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[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。(剣と魔法と学園モノ。3)【完結】
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2014/05/11 22:24
始めまして、りふぃと申します。
この度知人から、このSS掲示板で様々なジャンルのSSを取り扱ってくださると伺い、お世話になろうと参りました。
剣と魔法と学園モノ。3にはまり、好きが高じてSSとかも書いてみようとのぼせ上がった、身の程知らずにございます。こちらでご意見、ご感想をいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いしますorz



pixivで、うちの堕天使を描いてくださった方がいらっしゃいました。
作者冥利に尽きるなぁ……゚(゚´Д`゚)゚
本当にありがとうございます。

ttp:
//www.
pixiv.
net/member_
illust.
php?mode=
medium&illust_id=20953319


以下、
注意点をつらつらと……

・元ネタとなった『剣と魔法と学園モノ。3』は、オリジナルキャラクターを作成して主人公にするゲームで、その関係上SS内の主人公はオリキャラになります。

・SS進行はととモノ。3のメインストーリーを追いかけていく事を考えていますが、細部はかなり弄ってあります。

・作者はお医者様より重度の中二病との診断を受けております。





なんだか書いてて自分でも地雷臭をぷんぷん感じる……この前書きで本編読んでくれる人がいるのかなこれorz



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。(設定資料)
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/07/02 13:43
キャラ編

ある意味本編より重要なキャラ設定。
こういうゲームはこの部分がゲーム重要度の7割を占めると信じています(キリッ



エルシェア(エル) 種族セレスティア
プレイ当初、作者が主人公格キャラとして作った子。
作者の優柔不断により育成方針が定まらず、序盤で学科を七股した受難の申し子。
しかし比較的何でも出来るセレスティアという種族と恵まれすぎた素質(BP54)の為、どの学科も中途半端にこなせてしまう。
それによって更に作者が迷走し、中盤過ぎまでポジションが確定出来なかった……

キャラクター設定
物腰穏やかな毒舌家であり、基本保守的な思考回路。
百合系腐女子を自覚しており、保険医リリィを慕っている。
身長高め。薄桃色ウェーブのロングヘア。


ディアーネ 種族ディアボロス
プレイ当初、作者がエルの相棒として考えていた子。
ヒロインかツンデレかで迷った挙句、英雄への道を歩ませることにした。
無魔法? それなぁに食べれるの?
セレスティア&ディアボロスの組み合わせは公式紹介文を見て決め打ちでした。

キャラクター設定
女版レオノチス君。
英雄に憬れて英雄(ヒロイン)学科へ。
入学当初から一本伸ばしであってそれなりに強い。
胃袋大宇宙で体育会系思考回路。
身長高め。黒髪のストレート。


ティティス 種族フェアリー
プレイ当初は盗賊学科からスタートし、序盤~中盤に渡ってパーティーの安定に貢献してくれた使える子。
その受難はサブ学科解禁によって賢者の道を歩んでから始まった。
突如HP貧困な虚弱体質に成り下がった彼女は、PT最弱のお荷物へと変貌。
栄光から没落までが異様に早かった……

キャラクター設定
素直で直向な後輩思考。
刷り込み効果によって上記二人(特にエルシェア)に対して凄まじい懐き様。
賢者学科専攻で、当面はお荷物……もといお姫様ポジション。
このSS内では、フェアリーの身長は100cm前後に……
後日手の平サイズとか判明したらマジすいませんorz
金髪碧眼で、この種族にしては身長やや高めな子


(十二月二十三日)


物品編

思い出の深いアイテム等が増えてきましたので、ちょっと増設いたしました。
興味の無い方は飛ばしてくださっても全く問題はないかと思います(*/□\*)
白状しますと、りふぃは練金システムが良く理解出来ず、強化のやり方すら解っておりません。
拠って装備を作った事が無く……ゲームプレイ時は、恐らく恵まれていたと思われるアイテムドロップと、めっさ高いお店の装備でプレイしておりました。我ながらアホなプレイしてましたが、其れは今も続いております……


『白衣(鎧)』
救助活動を行うモノが良く着用していた服

攻撃0  命中0 魔法攻撃3
防御19 回避0 魔法防御20
射程―  属性無
備考 なし

ゲーム時では活躍する機会が全く無かったお洋服。
『鋲打革甲鎧』の方が先に買えた事と、魔法防御力を軽視してた事によるものと思われます。
勿論この発想は本編後半まで続き、きっちり痛い目に遭わされた事も……。
SS内ではリリィの真似か、エルシェアがちょくちょく着込んでる。
制服の上から着込める事から、お気に入りになりました。

『千早(鎧)』
服の上に羽織る大きな外套。
白さに純潔を感じる一品。

攻撃0  命中0 魔法攻撃9
防御8  回避1 魔法防御12 
射程―  属性無
備考 最大MP+15 MP回復+1 魔抵抗+ 魔強+ 獣× 精霊○ 悪魔○

ゲーム時では活躍(以下略
『鋲打革甲鎧』の方が先に買えた事と(以下略
実はゲーム序盤で取れるチート装備だったと知るのは、神との決戦直前。
MP回復+1は、このゲームでは凄まじく強いです……
巫女の持ち物ですので、SS内ではタカチホ経験のあるディアーネに羽織ってもらってます。
やっぱり制服の上から着込めるからお気に入りです。
余談ですが、ティティスは防具とか考えてません……学生は制服という固定観念が強すぎるかな……

『リリィ先生の花束(装飾品)』
綺麗な花束。
かげ干ししてドライフラワーとして長く楽しめる。

攻撃0  命中1 魔法攻撃2
防御0  回避0 魔法防御0 
射程―  属性風
備考 HP回復+1 魔抵抗+ 特抗+

リリィ先生の手から、愛する生徒に手渡された私的神アイテム。
愛と思い入れが桁違い(*/□\*)
ゲーム時では活躍(以下略
その存在を知ったのは……なんと二週目のタカチホで三学園交流戦が終わってからorz
速攻でデータを消して、一週目プリシアナ編の神戦前のデータをやり直してゲットしたという曰くつきアイテムです。
いえ、先生愛してますから全く苦にはなりませんでしたが。
SSでも本編でもエルシェアが抱きしめて離しませんw
これを取ったときは『天空の欠片』という神アイテムを装備してましたが、生理的嫌悪感レベルで嫌いあっていたパーティー内のエルフ娘さんに上げちゃいました。
でも本人は幸せだと思います。
SS内ではペンダントに仕込んだ一輪の押花として出しました。
花束を抱えて戦うとか、私の筆力で描写するのは無理で……orz
でも、服の下に誰にも分からない様に身に着けてる感じが、わりとお気に入りです。

『アダーガ(盾)』
盾に剣や槍を追加した、攻防一体の武具。

攻撃109  命中3  魔法攻撃32
防御22   回避-5 魔法防御8 
射程S     属性無
備考 特抗+ 人○ 獣○ 爬虫類○ 植物○ 昆虫○

本編で役立たずになりかけていたエルシェアの覚醒を促した、私的神アイテムの一つ。
手に入れたのは、暗黒校舎……だったと思います。
本当に何処で拾ったんだっけなぁ。・゚・(ノД`)・゚・。
少なくとも三校交流戦の段階で持っていてはいけないブツなのは確かですがw
攻撃能力のある『盾』とか、本当に作者のツボにドンピシャリ。
この盾を手に入れた事に拠って、迷走していた彼女のポジションが決まってきました。
堕天使メインで、サブにメイド。
オフェンスに『ビッグバン』『襲撃』『粉砕』で、メイン火力にはなれずとも硬い仕事をしてくれます。
ディフェンスは『魔法壁』『経験則』で対応。
サポートでは『ラグナロク』要因をしてもよし、『道具乱舞』でディアーネのお口に只管おにぎりを詰め込んでもよし……
更には連携技『いちごミルク』『守護防壁』の起点としても機能する万能ぶり!
やっと主人公格としての風格が出てきてくれたと思います(´;ω;`)
因みにSS内でエルシェアが状態異常に全く脅威を感じていないのは、本編で彼女が完成した状態でのプレイヤー心理からだったりします。
また実物は本当に剣とか槍がくっついていますが、持ち運びに不便そうだったのでこのSS内では『魔力を流して刃を展開』とか、思い切りファンタジーかつ都合の良い中二設定で使用しております。
何時ものように作者の力量不足なのは確定的に明らかですが、ご容赦ください。
あ、石投げないで石。・゚・(ノД`)・゚・。

『魔剣オルナ(両手剣)』
魔人の魂を宿した豪胆なる魔剣。

攻撃140  命中2  魔法攻撃17
防御2    回避-2 魔法防御7 
射程S     属性無
備考 死亡付与

本編では何時の間にか道具袋に入っており、エルシェアが何時の間にか『盾を装備した状態で右手に装備していた』両手剣。
あっぱらぱーな作者に『真・二刀龍』の存在と効果を教えてくれました師匠的アイテムです。
その意味でも思い入れの深い、私的神アイテムの一つ。
エルシェアがこの剣と上記の『アダーガ』を持っていたことにより、彼女の戦闘スタイルが私の中で確定。
驚異的な筋力で両手武器を片手で振り回しつつ、盾でも殴る子としての道を歩み始めました。
種族専用学科でこれを覚えるという事は、セレスティアは潜在的に筋力に恵まれやすい種族ということか……
SS内ではディアーネさんが両手で普通に扱っております。
ゲームシステムを意識するなら、片手剣でも二刀流した方が強いです。
ですが私は剣を二本持って単純に攻撃力二倍というこのシステムは肌に合わず、ディアーネにはタカチホで捏造スキル『両手持ち』を覚えてきていただきました。
二刀流がスキルで、両手持ちが無いって言うのは納得がいかんっ。
両手持ちってそんなに簡単なものか!?
作者の頭の中では、二刀流よりも片手には盾を持っていたほうが強い気がするんですけどね……

『パリパティ(片手短剣)』
預言者が使っていたとされる短剣。

攻撃126  命中8  魔法攻撃25
防御0    回避5  魔法防御25
射程S     属性無
備考 なし

本編での入手先は良く覚えていませんが、何時の間にかティティスが振り回していた短剣でした。
先程から三学園交流戦前に持つには不相応に感じる装備が続きますが、世の中には『エル・ドラコ』や『水槌』等のやばい物がゴロゴロしております。
このくらいはむしろ可愛いものだと主張します。
私は謝らない。嘘ごめん(*/□\*)
実は私のプレイ時は強い魔法攻撃力のある装備に、あまり巡り会えませんでした。
意図しない練金封印プレイになっていたので当然といえば当然だったんですが(´;ω;`)
その為パーティーでは杖等の魔法装備はティティスではなく、SS未登場のエルフ娘が独占しておりました。
キャラ設定にも書きましたが、ティティスの本業は賢者ではなく盗賊でありましたし……
そんな中で手に入れたのが、魔法短剣のこの装備でした。
マイナス補正が掛かる能力もなく、使い勝手の良い短剣。
何が気に入ったかって、やっぱりティティスの『妖精』という種族の大きさにマッチするだろうという点でした。
プレイ時から百センチ前後という脳内設定でやっていたため、短剣を片手剣のように扱うイメージがぴったりと嵌ってくださいましたw
しかし妄想と違い、現実は甘くありません。
この『攻撃力126』が曲者で、欲と火力に目が眩んだ作者は虚弱体質の賢者を前衛に出すという暴挙を敢行。
無謀な行為の代償は正当な即死によって購わねばならないのがRPGのお約束!
プレイヤーの無知と愚挙によって、彼女にはいらない苦労をかけてしまいました。
ごめんよティティス……。・゚・(ノД`)・゚・。



物品編パート2(7月2日)


さーて、誰も待っていないだろう自慢話パート2でございます。
今回は外伝で漸く出す事のできた思い出の品を紹介して行きたいと思います。
なるべく原作と当時の進行を意識して作品を書くようにしているのですが、キャラ人数やNPCの性格等、根本的な部分を妄想で都合よく改変してしまっているので最早どうしようも……orz
例によって例の如く、興味の無い人には全く意味の無い部分だと思いますので、耐久レースだと思ってお付き合いください(*/□\*)
前回の物品紹介は素の能力のみ書き出しましたが、今回は拾った状態で書いて行きたいと思います。
よろしくお願いいたします。


『破邪の剣+6(片手剣)』
太古の神が祭られていると言う剣。
邪神マニア熱狂のマストアイテム。

攻撃80   命中-1  魔法攻撃0
防御0    回避0   魔法防御40
射程S     属性無
備考 HP回復+1 眠り付与 『知恵+1』

本編でも水に守られし宮殿で、敵が落とした宝箱に入っていました。
箱の色は茶色だったと思います。
威力もさることながら魔法防御力40というのはかなり破格の数値。
またHP回復が地味に嬉しく、二刀流の二本目として大活躍してくださいました。
本編プレイ中もディアーネさんがしっかりと、イービルブラッドが手に入るまで使ってくれました。
途中で英雄学課の先生がミスリルソードをくれましたが、魔法防御がガタガタになるのでこっちを使っておりました。
グラジオラス先生ごめんなさいorz
初回プレイは防具の魔法防御力を軽視していましたが、こういう武器に拠って知らず知らずの内に命を救われていたのだと思います。




『魔法の盾+3(金属製盾)
魔力を防御だけではなく、攻撃にも転用できる優秀な盾

攻撃0    命中2   魔法攻撃27
防御17   回避-4  魔法防御21
射程―     属性無
備考 HP回復+1 魔抗+ 特抗+ 人○ 不死○ 霊○ 獣○ 爬虫類○ 植物○ 昆虫○ 巨人○ 精霊○ 魔法生物○
  『最大HP+12』

此れは本編で二枚手に入った装備で、水に守られし宮殿で一枚、力水之社で一枚。
今回ご紹介するのは、水の方で見つけた強いほうです。
此れはティティスの相棒として活躍しました。
その当時では強力だった暗黒の杖を上回る攻撃力を、盾側に装備できるという点は画期的だったと思います。
暗黒の杖だと両手が塞がってしまいますし……
様々な耐性に咥えてHP自動回復の恩恵もあります。
更には入手ボーナスで付属していたHP+12が大きかったです。
ティティスさんは中盤賢者になった後、あまりのHP貧弱ぶりに死ぬ事多数。
ほんの僅かでもHPに下駄を履ける用意が必要でした。
問題は金属製という事でやや重く、素早さなどが劣化する事でしたが、其処は後述の『あるお洋服』で補う事になりました……
此れだけの盾を遊ばせて置くわけには行きませんでしたしorz
今思うとティティスは結構装備には優遇されていた気がします。
直ぐ死に掛ける子でしたが、駄目な子程可愛いということだと思いますw



『レオタード+8(鎧)』
全身をタイトに纏う衣装。芸を磨くものから怪盗まで広く愛用される服装

攻撃0    命中0   魔法攻撃0
防御10   回避5   魔法防御0
射程―     属性無
備考 素+8 最大HP+10 最大MP+10 魔抗+ 魔強+ 『魔法防御+24』

ゲーム本編では冥府の迷宮で偶々、いきなり拾ってしまった神アイテム。
ユニーク装備でありながら+8という初期強化と、ボーナスについた魔防24のせいで本当に隙の無い一品に仕上がっています。
匠の技が凝らされまくった、趣味と実益を兼ね備えた素晴らしいお洋服。
入手した瞬間目を疑い、装備させてみて色々な能力値が上がりまくって踊り狂いましたw
此れはティティスに着てもらいましたが、学園支給の学生服からこの服に着替えたと言えばどれ程の能力向上があったかはお察しです。
何度も何度も、これと制服を入れ替えてその強さと違いにニヤニヤしていました。
しかし何度も着せ替えるうちにこの装備で街中を練り歩かせるというのはどうなのだろうという疑問もわいてしまいました。
SS内でなるべく学生に学生服を着せている原点は此処かもしれません。
書くときは一応画像を調べて、制服の下に着れば何とかなりそうだなという事で登場していただきました(*/□\*)
盗賊から賢者に入ったティティスですが、それでもこのレオタードは一番この子にあった装備であり続けました。
確か原始の学園に行っても着ていたと思います。
ゲーム本編では神を倒し、既に着衣要塞とか着ているティティスですが、今でも学生寮の彼女の預かり所にはこのレオタードが大切に保存してあるのです。



『命を刈る鎌+4(両手鎌)』

作物の収穫をするがごとく、命を刈る死神の鎌である事が売り文句

攻撃101  命中3   魔法攻撃0
防御3    回避-3  魔法防御0
射程M     属性無
備考HP回復-1 混乱付与 死亡付与 魔抗+ 特抗+ 人○ 不死○ 霊○ 精霊○ 『知恵+1』

暗黒校舎で手に入れた、正に堕天使の為にある一品でした……が!
この時うちの堕天使様はメイドさんへの道を歩み始めていたので微妙な品に。
それでも使ってみたくて、履修100%なのに転科して使いました。
作者はアホの子なので、HP回復-1の効果を全く知りませんでした気がつきませんでしたorz
一歩歩くたびにエルシェアのHPが動いているのを、ティティスの魔法の盾とかディアーネの破邪の剣と同じように、HPが回復しているんだと思い込んでいたんですね……
本当にアホでしたorz
毎度毎度何時の間にか死に掛けているエルシェアさん。
セレスティアはHPもそこそこ伸びる子だったので大事には至りませんでしたが、それゆえにプレイヤーが意識するのが遅れたという;;
戦闘中に毎ターン-1されているのは気づいていましたが、何故かこの-1と歩数ターンの-1を結び付けて考える事が出来ませんでした。
暗黒校舎終盤でやっと気づき、同時に履修度も勿体無いと正気に戻ったために封印指定に。・゚・(ノД`)・゚・。
ゲーム本編では以降の出番は全くありませんでしたが、SSではどうでしょう……
なんかこの武器、エルシェアさんに振り回していただくイメージが沸いて来るんですよね。
何時かちゃんと使っていただく機会を作って上げれればなと思います。





※1 プレイ中は6人PTでやっていたのですが、他三人は当面SS内には出てこれないので割愛orz
駄文学科専攻の作者には文面で六人もの人物を動かせるスキルは無いため、戦力的に厳しい所はキャラクターがゲームより強い脳内設定でお願いしますorz

※2 オリジナル設定満載なうえ、作者はお医者様より重度の中二病(末期)との診断を受けております。妄言戯言が文面に表れる箇所が多く見受けられると思いますが、『森羅万象の理』よりも広く深いお心によって読み流してくださると幸せになれます。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。①
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/22 11:29
§



茹だる様な暑さの八月上旬。
大陸の北寄りに位置するプリシアナ学院も、この時期は相応の気温なる。

「あ……ぢぃっす」

呟いたのは少女の声音。
年頃の少女にしては長身で、その背まで真っ直ぐに届く漆黒の髪は相応に長い。
整った顔立ちに白い肌。
多数のものが認める美人ではあったが、何より人目を惹くのはその頭部。
彼女の頭には御伽噺の悪魔を思わせる角が二本、控えめとは言えぬ程度には自己主張しているのだ。
冥界の血統を継ぐ、人あらざる異種族……ディアボロス。
それが彼女の分類だった。

「……」

中央校舎から渡り廊下を歩き、北校舎へ。
人気の少ないこの校舎が、彼女の密かなお気に入り。
プリシアナ学院は、大陸に三つある冒険者養成学校の一つである。
三校の中ではもっともその歴史が浅く、設備は充実している反面生徒数はやや少ない。
命がけの家業となる冒険者にとって、信頼できるのは実績の積み重ね。
新設の分その点でやや劣るこの学院は、広すぎる校舎と相まって人口密度に不均衡が生じる空間がある。
保健室やその主、死神先生リリィが居るこの北校舎もその一つであった。

「んー……」

渡り廊下で複数の女性徒とすれ違う。
エルフと、ヒューマンと、バハムーンの少女。
顔に見覚えは無く目礼もせずにすれ違うが、その会話の断片は耳が勝手に拾い上げた。

「……使えないよね」
「器用貧乏……」
「なんか……不気味で……」

ほんの数瞬で聞き取れた内容はこれだけ。
しかし彼女にとっては十分すぎるほどの判断材料である。

(またっすか)

学生とはいえ、この学園での学びは他校のそれと同じく凄まじい実践教育である。
最高の設備と優秀な教師陣による知識の伝播は怠ることはないが、それでも普通に死者が出る迷宮にも挑まねばならないのだ。
其れゆえに種族特性を把握し、長所を伸ばせる学科を専攻し、有能さを武器にやはり有能な仲間を探す。
生徒間の横の繋がりと実力こそが、彼らの生存率を上げるのだから。
同じパーティーで組んでいても、仲間であって友人ではない。
其処でどういった事が起きるのかと言えば、先ほどの会話である。

「おっかなーい……」

苦い笑みと共に、ディアボロスの少女は肩越しに振り返る。
先ほどすれ違った三人は、既に本校に入ったのか姿が見えない。
仲間の入れ替え。
悪く言えば切捨てだが、そのような事が頻回に起こるのである。
実力の合わない者。
専攻の学科を間違えて能力を発揮できなかった者。
そういった者を切り捨て、新たな仲間を迎えるのだ。
悪い事だとは思わない。
皆命がけなのだから。
自身の生還率を上げるため、そして死亡率を下げるため……
足手まといの荷物を置いて、優秀な『仲間』を求める。
おかしなこと等、何もない。
少女自身もそう思う。
しかし彼女の中でどうしても割り切ることが出来なかった。
実力主義社会にいる自分達である。
捨てられた者の事を思うほどに酔狂ではないのだが……
それが自分の身に降りかかってくる日を思えば、保身を考えるのも無理からぬことであったろう。

「……」

そもそもからして、ディアボロスは嫌われ者。
彼女に声をかけるものなど、この学園にも居なかった。
しかし全てのディアボロスが嫌われ、一人で居るのかと言えば……
必ずしも、そうではない。
単独では決して上に行けないと知る者は、それなりに上手く立ち回って仲間を見つける。
そんな同属も居るからには、彼女が一人なのは決して種族のせいには出来なかった。

「要するに、わたしゃ単なるKYか、適応不全か……」

伝説や神話の英雄譚を無条件に信じていた幼い自分。
成長して学園に通い、現実はそこまで甘くない事を知ったのは最近の事。
少女は未練がましさを自嘲せずには居られない。
理想を持ち、現実に触れ、そのギャップに滅入りそうになりながらも……

―――こんな自分にも、何時か、誰か……

その想いを捨て去ることが出来ずにいたのである。
そうして自身の思考に没頭を始めた少女は、疑問を抱くことが出来なかった。
通常は保健室にでも用のないと誰も来ない北校舎と、本校のを繋ぐ一本の通路で人とすれ違った意味。
あの三人組は、こんな所で誰と何をしていたのか……
後にディアボロスの少女は、この時の自分を憮然として振り返ることがある。
八月の暑い日、保健室で出会った天使。
彼女の人生、唯一無二の親友と好敵手と嫁と疫病神を一身に兼ねた少女との出会いは、果たして幸福の支配域に属する出来事であったのかと。



§



保健室のベッドで、薄汚れた少女が眼を覚ます。
彼女が着込んで居るのは、プリシアナ学園正規の制服。
その所々が薄汚れ、擦り切れている。
四肢には薄紫の皮下出血が生々しく、少女が受けたであろう暴行の悲惨さを物語る。
薄桃色のウェーブヘアで愛らしい風貌であったが、瞳だけは虚ろに天井を見つめていた。
純白の翼を背中と頭部より生やしたこの少女は、セレスティア。
天使の血を引き、本来信仰心に富んだ種族である。

「ん……」

状況が掴めない天使は、身体を起こそうとして……
全身から送られる痛覚反応に思考が止まる。

「くぁっ?」

自身の発した奇声の無様さに、笑いの発作に駆られる始末。
しかし此処で笑うと再び激痛に悶絶することになると、天使は懸命に発作を奥歯で噛み殺す。
その頃には既に十分な理性を回復しており、自身の現状は把握できた。
今度は苦笑の発作を覚え、それは自制できない。
何のことはない。
少女は仲間から捨てられた。
献身的に尽くしたつもりだったのだが、駄目だったのだろうか?

「駄目、だったのでしょうね」

全身の傷は、元仲間から貰った餞別。
心を抉る罵声と共に頂戴した、私刑の痕だった。
保健室に担ぎ込まれている所を見ると、やりすぎたと思ったか……
痛みを無視して全身を確認すると、どうやら打撲と擦り傷で済んだもよう。
骨折や内臓関係の損傷がなかったことに安堵しつつも、やはり陰鬱なため息を抑えられない。

「此処までします? いや、するか……」

誰にとも無く掛けた問いに、やはり答えたのは自分だった。
望んだことではないとしても、自分の失敗でパーティー全滅の憂き目を見たのである。
其処までの冒険が比較的順調に進んでいた反動もあり、怒り心頭だった仲間達の顔が目に浮かんだ。
さらに少女はうっかりと、その先の暴行と罵声まで思い出しそうになり、一つ息を吐いて思考を止める。
周囲に人の気配は感じなかった。
保険医はどうやら不在らしい。
もし居た場合、そしてこの傷を見られた場合……
仲間達は如何したのだろうか?
そう考えた天使だが、あまり意味の無い思考だったと思い直す。
この世界には、そしてこの業界には、怪我処か死亡の場合だって通じてしまう魔法の言葉があるではないか。

『化け物に襲われました』

こう言っておけば済むのである。
また通じなかったとしても、自分の失敗で迷惑を掛けたのは事実。
その事実を棚上げして被害者ぶってみせるつもりは、さらさら無い少女だった。
青い瞳から一粒だけ雫が落ちるが、天使には無自覚のことだった。
こういうことが普通になってしまう程度には、出会いと別れを繰り返している。

「……はぁ」

息をつき、痛む身体を支えながらベッドから身体を起こす。
消毒用のアルコール臭が、少女の嗅覚に少しきつい。
彼女にとっては決して好ましいにおいではないが、何処か安堵する心地も存在した。
この匂いは、保険医の白衣からもするのである。
学園の生徒からは死神先生とまで呼ばれる、ディアボロスのドクター・リリィ。
誤解されやすい性格ではあるが基本的に優しく、生徒想いなこの保険医を少女は内心では慕っていた。

(あ?)

