虚空を、極太の光条が薙ぎ払った。
圧倒的大質量から放たれる、圧倒的な魔力砲。
小細工などいらない、ただそこに存在するだけで、敵対するものに恐怖を与え、蹂躙し、駆逐する。
慈悲などなく、憎悪もない、無機質な破壊の怪物。
──つまり、そういう兵器なのだ。エンデ・デアヴェルトとは。
「ちぃっ……皆、無事か?」
光線を回避したクロノは、油断無く敵を睨みつつ、仲間の安否を問う。
その視線の先で、元々シビック・ガニマールという名の人間であった怪物は、大きく開いた口を閉じていた。その口の端には、うっすらと魔力砲の残滓が残っている。
ややあって、なのは、フェイト、はやての順で、返答が帰ってくる。
「な、なんとか……こっちは、大丈夫だよ」
「私も大丈夫。はやては?」
「同じく、や。司書の救護脱出も、武装局員の手で完了しとる。書庫の封鎖も順調や」
三人のセリフに、クロノは満足気にうなずく。
そして、自分の真後ろ、今返事をしなかった者に振り返った。
「よし。……ユーノ?」
クロノに呼びかけられたユーノは、返事をしつつ、首をすくめる。
「はいはい、説明だね?」
「そういうことだ」
「エンデ・デアヴェルトは、さっき言ったとおり寄生型のロストロギア。古代ベルカ時代に作られた決戦兵器で、魔導師を依り代に、巨大な怪物を顕現させるものだ。ただし、発動時点で依り代となった魔導師が原子レベルにまで分解されることや、現れた怪物自体に理性が存在せず、いかなるコントロールも受け付けないことから、欠陥兵器とされた。ただ、一部文献によれば、戦場で敵地の真ん中にコレを装備した低ランク魔導師を特攻させ自爆兵器として使用していたこともあるらしい」
ユーノが説明をしている間に、怪物が口を開き、魔力砲の再チャージを開始する。
それを感知したリインは、ユニゾン中のはやての中から警告を発した。
《敵、第二射用意! 危険です、逃げてください!》
「大丈夫だよ、さっきのでも分かったと思うけど、あの魔力砲はチャージにかなり時間がかかる。発射まで、後5分はあるはずだ。……それで、説明の続き。あのロストロギアは、そういうわけで、最初から軍事目的で作成されたものだ。だから、こと戦闘という側面においては、他の暴走ロストロギアとは比にならない。そうだね、分かり易い例で言えば……あの怪物は、闇の書の闇の数十倍の防御力、そして攻撃力を持つ」
「……なあ、ユーノくん。それ、マジなん?」
「大マジも大マジ。事実、アルカンシェルを純粋な魔力砲としてみれば、あの出力だと……計算上、46発半を直撃させる必要がある」
「そ、それは、まずいんじゃないのかな……?」
闇の書。ここにいる人間全員にとって、因縁の深いロストロギアである。
その闇、と呼称される怪物は、闇の書、正式名称夜天の書が、長年の遍歴の中改変される際に蓄積したバグの結晶であった。
圧倒的戦闘力に再生能力を誇るソレを、当時のなのは達は、力を合わせ撃退。最後はアルカンシェルによってバグ本体を消滅させ、さらに管制プログラムが消えることによって事態は終結を見た。
だからこそ、闇の書の闇と戦ったことがある人間だからこそ、分かる。
もし、ユーノの言うことが本当なら……このロストロギアは、半端ではない。
その場の、ユーノを除く全員の背に、嫌な汗が流れる。
が。
ユーノ・スクライアは、笑みを見せる。
他者を安心させるような、朗らかな笑みを。
「大丈夫。アレは、倒せない相手じゃないよ」
「で、でもユーノくん! そんな装甲の相手じゃ、私達の攻撃、かすり傷も付けられないよ!? まさか、無限書庫にアルカンシェルを撃ち込むわけにも……って、わきゃ!?」
「大丈夫」
なのはの頭に、優しく、華奢で、しかし大きな男の手が乗る。
突然のユーノの行動に、なのはは言葉を失ってしまった。
「大丈夫だよ。みんなが、僕を信じてくれれば……あの怪物は絶対に倒せる。絶対に、だ」
「……ほ、ほんとう?」
「もちろん。だからなのは、僕を信じて……あ痛ッ!?」
なのはを撫でるユーノの右手に、一瞬、鋭い痛みが走った。
“電気を流された”ような感触に思わず首をめぐらせれば、そこには、恐ろしい笑顔の金色夜叉が。
「……ユーノ。状況、分かってる?」
「ご、ごめんフェイト、ふざけてるつもりはなかったんだ! ただ、なのはの緊張を解そうと……」
「そ、そうだよフェイトちゃん! だから、落ち着いて!」
「無関係のなのはは黙ってて! ……まったくユーノは、どうしてこういつもいつも……」
「ちょっとフェイトちゃん、無関係ってどういうこと!? ことと次第によっては、あの化け物さんの前に……」
「……いいよ、なのはがそういうつもりなら、こっちだって──」
「──あーはいはい、仲間割れはまた今度な? とりあえず、二人共現状見よか?」
当のユーノを置いてけぼりにしてヒートアップする二人を、はやてはどうどう、と宥めた。
ついでに、手に持つシュベルトクロイツで二人の頭をコツン、と小突く。
あいた、と可愛らしく頭を抑える二人にため息をつきつつ、クロノはユーノに顔を向けた。
「──おいフェレットもどき、確認だ。アレを倒す策が、あるんだな?」
「その通りだよゴキブリ提督。他のどこでもない、“ココ”だからこそ、アレを滅ぼすことができる。……ただ、そのために……皆には少し、時間を稼いで欲しい」
「どのくらい?」
「……10分。それだけあれば、カタがつく。そしてその間、僕は動くことができない」
ユーノの言葉に、クロノは肩をすくめた。
エンデ・デアヴェルトを相手に、10分。今のまま、膠着状態を維持するだけなら、不可能な話ではない。ビーム砲は連射不能でチャージ時間も長く、かわすことも容易いからだ。
だが、ユーノは「動けない」と言った。つまり、ユーノが狙われた時、彼は回避することができない。そして、その攻撃を防御することは、不可能だ。
つまり、クロノ達は、エンデ・デアヴェルトの懐へと潜り込まないといけない。戦闘用に作られたロストロギアの、懐へ。ユーノに向かう流れ弾に注意しつつ。
