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[24455] スワジク姫物語【TS 逆はー?】
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2014/02/09 21:51
 逆ハーものとか色々読んでみて、これTSした男性が主人公になったらどうなるのだろうと思って書いてみた。なるべくなら逆ハーのテンプレに沿って書いてゆきたいなぁと思いつつ、逆ハーのテンプレって何だ? と不安に陥る今日この頃。

 あと出来るなら逆ハーフラグを叩き折りたいなぁ。折れるのかどうかわからないので、今はまだ希望的な所信表明をしてみたりみなかったり。
 ☆小説家になろう!に本作品を登録しました。☆
 ☆小説家になろう!の方に、キャラのラフ画をUPしました☆

  旧題【習作】逆ハーものを自分が書いたらどうなるかの実験【TSだよ】
 思うところがあって、タイトルを変えました。もともとこの作品の題名は未定だったので、まあいい機会かなと。あ、でも逆ハーを諦めたわけじゃないんだからね!!



うん、皆さんのご意見を反映して以下の部分を改善いたしました。
これで少しでも良い文章、雰囲気をお届けできればと思います。
っていうか、読者と一緒にSSを作っているような気がして、なんだかオラわくわくしてきたぞ、てな感じになっております。

 修正点 1.主人公のスープ直飲み訂正
      2.ルビ打ちの解除
      3.主人公の発言時の1人称を私に部分変更
      4.7話の窓枠での情事、9話での指示語表現の訂正
      5.19話の債権2箇所を債務に訂正
      6. 26.5話、憑依ネタバレの描写不足とのことで追加



[24455] 1話「ここは何処? ボクは誰?」(ルビ抜き修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/25 12:37
 真っ暗な闇の中、ふわふわと漂う自分の意識。
 まるで光の届かない深海にいるようだ。
 何も感じることが出来ず、何にも聞こえない。
 手や足を動かしてみるけど何にも手ごたえが無く、むしろ手足があるのかさえ疑わしかった。
 声を出そうとしても、もちろん出ているかどうかも分からない。
 なのに自分がここに在るのだけは、しっかりと自覚できた。
 いったいどれくらい闇の中を漂っていただろう?
 闇の中に何か違和感を覚えたので周囲を探ってみると、うっすらとした細い線の様な光とそこから零れ落ちてくる微かな音に気がついた。
 なんだろう?
 そう思って光へと近づこうと僕は手と足を必死に動かした。
 もちろん何の感触も実感も感じないけれども。
 それが功を奏したのか、じわりじわりと意識が光に向かって近づいてゆく。
 少しづつ大きくなる胸の鼓動。
 だけども光に近づくにしたがって、自分の体が冷たくなっていくのが分かる。
 あと息苦しい。
 聞こえていた音もだんだんと騒音に近いレベルになってきて、正直頭の中でぐわんぐわんと木霊している。
 うぇ、吐きそう。
 さらに意識が浮上する。
 僕は、さっきから聞こえていた音が誰かの叫び声だという事にようやく気がついた。


「早くタオルと着替えをもってこい! 濡れたままじゃ体温が下がる一方だ」
「まだ息は吹き返さないのか? 大分時間が経っているんだぞ!!」
「うるさい! 俺だって一生懸命やってるんだ! それよりも早く医者を連れてきやがれ!!」


 複数人の野太い声が聞こえる。
 誰か倒れたのかな? それとも溺れた?
 でも、正直うるさい。 
 ああ、頭がガンガンする。


「くそっ、もう一回息を吹き込むぞ!」


 そういう声とともに、僕の唇に生暖かい何かが押し付けられた。
 一気に送り込まれる大量の空気。
 送り込まれた空気が肺の中に入ったかと思うと、胸の奥から生暖かいものが逆流して喉を蹂躙する。


「うぼぅえ」


 一気に胸につっかえていた何かを吐き出したら、凄い咽てしまった。
 涙も鼻水も止まらない。
 廻りの声がいっそうやかましくなったが、もうそんな事に構っていられるほどの余裕などなかった。
 激しく繰り返す嘔吐と咳に横隔膜が痙攣を起こしかけ、死ぬほどの苦しみにのた打ち回った挙句、僕はあっさりと意識を手放した。



 どれ位闇の中を彷徨っただろうか。
 再び僕の意識は闇の底から浮かび上がる。
 今度は死ぬような苦しみとはまったく無縁の、穏やかな目覚めだった。
 しばらく焦点の合わない画像に苦労したけど、大人しく待っていればすぐにピントが合ってきた。


「知らない天井だ」


 そんなお約束な科白をはいてから、自分の現状を把握してみる。
 まず、見知らぬ天井、綺麗なシャンデリアwith蝋燭、そして割と離れたところにある大きな窓。
 壁は真っ白でしみ一つ無いし、壁から突き出ているアンティークな燭台は高価そうだ。
 ふかふかとした枕に、糊の効いたシーツ。
 一流ホテルのベッドに寝かされている気分だ。
 まだ少し頭がクラクラしているけれど、それでも最初の目覚めよりずっと気分がいい。


「喉、渇いたな……」


 ぼそりと呟いた独り言に違和感を覚える。
 あれ? 僕の声ってこんなに高かったっけ?
 そう思って頭を掻こうとすると、挙げた手に絡みつくサラサラな何か。


「うわっ、すっげー綺麗な髪だなぁ。銀色の髪なんて生まれて初めてみたよ」


 もともと僕の声は女の子の様だとよく友達にからかわれたことがあったけど、いま聞こえた声は女の子そのものだった。
 そっと喉を押さえながら声帯を震わせてみる。


「あー、あー。うぅん、やっぱり僕が喋っているってことで間違いないのか」


 とりあえず声の問題は後回しだ。
 それよりも目の前でゆらゆらとゆれる銀の髪の方が気になる。 
 腰まであるまっすぐな髪を一房掬い取り、目の前まで持ってきてマジマジと観察する。
 触り心地がとてもスベスベしていながら軟らかく、キューティクルが窓から入ってくる陽光をキラキラと反射していた。
 それに凄く良い匂いがして、なんというか急に恥ずかしくなった。
 で、さらにびっくりしたのが髪を珍しそうにいじっている僕の手だ。
 正に白魚の様なほっそりと繊細そうな指に桜色の綺麗に整えられた爪。
 少なくとも自分の指はこんなに綺麗な手ではないという事だけは確かである。
 そして極めつけは、胸部に感じる今までに無い重み。
 大きく動くたびにぷるんと震えるその物体は、一見冷静そうにみえる僕のSAN値をガリガリと削ってくれる。
 それはもう情け容赦なく。
 確認するまでも無く僕の男としての大事なものが無くなっているのも感じとれたし、何か異常な状況に陥っているということは理解できた。
 この状況に当てはまる言葉がひとつ、僕の頭の中に浮かび上がる。
 

「……TSかよ、勘弁してくれぇ」


 小説や漫画でお馴染みの性転換ってやつ。
 いったい何をどうしてこうなったのか。
 僕は頭を抱えてベッドに蹲るが、そこからもいわゆる女の子の匂いが追い討ちのように僕の鼻腔をくすぐった。
 うん、なんか女の子の部屋に初めて入った時の事を思い出す。
 ぼっと熱くなる両頬に戸惑いながらも、ひとしきりベッドの上で身悶えた。
 と、部屋のドアが控えめにノックされるのが、ピンク色に染まった僕の脳に届く。
 それはそうか。
 誰かが僕をここに連れてきたのなら、当然その誰かが接触を持ってくる事だって考えられえるのだから。
 ベッドの上で蹲りながら、じっと扉を見る。
 誰が入ってきてもいいように警戒しながら見続けるが、一向に誰も入ってこようとしない。
 しばらくするともう一度、同じようなリズムでノックが繰り返された。


「えっと、どうぞ?」


 恐る恐る声をだす。
 するとほとんど音もさせず、3mはありそうな扉がゆっくりと開かれた。
 その扉の向こうに立っていたのは、こういったお話には付き物の『メイド』さんだった。


「失礼いたします、姫様」


 エプロンドレスと呼ばれる服を身に纏ったくすんだ金髪の女性(たぶん18、9歳位だろうか)は、丁寧にお辞儀をするとゆっくりと僕に近づいてきて顔を覗き込んできた。
 綺麗なエメララルドグリーンの瞳がとても美しく、化粧をせずともシャープな顔立ちのメイドさんに僕は頬を赤らめたまま息を呑む。
 アゴ辺りで綺麗に切りそろえられた髪は、彼女の凛とした表情に凄く似合っている。
 彼女に見とれていると、メイドさんの綺麗な手が僕の頬にそっと添えられる。
 その指が頬を伝って顎の下にくると、つっと少し強引に上を向かされた。
 キスをしますと突然言われても、ハイとしか答えられない空気と体勢に僕の心臓はバクバクである。
 思わずきゅっと目を瞑る。
 これが僕のファーストキスなのかと思うと、頭の中が混乱してきゅっとシーツを握り締めるしか出来なかった。
 ふっと目の前のメイドさんの存在が遠のく。
 肩透かしを食らったような感覚に、僕は意識せずに声を零す。


「あっ……」
「? なんでしょうか、姫様」
「い、いえ、何でもありません」
「そうですか。大分お加減も良くなられたご様子ですが、念のためお医者様をお呼び致します。しばらくそのままでお待ちくださいませ」


 慌てる僕を尻目に颯爽と身を翻したメイドさんだけれども、背を向ける一瞬、彼女の頬が赤く火照り瞳が潤んでいたように見えた。
 まさか彼女も期待してたのかなと馬鹿なことを思いつつ、とりあえずは状況も分からないのでお医者さんが来るのを待った。
 あるいは元の僕の姿に戻れるヒントなり解決方法を知っているかもしれないし。
 さほど待たされずに扉が再びノックされた。
 

「は、はい、どうぞ」
「失礼いたします、姫様。ドクター、グェロをお連れいたしました」
「おはようございます、スワジク様」


 恭しく頭を垂れるのは、漫画で見るような中世の貴族が身に纏うような衣装だ。
 ただ残念なことに中世貴族の衣装は衣装でも、かぼちゃズボンにボンボリのような肩周り、タートルネックの様な詰襟である。
 白を基調とし所々に青のアクセントがはいっているんだけど、そのアクセントのつけ方がさらに悪目立ちしている。
 志村○んが白鳥の頭を股間につけてコントに出てきそうな格好だ、と言えば分かっていただけるだろうか。
 そして頭にちょこんと乗った帽子。
 あからさまに縮尺が違うだろうといいたい。
 で、そんな可哀想な格好をしているのが割とお年を召したご老人である。
 笑ってはいけないと思いつつ、ぐっと下腹に力を入れて笑いを堪えた。
 そんな私に気付く様子も無く、2人は手際よくベッドサイドに色々な道具を揃える。


「さて、スワジク様。お加減はどうでしょうか」
「えっと、別に大丈夫だと思います。時々脇がちくっと痛む位でしょうか」
「なるほど。眩暈、吐き気は?」
「起き掛けに少し眩暈があったくらいで、その後は別に大丈夫です」
「分かりました。ではお召し物をお脱ぎください」
「あ、はい」


 言われるままに浴衣のような絹の上衣を肌蹴させた。
 服の下に隠されていた真っ白な肌。
 大きくも無く小さくも無い形の良い胸部(胸部ったら胸部だ)。
 さらにその下、下腹部が胸の間から見える。
 ああ髪が銀色だからかぁ、などと馬鹿な事が頭をよぎる。
 そのすべてが初心な僕には刺激的過ぎて、鼻の奥がなにやら熱くなってしまう。


「っ!」


 後ろで控えていた金髪メイドさんが、僕の顔を見て声にならない悲鳴を上げる。
 なんか変なことをしただろうか?
 などと考えていると、おじいさんが台の上にあった白い布を手渡してきた。


「それでしばらく鼻を押さえてください」
「はえ?」

 
 そう言われて、初めて自分が鼻血を垂らしていたことに気がつく。
 どんだけ童貞野郎(チェリーボーイ)なんだよ、僕は。



[24455] 2話「ミーシャ視点」(ルビ抜き修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 15:51
 昨日、私が傍仕えをしている姫が城壁より転落して湖に落ち、溺れたそうだ。
 本当に私が非番のときでよかったと心の底から安堵する。
 あの姫のことだ、目を覚ましたらそれこそ侍女の3人や4人は首を切られるだろう。
 物理的な意味で。
 そんな命の心配もあって主だった侍女達は泣き崩れるばかりでまったく役に立たず、とりあえず責任追及されないであろう私が矢面に立たされた。


「まったく、とばっちりで私の首が飛んだらどう責任を取ってくれるのかしら」


 ぶつぶつと同僚たちへの文句を小声で言いながら、私は北の塔舎の中を歩く。
 ここはあの蛮行姫が領主様に強請って立てた小宮殿。
 帝都にあるヴェルエルエ宮殿を模した造りになっていて、外装も内装もこれでもかというくらい華美に装飾されている。
 私の実家の年貢租銭がこんなものに費やされているのかと思うと、正直唾を吐きかけたいという衝動に駆られる。
 まあそんな衝動にも、もう慣れたのだけれど。
 スワジク様の寝室が見えてくると、丁度扉の前に目を真っ赤にした同僚が立っていた。
 彼女の名はアニス。
 昨日姫様についていた侍女の一人であり、私の親友だ。
 私が近づくと、くすんと鼻を鳴らしながら眼鏡を押し上げて目尻の涙なんか拭いたりする。
 うん、なんか凄く小動物っぽくって守ってあげたい。
 思わず彼女の短い赤毛をくしゃくしゃと弄ってしまう。


「ごめんね、ミーシャちゃん。私、もっとしっかりしなきゃって思うんだけど……」
「いいのよ、アニス。あの姫の扱いには慣れてるし大丈夫だとは思う。で、今はまだ起きてない?」
「ううん、さっき起きたみたい。なんかごそごそと音がしてたし」
「……で、何してんの?」
「待ってた、ミーシャちゃんが来るの」


 恐る恐るといった風に私を上目遣いでみるアニス。
 思わず砂糖を吐いてしまうほどの破壊力だが、目の前にある危機のために今いち萌えきれない。
 目が覚めてすぐに朝の支度を始めないと、あの姫は暴れるのだ。
 これはコブや痣の一つも覚悟しないといけないか。
 深いため息をついて私はアニスを横へ押しやり、静かにドアをノックし蛮行姫の言葉を待つ。
 だがさっきまでごそごそと動いていた気配がなくなり、部屋の中がしんと静まりかえる。
 怒声を覚悟していただけに、少し拍子抜けである。
 しばらく待っても状況に変化が見られない。
 仕方が無いのでもう一度ノックをする。


「えっと、どうぞ?」


 私は自分の耳を疑った。
 ノックの返事は罵声ではなく、何かに脅えるような可憐な少女の声なのだ。
 これはまったくの想定外。
 がしかし、ここで泡を食って姫の不興を買うわけには行かない。
 ここで取り乱そうものなら、それこそ24時間調教フルコースが待っている。
 まあ、殺されないだけマシだろうけども。
 気を取り直して、私はそっとドアノブを回して扉を押し開く。


「失礼いたします、姫様」


 丁寧にお辞儀をしてから部屋へと1歩進む。
 目の前にあるのは真っ白な白亜の部屋に鎮座するキングサイズのベッド。
 そのベッドの上に、姫が蹲りながら、こっちをじっと凝視していた。
 なんというか、花の蜜に誘われる蜂の様な気分で目の前の少女に引き寄せられる。
 なんだろうこの姫、こんなに可愛かったっけ?
 そんな馬鹿なことを考えていたからだろうか、私の悪い癖が出てしまった。
 まるでジゴロのように少女を見つめ、頬を優しく撫でながら顎をついっと持ち上げる。
 その間、私の瞳は目の前の少女に釘付けだ。
 ふるふると揺れる睫毛の重さに耐えかねたのか、ゆっくりと少女の瞼が下ろされる。
 頬はうっすらと桃色に色付き、軽く開かれた瑞々しい唇からは甘い吐息が吐き出された。
 何これ、喰っちゃっていいわけ?
 そんな駄目思考に陥っていた私を、親友のアニスが扉の向こうから必死に声を掛けて制止してくれた。


「ミーシャちゃん、正気に戻って! それ色んな意味で駄目だって!!」


 その声に正気を取り戻した私は、今更ながら自分が仕出かそうとした事に恐怖を覚えた。
 この私が蛮行姫に心を奪われるなんて、ありえない!
 すっと背筋を正して、姫から1歩距離を置く。
 目を閉じたままじっとしていた姫を見下ろすと、きゅっとシーツを掴んで震えている手が見えた。
 くっ、どんだけ可愛いの。
 蛮行姫だからって侮っていたわ。
 そうよね、黙っていればこの姫は超美少女なのだ。
 だが、ここで本能に流されたら試合終了だ、私の人生的に。
 また吹き飛びそうになる理性をかろうじて繋ぎ止めながら、深く深呼吸をする。
 目の前の少女の口から漏れる微かな失望の声にも、もうたじろがない。


「あっ……」
「? なんでしょうか、姫様」
「い、いえ、何でもありません」


 どこか残念そうな顔をしてこちらを見る姫。
 何の罠なのだ。
 侍女をからかうもしくは陥れる新しい方法でも開発したのか、この姫は。
 一時は危うかったが、もう騙されません。


「そうですか。大分お加減も良くなられたご様子ですが、念のためお医者様をお呼び致します。しばらくそのままでお待ちくださいませ」


 そういって私は上気した顔を隠す意味でも、すばやく姫に背を向けてこの部屋を後にした。
 廊下に出ると、ぷぅと頬を膨らませたアニスが待っていた。


「ミーシャちゃん、浮気はイヤです。ううん、浮気はもうミーシャちゃんだから仕方ないと諦めたけど、あの人とだけは絶対にイヤ」
「あ、あはは。馬鹿だなぁ、アニスは。姫がなんか新しい嫌がらせの方法を開発したみたいだから、ちょっと試してただけじゃまいか」
「何言ってるのですか。ミーシャちゃん、頬が赤いです」
「いやいやいや、これはなんというか恐怖に耐えた結果といいますか」
「うそばっかり」


 拗ねる親友の機嫌を取りながら、私はドクター・グェロの控え室へと向かったのだった。



[24455] 3話「来たな、逆ハー要員め」(ルビ抜き、ボク修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 16:00
 僕は窓の外を見ながら、今日何度目かの深いため息をついた。
 結局あの後、なんだかんだでドクターにいろんな事を聞きそびれてしまったし、自分の置かれている現状を把握しようにもメイドさんが外に出してくれない。
 唯一僕に出来ることは、こうやって軟禁されている部屋の窓から外の風景を眺めるだけ。
 とは言いつつも、これはこれで馬鹿にならなかった。
 今いる部屋がどうやら結構高い位置にあるようで、この建物の周りや外壁らしきもの、さらにその向こうの町並みまで良く見える。
 建物だけではなく、そこで生活しているであろう人々の姿も。


「これってやっぱり日本じゃないな。うん、TSで異世界か過去へのトリップ、しかも憑依ものか」


 得られた風景や人の服装、行きかう馬車などから、この世界の文明レベルがおおよそ中世くらいだろうと予想する。
 そして姫様と呼ばれ傅かれる外の人。


「これで軍事知識や内政知識が豊富にあれば、俺TUEEE出来たのかな?」


 まあ一般的な学生でしかなかった僕が、そんな夢みても仕方ないんだけど。
 元に戻れないとしても、なるべく平穏に暮らしていけたらいいなぁ。
 それに地位や権力があっても、どう振舞ったら良いかわかんないしねぇ。


「とにかく! 外の人と中の僕が違うってことを悟られてはいけないという事だね。それにはまず外の人がどんな人物だったのかってことを知らなきゃ話にならないか」


 既に侍女たちには訝しがられているようだけれども、まだ大丈夫なはず。
 会話は当たり障りの無い事しか言わなかったし、なるべく迷惑をかけないように大人しくしていたし。
 とにかくお姫様なんだから、丁寧に、お淑やかにを基本にしていれば間違いはない!
 ……はず。


 そうやって外の風景をぼんやり眺めていたら、扉をノックする音が聞こえる。
 はいと返事をしながら振り返ると、そこには既に扉を背に佇む2人の男性がいた。


「お目覚めかな、リトルプリンセス」


 銀色の髪、紅と碧のオッドアイ、すらりとした鼻筋にきりりとした口元、目元は涼やかで背も高く、ジャニーズJrに居そうなイケメンだ。
 しばらくぽかーんとしていたら、銀髪イケメンの後ろに立っていた黒髪イケメンが不機嫌そうに呟く。


「私は止めたほうが良いと忠告はいたしたのですが、申し訳ございませんでした」
「何を言う。貴様だってほいほい付いてきたではないか、レオ」
「付いていかねば、貴方は何処まででも暴走するからです。妹君とはいえ、仮にもレディの部屋に無断で入るなど貴方には良心というものがないのですか?」
「そのおかげでいいものが見れたではないか」
「あのぉ、いいものって何が見れたのでしょうか?」


 二人が僕をそっちのけでヒートアップしていきそうだったので、とりあえず会話に参加してみた。
 っていうかこの部屋割と殺風景だし見て楽しそうなものって何もないはず。
 レオって呼ばれた黒髪のイケメンは、口をつぐんでむっつりと黙り込む。
 その代わりに銀髪イケメンが、すごく優しげな笑みを浮かべて僕の傍へと近づいてきた。


「分からないかな、私の可愛い小鳥ちゃん」
「え゛? い、いえ私にはさっぱり」


 小鳥ちゃんってどんだけサブイ科白を垂れ流すのか、この銀髪イケメンは。
 見ろ、鳥肌が立ってしまったではないか。
 そういえばレオが僕を妹君と言ってたから、このイケメンは兄貴になるんか。
 兄妹ならこんなやり取りも有り……か?
 などとクダクダ思考を横においておき、多少引き攣った微笑みながらも首を左右に振って答えて見せる。
 銀髪イケメンはさりげなく僕の肩を抱きしめると、優しく僕の髪に口づけをした。


(え゛え゛え゛え゛? それって兄妹で有りなのか?)


 混乱する僕を何か面白そうな珍獣でも見るように観察されていたのだが、割とテンパっていたのでまるで気付けない。


「窓辺で黄昏れる美少女。これほど絵になるものはないとは思わないか?」
「ちょ、お兄様、耳元で囁かないでください。くすぐったすぎます」


 こいつ絶対女泣かせだ、リア充にちがいない。
 男だったころの僕であっても、こんなさりげなく女の子の肩なんか抱けなかったし、ましてや私の小鳥ちゃんだの黄昏れる美少女だのといった科白なんか素面で吐けるかっ!
 多少の場違いな怒りを篭めて、リア充イケメン(銀髪イケメンからクラスチェンジ)の胸をやんわりと押し返す。
 本当はキモイから突き飛ばしても良かったのだけど、お姫様らしくないからね。
 けど意外にも押されるままに後ろに退がるリア充イケメン。
 もうちょっと抵抗されるかと思ったのに。


「そんな顔をしないでくれよ、私だって義理とはいえ可愛い妹に嫌われたくは無いからね」
「はぁ、そうですか」
「それに今日はとても面白いものを見れたしね。そうは思わないか、レオ」
「貴方の悪ふざけには付いていけませんが、まあ同感とだけ言っておきましょうか」
「はあ……」


 リア充イケメンはそのまま僕に背中を見せるとスタスタと扉へと向かってゆく。


「まあ、とりあえずお見舞いに来ただけだから今日はこれで失礼するよ」
「あ、はい。わざわざ有難うございました」
「……有難うございました、か」
「え? ボク何か変なこといいました?」
「いやいや、綺麗なレディに感謝されるとドキドキするなと思っただけさ」
(駄目だこいつ、早くなんとかしないと……)


 レオが扉を先に開け、リア充イケメンがさも当然といったふうに扉をくぐる。
 そこでぴたりと足を止め、僕に振り返って手を振って見せた。


「それじゃあね、スワジク。とりあえずは当面は大人しくしておいで。近いうちにまた来るから」
「あ、はい。分かりました」
「うん、いい返事だ。それじゃあね、蛮行姫」


 無駄にいい笑顔を振りまくっていたリア充イケメンも、扉が閉まると見えなくなる。
 ようやくほっと一息つけた。
 そんなに長い時間ではなかったけれども、やはり外の人の親類縁者や知人なんかが訪ねてこられると気を使う。
 こんな対応で本当によかったのだろうかと思うものの、圧倒的に情報が足りないのだから仕方が無い。
 今はやれることをやるだけだ。


「でもバンコウ姫ってどういう意味なんだろ?」
 


 ☆後書きっぽいもの
 皆様のご意見から、スワジクの科白で1人称をボクから私に変更しました。演技しているときは『私』、素の時は『ボク』、地の文は『僕』を意識して使用していきたいと思います。



[24455] 4話「あれ? もしかして怖がられてる?」(改訂)(1人称修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 16:09
 僕は相変わらず自分の寝室からじっと外の様子を眺めていた。
 まあ実際それしかすること無かったし、本を読みたくてもラノベとかあるとも思えない。
 文学書なんて持ってこられても読む気もしないし、大体字は読めるんだろうか?
 とりあえず意思の疎通は完璧に出来ているみたいなんだけど。
 自分でいろいろ調べてみたけど、僕は決して日本語を喋っている訳ではないみたいだ。
 意識して文章を構築してみたら分かったんだけど、どうも僕が知らないまったく新しい文法に則ってるみたい。
 なのに何故喋れるのか。
 結論、僕に分かるわけがない。
 もしかしたら文字もきっちりと読めたりするのかもしれないけど、今はまだ試す気にもならない。
 お腹が空いたなぁと思ったころ、昼ごはん以来の来訪者がドアをノックしていた。


「はい、どうぞ」
「失礼します、姫様」


 朝、ドクターと一緒に色々と身の回りの世話をしてくれたメイドさんが入ってきた。
 名前はミーシャさんっていうらしい。
 クールな表情にちょっとぶっきらぼうな口ぶりが凄く雰囲気にぴったりして、一言で言えば漢らしい? 女性である。


「いらっしゃい、ミーシャさん。今度は何でしょうか?」
「はい、そろそろご夕食の時刻となりますが、お食事はどうなさいますか? 皆様とご一緒されるようでしたらお召し変えさせていただきますが」
「あ、そうですか。……この部屋でって訳にはいかないでしょうか?」


 苦笑いをしながら、ミーシャに尋ねてみる。
 まあ駄目なら腹をくくって行かなきゃ仕方ないんだけど。


「分かりました。それではその様に手配させていただきます」


 それだけを言うと、さっと踵を返して部屋から出てゆくミーシャ。
 かっこいいなぁ、漢らしいなぁとその後姿を見送る。
 そしてまた独りぼっちになった。
 今日この部屋を訪れたのは、ドクター・グェロ、ミーシャ、フェイ兄様、レオの4人だ。
 食事時になるとあと3人くらいメイドさんが増えるけど、おおむね壁の花。
 喋ることもなければ、視線すら会わない。
 みんな心持ち視線を下にして、じっと立っている。
 食事が終われば一斉に動き出して、無駄口一つ叩かずに出て行ってしまう。
 あれがメイドのプロ集団ってことなんだろうと、一人感心していた。


「今日一日ほとんど一人だし、さすがに暇だし寂しいなぁ」


 ベッドの上に寝転がって、ぽつりと本音が漏れてしまう。
 立場が上の人は孤独だっていうけど、こういう状況を言うのかな?
 だったら偉い人なんかにならなくていいんだけどなぁ。
 枕を抱きながらごろごろしていると、ミーシャが数台のワゴンと共に部屋に入ってきた。
 後ろには男性が数人がかりで少し大きめのテーブルを下げている。
 次に入ってきたのは、豪華な布張りの食卓椅子が4つ。
 その次が、テーブルクロスと燭台、花瓶、それに生け花を携えた花師さん。
 あれよあれよという間に殺風景な寝室にダイニングスペースが出来上がる。
 そして最後は真っ白な制服に身を包んだ給仕さんが、ぴかぴかの食器を並べてゆく。
 僕はその手際の良さに圧倒され、ぽかんと見守るだけだった。


「姫様、ご用意が出来ましてございます」
「あ、ありがとう」


 いつの間にか私の傍に来ていたミーシャが、恭しく頭を垂れている。
 こんな凄い人たちに頭を下げられる程、僕は凄い人間ではないのでどうしても気後れしてしまう。
 外の人はどう感じていたのかなぁ。


 僕はミーシャが誘導してくれるとおりに席に付き、近寄ってきたメイドさん達のされるがままになる。
 二人寄ってきてボールの中にある水で手を拭かれ、別の二人が手際よくナプキンを首と膝にかけてくれる。
 給仕がいい音をさせながら食前酒っぽいものをグラスに注ぎ、ミーシャがスープを入れてくれた。


「あ、あの有難うございます」
「……」


 少し気後れしながらメイドさんや給仕さんたちにお礼を言うも、誰一人答えを返してくれなかった。
 き、気まずい。
 高貴な方とは直接お話も出来ないってやつか?
 これは地味にきついぞ。
 彼らの無反応振りにどうリアクションすべきか悩んでいると、ミーシャが耳元でそっと囁いてくれる。


「準備が整いました。どうぞお召しあがりくださいませ」
「あ、そうですね。それじゃあ、いただきます」


 両手を揃えて“いただきます”をして、スープに手をつけた。
 うん、パンプキンスープっぽい味が口にふわっと広がって、なんていうか幸せになる味だなぁ。
 あっという間に、皿の中のスープを全て平らげてしまう。
 少しナプキンに垂れたりテーブルの上に雫が落ちたりしたけど、拭けば無問題。
 ごしごしと首もとのナプキンでテーブルを拭いてから、お代わりを頼もうと顔を上げた。
 と、壁の花のメイドさんと一瞬視線が合ってしまう。
 あれ? なんかびっくりしたような表情だよね?
 よく見ると、なんか皆の視線がテーブルとかナプキンに突き刺さってるんだけど。
 な、何か間違ったのかな?
 ハッとなってミーシャに振り返る。
 彼女なら何か適切なアドバイスをくれるのではと思ったが、彼女はまるで僕を視界に入れることを拒否するかのように首を背けていた。
 くっ、ミーシャさんには頼れないか。
 といって他に声を掛けれそうな人も居ないしどうしたものか。
 そんなことを考えていると、空になったスープ皿を赤毛のメイドさんがそっと下げようとしていた。
 何が駄目だったのかよく分からないけど、気にしても今は始まらない。
 そう自分の中で開き直って、赤毛のメイドさんに声を掛けた。


「あの、お代わりいただけます?」
「……はあ?」
「いや、お代わり欲しいんですけど……。あ、もう無かったら別にいいです」
「い、いえ、すこし暖める時間をいただけましたらお出し出来ますが」
「ああ、いいですよ、暖めなくて。そのままでもすごく美味しかったものですから」
「あ、え? で、でも?」
「アニス、姫様の御所望です。すぐに用意を」
「は、はい!」
 

 ミーシャの鋭い声に、アニスはびくっとなって手にしていたスープ皿を床へ落としてしまう。
 微かに残っていたスープの残滓がその衝撃で僕の着ていた浴衣(っぽい寝巻き)に撥ねた。
 それを見たアニスの顔がみるみる青ざめてゆく。
 彼女の膝ががくがくと震えたかと思うと、ストンと床に崩れ落ちた。


「ももも、申し訳ございませんっ」
「ひぃっ!」


 凄い勢いで謝られている僕。
 ちなみにひぃってなったのは僕だったりする。
 そりゃ普通びっくりするでしょう。
 でもそれ以上に普通じゃないのは目の前のアニス。
 ガタガタと震えて土下座してるその姿を見て、この状況が異常であるとイヤでも理解できた。
 固まる体に氷点下へと突入する場の空気。
 そんな中頼れる漢、ミーシャが動いた。
 

「スヴィータ、アニスを連れて外へ。メイはお召し換えをお持ちして。男性は皆いったん外へ出てください」


 すげぇよ姐さん。
 この凍った空気の中、なんでそんなにテキパキと指示をだせるのか。
 もうね、ミーシャは『漢女(おとめ)』というしかないよね。
 一糸乱れぬ動きでその場が収拾されていく。
 色々と驚いたけど、ようやくほっと一息つける気がした。


「あのミーシャさん」
「はい、何でございましょう?」
「アニスに気にしないように伝えてもらえないでしょうか。別にこれくらい拭けばいいんだし、着替えるのも大げさだと思いますし」
「事を大げさにしてしまい申し訳ございませんでした。この責めはいかようにもお受けいたします」
「いえ、そんなに畏まらなくても。それにミーシャさんが良かれって思ってしてくれたことですし。お礼をいうことはあっても責めるなんて私には出来ません」
「はい、ご寛恕を頂き返すお言葉も見つかりません。アニスには今後このような失態をせぬよう厳しく指導いたしておきます」
「あー、お手柔らかにしてあげてくださいね?」
「承知いたしました」


 そういってミーシャは深々と頭を下げた。
 正直こんなことくらいで怒ったりしないのに、ちょっと周囲の過敏な反応に違和感を覚える。
 っていうか、外の人いったい今までどんな風に皆と接してきたのさ!!



[24455] 5話「領主視点/フェイタール視点」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/23 07:26
 我が義理の娘、スワジク・ヴォルフ・ゴーディン。
 盟主国であるブリュスノイエ帝国の四家ある選帝侯の一つ、ヴォルフ家の血を引くあの者ははっきり言って我が国の癌である。
 私の正妻はヴォルフ家の11女であった。
 一言で言えばいけ好かない女で、何かといえば選帝侯の肩書きで無理を通す我侭ぶりは国内の州長達にも不評だ。
 その評価は彼女が死した今も微塵も揺るがぬ。
 そんな女に育てられた畏父娘が我侭でない筈が無かった。
 気に入らぬといえば侍女を殺め、貧相な館だといっては莫大な国金を費やして盟主国の宮殿風に改築したり。
 あの者の傍若無人振りに、一体何人の国民が隠忍を強いられたか。
 悪名だけでいうなら、スワジクは我が妻の数倍上をいく。
 そんな無茶を強いられてなお甘んじて従わねばならぬのは、一重にわが国が帝国の庇護、いやヴォルフ家の庇護なくしては生き残れないが故。
 だから、先日の落水事故にはずいぶんと肝を冷やされた。
 あんな取るに足らぬ女でも、ヴォルフ家との姻戚関係を続ける上ではなくてはならない要因である。
 息を吹き返したと聞いて腰が抜けるくらい安堵したものだ。


「父上、お呼びにより参りました」
「おお、フェイタールか。よくぞ参った。して、あの女の様子はどうであったか?」


 私の私室に入ってきたのは、第3王子のフェイタールである。
 蛮行姫が唯一気を許している存在、近衛のレオが言うにはフェイタールに懸想しておるとか。
 だからあの女の動向を探るべく見舞いに出したのだ。


「はい。大分元気を取り戻したようで、昼ご飯もしっかりと食べたそうです。ドクター・グェロの話では肋骨に多少ヒビが入っているのと、記憶の混乱がみられるようですが概ね良好とのことです」
「ほぉ、記憶の混乱とな。だからか、こちらへ怒鳴り込んでこぬのは」
「はい。おそらく落水した経緯すらよく分かっていない様子でした」


 フェイタールのその話に、私は思わず会心の笑みを浮かべてしまう。
 そんな私を見て、フェイタールも苦笑いをしていた。


「そうかそうか、では問題の侍女はどうした」
「それも抜かりなくいたしております。とりあえず奴の傍仕えを外し、レオの屋敷にて匿っております。状況を見てですが、落ち着いてから帰郷をさせようと思っております」
「ま、姉を殺されて復讐心を抱くなという方が無理な話だからの。今後は傍仕えの身辺調査は入念にせねばな」
「正直私も肝を冷やしましたが、その反面溜飲が下がったのも確かです」


 王族の血縁に手を出せば死罪は当然であるが、まああの女なら法を曲げても誰も文句はいうまい。
 それに本人は殺されかけたことすら自覚していないと来ている。
 笑うなという方が無理な相談であった。


「してヴォルフ家への使者はどうする?」
「その辺りはレオと内大臣が手配しております。とりあえず本人が覚えていないので、自己の過失による落水事故という報告にさせますがよろしいでしょうか?」
「そうか、良きに計らえ」


 聞きたいことはすべて聞き終えたので、下がってよいと目で指示する。
 が、フェイタールは少し考えるような仕草をして、立ち去ろうとはしなかった。


「何かあるのか?」
「いえ……、はい。奴が私に、『有難うございました』と言ったのです」
「……馬鹿な、あやつが他人に礼を述べるなどと」
「私も自分の耳を疑いました。それになんといっていいか、態度が豹変したように見えます」


 自分で言っていることを確かめるように、噛むようにゆっくりと喋るフェイタール。
 まるで自分の発言を疑っているかのような様子に、すこし不安になる。
 

「もしや、殺されかけたことで態度を改めたのか?」
「どうでしょうか? それならば改めるどころか、粛清を始めるのがあの女です。もう少し様子を見てみますが、もしこの変化が好ましいものであれば、私はそれを伸ばしていこうと思います」
「済まぬな。お前には嫌な事ばかりを押し付けてしまう」
「何をおっしゃいますか、父上。あんな小娘にわが国を良いようにされては堪ったものではありませんからね。これも私の仕事の一つですよ」
「苦労をかけるが、蛮行姫をよろしく頼む」
「はっ、命に代えましても」





 王の自室を出て、俺は蛮行姫の侍女たちの控え室へと向かった。
 時間的に言えば食事が終わったころだろうか。
 先ほどあった報告では部屋で食事をするらしかったが、それに振り回された給仕や侍女たちに軽い同情を覚えた。
 そんなことを考えながら歩いていると、廊下の真ん中で青い顔をしているアニスとスヴィータがいた。
 なにか逼迫した様子に、胸騒ぎを感じる。
 足早に2人も元へ近寄ると、驚かせないように声を掛けた。


「アニス、スヴィータ、何かあったのか?」
「あ、これは殿下、お見苦しいところを」
「かまわぬ。何があった?」


 慌てて最敬礼を取ろうとするスヴィータを止め、今だ泣き止まぬアニスに声を掛けた。
 だがアニスは少々取り乱しており、話が出来るような状況にはなさそうである。
 仕方なしに、再度スヴィータに視線を戻す。


「食事の給仕中アニスがお皿を取り落としてしまい、姫のナイトドレスに滴を掛けてしまったのです」
「まずいな。で、奴は怒りくるっているのか?」
「そ、それが……、特に怒った様子は無くむしろアニスに気遣うような感じを受けました」
「そうか、分かった。後は任せろ」


 そういって蛮行姫の部屋に入ろうとする俺に、スヴィータが縋るように言葉を続ける。


「殿下、私たちの処罰はどうなるのでしょう? アニスもそれが気になってて、それに上塗りをするような失敗をしてしまって。正直、私たちいつ処刑されるのかと不安で仕方ないのです」
「すまぬな。だが、そんな事はさせんよ。安心しておいで」


 悔しそうに涙目で俯くスヴィータ。
 その亜麻色の髪にそっと手を置いて慰撫し気休めの言葉をかける以外、今の俺に出来ることは無い。
 自分の無力感に歯がゆい思いを感じながらも、俺は俺にしか出来ないことをなさねばならないのだ。


「でん゛が、も゛うじばげ、あ゛り゛まじぇん……、ヒック」
「アニス、今日はもう下がりなさい。そんなに泣いたら干からびてしまうよ?」
「ずびばぜん……」


 優しく声を掛けると、アニスは泣き止むどころかさらに収拾が付かない状態に陥った。
 スヴィータの胸に顔を埋め無理やり声を殺しているのだが、あまり効果は発揮できていないようだ。
 侍女たちの不安も一杯一杯のところまで来ているのか。
 気付かなかった訳ではないけれども、彼女たちに安心出来るような情報を提供できなかったことが悔やまれる。
 彼女たちの処遇については、もっと早くに蛮行姫に確認すべきだったのかもしれない。
 そうすればいらぬ不安感を抱かせることもなかったのに。
 とは言うものの、藪蛇になっては本末転倒である。
 歯がゆい思いを奥歯で噛み殺し、扉の外で屯する給仕達を掻き分けて奴の居城へと足を踏み入れた。
 気分はまるで絶望的な戦場に向かう騎士のようだった。
 これは俺にしか出来ない戦い。
 待っていろ蛮行姫、きっといつか俺なしではいられないようにしてやるからな。



[24455] 6話「もっと兄様のこと知りたいの」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/25 18:56
 ミーシャが替えの浴衣っぽいのを持って来てくれた。
 本当にこれ位なら着替えることも無いのにと思いつつ、染みになったら大変だからかなぁと考えてみたりする。
 せっかく持ってきてくれたのだし、取り敢えずは着替えることにして浴衣っぽいのを脱いだ。
 当然浴衣っぽいのの下は全裸である。
 こっちの人って下着とか付けないのかなぁ?
 そんな変な事を考え妙にドキドキしながら新しい浴衣っぽいのに袖を通す。
 あんまり変態チックな思考はやめよう、主に僕の精神衛生上の為に。
 と突然予告もなしに廊下側のドアが開いて、変態が乱入して来た。
 あまりにもびっくりしすぎて僕とミーシャの時間が止まる。
 そこにいたリア充イケメンは部屋の中の状況を把握したようで、なんとも微妙な笑顔で立ち尽くしている。
 フェイ兄、なにやってんの?
 丁度扉に向かって着替えていたから、彼からは僕のすべてが丸見えだと思う。
 ここは悲鳴を上げるべきかどうすべきか考えて、とりあえず浴衣っぽいので前を隠す。
 しばし見詰め合う男と女。


「いや、あの、食事中だと聞いて……」
「はぁ、確かに食事中でしたね」
「な、なんで裸に???」
「はぁ、着替えているからですかね?」
「いや、その……」
「殿下、一旦廊下へ出られてはどうでしょうか?」
「す、すまん!!」


 ミーシャがこめかみを押さえながら彼への最善策を提案し、それを承諾した変態はすぐさま廊下へと出て行った。
 まあ、確かに女性の生着替えを見てしまったらそうなるのは理解できるね。
 自慢じゃないが、僕ならもっと取り乱す自信がある。
 そんな変なことを考えていたからだろうか、手の止まった僕にミーシャが近づいてきて丁寧に浴衣っぽいのを着付けてくれた。
 すいませんミーシャ様、そんなに睨み付けないでください。
 それに今のはあの変態兄が悪いよね?
 あ、もしかしたら僕も毛の先ほどは悪かったかも?
 あ、あの、本当に御免なさい、許してくれないと色々と漏れてはいけないものが漏れそうです。





「いや、本当にすまなかった。まさか着替えているとは思っても居なくて」
「もう良いです、フェイ兄様。私それほど怒っていませんから」
「本当かい?」
「本当です」
「アニスの失敗も?」
「ああ、お皿を落とした事ですか? 誰だって失敗の一つや二つくらいするでしょうし、それも気にしていません」
「そうかい、良かった。流石は私の可愛い妹だよ」


 そこでその科白がでるんかい、変態シスコン兄よ。
 まあフェイ兄が再入場したときは、本当にまじめな顔で90度頭を下げてたもんなぁ。
 生まれて初めてされたよ、最敬礼で謝罪って。
 怒っている真似してみたけど、あまりしつこいと嫌われたら大変なので程ほどにしておく。
 この変態さんには後できちんと働いてもらわないといけないしね、フフフ。
 っていうかそんなに真面目な顔が出来るなら、普段からそっちで居れば良いのに。
 マジでもてると思う。
 男の視点から見ても惚れ惚れするくらいかっこいいもんな。
 変態性シスコン症候群さえ罹患してなければ、きっと国一番の人気アイドルになれるんじゃなかろうか。
 などと思ってマジマジとフェイ兄様の顔を見つめていると、奴が極上スマイルと悩殺ウインクをセットで放射してきやがった。
 キモいのとキモイのとキモイので思わず視線を逸らしてしまったよ、音速で。

 そうそう、今この部屋にはミーシャとフェイ兄と僕の3人だけである。
 まさか王子様が頭を下げているのを他の人に見せるわけにもいかないので、僕がミーシャに頼んで3人にしてもらったのだ。
 まあ、本当はミーシャにもそんなところは見せない方がいいんだろうけど、それは僕の保身の為にゆずれねぇ
 一応これでもか弱き少女なのだから、変態シスコン兄と二人っきりとか全力でお断りなのである。
 まあとにかくこれから食事が終わるまではこの3人きりなわけ。
 一杯人がいるといろんな意味で落ち着かないしね。
 実はこれには深い深い僕の思惑があったのだが、ミーシャもフェイ兄ももちろん気が付けるはずもない。
 さて、フェイ兄は謝罪も済んで少し気を緩めているようだし、後ろのミーシャもさっきよりかは動きが柔らかくなっているような気がする。
 いいタイミングだな。


「あのぉ、フェイ兄様? 一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ん? 何だい、僕の可愛い妹よ」
「さぶっ……。い、いえ、もう夕食は済まされたのですか?」
「ああ、そういえばバタバタしていてまだだったかな」


 そこで僕は会心の笑みを浮かべて、両手を胸元でパンと打つ。


「よろしかったら夕食ご一緒しませんか?」
「え? しかしこれは君の夕食だろう? それを私が頂くのはちょっと……」
「いいんです。どうせ全部は食べきれないと思っていたところですし。残すともったいないでしょう? 本当はミーシャさんにも手伝ってもらいたいくらいなんだけど、さすがにそれはミーシャさんが頷いてくれないだろうし」


 フェイ兄は困ったような半笑いの顔でミーシャに視線を移す。
 ミーシャは相変わらずクールでビューティな感じで立っていて、兄様の視線に軽く頭を下げる。
 たぶんそれは「ご随意に」とかいう感じのゼスチャーなんだろうと思う。
 フェイ兄様は仕方が無いなあといいつつ了承してくれた。
 くくくく、罠に掛かったな。
 僕はすかさず変態ロリ兄の為に椅子を引く。
 ポジショニングを間違えると計画が狂ってしまうからね、ここは一番大事なところだ。
 ぽかんとするミーシャを尻目に、強引にフェイ兄の背中を押して椅子に座らせる。
 次にさっき給仕さんがしていたように、手早く食器を彼の前に並べてゆく。
 そして仕上げに、僕が座る椅子と食器類をフェイ兄の隣に持ってきてセッティングした。


「な、何をしているんだい、スワジク?」
「いえ、一度フェイ兄様とこのように並んで食事をしたかったのです。いけませんか?」


 ピシッっていう何かが割れる音が背後でしたので何かなと思って振り返ると、ミーシャが無表情にお皿をダスターに放り込んでいるのが見えた。
 落として割れたのかな?
 まあ、とにかく準備は万全、あとはミーシャに給仕してもらうだけだ。


「さあ、ミーシャさん、よろしくお願いします!」
「……はい、承りました」


 そうして僕の『テーブルマナー、見て盗んでやるぜ作戦』は、和やか(?)な雰囲気の中開始されたのだった。
 ミーシャから時々放射される妙な威圧感はきっと気のせいだ。
 それに今は作戦行動中、余計なことに気は散らせない。
 僕はフェイ兄の食べ方を横目で必死に真似ながら、下品にならないように気をつける。
 男と女で多少違う部分もあるかもしれないが、それは基本が出来てからでいいだろう。
 他愛の無い会話の中にも色々と学ばなければならないことは意外と多い。
 食材の名前、産地、食前酒に最適なお酒等々。
 この作戦を何回か繰り返せば、テーブルマナーや食に関する知識はクリアできるんじゃなかろうか。
 意外だったのはフェイ兄ってただの変態ではなく、結構広い範囲の薀蓄をもってる変態だったということかな。
 ま、当分は僕のために生き字引になってもらおうと密かに心に決めた。



[24455] 7話「人生はすべからくミッションである」(一部描写追加)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/26 23:28
 「はふぅ、疲れたぁ」

 
 ベッドの上にうつ伏せに倒れこみ、全身の力を抜いてだらける。
 今日一日変に気を使いながら過ごしたせいで、なにか妙に肩が凝っている気がするのは気のせいだろうか。
 外の人のことが分からないので本当に行き当たりばったりに姫を演じたけど、大丈夫かなぁと今更ながらの心配をする。
 まあ最悪「記憶喪失ですの、おほほほっ」って惚けてしまえば大抵の事は誤魔化せるかも。
 

「っていうか、外の人の立ち位置が分からないんですけど?」


 声に出して不平を唱えるも、僕の訴えは誰にも届かない。
 立ち振る舞いはある程度大人しくしていることでクリアできても、知識まではいかんともしがたい。
 いつも何をしていたのか。
 どんな趣味があったのか。
 好きな色は?
 犬派? 猫派?
 友人関係は?
 好きな男性のタイプは?
 好みの食事は?
 公務とか、やりかけの仕事があったりしたらどうしようとか。
 誰かに聞くにしても、誰に聞いて良いのかよく分からないし。
 メイドさんたちは割とそっけないしなぁ。


「ボクに外の人を真似るのは無理だよな、実際。知らないことだらけだしなぁ」


 ガシガシと乱暴に茹だった頭をかき回す。
 暴れるのに疲れた僕は、部屋の天上にぶら下げられたシャンデリアを見つめながら無心になろうと努めた。
 味方を作らなきゃ。
 僕の窮状を理解してくれて、それでいて世話を焼いてくれそうな人。
 やはり候補としてはミーシャかフェイ兄ぐらいの選択肢しかない。
 ほかのメイドさん目も合わせてくれないし。
 なんかなぁ、こうチート技能とか持ち合わせてないもんかね。
 僕的にはサイコメトリーとかサトリのような相手の心を読めるようなやつ。
 この世界に魔法は無いのかなぁ。
 ぐだぐだ考えているうちに、だんだん瞼が重くなって意識が遠のく。
 そして僕のTS憑依の初日は幕を閉じた。


「って、まだ寝ちゃ駄目だ! 忘れてたよ、外の人の私物チェック!!」


 なんで今までそれに気付かなかったのか!
 日記とかあったら、凄くいい情報源になるよね。
 しかしこの部屋にはベッドと鏡台、夕方に運び込まれたダイニングセットくらいしかない。
 ならこの城のどこかに外の人の私室なんかあるんじゃないのか?
 凄いよ、僕!
 賢いよ、僕!
 昼に気付いたところでメイドさん達が居てなかなか思うように行動出来なかっただろうから、今がベストタイミングだ。
 だいぶ夜も更けてきただろうし、もしかしたらみんな寝てるかもしれない。


「ふふふ、ボクにも運が向いてきたぁぁぁ!」


 本当に運が向いてきたかどうかは別として、とりあえずの行動指針が出来たのは単純に嬉しかった。
 が、このまま外に出たのではすぐに誰かに見つかってしまう。
 部屋の隅にあったワードローブに飛びついて、何か使えるものはないかと探しまくる。
 出てきたのは、外出用の浴衣、ごついバージョン。
 これは今来ている絹よりは分厚く、色も割りと暗めのブラウンだ。
 薄暗い夜の城の中ではきっと隠れ蓑になってくれることだろう。
 ついでに鏡台の椅子にかかっている埃避けのカバー。
 ちょっと工夫すればほっかむりをするのに丁度いい感じ。
 夜といえども外の人のこの銀色の髪は目立ちすぎると思うから、これの中に髪を全部入れてしまおう。
 髪が多くて全部入れると喉のところで紐を結べないので、仕方なしに鼻の下あたりで結んでみた。
 気分はルパン3世だが、見た目は一昔前のこそドロである。


「探索エリアはこの部屋がある階を虱潰しに行こうかな。といっても扉の外には誰か居るのかな?」


 抜き足差し足忍び足でこの部屋唯一の扉へとへばりつく。
 耳をつけて、じっと外の様子を伺う。
 静かだ。
 誰も居ないのかもしれない。
 と、ごそりという堅い物が触れ合う音が聞こえた。
 どうやら誰かが扉の前で立っているようだ。
 まあ、それは正直予想できたから落胆はしない。
 僕はそのままゆっくりと窓へと移動する。
 昼に外を眺めていたとき、ここから隣の部屋のベランダが見えていたのだ。
 しかも割りと近い。
 僕はそっと音を立てないように窓を開け放ち、ゆっくりと窓枠に跨る。
 パンツ履いてないから、直に石の冷たさが股間に伝わるのがなんとも言えず微妙な感じ。
 こう何ていうか当たり加減とか、フィットしているみたいな?
 あ、ちょっと前かがみになった方がいいみたいだね。
 ……。
 ……っん。


「はっ、イカン、イカン。こんな所で変なことしてたら、本気で頭の中身を心配されてしまう」


 気を取り直してベランダまでの距離を目測する。
 丁度外の人の歩幅でぎりぎり一杯のところだろうか。
 これくらいの距離なら飛び移ればなんとかなるかな?
 そう思って下を見てみた。
 見なきゃ良かった。


「怖えぇぇ」


 3階くらいの高さはあるだろうか。
 下を歩いている見回りの兵士さんが割りと小さく見える。
 余計な物音は立てられないなぁ。
 もう一度ベランダを見ると、さっきより大分遠く感じてしまう。
 お、落ちたらさすがに死ぬよね?
 ぶるりと体を震わせて、それでも腹を括って窓枠の外へと身を乗り出す。
 窓の下にある出っ張りに辛うじて足をかけ、窓枠に両手でしっかりと掴まって足を一本だけ伸ばす。
 

「と、届かない……」


 うん、ごめんヘタレてたよ。
 ふぅっと深呼吸して、片手を離す。
 半身になって足を伸ばすと、なんとか足が向こうに付く。
 窓を掴む手と伸ばしている足がプルプルと震え、落ちるのをなんとか我慢している状況。
 そこで重大なことに気がつく。


「足が届いても、この体勢じゃ向こうに飛び移れないよね」


 僕はいそいそと部屋の中にもどり、今度は窓枠に足をかけて立ち上がる。
 これであっちへ飛び移れればミッションコンプリート。
 飛び移れなければミッションフェイルド、ついでにバッドエンドその1である。
 目を閉じて精神統一、飛べない距離じゃない。
 大丈夫、僕ならやれる。
 僕は心の中で掛け声をかけた。


(アイ、キャン、フラーーーーーーーーーーーーーーーイ!)


 思いっきり窓枠を蹴って、虚空へと羽ばたく僕。
 ごうっという風切り音が聞こえたかと思うと、直ぐに強い衝撃を両足に受けた。
 その衝撃を無理に受け止めず、ごろんと前転前受身でなんとか耐えた。
 よかった、中学校のときにやった柔道の授業がこんなところで役に立つなんて夢にも思わなかったよ。
 ありがとう、脳筋田辺先生。
 冷や汗を袖で拭ってベランダに立ち上がる。
 後ろを振り返ると、飛び出た窓は風のせいか自然に閉まっていた。
 これでは帰りはこのルートを選べない。
 紐か何かで固定してこなかった自分の迂闊さを呪う。
 その時ベランダの向こうから声がした。


「誰かそこに居るの?」
(ヒィィィィ!)


 拙い、見つかってしまう!
 ベランダから飛び降りる?
 いや、出てきた相手を殴り倒すか?
 はたまた置物に成りきるか!!
 どうする? どうするよ、僕!



[24455] 8話「よぉスネーク。ダンボールは何処だい?」(擬音修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 00:06
「誰かそこに居るの?」


 窓の向こうから聞こえる女性の声。
 ま、まずい! ここで見つかる訳には行かない。
 僕は周りを見回して隠れる場所が無いかを必死に探す。
 ベランダからぶら下がってやり過ごす?
 力尽きたら死ねる。
 急いで自分の部屋に飛び移る?
 不可能ではないかもしれないけど、窓を突き破る事になるので血まみれになるのは必然。
 そして最後に目に付く壁の窪み。
 縦2m、横幅1.5m、奥行き30cmくらいのアーチ型の窪みだ。
 ロマネスク様式かゴシック様式か知らないけれど、この城の設計士さんに惜しみない感謝を送ろう。
 その窪みにさっと飛び乗り、べったりと壁に張り付く。
 ベランダの曲がり角で丁度声のした窓からは死角になる。
 奥まっているから、ぱっと見にはきっと僕がいるなんて分からない筈、……だといいな。
 軽い金属音をさせてゆっくりと窓が押し開かれる。


「誰? 誰かいるの? ミーシャちゃん?」


 姿は見えないけどこの声はアニス!
 なんかその声を聞いただけで、泣きそうな顔と引けた腰でベランダを覗いている彼女が容易に想像できる。
 もしかしてアニスは不幸属性持ちのどじっ娘メイドか、……萌ゆる!
 などと腐った思考に陥っていると、段々とアニスの声が近づいてきた。
 くっ、まずい、見つかるかも。


「じ、冗談なら止めてよね、ミーシャちゃん。私、怖がりだっていつも言ってるのにぃ」


 じわりじわりと近づいてくる声と足音。
 怖いなら部屋に戻れと言いたいけど、怖いからきちんと確認して安心したいのかも。
 くそっ、僕は壁だ、壁画だ。
 心を無にするんだ、僕。
 そう個にして全、全にして個、己を捨てて世界と同調すれば、自然と一体になれるんだ。
 

「あーん、誰でもいいから返事してよ~。やっぱ殿下の言うとおり宿直なんてしないで帰ればよかったー、私の馬鹿ぁ」


 アニスがぶつぶつと呟きながら、ベランダの曲がり角までやってきた。
 メイド服をきちんと着込んだ上にガウンを羽織って、手には蝋燭が入った銅鐸のようなものを持っている。
 普通のランタンなら周囲全体を照らすのでもしかしたら一発でばれたかもしれないけど、アニスの持っているのは懐中電灯みたいに直線的に照らすだけのものだ。
 これなら壁にへばりついている僕まで光がさほど届かない。
 

「誰も居ませんねぇ? ふぅ、よかったぁ。本当に誰か居たら心臓が止まる所だったよ」


 ようやく安心したのか、声にも少し明るさが戻っている。
 彼女が居るのは丁度僕の目の前。
 そう、そのまま外の方に向かって回れ左してくれたら何も問題はないから!
 僕は必死に心の中でアニスにお願いをする。
 こっち向いたら駄目だからね!
 さらに念押し。
 僕のテレパシーが彼女に届いたのか、大きく一つ頷いてくるりと体を回転させた。
 右回りで。


「……」
「……フヒヒ」


 丁度僕と向かい合う形になって固まったアニス。
 銅鐸みたいな照明器具が、下から斜め45度の角度で僕を照らす。
 しばらく口をぱくぱくとさせていたアニスは、突然糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
 なんだろう凄い罪悪感。


 倒れこんでいるアニスを肩を落として見下ろす僕。
 このまま放っておいたら絶対風邪引くよね。
 ちょっと彼女が出てきた部屋を見ると、いろんな道具とライディングデスク、ベッドが置いてある物置の様な部屋だった。
 あのベッドの上にアニスを載せておけば、風邪引かないよね?
 棚に有った少し厚めの綺麗な毛布を手に取り、アニスの元へと駆け戻る。
 毛布を床に敷き、握れるだけの長さを残してアニスの背中と足を包み込めるように調整する。
 これで簡易の布ソリの完成である。
 非力な僕ではアニスを背負うとか出来ないから、これで引きずっていくしかない。
 まあ毛布は一発で駄目になるだろうけど、いっぱいあったしいいよね?
 とまあ、そんなこんなで大量に汗をかいたけど、なんとかアニスをベッドに寝かせることが出来た。
 そして部屋を見回すと、扉が2方向にあるのが見えた。
 一つは質素な扉、もう一つは割りと豪華っぽい造りのやつ。


「これはきっと豪華な扉の方を先に調べるべきだよね」


 そういって僕はそっとドアノブを回して扉を開いた。
 薄暗くて細部まではよく分からないけど、窓際にあるテーブルと椅子、暖炉まえに置かれているソファが見える。
 壁際には小さい書棚があって、薄っぺらそうな本がいくつか並んでいた。


「へぇ、凄いや。部屋の中にミニチュアの植物園まであるんだ」


 ちょろちょろと水の流れる音を聞きながら、部屋の奥にある少し大きめの机に向かった。
 机には引き出しが左右合わせて6つある。
 そのどれにも鍵などかかっておらず、取っ手を引けばするりと開く。
 全部の引き出しを色々探ってみたら、週刊誌くらいの大きさの革の本を2冊見つける事ができた。
 一つは錠付き、もう一つは錠無しだ。
 錠無しの方の本を開けてみると、予想通り何か色々と書き付けられている。
 暗くて内容までよく読めないけれども、字の綺麗っぽさからいって外の人のものじゃないかと推測する。
 その時、隣の部屋から声が聞こえた。
 アニスが目を覚ましたみたい。


「せ、センドリックさ~ん。センドリックさぁぁん」


 泣きそうなアニスの声を聞きつけたそのセンドリックさんとやらが、隣の部屋に駆け込む音が聞こえた。


「どうなされました、アニス殿」
「べべべべ、ベランダ……、へへへ、変なひひひ人ががが」
「な、何ですと? 賊か?!」


 どうやらセンドリックさんは賊(実は僕のこと)を探しにベランダへと向かったようだ。
 むふふ、チャーンス。
 きっとセンドリックさんは僕の部屋の前にいた人だろう。
 さっきも扉の外には音が一つしかしなかったから、いまなら僕の寝室まで誰にも会わずに辿り着けるはず。
 ナイスアシスト、アニス!!


 僕はなるべく音を立てないように、今度はアニスのいる宿直室ではなく廊下へ続くであろう扉を押し開く。
 案の定廊下には誰も居ない。
 僕は胸に2冊の本を抱えて足早に寝室へと向かう。
 予想通り、部屋の前には誰も居ない。
 僕はすぐさまドアを開いて中へと滑り込んだ。
 そのまま本をベッドの上に放り投げ、茶色の分厚い浴衣っぽいのを脱いでワードローブへ突っ込む。
 頭に被っていた椅子のカバーもむしり取り、ベッドの枕の下に2冊の本と一緒に押し込んだ。
 ほっと一息ついたところで、ドンドンドンとドアがノックされる。


「あ、は、はい、どうぞ!」
「失礼いたします姫様。衛士のセンドリックです。こちらにたった今、何者かが入り込んできませんでしたでしょうか?」


 声を掛けると同時に、白い鎧に身を包んだ厳ついおっちゃんが入ってきた。
 腰に下げている剣に手をかけて、いつでも抜き放てる体勢に鋭い目つき。
 さすが衛士さん、なんかオーラが違うわ。


「さ、さあ? 私は寝ていたのでよくわかりませんが」
「……さようでございますか? して、あちらの窓は最初から開けっ放しでございましたか?」
「いえ、あそこは私がきちんと戸締りいたしました!」


 僕がセンドリックさんの問いに答える前に、後ろから着いてきていたアニスがその問いに答える。
 そうえいば、就寝前の戸締りに彼女が来ていたっけ。
 センドリックさんはすばやく窓に近づくと、さっと周囲を見回して不審な点が無いかを調べている。


「ふむ? なにやら微かに窓枠に付着していますな……。なにかの粘液が乾いたのか、これは?」
「ままま、魔物ですかね? お城の中まで魔物がはいってきたんでしょうかね?」
「いや、断定は出来ません。とにかくお二方はきっちりと窓と扉を閉めて外へ出ぬようにお願い申し上げます」
「は、はい、分かりました」


 せ、センドリックさんがマジマジと見てたのってまさか……、くっ、この聡明な僕にして一生の不覚! さっきちゃんと確認して拭いときゃ良かった。
 その晩は結局、お城中で居もしない賊探しで一晩中てんやわんやしたそうである。
 ごめんよ、皆。





 *アニスが見たスワジクのポーズ 参考資料「古代エジプトの壁画調マリオTシャツ」



[24455] 9話「そういえば僕って肋骨にひびが入ってたよね」(一部表現加筆修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 00:03
「全治1週間といったところでしょうか」


 サイドボードの上に置かれたボウルの中で、丁寧に手を洗うドクター・グェロ。
 ここはいつもの僕の寝室で、僕はベッドの上で寝転がっていた。
 本当は起きたいんだけど、呼吸するたびに鋭い痛みがあるので大事をとって寝転んでいる。


「……姫様、なにか激しい運動のようなものでもされましたか? 例えばダンスの練習などですが」
「い、いえ、特に激しい運動はしてないのですが」
「そうですか。とりあえず骨は折れてはいませんので、日常生活に特に支障があるわけではありません。が、患部に負担のかかるような行いは厳に慎まれたほうがよろしいかと。さもなければ……」
「さもなければ?」
「ぽきりと骨が折れてしまいますぞ?」
(ひぃぃぃ、それは嫌だ)


 骨が折れるところを想像して引き攣る顔を、なんとか笑顔でごまかす。
 昨日あれだけ無茶したのだから当然か。
 気合入ってるときはあまり感じなかったけど、朝起きたらすっげー痛いんだもんなぁ。
 仕方が無い、当分は大人しくしておこう。
 といっても大きな動きや深呼吸をしない限り大丈夫そうだけどね。
 一人うんうんと頷いている僕を放置して、ドクター・グェロはさっさと廊下へ出て行く。
 彼とと入れ違いに、今度はフェイ兄とセンドリックさんが入ってくる。


「大丈夫かい? あんまり無理をしてはいけないよ」
「はい、有難うございます、フェイ兄様」
「少しだけ部屋の中というか、窓の辺りを調べさせてもらうよ」
「……は、はい、どうぞ」


 そう、昨日の賊侵入事件がまだ未解決なのである。
 犯人が目の前に居るのだから当然っちゃ当然なんだけどね。
 だからって何もあの窓に執着しなくてもいいじゃないのかと。
 これなんて羞恥プレイなの?
 元男だから恥ずかしくないだろうって思ってたけど、もうねマジ死にそうなくらい恥ずかしいんですけど!!

 
「昨日私がベランダへ出たとき、丁度窓が閉じられるのを見ました。それで慌ててこちらの部屋に入ったところ、閉まったはずの窓が再び開いておりました」
「なるほど。賊が一度ここに入ったが、センドリックが気がついたので慌てて逃げたのか」
「恐らくは。そしてその物証として残していったのがこの窓枠に付着した粘液の跡です」
(センドリックさん、それ物証ちゃう! ボクの……や、って言えるかぁぁぁぁぁ!!)


 僕の心の突っ込みにもめげず、まじまじと窓枠を見つめる男が2人。
 その時、僕は信じられないものを目撃してしまった!
 フェイ兄が乾いたそれを爪で削り取り、指に付けてぱくっと口に咥えたのだ。
 瞬間、僕の中の加速装置がフル稼働。
 ベッドの上の枕を片手で掴むと、力一杯フェイ兄の頭に叩きつけた。


「~~っ!」


 脇に走る激痛に思わずしゃがみ込んでしまう僕。
 死にそうな恥ずかしさに衝動的に突き動かされたけど、これって結構やばい行動だよね。
 叩かれたフェイ兄は不思議そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
 激痛に喘ぎながらも、僕は一応この変態に注意する。
 

「フェイ兄様、そ、そんなものを舐めるなど……」
「毒かどうか確認したかっただけなんだよ。飲み込むつもりは無かったんだけど、君が急に殴るもんだから飲み込んでしまったじゃないか」
「ふぇ?!」
「まあ、毒だとしても即効性のものではないようで僕も安心したけどね」
「なるほど、確かに刺激はありませんな」


 って、センドリックさんまで何しちゃってんの!!
 顔を真っ赤にして蹲る僕を不思議そうに見つめる2人。
 フェイ兄がぽんと手を打って、なんか感動したような顔をしている。


「もしかして、我が愛しのリトルプリンセスは私の身を案じてくれたのかな」
(違ぇよ、このロリ変態)


 返事する気力もなく、がくりと頭を垂れてしまう。
 それが無言の肯定と受け取られたのか、ますます間違った方向へ理解されてしまった。


「ありがとう、スワジク。君がそんなに私のことを心配してくれていただなんて、本当に嬉しいよ」


 そういって僕を軽く抱きしめて額に優しくキスされた。
 欧米人ならこれは純粋な挨拶みたいなもんだ。
 欧米人ならこれは挨拶なんだ。
 このキスは握手みたいなもん。
 鳥肌が浮いた手を必死に擦りながら現実逃避する僕。
 悔し涙を浮かべながら、うーと唸って睨み付ける。


「殿下、これを!」


 馬鹿なことをやっていると、いつの間にやらセンドリックさんが僕のベッドの枕元にたって何かを指差していた。
 フェイ兄もそれに興味を示してベッドに駆け寄る。
 そして僕は一人、自分のしてしまった失敗に呆然としてしまう。
 彼らが僕のベッドで見つけたもの、それは昨日苦労して手に入れた外の人の日記。


「これは何だ?」


 そういってフェイ兄が錠無しの日記を手にとってパラパラと読み始めた。
 あまりの事態の急展開(僕的に)についてゆけず、読むなと抗議することすら忘れてしまっていた。
 フェイ兄の顔が段々と深刻なものに変わってゆく。
 あ、マジモードだ。
 何が書いてあったんだろう、あの日記に。
 も、もしかしてフェイ兄の変態チックな所業が羅列してあったりとか。
 うん、たぶん外の人もあのシスコン野郎に辟易してて、愚痴をあれに殴り書きしていたに違いない。
 どうしよう!


「スワジク、これらは君がここへ持ってきたのかい?」


 そんなことを認めたら一連の騒動が僕の仕業だとばれてしまう。
 だから僕は条件反射的に、力一杯首を左右に振った。


「この本の中身を見たりはしたかい?」
「い、いいえ」
「そうか、よかった。センドリック! 敵の狙いが分かったぞ。急いで衛士隊の幹部を招集しろ。ついでに侍女長と主だったスワジク付の侍女も集めろ」


 自分の日記なのに思わず中身を見てないとか言って大丈夫なのかと思ったけど、割とそこはスルーみたい。
 っていうか、敵って何? 狙いって何? な状況なのですが、誰か教えていただけませんかね?


 ばたばたと足早に出てゆくフェイ兄とセンドリックさん。
 ふぅ、ようやく静かになったか。
 散らかした枕をベッドに戻そうと立ち上がる僕の視界の隅にミーシャの姿が見えた。
 なんの意識もせずそちらへ目を向けると、ミーシャはじっと窓枠についた僕の……を眺めている。
 

「えっと、ミーシャさん? どうかしました?」
「いえ、別に……。ククッ」
(ななななんですか、その黒い笑い方は! ま、ま、まさか、見破られた? まて落ち着け、ボク。仮にあれがそうだと見破られたとしても、それの主がボクだって証拠は何処にもない。大丈夫だ、落ち着け!)
「私も何やら呼び出されるようですので、しばらく下がらせていただいてよろしいでしょうか? あとで代わりのものを遣しますので」


 恭しく膝を曲げ頭を垂れるミーシャの背後に、巨大なくもの巣を張った女郎蜘蛛を僕は見たような気がした。
 なんだろう、知られてはいけない人に知られてしまったような気がする。
 掠れるような僕の返事を聞いてミーシャは優雅に部屋を出て行った。




 その頃廊下を歩いているフェイタール殿下と衛士センドリック。


「スワジク姫ですが、大分雰囲気や素行が変わられましたですな、殿下」
「ああ、私の身を案じて泣いて怒るなど今までに無かったことだ。これは割りと早く落とせそうな感じだな」
「しかし蛮行姫とまで言われたあの方が、まさかの変わりようですな。」


 満足そうに頷くフェイタールに、センドリックが苦笑いをしながら疑問を投げかけた。
 その問いにフェイタールも少し唸りながら考える。
 あまりに変わりすぎているスワジクの性格。
 いっそ別人であると言ってもらった方が納得がいくほどである。


「ドクター・グェロも言っていたのだが、落水事故を起因とする記憶の欠落、幼児退行、不都合な記憶の封印など説明をつけようと思えばいくらでもできる。だが問題はそこじゃない。問題は、わが国にとってあの者が御しやすい人物か、そうでないかだけだ。中身など関係ない」
「ま、確かにそうですな。ですが下々の者はそうは思いますまい」


 顎を扱きながらセンドリックが苦々しげに呟く。
 フェイタールも彼の言うことに頷くしかなく、実際目の前にあるこの本の存在がそれを証明していた。


「侍女の報告書と極秘報告書を姫の枕元に隠し、侍女達の本音が彼女の目に留まるように謀るか」
「実に確実で嫌らしい手ですな」
「これを読めば、あの蛮行姫が激昂するだろう事を賊は熟知していたということだからな。
事が成れば、今居る侍女達全員の首が飛んでもおかしくない。打ち首にならなくても、ひどい罰が与えられるだろうな。そうなれば誰かがまた第2、第3の落水事故を計画しないとも限らない。いや、高い確率でそうなるだろう」
「そしてそれは衛士には止めるすべが無いところで実行されるでしょうな」
「実に狡猾な策だ。くそっ、どっちが真の敵なのか、確証さえ掴めればな」
「中原のラムザスか、帝国か。前門の虎、後門の狼ってところですかな」
「鼠をもう少し潜らせるべきかもしれんな」
「それは私にではなく、ミザリーに申し付けてください」
「そうだな。とにかく今は見えざる敵に対して、隙を見せないようにするしかないな」
「まったくしんどいことですがね」


 どんな嫌な人物であろうとスワジクというこの国の弱点は、死ぬ気で守っていかねばならない。
 それが並大抵のことではないことを2人は熟知している。
 何せ国内外にこの弱点は知れ渡っているのだから。
 『ゴーディン王国を潰すのに兵はいらぬ、蛮行姫をちょいとつつけばすぐ滅ぶ』
 侍女や兵士の中に潜む反スワジク勢力をどうやって説得するか、二人は深いため息をついて会議室へと入っていった。



[24455] 10話「ちょっと待ってよ。今までの苦労って一体……」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 16:45
「ふぅ……」


 怪我に響かないように、軽くため息をつく。
 なんで気を使ってまでため息をつかなきゃいけないのかというと、結局振り出しに戻ったからだ。
 折角の貴重な資料(?)を奪われ外の人の事を知る機会を失った。
 あんなに努力したのがすべて無駄になって、残ったのは肋骨のひびばかり。
 そりゃため息の一つもつきたくなりますって。
 それに扉の左右に立っているメイドと衛士君っぽい人が、こうなんていうか凄いことになってるし。


「あ、あの、少し楽にされてはどうでしょうか? そんなに何時間も立ちっぱなしは疲れませんか?」
「いえ、自分は慣れておりますので、お気遣い無用にお願いします」
「ひゃ、ひゃい! わ、私もな、慣れておりますのでおおおおお気遣いなさりゃないでくだしゃい」


 いや、すっごい気になるんよ。 
 青い顔でカチコチに固まっている衛士君はなんかすっごい新人ぽいし、同じくチワワが冷蔵庫に入っているみたいにブルブルと震えているメイドさんは正視に耐えないほど哀れだし。
 よく見るとこの衛士さんってまだ結構若いみたいだねぇ。
 背は割りと低くて、栗色の髪を後ろで無造作に束ねている。
 ソバカスがあるせいもあって、割と愛嬌があり幼い感じのする男の子だ。
 15歳くらいかなぁ?
 装備も鞘もぴかぴかだから、もしかしたら衛士デビューしたての人なんだろうな。
 対するメイドさんは、ミーシャやアニスとは色違いの服を着ていてちょっと新鮮かもしれない。
 こっちはなんと緑色の髪をしていて、ミーシャと同じようにアゴのところで切りそろえている。
 割と大きな瞳が印象的な可愛い子なんだけどね。
 なんていうか彼女の脅えっぷりがアニスを髣髴とさせて無性にいぢめたくなる。


(まあ、冗談はさておき、本当に3時間も立ちっぱなしは衛士君はともかく、あのチワワメイドさんには拷問だろうに)


 仕方無しに僕は窓際からダイニングテーブルへと移動し、椅子を引きずり始める。
 2人はまったく同じ挙動で私に注目しているのだが、手伝おうとかそういう気配は無い。
 メイドがそれでどうかと思うけど、まあ下手に邪魔されるよかいい。
 脇の痛みを庇いながら、椅子をメイドさんの横へ持っていく。
 てかこれ割と重い。
 昨日これを楽々と持っていたミーシャって割と力持ちなのかもしれないなぁ。
 セッティングが完了したので、横に立つメイドさんに視線を移す。
 なんか凄い勢いで脂汗を垂らしてるんだけど……?


「あ、もしかしてトイレ我慢してる?」
「はひゃ? い、いえ、そんなことは」
「我慢は体に毒だから、少し息抜きしてきてはいかがですか。疲れたでしょうしね。ただし、10分休んだらすぐ戻ってくること。いいですか?」


 椅子に座らせるよりも先に休憩をさせた方が良さそうなので、そういって彼女を扉の外に放り出す。
 僕の視界から外れたらさすがに彼女も息を抜けるだろうしね。
 ぽかんとした顔で僕をみる衛士君。
 ふふふ、今度は君の番だよ?
 メイドさん用に持ってきた椅子をずりずりと動かして衛士君の横に持っていく。
 満面の笑みで彼を見上げ、椅子の座面をぽんぽんと叩いて座れと促す。


「い、いえ、自分は大丈夫ですから」
「ええ、分かっています。でも見ている私も結構疲れるのですよ? それにそんなに緊張していてはいざと言う時に体が動きません。だから少し体を休めても誰も文句はいいませんよ」


 しばらく衛士君は迷っていたみたいだけれども、椅子の誘惑には抗えなかったのか割と素直に座ってくれた。
 そしてふぅと大きくため息をついたりしている。
 よっぽど緊張していたのだろう。
 ま、要人警護になるんだから緊張は当然か。
 それに賊が入り込んでいるという設定だしねぇ。
 もっともその賊は目の前にいたりするんだけど。
 

「はっ、も、申し訳ありません。みっともないところをお見せしまして」


 微笑ましげに衛士君をみていたら、何を勘違いしたのか焦って謝ってくる。
 僕は片手でそれを抑えてながら、これはもしかしてチャンスじゃないのかと思った。
 今までのメイドさん達じゃこんな隙なんて見せてくれなかったし、喋ってもくれなかったしね。
 そういった意味では、ここに臨時で派遣された衛士君とメイドちゃんは格好の餌食。


「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「はっ、自分はボーマン・マクレイニーと申します」
「どちらのご出身ですか?」
「はっ、リバーサイド州都出身であります」
「リバーサイドですか。あまり記憶にないのですがどんな所なのかお話していただけません?」
「はぁ。えっとですね、うちの州都はその名の通りターニス河沿岸に栄える商業都市で……」


 ふふふ、まず掴みはおっけー。
 緊張と警戒心を解してから、欲しい情報を引き出す!
 くくく、僕はもしかしたら優秀な尋問官になれる素質があるんじゃなかろうか?
 自分のお国自慢なら口も軽くなるんじゃないかと思っていたら、案の定乗ってきた衛士君の喋ること喋ること。
 緊張の反動ってのもあるのかもしれないが、ここは笑顔で聞き役に徹する。
 ずいぶんと調子よくお国自慢をしてくれていた彼が、突然はっとして立ち上がった。
 何事かと思うと彼はダイニングテーブルへと向かい、椅子を片手に1脚づつ持って戻ってきた。
 一つをメイドさんがいたところへ、そうしてもう一つをなんと私の立っている後ろへ置いてくれたのである。
 なんというか素直に感動。
 ちょっと遅いけど、若いのに気遣いが出来る人なんだねぇ。


「自分だけ椅子に座って申し訳ありませんでした。レディを立たせておくなど、騎士としてあるまじき行為でした」
「いえ、気にしないでください。私が無理やりボーマンさんを座らせたのですから」


 と当たり障りのない返答をしつつお互い笑い合う。
 何これ、すっげー好感触じゃん。


「でも正直以外でした。あんまり人の噂もあてにならないものですね」
「噂? 噂とは私に関する噂ですか?」
「ええ、姫を傍で拝見する機会を得られて確信しました。あの噂はデマですね。きっと姫を妬む誰かが嫌がらせで流したのでしょう」
「なるほど噂ですか。どんな噂なのでしょう?」
「いえ、姫様のお耳を汚すほどのものではありません。お気になさらないほうがいいでしょう」
「でもやはり自分の噂は気になるものです。あまりいい噂ではなさそうですが、それを知るのも姫としての私の役割かもしれません」


 っていうかそこが知りたいんじゃ、キリキリ話さんかい。
 笑顔でプレッシャーを与えると、迷いつつもこれは私が言った話ではないと前置きつきで話してくれた。
 曰く、国一番の我侭者である。
 曰く、人を人とも思わぬ所業に幾人もの宮仕えが涙に枕をぬらしているらしい。
 曰く、気に入らないという理由で侍女の首を切らせたことがある。
 曰く、こんな田舎街の城は辛気臭いので都の風を入れてやる、と突然宣言して北の塔舎の全面改装をした。
 ちなみにその費用は国費の1年分に相当したらしい。
 曰く、フェイタール殿下を小姓のように扱う身の程知らずである。
 等々。

 えっと正直引いた。
 これがすべて本当の話なら、外の人あんた人としてどうなのよ?


「これらはあくまで姫の姿を見たこともない者たちの間での噂です。俺のように姫様に直にお会い出来れば、そのようなデマなど一笑にふせましょう」


 たかが椅子を勧めたくらいでそこまで持ち上げられてもこそばゆいだけであるけれども、まあ悪い気はしない。
 ま、所詮噂だしね。
 でも外の人の取っ掛かりが出来ただけでも大収穫である。
 話が弾んでいると、恐る恐るといった感じで外に出したメイドさんが入ってきた。


「ちょうど良かった。話しつかれて喉が渇きましたし、みんなでお茶にしましょうか」
「ひゃ、ひゃいっ」


 そういって二人をダイニングテーブルまで引っ張っていき、3人で割りと楽しいおしゃべりが出来た。
 うん、憑依2日目にしてはいい感じ。
 その茶話会は、専属のメイドさんが戻ってくるまでの間続いたのであった。



[24455] 11話「若き2人の門出にて」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 20:18
「で、お前は衛士であるにも関わらず、姫様と一緒にお茶を飲んでいたわけか?」
「はい」
「はぁ? 何を考えているんだ? 相手はあの蛮行姫だと教えただろうが! わざわざ足元を掬われに行ってどうすんだ、馬鹿が」


 割と広い部屋の中に、野太いだみ声が響き渡る。
 近衛隊舎の隊長室に呼び出された俺は、さっきまで一緒にいた侍女のニーナと共に近衛隊長と侍女長の二人に睨まれ、怒鳴りまくられていた。
 確かに着任前には扉の前から1歩も動くなとは言われたし、それを守れなかった自分も悪いと思う。
 が、それが何故あのプリンセスの悪口に繋がるのかが分からない。
 それにあの人が誰かの揚げ足を取るような人には、俺には見えなかった。
 俺のそんな態度にヒゲ面の隊長は心底うんざりしたような表情で、隣に佇む氷の様な雰囲気の侍女長へと視線を送る。


「ニーナ、貴方もです。主と同じテーブルにてお茶を飲むなど、侍女としては許されざる行為なのは今更の話ですよね。貴方はもう少し賢い人物だと思っていたのですが、どうも違ったようです」
「じ、侍女長。でもですね、姫様が是非にと言われて」
「専属の侍女の方々は、全員こちらが満足できる仕事をしていただいております。彼女達に出来て、貴方に出来ない理由があるのですか?」
「い、いえ、それは、そうなんですけれども」


 侍女長の刃の様な視線と声に、しなしなとニーナの声も背中も萎れてしまっている。
 なんだろう、俺はぜんぜん納得いかない。
 そりゃ、先週実家から上京したばかりだから右も左も分からないし、ましてや近衛の仕事なんて全然慣れていないから失敗も一杯している。
 姫様の人となりだって知らないし、他の王族の人のことだってまったく知識が無い。
 俺はそんな新米だから、自分のミスを怒られるのは分かる。
 でも今回のこれは違うだろう?
 姫様は明らかに会話を欲していたし、楽しそうに笑ってくれていた。
 護衛としてすぐに動けないようなことをしていたのは駄目だけど、俺が怒られているのはそこじゃない。
 あのお姫様と一緒に会話していたこと自体をなじられている。
 何故だ?


「お前分かっているのか? 不敬罪と言われて首を切られてもおかしくなかったんだぞ!」
「そうはなりませんでしたっ!」
「それは現時点での結果論だ! 明日になれば、ボーマンが不敬を働いたと言われて、お前抗弁出来るのか? 不敬罪は軍法会議を経ずに即死刑だぞ。それはそこのお嬢ちゃんも一緒だ!!」
「ひぃう、ご、ごめんなさい」
「謝ったってもうどうにもならんわっ!!」


 ヒゲ面隊長の怒声に涙と鼻水を垂らしながら、必死に頭を下げるニーナ。
 だけど俺は下げない。
 蛮行姫の噂であの人の事を讒言するのなら、死んだって絶対下げてやるもんか。
 その反抗的な態度が気に入らないのか、ヒゲ面隊長はふんっと鼻から息を噴出す。
 ヒゲ面(もう隊長なんて呼んでやるかってんだ)の怒声が収まれば、今度は侍女長が言葉を継ぐ。


「本来であれば、始末書と王族への謝罪文、合わせて違反金の納付が妥当な処罰ですが……」
「それではお前ら2人を守ってやれねぇんだ」


 苦虫を噛み潰したような顔をするヒゲ面と、一切の感情を表さない能面侍女長。
 俺は悔しい気持ちを必死で噛み殺し、視線で射殺すくらいの覚悟で目の前の2人を睨みつける。
 そんな俺の態度に心底愛想が尽きたようなヒゲ面は、引き出しから手のひらよりも少し大きいくらいの布袋を2つ机の上に放り出した。


「お前達は今日付けでクビだ。何処へなりといくがいい。これはせめてもの餞別だ」
「そうですかっ、よく分かりました! こんな騎士団、こっちから願い下げだ!」


 俺は支給された剣を机の上に叩き付けると、餞別とやらには一切手を付けずさっさと隊長室を後にする。
 ニーナの号泣しながら謝る声が聞こえたが、それよりもこんな奴等と一緒の空気なんか吸いたくなかった。



 隊舎にある自分の部屋から、皮袋1つ分の自分の荷物をもって外へ出る。
 そこには木の下で人目を憚らず泣き続けるニーナがいた。
 彼女には正直悪いことをしてしまったと思う。
 お茶を一緒にという誘いにぐずる彼女の背を押したのは、紛れもなく自分だろうから。
 ふぅとため息を吐いて、ニーナに近づく。


「おい、ニーナ。何時までも泣いていたってどうにもならないぜ?」
「ぶぇっ、ぶぇっ、ひっぐ。だ、だっで、わだじ、いぐどこないぼん」
「はぁ? 実家は? そう遠くないんだったら護衛ついでに送ってやるよ」
「ヴぁ、ヴぁたじ、ご、っご、ごじだもん」
「五時?」
「うん、ごじ」


 なんか意思の疎通に難があるように思えるのだが、泣いている女の子を放っていては騎士の名折れ。
 綺麗に手入れされた緑色の髪に手を載せて、がしがしと左右に揺らしてやる。


「や゛~べ~で~」
「しょうがねぇ、持ち合わせあるからしばらく面倒みてやるよ。城下町ならどっか働けるとこあんだろ?」
「……」


 泣きながらもしばらく考えてから、ゆっくりと頷くニーナ。
 はぁ、なんか雨に濡れた小動物みたいで放って置けないんだよなぁ。
 ぐずぐずと鼻をすすりながら、ニーナは木陰に隠してあった荷物を引っ張り出してきた。
 なんだろうね、泣きながらもこの準備の良さは。


「ごでがらどごいぐの?」
「そうだな。取りあえず町の北側へ行こうと思う」
「……びべざま?」


 なんでそういうところだけ女って勘が鋭いのかね。
 確かに北側の町なら、場所によったら姫様の部屋がみえるところがあるかもしれないと思ったのも確かなんだけど。


「ばーか、生意気いってんじゃねーよ。面倒みてやんねーぞ?」
「おでぇざん」
「は? 何?」
「わだじのぼうが、おでぇざん」
「え? マジ? もしかして年上?」


 無言で頷くニーナに、信じられねぇとつぶやく俺。
 しかし、それでも主導権は渡さねぇ。


「けっ、当面養ってもらうんだから、生意気いうなよ」


 その俺の言葉にも、ニーナは首を横にふるふると振って否定の意を表す。
 おもむろにカバンの中から皮袋を1つ出してきて、その中身をこちらに見せた。
 新金貨がぎっしりと詰まっているのが見える。
 よくよく観察すると、これってさっきヒゲ面が餞別だといってよこしたものじゃないのか?
 首にした人間にこの金貨って、意味がわからん。
 余計なことを喋るなってことなんだろうけどなぁ。
 でもやっぱりそのやり方は気にいらねぇ。
 ふと気になってニーナのカバンを覗いて見ると、同じような皮袋がもう一つ入っている。


「なぁ、その皮袋って俺の分のじゃね?」


 またもや首を横にフルフルと振って否定するニーナ。


「いや、待てよ! これあの時の袋だろ? なら片一方は俺のじゃん!」
「ぢがう。ボーバン、ごでむじじでいっだ」
「なにがめついこと言ってんの! ちゃんと山分けしろよ。一緒に生活するんだろうがよ!」
「やだ」
「なんでだよ! お前ずりぃよ!」

 そんなことを言いながら俺達はこの胸クソ悪い城を後にした。
 途中北の塔舎の横を通るとき、なんとなくスワジク姫の姿を探してみる。
夕陽の中、寝室の窓から北の方を物悲しげに見つめる姫様の横顔が小さく見えて、無性に悲しくなった。


(すいません、姫様。俺、あなたの様な人の為に剣を捧げたかったのですが、もう無理なようです)


 頭を大きく下げて姫に謝罪するけれども、それは彼女の視線には入らなかったようで変わらず北の町並みをじっと見つめていた。
 とても悲しげに。

 


近衛隊舎の隊長室

 西日が差し込む窓から、近衛隊長のコワルスキーはこの城を去っていく2人の若者をじっと見つめていた。


「もう二人は行きましたか?」


 部屋にある応接セットに腰掛けて侍女長のヴィヴィオは、琥珀色の液体を煽るように喉に流し込む。
 綺麗にアップにしていた髪は無造作に下ろされ、細身の眼鏡は机の上に置いてある。
 まだ定時には早いのだがなとコワルスキーは苦笑するしかない。
 もっとも彼とて気分はヴィヴィオと同じく、とっとと飲んでウサを晴らしたがっているのだが。


「何が悲しくて前途有望な人材の首を切らなきゃならんのか」
「仕方ないでしょう? レイチェルの二の舞は御免だわ」
「気持ちは分からんでもないさ。俺だって自分の部下がいわれの無い罪で刑死させられたら、何をするか分かったもんじゃないからな」
「あの子達、最後までこっちの気持ちなんて分かってくれなかったわね。報われないわ」
「言うなよ。それが俺たち上司の仕事であり、職責だ。恨まれようとも、そのときの最善を尽くさなきゃならないんだ」
「……そうね。……でも、報われないわね」
「まぁな」


 コワルスキーは苦笑いをしつつ、バーからグラスを取り出して自ら酒を注ぐ。
 彼の手にあるボトルを途中でヴィヴィオがひったくり、空になった自分のグラスに残りを勢い良く注いだ。
 お互いのグラスをこつんと当てて、門出の祝辞を唱和する。


「「若き2人の同胞に、豊穣なる未来が訪れんことを」」



[24455] 12話「そうだ、お風呂へ行こう!」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/28 16:50
 皆様、只今から僕ことスワジク姫は、お待ちかねのお風呂に入ります!
 ヒャッハー! お湯だ、お湯だーー!
 などという世紀末的な脳内アナウンスは横において、真面目な話こっちの世界での始めてのお風呂なのです。
 昨日お風呂入ってなかったし、割と体がべた付いて気持ち悪かったんだよな。
 それに初めてこんなに長く寝室から離れられたよ。
 純粋にそこが嬉しかったりするんだな、これが。
 とは言うものの、お風呂って何処だ?
 なんで皆僕の後ろを歩くわけ?
 お陰で迷っちまったじゃねぇか、団体で……。


「……」


 少し涙目で後ろを振り返ると、文句を言うわけでもなく付いてきている2人のメイドさん。
 スヴィータというちょっと勝気そうなツインテールと、もう一人は名前知らないモブキャラっぽい人。
 二人は僕の着替えやら何やらが入っている包みを、恭しく前で抱えながら黙って付いてきている。
 ああ、もちろん視線なんて合わせてくれない。
 ふ、フン! 寂しくなんかないんだからねっ!
 それはそれとして、どうやら新しい分岐点のようだ。
 
選択肢は4つ。
 1、程なく行き止まりの壁が見えるけど、途中に扉が2つほどある廊下を直進する。
 2、中庭の方に向かって続く廊下を進む。
 3、なんかホールっぽいところへ続く廊下へ行ってみる。
 4、来た道を戻る。
 5、スヴィータさんに泣き付く。

 4つの選択肢なのに、1つ余分なのは最後のが隠しコマンドだから。
 そして僕は躊躇せず最適の選択肢を選ぶ。
 くるりと振り返り、にこにこと満面の笑みを浮かべてその名を口にする。


「あの、スヴィータさん。ここってお城のどの辺りでしょうか?」
「はい、ここは政務館1階、来賓応対区画になります」
「来賓ですかぁ」
「はい、来賓です」


 分かったような振りをしてうんうんと頷く僕に、スヴィータは無駄のないシャープな答えを返してくれる。
 来賓って、お客様ってことだよねぇ。
 そんな区画を寝巻き姿でうろうろするのはさすがに失礼だよね、お客様がいたらさ。
 答えるべきことは答えたと言わんばかりのスヴィータの反応に、僕は苦笑いを浮かべるしかない。
 これってあれだよね、イジメ? だよね。
 女のそれは陰湿だって聞いたことあるけど、なるほどこれがそうなのか。
 でもこの状況で苦労するのは僕もだけど、スヴィータ達も同様に引っ張り廻されているのだからイジメって訳でもないのか?
 ううむ、困った。


「これは姫殿下、いかがなされました?」
「ふぇ?」


 思わずへんな声を上げて振り返る僕の目の前に、いつぞやフェイ兄に付いてきていた黒髪イケメンが立っている。
 確か名前はレオだったか。
 んー、この人に聞いたら教えてくれるかな?
 あるいは案内してくれたら一番嬉しいんだけどなぁ。


「ふむ、湯浴みに行かれるようにお見受けますが、何故わざわざ正反対の政務館の方までこられたのですか?」
「え、えっと、ちょっとぼうっとしていて、道を間違えたようです」
「なるほど」


 顎に手をやってしばらく僕を見つめるレオ。
 なんとなく落ち着かずに、そわそわと体を動かしてしまう。
 そんな僕を見てか、レオは優しく微笑みながら手を差し伸べてくれた。
 比喩的な意味でも、文字通りの意味でもである。


「丁度私も仕事が終わって帰ろうと思っていたところです。よろしければ途中までご一緒しましょうか?」
「えっと、よろしいのでしょうか?」
「お嫌でなければ、是非」


 おおぅ! なんて自然なフォロー。
 うん、僕の中のレオに対する好感度を1つ上げておかないといかんね。
 これがフェイ兄なら抱きついて頬ずりしながら風呂まで引きずられた挙句、一緒に風呂にまで入ると言うに決まっている。
 侮りがたし変態ロリシスコン兄め。
 変な妄想の中でフェイ兄と戦っているうちに、レオが自然な感じで僕の隣に来て半歩前を歩き出してくれる。
 これがいい男というものだろうか。
 僕が女なら、マジ惚れるよ。
 いや、体は女だけどさ、その辺りは勘弁なってことで。
 兎に角これでようやく風呂に辿り着けるよ~。
 

「そういえばフェイタール殿下が、姫殿下の怪我が治ったら遠乗りに誘いたいなどと申しておりましたよ?」
「はぁ、そうなんですか? フェイ兄様って何かと私に気を使ってくださいますよね? 何故なのでしょうか」
「自分の妹に気を使うのに、特別な理由などいりますでしょうか? それに殿下は貴女をたいそう溺愛されていますからね。いろいろと世話を焼きたいのでしょう」
「……はぁ」


 レオの口から聞かされたトンでも情報に、ある程度覚悟はしていたとはいえ欝になる。
 やっぱり奴はシスコンか……。
 これはもしかして外の人がブラコンだった可能性もあるのか?
 そ、そ、そして二人の関係ってもしや……。



『あははは、私の可愛いいちごちゃん♪ ほら、今日も一緒にお風呂に入ろうか』
『いや~ん、フェイ兄様ぁ。もうエッチなんだからぁ。スワスワ恥ずかしいのぉ』


 ピンク色の魔空間にふわふわと浮かぶ無数のシャボン玉。
 全裸のフェイ兄が満面の笑みで外の人に向かって両手を広げている。
 そんなフェイ兄に、外の人はいやんいやんと全裸を左右にねじって恥らってるのだが、二人の距離は無情にも縮まってゆく。


『何をいってるんだい。もう毎日一緒に洗いっこしている仲じゃないか。でも、いつまでも初々しい私のいちごちゃんが、に、に兄様は大好きだよ』
『フェイ兄様、それほんと?』


 鼻の穴を大きくしてぴすぴすさせているフェイ兄を、外の人は上気した頬と潤んだ瞳で見上げる。
 その蠱惑的な視線にフェイ兄のボルテージはいきなりMAXへと突入。
 ぶわっと立ち上がって自分自身を曝け出す。


『ああ、もちろん本当だとも。見てごらん、私の○×はもう■▽※だよ!!』
『ふぁぁぁ、$&@なってる。なんだか怖い。でもフェイ兄様のだがら、私、我慢できるよ』
『なんて愛らしいんだ、マイスゥイートハニー! もう辛抱たまらん!!』
『いやぁぁん、兄様。優しくしてぇ。スワスワのお・ね・が・い♪』


「ぐはぁぁぁ、ボクのSAN値ががが」


 僕は思わず姫としてあるまじき声を上げながら、その場に突っ伏してしまう。
 レオは一瞬びくぅっとなって引き掛けたが、そこは大人の自制心で踏みとどまったようだ。


「ひ、姫殿下、いかがなされました?」
「い、いえ、持病の癪が突然……」
「は、はぁ、そんな持病お持ちでしたか?」
「ええ、突然に」


 心配そうにというか、若干引き攣った笑顔で僕を見つめるレオ。
 大魔王もびっくりの魔空間からなんとか生還した僕は、震える膝に活を入れながら立ち上がる。
 もちろんBGMはアリスのチャンピオンか、サバイバーのアイ・オブ・ザ・タイガーだ。
 くそう、いつか闇に葬り去ってやるわ、あの変態ロリ紳士(壊)め。


 取り繕いようの無い空気を強引に何とか取り繕いながら、僕たちはようやく目的地の風呂場へと到着した。
 脱衣場の扉の前で、ミーシャとアニスが待っている。
 こちらの姿を確認すると、ミーシャが少し怪訝な顔をしてレオに話しかけた。


「閣下、何か問題でもございましたでしょうか?」
「いや、道中で姫殿下と行き合わせたので、こちらまでご案内したまで」
「ほんと、助かりました。有難うございます、レオ……閣下?」
「レオと呼び捨てでかまいません、姫殿下。それでは私はこれにて」


 まあ取っ付きにくそうだけど、仲良くなれば割と世話を焼いてくれそうなタイプだ、レオって。
 フェイ兄に頼るよりも彼と仲良くなった方が色んな意味で安全かもしれない。
 僕の中のお助けキャラリストに早速書き込んでおこう。


「姫様、こちらまで時間が掛かったようですが、なにか問題がありましたでしょうか?」
「えっと……」


 ミーシャが心配そうな表情で尋ねてくれるも、まさかスヴィータ達になんかイジメっぽいことされてましたって言えないしなぁ。
 それにあれがイジメだって決まった訳でも無し。
 大体目上の人の間違いを指摘するのって確かに勇気いるもんねー。
 ま、早計な判断はするべきじゃないって事にしておこう。


「ちょっと寄り道していただけですよ。心配いりません」
「そう、ですか。分かりました。それではこちらへ」


 ま、結論として言える事は、二日ぶりのお風呂は気持ち良かったってことかな。
 脱衣所も、浴室もビックリするくらい豪華だったけど、漫画でよくあるような向こうが見えないような風呂じゃなかった。
 せいぜいがこじんまりとした銭湯くらいの広さである。
 それにしたって一人ではいるには贅沢すぎるんだけどね。
 サウナ風呂だったらどうしようとか思ったけど、普通に入浴できるってことが分かったのは嬉しい。
 これであと、自分で体を洗えたら言うことなかったんだけどね。


「ちょ、ちょ、ミーシャさん、そこ、そこは自分で洗いますから!」
「大丈夫です。力を抜いてお任せください。それにここは結構垢が溜まりやすいところですから綺麗にしておかないといけません」
「だ、だからそこはそんなに強くしちゃ……、ふぅっ!」
「大丈夫です。力を抜いて身を任せてください」
「や、やーの。そっち違う! そこは触っちゃ駄目ぇぇぇ!」
 

 誰かお願いします、この人を止めてください……。



[24455] 13話「なんとなく状況が分かってきたかもっ!」(前編)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/02 17:44
 憑依3日目の朝。
 今日も快晴で、窓から入ってくる陽の光と爽やかな風が朝の眠気を優しく取り去ってくれる。
 うん、今日も元気だ、空気がうまい!
 さて、2日の情報収集活動(?)を経て、いろいろと分かったことがある。
 ここいらで一旦僕の置かれている状況を頭の中で整理する必要があるだろう。
 そんなことを考えながら、鏡台の前に座るとアニスがブラシを片手に寄って来た。
 朝の身だしなみは彼女たちメイドがやってくれるので、色々と楽をさせてもらっている。
 自分でやれって言われても、まあ無理だしね。


 まず僕が憑依している外の人、スワジク姫は嫌われ者っぽい。
 ボーマンが教えてくれたあの噂と、自分の周りにいるメイドさん達の雰囲気、そして昨日のスヴィータ。
 これだけの情報で決め付けるのはどうかと思うけど、なんとなくそうなんだろうなぁって感じる。
 まあでも救いはあるわけで、変態だけどフェイ兄は色々と気を掛けてくれるし、レオだって優しかった。
 女性陣はおおむね僕を無視しているようだけど、一人ミーシャは隔意なく接してくれる貴重な存在だ。
 こうやって見ると僕の味方ってレオを除くと変態しかいないのではないかと疑ってしまう。
 変態性シスコン病のフェイ兄、狙った獲物は逃さないガチ百合、ミーシャ。
 もしかしてレオも僕が知らないだけで変態なのかな?
 身近な味方にこれだけ高確率で変態が多いなら、その可能性も捨て切れねぇ。
 ボーマンとニーナは、この中で数少ない普通の人材だ。
 ただし、ボーマンは施設警備隊、ニーナは政務館付侍女に所属しているらしいので、前回の様なイレギュラーが無い限り顔を合わせる機会がない。
 まぁ、もっとも向こうが来れないならこっちから訪ねに行けば良いわけで。
 機会を見てこっそりと会いに行くのもありだな。

 とまあ、割と僕の周りの環境はよろしくない状況のように見受けられる。
 それに依然として、外の人の公務とか人間関係は五里霧中なわけだし。
 だが、それでも今出来ることは少ないながらもあるじゃないか!
 と言う事で……

『第1回 友達百人出来るかな?大作戦 -いじめなんかに負けないで♪-』

 ぱふぱふ、どんどん!