少女の聴覚に引っかかる足音。
複数ではなく、一つ。
壁掛けの時計を確認すると、午前の授業が終った所だ。
昼時のこの時間に、態々保健室に来る生徒など殆ど居ない。
聡い少女はこの傷に対する言い訳と、その後に予想されるやり取りの模範解答を準備した。
あまり追求されたくないし、その意思を言外にでも感じてくれれば、リリィは見逃してくれると目算もあった。
小首を傾げ、上手く、出来れば最短で会話を終らせるパターンをシュミレートする天使の少女。
多少ハードな人生経験から、既に純真無垢の天使とは言えなくなった少女である。
彼女は保険医の楚々たる美人と言った容貌と、やや内に篭りがちな性格を思って微笑する。

(ちょっと涙目になってるくらいが、可愛いんですよねぇ……)

その性癖にサディスティックな一面を持つらしい少女。
第一声を心に決めた少女は、良い笑顔を浮かべて部屋の主を待つことにした。
この時彼女はつらい出来事からの逃避の為、やや攻撃的になった事を後に述懐している。
それを聞いた親友兼好敵手兼嫁兼厄病神なディアボロスの少女は、アレがお前の地であろうと一蹴して相手にしてくれなかったが。
ともあれ、廊下から足音が聞こえる距離のこと。
大した間もなく入り口の前で足音が止まり、静かに扉が開けられる。

「ちわーっす。頭痛いんでベッド貸して……」
「視界に入らないでいただけますか? 薄汚い悪魔を見てると、蕁麻疹が出そうです」



§



世界が凍て付き、切り裂かれた音を聞いた気がする。
お互いに相手を保険医と誤認した二人の少女。
この時、二人の世界は広くも無い保健室に限定され、お互いの存在だけが世界の全てと化していた。
先に正気に戻ったのはどちらだったか、この時二人は解らない。
しかし先に動き出したのは、確実に悪魔の少女だった。

「う……うぇ……」
「あれ?」

天使の少女は悪魔の娘の緋色の瞳が、一瞬で涙に染まるのを見た。
それは悲しいとか、傷つけられたという類の濡れ方ではない。
自分の理解を超えた事態に感情が全く追いつけず、生理反応として涙腺が決壊した大粒の涙であったろう。
しかし当の本人達にはそんな事はわからない。
とにかく天使のスウィートヴォイスは、全く見当違いの悪魔のグラスハートを粉砕した。
そうして何が起こったかというと……
理性と感情を置き去りにして幼子のように大泣きするディアボロスの少女に、ひたすら土下座するセレスティアの少女。
学園片隅の保健室は、明らかに日常からかけ離れたカオスな異空間と化していた。

「真に申し訳ありませんでした!」
「う、うぇ? グシュッ」

観客が居れば滑稽であったろう土下座劇は数分間にも及んでいた。
しかしもし、本当に観客が居れば、その様子に違和感も持ったかもしれない。
セレスティアとディアボロスは、種族的な相性が最悪なのは周知の事実。
それを差し引いても、双方共に自尊心とプライドが高い種族柄なのである。
人目を憚らず大泣きする悪魔と、そんな悪魔に土下座して許しを請う天使というのは、それだけで二人の個性を端的に示していた。
そしてそれは、二人が一般的大多数派の中では生き辛い同士だと、無意識に互いに教えあう事になったのかもしれない。
やがて悪魔は泣き止んだが、その時に見た天使の安堵した微笑。
其処に偏見を持たないで済んだのだ。

「あぁ、ひっく。えっと……?」

多少理性が回復しても、感情は空回って状況すら掴めない。
顔を上げた悪魔の少女が見たものは、ボロ雑巾のような天使の少女。
先ほど薄汚いと言った彼女の方が、今の自分よりよほど汚れているのは間違いなかった。

「ごめんなさい。先生と間違えて酷いこと言って……これから少し、口を慎む事といたします」

真摯にそう言った天使の少女は、きょとんとした悪魔の頭を軽く抱きしめる。

「えっと、良く分からないけど怪我平気?」
「……っ」

今頃になって痛覚の存在を思い出した天使。
引きつりそうな顔をKIAIで微笑の形に繕い、天使の少女は囁いた。

「大したことはありません。お気遣いありがとうございます」
「そ、そうっす?」

綺麗な顔をこわばらせ、悪魔の少女は引きつった返事を返してくれた。
腕の中から反射的に身を退かれそうになったのは、種族相性の問題であり、決して自分の笑みが怖かったからではない。
天使は自身に言い聞かせ、もともと緩く絡めるだけだった腕を離す。

「先ほどは、本当に失礼いたしました」
「あ、はい。いや、本当に失礼でしたけど事故だと思うことにします」
「貴方の寛容な御心に、感謝の言葉もございません」

天使は今一度頭を下げると、静と立ち上がり手を伸ばす。
悪魔の少女は目の前に差し出された手を反射的に掴むと、その身を穏やかに引き上げられた。
自分はいつの間にか、床に座り込んで泣き崩れていたらしい。
事此処に至り、ようやくその程度の状況を認識できた少女である。

「失礼」

その声に天使を見れば、ややぎこちない足取りでベッドの縁に腰をおろしていた。
セレスティアにしては長身な少女の背丈は、やはり長身の自分ほどには高そうだと思う。
しかし苦痛からかやや猫背になったその背中は小さく、また酷く頼りなかった。
どうしようかと一瞬迷い、やがて悪魔の少女は隣に続く。
そう広くは無い、保健室用のシングルベッド。
其処に拳一つ分の間隔で並び、座る少女が二人。
初対面の二人の距離が遠いか近いか、意見の分かれるところだろう。

「私はエルシェアと申します。宜しければエルとおよび下さい。今は盗賊を専攻しております」
「あ、ご丁寧に。私はディアーネ。英雄学科でお勉強中っす」

このとき二人が感じたのは僅かな違和感と、やはり僅かな納得だった。
魔法職が得意な、しかも死霊使いであるディアボロスが魔法の使えない英雄学科。
信仰心に篤く、やはり魔法が得意なセレスティアが選んだ盗賊学科。
人生の方向性を正反対に間違えたような学科選択だが、目の前のこいつなら……
そう思ってしまうだけの何かが、この時互いに芽生えていた。
この時も先に動けたのは悪魔の少女、ディアーネだった。
目の前に座るボロボロの天使に、当たり障りの無い慰撫をかける。

「そりゃ……苦労も多そうっすね」

穏やかに笑みを浮かべながら、エルはディアーネに向き直る。
何処か諦めたような寂しい笑みだが、それ以上に返された言葉はディアーネの予想を超えていた。

「ええ。でもまぁ、これで七つ目なんで……慣れました」
「……何が七つ?」
「学科ですよ」

事も無げに言い放ったエルだが、固まったディアーネは閉口した。

「始めは堕天使希望だったんですけど、戦力が中途半端ということで転科を求められまして」
「はぁ」
「その後も種族的に向いた専門職さんがいらっしゃる度に転科を続け、気がついたら……」
「学科を七股してましたって?」
「その間に、パーティーは四股してますけど……」
「……照れんなよ」

頬を赤らめて語るエルに、頬を引きつらせて突っ込むディアーネ。
エルとしても決して楽しい思い出を語ったつもりはない。
ただ、冗談のオブラートに包んでいないと精神的に参りそうだった。
そんな天使の内心は知らず、悪魔はその横顔を見つめていた。
おそらく様々な学科を、メンバーに求められるままに渡り歩いたことだろう。
その為、一つの技術を深く極めることが出来ずに徐々に荷物になっていった少女。
多分野に中途半端な才能がありすぎたが故に、失敗した稀有な例が其処にあった。

「器用なのか不器用なのか、わっかんないなー貴女」
「む? わたくしは昔から、器用に何でもこなせる子だねってご近所でも評判だったのですよ?」
「意に沿わない転科七回もするのは器用って言わないと思う」
「……誤差の範囲だと主張します」

拗ねた様にそっぽ向いたエルシェアに、ディアーネは思わず噴出した。
子供っぽいしぐさが妙に似合う娘だが、今のボロボロの格好がいろいろと台無しにしてくれている。

「まぁとりあえず、私の事は置くとして……」
「いや、もっと根掘り葉掘り聞きたいところなんですが?」
「拒否します。とりあえずわたくしの質問に答えてくださるまで」
「なんす? スリーサイズは秘密……」
「上から――、――、――といった所ですね?」
「何で知ってんだこの女郎!?」

瞬時に顔を赤らめ、思わずエルシェアの胸倉をつかむ。
きょとんとした天使は、無垢な瞳を悪魔に向けた。

「え、だって服の上からでも見れば普通に……」
「わかんねぇよ普通なら!」
「まぁ、貴女のボディラインはどうでもいいとして」
「失礼っすねあんた!」
「だって、ほら? いろいろな意味で負ける要素がなさそうなので」
「やってみなければ判るまい!?」
「比べてみたいんですか?」
「……」

ディアーネはまったく動じていないエルを見つめる。
頭の先からつま先まで。
舐る様にその全身に何度も視線を行き来させ、やがてどうしようもない格の違いを理解してうな垂れた。
自分の体系等、当の昔に承知している。
ディアーネの体系は細身の長身と相まってスレンダーな魅力であるが、全体のボリュームとしてはエルの足元にも及ばない。
どちらを貴重とするかは選ぶものの好みだろうが、当人同士で競った場合、発育不良を自覚しているパーツを持ったディアーネが不利だった。

「神は死んだ……残ったのは持つものと持たざるもの……争いの歴史は此処から始まった」
「そういう繰言なら、お得意の死霊さんにでもつぶやいて見たらいかがです?」
「私は死霊学科なんか取ってないっす」
「ああ、やっぱり転科したわけでもないんですね」

興味深げな視線を向けられ、ディアーネはやや気まずく視線を逸らす。
エルシェアは不躾にならない程度に見つめると、人好きのする笑みで問いかけた。

「ディアボロスの貴女が、いったいどうしてヒロインなんか?」
「え? だって格好いいじゃないっすか」

事も無げに言い放った悪魔の少女に、エルは目を丸くした。

「それだけ?」
「今のところ……うん。やっぱり格好いいから英雄になりたいっす」

自問自答し、やはり間違いは無いと簡潔な答えを返すディアーネ。

「私は何時か、誰もが振り返るような偉業を持って、英雄になりたい……うん。やっぱこれっすよ」
「へぇ……もう一つ、伺っても?」
「あい?」
「貴女、今この学園でお友達とかいらっしゃいます? おまけして組んでるパーティーでも良いですけど……」
「あう……残念ながら」

返答を聞き、エルは目の前の少女の内面の一端を読み取った。
認められたい、自分を見てくれる誰かが欲しい
その為に英雄たる実績が欲しいと言ったのだ。
同じ動機で七種目もの学科を転科した自分とは間逆に、一つの学科を突き進む少女の意志の強さ。
根底にある少女の孤独を、堕天使志望だった少女は感じ取ることが出来た。

(抉れば、堕とせる)

思考した瞬間、エルは苦笑して頭を振った。
そうして一つ息を吐くとベッドから立ち上り、徐に制服を脱ぎだした。

「はぁ!?」
「お静かに。密室の大声は響きますから」

訳が判らず混乱するディアーネを他所に、下着姿になったエル。
ボロボロの制服をやや乱雑にベッドへ放りだす。
口の中で何か言葉を紡ぐと、燐光が少女を包み込む。
それが何であるか、ディアーネは知識としては知っていた。
彼女は一度も経験は無いが、これは学園所属の生徒が転科する際のもの。

「……なんで脱ぐの?」
「ルールです」

意味がわからないといった風のディアーネに一つ笑みかけ、エルは高速詠唱で呪文を紡ぐ。

『ルナヒール』

天使の声が澄んだ響きで吹き抜ける。
美しい音を視認したかのような錯覚を覚えたディアーネは、まじまじとエルの横顔に見入っていた。
視線に気づき微笑を持って答えた少女は、既に全身の傷を癒していた。

「あんたの七つ芸の一つっすか?」
「はい。最初の転科が光術師だったのですよ」

エルは再び転科を行い盗賊に戻ろうとし……もう意味が無いと苦笑した。

「このままでいいか」
「あれ? 戻らない?」
「ええ、もう盗賊でいる意味も無いので」

そう言って再び制服に袖を通す。
一瞬顔をしかめたのは、今度は痛みによるものではない。
少女らしい思考から、一度脱いだ服を洗わずにもう一度着る行為を躊躇ったせいである。
もっとも他に服も無く、早急に学生寮に戻ろうと思案した。
燕のような機敏さで身を翻すと、悪魔の少女に一礼する。

「それでは、機会ありましたらまたお会いしましょう?」

悪魔の少女は心此処にあらずといった風で、ぼぅっとエルを見つめていた。
様子がおかしいと感じた天使。
しかし彼女にとっての急務は、何よりもまず着替えであった。
返事が無い事に気を悪くした様子も見せず、再び踵を返す少女。

「……」
「……」

エルシェアは歩き掛けた足を前に出せずに停止する。
ディアーネは信じられないような眼差しを、自分の右手に向けていた。
その手はしっかりとエルの左手首を掴み、お互いの意思に反して離しそうも無い。

「何か?」

肩越しに振り向いた天使だが、ディアーネの視線は繋がれた手から動かなかった。
エルの声は届いていたし、意味がわからなかった訳でもない。

(何か? 何かあったか? 理由。この手が勝手に動いた理由!?)

半ばパニックになりながら思考する。
元々反射的に、身体が勝手に動いたという類の行動。
其処に意味があったかどうかなど本人にすらわからない。
だがこの時、ディアーネはエルシェアの歩みを止めてしまった。
自然に流れていた空気を堰き止め、かき乱した。
起きてしまった事を、無かったことには出来ない。
それが判っていたからこそ、エルは失言に対して平伏して謝罪したのだから。
ディアーネもそれは判る。
判るからこそ、自分も何かを伝えなければならない。
自分から、この手を繋いだその意味を。
群れから逸れた天使へ、群れを持ったことの無い自分から。

「……校章」
「はい?」
「プリシアナ学園の校章って、もう取ってきたっすか?」
「ええ、それはもうだいぶ昔に」
「そっか、実は私まだなんすよ」
「はぁ?」

呆れたようなエルの声に、一人苦笑するディアーネ。
プリシアナ学園の生徒は、入学と同時に最初のクエストを課せられる。
学院が管理する『歓迎の森』に赴き、学院の校章を持ち帰ること。
それを達成して初めて、正式に入学したと認められるのである。
そんな初心者クエストを、このディアボロスはまだやってない。

「モグリですか? 貴女」
「違う! いや、違わないけどさ」

言葉に詰まったディアーネだが、見上げたエルの表情が穏やかな事に安堵する。
変わり者の自分と、やはり変わり者の彼女。
気が合うのではないかという漠然とした希望は、今確信に変わりつつあった。

「うん、今はモグリなんだけど、さっさと大手を振って校舎を歩けるようになりたいっす」
「ふむ……つまり、お姉さまの力を貸してほしいのですね?」
「誰がお姉さまか。落ちこぼれセレスティアを、私が拾ってやるって言ってるの」
「校章も取ってこれない子が?」
「む、今は好きに言うが良い。すぐに追いついて見せるから」

エルは憎まれ口を聞きながら、自分に笑みかける少女を見つめる。
彼女はディアーネほどに自分の勘を信じていなかった。
気が合いそうだとは思ったが、彼女にとってパーティー結成はこれで五度目。
今が永遠に続くと信じれるほど無邪気ではなく、この少女もいつ自分から離れていくか……
そう皮肉な視点で観察している自分も、内心で自覚していたのである。
それでも、エルシェアは求められた手を拒まない。
自分を見つけて求めてくれた者がある。
それだけで、満たされる自分を知っているから。

「永い付き合いになると、いいですね?」
「おうっす。よぼよぼの婆になっても縁側でお茶とかしたいっすね」
「……素敵ですね」

心からの本心でそういうと、エルはディアーネの手を振り払う。
なんというか、これ以上触れていたら押し倒したくなりそうだった。

「着替えてくるので、午後一で森に行きますか」
「了解。お弁当用意して待ってるっす」
「ああ……それは助かります」

そういえば、昼食を取り損ねていた。
一食や二食抜いてもあまり苦に感じない少女だが、目の前の発育不良悪魔は食べ盛りだろう。

「今、何か失礼な思考をもっただろ?」
「何を根拠に?」
「楽しそうに笑ってた。性格の悪い貴女がさ」

そういってディアーネも人の悪い笑みを浮かべるのである。
少なくとも、この校章探しは退屈しない。
その予感を胸に抱き、エルシェアは学生寮に歩きだす。
新たな仲間との旅立ちを、新たな心地で進めるために。



§



後書き

出会い編です。
後輩妖精は次で少し……






[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。②
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/11/05 01:59
§


パーティー結成から半刻後。
ディアボロスの少女とセレスティアの少女は、歓迎の森攻略に乗り出した。

「午後の授業……いいんかなぁ」
「そういう戯言は、ちゃんと生徒になってから言いましょう」
「入学手続きは済んでる!」
「だけど校章が無いと、生徒名簿にものれないんですよ?」
「うぅー」

掛け合いでへこむのは大抵が悪魔の少女。
天使の少女は割と打たれ弱い悪魔の心を、先端の丸めた針で突く事を好んだようだ。

「ディアーネさん、ほらほら、出番ですよ」
「むむ、面倒な……」

二人の行く手を阻むのは、一つ目の魔導師達。
森の中では非常にポピュラーな魔物であり、入学したばかりの生徒の練習台になる相手である。
一人一人の強さは雑魚だが、とにかく数が出てくるのだ。
ディアーネの発言は、恐らくその為だったろう。

「じゃ、ちょっと行ってくるっす」
「はい。怪我したら、無様でも逃げてきてくださいね」
「言ってろ」

悪魔の少女は敵に切り込み、天使の少女はそれを見送る。
二人の専攻はしっかり前衛と後衛が分かれている。
英雄学科のディアーネが前衛、光魔術学科のエルシェアが後衛。
もっとも諸事情で七学科を転科したエルシェアは、この程度の相手ならどちらもこなす自信はあった。

(さて……)

天使の少女が相棒の戦いを見るのは、これが初めてだった。
ディアーネが用意した装備は、学園で最初に支給されるダガーではなくサーベル。
自腹を切って補強してやる必要が無かったことに、エルがこっそり安堵したのは彼女だけの秘密である。
この一戦で見極めるつもりだった。
二人の現状と戦力で、クエスト攻略が可能か否か……
接敵と同時に悪魔の剣が一閃し、一つ目魔導を切り飛ばす。
横合いから突き出された棍は身を捻って回避し、捻った身体を戻す動作を利用してまた一閃。
ディアーネは危なげない動きで攻防をこなし、見事な一振一殺を繰り返す。

「へぇ……」

エルは感嘆の息を漏らす。
このクエストはディアーネの為にプリシアナ学園の校章を手に入れることが目的である。
当の昔に校章獲得を終わらせていたエルシェアにとって、あまり意味のある行軍ではなかった。
はっきり言えば、彼女一人が戦ってもディアーネを連れて行けただろう。
最悪はそうなる可能性も考慮していたのだが……

「何でこんな子があぶれてたんでしょうねぇ?」

頭上から降り注ぐ光がまぶしく、手をかざして目を庇う。
夏の暑い日にあって、太陽が最も高くなる時間である。
一つ息を吐き、再び視線を相棒に戻す。
ディアーネは最後の敵の反撃を盾で止め、返礼と言わんばかりに首を飛ばす。
返り血まで避けるてみせる、余裕の完勝劇である。

「お見事」
「これくらい楽勝っすよ」

気負うでもなく笑むディアーネに、エルは微笑みながら首をかしげる。

「どーしたんです?」
「いえ、貴女に興味が沸いたんですよ」

そう言ってエルはディアーネの手を取り歩き出す。
回復魔法の一つも掛けさせてくれない、出来の良すぎる相棒だった。

「此処は真っ直ぐの一本道です」
「そっか、エルは来た事あるんすよね」
「ええ。もうすごく前の事ですので細部の記憶は怪しいですけど」

地図を片手に位置を把握し、確実に目的の場所まで詰めて行く。
途中で幾度か魔物との遭遇があったものの、全てディアーネが切り伏せていた。

「もしかして、一人でも普通に攻略できていたんじゃありませんか?」
「校章を取ってくるだけなら、出来たかもしれないっすねぇ」

進む上で目印となる沢と、木橋を発見した所で小休止する二人。
冒険のお供はおにぎりと、プリシアナ学院名物の紅茶である。
欲を言えば、紅茶ならパン系の軽食が欲しかったエルだが、相手の財布なのでおとなしく受け取った。
おにぎりの比率が三対一なのは、エルが一つ辞退したためである。

「でもほら、これって最初の一歩でしょ?」
「ええ、まぁ、そうですね」
「其処に一人で挑んじゃったら、なんか寂しいじゃないっすか」
「寂しいですか?」
「そりゃ寂しいっすよ。仲間が見ててくれたほうが、やる気も増すってもんでしょ」

幸せそうにおにぎりを頬張る相棒に、エルは穏やかな微笑を送る。
麗らかな昼下がりに、森への散策はいいものだ。
一人ではないのもきっと、良いものなのだと天使は思う。
自分もおにぎりをかじりつつ、エルは当初から感じていた疑問を投げてみた。

「貴女は……」
「んー?」
「貴女は、どうして一人だったんですか?」
「むぅ……なんでっすかねぇ」

それ以上はしゃべらず、首をかしげて黙考するディアーネ。
言いづらいという雰囲気ではなく、うまい説明を見つけているような印象だった。
そう感じたエルは、悪魔の返答を少し待つ。
間をもたす為に、おにぎりを一口。
防腐剤代わりの梅干に、少女は眉間に皺を寄せた。
やがてディアーネは、天使の少女を見ずに語る。

「最初はさ、学科が無魔法って事で出遅れちゃったんですよ私」
「ふむ」

自分の内面と対話しながら、一つ一つの思いを形にして行こうとしている。
そんな相棒の姿を見ながら、エルは一口紅茶を飲む。
魔法瓶で保存したアイスティーは、心地よい冷気で喉を潤す。

「わたしゃ、別に急ぐことも無いやーって感じで、ひたすら講義と訓練場の反復で剣を磨いてたんだよね」
「基本ですか……大事ですよね」
「うん。でも、周りは皆先に行ってた。私は、なんとなく自分に納得できなくて……幸い……なのか解んないけど、ディアボロスは嫌われ者多いから、敢えて声を掛けてもらえることも無かったしね」
「ふむ」

そこで一度言葉を切り、二つ目のおにぎりを完食するディアーネ。
エルは空になっていた魔法瓶の蓋に、新たな紅茶を注いで手渡した。

「どーも」
「いえいえ」

冷たい紅茶を一息に飲み干し、三つ目のおにぎりを齧り出す。
焦れもせずにエルが待つのは、相棒の心理に引っかかるものを感じたから。
何か言いづらい事がある。
それを上手く伝える言葉を、悪魔の少女は模索しているのだと思う。
だから急かすような真似はしない。
エルの質問の回答は、ディアーネの真実の一端は、きっとこの先にこそあるのだから。

「んー……」

半分ほど攻略したとき、ディアーネは一つ空を見る。
夏のまぶしい太陽が、ようやく少し傾いてきた。
気温はすぐに下がらないが、風が孕む熱が減れば過ごしやすくも為るだろう。

「毎年さ、入学後に速攻で森に行った大勢の連中が、やっぱり一斉に帰って来るじゃない?」
「ええ。最初は目的地も同じで、熟練度にも差はありませんから……わぁーっと行って、わぁーっと帰って来てましたよね」
「うちの学科でも、皆その話題で持ちきりなんさ。武勇伝自慢で、活気付いた雰囲気になった」
「……」
「でも、中には泣いてる奴もいてさ。聞いてみたら、足引っ張っちゃってパーティーから外されたんだって」
「私と一緒ですか……」
「うん。ちょっと、カルチャーショックだった」

おにぎりを食べきったディアーネは、再びエルから紅茶を受け取る。
今度は直ぐに飲み干さず、琥珀色の液体に遠い目を向けていた。

「私が子供のときに読んで、憬れた英雄の伝説は、そんな事一つも書いてなかった」
「……」
「仲間と切磋琢磨して、短所を補い合って長所伸ばして、最初の仲間と最後まで苦楽を共にするお話が殆どだった」
「……」

口を挟まずに聞くエルは、ディアーネの顔を見つめる。
彼女の瞳はやはり紅茶の水面に注がれ、エルを見ていなかった。
悪魔の赤い瞳は、やはり遠い目をしていた。
幼い頃の幻想と学園での仲間意識のギャップに、隔たりを感じているのだろう。

「当たり外れがあるんだって知った。一発で当たりパーティー引く自信なんてなくて、でも一人でなんて絶対嫌で……」
「今まで、うじうじしていらした?」
「む、自己研鑽に本腰を入れてたと言って下さい」

紅茶を飲み干したディアーネは、半眼になって抗議した。
そんな相棒を見つめ返し、エルシェアは内心でディアーネの人柄を読み取った。
今の話が全て本当だとしたら……
頭の中にお花畑を囲っているとしか思えないのが、エルシェアという少女だった。

「今でも英雄譚の主人公と、その仲間の絆を信じているのですか?」
「信じてるっすよ。物語の彼らは、絶対固い絆があったって」
「現実に、そんなモノがあるとか思ってます?」
「きっと、あるって信じてる」
「英雄譚は、あまり現実の指針になさらないほうがよろしいかと……」
「ひどっ!」

一つ息を吐き、エルは半眼で相棒を見返す。
人差し指を立てて見せると、出来の悪い妹に講義する口調で言い聞かせた。

「英雄譚が有名になるのは、なぜだと思います?」
「えっと、格好いいから?」
「いいえ。現実にそんな例が滅多に無いからです」
「む」
「事例が少なく物珍しく、そして貴女の言うように見栄えの良い話だから、人々はそれに惹かれるのですよ」
「……」
「そして事実を事実として語り継いでいるとは限りません。それは史書の役割であり、英雄譚とはむしろ、捏造を前提とした本当の『架空伝記』と言った側面が強いものです」
「でも実際に彼らが存在して、その足跡が優れていたから語り継がれているんでしょ?」
「語り継ぐのは彼ら本人ではなく、その子孫や取り巻きの場合が殆どです。そういう方々は、虚構をさらに拡大して自分達の都合の良い側面だけを伝えるでしょう」
「まぁ……自分の偉業を自分で語る英雄って聞いたこと無いけど」
「そうですね。英雄譚のモデルで、英雄になろうとして成った方が幾人いるのか……」
「エル?」
「あぁ、話が逸れましたね。つまり頭のお花畑を処分して現実を見ましょうよと」
「ひっどい事言う女っすねあんた!」
「貴女の為に申し上げているのです」

納得行かない顔のディアーネにエルは内心苦笑する。
どうして自分は、こういう事を言ってしまうのか。
彼女がパーティーを転々とした理由は、何も能力だけの問題ではない。
このような時に自説をはっきりと主張し、それを譲らない為に反りが合わなくなるケースも多かった。
エルシェア自身は仲間一人一人の主義主張など、バラバラであっても構わない、というよりもそれが普通だと思う程なのだが。
そんな彼女のあり方が和を乱すものと写った時、排斥されるのは個性の強いこの天使だったのだ。
過去の、失敗と認めたくない失敗に気持ちが落ち込むエルシェア。
そしてまた同じ事をしてしまったと相手の顔を見直したとき、ディアーネも不思議そうにエルシェアに視線を投げていた。

「なにか?」
「んー……貴女が、この話をしてくれた意味を考えてたの」
「意味なら、先ほど言ったとおりですよ」
「うん。でも貴女の言葉を鵜呑みにしてたら、私胃潰瘍で倒れそう。だから、何か意味があるんだろうって優しさを信じてるの」
「……」
「貴女自身が、気づかなくてもね」
「む」
「知ってる? 英雄はね、こういう会話の中にある、相手の本当の言葉を掬い上げるんだって」
「それは英雄学科の講義ですか?」
「うん。グラジオラス先生が言ってたよ。そして私も、そう思う」
「ほぅ……」

エルシェアは息を吐き、艶然と微笑んだ。
さりげない会話の端々から、相手の無防備な内面を読み取る。
読み取った後の方向性は違うだろうが、その教えはエルシェア自身が目指す部分でもあった。
一方ディアーネは、相棒の雰囲気が一変したことに慄いた。
目の前の天使の笑みは、獲物を目の前に舌なめずりする肉食恐竜のソレだと感じる。

「では、貴女はわたくしの何を読み取ってくださいましたか?」
「えっと、私が仲間に理想持ってるのが気に食わなくて……」
「ふむ」
「……で、今私の仲間をやってくれてる貴女が、そういうことを言ってきたわけだから」
「……」
「私がどんな心算で貴女の手を掴んだか気になってる? 物語の大英雄とその仲間みたいな壮大なストーリー前提で誘ったんだとしたら、きっとギャップで疲れるから」
「まぁ……当たらずとも遠からず、と言っておきましょうか」

一応の及第点を出してくれた事に安堵したエルは意識して穏やかな笑みを作り直す。
肉食系の笑みから開放されたディアーネも、内心で息を吐いて人心地ついた。

「それで、どうして出会ったその場で、暴言で泣かせた相手を誘おうとか思ったか、出来ればお教えいただけませんか?」
「そりゃ、六回も転科してるって聞いたから……」
「ああ、なるほど」

エルは何処か安心したようにいつもの微笑に顔を戻す。
聞くべきことを聞けた気がした。
歓迎の森はそれ程深い技量が無くても攻略可能なラビリンスである。
触りだけとはいえ、七学科もの経験があるなら、それは十分な付加価値があるだろう。
エルシェア自身は決して意識していない部分であったが、いつの間にか相手に利用価値を示していたらしい。
自分の意識していなかった言葉を拾い上げ、自分を見つけてくれた少女。
それで十分と感じた天使は、会話を終えて立とうとし……
まるで保健室の焼きまわしのように掴まれた左手首に目を落とす。
掴まれた手首から、相手の手を視線で手繰って顔を見る。
其処にあったのは煙るような笑み。
綺麗だと思った。
それだけで思考を空白にされた天使は、続いて掛けられた言葉に戦慄する。

「だって仲間の為に六回も、したくも無い転科やってたんでしょ?」
「ええ」
「其処まで誰かに優しくなれるあんたならさ。私がこの手を掴んでる限り、貴女からはきっと見捨てないでくれるって……そう思った」
「私から、離さない?」
「そうっす」
「根拠は?」
「エル優しいし」
「離しちゃったら?」
「……離すの?」
「いや、離しませんけど……」