だが、クロノは、不敵に笑う。
親友の期待に、応えるために。
「……了解だ。その代わり、作戦成功の暁には……そうだな、第一食堂の鯖味噌定食でも奢ってもらおうか」
「あ、私ステーキ定食にするわ」
《お子様ランチのBセットがいいですぅ!》
「私は、ケーキバイキングが食べたいかな……?」
「じゃ、じゃあ私、ユーノくんとの一日夕食権!」
「あ、なのはずるい! やっぱり私もソレ!」
「ふふーん、だめだよフェイトちゃん。早いもの勝ち!」
「ぐっ……!」
「はいはい、喧嘩はまた今度な?」
なんだかんだと言いつつ、相棒を片手に、四人はユーノの前に立つ。
まるで、彼を守るように。
「……みんな、ありがとう」
「気にするな。もとより他に手などない、なら、やれることをやるのが管理局員だ」
「そう、だね。……じゃあ、みんな……」
怪物の口が、極限まで開かれる。
口からちろちろと漏れる魔力は、解き放たれる時を、今か今かと待ち望んでいた。
そして。
《敵主砲、エネルギー臨界! 来ます!》
「行こうか。管理局の局員として、その居場所を守るために。その責を果たすために。その魂を、見せ付けるために!」
「「《「「了解!」」》」」
再び放たれた極光をかわし、散り散りに、しかし想いはひとつに。
六人の戦士は、飛んだ。
◆
知恵持つ魔杖、レイジングハートが、主の意を受け、その姿を変える。
丸みを帯びた魔導師の杖から、鋭角的な金色の槍へ。高出力砲撃と突進攻撃力を兼ね備えた、高町なのはの戦時兵装。
エクシードモード。
「突貫するよ!」
《All right, Strike Flame open ...A.C.S. driver ignition》
轟、という音と共に、なのはの体が前に出る。
対象は巨大にして強大、生半可な攻撃では傷ひとつ付かず、その攻撃力は一撃でこちらを墜とす。
だが、彼女に恐れはない。
不屈のエースは、こと一度戦場に出れば、絶対に迷わない。
「加速!」
《Load cartridge》
レイジングハート基部にある排気ダクトが、機械音を立てつつ一回伸縮。
その一発で、なのはさらに加速する。
目標は……再度魔力砲のチャージを開始した怪物の、顎。
「とりあえず、一撃目!」
加速の勢いそのままに、なのははアッパーカットを決めた。その一撃は強固な外皮を貫くことこそできなかったが、強制的にその大口を閉じさせることには成功する。
それによって、怪物の口中で収束していた魔力は、それまでの工程とは比にならない速度で圧縮された。
ただでさえ不安定な高密度魔力スフィアは、さらに不安定な状態へ。やがてその状態が維持できなくなり、
「グ、ゴオオオオオオオオオン!?」
爆発。
怪物の顔部分を、爆煙が包み込む。
「……やった?」
《Noap, Attack object is arriving》
その煙が晴れ、無傷の顎が現れた。
そう、無傷。この分だと、通常装甲が弱いとされる体内にも、外表面と同等の装甲が施されていると見ていいだろう。そもそも、生物ではないので当然かもしれないが。
「グルルルル……」
「あれ、怒っちゃった? まずいなあ、どうしよう」
《No problem, It's our job. ...Master, you look like happy》
「へ、そうかな? ……うん、そうかも」
絶望的状況下で、なのはの顔に浮かぶのは、笑顔。
それは、彼女が戦況を楽観ししているというわけではない。むしろ、ここにいる人間の中で一番戦闘知識を持つ彼女は、現状をよく理解している。
そんな彼女が笑うのは、ただ、嬉しいから。
「久しぶりに、ユーノくんといっしょに、戦えるから。不謹慎なのは分かっているけど、嬉しいんだ。……背中が、あったかい気がして」
《...So, you mustn't be looked bad battle》
「もっちろん!」
レイジングハートの先に、桃色の魔力が集まっていく。
全力全開の、大威力砲撃。そのスタイルが確立する前、まだ魔法を知って間もないころに、自分に魔法を教えてくれたのは、フォローしてくれたのは誰だったか。
成長した今、その人に、無様な姿は見せられないから。
なのはは、今、この瞬間に、全力を尽くし続ける。
「行くよレイジングハート、力を貸して!」
《All right my master, it's my work》
「ありがとう、それじゃあ行くよ……ディバイーン、バスタアアアアアアアァッ!」
それは怪物の放つものよりずっと弱く、しかしずっと神々しく。
純粋な思いは、時に、全てを超越する。
──そして、神の鉄槌が、怪物の脳天を打ち据えた。
◆
「……行くよバルディッシュ、出し惜しみなしだ」
《Yes sir, Sonic Form ...Riot Blade》
フェイトの体を金色の魔力光が包み込み、その装備を一新させる。
バリアジャケットは、速度を追求し、無駄なものを一切排除した高速戦闘形態に。デバイスであるバルディッシュは、大鎌から双剣に。
──そして、フェイトは光となる。
《Sonic Move》
「はあああああああああっ!」
バルディッシュの機械音声を置いてきぼりにして、フェイトは怪物へと迫った。
閃。
高速の斬撃が、無数、怪物の右腕へと叩きこまれる。
鋭さと、速さを兼ね揃えた、全てが一撃必殺の斬撃。それを、連続して放つ。
フェイトの膨大な魔力量に、日々の研鑽、そして自身の魔力特性を駆使して放たれたそれは、正しく“出し惜しみなし”の全力攻撃。
「……ぐる?」
……が。
それを受けた怪物の腕は、無傷。フェイトの攻撃は、ソレにしてみれば、虫に刺された程度の瑣末なもの。
そして、感情というものを持たぬソレは、フェイトの攻撃に関心すらも寄せはしない。
──フェイトとて、そんなことは、承知していた。
「バルディッシュ!」
《Riot Zamber Calamity》
怪物の背後へと回ったフェイトは、バルディッシュの名を叫ぶ。
