には闘争の影がちらつき、すでに一触即発寸前の雰囲気までもが漂っていた。

「引っ込んでろ……ってのはどういうことだい?」
「そのままの意味だ。もうこれは子供が出る様な戦いではない」

なるべく、なるべく、表情だけは柔らかく作ろうとジーンはシュウに向かってゆっくりと言葉を連ねる。
だがしかし返って来たのは辛辣すぎるシュウの返答で、復讐に眼を曇らせたジーンがその意味を許容出来たのはほんの一瞬だけだった。

「おいおいおいおい。おかしい話だろ。何で関係のないアンタからそんなこと言われなくちゃならないんだよ。アンタはエルクのただの子守りだろ」
「フッ……牙を剥くだけの獣がガルアーノに勝てるとでも思っているのか?」
「勝てるかじゃねぇんだよッ!! 殺さなきゃならねぇんだ!」

ギチリと歯を食いしばったジーンに、さもそれがおかしいことだと言わんばかりにシュウは告げる。
お前は力不足なのだと。お前如きではただ無駄に命を散らすだけなのだと。

無論シュウの心中にあったのはそんな嘲りから出た言葉ではなかった。
もはやエルクら子供達に戦いを押し付けるなど、暗い過去を積み重ねて来たシュウにとても許される事ではない。
そして、ジーンもエルクも優しい言葉で理解出来るような賢い人間ではなく、否、賢しく考えられるような余裕など彼らにはなかった。

故に、拒絶する。否定する。
シュウの予想通り、ジーンはその言葉に軽々と怒りで目を曇らせた。

「殺す? ならばはっきりと言ってやろう。お前には無理だ」
「あぁ?」
「クッ……まるでチンピラだな、小僧」

その言葉が引き金となった。

額に青筋を浮かばせたジーンが、腰元からナイフを引き抜いて一気にシュウへと肉薄する。
未だ隙だらけに腕を組んだまま立ち尽くすシュウへの、完全な不意打ちによる攻撃。
ジーンとて直接怪我をさせるようなつもりなどさらさらなかったとはいえ――――今の彼がそのような器用な真似が出来るほどに冷静かどうか。
シュウもまたそんな危ういジーンの攻撃を馬鹿正直に受けるわけもなく、そのまま大きく袈裟切りを繰り出してきたナイフに右手の甲を重ねた。

長閑な村の中に響く鉄と鉄が賦使いり合う甲高い激突音。
そのままギリギリと押し合ったシュウとジーンの顔が近づき――――そして浮かべる表情は対照的だった。

「なぁ、シュウ。邪魔すんなよ……アンタなら分かるだろ?」
「ガキの言うことなど知らん」
「ッ…………ああ、そうかよッ!」

にべもなく言い返すシュウの無表情に僅かに気圧され、それを誤魔化す様にしてジーンは回し蹴りを放つ。
といってももはやそれは何時も見せる様な軽やかなそれではなく、シュウから見ればそれはあまりにも無様な攻撃だった。
飛んできた右足をそのままおざなりに掴み上げ、力任せに放り投げる。
呻くような声を上げて投げ飛ばされたジーンは、余裕綽々とその場からさえ動かないシュウを見やり――――再び血が上る。

「おおおおおおおッッ!!!!」

無理やりに掴みかかる。
もはやシュウはそれに付き合う故もなく、影のようにしてジーンの懐に入り込むと勢いのままにその鳩尾に膝をめり込ませる。
どぼりと鈍い音が響き、そのままつんのめる様にしてジーンはうつ伏せに倒れ動かなくなった。

「…………チッ」

果たしてその舌打ちは誰に向けられたものか。
自分か。それとも目の前で無残に倒れ伏す一人の少年か。
自分たちの背後で、茫然と戦う様を見ていたエルク達か。

「シュウ……何で」

シュウの記憶の中で見た最も幼いエルクが見せた時のような、縋るような深紅の瞳。
震え、怯え、そして僅かな怒りを灯らせたそれ。
ああ――――引き返すつもりもない。
シュウは静かに決意した。

「もはやお前達の出番はない。この地で――――いや、もう戦いに関わるな」

此方を呆けたように見つめるエルクの肩に手を置こうとして、止めた。
そしてそのままシュウは神殿の奥へと消えていく。
エルクと同じように突っ立ったまま事の様相を理解出来ないシャンテやリーザを置き去りにして。





足元から全てが崩れ落ちて行く様な感覚。
倒れ伏すジーンを見ながら、エルクはそんな感覚を覚えていた。














[22833] 蛇足IF第二部その5
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:f6a3a744
Date: 2011/09/11 17:01


「歯車一つ、か」

シャドウは神殿の表で繰り広げられている闘争にも満たない喧嘩をその黒い肌で感じながら呟いた。
自らの主が死んでからのことなどにまるで興味も沸かなかった彼ではあるが、その主の遺言として協力することを命じられたのならば、それに全身全霊で取り組むことについては疑問を挟む余地もなかった。

相変わらずぐったりと神殿の大広間でくつろいでいる彼ではあったが、これからの活動に支障が出ない程度の情報を既にアーク達には伝えており、あとは彼らの行動次第ということになる。
一体自分にどのような役割が回ってくるかは知らぬ話だったが、クドーと共に動いていた時のあの胸の躍動とは程遠い。
シャドウは、少年達の心の葛藤をもつまらなそうに眺めるだけだった。

そんな彼の下へ近づくもう一匹の魔物。ウルフアンデッドであるアヌビスだった。

「今までどこにいってやがったァ?」
「なに、闇の精霊が封じられているという最奥にな。聖母の眼は厳しかったが……まぁ、問題あるまい」
「ケケケ。まさか魔物がのんびりとこの神殿に入り込んで見物たァ誰にも予想出来ねェだろうよ。リーザの犬っころは別としてな」

瞳を絞り、キシシとひとしきり笑ったシャドウに、アヌビスはやれやれといった感じに腕を組む。
邪教を模した髪飾りと仮面が揺れ、細身ながらも身体中のあちらこちらに入れ墨が彫られていたアヌビスの身体が揺れていたところを見れば、彼もまた笑っていた。
しかしそこに込められた感情は、薄い。

「シュウはぶれぬか」
「そりゃあなァ……あれじゃ本来の流れ通りロマリア密入コースだ。シャンテが続くかは微妙だが」
「どちらにせよ、アークの作戦と主の齎した情報を考えればそれは道理だろう」
「元々シュウはアークに歩幅合わせる気もねェだろ。いやァ、勇ましいこって」

ふざけ混じりで言ってはみたものの、もはや『本来の流れ』などというものが信用出来るような情報であることなどありえない。
それぞれの目的として各人が散らばって活動するのは推奨される話だが、その後に全てがうまくいくとは限らない。
シュウの後に続いたシャンテが飛行艇から落ちて無事にあるかなど天文学的な確率であるし、フォーレス国に戻ったリーザがとある少年との間に友好を交わすことが出来るかどうかも未知数。

そんな話をつとつとと話していれば、魔物二人の下へ神殿の入口から早足で近づく男が一人。
仲間に手を出した後だと言うのに、まるで気にしたそぶりもないシュウだった。

「よォ。どうだったあいつらは?」
「…………これも未来で読んだ流れか?」
「既に未来など外れている。奴らが生き、主が死したことがその証明であろう。何せ主はそれを変えるために動いていたのだからな」

楽しそうに問いかけるシャドウへ殺気を叩きつけ、それに答えることもなく睨みつければ、アヌビスが心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした。

「主が見ていたのは誰も彼も救われぬ未来よ。あの氷の女子も風の子も散り、炎の子までもが傷を負った。それを考えればなんと貴様らは幸福なことか。我が主は安寧などというものとは程遠い存在であったからな」
「だからシュウ、てめェの判断は間違いねェ。あんな小僧どもどっかに引き籠ってりゃいいんだ。その分勇者様達が辛くなるがな。ギャハハハハ」

これが魔物であった。
人の心を踏みにじり、喰いつくし、ただ暴力を以って人に仇名す者。
クドーの使い魔として、情報を持ち得たものとして今はこの場所にいる彼らではあるが、シュウを前にしてどこまでの傲岸不遜に嘲る様は確かに魔物だった。

それを考えると、シュウは眉を顰めざるを得なかった。
こんなどす黒い意思をその身の内に飼いならしていたなどと。
クドーという存在は何を差し出して、こんな力を得たのだろうか。

「だが安心するがいい。貴様はぶれてはいない。おそらくどの結末でも同じ選択を取るだろう。すなわちガルアーノの打倒というそれをな」
「てめェは旦那に似てるようで似てねェ。殺意を、憎しみを、どす黒い怒りをその心に湛えている癖に、その奥底にあるのは揺れない意思だ」
「知った口を利く」
「これでも『人間』に関しては真摯に接してきた口でなァ……いや、接せられた、か? まァどちらでもいいが、てめェに協力してやるのはやぶさかじゃねェ」

ぐだぐだと言葉を連ねていたシャドウは立ち上がり、仁王立ちするシュウを前にして値踏みするような視線で舐めまわす。
例え無表情を貫くシュウであっても、どこか嫌悪感のようなものを隠さずには居られなかった。
そんなシュウを気にすることもなくじろじろと見つめていたシャドウが口を開いた。

「さすがにロマリアまで直ではアーク達のシルバーノアでも近づけねェ。まずはトウヴィルの麓にあるパレンシアにでもククルに下ろしてもらえ。で、そこからダウンタウンに行けば『何でも屋のペペ』ってやつがいる」
「…………それで?」
「何でも屋っつーんだから何でも出来るだろ。例えばスメリア空港に寄っているロマリア戦艦への侵入方法とか、な」

ニヤリと笑うシャドウと、それをつまらなさそうに眺めるアヌビス。
その二体の魔物に何ら思うところがないわけではないシュウだったが、その情報は確かに必要なものだった。
それが『未来』などという要素から取り上げられた情報だと思うと、何故か苛立つものがあったが。

「どうせ白い家をぶっ潰されたガルアーノはロマリアのキメラ研究所にでも逃げ込んでんだろ。あいつを殺すならロマリア、だぜ?」
「…………気に喰わん」

それだけ言うとシュウは神殿の奥へと――――ククルがいる場所へと歩いていくのだった。
拒否感があったとしてもシャドウの齎すそれは有用であり、馬鹿正直に否定するのも所詮自分の『気に入らない』という心に頼る行為だろう。
心を律する術など、シュウは知り得ている。

そんなシュウの後姿を見ながら、シャドウはけらけらといつまでも笑っていた。
隣で呆れ顔をするアヌビスなど放っておいて。

「頭が良過ぎるというのも考え過ぎだが、ああして静を保つとなれば脅威よな」
「だがやっぱり旦那とは全然違ェ。どいつもこいつも闇を善の心で打ち倒す勇者ばかりだ」
「主のような化け物など、いや、人間などそうそういても困るだろう。さらなる闇を以って打倒し、それでいて純粋な願いを心に宿すちぐはぐな人間など」
「だァい好きだがな。まァ、中々暇つぶしにはなりそうだ。こう考えるよく旦那は溺れなかったもんだよ」
「何がだ?」

ありったけの賞賛を以ってクドーの話を続けるアヌビスに、シャドウは腹を抱えながら嗤う。
先ほどまで見せていた気だるげな雰囲気など消え去ってはいたが、やはり薄かった。

「世界を回すってことにだよ。頭がいい奴ほどちっと煽れば最適解に辿り着く。ケケケケケ。掌の上で格上達が動いて回るってのは爽快だぜ?」
「ふん。くだらん」

心底呆れたと視線を逸らしたアヌビスだったが、彼もまた何かを求める魔物だった。
クドーという娯楽を埋め合わせる何かを。

その日、シュウはひっそりとトウヴィルより姿を消した。





◆◆◆◆◆





まどろみの中から眼を覚ませば、少女の視界にぼんやりと広がるのはどこかの遺跡を思わせる石壁に囲まれた寝室だった。
柱に立て掛けられた蝋台が火を灯しており、それに照らされた寝室を眺めればそれなりに造りの良いベッドやテーブルなどが配置されていて、なんだか遺跡の様相には不具合な感覚を覚える。

ギシリとベッドから起き上がり、そのまま立とうと腰を上げればくらりと眩暈がして足元が覚束なくなる。
少しバランスを崩して近くにあった台のようなものに手をつけば、そこにあったのは何処かで見た様なパソコンと、束ねられたカラフルなケーブル。

少女――――ミリルの心に沸き上がったのは嫌悪感と恐怖。

ひっ、と声を漏らして一歩二歩と後ずされば、そこでようやく自分の寝ていたベッドの隣から寝息のようなものが聞こえてくるのに気付いた。
並んで置かれたもう一つベッドの頭の位置から見えたのは、銀髪。
ゆっくりとそれを覗いてみれば、それは人形のように整えられた美少年の――――ジーンの顔。

そこまで気付いて、ようやくミリルの意識と記憶が覚醒し始めて来た。
白い家。シルバーノア。トウヴィル。自分の身体に関する検査。
半ば有無を言わさず寝かせられたベッドの上で、エルクともう一人の少女から見つめられながら瞳を閉じ――――涙が零れた。

確かな『自由』という感覚。
誰かに見張られることなくこうしてゆっくりと眠ることが出来た安寧の空気。
そして、犠牲という確かな真実。

様々な想いが混じり合って涙となって溢れ出る。
しかしそれはすぐに頭を振って止めさせた。

「ミリル? 起きたのか?」

そんな彼女に恐る恐るといった風に話しかけて来たのは、いつのまにか寝室の入り口に立って此方を見ていたエルクだった。
疲れた様な表情をしてはいるが、きちんとその両足で達、いつもの民族衣装を着ていた彼には自らが負わせた怪我の影響を感じさせない。

朧気ながらミリルには白い家の記憶が残っていた。
救いあげられ、操られ、傷つき、傷つけられ、立ち向かい――――そして。
ミリルは我慢できなくなって、ふらふらとエルクの下に駆け寄ってそのまま抱きついた。

「お、おいっ……」
「ごめん、ごめんね……私の、私のせいで……」

自分が何も出来ないばかりか、誰かの犠牲を以って救われた身ならば、とてもそれは我慢出来る様な話ではなかった。
そればかりか自分は救いに来た者をこの手で、忌むべき魔法の才で傷つけてしまったのだから。

しかし抱きつかれたエルクもまた掛けるべき言葉を必死に探していた。
無論可憐な少女に抱きつかれたことなどではなく、同じく悲劇の渦中にいた者として、だ。
優しい言葉を掛けるには自らもまた不安定で、そして不器用で。

「ミリル……色々と話したいことがあるんだ」
「うん……?」

ぐちゃぐちゃだった。
エルクは迷いに迷い、アークやリーザ達が集まる大広間へとミリルの手を引いていくのだった。



アークやシャンテといった人が集まる大広間では、その中心にいたチョンガラがとにかく唸っていた。

「やはり戦力が足りんのぉ」

そのようにぼやくチョンガラの言葉にさしもアークでさえ表情を曇らせ、横で首を振るククルと共にため息をつく。
話として上がるのはやはりこれからのことであり、ミリルの安全が確保されたのならばいよいよもってそろそろ動かねばならない時だった。

白い家の崩壊によってガルアーノの重要拠点が瓦礫の山と消え、唯一残るフォーレス国のキメラ研究所にも仲間である大魔法使い『ゴーゲン』を送りこんでいる。
それだけではなく、並行して準備しているトウヴィルの民救出には『ポコ』を、ロマリア国のレジスタンスには剣客『トッシュ』を送りこんでいる。

ふとチョンガラが広間の一角に眼をやれば、そこには武道着に身を包んだ拳法家の男が佇んでおり、彼はヴィルマー護送のためにシルバーノアに乗っていた『イーガ』だった。
シュウとはまた違ったベクトルで物静かな男であり、暇さえあれば座禅を組んで瞑想していたりと、どのような時でも後ろから見守るその有様はまるで山のようであった。
そしてその山は、あまり作戦会議では声を挟むような男ではなかった。

アーク一味、シルバーノア艦長にしてダンディなおじ様チョンガラ。
大抵にして頭脳担当はアークか彼である。
であれば少ない仲間の数でありながら多方向に戦力を裂かねばならないのは悩みの種であった。

「おっ、呼んできたか小僧」
「小僧じゃねぇ」
「あの、私が何か……?」

並んで大広間に足を踏み入れたエルクとミリルの二人に、チョンガラは胡散臭そうな笑みを向けていた。
そんな顔を浮かべられてはミリルでなくとも身構える。
彼女は不安そうな顔でエルクの影に隠れたまま、恐る恐る問いかけた。

「いや、何、これからのことじゃよ」
「これから?」
「俺たちは、ガルアーノを倒しに行く」

首を傾げたミリルに、アークが一歩前に踏み出し揺るぎない瞳で答えた。
その場にいる誰もが口を噤み、勇者の次の句を待つ。
もはや足踏みしている暇などなかった。

「悪いが君たちのためにもうここに留まる事は出来ない。シルバーノアを使っていろいろと動かなきゃならないし、それに此処は僕らにとっての最後の防衛線だ」
「別に俺達のことを頼んだわけじゃ……」
「それでもいい。だけど君たちの選択次第では此方も覚悟を決めなくてはいけない」

心の弱さからつい出てしまった反抗の言葉を気にするわけでもなく、アークはまっすぐな視線をエルクに向けて問いかけた。
迷いは許さぬ視線だった。

「アルディアに戻り、ハンター生活を続ける。ヤゴス島へ戻り、日常に戻る。どのような選択肢を取るのかは君たちに任せるが、もしもロマリアを打ち倒すまで安全にいたいなら此処に居てもいい」
「…………何だと?」
「戦いを拒み、拒否するのも当然の選択だ。それに勝手ながら僕らは君らと関わってしまった。助けてしまった。だからこの地で静かに暮らすのであれば――――全力を掛けて守る」

勇者は、悠然としていた。
幾度の戦いを乗り越え、折れず進み続けて来たアークの意思はもはや少年のそれなど影も形もなく。
震えることなくまっすぐに叩きつけられたアークの声に、エルクは茫然と聞き入るだけだった。

「リーザ。君もだ」
「えっ……私、もですか?」
「今フォーレス国に僕らの仲間が向かっている通り、あの地は未だキメラプロジェクトの影が濃い。だからガルアーノを倒すまでは、いや、最後の時までエルク達と同じように此処にいてもいい」

不安そうにエルクとアークの会話を見ていたリーザが、唐突に話を振られて狼狽する。
あたふたと返答に困ってしまったリーザだったが、そこでようやくアークは頬笑み、エルクやミリルを一瞥すると声を大きくした。

「これが僕らの意向だ。どのような選択を取るのであれ、責任は取る。急にこんなことを言われても困るだろうし、もう数日は僕らも此処に残ろう。その間に出来ればこれからのことを決めてほしい」
「…………」
「何か聞きたいことがあれば聞いてくれ。それじゃ、今日は解散だ」

どうすればいいのか。
エルクも、ミリルも、リーザも、ただ押し黙ったまま立ち尽くしていた。





◆◆◆◆◆





あまりに唐突な選択の強制であったが、それでもガルアーノに大勢を整えさせる前に動くためにはこの日が限界であった。
既に自分たちの向かうべき道に迷いのないアーク、イーガ、ククルとチョンガラと、今は亡き主に命じられたシャドウとアヌビスは神殿内のまた違う別室に集まっていた。
そしてそこに加わるシャンテと、ヴィルマー。

「本当にいいのか?」
「構わん。もはや隠れていた島もばれてしまっておるし、それにこれが儂の戦いじゃ」
「ならいいんだが……」
「確かにリアを連れて回るのはお前たちにとっても難しいだろうが、離れておくより傍にいた方が守りやすい」
「親バカめが」
「うっさいわ、老いぼれめが」

ギリギリと睨みあってメンチを切るヴィルマーとチョンガラにげんなりとしながらも、とりあえずは彼の申し出をアークは受け取ることにしていた。
そもそも戦闘班にはなりえそうもないヴィルマーであるが、シルバーノアに住み込む様にしていてくれれば元科学者としての知識はこれ以上ない貴重な力であるし、それに彼が連れて来た『あるモノ』も無視できない。
それに、『リアに世界を見せてあげたい』と願うのもヴィルマーの偽りのない本音だった。

「リアねー、お料理するのー。けっこう得意なんだよ? お兄ちゃんから習ったの。おじいちゃんはあんまり得意じゃないし」
「なんぞ! お主まさかこんな子供に料理を作らせていたのか? これだから研究者という輩は……」
「な、なんじゃと!? よく見ておれば貴様とてパイプを吹かせているだけのお荷物ではないか! 口だけは達者なようだな!」
「何を!?」
「文句があるのか!?」

しかし何が悪いのかヴィルマーとチョンガラの相性は最悪。
歳が近いのが原因か元々の性格が合わないかが原因かは不明だが、こうして口を開くたびにギャーギャーと罵り合う始末。
その傍らでは冷や汗を垂らしながら力コブを作ったイーガの腕に、リアが嬉しそうにぶら下がっていた。

「悪逆非道のアーク一味、ねぇ。これにもあの剣豪トッシュも含まれているんでしょ? それと、音楽家だっけ? そのポコっていう人」
「えぇ、まぁ」
「何だか大道芸一味よね」

濁す様に答えたククルに、シャンテが口元を抑えながら本当に楽しそうに笑った。
彼女もまた共闘を申し出た人間であり、心の内に戸惑いを抱きながらもまず動かなければいけないと理解していた。
こんな所で腐っていても誰かが蘇るわけでもないし、誰かが助かるわけでもない。
このまま全てをアークに任せるのもまた道の一つだったが、それもまた彼女の矜持に関わった。

「それでも、いいの?」
「戦う女は嫌いかしら?」
「…………いいえ。どちらかというと賛成だわ」
「あら、気が合うわね。私達」

まあ、なんにせよシャンテとしても思うところがあるようで、戦うことを決めたわけである。
そんな集団を眺めながら、シャドウは何とも言えない気持ちになっていた。
先ほどまで鳥肌が立つような勇者の器を見せてみれば、今この場に広がるのは和気藹藹としたそれ。

そういえば、とシャドウは思い出す。
仲間など主にはいなかった。自分たちはただの下僕だった。
そんなどうしようもない、魔物らしくない想いに駆られたシャドウは一度頭を振り、軽薄な表情を張りつけて口を開く。

「あー…………盛り上がってるところ悪ィが、ちと予定が変わったな」
「何だ?」
「攻撃目標一つ追加ってやつと、作戦変更のお知らせってやつだ」

適当に未来の知識を与えた後は流れに任せながら、その最中に雲隠れするなりどっかの野良魔物に殺されるなりと、碌でもない自分の最後を予想していたシャドウだったのが、ほんの少しだけ気まぐれが疼いた。
何に感化されたのかは彼自身も分からない。だがしかしこのままガルアーノ側に流れが傾くのは不愉快だった。

「クレニア島ってところで武闘大会が開かれてるんだが、そこに集まった奴らをキメラの素体にするって話がプロジェクトでは上がってた」
「なんじゃと? 何でその話を先にせんのだ」
「大会で優勝するような輩が誰かの補助なきゃロマリアの尖兵に負けるとも思わなかったからな。グルガ・ヴェイド・ブラキール――――ブラキア戦争の英雄にして、光の戦士だったか」

何でもないようにしてその情報を明かすシャドウだったが、ブラキア戦争の話を聞いてチョンガラとヴィルマーは眉を顰めた。
10年以上前にニーデルとブラキアの間で起こった植民地からの独立戦争であり、その戦いでは多くの血が流れながらもブラキアが独立を勝ち取ったという結末で幕が閉じた戦争だった。
何にせよそんな戦争で活躍した人物が狙われているというのであれば、それは阻止すべき要素だろう。

「精霊の導きが仲間を集わせるのかどうかは知らんが、うまく接触すれば仲間に引き込めるんじゃねェのか? 殉教者計画の中にブラキアのことも入ってるって言ったよな?」
「…………ふむ」
「まァ、そこらはてめェらの良心の話だ、好きにしろ。俺としてはシャンテあたりを推薦したいところだがね」

ケケケッ、と暗く笑いながら怪しい光を湛えた眼をシャンテに向けるシャドウ。
無論、良い気はしない。

「なんで私なのよ」
「裏で情報を握りながら先導するのは得意だろう? 見た目は柔な女だしな」
「……皮肉のつもりかしら?」
「さァね」

エルクを騙し続けた経験を暗に指摘され、空気が冷たくなる。
不機嫌な顔してシャドウの言葉を受け止めたシャンテは、自分の落ち着かせるようにして大きく息を吐くと、決心したかのように申し出た。
罪悪感はある。だがそれ以上に棄てなければならない良心というものも彼女は熟知していた。

「いいわ、やってやるわよ。魔性の女でも何でもなってあげる」

何だか違う方向に決心してしまったようだが、そんな彼女の言葉を聞きながらシャドウはほくそ笑んだ。
確かな手ごたえ。物語が回る高揚感。
勿論そんな気配を漂わせたシャドウにアークもククルも歯を一文字に閉じたまま睨みつけた。
光の勇者と聖母による睨みつけなど、シャドウを強張らせるのに十分だった。

「あ、あー……あとあれだ。トウヴィルの奴ら、もうキメラ改造されてんぞ、多分」
「何だと!?」
「何ですって!?」

しかし話題を変えようとして口走ったその事実に、はね返る様にしてアークとククルがシャドウに詰め寄った。
もはやシャドウの真っ黒な身体など、端から粉のように崩れかけているようにも輪の外から眺めていたアヌビスには見えていた。
恐るべきは光と闇の関係。そして勇者の力と我らの惰弱さか。表情に出さずともアヌビスは心に汗を掻いた。

「落ちッ、落ち着けって! まだ微妙な所なんだが、中身だけ弄くって遠隔装置っぽく変化するキメラ兵に変えられたかもしれねェってだけでな……おいッ、ヴィルマー、ちょっと説明してやれ」
「遠隔操作……もしかして中身だけ変えて表の心だけは維持された状態のことを言っておるのか?」
「あァ、なんかそんな感じだ……って旦那の残したファイルになんか残って無かったのかよ! 旦那が残したのは今プロジェクトで行われている実験の結果と過程が全部記されてんだぞ!?」

しばし顎に手を当てて考え込んでいたヴィルマーに、今度はアークとククルも心配そうに助けを求める様な視線を向ける。
さすがに彼らとて、自らが長く共にいた人間がキメラに変えられ襲ってくるなど――――歯を食いしばり乗り越えて行かねばならない試練だとしても出来るなら変えたい事実だった。

「無駄、だったのか……?」
「いや、しかし、むぅ…………」
「救出すること自体は無駄ではないかもしれねェぞ。おそらくアンデル辺りが仕込んだんだろうが、即刻キメラに変えて此処を襲わせるつもりはねェだろうよ。少なくともヴィルマーが研究する時間があるんじゃねェのか?」
「もし、どうにもならなかったら……」
「ケケケ。俺が殺してやってもいいゼ」

隙あらばシャドウは嘲るように嗤う。
最も弱き力を持ちながらあらゆる存在の上にたち、掌で転がし、そして騙すのはクドーの常であり彼らの常であった。
ならばそうやって愉悦を貪るのは当然なのだろう。

悩み、顔を顰め、作戦を練り直していくアークたちを見ながら、心底楽しそうにシャドウは肩を揺らす。
そしてそんな光景を眺めていたアヌビスは、天井を見上げながら呟いた。

「虚しい」

呟きはアーク達の話声に紛れて消えていった。


















[22833] 蛇足IF第二部その6
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:78c50c27
Date: 2011/09/11 17:01


唐突に言い渡された旅の終わりに、リーザは言いようもない虚無感を湛えていた。

ぼうっと雲に隠れず空に煌々と照る月を眺め、神殿の外に腰を下ろしてアークから告げられた言葉を反復する。
安全、安寧。与えられた平穏。勇者として世界を飛び回るという彼の言葉を今更ながら疑うわけもなく、そしてそれ以上にあの場で向けられた声には裏切られることのない意思が含まれていた。

さわさわと周囲の穂が揺れ、少しだけ冷たい風が頬を撫でていく。
彼女の足元で前足を枕に瞳を閉じたパンディットが気持ちよさそうにぐるると唸り、リーザはキメラ研究所に連れてこられてから常に自分を守ってくれた家族の頭を撫でた。
蒼の鬣が風で揺れ、真っ白な体毛で覆われたパンディットの身体は、暖かかった。

「ねぇ、パンディット……どうしたら、いいのかな?」

無意識に呟いた言葉に、パンディットは片耳を立てて応えるだけだった。
無作為に与えられた平穏。それこそがリーザが求めていたものだったというのに、その心の内に溢れるのはどうしようもなくやりきれないもやもやとしたものだった。

――――自分は何をしてきたのだろうか。

欠けていない丸の月を見上げ、自問する。
星の見えない夜空にぽつんと浮かぶその月を見ていれば何故だか寂しくなり、いつのまにか立ち上がっていたパンディットを正面からぎゅっと抱きしめる。
言いようもない寂しさに何だか涙が出そうな気がしたが、リーザは表情を曇らせるだけで涙など出なかった。

アークから選択を迫られ、この先どうしようかとエルクに声を掛けようとすれば、強張った表情のエルクとミリルにリーザは足を止めた。
このような状況でも誰かに選択を乞い、それをすることに慣れてしまっていた自分。
誰もが現状に苦しみ、戦い抜いている中で自分だけが誰かに守られる人間だった。

そしてリーザは、逃げるようにしてエルク達のいる部屋から抜け出した。

途中、軽く自己紹介しただけのイーガや色々と調べ物をしていたヴィルマーと神殿内ですれ違ったが、そのどちらもが自分を咎めている様な気がしてこんな所までリーザは逃げて来た。
無論二人がリーザを咎めていることなどあり得ず、ただ彼女が、彼女の心に淀むモノがそうさせただけ。

思えば自分の人生はこんなことばかりだとリーザは思った。

フォーレス国、ホルンの村。
あの地で酪農と農業を営みながら街に出ることなく長閑に過ごしていたリーザだったが、そんな彼女の育て主になった人物は事あるごとに自分を表に出すことを禁じていた。
それでも家の中に閉じ込めるようなことはなく、村の中で同年代の子らと遊び、働き、日々を過ごしていた健全な少女だった。

そして破られる平穏。村の上空に漂う見たこともない鉄の塊。物々しい灰色の兵士達。
あの時のことを思い出して、リーザはその身の震えを強く強くパンディットを抱きしめることで誤魔化した。
キューンと一声鳴き、言葉を持たぬ相棒はされるがままでいてくれた。

同じだった。

あの日。全ての平穏が打ち破られたあの日。
既にリーザはその身の内に流れる魔女としての力を自覚していた。自覚していたからこそ、彼女の育て主だった『ヨーゼフ』はそれが表にでることを恐れたのだ。
人が持たぬ異能は恐れを呼び、憎しみを呼び、不幸を呼び込む。
そんな考えなど当時はリーザ自身知らなかったが、この力がロマリアのキメラプロジェクトに眼を付けられる理由となったのならばそれもまた一つの道理なのだろう。

ロマリアの尖兵に攻め込まれたホルンの村でも最後までリーザは誰かに守られていた。
魔女はいるかと聞かれれば村人は首を振り、リーザが隠れる家の入口に立ちふさがったヨーゼフは、誰もいないと嘘を吐きその老いた身に銃を突きつけられた。
こんな力などなかったらよかったのに。リーザは幾度もそう思った。

そうして運命の日、彼女はエルクと出会った。

見ず知らずの人間を相手に、あの黒服達に囲まれた中で決意を叫び、強く抱きしめられてそのまま連れて行かれた時、リーザは久しぶりに人の暖かさを感じ取れた。
巻き込んでしまったと頭を垂れ、それでもまだエルクは自分のために守ると誓い笑って見せてくれた。

そして、そして、そして――――。
また今日、守って見せると言われ、笑顔を『差し出された』。

「隣、いいかしら?」
「えっ……あっ、シャンテ、さん……」

罪悪感に圧し潰れそうになったその時、リーザは唐突に頭上に降ってきた声に驚いて顔を上げた。
月光を遮り、それでも尚見惚れる様な笑顔を浮かべていたシャンテだった。





◆◆◆◆◆





気まずい空気が流れる、と感じていたのはリーザだけだった。
隣に座ったシャンテを恐る恐るチラチラと横目で見ては、何かに思い至ったようにして眼を伏せる。
対してシャンテはそれを気にした風もなく、時折その濃い蒼の髪を風に靡かせてはその心地良さを感じ入るかのようにしているだけだった。

会話もない。
ただ一匹の魔獣と、少女と、美女が並んで神殿外の一角に腰を下ろし、片方は夜空を見上げ、片方は大地を見やるだけ。
何をしにこんなところに来たのだろうか。リーザはそれを口に出そうとして遂には出せなかった。

「風が気持ちいいわねぇ」
「え? あ、はい……そうですね」

受け答えとしては最低な反応だとリーザは自己嫌悪を抱き、リーザは無意味などつぼに嵌っていた。
もはや心の内から湧き上がってくるのは自分の意気地のなさへの叱咤と、これからどうしていいかも分からないことへの不安であり――――つまり結局は自己嫌悪だった。

何故自分はこうなのか。
そんなことを思えば、ふと隣いるシャンテのことがどうしても気になってしまった。
いつのまにかアークたちと共に戦うことを決め、こうやって何でもない風に日常を過ごすことが出来ている強い、彼女。
こんな風に自分も戦える事が出来たら、などと思いリーザは決心したかのように口を開いた。

「あの、何でシャンテさんは、その……」
「戦いに加わるの、って話かしら?」
「…………はい」

こちらの考えを見透かされていることにリーザは少し恥ずかしく思ったが、重さを感じさせず明るく答えてくれたシャンテに感謝した。

「そうねぇ……理由はいろいろよ。一つに絞れって言われたら困るぐらいにはね」
「あのっ、例えば……」
「まずは償い、かな? 貴女達を騙して、誰かを犠牲にしようとしたあの罪はそのままにしておいていいものじゃないし」
「ベ、別に私はそんなこと……」
「ふふふ。ただの自己満足よ。気にしないで」

慌てて両手を振ったリーザに、シャンテは妖艶な笑みを浮かべながらそれを気遣った。
確かに軽い口調で言ってくれるのはリーザにとって予想外だが、少しだけその気軽さが羨ましかった。
だが、リーザは彼女の浮かべる笑顔の奥にある決意にようやく気付いた。

「最初はそうだった。間違いを犯したくなくて、罪を償いたくて、最後まで見届けたくて。どれも褒められた理由じゃないわ」
「…………それは」
「今でもそういった自分勝手な想いがあるのは自覚してる。でもね、後ろばっかり見てたら弟に――――アルに笑われちゃうわ」

一瞬だけどこか懐かしそうな表情を浮かべ、その後に苦笑するシャンテの笑顔は、女のリーザから見ても美しいものだった。
今まで見て来たどんな彼女の笑顔よりも、何故か貴いものだとリーザは思った。

「もう、前に進まなくちゃ。何か出来ることを探して、もういなくなってしまった誰かのために胸を張れるような生き方をしたいと思った」
「…………」
「こんな所で立ち止まっても、世界にはアルと同じように苦しむ人たちがいる――――クドーのように犠牲にされてしまう人がいる。そんな悲劇の根源があることを私は知ることが出来た」
「シャンテさん……」
「心の中に復讐の影があるのは否定しないわ。それでもあの悲劇を、誰かの犠牲を生みたくないと願うのは本音。誰にも否定させない本当の願い」

どこか、リーザはシャンテの横顔に勇者のそれを見た。
多くの人間をその意思で引っ張っていたあのアークのようだと。

「――――もう、誰にも死んでほしくないのよ」

そんな勇者の顔の合間に本当に悲しそうな表情をシャンテが見せれば、リーザはたまらなくなってまた顔を伏せた。
一体何故こんなに彼女は強いのだろうか。
悲しみを知りながらも、それに沈まず前に進もうとするシャンテを見ることすら彼女には出来なかった。

「ま、出来ることを探して、ってロマリアに喧嘩を売るのはちょっと調子乗り過ぎかしら?」
「そ、そんなことは……」
「それで? 貴女はどうするの?」

おどけるようにしてウィンクしたシャンテが唐突に向けて来た問いかけに、リーザは表情を強張らせた。
なんと答えてよいのか戸惑って――――自分の弱い部分を曝け出す勇気は持っていた。

「何をすればいいのか分からないんです。それに、今までだって私は何をしてきたのか…………皆苦しんでる中で、シャンテさんのように戦おうとする中で私だけがいつも……」

そして言いだせば後は堰を切ったかのように弱気な言葉が溢れ出てきていた。
何故自分はこんなに弱く、そして誰かのために戦う事が出来る勇気もないのか。
そも、自分はいつも誰かに守ってばかりで、頼ってばかりで。
恥ずかしいと思いながらもリーザは口を噤むことが出来なかった。

だから、それを驚いたように聞いていたシャンテのことには気付かなかった。

「貴女、凄い後ろ向きね」
「は、はい……ごめんなさい」

あまりの後ろ向きっぷりにシャンテさえも頬を掻きながらオブラートに包むことなく茫然と零してしまう。
しかしそれを考えればリーザがどのような状況にあるのかシャンテには少しばかり理解出来た。
いや、恐らくはエルクも、ジーンも、誰もが今はその足を止めている。ただ少しだけ少年少女らよりも長く生きていたから、早くに決断出来ただけ。
自分でそう思いながらもシャンテは少年少女らより歳をとっている事実にむっとした。所詮女の意地である。

「力になれないって…………そんなわけないじゃない」
「えっ?」
「そんなこと言ったら私はどうなるのよ。ただのか弱い歌姫よ? それがロマリアに喧嘩売るって言うんだから」

か弱い、に少しだけ異議を唱えたかったリーザだったが、シャンテの背後に浮かんでいるような妙な凄みを感じて出かけた言葉を呑んだ。

「人間は皆弱いの。エルクだってシュウだって、ひょっとしたらあのアークだってね」
「そんな……」
「だから助け合うんじゃない。誰も一人では生きられないわ」

エルクに助けられてからの戦いの中。不得手な戦闘についていけるように短剣を使うこと覚えた。誰かを癒すことができるよう癒しの魔法も身に付けた。
努力を怠ったつもりなどリーザにはなかった。そして一級ハンターであるエルクの戦いにまでついていけるほどに彼女は――――。
その事実を考えれば、彼女には必要なのはただ一つ。

「私たちが、仲間が認めた貴女を、貴女自身が認めてあげなきゃ」
「わ、私は……」
「力が弱い事で、自分の心を否定してはいけない。誰かを守りたいんでしょ? 助けたいんでしょ? リーザは優しい娘だからね」

気付けばリーザはシャンテに抱きしめられていた。
リーザは、こうして誰かの温もりを感じるのが好きだった。自分が誰かの傍にいてもいいような気がして、誰かに必要とされている気がして、心が温かくなれた。
だが、誰かを抱きしめる強さは持っていなかった。
じわりと浮かんだ涙を、もう止める術は知らなかった。

「怖くて前に進めないなら、誰かを頼りなさい。足が止まったのなら、仲間は立ち止まってくれるわ」
「はいっ……はい…………」
「だからね、誰かが転んだら貴女が手を差し出してあげなさい。私も、多分他の皆もそうするから――――貴女は、一人じゃないの」

優しく、優しくシャンテは腕の中で泣きじゃくるリーザを慰めた。
このような幼い少女が戦わねばならない。表に立たねばならないという状況にシャンテは暗いものを感じつつも、それでも彼女は立ち上がると信じていた。
それが、仲間だから。

「もう、守られるだけは嫌でしょ?」
「嫌ですっ……怖いけど、誰かの役に立ちたいです!」

小さな小さな背中を撫で、シャンテは夜空を見上げた。
こんな娘にこのような運命を与えた世界を、ロマリアを憎く思いながらも、こんな健気な娘が傍にいることに感謝した。

リーザは久しぶりに泣いて、泣いて、泣き疲れるほどに泣いた。
そんなぼやけた視界の中、遠い記憶と混じって見えたのは、自分の過ごしたあのホルンの村の光景。
今、自分を守ろうと立ってくれた皆はどうなっていうのだろうか。もう自分と同じように連れ去られていってしまったのだろうか。

もしまだ生きていてくれるなら――――。

そして、未だ混迷の中にある少年を助けてあげたい。
シャンテの腕の中で、リーザはそんなことを考えていた。





◆◆◆◆◆





月光も通らない暗闇の中、エルクはベッドの上に寝転んでは誇り被った部屋の天井を眺めていた。
この神殿が元々は何に使われていたかなどエルクには分からなかったが、部屋数だけは多い此処は一人で考え事をするには丁度いい環境であった。
といってもさすがに一人一部屋が許されるほどに、今此処に集まる人間は少数ではなかったが。

記憶を振り返る。

気付けば体験したこともないくらいの大所帯で此処に留まっていると、エルクは何とも言えない感情に囚われた。
白い家に誘拐される前の記憶はあやふやで、親の顔や知り合いの顔と彼らが目の前で皆殺しにされた光景は既に脳内に焼き付いているのに、そこでどのように暮らしていたかは思い出せない。

そして白い家でミリル達と過ごした数カ月間。
この記憶もまた曖昧であり、ジーンが事あるごとにこちらをからかってきたりだとか、クドーが根暗な顔をして此方を眺めていたことも覚えてはいる。
それでも彼の記憶に残るのはやはりミリルを置いて命からがら逃げ出した無念の記憶だった。

そしてシュウに拾われてからの日々。
記憶がない状態で身に覚えのない憎しみが募るエルクは、拾ってくれた人間と同じく碌でもない生き方を選んだ。
ハンターとして血生臭い闘争の日常へ足を踏み入れ、守るべきものを持たない荒くれ者として日々を刹那的に生きる。
生きる目的を定めなければ満足に生きられないほど気難しい性格でもなかったが、今振り返れば随分と無茶をした生き方だった。

――――どれほどシュウに迷惑を掛けていたのだろうか。

そして、物語の始まり。
もはや振り返る暇がないほどに戦いに明け暮れ、過去に明け暮れ、現実を直視することになった。
久しぶりに守らねばならない者を傍にし、次々に蘇る記憶に苛立ち、そして全ての因縁を知ることが出来た。

――――――――知ることが出来たのか?

隣で寝息を立てているもう一人の親友、ジーンの眠るベッドを見やり、首を振る。
シュウが自らの下を去り、シャンテがいつのまにか戦うことを決め、今後のことについて話そうとすればリーザはどこかへ行ってしまった。
誰もが変化し、何かを考えている最中で最も早く動いたのは、いつもは軽薄な笑みを浮かべているこの男だった。

「…………なぁ、ジーン」

起きているわけもないのに声を掛け、やはり戻ってこない返事にため息をついた。

激動の戦いの中で、果たしてエルクが知っているのはどれだけあるのだろうか。
いつだって自身の心にあったのは過去の残滓であり、因縁の相手に対する憎しみだけだった。
過去の約束に従い、そして戦ったことに悔いはない。

エルクは、難しく考えることは得意ではなかった。
いちいちあれこれ考えるよりは動いた方が早く、そうやって生きて来たのだから。
だがしかし今自分を取り巻く状況はそんな軽々しく選択していいものではなく、そして心に渦巻く恐怖はそれを許さなかった。

そんな時、廊下を誰かが歩く音が聞こえ、そしてその足音は自分たちの眠る寝室前で止まったことにエルクは気付いた。
一体何処の誰がこんな夜更けに、などと思いながら立ち上がろうとすれば、聞こえたのは――――リーザの声。

「エルク? …………起きてる?」
「リーザか?」

それこそ一体何の用で。
いぶかしみながらもエルクは部屋の扉を開け、その先で廊下の蝋台の灯りにぼんやりと照らされていたリーザを視界に入れた。
眼下がなんだか赤くはれ上がっていた。

「リーザ……お前……泣いて」
「えっ!? あっ…………その、大丈夫だから」

はれ上がっていることに気付いていないのか、エルクがそれを指摘すれば慌てたようにリーザは眼下を擦り、追及は許さないとばかりに強引に部屋に入ってきた。
なんだか様子がおかしく、エルクは首を傾げるしかなかった。

「あっ、ジーンもいたんだね」
「ああ」
「起きてるの?」
「いや」

口数少なく会話をすれば、リーザは一呼吸置くと覚悟を決めたかのように口を開く。
エルクには思ってもみない言葉だった。

「あのね。私、戦おうと思うんだ」
「何?」
「アークさん達と一緒に」
「なっ……駄目だ!」

自分ですら驚くほどの声が、エルクの口から吐き出た。
いきなり大声で怒鳴られたリーザもまたびっくりしたかのように眼を丸くし、少しばかり唖然としながらも――――常のようにエルクの言う事を聞いてはくれなかった。
エルクからすれば今まで見たこともないリーザの貌だった。

「…………エルク、私ね。ずっと守られてばかりだった。誰かに迷惑かけてばっかりだった」
「そんなことはっ」
「ううん。エルクはそう言ってくれるかもしれないけど、私自身ずっとそう思ってた。エルクに守られて、ジーンに守られて、そして今日、アークさんにまた守られようとしてる」

ほんの数刻を跨いで、リーザは自分の届かぬどこか遠くに行ってしまっている様な気がして、エルクは言葉を失くした。
歓迎すべき変化なのか、忌避すべき変化なのかすら自分には分からない。
そもそも変化と理解出来ながら、今までの戦いの最中でリーザがどのような感情をもってきたかなど今の今までエルクは知りさえしなかった。

「それは多分すごく『楽』なことかもしれない。安全なことかもしれない。でもね、それって多分、『仲間』じゃないんじゃないかって気付いたの」
「それは…………」
「誰かに迷惑かけてばかりで、ずっと後ろに引き籠ってちゃ駄目なの。だからたった一歩だけでもいい、前に進みたい。貴方の隣に並びたい」

――――隣に。
本当に自分は誰かを守りながら戦ってきたのか?
エルクの視線はリーザを見ているようで見ていなかった。

「自分勝手だけど、私にも守りたいモノがあった。助けたい誰かがいた。だから戦う」
「リーザ…………」
「まだ弱いかもしれないけど、頼りないかもしれないけど、えっと、その……エルクも、私を頼ってくれたら嬉しいかな、なんてね」

視線を泳がせ、人差し指でポリポリと頬を掻いたリーザの頬が赤らんだ。
そうすれば会話も止まり、空気も止まり、そしてリーザは慌てる様にして周りを見渡すとそのまま逃げるようにして踵を返す。

「その、今日言いたかったのはそれだけ! エルク、おやすみっ!」
「お、おい!」

長い廊下を走っていくリーザの背中を見つめながら、虚空を掴んだ右手をそのままにエルクはしばしその場に佇んだ。
自分たちが会話していた後にはただ静寂が広がり、どこか肌寒いものを感じさせる空気が漂う。
――――また一人、皆が自分を置いていってしまうような孤独感。

茫然とその場に立ちつくし、いつまでもリーザの消えて行った向こう側を見る。
勿論何か答えが閃くわけもなく――――。
そんな考えの纏まらないままでいれば、自分がいた部屋から聞きなれた少年の声が聞こえた。

「女ってのはずりーよな。立ち直るのは早いし、気付けば俺たちが馬鹿に見えちまう」
「…………起きてたのか」

ベッドに寝そべったままのジーンが、疲れた様な笑顔を浮かべていた。





◆◆◆◆◆





「どこから聞いてた?」
「最初っから。寝てる俺にお前が声を掛けた時くらいかなー」
「……じゃあ起きろよ」
「寝起きにあんな辛気臭い声掛けられても困るだろ」

呆れたようにエルクが息を吐き、そのまま重い足取りでベッドまで近づけばギシリと音を立てて腰を下ろした。
片方は未だ寝転がったまま、片方は項垂れたようにして頭を垂れたまま。
何にしても暗がりのお陰で薄らと互いの顔が見えるだけだったが、それでもどちらも浮かない顔をしているのは声からしても明白だった。

「何でシュウと喧嘩したんだよ」
「あの人が俺じゃガルアーノを殺すのは無理とか言ったから。まぁ、今は分かってるけど」
「何がだ」
「俺がガキだったってことに」

加減なしにシュウによって蹴り上げられた腹をさすりながら、ジーンは少しだけ戸惑うようにして答えた。
凄腕のシュウだからか、気絶するほどの威力で膝を入れられたというのに痛みは既になく、その気になれば今すぐ動くことも出来るだろう。
だが動くにしても、既にジーンにその気はなかった。

憎しみのままに動けば、それがどれほど楽なものか。
身の内に猛る復讐心は未だ留まる事知らずジーンの心に在り、隙あらばその憎悪が炎となって理性を融かそうとする。
しかしその裏にあったのは、また違った苛立ちだった。

「なあエルク」
「何だよ」
「お前、何を怖がってんの?」

それを問われればエルクは驚くことなく唇を噛み、それを言葉にするかどうか悩んだ。
既にエルクは理解出来ていた。自分が真に恐れているのは、誰かを守ることが出来ずに自分の前から大切な誰かが消えてしまうことなのだと。
エルクは常に守る側にいなければ耐えられない人間だった。

10年前。ピュルカ族としてロマリア兵に一族を皆殺しにされた時。
5年前。一緒に暮らしていた子供がキメラに改造されていることを知り、ミリルを残して逃げた時。
そして――――クドーと過去の約束を引き換えにした時。

エルクは、常に誰かを犠牲にして生きて来た。
生きねばならなかった。

そしてその事実は少年の心に傷を付け、無意識に自分が犠牲になる側に立つことで埋めようとした。
すなわち、守る側に立ち、傷つく者として生きることに。
しかし結局、クドーは彼の前で砂になった。

「いつもそうだ。守る守るなんて言いながら結局はそうしなきゃ生きていけないからで。その癖誰も守れてねぇ」
「ミリルを救っただろ」
「あいつを救ったのはクドーだろ…………それに、俺はあいつに守られてた」

自嘲めいた笑みを浮かべ、それでいてジーンとは視線を合わさない。
剣を、槍を、斧を握ってきた自分の手をじっと見やり、それが何も救えぬ手の様に見えて力強く握りしめた。
自分のために誰かを守り、自分のために過去を失くし、自分のために約束を果たそうとした。
そうすればいつだってエルクは自分の事で精いっぱいで、終ぞリーザがあのような変化に至るまで何も知らずにいた。

「嫌になる。何度も守るって繰り返してきた癖に誰ひとり守れねぇし、結局は自分のためだし…………自分に腹が立つ」
「そうか? 俺はお前に腹が立つけどな」

そして、横から投げ掛けられた言葉に問い返そうとして、エルクはジーンの方を向いた。
既に此方側に背中を向け、ただ声だけで会話するジーンの表情を窺う事は出来ない。

「俺はさ、お前にちょっとだけ憧れてたんだぜ? 例え理由があっても、目的が歪んでても誰かを守るって叫ぶお前はかっこよかった」
「…………」
「ミリルに腹刺されてさ。目の前でクドーがおっかねー鎌振り上げてもさ。根性で立ちあがってたお前は…………あー……あれだ」

予想もしなかったジーンの言葉に驚き、エルクは口を挟む暇さえ失った。

「俺、お前に嫉妬してた」

何でもない様に、それでも懺悔のようにジーンの声は沈黙の中に消えていく。
ただ復讐心が先に走り、裏切られた中で恐怖に足を震えさせたあの白い家で、エルクの行動を後ろで見ていたジーンは、人知れずそんな褒められない想いに駆られていた。
故に。

「此処に来てから急にヘタレやがって。そんなことされたら、俺なんかどうすりゃいいんだよ」
「んなもん……知るかよ」
「そしたらお前、さっきのリーザとかどういうことだよ。頼ってくれとか。仲間とか」
「…………」
「一人悶々悩んでる俺らが、馬鹿みてーじゃねーか…………」

二人とも周りを見ずに突っ走り、そうして立ち止まってしまっただけだ。
よく見てみれば守るだけでなく助け合う仲間をそこにはいる。
一緒に戦うための大切な人がいる。





「誰かを失う怖さは、俺だけのものじゃない」
「誰かを憎む想いは、俺だけのものじゃねー」





示し合わせたように呟き、そこで会話は途切れた。
ごくごく簡単な答えに双方とも呆け、今の今まで悩んできた時間が馬鹿らしくなり、笑う気さえ起きなかった。
そして、確かに心が軽くなった。

「お前、これからどうするんだよ。アークに協力すんのか?」
「わかんねぇ……正直、あいつらが何するかとか今この世界で何起こってるかさっぱり分かってねぇし」
「あいつら何か話してねーの?」
「いや、聞いてなかった」
「馬鹿じゃねーの?」
「うるせぇ」

口を尖らせたエルクに、ジーンは背を向けたまま腹を抱えて静かに笑う。
そんな彼に苛立ったエルクは、そのまま無造作に背中を蹴り上げる。
ゴロリとジーンの身体が揺れ、そのままベッドの下にずり落ちた。

「何も知らねぇしな。クドーが何で俺たちを助けようとしたのかも知らねぇし」
「あの魔物に聞いてみりゃいいんじゃね?」
「あいつらムカつくんだよな」

広がる。

「そもそも俺の一族とか何で襲われたかも知らねぇし」
「俺が攫われる前の俺とかどうなってんだろ。爺さん覚えてねーかな?」
「覚えてるわけねーだろ。記憶失ってから引き取られてんだし」

選ぶべき道が、広がる。

「つーか信用なんのか、アーク達」
「ここまで助けられておいてなんつー恩知らず」
「チッ…………ハンター家業が長くてあいつらが賞金首にしか見えねぇんだよ」

それ故に少年たちは迷い、そして前に進む。
ただ二人とも分かっていることがあった。





「もう、仲間がいなくなるのは嫌だよな?」
「リーザもシャンテも行くって言うんだ。こんなところで引っ込んでられっか」

「ガルアーノは許せねーよな?」
「見つけたら即効でぶっ潰す。塵さえ残してやらねぇ」





次の日、エルクとジーンはアークに協力することを申し出た。















[22833] 蛇足IF第二部その7
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:56a92eb1
Date: 2011/09/11 17:01



アララトスのガザリアより少しだけ外れた砂漠にぽつんと建てられた一軒の家があった。
他と変わらぬレンガ造りの家と、露店街に並ぶテントが組み合わさった様な――――つまりは商店と自宅がそのままくっ付けられた様な建物。
勿論テントの表にはどこからか発掘したのか様々な物品が立ち並び、異様に豪華な装飾を施された鎧やら色取り取りの宝石やらと、客の眼を引くには十分だろう。

――――こんな街より離れた所に店を開いても意味はないが。

大商人チョンガラの店にして、今は主人のいないただの倉庫。
無論たくさんの宝物が運び込まれたこの倉庫を守るものがいないわけもなく、昼も夜も入口には『オドン』と呼ばれる剣士の召喚獣が仁王立ちしていた。
見た目は人型であるがやはり完全な人間とは違い、真っ黒な体色をギラギラと照りつける日光に晒されながら呆けたように立ちつくす様はまさに異様。

果たして本当に倉庫番の役に立っているかどうかは微妙な話であるが、チョンガラがアークと共に旅立ち、シルバーノアの艦長を勤め出してから今日と言う日まで侵入者を入れたことはなかった。
実に忠義の召喚獣であり――――やはりそのぼうっとした表情を見やると本当に此処を守っているかどうかが怪しくなる。