言い終わる前に、エルはもう認めていた。
この能天気なディアボロスに、自分は完全に負けたのだと。
ほぼ無意識に左拳を握り、高速拳を顔面へ。

「ぷぎゃ!?」

ディアーネは仰け反ったが、宣言通りエルの手首は離さなかった。
しかし握力が緩んだ隙に、エルの方から手を払う。
次の瞬間、エルは自らの手でディアーネの手を掴んでいた。

「ちょっと!」
「行きますよ」

ディアーネが抗議の声を上げたとき、エルは既に背を向けていた。
手は、繋いだままで。

(どうしよう……)

振り返らずに歩くエルシェアと、遅れずに着いて来るディアーネ。
エルシェアは、今の自分が赤面しているであろう事を知っていた。
顔を見せる心算は無く、それ故にこの時、相棒がどんな顔をしているかを見ることも出来なかった。
いつの間にか、エルが握り締めた手は相手にしっかり握り返されている。

(どうしようっ……)

エルシェアは、ディアーネに先に認めてもらった。
天使の少女はそう自覚してしまったとき、自分の中に大きな負債を抱え込んだことを悟ったのだ。
それは恐らく、一生掛けて返していかなければならない負債であろう。
少なくともエルシェアはそう感じていた。



§



沢に掛けられた木橋を渡り、手を繋いだまま一直線に目的地に向かう天使と悪魔。
途中襲い掛かる複数の魔物を高速連携で粉砕し、破竹の快進撃で校章が隠された地点までやってきた。

「うっわ……」
「あーぁ……」

其処で二人が見たものは、阿鼻叫喚の地獄絵図。
二人より前に此処に着いた者だろう、5人分と思われるプリシアナ学園生徒の……遺体。
既に獣によって荒らされたらしく、損傷が激しいモノが多い
そしてその惨状の中にあり、場違いな存在感を示している宝箱が一つ。

「どういうことっすか……」
「ふむ」

青ざめた顔色のディアーネに対し、エルシェアは何処か冷めた視線を遺体に向ける。
そしてすばやく周囲に転がる生徒以外の魔物の屍骸を確認し、状況を彼女なりに分析した。

「彼らは恐らく、先にたどり着いた方々でしょう。遺体の損傷は激しいですが、この気温で腐敗していない所から時間はさほど経っていません」
「あぁ……」
「先ほど橋を渡りましたよね? あの区画からもう少し先に来ると、魔物の生息域が少し変わるんですよ」
「えっと、新手がくるの?」
「はい。悪戯好きのピクシーの縄張りと、一つ目魔道のそれが重なってくるんですね」

事も無げに解説するエルシェアに、ディアーネが縋る様な視線を向ける。
ディアーネはパーティーを組んだことが無く、このような惨状も経験が無い。
小さく震える相棒の手を握り、落ち着かせるように微笑する。

「落ち着いた?」
「あ、うん……」
「説明を続けますとね、そのピクシーはこの森の中でかなり強い部類になります。ちゃんとした構成のパーティーでも、不意を打たれてメンバーを潰されれば危険です」
「あ、そういえばこの敵の死体は妖精がいっぱい」
「ええ、最初に彼らが戦ったのはその妖精達でしょう」
「……最初に?」
「はい。彼らはおそらく、二回戦ったんですよ」

エルシェアは周囲に散乱した妖精と、学生の屍を見比べる。
陰鬱な溜息が漏れたのは、学生達の運の悪さが良く分かってしまったからだ。

「本当に、運の無い方達です」
「どういうことっすか?」
「このピクシー、外傷は刃物か……そういった物で斬られてますよね?」
「うん」
「つまり接敵は恐らく背後から、最初に弓や銃を扱う後衛や、魔法戦力から潰されたのではないか……とわたくしは予想する訳です」
「な、なるほど」
「その状態であれば、本来なら即時撤退をすべき所ですが……」

エルは其処で言葉を切ると、惨状の中にある宝箱に視線を移す。
ディアーネもそれに習い、宝箱を見た。

「欲を出してしまったのでしょうね。その箱の中身が校章です」
「マジ!?」
「はい。彼らは九割がたクエストを達成していました。故に最後の備えを怠ったのでしょう」
「最後の備え?」

首を傾げるディアーネは相棒の顔が意地悪く微笑むのを見た。
エルシェアは先程から、この惨状に全く動じていないように見える。
ディアーネは相棒との経験の差を感じつつ、今はその胆力や分析を吸収しようと耳を澄ます。

「貴女の大好きな英雄譚。目的のアイテムを手に入れます。その後、もしくはその前に、いったい何が待っているでしょうか?」
「ボス戦!?」
「大正解。この場合は先に宝箱が見えている……というのが生徒の油断になるのでしょうね」

エルシェアの解説を聞き終わり、ディアーネは苦い表情を浮かべた。
不意打ちを凌いでピクシーを退けた同級生達。
その被害は大きく、恐らく撤退すべきである事は分かっていただろう。
だが、後一歩の所に目的の品がある。
エルシェアの言ったとおり、彼らは欲を出したのだろう。
そして箱を開けてしまい……

「ふむ……見たところ彼らの武器は、学園支給の安物ダガーですね。加えて後衛戦力が壊滅していたと予想するなら……」
「勝てるわけ、ないっすよね」
「そうなりますね。此処のボスには、私も最初苦労しました」

ディアーネは両手で自らの両頬を一度叩く。
相棒と会話していたおかげで呼吸を忘れはしなかったが、心音が煩いくらい響いているのは抑えようが無い。
その音が邪魔だった。
今の話を聞いていたのなら、この惨状を引き起こしたモノとこれから自分が戦うのである。
エルシェアは既にオークスタッフを構えて周囲を警戒している。
音を立てずに歩みを進め、その背中に自分の背中を合わせるディアーネ。

「落ち着いて、貴女なら勝てます」
「……」
「私もいます」
「うぃっす」

森の中を風が凪ぐ。
その中で、明らかに風のそれとは違う音が聞こえる。
早く、何かが草の中を疾走するような……

「来た!」
「お!?」

エルシェアは正面の木の影から躍り出た人影……
その魔物が振るう鎌に即応する。
頑丈なオークスタッフで鎌の先端を受け止め、杖に食い込んだ鎌を相手が引き抜く一瞬を捕らえる。

『シャイン』

ほぼ無詠唱で発動した初級魔法は、人影を巻き込んで炸裂する。
無様に転がる人影だが、即座に起き上がってきた。
その動きに遅滞は見られず、エルは小さく呟いた。

「浅かったですね」
「怪我は?」
「無傷です」

事務的な会話に終始しつつ、立ち位置を入れ替える二人。
ディアーネが見た敵の姿は、御伽噺に出てくる死神のそれだった。
それまで蹴散らしてきた一つ目魔道とは桁違いの威圧感。
だが、ディアーネはそれ程の脅威とも感じなかった。
伊達に入学してから今まで、基礎を繰り返してきたわけではない。
初の実践を経験し、その基礎が十分通じることは解っていたし、何より……

「?」

ディアーネは肩越しに一目振り返ると、きょとんとした顔の相棒がいる。
今、彼女は一人ではない。

「来なよ骸骨。ディアボロスの前にアンデッドが立った愚を教えてやる」
「……死霊使いじゃないくせに」
「いいの!」

背後から掛けられたツッコミに応えつつ、ディアーネは疾駆する。
相手の獲物は鎌であり、ディアーネの剣よりやや長い。
ディアーネは自分の間合いの直前で静止し、踵を使って右に飛ぶ。
同時に正面から振り下ろされた鎌が空を切り、ディアーネの背中から放たれた光魔法が再び死神を捕らえる。

「この連携、使えますね」
「私ちょっと怖いっす!」

ディアーネの疾走と同時に、その背中に向けて放たれた光魔法。
前衛の影に隠して放たれた光弾は、ディアーネが逸れた事により突如相手の眼前に出現した。
不意打ちにぐらついた死神。
其処へ再び間をつめたディアーネの剣が迸る。
もはやリーチのハンデはない。
逆に柄の長い武器である鎌の懐に潜られて、優位は完全に逆転していた。

「そら!」

一太刀で鎌を跳ね飛ばし、反す刀を胸の辺りに奔らせる。
無手となった死神はとっさに飛び退くが、切っ先は十分に相手を抉っている。
死神は素手のまま無謀な反撃を試みるが、ディアーネは盾で受け止める。
双方の動きが止まる。
ディアーネは同級生を殺した相手を、ただで逝かせる心算はない。
遺体など、残さない。
骨の一片まで消し飛ばしてその存在を否定する。

「こぉ……」

獰猛な笑みを浮かべるディアボロス。
歪んだ口の端からは、尋常ではない濃度の酸が溢れている。
目の前の死神は、アンデッドである為に恐怖を抱かずにすんだ。
しかし恐怖を持たなかったからこそ、逃げる機会も失った。
もっとも、悪魔が逃がしても後ろの天使は逃がさなかったかもしれないが……

「かぁあああアァアアアぁっ!」

ディアーネは雄叫びの呼気とともに、そのブレスを解き放つ。
体内で生成した酸を肺で気化させ、相手に吐きかけるアシッドブレス。
至近距離でまともに浴びた死神は、そのローブと中の骨まで残さず解け崩れる。
いささか拍子抜けするほどあっさりと、校章探し最後の敵は虚空に解けて風に消えた



§



「溶かすとか……これだから、ディアボロスはえげつないのです」
「剣で切り倒しても良かったんだけどね」

そう言ったディアーネは、周囲に散乱する同級生の遺体を見つめる。
緋色の瞳に怒りを灯し、はき捨てるように呟いた。

「やっぱ、アイツ許せない」
「英雄として?」
「人としてっす」

真剣な表情のディアーネに、エルシェアもしっかりと頷いた。
そして天使は顔も知らない旧友に黙祷すると、躊躇無く宝箱を開け放つ。
中にはプリシアナ学園の校章が……二つ。
パーティーのメンバーの数だけ、開けた時、箱に校章が現れる仕組みなのだろう。
エルシェアは二つの校章を手に取ると、ディアーネの元に歩み寄る。

「あ……」
「動かないでくださいな」

微笑で相方の動きを封じ、その襟元に校章を挿す。

「おめでとうございます、ディアーネさん」
「ん……なんか、感無量っす」

ディアーネはエルシェアにつけて貰った校章に触れる。
自分が歩んだ始めの一歩が、確かに成功した証明だった。
しかし無邪気に喜ぶことも出来ない。
その一歩を踏み外した者の末路が、眼前に溢れているのだ。

「こういう時……冒険者ってどうするものなんすか?」
「別に、どうもしないと思います」
「え?」
「……ええ、やっぱりどうにも出来ません。私達は蘇生魔法を使えませんし、二人で全員を学院へ運ぶことも出来ません。戻って応援を呼んだとして、往復の間に今一度は獣が食い荒らすと思われます」
「……」
「また二人しかいない私達が、二手に別れるのも危険過ぎます。現状私達が出来ることは、戻ってこの事実を教師に報告することでしょう」

はっきりと言い放つエルシェアは、意識して言葉が尖らない様に気をつけていた。
しかしディアーネにとって、もっとも聞きたくない返答であったが故に……
そして、彼女自身も内心では分かっていた事だけにどうしても心地よくはなれなかった。
俯いて唇を噛むディアーネに、エルシェアはやや戸惑いながらも声を掛ける。

「失われた命に対して、出来ることなどそう多くありません。私達は、一介の学生に過ぎないのです」
「分かってる」
「今後もこういった機会が増えるでしょう。今のうちに慣れておかないと辛いですよ」
「分かってる!」

やるせない思いを相棒にぶつけるしか、精神の均衡を保てないディアーネ。
彼女自身も八つ当たりだと分かっているだけに、いっそう自分が情けなくなる。
そして恐らく相棒の天使も、そんな彼女の心情を理解して憎まれ役をしているのだ。

「そう、無くなった命に対して……出来ること等殆ど無い……殆ど……」
「エル?」
「ディアーネさん、見てください」

エルシェアは地面に跪き、うつ伏せに横たわる学生の遺体を仰向けにする。
その遺体はこの中で唯一、獣に食い荒らされることを免れていた遺体。
フェアリーの女生徒だった。
美しい金色の髪は泥に汚れ、プリシアナ学園の制服は血に染まっている。
肩から胸にかけて裂傷を負っていた。
苦痛の時間は、あっても極々短かったに違いない。
死に顔も何処か呆然としており、自分に何が起こったのか分からなかったであろう。
種族柄、平均身長が百センチ程ということもあるが、悲しすぎるほど小さな遺体であった。

「エル……せめて、お墓くらい……」
「そんな時間はない」

きっぱりと言い放つエルシェアに、反射的に言い返そうとするディアーネ。
しかし天使の横顔を見たディアーネは、その反論を飲み込んだ。
優しげな、そして穏やかな微笑を浮かべた天使は、横たわる妖精の遺体を抱きかかえる。

「遺体の損傷が傷一つ、内臓の流出もありません」
「エル?」
「夏季による腐食が少し心配ですが、まだ腐臭も無いこの時点なら……」

エルシェアは確認するように呟くと、制服の懐から小粒の宝石を取り出した。
それを見たディアーネは初めに驚愕が、ついで喜色を爆発させて相棒に縋りついた。

「エル! それって……」
「蘇生用のアイテムです。随分前に購買部で一つだけ売っていたモノですが、その時無理して買ってしまいました」

それは天使の涙と呼ばれる魔力の結晶。
属性は癒しに特化した宝石であり、生命活動を停止した者すら条件次第では蘇生できる。
エルシェアは女生徒の遺体を見るにつけ、蘇生の可能性を判断した。
助けることが出来るかもしれない。
しかし此処で、見ず知らずの生徒を救うために自分の保険を使うのが正しいのか……
此処にいるのが自分一人なら、エルシェアは間違いなくこのまま立ち去っていたであろう。

「エル?」
「……もし此処でこれを使わないなら、私はきっとこの宝石を、何時か、貴女に使うでしょう」
「……」
「それでも、貴女は此処で使いますか?」
「……うん。お願いエル。助けてあげて」
「かしこまりました」

内心で納得などしていないが、エルはディアーネに頷いた。
女生徒の傷口に宝石を埋め込み、ヒールを掛ける。
宝石によって増幅された回復魔法は、瞬く間にその傷を完全に塞ぐ。
その様子をみたディアーネは、感極まったようにエルシェアを見つめる。

「……助かりそう?」
「恐らくは……」

抱きつくディアーネの方は見ずに、エルシェアは短く切り返す。
腕の中で女生徒が痙攣を起こす。
さらに小さく咽込むと、血の塊を吐き出した。

「ハンカチ」
「ん」

エルは相棒に要求したハンカチを受け取り、女生徒の口内から血を拭い出す。
此処で再び窒息でもされたら目も当てられない。
その頃にはフェアリーの心臓は鼓動を開始し、顔色は土気色なれど確かに命が繋がれた。
馬鹿なことをしたと、エルは思わずにいられない。

「……」

其処でようやく、エルは自分にしがみ付くディアボロスの娘を見る。
悪魔の少女は泣き笑いのような表情で、女生徒の金髪に触れていた。
今、ディアーネが泣き笑いなのはこのフェアリーが助かったから。
もし誰一人助けられなければ、彼女は完全に泣いていただけだろう。
僅かでもディアーネが希望を持てたのは、エルシェアが一人だけでも助けたから……
ならばきっと、この行為はそれだけで意味がある。
今はディアーネが救われればそれで良い。
そう思うエルシェアは、苦笑と共に息を吐く。

「まぁ……今日だけ……良いか」
「ありがとうエル……って、どうしたの?」
「いいえ、それより急いで戻ります。瀕死には変わりありませんし、早くリリィ先生にお見せしましょう」
「うぃっす!」
「あれ、意外ですね……他の方の埋葬くらい主張すると思いましたのに?」
「エルが拾ってくれた命が、今は一番大事だよ。そのくらい分かってる……そのくらい……」

唇をかみ締めて呟くディアーネにエルシェアは一つ頷いた。
ディアーネも納得などしていないのだろう。
だが、それでもすべき事はしっかりと見据えて、間違えていない。
エルは腕の中のフェアリーを抱きかかえて立ち上がる。

「戦闘行為は任せます。私は浮遊を使い、あまり揺らさず彼女を搬送せねばなりません……いけますか?」

挑発的な笑みを浮かべて問うた天使に、悪魔がニヤリと笑み返す。

「見くびらないでください」

二人は同時に頷くと、学院へ向けて突き進む。
ディアーネはその背と剣に自分以外の命の重みを感じ、エルシェアは胸に抱く妖精の小さな鼓動から同じものを感じていた。



§



後書き

この惨劇は、ほぼノンフィクションだったりします初回プレイですorz
ディアーネの最後の台詞は、私のととモノ3を象徴する台詞だったり。
この頃から、この二人の連携に頼っていっぱい聞かせてもらった声ですw

フェアリーの身長が……本当にいくつくらいなんでしょうorz
本編だとバハムーンのお下がりを普通に使えるので、手の平サイズということは無いと思ったんですが……でも妖精って言うのは手の平に乗る、ケセランパサランみたいなもの! 見たいな怪しい固定観念もある作者です。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。③
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/22 11:37



終わりの色は空の青。
崩れ落ちた身体と視界。
不思議な熱を感じながら、倒れた時には凍えていた。
地面が熱い。
身体が寒い。
音が遠かった。
意味は全く分からぬ悲鳴。
恐らく意味の無い、怒号。
聞き流しながら空を見て、やがて何も見えなくなった。

始まりの色は翼の白。
世界に擁かれて見た視界。
動かない身体と回らない心。
夢の中にいる様で、現が無慈悲に降りてきた。
肩が、身体が、凄く、痛い。
終わりは痛くなかったのに、始まりは痛みで狂いそう。
抗うように、私も世界へしがみ付く
私を擁く天使の胸。
此処が私の世界だった。
此処が私の世界になった。

それは、小さな少女の記憶。
死神の愛撫に身を委ね、苦痛も無く逝けた日のこと。
天使の抱擁に身を委ね、苦痛の中で生きた日のこと。




―――




§

復学した少女は、ちょっとした有名人だった。
決して名誉ある部類の名ではない。
歓迎の森の悲劇……その唯一の生き残り。
表立っては慰撫すら掛けられる彼女。
その実、誰もが侮蔑しているのが少女には分かる。
転入生として学園に入り、最初のクエストで躓いた。
そして最悪の全滅。
誰でもこなせる筈の一歩を、少女は踏み外したのだった。

「……」

金髪を背中まで伸ばした碧眼のフェアリー。
種族的特徴として、彼女の背丈は四尺に達していない。
それでもフェアリーの平均身長は百センチ程であり、同属内では長身に分類される少女である。
端正な顔立ちの美人だが、その表情は暗かった。
未だ校章の無い制服。
その胸元を握り締めるように掴み、少女は廊下を浮遊する。
彼女は止まり木が欲しかった。
それまであった優しい世界は、目を覚ましたら消えていたから。

「……」

揺蕩うように飛翔を続け、辿り着いたのは北校舎。
死神先生こと、ドクター・リリィの保健室があり、その他には何も無い。
心無い生徒達が廃校や人体実験棟等と呼び交わし、プリシアナ校内でもあまり人気の無い場所である。
彼女が自分の意思で此処に来たのも、この日がはじめて。
先程声を掛けてきたディアボロスの少女が、この場所を教えてくれたのだ。
人の少ない此処なら、多少落ち着くだろうと苦笑しながら……
英雄学科所属だというそのディアボロスは、復学と無事の祝いを述べるとそのまま颯爽と行過ぎた。
名前を聞くことすら思いつかなかったのは、この妖精がよほど滅入っている証拠だったかもしれない。

「此処が……保健室?」

スライド式の入り口に、保健室と書かれたプレート。
プレートの書式は手書きの丸字であり、文字から感じる印象が可愛らしい。
少女はリリィの、物静かだが鋭い雰囲気の美貌を思い出し、文字とのギャップに苦笑した。

「……其れでは、お願いしますね」
「はい。お任せください」

中から聞こえたその声は、妖精少女の呼吸を止めた。
誰か居る。
それだけで、今の彼女は身を竦ませるのに十分な威圧感を持っていた。
軽く対人恐怖症に陥りかけている少女が逃げ出す間もなく、扉が内から開かれる。

「あっ」
「あら?」

鉢合わせた二人は、顔見知りだった。
プリシアナ学園の保険医、ディアボロスにしてドクターのリリィ。
そんな彼女の手を最も最近煩わせたのが、この妖精の少女である。
全滅から奇跡の生還を遂げた少女は、当然ながら保健室で目を覚ましたのだ。
傷を完全に治してくれたリリィの腕も然ることながら、真剣に心身を案じてくれた人柄が、少女の印象に深く残っている。
リリィは膝を曲げて視線を少女に揃えると、何時もの無表情で声を掛ける。

「お身体は、もう大丈夫?」
「はい……お蔭様で」
「そう……では、此処に来たのはサボりかしら?」
「あ、えっと……」

時刻は九時と、本来は一時限の講義が始まる時間。
言葉に詰まる妖精に、悪魔の保険医は口元を緩める。
それなりに近しい者でなければ、それが苦笑だとは気づけない変化。

「貴女の周りは、今それなりに騒がしいですからね。少しなら多めに見ましょうか」
「……」

リリィは一つ呟くと、少女の制服の襟元とスカーフを正す。
身嗜みを整えたリリィは少女の頭を一つ撫で、やがて徐に立ち上がる。

「私はこれから、臨時の職員会議に参ります。後のことは保険委員にお願いしてありますので、彼女までお願いします」

肩越しに振り向くリリィに釣られ、少女は保健室を覗き込む。
本来保険医が座る椅子には、セレスティアの女生徒が座っている。
薄桃色のウェーブヘア。
穏やかな物腰の美人だが、その顔には気だるげな表情が浮いていた。
天使の少女は自分を見つめる二つの視線に一礼する。
リリィは一つ頷くと、本校へ向かい歩み去った。
妖精の少女は何をするでもなく立ち尽くしていると、やがて中から声がかかる。

「入って、戸を閉めてくださいますか? 魔法で冷房効かせてるので」
「あ、はい……すいません」

本来なら、一人になるために……
居たとしても保険医と二人になるために保健室に来た妖精である。
見知らぬ他人が居る時点で帰りたくなったほどなのだが、此処まできては回れ右は出来なかった。
おずおずと入室し、彼女にはやや重い扉を閉める。
間が持たないのだろう。
入ってそれ以上どうするでもないフェアリー。
そんな少女を一瞥し、天使の少女は向かいの椅子を勧めた。

「妖精は浮いていても疲れないかもしれませんが、少し目障りでもありますので座りませんか?」
「ご、ごめんなさい」

反発を覚える前に、思わず萎縮して謝る妖精。
そんな様子を観察し、セレスティアの少女は溜息を吐く。

「大人しい方なのですね、もう少し反骨精神が強く無いとこの先苦労いたしますよ」
「反骨……精神?」
「あ、反骨精神というのはですねぇ」
「えっと、言葉の意味ではなくて……何でかなって?」
「直に嫌でも理解しますよ」

微笑と共に話題を切った天使に、妖精の少女は俯いた。
丁度その時部屋の片隅で火に掛けられていた薬缶が自己主張を始める。
天使は一言断ると席を外し、ややあって二つのカップを持ってきた。
二人の鼻腔を優しく刺激したのは、淹れたてのホットチョコレート。
椅子に戻った天使はカップを片方妖精に手渡す。

「カカオには、気持ちを落ち着かせる効果があるそうです」
「え?」
「貴女はメンタルケア希望でしょう? 身体はもう治っていると、自分でさっき言いましたし」

微笑してカップを口に運ぶ天使に、妖精も釣られた。
口内を甘く溶かす液体に息を漏らす。
妖精の表情が緩んだことを確認すると、天使は内心ほっとしていた。
傷心の少女を優しく慰める等という繊細な芸当は、彼女の不得手な分野であった。
恐らく様々な外圧でボロボロになっているであろう妖精の少女。
彼女がカップの中身を半分まで減らしたとき、天使の少女は再び口を開く。

「少し前後してしまいましたが、始めましてお嬢さん。わたくし、エルシェアと申します」
「あ……私、ティティスです。その、賢者学科を専攻してて……知ってるかもしれませんけど」
「はい。貴女のことは学級新聞で、大よその事は」

冒険者養成学校の新設校、プリシアナ学園にはやや特殊な学科も存在する。
その一つにジャーナリスト学科という情報戦術担当部門があり、其処の生徒が周期的に学級新聞を発行しているのである。
今回、妖精少女ティティスを主役とする大惨事は、其処が号外として大々的に取り上げてくれた。
その結果、怪我から復帰して保健室のベッドから出た直後から、彼女は同級生の中でも一躍有名人になってしまっていたのである。

「人のうわさも七十五日、取って代わる話題が見つかれば、その内収まることでしょう」
「……はい」
「今回に限って言えば、もう少し早く収まりますよ」
「え?」

言うだけ言ったエルシェアは、それ以上の追求を微笑とカップを傾ける事でかわしてしまう。
それ以上言うことも無いらしいエルシェアに、ティティスは取り合えず気になった部分を問うてみる。

「この学校に、保険委員とかあったんですか?」
「定席として保険委員という役はありませんよ。私は臨時をやっています」
「あの、私が言うのもなんなんですが……お勉強は?」
「わたくし、現在は光魔術学科を専攻しておりまして」
「はぁ」
「単位が五十以上の生徒への授業が、今日の午前中は無いのですよ」

事も無げにそう言ったエルシェアに、ティティスは思わず絶句する。
転入間もない妖精は、未だに賢者学科を選択したところと言って良い。
にも拘らず目の前の相手は、既に別学科とはいえ半分の単位を収めてしまっている。

「優秀な方だったんですね」
「ええ。近所のおばちゃんには、昔から飲み込みが早いねって評判のお嬢さんでした」
「……」

思わず俯いたティティスは、既に空になったカップに視線が落ちる。
そのまま固まった少女の頭上から、天使の声が降りてくる。

「『私なんかと違って?』」
「え?」
「なんとなく。分かりやすいリアクションをありがとうございます」

やや意地悪く笑む天使の顔だが、其処から邪気は感じない。
ティティスはこの時、何故か普通に会話が出来ていた自分に気がついた。
自分の失敗を知っている相手。
それでも、エルシェアは普通だった。
慰撫するでもなく、揶揄するでもなく、今のティティスの反応にのみ受け答えをする天使。
最初に目障りと言われたときすら、反感は持てなかった。
戸惑いはしたものの……

「少し気になっていたのですが、伺ってもよろしいですか?」
「あ、はい」
「新聞によると貴方達のパーティーは、全員転入生だったんですよね?」
「そうですね……この時期に転入してきたもの同士で、パーティー組もうって話になりました」
「なるほど。それでこの時期の校章探しだったのですね」

得心したと言う様に頷くと、エルシェアはカップを空にする。
そしてティティスからもカップを受け取ると、流しで丁寧に洗い始める。
余談だが、ティティスのカップはリリィが用意していた外来用。
エルシェアのカップは自ら此処に持ち込んであるマイカップだったりする。

「……」

ティティスは洗い物をしている天使の背中を何とはなしに眺めていた。
純白の翼が揺れている。
妖精は自分を救い出してくれた相手のことを覚えていなかった。
ただ、虚ろな意識で白い翼に包まれていた様な……
そんな曖昧な記憶が残るだけ。
その手に、心に今一度触れたい。
リリィに相手を尋ねたことはあるのだが、本人は名を告げられることを拒んだと言う。
お礼すら言えないという事を気に病んだティティスだが、完治して復帰したときには相手の真意を理解した。
好奇の視線にさらされる自分を鑑みた時、自分を助けたその生徒も、こんな視線で見られる危険を回避したかったのだろうと。

「ティティスさん?」
「あ!? すいません」

いつの間にか俯き、黙考に沈んでいたらしい妖精少女。
エルシェアは既に洗い物を終えて戻っており、ティティスに不思議そうな視線を向けていた。
命の恩人を恨む心算はない。
そんな資格が無いことは、ティティスも十分承知している。
ただ、今自分が辛いから、優しさに縋りつきたいだけ……
堂々巡りする思考の行き着く先は、何時も同じ答えに辿り着く。
そんな自覚が、いっそう少女を惨めに感じさせるのだ。
エルシェアは溜息を吐くフェアリーを、興味深そうに見つめている。

「ティティスさん。今後、何かご予定は?」
「え?」
「もし宜しければ、お昼でもご一緒いたしません?」

突然の誘いに目を瞬かせるティティス。
エルシェアとしては彼女に予定など無いことは予測している。
転入間もない身で仲間は壊滅。
新たに中の良い友人など、作る間もなかったことだろう。
しかしこのフェアリーが誘いに乗ってくれるかどうかは、この時点でエルシェアにとっても未知数であった。
最も逃す心算は無く、断れば自身の制服の内ポケットへ仕込んだ乙女の七つ道具……
常温で気化する睡眠薬の小瓶と、ハンカチーフの出番である。

「実はですねぇ、この学園の先輩として貴女の快気祝いをしたいと思っておりまして」
「はぁ」
「私のお友達と、貴女をお招きしたランチをセッティングしておりました」
「そ、其処までしていただくわけには……」

反射的にそう応えたティティスだが、ふと違和感を感じて首を傾げる。
エルシェアは既に昼食を用意していると言っている。
つまり今日、この場所に自分が来ることを知っていたのか?
ならば彼女は、午前の講義が無いのを良いことに、此処で自分を待っていたのか?
疑問は少女の中で収まりきらず、質問の形で口をつく。

「エルシェアさん?」
「母音が重なって呼びにくいなら、お姉さまとかご主人様と呼んでくれても結構ですよ?」
「エルシェアさん、どの辺りから企画してくださったんですか?」

此処までくれば、ティティスとしてもエルシェアの性格の一端は把握している。
戯言を丁重に無視しつつ質問を続けた。
エルシェアは気を悪くした様子も無く、微笑で質問に答えていく。

「今日、貴女をお誘いする事は私と、もう一人の友人で相談して決めました。これは昨日のことですね」
「……」
「私は本日、所用でリリィ先生にお会いする事が決まっていました。友人はそれを知っていたので、貴女を此処へ越させたのだと思います」
「あ、じゃああのディアボロスの方は……」
「……あの子は貴女に自己紹介もなさらなかったのですね」

あきれた様に呟く天使に、ティティスは苦笑の発作に駆られた。
恐らくあのディアボロスの少女は、ティティスの事を知っていたに違いない。
相手のことを良く知るが故に、相手も自分を知っていると錯覚してしまったのだろう。
この時二人は同じ予想をし、相手の表情からそれを悟る。
顔立ちは違えど近い表情を互いの顔に確認し、エルシェアは一つ咳払いして続ける。

「友人が失礼いたしました。今回のお昼は全部あの子のお財布ですので、それで許してあげてください」
「もう、用意してくださっているんですか?」
「はい。なので是非、お付き合いくださると嬉しいのですけれど」

微笑を浮かべて語る天使に、ティティスはやや考え込み……
やがてしっかりと頷くと、参加の旨を相手に示す。

「態々私の為に、本当にありがとうございます。其れでは厚かましいですが、ご一緒させてください……先輩」
「先輩……良い響きですね」

エルシェアは一瞬だけ虚を衝かれたような表情を浮かべたが、直ぐに笑みを戻してティティスの頭を一つ撫でる。

(え!?)