主人の意を即座に解したバルディッシュは、即座にモードチェンジを開始。根元を魔力ワイヤーで繋がれた双剣は、先端が二股に分かれた長大な大剣へと変形する。
その刀身に、込められるだけの魔力を込めたフェイトは、
「──っ、イアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
裂帛の気合を込めて、怪物の脳天へと振り下ろした。
それでも、怪物の体には、傷一つ付かない。だが、衝撃そのものは怪物の総身を打ちすえた。
言わば、金属バットで頭をかち割られるような衝撃を受けた怪物は、なのはに続いてフェイトにも自身を傷つける危険性があると理解。
彼女を、攻撃対象と認識する。
「うわっ!? ……とと、狙い通り、かな?」
《Yes sir. But don't carelessness, OK?》
「大丈夫だよ、そこは。……はぁ」
《...Sir?》
荒れ狂う風をまとって、怪物の右ストレートがフェイトへと放たれた。
それを危なげなくかわし、フェイトは一端怪物と距離をとる。バルディッシュの注意には笑顔で答えた彼女だったが、その後、憂いを帯びた溜息をついた。
疑問の声をあげるバルディッシュに、フェイトはそっとほほ笑みを見せる。
「あ、ごめん。心配すること、なにもないよ? これは、私的な話だから」
《Sir, I am your device. So I have a obligation that manage your condition》
「……いや、別に、そんな気を使わなくても……ほら、私もう子供じゃないし……」
《But sir, you must have a trouble, and I say again, I am your device. I am your supporter and my work is supporting you all about things》
「そう……バルディッシュは、いい子だね」
フェイトは、バルディッシュの黒く輝く表面を、そっと撫でる。デバイスコアが、照れたようにチカチカと光った。
その様子を愛しげに見つめながら、フェイトは重い口を開く。
「……私の入り込む隙なんて、ないんだよね。最初から」
《Ms.Takamati and Mr.Scrya's relationship? But, you are their friend》
「そう、友達だよ? でも、友達以上にはなれない。傍目には、違うかもしれないけど……あの二人の絆は、絶対に切れない、赤い糸のようなもの。私はそこに、お情けで入れてもらってるんだ」
《So ..., so, you give up your love?》
「……うん。だって、私は、あの二人に幸せにして貰ったから……だから、あの二人に、幸せになって欲しい。だから、あの二人のためなら、私はいくらでも傷ついていいんだ」
《Really? You think?》
「本当に。本当に、そう、思ってる……」
フェイトの答えを聞いたバルディッシュは、しばらく、黙ったままだった。
戦闘の音が、怪物の咆哮が、今は遠くに聞こえる。隔絶された時間、空間。現実はそうではないのに、そうと錯覚してしまう感覚。
そして、バルディッシュが、光る。
《...OK. Sorry sir, I did impertinent behavior》
「ん、そんなことないよ。……ありがと、バルディッシュ」
《No problem》
そこで、主従の対話は終わり。
周囲の風景がモノクロから元にもどり、現実の時間が帰って来る。
もとより、戦闘中だ。本来なら、無駄話をしている時間などない。
だが、それでも。
最後に一言、誰にも、主人にも聞こえない声で、バルディッシュは付け加えた。
《But... I hope your, not them, only your happiness.It's strange, but it's my personally think》
◆
ところ変わって、こちらは後方支援組。
「……なんや、複雑な感じやなぁ。こう、歯の奥になんか挟まった感じというか、なんてーか……」
《ドロドロのようでいて、そうではないんですよねぇ。でもこれ、例えばユーノさんがどちらか選んだとして、解決するような問題なんです?》
「んー……いや、むしろこのままの状態が一番バランスとれてるような、そんな気もするんやけど……その点、お兄ちゃんはどう思っとるん?」
緻密な計算による正確な照準が苦手なはやても、これだけ的が大きければ、リインによる補助だけで十分だ。
もとよりオールマイティタイプのクロノも、同上。後方に下がっているのは、十分すぎるアタッカーが前線に出ているからである(本来後方支援担当のなのはが前線に出ている事実については、もはやツッコミを入れる方が野暮なので黙っておく)。
そんな彼らは、片手間にやっているわけでもないのだが、攻撃の集中しない後方にいることもあって、比較的余裕があった。
ので、前線にいる二人と、彼らのさらに後方でなにやら術式を展開している男との関係について議論する余裕は、十分にあった。
ありはするが、そこは一応、この場にて最高の指揮権限を持つ男。クロノ。
はやての言葉に、彼は軽く眉をひそめる。
「……戦闘中に、余計な口をはさむな。それと、僕はフェイト以外の兄になった覚えはないぞ?」
「まーまー、そー固くならんと。それにあれや、なんやかんやでクロノくん、私たちのお兄ちゃんみたいなもんやないか」
《それに、エイミィさんはマイスター達のお姉ちゃんだって、ご自分で言ってたです! エイミィさんがお姉ちゃんなら、その旦那さんのクロノ提督は、お兄ちゃんなのです!》
「おおリイン、自分頭いいやん! ご褒美になでてあげるわ……私の頭を」
《むぉお、不思議です! 絵面的にはマイスターがマイスターをなでるというなんともアレな感じなのに、確実に今、リインはなでられてるですぅ! ……感じる! マイスターの鼓動を!》
「ユニゾンって、不思議やな!」
《です!》