どちらにせよ、ヨシュアがアーク所縁の品を見せただけで自分達を入れてくれたとなれば、首を傾げざるを得ない。

随分と手入れの為されていない埃だらけの店内を回り、そこら中に散乱する宝箱を無節操に開けて行く。
出てくるのはガラクタとも何とも言えないものばかりであり、稀に幾分かマシなものをみつけられてもやはり俺の眼を引く様なものではなく。
そんな俺の行動に呆れたのか、部屋中を駆け回る俺をヨシュアは腕組みをしながら眺めていた。

「本当にいいのか?」
「いや、悪いかもしれんが止める理由はない」
「…………開き直られてもな」

額に手を翳しながらため息を吐いたヨシュアに振り向かず、俺はただ無心に宝箱を開けて行く。
部屋に散らばるのは20か、30か。
宝箱だけでもこれだけの数があるというのに、そこらの棚に無造作に並べられた物も『使える』可能性があるから困る。

この地に来た理由とは単純だ。
装備を充実させたい、その一点である。

何せあの白い家の決戦から強引にこの地に飛ばされてきた手前、俺には身を守るためのアクセサリーや武器といったものを失っており、使えるのは誤魔化し程度の魔法と相変わらずの不死能力のみ。
はっきりいって不死さえあればどうにでもなるが、それとて俺には限りがある。
いつもはキメラ研究所で調整を受けていたためにその能力を喪失したり暴走させることがなかったが、もはやロマリアとは袂を別った現状でこの身体だけに頼るわけにもいかない。

不死能力を活かすため、わざと脆い身体を晒すために軽装ではいたが、この不死能力がどこまでもつかも分からない。
ならばソレは切り札として、そしてこれからは人間らしく戦わなければならない。
戦うことを彼らが許してくれるかどうかは微妙な所であるが。

「彼が知ったら怒ると思うのだが……」
「などと言って門番のオドンにアークの鉢巻を見せたのはお前じゃないか。何故彼の鉢巻を持っているかは知らんが――――何にしても共犯だ」
「むぅ」

唸りながら良心の呵責に頭を捻るヨシュアだったが、共に侵入しておいて今更な話だ。
そもそも彼らアークがわざわざこの店に装備品を求めて寄り道する可能性は低く、何より彼らの旅には不要なものだったからこそ、チョンガラはこの店に宝の山を置いていったのだ。
となればここに残るのは価値のない物ばかりとなるのだが…………集められた発掘品の中からさらに発掘品を探すというのは中々皮肉である。

「しかし見て分かるものなのか? 私にはどれがどれだか」
「…………まぁ、それなりにな」

物語を知る俺が、こんな遊戯を介した情報を知るのは今更な話だ。
無論数値によって全て換算されるわけもないが、確かに魔術品として造られたアクセサリーは身体に影響し、身体能力を高めたり生命力を増価させたりとトレジャーハンターが眼の色を変えるには十分な品なのだろう。
といっても俺にとって今求めているのは身体を保護するものというよりかは、使い慣れ親しんだ小剣のようなもの。

「これは……レプリカか? 魔力もない。こちらは……何故市販品をこんなところに入れておくんだ。蒐集家め」
「…………」
「……? 何だ、その眼は」

いきなり黙りこくったヨシュアに気付き、振り返ればどこか苦笑した様な表情で俺の方をみていた。

「もしかして、こういうのは好きだったりするのか?」
「は?」
「いや、宝物を眺める君の様は、なんというか……子供のようだった」

ヨシュアの言葉に手が止まり、しばし沈黙に空気が止まる。
子供と言われればこの世界に生まれたのはおそらく6、7年前の話であるが、いや、俺の本来の精神は既に――――。

まぁ、そういうことではないのだろう。
俺はヨシュアの言葉に応えぬままに装備探しに戻り、彼の視線を背中に受け続けていた。
恥ずかしさは、あったのかもしれない。





◆◆◆◆◆





シャンテに会う、などという目的を掲げたものの、その方法などを考える前にチョンガラの店に寄ったのは理由があった。
勿論装備を整えるという目的もあったにはあったのだが、既にハンターにこの国にいることがばれた俺が街中をうろつくことが出来るわけもなく、自然と行き先はアゼンダ高地に戻るか、それとも此処に身を顰めるか、である。

「既に彼らは動いているか」
「光の精霊とて万能というわけではない。彼らの動向全てを見守ることは出来ないが、それでも勇者達の気配がバラバラに動いているのは感じているそうだ」
「勇者の気配、か。この世界が精霊にとって庭のようなものだとは知っているが、何とも信じがたい話だ」
「そしてその庭も悪しき者共に踏み荒らされようとしている。許されないことだ」

チョンガラの店の一室。
ごちゃごちゃと物が散乱してはいたがテーブルの一角に腰を落ち着かせ、今手にある情報を整理する。
久しぶりに俺が持ち得る情報を基にして現状に当て嵌める作業だったが、やはりそれは難航する。
ジーンとミリルが生き延び、エルクの負傷と言うタイムラグがない現状でどのようにして世界が回るのかはもはや予想不可能だ。

そもそも、俺はシャドウとアヌビスを介して彼らに未来のことをある程度話してしまっている。
もはや物語の知識など意味がない。

「このままトウヴィルまで乗り込んだ方が早いのだろうが……」
「………怖いかね?」
「無論恐怖もある。おめおめと彼らの前に姿を見せることも勇気がいる。だがやらねばならんことだ。所詮早いか遅いかの話だろう」
「そうか」

シャンテに会う、というのは大前提に過ぎない。
願いは腐るほどに在る。いや、エルク達と共にいることを願いとするならば、それと連動してやらなければならないことがあり過ぎる。
相変わらずうろちょろと這いまわるガルアーノは即刻消さねばならないだろうし、そしてそれぞれの思惑はどうであれロマリアと最後まで戦うのは決定だろう。

おそらくであるが。
エルクは、途中で物事を放りだす様な人間でなければ誰かに結末を託すような人間でも無い。
あの焔の瞳を湛えた勇者は、確実に剣を取り戦うことを選ぶ。
ならばそれに追随するのが道理だ。

「ジーンとミリルは…………いや、どうだろうな」
「…………」

様々な未来が頭に浮かび、その可能性を削り取る様にして先を見据えて行く。
考えては消し、考えては消し。
そんなことを幾度も首を振りながら考えていれば、ヨシュアがじっとこちら見つめていた。
今まで彼が見せて来た瞳の中でも、随分とそれは泳いでいた。

そういえば、何故この人は俺についてくるのだろうか。
確かに彼からすれば救ってしまった俺を見る義務があるのかもしれないが、だとしても時を移動して勇者の先導者となる目的にはどうあっても釣り合わない義務だ。
何故彼は――――そうか。俺のせいか。

「役目を奪ったか?」
「喜ぶべきことなのだろう。私よりも未来を知り、そしてその結末を選び取る力が集まることは」

ヨシュア。
彼が定められた役目は、力及ばぬ自分に代わって戦える勇者をアークの下に集わせることであり、その最中に精霊の指示と合わせて動くことも役目としていた。
俺たちの、エルク達の物語が始まるよりももっと前。アーク達が剣を取る理由になった旅の中でヨシュアは常にアークの導き手として動いていた。

しかし今、命を削るほどの代償が必要な時間跳躍により間接的干渉よりもずっと確実な、未来知識そのものを持った俺が現れてしまった。
無論常に変わる未来の知識など安定したメリットにはならないが、殉教者計画の全容、そして四将軍の企むシナリオのほとんどを知ったということは、これ以上ないアドバンテージである。
今更命を削ってまで未来を再確認するにはあまりにも。

「俺の知識通り動くとは限らんだろう。それにもはや違う未来に向かっている」
「だとしても私が出来ることはあまりに少ない…………ポルタは」
「パレンシアタワーに囚われているよ。おそらくお前に対するアンデルの手札だろう」
「…………そうか」

しかし例えメリットとデメリットが釣り合わなくとも時間跳躍は奥の手に他ならない。
何故今になって彼はそのような眼をし、そして何かを諦めた様な――――まさか。
口にするのは憚られたが、これもまた俺が眼を背けてはいけない事実だった。
だから、問う。

「もう、無理なのか?」
「…………やはり、人の手には余る力だ」
「お前ッ……俺一人持ってくる為に力を使い果たしたのかッ!?」

熱くなる頭では怒鳴り散らす口を止める術を知らなかった。
勢いよくテーブルを殴りつけ、その場に立ちあがりヨシュアを見下ろす。
疲れたように笑う彼は、痛々しかった。

「例え君が特別な人間でも、時間干渉の理を無視して力を使ったのは、格別に効いた。勿論後悔はないが」
「ぐっ……そうか。なら、いい」

何故俺のために、などと吐き捨てることなど出来なかった。出来るわけもなかった。
この犠牲を、想いをさせ続けたのが俺の今までであり、この『重み』から逃れることは決して許されないことだった。
これと向き合い、そしてエルク達の隣に並ぶのが俺の戦いだ。俺のこれからだ。

自分に言い聞かせるようにして今一度椅子に腰を下ろし、少しだけ息を吐く。
冷静にならねば。どちらにせよ俺は一人の人間の戦う術を奪い取り、そしてその目的さえも奪い取ってしまった。
ならば――――どうする? この程度乗り越えねば、怨嗟滴る血の過去は乗り越えられない。

「望みは……何だ?」
「何を馬鹿な。対価が欲しくて君を助けたわけじゃない。見くびってくれるな」
「違うッ! お前の望みだ。誰でも無い、アークの父の望みを聞いている」

震えそうな声を叱咤しながらヨシュアに問う。
傍から見れば、俺はどれだけ滑稽なのだろうか。
ヨシュアは俺の言葉にしばし口を閉じ、許しを乞うかのようにして虚空に呟いた。
その声は俺に向けられている様な類のものではなかった。

「息子を、妻を……守ってやりたいとは思っているがね」
「…………」
「自ら争乱の中に送り込んだというのに、巻き込んだというのに……勝手な話だ」

そこにいたのは、精霊の恵みを与えられた時を旅する勇者の父ではなく、一人の息子と妻を思うただの親父だった。
度重なる力の行使で身体は衰え、20前の息子持つような父の年齢には程遠い。見ればテーブルの上に置かれた手も皺が薄く見えていた。

それを見れば、心がこの男を犠牲にすることを拒んだ。
この男の重みを背負わねばならないと心が望んだ。
シャンテの憎しみもまた背負うべき咎。そしてこの男の望みもまた背負うべき咎だ。

「近い未来。アンデルの企みを潰していく中で、お前は命を落とす」
「…………そうか」
「だが最後は、誰も知らぬ戦場で散るわけではない。妻を救い、息子の手を握り、それらを背に剣を掲げた先が、お前の最後だった」
「……そうか。それは、よかった」

そんな俺の言葉を聞いて、この男は、このクソ野郎は本当に満足そうに頷く。
こんな覚悟をさせたかと思うと逃げ出したくなるような想いに囚われ、そしてヨシュアの視線から眼を逸らさない。真正面から見やり、宣言する。
もう一度、心に誓う。

「だがその未来を選び取ることは許さん。俺を勝手に救った人間が、勝手に死ぬなど許さない。いいか? 例え短い命だとしても、誰かの手に掛かって死ぬ結末など望むな」
「君は……」
「これ以上俺に罪を犯させるな。救える流れも、救える場も、全てがうまく行く結末も俺が用意してやる。だからお前は誰かに背負わせるための剣など持つな。直に帰ってくる息子と妻を迎え入れる手を差し出せ」

いいさ、やってるやるさ。
所詮エルク達と共にいるためのついでだが、アークもポルタも、そしてこの男さえも救ってやるさ。

しなければならないことが増えたが、俺が持ち得る情報を考えれば不可能なことではない。
もはやヨシュアは時を越える力を行使できず、そしてエルク達も既に動きだしていると言う。
ならばさっさとアーク達と合流して共に、強引に未来を変えていくしかあるまい。
世界のいたるところへロマリアの魔手が届き、多くの情報を持っているとはいえ後手に回っているこの状況で内側から崩すのは悪手だ。
物語――――いや、これより行われる戦いを加速させ、未来を捻じ曲げるしかあるまい。

「グズグズしてはいられない。いいか? 戦うなとは言わん。だが今はなるべく動くな。お前が生きていればアンデルは必ずポルタを生かしておくだろう。アークも同義だ」
「しかし」
「俺の遣い魔を一体残す。もしも荒事になりそうならこいつを使え。戦力としては保障する」

ヨシュアの返事を聞く前に、俺は自らの影から具現化させたファラオを表に出した。
隣合うようにして俺の脇にミイラ男が立ち、顔も何も見えないその包帯だらけの隙間から眼だけをギョロリとヨシュアに向けた。
当然のごとくヨシュアは眉を顰めた。

「一人が動きやすいというのならそこらに置いていっても構わん。それにお前は俺に言われた程度で歩みを止めるつもりはないだろう? 必ず出来ることはないかと動きだす」
「まだ数日の付き合いだというのに……未来の知識かな?」
「いや、経験上、だ。勇者というのはそんなものだった」

俺の言葉に反論しようとしたが、ヨシュアはぐうの音も出ないのか唸る様にして顔を伏せた。
否定したかったことは自分を勇者と例えられたことか、それとも別か。
考え込む様にして黙ってしまった彼のことなど気にせず、ファラオがヨシュアの影へと滑りこんだ。

「こ、これはっ……」
「俺の遣い魔の特性だ。そもそも肉体を俺が喰ったことで精神しか持たない……言わば亡霊のようなものだからな。邪魔にはならん」
「しかし、いいのか? 君こそこの、ファラオとやらを手放せば……」
「それこそ見くびってくれるな。死なぬことにかけては自負がある――――まぁ、死にかけたがな」

ふっ、自然と笑みが出た。
もはや心の中でざわざわと蠢いていた影の全てはもはやおらず。
あれほど鬱陶しいと思っていた奴らもいなければいないで少し物足りない気もしたが、だとしても手放すことに戸惑いはない。所詮魔物である。

兎に角、まずはこの国から出なければ話は始まらない。
ハンターにこの国に居ることがばれてしまっていると言えども、それがどれほど伝わっているかは微妙なところだ。
だがしかし真正面から空港に向かうというのも――――いや。

「ヨシュア。アゼンダ高地に向かう。ついてきてくれ」
「国外へ向かうのでは? それにあそこには光の精霊が……」
「別にあの精霊を嫌ってはいない。むしろ俺の望みを叶えるためのファクターにすぎん。使える道具ならば使わねばならん」

その不敬を咎めるようにしてヨシュアが睨みつけるような視線を送ってきたが、撤回する気はない。
奴らが世界を救うために勇者を利用するなら、俺は俺のために奴らを利用するだけだ。
といってもこの世界が崩壊の危機に在るのは、元は精霊に対する人間の感謝が薄れたからとかそんな理由だったか?

どうでもいいことだ。
この世界で数千年生き続けて来た人間達のツケを背負うつもりもないし、その先に在る善悪の定義も知ったことではない。
エルク達と共に在る未来を掴むためにはロマリアは邪魔で、精霊たちは利用できる。
ただそれだけだ。





◆◆◆◆◆





「トウヴィルに送ってくれ」
「何だって?」

どことなく浮ついた状態のヨシュアを引き摺る様にしてアゼンダ高地まで連れて来たクドーは、光の精霊を呼びだすなりそう言い放った。
つい先日までは親の敵のような敵意を向けていたクドーがこの地に近寄ったことすら光の精霊にとっては驚くべきことだったのだが、それ以上に彼はクドーの顔つきに魅入っていた。

いや、その瞳に灯る恐ろしいほどに深い漆黒の色にか。

こちら側の都合で死の淵から救いあげられ、それを認識した途端喚いたキメラなどどこにも見当たらない。
光と闇。その絶対的に相反する者でありながらもまっすぐに視線を向け、少なくとも世界を構成する精霊の一人に向かって命令する様は――――確かに傲慢な人間だった。

だが、どこか普通の人間とは違う。
じっと、じいっと光の精霊はクドーを見つめる。
世界が始まってから常に人間と共にいた彼にとってもその瞳は、意思は覚えがあるような気がした。
途端、光の精霊はぶるりと震えた。精霊である彼が、だ。

「…………理由を聞いても良いかい?」
「やるべきことがある。俺の意思を曝けても精霊には理解出来んだろう」
「ふむ」

未だその言葉尻にも敵意の影は残っており、それを感じれば光の精霊は人知れず胸を撫で下ろした。
幼き人間にありがちな感情に引っ張られた言動。先ほどチラリと見せたあの『理解不能な意思』は既にそこになく、さっさとトウヴィルに送れと急かすクドーはただの人だった。
光の精霊が横に立つヨシュアを見やれば、彼もまたクドーに賛同するかのように一つ頷く。
――――何があったというのか。

「何か考えがあるようだけど、決して世界に仇名す企みでもなさそうだね」
「無論だ。そんなことをしても意味はない」
「…………意味があればやるのかい?」
「質問の意図が分からん」

何処か遠く、光の精霊の記憶に存在するその危機感に、余計な質問をクドーにぶつける。
しかし精霊自身とて無茶苦茶だと理解していたその疑問には、ぼかす様にして首を傾げるだけだった。
この危機感は何処か来る? どこで感じたんだ?
光の精霊は一つため息をついてクドーの目の前に力場のようなものを作り始めた。

さすがに全国各地と道を繋げられるほどに力を残しているわけではなかったが、闇の精霊が封じられるトウヴィルと言えばアークと並んで精霊たちには重要な場所。
常に眼を見張るべき地であり、ククルの結界もあってか精霊が道を繋げるにはさほど大変ではないところであった。

兎に角にも勇者として――――犠牲の一つとして見出した一つの命が動き始めたのならば精霊にとってこれほど嬉しいことはない。
孤独な戦いを強いてしまった勇者の仲間となってくれる者がいるのならば歓迎すべきだった。
例えその奥に見えざる不可解なモノがあったとしても。
しかしそのような清濁合わせ飲むことを望んだ光の精霊でさえも、次に発したクドーの言葉には呆気にとられた。

「後一つ。光の精霊よ。『聖櫃』をもう一つ作っておけ。出来るだろう?」
「…………は?」

聖櫃。
この世界が再び闇に覆われる時に、勇者によってその封印を解かれ世界の救いになると謳われるモノであり、暗黒の支配者を封ずるための器。

だがしかし光の精霊は、これがそんな簡単なものではないことを知っていた。
無限にエネルギーを集めることが出来、ありとあらゆる概念を無限に蓄えられるという際限なき器。精霊達の祝福によって作られたそれは、未だ精霊に感謝を忘れずに共存していた人間への贈物であった。
しかし当時人間を束ねていた王が強欲にも独占し、人に栄華を与えるはずだった万能の器は世界を滅ぼす悲劇の原初となった。
そして皮肉にも全てを納められる万能の器が全てを封じる器となり、数千年前にあった悲劇は勇者たちによって救われたのだ。

「き、君はそれが何を意味するのか分かっているのか!?」
「ク、クドー君!? 一体何を……」
「分かっているさ。分かっているから命じている」

さすがの光の精霊もヨシュアも、唐突にクドーが話した内容に冷静さを失い声を荒げた。
確かに聖櫃は暗黒の支配者を封じる器ではあるが、それ以上に人の手には余るパンドラの箱なのだ。
到底二つ目を作る理由にはならず、まだ一つの、現存する聖櫃があるのならばそれで済ます以外に取るべき方法などないのだから。

だがクドーは知っている。
今その聖櫃が何を使われているのかを。
そして聖櫃を所持しているアンデルの狙いを。

「そもそもアンデルにとって聖櫃を残す意味など無い。暗黒の支配者から切り離された闇の精霊の力はトウヴィルに封じられており、既に暗黒の支配者自身は中途半端に封じられつつもロマリアに隠れている」
「それはっ」
「結局奴らにとって重要なのはこの世に負の感情を撒き散らすことが出来るかどうかだ。そのエネルギーによってお前達精霊の力を弱め、操り人形になっているロマリア王の手によって闇の精霊を解放させる。それが主目的だからな」
「それが二つ目の聖櫃と何の関係があるんだい?」

もはや光の精霊の視線に油断はなかった。
どのような理由があれ、強過ぎる力などそう世界に存在してはいけないのだから。
だがしかし全てを知るクドーからすれば、精霊たちの考えは少しばかり遅すぎたものだった。

「所詮アンデル達にとって聖櫃とは手段の一部であって、目的ではない。世界中に散らばる負の感情を聖櫃に納め、それを増幅させる必要はあるが絶対ではない。時間を掛ければ殉教者計画と共にじわじわと増やす方針へと変えるだけだ」
「まさかっ……」
「聖櫃など、自らの主たる暗黒の支配者を封じる手段である聖櫃など邪魔でしかない。どのような結末でもアンデルは最終的に聖櫃を破壊することに終始するぞ」
「…………」
「既に精霊の力もだいぶ弱くなっているのだろう? この段階まで来てアンデルが聖櫃を後生大事にするとは到底思えん。奴らにとっては主を封じる手段さえ消せば、後はどうとでもなるのだろうからな」

ヨシュアも光の精霊も声を失った。
人の、世界の希望である聖櫃が破壊される。
確かに災厄を撒き散らすきっかけとなってしまった万能の器であるが、それでも暗黒の支配者を封じるには絶対に必要なものなのだ。

しかしそこでヨシュアは正気を取り戻し、クドーの言葉を思い出した。
二つ目の聖櫃を作るというそれを。

「クドー君……君は二つ目の聖櫃を作ることが出来ると言ったが、本当なのか?」
「作成そのものであればまだ間に合うと記憶している。どうする? 光の精霊よ。神が齎したと言われる材料を用いて聖櫃を作り、お前たちの祝福を以って二つ目の聖櫃とするか。それとも聖櫃無しの方法で対処するか」

無言のままでいる光の精霊にクドーは結論を急かす様にして言葉を連ねた。
世界という視点で物事を見つめる光の精霊からすればそれは悩むに悩み抜かなければならないことであり、決して安請け合いしていいものでもなかった。
だから――――保留する。

「まだ聖櫃はアンデルの手にある。まだ『在る』んだ。早計な判断は下せない」
「フン……まぁ、いい。まだ先の話であるし、作るとなれば長い時間が必要なものでもあるまい」
「…………」
「では世話になった。ヨシュア、くれぐれも無茶をするなよ? 死んだら俺が殺す」

一つ鼻を鳴らすとクドーは黙りこくる光の精霊を無視するように目の前の力場に足を踏み入れ、そのまま消えて行った。
残されたのはヨシュアと光の精霊だったが、ヨシュアもまた一度頭を下げるとアゼンダ高地から足早に去っていく。
ただ一人この地に佇み、岩と岩の間を通る風切り音が静寂を乱した時、はっとしたように光の精霊は顔を上げ、茫然と呟いた。

「人間王……」

今は暗黒の支配者と名を変え、太古の悲劇を再び起こそうと企む怨敵の名を呼ぶ。
人間王と名乗り聖櫃を暴虐のままに使っていたその影を、光の精霊は確かにクドーの瞳に見た。
あの真っ黒な瞳を見てからの不穏な予感は、全てクドーが人間王のそれと重なっていたからだった。
全てを犠牲にしても自らの欲望を叶えようとする、あまりにも傲慢なその様が。

だがしかし、弱さも見える。
だがしかし、強さも見える。
勇者のように強固な意思もあった。
暗黒のように邪悪な意思もあった。

「彼は一体――――何なんだ」

茫然と光の精霊は呟いた。












[22833] 蛇足IF第二部その8
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:307a30ff
Date: 2011/09/11 17:02


光の精霊が造り出した回廊を抜け、眼の先にぼんやりとした光に向かって手で探る様にしてクドーは前に進む。
ふわふわと足元がおぼつかない感覚が不安を覚えさせるが、徐々に大きくなる光の気配はこの先がトウヴィルに続くのだと確信させるには十分だった。
どこかアゼンダ高地のアレと似た厳かな空気が流れるように漂い始め、徐々に視界が何処かの遺跡を思わせる光景で満たされていく。

当然の如くトウヴィルに足を踏み入れるのは彼自身初めてだったが、肌を刺すような空気がクドーを歓迎してはいなかった。
そもそもトウヴィル奥地の神殿は魔の気配を遮断、もしくは限りなく拒絶するためのククルの結界が張られているはずであり、身体はキメラである彼が入りこむのはかなり強引なことだ。

空中を漂うような感覚からようやく抜け出し、虚空から飛び出したクドーは確かな地面が残された場に飛び込んだ。
足場は灰色とも黄土色とも言えぬ石造りの絨毯が続き、ザッとクドーが着地した音以外は何も響かぬ静寂の世界。
今、闇が世界を覆わんとしているこの世界であまりにもこの遺跡の中は厳かで、そして聖なる気配に包まれ過ぎている。

「誰ッ!?」

そのままゆっくりと立ち上がろうとすれば、クドーの耳に入るのは慌てたような女の声。
振り返ればそこにははね返った様な紫色の長髪と身に纏った巫女服が随分と目立つ強気そうな女性の姿があった。
唐突な侵入者に向かって油断も隙なく構えている様は神職に付く様な空気ではなくまるで武道家のそれ。
クドーが自身の記憶と合致させればそれがククルであるというのはすぐにわかったことだったが、それよりもまさか最奥に一気に送られるとは彼自身思わなかった。

「魔物が此処まで入りこむなんてッ……」
「いや、済まない。魔物じゃ……兎に角話を聞いてくれ」

今にも飛びかかってきそうな剣呑な雰囲気の彼女に、クドーは慌てて右手を差し出して制止する。
結界に気を使っているために全盛期のそれと比べれば弱体化しているはずのククルだというのに、彼女の強気な態度にクドーは自分がこの場でククルを組み伏せることなど出来そうにも思えなかった。
そんな彼もまた結界のお陰で随分と弱体化している状態。このまま話も出来ずに殺されればそれこそ笑い話にもならない。

「話……? 包帯男……まさか貴方」
「話には聞いているかもしれんが、俺がクドーだ。光の精霊の力でここに送り込んでもらった次第だ」

一方ククルは自らをクドーと名乗った包帯男をいぶかしんでいた眼を一変させ、丸くさせたままにしばし言葉を失った。
あまりにも唐突な事態によくクドーの言葉を噛み締め、それを理解するようにして頭を回す。

死んだはずでは? 光の精霊? 彼が情報を与えてくれた――――本当に見た目はただのミイラ男にしか見えない。

様々な疑問が頭の中で錯綜し、そのどれもこれも答えを出すことなく浮かんでは沈んでいく。
まだ戦いの構えをククルは解くことなど出来なかった。
目の前で腕を組むクドーの最後をククルが見届けたわけではないが、死んだとアーク自らが言い、遣い魔であるらしいあの魔物達さえも生きていないと断言していた。

「…………死んだって話だったけど?」
「お節介な奴がな。自らの命を削ってまで時を越えた奴がいた」
「時を……? まさかッ、ヨシュア様!?」
「光の精霊も、な。それよりも今此処には誰が残っているんだ?」

クドーが何でもない風に語るその言葉に、ククルは大いに驚かされた。
時を旅し、世界を周り、影から自分達を守り導いてくれたヨシュアがクドーを救ったという事実に、それと同時に未だ健在でいることに胸を撫で下ろした。

兎に角クドーが生き延びた原因は理解出来たが、それが真実かどうかはまだ判断を下せない。
エルクやジーンがいたなら問答無用で彼を認めその生存に諸手を上げて喜ぶ所なのだろうが、ククルとクドーは勿論のこと初対面である。
ならばこの慎重さもまた仕方のないことであり――――。
そんなこんなで少なからず喧騒を残していた雰囲気に気付いたのか、ククルとクドーが相対していた封印の部屋に入ってくる人影が二つ。

「何を騒いでいるんじゃ……?」
「ククルさーん? どうしたの…………?」

覗きこむようにして顔を出した二人の声が、クドーの耳に届く。
片方は老人でありながら顔の厚さを思わせる面倒そうな声。
片方は天真爛漫を思わせる柔らかなそれで――――その元気そうな声にクドーの身体は固まった。

振り返ることもなくクドーは眼を伏せ、やがてしっかりと閉じる。
順番が逆だ、と一人ごちる口を真一文字に閉じたまま背後から聞こえたその声に万感の思いを馳せた。
生きていた。生きていてくれた。
自分の仕出かした結末に不安などありはしなかったが、現に声を聞いて、ようやくクドーは未来を変えられたことに歓喜した。

「間違い続けたが…………無駄ではなかったか」
「貴方……」

天井を見上げ、心の奥に染み込むような声で呟くクドー。
声こそしわがれた様な魔物のそれなのに、そこに込められた想いは大きく、重く。
ククルは構えた手を下げる他なかった。これこそが彼をクドーと認めるものならば、もはや疑いようもない。それほどの声だったのだ。

「……あ、あぁ……何で……」

ミリルもまた、その後姿を茫然と見た。
ゆっくりと振り返る包帯姿の男。
その包帯の隙間から覗かせる漆黒の瞳は確かに記憶の中に残っている友の瞳で。

「元気そうだな、ミリル」

苦笑いを浮かべるその魔物は、魔物でも、ミリルの記憶にあるあの困ったような笑顔とは何一つ変わっていなかった。





◆◆◆◆◆





夢か現か。そのような表情で眼を白黒させていたミリルを見やる。
子供の頃から比べると随分と美しくなり、流れる様な金糸の様な髪も随分と長くなっている。
身に纏う衣服も白い家で配布されていたあの簡素な病院服のようなものではなく、おそらくはこの地にいるからであろう、トウヴィルの民族衣装。
ククルの巫女服を少しだけシンプルにしたようなその姿は、何故だか実に似合っていた。
白い家で見た様な闇に侵された彼女ではなく、本当に自由になることが出来た――――。

あぁ、会えた。

ドクドクと鼓動が高くなる胸を抑えながら、強張る表情をなんとか緩めようとして頬を触ろうと手を上げた――――瞬間、ミリルに飛び付かれた。
高鳴っていた胸に顔を埋め、そのまま縋る様にして俺の背中に腕を回す。俺の身体などもはや人が抱きしめる様なものではないというのに。
血の匂いは目立たないだろうか? 干からびた身体は少し固いかもしれない。そんなくだらないことを考えていた。

「ミリル」
「ホントにクドー?」
「随分と…………醜くなってしまったが」
「ううん。その声はクドーだよ。間違いない」
「声だって変わったさ」
「そんなことない。クドーは一番優しく私の名前を呼んでくれるもの」

抱かれるままに言葉を連ねれば、自分でも気付かなかったことを言ってくれるミリルが嬉しかった。
この身を覆う胸の包帯が湿っぽくなれば、俺の様な者に涙を流してくれるのが果てしなく嬉しかった。
これのために、戦い続けて来たのならば、そしてこれからも戦うのならば悔いも恐れも何もかも消えていく様な気がした。

だがしかしこちらから抱きしめるにはまだ足りない。
彼女の、彼らの隣に立ち、笑い合うためには付けなければならないケジメが多すぎる。

視線をミリルの頭の向こう側に向ければ、そこには白髪と顎鬚を蓄えた眼鏡の壮年の男が何だか優しそうな顔で此方を眺めていた。
接触したのは一度だけだったが、あの時と比べればその顔の色は何よりも生気に溢れ、プロジェクトに参加し心を削っていた頃とは程遠い。
ヴィルマー――――早くに俺が巻き込み、そしてジーンを育ててくれた男。

「久しいな。ヴィルマー博士」
「お主……生きとったのか」
「幸か不幸か、な。貴方も壮健で何よりだ。貴方には余計な荷物を背負わせてしまった」
「たわけ。自分の息子を荷物呼ばわりする親がいるものか」

心外だと言わんばかりに吐きだした彼の言葉に苦笑する。
欲張り過ぎではあるが、ヴィルマーとジーンが羨ましくもなりそうな関係を続けていることに歓喜せざるを得ない。
知識でしかなかったが、根っからの科学者でありひねくれ者であるヴィルマーが悪戯好きのジーンとそりが合うとは到底思えなかったから。

いつまでもこの喜びに身を浸したいとも思ったが、まずは確認しなければならないことが多すぎる。
今アーク達がどのような動きを取っているのか、エルク達は戦うのか、ミリルとジーンはどうしているのか。
そもそもヴィルマーが此処にいることも少しだけ予想外だ。
シャドウにはそこら辺の処理を命じているが、ミリルへの対処もヤゴス島で過すと思っていたのだ。

「ミリル、そろそろ」
「やだ」
「………………」

俺の言葉にミリルは素っ気なく答え、抱きしめる腕の力を強くしただけだった。
どういっていいのかさすがに困り、ヴィルマーの方に助けを求め視線を向ければ、彼もまた浅く笑いながら俺たちを見ているだけだった。
残りはククルか、などと思ったが彼女もまた。

「残されることの意味を噛み締めることね」
「…………そうだな」

ミリルの気持ちを考えれば、否定する材料など残ってはいなかった。
そう自惚れさせてくれるミリルに、ただひたすらに感謝した。



しかし時間がないのは変わらない。
しばしヴィルマーとククルの好奇の視線に晒されながらも、ようやく泣き止み手放してくれたミリルを連れて応接間らしき大広間に移動する。
確か俺の記憶ではトウヴィルの中はただの古びた遺跡に過ぎなかったのだが、何故か通路の途中にカラフルなケーブルやら何やらが通っていたりと大分おかしなことになっている。
ヴィルマーがいることに何か関係がありそうではあるが……もしかしたらミリルの検査がまだ終わってはいないのだろうか。

「博士。この機械はキメラ関係のものか?」
「ククルと協力しながらミリルを看るには此処に設置するしかあるまいて。無論ミリルの身体は健康そのものじゃ、心配するな」
「ならいいのだが……何故貴方は此処に?」
「未来を知っておる癖に察することが出来ん奴じゃな。儂もロマリアと戦うために決まっておる。それにトウヴィルの村人のためにまだやらねばならんことがあるじゃろ」
「トウヴィル…………ああ、そういえばアンデルが一計を講じていたな」

白い家の決着で思考が停止していたせいで、その先のこととなると随分細かい所がおざなりになってきている俺の記憶である。
それがトウヴィルの民に対する関心のなさとでも思われたのか、横に座るククルからすさまじい視線が飛んできたがなんとか無表情を貫いて対処する。
関心のなさを問い詰められればこちらとしてはぐうの音も出ないが、だからといってこの問題を放棄することが出来ないのは道理だ。

「兎に角、だ。今皆がどのような立場にあり、どこまで動いているのか知りたい」

話を強引に戻そうとして咳払いをすれば、ククルもヴィルマーも懇切丁寧に今の状況を教えてくれた。
その間ずっと俺の隣に座るミリルが顔を伏せたまま静かにしていたのが気になったが、状況を知ればなるほど、と思う他なかった。

驚くべきことに遣い魔の一体だったシャドウが作戦会議に積極的に関わったらしく、未来の知識をフル活用しているらしい。
トウヴィルのことを明かしたのも奴であるらしいし、そしてシュウを単独で行かせたのも奴であり、それに出遅れたシャンテをグルガの正体まで明かしてクレニア島へ向かわせたらしい。

「シャドウの奴が……」
「今更の話だけど、信じられるのよね?」
「そこは心配しなくてもいいだろう。奴らは俺の命令には必ず従う。それにこれからの動きを考えればベターだとも思っている。まずはガルアーノを駆逐せねば」

先にアンデルを仕留める、先にロマリアを崩す、などという選択肢もあるが奴ら四天王を侮るつもりはない。
連携もくそもない四将軍ではあるが、弱体化、もしくは土台を崩された者を標的にすることは肝要だ。
つまりは軒並みキメラプロジェクトの足場を破壊され追い込まれたガルアーノを標的にするのは、物語の流れ関係なく合理的なものだ。

しかしそうなるとエルクとジーンらの反応も気になる所ではある。
もはや流れの変わった未来において彼らはアークに協力したのか、そもそも戦いに身を投じたのか。
――――無用な心配だった。

「エルクとジーンはポコと合流して貰ったわ。トウヴィルの皆を救出してもらうからそのうち一度戻ってきてもらうはずだけど……」
「いや、再会するのならいつでもできる。それぞれが動いている今呑気に此処で時間を潰すわけにもいくまい」
「ということは協力してくれるのね?」
「少々貴女方の目的とはずれた所にいるが、道が重なっているのは否定しない。これからよろしく頼む」
「…………まぁ、追及はしないわ。信頼には遠いかもしれないけど、信用はする」
「道理だ」

既にこのトウヴィルから発ち、他国に散らばって動いているのならばガルアーノとの決戦まではそう時間があるわけでもないだろう。
となればシャンテがクレニアに無事に到着している保証は取れたわけだが、どこで彼女と話を付けるべきか。
アークの仲間になることも、エルク達の隣に立つこともまだ全て『仮』に過ぎない。一歩目は彼女でなければならない、のだが。

そんな風に悩む俺をチラチラと上目でミリルが見てきているのを、俺は気付いていた。
話によれば既にミリルの身体も調査が完全に終わり、普通の人間として生きることが確定してはいるのだが――――彼女にしてみれば微妙な立場なのだろう。
何せ周りの皆が揃いも揃って戦う事を決め、その中で自分はこのトウヴィルに残ることを決めたのだから。

分からんでも無い、というのが正直なところだ。

戦闘力そのもので言えばミリル自身の力はエルクのそれに並び立つほど強力で、戦うとなれば多少の慣れが必要ではあれ、即戦力になるだろう。
だがしかし彼女の人生は、この争乱の中で自らが立った立場は徹底的に守られ、救われるためのものだった。
すなわち自分がいなければ――――。

俺を心細く見つめるミリルの瞳と表情に、自分のせいでという責念が籠っていたのは俺にも理解出来た。
ならば彼女が此処に残る意味は、ただ守られる立場にいることに慣れたのかと考えれば――――首を振らざるを得ない。

「ミリルは、此処に残るのか?」
「え? あ、う、うん! 私がいても足手纏いだし、また捕まったりして足を引っ張っても迷惑だしね、あはは」

足手纏い。これこそがミリルの恐れることなのだろう。
俺の言葉に頭を掻きながら遠慮がちに笑うミリルの表情の奥にある恐れを、俺は見抜いていた。見抜くことが出来ていた。
何しろ俺は、彼女が足手纏いだという認識を少なからず長く持ってきてしまっていたから。

白い家で雌伏し続けていた日常。ただ突っ走っていただけだった日々。
エルクがアルディアに生き延び、ジーンがヤゴス島へ逃れた頃よりずっと眼を覚まさずにいた彼女に、俺は幾度負の感情を投げ掛けたことか。

今彼女が眼を覚まし、外に逃げ伸びることが出来たら。
もしエルクの声ではなく俺の声が届くのならば。
果てには、もし彼女を見捨てることが出来たら。

今でこそ思い直せば随分と身勝手な物言いだが、ミリルはそうではなかった。
俺の死が――――確実に彼女の心に傷を付けた。
これも背負うべき咎。ならばどうする?

「ミリル」
「な、何?」

言ってやらねばならん。
始まりは彼女だったのだと。

「俺たちの始まりはお前だった。お前の笑顔が、俺達を変えた」
「え、ちょ、ちょっと……」
「助けられたから、助けた。エルクが言っていたじゃないか」
「何、を……?」

時には喧嘩し、時にはすれ違い、そして最後には取り合うのが友だと思いたい。
そして俺たちの心を救ってくれた彼女の心を救うのもまた、俺達友だと信じたい。
全くもってエルクとジーンは何をやっているというのだ。彼らもまた俺のせいで幾らか心に余裕がないのだとすれば、もう、俺はどうしようもないな。

「ありがとうミリル。お前の友達になれてよかった」

知ってもらいたい。
彼女は足手纏いではなく、最高の友達なのだと。





◆◆◆◆◆





一緒に戦いという意思が少女の中になかったわけではない。
自分の忌避された力が誰かを守るための力となるのならばそこに戸惑いはなく、周りにいる者達もそれを証明するが如く戦いに向かう者ばかりだった。
少女を助けてくれたエルク然り、同じ境遇であり歳も近かったリーザ然り。

だが少女の――――ミリルの心を蝕み、勇気を覆い隠すのはどうしようもない罪悪感。
優しすぎたが故の、後悔。
自分がいなければ全ての悲劇は起こらず、クドーの死を迎えずに済んだのではないだろうか。そう思わずにはいられなかった。
だからこそ自分の力を信じ抜くことが出来なかった。エルクの腹を刺し、ガルアーノに眼を付けられることになってしまった氷の力を。

その心の有り様はミリルの力に大いに影響した。
自ら力を使う事を否定し、力自体を拒絶すれば白い家で自ら意識を閉じたこと同じようにミリルはただの少女になった。
そして真実彼女は、戦う事も出来ない『足手纏い』となった。

自然、トウヴィルの中に残る以外の選択肢など取れなかった。
選択肢を、自ら潰してしまった。

しかしトウヴィルの里から次々に戦地へ向かう友を、仲間たちを見送るのは何よりも苦痛だった。
足手纏いの癖に、元々は力を持っていた癖にこんな安全な所に引きこもり、ククルの世話になっている。
しかし、そんな前にも後ろにも行けない袋小路となった状況の中で、失くしたはずの友が舞い戻ってきた。

一も二もなくミリルはクドーへと抱きついた。
生きていてくれた。こうして触れることが出来る。またあの困ったような笑顔を向けてくれた。
キメラかどうかなど、魔物かどうかなど彼女には興味のない事実だった。
あれはクドーで、クドーが生きていて、また会えた。それだけでいい。

そしてしばらくした後に気付いたのは、自分が救われる過程の中で最も苦しんだのはクドーであろうという思いだった。
どうしようもない罪悪感。自分のせいで死んだというのであれば向けられるのは純然たる怨みであり――――ミリルは大広間で説明を受けているクドーに話しかけることは出来なかった。



そして彼は言う。
ありがとうと。
友達だと。



自分の頬を伝う涙に気付き、驚いたようにそれを拭えばもはや止める術を知らなかった。
ヴィルマーも見ている。ククルも見ている。クドーが眼の前にいる。でも泣くのを止められない。
言葉一つで心が軽くなる。泣くだけで全ての後悔が吹きだし、そして悔しくなる。
そしてそんな自分を見ながら、クドーは笑ってくれている。

「どうしたい? ミリル」
「どっ、どうしたい……って?」
「俺としては此処で守られてほしい。安全な場所に居てほしい。だけど、お前はどうしたいんだ?」

懐かしい記憶が蘇る。
白い家にいたミリルはいつも子供たちを率先して引っ張るリーダーで、そして一度決めたら絶対に引かない我儘な女の子で。
そんな自分の過去を恥ずかしく思いながらも、今の自分の心の奥底に沈んでいたはずの想いが変わらないことが何故だか誇らしかった。
あの時と変わらぬままで、あの時と変わらぬ想いでまた友達の傍に。

「皆の傍にいたいっ……力になりたいっ!」

そして想いの丈をぶちまければ、クドーは困ったように笑うのだ。

「ミリルは一度決めたら曲げないものな」

彼もまた、やはり昔と変わらない友だった。





◆◆◆◆◆





神殿の入口で羽織っている外套を直してみたり、消耗品の確認をしてみたりと暇を潰しながらミリルの準備をしばし待つ。
同じく入口には見送りに来てくれたククルが泰然とした面持ちで立っており、成程、このような女性に見送られるのならば心配も何もないのだと理解する。
聖母と会うのは初めてだったが、世界の命運を託されるのに相応しい女傑であるらしい。
まだ20にもならぬ歳だというのにだ。

「でも、いいの?」
「何がだ?」

胸元に備え付けられたナイフの一本一本を引き抜き、本当に実戦耐えられるかどうか一、二回ほど振って確認する。
空気をよく切り裂き、ブレが微かにある程度に抑えられたこのナイフは、チョンガラの店という胡散臭い所から盗んできた物であるにも関わらず中々に信用出来る一品らしい。
そんな確認作業に勤しんでいた俺に問いかけたククルに、問いを返すことで答えた。

「目的があったらしいけど」
「そうだな。本来であれば最も優先すべきことなのだが……」
「だが?」
「何だかな。人と会う度にやらなければならないことが増え、そして後に後にと本来の目的が追いやられている気がする」
「それだけ貴方の影響が大きいのよ。自覚すべきだわ」
「ごもっとも」

くるりと掌の上でナイフを回し、再び胸元に納める。
自分の影響が大きい。自惚れるつもりはなかったが、それを言われれば否定することが出来なかった。
どちらにしてもこうやって生きて行くのが俺の人生なのだろう。そして、存外悪くない。

これから向かう先はアリバーシャ。
既にシルバーノアが此処に戻ってくる頃であり、それに乗せてもらって俺とミリルともう一体の『アレ』があの砂漠の国に向かうのが目的である。
またしても砂漠の国に向かうのかと、顔に叩きつけられる砂やらを思い出して億劫になったが仕方がない。
ミリルのためであれば、あの国に行くのも仕方がないことだろう。

自ら封じてしまったミリルの力を戻すには、水の精霊の力が必要だとククルは言う。
そもそもキメラ関連に対しての問題であれば既に解決したことなのだが、ミリル自身が扱う異能の力はまた別問題である。
何せ白い家でVIPとして検査され続け、使われるとなれば100%以上の力を以って強引に動かされていたのがミリルである。
ガルムヘッド然り、洗脳された後の戦闘然り。

そして今度は自ら力を閉じたとなればもはやそれは不安定ということに他ならない。
今現在では自分の力を満足に使う事もミリルにとっては難しいことであり、となれば彼女の異能に近しい、もしくは水の根源全てを操る水の精霊に教えを乞うのが道理である。
アークと共に戦うとなれば、水の精霊とてミリルの願いを無碍にはするまい。
俺としても、水の精霊には聖櫃の話をしておきたい。

「そのままロマリアに向かうのかしら?」
「ああ。そちらの方が手っ取り早いだろうしな。エルクとジーンには…………貴女に任せる。教えるとなっても彼らが俺の生存を聞けば暴走しかねない気がする」
「死を偽装するのはあまり賛同出来ないけど」
「悪趣味ではあるがな。今さらだ」

本来であれば真っ先に俺の生存を伝えなければならない彼らを後に回すのは幾分心が痛んだが、この期に及んで暴走されても困る。
エルク辺りなど全てを放っておいてアリバーシャまで乗り込んで来かねない。
出来るならば、共に戦う場を以って再会としたい。
感傷ではあるが、彼らとの再会はいつだって戦いの場だったから。

まぁ、他の誰もがシャドウの言に乗って物語通りに動いているとなれば、ここで俺がミリルと共に動くのも悪くはあるまい。
見えない流れ全てに怯えるほど腑抜けてはいないが、だとしてもやはりミリルが戦うのは心配だ。
そしてそれ以上に、ついてくる『あの物体』が心配だ。

「お、遅れてごめんっ!」

ばたばたと神殿の奥から走ってきたミリルを迎え――――そしてその後ろからついてきたモノにため息を吐く。





「ワシガキタカラニハ、モウアンシンヂャゾ! ミイラオトコ!」





人型のロボットというか。
不格好なバケツ型カラクリというか。
赤錆びたポストに足と手を付けたというか。





「ああ、じゃあ行こうか……ミリル……ヂークベック」





エルクが連れて行ったと思っていたというのに。
何故このポンコツがここにいるというのだ。



















[22833] 蛇足IF第二部その9
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:bacddc3f
Date: 2011/09/11 17:02
シルバーノアに乗り込んだ俺たちは、少しばかりの空の旅を堪能した後にアリバーシャへと降り立った。
快適な飛行艇から一歩足を踏み出してみれば、俺の外套を靡かせるのはつい先日に味わったアララトスのそれと同じく乾いた風。
空を見上げれば変わらぬ太陽と、少々うんざりしてしまうのは仕方がないことなのだろう。
実のところこの世界には砂漠大陸がことの他多い。アララトス。アリバーシャ。そしてもう一つはバルバラード。

しかしそんな俺の個人的な反応に気付くことなく、ミリルはシルバーノアが飛び立っていく時の風に煽られながらも、眼の前に広がるだだっぴろい砂の大地に眼を輝かせていた。
そしてもう一方のヂークベックは風の中に混じった砂が関節部に入り込んだだのどうだのと騒いでおり、時折頭のてっぺんから蒸気を拭きだしては不満気な機械音を鳴らしていた。
古代の機械がどのようにして動き、それに合わせてヴィルマーがどのように改造したかは不明だが、何とも謎なロボットである。

ちなみにこの国もアララトスのそれと同じくフードとローブを身に付けた人が多い。下手を打たねばなんとか俺の様相も人々の意識には残らないだろう。
といってもハンターギルドがあるために油断できるわけでもないのだが。そもそも俺たちはフードと外套で身を隠した包帯男と奇妙なロボットに一人の少女。
――――大丈夫なのだろうか、これは。

「何やってるの! 早く街に行こうよ!」
「ニッシャビョウカ? ヤワヂャノォ」

気楽に言ってくれる一人と一体に苦笑しながらも、俺は引き摺られるようにして彼女らの後についていくのだった。



アリバーシャ空港に一番近い、国の玄関口とも言われるエルザークの街。
勿論砂漠の街はどこも同じなのかガザリアのそれとそっくりではあるが、怪しげな露店街がないおかげで比べればこちらの方が実にまともな街である。
酒場にギルドに商店街に――――街の中心にある井戸の周りに世間話をする街の人が集まるのは砂漠の国故か。
見渡す限り砂に塗れた街ではあるが、水が通っていないわけなどなかった。

「うわぁ…………人がいっぱい……」
「オノボリサンハカッコワルイゾ」
「わ、分かってるってば」

きょろきょろと視線を右往左往させていたミリルにヂークベックが口を挟んだが、良く考えればミリルの好奇心も当たり前のことなのだろう。
何せ記憶に消されたからはずっと白い家に閉じ込められ、その後も5年間意識を閉じていたのだ。
そして表に助け出されたのがつい前の話であれば、世間のことを何も知らないのは仕方がない。
これで先進国の街であるアルディアのプロディアスになど連れて行ったらどうなることやら。時間があればエルクにでもエスコートして貰いたいものである。

とりあえず宿でも取るかと宿屋の扉を潜ったのだが、この旅、というかこのメンバーで動くことになったことの厄介さを随分と思い知らされた。
何せ一人は全身を外套で隠した妙な男。もう一人は好奇心に溢れながらも世間の道理を何一つ知らない少女。そしてもう一体は言わずもがな。
俺が纏め役を買って出ることは消去法からして当然だが、街中の対応まで俺がしなければならないとなると面倒極まりない。
宿屋の店主にいぶかしむような視線を向けられ、それに気付かぬ呑気な二人。

(不死で、身体が頑丈でよかったというか……)

見当違いの方向に胸を撫で下ろしたが、もしかすれば胃痛で苦しむ日が来るのかもしれない。
ちなみに宿屋の店主には必要以上の金を渡しておいた。口を挟むな、他言不要ということである。

さて。
まずは何をしようか、などと考えることもなくさっさと水の神殿に行って精霊に会ってくるのが自分達の目的である。
やりようによって一、二日程度で目的を果たせるかもしれんが、だからといってロマリアに入国する日が早ければ早いほどいいというわけではない。

「うーん……砂ばっかりだけどやっぱり広いなぁ」
「ワシノココロホドデハナイガナ!」
「心あるの?」
「シラン」

ベッドの上で話しこむお気楽者二人を眺めながらどう動けばよいかを考える。
そもそも俺たちがアリバーシャに向かったのはエルク達が各地に散らばってからそう経っていない時期だ。
エルク達とてトウヴィルの民の救出には時間がかかるだろうし、リーザもまた面倒に巻き込まれているのは間違いない。シャンテに至ってはグルガを連れてくるために闘技大会の予定に合わせなくてはならないだろう。
そしてシュウとトッシュによるレジスタンス活動が、全ての合図となる。

「買い物とかしてみたいなぁ……服とか買いたいかも」
「オサガリモラッタンジャナイノカ?」
「えへへ……嬉しかったんだけど、ククルさんのは、ちょっと、その、胸が」
「ジーンニオシエチャロ!」
「だ、駄目だってばっ!」

シュウとトッシュがロマリアのキメラ研究所に突入する為に、都市の中心を通る列車を暴走させ、その騒動の最中に侵入する。
シャドウが率先して知識を披露したのが幸いして、既にそれは作戦としてアーク達に伝わっているらしい。
そういえば本来の物語であればレジスタンスは壊滅の憂き目にあうのだったが――――知識を与えられたシュウがヘマをするわけもないか?