それを行ったエルシェアは、意識した行動ではなかったかもしれない。
しかし受けたティティスは自分の劇的なまでの変化に混乱した。
動悸が、治まらない。
自分に何が起こったか理解せぬまま、呆然と相手を見つめ続ける。
天使はそんな少女の変化には気づかず、既に手を引いていた。

(何これ……なに?)

未だ早鐘を打つ心臓に振り回されるティティス。
原因となった天使は、七つ道具が活躍する機会が無かった事に、安堵と無念さを同時に感じて溜息を吐いた。



§



結局、昼時まで保健室でボイコットを敢行したフェアリー……
ティティスはエルシェアに伴われ、北校舎の廊下を歩いている。
利用者が殆どいない北校舎では誰かとすれ番うことも無く、ティティスはエルに着いて行った。
途中エルシェアに質問した所、既に用意は出来ているという返事を聞けた。

「食堂じゃないんですか?」
「プライベートなモノですし、あまり人が多いところへ行くのは……私もご勘弁願いたい所です」

エルシェアは苦笑してそう答え、全く同感であったティティスも頷いた。
ティティスにとって初めて歩く北校舎だが、案内役の天使は迷いもせずに歩いてゆく。

「先輩は、よく此処にいらっしゃるんですか?」
「ええ。私も、友人もよく保健室を根城にしておりますよ」
「リリィ先生は、何もおっしゃらないんですか?」
「良く来たって褒めて下さいますけど……私達が行かなかったら、たぶん誰もあそこには近づきませんしね」

二人は共にリリィを慕っていた事と、出会った場所が保健室であったが故に、集合は其処という暗黙の了解が出来ていた。
エルシェアは相棒となったディアボロスの少女と組んで、まだ日が浅い。
互いに時間の許す限り会うようにし、時には話し時には手合せし、それぞれの戦術や癖を覚えあっている間柄である。
それは相手を縛る意図ではない。
むしろ実践に出た際、お互いの個性をありのままに発揮しつつ、二人になったメリットを生かして最大の戦果を挙げる……
個性とチーム戦術を同時に使うというコンセプトの研究過程なのである。
何しろ双方がアクの強い性格であり、フリーハンドを取り上げたらギクシャクする事が明らかであったのだ。

「さて、着きましたよ」
「屋上……ですか」
「はい。私達、良く此処でお昼を取っているんですよ」

二人の目の前には鉄製の扉があり、エルシェアはノブに手を掛け……止まる。

「どうしました?」
「今日は貴女と、もう一人のお客様を招いております」
「あ、リリィ先生ですか?」
「……だったら良かったんですけどね……恐らく貴女が、今一番会いたくないであろう人種です」

そう断りを入れたエルシェアは、肩越しにティティスへ振り向いた。
やや苦い笑みを浮かべるエルシェア。
その顔に嫌な予感を覚えつつも、ティティスは首を傾げて続きを待った。

「ジャーナリスト学科の生徒を、一人此処に呼んでいます」
「え?」
「受け答えは、主に私が行います。それで、今後貴女が煩わしい想いをすることも減るでしょう」

エルシェアはそれだけ言うと、ティティスから視線を戻して扉を開けた。
夏の日差しが降り注ぐ野外は、相応の暑さで二人を出迎える。

「あ、エルー、ティティスちゃーん。遅いっすよ」
「やー。どうもこんにちわ皆さん。本日はお招きに預かりありがとね!」

屋上で二人を出迎えたのは、プリシアナ学園の女生徒が二人。
それはエルシェアはもちろん、ティティスにとっても見覚えのある少女だった。
一人は今朝、保健室行きを進めてくれた英雄学科のディアボロス。
今一人は、ティティスの目下最大の悩み、ジャーナリスト学科。
同属のフェアリー、名をチューリップと言った。
反射的に顔が強張り、竦みそうになるティティス。
エルシェアは小動物のような後輩の手を取る。

「参りましょ?」
「あ、はい」

エルシェアと手を繋ぐ。
それだけで震えも、そして硬さも収まった事が不思議なティティスだった。

「ディアーネさん。もう用意終わってしまいました?」
「うん。今煮込んでるところっす」

屋上にはどこから用意したものか、プリシアナ学園指定の学習机と椅子が四つ。
机の上には炎の魔法を封印し、上においた物を熱する鉄のプレートが配置され、その上に鎮座していたのは……土鍋。
円形の土鍋はプレートの上でコトコトと音を立てており、炎天下の体感温度をさらに底上げしてくれている。
十号はゆうにあろうかと言うかなり大型の鍋であるが、その蓋を押し上げてやや収まりきっていない蟹の足が、さらなる存在感を発揮していた。

「な、鍋?」
「うぃっす。やっぱり皆で囲むなら、鍋っすよね」

絶句したティティスだが、ディアボロスの少女は宇宙絶対の真理を説くかのように迷い無く言い切った。
もはや、何処から突っ込めばいいか分からない。
なぜ真夏の炎天下でよりによって鍋なのか、学園に土鍋と蟹まで持ち込んで鍋を始めるとか正気なのか、それを見て止めないこの学園の生徒は、一体全体なんなのか……

「う、ふふっ」
「お?」
「あはっ、あはは!」

ついに耐え切れなくなったティティスは、人前であるにも関わらず大声で噴出してしまう。
それは本人も含め誰も意識していなかったが、少女が上げた久方ぶりの笑い声だった。
そしてディアーネが釣られて笑い、チューリップも笑っている。
それを見ていたエルシェアも、きっと笑っていたのだろう。
一頻り笑いあったところで、本日の主役が自己主張を始める。
置き去りにした鍋が吹き零れかけ、存分に不満を顕にした。

「おっと」

チューリップは即座にプレートの火を落とす。
直ぐに吹き零れは収まったが、プレート自身に篭った熱の為にしばらく熱いままだろう。
食べごろである。

「さて……それじゃ取り合えず、食べながらお話ししましょうか?」
「うぃっす。あっと……その前に」

ディアボロスの少女はティティスに向き直ると、やや照れたように挨拶する。

「今朝はすいません。少しこの用意に気が急いてて……ちゃんと挨拶出来なかったっすね」
「あ、いえ……」
「私はディアーネ。英雄学科所属は……言ったか。そっちの性悪セレスティアの相棒を勤める、天使のごとき慈悲を備えた美少女です」
「私は賢者学科専攻のティティスです。ご心中、お察しします」
「ディアーネさん、ティティスさん。後で体育館裏に来てくださいな」

二人が自己紹介を進める間にも、蟹は食欲旺盛な思春期の少女達の集中砲火を受けていた。
既にその足はエルが二本、チューリップに至っては三本目の甲羅を粉砕しに掛かっている。

「てめぇ! 鍋はまず箸をおいてから用意ドンがルールでしょう!?」
「そりゃすき焼きだってーの……んー、蟹足とってもジューシー……」
「昆布の出汁が素晴らしいです……海産物を煮るには海産物の出汁ですね」
「チューリップ……そんでティティス、あんたまでっ」

いつの間にかティティスまで戦列に参加しており、一人完全に出遅れたディアーネ。
半泣きで鍋に向き合うと、既に半壊している蟹さんと目が合った。
その眼前で最後の足を、天使の少女がもぎ取った。

「ちょっとエル! 私まだ一本も食べてない」
「蟹味噌は進呈いたしますよ?」
「私蟹味噌好きじゃないって、最初に言ってあったでしょう!?」

猛然と講義するディアーネの罵声を涼風のごとく聞き流し、エルは器用に剥き身にしていく。
どうも先程の性悪セレスティア発言にご立腹らしい。
そんなやり取りをしている間に、ティティスは醤油と昆布ベースの出し汁に舌鼓を打ち、チューリップは蟹味噌を堪能する。

「あぁ……アァ……嗚呼ぁ……」

絶望に打ちひしがれるディアボロス。
その双眸からは滂沱の涙が零れ落ち、世界最後の日を目の当たりにした様な虚ろな瞳で空を見ている。

「……」

そんな相方を見かねた天使は、苦笑しながら自ら剥き身にした蟹を差し出した。

「ほら、ディアーネさん。あーん?」
「あー……んむぅ」

エルに剥いてもらった蟹足を頬張り、幸せそうに頬を緩ます少女。
その変わり身の早さに、フェアリー二人も顔を見合わせて苦笑していた。
ディアーネの表情は豊かで、嬉しそうなその顔は見る者までも心を暖かくする魅力がある。

「ほーらディアーネ? 白身魚美味しいよー」
「ディアーネ先輩、ツミレどうぞ」
「お? おぉ?」

突然のモテ期到来に困惑しつつも、小皿に盛られる具材を攻略するディアーネ。
その様子を見ていたエルシェアは、予想以上に和やかになった食卓で一人笑んだ。
今のうちに三人で、仲良く腹を満たしあってくれるといい。
お鍋の王道、卵雑炊投入のタイミングを図るエルシェアは、一人控えめに蟹の無くなった鍋を突くのであった……



§



「さーて」

雑炊を平らげ、食後の杏仁豆腐まで攻略した少女達。
和やかな食後の雰囲気の中、口を開いたのはチューリップだった。

「そろそろ本題に入ろうか? こんな美味しい鍋で接待されちゃったら、唯でゴチって訳にも行かないよね」
「ええ、もちろん下心あってのことですよ」

炎天下の鍋会の場は、その二人の言葉で家族会議のような雰囲気になる。
先程よりも空気は硬化したものの、この程度で済んだのは先程の食卓が楽しいものであったからだろう。
エルシェアはチューリップに正面から向き合うと、単刀直入に言い切った。

「ジャーナリスト学科の皆さんは、次の一枚の新聞を最後にティティスさんへの接触を控えていただきたいのです」
「うん?」
「彼女は現在、学生生活に支障をきたす程に校内で有名になりました。通常であれば、校内に居辛いならば実習に出て単位を稼げばいいでしょうが……彼女は転入早々に躓き、それをクローズアップされた為にパーティー編成も難しいでしょう」
「そうだね」

エルとチューリップのやり取りを、ディアーネとティティスは見守った。
いつの間にか俯いていたティティスの肩に、ディアーネが手を置く。
其処から伝わる、一種の波動めいた感覚がティティスの気持ちを落ち着けてくれた。

「私も今回の報道は行き過ぎたものだったと思ってる。仲間を悪く言うのは嫌だけど、大衆が醜聞へ食いつくときの恐ろしさをまるで分かっていないって思ったね」
「貴女が良識のある記者である事を確認できて嬉しく思いますよ」
「お世辞は良いって。後でもっと言ってね。そんで、貴女達には現状を打開する方策があるのね。私は何をすれば良い?」

予想以上に物分りの良い返答に、エルシェアとディアーネは視線を交わす。
その様子を観察したチューリップは、この二人が自分に対して付けていた評価が、非常に厳しいものだったことを悟って苦笑する。
それは恐らく、ジャーナリストという人種に対して一般大衆が抱く、自己のプライバシーへの警戒感をそのまま表していただろう。
誰かを傷つける報道はしないと、己のルールに恥じる事はしていないつもりのチューリップ。
しかしジャーナリスト全体に対するイメージと、チューリップという個人の人格の差は、相手にとって関係ないのである。
それは彼女がこの学科を専攻してから、思い知った現実だった。
ややほろ苦い笑みを持って、チューリップは口を開いた。

「これは身内の不始末だからね。火消しには協力する」
「……ありがとうございます」
「でも解せないねー。二人は何で、この子にこんなに肩入れするのか、聞いて良い?」
「それは……放っても置けないでしょう?」

そう言ってエルは立ち上がり、一つ息をついてティティスに寄る。
そしてディアーネと挟むようにティティスに寄り添い、反対の肩に手を乗せた。

(あ……)

ティティスはこの時、モノを考える機能を喪失した。
胸からこみ上げる暖かいものが瞳からあふれ出し、気がつけば大粒の涙が頬を伝う。
身体と、心が理解した。
次に天使が語る言葉を。

「私達が、拾ってしまった命ですからね?」

逸れた幼子が母親を見つけて安堵するように。
常闇の地平に一筋の光を見出したかのように。
涙腺を決壊させて泣き尽くす妖精を、両側から天使と悪魔が抱きしめる
この瞬間、この光景こそが、チューリップの……
そして、ジャーナリスト学科の仲間達が本来目指したはずのスクープだった。
いつの間にか主旨を見失って暴走した仲間と、それを止めることが出来ずにティティスを傷つける一端を担ってしまった自分。
それぞれに対する複雑な思いが、チューリップの双眸にも光るものを滲ませた。

「貴女達だったのね……」
「はい。恐らくジャーナリスト学科の方々が最も知りたかったのは、これでしょう?」
「そうね。本来なら、美談を紹介する企画のはずだったんだ……」

しかし美談のもう一方の主役は表に出ず、焦れた人々の一部が執拗にティティスを追い回した。
それが今回の事件の事情であった。
複雑な表情で一度だけ涙を拭ったチューリップ。

「私からのお願いは二つです。まずは、この事を最後にすること。そしてもう一つは、今日半日だけ、この件を貴女の胸の内に秘めておいて欲しいということです」
「え……なんで?」
「私は今朝リリィ先生にこの件を相談し、職員会議で抑止を呼びかけてくださるとの約束をいただいているのですよ」
「おお?」
「これ以上は生徒の心身を損ない、悪影響を与える事は明白でした。間違いなく承認され、明日の朝一で周知されるかと思います」
「なるほど……分かった」

チューリップはエルの意図を汲み取れた。
最初の段階でティティスを救った事を名乗り出なかった以上、二人はあまり目立つ事を良しとしていない。
こうして名乗り出たのはあくまでティティスの急を救うためであり、そうでなければ決して二人は表に出なかったに違いなかった。

「私は今日の夜、朝が来る前に学科メンバーに真相を触れ回る……」
「そして皆さんは朝一で新聞作成に取り掛かろうとするでしょうが……」
「それは先生に止められる」
「新聞は差し止められて表には出ません」
「だけどうちの連中は真相を知れる。好奇心を満たせるなら、先生の差し止めにあえて逆らおうとする連中も殆どいない」

だから、エルは手を打った。
一部の者に敢えて顔を晒し、それ以上には知られないように。
その一部というのがジャーナリスト学科というのは不本意だが、彼らも情報を扱う学生である。
熱病が覚めれば、守秘義務やプライバシーの保護の重要性への自覚を取り戻してくれる……と、思う。
エルシェアとしては非常に不安であったのだが、事がこうなった以上選択の余地が無かった。
自身の思考で事態を制御する限界に差し掛かり、エルシェアは一つ息をついた。
腕の中では未だ泣き崩れそうな妖精がいる。
相棒と苦笑しつつ、しかし抱きしめるその手は離さない。
そんな二人に、ティティスも必死にしがみ付く。

「ブーゲンビリアさんに、よろしくお伝えくださいな」
「は? 何でアイツが出てくるのよ?」
「私がこの件で最も苦慮したのが、誰に真相を伝えるかです。彼……本人の意思を尊重して彼女か……に、貴女を紹介していただけたのですよ」
「ああ、なるほどね」

エルシェアは以前の仲間から求められるままに転科を繰り返していた過去があり、ブーゲンビリアとの接点はアイドル学科在籍時の友好関係だったりする。
其処までは、チューリップも知らないことだが。

「さぁ、貴女の悪夢もこれでお終い」
「今まで良く頑張ったねー」

それぞれに慰撫をかけるエルシェアとディアーネ。
嗚咽によって声が出せない妖精は、その暖かい言葉に何度も何度も頷いた。
その時、丁度昼休み終了五分前の予鈴が……
正確にはそれを伝えるパイプオルガンが学園に響き渡る。
チューリップは一つ息を吐いて立ち上がった。

「良いもの見せてもらって、ありがとうね」
「いいえ、チューリップさんと面識が持てて良かったです」

敢えて名を呼んだのは、エルシェアにしては珍しいサービス精神によるものだった。
それは、彼女を個人として認めたということ。
チューリップも珍しく真剣な表情で頷くと、この信頼は裏切れないと胸に誓う。
打ち合わせた事の協力を確約しつつ、本校舎へ向かい去っていった……



§



放課後のこと……
北校舎の屋上に、二つの影が寄り添っていた。
セレスティアの少女とディアボロスの少女。

「どうだった?」
「学生寮に送ってきましたよ」
「そっか」

チューリップが去った後も、しばらく泣き続けていたティティス。
少女はやがて憑き物が落ちたかのように眠りに落ちた。
それは妖精の少女がここ数日、殆ど寝つけていなかったであろうことを予想させた。
二人はティティスを起こすことも躊躇われ、しかも両手でしっかりと制服を握り締められていたために動けず、添ってこの時間まで途方に暮れていたのである。
先程ようやく目を覚ました少女は、赤面して礼を述べた。
そしてディアーネが此処を片付け、エルシェアがティティスを送り届けた。
エルシェアはその後、ディアーネを手伝いに戻ったのだが、既に粗方片付けも終わっていたのである。

「ディアーネさん」
「ん?」
「貴女は、きっと最初から名乗り出たかったのでしょうね」

やや躊躇いがちに言った天使に悪魔の少女は苦笑した。
今回の件は、決して両者の意志が一枚岩であった訳ではない。
ティティスを救うという根幹では完全に一致した二人だが、その前段階では両者の意見は完全に正反対だった。
エルシェアはこれ以上ティティスに関わらない事を主張し、ディアーネはティティスに真実を告げ、仲間に迎え入れることまで主張した。
どちらにも言い分はあり、それは両者共に理解していた。
しかし現実は、二者択一を迫って来る。
そして今回、折れたのはディアーネのほうだった。

「今回の件は、ディアーネさんにとって美談になったでしょう。公表していれば……」
「でも、エルは目立ちたくなかったんだよね」
「はい」
「うん。なら、それでいいんだよ」

ディアーネは夕日に一つ背伸びすると、横に座ったエルの肩を抱き寄せる。
この天使は捕まえておかないと、ふらふらと何処にいくか分からない。
今確かに、此処にいるのに。

「私は今まで、きっと焦ってたんだと思う。誰かに認めて欲しい、誰かに振り向いて欲しいって」
「……」
「でも、そうじゃなかった。私はエルに、見ていて欲しかったんだって気づいたの。だから私はもう焦らない。エルが居てくれれば、私はきっとぶれないから」

そう言って笑うディアーネに影は無い。
本心からそう思っているらしいディアーネに、エルシェアも気持ちを切り替える。
笑い合える、競い合える、譲り合える、そして許し合える。
お互いがお互いを貴重に想い、心の一部を預けあっている存在。
それを確認する事が出来た。
きっとこの先も、意見を異にする時がくる。
それは当たり前で、二人は互いに別人なのだ。
でもきっと、何とかなるだろうという思いを、この時二人は共有できた。

「あっついっすねー……」
「夏ですから」
「今度、北の方にいってみよっか?」
「それもありかもしれませんね。ローズガーデンの方まで行けば、かなり涼しくなりますよ」
「あ、いいね! 私、歓迎の森の先はまだ行ったこと無いよ」
「その先は雪原でしてね……あれ、確かクエストも出ていたような……」
「それ受けて行ってみようか。 ここしばらく、ばたばたして外出られなかったしねー」

楽しげに語る少女達。
未来を語る二人を、夕日が赤く染めていた。



§



後書き

NPCキャラ初登場。
脳内では少女達が華やかにはしゃいでいる場面なのですが、私が書き起こすともっさりしますorz



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。④
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/22 11:45
§


プリシアナ学園から歓迎の森を抜けた先に、一つの町が栄えている。
ローズガーデンと呼ばれるその町は、大陸全体でも北寄りに位置していた。
標高も其れなりに高くかなり寒い町なのだが、夏の間は雪が融けてくれる為、北国の中では貴重な町でもある。
此処はこれより北に向かう旅人にとって、中継地点として利用される宿場町でもあった。
加えて八月の中旬であるこの時期は、避暑に訪れる旅行客も多く、賑わいを見せている。
その名の通りの薔薇園と、都市中央の噴水という名所を備えた、風情豊かな町並みも人気が高い。
人波の多いこの町でも、一際目立つのが学生服姿の若者である。
プリシアナ学園から程近いこの町は、彼らの探索の拠点として利用されることも多かった。

「見て! 綺麗な噴水~!」
「はいはい、はしゃがないでくださいね恥ずかしいですから」

冷たい雪山の風と、暑い夏の日差しが溶け込んで刹那の快適を演出するこの時……
プリシアナ学園の制服を着込んだ二人組みの生徒が、町の噴水を眺めている。
見るものが見れば、その組み合わせに違和感を覚えたかもしれない。
一人は漆黒の髪を背中まで伸ばし、悪魔の角を持ったディアボロスの少女。
今一人は薄桃色のウェーブヘアを靡かせる、天使の翼を持ったセレスティアの少女。
両種族の相性が最悪なのはこの世界の常識であるが、この二人に至ってはそんな常識をあざ笑うが如くじゃれ合っている。

「ねぇねぇ! 皆噴水にコイン投げてる!」
「あれは皆カップルですね。二人してコインを投げて泉に祈ると、永遠に添い遂げられるとか……」
「え? そうなの! これは覚えておかないとだね」
「は? もしかしてそんな……この町の観光協会の商業戦術を真に受けていらっしゃる?」
「あれ……エルはなんだか不機嫌?」
「不機嫌というか……いや、ディアーネさんが幸せならそれでいいのです」

美しい町並みと自分の知らぬ物事に興奮するディアボロス。
ディアーネと呼ばれたその少女が、天使の手を引いて早足に歩く。
苦笑して着いてゆくその天使の名はエルシェアという。
エルはこのままディアーネに任せて、好きに歩くのも魅力に感じているのだが……
目的を忘れたわけではない彼女は、手を引き返して悪魔を止める。

「取り合えず、地図を買って宿に戻りましょう」
「あ、そうっすねー」

二人がこの場所に来たのは、プリシアナ学園のクエストをこなして卒業単位を獲得するため。
『約束の雪原』にあるプリシアナッツという果実を手に入れる目的があったりする。
穏やかにたしなめられたディアーネは、微笑するエルに笑み返す。

「用が済んだら、三人で観光とかしたいっすねー」
「まぁ、無理だと思いますよ」
「ティティス嫌がるかな?」
「いいえ、来たがると思いますが動けるとは思えません」

元々二人だった彼女達は、近頃三人目の仲間を迎え入れていた。
賢者学科所属のフェアリー。
最近になってプリシアナ学園に転入してきたその少女の名を、ティティスと言った。

「ティティスってば……なーんで倒れたんだろうね?」
「本気で言ってらっしゃいますか? 脳味噌まで筋肉で凝り固まった悪魔さんですね貴女は」
「むむ、最近悪意の表現がきつくなってるよ腹黒天使様」
「私は嘘は言っていません。あの娘が倒れたのは貴女の無茶なレベリングが原因で、その自覚がなさそうなので先の発言になったのです」
「え……あれ、無茶っすか?」

意外そうな顔で首を傾げるディアボロス。
エルシェアはその顔を見て複雑な思いに駆られる。
転入したてで経験も少なく、この二人より格段に実力の劣る妖精の少女。
本音を言えば、エルシェアはレベリング以前にティティスを雪原まで連れて行くことから反対であった。
しかし当人の強い希望と、ディアーネの能天気な了承によって、主張を曲げざるを得なかったのだ。
そしていざ出発の時になり、ディアーネはティティスに課題を出した。
それはエルシェアが思わず頬を引きつらせるほど過酷なもので……

「無茶なんですよ。本来なら」
「でもティティス、一緒が良いって聞かなかったし」
「そうですね……頑張る子なのは認めます」
「なら、一緒に行けるようにして上げるのが、先輩の優しさってモノじゃないっすか」

こうして賢者学科初心者である妖精少女は、恐らく歓迎の森の利用史上でも最も過酷な修練を受ける。
ディアーネには精神力の限界まで魔法を打たされ、魔物の攻撃範囲を実地で仕込まれ、前衛が後衛を『庇える』間合いを感覚で覚えさせられた。
更にエルシェアには回復魔法の使い時、戦況に中での攻守の判断、不意を打たれた時の最初の一手、そして高山病の対処法を叩き込まれたのだ。
厳しい事をしているという自覚が、エルシェアにはあった。
しかし二人の間では判断の前提条件が異なっている。
もし、ティティスを連れて歩くのなら……
それを前提にして考えるなら、この詰め込み学習は最低限。
ディアーネの判断はある意味非常に的確であり、エルシェア以上に容赦が無いものだった。

「もう少しゆっくり……大事に育ててあげる心算だったんですけどね」
「それは駄目。あの子は私達に追いつこうとしているの。エルはゆっくり育ててる間も、ティティスを待ってあげる心算ってないでしょ?」
「……ありませんね。今はまだ」
「私も無い。でもあの子は、そんな私達に着いてこようとしてる。私もあの子と一緒に歩きたいよ」
「分かりました。貴女がきっと、正しいです。この上は、ティティスさんの根性に期待しましょう」

後輩の指導方針をスパルタに決定した二人は、交易所で雪原の地図を購入する。
他にも必ず必要になる冒険のお供はおにぎり。
飲み物はエルシェアの強い希望で紅茶になった。

「忘れ物ってないっすかね?」
「むしろおにぎり買いすぎじゃありませんか?」
「三十個くらい普通に使うでしょ」
「まぁ……メインタンクがそういうのでしたら敢えて何も言いませんが」

疲れたように息を吐く相棒に、不思議そうな視線を送るディアーネ。
しかし直ぐに良い買い物をしたと笑みに戻り、エルシェアと手を繋いで歩き出す。

「さ、戻るっすよ」
「はい。参りましょうか」

それぞれ片手に荷物を持ちつつ、元来た道を引き返した



§



ローズガーデンは宿場町であり、旅行者も来訪するために宿屋が多い。
更にはプリシアナ学園が直接経営している、生徒用の安価な宿泊施設も存在し、泊まるところには事欠かない町である。
今回エルシェアが宿に決めたのは、プリシアナ学園とは縁もゆかりも無い宿屋だった。
観光シーズン真っ只中ということもありやや割高なその宿屋は、町全体でも中の下と言った格である。
ちなみに学園直結の宿泊施設は下の下という言葉を地で行く設備。
多少でも資金に余裕のある学生ならば、利用しようとはしないのである。