「……君達は、こんな時ですら、真面目になれないのか……?」
途中から勝手に漫才を始める主従を、完全に呆れの視線で見つめるクロノ。
おかしいな、十年前はもっと素直ないい娘だったはずなのに……と、その目に若干遠いものが混じる。
そんなメランコリック入りかけたクロノに、はやてとリインは、無邪気に笑いかけた。
「大丈夫やって。ユーノくん、言うとったやろ? 『あの怪物は、絶対に倒せる』って。じゃあ、大丈夫や」
《リインの知る限り、ユーノさんの提示したデータ以上に信頼できるものはないです! だから私たちは、変な片意地張ったりせず、自然体でやればいいです!》
「……ま、確かにちょっちふざけ過ぎやけど。提督閣下の気は、晴れたやろ?」
言われて、クロノは気がつく。
自分が、自分で思っていた以上に、緊張していたことを。
それは、これが久しぶりの前線だったからか、それとも敵が強大だったからか。
妹分達の行く末が、心配だったからなのか。
本来なら前線の自分達が食い止めねばならないところを、食い止められなかったことに対する、後方の親友への罪悪感か。
理由は色々思いあたるが、今現在重要なのは、自分が緊張していたということ。
そして、その緊張を、妹分の一人がぬぐい去ってくれたということ。
「……感謝するよ、はやて。これではユーノに笑われてしまうな」
「えぇよえぇよ。……で、結局、クロノ提督はどう考えとるん?」
《ユーノさんは、どうしたらいいんでしょうか?》
「……ふん。そんなこと、決まっている」
右手に魔力を収束させつつ、ちらと横目に後方の親友を見て。
クロノは、口の端を上げる。
「あいつが……ユーノが、最良の選択を行わないはずがない。だから、あいつが、あいつの意志で決めた結果が最良だ。それだけだよ」
◆
そして、戦場の最後方。
五人の屈強な仲間達に守られたそこに、ユーノは静かに佇んでいた。
彼の周囲にいくつも現れては消え、また現れては消える無数の魔法陣と空間モニタは、彼がかなり複雑な術式を展開していることを示す。
《──司書長権限により、無限書庫自己防衛システム、最終ロック解除。許可。警戒レベルをSからAへ、外部との隔壁完全閉鎖》
ふと、彼は思う。
自分は今、彼らと同じところにいる。もっとも、皆に守られる、お姫様のような立場ではあるのだけども。
最後にここにいたのは、一体、いつのことだったろうか。
《攻性プログラムを手動操作で起動。許可。大型対象用兵装『ドラゴンストライク』を準備開始。完了まで残り5分》
無限書庫には、貴重な書物が大量にある。
それらを守るため、無限書庫には、内部兵装が施されていた。
それは、無限書庫を要塞としないよう、あくまで内に向けてのみ作られた武器。
ただの武器としてみれば、それはただの欠陥兵装。ただの産廃。
だがしかし、こと無限書庫を守るということについて言えば、それは恐ろしい効力を発揮する。
《……2、1、0。準備完了。照準合わせ完了。最終安全装置、解除。攻撃命令を出して下さい》
「皆、離れて!」
その一言で、怪物へと向かっていた面々が、バッとソレから距離を取った。
無限書庫の、ほぼ中心で、怪物は独り取り残される。
その瞬間、ユーノは、攻撃命令を下した。
「撃って!」
《『ドラゴンストライク』、射出します》
刹那。
無限書庫の四方八方から、黄金色の光条が、幾本も放たれる。
それらは全て、正確に怪物を捉え、突き通し、穴を開けた。
「─────────────────────────────────ッ!」
絶叫すらあげることもできず、怪物は、力を失う。
先刻まで傷一つ付けられなかった化け物が、ただの一撃で地に沈む。
その猛威に、歴戦の戦士達は、揃って言葉を失った。
そんな中、ユーノの静かな声が、やけに響く。
「……ライオンは、空を飛べない。クジラは、丘に上がれば潰れてしまう。鷹は、水に入れば溺れてしまう。どんな場所にも王様はいて、だけど、万物の王者はいない」
完全に沈黙した怪物に、ユーノは、勝利を確信していた。
否、この状況で、ユーノの……ユーノ達の勝利を疑うものなど、一人もいなかっただろう。
暴虐の限りを尽くした怪物は、今、完全に力を失い、無重力空間に浮いているのだから。
「つまり、だね。……ここ(無限書庫)では、僕が王様だ。司書が書庫で負けるはず、ないだろう?」
ユーノが静かに告げると共に、世界に色がもどって来る。
ふってわいたような勝利が、ようやく、現実のモノとなる。
強大な敵を倒した喜びが、皆の心を満たしていった。
あるものは、疲れた表情で天を仰ぎ。
あるものは、ユーノに向かって突進し。
あるものは、それを阻止しようと血相を変え。
あるものは、それらにやんやと野次を飛ばし。
だから、誰も気付かなかった。
沈黙したはずの怪物の指が、ピクリ、と動いたことに。
油断、していた。
「──ゴオォオオオォォォオオォオンッッッ!」
「……へ?」
……だから。
ユーノ・スクライアは、無防備に、怪物の右ストレートを貰い。
墜ちた。
◆
「……へ?」
気づいたときには、既に遅かった。
ロストロギアの生み出した怪物の右腕は、まっすぐに、ユーノを捉えていた。
「──ゴオォオオオォォォオオォオンッッッ!」
遠のく意識の端、機能停止しかけの聴覚が、勝ち鬨の吼え声を聞く。
──痛みすら感じる時間もなく、ユーノは意識を失った。
◆
呆然と、していた。
吼えるのも、動くのも、満身創痍の獣一匹。
その右腕に殴り飛ばされ、きりもみし、後方の書架に激突したまま動かなくなる親友を、クロノは呆然と眺めていた。
戦友が、知人が撃墜されたところを、見たことがないわけではない。
むしろ、数で言えば、クロノはここにいる人間の中で、もっとも多くの死体を見てきた。敬愛する父親──は体ごと消失したから抜きにしても、味方のものも、敵のものも。
テロリストのかけた罠にはまり、両親の名を呟きながら、血の気を失っていく同期。
作戦成功に気を抜いたところを、遠方から狙撃され、頭に穴の開いた上官。