 くっくっく、完璧だ、完璧すぐるよ、僕。
 これならば諸葛孔明(男)も裸足でサンバを踊りだすだろうよ。
 くっくっく、あーっはっはっは。


「み、ミーシャちゃん、なんか姫様からどす黒いオーラが……」
「ん、そっとして置いていいと思う」
「わ、分かったよ」



 さて、作戦名をつけたは良いが実際誰から攻めようか。
 フェイ兄、ミーシャ、レオは既に友好状態にあるとして、一番ハードルの高いのが、スヴィータ、その次がモブっぽいメイドさんのライラか。
 ちなみにライラは僕付き侍女達の責任者らしい。
 次にアニスだが、彼女はなんかどうにでも出来そうな気がするし、それ以外の人となると衛士や給仕さんだから今は無視していい。
 楽な方から友好を固めるか、難易度の高い方から失敗覚悟で状況の改善をするか。
 んー、身の危険や貞操の危機を感じるけれども、まずはフェイ兄やレオの男性陣から攻める事にしよう。
 腐っても僕は美少女だし、少し健気に接したらイチコロに違いない。
 元男が言うんだからこれは間違いないな。
 ふふふ、善は急げというし、早速作戦開始と行こうじゃなイカ。





フェイタール執務室

 一昨日の晩に起こった謀略工作に関して、私達は手詰まりに近い状態だった。
 敵の謀略員がスワジクの部屋に入って出て行った経路は比較的簡単に分かったのだが、それ以前、もしくは以降の足取りが全く見つからない。
 まるでそんな者は存在しないと言わんばかりの完璧な手際である。


「くそっ、そっちの線も手詰まりか。そっちはどうだ」
「はっ。城壁、城門、勝手門、水路に井戸、地下通路まで調べ上げましたが、不審な形跡は何一つ見つかりませんでした」


 たった今報告を終えたセンドリックを押しのけて、ごつい体格の近衛指揮官コワルスキーが前に出て報告書を読み上げる。
 期待はしていなかったが、否定的な報告に肩を落としてしまう。
 私は無言でその後に立っている侍女長ヴィヴィオに目を移す。
 その意を汲み取った彼女は、首を左右に振りながら告げる。


「私の方は出入り業者、来城者、使用人から各州都が雇用した文官、武官まで洗いざらい調べました。今のところ不審な者、忽然と居なくなった者、あるいは招かれざる客などは見つかっておりません」
「そうかご苦労だった。……そういえば、コワルスキーとお前の部署は昨日欠員が1名づつ出たんだったか?」
「はい。スワジク姫のことを知らぬものを敢えて選任したのですが、それが裏目に出てしまいました。これは私の判断ミスです。申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げるヴィヴィオに対し、少し罪悪感を覚える。
 レイチェルの事件から一時も休まず働きづめの彼女の姿が、とても痛々しくて見ていられない。
 が、それを面と向かってヴィヴィオにいう気にもなれず、深いため息をつくしかなかった。


「近衛の施設守備隊と政務館付侍女だったな。レオ、早急に手配するよう内大臣に助言しておいてくれ」
「了解しました」
「そうだ、レオ、お前の方の調べはどうなった?」


 私の机の斜め前にある秘書用の机に腰を掛けた、幼馴染の相棒に声を掛ける。
 レオは記録を取っていた手を休め、椅子に背を預けお手上げのポーズをとった。


「城下にある各有力者の館、反帝国派勢力、あるいは現在確認出来ている他国の謀略員に動きはありません。特に反帝国派について重点的に調査しましたが、結果はグレーです」
「詰まるところ、わからんということか」
「ですね。正直、そこまで我々を手玉に取れるような工作員が存在するのかどうか、私は非常に疑わしいと思っています」
「どういう事だ、レオ」


 机に置いてあったカップを手に取り口をつけようとして、中身がないことに気がつく。
 柄にも無く緊張しているのか、私は。
 いや、むしろレオの口からその可能性を聞きたくは無いのかもしれない。
 もし、レオの懸念していることが当たりだったら……。


「私はこう考えています。外部の犯行に見せかけた内部の者の犯行であると」
「っ! それでは閣下は私が調べた調査結果をお疑いになられているのでしょうか?」


 レオの仮定を聞いて、間髪入れずに反発するヴィヴィオ。
 一瞬にして場の空気が険悪なものと化す。
 だがその反発を鷹揚に片手で制したレオは、ゆっくりと一同を見回す。


「おかしいとは思いませんか?」
「何がだ、レオ」
「ここにいる人材は、身贔屓と言われるかもしれませんが、それぞれの担当分野において非常に優秀な実績を持っています」


 ぐるりと一同を見回すレオの視線に、それぞれが当然とばかりに胸を張る。
 そんな様子をレオは満足げに見て、視線を私に固定した。
 レオも緊張しているのか、次の一言を紡ぐ前に唇を軽く舐める。


「そんな優秀な人材全てを出し抜けるような鼠が、果たして存在しえるのでしょうか? もしかして、我々は大きな勘違いをしているのではないでしょうか? 例えば、限りなく黒に近い存在であるにもかかわらず、事件当初から白だと断定されている人物について、とか」
「……」


 しんと静まり返る室内。
 ここ2日ほど記憶の混乱があり、常とは違う行動をとっていた彼女。
 センドリックの状況報告から一旦は捜査線上から外したのだが、レオはその彼女こそが犯人ではないのかと言ったのだ。
 目を閉じてこの2日間のことを思い返す。
 あの傍若無人だったスワジクが、借りてきた猫のように大人しくなったこの2日間のことを。


「しかし、閣下。私はベランダからあの窓が開いたり、閉まったりするのを見ていました。それにわざわざ隠してあった報告書を我々に見つけさせた意味も分かりかねます。別に彼女を擁護するわけではありませんが、整合性が取れなくは無いですか?」
「その辺りの動機付けはともかく、姿の見えない賊の正体が彼女であるとするならば色々と辻褄は合います」


 レオは眉間に人差し指を当てて、軽くコツコツと叩きながら喋り続ける。
 あれはあいつの脳がフル回転しているときによく見られる仕草だ。
 

「知っていますか? 件の窓の立付けが割りと緩かったということを。鍵を掛けていないと少々の風で開いたり閉まったりするのです」
「ではアニスの見た賊は?」
「恐らく彼女でしょう。茶色の外套着は、彼女のクローゼットにも存在していたことは確認しています。そしてそれが衣掛けから落ちていたことも。さらに、センドリック卿も覚えていますでしょう。本来椅子の上に無ければならない埃避けが彼女の枕の下にあったことを。何より、あの窓からならか弱い女性でも隣のベランダまでは飛び移れます」
「しかし最初のアニスの悲鳴を聞いてからベランダに行くまで、または私がベランダから彼女の寝室に行くまでの間には誰も居ませんでした」


 センドリックが当時を思い出しながら、カウンターオピニオンを提示する。
 それに慌てることも無くレオは自分の推論を続けた。
 彼の話を聞きながら、恐らくはレオが正しいのであろうという事を理解し、自分の甘さに辟易した。
 たった数日従順な様子を見せていたからといって、何故こうも簡単に彼女を関係ないと信じてしまったのか。


「彼女が悲鳴を上げたのは、賊を見て気絶した後のことだと報告書には記載されています。であれば、犯人がどこか別のところに身を隠すことも出来たでしょう。例えば、施錠することがなかった侍女達の作業部屋とか。実際、あの報告書はその部屋に保管されていたものですし、経路としても理にかないます」
「なるほど、アニスの悲鳴を聞いた私がベランダで調査している間に部屋に戻って体裁を整えたというわけですか」


 レオは満足げな表情でセンドリックに振り返った。
 彼女の犯行時の行動としては、確かに筋は怖いほどに通るし無理がどこにも無い。
 だが一つだけ、やっぱり分からないことがある。
 当初もそれが分からなかったから、私達は彼女を白だと断定したのだ。


「レオ、では聞こう。スワジクの狙いは、なんだ?」





[24455] 14話「なんとなく状況が分かってきたかもっ!」(後編)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/30 07:27
 しんと静まり返った執務室の中、レオがまさに私の問いに答えようとしたその時、突然ドアがノックされた。
 会議中ということは各部署に通達済みなので、よほどの緊急事態でないかぎりここへは誰も寄ってこないはず。
 私はヴィヴィオに目配せをして、対応するよう促す。
 彼女はすぐさま表情を切り替え、洗礼された動きで来訪者が待っているであろう扉へと向かった。


「誰か?」
「はい。スワジク姫殿下付の侍女、アニスでございます。姫殿下が是非フェイタール殿下にお会いしたいとお申しになられまして……」
「しばらく待て」


 問答無用に会話を切り上げ、ヴィヴィオがこちらを振り向いてどうするかの指示を待っている。
 私は傍まで来ていたレオを見上げて、彼の意見を聞くことにした。


「先ほどのお尋ねの件ですが、私にも姫殿下の狙いがいまだ絞りきれておりません。が、向こうから出向いてきてくれているのであれば、ここは相手の行動を見てから考えてもよいかもしれません」
「女狐と狸の化かしあい……か」
「女狐は女狐でも、あれは妖狐の類です。しっかりと気を張って臨むべきでしょう」
「……わかった」


 私はゆっくりとヴィヴィオに肯いて、スワジクを執務室に招き入れた。




 時間は少し遡って、城の厨房。
 さすがに城に詰めている人たちの食事を作るだけあって、半端じゃない広さだ。
 かまども30位はあるんじゃないだろうか。
 今は昼食後ということもあって調理場にはほとんど人がおらず、洗い場で食器やら道具を洗っている人が10人くらいいる。
 その調理場の一角を、スワジクとミーシャ、アニスは占拠していた。


「さてと、材料はこんなものですね。道具も一通りそろっているし、窯はどうでしょうか?」
「は、はい。今火を入れましたけど、昼前にも使っていたみたいなのでそんなに時間は掛からないと思います」


 鼻の頭を真っ黒にしたアニスが振り返って報告してくれた。
 なら窯がいこるまでの間に、生地を作ってしまおうか。
 妹に無理やり作らされたクッキー作りが、まさかこんな所で活躍しようとは。
 なんでもやっておくものだなぁとしみじみ思う。
 ま、そんな回想よりもクッキーを焼くの方が先なんだけどな。

 出来ました。
 え? 途中経過? なにそれ、美味しいの?
 ぶっちゃけ、そんなレシピここで言ってもねえ。 
 だいたい普通のバタークッキーだし、慣れてたしね。
 出来栄え? あーた、そりゃ完璧だよ。
 伊達にあの鬼妹に2年間も強制的に仕込まれたわけじゃない。
 っていうか、ミーシャさん、アニスさん、なんでそんなに驚いた顔してんの?
 女の子ならこれくらい当然の嗜みでしょうが。


「い、いえ、それはそうかもしれませんが、まさか姫様がここまで上手に焼かれるとは予想もしていませんでしたので」
「ですよね。なんかすごい手馴れてた。もしかしたらミーシャちゃんや私より上手いかも」
「ふふふん。ま、人間誰にでも一芸はあるということです。さあ、お茶の用意をしてフェイ兄様のところへいきましょう。きっとびっくりするでしょうね」
「本気で腰を抜かすくらいびっくりすると思います」

 
 そんな大げさなミーシャさんのお世辞に気をよくした僕は、女の子ぽく見えるように飾り付けをしてワゴンに乗せた。
 ぐふふふ、ここまで完璧にしないと許してくれなかったからな、うちの鬼妹。
 っていうか、ボーイフレンドへのプレゼントくらい自分で作りやがれ!
 さて、今必殺の手作りクッキーを持っていってやるからな、変態シスコン兄め!
 これで悶え死ぬがいいわ。



 で、今フェイ兄の執務室。
 意気揚々と乗り込んだまではよかったんだけど、あれ? 何? 空気悪くない?


「やあ、スワジク。急にどうしたんだい。こっちの方まで来るなんて珍しいじゃないか」
「あ、いえ、フェイ兄様は今日はお忙しいとお聞きしていたので、3時のおやつに甘いものなどいいのではと思って焼いてきたのですが……」
「え゛、君が焼いたのかい?」
「はい。フェイ兄様の為に一生懸命作りました。よかったら皆様も摘んでくださいな」


 ぴしっという音が部屋の中に響いたような気がするくらい、僕とミーシャ、アニス以外の皆が固まってる。
 なんだよ、そのありえないっていう表情での反応は。
 なんでミーシャ声を殺して笑ってるの?
 ……ってあれ? もしかしてスワジク姫ってお菓子も料理も出来なかった……のか?
 あるぅえ、リサーチ不足?
 てかその件についてはリサーチすらしてなかったけどね。


「一つお聞きしてよろしいでしょうか、姫殿下。それはお一人でお作りになられたのでしょうか?」


 頬を引き攣らせたレオが、恐る恐るといった感じで話しかけてきた。
 ははぁん、さてはあれだな、食えない代物を持ってきたって思っているんだな。
 愚か者め、一口食して己が不明を猛省せよ。


「ミーシャさんとアニスさんにも手伝ってもらいましたが、おおむね私一人で作りました」
「なるほど。お一人で、ですか」
「それでは私が毒見をさせていただきましょうかな」


 なんか初めて見るごつい人がぬっと出てきて、ワゴンの上にあったクッキーを一つ摘んだ。
 しかし、でかいなこの人。
 僕の1.5倍くらいはありそうじゃん。
 焼いたクッキーが、なんかの欠片かと思うくらい小さく見えるよ。
 で、ひょいとクッキーを口に入れ、傍に入れてあったあつあつの紅茶を一気に飲み干す。
 ってそんな勢いで飲んだら、喉を火傷するんじゃないのか?


「ふむ。なるほど。これは……なんとも」


 執務室にいた一同の視線が、その木偶の坊さん(勝手に命名した)に集中する。
 そんなことを気にもせず、彼はさらに別の形のクッキーに手を伸ばし口に放り込む。
 繰り返すこと5度目にして、フェイ兄が痺れを切らしたようだ。


「コワルスキー、どうなんだ?」
「は? 何がでしょうか?」
「お前、毒見してたんじゃないのか?」
「おお、これはすいません。あまりに美味しかったもので、ついつい失念しておりました」


 がこんと机の上にアゴを落としたフェイ兄に、豪快にがははと笑ってもとの場所へと戻ってゆく木偶の坊改めコワルスキーさん。
 ロッテンマイヤーさんぽい人とミーシャ、アニスが皆にクッキーと紅茶を振舞っているうちに、僕もフェイ兄の分をトレイに乗せて持ってゆく。


「お仕事お疲れ様です、フェイ兄様。疲れたときは糖分を取るといいといいますから、たくさん食べてくださいね」
「あ、ああ、すまないね。しかし君がお菓子を焼けたなんて僕は初耳だったよ。いや、本当にびっくりしたよ、スワジク」


 トレイで口元を隠しながらはにかんで見せる。
 僕の予想では、破壊力ばつぐんの視覚効果があるはずだ。
 寝る前に、ちょと何度か鏡の前で遊んでたから間違いない。
 自分の笑顔に悶えるって言うのも痛いけど、まあ、もとが違う人間だしOKだよね。
 ま、ロリ変態にここまでする必要はないかもしれないが、他の人もいたしレオもいたから「可愛く健気な妹」のアピールが出来てよかったかもしれないな。
 とりあえず、クッキー焼いて好感度UP作戦は成功したといっても過言ではなかろう。
 うわっはっはっは。






 スワジク達が出て行った後の扉を、部屋の中にいた全員がじっと凝視していた。
 目の前にある食べ残したクッキーと、可愛らしいレースの布とリボンに包まれた手付かずのクッキー。
 今あったことだけを素直に受け止めるのであれば、甲斐甲斐しい妹の兄への気遣いという話でいいのだが、相手はあの蛮行姫である。
 この出来事を素直に受け止めていいものかどうか。


「ヴィヴィオ殿」
「はい、なんでしょうか閣下」
「私は今まで姫殿下が厨房に入って料理の真似事などをしたといった報告は一度も受けたことが無いのですが?」
「はい。私もそのような報告は閣下にした覚えはありません」


 二人がふぅと大きなため息をついて肩を落とす。
 優秀であると自負する二人が、自分達が一番注視していた人物において知らないことが存在した。
 さぞ二人の矜持を傷つけただろうな。
 何を隠そうこの私ですら少なくないショックを受けたのだから。
 あの者については他の誰よりもむしろ本人よりも熟知しているつもりだったのだが、どうやらそれは慢心であったようだ。


「レオ、それでスワジクの狙いをどう見る」
「……彼女の行動は、それほど複雑でも難解でもありません。が、彼女の目的なり考えが読めません。上辺だけを見るのなら、これ以上ないくらい我々にとってはいい変化ではあるのですが」
「ま、これだけ方向性が違えば、何を信じていいかわからんですわな。まったく、ボーマンの奴が誑かされるのも分からんでもないな」


 あきれたようにソファーにふんぞり返って笑うコワルスキーに、眉間にしわを寄せて不機嫌にしているヴィヴィオ。
 センドリックは既に思考を放棄しているようだし、私にいたっては何をどう考えていいいのかすら分からなくなっている。
 暴れても、大人しくなっても、人を悩ませ翻弄することだけは人一倍の能力を見せるスワジクに、今は脱帽するしかなかった。


「この変化が本当であれば、皆が幸せになれるのにな」


 誰に聞かせるでもなく私はそう呟いた。



[24455] 15話「ん~、バレちゃったかな?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/01 09:20
 さてさて現在進行中のイメージアップキャンペーンだが、次のターゲットをライラさんかスヴィータにしようと思ったんだ。
 ……うん、ごめん。
 なんかね怖いんだよ、彼女達の空気が。
 あれは地雷だ、間違いなく。
 だってスヴィータに焼いたクッキー持って行っても、笑顔で断られたんだよ。
 おほほほ、下賎な私の様な者にはとても恐れ多くて口にも出来ませんって。
 笑いながらライラを連れて逃げていったんだよな。
 くそう、見事なATフィールド張りやがって。
 仕方が無いのでアニスにあげたら、顔右半分が嬉しそうで、反対側の顔が困ったような感じだった。
 お前はアシュラ男爵かよ……。
 しかし、思っていたよりスヴィータ達のハードルは高そうだな。
 何がそんなに彼女達を頑なにしてるんだろう。
 ……やっぱ外の人だよなぁ、どう考えても。
 でも原因が分からないことには、対策も立てられない訳で。
 そんな僕は困ってしまった訳で。


「食べ物で釣るのはなんか無理っぽいなぁ。といって少年誌よろしく殴り合って友情を育むわけにもいかないしなぁ。女ってどうやって友情を深めるんだ?」
「ふざけないでっ!」
「はい、ごめんなさいっっ!!」


 突然聞こえた怒声に、条件反射的に頭を下げた僕。
 恐る恐る頭を上げてみるとそこには誰も居ない。
 あれ? いま怒られたよね?
 きょろきょろと部屋の中を見回すが、やっぱり今は誰も居ない。
 と、窓際からなにやら言い争う声が聞こえる。
 あの声はスヴィータ?
 窓に近寄ってそっと様子を伺ってみると、侍女達の作業部屋と呼ばれる部屋のベランダ(以前僕が隠れてた辺り)で、侍女達4人が固まってなにやら言い争っている。
 どうやらスヴィータとライラが結託して、ミーシャに文句を言っているみたいだ。
 アニスは、……なんだろう、ミーシャとスヴィータの間でおろおろとしているだけみたい。
 

 少し距離があるので何を言い争っているのかまでよく聞こえない。
 漏れ聞こえる単語は、「信じられない」、「忘れたのか」、「売女」、「あんな女の何処が」というようなもの。
 ふむ、これは友情というよりは痴情の縺れ?
 ミーシャ、手が早そうだしなぁ。
 そこで僕は閃いた!
 スヴィータとミーシャの仲を取り持てば、少しは今の状況を改善できるかも!
 まあ、ちょっとお節介っぽいけど、そこはくどくならないように気をつければ大丈夫。
 うん、僕は空気を読める子、やれば出来る子だもんな。
 二人のためにいっちょ一肌脱いでみようか!

 

 で、早速その日のお茶の時間。
 微妙にギスギスしているメイドさんたちを尻目に、僕は必死に取っ掛かりを探っている。
 当たり前な話、いきなりさっき喧嘩していたでしょう? なんて切り出せるほど僕は豪胆ではない。
 で、その取っ掛かりは意外とあっさりと見つかった。


「スヴィータさん、その手、どうされたのですか?」
「はい。仕事中に少し挫いてしまいました。ですが姫様がお気になさるほどの事ではございません」


 木で鼻をくくったような答えとは、今のスヴィータの返事ような事をいうんだろうなぁ。
 だがっ! いつもならそこで引き下がる僕だが今は一味違うんだよ?
 僕はそっとスヴィータの手を掴むと、座っている自分の太ももの上に載せ逃げないように軽く押さえた。
 もちろんスヴィータも最初は少し抵抗したが、さすがに手を振り払うというような失礼な行動には出ない。
 くくく、育ちの良さが仇になったな、スヴィータ。
 恨むなら君の父上か母上を恨むのだな。
 などと心の中で勝ち誇りつつ、不器用に巻かれた包帯をそっと解く。
 あー、やっぱり腫れ上がってる。
 無理やり固定してたものだから、指先も少し鬱血気味だし。
 だが、これくらいの捻挫なら我がテーピング秘術を持ってすれば、赤子の手を捻るも同然。
 たちどころに普通に働けるようになるだろう。
 ま、本当は動かしちゃ駄目だし、捻っちゃ駄目なんだけどね。
 このテーピング術は剣道部の主将直伝の奥義で、なんでも知り合いのとても怪しげな接骨院の先生に伝授されたらしい。
 実際僕も捻挫したときにこのテーピングをしてもらったら凄く楽になったので、内緒で僕だけ教えてもらったんだよね。
 誰も居ない放課後、二人きりで包帯の巻きあいっこをしてさ。
 んー、いま思うとなんか主将の鼻息が荒かったのはなんでだろう?
 なんか嫌な記憶に辿り着きそうで、慌てて目の前の現実に僕は没頭する。


「少しだけ痛くするけど、我慢してくださいね」
「……」


 無言で頷くスヴィータ。
 んー、ツンデレって感じじゃないなぁ。
 しかしこの積み重ねがツンには必要で、それをおろそかにしてはデレは来ない!


「これでよし。どうですか? 締め付けがきつかったりしませんか?」
「……はい、大丈夫だと思います」
「それじゃあ少し動かしてみてください。多分大分痛みが和らいでいるはずです」


 僕の言葉に、半信半疑で手を動かすスヴィータ。
 胡散臭げな表情が、一変して驚きの表情に変わる。
 我が秘技にかかればこれくらい当然だよ、スヴィータ君。
 なんて考えながらニコニコとスヴィータを見つめていると、それに気付いた彼女は何故か凄く悔しそうな顔をして立ち上がった。


「私の様な者にもったいない施しを頂き、誠に恐縮でございます」
「いいのですよ。あ、でも痛みがましになったからってムチャをしてはいけません。なるべく患部は冷やして安静にした方がいいですよ」
「はい、ご忠告感謝いたします」


 スヴィータはスカートを摘み足を後ろに引いて頭を下げ、そのまま目を合わさずに仕事にもどった。
 うん、彼女にはこれくらいで今はいいだろう。
 あんまり親切の押し売りはよろしくないからね。
 で、だ。
 本命は、頬を腫らしたミーシャだ。
 彼女からは何があったかも聞きたいから、お茶の時間が終わってからじっくり攻めた方がいいな。
 んー、貞操的に危険な気もするけど、さすがにそこまで獣ってわけでもないだろう。
 ……と信じたい。




 お茶の時間が終わってメイドさん達が引き上げる中、僕はミーシャを引きとめる。
 二人きりになるまで待ってから、僕はミーシャに椅子を勧めた。


「凄いことになっていますよ? 気付いてますか、ミーシャさん」
「申し訳ございません。少し作業中に転んでしまいまして」


 お茶会のときはさほどでも無かったけど、今は大分腫れ上がって彼女の切れ長の左目をしたから押し上げていた。
 まさか顔にテーピングするわけにもいかないので、さっき用意させたボウルの水に手ぬぐいを浸してそっと優しく押さえる。
 少し体を堅くしたミーシャだが、すぐにその緊張も解け椅子の背もたれに体を預けた。


「姫様、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「どこで……何処でお菓子の焼き方を覚えられましたか?」
「え? あー、そのー、本で……。そう、本で覚えたのです!」
「なるほど。では、先ほどのスヴィータに施したあれは? あの様な処置の仕方、私も医術を多少嗜んでいますが初めて見ました。あれは何処で覚えられたのですか?」
「あ、あれは、その、ドクターに……」
「なるほど。ドクター・グェロに教わったのですか」
「えと、まぁ、そんな感じだったかなぁ?」


 やヴぁい、僕の目が凄い勢いで泳いでるよ。
 さっきの事を聞きだそうと思ったら、逆に何か尋問されてるんですけど?
 これって割と拙いんじゃなかろうか。
 ミーシャが濡れタオルを押さえている僕の手を、優しくだがしっかりと掴んだ。
 まるで手錠のように感じた僕は思わずミーシャから距離を置こうと後ずさる。
 だけど手を掴まれている以上、そんなに距離が取れるわけも無い。


「では、最後にお聞きします」
「はひっ」
「姫様は、……貴方は私たちにした事を何処まで覚えていらっしゃるのですか? 貴方は本当にあのスワジク・ヴォルフ・ゴーディンなのですか?」


 ミーシャの問いは、僕の、僕という存在の核心を突いてきたものだった。
 彼女の白刃の様な気迫に、僕は思わず怯んでしまい答えることが出来ない。
 当然僕の動揺は僕の体の震えや表情からミーシャには筒抜けだろう。
 なんといって答えるべきか、僕はとっさに反応できずにミーシャに捕まったまま動けずにいた。




 侍女作業部屋の横にある宿直室にスヴィータはいた。
 手に巻かれ堅く結ばれた包帯をいらただしげに解く。


「あんな女に施しを受けるなんて、屈辱以外の何ものでもありませんわ」


 包帯を丸めてゴミ箱に放り入れると、棚から新しい包帯を出して自分で巻きなおす。
 そこへライラが入ってくる。


「スヴィータ……」
「あの2人は何をしているのかしら?」
「あ、えと、椅子の上で恋人のように抱き合ってた。何か話し合っているようだったけど、そこまではさすがに聞こえなかったよ」
「あの売女、そこまでしてヴォルフ家の威光を傘に着たいのかしら」
「そ、それは流石に無いんじゃないかな? 第一ミーシャってそんな感じの人じゃないし」


 ライラが反論を唱えると、射殺さんばかりにキッと睨みつけるスヴィータ。
 その眼光に、開きかけた口を閉じてしまう。
 もともとスヴィータとライラでは家格が天と地ほどの差があるので、この力関係は仕方が無い。
 寧ろそれでも責任者たろうとしているライラは褒められてしかるべきかもしれないし、だからこそ責任者足りえていたのだろう。


「貴方はもう忘れたの? レイチェルが何故殺されたのか」
「それは、それは忘れないけど」
「なんでルナが城を追われるように逃げ出さなきゃならなかったのか、もう忘れちゃったの?」
「忘れてない」
「誰が悪いの? レイチェル? ルナ? それとも私たち?」
「それは、絶対に違う」
「じゃあ、誰が悪いの? 誰が悪人なの?」
「あの女よ」
「そうよ、ライラ。あの女が諸悪の根源。あの女こそが悪魔なのよ」


 暗い瞳で自分の呪詛を復唱するライラの姿に、満足そうに目を細めるスヴィータ。
 窓辺によってベランダ越しに見えるスワジクの寝室を覗く。
 そこにはミーシャの頬を押さえたスワジクとその手を愛おしそうに押さえているミーシャの姿。
 スヴィータからは、2人が愛の抱擁と熱い口付けを交わしているようにしか見えなかった。


「ふっ、貴方にも同じ絶望を味あわせてあげるわ。裏切り者にもそれなりの罰が必要だしね。ほんと、これからが楽しみだわ」



[24455] 16話「ボクとミーシャの秘め事」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/03 06:08
「なるほど。それでは貴方は姫様ではなく、別の世界から来た人だと?」
「うん! そうそう」
「……」
「……」


 あれ? なんか凄く可哀想な人を見る目で見つめられているんですけど?
 今は午前の深夜。
 ミーシャに突っ込まれ固まってしまった僕は、洗いざらい吐くことになってしまいました。
 流石に誰が来るか分からない状況で色々説明しにくかったので、夜に全部説明するってことで開放してもらって今に至る。
 うん、分かっていたんだよ、こういう反応が返ってくるんじゃないかなって。
 そりゃ考えてみれば、僕の友達でも突然そんな事を言い出したら頭の中身を疑うよ?
 きっと色々と辛いことがあったのかな、とか。
 人生諦めたらそこで試合終了だよ、とか。


「もしかして哀れまれてる?」
「ええ、少し」


 あーと唸りながらベッドに突っ伏す。
 やっぱ、記憶が無いことを理解してくれても、魂まで変わってしまったっていうのは納得できないよね。
 大体僕自身なんでそうなったかの説明なんて出来ないし。
 非常識だし、意味不明だし、可愛いし。


「ですが、なんとなく姫様の状況は把握いたしました。信じがたい話ですが、人格が他の誰かと入れ替わってしまったという話も一応理解しました」
「ほんと? 可哀想だからって話合わせてるんじゃないの?」
「例えそうであったとしても、今の貴方にはその話を合わせてくれる協力者が必要ではないですか?」
「そりゃそうなんだけど」


 僕はぼりぼりと後頭部を掻きながら、突っ伏した姿勢のままミーシャを見上げる。
 腕組をして顎に手を当て、僕を見つめながら何かを一心に考えているようだ。
 

「でもさ、なんでミーシャは他の人みたいにボクに冷たくないの?」
「ん?」
「ほら、スヴィータなんかさ、たまに目が合うと絶対零度の視線を向けて来たりするし、他の皆も喋ってくれないし。でもミーシャだけはボクとちゃんと向き合って喋ってくれるよね? なんで?」
「ああ、なるほど。私とて貴方に隔意がないわけではありません。ですが、それ以上に興味があるのも確かです」
「興味?」


 目が猛禽のようになっているんですけど。
 舌なめずりしないでください、ミーシャさん。
 なんか身の危険をひしひしと感じるのですよ、主に貞操とか精神の安寧とかの面で。


「私が医術を学んでいることはお話いたしましたよね?」
「ああ、はい」
「だから、外的要因からくる記憶の欠落なり人格の変化という心理的な怪我というか、そういった事例には非常に興味があるのです」
「……それってボクが可哀想な子だから興味があるってことだよね?」
「むしろ残念な子だから?」


 なにげにきついこと言いますよね、ミーシャさん。
 もう僕の心のHPは0だよ、ほんと。


「まあ、本音はともかく」
「本音なんだ!」
「貴方の置かれている状況は、貴方が思っているほど易くは無いです」
「そう、……だよね、やっぱり」
「貴方の記憶がないという事が知れたら、様々な形で利用しようとする者があらわれるかもしれません。あるいは直接害そうとする者もいるでしょう。そして貴方はそういった『敵』に対して、自分自身を守る術を持たない。これは死活問題です」
「敵ってまた大げさな」
「暢気にしていられるのは今のうちですよ。身内にも貴方を敵視する人など掃いて捨てるほど存在するのですよ」


 それは嫌だなぁ。
 知っている人がある日突然襲い掛かってくるなんて、それなんてホラーだよ。
 それだったらまだゾンビがうまーって襲ってきてくれる方が数倍安心できる。
 本当に襲ってこられても困るんだけどね。


「今ある時間内でなんとか姫様らしく振舞えるように、いろいろと覚えていただかないといけないでしょう」
「そうだろうね」
「具体的には、女性らしさや立ち振る舞いからでしょうか」
「気をつけてやっているつもりだったけど、駄目かな?」
「ええ、どこの世界に足を開いて椅子に座る王女が居るというのです?」
「え! ボク、そんなことしてたっけ?」
「あなた自身が気付いていないだけで、それはもうボロボロと。一言で言えば慎みが足りないのです。それでは萌えきれません」
「……いまなんかさらっと変な言葉が聞こえたのですが?」


 一緒にベッドの上に座っていたミーシャが、すくっと立ち上がる。
 つられて上を向く僕に、にこりとイイ笑顔を魅せる彼女。
 うん、やっぱりミーシャはカッコイイな。


「大丈夫です。明日からはみっちり教育していきますから。あと女らしさについては、これは強制的に引き出してあげましょう。心配要りません。私に掛かれば女らしさのひとつやふたつ、無くても無理やり植えつけて差し上げます」
「なんか凄い嫌な予感しかしないのですが?」
「気のせいですよ。大船に乗った気で居てください。悪いようにはしませんから」


 で、その次の夜から僕の深夜レッスンが開始されたのでございます。




「引く足が逆です! 何故そんなにフラフラしているのですか?」
「や、だって……」
「だってもロッテもありません! 挨拶の一つも満足に出来無ければ社交パーティにすら出席できません」
「いや、なんかさ、今日は疲れちゃったっていうか……ねぇ?」


 僕は鬼教官に向かってへらへらと愛想笑いをしながら慈悲を請う。
 与えられる可能性などないとは分かっていても、万分の一の可能性に掛けてしまうヘタレな僕。
 だってもう夜も大分遅いっていうか、後少ししたら夜が明けるんじゃないのかというくらいの時間だよ?
 そりゃフラフラにもなるって。


「そうですか。疲れましたか。分かりました。ではベッドで語り合いましょうか……心ゆくまでゆっくりと」
「ひぃぃぃ、ごめんなさい、ごめんなさい。頑張ります、頑張りますからそれだけは堪忍してぇぇぇ」
「分かればよろしいのです。何も眠いのは姫様だけではないのですから、頑張っていただかないと。……まぁ、私的には頑張って頂かなくてもいいのですけれども」


 何さ、その本音駄々漏れのコメントは!
 ミーシャの黒い笑みに背筋を凍らせながら、すぐさまレッスンに戻る。
 えっと確か、まず相手の前に立ち、にっこり微笑みつつ軽く右手を相手の右手に向かって差し出す。
 次に左足に重心を置きつつ右足を軽く斜め後ろに引いて、相手に差し出された右手に軽く触れつつ膝を曲げて頭を垂れる。
 そしてゆっくりと姿勢を戻して挨拶の完了だ。


「相手に向かってそんなに勢い良く手を出してどうしますか! 姿勢が悪い! 笑顔が堅い、ぎこちない! 目は逸らさず見つめず口元を!」
「ふにゃぁぁぁ、もう無理ぃぃぃ」


 昨日ミーシャが宣言したとおり、僕はただいま宮廷一般常識を勉強中です。
 皆が寝静まってからの訓練だから、もうきつくてきつくて。
 それに失敗したり上手く出来なかったら鬼教官のきもちい……、んんっ、キツイお仕置きがまっているのです。
 睡眠不足で死ねるのですよ!


「3日や4日の寝不足で死んだ人間はいません! きりきりしないならお仕置きです!」
「ちょ、待って。ミーシャさん、待ってください。頑張りますから、ちょ、そんな抱きしめたらっ! ボタン外しちゃ駄目だってば! あっ、あぅ、ら、らめぇぇぇぇ」





「うぅぅ、太陽が黄色い……」
「おはようございます、姫様」
「お、おはよう、アニス」


 なんとかベッドから抜け出して、鏡台の前に着席する。
 いつものように顔の手入れから始まって、身だしなみを整えてゆく。
 んー、女の人って毎朝これしなきゃいけないんだから、ほんっと大変だよねー。
 アニスが毎日頑張ってくれるから、僕はなんの努力もしないでいいから助かるよなぁ。
 髪も梳いたし着替えも済んで、僕は眠い目を擦りながらテーブルに着く。
 ほほう、今日は朝から餃子ですかぁ。
 久しぶりだよね、中華って。
 ふわぁぁぁ、眠いけどいただきまーすぅ。


「こ、こらっ、すすすす、スワジク! 何をするんだっ」
「はむっ、はむっ」
「や、やめないか、こら! それは食べるもんじゃないぞ!!」
「餃子じゃないですねぇ、もしやミミガーですかぁ。なるほど、コリコリして美味しいのです」
「いい加減目を覚ましてください」
「ぎゃふんっ!」


 い、い、今目の中で星が飛んだ!
 星がピカって光った!
 っていうか、頭割れそうなくらい痛いんですけど。


「何事?」
「おはようございます、姫様」
「ミーシャさん、頭が頭痛で痛いのですが?」
「そうですか。後でアニスに薬をお持ちするように言っておきましょう」
「うぅぅ、ミーシャの意地悪。……で、フェイ兄様はなんで床に座ってるんです?」


 床にへたり込んでいたフェイ兄が全力でため息をつき、遣る瀬無さ気にテーブルの上にあるナプキンをとって濡れて光っている耳を拭いている。
 気のせいかフェイ兄の顔が赤いような気がするんだけど。
 ん? 僕が何かしたのかな?


「我が愛しの姫君は最近寝不足のようだね。夜な夜な何かしているのかい?」
「おほほほ、何故か最近寝つきが悪くて」


 中途半端な笑みを浮かべて、適当な理由をつけてみる。
 フェイ兄はそんな僕の顔を見て、また一つ大きくため息をついた。
 幸せが逃げるよ?



[24455] 17話「借金大魔王女だったという罠」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/08 15:57
 「それではこちらのドレスなどは如何でございましょうか。こちらは王都が誇る針職人ゼッベル氏の作でございます。ご覧になられれば分かると思いますが……」


 目の前に広がるザ・見本市みたいな空間に、ジャ○ネットタカタ張りにしゃべり倒す繊維ギルドの職員さん。
 何が起こっているのかといえば、どうやら外の人が以前に発注していたドレスが出来上がったので、商品のお披露目と試着会が急遽催されたのだ。
 いやね、ほら、これでも僕は男であるわけだから、なかなか女物の服を着るのに抵抗があったりするんだよ。
 うん、ごめん。今更の話だよね……。


「しかし、多いですね。こんなにたくさん衣装があると見て回るだけで陽がくれそうですね」
「ええ、前回はこの半分程度しかご用意出来ませんでした。姫様から品揃えが薄いとのご叱責を頂きましたゆえ、今回はギルドの総力を挙げて汚名を返上すべく参った次第でございます」


 うん、なんか頬が引き攣ってきた。
 どんだけ買わないといけないのかな?
 まさか要りませんのでお帰りくださいって言ったら、ぶち切れられるかな?
 ちょっと探りをいれてみようか。


「ところで、前回はいかほど頂きましたでしょうか?」
「はい、先回の折には、お持ちした商品全部お買い上げいただきました!」
「え゛?」


 ちょっと待て。
 見るだけで優に半日は潰れそうなくらいの商品を、外の人は全部買い取った……だと?
 くらりと揺れる頭を必死に支えながら、後ろについてきていたミーシャに小声で訪ねる。


「服ってもう足りているんだよね?」
「はい。すべての衣装に袖を通そうと思うと、一日一着ペースで2年くらいはかかるかと」
「帰ってもらうことは出来る?」
「まさか。王宮まで出向かせて一着も買い取らなかったとなれば、彼のギルドは対外的にもギルドメンバーからも信用を失うでしょう」
「ぼ、ボクのお小遣いはいくら?」
「すいません、侍女如きではそこまで知る権利がございません」


 深いため息をついたら、なにやら不安そうな顔をしたギルド長さんがこっちの顔色を伺っている。
 そんなつぶらな瞳でこっちを見られたら、余計罪悪感が募るじゃないか。
 ここは時間を稼いで、レオさんにでも詳細を聞きに行かなければ!


「あ、あの、ギルド長さん?」
「はい、なんでございましょうか、姫殿下」
「そろそろお昼ですし、ここらで昼食の時間といたしませんか?」
「おお、これは気付きませんでした。それならば、我らも昼食といたしましょう」
「ええ、そういたしましょう。それではまた後ほど」


 軽く膝を曲げて別れの挨拶をし、ミーシャの後を追ってそそくさとその場を後にする。
 もちろん行く先は昼食などではなくてレオの執務室。
 さすがに自分が自由に出来る金額をきちんと把握しないで買い物なんて、怖くてしかたがない。




「なるほど。ご自身が自由に出来る予算の残を知りたいというわけですね?」
「は、はい、そうなんです。レオさんに聞けば分かるかなと思いまして」
「その判断は賢明です。もちろん把握しておりますので、帳簿を見ればすぐに返事が出来ます。が、今までそのような事をあまりお気になされていなかったように思うのですが?」
「あ、その、なんというか、やっぱり無駄遣いは良くないかなと思いますし……」


 僕の言い訳を背中で聞きながら、レオさんは棚の中から分厚い書類の束を一つ引っ張り出してきた。
 それを無造作に開けて、ページを凄い勢いで捲ってゆく。


「ああ、ありました。姫殿下のご自由に出来る資金ですが、ざっと見積もって新金貨五千六百枚……」
「ええ? そんなにあるんですか!」


 ちょっとほっとした。
 五千六百枚の金貨がお小遣いだといわれてもピンと来ないけど、これだけあるのであればあの服を全部買い占めてもお釣りがきそうだ。
 もちろんそんな馬鹿な買い方はするつもりないけどね。
 と思っていたら、レオが笑顔で首を横に振っている。
 ん、僕、なんか勘違いしてるのかな。


「新金貨五千六百枚のマイナスでございます。ですので、現在姫殿下の判断で決済できるものは何一つございません」
「……」


 あれ? 何をいってるのかな?
 良く聞こえなかったよ。
 ちょっと耳を穿って風通しを良くしてから、もう一度聞きなおそう。


「えっと、レオさん。私……」
「新金貨五千六百枚の負債でございます。現在姫殿下は飴玉一つ自分の意思では購入できる状況にはございません」
「ボク、借金もちですか!」
「正確には姫殿下の借金ではございませんが、予算自体はそれだけの額を超過しております。これをどうにかしない限り、正常な予算執行は無理でございます」


 どーすんのさ、この状況。
 今まで慎ましやかな生活を営んできて、爪に火を灯すとまでは言わないけど、節約しながら生きて来たのに。
 何が悲しくていきなり国家予算規模の借金を抱えなきゃいけないんだろう。
 それよりも何よりも、あの服をどうするのさっ!!


「あの、レオさん? 実はですね……」
「ええ、分かっております。本日招かれている繊維ギルドの件ですね。本日の招待に掛かった費用はまだ計上されておりませんので、先の額にさらに昼食代、警備費用、招待会用の人員費用、その他雑費で金貨五十枚ほどが上乗せされますね。もちろん衣服購入代金は含んでおりません」
「あうあう……」
「何かご質問は?」
「あ、ありません」


 なに爽やかな笑顔でこっちみてるのさ。
 あれだよね、レオって割といぢめっ子だよね?
 涙目になっている僕を見て楽しんでいるのが、何となく分かるもの。
 進退窮まるとはこのことか!
 慌ててミーシャを振り返っても、彼女も苦笑いを返すのみ。
 当たり前だよね。
 たかが一メイドに国家予算をどうこう出来る力がある筈もなし、とはいうものの、このままではギルド長以下繊維ギルドの皆さんが困るわけで。


「あのぉ、レオさん?」
「はい、なんでございましょう、姫殿下」
「そのですね、今日来られたギルドの人たちがある程度満足できる程度の買い物が出来るだけのお金がですね、要るのですが……」
「なるほど。分かりました。金貨でいかほど用意させましょうか?」
「よ、用意出来るんですか?!」
「必要であれば用意せねばならないでしょう。ギルドが王宮に呼ばれて何も買ってもらえずに追い返されたでは、最悪死人が出る騒ぎになりますし」


 よかったー。
 レオさんが話のわかる人でよかったよー。
 もうね、抱きつきたいくらい嬉しいんだけど、とりあえずそれは堪えてミーシャに金貨何枚必要か尋ねようと後ろを振り返る。


「ま、相当額を住民から徴税すれば済む話なので、それほど心を痛める必要もありますまい」
「……?」


 えっと、それって臨時徴税するってことなのかな?
 もう一度、レオの方へと向き直る。
 当のレオは嬉しそうな顔で、「どこから徴税しようかな? そういえばあの地区はまだ貯め込んでいる筈だから、徴税隊を編成して」などと物騒なことを仰っておいでです。


「あの、レオさん?」
「はい、なんでしょうか、姫殿下」
「徴税するのですか?」
「ええ。無い袖は振れませんので、無理からでも袖を作って見せないと鼻血もでません。何せ新金貨五千六百五十枚の借金ですから」


 あう、さりげなく50枚追加されてる。
 拙いよね。
 なんか最終的にはどこかの国の人みたいに市民に恨まれてギロチン台送りになるんじゃないのかと。
 うわぁ、やなフラグが立ちそうだ。


「ちょ、徴税や徴税隊はやめませんか?」
「おや? ですが一番手っ取り早い方法なのですが。まあいいでしょう。じゃあ、貧民区の再開発に割り当てていた費用が確か金貨千枚ほど執行待ちで倉庫においてあった筈。それを使い込みましょう!」
「使い込みません!」
「金を溜め込んでいる商家に難癖をつけて罰金として、金貨を巻き上げる」
「どこのヤクザですかっ!」
「ふむ。ならば、適当な理由をつけて王宮に詰める者たちの給料を2ヶ月ほど50%カットすれば、金貨3千枚は浮いてきます。それを購入費とマイナス予算の補填に当てましょう」
「もっとマシな案はないんですかっ!」


 むむむと唸って眉間に皺を寄せるレオさん。
 同じくむむむと唸る僕。
 しばらく睨みあっていた僕たちだけど、レオさんがため息をついて首を左右に振る。


「分かりました。仕方ないので私の私財を売り払えば、金貨百枚はあるかもしれません。とりあえず、今はどこかから金貨を持ってきて支払いに充て、後日私財を売却した金貨で穴を補填しましょう」
「あ、そっか。私財を売り払えばいいんだ」
「私の屋敷を売り払えば割といい値段になるはずです」
「いや、そうじゃなくて。売り払うものなら、北の塔社にも一杯あるんじゃないですか? 例えば廊下においてある壷とか。使ってない部屋に飾ってある絵画とか。本末転倒だけど、着ていないドレスを誰かに売るとか」


 なんだ、簡単じゃないか。
 借金苦に身を削るような方法になるのは仕方ないけど、もともと必要以上にある装飾品なのだからこれらを売ればいいお金になるはず。
 これなら誰からも文句は出ないだろうし借金も少しは減るかな。
 となればあとは売却方法をどうするか、誰かに考えてもらえばいいのだけれども。


「姫殿下、正気ですか? 北の塔舎にあるものはすべて貴方が絶対に必要なものだと言い張って購入なされたものなのですが。それらを売却するより、徴税するほうがずっと楽だと思うのですが」
「いえ、自分の買い物をする為だけに誰かが犠牲になるのは、あまりいい気がしません。ですが自分の身を切る分については自分が我慢すればいい話なので、これが一番私に取って気楽な方法なのです」


 レオさんがじっと私の目を覗き込むように見つめている。
 今まで散々使いたい放題をしていた外の人が、突然僕の様なことを言えばそりゃ変に思われても仕方ない。
 ギロチン台に送り込まれないように平穏無事に生きていくためには、今までの外の人のやり方を変えていく必要があるわけで。
 これもスワジク姫イメージアップ作戦の一環として作用してくれたらいいなぁと思ったりする。


「なるほど。本気のようですね。了解しました。本日の買い物が決まったら、ギルド長をこちらへ遣してください。その時に代金を清算いたしますので」
「はい、ありがとうございます。それじゃあ、近いうちに売却する品の目録を作っておきます」
「わかりました。そちらは私を呼びつけて頂ければ、いつでもお手伝いさせていただきます」


 ようやく支払いのあてが出来てほっとした僕は、ミーシャを連れて先ほどの見本会場と化した部屋へと戻っていった。


 しかし金貨五千六百五十枚の借金か。
 これもいずれどうにかしないといけないかなぁ。
 あ、そうそう、結局今日の買い物の合計額は新金貨百枚となりました。
 全部買わないと宣言したらギルド長はびっくりしていたけど、それでも相当数の買い物をしたので機嫌よく城を後に出来たんじゃないかな。 
 もっとも僕の胃は結構なダメージを受けたけどね。
 さて、次は何処に手を入れるべきか、またミーシャと相談しないといけないや。



[24455] 18話「売り払えっ!(某姫殿下風に)」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/09 20:19
 暖かな陽の光、柔らかな風、そして匂い立つ色とりどりの花達。
 目を閉じればすぐにでも夢の世界へ旅立てそうな昼下がりに、僕を含む総勢十五人の人間がこの広場に集まっていた。
 メンバーは僕を筆頭に、フェイ兄、レオさん、センドリックさんに初めて見る男の騎士さんが3人。
 女性陣は僕付の侍女であるミーシャ、スヴィータ、アニスにライラの四人に、いつか見た侍女長のヴィヴィオさんと彼女が従える3人の政務館付の侍女達。
 皆、動きやすい服装にエプロンやら手袋やら掃除道具を持っているが、顔つきは戦場に出る戦士のように引き締まっている。
 やっぱりヴィヴィオさんとレオさんがいると、場の空気が締まるんだね。
 フェイ兄ではなかなかこうは行かないに違いない。
 11人がびしっと整列している前に、僕を始めフェイ兄、レオさん、そしてヴィヴィオさんが立っている。
 そしてレオさんがゆっくりと前へと出て、11人の掃除人達に向かって説明を開始した。


「本日、ただいまから北の塔舎にある不要になった調度品や衣類、家具などの搬出、処分、そしてその後の簡単な清掃を行う。主な指示は侍女長か私が出すので、不明な点等があれば逐次相談に来ること」
「はいっ!」


 歯切れのいい皆の返事が綺麗にハモって、なんか凄くカッコイイなぁ。
 いつもの3割り増しでかっこよく見えるな。
 特にアニスとか。……いや、別に普段がだらしないとかいう意味じゃないよ? 
 しかし、今日の僕もいつもとは一味違うんだ。
 見よ! この動きやすさを追求したブラウスを! さらにいつもはスカートを履いているのだが今日は掃除もあるからパンツを履いてみた。
 もっとも、外の人はパンツルックが嫌いだったのかズボンが1枚も無いから、フェイ兄に頼んでズボンを1本頂いたのだけれども。
 ちゃんと手袋とタオルも用意したし、三角巾も頭に装着している。
 1分の隙もないこの僕を見て、何故か誰もコメントをくれないのは何故だろう?


「それでは各自、割り当て場所へいって作業を開始してください」


 レオさんの号令と共に、さっと散ってゆく11人。
 僕もミーシャの後を追って塔舎に入ろうとしたら、後ろから肩を誰かに掴まれた。
 何かなと思って振り返ると、フェイ兄が笑顔で立っている。


「えと、フェイ兄様?」
「うん、スワジクはこっちだよ」
「なるほど、担当場所が違うのですね」


 素直にフェイ兄の後ろについてゆくと、中庭の中ほどに設置されたテーブルの上にお茶や一口ケーキなんかが置かれている。
 そこへフェイ兄が近寄って、椅子を引いて僕に座るよう促す。
 っていうか、それじゃあ手伝えないのではないのだろうか。


「あのフェイ兄様、皆の手伝いは……」
「大丈夫だよ。みんながきちんと綺麗にしてくれるから。その間私たちはここでゆっくりと皆が終わるのを待っていればいい」
「折角手伝うつもりで服装も整えましたのに」
「僕達が出て行ったら、逆に皆が働きにくくなるんだよ。上に立つものが率先して何事もこなすのもいいんだけど、時と場合によりけりなんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「でも、そういう気持ちがあるっていうのはとてもいい事だと僕は思うよ」


 そういって不満気にしている私の頭を撫でるフェイ兄。
 とは言うものの、みんなが一生懸命働いているのに横で、それを見ているだけというのは結構落ち着かないものなんだけど。
 そわそわしながら塔舎とテーブルの上を行き来する僕の視線を、フェイ兄は生暖かい目で見ている。
 変な奴と思われているんだろうなと思いつつも、やっぱりなんか落ち着かない。
 例えるなら、全校生徒が清掃時間に清掃しているのに僕だけが手伝わなくていいからと教室の自分の席に座っているような感じ、といえば伝わるかな?


「変わったね」
「何がです?」
「君の物の考え方が、だよ」
「そ、そうですね。やはり今までは問題が色々とあったと思いますし、私も変わるべきかなと思ったんです」


 僕は用意していた答えをフェイ兄に言う。
 ミーシャと二人で考えた無難な答えなのだが、果たしてこんな苦しい言い逃れで納得してもらえるかどうか。
 だって平気で五千七百五十枚もの借金を作れる人だったんだからねぇ、外の人は。
 といって僕が外の人みたいに振舞えるかといわれれば、間違いなく無理だし。


「そうかい。何にせよ、変わるというのはいい事だと思うよ」
「はい、有難うございます」


 にっこりと笑顔で返事をすると、フェイ兄は慌てて咳払いをして塔舎へと視線を逸らす。
 釣られて僕も塔舎を見たら、3階の窓からレオさんがこっちに向かって手を振っているのが見えた。
 僕達に上がって来いということみたいだ。
 どうやら僕にも出来ることがあるみたいだと思ったら、なんとなく嬉しくなる。
 苦笑するフェイ兄の背中を押しながら、僕達はレオさんの待つ3階へと向かった。


「なるほど、私の私室のものだから触れなかったという訳ですね」
「はい。申し訳ありませんが、要る物と要らない物の指示だけ頂けたら、搬出はこちらでいたします」
「しかし、久しく入った事が無かったが、……凄いな」
「ははは、本当に」


 頬を引き攣らせながら、フェイ兄の呆れ顔のコメントに同意する。
 目の前の部屋は30畳はあろうかという位の広さがある筈なのに、所狭しと置かれた置物や家具などで床が見えないくらいに占領されていた。
 なんていうか、雑な古物商屋さんの倉庫みたいな感じ。
 こんな所で日々の作業やなんやと外の人がしていたのかと思うと、呆れを通り越して尊敬の念が沸く。
 僕なら5分と居たくない部屋だよ、これは。


「どうしますか、姫殿下」
「とりあえず手前のものから全部外に出していきましょう」


 そういって手近にあった額を手に廊下へ出ると、外で待機していた人たちが順番に中へと入っていく。
 レオさんに促されて僕はもう一度部屋の中に入り、荷物の運び出していいかどうかの判断をしてゆく。
 段々と部屋が空いてくるにつれて自由に動けるようになったので、皆の作業の邪魔にならないように家具や調度品の水拭きなんかを始める。
 最初こそ皆僕に気を使っていたようだけど、鼻歌まじりに掃除をしている姿を見て何も言わなくなった。
 やっぱり何か作業をしているっていうのは良い事だねぇ。


「ん? なんだろう、この引出し」


 窓際にあった多分自分の執務用の机を整理していたら、鍵が掛かっている引出しがあった。
 そういえば、さっき上の段の引出しの中にこれの鍵っぽいのがあったな。
 すぐ上の引出しを引き出して真鍮製の鍵を取り出す。
 鍵穴にぴったりとはまるので、恐らくこの引出しの鍵なんだろう。
 鍵を回すとかすかな抵抗の後、かちりと音がして鍵が開いた。
 何故かドキドキしながら引出しを引くと、中には豪華なカバーの本が1冊入っている。


「へぇ、綺麗な本? いや、中が白紙だからノートのようなもんか。何が書いてあるんだろう」
「姫殿下、こちらの箱の中身はいかがいたしましょう?」
「あ、はい。少し待ってください、ヴィヴィオさん」


 慌てて引出しを閉めて、僕はヴィヴィオさん達が囲んでいる大きな葛篭っぽい箱へと向かった。
 ここはどうせ自分の私室なのだから、あのノートみたいなやつは時間のあるときにまた来て読めばいいよね?





 その日の夜。
 僕は一人、スワジク姫の部屋へと来ていた。
 昼間見た本が凄く気になっていたし、もしかしてあれが日記とかだったらもっと外の人のことが分かるかもしれないと思ったから。
 蒼い月夜に照らされた部屋は思ったよりも明るく、特に窓を背にした机は火を灯さずとも文字が読めるほどだった。
 昼間開けた引出しをそっと開け、中にあったノートを取り出す。
 表紙を捲ると最初の書き出しに、「愛しの娘へ」と綴ってあった。
 次を捲ると日付らしきものが書いてあり、綺麗で几帳面な字が整然と綴られている。


 ウルガの年、ミレニアの月、赤の7

 今日、お母様は旅立ってしまわれた……。
 私は正真正銘、この世で一人ぼっちになってしまった。


 その日記の書き出しは、とても冷たくて悲しそうに僕には見えた。
 何か他人の秘密を覗き込んでいるようで居た堪れない気持ちになったけど、多分これは僕が読み進めていかなきゃいけないものだと思う。


 ゴーディン家の奴らは、お母様の葬儀で皆ほっとした表情で笑いあっていた。
 もちろん私の目の前でそんな事を露骨にはしなかったが、誰も悲しんでなど居ないことくらい12歳の私でも分かる。
 でも私は泣きません。
 ちゃんとお母様の言いつけを守って、一人でも強く生きてゆくと誓ったのだから。
 それに私にはあの子がいるから大丈夫。
 あの子だけはお母様のことを本気で悲しんでくれた、たった一人の親友だもの。


 僕はゆっくりと次のページを捲ろうとして、その手を止めた。
 日記の間に何かが挟まっているみたいだ。
 なんだろうと思って引き出してみると、赤い封蝋をした真っ白な封筒で表に宛名が書かれていた。



 「親愛なる兄様と、一度も愛してくれなかった義父様へ」


 僕はゆっくりと封を破ると手紙を取り出して、月明かりの下でゆっくりと読み始めた。



[24455] 19話「何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった…」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/17 05:22
「おはようございます、姫様」
「ふぁ。おはよう、アニス」


 眠たそうな目を擦りながら姫様がベッドの中からもそもそと出て来られるのを、暖かい手ぬぐいを持って眺める私。
 これだけを見たら朝に弱い妹がベッドの上でもたついている絵なんですけど、相手があのスワジク姫だから微笑むことすら躊躇われるのですけれども。
 もそもそと出てきた姫様に暖かいタオルで顔を拭ってもらってから、ベッドから出てくるのをじっと待つ。
 姫様の行動をおなじように見つめているミーシャちゃんの視線が、なんか普段と違っていて妙な胸騒ぎを感じる。
 何と言われても上手くいえないけど、二人だけの空気みたいなものがあって嫌だなと思う。
 まあ、今はそんな私情にかまけているわけにも行かないので、ベッドから降りた姫様にゆっくりと近づいて拭き終わったタオルを受け取って始末する。
 それから自分でも分かる微妙な笑顔を無理やり作って、姫様の手を取り鏡台の前へと手を取って連れてゆく。
 それだけで一仕事終えたくらいに神経を使ってしまったので、姫様に気付かれぬようそっとため息をつく。
 と、すぐにくいくいっと袖を誰かに引かれた。
引く手の主を見ると、姫様が鏡台の鏡越しに笑いながら喋りかけてくる。


「ため息付くと幸せが逃げますよ。アニスは可愛いのだから、笑顔でいる方がいいです」
「ひゃ、ひゃい」


 突然の姫様の言葉に私は噛んでしまった。
 姫様からこんなこと言われたのは初めてだから、本当にびっくりした。
 いつも彼女から私に向けて出る言葉は「グズ、ノロマ、でか乳」がほとんど。
 落水事故以前なら、名前すら呼んでもらった記憶が無い。
 スヴィータが言うように背筋が寒くなる気持ちも分かる。
 なんていうかあるべき物があるべき所に無いような、そんな落ち着かない感じ。
 なんでミーシャちゃんは平気なんだろう。
 考え事をしながら手を動かしていると、後ろから当のミーシャちゃんに声を掛けられる。


「アニス。それはそれで良いとは思うんだけど、考え事しながら髪を結うのはやめた方がいいよ」
「え? 私なんか変な事した?」
「姫様の髪、えらい事になってる」


 なんだろうと思って前を見ると、うず高く巻き上がる銀色の髪。
 いわゆる盛り髪というやつが目の前に燦然と輝いていた。
 わわわ、私なんて事を!


「うぅ、重い……」
「ひ、姫様、申し訳ありません。ただいますぐに元にもどします」


 ああ、考え事なんかしなきゃ良かったよ、私の馬鹿。
 もともと一つの事にしか気が回らない人間なのに、ああ、数分前の自分を殴りたい。
 涙目になりつつ姫様の髪を解いていると、鏡越しに姫様が苦笑しているのが見えた。


「ドジっ娘だねぇ、アニスは」
「すすす、すみませーん!」


 うん、いつもなら怒鳴り散らされるような失敗だったけど、やっぱり優しくなった姫様。
 顔を真っ赤にしながらいつもより20分も余計に時間がかかり、朝食の担当だったスヴィータに睨まれてさらに涙目になったのは余談である。



 朝食も滞りなく終わりフェイタール殿下も執務に戻られ、今は少しゆっくり出来る時間帯。
 といっても侍女である私たちはそんなにゆっくりも出来ない。
 姫様が食後に外へ出たいと言われたので、その準備に右往左往しているのだ。
 怪我も良くなった事もあるのか、姫様は最近いつもにも増して行動的になられている。
 内向きな正確だった姫様がここまで積極的に外界と関わりを持とうとしているのも、事故後の大きな変化の一つ。
 他の大きな変化は何かといえば、例えば怒鳴り散らさなくなったとか、失敗するたびに鞭で殴らなくなったとか。
 鞭といっても堅くて平べったくてしなる棒ですが。
 あれが空気を裂く音を聞くと、本当に怖くて仕方が無かった。
 あと、先日の装飾品とか姫様のコレクションの処分なんていうのも、大きな変化といえるかな。
 高価な物に囲まれているのが幸せというような姫様が、執着せずにそれらを処分していく姿は本当に別人のよう。


「アニス。外出の用意出来ました?」
「あ、はい姫様。こちらのお召し物で今日はどうでしょうか」
「アニスがいいと思うならそれでお願いします」
「はい、畏まりました。ではこちらへどうぞ」


 姿見の前で部屋着を脱いでもらい、用意した服を手早く着せてゆく。
 服装の好みも180度方向が変わった。
 以前の様な贅を凝らしたような衣装は見向きもせず、選ぶものといえば大人しい地味なもの。
 急激な好みの変化に、最初は何度も寝室と衣裳部屋を行き来したものでした。
 姫様は着替え終わると、にこにこと笑いながら私たちに振り返る。
 何やら企んでいそうな笑みに、私は思わず一歩後ずさってしまう。

 
「さて皆さん、今日は少し忙しくなりますので覚悟していてくださいね?」
「え? 何か急なご予定がおありなのでしょうか?」
「ええ、今から政務館へ行き、ちょっと挨拶廻りをしたいのです。そうそう、その前に厨房に行ってクッキーも作るので皆さん協力してくださいね」


 いたずらっぽく微笑みながら今日のスケジュールを説明する姫様に、その場に居たミーシャちゃんや私を含め侍女全員があっけに取られた。
 っていうかミーシャちゃんも知らなかったって事は、これって姫様一人で決められたことなのかな。
 なんか嫌な予感しかしないんですけど……。





 昨日の大掃除の際に出た処分品の処理についての報告書に目を通していると、レオが珍しく慌てた様子で部屋に入ってきた。
 私は手にしていた書類から目を離し、肩で息をしている彼を何事かと思って見る。


「ノックもなしにどうしたんだ、レオ」
「は、はい。殿下に早急にお知らせしたいことがありまして。す、スワジク姫ですが……、姫殿下が……」
「事故か! 事件か!」


 脳裏に先日の落水事故の恐怖がよみがえる。
 くそっ、レナの単独犯行だとばかり思っていたが、やはり背後にどこかの派閥が動いていたか。
 椅子を蹴倒して、ソファーにもたれ掛かっているレオに駆け寄った。
 レオはそれを片手で制しつつ、首を横に振る。
 事故や事件ではないのかという安堵感に、思わず長いため息をつく。


「では、なんだというのだ。びっくりするではないか」
「姫様が政務館で、今まで悶着のあった部署の視察に廻られているのです」
「な、なんだと!」
「いままでの経緯を考えると、以前のムチャな要求の催促か、成果が上がっていないことへの糾弾にいったのではないでしょうか? 最近は北の塔舎から出られなかったので安心していたのですが……」


 ここ数日の彼女の行動を見る限り、以前の様々な事案について忘れているような節があったので私もレオも安心しきっていた。
 あのまま大人しいお姫様を演じてくれているならそれもいいと思っていたのだが、どうやら我々は裏をかかれたようだ。
 これ以上内政に口を出されては、官僚達の不満が一気に噴出する可能性もある。
 王家に対する不満や不信をこれ以上助長させるわけにはいかない。
 私はすぐさま現状の把握と事態の沈静化に向うため、レオの襟首を掴んで政務館へと向かった。


 政務館3階にある財務室。
 レオの話では、スワジクはまずこの部屋を目指したらしい。
 私は逸る気を抑えつつ目の前の扉を押し開く。
 部屋の中にいた官僚達が、血相を変えて飛び込んできた私に驚きの視線を向けてきた。
 一同が凍り付いている中、奥のデスクに座っていた財務長官が口を開く。


「これは殿下。このようなむさ苦しい場所に何か御用でございましょうか?」
「スワジクがこちらに来たと聞いたのだが?」
「はい、小一時間ほど前に来られ、私と少々話をされて出て行かれました」


 深いため息をついて肩を落とす長官。
 その眉間には深い皺が刻まれている。
 今度はいったいどんな無理難題を吹っかけてきたのやら。
 私は恐る恐る長官に事情を尋ねた。


「突然の訪問でしたので、こちらも大分警戒はしていたのです。姫殿下が買った物の債権放棄令などというふざけた法令を成立させろと、つい最近までしつこく言われていたのですから」


 長官は机の上にあった紙を数枚取り上げて、私の前まで持ってくる。
 それを受け取り軽く斜め読みをしたが、書いてある内容がよく理解できずに何度も読み直すことになった。


「殿下が何度も読み直すのも当然です。私だって本人を目の前に10回問い直したのですから」
「あ、有り得ん」


 次に続く紙に目を通すと、そこには一面にびっしりと埋めつくされた数字の山。
 縦軸と横軸の項目を見て、数字の意味するところを把握した。


「へ、返済計画表だと?」
「返済計画表というよりは、向こう30年間の予算執行計画表というべきでしょうか」


 私の手の中にある表をレオに渡して、私はもう一度1枚目の誓約書と書かれた紙に目を通す。
 要約すれば、来年度からの姫の生活予算から少しづつ債務返済を行っていくとの宣誓書だ。


「こ、こんなもの意味がありません。だいたい当の債務には既に割当てている財源がありますし、30年もこの城に結婚もせず居座るつもりかと。急にこんな話をされても現場が混乱するだけで……」
「閣下の言うとおりです。私もまたなんていうムチャをいうのかと思ったのです。でも本人が返したいと言っているのであれば、来年度の予算設計がずいぶんと楽になるのも確かです。例え雀の涙程度の額とはいえ、債務が減っていくのですから。さらにこれ以上意味の無い債務を増やさないという約束までしてもらっています。結婚されるされないは私どもの感知するところではないので無視するとして、財務長官の立場としては全面的に姫殿下の意見に賛同いたしております」


 狐につままれた様な顔をして呆然と立ち尽くすレオと私。
 そんな所に慌しく数名の文官達が駆け込んできた。
 みな手に手に何かの書類を持っている。


「レオ閣下! こんなところで何をされているのですか! 大至急この事案の決済をお願いします」
「閣下! こちらもお願いします」


 その人ごみに押されて壁に押し付けられるレオ。
 目の前で振り回される紙を一部引ったくり、私はさっと目を通した。
 書かれている内容は、様々なギルドに発注していたスワジクの身の回り品の発注取り消しについての命令書だった。
 その次にひったくった文書には、スワジク専用にストックしていた高級食材の流用許可と再仕入れの禁止がうたわれている。
 なんなのだ。一体何が起こっているというんだ。
 頭をガシガシと掻き毟りながら、書類の山に埋もれてゆくレオを見た。
 

「殿下、こちらでしたか。」


 野太い声に呼びかけられて、なんとも気乗りしないのだが一応振り返る。
 そこに立っていたのは、罪人の収監、処罰を監督する刑務督(刑事罰専門の法務省大臣みたいなもの)が立っていた。


「おお、リディル卿。貴方も何か?」
「この混雑を見る限り、恐らく同様の用件かと思われます」
「卿が来られたということは、スワジク姫がらみの受刑者についてですか?」
「はい、左様でございます。こちらに目を通していただき、陛下に恩赦の号令を頂きたいのですが……」
「待て、待ってくれ。一体何が起こっているんだ?」
「先ほど姫殿下が来られて、収監されている侍女や政務官達の恩赦ないしは訴訟自体の取り下げを訴えてこられまして。こちらとしても特に問題はないと思いますので、早急に本件を片付けたいと思うのです」


 頭痛がしてきた。
 喜ぶべき事なのだろうけれども、一度にこうも押し寄せられるとレオも私もパンクしてしまう。
 ま、まさか、これは新手の嫌がらせか?!


「と、とにかくここでは財務室の邪魔になる。皆一旦ここを出て私の執務室の方へ来てくれ。レオ、行くぞ」
「は、はい、殿下」


 結局、私とレオは次から次へと現れる官僚達に忙殺され、今日1日を執務室で働かされる羽目になった。



[24455] 20話「おでこのキスはノーカンだからねっ」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/15 21:47
 ここはスワジク姫こと僕専用の私室。
 机の上に置いたメモ書きをじっと眺めて、僕は一行一行チェックを入れてゆく。
 なんのメモかというと、日記から書き出したスワジク姫の駄目出しリストである。
 あの日記、読み進めていくとだんだん行動が過激になっていくもんだから、結構読んでいて背筋が寒くなった。
 日記の勢いでいったら絶対いつか背中から刺されるなぁと思うわけで。


「これでおおよそ迷惑な命令やお願いなんかは粗方片付いたかなぁ。個人との感情のもつれは徐々に改善していくとして、王様との関係も改善したいなぁ。ギスギスした家族なんていやだもんな」


 といいつつも、いまだ一度も王様に会ったこともない。
 でも正直、義理とはいえ娘が溺れたんだから見舞いに来いよと言いたいんだけどね。
 相手が来ないならこちらから歩み寄るのみ。
 といいつつも、王様がどんな人か知らないのでどうアプローチすべきか悩むところ。
 この辺りはミーシャに聞くよりか、フェイ兄にさりげなく聞くのがいいかな。
 物思いにふけっていると、ドアが静かにノックされる。


「はい、どうぞ」
「やあ、僕の可愛いお姫様、ご機嫌はいかがなか?」
「お仕事はいかがなされたのですか、フェイ兄様」


 最近はフェイ兄様の気色の悪い科白にも大分耐性が付いてきた、と言うか慣れた。
 だから部屋へ入ってきた変態ロリスキーを笑顔で迎え入れることも出来るようになったんだ。
 これって凄い進歩じゃね?
 と、益体も無いことを考えている場合ではなく、これは渡りに船、鴨が葱を背負ってやってきたのです。


「仕事かい? 君が昨日盛大に増やしてくれたお陰で寝不足気味だけど、大体片付いたよ」
「あ、あはは。それはご迷惑をおかけいたしました」
「いや、かまわないよ。昨日のような事ならいつでも大歓迎だよ。っていうか、何故今になって?」


 机を迂回して僕の背中側にある窓の桟に腰を掛けるフェイ兄。
 フェイ兄は笑顔を崩さないけど目が笑っていないので、なんだか怖い印象を受ける。
 あれ? フェイ兄ってこんな腹黒キャラだっけ?
 確かに昨日一気に外の人の行動修正をしたから、以前を知る人であれば疑問に思うのも当然だろうね。


「そう、ですね。私は以前から周囲に色々と無茶なことばかり言っていました。それは自分でも薄々感じていたことなんです。今回自分が死に掛けていろんな人が必死になって助けてくれたという事を聞いたとき、こんな我侭一杯の自分じゃいけないんじゃないかなっていう思いが生まれたのです」
「なるほど。それでいままでの行動を振り返って、自分で駄目だと思うところをやり直しているっていう事かな」
「はい、その通りです。以前の私は他人が変わらないから自分も変わってやらないって意固地になってました。でも人に変わって欲しければ、まずは自分から変わらないと駄目だって思ったんです」


 椅子をくるりと回して、横に立つフェイ兄を見上げる。
 僕の言葉にびっくりしているのか、ぽかんとした表情でこっちを見下ろしているフェイ兄。
 イケメンの間抜けな表情っていうのもなかなか可愛いものですねぇ。
 ……って、今僕は何を考えた!
 男の顔を可愛いと思うなんてありえない。
 こ、こ、これは何かの間違いです、やり直しを要求するのです!
 顔を真っ赤にして体を前に向ける僕。
 やべぇ、恥ずかしすぎて耳まで熱くなってしまった。
 これはあれか、精神が体に引きずられているってことなのかな。
 ってことはいずれ僕は可愛い女の子を見ても何とも思わずに、どこかの男に欲情するとかそういうことですか?
 それはそれで色々とキツイのですよ、僕の男としてのプライド的に!
 ちらりとフェイ兄を横目で伺うと、何やら物凄い生暖かい目で見つめられているような気がする。
 うわぁ、絶対何か勘違いされた!
 萌えられたとかだったら軽く死ねる。
 っていうか、シスコンロリ変態は死ねばいいんだ、そうだ抹殺しよう!
 などといい加減思考が暴走状態になったときに、ぽんと頭の上に手を置かれた。
 茹で上がった僕の頭には、置かれたフェイ兄の手はとてもひんやりとして気持ち良かった。
 お陰で少し冷静になることが出来たことは感謝したいけど、そう何度も撫でないで欲しい。恥ずかしいじゃないか。


「それ、自分ひとりで考えたのかい? その、誰か他にそう教えてくれた人がいるのかな?」
「……いえ、基本的には自分一人の考えです。色々と冷静になれば廻りが見えてきたというか、そんなところだと思っていただければいいかなと思います」
「一人でその考えに辿り着いたというのならそれは凄いことだと思うし、その為に何か行動を起こせたのは尊敬に値するよ」
「いえ、そんなに褒めてもらうほどの事では……」
「ただね……」


 ゆっくりと僕の頭を撫でていた手がぴたりと止まる。
 何かなと思って見上げてみると、そこには笑顔で黒いオーラを放っているフェイ兄がいた。
 うわぁ、何んでそんなに怒ってるのさ! 
 良い事したと思ってるなら、褒めるだけにしてくださいよー。


「何かをするなら、僕にちゃんと相談してからにして欲しかったなぁと。徹夜で仕事させられるとか、どんな嫌がらせかと思ったじゃないか」
「ひぃぃ、す、すいませーん、フェイ兄様。てか、頭が痛いです! ぐりぐりするのやめてください~」


 暫くの間涙目になって抗議する僕を無視して、フェイ兄は黒い笑顔のまま頭をぐりぐりしつづけた。





「フェイ兄様、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」
「ん? 何かな」
「あの、私、事故があって以降一度も父上とお会いしていないのですが、どのタイミングで挨拶に行けばいいのか……」


 ぐりぐりされた頭を撫でながら、目尻に涙をためたまま困った顔でフェイ兄を見上げる。
 僕としては親なら娘の快気祝いくらいさっさと来ればいいのにってな感じなんだけれども。
 フェイ兄はさっきの黒い笑顔から一転、僕の顔を真剣な表情で見つめている。
 ちょ、恥ずかしいからやめて欲しい。
 こんなにまじまじと他人から見つめられるのって経験が無いしどう反応していいのか分からないじゃないか。
 しかし僕には困ったときの日本人魂というか、最終奥義がある。
 そう、日本人が追い詰められた時や反応に困った時に発動するという 伝説の秘技、『愛想笑い』である。
 自分で言うのもなんだけど、鏡を見ていないから分からないけど結構不気味かもしれん。
 頭の中でにへらと笑う美少女を想像して、少し頭が痛くなるがそこは無視。
 おや? フェイ兄視線を逸らしたね。
 くくく、自然界では視線を逸らした方が負け犬という掟があってだな。


「そうだね。父上もそろそろ会わないといけないとも言っておられたみたいだし。今日の夕食、たまには3人揃って食べようか」
「……はい、私に異存はありません」


 アホな思考を中断されたけど、フェイ兄からの提案はまさに望んでいたこと。
 二つ返事で頷くと、フェイ兄も眼を細めて笑ってくれた。


「では、後でスヴィータにその旨を伝えておかないといけませんね」
「ああ、そうだね。細かいことは後で私から伝えるから、後でスヴィータに私のところへ来るように伝えておいて欲しいな」
「はい、分かりました」


 素直に頷く僕の額にフェイ兄は手の平をそっと押し当てる。
 すっと前髪をその手で掬い上げ無防備に晒された額に、流れるような極自然な感じで軽く押し当てられたフェイ兄の唇。
 数秒間フリーズする僕の脳と体。
 ナニヲシテオイデデスカ?


「それじゃあね、僕の可愛いお姫様。夕食会は精一杯おめかしして来るといい。きっと父上も腰を抜かすだろうね」


 脂汗をだらだら垂れ流す僕を置いて、フェイ兄はさっさと部屋から出て行ってしまう。
 いや、出て行ってくれた方がいいんだけどね。
 額とはいえ男にキスをされたショックと、その感触をぼんやりと受け入れている自分自身がいるという2重のショックに立ち直れずにいる。
 うわー、うわー、これはあれだよ、外の人の気持ちを体が引き摺っているに違いない。
 僕が男にドキドキするなんて、死んだって有り得ないんだからなっ!


「ボ、ボ、ボ、ボクはホモじゃねぇぇぇぇ!」


 『BLはホモじゃないんだよ、兄貴』という日本の鬼妹(ガンオタ腐女子)の声がしたのは、きっと僕の脳が壊れてしまったからだと思うんだ。
 っていうか、僕は今は女だからBLでもないけどねっ! 
うん、負け惜しみだよ、悪いかコンチキショー。





 一歩部屋の外に出て、自分自身の行動に嫌気がさした。
 いや、それは無垢なる人を欺いているという罪悪感といってもいいかもしれない。
 蛮行姫を無垢な人と感じた自分の感性に驚くが、だが彼女の行動や反応は邪気の無い、もっとストレートに言えば他愛無いものだ。
 そこらにいる下級貴族の娘達となんら変わらないのではないかとも思えるほどに。


「嫌なものだな、人を信じることが出来ないというのも……」


 スワジクは自分から変わらないといけないと言った。
 そしてそれを実行している。
 対して自分はどうなのかと問いただす。
 彼女が変わったことを認識し実感してもなお、以前のスワジクが暗い目をして私を見つめる。
 それは非難の眼差しだろうか、それとも怨恨か。
 自身の感情を持て余しながら報告のために陛下の執務室へと急ぐ私の前に、一人の男が立ちはだかった。
 私よりも頭一つ分高いはずの男を、目の前で恭しく膝を付いている為に見下ろす形になっている。
 浅黒い肌に深い色の赤毛、対照的にコバルトブルーに輝く瞳。
 鍛え抜かれた体躯は服の下からでもその存在感を訴えている。
 深いワインレッドの衣装に身を包んだその男は親帝国派の軸をなす巨魁。


「これはフェイタール殿下。お久しゅうございます」
「……久しいな、トスカーナ卿。何か私に用か?」
「いえ、姫殿下のご機嫌伺いをと思い参上した次第で。そろそろ体調も回復されたという噂を聞き及びましたゆえ」
「まだ、許可出来ぬ。あと数日は待たれよ」
「さて、先日も同じような事を御使者から言われた気がするのですが、あと数日とは具体的にいつになりましょうぞ」
「おってドクターから連絡をいれさせよう」
「ご配慮いただき、まことに有難うございます」
「かまわぬ。それでは私は急ぐのでこれにて失礼する」


 跪いている彼の横をすり抜けたと思った時、背後からトスカーナ卿が再度声を掛けてきた。
 その声色は先ほどの慇懃な感じではなく、どこか挑発的なものを感じさせる。


「そうそう、そういえば昨日姫殿下はまた色々と政務館をお騒がせになったとか」
「それがどうした」
「いえ、朝令暮改な姫殿下の行動に少し疑問を持ったものですから……。まさかとは思いますが何者かが姫殿下を誘導しているのかと」


 彼の言葉に思わず足を止めてしまう。
 ここは乗ってはいけない所だと思いつつも、無視して去るには聞き捨てなら無い発言でもある。


「ほう、何を思ってそのような事を?」
「はい。実は侍女の一人からそのような噂を聞きまして。何やら落水事故後、姫殿下には記憶を失っていたような時期があったとか」
「ドクター・グェロが言うには記憶の混乱があるというのは聞いている。だが記憶喪失になっていれば、昨日の様なことは出来ぬであろうに」
「そうかもしれません。が、だからこそ、何者かが姫様を操っているのではないかと……」


 私は我慢できずに振り返って、トスカーナ卿の背中を睨みつける。
 言いたいことは分かっている。
 この男は私達こそがスワジクを誘導し、彼女の望まない方向へと導いていると言外に煽っているのだ。
 

「卿は何が言いたいのだ」
「いえ、侍女の一人がここ数日、夜な夜な姫様と密会しているとか。如何にも怪しげな事ではありませんか、殿下」
「ほう、それは私も初耳だな。そういう事情を私よりも先に知っている卿も、私からすれば十二分に怪しげではあるのだが?」
「これはお戯れを。私はただ風聞を殿下にお伝えしたまで。しかしこの話を聞いて疑心暗鬼に陥る有象無象もいるのではないかと、老婆心ながらのご忠告を」
「そうか、それはご苦労なことだ。忠告感謝する。それでは」


 有象無象の筆頭が何を言うのかという思いを押し殺しつつ、私はこの場を少しでも早く去ろうと思った。
 自分自身を変えようと考えたというスワジク。
 その彼女の願いを聞きつつ、どう彼女の心に入り込もうかと考えている自分。
 スワジクを擁護するといいつつ政争の手段としているトスカーナ卿。


「なんだ、私もトスカーナも同じ穴の狢ではないか、ハハハ」


 私の乾いた笑い声が、暗くて長い廊下に静かに沈んでいった。



[24455] 21話「お願い、誰かしゃべってよ」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/18 16:33
 蝋燭の光で幻想的にライトアップされた食堂で、僕達というか外の人の家族が集まって夕ご飯を食べている。
 30人は入れそうな部屋の中央にでんと置かれた長いテーブル。
 上座に座るのは当然ながらこの国の王様で、王様からみて右側に座るのはフェイ兄、そして左側、フェイ兄の真正面に座るのが僕。
 王様とは大体2mくらい離れている。
 正面のフェイ兄とも大体同じくらい離れている。
 蝋燭の灯で琥珀色に染め上げられた料理は何故かいつもより味気なく、水代わりのワインにも酔えなかった。

 
「……」
「……」
「……」


 何、この沈黙のトライアングル。
 美味しく無いじゃん、ご飯がさ。
 もっとこう会話とかあってもいいんじゃないの?
 うちだったら、鬼妹が聞きたくも無い馬鹿話を延々と垂れ流すんだよ。
 それがどんだけ苦行だったか! 
 でもそれはそれで食卓に潤いがあったんだと今なら思える。
 大体聞こえてくるのが衣擦れの音と偶に聞こえる食器の音だけってどういうことよ。
 そりゃ、外の人もグレるわっ!
 メインディッシュが出てきたあたりで、ついに僕の忍耐力は限界を迎えた。
 ばしっと一言いってやらねば!


「あ、あのぉ……」
「……」


 切れた割に弱気なのは僕のデフォルトだから気にしないで欲しい。
 僕の声を聞くと、王様はこちらを見ずに横に立つメイドさんに目配せをし、そのメイドさんが僕の傍へとやってきた。


「何か不手際がございましたでしょうか?」
「あ、いえ、そういうんじゃなくてですね、こう親子の会話というかなんというか」
「はい。何かございましたらお伝えしますが」


 あくまで優しく微笑みかけてくれるメイドさん。
 綺麗なお姉さんの笑顔は見ていて癒されるけど、だがしかしここはそんな事で誤魔化されるわけにはいかない。
 そう決心した僕は、メイドさんの反対側にいるミーシャを手招きする。
 澄ました表情で傍へ寄ってきたミーシャに僕は聞いた。


「食事中の会話ってマナー違反ですか?」
「まあ概ねそうでございますが、料理が出てくる合間かデザートの時であれば直接の会話はそう嫌われるものではありません」
「なるほど。あ、すいません。ということで次の機会まで待ちます」


 反対側に困った笑みを浮かべながら佇むメイドさんにそう言って、元の位置にお帰りいただく。
 同じく元の位置に戻ろうとしたミーシャを引き止めて、小声でアドバイスをお願いする。


「ミーシャ、王様ってどんな話が……」
「ゴホンッ」
「……失礼しました」


 王様の怒りの篭った咳払いにびびった僕は、大人しくご飯を口に詰め込む作業に戻った。
 ううう、怒んなくたっていいと思うんだ。
 ただ黙々と皿の上のものを片付けて、運ばれてきたデザートのフルーツも平らげる。
 よし、これで食後の団欒タイムに突入だ!
 僕は冷やした水で口の中をすっきりさせてから、王様が座る席へと顔を向けた。


「あれ? 誰も居ないよ?」
「ああ、父上はデザートを食べないからね。スワジクが一心不乱にデザートを食べているうちに部屋に帰ったようだよ」
(……何このすっげー敗北感)


 こうやって初めてのゴーディン一家団欒の時間は終わったのだった。
 納得いくかぁ!
 僕は勢い良く立ち上がり、じろりとフェイ兄を睨みつける。
 いやフェイ兄が悪い訳じゃないんだけど、このやり場の無い怒りを誰かにぶつけないと収まらないんだよ。
 当のフェイ兄は締まらない笑みを浮かべて僕を見ている。


「フェイ兄様。明日も夕食皆で食べますよ」
「決定なのかい?」
「ええ、決定事項です。父上にもよろしくお伝えください」


 僕はそういってミーシャを従えて自室へと戻った。
 

 2日目の夕食。
 昨日と同じように蝋燭の紅い炎にライトアップされた食卓。
 そして昨日と同じ無言のトライアングルが形成されていた。
 黙々と食事をしている王様。
 僕と王様を澄ました顔して観察しているフェイ兄様。
 背中に燃える炎を負った僕。
 君達にも見えるだろうか、僕のこの迸るパッションがっ!
 今日は燃え滾るパッションだけじゃなく、きちんと昨日の反省に基づいて料理の合間で会話を試みることも忘れない。
 王様と同じペースでスープを飲み終わる。
よし、今だ!


「あの、父上。私、この間お城の湖に落ちてしまいまして……」
「知っておる」
「で、ですよね。それでですね……」
「姫殿下、前を失礼いたします」


 僕の左側から給仕さんがサラダをそっと目の前に置いてくれた。
 何もそのタイミングで置かなくてもいいじゃん。
 罪の無いサラダを睨み倒し、親の敵の様な勢いで噛み倒す。
 うん、目が三角になっているのは分かるけど今は許して欲しいのさ。
 あまりにじっくり噛みすぎたから、僕がサラダを食べ終わった時点で父上はパスタに入っている。
 むむむ、仕方ない。
 メインディッシュ前を狙うか、それが駄目ならデザートを食べずに父上に話しかける。
 今日残されたチャンスはこれだけだ。
 そうして運ばれてきたパスタは、ブルーチーズのクリームソースが掛かった海鮮パスタ。
 僕の体が一瞬にして硬直した。


(ななな、なんだこの強烈な臭いはっ。シェフが1ヶ月履いた靴下を一緒に鍋に入れてソースを作ったのか?)


 鼻が直角に曲がりそうな臭いに、僕は目の前の料理とどう対峙していいのか迷っていた。
 基本出されたものは全部食べる。
 これが僕の家の家訓だから、当然目の前にある意味不明な料理でも完食せねばならない。
 だが果たしてこれを食べ物といっていいのか?
 冷や汗と脂汗が一緒になって額を伝う。
 ごくりと生唾を飲み込みつつ、他の二人の様子を伺った。


(た、食べてる。……ということは嫌がらせではないということか)


 フォークでパスタを1本絡めとり、恐る恐る口に近づける。
 っていうか無理! これは無理! 初心者にはハードルが高すぎるって!!
 脂汗に冷や汗さらには目尻に涙まで浮かべつつ、僕は眼前のモンスターとにらみ合った。


(ええい、ままよ!)


 目を瞑って、謎の物体Xを口に放り込んだ。
 思ったよりもクリーミーな舌触り、少しきつめの塩味が太目のパスタに程よく絡まっている。
 そして同時に口腔内、鼻腔内に広がる無限の臭気。
 今度こそ本当に僕はエターナルフォースブリザードを喰らったかのように氷付けになってしまう。
 幸いだったのはアニスが僕の異常に気がついたようで、目立たないように外へと連れ出してくれたので大事には至らなかった。
 ブルーチーズ、恐るべし……。
 こうして家族団欒計画第2弾は失敗に終わった。




「というような事がありまして、今日の夜の訓練はお休みさせて欲しいのです」
「……はぁ」


 ベッドの中に青い顔をして横たわる僕を、ミーシャは呆れたように見下ろしている。
 ミーシャはブルーチーズ大好き人間らしくて、今日のメニューなんて垂涎物だったそうな。
 ちなみに今日はアニスが付き添いだったから、ミーシャは晩餐には来ていなかったんだけどね。
 ふぅと大きなため息をついて苦笑するミーシャ。


「仕方ありませんね。それでは今日の歴史の勉強はお休みとしましょうか」
「ありがと、ミーシャ」
「いいえ、そんなに青い顔をされては流石に無理も言えませんし。また体調が回復してからにしましょう」
「ごめんね」


 わざわざ深夜に起きてくれたのに申し訳ないという気持ちで一杯だ。
 そんな僕の顔を見て、ミーシャは微笑みながら僕の頬を優しく撫でてくれる。
 えっちい事しないミーシャは優しくていいんだけどなぁ。
 っていうかミーシャとも大分仲良くなれたよなぁ、僕。
 ごろごろと喉を鳴らしながら、ミーシャの手に顔を押し付ける。


「父上攻略はさ、別方面から立てることにするよ」
「そうですね。私もどんな方法が良いか考えておきますね」
「ありがと。ミーシャは僕の4番目のお助けキャラだね」


 ぴたりと止まるミーシャの優しい愛撫。
 ん? と思って見上げると、真っ黒なオーラを纏ったディアブロがそこに居た。


「ちょー、な、な、なんで黒くなってるのさ」
「聞き捨てなりませんね」
「何も変なこと言ってないじゃん!」
「何故私が4番目なのですか! っていうか他の3人は誰なのですかっ!」
「痛い、痛いって。ほっぺた抓るなぁ」


 ぎゅーっと頬を抓るミーシャの手を両の手で外そうともがくけど、全力を出しても尚ミーシャの力には遠く及ばない。
 嬲られるままになる僕は、目幅の涙を流しながら許しを請う。


「何かわかんないけど、ごめんなさい。もうしません」
「誰ですか! 他の3人のお助けキャラって誰なんですか!」
「言います! 言いますから手を離してください、ミーシャ様」


 僕の必死のお願いが彼女に届いたのか、ようやく手を離してくれるミーシャ。
 抓られていた頬は燃えるように熱い。
 ほんと勘弁してほしいよ。


「で、誰なんですか?」
「ひっ。え、えと、1番目がボーマンで2番目がニーナ、3番目がレオ。4番がミーシャで、番外にフェイ兄かな」
「殿下が番外ですか……」
「え? なんか駄目だった?」
「いえ、別に駄目というわけではありません。ただ、世の無常を感じたというかなんというか」


 そんな馬鹿話を暫くしてから、ミーシャは僕の部屋から出て行った。
 そういえばボーマン達と久しく会ってないなぁ。
 明日、近衛の方に行ってみようかな。
 あ、ついでにラスクかクッキーでも焼いて持って行ったら喜ぶかも。
 父上攻略はうまく行かなかったから、ここらで初々しいボーマンたちで和むのが吉に違いない。
 我ながらいいアイデアだと思いつつ、僕は毛布に包まって深い眠りについたのだった。



[24455] 22話「うーん、なんかタイミング悪いよね」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/19 07:51
 私こと、フェイタール・リブロイア・ゴーディンの朝はまずトイレに行くことから始まる。
 いきなり何を言うのかと思われるかもしれないが、毎朝の習慣というものは中々に馬鹿に出来ないものがある。
 これをしないと今日という日が順調良く始まった気がしない、という事があなた方にも何かあるはずである。
 私の場合、それがトイレに行く事だったというだけの話だ。
 何をそんなにトイレに拘るというか朝の滑り出しの話に拘っているかと言うと、今現在その行為が阻害されているからに他ならない。


「で、何故私は起きてすぐに、しかもトイレにまで押しかけられねばならんのか、具体的で論理的且つ私の感情が収まるような説明をもらえると思っていいのか? レオ」
「はい、こちらまで押しかけた理由は、姫殿下が朝一番から行動を起こしているという報告とそれに対する対応の協議の為です」
「それくらいの話ならば、もう少し待ってからでも良かったのではないか? 具体的には私がトイレから出るまでの間とか!」
「先ほども申し上げましたように、すでに姫殿下は行動を起こされています。そしてその目的とは、近衛隊舎への視察だそうであります」
「行きたいなら行かせればいいではないか!」


 何をしに近衛までいくのかは知らないが、行きたいというのならば行かせて問題のあるような場所でもないだろうと思い、ついイライラした口調で突き放す。
 私の反応もレオはある程度予測していたのか、恐縮する様子も無く、むしろ教え諭すような口調で言葉を続けた。


「姫殿下付きの侍女からの報告では、どうも以前首にした近衛隊士と侍女に会いに行きたいといっているようです」
「何を馬鹿なことを。首にしたのなら近衛に行っても仕方ないだろうに」
「殿下、冷静になってください。我々は姫殿下にそのような話は一切しておりません。彼女はいまだ彼らが城内で働いていると思っているのです」


 レオのその一言に、私の寝ぼけた頭は一気に覚醒した。
 ほんの一時、警護と身の回りの世話をさせただけの人物にスワジクが興味を持ち続けるとも思っていなかったのだ。
 慌ててトイレから出ると、目の前にレオとコワルスキーが立って居た。
 

「今の姫殿下にあの二人への処置の事が発覚すれば、折角の彼女の融和ムードが元に戻ってしまう可能性も否定できません。ここは何としてでも近衛訪問を阻止しなければなりません」
「二人の行方は?」


 レオが危険視する未来を現実にさせない最良の方法は二人を呼び戻すことだ。
 そう思って隣に立っているコワルスキーに視線を移して、彼らのその後を問いただす。
 だが、コワルスキーはごつい体を小さくし力なくかぶりを振る。


「も、申し訳ありません。レイチェルの二の舞にさせない為に、あえて彼らの行く先を聞いていませんでした。その時は最良の手段だと思ったのですが、こうしてみれば最悪手でした」
「彼らの実家に早馬を出して事情を説明し呼び戻せ」
「ボーマン・マクレイニーに関しては既に早馬を出しています。がリバーサイドまでは往復で1週間は掛かります。あと、ニーナという侍女の方ですが、厄介なことに身寄りがないそうで、探しようがないのです」
「ヴィヴィオは?」
「はい。現在件の侍女だった女の行方を調査するために各貴族に最近雇った侍女の有無を聞いて廻っていますが、有効な手がかりが得られるかどうか……」
「……」


 なんとも厄介な話である。
 コワルスキーとヴィヴィオの彼らに対する処置については、私もよしと判断したことだ。
 むしろ、スワジクがここまで態度を改めていたという事実をもう少し早く受け入れることが出来たら、いや、こうなる事を予想して早く二人を呼び戻す算段を立てていれば……。


「殿下、今は悔いている場合ではありません。兎に角、姫殿下を最低でも1週間、彼らの事に気付かせないような何らかの方策を練らねばなりません」
「そうは言っても、何か良策でもあるのか?」


 執務室に向かいながら、私はどうやってスワジクの気を引くか真剣に悩む。
 例えば今日の午後だけでいいのならまだやりようもあったのだが、1週間も彼女の気を引くなどというのは無理ではなかろうか。
 朝から何故こんなに頭を悩ませないといけないのか。
 思わず黒い感情がスワジクに対して向きそうになって、そしてそれがお門違いだということに気がつく。
 自然な流れで彼女を悪者に仕立て上げようとした自分の思考に、私は心の中だけで愕然とした。
 これではどちらが悪人か分かったものではない。
 その自戒ですら矛盾しているという事に、私は言いようのない苛立ちを覚えた。





「ふむふむ、中々みんな手馴れてきましたね」
「毎日これだけクッキーやら何やら作れば慣れもします」
「あはは、それはそうですね」


 額に汗を浮かせて石窯の中から鉄板を取り出すアニスが、苦笑混じりにそう答えた。
 うん、最近メイドの皆もおしゃべりしてくれるようになったから、これくらいの軽口は言い合えるようになったのさ。
 あれだね、共同作業で連帯感を培った成果かな。
 小学校や中学校では何の気なしにやっていた事だけど、人間関係の形成には一番の方法なのかもしれないと感心したものだ。


「あ、スヴィータ、今包み幾つ出来ましたか?」
「はい。アニスが出してくれたのを包めば、予定していた個数に達します」
「そう、じゃあライラさん、残ってる生地を全部まとめて焼いてしまいましょう。ミーシャとアニスは片付けに廻ってくださいな」
「はい、姫様」


 スヴィータとライラはまだ何処と無くぎごちない感じもあるけれど、それでも以前と比べればずっといい感じになってきた。
 やっぱり長く一緒に過ごす人達と仲良くなってきたってのは、僕の精神衛生上にも凄くいいことだと思う。
 王様とは仲良く成りそびれたけど、時間はまだたっぷりあるんだから気長にいくしかないよね。


「や、やあ、スワジク。何をしているんだい?」
「あ、フェイ兄様。こんなところまで何をしにいらしたのですか?」


 妙に堅い笑顔のフェイ兄が厨房の入り口に立っている。
 王族の人がこっちまで来るのは非常に珍しいんだけど、どうしたんだろう。
 そう思っていると、フェイ兄は凄い説明口調で言い訳を始める。


「いや、朝起きて暫くしたら何か甘いいい匂いがしたものだから、なんだろうと不思議に思って匂いの元を探し回っていただけなんだよ。ほら、この間スワジクが作ってくれたクッキーが美味しかったから、甘いものに目覚めたというか、そんな感じかな」
「なんでそんなに言い訳がましい説明なんですかね?」
「そんな訳ないじゃないか。本当に君の作ってくれたクッキーが美味しくて忘れられなかっただけだよ」


 ううむ、にこりと笑う奴の歯の光具合が弱い。
 何を企んでいるのやら……。
 色々と勘ぐっていると、先日のフェイ兄とのやり取りを急に思い出してしまった僕。
 ま、ま、まさか、こやつ……。
 自分的にあり得ないことを想像してしまい、自分の意思とは無関係に真っ赤に染まる顔。
 いやいやいや、なんで照れたみたいな顔になるんだよ!
 くそっ、自分の反応が気持ち悪いんだってばさ。


「つ、摘み食いは駄目ですからね。もう少ししたらあまりのクッキーとラスクが焼けるのでそれまで待ってください」
「あ、ああ、ありがとう」


 真っ赤になった顔を見られるわけには行かないので、くるりと後ろを向いてキッチンの上の小道具たちを次々と片付けて行く。
 これじゃあ、まるで恋する乙女みたいじゃないかっての。
 高揚した気分を落ち着けるため、洗い場の中の水桶に手を浸してクールダウンを図る。
 あー、冷たくて気持ちいいなぁ、この井戸水。


「ところでスワジク。こんなにお菓子を焼いてどうするんだい?」
「ええ、今日ちょっと近衛隊の隊舎に挨拶に行こうかと思うんです。この間も塔舎の片づけを手伝ってもらったままですし、それにこの間あった新人君が頑張ってるかどうか見に行こうかなと思ってるんです」
「あー、そうなんだ。あー、でもそれは残念だったなぁ。さっきコワルスキーが、今日は近衛隊の教練に出かけるといっていたぞ? 多分行っても居ないんじゃないのかなぁ」
「えー、そうなんですか? コワルスキーさんにスケジュール聞いておけばよかったですねぇ」


 なんか妙に変なトーンでしゃべるフェイ兄に少し違和感を感じながらも、近衛隊の皆が訓練で不在という残念なニュースの方に気を取られる。
 朝一番から頑張って作ったのになぁ。
 ビニールやタッパーがあればしけらないんだけど、包んでいるのがハンカチじゃあなあ。


「弱りましたね。折角作ったのに、もって行き場が無くなってしまいました」
「あ、姫様、だったら政務館のほうを先に行かれてはどうでしょうか……ひぃぃっ!」
「? アニスどうしたの」
「いいいい、いえ、なななな、なんでもございません!!」


 急に顔を真っ青にしてチワワのように震えるアニス。
 どうしたのかな?
 不思議に思って彼女の視線の先へと振り返って見る。
 そこには穏やかに笑っているフェイ兄がいるだけで他には誰も居ない。
 幽霊でも見たのか? そうだったら嫌だなぁ。


「スワジク、政務館の方は今日は行かない方がいい。帝国からの使者が来て何やら今日1日は色々と忙しいらしいぞ?」
「えー、そうなんですか、フェイ兄様? 困ったなぁ。本気でこのクッキー達をどうしよう」


 本気でクッキーの処分に困った。
 政務館や近衛の人たちに行き渡るようにと思ってつくったから、正直店が開けるほどの量があるんだけど。
 そう思って悩んでいると、厨房の勝手口の扉が開いて数人のシスターっぽい人たちと料理長が入ってきた。
 シスター達は私やフェイ兄を見て凄くびっくりしていたが、慌てず騒がず私たちの前まで来て挨拶し、そのまま厨房の奥へと去っていった。


「珍しい組み合わせですね、料理長とシスターって」
「ああ、あれかい。あのシスター達は王都にある孤児施設から来ている人たちだよ。多分孤児たちの食事について料理長と打ち合わせをしに来たんじゃないかな」
「へぇ、孤児施設は国営なんですかぁ」
「ああ、たった1つだけど由緒ある施設なんだ。王宮に仕える者にも、その孤児院出身が何人かいるんだ」


 僕の疑問にすばやく解説を入れてくれるフェイ兄。
 うん、今日のフェイ兄、なんか魁!!○塾の雷電みたいだな。
 もちろんあんな暑苦しくは無いけど。
 そっかー、孤児院かぁ……。
 僕はふと良いことを思いついて、厨房の片隅で何やら話し合っているシスターと料理長の元へ向かう。
 僕が近づいてい来るのが見えたのか、料理長が帽子を脱いでぺこりと挨拶をしてくれる。


「あの、少しお邪魔してよろしいでしょうか?」
「は、はい、なんでしょうか、姫殿下」


 少しオドオドとした感じで料理長が返事をくれる。
 もう大分厨房にも出入りしているんだから、もう少し慣れてくれてもいいと思うんだけどな。
 まあ、身分の差ってやつに疎い僕には分からない何かがあるのかもしれないけどさ。
 シスター達も少し不安な表情で僕を見ている。
 そんな彼等の不安を和らげるために、僕は自分が表現出来る最大限の優しい微笑みというやつを作ってみせた。


「折り入って皆様にお願いがあるのですが」
「はぁ、なんでございましょう」
「実はさっきまで近衛と政務館の皆様にと思って作っていたお菓子があるのですが、どうも今日は日が悪いらしくて持っていけなくなってしまったのです」
「……はぁ」
「そこでですね、差し出がましいかもしれませんが、皆様の施設に是非これらを寄付させて頂きたいと思うのですがどうでしょうか」


 そういって僕は振り返ってミーシャを見る。
 ミーシャは既に僕が考えていることを見抜いていたのか、クッキーとラスクの包みを一つずつ持ってこちらに来てくれていた。
 既にリボンは解かれてすぐにつまめる状態だ。


「どうぞ、ご試食してみてください」


 その一言に、恐る恐るシスターの一人がクッキーに手を伸ばした。
 口にクッキーの欠片を入れると、とたんにシスターの顔が驚きの表情になる。


「お、美味しいですわ。こんなクッキー食べたことありません! も、もう一つ頂いてよろしいでしょうか」
「ちょ、シスター・アンジェラ、独り占めとははしたないですわ」
「私も一つ頂かせてもらいます」


 シスター・アンジェラを押しのけて、ミーシャに殺到するシスター達。
 どうやら厨房に漂っていた甘い匂いに最初からやられていたようだ。
 口々に美味しい、美味しいと喜んで食べてくれるその姿に満足した僕は、料理長に向かってお願いした。


「料理長、すいませんがあちらにあるクッキー、全部こちらの施設にもって行くようにお願いしてよろしいでしょうか?」
「はい、畏まりましてございます」


 当初の予定とはまったく違った結果になっちゃったけど、まあこれはこれでよしとしよう。
 皆の笑顔に満足して僕は厨房を後にする。
 笑顔が溢れるっていうのは良い事に違いないから、巡り廻って外の人のいい評判になったらいいなぁと思う。
 しかしあれだな、最近立てた予定が全て思うような結果に結びついていないや、タイミングが悪いのかな?
 それにフェイ兄、いい加減真面目に仕事しないとレオに怒られると思うんだ。




[24455] 23話「王子と王女と昔話」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/23 08:39
 ここ数日、フェイ兄やレオ達の動きが妙に怪しい。
 事ある毎に僕のすることに干渉してくるというか、タイミングよく邪魔しに来るんだ。
 特にボーマンたちに会いに行こうと思ったりあてもなく城の庭を散歩していたりすると、必ずと言って良いほど誰かが妙な用事を引っさげて現れる。
 嫌がらせをされるような事に思い当たる節があるわけでもなく、今までは見ない振りをしてそのままにしていたんだけど……。


「やあ、僕の可愛いお姫様。今日はいい天気だねぇ」
「……」


 性懲りもなく現れたフェイ兄。
 こうも行く先々に待ち伏せされていたら、僕じゃなくても機嫌が悪くなるはず。
 口にバラでも咥えて現れたなら、間違いなく幻の右が火を噴いていたと思うんだ。
 引き攣る頬をそれでもなんとか理性で押さえ込んで、平静を装って微笑んでみせる。
 僕の静かな怒りを感じたのか、フェイ兄の顔も若干引き攣っていた。


「こ、これからどこへ行くんだい?」
「……」


 笑顔のままフェイ兄の前を素通りして、僕は一路目的地へと真っ直ぐに進んでゆく。
 無視されて流石に居心地が悪くなったのか、冷や汗を流しながら僕の後を付いてくる。
 これはあれかな? 監視されているんだねぇ。
 だとしても僕の何をフェイ兄達は警戒しているのかなぁ?
 そんな変なことしていないと思うんだけど。
 自分の過去の行動を振り返って見るも、やっぱり心当たりには辿りつかない。
 色々と考えながら歩いていたら、あっという間に目的地へと着いてしまった。
 扉の前で、僕は肩越しにちらりとフェイ兄を振り返って見る。
 うん、あの顔はここが何処か分かっていないね。
 仕方が無い、ちょっと懲らしめてやろうか。


「フェイ兄様もここに御用があるのですか?」
「あ、ああ、そうだね。私も調度ここに用事があったんだよ」


 その科白に同行していたアニスが声なき悲鳴を上げて、フェイ兄から慌てて距離をとる。
 相変わらず気がついていないフェイ兄に、僕は満面の笑みを浮かべて振り返った。


「ご一緒に入られますか?」
「ああ、そうだな……」


 ようやくフェイ兄が僕の背中にある扉へと目を向けた。
 フェイ兄はその場所の意味を知ると、面白いくらい劇的に顔が青ざめてゆく。
 何を考えながら後ろを付いてきたのか知らないけれど、深く考えずに生返事をするからそのようなのっぴきならない事態に陥るんだよ。
 

「わかりました。フェイ兄様がそう仰るなら、恥ずかしいですが一緒に入っても私はかまいません」
「いやいやいやいや、ち、違うんだ、スワジク! ここ、これは間違いというか、勘違いなんだ!」
「最近ずっと私の後を追いかけておられたのは、この為だったんですね。大好きなお兄様のお願いですから、私死ぬほど恥ずかしいけど我慢できます」


 調子に乗って、目尻に涙を溜めて見せつつフェイ兄の手をしっかりと握り込む。
 この変態ロリスキーめ、社会的に死ぬがいいわ!
 手を握られたフェイ兄といえば、まるで熱湯に手を突っ込んだような勢いで腕を引く。
 目が凄い勢いで泳いでいて、なおかつ顔が真っ赤だ。
 止めの一撃を食らわせてやろう。


「フェイ兄様、優しくしてくださいね?」
「すまん、スワジク! 急用を思い出した。失礼する!!」
「あ、フェイ兄様!」


 僕の縋る手を振り払う勢いで、フェイ兄が足早にその場を去ってゆく。
 ちなみに横に控えていたアニスは考えることを放棄したのか、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 うまく追い払えたのは良いけど、逆にこれを契機に積極的になられたらどうしよう。
 一瞬の嫌な未来図を、頭を振って追い出す。
 とりあえずはここへ来た本来の目的を遂行せねば。
 そういって僕はトイレのドアを開けて中に入った。


 
 窓から麗らかな陽光が差し込む昼下がり。
 僕は一人、自分の部屋でう~っと唸りながら日記帳を凝視していた。
 何をそんなに唸っているかというと、色々と行き詰っているからだ。
 最初は割りと順調に行けてたと思ったんだけどなぁ。
 ここ数日で僕がした事って、結局政務館に行って外の人が言ったとんでも命令を撤回しただけ。
 官僚の人達の反応が最初訪問した時より随分とマシになったのが、現状での唯一の成果だろう。
 それ以外の状況改善策は割りと黒星続きである。
 義理の父親へのアプローチは失敗したし、ボーマンやニーナとも結局会えずじまい。
 ミーシャとはずいぶんと仲良くなれたけど、逆にアニスが微妙に僕との距離を置き始めたように感じる。
 アニスはミーシャっ子だったから、取られたと思って嫉妬していたりして。
 スヴィータやライラは変わらずクールな反応のままだし、レオに至っては訪ねて来ることすら珍しい。
 唯一、フェイ兄が最初から今までスタンスを崩すことなく接してくれている唯一の存在ではあるのだが……。


「シスコンロリ変態でなければ、あるいは力強い味方と思って頼れたのかもしれないのになぁ。フェイ兄って本気で残念さんだよ」


 現状を整理しつつ、自分の置かれている状況に僕は深いため息をつく。
 一体何をどうしたら、環境の改善に繋がるんだろう。
 こっちがいくら歩み寄っても、相手は離れていく一方の様な気がする。
 明確な悪意が見えない分、逆切れする切欠すらも掴めない。
 まあ切れる予定はないんだけどね。
 ああ、ボーマンやニーナのあの初々しさが懐かしい。
 会いたいなぁ、会って弄って遊んだら癒されるのになぁ。


「はぁぁ、ボーマンどうしてるのかなぁ……」


 僕は椅子をくるりと回して後ろを向き、そこから見える外の町並みをぼんやり眺めて午後を過ごした。
 




 扉越しに深いため息が聞こえ、その後に続いた言葉に驚愕する。
 私はノックしようとした姿勢のまま、じっと中の様子を伺う。
 だがそれ以上の変化はなく、ただ静寂が時と共に流れてゆく。


(なんだ今の科白は。もしかしてスワジクはボーマンとかいうあの騎士見習いに惚れているのか?)