「お帰りなさい、先輩方」
「ただいま戻りましたよティティスさん」
「ただいまー」

宿屋二階の三人部屋で合流したメンバー。
憬れの先輩二人の帰参を、フェアリーの賢者がベッドから出迎えた。
金髪碧眼の美少女だが、瞳の色に負けないほどに青い顔色が痛々しい。

「あまり無理なさると倒れますよ」
「大丈夫です!」
「大丈夫? じゃあしごき方、間違えたっすかね……?」
「いいえすいません。嘘吐きましたっ」

実際は筋肉痛で、ベッドから起き上がれない妖精。
連日の修行で身体を酷使し、毎晩エルかディアーネからマッサージを受けるのが日課になりつつある。

「今日は私少し早く休みますので、マッサージはディアーネさんにお願いしますね」
「うぃっす」
「っひぃ!?」

エルシェアの発言に対する反応は、両者でかなり異なった。

「あ、あの……エル先輩?」
「何か?」
「探索は、明日行くんですよね?」
「そうですねぇ……天候に恵まれれば」
「えっと、明日本番を控えた前夜に、ディアーネ先輩の靭帯断裂マッサージは……」
「ほぅ? 聞いたことの無いマッサージっすね誰の何だって?」
「あ……ごめんなさい先輩。じゃあ、骨格矯正マッサージということに」

割と良い根性をしているフェアリーに、天使と悪魔は顔を見合わせて苦笑した。
実にしごき甲斐がある良い後輩である

「大丈夫ですよ。ちゃんと翌朝には、身体が解れているでしょう?」
「確かに動くようになりますけど、ほら! 悲鳴とか我慢できないですし!? 他のお客様にご迷惑が……」
「ああ、それもご心配なく」

エルシェアはにっこり微笑むと、学園指定の制服を一つ一つ脱いでいく。
それはディアーネに取っては二度目であるが、初見の妖精は混乱した。

「え? 先輩?」
「貴女もいずれ経験すると思いますが、装備外さないと転科不能なんですね何故か」

事も無げに下着姿になった天使。
染み一つ無い白い肌は同姓であっても息を飲む美しさである。
エルシェアは口の中で何事か呟くと、燐光が全身を包み込んだ。

「これは……」
「堕天使っすか!」

背中と頭と……四枚の翼を漆黒に染め上げた天使の姿。
それだけで随分印象が変わったエルシェアだった。

「あまり見ないでくださいな? お金取りますよ」

性格は変わっていない。
そんなパーティーブレインの様子に、やや安堵する悪魔と妖精。
エルシェアはそのまま制服を畳んで道具袋にしまいこみ、持ち込んだ丈の長いワイシャツを着込んで備え付けの椅子に腰を下ろす。
首を傾げたのは、相棒である悪魔の方。

「あれ……エルがお腹所か羽まで真っ黒になったのは良いとして」
「まぁ、否定は出来ませんが」
「それで、何でティティスちゃんの悲鳴が大丈夫になるの?」
「それは勿論……」

答えかけたその声は、ガタンという大きな音に阻まれる。
見れば其処には床を這いずり、一つしかない扉へ必死に移動する妖精の姿。
ディアーネはやはり首を傾げたままティティスの前に回りこみ、後輩が命がけで超えようとしている扉に背を預ける。

「何処へ行く?」
「あ……えと……」
「気づいたのですね。ですが遅かった」

エルシェアは微笑を浮かべてティティスの首根っこを捕まえる。

「よいしょ」
「ひぃ!?」

猫の子を運ぶように持ち上げ、そのままベッドに腰掛けたエル。
震える妖精を自分の膝に乗せて、後ろからしっかり抱き寄せる。
種族柄背の小さなフェアリーは、ヒューマンの子供程の背丈しかない。
セレスティアの標準身長よりもやや高いエルシェアに抱すくめられると、最早完全に逃げられなかった。

「私がこのまま、マッサージしてあげても良いんですが……」
「エル先輩のは、マッサージじゃなくてセクハラです」
「失礼な。ちゃんと筋肉疲労は解してあげていますのに」
「マッサージが終わった後の行為がそうだと言っているんです!」
「そうなんですよね。でもそれは、貴女が私の様な純粋無垢な天使にまで嗜虐心を抱かせる、生粋の被虐体質なのが悪いのです」
「いやぁ……うあっ」

耳を甘噛みされたティティスは、全身を強張らす。
エルシェアは固まった妖精に微笑すると、少女をベッドへうつ伏せに横たえた。
次に来るであろうセクハラに怯え、しかしなんとなく拒めないことも頭の隅で理解していたティティス。
目を硬く瞑っていたために鋭敏化した聴覚で、エルシェアの声をはっきり聞いた。

『サイレンド』

貞操の危機に思考を乱していたティティス。
もとより実力が違う相手から掛けられた沈黙魔法に、抗うすべなく堕とされた。

「……! ……!?」
「おお、悲鳴も怒号も聞こえない!」
「明日の編成は、ディアーネさんとティティスさん。そして堕天使の私で行こうと思いますので、よろしくお願いいたします」
「メインタンクは私?」
「はい。ティティスの面倒は私が見ます」
「……」

エルが視線を降ろすと、頬を膨らませた後輩と目が合った。
にっこり笑って頭を撫でる。
苛めて良し、愛でて良し、扱いて良しと、正に理想の後輩である。

「ポジションは、私らのツートップでティティス後衛かな?」
「いえ……それだとバックアタック時に、ティティスさんが集中砲火を受けてしまいます。的を散らすために私も後衛で行こうかと」
「すると私のワントップで二人後衛……あ、だから堕天使なんだ?」
「そう。お守りだけならナイトの方がいいんですけど……それだと、後ろから敵にちょっかいかけ辛いので」
「堕天使は魔法に鎌までつかえるからねー」
「良い鎌が手に入らなかったので、武器は魔法重視で杖を持ちます。まぁ基本が後輩指導になりますから、援護射撃が多少もたつく事を覚悟してくださいね?」」
「うぃっす」

行軍時の配置と、基本戦術を決めていくエルシェアとディアーネ。
ティティスはそんな先輩の様子を見つめ、経験の差を少しでも埋めようと耳を澄ます。
今だ頭を撫で続けていたエルは、後輩の雰囲気が変わった事を感じて頷いた。

「雪原の敵は、私が大体把握しています。歓迎の森とは違いディアーネさんが前に居ても、届く攻撃手段を持つ敵が多く居るところです」
「……」
「明日はずっと私の隣でお勉強になるでしょう。森で教えた回復魔法使用時の注意点は、覚えていますか?」

微笑と頭を撫でる手は休めず、しかし瞳は全く笑っていないエルシェアに、妖精の新米賢者はしっかりと頷いた。

「其れでは、今度は攻撃魔法のノウハウを覚えていただきます。しかし、同時に私の転科に伴い、回復魔法の使い手は貴女だけになりました。明日の探索で戦線を維持するのは、貴女の役目と心得てください」
「……」

その言葉にはやや気圧されがちなティティス。
この妖精は最初のクエストで失敗しており、実力以前に自信というものが全く無い。
エルシェアとしては、歓迎の森で行った地獄の特訓に耐え抜いた、この妖精の成長を評価しての事なのだが……
いかんせんティティスにとって『普通』の比較対象が無い為、自信にはつなげにくかった。

「大丈夫。任せられるから、任せるんだよ」

そう言って、ティティスの肩に手を乗せたディアーネ。
ティティスは二人に触れられることが好きだった。
この二人の間こそが、自分の居場所だと知っているから。
憬れの天使と悪魔が、自分に重要な仕事を任せてくれた。
胸の中に暖かいものがこみ上げるのを感じながら、ティティスは今一度頷いた。

「其れでは、私は夕食時まで少し休みますので……後はお任せしますね?」
「おういえ。さぁティティスちゃん、お楽しみの時間っすよー」
「……!? ……!!」

うつ伏せに寝かされた妖精の腰に、悪魔の少女が跨った。
そのまま肩に両手が添えられ、筋肉と骨格の歪みを矯正していく……
哀れな妖精の声無き悲鳴は、一眠りしたエルシェアが目覚め、制止するまで続いたらしい。



§



明くる日の天候は曇り模様
空に薄く掛かった灰色の雲は太陽の光を薄く遮る。
しかし目的の場所までそう遠く無い事と、太陽の輪郭は見える雲の薄さに、三人は探索を決行した。
天候が崩れた場合には、即座に『帰還符』を使用する事を決めてはいたが。
昨日宿屋で打ち合わせた通り、先頭を歩くディアーネに、エルシェアとティティスがついて行く。

「冒険の必需品っすけど、帰還符って高いよね」
「ですね……しかし命には換えられませんから」
「あの、あの? 先輩方?」

比較的のんびりと言葉を交わす天使と悪魔に、ティティスは不思議そうな声を上げる。
その首には真っ赤な首輪が装着され、十尺程の長さの鎖はエルの右手に握られていた。

「これは、何ですか?」
「おや……初等教育を受ける子供でも分かりそうなものですが」
「えっと……首輪……に見えるんですけど?」
「ああ、良かった。これを間違えるようなら、お付き合いの仕方を考えないといけませんでした」

釈然としない表情のティティスは、無意識に首輪を撫でていた。
エルは首輪を引っ張ると、ティティスは逆らわずに寄って来た。
セレスティアもフェアリーも、本来は浮遊が使える種族。
しかし今、この二人は雪原を徒歩で歩いている。
これは地に足を着けた方が、緊急時の初動が早く取れるというエルシェアの経験だった。

「その首輪、外したければ外してもいいですよ?」
「いえ、不満は無いんです。でも訳は教えておいていただきたいなと……」

探索開始直前に、突然首輪をかけられたティティス。
その事に対して不満は無いと言い切った妖精に、エルは微笑して頭を撫でた。
これほどまでに自分達を慕い、その指示を守ろうとするティティスの姿は、エルシェアにとっても感慨深い。

「昨日、此処の敵は後衛を直接狙う事が出来ると話したことを覚えてますか?」
「あ、はい」
「その首輪は命綱だと思ってください。この距離なら、何が来ても私が庇う方が早いです」
「……保険をかけてくださったんですね」
「そうですね。この探索、貴女に人権はありませんが……」

エルはそう前置きし、隣を歩くフェアリーの肩を抱き寄せた。

「ディアーネさんに代えても、貴女の命だけは保障しますよ」
「待てコラ、昨日は三人で頑張ろうって……」
「頑張ります、エル先輩」
「ちょっと! エルはともかく、ティティスちゃんからそういう扱いされるとダメージでかいよ!」

悪魔の抗議を聞き流し、仲睦ましい天使と妖精。
そうしていると突然、空から羽音が聞こえてくる。
直ぐに周囲を警戒すると、背中に真紅の羽を持った小柄な人影が……五つ。
妖精の亜種族と呼ばれるその魔物の名は、パピヨンレディ。 
その左手には、小柄な体躯にはやや不似合いな大振りの剣が握られている。
エルシェアは隣の妖精が身を竦ませるのが分かった。
森の敵とは格が違う。
そう感じ取ってくれたのなら、修行の成果は上々と言っていいだろう。

「ふむ、運が良かったですね……あれは直接後ろを狙える技を持っていません」
「魔法は無いんですか?」
「ありますが、唯の『フィアズ』です。当然掛からない事を前提として動きます」

エルシェアは以前所属していた別パーティーで、雪原にも来た経験がある。
この敵との遭遇も初めてでは無く、使用してくる状態異常魔法も十分凌げるという計算があった。
既に前衛のディアーネは、先頭の魔物と接触しつつある。

「此処はディアーネさんが崩れない限り大丈夫。魔法支援の実地をお見せするので、私の傍を離れないでくださいね?」
「はい!」
「行くよ!」

魔物の一団に向けてディアーネが切り込む。
とっさに群れを散会させるパピヨンレディ。
その集団の最右翼にいた一匹が、突然の落雷を受けて墜落する。

「前衛が集団に切り込むとき、左右両端のどちらかが基本です。中央に切り込むと残った左右から同時に囲まれます。開幕の援護は、前衛が狙いやすいように敵の足を止めましょう」
「……」
「また、敵が強いときは敢えて正面から切り込み、意図的に囲まれることによって、敵を後ろに流さないようにする場合もあるのでご注意を」
「はいっ」

エルシェアによって落とされた魔物を、ディアーネが容易く切り倒す。
魔物の群れは怒りの咆哮を上げて前衛の悪魔に襲い掛かる。
四方向からバラバラに繰り出される斬撃を、ディアーネは二つ避け、一つを盾で受け止め、四つ目の剣をわき腹に掠める。
新調した鎧によってダメージこそ少ないが、その身に朱の線を刻み込まれたディアーネ。
それはティティスが始めてみた、傷ついたディアーネの姿だった。
四匹のパピヨンレディに囲まれた悪魔の少女。
しかし囲みを完成させるのは、左端に居た一匹がやや遅れる。
包囲に掛かった数瞬の遅滞は、堕天使の魔法の完成へ費やされた。

「こうして囲まれた時、右利きの彼女は武器を使って牽制し、その方向に抜けていくのがセオリーです。盾を持つ左側から抜けるのは難しいですから」
「……」
「すると私達がすべき援護は……」

ディアーネは振り払うようにサーベルを薙ぐ。
やや大降りになったその銀閃は、魔物に難なく回避される。
その時、再び落ちた雷が、ディアーネの右側の一体に直撃した。
同時にティティスから放たれた冷気が迸り、ディアーネの背中から斬り付けていたパピヨンレディが凍りつく。
悪魔は背後を一切構わず、エルシェアが打ち落とした魔物を踏み潰しながら突破する。
鉄骨で補強されたブーツに踏み抜かれたパピヨンレディは、あっけなく絶命した。

「いい判断ですティティスさん。援護は右に抜けていく前衛の、道作りと追撃阻止です」
「はい!」
「ですが、雪山で冷気魔法は厳禁ですよ。寒さゆえに効果が上がるのはメリットですが、冷気は前衛の体温を奪って動きを鈍くしてしまいます」
「あ……」
「属性と状況を良く考えて……他にも、雪崩誘発の危険から大規模な炎は自粛、地震系の魔法は絶対禁止です」
「なるほど……」

解説を交えながらも実戦は止まらない。
しかし既に三匹にまで減らされた魔物は、ディアーネの敵にはなり得なかった。
襲ってきた一匹を、剣と腕の長さの差を利用したカウンターで切り落とし、横から突き出された剣を盾で逆に押し返す。
小柄なパピヨンレディとディアーネはそもそもの膂力にかなり差がある。
吹き飛ばされたその固体は、エルシェアとティティスの雷が二連続で落とされ炭化した。
最後の一匹は空に舞い上がって逃げ出してしまい、戦闘は此処で終了した。

「ディアーネ先輩! 大丈夫ですか?」
「かすり傷だよ。でも、治してくれると嬉しいかな」

心配そうに駆け寄り、ヒールを掛ける後輩に目を細めるディアーネ。
気だるげに回復を行うエルシェアのヒールと比べれば、同じ効果と言えども気持ちが違うというものだった。
そんな二人に歩み寄り、エルシェアは回復待ちの間に方針を決める。

「ティティスさん」
「はい」
「この先、私が主に援護を担当します。貴女は状況を見つつ、自分の判断で動いてみてください」
「え……? もうですか」
「賢者は、様々な魔法を使いこなす学科です。私では回復と攻撃、その両方を一度に指南することは出来ません」
「……」
「なので此処は、基本行動を前衛の回復に寄りつつ、私の事を見ていてください。そして自分なら、この場面でどの魔法を選択するか、もしくは魔法を使わないか……考えながら見ていけると、いいですね」
「分かりました」
「私は、先程の戦闘で解説した事を基本方針として援護を行います。その中で貴女の選択と食い違う選択を私がしたら、その都度質問してください」
「……難しいですね」
「別に判断力の勝負をしているわけではありません。貴女の発想の中には、私の浅慮を改める鍵があるかもしれないのですよ」
「せ、先輩が浅慮ですか?」
「はい。他方からの視点でモノを見たとき、私の視点からは見えていない穴があっさり見つかったりするのです」

悪戯っぽく微笑みながら、堕天使の少女は片目を瞑る。
そんなエルシェアの様子に何故か気圧されたティティス。
ディアーネに視線を投げると、治ったばかりの傷口をなぞりながら右手の剣を鞘に収めている。
歓迎の森よりも遥かに敵が強いことは、間違いない。
しかしこの二人は事も無げに完勝し、ティティスの指導までこなしている。
自分の実力が及ばないことは理解しているが、何時かこの差を埋められるのか……
未だ伸びた分だけ距離感が鮮明になるという段階にいるティティスには、二人に追い着く自分の想像がおぼろげであった。



§



探索を続ける三人は、然したる危険な目にも遭わずに目的の場所に到着する。
途中ティティスが昔法師から魔封じの光を食らって薬箱の役目すら果たせなくなり、エルシェアに泣くまで言葉攻めされたりもしたのだがご愛嬌である。

「あ、あそこがそうみたいですね?」
「おお、本当に鐘の形してる!」
「……そうですね」
「あれ? テンション低いっすね?」
「……もうお嫁行けない」

どんよりと暗いフェアリーと、無言で微笑する堕天使。
エルシェアの手には鎖が握られ、鎖はティティスの首輪に繋がっている。
ご主人様と犬という立場をはっきりと表す構図と、両者の表情。
エルシェアは沈黙回復アイテムのキャンディーを、普通にはティティスに渡さなかった。

『クチウツシ?』
『はい。もう二度と状態異常など食らわないように、もし食らったらこういうことになるのだと思い知るのもお勉強です』

それは完全にエルシェアの遊び心だが、役立たずの自覚があったティティスには拒めるはずが無いのである。
最もティティスが落ち込んでいるのは、同性との口付けに羞恥を感じても嫌悪感を感じなかった自分自身に対してである。
堕天使を受け入れてしまう属性を自分も持っていたことに戦慄し、新たな自分を認める事がまだ出来ていない。
もちろんエルシェアとしても、今後は時間をかけて開発していく心算ではあった。

「所でエル?」
「なんでしょうか?」
「あれ……何に見える?」
「……猫?」
「エル先輩、私背は小さいですが、猫は私でも抱き上げられる大きさだったような気がします」

プリシアナッツの群生地帯を見つけた三人は、同時にナッツを食い荒らす珍獣の姿も発見していた。
顔面の造詣だけは猫に近いフォルム。
氷結して氷が張り付いた体毛に、二股の尾。
そして何より、全長で三メートルに届かんとする巨体と額に伸びた一角が、この獣を愛玩動物に分類する事を拒んでいた。
食事に夢中なこの化け物は、未だ三人には目もくれない。
プリシアナッツの木にその巨体を叩きつけ、落ちたナッツを食べている。
そもそも気づいているのかどうかすら、判然としない食いっぷりであった。

「嗚呼……私たちの卒業単位が、ケダモノに食い荒らされていく……」
「落ち着いてくださいディアーネさん……と言っても、これどうしたものでしょうね?」
「え? これまで見たいに戦ったりしないんですか?」
「うーん……」

ディアーネとエルシェアは、それぞれ顔を見合わせる。
そしてお互いの顔に同じものを発見した両者は、更に困惑を深めるのだ。

「私、あいつ見たことないっす」
「奇遇ですねぇ……私もです」

それは吹雪の獣と呼ばれる雪原の主。
遭遇例が極めて少なく、麓のローズガーデンの住人すら、その存在を架空のものと信じている人が居る始末だった。
未知の敵に対して警戒を強める先輩コンビ。
その様子を見たエルシェアは、不意に二人との視野の違いを自覚した。
ティティスには、冒険探索を始めたときに、目的のものを見逃して撤退する……
この選択肢が存在していなかったのだ。
敵が居れば戦うもの。
目的があれば達成するもの。
そのような硬直した思考があったことを理解する。
唇をかみ締めて俯きかけたティティスだが、不意に一つの可能性に気がついた。

「あの、もしかして先輩方……お二人だけならあいつと戦ってましたか?」
「ん……まぁ、そうっすね」
「ディアーネさん……」
「隠しても仕方ないよエル」
「はぁ……」

身も蓋もない相棒の言葉に、エルシェアをして閉口する。
しかしディアーネの表情を見る限り、決して貶す意図は感じられない

「そうだねティティスちゃん。私とエルなら迷わないよ? 私が前衛でエルが後衛。そして私が流しちゃっても、エルなら自分を守れるから」
「……」
「それで、ティティスちゃんはどうしたい? 私とエルは、このまま帰ろうと思ってる。クエストは失敗になるけどね」
「私は……」

悔しげに唇を噛むフェアリー。
少女は戦いたかったのだ。
自分にとっては初めてのクエスト達成が、目前にある。
しかしやはり自分が原因で、自分より遥かに強い二人がクエスト攻略を断念しようとしている。
ティティスの中に巡る苛立ち混じりの焦燥感。
自己嫌悪で潰されそうになった時、縋るように天使を見た。

「……」

エルシェアは何も言ってくれない。
髪にも肩にも触れてくれない。
そして、頷いてもくれなかった。
それでもティティスは、この時確かに聞いた気がした。
エルシェアの声を……

―――がんばって

ティティスは不意に口内に鉄の味を感じた。
いつの間にか噛み締めた唇が切れていたらしい。
やがてティティスは、文字通り血を吐く思いで意見を告げる。
憬れの先輩と、正反対の意見を。

「私は、戦いたいです」
「やるの?」
「はい、お二人だけなら戦うということは……二人なら勝算があるんですよね?」
「あるっすよ」
「私を庇いながら戦うと、難しいって事ですよね?」
「うん」
「じゃあ、無理な部分まで庇わなくて……いいです」

言い切ったティティスは、自分の中の最初の気持ちを確認していた。
彼女は二人の、本当の仲間になりたかったはずだった。
一人実力の伴わない自分。
それを決して見捨てないで、此処まで連れてきてくれた。
足りない部分をひたすら指導してくれた。
命の恩人であり、彼女の世界その物と言っても過言ではない天使と悪魔。
だけどその足は誰よりも何よりも速いから……
同じ速さで走れないなら、共に在れないと悟ったのだ。
二人の飛躍を妨げないで、自分もそれと共にある事。
それは彼女が二度目の生で掲げた、自分への誓いと目標だった。

「……ぁ」

いつの間にか双眸に涙を浮かべた妖精を、エルとディアーネが抱き寄せた。

「よく言ったっすね」
「其れでは、三人で凱歌を上げに行きますか」
「っ……はい!」

友情を確かめ合っている間も、獣はナッツを食い荒らす。
エルシェアとしては例え食い尽くされていたとしても、残骸と獣の首を持ち帰ってクエスト達成をもぎ取る心算ではあったが。

「私が前衛、ティティスさんが後衛。ディアーネさんは少し離れて、最初は待機をお願いします」
「お?」
「短期決戦で仕留めます。開幕はティティスさんの炎系魔法で獣の気を引いてください」
「炎……良いんですか?」
「一発でいいのです。熱と光は目立ちますし、確実に襲ってきてもらいたいので」
「はい」
「私が同時に正面から飛び込みます。ディアーネさんの盾、お貸しください」
「うぃっす」
「……で、私が食われている隙に、ディアーネさんが剣を両手持ちにして一刀両断。動物は基本、首を落とせば死にますから」
「……分かった」

ディアーネはやや迷ったが、相棒の意見に従った。
リスクを取る短期決戦の策が、やや彼女らしくないと思ったのだ。
これは、まるでディアーネ自身が選びそうな……

「珍しいね? いつもはこういう作戦は避けるでしょ」
「今の私達には、これくらいはリスクにならないと判断します」

エルは一息に吐き出すと、ティティスの金髪を指で梳く。

「私達には、頼れる後衛が居ますから」

ディアーネから借りた盾を構え、囮役の堕天使が歩みだす。
悪魔と妖精もそれに続き、珍獣狩りが開始された……



§



いささか拍子抜けするほどあっさりと、吹雪の獣は退治された。
ティティスに表面を軽く焦がされた獣は、同時に襲い掛かったエルに飛び掛った。
巨体に圧し掛かられて潰されながらも、正面を盾で覆ったエルシェアに致命傷が入らない。
その間にエルシェアの氷結魔法が獣の足を大地に縫いつけ、堕天使を襲う事に夢中な獣は、悪魔の刃に無警戒で……
当初の予定通り、一太刀で勝負はついたのだ。

「やった……?」
「やりましたね」
「やっちゃったねー」

呆然と呟くティティスに、脱力した声なのは先輩コンビ。
必勝のパターンに嵌め込んだ勝利ではあるが、ティティスが感動しているのは其処ではない。
初めて、やり遂げた。
そんな想いを噛み締めるティティスを眺め、二人は優しく微笑している。

「ちゃんと、此処まで着いてきましたね」
「私は、来ると思ってたっすよ」
「そうですね。今回は貴女が正解でした」

エルシェアは肩を竦めて呟くと、そう遠くない過去を思って微笑を苦笑に変化させる。
ディアーネと始めて出会ったとき、相手を認めたのは悪魔のほうであった。
そして今回、ティティスというフェアリーを先に認めたのも彼女であるという事実。

「本当に、貴女には勝てませんよ」
「ほえ?」
「良いんです。私だけが解っていれば」

エルシェアはディアーネを緩く抱き寄せる。
ディアーネもそれに習いお互いの無事とクエスト達成を祝福した。
そしてエルシェアは、今回最も頑張った新米賢者を同じように抱き寄せる。

「よく頑張りましたね」
「はい!」

感極まって力いっぱい抱きつくティティスを、エルシェアはとりあえず引き剥がす。
まだ、言うこととする事が彼女には残っている。
エルシェアは懐から鍵を取り出し、ティティスの首輪を外してやった。

「正直後二~三クエストは必要かなと思いましたけど、もう卒業で良いでしょう」
「あ……」

哀惜の目で外された首輪を見送るティティス。
やや逡巡した後、かなり大胆な発言を飛ばす。

「あの……やっぱり首輪欲しいんですけど……」
「は?」
「あ、えっと……これが無いと先輩が遠くなっちゃいそうで」
「本物のマゾですね貴女は」

赤くなって俯き、否定しないティティス。
そんな後輩に苦笑しつつ、エルシェアは制服の内ポケットから銀色の飾りを取り出した。

「代わりにこれを差し上げます」
「それは?」
「この学校の校章です」
「え!?」

驚愕の声を上げるティティス。
エルシェアは片膝立ちになると、ティティスの学生服の襟に校章を挿す。
それは彼女が、ディアーネと共に森を訪れた時に手に入れたもの。
そして、ティティスの命を拾った時のものだった。

「あ……ありがと、ございま……」
「すぐ泣くのですね貴女は……」

誰よりも認めて欲しいと望む人から、最も欲しかったモノが貰えた。
エルシェアの胸で感涙に咽ぶティティス。
そんな二人を見つめ、満足そうに微笑むディアーネ。
卒業までの単位は遠く、これからも様々な困難が待つのは間違いが無い。
それでも、自分達なら必ず届くという事は誰も疑っていなかった。




§



後書き


プリシアナッツ編でした。
別名ティティスのパワーレベリング編。
プレイ中は新キャラを強キャラで挟んでレベル上げやりましたが、これ上げて貰う方は所在無くて辛そうです。

ティティスさんは今回冷気魔法とか使ってますが、ゲーム上で冷気魔法とかありません。
水魔法はあるのですが、何も無いところから水を創造する時に納得の行く理由が上手く描写出来ずに、ただの温度変化魔法を使っていただくことになりました。
原作で水魔法に強い愛情を注ぐ、全国三千万の魔法愛好家の皆様には、この場を借りて陳謝いたします。
水を創造出来ると、旅はすごい便利なんですけどね……



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑤
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/23 18:32
§

プリシアナ学園北校舎。
ディアボロスのドクター・リリィの保健室があるこの棟は、普段殆ど生徒が寄り付かない空間である。
プリシアナ学園の生徒は現場に出る実習に重きを置き、学園付近で怪我をする事があまり無い。
そのような理由から閑古鳥が常駐する保健室に、珍しい客がやってきた。
学園の生徒会長を勤める、セルシア・ウィンターコスモスである。