自分が立案した作戦の失敗が原因なのに、文句のひとつも言わず身代わりになった部下。
大規模魔法を掃射され、体の大部分が欠損しているにも関わらず、口にナイフをくわえて飛び掛ってくるテロリスト。
追い詰められて自暴自棄になり、広域に影響するロストロギアを発動し、多数の人命を巻き込みながら自殺する汚職管理局員。
この世界は、いつだって“こんなはずじゃなかった”世界だ。
管理局員なんて、体のいい汚れ役だ。
優秀ではあるものの、なのは達ほどの“規格外”ではない。運命を覆すほどの奇跡を起こせない彼は、そのことを身に染みて知っている。
だから、慣れていた、はずだった。
たとえ親友だとしても、ユーノが撃墜された、“その程度”のことで心を動かすことはない、そう思っていた。
──だと、いうのに。
その親友が、頭から血を流しつつ、ぐったりと浮いて動かない親友が、その親友の現状を、クロノは理解することができない。
“殺しても死なないような奴”が、“死にかけている”現実を、直視できない。
──あれだけの速度でぶつかったのに本が飛び出ないのは、どうしてだろう……などと、益体もないことしか思いつかない。
なぜだ……どうして、あいつが。
あいつは、人が通信をすれば嫌な顔ばかりして、でも仕事を頼めばしっかりとやってくれて、女に弱くて、あいつは……。
「──シャキっと、せんかい!」
《狙い打つです!》
呆然としているクロノを、否、その場にいる全員を叱り付ける大声と共に、銀色の光が瞬いた。
目に焼け付くような閃光。轟音。つんざく悲鳴。もうもうと立つ爆煙。
呆然と動こうとしないクロノたちを、その両腕でなぎ払おうとした怪物は、ユーノが与えたダメージが効いているのか、悲鳴をあげて煙の奥へと消える。
ハッと我に返ったクロノは、慌てて声のした方向を仰ぎ見た。
そこには、顔色を真っ青にしながらも、冷静な瞳で怪物を見据え、仁王立ちするはやてがいた。
「なぁにうじうじしとるんや自分ら! 敵は健在! ぼうっとしとる間にも、敵さんは待ってくれへんで!?」
はやての叱咤激励に、光を失っていたなのは、フェイトの瞳にも、光が戻る。
それを見たクロノは、ほっとした顔で、はやてにそっとささやいた。
「……すまない。本来、こういうことは僕の役目なんだが……」
「かまへんよ、ウチの子らが同じ状況になったら、私も平静じゃおられへんやろ。……前の事件のとき、私もまだまだや、って思い知ったんよ。せやから、な」
「……そうだな」
はやては、少し前まで、小さいながらも一部門の長として仕事をしていた。
期間限定で、身内も多かったとはいえ、彼女も思うところがあったのだろう。
「……せやけど、ちょいっとまずいわ」
一瞬表情を緩めたはやては、しかしすぐに厳しい表情に戻ると、舌打ちせんばかりの口調で言う。
「……なにが、だ?」
「なのはちゃんと、フェイトちゃん……あの目、普通じゃないで」
言われてクロノも見てみれば、なのはとフェイトの目は、多少俯きかげんのせいかよく見えない。
だが、鬼気、とでも言えばいいのか。そういったものが、体中から立ちのぼっている。
それは、見えるものではない。
感じるのだ。
「あれは……、キレとる」
「レイジングハートッ! ブラスター、3!」
「バルディィィィィィィィィィィィィッシュッッッッッッッッッッ!」
静かにはやてが告げた途端、二人の前方、晴れかけている煙の近くで、二人の女性が爆発した。
そも、鬼とは、怒り狂った女性が変化したものであるという。
そんな与太話を本気にしてしまうほど、二人の怒りは凄まじかった。
「あかん! あの二人、怒りに我を忘れとる! 止めんと!」
「そうだな……って、どうするんだ!?」
「分からへん!」
《それが分かれば、世話ないですよぉ》
後方で慌てる二人を尻目に、なのはとフェイトは、煙の向こうへと猛攻をかける。
斬、ではなく、断。
そう形容するのがふさわしい勢いで、フェイトは黄金色の大剣を振るった。
先端が二股に分かれた異形の剣は、暴風となり、煙を一瞬で吹き飛ばす。
煙が晴れた向こう側に、漆黒の、巨体が見えた。
それを、断ち切る。
断ち下ろす。
断ち上げる。
断ち回す。
断ち潰す。
断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断断。
叩きつけるスタッカートが、傷ついた怪物に止めを刺そうと唸りをあげた。
そんなフェイトの後方で、ピンク色、と呼んでいいのか分からない程圧縮された魔力が、複数、解放の瞬間を待つ。
ちらと後方を見たフェイトが断撃を中断し、飛びのいた瞬間、それらは一勢に解放された。
「エクセリオン、バスタァァァァァァァァァァァァァッッッ!」
《Burst》
レイジングハート本体と、なのはの周囲に浮かぶブラスタービット五つ。
計六つの魔力砲撃は、不気味にうねりながら、しかし高速に怪物へと向かって行った。
それはまるで、なのはの感情に呼応しているかのように。
常ならぬ光をその瞳にたたえ、彼女は怪物を睨みつける。
だが、その一撃は、思いもよらぬ方法によって回避された。
本来なら、砲撃が直撃していたはずの部分。そこを中心にして怪物の体に穴が開き、なのはの砲撃は、なにもない空間を虚しく通過したのだ。
怪物の体が、まるで体の中心にブラックホールでもあるかのように歪んでいく。
そして、ヒトガタをしていた怪物は、暗黒色の球体になった。
「……第二形態、の、ようだな。ダメージが許容量を突破し、外皮のみでは防御することができなくなったか?」
完全に丸くなった球体は、先ほどまでの勢いは嘘のように静かに、無重力空間に鎮座する。
少し遠巻きにその様子をうかがうクロノとはやては、横目に球体を睨みつつ、難しい顔を突き合わせた。
「んー……あの防御力を失ったのは、ええんやけど。アメーバみたいになっとるわけやし、こちらの攻撃が簡単に当たらなくなったのは痛いわ」
「そうだな、どう攻略するか……って、フェイト! なのは!」
クロノの静止を無視して、なのはとフェイトは、球体へと攻撃をしかけた。