 正直に白状すると結構ショックを受けている。
 以前からスワジクが私に好意を持っている事には気付いていたので、彼女が私以外の者に気を許すところなど想像もしていなかった。
 それだけに今のスワジクの独り言は、私のプライドをいたく傷つける。
 今まであった絶対的な自信が、まったくの根拠の無いものだったという衝撃の事実を突きつけられたのだから。
 自分でも訳の分からない感情に振り回されつつ、そっとその場を離れる。
 さっきのトイレの件は、また日を改めて謝るとしよう。





 少し昔話をしよう。
 あれはまだ私が7歳になったばかりの春。
 桜の花が舞い落ちる王宮の庭園で、私とスワジクは初めて出会った昔話を。


 その当時、上の二人の兄は成人の儀を終え、長兄は前線近くの領地の管理者として、次兄は王国の精鋭騎士団の団長として前線へ行ったばかり。
 いままで仲良く遊んでいた兄弟が突然居なくなり、私は退屈な毎日をどう過ごしていいか分からぬまま日がな一日ぶらぶらと城内を彷徨っていた。
 次兄と水切りをして楽しんだ庭園にある池のほとり、長兄と追いかけっこをして遊んだ薔薇園の中。
 過ぎ去った楽しげな日々の残滓を、無意識に私は辿り続けていたのだと思う。


「ん? なんだろう、あれは」


 桜林の一角に、人目を忍ぶように置かれているガラクタ。
 古びたバケツや城壁の欠片、錆びた蝶番などで作られた意味不明のオブジェがあり、そのすぐ脇にはなにやら猫が横になれるほどの穴が掘られていた。
 ここは私たち兄弟のお気に入りの遊び場だったので、何かひどく思い出を穢された気がしてムカムカしたのを覚えている。


「誰だよ、こんなところにゴミを捨てたのは」


 ちょっとイラッとして置いてあったバケツを蹴り上げる。
 もともと軽い木で出来ているものだから、子供の蹴りでも数mほど先まで飛んでいって桜の幹に辺り砕け散った。
 思い出を穢す悪党をやっつけた気分になって、ちょっとスカッとして久しぶりに笑みがこぼれる。
 うん、残りのガラクタも壊してしまおう。
 そう思って奇怪なオブジェを踏みつけた。
 何度も、何度も。
 多分、私は楽しくて声を上げて笑っていたと思う。
 今思えば何がそんなに楽しかったのかとも思うが、それは多分自分ではどうにもなら無い事や寂しさへの憂さ晴らしだったのかも知れない。


「あははは、こんなゴミなんかっ!」


 ガラクタの上で飛び跳ねていたら、突然後ろで何かが落ちて水の零れる音が聞こえた。
 なんだろうと思って振り返ると、そこには銀色の髪と赤い目をした妖精が居た。
 真っ白なドレスは、だけどもドロであちこち汚れて、スカートの一部は水でぼとぼとに濡れている。
 足元に転がる木のバケツと零れた水、愕然とこっちを見るその少女の目に浮かぶ涙を見て、彼女がこのガラクタのオブジェを作った張本人だと悟った。
 どう言葉を掛けていいのかとっさに思いつかず、私はただ彼女が作ったであろうオブジェの上で立ち尽くす。
 その少女はただ無言で私の元までやってくると、力一杯私を突き飛ばした。
 私の突き飛ばされた先は運悪くというか、落とし穴のように掘られた猫の大きさほどの穴が待ち受けている。
 私は穴に足を取られて、受身もろくに取れず仰向けにひっくり返ってしまった。
 後頭部に走る衝撃に鼻の奥に広がる硫黄臭。
 その痛みに悶えていると、さらに少女が私の上に飛びかかってきて髪を引っ張ってきた。
 私は少女の追撃にパニックになり、掴みかかってくる手を払いのけて突き飛ばし返す。
 思ったより軽かった少女は、私の力に抗することが出来ずガラクタの中にひっくり返った。
 でも彼女はすぐに起き上がって泣きながら殴りかかってくる。
 私もまだ子供だとはいえ、日々剣の稽古をしている身。
 冷静になれば少女の出鱈目な攻撃を捌くことなど朝飯前だ。


「おい、いい加減やめろ」


 何度あしらわれても挑んでくる少女に、辟易しながらも止めるよう訴えてみる。
 だが頭に血の上ったままの彼女にそんな言葉など届くはずも無く、何度倒されようとも何度殴られようとも向かってくるのだ。
 彼女のその行動には子供心ながらに薄ら寒いものを覚える。
 そうこうしていると、その喧嘩を見た近衛がやってきて少女を無言で取り押さえた。


「放せ! 放さぬかっ! たかがゴーディン家のものがヴォルフ家に楯突いてただで済むと思うのかっ!」


 彼女の科白で、ようやく私はこの少女が父上の正妻の子であることに気がついた。
 確か名前はスワジクとかいったか。
 ゴーディン家の血を一滴たりとも流さぬ赤の他人で、義理の妹。
 父上や父上の側近達が毛嫌いしている女の娘。


「お、お嬢様っ!!」


 突然現れた同い年くらいの侍女が、組み伏せられている少女をみて血相を変えて走って来る。
 彼女は躊躇いもせず私の前に跪くと、地面に額を付ける勢いで平伏した。


「殿下、申し訳ありません。何卒、何卒姫様のご無礼をお許しくださいませ」
「レイチェルっ! 何故そんな奴に頭を下げるのだ! 悪いのはそいつなんだぞ! あうぅ、痛っ」
「……」


 スワジクの私に対する暴言を封じるためだろう、衛士は少女の背中に載せた膝へ体重を乗せる。
 土と砂と血と涙に汚れた顔を、苦痛で歪める妖精の顔。
 声を震わせて平伏する侍女。
 スワジクに言われるまでも無く、誰が一番悪いのかなど理解できる。
私の胸の中は罪悪感で一杯だった。


「放してやれ」
「はっ」


 衛士は少し迷いながらもスワジクの拘束を解く。
 直ぐにでも私に向かってくるかと思ったが、彼女はただ悔し涙を流しながら蹲っているだけ。
 スワジク付きの侍女だろう黒髪の少女が、そっと彼女に寄り添い助け起こす。
 取り出したハンカチで顔の汚れを拭い、口の端から流れる血を拭う。
 私は震える膝を必死で隠しつつ、二人に向かって声を掛けた。


「……すまなかった」


 その言葉にスワジクは欠片も反応を示さず、付き添っている侍女はただ黙って頭を垂れる。
 暫くじっとしていた二人だが無言で起き上がると、何も言わずにこの場を去り始めたる
 侍女の肩を借りながら、ヒョコンヒョコンと片足を引き摺りながら去っていく少女を見て、私は死ぬほどの後悔に苛まれたのだった。



[24455] 24話「王子と王女と夢の欠片」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/26 00:12
 次の日、私は浮かない顔をして昨日の桜林へと向かった。
 自分の胸の中にくすぶる漠然としたもやを、昨日のあの場所に行けば晴らせるのではないか。
 なんの根拠も無い自分勝手な妄想を抱いて、ただ黙々と歩いた。
 程なくして昨日の場所について、僕は自分の淡い期待が裏切られたことを知る。
 崩れたガラクタは既に無く、掘られた穴も誰かによって埋め立てられていた。
 他の地面と若干色が違うということだけが、昨日の出来事の名残だ。
 恐らく昨日のうちに庭師が片付けたのだろう。


「くそっ」


 誰に対して吐いた悪態だったのか。
 私は下唇を噛んでその場を後にしようと踵を返し、数歩歩いてから立ち止まる。
 肩越しに振り返って、もう一度色の変わった地面を見つめた。



 今日という日がゆっくり終わろうとしている時刻に、ようやく私は作業を終えることが出来た。
 城壁に使うはずだった煉瓦に底に穴の開いたバケツ。
 庭園で使う杭に古ぼけた立て板、そして穴を掘るためのスコップ。
 昨日のオブジェよりはかっこよく出来たんじゃないかと思う。
 自分の城の周りに堀のように掘った穴に、運んできた水をなみなみと注ぐ。
 近くの噴水から汲んで持ってくるだけでも重労働だ。
 それをスワジクは昨日一人で頑張ってここまで持ってきていたのだと思うと、本当に可哀想なことをしたんだと実感できた。


「ふふん、昨日の変な寄せ集めよりずっとカッコイイじゃないか」


 負け惜しみのようにそう呟いてから慌てて周囲を見回す。
 誰にも聞かれていないことにほっとしつつも、あの少女が結局現れなかった事に少しだけ落胆する。
 私は手に付いた泥もそのままに、自分の部屋へと戻ることにした。


 また次の日の夕方、私は自分に色々と言い訳をしながら、桜林のあの場所へと足を向けた。
 私が集めたガラクタは、昨日とは違い捨てられもせずその場にある。
 ただ1点違うのは、まるで嵐が過ぎ去ったあとのようにめちゃくちゃに壊されていたという事だけ。
 恐らくスワジクが昼の間にここを通った時にでも、壊していったんだろう。
 私は何故か急にニヤリとして、今度は簡単には壊れないように石材を多めに使って城の補強を始める。
 堀も昨日より倍は深く掘って幅も広げてみたし、城の天辺にはゴーディン家の旗を立てたりもした。
 これを見たスワジクが、怒りに我を忘れてこのガラクタの城に突撃してくる姿を想像する。
 多分あの娘だと壊すのに一苦労するだろうな。
 久しぶりに感じる意味不明な高揚感を感じつつ、私はにやにやしながら部屋に帰った。


 あの城を汗水垂らしながら壊しているスワジクの姿を見て笑ってやろうと思い、私は昼食をすばやく掻き込んで慌てて桜林へと向かった。
 あそこの場所は城壁の陰に隠れていればこっそりと観察出来るはず。
 少しでも早く現場につかないと、肝心のスワジクの奮闘振りが見れない。
 私はすれ違う侍女や衛士を無視して、一目散に目的の場所へと走り続けた。
 上がる息を抑えながら城壁に背を預け、そっと桜林を覗いて見る。
 少し遠いがあのガラクタの城が見えた。
 よく目を凝らして見ると、どうやら既に壊されているようだ。
 私は肩透かしを食ったような気分で、城の修復に掛かる。
 午後一番で間に合わなかったってことは、あいつは朝のうちに壊しに来ているんだろう。
 午前はスワジクも家庭教師の授業があるはずだが、相手はそれをどうにかクリアして壊しに来ているんだろうと推測する。
 ならば私も午前中にここへ来るだけだ。
 そして次の日、私は予定されていた家庭教師を仮病で休み、自分の部屋の窓からそっと外へと抜け出した。
 この時間ならきっとスワジクはまだ奮闘中かも知れない。
 そう思って、私は一路城壁の影を目指してひた走る。
 程なくして城壁の影についた私は、そっと顔をだして桜林を見た。
 そこには、私が昨日作った城の面影は既に無い。
 私は深いため息をついてガラクタの城へと向かう。
 巻き散らかされたゴミの上に投げ捨てられているゴーディン家の旗。


「あり得ないだろう? 今の時間で壊されてるって、まさか夜中にでも来て壊しているのか?」


 負けっぱなしは性に合わない。
 私はそう思って3度目の築城に取り掛かる。


 その晩侍女たちが去った後、私は朝と同じように窓からそっと抜け出した
 両の手には毛布と水筒、パンを1本。
 まさかとは思いつつも私はただ桜林を目指す。
 闇に包まれた王宮はしんと静まり返って、昼間の喧騒を欠片も感じさせない。
 遠くのかがり火の僅かな光で照らされた足元を、おっかなびっくり前へと進む。
 闇の中、ぼんやりと見える桜色の林の中、私の作った城の前で何かが動いている。
 まさかと思いつつも足音を殺しながら近づく。
 まさかは、もしやになり、やっぱりに変わった。


「こんな時間に何やってるんだよ……」
「っ!」


 私の声に、ガラクタの前に蹲っていた少女は肩を跳ね上げて振り返った。
 信じられないといった顔で、その銀色の少女は私を見つめる。
 多分、私も同じような顔で彼女の紅い瞳を見つめていたのだろう。
 無言のまましばらく見つめあい、そしてスワジクは5歳の子供とは思えないため息をつく。


「ふぅ、何か用か、下衆」
「べ、別にお前になんか用は無いさ。私はそのガラクタを毎回丁寧に解体している馬鹿を見に来ただけだ」
「ふんっ! こんなものをほったらかしにして、躾のなっていない下衆だこと」
「そのガラクタに執着する馬鹿も、道化のようで見物だな」


 お互いがお互いを罵り合う。
 だけどその言葉に険はなく、その仕草に拒絶は無い。
 私は兄達が居なくなって寂しかったのだろうと思う。
 月の光に照らされた銀色の天使は、暗く冷たい孤独な夜に微かな温もりを求めてここに居たのだろう。

 スワジクを見ると厚手のカーディガンを羽織っただけで、その下は薄いネグリジェだけだ。
 もう春とはいえ夜はまだ冷える。
 あまつさえネグリジェの裾は泥水でボトボトだ。
 私は持っていた毛布を、彼女の彼女の肩にそっと掛けてやる。
 その間スワジクはそっぽを向いていたけれども、逃げはしなかった。
 ふとガラクタの城を見ると、その横に猫が横たわれるくらいの穴が掘られている。
 スコップなどなく、陶器の器を代わりに掘っていた様子。
 その傍には噴水から汲んできたのであろう水桶があった。


「なんだよ、その穴。また落とし穴でも作ろうとしてたのか?」
「な! 落とし穴なんか誰が掘るかっ! これはリュナス湖だ!」
「はぁ?」


 スワジクはどこか誇らしげに胸を張って、そのリュナス湖と言う名の穴ぼこを解説し始める。
 ヴォルフ家の本城の直ぐ西側に広がると言う大きな街が3つくらいは入る湖。
 その透明度は10mの深さの湖底ですら微かに見えると言う。
 スワジクの母親のお気に入りの湖らしい。


「この王宮の北東側にも湖ならあるぞ?」
「あれは駄目だそうだ。もーっと透き通っていて冷たいんだって」
「へぇ。で、なんでそれをここに掘ろうと?」
「べ、別に。ただ何となく」 


 何故か悔しそうな顔をしてそっぽを向くスワジク。
 その瞬間、くきゅるるるという可愛い音が聞こえた。


「お腹、減ったのか?」
「……」


 顔を真っ赤にして躊躇いがちに頷く。
 彼女の仕草に思わずくすくすと笑いながら、私は持ってきたパンと水筒を差し出した。


「……あ、あり……」


 消え入りそうな声で何かを呟いたみたいだが、残念ながら私はその言葉を聞き取れなかった。
 何故かスワジクは急に不貞腐れたように近くの桜の木の下へ行って座りこむ。
 渡したパンを膝の上に水筒を傍らに置いて、私の夜食を少しづつ上品に口へ運ぶ。
 私も一人立っているのも馬鹿らしいので、スワジクが座る横に腰掛けた。


「おい、下衆」
「なんだ、馬鹿」
「お前は誰だ?」
「ぶっ、そこからなのか?!」
「私は! ……私はこの王宮のことは良く知らない。お前が誰かなんてのも知らない。だから誰だと聞いているのだ。すこしは光栄に思え」
「私は、お前の兄だ」
「私に兄などいない」


 自己紹介の初っ端から全否定された。
 こめかみを押さえつつ、私は基本的なことを一から説明する。
 ゴーディン一族のこと、ヴォルフ家との婚姻関係、そしてスワジクが私の義理の妹だということも。


「そうか。私は何も知らないのだな……」


 5歳とは思えない口振りと仕草で、空に浮かぶ銀色の月を見上げる。
 その姿は闇に溶けてしまいそうで、とても儚げだった。


「お前の母上は何も教えてくれないのか?」
「母上は……、ヴォルフ家のことさえ覚えていればいいって。ヴォルフ家の領地のことを知っていればいいって。それ以外のことは、私は覚えなくていいんだって」
「それって酷くないか?」
「……よく、分からない。でも母上がそう言うのなら、私はそれでいい。母上が笑ってくれるなら、それが嬉しい。だから、その他の事は別に知らなくていいと思ってた」


 見上げていた視線をゆっくりと落として、私の顔に固定した。
 スワジクは、そして確かに笑っていた。


「この王宮の奴らは皆嫌いだ。お前も嫌いだ。顔も体も足も、本当に痛かったし」
「そ、それは謝る。ごめん」
「仕方ない、許してつかわす」
「なんだかなぁ」


 くすくすと笑いあいながら、二人で夜空の月を見た。
 それはとてもとても美しい思い出。
 二度と戻らない、二度と帰れない、二人だけの秘密の時間。


「さて、私はもう帰らないとレイチェルに怒られてしまう」
「あの侍女の子、いい子だね」
「うん。レイチェルは怒ると怖いけど、でも優しいから大好きだ。なんといってもレイチェルと私は、しんゆうというやつだからな!」
「それはうらやましい限りだよ」
「まあ、お前も嫌いから、普通くらいにはしてやってもいい」
「それは光栄の極みでございます、マイフェアレディ」


 スワジクがすくっと立ち上がり、肩に掛けていた毛布と水筒を無造作に突っ返してくる。
 私がそれを恭しく受け取ると、わけも分からず二人して大笑いした。
 ひとしきり笑い終えると、目尻に浮かぶ涙を拭きながら見詰め合う。
 にこりとスワジクは微笑むと小さく手を振る。


「それじゃあ、またね。えと、フェイタール兄様」
「ああ、またね、スワジク。それとその呼び方、長ったらしいならフェイ兄でいいよ」
「そか。じゃあ、フェイ兄様。おやすみなさい」


 次の日の昼過ぎ、私は鼻歌交じりに桜林に向かって歩いてゆく。
 昨日の出来損ないの湖、もうちょっとちゃんとしてやらないと駄目だな、などと考えていた。
 桜の花びらはもう殆ど散ってしまっていて、明るい緑色の葉が所々に見えている。
 昨日の夜のことを思い出しながら、それこそスキップを踏むくらいの勢いでガラクタの城を目指した。


「……な、なんで?」


 目の前にあるのは、昨日の晩二人で座った桜の木。
 ここに無ければならないものが、見当たらない。
 二人で作ろうとした、ガラクタの城とスワジクが一度は見てみたいといっていたリュナス湖を模した穴ぼこ。
 それらはまるで最初から無かったかのように綺麗に片付けられている。
 私はただ呆然とその場に立ち尽くすだけしか出来ない。
 スワジクがこの王宮を離れ離宮に移ったという話を聞いたのは、それから間もなくしてからのこと。
 そして彼女と再会したのはそれから5年後、スワジクの母親が自殺した後のことだった。



[24455] 25話「PAで売ってる串とかって、やたらと美味しそうだよね」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/29 23:04
 突き抜けるような青い空の下、僕とフェイ兄、ミーシャにセンドリックさんの4人で城下町を歩いていた。
 フェイ兄とセンドリックさんは、近衛の白い制服を着ていて腰に長剣を下げている。
 ミーシャはいつもと変わらぬエプロンドレス姿、ただしいつもの色と違って薄緑色のドレスの上に白いエプロンだ。
 これが王宮に勤める一般侍女の制服なんだそうな。
 で、僕はというと、良家の子女の様なフリフリのドレスを着せられて、髪はアップにして帽子で隠す。
 銀色の髪の人というのはこの世界では結構珍しく、見る人間が見ればこちらの身分がばれるらしい。
 フェイ兄の銀色の髪も隠さないといけないので、センドリックさんと二人、普段被ることのない略式礼帽を被っている。
 本当は警備の面やらで城外へ出るのは駄目だって言われたのだが、トイレの一件を匂わせて強引にフェイ兄に承諾させたのだ。
 だってさ、こっち来てからずーと自分の部屋か中庭か政務館しか見てないんだもんな。
 最初はすげーって思ってたけれど、さすがに飽きがくる。
 それに監視されている視線とか、距離を置かれてる雰囲気とか、割と精神的に来てたりもしたしね。
 ここらで心身ともにリフレッシュしても、誰にも文句なんか言わさない。


「うわぁ、この通り全部露店なんですか?」
「ええ、ここは王都にある市場の中でも1番有名な所です。北部と南部にもそれぞれのマーケットがあるのですが、ここほど賑やかではないですね」


 目を輝かせながらした質問に、センドリックさんが丁寧に答えてくれた。
 東京や大阪の繁華街とは比べ物にはならないけれど、地元の流行っている商店街並みには人がいる。
 うん、うろちょろしたらきっと迷子になるな。
 傍に立っていたセンドリックさんの袖を、迷子対策とばかりにしっかりと掴む。
 手前に見える屋台では色とりどりの野菜が並べてあり、その横には藁や竹っぽいもので編んだ民芸品っぽいもの、草履とか小箱等が地面に所狭しと積み上げられている。
 反対側ではいろんな服が山積みになって今にも崩れそうだし、ちょっと古ぼけた壷屋なんかも見えた。


「うはぁ、異国情緒たっぷりだよ! おろ? この籠ってなんに使うんだろ?」
「ああ、いらっしゃいませ、お嬢様。その籠はロンポを入れる蒸し籠でございますよ」
「ろんぽ?」
「ロンポはね、ふわっとしたパン皮に包まれた肉饅頭のことだよ」


 籠を手にとって開けたり閉じたりしながら、フェイ兄の説明を聞く。
 肉まんみたいなもんか。
 どっかに売ってるなら食べてみてもいいかもしらんね。


「お嬢さん! こっちの瓜はどうでしょうか! 甘くて美味しいですよ」
「おお、おっきぃ!」


 竹籠屋の横の野菜売り場のおばちゃんが、手にした深緑1色のスイカの様なものを威勢のいい声と共に掲げている。
 景気良くその瓜を叩くと、実がぎっしり詰まっているのか凄くいい音がした。
 僕は目を輝かしながらその西瓜もどきに近づく。
 その瞬間、おばちゃんは背中に隠してあった鉈の様な刃物を振りかぶる。
 後ろに居たセンドリックさんとフェイ兄があっと叫ぶ間もなく、おばちゃんの鉈は目の前の獲物を真っ二つに引き裂いた。


「どうだい! この熟れ具合、この濃厚なパジィの甘い香り。こいつは今日の一押しの商品だよ!」
「ほぉぉぉぉ」


 目の前に差し出された瓜の半分をじっと見つめる。
 西瓜のように赤いのかとおもったけど、中身は黄色だった。
 離れていてもこのパジィって果物が甘いってのは、匂いで十分理解できる。
 実演販売や試食用に目の前で焼かれるお肉とか、普段より美味しそうに見えるのは何故だろう?
 知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込む僕。
 それを見たおばちゃんがにやりと笑う。


「食べてみますかい、貴族のお嬢様?」
「い、いいの?」
「ああ、いいですとも。うちの果物は王宮にも収めてる極上品だからね! あの銀色の貴公子、フェイタール殿下さまも垂涎ものの一品ときた! お嬢様も殿下さまを虜にしたいなら、これをお土産に持っていったらイチコロだよ!」
「うわぁ、それは地味に嫌だけど、一口もらいます」
「あいよっ!」


 気風のいい返事で返してくれたおばちゃんは、器用にも手の上で瓜の片割れを食べやすく切り刻んでくれた。
 差し出されたパジィを、僕は指で摘んで口に放り込む。


「おいひぃ!」
「でしょう? どうだい、後ろの騎士の旦那達も! これを食べたらフェイタール殿下さまのように強くなれるかもしれないよ?」


 おばちゃんが屋台の中から手を伸ばすのが辛そうだったので、僕がその瓜をもってフェイ兄たちのところへ行く。
 にこにことそれを差し出して、「美味しいよ、食べれば?」と笑いかける。
 センドリックさんは笑顔で、フェイ兄とミーシャはふぅっとため息をついてからパジィに手を伸ばした。


「ふむ、なかなか甘いですな」
「いつも食べているものより美味いじゃないか」
「本当ですね。これはなかなか」
「おばちゃん、これ3つください!」


 皆が舌鼓を打っているのを見て、今日始めての買い物をする。
 おばちゃんは大きく頷いて、積み上げられているパジィの中から美味しそうなのを3つ選んでくれた。


「これを持って歩くのですか?」


 ミーシャがジト目で僕を見つめてくる。
 あう、そうだよね、今から町を見て歩くって言うのに、この荷物はないな。
 ふとフェイ兄を見上げると、分かったといった風に頷いておばちゃんの下へ向かう。


「すまない。これを後で近衛隊のコワルスキー隊長へ届けておいてくれ。代金もそこで貰ってくれてかまわない。もう3つ追加して、半分はヒューイから王女への贈り物だと言えば大丈夫だ」
「はいよ。でも騎士様も大変だねぇ、いろんな所に気を遣わにゃいけないなんてねぇ」
「いらぬ世話だ」
「おお、おっかない、おっかない。すいませんね」


 フェイ兄に睨まれたおばちゃんは、肩をすくめて露店の中へと引っ込んだ。
 まあ、ある程度分かってたことなので、僕は特に気分を害することもなく次の面白そうな店を探して露店街を突き進む。
 5歩ほど歩いたところで、今度は服を山積みにしている露店から声を掛けられる。
 なにやらモフモフとした毛皮を出してきて、しきりに今なら半額といって盛んにアピール。
 僕は珍しい毛皮だったこともあり、足を止めて熱心に説明するおっちゃんの話を聞く。
 次に4歩進めば、斜向かいの干物屋が魚の干物なんかを振り回して、僕の注意を引こうと必死になっていた。


「はぁ、凄い客引き合戦だね。いつもこんな感じなのかなぁ?」
「いいえ、それは違います、お嬢様。彼らは貴方がどこかの貴族の子女だと見て声を掛けてきているのです」
「あー、なるほど。金のなる木に見えているわけか」
「そういうことです」


 ミーシャが小声で僕の疑問に答えてくれる。
 でもあれだね、小説とかマンガで読んでいると、平民は皆貴族を怖がって這いつくばるものだと思っていたけど、それって僕のステレオタイプだったのかな?
 僕としては身分の差に物怖じしない人達がこんなに居ると思ったら、王宮内とのギャップにとても新鮮に感じる。
 詰まる所、どこまで行っても僕は小市民ってことなんだろう。


「そこの美しい貴族のお嬢様、 フィシャーズ通り名物のカニスープはいかがですか! 美味しいですよ!!」
「カッコイイ騎士様! うちの剣は頑丈だよ! 剣と剣を力一杯ぶち当てても、欠けもしなけりゃ曲がりもしないよ」
「あはは、それってもう剣じゃなくていいんじゃないの?」
「私はカニ嫌いだと言っているんだ。頼むから近づけてくるなっ」
「ヒューイ様、好き嫌いは良くありませんなぁ」
「ああ、お嬢様走って行ったら迷子になりますからっ! 落ち着いてくださいっ!!」
「そこのお兄サン達、良いニセモノありますよ! 安いデスヨ、今なら安くで売ってアゲマス!」
「「胡散癖ぇぇ!!」」
「ミーシャ、ミーシャ、これこれ、豚の睾丸だって。きしょい、誰が食べるんだろう」
「だからお嬢様、はしゃぎすぎですっ!!」
「ああ、豚のは割りと美味しいですよ。訓練の後、みんなでよく臓物屋に食べに行くんですけどね」
「うわぁ、センドリックさん勇者だねぇ」


 取り留めの無い会話を繰り広げながら、僕はこの時間を十二分に満喫する。
 多少はしゃぎすぎな気もするけど、人間楽しむときは一生懸命楽しまないとだし。
 そうこうしていると商店街の反対側の端まで来て、ようやくカオスな時間が終わりを告げる。
 僕の手には数本の串焼きに、腕にぶら下げた可愛いお土産達。
 このお土産は今日の外出についてこれなかった3人のメイドさん用だ。
 フェイ兄とセンドリックさんは、なにやらケバブっぽいものを食べている。
 ミーシャだけは何も買わずじまいだったみたい。


「ミーシャも何か買えばよかったのに」
「特段、今欲しいものが無かっただけです」
「この串、美味しいよ?」
「はぁ、姫様、口の周りべトベドになってます」


 だって仕方が無い、この串の具、僕の口よりずっと大きいんだよ。
 ミーシャがあきれながらハンカチを取り出して、僕の口の周りを拭き上げる。
 その横をガラガラと音を立てながら、大八車っぽいものが通り過ぎてゆく。
 なにやら封をされた巨大な瓶を運んでいるみたいだ。


「あれって、何?」
「ああ、あれは町で出たゴミを回収しているんだよ。郊外まで持っていって肥料を作る基にするらしい」
「へぇ、どうりで町が綺麗なんだね」


 大八車を目で追い素朴な感想を話していたら、ミーシャが袖を引っ張って僕の口調を嗜める。
 ああ、商店街を見て歩いたときのテンションのままだったから、知らず知らずに素に戻ってたみたい。
 ちらりとフェイ兄の方を横目で盗み見たけど、特に気にしている様子は無いようだ。
 と背後で大きな音がする。
振り返って見たら、通り過ぎた大八車から瓶が一つ振動で揺れて落ちていた。
 中身が道の端にぶちまけられて、運んでいた人が天を仰いで自分の失敗に悪態をつく。
 ゴミなんて見ていたら串が美味しくなくなるので、僕は視線を外そうとして、でも外せなかった。
 いろんなゴミに紛れて、つい最近どこかで見たようなものが混じっていたのを見つけてしまったのだ。


(あれって、確かこの間僕達が作ったクッキーだよね?)


 ゴミの中に混ざっていたのは、先日孤児院に寄付したはずの大量のクッキー。
 その殆どは未開封のまま廃棄されているように見えた。


(えっと、なんで?)


 その理由はなんとなく想像できそうかも。
 嫌な想像をして動けなくなってしまった僕に気がついたミーシャが、訝しげに近づいてくる。
 傍まで来てようやく僕の視線の先にあるものに気がついた彼女は、少し強引に僕を振り向かせ、先を歩くフェイ兄たちの下まで連れて行かれた。


「姫様、あまり気になさらずに」
「う、うん。そうだよね。食べ切れなかったのかもしれないし、口に合わなかったのかもしれないしね」
「後日、さりげなくその辺りを調べて見ます。何か事情があったと思いますし」
「い、いいよ、別に。ほら、元はといえば僕が相手に押し付けたようなものだし。孤児院の人達も断るに断れなかったのかもしれないし……」
「姫様……」


 楽しくて舞い上がっていた今の僕は、まるで冷や水を掛けられた犬のよう。
 こんなことは日常茶飯事に起こっても可笑しくないんだと、日記を読んだときから覚悟を決めていたはず。
 だけどその事実を目の当たりにすると、やはり気分は凹むしかなくて。
 何か別のことを考えようと思っても、思い出すのはネガティブなことばかり。
 王様の冷めた視線。
 どんなに仲良くなろうとしても、見えない壁を作って相手にしてくれない侍女達。
 うそ臭いフェイ兄の笑顔。


『私はこの王宮(セカイ)を憎む。母上を死に追いやった心無いこの世の中(セカイ)を、ずっと憎み続けてやる』


 脳裏に過ぎるのは、日記の一文。
 外の人の、『敵意』。
 そんなことは無いんだよ、セカイはもっと優しく出来ているんだよ。
 それを証明してあげたくて、僕は頑張るんじゃなかったのか?
 本当は皆優しい人達なんだって、そう思うから。
 なんだよ、僕が負かされてどうするんだよ……。


「ん? どうかしたのかい、スワジク?」
「い、いえ、何でもありません、フェイ兄様」
「そうか。ところで今日はちゃんと楽しめたか?」
「え、ええ。とても楽しかったです。有難うございます」


 なんで目頭がこんなに熱くなってるんだろう?
 このくらいのことで目を潤ますなんて、男らしくないじゃないか。
 自慢じゃないが、僕は滅多な事では泣いたりしないし泣いた記憶もそれほどない。
 恐らくはこの体に僕の精神が引きずられているので、涙腺が緩くなっているのだろう。
 我慢すればするほど込上げて来る何か。
 程なくして、僕の目尻から溢れ落ちた。


「っ?!」


 流れ落ちる涙を見たフェイ兄とセンドリックさんが凍りつく。
 そりゃそうだ。
 僕だって突然女の子が泣き出したら固まるしかないもんな。
 だから早くこれを止めないと、折角の楽しかった時間が台無しになる。


「どうか、……したのか?」
「い、いえ、何でもないんです。目、目にゴミが……」
「……」
「や、やだな。止まんないや。何でだよ。止まってくれよ……」


 そっと差し出されたハンカチで、流れ落ちる雫を受け止める。
 僕は肩を抱かれるようにして、目の前に止められた馬車にのって王宮へと帰る。
 王宮が近づくにつれ、僕の気分は反比例に落ちてゆく。
 ああ、僕は馬鹿だ。
 本当に馬鹿だ。
 こんな出来事なんて、これから起こる事に比べればほんの些細なアクシデントのようなものだったのに。
 それでもその時の僕は、今まで我慢してきた感情を抑え切れなかったんだ。



[24455] 26話「セクハラで訴えるって同性同士でも有効ですか?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/31 12:18
「ぬぅおおおおおおおおお」


 のっけから何を叫んでいるかというと、昼間の事を思い出して恥ずかしさに一人ベッドの上でのた打ち回っているわけで。
 無いわ、間違いなくあれは無いわ。
 何処の清純派ヒロインですか? あれですか? 弱い自分をアピールですか?
 もうね恥ずかしすぎて、そこの窓から自由の空へと飛び立てそうです。


「くぅ、このボク、一生の不覚っ」


 枕とベッドの間に頭を突っ込んで、う゛~、う゛~と唸る僕。
 多分傍から見たら、随分と滑稽な格好なんだろうな。
 確かにいろいろとフラストレーションが溜まっていたのは確かだけど、それにしたって泣くこたぁないだろうに。
 この美少女ボディがお風呂のとき以外で憎いと感じたのは、まったくもってこれが初めてだ。
 ……うん、ちょっと落ち着いてきたかな?
 息を整えながら、すぽんと枕の下から頭を抜く。
 くしゃくしゃになった髪を手櫛で梳きながら、周りに誰も居ないことを再確認する。
 当たり前な話、こんな挙動不審な行為を人前でするほど僕は恥知らずではないし、露出プレイ大好きなドMでもない。
 消灯後のこの時間だから、思う存分はっちゃけていたわけなのだけれども。


「いつからそこに居るのかな、ミーシャさん?」
「そうですね、姫様がベッドの上で奇声を上げてのた打ち回り、枕の下に頭を突っ込んで唸っていた辺りからでしょうか?」
「最初っからじゃねぇか!」
「そうともいいます」


 にやりと腹黒い笑みを浮かべるミーシャの視線に、兎のごとき僕の心臓が耐えられる訳も無く。
 

「うわぁぁぁん! 死んでやるぅぅ!」


 泣きながら窓へと走ろうとする僕を、ミーシャは笑いながら羽交い絞めにする。
 どんなに足掻いても外せないミーシャの拘束は、いつも思うんだけど女の人とは思えないくらいの力だ。
 いつもなら頼もしく感じるその力強さも、いまは単なる磔台の皮ベルトくらいの意味しかなく、非常に忌々しい。


「死ぬぅ! 恥ずかしすぎてマジ死ねるぅぅ!」
「まぁまぁ、姫様落ち着いて。可愛かったですよ? 小動物みたいな動きで」
「それ、褒めてないよね? 褒め言葉になっていないよね!?」
「もう、しょうがないですねぇ。……ん、分かりました。その恥ずかしさを直ぐになくして見せますが、どうします?」
「……殴って記憶消去とかじゃないだろうね?」
「まさか。幾らなんでもそこまではいたしません。仮にも貴方の体は姫様の物なのですよ?」


 爽やかな笑顔でそう断言するミーシャ。
 うぅー、ここは素直に信じていいものか。
 肩越しに振り返ってミーシャの顔を確認しようとしたら、向こうもこちらを覗き込むようにしてキスされました。
 しかもディープ。


「ちょ、……ミィ……、駄目っ……だってば!」


 どんなに逃げ回っても追いかけてくるミーシャの舌は、まさにハイエナ状態。
 あれですね、磔台の皮ベルトどころか、磔台そのものだったんですね。
 違う意味での涙目になりつつ、必死に首を振って獣から逃げる。


「ちょ、なに急に発情してるんですか!」
「いえ、多少の恥ずかしさならそれ以上の恥ずかしさで上塗りしてしまえば、まったく気にならなくなるのではないかと」
「そんな記憶の消去方法はいやだぁぁぁ!」
「まぁまぁ、せっかく盛り上がったことですし……」
「お、おま、ちょっ、勝手に盛り上がっといて何いっ……。に、に、にぎゃぁぁぁぁぁぁ、……あっ」





 乱れたベッドの上、乱れた服のまま横たわる僕とミーシャ。
 さっきとは違う意味での自己嫌悪。
 余裕綽々の態度で寝転ぶミーシャに腹が立つので、復讐の意味も籠めて彼女の頬を抓る。


「ひひゃいれふ、ひへさは」
「当たり前だよ、痛いように抓っているんだから」
「まったく、仕方ないツンデレさんですねぇ」
「うがぁぁ! 誰がツンデレか! 要らない単語だけ凄い勢いで学習しないで!」


 なんだ、やっぱりこのケダモノには勝てる気がしない。


「で、こんなことをしに来たわけじゃないんでしょう?」
「はい。昼間の件について少し話をしに来ました」


 昼間の件、クッキーが捨てられていたこと、僕が意図せず泣いてしまった理由。
 ミーシャの荒療治が効いているのか、今は心がざわめくことも無い。
 僕は無言で話の催促をする。


「孤児院ですが、王宮から少し離れたところにあるので、業務の合間に尋ねに行くという訳にも行きません。ですが、明後日丁度私が非番の日がありますので、その日にそれとなく様子を伺いにいけるかなと思うのです」
「悪いよ、折角の休みなのに」
「いえ、孤児院の近くには私の行きつけの服屋もあるので、買い物ついでに事情を聞いてこようかと」
「うーん、なんか気が進まないなぁ」


 ぽりぽりと頬をかく僕を見て、ミーシャは苦笑しながら僕の頭を撫でる。
 まるで出来の悪い妹か弟を見守る姉の様な雰囲気だなぁ。


「私も幾度かシスター達にお会いしていますが、好き嫌いだけで昼間の様なことをする人達ではなかったと思うのです。自分の中の気持ち悪さもスッキリさせたいですしね。あながち姫様の為という訳でもなさそうです」
「ははは、なんかミーシャらしいね」


 ま、確かに気持ち悪いまま過ごすのも嫌だしな、ここはミーシャにお願いするべきだろうか。
 ま、駄目と言っても自分から進んで行きそうだけどな、ミーシャの場合。
 それに結果がどっちに転んでも、これ以上精神的な被害は被ることも無いだろうし、良くも悪くもはっきりさせるべきか。
 もって帰ってくる話次第では、また僕の取るべき方針が変わるかもしれないしな。
 僕はそう考えて、ミーシャに調査をお願いすることにした。





 同時刻、王都内のとある料理屋の一室。
 私は一人手酌で酒を楽しんでいた。
 ふと羽戸の向こうに人の気配を感じて目をやると、店員に案内されて一人の女がやってくる。
 待ち人来たれり。
 薄い笑みを浮かべながら、来訪者を歓迎する。


「お待たせして申し訳ありません、トスカーナ様」
「かまわぬ。で、どんな感じだ?」
「はい、殿下とあの女との距離は、私からみて縮まっているとは思えません。むしろ遠ざかっているかと」
「ほほう、しかし、そうであれば尚のこと、小娘が荒れぬのが解せんのだがな」


 温くなったエールを喉に流し込み、目の前の女を観察する。
 挙動不審なところは無いので、相手側に取り込まれているという心配はなさそうだ。
 が、小心者なのは相変わらずではあるようだが。
 私が疑問を持っていることを正確に読み取った女は、慌てて追加の情報を並べる。


「落水事故前まではまるっきり人を寄せ付けない雰囲気だったのですが、ここ最近はまるで人が変わったかのように友好的で」
「情に絆されたか?」
「滅相もございません。私は常に貴方様と共にあります」
「まあ、よい。ではやはりあの端女がレイチェルとかいう馬鹿者の代わりを務めているということか」
「はい。最近は頻繁に同衾している様子。あの女も大分ミーシャを贔屓にしています」
「そうか。では、さぞかし懐いているのであろうなぁ」
「はい。二人は上手く隠していると思っているようですが、時折まるで恋人同士のような雰囲気になることもしばしば」


 女同士が戯れるのは良く聞く話。
 戦場に行けば男同士であろうと行為に走るのだから、別段不思議でも、忌諱されるべき行為でもない。
 そんなゴシップに1gの価値も無いが、二人の関係は今の私にとっては黄金の如き価値がある。
 私は満足げに頷いて、会話は終わりだと無言で相手に告げた。
 が、いつもと違い直ぐに去ろうとしない女を不審に思って見上げると、なにやら懐に手を突っ込んだまま何かを躊躇っている様子。


「あの、それで今日はこの手紙をルナにお渡しいただきたいのですが……」


 決心が付いたのか、そう言って女が机の上に封筒を差し出す。
 ルナとは確か、レイチェルという皇族に不義を働いた端目の妹だったか。
 つい最近までは、あのいけ好かないレオとかいうカスパールの小倅めの所に匿われていたのだが、当面の危険は去ったとの事で里に返したのだ。
 が、一度復讐に狂った人間が、そう簡単に諦めるはずも無い。
 今は王都内のラムザス派の隠れ家に身を寄せている。
 あれも言われもせずに良い感じに踊ってくれるので、わりと重宝する駒だ。


「分かった。必ず渡しておこう」
「はい、有難うございます」

 
 笑った顔が早くに死に別れた愛妾のものにそっくりで、思わず眉をしかめてしまう。
 そんな感情に振り回されるなど、我ながら情けないことだ。
 女は私の表情の変化を見て勝手に何かを想像し、勝手に萎れていく。
 手間の掛からぬのだけが取り柄だ。


「今日はもう下がってよい」
「は、申し訳ありません、お父様」


 少しさびしそうな顔をして、個室から出てゆく妾の娘、スヴィータ。
 もう少し知恵の回る女であれば使い勝手は良かったのだが、と益体も無い愚痴を一人こぼす。
 入れ替わりに一人の男が、さりげなく部屋に入ってくる。
 どこにでも居そうで、どこにも居ない影の様な雰囲気を持った男だ。
 私はその男に、今渡された封筒を投げ渡す。


「ルナとやらにだ」
「はっ。内容は如何いたしますか?」
「別に手を加えるまでもあるまい。既にこれ以上無いくらいに燃え盛っているのだ。何か行動を起こしたいというのであれば、そろそろ手を貸してやってもいい頃だな」
「は、御意に」
「カスパールの小倅に嗅ぎ付かれるなよ? あれでいて奴は鼻が利くからな」
「お任せください」


 来たときと同様、至極自然にこの場から消えていなくなる。
 さて、以前のお膳立ては失敗に終わったが、今度はちゃんと踊って欲しいものだ。
 私は帝国の世継ぎ争いなどで、この国を失いたくなどはない。
 ヴォルフ家も、厄介な女共を押し付けてくれたものだ。
 皇帝のご落胤などという噂付きの小娘など、この国には毒にしかならない。
 帝国と正しく付き合っていくには、気の毒ではあるがスワジク姫には早々に舞台を降りていただかねばな。
 私は残ったエールを一息にあおって、料理屋を後にした。



[24455] 26.5話「とある王子と侍女のお話」(2/21加筆)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/21 20:59

※ フェイ兄への憑依バレが印象薄すぎ! との指摘より追加いたしました。


「殿下、少し姫様についてお話があるのですが、よろしいでしょうか?」


 外出から帰ってきて暫くしてから、珍しくミーシャが私の執務室を訪ねてやってきた。
 なにやら思いつめた表情だったので、普段は噂が立つのを気にしてやらないのだが、人払いをして部屋に二人きりとなる。
 それに対してミーシャは無言で頭を下げて謝意を示す。


「で、話とはなんだ?」
「はい。実は姫様の事なのです」
「ふむ。昼間、急に取り乱したことについて何か心当たりがあるのだな?」
「はい。ですが事は昼間の件というよりも、姫様自身の秘密についてでしょうか」
「スワジクの秘密、だと?」


 私はいぶかしげに目の前のミーシャを見据えた。
 ミーシャは私の視線に臆することもなく、ゆっくりと首肯する。
 少なくとも今現在、スワジクの事で我々が把握していないことなど何一つない筈である。
 その交友関係(もともと交友関係すら存在しないが)、取引のある業者や、彼女に睨まれている貴族や官僚たち、食事の状況から健康状態まで、完全に管理しているはず。
 そのスワジクに秘密があるというのなら、彼女自身の内面の話か、彼女が画策しているなにか、か。
 私は居住まいを正して、ミーシャに向き直る。
 

「よし、話を聞こう」
「はい。実はあのスワジク姫様は、本当のスワジク姫ではない、と本人は言っております」
「……はぁ?」


 のっけから意味の分からないことを言われて、私は思わず間抜けな声を上げてしまった。
 そんな私を見ても、ミーシャは特に気分を害することもなく、むしろ私の反応に理解を示しているようだ。


「では、あのスワジクは替え玉で、本物はどこかに連れ去られたとでも?」
「いえ、そうではありません。確かにあの姫様は、本物の姫様です。が、中身がどうも違うようなのです」
「中身が違うだと?」
「はい。これは本人の話ですが、中の人である自分はおそらくイジゲンの世界にあるチキュウという星から来たミライ人らしいです」
「……全くもって意味が分からんのだが?」
「実は私も完璧には理解をしておりません」


 頬をぽりぽりと指で掻きながら、ミーシャは苦笑する。
 私は大きくため息をついて、椅子にもたれかかった。
 正直、目の前の侍女の配置換え、もしくは解雇も視野に入れて考えなければいけないかもしれない。


「まあ、そのイジゲンのチキュウという所のミライ人が何をしに、我々の王国にきたのだ?」
「姫様の話では、おそらく向こう側で事故か何かで肉体を離れた魂が、何かの拍子で、たとえば魔法で召喚した等ですが、こちらの世界に呼ばれて姫様の体に宿ったということらしいです」
「……その魔法は誰が使ったというのだ? この王国に魔法を使えるものなど、数える程しかいないのだぞ? ましてや、ドクターを超える導師など帝都に行かなければ見つからないのではないか?」
「それはおっしゃる通りです。実際姫様も、自分の仮説には自信がない様子でした。ですが、手段の証明は出来ないけれども、結果の証明なら出来るということで先ほどの話を聞かされたのです」
「にしてもだ、そんな与太話、誰が信じる?」


 苦笑いをするミーシャ。
 まあ、自分の話がずいぶんと怪しげなものであることは理解している様子だ。
 なぜこんな意味不明な話を持ち出したのか、その真意を聞きだした後彼女の処遇を決めることにしようと心に決めた。


「殿下は、スワジク姫の人物をどのように評価されていますか? もし差し支えなければお聞かせ願いたいのですが」
「……まあ、いいだろう。私のスワジクに対する評価は、自己中心的で排他的な思考、自己顕示欲が強くて、猜疑心の強い女だ」
「はい、そうです。私も以前まではそう違わない認識でした」
「今は違うと?」
「はい。それは殿下だけでなく、落水事故以後姫に関わった者達であれば、違和感を覚えているはずです」


 確かにミーシャの言うとおり、現在我々はスワジク姫の今までにない行動に翻弄されて頭を悩ましていたところだ。
 

「人畜無害、臆病者でどうしようもない善人。私が接してきて感じた今の姫様の評価です」
「なるほど。確かに君に言われてみれば、符合する点がいくつもあって納得だな」


 いつの間にか前かがみになっていた体を、再度椅子の背もたれに寄りかかって、私は天井を仰ぎ見た。
 確かに違和感という点では、なるほどと肯かざるを得ない点が多い。
 だが、荒唐無稽な『別人格の憑依』という話を納得させうる内容かといわれれば、少々首を傾げなければならない。
 確かに以前のような攻撃的な雰囲気は消え、どこか町娘を思わせるような仕草や行動が目立っていたのは確かである。
 だからといってそれが『別人格』であると、いったいどこの誰が証明出来ると言うのだ。
 

「だがやはり『別の人格』だとか、『イセカイ』から呼び寄せられた魂だといわれても誰も納得はしないと思うんだが」
「はい。正直私もその点については、姫様の論を証明できないのでどうしようもありません。ただ、落水事故以後の姫様の言動を見聞きして、そして実際に彼女の心に触れてみて、私は確信いたしました。あの姫様は別人であると」


 まるでそれが最大の証明であるといわんばかりに胸を張って言い切る彼女の姿を見て、少し考えを改めるべきなのかもと私は根拠もなく思ってしまった。
 ミーシャの今までの働きを見る分には、彼女は侍女として十分以上の働きをしていると思う。
 その誠実な働きに清廉な人格はヴィヴィオも大いに褒めていたところではあるので、彼女の狂言だと言い切るのも少し疑問の余地がある。
 だが、それでも彼女の話を無条件に信じるには、色々と情報が足りないのも事実。


「殿下。私は必要以上に姫様を警戒するのは、いい結果には繋がらないような気がするのです。あの姫様は自分の善性にそって行動なされています。ですのでその言葉、行動をそのまま受け入れてあげれば、それがきっと姫様にも殿下にとっても最善の道になる、と私はそう思うのです」
「……」


 彼女の言わんとしていることも分かる気がするが、といって無条件に蛮行姫を信じていいものかどうか。
 しばしの間、無言でじっとミーシャを見つめ、ミーシャも無言で私の視線を正面から受け止めている。
 その瞳に揺らぎはなく、その表情にも翳りも不安も焦りも見えない。


「すぐに信じろとはいいません。ですが、落水事故以後の彼女のことをもう一度思い返してあげてください。そして疑いの眼でみるのではなく、彼女の善意を信じて感じ直してください。その上で、姫様から今の話を打ち明けられたときには、黙って話を聞いてあげて欲しいのです。心を開いて、彼女の気持ちを受け止めてあげてください。それが出来るのは、多分殿下を置いてほかにはいないと思うから……」


 言いたいことを言い切ったという表情で、ミーシャは口を閉じた。
 彼女の気持ちは分からないでもないが、正直信じたい気持ちが半分、疑わしい気持ちが半分である。
 その私の内心も見透かして、ミーシャは信じなくていいと言ったのだろう。
 もし、スワジクからその話があるのであれば、先入観なしに聞いてやるのもいいかもしれない。
 その上でスワジクやミーシャの言うことが狂言かどうかを判断すればいいことだ。
 もし狂言であれば今までどおりの対応で問題ないだろうし、本当ならば、それは王国にとってはいい話なのだろう。
 そう頭の中で結論付けた瞬間、目の前にあの夜の幼かったスワジクが現れる。


(またね、フェイタール兄様……)


 突然湧き上がる寂寥感に、私は意味が分からずと惑ってしまう。
 あの夜のスワジクの笑顔がなぜこんなにも悲しく見えてしまうのか、この時の私には理解できなかった。
 



[24455] 27話「はぁ、ようやく肩の荷が下りたか……」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/08 11:00
「「申し訳ありません!」」


 昼下がりの僕の私室、目の前で勢い良く直角に腰を曲げて謝罪する人が二人いた。
 コワルスキーさんとヴィヴィオさんだ。
 その横には神妙な顔をしたフェイ兄も一緒に立っている。
 急に話がしたいと押しかけられて、開口一番が上の科白。


「えと、急に謝られても意味がわからないのですが……」
「はい、実は……」
「いい、コワルスキー。私が説明する」
「殿下……」


 いつぞやのシリアスモードで僕の前に立つフェイ兄。
 この顔もなにやら随分と久しぶりの気がするなぁ、などと暢気な事を考えて何となくこれから聞かされる現実から逃げてみたり。
 だけど無情なるかな、僕のささやかな抵抗なんて現実はこれっぽっちも考えてはくれないわけで。


「スワジク、以前から君が会いたがっていたボーマンとニーナの2名についてなんだが」
「は、はあ」
「実はもう王宮には居ないんだ」
「……あの、それって死んだとかですか?」
「いや、それはない。王族に対して適切な対応を取れなかったとして、解雇したんだ」
「適切な対応?」
「ああ、一緒に食卓についてお茶していただろう? あれが問題視されたんだ」
「は、はあ」


 気の無い返事をしながら、不当解雇じゃないのかとふと考えて見る。
 っていうかあれで解雇されるなら、きっとミーシャは5回くらい磔の刑にしないといけないと思うんだ。
 まあ、周りにバレないようにお互い気を使っているから、大丈夫だとは思うんだけどね。
 ……あれ? なんかそう言うとまるで僕とミーシャって付き合ってるみたいに聞こえる不思議。
 ううむ、確かに美人さんだし気が利くところや尽くすタイプの人だから、一緒にいて全然疲れなくていいんだけど。
 あっ、メイドさんだからそれは基本スキルなのかな? 
 いやいや、今はそんなどうでもいい事を考えている場合じゃない。
 現実逃避も程ほどにしないと!


「あの、フェイ兄様。やっぱり私がいけなかったんでしょうか? 無理やりお茶に誘ったのは私ですし」
「い、いや、我々も少し神経質になりすぎていたと思う。解雇というのも、本来であればありえない決定だ。その……」


 凄く言い難そうに言葉を濁すフェイ兄をみて、理解した。
 確かに蛮行姫の以前の行状を考えれば、仕方の無かった対応なのだろう。
 僕もあの頃はまだ外の人の事がよく分かっていなかったから、手当たり次第に情報を集めようと必死だった。
 これくらい大丈夫だろうと思ってやったことではあったのだが、それが他人の人生を大きく左右させるような事態になるとは夢にも思ってもみず。
 ただ、それを他人から責められても納得はいかないんだけれどね。


「あ、あはは。そうですよね。私が急におかしな行動を取り始めたから、皆さんびっくりしたんですよね?」
「正直にいうと、そうだ。君が落水する前と後では、まるで別人かと思うような変わりようだ。もちろん、いい意味で変わったわけなんだが。それに私たちが対応しきれていなかった」
「フェイ兄様たちは、ボーマンやニーナに良かれと思ってしたことなのですよね? なら、それを私が責めることは出来ないです」
「……そうか。そう言ってくれると、少しだけ救われた気になる」


 自分達だけがお互いを理解し許し合ったとしても、厳然とそこには被害者が残っている。
 ぎこちないフェイ兄の笑みは、多分そういうことなんだろう。
 僕だって非常に後味の悪い思いをしているのだから。
 誰が悪いと責め合ってみても埒が明かない。
 それならば少しでも状況を改善するために、僕が出来ることを少しづつでもするしかない。
 

「コワルスキーさんも、ヴィヴィオさんも頭を上げてください。この件について、私から皆さんに何かを言うことはありませんし、恨んだりもしません。筋違いだと思うから」
「有難うございます、姫殿下。今後はこのような事の無いよう、従事長として誠意を持ってお使えさせていただきます」
「有難うございます。それはそれとしてですね、2人の行方はわかっていらっしゃるのでしょうか?」
「……そ、それが、ニーナの方はともかく、ボーマンも実家には帰っていない様子でして。実際2人がどこに行ったのか分からないのです」


 ヴィヴィオが申し訳なさそうにそう釈明をした。
 きっとここ数日の間に八方に手を尽くしたんだろうな、という事は鈍感な僕にでも察せられる。
 行方不明というのであれば、僕達が彼らに謝罪する機会すらない。
 まさか将来を悲観して……、なんて事になっていなければ良いんだけれどなぁ。


「分かりました。では引き続き彼らの行方を追ってもらえませんか? やっぱり一番の被害者は彼らだと思いますので、直接謝りたいです」
「はっ、全力を持って捜索に当たらせます」


 コワルスキーさんが直立不動の姿勢のまま、力強くそう言ってくれた。
 何時になるか分からないけれど、僕達の手の届く範囲に居てくれるならきっと会って謝罪できる時も来るに違いない。
 さて、もう一つ僕には出来ることがある。
 それをやっておかないと、今後もきっと周りの皆は僕を勘違いしたまま、望まぬ方向へと話が進むに違いない。
 だから、僕はもう自分を偽るのをやめようと思う。
 それが状況の改善の一歩になるはずと信じて、僕は静かに心を定める。


「フェイ兄様、もっと早くに言えばよかったのですが、お話しなければいけないことがあります」
「ああ、聞こう」


 フェイ兄も、恐らくある程度何かを感じていたのだろう。
 僕の突然の話にも動じることなく、静かに頷いた。
 そうして僕は、全てを包み隠さずフェイ兄達に告げたのだ。
 自分が、スワジク・ヴォルフ・ゴーディンという人格ではないということを。


 


 あの後、フェイ兄たちに全てを洗いざらい話したら、以外にも素直に僕の話を納得してくれた。
 実際腹の底でどう思っているのかは分からないけれど、それでも突拍子も無い僕の話を笑い飛ばしもせずちゃんと最後まで聞いてくれたのだ。
 それだけでも随分と前進したのではないだろうか。
 もっともスワジク姫を演じて彼女の悪評を覆すというミッションは、残念ながら失敗したわけではあるのだが。
 ぼんやりと考え事をしながら、ベッドの上で仰向けに寝そべって天井を眺める。
 ああ、そういえばこれがこの世界の最初に見た光景だったっけ。
 意味も無く感慨に耽る僕の耳に、最近聞きなれた涼やかな声がする。


「姫様、失礼いたします」


 就寝の時間になったので、いつものようにミーシャが静かに部屋へと入って来たのだ。
 僕は半身を起こそうとして、ミーシャはそれをやんわりと押し戻す。
 寝ていていいということなんだろう。
 彼女はそのままベッドの端に腰を掛けて、僕の顔を覗き込んでくる。


「意外と落ち着いていて安心しました」
「取り乱す程のことじゃないし?」
「クッキー見て泣いた娘がそんな事をいっても、強がりにしか聞こえません」
「ふ、ふん。あれはボクが泣いたんじゃなくて、この体の涙腺が弱いっていうか」


 何となく言い訳めいている気もしなくは無いが、泣き虫と思われたままなのも癪に障るしね。
 そう思って自己主張するも、ミーシャといえばそんな僕の話をニヤニヤと笑みを浮かべて聞いている。


「ふふ、無理して背伸びしている子みたいで可愛いです」
「なんかむかつく」
「まあ、それはそれとして、明日予定通り孤児院へ行ってみます。多分あちらに行けるのが夕方くらいなので、帰って来るのは明後日の朝になると思いますが」
「そか、ゴメンね。わざわざ」


 ミーシャは軽く笑って、湿っぽくなりかけた僕の言葉を受け流す。
 色々とあれな人ではあるけれど、やっぱり今でも一番の味方といえるのはミーシャだけだ。
 ま、今後はフェイ兄達も少しは打ち解けてくれると思うから、結果として状況の改善という目的は達成出来たと思っていいのだろう。
 僕を理解してくれる人が増えるのは、きっと悪いことではないはずだから。


「きっと、蓋を開けたら肩透かしを食らうくらいの理由なんだろうと思っています。だから姫様もあんまり気に病まないでください」
「努力はするよ」
「色々と前向きに行動するくせに、意外と小心者なんですね」
「うるせー」


 いわれなき中傷に反論してみるも、何の効果も無いあたり救いようが無い。
 もっとも小心者といわれれば確かにそうなので、僕としては苦笑いするしかないんだけど。
 おでこにおやすみなさいのキスをして、笑顔でミーシャが出て行った。
 その去り際の彼女の笑顔に、意味も無く見とれてしまう僕がいる。


「やべぇ、ミーシャがボクにフラグを立てて行った気がする。いや、それで普通なんだよな。ボクは男なんだし。……あ、でも外側は女の子だから、やっぱ百合になるのか?」


 不毛な悩み事で一晩を明かす僕であった。





 スワジクの寝室からミーシャが出てきたのを見て、私は彼女に近づいた。
 私の姿を見た彼女は恭しく一礼をしつつ、私が傍に来るのを待っている。


「どうだった?」
「はい、随分と落ち着いては居られるようです」
「そうか。最初は信じられなかったが、君の報告のお陰で随分と状況がいい方向へ向かってくれた」
「差し出がましい口を差し挟み、恐縮いたしております」
「いや、君が彼女の秘密を話してくれなければ、きっと我々は今もスワジクのありもしない裏を警戒して右往左往していたに違いない」


 そう、私たちがスワジクに真正面から真実を打ち明けたのは、ミーシャが事前に彼女の身に起こったことを説明してくれたからだ。
 他人の人格が憑依しているというスワジクの話は、ミーシャの普段を知らなければ狂人の戯言と切って捨てていただろう。


「ですが殿下、くれぐれも私が喋った内容については、責任ある方々以外にはお漏らしにならないようお願い申し上げます」
「分かっている。右も左も分からぬ彼女を、政争の道具にさせるつもりは無い」
「ご配慮、有難うございます」


 そういって軽く頭を下げるミーシャに、私は軽く手を上げて礼の必要の無いことを伝える。
 いろんな意味で、この侍女には感謝せねばならないだろう。
 話は終わったとして去ろうとした私の背中に、ミーシャが遠慮がちに声を掛けてくる。


「あの、殿下」 
「何かまだあるのか?」
「何かというか、その少しいい難い事なのですが……」
「なんだ、言ってみろ。この際だ、どんな事であっても笑わず受け止めて見せよう」
「笑うというよりも、怒らないで欲しいのですが……」


 なんだろう、何かの失敗を許して欲しいとかそういう話だろうか?
 不審に思いつつも、引き攣った笑顔で立っているミーシャに再度向き直る。
 彼女も意を決したのか、ごくりと生唾を飲み込んで語りだした。


「姫殿下に対してのアプローチの事なのですが……」
「あ、ああ、それがどうした?」
「その今の姫様にはどうも肌に合わない様子でして……」
「……何が、合わないのだ?」
「主に姫殿下を褒めるお言葉とか、仕草とか、そういった事がどうも苦手のように思われています」


 二人の間を流れるしばしの無言の時。
 スワジクは私の接し方が苦手だと感じているのか?
 そう言われてみれば、落水前の反応とは違うように思えてきた。


「……具体的には、どの様に思っているのだ?」
「それを申すには、先に無礼を許すという言質を頂かないと」
「そ、それほどの事なのか? それほどに私は彼女に嫌われているのか!?」


 衝撃の事実に、私は思わずミーシャに掴み掛かりそうになる。
 それはそうだ、今の今まで彼女に好かれていると信じて疑っていなかったのに、蓋を開けてみれば実は嫌いでしたとか冗談ではない。
 私の剣幕をある程度予想していたのか、ミーシャは慌てる風も無く落ち着いている。
 というかその事実をこの侍女は知っていて、私がスワジクに言い寄っている様を見て何を思っていたのだろうか。
 それを考えると、急に激しい動悸と息切れがしてきた。


「ゆ、許す。許すから、スワジクがどう私のことを思っていたのか教えて欲しい」
「はい、では。第一に姫を呼ぶときの声の掛け方がキモイとの事です」
「キモイ? キモイとは何だ」
「気持ち悪いの略だそうです」


 足の力が抜けて廊下に跪いてしまう。
 気持ち、悪いだと? この私が?
 私の有様を見て、脂汗を流しながらこちらを伺ってるミーシャ。
 力ない仕草で、私は続きを促した。
 こうなれば皿まで喰らおうではないか。


「次は、すぐに肩を抱いたり、キスしてくるのがうっとおしいと」
「ぐはっ」
「それに、用もないのに頻繁に会いに来られるのも、すとーかーの様で見ていて痛々しいそうです」
「すとーかーなる物が何かは分からぬが、痛ましい存在である事だけは魂に刻み込んだ……。もう、それぐらいで終わりか?」
「いえ……」
「そうか、まだあるのか。構わぬ、続けてみろ」
「姫様曰く、『フェイ兄ってシスコンロリ変態だ』と」
「それは一体どういう意味だ?」
「シスコンは、自分の妹を溺愛する残念な人のことだと、教えていただきました。で、ロリですが……」
「ロリとは……?」


 知らず知らずの内にごくりと唾を飲み込んでいる私がいる。
 これ以上の最低な評価などないと信じたいのだが、ミーシャの顔を見る限りそうではない様子。
 くっ、私はこの攻撃に耐えられるのか?


「ロリとは、小児性愛好者のことのようです。つまり、フェイタール殿下は、小児性愛好者の妹溺愛の近親願望のある変態さんである、と姫様は思っているようです」
「ミーシャ、止めてあげて! フェイ兄様のHPはもう0だよ!!」


 跪く力すらなくなって四つん這いになっている私に、部屋から走り出てきたスワジクが抱きついてきた。
 ああ、君はそこまで嫌っていながら、無様な私を気遣ってくれるのか。
 だが、少し遅かったようだ。
 HPがなんなのかは分からないが、確かに私の魂はミーシャの指摘によって粉々に砕けちってしまって0になったよ。


 静かに涙を流すフェイ兄の肩を抱きながら、僕は乗りに乗って喋っていたミーシャを軽く睨んでみた。
 上気した頬に少し潤んだ瞳で這い蹲っている敗者を見るその姿は、まんま女王様である。


「ミーシャ、フェイ兄の反応見て楽しんでいただろ?」
「いえいえ、何を仰られるのですか。私はただ殿下に現実を見せて差し上げようと」


 いやいや、ミーシャ、それ嘘だよね?
 だってすっげーいい笑顔すぎるもの。


「ま、私が居ない間に変に姫様にちょっかいを掛けられても困りますので、保険でしょうか?」
「な・ん・の・保険だよ! っていうかフェイ兄が立ち直れなくなったらミーシャの責任だからねっ!」
「その程度で使い物にならなくなる殿方なのでしたら、私のほうがよっぽど頼りになりますよ?」
「なんのアピールなんだよ、お前は!」


 喧々囂々、カオスな夜はそうして更けていったのである



[24455] 28話「紅い花が咲いた夜」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/06 18:00
 王都の西の外れ、古びた教会に寄り添うように立てられたレンガ造りの寄宿舎がある。
 王族の私財を持って運営されるその寄宿舎には、10名ほどの神父とシスター、50人程の孤児たちが生活していた。
 彼らは生きていく上で必要な教育や技術をここで学び、ある者は王都のギルドへ、ある者は商家へ奉公にゆき、またある者は王宮の下働きとして召抱えられるのだ。
 私は古臭い鉄格子の門扉を押し開けて、笑い声の響いている寄宿舎へと向かった。
 玄関に辿り着く前に、数人の子供達が転がるようにして裏庭から現れる。


「あれ? 何かご用事ですか?」


 一番後ろから逃げる子供達を追っかけていた年かさの子が、息を弾ませながら傍に来た。
 私は意識的に表情を作って笑いかける。


「ええ、少しここのシスターさん達とお話がしたくて来たのだけれど、いらっしゃるかしら?」
「あ、う、うん。ちょっと待っててください。今呼んできます!」
「お兄ちゃ~ん、何してるんだよぉ! 早くしないと、皆逃げちゃうよぉ!」
「馬鹿、お客さんだって。俺、先生呼んでくるから、お前みんなの面倒見ててくれよな」
「えー!!」


 仲間のブーイングを五月蝿げに振り払って、少年は寄宿舎へと掛けていった。
 さっきまで楽しそうに遊んでいた子供達は、詰まらなさそうな顔で一塊になっている。
 少し罪悪感を覚えた私は、いつもの侍女スマイルで彼らの方へと近づく。


「ごめんね、皆。代わりといってはなんだけど、お姉さんが鬼になってあげようか?」
「え? いいの?」
「ええ、いいわよ! でもお姉ちゃん、ちょっと強いよぉ?」


 子供達の相手を任された子が、目をキラキラさせて私を見ている。
 多分、この子には私が救世主か何かのように見えているんだろう。
 周りに居る子供達は、新しい遊び相手への期待で皆テンションが一気にハイになっている。


「鬼は全員捕まえないと交代出来ないルールで、捕まった人はこの木の下で檻に入るの。捕まってない人が檻の中に入ったら、解放したことになって、皆逃げられるんだよ。本当は鬼も2、3人でやるんだけど、お姉ちゃんは大人だから、一人でいいよね?」
「ええ、いいわよ」
「範囲はこの寄宿舎の塀の中。建物の中は入っちゃだめなんだ。それじゃあ、ここで15数えてね!」


 ざっとの説明を終えると、子供達は嬌声を上げながら思い思いの方向へと逃げ始めた。
 私はわざとゆっくりと数えて逃げる時間を作ってあげる。
 ま、敷地内だけなら楽勝でしょう。


「……13! ……14! ……15!! それじゃあ、いっちゃうよぉ!」
「きゃぁぁぁ!」
「鬼が来るぞぉ! 逃げろぉ!」
「あははは、怖いよー」


 子供は全員で8人。
 今見えるだけで4人、後の4人は建物の裏側に回ってここからでは見えない
 ま、とりあえずトタタと走っている4、5歳の子は後にして、目の前で余裕をかましているガキから〆るか。
 私はゆっくりとイガクリ頭の子供に向かって歩き始める。
 相手も自分が標的になった事を悟ったのか、にやりと笑みを浮かべていた。
 ふむ、とりあえず半分くらいの力でいっか。
 私は少しだけ足に力を溜めると、獲物に向かって駆け出す。
 そのスピードにびっくりしたのか、イガグリ頭の子は私の腕の下を横っ飛びに避けた。


「ほほう、今のを避けますか」
「へへん、そう簡単に捕まってたまるかってーの」
「なら、これでどうかな?」


 スカートを翻しながら、さっきよりも鋭くイガグリ君に突撃する。
 それを見て彼はニヤリと笑い、私に向かって同じように突っ込んできた。
 私は衝突する前に少年を受け止めるべくスピードを一気に殺して、待ちの姿勢を取る。
 彼はそれを見越していたようで、激しい砂埃を上げながらこちらへ向かってスライディング。
 まんまと股の下を潜られて、背後からスカートを大きく捲られた。


「うひょー、このお姉ちゃん、黒いパンツはいてるぜー!」
「なっ!!」
「トマト君最低―!」
「良くやったぞ、トマトぉぉぉ!」
「み、見えんかった。も、もう一回やるんだ、トマト!」
「トマト、マジきもいー」


 校舎裏に隠れていたはずの悪餓鬼共がイガグリ君に声援を送り、私たちの周りにいた女の子達が罵声を送る。
 誇らしげに両手を挙げて自分をアピールするイガグリ君よ、慢心したな。
 私はくるりと踵を返すと、そのまま右手を前へと突き出す。
 私の動きに気付いたイガグリ君は、そのまま私に後ろを見せて駆け出そうとしたが、音速を超える私の右手に敵うはずも無い。


「ひぎぃぃぃぃぃ!」
「ふっ、油断大敵というんだ、覚えておくといい」


 がっしりと後頭部を鷲掴みにし、逃げられないように片手で宙にぶら下げる。
 伊達に体を鍛えているわけではないんだからな、ふっふっふっふ。


「このババァ、子供相手に何マジになってやがんだよー」
「残念だったな、小僧。今の私は泣く子も黙るブラッディオーク。貴様の血を見るまでは、この怒りの炎は消せはせぬ」
「ぎゃぁぁぁ、悪魔だぁ! 鬼だぁぁ!」
「わははは、もとより私は鬼だろうが」
「うわーーん、殺されるぅぅぅ」

 
 そんな楽しい鬼ごっこが小1時間ほど続いたころ、ようやく敷地の裏口からシスターの一人が小走りに駆けてくる。
 息を弾ませてやってきたのは、この間厨房にも着ていたアンジェラというシスターだ。


「あ、あの、遅く……、なりまして、大変申し……訳あり、ません」
「いえいえ、別にいいですよ。久しぶりに童心に返って遊ばせて貰いましたし」
「そうですか、そういって頂けると助かります。あ、立ち話もなんですから、中へどうぞ」
「はい、すいません。それじゃあ、皆また今度あそぼうね?」
「もう来んな、ブラッディ・オークめ!」
「おねぇちゃん、また遊んでね♪」
「わはは、トマト涙目ェ、ザマぁ」


 概ね好意的な反応に満足しつつ、シスターの後を追う。
 また遊びに来てもいいかなと、ノスタルジックな気分でそんなことを考えていた。

 寄宿舎の中に入って直ぐにある応接室に通され、私はシスターアンジェラが用意してくれたお茶で喉を潤す。
 追いかけっこで乾いた喉に丁度良い温度。
 なかなか気のつくシスターだなと思う。
 こんな気が利く人が、果たして姫様のクッキーをぞんざいに扱うのだろうか?
 そう思いながら目の前でニコニコとお茶を飲んでいるシスターを盗み見る。


「ところで今日はどのような御用事でしたでしょうか? えっと……」
「ミーシャです。姫殿下の傍仕えをいたしております」
「有難うございます、ミーシャさん。先日も美味しいクッキーを沢山頂きありがとうございました」
「いえ、お礼は私にではなくて姫殿下にお願いいたします。クッキーは足りましたでしょうか?」
「はい、それはもう、食べきれずに知り合いにお裾分けいたしたくらいですから。わざわざお気遣い頂き、有難うございます」


 爽やかな笑顔での切り返しに何か裏がないかと勘ぐって見るが、見れば見るほど表裏の無い良い笑顔だ。
 王宮の中に長く居たせいで、自分の感性は段々とひねくれていってるんだろう。
 こんな綺麗な笑顔の裏を探ってしまった自分に、少し、いやかなり嫌悪感を感じて落ち込む。


「ご近所にお配りに?」
「いえ、この孤児院出身で、この近くの盛り場で働いている娘に上げたのです。なんでも彼女のお友達がお姫様のクッキーだと聞いたら、余っている分全部くれって」
「……それは、またなんとも」
「でもあのクッキー、割と足が速かったので、あの娘達ちゃんと食べ切れたのかしらと不安になっていたりするのですけど」


 なるほど、恐らくあの大量の廃棄クッキーは、その知り合いが食べきれずに腐らせて捨てたのだろう。
 まったくなんていう業突張りな知り合いだろう。
 お陰で私の姫様に要らぬ心労を掛けたじゃないか。
 もしその知り合いとやらに出会う機会があったら、心行くまでお・は・な・ししなければ駄目だな。
 そう堅く心に誓って、私はその孤児院を後にした。





「少し長居し過ぎた……」


 薄暗くなった王都の夜道を、私は一人寂しく街へと向かって歩いていた。
 道すがら姫様へのお土産に買ったブレスレットを懐へ大事に入れ、夕方に荷物を預けた馬車置き場を目指す。
 寄り道をしなければ明るいうちにここまで帰ってこれたのだが、まあ姫様へのいい買い物をしたのでよしとする。
 鼻歌交じりに道を急いでいると、なにやら嫌な足音が聞こえてくる。
 私の歩幅を真似て、付かず離れず追いかけてくる2つの足音。
 レギンスの靴紐を結ぶ振りをして、それとなく背後を見てみた。
ごろつき風の男が二人。
 嫌な笑みを浮かべてこちらを覗き込んでいる。


「さてさて、どうしたものでしょうか」


 ごろつき二人程度であれば、常日頃の鍛錬で培った武術で対応出来る範囲。
 これ以上相手が居ないことと、プロでないことを祈りつつ、なるべく人通りの多そうな道を選んで歩く。
 だが私のささやかな希望は叶えられず、後ろからだけでなく前からも似たような風貌の男達が、人通りが無くなった頃を見計らって集まってきた。



「くっ、囲まれる前に……」


 私は横道に逸れようと、狭い路地に向かって駆け出した。
 慌てて追いかけてこようとする男達を肩越しに確認しながら、細い路地を駆け抜ける。
 

「くそっ、逃げたぞ、追え!」
「お前らはあっちから回り込め。たかが女狐一匹、逃がすんじゃねぇぞ」
「くっ、あははは。ノロマな亀になんか捕まってやるものか」


 私は昼間の鬼ごっこを思い出しながら、高まる興奮に身を任せる。
 狭い通路に所狭しと置かれた木箱やゴミの山。
 ある時はそれらを足場に空を駆け、またある時はそれを撒き散らして相手への妨害とする。
 私は一匹の獣になったような気持ちになって、ただ闇夜に浮かぶ月を頼りに路地を駆け抜けた。


「ちくしょう! 早く捕まえろ、クズ共がぁ!」
「うっせぇ、こう足場が悪くちゃ走れるかってんだ」
「礫を射掛けろ!」


 耳元を風を切って飛んでゆく石礫が、私の金髪を数本毟り取ってゆく。
 直線的な疾走から、右へ左へと不規則なターンを繰り返す走り方に変える。
 男達の放つ礫は一つとして私を捉えることは出来ず、聞こえてくるのは罵声ばかり。
 そうこうしているうちにその罵声すら聞こえなくなり、ようやく正体不明の追っ手から逃れることが出来た。


「はっ、はっ、はっ。ま、日頃の鍛錬の賜物だな」


 軽く上がった息を整えながら、私は人通りのある道へ出ようと歩き出した。
 その時、懐から何かが落ちそうになるのを感じる。
 何かと思って見てみれば、先ほど買った姫様へのプレゼントが落ちかけていた。


「危ない、危ない。折角のお土産を失くしてしまったら、正直立ち直れなくなるところだった」


 苦笑いをしながら、落ちかけているブレスレッドをポケットに入れ直そうとした時、前から路地に入って来た人とぶつかってしまう。


「ああ、すいませんね、お嬢さん」
「いえ、こちらこそ不注意でした。申し訳ありません」
「いえいえ。それでは、私は先を急ぎますので。よい旅路を」
「?」


 その男の去り際の言葉に違和感を感じて、振り返ろうと体をよじったら……。


「あ……」


 下腹部に焼きゴテを突っ込まれたような激しい痛みに、私は立っていられなくなって膝を突く。
 何事かと思い下を向くと、足元に見える真っ赤な血溜りと自分の体からにょきりとはみ出ている何か。
 鉄錆びの匂いが口に充満して、私は吐血した。


「ひ、姫さ、ま……」


 その言葉を最後に、私の意識は深い闇へと引きずり込まれた。



[24455] 29話「そして僕は笑えなくなってしまった(前編)」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/07 07:22
 その日は朝から憂鬱な天気だったように記憶している。
 僕はいつもの様に朝の身支度をアニス達に任せ、ぼんやりと曇天の空を眺めていた。
 朝一番に来るはずのミーシャが何故か姿を見せず、スヴィータ達が不平を漏らすのに苦笑いをしながら耳を傾ける。
 相変わらず距離感を感じるものの、スヴィータやライラも簡単な雑談くらいなら応じてくれるようになっていた。 
 こういった何気ない話でも彼女らの話を黙って聞くのは、親近感を増すためには大事なことなのだと思う。


「でもミーシャ、朝一番には帰るって私には言ってたのですけれどね」
「どうせ行き摺りの相手でも見つけて、寝過ごしたんじゃないでしょうか?」


 スヴィータが冷静にミーシャを一刀両断。
 まあ、そう言われてしまうと弁護する材料よりは、憶測を補足するような内容の事実しか思い浮かばないわけで。
 アニスは多分僕と似た気持ちなのか、半分呆れ顔、半分怒っているって感じだ。


「そういわれると中々反論出来ないけど、いくらミーシャさんでも仕事を忘れて色事に耽るような人でもないと思うのですけれど」
「事実、無断で遅刻しています。許されざる怠慢ですわ。ライラさんから一度厳しくいってもらわないと」
「あ、うん。分かった。帰ってきたらちゃんと怒っておくわ、スヴィータ」


 口を動かしながらも、一瞬たりとて止まらぬ手元。
 流れるような彼女達の動きを意識の端で感じながら、考えることはミーシャが居ない理由ばかり。
 もっとも今ここで何をどう悩んだところで、真相に辿り着くことなどありえない。
 いつもの笑顔でひょっこり現れたらどんなお仕置きをしてやろうか、想像の中で逃げ惑うミーシャを僕は夢想する。
 ふと窓の外をみると、何やら人の出入りが激しい。
 いや、普通の一般人ではなくて、兵士達の出入りが激しいようだ。
 長い間この窓から外を見ているけれど、あんなに慌しい様子は見たことが無い。
 低く垂れ込めた暗い雲と兵士達の様子が、理由も無く僕の心をざわめつかせた。





 今朝ミーシャが無断で休んでいる件でヴィヴィオの部下が調査に向かったところ、彼女の失踪が伝えられた。
 王都西部地区にある馬車駅の近くの宿に、彼女の荷物が荒らされて放置されていたらしい。
 当然当人の姿はどこにも無く、足取りも掴めない状況だ。
 じっと机の前にかじりついているしか出来ない現状に、私の焦燥感は募るばかり。
 嫌な想像しか浮かんでこないが、まだ決定的な情報は私の元には来ていない。
 それだけを頼みの綱に、見知った少女の無事を祈る。
 
 慌しい足音が聞こえたかと思うと、ノックもなしに開け放たれる執務室のドア。
 息を切らしたセンドリックだった。
 普通であればきちんとノックをしてから入るのが筋ではあるが、今はそういう通常儀礼的なこと一切を無視させている。


「報告です! 西地区駅馬車付近の路地にて、多量の血痕を発見いたしました」
「っ!」
「怪我人、もしくは死体等は付近には見当たりませんでしたが、途中まで引き摺っていった後があったので恐らくは処理されたものかと……」
「それが失踪者であるという根拠は?」
「数人の目撃者が居ました。彼らの情報から、倒れていたのは女性、年齢が20歳前後、髪がブロンドのショートだそうです」


 知らず知らずの間に力が入っていたのか、嫌な音を立てながら奥歯が軋む。
 今の情報だけで、その血痕の主がミーシャであるとは断定は出来ないが、恐らくそうなんだろう。


「それと、現場にこれが落ちていました」


 そっと机の上に差し出された黒く凝固した血にまみれの女物のブレスレッド。
 これをもってくる意味が分からず、センドリックを見上げた。


「周囲の聞き込みをした結果、アルトワル孤児院と駅馬車の間にある露天商が商っていたものだと判明しました」
「……で?」
「私が直接話をしました。10中8、9はミーシャ殿が購入された品物であると。店主曰くは、誰かのプレゼントのようであったと」
「そうか……。すまないが、引き続き調査を頼む」
「はっ、了解しました」


 踵を返してセンドリックが足早に部屋から出てゆく。
 入れ違いに部屋へ現れたのは、沈痛な面持ちのレオとヴィヴィオであった。
 私は二人を一瞥してから、軽く首を左右に振る。
 私の仕草を見て意味を理解した二人は、深いため息をつきうな垂れた。
 そんな二人に声を掛けるのは少し躊躇われたが、早急になんらかの対応をしなければならない。
 特にスワジクや彼女付きの侍女たちにどう説明したものか。
 レイチェルの時ですら、平静を保つのにそれなりの時間が必要だったのだ。
 この上ミーシャまでが事件に巻き込まれたと知ったら、彼女達がどう反応するのか想像もしたくない。


「兎に角、今ここで起こっていることは絶対に外に知られてはいけない。特にスワジクとその周りの人間には、だ」
「はっ、了解しました」


 ヴィヴィオも深く頭を下げて了承の意を示す。
 ようやくスワジクの問題が単純化出来そうだと喜んでいた矢先のこの事件。
 あまりにタイミングが良すぎる。
 それに何故ミーシャを狙ったのだ? 
 ミーシャがスワジクを揺さぶるのに一番効果的な人材だと知っていた?
 一連の騒動で誰が一番得をするのか。
 いろんな仮定が頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
 そこへまた慌てて、衛士の一人が飛び込んできた。


「閣下、大変です! 姫殿下の部屋に何者かが矢を打ち込んできました」
「なんだと!?」





 今朝は珍しくフェイ兄も現れず、いつもより静かな朝御飯を終わらせた。
 普段と変わらぬ朝のはずだが、居るはずの人間が居ないと思うだけで少し心もとなく感じている自分がいる。
 どうも先日来からの出来事が、地味にじわじわと僕の心にダメージを与えていたということなのかな。
 まあ、実際クッキーについてはミーシャが帰ってくれば経緯が分かるだろうし、ボーマンたちの事だってフェイ兄達がきっと上手くやってくれるに違いない。
 そうしたら何もかもが上手くいくに決まっている。


「さて、じゃあ自分の部屋へいきますね」
「はい、姫様。あ、後でお持ちするお茶はいかがいたしましょう?」
「そうですね、アニスに任せます。アニスが入れてくれるお茶はいつも美味しいですから」
「お褒め頂き有難うございます。では、ダンブラ産の新茶を用意させていただきます」
「ええ、お願いします」


 アニスがぺこりと頭を下げて寝室から出てゆく。
 僕はそれを見送った後、スヴィータとライラをつれて自室へと向かった。
 お姫様という仕事は、なかなかに毎日が退屈だ。
 まあ、公務につけと言われても右も左も分からない僕じゃ、何の役にも立たないから仕方が無いんだけれども。
 でも日がな一日やることが無く、お茶や散歩で時間つぶしってのも限界がある。
 とは言うものの、先日フェイ兄にカミングアウトしたことで家庭教師の時間を明後日から増やされるらしい。
 やることは、歴史、礼儀作法、舞踊に貴族家系図。
 前二つの授業に凄く時間を割かれる予定で、後ろ2つはまあ付録みたいな感じ。
 ミーシャにもいろいろと教えてもらっていたけれど、やっぱり宮廷付の教師になると教える内容の格が違うらしい。
 僕自身はミーシャが先生で全然問題なかったんだけどね。


「さて、明後日に向けての予習でもしましょうか。ライラ、すいませんが歴史の本をとっていただけますか?」
「はい、姫様」


 持ってきてもらった本を広げて、頑張って読んで見る。
 うう、やっぱりなんか難しい。
 ことさら難解な言い回しを使っていたりするもんだから、文章の意味を理解するだけで脳みそがショートしそうになる。
 読み始めて3分で嫌になったけど、メイドさん達が見ている手前簡単にギブアップしたのでは恥ずかしい。
 妙な意地を張って、僕は頭から湯気を出しながらうんうん唸って暗号解読に勤しむ。
 ほどなくしてアニスがワゴンを押して入ってくると、焼きたてクッキーの美味しい匂いが部屋に充満する。
 朝ご飯を食べた後だけど、そんな美味しそうな匂いをさせられたら食べたくなるのは仕方ないよね。
 目の前に差し出された紅茶とクッキーを見て、始めたばかりの勉強を中断してお茶に逃げる。


「美味しい。流石料理長ですね」
「はい、姫様からレシピを頂いた後、毎晩試行錯誤して改良を加えた新作らしいです」
「ははは、凄い職人魂」


 本当は皆と一緒にお茶をしたかったが、ニーナたちの例もあるのでそこはぐっと我慢する。
 一人で食べてもつまらないのにとは思うものの、これが姫様と呼ばれる人の運命だと割り切って考える。
 ほんと偉い人になんか成りたくなかったなぁ。
 愚痴っぽいことを考えながら暖かいお茶に口をつけていたら、突然背後の窓ガラスが大きな音を立てて砕け散る。


「「きゃぁぁぁ!」」


 アニスやライラの悲鳴が聞こえる。
 多分僕も同じよな悲鳴を上げていたに違いない。
 降りかかってきたガラスの破片を振り落としながら、何が起こったのかと辺りを見回す。
 砕け散った大窓、壁に突き刺さった太い矢。
 その矢に括りつけられた円筒の筒から吐き出される白い煙。
 爆発物?


「皆、部屋から逃げて!」
「え? あ?」


 僕の声にとっさに反応できない3人は、煙を吐き出す筒をぼんやりと眺めて不思議そうにしていた。
 パチパチっと何かが小さく弾ける音がしたかと思ったら、今度は大きな音を立てて筒が破裂する。


「きゃぁぁぁぁ」
「早く外へ!」
「は、はい!」


 僕の叱咤にようやく我を取り戻した3人は、慌てて廊下へとまろびでた。
 扉と僕の間に机がある分僕が一番逃げるのに時間が掛かる。
 小走りに部屋を出ようと思ったが、打ち込まれた矢はさっきの破裂音以降、音も煙もしなくなった。
 僕は恐る恐る矢のほうへ近づくと、爆ぜた筒の中から少し見えている紙の様なものを取り出す。
 所々焼け焦げたその紙には、大きな字でこう書かれていた。


 帝国の牝犬に尾を振る者に、我らは等しく天誅を加えん。

「なに、これ?」


 血の様な真っ赤な字で書かれたその文字に、僕は言いようの無い不気味さを感じた。
 そこへ随分と慌てたフェイ兄やレオ達が部屋の中に駆け込んでくる。
 僕が無事なのを見て安心したのか、ほっとした表情をして近づいて来て、僕の手元にある紙に気がついて凍りつく。


「フェイ兄様、これって?」
「それは……」


 何かを言い淀むフェイ兄をみて、加速度的に増殖する僕の不安。
 まさか、それは無いだろうと思いつつも不安を形にしてしまう。


「この帝国の牝犬ってボクのことですよね?」
「……」
「で、それに尻尾を振る者っていうのは、ボクに良くしてくれている人の事って解釈でいいんだよね?」
「……いや、それは……」
「フェイ兄様、ミーシャはどうしたの? なんでミーシャはここに今居ないんですか?」
「……」


 僕の中で大きく育ちつつある不安を否定して欲しくて、一歩フェイ兄に詰め寄る。
 一方のフェイ兄は、僕の視線を真正面から受け止めきれずに苦しげに横を向く。
 その後ろに立つレオだって良く似た表情だ。
 何より、彼らはさっきから僕の言葉に対して何一つ反論してくれない。
 僕が一番聞きたくない事を、馬鹿なことだと否定してくれないのだ。


「フェイ兄! ミーシャに何があったの!?」


 僕は思わずフェイ兄の胸倉を強く握り締める。
 否定して欲しい。そんなことは無いと言って欲しい。僕の想像は、馬鹿げていると笑い飛ばして欲しい。
 どんな言葉でもいいから、早く僕を否定してよ!


「フェイ兄!」
「ミーシャは、今行方不明だ……。状況からして恐らくは……」


 ガシャンという大きな音が、部屋の中に響き渡る。
 僕もフェイ兄もハッとなって後ろを振り向くと、そこには扉越しにこちらを呆然と見つめるアニスが居た。
 彼女の足元には、さっき彼女が運んできたワゴンが横倒しになっている。


「う、うそ……」


 アニスの絶望に塗りつぶされた表情を見て、僕は自分の犯してしまったミスに今更ながら後悔する。
 いまここで僕は取り乱してフェイ兄を問いただすべきではなかったんだ。
 僕はきゅっと下唇をかみ締め、自分自身の迂闊さを呪った。



[24455] 30話「そして僕は笑えなくなってしまった(後編)」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/08 06:51
 張り詰めた空気の中、アニスが一歩部屋の中へと入ってくる。
 僕とフェイ兄は自分達の失態に動揺していて、彼女が近寄ってくるのをただ黙ってみているだけ。
 そうしてアニスが僕達の目の前で立ち止まると、震える声をようやく絞り出した。


「で、殿下、ミーシャちゃんに、一体何があったんですか?」
「……そ、それは」
「アニス、あのね」
「姫様は!!」
「っ!」
「……姫様は、少しの間だけ黙ってていただけませんか?」


 絶叫に近い音量に、なんとか宥めて下がらせようと思っていた僕は、見えない何かに押されたかのように一歩後ろへ下がる。
 フェイ兄の顔をちらりと盗み見ると、苦虫を噛み潰したような顔でアニスを見下ろしていた。
 知りたくも無い事実の恐怖に、アニスは怯えて逃げ出しそうになっているが辛うじて踏みとどまる。
 自分が大好きなミーシャの事だから、アニスは踏みとどまれたのだろう。
 アニスの悲壮な表情と揺れる瞳が、フェイ兄に彼女の覚悟を伝えた。


「ミーシャは、恐らくは昨晩から行方不明だ。何らかの事件に巻き込まれた可能性が……」
「その事件というのが、その手紙なんですね?」
「断定は出来ない」
「他にどういう解釈が出来るのですか? 昨日ミーシャちゃんが居なくなって、今朝この手紙が放り込まれたってことは、そういう事ですよね?」
「まだ死んだと決まった訳では……」


 アニスは俯き加減でじっと下唇を噛んで、溢れてくる何かと戦っている。
 多分それは悲しさというよりも、何かに対する怒りなのだろう。
 彼女の小さな肩が振るえて、息遣いも荒い。
 

「なんでミーシャちゃんが狙われなくちゃいけなかったんでしょうか?」
「……こういった手合いに、理屈など付けられん。奴らは奴らの勝手な主観で行動しているんだ。運が悪かったとしか」
「嘘! 運が悪かったなんて、……嘘だ。そんな殿下自身も信じていらっしゃらないような言葉で、私をはぐらかさないでください」
「アニス、落ち着くんだ。君の気持ちはよく分かるが、身近に敵を探してもそれは不毛な結果しか……」
「じゃあ、私は誰を恨めばいいんですか? もし本当にミーシャちゃんが……だったら、私は誰を憎めばいいんですか?」


 フェイ兄に向かって吐き出された言葉は、だけどしっかりと僕の胸に深く突き刺さる。
 ミーシャが居なくなった理由は、恐らくこの手紙が言うとおり私と仲良くなったからに違いない。
 誰かが僕達の毎日をどこからか見ていて、それで生贄を見つけたんだ。
 ミーシャを殺したのが犯人の罪なのであれば、ミーシャを殺させる要因を作ったのは……僕の罪なのだろうか?
 人と仲良くなりたいと思うことが罪になるのなら、僕はどうあればよかったのかな?


(憎めばいいのよ。傍に居る人を。自分を取り巻く状況を。そして自分自身を)


 それは幻聴。
 聞こえるはずの無い、本当のスワジク姫の声。
 でも、今ならなんとなく彼女の深い悲しみが少し見えた気がした。


「アニス……」


 僕はどう声を掛ければいいのかも分からないまま、それでもいたたまれずに彼女に声を掛ける。
 何か話をすることで、少しでもアニスの気持ちが和らげばいいと。
 でもそれは火に油を注ぐ結果にしかならない。


「楽しいですか?」
「え?」
「周りの人を不幸にして、そんなに楽しいんですか?」
「そこまでだ、アニス!」


 据わった目で僕を睨みながら、低い声で僕を糾弾するアニス。
 そこから先を言わさないようにと、フェイ兄が僕とアニスの間に割って入る。
 だが激昂したアニスがそれで止まるわけも無く、フェイ兄を振り切って僕に掴みかかって来た。


「そんなに私たちが苦しむ姿が楽しいんですか?」
「ち、違っ、そんなことは……」
「だったら、なんでミーシャちゃんがここに居ないんですか!?」
「……」
「だったら、なんでレイチェルさんがここに居ないんですかっ!!」
「……」
「皆、貴女に近づいて居なくなったんですよ? これ以上、私から友達を奪わないで……」


 ぼろぼろと涙を流しながら崩れ落ちるアニス。
 僕はただ見つめることしか出来ず、声すらも出ない。
 そして、破滅の言葉は紡がれる。


「どうして、貴女はあのまま死んでいてくれなかったんですか?」
「アニス!」


 フェイ兄の鋭い叫びが部屋に響いたが、そんなものは今のアニスにも、僕にすら届かない。
 僕に向けられた純粋なアニスの願い。
 その呪詛は、あっという間に僕の心臓に絡みつき鋭い棘を突き刺した。


「貴女があのまま死んでくれていたら、せめてミーシャちゃんは死ななくて済んだのに!」
「よせ、アニス! それ以上喋るなっ!!」
「あんたなんか、死んじゃえば良かったのにっ!!」


 パンッと乾いた音が鳴り響く。
 フェイ兄がアニスを平手打ちした音。


「衛兵! この者を連行して牢にぶち込んでおけ」
「はっ!」


 叩かれて呆然としているアニスを、見知った衛兵達が両脇から抱え上げた。
 アニスは特に抵抗する様子も無く、大人しく連れてゆかれる。
 ほんの少し前まではいつもと同じように僕と過ごしていたアニスが、今は罪人として連れて行かれるのだ。


「大丈夫か?」
「う、うん」


 フェイ兄が僕に寄り添うように肩を抱き、気遣ってくれている。
 いつもはウザイとしか思えない行為も、今だけは有難かった。
 僕はフェイ兄の胸に頭を持たせ掛けながら、ぼんやりと宙を眺める。


「フェイ兄、アニスは……、どうなるの?」
「……暫く牢で頭を冷やしてもらおうと思う。時間が経てばあの娘も冷静になれるかもしれないしな」
「不敬罪……、ってやつなんだよね?」
「ああ……」
「レイチェルの二の舞だけは……、駄目だよ」
「ああ……」


 多くの人が見守る中での発言だから、簡単には許されることではない。
 それに悪しき前例がある。
 でもアニスまで居なくなったら、僕はきっと駄目になるだろう。
 フェイ兄は僕を優しく抱き上げると、そのまま寝室へと連れて行ってくれた。





 スワジクを寝室に運んでから、身の回りの世話をライラとスヴィータに任せ、私は自分の執務室に戻った。
 ミーシャの事も、アニスの事も非常に頭の痛い一件ではある。
 が、それよりも私には気にかかることがあった。
 それはスワジクの事である。
 人格が入れ替わって以降のスワジクは、本当に良い笑顔をする娘だった。
 私が7歳の夜に見た、あの時のスワジクのはにかむ姿と変わらぬように。
 しかしさっきの彼女の表情は、再会したときのスワジクを髣髴とさせた。
 まるでこの世に楽しいことなど何一つとしてないというような、絶望や拒絶を臭わせる表情だ。
 このままでは、今のスワジクも同じ道を歩んでしまうのではないか?
 それを未然に防ぐには、私はどう動けば良い?