「失礼します」

礼儀正しく一礼し、スライド式のドアを開けたセレスティアの少年。
消毒用のアルコール臭が、一瞬彼の眉を潜めさせた。

「あれ……会長さん?」
「君は……エルシェア君」

扉を開けた少年を出迎えたのは、保険医ではない。
同じセレスティアであるが、その背と頭の翼は漆黒。
薄桃色のウェーブヘアを揺らして微笑するのは、堕天使の少女。
セルシアは少女を特に気にした様子も無く、小さな室内を見渡した。

「リリィ先生がどちらにいらっしゃるか、ご存じないかい?」
「私も今来た所なのですが……出来れば私がお伺いしたいくらいです」
「そうか……入れ違ってしまったかな」

考え込む仕草のセルシアに、エルシェアと呼ばれた少女が声を掛けた。

「旅支度ですか。また、何処かのクエストに?」
「ああ、君達のパーティは、雪原帰りだったね」
「はい。プリシアナッツを貪るケダモノを、千切っては投げ千切っては投げ……」
「それは面白そうだね。今度フリージアに、報告書を見せてもらおう」

エルシェアの軽口に、セルシアが微笑する。
一頻り笑いあったところで、セルシアが笑みを収めて息を吐いた。

「実は、少し事故が起こったんだ。丁度君達の出発と前後する時期か……そちらの正確な時期は、わからないが」
「ふむ、随分大きな事故だったのでしょうか。雪山から帰ってきたら、先生も生徒もだいぶ少なくなっていて驚いたものですが」
「うん……ローズガーデンから『冥府の迷宮』が見つかったのは知っているよね?」
「比較的最近発見されたラビリンスですね。一通りの調査が終わったのが今年になってからでした」
「ああ、しかしやはり手落ちはあったみたいでね……新たに大勢の魔物が湧き出したらしく、負傷した生徒が多数動けなくなったらしいんだ」
「へぇ……大変ですね」

他人事の口調で相槌を打つ堕天使に、天使の少年が苦笑する。
実際は全校生徒の五分の一が、探索中に救援待ちになる大惨事となっている。
現場での実践が主流の現状では、生徒の成長は早いが危険も多い。
比較的自由にカリキュラムを自己選択でき、転科すらノーリスクで行える昨今の情勢。
それは生徒の自主性を尊重する一方で、血気盛んな若者を更に急ぎ足にする温床にもなっていた。
今のところ死者の報告は上がっていないが、最終的に所在不明になるものが幾人いるか……

「今、グラジオラス先生が魔物の頭を叩きに出ている。他の先生も、その援護で迷宮に向かっている所だよ」
「それなら、直ぐに片が着くでしょうね。果報は寝て待てと申します」
「タカチホの方の言葉だったね。僕は人智を尽くして天命を待ての方が好きだな」

それぞれの性格を良くあらわした諺を交換し、やはりお互いに苦笑する。
エルシェアにはこれ以上会話を続ける意思は無かったが、一つだけ気になる事を尋ねてみる。

「会長さんは、どうして保健室に?」
「僕らのパーティーは、リリィ先生の張り出したクエストを受けて冥府の迷宮に向かうところだったんだ。だから出発前にご挨拶にね」
「クエスト?」
「ああ、医薬品の搬送と現場での救助活動の手伝いさ」
「なるほど。御武運を」
「君達は来ないのかい?」
「行きませんよ。少なくとも私からは」

エルシェアはセルシアの言を一刀に両断した。
現場での実践に走るのは良いが、それなら当然今回のような事故も覚悟してしかるべきだろう。
少なくともエルシェアはそう思い、同級生の不幸を冷淡に無視することにする。
敢えて首を突っ込みそうな彼女の仲間達の顔が思い浮かぶが、一つ息を吐いて頭から追い出した。

「お勤めご苦労様でございます会長様。やりたくも無いお仕事でしょうに」
「何を言うんだいエルシェア君? 冒険先で救助を待つ仲間を救うのは、僕達の大切な役目だよ」
「それは貴方の立場から発生する義務感です。セルシア・ウィンターコスモスとして、自己管理も出来ずに遭難した方々に、本当に心を砕いていらっしゃいますか?」
「もちろんだよ」

はっきりと宣言する天使に、堕天使は仄暗い笑みを漏らす。
とりあえず、自己管理も出来ないという発言は否定も肯定もされなかった。

「君は少し、物事を悪いほうに捉えすぎじゃないかな?」
「性分が根暗なものでして、つい世の中の善意を否定する思考から入ってしまうものなのですよ」

それぞれに思うところはあるのだが、それを言っても不毛な論議になる事は明白だった。
二人はその不毛な議論をしても構わないのだが、それにしては時間が無い。
セルシアは苦笑して、直球で切り込むことにした。

「全校生徒の多くが巻き込まれた事故だよ。クエスト受容の条件も厳しく、正直人手が足りていない」
「条件は?」
「雪原を自由に歩きまわれる事。君達は今回の成功でその条件を満たしている」
「ああ……クエスト条件に該当する方たちが、軒並み被害者に回ったから……」
「そう。残ったのは、座学と先達の教えの尊さを理解していた一部の者か、君達のような変わり者さ」
「……人生万事が、塞翁が馬。これもタカチホの言葉でしたか」
「そうだね。現時点では君が勝ち組だ。だけどその領域だと、個人の意思でどうにかできる物ではないね。そういうときこそ、人と人は手を取り合って難題に対処するべきなんだ」
「そうでしょうか? 少なくとも校長先生は、自力で何とかなさいますでしょう?」
「僕はお兄様を尊敬しているが、誰もがあの人のようになられては堪らないとも思うんだよ」
「……同感ですね」

二人は会話を打ち切ると、セルシアは踵を返して歩き出す。
彼には彼の仲間がおり、出発を待っている。
保健室を出てから、本校へ繋がる渡り廊下へ向かう。
彼の視界に北校舎の出入り口が見えたとき、渡り廊下側から凄まじい勢いで爆走してくる生徒をとらえた。

「君達、廊下は走らない」
「あ、会長こんにちわっす」
「せ、生徒会長……すいません。あと、こんにちわ」

ディアボロスの少女と、その首に張り付くようにしがみ付いていたフェアリーの少女。
おどおどとディアボロスの影に隠れながら喋る金髪碧眼の妖精の名はティティス。
黒髪を背中まで伸ばした悪魔の少女の名は、ディアーネと言った。

「会長も旅支度万全っすね。冥府の迷宮っすか?」
「耳が早いね、その様子だと君達も?」
「うぃっす。さっき図書館で新しいクエスト張ってあったから、速攻受諾したきたっすよ」

セルシアは元気良く図書室から破いて持ってきたであろう、クエスト表を見せてくる少女に苦笑した。
本来なら咎めるべきところだが、この台風のような少女に巻き込まれていく堕天使を思うと、笑いがこみ上げてくるのだった。

「エルシェア君に伝えておくれ。あっちで会おうとね」
「うぃっす。私らも直ぐ行くから、会長も頑張ってくださいね」
「が、頑張ってください!」
「ああ、ありがとう」

そう言って、再び廊下を爆走していくディアボロス。
先程の注意は、既に欠片も頭に残っていないのだろう。
遠ざかるその背を見つめるセルシアは、胸中に一つ気合を入れる。
クエストとして受諾したからには、その達成評価のトップを他者に譲る心算はない。
今までは、それまでやってきた事をやってきたとおりにこなせば、必ずトップになっていた。
セルシア・ウィンターコスモスとはそういう少年だったのだ。
しかし今回は、容易く一人勝ちは出来そうにない。
そう感じた天使の少年は、一人頷いて歩き出した。



§



ローズガーデンの街中で、二人のセレスティアが向かい合っている。
正確には、そのセレスティアだけでなく、それぞれのメンバーもであるが。

「やぁエルシェア君。奇遇だねこんなところで。散歩かい?」
「……お黙りなさい。いえ、お願いしますから、もう放って置いてください」

保健室で別れた二人であるが、実際に二人のパーティーは一刻ほどの時間しか違わず、ローズガーデンに到着していたのである。
廊下でディアーネ達とすれ違っていたセルシアは、この結果は予想していた。
一方エルシェアは、生徒会長と別れた直後に同じクエストを受けたディアーネと遭遇している。
彼女はセルシアがディアーネから丸め込んでいたのではないかと、半ば本気で疑ったものであった。
それは結果から逆算した誤解だったのだが、エルシェアとしてはいささかも心慰められることは無かったのだ。

「迷宮の入り口付近に、先生方が臨時のキャンプを作っているらしい。僕らは其処へ向かうが、君達はどうする?」
「前のクエストの報告に戻って、またこの町にとんぼ返りですからね……私達はもう少し、この町で準備しておきます」
「了解。先生方に君達の増援があると伝えておくよ」
「お願いします。あ、それと先に救助に入るのでしたら、分かれ道に印を付け続けてください。私達はその反対を埋めるように進みますから」
「なるほど。そうしよう」

迷宮探索の動きを簡単に打ち合わせ、二つのパーティーは分かれた。
その様子を見たティティスにとって、二人の間がかなり親しげに見えたらしい。
不安げに関係を聞かれたエルシェアは、一つ息をついて答えてやった。

「あの子は誰に対してもあんな感じですよ? 貴女が怯えて引っ込むから、貴女に関わろうとしないだけです」
「むぅ」

納得がいかないらしく、頬を膨らませる後輩に苦笑する堕天使。
そんな様子を見ていたディアーネが、エルシェアの意見を補足する。

「大丈夫だよティティスちゃん。彼は良い意味でも悪い意味でも、他人に興味ゼロだから」
「ある意味で彼は私達全てが皆、平等に価値が無いのです」
「それは……病気ですよね?」

後輩の率直な意見に、顔を見合わせる天使と悪魔。
やがて一つ頷くと、二人は後輩の感性をほめる。

「ティティスちゃん大正解。彼は確かに、病気なんだよ」
「目標が高すぎて、周りに人を置いておけない方なのです。セントウレア校長先生しか見えていませんからね」

本人がいない所で好き放題な事を言う二人に、ティティスが頬を引きつらす。
しかしとりあえず、エルシェアが取られることは無いということは分かったらしい。
ティティスは右手にディアーネの腕を、左手にエルシェアの腕を絡めて自分の胸に抱きこんだ。

「大胆だねティティスちゃん」
「……偶に甘えたくなる年頃なんです」
「まぁ、それで貴女のモチベーションが上がるなら安いものです」

ローズガーデンの町並みを、三人の学生が歩いて行く。
エルとディアーネはこの町を回った経験があるが、その際ティティスは強引なレベリングの後遺症で宿屋で倒れていたのである。
初めて三人で、ゆっくりと歩く観光地。
穏やかに流れる時間を感じたエルシェアは、ふと皮肉な想像に駆られて苦笑した。

「こうしてる間も、洞窟の中でうちの学校の生徒が震えていたりするのでしょうかね?」
「そりゃ、そうだろうねー」
「今此処で、それを言いますか先輩?」

仲の良い友人と平和な町を歩く彼女達と、迷宮の内部で負傷した生徒達。
両者の境遇はそれぞれ違えど、一分一秒は平等に流れていくのである。

「時間だけは平等に流れるって、ありゃ嘘っすよね」
「私達は時間という概念それ自体に価値をつけて考えますから、主観的に見たときは平等などありえませんね。その意味では、命の価値すら主観で変わってしまいます」
「そう……ですよね。私、先輩方が危ない目に遭うくらいなら……」

その先を飲み込んだ妖精に悪魔は優しく笑みかけた。

「だいじょーぶ。私達は強いんだから」
「はい……」
「今回に限って言えば、迷宮探索の良い経験が積めるでしょう。何せ教師陣がベースを確保してくれているのですから」

エルシェアの発言に、顔を見合わせる妖精と悪魔。
二人はこのクエストに渋る天使を、説得して連れてきたのである。
それはてっきり救える限りの命を救おうとする、熱意に打たれたのものだと思っていたのだが……

「あの、先輩……もしかして、安全に探索出来るから来てくれたんですか?」
「はい。私達に足りない経験を、比較的ローリスクで積む機会だと判断しました」
「エルってばこの期に及んでも利益を考えてる?」
「当然です。私、自分が可愛いですから」

良い笑顔で宣言するエルシェアに、閉口するディアーネ。
しかし直ぐにその顔は苦笑に変わり、微妙な視線を天使に送る。

「……」

先程セルシアの事を言ったが、この堕天使も相当に病気であった。
ディアーネは偶に、エルシェアが抱える矛盾の整合が出来なくなる。
高い能力を持ちながら落ちこぼれた生徒。
利己主義でありながら仲間に尽くして転科を繰り返した少女。
損得勘定に敏感なくせに、損を選んで笑える天使。
そして、他人の命に紙一枚の重さすら認めず救わないエルシェア。
どれも彼女を構成するピースの一欠けらである。
ディアーネはそんな少女にとっての特別になれたのは間違いなかった。

「大丈夫。エルがどれだけ外道に堕ちようと、私が正道に引きずり戻してあげるからね」
「ご冗談を。私の歩く道それ自体が、王者たる者が歩む道なのですよ」
「先輩、それは危険思想です」

三人並んで手を繋ぎ、交易所の店を冷やかしてゆく。
目的は地図と、冒険のお供のおにぎりと紅茶。

「だからおにぎりが六十個とか……」
「これくらい普通に消費するって。ティティスちゃん、防腐魔法よろしくね」
「お任せください!」

最早、大人買いの領域でおにぎりを買い込むディアーネに苦笑するエルシェア。
きっと迷宮内の救助者に差し入れる心算に違いないと、無理やり自分を納得させる。
安全には執着するが、金銭の執着が薄い天使は、財布の紐が比較的緩い。
更に楽しげに装備を選ぶ仲間を尻目に、さっさと自分の買い物を済ませる。

「すいません、この『サイズ』と、『カイトシールド』お願いします」
「ありがとうございます。この場で装備なさいますか?」
「はい。それとこっちの『オークスタッフ』は下取りお願いします」
「かしこまりました」

前衛で『サーベル』を振り回すディアーネに、やっと装備で追い着いたエルシェアである。
迷宮は屋外より当然狭く、早々自分達が来た方向……
つまり後ろから襲われることが少ないと判断しての、前衛へのシフトチェンジである。
エルは購入金額で六桁もする装備を試着している相棒に声を掛けた。

「この次は貴女の装備を補強しましょうね」
「え? エルってばなんか良いの買っちゃってる? 私のは?」
「これでようやく、私の装備が貴女のそれに追い着いたんですよ」
「……ということは、エル先輩も前に?」
「その通りですティティスさん。後ろはお任せしますよ」
「はい!」
「ツートップか……そういえばこのスタイルやったこと無かったね」
「そうですね。ティティスさんの加入で、より攻撃的な布陣が組めるようになったんですよ」

メインタンクにディアーネを置き、半歩後ろにエルシェアが控えて前衛と後衛を繋ぐ布陣。
後衛をティティスが一人で勤められるようになった為、エルが攻撃的な位置に残れるようになっている。
買い込んだアイテムを魔法の道具袋に詰め込み、交易所を後にした三人。

「参りましょうか」
『おう』

何気ない天使の一声で、二人は意識を切り替える。
楽しい時間は此処まで。
この先は自分の命と、同じくらい大切な仲間の命を賭けた、性質の悪いゲームに身を投じることになる。
人生という名のゲームは、リセットの利かない一発勝負。
そんなゲームの中にあり、一際リスクの高い冒険者等を選んだ少女達は、未来の保障を自分達で勝ち取らなければならなかった。



§



ローズガーデンで準備を整えた三人は、直ぐに冥府の迷宮までやってきた。
待機組みの教師が作ったベースキャンプに立ち寄り、現在分かっている所までの地図を書き写す。
相当に人手が足らないらしく、彼女らの援軍はおおむね歓迎されていた。

『まぁ、他人を使えばスキャンダルだし費用も掛かりますからね』

とはエルシェアの皮肉な見解である。
生徒を使えば、無料なのだと。
そんな彼女も、救護設備を結集したテントで再開したリリィに「良く来てくれました」と微笑まれたときは赤面し、仲間にからかわれたりもした。
エルシェア達は教師陣から受け取った地図が、先に入ったセルシア達のものと同じ事を確認し、更に内部にいると思われる生徒のリストを受け取って中に入る。

「同じ地図を使っているということは、彼らの逆を行けば自然と未開拓エリアに行けちゃいますね」
「その通りですティティスさん。空白を全て埋めるように歩けば、行き違いにならない限り、とりあえず会えるでしょう」
「その行き違いにならない……っていうのがネックっすよね」
「救助隊が動くことを予想していれば、敢えて自分から動かないと思うんですが……」
「いえ、それは難しいでしょう」

ティティスの意見に苦笑するエルシェアは、中と外の視点の違いを説明する。

「外の私達は全容をある程度把握し、連携しています。しかしパーティー単位で中に入った者は、横のつながりなど殆ど皆無だと思われます」
「じゃあ、あくまでこれは自分達の失敗だと思って脱出しようと動き回る?」
「はい。しかしそう考えると、大量の魔物が出てきたと……洞窟内にあってそう正確に把握し、学園に報告を上げた方は奇跡ですねぇ」
「魔物の大群を確認して、生き残ってるって事だもんね。誰なんだろう?」
「……失敗でしたね、そういえば当事の状況を収集するのを、わたくし失念しておりました」
「それは大事だったけど、そんな時間って無くない? 一応今は救助優先だと思うよ」
「……そうですね。私達は、出来ることをやりますか」

三人は現状の把握を努めながら迷宮の内部に踏み入ってゆく。
先発した教師やセルシア達にかなりの魔物が掃討されていたらしく、彼女達は殆ど遭遇しなかった。
稀に現れる魔物も、雪原で見かけた連中ばかり。
それは非常に助かるのだが、同時にある予測も浮かび上がる。

「大量に沸いた魔物って、こいつらの事じゃないっすね」
「ええ、もっと強い……学園の生徒では対処に困る本命が、大量に沸いたのでしょう」

雪原と同種の魔物であれば、それなりの数が来ても此処まで来る生徒の敵ではない。
これほど大事になった以上、今回沸いた魔物はそれ以上の強さの化け物である事が予想された。

「ティティスさん」
「はい?」
「少し戦い方を変更しましょう。長期戦を見込みます」
「すると……?」
「攻撃魔法は極力控え、傷と状態回復の魔法に精神力を温存してください」
「分かりました」

天使と悪魔の前衛が、魔物を直接切り倒してゆく。
洞窟内は其れなりに狭いが、二人が並んで武器を振れる程度の広さは十分にあった。
やがて、未だ地図に記されていない地点に到着した三人。
其処は分かれ道になっており、右側の通路の壁には簡易な花の絵が描き込まれている。

「気障っす彼ら」
「ウィンタースノーの花ですね。一度本物を見てみたいものです」
「じゃあ、会長達は右側に行った……?」
「そのようですねぇ……では、私達は左に行きましょうか」
「こっちは薔薇でも描いとく?」
「……ご自由に」

意外なことに絵心があるのか、ディアーネはあっという間に簡素化された薔薇を壁に描く
その様子を見た二人は、悪魔の意外な才能を褒めつつも左側の通路へ進む。
しばらく進むと地下へ向かう階段が現れた。
数歩先すら見通せぬ迷宮の闇が、ティティスには奈落の穴を予想させる。
身震いした少女だが、前を行く天使と悪魔の背中が彼女の心を落ち着けてくれる。
そして、唐突に気がついた。
前衛のディアーネとエルシェアの視界には、今自分を落ち着けてくれる背中は無い。
前を歩くという事、先を行くという事……
その意味の一端を、少女は内心噛み締める。

「ティティスさん?」
「あ、はい」
「大丈夫? なんか顔色悪いっすよ」
「いえ……大丈夫です」

声は震えていなかったが、やや硬質なものになったことは致し方なかったろう。
後輩の緊張を読み取ったディアーネは、ティティスの肩に手を置いた。

「頑張って。君ならやれるよ」
「っ……はい」

先輩面している悪魔を、天使が苦笑して眺めている。
ティティスがそれで落ち着くならと黙っているが、ディアーネも迷宮探索経験など無いはずなのである。
それでも平然と、しかも他人の心配まで出来る辺りこの悪魔も尋常ではない。

「恐らく此処からが本番になるでしょう。目的は学園生徒の確保です」
「湧き出した魔物は倒さない?」
「そういう見栄えのする仕事は、生徒会長に押し付けましょう」

目的を確認した三人は、階下へ向かい進んでいく。
しかし三人は、直に後悔することになる。
ティティスの予感はこの時、皮肉なほど完璧に的中していたのである。
彼女らが降りたこの階段は、正に奈落へ通じていた……



§



後書き

このゲームでは緊急事態でも完成した地図を渡さないのは何でなの……
此処で外れルートに突き進み、意図しないレベリングをやってしまった転入生の諸君は私と握手!




[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑥
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/23 19:00
§

階段を下りると、其処は地獄だった。

「エル! 生きてる?」
「かろうじて」
「ティティス! 着いて来てるね?」
「はい!」

ディアーネが円錐状の岩の塊に切り込んだ。
しかし唐突に剣の間合いの直前で方向を代え、足を駆使して右に飛ぶ。
その背中から後衛の妖精によって放たれていた火球が岩の塊……正確には岩の化け物に迫るが、怪物は機敏に宙を滑りって回避する。
回避方向を読みきっていたディアーネが、間髪いれずにサーベルで薙ぐ。
魔物は慣性を無視したような動きで方向を変え、悪魔の刃から遠ざかる。
それはエルシェアの方向への追い込み。
ディアーネのサーベルを避けた瞬間、エルシェアのサイズの間合いに飛び込んでしまった魔物。
天使の一刀で切り伏せられ、半ば砕かれて地に落ちた。

「こいつら……つえぇよ」
「ティティスさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」

最後までいえずにふらついたのは、金髪碧眼の妖精の少女。
先程の岩の化け物は、すばやい動きで前衛を翻弄し、魔法攻撃でティティスを直接狙ってきた。
これまでのようにディアーネの一振一殺で敵の数を減らせない。
エルシェアが前衛に残ることによって戦線の崩壊はしていないが、一つ一つの戦闘が非常に厳しいものになっている。
三人の調子は悪くない。
つまり、敵が強いのである。

「エル、さっきの敵……見た事ある?」

黒髪のディアボロスの少女は、相棒の天使に尋ねてみる。
その回答は予想通り、天使は薄桃色のウェーブヘアを揺らして首を振った。

「始めて見ます。このフロアに入ってから、出てくる敵は全てです」
「そっか……これは、締めて行かないと」

天使と悪魔は頷くと、後衛を一手に引き受ける後輩を見る。
やや息が上がっているが、その顔色もしぐさも、特に苦しそうなところは無い。

「ティティスさん、貴女の今の状況を、なるべく正確に教えてください」
「少し疲れていますけど、あの位の戦闘ならもうしばらく続けられます」
「ん、じゃあ進もう。ティティスちゃんが潰れたら、速攻で帰還符だね」

ディアーネがまとめ、他の二人が頷いた。
エルシェアは上のフロアでティティスに精神温存を指示していた。
しかしこのフロアに下りて二戦目で、そんな事は言っていられない事に気がついた。
見たことも無い敵が、群れを成して襲ってくる。
それまで必殺であったディアーネの斬撃を耐え、エルシェアの鎌を避け、ミドルレンジ以上の射程でティティスを直接狙ってくる。
迷宮内ではフロア一つ降りただけで、劇的に魔物が変わることがある。
それは三人とも承知していたことであるが、この変わり様は異常であった。
同じ迷宮の中であれば、フロアをまたいでも生活環境はあまり変わらない。
ならば生息域が変わろうと、必ず其処にはある程度の共通項が魔物の中にも在るものだった。

「巻貝を被った変質者に、イカに、鏡に、岩の化け物に、ドラゴン(笑)に……動くトーテムポールもいましたか」
「共通点、無いっすね」
「しかも敵、すごい強いです」

三人は探索を続けながら地図の空白を埋めていく。
このような地味な作業は、極自然とエルシェアが担当していた。
冒険者にとって、未知の相手と戦うことは非常に危険なことである。
迷宮探索は其処に現れる敵を把握し、その攻撃方法を理解し、攻略法を確立させて挑むもの。
それが分かるまで何度も同じ迷宮に挑み、少しずつ未開拓の部分を埋める地道な作業……
本来の迷宮探索とはそういうもの。
しかし今回、人命救助という制限があったために、ある程度の強行軍が必要であった。
それ故に、このクエストは受けられる生徒に実力制限まであったのだ。

「これは、大当たりを引いちゃったっすかねぇ?」
「可能性はありますね」

エルシェアは地図を描きながら、ディアーネの背中を追う。
彼女がこうしている以上、その前後を警戒するのはディアーネとティティスの仕事である。
このような、戦闘時以外の部分の連係が非常に上手いパーティーだった。
特に後衛を締める妖精賢者、ティティスの成長はめざましい。
正直この少女の加入と成長が無ければ、天使と悪魔は早々にリタイアを決めていただろう。

「……」

ティティスは前を歩くエルシェアの背中を見つめる。
稀に周囲を確認し、手元の地図に地形や罠を書き込んでいる。
ワープゾーンのポイントを把握し、道具袋を整理し、戦闘と支援をほぼ同時にこなして行く天使。
ティティスには一つ、エルシェアに対して疑問がある。
学科を七つ、パーティーを四つ跨いでいる天使。
彼女はエルシェアを手放すパーティーというのが信じられなかったのだ。

「……あの、エル先輩?」
「はい?」

エルシェアは地図に記入を止めず、振り向きもせずに答える。
少女はやや逡巡し、しかし此処で何も言わないほうが不自然だろうと積年の疑問をぶつけてみた。

「先輩は、どんな学科を転々としてらっしゃったんですか?」
「あ。それ私も気になるなぁ……正確なところって聞いてないし」
「今此処で聞いてきますか貴女方は」

足を止め、呆れたように呟く天使。
それは決して話題を嫌がっているためではなく、いつの間にか気を張り詰め、雑談すら出来なくなっていた自分に気がついたからである。
集中のし過ぎで視野が狭くなっていた事を自覚したエルは、一度周囲を警戒して敵の気配が無いことを確かめる。

「そうですね、まぁパーティーメンバーの戦力を把握するのは有益なことでしょう」

エルはそう前置きすると、やや開けた通路の一角に簡易結界を張った。
小休止である。
三人は結界の中で円に座った。
ディアーネが買い込んだおにぎりが配られ、魔法瓶から紅茶を入れる。

「もうこの食い合わせに慣れてしまいましたね」

苦笑するエルシェアに、ティティスが笑って頷いた。
一方ディアーネは、とりあえずおにぎりがあれば飲み物には拘らない。
時を置かず妖精と天使が一つ、悪魔が三つ目のおにぎりを攻略する。
エルは一つ紅茶を含むと、ややあって仲間の疑問に答えだした。

「私が経験した学科は七つ。始めは堕天使を自発で選び、その先は光術師、アイドル、狩人、ナイト、ダンサー、盗賊の順に渡りました」
「改めて聞くと、エルって凄かったっすね」
「なんというか……転科の方向性が見え無いんですけど……」

ティティスの率直な意見に、苦い笑みを浮かべるエルシェア。
方向性が無いのは当然であり、それは別の相手から求められたからである。

「七つの学科を渡る間に、パーティーは四つ跨いでます。今ので五つ目なんですよ」
「あの……どうしてお辞めになられたのか、伺ってもいいですか?」
「それ程面白い話でもありません。主義主張の不一致もあれば、私の失敗でくびになったこともありますね」

その発言に、悪魔と妖精は顔を合わせた。
少なくとも二人が見る限り、この天使が大きな失敗をする所を知らない。
そんな雰囲気を感じたエルは、苦い笑みを浮かべて続ける。

「ディアーネさんと初めてお会いしたとき、私ボロボロだったでしょう?」
「うん」
「あれ、当時の仲間だった子から苛められたんですよ」
「え?」

やや重い溜息をつくエルシェア。
ディアーネもティティスも、そんな天使にかける言葉が無い。
硬くなりかけた雰囲気だが、それを壊したのもエルシェア自身。
彼女は唐突に噴出すと、堪え切れないと言う様に笑い出す。

「あれは本当に、神様に嫌われたんだろうなとしか思えない出来事でしたね」
「ほぇ?」
「ほら、私盗賊だったでしょう? 当然、こういうところで宝箱を開けるの、私の役目になるじゃないですか」
「うん」