「そういえばヂークはどうやって戦うの?」
「スタイリッシュニヂャ!」
「えと、武器とかの話なんだけど」
「ブンシンサッポウモツカエルゾ」
「本当!?」

まあ兎にも角にも俺たちが気を付けなければならないことは、シュウ達の作戦に間に合わせなければならないということだ。
いくら彼らとはいえ、ロマリアの中心に侵入を仕掛けるのであれば昨日今日で出来るわけもない。
となれば最後に動き始めた俺達と言えども、ある程度の余裕はある。

――――全く。最初から作戦会議に俺がいればもう少しタイミングを示し合わせることが出来ただろうに。
俺がアークと接触を試みた時点ですでにトッシュはレジスタンスに参加していたというのだから運が悪いと言わざるを得ない。
ロマリアの近くに潜んでいる輩に、そう綿密な情報を伝えることも出来ないか。

「水の精霊ってどんな人かな? ちょっと怖いかも」
「セイレイナンゾ『ヒカガクテキ』ヂャ!」
「うーん……うーん? ……何かおかしいような」

さっさとロマリアに入ってシュウと合流するのも手だが――――。

「あれ? 考え事終わった?」
「ジカンヲムダヅカイスルナイ」

この二人を潜入などが主なレジスタンスに合流させても足手纏いにしかならん。
となれば適度にこの国で時間を潰し、それなりのタイミングであちらに向かう事になるのだろう。
骨休めするには悪くない。例えこの二人がちょっと抜けていても、俺がきちんと現状を認識していれば問題はないのだから。

それに――――。

「少しくらいなら街を回る時間も取れそうだ」
「本当!?」

自由を手に入れた彼女の笑顔を見られるのであれば、多少の寄り道もかまわんだろう。
それに最も重要な話として、ミリルには戦闘に慣れさせる時間が必要である。
個人的には彼女に戦ってほしくはないが、まぁ、今更の話だ。





◆◆◆◆◆





「ねぇねぇ、あれって何売ってるの? ただの石ころにしか見えないけど」
「……おそらく動力石の一種だろう。元々この国は地下資源として取れる動力石で栄えた国だ。まぁ、それを乱獲したせいで自然が崩れ砂漠化したのだが」
「…………それっていつごろの話?」
「1000年前にロマリアから来た男がこの商売を始めたと言うが…………それからずっと採掘を続けているのだろう。砂漠化しても懲りないことだ」
「アンナモノナクテモワシハウゴクゾ」
「じゃあ燃料は何なんだ?」
「シラン」

鬱陶しいと思いながらも問いかけてやればこの始末である。
ヴィルマーの人格をコピーしたのが今のヂークベックではあるのだが、本当にこんな性格がヴィルマーのそれと同じなのだろうか。
言葉を交わした回数が少ないためにヴィルマーの本性など知らないが、この歯に衣着せぬ物言いは、そう、イラッと来る。

まぁ、そんなくだらないことを話ながら俺たちはエルザークの大通りを歩いていた。
商店街の一角であるこの大通りにはガザリアのそれと比べれば、小規模ながら様々な店が立ち並んでおり、武器屋に道具屋に少ない掘り出し物屋などが多く見られる。
この暑さの中でも商人たちの客引きの声はよく通り、よく喉が乾かないものだと感心すらさせられる。
先頭を行くミリルも相当なものなのだが。

街を見て回ってもいいと言ってしまった直後にこの観光ツアーはミリルの一存によって決まってしまった。
覚悟はしていたというか、俺自身彼女にも世界を見て回って欲しかったとは思っていたが、この好奇心の高さはさすがに舌を巻く。
キラキラと瞳を輝かせ、事あるごとに俺に質問する彼女は実に、実に健康的で、その姿に少しだけ泣きそうにもなった――――二重の意味で、であるが。

「ミリル。楽しそうなのは結構だがな……」
「分かってるって! まずは水の神殿に行くための買い出しでしょ?」
「買い出しというか装備を整えたいな。ククルのおさがりといってもただの布だ。それに武器も欲しい」

まったく。ミリルと共に動くと知っていたならば何かしら仕える武器やらアクセサリーをチョンガラの店から多く取っておいたというのに。
そんな後悔先にも立たず。幾らかチョンガラの店から換金用の宝石を取って置いたために軍資金の心配はないが――――兎に角ミリルの装備を充実させてやりたい。
過保護かもしれんが、まだ戦える状態ではない彼女には必要な措置だ。

「ワシニハナニカナイノカ?」
「後でオイルでも買ってきておいてやる」
「イッキュウヒンノヤツヲナ!」

蹴り飛ばしたくなる感情に囚われながらも、眼を少しでも離せば遠くに行ってしまいそうなミリルの後をついていく。
さすがに手を繋ごうなどとミリルが言いだした時は顔を顰めたが、あのはしゃぎっぷりを見るとそうしなければすぐに人ゴミの中で逸れそうで怖い。

そんなこんなで少しばかり歩いてみれば、ミリルが立ち止まり眼を向けたのは一軒の防具店。
防具専用店と書かれているが、勿論冒険者用の防具だけが売られているはずもなく、日用品の衣服も表の棚には重ねられて展示されていた。
俺の記憶を辿れば、こういった国にはアラビア衣装などに似たものが多く、女性が着るものは露出が激しかったりと中々に眼のやりどころに困る衣服である。

「ね、ね、あれってどう?」
「どうって……どういうことだ?」

ミリルが俺の外套を引っ張りながら指差した先には、その防具店の一押し商品と言わんばかりに目立つ所に展示された衣服。
先ほど言った通りに随分と露出度が高く、腹部と肩の部分は肌を晒し、まるで羽衣のような装飾も施されたそれはもはや踊り子の服。
水色を基としているおかげでこの国ではかなり涼しげな印象を抱かせるが、あんなものは防具以前の問題である。

ああいった美しい物に女性が興味を引くのは仕方がない所だったが、さすがに俺たちの立場を考えれば能天気過ぎるのも考えものである。
楽しそうに街を練り歩く彼女を叱るのはこちらも心が痛む所業だったが、さすがに見逃せない。
などと思って剣呑な視線を向けたのだが、ミリルもまた頬を膨らませてさも心外だと口を開いた。

「私だってちゃんと考えてるってば。ほら、あの服、魔法品らしいよ」
「何?」
「『古に滅びた、水の神に祝福された一族の巫女服』だって。水の神って多分精霊のことだよね?」
「…………胡散臭いな。そもそもこの国に水の精霊の事を知る者など」

違和感。そう、ほんの僅かに俺の知識に掠る違和感に俺は口を噤んだ。
もしかしたらあの踊り子の服にしか見えぬものもかなりの『お宝』、すなわち防具品としては使える代物かもしれないなどという考えが頭を過った。
後ろでピーピー五月蠅いヂークベックと首を傾げているミリルを連れてその防具店に足を踏み入れる。
ターバンを頭に乗せた何とも胡散臭そうな笑みを浮かべた商人が手を擦りながら近寄ってきた。

「おや…………なんとも奇妙なお客様ですが、我が店で何かお探しで?」
「ああ、少しばかり探し物をな。二人とも、適当に見ておいていいぞ」
「え? でも」
「いい機会だからな。気にいったものがあったら買ってもいいぞ?」
「ホント!? 行こ、ヂーク!」
「ムゥ……ワシノセンスニアウフクナンゾアルカノォ」

ガシャガシャと音を立てながら店の中を見始めた二人を俺と店主の周りから離し、相変わらずその笑みを絶やさない商人を見据える。
相手も何やら商売の匂いを嗅ぎつけたのか、瞳の奥には何とも油断ならない光を湛えていた。
まぁ、こちらから話さねば始まらん。

「店主よ。あの表に飾られてあった巫女服とやらなのだが……」
「ほう! あれに眼を付けるとはお客様もお眼が高い。札に書かれたものは見られましたかな?」
「水の神に祝福されたと書かれていたが……」
「その通りでございます。あれは私だけが知るルートより仕入れました紛うこと無き伝説の一品。あれを身に纏った者はその通りに水の神の祝福を受け、常にその恩恵を授かることになるでしょう」

宣伝文句としては申し分ない。

「具体的には?」
「ほほほ、疑っておりますな? あれを纏えば即座にその身は癒しの水に覆われ、この乾いた大地にありながらも常に潤いに困らぬことになるでしょう。吹きすさぶ砂の風は全て弾かれ、暑さを感じることもない!」
「ほぅ」
「さらに神すらも魅了させられたあの巫女服となれば、そこらの男共などあっという間にその眼を奪われることになるでしょう。これこそ水も滴る良い女ということでしょうか」

さも、どうだ、と言わんばかりの態度を重ねながら口のあたりのいい言葉を連ねる商人。
彼の言葉が真実であれ嘘であれ、物の売るためならば多少の誇張表現が使われるのは当たり前だ。
そして――――確かに俺の眼はあの服に薄らと魔力の残滓が残っていたことを見抜いていた。成程、ミリルもひょっとしたら感覚でそれを見抜いていたのかもしれない。

この商人の言葉全てが嘘というわけではないのは分かっていた。
そして胸を張るこの店主が言葉を重ねれば重ねるほどに俺の中にある違和感は大きくなり、それが一つの答えへと辿り着く。
ガルアーノの下に居た頃は真っ当な交渉などあるわけもなかったが、『脅しにほとんど近い交渉』ならば幾度も繰り返してきた。

「しかしお客様。これだけの品であれば値段が張るというのもご勘弁いただきたい。それでも我がドルーレの防具店は良心的であるお自負しております! この神の祝福を受けた巫女服がなんと、十万ゴッズ! お安い……」
「店主よ。一つ聞きたいのだが」
「……なんなりと」
「水の神から祝福されたなどという言い伝え、どこから知ったのだ?」

ピシリと店主の表情が強張り、俺は口元が弧を描くのを止められなかった。
しかしそれだけで商人である人間が狼狽するわけもなく、言葉を取りつくろうようにゆっくりと口を開く。

「言ったでしょう? 我が店は良心的であるが故に偽物などを掴まぬようこの国の歴史にまでもきちんと眼を通してですね……」
「ほぉ……ならばこの巫女服がその一族にとってどれほど大事なものなのかも理解出来るだろう? その名の如く神を魅了する服なのだ」
「…………しかしその一族は既に滅んでいるのですよ? 砂の下に埋もれさせるくらいであれば善意あるお客様に」
「滅んだ? 随分と昔のように言う」

あくまでもこちらを立てる様な店主の物言いを一笑に付しながら、俺は一つの確信を言葉にする。
恐らくであればこの商人は正式なルートで手に入れたのではなく――――。

「水の神から祝福された、否。水の精霊を守護する『サリュ族』が滅んだのは僅か一年も経たぬ前のことだ。それを行ったのが当時アリバーシャの将軍であったカサドールであったが故に、民には届かぬ真実だが」
「っ……な、何を」
「ああ。店主の眼を疑っているわけではない。確かにこれは貴方が自慢するように魔法品であることは確実だ。故にこのような品がこんな市井の一角に店を並べるような場所で売りに出されるとはとてもとても……」
「わ、私の店を侮辱するつもりか!」

くすりと口元に手をやり、肩を揺らしながら口に出せば驚くほど簡単に店主は顔を赤くしてくれた。
もうほとんど確信に近いと言っていいだろう。

ミリルとヂークベックの方をみれば眼の前に衣服を広げては何やら楽しげに話していたが、見るべきは広げたその衣服。
ぐるりと周りを見回せば防具品も日用品もどれもが一級品とは言えない二流三流の物ばかり。ただあの巫女服だけが飛び抜けている。
それは実におかしい。実にちぐはぐである。

あれほどの一品であり、なお且つ店主の言うように遥か太古の品であれば多くの有力者の手を回り、このような普通過ぎる店には出回らない。
それに何よりも店主は水の神に祝福された、などと嘘の中に微妙な真実を混ぜてしまった。
嘘をつくための常套手段ではあるが、これが俺に違和感を抱かせるきっかけになってしまった。
多少売り文句は寂しくなるが、『一級の魔法品』とだけでも書けば俺も気付かなかったのに。

「貴様……あの廃墟にあれを盗みに入った賊か」
「し、失敬な! あ、あれは……」
「我ら一族が滅んだなどと嘯き、あまつさえ同胞の怨嗟が未だに残る地へ盗みに入るなど」
「わ、我ら!? まさか、アンタ…………でも、も、もう誰もいなかったじゃないかッ!」

無論俺がサリュ族なわけがなく、だが俺の言葉に大層店主は顔面を蒼くさせた。
おそらくこの店主、先の騒動にて廃墟にさせられたサリュ族の村の跡地に入り、墓泥棒に似た様な感じであの巫女服を盗み出してきたのだろう。
先の騒動――――アークが未だ世界の危機を知らぬ時に旅した道中で起こった悲劇。
確かに滅んだと言えば滅んだのだろうが、こういうものは嘘を貫き通した者勝ちである。

「あれはせめて敵の手に渡らぬように我らが決死の覚悟で村の奥に隠したものよ。幾人もの同胞が精霊と我らを繋ぐ証を守るために死んでいった」
「あ、あぁ…………」
「それに、我らを襲ったのはカサドールなどではなく――――魔物の一派よ」
「な、何だって!?」

こうなると演じるのが楽しくなってきて困る。
どうにもガルアーノの下に居た時からこうなのだが、物語通りに進めようと演じることが多くなってきたせいで癖になってしまったようである。
そういえばエルクと敵対していた時は随分と恥ずかしいことをしてきた様な気がする。

「知らなかったのか? それに魔物が欲したのは我らの命とあの宝。直にお前の下にもかの悪鬼の配下がやってくるだろう」
「そ、そ…………」

口をぱくぱくとさせながらまるで金魚のようになってしまった店主を睨みつけながら、内心ではほくそ笑む。
そして、トドメと行こう。

「私も、奴らの襲撃によって……」
「ヒ、ヒィ!!」

フードから顔を覗かせ、さも全身火傷を負った人間かの様に包帯の隙間から肌を曝け出す。
そうなれば後は――――楽なものだ





◆◆◆◆◆





「本当にありがとうございます……九死に一生を得ました」
「気にするな」

店の前で深々と頭を下げる店主に大仰な言葉を連ねながら苦笑する。
俺の隣では不思議そうに首を傾げたミリルが大きめの買い物袋を抱えており、無論その中には十万ゴッズという高値から下げに下げた五千ゴッズで買った巫女服が入れられていた。
ヂークベックが機械の癖に胡散臭そうな人間味のある視線を向けて来たが、ここは徹底無視。ミリルの装備品として手に入れられるのであれば手をこまねく意味はない。

「しかし盗人である私を許し、尚も五千もの金で私の平穏を買って下さるなどと」
「盗人であったとしても、貴方がこの店でこの宝を守ってくれたのは事実だ。それにいくら何でもただで貰っては貴方が苦しむ」
「ありがとうッ……ありがとうございます」

まぁ、飴と鞭は使い様である。
しかしサリュ族の残した巫女服となれば、なんとも微妙な気持ちに陥ってしまう。
確かにアークが旅した中でサリュ族の村は多大な打撃を受け、多くの人間が死ぬことになってしまったが、その生き残りは南に位置するバルバラードへと移住しているのだ。

しかも後に殉教者計画に関係する勢力として関わることになる。
その時にこの巫女服だか踊り子の服だか知らんが、魔力の籠った服を着たミリルを見てどう思うのだろうか?
というかただの出まかせのつもりだったのだが、本当に精霊から祝福を受けた貴重な物なのだろうか。
どちらにしても俺達の目的が水の精霊に会うことならば、その時に聞きだしてもいいだろう。

兎に角これ以上ここに留まってミリルやヂークベックが余計なことを口走っても困る。
そんな不安に駆られてさっさと踵を返そうとすれば、店主が強張った顔をしながら俺に重要な情報を零した。

「しかし私が村に行った時は魔物の影など何もなかったのです。その代わり魔物の一団らしき集団があるところへ向かっていたのが見えましたが」
「魔物の集団?」
「真っ赤な体色と漆黒の羽を生やした悪魔のような姿の魔物を戦闘に、土魔人のような集団です。確か奴らが向かった先は……水の神殿、でしたでしょうか」
「何?」

その話を聞けば、隣のミリルもまた緊張した面持ちでごくりと喉を鳴らした。
どうやら面倒なことになっているらしい。













[22833] 蛇足IF第二部その10
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:6c9a428b
Date: 2011/09/11 17:02


アリバーシャという国は本来砂に埋もれるような大陸ではなく、千年も前は緑と豊富な水源で知られる自然溢れる大陸であったという。
しかしそれがこのような砂漠の国に変わってしまったのは、商店街でミリルに解説したあの『動力石』による乱獲のせいである。
あの石がどのようにして自然に影響したのかは俺とて分からないが、人の手が入り込んだおかげで自然が消えていく様はこの世界だけの話でもない。つまりは、前世の。
分かることと言えば何処の世界の人間も限度を知らず貪欲であるということだろう。

「まぁ、考えても仕方がないか……」
「? どうしたの?」

エルザークから水の神殿まで続く道をミリルとヂークベックと共に進んでいけば、俺の独り言にミリルが反応していた。
なんでもないと視線を前に戻せば、殺風景な岩場と砂場の中心に蜃気楼を纏いながら浮かびあがる崩壊した遺跡。
今でこそ魔物とはち合わせることなく此処まで辿り着いたが、そろそろ戦闘の準備をしなければならないだろう。

ちなみであるが完全な砂漠大陸のアララトスと違い、未だ水の精霊の力が残っているのか緑の少ないながらも道の途中に木々が生えてあったりと、砂漠と言うよりは荒地と言った方が正しいのがアリバーシャである。
それ故に砂に塗れつつも人の通った道が薄らと残っており、このおかげで大真面目に砂漠を渡るための準備に奔走するようなことはなかった。
今でも水の神殿に向かう誰かが残っているのか。それとも一年も前に滅ぼされたサリュ族の足跡が残っているのか。

「ヂーク、見えるか?」
「ナァンモミエン。スナボコリモウットウシイゾ」
「そうか」

一応は機械、いや、機神ということでその身体のスペックに期待したのだが、彼の眼を以ってしても水の神殿に屯する魔物の姿は見えず。
その報告を聞けばミリルもまたこれから向かう先を考えてか、心配そうな表情を顔に浮かべていた。
あの商人の言っていたことが勘違いのない真実だと仮定すれば、魔物が徒党を組んで水の神殿に侵攻しているということになる。

「水の精霊は大丈夫かな?」
「腐っても五大精霊の一人である存在がそこらの魔物に後れを取ることはないだろう。それに元々水の神殿近くには野生の魔物が入りこんでいる」
「え……トウヴィルみたいに結界が張られてあったりしないの?」
「光の精霊も基本的にそこら辺は放置だったな。まともに結界などを張っているのはラマダ山の土の精霊くらいだろう」
「えぇー……」

唐草色のローブとフードから顔を覗かせ、納得できないとも呆けたとも取れるような声を出したミリル。
砂漠越えを考えるほど厳しくはないと言ってはいるが、それでも日光が降り注ぐ砂の大地で人肌を晒すなど自殺行為。『水の羽衣』を纏っているミリルには、きちんと日光を遮るための外套を着させてある。
まあ、そんなことはともかくミリルの懸念も分からんでも無い。

魔物と言えば、無論人間の敵である。
故にミリルからすれば味方である精霊が自分の住む範囲の魔物を見逃しているのは納得できぬことなのだろう。
だが勘違いしてはいけない。精霊は人の味方であると同時に、世界の在り方に忠実な存在なのだ。
――――魔物とて、この世界に生きる一つの生命には違いない。
そんなことをミリルに言えば、納得できなかったのか口を尖らせた。

「でも今は魔物が世界を壊そうとしてるんでしょ?」
「そうだ。だが今この世界に蔓延るほとんどの魔物は『暴走している』といっても過言ではない」
「暴走?」
「俺たちが倒さねばならない、暗黒の支配者の影響だ」

そこにどのような関連性があるのかは俺にも詳しくは分からない。
そもそもガルアーノの下で長くキメラプロジェクトに関わっていた俺でさえも魔物の在り方を解き明かすことは出来ず、中々謎な部分も多い。
知恵を持ち、明確な目的を以ってロマリアに属するアンデルなどといった魔物は異世界から来た『魔族』であるだとか。今この世界で暴走する『野生の魔物』は、その悪意に影響されただけなのだとか。

様々な予測が立てられるが、すなわち水の精霊にとってこの砂漠を生きる場とし、自然に生きている魔物は『守るべき一つの生命』として数えられるのだろう。
そういえば水の精霊は精霊の中でも最も『命』に関して真摯に付き合い、慈愛の精霊とも呼ばれる存在だった気がする。

「そう考えれば魔物も一つの犠牲者なのかもしれん。暗黒の支配者がいなくとも人間と魔物の関係は殺す殺されのものだろうが…………自然の摂理から外れるものではないだろう」
「でも分かり合える、かな」
「ん?」
「リーザが言ってたの。それにパンディットと一緒に遊んでる姿を見ると、水の精霊の言ってることも分かっちゃうかな」

成程。リーザという例を見れば一つの奇跡もまた見えてくる。
戦い合う。
ただそれだけで考える様な単純な話ではないのだろう。
魔物と人間。そしてこの世界は。

「ハナシ、オワッタカノ?」

――――なら機械はどの立ち位置にいる存在なのだろうか。
彼をただ命令を聞くだけの機械と定義するには無理な話だが。
しかし一つだけ確実に言えることがある。
人と魔物を悪意によって組み合わせたキメラなど、これ以上存在してはいけないのだろう。



水の神殿がくっきりと見えるまでに近づいた俺たちは、近くにあった大きな岩に身を隠しながら先の様子を窺っていた。
砂地の中に無作為に聳え立つ大理石で作られたような柱と、一つのオアシスとも言える水たまりがそこらには広がっている。
今まで見て来た黄土色の風景を考えれば、このような光景がその真ん中にあるのは随分と神秘的なものなのだろう。

そして我が物顔で歩く魔物の姿も確認できた。
だがしかしその様相は商人の言っていた赤い影や土魔人を主としたような統率された集団ではなく、そこらで適当に這いまわるただの魔物だ。
四足で這いまわりながらも俺達人間と同じ目線に立てるほど巨大な、トカゲとも亀とも言えぬ白い身体を持つ『ジャイアントリザード』。近くの水の精霊の神気に当てられたのか、透明なゲル状の物体が人を形作り、屈強なゴーレムとなった『水の魔人』。

互いが干渉することなく自由に水を浴びていたり輪を作っては佇んでいたりと、その様はこの地を住み場としているだけの魔物にしか見えない。
見ようによっては住処を荒らすこちら側が悪党の様な気もするが、人間を見れば即刻襲いかかってくる魔物には違いない。加減する必要は全くない。

「えと、隠れて奥には……」
「無理だな。影になる場所も少なく…………このメンバーでは」
「ハリキッチャルゾ! テキハドコダ?」

ガッシャンガッシャンと煩いヂークベックを見れば、俺もミリルも苦笑いを浮かべるしかなかった。
まぁ、強行突破とは行かないが、全員を相手にしなければいけないのだから彼の言い分も間違いではない。
だがしかしそれぞれの役割を間違えてもらっては困るのだ。

「悪いがミリル。今の自分の力は理解出来ているな?」
「足手纏い、だよね?」
「そうだ。まだお前は守られるだけの存在だ。だがしかし焦るな。この先にいる水の精霊に会うまでは我慢しなければならない」
「うん…………」
「大丈夫だ。このくらいでは手こずりもせん」

顔を暗くしたミリルになるべく心配させないように不敵に笑って見せる。
というか今の今まで基本的には相手を恫喝するような威圧的な笑顔しか作ってきていないような気がして、本当に頼もしく笑えているか自信が無かった。
だが俺の言葉を噛み締めるように何度も頷いて、そして顔を上げたその瞳に恐れはなかった。
俺が心配することなど、何もない。

「ヂーク。お前の役目は護衛だ。死んでもミリルには敵を近づけさせるな」
「ちょ、ちょっとクドー!」
「ミリルは黙っててくれ……いいな? 機械の本分を間違えるな。戦うとなれば、盾となり剣となる。それを忘れるなよ、ヂーク」
「イワレンデモワカットルワ! サッサトイケ」

あまりにも人間味があり過ぎて、そのうちこいつは自分のために機械の本分の忘れているようにも見えてきてしまう。
人に仇名す敵を滅する。人に降りかかる火の粉を払う。迫りくる魔の手より人を守る。
機神ヂークベック。機械として最高の力を誇った彼の力を疑う余地はないのだが……。

「シカシミセバガナクテヒマジャノォ……オイルヲカケテトランプデモスルカ?」
「私オイル持ってないんだけど」

岩場の影を後にして戦場に向かう俺の背後で交わされる会話に、俺はげんなりとしながらため息をついた。





◆◆◆◆◆





気配を消しながら、陰に身を顰めながら。
そんな血溜まりのクドー本来の戦闘を取ることなく、彼は魔物が蔓延る水の神殿の中心へと駆けこんだ。
走る度にズムリと砂の大地に足が沈むが、それを物ともせずに駆け抜けていくクドーに魔物達が気付くのは早かった。

真っ先に飛びかかってきたのはこんな砂地などお構いなくと素早い動きを見せるジャイアントリザード。
前足を振り上げ、そのまま押しかかる様にして真正面からクドーの頭に牙を剥く。
それを確認するなりクドーは手に持っていたナイフを真下から振り上げるようにその先をリザードの顎に突き刺した。

凡そ人間の体重のそれとは比べ物にならないはずのリザードを、顎下から突き上げた右腕のナイフだけで支える。
人を越えた肉体を持つキメラだけが為せる剛力であり――――などとは言うが肉体派であるグルガやイーガなどは飄々とやりそうである。
ナイフを顎下に叩きこまれたリザードの口から真っ赤な血が溢れ、真っ白な体毛のそれを血に染めていく。
そしてそのままクドーは顎元から真下へとリザードの身体を切り裂いた。

「ギィィィィィィィ!!!!」

一体のリザードが粉状に崩れていき、その生命を終わらせれば他のリザードが仲間をやられた怒りで空に雄叫びを上げた。
肌を粟立たせるようなその叫びにクドーはすぐさま反転。背後より突進してきたリザードいなす様にして回避する。
リザード種が得意とするのはその鋭利な牙による噛みつきなどではなく、その巨体を活かした突進。まともにぶつかれば鉄の鎧とて簡単に拉げるであろう。

(だが所詮魔物)

そこに策などあるはずもなく、真正面からぶつかってくるリザード達に囲まれぬよう、クドーは常に動きまわりながら一対一を繰り返していた。
例え巨大なリザードと言えど、戦いに慣れたクドーが手古摺るわけもなし。
しかしそんな戦闘の最中にどこからか急に現れた気配に、クドーはそれを察知してすぐさまその場から飛びあがった。

「…………ッ」

クドーがいた位置に叩き込まれたのは、軟体動物を思わせるゲル状の拳だった。
時間の問題だとクドーは思っていたが、リザードと戦う内に水の魔人までもがこちらを標的に狙っているらしい。
重なる様にして倒壊した柱の上へ飛び移ったクドーは眼下に集まる敵を見下ろし、そして未だにその表情には強張りの欠片ほども存在してはいなかった。

「的だな」

ぼそりと呟き、ギャーギャーと喚き散らすことを止めないリザードの生き残りと人の顔のようなものが浮かびあがっているゲル状の魔人を睨みつける。
数は片方が3で片方が4。多勢に無勢ではあるが、知能の低いその集団は高所に立つクドーを叩き落そうと、足場にしている遺跡に体当たりを仕掛けはじめた。
無論元々崩壊しているそれが何度も耐えきれるわけもなく、リザードの体当たり一発で罅が入り、クドーの足場は如実に揺れ始めた。

「ふん」

一気にそこら中に散らばる倒壊した遺跡を足場に飛び周り、そのまま密集していた魔物たちの背後に回ったクドー。
そしてその場で右手に持っていたナイフを左手でゆっくりとなぞりながら、濃厚な闇の力を込めていった。
銀色に光るナイフの刀身が如実に真っ黒に染め上げられ始め、やがて術式が完成すればその切っ先の周りはそれこそ漆黒の靄が掛かったように胎動していた。

そして投擲の体勢のままぐぐっと右手を引き、引き絞られた弓が矢を放つようにして一直線にナイフを投げつける。
投げられた跡を辿るように空中には黒の線が浮き上がり、そのナイフが魔物達の足場に突き刺されば、黄土色の砂は瞬時にどす黒い血の色に変色した。

「ガ……ギ…………?」

魔物達にとっては何が起こったのか分からない。
自分たちの足元にたった一本のナイフが突き刺さったかと思えば、それを中心に砂が黒へと染まり、そして自分たちの身体は指一本動かすことが出来なくなった。
クドーが放ったのは、魔法『パラライズウィンド』をナイフに凝縮して放つ『影縫』。突き刺さった場所を中心に身体を麻痺させる瘴気を沸かせる闇の魔法である。

眠り、麻痺、毒、石化。
数値化される灰色の画面の向こう側に広がる世界では単なる異常でしか過ぎないその状況も、現実となった世界ではそれイコール死でしかない。
動けなくなった魔物達をまるで作業のように首をどんどん飛ばしていくクドー。
しかし忘れてはいけない。クドーの魔力は低いのである。

「ギャァァァァアァッ!!!」

恐怖と怒りから解き放たれたかのように、最後の最後でリザードの一体が死力で以ってその麻痺から逃れ得た。
そもそも7体も8体も纏めて魔法を効かせられるほどクドーのそれは強くはない。
さっさと全員始末してしまいたいクドーだったが、彼の目の前で咆哮するのは他のそれとは大きさも格段に違うリザード。

(頭か)

あの集団を率いていたであろう一体が残り、そのまま身体を『硬化』させて脇目も振らずクドーに突進を仕掛けていた。
真っ白な体毛はまるで石と化したかのようにリザードの皮膚に張り付き、蹲る様にして一つの岩となったリザードの瞳は血走ったまま狂気に濡れている。
もはやチャチなナイフが通る様な敵ではなくなっていた。

しかし衝突の刹那、クドーは宙を舞う紙切れのようにしてリザードとすれ違い、そのまま遺跡の一部を盛大にブチ壊しながら動きを止めた標的の背後で構えた。
右手のナイフをだらりと下げ、低く体勢を取ったクドーの身体が一瞬にしてぶれ、今度は彼自身が突進するかのようにリザードに接敵する。
砂が舞い上がるほどに強く足を踏み込み、一本の槍となった右腕を影も残さぬ速度でリザードの心臓部分に叩きこむ。

「ッッッッ!!」

悲鳴を上げる暇さえ残さない。
もはや人間の眼では追い切れない速度で放った刺突は、リザードの身体に丸くくり抜いた様な穴を開け、その身体はぐずぐずと崩れていった。
未だその身体は硬化され、岩の如き頑丈さを維持していたというのに。

「ふむ…………」

一息吐いたクドーがナイフを眼の前に掲げれば、先ほどまで傷一つ見えなかった銀のナイフがボロボロに崩れ、刀身の根元には深い罅が入っていた。
『フェイタルダガー』。キメラとしての身体能力を全開まで行使した『単なる突き』。
だがしかし死に物狂いでクドーが身に付けた技術と合わさったそれは、既に前世のまっとうな物理法則など軽々と凌駕していた。

「まともな武器がなくてはな……いや、高望みし過ぎか」

チョンガラの店から盗んだナイフの一本を早くもお釈迦にしたクドーは、外套に付着した砂を払いながらミリルのところへ戻ろうと踵を返した。
しかしその時、彼女らが隠れる向こう側で確かに女の声が誰かを呼ぶ声が響く。

脳裏に浮かぶ嫌な光景。
クドーは即座に走りだした。





◆◆◆◆◆





「ヂークッ!」

機神の名を叫んだのはミリルだった。
その守護神に守られるようにして背後に隠れ、その鉄の背中から前方を覗き見れば、そこには泥の身体をした魔物らしき魔人がいやらしい笑みを浮かべていた。
先ほどクドーが相手をしていた水の魔人と同系統の、しかしその身を泥状に変えた『土の魔人であり――――赤い影が率いていたという魔物だった。

「ホホウ。ワシノマエニタチハダカルトハイイドキョウヂャ」
「くくく。そんな鉄くず風情が何を言っている」

そしてその魔物が口を開きヂークベックの言葉に答えたことに、ミリルは嫌な言葉が頭を過ぎった。
人語を解し、こちらをただの獲物のように舌舐めずりする土の魔人の顔は、まさに悪意に染まった人間のもの。ただの魔物に出せる様な表情ではなかった。
ミリルは恐怖に駆られ、ただ黙ることが出来ず心のままに零した。

「まさか…………キメラ……?」
「ほぅ? よく知っているな小娘。お前の言う通りオレはそこらの魔物とは違う。選ばれた種族なんだよ」

それを誇る様にして魔人は顔を歪め、そして嗤った。

守られる。守られねばならない。足手纏い。迷惑。
様々な現実が浮かび、そしてその認識がミリルの心にブレーキをかけていく。だがしかしその魔人の言ったことは、誰でも無いミリルには許容出来ない言葉だった。
故にヂークベックの後ろより飛び出し、声を大にして叫ぶのは仕方がなかった。道理だった。

「違うッ! そんなものは力でも何でもない! 選ばれたなんて嘘っぱちよ!」
「あぁ?」
「あなたは……あなたはッ……それがどれだけの悲劇をッ……」
「知らねぇよ。俺が強くなれればどうだっていいだろ? そんなこと」

さも、不愉快だと思わんばかりに自分の言葉を理解しようともしない魔人の言葉とその表情にミリルは歯を食いしばり、何故自分はと拳を握り締めた。
そしてこのキメラを前に、今一度ミリルは決意する。決して自分は狂うほどに力に溺れず、誰かのために力を振るいたいと。

だがしかし悲しいかな、今はまだミリルは無力。
これだけの決意を、強い心を胸に宿しても彼女の力は戻らない。もはやそれは心だけの問題ではなく、無理をさせ続けた身体故のことだった。

「まあ、どうだっていい。水の神殿に何の用があるかは知らないが、殺してやるよ」
「ッ!!」

もう飽きたとばかりに土の魔人は砂地を這い、一気にミリルの傍に近寄ったかと思えば固められた拳を彼女の頭へと振り下ろした。
守られなければならないと言われたというのに、前へ出たミリルの心に後悔が浮かび、そして死の予感にぎゅっと瞳を絞る。
だがしかし振り下ろされた拳は空を切り、そして何故かミリルの視界は空にあった。


「マア、ナカナカカッコヨカッタゾ」
「え? あれ……私、何で……」

覚えのない浮遊感に眼を開ければ、いつのまにかヂークベックがミリルの身体を担ぎあげ、背部から蒸気の様なものを噴き出しながら空中に静止していた。
自分を包む鉄の匂いと機械音ながらも優しい声を感じながら、ミリルはヂークベックの中々に愛嬌のある顔を覗き込んだ。

「ごめんね。出しゃばっちゃって」
「カマワンゾ。ワシハサイキョーダカラナ!」

返された言葉は何よりも頼もしく。
そのまま鉄の身体をぎゅっとミリルが抱きしめれば、ヂークベックの動かない口からは「ウへヘ」などという気味の悪い声が漏れ出ていた。
そしてそんな一人と一体の真下では。

「くそっ! 降りてきやがれ!」

忘れ去られた一体の魔人が何やら叫んでいた。

「オット、ソウヂャッタ。ワスレテタ」
「どうするの? 一旦あそこの岩の上まで逃げる?」
「ワシノメモリーニトウソウトイウコトバハナイノヂャ」

何やら胡散臭い言葉を吐くヂークだったが、その細い腕を上に上げたかと思えば、彼の身体が仄かに光を帯びた。
体内に装着させられた一つのユニットが動き始め、その古代の兵器が生み出す力は魔法となって現象を為していく。
そして振り下ろした右腕は、雷光を生みだした。

「サンダーストームヂャ!」

雲一つないこの天候だというのに、どこからともなく稲妻が降り注ぎ、眼下で喚いていた土の魔人諸共大地に大穴を開けていく。
風の音だけが支配するこの砂の大地にけたたましい爆音が響き渡り、もはやその様は爆撃の跡とも言えるほど凄惨なものだった。
だがしかし辛うじて生き残っていたのか土の魔人は、ボロボロになりながら烈火の如き怒りを空中で停止するヂークベックに向けていた。

「許さ、ねぇッ……!! 鉄くずッ……」
「モヒトツ、サンダーストームヂャ」

だがしかし抗議の言葉を最後まで言うことが出来ず、再び降り注ぐ稲妻に魔人の声はかき消されていった。
もはや左手に抱かれているミリルでさえもやりすぎではないかと、少しだけ引いてしまっている。

舞い上がる砂埃と砂煙。
それが風によって払われた後に残っていたのは、表の砂の全てがひっくり返されたような爆心地。
その中心で土の魔人は哀れにも倒れ伏し、ピクリとも動かなくなっていた。

「モウイッカイミタイカノ?」
「え、えっと……多分もういい、かな?」

そして困ったようにして答えるミリルに、愉快な機神は自身満々にこう言うのだ。

「ワシ、カッコイイヂャロ?」

もはやミリルは乾いた笑いで反応するしかなかった。













[22833] 蛇足IF第二部その11
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:03



水の神殿最奥。
表には大理石で作られたいかにも荘厳といった遺跡の名残が散らばってはいたが、実のところ水の精霊が身を顰めるこの最奥はそのような分かりやすい祭壇ではない。
ひと際大きな岩をくりぬかれた様に空洞が続き、そこを歩いていけばひんやりとした水の気配を感じさせている。
そして遠く聞こえる水流の音と眼に映える青色の光景が三人の視界に映った時、クドー達の眼の前には水の精霊が顕現していた。

まるで水晶の中に入り込んだかのように360°全てが透明な水に支配され、青色の水晶で作り上げられた足場や壁などには緊張の面持ちのミリルの姿やいつも通りのヂークベックの姿が鏡のように映し出される。
無論クドーも変わらず映しだされるが、やはり彼にとってはこういった神気の漂う空間は好めないものだった。

「お初にお目に掛かる、か?」
「噂は聞いているよ。クドー。そしてミリルにジークベック。よく来たね」

腕組みをしたままクドーがぶっきら棒に言い放てば、これまた光の精霊とは別ベクトルで高次元の存在を思わせる透き通った様な声が返ってくる。
光の精霊が跪きたくなるような荘厳な意思を感じさせるとなれば、この水の精霊は心の奥底に水滴が垂らされた様に静謐を感じさせる意思。
じっさいに話しているのに心の芯にテレパシーを使った様に届かせる優しげな声は、クドーの贔屓無しの眼で見ても『慈愛の精霊』と見られるに値する存在だった。

まるで水滴のような形にそのまま足と手を生やし、右手には曲がりくねった枯れ木の杖を持ち、首元にはサファイアの首飾りを掛けた水の精霊の姿。
光の精霊とは違い人型らしき影を全く思わせない、異形とも見えるだろうその姿にミリルは驚き、ヂークベックは興味無さそうにその声を聞いていた。
そんなヂークベックの様子を眺めながらクドーは少しばかり機神と精霊の過去に思いを馳せた。本来の人格を考えれば二人は顔見知りであるはずだったから。

「私たちのことを?」
「精霊なら何でも知ってる、って言いたいところだけどね。この世界を救うために動いている勇者たちのことは、私たちもきちんと見守っているよ」
「…………」
「クドー。分かってくれとは言わないけど、私たちにも定められたモノがある…………すまないね」
「いや、いい」

精霊の物言いにピクリと眉を動かしたクドーは、窘める様な声が水の精霊から飛ぶや否やため息をついて首を振った。
どこか光の精霊とのファーストコンタクトから神経質になり過ぎていたきらいがあったクドーだったが、ここではそれも奴当たりに過ぎない。
自分の短慮を咎めるようにしてそのまま一歩引き、もはや自分の口を挟む必要はないのだとミリルを先へ促した。

「精霊様、お願いがあります」
「力が欲しいんだね?」
「…………はい」

決意を秘めた瞳で真正面から水の精霊を見据えるミリル。
対して水の精霊もまた全てを悟っているかのように声質を落とし、その決意を問い質した。
クドーから見たその光景はとても自分では再現できそうもない尊い眺めで――――内心で揺るぎないミリルの意思を羨んだ。

「何のために、と聞いていいかい?」
「大切な人を守るために。これ以上悲劇を起こさせないために。私は…………皆の傍で戦いたい」

今一度、クドーとの出会いによって、友との縁によって固まった意思をミリルは取り繕うことなく打ち明けた。
ひょっとしたら最後に戸惑う様に付け足した理由こそがミリルの最も重い理由かもしれない。
独りでいることは、ミリルにはとても耐えきれることではなかったから。

「今更君の決意を疑うつもりはない。それでも力というのは本当に危険なものなんだ」
「はい……」
「誰かを生かし、誰かを殺し、誰かを守り、誰かを傷つける。水面に落された波紋は様々な事象を起こし、多くの咎を作り上げていく」
「…………」
「溺れてはいけない」

張り詰めた空気の中で落される水の精霊の言葉は何よりも現実味に満ちており、ずっと人の営みを見て来たそれの言葉は重かった。
だがそれでもミリルは視線を逸らすことなくまっすぐと水の精霊の言葉を受け入れ、一歩も引くことはない。
それほどの決意が彼女にはある。それを覚悟する縁がある。

「溺れそうになったら手を伸ばしなさい。救ってくれる人がいる。間違えそうになったら周りを見なさい――――今の君は、誰よりも幸福に満ちている」
「……はいっ!」
「うん。いい返事だ」

その会話を、やりとりをクドーは少しばかり呆けたように眺めていた。
満面の笑みで返事をするミリルと、それに慈愛の表情を浮かべる水の精霊はまるで親子のようで――――そこで無理やりにクドーは思考を閉じた。

兎にも角にも話は決まったようで、水の精霊は一度大きく手に持った杖を振るうと、ミリルの身体は徐々に水泡のようなものに包まれ始めた。
何をするものかとクドーが一歩踏み出すが、水の精霊に安心させる様な視線を投げ掛けられて足を止めた。
水泡に包まれて宙を漂うミリルはその蒼の巫女服と相まってか幻想的な姿になっており、水の中にいるというのに苦しそうにすることなく両手を上下させてはその感覚に感じ入っているようだった。

「ミリル? 大丈夫か?」
「うん……何だか、優しい感じ」
「心配しなくても大丈夫だよ。少しだけ私の力で彼女の身体を癒すだけさ――――それにしても」

どうやらこの水泡がミリルの身体を癒してくれるらしく、それに包まれたミリルも怯えているわけでもなく自然とこの神秘を受け入れていた。
そして、それを心配そうに見守るクドーに向けて、唐突に水の精霊が視線を向け。

「よく……彼女を救ってくれたね、クドー」
「…………勝手にやったことだ」

あまりに唐突に向けられた感謝の念にクドーは返すべき言葉を失い、悪態をつく以外に自分の動揺を隠す方法が思いつかなかった。





◆◆◆◆◆





取り合えず本来の目的は達成できたとクドーが咳払いをすれば、やがて伏せていた視線を上げて水の精霊と向き合った。
確かにこの旅の目的はミリルの身体の治癒ではあったが、クドー本人としては精霊の一人として話しておきたいことも少なかれ胸に秘めていた。
つまりは聖櫃に関することのような。

「水の精霊よ」
「聖櫃、だね?」
「理解していただきたい。そもそも俺はこの世に聖櫃を二つ残せと言っているわけではない。いずれ壊れるために二つ目を作ってくれということに他ならない」
「…………」

この世の結末すらも自らのために変えようとするクドーからすれば、二つ目の聖櫃の製作はどうあっても精霊達に認めてもらわなければならない要素だった。
先のことを持ち得ている未来の知識で見据えることなどもはや不可能ではあるが、それでも彼はアンデルが聖櫃を壊すことを確信していた。
光の精霊に説明した通り、それを残すメリットなどロマリアにとっては多くないのだ。

そんなクドーの考えなど知らずにいたミリルはただ二人の会話に首を傾げ、それでもその間に漂う真剣な雰囲気は理解出来ていた。
そしてその会話にピクリと誰にも気付かれない程度に反応を示したのはヂークベック。しかしその反応などすぐに消え失せ、あとはただの物置のようにそこに立っていた。

「君はもう一つの封印の方法も知っているんだね?」
「ヨシュアとの約束を破りたくはない」
「……そうか」

すなわちそれは聖母と勇者の命を代償に為される封印術。
後の世界に聖櫃という劇薬にも良薬にも成り得るものを残すことなく、人間二人という少ない犠牲でなされる封印は精霊から見れば――――。
どちらが正しいのかなど簡単に定義出来るものではないが、クドーからすればそれは回避しなくてはならない方法だった。

「ねぇ、クドー。私達がどのような想いであの聖櫃を作り上げたのか分かるかい?」
「憧れ、いや好意か? …………俺からすれば、よくお前らは人を見限らずにこの世に残っていると感心するよ」
「そうだ。この地は荒れ果て、もはや私のことなど民達は忘れてしまったが、それでも私は人間を愛していた。人という存在が、好きだった」

3000年よりもっと長く。
精霊という存在からすれば人間のそれよりは短く感じる時間であっても、彼らは人間を好いていたに違いなかった。
だからこそさらなる発展を願い聖櫃を齎し、そして人間の欲望を見誤った。一人の強欲な人間の王を見誤ってしまった。

「最初は、我々の短慮だったのかもしれない。世界を見守る立場でありながら人を愛し、渡してはならない物を作り上げてしまった。だからこそ私たちは今回の争乱の中で動こうとしている」
「前提にはお前達がこの世界に顕現出来なくなるからという事実もあるだろうに」
「それは否定しない。これ以上暗黒の支配者に世界を壊されては私達も生きていけなくなる。でもね、それは今に始まったことじゃない」
「…………」
「君なら分かるはずだ。人間達がもはや精霊の恵みなど忘れかけ、その感謝と共存を捨て去り、その心は負の感情に塗れていると」

水の精霊の身体が揺れ、優しげだったその声に少しだけ熱が籠った。
確かな怒りにして、どこかやるせなせを感じさせる精霊の疲れたような声。それを聞けば、話の大本を知らないミリルでさえもその意味を理解出来た。
二人の会話の間に混ざろうと口を開きかけ、何をどう言っていいのか分からず再び口を噤む。

この世界の現状を見れば精霊達が人間を信用しきれないのも道理だった。
機械という精霊の力に囚われない科学が波及し始め、これからどんどん精霊は人々に忘れ去られているだろう。
暗黒の支配者という要素はそれを加速させただけであり、この争乱がなくとも人々は欲に塗れることは変わらない。むしろ今この世に生きる人間の欲望が、魔族達に隙を見せたと言っても過言ではない。

「果たして3000年前の聖櫃が始まりだったのか、我々の一度の間違いが引き金だったのか私は図りかねている。本当にそれが無ければ精霊と人は共に生きることができたのかと」
「…………」
「今の人は――――救うに値するのかと」

そしてゆっくりと、残酷に、精霊の言葉が紡がれた。
まるで金槌で頭を殴られたような衝撃がミリルに奔り、それに反論すらせず黙りこくったクドーを彼女は縋るようにして見やる。
苦しくなる様な静寂が神殿の中に行きわたり、やがて耐えきれなくなったミリルが弾かれた様に口を開いた。

「そ、そんなっ……私たちは……」
「ミリル。君は見たはずだ、あのキメラを。欲に駆られ悪意に堕ちたあの『人間』を」
「あの人はロマリアによって無理やりにッ……」
「君は知らないだけだ。確かに君のように望まれず攫われた人もいるだろう。でもね、それ以上に多いんだよ。自分から新たな力を、地位を得ようとする人間が」

窘める様に、優しげに。それでも水の精霊の口から語られた真実はミリルにとってこれ以上ない厳しい現実だった。
良くも悪くも世界を知らず、狭い視野でいる彼女にとってそれはあまりに許容できることではなく、自分に降りかかった不幸を思えば何故そんなことをと認めることが出来なかった。

「この世界は、負の力が溢れすぎている」 

そんな有様をクドーは腕を組んだままじっと聞いていただけだった。
水の精霊の言い分は難しい所で理解出来、そして簡単な所で理解出来ない話であった。
人間の愚かさはミリルより少しばかり長く生きている彼にとっては反論出来ない事であったが、この世界で元々生きていたわけではない彼にとっては、精霊がさもこの世界が自分達の物であるかのように話すのも気に入らなかった。
それが嘘だとしても、真実だとしても。

「…………」
「クドー。君の考えを聞かせてもらいたい」

そしてそんな感情を表に出さずして心に秘めたクドーに、水の精霊は問いかけた。
この世で最も人間の真理に近いかもしれない可能性を秘め、光の精霊にもう一人の人間王と呼ばれたこのちぐはぐな男に。
しかししばしの沈黙が続いた後に、クドーが口を開くよりも先にこの場の4人が感付いたのは外からにじり寄る魔物の気配だった。

「精霊様っ……もしかしてこれ」
「また懲りずに来たようだね」
「…………赤い影。それにミリルが戦ったというキメラ兵。この地はまだロマリアに狙われているのか?」
「サリュ族を失った私にロマリアが眼を付けるのは道理だろう。といっても毎回追い返しているのに毎度飽きない連中だけどね」

慌てたように声を荒げたミリルに水の精霊は心底呆れたようにしてため息をついた。
クドーの言うように商人が零した情報は真実であったが、果たしてどのような命令を受けてこのような僻地まで敵わない攻勢をかけているのかはさすがに不明である。
いくら力の弱まった精霊とはいえ、たかがキメラ兵がここに攻め込めるはずもない。
そんな疑問に駆られたクドーは、先ほどの水の精霊の質問に答えることなく黙って踵を返した。

「クドー?」
「戦ってくる」
「え……一人じゃ無理だよ!」
「アレ、ワシ、ワスレラレトル?」

必死にクドーの歩みを止めようと叫ぶミリルに、クドーは一度その足を止め、濁りも透き通りもしない漆黒の瞳でミリルの向こう側にいる水の精霊を見つめた。
その隣で可哀そうなことに忘れられたヂークベックを視界に入れることなく口を開く。

「精霊よ、戦いを見ておけ。出来れば、ミリルも」
「…………?」
「ヂークベック。お前は此処に残り、ミリルを守れ。いいな?」
「ヂャヨネ。ワスレラレテナイヨネ? デモミセバガヤッパリナイノォ」

そのままヂークベックの愚痴を耳に入れることもなく外套を翻しながらクドーは一人慌てることなく戦場へと戻っていく。
未だ水泡の中で癒しの途中であったミリルのその背中を見送ることしかできず、ただただ祈る様にして両手を握りしめるだけだった。
だがしかしミリルの感じる恐怖は、クドーが再び失われることへの恐怖ではなかった。

忘れてはいけない。
彼は、キメラであり、不死の化け物であり――――そして。

血溜まりと呼ばれた悪鬼なのだ。





◆◆◆◆◆





静謐な雰囲気漂う水の神殿を後にすれば、まずは眩いばかりの日光と暑さが肌を焼き、そして第六感とも言える感覚が魔物の下卑た気配を捉えていた。
這い出て来た神殿の入口を囲むようにして魔物達が群れを為し、ひと際大きい気配を辿る様にそちらを向けば、赤い影があった。

背中には身を覆うほど大きい漆黒の翼を持ち、その出で立ちは魔物というよりは前世で知り得る東洋の鬼を思わせる異形のそれ。
勿論前世などでそういった類が存在するわけもなく、ただ空想の中にあるだけのものだったが、この世界ではそれが現実だ。
本当に今更の話である。

「ほゥ……どうやら偵察兵の一体が仕留められたとあって部下を連れて来たが、倒したのはお前か?」
「自分で判断すればいい」
「ククッ。そのはねっ返り……調子に乗った人間にはありがちな反応だ。だがしかしおかしいな……貴様、本当に人間か?」
「二度も繰り返すつもりはない」

そんな言葉を吐いてみれば、周りにいる魔物達もゲラゲラと癇に障るような笑い声を上げ始めた。
一体どこからかき集めたというのか。
商人の情報通りというわけではなく土の魔人に剣を持ったファイターやニンジャ系列の魔物など、どう考えても野生の魔物が群れを為した集団ではなく、何かしらの目的のために集められた様相である。

しかもその『命の影』をよく見てみれば、どれもこれも混じり物。ただ一人俺に声を掛けた赤い鬼――――すなわちアークデーモンは混じりっ気なしの魔物だったが、ひと際強いというものではない。
アークデーモンと言えば魔物の中でも地位の高い、ともすれば魔族と捉えられる類の上級魔物であるが、そうなればこんな僻地で無意味に水の精霊に喧嘩を売るのは何故か。

――――左遷か?
適当に言葉を連ねて釣ってみる

「出来そこないか」
「…………何だと?」
「もはやサリュ族のいなくなったこの地にわざわざロマリアの尖兵が無意味な増援を送るわけもあるまい。よく見れば統率も取れていないキメラの群れ」
「……貴様」
「何だ、お前。もしや水の精霊討伐の恩賞でロマリアに食い込もうとする落ちこぼれか?」

口元に拳を置き、罵倒するようにして軽く、ほんの軽く笑って見せる。
そうした瞬間に四方八方から殺意が飛んでくるのは同時だった。
何とも分かりやすい奴らであり、所詮キメラに身を堕とした愚図共である。

「ああ、いい、いい。どうせ俺の障害にもならない敗残兵など相手にもならん。見逃してやるから砂漠の奥地ででもひっそりと生きろ」
「き、貴様ッ……」
「金が必要か? なら、ほら」

そういって懐にあった宝石の一つを山なりに投げれば、綺麗な放物線を描きながら陽光に照らされた宝石はアークデーモンの阿修羅の如く歪んだ顔へとぶつかった。
満ちる怒りに避けることすらしなかったのか、コツンと小気味良い音を立てて砂地に落ちたその宝石を、奴は怒りのままに踏みつけた。
チョンガラの店でちょろまかした宝石だと言うのに。後で彼に謝っておこう。

兎にも角にも、まるで抑えの効かなくなった猿の様にしてキメラの群れは飛びかかってきた。
それぞれ手に持った斧を、剣を、拳を掲げ、殺す以外の選択肢を考えることなく一斉に襲いかかってくるその光景を、俺はなんとも高揚した感情のまま眺めていた。

「オオオオオォァアアアァッ!!!」

キメラ合体のお陰で言語を操ることに不具合はないはずだというのに、先ほどゲラゲラ笑っていたはずのファイターが意味不明な雄叫びと共に手斧を振り下ろした。
その背後にはまだニンジャやら土の魔人やらが続いており、先ほどの魔物と比べれば腐っても強化されたキメラだということを思わせる。
例え怒りに身を任せていても人間の知恵が混ざった魔物。野生のそれと比べれば一段も二段も違う存在。

俺も、また。

「ゲッ……」

その場で独楽のように回転しながら袈裟切りに繰り出してきた斬撃をかわし、そのまま回転の要領でファイターの側頭部に抜き放っていたナイフを叩きこむ。
衝撃にブンと揺れた頭にぐるりと濁った眼が白を剥き、ごぼごぼと血と泡を倒れ伏すファイターの身体を蹴り飛ばしながら次に備える。
真正面、土の魔人。そしていつのまにか移動していたニンジャの一人が、右方上空。

「死ねええぇぇぇッ!!!」

咆哮と共にニンジャは小刀を振りかざし俺の背中目がけて切っ先を突き立ててくる。
だがしかしそれは無視。
眼の前から泥の拳を放ってくる土の魔人へ一歩近づき、その腕と交差するように拳からナイフを入れ、そのまま魔人の顔まで切り裂いていく。
徐々に近づく魔人の顔が怒りから唖然に変わり、そしてピリピリと身体が裂けていくに連れて恐怖に変わる様――――傑作だった。

ジワリと口元が弧を描き、大きく眼を剥いて嗤いそうになるを堪えながらそのまま土の魔人の命を終わらせる。
そうすればニンジャの剣閃は揺れることなく俺の背中を捉え、そのまま深々と胸まで貫いた。

「ギャハハハハッ!! 調子にっ……あ?」

駄目だ、嗤うな、嗤ってはいけない。
俺の身体におぶさったまま狂気に嗤い続けた背後のニンジャを、首だけをぐるりと回して視界に入れる。
忍び装束に覆われた故に眼だけが開けたその顔が恐怖に染まり、濁った眼と俺の眼が合っていた。
もはや関節など関係ないというかのように無理やりにニンジャの顔を鷲掴みにし、刺さったままの小刀など気にするわけもなくこの獲物を引っぺがした。

「なっ……おま、お前……な」
「…………」

無理くりに剥がしたためか、刺さったままの小刀が肉を抉り、包帯がパラパラと切られながら盛大に血をぶちまけた。
だがしかし何の問題もない。何一つ問題はない。
恐慌状態に陥ったニンジャを眼の前に吊り上げ、そのまま素手で頭をねじり切りながら分解する。
まだ足りない。もっと凄惨に、もっと残酷に。まだ、獲物は残っている。

先ほどまで烈火のごとく怒り狂っていたキメラ達の足がぴたりと止まり、何か化け物を見たかのようにその顔を青ざめさせていた。
何を今更。俺とお前らは同じではないかと言ってやりたかった。
だがしかしそんな自己満足の言葉よりも今は殺戮を――――力を。

「ヒッ……」

見るからに腰が引けていたフルメイルのキメラ、バーバリアンに駆け寄れば、まるで命乞いをするかのようにその両手を前に出すのが見えた。
阿呆か、こいつは。『何かを殺すために、支配する為だけに生まれた存在』が、それ以外の道を選ぶことなど許されない。
フルメイルのために表情など分かるわけもないが、先ほど殺したニンジャの血がべっとりとついた右腕で顔面を突けば、兜がバラバラになりながらもその先が見えた。
実にキメラな、醜悪な顔だ。

そこでようやく背中の小刀を抜き放ち、もはや言葉さえ失ったアークデーモンにその切っ先を向ける。
他のキメラなどもはや戦意が喪失したのか散り散りになりながら逃げ惑い、残ったのは俺とこの赤い影だけだった。

無言で近寄る。
言葉を使うことなくキメラがただ歩く。
そうすれば口を開くのは魔物だった。

「お、す、凄いな貴様は! どうだ? こちら側に来ないか? そうすればっ」
「…………」
「クソッ、何だ貴様は!? 話しを……くっ」

刃が届くか否かの距離。
言葉を連ねる意味の無さを理解したのか、アークデーモンは一気にその翼を羽ばたかせて空へと上がろうとした。
だがしかしそんなもの俺が逃す理があるわけもなく。
持っていた小刀を投げつけ、奴の漆黒の翼に大きな穴を開けてやれば、叩き落された蠅のようにして砂の大地に落ちていった。

「ギッ……グ、ァ……」

踏みつぶされた人間のような苦悶の声を上げながら這いつくばるアークデーモンを蹴り上げ、そのまま先ほどのニンジャのようにして眼の前に吊り上げる。
もはやアークデーモンの顔に浮かぶのは恐怖でも何でもなく、ただ懇願するかのようにしてへりくだる弱者そのものだった。
そして――――それを見ると――――魔物という存在ががこうも――――。

「た、のむ……た、すけ、て……」
「ククッ…………ハハハハハハハッッ!!!」

嗤う。嗤う。嗤う。腹の底からこらえることなく全力で嗤う。
そしてそのまま犠牲者となった者を持つ手に命の力を凝縮させていく。
喰らいに喰らった、闇の光も混じり合った命の力。
そしてようやく恐怖に染め上げられた鬼の顔に獰猛な笑みを見せつけながら、俺は呪を呟いた。

「リベレイション」

その瞬間、俺の右腕がけたたましい爆音を鳴らしながらどす黒い半球体を作り上げていき、その中心にいた俺とアークデーモンは命の奔流に包まれていく。
もはや悲鳴にならない叫び声と俺の嗤い声が混ざり合い、この地に響くのは趣味の悪い――――歌? さあ、何だろうか。

そして作り上げられた半球体が飛び散ると同時にアークデーモンの身体は弾け飛び、俺の右腕もまた肘から先が粉々になり、そして血が吹き出始めた。
しかし俺の身体にとっては何の心配もない常のこと。
グネグネと傷口が蠢きながら再生を開始し、背中から胸を貫いたその傷ごと既に治癒を終わらせていた。

『リベレイション』などと大仰な名を付けては見たが、ただの自爆に過ぎない。
自らの、いや、喰らい続けた命を代価に与えられる威力は推して測るべし。
まぁ、これもまた血溜まりの所以か?