「殿下、そう思いつめたところで状況は変わりませんよ?」
「……レオ、か」
「この度の件は、未然に防げず申し訳ありませんでした」
「人は万能には出来ていないんだ。広げた指の間から零れていくものだってあるだろう」
「そうかもしれませんが、やはり悔やまれます」


 優秀だ、天才だと言われても、所詮人間のすることに万全などということはない。
 今は極左派の仕業としてミーシャの件を捜査しているが、それだって本当かどうか怪しいものだ。
 何せスワジクの敵は多すぎる。
 皆、自分達の正義を振りかざして、あの娘を蹂躙しようと暗躍しているのだ。
 それはもちろん自分達を含めての話。


「私はな、レオ……」
「はい、なんでしょうか」
「スワジクがなんであそこまで傍若無人に振舞っていたのか、本当に理解出来なかった」
「はい」
「下心を持って近寄ろうとする者には牙をむいて、親しみを持って近寄ろうとするものには毒舌と暴力で接してきたんだ」
「はい」
「私はそれを母親に対する処遇への逆恨みや自分の環境への反発、ヴォルフ家の名を守るためだとばかり思っていたのだが……」
「はい」
「いや、思い込もうとしていたのかも知れないな」


 だからどうしたという話。
 全ては憶測、全ては過去。
 スワジクが何を考え、思っていたのか、それはもう私が知りたいと思っても叶わぬ願いなのだ。


「私は、やり直せるのだろうか? あの夜からもう一度……」


 そんな自分にだけ都合の良い話が、世の中に通用するはずも無く。
 次の日の朝、スワジクの部屋の前でぼんやりと立っている二人の侍女の姿を見つける。
 何事かと思い二人に何があったのか聞いてみた。


「はい、今朝いつものように姫様の支度をと思って参りましたら、道具一式を中に入れたところで追い出されてしまいました」
「何を考えているんだ?」
「私たちには、少し分かりかねます」
「分かった。私が聞いてこよう」


 私は二人の侍女を置いてスワジクの部屋へと足を踏み入れた。
 スワジクは鏡台の前に座って一生懸命髪を梳いているところだった。
 鏡に私が映ったのを見たのか、慌てたように此方を振り向いて朝の挨拶をする。


「今朝はどうしたんだい?」
「えと、自分のことは自分で出来るかなと」
「それは彼女達の仕事を奪うことになるんだよ。気持ちは分からないでもないけれど、それも王族の仕事の内だ」
「かもしれませんが、あまり彼女達もボクと一緒にいたいと思ってないようですしね」
「……」
「なら、一人のほうが気楽で良いのです」


 困ったような顔をしてそう言い切るスワジク。
 きっと昨日のアニスのことが尾を引いているのだろう。
 だからといって無理やり侍女を引き入れるのも、スワジクの気持ちを考えれば躊躇われれる。
 私は彼女に何も言えず、仕方無しに朝食の準備を手伝って一緒に食べることにした。

 次の日も、やっぱり侍女たちは扉の前で待ちぼうけを食らわされている。
 その次の日も同じことが繰り返され、ライラ達もそういう役割に変わったのだと割り切った様子。


「スワジク、ご機嫌はどうかな?」
「ああ、フェイ兄様。別にいつもと変わりないですよ? なべて世は事もなし、ってところですね」
「そうかい」


 次の日もまた、私は彼女の様子を見に部屋へ通う。

 
「え? 今日はずっと外の景色を眺めていました。まあ、少し退屈ですけど、平和が一番ですよ」


 錆び付いた様な愛想笑いしかしなくなったスワジクを見ても、私には彼女にかけられる言葉が見つからず、ただそうかと頷くだけ。
 予定していた家庭教師たちも全てキャンセルして、スワジクはただ一人あの寝室に閉じこもる。
 誰とも会話もせず、少しも笑いもせず。
 ほんの数日前までのあの賑やかさが、いかに貴重なものであったのか嫌でも思い知らされた。
 私は、あのスワジクに何をしてやれるのだろう?
 どうすれば、私はあの笑顔を取り戻せるのだろう?
 過ぎ去った時間は、どうあがいても取り戻せないのだろうか……。



[24455] 31話「ようこそ、鳥の冠亭へ」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/10 13:59
 王都の北部、エリス通りの一角にある酒場。
 駅馬車から吐き出される旅行者相手のその酒場で、元王宮政務館付き侍女である私は働いていた。


「ニーナ! 3番の料理、上がったぞ」
「はいっ! 今行きます!」


 キッチンの奥から親父さんのだみ声が飛んでくる。
 私は直ぐにカウンターへ向かい、置かれてある料理を手押しワゴンの上に載せ、窓際にある3番のテーブルへ向かう。
 途中、食べ終わったテーブルの片付けをしていた女将さんから、次の指示が飛んできた。


「ニーナ! あっちのテーブル早く片付けておくれよ」
「はい! これの帰りに行きます!」
「あいよ」


 テーブルの間を器用にワゴンで抜け、3番テーブルに到着。
 山と積まれていた料理を手際よく並べて行き、忘れず一声掛けて行く。
 これは王宮に躾けられた、侍女の心得みたいなもの。
 体に染み付いてしまっていて、ついつい口に出てしまうのだ。


「はい、スパニラ海鮮丼大盛りです。今日の海老は新鮮ですから美味しいと思いますよ?」
「ありがとうよ、ニーナちゃん」
「こちらの方はランチのBセットですね。このお肉には、イチジクのジャムが合いますので、是非お試しください」
「へぇ、そんな食べ方もあるんかー」
「ええ、西方から来られるお使者の方たちは、よく好んで食べていらっしゃいましたよ」


世の中何が受けるか分からないもので、これがお客様にとっても評判が良い。
 おかげで指名が多くなってチップも沢山貰えて、私的には大満足。
 ただ、忙しい時間帯になるとほぼ殺人的な仕事量になるんだけれども。


「ニーナちゃん、注文取りに来てくれよー」
「はーーい! 今行くんでちょっとだけ待ってくださいぃぃ」


 もてもてなのは嬉しいけど、受け持ち以外のエリアからもご指名がくるのは勘弁してほしい。
 そんなこんなの昼食時、20テーブルもある広いホールを、私は右へ左へと忙しなく動き回った。


「よぉ、お嬢ちゃん。おれっちの注文も聞いてくれよ」
「ひぃやぁっ」


 新規のお客様の注文を受けに早足で向かっていたら、途中のテーブルの客が私のお尻をぺろんと撫で回す。
 慌てて振り返ってみると、傭兵崩れっぽい人達が下卑た笑いで私の体を値踏みしているみたい。
 震える足を必死に押さえながら、丁寧な対応を心がける。


「すいません、あちらのテーブルの注文をとりましたら直ぐにまいりますので、暫くお待ち頂けませんでしょうか?」
「なぁにいってんだよ。俺たち腹減ってんだ。こっち先に聞けよ!」
「あの、順番ですので。すいません、直ぐに戻ってきますから」
「よぉ、この嬢ちゃんいいケツしてるぜ」
「ちょ、お客様、触らないでください」
「おいおい、そんな子供みたいな女触って喜んでんじゃねぇよ」
「うるせー」
「ちょっと、いい加減放してください」
「いいじゃねぇか、減るもんじゃなし」
「そういう問題じゃありませんからっ!」


 腕をつかまれ逃げるに逃げられなくなった私は、この状況を見ているであろう彼の方へと助けを求める。
 彼と目が合うと、投げやりっぽい表情でこっちに歩いてくるのが見えた。
 ってか走って来てよ、この自宅警備員!


「あー、お客さん達、この店はそういったとこじゃないんで。遊びたきゃ、この先にある遊郭にでもいってきなよ」
「ああ? なんだ、この小僧は?」
「坊ちゃんはよ、家に帰ってママのミルクでも飲んでな」


 子供扱いされるの嫌ってるから、ああいった扱いは彼の前では禁句なのだけれど。
 案の定、彼のこめかみの血管がひくひく動いてる。
 カウンターの中でこっちを見てるマスターを振り返り、彼は暴れて良いかどうかの確認をした。
 血の気だけは一人前。
 そしてカウンターの中のマスターが良い笑顔で、サムズアップした手を上向きから下向きへと変える。


「よう、お客さん。じゃあこうしよう。表に出て、俺に勝てたらここの食事の払いは全て俺持ち。負けたら、尻尾巻いて帰るってのはどうだ?」
「ぶはっ! このチンマイのが俺たちの相手をするって? ひぃはははははっ」
「腹が捩れるぅ! お子様が粋がった所で、微笑まし過ぎて笑うしかねぇんだよ」


 あ、どっかでブチンって音が聞こえたような。
 彼を見たら、案の定切れて目が逆三角になっている。
 うん、明日からもうちょっとご飯に小魚とか牛乳とか増やした方が良さそう。


「はっ、そのお子様相手にびびってんじゃねぇのか?」
「くひひっ、ああいいぜ。受けてやるよ、小僧。だが、飯だけじゃ許さねぇ。この嬢ちゃん、一晩借りるぞ」
「ああ、望むところだ」
「ひゃはー、こりゃ燃えてきたぜ。飯と女が食い放題だとよ」
「まったく、しょうがねえ奴だ。こんな子供相手に欲情してやがって」
「最近、体動かしてなかったから、丁度いいじゃねぇか。飯がただってのは惹かれるしな」


 ……なに勝手に私を景品に掛けているのかな?
 静かなる怒りをぐっと腹の底に留めながら、傭兵崩れっぽい人達に連れられて外へと一緒に連れ出された。
 景品が逃げないようにってことなんだろうけど、荒事は嫌いなので勘弁してほしい。
 

「よし、この辺りなら十分な広さがある。さあ、やろうか」
「ああ、いいぜ」


 店の裏側にある納屋横の空き地で、彼は腰に差していた木剣を取り出した。
 敵は全部で3人。
 その内の一人は私を捕まえていて動けないから、実質2対1。
 ごろつき達は相変わらず彼を舐めきっており、彼もそんなごろつき達を見て内心笑っているんだろう。


「ふっ、せいぜい苦しまねぇように一発で終わらせてやるよ」


 ごろつきがそう言うが早いか、彼との間合いを一気に詰めて袈裟懸けに鞘付きの剣を振り下ろす。
 当たれば骨の2、3本は折れそうな勢いの打撃だが、彼はそれを木剣でするりと受け流し、返す刀でごろつきを打ち据えた。
 鈍い音が聞こえて、ごろつきは脂汗をだらだらと垂れ流しながらその場に蹲る。
 多分、鎖骨折れたんじゃないかな?


「野郎!」


 仲間の人が蹲って動かないのを見て、もう一人の方が激情に任せて剣を振り回す。
 今度の人とは2、3回打ち合ったかと思ったら、相手の喉に鋭い突きを入れた。
 ごろつきの人はそのまま真後ろへもんどりうって倒れ、動かなくなる。
 身じろぎするくらいの短い時間で2人を倒し、最後の一人に鋭いガンを飛ばす。


「まだやるのか? ごろつき」
「くっ」


 目の前で蹲る2人と、剣を片手に息も乱さず悠然と立つ彼を見比べる最後のごろつき。
掛かっていくかと思ったら案外あっさりと観念したようで、手にした剣を腰に戻して「降参だ」と彼に告げた。
私は無事解放され、彼の元へと小走りに駆け寄る。


「よう、ニーナ、大丈夫か?」


 爽やかな笑顔でこっちを見る彼へ、私は精一杯の笑顔と共にその腕の中へ飛び込む。
 私の様子に安心したのか、彼は剣を剣帯に差し込んで私の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
で、私はその気を緩めた彼の襟首にそっと手を回し、力の限り締め上げた。


「ぐぅぅふぅぅぅ」
「ちょっとボーマン!! なに勝手に私を賞品扱いしてんのよ!」
「死ぬ、死ぬ! 息が出来ねぇ」
「ああいう時は、まず私を助けるべきでしょう? か弱いレディを守れないなんて、それじゃただの穀潰しだよ? 分かっているのかな、かな?」


 ボーマンは私の手を襟から強引に引き剥がすと、涙目でこちらを睨み返して来た。
 その視線に、私は全身で怒っていますと頬を力一杯膨らませて抗議する。


「どこがか弱いレディなんだか」
「な・に・か?」
「す、すいません」


 呆然と私たちのやり取りを見ていたごろつき達を八つ当たり気味に睨むと、慌ててその場を立ち去っていく。
 もう2度とここにくんなと心底思う。


 ボーマンと私は、王宮を解雇されてからすぐこの酒場で働き出した。
 冒険者ギルドを兼ねる酒場は、慢性的に人不足なのだ。
 なんでかというと、さっきみたいな荒事が怖くて辞めていく女の子が多いのである。
 高給で住み込みの働き口なんて願っても無い話だから、私は2つ返事で了承しボーマンとの共同生活を始めた。
 最初ボーマンは職が見つかったんなら俺は別のところに行くといっていたが、一生懸命頼み込んだら分かってくれたみたい。
 なんだかんだ言って優しい人なのだ、ボーマンは。
 ま、その時のボーマン、妙に顔を紅くしていた理由だけは良くわかんなかったけど。


「あの、ニーナさん? そろそろ襟首放してほしいんですが」
「あ、ごめん」


 手を放したら、涙目のボーマンが私を睨んでくる。
 ちょっと首が絞まっていて、息苦しかったみたいだ。
 ま、乙女の心を傷つけた代償だと思えば、安いものだと思う。


「やっぱりさ、俺の護衛って要らないんじゃねぇの?」
「何いってるのよ、か弱い女の子をこんな荒くれ者が良く来る酒場に一人放置していく気? それでも騎士を目指す人なのかな?」
「決めたの、お前じゃねぇか」
「な・に・か、文句でもあるの?」
「……はぁ、わーったよ、もう」


 がしがしと頭をかき回しながら、店へと歩いてゆくボーマン。
 彼の背中を見送った後、ため息を一つついて私も仕事にもどる。
 騒がしいけど、充実した日々。
 王宮を首になったのは悲しかったけど、今はちゃんとしたお仕事にも就けたし、ボーマンも一緒だから不安など無い。
 私はこんな毎日がこれからも続くものだと、このときは無邪気にそう思っていた。 



[24455] 32話「はい、救急車が通りまーす」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/13 23:49
 鳥の冠亭の裏口で買い出し用の荷馬車の手入れをしていると、店の大将が顔を出してきょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。
 あれだけガタイの良い人が周囲を伺っている絵というのも、なんだか物騒な気がする。
 知らない人が見たら、どこの兵士が忍んで来たのかと思うだろう。
 暫く様子を見ていたが一向に中に戻らないので、俺はもそもそと馬車の下から這い出ると大将に向かって声を掛けた。


「どうしたんですか、大将?」
「おお、ボーマン。そこに居たのか。急で悪いんだが、町外れのヘインズさんとこ行ってトマトを1箱貰ってきて欲しいんだ。頼めるか?」
「ええ、いいですよ。丁度荷馬車の整備も終わったんで、ひとっ走りいってきます」
「おう、頼むわ。代金はいつもどおりでお願いしますと伝えておいてくれ」


 それだけいうと大将は、用は終わったとばかりにとっとと中に引っ込んだ。
 必要の無い話をだらだらとされるよりは、ずっとさっぱりしていて俺としては付き合いやすい人である。
 逆にニーナのような反応はわりと苦手かもしれない。
 あいつ、声を掛けないとすぐ不機嫌になるし、質問されたから素直に答えたのに、答えが気に入らないのか直ぐに噛み付いてきて口論になる。
 まったく女って奴は訳がわかんねぇ。
 さて、そんな与太話は置いておいて、大将に言われた買い物に行かなきゃな。
 俺は納屋の隣にある馬小屋から、いつものラバを1頭引っ張ってくる。
 そいつを荷馬車に括りつけて、ヘインズさんの農場へ向かって出発した。


 ヘインズさんの農場へ行く道はもう何度も通っているので、迷うことも無く到着できた。
 母屋の前に置かれていたトマトを荷馬車に積み込み、その他にヘインズさんがこちらに売り込みたい野菜をいくつか受け取る。
 大将が気に入れば、次回の注文のときに発注することになるようだ。
 積み込みが終わると俺は愛想のいいヘインズさん夫妻にお礼を言って、そのまま西地区の鳥の冠亭へと向かう。
 今からなら晩御飯の時間を少し過ぎたくらいには帰れそうだなと、馬車の上でぼんやり考えながら夕陽に照らされた地道を行く。
 こんな平凡な毎日を送っているわけなんだが、騎士になるという夢は捨てた訳ではない。
 ただ、ゴーディン王国での達成は難しくなった。
 じゃあ近隣の国へ目を向ければいいじゃないかとも思わなくは無いが、実家がゴーディン王国の1地方を預かる領主である以上、他国に流れれば実家の立場が無い。
 首になったからと家に泣きついていくのも自分のなけなしのプライドが許さないし、 実際問題行き詰った感をひしひしと感じている。
 今はまだニーナが自立するまでというその場しのぎの目的があるからいいが、それすらも無くなったら俺はただの役立たずだと思う


「くそー、あのクソワルスキーの奴、今度あったらぶっ飛ばしてやる」


 益体も無い事を一人呟きながら、ほんと将来どうしようと真剣に悩みつづける俺だった。
 ラバに引かれるままに馬車を走らせていると、程なく陽も落ち辺りが薄暗くなってくる。
 俺は用意していたランタンと支柱を取り出し、馬車の荷台に固定し点火した。
 ほんの数m先までだがなんとか道が見えるので、馬車の速度を落として事故を起こさないように気をつける。
 もとからこれくらいの時間になると分かっていたので、特段慌てることもない。
 街に入れば家から漏れる光もあるし、道も石畳で舗装されているので遅れた分は挽回できるはず。
 

「ん?」


 ようやく西地区に入って宿屋街辺りを走っていると、なにやら人だかりが出来ている。
 なんだろうと思って馬車をゆっくり走らせていると、急に道端から人が飛び出してきた。
 

「うわぁお、と、止まれ!」


 ラバと飛び出してきた人の両方に向かって叫びながら、たずなを目一杯引き、車輪止めを引き上げる。
 慣性に押された馬車がそれでも前に進んだが、ラバも車輪止めも力一杯頑張ったお陰でなんとか飛び出してきた人を跳ねることもなく止まれた。
 よかったと思ってほっとしたら、とたんに怒りが湧いてきて目の前の男を罵倒する。


「お前馬鹿か! 馬車の前に飛び出すなんて死ぬ気か!?」
「む? 貴様は確か……」


 細身の爺さんが、俺のほうを睨むように凝視している。
 だが俺のほうはそんな爺さんの視線よりも、彼の風体に度肝を抜かれていた。
 全身血まみれなのだ。
 さっきまで街角の一角で屯していた人ごみは、今度は俺と爺さんを半円に囲むようにして成り行きを見守っている。
 俺は万一のため、手探りで腰に差した木剣の柄を握った。


「丁度良い、貴様、こっちに来てワシを手伝え!」
「はぁ? 何寝ぼけたこといってんの。血まみれの不審人物に指図される云われはねぇよ」


 俺がそういって相手の言葉を完全否定すると、さも意外そうな顔をしてこっちを見ている。
 っていうか、ギャラリーの視線も妙に冷たく感じるのだが、気のせいだろうか……。


「元近衛の小僧は、よほど人助けが嫌いと見える。姫様もとんだ眼鏡違いをされたものだな、やれやれ」
「!?」


 頭を左右に振りながら、人ごみの中に入っていこうとする爺さん。
 姫様という単語に思考を囚われていた俺は一瞬呆然としていたが、自分でも分からない何かに突き動かされて、去っていこうとする爺さんの背中に向かって慌てて声を掛けた。


「待てよ! 姫様ってなんだよ! なんで」
「喧しい! 姫様を泣かせたくなかったら、急いでワシを手伝わんか、ひよっこが!」
「なっ」


 意味が分からない。
 何故目の前の爺さんは俺が姫様に憧れていたことを知っているのか。
 何故姫様が泣いてしまうのか。
 分からない事ばかりだ。
 なら、この爺さんの後についていけば何か分かるのだろう。
 例え何かの罠だとしても、武器もあるからなんとかなる。
 俺はそう結論付けて、血まみれの爺さんのあとを追った。


「先生! 水を持ってきました。あと清潔な布も一緒に」
「すまぬな。水桶は患者の横において、布は汚れぬように持っていてくれ」
「はい」


 患者? 怪我人がいるのか?
 前を行く爺さんが周りの人にいちいち指示を与えながら進んでいくのを見て、余計に分からなくなった。
 人ごみを抜けたら、そこは血の海だった。


「な……」
「せ、先生、ようやく血が止まりました」
「そうか、では君と君、それにそこのひよっこ、患者をなるべく揺すらんようにそこに広げた毛布の上に移すんじゃ」
「あ、ああ、わかった」


 目の前に倒れている女性は、どう贔屓目に見ても重傷である。
 とても生きているとは思えないような有様だ。
 指を指された男達がその女性に近づいて手と足を抱える。
 俺は腰の辺りを持って、傷に響かないようにゆっくりと持ち上げた。


「よし、血を触ったものは、こっちの桶へ来い。綺麗に洗い落とすんじゃ」
「はい、先生」
「で、そこのひよっことお前達は患者をあの馬車に乗せよ。で、お前達は人を引き摺ったような跡を違う方向へ作っておいてくれ」
「はい」


 爺さんの指示に従順に従って動く街の人達。
 ますます意味が分からなくなって、なにやら偽装工作を始めた彼らを呆然と眺める俺。
 そこへ爺さんの叱咤が飛ぶ。


「小僧! 患者を死なせたいのか! 早く運ばんかっ!」
「は、はいっ!」


 場の雰囲気に流されて素直に返事をしてしまったことを後悔しつつも、毛布の上の女性をそっと馬車の荷台へ乗せた。
 知らない間に馬車の上には柔らかそうな寝床が設えてあり、邪魔なものは全部馬車から下ろされている。
 一瞬迷ったが、人命には代えられないとトマトは諦めることにした。
 大将の怒る顔が思い浮かんだが、これはしょうがないよな?
 悩んでいると、さっきの爺さんが馬車の荷台に乗り込んできた。


「よし、小僧、ここから逆向きに走ってブロン地区のワシの屋敷へ行け」
「あんたの屋敷なんか知らねぇよ」
「使えん小僧じゃな。ワシが指示を出すから、その通り走らせるんじゃ。あとなるべく静かに早く走れ」
「なんだよ、そのムチャな要求は」
「姫様が泣くぞ?」
「それがどうして姫様が泣く話になるのかが分からねぇ」


 そういって噛み付くと、心底不思議そうな顔をしてこっちを見る爺さん。
 微妙に憐れみが含まれているような気がするのは気のせいだろうか。
 爺さんは座る位置を変えて、横になってる女性の顔に掛かった血まみれの髪を分けてみせる。
 なんとなく見たことがあるような顔なんだが、どうも思い出せねぇ。
 そんな俺を、さらに深い憐れみをもってみる爺さん。
 くそっ、なんか腹が立つ。


「この娘は姫様付きの侍女じゃ。お前も一度あっとるじゃろうが?」
「っ!! そういわれてみれば似ているような……」
「時間が惜しい。早く行け!」


 無言で頷いて馬車を出そうとしたときに、一人の男が馬車に取り付く。


「先生! この後俺らどうしたらいいですか?」
「早く家に帰って、この事には口を噤んでおけ。でなければ厄介ごとに巻き込まれるぞ。衛士たちがくるかも知れぬが、ワシらのことは一切口外してはならん」
「は、はい、先生! それは絶対にしゃべりません」
「ヨシ婆さんには暫く会いにいけんから、薬が欲しければ使いのものを屋敷へ遣すように言っておいてくれ。あと急患も一緒じゃ」
「はい。分かりました」
「後はよろしく頼んだぞ」
「はい、先生! 任せておいてください」


 爺さんが短く俺に行けと指示を出す。
 それに素直にしたがって、言われるとおりに馬車を走らせた。
 程なくして街を抜け、木々が鬱蒼と生い茂るブロン地区へと入る。
 いくつか道を曲がりより深い森の中へと入っていくと、目の前に急に開けた土地が現れ、その先に1軒の古ぼけた館が見えた。


「あれがワシの屋敷じゃ。門扉は既に開けてあるから、かまわず突っ走れ」


 その指示に舌打ちしつつ、俺は馬車を可能な限り静かで早く走らせた。
 爺さんのいうとおり大きな鉄格子の門扉は、俺たちを歓迎するかのように大きくハの字に開かれていた。
 それを横目に見つつ、敷地に入って玄関前のロータリーに馬車を横付けする。
 すると玄関が勢い良く開け放たれ、3人の侍女が現れて馬車へと駆け寄ってきた。


「この患者を手術室へ」
「はい、ドクター」
「それと、ジュークは如何しておるか?」
「はい、ドクターからの使いが来てから、直ぐに術式の準備に入っております」


 俺には意味の分からない会話を繰り広げながらも、横たわっている女性を馬車から降ろし担架に乗せて運んでゆく。
 正直訳が分からず、一人取り残された感があるのは仕方がないと思うんだ。

 
「意味がわかんねぇよ! 一体何がどうしてこうなってるんだよ、爺さん!」
「馬鹿が幾ら考えても時間の無駄じゃ。それよりも早く行け、状態が悪化しておる」
「はっ、承知いたしました、ドクター」
「爺! ちゃんと後で説明しろよなっ」
「気が向いたらしてやろう。今日のところはもう帰って良いぞ。あと、この場所と侍女のことは誰にも漏らす出ないぞ? 姫様を守りたければな?」


 捨てゼリフの様な一言を残して、目の前で玄関の扉が閉ざされる。
 徹頭徹尾、状況に振り回された挙句、意味も分からぬまま帰って良いとか、ふざけるなと憤るものの当たる先がない。
 仕方ないので馬車に戻ると荷台に見慣れぬ荷物が置いてある。
 どうやら街の人達が侍女さんの荷物の一部を持ってきて載せてくれていたみたいだ。
 振り返って渡しに行こうかと思ったが、なんかムカつくのでやめておく。
 どうやら着替えだけみたいだから、無くても問題ないだろう。
 こんな大きなお屋敷なんだしな。
 ああ、レベルの低い事してるのは重々承知だが、これくらいの意趣返しくらい許してくれよ。
 そう自分自身に言い聞かせながら、夜道を鳥の冠亭に向けて帰っていく俺だった。



[24455] 33話「ガーゴイルって生まれて初めて見ました」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/15 21:27
 カーテンの隙間から差す朝陽がもろに俺の顔に当たって、折角気持ちよく寝ていたのに目が覚めてしまった。
 頭をぼりぼりと掻きながら自分を見下ろすと、何故かシャツとパンツ一丁である。


「あれ? なんで俺パジャマ着ないで寝たんだろ……」


 まだ寝ぼけている頭をフル稼働させながら、昨日のことを思い出そうとするも失敗。
 どうでもいいかと思って、クローゼットから替えの服を取り出して着替える。
 ああ、結局昨日は風呂にも入ってなかったっけ。
 どーっすっかなぁ、1日くらい大丈夫かな……。
 寝ぼけ眼を擦りながら1階に下り、従業員用の入り口から厨房へと入った。
 大将と女将さんは既にテーブルについて朝食を始めており、ニーナがキッチンの奥で2人分の食事の用意をしている。


「おはようございます」
「ああ、おはよう、ボーマン」
「あら、今日は随分とお寝坊さんだねぇ」
「あ、あはは。なんか疲れてたみたいで」


 大将たちに挨拶をしてから、キッチンへ向かう。
 自分の分の食事は自分で用意して片付ける。
 これが鳥の冠亭従業員の決まりなんだが、ニーナはいつも俺の分の朝食だけ用意してくれる。
 決まりだから気にするなといってもニーナは聞かず、女将さんや大将も特に彼女をとがめたりはしない。
 むしろ何やらニーナをけし掛けているような気もするのだが、そんなに俺を弄って楽しいのかなと思う。


「おはよう、ニーナ」
「……」
「なんだよ、返事くらいしろよ」
「ふんだっ」
「何怒ってんの?」
「っく!」


 機嫌の悪そうなニーナに理由を尋ねたら、凄い勢いで睨まれた。
 ん? そういえば昨日の晩も何か喧嘩したような記憶が……。
 うむ、まだ頭が寝ぼけていて上手く思いだせん。


「まだ昨日のこと、納得した訳じゃないんだよ?」
「んー? 昨日のことって侍女の人助けたこと?」
「それは別にいいんだけど、人助けだから。駄目なのはその後のこと」
「その後って何か言ってたっけ、俺」
「……こいつぅぅ」


 ジト目でこっちを睨んでくるニーナをよそに、なんの話だったかと頭をひねる。
 暫く頭をひねってようやく解答に行き着いた。


「ああ、姫様の周りで何かが起こってるかもしれないから、あの爺さんのとこいって問い詰めてくるっていう話か?」
「そうだよ! それ!」
「なんでそれを怒るんだ? 侍女さんは助けても怒らないのに、姫様を助けたいと思うのは駄目なのか?」
「怪我してる人を助けるのはいいけど、何も王宮のややこしい話にボーマンが首を突っ込む筋合いはないと思うの。大体、私たちが王宮首になったのも、元はといえば……」
「おい、それ以上いったらぶっ飛ばすぞ?」
「あっ……、ご、ごめんなさい」


 ニーナの暴走のお陰で頭がすっきりしすぎるくらいにすっきりした。
 キッチンの中で調理匙を持ったままシュンと小さくなっているニーナ。
 俺の視線に怯えるニーナの姿を見て多少罪悪感があったけれども、そこだけは絶対に譲れない。


「俺達が首になったのは、姫様のせいじゃねぇよ。姫様の周りにいる馬鹿共のせいだっつってんだろうが」
「……でも」
「いいか、今後一言でも姫様の悪口いったら絶交だからな。わかったか!」
「……ボーマンの……」
「なんだよ、言いたい事があるならはっきり言えよ!」
「…ボーマンの、馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわぁちぃぃぃぃ!」


 ニーナは俺を罵倒すると同時にお椀に入れていたスープをブン投げて来た。
 あんまりの突然の行動に、俺はなすすべも無く頭から湯気のたったスープを被ってしまい、熱さのあまりのた打ち回る。
 当のニーナといえば、後ろも見ずにそのまま走って逃げてしまうし、大将達は馬鹿笑いしてこっちを笑ってるし、涙が出そうだ。
 俺が熱さに悶えていると、女将が笑いながらキッチンにあった瓶から汲んだ水を俺の頭に容赦なくぶっ掛けてくれる。
 熱くはなくなったけど、今度は全身水浸しで散々だ。


「なんなんだよ、まったく」
「ま、水も滴る良い男ってことなんじゃないのかい?」
「……それ、どういう意味ですか、女将さん」
「さぁてねぇ、それは私の口からは言えないよ。ちゃんと本人に確かめるんだねぇ」
「……もういいです。着替えてから、出かけてきますから」
「そう、行くんだ? 帰りは?」
「夕方くらいまでには帰ってくるつもりです」
「あいよ。気をつけてね。あんまりヤバイ事に首を突っ込むと、ニーナちゃんが泣くんだからね」
「あいつは関係ないでしょう! からかわないでくださいよ」


 俺をみてくすくす笑う女将さんを置いて、とっとと自分の部屋に戻って着替えることにする。
 まったくこれだから女ってやつは分からねぇぜ。





 うっそうと生い茂る森の中にあるせいで、爺さんの館は常に薄暗い。
 まるで伝説の死霊使いか、魔女の館のようだ。
 俺が玄関の前まで馬で乗りつけると、中からまるで最初から予定されていたかのように侍女が2人出てくる。
 馬から下りた俺は近寄ってくる赤い髪の侍女に馬を預けて、もう片方の薄紫の髪の侍女に爺さんの元へ案内をしてもらえるようお願いした。


「はい、畏まりました。ひよっこ様」
「ひよっこ、ちげぇよ! ボーマン! ボーマン・マクレイニーだからっ!」
「ああ、これは失礼いたしました。主様がひよっこと呼ばれていましたので、てっきりそういう名前かと」


 コロコロと笑う侍女に悪意は無かったと信じたい。
 涙目になった俺をみて頬を赤らめている侍女の反応はさておき、俺は爺さんのところへ早く連れて行ってもらうよう再度お願いをする。
 笑顔で頷いた彼女を先導に、俺はこのお化け屋敷の中へと足を踏み入れた。
 この少しあと、俺は死ぬほどこの館に入ったことを後悔する羽目になるのだが、この時の俺はそんな未来のことなど何一つ知るよしもなかった。
 

 薄暗い森の中にある館の中は日中といえど当然のように薄暗く、シャンデリアや壁の燭台に灯された光で照らさないと先が十分に見えないほどである。
 ランタンを手にした侍女がある部屋の前で止まり扉を開け、俺に先に中に入るよう促す。
 どうやらここは応接室のようで、俺は部屋の中央においてあるソファに遠慮なく腰を掛けた。
 暫くするとからころと何かを移動させるような音がしたかと思うと、案内してくれた侍女さんより大人びた感じの侍女が部屋に入ってくる。
 どうやらお茶とお菓子を持ってきてくれたみたいだ。
 さっきの侍女さんも結構可愛くて良いスタイルをしていたが、目の前の侍女さんもなかなか綺麗な美人さんである。
 ま、俺も一応男だから、やっぱり綺麗な女の人にはドキドキするわけなのだが。


「ど、ども」
「どうぞ、召し上がってくださいね、うふふ」
「あ、有難うございます」


 意味深な笑みを浮かべて去ってゆく侍女。
 何やらお尻の辺りがむず痒くなってしまいそうな感覚に戸惑いながらも、出されたお茶を飲もうと手を伸ばす。
 するとまた扉が開いて、お茶を持って現われた最初の侍女さん。
 俺が飲んでいるお茶と茶菓子をみて、目を丸くしていた。


「あーーー! なんで?」
「あ、え? なんでって何が? 俺、なんか悪いことした?」
「ノインがお茶出すって言ったのにー!」


 頬を膨らませて怒り出す侍女さん。
 どうやら名前はノインさんというらしい。
 そのノインの後ろから数人の侍女たちがこっちをみてくすくす笑っているのが見えた。
 ノインもそれに気がついたらしく、勢い良く振り返って噛み付いていく。


「誰? ノイン折角頑張ってお茶用意したのに!」
「くすくすくす、ノインばっかり良い子ちゃんするの、よくないと思いマース」
「ツェーン、五月蝿い! ノイン本気で怒ってるんだからあ!」
「あらあら、ごめんなさいねぇ。持って行ったの、私なんだ」
「うー、フィーア姉さん、ずるい!」
「早いもの勝ちよー。こんな面白いこと、指を咥えてみてるなんて出来ないもの」


 俺は喧嘩を始めた侍女達を、止めるでもなく呆然とみているしか出来ない。
 というか、あまりに意表をついた展開にどう反応していいか分からないといった方がいいか。
 そうやって固まっていると、後ろから誰かがソファ越しに俺を抱きしめた人がいる。


「っ!」
「ふふふ、駄ぁ目。大人しくしててね、ひよこ君?」
「うひゃぁぁ」


 気配にも気付けず間抜けにも背後を取られた上、抱きしめられただけでも屈辱的な事なのに、あまつさえその女は俺の耳を扇情的に舐め上げる。
 柄にも無い俺の悲鳴を聞きつけた目の前の侍女の一団が、一斉に目を三角にして振り返った。


「あーーー! アインス姉さん! 抜け駆けズルイ!」
「ノインは人の事いえないと思う」
「そうそう、ノインは黙ってないとね」
「うん、フィーア姉さんも駄目だと思うんだ、エルフは」
「うー、私も抱きつく!!」
「あ、アハト! ずるいっ! じゃあ私も抱きつく!」


 色とりどりの髪の色や体つきをした侍女達が一斉に俺に抱きつきに来て、なんていうかもう匂いとか感触とかでエライことになっていたりする。
 そんな俺にお構い無しに、あちこち撫で回したりキスしてきたりする侍女さん達。
 なんだろう、俺、モテ期でも急に来たのか?


「ひよこ君こっち向いてぇ」
「ふぁぶっ。いや、吸い付くなって。てかひよこ、ちげぇよ!」
「やーの、こっち見てくださいの」
「凄ーい。この子の胸板結構厚いよー」
「これが人間の感触ですかぁ。最高ですぅ」
「ねぇねぇ、服脱がして中身見てみようよ!」
「あ、面白そう!」
「「「よし、剥いちゃえっ!」」」
「ちょっ、やめ! 駄目だって。ズボン脱がすなぁ! キスしてくるなぁ」


 もう支離滅裂の嬉し恥ずかし大冒険ってな感じの状況に、流されそうになりながらも必死に抵抗する俺。
 揉みくちゃにされて今にも天国に行きそうになった瞬間、それはやってきた。
 忘れるべきでは無かったんだ、ここが何処であるのかということを。


「なんだ、ひよっこ、来ていたのか」
「あ、主様」
「ふぁへ? あるじ、様?」


 匂いとか感触とかでピンク色に霞みかけた意識を必死に正常運転に戻しながら、しわがれた声のほうを向いてみる。
 と、そこに立っているのは昨晩であったあの怪老人。
 この応接室の状況をゆっくりと見回して状況に納得したのか、ひとつ頷くと俺に向かって問いかけてきた。


「ひよっこはガーゴイル相手でも欲情できるのか。なるほど、若さだな」
「へ? ガーゴイル? ガーゴイルって、あの動く石像とかいう、アレか?」
「そうだ。彼女らはワシが作ったガーゴイルだよ、ひよっこ」
「見事に鼻の下伸ばしてたよね。かっこ悪い奴」
「うぐっ」


 そういって爺さんとの会話に割り込んできたメタボ体形の糸目男。
 指摘されたことは確かに事実であっただけに、反論したくても出来ずに唸るしか出来なかった。
 っていうか今の痴態を見られていたって、俺、泣いて帰っていいんじゃないのかと。
 死ぬほどの屈辱だ。


「気にするな、ひよっこ。うちのガーゴイル共が迷惑をかけたみたいで済まなかったな」
「キャハハ、案外楽しんでいたからお礼を言ってもらえるかもよ?」
「ジューク、そうあからさまに傷に塩を塗りこむものではないぞ。くっくく」


 どう返して良いか分からないまま、俺は一人脱がされかかった服をせっせと直す。
 下唇を噛むことで羞恥心をなんとか堪える。
 俺の屈辱的な姿を見て侍女達はまた何やら萌えているようだが、それは無視するのが一番だ。
 ああ、早くこの屋敷から逃げ出したい。
 こんな屋敷来るんじゃなかった。
 死ぬほどの後悔を何とか胸のうちに押し込んで、俺は爺さんに向き直る。
 まだ顔が赤いのは、この際無視だ。


「き、昨日のこと、説明してもらえるんだろうな?」
「キャハッ、今更取り繕ってもカッコワルイのはどうにもならないヨ?」
「う、うるせー! 教えるのか、教えないのか、どっちなんだよ! 姫様に何か関係してるんだろう?」


 ジュークの冷やかしに逆切れしながらも、俺はその横に立つ爺さんに向かって意味も無く怒鳴り散らす。
 爺さんはそんな俺の反応に不快感を示すでもなく、じっと俺を見つめている。
 まさかこの爺さん、ホモって事はねぇよな……。


「教えても良いが、お前は姫様をどうしたい?」
「姫様がもし何か困ったことに巻き込まれているんなら、俺は少しでもあの人の力になりたい」
「蛮行姫だぞ? 噂くらい聞いたことあるんだろうに」
「そんな王宮内とか王都でしか通用しない噂になんか興味はねぇよ」
「確かにな。王女がどんな人物であろうと、概ね王都外の人間には実感はないか」


 アゴに手をやって暫く悩むようなそぶりを見せる爺さん。
 何やら一人でぶつぶつと呟いているようだが、距離があるので何をしゃべっているのかはよく聞こえない。
 そして徐にポーズを崩すとこちらへ歩み寄ってきて、低い声で脅かすような感じに囁きかけてきた。


「お前が命を掛けてあの子の力になるというのなら、あの子の周りで何が起こっているか教えてやろう」
「ああ、望むところだ!」
「よく考えろ。こちら側に踏み込むということは、お前は王宮という檻からは逃れられなくなる。それがお前の周囲の人間を不幸にする可能性だってあるのだぞ?」
「……なら、その不幸ごと、俺は皆を守って見せる!」
「……言うは易しだな。が、貴様の覚悟受け取ろう」


 そういって、爺さん、ドクターグェロは俺を書斎に通してくれて、色々と語ってくれた。
 スワジク姫のこと、宮廷で起こっていること、そして彼女の死を望む者達が王都に潜んでいるということを。
 不謹慎だが俺はわくわくしていた。
 このシチュエーションは、俺が憧れていた騎士というモノのにぴったりだったから。
 あの銀色の儚げな天使を俺がこの手で守ってやれるんだという事に、俺は何よりも興奮していたのだ。



[24455] 34話「メイド騎士、爆誕!」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/21 21:00
 また朝が来た。
 僕はいつもの時間に、いつものように起きて、いつも通りの身支度を始める。
 今までは黙っていてもミーシャやアニス達が全てをやってくれていたが、今はその二人はここには居ない。
 ライラとスヴィータは、多分扉の外で僕の朝食が終わるのをじっと待っているのだろう。
 部屋の中には既に食事を載せたワゴンがぽつんと置かれ、汗をかいた水差しが透明感のある音を鳴らす。
 いつもなら聞こえてくる笑い声やメイド達の掛け合いはなく、ただ静かに灰色の時間が過ぎてゆくだけ。
 髪を梳き終わると顔の手入れをしなければいけないのだが、最近は面倒くさくてせいぜいが乳液をつけるくらいしかしていない。
 化粧なんてする気も起きないし、する意味も無いからこれでいい。
 暫くしてフェイ兄が静かに部屋に入ってくる。
 これも恒例行事となっているので、驚くこともない。


「やあ、おはよう、スワジク」
「おはようございます、フェイ兄様」
「今日は気分はどうかな?」
「そうですね、いつも通りだと思います」
「……そうか」


 いつものように愛想笑いを浮かべて、僕はフェイ兄の気遣いをスルーする。
 分かってはいるのだが、今はその優しさが鬱陶しいのだ。
 僕のことは放っておいて欲しいといっても、フェイ兄はしつこく毎日やってくる。
 何度怒っても、何度泣いてお願いしても、フェイ兄はまるでそれが自分の義務であるかのように、毎朝毎晩やってくるのだ。


「昨日市場に行ってきて、美味しそうなパジィがあったから買ってきたんだ。スワジク、これ美味しいって言ってただろ? これなら食べれるんじゃないかと思うんだが、どうだろう?」
「有難うございます。いつもすいません」
「気にしないでくれ。私がやりたくてやっていることだ。君は謝らなくていい」
「はい、すいません」


 感情の無い僕の返事に、フェイ兄は苦笑していた。
 いつものようにフェイ兄は朝食を用意してくれ、僕は黙ってそれに口をつける。
 それも3口か4口ほど口に入れたら、胸がむかついて来て吐きそうになった。
 最近はずっとこう。
 お陰で以前でも十分にほっそりしていた体が、今ではあばら骨が浮き出てみっともないくらいになってしまっている。
 急に立ち上がったりすると、酷い時は立ちくらみで倒れそうになることもあった。
 栄養が足りていないのは十二分に承知しているが、食べ物が喉を通らないのだから仕方が無いと思う。
 料理長やフェイ兄達がいろいろと工夫をしてくれているのも知っているが、一向に状況が改善する兆しはない。
 いや、改善する気が僕には無いのだ。

 何で僕は生きているのか? 
 どうして僕は生かされているのか?
 これから僕はどうやって生きていけば良いのだろう?
 ミーシャは苦しんで死んだのだろうか、それとも苦しまずに済んだのだろうか?
 ふとした拍子に聞こえてくる地下からの怨嗟の声。
 なんで死んでいないんですか?
 いつ死んでくれるんですか?
 そんな呪詛が湿った感触と共に耳にずるりと入ってくる。


(このまま僕が餓死したら、皆幸せになれるのかな?)


 ミーシャの笑顔が、アニスの拗ねた顔が、スヴィータの呆れた顔に、オドオドと皆を見比べるライラの顔が浮かんでは消えた。
 じわりと目頭が熱くなり、僕は声も無く涙を落とす。
 ぽっかりと開いた胸の穴がギシリギシリと音を立て、僕の心を壊してゆく。
 こんな思いをするくらいなら早く楽になりたい。
 外の人は親友のレイチェルを殺してしまった後、ずっとこんな気持ちで生きていたのだろうか?
 だから遺書なんかを用意して、殺される準備をしていたのだろうか?
 ミーシャとは親友というほど深く長く付き合っていたわけではないけれども、それでもこんなに辛く苦しい毎日なのだ。
 もし僕の想像通りだとしたら、外の人の気持ち、今ならなんとなく理解できる気がした。


 ふと周りを見回してみるといつの間にか朝食は全て下げられており、目の前にはカットされたいくつかのフルーツと絞りたてのジュースが置かれている。
 フェイ兄の思いやりに頭が自然と下がるのだが、それでも目の前の食べ物に手をつける気にはなれない。
 それらを用意してくれた当の本人も既に部屋からは消えており、またいつものように1人きりの1日が始まる。
 部屋の片隅にうず高く積み上げられた本の1冊を手にとる。
 いつもの窓際、変わらず置かれている椅子に座り、手にした本を目の前の机の上で広げてみた。
 もっともそれは単なる形だけの行為で、本を読むわけでもなく窓の外を見るともなしに眺め続ける。
 人の流れ、雲の流れ、陽の指し加減に影の伸び具合。
 それすらも意識をしていないから、記憶の片隅にすら残りはしない。
 いつもの僕の灰色の時間はこうやって過ぎていくのだ。
 僕は、いつこの灰色の世界を終わらせられるのだろうか。
 どうせ僕はこの世界にとって異物でしかないのだから、いつ終わったっていいんじゃないのだろうか?
 こっちで死んだら、僕の魂は元の世界に戻れるのだろうか?
 もう、この世界で生きているのが辛いよ。
 誰か、誰か、僕を助けて……。
 僕を……して。





 鳥の冠亭、ボーマン・マクレイニーの私室。
 俺は、ミーシャさんの荷物をベッドの上にぶちまけて、何か使えるものは無いか探していた。
 ドクター・グェロの話では、姫様は今精神的に追い詰められている状況にあるそうだ。
 ミーシャさんが死んだと思っているので、自責の念に駆られ拒食症になっているらしい。
 その他にも色々と思い悩む事柄もあり、欝症状もでていると言っていた。
 姫様の現状について理解できたとは思わないが、のっぴきならない精神状態にあることだけは分かる。
 一番の大きな要因であるのは、やはりミーシャさんが殺されたと思い込んでいることだろう。
 ならミーシャさんが生きているっていうこと知らせることが出来れば、彼女の状況は少しは改善されるのではないか?
 なんとかして彼女に伝えられないだろうか?
 それも、王宮の人間や刺客たちに気付かれない方法で、だ。
 幸いにして彼女の手荷物の一部は俺が預かっている。
 この中からミーシャさんだと一発で分かるようなものがあれば、彼女が生きているという証になる。
 とは言うものの、小物をベッドの上に並べて眺めてみてもどれもこれもあまりぱっとしない。
 ドクター・グェロに頼んで持っていって貰えばいいんじゃないかと思ったが、ドクター曰く持ち物チェックが登城時に行われるらしい。
 診察以外に不要なものを持って入るのは難しいそうだ。
 ならドクターの口から説明してはどうかとも提案したら、誰が聞いているかも分からないのに迂闊な発言は出来ないとのこと。
 なので、やはり城の外から何らかの方法で姫様と直接連絡を取るしかないのだが……。


「なんか良い方法ないかなぁ。魔法で声が直接届けられたら良いのに」


 そういってベッドの上にごろんと仰向けになる。
 丁度頭の位置にミーシャさんの布鞄があって、良い塩梅の枕となった。
 フカフカしてて気持ち良いな……。


「って、まだ中に何か入ってるじゃねぇか! 何が一体入ってるんだ?」


 慌てて起き上がり、鞄を手に取ってみる。
 良く見てみると取り出し口がもう一つあって、どうやらそこに服が数枚入れてあったようだ。
 それがクッション代わりになったので、ふかふかしていたのか。
 俺は少し躊躇ったが、鞄の中に手を突っ込んでその服を取り出してみる。
 中に入っていたのは、薄い生地のシャツと侍女用のエプロンドレス、白いエプロンと袋に入った小さく折りたたまれた白い布。
 多分ハンカチだろうか?
 そう思って袋の中の布を取り出してみると、やはり小さい布着れだ。
 ただ、なにやらハンカチとは赴きが違う気がする。
 恐る恐るだが、両手で布を持って大きく広げてみた。


「おおう、これってもしかしてパンツってやつじゃねぇのか?」


 下穿き、下着、パンツ。
 色々と言い方はあるのだろうが、それはまさしく女性が下半身を隠すために身に着けるものである。
 思わず辺りをキョロキョロと見回してみてから、再度パンツに視線を落とす。
 こ、これはあれだ、その社会勉強というか、後学のためというか、人類の発展には必要不可欠な調査なんだよ、きっと。


「へぇ、ボーマンにそんな趣味があるなんて知らなかった」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
「鼻息荒くして何見ているのかと思ったら、人の荷物漁って下着なんか探していたんだ」
「ちちちちち、違いますですよ、ニーナさん?」
「その割には鼻の下がびろ~んと伸びていたみたいだけれど?」


 人間慌てていると碌なことをしない。
 今の俺がまさにそれだ。
 鼻の下が伸びているといわれ、慌てて手を持っていって確認したまでは良いのだが、たまたま持っていたものが悪かった。
 人の下着を鼻の下に押し付けて、顔を真っ赤にしている変態の出来上がりだ。


「……最低」


 絶対零度の視線と言葉を浴びて初めて、俺は俺の仕出かした最大級の失敗に気がついたのだ。
 慌てて鼻の下に当てた下着を放り出して、ニーナに言い訳しようと近寄ろうとする。
 だがニーナは俺が近寄った分だけ遠ざかる。
 くそう、なんだろう、自尊心とかプライドとか色んな物がズタボロになっていく。


「ニーナ、違うんだ」
「ボーマンがそんな人だったなんて、私知らなかったよ」
「いや、だから違うんだって」
「女の人なら誰のでも良いんだ?」
「ば、ち、違うって」
「へぇ、じゃあ、ミーシャさんのだったから、匂いを嗅いだの?」
「違うって。これは事故なんだよ! たまたま何だろうって広げたのがパンツだっただけでだな!」
「……」


 相変わらず冷たい視線を送ってくるニーナに、その後小一時間ほど誤解を解くための釈明するのに時間を使ってしまったのだが長くなるので省略させてもらう。
 しかし血涙を流し魂を削った甲斐があったのか、姫様と直接連絡とをとる意外な手段をニーナが提案してきた。
 提案してくれたのはいいのだが、それを実現するには多くの問題、主に俺の男としての尊厳が失われそうに思える。
 とは言うものの俺にはその提案を拒否するだけの気力も根性も無く、ニーナの言うがままになるしかなかった。
 変態という汚名を雪ぐには、さらなる屈辱に耐えなければならなかったのである。
 世の中はこんなはずじゃ無かったという事で一杯だと、改めて気付かされた昼下がりだった。





 曇天の空を、薄暗い部屋の中から見上げている。
 一面の鼠色の空ではあるけれども、それでも同じ形の雲はないのだ。
 昼食、といっても3口くらいしか喉を通らなかったけど、を済ました僕は、午前に引き続いて、窓際に座ってぼんやりと時間が過ぎてゆくのを感じている。
 あれから何日経って、今日という時間がどれくらい過ぎたのかも、今の僕には分からない。
 いつものように、いつもの如く、時間は流れてゆくだけ。
 そして僕はいつか身も心も朽ちていくのだろう。
 ふと視界の端に何かが動いているのが見える。
 何の気なしに視線を移すと、どこかの集合住宅の家の屋根の上に人が数人上がって揉み合っているのが見えた。
 屋根の上で喧嘩しているのだろうか?
 それにしては、人だかりの中心には野球の応援団旗くらいの大きさの旗がはためいていた。


「あ、あの紋章は……」


 風に靡く団旗の紋章、ミーシャが国内貴族について教えてくれた中に確かあったはず。
 記憶の奥底に沈みこんでいる情報を無理やりに掘り起こして、あそこの屋根にたなびいている旗がどこのものかを思い出そうとする。
 旗は相変わらず数人の人に揉みくちゃにされて大きく揺れて、今にも屋根から落っこちそう。
 でもなんでだろう、僕はあの旗から視線を逸らせることが出来ない。
 いつもなら窓の外で何が起こっても、欠片も僕の興味を惹くことは無かったのに。
 喉がヒリつく。
 口の中が乾いているようだ。
 目は逸らさぬままに、僕はテーブルの上にあった冷めた紅茶を口に含む。
 その時、旗が大きくよろめいたかと思うと屋根から落ちそうになる。


「あっ……」


 思わず声を上げてしまった自分自身にびっくりしたし、それ以上に自分が何かに興味を持っていることが信じられなかった。

 落ちないで欲しい。
 頑張れ。

 これといった意味も無く、倒れそうになる旗とそれを支える人を応援している自分がいる。
 次の瞬間もう倒れてしまうと思った旗が一気に力をぶり返し、取り囲んでいる男たちを振り払い、堂々と屋根の上に旗を突き立てた。
 風にたなびく旗の下、濃紺のエプロンドレスと真っ白な前掛けを付けた金髪ショートカットのメイドが立っている。
 あのメイド服は、僕付きの侍女にしか着用を許されていないもののはず。
 アニスは赤毛、スヴィータは金髪のツインテール、ライラもショートカットだけど、水色の髪をしている。
 金髪のショートは、ミーシャだけだ。
 僕は手に持っていたカップをテーブルにおいて、目の前の窓を大きく開け放つ。
 ここからあの屋根まではとてもじゃないがお互いの声が届くような距離にはない。
 僕は屋根の上に仁王立ちしているメイドさんを凝視する。
 あれは本当にミーシャなのだろうか。
 ミーシャが生きていてくれたのだろうか?
 そして僕の瞳は、屋根の上に立つメイドさんにピントがぴたりと合った。
 パーマをかけた様な金髪は、ミーシャのそれとは似つきもせず。
 しっかりと着込んだ濃紺のエプロンドレスが風に靡く。
 自身も自分の格好が恥ずかしいのか、頬を赤らめながらもむすっとした顔をしている。
 そう、そこに居たのは、いつぞやの騎士見習いのボーマン・マクレイニーその人であった。


「ぶーーーーーっ!」


 口の中に含んでいたお茶を一気に噴出してしまった。
 待て! それは無いだろう?
 あまりの衝撃に何から突っ込んで良いか分からず、僕のほうがみっともない位にうろたえてしまっている。


「っていうか、ボーマン、君は何してんだよ……」


 ああ、なんか真面目に悩んでいた自分が馬鹿みたいじゃないか。
 相変わらず集合住宅の住人に揉みくちゃにされているボーマンを、冷めた目で見ている僕がいる。
 もうね、突き落とされたら良いと思うんだ。
 そう心で悪態をついたらその願いが天に通じたのか、ついにボーマンは集団に押し倒されてそのまま屋根裏部屋へと引きずり込まれていった。


「あ、あはは。本当に馬鹿だよな、ボーマンって」


 肩の力が抜けて、胸を塞いでいた何かが綺麗さっぱりと消えてなくなっている。
 何故ボーマンがあそこでメイド服を着て立っていたのかは、何となく理解できた。
 多分、ミーシャは生きている。
 それに何らかの形でボーマンが関与していて、僕にそれを知らせるためにあんな馬鹿なことを仕出かしていたに違いない。
 真っ赤な顔をして周囲にわめき散らしていたボーマンの様子を思い出すと、自然と笑みが浮かんでしまう。


「ミーシャが無事だって分かっただけでも嬉しいよ。ありがとう、ボーマン。でもね、もう僕に近づいちゃ駄目だよ? きっとまた皆に迷惑を掛けてしまうだろうから……」


 聞こえるはずの無い忠告。
 そうであったとしても、僕はそれを言わずには居られなかったんだ。




[24455] 35話「メイド騎士まで何マイル?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/01 23:59
 ミーシャ失踪から既に1週間が経とうとしている。
 スワジクは食事に手をつけず、半分断食の様な毎日が続いていた。
 彼女が好んで食べていたものや果物、あるいは彼女が作っていたお菓子など、手を変え品を変えて出してみるが駄目なのだ。
 日に日に痩せ細っていく彼女の頬を見て不憫に思っても、私にはそれをどうする事も出来ない。
 むしろ色々世話を焼くことで、余計に彼女に精神的な負担を強いているような気がするのだ。
 無論スワジクが何か言ったわけではない。
 が、こちらの期待に答えようと食べ物を口にしては吐くという事を何度も繰り返していれば、いやでも自分達のしている事が負担になっているのだと気付かざるを得なかった。
 だからといって食事を出さないわけには行かないし、彼女を悲しませたまま過ごさせて良いわけではない。
 そんな終わりの無い葛藤に苛まれながら、私はいつものように朝御飯を乗せたワゴンをスヴィータから受け取って部屋に入る。


「やあ、おはよう、スワジク」
「おはようございます、フェイ兄様」
「今日の気分はどうかな?」
「ええ、いつもより良いと思います」


 いつもと同じ掛け声をすると、ここ数日とは少し違った反応が返ってきた。
 私は不意を付かれたせいで、窓際に座ってこちらに微笑みかけている少女を呆然と見返すことしか出来ない。
 スワジクは固まってる私を見て、笑いながら立ち上がってこちらへと歩いてくる。
 少し足元が覚束ないようだが、それでもしっかりと自分で行動しているのだ。
 この1週間、誰が何を言ってもオウム返しの人形のようだった彼女が、今久しぶりに自分の気持ちが篭った言葉で返事をしてくれた。
 私はその事実に少しだけ目頭が熱くなる。


「そ、そうかい。それは良かった。今日は何を食べたい?」
「えっと、あんまりまだ食べれそうには無いですけど、パンとミルク、それにサラダを少しいただきますね」
「分かった。直ぐに用意しよう」


 そういってワゴンの上に載っているミルクのピッチャーに伸ばした私の手を、スワジクがそっと掴みにきた。
 ひんやりとしたその手の感触に、私は少し驚いて彼女に振り向く。
 スワジクはゆっくりと頭を振りながら、私の手を押し返す。


「フェイ兄様に甘えるのも、今日までですよ。食事の準備くらいは自分で出来ますから」
「あ、いや、しかし」
「ワゴンをもう少しテーブルの傍に置いてもらえれば、あとは自分で食べたいものを選んで取りますから。フェイ兄様も自分の好きなものを選んで食べてくださいね」
「あ、ああ、分かった」


 以前の様な明るい雰囲気に、私は正直戸惑うしかなく彼女の言いなりに席に着いた。
 鼻歌交じりに朝食の準備をしているスワジクを見て、その急変振りの原因について色々考えてみるが思い当たることは何も無い。
 一体何が彼女をここまで変えたのか。
 悪い方向に突き抜けてしまって、以前の『蛮行姫』に戻ろうとしているのだろうか?
 それにしては表情はさっぱりとしていて、蛮行姫だった時の薄暗い影のようなものは感じない。
 じゃあ、彼女を取り巻く環境なり事件が解決した?
 それもありえない。
 少なくとも昨日と今日で、スワジクの周囲において変わったことなど何一つ無い。
 彼女自身の変化を除いては、だか。
 自分で作ったパン粥を美味しそうに口にしている彼女を見て、私は一人混乱していた。


 私の執務室の中、私が急遽呼び寄せた面々が揃う。
 レオにヴィヴィオ、センドリックにドクター・グェロだ。
 集まった面々を見渡しながら、私は今朝のスワジクの様子を彼らに告げた。
 そして、昨日彼女に変わったことが無かったか尋ねる。


「私の方では、特に何か外部に動きがあったという報告は受けておりません」
「私もライラから何の報告もありません。いつもと変わらぬ様子だったはずです」
「昨晩は私が直接姫殿下の寝室周りの警戒に当たっていましたが、いつもと同じでとても静かな夜でした」


 やはりスワジクの周囲の変化は見られないようだ。
 私はドクターを見て、発言を促す。
 精神を急激に病んだという可能性もあるのだから、医師の見解も押さえておくべきだろう。


「こちらに伺う前に、姫様の健康診断をしに行ってまいりました」
「で、どうだ。先日ドクターはスワジクが心を病みつつあると言っていた、それが悪化したのだろうか?」
「いえ、それはありません。受け答えもしっかりとなさっていて、目にも力がありました。心の病という点では、もう心配は要らぬかもしれません」
「病状は改善したのだな?」
「依然栄養状態はよろしくないようですが、今朝は自分から食事を少しとはいえ採られたのであれば、そちらの問題も時間が解決してくれましょう」
「ドクター、彼女が回復した原因というのは一体なんだと思うか」
「一般的に言えば、心を抑圧していた問題が解決された、と見るべきでしょうな」
「何一つ彼女を取り巻く環境は変わっていないのにか?」
「心の開放と現実の環境の変化というものは、必ずしも一致するとは限りません。状況は変わらなくても、考え方を変えるだけで気の病というものは治ったりするものです」
「では、スワジクがミーシャの死について割り切れたということか?」
「あるいは、そうかもしれませぬ。今日のところはそこまで突っ込んだ問診をしたわけではありませんので、確実にそうとは言い切れませんが」
「そうか、ありがとう」


 つまりはミーシャの死に対する彼女の気持ちの整理が付いた、ということだろうか。
 それにしても、そんな一晩で急にころっと気持ちを切り替えられるものなのかと不思議に思う。
 自分ならどうだろう。
 もし今のスワジクが暗殺されたとして、ある日突然綺麗さっぱりと忘れ去ることが出来るか?
 一生懸命想像してみるも実感が湧かず、そんな事になったらきっと普通ではいられないのではないかと漠然と感じるくらいが関の山。
 貧困な自分の想像力にため息を思わずついてしまう。
 さて、結局集まってもらったものの有用な情報も意見も無かった。
いつまでもこうしていても埒が明かない。
 とりあえずは彼女の様子を見守るくらいしか、今の私に出来ることは無い。
 私は皆を下がらせてから、溜まっている日常業務に取り掛かることにした。
 私たちが頭を悩ませている頃、スワジクの寝室では彼女が一人窓の外をみて涙を流しながら笑っていたのだが、神の身でもない私たちには知る由もなかった。
 さらにその同時刻、とある集合住宅の屋根の上ではひとりの変態メイド赤リボン騎士が乱闘騒ぎを起こしていたりするのだが、それも人の身である私たちには知る術は無い。





 ここ数日決まって朝のこの時間に、メイド騎士ボーマンは私の部屋の窓から良く見える屋根に上っては僕を笑わせてくれる。
 多分本人にはそのつもりが無いのかもしれないけれど、……いや、つもりが無いならあんな馬鹿っぽいリボンなんか付けてこないか。
 ていうか、なんで毎日屋根に上ってくるのかな?
 変な趣味にでも目覚めたの?
 今日も今日とて、集合住宅の住民に袋叩きにあっている変態メイド騎士ボーマン。
 窓枠に頬杖を突いて、彼の悪戦苦闘ぶり見守る僕。
 こっちから何度か手を振ってみたこともあるけれど、乱闘に忙しいのか気付いてくれたためしがない。
 僕が気付いてるって分かったら、きっとボーマンもあんな馬鹿なことしなくていいのに。
 それにあんまり僕に付きまとっていると、きっと良いことなんて何も起こらない。
 むしろ外の人を疎む人達から目を付けられるだけだ。
 早くあの馬鹿騒ぎを止めないといけないんだろうけど、あの姿をみると真面目に彼の身を案じていることすら出来ない。
 なんていうか全身の力というか、やる気が抜ける。


「とはいうものの早くアレを止めないと、今度はボーマンの身に何かあっても困るしねぇ」


 あ、ボーマンが屋根から蹴落とされたのが見えた。
 うーん、あの高さから落ちて大丈夫なんだろうか?
 少し心配になったが、屋根から下を指差して高笑いしている住人達を見る限りでは、多分そんな深刻な事態にはなっていないんだろう。
 頑丈だな、ボーマン。
 なんていうか、僕が彼を心配してあげる事もないんじゃないだろうかと思ってしまう。
 ま、冗談はさて置き、本当にボーマンのアレをなんとかやめさせないと駄目だ。
 その為には、やっぱり外に出て行かないと駄目か。
 さて、どうやって外に出よう?
 抜け出すなら夜だけど、ボーマンは朝にいつもの屋根にやって来る。
 夜のうちに抜け出してあの場所の近くで待つのが、一番賢いやり方なんだろうけど。
 でも朝はフェイ兄がいつも心配してやって来るから、朝に部屋に居ないというのも問題がありそうだ。
 あとは朝食後部屋を抜け出して、そのまま外へと逃げ出すくらいしか方法を思いつけない。


「こう、なんか秘密の通路とかがあって、そこからすっと逃げ出せたりしたらいいのになぁ」


 そういえば僕が生まれる前のアニメには、リ○ンの騎士とかいう牢獄に囚われたお姫様が活躍する話なんかもあったなぁと思い出す。
 まあ内容はよく知らないんだけどね。
 カ○オストロ伯爵の屋敷にだっていろいろ仕掛けがあったんだから、本物の王宮にあるこの部屋にもあって当然じゃなかろうか?
 そう思って部屋の壁や装飾品、あるいは床の敷物の下など手当たり次第に調べて回る。
 半日ほどいろいろと調べていたけれど、なんにも見つからなかった。
 よく考えたら僕程度の人間に見つけられるくらいなら、そんなの秘密の通路とはいえないんじゃないかな。
 ただでさえ体力が落ちているのに無駄な労力を使って、フルマラソンを走りきった後の様な状態になっている僕。
 結局王宮脱走計画は、朝食後さりげなく城から脱出するということにした。


 次の日の朝、僕はフェイ兄との朝食を終えて直ぐ、いつぞやの変装用令嬢衣装を引っ張り出してきた。
 王宮内で用意されているドレスは、やっぱり外に出て行くには少し派手すぎる。
 姿見でおかしなところが無いかちゃんとチェックして、僕は静かに寝室のドアに身を寄せた。
 耳をドアに当てて外の音を聞くが、これといって気になるような音は聞こえない。
 そっとドアを少しだけ引いて、頭だけそろりと廊下に出してみた。
 右を見て、左を見る。


「うん、誰も居ない」


 今日の朝食はいつもより早めに持ってきてもらったので、王宮内で活動している人はまだそれほど多くは無い。
 抜き足、差し足、忍び足。
 そういえばいつぞやも、こんなスニーキングな事してたような気がするなぁ。
 階段までくると、下からライラとスヴィータが何かを話しながら上がってくるのが見える。
 僕はすかさず階段横にある部屋の中に身を潜め、スヴィータ達が行過ぎるのをじっと待つ。
 徐々に声が大きくなって、そして遠ざかってゆく。
 そっと外を覗いてみると、丁度廊下の角を二人が曲がって消えてゆく所だった。
 もう一度階段を覗いて、誰も上がってこないことを確認する。
 周りに細心の注意を払いながら、人気の無いロビーへと出た。
 

「ふう、ここを過ぎて外に出れば、この格好ならある程度ごまかしは利くかな?」


 僕は足早にロビーを駆け抜け、王宮の内広場へと出る。
 流石にここまで来れば、いくつか人影のあることを確認できた。
 もっとも彼らは侍女や下働きの下男下女達で、朝の支度で忙しそうに動き回っている。
 誰もこちらを不審がって見ていないようなので、僕はそそくさと正門へと向かって堂々と歩いてゆく。
 こういうのって下手にオドオドした方が不審がられるものなのだ。
 という何の根拠も無い自信を盾に、僕は正門の衛士の傍を通り抜ける。


「お早いお出かけですね?」
「ええ、ちょっと朝市場に姫様の果物を買いに」


 衛士の一人が僕を見て、笑顔でそう声を掛けてくる。
 一瞬焦るが、なるべく平静を保ちつつ、軽くお嬢様っぽく会釈をしながら返答を返す。
 これで騙されてくれたらいいんだけれど、と祈りつつあくまで慌てず騒がず場外を目指す。
 そんな僕の内心には気付かずに、衛士は笑顔でお気をつけてと送り出してくれた。
 振り返りたくなる衝動を抑えながら、僕は跳ね橋を渡って町の中に紛れ込んだところでようやく緊張を解いた。


「ふはー、心臓に悪いや。とはいうものの、上手く城外へ出れたな。あとはボーマンがやって来る前にあの場所に先回りしておかなきゃ」


 僕は町の北側に向かって、よく知らない町の中へ踏み込んでいった。
 ボーマンに会って、もう僕に二度と関わらないようにと言い聞かせるために。



[24455] 36話「すれ違う心」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/01/28 23:03
 王都の朝の空気は、僕がいた世界のどんな朝よりも澄んでいた。
 王宮の中に引きこもっている方が多かった僕には、皆で出かけたあの日以来の街の風景だ。
 目的の場所までの道のりはあまりよく分からないが、とりあえず自分の部屋から見えた建物を目指して行けば良いはず。
 まずは城の北側へ向かって街の路地を適当に歩く。
 極力人とは出会わないように、特に衛士さん達に見つからないように、細心の注意を払いつつ移動する。
 半時間くらい歩いたら、ようやく目印にしていた集合住宅が見えてきた。
 塀の影から顔だけを覗かせて、周囲の状況を確認する。
 住宅の入り口に厳つい体格のお兄さんが2人、家の周りを警戒している人が2人一組になってぐるぐると歩き回っていた。


「ボーマン、どんだけ警戒されてるんだよ……」


 そりゃ女装した変な人が、突然自分の家の屋根に毎日旗を立てに来たら怒るよね。
 どうしようかなと思って思案していたら、別の路地から件の住宅を除いている変態、もといボーマンを発見した。
 今日はあの赤いリボンは付けてないようだ。
 そのかわりと言わんばかりに、ボーマンの短い毛を三つ編みっぽく寄り合わせ、小さいリボンでくくってある。
 なんだろう、あの奇抜なヘアスタイル。
 あれはボーマン一人では出来ないから、きっと誰かが悪ノリして遊んでいるように思えるんだけど。
 しかし、それで出歩いているボーマンも強者と言わねばならないだろう。
 ボーマンは少しの間躊躇っていたようだけれども、意を決したのか、警戒していた男の人達の隙をついて一気に集合住宅の入り口へと駆け込もうとした。
 が、敵も然る者、隙を見せていたのはどうやらボーマンへの誘い水だったようで、駆け込もうとした入り口からさらに2人の男の人が踊りでる。
 4人も入り口の前に立ちふさがっていたら、流石のボーマンでも手も足も出ないのではないか?
 僕は声を掛けるのも忘れてボーマンを見守る。
 頑張れ、ボーマン!


「ちょいと、お嬢さん」
「へぅっ」


 急に背後から声を掛けられて、みっともない返事を返してしまう僕。
 慌てて振り返ってみると、赤ら顔のおじいさんが数人の町人を連れて立っていた。
 おじいさんは帽子を逆さまに持っており、その中に硬貨が割りと沢山入っているのが見える。
 僕が戸惑っていると、おじいさんはニヤリと笑って帽子を僕の前に差し出す。


「一口どうじゃね?」
「賭けてるのですか?」
「おお、そうじゃとも。あの女装の小僧が屋根に上って何分持つか、それを賭けているんじゃよ」


 手にくじ札っぽいものを持った中年の太った男の人が、おじいさんを押しのけてさらに最近の結果速報を頼んでも居ないのに教えてくれた。
 あれだね、皆暇なんだね……。


「昨日は砂時計3回転半、一昨日が5回転旗付き、4日前が二回点半です。あ、旗付きってのは、屋根の上に旗を立てたかどうかで倍率が変わるんでさ」
「さあ、お嬢さんは何回転に掛けなさる? もちろん旗付きだけのベットもありでさ」


 未だ玄関口で悪戦苦闘しているボーマンを肩越しに振り返りながら思案する。
 僕を励ますためと、一生懸命に頑張るボーマン。
 そんな彼の一生懸命な気持ちを、無駄にしちゃいけないよね。
 僕はおじいさんに向かって、短く言い放つ。


「3回転の旗なしに、銀貨2枚」
「お嬢ちゃんギャンブラーじゃなっ!」
「褒めても何もでませんよ?」


 良い笑顔でぐっと握手を交わすおじいさんと僕。
 さて、門番4人をいつの間にやら抜いたボーマンは、勢い良く玄関の中に駆け込んでゆく。
 途中の階段ぽいところの窓から、奥さん連中から色々と物を投げつけられている様子が見えた。
 毎日こんな苦労をして屋根に上ってきていたのかと思うと、なんか少し泣けてきた。
 頑張れボーマン、なんか可哀想になってきたけど、とりあえず僕の銀貨の為に、めいっぱい頑張れ!
 暫く外からぼーっと集合住宅を眺めていたら、ようやくボーマンが屋根裏部屋の窓から這い出てきたのが見えた。
 満身創痍という言葉がぴったりの様子のボーマンに、屋根裏部屋の住人らしき若い女性が情け容赦なく箒でボーマンの背中を叩いている。
 起き抜けに押し入られて怒っているみたいだ。
 激しい攻撃を受けながらも、ボーマンは僕の部屋が見えるであろう位置にまで移動し、背中に背負っていた鞄の中から旗を取り出す。
 慣れた手つきでそれを組み立てていくボーマンの背後から、同じ若い女性の部屋から追っ手の男達が屋根へと這い出てくる。
 それぞれの顔に紅葉の跡や引っかき傷が付いているところを見るに、多分ボーマンと同じように部屋の中で違う戦いがあったようだ。
 まあ余談はともかく、ボーマンがなんとか旗を組み上げた頃に、追っ手が彼を取り囲む。
 僕は思わず手をぎゅっと握り締め、この次の展開をじっと見守った。
 僕の横で静かに回転する砂時計。
 これで丁度2回転半になる。
 あともう一回この砂時計が回転するまでは、なんとか粘って欲しいところ。
 屋根の上では、いつもの如き乱闘が起こっている。
 人数に任せて押し包もうとする住人側と、させまいと旗を武器に近寄らせないボーマン。
 そんな彼らを下から仰ぎつつ、自分達が張った山が来ると、やれ「変態今だ、落ちろ」とか、「住人の底意地を見せてみろ」といった野次が飛ぶ。
 当人達はそれを気にしている余裕もなさそうだけどね。
 とうとう3回転目に砂時計が入った。


「ボーマン!」


 僕は周りの野次に負けないように、屋根の上に向かって腹の底から声を出す。
 1度目は気付いてもらえなかった。
 だから僕は2度、3度とボーマンの名前を連呼する。
 僕の声がようやく届いたのか、乱闘していたボーマンがちらりと僕がいる方に視線を向けた。
 ここが最後の正念場とばかりに、僕はボーマンに大きく手を振って叫んだ。


「ボーマン! 落ちろぉぉぉ」
「何でぇぇぇ?」


 僕を見て驚いたボーマンの隙を住人達が見逃すはずもなく、胴上げのように抱えあげられそのまま地面に向かって放り投げる。
 落とす場所には束にした飼い葉が積み上げられており、そこに投げ落とすのがお約束になっていたようだ。
 一瞬ヒヤッとしたけれど、無茶をする中にもちゃんとルールがあったようで安心した。
 胸を撫で下ろしている僕の横に、おじいさんがやって来る。


「知り合いじゃったのか?」
「今更卑怯なんていいませんよね?」
「ま、特に何か不正をしていた訳でもなし、因縁をつけるつもりはないぞい」
「太っ腹ですね」
「ああ、あの小僧には稼がせて貰ったからな。これが払い戻しの銀貨16枚じゃ」
「有難うございます」


 おじいさんはニヤリと笑って、そのまま群がる人達を引き連れて町の中へと消えてゆく。
 それを見送っていたら、ようやく飼い葉の中から這い出してきたボーマンが僕のほうへとやってきた。


「ひ、姫様……、なんで「落ちろ」なんですか?」


 泣きそうな顔をして僕の前に這い蹲るボーマン。
 僕は彼の頭にそっと手を置いて、僕は僕に出来る最高の笑みを向けた。


「お陰で儲かりました」


 掌の中の銀貨を見せると、ボーマンは一言「不幸だ」といってその場で伸びてしまった。



 さっきの集合住宅から少し離れたところに北街のマーケット広場というものがあって、ボーマンと僕はそこのオープンカフェもどきでお茶を飲んでいた。


「ボーマン、元気そうで何よりです」
「有難うございます。もう王宮仕えでもない俺なんかに、会いに来ていただけるだけで光栄です」
「あれだけ毎日屋根の上で暴れていたら、気にもなりますよ。ふふふ」
「あの、それでですね、俺、姫様に伝えたいことがあって……」


 カップの中の自分の顔を見ながら、軽く首肯して分かっていると無言でボーマンに告げる。
 ボーマンも内容が内容だけに、僕の意図が分かったのか迂闊に声に出さないでくれた。


「生きているって分かっただけで十分です。有難う、ボーマン」
「い、いえ。実際俺は馬車を走らせただけですし。あんまり役に立っていなかったですね」
「ううん。こうやってボクに知らせてくれたじゃないですか。それだけで涙が出るくらい嬉しかったです」
「いや、そんな」


 自分の気持ちを正直に打ち明けて微笑むと、頬を赤くしたボーマンは急にどもりながら視線を右へ左へと彷徨わせる。
 僕は紅茶を少し口に含んで喉を潤した。
 うん、妙に緊張しているのが自分でも分かる。


「あのね、ボーマン。ボクのせいでお仕事首になってしまって、ごめんね。首になったって聞いてから、ずっと会って謝りたかったんだよ」
「いえ、それはお気になさらないでください! 俺、姫様のせいだなんてこれっぽっちも思っていませんから!」
「あーうー、ボーマン、あんまり姫様って大きな声で言わないで」


 興奮して大声になったボーマンを宥めながら、一応自分の身分がばれない様に注意してくれるよう促す。
 自分の失態に気付いたのか、ボーマンはしゅんとなって頭をかいている。


「す、すいません。俺、血が上ると周りが見えなくなるんですよ。じゃあ、なんとお呼びしたら良いですか?」
「以前外出したときは、お嬢様って呼ばれてた。だからそう呼んでくれたら、分かりやすいかも」
「はい、分かりました、お嬢さま」


 さて、最初の用件を切り出そうか。
 僕はポケットに入れていた小さな宝石箱を、ボーマンの前にすっと差し出す。
 きょとんとしているボーマンに、僕は箱の中身を説明する。


「あのね、この中に指輪が入っているんだよ。これ持っていって欲しいんだ」
「はい? 指輪? お、お、お嬢様が、お、お、お、俺に、指輪???」
「ああ、違う違う。これは、その服の持ち主に渡して欲しいんだ。多分これから色々と物入りになるだろうし、実家にもおいそれと帰れなくなるだろうし」
「あ、ああ、なるほど……」


 何故かしょぼーんと肩を落とすボーマンに、僕は自分の配慮の無さに気がついた。
 慌てて色々と体中を探ってみるけれど、あの指輪ほど高価そうなものは身に着けていない。
 せいぜいがこのイヤリングくらいか。
 それでもないよりはマシかもしれないので、慌ててイヤリングを外してボーマンの前に置いた。


「ご、ごめんね、気がつかなくて。今、手持ちにこれしかないのね。こんなものでよかったら貰ってくれると嬉しいかな」


 ボーマンは差し出されたイヤリングをじっと見て、片方だけ手に握り締め、もう片方を僕に返してきた。
 いや、イヤリング片方だけ返されてもどうしようもないんですけど?


「別に褒美が欲しくてこんな真似してた訳ではありません。僕は貴女の力になれることが嬉しいんです」
「え? あ、ありがと……」
「でも折角ですから一個だけ貰います。あ、あ、後の一個は、ひ、ひめ、あ、いや、お嬢様が大事にしてくれたら嬉しいなぁと思ったりするんですが、どうでしょうか?」


 茹で上がったように真っ赤な顔をしているボーマン。
 案外ロマンチストなところがある奴だな、と少し微笑ましく思う。
 僕も中学生のころは好きな女の子に告白するときは、こんな感じに茹で上がっていたんだろうなぁ。


「分かりました。じゃあ、もう半分は私が大事に持っておきますね。あとそちらの指輪もきちんとあの人に渡してください」
「それはもちろんです」
「それともう一つ、あの人に伝言をお願いしたいのです」
「はい、なんでしょうか」


 緊張で上手く呂律が回らなくて、僕は少しお茶を飲んで心を落ち着かせる。
 こんな嫌な伝言をボーマンに頼むのは凄く気が引けるんだけれど、でもやっぱりこれだけはちゃんと言っておかないと駄目だから。
 どんなに嫌われても、それが僕の責任だと思うから。


「あのね、その指輪を渡すときに、私がごめんなさいって謝っていたって伝えて欲しいんです。あと、もう王都には近づかないほうがいいって事も。その指輪を売れば、多分10年くらいは遊んで暮らせるお金になるはずだから、どこか長閑な町でも見つけて静かに暮らして欲しいって」
「……」
「本当はいろんな問題をボクが解決できたら良いんだろうけど、正直ボクにはどうしていいのかも分からない。だから、一番いいのはボクに二度と近づかないことだと思うから。だから、さよなら、だねって」


 ボーマンはじっと自分の前に置かれたコーヒーを睨みながら、静かに肩を震わせている。
 うん、多分僕の言い分に腹を立てているんだろう。
 あんまりな僕の話に、さらにそれを僕が直接言わずに他人に言わせるという卑劣振り。
 ボーマンは一本気なところがあるから、こんな卑怯な僕に愛想を付かせて怒ってどっかにいってしまうかもしれない。
 まあ、そうなればそうなったで彼を傷つけずにすむので、僕的には少しだけ気が楽になる。
 僕はじっと彼が爆発するのを待つ。
 でも、いつまで待ってもボーマンは怒ることも、蔑むような目で見てくるような事もしなかった。
 ただ俯いたまま、僕に向かって呟いた。


「分かりました。その伝言、俺が責任をもって彼女に届けておきます」
「あ、あの……」
「大丈夫です。心配しないでください。貴女が精一杯考えて出した答えなのでしょう? でしたら、それは俺の判断で聞かなかったことにしていい話じゃない」
「あ、ありがとう、ボーマン」


 微動だにしないボーマンに少し不安を覚えるも、彼が返してくれた答えは僕が望むとおりのもの。
 それについて僕が文句をいうのも可笑しいのだが、なんとなく彼の態度に違和感を覚えた。
 望んだ答えなのに、ボーマンらしくない。
 でもそのボーマンらしくない答えを強要していたのは、他ならぬ自分自身。
 僕はいったい彼に何を望んでいたというのだろう?


「あ、あとね、そのボーマンも、もうボクと関わるのは止めた方がいいと思う」
「……理由をお聞きしてよろしいでしょうか?」
「さっき言ったのと同じ理由。ボクに関わったら、多分、ボーマンに迷惑が掛かるから。それも命に関わるような、ね。だから友達は選ばないと、長生きできないかなって」
「俺は、貴女のことを友達などとは一瞬たりとも思ったことはありません」
「あ、う、うん。そうだね。ごめん」
「いえ……」

 
 気まずい雰囲気が二人の間を埋め尽くす。
 ちょっとショックだったかな。
 ボーマンとはお友達になっていたつもりだったんだけど。
 こうもはっきりと否定されると割ときついもんだな。


「貴女の気持ちや考えていることは分かりました。それでは俺は、早速その人のところへ行ってきます」
「うん。ありがとう。ボーマンには色々迷惑掛けっぱなしだけどね」
「いえ、お気になさらずに。それでは」


 席を立つと、くるりと僕に背を向けて出て行こうとするボーマン。
 終始俯いたままだったので、どんな顔をしているのか、何を考えているのかわからない。
 その後姿を見て、僕は何かに急かされるように声を掛けてしまった。


「ボーマン!」


 彼の足がぴたりと止まるが、振り向きはしない。
 僕はこの世界に来て出来た、自分だけの片思いだけれども、友達に、万感の思いをこめてさよならを告げる。


「ありがとう。ボク、ミーシャやボーマンに会えて、本当に嬉しかったよ」





 僕は一人、マーケット広場の中を歩いてゆく。
すれ違う人々は朝市で買ったのか、いろんな果物や野菜を抱えて笑顔で歩いている。
 その笑顔も朝の空気のようにとても澄んでいて、沈みがちだった僕の心はそれだけでとても洗われたように思う。
 でも仲の良さ気な家族や友達連れとすれ違うと、とても切なくなる。
 フェイ兄やミーシャ達と一緒に出かけた日のことが、ボーマン達と無邪気にお茶をしていたことが、本当に楽しい思い出として頭の中にあるから涙が出そうになるのだ。
 どうしてこんな風になったんだろうか。
 繰り返し繰り返し考えたその問に、やっぱり僕は答えを見つけられない。
 僕はただ皆と一緒に笑っていたかっただけなのに。
 目尻に浮かんできた涙をそっと袖に含ませて、僕は空を見上げた。
 こうすれば涙も零れないんじゃないかと思って。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


 視線を下げると、5歳くらいの綺麗な金髪の可愛い女の子が手に赤いりんごの様な果物を持って、不思議そうに僕を見ていた。
 なんとか自然に見える笑顔を作り、僕は木箱から降りて女の子の前にしゃがむ。


「何かご用かな?」
「ううん。なんかお姉ちゃん泣いてるみたいだったから、どうしたのかなって」
「あ、あはは。みっともないところ見られちゃったね」
「あのね、これあげる」


 女の子は手に持っていた果物を僕に差し出して、頬を赤くしながらはにかんでいた。
 一瞬どうしてそうなるのか分からなくてぼんやりしていたら、女の子が僕の胸に果物を押し付けて来た。
 仕方なくそれを受け取ると、女の子は嬉しそうに笑いながら一歩後ろに下がる。


「あのね、フレンダも泣き虫なんだけど、これ食べたら元気になるわけ。だからお姉ちゃんもこれ食べて元気になってね?」
「あ……」


 小さな女の子の何の打算も無い優しさに、僕はありがとうの言葉すら口から出すことが出来なかった。
 ただぎゅっと果物を胸に抱いて俯いてしまう。
 声を出したら、前を向いたら、色々と駄目になる気がして、ただ僕は漏れ落ちる嗚咽を堪えるのに必死だった。
 そんな僕の背中を、小さな手がゆっくりとぎこちなく撫でてくれている。


「ご、ごめんね。お姉ちゃん、みっともないよね」
「ううん、フレンダも良く泣くから。それでね、いつもこんな風にお姉ちゃんが撫でてくれるの」
「そっか。優しいお姉ちゃんだね」
「うん。怖いけど大好き!」


 僕は涙でくしゃくしゃになった顔を袖で拭いながら、もう片方の手で女の子の頭を撫でてあげる。
 往来で号泣とかありえないとは思うものの、この不意打ちはなんか効いた。
 道の向こうで女の子の両親と思しき人達がこっちをみて微笑んでいる。
 恥ずかしかったけど、会釈をしてから女の子を親元へと送り出す。


「ほら、お母さん達が待ってるよ? もう行かなきゃね」
「うん。お姉ちゃんも泣いてばっかりいたら、おなかが痛くなるワケよ。だからもう泣いちゃ駄目だよ?」
「うん、元気でた。これ、ありがとうね」
「うん。バイバイ、お姉ちゃん」


 女の子が両親の元へ走って戻っていくのを、僕は泣きはらした笑顔で見送る。
 それがとても羨ましくて、切なくて、だからまた目尻から熱いものが落ちていった。



[24455] 37話「黒髪の少女と銀髪の少女」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/02 10:07
 街角で出会ったフレンダちゃんと別れてから、僕はしばらく路地裏で落ち着くまでぼーっとすることにした。
 少し薄暗い感じで余り人も歩いていないから、泣きはらした顔でいてもあまり恥ずかしくない。
 もちろん、それでも泣き顔が人目につかないようにと帽子を目深にかぶって、ひたすら目立たないように木箱の上でじっと座っている。
 両手でしっかりと握っている果物の甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐるけれど、これは持って帰ってから大事に食べようと思う。
 通りすがりの少女の優しさに頬を緩めながら、泣き笑いの顔を見られたら絶対引かれると思うので、立てた膝の間に顔を埋める。


「はぁ、これくらいの事でこんだけ落ち込んでたら、この先が思いやられるなぁ。外の人って、お母さんが死んでからずっとこんな気持ちで生きてたのかな? ずっと一人ぼっちで、誰にも理解して貰えず、誰とも理解出来ない……か」


 外の人の母親は、ヴォルフ家を追われるようにしてこのゴーディン王国に正妻として嫁入りしたらしい。
 当時の王様は、ランドルフ家(帝国の有力な伯爵家で皇帝の少し遠い親戚筋)から嫁入りしていた正妻を亡くしたばかりだった。
 当然、王様や周囲の貴族達の気持ちも逆撫でするような結婚だったそうである。
 ましてやフェイ兄のお母さんは、とても出来た人で周囲から非常に愛されていたそうだ。
 その傷心も癒えぬというのに、誰ともしれぬ男の子種を宿した売女を、属国とは言え一国の主に押し付けるとは何事だという事らしい。
 しかし、中原からの圧力が日に日に増し戦雲が濃く立ちこめる時期に、盟主国の不興を買うわけには行かず苦渋の選択だったみたいだ。
 この当たりの話はミーシャから教わったんだけどね。
 だから外の人のお母さんは、国中の貴族達から忌み嫌われた。
 その娘である外の人も、親知らずの忌み児だと公然と蔑まれていたのだ。
 

「ボクは、外の人みたいに当り散らすなんて出来ないからなぁ。フェイ兄や他の皆も色々苦労しているみたいだし。ボクさえ大人しくして物事がうまく行くなら、それもありか……」


 ようやく涙も止まって、気分的にも大分ましになった。
 大事になるまえにそっとお城に戻らないといけないよな。
 そう思って立ち上がろうとしたとき、目の前に同い年か少し上くらいの女の子がこっちを見て呆然と立ち尽くしていた。
 黒曜石のような綺麗な黒い髪を三つ編みにして後ろで纏め、着ている服はどこかの名家に仕えてるメイドさんのようだった。
 彼女はその可愛いブラウンの目をいっぱいに広げ、その視線は僕をがっつり捕らえて放さない。
 目の前に立たれているので、当然僕は木箱から降りる事も出来ず、意味も分からないままその女の子にじっと見つめ続けられる。
 1分くらい相手がじっとこっちを見つめたまま動かないから、僕は恐る恐る声を掛ける事にした。


「あ、あの、何かご用でしょうか?」
「……い、いえ、別に。ただ知り合いに凄く似ている人だったのでビックリしただけです」
「あ、そうですか。世の中には自分に似た人が3人はいるらしいですからねぇ」
「そうなんですか?」
「あ、いえ、言葉のあやと言うか、言い伝えというか、そんなようなものですよ」


 僕が立ち上がりたそうにしているのに気付いて、その黒髪の少女が一歩後ろに下がってくれる。
 木箱から降りてお尻についた木屑を払いながら、微笑みつつ少女に向かってお礼をいう。


「ありがとう」
「……お礼を言われるような事はしていませんわ。どちらかというと邪魔をしていたのは私の方ですし」
「んー、それでもやっぱり、ありがとうって言葉が一番しっくりくるんだけどなー」
「変な方ですね」
「出会い頭にガン見してた人に言われたくないよー、ははは」
「そうですね、私も変かもしれません」


 寂しそうにふふふと笑うその笑顔に、なんかうっすらと影のようなものを感じた。
 少し気になりはしたが、初対面の人にいきなり何か悩んでるんですかって聞くわけにもいかないしスルーすることに。
 変な人だなぁとは思ったけど、行きずりに出会った人に対していう事でもないし、早く城に戻らないといけない。
 ということで僕はピッと手を上げて、別れを告げて立ち去ろうとした。


「それじゃあ、ボクは家に帰らないといけないから」
「家? 家がおありなのですか?」
「そりゃ帰る家の一つくらいは無いと生きていけませんし」
「あ、そ、そうですわね。当たり前ですよね。私ったら何言ってるのかしら」


 赤くなった頬を押さえてうろたえる少女を見て、僕は少し和んでみたりする。
 んー、なんかアニスとは別方向で天然っていうかいい味出す人だなぁ。
 ニヨニヨしている僕をみて、その少女も自分の慌てぶりに恥ずかしそうに肩をすくめる。
 本当なら名前の一つも聞いて仲良くなりたいなと思うけど、それはやってはいけない事。


「じゃあ、今度こそ本当にさよならですね」
「え、ええ、そうですね」


 軽く手を振って僕はその人に背を向けて歩き出した。
 なるべく細い路地を通って正門に向かって歩く。
 路に並ぶ軒先からは昼ご飯の準備をしているのか、何かを焼く匂いや美味しそうな焼き肉の匂いが漂う。
 う~、落ち込み気味でアンニュイな気分の筈なのに、なんでお腹だけは欲望に正直なのかな?
 僕は垂れてきそうな涎をぐっと飲み込んで、ひたすら前へと進む。
 お腹は空いたけど帰れば何か食べれるし、我慢だ、我慢。
 民家を抜けてなにやら倉庫が立ち並ぶ一角を黙々と歩く。


「……」
「……」


 おかしい。
 何かがおかしい。
 もう民家を抜けて倉庫街なんだから、いい加減焼肉の匂いも鼻から離れてくれたっていいはずなのに。
 何時までたっても香ばしい匂いが僕を追いかけてくる。
 思わず垂れてしまいそうになる涎を、なんとか我慢しながら歩き続けた。
 あー、あともう一つおかしい事があるんだ。
 なんかね、この寂れた裏路なのに足音が僕以外にもう一つある。
 しかもさっきからずっと僕の後を付かず離れず追いかけてくるんだ。
 あれかな、ストーカーかな?
 僕はそーっと肩越しに後ろを振り向いて見る。


「え゛?」
「あら?」


 さっきの黒髪の少女が、てくてくと僕の後ろをついて来ていた。
 しかも手にバーベキューの大きな串を1本持っているし。
 っていうか、なんでそんなの持って僕の後ろを付いてくるのかな?


「あら、奇遇ですわね?」
「……奇遇、なのかな?」
「ええ、奇遇ですわ」


 そんな風に微笑みながら言われると、なんかこっちの思考が間違っているような気がしてきた。
 奇遇じゃないよね? 
 絶対さっきの所から付いて来てたよね?
 でなきゃ、串なんか買って持ってこないよね?
 っていうか、どこで買った! いつ買った! そこが知りたいよ、僕は!!


「あらあら」


 僕が悔しそうに串を睨んでいたら、目の前でこれ見よがしに串を左右に振る少女。
 当然(?)僕の視線も串につられて右左。
 し、仕方ないよね? 誰だって美味しそうな串を振られたら、思わずつられるよね?