因みに、現状彼女達に盗賊技能の所有者がいない。
エルシェアは経験者ではあるが、盗賊力検定合格に伴い配布されるピッキングツールを、転科に伴い返却してた。
そんな事情により、このパーティーは此処まで、宝箱の総スルーという冒険者に有るまじき蛮行を平然と行っている。

「あの時、比較的順調に進んだ探索で……宝箱の罠解除に失敗してしまいました。三回連続で、全部メデューサの瞳」
「……はぁ!?」
「ありえないでしょう? ええ、私もありえないと思いました。あの日から、私は神の存在を信じるようになりました。神は居て、高みから私を嘲笑っているに違いないと」

エルシェアは神を信じている。
それは縋るためではない。
必ず自分が殺す為に、居てくれと切に願うのである。

「何故か私だけ一度も石化せず、しかし探索も続行できませんから町に戻ってみんなの石を治して……後はまぁ、お前ちょっと屋上か体育館裏に来いと……」
「あー……それはなんというかもう……弁護できねぇ」
「でしょうね。私も怒りのやり場がありませんでした。そしてギスギスした気持ちのまま貴女に会ってしまい、不幸な事故が……」
「あの暴言? あれはエルの素だから、過失は認められられないっす」
「先輩……運だけは、悪かったんですね」
「完璧な私に唯一無いものが、それですからね」

冗談を言える程度には、エルシェアも前を向けるようになった。
しかし口にしなかった思いもある。
即死トラップを引き当てたのは運であるが、解除に失敗した事自体は自分のミスだと言う事を。
それを理解していたから、エルシェアは利と理に拘る傾向がある。
自身に欠けた運の要素が、出来るだけ絡んでこないように。

「まぁ、そのおかげで今があると言っても過言ではありません。何がきっかけでどんな縁が繋がるかなど、私達には分からないものです」
「そっか、そう考えると、エルがフルボッコにされたのも私に出会うため、運命だったんだね!」
「拒否権があるのなら、間違いなく行使していたでしょうね」
「ひどっ!」

涙目になってすがり付いてくる悪魔にエルシェアは自然と笑みになる。
相変わらず打たれ弱い悪魔は彼女の格好のおもちゃであった。
それは、ある意味においての『惚れた弱み』を自覚していたが故の、彼女の最後の抵抗だったりするのだが。

「さて、ディアーネさんがおにぎり食べ尽くす前に、地獄の旅路を再開しますか」
「そうだね、後三十五個しかないっすからね」
「私が一つ、エル先輩が二つ……ディアーネ先輩が……!?」

因みに、探索開始当初は六十個あった。
初等部の子供でも出来る計算を、何度も呟いては絶句するティティス。
この調子で進んでいけば、本当に兵糧切れを起こす事も考えられる。

「私の魔力が尽きるのが先か、先輩のおにぎりが尽きるのが先か……」
「負けないよティティスちゃん?」
「お願いしますから自重してください!」

三人はゴミを纏めて片付けると、簡易結界を解いて探索を再開した。



§



内部に進行するにつけ、だんだんと激しくなる魔物の出現。
既に幾度戦ったかは、ブレイン役のエルシェアですら覚えていない。
彼女が覚えているのは敵の種類。
そしてその傾向と対策である。

「慣れてきましたね」

不敵に笑う天使に、悪魔が神妙に頷いた。
初見の敵はディアーネを中心にオーソドックスな各個撃破で仕留め、同種の敵が来た場合は既にエルシェアが対策をとっている。
最初に苦労して倒した魔物達だが、今では彼女達にとっては対応を間違えなければ事故も起こらない範囲になった。
探索のペースが上がり、既に幾つかの……教師だか生徒だかも判別できない人型の遺体も発見した。

「そんなに数が居ないのかな?」
「こちら側には、あまり人が来なかったのかもしれませんね」
「敵が強いのは、降りた時すぐに分かっていましたし……」
「確かに……敢えて此処を進み続けるメリットは、普通ならありませんよね」

状況を確認しながら、三人は共通の思いを抱いていた。
この先に人は居ないのではないか?
そして居たとしても、既に生存者は居ないのではないか……

「この先、生存者が居る可能性は低い気がするのですが……」
「私もそう思うんだけど、居ないとも限らない……よね」

天使と悪魔は顔を見合わせ、溜息を吐く。
ティティスは気休めに要救助者のリストを確認するが、セルシアや教師達がどの程度保護をしているか分かっていない。
咥えて彼女達が此処で発見した遺体は損傷が激しいものが多い。
はっきり言ってこの遺体が、プリシアナ学園の関係者のものかどうかも分からない有様である。
三人は簡単な打ち合わせをすると、探索続行を決める。
エルシェアが魔物対策をかなり早期に確立したため、ティティスの魔法の消耗が最小限ですんでいたのだ。

「鏡と竜がエルの鎌で急所狙い、円錐岩は連係で追い詰め、トーテムポールは私が耐えてちまちま削って……」
「巻貝女は『スリプズ』を多様しますから、逆に誘って無駄撃ちさせます」
「あの……食らってしまったら……」
「ディアーネさんが蹴り起こしてくれるでしょう?」
「うぃっす。今宵の鉄骨補強ブーツは血に飢えておる……」
「ひぃぃっ!?」

ティティスが納得いかないのはこの二人、何故か自分が状態変化魔法を受ける可能性を微塵も考えていないこと。
そして実際に食らっている例も無く、妖精少女としては不条理を神に嘆きたくもなるのである。

「絶対何か、不正を行っているんだと思うんです……」
「イカサマはばれない限りイカサマにはならないのですよ」
「まだティティスちゃんには難しいっすよ」

二人から同時に頭を撫でられ、頬を脹れながら表情はふやけるという高等技術を披露する。
再び歩き出した少女達。
その地図はかなりの空白を埋められ、既に残りも三分の一は残っていない。
ディアーネは相棒の手元を覗き込みつつ、フロアの余白を確認する。

「このフロアの探索が終わったら、どんなに余力があっても一回戻ろう」
「賛成ですね。この地図を先生方にお渡しして、出来ればその先はお任せしてしまいたいところです」

既にかなり奥まで来ているという実感があった。
本来であれば一パーティーではなく、最低三パーティーで連係して地図を埋めたい広さである。
そもそもこれは先に進めばいいというものではなく、生存者を拾う事が目的の探索。
地図の余白を残さないように全てを埋め尽くさねばならず、当然魔物との遭遇頻度も馬鹿にならない。
更に此処の魔物……
エルシェアの対策によって事故無く狩れているものの、地上では見かけない程の強敵である。
本来ならばこの時点で引き返しても良かった。
彼女らが探索続行を選択したのは、優れた能力の証明と言えたかもしれない。

―――此処で引き返していれば……とは、後に彼女達が口を揃えて語った事である。

「おろ? 扉っすね」
「人工物が出ましたね……地図だとこの先にはまだ、それなりの広さの余白があります」
「こういうの見かけると、初見だと行っちゃうのが冒険者っすよね」
「……あ、つまりこの先に……」
「はい。もしかすると、要救助者が居る可能性があります」

扉はかなり大きなもので、簡易魔法で施錠されている。
この魔法は単に扉を勝手に閉めるものであり、解除は誰でも可能である。
ディアーネが扉を開けると、三人は中に踏み込んだ。
悪夢の、それが始まりだった。



§



「え?」

原因は、幾つかあった。
まず、彼女達が此処まで来れてしまったこと。
此処の敵はかなり強く、本来なら早期撤退を選んでいてもおかしくない迷宮だった。
しかしティティスの成長によってパーティーの継戦能力が飛躍的に上昇したために、三人とも撤退を主張しなかった。
人命が掛かった探索で、戦闘続行できる状態なら撤退は基本選べない。
未知の魔物に対しても、エルシェアが早々に対策を立ててしまった。
効率よく弱点を突き、致命になりえる攻撃を避け、作業のように敵を狩るパターンを構築した。
そんな戦闘を、此処まで相当数こなしてきたのである。
慣れが行動を単純にした側面は否めない。
これ以上更なる新種が現れるという可能性を、一時的ながら意識から外してしまっていた。
そして、何より……
何より、これまで常にパーティーの先頭で魔物と対峙してきたディアーネが、一撃で沈む相手と始めて遭遇したのであった。

「え……え?」

ティティスは扉を潜った所から数秒の記憶が無い。
扉を開け放たれた瞬間、彼女はエルシェアによって抱きかかえる様に身を庇われた。
天使の胸の中に在り、彼女はその脇から覗くように前を見た。
ディアーネが立っている。
違和感を感じたのはその直後。
悪魔の背中から、何か生えている。
それは何か、吸盤のついた触手の様な……

「こふっ」
「あ?」

妖精の少女は、崩れ落ちるディアーネを見つめながら戦慄する。
その時、ティティスは自分の髪に滴る液体に気がついた。
繰り人形の様に手が動き、髪を触り、そして見た。
赤い血?

「え?」

それはやはり、悪魔と同じように触手に貫かれた天使が吐血したものだった。
恐慌寸前の妖精の耳に、場違いなまでに平静な声が割り込んだ。

「ティティスさん、回復」

エルシェアは簡潔に指示すると、激痛に崩れ落ちそうになる身体を気力で支える。
部屋に入ったとき、完全に待ち伏せされたかのようなタイミングで魔物に襲われた少女達。
不意打ちに対して、取れた行動は最小限のものだった。
ディアーネは仲間の為にとっさに動きそうになる足を止め、エルシェアは自分の身体を敵と妖精の間に割り込ます。
自分より後ろの仲間を守る。
この時、天使と悪魔の思考は完全に一致した連係になった。
成功報酬はティティスの無傷。
代償は瀕死のディアーネと、エルシェアの大怪我。
既に扉の入り口をから半包囲された三人である。
背後では、開け放たれた扉がゆっくりと閉まる。
その扉には、開けられた後勝手にしまる魔法がかけられてある。
閉まること自体は不思議ではないが、その音は大きく響き渡り、聞くものに退路を絶たれたかのような絶望を感じさせる。

「……」

エルシェアはパニック寸前の後輩から回復魔法を受けながら、現状の最善手を模索する。
この状況での戦闘続行はありえない。
先ずはディアーネに回復魔法をかけて応急措置する事が第一。
その為には、ディアーネが倒れ付した位置までティティスを連れて行かねばならない。
要するに、其処まで戦線をエルシェアが一人で押し上げなければならないのである。
素早く視線を走らせば斧を持った縫い包みが四匹と、見たことも無いイカの化け物が二匹。
開幕で前衛を打ち抜いた触手のようなものは、恐らくイカの足だろう。

「ディアーネさん……生きてます?」
「……っ」

エルシェアの声に応える様に、悪魔の少女が床でもがく。
自身の血溜まりで溺れるかのようなディアーネの姿に、ティティスは震えが止まらない。
天使も震えているのだが……これは怒りによるものだった。

「ティティスさん、『サンダガン』」

常に無く簡潔にエルシェアの指示が飛び、その声だけが妖精の理性をかろうじて繋ぎとめている。
ティティスの魔法は巨大な雷を作り出し、敵前衛を巻き込んだ。

『ファイガン』

その雷が消え去る前に、天使は雷に被せる様に生み出した炎の壁を押し付けた。
室内の空間で酸素を消費する炎は使いたくないエルシェアだが……
魔物に対する効果は高く、雷がイカを、炎が縫い包みをそれぞれに怯ませた。
相手が退いた空間にエルシェア本人が飛び込み、戦線を一気に押し上げる。
ディアーネを背後に庇い、賢者たる後輩に癒させるために。

「ティティスさん! ディアーネさんの出血だけ止めてください。それが済み次第帰還符を使って離脱します。本格的な治療は外で!」
「は、はい!」

ティティスは天使に群がる魔物を見た。
妖精が憬れた白い肌がイカの足に穿たれ、縫い包みが斧で切りつけている。
世界が壊れていく音を、この時聞いた気さえした。
それは彼女の大切なものが、魔物によって蹂躙されていく光景。
悲鳴を上げたかった。
しかし、今取り乱したら腕の中の悪魔が助からない。
泣きながらも、妖精は『ルナヒール』を止めない。
止める事が出来ない。
ティティスは自身の半分を預ける悪魔を癒しながら、眼前でもう半分を預けた天使が嬲りモノにされるのを見続ける。
発狂しそうな悪夢だった。

「……調子に乗らないでいただけますか?」

天使は絡みつくイカの足をサイズで切り裂く。
拘束が緩んだ隙に懐から放った投げナイフ。
それはイカの眼球に命中し、さらに間を詰めたエルシェアがナイフの柄を蹴りこんだ。

『サンダー』

間髪居れず、ナイフに雷を纏わり付かせ、イカを内側から焼き尽くす。
生命力の強い軟体生物もこれには堪らず、焦げたにおいを上げて絶息した。
同時にエルシェアも喀血して倒れそうになるが、サイズを杖にして立ち続ける。
肩越しに一度振り向けば、妖精の少女が袋から帰還符を取り出しているところ。

「……厳しいですかね」

後輩の行動からして、後一度……
後一度は、敵の集中砲火を耐えねばならなかった。
今のエルシェアには距離を取る事も出来なければ、一度退くことも許されない。
全ての縫い包みとイカに対してその身を盾にし、ティティスを守らねばならないのだ。
それは全員で生き残るための最低条件。
エルシェアは特に射程の長い、残ったイカの化け物を牽制する。

「っ!」

しかし化け物は一切構わず、エルシェアの四肢に足を巻きつかせて動きを封じる。
張り付けにされた天使に、縫い包みが好き勝手に切りつけて来た。
避けることも出来ずに刻まれる天使……
その時、ティティスが帰還符を準備する。

「え……?」

それは呆然とした絶望の声音。
ティティスはディアーネを抱えて動けず、エルシェアも敵に絡まれて動けない。
そして天使と妖精の間隔はやや離れ、帰還符の有効範囲がほんのわずか、届かなかった。

「い、嫌ぁっ」

ティティスは既に帰還符を使ってしまっていた。
効果が発動しているアイテムを無理にキャンセルしようとすれば破損して使えなくなる。
今、一枚しかない帰還符が使えなくなればどうなるか。

「エル先輩!」
「行きなさい!」

悲鳴の応酬。
片や意味の無い逡巡であり、片や単純な計算だった。
全滅よりは、二人でも生き残るほうが良いに違いないのだから。
絶望の表情の妖精と、安堵した表情の天使。
エルは後輩のくしゃくしゃの顔が正視に絶えず、一度目を瞑り又開く。
その時には、既に二人は脱出を完了していた。

「ぁ?」

頭上から影が差し、縫い包みの斧が落ちてくる。
反射的に首を捻り、頭を庇って右肩で受けた。
皮製の鎧を打ち抜いて、刃が苦痛を塗りこんでくる。
エルシェアは悲鳴を噛み殺し、左手の盾を構えた。
最早片手しか使えぬ状況で、彼女が選んだのは武器ではなく防具だった。
この状況下であっても、彼女は生還を諦めていない。
残り少ない魔力でイカの足を焼き払うと、縫い包みの斧を盾で受け止めて吹き飛ばされる。
それは半ば計算ずくの行動だった。
既に背後に仲間の姿は無く、足を止めて盾になる必要は無い。

「う……ぁ……」

出血が酷く、意識が遠くなりかける。
徐々に壁際に追い詰められながらも、致命傷だけは凌ぎ続けた。
壁伝いに逃げ続け、やがて最初に入った扉まで来た。
しかし、其処まで。
最早呼吸すら苦痛である少女に、簡易魔法を解いて外にでる余力は……無い。
第一、扉を抜けたところで逃げ切れない。
扉を背に、自身の身体を支える天使の少女。
既に殆どの抵抗が不能になった彼女がまだ生きていたのは、魔物がわざと嬲り殺しにしているからだろう。
今もさっさと襲っては来ず、徐々に包囲を狭めるように少女の心を折に来ている。

「……」

エルシェアは虚ろな瞳でそれを見つめ、微笑を浮かべて歩みだす。
前へ。
絶望が魔物の姿を借りて天使の命を喰らいに来る。
そんな状況の中に在り、彼女は前に進むのだった。

「いいですよ……お相手しましょう?」

虚ろにかすむ意識と、焦点の合わない瞳。
しかし凄絶な微笑を浮かべた堕天使。
幽鬼の如く進む彼女だが、精神は最後まで折れずともその肉体が先に限界を超えた。
崩れ落ちる視界の中で彼女が最後に見たものは、何故か怯えたように退く魔物の姿。
そして彼女が意識して最後に吸った息には、消毒用のアルコールの匂いがしたような気がした。



§



リリィは、其処に居た。

「……」

化け物が突然の闖入者に驚き、その瞳に射抜かれて更に怯む。
常の無表情に静謐な怒りを込めて、魔物の群れを眺め回した。
驚愕すべきであったろう。
彼女の視線を浴びた魔物は、明らかに竦んで動けなくなる。
リリィは自分がどんな顔をしているか気になった。

「……」

彼女が一つ歩みを進めれば、魔物は二歩退く有様。
しかし彼女が興味を示すのは、地に伏した少女唯一人。
プリシアナ学園で、リリィを慕っていた数少ない生徒である。
そんな生徒が、今、瀕死で……

「エルシェアさん?」

呼びかけるが応えはない。
常ならば鈴が鳴るような美声で皮肉を聞かせてくれた天使が、応えない。
やがてプリシアナ学園保険医は、生徒の下へ辿り着く。
抱き上げたその身体は失血で体温を失い、徐々にその鼓動と吐息が細くなっていくのを感じた。

『メタヒール』

リリィは得意とする回復系上位魔法を仕掛けるが、失血の多い天使は直には目を覚まさない。
しかしその呼吸が穏やかになった事に、万感の想いを込めて安堵の息を吐いた。
少女の命が宿った身体を、リリィは優しく抱きしめる。
少しだけ逡巡し、天使の薄桃色の髪を手で梳いた。
間に合って良かった……

「……」

リリィが此処に来れたのは、間違いなくエルシェア自身の功績であった。
ティティスの帰還符は、学園の臨時ベースに向けて発動した。
その中にはリリィの受け持つ救護施設もあり、彼女は瀕死のディアーネと半狂乱になって泣き叫ぶティティスと再開する。
ティティスの状態から何があったかを悟り、しかしやはりその状態から冷静な話は聞けぬものと諦め、頚動脈を指で押さえてあっさりと失神させてしまう。
そして妖精が持ち帰った道具袋からエルシェアが作成した地図を抜き取り、そのもっとも奥へ向かって転送符を使用したのである。
冒険者にとって、地図とは正に命綱であり商売道具。
何せこれさえあれば、進むも退くも自由自在。
最初の一度さえ乗り越えて地図さえ作ってしまえば、魔法なりアイテムなりで其処へ簡単にいけるのだから。
自分が踏破した迷宮の地図は、自分の利益を保証する門外不出の貴重品になるのである。
それ故に、世の中に完成した地図というものが出回ら無い。
しかし今回、エルシェア自身が非常に精密な地図を作っていた。
ティティスが脱出に成功してその地図を持ち帰ることが出来た時、数分の間すら置かずに救援を送り込むことが可能になったのだ。
もっともこれはティティスは勿論、エルシェアすら意識していなかった事であったが。

「……」

リリィは慈しむ様に生徒の髪を撫でる。
しかしその時、頭上から無粋な音が聞こえる。
恐怖から脱した縫い包みの一体が、斧を振りかざして襲い掛かる。
振り下ろされるハンドアクスを、冷めた瞳で見つめる保険医。
流れるような動作でその右手が翻り、いつの間にか手にしたメスの軌跡が斧のそれと交差する。
音も無く切断されたのは、縫い包みの得物。
片手用とはいえ斧が、ナイフにも満たない小さな刃物で切り裂かれた。
更にリリィの右手がぶれると、縫い包みは切り飛ばされた斧の一部が地に落ちるより早く解体された。

「……楽に死ねると、思わないでくださいね?」

リリィは一つ呟くと、残りの魔物を無機的な瞳で睥睨する。
先程までエルシェアを嬲り殺しにしていた魔物たちは、その数倍の残忍さを持って切り刻まれる事となった。
プリシアナ学園の生徒がもしその光景を見たのなら、恐怖と共に奇妙な納得を覚えたろう。
学園の保険医リリィ。
生徒達がつけた二つの名は『死神』である。


§




後書き

夜勤明けに⑤投稿して、お風呂入ってふと気がつく。
前後編は両方あって一話だろうとorz
きっと書き溜めた分を全て使い切る行為に、作者のビビリ回路が恐怖信号を発したのだと思われます。

グロリアス・ロード後編、別名『ほぼ事実に基づいた悲劇編パートⅡ』をお届けします。
物語では格好いい、憬れの女教師が颯爽と助けに来てくれますが、現実は甘くありません。
ドールソウル×4とデビルケトラ×2の組み合わせは、作者に命の尊さをきっちり仕込んでくださいました。
このゲーム初見殺しが結構あって、ぬるプレイヤーの私には……。・゚・(ノД`)・゚・。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑦
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/11/27 16:24


「え……クビ?」

唐突に担任教師から、休学を告げられたディアボロスの少女。
漆黒の髪を背中まで伸ばした長身の容姿は人目を引くが、その表情は呆けたように間抜けであった。

「いや、別にクビと言う訳ではなくてだなぁ」

英雄学科担当の、この教師の名をグラジオラスという。
既に大陸でも高名な冒険者であり、新たな英雄候補の育成の為にプリシアナ学園に請われ、教鞭をとっている男である。
この男もがっしりとした体躯の逞しい中年なのだが、やはり表情は困り果てたように落ち着かなかった。
一方ディアボロスの少女……ディアーネは、頬を掻きながら質問を続ける。
彼女には一つだけ、学科退場を求められる心当たりがあった。

「えと……なんとなく原因は察しがつくんですけど、出来れば信じたくないんで真相を教えて欲しいっす」
「お前が察しているのが前回の失敗の事なら、外れだと断言しておこう」
「違うっす?」
「違う」

悪魔の少女は数日前にあるクエストに挑み、完膚なきまでに失敗した。
クエストの失敗は、生徒の身ならば良くあること。
これ一つでクビというのも納得が行かない話しではあるが、これ以外ディアーネには心当たりが無い。

「口さがない生徒が、随分と好きなことを言っているようだが……」
「居心地悪いっす」
「お前らを笑いものにしなければ、恐らくやり切れないのだろうな」

プリシアナ学園最悪の大惨事になりかけた、『冥府の迷宮』の魔物氾濫事件。
危険は少ないと判断され、許可があれば生徒も出入り出来る迷宮から、突如謎の魔物が現れた。
そして現場での実技にのみ傾倒して準備不足のまま迷宮探索に向かっていた生徒の大多数が巻き込まれ、大規模な救助活動が実行されたのである。
生徒会長のセルシアを中心とした学生達のパーティーと、学園教師陣の活躍により、奇跡的な事に生徒達に死者は無かった。
しかし殆ど学園にも寄り付かず、遠出と実戦で腕を磨いてきた生徒達にとって、学園の居残り組みに救出されたという事実はばつの悪いものであったのだろう。
彼らの羞恥心とプライドがはけ口を求めたとき、槍玉に上がったのがこの悪魔のパーティーだった。
彼女らは救助組みに参加していたのだが、迷宮奥地で魔物に完敗。
あわや全滅という所を、学園の保険医に救い出されていたのである。
曰く、ミイラ取りがミイラになった。
助けに来たはずが手間だけ増やした。
この種の陰口を、ディアーネは黙って受け入れている。
彼女には彼女なりの言い分があるが、ある一面においては完全に事実だったからである。
最も、この少女の耳に彼女の仲間の悪口が入った場合は、その限りではなかったが。

「どちらかといえばそんな失敗よりもな? お前が此処三日で、うちと他学科の生徒を、合わせて七人も保健室送りにしている方が問題だよ」
「あいつら私の仲間の悪口言ったんだもん」
「うむ。自分の悪口に怒らず、仲間の悪口に怒れるのは、英雄として貴重な資質だ。資質だが……」
「褒められた!?」
「褒めとらん。保健室に行った生徒は今だに流動食しか食えん身体だ。各学科の先生からも苦情が来ている」
「だってあいつら私の……」
「ループしたぞディアーネ君」
 
グラジオラスとしては、苦い笑みを抑えきれない。
ディアーネ達が向かったフロアは、未だかつて誰も侵入したことの無いエリアであった。
最初に迷宮を探索した教師陣も、その後迷宮を探索した生徒達も。
恐らく魔物が大量に発生した後に、壁が崩れるなどのアクシデントで発見出来た通路だったと思われる。
彼はこの生徒のパーティーが作成した地図を見ていた。
それは初見のラビリンスに挑んだとは思えぬほどに精巧な出来であり、この少女達のパーティーが優秀な事は十分承知しているのだ。
この世界では個人が作った地図は製作者か、もしくはそのパーティー単位の所有物になる為、教師といえどもその地図を公表することは出来ない。
このような情報の閉鎖性には改善の余地を感じるグラジオラスだが、彼も冒険者として地図の価値を熟知しているだけに、簡単に着手できる問題ではないのも理解している。
もし彼女達が作った地図を公表していれば、逆にその出来は各生徒の尊敬を集めただろう。
しかし此処でその話をしても仕方なかった。

「君は、もう怪我は治ったんだね?」
「全快っす。元々戦闘の開幕で死に掛けるゴミっすから」
「自分をそう卑下するものではないよ」
「事実っす。速攻で寝たから、後はずっと守ってもらえてて傷が一つで済みました」

苦い認識が彼女を攻める。
悔いるところは沢山あるが、最もたるは自分が最初に死に掛けたと言うこと。
彼女は前衛のメインタンクであり、パーティーメンバーの盾であるはずだった。
そんな自分は訳も分から無いうちに血の海に沈み、相棒の天使が命がけで血路を開く様を見続けることになった。
失血によって動かぬ体に、気絶することが出来なかった意識。
あの迷宮の中で妖精の後輩は悪夢を見たが、ディアーネも同じものを見ているのだ。

「あの時、私が最初に倒れるなんて事がなけりゃ……」
「過去を悔いるときに、人はよく……たら、とか……れば、を使うものだ、しかしそれで自体が改善した例は一つもない。手遅れだからな」
「……」
「我々は過去を『たら、れば』でやり直すことは出来ない。我々に出来るとしたら、未来においてのそれを、現在の行動によって消していくことだ」
「……ご指導ありがとうございます」
「君の大切な仲間には、もう会ったんだろうね?」
「ティティスは会いに来てくれました。でもエルは……」
「そう。君らの仲がおかしいというのは、リリィ先生から少し聞いた。君がこの先を後悔にしない行動は、その相棒に働きかけることではないかな?」
「……っはい」

ディアーネの目じりに涙が浮かぶが、グラジオラスは丁重に見ない振りをしてやった。
そもそも、彼の話は終わっていない。
悪魔の少女もそれに気づき、一つ目を拭って再び担任と向き合った。

「それで、私が休学というのは?」
「うむ。その前に確認したいのだがね、君が寝込んでいる間に張り出されたうちの学科の席次表。君が何処に着たか知ってるか?」
「えっと、今までが十七位だったから……三十位くらいで収まっててくれると嬉しいかなって……」
「三位だ」
「あ?」
「君の習得単位は、うちの学科で三位になった。おめでとうと言っておこう」
「はぁ!?」

素っ頓狂な声を上げる生徒に、教師としては噴出すのを堪えるしかない。
ディアーネの驚きももっともであり、彼女としては直前で失敗しながら席次が上がるというのが信じられない。

「実戦で磨きぬかれた技と力を評価して……ということだね。君はもう、左右それぞれの手で武器を扱えるだろう?」
「余裕っす」
「君が保健室送りにした生徒、無手で殴って戦闘不能にしたんだろう?」
「喧嘩に刃物は出せないっすから」
「おめでとう。君は英雄学科の単位を、既に半分以上収めていると認められる」
「……釈然としねぇっす」
「努力が報われ、評価されたときは素直に喜んでおくものだよ」

そう言いながらも、担任としては彼女の反応は納得の行くものだった。
実際にディアーネは此処最近で立て続けにクエストを受講し、その達成如何に関わらず多くの実戦をこなしている。
座学の基礎と実戦の応用との融合が、彼女の中で始まっている事を評価しての席次であったが……。
得てしてこういうことは、本人が一番自覚していなかったりする。

「其処でこれは君も知っているだろうが……この時期、我が校独自の学科たるこの英雄学科生の中から、他校に交換留学生として派遣する風習がある」
「おお、そういえばそんな時期っすねー」
「他人事のように言うな。その留学生に、君が推挙されたんだ」
「……そういうのは、首席が勤める面倒ごとじゃないっすか?」
「面倒ごとというのは、他校に失礼だろう?」
「すいません。でも、何で私?」
「お前が、うちの首席と次席を、医務室送りにしたからだろうがっ」
「だってあいつら私の……」
「それはもういい。因みに君を推挙したのは、私とリリィ先生だ。特にリリィ先生の勧めで、タカチホ義塾への留学を任せたい」
「むぅ……」