兎にも角にもとうに慣れてしまった血溜まりの中心で俺は虚空に眼をやった。





見ているか、水の精霊。





俺はこの力でもののついでに世界を救うぞ。
大切な誰かを守るぞ。
敵を殺すぞ。





忌避された闇の力で、光の世界を取り戻すぞ。























[22833] 蛇足IF第二部その12
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:03

露わになった胸の傷跡や右腕に包帯を巻き直しながら水の神殿最奥で待つミリル達の下に戻れば、返ってくるのは様々な色をした視線だった。
たかが三人六対の瞳だけが向けられているだけだというのに、そこの込められた感情はあまりにも多く、それだけでも彼女らが戸惑っているのが理解出来た。
そしてその感情には多くの不安と恐れが溢れていたこともまた。

一歩、一歩近づくたびに彼らの表情が露わになっていき、その視線だけでなく表情すらも俺の視界は捉え始める。
わざとらしいほどに感情を抑えた機械のように佇むヂークベック。なるべく感情を見せぬように眼を閉じ口を真一文字にしたままの水の精霊。
そして、痛ましいような眼を伏せながら祈る様に重ねられた両手が震えていたミリル。

どいつもこいつも、優しい奴だった。

いっそのこと化け物と罵られる方が楽だというのに、誰も彼もが殺戮の意味を測ろうと悩み、苦しみ、そして理解しようとしてくれている。
ミリルなど未だ本格的に戦ったこともない様な生娘で、血がぶちまけられる様すら見たこともないような人間だろうに。
それでも必死に、必死に震えを抑えてこちらを心配そうに見つめる様に、真正面からこちらを見据えてくれる彼女の強さに救われた。

「…………」

こつり、と足を鳴らしながらその場でじっと腕を組み、黙りこんだ水の精霊を見やる。
沈黙、静寂。何一つ言葉を連ねようとしない水の精霊の心中など俺には分からない。
そう。分かるわけもないのだ。

3000年。人と精霊の関係。『今』の世界。
そのどれもこれもが俺の両手が届く範囲にある問題ではなく、そして手を伸ばすつもりもない問題である。
そもそも高次元の存在が胸に秘める感情など、思考など、たかが30年も生きていない中身ただの人間が理解出来るわけもない。

俺達人間は、俺は――――いつだって自分の在り方を押し付けることしか出来ない。
それが歯痒くもあり、そして誇るべき意地だった。
力そのものに善悪などあるわけもなく、そしてそれを行使する人間でさえも善悪で分けられる存在ではない。
俺は、静かに口を開いた。

「水の精霊よ」
「…………何だい?」
「淀みで塗りつぶされた眼では、黒か白かも見切れんだろう。綺麗な眼では白の影しか映らんだろう」

はっとしたかのように顔を上げた水の精霊の瞳を捉え、じっと、見る。
その瞳は悲しみにくれており、それだけでも自分の考えがどこか腐っているような気がして嫌な感情に囚われた。
だがしかしそんなもの、俺には何の関係もないものだった。

「長くを生きた精霊に言葉を連ねようとは思わん。だからこそ俺は戦う。戦って証明し続ける。それを見て後は貴方が決めればいい」
「…………」
「キメラを望んだ者も、勇者となって世界を救う者も、誰かのために涙を流す者も、俺も、人間だろう」

ぐっと拳を握り、もはや人間の力を超越した感覚を思いながら、それきり俺は口を閉じた。
後は言った通りだ。精霊自身が勝手に悩み、勝手に覚悟し、勝手に決めればいい。
人間と精霊が共に生きた歴史もあっただろうが、だとしても同じ領域に生きる存在ではない。
彼らには彼らの考えがあり、人間には人間の考えがある。

ごぼりと水泡に包まれていたミリルの周りに泡が浮き、そのままゆっくりと地に落ちたかと思えば、彼女の周りから水泡が消えていった。
突然下ろされたことに驚いていたミリルだったが、その後に手を開閉させていたりぺたぺたと自分の身体を触っているあたり、おそらく治癒が終わったのだろう。
生気、ということではないが、なんとなく彼女の身体から力強い気配がしているような気がした。

「あ、あの……」
「大丈夫。ちゃんと力が使えるようになっているはずさ」
「あ、有難うございます……って、そういうことじゃなくて」
「クドー」

礼を言いつつも話の焦点はそこではないと言わんがばかりに喰ってかかったミリルを無視するようにして、水の精霊はこちら側に眼を向けた。
そうすればミリルもまた戸惑った様にこちらを向き、そして悲しそうな顔をしたまま俺と水の精霊を見比べた。

「少しだけ、君のことを見守らせてもらってもいいだろうか」
「好きにしろ。だが聖櫃の作成は押し通らせてもらうぞ」
「ふふふ……まぁ、もう少し悩ませてくれ」
「…………好きにしろ」

苦笑するかのように一つ頷いた水の精霊を一瞥し、そして戸惑っていたミリルと視線を合わせる。
もはやこの地に残る意味もないだろう。
先ほど追い払ったキメラ達が余計な援軍を率いてやってくるとも限らない。無論リーダー格を殺したから問題はないと思うのだが。

「行くぞ、ミリル」
「えっ……ちょ、っと……あ、あの」
「ヂーク。お前もだ」
「オォ」

ぞろぞろと逃げ去る様にして水の神殿を後にする俺達を、水の精霊はずっと見ていた様な気がした。





◆◆◆◆◆





水の神殿からエルザークへと戻る帰り道。
三人が一列に並んでずんずん進むその道程において、誰ひとり言葉を発しようとはしなかった。
先頭のクドーは周りを警戒しながら黙って歩き、その後ろに続くミリルは何かを考えているのかしきりに首を振ったり息を吐いたりして離れないようにクドーを追う。
ヂークベックは後方で時折周りの景色を眺めながらぽつぽつとツマランと零していた。

行きの時とはあまりにも雰囲気の違うその三人。
水の神殿に向かう時はミリルが周りの景色に一喜一憂してみたり、軽口をヂークベックと叩きあっていたりと随分騒がしいはずだったというのに。
無論その状況の原因が自分にあるのだということをクドーは理解していた。

だがしかしあれは早いうちに誰かの眼に知られなければならないことだったのだ。
自分が戦う方法は決してまっとうなものではなく、そしてそれを行使することに自分は何一つ躊躇しないのだと。
共に闘うことになれば遅かれ早かれ『血溜まりのクドー』の戦い方は眼についてしまう。
そしてクドーが考える限りでは、ミリルは最も仲間の中で戦いに程遠い人間であり――――。

(早まったか)

ちらりとクドーが後ろを見やれば、ミリルは彼の視線に気付くことなくあれこれと頭を回して考え事ばかりに耽っていた。
それを見たクドーのため息にすら気付かず、ずっと彼女はこの調子なのである。
そしてそんな彼女以上に、クドーは不安に駆られて心臓をバクバクと鳴らし続けていた。

あんな様を見せて、拒絶されたらどうするべきだろうか。
彼女は自分を認めてくれるのだろうか。
自分を化け物と罵るのだろうか――――。

ミリルという人間の性格を知り、そんな暴言を吐くわけがないと確信していながらも、クドーの胸中からそんな不安は消えない。
何せ彼が生きる理由は何よりもエルクやジーンといった人間と繋いだそれ。もしもそれが崩れ去るようなことになれば、眼もあてられないことになる。
だがそれを恐れて自分の醜悪なものを隠し続けるのはこれ以上ない友への裏切りだった。

故に、クドーは晒した。



と、聞こえは覚悟を示した勇士のようにも見えるのだが。



最後方でそんな二人の様子を見ていたヂークベックからすればため息を――――息を吐くことは出来ずとも呆れの音色を残した反応を示していた。
彼にしたら鼻があればほじりたかったし、口があったのなら唾を吐きたかった。

何せ先頭を歩くクドーの反応があまりにも情けない。

ミリルがため息を吐けばびくりと肩を震わせて歩みが淀み、ちらちらと後ろを確認しようとする動きは無言の行軍が続けば続くほど頻度が増えている。
しまいには敵も出ていないのに胸元のナイフを慌ただしくいじり始め、今までそれを武器に戦ってきた彼がそれをお手玉して砂地に落した時は酷いものだった。
もう、ビビりっぱなしである。

ヂークベックは自分の身体の中に入れられたメモリーの中に、彼に対する多くの情報を持ち得ていた。
勿論彼が未来を知り、これからの自分達の行動に大きくその知識が左右されることを考えてのヴィルマーの調整だったのだが、それ以上に彼を語る人間が多かった。

トウヴィルにヴィルマーと共に移動し、そしてその地の守りとして神殿の中にいたヂークベックであるが、そんな彼に頻りに話しかける者がいた。
それはジーンであり、そしてミリルであり――――。
当時は戦いの中に入れなかったミリルが話を合わせられるのはヂークベックだけであったし、エルクやアーク達が各国に散らばった後も話し相手として幾度も言葉を交わしている。
ジーンにとっては親が直したロボットであったし、彼の性格に合うような人間も中々に少ない。自然と話を合わせるのは時間の問題だった。

そして、誰か大切な者を失ったものは、往々にして失った人間のことを話す。

そうやって積み重なった『クドー』という個体に関する情報は、そのままヂークベックの興味へと繋がっていった。
例えその人格はヴィルマーを基にしたものであったとしても、きちんと学習し記憶できる人格AIである。
もはやオーバーテクノロジー染みたものだったが、基が古代の機械神ジークベックとなればどうとでもなる。

そしてそんなヂークベックから見れば、このクドーという男の不安定さは見たこともないものであり。
この世の根源を形成する水の精霊に不遜な物言いを向けたと思えば、ただ一人の少女に肩を竦めて怯え始め、しまいにはそれを後悔したような様子さえ見せる。
――――一体何がしたいのか。
良くも悪くもその時その時の即物的な欲求に忠実な機械らしくない性格のヂークベックからすれば、違う意味で謎の人物に見えているのだった。



そしてビクビクする先頭のミイラ男と、考え込む踊り子美少女と、呆れたポンコツロボットが為した列は既にエルザークに眼と鼻の位置まで辿りついていた。
相変わらず最低限の会話を交わして歩き続けたままで。



足を取られる砂場と相まって重くなる一方だったクドーの歩みがようやく止まり、眼の前にあるエルザークの街を視界に入れて彼はため息をついた。
彼にとってはこの行軍が何よりも、今までの戦いの時すらふっ飛ばすほどに長く感じられ、もはやミイラだというのに喉の渇きを感じて止まなかった。
無意識に胃の辺りを撫で始め、「着いたぞ」の四文字を言うために覚悟を決めようと大きく息を吐く。

クドーの脳裏に浮かぶのは東アルディアの地でエルクとジーンと敵対した光景。
あの時はありったけの殺意と敵意を向けられたと言うのに、今この瞬間は、その敵意に似た失意を向けられることをこんなにも恐れている。
死ぬことを望んでいた者と、今生きることを望んでいるものが感じる心がこれほども違うものかと彼は内心で驚いていた。

だがしかし言わねばならぬ。
今世紀最大の覚悟を示して後ろを振り向いたクドーだったのだが、その先で考え事をしているだろうと当たりをつけていたミリルが、まっすぐな瞳でクドーを見ていた。
どこか、何かを決意したようにぎゅっと拳を握り、そのまま羽織っていた外套を脱ぎ飛ばすと、意気揚々とした表情で呪文を唱え始めた。

「凍てつく氷牙よ! 全てを穿てっ!」

エルクやジーンの呪と似通った詠唱を紡ぎ、その両手を誰もいない砂漠の中心に向けてみれば、乾いた砂の大地に透明な氷霧が現れ始めた。
そして次の瞬間、砂地から巨大な氷塊が槍となって次々に天を穿ち始め、家一軒ほどを飲み込むほどの巨大な氷の針地獄のオブジェがそこには出来あがっていた。
放った当人も、それをぽかんと見ていたクドー達も知らぬことなのだが、『クリスタルダスト』と呼ばれるそれは彼女の異能しか扱えぬ力の一端だった。

「ふぅ……疲れるなぁ」

氷の槍が飛び出た衝撃で水の羽衣を靡かせ、その場で膝に手を突きながら呟いたミリルは、苦笑いをしながらクドーを見つめた。
対してクドーは何が起こったのか、何をしたいのかがさっぱり理解出来ず、頭の上に疑問符を浮かべたまま固まっていた。

「あのね、クドー」
「え、あ、ああ……」

そんなクドーなどお構いなしに話しかけるミリルの声に意識を引き戻され、彼らしくないしどろもどろな返事をするクドー。
しかしミリルはマイペースに自分の決意を言葉にしていた。

「私、強くなるから」

それは、今一度心に決めたミリルの願いを叶えるために。
クドーからすればその言葉もまた動きが固まるには十分な宣言であり、その言葉の先に込められたミリルの願いを理解出来なかった。
氷の針地獄が残した氷霧が風に流れ、砂漠の真ん中で立ちつくす彼らを囲むようにしてキラキラと日光を反射させながら降り続いていた。

「クドーは、ああやって戦ってきたんでしょ?」
「…………ああ」
「だったら、あんなことをしないで済むよう、私も強くなるから」
「……ッ」

そう言って、ミリルは満面の笑顔をクドーに向けた。
その誓いは何よりも貴いもので、常に守り、奪う側にいたクドーにとってはあまりに不慣れな言葉であり、ひょっとしたらどこかで願っていたものだった。
クドーはその響きに少しだけ揺らぎ、無意識に歯を食いしばった。何かを耐えていた。

「でもね、今の私は全然弱くて、皆の足手纏いで」
「あぁ……」
「それで、多分私だけでも足りないかもしれない」

その笑顔を曇らせ、少しだけ言葉を詰まらせたミリルがその戸惑いを振り落とすように首を振る。
金糸の髪は程良く揺れ、そして再び浮かべた表情は守られる少女のそれではなく、決意によって変わった勇者のそれで――――クドーの友だった。

「皆で、あなたの隣に立つから。一緒に立ち向かうから」
「…………」
「友達だもんね」

言外にエルクとジーンのことも表し、それが揺るぎない友情が為せるものだと確信させるミリルの言葉は、もはやクドーの理性の外にあるものだった。
震える様にして眼を、水の神殿で吹き飛ばし再生した右の手で隠し、そのまま肩を震わせる。
心配したミリルが顔を覗きこもうとしたが、それを制止し、しばしクドーはその感情に浸っていた。

泣くのか。
嗚咽を上げるのか。
みっともなく泣き喚くのか。

ぼそり。クドーは呟く。
聞こえないように小さな小さな声で。

「ありがとう」

そう呟いて手を眼から離したクドーの顔に、既に影は残っていなかった。
きょとんとしたミリルに、心の底から笑顔を向ける。
そして万感の思いを込めて口を開けば。

「お前に会えて、よかった」

その声が風の吹く砂の大地にぽとりと落とされ、ミリルとクドーの間では間抜けな間が空き、そして次の瞬間にミリルの顔がトマトのように真っ赤に変わっていく。
例え友達の境界を知っていても、その中に自分達がいるのだと分かっていても、少々その言葉は刺激的過ぎた。

そしてそんな二人の様子を見ながら、蚊帳の外にされていたヂークベックはつまらなそうに吐き捨てる。

「ヘンナヤツヂャノォ」

それでも、その声の中に薄らと含まれた嬉々とした感情は隠せていなかった。





◆◆◆◆◆





所変わって再びエルザークの街にある商店街。
初めて此処に来た時と同じようにして物品を見て回る三人だったが、その表情に浮かべるものは来た当初とは比べ物にならないほどに明るい物だった。
無論クドーなどは常に無表情を心がけてはいたのだが、時おりだらしなく弧を描く口元を隠すことは出来ずにいた。

「しかし、本当にいいのか?」
「もー、何回も言わせないでってば」
「だが……おい、ヂーク……お前も」
「カホゴハキラワレルゾ」
「ぐっ」

にべもないヂークの物言いに論破されたクドーは、武具屋の前で新品の短剣を手に持ったミリルを見ながら唸っていた。
対してミリルは不格好ながらも一度二度短剣を振ったりして、武具屋の店主であろう男に慌てて止められている。
えへへと頭を掻くミリルだったが、店主の顔は本気で青ざめていた。

というのも結局彼らがやっているのは武器選びである。
そもそもこの地に来た目的がミリルの力を手に入れるための旅ならば、手に持つ武器を決めるのも当たり前だと主張するのはミリル。
勿論その主張も正しいと言えば正しいのだが、クドーがそれに二つ返事で答えるわけもなく、うだうだと理由を付けては眉を顰めていた。

「戦うのはいいが、何も刃物など」
「ダメ! 隣で戦いたいって言ったでしょ?」
「いや、前衛なら俺達が務めるからお前は……」
「強くなるから!」

懇願するかのようにクドーの外套を握りしめ、上目使いでそう乞われればクドーは困ったように言葉を呑み、そして隣のヂークに助けを求める。
そしてヂークは人間味のある反応で両手をあげながら諦めろと言った風に首を振っていた。

しかしミリルとて考えなしに短剣などを選んだわけではない。
そもそも氷の異能を使った魔法ならば感覚的にどうにかできるが、身体を使って戦うのならば話は別。
それを習う必要があり、そうなれば彼女が実際に見たことがあるのはクドーの戦い方だけだった。
無論相討ち覚悟の戦い方ではなく、ナイフを自由自在に使うその戦い方である。

「それにリーザも短剣を投げたりして戦うんでしょ? 努力したって言ってたよ?」
「いやな、ミリル。それには時間がだな……」
「ナントカナルゾ」
「何っ!?」

圧倒的にその戦い方を習得できる時間が足りない、などともっともらしいこと言って諦めさせようとしたクドーだったのだが、思わぬ敵の増援に声を荒げた。
何でもない風に言うヂークベックだったのだが、そんなことが出来るなどと――――そこまで喉に出かかってクドーはその言葉を飲み込んだ。
まさか、そんな、卑怯な。唖然とした表情のままヂークベックを指差せば、無敵のロボットはボディの部分をパカリと開けながら何かを取り出した。

「『ガクシュウソウチ』ヂャ!」
「学習装置?」

ミリルがヂークベックの取り出した腕輪のようなものを手に取りながら聞き返したが、クドーはその効果をなんとなく予想出来ていた。
そんな予想など外れてほしいと思っていたのだが。

「コレガアレバスグツヨクナレルゾ?」
「ホントに!? どうやって?」
「シラン。ヴィルマーニキケ」

肝心な所を説明しようとしないヂークベックにクドーはついこめかみに青筋を立てたが、そんなものはどうでもいいと言わんばかりに彼はミリルの手首にそれを装着させる。
見た目は銀色で青色の線が入っただけの腕輪だったが、その腕輪の一部にはどう考えても不釣り合いなチューリップの絵が描かれていた。
そこまで見れば、さすがにクドーと言えども天を仰ぐしかない。

「あれ? このチューリップの絵って」
「リアガカイタンヂャ。ナカナカカッコイイノォ」
「ふふふ。こういう時は可愛いって言うんだよ。でもなんだかやれる気がしてきた。頭も冴えてる気がする!」
「ソウヂャロウソウヂャロウ」

二人で盛り上がるミリルとヂークベックを余所に、クドーは記憶の中にある知識を掘り出しながら恨みがましい眼でその腕輪をじっと見ていた。
本来の――――灰色の画面の世界では、あの学習装置と言われるそれは他者にあの機神が蓄積した経験を与えるもので。
あれがあると戦闘に不慣れな者でも経験を瞬時に積ませられるヴィルマー特製の機械であり。



――――まぁ、簡単に言ってしまえば経験知配分システムであり――――。



本来の流れであればヤゴス島に設置されたあの機械はもっと大きくて持ち運びできるものではなかったのだが、何の因果か腕輪までも小型化され、唯一クドーがミリルの反論出来た時間的問題が解消されてしまったわけで。
腕輪を付けた手を陽光に翳し、それを眺めていたミリルはクドーの方を向き、胸を張りながら宣言した。

「お願いしますっ! 師匠!」
「…………あぁ……はい……うん」

およそこのアリバーシャに滞在することが出来る時間は最高でも二週間。
これだけでは基礎程度しかできないと考えていたクドーだったが、さすがにあんな訳の分からないアイテムを出されては力なくミリルに返事するだけが精いっぱいだった。
そしてその後にはっと気付く。

(経験値配分……ならヂークにも教えなければならんのか……!?)

ガルアーノとの決戦まであと僅か。

水の神殿近くにはキャンプが張られ、昼夜問わず特訓する三人組の姿が見られたと言う。
ちなみにその三人組は毎日特訓が終わると水の神殿の奥地に赴き、そして再び特訓に励むのだとか。
まるで疲れ知らずの馬車馬の如くといった風なのだが――――。

水の精霊の癒しの力は、随分と安っぽいことに使われていた。














[22833] 蛇足IF第二部その13
Name: ぢくべく◆3115d816 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:03
城塞都市ロマリア。
国土としては小さいながらも驚異的な軍事力と生産力で世界の中心となったこの国の平和が、今やたった十数人の人間達によって崩壊の危機に晒されていた。

未だ都市の中心部を守る50メートル以上の鉄の壁は傷一つ付けられてはいないが、その中心部を外壁部から貫く様に続く軍用列車トンネルは凄惨な有様。
幾重にも並んだ線路は暴走した列車によってぐちゃぐちゃに破壊され、当の巨大列車は横転しながらトンネル内部に突っ込み、盛大な煙を上げながら爆発炎上中。
まるで蟻の巣をひっくり返したようにロマリアの兵隊がその処理に右往左往し、常に世界の王であったロマリアは空前絶後の混乱に見舞われていた。

「クソッ……どこのどいつがッ……」
「レジスタンスだ! 肥溜めの連中が調子に乗りやがってッ!」
「お、おい……火を……誰か火を消してくれぇ!」

灰色の制服に身を包んだロマリア兵達が現場となったトンネル周辺で口々に叫び声を上げ、時には何かを罵る形となって空に吠える。
鳴り止まぬ爆音と悲鳴、そして怒号とサイレンによって混乱の極みにあったその場では兵達の統制さえも取れやしない。
誰も彼もがこの悲劇を起こした犯人に恨みつらみを口汚く飛ばすしかないのだ。

それもそのはず。
ただの暴力によって栄え続けたロマリアの兵隊などに統率などあるわけもなく、そしてその灰色の服の下は協力し合えるような人間の類ではないモノが蠢いている。
良く見ればどの兵隊もまるで死人のように眼は濁り、そして当然の如く兵隊の群れの中に異形が我が物顔で徘徊している。

「人間風情が舐めやがって」

そんな異形の中の一人――――既にロマリアでは珍しくなくなったキメラ兵がそう呟いた。
もはやこのロマリアという国は人々が平和に暮らす軍事国家ではない。
そのほとんどが魔物によって支配された恐怖の巣穴に過ぎないのだ。

故に城壁で覆われた都市部の平和も、造り上げられ停滞した偽りの平和に過ぎず。
都市の地下では常に闇に塗れた狂気の研究が続けられ、その上では魔物が形だけの統率者となって好き勝手暴れ続けている。
世界の中心を誇る国民など一人として存在しなく、誰も彼もがこの地獄からの解放を願っていた。
故にたかが十数人の人間は平和を乱す魔の使徒などではなく、解放を願う勇者に他ならない。
その勇者たちはいまや各国から続々とこの国に集まり始め、二人の勇者が起こした騒動に便乗しながら巨悪の一人を討つために動き始めている。



城壁に守られることなく国の肥溜めとして扱われることになったクズ鉄の街。
年の中心部から流れる産業廃棄物や、ゴミ捨て場のように捨てられる機械類の廃品によって衛生などはすこぶる悪く、其処に住む人々の顔色も病魔に侵されたようによろしくない。
だがしかしトンネル爆破の轟音は、そんな絶望に塗れた住人の眼さえも引きつけ、何が起こったのだと誰しもがトンネルの方向に視線を向けていた。

「ホホホ……トッシュの奴め、派手にやるわい」
「トッシュ?」
「儂らの仲間じゃよ。ちぃーっとばかし手荒い奴じゃがの。といってもお主は知っとったかの? シャドウ」
『おい、街中なんだから俺に話し掛けるんじゃねェ、老いぼれ。影に隠れるのも苦労すんだぜ?』

クズ鉄の街には似つかわしくない民族衣装を身に纏った金髪の少女と、足に届かんばかりの顎鬚と折れまがった腰が特徴的な皺だらけの老人。
そしてその二人の近くから姿なくとも聞こえる荒々しい声と言葉。すぐ傍には蒼の鬣が誇らしい魔獣の姿もそこにあった。
そんな集団に住人は気付くことはなかったが、交わす言葉はこの騒動の犯人を知っている様なものだった。

「パンディット? ちょっとここの空気は鼻についちゃうかな……」
「なにせ狼型じゃからのぅ……鼻は儂らより利くんじゃろ」
『ケケケ。いいザマだぜっ……ってクソ、影を踏むんじゃねェ! てめェのご主人さまのだろうが!』

心配そうに魔獣の鼻を撫でた少女の行動と顔を顰めている魔獣を嘲笑うかのように『影』は笑い声を上げるが、そんなことをすれば魔獣は少女の足元の影をぐしゃぐしゃと踏みつぶし始めた。
そうすればどこからともなく悲鳴が上がり、その様に老人はにこやかな笑顔を浮かべていた。止める気はないらしい。

そして腰をトントンと叩きながら右手に持った樫の杖で地面を叩き、隣で首を傾げていた少女の手を優しく手に取る白髪の老人。
束ねられた白い長髪と、金糸のような少女の髪が汚れた風に靡いていた。

「ほいじゃ、行くぞい」
「……はいっ」
『ったく』

勢いの良い少女の返事と姿無き者の適当な返事が重なれば、老人が叩いた地面には奇妙な魔法陣が浮かび始める。
確かにその中心にいる集団の姿は如実に歪み始め、そして次の瞬間、その場には彼らの影も形もなく、転移という形でクズ鉄の街からは消え去っていった。
周りでその驚くべき光景にようやく気付いた住人達が、何が起こったのだと狼狽する様を置いてけぼりにして。



まずは、2人。



事件のあったロマリアトンネルの延長線上にあるロマリア空港でもまた、人々が事件の大きさに戦慄していた。
施設の窓より見える遠くの事件現場からは黒煙が空高く登り、その下で赤や黄色のランプが回りながら灰色のロマリア兵が蠢いているのが分かる。
職員もたまたまロマリアに足を運んでいた客も恐れ戦き、それがレジスタンスのものだという情報が入れば口々に恐ろしや恐ろしやと声を合わせた。

そしてそんな騒動の少し前に空港に到着したクレニア島からの飛行艇から降り立った集団の中に、この事件の匂いを感じとってニヤリと笑う影があった。
蒼いドレスと耳に飾り付けられた大きな輪のイヤリングが歩くたびに揺れ、肩に掛かる程度の蒼の髪と妖艶なその顔つきと相まって、その女性は夜を感じさせる人物だった。

「予定通り、ってところかしら? でもやりすぎじゃないかしら、シュウ」

ハリのある唇をなぞる様にして頬笑み、周りでその女性に目が釘付けとなった男達を軽くあしらう姿は、まるで――――。
カツカツとヒールを鳴らしながらロビーまで降り立った彼女は、黒煙の上がる事件現場を細い眼で眺めながら呟いた。

「アヌビス、流れ通りかしら?」
『然り。いよいよ決着の時であろう。時間との勝負になる、急げ』

彼女の足元に広がる影が一瞬だけ濃くなり、理知的ながらも心を底冷えさせるような姿無き声に、女性は浅く笑った。
その瞳に映るのは決意を完遂させる強固な意思に似て、復讐の炎を燃やしながらもそれを邪で払うための剣とすることを覚えた覚悟。
記憶の中にしかない愛すべき弟の顔を思い浮かべ、この先で自分達を待つ仲間のために一歩力強く踏み出す。

たかがそれだけの動きだけで人を魅了する何かがある。
影を顰めた女性は魅力的で、人々はそれに魅入り――――そして女性の背後から出て来た筋骨隆々の男に度肝を抜かれた。

日に焼けた浅黒い肌と鍛えられた鋼のような肉体がまず眼に入り、女としては高身に入るその蒼い女性でさえも胸元までしか届かない男の巨体が次に目に付く。
野生児を思わせる疎らな黒の長髪の間から勇ましい戦士の瞳がぎらつき、その出で立ちも動き一つさえも隙のない英雄そのもの。
そこらで女性に見惚れていた男達が揃って眼を背けた。あれには勝てない。

そして何よりも異質なのはそのインディアンにも似た衣服であり、全く嬉しくない無駄な露出。
無論『ふ ん ど し』一丁などということは『あ り え な く』、素肌の上に重ねられた小さめの黒色のベストと、膝より少しだけ下ほどの長さのある腰巻がずしりずしりと歩くたびに揺れる。
一体どこの秘境の部族だと思わせる男だったが、これでも『本来の流れ』よりはマシである。

「戦闘中はいいけどさ、さすがに街中や空港くらいは服着なさいよ」
「ふむ……なにぶん君も知っている通り私はブラキア育ちでな。それにクレニア島では特に何も言われなかっ……」
「そりゃ闘技大会中なら褌一丁の参加者が街歩いてても、まあ、なんとか言い訳は通るわよ。でもここはロマリアなの、分かる?」
「いや、その、分かったからそう怒らなくとも……」
「一緒に歩く私の身にもなりなさい」

そんな山のような男の頭をへこへこと下げさせながら、人差し指を立てる蒼の女性はその男を連れながら空港から颯爽と去っていった。
残された空港の人々は二人の関係性に様々な憶測を立てながら、結局は分からず一つの言葉を零すことで無理やりに納得した。
つまり、『美女と野獣』、と。



さらに、二人。



ロマリア近郊上空。
常は他国からの侵入など城壁からの砲撃でもってお出迎えとなるのだが、今この混乱の状況でひっそりと密入国しようとする一隻の飛行艇など防衛隊の眼に入ることもなかった。
さらに言えばやってくる飛行艇はスメリア王族専用機として有名なシルバーノア。
ゴオンゴオンと低く唸りながらやってくるその白銀の飛行艇を止めようとする者など誰もいなかった。

「煙が上がってやがる……シュウかッ?」
「うおー……すんげぇ。プロディアスなんか眼じゃねーくらいでっかい街。つか何であんな息苦しい壁で囲まれてんだ?」
「ちょっと……もう少し緊張感を持ってよぉ」

そんなシルバーノアの操縦席で、前方に見えるぐちゃぐちゃに横転した貨物列車の中心を見ながら侵入者たちは声を上げた。
といってもその声もそれぞれ。迫る戦いの気配に血を滾らせる炎の子と、その先に広がるどでかい街の様相に眼を奪われる風の子。
そしてそんな二人の反応を諌めようとしてバケツのような羽付き帽子を揺らす、ちょっとだけ小太りの背の低い少年。

「わーかってるって。あの先に居るんだろ? ガルアーノが」
「先走んなよ。ありゃ俺達の因縁だ」
「分かってるって」
「あれ……何この疎外感」

がしりと腕をぶつけ合った風の子と炎の子が獰猛な笑みを浮かべ、その様子を見ながら羽付き帽子の少年は口を尖らせた。
どちらにしても仲がよろしいことに変わりはしないのだが、見た目童顔のこの羽付き帽子の少年がまとめ役であることは一目瞭然らしい。
盛り上がる二人を恨みがましく睨みつけるようにして胃のあたりを摩っていた。

「それでは皆さま、降りますよ――――どうか、ご武運を」

操縦席にいたスメリア兵の服を身に纏った中年の男がその言葉を連ねれば、誰もが表情を引き締め、戦場となったロマリアトンネルを睨みつける。
もはや退く意味もなく、風と炎の子は腰元にぶら下げた剣の柄を握り締め、羽付き帽子の少年は腰の後ろに装着していた『シンバル』を軽く撫でた。

「…………そのファンシーな武器、どうにかならねぇのか?」
「強いのは分かるけど、さすがに戦闘中にトランペットはなー」
「が、楽器を馬鹿にしないでよっ!」

戦闘を前にして、勇者たちはひとしきり笑い合った。



そして、三人。



ロマリアトンネル内部。
行き交うロマリア兵達でごった返す中を、影を残さず疾走する二人の人間の姿があった。
一人は隠密行動に相応しい全身忍び装束の銀髪の男だったが、片方は腰元に『酒』と大きく一文字彫られた壺を揺らし、赤と藍色に彩られた特攻服のような上着を袖に通すことなく羽織る赤毛の男。
既に片方の腕には抜き放たれた一本の刀が銀色の光を放っており、ギラギラと狂犬のようにぎらついた瞳はどれもこれも『敵』を捉えていた。

「おい、俺達の目的はここじゃない。雑兵など放っておけ」
「へっ……心配すんな。所構わず牙を剥く犬のつもりはねェ」

忍び装束の男が駅のホームの柱の影から赤毛の男を一瞥し、釘を刺されたその男は周り全てが敵というこの現状でありながら腰元の酒壺に口を付けて酒を飲んでいた。
なんという剛胆、とでも人は言うのだろうが、ため息を吐く銀髪の男はこの赤毛の剣侠が何も考えていないことをとうに理解していた。

適当に軽口を叩きながら穴だらけになった巡回兵の警戒の隙を突き、奥へ奥へとロマリアの闇へと歩を進めていく、トンネル爆破の張本人であるこの二人。
クズ鉄の街を本拠地として活動するレジスタンスの一味であり、助っ人であり、そしてこの作戦にたった二人で参加することになった一騎当千の兵ども。
その元締めでもあった赤毛の男は、クズ鉄の街の宿屋で眠る仲間の事を考えれば手に持つ刀に力が籠るのは道理だった。

「未来、ねぇ……」
「これで分かったろう……あれでも被害を減らせていた方、らしい」
「けっ……多かろうが少なかろうが俺の子分に手を出したとなっちゃあ許しておけねぇな」

獰猛な笑みを浮かべる赤毛の男の脳裏に浮かぶのは、今まで共に戦ってきたレジスタンスの仲間が、自分の失策によって傷つけられたその事実。
未来を知っていると言うこの銀髪の男のお陰で大分被害も和らいだが、今でも宿屋のベッドの上で傷に喘いでいる仲間は多く残っている。

死んだか、生き残ったか。
そんな線引きは赤毛の男にとって何の意味もない問題だった。
ロマリアは、自らの大切な仲間を傷つけた。
やられたなら、何倍にも返す。
剣豪の幼稚なルールにして、ただのチンピラに過ぎない自分に課した確かな矜持。

「階段……こいつは……よっ、と!」
「地雷か? よく気付いたな」
「勘ってやつよ」

先へ進む二人の前にぽっかりと穴を開ける地下への階段へ赤毛が刀を振って火花を散らせば、接触式の地雷が埋め込まれてあったのか、盛大にその見せかけに過ぎない罠の階段は爆発した。
そしてその下から現れる、本当の階段。
赤毛の男も、銀髪の男も、その暗闇の先から漂う濁った匂いを感じとっていた。

「匂うねぇ……匂いやがる」
「…………」
「おっ……見ろよ。シルバーノアが来てやがるゼ」

決戦の地を前にして銀髪の男は今一度決意を胸にし、赤毛の男は黒煙の隙間から遠く先の空に見える銀色の飛行艇を視界に入れながら呑気に呟いた。
全てが予定通り。示し合わすことすらあやふやだった数々の点が、線となって繋げられていく。
そしてその線を辿った先に居るのは、まずは一つ目の因果。道の途中に転がる厄介な石ころ。

「じゃ、行くぜ」
「ああ」

言葉も短めに、男二人は暗闇の中へと消えていく。
咎には罰を。敵には死を。悪には鉄槌を。
迷いなど、欠片もない。



先駆ける、二人。





◆◆◆◆◆





闇が集うロマリア地下に広がるキメラ研究所。
各地の支部が勇者達によって破壊され、手足が捥がれた状態になってしまったそのプロジェクトであったが、その中心で指揮を取る男は未だその表情に笑みを張りつけながら最奥でふんぞり返っていた。
無論その男の耳にもロマリアトンネル襲撃の報せは届き、今もまた頭上に広がる地上での轟音が地下深きこの場所まで響いている。

「…………」

そのまま無言で立ち上がり、自室を抜けて作戦室とも呼べる数多のモニターが設置された機械仕掛けの部屋へと歩いていく、その赤いサングラスの男。
その部屋に辿りつけば白衣を身に付けた多くの科学者が走り回りながらこの騒動の対処に追われており、その中には防衛兵として研究所内に配置されたロマリア兵の影もあった。
そしてそんな者達が男の姿を見るなり、一斉に頭を下げた。

確かな権力の大きさを思わせる光景であり、そしてそれしか頼ることしかできない男の滑稽さが表れたものでもあった。
しかしそんな間抜けな事実に男は気付かない。いつだって貼り付けられたように薄っぺらの自尊心と威圧を前面に押し出して生きている。
スーツの懐から葉巻を取り出して乱暴に食いちぎり火を付ける。まるで三流映画に見られるようなマフィアのそれだった、

「ガ、ガルアーノ様ッ! 今や地上は大混乱であります……」
「ククッ……ザルバドの責任だろう? それは。儂には関係のないことだ」

この期に及んでロマリアという国の危機を、その上に立っている自分が崇拝する暗黒の支配者の危機を考えることもなく、同じ四将軍であるロマリア守護のザルバドの地位が堕ちることを期待する。
ここまで来るともはや人間のそれをも越えた欲の塊であり、それを聞いた周りのロマリア兵達も顔を強張らせる他なかった。
だがしかし今しがた作戦室に飛び込んできた兵の叫びによってガルアーノの顔は狂喜に歪む。

「ほ、報告ッ! アーク一味がこの混乱の機に乗じて研究所内部に侵入ッ! 各ブロックから警備キメラ兵を撃破しながら此処に近づいております」
「モニターに映せ」
「はっ……はい!」

裂けるほどに口を弧に歪ませてそれを命令すれば、モニターには各区画で戦う勇者たちの姿が映し出されていた。
そしてモニターの一つに映しだされる炎の子と風の子を確認し、ガルアーノはその場で腹を抱えて狂笑した。
周りの誰もが唖然し、その笑いに聞き入り、やがてその身を震わせる。

「ハハハハハッ……虫けらがわざわざ巨大な炎に近寄るかッ!!」

バンバンと近くにあった壁を叩き、狂ったように笑い続けるガルアーノ。
もはや兵士たちは眼を背けることしかできず、それぞれが担当地域に戻り、科学者は忙しなくモニターと手元のコンピューターに目を配る。
だがしかしもう一つ届けられた報告には、さすがにガルアーノも舌を巻いた。

「ガルアーノ様。アーク一味のイーガを捕えたというハンターが面会を求めておりますが」
「何ッ!? イーガだと?」
「はい。イーガ本人も此処に連れてきています。お会いになられますか?」
「…………よし、此処に連れてこい」

しばし考えた後に報告に来た兵士に命令し、振って湧いた幸運に破顔するガルアーノ。
クドーという手駒を失い、各支部を破壊され、後は見栄しか残らない彼にとってその報告は新たな駒を手に入れる契機でもあったのだ。
――――それを求めなければ立っていられない自分の弱さなど気付かず。

そして入ってきたハンターの後ろには、手錠がかけられた柔道着の男――――イーガが連れられていた。
抵抗したのか身体中に生傷が残っており、連れて来たハンターの姿を見れば腰元に下げた価値の高そうな剣と深々と眼下を隠すまでに被った帽子とマントが目立っていた。
剣でイーガを倒したとなれば、その強さは一級。自然、ガルアーノの口元は歪んでいた。

「で、貴様がイーガを捕えたというハンターか?」
「ああ。賞金がもらえるらしいな」
「ぐっ……」

片目を閉じ、苦しそうに唸ったイーガを蹴り上げたハンターは、何にも興味が無さそうな瞳でガルアーノを見つめる。
地に伏せたイーガはただされるがままに歯を食いしばるだけで、その様は随分とガルアーノの嗜虐心を刺激させられた。
そしてひとしきり笑ったガルアーノはそのハンターの瞳をじっとみやり、口元から葉巻を外して紫煙を吐く。
それでもハンターは身じろぎ一つしなかった。

「貴様……儂の下に付くつもりはないか?」
「金以外に興味はない」
「クハハハッ……ハハハハハハハハッ!!! いいだろう。二百万は出す。今から儂の策に付き合ってくれればな」
「策?」

ガルアーノの提示した金の額に喰いついたのか、ハンターがそれを聞き返す。
そうすればガルアーノの視線はモニターの中で奮戦する勇者達を射抜き、そしてサングラスの奥に怪しくうねる瞳は濁ったままだった。

「何……この機に奴らの全てを奪ってやろうとも思ってな。幾度も辛酸をなめさせられ続けた……お痛が過ぎる子供の躾だよ」

この男は、ガルアーノは――――愚かなままだった。





◆◆◆◆◆





いよいよ火蓋を落とされた決戦の時。
誰もがそれぞれの因縁と意思に従い、剣を取った。
もはやそれをぶつけ合う以外に方法はなく、どちらかの命を以って決着とする他なく。
未だロマリアトンネルでの騒動が静まらぬその遥か地下の中で、一つの闇が討ち果たされようとしていた。



そして遅れて、二人と一体。



他と遅れて地下への入口に立っていた勇者と化け物は、並び立つようにして地獄の釜に手を掛けた。
この先に敵がいる。倒さねばならぬ巨悪がいる――――覚悟を決め、会わねばならない者達がいる。

「少し、遅れたかな?」
「まだ間に合う。急ぐぞ」
「テンションアガッテキタ!」

それぞれの声に焦りはなく、それでも浮かべる表情に惑いはない。
その中の一人、包帯に包まれた男は巫女服を着た少女と赤茶色の身体の機神の後ろに続きながら胸に秘めた想いを今一度言葉にした。

「もう、逃げはしない」

勇者が化け物を倒す物語の中に、もう一人の化け物が土足で入りこんだ瞬間だった。




















[22833] 蛇足IF第二部その14
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:03





天井に設置された最低限の光源によって照らされた仄暗い長い廊下、おぞましい臭いを感じさせる機械が所狭しと並べられた研究室、そして大量生産される工場のように続くベルトコンベア。
そのどれを取ってもそこに風情などあるわけもなく、勇者たちが進んでいくキメラ研究所はどこも狂気の影を残していた。

当たり前のようにそこら中にキメラ兵がうようよと配置され、稀に人間の姿をしながら待ちかまえていた兵や科学者も戦闘に入れば、その身体を変体させて異形となって襲いかかってくる。
元々は研究所ということで罠や悪質なトラップといったものはそう多くはなかったが、それでもガルアーノの本拠地とも言えるこの地の戦力は、勇者たちの予想を遥かに上回っていた。

さらに厄介なのはその風情もへったくれもなく、どこまでも続く鉄の通路。
魔物しか存在しない施設に人間にとって必要な何かが存在するわけもなく、ただ薬品と鉄の臭いが混じり合い、その奥に薄らと血の臭いを感じさせるだけ。
同じような場所が続くその光景に、中には迷いながらも魔物を切り捨てて進む勇者もいた。

もしもトッシュがシュウと組んでいなかったら彼は中心まで辿り着くことも出来なかったのではないだろうか。
もしもエルクとジーンにポコが付いていなければ――――。
兎にも角にもそんな懸念が他で行動する勇者達の頭に浮かぶこともなく、東西南北に別れ四方から中心を目指す彼らは順調に先に進んでいた。

そして、その様子をじっくりとモニターから観察しているガルアーノ。

「フフフ……」

不気味に静かに笑い、作戦室に取りつけられた椅子の背もたれに身体をどっかりと預けながら、勇者達の様をまるで暇つぶしの映画のようにして見やる。
その傍には先ほど契約を結んだハンターが立っており、彼もまたつまらなそうにしながらモニターに映る者たちを観察していた。
しかしそれもすぐに飽き始め、ハンターは何も動こうとしないガルアーノをちらりと一瞥しながら口を開いた。

「いいのか?」
「ん? 何がだ」
「奴らは止まることなく此処まで来るぞ。こんなところでふんぞり返っていても仕方がないだろう」

悪趣味な観察に嫌気が差したのか、ハンターが不機嫌な表情でそう進言するが、それに対してガルアーノは笑いをこらえるように肩を揺らすだけ。
傍にあったコンピューターを軽く操作すれば、やがてモニターには別の画面が映し出されていた。
それはこの研究所の全景を表したマップデータであり、その途中途中には補足の様に多くの文字が重ねられていた。

「儂の城はたかが人間十数人で落ちるような柔なモノではない……が、だからといって子猫を心赴くままに捻り潰しては面白くもない」
「…………遊ぶつもりか」
「くくっ……まあ、見ておれ」

同じ作戦室の中にいた研究員の一人に何かぶつぶつと指示を下したガルアーノは、満足そうにモニターの先を見つめていた。
一体何をするつもりなのやら。ハンターがいぶかしむようにしてガルアーノの目線を辿りそのモニターを見れば、そこには勇者達の姿が映し出され、何やらグラフと数字が幾つも注釈された画面。
まるでその人物の戦闘パラメーターを示すかのようにして、一人残らず勇者たちの情報が整理されていた。

「……研究所一つ犠牲にしてもあいつらの情報を取ると?」
「まさか。いくら温厚な儂でもそこまでの暴挙は許しておけない」
「ふん……」
「これは今しがた取った生体データなどではなく、今までの戦いの中で集めたモノに過ぎん……しかしこれだけ詳細なデータを集めても、やはり奴らのコピー品を完成させるにはまだ足りない」
「コピー……まさか」

にやりと、眼を丸くしたハンターを見ながら口元を歪ませたガルアーノ。
そうすれば先ほど指示を受けた研究員からは確認の声が上がり、他の研究員と連動するようにして何かの言葉が連ねられていく。
E-129、T-26、R-779。どれも人に付けるような固体名称ではなく、まるでその扱いはただの道具だった。

「これはっ……」
「制御も効かん不良品だがな……それでも戦闘能力だけはそこらのキメラよりは数段に高い。それに……いくらコピーと言えどもその姿形はオリジナルと寸分違わない。この意味が分かるか?」
「同士討ちか」
「最高のショーだと思わんかね? しかし儂の手札はこんなものだけでもない」

勇者というコピースペックを持ったキメラ兵を作りだし、あまつさえ厄介なそれを量産さえしているガルアーノの笑みはまだ止まない。
ニヤニヤと笑いながら右手の指を一つ折り、二つ折り、そして三つ折ったところでハンターに視線を向けた。
こんなものではショーは終わらせないと、そのサングラス奥の瞳が言っていた。

「Jのカードを何枚も持つ儂に、その半分にも満たないカードが死力を尽くして立ち向かう。クク……頭の悪い足し算で全てがどうにかなるとでも思っている輩は実に愉快だ」
「…………」
「さて、どのように踊ってくれるのだろうな、この道化共は」

ようやくにハンターはこの男の異常性を前にして、その無表情だった顔を歪めた。
何故にこの男は他者を陥れることにここまで執着出来るのか。何故こんなにも醜悪に生きていられるのか。
目的を果たそうとする気概もなく、心の底からガルアーノはこの世の全てが自分のためにあるのだと思っている。まるで力を与えられただけの子供。

(…………)

帽子を深く被り直し、隣でモニターに釘付けになっているガルアーノから視線を外す。
もはやこの生き物を視界に入れておくことさえ、ハンターにとっては億劫なことだった。





◆◆◆◆◆





「ちっ……斬っても斬っても湧いてきやがる」
「先を急がねばならんか……全てを相手にしていたらきりがないぞ」

愛刀『紅蓮』の刀身にこびり付いた血を振るうことで飛ばし、うんざりといった様子でその峰を肩に乗せたトッシュにシュウが自分達の進んできた道を眺めながら答えた。
まるでそれが通り道かのように二人が進んできた道には魔物達の死骸が転がっており、それが戦闘の激しさを示していた。
元々キメラ兵とは殺されれば粉となって原型が無くなるか煙を上げながら消滅かのどちらかなのだが、それでも中には身体が残るものがいる。
いたずらに命を組み合わせた代償なのか、偉大なる命に傲慢にも手を出した代償なのか、基本的にキメラとは不安定な存在だった。

そんな話はさておいて、とにかく進めば進むほど敵が湧き、間違った部屋を開ければ待っていたかとばかりに待ち構えているキメラ兵が襲いかかる。
シュウの制止も聞かず手当たり次第に進むトッシュのせいではあるのだが、これではいの一番に施設へと侵入した組だというのに最後にガルアーノの下へ辿り着きそうなペースだった。
そんな敵に足止めを喰らってもなおその勢いが止まらないのは、どちらも戦闘力で言えばアーク一味の上の方に位置する輩だろうが。

「さすがに施設内の地形の情報などは手に入れられんからな……他の区画に散らばった皆も無事に進めていればいいのだが」
「気にかけても仕方ねぇだろ。だったらもっと派手に動いてこいつらの注意でも引くか?」
「…………効果的ではないな。だが」

そのまま駆け足で廊下を進みながら言葉を交わせば、先の通路から姿を見せたのは人型とも鳥類とも言えぬ細身の体に大きな翼を見に付けたキメラの姿。
ゲッゲッ、と耳に障る鳴き声を上げながら手に持つ槍で襲ってきたのはガーゴイル。
二体のそれを確認したシュウとトッシュは、その歩みを止めることなく交差するかのようにキメラ達に躊躇なく攻撃を仕掛けた。

お粗末な槍など当たらないかのようにトッシュは反撃でガーゴイルを真っ二つに両断し、シュウは影も残らぬ速さでその頭蓋を蹴り砕く。

「どちらにせよ降りかかる火の粉は払わなければならん」
「やることは変わりねぇってか」

たかが二体、いや、何体であろうとも彼らの歩みを止めることなどできるわけもない。
一瞥することなくただの死体と変わったガーゴイルを背に、二人はまだ見ぬ中心部へと急ぎ駆けていく。
しかし中心に行けば行くほど掛かってくるキメラ兵が少なくなっている現状にシュウは内心で首を傾げていた。

ガルアーノと直接相対したのは数えるほどしかないが、あの男の醜悪な在り方は嫌というほどシュウは理解している。
それを考えれば燃えるような怒りが心に浮かぶが、それ以上にこの、まるで自分達をわざと中心に誘おうとするような違和感は不気味だった。
もはやガルアーノに逃げ場など存在しないというのに。

「おっ!」
「む?」

そんな不安を胸に抱きながらも進んでいけば、途切れたキメラ達の攻勢の中で見知った人影と鉢合った。
トウヴィルで別れたはずのリーザとパンディット、そしてもう一人見知らぬ老人に声を上げたのは隣のトッシュも同様。
目の前で軽やかに笑う老人の正体は、アークの仲間としてフォーレス国に赴いていた大魔道士『ゴーゲン』だった。

「おぉ。お主らも無事じゃったか」
「シュウ! 無事でよかった……!」
「…………お前らもな」

耳に入るこちらを心配する二人の言葉に、一度ピクリと眉を動かしたトッシュはつまらなそうにそう零した。
シュウもまた眼の前で『本当に心配そうな眼』をしている二人を確認し、そして拳を力強く握りしめてそのまま先へ進もうとした。
そうすれば当然の如く、当たり前のように自分達のあとに続いて付いて来ようとする二人。
もはや言葉を交わすことなくゴーゲンとリーザを背後に連れて歩いていたトッシュとシュウは、そのままピタリと足を止めてため息を吐いた。

「その未来を知る奴からの情報なのだが……」
「おう」
「ガルアーノというのは四将軍の中でも最も姑息で陰湿で悪趣味な嗜虐心に溢れる、『小物』だそうだ」
「成程ね……」

何でもないような風にそれを語るシュウに、トッシュは適当な相槌を打ちながら手に持った紅蓮の刃を返した。
ちゃきりと刀が鳴り、鈍色の刀身に背後で短剣を構えようとしていたリーザの姿が映っていた。
刹那、そのまま振りかえる様にして背後にいる『人形』にトッシュは斬撃を、シュウは回し蹴りを放つ。

人形からすれば不意打ちを仕掛けたつもりだったのだろうが、その逆、その全てを見透かされた二人の反撃に驚き、悲鳴を上げることなくその攻撃を直に受けた。
少女の、リーザの姿だったそれは上半身が斬り飛ばされて消滅し、ゴーゲンの姿をとっていたそれは頭を蹴り砕かれて首から血を流しながら倒れ伏す。
沈黙。物言わぬ死体へと変わった、仲間に似た人形を見下ろし、シュウはいつもの冷静な姿を見せることなく乱暴に吐き捨てた。