「どうぞ?」
「え?」
「ですから、どうぞお食べ下さい」
「い、いいの?」
「ええ。そう思って買ってまいりましたから」


 ど、どうなんだろう、見ず知らずの人に餌付けされるのって。
 そう思っていても僕の口の中は既に肉の受入準備が完璧に整っているわけで。
 でもやっぱり毒とか入ってたりするかもしれないし自重すべきかも。
 そうやって僕が躊躇していると、おもむろに少女が串に刺さっている肉と野菜を一口づつかじる。


「ふぁ……」
「はふはふ、まだ熱くて美味しいですわ。さあ、冷めないうちにどうぞ召し上がれ?」
「……い、いくら?」
「別にお金は要りませんよ? なんとなく貴方にこれをあげたくなっただけですし」
「お金はちゃんとあるから払う。そうじゃないとなんか色々と駄目な気がする」
「そうですか。では銀貨1枚でどうでしょうか」
「うん、分かった」


 僕はスカートのポケットから銀貨を1枚取り出して串と交換する。
 まだぬくぬくの串はやっぱり美味しくて、あっという間に食べつくしてしまう。
 指やら口に付いたタレをぺろぺろと舐めていたら、隣の少女が苦笑交じりにハンカチで口と手を拭いてくれた。
 まるでそれが自分の役目だというように。


「あ、あの、ありがとう。美味しかった」
「いえいえ、美味しそうに食べて下さって、私も和みました」
「そ、それじゃあ、私行きますね?」
「? ボクじゃなくて、私なのですか?」
「あ、いや。ボクっていうのは口癖で、ホントはちゃんと私って言わないと駄目で」
「お名前、お聞きしていいかしら?」
「う゛っ」
「駄目かしら? お友達になれたと思いましたのに」


 可愛らしく首を傾げて僕を見つめる少女。
 そりゃ、仲良く出来るならなりたいけど、ミーシャの二の舞はゴメンだ。
 僕は心を鬼にして、柔らかく微笑んでいる少女に向かって告げた。


「駄目じゃないけど、駄目なんだ」
「そうですか。それは残念です」
「ごめん」


 僕はそれだけ言ってくるりと踵を返し、正門へ向かって歩き出す。
 もうあと5分も歩けば見えてくるはず。
 後味の悪い思いを無理やりに胸のうちに押し込んで、僕はひたすら足を前へと送り出した。
 その後を同じ歩調で着いてくる足音。
 方向もまったく一緒、歩幅も一緒、君は僕のシャドーマンかっ!
 ちょっとイラッと来て、勢い良く振り返る。
 そこにはやっぱりニコニコと笑みを浮かべている黒髪の少女。


「あ・の・ね? ボクに着いてきたら駄目なの!」
「あら、今度はボクなのですか?」
「あー、もう! ボクでも私でもいいじゃない! 兎に角、ボクに近寄っちゃだめなの! 分かってくれる?」
「あらあら、何か性病でももっていらっしゃるのですか?」
「だーっ!! 性病なんか持ってないし、持つ予定もないよっ!」
「それはいけません」
「なんで? もしかして性病推進派の人なの!? だったらなおさら近寄らないで欲しいかな!」
「いえいえ、性行為をしなくても性病には罹ったりするのですよ? 例えばですね、公衆浴場なんかでは寄生虫がですね……」
「怖い話はしなくていいから!」
「あう、残念です」


 本当に残念そうに下を向く少女に、なんて言っていいか分からなくなってしまった。
 あれかな、もう僕が誰か教えて怖がらせた方がいいような気がする。
 こんな脅すようなやり方は嫌いなんだけど、この娘のためだもんな、仕方がない。
 腹を決めて、僕は薄い胸を張って腰に手を当てふんぞり返る。


「もうね、この際だからはっきり言ってあげますね」
「はぁ、何をでしょうか?」
「私が誰かって事をです!」
「え? でも教えてくださらないって先ほど……」
「だぁぁぁっ! 気が変わったの! 教えてあげる、ってかむしろ聞いてください!」
「はぁ、仕方ありませんねぇ」


 だ、駄目だ、疲れる。
 さっきまでふんぞり返っていたのに、いつの間にやら猫背になってて、気を抜けばがっくりと膝が崩れてしまいそう。
 それでも僕は底を付きかけていた気力を掻き集めて、もう一度奮い立つ。


「良く聞いてくださいね? 私の名は、スワジク・ヴォルフ・ゴーディン! この国のお姫様だよ!」
「あらあら、まぁまぁ」


 ばばぁん! って感じで自己紹介したら、急に目の前の少女がおろおろとしだす。
 ようやく現実を分かってくれたみたいだ。
 こんな風に自己紹介するのは嫌だったけど、この娘に迷惑がかかることを思えばなんてことはない。


「さぁ、分かってもらえたみたいだから、ボクはこれで失礼するね?」
「いえ、でも、そのまま正門から入って大丈夫なのでしょうか?」
「え? そりゃ、自分の家に帰るわけだから問題ないんじゃないのかな?」
「お姫様がお供もつけず一人で外出したと分かったら、怒られませんか?」


 心配そうな顔でそういわれると、僕も少し不安になる。
 といって他にお城に入る方法があるわけでも無し、怒られたなら怒られたときだよね。


「そうは言いましても、ばれたらきっと外出禁止とか、四六時中誰かが傍に付きっ切りになるとか、怖い教育係りの人に鞭でお尻を叩かれるとか……」
「今さらっとボクの思考を読んだよね? 怖いんだけど!」
「壁に鎖で繋がれて、首輪を嵌められて、奴隷のように苛められるのですよ」
「うっ、そ、そんな事は無いんじゃないかな、多分? っていうか思考を読んだことはスルーなの?」
「いえいえ、安易に考えてはいけません。私には見えます。部屋に軟禁されて涙を流しているお姫様の姿が!」
「嫌な妄想しないで欲しいよ!!」
「そうでしょうか? 本当に私の妄想と言い切れますか? 貴女の兄上様は、貴女を心配してお出でではないのでしょうか? 可愛さ余って憎さ百倍とも申しますし」


 なんか段々正門から帰るのが怖くなってきた。
 鬼のように怒るフェイ兄なんて想像も出来ないけれど、でもやっぱり一人で出歩いたってばれたら外出禁止令くらいは出しそう。
 過保護的な意味で。


「で、でもボクはあそこしか入り口知らないし」
「大丈夫でございます。私の姉が以前王宮に勤めていました時に、隠し通路があるのを教えてくれたのです」
「ええ! マジで?」
「ええ、マジです。そこからなら誰にも気付かれることなくお城の中へ出入り出来るはずです」
「ほえー、それって誰でも知ってるの?」
「いえいえ、私の姉と私だけの秘密でございます」
「へぇ、凄いねぇ、君のお姉さんって」
「たまたまでございますよ。さ、私の後について来てくださいな」


 そういって颯爽と街の中へ戻ってゆく黒髪の少女。
 少々不安に思ったけど、悪い人ではなさそうなので後を着いていく事にした。
 本当にお城にちゃんと帰れるんだろうか?
 なんとなく少しだけ不安になる僕だった。



[24455] 38話「剣はただ主の為に」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/03 11:31
 街の中をまるで当ても無いかのように無秩序に歩く黒髪の少女。
 付いて来いと言われてから、彼女の後を追いかけて既に30分以上は歩き回っている。
 同じ道を行ったり来たりしていたり、行き止まりにぶち当たって引き返したり。
 流石にこれはおかしいと思って、前を歩く少女に声を掛けた。


「あのー、もしかして迷ってません?」
「……」


 僕の問いかけに一旦は立ち止まる黒髪の少女だが、また無言で歩き始める。
 うん、ばつが悪いからって無視はよくないと思うんだ。
 僕は彼女の肩に手をやって振り向かせようとした瞬間、彼女は急に立ち止まってぱんと両手を叩いた。
 その音にちょっとびっくりした僕は、ひゃうという声を思わず漏らしてしまう。
 僕の情けない声を聞いた少女は、にやりと笑ってこちらを振り向く。


「ふふふふ……」
「な、なに? どうしたのかな?」
「まんまと引っかかりましたわ」
「な……に?」


 少しうつむき加減でふふふと嗤う少女は、一歩右へ移動すると背後にあるドアを指差した。
 もしかして僕、騙されたのか? 最悪の想像が僕の頭の中を過ぎる。
 彼女は僕の顔を見て、にやりと笑った。


「到着ですわ」
「おかしいよね? ただ到着したにしては、嗤い方とか邪悪っぽいよね? それに到着って、ここさっきから10回以上は通ったんだけど!?」
「あらあら、興奮しすぎると体に毒ですわよ?」


 暖簾に腕押し、ぬかに釘とはこのことか!
 疲れ果てた僕は文句をいう気力も無くなって、がっくりと肩を落とす。
 彼女といるだけですっごい疲れるんですけど……。


「さあ、こちらです」


 そういって先に立って古ぼけた教会の中へ入ってゆく少女。
 僕は足を引き摺るような格好でその後を追う。
 教会の中は古ぼけた外観にしては綺麗な方で、多分今でも町の人が集会とかで使っているんだろうなと思わせる。
 正面の教壇の後ろにあるステンドグラスがとても印象的だ。
 黒髪の少女は、教壇の右手方向にあるドアを開けてずんずんと奥へと入ってゆく。
 僕もステンドグラスに目を奪われながらも、慌てて彼女につづいた。
 廊下を行き、キッチンらしき場所を越えて中庭に出ると、奥に平屋建ての宿舎っぽいものがある。
 どうやらそこが目的地のようだ。
 少女は中庭を突っ切って、宿舎の一番右端の部屋の扉を押し開ける。
 中は昼だというのに少し薄暗く、少しカビ臭かった。


「ここは?」
「この教会の物置ですわ」
「へぇ、なんか色々置いてるね。これは、鎧? これは錆びた剣に折れた剣。穴の開いた鍋に、これは……、かかし?」


 僕は乱雑に積み上げられた荷物を興味深げに眺めている間に、彼女は奥にあった暖炉脇にある壁の出っ張りに手を掛けた。
 その出っ張りを力一杯壁に押し込むと、暖炉の左側の本棚がゆっくりとスライドして行き、隠し階段が現われた。
 どうやら地下へと続いており、奥のほうからカビ臭い空気が吹き上げてくる。


「すごいね」
「んー、でもこの道、姫殿下がお作りになられたそうですけど、覚えてらっしゃらないのですか?」
「え゛?」
「なんでも王宮は息がつまるとか言って、ここから街に遊びに出ていらしたと姉はいっておりましたけども?」
「あ、ああ! そ、そんなこともあったかなぁ? さ、最近使ってなかったから忘れてたよー、あはは」
「あらあら、忘れんぼさんでしたか」
「あ、あははは。忘れんぼさんでしたよー」


 乾いた笑い声を上げながら、無理やり誤魔化す。
 こんなんで誤魔化せるのかな? 激しく不安だ。
 少女は暖炉の上においてあったランタンに火を灯すと、僕のほうへと差し出す。
 まあ地下は真っ暗だから、これがないと怖くて進めないよね。
 僕はそれを受け取ると、一歩だけ地下への階段に足を踏み入れた。


「私はここまでで失礼しますけれども、この先は一本道になっているはずでございます。迷うこともないと思うのですよ」
「あ、うん。有難う」
「出口の開け閉めは、壁のこの窪みに手を突っ込んで取っ手を引くだけです」
「ほうほう、なるほど」
「それでは、お気をつけてお帰りくださいね。私はこの界隈でよく迷っていますので、見かけたら声を掛けていただけると嬉しいのですよ」
「あ、う、うん。分かった。あの、色々とありがとう」
「いえいえ、貴女様のお力になれたのなら姉も喜んでくださると思うのです」
「そか」


 僕と少女は笑顔で頷きあい、軽い別れの挨拶を交わした。
 結局僕は最後まで彼女の名前を聞かなかったし、彼女も自分の名前を語ろうともしなかった。
 でもそれでいいのだ。
 僕は取っ手を引いて、秘密の通路の扉を閉める。
 ゆっくりと閉じてゆく入り口の向こうで黒髪の少女は、何故か出会った時に見せた暗く寂しい表情でこちらを見ている。
 閉じる瞬間彼女が何かを呟いた気がしたのだが、扉の閉まる音でよく聞こえなかった。
 気になりはしたものの、わざわざ開けて聞きなおす事も躊躇われたので、僕はそのまま隠し通路を進んでゆくことにした。


“やはり、私の事は覚えていらっしゃらないのですね、姫様……”


 たら、ればの話だが、この時の彼女の呟きを僕が聞き逃していなかったら、あるいはボーマンは事件に巻き込まれずに済んだのだろうか……





 俺は自分の荒ぶる感情を上手くコントロール出来ないまま、古ぼけた館の扉を思いっきり殴るようにして押し開く。
 丁度ロビーの掃除をしていたガーゴイルの1体(プラチナブロンドで褐色の肌をした健康そうな奴)が、その音にびっくりしてバケツを床に落として慌てていた。


「ドクターは何処にいる?」
「あ、あう、リビングでお茶してるけど……」


 それだけ聞くと俺はガーゴイルが指を差した先にあるリビングに向かった。


「お、お前! 片付け手伝えよなぁ!!」


 ガーゴイルの怒鳴り声が聞こえたけれど、今はそんな事にかかずりあっている暇は無い。
 ずんずんと奥に進んで、リビングのドアも荒々しく開け放つ。
 ガラス張りのテラスっぽいところでジュークと二人お茶をしているドクターを発見すると、俺は大股でそちらへと詰め寄った。
 良く見れば机の上にへんてこな人形が置かれていたが、とりあえず今は関係ない。


「ドクター!」
「なんだ騒々しい。来訪のマナーすら守れんのか、ひよっこは」
「姫様と会った」


 あざける様な表情だったドクターが、俺の一言で真顔になった。
 持っていたカップをソーサーに戻すと、体ごと俺に向き直る。
 俺は机の上にさっき姫様から貰った指輪のケースを置く。


「ミーシャさんに伝言だ」
「聞かずともこれを見れば予想はつくが、一応聞こうか」
「これを売って王都から離れろと。あと自分には二度と関わらない方が良いとも」
「……そうか。その道を行くか」


 何やらしたり顔で頷くドクターに、俺は我慢できずにテーブルに力一杯両手を叩きつけた。
 テーブルの上においてあったカップやら人形やらが飛び跳ね、中身が零れてクロスを汚す。
 ジュークがこっちを無言で睨んでいるが、そんなことは毛筋の先ほども気にならない。


「納得出来ねぇよ!」
「何がだ?」
「姫様のやりようも、それを止められない俺にも!」
「……」
「何よりそんな風に姫様を追い込んだ奴らを、俺は許せねぇ!」


 もう一度、力一杯テーブルに八つ当たりする。
 今度はドクターもジュークもさっとカップに手をやって、中身がこれ以上零れるのを防いだのだが、まあ今の俺にはどうでもいい。
 ドクターを睨みつけ、俺は言う。


「教えてくれ! 姫様を守るために、俺はどう剣を振るったらいいんだ?」
「キャハッ、それドクターに物を頼む姿勢じゃないよね? これだから騎士とか衛士とかいうヤツらは馬鹿だというんだ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
「自分で考えられないなら、土下座でもしてみればぁ?」


 馬鹿にするようにそう言い放つジュークにむかっ腹を立てるが、でもそんなことくらいで道が開けるなら安いもんだ。
 俺は腰に下げていた木刀を外して片膝をつき、剣をもった手を目の前について頭を垂れる。


「俺は政治とか貴族のしがらみとか苦手でよく分からない。恥を忍んでお願いします。姫様の敵を、知っているなら教えてください」
「物事は、そんな簡単に割り切れるものではない」
「だけど、ミーシャさんを襲った奴らさえいなけりゃ」
「そんな奴らは唯の三下だ。トカゲの尻尾と一緒で、切れてもまた生えてくるものだ。それをいちいち潰したところで、姫様の状況は何一つ変わらんだろうて」
「なら、元凶を見つけ出して」
「例えば国内にいるその元凶とやらを潰したとしても、姫様を利用しようとする輩や害そうとする輩など後からいくらでも沸いてくる」
「ならそれも皆潰してやる!」


 そう意気込んで啖呵を切る俺を、何故か物凄い憐れみを持って見下された。
 え? 俺のその考えは駄目なのか?
 ジュークも呆れ返った顔でため息なんかついている。


「ドクター、やっぱりこの馬鹿には難しすぎて分からないんだよ」
「小僧、お前のその木刀を寄越せ」
「?」


 訳が分からないまま、手にした木刀を渡す。
 ドクターはそれを手にすると、俺の目の前にかざした。


「この木刀はお前だ」
「はい」
「そしてお前を姫様だと仮定する」
「は、はあ?」


 そしてドクターが手にしていた木刀を脇に放り出し、彼の懐に差してあった細い棒を俺の首筋に当てる。
 意味が分からずぼんやりと棒を眺めていたら、それで思いっきり頭を殴られた。


「いてぇ! 何すんだよ!」
「これが姫様の現状だ」
「はあ?」
「さて、この状況でどうやってあの木刀は主であるお前を守ることが出来る?」


 簡単じゃないか、木刀を手に取れば良いだけだ。
 そう思って立ち上がり木刀を取りに行こうとしたら、また思いっきり殴られた。


「いてぇよ! 何するんだよ!」
「姫様から木刀を取りにいってどうする? 姫様は木刀が傷つくのを恐れて遠くにやろうとしているのだぞ?」
「いや、でも木刀が無かったら守れないぞ?」
「当たり前のことを言うな」
「????」


 意味が分からず頭を捻っていると、ドクターが呆れ顔で呟いた。


「姫様から木刀に近づかないのであれば、木刀から姫様に近づけばいいのではないか」
「何いってるんだ、木刀に足が生えているわけがない」


 といったところで、思いっきり俺の足を棒で殴りつけるドクター。
 くそっ、こいつ何気に力がありやがる。
 太ももを擦りながら、俺はドクターを睨み付けた。


「お前のそれは飾りか?」
「飾りのわけが無い!」
「なら行動しろ。木刀は敵を探さないし考えない。ただ主の為にのみ、その敵を討つものだ」





 慌しく館を去ってゆく若い騎士の背を見送りながら、ドクター・グェロはテラスの窓辺に佇む。
 その背に、テーブルから声が掛けられた。


「ドクター、お願いがあります」
「……なんだね?」
「体を作っていただきたいのです」
「……だが、彼女はそれを望みはしないぞ? 残りの余生、静かな田舎町で過ごすのもよいものだ」
「剣はその主の敵をただ討つもの、とおっしゃられましたね。では侍女である私は、ただ主のために尽くすのみです」
「本体の処置はどうする?」
「お任せします。煮るなり焼くなり好きなように。動かない体に、用などありませんから」


 ドクター・グェロは徐に振り返ってテーブルの上にある人形を見つめた。
 傍に控えていたジュークに視線を移す。


「直ぐに使える戦闘タイプが1つあります」
「永くは持たんぞ? 最悪魔力が尽きれば、戦闘体は泡となって消えてしまうわけだが……」
「それで構いません。よろしくお願いします」


 ドクター・グェロは深いため息を漏らすと、ジュークに指示を出した。


「術式の用意を。まったく老体をこき使うとは、とんでもない侍女だな」
「ありがとうございます、ドクター」



[24455] 39話「無理やりってよくないと思うんだよ、ボクは」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/07 23:47
 路地裏の薄暗闇の中、どこにでも居そうなごくごく平凡な顔つきの男が私を待っていた。
 そのガラス玉の様な無機質な視線に心の底まで蹂躙されたような気がして、思わず背筋を震わせてしまう。
 そんな私の怯えを見抜いたかのように、男はニタリといやらしく笑みを貼り付けた。


「どうしたのですか、ルナ」
「別に、どうもしませんわ」
「そうですか。でも、どうして殺ってしまわなかったのですか?」
「……」


 男は生理的に受け付けないような笑みを浮かべながら、近寄ってくる。
 この男はいつもそうだ。
 普段は居るのか居ないのか分からないほどに存在が希薄なくせに、相手の弱みや悲しみなどの負の感情を感じ取ると悪魔の様な笑みを浮かべる。
 命の恩人でなければ、こんな下衆な男と係わり合いになりたくも無かった。


「あの教会はすでに廃屋となって長い年月が経っています。あの物置で、いや、あるいは隠し通路の中でもいいですね。短剣をこの辺りに刺し込めば、死ぬほどの苦しみを味わいながら暗闇の中でじわりじわりと死んでいくのに」


 そういって男は私の右のあばら骨の一番下辺りを撫で回す。
 きっとこの男の頭の中では、あの可愛らしい姫様が何度となく刺し殺されているのだろう。
 粘り気のある気味の悪い笑みを見て、私はそう確信する。
 それは自分の中の大切な何かを踏みにじられているような気がして吐き気がした。


「命を救っていただいた事には感謝していますが、私は貴方達の手先ではありません。私が殺したいと思ったときが復讐する時です」
「それはそうですが、高貴な方にも事情もあれば時間もある。いつまでも貴方を匿っていられるとは限りませんよ? ましてやあの売女の娘に顔を見せたのです。そうそう時間はかけられません」


 私はこの男に助けられた。
 レオ様の私邸を辞去し故郷に帰る途中、駅馬車に乗り合わせていた人達ごと闇に葬り去られるところを、この男がたまたま通りかかって助けてもらったのだ。
 陰謀の全容について知らされた私は、首謀者である蛮行姫の追及の手を逃れるために男の言うままに王都に舞い戻ってきた。
 姉の死に報いる為に、駅馬車に居合わせた人達の恨みのために、何より自分自身の平穏の為に。


「あの娘は……、あの姫様は私を見ても驚きませんでしたわ」
「?」
「あの姫様は、本当にスワジク・ヴォルフ・ゴーディンなのでしょうか?」
「逆に聞きますが、あの容姿を持っていて尚、彼女がそうでないと言い張るのですか?」
「いえ、あれは確かに姫様でした」
「ならば何を迷うのです。今更止めるのですか? レイチェル殿や駅馬車の人々の悲しみを、あの蛮行姫の悪行を許せるのですか? 許していいのですか?」
「許しはしません。でも……」


 煮え切らない私の態度を見て深いため息をついた男は、肩をすくめてまた無表情に戻った。
 どこにでも居る有象無象へ。
 私の背に圧し掛かるようにあったプレッシャーが、それだけですぅっと軽くなる。
 それで私は理解することが出来た。
 私はこの男が堪らなく怖いのだという事に。


「まあ、いいでしょう。高貴な方からも、蛮行姫が記憶喪失だという情報が入っています。あなたの顔を見て驚かなかったところを見れば、それは正しい情報だったという事です。となれば、利はこちらにある。おそらく蛮行姫はあの出入り口を使って、今後街に出てくるに違いありません。そのチャンスを狙っていく事にしましょう。出来る限り仲良くして最後に裏切るというのも、非常にそそる殺し方ですしね」


 何も答えない私を暫くじっと見つめていた男は、口の端だけを歪めて笑う。


「貴女がその気になるのを気長に待つことにします。ま、もっとも高貴な方から命令があれば、貴女の都合などお構いなしになってしまいますが。そうならないように、お早めに決断をしていただけると助かります」
「分かりましたわ」
「あ、そうそう、もうじきお仲間が増える予定です。その方も大層蛮行姫に恨みを持っておられまして。ええ、きっと顔をあわせたらびっくりするでしょうね。今から楽しみです」


 そういって男は闇に溶け込むように消えてゆく。
 最初は魔法でも使っているのかと思ったが、そんな様子はない。
 きっとあいつは悪魔の使徒なのだろう。
 だから魔法を使わなくても、簡単に闇に溶け込めるのだ。
 ということは、私は悪魔に魅入られた馬鹿な女ということなのだろうか。
 仲間が増えるということは、あの悪魔に魅入られた人が増えたということ。
 その人は蛮行姫にどんな仕打ちを受けたのだろうか。
 こんな茨の道を歩まないように、なんとか守ってあげたいと思う。
 ふと幸せな頃の姉の顔が、声が浮かんでは消える。
 あの頃はただ、姉に守られて日々を過ごすだけでよかったのに。
 一体私の人生は何処で狂ってしまったのだろう。
 どこかに私を救ってくれる人はいるのだろうか。
 やるせなさに沈んでしまいそうになる気持ちを、姉の笑顔や駅馬車にたまたま乗っていた人達の死に様を思い起こす事で奮い立たせる。
 今は落ち込んでいる場合ではない。
 この復讐はきっとこの国にとっても『いい事』なのだから。
 だから、私は『悪い人』になろうと決めたのだ。





 所は変わって、王宮にある近衛隊舎の一室。
 机の上に置かれているのは、近衛隊の証である白銀の剣。
 特殊な製法でつくっていて、普通の剣とは違い刀身が輝くような銀色をしていることから、その通り名がついた剣である。
 その輝かしい剣の向こう側に座っているのは、近衛隊のコワルスキー、筋肉マッチョのおっさんだ。
 俺とおっさんは、こうやって小一時間ほどにらみ合っている。
 なんでかというと俺が近衛隊に入るのではなくて、姫様の騎士として認めてもらえるようにお願いしたからだ。
 で、ヴィヴィオさんが姫様の意思を確認しに、北の塔舎へと行ってもらっている。
 その結果待ちの為に、本当に仕方なくこの場にとどまっているのだ。
 本心を言えば、今すぐにでも姫様の元へ行って、警護に当たりたいくらいなのである。
 それを乏しい自制心をフル稼働させて、現状を耐えているのだ。
 うん、騎士の鑑だと自分で自賛しておこうか。


「なんで、近衛じゃねぇんだ?」
「俺は姫様の為に戻ってきたんだよ! 姫様以外の為に剣を振るうつもりはない」


 さっきから何度も繰り返されている問答だ。
 おっさんは俺が姫様の騎士になることを嫌がっているようだが、こればっかりは譲れねぇ。
 それにあんな首の切り方をされて、また頭を下げて働く気にもなれないしな。
 沈黙が支配する部屋の扉が、ようやく静かに開け放たれた。
 俺もおっさんも、入ってきたヴィヴィオさんに視線を向ける。
 

「どうだった?」


 おっさんがヴィヴィオさんに声を掛ける。
 彼女は疲れた顔をして首を横に振った。
 

「姫様は騎士など要らないと。自分のことは自分で出来るから放って置いて欲しいとも」
「ま、最近の姫様の行動をみてりゃ予想は出来たけどな」


 別段落胆した様子もない2人に対して、俺は逆に激しくショックを受けていた。
 確かにいきなり騎士にしてくれなどと言って、すぐに良い返事が返ってくるとは思ってもいなかったが、まさか会っても貰えないなどとは夢にも思ってもいなかったのだ。
 そこまで姫様は自分を追い込んでいるのかと思うと、居ても経っても居られなくなる。
 思わず腰を浮かせかけた俺に、ヴィヴィオさんが質問をしてきた。


「ボーマン、君は姫様に『貴女のことは友達と思ったことなどない』と言ったかしら?」
「あ? え、ええ、確かに言いました。迷惑は掛けられない、友達は選べというようなことを言われたので、それは違うだろうと」
「……なるほど」


 ヴィヴィオさんがこめかみを押さえて、なにやら痛みを耐えるような仕草をしている。
 俺はあまり意味がよく分からなくて、おっさんの方を見た。
 おっさんにはなにか思い当たる節があるのか、とても残念そうな表情だ。


「えと、何か拙かったですかね?」


 恐る恐るヴィヴィオさんに声を掛けてみた。
 彼女はどういって良いのか迷った挙句、とんでもないことを口出す。


「ボーマン、あなた女の子と付き合ったことないでしょう?」
「はぐぅあっ。そ、そんな胸を突き刺すような一言を、何故今言われないといけないのですか?」
「まあ、なんとなくお前さんの考えていた事は、騎士としては理解できるぜ。騎士と主の関係をそこいらの友達関係と一緒にされちゃ、そら堪らんわな」
「で、ですよね!?」


 さっきまでの険悪なおっさんとの関係をかなぐり捨てて、その援護射撃に最大級の尊敬の眼差しを送る。
 だがその援軍もあっさりと敵に寝返った。


「だがよ、友達とは思ったこともない、で話をぶった切ったら、そりゃ姫様も傷つくわな」
「え? え?」
「言葉が圧倒的に足りないのですよ、ボーマン君」
「いや、ヴィヴィオ、俺なら一言で済ますぜ? 俺に任せろってな具合で」
「あなたにはムードがないのですよ。それでよくあんな良い奥さんを貰えたものですね? 王宮七不思議のひとつです」
「おめぇ、女ってのはな、無理やり引っ張って貰いたいって願望があってだな、多少強引な方がいいんだよ」
「全部が全部、そんな女性ばかりだと思われているのも不愉快なのですが?」
「そんなツンケンしてるから婚期を逃しそうになってるんじゃねぇか」


 瞬間、部屋の空気が5度は下がったように俺には感じれた。
 これが圧倒的な死の恐怖というものなのだろう。
 そのプレッシャーに、さすが歴戦の勇士であるおっさんはたじろぎもしていなかった。
 だが恐怖の女王は、さらにその上を行った。
 机の上にあった剣を手にすると、無言でそれを鞘つきのまま振りぬく。
 俺も騎士を目指す者の端くれだ。
 女性が振る剣筋など容易に見切れると思っていた。
 いわんや歴戦の勇士ともなるおっさんであれば、それは確信としてあったはず。
 だが、そんな俺たちの予想をはるかに上回る斬撃に、おっさんは頬を張られて首がおかしな方向に傾いていた。


「誰が行き遅れですって?」


 鼻からぼたぼた血を垂らしながら、兎のように震えているおっさん。
 だが、そんなおっさんを俺は笑えなかった。
 なぜならヴィヴィオさんの形相に、俺は本気でちびりそうなのだから。
 だが、獅子は兎を狩るのにも全力を持って当たるという。
 静かに振り上げられる2撃目を、後悔の眼差しをもって見つめ続けるおっさん。
 すまねぇ、俺にはあんたを助ける力などない。
 迷わず成仏してくれ!
 おっさんの最後を見る前に、俺はその場から逃げる。
 とりあえずおっさんからヒントは得た。
 彼の遺言となった言葉を実行するため、俺はひたすら北の塔舎を目指す。
 べ、別に背後から般若のようなヴィヴィオさんが追いかけてきそうだからとか、そういった理由じゃないんだからね!
 ふと空を見上げると昼だというのに、一粒の星が煌いていた。
 ああ、おっさん、あんたの貴い犠牲は明日くらいまでは覚えておくことにするよ。
 俺の背後で3回くらい鈍い打撃音が聞こえてきたが、全身全霊を持って聞こえなかった振りをした。




 俺は北の塔舎に入ると全速力で3階へと駆け上がる。
 途中ライラさんに出会ったから、姫様が寝室に居る事もちゃんと確認済みだ。
 頭の中で、何を言うかもきちんと整理しておく。
 とりあえずは、言葉足らずで傷つけた件は平謝りだな。
 それで、ちゃんと俺は姫様を守ってやりたいんだと大声で言えば、きっと頷いてくれるはず。
 なんか都合よすぎかもしれないけれど、虚仮の一念岩をも通す、だ!
 俺は姫様の部屋の前にたどり着くと、ノックももどかしく中に踊りこむ。
 俺の目の前にあるのは、部屋の中央に置かれた大きなベッド。
 ベッドから少し離れた場所にはダイニングテーブル。
 そのテーブルの上には色とりどりのドレスが置かれており、その傍に姫様が一糸纏わぬ格好で立ち尽くしていた。
 初雪のように真っ白な肌に、さらりとかかる透明感のある銀色の髪。
 その様がとても幻想的で美しく、来る途中に考えていた科白が全部頭から消えてしまった。


「ひぅっ! ぼ、ボーマン? なんで?」
「あ、うあ、えー?」


 慌てて手にしていた小さい布で体を隠そうとしているようだが、あれは多分パンツだから体を隠すには圧倒的に面積が足りないはず。
 顔を真っ赤にして慌てている姫様を、なぜが妙に冷静な頭が克明に記憶領域へと記録してゆく。
 

「ちょ、ボーマン、何しにきたのさっ!!」
「あ、は、はい! ひ、姫様、お、お、俺、(友達じゃないなんて言って)すいません! 俺は貴女を(守って)やりたいんです!」
「ちょ、お、落ち着け、ボーマン! いくら年頃だからって、こんな無理やりなんてっ」
「俺、貴女を見たら(苦しんでいる姿を)、もう我慢出来ないんです!」
「ふぎゃぁぁぁぁぁ」


 そういって、姫様の肩に手を置いてがっちりホールドした。
 うん、今考えても俺は死ぬほどテンパっていたんだと思う。
 なるほど、ヴィヴィオさんが言葉足らずだという訳だ。
 まあ、この反省は鳥の冠亭に帰ってから気付いたことではあるのだけれども。
 そんな俺に、姫様は錯乱しながらも金的攻撃を敢行してきた。
 テンパっている俺には当然防げるわけもなく、一発で悶絶し部屋の外へと放り出される。
 そこへ隊舎から追いかけてきたヴィヴィオさんがやってきて、部屋の中にいた姫様と2、3言葉を交わした後、汚物を扱うような感じで城外へ放り出された。
 もちろん騎士にも成れなかったし、今後王宮にも近づくなと釘をさされるオマケつきだ。
 ……どうしてこうなった?



[24455] 40話「悪魔の囁き」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/10 21:36
 地下室特有のカビ臭さとランタンに使われているの質の悪い獣脂の臭いが交じり合って、今にも鼻がもげそう。
 そのくせに廊下の先に吊るしてあるランタンの光は、通路の一番奥にあるこの牢屋にまでは殆ど届かない。
 まったく理不尽だと思う。
 だけど最近はそんなかすかな光でも部屋の中の様子がよく分かるようになってきた。
 嬉しくない自分の順応ぶりに、ここに閉じ込められてから何百回目のため息を付く。
 不衛生な簡易ベッドに、枕元にある地面に穴が開いただけのトイレ。
 看守からは丸見えの位置にあり、見られているのではないかという恐怖と戦わなければ排泄もままならない。
 救いがあるといえば、排泄後の処理用にと綺麗な地下水が用意されていることだろうか。
 ただこれは飲用には向いていないようで、飲むとお腹を下すらしい。
 センドリックさんが、私をここ連れてきた時にくれぐれも飲まないようにと教えてくれたのだ。
 本当の囚人であれば、そんな情報すら与えてもらえず、飢えと乾きの為にその水を飲んでしまうらしい。
 一度下痢になってしまうと脱水症状と腹痛の2重苦に晒され、体力のない者なら1週間もすれば死ぬ一歩手前まで行くそうだ。
 ところが私には毎日2回きちんとした食事を与えられ、飲み水もピッチャーに入れて部屋の片隅に置かれている。
 牢屋の中の設備はそのままだけれども、少なくとも囚人に対する待遇ではないことは間違いない。
 心配そうな姫様の顔が脳裏をよぎるが、それを無理やり憎しみの言葉で塗りつぶす。


「嫌い、嫌い、大嫌い。あの人のせいでミーシャちゃんが死んだんだもの。こんな偽善で許したりしないんだから」


 私はシラミが湧いていそうなベッドの上で、一人膝を抱えて呪詛を唱え続ける。
 昼も夜も分からないこの牢屋で気が狂いそうになりながらも、私は銀色の髪の少女を呪いつづけた。



 ミーシャちゃんと初めて出会ったのは、私が実家のラヴォニート伯爵家から出仕してきたその初日だ。
 ヴィヴィオさんに連れられて侍女控え室で皆に紹介してもらっていた時、ミーシャちゃんから凄い目で睨まれていたのを覚えている。
 後で聞いたら、好みの女の子が入ってきて思わずガン見していただけらしいんだけど。
 ミーシャちゃんが何を考えていたかなんて分からない私には、物凄く怖い人としか移らなかったし。
 そんな初対面だからどうしても苦手意識が先に来て、ろくな挨拶も出来なかった。
 貴族出の侍女は平民出の侍女から何かと苛められると噂に聞いていたから、なお更ミーシャちゃんから距離を置くように心掛けた。
 でも実際苛めて来たのは貴族出の侍女達。
 有力な貴族やフェイタール王子の気を引くために、婚活的に邪魔になりそうな相手は徹底して嫌がらせをしているらしい。
 何をしてもみんなの2倍くらい時間がかかってしまう私は、彼女達にとっては格好のイジメの対象だったのだろう。
 見てないところで仕事の邪魔をしておいて、時間通り仕事が出来ない私を暗に笑いものにする毎日。
 分かっていても怖くて何も言えず、悔しくて毎日自室の枕を涙で濡らしていたっけ。
 ある日お客様に出すお茶を容易していたら、わざと私のカートに小麦粉が入ったポットを落として嫌がらせをしてきた侍女がいた。
 当然お茶やカップ、ワゴンはもちろん、私のエプロンドレスまで真っ白になってしまう。
 あまりの事に呆然と立ち尽くしていたら、その侍女は凄い猫撫で声で謝り出す。
 ふと顔を上げてその侍女を見たら、謝っているのは形ばかりで目は完全に私を嘲笑っている。
 何か言わなきゃという思いと、悔しいという想い、悲しみや情けなさがいっぺんに頭に上って、私は無言でぼろぼろと泣き始めてしまう。
 この年になって人前で泣く事になるとは、実家に居た頃には夢想すら出来なかったことだ。
 そこに颯爽とやってきたのが、ミーシャちゃん。
 一目みて事態を把握したのか無言でポットを落とした侍女に詰め寄って、彼女に向かって強い口調で言い放つ。


「脱げ」


 この人、こんな場面で何を言っているのだろう? 
 私は泣きながらも顔を上げてミーシャちゃんの背中を見た。
 そしてその先で顔を真っ青にして震えている侍女の姿も。


「そう、脱げないの。じゃあ、手伝ってあげる」


 言うが早いか、激しく抵抗している侍女のエプロンドレスを、器用にもあっという間に剥ぎ取った。
 あまりの早業に、私も脱がされた侍女も唖然とするしかない。
 後日その秘技の話になったら、ミーシャちゃんは「つまらない者を脱がせてしまった」と苦笑いしてたんだけどね。
 それはそれとして、下着姿になった侍女は涙目になりながらも、無礼者やら自分の家の権力を傘に来たような発言をミーシャちゃんに吐き続けた。
 ミーシャちゃんはその全てを鼻で笑った挙句、


「そういえば君の実家、ウチに結構な借金があるんだけど? 家を出してくるなら、当然ウチの実家も出てくるわけだけど、その覚悟があるの?」


 と冷ややかに言い放ったのだ。
 彼女はそれで何も言えなくなり、安っぽい捨てゼリフを吐いて逃げていった。
 ぽかんと成り行きを見守っていた私に、ミーシャちゃんは振り返って微笑みかけてくれる。


「その格好じゃ仕事に差し支えるよ。これ、サイズは合うはずだから着替えると良い」
「あ、あの……、どうして?」
「何が?」
「どうして、私を助けてくれたんですか?」
「いや、どうして助けたと言われても。もしかして助けない方が良かった?」


 ふるふると首を左右に振って意思表示して、でも彼女の笑顔が眩しくて真っ直ぐに見れない。
 もちろん今までミーシャちゃんを避け続けていたという罪悪感も手伝っている。


「私、貴女にひどいことしてたのに……。怖がって避けてたのに」
「ん? あはは。そっか。でもその怯えっぷりがまた可愛かったんだけどねぇ」
「はぁ?」
「あ、いや、こっちのこと。さあ、脱いで。幸い髪には掛かってないから、顔とか拭いて着替えたら大丈夫だよ。その間に私がお茶の用意をしておくから」


 そういって服をテーブルの上において、ミーシャちゃんはワゴンの上を綺麗に片付けてゆく。
 私はミーシャちゃんの後姿に、少しだけ勇気を出して声を掛けた。


「あの!」
「ん? 何?」
「わ、私、アニス・ラヴォニートって言います。実家は辺境伯なんですけど、ご存知でしょうか?」
「へぇ、伯爵令嬢なんだ。どうりで物腰が上品なわけね」
「あの、あ、貴女のお名前を……」
「ん? ああ、ちゃんと名乗ってなかったっけ? 私はミーシャ。 ミーシャ・クロフェルト。よろしくね、アニス」


 その後、私とミーシャちゃんは周りがびっくりするほど仲良くなった。
 まるで生まれたときから一緒にいた姉妹のようだと人に揶揄されるくらいに。
 臆病で弱虫だった私に出来た、初めての親友といっていい存在。
 まあ、そのあといろいろあってミーシャちゃんの恋人になっちゃったわけだけれど。



 牢屋の中に木霊する私の嗚咽。
 ミーシャちゃんとの思い出が、私の心をかき乱す。
 もうミーシャちゃんは、あの笑顔を私に向けてくれない。
 あの力強い声で私の名前を呼んでくれないんだ。
 そう思うと、枯れたと思っていた涙が後から後から溢れてくるのだ。


「嫌だよぉ。ミーシャちゃん、嫌だよぉ……」


 その時、ゆっくりと牢屋の扉が開かれた。
 食事の時間でもないのに扉が開いたことに不信感を覚えて、泣きながらも顔を上げてそちらを見る。
 そこには衛士の格好をした、表現しにくい人が立っていた。
 あえて言うなら、どこにでも居そうな衛士の人といったところだろうか。
 でも私の記憶の中に、こんな顔の衛士は居なかったはず。
 思わずベッドから立ち上がって、その男から一番遠い部屋の隅へと逃げる。
 ふわりと漂ってくる生臭い何か。
 暗くて良く見えないけれど、抜き放っているナイフの先から水っぽい何かが一滴落ちた。
 ぴちゃりという粘ついた音に、何故か凄く心がざわつく。
 自分の生存本能が危険を告げる。
 この男はダメだと。


「アニス・ラヴォニート。貴女を迎えに来ました」
「……」
「大丈夫。私を信用しろなどとは言いません。私は貴女と取引に来たのです」
「……取引?」
「はい。人を一人、殺して欲しいのです」


 男は口が横に裂けたかのような笑みを浮かべながら、ナイフを持たない手を私に差し出した。
 さらに一歩後ろに下がろうとしたけれど、後ろは既に壁でこれ以上逃げ場はない。


「憎いのでしょう? あの女が」
「……」
「ええ、しゃべらなくても分かりますよ。狂おしいまでに荒れている貴女の心が。あなたが蛮行姫を殺してくれるのなら、私は貴女にそのチャンスと手段をあげましょう」
「……姫、様を殺すの?」
「ええ、ミーシャさんを死地に追いやったのは、まぎれも無くあの女のせいです。貴女の大切な人は家畜を処理するかのように殺されたのに、あの女は豪華なベッドで毎日安眠しているのです。あなたがこんな薄暗い地下牢に閉じ込められている間に、あの女は贅を尽くした食事を腹いっぱい食べているのです。ええ、許せませんよねぇ?」
「許せない」
「ならば私の手を取りなさい、アニス。貴女のその願いを、私はかなえて見せましょう」


 その日、王宮の隔離地区の地下にある政治犯収容所からアニス・ラヴォニートが脱獄。
 収容所にいた警備兵15名が全員一突きで殺されているのが発見され、王宮と王家の守護者たる近衛隊はその事実に衝撃を受けることとなった。



[24455] 41話「もう人には任せておけませんよ!」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/19 11:39
 陽が落ちて薄暗くなった廊下を、僕は鼻息を荒くしながらフェイ兄の執務室に向かう。
 途中、衛士や赤い鎧を着た兵士さんとすれ違うけれど、僕の剣幕に慄いて誰も止めようとしない。
 まあ、止められても押し通るけどね。
 何をそんなに血相を変えてるのかっていうと、アニスの件、スヴィータから聞いちゃったんだよ。
 アニスが自分から脱獄なんてするはずもないし、15人もその為に殺すような娘じゃない。
 大丈夫だとは思うけど、フェイ兄にはきちんとその辺りのこと確認しておかないと、後で取り返しの付かないことになってもいけないしね。
 僕はノックもそこそこに、フェイ兄の執務室に荒々しく乱入する。
 部屋の奥、大きな机にもたれ掛かるようにして、フェイ兄は難しい顔をして誰かと話していた。
 フェイ兄と赤い鎧を着込んだワイルドでハンサムな騎士が、突然現われた僕にびっくりしてこっちに顔を向ける。


「どうしたんだい、スワジク?」
「フェイ兄様、アニスのことを小耳に挟んだのですけど」
「なっ、どうして!? あ、いや……」


 フェイ兄の取り乱しように、アニスの事は僕に知らせるつもりがなかったのだと理解した。 
 うん、スヴィータには感謝をしないとだね。
 でなければ何も知らないままに、事は終わっていたかもしれないんだから。
 場を取り繕おうとするフェイ兄の傍へ行って、僕は下からその顔を少し睨むような感じ見上げる。
 対するフェイ兄はほんの少しの時間で動揺から立ち直り、自然な笑みを浮かべつつ僕の肩に手を置く。


「スワジク、どこでその話を聞いてきたのかは知らないけれど、君はなんの心配もしなくていい。私達がきちんと君を守ってみせるから」
「そんなことを聞きに来たんじゃないです、フェイ兄様。アニスはどうなったのですか? どうするおつもりなんですか?」


 多分適当なことをいって追い返すつもりだったのだろうフェイ兄は、僕の追及に浮かべていた笑顔を強張らせる。
 それでもフェイ兄は多少固い笑い声を上げながら、僕の頭に手をぽんと置く。


「心配しなくていい。必ず私たちが彼女の所在を掴んで捕まえて見せるから。だから安心して良いんだよ?」
「だーかーら! それが安心出来ないんです! アニスを捕まえるってなんでです?」
「君に恨みがあって脱獄したんだ。アニスを早く捕まえないといつか君に危害が加わるかもしれない、というのは分かってくれるよね?」
「何故もう犯罪者扱いなのですか? そこが納得いきませんっ!」


 睨み合う僕とフェイ兄の間に、ぬぅっと一本の手が差し込まれる。
 邪魔な手の主を見上げると、さっきフェイ兄と喋っていた赤い鎧の騎士さんだ。
 赤いボサボサの髪に小さな傷跡だらけの赤銅色の顔、猫科を髣髴とさせるような鋭い瞳に八重歯がちらりと見える大きな口。
 どこから如何見ても、百戦錬磨の戦士って感じだ。
 彼は手だけではなくそのごつい体を僕とフェイ兄の間に割り込ませて来たから、思わず3歩ほど後ろに下がってしまう。
 なんか妙に負けた気がして、キッと赤い騎士さんを睨み付ける。


「すいませんがね、姫様。これは近衛と第一軍の俺たちの任務です。指揮権を持たない部外者に口を出されると、すっげー迷惑なんですけどね?」
「どんな任務?」
「は? 指揮権も持たない貴女に、何故説明せにゃならんのか俺には理解しかねますがね」


 嫌みったらしく耳に小指を突っ込んで穿る赤い騎士。
 なんでこいつこんなに喧嘩腰なんだよ。
 それに妙に見下されている気がしてとても気分が悪い。
 ぐっと歯を噛み締めて、その怒りを下腹に押さえ込む。


「ア、アニスは私付の侍女だった者です。私には知る権利があるはずです」
「知る権利? はっ、なんすかそれは。ケンリとかいうもんが、俺たちの任務の邪魔をするほどたいそうなもんなんですかね?」


 ここまであからさまに嘲笑と反抗というものを、真正面から叩きつけてきた相手はアニス以外では初めてだ。
 そして彼の剥き出しの悪感情に、僕も怒りを持って向き合ってしまう。
 この人たちに任せたら、きっとアニスは殺されてしまうかもしれない。
 レイチェルの時とはまた違うけどきっと最悪の結果になる、そんな予感が僕の体を駆け抜けた。


「フェイ兄! フェイ兄はちゃんと約束してくれましたよね? レイチェルの二の舞は踏まないって」
「ふざけてんじゃねぇよ! そのレイチェルを殺したのは、お前だろうがよ! その口でてめぇは何抜かしてやがんだよ!」


 がっと胸倉をつかまれ強引に引き上げられる。
 とたんに首が絞まって息苦しくなり、顔が赤くなっていく。
 苦しむ僕の額に額をぶつけて、赤い騎士は大きな声で怒鳴り散らした。


「大体がそのアニスって侍女の親友が死んだのも、てめぇが居たからじゃねぇか! なに部外者面してフェイに説教垂れてんだよ!」
「止さないか、クラウ!」
「お前もお前だ、フェイ! いつまでこんな売女が産んだ汚物におべっか売ってやがる。ヴォルフ家の威光に縋らなきゃ生きていけねぇ屑なんぞ、とっとと実家に送り返せば良いだろうがよ! この国は俺たちだけでも十分に守っていける!!」
「幾ら従兄弟だからといって、言って良い事と悪い事が有るんだぞ、クラウ。それにそのままではスワジクが死んでしまう」


 呼吸が殆ど出来なくて意識が朦朧とする僕を見て、クラウと呼ばれた赤い騎士は忌々しげに手を離した。
 僕は思わず崩れ落ちて蹲り、ぜいぜい喘ぎながらも胸いっぱいに息を吸い込む。
 死ぬほどの息苦しさと自分とは無関係な部分で言われ放題な事に、悔し涙が零れた。
 倒れこんだ僕のそばに慌ててヴィヴィオさんが寄ってきて、心配そうに背中を擦ってくれる。
 僕はヴィヴィオさんの手をやんわりと押しのけて、震える膝に活を入れながらやっとこさ立ち上がった。
 一瞬ふらつくと、さっとヴィヴィオさんが片肘を掴んで体を支えてくれる。
 今度は手を払うことなく、彼女の好意に甘える事にした。


「貴方になんて言われようとも、ボクは……それでもアニスを助けたいんだ」


 クラウはつかつかと僕に近寄ると無造作に髪の毛を鷲掴みにして、そのまま僕を廊下まで引き摺ってゆく。
 廊下に出たところで、勢いよく床に突き飛ばされる。
 倒れた拍子に僕はどこかに頭を打ち付けたのか、意識を失ってしまった。


「胸糞悪りぃ。他の奴らはどうか知らねぇが、俺の前でいっぱしの口が利けると思うなよ? 俺はお前なんかへとも思ってねぇんだからな」


 薄れ行く意識の中、クラウのその言葉だけはしっかりと聞こえた。





 ふと目を覚ますと、そこはいつものベッドの上だった。
 起き上がろうとして、頭がぐわんぐわんと揺れて気持ち悪くなる。
 僕の気配に気がついたのか、誰かが僕の背中をそっと支えてくれた。


「あ、ごめんね、ありがとう」
「もう、大丈夫かい、僕の可愛いお姫様?」
「え? フ、フェイ兄? 」
「さっきは酷いことになって済まなかった」


 そう言って、フェイ兄は僕の頭に巻かれた包帯をそっと撫でる。
 鈍い痛みはまだあるが、大人しくしている分にはそう問題はなさそう。
 しかし、本当に手荒く扱われたなぁ、あんな扱いは男だったときでもそうそうなかった気がするよ。


「クラウは、君が入れ替わりだとは知らないんだ。だから君が話したことを本当の「スワジク姫」が喋っているものと思って、それで切れたみたいなんだ」
「……それでも、王女様に対する扱いじゃなかったよね」
「まあね。あいつは短気なので困るんだ。それに以前はそうなる事がお互いに予測出来たのか、徹底して避けあっていたしね」
「そっか。ボクがのこのこ行って、もっともらしい顔して喋るから怒ったのか」
「まあ、そういうことになる。一応ヤツも王族の端くれではあるんだ。許してやってくれないだろうか?」
「……された事は許せないけど、でもきっと外の人の事がやって来たことを考えたら仕方ない……のかな?」


 フェイ兄は苦笑いをしながら、僕の頭を優しく撫でる。
 んー、男に撫でられても嬉しくないが、でもまあ今はなんていうか気を使ってくれている雰囲気みたいなので、あんまり嫌な気持ちにはならない。
 

「一応あいつにもきつく言っておいた。もうクラウの方から君に近づく事は無いよ」
「んー、そだね、ボクも痛い目にはもう会いたくないし。今はそれでいいか」
「あいつに代わって、謝らせてもらうよ。本当にすまなかった」
「フェイ兄が謝ることじゃないと思うし。うん、今回のことはボクも不注意だったってことで」
「助かる」


 僕の顔の横に並んで月明かりに照らされているフェイ兄の顔が、とても綺麗に微笑んでいる。
 うわぁ、これがイケメンパゥワーかぁ。
 男の僕でもちょっとドキドキするんだから、こりゃ女の子ならイチコロかもしらん。
 ちょっと頬を赤くして横目で盗み見ているのに気がついたのか、フェイ兄がおやっという顔で僕を覗き込んでくる。
 照れている顔を見られるのが恥ずかしくて、僕は首がゴキッて音が鳴るくらいの勢いでそっぽを向く。


「どうしたんだい、君? なんか顔が赤いみたいだが、熱でも出て来たのかい?」
「あ、いや、別に大丈夫だと思うから」


 熱を測ろうとする手を両手で胸に押さえ込んで、危険を緊急回避!
 今顔を触られたら、なんかいろいろと負けそう。


「と、と、ところでフェイ兄! アニスはどうするの? さっきはちゃんと話出来なかったから」
「あ、え? ああ、アニスか。うん。アニスだな」
「?」
「い、いや、なんでもない。アニスは今、第一軍の人員を使って市内を捜索中だ」
「もしかして指名手配みたいな感じ?」
「指名手配という意味がよく分からないが、多分犯罪者を追いかけるという意味でいうなら、そういう事になる」


 僕はフェイ兄に半身を捻るように振り向く。
 何故か真っ赤な顔をしたフェイ兄が、慌てたように顔を背ける。


「フェイ兄! アニスは犯罪者じゃないよ! 悪い奴らに連れ去られたんだ、きっと」
「そう思いたい気持ちも分かる。だけどね、君の温情を相手が正しく受け取っていると思うのは、少し他人を信用しすぎるんじゃないのかな」
「なんでだよ!」
「君の意向もあって、当初は地下牢から直ぐにレオの屋敷に移すつもりだったんだ。スワジクを突き落とした侍女に我々がしたように」


 そこまで言って、苦虫を噛み潰したような顔になるフェイ兄。
 きっとフェイ兄のことだからアニスに直接それを言いに行ったに違いない。
 多分その時のやり取りを思い出して、こんな顔をしているんだろう。
 アニス、一体フェイ兄に何を言ったのさ。


「拒否したの?」
「ああ。君の事を絶対に許さないと言い切っていたな。だからあれはもう君の知るアニス・ラヴォニートではないんだよ」
「……それは違うよ、フェイ兄。アニスはアニスだよ、何も変わらない。そりゃ、今は自分を見失っているかもしれないけれど、ミーシャが生きてるって知ったらこんな事はしなくなる」
「それについては、私の見通しが甘かった。君からその話を聞いた時に直ぐにでも彼女に教えておくべきだったんだ。レオの館に移して間諜の居ないところで事実を告げるつもりだった。相手に先手を許してしまったのは、間違いなく私のミスだな」


 悔しそうに僕の両手の中で強張る腕を、僕はゆっくりと子供をあやすように叩く。
 きっとフェイ兄は真面目すぎるんだろうなと思う。
 僕ならきっと他の誰かのせいにして逃げるようなことでも、フェイ兄は逃げずに自分の問題だと馬鹿正直に真正面から取り組むんだ。
 陳腐な言いようかもしれないけれど、それはノブレス・オブリージュっていうものに違いないんだろう。
 僕がフェイ兄くらいの年のころは、きっと学校に通って世間のことなんか何も気にせず馬鹿ばっかやってた。
 だからフェイ兄も、もう少し肩の力を抜くといいのになって思うときがある。


「そ、その、なんだ。君」
「ん? 何かな、フェイ兄」
「そ、そろそろ手を開放して欲しいのだが。その、い、色々と困るんだ」
「あ、ああ、ごめんごめん」


 そりゃ手を掴まれたままじゃ困るよね、ごめんごめんだよー。
 僕は笑いながらフェイ兄の手をリリースして、照れ隠しにぺろりと下を出す。
 なんか急にフェイ兄が咽た振りして勢いよく顔を逸らしたけれど、人の顔を見てそれは失礼だと思うんだよ!
 文句を言ってやろうと身を乗り出したところで、頭がクラリとして目が少しだけ回る。
 フェイ兄がしっかりと僕を受け止めてくれて、なんとか倒れるまでは行かなかったけど。
 ちくせう、さっきの奴、どんだけ思いっきり僕を床に叩きつけやがったんだよ!
 僕は悪態を心の中でつきつつ、フェイ兄に支えられるまま眩暈が治まるのをじっと待つ。
 体感時間的には割りと長く感じたけど、実際には3分ほどじっとしてた。
 ようやく眩暈が落ち着いて、いまの自分の有様に気が付いた。
 月明かりが差し込む薄暗い部屋のベッドの上で、どうやら僕はフェイ兄にいつの間にやらもたれ掛かる格好になっていたのだ。
 少し気恥ずかしくなったが、それでも今は人肌の温もりが心を落ち着けてくれる。
 これが男のままの僕だったらちょっと困ったシーンだけれども、今は自他共に認める女の子。
 少しの間くらいなら問題ない、ということにしておこう。

 
「アニスのことは、善処するつもりだ」
「ん。分かった」


 フェイ兄は、多分精一杯にいろんな事を考えて言ってくれているんだ。
 周りの事や僕の事、それにアニスの事も一生懸命考えて。
 背中にあるフェイ兄の顔を見ようと頭を後ろに逸らす。
 他人から見たら、フェイ兄の首元に顔をすりつけ甘えているように見える姿勢だ。
 もっとも、僕にはそんな自覚はこれっぽっちも無い訳だけれども。
 そんな僕を見たこともないような優しい瞳で見下ろしているフェイ兄。


「フェイ兄?」
「あ、いや。考え事をしてた」
「考え事?」
「ああ、本当のスワジクも君のように心を開いていてくれたら、私は……」
「?」


 きょとんとしている僕の顔を見て、本当に綺麗な笑顔のフェイ兄に、僕は思わず見とれてしまう。
 くそう、イケメンって卑怯だ!
 笑っているフェイ兄に、悔しくてむくれ顔を向けて非難する僕。
 その僕の顔を後ろからそっと両手で包み込んだかと思うと、そっと唇を重ねてきた。
 あまりの出来事に僕は凍ったようになるしかなくて、頭の中がパニックになっている。
 フェイ兄はどうして僕にキスしてるのか?
 っていうか、僕は男だっていうの……あー、言ってなかったわ。
 これってどういう意味なんだ? 友情の証? 親愛の表現?
 どれ位キスされたまま居たのか、少なくとも1分は動いてなかったんじゃないか? いや、もっとされていたかもしれない。


「すまない。こんなつもりでは無かったんだ……」
「あ、う、うん。」


 ゆっくりと僕から顔を離していきながら、バツが悪そうに言い訳をするフェイ兄。
 僕もなんて返事していいか分からず、曖昧に頷くしかない。 
 そんな微妙な空気を振り払うように、フェイ兄が勢いよく立ち上がる。


「わ、私はそろそろ戻らなくてはならない」
「う、うん、そだね」
「今日はゆっくりお休みなさい」
「……は、はい、フェイ兄様」


 顔を真っ赤にして逃げるように出て行くフェイ兄の後姿を、これまた顔を真っ赤にした僕が見送る。
 なにこのBLシチュエーション。
 いや、僕は今女の子だからBLにもならないのか……。
 も、も、もちつけ、自分!
 あれだ、今のは事故だ! そう、出会いがしらの交通事故なんだよぉぉぉ!
 暫くベッドの上で身悶えていた僕ではあるけれど、それでも自分のやりたいことは見失わない。
 フェイ兄にはああ言ったけど、やっぱりクラウって人の事は安心出来ない。
 見つけ次第、ですとろ~い、とかしかねない奴だしな。
 ふらつく頭を押さえながら、僕は着替えるために起き上がる。
 着替えてから少しのお金を持ち、隠しておいたランタンを手に僕はあの隠し通路へと向かう。
 そう、僕は誰よりも先にアニスを見つけて、悲劇の元を断たなくちゃいけない。
 僕は秘密の扉の入り口の前に立ち、そう堅く決心したんだ。



[24455] 42話「なんでこうなるの?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/19 11:42
 薄暗い隠し通路を抜けて、僕はあの古ぼけた教会の物置へとやってきた。
 出るときにランタンの灯りは消しているので、外には光は漏れていないはず。
 もし誰かが見ていたら危ないから、そこはやっぱり細心の注意を払うことを忘れない。
 暫く隠し通路の中から外の物音を聞いてみたけど、虫の鳴き声しかしないので大丈夫そうだ。
 まあ、こんな夜更けに裏寂れた教会の、しかも物置にくる人間なんて僕くらいなもんだろう。
 この間見た物置の様子と同じで山と積まれたガラクタと暖炉の傍に置かれた等身大のビスクドールが一つ……。


「あれ? こんなところにこんなメイド服を着た人形なんて置いてたっけ?」


 綺麗な緑色をしたボブカットの人形に、しばしボクは見とれてしまう。
 っていうか、この間来たときはこんなの無かったよね?
 こんな高価そうな人形を一体誰が持ってきたんだろう、もったいない。
 きっと立ち上がったら僕と同じくらいの身長であろうビスクドールは、静かに月明かりに照らされて虚空を見つめていた。
 もしかして呪いの日本人形みたいに動いたりして、などと馬鹿なことを考えつつ、そっと人形の頭を撫でてみる。
 おおう、凄いいい手触りだ。


「はぁ、なんか癒されるなぁ。この手触り気持ち良いよ。まったくこんな可愛い人形をこんな処に置いておくなんてもったいない! 帰りもここにおいてあったら、持って帰ってみようかなぁ? って、ボクこんなことをしにここに来たんじゃ無かったよ!」


 あまりの触り心地に夢中になって、危うく本来の目的を忘れかけるところだ。
 早くアニスを探しに行かなきゃいけないんだった。
 僕はガラクタの山の一角を、月明かりを頼りに物色し始める。


「確か、前にここを通ったときに見かけたんだけどなぁ」


 独り言を呟きながら、ガラクタの山の中へと手を突っ込む。
 そうしてガラクタの山の端に埋もれていた一本の小剣を引きずり出してきた。
 大体70cmくらいの長さの小剣で、ついてる鞘は今にもぼろぼろと崩れそう。
 

「自分を囮にするんだから、これくらいは持っていかないと流石に危ないよね」


 薄汚れた鞘から剣を引き抜こうとするが、どうやら中で錆付いているようで僕の力では抜けそうに無い。
 この小剣ではさすがに人は切れはしないだろうけど、これで殴られれば痛い思いをするのは確実。
 まあ最初から人を切るつもりなんて毛頭ないので、鞘付きのままで軽く素振りをしてみる。


「ほっ、たっ、と、とっとっと」


 うん、筋肉がまったく付いていない僕の体じゃ、こんな短い剣ですら満足に振りぬけない。
 分かってはいたんだけどね。
 でも有ると無いとでは、安心感が全然違う。
 痴漢とかが出ても、これを振り回せばきっと逃げていくに違いない。
 剣の埃を叩いてから、準備してきていたベルトに金具をひっかけた。


「よし、準備オッケーだね」


 僕はわざと外套の頭巾を外して、髪を目立つように外套の外に垂らした。
 月の光を柔らかく反射して、僕の銀髪はきらきらと幻想的に輝いている。
 うん、本当に綺麗だなぁ、この髪は。
 あんまりそんな事に関心してたら、ナルシストと思われてしまうかもしれないので良い加減なところでやめておく。
 僕は物置の扉を内側から押し開けて、教会の中庭へと足を踏み出した。
 月明かりがあるので、外は思ったより明るく感じる。
 以前は教会の中を通って来たけれど、流石にこの時間に教会の中に入っていくのは躊躇われた。
 神父さんとかが中で寝てたら、起こしてしまうかもしれないしね。
 幸いなことにこの教会を囲む土塀は割りと低く、足がかりさえあればなんとかよじ登れそうだ。
 僕は辺りを見回して、丁度踏み台になりそうな木の樽を見つけた。
 中身は入っていないのか思ったほど重くは無く、比較的楽に動かすことが出来そう。


「ふぐぅぅぅぅ!」

 
 軽くは有ったんだけど、人一人が入れそうな大きさの樽を動かすのって、思ったより重労働だった。
 うん、この体のスペックが限りなく低いってこともあるんだろうけどね。
 アニメの主人公とかだったらこんな土塀ひとっ跳びなんだろうけど、僕はアニメの主人公でもチート技能を持ち合わせたオリ主でもない。
 やっとの思いで足場を作った僕は、その樽の上によじ登り、土塀の上に手をかける。
 あとは自分の頭と同じくらいの高さしかないんだから、この壁を乗り越えるのは楽勝のはず。
 そう思ってぐっと体を引き上げるべく力を入れた。


「たやーーー!」


 うん、飛び跳ねても体が30cmくらいしか持ち上がらない。
 一旦手を離して息を整える。
 気合は十分のはず、自分の身長くらいの高さなんだから大丈夫。
 ただちょっと力が入れにくいだけなんだよ。
 気合を入れなおして、再度チャレンジする。


「ひぃぎぃぃぃぃ」


 ……45cmくらいかな?
 いやいやいや、幾らなんでも非力すぎるでしょ、僕!
 確かに筋トレとか体を鍛えるようなポジションの人でないのは分かっていたけど、でも懸垂1回すら出来ないレベルの非力さはありえないんじゃないかな?


「もう一回! ふりゃっ!!」
「あらあら、後もうちょっとですね」
「ふぬぬぬぬぅ!」
「腰を持ち上げてみましょうか?」
「ご、ごめん、お願いしていいかな?」
「ええ、よろしいですわよ」


 急に腰をしたから持ち上げられて、ようやく上半身を土塀の上に引っ掛けることに成功した。
 あとは足を持ち上げて、壁の上に寝そべるような形に出来れば一安心だ。
 スカートが捲くれるのも気にせずに、僕はがばりと足を上げて塀によじ登った。


「向こう側に降りるのですよね?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあ、向こう側に踏み台を移動させますね?」
「あ、有難うございます」


 壁の上によじ登ったことで一息をつけた僕は、ようやく自分が誰かと会話していることに気がつく。
 眼下では、東洋人っぽい顔立ちの黒髪のメイドさんが僕が足場にしていた樽を、ころころと横倒しにして転がしている。
 5mほど先に行くと木戸があって、彼女はポケットから鍵を出して木戸を開放した。
 ころころころ……。
 僕が無様に塀の上で寝そべっている辺りに来ると、寝転がしていた樽を起こして位置を調整する。


「さあ、どうぞ?」
「……」
「あらあら。不機嫌そうな顔をされて、どうかなさいましたか?」
「……」
「さあ、こちらへ飛び降りたら壁を乗り越えたことになりますわ。あと少しです。頑張りましょう」


 いろいろと言いたい事はあるんだけれども、何故か彼女のいい笑顔を見ていると怒るに怒れない。
 きっと彼女なりに一生懸命考えて、僕の手伝いをしてくれたのだろうと思いたいけど。
 僕は無言のまま塀の上で立ち上がって、樽に目掛けて飛び降りる。
 そしたら、樽の天板が抜けてそのまま僕は見事に樽の中にはまり込んでしまう。
 黒髪メイドさんの視線が痛い。
 もういやだ、帰りたい……。





「で、貴女はこんな時間にこんな所で何しているのかな?」
「そういうお姫様こそ、こんな時間に一人でお散歩ですか?」
「あ、いや、うん。散歩って言うか、人探しっていうか」
「人探しですか?」
「あー、うん。ちょっとね、侍女してくれてる人が悪い人に連れ去られたみたいで」
「でも、それって兵隊さんのお仕事じゃないんですか?」
「あー、まぁそうなんだけどね。ちょっと色々とあって、ボクが見つけないとその娘が危ないかなぁって」
「んー、よく分かりません」


 深夜の街を徘徊する僕の横に、メイドさんが並んで歩く。
 最初は帰るように言ったんだけどぽやんとした顔で頷くだけで、一向に離れようとしてくれない。
 うーん、ここを誰かに襲われでもしたら大変だよな。
 どうやって追い返そう?
 話をしながらも、僕は彼女から逃げ出すタイミングを探す。
 

「あんまり余所見をしながら歩いていると危ないですよ?」
「あはは、でも、ウチの侍女さんを探している訳だから、周りはちゃんと見て歩かないと」


 まあ、今は君を撒く算段をしているんだけどね!
 とある宿屋の前に差し掛かると、もう日も変わろうかという時分なのにまだ賑やかに営業をしているみたいだ。
 中から香ばしい料理の匂いが立ち込める。
 うん、晩御飯はしっかり食べたからお腹は空いてなんかいない。
 空いてなんかはいないんだけど、匂いがするとどうしても興味を惹かれてしまう。


「あらあら、何か買ってきましょうか?」
「い、いや、大丈夫。今日は真面目に人捜ししてるんだから、買い食いなんてしている暇はないんだよ」
「歩きながら食べれるものでしたら、パヤリィはどうでしょうか。中に入っている鶏肉と煮込み豆と野菜が絶妙なハーモニーを奏でていて、一度食べたら病みつきになること請け合いです」
「へぇ、なんかタコスみたいなもんなのかな? って違う! ボクは食べないっていったの! 話ちゃんと聞いてくれている?」
「鶏肉の代わりに干し貝を使ったのもあるんですよ? お姫様なら干し貝のほうがお好きですよね? ちょっと行って買ってきますので、待っていてくださいね?」
「ちょっ! なんで僕が貝好きって設定になってるの? だからボクは食べないって……、ああ、行っちゃったよ」


 後ろで纏めた黒髪を左右に揺らせながら、黒髪のメイドさんは『鳥の冠亭』へと入っていった。
 なんであの人は僕の話を聞いてくれないんだろう、本気で疲れるんだよ……。
 といいつつも、これはチャンスだ。
 僕はそうっと酒場の窓に注意しながら、後ろ向きに店の裏側へと移動する。
 裏側に回って他に続く道があるならそっちを進んでも良いだろうし、仮に袋小路だったとしても息を潜めて隠れていれば、あのメイドさんもどっかに行ってくれるに違いない。
 うん、完璧だな。
 そう考えながら後ろ向きに進んでいたら、僕のお尻が何か柔らかいものにぽよんと当たる。
 何かなと思って振り返ってみると、そこに居たのは僕のお尻の匂いを嗅いでいるロバの面があった。
 そのロバは、なんていうかすっごいスケベそうな面構えで僕のお尻を眺めた挙句、あろう事かべろりと長い舌で舐めたのだ!


「ひぃぃぃ!」
「ブヒヒヒヒン」
「どうした、パレリカ?」
 

 裏庭に馬小屋らしき建物あって、そこから男性の声がする。
 エロバが嘶いたせいで、店の人にばれちゃったじゃないか!
 僕は見つかったらヤバイと思って慌てて身を隠そうすると、急に後ろからスカートを力一杯引っ張られた。
 不意の事だったので、僕はバランスを崩して尻餅をついてしまう。
 その際、何かが引き裂かれる音がしたような気がしたけど、お尻が痛いのと昼間の頭を打った後遺症かちょっとだけ眩暈がした。


「パレリカ、どうしたんだよ一体? って、えええ!?」


 目が回ってる傍で怒鳴らないで欲しいと思いつつも、声の主へと顔を向ける。
 薄汚れた目の粗い作業着、細そうだけ結構筋肉質な腕、まだ幼さを残す顔に天然パーマが掛かった金色の短い髪。
 その少年の顔は物凄く驚いているようで、大口を開けたまま固まっている。


「げっ、ボーマン」
「……」


 僕が声を出したにも関わらず、ボーマンは一向に動き出そうとしない。
 なんかどっかのショーウインドウに飾られているとんでもマネキンのようだ。
 お互い見つめあうこと数十秒。
 突然、ボーマンの鼻から赤い筋が流れ出した。


「え? ちょ、ボーマン、何で鼻血出してるの?」
「くぉんのぉ、スケベーーー!」


 叫び声と共に何やら物凄い音がしたかと思うと、ボーマンが白目をむいて僕の方に倒れてくる。
 

「ちょ、ま、待って! 倒れてくんなぁ」


 突然の事に頭がついてゆけず、逃げるに逃げられなくなった僕にボーマンが倒れてきた。
 丁度、尻餅をついて投げ出した両足の間に綺麗におさまるかのように。
 しかもいつのまにやらスカートが裂けていて、下着が丸出しの状態だ。
 そこにボーマンが顔を埋めるようにして倒れている。
 流石にこれは男とか女とかいう以前に、物凄く衝撃的なシーン。


「う、う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
「ボーマン! 女の人の股間に顔を埋めるだなんて、なんて破廉恥なっ」


 地獄の底から響いてくるような声を上げながら、鬼の様な形相の翠の髪の少女、ニーナが手にフライパンを持って立っていた。
 内心彼女の声と形相に悲鳴を上げそうになりつつも、なんとか声を殺すことに成功。
 ニーナはボーマンの襟首をむんずと掴むと、無理やりに引き起こそうとする。


「あ、あのー、ニーナ、さん? 人間の背骨ってそっちにはあんまり曲がらないように出来ているんだけど……」
「な・に・か?」
「ごめんなさい」


 襟首を後ろから掴まれているもんだから、気道が閉まって顔が紫色に変色している。
 もうすぐ死ぬんじゃないかな、ボーマン。
 呆然と事の成り行きを眺めていたら、今度はニーナが鬼の形相のまま僕の股間を凝視している。
 恥ずかしいので両手で何とかカバーしてみるも、余計にニーナの視線が鋭くなるだけだった。


「ちょ、なんでそんなにガン見するのかな?」
「血……」
「血?」
「姫様、失礼ですけれども、月のものは来てらっしゃいますか?」
「月のもの? あ、ああ、アレね。うーん、当分先だって聞いてるんだけど」
「そう、ですか」


 鬼の様な形相から、今度は幽鬼のように無表情に変わるニーナ。
 あれ? この娘こんな感じだったっけ? もっとおどおどとしてて、チワワっぽかったような……。
 片手でボーマンを引き摺りあげてニーナは呟く。


「ボーマン。姫様の事を剣を捧げる人だっていうから、いろいろ我慢してたのに。姫様の純潔を奪っちゃったら、だ、だ、駄目なんじゃないかな?」


 絶対的な冷気を纏った死の宣告。
 ボーマンは白目をむいたままで、返答のしようも無い。
 だが、それはある意味彼にとっては幸せなことだったのかも知れなかった。
 片手に持ったフライパンの柄から、なにやらぎりぎりと不吉な軋みが聞こえる。


「自分の主君に欲情して襲うなんて、騎士の風上にも置けないよね。でも大丈夫、そんなボーマンでも私は見捨てたりなんかしないからね。一緒に死んでお詫びしようね、ボーマン」
「ちょぉぉぉぉ! ちょっとまって! ボクの純潔ってなにさ! そんなの奪われてないから! 全然大丈夫だから! 落ち着いて、お願いだから落ち着いて!!」


 目にも止まらぬ速さで振りぬかれるフライパンの往復びんたの嵐に、僕は怖くなってニーナを羽交い絞めにして動きを止めようとした。
 その騒ぎを聞きつけて、どんどんと店の中にいた人たちが窓からこっちを見ている。
 もちろん、その中にはあの東洋っぽい少女メイドも混ざっている。
 彼女に見つからないままに逃げ出す計画も失敗。
 わざわざボーマンを危険から遠ざけようとしたのに、いきなりのエンカウント。


「なんでこうなるの!」


 僕の魂の叫びは、誰にも届かないまま夜空に消えていった。



[24455] 43話「自分に出来る事、自分がやらなければならない事」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/02/27 01:06
 厨房の一角で、僕とボーマン、それに名前も知らない東洋チックな美少女メイドさんが顔をつき合わせていた。
 僕らから少し離れた洗い場で、ニーナが仕事をしながらジト目でこちらを見ている。
 ああ、破れたスカートはニーナのお古を貰ってるので、パンツ丸出しな状態ではないことは力いっぱい主張しておく。
 ただ、鼻血で汚れたパンツまでは替えがなかった。
 ニーナに借りるにしても、肌に直接着るものだからやっぱりなんとなく気後れしてしまう。
 貸す側のニーナも、姫様にお貸しできるような下着はありませんと勢いよく首を振ってたし。
 そんなこんなでスカートだけは穿いたけど、下はノーパンという男が知ったらが喜びそうな状況に陥っている。
 スカート自体は膝下までたっぷりあるから、風で捲れてというエロイベントはあり得ないといっていい事だけが救いか。


「で、姫様はどうしてこんな時間、こんな場所に侍女を1名しか連れずに歩いているのですか?」
「あ、いや、その」


 視線が泳ぎまくりの僕の態度に、自然とボーマンの表情が険しくなる。
 どう誤魔化そうと必死に考えていると、彼の視線が僕の腰に下げていた錆びた剣に向く。
 なんか見られてるなぁと思ってさりげなくお尻の方へ隠したら、ボーマンの手が伸びてきて僕の剣を取り上げた。
 ちょ、女の人のお尻に手を出すのは、セクハラだってば!


「それに、こんな剣なんか持ち出して……。手入れもしていないから刀身もボロボロじゃないですか」
「い、いや、その、それは護身用にと……」
「護身用? これならそこら辺に落ちている棒を持っているほうがまだマシですよ?」


 僕がいくら力を入れても抜けなかった刀を、いとも簡単に抜き放つ。
 その拍子に鞘の中で嫌な音がして、抜き放った赤錆た刀身は全体の3分の2程度しか出てこなかった。
 ボーマンはさらにその刀身を軽く料理用の大きな置き石に軽く叩き付ける。
 と、剣はあっけ無くぼろぼろと崩れ去り、手には柄だけが残った。
 なんだよ、その砂糖菓子のような崩れ去り方は……。
 残骸を踏み越えて、ボーマンが僕に詰め寄ってくる。
 

「説明、していただけますよね?」
「あらあら、隠すほどのことではありませんよ? ただの人探しですとお姫様は仰ってましたもの」
「人探し?」


 僕がボーマンの質問に答えあぐねていたら、横からメイドさんが突然口を挟んできた。
 慌ててメイドさんの口に両手を押し当てて口封じを試みようとしたら、ボーマンにおでこを抑えられてしまって彼女に届かない。
 っていうか、一国のお姫様にその扱いはないと思う!


「人探しってどういうことですか?」
「ええ、なんでも悪い人達に侍女さんが連れ去られたらしくて、それを近衛さんや兵隊さんたちよりも先に見つけたいって仰ってましたわ」
「姫様、詳しく説明していただけるんですよね?」
「あ、あは、あははは」


 ジト目のボーマンに睨まれて、引きつった笑いしかあげられない僕。
 何勝手に暴露してるのさ、黒メイドさん!
 もうしらばっくれる事も出来なくなって、ぽつぽつとボーマンにアニスの一件を打ち明け始めた。


「なるほど。話は大体分かりました。では衛士達よりも先にアニスさんを探し当てなければいけない、という事ですね?」
「うん、まあそういう事なんだけど……」
「まだ何か話していないことがあるのですか?」
「ううん、それはないけど。ボクとしてはあんまり関わって欲しくないかなって」


 ちょっと俯きつつ視線を横に外してブルーな表情を作る。
 そんな僕を見て、ボーマンは大きくため息をついて首を前に落とす。
 なんか凄い勢いで呆れられている気がする。
 そのポーズのまま、低い声でボーマンが僕に問いかけてきた。


「一人で行って何が出来るんです?」
「え、と。アニスを見つけて帰ってくるように説得しようかなと」
「説得できるんですか? というより、説得出来る状況に持ち込めるんですか?」
「そ、それは……頑張るとしか」
「馬鹿ですね? ええ、姫様は馬鹿ですよね?」
「ちょ! た、確かに自分でも考えなしだとは思うけど! 逃げ足だけはちょっと自信あるし、やばいと思ったら即逃げるし!」
「そんな自分にだけ都合のいい状況になるわけないじゃないですか」


 僕だってどうしたらいいか位は考えたさ、ただいい案が思いつかなかっただけで。
 でもフェイ兄たちに頼ったらアニスに死亡フラグが立つし、ボーマンや身近な人に個人的にお願いしたらその人達に危害が加わる可能性がある。
 僕の知っている人達がお互いを傷つけあうのが我慢できないからの苦渋の選択だったのに、そんな僕の気持ちを分かりもしないでぽんぽんと馬鹿を連発するボーマンに、僕はちょっとだけムッとした。


「それは自分でも分かってるけど……」
「分かっていて尚、殿下や近衛の皆はおろか僕の助力まで拒むって、それは自殺願望と一緒です! だからあなたは馬鹿で決定です!」
「ば、馬鹿馬鹿いうなっ! そんなの分かってるって言ってるじゃん! でもアニスもフェイ兄もスヴィータやライラ達も、もちろんボーマンやニーナだってミーシャみたいに成って欲しくないから一人でやろうって思ったんだよ」


 鼻息荒く睨み合う僕らの間に、にゅうっとごつい手が割って入ってきた。
 手の主を見るとこの店の大将だった。
 気勢を殺がれた僕とボーマンは、ちょっと気まずげに大将と相手を交互に見る。
 憮然とした表情の大将が、一言ぽつりとつぶやく。


「煩せぇ、商売の邪魔だ。喧嘩するなら余所へ行きな」
「大将! 今は大事な話をしてるところなんです。邪魔しないでください」
「だから煩せぇつってんだろうが」


 問答無用で拳骨を落とされて、物理的に黙らされるボーマン。
 両手で頭を押さえて蹲っているボーマンを無視して、大将が僕の目の前までやって来た。
 片手に凄い切れ味のよさそうな包丁を持っているから、凄い怖いんですけど。


「悪いが話はある程度聞かせてもらったぜ。あんた、本当に噂の蛮行姫様なのか?」
「まあ、一応そういうことになっています」
「はっきりしねぇ返事だな。まあ、いいや。人を探しているなら、無暗やたらに街を彷徨っても解決しねぇぜ?」
「それは、確かにそうかもしれませんが」
「お嬢ちゃん、人探しに必要なものって何か知ってるか?」


 包丁で肩をリズミカルに叩きながら、凄みのある顔で嗤う大将。
 大将はどこかの悪役ボスキャラですか? 
 と、くだらない事は頭の隅に追いやって、大将の質問の答えを考えてみる。
 日本で人探しといえば、街頭ビラまき、警察、TVで捜索依頼、あと有名占い師や超能力者、元FBI捜査官といった単語が浮かんでくる。
 そこから導き出される答えは、


「情報ですか?」
「そうだ。無暗やたらに動いたところで、一人で出来ることはたかが知れている。なら自分は動かずに人を動かして情報を集めるのが、大正解だと俺は考えるがな」
「そうはいいますが、ボクにはそんな情報を集める力なんてありません。それにフェイ兄たちには頼れないし……」


 確かに大将のいう通りなんだけど、僕に情報収集の手段があるならば最初からこんな無謀な行動など起こさない。
 頼れる人が居るのに頼れない、今の自分の状況を改めて思い知らされるだけである。
 暗い顔をして俯きそうになる僕に、大将はにやりと笑って顎を振った。
 彼が示すその先にはカウンターがあり、さらにその向こう側にはまばらだけれどもまだ客の居るホールが見える。
 意味が分からずに、大将を振り返った。


「わかんねぇか?」
「えと、チラシを店に貼る、とかですか?」
「はっ、そんなんじゃ人は動かねぇよ。あんたが本気でそのアニスって侍女を探したいなら、あんた自らが頭を下げて聞いて回ればいい」
「た、大将! 姫様にそんなことさせられる訳ないでしょうがっ!!」
「そ、そ、そうです! そんな無茶なことして万が一王宮にばれたら、大変なことになっちゃいますよう!」


 大将の提案を聞いていたボーマンとニーナが、二人同時に泡を食って反対意見を叫び出す。
 まあ、普通一国のお姫様にそんなことをさせられる筈もないから、ボーマンたちの反応は至極当然と言っていい。
 だがここにいるのは普通のお姫様じゃあないんだよね。
 外の人だったらこんなことは出来なかったかもしれないけれど、それ位の話であれば僕にとっては全然問題のない話だ。
 僕の目の色が変わったのを見た大将は、満足げに一人頷いている。
 激しく大将に文句を言っている二人を押しのけて、僕は大将に詰め寄って尋ねた。


「頭を下げるくらい問題ありません。アニスがそれで見つかるなら、僕は何度だって頭を下げて見せます」
「そうかい。姫様がそこまでいうなら、うちで働きな。うちに来る客は行商人やら冒険者やらが多い。中にはかたぎじゃねえ奴らだっているんだから、情報を集める場所としては最適だ」
「大将! そんなこと言って姫様を狙う奴らが押し寄せてきたらどうするんですか!?」
「ああん? お前姫様を守りきる自信がねぇのかよ? あんだけ馬鹿だの屁だのといってたお前が」


 食って掛かったボーマンが、大将のその一言でぐっと唸って黙り込む。
 まあ、ボーマンはそこで自信が無いなんで言うようなタイプではないから、ああ切り返されたら黙るか大将の案に乗るしかなくなってしまうよね。
 そんな二人のやり取りを余所に、僕はおなかの底から湧き上がってくる何かに密かに背中を振るわせる。
 自分にもちゃんとやれることがあって、それでアニスを救えるかもしれない。
 多分これが武者震いって奴なんだろうと僕は思った。


「あれ? ところであの黒メイドさん、何処行ったんだろう?」


 いつのまにやら居なくなった黒メイドさんを探したけれど、彼女はすでに店の何処にも居なかった。
 ちゃんと名前も聞いてなかったけれど、まあ帰りにあの教会に行けば会えるかもしれないし問題ないよね。
 




 暗闇の街の中、屋根の上に2体のメイド服を着た人形が安置されていた。
 ひとつは緑の髪で小柄で幼い少女の人形。
 その姿は教会の物置にあったあのビスクドールと同じである。
 もうひとつは東洋系で少し大人びた顔立ちをした少女の人形だ。
 どこか飄々とした風で、眠たそうな目が印象的である。
 二つの人形は寄り添うようにひっそりと屋根の端に腰を掛けて、鳥の冠亭を見下ろしている。


「あれが、今のスワジクか」
「はい、そのようです」


 窓際で言い争っているスワジク姫とボーマンをボーっと眺めていたら、裏口から黒い髪の侍女が現れた。
 どうやらこっそりとこの場を離れるようだ。
 きょろきょろと辺りを見回して、誰にも見つからないように闇に紛れようとしている彼女を、人形達は感情の無いガラスの瞳でじっと見守る。
 それは何かを記録するように、あるいは深く埋もれた記憶と照らし合わせているかのように。


「未だ迷路の中を迷っているのか……ルナ」
「もしそうであれば、きっとまた姫様のお命を狙いにくるのでしょうね、あの娘は」
「ハハハ、死んだものはもう殺せぬよ、誰にもな」
「そうですね、死んだものを生き返らせることが誰にも出来ないように、それは当然の事。そんな当たり前の事すら、気づけずにいる」
「なるほど、人間というものは愚かに出来ているのだな」
「ええ、生きている限り彼らはきっと愚かであり続けるのでしょう」


 闇の中に消えてゆく少女の背中に、哀れみの視線を向ける2人。
 そこへ音も無くエプロンドレスを身に着けた3体目の人形が現れた。
 くすんだ金色の髪を風に靡かせながら、手にした槍の石突をそっと屋根に下ろす。
 突然現れた3体目に驚く風も無く視線を向ける2体の人形と、2体の前で跪き頭を垂れる3体目。


「もう調整は終わったのか?」
「はい。苦労しましたが、なんとか動けるようには」
「そうか。ではもう行くのだな?」
「はい。私が守りたいのは、姫様だけですので」
「そうか。別に私に断りを入れにくる必要もなかったのだがな。まあ、気をつけていくがいい。魔力の補充を忘れずにな」
「はい。ご配慮ありがとうございます。それでは」
「敬語などいらんというのに律儀な奴だな、ミーシャ」


 そんな呟きに、ミーシャは苦笑を漏らして屋根の上から姿を消した。
 どうやら下の方でも話は纏まったようで、ボーマンとスワジク姫が連れ立って街の中へと消えてゆくのが見える。
 恐らくは遅くならないうちにスワジク姫を城へ送ってゆくのだろう。


「さて、私もさっきの物置に戻ろうかと思う。首尾よく王宮に戻れたなら、今のスワジクの影武者くらいは出来るであろうしの」
「申し訳ございません」
「かまわんよ。所詮は自分の尻拭いなのだから、お前が謝る必要などない」
「……」

 そういって緑の髪の人形は立ち上がって、据わったまま自分を見上げる黒髪の人形を無表情に見下ろす。
 ずっと変わらなかった二つの人形の表情が、月の光の加減であろうか、微笑んでいるように見える。
 お互いを慈しみ合い労わり合うようなその表情は、とても人形が出せるようなものではないはずなのに、2体の人形はどこまでも自分達が人形であることを信じて疑う事はしなかった。



[24455] 44話「舞台裏の少女達」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/03/05 11:46
 暗闇の街の中を、私はあの古ぼけた教会へ向かって歩いていた。
 もう少し蛮行姫の傍に居て情報を集めていても良かったのだが、多分これ以上一緒に居ても意味がない。
 何故なら、あの蛮行姫は自分が知る蛮行姫とは似ても似つかぬ別人だったから。
 とても気立てのいい、可愛らしいお姫様のよう。
 私の顔を覚えても居ないところを見ると、記憶喪失という話はあながちデマではなかったらしい。
 湖に突き落とされて溺れたくらいで、人の人格が変わってしまうほど記憶に変化が起こるものなのだろうか?
 いったい何が彼女をそこまで変えたのか。
 魔術や医術に通じていない私にはいくら考えても原因辿り着けないし、それを追求したところで私のやることには変わりはない。


「そうよね、姉さん。こんな事で迷っていたら、駄目だよね。大丈夫。今度こそ、ちゃんと仇を討つからね」


 私は自分の記憶の中で微笑む姉、レイチェル・ホランにそう誓う。
 幸い相手は私の事を覚えていないし、警戒心すら抱いていない。
 そう、チャンスはいくらでもあるのだから。
 お腹の辺りに隠し持っている毒付のダガーを、私は震える手でぎゅっと握り締めた。
 これなら、掠っただけで相手は苦しみ悶えて死ぬ。
 ラムザスのスパイが使う暗殺用の毒で解毒剤など流通していないから、助かる見込みもないはず。
 前回は失敗したけど、今度こそちゃんと……殺さなきゃ。
 光を失った瞳で、私はじっと目の前にある教会を見つめていた。


(迷うな、お前は悪くない)


 記憶の中に埋もれている筈のその言葉が、突然理由もなく幻聴として蘇る。
 耳に囁かれたその言葉は、いったい誰が発したものだったろうか。
 思い出せないし、分からない……。
 いやもしかしたら、分かってはいるのだけど私がそれを理解出来ないでいるだけなのか。


(お前はお前の正義を成すがいい)
「はい……、分かりました、……様」


 過去からの囁きに、私はゆっくりと肯き了承の言葉を呟く。
 覚悟は決めた。
 あとはいつ行うか、どうやれば蛮行姫を絶望の淵に叩き落せるのか。
 ……まあ、まだ時間はあるのだからゆっくりと考えよう。
 そして絶対に逃げられない、蟻地獄のような罠を張ろう。
 私は薄い笑みを浮かべて、目の前の教会の中へと入っていった。





 王都の郊外にあるカストール邸。
 ちょっとした出城のような外観を持つこの館の主は、自分の寝室のバーカウンターで一人グラスを傾けていた。
 唐突に静かではあるが、ゆっくりとドアがノックされる。
 こんな夜遅くにこの部屋を訪れることが許されるのはただ一人しかいない。
 執事が頭を垂れながら扉を開け、中に入ってきた。


「なんだ?」
「お寛ぎのところ、失礼いたします。『名無し』が戻ってまいりました。ご報告をお受けなさいますか?」
「そうだな、通せ」
「はい、畏まりました」


 暫くして、『名無し』と呼ばれる何処にでもいそうな雰囲気の男が部屋に入ってきた。
 『名無し』はまるで王に接する騎士が如く、片膝を付いて頭を垂れる。
 彼の様子はまるで絵本の中にあるような忠義の騎士のようにも見えた。
 そんな彼の様子に、主であるカストールは微塵も興味を示さない。
 

「首尾はどうだ?」
「はい。王宮から連れてきた女ですが、あまり使い物にならなさそうでございます。どうやら人死にを目の当たりにして怖気づいたようです」
「まあ、もとより期待はしておらぬよ。蛮行姫がなんらかの反応をしめせばと思ったまでだ。それより、あの黒いのはどうだ?」
「はっ、蛮行姫との接触に成功しております。隠し通路の在処を教え、彼女の出入りを常に監視させています」


 カランとグラスの中の氷が音を立てて揺れる。
 カストールは楽しそうにグラスの中で揺れる氷と灯りの反射を眺めながら、目の前の獰猛な忠犬に命令を下す。


「怖気づいてはいないだろうな?」
「それは大丈夫でございます。最初は蛮行姫の変貌に戸惑っていた様子ですが、ようやく相手が自分の憎むべき敵だと認識できたようで」
「ならばそれでいい。頃合を見計らって蛮行姫を始末しろ。それで一歩、お前の夢に近づけるのだ」
「はっ! 必ずや任務を全うしてご覧に入れます」
「よし、ゆけ。この国の貴族共の目を覚まさせてやるのだ。蛮行姫という呪縛を解き放つことで、な」


 一つ大きく頭を下げて、『名無し』は部屋を後にした。
 そのまま執事も下がるものと思っていたら、珍しく部屋に残ったままカストールの方を見つめている。
 彼の視線に気づいたカストールが、訝しげに執事に振り返った。


「なんだ? まだ何かあるのか?」
「いえ、……はい。ご主人様はあの者を信用なされておいででしょうか? 私はどうもあの者を好きにはなれませぬ」
「好きになる必要などない。所詮は没落した騎士の子孫。王侯の礼儀の何たるかも知らぬ、下賎の輩。あやつは死ぬその瞬間まで私に感謝するだろう。自分がただの使い捨ての駒だとも気づかずに、な」
「では最初から騎士に取り立てるというお話は……」
「いや、本気だとも」
「?」
 

 執事の問い掛けに、彼が期待した正反対の答えを返しすカストール。
 カストールの答えに困惑顔になった執事は、じっとその後に続くカストールの言葉を待った。


「なに、生きて帰ってこられたら、という条件が付くだけだ。蛮行姫といえど、王家の身内だ。この暗殺劇が成功しても失敗しても、害そうとした下手人が無事に済む訳が無かろう? クラウの小僧あたりが鼻息荒く、あやつや黒い小娘もついでに始末してくれるだろう。こちらが頼みもせぬのにな、くっくっく」
「なるほど。納得いたしました」
「まあ、一応保険も掛けてある。事が成れば、私は更に多くの盟友を手に入れるだろう。してその力を育てていけば、いずれゴーディン王をも凌ぐやもしれぬ。そうしてこの国を正しき方向へと導くのだ。ああ、その途中で私がこの国を手に入れてしまうかもしれぬがな、ははは」


 自分の壮大な夢に、楽しげに嗤うカストール。
 彼の頭の中では、広大な謁見の間に傅く家臣達が居て、自身を称える音楽が鳴り響いていた。
 掲げた琥珀色の液体を、カストールは満足げに飲み干すのだった。





 今にも潰れてしまいそうな安普請の宿の一室で、私は一人ベッドの上で震えていた。
 地下牢から連れ出される際に見かけた騎士たちの死に様が、目の裏に焼きついて離れないのだ。
 王宮で出会えば笑いながら挨拶をしてくれた騎士の顔もあった。
 いつも勇ましげに見回りをしていた若い騎士が、血溜まりのなか悶えているのに何も出来なかった。
 手当てをすれば助けられた命があったかもしれないのに、自分は『名無し』と名乗った男が怖くて視て見ぬ振りをするしかなかったのだ。
 それが今になって自分の良心をこれでもかというくらいに苛む。
 もし、あの血溜まりに居たのがライラやスヴィータだったら、私はどうしたのだろう?
 もし、あの血溜まりの中で悶えていたのがスワジク姫だったら、私の気は晴れたのだろうか?
 地下牢の中では怒りと悲しみの矛先が姫様に向かっていたから、私はおかしく為らずに済んでいたのかもしれない。
 あの血臭の中を歩き、私は正気に戻れた気がする。


「どうしよう、私、姫様になんて酷い事を言っちゃったんだろう」


 どうして死んでくれなかったのですか?
 死んじゃえば良かったのに!
 現実の人死に接した後で、その言葉の持つ意味がどれほど重いものだったのかようやく理解できた。
 自分でも分かっていたと思う。
 姫様がミーシャちゃんを殺したわけではない事を。
 姫様がミーシャちゃんの事を聞いて泣きそうな顔をしていたのだって、ちゃんとこの目で見てたはずなのに。
 ミーシャちゃんを取られたという嫉妬から、すべての責任を姫様に押し付けたんだ。


「うううっ。わ、私、どうやって姫様に謝れば……」


 姫様を殺そうとしている人達に連れてこられて、手渡された毒の瓶。
 これを短剣に塗って相手を傷つければ必ず死に至る、という劇薬が入っているらしい。
 でも、こんなもの使いたくない。
 今の改心なされた姫様に、こんな怖いものは使えない。
 手にしていた瓶を汚いものでも振り払うかのように放り投げる。


「……いけませんね、貴重な品をそんなに手荒に扱われては」


 いつの間にか部屋の中に入ってきた侍女風の少女が、腰を屈めて床に転がった瓶をそっと拾いあげる。
 私は目の前に現れたその侍女風の少女に釘付けになった。
 何故なら本来ならこんな場所に居るはずのない、既にレオ様の手配によって故郷へ帰ったはずの少女が居たから。


「久しぶりね、アニス」
「……ル・ナ・ちゃん?」


 ラムザス人に良くいる褐色の肌の少女は、私の漏らした呟きに暗い笑みで答えてくれた。
 拾い上げた瓶をベッドの横にあるサイドテーブルの上に置くと、膝を抱えて丸まっている私の横に腰を掛ける。
 まるで怯える私を気遣う親友のような仕草で、私の背中を撫でてくれるルナちゃん。
 警戒心を抱きながらも、見知った人の温もりに少しだけ張り詰めていた緊張が緩む。


「ルナちゃん、貴女どうしてここに?」
「遣り残したことがあるから、かしら?」
「……姫様を、殺すの?」
「……ええ。姉さんが寂しくないように、ちゃんと送り届けなきゃいけないと思うし」
「そ、そんな事して、レイチェルさんが喜ぶの?」
「ええ、だって姉さんは姫様の事、大好きだったじゃない。それに姫様も寂しいって思ってる。私には分かるの」


 光の無い瞳で何処でもない何処かを見つめるルナの横顔に、地下牢の床に転がっていた騎士さん達の死に顔が重なる。
 ルナちゃんはきっと死に魅入られているんだと、私は直感で理解した。
 

「で、でも、人殺しは、どんな理由でも良くないよ? だからさ、もうこんなこと止めよう?」
「アニス、貴女はミーシャの事、許すの?」
「そ、それは、許せないけど。でもミーシャちゃんを襲ったのは、姫様じゃない。それは分かる」
「そうかしら? 蛮行姫だもの、彼女の命に従う無頼漢なんて掃いて捨てるほどいるんじゃないかしら?」
「それは違う。今の姫様は本当にお優しくて、ドジな私にだって嫌な顔ひとつしないで笑いかけてくれて……」


 私は最後まで言葉を言い切れなかった。
 自分の発した言葉で、優しかったここ最近の姫様やミーシャちゃんの笑顔を思い出してしまって、涙が止まらなくなっちゃったから。
 そんな私の様子を冷ややかに見つめるルナちゃんが、ため息をついて立ち上がった。


「同じ姫様を憎む者同志で仲良くやっていけるかなと思ったけど、そっかやっぱりアニスはまだこっちには来ていないんだね」
「……こっち側?」


 ルナちゃんの言葉に思わず泣き顔を上げて、傍に立つ彼女を見上げる。
 私の視線に気づいて、ルナちゃんが振り向いて寂しそうな笑みを浮かべた。
 彼女の瞳はさっきの光の無いようなものではなく、どこか理性を思わせる光が浮かんでいる。


「そう、こっち側。人を殺めた者が棲む世界」
「る、ルナだって誰も殺してないじゃない! 姫様だって元気だし、それに性格だって変わったし。あれって多分ルナがそうしたお陰かもしれないんだよ? ルナってもしかしたら姫様を救ってあげた一番の功労者かもしれないんだよ?」
「ふふ、そんな夢を無邪気に信じられたらどれほど素敵なのかなぁ」
「……ルナちゃん」
「結果がどうであれ、私は人を殺そうとして一線を越えたの。越えてしまった者は、あとは突き進むしかないの。」
「そ、そんな事ないよ! 何度でもやり直せるよ? だから、ね? 私も一緒に姫様に謝るから。今の姫様なら、きっと笑って迎えてくれるから!」


 破滅に向かおうとしているかのような雰囲気のルナちゃんに、私は縋り付いて思いとどまるように説得をする。
 ついこの間までさんざんに姫様の事を悪し様に罵っていたのに、こんな時だけ姫様の助力を願うなんて、私ってなんて浅ましくて都合のいい女なのだろう。
 でも今の私には、姫様の温情に縋るしかルナちゃんを思いとどまらせる方法が思いつかないのだ。


「あの姫様なら笑って許してくれそう。本当、なんか妹みたいな娘だったわ。だからアニス。貴女は戻れるし、戻ったらいい。私みたいになる前にね」
「……え? ルナ、ちゃん? 姫様と会ったの?」
「ええ。姫様は私の事ぜんぜん覚えてないみたいだったけど。隙だらけで、お馬鹿さんで、それでいて他人を巻き込まないように頑張ってるあの姿をみたら、とても以前の蛮行姫と同一人物とは思えないわね」
「でしょ? 姫様は変わられたの。だから、きっとルナの事も……」
「ええ、姫様は変わられたわね。でもね、もう姉さんは返って来ないの。どんなに姫様が改心なされても、どんなに私達が願っても、姉さんは返って来ないの。なら、姉さんが寂しくないように、あの姫様に逝ってもらわないと。あの姫様なら、きっと姉さんを大事にしてくれると思うから」
「そんなの駄目だよ、ルナちゃん……」


 ルナちゃんは話は其処までとばかりに、手で私の言葉を遮る。
 明らかな拒絶に、私はそれ以上言葉を紡ぐことが出来なくなった。


「姫様ね、いま一生懸命貴女を探しているの。絶対助け出すんだって息巻いてね。だから、少しだけ貴女にも手伝って欲しいの。姫様をおびき出す役でね」
「ルナちゃん、そんなのイヤだよ……」
「ごめんね、アニス。その時が来るまでは、ここに居てね?」


 そういってルナちゃんは私の部屋を後にする。
 扉が閉まり際、あの『名無し』さんの横顔がちらりと見えた。
 彼は歩み去るルナちゃんの背中を、悪魔のような笑みで見ていたように思う。
 こんな所でじっとしているわけにはいかない。
 そう思って逃げ道を探すけれど、鉄格子が嵌った窓すら壊せない私に逃げ道など無かった。



[24455] 45話「鳥の冠亭の看板娘」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/03/06 11:10
 日が落ちて薄暗くなってきた寝室の中、僕は最近の日課となった『入室禁止』の札をライラに頼んでドアに掛けてもらった。
 これで朝までこの部屋には誰も入ってこない。
 扉を閉めて出て行ったライラを追うようにして、僕は扉の内側に張り付いて外の様子を音で探る。
 軽い足音が遠ざかっていくのが聞こえた。


「よし、大丈夫そうだ」


 僕はそう呟いて、急いでクローゼットの中から一着のメイド服を引きずり出した。
 鳥の冠亭のウエイトレス用の制服らしい。
 慣れた手つきでその制服を着て、髪も動きやすいようにポニーテールに纏める。
 それでも十二分に長いんだけどね。
 暖炉の横にある隠されたスイッチを引っ張ると、ゆっくりと鍵の抜ける音がして隠し通路の扉が開くようになった。
 壁を手で押すと音もなく後ろにずれ込んで、ぽっかりと地下へと下りる梯子が現れる。
 だが、今はその梯子を使って地下に降りるのではない。
 梯子の手前のスペースに置かれている緑の髪のビスクドールに用があるのだ。


「今夜もお願いするね、スワジク2号さん」


 そう声を掛けて、お姫様抱っこで人形をベッドへと連れてゆく。
 僕の寝間着を着せ、町で買ってきた銀色のウイッグを被せて体裁を整える。
 で、このスワジク2号をベッドに寝かせて、頭まで布団を被せて偽装工作の完了だ。
 最後に部屋の窓のドレープをしっかりと閉め、遮光を完璧に近い形にしておく。
 いつものようにレースのカーテンだけでは、月明かりでばれないとも限らないからだ。
 そこまで出来たら僕は椅子に掛けておいた外套を羽織り、開け放たれていた秘密の入り口へと向かう。


「じゃ、いってきます」


 返事を返すもののいない部屋に声を掛けて、僕は通路の中へと入っていった。
 通路の出口に辿り着くと、僕は手にした石で壁を3回叩く。
 そうしたら秘密の扉が開きだし、月光に照らされたボーマンが現れた。


「ごめん、待った?」
「いえ、俺もいま来たばかりです」


 頬を少し赤く染め、ボーマンは笑ってそう答えた。
 僕は差し出された彼の手を握って地下道から表に出る。
 何度来ても変わらないガラクタの山が置かれた納屋を見て、なんだかほっと開放されたような気分を味わう。
 そんな僕の表情を見て、ボーマンが訝しげに問いかけてくる。


「姫様? どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでもない。ちょと開放感に浸っていただけ」
「開放感?」
「そ、王族や貴族の仕来りとか礼儀とか、そんなものから開放されたって感じがするんだ。肩が楽になった気分」
「それは良かったです、と言うべきですか?」
「別に気にしなくていいよ。ボクの気分の問題だから」


 リアクションに困っているボーマンを見て、クスリと笑いながら彼の前を横切る。
 ここ数日、王宮外でのアルバイトが楽しくて仕方が無い。
 もちろんアニスを探さなきゃいけないっていう目的は忘れていないけど、少しだけ自由を満喫させてもらっても罰は当たらないよね?


「さ、行こっか!」





「10番テーブル、料理あがったよ!」
「はーい!」


 カウンターに置かれた3人分の料理を、事も無げに両手に乗せて運んでゆく銀髪の少女。
 頭は三角巾をしているからある程度隠れてはいるものの、背中に垂れている白銀の髪は丸見えである。
 銀色の髪を持つ者は貴人の血を引いているとは巷の噂にもあるものだが、何故だかここに来る客はあまりそんな事を気にしているようには見えない。


「オーダー入りまーす! エール3杯、焙りチキン1丁、お願いしまーす」
「あいよー! フロアーに戻る時に、これ8番さんに持っていってくれ」
「はいはーい! 了解です。っと、ごめんボーマン、足踏んだ?」
「あ、いえ。大丈夫です」
「そか。ごめんね」


 俺の足に躓きかけて慌てて体勢を整える銀髪の少女は、満面の笑みを浮かべてホールへと戻ってゆく。
 なんで姫様はこんなに場慣れしてるんだ?
 労働をするってことすら生まれて始めての筈が、3日もしない内に店の流れを把握し、5日目にはウエイトレスのシフトから注文の取り方、裁き方にまで口を出す始末。
 それが蛮行姫の名の通り無茶苦茶な要求かと、口にはしなかったが大将や女将さんは最初警戒してたみたいだ。
 が、彼女の言うとおりにやってみると、これが案外スムーズに仕事がはかどった。
 寧ろ今までのやり方のほうがロスが多くて、何故今まで姫様のような発想で仕事をしてこなかったのかと大将以下店員たちが落ち込むほどである。


「ニーナ! あっちのお客さん、注文取ってきてー」
「はい! 分かりました、チーフ」
「あ、女将さん、そっちはボクが片付けますんで、お客さんの案内をお願いします!」
「あ、ああ、分かったよ」


 っていうか、チーフってなんだ? 
 なんで女将さんまで使われてるんだ?
 ヤクザな客が現れるまでは開店休業状態の俺は、店の片隅で喧しく飲み食いする客と姫様たちの働き振りを眺めるだけ。
 だからこそ、姫様の異常なまでの順応振りが目に付いてしまう。
 いろんな意味で本当に底が知れない姫様だ。


「あ、そうだそうだ、スゥちゃん! こないだ言ってた探し人の件な、北町の会長さんが協力してもいいって言ってくれてるんだ!」
「え? 本当ですか!!」
「ああ、本当だとも。だから今度会長さんがここに来たら、相手してやってくれないか?」
「えー? うちはそういう店じゃないんだけどなぁ」
「分かってるけどさ、会長さん、偉くスゥちゃんのこと気に入ってるんだよ。隣に座るだけで泣いて喜ぶからさ、頼むよ」


 そういって姫様に頭を下げているのは、この界隈でも顔が売れてるマフィアの幹部だ。
 ちなみに北町の会長というのは、マフィアのボス。
 いつの世も男は女に弱いということなのだろうか、などももにょりながらそのやり取りを眺める。
 ちなみにスゥちゃんといのは、姫様のこの店での「源名」だそうだ。
 もちろん俺に「源名」がどういう意味のものかなんて分かるわけもない。
 ニックネームみたいなもんなんだろうと思ってて、誰もあえて突っ込んでは聞いていない。


「よぉ、嬢ちゃん、こっちも注文聞きに来いよ!」
「あっ、ちょっと」
「うひょー、こいつぁ、上玉ですぜ、兄貴!」
「ちょ、何処触ってんの!」


 姫様の慌てる声が聞こえたので慌ててそっちを見ると、どこかで見た記憶のあるような男達が姫様の手や腰を撫でているのが見えた。
 瞬間に頭に血が上るのが分かったし、それを抑えるつもりもない。
 周りの客を蹴散らしてでも、すぐに姫様の下へ駆け寄ろうと腰を上げて固まってしまう。


「よぉ、兄さん達、スゥちゃんに何か用か?」
「キタネェ手でスゥちゃんに触れてんじゃねぇぞ、ゴルァ?」
「今日は非番だったんだが、ちょとそこの衛士詰め所で事情を聞こうか?」


 姫様に無作法を働こうとしていた男達は、あっというまに周りにいた男性客に囲まれていた。
 っていうか非番の衛士まで現れるって、姫様の素性的にやばく無いのか?


「あ、あの皆さん、お、穏便に……」
「大丈夫です、スゥちゃん。ちょっと世の中の道理ってもんを分からせるだけですから」
「そうですね。我々が守る王都の平和を乱す者が、どのような末路を辿るかじっくりと話して聞かせるだけですから」
「紳士は愛でても触らねぇもんなんだ。それをちょっと教え込んできまさぁ」 


 10人からの人間達に囲まれて、姫様に狼藉を働いた男達は外へと連れ出されていった。
 今度は肩の骨だけでは収まりそうに無いなと、微妙な視線で見送る俺。
 万事がこんな感じだから俺の仕事も上がったりなんだけど。


「あらあらあら、大人気ですねぇ」
「あー、あんた来てたのか」


 いつぞやのラムザス人ぽい風体の黒髪の侍女が、いつの間にか俺の傍らに佇んでいた。
 名前を呼ぼうとして、そしてこの侍女の名前を知らないことに今更ながら気が付く。
 店の外で起こってる場外乱闘を見て右往左往している姫様を、頬を上気させながら眺めている侍女に俺は声を掛ける。


「そういやさ、あんた名前なんていうんだっけ?」
「名前、ですか?」
「ああ、もう何回も会っているのに名前も知らないなんて、流石にあんたに失礼だろ?」
「そうですか。それでは私の事はホランとお呼びください」
「ホランさんだな。了解だ」


 俺が彼女の名前を確認して頷いていると、ホランさんが俺の隣に腰を下ろしてこっちを見ている。
 何か少し思いつめたような表情に見えたから、俺もなんとなく彼女の瞳を見返していた。


「あの、まだよく分からないのですが、アニスさんかも知れない人がとある廃屋に隠れ住んでいるかもしれない、という話を耳にしたのですが……」
「! それは本当ですか?」
「よくは分からない、と言っています。そこで姫様のお耳に入れる前に、一緒に来てはいただけないでしょうか? 流石に女の身一つでは怖くて」
「そっか。そうだよな。ぬか喜びさせちゃ駄目だし、先に事実確認はしておいたほうがいいな。で、俺はどうしたらいい?」
「詳しい話は明後日の正午に分かります。その時、姫様が良く使われているあの教会へお一人で来ていただいてよろしいでしょうか? あまりいろんな人に集まってもらうと、情報提供者さんが嫌がるものでして」
「ええ、分かりました! 明後日の正午ですね」
「くれぐれも姫様には内密に」
「分かっています。悪戯に心配を掛けさせてもいけませんしね」


 俺がそういうとどこか寂しげな陰のある笑みを浮かべ、ホランさんは店を後にした。
 店内で忙しげに立ち働く姫様の姿を眺めながら、この情報が彼女の心配を取り除いてくれるものである事を祈らずにはいられなかった。





―― ちなみに留守中のスワジク姫の寝室での出来事 ――


 深夜ライラが見回りでスワジク姫の部屋の前を通りかかったとき、部屋の中でなにやら話し声が聞こえてきた。
 あまり深く考えもせず、ライラはスワジク姫が起きているのだと思って部屋の中を覗いてみる。
 部屋の中は遮光カーテンがぴっちりと閉められていて、手元の蝋燭の明かりだけが唯一の光源だ。
 つっと燭台を前に出し部屋の中を覗こうとすると、ライラの視線を妨げるようにすっと目の間に人影が現れる。


「ひっ!」


 突然の事にびっくりしすぎて、逆に声が出なくなってしまうライラ。
 そんなライラに向かって、その人影はおどろおどろしい声で語りかける。


「姫様はお休み中です。用があるなら、明日太陽がしっかり上がってからにしたほうがいいかと」
「っ! み、ミーシャ!?」


 聞き覚えのあるミーシャの声に、ライラは内心ほっとしつつ上を見上げた。
 果たしてそこにあったのは、頭から真っ赤な血をダラダラと流して佇んでいるミーシャ。
 悔しそうな、それでいて悲壮な表情で、じっとライラを見つめている。


「姫様の眠りの妨げをするのは、何人であろうと私が許さない……」


 地獄の底から響くようなその宣言に、ライラはカクンと腰を抜かして尻餅をつく。
 もう一度開け放たれた扉の向こうにミーシャの姿を探してみたが、今度はベッドの上で丸まって眠っているスワジク姫以外誰もいなかった。
 ふとライラの視線が床の上を見てみると、ミーシャが立っていた辺りが何故か水で湿ったかのように絨毯の色が変わっていた。
 次の瞬間、ライラはあまりの恐怖に意識を失って廊下に倒れこんでしまう。
 持っていた燭台も一緒に廊下に転がってしまったが、運よく蝋燭の火は消えてしまっていた。
 まあ、注意深く蝋燭の芯を見れば、何か鋭利なもので断ち切られたと分かるのだが、気絶したライラにそれを言うのは酷というものか。
 その後巡回中の衛士が倒れているライラを発見して一騒動に発展する。
スワジク姫自身は、そんなこともお構いなく健やかな寝息を立てていた。
 結局、この件はライラの見間違いということで片付けられたのだが、この日を境に夜な夜なミーシャの霊が王宮を徘徊して、夜、スワジク姫の部屋へと近づくものを怖がらせたという。




「あの、いい加減頭からトマトジュースを被るのはイヤなんですが……」
「何を言うか、ミーシャ。これも今のスワジク姫のためじゃぞ? あの姫のためなら何でも出来るというたではないか、お前は」
「確かに言いましたけど……。服も体もトマト臭くって堪らないのですが」
「我慢、我慢♪」
「妙に嬉しそうですね? もしかしてこの状況を楽しんでるんじゃないでしょうか?」
「失敬な! 私がそのような浮ついた心でこんなことをしているというのか!」
(そのにやけ顔みたら、そうとしか見えないんですけどね……)


 嬉しそうに買ってきたトマトをペースト状に磨り潰している2体の人形を横目に見つつ、ミーシャは盛大にため息をついて任務を続行するのであった。



[24455] 46話「再会、そして闇は動く」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/03/24 07:21
 分厚いカーテンの隙間から、朝の光が部屋の中に射しているのが見えた。
 昨日も結局ずいぶん遅くまでお客が帰ってくれなかったから、お城に戻ってくる頃には空が少し白じみ始めていたような気がする。
 それから寝たものだから、いつもの時間に起きようと思ってもなかなか瞼が上がらない。
 ベッドの中でもぞもぞと睡魔と格闘していたら、控えめなのノックと共にフェイ兄が入ってきた。


「おはよう、スワジク。体の加減はどうだい?」
「あ……、まだ少しだるいかな」


 慌てて顔を半分だけ布団の中から出して、近寄ってくるフェイ兄のほうに顔を向けた。
 フェイ兄は僕のベッドを素通りして、窓のカーテンを一つだけ開ける。
 お陰でモノトーンだった部屋が、一気にその色彩を取り戻す。
 僕といえば疲れていることもあって、朝の光に目を瞬かせてうーと唸ってしまう。


「ほら、顔を出してごらん。少し見てあげよう」
「いいですよう、みっともない顔してると思うし」
「駄目だ。健康管理も王女の仕事の一つなんだ。あきらめて布団から顔を出しなさい」
「ううぅ」


 フェイ兄の正論に抗えず、僕はしぶしぶと布団から亀のように突き出した。
 ここ最近、病気を装って部屋に引きこもっていたので、あんまり調べられて仮病がばれても困るんだけどな。
 フェイ兄はベッドの縁に腰をかけて、そっと僕の顔を両手で挟み込む。
 瞬間、先日のキスを反射的に思い出していまい、顔が一気に赤くなり青くなった。
 

「ふむ。大分疲れているようだし、熱も少しあるみたいだな。それに血の気も引いている様子。貧血気味なのかもしれないな」
「あ、あはは。そうですね。そうかもしれません。もう1日寝たらましになるかも、です」


 内心ドキドキさせながら、僕の顔をあれこれ調べるフェイ兄のされるがままになっていた。
 うん、この胸の高鳴りは決して恋愛的なものはないと僕は主張する。
 むしろ危機感というか吊橋効果というか。
 いや待て、吊橋効果はまずい。
 それではまるで僕がフェイ兄に恋しているみたいな話になってしまう。
 色即是空、空即是色、煩悩退散、色欲退散!