なのはは中距離に陣って、六つの砲口から次々と魔力砲を連射し、フェイトはバルディッシュをニ刀に変えると球体の懐に潜り込む。
「なんで……なんで、どうして! どう、してぇ……っ!」
「切り裂く……あなたの、全てを切り裂く!」
それはもはや、戦術に則った攻撃ではなく、ただの八つ当たり。
体に染みついた戦い方が、コンビネーションがなんとかその場を取り繕っているが、それも時間の問題だ。
両の瞳から涙を流し、半狂乱になって怪物を打ちすえる二人へと、黒く巨大な槍が迫る。
球体から突然生えたそれを二人とも紙一重で避けるが、そんなものがいつまで続くか。
「ストレイトバスター、ガトリングシフトォ!」
「サンダァァァァァァァァァ、レイジィィィィィィィィィッッッ!」
大火力の広域殲滅魔法を、乱れ撃ち。
魔力が尽きるか。
精神力が尽きるか。
体力が尽きるか。
……運が、尽きるか。
撃墜のプレリュードは、不気味にその大口を開ける。
そして、問題はそれだけではないのだ。
「クロノくん……医療系魔法、使える?」
「使えはする、という程度だな。専門外だが、必要に迫られて何度か使ったことがある」
「魔法のコントロールは?」
「自信は、ある。……ユーノに比べれば問題外だが、人並み以上ではあると自負しているよ」
「じゃ、確実に私よりましやな。一応闇の書にデータはあるけど、私は細かいの苦手やから……」
そう言って苦笑いするはやてに、クロノはひとつ頷いた。
「じゃあ、そういうことで!」
「なのはちゃんと、フェイトちゃんは?」
「とりあえず、こちらが先だ!」
クロノのその言葉と共に、二人は行動を開始した。
クロノは一直線にユーノの元へ、はやてはそれを守るように。
今はまだ、球体の矛先が彼らに向いていないものの、いつそれがこちらに飛ぶか分からないのだから。
ユーノの隣へと来たクロノは、すぐにユーノを抱き上げると、医療魔法を展開した。
その後ろにはやては陣取り、防御魔法を展開する。
「糞っ……おい、起きろフェレットもどき! 起きないか!」
医療魔法をユーノの体に通しつつ、クロノはユーノを怒鳴りつけた。
後ろでははやてが難しい顔で彼らのことを守っており、なのはとフェイトはみるみる疲弊しながらも、苛烈な攻撃を続けている。
状況は、絶望的だ。それは恐らく……支柱を、失ったから。
ユーノという、精神的支柱を。
「こら、早く目を覚ませ! おまえが目覚めないと、彼女たちは──」
と。
クロノの怒声に反応したのか、球体から槍が一本、彼らに向けて伸びてきた。
もの凄い速度で迫るそれを、不意を討たれ、治療中でもある彼らは回避できない。
確実に、当たる。
……が。
「なめんや、ないでぇっ!」
《で、すうぅっ!》
その一撃は、はやてが渾身の魔力で張った障壁に防がれた。
黒い槍を正面から受け止めたはやては、額にびきびきと血管を浮き上がらせつつ、力任せに右腕を振るう。
「だああああああああああああ、らっしゃあっっっ!」
裂帛の気合と共に、漆黒の槍は、弾き飛ばされた。
大質量を誇る物体が、飛んできた時の倍以上の速度でもとの場所へと戻っていき、球体の中に戻る。
それは純粋な……SSランク魔導師として膨大な魔力を誇るはやてだからこそできる、超強引な力技。
しかし、この時点で、はやては満身創痍だった。
額を汗が伝い、膝がガクガクと震え、両腕は力なく垂れ下がる。
犬のようにだらしなく舌を出し、ぜぇはぁと息をする彼女は、飛行魔法を維持するだけでもやっとの体力しか残されていなかった。
もう、時間は残されていない。
だからクロノは、ユーノに施す医療魔法により一層の力をこめ、ユーノへの呼びかけにより一層の力をこめ、怒鳴る。
「ユーノ、とっとと戻ってこい! おまえは……おまえは、彼女たちを不幸にする気か!?」
そう叫ぶクロノの、その視界の片隅で。
無防備に宙に浮くなのはとフェイトに向けて、必殺の槍が放たれた。
◆
気が付いたら、真っ暗な世界にいた。
自分以外、なにも存在しない、ただ真っ暗なだけの世界。試しに体を動かしてみると、思い通りに動いてくれる。
だが、それだけ。自分以外、なにもない。
(ああ、ここは……死後の世界、かな?)
まずユーノが感じたのは、圧倒的な安らぎだった。
母親の胎内にいるような感覚。あるべき場所に戻ったような、安心感。
もはやなにも恐れることはない、死すらも彼を脅かさない。
なぜなら、ボンド以外の人間が二度死ぬことはないのだから。
そう感じた瞬間、ユーノは、自分の存在が曖昧になっていくのを感じた。
周囲の闇と自分の境界線が曖昧になり、溶け合っていく。
存在感が希薄になる。肉体も、自意識も、記憶も、全て等しく混沌の中へと帰っていく。
そんな、爽やかな朝のまどろみに、ユーノはずぶずぶと溺れていく。
(……そう、か。もしかしたら、僕がずっと望んでいたのは……)
──きろフェレットもどき! 起きないか!
深い眠りの中へと落ちていくユーノは、聞きなれた声にぱちり、と目を開ける。
そして、やれやれ、という顔になると、そっと小さな溜息をついた。
(……まったく、あの馬鹿は……)
折角気持よく眠れそうなのに、どうして叩き起こしにくるのか。
考えてみれば、あの真っ黒クロスケはいつだってそうだった。
いつもは無理な依頼をポンポンこっちに投げるくせに、時たま、異常なほどにおせっかいを焼きたがるのだ。
おかげで、こっちはどれだけ辟易したことやら。
そう思い、もう眠ろうと目を閉じたところで、またクロノの声が頭に響く。
──こら、早く目を覚ませ!
うるさいなあ、まったく。
僕はもう疲れたんだよ、人生にも、仕事にも。
いいかげん、僕は働き過ぎた。休んだっていいはずだ。
──おまえが目覚めないと、彼女たちは!
……そりゃあ、残されてく皆に、悪いとは思うさ。
でも、そこになのはたちを入れるのはおかしいよ。彼女たちは、僕がいなくたって十分幸せそうじゃないか。
そうさ……僕が死んだって、別に、なにも変わらない。
──ユーノ、とっとと戻ってこい!