「不愉快だッ!!」

トッシュは上着から取り出したキセルを口に付け、この先にいる憎き怨敵に対して想いを馳せていた。
あの男だけは許せないと。





◆◆◆◆◆





倒れ伏すアークのような姿をした人形を見下ろしながら、羽付き帽子の少年――――ポコは砕けんばかりに歯を食いしばった。
それを見ればエルクもジーンも何か声を掛けようとするも、それよりも何よりもガルアーノの陰湿な所業が眼に余る。
二人の脳裏には嫌な予感が過り、そうなれば胸に憤りが沸くのも道理だった。

「コピー、ね」

ジーンがぼそりと呟けば、そんなことはあってはならないとエルクもポコも手に持つ武器を握りしめた。
ガルアーノが何を企んでいるのか、などということは予想に過ぎない事であったが、それを彼らが許容出来るわけもない。
例えレプリカに過ぎないその見てくれだとしても、いや、その見てくれだからこそである。

中身はキメラだろうとも、それに騙されず打破することは出来たとしても、切り捨てたのはアークの姿をしていたのだ。
共に長く戦えば戦う程にその憎しみは増し、やがて視野の狭くなった刃は――――。
そこまで考えてジーンは何を馬鹿な、と首を振った。

「間違えねぇよ。ずっと一緒にいた奴には何が偽物かくらい分かる」
「……事前にガルアーノがなんか汚いことを仕掛けてくるってのは分かってっけどよ」
「行くよ。二人とも」
「……ああ」

自分で折り合いを付けたのか、いつもよりも少しだけささくれだった声のポコだったが、その促しに二人もまた反論を唱えることなく付いていく。
いや、むしろこの所業によって反論が出るどころか三人の心は一つになり、その目的を達する意思は前よりも強固なものとなった。
――――だが、そんな心の話はここまでの話。

ジーンの脳裏に浮かぶのは、やはりクドーのことだった。
コピー品としての自分達のキメラが作られているだろう、ということは今のことで理解出来た。だがしかしその能力はどこまで再現されているのかと。
先ほど戦ったアークの姿をしたキメラは、そこら辺の雑魚が使える様な剣技以上の腕を持ち、あまつさえ疑似精霊魔法まで使ってきた。
ポコからすればその様も本物と比べれば天と地ほどの差であり、疑似精霊魔法もお遊びに満たない薄っぺらなそれだと言う。

だが、一度たりともアークが戦う様を見てこなかったエルクとジーンにとっては、あの偽物でさえ本物ではないかと疑うほどに強かったのだ。
というのならば、ある程度はお粗末なコピーと言っても再現出来ている部分は少なからずある。

「…………うーん」
「どうかしたの?」
「いや……」

偽物のアークと戦った場をあとにし、先へ進む三人だったが、ジーンの顔色は一向によくならず、むしろ嫌な予感に渋るような表情を浮かべていた。
いぶかしむように顔を覗きこんでくるポコに首を振ることで答えたジーンだったが、その横で少しばかり考える素ぶりをしていたエルクもまた、一つの可能性に辿りついていた。

もしも、もしもクドーのコピーキメラが作られているというのならば――――。
あの不死能力は何処まで再現されているのだろうか。
そもそも、他の命を吸い取りそれを無限に蓄えることが出来るクドーは、今まで会ったキメラの能力の中でも随一に厄介なそれだろう。
キメラの知識など欠片も持っていないエルクでさえ、その事実は認めずにはいられない。

ならば、何故あの異常な能力が他のキメラに流用されていないのか。
あれはクドーだけが持ち得る力だったのだろうか。

「わかんねぇ……」
「あー、お前もか?」
「また除け者扱い? 仲がいいのはいいけどボクをハブにしないでよぉ」

げんなりと肩を落としたポコを前にして、エルクとジーンは顔を見合わせる。
考えても答えに辿り着かなければ悩む意味は無し。出てくるのならば叩きつぶすしか自分達には出来ない。
そしてもしもクドーのコピーをガルアーノが作っているというのなら――――。

もはやそれは許す許さないの領域を越えている話だった。





◆◆◆◆◆





「姉さん? また俺を見捨てるのか? また俺は殺されるのか?」

その光景は傍から見れば巨悪によって仲を引き裂かれ、戦い合うしか選択肢のない悲劇の一場面に見えるのだろう。
だがしかし、シャンテの前でそんな『分かりやすい』台詞を連ねるアルフレッドの顔は全てを見下し嘲るような醜い笑みで彩られていた。
口から吐かれる言葉とその表情が余りにも合わない状況に、シャンテの隣で構えていたグルガでさえも、その心が怒りに染まるのを感じていた。

「………………ガルアーノ……」
「ん? そう、ガルアーノ様が俺をこんな風に……」
「それ以上喋るなッ!」

怨嗟の声を呟くようにしてガルアーノの名を呼ぶシャンテに対し、おどけたように反応したアルフレッドの醜態にグルガがたまらず叫んだ。
これ以上彼女を傷つけてはいけない。これ以上彼女の心を闇に堕としてはならない。
その口から垂れ流される妄言を遮ろうとしてグルガが吼えたが、目の前のアルフレッドはきょとんとした後にゲラゲラと笑い始める始末だった。

「何、アンタ? もしかしてセイギノミカタのつもり? だったらそこの姉さんを先に殺さなきゃ。だってこの俺を見捨てて、それに今のお仲間さんを殺そうとしたことだってあったんだぜ?」
「貴様ッ!!」
「あーあー五月蠅いっての。ま、どっちにしても二人には死んでもらうけどね」

二コリと底冷えさせるような笑顔がアルフレッドの顔には貼り付けられ、印のようなものを胸の前で組み始めた。
ニンジャ系列の魔物と組み合わせられたキメラなのか、その印が完成すればアルフレッドの周りにはどこからともなく二体のスケルトンナイトが現れる。
骸骨剣士を引き連れて顔を覆ったアルフレッドの手の隙間からからは、これ以上ない死臭に塗れた狂笑が浮かんでいた。

「じゃ、戦おうかァ! 姉さんッ!!」

手下のスケルトンナイトに命令するかのようにしてアルフレッドが腕を払えば、ガクガクと骨だけの身体を揺らしながらその二体は剣を振り上げ襲ってくる。

「構えてくれッ! シャンテ!」
「…………」
「くそ……アヌビス! 何を見ているんだ!」

グルガの必死の叫びもその場で顔を伏せたシャンテには届かない。
彼女を守るかのようにその鋼の肉体を盾にしてスケルトンナイトの前に晒して対応するグルガだったが、その攻勢も防御も常とは違い格段に鈍っていた。
まともに戦えばアンデッドのそれなどグルガの敵ではない。だがしかし自分の背後で俯くシャンテの落胆は図りかねるほどに重く――――。
耐えかねたグルガは歯を食いしばりながらシャンテの影に潜んでいるはずのアヌビスの名を呼んだ。返事は、ない。

「あれ? このまま殺されていいのかい? それもそれでつまんないんだけどなぁ」
「その口をこれ以上開くなッ! でなければっ」
「でなければ? じゃあ殺す? そこの人の弟と似ている俺を、シャンテ姉さんの弟をお前が殺すの?」
「ッ…………」
「はははははは!! 人間ってホント馬鹿な奴」

戦いの場となった部屋中にアルフレッドの姿をしたキメラの笑い声が響き渡り、背を逸らしてまでも高く高く嗤うその姿にグルガは歯噛みした。
だがしかしこのまま腰を引かせていても何一つ解決しなく、そしてこの場で朽ちることなど誰も望んではいない結末である。
グルガは剣を振り上げて来たスケルトンナイトの斬撃を驚くべき速さで回避し横に回り、そのまま剥き出しになった髑髏の頭を掴み上げると、そのまま鉄の地面に叩きつけた。
抵抗する暇などなく粉々に砕け散ったスケルトンナイトが煙となって消えていき、その煙の中で風のようにグルガはもう一体の骸骨剣士に接近した。

ヒュオッ、と煙を伴いがら風を切る音が聞こえたと思えば、ただの前蹴りで骸骨が手にしていた盾と剣は砕け散り、そのままの勢いでグルガが剛拳を繰り出せば、まるで列車に跳ね飛ばされたように骸骨剣士は壁に叩きつけられた。
その鉄の壁すらも少しばかりに骸骨の形に拉げているあたり、グルガの身体能力は異常の域に達している。
そして油断することなくグルガはキッ、とアルフレッドを睨みつけた。

「全く。どこのオーガだよ」
「黙れッ! もはやその様を晒すことなど許しはしない!」
「はは、殺すかい?」
「もはや戸惑いはない! シャンテ! 私は……」

そこで背後のシャンテを振り向いたグルガは、ようやくにして気が付いた。
黙っていたはずのシャンテが密かに呪文を詠唱し、その標的に目の前で驚愕の表情を浮かべていたアルフレッドを選んでいたことを。
シャンテの得意な氷の異能を扱う魔法とは雰囲気が違う、癒しの――――破邪のそれ。その名は『ディスペル』。

「その汚れた魂なんて、一片すらもこの世には残さない」

空中を撫でるかのように光が漏れている左手をアルフレッドに差し出せば、彼の足元には光によって描かれた呪印のようなものが広がっていた。
そのまま天高く伸びあがる様にして溢れていく光の柱。その中心のアルフレッドは、自分の身を掻き毟りながら苦痛に叫び声を上げた。
もはや人間のそれが上げる様なものではなく、本当にキメラの、決して『アルフレッド』ではない――――。

「まぁ、例えキメラでも、中身が腐ったゴミクズでも、その姿を眼に出来たのは嬉しかったわ」
「く、ぎ、ガッ、いた、痛いッ……! ゥオォぉおぉおぉォぉオオオオオオオッ!!!」

目の前で身体の先端からバラバラに浄化されていくアルフレッドを見ながら、懐かしそうにシャンテは呟いた。
その視線に怒りも恐怖もなくただただ悲しみに包まれた泣きそうな瞳が、消えていくアルフレッドだったモノを映す。
シャンテは目の前のキメラが完全に消失するその時まで、ずっとその懐かしそうな眼を浮かべていた。

「シャンテ……」
「ごめんなさいね。グルガ……ちょっと、迷っちゃった」
「いや……人ならば、心優しき人間であれば、その戸惑いは何よりも価値のあるものだ。私が保証する」

まるで自分の弱さを恥じるかのように瞳を閉じ、大きくため息をついたシャンテにグルガはふざけることも怒ることもなくその感情を認めた。
迷わぬことが、全てを見切ることが強さではない。
例えあの戦闘で足手纏いになりかけたとしても、グルガにとってシャンテのその弱弱しい瞳は好ましいものだった。
だからこそ我ら人は力を合わせ戦うのだと。

「アヌビス。悪いけど、貴方のご主人さまみたいに私は強くないわよ?」
『……いや、貴女は主よりも強い。我が保証する』
「まさかそれを見切るために黙っていたのではあるまいな」
『やめてくれグルガ。お前に睨まれては身体が震えあがって仕方がない』

おどけたようにしてシャンテの影に身を顰めたアヌビスがおどけ、そうなればグルガとてそれ以上を言わず黙りこくるしかなかった。
そんな様を儚げに笑いながらシャンテは先を促す。
過去に縋るのはここまで。弱さを見せるのは此処まで。例え本来では嘲られるようなガルアーノの策に価値を見出してしまっても、シャンテの心に燻るものは変わらない。

『貴女は、実に主に…………いや、それを言うのは酷か』
「別にいいわよ。なんとなく貴方が私に付いてきた理由は察していたし」
『…………不快か?』

常に傲慢なままでいたアヌビスが、初めてクドー以外の誰かに恐れるような声を上げた。
それがなんだかシャンテにとっては愉快で、暫く涙が出るほどに笑って片目を閉じた。

「出来たら、貴方のご主人さまとはじっくりと話がしたかったわね」





◆◆◆◆◆





「むぅ……ご機嫌斜めじゃのぅ」
「そりゃお前、リーザにとっちゃ誰かのコピーキメラなんざ普通のキメラ以上に許せねェ存在だろうよ」

ずんずんと肩を怒らせて前を進むリーザを見ながら、手で口を隠してこそこそと会話するゴーゲンとシャドウ。
そんな声が聞こえればさすがのリーザも振り向きかけては横目でにらみを利かせ、それと同調するように横を歩くパンディットも唸り声を上げる。
冗談ではない敵意を向けられてゴーゲンとシャドウは冷や汗を掻きながら愛想笑いを返すしか出来なかった。

ホルンの魔女として魔物使いの才があるリーザにとって、眼の前に現れたエルクとシュウの中身がキメラだと見抜くのは簡単だった。
気配が、心が、その瞳が、あるいはそっくりの姿形でさえもリーザに拒絶感を抱かせるには十分だった。
そしてそれを認識するなり発火するかのように眉に皺を作った彼女は問答無用に魔法を詠唱。
アースクエイクによって跳ね飛ばされたエルクとシュウのコピーキメラを、瞬く間に天井の染みに変えてやった。

「しかしお嬢ちゃんや……そう焦っても躓くだけじゃぞい」
「焦ってません!」

ゴーゲンの呑気な声に脊髄反射するかのように返答したリーザだったが、やはりその声は冷静とは思えないものだった。
しかしリーザにとってあの命の在り方は絶対に認めてはならないそのもの。しかもそれを操るのが数多くの命を操ってきたガルアーノとなれば。
それにフォーレス国において人と人の絆の大切さを知った彼女が、仲間の疑心暗鬼を煽ろうとするこの策を許せないのは仕方がないことだった。

ホルンの魔女として忌避され、それでも共に戦ってくれる仲間を見つけて。
そして人を信じることが何よりも大事だと理解して、それは強さなのだと――――。

そこまで考えてリーザは自分を落ち着かせるようにして息を吐いた。
この地へ来た目的は自分もまた誰かを救うために、守るために、戦うために。
怒りや恨みを晴らすために戦うのではない。自分の魔女の力はそんなもののためにあるのではない。

「ちっ……ちょっとは黒くなったかと思ったのによ」
「これシャドウ。そんなことを言うのであれば『テレポート』じゃぞ?」
「壁の中にいる、でもさせる気かよ……」

リーザの後ろで警戒心の欠片もないようなことを話している二人だったが、彼女にとってそれは何よりも頼もしいことだった。
荒くれだった心が落ち着き、こうやって冷静になれることが出来る。
それを考えれば先ほど怒鳴ってしまった罪悪感に苛まれ――――止めよう。リーザは思った。

「しかし本物とは誰とも会わんのぅ」
「えっ?」
「ガルアーノがこういう策を仕掛けてくるということはじゃな、つまりワシらの仲間がここにいると確定しとるようなもんじゃろ。疑心暗鬼を狙うということは」
「あ」
「合流も近いかもしれん」

先ほどの昼行燈のようなとぼけた声のままで、その瞳の鋭さは全く衰えていないゴーゲン。

「皆、上手く侵入出来たのかな?」
「ホホホ、形見の知識によって組み込まれた作戦じゃ。恐れることはないじゃろう、なあシャドウ」
『ケッ……俺は別にどうでもいいんだがな』

吐き捨てるようにしてシャドウがリーザの影に逃げ込めば、それを見てパンディットが不機嫌そうにその影を睨みつけていた。







[22833] 蛇足IF第二部その15
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:03




プロディアスの市長を務めるガルアーノの右腕であったために白い家を拠点としていただけであり、ガルアーノの下に所属していた頃にこのキメラ研究所に身を寄せたことも少なくはなかった。
時にはロマリアに向かうガルアーノの護衛として、時には本格的な施設で俺の身体の調整が必要だったために、あるいはただの戦力として。

随分とこの研究所に足を踏み入れるのは久しぶりだったが、それでも俺はある程度この施設の地形を理解していた。
俺の知らぬ間に改築やら何やらが為されているのであれば、それはまた違った話になるのだが。
しかしそんな心配も余所にキメラ研究所はどこかが変わった様子もなく、長く続く通路を俺はミリルとヂークベックを先導しながら駆け抜けていた。

そしてその途中で俺の姿にぎょっとするキメラ兵もまた。
キメラであるから、外見が化け物であるから仲間であるなどという道理はない。

「どけ」
「なっ……ギャッ」

目を丸くしたロマリア兵のままのそいつに飛び蹴りをかまし、壁に叩きつける。
そうすれば後ろにいたミリルも慌てふためいているロマリア兵に腰から引き抜いた短剣を投げつけた。
ただひたすらに速さを、そして奇襲を。

「ヂークッ!」
「マカセイ!」

眉間に短剣を叩きこまれて血を噴き出しながら倒れるロマリア兵の向こう側。
少し距離の離れた所にいたロマリア兵がその身体をキメラの異形へと変え、こちらに走り込んでくるのを確認しヂークベックに合図を出す。
最後方に控えていた機神の身体が仄かに光り、そして俺のすぐ脇を通りぬけるようにして一つの火弾がとんでもない熱量を持ちながら一直線に飛んでいく。
そして数体のキメラ兵の前へ着弾すると、狭い通路の中でけたたましい爆音を上げながら爆発した。

『エクスプロージョン』によって目の前の通路は少しだけ崩れ煙が巻き上がるが、それに気を掛けることなく俺は煙の中へと飛び込んだ。
所々ヂークベックの魔法によって身体を千切れさせながらも、まだ生きているキメラ兵の首を踏み潰していく。
蟲の息になって這いつくばるだけとなった生き残りであっても、生かしておく意味はない。
見敵必殺。しかし鎧袖一触。俺たちに止まっている暇はない。
きちんと俺達を見た眼は無機物だろうが有機物だろうが逃さない。

走り続ける。
さらに走り続ける。
足を止めることはない。

「クドーっ!」
「ミリル、やれるか!?」
「任せて!」

駆け抜ける俺達の背後。
通りぬけた通路横のドアが開き、そこからキメラ兵がぞろぞろと列を為して這い出てくる。
後ろを気にする暇などありはしないが、だからといってこのまま挟みうちになっても洒落にならない。
しかしミリルは俺の言葉に勇ましい笑みで答えてくれる。

そのまま身体を翻すようにして後ろをミリルが向けば、風に煽られて羽衣が揺れる。
そしてキラキラと細氷を纏いながら呪文を紡いだミリルがダダンッ、と足を鉄の床に叩き付ければ、そこから通路一つ遮るほど巨大な氷槍が伸びていく。
まるで鼠算式のように数を増やす針の群れは追いかけて来たキメラ兵を飲み込み、そのまま通路を塞ぐようにして壁となった。

まぁ、撤退も出来なくなった気はするが元々そんな気はなく。
よしっ、と気合いを入れたミリルを労いながらまた俺たちは駆けだした。
ひとまずは、敵の気配は無し。しかし遅れを考えるとのんびりとしていられない。

「オイクドー、ミチハアッテルノカ?」
「問題ない」

隣で少しだけ宙から浮いて飛行移動を続けていたヂークがそんなことを聞くが、おそらくガルアーノのいる場所は俺の予想で間違いない。
その中心部。作戦室にも近い『総合実験室』で間違いない。
あそこにはキメラプロジェクトによる全ての知識と結果があり、そしてそこではもっとも高度な研究と実験が繰り返されている。
ガルアーノにとっての全てがそこにはある。

「ねぇクドー。今の揺れ」
「俺達以外の侵入者も上手くやれているみたいだな」
「そうじゃなくて! 他の人も襲われてるんでしょ?」

ミリルの言いたいことは分からんでも無かった。
このような巨大施設の戦力相手に散らばって確固撃破されるよりは、纏まって一点集中突破する方が有効なのだと。
いや、こんな小難しいことではなくミリルが言いたいのは、力を合わせるだとか助けなければということなのだろうが――――。
そんな心配をされるほどこの地に集う勇者は柔ではない。そもそも俺の懸念はそういった所とは別の所にあるものだ。

『知識』の中であれば、コピーキメラが猛威を振るうだろう。
『知識』の中であれば、策を弄したイーガがそれすら解決するだろう。
『知識』の中であれば、ガルアーノ自体もたいしたことではない。

もっとも俺が恐れ、そして懸念しなければならない事項は俺が関わったことでどれほど本来の流れから外れたかというところだ。
俺自身の価値はそう高くなくとも、ガルアーノが俺のスペックから何かしらの技術を組み取ったのはもはや確実だろう。
蓄えられる命、不死性。単純なものであり弱点もあるが、ただのキメラ兵に施すには有り余る有用性がそこにはある。

元々のスペックが低かった俺が使っては汎用性に乏しいただ死なないだけの木偶だが、あれがキメラコピーのようなスペックの高い個体に使われているのならば。
もしもそれが、ガルアーノが次世代に考える『機械キメラ』に採用されていたのであれば。
どれもこれも予想にしかすぎないことだが、捨て置くには大きすぎる。

「ツケが回るか」

隣を走る二人に気付かれぬように呟けば、それに呼応するかのように施設全体がまた一度揺れた。
一体誰がここまで暴れているのかは不明だが――――シュウの爆弾? エルクの魔法? どいつもこいつも人間の限界を越えた様な事象を起こせる者ばかりである。
そういえば復活したミリルの魔法も先ほどの様を見れば嫉妬せざるを得ない。

そして俺達は通路の途中に仕掛けられていた監視カメラを一つ一つ壊しながら先へ進む。
俺たちは鬼札だ。
もしも彼らに俺が与えた未来の流れと変わっているのであれば、それを少なからず考えて動いている勇者たちのために俺たちは備えなければならない。





◆◆◆◆◆





各ブロックで奮戦を続けている勇者たちを眺めていたガルアーノの表情は、最初と比べれば見るからに不機嫌そうなものに変わっていた。
確かに策の一つに過ぎなかったキメラコピーなのだが、ある程度の精神攻撃の意味はあっても誰ひとり屈しない結果になるとなればさすがに肩透かしもいい所である。
特にシャンテ当たりは泣いて命乞いをするかとでも期待していたガルアーノだったが、結果はアルフレッドコピーが跡形もなく消え去っただけ。

「チッ」

一つガルアーノが舌打ちをすれば、作戦室にした研究員達の肩がビクリと震えあがり、部屋の空気は実に険悪なモノへと変わっていた。
さすがに興味なさ気に立っていたハンターでさえもこの空気の重苦しさには参り、大きくため息をつくことで何とか耐え抜いた。
いくら小物と評されようとも、ガルアーノはロマリア四将軍の一人でありキメラプロジェクトの元締。
幾重にも幾重にも重ねられたプライドと権力による力は馬鹿に出来ないものがあった。

「つまらん……つまらんなぁ」
「…………」
「このままでは仲違いもせず合流するか? 実につまらん」

モニターに映ったキメラコピーと勇者達の戦いは、勇者達の怒りを煽っただけでむしろその歩みを早くさせてしまった結果に終わっている。
このまま勇者同士が合流した時もまたガルアーノにとっては見どころだったのだが、さすがにこの体たらくでは大笑い出来る様な光景は期待できない。
そんな時に彼が思いついたのは隣に立つハンターが捕えて来たイーガを使う策であった。
いや、策ですらない。ただの悪戯心というものである。

「ククッ……イーガを人質に殺し合いでもさせてみるか? おい、どう思う?」
「……この地まで乗り込んできた輩が仲間一人の犠牲を容認出来ないとは思えないが」
「それもそうか。だがしかし奴らは悲しむだろう? それは、実に面白いだろう?」

それきりハンターはガルアーノの言葉に応えることを止めた。
もはやこの男の醜悪さに何かしら評価し直す気などハンターには欠片もなかったが、それでもガルアーノの余裕はさすがに引っ掛かることがあった。
この男は、本当に愉悦のためにしか動いていないのだ。

勇者達も既にそれぞれが合流ポイントになる大広間まで近づいており、そうなれば彼らの進撃を阻むことはさらに難しくなるだろう。
もはや愉悦を追い求めるどころか自分が逃げ伸びることさえ厳しくなる。濁った感情を優先させる余裕などあるわけもない。
だがしかしこの期に及んでガルアーノという男はまだ嗤おうとする。
果たして『小物』と評されるこの男は、本当に器の小さい男なのだろうか? もしも命よりもその嘲笑を優先させるとなればそれはもはや――――狂気の塊。

そんなことを当てもなく考えていたハンターは、突如作戦室に駆けこんできたロマリア兵に意識を戻された。
またもや何か不足の事態でもあったのかとあたりを付けたハンターと、それに眉を顰めたガルアーノ。
齎された情報は、やはりガルアーノにとっての不利益に他ならなかった。

「と、捕えていたイーガが脱走! まっすぐコピーキメラ制御装置の所まで進んでいます!」
「何だとッ!?」
「さらに北東Eブロックからの監視カメラが何者かに破壊されております。該当するアーク一味は他にいません!」
「…………どこのどいつだ……?」

さすがに許容範囲を越えていたのか、勢いよくその場から立ち上がったガルアーノはその侵入者に殺意を向けながらモニターを見上げた。
そこにはやはり勇者達の姿があり、それを確認し数えてみても今現在ロマリアが確認しているアーク一味に合致している。
エルクを初めとして白い家の騒動から因縁のある者と、元々アーク一味の――――。
そこでようやくにして、愚かにもガルアーノは気が付いた。

「アーク……クソ! アンデルの失態の皺寄せが何故儂の下に来るのだ!」

唾を撒き散らしながら激昂するガルアーノ。
これだけのメンバーが此処に襲撃を掛けていると言うのに、アークの存在を外に置いていたのは四将軍の一人であるアンデルとの関係があったからだ。
何せ元々はアークを抑えるのが彼の役目であり、さらにこのロマリア争乱の中で幾度もアンデルはアークと戦い続けていた。

しかし終ぞアンデルはアークを抑えることも出来ず、そのしわ寄せが各方面に来ているのはガルアーノが彼を罵る口実にして正論だった。
プロディアスにおいて女神像を破壊された時然り、白い家の最後で乱入された時然り。そして、今。
アンデルに対するものとアークに対する憎しみが混じり合って、ガルアーノは狂ったように怒号を上げた。

「どこまでもッ……どこまでも儂の邪魔をするということだな……」

そんなもの、分かり切ったことであるというのに。
ハンターはいきり立つガルアーノの背を見ながら、先ほどの考えを撤回した。
やはりこの男は狂気に染まった魔物ではない。ただ器が小さいだけの小物だと。
そして砂嵐となったモニターの一つをハンターは眺めながら、彼もまた意図せぬ侵入者に首を傾げた。
一体誰が来ているのだろうか、と。





◆◆◆◆◆





「…………」

ガルアーノに付き従っているハンターに捕えられたイーガは、乱暴に放り込まれた密室の中でしばし身体の傷を癒すために座禅をしながら呼吸を整えていた。
手錠を掛けられたまま施設内に響く勇者たちの戦闘の波紋に気を囚われることなく、今一度自らに課せられた任務を果たすために今はまず。
そうして瞳を閉じていたイーガだったが、部屋のドアが空いたかと思えばそこから現れたのは3人のロマリア兵だった。

「おい、こいつがか?」
「らしいぜ」

自分を見下ろしながら何やら話し合うロマリア兵にイーガも片目を開け、何の用だとその視線を向けた。
果たしてその諦念も屈服の意も表さぬイーガの視線が気に喰わなかったのか、ロマリア兵の一人が身体を屈強な肉体を持つオーガ種のものへと変えて鋭い犬歯を剥き出しにした。
それでもイーガの表情は変わらず、悟ったような仏頂面を浮かべるだけ。

「お前、自分の立場分かってんのか?」
「…………」

血の臭いを口から吐き出して一人のキメラ兵が睨みを利かせれば、他の二人はそれに倣ったかのようにキメラへと変体し、腰に下げていたバトルアックスに手を掛けた。
お前は弱者で俺が強者。俺が勝者でお前が敗者。言外にそれを語るオーガ達の視線も、嘲る声も、そして力を滾らせた身体も、イーガに取っては無意味だった。
力に呑まれ、それに溺れた輩など。
先ほど犬歯を剥きだしにしていたオーガのゴツゴツとした手がイーガの首へ伸び、そして触れるか触れないかの距離に達した時、イーガの身体はぶれるようにして動きだした。

刹那。瞬きをする暇さえ与えない。

既にオーガ達の視線から外れていた手錠などこじ開けられており、オーガが伸ばした腕はイーガを掴むことなく拉げさせられ、その痛みを知ることなくイーガの放った崩拳によって吹き飛ばされた。
残りの二体も唖然とすることすら出来はしない。
即座に立ちあがり構えを取ったイーガの両腕は、既に狙いを付けていた。

「心の弱さを悔いるがよい」

果たしてイーガの声を、言葉を理解出来たのか。
その剛腕から発射された白色の気功破が光線となってオーガの身体を貫き、そのままドアの向こう側の壁に串刺しになって二人は事切れた。
ラマダ拳法に対処できないものはなく、間合いがいくら離れようとも意味はない。
串刺しになっていたその『退魔光弾』の跡は、イーガが残心を解くと同時に消えていった。

「ふむ……」

そのまま廊下に出たイーガは、齎された情報を元にとある区画へと歩き出した。
向かう先は今このキメラ研究所に配置され、仲間たちを惑わせているコピーキメラを操作する機械が設置されている区画。
少ない情報と自らの勘を頼りに動くしかないが、魔物がその場に留まって動かない気配を手繰れば、其処が『守られている』場所であると当たりを付けることが出来たのはすぐだった。

仲間達が暴れ回り轟音を鳴らし続けている方角とは逆だったが、それでもイーガが課せられた役目はコピーキメラをまずは無力化すること。
例え事前の知識によって惑わされることは少なくなっているとしても、あのコピーが脅威になるのは見逃すことの出来るものではなかった。

ほとんどの戦力が他の仲間達の下へ行っているせいか、今しがた脱走したイーガを阻む敵は先ほどのキメラ兵三体ほどしかおらず、目的地の敵を除けばすぐに辿り着くことが出来た。
そして機械仕掛けのドアの向こう側で自らを待ちかまえる気配に、ここまで近づいてようやくイーガはその違和感に気が付いた。

「ほう」

ドアの先にいたのは、イーガの姿を模したキメラ兵。
情報でしか知らないイーガだったが、こうして目の前にそれを示されるとあまりにそっくりなその姿に感嘆の息を吐いていた。
これならば事前に情報が齎されなければトッシュや、あの若い戦士が惑うのかもしれないとイーガは内心で呟く。案外辛口の気があるイーガだった。

「どうだ? 自分の姿が眼の前にあるという事実は」
「何も。そも、貴様は私ではない」
「何を馬鹿な……ッ」

さも驚いたかと言わんばかりに口を開いた偽物の言葉を一蹴し相対したイーガは、相手が何かを答えようとする一瞬の隙を付いて深々と急所に拳をめり込ませた。
もはや喋ることさえ出来ず正確に急所を突かれたイーガの偽物は、苦痛に顔を歪ませたまま情けなく這いつくばる。
倒れ伏し、それでもまだ生きていたその偽物の命を絶つようにイーガがもう一度拳を振り上げれば、それと同時に彼は色の籠らない声で先ほどの真意を明らかにした。

「拳の頂きはまだ見えぬ未熟者ではあるが、敵を前に油断するほど私は阿呆ではない」

拳法家を前にして飄々と嘲る言葉を連ねるなど、イーガにとっては全くもってあり得ないことだった。
淡々と、イーガは自らの責務をこなす。ただそれだけ。

そしてしばしあとに、この施設をひと際大きく揺らす轟音が鳴り響く。
それはイーガがキメラコピーの制御装置を破壊した余波によるものだった。





◆◆◆◆◆





「…………」
「…………」

イーガによってコピーキメラの制御装置が破壊されてからしばらくして。
すでに勇者たちはそれぞれが合流する幾又にも分かれた通路の先で待機し、そしてそこに既に辿りついていた数人は様々な反応を見せていた。
本来であればガルアーノの策に掛かり少なからず疑心暗鬼に掛かることもあるが、先に情報を与えられればこれほど崩れやすい脆い策もない。

だがしかし此処に先に集まったグループの中で、情報を与えられてもなお一触即発の雰囲気を漂わせる者がいた。
先に此処に辿り着いたのはシュウとトッシュの二人であり、その後にしばらくして遅れてエルク、ジーン、ポコの三人が待機する二人を確認した。
各国に分かれて行動し久方ぶりの再会、というわけだったのだが、残念ながら感動の再会にはなり得なかった。

「…………おい、ポコ。ホントにこんなチンピラみたいなおっさんが仲間なのか?」
「…………おい、シュウ。ホントにこんなケツの青さも取れねぇガキが仲間なのか?」

通路のど真ん中で額をぶつけあいメンチを切り合う二人。
そんな二人を見ながらジーンは何かワクワクとしながらそれを脇で眺め、問われたポコとシュウは疲れたような顔をしてため息を吐いた。
せっかく仲違いせずにこうやって合流することが出来たのに、何故いがみ合っているのかと胃を痛めたのはポコだった。

「あのね、エルク。彼は、まぁ、チンピラっぽいけど凄く頼れる剣豪なんだよ?」
「トッシュ。確かにエルクはガキだが自分のケツも拭けないガキではない」
「あ?」
「あ?」

さすがにうんざりしたのか、ポコとシュウの少しばかり辛辣なフォローに揃って不良のように脅すような声を上げたトッシュとエルク。
それを見ながらジーンはけらけらと笑っていた。顔も声も何もかも似ていないのに、その性格だけはなんとなくそっくりなように思えていたから。
つまりは、どちらも考えることが得意ではない。

そんな箸にも棒にもならない睨みを利かせていた二人を放ってしばしの休息時間を取っていたそれぞれだったが、やがて他の道から近づいてくる気配に気付き戦闘体勢を取った。
例え中心部をそれぞれが目指して終結していても、此処にガルアーノが尖兵を差し向けない道理はない。
むしろ今こそ一番襲撃を受ける可能性があるだろう。

そして仄暗い廊下の向こう側から出来て来たのは――――。



「褌…………」



褌一丁の野人が意気揚々と走り込んできた。
もはやそれは今現在の文明に生きる様な姿ではなく、浅黒い肌と大き過ぎる体格が合わさって人間とは別種族のそれにも見える。
だが首に掛けられた首飾りの様な申し訳程度の装飾が眼に入り、シュウ辺りは何処ぞの部族の者かと当たりを付けることで納得した。そうでなくとも褌はどうかと思っていたが。
そんなことよりも今重要なのは敵か、味方か、そのどちらかである。

「む、君たちは……」
「ちょっとグルガ。私を置いていかないでよ」
「すまんな、シャンテ」

そして後ろから続いてきたシャンテの姿を確認して、ようやくそこで動きが固まっていたそれぞれが一様に仲間であると納得した。
そしてそれと同時にシャンテと一緒に動いているという事実が、この野人のような男の正体を理解させるに至っていた。
シャドウやアヌビスなどが褌一丁で戦う仲間がいるかもしれないと零していたのだが……。

(こいつがグルガか……)

声を合わせて全員がマジマジとグルガを見る。
そのたくましい姿を惜しまず前面に押し出した見てくれは確かに頼もしい。
頼もしすぎて少しだけ引くところだったのだが、それでもそんな目線の物事を捨てれば、成程、強い仲間だと誰しもが理解出来た。
今やこの場にいる誰もが、先ほどまでいがみ合っていたトッシュとエルクでさえもがその想いを同じにしていた。

「あー……えーと、グルガさんとシャンテさん、かな?」
「呼び捨てでいいわよ。そういう君はポコでいいかしら? …………本当に楽器で戦うつもりなのね」
「うぅ……どんな評判なんだよボクぅ」
「楽器? ……中々不思議な戦い方をするようだな」

恐る恐る声を掛けたポコの勇気のおかげでなんとか微妙になりつつあった空気が押し流されたが、それでも不思議だとのたまうグルガにジーン辺りは突っ込みたくて仕方がなかった。
不思議なのはお前の格好だろ、と。不思議なのは裸当然で戦えるアンタだろ、と。
しかしそれがさも当然のように胸を張る振る舞いのグルガに真正面から突っ込むことなど出来ず、そんな無粋なことをすることも出来ず――――。

「あれっ…………うん……皆本物みたいだね」

もやもやとしたものにジーンが頭を抱えてその場でぐねぐねと腰を動かした時、ようやく最後のグループであるリーザとゴーゲンの組が現れた。
リーザは集まるそれぞれを確認した後に胸を撫で下ろし、ようやく本物に会えたその喜びに、偽物ではない心を宿す皆の姿に笑みを浮かべた。
そうすればパンディットがエルクの方へ駆けだしていき、じゃれ合うようにしてその鼻を腹に押し付けた。

「うおッ」
「あはは。パンディットも嬉しいみたい…………あれ?」

そんな、敵の本拠地とは思えない安らぎの時間。
誰もが先ほど胸に抱いた『異常』への戸惑いを忘れ、それぞれが違う形ながらも笑みを浮かべる。
だがしかしその雰囲気を持ちだしたリーザが首を傾げ、そしてグルガを見ながら言葉を発した。誰もが嫌な予感がしていた。



「グルガ、さんですよね? 本当に褌だけなんですね!」



空気が凍り、誰もがその笑みを引きつらせた。
その後ろでシャンテは額に手を当てて息を吐き、出来れば話を振らないでほしいと祈った。
だがしかしリーザの言葉に戸惑ったグルガの視線は残酷にもシャンテの方へ。
まるで自分はやはりおかしいのか、と聞きたいようなその弱弱しい野人の表情に、シャンテでさえも頬を震えさせた。

「む……もう皆も集まっていたか」

そんな中に現れた、制御装置を破壊し駆け付けたイーガ。
彼の登場に誰もがギリギリと古びた玩具のように首を捻り、助けを求める様な視線で彼を見た。上半身裸。下に拳法着を履いただけの武人を。
グルガとイーガは、自然とその視線が合った。

「…………」
「…………」

シンパシー。
虚脱感。
戸惑い。

ありとあらゆる感情が渦巻くその場で、ジーンが勇気を出して声を上げた。

「さっ、先に行こうぜ? 合流したんならさっさと行かねーと」

ジーンもまた、誇り高き勇者だった。





[22833] 蛇足IF第二部その16
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:04




さすがに十人もの数の人間がキメラ蠢く研究所の中心部を目指し進む様は壮観だった。
時折彼らを排しようとキメラ兵の群れが現れるが、斬り込み隊長と化したエルクとトッシュとジーンの刃だけでも十二分に切り捨てられていく。
背後を詰めるイーガとグルガ、シュウの殿部も心強く、奇襲を受ける可能性をことごとく叩きつぶし、後顧の憂いなど欠片も感じさせない。
繰り返し重ねる戦闘の疲れもシャンテやリーザ、そしてポコの癒しの力で解消されていく。
そこへ砲台となったゴーゲンの大魔法が援護として降り注ぐのであればもはやこのチームは――――。

さすがに狭苦しい通路で10人前後の人間が戦列を作るのは難しいところであったが、もはや彼らを止めることのできる存在などいるわけもなかった。
道中に現れる敵の中にも制御装置が壊され暴走状態となったコピーキメラの姿があるが、他よりも格段に強化されたものでもまるで足止めにさえならない。
トッシュやエルクなどは出来の悪い自分のコピーを見る度に、眉を顰めながら我先にと剣を振り上げていた。
挑発ということであればコピーキメラも役立っているとは言えるのだろう。

「おい、魔物」
『何だ?』
『何かね?』

そんな、ただでさえ数の多く連携が取れなくなる恐れがあるためにリーザとシャンテの影に潜んでいたシャドウとアヌビスに、先頭を歩いていたトッシュは振り向くことなく話しかけた。
幾分魔物が仲間ということで不機嫌な表情を隠すことなくいたトッシュだったのだが、リーザの剣幕に引いて渋々了解している。
さすがに自分を長く守ってくれているパンディットでさえもそういった扱いを受けるのであれば、リーザの語気にも力が入るというものだった。

「てめぇんとこの未来ってのはどこまで信用出来るんだ?」
『あんまでっけぇ声出すなよ。ガルアーノ当たりにばれたら事だぜ』
「あ?」
『気付きたまえよ、猪侍。そこら中に設置された監視カメラがこちらを向いている。無論話し声の全てが聞こえるわけではないだろうが』

気だるげにぐるりと首を回したトッシュの視界に映るのは、道の途中やら部屋の中まで鼠一匹見逃さないと設置された小型カメラ。壁に埋め込まれた様にして丸型のレンズがこちら側を向いていた。
無論そんなことにトッシュが気付かないわけもなかったが、こんなカメラなどここに突入した時からわかっている。今更な話なのである。

「ゴーゲンさん、気付いてた?」
「フォッフォッ。気付いておったぞ? プライバシーの侵害というやつじゃのう」

慌てたように隣を歩くゴーゲンの耳に声を掛けたリーザだったが、何でも無いように答える彼の呑気な声が響けば、誰もが何とも言えない脱力感に包まれた。
人の家に押し入ってプライバシーも何もないだろうに。そんなことを片眉を上げながら内心で呟いたシャンテだったが、そこでこの現状のおかしさに気が付いた。
しばし顎の下に手を置き、その違和感に答えを見つけるために思案する。案外答えは早く見つかった。

「シャンテ?」
「…………毎回懲りないやつね、ガルアーノは」

その様子をグルガがいぶかしめば、シャンテは怒りを通り越した呆れ顔のままため息を吐いた。
幾度もガルアーノの手に弄ばれ、彼の本質をこの中でも最も理解出来る彼女にとってはこの現状にも合点がいくものだった。
自分に剣を向ける者全てが集まりぞろぞろと移動しているというのに、一向にキメラは大勢力を向けてこないという現状に。
そして、そんなことにシュウは既に気が付いていた。

「遊ぶつもりなのだろう、ガルアーノは」
「…………懲りねーやつ」
「ホントに噂通りの男なんだね、ガルアーノって」

シュウの呟きにげんなりと首の後ろに両手をやって半眼を浮かべたジーンがぼそりと零し、話だけにしかガルアーノのことを聞いていなかったポコもまた顔を顰めた。
集団が向かう通路の先には相変わらずキメラ兵の気配はなく、何とはなしに後ろを振り向いたイーガの感覚にも、追撃を仕掛けようと追ってくる敵の気配はなかった。
そしてそれを認めれば、アヌビスとシャドウは違った方向に懸念を抱いた。未来という不確定要素を知らされている彼らだからこそのそれ。

『此処までは予定通りだ。面白くねェほどにな』
「どういうことだ?」

エルクの問いに答えたのはアヌビスだった。

『確かに此処の戦力は大したものがあるが、それでも今ここにいる我らを踏みつぶせるほどかと問われれば首を傾げざるを得ない質だ。既にコピーキメラも使い物にはならん』
「白い家でもそんな感じだったじゃない。ガルアーノってのは馬鹿なのよ」
『だが引き際を知らぬ馬鹿ではない。ここまで中心部に近づき、一人も失くさず我らは辿りついている』
『なのに奴からは余裕が消えてねェようにも思える。この期に及んで戦力を出し惜しみして、俺達を奥に誘い込んでいやがる』
「罠……ってこと?」
『…………わりィが先を無闇に知ってる俺らだと考えが鈍る。なんとも言えねェ』

どう考えてもシャドウとアヌビスが知る未来の知識の中のガルアーノには、今の自分達を排除できるカードなど持ってはいないのだ。
確かに機械キメラという誰にも知らされないはずの新戦力を有しているという事実もある。だがしかしクドーの遣い魔としてその計画に多かれ少なかれ触れていた彼らには、アレらがそこまで使えるものかと問われれば微妙な所だ。
確かに機械によって統率された兵は厄介だ、だが――――。

そんな考えを影に潜みながら頭に浮かべるシャドウとアヌビスだったが、どうあっても未来の知識が今となって邪魔になる。
そもそももはや敵する側となって側面からでしか現状を理解できないというのに、未来の知識などというあやふやなモノを使うにはあまりに無意味なものだった。
こういったものは敵側にクドーが所属していたから、魔手を伸ばす側にいたからこそ流れをコントロール出来た。
それでもクドーは幾度も流れが狂うことに恐れを抱き、勇者達の動きをコントロールするには細心の注意を払っていたが。

「おい……なんか開けたとこに着いたぞ」

それぞれが先のことを考えながら進めば、先頭のエルクが剣を引き抜きながら他の仲間に伝える。
彼らの先にあったのは全員が散らばっても十全に戦えるほど巨大な大広間。
もはやアリーナと言っても差し支えないほど広いその鉄の広場に、誰もが周りを警戒するように眺め回しながらその中心へと歩いていく。
光源は少なく、死角こそ少ないが暗がりの中はあまりに危険。シュウは即座に最後方に周り、当たりを隙なく警戒していた。

そして、大広間の中心に辿り着いたエルク達を照らす様にして一筋のスポットライトの光が降ってくる。
唐突な光に多くがまぶしさに視界を覆い、何事が起ったのだと戦闘の気配に晒された。
だが、光と共に降ってきたのは悪魔染みたような笑い声が混じった怨敵の声だった。

『久しいな、エルク。元気でいてくれて儂も嬉しいぞ』
「……ガルアーノ!」

沸騰したかのようにエルクの顔が怒りに染まり、その声の先を睨みつけるように叫んだ。
声が降ってくる先は、何もない天井。
またもや自分はどこかに隠れて嗤うつもりかとジーンは白い家での光景を浮かべながら歯を食いしばった。分かっていたと言うのに、この憎しみは消せない。
だが隣にいたシャンテに肩を叩かれ、ジーンは眼を丸くしてから浅く息を吐いた。自分は一人ではない。

「また後ろでこそこそと動くつもりか? ガルアーノ。随分とせせこましい男だな」
『クク……そう邪検にしてくれるな、シュウよ。本当は私自ら持て成してやりたいが、君らは儂の城に暴力で以って入りこんだ侵入者。いや、ネズミか』
「相変わらずべらべらと口だけ達者なのは変わらない様ね」
『それは君も一緒だろう? 条件次第ではもう一度儂の下で動くことも許されるぞ? シャンテ』
「お生憎様。器の小さい男の下で働くなんてまっぴらよ」

唾を吐き捨てる様な痛烈なシャンテの言葉に、スピーカーの向こう側にいたガルアーノの声がくぐもった。
器がどうだのと痛いところを突かれたのか、それでも次の瞬間には平静を装ったガルアーノの声は嘲るようなものに戻っていた。その取り繕うとする様も、随分と愚かなことであるとは気付かず。
グルガは初めて声を聞く敵ではあったが、因縁のある仲間達の言葉と合わさってガルアーノの本質を見抜き始めていた。

『まぁ、そんなことはどうでもいい。だが儂は君達の粗暴な侵入を許す。しかしある程度の代価は払ってもらいたいのだ』
「なんだ、面白くもなく命だとかほざきやがるのか? そりゃお前が払う代価だ」
『全く……エルク達だけならばもう少し面白いことにも出来たが、君達アーク一味の者が来るものだから急に予定を変えねばならぬことになったのだ。だが、その分VIP待遇を用意してある』

トッシュの悪態を気にせず、ガルアーノはスピーカー越しの向こう側で誰かに命令すると、その大広間の一角にまたしてもスポットライトの光が降り注いだ。
そしてそこの床が開き、ぞろぞろと出て来たのは揃えも揃えたり。

「コピー!?」

声を上げたのはリーザ。
構えを取った彼女らの前に戦列を組んで現れたのはイーガによって制御装置が壊され暴走したはずのコピーキメラであり、遭遇したことのあるコピーと比べるとその瞳に色は映っていなかった。
そして、魔物使いであり、心を交わすことの出来るリーザであるために気付くその異様な雰囲気。違和感。

「あ、れ……心が……え、何で……?」
「リーザ?」
『ははは。ホルンの魔女には気付けたのかな? これもまたキメラプロジェクトの一環だ』

一人残らずこの場にいる本物をコピーした数十体のコピーキメラは、声を発することなく本物達を即座に囲み始めた。
その動きには何一つ迷いがなく、まるでルーチンとして組み込まれた様に気味の悪い動きをしていた。
背中合わせになりその静かすぎる鏡合わせの敵に構えを取ったエルク達であったが、嫌な予感にその表情は聊か強張っていた。

「何かが、おかしい……」
「ポコ?」
「命の気配が……でも……」

ポコの呟きにジーンが問いかければ、そこでゲラゲラとノイズの入った笑い声を上げたのはガルアーノだった。
緊張した面持ちを浮かべる勇者たちの様子に、悪戯が成功したとはしゃぐような醜い笑い声。
今すぐ向かって打ち倒してやりたい感情に苛まれる勇者たちだったが、目の前に不気味なほど静かに佇むコピーキメラたちがそれを許さなかった。

『殺しはせん。所詮データを取らせてもらうだけだ。死兵どものな』
「死兵だと……!?」
『ククッ……まあ、じっくりと味わってくれたまえ!』

ガルアーノの弾けたような声に、一斉に数十体の物言わぬ道具たちは襲いかかった。





◆◆◆◆◆





ミリルとヂークベックと共に長い通路を駆け抜ける。その最中にソレは俺の覚えのない感覚に引っ掛かった。
その場に急停止し、頭の隅、その奥の奥に薄らと感じさせる違和感に視線を彷徨わせる。
そうすれば先へ行きかけていた二人も何事かと俺の方を振り向いた。

「クドー?」
「ナニヲヤットルンヂャ」

二人の声もどこか遠く、全ての感覚が違和感の正体を捉えようと研ぎ澄まされていく。
この感覚に俺はまるで覚えがない。だがしかし常に俺と共にあったような記憶を捏造するほどに、この気配は程良く濃い。
なんだ、これは。こんな感覚など俺は知らない。なのに何故これほど――――。
頭を強く振ってその違和感を消そうとする。しかし不思議そうに俺を見つめる二人を視界に入れて尚、その気配は俺に取りつこうとする。

――――同調している?