「やっぱりまだ調子は良くなさそうだね。朝ごはんは食べられそうかい?」
「あ、はい。お野菜中心でなら食べられそうです」
「そうか。では持ってこさせよう……と言いたい所だが、何故か最近誰もこの部屋に近づきたがらないんだ」
「風邪がうつるからでしょうか?」


 フェイ兄が困った顔をしながら、僕の頭を優しく撫でてくれる。
 くそう、なんか気持ちいいんだよ、これ。
 僕の一人百面相を面白そうに見下ろしながら、フェイ兄がゆっくりと首を横に振る。
 

「いや、どうもミーシャの霊が出るという噂があってね。夜、この部屋に近づこうとする人間の前に現れては脅かして追っ払っているらしいんだ」
「ふぇ? ミーシャの霊? っていうか、ミーシャって死んでないじゃないですか」
「ああ、私や君を含め一部の人間は知っているからそんな筈は無いと言い切れるんだが。こうも目撃証言が多いとね。もしかしていつのまにか帰ってきているのかと思って」
「だったらボクが知らないはずはないと思うのですが……」


 僕の表情をじっと見つめて、それから深いため息をつくフェイ兄。
 そしておもむろに立ち上がり、部屋の中をゆっくりと見回り始めた。
 まるで、どこかに潜んでいるミーシャを探しているかのように。


「フェイ兄? もしかしてミーシャがこの部屋に今もいると?」
「可能性は低くは無いと思う。厳戒態勢を引いている我々の目を逃れて、毎夜ここへ忍び込めるとも思えないしね」
「あー、そうかもしれませんねー」


 フェイ兄の言葉に、毎夜その目を掻い潜って町に行っている僕には、棒読みで返事を返すことしか出来ない。
 うん、ごめんよ、フェイ兄。
 フェイ兄達が無能とか、雑魚っぽいとかぜんっぜん思ってないからね!
 秘密の地下道を作っていた前スワジク姫が、フェイ兄達よりも1枚上手だったというだけだから!


「ん? 妙だな……」
「はえ?」


 暖炉の辺りで急にフェイ兄がしゃがみ込み、なにやら絨毯を観察し始めた。
 秘密の扉の前辺りを丹念に調べてから、その他の壁と床を見比べている。
 まずい、気付かれたのかな。
 僕は思わず焦ってベッドから這い出ようとフェイ兄から視線を外した瞬間、何か蛙を踏み潰したような悲鳴が聞こえた。


「フェイ兄! どうしたの?」


 僕は慌ててフェイ兄のほうを振り返ると、そこには床に見っともない格好で伸びているフェイ兄と、どこから現れたのか鈍器を片手に持ったミーシャが立っていた。
 あまりの光景に唖然としている僕を尻目に伸びているフェイ兄を片手でつまみ上げると、そのまま扉の外へ放り出す。
 ちょっと部屋にあったゴミを捨ててきましたといわんばかりな涼しげなミーシャに、僕はなんと突っ込んでいいのか分からずただ呆れるしかない。


「ミーシャ……」
「……」
「フェイ兄は生ゴミじゃないんだよ?」
「なんとなくそうしなければいけない様な気がしたもので。ご気分を害したのであれば申し訳ございません」
「いや、そこは嘘でもフェイ兄に謝っておこうよ」


 そういって嗜める僕の言葉を、多分ミーシャは聞いていないんだろうなと思う。
 だって思いっきり明後日の方向に顔を向けているし。
 でもやっぱりフェイ兄へのあの仕打ちはあんまりだったので、じっと睨み続ける僕。
 僕の無言の抗議に流石にバツの悪そうな顔をしながら、ミーシャは無言でベッドサイドに佇む。
 5分くらいずっと睨み続けていたら流石のミーシャも諦めたのか、ほんっとうに嫌そうにしぶしぶ頭を下げた。


「分かりました。事態が落ち着いた頃を見計らって、殿下には謝罪いたしたいと思います」
「なんでそんなにフェイ兄にだけ意地悪するのかな、ミーシャは」
「……」


 再び明後日の方向を見るミーシャ。
 まるで悪戯を怒られている子供みたいだ。
 僕はそんな彼女の手を引いて手繰り寄せ、ぎゅっとミーシャを抱きしめた。


「とにかく今はお帰りなさい、だね。ミーシャ」
「……はい、ご心配をお掛けいたしまして申し訳ございません、姫様」
「ううん、ボクのせいで怖い目に合わせちゃったね」
「もったいないお言葉です」
「んー、ミーシャってなんか体硬くなった?」


 何かがちがちに体を固めているかのような感触に、思わず怪訝な顔をしてしまう僕。
 ミーシャは慌てて飛びのくと、引きつった笑みを浮かべながら弁解を始める。


「いえ、コルセットなどで体を締めているものですから、硬くお感じになられたのです」
「そう? なんかそういうのとは別物のような感じがしたのだけれど……」
「そ、それよりもです、姫様。もしかしたら近くアニスの潜伏先が分かるかもしれません」


 何やら無理やり話題を変えられた気がするけど、それよりもアニスの事のほうが大事だから気にしないでおこう。
 そんな僕の気持ちを知ってか、ミーシャは満足げに話を続ける。

 
「ドクター・グェロが協力してくださっていて、2、3日中には確実な情報が入るのではないかとおっしゃっていました」
「僕の方も北町の会長さんとか町の人達が皆協力してくれてるんだ。この調子ならアニスを見つけるのも時間の問題かな」
「ええ、必ず見つけてみせます。ですので、姫様はあまり出歩かれないほうが良いかと」
「ボクだけ何もしないっていうのは、我慢出来ないよ」


 ミーシャが驚いた顔をして僕を見ている。
 僕はミーシャの手を取って、強く握り締めて自分の思いを吐露する。


「もう、ボクのために誰かが傷つくのはイヤなんだ」
「姫様……」
「原因を作ったのはボクじゃないんだけどね。でもこの体でいる限りは付いて回ってくる事でしょ? 今まではどこか傍観者っぽく考えていたけど、もう他人事じゃないんだよね」
 
 僕の想いに声を無くしてしまったかのように押し黙るミーシャ。
 なんだか熱いことを語ってしまって気恥ずかしくなってきた。
 あまりの恥かしさに、僕は真っ赤な顔して早口で話を続ける。


「ま、まあ兎に角、今はアニスを悪い奴らから助け出すのが最優先だと思う。第1軍の人達より先に見つけないと、大変なことになってしまうような気がするし」
「分かりました。何か情報が入れば必ず姫様にお知らせいたします」
「うん、お願いするね。ボクはまた今晩酒場に行って情報収集に勤しむから」


 話も纏まったところで、そろそろフェイ兄を何とかしてあげようと僕は廊下へと向かう。
 もちろん嫌がるミーシャの手を引いて、である。
 だって今のこの体では男の人を担ぐなんて事、出来るはずも無いのだから。
 扉を開けると、依然気を失ったまま倒れこんでいるフェイ兄。
 うん、こんな格好誰かに見られたら大問題だよ。


「さ、フェイ兄をベッドまで運んでもらおうかな?」
「え゛?」


 もの凄く嫌そうな顔をするミーシャ。
 なんでそんなこの世の終わりみたいな顔をするのかな、この人は。
 そんなミーシャの背中を押して、フェイ兄を抱えてもらう。
 最初こそ嫌がっていたようだけど、僕が本気だと分かるとしぶしぶお願いを聞いてくれた。


「そんなに不貞腐れない! フェイ兄があのまま起きて困るのはミーシャなんだよ? いいの? ボク付のメイドを首になって」
「それはイヤです!」
「なら、ちゃんとフェイ兄をベッドに連れて行ってあげて!」
「し、しかし、姫様のベッドに男性を寝かせるのは……。せ、せめて侍女の控え室にある仮眠用ベッドでは駄目なのですか?」
「今外に出てミーシャの姿を見られるのは、いろいろと不味いんじゃないの?」
「ぐっ」
「ほら、さっさとしないとフェイ兄の眼が覚めてしまうよ。たかがベッドに寝かせるだけじゃない」
「ぐぐぐ……」


 まるで血涙を流すかのような葛藤をしつつ、ミーシャはフェイ兄をベッドの上に寝かせる。
 意識の無い男の人を苦も無く抱えるミーシャはやっぱり力持ちなんだなぁ、と変なことに感心する。
 これでようやく落ち着けるかと思ったら、急に眠気が襲ってきた。
 そりゃそうか、まだ数時間しか寝ていないもんな。


「それじゃあボクはもうひと寝入りするから、ミーシャもあまり無理をしないように……ってなんでそんな驚いた顔をしているの?」
「寝るのですか? 殿下が寝ておられるそのベッドで?」
「そうだけど、何か不味い? ……そりゃ男と女じゃ不味いだろうけど、兄妹だし、問題ないんじゃないの?」
「……い、いえ、姫様がそれでいいなら。ですが! 絶対に過ちを犯してはいけませんよ?」
「むしろそれはミーシャ相手にこそ、気をつけなければいけない事なのじゃないかな」


 僕の一言で、凄く泣きそうな顔になるミーシャ。
 だけどそれは普段の行いってヤツだから、同情はしてやらない。
何かに負けたミーシャは、背中を煤けさせながら秘密の通路を開ける。
 僕は泣く泣く部屋を後にするミーシャを見送った後、フェイ兄が眠るベッドへと向かう。
 ミーシャがいらん事を吹き込むから少しだけ意識してしまう。
けど、兄妹ってのもあるし中身が元男ってこともあるので、まあ一緒に寝るのにはあまり抵抗感はない。
 むしろ今は睡魔に抗えない感じだ。
 僕は、少しだけフェイ兄から距離をとって布団に入る(キングサイズはこういうとき有難いよね)と、すぐに深い眠りに落ちた。





 帝都の富裕層が住む町の一角に、ごくごく平凡的な戸建ての家がある。
 20年ほど前に帝都から移民してきた老夫婦の家だ。
 近所付き合いも良く、かといって何か特筆するようなものがあるという訳でもない、ごくごく平凡な夫婦である。
 ただこの1カ月くらいは、ラムザスにいたと言う親戚が遊びに来て賑やかではあるのだが。
 もちろんそれは巧妙な偽装であり、ラムザスが長い年月をかけて作った諜報網の一つである。
 老夫婦もその親戚も、全てが偽りであった。
 その年老いた諜報活動員の頭を悩ます問題が一つある。
 裏繋がりで抱え込んだ、蛮行姫の元侍女という赤毛の女だ。
 話では蛮行姫の暗殺に協力してくれるだろうという触れ込みだったのに、家に入れてみればそれは全くのデマ。
 当の本人には寝返る素振りも無く、ただ自分達に怯えて泣いているだけ。
 今は地下の隠し部屋に閉じ込めているが、いずれ処分せねばならない。
 この20年間無難に諜報活動を行ってきたというのに、こんなところで妙なケチが付いてしまった。
 ケチと言う物は一旦付き始めると、ドミノ倒しのようになって襲い掛かってくるという。
 長い年月の経験からそれを理解している老夫婦は、いつも以上に神経を尖らせて周囲を警戒していた。
 そして程なくして家の周囲を探るようにしてうろついている男が数人。
 仕草や目つきから言って、全うな商売についている者とは思えない。
 王国の諜報関係者か、ただのならず者か。
 老夫婦を狙った強盗という線もあるかもしれないが、どちらにせよ歓迎していい状況ではない。


「おい、この家を見ている男達が数人いる。どうするんだ?」
「……」


 居間で寛いでいる「ラムザスから戻ってきたという親戚」に向かって、老紳士が苛立ちを含んだ声で尋ねる。
 が、どこにでも居そうな顔の男『名無し』は、聞こえているのかいないのか、ただ目の前の紅茶をゆっくりと楽しんでいる。
 その余裕に余計に苛立ちを募らせる老紳士。


「おい、聞こえているのか!」
「……あまり、声を荒げるのは得策じゃありませんね。ご近所さんが不振がります」
「今の状況がすでに危機的状況だといっているんだ! まったく余計なお荷物を背負い込ませおって」
「では一芝居打つとしましょうか?」
「一芝居、だと?」


 にやりと不気味に笑う男に、老紳士は背筋を凍らせるしかなかった。




 老紳士の家を監視している男達は、根気強くあの老夫婦達の動きを探っていた。
 北町の会長からの指示で不振な家の洗い出しをしていたら、この家に辿り着いたのだ。
 浮浪者の一人が、夜遅くに赤毛の女が数人の男達に囲まれてこの家に連れ込まれるのを目撃したという。
 お高く留まった衛士や騎士団では、彼らからの情報など得られはしない。
 万一耳に入ったとしても、一顧だにしないだろう。
 まさにこの町の暗部を司る自分達だから、誰よりも早くこの場所に辿り着けたのだ。
 だが、相手もこちらに気付いているのかなかなか隙を見せてくれない。
 まあ、懐に危険物を抱え込んで暢気に外出するなど、有り得ないとは思っていたが。
 その内痺れを切らした会長に、ならず者を装ってあの家に踏み込めという指示が来るのは目に見えている。
 自分達はただ、その命令を待っているだけ。
 荒ぶる感情を宥め賺しつつ、じっとチャンスを伺う。
 すると、凄い形相で窓枠にしがみ付く老人の顔が見えた。
 恐怖に染まったその顔は血にまみれ、一瞬で異常事態が発生したのだと理解する。
 男は傍に控えるもう一人の顔を見る。
 相棒であるその男もその様子を食い入るように観察し、男に頷いて見せた。


「行こう。今なら押し入ったこともなんとでも言い訳が出来る」
「だな。会長は短気だからな。早いとこいい結果を持って帰るか」


 二人は肯き合って、すばやく問題の家へと突入した。
 もちろん何かあったとき用に武器を手に持って、である。
 暫くして家の中から出てきたのは、彼らではなく服を着替えた『名無し』だった。
 青空を仰いで、晴れやかな表情で彼は呟く。


「全く予定外の事ばかりですね、困ったものだ。本当はもう少しあの姫を精神的に揺さぶって、以前のように自殺に追い込めればと思ったのですが。少し計画を変更して、強引に行かざるを得ませんか」


 まるで天候の話をするかのように物騒な独り言を呟く『名無し』。
 彼が後にした家の中は、不気味な沈黙と血の臭いで充満していた



[24455] 47話「死を運ぶモノ。死に魅入られる者」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/04/17 21:53
 古びた教会の中庭に面した場所で、私は椅子に腰をかけて戯れる子猫達を眺めていた。
 周りを気にしてオドオドしている真っ白な子猫を、安心させるかのように寄り添う黒猫。
 黒猫に構って欲しいのか灰色の子猫がじゃれ付くが、黒い彼女は眠たげに尻尾を揺らすだけ。
 灰色の猫にとっては、それでも満足なのか必死になって黒猫の尻尾を相手に猫パンチを繰り出しているのをぼんやりと眺めていた。 
 猫達の姿を見ていると、何故か胸の辺りがもやもやする。
 何か大切な事を忘れてしまっているかのような、そんな焦燥感。
 いつの頃からこんな風に感じるようになったのか。 
 まるで自分が取り返しのつかない何か悪いことをしてしまった後のような、そんな後味の悪さを常に感じてしまう。


「……私は悪くない。私は私の正義を成しただけ」


 訳の分からない焦燥感に心が耐えられないほど苦しくなったら、私は必ずこの言葉を呟く。
 そうすると信じられないくらいに心が軽くなるのだ。
 私にとっては本当に魔法のような言葉である。
 猫達の戯れを眺めながらぼうっと時間を潰していたら、中庭の木戸の軋む音が聞こえた気がして振り返ってみる。
 木戸から外套を頭からすっぽり被った人影が一つ、表通りを警戒しながら中庭に入ってくるのが見えた。
 こんな昼間から外套を頭から被るなんて、少し風変わりな人だなと思いつつ警戒を怠らない。
 今私の居る位置を考えたら、あまり悠長に考えている訳にもいかないようだ。
 私は外套をまとっている人物からは見えない位置で、ポケットから取り出したナイフを構えた。
 もちろん刺す気なんてないが、万が一の用心といったところか。
 用意が出来たところで、私はお尻から中庭に入ってくる不審人物に声を掛ける。


「どちら様でしょう? こんな裏寂れた教会に何か御用でしょうか?」
「ひぃぃぃ!」


 外套をまとった人影は背後からかけられた私の声に魂消たようで、声にならない悲鳴を上げて尻餅をついてうろたえている。
 その聞き覚えのある悲鳴に、私はおやっと思ってナイフをしまい近づいてみた。


「大丈夫ですか?」
「……ル、ルナ!」


 怯えるように尻餅をついていた人影が、私の顔を見て一転、嬉しそうな声で立ち上がる。
 もどかしげに跳ね上げたフードの下から現れたのは、思ったとおりスヴィータの勝気な笑顔だった。
 

「やっと会えたわ!」
「ス、スヴィータ? そんなに勢い良く抱きつかれたら、二人とも倒れてしまいますよ?」
「あ、あら、ごめんなさい。私としたことがはしたなかったですわね」


 慌てて私から離れたスヴィータは、照れ隠しの為かお尻についた砂埃をぱんぱんと打ち払う。
 本当に昔から意地っ張りなところは変わっていない。
 私はくすくすと忍び笑いを漏らしながら、さっきまで座っていた軒先に戻る。


「わ、笑わないで! 誰だってあんな後から突然声を掛けられたらびっくりするに決まっていますわ」
「ふふふ。相変わらずで安心しました。それにしてもよく此処に私が居るって分かりましたね?」
「ええ。無理を言ってお父様に教えてもらったのです」
「お父様? 確か侯爵様だったかしら?」
「ええ。お父様が手を回してあなたを助けたって聞いていたので、何度か手紙も出したのだけれども――」


 軒先に腰をかけた私に寄り添うように腰を掛けるスヴィータ。
 以前に聞いたスヴィータの身の上話。
 妾腹の娘とはいえ侯爵様の実の娘だというスヴィータに、私は本当にびっくりしたのを覚えている。
 最初の頃は本当にプライドが高いだけで、触れるものすべてに怯えて唸る子犬のようだった。
 紆余曲折があって仲良くはなったけれど、今思えばよく平民出の私なんかにこんな風に隔意なく接してくれるようになったものだと思う。
 姉さんがいなかったらきっとここまで親しくは成れなかっただろうな。


「ねぇ、聞いてますの?」
「え? あ、ごめんなさい。少しボーっとしてしまいまして」
「はぁ。本当にいつまで経っても貴女は変わりませんわね。危なっかしいというか、なんというか」


 苦笑交じりの大きなため息をつくスヴィータ。
 こうやってお姉さんぶる彼女を見るのも久し振りだなとぼんやりと考える。
 彼女はそんな私にお構いなしに、どんどんと話を進めてゆく。


「だから、敵討ちに私も加えてくださいと言っているのですが、聞いているのですか?」
「あらあら、ちゃんと聞いていますわよ。ですが加えるといっても、もう私の一存でどうのという話では無くなってきているようですし……」
「でしたら、あの蛮行姫に仕返しを計画している人に会わせてください。もう、王宮内の情報をそちらに渡すだけでは……納得出来ませんの!」


 そういって悔しそうに俯くスヴィータを見て、私は違和感を覚えた。
 てっきりアニスのように、今の姫様は大丈夫だから復讐は諦めろ、と言われるものとばかり思っていた。
 もちろん蛮行姫のしてきた事や姉の事を思えば、何度殺しても殺したり無いくらい憎い相手なのは間違いない。
 でもあのスワジク姫は、私が殺したいと思った蛮行姫その人なのだろうか?
 もっと根本的な所で、スワジク姫は『本当に殺すべき仇』だったのだろうか?


「ルナ! あなたまたぼうっとして! 私の言っていることちゃんと聞いてくれていますの!?」
「……ええ、もちろんよ、スヴィータ」


 私の調子のいい返事に、おもいっきり疑わしげな視線をよこすスヴィータ。
 あははと笑いながら彼女の視線の糾弾を交わしつつ、どうしたものかと思案する。
 仲間に入れるのは簡単だ。
 でもスヴィータに何かあれば、困るのは侯爵様に違いない。
 そうなった時に、スヴィータはどうなるのか?
 ……考えるまでも無い、『切り捨てられる』のだろう。
 もしかしたら、街道で襲ってきたのはあの蛮行姫の仕業ではなく、レオ閣下の差し金ではないかと勘ぐっていたりもしてる。
 万一そうだとしたら暗殺に関わる以上スヴィータの未来は、侯爵様かレオ閣下、もしくはフェイタール殿下から切り捨てられるだけ。
 その事をスヴィータは分かっているのだろうか?
 いや、多分分かっているから行動したのか……。


「裏切り者のミーシャに鉄槌を下したのも、アニスの事で蛮行姫を精神的に追い詰めようとした時も、私は常に情報を伝えるだけだった」
「……」
「私だってちゃんと出来るって、お父様に教えて差し上げたいの! もっと私を信用していただきたいの!」
「……スヴィータ……」


 王宮の外と中では、蛮行姫に対する評価はどうしてこうも温度が違うのだろう?
 いや、蛮行姫自体の評価は総じてよくないのは確かだ。
 だけど今のスワジク姫の姿を見たら、王宮内で言われていたほど暴虐無人な人物だったのだろうか?
 姉の事が無かったら、私はあの裏通りで膝を抱えて泣いていた姫様をどう感じどう思ったのだろう?
 もしかして何か大きな勘違いをしているのではないか、私は最近はそんな風に思えてならない。


「とはいうものの、今更後戻りなど出来はしませんけれど」
「何を突然言っているのです? ルナ、お願いですから私にも何か手伝わせてください!! もう、私を仲間はずれにはしないでちょうだい!」


 スヴィータが焦れたように私に詰め寄ってくる。
 彼女の碧い眼の奥に揺らめく決意に、私は心の中でどうしたものかと困り果ててしまった。


「貴女に人が殺せるのですか?」


 背後から唐突に男の声がして、私もスヴィータも泡を食って立ち上がり振り返った。
 そこに佇んでいたのは、『名無し』と呼ばれる騎士の称号を剥奪された元騎士。
 どこにでも居そうな平凡そうな顔と雰囲気で、まるで茶飲み話のように人の生き死にを語れる男だ。
 私達はともかく猫にすら気付かせずに、わずか3歩か4歩の距離に名無しはいる。
 その事実に服の下の肌が粟立つ。
 スヴィータはその意味に気がついていないようで、警戒はしつつも不機嫌な声を名無しに掛ける。


「あ、あなたは確か……」
「幾度かすれ違ったことがございましたか?」
「そうですわね。……それはそうと、さっきの質問は私に向かって言われたのですか?」
「ええ、そのつもりでお聞きしたのですが」


 何を考えているのか分からない顔で、いつもの如く飄々と会話を進める名無し。
 いつ見てもこの男は空恐ろしく感じる。
 虚無感というか、生きている人間を相手にしているという実感が湧かないのだ。

 
「ええ、必要とあれば出来ると思いますわ」
「なるほど……それでは――」
「あらあら、私の意見は聞いてくださらないのですか? なんというか反対なのですけれども」
「ちょっ! ルナ! 貴女はっ――」


 血相を変えて詰め寄ろうとするスヴィータを片手で制しながら、名無しは私の方を睨みつけてきた。
 表情も目つきも全く変わっていないのだが、彼が纏う空気が変わったことで不機嫌になっていることが分かる。


「何故ですか、ルナさん。人手は多いほうがいいんじゃないですか。あの赤毛の娘が仲間にならない以上、ここは侯爵様のお嬢様にお手を拝借するのもありではないでしょうか?」
「そ、そうです! ルナ、先ほども言いましたけれど、私も貴女と共に仇討ちをしたいのです」


 名無しの一言で、私の腹は決まった。
 私はことさら厳しい表情を作り、二人に相対する。
 見も知らぬ誰かの都合で、私の友達を危険に晒すわけには行かない。


「ここで騎士見習いを確保して、アニスと共に蛮行姫をおびき寄せる餌にする。その手はずはほぼ整っていて、今更なんの手助けを必要とするのです?」
「いやはや、何事にもイレギュラーというモノが存在するのですよ、ルナ」


 名無しが、にやりと笑った。
 背筋が凍りそうなその笑みの意味を、直感的に私は理解する。
 どうりで、この男から生臭い臭いがしていたわけだ。


「人を……殺したのですね? 協力者の方ですか?」
「いやいやいや、幾ら私でも仲間を手に掛けるほど落ちぶれてはいませんよ。どうも王都のならず者達がアニスの居場所を探っているようでして。先ほど隠れ家が襲われてしまったのです」


 大げさに悲しむような格好をしつつも、彼の眼の奥は冷え冷えとしているのが分かる。
 そう、この眼を私は見たことがある。
 しかもつい最近のことだ。


「アニスは無事なのですか?」
「ええ、彼女だけはなんとか。ただ決行の日まであの娘の世話をする人物が居なくなってしまいましてねぇ。それに場所を変えないと、衛士たちに見つかる可能性も高くなる」
「あなた、それで私はアニスの世話と監視をすればいいのですか?」


 スヴィータが会話に割り込んできて、自分の役割を確認しようとする。
 私は焦ってスヴィータを睨むけれども、彼女は私の視線を意図的に無視して名無しと話を進めた。


「いいでしょう。役としては不満もありますが、とりあえずは人手が足らないのであれば手伝います。お父様にもちゃんと私が役に立っていることを報告してくださいね」
「ええ、もちろんですとも。事後の事もご心配なく。しばらくは王都から離れねばならなくなりますが、居心地のいい場所を用意しておりますので」


 恭しく首を垂れる名無しに、満足そうに頷くスヴィータ。
 スヴィータの愚かな決断を止める事が出来ず、私は苦い思いで二人を見つめることしか出来ない。
 蛮行姫も敵だが、この名無しも敵だという事を確信する。
 結局は私達は権力者の間で翻弄される小さな存在でしかないのだ。
 自分の非力さに、悔しい思いを噛み殺すしかない。
 今はまだ、挽回のチャンスがあると信じたい。
 敵も討ち、権力者の口封じからも逃れられる道が、きっと何処かにあるはずなのだ。


「私一人なら、どこで死んでもよかったですのに……」


 私の呟きは、教会を去っていく名無しとスヴィータにはもう届かなかった。



[24455] 48話「うん。番外編だな」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/04/17 23:21
 なにやら後頭部に鈍い痛みを感じる。
 さっきまでスワジクの部屋の床を調べていたのだが、それ以降の記憶がぷっつりと途絶えて思い出せない。
 一体私はどうしたのだろうか。
 寝起きの眼を瞬かせながら、私は自分の現状を確認する。
 天井の装飾やインテリアから、ここがスワジクの部屋であることが分かった。
 それに何故かスワジクのベッドで寝かせられているようだ。
 意識を失っている間に、彼女が私を寝かせてくれたのだろうか?
 身体を起こそうと思って身をよじると、また後頭部に鋭い痛みが走る。
 かなり手加減なしで殴られたようだな。
 私は小さく呻きながら、後頭部に手をやろうとして失敗した。
 右腕が動かないのだ。


「な、なんだ?」


 右腕の感覚の無さに私は慌てて掛かっていた上布団を跳ね上げて、そして凍りついた。
 私の右腕は……私の右腕の上には……、なんとも幸せそうな顔をして眠るスワジクが居たのだ。
 急に私が動いたからだろうか、少し眉をしかめつつ私の腕に頬を擦り付けて幸せそうに眠り続けるスワジク。


「な、なんだんだ、一体これは?」
「うにゅぅ……すぅ、すぅ」
「こ、これでは動けないか……」


 自分の傍で無防備に眠る美少女の寝顔を見つつ、さてどうしたものかと思案する。
 このまま行ってしまうと、部屋に入ってきた侍女達にあらぬ噂を立てられてしまう。
 いや、ついこの間まではこのような状況になるように努力してきたのだから、それはそれで目的は果たされたと喜ぶべきもの。
 もちろん、それはスワジクの中身が別人でなければという前提つき。
 この状況はヴィヴィオやレオに知れたら、非常に不味いのではないだろうか。
 そうでなくともこの間のトイレの一件もある。
 あの時はうまく誤魔化せたが、同衾していたとなればかなり言い訳に苦しくなる。
 なんとかスワジクを起こすことなく、すみやかにこの場を離脱する方法はないかと周囲を見回す。
 そしてベッドサイドのある一点に私の視線は釘付けとなる。


「ば、馬鹿な……。あ、ありえない! そんなことはありえない!!」


 思わず声を荒げてしまい、ハッとなって自分の腕を枕に眠る少女を見る。
 なにやら不機嫌そうな表情になっているが、しかしまだ夢の中にまどろんでいる様子。
 ふぅと冷や汗を左手で拭いながら、私はもう一度ベッドサイドに置かれた椅子の上にある自分の履いていたであろうズボンを睨み付けた。
 皺にならないようにご丁寧にきちんと畳んであり、しかもその上にちょこんと乗っているのは私の下穿きだ。


「どうも下半身が涼しげだと思ったら……」


 上はきちんと着たままなのに、下半身だけ何も身に着けていない状況。
 しかも脱がされたズボンは、あろうことかスワジクの向こう側にあった。
 これは一体誰の仕業なのか……。
 

「くそっ。ここからでは手が届かないか」


 仕方が無いのでなんとか起こさないように、腕をスワジクの頭の下から抜こうと試みる。
 ゆっくりと腕を引き抜き始めると、何故か不機嫌になって私の腕にしがみついてくるスワジク。
 しかも布団が少しずれて彼女の肩があらわになった。
 瞬間、私の心臓は止まりかける。
 どうみても彼女の肩には布一枚、紐1本纏わりついていない。
 すらりと伸びたしなやかな腕は艶かしく私の腕にまとわりつき、上腕から肩へ、肩から脇へと降りてゆく少女の瑞々しい曲線が嫌でも眼に入った。


「な、な、な、な、なんで寝間着を羽織っていないんだ?」
「う~ん……、五月蝿いよぉ、み~しゃ……」


 不味い。大分眠りが浅くなって来ているかもしれない。
 早く何とかしなければ!
 私は意を決し、彼女に覆いかぶさるようにしてスワジクの頭を左手でそっと持ち上げる。
 細心の注意を払いながら、私は右腕を抜いてゆく。
 上腕さえ抜けてしまえばあとは楽に抜けるはず。
 

「うぅん……、なんだよぉ……」


 下半身裸で全裸のスワジクに跨り、両手で彼女の頭を支えているという構図。
 ここで眼を覚まされたら社会的な意味も含めて、多分私は生きてはいられないだろう。
 しかも彼女に馬乗りになって気がついたことがある。
 見えてはいないが、紛うかたなくスワジクは全裸だ。
 私の内腿に摺れる彼女の決め細やかな肌の感触で、嫌でも分かってしまったのだ。
 私は脂汗をダラダラと垂れ流しながら、抜いた右腕の変わりにそっと左腕を差し込む。
 さっきまで不機嫌そうだった顔が途端に穏やかなものに変わり、軽い寝息をさせ始めた。


「ふぅ。なんとか位置の入れ替えまでは出来た。ここにある下穿きとズボンを履けば、あとはスワジクが起きようが何をしようが言い訳は立つ」


 が、ここにきて新たな問題が発生した。
 右腕が痺れてきて、言うことを利いてくれないのだ。
 しかも何処かに触れるたびに、ジンという痺れに思わず声を上げそうになる。
 これではズボン一つ満足に掴めないだろう。
 私に背を向けて寝るような形になっているスワジクの寝顔を覗き込んで、眠りの深さを確認する。
 

「うん、当分は大丈夫そうか。仕方が無い、少し痺れが治まるのを待ってから行動するか」


 私は仕方なしにベッドに再び横たわる。
 こうやって誰かと一緒のベッドに寝るのは、一体いつ振りになるのだろうか?
 昔はたまに母上が添い寝をしてくれたように記憶しているが、それもはるか昔の事で思い出すのも難しくなりつつある。
 その時は、あたたかい何かに抱擁されるような気持ちよさがあったが、今は緊張のためかそういったものは感じない。
 義理の妹相手に抱擁されたいなどという変な趣味も無いけれど。
 妙な安らぎに身を包まれながら、私は目の前に横たわっている美しい銀色の髪を眺める。
 母親が違うというのに、この銀色の髪だけは双子のように似ているな。
 帝国皇族の血を引いているのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。


「うん。大分腕の痺れも取れてきたようだ」


 私はベッドの横に置かれている自分の下穿きをまず手に取り、布団の中でなんとか履く。
 あまり身体を動かさないようにと注意を払いながらの作業なので、凄く時間が掛かってしまうがバレるよりはいい。
 しかし私の体の動きを敏感に感じ取ったのか、またスワジクがぐずりながら寝返りを打ってきた。
 しかも私のお腹にしがみ付いてくる様な感じである。


「うほっ、いい抱き枕……」
「……何か背筋が寒くなるような一言だったな」


 脂汗を流しながら、私はスワジクが再び眠りに落ちるのを待つ。
 だが今の状況だと、手を伸ばしてズボンを取るのにも一苦労しそうである。
 なにせ体幹に抱き付かれているのだからな。
 さらに困ったことに、私の右足にスワジクの足がのっかかって来たのだ。


(何か別の事を考えるんだ! そ、そう、足に当たっているのは絹の肌触りをした何か動物めいたモノだ。腰の付近に当たっているのは、マシュマロか何かなんだ)


 唯一の救いは下穿きを履けたのと、わき腹にしがみついているだけなので、誤解されるような状況にはまだない、と信じたい。
 この状況を切りぬけさえすれば、問題など何処にも無いのだから。
 私は復活した右手を伸ばして、なんとか椅子の上のズボンを取ることに成功した。
 その動きに反応したスワジクが、わき腹に回していた手を五月蝿そうに跳ね上げ、そしてぱたりと落とした。


「はぅっ!」


 あまりの容赦の無い痛みに、私は思わず身体を捻って唸り声を上げてしまう。
 私が瞬間的に身体を激しく捻らせてしまったので、お腹に乗せていたスワジクの頭も跳ね上がってしまった。


「うみゅっ! な、なに? 何事?」


 本格的に覚醒を始めてしまったスワジクに、私は焦ってズボンを履こうと強引に動く。
 その動きも相まって、完全にスワジクは眼を覚まし始めてしまった。
 唯一の救いは、いまだ寝ぼけていることか。


「うー、懐中電灯、懐中電灯っと……、あ、あった!」
「っ!!!!!」
「ん? あれ? スイッチは何処かな? こっちか? いや、こっちかな?」
「!!!!!」


 声にならない声を上げつつ、私はスワジクの攻撃に耐えた。
 もちろんスワジクの手を離そうと彼女の手首を掴んだ。


「あ、もしかして頭を回すタイプのやつかなぁ?」
「や、やめないか、スワジクっ!」


 私の怒鳴り声でようやく寝ぼけた頭がクリアになったのか、ぱちくりと瞬きを繰り返しながら私の顔と自分の手を交互に見やる。
 ようやく状況を把握したのか、その瞬間スワジクの顔から一気に血の気が引けた。


「のあぁぁぁぁっ!!!」


 姫とは思えないような叫び声を上げながら、器用に尻餅をついた状態で後ろへと這い下がるスワジク。
 もちろん全裸なので直視しようものなら、いろんなモノが見えてしまう。
 私はとっさに視線を逸らしながら慌てて弁解しつつ、シーツを彼女に投げてやった。
 ほどなくしてスワジクのいいよという声が聞こえたので、私は逸らしていた視線を戻す。

「ご、誤解はしないで欲しい! 私も目覚めたらこのような状況にあって戸惑っていたのだ」
「な、な、な、なんで、ズボンを脱いでるの? それに、ボク寝る前はちゃんと寝間着で寝たのに!」
「それは私のほうが聞きたいくらいだ」
「そ、そ、それに……」
「いうなっ!!! それ以上は言うんじゃない!」


 おぞましいものでも見るような眼で、スワジクは自分の右手を凝視しながら震えている。
 それはそれで色々と傷つくのだが、まあ今は気にしては駄目だ。


「ま、まずは落ち着こう、スワジク」
「う、うん。分かったよ、フェイ兄」


 状況を一から説明するとスワジクは納得してくれたようで、ようやく笑みにも硬さが消えたように思える。
 もちろん内心はどう思っているのかは分からないが、それでもここ最近で培ってきた信頼関係が台無しになるような事態にはなっていないはず。
 結局スワジクに聞いても、こんな悪戯をした犯人には心当たりが無いという一点張り。
 不可解な事件ではあったが、スワジクもこの話はおおっぴらにしたくないとの事で二人の秘密とすることになった。
 どうにも腑に落ちないがレディに恥をかかすわけにも行かず、この件はうやむやにするしかなかったのが残念だったが。


 その夜、「ミィィィィシャァァァァッ!!!」という少女の怒号が夜の街に響き渡たったのと、凄い形相で町を徘徊する白鬼がいたという噂がまことしやかに囁かれることになるのは、また別の話。



[24455] 49話「もう終わりにしよう」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/05/22 11:25
 ベッドの上に置いてある細かい目のチェインメイル。
 針状の武器による刺突や打撃については防御効果はないけれど、刃がついた武器の斬撃にはある程度有効な防具である。
 目が細かい分通常のチェインメイルよりかは弱いけれど、動きを阻害しないのと金属の擦れる音が殆どしないのが利点。
 次に腕には鋼の棒を巻きつけ、手甲の代わりとする。
 それを下着の上に着込んで、厚手の長袖貫頭衣で鎧や手甲を隠す。
 足元に関してはズボンの下になめし革の脛当てを巻きつけてある。
 重装備という訳ではないけれど、やはり荒事が想定される以上最低限の準備はしていくべきだ。
 ミーシャさんの受けた傷から考えて相手の得物は鋭利な刃物。
 不意を疲れたとしても、初撃さえ凌げば反撃のチャンスは幾らでも作れる。
 屈伸したり身体を捻ったりして、着衣の下につけた防具が邪魔にならないことを確認。
 重さも気になる程ではないから、スピードで見劣りするようなことも無いだろう。
 最後に腰帯を巻きつけ、鍛冶屋で買ってきた片手剣を装着させた。
 あまり重装甲されていたら敵わないけれど、今の俺程度の防具ならこの剣で問題なく叩き伏せられる。
 もっともこの剣で叩き伏せられないほどの重装備をしていたら、間違いなく衛士たちに見つかってしまうから、武器の選択はこれでいい。
 後は予備にナイフを懐に忍ばせておけば、まあ完璧だな。


「さて、そろそろ行くか……」


 部屋の扉を颯爽と開けて出ようとしたら、開けた扉の向こうに心配そうな表情のニーナが立っていた。
 俺の格好を見て少しだけ驚いた顔をしたかと思うと、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。


「行くの?」
「ああ」
「……あ、危なくない?」
「さぁ、どうだろう。15人も殺せる奴らだからな。安全っていう訳には行かないと思う」


 その言葉でさらに不安そうな顔をするニーナ。
 俺は彼女のそんな表情を見て、なんだか頬がむず痒くなってしまう。
 成り行きで行動を共にしているニーナだけど、それでも打算なく心配してくれる人がいるというのは嬉しい。
 誰かに心配してもらう事など実家を出てからこっち一度も無かったので、余計に新鮮な気持ちになれたのだろう。


「心配すんなって。情報提供者に会うだけだし、今回は危ないことなんて何も無いと思うぜ」
「うぅん、それならいいんだけど……」
「それに、俺が剣で遅れを取る相手なんて、近衛の連中以外にはそうそう居ないとおもうけどな」
「もう、すぐに調子に乗る! ボーマンの悪い癖だよっ!」
「はいはい。それじゃ、俺もう行くぜ?」
「あ、う、うん。気をつけてね?」
「ああ、それと帰ってきたらパジィサラダでも作ってくれないか? あれ美味しかったんでまた食べたいな」
「もう! ちゃんと時間通りに帰ってこなかったら作ってあげないからねっ!」
「分かってるって」


 心配そうな顔をして見送るニーナに、俺は精一杯いい顔で笑って見せてやる。
 ついでに帰ってきてからの晩御飯のリクエストを出しておいたのは、居ない間変なことを考える余裕なんて無くなると思ったからだ。
 ま、ちょっとハードワークになるだろうけど、帰ってきてからご機嫌取りすればいい。
 ニーナをそこに残して俺は階段を駆け下りる。
 勝手口に回ると扉を開き、黒髪のメイド、ホランさんとの約束の場所へ一歩を踏み出した。
 アニスさんの有力な情報が手に入ればいいのだが……。
 




 その日の夕方、僕はいつものように地下通路を使って教会の物置へと向かった。
 扉を開ける前にトントンと壁を叩いて、外で待っている筈のボーマンへと合図を送る。
 けれど、暫く待ってみても合図は帰ってこない。


「あれ? ちょっと早かったかなぁ。もうちょっとゆっくりしていても良かったかなぁ……」


 僕はもう一度外へと合図を控えめに送るが、やはり返答は無いようだ。
 少しだけ迷ったけれど、スイッチを入れて秘密の扉を開けて外に出る。
 夜の帳も下りて、物置小屋の中は薄暗かった。


「ボーマン? いないの?」


 目が慣れるまで小屋の中でじっとしていたけれど、近くに誰かがいる気配も近づいてくる様子も無い。
 どうしたものかと思案したけれど、鳥の冠亭までの道は完璧に覚えているので一人で歩いていっても問題はないと思う。


「うーん、ここで待っていても仕方ないしなぁ。こっちに向かっている途中だったら、どっか途中で鉢合わせになるよね? 時間の節約にもなるか……」


 誰に言うとでもなしに、僕はそう呟くと小屋を出て鳥の冠亭に向けて歩き出した。
 教会の庭から裏通りに入ったところで、後ろから誰かに肩を叩かれた。


「ひぃうっ!」
「姫様、お一人なのですか?」 


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには半眼で僕を見つめるミーシャがいた。
 なんか不機嫌そうなんだけれども、気付かない振りをする。
 理由を聞いたら凄い勢いで説教されそうな雰囲気だしね。


「ミーシャかぁ、驚かさないでよぉ」
「あのボーマンとかいう騎士見習いはどうしたのです?」
「まだ来ていないみたいだよ」
「では姫様は何故こんなところを一人で歩かれているのです?」
「あ、いや、ほら、なんていうかさ、慣れた道っていうか、時間の節約っていうか……」
「ま・さ・か、お命を狙われているかも知れないと分かっていながら、一人でこんな人気の無い裏道を暢気に歩いていたとか……仰りませんよね!?」
「い、いやぁ、あ、あはははは」


 笑って誤魔化そうとしたけれど、ミーシャは呆れたような顔をしてわざとらしいため息をつく。
 なんだよ、駄目な子を見るような顔しないで欲しいんだけどな。
 とは何となく言い辛かったので、心の中で言っておく。


「姫様、もう少しお立場を自覚してください。でなければ外出自体、禁止させていただきますよ?」
「いや、それはちょっと……」
「それにあのヒヨッコも駄目ですね。姫様の護衛をサボるなんて、騎士を名乗る資格すらありません。やはり姫様の味方は私一人で十分ですね!」


 いやぁ、それはそれで色々と問題があるような気がするんだけれどね。
 でも、ミーシャに関してはもう迷惑掛けてるし、今更何を言っても聞いてくれそうにも無いしなぁ。
 まあボーマン達についてはアニスが見つかるまでの間の話だし、あの料理屋さんで情報を集めるだけだし、あんまり危なくなったりしないとは思ってるんだけどね。
 さすがにあんだけ人が居るところに殴りこみ掛けたりはしないだろうし。


「ま、まあ、とにかくミーシャが来てくれて心強いよ。さすがに暗い夜道は怖いよねぇ」
「そう思われるのでしたら、北の塔舎からお出にならなければいいのです」
「……チッ、薮蛇だったか」
「何か?」
「いいえ、なんにも」


 まあ、とにかく今晩は鳥の冠亭にいって北町の会長さんに会わなきゃいけないんだ。
 アニスの居所判明していたらいいのになぁと淡い期待を抱きつつ、僕はミーシャを連れて街の中を進んだ。





「ボーマンが行方不明!?」


 鳥の冠亭に到着した僕の第一声が、厨房を越えてホールにまで響いた。
 食事をしていた何組かの人達が何事かとこちらを気にしていたようだけれど、今の僕はそんなこと気にしている余裕が無い。


「えっぐ……ばい。夕方までには、がえっでくるっでいっだのに」
「どうも、あの黒髪の侍女さんとどこかで待ち合わせをするみたいな事を言っていたんだけどねぇ……」
「ザラダづぐっでまっでろっでいっだのに……」


 泣きじゃくるニーナと彼女を宥める女将さんを前に、僕は唇を噛んで湧き上がる感情を押し殺す。
 そんな僕の肩をミーシャが包み込むように抱いてくれた。
 相変わらずコルセットを締めているのか、いつものような柔らかさは感じない。
 だけど今はそんなミーシャの気遣いすらも僕の心を掻き乱す。


「あの侍女さん、確かホランさんっていったかな。昼過ぎに町のどっかで落ち合うって話らしかったんだけど……」
「「ホラン!?」」


 僕とミーシャの叫び声が綺麗に重なった。
 ホランという名前に心当たりがあったからだ。


「女将さん、ボーマンは確かにホランに会いに行くといったのですね?」
「あ、ああ。あのラムサス人ぽい侍女さんの名前がホランさんだって、ボーマンが言ってたからねぇ。間違いないよ」
「そっか……あのメイドさんが……ルナ・ホランだったんだ……」


 泣きじゃくっていたニーナと女将さんは、青い顔をしている僕たち2人を見て怪訝そうにしている。
 ルナ・ホラン。
 レイチェル・ホランの実の妹で、この身体の本来の持ち主であるスワジク姫を湖に突き落としたとされる侍女。
 あの日記にルナの名前は何度と無く出ていたから知っていたのに。
 名前を聞こうとしたら上手くはぐらかされていたのは、今の僕に悟られないためだったのか。


「間違いないよね、ミーシャ」


 僕は震える声で隣に佇むミーシャに問いかけた。
 その瞬間も、あの路地裏での出会いや今までの彼女との会話が脳裏に蘇る。
 信じたくは無かったし、否定して欲しかった。
 なんだかよく分からない不思議な娘だったけれど、誰かを陥れるとか出来るような娘には見えなかった。
 それだけは確かだと自信を持って言える。


「私自身、彼女の姿を目にしていないのでなんとも言えませんが、ルナ・ホランは確かにラムザス系移民の娘です」
「そっあ……あの娘がルナだったんだ……」
「ただ私が腑に落ちないのは、ルナが恨んでいたのは姫様ただ一人。他の誰かを巻き込むようなことをする娘じゃないのですが……」
「あの黒い娘からは姫様を恨んでいるというような雰囲気は感じなかったけどねぇ、あたしゃ」
「むしろ手のかかる妹のような感じに見えたな。人違いじゃねぇのか?」


 女将の感想に鍋を振りながら大将も同意する。
 ニーナも顔をタオルで覆いながら、こくこくと頷いて2人の意見に同意した。


「もちろん、人違いかもしれません。が、ラムザス系のホランという侍女風の娘が姫様に正体をぼかして接近してきた。ヒヨッコ騎士がその人物に会いにいって消息を絶つ。疑うには十分な状況でしょう」


 そういって顎に手を置いて眉間に皺を寄せるミーシャ。
 

「でもそうだとして、どうして姫様を直接害さないのか。多分ルナには姫様を殺す機会など山ほどあったはず……。そんな回りくどいやり方を選ぶ必要なんてないのに」
「それはボクに絶望して欲しかったから……じゃないのかな?」


 ぽつりと呟いた僕の言葉に厨房が凍りつく。
 ミーシャやニーナ、女将さん達の誰もが既に分かっていて、それでいても口に出来なかった言葉。
 

「姫様、一体何を――」
「良いんだ、ミーシャ。これ以上、ボクは周りの人に迷惑を掛けたくないんだ。……本当はね、なんとかなるんじゃないかなって淡い期待を抱いていたんだけど」


 そういってはにかみつつ、頬を人差し指で掻く。
 これ以上僕の我侭で誰かを傷つけるのは耐えられないよ。


「前から分かってたんだよね、実は。だってね、不幸な事って全部ボクがらみな訳だし。 ミーシャの事だってそうだし、アニスの事もそう。今回のボーマンもその延長線上なわけだよね。実はレイチェルさんの話もそうらしいんだよね。お姫様の日記に書いてあったよ。事件を裏で仕組んでいる人は……ボクに自殺して欲しいらしい」


 ニーナや女将さん達には唐突な話に思えたかもしれないだろうけど、多分ミーシャはある程度は気付いていたんじゃないかと思う。
 だって僕の言葉に動揺してない。
 姫様の日記には、彼女がどう感じ何を思って毎日を過ごしていたのかも全部書いてあった。
 どんな最後を彼女が望んだのかも……。
 僕がそれを受け入れられなかっただけ。
 だから僕は足掻いた。
 生き延びたいと思ったし……。
 死んじゃった姫様に、世界はそんな悲しいことばかりじゃないって教えてあげたかったしね。
 でも結局は周りの皆を傷つけただけ。
 もうそろそろ潮時かもしれない。
 

「多分、ボク宛にメッセージが届くんじゃないのかな。ボクが大人しく彼らのいう通りにすれば、ボーマンもアニスも無事に帰ってこられる筈」


 震える手を必死に隠しながら、僕は悲壮にならないように勤めて明るく振舞う。
 今の僕には、これくらいしか出来ないから。


「だから、もう終わりにしようよ」



[24455] 50話「姫様の本心」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/05/22 11:25
「姫様、終わりにするとは一体……」


 ミーシャが俯き加減のまま、僕に問いかけてくる。
 多分怒っているんだろうなと思いつつ、彼女の問いに勤めて平静を装って答えた。
 それでも少しだけ声は震えていたけども、今の状況でそれを指摘する人もいない。


「うん。ボクの死に意味があるなら、それと引き換えにアニスやボーマンを助けることが出来るんじゃないかな。助け出した後で命を狙われる危険性もあるのかもしれないけれど、ボクが死んだ後ではリスクを犯してまで皆の命を狙うとも思えないんだ」

 死ぬという単語に、ニーナがびくっと肩を揺らす。
 ボーマンを心配している彼女の気持ちも痛いほど分かるつもりだし、ミーシャの気持ちを踏みにじって自分を粗末にしているのも分かっている。
 でもどう考えても、僕に残された選択肢はこれくらいしか思い浮かばないんだ。


「だから、もうボクには係わらないようにして欲しいんだ」
「バカッ!!」


 パァンという乾いた音がした。
 最初何が起こったのかわからなかったけど、頬が熱くなって痛みを感じたことで自分が叩かれたということに気がつく。
 目の前で大粒の涙を流しながら、悔しそうに唇を噛み締めているニーナ。
 彼女の行動を驚いた様子で見回しているミーシャや店の人達。


「そんな風に助けられたって、ボーマンは喜ばないですっ!!」
「え……?」
「大体何ですか! 自分ばっかり悲劇の舞台役者みたいにっ! ボクに係わるな? もう終わりにしよう? ふざけないで! ボーマンの気持ちも分かってあげない傲慢女っ!」


 正直目の前でニーナが喚いているのを見てはいるのだが、状況に頭が追いついていない。
 っていうかなんでこの場面で僕が叩かれてなじられてるの?


「だいたいボーマンのヤツ、いっつも姫様ばっかり見てて私を見てくれないし、実物の姫様って噂と正反対で守ってあげたくなるような人だしっ! 本当は姫様の顔を見たら罵ってやろうって思っていたのに、ボーマンの話を聞いたら今にも死にそうな顔して罵れなくなっちゃうし! ホントになんなんですか、あなたはっ!」
「二、ニーナ……落ち着け? 姫様が吃驚されているから」
「これが落ち着いていられますかっ! 大体ミーシャ様もミーシャ様です! もっと――」

 
 ボロボロと涙を流しながら怒り狂っているニーナを、あっけに取られていたミーシャが宥めに入る。
 だけどニーナはそんなミーシャにも何か言って噛み付いているようだが、その言葉は今の僕の耳には入ってこない。

 
「……んだよ」
「――からちゃんと落ち着いて……って、姫様?」


 僕が肩を震わせてぶつぶつと呟いている姿を見て、ミーシャが恐る恐る声を掛けてくる。


「五月蝿いっていってるんだよ!!」


 お腹の底から湧き上がってくる怒りを、両手で調理台を叩くことで発散する。
 そうしないと色々と弾け飛びそうになったから仕方が無い。
 僕に怒鳴られたミーシャは顔を引きつらせて仰け反っている。
 心の片隅で八つ当たりしてるなぁと思いつつも、感情がぐちゃぐちゃになってもう止まれない。
 というか今は周りの人の視線とか他人への気遣いとか、そんなの気にしている余裕も無いし。


「ボクだって何も好き好んでこんなことしてるんじゃない! でもしょうがないじゃん! 悪いヤツラがボクを嵌めようと皆に危害を加えてくるんだから! ボクだって静かに平穏な日々を過ごしたかったよ! こんな訳のわかんない世界に放り出されてさっ! なんだよ、異世界とかお姫様とか! 全くもって訳が分からないよっ! なんでボクだけこんな目に遭わなきゃいけないのさ!! それでもなんとか皆を助けようと思ってるのに、なんでニーナに叩かれなきゃいけないんだよ! もう、さんざんだよ!」


 僕の怒声に目を丸くするミーシャを押しのけて、ニーナが頭突きをするほどの勢いで顔を近づけてきた。
 もちろん僕も逃げずに応じる。
 ミーシャや女将さん達は仲裁に入るのも忘れたのか、口をあんぐりとあけてヒートアップする僕たちを傍観していた。


「なんですか! 逆切れですか? 逆切れしたら私が黙るとでも? 自分だけが酷い目にあってるなんて思わないでくださいよねっ! 私とボーマンなんかあなたのせいで職を失ったんですよ! 月当り銀貨3枚のお仕事ですよ!? 私のような孤児で後ろ盾も無い人間にはこれ以上ないくらい好条件な職場だったんですよ!! それなのに姫様とお茶を飲んだくらいでクビとか、有り得ない!」
「そんなのボクに言われても困るよ! 君のクビ切ったのヴィヴィオさんとコワルスキーさんだしっ! クビですんだんだからいいじゃんかっ! ボクなんか殺されるんだよ!? なぁんにもしてないのにさっ! メイドのみんなや王宮の人達は冷たいし! あのクラウとかいう筋肉馬鹿にも殴られて苛められたし。事情もわかんないんだったら首突っ込んでくんなっていうんだよ! 大体女の子を殴るのも最低だ!」
「それこそ私には関係ありません! 知りませんよ、姫様の都合や王宮での関係なんて! 大体止めて欲しいんですよね、その気もないのにボーマンに色目を使うの」


 ニーナがジト目で僕を睨んでくる。
 っていうか僕は中身男だっていうんだ。
 何が悲しくて男を好きにならなきゃならんのか。


「はぁ? 何それ! ボクがなんでボーマンに色目を使わなきゃなんないの? マジ勘弁。大体ボーマンの事が好きなら、ちゃんと自分の口で言えばいいだろ? 別にボクとボーマンが付き合ってるわけでもなし! それに今はそんな話してないし」
「あー、そうでした、そうでした。今は姫様がどれくらいお可哀想な境遇にあるかの不幸自慢のお話でしたっけ? ざけんなって感じですよねー、ミーシャ様」
「あ、いや、なぜそこで私に同意を求めてくるのですか?」


 焦りながら首を左右に振るミーシャ。
 いつもの人を食ったようなミーシャがここまでうろたえているのも珍しいのだが、今はそんな事も気にならない。
 何より今は挑戦的な目で僕を睨みつけてくるニーナに意識が集中しているのだ。


「ミーシャは関係ないだろ! 今はニーナと話してるんだからさっ!」
「関係ないわけないじゃないですか。不幸自慢して勝手に突っ走る姫様のお守り、誰がしてくれていると思ってるんです? 大体ミーシャさんだって被害者ですしねぇ」
「そんなのボクのせいじゃないだろ? なんでボクが加害者みたいな扱い受けなきゃいけないのさ! それにボーマンだってボクが頼んで動いてもらっていた訳じゃないし! 自己責任の範疇で出来ないなら、最初からするなよ! それで怪我したりしてボクのせいだといわれても、ハァ? って感じなんだよ!」
「そーですよ? 皆自己責任でやってるんですよ! ミーシャさんが姫様に何か愚痴でもいいましたか? ボーマンが姫様に自分の境遇について文句をいったことがありますか? ありませんよね? ないですよね?」


 ニーナの人差し指が彼女の指摘するタイミングに合わせて、ドンドンと僕の胸を突いて来る。
 確かにニーナの言うとおり一連の事件で実質的な被害を被った人達から、僕は面と向かって何か文句を言われた事はない。
 だから彼女の指摘に反論できずに、押されるままに壁際に追い込まれる。


「そ、そりゃないけど!」
「だったら、なんで勝手に自分は不幸だってオーラ撒き散らして周りを不愉快にさせてるんです?」
「だってそれはボクが居たから、騒動に巻き込まれたわけで……。ボクが皆と係わりを持たなければ、そんな事は無くて……」
「姫様と係わりを持とうと思ったのは、ボーマンも私も、多分ミーシャさんも自分で考えでやっているんです! それを勝手に貴女のせいだなんてすり替えて欲しくありません! そんなの、ボーマンは喜びません!」


 そこまでいったニーナは鬼のような形相から一転、とても優しげな表情になる。
 彼女のその変化に僕は付いていけず、ただ混乱するばかり。
 とまどっていると僕の頭にニーナの手が回される。
 えっと思う間もなく、僕は優しくニーナの胸に抱き寄せられた。


「だから、何もかも自分のせいだなんて背負い込まないでください。死ぬなんて言わないでください。ボーマンが聞いたらきっと悲しみます」
「……」
「貴女は悪くありません。だから自棄にならないで。彼の志を無駄にしないであげてください」

 
 ニーナの温もりが、微かに聞こえてくる心臓の音が、徐々に僕に冷静さを取り戻させてくれる。
 いままで溜め込んでいたいろんなものを吐き出して、見っともないくらいな泣き顔でニーナと言い争って、それでようやく自分の本当の気持ちにたどり着いた。


 死にたくない。
 一人ぼっちは嫌だ。
 僕を見捨てないで。

 なんて情けない本心なんだろう。
 転生とか憑依するオリ主って、もっと芯が強くて何にでも立ち向かっていける人達なのになぁ。
 なんで僕はこんなに情けないんだろう。
 ニーナのこと、なんか小動物みたいな弱々しい娘だなって思ってた。
 でもこんなに懐が大きい人だったんだなぁって、今は素直に感心している。
 彼女の胸に抱かれてなんかささくれ立っていた心が落ち着いていくような気がした。
 これが母性っていうやつなのかなぁ?
 中身男の僕には到底真似の出来ない芸当だ。


「……ごめん。皆の気持ち、全然考えてなかった。自分の事で精一杯だったよ。ほんと、ごめん」
「私のほうこそ申し訳ありませんでした。姫様を打つわ、暴言を吐くわ。あれですかね? 不敬罪ってやつですかねぇ、あはは」
「あはは、クラウっていうあの筋肉馬鹿がいたら追求したかも知れないけれどね。ボクはそんな酷いことは言うつもりもするつもりもないよ」


 あはははと二人で笑っていると、柱をノックする音が背後から聞こえた。
 何の気なしに振り返ると、そこに立っていたのは北町の会長さんだった。
 会長さんは僕と眼があうと、トレードマークの茶色の帽子を脱いで深々と首を垂れる。
 後にいるお付の人達も一緒に最敬礼の姿勢をとった。


「姫殿下とは露知らず、数々のご無礼を致して参りました。部下達の非礼も合わせて、謝罪をさせていただきとうございます」
「あ、いえ、そんな……」


 会長さんは僕よりも小柄なお爺さんだから、そんな風に畏まられたら余計に小さく見えてしまう。
 僕は慌てて会長さんのところへ駆け寄って頭を上げてもらう。


「こんな下賎な身分の者にまでお気遣いいただけるとは……」
「そ、そんなに畏まらないでください。この間みたいに孫娘と思ってくれていいですから。今までどおりに接してくれた方が嬉しいです」
「そうですか。噂とはまるで当てにならぬものですなぁ。姫殿下のような方に蛮行姫などという蔑称をつけるなどと。王宮とはほんに魔窟ですなぁ」


 まぶしいものでも見るような目で僕を見ないでください。
 死ぬほど居心地が悪いです。
 そういいながら、傷だらけのスキンヘッドに帽子を再び乗せる会長さん。
 以前のような好々爺然とした笑みを浮かべてハグしてくれる。
 うん、これが人の温かみというものなのかな。


「色々とお辛かったでしょうになぁ……」
「……あの……会長さん? 前も言いましたけどここはそういうお店じゃありませんからね?」


 うん、この人これさえなければほんといい人なんだけどねぇ。
 そう心の中で思いつつ、お尻を掴んでいる会長さんの手を抓り上げた。


「ほっほっほっほ、孫娘に対するすきんしっぷ? というヤツですじゃ」
「いや、触り方がイヤらしいですから」


 苦笑しながらそう突っ込んでいると、背後から木が潰される不気味な音が聞こえた。
 僕と会長さんは何事かと思って音のした方を見ると、そこには般若のような顔をしたミーシャが立っていて、握っていた柱を握りつぶしていた。


「みっ! ミーシャ!? は、柱! 柱が!」
「姫様、ご命令さえあればそこの干物の始末、すぐにでもさせていただきますが?」
「し、始末って何!? ミーシャ、目がマジ怖いんですけど!!」
「ふぉっふぉっふぉ。爺ぃと孫娘のただのすきんしっぷに目くじらを立てるとは。なんと心の狭い侍女かのぉ?」
「……殺すっ!」
「ぎゃぁぁぁ! ミーシャ、おち、落ち着いてぇぇぇぇ!」


 握りつぶした柱を、メキョッっていう異音と共に引っこ抜くミーシャ。
 いや、もうそれって人間技じゃないよね?
 僕を間に挟んで、しゃーと威嚇するミーシャとそんなミーシャをおちょくる会長さん。
 何、このカオス。
 さっきまでのシリアスな空気は何処へ行ったの?


「おおう、そうじゃ、そうじゃ。姫殿下、貴女がお探しの赤毛の侍女の居場所が分かりましたぞ?」
「え!? 本当ですか!!」


 ミーシャに襟首を掴まれて猫の子のようにぶらぶらと宙に揺れる会長さんが、思い出したように重大な情報を告げる。
 瞬間にその場の空気が真剣なものに変わり、皆会長さんの次の言葉をじっと待つ。


「どうやらラムザスの間諜が居た屋敷に監禁されているようですじゃ。先程、ボロボロになった若造も一緒に担ぎ込まれたとの報告も受けておりますなぁ」
「も、もしかしてそれってボーマンですか!?」


 会長さんの言葉に勢いよく食いつくニーナ。
 自己責任だのなんだのいって、やっぱりニーナはボーマンの事誰よりも心配してあげているんだなと分かった。
 ボーマンもこんな良い娘に好かれてよかったなと思うその反面、だからこそ無事に救出しないといけないんだと気を引き締める。


「相手もどうやらわし等に隠れ家にいることを隠すつもりもない様子。恐らくはわしらが姫殿下に直接話を持っていくことも理解しているのでしょうな」
「それって……」
「はい。相手は姫殿下を誘っていると考えて間違いないでしょうな」


 ごくりと唾を飲み込む僕。
 虎穴に入らずんば、虎児を得ず。
 自分の身を差し出して、アニスとボーマンを救い出す。
 その解決方法が、改めて僕の頭の中に浮かんでくる。


「姫様、お一人では行かせませんよ?」


 僕の考えを察したのか、ミーシャやニーナが鋭い目で僕をけん制してくる。
 苦笑いでミーシャに頷きながら、僕たちはどうするべきか作戦を練る為に2階にあるボーマンの部屋へと向かった。


「どうでもいいがよ、店を壊された分の請求って何処にだせばいいんだろうなぁ?」
「姫様宛てでいいんじゃないかしら?」


 僕たちの背中をぼんやり眺めながら交わされた大将と女将さんの会話は、残念ながら僕たちの耳にまでは届かなかった。





「筋肉馬鹿か……」
「まぁ、そういわれても仕方ありませんなぁ」


 勝手口の隙間から話を聞いていたクラウとセンドリックの2人。
 たまたま街角で蛮行姫を見かけたので、その後をずっと着けてきていた。
 一連の蛮行姫と元侍女の会話や、彼女から見れば取るに足らない身分の者達への接し方を見て、クラウは苦虫を噛み潰したような顔をして終始無言であった。
 センドリックは最近の姫の変化を知っていたのでさほど驚きでもなかったが、スワジク姫の我侭ぶりを見てきたクラウとしては衝撃的な一幕であっただろう。
 蛮行姫たちが居なくなって出た最初の言葉が、かの姫がいった筋肉馬鹿というワンフレーズであった事にもクラウの心情が滲み出ているといっても過言ではない。


「どうします、クラウ団長?」
「一旦引き上げる。ただし監視は付けておいてくれ、近衛のほうでな。俺の部隊のヤツラじゃ、俺の時みたいに暴力で解決とか姫様の足を引っ張る可能性もあるからな」
「……なるほど。一旦引き上げて体勢を整える、というわけですかな?」
「それもある。が、一番はフェイタールのヤツをぶん殴らないと気がすまねぇ。なんで俺に情報を寄こしやがらなかったのか聞かなきゃならんしな」


 大股で去っていくクラウの背中を、苦笑いをしつつ見送るセンドリック。
 その頭の上から微かに漏れてくるスワジク姫達の話し声を聞き流しながら、彼もまた自分の役目を果たすべく街の方へと歩き始める。
 一度だけ彼は鳥の冠亭の2階を振り返り、ぼそっと独り言を呟いた。


「なるほど、あの姫殿下であれば確かに剣を捧げる価値はあるか……」


 コワルスキー隊長と激しく言い合ったボーマンの姿を思い出し、己の忠誠を捧げる美姫(あるじ)を得た彼を羨ましく思うセンドリックであった。
 まあ、彼は彼でちゃんと国王に剣を捧げているので羨む必要もないはずなのであるが、やはり美姫に捧げる剣というのは羨望に値するものなのだろう。
 



[24455] 51話「世界は僕を中心にして回ってはいない」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/06/26 08:38
 いつものように残務処理を深夜に片付けていた私は、静かなはずの深夜の王宮がにわかに騒々しくなったのを感じた。
 どうやらこちらに向かって誰かがやってくるようだ。
 程なくして荒々しく部屋のドアが開け放たれたかと思うと、その向こうに鼻息荒く憤怒の形相をしたクラウが立っていた。
 私はそれまで書き進めていた書類の手を止め、何事かと思ってクラウに声を掛ける。


「……どうし――」
「あれは一体どういう事だ!」

 
 私の声を大声で遮るクラウ。
 大股でデスクの前までやってくると、ヤツは力いっぱい拳骨で机の上を殴りつけた。
 その衝撃で机の上においてあった羽ペンやインクのボトルがひっくり返り、書類の山はなだれ落ちる。
 少し考えてから、クラウの怒りの原因に辿りつく。


「……スワジクの事か?」
「それ以外に俺がお前に怒鳴らないといけない事があるのか?」
「さぁな。だがスワジクの件にしても、正直、君は部外者だ。何を知って怒っているのかは知らんが情報漏えいの危険を考えたら、その秘匿は無難な選択だとは思うのだが……」
「くだらねぇ言い訳なんか聞きたくねぇ! 単刀直入に聞くぜ、あれは誰だ?」


 今にも頭突きをせんとばかりにずいっと身体を乗り出してくるクラウ。
 私はヤツの頭を押し返しながら逆に問いかける。


「一体何を――」
「俺はこの目で、耳で、直にあの蛮行姫の言葉を聞いてきた。あれは俺の知ってる蛮行姫なんかじゃねぇ。あれは一体誰だ!?」
「……こんな夜中に、スワジクの部屋に押しかけたのか?」


 何故か一瞬ざわりと心が乱れたような気がしたが、私は何事もなかったかのようにいつもの冷静な仮面を顔に貼り付ける。
 貴族や王宮内の人間と渡り合っていく間に身に着けた、果てしなくくだらない特技の一つだ。
 それが今はありがたく感じるのは何故だろうか。


「馬鹿を言え、蛮行姫は今城下町の鳥の冠亭という宿屋に入り込んで、町の顔役と密会中だ」
「……なんだと? 侍女達の報告では、彼女はベッドで眠っているとあったが……」
「身代わりでも置いてるんじゃないのか? もしくは侍女もグルとか」


 今日宿直のライラや臨時の侍女達との間に、スワジクとの信頼関係があるとは思えない。
 なら外部の手引きか何かか?
 瞬時にいろんな可能性が浮かんでは消える。
 だが今もっとも確かめなければいけないのは、彼女の部屋で寝ている人物は何者なのかという事だ。
 部屋を出て彼女の寝室へと向かおうと立ち上がったところを、クラウに椅子へと押し戻される。


「何を――」
「何処かへ行く前に、きちんと俺に説明していけ」
「いくら従兄弟である君といえど、迂闊に話せないこともある」
「なるほど。ということはあの蛮行姫は偽者ってことでいいんだな?」
「スワジクはスワジクだ。それ以上でも、以下でもない」


 私がそう冷たく言い放つと、クラウはふんと鼻で笑って私を見下ろす。
 その顔は嘲笑というよりは、どこか哀れみを含んでいるような気がした。
 鼻白んだような顔をしたクラウが、机より一歩下がって顔を背ける。


「お前のいうスワジクというのは一体どっちだ。傲慢で不遜で貴族とみれば敵意を剥き出しにしていた蛮行姫のことか? それともあのぬるくて甘い理想を夢見る小娘のことか?」
「その問いに答える義務が、私にあるのか?」
「何も知らされずに部下に働けとは言えん。満足に働いて欲しければ情報は隠すな」
「王の剣ともあろう騎士団長の言うこととも思えないな。剣はただその主のために尽くすのみ、じゃあないのか?」
「フェイ、お前は陛下から言われたからという理由だけであの姫を守っているのか?」
「……当然だ」
「なら、スワジク姫の命を守る必要がなくなったら、お前はどうするんだ?」
「なんだその頭の悪そうな仮定は……」
「例えばの話だっ。あの蛮行姫の後ろ盾が無くなったら、この国における存在価値が無くなったら、第3王子様はいかがなさるのかって聞いてるんだ」


 多分、これが少し前なら迷い無く「守らない」と言い切っただろう。
 何故なら蛮行姫はこの国の貴族の敵であり、癌であり、命綱だったのだから。
 その存在価値が無くなれば、好きでもなかった相手を篭絡する必要もなくなるのだ。
 だが今は事情が違う。
 あのスワジクには別の人格が宿っており、生前の彼女が行ってきた罪を理不尽に負わされているだけ。
 ならば今のスワジクを守るのは、その真実を知る私の役目だ。


「どうした? なぜそこで黙る、フェイタール」
「馬鹿らしい。そんな子供じみた議論に付き合う必要を感じない。私はただ課せられた義務を遂行するだけだ」


 だがクラウが言うような王命が下ったら、私は一体どうするのだろうか。
 彼女を守る術が、私に残されるのだろうか。
 私は内心の動揺を隠して、スワジクの部屋に向かって歩き出す。
 憮然としているクラウの横を通り過ぎようとしたとき、この部屋の扉が唐突に開かれた。
 私とクラウは突然の闖入者に驚いてそちらを凝視する。
 2人分の視線を受けながらもひるむ事無く、突然の闖入者であるレオは口早に喋りだした。


「フェイタール殿下……大変です、帝国で大規模な政変が……」
「政変だと? おい、一体何があった!」
「えっ? ク、クラウ団長!?」


 私が声を出す前に、隣にいたクラウが必要以上に大きな声でレオに問いただす。
 レオはその怒鳴り声でようやく我を取り戻し、見せ掛けだけでも普段の落ち着きを取り戻した。


「そ、その帝国で政変が起こり、ヴォルフ家が選帝公の地位を剥奪されました。また、その領地には皇帝直属の部隊が駐留をして、実質統治権も剥奪されたとの噂が……」
「落ち着くんだ、レオ。事実確認は?」
「現在は商人経由の情報ですが、恐らく近日中には駐留武官からも報告が届くはず。それを待って詳細はきめるとのことですが、陛下は現在王都に展開中の第1軍と近衛の撤収を支持されました」


 今我々が動いているのは、蛮行姫に害する存在を駆逐するためである。
 それを撤収させるということは、王は彼女の存在を守る必要がないものだと判断したということだ。

「レオ……、王は……、父上は他になんと……」
「はい。今日は遅いので、明日以降の閣議で北の塔舎の閉鎖、および前王妃の別荘の取り壊しを検討したいとおっしゃられていました」
「父上は、……スワジクの廃姫をお考えなのか?」
「はい。恐らくは……」


 レオが苦々しい顔で私の考えを肯定する。
 部屋の中が重々しい空気に押し潰されたように静かになる。
 この事実を知れば、きっと被害を受けていた貴族連中が嬉々として王に進言してくるだろう。
 スワジク・ヴォルフ・ゴーディンが行ってきた蛮行に正しき鉄槌を、と。
 私はレオの報告によって一旦止めた足を再び踏み出した。
 今度はスワジクの部屋ではなく、彼女の養父であり私の父上であるこの国の王の元へと。





 闇に包まれた王都の中、僕はニーナと二人で目的の場所へと向かっていた。
 こうやって歩いている僕達を、ミーシャと北町の会長さん達が見守ってくれている。
 そう思うだけで恐怖にすくみそうになる足も、なんとか前へと動かせている。


「出来れば話し合いで片が付けばいいのになぁ」
「それはそうですけど、いろんな人を傷つけてきた人たちですから、ちょっと無理っぽくないですか?」
「まあ、そりゃあ、そうなんだけどね。ところで話は全然変わるんだけどさ、今晩妙に静かじゃない?」


 僕は辺りを見回しながら、ニーナに同意を求める。
 彼女も自分たちが歩いてきた道を振り返ったり耳を済ませたりしてから、僕の意見に賛成した。


「そういえば変ですね。いつもなら警邏の人たちが居たりするんですけど。いわれてみれば来る途中も会いませんでしたね」
「今日はお休みなのかな?」
「何をいってるんですか。軍や近衛の人たちの仕事に全員お休みの日なんてあるわけないじゃないですか」
「そりゃそうか……」


 いつもより静かな夜の町並みを歩きながら、得体の知れない不安感に襲われる。
 もしかしたら何か僕の想像を超える何かが起こっているような、そんな根拠のない不安。
 今は分からないことに対して怯えていても仕方が無いので、僕は敢えてその不安を無視することにした。


「姫様、やっぱり真正面から話し合いって不味くないですか?」
「んー、まぁ、そうなんだろうけど……。一応相手の言い分も聞いてみて、無事にボーマンやアニスを開放してくれるっていうなら、それに越したことは無いかなって」
「話が通じる相手なら、牢破りなんてしないと思うんですが……」


 ニーナの言うことはもっともなんだけれど、だからといって初手から暴力で解決っていうのはなんか相手に負けた気がする。
 平和ボケしているって散々言われたけど、でもやっぱり暴力は最終手段だと思うんだ。
 話せば分かる、と言うつもりは無いけれど、どこかで妥協点が見出せるまで交渉するのも一つの方法。
 どこかの国の警察には交渉人っていう役目をする人たちが居るって聞いたこともあるし。

 程なくして僕達は会長さんが教えてくれた屋敷の前にまでたどり着いた。
 王都の中でも閑静な住宅街の一角。
 周りの家は既に灯も落とされて真っ暗なのに、目標の家だけは木戸の隙間から光が零れ落ちていた。
 どうやら家の中の人は起きている様子。
 高まる緊張に、知らず知らずの内に僕の膝は無様に震えている。
 それは横に居るニーナも一緒で、お互い顔を見合わせて苦笑しあう。


「じ、じゃあ、私行ってきますね?」
「……や、やっぱりボクが行くよ。なんか危なそうだし」
「何言ってるんですか。姫様が相手に掴まったらお終いだって会長さんも言ってたじゃないですか。大丈夫です。直ぐに掴まるようなヘマはしません。逃げ足にはちょっと自信あるんですから」
「あはは、ボクと一緒だね」
「ふふふ。逃げ足の速い姫様と侍女だなんて、笑えませんねぇ」


 笑いあいながらも、お互いの顔は緊張で引きつっているし足も震えっぱなしだ。
 少し離れたところでミーシャが見守ってくれているとは言うものの、僕達には彼女の姿はまるで見えない。
 まあ、簡単に分かるようだったら相手にも悟られてしまうわけだが。

 僕は目標の家から少しだけ離れた路地の真ん中で、ゆっくりと扉へと向かってゆくニーナを見守る。
 ニーナは扉の前まで行くとノックを3回して、素早く5歩ほどそこから退いた。
 それだけの距離があれば、相手が何かをしようとしても対応する時間は稼げるはず。
 不気味な間があってから、ゆっくりと玄関の扉が開かれる。
 部屋の中から溢れ出す光のせいで顔が良く分からないけれど、どうやら女性のメイドさんのようだった。


「お待ちしておりました、姫様」


 どこかで聞いた声にハッとして、僕はよく目を凝らしてそのメイドさんを見る。
 勝気そうな目に金色のツインテール。
 僕付きの侍女であるスヴィータに間違いなかった。


「す、スヴィータ……、どうして……」
「お待ちしていたのですわ、貴女を。中でアニスと貴方のナイトが待っています。さぁ、こちらへどうぞ」


 そういって僕に中に入るように促すスヴィータ。
 家の中には絶対に入るな、とはミーシャと会長さんからきつく言い渡されていた。
 だけど、2人をダシにされては抗いようもない。
 少しだけ迷ってから、僕はスヴィータの招きに応じることにした。
 ニーナが慌てて僕の前に立ちふさがってそれを阻止しようとする。
 が、僕は彼女の肩をやんわりと掴んで、彼女を安心させるように微笑みかけた。


「大丈夫。ちゃんと2人は返してもらうようにするから。ニーナは安心して外で待っていて?」
「相手を外に誘き出さないとミーシャさん達が動けないですよっ」
「ボクにもしもの時があったら、その時は遠慮なくやっちゃっていいから。そうミーシャと会長さんに伝えておいて」
「そ、そんな! 姫様、打合せと違うっ!」


 スヴィータに聞こえないよう小声で抗議してくるニーナは、不安そうな顔のままで僕の服を掴んで離さない。
 僕はニーナの頭に手を置いてゆっくりと撫でてあげる。
 そんな僕たちを無言で見守っていたスヴィータが、目で早くしろと僕に催促してきた。
 僕はニーナの手を優しく振りほどいて、ゆっくりと屋敷の中へと足を踏み入れた。
 そう、ここから先はスワジク・ヴォルフ・ゴーディンである僕の戦場なんだ。



[24455] 52話「奇跡の力」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/07/10 22:13
 僕はスヴィータの横を通って、ゆっくりとその家の中に入ってゆく。
 家の中は案外こざっぱりとした趣味の家具でコーディネートされていて、家主の趣味のよさが伺えた。
 ただ、壁といわず家具といわず飛び散って黒く変色している血痕を除けば、という話だが。
 部屋の中央の置かれているダイニングテーブルの上に行儀悪く腰を掛ける一人の男が、まず目に入る。
 次に男の目の前に縛られて座らされているアニス、床に寝そべるように横たわっているボーマンが見えた。
 アニスは目を真っ赤に腫らしているだけで特に問題はなさそうだけど、ボーマンは違う。
 遠めだから良く分からないけれど、少なくとも一目見てボーマンと分かりづらいほど顔が腫れ上がっているし、手は変なところから曲がっているような気がする。


「っ! ボーマンッ!」
「迂闊には動かないほうがよろしいかと思いますよ、姫殿下」
「あぅっ……」


 アニスの首にぴたりと当てられているレイピアを見て、悔しいけれど僕は駆け出そうとした足を止める。
 傍目に見ても分かるほどアニスの顔は青ざめていて、身体も分かるほどに震えていた。
 目の前の男がシャレや冗談で言っているのではないことは、部屋の黒ずんだ血痕で理解できる。
 悔しいけれど、相手の言われるがままにしかならない。


「ひ、姫様……す、すいません。わ、私……姫様に……酷い事を言ってしまって」
「え? あ、あぁ、あの日の事? うぅん、別に気にしていないから、変に気に病まないで。それとね、ミーシャ、元気になって帰ってきているよ。お医者さんが助けてくれたんだって」
「あ……あぁ……」
「脱獄って話もあったけど、ちゃんとフェイ兄に言って誘拐されたんだって話にしてもらってるんだ。だからこれが終わったら、アニスはちゃんと胸を張って帰れるから。心配しないで」
「う、うぅぅぅぅぅぅぅ」


 僕の話を黙って聞いていたアニスが、ボロボロと大粒の涙を止めどなく流れ落とす。
 アニスの様を見て僕は少し安心した。
 本当は恨まれてて罵倒されたりするんじゃないかなとか覚悟していたんだけど。
 静かな室内でアニスの泣く声だけが響く中、テーブルに腰をかけていた男がおもむろにぱちぱちぱちと乾いた拍手を鳴らした。


「いやぁ、中々面白いお涙頂戴物語ですね。そうやって恩を売って身近な人間から落としていったんですか?」
「……なにが言いたいんだよ」
「あの蛮行姫が自分より目下のものに慈悲を掛けるなんて、あまりに驚きすぎて心臓が止まるかと思ってしまいましたよ」


 男はアニスに向けていたレイピアを降ろすと、今度は倒れて動かないボーマンに向ける。
 刃先は人体の急所の上を滑りながら、最終的には投げ出された掌の上で留まった。
 僕はいやな想像を止めることが出来なくて、思わず上ずった声で問いただす。


「な、何してるんだよ。ボーマンは抵抗出来る状態じゃないじゃないか! や、止めろっ!」
「くくくくくっ、それが今のあなたの地ですか。いやはや何とも不思議なものですね。人間はこんな短期間で人格を変えられるものなんでしょうかねぇ」


 笑いながら男はゆっくりとレイピアの切っ先をボーマンの掌に押し込んでゆく。
 皮に食い込み、少しだけ血が滲み出す。


「お願いだ……、いや、お願いします。ボーマンにそれ以上酷い事をしないでください」
「ん……そうですね。分かりました。ですがあれですね、姫殿下の騎士を自認する者が、臣下の礼を取ることもなく大の字で寝ているというのも、非常に無礼な話ですな。一つ私が起こしてあげましょう」
「っ! 止めろっ!!」
「ぎゃぁぁぁっ!」


 死んだように横になっていたボーマンが、掌に突き刺されたレイピアの痛みで身体を跳ね上げた。
 それが余計に傷を大きくすることになり、さらにボーマンの悲鳴が響く。
 僕は考えるよりも先に駆け出して、これ以上ボーマンが暴れないようにと彼の腕と身体を押さえ込もうと試みた。
 だが、鍛えたボーマンの力は弱っているとはいえ僕の力で抑え込めるはずもなく、ただ悪戯にあがくだけ。


「ボーマン! じっとしてっ。 駄目だよ、暴れたら手が裂けちゃう!!」
「あがぁぁぁぁ」
「ボーマン! ボーマン!! その剣どけろよっ! ボーマンが痛がってるじゃないか! ボーマン、動くなって!」
「くはははははっ」


 男は僕とボーマンを見下しながら狂ったように高笑いを続け、レイピアを引いてくれる様子は無い。
 僕は暴れるボーマンを押さえ込むのを諦めて、元凶のレイピアに縋り付いて刀身を引き抜こうと両手で握り締めた。
 上へ引き上げようとするよりも早く、男がレイピアを引き抜く。
 引き抜くついでと言わんばかりに、レイピアは僕の胸から肩口に掛けての服を切り裂いていった。


「っ!」
「いくら刺突用で刃が無いとは言え、スピードに乗せればその程度の服や肉でもある程度は切れるんですよ?」


 僕は破られた服の下からじわりと滲み出る血を感じながら、目の前の男から視線を外さない。
 アニスは今の混乱に乗じてボーマンの足元、僕の背中側に逃げてきている。
 この状況なら僕を無視して二人に危害を加えるってことは出来ないはず。


「なんでこんな酷いことを……」
「酷い事? 国賊に媚びへつらう人間など、今のこの王国には必要ないんですよ。ましてやこんな状況、あなたがしてきたことに比べたら可愛いものだと思うのですがね?」


 男は座っていたテーブルから立ち上がり、レイピアの切っ先で僕の胸の間、心臓の上に狙いを定める。
 刃物を突きつけられるという行為に、僕の身体が恐怖で固くなるのが分かった。
 まるで見えない大きな手で締め付けられているかのよう。


「以前にどんな酷い事をあなたにしたのか、今のボクには分からない。でも、それでもアニスやボーマンは関係ないだろ? このまま開放してあげて欲しい。もし、ボクの願いを聞いてくれるなら、あんたの言う通りなんだってしてみせるから」
「なんでも……ですか。ではお言葉に甘えて、私の主君であったカヌプルト・ドルマン男爵の地位と名誉の回復と、男爵様の失われた命をお返し願えますか?」
「っ! い、命……。そ、それは……」
「ふふふ、無理でしょう? あらぬ罪を着せられ刑死た男爵様を生き返らせることなど。だからこそ、あなたには絶望と後悔と恐怖をとことんまで味わってもらいたいと思っています。後の2人にもご協力をお願いしたいと思っているくらいですから」


 まるで悪魔のような邪悪な笑みを浮かべて僕達3人を見下ろす男。
 だけど、まだこれくらいは想定内。
 日記にもミーシャから聞いた話でも、これくらいに恨んでいる人がいるのは分かっていたこと。
 だから怯まない。


「お願いします。2人をどうか助けてください」
「っ! ひ、姫様!」


 僕は2人を背に、目の前の男の足元に額をつける。
 所謂土下座だ。
 後でアニスが焦っているのが良く分かるけど、今はそんな些細なことにはかまっていられない。
 この男の気分次第で僕達の命の行方が決められてしまうのだから。
 少しでも時間を稼ぐことが僕がしなくちゃいけないこと。
 あと少し。
 あともう少しで、きっとフェイ兄が助けに乗り込んできてくれるはず。
 なぜなら北町の会長さんに頼んでフェイ兄に助けに来て欲しいって手紙を届けに行ってもらったのだ。
 だからフェイ兄が来るそれまでの間に2人を何とか逃がさないと……。
 

「なんだか拍子抜けですね……。まるでそこいらの街娘をいたぶっているような気になってしまいます」


 男は複雑な表情で僕を見下ろしながら、レイピアを鞘に収めた。
 どうやら一つ難関をクリアしたようだ。
 この分だと僕さえこいつのいう通りにしていれば2人は逃がせそう。
 僕はそう確信して、ただじっと男の次の言葉を土下座したまま待つ。
 男は僕の前に片膝を付くと、血の匂いが染み付いたグローブをつけた手で僕の顎を掴み顔を上げさせる。


「たかが地方領主の息子と伯爵家のどうでもよさそうな娘相手に、あなたが首を垂れるなどにわかには信じられませんねぇ。まあ、嘘にしろ本心にしろどっちにしても私にとってやることは変わりませんけど」
「お願いします。2人を開放してください」


 じっと男の細目を見つめて嘆願する。
 この非道な男の情に縋るしかないのが業腹だけど、それでも僕に出来る戦い方はこれくらい。
 だから躊躇わないし、迷わない。


「いいでしょう」
「え?」
「いい、と言ったんです。2人は助けましょう」


 男はそういうと壁際でじっと佇んでいたスヴィータに合図を送った。
 スヴィータはその指示にしぶしぶといった感じで動き出し、アニスの縄をナイフで切り落とす。
 僕は振り返ってアニスにボーマンを介抱するように目でお願いする。
 その意を汲み取ったアニスは、黙ってひとつ頷くとボーマンの元に寄り添って傷の具合を確め始めた。
 

「そこの自称あなたの騎士ですがね、我々に投降した振りをして内部に潜入してそこの侍女を助け出すつもりだったようでしてね。暴れようとしたから、少し遊んであげたんですよ。まあ、もっとも生きて帰ったとしても、二度と剣は持てない体でしょうけどねぇ、ククク」
「きっさまぁっ!」


 カッとなって掴みかかろうとしたところを、逆に抱きしめられて動きを封じられてしまう。
 男の視線が、息が、こんなに気持ち悪いものだとは知らなかった。
 僕は闇雲に男の腕の中から逃げ出そうともがくが、いかんせん非力な僕が敵う相手でもない。


「やはり、間近でみても美しい。男爵様が貴様を求めたのも頷けるな」
「ひっ、姫様から離れて!」


 アニスが男に飛びかかろうとして、逆に後にいたスヴィータに羽交い絞めにされてもがく羽目になっている。
 その間も、男の手はいやらしく僕の身体の上を撫で回していた。


「……んっ! くぅ……っ! ボクをどうにかする前に、早く2人を解放させて欲しい。せめて扉の外にまで、そこまででいいから」
「ふん、いいでしょう。あなたとそこの侍女の2人で運べばいいでしょう?」
「あ、ありがとう!」


 思わず破顔してお礼を述べてしまう辺り、日本人の習性って怖いなって思った。
 ……僕のそれをそのまま全日本人に当てはめて良いかどうかは良く分からないけれども。
 男は僕の謝意に面食らったようで、少し苦笑しながら僕を解放してくれる。
 もしかしたら、ちゃんと誠心誠意話し合えば分かり合えるんじゃないだろうか?
 淡い期待を胸に、僕はアニスと共にボーマンに肩を貸しながら扉を目指す。
 あと10歩、……あと5歩。
 気絶している人を運ぶのがこんなに重労働だとは知らなかった。
 だけどあと少し、もう少しで扉だ。
 その先にはミーシャが、会長さん達が待ってくれている。
 そんな気の緩みが、後の男の動きに気付くタイミングを遅くさせてしまう。
 耳元で突然響く絶叫。
 顔に降りかかる血潮。
 全てがスローモーションで、でも目の前の全ての出来事が僕には理解できなくて、ただ痛みに悲鳴を上げるボーマンを眺めることしか出来ない。


「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「あっ、ちょっ! きゃぁぁっ!!」


 痛みに暴れだしたボーマンに、アニスが弾き飛ばされ僕も振り払われてしまう。
 床に仰向けに倒れこんだボーマンの胸からじわりじわりと流れ出す赤色。
 そして狂ったように僕を見て笑い続ける悪魔のような男。
 スヴィータは、壁際にたって全ての出来事を傍観している。


「ふはははは、そうだ! その顔だ! 私はお前のそんな絶望に染まった顔が見たかったんだっ!」
「ボーマンっ!!」


 僕は慌ててボーマンの身体に覆いかぶさり、傷口を塞ぐように手を押し当てて流れ出てくる血を止めようとする。
 何も聞こえないし、視界にある全ては意味が無い。
 ただボーマンを助けたい。
 身体の芯から放射される熱に浮かされたように、僕はただボーマンの傷をどうにかしなければともがく。
 その直ぐ後に扉が蹴破られてミーシャが乱入してきたことも、僕の首にスヴィータがナイフを当てて誰かを威嚇していることも、まるで別世界の出来事のように感じていた。
 ただ僕は願った。
 ひたすらに願った。
 瞬間、身体の中にくすぶっていた熱が大きくうねって爆発したように感じた。
 その何かの奔流が僕の腕の中を流れ掌に集まり白く光りだす。


「死んじゃ駄目だ! ボーマンっ!」


 その瞬間、光が爆ぜた。



[24455] 53話「一難さって、また一難」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2011/07/15 21:03
 自分の中の何かが、一斉に目の前に横たわっているボーマンへと注ぎ込まれてゆくのが分かる。
 土気色のボーマンの顔にほんのりと赤みが差してきた。
 一体何が起こっているのかよく分からないが、そでれもボーマンの命が繋ぎ止められたということだけは実感できる。
 だって傷口に当てていた手に、さっきまでほとんど感じなかった心臓の鼓動が感じられたし、出血も止まったから。
 ただ、それでも胸の傷が塞がったという訳でもなく、なんとも中途半端な感じが否めない。
 そのあたりが僕の魔法(ちから)の限界なんだろうか。


「と、とりあえず助かった……のかな?」
「それ以上動かないで」


 鋭い制止の声と共に首筋に当る鋭利なナイフ。
 いつの間にやら僕はスヴィータに後ろから抱きつかれて、こんな状況になっていた。
 顔を恐怖で引きつらせながらも、言われた通りに身体を凍りつかせる。
 視線だけで周りを見渡すと、ミーシャが短槍の切っ先をあの男の喉下に突きつけているのが見えた。
 僕が人質にとられているからミーシャは動けない。
 でもスヴィータも迂闊に僕を傷つけると、仲間もろともミーシャに蹂躙されてしまう。
 で、ボーマンを刺したあの男は、喉元に突きつけられた切っ先と壁に挟まれて動くに動けない。
 これは所謂三竦みの状態といわれるものではないだろうか。
 誰一人として動けないこの状況、じりじりと時間だけが過ぎてゆく。


「スヴィータさん、後です!」


 男がスヴィータに向かって叫ぶ。
 スヴィータは彼の言葉に敏感に反応して、僕の身体をホールドしたまま勢い良く振り返った。
 急に身体を振り回されて僕は一瞬目を回しかけたけれども、なんとか気合で持ちこたえた。
 そして見上げた視線の先には、


「わっ! わわわっ! ニーナ、ちょっとタンマぁ!!」
「っ!!」


 僕の目の前、ニーナが太い麺棒を振りかぶって今にも振り下ろしそうな体勢でいた。
 あと少しタイミングがずれていたら、あの麺棒は僕の頭にめり込んでいたのか。
 味方に撲殺される一歩手前の状況に、僕の額から一気に冷や汗が噴出す。


「土壁を背にしなさい。そうすれば背後の心配はいらなくなります」
「それ以上喋らないで貰いましょうか? 思わず手元が狂って槍を突き刺してしまいそうです」
「ミーシャ、あなたこそもうちょっと状況をよく理解したほうが良いわ。姫様の命は、今私の手の中にあるのよ?」
「貴女に姫様を、人を殺めるだけの覚悟があるとも思えません」
「あら、そうかしら。貴女と同じでうっかり手を滑らせてしまうかも、ですわよ?」


 僕の頭を飛び越して交わされる殺伐とした会話。
 しかもその内の2人は僕付のメイドさんである。
 でも正直僕の関心事は殺伐とした会話をする3人ではなく、目の前に横たわっているボーマンだ。
 手が離れてしまったので、さっきまで流し込んでいた気のパワーっぽいのが送れていない。
 このまま成すがままに壁際にまで引き摺られていくと、さらにボーマンとの距離が開いてしまう。
 といってボーマンに近づこうとしたら、首にナイフが刺さってしまうし……。
 ふと見上げると、未だ麺棒を振り上げたまま固まっているニーナ。
 僕はぽんと手を一つ打つと、ニーナにお願いをすることにした。


「ニーナ!  ごめん、ボーマンをさ、僕の目の前まで引き摺ってきてくれないかな? 手の届くところ迄で良いから」
「ちょっと! 貴女自分の置かれている状況理解していらっしゃるの!?」
「あ、えっと、割と理解しているつもりだけど……。でも、ボーマンから手を離しちゃうとなんか不味いぽいから、悪いけどこれだけは譲れないかな」


 ほっぺたを掻き苦笑をしながら、後のスヴィータにそう言い切る。
 そして僕に頼みごとをされたニーナはその場に居合わせた皆を見回してから、恐る恐る麺棒を下ろしてボーマンを引き摺り始めた。
 もちろんその間も男とミーシャの間ではお互いを牽制し合っていたし、僕の後ろにいるスヴィータも凄く緊張しているのが分かる。
 だってスヴィータの手、小刻みだけどぶるぶると震えている。
 人の命を握っているというプレッシャー、多分それが彼女を必要以上に怯えさせているのだろう。
 ニーナの一挙手一投足に過敏に反応しているせいもあるのかもしれない。
 その震える手に何となく僕は自分の手を重ねた。
 

「大丈夫だよ……」
「え?」
「怖がらなくて大丈夫だから」


 スヴィータは、最初僕が何を言っているのか分からなかったみたい。
 だからもう一度、同じ言葉を繰り返した。
 捕らわれている人質が犯人に対して掛ける言葉じゃないような気はするけどね。
 でもなんだろう?
 怯えているスヴィータを肌越しに感じてしまって、逆に安心してしまったのだろうか。
 ああ、スヴィータだって怖いんだって。


「ふ、ふふふ、恐怖のあまり気が狂ったのかしら」
「んー、多分そんな事は無いと思うけど。あ、でも怖いのは怖いけどね」
「だったら素直に怯えていなさいなっ!」
「うん、そうしたいけど今は無理かな。だって、僕には今しなくちゃいけないことがあるから」


 そういって目の前に横たえられたボーマンの手を右手で握る。
 左手はいまだスヴィータの手に重ねられたまま。
 僕はその状態で、もう一度体の中で渦巻いている力を解放させた。


「え!? な、何? 手が……暖かい?」


 僕の両手を伝って流れてゆく僕の力。
 意識しているつもりは無いのに、1対9の割合でボーマンに多くの力が流れているようだ。
 その割りに傷口が劇的に塞がったりしないみたいのが、しょぼーんな感じではあるが。
 でも確実にボーマンの状態は良くなっている、……ように思う。
 苦しそうな顔をしないしちゃんと息もしているから、そこは間違いないはずだ。
 大して後のスヴィータは最初こそ吃驚して警戒いたようだが、時間と共に大人しく僕の力を受け入れてくれている様子。
 どうやら相手が僕の力を拒絶したら、力が流れにくくなる傾向にあるようだ。
 

「……綺麗」
「え? 何かいったスヴィータ?」
「っ! 何も言いませんわっ!!」
「だって今何か――」
「か、髪の毛が光ってて不気味だっていったんですわっ!!」
「ほえ?」


 そういわれて初めて、僕は自分の髪の毛が淡く光っていることに気が付く。
 ああ、力を使っている間は僕はこんな状況になるのか。
 ……蛍みたいだな。


「馴れ合いはそこまでですよ、スヴィータ」


 壁と槍先の間に挟まっている男は、苦々しげに声を荒げる。
 順調だった力の送り込みが一気に停滞し始めた。
 せっかく良い雰囲気になりかけていた僕とスヴィータの間に、また目に見えない壁が出来てしまったみたいだ。
 心の中で鋭く舌打ちをすると、僕は慌ててスヴィータに問いかける。


「スヴィータはさ、なんで僕に死んで欲しいの?」
「っ!!」


 吃驚したからだろうか、閉じられた見えない壁が少しだけ綻んだ。
 少しだけ迷うような素振りがあってから、スヴィータは搾り出すように僕の問いに答える。


「レイチェルの仇ですわ」
「……そっか」
「ええ! 自分の罪をレイチェルに押し着せて死なせたくせに、貴女だけのうのうと生きているなんて、私は許さないっ!」


 怒りが体を支配し始めているのか、ナイフを持つ手がぶるぶると小刻みに震えている。
 でもスヴィータのその怒りが大きいから、僕は少しだけ嬉しくなった。
 あぁ、やっぱり……


「やっぱりスヴィータは優しい娘なんだね。よかった……」
「っ! はぁ? や、やっぱり貴女気が狂い始めて……」
「いやいやいや、それは無いって! スヴィータがここにいる理由っていうか、僕に死んで欲しい理由って、僕のせいで無実のレイチェルさんが死んだからその敵討ちってことでしょ? なら方法は横においておいて、その気持ちの出発点は確かに優しい気持ちからなんだって思えるんだ」
「今更命乞いをしたって私は……」
「違うって。命乞いとかじゃなくて……、上手く言えないけど、なんていうのかな? んー、悪人じゃなくて良かった? ほら、快楽の為に人を陥れるとか、殺すとか、そういう人も世の中にはいるんだよね。そんな人に殺されるのはもう二度と御免だけど……ん? あれ? 今、ボクなにか変なこと言わなかった?」
「徹頭徹尾、おかしな事しか言ってませんが?」


 なんだろう、凄く嫌なイメージが頭の中に沸いてきたんだけど。
 吐き気を催すような陰惨なイメージ。
 でも、それが何だったのか、いくら頭を捻ってみても思い出せない。


「んー、なんかやな事を思い出しかけたんだけど……、まあいいや。でも、スヴィータはそうじゃなくてちゃんと理由があったんだって、ちょっとホッとしたっていうか……」
「なるほど、じゃあレイチェルのため、私の為に死んでくれるのですね?」
 

 ぐいっと言葉と共に突き出されるナイフの切っ先。
 少し喉に食い込んだようで鋭い痛みを感じた。
 あ、やばいっ、と思った瞬間、顔の横を凄い勢いで何かが掠める。
 直後、ぐももったスヴィータの悲鳴が聞こえた。


「い、今です、姫様! 早くこちらへっ!!」
「いいぞ、アニス! よくやった!」


 槍を突き出したままミーシャが惜しみない賞賛をアニスに送る。
 得意満面なアニスは嬉しそうに立ち上がって、手にした即席のスリングショットを構えながらスヴィータを威嚇。
 僕はボーマンの手を掴んで、ニーナと共にアニスの後まで引き摺ってゆく。
 ゴメンよ、ボーマン。
 多分君の背中、擦過傷で酷い事になってそう。


「よ、よくもやってくれたわね、アニスゥ!」
「う、動かないでっ! 今度は痛いだけじゃすまないからっ!」


 額から少量の血を流しながら、スヴィータがナイフを片手にアニスを睨みつける。
 自分に向けられる憎悪に涙目になりつつも、アニスは構えたスリングをこれ見よがしに見せ付けた。
 鉄製のY字型の金具に括り付けられた何重にも折り返されたゴムひも。
 即席感漂う武器ではあったが、それでも威力は実証済み。
 だからスヴィータも動けずにいた。
 ただ誰も指摘しないけど、床の上に脱ぎ捨てられた下着が一枚。
 うん、見なかったことにしよう、主にアニスの名誉の為に。


「あっ! 窓の外に人が!!」


 ニーナのその叫びに、部屋の中にいた全員が一斉に窓の外に目をやった。
 確かに何十人という衛士っぽい人たちが、この家を取り囲んでいるようす。
 どうやらフェイ兄の援軍が間に合ったのだろう。
 僕を始めミーシャやアニスの間に安堵の空気が漂い始め、逆にスヴィータは悔しそうに顔をしかめた。


「遅いよ、フェイ兄! 本当にもうどうなることかと」
「まぁいいじゃありませんか、終わりよければ全てよし、です。」


 家の外にいるであろう陣頭指揮を執っているフェイ兄に文句をつけていたら、ミーシャが笑いながら槍を引く。
 こうなってはどうあがこうとも男やスヴィータに勝ち目は無い。
 それが分かっているのか男の方も感情こそ露にしないが、不貞腐れたように壁に背を預けて佇んだままだ。


「姫様、ボーマンは大丈夫でしょうか?」


 場が収まったということで、途端にニーナが床に横たわるボーマンの心配をする。
 だけど僕自身、僕の力がどの程度のものなのか分かっていないから、安請け合いをするのも躊躇われる。


「う~ん、よく分からないけれど、危ない状態ではなくなったと思うんだけど……」
「ニーナ、心配いりません。ドクター・グェロに任せれば数段パワーアップして帰って来れますよ」
「あー、パワーアップはいりませんので、せめて無事にさえ帰ってきてくれたら……」


 緩んだ空気の中、笑いあいながら外に出ようと玄関の扉を開け放つ。
 真っ先に外に出たアニスに続いて、ニーナと僕と抱えられたボーマン、殿にミーシャが続く。
 引き摺っているボーマンを気にしていたら、ボフンと誰かの背中にぶち当たってしまう。


「んぁ!? あれ、何? どうしたのアニス? 何立ち止まっているの?」
「ひ、姫様……」


 アニスの声が震えている。
 意味が分からず、僕は立ち尽くしているアニスの肩越しに前をみた。


「……え? 何? なんで???」

 
 目の前の光景の意味が分からず、僕はただ立ち尽くすしかなかった。
 家の周囲を取り囲んでいた衛士たちをかき分けて、一人の男が前へ進み出てくる。
 ゆっくりと時間を掛けてやってきた男は、僕を見下ろしながら微笑みかけてきた。


「お久しぶりです、姫殿下。……あぁ、いやこの呼び方は正しくありませんね。今は姫殿下とお呼びするより相応しい呼び名があるのでした。そう、廃棄姫という素敵な呼び名がねぇ、くふっ、くはははははっ!」



[24455] 54話「戻れぬ道と戻らぬ道」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2011/08/23 07:21
 暗闇の中、後ろの衛士たちが持つ松明で照らされるガタイの良い貴族風の人。
 服装こそ地味っぽく見えるが、よく見れば細かなところの仕上がりが凄く丁寧だ。
 こんな上等そうな服装、王宮の中でもあまり見かけたことはない。
 後ろへ綺麗に撫で付けられた髪が松明の灯に照らされて鈍い銅色に輝き、四角く張ったエラと鋭い目がこの人の意志の強さを表わしているようだった。
 どこをどう見ても友好的な雰囲気など微塵も感じられない。
 加えて、僕達を囲んでいる兵隊さんたちから漂う気配もなにかギスギスしている。
 鎧が近衛のものとは違っているので王宮に詰めている衛士さんたちじゃないことも分かった。
 きっと貴族の人の私兵というところだろうか。
 僕はぐるりと周りを見回した後、恐る恐る目の前の男に視線を合わせた。


「あの……フェイ兄様からのお迎えとかじゃ……」
「いえ、残念ながら。これらは私、ファルゴーレ・ルブラント・トスカーナの私兵にございます」
「……兄様は?」
「残念ながら殿下に置かれましては唯今自室にて謹慎中だとお聞きしております」
「謹慎? 何故?」
「さぁ、そこまでは我々の与り知るところでは有りませぬゆえ」


 寒々しい笑みを深めつつ男は一歩僕へと歩み寄る。
 この笑みはあれだね、理由を知っているけど教えてやらないってやつか。
 もうこの短いやり取りだけでこの人が外の人にとって敵なのだと理解した。