やなこった、だよ。こんな居心地がいい場所、離れたい人間なんているもんか。
ここは完璧な世界なんだ、なにもない、だからなにも欠けていない。
ここは、平和で、安らかで……そう、僕には休息が必要なんだ。長い長い、休息がね。
──おまえは……
ああ、もう!
いいかげん、休ませてよ! 僕には、自由に眠る権利も──
──おまえは、彼女たちを不幸にする気か!?
(………………………ッッッ!)
ユーノは、頭を、ぶん殴られた。
そう、彼は感じたのだ。クロノの言葉に、ユーノは、両の瞳を今度こそぱっちりと開く。
ユーノの体はまたくっきりと見えるようになっており、延々続く暗闇の中でぽつねんと浮いていた。
(……僕、が……?)
ユーノの脳裏に、おぼろげなイメージが浮かんでくる。
それは、ユーノの記憶。
それは、なのはと共に過ごした記憶であり。
フェイトと、手を取り合った記憶であり。
二人の少女の笑顔で溢れた、大切な記憶だった。
そして。
その中に、ユーノの記憶にはない映像が混じっている。
怒り狂い、砲撃を乱射するなのは。
怒号と共に、バルディッシュを振り回すフェイト。
そして、二人の目に浮かぶ大粒の涙。
それは、およそユーノの見たことのない二人の姿。
そしてその理由について思考を飛ばした時、ユーノは、ストン、と納得する。
(……ああ、そうか)
それは、とても簡単なことだったのだ。
全ては勘違い、自分と、彼女たちとの行き違い。
臆病な心が生みだした、化かしあい。
……なんて、喜劇。そして悲劇。
だが、それを完全無欠の喜劇に変える力を、ユーノはその手に持っている。
(……やれやれ。僕は、男だからね)
ユーノは溜息をつき、すっと、瞳を閉じた。
その行動は、これまでとは違うことのために。
滅びに背を向け、再生の道を進むための精神統一。
(責任は、取らないとね)
そして光が溢れ、心地よく激しい痛みが全身を包みこみ。
ユーノ・スクライアは、覚醒した。
◆
自分が、冷静さを失っていることは、分かっていた。
だけど、止まらなかった。そんな自分に、レイジングハートは黙ってついてきてくれた。
彼女の本分を考えれば、それは見過ごせないミスだろう。
でも、なのはは嬉しかった。自分の相棒が、自分と同じことで怒ってくれている、そんな気がして。
だから、怒りのまま、砲撃を撃ち続けた。
きっと、フェイトも同じ気持ちだったのだろう。
だから、目の前に黒い壁が迫って来たとき、防御の魔法すら張らず、二人は揃って目を閉じたのだ。
安らかな、顔で。
愛した男の待つ場所へ、行くことを願って。
それが、どうしようもなく身勝手な話なのは分かっていた。
だけど、二人の女の部分が、その行動を肯定した。そして、納得してしまった。
感情が、本能が、理性を越えてしまったのだ。
──だから。
「……ごめんね、なのは、フェイト。僕は……長い間、なにも見えてなかったみたいだ」
目の前にはためくマントを、彼女たちは理解できない。
死んだと思った。
もはや、生きてはいないだろうと。この世から、消えてしまったのだと。
盲目となった二人は、そう信じこんでいた。
だから。
「でも、今は。目の前のコレを片づけないと、落ち着いて話もできないから」
涙は、溢れない。
驚きが過ぎて、喜びすら溢れてこない。
茫然と、唖然と。口を馬鹿みたいに開けて、ぽかぁんと。
そして時が経つにつれ、実感が戻ってくる。
ああ、失っていなかった。
生きて、いてくれた。
それだけが嬉しくて、嬉しくて、嬉しさが溢れてきて。
もはや正気の瞳に戻った二人は、彼の背中から、目が離せない。
「さて。……無限書庫で、僕にケンカを売ったんだ。覚悟は、できてるよね?」
この日。
なのはとフェイトは、また、同じ男に恋をした。
◆
それまでのワイシャツ姿から一変、子供時代のバリアジャケットを長ズボンにしただけの戦闘衣を身にまとったユーノは、周囲に複数の空間モニタを呼び出した。
そして彼は、号令を下す。
この事件を終わらせる、最後の号令を。
「行くよ!」
《アイ、サー。管理者の指定した対象を、即時殲滅目標と認識。攻撃コード:ジェノサイド。近隣の関係者の皆様は──》
無限書庫の中に、数多く高密度の魔力溜まりが生まれる。
無数の向日葵が、黒色の太陽に向け花開いた。
《──不意の衝撃に、ご注意ください》
四方八方から怪物に向け、怒涛のごとき速射砲が叩きこまれる。
変態の結果発声器官を失った怪物は、悲鳴をあげることもなく爆音の渦に飲み込まれた。
これだけの魔力砲を叩きこめば、先ほどまでのように体の形を変えて回避しようにも、かわしきることはできない。
一撃一撃がなのはの砲撃をはるかに超えた、戦艦の主砲クラスの魔力砲は、確実に怪物の体力を削っていた。
だが、戦闘以外の存在意義を持たない怪物は、攻撃行動をやめようとしない。
立ち込める煙の中から、太い漆黒の矢が、ユーノに向け飛んだ。
大質量の凶弾が、高速で飛来する。
「っ、ユーノくん!」
「ユーノォ!」
先ほどの惨劇がフラッシュバックし、悲鳴をあげるなのはとフェイト。
だが、ユーノは余裕たっぷりの微笑みを浮かべると、そっと右腕を突き出した。
「大丈夫、問題ないよ」
《『ランパート』、起動》
ユーノの右手のひらを中心に、八角形の盾が、放射状に展開する。
背後の仲間も守るようにそびえたつ金色の盾は、真正面から怪物の一撃を受け止め、微動だにしなかった。
傷ひとつ、つかない。
「────────────────────────ッ!」
怪物が、初めて感情のようなものをあらわした。
それは怒り。もしくは、焦り。
戦うために生み出された、意思を持たない破壊兵器は、初めて出会う自分の攻撃が通じない相手に激昂する。
言葉は、ない。
ただ、その殺気で、空気が震えた。
自らを打ち据える砲撃に構わず、その身を削りながら、怪物は矢を撃ち出し続ける。
圧倒的大質量、高出力、超速度の砲雨を撒き散らした。
本来ならそれは、あたり構わずに破壊の海を生み出す、暴虐の化身。
「……無駄だ。その程度の攻撃では、無限書庫は落とせない」
だが、全てを守る城壁には、傷ひとつつけられない。
ユーノ・スクライアに、無限書庫司書長に、傷ひとつつけられない。
駄々をこねる赤子のように、怪物は、撃ち続けた。
矢を放つ度に、砲撃に打たれる度に、その身を小さくしていきながら。
何故、何故、何故……、と。
自分は、自分は──ッ!