覚えのない気配を、俺はそんな風に理解した。理解させられていた。
俺の知らない研究所のどこかで、俺と同調するようなナニカが蠢いている様な気がする。
俺の不死能力にガルアーノが眼を付けた――――細胞? コピー? 血を分けた兄弟?
まさか、そんな馬鹿なと自分の頭に過った言葉の羅列を消していく。だがこの気配はあまりにも異常過ぎる。

「ねぇ! クドー!」
「…………すまん。少し静かにしてくれ」
「えっ、あ……うん」

顔を顰めたミリルを手だけで制止し、通路の横の壁、その向こう側から這い寄る気配を透視するかのように睨みつける。
脳髄の、血の、細胞の、身体全体を粟立たせる様なその感覚に耐えながら、それの正体を見破ろうとする。
出来ぬわけがない。この気配があちらから漂うものであれば、俺がそれを出来ぬ道理などないのだ。

もしもこれが俺の予想通りなのならば。

俺の知識の外で、ガルアーノが持ち得る戦力の可能性とはどこまでいく?
機械? 一つの可能性に最も近いもの。だがしかしその可能性を匂わせていたのならば勇者たちが躓くことはなく、そしてここまでの気配になるわけもない。
俺のコピー? まさか。こんな素体のコピーを作っても出来あがるのはさらに弱くなったただのサンドバックだ。壁にはなれど牙にはならない。
俺の能力を何かに移した? もっとも現実的だ。不死能力だけを考えるのならば、これほど有用なものはない。だがそう簡単なものでは――――。

そこまで思考を巡らせて、通路の途中で止まった俺たちの向こう側から、見た様な姿をした影が走り込んできた。
それは俺の懸念していた一つの、つまりは勇者たちのコピーであり、その姿は炎の子のものであり。そして何だか制御を失ったかのように奔り方も歪だ。
しかしそんな姿を俺の瞳が捉えれば、先ほどの思考など蹴り飛ばして心のままに手に持ったナイフを振り上げた。

「おおおッ!!」

咆哮と共にエルクの姿をしたそいつの首元に深くナイフを突き刺す。
噴水のようにして血を通路中の壁にブチまけながら、糸が切れた人形のようにしてがくりと項垂れ倒れ込んだ。
驚いたようにして声を失っているミリルと、変わらないヂークベック。
誰が何と言おうとも、この存在は許さない。恐らくはガルアーノ以上に。

「それ……」
「偽物だ」
「やっ、ぱり、だよね……うん、偽物」

例え偽物だとしても見てくれがエルクだったために多少なりともショックを受けたのか、ミリルがそれから眼を逸らす様にして呟いた。
俺は、本物と偽物を間違えない。決して何が起ころうとも、全ての要素を以って真と偽を判断出来る。

しかし、勇者たちのコピー。
今でこそ簡単に殺すことが出来たが、確かコピーが持つ問題とはオリジナルよりも幾分か劣化する、ただそれだけだった気がする。
ならば例え劣化したとしても、その基がアークやトッシュといった強者であれば。
そうなるとこの嫌な気配はこのコピー達のことを言っているのだろうか。

「…………そんな単純な話では」
「もうっ! 何があったのかは分かんないけど急がなくちゃ!」
「……そうだな」

急かすミリルの言は正論であり、ここで悩んでも仕方がない。
どうも俺達は他の皆よりも大分遅れているらしく、幾分ガルアーノに見つからないルートを通りながらカメラを処理して動かざるを得ないと言えども、この遅れは致命的になる。
ならば急がねばと走りかければ、今度は通路の横の部屋から恐る恐る出てくるような、研究員の姿。

「きっ、貴様は!」

俺達と眼が合い、そのまま逃げるのか戦うのか迷うようにして声を上げた研究員に、隣のミリルが油断なく短剣を投げようとしていた。
だがしかし、俺はその動きを手で止め、静かに決意する。
悪いがどこの誰かは知らんが、その命を――――情報を貰うぞ。

この意味不明な感覚に関する情報を、もしかしたら研究員に属するキメラであればある程度持ち合わせているかもしれない。
ミリルの前でそれを見せるのは少々心地の良いものではないが、それをしなければならないほど俺はこの感覚に危機感を抱いている。

何故この気配は、感覚は、これほど俺の心の中に『憎しみ』を流しこんでくるのだ?
この憎しみは一体、誰のものなのだ?
ならば何故、俺とこんなに――――。

「ミリル、ヂーク……先に行ってくれ。やることが出来た」

この感覚は、危険すぎる。





◆◆◆◆◆





「はははは!! 見ろ、あの勇者どもの顔が苦痛に歪む様をッ! うん? そうか、やはりそれでも力が足りないか……だがいい、実に良いぞ!」

作戦室の椅子に座りながら手をバチバチと叩いて喜ぶ男を、ハンターは茫然としたまま見ていた。
そして無意識にその様子から眼を逸らす様にモニターへ顔を向ければ、そこには死兵と戦う勇者の姿があった。
一人一人囲まれないように互いにフォローし合いながらも上手く戦えているが、それ以上に相手が悪すぎた。

斬り飛ばされ、燃やされ、氷塊で貫かれてもなお立ち上がるコピーキメラ達。
千切れかけたところから、斬り飛ばされた所から、まるでスライムの様にして傷口が再生し、ゾンビのようにまた立ち上がる。
今モニターに映った忍び装束の男がその崩れかけたコピーキメラと接敵すれば、コピーが選んだのは防御でも何でもなく、そのグズグズの身体で攻撃を選んだ。
死兵。ガルアーノはそう言った。

「あれは……」
「ガハハハハハッ!! うん? ……なんだ、詳しい話を聞きたいのか?」
「出来れば」

今にも自慢したいのだと、胸を張りたいのだと醜悪な笑みを浮かべたサングラスの男はその声に嬉々としたものを乗せていた。
見た目中年のそれにも見える姿の男が、子供のようにはしゃぎ笑う様子にハンターは一歩後ずさったが、ここでモニターの先で起こっていることを流すことは出来ない。
勇者達が戦うその光景に、ハンターは人知れず拳を強く握りしめていた。

「憎い、実に憎いゴミが残していった結果だよ、あれは」
「…………ゴミ?」
「キメラプロジェクトにおいて儂は常に力を求めてきた。配合胎児。異能合体。そして最終的には機械魔獣へと。それもある目的への足がかりにすぎんが」
「…………」

詳細を問い質したい言葉は幾つもあったが、ハンターは敢えてそれには触れずガルアーノに言葉の先を促した。

「だが早々にこのプロジェクトに儂は見切りを付けていたのだ。確かにキメラは強くあるが……少々貪欲過ぎた」
「…………」
「力を持ち増長するキメラ。自己を抑制出来ず暴走するモノ。人間の欲によって強化されたのは実に有用な発見だったが、やはりそれでも安定性には欠ける」

懐にあった葉巻を取り出し、火を付けたガルアーノは懐かしそうにその歴史を語っていく。
まるでそれは自分に酔っているようで――――真実ハンターの眼にはガルアーノが酔っているようにも思えた。

「儂の命令が聞けん兵などいらん。故に儂は機械という命令しか受け付けない方向へと手を出していたのだが……一つの可能性を見出した」
「可能性?」
「愚かなゴミが示した可能性、だ。奴の愚かさが儂の目的に光明を見出せさせたのはこれ以上ない屈辱だったが」

そこでようやくガルアーノは顔を憎々しげに歪め、虚空を睨みつけたまま咥えている葉巻を噛み潰した。
果たしてそこに込められた憎しみはどれほどのものか。
ゴツゴツとした悪趣味な指輪がはめられた手は固く拳を形作り、やがて落ち着きを取り戻したガルアーノは――――狂ったように肩を震えさせ始めた。



――――クドーの裏切りは、ガルアーノにとっての転機であった。



果たしてクドーとガルアーノの関係とはいかなるものだったのろうか。
クドーが心の奥で裏切りを画策し、常にガルアーノに侮蔑の眼を向けていたことはその裏切りの瞬間までガルアーノは気付かなかった。
周りの兵達もクドーが見せる完璧な忠誠は疑うところもなく、たかがプロトタイプのキメラが向けられる期待を考えれば嫉妬を向けられるのも道理だろう。

それほどに、ガルアーノにとってクドーとは信用出来る駒で、道具だったのだ。

故にクドーを通して見られる『力の一端』は、実に本来の流れを変えながらガルアーノの理解を捻じ曲げていく。
キメラ兵の貪欲過ぎるその不安定な有様から命令に忠実な機械キメラへと方向転換しようとしたプロジェクトも、クドーという存在がそれを押しとどめる。
例えキメラであっても、真に忠実を向ける存在があるのだと。

「キ、キハハハハハァ……ッ!!」
「…………?」

元々のスペックが低いながらも不死能力だけでありとあらゆる任務達成して信頼を勝ち取るクドーの存在は、ガルアーノの意識を改革させるには十分だった。
調整が難しく他から供給する手間があり、さらに言えばそれは量産することも難しく、とどめに元々のスペックを高めることも容易ではない。
だがしかし、死なないということはそれ以上の有用性がある。

それは当然の話であり、そうともなればプロジェクトの方向もとうとう全く別の方向へ向かいだした。
不死能力と機械キメラを共用することはほぼ不可能であり、魔の込められた肉体ならばともかく、機械を再生させるような技術はない。
――――機神とも呼ばれる存在を分析出来ればまた可能性もあるのだが、その時点でロマリアがそれを知るわけもなく。

「ゲギャギャギャギャギャ!!!!」
「…………」

だんだんと不死能力を突きつめることにシフトし始めたキメラプロジェクト。
その闇の研究はどこまでも残酷に進み続け、貪欲に力を求め続ける。
命令に忠実で、無限に再生出来、そしてスペックも高い一級品。全ての優良な要素を金揃えた最強のキメラ兵。
クドーという存在が齎したその流れは、最悪の形となって実現していき――――そして、その全てがクドーの裏切りという行いでひっくり返された。

ガルアーノとクドーの間にお涙頂戴の友情などあるわけもない。
例えその間にガルアーノから一方的な信頼と信用があったにせよ、それでも根底にあるのは道具と主の関係だ。
だがしかし権力を求め、力を求め、貪欲に全てを求めたガルアーノをクドーが裏切るそれは、ナニカを狂わせるには十分だった。



今、ガルアーノは死んだはずのクドーに復讐する為に動いている。



そのサングラス奥の濁った眼が見ているのはクドーの残滓だった。
モニターの先にはエルクが、ジーンが、そしてクドーが望みを託したその仲間たちがいる。
その者達をクドーが齎したキメラによって痛めつける。それこそがガルアーノの前で消えていったクドーへの復讐。いかにも満足げに全てを成し遂げ勝ち逃げしていったクドーへの復讐。

「ク、ククク……見ているか、クドー……」
「ッ……!」

虚空に手を伸ばし、見えない人影を握りつぶすようにしてガルアーノは笑う。
彼の目的の最終段階。それはクドーが守った全てを彼と同じ不死の人形として自らの道具とすること。
小物故に、囚われる。器が小さいからこそ、過ぎ去った裏切りに囚われガルアーノはそれに執着する。

「おい……次だ。やれ」
「ハッ」

勇者達をコピーすることによって本来のスペックを高め、其処に不死能力を加え『心を完全に殺す』ことで実験段階ながらも完成した不死キメラだったが、それでも本物たちの攻勢には耐えきれない。
未だ不死能力が完璧でないために、一人、また一人と不死キメラは消えていき、モニターには既に少なくなったキメラが本物の勇者達によって切り捨てられている。

そしてガルアーノは復讐に色をつけるために、傍にいた研究員に一つの命令を下した。
それは先ほどのコピーと比べればあまりにもお粗末で、戦力としてはもはや期待できないただの使い捨ての駒に過ぎない。
だがしかしガルアーノが愉悦を――――いや、復讐心を滾らせるには重要なことだった。

「あれは…………っ」

ハンターの視線の先に映る惨劇は、勇者達とってあってはならないことだった。
大広間に現れ再び彼らを囲むのは、包帯に包まれた――――。

「まだだッ……まだだぞクドー! 貴様の守った全てを儂は奪い取るぞッ!!!」

ガルアーノは、正しく狂気に濡れていた。








[22833] 蛇足IF第二部その17
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:04




100。200。300。
先ほど大広間に現れた勇者たちのコピーキメラとは比較にならないほどに群れをなした『ソレ』が、亡霊のように立ちつくしていた。
包帯に包まれた顔の隙間から見える瞳など、どこを向いているかも分からないほど爛れており、もはや人の形をしているかもはっきりとしない。
中にはぐちゃぐちゃに組み合わされたのか、奇形のまま足や手がおかしな方向に生えている者もいた。

『ハハハハハハハハハッ!!』

ガルアーノの笑い声が響き渡る。
果たしてこの窮地を、それぞれが胸に灯した怒りを、全てをどうすれば。
しかし誰かが怒りの声を上げる前に、エルクでもジーンでもなくポコが天高く声を上げた。絶望に暮れる間すら今は勿体ない。

「トッシュ! イーガ、ゴーゲン、グルガも! ボクたちは残って足止めするよ!!」
「……なッ、何を……」
「エルクッ!!」

唐突に叫んだその言葉に、誰でもないエルク自身が戸惑いポコを見つめた。
だがしかしそこには弱気なポコの姿などどこにもなく、童顔に鋭い瞳を浮かべながら手に持ったシンバルを構えていた。
もはや反論は許さないと言わんがばかりに。恐れの欠片も見せずに。

「引き金を引くのは君だろう! 君たちはそのために来たはずだ。だったら目的を吐き違えるな! 『アレ』は、ボク達の敵だ!」
「ポコ……お前」

ジーンでさえもがその言葉に唖然とすれば、事の次第をなんとなく理解したトッシュが獰猛な笑みを浮かべながら『ソレ』の群れに刀を向けた。
イーガも、ゴーゲンも、そしてグルガも。それぞれがそれぞれの決意を以って、全ての因縁に決着を付けるために動きだす。

「小僧。てめぇの獲物はこの先だろう。さっさと行け」
「おっさん」
「次おっさんつったらぶっ殺すぞ」

睨みを利かせるトッシュに、エルクは口元をへの字に曲げて黙りこくった。
ここは終点ではない。アレを倒すために来たのではない。この先に真の敵がいて、それこそが自分達が真に剣を向けるべき相手。
だがこんな死の線に彼らを置いていけるなど――――。

「少年。信じてくれるのならば、行ってくれ。我らは決して負けはしない」
「リーザ。お主が行くんじゃよ。幕は然るべきに人間によって引かねばならんじゃろう」
「シャンテ。分かっているな?」

ジーンが、リーザが、シャンテが、その言葉に狼狽する。
そしてそんな仲間達を一瞥し――――シュウが脇目も振らずに駆けだした。
向かうべきは奥にある大広間から抜ける一つのドア。
それを守るように立ちはだかるキメラの群れに、背から取り出したマシンガンを撃ち続けた。

「行くんだエルク! ボク達にはアークもいる。彼ならきっとなんとかしてくれる」

慌てたエルクに向けられたポコの笑顔は、何よりも自信に満ちている。仲間を信じる心の強さに溢れていた。
もはやそこまでされればこちらが信じてやれないわけがない。シャンテが、ジーンが、そしてリーザまでもがシュウの後に続いていく。
道をこじ開けようとしてドアに向かい突撃する様は、その背中には、決意が浮かんでいる。

もう、止まれない。

「お――――オオオオオッ!!」

雄叫びを上げるように突撃するシュウ達の後に続き、エルクは両手に魔力を宿しながら奔りだした。
未だ自分たちの歩みを遮る『ソレ』は壁を作り、無貌のままに佇んでいる。それは、あの存在は許されない。
そのままエルクは自分達とドアを挟んだ所に蠢くキメラ達に向け、勢いよく魔力の籠った両腕を振り下ろした。

「どけええええええ!!!!」

咆哮と共に黄金と見紛うほどに輝く灼熱の炎が嵐となって舞い上がり、キメラ達がいた場所は跡方もなく灰の山と化していた。
そして燻る残り火を気にすることもなくシュウを先頭に駆け抜ける、因縁に集った者たち。
誰ひとりとして振り向かない。それは信用を、信頼を裏切る行動に他ならないのだから。
駆け抜ける。今はただ、風を切って駆け抜けるのみ。

エルクはその最後で強くを歯を噛み締めた。
今出来るのは、奔ること。一刻も早く頭上で笑う男に剣を突きさすこと。
背後で、戦いの鐘が鳴った。
気合いの雄叫びを上げるグルガとトッシュのそれはエルクの耳にもよく届き、戦闘の中でも不釣り合いな楽器の音色が響いている。

無事でいてくれ。
エルクは、今はただ、祈っていた。





◆◆◆◆◆





「や、やめろッ……やめてくれぇ!!」

足と手を切り飛ばし、喚き続ける研究員を引き摺るようにしてとある区画の一室へ運び込む。
向かった先は記憶にはっきりとこびりついている調整施設の一角。研究所の本部ということで住居区画にでも迷い込まなければ、そんな部屋はいくらでもある。
ドアの横のスイッチを押せば部屋の電気が暗がりの中を照らし出す。
見慣れたカプセル、コンピューター、束ねられた管に重ねられた様々なファイル。胡散臭い様は変わっていない。

その全てを確認した俺は、勝手知ったるが如く引き摺っていた研究員の顎を踏み抜き、少しばかり意識を薄れさせるとそのままカプセルの中へと押し込んだ。
人一人入れるくらいには大きいが、本来の手順を踏まずにこれから行われる『調整』のせいで随分と血がそこら中に流れてしまっている。
傍のパソコンを操作すれば、どうやら使い方が変わっているわけでもなく、俺でも簡単に操作することが出来た。

死体になりかけの研究員が入ったカプセルに薄紫色の液体を流し込めば、その中に居た研究員は悲鳴を上げることなく液体と融け合っていく。
血と混じったその液体は酷く吐き気を覚えそうな色をしており、そんなことを考えればミリルとヂークベックを先に行かせてよかったと心底思った。
共に戦う所は既に覚悟が出来ても――――魔物を喰らうところは見られたくない。

「…………ふん」

下らぬ感傷に自分自身を鼻で笑い、キーボードを叩いて調整機械を起動させる。
基本的に一般的なキメラの配合と一緒だ。通常ならば機械の横に異能を持った人間を横たえ、カプセルに入った魔物と組み合わせる。
そうすれば出来上がるのはキメラで――――その行程と同じように俺は逆に入ってくる魔物を喰らうだけ。

そのまま診察台のような寝台に寝転がり、横にぶら下がっている針と管を乱暴に身体に突き刺していく。
身体を横たえれば視界には眩しいほどの照明が眼に入り、この忌避された光景こそが俺の力の元なのだと今一度思い知る。

そして、作動。
隣に立つカプセルの中身が胎動し始め、ゴウンゴウンと耳障りな音を立てながらパソコンのモニターと連動するようにして動き始める。
白い家から生き延びて約一カ月。たったそれだけの期間が空いただけだというのに、この有様に俺は今まで以上の嫌悪を抱いている。いい傾向だ。
だがしかし力の本質を間違えはしない。今この異常を打開するにはこの力が――――。





――――――――これは。





精神の中で慌てふためく研究員だった魔物を食いちぎり、現実世界では一秒も経たぬ時間でこの男の命と魂と、記憶の全てを頂いていく。
そうすれば俺の意識がかき乱されたように頭には激痛が走り、やがて身に覚えのない数多くの情報が流れ込んでくる。

「ぐっ…………」

呻く様にして寝台の上から上半身を起こし、頭を押さえつけるように抱える。
選定しなければ、頭が悲鳴を上げる。
ただ本能のままに今日という日ばかりを生きていた魔物の『命』だけならまだしも、人間の知を取りこんだキメラの『記憶』となれば入りこむ情報もケタ違いとなる。
混じり合おうとする魂と心を拒絶しつつも、その中で必要な情報だけを掠め取る。

「これは…………」

無事に選び抜くことができた、この妙な感覚の原因であろうその情報。
口から零れる言葉を抑える術など知らず、俺は頭の中に流れる情報に唖然とした。
この事実が本当ならば、もしもガルアーノがこの力を以って立ちはだかるのであれば。

「どうする? …………どうする?」

そのまま黙っていることなど出来ず、無意識に立ち上がり頭を回る痛みなど気にせず部屋中を歩き回った。
思考を止めず、この先に展開されるであろうそれに思い至り、そしてまた思考に落ちる。
もはやガルアーノは殺されるだけの木偶ではなくなっている。
もしも、などという仮定を浮かべている状況ではない。この先で確実にガルアーノは最大の敵となる。
しかもコレは俺が――――。

「…………」

俺が余計なことをしたために起こってしまったこと。いや、エルク達を救うために必要だったのだから無駄ではない。
あの時俺が死んでいたならば、あの時の心と同じように逃げるのであればこのままでもいい。
だが違う。今俺は立ち向かうことを誓い、此処にいる。ならば俺がどうにかせねばならない。

どうやって?

考えろ、考えろ。あれが俺と同一のものであれば無理ではない。方法は確かにある。
いや、アーク達の力で。違う。そんな都合のいいことに俺の咎を押し付けてはいけない。
今は、立ち向かう時だ。

「よし…………」

胸を力強く抑え、しばしぎゅっと瞳を閉じて心を落ち着かせる。
無理ではない。むしろこれは俺にしか出来ぬこと。俺だけの役目。

心が逸るままに、俺は調整室より飛びだした。
腕を振り、足を動かし、全速力で先を行くミリル達に、窮地に追い込まれるであろうエルク達の下に急ぎ駆ける。
アークはどうしているのだろうか。イーガは目的通り動けたのか。そも、この先にコピーの大群がいるのであれば。

信じる。
未だ実際に会ったことすらない勇者達を思い浮かべ、彼らがどのようにして動くのかを仮定する。
あまりに一方的な信頼に反吐が出るが、彼らは絶対に裏切らない。
ならば、何よりも、誰よりも今は速さを。速さを!

「貴様ッ! そこで止まれ!」

前方のキメラ兵。凡その数4体。
先を行ったミリルは? いや、すれ違った故に俺の前に出て来たか。
だが止まらない。もはやガルアーノにばれても構わない。一刻も早く友の下へ。

「道を開けろッ!!」

喉が痛むほどに叫び、向こうが振り上げた剣など知ったことではないとファイター系の魔物と変わっているキメラの集団に突っ込む。
肩口に食い込んだ剣などどうでもいい。そのまま力任せにキメラの顔面を殴り付け陥没させる。
そしてその手から離れた剣を奪い取り残りを血祭りに上げる。僅かな命の減少など、今はもっとも優先されないことだ。

間抜けな声を上げながら倒れ伏すキメラ兵に眼をやることなく、再び駆けだす。
行くぞ、クドー。
友と戦いに。その戦いの場に。
俺も、戦える。





◆◆◆◆◆





大広間に残った勇者達は、たった五人という少数ながらも先に行った仲間達に手は出させないと言わんばかりにドアの前に立ちはだかった。
もはや数えるのが億劫になるほど大量のキメラが彼らの前では蠢いており、包帯に包まれたそれらが肩を揺らして無言で近づく様はあまりにも不気味。
しかし勇者たちは一歩も引かず、むしろ自ら戦端を開くようにして一斉に武器を構えた。

誰よりも先の口火を切ったのは、ポコ。

「ぶっとべ!」

虚空より召喚された大型の荒太鼓から、全てを薙ぎ払うような赤の光線が発射され、その射線上にいたキメラはことごとく吹き飛ばされた。
圧倒的な火力に慢心することなくポコは再び自分の持つ異能に従い、どこからともなくトランペットを召喚。
戦場にまるで合わない間抜けな音が響いたかと思えば、そのトランペットの口から吐き出された爆弾のような歪んだ球体がキメラの集団目がけて飛んでいく。

「相っ変わらずどうなってやがる……」

吐きだされた爆弾が爆発しキメラを粉々に吹き飛ばす様を、トッシュは呆れたようにして眺めていた。
ここは300と5に分かたれた戦場。隙を見せればそれを見逃さず包帯だらけのキメラは手に持ったナイフを振り上げ突撃してくる。
しかしその群れはトッシュの間合いに踏み込むや否やバラバラに切り裂かれ、その部品はゴトゴトと無様に崩れていく。
眼にもとまらぬ居合はトッシュの間合いを死地と変え、それを彼は鼻歌交じりにやってのけた。

それでも敵は死なない。減りもしない。
懲りもせず立ち上がろうとするキメラと、また違う方向から襲い来るそれらを視界にいれたトッシュは、口に咥えたキセルをそのままに額から何本か跳び出ている赤毛を揺らした。
その構えは、雷すら追い切れぬ剣速で血桜を散らす彼の奥義。
スローモーションのようにして飛びかかるキメラを前に、トッシュは獰猛な笑みを浮かべて剣を抜き放った。

「桜花雷爆斬ッ!!」

数えきれぬ程の剣閃。
暗がりの鉄の大広間に銀の線が走ったかと思うと、飛びかかっていたはずのキメラ兵たちはまるで雷に撃たれたかのように紫電を帯びながら爆散した。
もはや剣技の粋を越えたその技は、拳法に生を捧げているイーガから見ても、闘技大会でこの世の全ての技を見たグルガでさえも舌を巻く。

「あれほどの強者を私が知らぬとはッ」

その事実は共に隣り合って戦うグルガには驚くべき事であり、そして喜びであった。
あれほどの者と肩を並べ戦うことが出来、その瞳は幸運なことにこの世の巨悪に向いている。
粗暴であったとしても力の在りどころを間違えない在り様は、グルガにとって尊敬するほど尊いものに違いない。

「はあああああッ……」

グルガは負けていられないとばかりに四股を踏んで気合いを込めた。
視覚で分かるほどのオーラがその鋼の身体には行きわたり、その存在感に敵でさえも眼を奪われ、この場で厄介な敵だと理解させる。
悲鳴すら上げない心を消されたキメラ兵でさえも、本能に響く強者への恐怖によって強張る足を動かすことは出来ない。
それでも、やはりキメラとは道具だった。

「その意気や良しッ!」

恐怖を乗り越えたのは一体のキメラ兵。
基にされた人物のおかげで幾分か速さに特化してはいたが、グルガの丸太のような腕から逃れる術も無し。
そのままむんずと頭を掴み上げられたキメラはもがくものの、その手は固定されたようにピクリと動かない。
そしてグルガは投擲の構えを取ると、人間大のキメラをそれら固まっている中心に向かって投げ飛ばした。

まるでドミノ倒しのようにしてキメラ兵たちが弾け飛び、球とされたキメラはその勢いに粉々に砕け散った。
技術もある。経験もある。戦士としての全てを兼ね揃えているグルガであったが、その暴虐とさえ思わせるのはただの力。
どこまでも単純に脅威というものを思わせ、肉体一つで戦うグルガの力量は並ではない。

「柔よく剛を制す…………自信がなくなるな」

愚痴る様に呟いたイーガが、山のようにして立ちはだかるグルガの背を見上げながら自らもまた体中に気を滾らせた。
零れた言葉が示す様に誰よりも肉体が持つ可能性を追求し、ラマダ拳法の者として素手で戦ってきた彼だったが、暴力的なグルガの様を見ればつい愚痴も出ようというもの。
それでもそのような恥ずべき感傷に囚われたのはほんの一瞬。瞳を閉じ、そしてゆっくりと開ければ既にイーガは戦鬼となっていた。

「むんッ!!」

左足を振りまわす様にして高く上げ天を突いたそれを、鉄板の床が足の形に凹むほどの力を込めて叩き下ろす。
凄まじい震脚によって部屋が揺れ、イーガの真正面、その直線上にいたキメラ兵達が空高く反動で跳ね飛ばされた。
キュッ、と口を真一文字に閉じた彼の鋭い瞳が無防備になって空を舞うキメラ兵を捉える。
右腕に込められた闘気は、既に狙いを定めていた。

「むぅんッ!!!」

真下から振り上げられたイーガの右腕は竜巻を生みだし、多くのキメラを巻き込みながら宙に浮いたそれらを刻んでいく。
さらに自らも飛びあがったイーガが空中で右腕を振り下ろせば、舞い上がったキメラ兵はイーガの竜巻となった気を浴びながら地面へと叩きつけられた。
どれもが肉を飛び散らせるほどの威力で、『流星爆』と呼ばれたそれは既に拳法という枠を越えている。
まるで魔法と言われる奇跡に遜色ない威力――――ゴーゲンは力なくため息を吐いた。

「なーにが自信がなくなる、じゃ……」

魔法こそが至高、などと程度の低い言葉を吐くつもりなど欠片もない老いた大魔道士であったが、さすがに人間サーカスの様相を見れば肩を落とさざるを得ない。
だがしかし自分の背中を真に任せられる仲間であり、この窮地の真っただ中でもこうして呑気に声を零すことが出来るのが、ゴーゲンは嬉しかった。
未だ人は諦めることを知らず、大切な仲間は健在。これ以上何を望むものか。

「じゃ、じじい張り切っちゃおうかの」

鋭く細められた瞳で戦場を見抜き、その全てを正確に認識したゴーゲンは杖を振るい自らの足元にかすかに光る魔法陣を展開させる。
それはただの魔法とは比べ物にならない魔力から零れた絶対の力。
ゴーゲンが宙をなぞる指からは魔力が迸り、その線は虚空にまた異なる魔法陣を描いていく。
そしてそれが完成しひと際光輝いた時、真の魔法は放たれた。

「エクスプロージョン!!」

部屋全体を覆う程の魔法陣がキメラ兵達の足元に展開し、それが赤く輝いた瞬間、あまりにも巨大な火柱が全てを焼いた。
強大な力が齎した衝撃波は風となって仲間たちにも吹くが、誰ひとり揺らぐことなく構えを解かずにいる。
もはや灰さえ残らないのではないかとも思わせる炎の嵐の中に蠢くナニカを確認したゴーゲンは、続けて呪を唱えた。

「しつこいやつじゃのぅ……アースクエイク」

次に光るは黄金色。
炎の中にその色の魔法陣が現れた瞬間、鉄の床をぶち破る様にして数えきれない岩の槍が隆起し立ち上がろうとしたキメラ兵たちを貫いていく。
鉄の部屋に大地が現れ、自然の牙に噛み砕かれたキメラ兵は見るも無残な姿となって串刺し刑のように血を流す。



――――それでも、まだ包帯のキメラは動いていた。



トッシュがその光景に舌打ちをすれば、グルガもまた気合いを入れ直す。
エルクから聞いた未来の知識を持つという者の不死性は知っているものの、それでも目の前で死んでも死んでも死なない存在を見ると厄介と言わざるを得ない。
もはや包帯などは全てこちら側の攻撃で擦り切れ、どこぞのゾンビともミイラとも言えないような肌を晒すただの化け物。それらが諦めもせず這い寄ってくる。

「化け物、ねぇ……」

キセルから上る紫煙を浴びながらトッシュはつまらなそうにして呟いた。
確かに眼の前にいるキメラたちは化け物である。だがしかし真に化け物と呼ばれるものはこんなチャチな存在ではない。これはただ殺されるだけの木偶。
話だけしか聞いていないが、友を守るために散った男がこのように弱い存在などとトッシュは欠片も思わなかった。

「おいゴーゲン、てめぇんところに魔物がいたようだがよ。こんなにその主とやらは弱かったのかね?」
「フォッ……どうじゃろうかのぅ。シャドウは口酸っぱく主を弱者と罵っていたが」
「アヌビスもその一点だけは譲らなかったな」

ゴーゲンの言葉に次ぐようにしてグルガもまた腕を組んだままぶっきら棒に言い放つ。
バラバラに殺しつくした『クドーの偽物』達は立ち上がり、傷を再生させながら早くも戦列を組み直し始めていた。
そしてまた馬鹿正直に近寄ってくる、ただの人形。

「さっさと坊主たちを行かせてよかったな。コレは、気に入らねぇ」
「ならさっさと倒して先に進まなきゃ」
「うむ」

ただ死に難いだけの存在をこれ以上現世に晒すわけにはいかない。これがあのクドーという存在のコピーなどという事実を残していけない。
再び構え、揺るがぬ闘志を以って立ちはだかる勇者たち。殺し尽くすまで殺し続けることに疑問など湧かなかった。

そして再び刀を抜こうとしたトッシュの視線は部屋の上空、天井近くに。

残された一つの影。
先ほどイーガが弾き飛ばしたキメラの一人か。
いや違う。
戦場の中に響くモーター音とエンジン音。

「あん?」

呆けたようにして零れたトッシュの声に応えたのは、その影から放たれ降り注ぐ雷の束。
ゴーゲンが使うそれよりは規模の小さいものだったが、それでも下にいるキメラ兵を焦がし飛ばすには十分な威力だった。

新たな敵? 第三者? 味方?
見上げるだけだった5人の傍に降りて来たその影は、凄惨なこの場を感じさせない笑顔を浮かべた少女と、そして間抜けな機械の音を発したロボットだった。

「タスケニキタゾ! コウエイニオモエ!」
「あ、皆! …………って見たこと無い人多いけど、大丈夫!?」
「ミリル!?」

驚いて声を上げたのはイーガ。
そしてその隣では、その少女の格好にポコが鼻の下を伸ばしていた。





◆◆◆◆◆





「ミリル!? ミリルだと!?」

モニターに映る大広間の映像に驚愕の表情を浮かべたガルアーノは、その場で足を踏み鳴らし全身で喜びを表す様にして叫んだ。
そう、嗤ったのではなく叫んだ。もはやそのどちらとも取れぬ咆哮と化したガルアーノのそれは、真実歓喜の表れだったのだ。
これでまた復讐の味が濃厚になると。

「これは……これは……全てが儂に微笑んでいるッ!! 全てが、全てが儂の復讐を祝福しているぞ!! 見たか貴様!」

そのまま近くで怯えていた研究員の胸倉を掴み上げ、その狂喜に任せて首を絞め上げ壁に投げ飛ばした。
そのままぶつかってゴム毬のようにはね返った研究員は泡を吹きながらハンターの足元に転がり、それをハンターはじっと見つめ、視線を伏せた。
深々と帽子を被り、マントの中に隠してあった剣に手を掛ける。

もはやこれ以上は、いや、ここで止めるのが自分の役目なのだろうとハンターは理解した。

狂笑するガルアーノの隙を突いて先ほどまで指示を受けてキメラを操っていた研究員の背中を切り付け、その眼の前にあった機械に深々と剣を突き差す。
そうすればガルアーノも、いや――――まだ嗤っていた。身体を仰け反らせて嗤っている。
しかし周りに残った研究員はそうではなかった。

「な、何をッ……」

助けを呼ぶ暇も、逃げる暇も、キメラにその身を変える暇も残さない。
ハンターは即座に剣を機械から引き抜くと逃げようとしている研究員を切り捨て、血の惨劇となった作戦室の真ん中で嗤い続けているガルアーノに剣を向けた。
残されたのは、ハンターとただ復讐に狂った男のみ。
モニターの奥から聞こえる音とガルアーノの笑い声だけが響くその部屋の中で、ハンターは静かにその帽子を脱ぎ棄てた。

そこから見えたのは、額に巻かれた真っ赤な鉢巻とあまりにもこの場に似つかわしくないまっすぐな瞳。
凛々しい瞳は揺らぐことなくガルアーノを捉え、手に握りしめられた剣は確かにガルアーノの心臓に向けられていた。
そしてそこでようやく狂った復讐者は気付く。ゆっくりと首を捻ってその裏切り者――――アークを見る様は、もはや魔物という存在すら越えて不気味だった。

「貴様の野望もここまでだ。ガルアーノ」
「あぁ? …………貴様……そうか。アークか」

ククッ、と堪えるように呟いてアークを一瞥したガルアーノは、それで興味を失くしたと言わんばかりに再びモニターの向こうへと視線を戻した。
そこでは大広間で戦う勇者たちと、この部屋の眼と鼻の先までに近づいたエルク達が映っている。
ガルアーノの眼は、エルクとミリルとジーンしか見ていなかった。

「哀れだな、ガルアーノ。もはや復讐でしか重ね続けた虚構を守ることが出来なくなったか」
「虚構……?」
「つまるところ貴様の功を逸る弱い心と、何かを傷つけなければ立っていられないその器が復讐を望んでいるに過ぎない。そうしなければ、貴様は真の道化だから」
「道化……? 儂が、道化?」

茫然と呟き、濁った瞳と弧を描いたままの口、その全てがガルアーノの感情をバラバラに表していた。
その余りにも壊れた様を認めながらも、アークは一歩も引かず言葉を連ねる。

「彼が……クドーだけがお前が自信をもって自分の力だと示すことの出来る存在だったのだろう。キメラプロジェクトも、お前自身も、結局はロマリアにとって使い捨ての駒。四将軍の一人というのもただの埋め合わせだ」
「…………ククッ」
「だからこそただ唯一のクドーから裏切られたお前は、唯一の自分の価値を失ったお前は、復讐という形で自尊心を取り戻そうとしている」

一歩。アークは動かないガルアーノへと踏み出した。

「彼をゴミと罵りながらも、結局は彼がいなければ何も出来ない。何一つ取り戻せない」
「クハハハハハッ!!」
「この期に及んで死者からも何かを奪おうとするお前を許さない。そして何よりも彼をゴミと罵った罪は万死に値するッ!」

剣を振り上げ、その銀の刀身に映るガルアーノは、まだ嗤っている。
しかしそんな様にアークの剣は揺るぎもしない。

「その命を以って全てを償えッ! ガルアーノッ!!!!」

上段から振り下ろされた剣は確かにガルアーノの身体にめり込み、そして盛大に血を撒き散らした。
あまりにあっけない決着。今までキメラプロジェクトの元締として数えきれない不幸を生み出した極悪人の最後。
吹き出る血を浴びながら憤怒の表情を浮かべていたアークに――――その時驚愕が走った。
膝から崩れ落ちるようにして倒れたガルアーノの身体が急激に痙攣し始め、そして。

アークとガルアーノがいた作戦室は、灰色の闇に覆われて崩壊した。







[22833] 蛇足IF第二部その18・前編
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:04



ガルアーノの下へ向かうために通路を走り続けていたエルク達を、研究所ごと揺らす様な衝撃と耳をつんざくような轟音が襲った。
たまらず傍にあった壁に手を掛けるシュウやエルクと、衝撃に足を滑らせ転んでしまったシャンテとリーザ。パンディットがすぐさま二人の傍に駆け寄った。
何が起こったのかと辺りを見回す彼らの内、ジーンが何事かと声を上げる。顎は少しばかり震えていた。

「おッ、こ、これはでかいぞ!」
「何が起こっていやがる……ッ」

衝撃と轟音が響くのは、自分たちが目的地としていた通路の奥。
暗がりのそれを揺らされながらじいっ、と睨みつければ、やがて身体中から鳥肌が立つような感覚に全員が表情を凍らせた。
あまりにも濃厚で強大な闇の気配にして、彼らにとっては覚えがあり過ぎるその悪意の塊。

「ガルアーノかッ!!」

叫ぶと同時に5人は互いに頷き合い、揺れなど構うものかと走りだした。
ぶれるエルクの視界の中でどんどん近づいていく目の前の拉げたドアと、引き返したくなるほど恐ろしい気配。
突入する前にそれぞれが武器を引き抜いたのは当然だった。
この先に敵がいる。全身全霊を賭けて戦わねばならない敵がいる。受け継いだ意思を貫く戦いがある。

先頭にいたエルクとシュウがその勢いのままに飛びあがり、歪んだ鉄のドアを加減なしに蹴り飛ばす。もはや施設自体が崩壊しかけているような現状では、壊れかけたドアなど簡単に外れ吹き飛んでいく。
そして、開けたそこに広がっていた光景は。

「…………な……」

もはや部屋として形を留めていない作戦室。
天井からはガラガラと絶え間なく瓦礫が降り注ぎ、足場となっている場所も凹凸が激しく中にはさらに底の地下までブチ抜いている。そこら中にあった機械と思われるものは全て紫電を帯びながら破壊されていた。
まるでこの場で強力な爆弾が破裂した様な惨状。そして崩れかけた足場には所々赤黒い血が飛び散っている。

「キャッ」
「リーザッ!」

鳴り止まない地響きと揺れにリーザが体勢を崩し、それをエルクが支えてやれば彼の視線はドアの傍に倒れている人型を捉えた。
少しばかり大きめのマントの下に装備したブレストプレートと、手の中にしっかりと握られたロングソード、そして、彼のトレードマークである真っ赤な鉢巻。
先に侵入していたとは聞いていたが、そのはずの彼がこんなところに倒れていることにエルクは驚いた。

「アークッ!?」
「…………ぐ、っ……エ、ルク……?」

駆け寄り揺らしてみれば、閉じたままの瞳を薄らと開けて意識を取り戻し始めたアーク。
この状況に何かしら関係があるのか、まるで崩壊に巻き込まれた様に身体中には擦り傷のようなものが見て取れる。
幸運にも大事に至るような大怪我はなかったが、リーザとシャンテの治療を受けながらアークは大きく頭を振った。

「くっ……ガルアーノは……」
「そうだ、ガルアーノ! 教えてくれ、何が起こっているんだ!?」

未だ身体中を覆い尽くす様な闇の気配は無くならず、この部屋に入ればそれは先ほどよりも増大している。気を抜けば汗が吹き出してしまう程の緊張。
シュウやジーンとパンディットがこの間にも周りを見回して警戒していてくれているが、それでもエルクの視界には崩壊した作戦室しか映らない。
もう一度、部屋が大きく揺れた。

「俺がガルアーノに剣を振り下ろして、そして……」

それはもはやただの直感であった。
数えきれぬ戦いに明け暮れ、命のやりとりを繰り返してきた戦士だからこその第六感。
アークの言葉がそこで途切れ、そして示し合わせたようにして彼らはそれぞれ真横に跳び込んだ。
作戦室だったその奥に重なっていた瓦礫の山が吹き飛び、中から灰色の触手のようなものが一直線に伸びてくる。それらは寸分違わずエルク達のいた場所を貫いた。

「今、のは…………ッ!! 構えろ!!」

シュウとアークの咆哮が重なる。
全員が触手の伸ばされた場所へ武器を向け、そしてごくりと唾を飲み込む。もはや闇の気配は色となってどす黒い靄を映している。
残された瓦礫の中心が隆起しながら山を作り、エルク達が見上げるほど巨大な身体を『ソレ』は起き上がらせた。

崩壊の中で煙に紛れる灰色の身体。常に吐き気のしそうな悪意をその身に宿らせ、頭部と思われる所からは血の様な色をした双眸がこの場に居る人間全てを捉えていた。
ぐしゃり。触手が束ねられた様な灰色の腕を伸ばしそこにあった鉄の床を握りしめながら、構えるエルク達の下に這い寄ってくるそれ。
誰もが本能で理解した。これはもはや魔物でもキメラでもなく――――化け物だと。

『ウォオオオオオォォオオオォォオォオッッッ!!』

地獄の底から上げられたような咆哮だけでさらに部屋は崩れていく。
両隣の部屋までブチ抜いたのか、作戦室は先ほどのアリーナと遜色ないほどに開けた戦いの場と化していた。

勇者たちの手が震える。足が震える。
果たして自分たちが立ち向かっていた巨悪とはこれほどまでに心の内に深く隠した恐怖を掘り起こさせる程の存在だったのか。
自分たちが相手にしていたガルアーノとは、ここまでの存在だったのだろうか。
欠片ほどしかない恐れが顔を覗かせる。だがその折れない意思で誰よりも先に叫んだのはアークだった。

「ガルアーノッ! それが貴様の本体か!」

もはや悪意の塊としか言いようのない灰色の巨体を流動させ、狂ったようにしてガルアーノは嗤う。
人間の上半身が歪に膨れ上がりながら巨大化した単純な形なのに、その身体は数多くの触手が束になったかのように常に蠢き、全身から漂わせるのは死の匂い。
今まで見て来たどのキメラよりも醜悪で、これがキメラプロジェクトの集大成なのだとすれば、アークは嘲りを込めながら叫ぶ。
しかし、ガルアーノは嗤うだけ。人一人丸ごと飲み込めそうな口を大きく開くと、その悪意を勇者たちに向けた。

『これこそが我が最強の肉体にして究極の生命体である! この世の全てが今、儂そのものと化したッ!』
「ガルアーノッ! お前の戯言に付き合うつもりはねぇッ! ここで全ての因縁を終わらせてやる!」
『愚かなりッ! しかしそれだからこそ貴様らは我が餌となる。エルクよ、ジーンよ、そして勇者どもよ。よく来てくれたッッッ!!!』

姿こそ醜い化け物だというのに、その声は、悪意は、あまりに欲に濡れている。
その一字一句はエルク達の心を蝕み、そして怒りを滾らせていった。

『クキキッ……ゲハハハハハハッ!!! さあ踊れぃッ!!』

狂笑と共にガルアーノが両腕を床に叩きつけ、振動をエルク達に伝わせると同時に腕は無数の触手へと散らばった。
灰色の触手は部屋全体を覆うかのように宙を貫き、その全てが致命の一撃となって彼らの身体を貫こうと迫りくる。
だがしかしその鈍重そうな身体故にか、避けられない程ではない。その圧倒的な物量を無視するのであれば。

『こいつはやべェ!!』
『ちっ!』

互いに、カバーし切れない。
武器として手にもった剣と単純な身体能力で避けられるエルクやジーンはともかく、リーザやシャンテにとって視界全体に広がる無数の触手は死そのものだった。
だがしかし影より這い出たシャドウとアヌビスが盾となる様にして彼女らの目の前に立ちはだかり――――そしてパンディットもまた唸り声を上げながら大きく口を開けた。

「オオオオオォンッ!!」

パンディットの口から吐きだされたのは極寒の冷気。
その白い冷気に当てられた触手は触れた場所から凍りついていき、そして速度を鈍らせた触手に向けてアヌビスとシャドウが魔力を解き放った。
周りの勇者達と比べればあまりにも小さく、頼りのないものであったが迫りくるそれらを迎撃するには十分。

「ブチ切るぜェ!!」
「届かせん」

互いが繰り出したのは風の刃。
虚空に舞い上がった刃の群れは確かに触手のほとんどを切り裂き――――そして再び増えた触手の前にはまるで無意味だった。
その再生速度はもはや瞬きするか否かというほど。だがしかしリーザとシャンテの詠唱は間に合った。
同時に唱えられた呪文は岩の盾と氷の盾となって守りを固め、殺到してくる触手の群れを弾き飛ばし始める――――それだけで、彼女らは守りに徹するしかなくなった。

「くっ……手が、足りねえかッ!」
『余所見している場合かエルクッ! 貴様と儂は戦うのだろうッ!? 殺し合うのだろう!? 復讐の刃を以って!!』
「ぐあッ!?」

たかが一手で劣勢に陥りかけた状況に舌打ち一つしかけたエルクの足元から、床を突き破るようにしてまたもや触手が槍となって伸びてくる。
即座に身体を捻る様にして回避するが、灰色の触手はエルクの肩口を浅く掠めていった。

「エルクッ! くっそ……キリがねェなら本体だろ!! シュウッ!!」
「任せろ!」

残された壁や床を飛び回るようにして回避していたシュウとジーンが同時に呪を紡ぎ、それは竜巻となってガルアーノに殺到していく。
化け物は防御を取ろうとすることもなく無防備にその全てを受け、バラバラに刻まれていく。一瞬、ジーンの口元が吊りあがるが、その背後でアークが怒鳴り声を上げた。
まだ足りない。

「油断するなッ! 俺も続くぞッ!」

咆哮。そして迫りくる触手を切り飛ばして隙を作りだしたアークが、剣を床に突き刺した。
次第にその剣から漏れだす精霊の気配、そして圧倒的な熱量と深紅の光。
アークの背後に漂う赤い靄が『火の精霊』を形作った時、アークは剣の切っ先を振り下ろす様にしてガルアーノに向けた。

「バーングラウンドッ!!」

ジーン達が放った竜巻に混じる様にして炎の塊が渦となっていき、ガルアーノを焼き焦がしていく。だがしかし紅蓮の風に巻き込まれても尚、その先で血の瞳を輝かせるガルアーノ。
誰も彼もが勝利を抱く要素など欠片もなく、そしてどう戦えばいいかを模索し始めていた。
この再生能力は、異常過ぎた。

『フハハハ……この程度か、勇者どもの力は』
「その力……その不死の力はクドーを基にしたものかッ!」
「クドー……?」

アークの言葉に、エルクは眉を顰めてガルアーノを睨みつけた。
しかしガルアーノは調子のよさそうな笑いをピタリと止めて、灰色の身体を震えさせ始めた。
アークの言葉は事実でありながらも、ガルアーノにとっては認めたくないことだったから。

『儂をあのような欠陥品と一緒にするなッ!!』
「欠陥品だと!? お前如きがっ……」
『黙れッ!』

エルクとガルアーノの言葉が混じり合い、シャンテとリーザ達も殺到していた触手から逃れ、前衛達の背後でその怒りの矛先に戸惑っていた。
ガルアーノの怒りは、この場にいる誰にも向けられていない。
その言葉を告げたアークにさえも向けられてはいなかった。

『ククク……では儂があのゴミと決定的に違う所を見せてやろう……』

底冷えさせるような声でガルアーノは唐突に触手を両腕に戻し、そして自分の身体をちぎり始めた。
まるで粘土細工のように簡単に千切れ剛腕の中で丸く捏ねられていったその灰色の物体は、意思を持ったかのように動き始め、やがて人の形を取りながら分裂し始めた。
そして出来あがったのは、先ほどの大広間で戦ったはずの勇者たちのコピーキメラ。

元々劣勢であったというのに、コピーキメラ達はどんどん増殖し続けエルク達を囲んでいく。
その上基になったはずのガルアーノの身体さえ既に再生し、もはやそれは一つの永久機関と化している。
本当にこれはクドーのそれを凌駕しているのか――――アークはこの状況に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる他なかった。

『あのゴミが優れているのではない。あれが持ち得る能力が一つの可能性となり、儂がそれを完成させた。いや違うッ! 儂の生み出したキメラプロジェクトが奴を生みだし、そしてワシへと戻ってきた、ただそれだけのこと』
「ガルアーノッ!」
『しかしそれだけではない! コピーキメラという存在が、貴様ら勇者という存在が儂の血肉と化している。見よッ!』

ガルアーノが吠えると同時にその巨大な腕を払えば、そこに込められた魔力が生み出したのは、先ほどジーンが見せた風の刃と酷似した魔法。
それは確かにそこら中の壁や床を切り裂き、その光景にジーンは茫然として見つめるだけだった。

『これこそが最強ッ! あの欠陥品と違い、命も、魂も、力も、その全てが儂の物となるッ!』

悪夢だった。
ただの命だけを無限に吸い続けるのであればそれはクドーのそれと変わらない。
だがしかしガルアーノは喰った存在が持ち得る力全てを取りこみ、そして取り込まれることになったのは勇者達のコピーキメラ。一体どれほどの数のコピーキメラがこの化け物の糧となったのか。
だがその事実に声を上げたのはシャドウとアヌビスだった。

「ありえねェ……その存在の全てを取りこむのは魂を、心その物を取りこんで完全に同調しなきゃならねェはずだろ!?」
「然り! だからこそ主は我らのように同調した魔物の力だけを取り入れることになった。そもそも大量の意思を取りこめば自我など保つはずもなかろうッ!」

それはクドーが魔物を喰らうキメラでありながらも素のスペックが低かった最大の理由であった。
ただ命だけを吸い尽くすのであれば主人格であるクドーに影響を及ぼさない。だがしかしそれは完全な同調に非ず、完全な同調とはつまりその心から記憶まで全てを奪うこと。
心で心を塗りつぶすのでも心が他の心に成り変わるのでもない。心と心が混じり合うのが完全な同調である。

そしてそんなことをすれば、その肉体の主人格が薄れ崩壊するのは自明の理だった。
故にガルアーノのように全ての力を奪い取りながらあそこまで人格を保つのは不可能なのだ。例え元々の格が高い魔族であっても、心などという不安定なものに確実性を持たせるなど不可能だから。

『そう! 貴様らの言う通り心こそが全ての転機だったのだよ。あの瞬間まで心などと言うものに儂は脅威の欠片すら見出していなかった。だが……』

シャドウとアヌビスの言葉など歯牙にも掛けぬように声を張り上げ、そしてガルアーノはエルクをその深紅の双眸で捉えた。

『貴様がミリルを眠りから解き放ったあの時……儂は心というものの厄介さを理解したのだよ! これこそが余計な奇跡を生み、キメラ兵には無駄な欲望を生みだし、そしてこの世で最も必要のないものだとな!!』
「なっ……」
「…………まさか、その偽物は……」
『正解だ、リーザよ。不測の事態を起こすなら、最強の肉体を手に入れるために邪魔ならば消してしまえばいい。スペックの低い機械キメラよりもよっぽど有用だと思わんかね?』

彼らを囲みながらも全く動かないコピーキメラ達の瞳はもはや無明。
命を持っただけのただの人形。
意思なき道具として、ガルアーノの血肉となるためだけに生みだされた。

だがしかしガルアーノのそれは真実となって勇者たちの目の前に立ちはだかり、その全てを変えたのはクドーだった。
エルクの見せた心の力がキメラプロジェクトの根幹をひっくり返し、クドーの身体が持つ可能性がガルアーノの究極を実現した。

人の欲を膨れ上がらせ、魔物の強靭な肉体を以ってキメラとする。
その前提は心を否定したガルアーノによって崩れ、そして勇者たちのコピーという優れた材料を以って完全に別のものになり変わった。
だがそれよりも前提となっていたのは――――このプロジェクトはガルアーノが更なる力を手に入れるための手段に過ぎなかったということだ。

『儂こそが究極。儂こそが世界の真理。故に儂に歯向かう者は誰ひとり存在してはならんのだ』
「ガルアーノッ…………貴様は」
『だが誇るがいい、勇者どもよ。貴様らの有用性は儂が証明してやる』

話は終わりだ、とばかりジーンの言葉を遮り、ガルアーノは周りに待機させていたコピーキメラ達へ命じた。
つまりは、取り囲まれたエルク達への攻撃を。

『この世の全ては、儂の糧となるために存在しているにすぎんのだ!!』

どうする。どうする。どうやってこの窮地を切り開く。
この場にいる誰もが武器を構えながらもその先は浮かばなかった。





◆◆◆◆◆





迫りくる幾重にも重ねられた刃の群れ。到底耐えることのない四方からの猛攻。
例えそれはオリジナルより数段劣る灰色のコピーキメラ達といえども、確実に勇者達の体力を削り、生傷を増やしていく。
それに対しエルクたちは歯を食いしばり、眼を閉じぬようにして飛びかかってくる敵を切りはらっていく。

その攻防の中でエルクが背中を合わせたシュウの身体からは、血が流れていた。
途中崩れ落ちそうになったジーンに迫る刃を蹴り上げれば、その際に自らの足にも深くコピーキメラの刃が突き刺さった。
戦いの中で薄れる意識に眼を閉じかければ、リーザとシャンテが傷だらけの身体を仲間の魔物達に守られながらもこちらに手を伸ばし治癒魔法をかけてくれていた。
そしてその戦いの中でも一向にガルアーノの嘲笑を止まなかった。

(………………耐えろ)

エルクは額から流れる血を拭い、血に染まりかけた右目を開きながら手に持った剣を再び握りしめた。
三方向から襲い来るコピーキメラを力任せの斬撃で切り飛ばし、そして一瞬できた隙を使って保護の魔法を唱えようと意識を集中させる。
それを阻止するとばかりに背後からコピーキメラが襲いかかり、エルクのバンダナを切り裂いたがエルクはその集中を乱さなかった。

「炎よ……復讐の刃と化せッ!」

赤きオーラが戦う仲間達を包み始め、鈍り始めた仲間達の動きが覚醒したかのように速くなる。
身体能力を一時的に上げる魔法『リタエイション』ではあったのだが、これもまたただの時間稼ぎに他ならず、そしていつまでも維持できるわけでもない。
だがしかしエルクの狙いが通じたのか、他の仲間たちも次々に隙を見つけては防御魔法を唱えていった。

「まだだッ……トータルヒーリング!」

まだ倒れるには早いと、アークの精霊魔法がこの戦場に波紋を広げる様にして一滴を落とした。
水の精霊の影を背負いながらアークの放った治癒魔法は、この乱戦の中でじりじりと仲間達を苦しめていく疲労さえも癒していく。
膝を地に着きかけたジーンが再び気勢を上げ、素早い動きを活かしながら多くのコピーキメラの注意を惹きつけていく。

そうやって粘り強く戦っていけば、次第に分かってきたこともあった。
ガルアーノの身体から切り離されたコピーキメラ達は、先ほど戦った個体と比べればやはりこちらの方が手強く、そして再生も早いということだ。
今は余裕のつもりなのかガルアーノ本体は見物するかのように手を出さずにいるも、ただのコピーがこれほどに手強いなどとはあまりに厄介な事実。

だがそれ故に先ほどのガルアーノの話と合わせて、このコピーの命もガルアーノと共有あれていると当たりを付けることも出来た。
強さも命も同調しているのであれば、このまま尖兵とも言えるコピーを倒していくことでこの不死能力にも限界が――――。

(……耐えきれるわけがねぇ)

自らのその馬鹿げた考えを頭を振って取り消し、再び粘るだけの戦いに集中するエルク。
やはりこの状況を打開するにはそもそも戦力が足りず――――無意識にエルクは自分たちの通ってきた通路の方に眼をやった。
度重なる崩壊で崩れかけているが、その通路の先もずっと奥のほうまで続いている。だがしかし残してきたポコ達の姿はない。

そして援軍の可能性をアークもまた考えていた。
圧倒的な物量と、それを再生させる能力を有したガルアーノを滅ぼすには、一点集中突破の要領で笑い続ける本体を攻撃し続けるしかない。
雑魚を相手にしていてもこちらが消耗するばかりなのだ。

(…………おかしい)

そんな先を見つつも、アークの頭には一つの疑問が浮かんでいた。
不死と言えばそれは闇の秘奥とも呼ばれる力であり、その対極に当たる光の力はあらゆる不死を払う力であるはずなのだ。
この不死の源がアンデッドを起源にするのであれ、闇の魔法を起源にするのであれ、精霊の祝福を受けた自らの剣であれば切り開けるとアークは思っていた。

しかし試しに光の精霊の力を借りた精霊魔法を行使してみても、気持ちコピー達の動きが鈍るだけで、その不死性は一向に弱まらない。
眉を顰め、さらなる絶望的な事実に気付き掛けたアークがガルアーノに視線を向ければ、その化け物は嗤っていた。

(……どこまでも力に溺れるつもりか!)