「ハイキ姫とか仰っていたようですが……」
「はい。先ほど王宮内で非公式ではありますが、姫殿下の地位の剥奪が仮決定されました」
「……それって、ボクはもうお姫様ではないってこと?」
「左様、貴方を守る権力はもはや消え去りました。貴方に残されたのは莫大な負債と貴族達の恨みでしょうな」
「そ、それじゃ、貴方がここに来た理由って……」
「もはや秘密裏に貴方を処理する必要もなくなった今、貴方の死体を確認しに寄っただけなのですが……」


 そういってトスカーナと名乗った男が、僕の淡く光っている髪に手を伸ばし一房掬い取る。
 彼の嬉しそうな表情を見て、寒気が背筋を走り足の力が抜けそうになる。


「まさか魔導の力に目覚めていようとは……。このような小娘相手に貴族ともあろうものが何を盛っているのかと思っていたのだが、こうなってみれば彼奴らには先見の明があったと言えるのか。まぁ、もっとも返り討ちにあっている時点で度し難いほどの間抜けではあるのだがな」


 あぁ、なるほど。
 外の人が寄ってくる貴族達を毛嫌いしていたのはそれでなのか。
 なんとなく予想は出来ていたけれど、9歳や10歳から性的対象と見られて迫られれば人間不信にもなるよね。
 ましてや力になってくれる人なんて誰もいなかったんだろう。
 そして目の前のこの男も外の人にとって、いや、今の僕にとっても心を許していい存在ではない。


「あの、ここにいる私の侍女やこの怪我人は……」
「私には必要のない人間かと」
「ど、どうするつもり?」
「脱獄囚に死掛けの小僧、それに、あぁ、後ろの家の住人が殺されていたのでしたかな。運よく犯人2人も捕まえられて、ほっとしますなぁ」
「横暴だっ! アニスは脱獄囚なんかじゃないし、ミーシャやニーナが誰を殺したって――」
「なに、証人ならここに掃いて捨てるほどいますからな。いまさら貴女の言葉に誰が耳を貸すのでしょうか」


 後ろに控えていた騎士達がトスカーナの合図で数名動き出す。
 手には荒縄を携えているのが見えた。
 まずい。非常にまずい。
 トスカーナはここにいる僕以外の人間をきっと殺す気だ。
 どうしたら皆を逃がせるか。
 慌てて周囲を見回すも周囲は完全に包囲されていて猫一匹逃げ出せそうにない。
 藁にも縋る思いでミーシャ達を振り返る。
 青い顔で抱き合うニーナとアニス、そして二人を庇うように槍を構えて立ち塞がっているミーシャ。
 いつもなら頼もしいと感じる姿だけど、青ざめている彼女達の顔を見て状況の圧倒的不利を悟る。


「待って! お願いします! 皆に酷いことしないでっ」
「そうは言われても邪魔なものは邪魔ですらかなぁ……」
「何でもします! 何でも言う事を聞きますから! だからこの4人には酷い事をしないでくださいっ」


 僕は恥も外聞も捨ててトスカーの足元に土下座をして頼み込む。
 土下座という行為が相手に分かるかどうかなんてこれっぽっちも考える余裕なんてない。
 ただ今僕に出来ることって彼の慈悲に縋るしかないのだ。


「……ほぅ、なんでも? どんな理不尽な命令にも従えると?」
「この4人の安全を約束してもらえるのであれば、ボクに出来ることならっ!!」


 額を地面に擦りつけながら必死になって命乞いをする。
 息を呑む音、鼻で笑う音、唾を吐き出す音。
 色んな音が一度に聞こえてくる。
 地面にうずくまった僕の小さな体に突き刺さる侮蔑の視線、哀れみ、憎悪。
 嬲り殺される恐怖、あるいは女なのだからレイプもありえるかもしれない。
 なんでもするといったから当然そんな最悪な未来も頭の中を過ぎる。
 惨めだ、嫌だと思うけど、ミーシャ達の命が守れるのなら安いものだ。
 外の人には悪いけど、綺麗な体では返せないかもだけど、そこは許して欲しい。


「目をっ!!」


 突然鋭い声が掛けられたかと思うと、爆音と共に一瞬にして周囲が真昼のように明るく照らされた。
 僕自身は土下座していたので直視することはなかったけど、まるで映画で見たスタングレネードみたい。
 光を直視してしまったのか騎士達の悲鳴や怒号が飛び交う。
 そんな中荒々しく誰かに踏みつけられたかと思うと、すぐにその圧力が悲鳴と共に消えてなくなる。


「立て、逃げるぞ」


 むりやり引き上げられた視線の先にいたのは、僕が納屋で見つけたあの緑の髪のビスクドールだった。
 何故人形が動いているのとか、どうして人形が助けにきているのかとか。
 僕の脳みそが事態に追いつけず呆然としていたら、ミーシャの叫び声が聞こえた。


「姫様っ! 早く! 今のうちにっ」


 その声に振り返ってみると東洋系の顔をした女の子にお姫さま抱っこされたニーナと、ミーシャに抱えあげられたアニスが見えた。
 次の瞬間、黒い方の少女が人ではありえない跳躍力を見せて屋根の上へと消えてゆく。


「早くしろ、このウスノロッ!」
「ちょ、ちょっと待って、ボーマンもっ!!」
「二人は無理だ。貴様だけだ!!」
「ならボーマンを先に――」


 そういって地面に横たわるボーマンを振り返ろうとして、誰かが僕に凄い勢いでぶつかって来た。


「逃がさんっ!!」
「ふぐぅっ!」


 横から突き飛ばされるようなタックルを受けて僕は地面に押し倒される。
 一瞬意識も一緒に刈り取られそうになったけど、気合でそれをなんとか耐えた。


「お、お願い! ボーマンを!!」
「その賊を捕まえろっ」
「姫以外は殺しても構わんっ! 逃がすなっ!!」


 僕の叫び声は視力を取り戻した騎士達のがなり声によってかき消される。
 緑の髪のビスクドールは一瞬迷う素振りを見せた。
 その躊躇いが、僕たちの救出のチャンスを不意にしてしまった。
 ボーマンの前に立ち塞がる2人の騎士に、緑の彼女に剣で切りつける騎士。
 その攻撃を紙一重でかわしながらも、僕を助けようと抗う彼女。


「逃げて! ボクはいいから! ミーシャを、皆をよろしくお願いします!!」
「このお人よしがっ!!」


 苦々しげにそう吐き捨てると、緑の髪の人形さんは糸で吊り上げられるかのように闇夜の空へと消えていく。
 僕は消えてゆく人形さんを見ながら内心ほっと息をつく。
 誰も逃げられない状況からミーシャたち3人は逃げられた。
 どこの誰の指示かは分からないけれど心の底から感謝したい。
 

「追え、逃がすな!」
「蛮行姫の周りを固めろ! 新手が近くに潜んでいるかもしれん」


 周りにいた騎士達が泡を食ったように動き出す。
 そんな中、僕を取り押さえていた男が身を起こし、僕の手を掴んで引きずり上げて無理やり立たせた。
 目の前の男は屋敷の中にいたあの狐顔の男。
 どうやら屋敷の中にいたから閃光弾に目をやられなかったのだろう。
 余計なことに気を取られていたからか、気が抜けたからか、僕は引き上げられた勢いに負けてよろけてしまう。
 倒れそうになったところを狐顔の男に抱きとめられた。
 無意識に男の腰に回した手に何やら無骨で固そうなものに当たる。
 どうやら腰に挿していた短剣かナイフといったところか。
 冷たい金属の感触に、僕はハッとしてその柄を握って引き抜いた。


「しまっ――」


 ナイフを奪われたことにすぐに気づいた狐顔の男は、慌てて僕を突き飛ばすと安全な距離をとった。
 彼を刺す心算じゃなかったので、突き放されたのは僥倖だ。


「近づかないで!」


 僕は自分自身の喉にナイフを当てて周囲の騎士達を牽制する。
 明確な勝算があったわけではない。
 ただ何でもするといったときのトスカーナの反応から、もしかしたらと思っただけである。
 が、効果はてきめんだった。
 騎士達はもどかしげに僕を睨み付けるだけで、手を出そうとか切り付けてこようとかしなかった。
 僕はゆっくりと慎重にボーマンへとにじり寄り、彼の安全も一緒に確保する。
 そんな中トスカーナは笑みを浮かべながら言い切った。


「刺せるなら刺してみるといい。そうなれば足元の男も一緒に死ぬだけだ」
「……取引……しようよ」


 緊張のあまり立っているのが辛くなってボーマンの横にへたり込むも、手にしたナイフは自分の首に当てたまま。
 多分トスカーナは僕に何らかの価値を見出している。
 なんでもしますと僕が言った時のあの勝ち誇った顔や、さっきの混乱の中での指示を聞いてそれは確信出来た。
 一か八かの賭けだけどボーマンの安全を確保するためには避けては通れないディール。


「守ってもらいたいことは2つ。ボーマンの身の安全と彼の傷が治るまでボクの傍から離さない。これを守ってくれるなら、ボクはあなたに従います」
「ふむ。抗う子猫を組み敷くのも一興かと思っていたが、まぁ手間がかからぬというのであればそれもいいだろう」


 鷹揚に頷くとトスカーナは満足げな笑みを浮かべて僕に背を向けた。
 周りにいた騎士達が僕の手にあったナイフを取り上げると、僕とボーマンを鉄格子がついた馬車へと押し込む。
 とりあえず今はトスカーナの言うとおりに振舞って、いつか逃げ出すチャンスを待つしかない。
 運がよければさっきの凄い人形さんが助けに来てくれるかもしれないし。
 ガタガタと揺れる馬車の中、不安と恐怖に押し潰されそうな僕はそっとボーマンの頭を抱きしめた。






「不手際、申し訳ありませんでした、侯爵様」
「構わぬ。むしろあの小娘を殺さずにいてくれたことに感謝しておるくらいだ」

 走り去ってゆく馬車を見つめながら、トスカーナは名無しの謝罪を軽く受け流す。
 本当を言えばスワジク姫には死んでもらう予定であったのだ。
 此処へ来たのも緊急登城ついでに姫の死を確認しに寄ったまでだったのだがタイミングがよかった。
 あと少し遅かったら、夜間の緊急招集がなかったら、きっと今頃蛮行姫には逃げられていたに違いない。
 が、それもたらればの話。
 全てはトスカーナの意図する方向へと転がり始めているのだ。


「帝国の影響力が弱まりヴォルフ家の内政干渉ももはやあるまい。未だ国力は十分とはいえぬが、あの魔道の力を我が血筋に入れることが出来れば……わが国からも魔導師を生み出せれば……ラムザスや帝国など恐れる必要などなくなる」


 トスカーナ専用の馬車が滑り込んできて目の前で静かに止まる。
 御者が降り、すばやく扉を開けてステップを引き出した。


「名無し。貴様もいつまでも名無しでは格好もつくまい。近いうちに貴様の主家の名誉は挽回させて置こう。これからも変わらぬ忠誠を私に尽くせ。それとスヴィータ、お前にはこの件に関して関わるように言ったわけではないはずだが……」
「あ……も、申し訳ございません」


 冷ややかなトスカーナの視線に貫かれて顔を青くするスヴィータ。
 怯え恐縮するスヴィータをみてトスカーナは苦い笑みを浮かべた。


「いや、構わぬ。お前の気持ちは理解した。だがこのような汚れ仕事には今後直接首を突っ込むな。お前は淑女たればそれでいい」
「は、はい」


 言いたいことは言い切ったとばかりに馬車の中へ向かうトスカーナの背中に名無しが慌てて声をかける。


「侯爵様。あの娘はいかがいたしましょう?」
「ん? あの娘?」
「はい。蛮行姫の侍女だったラムザス女です」
「ああ、あれか。もう要らん。始末しておけ」
「はっ、仰せのままに」


 トスカーナは今度こそ馬車の中に消え扉が閉められる。
 名無しとスヴィータ、それに数名の騎士達の見送る中、彼が乗った馬車は闇夜の中へと消えて行く。
 その様を屋根の上から苦々しげに見送る姿が二つ。
 彼らはトスカーナやスワジクが乗せられた馬車が見えなくなり、眼下の私兵達が姿を消してようやく立ち上がった。


「スワジク……」
「殿下、いかがなさるおつもりで?」
「……あの娘を見捨てるわけにはいかないだろう? あの娘は本当のスワジクじゃないんだ。こんな目に遭わせていいはずはない」
「ですが侯爵家に匿われた以上、我々に手出しはできません」
「我々とばれなければいいのだろう?」
「はぁ……国王を殴るわ、こんな夜中に夜盗の真似事をされたり侯爵家に喧嘩を売りに行こうとか……正気ですか?」


 銀色の髪を夜風に靡かせるフェイタールは、横でぼやくレオを意図的に無視して地上に飛び降りる。
 そして屋根の上で呆れ顔のレオを見上げ、なんでもないことのようにフェイタールは言い切った。


「どうやら私は義妹のことがどうにも心配らしい。一国の王子とかではなくあの娘の兄として、私は彼女を助けに行かねばならない。レオ、お前はルナの方を頼む」
「はぁ……、分かりました。でも無茶は厳禁ですからね! 顔ばれも駄目ですから!!」
「分かっている」


 それだけ言い残してフェイタールも闇夜の中へと消えていく。
 一人取り残されたレオは夜空を仰ぎ一人ぼやく。


「はぁぁぁ……、残業手当つくんでしょうかね?」





[24455] 55話「真実の欠片」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2011/09/28 21:11
「う~ん……、どうしよう」


 質素な造りの部屋の中、僕は固いベッドの上に胡座をかいて唸っていた。
 なんか凄い勢いで状況が変わっていくものだから、実際問題自分がどう動けばいいのか分からなくなってしまっている。
 じゃあ以前はちゃんと分かっていたのかと問われると、あんまり理解していませんとしか言いようがないんだけど……。
 いや、周囲の人達から嫌われているのも分かってたから、刺客とかそんなのは割りと覚悟してたんだよ?
 でも実際街に出て見たらそれほど外の人って嫌われている感じしなかったなぁ。
 むしろお城に居る人達の方が嫌われ度は高かったよ。
 ま、日常の接点がない人たちといつも顔を合わせる人たちでは反応が違って当然なんだけど。


「しかし、いきなりの超展開。どこでエロゲフラグでも立ててしまったのか?」


 自分の身長の2倍の高さはあろうかという窓から入ってくる月の光を眺めながら大きなため息をついてしまう。
 兎に角、今はボーマンの傷を直すのが最優先。
 それ以外のことは命に関わること意外は無視。
 とりあえずその方向で善処するしかないと腹をくくる僕。


「実際凄いよね魔法って。ボーマンの傷、もう殆ど塞がってる……」


 治癒の進み具合を見るために胸元を大きく肌蹴させて横たわるボーマン。
 その厚い胸板にある傷口の跡を人差し指でなぞってみる。
 まだちゃんと肉が盛り上がりきっていないので妙にでこぼこした感触に、ちょっとだけ寒気を覚えて背中を震わせる。


「傷は塞がったけど、まだ顔色は青いままかぁ。血が足りないのかな。魔法で造血もしてくれているのかなぁ? うぅむ、よくわかんないや」

 僕の膝の上ですぅすぅと安らかな寝息を立てるボーマン。
 胸を剣で貫かれたときはホントどうなるかと思ったけど、この状況なら明日には目を覚ますかもしれない。
 僕はボーマンの髪を優しく撫でつけながら、昔聞いた覚えのある子守唄を歌っていた。
 ボーマンの受けた痛みが少しでも和らぎますようにと祈りをこめて。





 さっきの住宅からかなり離れた森の中にある猟師小屋。
 私とミーシャちゃんとニーナちゃん、それに私達を助けてくれた2体のお人形さん達がその狭い小屋の中に居た。
 ようやく落ち着いた私達を横目に、緑の髪のお人形さんがミーシャちゃんに問いかける。


「で、どうするんだ?」
「分かりきった事。姫様を奪い返しに行きます!」


 鼻息荒く槍を片手に今にも飛び出しそうになるミーシャちゃんを捕まえながら、私は緑の髪のお人形さんを盗み見る。
 お人形さんが動いていること自体びっくりなんですけど、それよりもあの物腰、どこかで見た記憶があるんです。
 どこで見たのかまでは思い出せないんですけれども。


「一人で侯爵家へ殴りこみか? そんな事をすればあっというまに捕まって殺されるのがオチだな」
「このままでは姫様はきっと酷い目に遭わされてしまうんです」
「だから、一人で行っては無駄死にだと言っているのがわからんか?」
「しかし姫様っ!」
「え? お人形さんが姫様?」


 ミーシャちゃんのその言葉に?マークを浮かべる私。
 どこかの国のお姫様なのかな、このお人形さん。


「私はもう姫などではないと何度も言ったであろう? 私はただの自動人形。死んだスワジク姫の記憶を写したただの器だ」


 お人形さんのその言葉にさらに?マークが増えてしまう。
 え? 姫様が死んだ? いつ? っていうか、今姫様は浚われたばかりだし今から助けに行こうっていってたばかりだし。


「……それは、そうなのかもしれませんが。いや、今はそんな事を議論している場合ではなく一刻も早く姫様を助けに!」
「ってミーシャちゃん! 言ってる意味わかんない! なんで姫様が死んだって話になってるの? 目の前のお人形さんが姫様の記憶を持っているってどういうこと!?」
「あっ、そういえば居たんだったな、アニス……」


 凄い勢いでうろたえるミーシャちゃん。
 こんなミーシャちゃんを見るのは初めてで凄い新鮮だけど、今はそれどころじゃない。
 私は両手でミーシャちゃんの顔を掴んで無理やり視線を合わさせた。


「どういうことか説明してっ!」
「あ、その……いや……」


 焦っているのがありありと分かる表情で、ミーシャちゃんは何か言い訳を探している。
 むぎゅーってミーシャちゃんのほっぺたを力いっぱい握ると、涙目になりつつ弱々しく抵抗する。


「駄目だよ、変な言い訳しようとしても。ちゃんとミーシャちゃんが本当のこと言うまでこの手は離さないからねっ!」
「それについてはワシから説明しよう」
「ふぇ!? ど、ドクターグェロ!? どうしてこんな所に?」


 小屋の扉の前に佇む小柄な老人にその場に居た皆が驚いた、と思う。
 もしかしたら私とニーナちゃんだけかもしれないけど。


「そこに居る2体の魔導人形はワシが作ったものじゃ。とある人物の魂の緊急避難的な措置として……の」
「魂の緊急避難?」
「そうじゃ。人の魂とは死んでから幾ばくかの時間はその時空間に留まるんじゃよ。それを魔石に移して仮の体を与え保存する」


 ドクターは喋りながら小屋の中に入ってきて、黒髪のお人形さんの傍へと歩み寄る。
 黒髪のお人形さんはドクターに椅子代わりに樽を用意した。
 ドクターはそこに腰をかけてさらに話を続ける。

「本来この手法は大掛かりな手術をする際に魂を傷つけないようにと考案された手法。だがこの娘についてはあまりに突発的な事態であったため体を保護することも、完全な魂の情報を保存するにも失敗したんじゃよ」
「え? ……あの……おっしゃっている意味がよく分からないんですが」
「アニス、もう気付いているんだろう? あの黒髪の人形が誰かに似ているってことを」
「あ……でも、そんな……まさか……レイ……チェル?」


 恐る恐る声に出したその名前を聞いて、黒髪のお人形さんは悲しそうに微笑みながら頷く。


「お久しぶりね、アニス。相変わらずで安心したわ」
「レイ……チェル?」
「正しくはレイチェルだったもの、なんだけれども」
「レイチェルっ!!」


 いろんな感情が私の中で一気に爆発した。
 気が付いたら私は彼女に縋って大泣きをしていたけれど、レイチェルはそんな私の髪を優しく撫でてくれる。


「レイチェル! レイチェル! レイチェル!」
「本当に泣き虫さんなんだから……」


 私が落ち着くまでの間、ドクターは何も喋らずにじっと待っていてくれた。
 それに気が付いて私はバツの悪い思いをしながら姿勢を正す。
 話はまだ終わっていないのだ。


「同じ手法で、ワシはもう一人の娘の魂を拾い上げることに成功した。今度も突発的な事態ではあったが準備をしていたお陰で何とか上手く処置が出来た」
「その結果が私というわけじゃ。あの城壁から落ちて溺れて助かるわけなどない」
「まぁ、その通りではあった訳だが。魂を保存さえ出来れば、後は体を修復さえすれば元に戻せる……筈だったんじゃがの」
「そこでイレギュラーが起こったというわけですね?」


 ミーシャちゃんの問いかけに苦々しく頷くドクターグェロ。
 緑の髪のお人形さん、えと本当のスワジク姫、は苦笑いをしながらその場で話に聞き入っている。
 あぁ、そう言えばあの腕の組み方とか重心の取り方とか姫様っぽい。


「そうじゃ。桟橋で引き上げられた姫様の遺体に救命処置をするセンドリック殿を横目に、ワシは姫様の魂をまず魔石に集めた。その次にその体を治療すべく近寄った所、あろう事か雑霊が姫様の体に入り込んでしまったのじゃ」
「雑霊……ですか。今の姫様は……」
「そう雑霊。本来であれば早々に弾き飛ばすべきものだったのじゃが……いかんせん魂と体の融合率が高すぎた。上に本来の持ち主は体に帰りたがっておらぬしな」
「それっていわゆる憑かれたっていう状態ですよね?」


 ニーナが分からない成りに話に加わってきた。
 何やら凄い興味津々といった顔で。
 ドクターは彼女の発言に静かに首肯して話を続ける。


「そうじゃ。だが本来雑霊とはその土地で死んだ位階の低い動物達の霊のことなんじゃ。だから理性的な受け答えや思考能力など持ち合わせてはおらぬ……筈じゃった」
「だけど、当の姫様は異世界から来たと私にはおっしゃっておりました」
「その上魔法適正の無かった本来の姫様とは違い、なぜか魔法の力にまで目覚めてしまった」


 眉をしかめながら腕組をするドクターグェロ。
 そんなドクターの横でスワジク姫様が苦笑しながら呟いた。


「性格も私よりは優しいし、人への配慮も出来る。何より他人の庇護欲を引き出すあの娘なら私以上に良いスワジク姫を演じられるであろう。いや、本来はあのような姫を皆望んでいたのであろうな」
「私は昔のままの姫様のほうが好きですけれども」
「……あまり面と向かって言うな。恥ずかしいではないか、レイチェル」
「フェイタール殿下もきっと私と同意見だと思うのですが……」
「それはもういい。私は死んでしまったのだよ、レイチェル。生きている人間の人生にこれ以上関わるつもりはない」
「まぁ、本物のスワジク姫の発言はともかく、いま捕らわれている雑霊が入ったスワジク姫の本体なのじゃが……、お主たちが危険を犯してまで救いに行く必要があるのか? あれは今説明した通りただの雑霊じゃ。本来ならそのまま天に召されておるべき哀れな魂。ならば無理をして助けに行く価値等ないのでは?」


 氷のような表情でドクターグェロはその場に居合わせた私達を見回す。
 いわゆるあの姫様はリビングデッド。
 生きているけど死んでいる、あるいは生きていてはいけない存在。


「今の姫様の魂の出自がどうであれ、私はあの姫様を助けに行きます。それが私とあの姫様との約束ですから」
「あの……私も一緒に行きたい……です。ボーマンが捕まったままだし……それに私多分あのお姫様のこと、好きなんだと思います。だから……」
「アニス、あなたはどうするの?」
「レイチェル……」
「怖がりのあなただもの。ここでじっとしていても誰もあなたを責めたりしないわ」
「……うん、そうかもしれない。むしろ邪魔する分、ここで皆を待っていたほうがいいのかもしれない……」


 私はレイチェルから身を離すとゆっくりと立ち上がる。
 その場に居合わせる皆の視線が私に集まるのが分かった。
 怖い。暴力が怖い。争いが怖い。
 出来ることならここでじっとしていたい。
 でも、それでは駄目なんだと思う。


「私、思うんです。もし過去に戻れるなら、もっとちゃんと姫様と向き合って居ればよかったって。そうしたら、レイチェルや他の皆が笑っていられたのかもって……」
「気にすることなど無い。私も大人気なかったのだ。いろんな人を不幸にした。それは償って償いきれるものではない。だから私は死ぬべきなのだよ」
「だから私に殺されたと、あなたはそう言うの? スワジク・ヴォルフ・ゴーディン?」


 がたんという音を立てて戸が開け放たれたそこには、顔を真っ赤な血で染めた黒髪の少女が立っていた。
 レイチェルの妹、ルナ・ホランが血まみれのレイピアを片手に嗤っていたのです。



[24455] 56話「この手に掴むものは?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2011/10/12 00:04
「ルナ……」


 レイチェルが緑の髪をした姫様を庇うように一歩前へ出る。
 うつろな瞳のままのルナは鮮血を滴らせたレイピアをゆっくりと構えた。


「あなたが本当のスワジク姫だというのなら……答えられるのでしょう?」
「……そうだ、ルナ。お前の悲しみが私の死と引き換えに癒されるのなら、お前こそが私を殺すべき人間だと思ったのだ」
「そう……そうね、貴女の言うとおり。姉さんを私から奪ったあなたは死んで当然なの。殺したらきっと何かが変わると思ったのに……」


 ルナが一歩前に出る。
 それに合わせるかのように姫様がレイチェルを押しのけて前に出た。
 私はどっちを止めるべきかと悩んで、おろおろと二人の横顔を見比べるしか出来ない。
 それでもどっちにも傷ついて欲しくなくて、私は震える足を引きずるように二人の間に飛び込もうとした。
 が、それはいつの間にか私の横に来ていたミーシャちゃんによって止められる。


「駄目だよ、アニス。ここは私達が踏み込んでいい場面じゃない」
「ミーシャちゃん、でもっ」
「いらぬ世話だ、アニス。これはルナと私の問題じゃ。口出し無用、手出し無用」


 そういってもう一歩前にでる姫様。
 喉元には既に血濡れのレイピアが突きつけられている。


「また私に殺されてくれるのですか? 姫様」
「お主がそう望むのであれば壊されても良い。だがそれで何も変わらなかったのであろう?」
「まさか今更私にお説教か何かですか? 復讐は良くないとか、殺しても何も変わらないとか?」
「いや……私がお主に言えることなど何一つありはしない。ましてや人形と成り果てた物に何かを言う事など許されまい……」
「だったら何で私の前に現れたの!? 私の目の届かないどこかへ消えてくれていればよかったのに!!」


 怒鳴ると同時に姫様に踊りかかるルナ。
 その場にいた誰もが凍りついたように彼女の行動を見つめるだけ。
 私自身姫様を助けに行こうと思ったのだけれど、ルナの張り裂けるような怒号に立ちすくむ。


「私は貴女を殺してっ! あの女を貴族に差し出してっ! 私を殺しに来た奴らを返り討ちにしてっ!」
「ガハッ……グッ……ゴッ」


 静かな空間に響き渡る骨を打つ音。
 姫様の顔が赤く血に染まってゆく。


「どうしてっ! 私が何をしたっていうの! 全て貴女のせいでっ! 姉さんをっ! 私の幸せを返せっ!!」


 泣き叫びながら姫様の記憶を持った人形を殴り続けるルナに、私達はかける言葉も無くただ成り行きを見守るしかない。
 ただその中で一人だけ、その氷のような空気の中動けるものが居た。


「もうその位にしておきなさい、ルナ」
「!?」


 レイチェルの声に我を取り戻したのか、ルナが驚いた顔をして頭を上げる。
 馬乗りになって振り上げていたルナの拳を、そっと両手で包み込みレイチェルは続けた。


「こんなになって……痛いでしょうに」
「あ……あ……。さ、触らないで……姉さんのような顔をして、私に触れないで……」
「ルナ……」


 怯えるように後ずさるルナを悲しげな瞳で見つめながら、レイチェルはポケットからハンカチを取り出す。
 まるで怯える小動物を手懐けるように、ゆっくりとルナの手を取る。
 今度はされるがままになるルナ。


「アニス、姫様をお願い」
「は、はいっ! 畏まりましたっ」


 まるで昔を彷彿とさせるレイチェルの声色に思わず仕事口調で返事をしてしまう。
 けれどその場に居た誰も私の事など気にもせず、二人の成り行きをじっと見守っている。
 内心、ほっとしつつ床に伸びている姫様を抱き起こす。


「だ、大丈夫ですか?」
「……頼む、少し物陰に連れて行ってくれ……」


 案外しっかりとした姫様の返答に驚きつつ、ルナから死角になる場所へと姫様を運ぶ。
 ミーシャちゃんが手伝ってくれたから出来たことだけどね。


「アニス、何か拭くものを」
「あ、はい、どうぞ」
「すまんな」


 ポケットから出したハンカチで無造作に顔を拭き上げる姫様。
 その顔を見て私は唖然とするしかない。


「ひ、姫様……その顔って……」
「ん? あぁ、元が人形だからな。あれくらいでは壊れるようには出来ておらん。ルナが一方的に怪我をしただけじゃ」
「……」


 もう何を言っていいのか分からずに私はこめかみを押さえつつ後ろの2人を振り返った。
 大人しくレイチェルの手当てを受けているルナを見ると、少し興奮状態が落ち着いた様子。
 これで落ち着いて話し合いが出来ればいいんだけれど……でも話し合ったところで解決するのかなとも思う。


「……どうして? 貴女は姉さんの魂を持った人形なんでしょう? どうして姫様と一緒にいられるの?」
「そうね。話せば長くなるから今は詳しくは言わないけど、私が刑に服したのは仕方が無かったの」
「仕方が無かった?」
「そう。姫様と何度も何度も話し合って、でも他に抜け道が見いだせなくて、ね」
「どう言う事?」


 自嘲気味にため息をつきながら、レイチェルは昔語りを続ける。
 ルナはそんなレイチェルを血の気を失った顔で見つめる。
 私は、私も多分今のルナと同じ様な顔をしているに違いない。


「名前は忘れてしまったのだけれど、どこかの男爵が姫様に邪な想いをもって近づいてきていたの」
「確かドヌマンだかドルマンだったか、そんな名ではなかったか?」
「いやらしい小柄な男だったのは覚えているのですが……」


 物陰からレイチェルの話に言葉を添える姫様。
 二人のおぼろげな記憶は、ルナの一言で焦点を結ぶ。


「……カヌプルト・ドルマン男爵」
「おお、そうじゃ、その名じゃな」
「スワジク姫が襲われたと訴え不敬罪で打ち首になった貴族です。未成熟な少女に性的な興奮を覚える変態というレッテルを貼られたとか」
「あやつはな、ヴォルフ家の後盾と私の身体が欲しかったのじゃ」
「最初の頃は侍女の私でもなんとか撃退できる程度のアプローチだったんだけれども、靡かないと分かるや色々と政治的な手を使ってきて大変だったの」
「そこで目を付けられたのが、フェイ兄様なんじゃ……」


 忌々しげに言葉を吐き捨てる姫様。
 レイチェルの表情も姫様と同じような悔しそうな顔だ。
 まるで自分達が被害者であるかのような、大きな力に抗えず歯噛みするようなそんな顔。
 今まで私達がスワジク姫の乱行に接するたびにしてきた顔とそっくりで……。

 
「レイチェルとフェイ兄様が肉体関係を持っている、そうまことしやかに噂を流し始めたんじゃ」
「それは姫様を嫌う宮廷女中達には格好の噂話でね、私はその渦中の人となってしまったの」
「その時あの男爵は私に噂を消して欲しければ膝を屈しろと迫ってきた。あの当時フェイ兄様に縁談の話もあったから尚のこと、そういったスキャンダルはフェイ兄様にとって致命的な瑕疵になる」
「あの男爵は姫様がフェイタール殿下に恋心を持っていることも把握していて、姫様のその弱みに付け込んできたのよ」


 ミーシャちゃんもニーナも、もちろん私も開いた口が塞がらない。
 それでは被害者は姫様になっちゃう。
 ルナもそう思ったのか焦った口調で姫様に問いかける。


「だったら王様でも誰でも話をして助けを請えば良かったじゃない! 何も姉さんを犠牲にしなくても、他に色々方法はあったんじゃないの!?」
「……お主の言うとおりだと思う。今をして思えば誰かに助けてと声を上げれば良かったのじゃろうな……」
「でもね、ルナ。あの当時誰が姫様の声をちゃんと聴いてくれたと思う? あの王宮で一人ぼっちの姫様に味方なんて私以外居ないじゃない?」
「でも、だからってなんで姉さんが死ななくちゃならないの?」
「そうね……死ぬ必要は無かったのかもしれない。でもその時はその方法しか思い至らなかったの」
「そんなの……それじゃあ……私が今までしてきた事って……姫様を恨んできたことって……」


 聞かされた事実に愕然となるルナに、物陰から姫様が言葉を書ける。
 その声色は今まで聞いたどの姫様の言葉より優しく暖かく、そして悲しく聞こえた。


「私を殺していいのは後にも先にもお主だけじゃ。レイチェルを死に追いやったスワジク・ヴォルフ・ゴーディンは、正しくお主の仇敵なのだから」






 床から寒さが上がってくる部屋の中、僕はともすれば冷たくなるボーマンの身体に身を重ねながら一生懸命治療を続ける。
 時折まぶたの向うの眼球が激しく動いているのを見て、きっと夢をみているに違いないと思う。
 傷口は塞がり以前よりも顔色も良くなっているし、もうすぐ目を覚ますに違いない。


「一時はどうなることかと思ったけれど、なんとか無事に回復しそうでよかった。ま、本当に目を覚ますまで分からないけどね」


 僕はそういいつつボーマンの腕を枕に天井を見上げる。
 そうすると目を覚ましてからの日々が頭の中を駆け巡った。
 はは、まるで走馬灯みたいだな。
 ミーシャと初めて出会ってキスされそうになって、ベランダでアニスを驚かせて……。
 最初はほんと何をどう考えていいのか分からずに途方にくれてたっけ。
 で、なんだかんだで外の人の日記を手に入れて……その書かれている内容にびっくりしたんだっけ。
 書いてあることの殆どが恨み辛みで、この世を悲しんで呪って、それで死を選んだんだって書いてあって。


「そんな事はないって証明してあげたかったんだけどなぁ……。きっと人はそんなに悪い人ばかりじゃないって……」


 フェイ兄や政務館の人たち、ミーシャやアニス、ニーナに街の人たち。
 こっちがちゃんと気持ちを込めて接したら、きちんと正しく気持ちを返してくれた人たちだ。
 でもそんな人ばかりじゃないってのも思い知らされた。
 王様やあの名無しって呼ばれていた人、宮廷の大半の人たちはきっと外の人を心底嫌っている。
 それは部外者である僕がどうにかできるレベルじゃないのかもしれない。


「で、結局がこの座敷牢かぁ。悔しいけどボクが甘かったんだろうなぁ……」


 僕は手を月明かりに翳す。
 この白く美しい手に掴めるものは本当に何もないのか?
 そんな自分勝手な僕の想いで、これ以上ミーシャやボーマンのような人を作っちゃいけない。
 周りが敵だらけで、味方が居ても多大な迷惑を掛けるだけ。


「死ぬか従属か……。こんなの子供が一人で抱えていい問題じゃないよね……。なのになんでどうにも出来ないんだろ?」


 溢れ出しそうになる涙を堪えながら、僕はじっと月明かりを反射する自分の手を睨む。
 程なくして部屋の鍵ががちゃりと不気味な音を立てた。
 軋む蝶番の音をBGMに、その男は部屋に入ってくる。
 トスカーナ侯爵。ゴーディン王家において、王家に次ぐ実力を持つ大貴族。
 そして今、僕とボーマンの命の鍵を握る男だ。


「そろそろ私の子を生む覚悟は決まったか、小娘?」



[24455] 57話「騎士の誓い」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2011/11/06 12:49
 扉の前に立つのはトスカーナ侯爵。
 薄ら笑みを浮かべながら僕を見下ろしている。
 実際侯爵様から見たら僕は小娘でしかないんだろう。
 ま、実際そうだし。
 でも子を産む覚悟とか言われても……。


「あの……確認なんですけど……」
「なんだ、言ってみろ」
「こ、子供ってキャベツ派ですか? コウノトリ派ですか?」


 ん? なんか膝枕していたボーマンの身体が反応したような?
 視線を下げようと思ったら、侯爵様が突然大笑いし始めた。
 いや、うん、笑われるだろうなとは思ったけど。
 僕的には割りと切実だったりするんだよ。
 大体子供を生むって事は、この目の前の人とその……致さなきゃいけない訳で。
 それは心が男とか別にして、生理的に無理な相談なわけで。
 生理的にOKだったら良いのかと言う問いは、出来れば聞かない方向でお願いします。


「くはははっ、子供の作り方すら知らぬのか。他人を地獄に落とす術は知っているのに子作りの仕方すら知らぬとは。なんとも偏りのある小娘だ」
「地獄にってそんな人聞きの悪い……」
「んぁ? あぁ、相手が勝手に自滅しているだけだと言いたいのか?」


 トスカーナ侯爵は大股で僕が腰掛けているベッドに近づくと、無理やり顎を掴んで上を向かせた。
 怯える僕の顔を見て何やら笑みを深める侯爵に、どうしようもない嫌悪を感じてしまう。
 いわゆるこれが身の危険を感じるってやつですか?


「確かに貴様のいう通りだ。馬鹿な男共が貴様の地位と権力と身寄りの無さに惑わされて自滅しただけだ」
「……」
「だがもはや地位も後ろ盾もない、貴様だけの浅知恵でこの状況は覆せまい? お前はもはや寄る辺を持たぬただの小娘だ」


 荒々しく顎を突き放されたせいで、思わずベッドの上に倒れこみそうになる。
 侮蔑の篭った視線で僕を見下ろす侯爵。
 悪意とか欲望とかそういったものではなくて、何か薄ら寒い悪意のようなものを感じる。
 怯える僕の表情を見て彼はフンと鼻を鳴らす。


「怖いか? この私が」


 僕はその問いに素直に返事する事も頷く事も出来ず、ただ涙目になった瞳で睨み返す。
 理不尽な怒りをぶつけられているんだから、これくらいの反抗は折込済みなはず。
 

「貴様には分かるまい。たかが小娘一人に国政を蔑ろにされる気持ちというものを」
「……んくぅっ!」


 侯爵の大きな手が僕の細い首を鷲掴みにする。
 慌ててその手を引き離そうとするけど、万力に挟まれたみたいでビクともしない。
 徐々に苦しくなってゆく息と締め付けられる苦痛で涙がぼろぼろと流れる。
 次第に切羽詰まってきて僕は力の限り侯爵の腕やら胸やら顔を殴りまくった。
 でも非力な僕のパンチはまるで効いていないみたいで、平然とした表情でさらに縊り殺そうと力を篭めてくる。

「かはっ……」
「このまま始末出来ればどれほど爽快なことか。中途半端に魔力になど目覚めおって」
「くぅ……あぅ……くはっ……」
「しかし魔導師をこの国でも抱えることが出来るというメリットは確かに捨てがたい。まったく何処までも悪運の強い小娘よ」


 不意に首に掛けられていた手を外される。
 僕は欠乏していた酸素を貪るように肺に取り入れ、酷く咽せてしまう。


「とはいえ貴様の後ろ盾を潰すのに時間や金や人脈と色々と浪費してしまった事もある。その穴埋めと思えば腹も治まるか」


 トスカーナ侯爵はくるりと踵を返すと、ゆっくりとした歩調で部屋を出てゆく。
 僕はそんな彼を横目に乱れた呼吸を治めることに必死だ。
 本当に死ぬ一歩手前まで行ったと思うし、今も死にそうに苦しい。


「あぁ、それと女の膝の上で寝た振りをしている鼠は傷も癒えたようだな。約束どおり明日の朝には屋敷から開放してやろう」


 嫌な音を立てて部屋の扉が閉められ、そして静寂が訪れる。
 僕はゆっくりと視線を膝の上に落とす。
 脂汗をだらだらと流しながら必死に寝た振りを続けるボーマンがいる。
 ボーマン、目が覚めてたのなら覚めてたって言ってよ。
 はふぅと大きなため息をつくと、慌ててボーマンが言い訳を並べ始めた。


「いや、あの目が覚めたのはですね、あの侯爵が入ってきてからで、起きるに起きれないっていうか、身体がまだ思うように動かないって言うか……」
「ボクが首を絞められてても助けてくれなかった」
「い、いや、相手の目的を考えたら殺しはしないと思ったので、寝たふりをしている方がいいかなと……」
「結局見破られてるじゃない」
「……す、すいません」


 僕の膝の上でしゅんとなるボーマン。
 しかしあくまで膝枕の体勢は崩さないのな、このむっつりは。
 そんな事を頭の片隅で考えつつも、したいようにさせようと思う。
 だってあんな大怪我までして僕のために何かしようとしてくれたんだ。
 これ位の役得があったっていいんじゃないかな。


「もう、どこも痛くない?」
「そうですね。少し違和感がありますが概ね大丈夫かと」
「よかった。本当によかったよ。一時は死んじゃうんじゃないかって怖かったんだから」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません、姫様」


 ようやく身体を起こしてベッドに並んで腰を掛けるボーマン。
 すまなさそうに頭を垂れるその様は、どこか叱られてしゅんとしている犬みたいだ。
 それにボーマンが僕に謝ることなど一つもない。


「心配はしたよ、いっぱい。ミーシャにもボーマンにも死ぬほどの怪我を負わせてしまって……。謝りたいのはボクの方だよ」
「姫様……」
「ボクなんかと関わらなければボーマンだってこんな怪我しなくて済んだんだ。それにこれから先あの侯爵みたいな偉い人に睨まれずにも……。ボクさえんっ!?」


 ボーマンの固い手が僕の口を塞いでいる。
 何をと思ってボーマンを見ると、凄い怖い顔で睨まれてた。
 睨まれている理由が分からず混乱していると、ボーマンが静かに語りだす。


「俺は自分の意思でここに居るんです。それについては例え姫様であっても文句は言わせません」


 僕が大人しくなったのを見て、ボーマンはゆっくりと手を下ろす。


「それに侯爵も言っていたじゃないですか。姫様に不幸にされたという奴らは自業自得だと。
なら姫様がそれについて気に病む必要なんてないんです。それに国政をうんぬんっていう話だって姫様だけが悪いわけじゃないじゃないですか」
「そ、それはそうだよ。ボクだってそこは気にしてないよ。でも僕の周りに居てとばっちりを受けた人達がいるんだよ。それにはやっぱり責任を感じてしまうよ」
「俺はとばっちりだなんて思ってません。多分ニーナも説明したら分かってくれます。ミーシャさんは分からないけど、姫様が信頼している程の人なら俺らと同じ考えだと思います」


 力強く言い切るボーマンにたじたじになる。
 確かにボーマンの言う通りだ。
 一人の少女に翻弄される程度の国政っていう方が問題だし。
 それに暴走するお姫様一人どうにか出来ないのって国として問題だよね。
 あぁ、そう考えると少し気が楽になるかな。


「でもさ、現実として色んな所で迷惑は掛けてる。もちろんボーマン達がそうは思わないって言ってくれるのは凄く嬉しいけど。でもやっぱりボクとしては非常に辛いよ」


 そういってボーマンに自嘲気味に笑いかける。
 するとボーマンはあぁと唸りだして頭を掻き毟り始めた。
 突然の奇行に驚いて呆然としていると、ボーマンはすくっと立ち上がってベッドに座る僕の両肩を鷲掴みにする。
 っていうか何かこういう体勢になる事が多いな、今日は。


「だからそれは気にしなくていいです」
「いや、無理だから。だって実際そうじゃない。ボクに関わらなければ皆普通に暮らせたんだよ?」
「それじゃあ姫様だけが損するじゃないですか! それはおかしくないですか?」
「そ、それは記憶を失う前の行いのせいだから……仕方ない……のかな……」
「それじゃなんですか? 姫様が一方的に他の人を蹂躙して虐げてきたんですか? 関わってきた奴らに一分の落ち度もない?」
「わ、分かんないよ、そんなの。記憶が無いんだし」
「ならそこは悩まなくていいじゃないですか」
「いや、悩もうよ!? 」


 なんか段々ボーマンがヒートアップしてきてる。
 もともとあんまり色々考えるの苦手そうな感じだし、会話が平行線になってきてるからイライラし始めてるんだろう。
 でも僕としても周りに迷惑は掛けれないという気持ちは譲れないんだ。
 お互いの主張が交わり合わなくなって睨みあう僕とボーマン。
 ボーマンが一度俯いて肩を震わせる。
 ようやく僕の譲れない一線を理解してくれたかと思ったら、さらに勢いよく噛み付いてきた。


「あぁ、もう! 理屈とか小難しい事とか他の奴らの事なんてどうでもいい! 俺はあんたを守りたいんだ、姫様っ!」
「ふぇ!?」


 あまりの言葉遣いの変化についていけない。
 というかこっちがボーマンの素なのは分かるので、別に違和感はないんだけど。
 ただ切れ気味なボーマンにびっくりしているだけ。


「あんたが悲しい顔をしているのが辛い。あんたが辛い状況にいるのが堪えられない。姫様のような優しい人が不幸になるのは見過ごせないんだ!」
「ちょ、ボーマン! 言葉遣いが変わってるって! お、落ち着いて! ね? 落ち着こう?」
「落ち着いてるさ! っていうか俺の話を黙って聞けっ!!」
「ひゃいっ!!」


 なんか理不尽に怒られた。


「マクレイニー家の剣は忠義一徹の剣。代々この国の王に忠誠を誓ってきた由緒ある騎士の家なんだ。だから俺もって思ってた。でも姫様のような、か、か、可憐な人を蔑ろにするような王様に俺は自分の剣を捧げたくない」
「う、うん……」


 顔を真っ赤にして捲くし立てるボーマン。
 ところどころの発言で顔を赤くしたりどもったりするけれど、真剣な眼差しに茶々を入れれる雰囲気にもない。
 

「噂なんてどうでもいい。過去にあった事も気にしない。地位も名誉もいらない。俺はあんたを守る一本の剣になりたいんだ」


 ……な、なんか物凄いことを言われたような気がする。
 いや気のせいでもないんだけれども。
 ど、ど、ど、どうしたらいいのかな?
 どう返答したらいいんだろう、誰か助けて!


「あんたの目の前に現れる全ての敵を俺が倒してやる! だから俺を信じてくれ!!」


 痛いくらいに肩を掴む手に力が入ってる。
 それにボーマンの手が微かに震えているのが分かった。
 多分死ぬほど緊張しているに違いない。
 それはそうだよな、こんな告白めいた台詞をいったんだから。
 というかそれに答えなきゃいけない僕はどうしたらいいんだよ!


「……嫌か? 嫌なら嫌とはっきり言ってくれ。それなら俺は自分の剣を捨てる覚悟だって出来てるんだ」
「あぅ……」


 ボーマン、それだんだん脅迫めいてきてるから。
 とはいうものの一途なボーマンの思いというか気持ちが、素直に嬉しい。
 不覚にも胸の奥がきゅんとなってしまった。
 これは自分が女になってしまった弊害だと思いたい。
 ぜひにそういう事にして欲しい。


「姫……」
「そ、そんな風に言われたら断れないじゃないか。卑怯だよ、ボーマン」
「そうまで言わないと頷いてくれないあんたが悪い」
「だって仕方ないじゃないか……ボクには解決する力がないんだもの」
「なら俺がその解決する力だ」
「力押ししか出来そうにない力だけど」
「細かいことはきっと他のやつらが考えるさ」
「他の奴らって?」
「姫様を大好きな奴らって事」
「そんなんでいいのかな? 周りに迷惑ばっかり掛けることになっちゃう」
「心配すんな。俺が傍に居る」
「何の解決にもなってないし」


 いつの間にか力強く抱きしめられている。
 それが心地よくて、安心できて、凄く嬉しい。
 あぁ、ボーマンの顔ってカッコいいよなぁ。
 睫毛も長いしもうちょっと大人になったら絶対美形になるんだろうな。
 
 
「姫様、あんたは俺がずっと守ってやる」


 甘く囁くような言葉に、僕とボーマンの距離がいつの間にか無くなっていた。
 



[24455] 58話「愛の逃避行!? な訳ないか」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2012/01/01 21:46
「ここも駄目ですね」


 壁や窓を手当たり次第に調べていたボーマン。
 わずかな光の中、少し青白い顔に苦笑を浮かべて僕のところへ戻ってくる。


「結構頑丈そうだもんね。やっぱり扉からしか逃げられそうにないのかな」
「かもしれませんが、あの扉も明日の朝にならないと開かないし、開いた時には逃げ道なんて……」
「悪役ってさ、こういう時必ず油断してて簡単に脱出できたりしなくない? それにほら、ボクって身体ちっちゃいから隙間を縫ってすい~っと外に出れるかも?」


 落胆しているボーマンを励ますようにちょっとおどけて見せた。
 あまり気を張りすぎるのも良くないし、焦りは思考を妨げる。
 そんな僕の気遣いを知ってか、ボーマンは力なく微笑みながら僕の横に腰を下ろす。
 壁に背をもたせ掛けながら、ボーマンは天井付近にある小さな採光窓を見つめる。


「あの窓がもう少し下にあればなんとかなったかも知れないんですが……」
「高いもんねぇ、あの窓。ん~、肩車してくれたらなんとか届かないかな?」
「肩車……ですか? 高さ的には辛うじて届きそうですけれど、それはいくらなんでも無理なんじゃ……」


 ボーマンが窓と僕を見比べて静かに首を横に振る。
 そんなの最初から無理でしょうみたいな空気を纏うボーマンに少しだけカチンと来る僕。


「大丈夫だよあれくらいなら何とか届くと思うし、気合入れればどうにかなるよ」
「いや、でも姫様じゃいくらんでも無理ですって」
「やってみなきゃ分からないじゃない。兎に角、そこにしゃがんでよっ!」
「え!?」
「なにびっくりしてるのさ」


 ボーマンがまごついているので、痺れを切らした僕は自分で壁に手をついて両足を広げて振り返る。


「上手くいったら上からロープか何かで引っ張り上げるから」
「いやいやいや、姫様窓枠壊せるんですか? 俺が上にならないとどうにも出来ないですって!」
「ボクじゃボーマンを肩車なんて出来ないじゃん」
「いや、だから無理ですって言いましたよね!?」
「もう、グダグダ言ってないで行動するっ!!」


 突っ立っているボーマンの頭を両手で引き下げて無理やり四つん這いにさせる。
 最初は頑なに抵抗していたボーマンだけど、最後のほうは諦めたのか両膝を付いた。
 まったく肩車一つに何をそこまで抵抗することがあるんだろうかと思ってしまう。
 兎に角僕はしゃがんだボーマンの頭を跨いで首の後ろに腰を降ろす。


「んくcwzhぃ。いqybz!」
「何変な奇声を上げてるの、ボーマン。ほら早く立ち上がって!」
「は、はひっ!」


 ぐいっと重力に逆らって上に持ち上げられる感覚。
 瞬間だけふらついてヒヤッとしたけど、完全に立ち上がるとボーマンはゆっくりと窓へと近づいてくれた。


「ちょ、ひ、姫様っ! も、もうちょっと足をゆ、緩めてください。か、顔が太腿に挟まって……」
「あっ、ひゃんっ、ボーマン! い、息吹きかけたら……太腿に向かって喋ったら気が散るからっ!!」
「は、はイッ! す、すいません。」


 太腿にかかるボーマンの暖かい手と生暖かい息使いに思わず変な声を上げそうになってしまう。
 なんか腰の後ろがゾクゾクするというか、なんか変な感覚が下腹から背筋を伝って駆け上がってくる感じ。
 うん、すげぇ恥ずかしい。
 「ひゃんっ」は無いわ、「ひゃんっ」は!
 ボーマンが下でよかったよ、きっと今顔がトマトみたいに真っ赤になってるに違いない。


「ほら、もうちょっとで手が届くから! 頑張って! 背伸びして!」
「ひひひひ、姫様! お、落ち着いて、そんなに前に身体を倒したら! 腰を揺すらないでくださいぃぃぃ」
「腰なんて揺すってないから! 変態みたく言わないでよ! それよりあともうちょっとで手が届きそうなんだ」
「わ、分かりましたから太腿締めないでください! 首が、首がっ」


 グダグダ言いながらもなんとか鉄格子に手が届く。
 そこを支えにゆっくりとボーマンの肩の上で立ち上がってみた。


「おお、これだと丁度外の具合がよく見えるよ!」
「本当ですか? で、窓枠は外れそうですか?」
「うーん、ちょっと待って。頑丈そうではあるけれど……」


 外から入ってくる月の光のお陰で、手元はとても明るくて見やすい。
 石壁の間に開けた空間に木枠の窓をはめ込んで外側に鉄格子を嵌めている造りだ。
 木枠は丁度窓の大きさではめ込まれてあるだけのよう。
 ネジ止めとかは流石にされていないみたいだ。
 これなら押すか引くかすれば引っこ抜けるんじゃないだろうか。
 窓はそれで良いとして、問題は鉄格子。
 多分石に溝を掘って嵌めこまれている感じ。
 これを外そうと思うと、石を削るか鉄格子を切断するかの2択しかない。


「窓は外せそうだけど……鉄格子はちょっと無理っぽい」
「そうですか……」


 立ち上がった時とは逆にボーマンの肩に座り、そのまま床へと降ろしてもらう。
 まじめな調べものをしたから、大分顔の火照りも収まっている。
 気恥ずかしい思いを無理やり押し殺してベッドに戻る僕。


「さてと!」


 わざとらしく澄ました顔でボーマンを見上げる。
 心なしか彼の顔が赤くみえるのは、多分気のせいではないんだろうなぁ。
 ま、歳も近い女の子を肩車したんだからいろいろと刺激的だったんだろう。
 とりあえずこの気まずい空気を払拭しないと、なんか羞恥心がぶり返して来そうだ。


「これでやっぱり逃げ道はあの扉しかないと分かった訳だけれど、他に何か案はある?」
「そうですね。あの扉は鋲打ちまでしてあるようで、蹴破るには少々無理があります」
「じゃあ、内側からは開けられない訳だね」
「はい。あの扉は明日の朝までは開かれないでしょう。……よほどのことがない限り」


 ボーマンの一言でぴんと来るものがあった。
 よほどのことがない限り開かないのであれば、そのよほどの事を起こせば良いんだと。
 ちらりと横を見るとボーマンは他に方法はないかと頭を捻っている。
 どうやら僕の作戦以外にあの扉を開ける方法はなさそうだ。


「あのねボーマン。あの扉を開ける方法を一つだけ思いついたよ」
「え? あるんですか!?」
「うん。それにはちょっとボーマンの協力も必要になるんだけど、いいかな?」
「そんなのは聞くまでも無いことです! 姫様をここから助け出せるなら、なんだってやります!」
「うん、そっか。ならちょっと恥ずかしいんだけどさ、なるべく外に聞こえるようにしてほしいんだ」


 そういって僕はゆっくりと服の紐を緩めていった。







 貴人用の監禁室の前で、私設騎士団員のボロワは欠伸をかみ殺していた。
 その隣には同僚のキスカ。
 二人ともごく一般的な体格で屈強とは言いがたいが、小娘と重症の小僧一人を捻るくらいは造作ない程度に腕は立つ。
 だからこそ逃げ出す心配のない囚人に対して、緊張感を持続させるのはなかなか難しい。
 むしろ自分達の役目は、外から蛮行姫に恨みを持つ者が入ってこないように見張る事にある。
 だから中で囚人が何かごそごそしていようとさほど気にはならない。
 そう、気にする必要などない筈だった。


「あ……駄目だよ……んっ」
「ひ、ひ、姫さま……ちょ、ほんぶふっ!?」
「あぁん、そんなに激しくされたら、ボク……ひゃうんっ」


 ドスンと何かが倒れこむ音が聞こえて布が裂かれる音がする。
 はぁはぁという荒い息遣いに、艶かしい女の吐息。


「姫様、そ、その」
「いいんだよ、ボーマン。あんな筋肉ゴリラに犯されるくらいなら、大好きなボーマンにしてもらう方が……ボクは嬉しいよ?」
「っ!! は、鼻血が……」
「ほら、聞こえる? ボクの心臓の音。こんなに早くなってる」
「……っ! あ、あの、あの」
「ふふっ、ボーマンも凄く早くなってる。それに、こんなに固いよ……」
「うえっ!? ちょ、ちょ、ちょっと待って! そ、それは流石にぐわっ」
「朝までまだまだ時間はあるから焦らなくて大丈夫。何回だって受け止めてみせるから……」
「んふーっ、んふが……ふが」


 聞こえてくる何やら秘めやかな水の音。
 途切れ途切れに聞こえる切なそうな喘ぎ声。
 どう考えても男と女の情事としか思えない。
 むしろこれを聞いてそう思えない男が居たら、そいつはホモか精通もないガキだろう。


「おい、キスカどう思う?」
「ああ、そうだな。俺としては女に主導権を握られているのはどうかと思うが」
「そうじゃねぇだろうがっ!」
「落ち着けよボロワ。この扉を開けさせる罠かもしれないんだぜ?」


 キスカは面倒くさそうに扉についている覗き窓を覗いてみる。
 見えたのは、脱ぎ散らかされた女物の服に下着、それに若造が着ていた防具やら服やら。
 奥のベッドには、毛布が盛り上がって何やらごそごそと動いている。


「あふっ……んっ! あっ……やだ……そんなところ……」


 ぴちゃ…ちゅる…ちゅるる。
 音に反応して毛布がびくりと跳ね上がった。
 そのときするりと毛布からはみ出た真っ白な足。
 艶と張りがあるその足に不覚にもキスカは見惚れてしまう。
 そんなキスカの肩をボロワは揺すって中の様子を聞きだそうとした。


「ま、待てって。まだ分からねぇって。それに中が暗くてよく見えねぇ」
「ば、馬鹿っ! 覗きやってんじゃねぇよ! もし本当にやってんなら止めねぇと!」
「毛布に包まってよく見えん! くそっ、もっと見えねぇかな?」
「ド阿呆! 兎に角中に入って止めさせるぞ! あの女が傷物になったら、俺達が責任とらなきゃいけなくなるんだぞ!!」
「待てボロワ、もう一度だけ中を確認するからっ」
「五月蝿いっ!」


 そういってボロワは持っていた鍵で錠を開けると中に踏み込んだ。
 もぞもぞと動いている毛布を引っぺがそうと駆け寄る。
 そのボロワの後を慌ててキスカが追いかけるように入ってきた。


「盛りの付いた牝犬がっ!!」


 ばっと毛布を引っぺがすと、そこにはぐるぐる巻きにしたシーツと毛布を抱いた全裸の少女がいた。
 指を咥えて何やら卑猥な音を立てていたようだが、どうみても自分達が考えていたような情事をしていた訳ではない。
 ボロワははっとなって後ろを振り返ると、そこには鞘付きの剣を振りかぶった若造の姿があった。
 今宵の彼の記憶はここで途切れてしまった。




「意外にあっけなかったね?」
「……」


 床に散らばった下着を拾い集めながらボーマンに声をかける。
 でもボーマンは頷くだけでこっちを見ようともせず、気絶している2人の騎士達を縛っていた。
 まぁ、確かに今の僕の格好では目の毒か。
 手早く下着を身に着けて、ボーマンが剥いでくれた騎士達の制服に身を包む。
 お詫びにといってはなんだが、僕のワンピースは毛布を剥いだ男の人に着せてあげることにした。
 ちょっとむっちりしちゃうけど、寒いよりはましだろう。
 うん、嫌がらせだよ。


「さて、服も着替えたし、そろそろ逃げようか?」
「そうですね」
「……なんかそっけないね、ボーマン。それに変に腰が引けてない?」
「ななな、なんでもありませんっ! は、早く逃げましょう!」


 ちょっとやりすぎたかなと思いつつ、僕たちは薄暗い夜の城の中を逃げ出した。
 このまま見つからずに逃げ切れたら良いんだけど、そうはいかないんだろうなぁ。




[24455] 59話「ボクはあと2回変身を残している。その意味が分かるな?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:d2a231a4
Date: 2012/01/03 07:56
 抜き足、差し足、忍び足。
 まさにそんなノリで真夜中のお城を徘徊する僕とボーマン。
 昼間と夜では全然違って見えるせいで、自分達が今どのあたりにいるかすらわからない。
 初めて来た城の中だし、まぁ仕方のない話ではあるんだけれど。
 時折見回りをしている兵隊さん達に出くわすも、なんとか物陰に隠れたりしてやり過ごせている。


「姫様、次はどっちに行けば良いんですか?」
「あー、うんとねぇ……多分左かな?」
「左ですか? どう見ても行き止まりっぽいんですが」
「じゃあ、右行こう、右!」
「そんなアバウトな……」
「しょうがないじゃん! 一回で道なんて覚えられないよ」


 口を尖らせて抗議するも、ボーマンは納得していないみたいだ。
 そんなに不満に思うなら、その時昏倒していた自分はどうなのかと問い詰めたい。
 ま、寛容な僕はそんな事はしないけど。
 ボーマンは心の広い僕に感謝すると良いと思うんだ。


「兎に角あの下の庭にまで降りれば、内壁沿いに正門へと行けそうです」
「そか。じゃあ取りあえずは階段を探さないとだね」
「出来れば侍女達が日頃使う方の階段なんかあれば良いんですが」
「兎に角、先に進もうよ」


 僕の言葉に軽く顎を引いて頷くボーマン。
 このまま誰にも見つからずに下に降りられたら、あとは夜陰に紛れて逃げるだけなんだけど。
 遠めには巡回をしている兵士のように振舞いながら、僕とボーマンは階下へ降りる階段を探す。
 今度はすれ違う人も無く、無事に階段まで辿り着いた。
 ボーマンが先に階段の下を覗き込み、人が居ないのを確認する。
 どうやら階段付近には誰も居ないみたいで、ボーマンがゆっくりと階段を降り始める。
 無論僕も背後を気にしながら慎重に後に続く。
 階下に来たが、運の良いことに人気はなさそうだ。
 これなら無事に庭に出て、そのまま逃げられそうな気がしてきた。


「順調だね」
「はい。ですが気を抜かないでください。むしろここからが本番と思ってもいいかと」
「うん、わかった」


 気を引き締めなおして庭に面している廊下へと向かう。
 そこまで行けば窓なり裏口なりを使って庭に出られる。
 逸る心を抑えながら、僕達は慎重に廊下を進む。
 その時、僕たちが捉えられていた部屋の方角から鋭い警笛の音が響く。
 どうやら僕たちが脱走したのがばれたらしい。


「どうしよう、ボーマン!?」
「兎に角なるべく目立たないように移動しましょう」


 兵士の格好をしてこそこそするのは逆に目立つ。
 だから僕達は巡回している兵隊さんに見えるよう、どうどうと廊下を進むことにする。
 何度か慌てて部屋を飛び出してきたメイドさんたちとすれ違う。
 幸いなことに相手は慌てているようで僕たちを不審がる様子はない。
 このままなんとか外にまで出られたらと思った矢先。


「おい、そこの二人! お前達の持ち場に戻らんか!」


 瞬間、ボーマンが僕の手を掴むとがむしゃらに走り出した。


「くそっ、思ったより早かった!」
「ちょ、ボーマン! そんなに引っ張ったら転んじゃうよっ!」
「頑張ってください。こっからは一刻の猶予もありません。下手したら出入り口を固められてしまいます!」
「わ、分かってるけど! あ、足が付いてこないんだよぉ」

 
 前につんのめる様になりながらも必死にボーマンについて行く。
 前々から外の人の体力の無さは分かっていたけど、ちょっと走るだけでも息が切れる。
 まったくどんだけ運動不足だったんだよ!


「居たぞっ! こっちだ!!」


 後ろから兵隊さん達の声が追いかけてくる。
 まずい、横腹が痛くなってきたし、息が苦しくなってきた。


「姫様、もう少し頑張ってくださいっ!」
「はひぃ、はひぃ、はひぃ」
「見つけたぞ! 小娘はこっちだっ!」


 前からも兵隊さん達が現れ挟み撃ちにされた。
 ぜぇぜぇと荒い息をしながらどうしようと悩んでいたら、ボーマンが突然僕を抱きしめる。


「ほえ? な、なに!?」
「すいません。ちょっとだけ怖い思いをさせます!」


 そういうとボーマンは僕を抱えたまま肩から廊下の窓へと突っ込んだ。
 一瞬浮き上がる身体。
 だがすぐに重力に捕まって僕達は落下し始める。
 地面まではおよそ3mほど。
 鍛え上げたボーマンにとっては然程の高さではないけれど、僕からしたら2階から飛び降りるそんな感じ。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 恐怖に引き攣った悲鳴を上げる僕を抱えながら、ボーマンは見事裏庭に着地する。
 僕を地面に降ろすと、また手を繋いで問答無用に走り出す。
 青い顔をしたまま文句を言う暇も無く走り始めるも、またすぐに酸素不足に陥る僕。


「庭へ逃げ出したぞ! 追えっ! それと正門と通用門にも人を詰めさせろっ!」
「くそっ、簡単には逃がしてくれないか」
「はひぃ、はひぃ、はひぃ……く、苦しい……ひぃ、ひぃ」
「頑張ってください、姫様。どこか奴等の目をごまかせる場所までの辛抱です」
「ひぃ、ふぅ、ひぃ、ふぅ…わ、分かってる」


 薄暗い庭の中、僕たちは必死になって外へと向かって逃げてゆく。
 でも、僕の体力の無さがどうにも足を引っ張っている。
 これってなんとかならないんだろうか?
 治癒魔法でこの酸欠やら溜まった乳酸とかどうにか出来ないのかな?
 そう思って深くも考えずにボーマンの傷を治した力を発動させる。
 もちろん対称は自分。
 渦巻く魔力を体中に行き渡らせ、イメージをしっかりと固定する。
 するとぼぉっと髪が淡く輝きだして、自分の周りを照らし始めた。


「ちょっ、姫様、何してるんですかっ!!」
「おお、苦しいの治った! 凄い! 酸欠や筋肉疲労も治るんだっ!」
「姫様、そんなに輝いたらもろばれですからっ! 輝かないでっ!!」
「どうせ見つかるんだから、そこは気にしないで行こうよ! 足元がちゃんと見えるほうが走りやすいしね」


 遅れ気味だった僕は徐々にピッチを上げていって、ついにはボーマンの横に並ぶ。
 うん、持久力が無いだけで瞬発力は然程悪くない。
 これならボーマンと同じくらいは走れそう。


「兎に角、正門や通用門は駄目になったから、違う逃げ道を探そう!」
「他に逃げ道って!?」
「とにかく城壁に向かってダッシュだよっ!」
「わっ、ちょ、姫様!!」


 後ろからわらわらと追っ手の気配が近づいてくるも、相手は帷子や装備品を付けている分、身軽な僕たちよりは足が遅い。
 だけどいずれ狐狩りの狐の如く逃げ場を失ってしまうのは自明の理。
 余裕のある今のうちになんとかしないと。
 走っていると前方に生垣が何重にもなって何やら迷路のような造りになっている場所にでる。


「ここだっ!」


 ボーマンが僕を抱えて生垣の中に身を躍らせる。
 僕も魔力をいったん切って身体の発光を止めた。
 お互い四つん這いになって場所を移動し物陰に身を潜める。
 案の定僕の光を目印に追ってきていた兵隊さん達は右往左往し始めた。


「くそっ、どこに隠れた!」
「生垣の中もきちんと探せ!」


 生垣の迷路から少し離れた納屋の影までやってきて、ようやく僕とボーマンは一息いれた。
 捜索隊は生垣を中心に僕たちを探し回っているので少し考える時間が確保できた。
 僕は隣で息を潜めるボーマンに寄り添うように身を寄せ、これからどうするか訊ねた。


「城外に出るには二つ方法があります。一つは城壁沿いに正門なり通用門なりへ行き強行突破するか……あるいは城壁の上から水掘にダイブするか、です」
「城壁ってさ、結構高いよ?」
「あれ位の高さなら水に飛び込む分にはなんとか大丈夫でしょう」
「堀の深さって十分にあるの?」
「人の背の倍以上はあるはずです」
「飛び降りたとして、堀の向こう側まで泳いでいる間に先回りされない?」
「……そこはなんとも。なるべく門から一番遠い場所で飛び降りるべきですね」
「となると……あの階段を駆け上がって右回りにいって……」
「赤い屋根の櫓辺りが一番最適かと」


 とは言うもの、城壁の上にも結構な人数の兵隊さん達がうろついている。
 特に櫓あたりには4、5人くらい固まっているのが見えた。
 なるべくなら誰とも争わずに逃げたかったけど、それも無理っぽい。


「あの人数じゃ無理かな?」
「いえ、城壁の上なら足場はそう広くないので、俺だけでも何とかなります」
「そうなの?」
「囲まれるのが一番怖いんですよ、こういう時は。でもあの城壁なら前にだけ集中すればいい。といっても追いつかれるまでの間ですけどね」
「出来れば切った張ったは嫌なんだけどね?」
「贅沢は言っていられません」


 そりゃそうだと言いながら、僕達は城壁へ向かって駆け出した。
 なるべく相手に気取られないように治癒魔法を使うのはギリギリまで我慢する。
 城壁までそれほど距離は無いのだけれど、それでも僕の体力では結構な試練だ。


「居たぞ! 奴ら、城壁に上がるつもりだ!!」


 あと少しで城壁というところで見つかってしまう。
 ボーマンが僕に振り向いて頷いてみせる。
 魔法を使って良いという合図だ。
 合図と共に自分の身体に魔力を通した瞬間、すべてが軽くなる。


「一気に駆け上がるっ」
「うん!」


 鞘から剣を抜いて階段を飛ぶように駆け上がるボーマン。
 彼の後について駆け上がる僕。
 そして階段の上で槍を構えた兵隊さんが2人待ち構えていた。


「ボーマン!」
「任せろ! あと、もう少し遅れて付いてこいっ」
「うん!」


 剣を構えて突っ込むボーマン。
 そのボーマンに兵隊さんは槍を突きつけ牽制する。

「舐めるなよ、小僧!!」
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」


 ボーマンは突きつけられた槍を剣で払い一段上に進む。
 兵隊さんは次の刺突を繰り出すために、払われた槍をすぐさま戻す。
 その引きに合わせてさらに一歩前に出るボーマン。
 引かれた槍はまた凄いスピードを持って前に突き出される。
 ボーマンはその攻撃を見切って剣の腹で槍の軌道を逸らしつつ、兵隊さんとの距離を一気に詰めた。
 焦った兵隊さんは槍を離して、腰の小剣を抜きにかかる。
 だけどボーマンの方が一手早く兵隊さんを殴り倒した。


「邪魔だっ!!」
「ぐわっ」


 狭い階段でしかも手すりもない場所。
 倒された兵隊さんは城壁から足を滑らせて宙へと身を投げ出されてしまう。
 その隙にボーマンは次の相手に向かって突き進む。


「くそっ、落ちて堪るかぁっ!」


 殴り落とされた筈の兵隊さんが、辛うじて右手一本で階段にしがみついている。
 剣戟の音が聞こえる中、僕は思わず兵隊さんと見詰め合ってしまう。
 城壁下までは多分5、6mはある。
 重い武装もしている兵隊さんだ。
 落ちたら多分……死ぬ。
 ぶら下がっている兵隊さんの顔は徐々に青ざめている。
 それはそうだろう、僕が彼の手を踏むなり何なりすればたやすく落とせるのだから。


「は、ははは、おい、止めろ……、止めてくれ……」


 引き攣った顔で僕に「止めろ」と懇願してくる兵隊さん。
 この人が上ってくれば、僕達は捕まるかもしれない。
 後のことを考えれば、きっとここで蹴落とすのが最善だ。
 だから僕はゆっくりと彼に近づく。


「止めろ! 止めてくれ! 俺にはまだ小さい娘が居るんだ! 死にたくないっ!!」


 腰を落として彼の手に僕の手を重ねる。
 後はこの手を階段から離せば障害が一つ減るんだ。
 そうしたら僕達は一歩危険から逃れられる。
 だから僕は……。


「やめろぉぉぉぉぉぉ! ……お?」
「そっちの手も上げて!」


 かかっている彼の手首をしっかりと持ちながら、もう一方の手にも僕は手を伸ばす。
 そんな僕を不思議そうに見上げる兵隊さん。
 ま、気持ちは分かるけど、ね。


「娘さんいるんでしょ? だったらちゃんと帰らないと!」
「あ、あぁ……す、すまない」
「いいから早く手を! ボクだってそんなに力があるわけじゃないんだから!」


 恐る恐る手を伸ばしてくる兵隊さん。
 僕はその手を掴んで何とか階段の縁へと引っ張り上げる。
 階段の淵に両手さえかかれば流石は兵隊さん、すぐに上半身を階段の上へと引き上げてきた。


「姫様っ!!」
「あ、待って! 大丈夫だからっ!!」


 もう一人の兵隊さんを伸したボーマンが、今にも這い上がってきそうな兵隊さんをみて慌てて戻ってくる。
 僕はそんなボーマンを慌てて押し戻しつつ、兵隊さんを振り返った。
 兵隊さんは僕の顔を見ると苦笑して行けと手を振る。


「これで貸し借りなしだ、嬢ちゃん」
「うん、怖い思いさせてごめんね。娘さん、可愛がってあげて!」
「ははは、帰ったらそうするよ」
「それじゃ!」


 ボーマンに急かされながら、僕はこの場を後にした。




「脱走者が来るぞっ!!」
「おうっ!!」


 目の前の赤い櫓から4人ほど人が出てきてボーマンと相対する。
 そしてその後ろには大きな弓を持った兵隊さんが1人。
 

「堀に飛び込むにしても、あの弓持ちをなんとかしておかないとまずいな」


 ボーマンは鞘が付いたままの剣を構えつつ、じりじりと彼我の距離を詰めてゆく。
 鞘を付けたままにしているのは、多分僕に遠慮してのことだと思う。
 人死を見たくないという僕のわがままを、言わずと理解してくれたのだ。
 なんとも足手まといだな、僕は。
 なのに僕といえば、相変わらずボーマンの後ろに隠れていることしか出来ない。
 自分自身に少し歯がゆく感じてしまうけれど、他にやり方が思いつかない。
 

「姫様、俺が突っ込んで血路を開きます。その隙にあの櫓に駆け込んでください。お互いの位置を入れ替えられたら守るのが楽になります」
「うん、分かった!」


 僕が頷くのを見て、ボーマンは雄たけびを上げながら4人へと向かって突っ込んでゆく。
 城壁の上は階段よりも広いとはいうものの、2人並んで武器を振り回すには狭い。
 だからどうしても1対1にしかならない。いや、むしろそういう風に設計されているのだろう。
 そして一対一なら、ボーマンはびっくりするほど強かった。
 一人を殴り倒し、2人目を掘に突き落とし、今は3人目と切り結んでいる。
 あっという間の出来事だ。
 これなら隙を見つけるまでも無く簡単に制圧出来そうだ。


「嬢ちゃん、後ろだっ!」


 突然掛けられた声に思わず後ろを振り向く。
 その頬の横を凄い勢いで何かが通り過ぎていった。


「ほぉ、命拾いをしたな、蛮行姫?」
「っ!」


 名無しと呼ばれていたあの男の人が、大きな弓を構えて僕を狙っていた。
 警告が無ければ多分、僕はあの弓に頭を射抜かれて死ぬところだった。
 ちらりと階段のほうに目をやると、さっきの兵隊さんが身振り手振りで逃げろと言ってくる。
 でもここで堀に逃げても、弓で上から射掛けられては逃げられない。
 といって増え続ける兵隊さんを全員倒すのも無理な話。
 きりりりっと弓を引き絞る音が不吉に響く。
 僕はじりじりと後に下がりながら、名無しの騎士と睨みあう。
 不敵に笑う彼の目は一点を指して動かない。
 彼の狙いは……


「ボーマン!! 危ない!!」
「っ!?」
「遅いっ!」


 とっさに振り返って僕はボーマンを突き飛ばす。
 僕とボーマンの間を矢は突き進んで、櫓の柱に突き刺さった。


「うわっ! とっ、とっ、わわわっ!!」


 突然僕に突き飛ばされたボーマンはなんとそのまま水掘へと落下してしまう。
 あっれー?
 もももも、もしかして孤立無援になってしまった?


「くはははは、なんとも間抜けだな、蛮行姫。手ずから自分の護衛の始末をしてくれるとはな」
「あははは、そんなつもりは無かったんだけどね」
「まぁ、いい。手間が省けた。投稿しろ。さもなくば手足を砕いて連れ帰るぞ?」
「僕を傷ものにしたら侯爵様に怒られるんじゃないの?」
「子供を生む機能さえ無事なら問題ない。むしろ手足など無いほうがいいかもしれんな」
「うわぁ、寒イボ立った」


 だるまになってしまった自分の姿を想像して背筋が寒くなる。
 そんな未来は死んでもご免こうむりたい。
 逃げ道はないかと周りを見回す。
 水掘ではさっき僕が突き落としてしまったボーマンが泳いで堀の外へと向かっている。
 城壁の内側は下の方が末広がりな形、丁度ダムの壁面のような感じといえば分かるだろうか。
 あんなにつるぺたではなく所々に足場になりそうなでっぱりがあったりする。
 逃げるなら内側だろうけど、こんな高さからこの城壁を駆け下りて無事に済むだろうか?
 自分が鹿かヤギの生まれ変わり出なければ無理っぽいんだけれども。


「諦めろ。お前に逃げ道などない」


 普通に考えればそうだろう。
 でもここまで来て捕まるのは嫌だ。
 もちろん死ぬのも殺されるのも嫌だ。
 僕が捕まるのが確定したからか、正門がゆっくりと押し開かれてゆく。
 あそこまで……
 あそこまで辿り着ければ、正門から逃げ出せるのではないだろうか。
 それならば一か八かに掛けてみようと思う。
 魔力が体中を駆け巡る。
 僕の髪が淡く光りだす。


「ふっ、治癒魔法を発動させたとて貴様に何が出来る」
「そうかな?」
「なに?」
「人間ってね、本当は身体の潜在能力の数割しか使いこなせていないんだ。何故だか分かる?」
「……知るか」
「100%の力を出すと、筋肉はもちろん骨自体も耐えられないんだ。だから人は常に痛みというリミッターで全力を出せないようにしているんだ」
「……」
「でもね、その耐えられず壊れた身体を片っ端から治せるとしたらどうだろう?」
「……まさか貴様は100%の力が出せると言うのか?」


 嘲るように半笑いで僕を見つめる名無しの騎士。
 だから僕もそれに負けないように不敵に微笑んでみせる。


「100%を出す必要もないと思うよ。そうだね、取りあえずは第一段階30%の力で十分かな。それでもボクの身体能力は貴方に匹敵する」
「世迷言を」
「そう? 試してみれば良いよ」


 そういって僕は腰に差していた剣を片手で抜き放つ。
 なるべく余裕を見せ付けるように。
 そして遠心力を利用して、全身の筋肉のバネを利用して思いっきり打ち付ける。
 名無しは僕の斬撃の軌道を先読みして、僕の剣を受け止めた。
 が、その勢いに押されて数歩後ろに下がってしまう。


「!? なるほど、思ったより重いな……」
「どお?」


 僕は身体を巡る魔力を強く意識する。
 強く意識すればするほど僕の体の輝きは増して、治癒のスピードも上がってゆく。


「ふふふ、これが第2段階。ちなみにあとまだ、2回レベルアップできるんだ」
「くっ……」
「全力の一撃は城壁ですら砕くことが出来る。果たして貴方に受け止められますか?」
「舐めるなよ! 小娘ぇぇぇぇ!!!」
「はぁぁぁぁぁっ!!」


 僕は出来るだけ大きな声を上げて剣を振り上げ、名無しの騎士に向かって放り投げる。
 鋭い斬撃がくると思っていた名無しの騎士は、投げられた剣をもろに顔にぶつけて蹲った。
 その隙に僕は城壁の内側の縁に立ち、少ない足場に足を掛けて駆け下りた。
 あははは、見事に僕の口車に引っかかってくれた!
 そんなお手軽に強くなれたら苦労しないってーのっ!


「ふなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 まるでどこぞの未来少年の様に城壁を駆ける僕。
 というか落ちているのか、駆けているのかも良く分からない。
 一応足の裏にしっかりとした石の感触があるから、何とか大丈夫なんだろうけど。
 とりあえず半分! 
 半分の高さまで駆け下りたら、あとは落ちても治癒魔法でなんとか助かる可能性がある。
 頭の上のほうから「逃げたぞぉ!」という叫びが聞こえるがもう遅い。
 恐怖に顔を引き攣らせ、悲鳴を上げつつ地面に向けて疾走する。
 そしてついに地面へと降り立った。
 というか、勢い付きすぎてごろごろと凄い勢いで転げてしまった。
 最後は生垣に突っ込んで何とか九死に一生を得る。


「あははは、全身ボロボロだよ……」


 といいつつも、治癒魔法のお陰で負った傷は直ぐに治ってゆく。
 立ち上がろうとして、足に激痛が走る。
 どうやら足の骨が逝っちゃってるみたいだ。
 ま、当然ではある。
 脂汗を流しながら治癒魔法を全力でかけると、程なくして傷は癒えた。


「こんなところでまごまごしてられない!」


 治ったとはいえ痛みまで完全に引いたわけではないので、歯を食いしばりながらなんとか前へと進む。
 酸欠と疲労を魔法で騙しながら、広い庭園の中を逃げ回る。
 それでも一路正門に向かって走っているつもり。
 でもなんかやばい。
 何がやばいって、意識が朦朧としてきてるのだ。
 多分、魔法を使いすぎてるんだと思う。
 霞む視界に、時折跳ぶ意識。
 くそっ、あともう少しなのに。
 あともう少しで逃げられるんだ。
 そうして僕は意識を失ってしまった。



[24455] 60話「人は誰が為に戦う? 前編」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:2b87f17a
Date: 2012/05/04 19:37
 時間は少し遡る――


 いつもは静かな夜に突然鋭い警笛が鳴り響く。
 トスカーナはその音を自室のベッドの上で聞いた。
 軽く溜息をついてから、ベッドサイドにある呼び鈴を鳴らす。
 ほどなくして寝室のドアがノックされ、執事のクラウスが現れた。


「騒がしいな」
「はっ、申し訳ございません。どうやら監禁していた娘と騎士見習いが逃げ出したようで……」
「あの部屋には見張りを置けと申し伝えた筈だが?」
「はっ。見張りは牢屋の中で簀巻きにされて昏倒していたと」
「警備責任者と見張りは、この一件が済み次第身分を徒卒に格下げしておけ。無能な輩は当家には必要ない」
「はっ、かしこまりました」


 トスカーナは不機嫌なオーラのままベッドから出ると、部屋の窓から外を見下ろした。
 幾人もの兵士たちが広い城内を右往左往しているのが見える。
 兵士から城壁、そして城門へと視線を移す。
 城門はきちんと閉じられており、城外への出口はすでに塞がれている。


「名無しはどうした?」
「すでに逃亡者の捕縛の任に就いております」
「ふむ、なら私も出よう。着替えを持て」
「はっ」


 クラウスが着替えを取りに行っている間、トスカーナは窓の外を眺めつつ事態の把握に努める。
 そんな彼の視界の中を白い影が横切った。
 闇夜の中を淡く光る妖精が舞い踊る、そんな幻想を抱かせるような光景にトスカーナは苦笑した。


「どこまでも人を飽きさせぬ小娘だな。容易く手折れるものと思っていたがなかなかしぶとい」


 行く先を塞ぐ兵士を蹴散らすボーマンとその後をおっかなびっくり突いていくスワジク。
 ずいぶんと以前に王城でみた姿とは似ても似つかぬへたれぶりに思わず失笑してしまう。
 が、トスカーナはそこでふと考え込む。
 以前は高圧的で傍若無人だったスワジクと、自分の城内を泣きそうな顔をしながら逃げ回るスワジク。
 あまりにも掛け離れているその姿にどうにも違和感を覚えてしまう。
 今目の前にいるのは本当に蛮行姫と忌み嫌われていたあのスワジク姫なのか、と。
 それに彼女の逃げ道を切り開いていく騎士見習いの少年の存在も違和感に拍車を掛ける。
 いや少し前には蛮行姫を嫌っていたはずの侍女の変心もあった。


「しかし何故今になってあの蛮行姫を庇おうと動く輩が増えたのか。外堀はすでに埋め尽くされていたはずだがな」


 思えば彼女の身柄を確保したときに現れた正体不明の一団についても不明なままである。
 あの時彼らはスワジクを助けようと動いていたのは間違いない。
 この国の権力を敵に回してまでスワジクを助ける酔狂な者はいないはずだった。
 考えられるとすれば帝国が秘密裏に彼女の身柄を保護するべく動いたか、あるいはラムザスか。
 だがラムザスと考えるならば生け捕りより、彼女を殺すほうが手っ取り早い。
 必然的に帝国側のいずれかの勢力がと考えるのが普通だ。


「……まさか、な。帝国がいまさら蛮行姫に手を差し伸べるメリットもあるまい」


 そう、これだけ王国内外に悪評を得た姫なのだ。
 当のヴォルフ家ですらあまりの醜聞にそろって口を閉ざしていたのだから、いわんや他の選帝侯が彼女に肩入れする筈はない。
 嘘か本当かは知らないが実は皇室縁の者だと言う者もあるが、それを認めることは帝国や皇帝自身の威信に傷をつけるだけ。
 これも有り得ない可能性。
 では何故孤立無援のスワジクに手を貸しているのか。
 その意図がまったく読めずに眉間に皺をつくるトスカーナだった。


「お待たせいたしました。お着替えでございます」
「ご苦労だった。あと準待機の守衛どもを全て呼び出せ。城下町にいるかもしれない不審者に備えさせろ」
「は、御意に」


 兎にも角にもヴォルフ家のゴーディン王家への影響を排除し、ヴォルフ家とは別の選帝侯との互恵関係も上手くいっている。
 まだ内定とはいえ蛮行姫の廃姫も滞りなく王に認めさせた。
 その上で魔力に目覚めたスワジクを手に入れて自家の存在にさらなる箔をつけるチャンス。
 すべてはトスカーナにとって追い風となるべき事柄ばかりだ。
 スワジクの魔力覚醒以外は全て自身の努力の積み重ねの結果であり、必然でもあった。
 今更これらが覆るはずもない。
 だから油断さえしなければ問題ないはずだとトスカーナは気持ちを切り替える。


「よし、では狩に参ろうか」
「ははっ」






「ッ!」


 背後でなった鳴り筈の音に背筋に怖気が走る。
 まさか前後を挟まれている状況で弓を射る馬鹿がいるとは普通思わなかった。
 避けようとするが、目の前の相手が邪魔をして動けない。
 まずいと思った瞬間、突然の横からの衝撃を受け、俺はそのまま文字通り宙へと押し出されてしまう。
 慌てて伸ばした手の先に見えるのは、恐怖に怯えながらも儚げに微笑む姫様の顔。
 

「っ!!」


 姫様を残して落ちれない。
 そう思って手を伸ばそうとしたが、俺の手が動く前に身体が堀へと引き込まれるように落ちた。
 水面に叩き付けられそのまま浅くない堀の底まで一気に落ちる。


(くそっ、くそっ! 何してんだ、俺! また姫様に助けられたっ)


 俺は慌てて水面まで浮かび上がると、さっきまでいた城壁の上を見る。
 姫様があの狂犬じみた男に剣を向けているのが見えた。
 剣を突きつけられて怯えているはずの姫様は、すぐに城壁の向こうに姿を消した。
 飛び降りたのか、組み伏せられたのか?
 ここからじゃ何も分からない。


「姫様ぁっ!」


 姫様の力になる、姫様を守って見せると豪語した後のこの醜態。
 俺が守るべき姫様は城壁の上に残ることで俺を助けようとしたに違いない。
  今からでもこの城壁をよじ登って彼女の元へと戻りたい。
 が、もとよりそんなことは不可能。
 ならば時間は掛かってももう一度城内に入り込むしかない。
  俺は城壁の上の顛末を気にしながらも、対岸へと向かい泳ぎ始めた。


「くそっ! くそっ! くそっ!」


 悪態をつきながら堀の縁へと泳ぎ着く。
 だか水から上がるには少々水面と地面の高低差がありすぎた。
 どこか適当な場所はないかと見回していると、頭の上から一本のロープが垂らされる。


「これを掴んで登って来てください」


 見上げると黒髪の少女と目が合った。
 どこか掴みどころのなかった、あのルナ・ホランだ。
 しばらく相手の真意を探ろうと気配を伺う。
 そんな俺にじれたのか、彼女は早くとロープを揺らす。


「どういう風の吹き回しだよ?」
「姫様を助けたいのでしょう?」
「あんたは姫様の敵じゃなかったのか」
「……ええ、あの娘のことが憎かったわ」


 姫様の事をあの娘呼ばわりか。
 何にせよ、今はこの堀から這い上がることが先決か。
 俺は腹を決めてロープを握った。


「手を掴んでください」
「……ああ、すまない」


 俺は彼女の手を掴み、力を入れて地面の上へと身体を引き上げた。
 登ってみるとそこにいたのはルナだけじゃなく、ロープの端を片手で握っているミーシャさんや半泣きのニーナまでいた。


「ボーマンッ!!」


 ずぶ濡れの俺の胸に飛び込んでくるニーナ。
 思わず抱きとめてしまうが、慌てて引き離す。


「ちょ、濡れるって」
「馬鹿っ! 馬鹿っ! ムチャばっかりしてっ!!」
「い、痛いって、グーで叩くな、グーで!」


 泣きべそをかきながら俺の胸を叩いてくるニーナの頭を押さえつける。
 っていうか、傷口があったところを叩くな。
 もう塞がったとはいえ、なんとなく痛いんだから。


「もう傷はいいのですか?」
「あ、はい、ミーシャさん。姫様が癒してくれましたから」
「えっぐ、えっぐ、ほ、ほんと? 本当に大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。さっきだって大立ち回りしてた位だからな。だからもう泣くなよ、ニーナ」
「ひっぐ……う、うん」
「で、中に乗り込むんですよね?」


 濡れた胸にしがみつくニーナの頭をかいぐりしながらミーシャさんに訊く。


「当然でしょう。それとも貴方は怖くて足が竦んでいるのですか?」
「馬鹿言わないでくださいよ。ここんとこみっともないとこしか姫様に見せてないから、フラストレーション溜まりまくりなんですよ」
「……ま、あまり当てにはしていませんが、着いて来るなら別に拒みはしません」
「で、どうやって中に戻るんですか?」
「それは……」


 と言ってミーシャさんがルナの方に顔を向ける。
 彼女の視線を受けてルナがゆっくりと頷く。


「私達のような密偵や刺客が使っていた秘密の抜け穴があります。そこからなら城内に戻れるはず」
「……信じていいのか? あんたは一度俺を嵌めたんだぜ?」
「必要とあれば何度だってやります。でも、あの娘は私が憎むべき相手ではありませんでしたから……」


 そう言って顔を横に向けるルナ。
 どういう心境の変化があったのか俺には分からないけど、姫様に危害を加えないというなら取りあえずは信じていいのだろう。
 大体あのミーシャさんが一緒に行動しているんだ。
 姫様に害を成すようなら、ミーシャさんなら躊躇わずにルナを排除しているだろう。


「そうか、じゃあ取りあえずは信じてやるさ」
「では行きましょうか。ルナ、案内をお願いします」
「ええ」


 待っていてください、姫様。
 すぐに、すぐに助けに行きますから!






「に、逃げたぞぉぉぉぉっ!!」


 あの憎っくき小娘の姿を一瞬で見失ってしまう。
 城壁の上からの飛び降り。
 人の5倍の高さはあろうかという高さからだ。
 いくら城壁の内側には若干の傾斜があるとは言うものの無茶苦茶である。
 意表を付かれたとはいえ、あの小娘にいっぱい食わされたという事実に体中の血が沸騰する思いだ。


「くそっ! 追え、早く追うんだっ!! この際だ、手足の骨を折るくらいは構わん!!」
「はっ、了解しました」


 それなりの防具と武装をしている我々の動きは衛兵の平服だけの小娘よりも鈍い。
 この重さのまま壁を駆け下りるような離れ業も出来ない。
 必然、俺と小娘の距離は広がってゆく。
 遥か眼下を悠々と逃げてゆく小娘の姿に臍を噛みつつ、一向に周囲の兵士が動かないことに気が付く。
 どうやら城壁の降り口辺りで押し合いになっている様子だ。
 俺はまごつく兵士達に痺れを切らし、人を掻き分け無理やり前へと出た。


「いったい何を遊んでいるんだ!!」
「お前がこの隊の指揮官か?」


 目の前にいるのは輝くような銀の鎧に身を包んだ侯爵付きの騎士達だ。
 滅多なことが無い限り彼らが動くことなど無いはずなのだが。


「はっ、左様であります」
「なるほどな。せっかく此処まで追い詰めておきながら両方とも逃がしてしまったのか。存外に無能なのだな」
「……」
「まぁ、いい。ここから先は我々がやる。だからお前達はすっこんでいろ」


 いいなとばかりに見下した視線を投げつけ、俺に背を向けて歩み去ろうとする騎士。
 普段ならそのまま唯々諾々と言いなりになっていればいい。
 だが、今は駄目だ。
 他のことならいざ知らず、あの蛮行姫だけは、誰にも渡せない。
 あれは俺の獲物だ。
 もちろん、侯爵が最終的にあの姫を得るのだろうが、それまでの間、嬲り辱めて絶望を奴に刷り込むのは俺だ。
 男爵様の無念と屈辱の万分の一でもあの女に味わせねば、なんのために騎士の名を捨て身をやつしてまで狗のような身分に甘んじているのかわからなくなる。


「それは承諾できませぬ」
「あ?」


 階段を下りようとしていた騎士達の足が止まり、ゆっくりとこちらを振り向く。
 その顔にはやはり侮蔑と怒りが見て取れた。


「貴様、俺の言ったことに逆らうのか?」
「滅相も無い。ただ、我らとて侯爵様からの命を受けていますゆえ、私の一存では応とは言えませぬ」
「ならば自ら盟主様の下へ指示を伺いに行けばよかろうが。そんなことすら分からぬのか、無能な鼠め」
「お言葉ですが、ことあの小娘の件に関しては侯爵様から変更指示が無い限り思うように動いてよいとの指示を受けております」


 言葉を都合と思った瞬間、目の前の騎士が警告も無しに拳を俺に向かって振るってきた。
 もっとも半分挑発していたようなものだから、予想はしていた。
 だから騎士の拳は空を切るだけで、なんの成果もあげはしない。


「きっさまぁ、鼠の分際でっ!」
「申し訳ありませんが、侯爵様からの追跡停止の命令が無い限り、私は任務を続行したいと思います」
「まだ分からんようだな。貴様は邪魔だから失せろと言っている!」
「貴方も分かってくださらないのですね。私は貴方から命令される謂れなど無いという事に」


 まったく威勢がいいだけの張りぼての癖に。
 そんなにご主人様に頭を撫でられたいのか。


「それにこんな所で言い争って、あの小娘に逃げられたらそれこそ侯爵様の勘気を被るのではないのですか?」


 ちらっと蛮行姫が逃げた辺りを見回しても姿が見えなくなってしまっている。
 おそらく魔法を使うのを止めたのだろう。
 さすがにいい目印になると理解したのだろうか。


「ちっ、屑が。もう一度言うが、俺達の邪魔をするなよ、鼠。目の前をちょろちょろと走り回れば、あるいは踏み潰してしまうかもしれんしな」
「ご忠告感謝いたします。せいぜい気をつけさせていただきます」


 ぺっと唾を俺の靴に吐き捨てて去ってゆく騎士達。
 全くもって度し難い。
 だが今はそんなことに構っている暇は無い。
 目の前の階段が邪魔な騎士達で塞がっている以上、違うルートで蛮行姫を追わなければならない。
 俺は徐にチェインメイルを脱ぎ捨て、要らないものを全て身から外した。
 あの小娘に出来て、俺に出来ぬ道理があるまい。


「身軽な者だけでいい。俺に続けっ!!」


 そういって俺はあの小娘同様、わずかな足がかりを頼りに城壁を駆け下りた。



[24455] 61話「人は誰が為に戦う? 後編」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:9bc29b01
Date: 2012/09/24 23:14
「うぅぅ……頭痛い……」


 まるで鉛にでもなったかのような手足を動かし、なんとか仰向けに寝転がった。
 一体どれくらいここで気を失っていたのだろう。
 月の位置を見る限りでは、そんなに何時間も経っている感じはしないな。


「兎にも角にも、起きて逃げなきゃね」


 気合を入れなおして、休みたがる身体に鞭を入れて起き上がる。
 周りを恐る恐る見回してみると、あちこちに松明を持った兵士が立っていた。
 ここから見る限りではそれほど逃げられるルートが有るようには見えない。
 人が少ない場所は見晴らしのいい開けた場所しかないので、のこのこと出て行けば一発で見つかってしまう。
 といって庭の生垣伝いに逃げるとしても、結局は広場なり幅広の通路にぶち当たったりするわけだ。
 そういえばと思って正門のほうを見てみると、先ほど開きかけていた城門が今は完全に開いた状態にある。


「多分、あっちに行ったらすぐに捕まっちゃうんだろうなぁ」


 といっていつまでもここに居ては、最終的に見つかってしまう訳で。
 

「どっちにしても取れる選択肢なんてほとんど無いんだ。一か八か、正門に向かってみようかな。それに捕まったところで殺される訳じゃなし」


 うん、殺される事は無くても、孕まされる可能性はあるんだけどね。
 敢えてその辺りは考えないようにしてみた。実感ないし。
 そんなアホな事を考えながら、それでも見つからないように四つん這いになって影から影へと移動する。
 なんかあれだよね、僕ってこんな風にスネークやってばっかりな気がするんだけど。
 
 ガサッ

 気を抜いていた訳じゃないけど、生垣の枝に皮鎧が引っかかって嫌な音を立ててしまった。
 慌てて身体を伏せ、両手で口を押さえて息を殺す。
 1秒、2秒と時間が過ぎてゆくが、誰かがこちらに近づいてくるような気配は感じられない。
 たっぷり30秒ほど過ぎたくらいで、僕はゆっくりと顔を上げて周囲を見回してみる。
 人の位置はさっきと殆ど変わっていない。
 どうやら気が付かれなかった様だ。
 そう思ってため息を付いてへたり込み、何気なく城壁の上を見た。
 城壁の上にはもちろん兵士がいて中庭を見回しているわけだが、その一人が手にしたカンテラを上へ下へと忙しく動かしている。
 何をしてるんだろうと思ってじっと見ていたら、なにやらこちらを指差している様子。


「あれ? もしかして見つかった?」


 嫌な予感がじわじわと競りあがってくる。
 でも見つかったにしては回りの兵士たちが動かないのが理解できない。
 見えるだけでも10人ほどいるんだから、ばれたのなら一斉にこっちに向かってきてもいいようなものなのに。
 じっとしてやり過ごすべきかどうか悩んだけど、嫌な予感が止まらないので急いでここから離れることにした。
 もちろん、城壁の上の兵士の動きにも注意を払う。


「さっきからこっちをじっと見て動かないね。こりゃマジで見つかっちゃったか!」


 今居る場所から正門まではまだ100mほどある。
 50mくらいのところからは遮蔽物が無くなり、周囲からは丸見えだ。
 こういう時はかえって堂々とした方が見つかりにくかったりするんだよね。
 城壁の上の人には気づかれてるけど、多分僕が大胆な行動しても他の人には知らせなさそうだし。 
 もちろん僕の希望的観測というか、そうだったらいいなっていうだけなんだけど。
 兎に角、一刻の猶予もない状況だ。あれこれ悩んだって仕方ない。
 そう割り切ると、僕は目立つ銀髪を襟元に押し込んで襟を立て、出来る限り目立たない様に工夫を凝らす。
 無駄な努力かもしれないけど、これでなんとか誤魔化されてほしい。
 僕は生垣の影から何食わぬ顔をして正門に向かって堂々と歩き始める。
 歩哨として立っている人たちは中庭の方を注視しているおかげで、こちらには気が付いていない様子。
 いつバレるかとひやひやしながら、正門へと近づいてゆく。


「どうしよう! どうしよう! 正門にも兵士がいるけど、どうやって誤魔化そう?」


 歩きながら必死に考えるけれど、そんな妙案が浮かぶくらいなら最初からこんな事態に陥るわけも無い。
 必死に前だけを向きながら不自然に思われない速度で歩いていると、後ろから集団で追いかけてくる足音が聞こえた。
 僕は恐怖に負けて肩越しに後を振り返ってみると、丁度僕が出てきた生垣の辺りから城壁の上でやりあった兵士達が飛び出してくるのが見えた。


「やばっ! 追いつかれた!!」


 もうこうなったらバレるバレないじゃない。
 僕は必死になって正門に向かって駆け出す。
 この状況に周囲の兵士たちが気づかない筈は無く、あっという間にあたりは怒号と警笛の音に包まれた。


「おい! そこの衛士! 何をしているかっ!」
「正門に向かっているぞ! 逃げる気だ!!」
「追えっ、早く追わんかぁ!!」


 その騒動に正門前でなにやら集まっていた兵士達も気が付いたみたいで、僕の進路を遮るように展開し始める。
 引くも進むも出来なくなって、僕は徐々に走るスピードを緩め最後には立ち止まってしまった。
 全方位を兵士達に囲まれて、もう何処にも逃げ道は無い。


「うん、正直逃げられるとは思ってなかったけどね。あはは、やっぱりここでゲームオーバーかな……」


 兵士達を押しのけて、あの名無しと呼ばれた男が出て来た。
 あの余裕の表情が凄く怖い。
 どうあっても僕に酷い目を見せたいらしい。
 
  
「くくくく、もう逃げないのか?」
「この状況で逃げられるわけないじゃない」
「今更大人しくなるなよ。もっと足掻け。売女のごとくみっともなくな。でなければ面白くないじゃないか」
「力じゃ敵わないし、誰かを傷つけたいなんて思ってないからね。大人しくもなるさ」


 薄ら笑みを浮かべながら僕の前に立つ名無し。
 手にしていた剣を目にも留まらないスピードで振りぬくと、僕の身体に軽い衝撃が走った。
 斬られた? と思って下を見ると、纏っていた皮鎧にくっきりと斬撃の痕が残ってる。


「動くなよ? 動けば本当にお前を切り刻んでしまいそうだ」
「ひっ!」


 斬られる度にその衝撃で右へ左へと弾かれてしまう。
 相手を喜ばせるだけだと分かるからなんとか悲鳴を抑えようとするけど、斬られるたびに条件反射のように喉が引き攣って声を上げてしまう。


「ははははっ、いい顔だ! 恐怖に引きつるその表情! 本当にいいな、お前は! 嬲り甲斐があるってもんだ」
「あぅっ! うぁっ! いっ!」


 口を動かしている間も手は止まらず、どんどんと増えてゆく鎧の傷。
 斬撃に翻弄され、僕は知らず知らずの内に周囲を囲っている兵士の壁まで追い詰められた。
 新たな斬撃を受けて背後に立っている兵士に背中をぶつけてしまったその瞬間、僕はその人に羽交い絞めにされてしまう。
 

「うわっ、小便クセェな、この小娘!」
「はははは、怖くて小便漏らしたんじゃねぇのか?」


 羽交い絞めにした兵士が屈辱的な台詞を僕に吐いたかと思うと、周囲の兵士達は大爆笑した。
 暴動の中で取り残された女の人ってこんな最低な気持ちになるのかなって、どこか他人事のように僕は今の状況を感じている。
 あからさまな悪意をぶつけられる。
 それがこんなに怖いなんて夢にも思わなかった。
 人ってこんなに醜く慣れるんだ、ということも知った。
 自分の中にあった確かな筈の想いが、ぼろ屑のような無価値なものに成り下がってしまう。
 

「こんなのって……こんなのって……」
「悔しいか? 悔しいだろう? その悔しさは俺の悔しさであり、男爵様の恨みでもあるわけだ。くははは、もっと絶望しろ! 奈落の底より深く!!」


 高笑いを続ける名無しが近寄ってきて、ボロボロになった皮鎧の肩紐を剣で無造作に切り裂く。
 自重で当然皮鎧は剥がれ落ち、あとには所々切り裂かれたシャツがあるだけ。
 切っ先が触れたところから、赤い血がゆっくりと流れ落ちる。
 皮鎧を切るときに一緒に身体も傷つけられたみたいだ。
 焼けるような痛みが、辛うじて溢れそうになる涙を留めてくれる。


「さて、次はどうやって辱めてやろうか? ここで全裸にして踊らせてみるのもいいか?」
「隊長! こんな小さい胸じゃ、おっ立つものも立ちませんぜ」


 下卑た笑いに気をよくした名無しは、剣の切っ先を喉元に突きつけてゆっくりと身体のラインにそって下ろしてゆく。
 一つ、二つとシャツのボタンが切り取られ、僕の胸が少しずつ外気に晒されていった。


「泣け、媚びろ。そうしたなら、あるいはこの辱めを止めてやってもいいぞ?」
「お断りだよ!」


 僕が言い返すと、名無しは一気に切っ先を振りぬいた。
 シャツのボタンが全部飛び散り、ズボンの腰紐も断ち切られる。
 いわゆる裸シャツ状態にされてしまったわけで、そんな僕の姿をみて周囲の男たちは一斉にどよめく。
 何より、僕を羽交い絞めにしている兵士の生々しい鼻息が気持ち悪い。


「さて、次はどっちがいい? その紅白に染まったボロいシャツを切り刻むか、腰に纏わり付いてるみっともないドロワースか」
「知るもんかっ!」


 僕の反抗的な態度に笑みを深める名無し。
 切っ先が再び持ち上がり、僕の臍の下あたりで止まる。
 くそっ、この変態! 裸Yシャツなんてありえないだろ! 中身僕だぞ!?
 などと頭の中で悪態を付いていると、何処からともなく悲鳴のような叫び声ような訳の分からない音がした。


「ぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!」


 ドカッという肉を打つ音が聞こえたかと思うと、目の前にいたはずの名無しが横っ飛びに吹っ飛んでいった。
 何事!? と思ってみると、何故か突然現れたボーマンが仁王立ちしている。
 見間違いでなければ、今、空を飛んできたよね?
 飛んできたっていうか、放り投げられたっていうような感じだったけど。
 突然度肝を抜くような登場を果たしたボーマンに、周囲にいた兵士達も思わず棒立ち状態になっていた。
 

「ぐはぁっ!!」


 突然羽交い絞めしていた兵士が悲鳴を上げたかと思うと、僕を放り出してお腹を押さえ苦しみ始めた。
 よく見ると、僕の脇腹を掠めるように剣の鞘が兵士のお腹に付き入れられていた。


「え?」
「いつまで姫様に抱きついてるんだ、この野郎」
「ぐ、ぐぅぁあぅがぁぁぁ」


 自由になった僕はすぐさまボーマンの濡れてる背中に張り付いた。
 

「ボーマン! どうやってここまで?」
「説明は後でします。俺の背中から離れないでくださいよ?」
「う、うん、分かってる」


 多勢に無勢の絶体絶命の窮地なのに、どこか嬉しそうな顔のボーマンの横顔。
 周囲を不敵に見回してから、彼は手にしていた剣からゆっくりと鞘を抜き払った。
 その意味を直ぐに理解した僕は、思わずぎゅっとボーマンの服を握り締めてしまう。
 誰かを傷つけたり、殺したりなんかしたくない。
 ましてや、ボーマンにそんなことをさせたくはない。
 だけど、この状況をみればそんな綺麗ごとを言っている場合でないことも分かってる。
 どうしようもない想いが、在りもしない出口を求めて僕の中を駆け巡る。
 

「姫様、今はここから逃げることだけに集中するんだ。言いたいことは分かるけど、今はこれしかないんだ」


 服を掴んでいる僕の手に、ボーマンは鞘を握った手を重ねてくる。
 

「……ゴメンね」
「姫様らしいな。でもそんな心配はいらねぇよ。俺は姫様を守るって決めたんだ。その為なら何だって出来るし乗り越えてみせる。それが騎士(ナイト)ってやつさ」
「そっか。ボーマンは凄いね。じゃあボクは……ちゃんとお姫様をしないといけないんだろうね」


 僕がそう言って小さくため息を付こうとした時、突然ボーマンが左に一歩動いて鞘を2回、3回と振り回した。
 その度にガッという衝撃音がなり、背後でダガーが数本地面に墜落する。
 ダガーを投擲された方向を見ると、頭から血を流した名無しが鬼のような形相でこちらを睨んでいた。


「……お前ら二人とも……殺す!」
「へっ、出来るもんならやってみな。騙し打ちさえなけりゃ、お前みないな奴には負けねぇよ」
「ほざけ、ガキがっ!!」
「けっ、逆恨みの粘着男よりかはマシだぜ」

 
 二人とも口も回ってるけど、それ以上に手数が半端なく凄い。
 豪腕で打ち込んでくる名無しの剣を、剣で受けて逸らすボーマン。
 名無しが体勢を崩した所へ容赦なく左手の鞘を叩き付ける。
 対する名無しは、殺傷力のない鞘の攻撃など痛くもないわとばかりに防御もせず、そのまま強引に両手剣を横に振りぬく。
 
 うぅ、ボーマンの動きに付いていけないです。
 右へ左へと忙しなく動く二人に合わせて、僕も右へ左へと動くんだけど、間に合わなくてオロオロしている。
 少し涙目になりつつある僕をみて捕縛のチャンスと思ったのか、壁となっていた兵士の一部が僕に向かって突進してきた。


「うわぁ! ちょ、やめっ!!」
「このぉ、ちょろちょろと動くな!」
「無理! 無理だから!!」


 何が無理なのかは自分でもよく分からないけど、必死になって伸びてくる手を交わしまくる。
 あともう少しで捕まりそうになった時、目の前の兵士が突然奇妙な鳴き声を上げて倒れこんでしまう。
 何事!? って思ってみると、兵士の後頭部に割りと重そうな感じの槍が突き刺さってた。


「誰だ!!」


 僕を捕まえに来ていた兵士の一人が、背後を振り返って誰何する。
 すると兵士の壁が自然に割れて、一人のメイドが現れた。
 兵士の頭を鷲づかみにして盾のように掲げながら……。
 ありえない光景に兵士達が恐れおののいて引いていく。
 そりゃそうだよね。装備込みで100kgはある兵士をまるで子猫をぶら下げるかのようにしているんだから。


「姫様への狼藉は許しませんよ?」


 周囲の兵士を睥睨しながら、優雅な足取りで僕の元までやってくるメイドさん。
 僕の所へ着いたと同時に、手にしていた兵士を用無しとばかりにはるか向こうへと投げ捨ててしまう。
 うん、ミーシャさん。何気に人間辞めてますよね?
 