「──、──────、────────────ッッッ!」
《砲撃、一時中止します》
一際巨大な矢を放ったのを最後に、怪物は、沈黙する。
それを見て取ったユーノは、す、と右腕を上げ、砲撃を中止させた。
同時に、ユーノたちを守っていた障壁も、音もなく消失した。
煙の晴れた向こうに見えた怪物は、ぼろぼろになっていた。
見上げるような巨大な体は幼児ほどの大きさになっており、その体もぼろ雑巾のようにズタボロだ。
ところどころがへこみ、穴が開き、それを直すことすらままならない。
そのシルエットはかすんでおり、既に消えかけている。
「さて、この長い事件も……」
《『グラビディバインド』、起動》
満身創痍の怪物を、強烈な重力が締めつけた。
もはや動くこともままならない怪物を見据えながら、ユーノが上げた右腕を周囲の書架に向け伸ばすと、その内一冊が飛んできてその手に収まる。
右手だけで開かれたそのページは、白紙。
何も書かれていない本を右手に、左手のひらを怪物へと向けたユーノは、厳かに告げる。
「……これにて、終幕だ」
《シーリング開始》
怪物の体が、右手の本へと吸い込まれた。
もはや抵抗らしい抵抗もなく、白紙の本に高速で字が走る。
……そして、その最後の一欠けらが本に吸収される直前。
──ありがとう。
「──ッ!?」
《シーリング完了》
驚いたユーノが手元の本を除き込むが、封印作業を終えたそれは、モノを語ることはない。
《脅威の消滅を確認しました。自己防衛システム停止、ロック開始。警戒レベルをAからNへ。無限書庫、通常モードに復帰します》
次いで、無限書庫にかけられた非常体制が解除され、内部と外部をつなぐ転送装置に火が入った。
しばらく物言わぬ本を見つめていたユーノは、やがてふぅ、とため息を吐くと、背後で心配そうに彼を見つめる仲間に振り返る。
「……どうしたの? ユーノくん。複雑な顔、してる」
そう言って心配気に近づいてくるなのはを、無言でユーノは抱き寄せた。
「ふ、ふぇっ!?」
慌てて暴れる彼女に構わず、ユーノは両腕に力を込めた。
二人の感触を、鼓動を、体温を、体全体で感じ取る。
これは重みだ。
彼が気づかず放置していた、彼が背負うべき、彼にとってなによりも大切な人生の足枷だ。
その足枷を、ユーノは愛おしいと思った。
最初はじたばたしていたなのは、やがて静かになり、自分の両腕をユーノの腰にまわす。
自分の感情をようやく自覚した二人は、しばらく静かに抱き合った。
その抱擁を、フェイトは、複雑な心境で見つめる。
(……これで、よかったんだ。二人が幸せになってくれれば、それでよかったんだ……)
《...Sir, are you OK?》
「ん、バルディッシュ……大丈夫、だよ。ずっと前から、分かっていたことだから……」
愛機の気遣いに泣きそうな笑顔で返し、フェイトは、抱き合う二人に近寄った。
それっきり、彼女は想いを封印し、胸の奥にしまいこんで、しっかりと鍵をかけた。
近づいてきたフェイトに対し、二人は慌てて抱擁を解き、きまり悪そうな表情になる。
そんな二人に苦笑して、フェイトは、祝福の言葉を紡いだ。
「やっと、だね。二人とも──」
「──あー、ごめんフェイト。ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「……なに?」
紡ぐ、つもりだった。
しかし、その言葉を中途で止めたユーノに対して、フェイトはいぶかしげな表情でうなずく。
そんな彼女に、非常にきまり悪そうに、ユーノは切り出した。
「え、ええと。こういうとき、どう言えばいいのか分からないんだけど……」
「……なに?」
「えっと、あの、その、ね……」
「……あ、私、席外そうか?」
どもるユーノに気をつかったなのはが、その場から離れようと動く。
そんな彼女の腕をユーノは慌てて掴み、引き止めた。
「ま、待ってなのは! これはその、なのはにも関係のある話というか、僕たち三人の話というか……」
「……分かったよ。それで、なんの話?」
「う、うん。あの、その、ね……」
二人の女性に見つめられ、ユーノは、視線を宙でふらふらとさせる。
言わなくては、そう思えど、いまいちふんぎりがつかないのだ。
だが、これ以上長く宙ぶらりんにしておける問題でもない。
覚悟を決めたユーノはごくり、と生唾を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「……僕は、無限書庫の司書長だ。それと同時に、研究者でもある」
「知ってるよ」
「研究者っていうのは、強欲な生き物なんだ。世界の全てを知ろう、なんて、人の身に余る欲望を持っている」
「うん」
ぽつぽつ、と脈絡のない話を始めるユーノの言葉を、二人は真剣な表情で聞き、交互に返事してくれる。
その事実が嬉しくて、ありがたくて、ユーノは、言葉にのせた想いを一層強くした。
「そう、僕は強欲なんだ……だから僕は、大切なものを傷つけたくない。ただのひとつも、傷つけたくないんだ。だから……なのは、フェイト。男勝手な話だってことは分かってる。だけど──」
そこで、ユーノはすうっ、と息を吸い込んだ。
自分のエゴを、想いをぶつけるため。
目の前で固唾を飲み、じっとユーノの話を聞いてくれる、愛しい女性たちに。
「──二人とも、幸せにしたい。そんな、優柔不断な僕を……許して、くれる?」
二人の返事など、はじめから決まっている。