対策をせぬはずがない。
今では誰よりも力を欲し、その力で復讐を果たす狂気と化したガルアーノが弱点を残すはずがないのだ。
故に、また自分たちの取れる選択肢は少なくなることになる。
もはやここで自分たちが出来る最善は、撤退か。

「うおおおおおッ!」

あり得ない。
まだ諦めるには早すぎる。
アークは残された希望を信じ、今はただ剣を振り抜いた。



――――そしてその足掻き足掻きこそが、ガルアーノの心を満たしていく。



異形と化した顔に満ち足りた様な喜悦の表情を浮かびあがらせ、目の前で血を流し、苦痛のままに戦い続ける勇者たちの一挙手一投足を逃さないと目を剥く。
この有様こそがガルアーノの望む復讐。自らを裏切った愚か者に送り届ける狂気の光景。
口の中から煮えたぎった悪意と憎しみが靄となって零れ落ち、それを涎のように吐き散らしながらガルアーノは吼えた。

『見ているかクドオォォッ!! 貴様がッ、貴様ヲオォォォォォォォォ!!!!』

この瞬間、ただ一人のマレビトが齎した狂った流れは一人の狂気によって元に戻り、そして新たな歯車によって狂わされようとしていた。
ただの使い捨てに過ぎなかったロマリア四将軍の一人、ガルアーノ。ただの戦力に過ぎないキメラプロジェクトを執念と復讐心によって究極の生命体となるまでに昇華させ、その全てを以って勇者に牙を剥いた。
だがしかしガルアーノの咆哮に応えたのはクドーなどではなく、満身創痍のままに膝を突いていたエルクだった。

「哀れだな、ガルアーノ」
『何だとッ!?』

傷だらけの身体と擦り減らされた心のままに、エルクは揺るがぬ笑みと瞳を以ってガルアーノを『見下す』。
決定的な戦力の差、絶望的な状況、そのどれをとっても勇者達の心を折るには至らなかった。
むしろガルアーノの心にこびりつくそれは――――絶対的な敗者の証。過去と見えぬ敵を前に暴れるそれは無様だった。

「誰よりも『戦っていた』あいつの名を、お前みてぇな三下が呼ぶんじゃねぇッ!」
『貴様ァ! 儂を愚弄するかッ!?』

赤の炎と灰色の触手がエルクとガルアーノを挟んでぶつかり合う。
周りの地形すら巻き込み真っ赤に照らすその戦場で、過去しか見えない化け物と未来を見据える勇者が向かい合っていた。

「てめぇは存在しちゃいけねぇんだよガルアーノオォォォォ!!!」

押し合い続けていた二つの力が紅蓮の炎によって一つとなり、爆発を以ってガルアーノの巨大な身体を吹き飛ばす。
それでもまだ殺し尽くすには足りな過ぎる。
瞬く間に再生し上半身を起こすガルアーノを睨みつけ、エルクはその足を一歩も引かなかった。

瞳に浮かべるのは深紅の炎。
幾つもの困難を乗り越え、傷つきながらも多くの友を繋げた揺るがぬ意思・
それに導かれるようにして勇者もまた。
エルク達の背後から着実に近づいていた気配が、この戦場に飛び込んだ。

「友を守るために、仲間を守るために、世界を守るためになんて少し前はくすぐったかったが……今はその意味が分かる」

残してきた仲間を、ポコを、トッシュを、イーガを、ゴーゲンを、グルガの姿を背負い、エルクは獰猛な笑みのままに言葉を連ねる。
今こそ反撃の時。埒を開ける時がきた。
そして。

「何でここにいるか……後で説明して貰うからな、ミリル!」
「うん!」

まだ、戦える。




[22833] 蛇足IF第二部その18・後編
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:04




ポコによって奏でられた『癒しの堅琴』の音色が、傷ついた勇者たちの身体を癒していく。
後から追いついた歴戦の勇者たちは周りに蠢くコピーキメラ達を瞬く間に一掃し、再生するそれらの前に立ちはだかる様にしてエルク達を守るために円陣を組んだ。
そして背中を見せながらトッシュは呆れたように零す。

「あんだぁ? せっかく譲ってやったのにまだ終わってねぇのかよ」
「うるせぇ。あいつら斬っても斬っても蘇るんだぞ」

ぼやくようにしてエルクが返せば、それを鼻で笑うようにしてトッシュが飛びかかってきたコピーキメラを切り飛ばした。
しかしやはりとも言うべきか、コピーキメラ達は瞬く間にその手足を再生させ、さらにその速度も攻撃を仕掛けてくる速度も先ほどのものとはまるで違う。
それを見たイーガは、背後のアークに向けて声を掛けた。

「策は?」
「…………」

戻ってきたのは沈黙。
確かにこれだけの人数でぶつかればその戦力差はいくらかこちら側に傾いていると言えるほどの自信がアークにはある。
だがしかしこの終わらぬ命を絶つにはただの力任せでどうにか出来るほど簡単なものではないと理解していた。

「普通のアンデッドだったら、私もどうにかできるんだけどね。そこの大魔道士さんの知恵はなんて言ってるのかしら?」
「じじいを扱き使うでない……しかし、厄介じゃの」

シャンテとゴーゲンの軽口も今では何の突破口にはなりはしない。
じりじりとにじり寄るコピーキメラとその奥に居るガルアーノ気配に誰もが表情を曇らせたその時、希望に満ち溢れた明るい声を上げたのはミリルだった。

「大丈夫。絶対彼が助けに来てくれるから」

彼。その笑顔が口走った一言にエルクたちは首を傾げる。
果たしてこれ以上自分たちの仲間となってくれる者が誰かいただろうか。だがしかし先ほど合流したばかりにトッシュ達は揃って顔を顰めてミリルに胡散臭そうな眼を向けた。
本当に先ほどの話は信用できるのかと。

「嬢ちゃんよ……本当なんだな?」
「だから何度も言ってるじゃないですかっ! 彼は絶対に来ます。何とかする方法を調べてきますから!」

一体何の話をしているのだとアーク達が首を傾げ、そしてエルクとジーンだけがミリルの表情に一つの真実を見出していた。
あり得るわけがない。心の中ではその言葉が埋め尽くしていても――――何度も願った事実だった。
茫然と言葉を失ったまま二人は顔を見合わせ、そして火が付いたような勢いでミリルに掴みかかった。
その隙を狙って飛びかかってきたコピーキメラをシュウがその後ろで処理する。

「嘘じゃねぇんだろうなッ!?」
「ほ、ホントだってば!」
「うっそ……ちきしょー……じゃあなんだよ、ミリルはあいつと一緒にいたのか?」
「うん」
「あの野郎……」

悔しそうにしてジーンが顔を俯け、エルクはその男を罵る言葉を震える声で吐きだした。
ミリルの肩に手を置き、そのまま顔を隠す様にして下を向けば、浮かんでくるのは耐えられそうも出来ない笑顔だった。
裏切られた。嘘を吐かれた。だがしかし、その情報はあの馬鹿野郎を罵るよりも先に、何よりも嬉しいもの。

『勝ったつもりか貴様らぁ!!』

戦闘の中でありながら呑気にしている勇者たちに、ガルアーノが憤怒のままに剛腕を繰り出す。
だがしかしそれはグルガとイーガによって押し返され、はねた所をトッシュとアークによって斬り飛ばされる。
それと同時に襲ってくるコピーキメラなどゴーゲンとシャンテの放った無数の氷の矢によって次々に撃ち落とされていく。

流れが変わっていた。

先ほどまでの劣勢が嘘だったかのようにして勇者たちは果敢に闘い始め、もはや数だけが取り柄だったコピーキメラなど彼らを煩わせるだけの存在に成り果てた。
それに腹を立てたガルアーノの口から焼けつくような赤いブレスが吐きだされたが、ポコとリーザとパンディットが連携して繰り出した氷と大地の壁に阻まれる。
互いに役割を全うできる形になれば、もはやガルアーノの力は届かない。

そしてそんな戦場の空気から外れたように、戦場のど真ん中に立っていた白い家の子達。
並び立つようにしてガルアーノの本体を睨みつけ、一斉に飛びだす。
放たれる触手、鬱陶しく向かってくるコピーキメラ、そのどちらにも阻まれぬまま、見上げるほどに巨大な『敵』に近づいていく。

『嘗めるなぁッ!!』

三人を迎撃するためにガルアーノの深紅の瞳が盛り上がり、周りの灰色の肉を纏いながら放たれた。
どす黒い闇の力が凝縮されたそれは今にも破裂しそうなほどに不気味に胎動し、彼らの下へ飛んでいく。

「へっへ……専売特許を奪われたままじゃな!」
「続けて行くよ!」

しかし即座に放たれたジーンの風の刃によって両断され、力なく地面に落ちていく。
さらにそれを封じるかのようにしてミリルが冷気を両手から放ち、周りで蠢く触手ごと凍らせ始めた。
ガルアーノまで一直線に氷の道が出来上がり、エルクは誰よりも先に灰色の化け物の顔へと剣を叩きこんだ。

「んなろぉッ!!!」
『く、グッ……虫けら風情がぁ!!』

痛みがあるのか、ないのか。
ガルアーノは飛び付いたエルクを振り払うかのようにその巨体を揺るがし、それに執着することなくエルクはすぐさま宙返りで背後のジーンとミリルに並ぶ。
そして示し合わせたようにして揃って呪文を唱えれば、小さな災害と化した魔法がガルアーノに襲いかかった。

炎、風、氷。その全てが嵐となってガルアーノを包んでいく。
氷の礫が舞い踊り、見えない風が牙を剥き、眼を焼くような真っ赤な炎がガルアーノを燃やしていく。
三位一体となったその中心で苦しむガルアーノを確認しながら、追撃に向かおうとしていたアーク達もしばし息を吐いた。

だがしかしこれくらいでは終わらない。

唐突に周りを囲んでいたコピーキメラ達が灰色のゲル状となってガルアーノの下へ戻っていき、ガルアーノの身体がさらに大きくなっていく。
四方八方からの攻撃から逃れ得た勇者たちはその様を油断なく見つめていたが、簡単にアレに手を出すことは憚られた。
もしも先ほどの戦力をただ一つに集中させたのであれば――――。

『ク、クククッ……それでこそ、儂の餌に相応しい』

ボコボコと音を立てながら巨大化するガルアーノの中から、底冷えするような悪魔の声が響き渡る。
灰色の身体だったはずの異形の表面には、ゲル状しかかっているコピーキメラ達が張り付き、やがて背中にはコピー達の身体を張り合わせて出来た様な歪な翼が生えた。
もはやそれはガルアーノではなく。一つのレギオン。貼り付けられたコピーキメラの表情は、心がないというのにどれもが苦痛に顔を歪めていた。

『もう、遊びは終わりだ』

究極形態ガルアーノ。
丸みを帯びていた灰色の身体は肩や手の先が刺々しくなり、濁った赤や緑が灰色に混ざる見た目はあまりにもまがまがしい。
下半身から伸びる触手は周りに崩れた機械すらも取り込もうと手を伸ばし、もはやこの部屋そのものと一体化したかのように蠢いている。

「はっ……全部奪えば強くなるとでも思ってんのか」

そんなガルアーノを見ても、エルク達は揺らがない。剣を下ろさない。
彼らは、力の意味を、仲間たちの意味を理解している。
故に、この程度では屈さない。





◆◆◆◆◆





何故。

心の底から這い上がる不快な違和感に、ガルアーノは何度も立ち上がる勇者たちを相手にしながら自問自答を繰り返していた。
今もまた唸りを上げた自らの腕がグルガを吹き飛ばしたが、それを苦に思うでもなく再び彼は立ち上がる。

何故。

ガルアーノの攻勢に油断があったと言えばそれまでの話であるが、この状況はそんな簡単もので説明できるようなものではなかった。
取り込んだ瓦礫を球体に固め、砲台へと変えた肩部から発射すれば、それは誰に当たるでもなくイーガが投げ返してくる。
痛くも痒くもないただのそれを硬化した胸で受け止めれば、それでもガルアーノの心は苛立った。

何故、こいつらは。

最初にやってきたアークとエルク達を圧倒し、その後に全方位からの物量によって踏みつぶそうとしたのは間違いではないはずだった。
確かにそれでも立ち上がる勇者たちにはガルアーノは驚いたが、じわじわと傷つけられていく様は実に快感であった。
そしてとうとう全ての勇者たちが合流し、一気呵成に攻めてくるそれらを、ガルアーノは防戦一方になりながらも防ぎきった。

なのにこいつらは、止まらない――――強いはずだ、自分は究極の生命体となったのだ。

ガルアーノの濁った心に感じたこともないナニカが芽生え始める。
幾度も叩き伏せ、希望を絶ち切り、圧倒的な力を見せてもなお立ち向かってくる人間。
それはもはやガルアーノだけが誇っていた力ではなくなっていた。彼らもまた不死の戦士だった。
ならばこそおかしい。同じで不死であるならば、自分の方が優れているとガルアーノは信じて疑わなかった。

「危ないっ……ふぅ」
「ミリル~どこでそんなの習ったんだよ~」

苛立ちのままに下半身の触手を伸ばし、散らばる勇者たちを薙ぎ払うようにして繰り出せば誰ひとりそれに当たることなく回避していく。
危なげなく回避したミリルには戦闘中だというのにジーンが蕩けた声を掛け、彼女はそれに自信満々に答えていた。

「特訓したの!」
「あいつと?」
「うん」
「その服は?」
「買ってもらった!」

短い返答。話しながらも攻勢は緩めない。
まるで踊る様にして風と氷を纏い剣を振るうミリルとジーンは、笑顔を絶やさぬままに戦場を駆け抜ける。
それに加わったエルクは、右手に魔力を込めるとその勢いのままに火炎弾を生みだしガルアーノにぶつけていく。

「どうよ、エルクさん。あの野郎うちのお姫様にこんなエロイ……」
「うるせぇ! 真面目に戦え!」
「リーザー、もっと頑張んないと純情ボーイは振り向かないかもしんないぞー」
「な、なんで私に振るのっ!」

もはや背中さえ敵に見せつけて笑うジーンに、リーザは顔を真っ赤にして首を振った。
もうこの戦場には希望が満ち溢れている。
何故。ガルアーノはその有様に怒り、そして――――震えた。

――――おかしい。何故こいつらは希望を持っていられる。

揺らぎ始める弱者の心。その弱さを認めることが出来なかったガルアーノは、次第に目の前の人間達に一つの感情を抱きつつあった。
それは恐怖。常に後ろから嗤っているだけの、誰かを傷つけることしかしてこなかった存在には無縁だった感情。
頑強な鎧で隠し続けていたその心が崩れ始める。

「…………すっごく複雑なんだけど」
「まあ、今は戦うことに集中しておけ。生き残れば奴の頬を殴ることも出来よう」
「アヌビス? 貴方、もしかして私のこと騙してた?」
『まさか。我も知り得ぬことだった』

ガルアーノの視界を黒い何かが遮り、それが時計の針を鳴らしながらぶつかれば、コピーキメラが重なった頭部近くで爆発した。
シュウが素早い身のこなしで取りつけた時限爆弾がガルアーノの頭部を抉り取り、再生しかかる視界に映ったのは呑気に言葉を交わすシュウとシャンテ。
取るに足らない存在がそのような様を見せつける。何故、恐怖しないのか。この存在に震えないのか。
ガルアーノの心の内の問いに返されたのは、シャンテの放った氷の刃だった。

そう、主演にすらならぬ者ばかりだったはずだった。
ガルアーノの用意した舞台で踊るのはエルクとミリルだけ。プロディアスで回り始めた歯車を操っていたのはガルアーノ自身だと盲信していたはずだった。
そしてその舞台ではシャンテも、シュウも、そしてジーンすらも脇役でしかない。
アーク達などただの乱入者であって、すぐに消せる存在だった。

――――儂が、儂こそがッ!

いつから歯車が狂い始めた。
そも、この勇者達は何故ここまで戦える。
自分は、最強では――――ガルアーノは身の内に淀む恐怖に耐えかねて吼えた。

『何故貴様らはッ……それ以上立ち上がるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』

未知のモノを、自分の理解が及ばぬナニカを拒み、ガルアーノは力任せに巨体を暴れさせた。
まるで子供が癇癪を起したようにして激しく身体を揺さぶれば、部屋ごと揺れながら豪快に瓦礫の山が降ってくる。
そしてそれすら取り込むようにしてガルアーノは矢鱈目ったら周りのものを吸収し始めた。
力を求めるようにし、弱さを隠す様に。

「貴様には分かるまいッ!!」

答えたのは、勇者だった。
赤い鉢巻を靡かせながら飛びあがったアークは、その勢いのままにガルアーノの抉れた頭部に剣を叩きこむ。
呻く様にして体勢を崩したガルアーノが、切られた部分を抑えながらその勇者を視界に入れる。
この男もまた、ガルアーノが拒む様な希望に満ち、そして折れない闘志を瞳に移していた。

「俺達には信じられる仲間がいる。守るべき友がいる。そして受け継がれた意思がある。奪うことでしか戦えない貴様など、俺たちの敵じゃないんだッ!」
『人間どもがッ……』
「そうだ! 分かるかガルアーノッ……俺たちは弱いからこそ助け合いながら戦える。膝を屈しても、心が折れても、手を差し伸ばしてくれる仲間がいることを知っている! 残した意思を受け継いでくれる者がいることを知っているッ!!」
『戯言を……』

アークの言葉を遮ろうとして口を開けば、飛んできたのは見たこともない機械のような物体から飛んできた火炎弾だった。
そしてそれに合わせる様にしてアークが炎の嵐を生みだし、さらにそこへエルクの炎も加わっていく。
猛威の最中に、エルクは言葉をねじ込んだ。

「何もかもにビビって生きてる様な奴が、俺に、俺たちに――――あいつに勝てるとでも思ってんのか!」
『き、さまァ……ッ!!』

不死であるはずの身体が削れていく。
最強であったはずの身体は手も足も出ない。
連ねられた言葉を遮る声が出ない。

それでもガルアーノが最後まで頼るのは今まで積み重ねてきた最強の理論であった。
力こそが全て。心などはまやかし。そして自らが全てを統べる存在。
目の前に広がる光景は、状況は、どれもこれも嘘っぱちに過ぎない。
この復讐は、完遂されなければならないのだ。

よろめかけた身体に突き刺さる小さな小さな人間達の猛攻に、たまらずガルアーノは痛みのようなものに耐えかねて吼えた。
そんな感覚などこの身体にはないはずだというのに、勇者達の攻撃は確かにガルアーノに痛みを与えている。
闇と光。人間と魔物の間にある絶対的な力は揺るがない。その勇敢な心こそが。

『認めるかァッ!!』

一斉に飛んでくる数々の魔法を耐え抜き、ボロボロになった身体を腕で守りながらガルアーノは叫んだ。
そして確かに感じる不死の能力。その再生。
これだけの猛攻を受けながらも命は底を尽くことなく、究極の身体は健在でいる。
歪みきった異形の顔に笑みが浮かび、そしてじくじくと表皮を焼くような痛みを気にすることなくガルアーノは全身から肉の破片を発射した。

拳大の大きさのそれは闇の力を纏いながらただ復讐のために勇者達へ突き進んでいく。
すなわちエルクとミリルとジーンであり、ガルアーノの望みを叶えるためには必ずこの身に取り込まねば、そして殺さなければならない存在。
雨のように降り注ぐ肉片に、勇者たちは攻撃の手を止め防御する他なかった。

「くっそ……しぶとい」

エルクが苦々しく吐き捨て、魔法によって作られた盾に隠れる。
炎の奔流が渦となって傍にいたジーンとミリルの前に現れ、三人は寄り添うようにして固まってしまっていた。
その隙を、ガルアーノは逃さない。

『貴様らだけは!』

巨体から放たれる全てが、腕が、瓦礫が、触手が、その三人の下へ殺到していく。
執念によって彼らだけを標的にした攻撃の密度はまさに必殺。周りの勇者たちも一斉にエルク達を守るようにして防御魔法を展開した。
ガルアーノはもはや裏切りで止まった自らの歯車を元に戻すことにしか執着していない。
この復讐を終わらせねば――――全てを取り戻さねば先には進めない。

「ミリル、ジーンッ!」
「正念場ってやつだなッ」
「早く、早く……」

エルク達もまた剣を、刃を、短剣を構えその攻撃に備える。
さすがにジーンの額にも汗が吹き出し、その隣でミリルは未だこの場に現れない者のために祈る。いや、この戦いの場にいる誰も彼もが彼の存在が願っていた。

早く。早く。早く。皆、待っている。
迫りくる悪意と迎え撃つ意思の狭間。確かに勇者たちは見た。
頭上を飛び越え駆け抜けていく黒い影を。








「調子に乗り過ぎたな、肉袋」










靡く黒色の外套。

唐突な乱入者だったはずだと言うのに、天井から飛来した影はこの凄惨な戦場の中で何よりも雄弁にその存在を知らしめていた。
交差するガルアーノの攻撃を掻い潜る様にして影は本体へと忍びより、膨れ上がった頭部へと自らの腕を翳すと静かに呪を紡いだ。
放たれるのは毒の風。究極生命体となったガルアーノの身体には蚊ほども効かない『石の風』。

『なっ……』

だがしかし包帯に包まれた影の指先は、確かにガルアーノの視界を石化という異常で覆い、それに狼狽したガルアーノの攻撃はあらぬ方向へと飛んでいく。
まるで海が割れる様にしてエルク達の下には何一つ及ばず、そして戦場には沈黙が降りた。

エルクは、ミリルは、ジーンは、ただ静かにガルアーノに向かって歩き出す。
その乱入者は、言葉を失くしたガルアーノを無視するかのように背後を見せ、彼らの下へ歩いていく。
眼と鼻の先。向かい合うのはすぐだった。

言葉はない。
誰も彼もが笑って、その影を迎え入れただけ。
そして求められた『彼』は、そのまま踵を返すと三人の横に申し訳なさそうに並んだ。
しかし無言の歓迎もそこまで。エルク達は口々に文句を言い始める。



「覚悟しとけよ」
「もうちょっとで危ない所だったし」
「なぁなぁ。ミリルの服選んだのお前なんだってな」

「かっこつけた登場しやがって」
「これで倒す方法見つからなかった、ってわけじゃないよね……?」
「お前的にどこらへんにぐっと来たの? へそ? 背中?」

「じゃあさっさと終わらせるぞ。言ってやりたいことがたくさんあるんだ」
「エルクってば素直じゃないんだから」
「俺的には、こう、鎖骨の辺りが…………あ、はい、すいません」



それぞれの言葉は驚くほどに辛辣で、馬鹿げていて、そして柔らかく。
誰もが頬が吊りあがるのを抑えられなかった。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくてしょうがない。
だからエルクは、心の内に潜む声の群れをぐっと堪えた。

今すぐその帰還に喜び大声で泣き叫びたい。
今すぐ目の前の敵を放って、心安らぐ所で多くを語り合いたい。
この場に並ぶ友たちと共に、生きてゆきたい。
そんな想いに恥ずかしさを覚えつい口が尖ってしまうのは、少年故にか。

腕を、上げる。
エルクは剣を、ミリルは短剣を、ジーンは刃を、彼はナイフを。
四つの牙が、意思が、ガルアーノに向かう。

そうすれば彼らの後ろにいた勇者たちも次々に武器を向け、決して折れない意思をそこに重ねた。
勇者たちが決着の幕を下ろす時がきたのだ。
その中心。誰ひとり躊躇することなく帰還を認められた男は、獰猛な笑みを浮かべながら謳い上げた。





「さっさと終わらせて――――帰ろう」





彼の言葉に勇者たちは揃って眉を顰め、そして笑った。
―――――遅れてきた癖に。
だが、確かに勇者達とクドーの想いは重なっている。







[22833] 蛇足IF第二部その19
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:04




身に滾る想いは、力は、既に頂点を越えていた。
ただ並びそして剣を握り込むだけで目の前で憤怒の表情を浮かべる化け物がただの木偶に見え、恐れも不安もどこか遠くへ飛んで行ってしまう。
適当な『台詞』を吐いてみれば、俺の背後からは咎めるとも呆れるとも言えない微妙な視線が飛んで来て、何だか恥ずかしくなって肩を顰めた。

『…………クドー……クドーオオオオオォ!!』

そんな感傷に浸った俺を、ただ醜くなった木偶の声が引き戻す。
さも望んでいた展開かのようにくぐもった声に憎しみと怒りと喜びを混ぜ、身体全体で複雑な感情を表すようにして腕を振るう。
攻撃というわけではなかったのか木偶の腕は天井にブチ当たり、元々足場もないほどに荒れた部屋に瓦礫をぶちまける。
こんな巨体が暴れたとなればこの崩壊した部屋の荒れようも分からんではないが、ひょっとしたらエルク達がそうしたのではないかという可能性がありそうで怖い。

エルク。
ミリル。
ジーン。

隣をちらりと横目で見れば、彼らは俺が隣にいるのが当然とばかりに胸を張ってくれていた。
誰ひとり俺の帰還を疑わず、拒まず、そしてそれを喜んでくれた。
最初に決めた目的が揺らいで俺は頭を強く降る。そのまま振り向かず口を開き、まずは彼女に断りを入れた。

「シャンテ。後で話がしたい。だから今は――――共に戦うことを許してくれ」
「バカ言ってないでさっさとアレを倒す方法を教えなさい。そのために来たんでしょ?」
「…………感謝する」

ああ。嗚呼。甘えてしまう。
その強く、優しい心に甘えそうになる。
何が正しくて何が間違っているのかがあやふやになる。
だからこそ早くこの戦いを終わらせ、そして話をすべきだと思った。

「とにかくアレを攻撃し続け、限りなくその再生スピードを弱まらせてくれ。そうすれば俺がなんとかする」

そんなことを皆に伝えれば、一言も返事は返ってこなかった。
崩壊の轟音が響く中で続いた沈黙はあまりにもこの場に似つかわしくなく、俺に突き刺さる視線の群れはあまり優しい類のものではなかった。
ブリキの玩具のようにギリギリと首を回し背後を見やれば、誰もが猜疑に満ちた瞳を浮かべていた。
どういうことだと隣のジーンに助けを乞う。彼はため息を突きながらこの扱いの真意を教えてくれた。

「お前、また相討ちとかそんな感じで死にそうだもの。ホント、それあり得ねーから」
「…………それは、悪かった」

しどろもどろになりながら返した言葉は、あまりにも情けなかった。
だがしかしそれほどまでに俺の死を拒んでくれるのであれば、拒んでくれる絆を感じさせてくれるのであれば、こちらこそが疑うべくもない。
その絆に従い、この身に猛る欲望に従い、何が何でも生き延びる。
どこかこの場に来るまで心の片隅に残していた可能性が、今この瞬間、影も形もなくなった。

「あのような木偶に命などやれん…………もう、命は棄てないさ」

出来るだけ、出来るだけの誠意を以って笑う。
歪んではいなかっただろうか。上手く笑えていただろうか、通じただろうか。
様々な不安を胸に抱きながら彼らの反応を待てば、返ってきたのは言葉でも視線でもなく行動。
その場に俺を取り残す形で、皆がガルアーノに向けて駆けだした。

――――信頼。これ以上ないほどの昂り。

確かに、俺はトドメを名乗り出た。
だがしかし耐えられそうもない。

「俺も混ざるぞッ!!」

共に闘いたい。
心のままに吼え、そして奔りだした。



目の前で戦いを繰り広げる勇者達の背中を見ながら、俺も可能な限りの援護を挟んでいく。
そう、どれだけ吼えて見せても俺の力はもはやあれに混ざる領域にはない。
あの巨体から繰り出される攻撃を、鋼の肉体を誇るイーガやグルガが力だけで押し返し、ただの剣と刀一本でトッシュやアークが両断していく。
知識の中にしかない、噂だけしか知らないその力の一端を垣間見れば、そこに俺が押し入ることなど出来ないと判断した。
だからといって後ろから何かが出来るのかとチマチマ魔法を唱えていたが、それもまた微妙な所。

「そりゃ! お嬢ちゃん、合わせるぞいッ!」
「任せて!」
「それじゃ、私も行くわよ!」

ゴーゲン、ミリル、そしてシャンテが唱えた氷の槍は、もはや津波と見紛うほどの透明な波濤となってガルアーノを飲み込んでいく。
全身をハリネズミのようにして無数の槍に串刺しになったその身体を、何処からともなく取り出したポコの大太鼓から発射されたレーザーが貫いた。
もはや意味が分からん。分からんが――――頼もしい。
そして連携が終わればミリルはすぐさま暴風雨のような戦いが繰り広げられる前へと飛び込んでいった。もはや隣で戦うことができなくなっているのは俺の様な気がする。

『クドオオオオオオオォォォォォォ!!!』

そんな攻撃を受けても尚、奴の目は俺を捉えていた。
度重なる勇者たちの攻撃によってその身体は再生と破壊を繰り返すだけの肉袋になっており、攻撃の手をだすことすら出来てはいない。
怒涛の攻撃の間に奴は負け犬の遠吠えのように声を上げ、そして俺を睨みつける。
そんなにも俺が憎いのか。

既に狙いを付けることすら出来ずにいたガルアーノの放った肉片の様なモノが、一つ、二つ、前衛の攻勢から漏れてこちらまで届いてくる。
ならば俺の役目は後衛を守るための刃。シャンテに当たりそうだったその闇を纏う肉片をナイフで切り飛ばし、そのまま彼女の目の前に躍り出た。
ひょっとしたら後ろから刺されるのでは、などと彼女の想いを無駄にした恐れを抱いたのは此処だけの話。相変わらず俺は――――。

「ありがとう」

ぶるりと震えた。

すぐさま頭を切り替え、目の前で両断され地に落ちた肉片に眼を向ける。
そこには未だ脈打つガルアーノの欠片がもぞもぞと蠢いており、それに手を付ければ身もだえするほど濃厚な闇の気配が手を伝って俺の全身へと行き渡る。
それは確かな感覚。この部屋に入るまでに感じていた違和感の正体。

「だっ、大丈夫!?」
「問題ない」

一度跳ねるようにしてビクリと震えた俺を心配したリーザが声を掛けてくれたが、この感覚こそが全ての逆転に、いや、トドメに繋がる感覚なのだ。
まったくもって自分が齎したツケの大きさにため息が出る。本来であればガルアーノなど歯牙にも掛けぬただの雑魚だったであろうに。

「アースクエイク! …………で、そろそろお主の作戦とやらも聞きたいところじゃが」

詠唱の隙間。絶え間なく前衛を援護しながらゴーゲンが目を向けずに声だけで聞いてくる。
そうすればポコもまたトランペットに口を付けたまま興味深そうにちらりと此方を窺ってくる。
その様はやはり違和感だらけのものであり――――俺は眼を逸らすことで耐えた。
この戦闘が始まってから何度「どうなっているのだ」と聞きたいと思ったことか。

「そもそもありとあらゆる存在をそのまま取り込むということは、だ」

答えると共に手にあったナイフをガルアーノに向けて投げつければ、それは前で戦うエルク達の合間を縫うようにしてグズグズの身体へと突き刺さった。
勿論あんな刃の浅いものでは攻撃とすら言えない行動だったが、そのナイフを良く見ればガルアーノの弱点も良く見える。

「あれは……」

シャンテが声をあげた先では、相変わらずガルアーノが袋叩きにされながらも先ほど突き刺さったナイフを肉の中に取り込んでいく。
それは何もかもを貪欲に吸収する故の能力。この期に及んで自分を守るための鎧を求める行為。あいつは、あらゆるものを貪欲に求め過ぎた。
そして一番重要な部分。

「奴の力の基となったのは俺の細胞だ」
「それは……なんとなく分かるけど」
「……お主、まさか」
「オ? ドウイウコトヂャ?」

事の真相に至ったのか、ゴーゲンはその萎まれた瞳を大きく見開きながら俺を見た。
彼の言いたいことは分かる。だがしかし先ほど言った通りに俺は死ぬつもりなど欠片もないのだ。
隣で喚くヂークベックのことを放っておいて、俺は覚悟を決めて一歩前へ出た。

「シャドウ。アヌビス。終わらせるぞ」
『待ってました!』
『御意』

俺はゴーゲンの二の句を言わせぬようにリーザとシャンテの足元より遣い魔を呼び出し、出て来た影をこの身に纏わせた。
久々に心の中に俺以外のナニカが混ざっているのが感じられ、それが懐かしくも鬱陶しくも思い眉を顰めた。
何よりも癪なのは、この魔物たちが嬉しくて仕方がないと思っていることだ。

こんな感情を押し付けられるとやはり俺は思う。
これ以上の誰かの心などいらないと。
つまりは――――ガルアーノの心などまっぴら御免だということだ。





◆◆◆◆◆





「おらぁ!!」

背後から放たれた無数の氷の槍によって棘だらけになったガルアーノに接敵し、エルクはその中の一本を蹴り飛ばしてより奥へと槍を突き刺した。
さらにそれを足場に空中に跳びあがり呪文を唱え、自ら炎を纏った剣を叩きつける。浅く入っただけの斬撃だったが、確かにそれは幾らかのガルアーノの命を奪い取った。
繊細さがない、少しばかり強引なエルクらしい攻撃にトッシュはヒュウ、と口笛を吹いて刀を抜いた。

「風も使わずに、よくやるよッ……!」

剣豪が放つ斬撃はもはや目に見えるようなものでもなく、ガルアーノが破れかぶれに放った触手ごと身体を切り裂いていく。
そんな芸当に魔法を使うことでしか追随出来ないジーンは悔しそうにぼやくが、彼もまた風を生みだしてガルアーノを八つ裂きにする。

もはやそこに苦戦の影はなく、少々喧嘩っ早い者達は互いが競うように我先へとガルアーノに攻撃を仕掛ける。
それもまた仲間が揃い、それを指揮するアークがいて、倒すことの出来る策を手に入れた空に他ならない。
いや――――もっと言えば失ったはずのものを取り戻したから。心の有り様一つで強くなれる人間だからのこと。

ジーンとエルクの動きは今までの絶望的な戦いを感じさせないほどに素早く、そして表情は嬉々としたものを浮かべていた。
目の前にいるのはこれほどに憎んだ宿敵であるというのに、その怨敵が目の前で生きていると言うのに、心を埋めるのは僅かな使命感と限りない喜び。
この存在を倒さなければ数多くの悲劇が広がってしまうと理解しているのに、心のどこかではこのまま戦っていたいという願いがあった。

「へっ……俺は欲張りなんだ」

そんな心の弱さに付け込んだ様な自らの願いに、ジーンは鼻で笑うようにしてチラリと後ろを見た。
そこには取り戻したクドーの姿があり、そしてこの戦いが終わればいくらでも――――。
しかしジーンの視界に映っていたのは、後衛に徹していたはずのクドーが触れるほどの距離にいた光景だった。

「うおっ……てめー脅かすな!」
「ガキのように助平なことばかり考えているからだ」

ただ自分だけミリルの姿に関して問い詰めたのがいけなかったのか、不敵な笑みを浮かべたクドーの表情にジーンは口ごもった。
あの服着せたのはお前だろ、とは言わなかった。

「つか、いいのかよっ!」
「ミリルも前に出ているんだ。引っ込んでられるか」

クドーの言葉にはね返る様にして前を見れば、エルクがミリルと連携を取りながら攻撃を仕掛け続けていた。
その様子は彼女がつい最近まで戦うことを拒んでいたようなものではなく、既に自分たちと肩を並べられるほどに戦えている。
炎と氷が踊る様にして戦場で渦を巻く。どこか神秘的な光景。誰よりもクドーが望んだ景色。

「いや、そういうことじゃなくてな」
「お前ももう飽きただろう? だからそろそろ終わらせようと、な」
「…………そんなに簡単なわけ?」
「驚くほどにな」

気軽に言い放つクドーにさすがのジーンも言い返せば、返ってきたのは不安を感じさせぬ――――久々に見るクドーの心の底からの笑顔だった。
そんな顔を見せられればジーンとて納得する他ない。そのままクドーの背中を右手で思いっきり叩けば、笑顔を返す様にしてジーンは叫んだ。

「そんじゃ行って来い! 前衛のみなさーんッ! 秘密兵器のご入場ですよぉッ!!!」

その声に勇者たちの攻撃はさらに苛烈さを増した。
真正面から駆け抜けるクドーの道を開ける様にしてガルアーノの苦し紛れの攻撃が次々に切りはらわれていく。
そして自分の横をクドーが通れば、その背中を見ながら想いを託す。この戦いを終わらせろと。

「任せたよ、クドー!」

氷の刃で触手を切り払いながら、ミリルは笑顔を差し向けた。

「少年ッ! 立ち止まるな!」

飛ばされた瓦礫を蹴り飛ばしながら、グルガは厳しい眼ながらも声を上げた。

「……行け」

ガルアーノの身体をマシンガンで穴だらけにしながら、シュウは言葉少なげにそこに強い意思を込めた。

「援護するぞ、クドー」

拳から放たれた気功波は道を作り、イーガは揺れぬ声でその背中を押した。

「うるぁッ! しくじるんじゃねぇぞ!」

遠くガルアーノから離れた間合いから斬撃を放ち、トッシュは荒々しい声を投げ掛けた。

奔る。一直線にガルアーノに向けてクドーは走り抜く。
目の前を阻む全てのものが仲間達によって取り除かれ、託された意思を背負いながらただ奔る。
もう目の前には背中を見せ、剣をガルアーノに振り上げたアークとエルクしかいない。

「クドー! 君にこの決着を託すッ!」
「やれるだろ!? お前ならッ!」

咆哮と共に二本の剣はガルアーノの頭部へと叩きこまれ、如実にその動きを鈍らせたガルアーノにクドーが右手を伸ばした。
アークとエルクの間に飛び込み、そのままの勢いで真っ黒の靄を纏った右手を奥まで突き刺した。
ずぐりと、鈍い音を立て、そしてガルアーノは狂ったようにして全身を走る衝撃に叫び声を上げた。

『ギ、ァ、グド、オォォォォォォ!!!!!!』

その咆哮を、暴れようと揺さぶる身体を、その怨嗟を受けながらクドーはただ決意のままにその手を今一度奥へとめり込ませる。
気味の悪い感覚と確かな決着の気配を感じ、クドーの口元に弧が描かれ、そしてどす黒い闇がガルアーノとクドーを巻き込んでいく。
それはアークが吹き飛ばされ、そして開戦の狼煙となったあの時と同じもの。

「クドー!」

その光景に誰もが叫び、そして息を呑んだ。
その黒の闇の先に薄らと見えたのは、まるでクドーとガルアーノが解け合うような――――。





◆◆◆◆◆





心の中にじわじわと何か拒絶すべきモノが侵食してくるような君の悪い不快感。
堰を切ったかのように数えきれない命の波がこの小さな身体に流れ込んでくるのはやはり許容量の限界に近いような危ない状況であり、これだけでガルアーノがどれほどの命を吸ったのかが理解出来、そして呆れた。
死ぬことを恐れて命を吸うのは俺もまだ同じだが、これと同等の量の魂を、力を求めるほどに俺は愚かではない。

黒一色で彩られたはず精神世界。
隣には俺と似た様な輪郭を持つアヌビスとシャドウが佇み、いつも通りだとも思えたが俺たちの足元には灰色の靄のようなものが漂っていた。
徐々に色が褪せていくようにも濃くなっているようにも見える灰色が示すのは、あまりに多くの命を吸い過ぎているために不安定になっていく俺の精神世界の表れか。
命だけでもこれほどに俺の心に影響するのだから、もしもガルアーノの溜めこんだ力や魂を取り込めば一瞬で心など壊れるだろう。

『なっ……何だ此処はッ……き、貴様は!?』

そしてそんな馬鹿な選択肢を選び、くだらない弱点を残した愚者が俺の目の前に唐突に人型のまま現れ、そして狼狽していた。
その弱い心を隠す様な強面の出で立ちと赤いサングラス。それを身に纏っても、既に目の前で慌てる男はただピエロにしか見えなかった。
隣で佇んでいたシャドウとアヌビスが堪え切れないと言わんばかりにクスクスと笑いだす。そこに含まれていたのは侮蔑と嘲笑に他ならなかった。

『な、何を笑っている! 貴様は、儂がッ……』
「知っているとも。ガルアーノ」

俺の口から出た声に、狼狽し続けていたガルアーノの動きが止まり、右往左往していた瞳がぎょろりと此方を捉えた。
憎しみと、驚きと、恐れと――――目で見えるものには限界がある。だがしかしこの世界で繋がる俺とガルアーノのソレのせいで、守るものを失くした奴の心なお見通しだった。
これほど望まれない心はないだろう。何が悲しくてこんな阿呆の心など。

『クドー……クドーだなッ!?』
「そう喚くな……鬱陶しい」

一歩、こちらを指出して喚き散らす髭面の方へ踏み込み、そのままこめかみを蹴り飛ばす。
赤いサングラスが砕けながらも宙を舞い、ガルアーノはぐるりと半回転した後に地面に叩きつけられた。
俺の蹴りに欠片も反応しなかったそれにも驚いたが、顔を歪めさせながらも向けて来た瞳が揺れに揺れていたことは俺の心に――――醜いモノ淀ませる。

『グ、ァ……何を、なに、を……』

この男は、最初から最後までどうしようもない存在だった。
目の前で這いつくばり、血ヘドを撒き散らしながらこちらを睨みつける男を見下ろす。
時期に口からは俺を罵倒するような口汚い言葉が漏れ始めたが、その中でもずっと瞳だけは震えていた。何一つ覚悟もない、意思なき瞳。

『儂の、究極の力はッ……』
「心を拒絶しながらその全てを取り込む様な真似が、罷り通るわけもないだろう」
『違う……儂の理論は、儂の真理はッ……』
「そうだな。確かにお前だけの真理だよ、それは」

心を消した存在と無機質なものばかりを食いつくして得た強大な力など、所詮ははりぼて。現実世界では無敵の力を得ても、心の中はスカスカのままだ。
故にこそガルアーノの吸収の中に強引に割り込んだ俺とガルアーノの間にこのような歪な空間が現れた。
どこまでも続く黒の世界は俺の。足元で淀む灰色はガルアーノの。もはやこの時点でどちらが優れているかなどと――――。

強烈な、どこまでも醜い感情にあてられた様な気がして、口元が弧を描いた。

俺とガルアーノの戦いなど、所詮野良犬の喧嘩に過ぎない。
弱い存在ともっと弱い存在が罵り合いながら噛みついているだけ。
外で行われた勇者達の戦いと比べれば、なんと低俗で、救い難い。

「どうだ? 見えるだろう? 心を拒絶したお前にも」
『何だ……ぁ……あ?』

口元を腕で拭ったガルアーノが唐突に崩れ落ち、焦点の合わない瞳で俺を見ていた。
説明を、求めていた。

「俺の心にお前が喰われているだけだ」

端的に真実に近いことを言ってやれば、ガルアーノは這いずりながら俺の方へと近寄ってくる。
もはやその様は長年因縁の敵として存在した気配など欠片もない。ただ命を求めて、死ぬことを恐れて縋る愚かな男。
もはや醜悪を通り越して無様とまで落ちたガルアーノの胸倉を掴み上げ、目の前にぶらさげればそれでも奴は俺の腕を掴んだ。

『ほ、欲しいものは何だッ……いいぞ、クドー。貴様の裏切りを許してやる。だ、だからッ』
「……………………」
『そうだ、更なる力が欲しいか!? いいぞ、先ほどのコピーキメラを使えばお前とて最強になれる! ふ、ふふふ……お前は優秀だからな……だから』

誰だこいつは。いや、これこそがガルアーノの本質なのか。
心だけが力となって存在するこの空間では、どのような究極の肉体も意味を為さない。
そんなことが分かっていたとはいえ、これほどの変容を目の前にされるとさすがに俺も苛立った。

あれほど俺に貴様は憎しみを向けていたのではないのか。
同調し、その感情が俺に流れ込むほどに復讐の刃を研いでいたのではないのか。
そんな失望に近い考えが頭を過れば、その考えを俺は自分自身で否定した。



この男は、どこまでいって『己』しか見ていない。
俺への復讐も地に堕ちた自分の価値観を取り戻すための言い訳にしか過ぎない。
俺から全てを取り上げられた故に恐れを為した自分の弱い心を隠しただけ。



それに気付けば――――頬が凶悪なまでに釣り上がる。
そうすれば隣の二人もゲラゲラと狂ったように笑い始めた。黒の空間にその下卑た笑い声を響かせ続けた。
ああ、なんともこの光景は甘美にして、そして何よりも唾棄すべき下らぬもの。ならガルアーノと俺の感情が細胞というファクターがありつつもあれほどリンクしたのは道理なのだろう。

俺は、この男を、エルク達を苦しめ続けたこの男を――――いたぶり続けてやりたい。
これ以上ない苦痛の中で殺してやりたい。
その全てを奪い、そして捨て去ってやりたい。

「お前が溜めこんだ命を僅かでも頂こうか。今日でキメラプロジェクトは潰える。だがしかしキメラである俺には少々難しいものがあるからな」
『つ、潰える!? だ、駄目だ……いや……儂が、儂がいれば……』
「儂が……?」

下手に出ていた気持ちの悪い表情が一変し、顔を青くさせながらパクパクと金魚のように言葉を残すガルアーノ。
だがしかしこの期に及んで自らの存在を優先させるその弱い心に苛立ち、俺は躊躇することなく――――。

『グァッ……!!』

腹部を貫いた俺の手にはガルアーノのどす黒い血が伝わり、ピチャリピチャリと音を立てながら黒の世界に波紋を広げて行く。もはや先ほどの灰色の靄など影も形もない。
じわりと赤が濃くなったガルアーノのスーツと、苦しそうに息を吐くことすら出来なくなったガルアーノの不規則な呼吸がいやに響く。
ピチャリ、ピチャリ。また俺の足元にはこの世で最も愚かな男の血溜まりを作っていく。
笑みが、漏れた。

「キメラ…………魔物、魔族…………ロマリア…………暗黒の支配者ぁ…………?」
『ゲ、ふッ……た、ズけ……あ、が…………』
「ハハハ……ハハハハハハハハハッ!!」

魔物風情が命をねだり、図々しくもエルク達の前に立ちはだかる。
この世を覆う悪は絶対の敵? 勇者達の宿敵であり世界に仇名す者? 罪なき人を傷つける諸悪の根源?
愚か、愚か、愚かなり。その認識が、真理が、全てが間違っている。

振って湧いて出た勝手な不幸に泣き喚いたこともあった。
俺をあの白い家に閉じ込めたキメラプロジェクトを憎んだこともあった。
ガルアーノをこの手で殺してやりたいと思ったことは数えきれない。
だがしかし、この愚かな存在がなければ俺はエルクたちに出会えなかった。

「ハハハハハッ……聞こえるかガルアーノッ!!」
『ァ、ゲ……グド、ォ……死に、ダクな、い、イィぃ……』
「貴様らは、貴様らは……」

ならばこの終焉の時であっても、この崩れた木偶には言わなければならない!
始まりの悲劇を起こした愚かな存在に言わなければならない!
今エルクと共に戦うことの出来る時間を作りだしてくれる全ての存在に叩きつけてやらねばならない!





「貴様らは、実に、実に都合のいい――――玩具であったッ!!!」





身体中を駆け抜ける高揚感がさらに沸騰し、ドロドロのマグマとなったように熱を持つ。
その衝撃に耐えきれず天高く叫べば、それと同調したかのようにして俺の餌二つも狂ったように嗤い続けた。
この世に蔓延る魔物達は、巨悪と謳われる存在は、俺にとっての嗜好品と変わらない。

「勇者達と出会い、関わり、戦い、そして共にいる。その全てに貴様らが単なる付属品として蠢くだけで、俺は実に良き縁を紡ぐことが出来た……感謝するッ!」
『…………ァ…………』
「だがしかし悲しいかな。俺と勇者たちが生きるこの世界に、もはや彼らと共に戦うと誓った俺に貴様らのような出来の悪い嗜好品など必要ない」

ガクンガクンと人形のように反応の無くなったガルアーノを揺らし、その都度吹き出る血が黒の世界を彩る。
もはやこの男の表情が何を映しているのかも分からない。いや、理解する必要もないか。こいつら魔物は、人間を愉しませるだけの存在でいい。そして愉しめなくなれば、死ねばいい。
さあ、ゴミのように棄ててやろう。無残に踏みつぶしてやろう。

『……………………グ、ドォ……………………』

最後の言葉だ。最後まで実に精いっぱい遊んでくれた玩具への命令。
ゴボゴボと血を吐きだしながら絶望の表情に彩られた魔物を真正面から睨みつける。自然と手に入る力は強まった。
万感の思いを込めて口を開けば、俺の顔は壮絶な笑みに満たされていた。
――――ただ一つ。お前達の役目など、存在意義など、その宿命など!









「俺のために死ねッ!!!!!」










玩具の残滓すらなく完全に消え去り、俺と俺にひれ伏す存在しかいなくなった世界。
血溜まりの中心でずっと嗤い続けた。









[22833] 蛇足IF第二部最終話
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:20




クドーがガルアーノと共に精神世界へ意識を落としてどれほどの時間が経っただろうか。
勇者たちの目の前で止まったまま動かない一人と一体の様子を固唾を呑んで見守り、それでもまだ最悪の展開を予想して構えを解かずにいた。
喉がカラカラに乾くような緊張が走り、ただ待つことがこれほど苦痛なものかと誰もが思い、苛立ちと不安を隠す様にして口を真一文字に閉じる。
その間にも絶えず轟音と部屋の揺れは止まらなかった。

「遅ぇぞ……クドー」

その崩壊の中で広がる静寂の中でぽつりとエルクが零す。
表情には余裕がなく、顰めた顔でじっとクドーの背中を睨みつけ続けていた。もうこの背中を失いたくはない。そんなことを思えば、エルクの隣にいたミリルが胸を締め付ける不安から逃れるようにして彼の手を握った。
不安に押しつぶされそうなのは誰もが同じ。ならば彼の友である自分は信じてやらなければならない。

大丈夫だ。エルクは自分にそう言い聞かせて紅蓮の瞳を友に向ける。
一秒が、一分が、そのどれもが長く感じさせる。
息をするのも忘れクドーの背中を睨み続けていれば、ようやくにしてその包帯だらけの背中がピクリと動いた。

「クドーッ!」

誰よりも早くエルクがその背中に駆け付け、そして声を上げる。
続く様にして他の勇者たちもクドーの下へ駆け寄れば、動かなかったガルアーノの巨体が解けるように崩れていった。
果たしてクドーのトドメはガルアーノに届いたのか。誰もがこれを決着として信じたいところであったが、それに反してクドーの動きは緩慢だった。
ゆっくりと、ゆっくりと此方の方に振り向き、ガルアーノに突きいれた右手をぷらぷらと顔の横で振りながら薄らと笑みを浮かべていた。

「終わった」

あまりにも簡潔に言い渡された長く続いた死闘の決着に、誰もが反応出来ず声を失った。
もうちょっと何か言い方があるだろうにと勇者の中の数人は思ってもいたが、クドーの中ではなんとなく勇ましい勝ち台詞を言うのは憚られた。
何せこの戦場に調子づいた台詞を吐きながら登場すれば、なんとも微妙な視線を投げ掛けられたから。

「いや、もうちょっとさー……」
「いいじゃないか、それで」

ジーンが肩を落としながらクドーに疲れたような視線を投げ掛けても、彼は肩を竦めてしれっとそんなことをのたまう。
勝利には勝どきを上げるのが常、などという道理を持ちこむつもりは誰もなかったが、それでも勝利の叫びくらいは上げたいというのが正直なところだった。特にグルガとトッシュ辺りは。

しかしそんな不完全燃焼とも言える中で、エルクだけが身体を丸め、全身の力を込めた握り拳を震わせていた。
ガルアーノを倒した。自分達を取り巻く因縁にカタを付けた。それもいい。
だが何よりもエルクを歓喜で包むのは――――皆が無事で、クドーが無事に帰ってきた。それだけ。
今まで抑えに抑えた少年の感情が火を噴いた。

「よっっっ…………しゃああああッ!!!」

これ以上なくストレートに振り上げられた拳と雄叫びにしばし驚き、勇者たちは気を取り直したようにそれぞれが勝利を分かち合う。
トッシュが腰元の徳利を開けて口を付け、満足そうに頷くゴーゲンやイーガに腕を組んだだけのシュウ。リーザがパンディットと抱き合いながら笑顔を浮かべ、ポコは傍にいたシャンテに強引に抱きしめられて顔を真っ赤にしながら目を回している。
アークは一つ息を吐いて鞘に剣を納めた。

「終わったんだね」
「そーだな……」

ミリルが後ろに手を組んでジーンの隣に立てば、風の子が感慨深そうに動かなくなったガルアーノを見つめていた。
自らの中にある復讐心を認め、それと折り合いを付けながらこの決着を迎えたが、ジーンの心に落ちるナニカは一つもない。ただ戦いが終わっただけ。
勝利の喜びも皆が無事なことへの安堵もあるが、それ以上に――――。
そんな、どこか無表情のまま喜ぶジーンの隣で、ミリルは前を向いたまま口を開いた。

「これからだから、ね?」
「…………そーだな」

ミリルの言葉を噛み締めるように天を見上げ、ジーンはしっかりと頷く。
いつまでも過去を見続けるのはもう止め。それにクドーが戻ってきたのであればもはや彼の復讐は根底から崩れ――――。
そこまで考えればまるで自分が馬鹿のように思えてジーンは恨みがましそうな目でクドーを見た。遅れて来た癖に満足そうに腕を組んでは勇者達の姿を見つめるその友を。
後でえらい目に会わせてやる。ジーンは密かに決心した。

しかしいつまでも此処で喜んでいても仕方がない。
そんな当たり前の事実に短すぎる勝利の余韻から目を覚ますそれぞれだったが、そこでぼんやりと佇んでいた機神が何でも無いように呟いた。

「シカシ……ドウヤッテダッシュツスルンカイノ?」

崩壊の轟音が響く部屋の中にぽつりと落とされた滴は波紋を広げながらそれぞれの口を閉ざしていく。
矛盾した静寂に勇者たちは包まれ、そして動きを止めたまま視線でアークを見た。
例えこの作戦にシャドウ達から教わった未来の知識が根幹を為しているとはいえ、それを決めて先導し続けているのはアークに他ならない。
故に纏め役である我らがリーダーの顔を見る勇者達だったが、当の本人は大真面目な表情を崩さぬままに冷や汗を垂らしながら頬を掻いていた。

「その、本来であれば、だな……」

言い淀んだ時点で皆の表情は蒼くなった。

「潜入していた僕がガルアーノを叩いて破壊工作をしながらさっさと……」
「…………」
「…………ロマリア空港の近くにシルバーノアは待機させている」

無言の視線に初めて目を泳がせたアークが、済まなさそうに脱出の方法だけはあるのだと主張する。
だがそんな事実などこの場にいる全員の求めた答えではなかった。
此処からどうするのか。どうやって脱出するのか。そもそも自分たちは激戦に次ぐ激戦で全力で走ることさえ難しいがどういうつもりなのか。
一斉にして皆がそれを問い質そうと口を開きかければ、それを許さぬようにしてひと際大きく部屋が揺れた。

「お……? なんか視界傾いてねぇか?」
「そんなわけないよぉ。トッシュがお酒呑み過ぎたんじゃない? ほら、トッシュっていっつも徳利持ってる癖に実はそんなに強くないし」
「ポコ……後で呑み比べな」

呑気なことを言う二人など放っておいて、クドーは部屋をぐるりと見回した。
どれほど盛大に暴れたのか幾つもの小部屋が貫通したかのような大広間。床には戦闘の余波で崩れた瓦礫が散らばり、天井を見れば上の階すらもブチ抜いている。
そして金網のように不安定になった足場を見れば、鉄の床の隙間から下の階層が見え、そこからは赤い色をした炎のようなものが絶え間なく広がっていた。

「おい……これは…………」

破壊工作をするといったアークの作戦が、ガルアーノとの戦闘によって自動的に達成されていたのは実に都合のいいことだった。
だがしかし耳に近くなる轟音は徐々に大きくなり、足元すらおぼつかない揺れは地震のそれと見紛うほど。そして斜めになる視界などもはや言い逃れが出来るわけもなく。
クドーが何かを言いかけた時、足場がぐしゃりと歪み、部屋そのものが落盤仕掛けていたことを悟りアークは鬼のような形相をしながら叫んだ。

「走れええええぇぇぇぇッ!!!!」
「ふざけんなあああぁぁッ!!!!」

怒号を上げながらアーク一味はその場から脱兎のごとく逃げ出した。





◆◆◆◆◆





「ゴーゲンッ! 後ろ!」
「年よりをもちょっと労わらんかい!」

走れば走るほどに視界は揺れ、耳をつんざく爆発音は背後から迫り来るようにして大きくなる。
息を切らしながら必死に走れば目の前から群れで向かってくるのは施設内に残されたコピーキメラ。
飛行するヂークの上に乗っかったゴーゲンが放つ氷の刃が一人残らず撃ち貫いていった。

「一人だけ楽してんだから働きなさいッ! 普通ならか弱い女が乗るべきでしょ!?」
「……いや、だから君がか弱いというのはだな……」
「グルガッ! 迎撃!」
「う、うむ」