「姫様、ご無事で何よ……り? その肩の傷はどうされたのですか」
「あ、いや、さっき皮鎧剥がされるときに一緒に斬られちゃった。割と酷そうに見えるけど大丈夫だよ?」
「そうですか。とりあえずは軽症で何よりですが……」


 そういいつつ、ミーシャは兵士の頭に突き刺さったままの槍を手に取り一気に引き抜く。
 って、なんか変だと思ったら、石突の方が頭に刺さってたのか。 
 刺さってたというか兜にめり込んでいただけだから、この兵士さんも死んでなさそうです。
 どうでもいい情報だけど。


「私の姫様に傷をつけるなど、万死に値します。その上、あろうことか裸Yシャツのコスプレをさせるなんて……裏山、いえ許せません!」
「多分コスプレとかいっても周りの人には通じないと思うんだ、ミーシャ」
「まとめて掛かって来なさい。地獄を見せてあげましょう」


 僕を中心にして無双をしている人外が二人。
 いや、まだボーマンの方が人間らしいというか剣豪っぽくってカッコいいんだが、いかんせんミーシャが凄すぎです。
 槍を横に振れば、人が2、3人纏めて吹き飛ぶというどこの漫画の豪傑ですかという状況。
 その台風の目の中で一人ぽつんと立ち尽くす僕。
 臨機応変に二人の邪魔にならないように動こうと思ったんだけど、あまりに二人が凄すぎて逆に動けないです。
 

「重装兵前列! 密集隊形!」


 怒号や剣戟の音を引き裂いて、野太い声が戦場に響く。
 何事と思ってみると、そこにはフルプレートに包まれ大きな盾を前面に押し立てて迫ってくる一団がいた。
 あれは多分衛士とかじゃなく、正規の軍兵なんだろうと思った。


「踏み潰せ!!!」
『オオオオオオオオオ!!!』


 今までの喧騒がまるで小鳥の囀りだったのかと思えるほどの雄叫びが鳴り響く。
 同時に勢いを徐々に増して駆けてくる金属の塊。
 僕は自分のことも弁えず、前にいるミーシャに向かって声の限り叫んだ。


「逃げて! ミーシャ!!」


 僕の声が届いたのか、前で戦っていたミーシャが肩越しに振り返る。
 目が合うとクスリと笑みを浮かべ、心配ないとばかりにウィンクを返してくれた。
 でも僕が望んだのは、目の前に迫る重戦車のごとき一団から逃げてほしいという事だったのに。


『ウウウウウウオオオオオオオオオオ!!!」


 たった一人を踏み潰そうと、50人からの兵士達が盾を前に迫り来る。
 迎え撃つミーシャがゆっくりと槍を回転させ、まるで「遮断機」のように水平に槍を持ち直した。
 次の瞬間、一人と一団は衝突する。


「ぐっ!!」


 それはまるで冗談のようだった。
 たった一人のメイドが、助走を付けて走ってくる50人の男たちを受け止めて見せたのだから。
 その光景に僕だけじゃなく誰もが息を呑んだ。 


「ば、馬鹿な!?」


 指揮官らしき人が、盾の後ろで狼狽しているのが見えた。





「すげぇな……あれは流石に俺でも真似できねぇぞ……」
「なんだ、あの化け物は……」


 その異様な光景に、ボーマンと名無しの二人は手を止めていた。
 が、それも一瞬のこと。
 お互いにいったん距離をあけ、再び対峙する。


「お遊びはこれくらいにしないとな。お客さんがこれ以上増えるのは勘弁してほしいしな」
「確かに。あの腰巾着どもに貴様らをくれてやるほど、私もお人よしではないんでな」


 そういうと名無しは両手剣を頭上高く振り上げる。
 もちろん胴周りは完全に無防備だ。
 対するボーマンは鞘を捨て、腰の横辺りで片手剣を寝かせる様に構えた。


「この一撃に全てをかける。逃げるなよ、小僧」
「そこまで言われて逃げるようなら、もとから騎士なんぞ目指すもんか」
「はは、その意気は買ってやる。冥途の土産に我が渾身の一撃をくれてやる」
「先に行くのはあんただがな!」


 二人の間で殺気が渦巻いているのが見えるようだ。
 息が詰まるような緊張感に、僕は思わず目を瞑ってしまいそうになる。


「だ、駄目だ。目を瞑っちゃ駄目だ。何にも出来ないんなら、せめてボーマンやミーシャの姿をきちんと見続けないと」


 それが今の僕に出来る唯一の事。
 これが「お姫様らしい」ことなのかは分からないけれど。


「ボーマン、頑張れ!!」
「大丈夫! 俺は負けない! ちゃんと勝って無事に姫様を助け出す!」


 僕とボーマンの会話を隙と見たのか、名無しが奇声を発しながら大きく一歩を踏み込んで来た。
 それに合わせて、ボーマンが右手を顔の前に拝むように持ち上げつつ、腰は更に落とし込む。


「きぃぃぃぃえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「シッ!!」


 ガッっという肉を打つ音が聞こえ、二人の姿が交錯した。
 僕から見たら、名無しの剣は確かにボーマンを捉えていたように思える。
 でも受けの体勢にいたはずのボーマンはいつの間にか名無しの後ろに移動しており、左手で構えていた片手剣は振りぬかれている。
 そしてボーマンの右手は、まるで手甲が何かに剥ぎ取られ血まみれになっていた。


「くっ……」


 痛みに耐えかねたのか、ボーマンが片ひざを地面につけてしまう。
 打ち負けてしまったのかと思いきや、今度は名無しの方が両膝を崩して地面に突っ伏す。


「く……そ……がぁ……」


 地面にじわじわと滲む赤色に、僕はようやく勝敗を悟ることが出来た。
 といっても辛勝といったところではあるのだけれど。
 勝ったとはいえボーマンも無事ではない。
 あの傷じゃきっとさっき見たいには戦えないと思う。
 それが分かるのか、周囲の兵士達が一斉にボーマンに襲い掛かる。
 片手でなんとかいなしているものの、ボーマンの劣勢は明らかだった。
 いづれ力尽きるのは時間の問題と思えた。





「ええいっ! 押し潰せ! 押し潰さんか!!」
「む、無理です! 城壁相手にバッシュを掛けているみたいで、ビクともしません!!」

 
 一方のミーシャの方もこう着状態に陥っている。
 負けもしていないけど、勝てそうにない状況。
 50対1で拮抗しているというだけで奇跡的ではあるんだけれども。


「中列! スパイク用意! 前列、スパイク隊形にシフトしろっ!!」


 その号令と共に、盾持ちの前列が、肩幅半分ほどの間隔をあけて広がった。
 開いた隙間に合わせて、後列の槍隊が横にずれてゆく。
 彼らの意図を理解したのか、ミーシャの顔に焦りが見えた。
 だが、依然として前列の前進力は然程衰えておらず、動きたくても動けなかった。
 ミーシャのゆがむ顔をみて口角を醜く吊り上げる指揮官。


「突き殺せ」


 静かな号令と共に無慈悲に突き出される10本の槍。
 動けない標的を突き刺すなど、彼らにとっては造作もないことなんだろう。
 全ての槍はミーシャの身体のあらゆる部位を貫いた。


「っ――!!」


 僕は声にならない悲鳴を上げ、ミーシャに駆け寄ろうとする。


「来ては駄目です! 私は大丈夫! ですからそこで大人しくしててくださいね!」


 明らかな致命傷を受けて、なお平然と敵を押し返すミーシャ。
 いくらなんでもこれはおかし過ぎる。
 こんなのは普通の人間に出来る芸当じゃない。
 何故? 何がどうなってる?


「貴様、さてはガーゴイルだな!?」
「ガーゴイル!? ま、まさか、帝国の魔装歩兵!?」
「馬鹿な、何で帝国の特殊部隊が?」
「ええい! うろたえるな! ガーゴイルが全て帝国製ではあるまいっ!! 兎に角突き続けろ! 魔結晶さえ壊せばこちらの勝ちだ」


 突かれる度にミーシャの身体から飛び散る光の粒。
 一方的な攻撃に成す術がないミーシャ。
 このままではその魔結晶とやらを壊されて、本当にミーシャが死んでしまう!
 後ろを振り返れば、満身創痍のボーマンもいる。
 もう無理だ。
 そう思った瞬間、大きな銅鑼の音が城中に響き渡った。


「引き鐘……だと?」


 呆然とその音を聞き続ける指揮官。
 その指揮下にあった兵士達も、戸惑いながらも攻撃を中止した。
 崩れ落ちるミーシャに駆け寄り、その身体を引きずってボーマンの元へと向かう。
 ボーマンも剣を杖代わりに、なんとか僕たちと合流を果たして地面にへたり込んだ。


「大丈夫? 怪我みせて!」
「ハァ……ハァ……一体何が……起こったんだ?」
「分かりません。ですが、九死に一生を得た感じです。この奇跡に感謝をしなければなりませんね」
「そんな涼しい顔してないで、ミーシャも具合の悪いところ教えて。魔法で治すから!!」


 魔法を使おうとすると酷く頭が痛むのだけれど、二人の怪我を見ればそんなことなんか構っていられない。
 この状況がいつまで続くか分からないけれど、今のうちになんとか動けるまでには治療しないと。
 僕は二人を抱きかかえて、あらん限りの力をこめて治癒の魔法を発動させる。


「これは驚きました。まさか魔法に目覚めたのですか?」
「え?」


 聞き覚えのある声に驚いて顔を上げると、興味深そうにこちらを眺めるレオさんがいた。
 

「え? どうしてレオさんがここに?」
「私だけではありません。殿下もこちらにおいでです」
「フェイ兄が? 来てくれた?」
「あなたが呼んだんじゃないですか」
「だって、あれからもう何日も経ってたし、フェイ兄の立場もあって来られないんじゃないかって……」
「いろいろと準備が必要だったのですよ。それと……」


 地面にへたり込んでいる僕に顔を近づけて、ことさら小声で囁きかけるレオさん。


「これから色々とびっくりすることがあるかもしれませんが、必ず殿下を信じて行動してください。いいですね?」
「ふぇ? あ、はい。分かりました」


 正直何がなにやら分からないけれど、フェイ兄が助けに来てくれたと聞かされて一気に緊張の糸が切れてしまった。
 それは僕に抱きかかえられた二人も一緒のようで、深いため息を付いて僕に身を預けてくる。
 今はその重みと温もりがとても大切に思えて、思わずぎゅっと二人を抱きしめてしまった。



[24455] 62話「罪の清算」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:9bc29b01
Date: 2013/01/06 12:32

 レオさんが僕と会話している間に、城門のほうからわらわらと集まってくる見なれた格好の近衛兵さん達。
 彼らは無言で僕とこの城の兵士達の間に割り込んできて、僕らを円形に取り囲んでしまう。
 その物々しさ、ぴりぴりした空気にとてもどうしたの?と軽口を叩ける雰囲気じゃない。
 レオさんも柔らかい表情をしているんだけど、何かしら緊張している感じがするしどうしたもんだろう。
 そんなことを考えてたら、お城のほうからフェイ兄とあのロリコン侯爵が談笑しながらこちらへ歩いてくるのが見えた。


「なんかあまり良い予感がしないんですけど……」
「ですね。今からでも逃げた方が良くないですか?」


 そう言って身構えるべくボーマンが身体を起こそうとすると、側にいたレオさんが持っていた剣の鞘で機先を制した。
 むっとした表情で睨み返すボーマンだが、レオさんは動揺することなく静かに宣言する。


「申し訳ないですが、不穏な行動は慎んでもらいますよ」
「レオ様! まさか姫様を侯爵に売られるつもりですか?」


 さっきの僕とレオの内緒話を聞いてなかったミーシャが、色をなして抗議しようと立ち上がる。
 慌ててセンドリックさんと若い近衛兵が二人がかりで、ミーシャの肩を押さえつけようとするけど、そんなの物ともせずに突っかかっていく。
 僕は慌ててミーシャの腕を掴んで、これ以上の面倒ごとを避ける為に引き止めた。
 

「レオ、何かあったのか?」
「いえ、殿下。大したことはありません」
「そうか」


 トスカーナ侯爵と並んで僕達の前に立つフェイ兄が、冷めた声でレオさんに向かって問いかける。
 短い受け答えの間、フェイ兄は僕達三人を冷ややかな視線で見下ろしてくる。
 こんな冷たい表情のフェイ兄は久しぶりだ。
 出会った最初の頃、笑顔の合間に見せていたあの汚いモノを見るような顔だ。


「フェイ兄様・・・あのね、これには色々事情があって――」
「あぁ、勿論把握しているよ、スワジク」

 
 貼り付けたような嘘くさい笑顔で、フェイ兄は僕に笑いかけてくる。
 その笑顔が僕の事を拒絶しているんだと理解したとき、なんか体中の活力が抜けていくような気がした。


「だが、それよりまず私の事はこれからは殿下と呼ぶように。君は仮の処置だか、廃姫扱いになっている。今は王族でもなければ、私の義妹でもない」
「……あ、う、うん……」
「この野郎っ!」


 半ば想像できたフェイ兄の態度に、僕はその内容も意味も理解しないままに首肯する。
 そんな僕達のやり取りを見て、ボーマンが顔を真っ赤にして飛び上がった。
 突きつけられた剣を払いのけ、目の前に立つフェイ兄の胸倉に掴みかかったのだ。
 ボーマンの行動にいち早く反応したのは、フェイ兄の後ろに控えていたコワルスキーさんだった。
 フェイ兄の胸倉を掴んだかどうかといった瞬間には、ボーマンの腕を掴み、捻り、そして地面に叩きつける。


「ぐはっ!!」
「ボーマン!?」
「相変わらずの単細胞だな、貴様は」
「くそっ、げほっ。は、離せ、このクソオヤジ!」


 僕は押し潰されているボーマンを見て慌てて駆け寄ろうとするが、後ろからミーシャに腕を捕まれて引き留められる。


「ミーシャ! なんで!?」
「姫様は動かないでください。何が起こるかわかりません……」


 そう言って周りを警戒するミーシャ。
 ちなみに未だにセンドリックさんともう一人がミーシャの肩に手をかけている状態。
 あんまり抑え切れてないようで、ちょっとだけ二人に同情してしまう。
 でも周りに視線を移すと、鋭い視線と共に自分達に向かって槍や剣を向けている近衛兵の姿が目に入る。
 同情してる場合じゃないよね……と反省。
 そこへゆっくりとフェイ兄が近づいて来て、止めの一言を僕に告げた。


「スワジク。君を国家反逆罪の容疑で拘束する」


 最初フェイ兄が何を言ってるのかすぐに理解出来なかった。
 フェイ兄の眼を見ようと視線を上げると、まるで逃げるようにくるりと踵を返してしまう。
 そんなフェイ兄の態度に切れたのか、ミーシャが僕を後ろに追いやってからフェイ兄に追いすがる。
 もちろん押さえている筈の二人を引きずって。
 だけど、レオさんが二人の間に入って抜き身の剣をミーシャの眼前に突きつけてきた。


「迂闊な行動は慎んで下さい。我々にはあなた方を切り捨ててもよいという権限まで与えられているのですから」
「反逆罪などと! 正気なのですか、殿下! 姫様は誰よりも貴方に協力的だったじゃないですか! 私達は姫様がそんな事をするはず無いことを熟知しているじゃないですかっ!!」


 なおも追い縋り声を張り上げて非難するミーシャ。
 レオさんが苦虫を噛み潰したような顔をしてミーシャに対し、剣を振り上げようとする。
 それを見た瞬間硬直が解け、自分でも驚くくらいの身のこなしでレオとミーシャの間に割り込む。
 と同時にレオさんが握った剣の柄を押さえつけ、かたやミーシャの口を手で塞いだ。


「そういうのは無しにしてよ、レオさん。それからミーシャもボーマンも落ち着こうか」
「姫様……」
「もとより手荒な真似は好みません。コワルスキーさん、ボーマンを離してやって下さい」


 レオさんの指示に無言でボーマンの拘束を解くコワルスキーさん。
 それを見届けてから、僕はフェイ兄の背中に向かって叫んだ。

「国家反逆罪って何さ! あとそれはボクだけにかかっている容疑で良いんだよね!?」
「あぁ、君が首謀者だと我々は認識している。あと君は数日前、ラムザス出身の老夫婦の家にいたね?」


 その問い掛けに思い当たるのは、侯爵に捕まったあの郊外の屋敷。
 あの屋敷の住人なんて見かけなかったし、ラムザス出身かどうかなんてことも知るわけが無い。
 でもフェイ兄の言っているのはその家のことなんだろうと理解する。
 けど、その家に居たというそれだけで反逆罪などと言い出すものだろうか?


「まだ納得出来ないかい? まぁ、しらを切るのもいいが目撃者もいるんだ。そうそうに諦めた方が温情を受けやすいよ?」
「目撃者? 何を目撃したの?」
「君が彼らを口封じしたことだ。ちなみに君を見たという人は、君も何度か会った事のある人だよ。だから見間違いということはない」


 と言われてもそんな事をいいだす人など知り合いには居ないと思う。
 実際口封じって、あの場で襲われていたのはこっちのほうだし。
 むしろ謝罪と賠償を求めたいくらいだ。
 でもそんな僕の想いなどお構い無しに、フェイ兄は言葉を続けた。


「じきに全てが明らかになるんだ。ゆっくりと牢獄の中で己の非道を反省するがいいさ、センドリック! 連れていけ」
「はっ!」


 荒々しく腕を掴まれ連行される僕を、悔しそうに目に涙を浮かべて見送るミーシャとボーマン。
 僕はそのまま城門の外に停められていた真っ黒な檻付の馬車に放り込まれた。
 その際、視界の端でフェイ兄から袋につまったお金を受け取っている北町の会長さんの姿が見えた。


「・・・・・・違う。会長さんはそんな嘘をつく人じゃない」


 熱くなりそうな目頭を必死に押さえながら、僕は一人檻の中で唇を噛み締めた。
 





 馬車は程なくして王都に向けて出発する。
 僕は格子窓から小さくなっていくトスカーナ領の街を眺め、一人ぼんやりと馬車に揺られてミーシャ達のことを思う。
 二人はどうなるんだろうとか、アニスは大丈夫なんだろうか、とか。


「あ、でもボクがもう王族じゃないってんなら、不敬罪も無効なんじゃないの? ってことはアニスは大丈夫の可能性が……。いや、脱獄した時兵士達を殺した犯人が捕まらないとアニスもやばいかも……」


 僕は御者台に向かって話を聞いてくれるよう声を掛けてみた。
 でも馬車の音とかが邪魔で聞えないのか、誰も何も返事をしてくれない。
 並走してる騎馬の人に向かって格子越しに手を振ったり、声を掛けてもチラリとも視線を向けない。
 んー、なんかむかついてきた。
 僕は馬車の中を見回して、なにかいいものはないかと見回してみる。
 だけれども囚人護送車ってこともあるのか、道具になりそうなものは何も無い。
 あるといったら内壁の上の方に取り付けられている拘束用の鎖くらいか。
 なんであれで僕を拘束しないのかな?
 まぁ、拘束してもされなくても、今の僕じゃ抵抗らしい抵抗なんて出来ないけどね。
 そう思いながら鎖をじっと眺める。
 短いし固定されてるから武器にも道具にも使えないなぁ。
 せいぜい首を括るくらいの長さしかない。 
 ま、本来なら手首に繋がってる筈のものだから、通常は首を括ることすら出来ないようだけど。
 

「あ……良い事思いついたかも? 相手してくれないなら、相手してくれるように仕向ければいいんだよ!」


 ということで、僕は壁に括りつけられている鎖を手に取るとニンマリと嗤った。
 脇の下に鎖を通して手を離してもぶら下がれるようにしてみる。
 一本はなるべく端を余るようにして、その余った鎖を首に巻く。
 上手く出来たかな? と思って徐々に膝の力を抜いて鎖に体重を預けてみる。
 うん、首に巻いた鎖には変化無く、脇の下に通した鎖で体重を支えきれている様子。


「うん、これなら必殺死んだフリ作戦も出来そうだよね。ふふふ、僕を無視した報いを受けるが良い! くふふふ」


 と、突然馬車がガクンと激しく立て揺れを起こす。
 狭い馬車の中で無防備に立っていたこともあって、僕は足を滑らせて鎖に全体重をかけてしまった。
 その衝撃が強かったせいか、微妙に鎖がずれて首に巻いた鎖がきゅっと変な音を立てて締まってしまう。


「ふがっ! ぐぅぅぇ!?」


 とても皆様にお聞かせ出来ないような悲鳴をあげてしまう僕。
 いきなり変な風に体重を掛けてしまったから、鎖が滑ってあった筈の緩みがなくなってしまったのだ。
 死んだフリ作戦が本気で首吊りになってしまって目を白黒させる。
 幸いなことに、完全に気道を塞ぐほどにはなってなくて、キュフー、キュフーと変な呼吸音をさせながらもなんとか息は出来ていた。
 でも苦しいことに変わりは無く、目じりから止め処なく涙が溢れ出る。


「おい、馬車の中が騒がしいぞ?」
「まったくもうちょっとお淑やかに出来んのか、この姫は」


 御者台の方からそんな会話が聞えたかと思うと、直ぐに馬車が止まってこちらに誰かが向かってくる様子。
 声は出せないけど、早く助けて! と心の中で絶叫する。
 苦しみながらも覗き窓をなんとか凝視していると、あの脳筋馬鹿のクラウと目が合った。


「おい、静かにってうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 僕の状況を覗き窓から確認したクラウが、絶叫と共に馬車の扉を蹴破って入ってきた。
 あぁ、これで助かると思ったら気が緩んだのか、すっと目の前が真っ暗になってしまう。
 気持ち良いなぁ、とこれが僕が気を失う瞬間に感じたことだった。




「あれ? どうしたの「「@ちゃん。涙なんか流して」
「う、煩いよ。泣いてなんかいないよ」


 真っ暗闇に木霊する懐かしい誰かの声。
 それが誰だったのか、何故か僕は思い出せない。
 でも慣れ親しんだ空気に、とっても気持ちが安らぐ。


「そぉ? それならいいんだけど。で、何してんの?」
「何をしてんのって。そりゃお前を迎えに来たんじゃないか!」
「あははは、へんな「「@ちゃん。逆だよ、逆」
「逆?」
「「「@ちゃんが死に掛けてるから、びっくりしてこっちまで来ちゃったんじゃない。皆も何事かって心配してたよ?」
「死に掛けてるって縁起でもない……て、あぁそっか首しまっちゃったんだ」


 ぷっと相手が吹き出して笑い出しながら、転げまわっている様子。
 うん、真っ暗で分からないんだけど、なんかそうしているんだろうなって思う。
 

「相変わらず「「@ちゃんは間抜けだねぇ。ホント高校に上がったのにそれは無いわー」
「うるさいよ、お前! ちゃんと締まらないように計算して括ったつもりだったんだよ!」
「でも結果こうなってるんでしょ? ここ三途の川だよ?」
「……へ?」
「だから、さ・ん・ず・の・か・わ! 「「@ちゃんは早く回れ右して来た道を帰るんだよ?」


 くすくすと笑いを引きずったまま、その子は僕の肩を掴んで身体をくるりと反転させて背中を強く押した。
 僕は慌ててその子の手を掴んだけど、まるですり抜けるように僕の手から逃げてゆく。


「駄目駄目。もう私はそっちにはいけないんだよ。あと、振り返ったら駄目だよ?」
「でも僕はお前を迎えにっ!?」
「うん、大丈夫。もう大丈夫だよ? だから安心して生きてね、「「@ちゃん。折角神様がお願い聞いてくれたんだから」
「ちょ、待てって! どういうことだってばよ!?」


 突然僕の身体が強い紐で絡み取られ、勢い良く上へと引っ張り上げられる。
 振り返りたい衝動もあったけど、振り返ってしまったらきっとあの子は悲しむんだろうと何故か思ってしまう。
 あぁ、なんで僕はこんなに泣いてるんだろう。
 悲しいけど何か暖かい、そんな温もりと安らぎを僕は感じて光の海へと飛び出した。 





「おい、起きろ! 生きてるんだろ? 起きてくれ、頼むよ」


 人が気持ちよく眠っていたら、誰かが頬をパンパンと乱暴に叩いてくる。
 本当ならその時点で飛び起きて相手に逆襲するところだけど、どうにも身体が重くて仕方がない。
 それに叩かれてるといっても、なんかむず痒い程度なので気にしなければどうということはない。


「くそっ! なんでこんな事にっ! ちくしょうっ!」
「お、落ち着いてください、団長!」
「これが落ち着いていられるかってんだ! こいつを死なせたら俺はあいつになんて言って詫びればいいんだよ!!」


 うるさいなぁ。喧嘩なら他所でやってよと思って覆いかぶさってきていた人の胸板を力の入らない腕で押し返す。
 冷たい金属の手触りだ。


「お? 目、目が覚めたか!?」
「うぅん……、うるさいよぉ」
「あ? 第一声が文句かよ……。はぁぁぁぁ」


 思いっきり肺にある空気を吐き出しながら、クラウは僕の傍に座り込む。
 目が覚めた僕はといえば、ぼーっとして周りを見回してどうして自分がここに居るのかを把握しようとしていた。
 そしてばらばらになっていたピースが一つになって、ようやく自分が陥っていた状況を思い出した。


「ふぁっ!! い、い、生きてる!? ボク、生きてる??」


 飛び上がって、自分の身体をパンパンと叩いて確かめる。
 ちょっと首と肩とか脇が痛いけれど、それ以外は大丈夫のようだ。
 僕の横で胡坐をかいてへたり込んでいたクラウは、そんな僕を見てよかった、よかったを連発してた。


「あ、あの、助けてくれたんだよね? その……ありがとうございます」
「いや、かまわねぇ……いやいやいや、構うぞ! なんで死のうとしたんだ!!」


 お礼を言ったら激しく肩を揺すられて責められました。
 自業自得な気もするけど、ちょっと今は気持ちが悪いので優しくして欲しい。


「あのっ! は、吐きそうになるんで揺するの止めて貰えます?」
「うぉ? す、すまん。だ、だがなんで死のうなんてしたんだ? お前はもっとふてぶてしい奴だって思ってたんだが」
「何か微妙に失礼なこと言われている気がしますけど、別に死ぬ気があったわけじゃなかったんです」
「?」
「いや、声掛けても誰も反応してくれなかったから、意趣返しに死んだフリをしてみようかなって思ったら……」
「間違えて本当に死に掛けてたってことか?」
「見たいです?」


 あははと後頭部を掻きながら、照れ笑いをして誤魔化そうとする僕。
 周囲にいた屈強そうな兵隊さん達も心底呆れ顔である。
 もちろん、目の前のクラウも同様に呆れていた。


「せめて護送されている時くらいじっと出来ねぇのか、お前は」
「わけも分からずこんな状況に置かれて、じっとしているほどボクはお淑やかじゃありませんので」
「はぁー、ほんと知れば知るほど変な奴だな、お前は……」
「会っていきなり床に女の子を叩き付ける人ほどじゃあないと思います!」


 過去の恨みを蒸し返してちくりと刺してやる。
 うん、これくらいは許されるよね、あの時は痛い思いしたんだし。
 案の定、クラウは凄い渋い顔を作ると、すまねぇと一言だけ吐き出すと頭を下げた。


「あん時は、あんたが本物じゃないって知らなかったんだ。だからちょっと頭にきて乱暴にしちまったんだ」
「どういう形であれ、女の子に暴力を振るうのはよくないと思うんですけどね」
「馬鹿言え。言って分からない女は殴るしかないだろう?」
「うわー。絶対嫌われるよ。今女性ファンから凄い勢いでマイナスポイント入れられてるよ」
「何訳の分からないこと言ってるんだ?」
「い、いえ、こちらのことです」


 ま、兎に角、ようやくまともに会話できる機会が訪れたんだ。
 ちゃんと情報収集はしないといけない。


「で、聞きたいんだけど、なんでフェイ兄は僕を犯罪者に仕立て上げようとしてるの?」
「それは……」
「レオさんは信じろって言ってたし、フェイ兄のあからさまな態度もなんか腑に落ちないし。ちゃんと教えてくれないと、次は本当に人生に絶望して首をくくるよ?」
「いや、それは待ってくれ! でもな、レオの野郎に口止めされてるし、感単に言う訳にも……」


 苦りきった表情で言い訳をするクラウ。
 うん、それだけで十二分にフェイ兄が何かしようとしているのは分かった。
 多分それは僕や皆を助けることに繋がるんだろう。
 あの場に居ればトスカーナ侯爵や敵が居るから、あえてああいう手段をとったって事なんだろう。
 でも……


「なんとなく状況が見えてきた気がするけど、でもボクこのまま王都に戻ったらどうなるの?」
「ん。一応北の塔に監禁して、今までの罪状についての裁判が行われる。元のスワジク姫の起こしたいろんな罪が問われると思う」
「うわぁ。総決算されるのか……」
「総決算という意味は分からんが、まぁそういうことだ。多分お前に恨みを持つ貴族やら豪商たちがこぞって罪を問うてくるだろうな。その結果しだいでは、死罪もありえると思うんだが」


 なんか冤罪押し付けられて殺される予感がヒシヒシと感じられる。
 どこぞのマリーアントワネットみたいにギロチンに掛けられるんだろうか? あの人の名言「パンがなければ~」も、実は本人が言ったことじゃないらしいし。
 僕もそんな感じで貴族やら商人たちの憂さ晴らしへの生贄にされるんだろうか……。


「いや、それはない。きっとない。フェイ兄はそんな事を望んでいるわけないよ」
「お前を溺愛しているみたいだしな」
「妹としてだろうけどね?」
「血は繋がってないんだ。問題ないだろうさ」
「まぁ、そうなんだろうけど、そういう問題じゃない気もする」


 まぁ、兎に角フェイ兄のあれがフェイクだって分かっただけでも一安心だ。
 レオさんの言うとおり、フェイ兄を信じて大人しくしようと決心した。
 それが結果的に皆を守ることに繋がるんだろうと信じて。










[24455] 63話「思惑と決意と」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:9bc29b01
Date: 2013/01/27 12:49
 あれから丸1日後、僕を載せた檻車はようやく王都に到着した。
 格子窓から見える街の風景に、僕はようやく帰ってきたんだと実感する。
 一ヶ月も滞在していなかった街なのに、確かに僕の心は温かい何かで満たされる気がしたのだ。


「あ、あれは鳥の冠亭だ! 皆元気かな……」


 豪快な大将に気風のいい女将さん、そしていつも飲んだくれて騒ぐだけの冒険者や旅の人達。
 彼等の顔が無性に見たかったけれども、囚われの身の今はそれも叶わない。
 もっともフェイ兄に何か作戦があるみたいだし、きっとこの茶番が終わればまた皆にあえると信じよう。
 程なくして跳ね橋を渡って王城へと入ったようだ。
 短い間ではあったが慣れ親しんだ音が周りに溢れかえる。
 近衛兵の歩く長靴の音や時折聞える早馬の嘶き。
 侍女達の姦しい笑い声も聞えれば、政務官たちがなにやら議論を交わしながら傍を通り過ぎてゆく。
 懐かしさに浸るまもなく、段々そういった日常の騒音が遠のいていったかと思うとようやく止まった。


「着いたぞ」


 クラウがそういって檻車のドアを開けて入ってくる。
 手には二つの穴が開いた、例えるなら映画で使うカチンコのようなものを持っていた。
 道中に拘束することは無かったので、これはあくまで集まってくる観衆用のパフォーマンスみたいなもんだろう。
 彼は僕の前にそれを突き出すと、申し訳なさそうに手を前に出すように僕に促す。


「すまねぇな。部屋に戻るまでは我慢してくれ」
「うん、分かってるよ」


 クラウは手際よく僕の手に枷を嵌めると、さらに後ろに回って猿轡を噛まされる。
 何もそこまでしなくてもって思ったが、この世界の罪人への扱いを知らない以上文句も言えない。
 支度が出来たので、クラウが手枷に繋がれた太い紐を軽く引っ張る。
 降りろという事だろう。
 部屋に入るまでと言っていたし、せいぜい回りに罪人ぽく見えるよう大人しくついていく事にした。
 馬車を降りるとそこは北の塔のまん前で、部屋というのはどうやら以前から僕が寝起きしていたあの部屋のようだ。
 地下牢にでも放り込まれるのかと思っていたけどちょっと一安心。
 辺りを見回すと、窓やドア、建物の影からこちらを覗き見る視線とかち合った。
 目が合うと一様に勝ち誇ったかのように見下してくる侍女達。
 あまり親しくしてない王宮側の一般侍女さん達だから、仕方ない反応なんだろうけど。
 対して騎士や衛士、あるいは政務官の男性人はというと、つばを地面に吐き捨てたり、あるいは好色な視線を寄こして来たりとこれもなんだかなぁって反応だった。
 あ、でも時たま他人に見えないように、手を振ってくれたり頑張れよと声に出さずに口だけで応援してくれる顔見知りの政務官さんもいたのは嬉しかったかな。
 兎に角、そんな衆人環視のなか、僕は晒し者にされるようにゆっくりと建物へと連行されていく。
 建物の中に入るとクラウや周りに居た衛士の人たちが一斉に大きなため息を付いたのには、思わず笑ってしまったのは余談である。


「いいか、決してこの部屋から出ようとか考えるんじゃねぇぞ? ここを一歩出りゃ、お前を拉致したいってやつがごろごろしてる」


 部屋に到着すると。僕の猿轡をはずしながらクラウが釘を刺してくる。
 僕は引っ張られて痛み出していた頬肉と口角の辺りをマッサージしながら質問を返す。


「あの、それってやっぱり復讐とかそんな感じの人達がいたりするのかな?」
「それもあるだろうが、今はお前が魔法を使える血統だと周囲にばれてしまっているから、そっち狙いだろうな」
「……えっ、でもボク魔法使い出したのってごくごく最近だし、そんなにすぐ広まるものなの?」


 僕が再度疑問を投げかけると、クラウはあからさまに顔を顰めて肩をすくめて見せる。


「貴族様お得意の情報戦ってやつなんじゃねぇか? もっともお前さんの情報を鐘や太鼓を叩いて周りに知らせているのは他でもないフェイタールの奴だけどな」
「!? 」
「お陰でお前目当ての貴族達が目の色を変えて、輸送中やここの警備の隙を探りまわっている次第だ。余計な仕事が増えてこっちも四苦八苦してるんだ」
「質問! 何で魔法が使えるってだけでそこまで血眼になるの?」
「魔法が使える人間は限られている。特にゴーディン王国には片手で数えるほどしか居ない。だから下級貴族といえど、魔力が扱えるのであれば簡単に上級貴族の仲間入りが出来る可能性が出てくるからな」
「なるほど。希少価値があるから、憎いけど生かしておいたほうが良いって思う人が増えるってことなんだね?」


 クラウは僕の手枷を外しながら、嫌そうな顔をして僕の答えに無言で頷く。
 手枷の感触の残る手首を摩りながら、もし裁判で不利な判決なんかでたらどうなるんだろうかと想像してしまう。
 もちろん行き着く先は、あの晩、僕に子供を産めと行ってきたトスカーナ侯爵に行き着くわけだけど。
 その行為や出産なんかを想像してしまうと、ぞわぞわっと背中が粟立つ。
 男に襲われるのも、子供を産むのも勘弁してほしい。
 一応、心は未だに男性のつもりだしね。
 クラウは荷物を片付けると、部屋を出て行こうと扉を開ける。
 そのまま出て行くのかと思いきや、肩越しに僕に視線をよこす。


「……その、なんだ。今は不安かもしれねぇが、フェイタールがきっとお前を守ってくれるさ」
「うん、分かってる。……ありがとう、意外に紳士でびっくりしたよ」
「一言余計だ、馬鹿。じゃあな」


 軽く手を振って今度こそ部屋から出てゆくクラウだった。
 僕は彼を見送ったあと、綺麗にシーツ交換されたベッドに身を投げ出す。
 懐かしい感触と匂いに、ちょっとだけうるっとしてしまった。
 フェイ兄がどんなシナリオを用意しているのかは分からないけれど、今の僕には出来る事は何も無い。
 いや、フェイ兄に相談無しに動いてしまうと、逆に足を引っ張ってしまう可能性もあるよね。
 そう考えたらじっとしているのが一番なんだろうけど、どうにも落ち着かない。
 
 
「うぅぅぅ、自分のことじゃないはずなのに自分が責任を取らされそうでござる。デュフフー」


 変にふざけて見ても、もちろん状況も感情も改善するはずも無く。
 うわぁぁってなってベッドの上から転げ落ち、床に敷かれている絨毯の上でさらに転げまわる。
 一頻り悶え苦しんだ後床でうつ伏せに寝そべっていると、机の引出しと床の隙間に何かが落ちているのを見つけた。
 僕はむくりと起き上がると、さまざまな日用品を駆使して机の下からその物体を取り出すことに成功した。


「あ、これって……」


 出て来たのは浅葱色のうすっぺらい封筒。
 僕が大掃除の時に見つけた、外の人から王様やフェイ兄に宛てた手紙だ。
 思えばこれを見つけてから、僕は積極的に蛮行姫の噂を打ち消そうといろいろと努力したんだっけ。
 仰向けに寝転がり、両手で手紙を天井へと掲げる。


「こんなのを見つけなければ、ミーシャやアニスだって面倒事に巻き込まれなかったかもしれないんだよなぁ。その場合、僕ってどうなってたんだろうねぇ?」


 徐に封筒を開け、中の手紙を取り出して読み始める。





 ―― 親愛なる兄様と、一度も愛してくれなかった義父様へ ――

 親愛なるお兄様、いつも私のことを気にかけ、色々と先回りして用意周到にご機嫌を取ってくださって有難うございます。その物腰や甘ったるい言い回し、上辺だけの笑みに心のこもらない賛辞。毎日毎日飽きることも無く私の機嫌を損ねないように心を砕かれていた事に対して、本当に頭の下がる思いでした。でもそこまでの努力をされていたにも係わらず、義兄上は私が本当に欲しかったものを只の一度も貢いではくださいませんでした。

 義父上も私の無理難題に、ため息を付きつつもよく応じてくださいました。私だけのお城。帝国貴族に相応しい家具調度や衣類。下女ではなく、身分の確かな侍女達。気に入らない商人は城から追い出し、私に楯突く政務官を罷免したりもしてくださいました。私の一言で大の大人が右往左往する様は本当に胸が空く想いでした。下野していく彼らを見送る義父上の憂いを帯びた瞳の色を、私は思い出せないことに最近気が付きました。きっとお母様も私と一緒だったのかなと可笑しく思います。

 でも、もうこんな茶番のような生活も終わりにいたします。恐らくこの手紙が見つかって読まれているということは、私はもうこの世には居ないことと思います。お母様が亡くなって以来、お母様の名誉を守り生きていく事だけを考えていました。お母様の名誉や帝国貴族の誇りを傷つける者には容赦なく報いを与えてきました。今思えば、そこまでする必要など無かったのに、何をそんなに意固地になっていたのかと今になって思います。  
 
 先日、私の唯一の理解者であるレイチェルを失い、頼れるものが誰も居なくなってしまいました。あの卑怯者のカヌプルト・ドルマン男爵の奸計に陥った義兄上を助けるには、それ以外方法は無かったから。レイチェルは義兄上の名誉を守るため、聖なる試練に挑み火に掛けられました。先日、その恨みも彼奴を刑死させたことで晴らせたので、最後にけじめを付けようと思います。ルナは問答無用で大好きな姉を奪われた可哀想な娘。私の死が彼女の心を少しでも癒せるなら、私は嬉々としてこの身を差し出そうと思う。どういう死因になるかは分からないけれども、ルナに一切の責任は無く、また彼女を責める事のないよう義父上と義兄上にお願い申し上げます。最後の私の我侭ですが、何卒お聞き届けくださいますようお願い申し上げます。

 最後にもう少しだけ。私は貴方達が大嫌いです。お母様を孤独にさせた貴方達が大嫌いです。お城もドレスも豪華な家具も欲しくなかった。どうして誰もお母様を助けてくれなかったんですか。どうして誰も私を見てくれなかったのですか。どうして私達親娘を受け入れてくれなかったのですか。どうしてちゃんと目を見て話をしてくれなかったのですか。どうして、どうして……。





 手紙はここで切れていた。
 最後の字は涙で滲み、最後の部分の紙の皺も酷い。
 何度読んでも後味の悪い手紙。
 これを読んだから、僕は彼女の悲しみを否定しようと躍起になったんだっけ。
 むくりと起き上がり目じりに滲んだ涙を拭き取りながら、その手紙を綺麗に折りたたんで机の引出しの中へ仕舞い込む。


「うん。大丈夫。どんな風になったとしても、ボクはやっぱり諦めないよ。ここまで来ちゃったからには、最後まで駆け抜けてみせるよ、外の人」


 むんと気合を入れなおし、僕はじっとその時が来るのを待ち続けた。
 



――王定裁判。
 国内貴族を裁く剣戟を伴わない唯一の場である。
 王の宣下の下に、領地を持つ貴族が集まって問題の貴族の罪を質し科刑を決める。
 もちろん王族の罪も問われる場合も稀なケースとしてあった。
 スワジク・ヴォルフ・ゴーディン。
 現在は廃姫され、さらに実家であるヴォルフ家が取り潰しになったため、ただのスワジクである。
 平民と同列として扱われる存在でありながら、王定裁判で争われるのは単に彼女の特殊性からであった。
 続々と王都へと集まってくる領地持ちの貴族達。
 ある貴族はスワジクの魔力の血統を手に入れることを夢見て。
 またある貴族は、彼女の希少性をなんとか今までの損失に当てれないかと策を練り。
 あるいは、下卑た笑みを浮かべながら、自分の腕の中でよがり狂う少女の姿を妄想する者やら。
 そんな貴族達を窓から見下ろすフェイタールの表情は、いつになく厳しいものであった。
 

「私は守れるのだろうか……」
「やり抜くしかありませんよ」

 フェイタールの横でそう呟くレオ。
 その二人の影を城壁側にある官舎から眺める影が一つ。


「老獪な貴族連中を相手に、たかが駆け出しの第3王子がどこまで歯向かえるのか。見せてもらうぞ?」


 グラスに入った酒を揺らしながら、暗い笑みを浮かべるトスカーナ卿。
 さまざまな思惑が入り乱れる王城の中、ついに運命の裁判が開かれる――。


 



[24455] 64話「王定裁判 その1」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:9bc29b01
Date: 2013/02/16 23:33
 さて、軟禁生活が始まった訳だけど……、やることが何も無い。
 いや、やれる事が何も無いと言う方が正確だよね。
 だって部屋の中にはベッドと机、食事用の丸テーブルと椅子くらいしかないんだもの。
 本の一冊でもあればそれでも読んで時間が潰せるのに。
 がさごそと机を漁っていたら、引き出しから何やら宗教めいた分厚い本が出てきた。
 多分聖書的な何かだと思うけど、これを読めと?
 ため息をついて本を机の上に放り出し、すごすごとベッドへ向かう。
 PCの1つもあればいつまでも引きこもれるのに、と益体も無いことを思いながらベッドの上でごろごろする。
 昼くらいになった頃に見かけない顔の侍女さんがやって来て、手早く食事を並べてゆく。
 といってもパンの入ったバスケットと水、それに野菜を煮込んだスープが一皿だけだけどね。
 味はというと、パンはフランスパンのように固く、スープは冷めていてちょっと味気ない感じ。
 不味くは無いけど美味いという程のものでもない。
 多分侍女さんとか下女さん達が食べているような一般的な食事なんだろうなぁと思う。
 貴族からしたらこんな不味い食べ物はストレスにしかならないんだろうけど、僕からしたらこれが割りと普通レベルの味付けなんだけどね。
 量も体がちっちゃいので丁度いい感じだし。
 文句も言わず平らげたら侍女さんが目を丸くしていたのには笑ったけど。
 お風呂も1週間で2回ほどに制限され、楽しみといったら食べることと窓から外を眺めることくらい。
 時折取調べと称して別室へ連れて行かれて延々嫌味を聞かされ続ける事もあったけど、生活の変化という点から見れば鬱々とした毎日に刺激をくれるイベントではあったかな。

 そんな日々が1ヶ月ほど続いたころ……。
 僕が自室で質素な朝食を食べていると、ノックもなしにどやどやと5、6名の兵士達が乱入してきた。
 あまりに唐突な出来事だったので、スープに浸した固いパンに噛り付こうとあんぐりと口を開けたまま固まってしまう。
 監視していた侍女さんもびっくりして固まっているから、本当に唐突な来訪だったんだなと分かる。
 だが何故このタイミングなのか。
 まだ半分も食べてないので、正直このパンを降ろすか食べるか凄く迷った。
 多分パンを置けばこのままどこかへ連行される事は明白で、またすぐに食べに戻れる保証は無い。
 ならばいっその事……、


「はむっ! はむっ! もきゅっ、もきゅっ!」
「食うなっ!!」


 早食い王もかくやという勢いで口にパンを詰め込む僕に、間髪入れずに突っ込みをくれる兵士さん。
 だが断る!
 先日、取調べだと言うから大人しく付いていったら、ご飯抜きで夕方まで開放してくれなかったじゃないか。
 今度もそんな感じになるかも知れないんだから、食べれる時に食べないとね。


「ええい、何をしているそこの侍女! 早くこやつから食事を取り上げろ!」
「は、はいっ!」
「ふんぐっ! はむっ! ずずずずっ!」
「こいつ、スープまで飲み干す心算か!?」


 食膳に覆いかぶさるようにしてスープ皿とパンを死守する。
 といってもこの2品だけだけどね。
 最終的には兵士2人と侍女さんの3人がかりで食事を取り上げられたわけだけど、それまでになんとか腹6分目と頬袋にいっぱいのパンを確保できた。
 さすがに腹パンまでして食べたものを吐き出させるようなことはされなかったけど、抵抗したおかげで服はスープでベトベトだ。
 そんな僕の格好を見て、調査官っぽい人が眉間に皺を寄せながら侍女に着替えを命じる。
 侍女さんは直ぐに替えの服を持ってくると、ベッドの上に置いてくれた。
 お姫様だった頃は嫌だといってもミーシャ達が無理やり手伝ってくれたけど、今は単なる囚人だから侍女さんは手伝ってはくれない。
 僕的にはなんの問題もないんだけれど、身分の高い婦女子になるとこれが結構屈辱的な仕打ちになるらしいんだけどね。
 ましてや今は大勢の男の視線に晒されながらの更衣なのだから、普通の女性なら堪ったもんじゃないんだろう。
 でも僕はまぁ元男だからあまり気にならない。
 着替え終わって振り返ると、面白くなさそうな調査官の顔と好色そうな笑みを浮かべる兵士たちが雁首を並べていた。
 

「売女が」


 吐き捨てるような台詞を僕に浴びせてくる調査官を意識的に無視して、僕はドアの前へと歩いてゆく。
 兵士が手枷を出してきて僕に嵌めると、前後を挟まれるようにして部屋の外へと連れ出された。
 今日もまた堂々巡りの取調べ(という名の苛め)だろうか。
 殴られるとかセクハラされるとかは無いので危機感は薄いけど、こうも毎回毎回食事抜きで説教聴かされ続けるのはきついものがある。
 とはいっても耐えるしかないんだけれどね。
 ぼんやりと歩いているといつもの取調室(?)を越え、さらに先へと進んでゆく。
 おかしいなと思いつつも付いていくと、政務館の大会議場の前までやってきた。
 調査官の人が扉の前に控えていた兵士に何やら合図すると、すぐさま彼らは会議場の扉を押し開いてくれる。
 ギギギという木の軋む音をさせながら大扉が内側に観音開きに開いた。
 
 会議場の奥には玉座が置かれていて、左右に分かれて3段のひな壇席が並べられている。
 もちろんそこには既に色とりどりの服を着た貴族様らしき人々が着座してこちらを眺めていた。
 僕は兵士さん達に引っ張られるままに、玉座に対面するような形で置かれている被告人席へと連れて行かれる。
 肩を抑えられ無理やり座らされると、僕の足を鉄枷で椅子に固定し手枷の紐を足枷についている鉄の輪に結んだ。
 呆然と辺りを見回すと、見知らぬ貴族の中にトスカーナ侯爵の顔を見つけた。
 他に何人か政務館で知り合いになた文官さん達もいる。
 玉座の近い位置にはフェイ兄とレオさんが並んで座っていて、反対側には偉そうなおじさんが2人ほど座ってた。
 しばらくすると部屋の奥側の扉が開き、いつかの夜に見た王様が颯爽と玉座へ向かって歩いてくる。
 細身の顔に鋭い眼光、固く結ばれた唇は、フェイ兄が年を取ったらあんな感じになるんだろうなって感じ。
 流石親子だなぁって思う。
 違うのは銀色と金色という髪の色の違いだけだもんね。
 流れるような動作で玉座に座ると、王様は偉そうなおじさんの方に向かって目配せをした。

「それでは盟主も来られたところで王定裁判を開催したいと思います。ご起立をお願いします」


 偉そうなおじさんの声に従って、部屋にいた僕以外の人が立ち上がる。
 皆胸に手を置き、軽く頭を下げる姿勢になった。


「神の御名の元において、全てに於いて誠実であり正しき道を指し示さん」


 短い宣誓文のようなものを読み上げ、それに唱和する一同。 
 厳かな雰囲気が部屋の空気をキンと張り詰めさせる。
 拳を3度、胸の中央と額の間を往復させてようやく儀式は終わったようだ。
 皆それぞれに着席し、少しだけ部屋が騒がしくなる。
 その間にフェイ兄は座らずに、書類を片手に講師用の机みたいなところへ進み出た。
 周囲が静かになるころを見計らって、静かにしかし隅々まで響く声で話し始める。


「今法廷で裁かれる事案は、スワジク王女……現在は仮の廃姫処分中でありますが、この者のラムザスとの内通疑惑及び今までの所業についての審判とその後の処遇にあります」


 一旦言葉を区切って会場を見回すフェイ兄。
 その際、僕とも視線があった気がするけど、緊張に固くなったフェイ兄の表情は一瞬すらやわらぐことは無かった。


「それでは内通疑惑の方から話を進めて行きたいと思います。過日、エーストレンド地区Eブロックにあるローエン氏宅に対し、トスカーナ侯爵の私兵にて強襲行為がありました。話によれば以前よりかの老夫婦に対して内通疑惑があった由、作戦決行し数々の証拠品も押収済みであります。この強襲の際に何故かこのスワジク元王女は現場に居合わせたそうです。間違いはありませんか、侯爵」


 会場の末端に座っていたトスカーナ侯爵が立ち上がり、王に対しゆっくりと頭を下げる。


「確かに。以前から計画していた強襲作戦であり、その場にスワジク元王女がいたことも事実であります。が、この場をお借りして我らが盟主に対し謝罪せねばなりませぬ」
「謝罪……とな?」


 突然の言葉に意表を付かれたのか、王様はきょとんとした顔でトスカーナ侯爵を見返す。


「はい。作戦自体は特に問題は無かったのですが、スワジク元王女をこちらで勝手に軟禁した行為について、私としても少々勇み足だったかと」
「確かに卿らしくない性急さだったとは思うが。もともとはあの晩、この者の廃姫は内定しておったのも事実」
「ありがたきお言葉です、盟主よ。その場で魔力に目覚めた元王女を見て、少々功を焦りすぎたようで。そこでその失態を自ら戒める意味も込め、このような末席にて身を小さくしている次第であります。そして此度の王定裁判について、事実確認の証言以外の一切の発言権と投票権をお返ししたく存じ上げます」


 トスカーナ侯爵のその言葉に会場が一斉にざわつく。
 今の会話のどこにそれほど驚く内容があったのか僕には分からないけど、フェイ兄や王様の表情をみれば重大性はなんとなく汲み取れた。
 上座に座っていた偉そうなおじさんがトスカーナ侯爵に声をかける。


「それは聊か自重しすぎではございませんか、侯爵。私が貴公の立場であったとしても同じ判断をしたかもしれませんぞ。さらに既に廃姫は内定とはいえ耳に入っている情報であれば、思わず先走ってしまうのは人情というものでしょう」
「さすればこそ、でありますよ、エフィネル侯爵。魔道の血を引き入れる誘惑は抗いがたいものではありますが、それが盟主を始め皆に秘密で行ってしまったら謀反を噂されても致し方ない愚挙でありました。故に二心の無い証として、今法廷において決められたことに対し、私は一切の異議申し立てもしなければ議決にも参加いたしません」
「おお、なんと清々しい決意でありましょうか」


 周囲の貴族たちが口々にトスカーナ卿の決断を褒めそやす。
 まぁ、俺の子を孕めとか直に言われた身としては、なんとも言えない気持ちになるわけで。
 微妙な顔をしつつ前を向くと、こっちはフェイ兄がレオさんと何か目配せしてるよ。
 表情がさっきより明るくなってるのは、今の件がフェイ兄にとっては追い風だったってことなのかな?


「それでは続けさせていただきます」


 軽く咳払いをして注意を引くと、再びフェイ兄が話し始める。


「ローエン氏の自宅には数多くの証拠があり、スワジク元王女がその場に居合わせたという事実を鑑みると、彼女がラムザスの内通者であったと言わざるを得ない。被告人は本件の罪を認めるか?」
「ふぇ!?」


 他人事のように話を聞きつつ周囲の人の表情なんか観察してたものだから、突然話を振られてビクッと飛び上がってしまう。
 そんな僕を見て何やらあきれ顔で深いため息をついているフェイ兄。
 いやだって前フリとか無かったから、突然こっちに来るとは思わないじゃないか。


「えと、あの家に行ったのは間違いないけど……、でもそれはアニスがそこに囚われていたから助けに行っただけだし……」
「アニス……。アニス・レア・ルティーシェの事か?」
「レア……ルティーシェ?」
「彼女のミドルネームとファミリーネームだ」
「いや、それくらいボクだって分かるよ、フェイ兄様。ただ、ファミリーネームとか聞いたこと無かったから知らなかっただけで!」
「君は……侍女であるアニスを助けに行ったと言ったのかね?」


 フェイ兄の憐れみの視線にあわてて言い訳していたら、ひな壇の一角から僕に向けて質問が飛んできた。
 びっくりしてそっちを見たら、栗毛で天然パーマの人の良さそうなおじさんと視線が合う。


「あ……は、はい。牢屋から連れ出されたアニスと捕まったボーマンがその家に居るって聞いたから、皆で助けに行こうって流れになって」
「横からすまんが、ボーマンとは、ボーマン・マクレイニーで間違いないか?」
「あ、はい。そうです、間違いありません」


 反対側の席から、今度は金髪の髭モジャのお爺さんが声を掛けて来る。
 知り合いか何かなのかなと思いつつ、問いかけにきちんと返事を返す。


「確かに、アニス嬢とボーマン殿に経緯を聞いたところ、今の元王女の発言に合致するものではあります。が、アニス嬢にはいまだ脱獄の嫌疑が掛かったままですし、ボーマン殿については、近衛隊から脱退したまま目的も定かでなく下男の仕事をしつつ城下町に滞在していたとか」


 一旦は僕の発言を肯定しつつ、否定材料を引っ張り出してきて懐疑的な見解を述べるフェイ兄。
 てか何で僕に不利になるような話ばかりするのかな!
 もうちょっと擁護してくれてもいいと思うんだけど。
 レオさんやクラウが信じろって言ってくれてたけど、ちょっと不信感持っちゃうよ?


「おそらく元王女に何か弱みでも握られて、証言の口裏あわせをさせているのでは?」
「おお、蛮行姫ならやりかねんな。もしくは口裏を合わせれば脱獄の罪を逃れられる可能性もあるわけだしな」
「ちょっと待て! 卿はルティーシュ伯のご息女を愚弄する気か?」
「元王女に長く仕えていたのだから、感化されたに違いない。それに脱獄したのに囚われの身になるというのが全く持って意味不明だ。どうせ我が身可愛さに罪を認めておらぬだけであろう? 目の前の小娘のように」

 鼻でせせら笑うようにそう断じて来る貴族のデブに、流石の僕もちょっと頭に来た。


「あんたにアニスの何が分かるんだよ! 一度でもアニスとちゃんと話したことがあるの? あの娘は人殺しどころか、虫も殺せないような臆病で頼りない娘なんだよ!! 自分の偏見で勝手に決め付けるな!」


 いきなり噛み付いてきた僕に目を丸くする貴族のデブ。
 くそう、繋がれてなかったら力いっぱい頬っぺたを張り倒してやるのに。
 ガルルと唸りながら貴族デブを威嚇してたら、さっきの栗毛のおじさんが再度質問してきた。


「確か君はその侍女と諍いを起こしているはす。その際暴言と暴力を振るわれたと聞き及んでいるが、そんな彼女を何故君は擁護するのかね?」
「あの時は、アニスも気が動転してたんだと思うし。だって親友のミーシャが死んだかもしれないってニュースが飛び込んできたから。その原因がボクらしいってなったら、八つ当たりもしたくなっても仕方ないと思う」
「叩かれても仕方なかったと? 自分の罪を認めるのかね?」
「いや、悪いのはミーシャに怪我を負わせた「名無し」とかいう人だし、ボクが何かしたわけじゃない。でもボクにかかわってたから怪我を負わされたっていう意味で言えば、ボクのせいでもあるかなって思ったのは確かだけど」
「何を今更善人ぶってるんだ。そんなお涙頂戴風に話を創作したところで、誰も惑わされはせぬわ」


 今度は違う貴族がそういって僕に噛み付いてくる。
 親の仇を見るような目でこっちを睨み付けてくるのだけれど、何したらこんなに敵愾心一杯の視線を向けられるようになるんですかねぇ、外の人?
 理性的な話よりもどうにも感情的な議論になりそうな予感に、僕はこっそりとため息を付いた。
 この法廷とやらが終わるまで、ずっとこんな調子なのかなぁ……。



[24455] 65話「王定裁判 その2」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:f184c03f
Date: 2014/02/09 21:44
 法廷の中央で、周りの貴族達の好き勝手な発言をスワジク姫はただじっと俯いて聞いているように見える。
 ふてぶてしいあの元姫が年貢の納め時となってようやく大人しくなったか、と多くの参加者は思ったに違いない。
 もちろん私も最初はそう思っていた。
 娘のアニスを庇ってくれたり、危険な場所から助けてくれたらしいのだが、どうにも以前の彼女を知る身としては納得しにくかったということもある。
 だが私は見てしまった。
 こぼれ落ちる一滴の水滴を。
 その後直ぐに顔に手をやって何やらしていたが、瞬間的に見えた目の周りが赤っぽくなっていた。
 もちろん、その涙が後悔の涙か悔し涙なのか、それとも別のものが理由なのか。
 私には分からないが、その邪気の無い瞳を見れば悪いものでは無いような気がした。
 なれば彼女の悪評は彼女自身のものでは無く、そうあった方が益があると考える者達の作り話であろうか。
 私は向かい側に座る剣聖殿を見る。
 剣聖殿もスワジク姫を見て何やら苦笑いをされている様子。
 きっとこの茶番の裁判を苦々しく思っておられるのだろう。
 昨晩はレオ殿に「お願い」をされたわけだが、この分ならあの姫に力添えしても良いのではないだろうか。
 私はそう思いながら、鼻息を荒げていかに自分たちが被害者であったかを述べる貴族達の話に耳を傾けた。





 いけない、いけない。
 あんまりに退屈で立ったまま寝てしまった。
 もしかしたら涎も落ちていたかも知れない。
 慌てて目元を擦る振りをしつつ、口元を拭う。
 あ、やっぱりちょっと濡れてた。
 僕は眠気で倒れそうになる身体を、被告台の手すりを掴む事でなんとかこらえた。
 そういえば裁判の途中だったと思い出して、今喋っている人の発言内容に注意を払う。
 ちなみに最初の議題であったラムザスの密偵疑惑はみごと有罪をもらいました。
 そら周り敵だらけだし、多数決とったら有罪になるわなと遠い目になりましたけど。
 で、今の議題が僕の処遇についてどうするかって話。
 被害の多寡で補償内容を決めるらしいので、皆さんこれでもかっていう位喋る。
 やっぱりどんだけ自分が可哀想な人かっていうアピールしておかないと損するものね。
 アピールするのはいいけど、遠回しな上に大げさに余計な事までつけて喋るので何言っているのかほんと分からなくなる。
 これはあれだ、スリープの呪文に違いない。

 と、とにかく気合い入れては来たものの、密偵の件も今までの悪行についてもこいつら僕に喋らせる気無いみたい。
 なもんだから僕は不本意ながら睡魔と戦うしかない現状。
 そして今裁判はフェイ兄が前スワジク姫の悪行を一つ一つ聞き取りし直しているみたいな感じ。
 補償内容なり僕の夜伽権が掛かっているのだ。
 皆結構必死にアピールして、レオさんがそれを無表情に記録していっているようだ。
 これ、今日中に終わるのかな……。
 ついでにフェイ兄、信じていいんだよね?
 僕、何もしなくてもいいんだよね?





 今のところ、予想通りに順調に作業は進んでいる。
 ついでに、スワジクも今のところ大人しくしてくれている。
 正直裁判中にスワジクがこちらの予想の右斜め上を行ってしまうのが一番の不安要素だったから、居眠りをしているぐらいの事は笑って許せそうだ。
 まぁ、自分の行く末が掛かっているというのに居眠り出来るその精神力には感心するが。


「どうだ、レオ。良い感じに過不足が出そうか?」
「ええ、言った者勝ちな雰囲気になっていますので、皆これでもかという位に盛ってきています。このまま行けばいがみ合いが始まるのも時間の問題ですね」
「トスカーナ卿はどう出てくると思う」
「スワジク姫の議題については完全に下駄をこちらに預けてきていますから、今回は無視してもいいのでは? ただこの件が終わった後、反ゴーディン派の中で唯一得をするのは彼でしょうね」
「一番追い詰めたい相手ではあったのだが、さすがに老獪だな」


 私は末席に座っているトスカーナ卿にちらりと視線を向ける。
 トスカーナ卿は、目を閉じてじっと発言者の言葉に耳を傾けているように見えた。
 もしかしたら、そう見せて寝ているだけかも知れないが。
 さて、当面の一番の相手はエフィネル侯爵である。
 トスカーナ卿ほど頭が回るとは思わないが、さりとて大貴族であるのは間違いない。
 その派閥の力は見くびっていいものでは無い。
 なんとか派閥の求心力を崩壊させなければ、結局は数の多さでスワジクの未来は閉ざされてしまう。
 幸いな事に、かの派閥の繋がりは「利益」を軸とした交わりだ。
 故に、利益を喪失させるか、利益を奪い合わせる事が出来れば、派閥全体の力としては弱くなるに違いない。
 この場合の利益とはスワジク本人なので、利益の喪失とはスワジクが死ぬか手の届かない状況に置く事。
 利益の奪い合いとは、被害の大きさに合わせての補償の多寡や夜伽権の回数になる。
 もともとが被害を受けたと称して、横流ししていたり裏金に回したりしているので、架空の被害も多く上乗せしてきている。
 実被害よりも多い被害額について、補償請求者はお互いに争い派閥内抗争にまで発展してくれるのが理想ではある。
 あとは父王の強権を発動して、スワジクを王家預かりとすれば丸く収まる。
 ……ただ、まぁ、その条件で行く場合、スワジクは私を含めた3人の王子の妾となるのだが、それは今は言わない方がいい気がする。
 兄達は基本戦好きだし、スワジクの事など眼中に無かったから、きっと大丈夫だろう……たぶん。
 まぁ、些末な事にこだわっている場合では無いので、頭を切り換えていく。
 今はどうやってあの貴族達をいがみ合わせるか。
 それが最重要課題だ。




「うはっ! せ、背筋に寒イボがっ」


 なんか急に僕の背筋に悪寒が走った。
 どうにも悪い予感しかしないんだが、気のせいだろうか。
 ほんと、フェイ兄、信じて大丈夫だよね?


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短くてすいません。
とりあえずリハビリがてら、短いながらも更新させていただきました。
3月4月は更新無理なので、なんとか今月中にもう一回、短くて良いから更新したいです。



[24455] 66話「王定裁判 初日が終わって……」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:89c6232e
Date: 2014/02/23 20:04
 結局、今日1日では裁判は終わらなかった。
 その辺りは最初から分かっていたみたいで、参加していた貴族さん達は特に文句をいうでも無く解散。
 僕はそのまま監禁部屋に戻されて、代わり映えの無い夕食を頂いている。
 ……あ、スープの中に肉の欠片みっけ。今日は付いてるなぁ。
 パンはちょっと古いみたいで、表面が少しカビてた。
 スプーンでその部分を削り落として、スープに浸して食べる。
 ふんふんと鼻歌を歌いながらご飯を食べていたら、ごとりと頭の上で音がした。
 何? と思って見上げると、天窓から顔を覗かせているスワジク2号と目が合った。
 
「ええと……いらっしゃい?」
「……失礼するわ」

 会話が成り立ったのかどうかは置いて、スワジク2号は3mはあろうかという高さから飛び降り音も無く着地した。
 なんだろう、一昔前の女3人組の怪盗を思い出してしまったよ。
 スワジク2号は僕の向かい側に座ろうと思ったみたいだけど、生憎と椅子が無い。
 仕方が無いので、ベッドの上に腰を掛けてこちらを見る。

「えっと……、ご飯食べてからでも大丈夫かな?」
「好きにしたらいい」
「あ、はい。アリガトウゴザイマス?」

 人を待たせているので、僕は手早く残りのパンとスープを流し込み、最後に水で口の中を濯いで食事を終えた。
 食器をドアに付いている小窓から外に出すと、控えていた侍女が器を下げてくれる。
 僕はドア越しに遠ざかる足音を確認してから、スワジク2号の側まで戻ってきた。

「あとは就寝だけだから、もう誰も来ないよ」
「見回りは来ないのか?」
「最初の頃は頻繁に来てたけど、最近は全然。毎日規則正しく生活してるし、逃げようともしてないしね」

 僕がにぱっと笑って質問に答えると、スワジク2号は呆れて大きなため息をつく。
 何順応してんだって突っ込みたいんだろうけど、僕だけの力じゃこんなところから脱走はもちろん、一発逆転の秘策すら思いつけるわけも無いので仕方ないのです。

「このまま裁判の結果を受け入れるつもり?」
「うぅん、身に覚えの無い事だし、出来れば穏やかな結末に落ち着いてくれたら嬉しいんですけど……」
「そんな未来が実現すると本気で思っているの?」
「フェイ兄がなんか秘策があるっぽいんですけど、どんな内容なのか分からないのでなんとも言えないです」
「秘策……か」

 沈痛な面持ちで一言呟くスワジク2号。
 どうやら秘策とやらに心当たりがある模様。
 僕の収まらない悪寒の為にも、フェイ兄が何をどうするつもりなのか聞き出す必要がある気がする。
 僕は恐る恐るスワジク2号に問いただしてみる。

「秘策の内容、分かるんですか?」
「分かるというか、今日の裁判の行方を見ていたから、おおそよ見当は付く」
「おぉ! ……って裁判の部屋に居ましたっけ?」
「隠し部屋があるの、あの部屋にはね。そこからずっと話を聞いていた」

 ロマン溢れる隠し部屋について詳しく聞きたかったけど、スワジク2号はそのまま話をつづける。

「恐らく、反体制派というか、反王族派と親王族派に二分して、更に反王族派を切り崩していくつもり。今頃は反王族派に種を仕込みに行ってる頃合いだと思う?」
「なるほど。多数決でしたもんね、今日の決議も」
「そう。だから寝返りそうな貴族達に揺さぶりをかけに行っているはず」
「なるほどぉ。そうすれば数が多い方が勝てますもんね」

 感心しながら頷いていると、またまたスワジク2号が大きなため息をつく。
 しかもあれは馬鹿を見る目だ。
 素直にフェイ兄を褒めたのに、何故蔑まれなければならないのか。
 解せぬ。
 スワジク2号は僕が不満たらたらな様子に、まるで駄々をこねる子を諭すように語りかけてきた。

「この裁判には勝てるかもしれないけれど、後々しこりが残るような解決になるんじゃないかしら。お互いが疑い合い、信頼出来ない国なんて、潰れるしか無いじゃない」
「あぁ、そう言われてみればギスギスしそうですね。その解決策じゃ」

 今日の裁判でのあのドロドロ感のままで国の運営なんてした日にゃ、僕なら1日と経たずに逃げ出すね、間違いなく。

「とは言うものの、僕が助かる道って裁判に勝つしかないんだからやむを得ない?」
「貴方に国を滅ぼしてまで救う価値があるの?」
「うはっ、そう言われると返す言葉も無いなぁ」
「ごめんなさい。言い過ぎたわ。貴方に価値が無いんじゃない。スワジクという人物に価値が無いの」

 自嘲するような口調でスワジク2号はそう言い放つ。
 そして、僕の方に身体ごと向き直ると、しっかりと僕の目を見て言葉を紡ぐ。

「国も壊さず、貴方も助かる方法があるとしたら、貴方はどうする?」
「あるんですか? そんな方法が」
「ええ、あるわ。劇的に何かが変わる訳では無いけれど、この国の未来もフェイ兄様の未来も貴方の未来も必ず守れるわ。ただ、貴方がこの国に残るという選択肢だけはなくなっちゃうけれど」
「その程度で皆が不幸にならずに済むなら、僕は全然かまいませんけど。あ、ボーマンやミーシャ達とも会えなくなる?」

 ふと頭の中を過ぎる仲間達の顔。……仲間って思ってて良いよね?
 あー、そう考えるとフェイ兄とも会えなくなるのか。
 それはそれで寂しくなるな。むしろ、フェイ兄が寂しがるかもしれないけど。

「彼らは、そうね。貴方と彼らが望むのであれば、これからも一緒に居続けられるようお願いは出来ると思う」
「フェイ兄とは?」
「諦めなさい。相手は一国の王子。どうあれいずれは会えなくなるのは決定事項ね」
「それじゃ、君は? こうやって色々助けてくれようとしてるのに、助かった後お礼の一つも出来ないってのは無しね」
「私も……諦めなさい。貴方とはとてもじゃないけれど釣り合わない」

 目をそらして、そっけない態度でそう言い放つスワジク2号。
 そう言われてはいそうですかと引き下がるのはどうにも性に合わない。
 さらに言うなら、どうにも胡散臭い。
 彼女の言う事を鵜呑みにしたら、どうにも駄目な気がする。
 僕は内心を隠しつつ、お気楽に今後の方策を質問してみた。
 
「で、具体的にはどんな解決方法になるの?」
「それを説明する前に、これを見てちょうだい」

 そういってスワジク2号が腰に下げていた袋を僕に差し出す。
 何の変哲もなさそう革袋の口を開けて、中を覗き込んでみる。
 すると中から甘ったるい香りが立ち上り、思わず咽せてしまった。

「うわっ、こほっ、こほっ。な、何これ」
「悪いけど、貴方の意思は無視させてもらうわ。ごめんなさい」
「な、何を言ってってあひゃ? ひ、ひたがひひれて、あ、あれ?」

 凄い勢いで舌がしびれてきたと思ったら、手先足先も徐々に痺れてきた。
 手にしていた袋が持ちきれなくなって床に落としてしまい、更に甘い匂いが充満する。
 そのせいで、もう身体を支えているのも難しくなり、ベッドの上に倒れ込んでしまう。
 辛うじて動く視線をスワジク2号に向けると、とても優しそうな目で僕を見下ろしていた。

「お疲れ様。貴方の舞台はここまでだから。後は心配しないで。次に目が覚めたら、貴方は自由の身になっているわ」

 彼女の手が僕の頭をやさしくひと撫でると、僕の意識は暗闇のそこへと沈んでいった。




[24455] 67話「王定裁判 その3」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:057d694d
Date: 2014/07/13 16:27
 その日は何故か朝から酷く心が落ち着かなかった。
 昨日から引き続いてのスワジクの裁判だが、いまだ天秤が相手側に傾いたままということに焦りを感じている。
 昨晩、脈のありそうな貴族や関係者、とりわけスワジクに関わっている侍女達の身内と接触し、流れ次第ではこちら側についてもらえる話は出来ている。
 幸いにあの中身の違うスワジクを見て、改心しているのではないかと好意的に受け取ってもらえていた様子。
 もちろん、エフィネル侯爵とその取り巻きにこれ以上力をつけてもらっては困るという理由もあるのだろうが。
 ただ、剣聖マクレイニー卿の反応だけは良く分からなかった。


 「面白くなるようなら、相応の役どころで立ち回って見せようか」


 一体何を考えての発言なのか、凡人の私にはいっこうに理解出来ない。
 ただ、本気で何かを楽しみにしている様子なので、何か一波乱起こすつもりなのか。
 レオもそれとなく警戒はしてみますと言ってはいたが、これも私の胃を虐めている原因の一つといえばそうである。

 分からない事でこれ以上悩んでも仕方が無い。
 私は氷で冷やした水で顔を洗い、気を引き締めた。


「今日の朝ご飯も軽くでいいよ。あと、出かける前までにレオにこっちに来てくれるよう使いを出しておいてくれ」
「かしこまりました」


 側で控えていた侍女に濡れたタオルを手渡して、私は執務室へと向かう。
 また今日も厳しい一日になりそうだ。





 扉の向こう側で鍵が開けられる音がする。
 分厚い木の扉が軋みながら押し開かれ、3人の衛士が入ってくる。
 責任者っぽい男が、食べずに置いてある朝食を見て眉を潜めた。
 意外そうな顔で私に、体調でも優れないのかと聴いてくる。
 囚人に気を遣う牢番というのもおかしなモノだが、ここで悶着を起こす気も無いので素直に首を横に振っておく。
 そんな私をみて、牢番は酷く不審な顔をしつつ、

「そうか。ならば立て。裁判の時間だ」

 と私に命令する。
 衛士も慣れた手つきで私の腰と手に鎖を繋ぎ、連行する準備が整った。
 私はふと天窓を見上げ、窓越しに青い空を一瞥する。
 今日の裁判が終われば全ては丸く収まる。
 きっと口元を引き締め私は歩き始めた。
 牢番はやはり、そんな私をみてしきりに首を捻っていた。

 
 見慣れた王宮の庭園、代わり映えのしない城壁に城の建築物。
 それらの間を通り過ぎながら、私は裁判が行われている会議場へと引き立てられて行く。
 といっても私が先頭で歩いて行くので、牢番達が私に付き従っているようにも見えた。
 王城へとたどり着き、そこからはさすがに他の衛士の目も気になるのか、強引に私を後ろに下げ、どうにか連行している形にする。
 私も特にその事に反抗する必要性もないので、なすがままにされておく。
 重厚な扉を押し開き、会議場へと踏み入れる。
 すでに裁判の参加者は集まっており、そこかしこで小声でなにやら話し合われていた。
 私が登場した事により、会議場の空気が一瞬だけ張り詰めたような気がする。
 舐めるような不快な視線が多数我が身に刺さるが、ちらりと一瞥してやるとそそくさと明後日の方向を向く。
 本当に気持ちの悪い豚どもめ。
 私を拘束している鎖を牢番が被告人台につなげると、第3王子であるフェイタール殿下の声が響き渡った。
 私はただ目を瞑り、じっと裁判の成り行きに耳を傾ける。
 もっとも内容といえば、私の所有権が誰にあるのか、誰が私を一番に手にできるのかということにつきた。
 それはエフィネル側とフェイタール側との綱引き合戦の様相だ。
 お互いがお互いの言い分を叩き付け、非を詰る。
 もはやスワジクという個人の罪を裁くのではなく、王族派か侯爵派、いずれが強くなるためのアイテムを得るかという話。
 そこに私の意思はなく、私という存在の重みもありはしない。
 ただの政争に必要な道具。
 それはこの王国に流されてきた時と何一つ変わらない。
 母様も私も、所詮帝国と王国の結束を強めるための生け贄でしかなかった。
 だから全てに抗おうとして、挫折したのだ。
 何も変わらない、変えられない。
 どころか大事な者さえ失われてゆく。
 ならば、こんな世界に意味はあるのか。
 こんな人生になんの価値があったのか。
 こぼれ落ちた私の欠片を拾い集めてくれたお爺さまには悪いが、本当に余計な事をしてくれたと思っていた。
 だけど、この薄汚い豚どもに一矢報いる事が出来るのなら、あの私の身体に乗り移ったお人好しやフェイ兄様を助けられるなら、こんな惨めな私でも生きた意味があったのかもしれない。


「私はフェイタール殿下とそこな町会の議長との癒着を疑うものであります!」
「何を馬鹿な話を。殿下は常に全ての公務にて公正な判断を下されている。それは政務次官である私が――」
「公務はそうかも知れぬが、しかし、ことそこの小娘の事になるとどうですかな? 大体、この裁判を開いたいきさつ自体、どうにも腑に落ちぬ所が――」
「蛮行姫のお目付役としての責務がある以上、かの者に対して殿下が如何に心を砕いておられたか! 対して貴殿の行動こそ姫殿下を操り私腹を肥やす意図があったのでは――」
「馬鹿な!! 貴殿は何を持ってその様な暴言をっ!!」


 喧々諤々と飛び交う罵詈雑言。
 お互いの陣営を少しでも有利に導こうとする為、どんどん加熱していき感情的な発言も見えてくる。
 私を奪い合い獣欲や権力欲を見たそうとする男達を見ていると、どうにも笑いがこみ上げてきた。
 自制する必要も無いので、感情のままに肩を揺らして笑う。


「貴様、何がおかしい!!」


 一人の若い貴族が私の嘲笑に気付いて怒鳴りつけてきた。
 彼の怒声に、ヤジの飛ばし合いをしていた両陣営の視線が集まる。
 最高のシチュエーションではなだろうか。
 私は自分が表現しうる最大の侮蔑を込めて一同を睨め付ける。


「たかが小娘一人の事で、ここまで良くも脳天気に馬鹿面下げて喧嘩が出来るものだと感心していたの」
「貴様っ!」


 激高した若い貴族が立ち上がって、手元にあったインク瓶を私に投げつける。
 飛んでくる瓶を私は首を横に倒すことで避け、フンと鼻で笑って彼の無様を笑う。
 私の態度に更に血を上らせた彼は、そのまま席を蹴ってこちらに近づこうとする。
 それを慌てて止める同僚らしき人物と王族派貴族達。


「王の御前だぞ、落ち着け!」
「小娘が粋がっているだけだ。放っておけ」
「しかし! あの売女のせいで我が領地がどれほど迷惑を被ったかっ!!」


 肩をふるわせ、鼻息を荒くしながら私を指さし、怒りに震えている。
 それほど怒りを買うような事をこの男にしただろうか。
 記憶を探ってみるが、思い当たるようなことはない。
 他人事のように醒めた態度の私に、若い貴族がなお怒りを募らせる。


「2年前の出荷予定だった農作物が全部駄目になった! お前の気まぐれのせいでっ!!」
「まぁまぁ、卿の怒りももっともだ。だが王の御前であるし、君の身の上話で裁判を中断させるのもどうかと思うのだが」


 腹の贅肉をぶよぶよさせた中年貴族が、激高する貴族を窘める。
 その顔をみて、私はようやく思い出した。


「あぁ、2年前の馬上試合の時の話かしら」


 中年貴族の眉間に皺が寄り、若い貴族の顔に勝ち誇った狂気すら感じる笑みを浮かべる。
 なるほど、そういうからくりか。
 私は若い貴族の傍らで苦虫をかみ潰している太った貴族を見る。
 奴は私の視線に気が付いて、露骨に目を合わせるのを嫌った。


「貴様の突然の思いつきで、我が領民がどれ程苦渋を舐めたか! 何人が槙代を払えずに冬を越せずに死んでいったか!!」
「そう……、でも馬上試合と貴方の農作物と繋がりが見えてこないわ」
「馬上試合を行うという話で行商人達を総動員して、祭りの準備物資を買いあさっていたらしいではないか。そのせいで我が領地で仕入れをして売りに行ってくれる筈の行商人が1ヶ月も後れてしまった。だから収穫が済んでいた者は殆ど全てだめになり、借金をせざるを得なくなった。冬を越す分の生活費という借金を!!」
「なるほどなるほど。それはお気の毒ね」
「どの口がほざくっ!!」
「ちなみにっ!!」


 私と貴族達を隔てる柵を乗り越えようとする男に、私は声を大にして注意を惹く。


「ちなみに、そのお金を貸してくれたという貴族は、そこのデブ子爵?」
「そ、そうだ。ガーメ子爵が私財をなげうってまでして資金援助をしてくださった」
「へぇ、それはすばらしいお話ですね?」
「もういいっ!! これ以上裁判の進行を妨げるでないっ!!」


 半笑いの笑みをガーメ子爵に向けると、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
 その慌て振りに、若い貴族もその周囲にいた貴族達も不信感を顔に表した。


「何をそんなに慌てる必要があるのかしら、ガーメ子爵? あぁ、そういえば、件の馬上試合の提案は確か貴方からでしたね? いまようやく思い出せました」
「小娘がっ! そんないい加減な事をほざいて、ワシを嵌めるつもりか?」
「さぁ? 私は事実を述べているだけです。それに確かにあの馬上試合は盛大に催された分、どこかで誰かの懐が潤ったのでは? あぁ、あと領地の乗っ取りなんて話もぽつぽつと聞いた記憶がありますね」


 少々脂汗を額に浮かべた子爵は、居住まいを正して若干引きつった笑顔を浮かべた。


「この小娘は生来より男を誑かし、口を開けば嘘ばかりを並べ立ておる。己が罪を人に着せ、勝手気ままに振る舞うその様はまさに毒女といって差し支え有りませんな」
「よく回る口ね。自分の嘘を暴かれそうになって焦っているのかしら?」


 ゴッ!
 鈍い音が会場に響き渡った。
 それは私の頭から発せられた音であり、元凶を作ったのは子爵が投げつけてきた文鎮だ。
 脳が揺らされたせいで、私は思わず被告人台の柵にしがみつく。
 ゆっくりと世界が赤く染められて初めて、自分の額に酷い裂傷が出来たことに気が付いた。


「スワジクっ!!」


 フェイ兄様が慌てて私の元へと駆け寄って、手にしたハンカチで額を押さえてくれた。
 ハンカチに置かれた兄様の手をそっと押し返して、自分で圧迫止血する。
 見ればガーメ子爵は数人の王族派によって囲まれていた。
 ガーメ子爵は、血走った目でこちらを睨み付け、何か言葉らしきものを大音量で発していたが理解不能。
 そんな私にフェイ兄様が小さな声で囁きかける。


「君は、本物のスワジクかい?」
「えぇ、蛮行姫と呼ばれたスワジク・ヴォルフ・ゴーディンです」
「……君と入れ替わったあの娘はどうしたんだい?」


 どんな表情でそれを私に聞くのだろうか。
 顔を上げて確かめたい気がしたが、どうにも勇気がわかなくて視線をそらしたまま問いに答える。


「この茶番が終われば、安全な所へ逃げられるように手は打ってあります」
「……なぜ今になって……」
「兄様には関係ないし、関係があってはいけないの。これ以上は不審に思われるわ」


 無理矢理小声の会話を終わらせて、フェイ兄様の身体を突き放す。
 手に残るその感触に、少しだけ胸が痛くなった。



[24455] 68話「さぁ、反撃だ!」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:057d694d
Date: 2014/07/18 21:51
 ふかふかなお布団は気持ちが良い。
 枕も柔らかすぎず硬すぎず、丁度良い感じ。
 牢屋にあった板の上に薄い毛布1枚の日々から比べたら、この感触はまさに天国にいるような錯覚さえ起こしそう。
 窓の外から聞こえてくる小鳥たちの鳴き声すらも、天使の歌声のようだ。


「って、おかしいよね!!」


 一気に目が覚めた僕は掛け布団を蹴り上げて一気に起き上がる。
 さっさっと周りを見回すと、見慣れない洋室と僕が寝ていたベッドの側で椅子に腰掛けていた見たこともないメイドさん。
 最初こそ凄い驚いた顔をしていたけど、僕が無言で彼女を見つめていたら凄くいい笑顔で微笑まれた。


「おはようございます、お嬢様」
「あ、はい。おはようございます」


 とりあえず挨拶を取り交わす僕とメイドさん。
 挨拶は全ての基本だから大事だよね。


「ご気分はよろしいでしょうか?」
「あ、はい。凄く気分爽快な感じです」
「マスターが昨晩、体調を整える施法をされていましたからね」
「せほう?」
「はい。治癒魔法を掛けることですね」
「へぇ、魔法を掛けることを施法っていうんだ……ってそんなこと聞いてる場合じゃない!! ここはどこ? 君は誰?」
「はい、私はアイン。マスターに仕える24の戦乙女の長女です。そしてここはゴーディン国王都の外れにあるマスターの私邸」
「マスターって?」


 僕の問いかけにアインが答えようとしたところで、部屋のドアが軽い音を立てて開いた。
 扉の向こうには王城にいたころお世話になったドクター・グェロが静に佇んでいる。


「へ? もしかしてマスターって、先生のこと?」
「はい。我らを統べるマスター、ドクター・グェロとは仮の名で本当の名は――」
「控えよ、アイン」
「は、出過ぎた真似を」


 先生がアインさんを窘めると、彼女はすぐさま謝罪し深々と頭を垂れて壁際へと下がって行く。
 それと入れ替わりに先生が僕の側までやってくる。
 僕がベッドの上に立ち上がっている分、先生を見下ろす感じになっているのをみて、後ろに控える2人の少女からなにやら不穏な空気が漂ってくる。
 なにやら僕の生存本能が凄い勢いで警報を鳴らしている気がしてきた。
 いそいそとベッドの上から降りて、先生に勧められるままにベッドの端に腰掛ける。


「さて、気分はいかがかな?」
「最近ずっと固い板の上で寝てたので身体の節々が痛かったんですけど、今はすっきり気分爽快です」
「そうか、それはよかった。で、君のこれからの予定だが……」
「あのっ!」


 淡々と話を進めようとする先生を遮って、僕は今一番聞きたいことを訪ねる。
 何を聞くより、まずこれを確認しないと落ち着かない。


「先におトイレ行ってきていいですか?」
「……アイン」
「はい。それではお嬢様、ご案内いたします」




 お手洗を終えて、僕は再び先生の前に用意された椅子に腰掛けた。
 仕切り直しのためか、軽く咳払いをしてから先生が話を始める。


「君の今後の身の振り方なのだが、この王都にいることは非常に難しい状況となった。故に君は私の孫娘として帝都へと一緒に帰還してもらおうかと思っている」
「あの、今行われている裁判とかはどうなるんです?」
「代理の者……いや、本来あの場に居なければいけない当人が行っておる。君が気にするほどのこともない」
「気にするほどもないって、いやいや、やっぱり気になります。あの裁判、なんか魔女裁判みたいで結論ありきだったし、碌な結果にならないと思うし」
「それも含めて、本来他人である君が関わるべきものではないと言っているんだよ」


 表情を変えずたんたんと説明してくれるドクター・グェロに、どうしてか違和感を感じる。
 先生とスワジク2号てか本人との関係ってなんだろう。
 どうして僕をつれて帝国へと帰るとか言い出しているのだろうか。


「もしかしてっていうか、多分そうなんだろうけど、先生が本当のスワジクさんを助けたんですよね?」
「……あぁ、彼女の魂の欠片を集めたのは、確かに私だ」
「確かレイチェルさんもですよね?」
「……うむ」
「ミーシャを改造したのも先生?」
「あれは、あの者がそう有りたいと欲したからだがな」


 ふむふむと頷いて、しばらく無言で頭の中を整理する。
 あ、まだ分からない事があった。


「最後に一つ、先生が僕を助けるのは何故です?」
「……お前の無事を祈る者がいたからだ。不思議なことにお前は多くの者から慕われているようだしな。願う者からの依頼だ」
「なるほどなるほど……」
「質問は以上か? ならばここを出立して帝都に行く準備を――」
「行きませんよ?」
「……なんと?」


 驚いた顔で僕を見つめる先生ににっこり微笑み返す。
 大体、先生が助けたいのは僕じゃないのに、僕がほいほいと好意に甘えて良いはずがない。
 なによりも皆を見捨てて、僕だけ逃げ出すなんてありえない。


「僕は帝都にいきませんよ? だってまだ王都でやらなきゃいけない事があるし、いろいろ皆に言いたいこともあるし」
「捕まったら最後、殺されるかも知れぬのだぞ?」
「それは、嫌だけど……本物のスワジクさんだって殺されるかもしれないじゃないですか。先生が本当に助けたい人はスワジクさん本人なんでしょ? その思いは僕も一緒です」
「……徒手空拳のお主に何が出来ると?」
「徒手空拳かもしれないけれど、僕には皆が居てくれる。裁判している所にもフェイ兄やレオさん、スワジクさん本人達が頑張ってくれている」


 僕は徐に立ち上がり、先生に向かって右の手のひらを上にして差し出す。
 先生は差し出された右手を不思議そうにみつめ、そして僕の顔へと視線を上げる。


「もちろん、その皆の中には先生もいるんです。先生も一緒に皆を助けにいきませんか?」


 そういって僕はいたずらっぽく笑って見せた。






 王城内にある収監所。
 アニスが閉じ込められていた地下牢とは違って、貴族やそれに近い人達が一時的に身柄を拘束されるときに使われる場所。
 そこに今、ミーシャ、ボーマン、アニス、ニーナの4人は捕らわれているはず。
 騒動がなにも起きていないところを見ると、ミーシャもボーマンも大人しくしているみたいだ。


「ねぇねぇ、キミ? あそこを襲撃すれば良いの?」
「襲撃ってそんな物騒……でもないか。まぁ、そういう感じかな?」


 ドクター・グェロが貸してくれた2人の侍女、ノインとツェーン。
 二人ともガーゴイルとかいう魔法の力で動く人形らしい。
 もっとも人形と言われても、普通の人と見た目は変わらない。
 だけどその力はミーシャみたいに常人の何倍にもなる。
 ボーマン達を救出するまでだけど心強い味方だ。


「皆出払ってくれてたら一番楽なんだけどなぁ」
「無理なんじゃないデースカ?」
「誰が居ても、ノインならやっつけられるよ」


 僕達は物陰から収監所の入り口をのぞき見る。
 案の定、守衛っぽい衛士さんが1人立っていた。
 建物自体もそれなりの大きさだから、中にもまだまだ人が居そうな感じ。
 どうにか入り口の人をおびき出せないかと思案していたら、いつの間にかノインが収監所の入り口へと無防備に近寄っていた。


「んな! 何してんの、あの娘!?」
「へーきデース。直ぐに無力化出来るデース」
「へ?」


 自信満々にそう言い切るツェーンの言葉に、僕は半信半疑でナインの行動を目で追った。
 何やら守衛さんに話しかけ、小さい体躯のナインの目線に合わせようと彼が屈んだ瞬間、両手で頭を軽く挟み込んだ。
 すると守衛さんは小さいうめき声を上げたかと思うと、静に崩れ落ちた。


「え? 何? どうやったの?」
「頭の中身を揺らしたデース。当分起きられないと思いマスよ?」
「ふぇぇぇ」


 びっくりしすぎて変な声を上げる僕を尻目に、ナインとツェーンは意気揚々と収監所に殴り込む。
 もっと静に、大泥棒の様に皆を救出しようと思っていたのに、いつのまにか正面突破というごり押しになってる。
 なのに大きな騒動にもならなかったのは、ひとえにその鎮圧ペースの異常な早さだろう。
 僕が彼女達の後を慌てて追いかけたら、廊下や部屋の至る所に衛士さんが死屍累々といった感じで崩れ落ちている。
 もしや死んでいるのでは? と思って脈を取ってみると、みんな一応生きてた。


「見つけたよー!」


 ノインの可愛らしい声が、凄惨な現場に不釣り合いに響き渡る。
 僕は気を取り直して、ノイン達が居るであろう場所に向かって走り出す。
 鉄格子の入り口を2度ほどくぐり抜けたところで、ノインとツェーンが僕を待っていてくれた。
 ツェーンが鍵の束を弄びながら、黙って通路の奥を指さす。
 きっと皆そっちに居るってことだろう。
 僕ははやる心を抑えつつ、通路の奥に見える扉へと向かった。


「皆、大丈夫?」


 扉ののぞき窓から中を覗きつつ、声を掛けてみる。
 見える範囲に居たのは、アニスとニーナとボーマンだけ。
 ミーシャが見当たらない。
 一瞬心がざわっとなる。
 僕の頭の中で最大級の警報が鳴り響く。
 慌てて後ろへ一歩下がろうとしたら、分厚いはずの木の扉から破壊音と共に2本の腕が伸びてくる。
 その手は逃げようとする僕の背中に回って、がっちりと抱きしめられた。


「姫様、ご無事でなによりです!」
「怖い怖い怖い! それに破片が突き刺さって痛い! 全然無事じゃないぃぃぃぃ」
「あぁ、姫様がこんな板のように固い身体になってしまって……」
「間違いなく板だよね! てかなんでその手は下に降りようとしてるの!!」


 ぎゃーすぎゃーすと悲鳴?を上げながら、ミーシャの魔手から何とか逃れる。
 ほんとに何考えてるんだよ、この堕メイドはっ!


「鍵、やっぱ要らなかったデースネ?」


 ツェーンが手にしていた鍵の束を床に放り出し、ノインは呆れたように首を横に振っている。
 で、ミーシャといえば、突き抜けていた手を引き抜いて、木戸を力ずくで取り外していた。
 まぁ、先生からミーシャの改造の事は聞いていたので、びっくりするよりその馬鹿力に呆れる。


「ミーシャ、先生から聞いたよ?」
「何を……でしょうか?」
「ドクター・グェロからミーシャの怪我の話とか聞いたんだ。死ぬ一歩手前だったこと。あと、その身体が生身じゃないって事も」
「……まぁ、天然な姫様のことだから、気付かないで居てくれたらそれはそれで良いと思っていたんですが」


 僕はそっとミーシャの背中に額をくっつける。
 偽物の身体ってドクターは言っていたけど、その言葉が嘘に思えるくらい彼女の身体は温かかった。
 こみ上げてくる色んな感情をぐっとこらえて、ミーシャに自分の気持ちを伝える。


「ごめんなさい……と今は言わないよ?」
「はい」
「でもきっとこの騒動が終わったら……ちゃんとお礼させてほしいんだ」
「はい」
「だから今は、ボクに力を貸して欲しい」
「元よりそのつもりです」
「……ありがとう」


 牢屋の奥から、ボーマン、アニス、ニーナが出てくる。
 僕はミーシャの背中から離れて、皆を見回していく。
 照れくさそうにそっぽを向くボーマン。
 こんな僕を守ると言ってくれた少年剣士。
 優しく微笑むアニス。
 ミーシャの親友で、とても心優しいドジっ娘だ。
 照れくさそうにしているボーマンをジド目で睨んでいるニーナ。
 本音で話し合える友達のような、しっかり者さん。


 こんな騒動に巻き込まれなかったら、きっと繋がらなかった。
 こんな情けない僕なのに見捨てないで力になってくれた。
 何をどうしていいのか分からない僕を、助けてくれた。
 だから言わなくてはいけない。
 僕が何者で、何を成さなければいけないのか。


「皆、聞いて欲しいんだ」


 僕の真剣な声に、決意を秘めた表情に、皆の顔が引き締まる。


「ボクは本当のスワジク姫じゃないんだ。お姫様の身体を借りているだけの、なんの取り柄もない異世界から飛ばされてきた、ただの人間なんだ」


 ミーシャにしか打ち明けていなかった事実。


「だから正直、皆がこれ以降ボクに付き従う必要なんてこれっぽっちもない。命を賭ける必要も理由もない。」


 声が震えそうになる。
 見捨てられるかも知れない恐怖。
 騙していたと罵られるかも知れない恐れ。
 それらを下腹にぎゅっと押し込める。


「これからボクは本当のお姫様を助けに行こうと思う。蛮行姫と呼ばれた、あの娘を。そりゃ、いっぱい色んな人に迷惑を掛けたんだと思う。いっぱい間違った事をやったんだと思う。でも、それはちゃんと皆が叱ってあげなかったから。間違いを間違いだと教えてあげなかったから」


 これは僕の勝手な主張だろう。
 被害にあった人達にはきっと通用しない戯れ言かもしれない。


「父親から見捨てられ、母親を失って、親友を失って……教え導く人もなく、助けてくれる人も居ない。近づいてくる人は自分を利用しようとする狼ばかり。こんなのボクでもおかしくなる。てか、ミーシャが暴漢に襲われたって聞いた時にそれを体感した」


 あの絶望感。
 あの無力感。


「だからっていう訳じゃないけど、せめてボクだけでも彼女の味方になりたいんだ。絶望に塗り固められた世界にも、きっと救いがあるんだって教えてあげたいんだ。キミの周りにはこんなにもいい友人達がいるよってことを、彼女に教えてあげたいんだ!」
「なぜ……なぜそこまで蛮行姫の肩を持ちたいんですか?」


 ニーナが不思議そうに訊ねる。
 その質問が日本に居た頃の僕の記憶を呼び起こす。


「ボクの家は母子家庭だったんだ。お父さんは事故で死んで、継母と義理の妹とボクの3人住まい。元が他人っていうこともあって、どうしても継母に心を開くことが出来なかったんだ。まぁ、あとは規模は違うかも知れないけれど、お姫様と同じような感じだったんだろうと思う。だから他人事じゃないって感じかな」


 家庭内暴力まではしなかったけれど、言葉も交わさず視線も合わせない。
 義理の妹の春奈とは、継母が居ないときだけ仲良くしてた。


「多分、ボクは後悔しているんだと思う。もっと継母と会話をして本音を言い合っていれば、もっと違う未来もあったんじゃないかなって。この世界の今のボクのように、友達や兄妹ともわかり合えたんじゃないかなって。だから、ボクはスワジク本人を叱ってあげたい。そしてスワジクやボクから目を逸らしていた王様を殴ってやりたい。彼女を食い物にしようとしていた貴族達をぶっ飛ばしたい!」
「ぷはっ」


 力強い僕の宣言に、ボーマンが吹き出す。
 そんなに面白いことを言ったつもりはないんだけど。
 ボーマンは僕の視線に気付いて、慌てて侮辱した訳ではないと否定する。


「王様や貴族達を殴るか。そんなこと考える人間がいるなんて夢にも思わなかった。面白いな、それ。押しつけられたとはいえ、自分の娘を躾けられなかったんだ。殴られても文句は言えないよな」
「ちょっと乱暴な気もしますけど、確かに姫様のお世話を押しつけられていた文句はいいたい気がします」
「王宮の人間って大体が理不尽よね。首になった恨み、晴らして良いのかな?」


 ボーマンの意見に追従するアニス。
 ニーナは、首になった件を今も根に持っている様子。
 ミーシャは……何を言うでもなく僕の後ろに控えていた。
 それだけで彼女の意思が伝わってくる。


「私は、別に本来のスワジク姫がどうとか関係ありません。これも惚れてしまった弱みというやつでしょうか? 貴女がやるというのなら、私もご一緒します」
「一応、ボクは女の子なんだけどね?」
「そこに何か問題が?」
「……イエナニモ」


 馬鹿なやりとりを聞いて、皆が馬鹿笑いする。
 ほんと、馬鹿ばっかりだ。


「それじゃ、いっちょこの5人でクーデターと参りますか!」


 怪気炎をあげる僕。


「この国乗っ取るの?」


 と、ニーナ。


「事後も考えたら、それが一番安全じゃないか?」


 冷静な分析ありがとう、ボーマン。


「お、お父様に怒られないかしら……」


 多分めっちゃ怒られると思うよ、アニス。


「ようやくこの身体の本領発揮ですか」
「流血沙汰は極力避けてくださいね、ミーシャ」


 と堕メイドに突っ込みを入れる僕。
 自然と僕の周りに皆が集まってきた。
 僕が無言で右手を前に出すと、その上にミーシャが手を載せる。
 ボーマンが手を載せた。
 アニスはびくびくしながらも手を重ねる。
 最後にニーナが両手で皆の手を挟み込む。


「皆で悪い大人をやっつけに行くよ!!」
「おうっ!!!!」


 全員の声が収監所中に響き渡った。


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