列を為してとにかく走り続ける勇者たちの耳に、シャンテの金切り声が届く。
一体何処の誰がか弱いと心にその思いを秘めたのはここだけの話。
それを我慢できなかったグルガはシャンテに尻を蹴り上げられるようにして先頭集団の中に走り出た。

「アーク……これは反省会だぞ」
「…………」

勇者の集団が突撃する十字路。その両脇の道から顔を覗かせたコピーキメラを無言のアークと顔を顰めたイーガが蹴り飛ばす。
もはやいちいち剣を握って相手をしている暇も残っていない。既に通路の天井近くから鳴り響いていたサイレンの音すら聞こえない。
一体どこまで崩壊は進んでいるのやら。

「でもあれだよな。イーガが制御装置を破壊したせいでこうやってあいつら突っ込んでくるわけだし……」
「エルクッ! 後でお前も反省会だ!」
「な、何でだよ!?」

当然のようにその事実をエルクが口にすれば、イーガは滅多に荒げない声を大きくして叫んだ。
ひょっとすればイーガ自身、施設が崩壊していく中で暴走したままのコピーキメラが襲ってくる現状に責任を感じていたのかもしれない。
今となってはこんなこと誰にも予想できるわけもないが。
ふと通り過ぎた通路をパンディットに乗ったリーザがちらりと見る。遠くの通路ではコピーキメラが炎に巻き込まれて吹き飛んでいた。

「クドー。最短距離はこちらでいいのか?」
「途中で道が崩落していなければだが。しかしこの先はおそらくロマリアトンネルの真正面だぞ?」
「へへへ……つぅことは爆弾を置いた時みてぇに大量の雑魚を相手にすんのか」

先頭を走るクドーとシュウが冷静に言葉を交わしながら網目のように続く通路を先導していくが、その表情は晴れない。
すぐ後ろではトッシュが呑気なことを言っているようだが、列車一つ暴走させる様な事件を起こしているのだ。どれほどの兵がいることやら。
クドーは目の前で通路の横のドアが開き掛ける所を確認すれば、それを横から蹴り付けた。中から出ようとしたコピーキメラのくぐもった声が聞こえる。

「キメラ研究所から脱出し、そのままロマリア空港まで走る……? そんな馬鹿な」
「それじゃ、儂はテレポートでお先に……」
「いいからさっさと道を開けなさいじじぃッ!! その髭引っこ抜くわよ!」

後ろから聞こえる戯言と怒号を耳にしながらクドーはため息を吐いた。
先ほどからずっとこのような感じで勇者たちは走り続けている。
これ以上ないほどの、ひょっとすればガルアーノと戦っている時よりも厳しい状況だというのに、誰も彼も軽口を叩くことを咎めは――――まぁ、シャンテを除いて咎めていない。

一歩間違えれば全滅の憂き目に合っているこの状況でも、薄らと勇者達の顔に浮かぶのは笑みだった。
根拠などありはしないが、自分たちは脱出することが出来る。『なんとかなる』と心から信じることが出来る。
笑い話のような逃走劇のこれも相まって、その列の集団の中腹にいるジーンとミリルなどはどことなくこの状況を楽しんでいた。

「なんかさ! なんかさ! すっげー楽しいッ!!」
「痛っ……ジーン! 今肘当たった!」
「うおっ……柔らけー……」

そんなことを口走ろうとしたジーンは女性陣から睨み殺されそうなほどの視線を向けられ、そして密かにエルクとクドーは手に刃を握った。
クドーは隣にいたシュウに窘められ、そして何故かエルクはリーザに怒られていた。往々にして女性とは理不尽である。
誰も彼も緊張感が欠けている。だがしかしそれこそが、絶望を欠片すら感じさせぬ意思こそが未来への道を切り開く。
左右に連なる景色が風のように流れていき、そしてクドーたちの突き進む先には光が漏れ始めていた。

「外に出るぞッ! 全員警戒!!」
「今でもしてるってば!」

アークの声にポコが余裕なく叫べば、やがて勇者達が長く感じていなかった光が照らしだす。
未だ太陽は真っ青な空のてっぺんにあり、そしてその青を遮るようにしてモクモクと黒煙が天高く上っている。
トンネルの事故で上る煙とその地下から吹き上がる煙が混じり合い、ロマリア都市部上空は地獄の釜をひっくり返したような光景になっていた。

全員が肩で息をし、そして研究所の入口で少しだけ立ち止まれば、彼らの目の前に広がるのは空港まで続く長い長い線路。
途中には横転した列車がその道を遮っているようにも見えるが、このまま走り続ければ問題なく空港近くまでは辿りつける。
――――そこらにうじゃうじゃといるロマリア兵をなんとか出来れば、であるが。

灰色の軍服に身を包んだ数えきれないロマリア兵の双眸が勇者たちを捉え、それぞれが狼狽するかのようにざわつくと、一人、一人とまたキメラ兵に身体を変化させていく。
そうすれば灰色の波がカラフルな魔物の軍勢と化したのはすぐだった。
統率も何もない1000を越える多種多様な魔物の群れ。それらが口から血生臭い息を吐きながらそれぞれに威嚇し始める。

絶対絶命――――――――には程遠い。

それを確認すると、勇者たちは揃って横一列に並び魔物の群れを真正面に睨みつけた。
武器を持つ者はそれを抜き放ち、魔法を行使するものはその両腕に魔力を宿し始める。
貌に浮かべるのはいつだって変わらない戦いに向かう前の決意に染まった笑み。勇気に彩られた仲間を信じる心。
そこに加わった一人の化け物が右手に闇のオーラを宿し始めると、それを徐に地面へと叩きつけた。

「『リジェネレイト』」

円形に勇者達の足元の地面が黒く染まり、そこから白い光源がぽつぽつと浮かびあがり全員の身体に染み込んでいった。
自らの内に溜めこんだ命を他者に分配し治癒魔法とするクドーだけの闇魔法。先ほどガルアーノから奪い取った命のお陰で、勇者たちの身体を癒すには十分だった。

「これ、副作用とかねぇだろうな」
「心配するな。むしろ普通の治癒魔法より効くぞ? 自分に効かないのが欠点だが」

クドーの隣にいたエルクが、疲労も何も無くなった身体に驚き腕をぐるぐると回しながら調子を確かめていた。
自分の身体から命を分けたような危険な魔法を使った後だというのに、クドーは心外だと答えながら立ち上がる。
もはや遠く先に待ちかまえる魔物達の群れは今にも襲いかかってきそうなほどに闘争の気配を漂わせている――――準備は整った。

アークが天に掲げた剣が鈍く輝き、勇者たちはそれに応えるかのようにして構えを取る。
一触即発の戦場からは音が消え去り、それぞれの息遣いだけが浅く響く。
そして――――振り下ろされた勇者の剣が風を切った時、戦端は開かれた。



「押し通るッ!!!!」



ガルアーノとの決戦に比べれば、あまりにも温い。
今、20にも満たない勇者達と、1000の魔物たちは正面からぶつかった。





◆◆◆◆◆





果たして、勇者とはどういった者のことを言うのだろうか。
精霊に選ばれ世界のために戦う者が勇者というのであれば、それもまた然りなのだろう。
伝説の武器を振るい、人間の限界を越えて化け物を打倒する者もそうなのだろう。
ひょっとしたら数は少なくとも周りの大切な人間を守る人間も同じなのかもしれない。

「20、21、22……まだだ、まだそんなんじゃ俺には届かねぇぞッ!」

一列になって1000もの魔物達を押し込める勇者たちの一角。他より飛び出たところを、切り捨てた数を数えながら突き進むトッシュを視界の横に映す。
あのような一歩戦闘狂に踏み込んでいる人間を勇者と呼ぶのは少し憚られる気がしたが、そう考えれば先に上げたどれもが俺の思う勇者の定義からは外れていることに気が付いた。
いや、元々俺が呼ぶ勇者というのはあやふやなものだった。

そのどれもこれもが俺には眩しすぎて、そしてその中で罪を重ねる俺は惨めで。

だからこそ彼らを勇者と呼んで俺と皆の間に線を引こうとした。
そうすればいくら醜く化け物になっても『彼らは違う』のだと折り合いを付けることが出来る。
平凡な人間の処世術。自分と彼らが生きる世界は違うのだと諦め、違う領域に引き籠ろうとした。

「怒りの炎よ……全てを薙ぎ払えッ!!」

俺の隣で剣を振るっていたエルクの詠唱が響き渡り、目の前で固まっていた魔物の群れが虚空から発生した爆発によって塵と化した。
ああ、確かにこんな圧倒的な力を見せつけられればただの人間が卑屈になるのは無理もない話だ。
だがしかし彼らはその力を以って勇者となったのか? その力こそが俺と彼らの間に身勝手な線引きを引くことになったのか?

真にその差を思い知らされたのは、どのような状況でも希望を捨てず、何度も立ち上がり戦うその意思。

10にも満たない子供が自分の状況を理解し、それでも周りを励まそうとする光景に出会ったあの白い家の日々。
どれだけ不幸な身の上でも中身は大人であるはずだったというのに、ミリルは、エルクは、ジーンは、俺と違って笑顔を絶やさずに生きていた。それを他者に与えることを無意識ながらに理解していた。
あれこそが全ての『間違い』の始まりだったのだろう。

「あああああーーーーーー!! 全っ然減らねー!!!」

倒しても倒しても出てくる魔物にうんざりとしたのか、ジーンが踊るように剣舞を披露しながら吐き捨てた。
この圧倒的な戦力差の戦場においても彼の軽口は衰えを見せず、その表情には不適な笑みを浮かべている。
果たして彼は、元々このような剛胆さを身に付けるほどに強い人間だったろうか。
そんな彼の人生を測る知識などずっと離れていた俺が知るよしもないが、なんとなく彼らと俺の違いは理解出来た。

――――勇気がなかったのだろう。俺は。

たったそれだけが勇者と化け物の違いを作りだした。
故に俺は死を選び、彼らの心も知らず、自分の望みに蓋をして。
覚悟とも言い変えるそれは、果たして現実世界の、此処とは違うあの世界でこうも簡単に見つけられるものだっただろうか。
今やそれを比べられる記憶は薄れ、微かな感傷が前世は優しかったのだと覚えている。

「ガルアーノと比べてどっちがマシかしらね!」

今まで後衛の一人に過ぎなかったシャンテが、いつのまにかミリルと同じように氷の刃を自由自在に振るい、前衛と同じように戦えている。
あのようにその手に剣を持って戦うまで俺はどれほどの時間を擁したのだろうか。しかも俺が選んだのは忘却。欺瞞。
終点を死ぬことに定めることで、刃を持つ意味と重さを知らぬままに罪を積み重ねた。それに向かい合う覚悟が俺にあれば――――。

――――ならば、今は?

少しだけ、ほんの少しだけ俺は胸を張れるのかもしれない。
相変わらず魔物を殺すことでしか、誰かとの絆に固執することでしか刃は振るえないが、それの重みは理解できている。その鋭さを理解出来ている。
そのどれもが、生きることを決意したから。ただ生きるために勇気がいるなどと、思いもしなかったことだ。

「もう少しだ。遅れるなよ、皆!」

まだアークの叫ぶ『もう少し』は遠い。視界の奥に映る空港は小さいままだ。
だが彼の言葉に呼応するかのようにして皆は気勢を上げ、腰が引けつつあった魔物たちを掃討していく。
誰かの言葉が、意思が、人を強くする。それを人は依存と呼ぶのかもしれないし、真の強さではないと笑い飛ばすかもしれない。

だがこれこそが俺に生きる勇気をくれた。

エルク達と繋いだ絆が。あの死の淵で交わした言葉が。俺を望んでくれた彼らの心が。
あれに、応えたいと思った。俺もまた自分の意思を誰かに伝えたいと。
ただ寂しかっただけなのかもしれない。本当は死ぬのが嫌なだけだったのかもしれない。そのどれもが真実で、そして――――。
咎を背負う覚悟を決め、今、俺はエルク達の隣でナイフを振るっている。共に戦っている。

『あー……マイクテスト……マイクテストー。アークー! 今から爆撃するんで頑張って避けるんじゃぞ』

唐突に頭上からマイクのスピーカーらしきものを通したようなノイズ混じりの男の声が響く――――その声の主はチョンガラ。
戦闘に夢中になっていたせいで気付かなかったのか、ふと声に釣られて上を見上げればそこには日光を遮って巨大な姿を晒したシルバーノアの姿。
それを視界に入れれば、徐々に先ほどから鳴り続けていたけたたましいエンジン音の存在に気が付いた。
なんとも調子の良い、そして願ってもない展開。だがしかしチョンガラが言った爆撃という言葉に首を傾げ、そして。

頭上に停止したシルバーノアのハッチのようなものが開いたかと思うと、そこから降り注ぐのは人間大程の大きさの真っ黒な球体。
誰かが隣で茫然とその馬鹿げた光景に反応した様な気がしたが、そんなことを気にしている暇もなかった。
いくらなんでもやりすぎだろう。まだ戦っている俺達ごと爆撃するなどと。

「死んでも避けろッ!」

聞いたこともない様なシュウの必死な声が響き渡り、俺たちはそれぞれ全力を以って爆撃を回避するなり防御するなりで対応する。
耳が潰れんばかりの爆音が戦場には響き渡り、一歩先の目の前にいた魔物が粉々に吹っ飛んでいく。運が悪ければこのミンチも自分自身。
確かにこの窮地をこじ開けるには強引な方法が必要かも知れないが、それでも一歩間違えれば言葉通り死だ。

鳴り止まない爆音とその度に舞い上がる土埃に耐えること数十秒。おそらくシルバーノアも大量の爆弾を吐きだして大分軽くなったであろう。
先ほどよりも微妙に軽くなったエンジン音を響かせながら銀の飛行船は俺達の傍に高度を下げ始めた。
そして乱暴に落とされるタラップに我先にと駆けだしていく仲間たち。この好機を逃せば、飛行船ごと撃ち落とされる。

「ほうれ、こっちじゃ、早くこんか! って、ぶべッ!!」
「入口にいたら邪魔だろうがッ! さっさと引っ込んでろ!」

相変わらずの切り込み隊長ぶりに飛行船の中へと飛び込んだトッシュが、呑気にタラップの入口から顔を出していたチョンガラを蹴り飛ばしていた。
正直なところこっちはヘトヘトだというのに、あの余裕そうな髭面を見せるのは結構クルものがある。簡単にいうとムカつく。
だがしかしそのまま蹴り落とされてヒキガエルの様に大地で大の字を作ったチョンガラは、ポコに肩を貸してもらいながら顔を抑えて飛行船の中へ入っていく。

「ほれ、次はお主らじゃ」

顎で中に入れとチョンガラに催促されれば、残っていたのは俺とエルクとミリルとジーン。
当然の如くミリルを先に押し込み、後は俺だとジーンがそそくさと乗り込んだ。
あとは俺とエルク。

「……行くぞ」
「……ああ」

短い、たった一言だったけれども、その中に込められたモノを俺は忘れはしない。
入口から俺に向けてくれたエルクの手をぎゅっと力強く握りしめ、そのまま彼らの下へと、シルバーノアへと乗り込んだ。
それと同時に浮上し、間抜けながらも嬉々とした声で上がるのはアークの言葉。

「逃げるぞッ!」

生き残りの魔物を眼下に納めつつ、徐々に高くなる目線を感じながら俺は生き延びたと実感した。
これから何をしようか。まずはシャンテに話をしなければ。エルクにもいろいろ弁明しなければならない。でも、これから時間はたっぷりある。
そんなことを死屍累々と皆が倒れ伏す作戦の会議室の一角で考える。

皆が笑顔のままに寝転がり、息を荒くしながらも完全な勝利に息を吐く。
俺も、同じように。
そしてよろける様に立ち上がり後ろを振り向けば、それはやってきた。



跳びあがる様にして立ち上がり俺の下へ走り寄ってくる二つの影。



片方は風の子。もう片方は炎の子。



そのやんちゃそうな顔は白い家で手を取り合った時と変わらず、そして無邪気で。



だがしかし少しだけ乱暴を覚えた彼らが差しだしたのは拳と足の裏だった。



徐々に俺の視界で大きくなる彼らの手と足。



なんだかよく見ればその間にも青のハイヒールが混ざっている。



そんな優しさの欠片もない様な、いや――――。



とにかく俺はくしゃくしゃに顔を歪めて笑う二人の想いの丈を受けて、盛大に吹き飛んだ。



確かな浮遊感の中で感じる実感。別に俺は被虐趣味でも何でもないのに。



遠くなる皆の笑い声を聞きながら、俺はなんとなく――――。



これもまた罰であり――――――――幸せでもあるのだと思いこむことにした。










「ただいま」










上手く言えただろうか?
言えたよな、多分。








                                                                              【end】




[22833] 蛇足IF第二部あとがき
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2011/09/11 17:12





ということで蛇足編第二部は、完 全 終 了。
みなさんどうも、作者のぢくべくです。





さて、ある程度の暇つぶしとしてIF展開、つまりは蛇足と呼ばれる物を書きあげましたがどうだったでしょうか? 皆さまにとってもまた暇つぶしとなっていただけたら幸いでございます。
というかガルアーノさんが……この野郎、ヤンデレとかどういうことだ!
第二部のラスボスらしく、そして小物らしくという相反しそうな要素に気を付けて書いたらあんな感じに。確実に蛇足編のMVPは彼。
最終的に漫画版かゲーム版かアニメ版にしようか迷いましたが、オリキャラ転生二次創作ですので、そこらへんの変化を織り込むのも大切かと思い超強化。
まぁ、結局勇者たちが集合したらフルボッコされたわけですけど。



で。



一番重要なのはこれからどうなんの? ってことになります。
まあ色々複線も張ってありますし、これからは主人公がきちんとエルク達が共に戦うことにもなりますし、さらに新キャラのサニアも登場。
って言いたいところなんですがね。

いくら原作の話が先に続いているといっても、やはりこの二次創作的には蛇足なんです。本編で主人公が死ぬことで完全に終わってる話なんです。これがどうしても大きい。
作者的にもやはり主人公が死ぬ終わり方の方がぶれてないですし、しっくり終わる感じもしてますし。
お前が勝手に蛇足書き始めたんだろ褌野郎、と言われればぐうの音も出ませんが、

…………蛇足で消費した作者のやる気はでかい。
こうなると更新再開まではかなりかかるかな、と。ひょっとすればこのままフェードアウトということも。
あんなに伏線張って回収しないのかよ。ヨシュアはどうした。ちょこ出せ。ケツ出せ!
色々と苦情はありますでしょうが、ここは平に、平に。

そういえば本編が終了した時もこの先は書かない、って言ってこのありさまですしね。
更新速度低下の宣言やら何やら作者の言葉のほとんどが信用ならない戯言ばかりですが、あまり期待せずにいてくれれば幸いです。
書いたとしても半年、一年は作者のグルガチャージ必要ですし。後は番外編と設定集を書くモチベーションがあればそのうち、って感じです。



と、いうことで。



蛇足編第二部を見てくださった方々。このような蛇足編ではありましたが、ご愛読ありがとうございます。そして感想にコメントを残してくれた方々にはさらなる感謝を。
急ぎ足でここまできましたが、まずは一旦一休み。
出来ればアークザラッド本編の方のゲームにも触れて頂ければ同作品のファンとしてうれしく思います。是非プレイ時間100時間くらい越えるほどのめり込んで下され。
そして泣いたり笑ったり、やっぱり泣いたりしてやるせなくなって下され。

またいつの日か何かを書くことがあれば、その時にまた。
なんかこのSS書いてからグルガとガルアーノが可愛く見え始めて来たぢくべくでした。









[22833] 番外編
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:265dcdd8
Date: 2013/08/27 08:08


「どうだ……身体の方は……?」
「うむ……」

ヴィルマーの研究施設と化したトウヴィル神殿奥の一室。
そこの医療用寝台の上には包帯を肌蹴たクドーが寝かせられ、その脇の机ではヴィルマーがパソコンのディスプレイを睨みつけながら深刻そうに唸っていた。
その脇には小さな椅子が三つ。そわそわと落ち着く様子もなく貧乏ゆすりで足をガタガタと動かす少年少女の姿があった。

クドーがそれを横目でチラリと見れば、三人は彼の醜い身体から目を離すことなくじいっと睨みつけている。
不死を活かした戦闘を幾度も見せつけているとはいえ、こうして自分がキメラだという証明そのものを見られるのはさすがのクドーも勘弁してほしい所だった。
だが、残念なことに今のクドーは自分の意見を押し通せる立場にいない。

「お前ら……その、別に、だな……」
「あ?」
「何?」
「黙ってて」

クドーが申し訳なさそうに口を開けば、返ってきたのは異口同音――――いや、揃ってはいなかったが特に意味は変わらなかった。
いいから黙って寝ていろと厳しい視線と共に投げ掛けられたクドーは、眉を顰めて天井をずっと見つめているしかない。
彼の視線の先ではぶら下げられたランプがキイキイと音を立てながら揺れており、それもまた居心地の悪さを加速させる要因にもなっていた。

ガルアーノを撃破しロマリアから逃げるように脱出したアーク達は、一先ず身体を休ませ情報を整理する為にトウヴィルへと帰還した。
無論このまま攻撃の手を休めることなく次の作戦へ向かうこともアークの頭にはあったのだが、何せクドーが生きて帰ってきたのだ。
作戦を煮詰めると言う意味でも、再会することが出来たエルク達のためという人情的にもここで一休みする選択肢を取る理由は十分だった。

そんなこんなでトウヴィルに帰還した彼らの内、とりあえずは皆が疲れを癒すために眠りに付き、そしてクドーは念のため自分の身体を調べるためにヴィルマーを訪ねた。
初めて此処に来た時も体の具合をヴィルマーに見せたクドーだったが、あの時は時間がなかったこともあって簡易的な検査しか受けていない。
さらに言えば、今クドーを見守っている三人が口を酸っぱくして検査を受けろと彼に殴る蹴るの暴行を加えたこともある。

(痛みはないはずなのだが……)

寝台に寝そべりながらクドーは己の頬を摩り、目を閉じた。
脳裏に浮かぶのはガルアーノとの決戦ではなく、シルバーノアの中で幾度も繰り返された折檻。密かにシュウでさえも手を上げていたのがなんとも酷い話である。
あの鉄仮面のシュウでさえもが。だがしかしプロディアスにせよ白い家にせよ、クドーが一番傷つけていたのは彼だったりする。
その時の痛みを思い出しながら一度クドーが身震いすれば、それと同時にヴィルマーがため息を吐いた。

「抵抗力、とでも言えばいいか」
「……詳しく話してくれ」
「一度に多くの命を吸ったせいか、お主の身体が妙なことになっている。おそらくもう何かの命を吸うことは無理じゃろう」
「肉体が保たないと?」

クドーが答えると同時にガタッとエルク達が立ち上がろうとしたが、それを彼自身が寝たまま腕を伸ばし制止した。
心配してくれるのはクドー自身嬉しかったが、これはそういった心の問題ではなく科学者と被験者の間で交わされるもっと現実的な話。

「いや、そういうわけではないのじゃが……」
「……? 何だ、はっきりしないな」
「お主、確か魔物と人間のハーフじゃったな?」
「レポート上ではそうらしいが。親となった者にも会ったこともないし……まぁ、母体の方は死んでいるだろう」

エルク達の方をちらりと横目で見てからヴィルマーは居心地悪そうにその事実を言う。
既にヤゴス島でそのことをエルク達には話していたが、真剣な表情を浮かべる三人の前では、さすがのヴィルマーもその確認は勇気が必要だった。
といってもクドー自身は気にした風もなく。それが一体何の関係に、と言わんばかりにヴィルマーを見つめていた。

「お主は半人半魔の身体にさらに魔物を喰わせることに成り立つ特殊なキメラじゃが、常に命の補充によって魂が揺らぐ危うい存在であるということは理解しているであろう?」
「それは理解しているが」
「他者の心に入り込むか、それとも他者の心を取り込むかは別として、お主自身の魂の境界線が緩いからこそ出来ることじゃ。じゃが今のお前は大量の命を吸いきったことで妙な状態のまま魂が固着化し始めておる」
「…………つまり?」
「既に一体化しておるシャドウやアヌビスは別としても、これ以上その不死を活かした戦い方をすることは出来まいて。何せ補充すればお主の魂が持たんじゃろうからな」

途端にクドーの表情が険しくなり、上半身をゆっくりと起こしつつしばし思考の中に落ちた。
ガルアーノによって多数の命をその身体にストック出来たのは僥倖だっただろう。だがしかし無理な吸収は彼自身の身体にも影響を及ぼし、これ以上の補充が出来ぬ身体になっていた。
無論その再生能力そのものは誇るべきものがあるが、限りある命ではその特性をどこまで使い続けることが出来るものか。既に不死性はクドーにない。

「しかし、まぁ……」

心配そうに見つめてくる三人の友に眼を向け、クドーは意外にも心の中に不安がそんなにないことを確かめた。
一人であれば、報われないのであれば、血反吐を撒き散らしながら戦う必要もあっただろう。
だが今は一人ではない。それは不死性や再生能力など足元に及ばないほどの力である。
恐れはない。

「大丈夫だ。おそらくな」

傍の台に新しく用意されていた包帯を手に取ったクドーが悟ったように呟けば、ミリルが甲斐甲斐しくも慌てて包帯を巻くことを手伝い始めた。
ジーンは呆れたようにして両手を上に上げてため息を吐き、エルクはどことなく不満そうに口を尖らせたまま腕を組んだ。
変わらない。変わらぬままに、共にいることが出来る。

「あ、あれ……」
「……ミリル。一人で出来る」

手伝いを率先して申し出たその行為は褒められるものであっても、きっちりと巻かれずにぐちゃぐちゃに身体を締め付ける包帯にクドーは苦笑した。





◆◆◆◆◆





気分転換。
ヴィルマーから受けた検査も無事に終わり、他の仲間たちが寝静まっている夜ということでやることもなくなった俺は神殿の外に出た。
神殿からそのまま続く村への道をしばしゆっくりと歩き、その村へ辿りつけば勿論のこと家々の灯は消えている。
エルクとジーン、そしてポコによって救出されたトウヴィルの民達は、自分たちがキメラ改造を受けているという事実を知らずに一時の平和を享受しているのだろう。

といっても既にそのことを俺の知識で知っているヴィルマーとククルによって、そこら辺の対処も少しずつ進んでいるという。
確か知識の中でキメラ化を抑えるためにはジンバラと言う名の巨大生物の体液が必要だったはずだ。おそらくヴィルマーも知っているだろうが……。

一時の休息の中、何も考えずにぼうっとすることも出来たと言うのに、俺は夜空の下でまだ先のことについてあれこれ頭を悩ませている。
そうしなければ心配な心の弱さは俺の性格なのか、それともこの世界にて培った臆病さなのか。はっきりとしないが、どうなのだろうか。
知り過ぎたために未来の知識に捕らわれがちな俺の臆病さが、どこかで取り返しの出来ない失敗に繋がらないことを密かに祈った。

「なに黄昏てんだ?」
「……お前達」

背中に掛けられた声に振り返る。そこにいたのはエルクに、ジーンに、ミリルに。
先ほど俺の検査に付き合ってくれた彼らとはもう寝ると別れたはずだったが、何故か三人とも寝巻に着替えずに悪だくみをしているような笑みを浮かべていた。
ジーンの真似でもあるまいに。そんなことをいぶかしんで首を傾げれば、ミリルが一歩前に飛び出してにかっと白い歯を見せた。

「お話し、しよ?」
「は?」
「まだ何にも話してねーだろ、俺ら」
「……シルバーノアで暴行を加えなければそんな時間も取れたはずだったが」
「だ、そうですよ? ミリルさん」
「減点1」
「あのな……」
「口答えしたから減点2」

有無を言わさぬ表情を見せたミリルに頬がヒクついた。
話をするといっても何を話したらいいかなど……そも、俺は昔から彼らの聞き手であった。白い家でも自らのことを率先して話そうとした記憶はない。
そんなことを考えながら頭を悩ませれば、次第にその悩みさえどうでもいいと思い始めた。
話せるなら、拒絶する意味はない。

「寝なくていいのか? それにまだ戦いが終わった後だぞ?」
「別にー。疲れてねーしな」
「傷も誰かが治してくれたしな」
「…………分かった、降参だ」

まだ月が煌々と夜闇を照らしだす深夜過ぎ、俺たちは心地良いトウヴィルの風を受けながら取りとめもない話を続けていた。
その有様は恐らく昔も今も変わっていない。ミリルが話し、エルクが答え、ジーンが冷やかし、俺が聞く。5年前から変わらない俺たちの在り方。
言葉を交わし合う中で例えようもない穏やかさに包まれ、無表情に慣れてしまっていた俺の顔はだらしなくふやけてしまう。
「しかしあれだな。皆、何も変わっていない」
「当たり前だろ」
「成長してないってこと?」
「いや、そういうわけではないが……」
「ジーン……てめぇ何処見てやがる」
「別にー」

少しだけ声変わりし始めた皆の声を聞きながら、俺は守り抜いた縁を噛み締める。
果たしてこの先、この幸せが続くことはあるのだろうか。一人、自分だけが救われればいいと考えていた頃とはまるで違う。
救うためではなく、守るために。幸福と反比例するようにして膨れ上がるその不安が恐ろしくもあり、そして心地いい。

「クシュンッ!」
「む……ミリル、その格好では…………エルク、外套を渡してやれ」
「あ? あ、ああ……」
「お、ナイス判断であります、クドー。だがしかしここで追及せざるを得ない」
「何だ?」
「ミリルの衣装について詳しく。説に詳しく」
「…………」

そういえばエルクはミリルのことをどう思っているのだろうか。というかリーザはどうなっているのだろうか。
戦いの中とは言えども、友の恋路は出来る限り応援してやりたくもなる。その結果刺されるようなことになれば眼も当てられんが。
エルクがミリルを見る目は特別なものが浮かんでいても、ミリルがエルクを見る目は――――道のりは遠いらしい。

「ほぉ、つまりミリルさんはクドーさんにその水の羽衣をプレゼントされたと」
「うん。結構安く買えたんだよー」
「クドー……てめぇ、まさか……」
「ガキ共め。たかが服をやっただけで色気づくかよ。そもそもこれは魔法防具としてだな……」
「趣味と実益を兼ねた優れた防具ってことっすね。分かります」
「クドー……てめぇ、まさか……」
「エルクお前、そこまで頭悪かったか?」
「よし表出ろ」
「既に表だろ、此処は」

久しぶりに話をするというのに、口から出るのはどれもこれも下らないことばかりだった。
此処にいる皆は誰もが壮絶な過去を持ち、今まで歩んだ道も厳しいものばかりだというのに、それぞれが語る話にその悲惨さは匂わせない。
別に気を付けて言葉を選んでいるわけでもないのに、出てくるのは年相応の気恥かしいようなことばかり。
特にジーンはその傾向が誰よりも高かった気がする。もっとも進んでいるのはエルクだろうが。

「そういうジーン、お前はどうなんだ? 煽りを愉しむのもいいが、往々にしてそういう人種が取り残される」
「へへへ、俺はいーんだよ。何せ可愛い可愛いリアがいるもんなー」
「…………」
「…………」
「…………」
「何だよ……そんな眼で見んなよ……嘘に決まってるって」
「…………」
「…………」
「…………シスコンの上にロリコンか」

そういえばヴィルマーとリアの関係はどういったものなのだろうか。
エルクはプロディアスでハンターとして生き、ミリルはずっと白い家にいたということを知っているものの、ジーンについてはあまりその実態を知らない。
何が彼をこうも歪ませてしまったのか、実に悲しい話である。
そんな、他愛もない話の途中。リアの歳とジーンの歳で話が盛り上がっていた最中だった。

「そういえば一応書類上は俺達って皆14歳なんだっけ? ていうか俺達ってまだ20にもなってない奴多いよなー」
「確かリーザは15だったか」
「あー、分かる。リーザはなんか雰囲気からして年上っぽいもんね」
「アークも、ハンターズギルドの情報では18か19だったっけな」

何でも無い話。
そう、何でも無い話だったはずなのだ。

「クドーも俺らと同い年……あれ?」
「ん……?」
「ハーフの話って確か、プロジェクトが始まる……」
「おい、ジーン」
「いや、ちょっと待て、確か爺さんから聞いた話じゃ」
「どうしたの?」

自分の思考そのものが信じられないような様子で考え込んだジーンに、ミリルが顔を覗きこむ。
そんな光景を俺は他人事のように眺めていて……ここで適当にごまかしてしまえばよかったものを。





「もしかしてクドーって、今6歳くらいじゃね?」





一斉に集まる6つの瞳。
大きく見開かれたその視線に当てられた俺は、波乱の幕開けを密かに予感していた。




◆◆◆◆◆





「どう!? にてるでしょー?」
「まぁ……似てる、とは、思うが……」

目の前の広げられたスケッチブック。その中に描かれた『丸められた白い毛糸の玉に手と足を付け足した何か』を見るなり、クドーは口元をヒクつかせながら満面の笑みを浮かべる少女にしどろもどろになりながら答えた。
クドーの記憶にあったのはファラオの姿と、ヤゴス島の遺跡に現れるマミィ種の姿。笑顔の少女がこれと遭遇していることを考えれば、これと自分の姿がそう変わらないことにクドーは今更ながら愕然とした。

地べたに座り込み鼻歌を歌いながら次の絵をクレヨンでかき始める少女――――リアを眺め、そして視線を自分の身体に移す。申し訳程度の外套を羽織っているとはいえ、相変わらずミイラ人間の自分。アタッチメントのように付けられたポーチやナイフを装着するベルトがあったが、それでも子供にとってはただのミイラと変わらないらしい。
包帯さえなければ物騒な出で立ちは全身に兵器を隠しているシュウとは何ら変わりない格好であるというのに。

「一つ、いいか?」
「なぁに?」
「シュウの格好は……どう思う?」
「んー……かっこいいね!」
「ああ、そう」

包帯か。包帯がいけないのか。
クドーはげんなりとしつつもこれ以外に自分の身体を隠す方法はないのだと諦めた。全身タイツで着込めばいいのだろうが、それを着込んだ自分をジーンが盛大に笑い飛ばすビジョンを頭に浮かべ、クドーは頭を横に振った。
それでも少しだけ残っている人間性は火種を有している。カッコワルイよりはカッコイイ方が良い。何の基準を以ってカッコイイとするかは定かではないが。

そこまで思ってクドーは眉間を揉んだ。
今の自分にそのような要素が一片でも残っているというのか。
自分の目の前に広げられた真っ白なスケッチブックと手に握られたクレヨン。手持無沙汰に握られた肌色のクレヨンは、未だ使われていないのか角を残したままだった。

「何故、俺が……」
「あー! クドー君早くかいてよぅ! リアはちゃんとかいたよ?」
「いや、しかし……」

ぶぅ、と頬を膨らませたリアにクドーは渋々とスケッチブックに人の輪郭を描き始めた。
全身包帯塗れ、纏う気配は血溜まりと恐れられたキメラの暗殺者。その灰色の瞳から放つ眼光は常に剣呑。だと言うのに僅か7歳の少女から命じられたのは、『お絵かき』。
そう、お絵かきである。あの記憶にも古い白い家で過していた子供たちが時に興じることがあったアレである。
そうすれば意外にもジーンが一番お絵かきが上手く、そしてミリルが一番酷かったことをクドーは思い出した。

「ねー、きいてるの!?」
「うっ、あ、ああ。勿論聞いてるさ」

相手にしていないわけではなかったが、クドーの見る目はリアに向けられることもなく虚空を彷徨い、時に頭の中の記憶と現実を往復しては思案に耽るだけ。そして『相手にされていない』ということに子供は聡い。
クドーの態度にリアは徐々に眉を顰め、やがてくりくりとした大きな瞳で睨みつければ、やおら立ち上がり仁王立ちのまま口を開いた。

「おねぇちゃんの言うことはきかなくちゃだめでしょ!」

トウヴィルの一室すら越えて遺跡全体にまで届かんばかりに響いたリアの甲高い声に、クドーを中心として空気は止まり、淀み、そして彼は口元を盛大に歪ませた。
ギリギリとブリキのように首を回せば、やがて視界に入って来るのは部屋の入口脇からこっそりと此方の様子を覗く――――顔の群れ。

「…………」

まるで串団子のようにして壁際から幾つもの頭が縦に並びながら飛びだしており、それぞれの顔に浮かぶ双眸はじぃっとこちらを見つめたまま瞬きすらしない。
こんな光景をまだ幼いリアにでも見られたら泣きだしてトラウマになるだろうというのに、幸か不幸か彼女は気付かない。
そればかりか、クドーがその顔の群れに対して少しばかりの殺気が混じるほどの睨みを利かせれば、今度は真一文字に綴じられた幾つもの口がにぃっと弧に歪むのだ。

壁から飛び出す串団子が如き顔はそれぞれ、エルク、ジーン、ミリル、シャンテ。
まるでこちらを嘲笑うかのようにして観察し続ける彼らの様子に、さしものクドーとて青筋を浮かべざるを得ない。青筋があるかどうかは別にして。
そこでようやくクドーは気が付いた。
エルク達が顔を覗かせるその壁に、妙な凹凸があることを。

「…………ッ」

まるで黄土色の遺跡の壁と同化するように、その色の布を纏ったシュウが壁に張り付いていたことに。
いつもは物静かで生真面目なシュウの印象を、クドーは曲げずには居られなかった。










<あとがき>
ゆっくりにもほどがあるしちょっと付け足しただけだけどリハビリがてら更新。
sage更新したけど確か携帯からは普通に上がってるんだっけか。
なんにせよほんのちょっとの更新でごめんね。あとあけおめ。

うーん、やっぱり仮完結してるせいで筆が乗らん。
あんまり期待しないでね。



[22833] 蛇足編第三部『嘘予告』
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:35686c4e
Date: 2013/08/27 10:40

「なぁにぃ? ガルアーノがやられただと?」

ミルマーナ軍本部。戦線が開かれる前は海上に浮かぶ白亜の城として名高いその場所も、今や最新鋭の兵器群が顔を並ばせる鉛色の城と化していた。
緑と友愛をこよなく愛するミルマーナ国王が何物かによって謀殺されて久しく、軍を統括する将軍となった男が玉座に腰を下ろして随分と時が流れてしまっている。
その男。軍人というには肥えた体格とスキンヘッド。そして何よりも下賤な欲望に満ちた瞳をぎらつかせるのがヤグンという男だった。

「はい。ロマリアにあるキメラ研究所にアークが攻め込み、善戦するも……」
「…………くく」

緑色のベレー帽を被った部下の報告を聞くなり、ヤグンは職務中だというのにテーブルの上に散らばる酒瓶から封の空いていないものをつかみ取り、グビグビと喉を鳴らして呷り始めた。
その瞳には歓喜と嘲りが込められていた。尚も報告を続ける部下のことなど気にもせず、ゲラゲラと笑いながら酒を飲む。彼の隣をいつも陣取っているペットの子ザルも、とても小動物とは思えない声色でギャッギャと鳴きはじめた。
その余りの光景に、灰色の身体を持っているはずの部下でさえも顔を歪めた。

「ようやく死んだか。あの三下」
「将軍?」
「ああ? 何だ、貴様も笑わんのか。あの穴埋めとして四将軍の名に連ねられた勘違いが死んだんだ。これほど傑作なことはあるまい」

いつになく上機嫌の、それこそ戦場の兵をゴミのように散り飛ばすかのような恍惚とした表情を浮かべたヤグンは、聞いてもいないのにガルアーノに纏わるくだらない話を部下へと話し始めた。

「所詮四将軍などという名も、後から付けられた通り名に過ぎん。アンデルは御方のために動き、ザルバドは本国を守り、そして俺は侵略する。くくっ、ではガルアーノとは何だ?」
「それは……」
「たかが一研究者の馬鹿が俺と同じ将軍と呼ばれるなど、それこそ馬鹿な話だ」

日ごろから下と思っていた人間が同格として存在することに苛立っていたのか、ヤグンの矢継ぎ早に話される悪態に部下は無表情で通した。ここで余計な口を挟んで『粛清』された軍人は少なくない。
暴君の話が途切れる瞬間を狙って、部下は咳払いと共に話の先を続けた。

「それと同時に本国で他将軍様方との会合が求められているようですが」
「誰からの話だ、それは」
「アンデル様です」
「ちっ、これからが面白いことだというのに」

先ほどまでの機嫌から一転して顔を歪めたヤグンの態度に、部下は強張る表情を見せぬよう震える右手を後ろ手に組み左手で押さえつけた。
やがてヤグンは立ち上がり、軍服に飾られた幾つもの勲章をじゃらじゃらと鳴らしながら出口へと歩を進めた。その歩みはとても軍人のものとは思えないほど緩慢であり、そして武術を嗜む人間から見れば余りにも隙だらけなそれ。ただ殺戮と恐怖のみを以てミルマーナに君臨する暴君は、常に我欲のままに生きている。
その有様に震えた部下は、思い出すかのようにもう一つの報告を叫んだ。

「ヤグン様! その、グレイシーヌから和睦の使者が来ておりますが……」
「殺せ」
「は?」

二言目もなく、ヤグンは背中越しの部下に言い放った。

「尋問し、拷問し、薬を与えてグレイシーヌの情報を吐かせろ。そしてことが終われば挽肉に変え、グレイシーヌへ送り返せ」
「しかし、それは……」
「貴様も一緒に死肉の箱の中に入るか?」

もはや部下は歯をガチガチと鳴らせることすら隠せなかった。

「くたばるか、ひれ伏すか。それしか残っていないとグレイシーヌに教えてやれ」

暴虐のヤグンは、未だ世界を侵しつつある。
ヤグンの肩に乗る耳触りな子ザルの鳴き声が、いつまでも響いていた。


◆◆◆



自然豊かな国として広大な熱帯雨林が広がるミルマーナではあったが、ヤグンが国を操るようになってからだいぶその姿も様変わりしていた。
それも恵みの精霊という、この地一帯を守護する精霊の力が衰えているためではあるが、それと同時にロマリアより持ち込まれた大量の科学兵器がそれを加速させている。
それはミルマーナ首都であるアジャールでも変わりなく、街にはヤグンの圧政に引きずられて横暴を振るう軍人たちが闊歩し、自然と人の営みがほどよく混ざった涼しげな街も鉄の匂いを漂わせるようになってしまっている。

人は、その心に闇を纏い始めている。

闇とは負の感情、ありきたりな憎悪や悪意といったものだけではない。諦め、絶望、悲しみ。ヤグンが国を取り仕切るようになってから国民の顔にはいつも影が差すようになった。
だからこそヤグンは、ロマリアは力を増す。悪意によって人を見出し、絶望によって人を堕とす。
であればロマリアにおけるヤグンの立ち位置は世界に恐怖をばら撒くにはうってつけの役割であった。

数年前にミルマーナ国王の謀殺からこの国の軍拡を強行に進めてきたヤグンの欲望は、やがてロマリアの目的と同じく世界に向け始めていた。近辺の小国を落とし、あるいは消滅させ、殺戮の限りを尽くしてきた軍国ミルマーナはやがて大国グレイシーヌにさえも手を出し始めた。
国を治めるつもりなどなく、ただ屈服させたいが故に。

「酒持ってきやがれ!」

今日もまたアジャールにある酒場には多くの兵隊たちが屯っており、碌に金も払われない、もはや野盗のそれと同等以下と化した者たちに人々は虐げられいた。
その光景を見ながら、ひとりの清掃員が酒場の端っこで暗い瞳を覗かせていた。手に持った掃除機で人の眼に付かないよう黙々と掃除に勤しんではいたが、常にその眼は兵隊の方へ向いている。

男の名はヨアン。

平和だったミルマーナにてただの兵隊見習いであった男。
七三分けに整えられた髪型と少々痩せこけたものをみせる細身の体は、とても元軍人というにはほど遠く、厚めの丸縁眼鏡はその頼りなさげな有様を後押しするようだった。
だからこそ軍人たちの眼には止まらない。おどおどと自分たちを見やる若い男の有様に、少しだけ自尊心を肥やすだけだった。

ヨアンは胸中に大望を抱いて生きてきた。
あの自然豊かなミルマーナを生き返らせてみせると。

それはこの国に住む人々が無意識に抱く希望であり、そして意図的に捨ててきた願いだった。いったい誰がこの現状を打開してきれるのか。いったい誰が解き放ってくれるのか。
長く虐げられてきた心はもはや自ら反抗する気概を持てない。少し前に起こったヤグンへのクーデターの際に、そのリーダー格が街の前でヤグン自らの手でただの肉塊と変わった時、確かに人々の心は折れたのだ。

ただ唯一、ヨアンだけは折れなかった。
その身を清掃員として偽り、数年にも渡るスパイ活動を続け、どこかに反抗の種はないものかと泥を啜りながら生きてきた。その過程で知り得た一つの希望。
王女が生きている。あの心優しきミルマーナの王女が。

(まだ、耐えるんだ)

ウェイトレスとして雇われている酒場の幼い少女が兵達に乱暴に腕をつかまれた。その光景を見てもヨアンは動かなかった。口の中に溜まる血が喉を流れてもまだ、乱暴に服を裂かれたウェイトレスを横目に見ただけだった。
その少女を心配する前に、スパイ活動をしている自分の情報が流れるのではないかと、人でなしの思いを抱いたことにヨアンは薄く自嘲した。

「あ、あんたらっ」

止めに入った酒場の店主は銃底で殴られた。血が舞う。苦悶の表情を浮かべながら店主の男は倒れ伏した。兵たちが引き金に手を掛けた。ウェイトレスの、店主の娘の悲鳴が上がった。

それを、傍から聞く。

娘が店主を庇い涙ながらに何でもすると言った。兵たちはあざ笑った。店主が震えながら娘の肩に手を掛けた。もはや幾度も見てきた悲劇の形。これが悲劇だったのか日常だったのかさえもはや定かではない。
これが、嫌だから、自分は。
ヨアンは灰色に白けた瞳でファンの回る酒場の天井を見上げた。

遠い日の記憶を思い出す。
未だ軍服さえまともに着られなかったあの若き見習いの日々、ミルマーナらしい褐色の肌をした利発そうな少女に出会った。ただの迷子かとも一瞬思ったがその身に纏うのは王族が着こなすようなお召し物だった。彼女はそれでお忍びだという。
初めて目の前に現れた王族という人種にしどろもどろになりながらも、たった一日だけ優しき少女と知り合えた。この国が大好きだと。守りたいと話す強気な王女の姿。

思い出せば、ヨアンは惨めになった。
今の自分は何をやっているのだろうか。この目の前の光景が許せなくて、あの日の誓いを遂げたくてこうしているというのに。
そう思えば行動は一瞬だった。

手に持っていた大型の掃除機を振り回し、今にもウェイトレスに襲い掛かろうとしている兵隊の側頭部を殴りつけた。
相手は四人。殴りつけられた兵隊はそのまま沈んだためにもはや3人。だがこちらを睨みいきり立つ屈強な兵隊を前にヨアンは覚悟を決めた。

もう、生きられない。



◆◆◆



ヨアンはぼうっと霞む視界と定かではない意識が絶え間なく続く中、腹に激痛を覚えた。次いで胃の中から吐瀉物が這い上がり、酸っぱい匂いと錆びた臭いに意識が覚醒された。
げほ、と赤が混じった固形物を吐き出す。覚醒した視界だというのに右目は見えず、眼鏡をかけていない裸眼は目の前の状況さえ把握しきれなかった。

「起きろ」

ドスの利いた声が耳に届く。首に走る痛みを抑えながら顔を上げれば、ヨアンの視界には自分を見下ろす何者かの顔が三つあった。
ようやく思い出す。哀れな正義感の末路を。脳内の記憶を巻き戻し、ヨアンは原型の残らないほど殴られ晴れ上がった顔をにへらと歪めた。

ヨアンは熟練の隠密としてスパイ活動を続けたわけではない。見習いのままヤグンの手に落ちたミルマーナに彼の居場所などなく、自分を指導してくれた僅かの生き残りもすでに粛清の手で消えた。
だからこそ自分の頼りない見てくれを利用して彼は少しずつ情報を集めてきたのだ。ゴマを擦り、ろくでなしを演じ、相手の自尊心を満たすように……。
であるならば酒場で起こしたものは蛮勇に他ならなかった。

すぐに叩き伏せられ、引きずられ、やがて街の外れまで連れていかれた。
そこから始まったのはただのリンチだった。僅かの反抗として拳を振るってみるものの物の見事に兵隊たちには避けられ、哀れな獲物の抵抗は却って兵たちの嗜虐心を満たした。
蹴られ、殴られ、折られ……それでも彼らは背に背負った銃を使おうとはしなかった。
すでに陽は沈みかけ、自分の身体は夕日の明かりと血で真っ赤に染まっていた。

(早く、終わらないのか)

諦めない。ただのその心を芯にミルマーナの復興を願ってきたヨアンですら、その内には諦めが蔓延していた。絶え間ない暴力に叫び声をあげることも出来ず、どこが痛くてどこが痛くないかさえ分からない。
そうすれば兵たちの興味がなくなるのは当然だというのに。

「おい、もう反応しねぇぞこいつ」
「くたばったか? いや、まだ息があるぞ」
「でもつまんねぇよ。殺しちまおうぜ」

ヨアンは血が詰まって聴力の落ちた中でも聞こえたその言葉に安堵した。これで終われる。
だが自らの言葉に疑問を投げかけたのは他ならない自分だった。これで、ここで終わっていいものか、と。

(サニア、様は……生きてる)

言い訳染みた言葉。次いで湧き出たのは憤怒だった。
あの幼い少女に。今も恐らく一人で戦っていらっしゃるあの王女一人にすべてを託すのか。この広大で美しい自然の国を。その人々を。
今しがたヨアンの首に手を掛けようとした兵隊の手を、力のない動きでつかみ取る。手弱女よりも弱いその力だったが、決して離そうとはしなかった。

「おっ?」
「死ね、ない」

死んでたまるものか。祖国のために。民のために。あの王女のために。まだ自分には出来ることがあるはずだ。
目の前でゲラゲラと笑い下卑た貌を浮かべる兵隊たちに向けて、よろよろとヨアンは立ち上がった。

「食っちまうか、こいつ」

しかし兵隊の一人が零した言葉にヨアンはわが耳を疑った。
やがて兵隊たちはその身を変化させ、真っ赤な血に染まったような鎧を着こみ死臭を漂わせる鬼のようなモンスターへと転じた。

「魔物……」

呆然としながらヨアンはつぶやいた。
スパイを続ける中で突き止めた情報の中に、ロマリアから送り込まれたキメラ兵なるものを彼は知っていた。だがその運用法までは未だはっきりとせず、であればヨアンは戦場でのみ運用されるものと思っていた。
だが実際はどうだ。ミルマーナの誇りある軍服を纏い、民に頭を下げさせ、そしてこの国を我が物顔で徘徊している。

「ギザマラッ!」

ヨアンは潰れかけた喉で吠えた。
祖国が人ではなく、もはやただの魔物共に犯されていたという事実に勘弁がならなかった。
だが現実は遠く、近く。幾人もの血を吸ったであろう斧を振り上げた魔物がそこにいる。目の前まで迫っている。死神の鎌はもう、そこに。
夜と昼の境目。最後の逢魔が時。消える夕日に紛れて、ヨアンは赤黒い影を見た。

「あ?」

いつになっても振り下ろされない斧に身体が固まったのは、ヨアンだけでもなく目の前にいた魔物も同じだった。
気がつけば赤の鎧からは幾枚もの漆黒のカードが突き刺さっており、そのどれもが魔物の身体から鮮血を浴びて赤黒く光っていた。

「な、んだ、こ……」

やがてそのカードは不可思議な光を放ち始め、盛大な音を立てて爆発した。
突如吹きさすぶ突風にヨアンは尻もちを付き、やがてはバラバラになった魔物の身体が降ってくる。ピチャリと頬を伝う魔物の血に、ヨアンは何が何だか分からなくなって唖然としていた。
魔物たちの怒号ですら、今はどこか遠い。

「どこのどいつだ!?」
「出てきやがれっ!」

キョロキョロと辺りを見回す魔物たちをあざ笑うかのようにして、暗がりの中で黄衣が翻った。
どこからか現れた小柄な影が魔物の首筋を沿うかのようにカードを奔らせ、鋭利なそれで裂かれた魔物の首から血が噴き出す。

「遅いわよ」

影が零した声は少女のそれのように甲高い音を残し、ヨアンのぼやけた視界にようやく映った姿は、ミルマーナでもよく見られる少々露出の多い黄衣を着た少女らしき姿だった。
バラバラになった魔物と首を切られて物言わぬ躯となった魔物を踏みつけ、少女は腰まで届く茶髪をかき上げるようにして残った一体に向けて言い放つ。

「この国の人々に手を出すなら、死すらも生ぬるい」

とても少女の声で言えるものではなかった。だがしかしその声にはあまりにも怨嗟の念が込められていた。とてもその容姿には、小さな体には収まり切れない憎悪の念が。
だがしかしその声が途絶えるや否や、突っ立っていただけの魔物が勝手に倒れ込むようにして地に伏した。
そしてその陰から出てきたのは、また違う影。

「口上を垂れる暇があるなら殺せ」
「いちいち五月蠅いわよ」

唐草色の外套。全身を白の包帯で巻かれた姿。右手に持つ血に塗れたナイフ。ヨアンは無意識のうちに恐怖した。あれはいったい何なのだと。
憎悪に身を焦がす少女。恐怖をまき散らす木乃伊。
ヨアンは何が起こっているのかも分からず、ただひっそりと意識を閉じた。



◆◆◆



勇者は裏側の知勇を帯びて飛翔する。
世界各地に撒かれた闇の種を刈り取るために。



悠久の大地が広がる戦火間もないひび割れた国、ブラキア。
戦士は捨ててきた過去と相対する。逃れられぬ運命を捻り潰し、まだ見ぬ未来をつかみ取るために。
偉大なる戦士はいつだってこれしか知らない。だが未熟な父はそれを知っている。

――――私を、お前の父と名乗らせてくれ――――



僅かな希望、僅かな縁。それを信じた故に、闇はそれを奪い去る。
たった一つ。少女が振り絞る勇気は、今こそ人を解き放つ。
人間は、弱くない。

――――手を繋ごう。まだ、やり直せるから――――



天高く聳え立つ神の居城。その地に人の罪は甦る。
古の闘争を置き去りに、機神は化け物と対峙する。
貴様は敵か、味方か。

――――我は機神。人を護る物。化け物を、屠る、物――――



砂の舞うかの地へ少女は戻ってきた。消えた過去が胸中を乱す。
私はだあれ。私はなあに。
幼い手から零れ落ちた雫が答えを出す。

――――我儘が言える。我儘を許してもらえる。貴方はもっとその価値を知るべきだと思う――――



世界は終わりに向けて走り出す。
精霊も、魔物も、人間も巻き添えにして加速する。
終焉の時は近い。





化け物。彼はいつだって変わらない。
罰の時。復讐の時。彼はいつだって変わらない。

――――邪魔だ。死ね――――

全てを前にして彼は言う。








<あとがき>
暇つぶし。


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