当時療養中だったディアーネ本人は知らないことだが、彼女の三位という席次には当然ながら学科内でも話題になった。
そして彼女に牛蒡抜きにされた十人以上の生徒は、納得のいかない評価に不満を抱いていたのだが……
復帰早々、ディアーネは絡んできた学科のツートップをほぼ一撃で沈めてしまう。
教室内で行われた私闘は多くの目撃者がおり、その圧倒的な強さに、彼らの不満は無形のうちに吹き飛ばされてしまっていた。

「あっちにお邪魔したとして、履修学科はなんす? 似た所で侍とか?」
「さぁ……そもそもタカチホへの勧めそれ自体が、リリィ先生の推挙なんでな」
「そっか、じゃああっちに聞かないとわかんないっすか」
「そういうことだな」

本音を言えば、彼女の目には回り道としか映らないこの留学は乗り気になれない。
しかしこの学科のトップ二人を潰してしまったのは、他ならぬディアーネ本人である。
その次に自分がきていたのは意外というほか無かったが、そうと分かっていれば、奴らが相棒達の悪口を言ったことを見逃していたのか?
これははっきりと否である。
一つ息を吐いて了承しかけるが、彼女にはまだ此処でやるべき事がある。
だからこそ、この担任は事を切り出す前に道を示してくれたのだ。

「仲間と相談して、明日中に決めさせていただきます……ってことで良いっすか?」
「それで良い。話というのはそれだけだ。行って良い」
「うぃっす」

今日中と言えなかったのは、彼女が復学して以来、どこか相棒に対して気後れして会えなかったためである。
しかし何はともあれ、明日までと期限を決めた以上逃げ続けることは不可能になった。
いい加減向き合わないわけにも行かない。
これ以上逡巡すれば、取り返しのつかないことになりかねないのだ。
ディアーネは近い未来、今この時を振り返って『たら、れば』を使う自分を夢想して寒気を覚えた。

「エル……怒ってるかなぁ」
「ふむ、私は君達のパーティーメンバーがどのような状況なのかは知らない。だが私自身の冒険者としての経験から、予想することは出来るな」
「教えてください」
「さっきの君と同じだ。失敗を悔いて、自分を責めている。私の誇るべき仲間達は、こういうとき誰かの責任をあげつらって自分を守ろうとする者は居なかったよ」
「……良いパーティー組んでたんですね」
「ああ。私の一番の財産は彼らだと言い切れるな。君のところは、どうなんだ?」
「……」
「自身が侮辱されても怒らず、仲間がそうされたときは相手を医務室送りにした君だ。君の相棒は、そんな君をどう思っているかな?」
「ラブラブに決まってました」
「其処はライクにしておけと、心から忠告しよう」
「善処します。とりあえずお腹もすいたんで失礼します」
「ああ。昼時に引き止めて悪かったな」
「いえ」

ディアーネは一礼すると、担任の前から辞する。
相棒たる天使は何処にいるのか。
これまでと同じであれば、北校舎の保健室にいるに違いなかった。



§



「え? 私とエルが入室禁止?」

保健室の扉には張り紙がしてあり、其処には彼女の学科と名前で進入禁止が告げられていた。
隣には彼女の相棒の名前で同じ事が書き記されており、天使は居場所をなくしていた。
保健室の中からは、ここ数日でディアーネ自身が屠った亡者共の呻き声が溢れており、普段人気の無い保健室は珍しく人の気配がひしめいている。
最も、保険医たるディアボロスのドクター、リリィにとっては、このような形で仕事が増えるのは本位ではなかったろうが。

「むぅ……此処に来れないとすると」

悪魔の少女は踵を返し、廊下の先にある上り階段を足をかける。
彼女達の溜まり場は、保健室か屋上であった。

「……」

歩きながら思い出すのは、忘れたい……しかし忘れてはいけない光景。
後輩の妖精賢者に癒されながら、相棒の堕天使が一人で魔物に嬲られる姿。
あの場所は、ディアーネのポジションだった。
あそこだけは、誰にも譲りたくない彼女の居場所だったはず。
相棒が受けた傷は、本来ならディアーネが受け止めなければならないモノだった。
そんな罪悪感から、彼女は今まで俯いた顔を上げることが出来なかったのだ

「あーぁ」

自分の女々しさを嘆きながら、ディアーネは屋上と校内を仕切る鉄製の扉の前まで辿り着く。
一つ息を吐き出し、鋼鉄の扉を思い切り開け放つ。

「ぷぎっ!?」
「あ?」

扉は校舎側から押し戸であり、屋上側から引き戸になる。
校舎側のディアーネが力いっぱい押し開いた扉は、ほぼ同時に反対側から扉を引こうとしていた女生徒……
彼女自身の相棒の顔面を強打した。

「嗚呼! エルっ。だ、大丈夫!?」
「……校内の備品は丁寧に扱いなさいこの体力お馬鹿さん」
「ご、ごめんね……エルがいるかもとは思ってたけど、当たるかもとは思ってなくて」
「そうですよね。当てる心算で当てたのでしたら、報復行為に出させていただきますよ」

未だに顔が痛むのだろう、強打したと思われる鼻の辺りを押さえて涙目になっているのは、セレスティアの少女。
薄桃色のウェーブヘアに整った顔立ちをした、長身の美人である。
今はトナカイと勝負できるほど赤くなった鼻をさすり、上品さの中に滑稽さを孕んで見る者の笑いを誘っている。
ディアーネがその衝動に屈したとき、この天使は刃物を持ち出してくるに違いなかったが。

「そろそろ戻ろうかなと思っていたんですよ」
「あ……ちょっと時間くれる?」
「勿論です。貴女と会って話したかった」

そう言って、ディアーネを緩く抱き寄せた少女の名はエルシェアと言った。
エルは漸く訪れた待ち人を機嫌良く出迎える。

「恐らく貴女が一番気に病んでいるだろうと思って、整理がつくまで顔を見せずにいたのですが」
「ん……大正解。ごめんね、ちょっと思い切りへこんでたよ」
「見た目に寄らず繊細なのですね。私はこのまま捨てられるのかと、少し心配になりました」

相変わらず皮肉な堕天使。
それは出会ったときから変わらない相棒の姿だった。
ディアーネにとって、それは涙が出るほど嬉しいこと。
エルシェアはディアーネを開放すると、悪魔の瞳をハンカチで覆う。

「可愛げが無いと思われるかもしれませんが、わたくしあの程度の失敗は割りと経験しております」
「そっか……エルは、結構パーティー渡ってたんだもんね」
「はい。しかし貴女にとっては始めての失敗でしたからね」

そうして二人は笑い合う。
エルシェアも、ディアーネも、出会って以来これほど長く互いの顔を見なかった日は無かった。
最早傍にいないことが、違和感として感じられるほど馴染んでいた事を双方とも実感していた。

「エル、怪我はもう大丈夫なんだ?」
「はい。まぁ、リリィ先生が付っきりで癒してくださいましたから……身体のほうは、二日で完治していました」
「あの怪我が二日で治るんだから、ある意味怖い世界だよね」
「ええ。おかげでフラグを立てる暇もありはしません」
「……先生、身の危険を感じて必死に癒したんじゃないかな?」
「身の危険? うふふ、ディアーネさんも意味のわからないことを」

口元を手で隠し、上品に笑む天使。
悪魔はそんな表情を見ると、背中に冷たい汗を自覚するのである。
エルシェアは相棒に背を向けると、一つ伸びをして語りだす。
風を孕んだ翼と、薄桃色の髪が流れる。
それはディアーネが好きな彼女の姿。

「こうしてお会いするのが、ほぼ十日ぶり。たったそれだけ離れていただけなのに、随分と懐かしく思えるものです」
「そうだね……エルと一緒になってからさ、私絶対、それまでの二倍の質と量で生きてこれたよ」
「私もです。しかし、多少生き急ぎすぎたかな……という気もします」
「そだね……上っていく感覚しかなかった。それは危ないことだったんだね」
「私達は若者ですから、それでもいいのかもしれませんが……」

エルシェアは一つ溜息を吐き、数歩進んで振り返る。
背中には転落防止用のネットがあり、其処に身体を預けていた。

「実は私、交換留学の話が来ております」
「ドラッケン?」
「……ご存知でした?」
「いや、私がタカチホにって話だったからさ」
「そうですか……貴女も」
「うん」

二人はそれ以上は何も言わず、それぞれの瞳に空を写す。
やがて大聖堂からパイプオルガンが響き渡り、午後の講義の時を告げる。
それでも二人は動かなかった。

「私正直、わかんないんだよね。行く意味あると思う?」
「正直に申しますと、回り道かなと言う気がしています」
「うん。私も、そう感じていたんだ」
「ですが……気になることもありましてね」
「お?」
「この交換は、リリィ先生が随分と熱心に働きかけてくださったらしいのですよ」
「あ、私もそうだって」
「あの人の思惑が読めません。しかし、先生は私達の事を、ある意味一番知る教師でしょう」
「何かあるのかな……私達に足りないもの」
「足りないもの自体は、きっと沢山あるでしょう。しかし私自身、何処から手をつけたらいいものか……正直戸惑っていた所です」

髪を掻き揚げながら語るエルシェアは、今回の失敗を自分なりに分析していた。
事故の側面も多かったが、それで思考停止をしてしまえば同じ事を繰り返す。
しかし今回の事を振り返ったとき、失敗の原因は多方面からの要因が多い。
改善に着手する際何処から手をつけたものか、エルシェア自身にも効率化が難しかった。
それでも一つだけ、彼女の胸中に芽生えたある感覚がある。

「私は、強くなりたいです」
「奇遇だね。私もだよ」
「私は、とりあえず混ぜて欲しいんですけど……」

その声はディアーネが開け放った扉から聞こえた。
誰かと問う必要すらない、二人の最後の仲間の声。
視線を送れば、二人の世界に割り込んだ少女の姿がある。
金髪碧眼の妖精賢者。
歓迎の森でエルシェアとディアーネが救い出し、冥府の迷宮では地獄のような敗戦からも無傷で守り抜いた後輩。
フェアリーの少女は所在無げな顔をしながら、二人の下へ寄ってきた。

「お久しぶりです、エル先輩。ディアーネ先輩」
「お久しぶりですねティティスさん。お元気そうで何よりです」
「やっほーティティスちゃん。三人揃うのって本当に……あれ以来か」

ディアーネの言葉に、ティティスは身を震わせた。
少女にとって悪夢としか言いようの無かったあの光景は、まだ十日ほど前のことでしかないのである。
エルシェアとディアーネにとって、この後輩を無傷で守り抜いたことは誇らしいことだった。
とにかく彼女だけでも無傷で帰したという事実が、二人にとって苦い記憶を唯一和らげてくれる材料になった。
しかしティティスから見れば事情が異なる。
彼女は自分だけ無傷であったことを恥じていたのである。

「私達はまだまだ、未熟なのだということですね」
「そうだね。だけど未熟って言うなら伸びしろだっていっぱいあるんだよきっと」
「その通りです。それでは、行くとしましょうか?」
「エル先輩……どちらに?」
「あれ、ティティスちゃん分からない?」

首を傾げるティティスに、ディアーネは悪戯っぽく微笑んだ。
エルシェアは金網に預けていた身体を離し、やはり後輩に微笑する。

「それは勿論、私達を育ててお給料を貰っている方たちの所ですよ」
「ちゃんとお仕事させてあげないと、先生方も困るしねー」
「先輩方、逞しいです」

どの教師の元に行くか、相談するまでも無いことだった。
エルシェア自身が語っていた、この三人を最も知る教師の下へ。
今回の留学の話すらリリィが用意してくれた道である。
かの有名な死神先生には、きっと生徒の視点からは見えていない遠くが見えているに違いなかった。

「……そういえば先輩方、何かなさったんですか?」
「え?」
「いえ……保健室が出入り禁止になっていたので」
『あ?』

素っ頓狂な声を上げた先輩コンビ。
直に理性を回復させたのは天使のほうだった。

「ディアーネさんが連日生徒を保健室送りになさるから、私まで出入りできなくなったんです」
「だってあいつら、すっごいムカつく事言うんだもん」
「地の底から響くような声で、私と貴女の名前をうわ言見たいに繰り返すんですよ? 先生から、患者の精神衛生に悪いって言われて追い出されました」
「いや、ちょっと喋らなくなるまで殴っただけだよ?」
「なるほど。でもよかったですよ……私てっきり、エル先輩がリリィ先生押し倒して失敗したんだって思ってました」
「……貴女も言うようになりましたね」

逞しく育った後輩に微妙な表情を浮かべつつ、三人は屋上を後にした。



§



保健室にはティティスが入り、中からリリィを呼び出した。
三人が通されたのは、学園からリリィに宛がわれた研究室である。
完全にリリィの個室と化しているその部屋は、仮眠用のベッドや薬品調合の機材。
更には薬用植物のプランターやライティングデスクや本棚等が、実用性重視な配置に揃えられている。
エルシェアは始めて訪れた保険医の部屋に苦笑する。

「可愛げの無いお部屋ですねぇ……」
「酷評ありがとうございます」
「リコリス先生にお人形とか作っていただくのはいかがです?」
「あまり、趣味ではなかったので」

四人分の珈琲を入れ、適当にくつろぐ様に言い渡す。
すると三人の生徒は、仮眠用のベッドに並んで腰を下ろした。
エルシェアとディアーネが極自然にティティスを挟むように座り、その様子がリリィにはまるで親子のように映る。
微笑ましさから意図せずに笑みがこぼれ、リリィは一つ頷いた。

「今回、お二人に対して上がった留学の件ですが……」
「え?」

話し始めた直後から、ティティスは呆然と呟いた。
その様子から後輩にとって寝耳に水であったことを察した、天使と悪魔。
ディアーネは不安そうに見つめてくる後輩の頭を撫でながら補足した。

「そういう話が来てるんだよね。長くて三ヶ月かそこらだけど」
「えっと……お受けになられたんですか?」
「まだだよ、それはこれから決めるの」

ディアーネが口を閉じると、リリィは一つ咳払いして先を続ける。

「今回は、ディアーネさんには極自然に話が行くはずでした。貴女は現在、英雄学科の暫定トップの生徒ですから」
「え……トップ?」
「いや……三位だったんだけど、一位と二位が喧嘩売ってきたもんだから……」

意外そうな視線を相棒から受け、やや照れながら告げるディアーネ。
彼女にとっては事故のような出来事である。

「其処でこの機会に貴女方には、少し先を見越して転科していただこうと考えました。セントウレア校長先生や、グラジオラス先生とも相談済みです」
「あの……先輩方だけではなくて、私もですか?」
「はい。貴女は転入直後ということもあり、敢えて交換留学する必要も無いので、この学校でになりますが」
「転科は、現在生徒本人の意思と希望に任せられておりましたよね?」
「はい。勿論貴女には拒否していただいても構いません。私は道を示すだけ。その道を歩くのは、貴女方の自由です」

その言葉に、エルシュアとディアーネは顔を見合わせる。
現状確かに、彼女達は自分の方向性にやや戸惑っている部分がある。
今後どのように自分を鍛えて行くか……

「先程も言いましたが、ディアーネさんは英雄学科のトップとして留学の話が行きます。慣例ということもあり、余程の理由が無ければ此れの拒否は適いません」
「まぁ……例年拒否する人いなかったっすよね」
「はい。そしてディアーネさんが居なくなると、貴女方のパーティーは一時的とは言え機能不全に陥るでしょう?」

リリィの指摘に、エルシェアは苦い笑みで肯定した。

「そうですね。現状でも最小限の人数構成ですから」
「其処で、どうせパーティーの活動が出来なくなるのでしたら……あくまで私の視点から見た場合ですが、貴女方の短所、弱点の補強策を考えようと思ったのです」
「それは、私が強制的に取られるからっすか?」
「学園としては、貴女の移動になんら負い目は持ちませんが……それを理由に挙げて、私はエルシェアさんも留学生に推挙しました」
「そんな事が、良く押し通せたものですねぇ……」

やや呆れたように呟く天使に、リリィは一つ息を吐く。
勿論話が通ったのは相応の理由がある。

「この留学は、生徒から不人気なんですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。留学中はラビリンスの探索や遠出が自由に出来ないことが理由ですね。この学園の主流は座学よりそちらですから」
「なるほど……」
「そして留学者のパーティーも、人を取られて活動が出来なくなります。よって同じパーティーから留学者を出すというのは、当事者以外の生徒からは先ず不満が出てきません」
「教員側からは、反対意見は無いんですか?」
「エルシェアさんは、各教師陣から厄介者扱いされていますから……出て行ってくれるなら、歓迎されている印象でした」
「……もう少しオブラートに包んだ言い方をお願いできませんか?」
「包んだ表現であれなのよ」
「包まなければ?」
「聞きたいですか?」
「いいえ……」

エルシェアが多方面の教師から不人気なのは、彼女がそれぞれの分野で才能を示しながら、学課に定着しないことに寄る。
明らかに片手間で履修しているにも拘らず、早期に頭角を示しては、いつの間にか居なくなっている。
教師としては彼女の素質を惜しみ、しかしやる気も無いこの少女に対し、愛憎半々と言った状況で今日に至っていた。
無視するには眩し過ぎ、手を伸ばせば掻き消える。
そんなエルシェアの存在は、いつしか教師陣からのマイナス感情を集める磁石のようになっていた。

「その様な訳でして、後は皆さんの気持ち次第というわけですね」
「……具体的に、先生は私達にどのような道を示してくださいますか?」

挑むような視線を送る天使に、保険医は常の無表情で切り返す。
この天使は本当に……リリィが良く知る、最高の堕天使に似ていると思う。
だからこそ、彼女は必ず強くなれると思うのだ。

「先ずこの学園で、ティティスさんは盗賊学科を履修してください。この先、盗賊がパーティーの不意打ちを警戒していないというのは、致命的な事になりかねません」
「なるほど……」

ティティスは現状では後衛の魔法戦力を一手に担っている。
それはパーティーの重要なポジションだが、戦闘と探索の場面で仕事量が不均衡な部分もある。
ハッキリ言えば、彼女は経験不足も手伝って、探索時は殆ど役に立っていない。
その部分をエルシェアに頼りきっている側面があり、先輩の負担を軽く出来るとあって、ティティスも興味を示していた。

「次に、ディアーネさん。貴女は志向が攻撃に傾いているきらいがあります。一概に悪いとは言いませんが、そのスタイルで戦うなら、攻撃と防御を同時にこなす技法を身に着けなさい」
「ふむ……そんな心算は無かったんすけど」
「しかし、二刀流に切り替えましたね」
「うん」
「貴女のポジションは前衛の、しかもメインタンクでしょう? それが盾を捨てて両手に武器を持つというのは、パーティー全体の耐久力を犠牲にして火力を求めたということよ」
「あう……」
「そうであれば、貴女は盾で凌げなくなった分、回避能力で戦闘を継続しなければなりません」
「タカチホには、その方法があるんすね?」
「はい。まぁ……それは私が教えてもいいのですが、貴女の留学はほぼ決定事項なので向こうの知り合いにお願いします」

二人にそう継げた後、リリィは残る一人に視線を向ける。
エルシェアはずっとリリィから目を逸らさず、やはり真剣な瞳でその言葉を待っている。
その眼差しに満足したリリィは、この天使の覚悟を感じ取る。
リリィから見て、エルシェアに欠けていたものが満たされつつある。
だが、これではまだ足らないと思うのだ。

「エルシェアさん」
「はい」
「貴女は、もう少し真剣になりなさい」
「遊んでいるように見えますか?」
「遊んでいるとは言っていません。真剣になれと言いました」

酷評に対し、極自然な反応として不機嫌な表情のエルシェア。
しかしリリィはこの生徒が、いまだ心理的には仮面も帽子も脱いでいないことを知っている。
この少女は精神の成熟度が異常であり、実年齢との釣り合いが取れていない。
それは処世術としては武器になるが、内面の殻を破って成長する際には凄まじい足かせになるのである。

「貴女の欠点は恵まれすぎた素質だと思います。何でも器用にこなしてしまうから、行き詰ったら転科して別の道を見つけてしまう」
「……」
「その癖、貴女は各分野で一番になれない。そんな自分を受け入れてしまっている。まだ日和るのは早すぎますよ? 貴女の限界はまだずっと先です」
「先生は随分と、私の事をご存知のようですが……そうおっしゃる根拠は何でしょう?」
「私と、ディアーネさんと、ティティスさんが等しくそう信じている。これでも貴女の信じる根拠になりえませんか?」
「気休めにもなりませんね。それは、根拠と呼ぶには説得力が乏しいです」

エルシェアは頑なにリリィの言葉に食って掛かる。
その様子を見守る仲間達。
ディアーネは此れまでの付き合いから、相棒が抱えるコンプレックスのようなものを感じてはいた。
故に、この状況でも比較的冷静に待つことが出来たのだが……
ティティスにとっては到底信じられない光景だった。
彼女にとってエルシェアとは、ある意味において絶対的な存在だった。
この天使に命を救われ、ティティスは未来を歩むことを許された。
片割れの悪魔と共に、この妖精の殆どを占める大切な存在。
姉であり、師であり、そして理想の先輩だった。
そんな彼女が、何よりも自分を信じていない。

「先輩……」
「っ」

エルシェアは後輩の呟きに、自分が失態を見せていることに気がついた。
ある意味で最も自分に懐いている妖精の少女。
ディアーネに対するものとは違う意味で、エルシェアはティティスにも心を砕いているのである。
唇を噛んだ天使に、リリィは更に続ける。

「……ある地点までは誰よりも早く届くのに、其処から全く伸びなくなる子が稀にいます。貴女のような人を見るのは、初めてというわけではないので」
「……私に足りないものが、先生には見えていらっしゃるのですか?」
「私に見えているものくらい、貴女も感じていると思いますよ」
「……」
「ハッキリと言いましょうか? このままでは、貴女はディアーネさんやティティスさんと一緒に歩めなくなるんです」

それはエルシェアにとって、死刑宣告に近い言葉だった。
小刻みな震えを抑えきれず、俯いた顔が上げられない。
天使の少女は、自分がどうすればいいのか知っている。
彼女が自分で言っていた望み。
『強くなれば』いいのである。
しかしこの期に及んでも、彼女は自分が今以上に強くなれると信じられない。
誰に信じられていても、自分で信じていないのだから、それは自信に変える事が出来なかった。
天使の少女は逃げるように立ち上がる。

「……明日、お返事します」

かろうじてそれだけ言うと、憔悴した表情でリリィの私室を後にした。
肩を落として歩くその天使の後を、妖精の少女が追いかけた。

「貴女は、行かないのですか?」
「私が落ち込んだときね、エルは私が立ち直るまで信じて待っててくれたんです」
「ほう」
「私とエルはね、対等なんです。エルの手を借りて立ち直ったら負い目になる。だからエルは待っててくれた」
「素晴らしい信頼ですね」
「先生だって……エルがちゃんと飛び立てるって、疑ってないじゃないですか」
「勿論ですよ? だから、むしろ私が心配してるのは、貴女とティティスさんの方です」

リリィは其処で一つ言葉を切ると、いつの間にか冷め切っていた珈琲を不味そうに飲む。
ディアーネもそれに習った。

「ああいう子が本気になったら、速いですよ? それこそ空を翔る勢いで駆け上がって行くでしょう。ディアーネさん、ちゃんとついて行けますか?」
「上等っすね。だからこそ、エルは最高の嫁なんすよ」
「……ご馳走様です」

リリィはそう呟くと、デスクの書類に決済の印を押す。
それは交換留学の承認と、案内書であった。



§



「先輩……エル先輩!」
「……」

ティティスの呼びかけをまるで無視し、エルシェアは歩き続ける。
その歩みは速くはないが、止まらない。
エルシェアが止まらない以上、ティティスも止まるわけにはいかなかった。
二人の奇妙な追いかけっこはそれなりの時間が続き……

「此処は……」

其処は『歓迎の森』の一角。
校章の入った宝箱が、二人の足元に転がっている。
此処で、少女は一度死んだのだ。

「……」

ティティスは思わず、制服の襟に触れていた。
エルシェアから付けて貰った、プリシアナ学園の校章がある。
何を言うべきか分からぬまま、ティティスは天使に語りかけた。

「先輩……私、ご迷惑でしたか?」
「……」
「私、先輩の事を何も見ていませんでした。私の中で理想の先輩を作って……だから先輩が悩んでるなんて、想像すら出来ませんでした」
「憧れは、理解とは最も遠い感情です。貴女だけがそうだと言うものでもありません」
「でも、先輩はずっと……応えてくださっていたんですね」
「自惚れないでくださいな? 貴女の望みなど、片手間にこなせるからそうしていたに過ぎませんよ」
「先輩……」
「貴女に潰されたわけではありません。貴女を重荷に感じたことも、私にはありません」

そう言い切ったエルシェアに嘘はない。
しかし、聡い天使はそのもう少し先まで見通していた。

「ですが……シンデレラの魔法は遠からず解けたでしょう」
「……」
「十二時を過ぎれば、全ては泡沫の夢。貴女もじきに私の本当の姿を知って、少し戸惑って……そして、追い越して行く日が来たでしょうね」
「私はっ、先輩の事が好きです。だから、一緒がいいんです!」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

エルシェアは必死に訴える後輩に、寂しげな微笑を送る。
やや逡巡した天使だが、結局は迷いながらも口を開く。
エルシェアも語るべきことを纏め切れていなかった。
どれほど大人びていても、彼女はいまだ少女である。

「私は本気で自分を特別だと信じていた、幼い時分がありました」
「……」
「学園に入ってからも、しばらく私は負けたことがありませんでした。きっと、当時の私は調子に乗って、今より性格が悪かったでしょうね」

苦い笑みを浮かべて、天使の少女が息を吐く。
ティティスには、その息と共に吐き出された天使の苦悩が視認出来る思いだった。
血を吐くような思いを持って、エルシェアは過去を語っているに違いなかった。

「でも違いました。後から入ってきたあの子は、あっという間に私を追い抜き、手が届かない所へ行ってしまった……」
「あの子?」
「……セルシア君です」

それが、少女が生まれて初めて味わった挫折だった。
今まで見えていた未来が、この時から信じられなくなった。
望んでも勝利を収めることが出来ない。
そんな経験は、一度も味わったことが無かったからだ。

「私は特別なんかじゃなかった……そう自覚してしまったとき、私はこの世界で上を目指すなんて考えられなくなりました」

この一言が、エルシェアの全てを端的に物語っている。
なまじ敗北を知らな過ぎたせいだろう。
エルシェアは最初に折られた翼を癒せず、膿んだ傷口を抱えながら歩いてきた。
語りながらも、天使の少女は自分の心の置き場に戸惑っている。
久しぶりに吐き出した感情。
それはエルシェアに未だ癒えぬ傷の存在を、いやおう無く自覚させた。

「先輩……」

エルシェアはティティスに語って聞かせる心算は無かったかもしれない。
己の傷口を確認するために、感情を空に吐き出していただけ。
だからこそ、彼女はいつの間にか隣に寄り添っていた後輩に気がつかなかった。
堕天使の腕を、両手で力いっぱい抱きしめる妖精。
自分の小さな体が、この時ティティスは恨めしかった。
物理的にも精神的にも、ティティスの中にエルシェアを包み込めるような器は無い。

「私は……先輩に助けてもらいました」
「……」
「私にとって、憬れて特別で……大好きなのは先輩で、会長じゃないんです」
「ティティスさん……」
「だから……だからぁ」

ついに涙腺を決壊させた妖精が、堕天使の胸に縋りつく。
エルシェアは振り払えずに抱き返す。
小さな鼓動を聞いた気がする。
初めて此処で出会い、ティティスの中に感じた命……その鼓動。
エルシェアは、あの時以来この妖精を拒めたことが無いのである。

「私だけの先輩でいてください。私の中の理想の先輩でいてください。私の、自分勝手なイメージを……いつまでも信じさせてください。私に、夢を見せてください」
「ティティス……」
「先輩っ、エル先輩……!」

この世界には厄介な呪いが幾つかある。
その中で最も性質が悪いのは、信頼と言う名の鎖。
エルシェアは、ティティスを振り払うことが出来ない。
ティティスは、エルシェアから自立出来ない。
天使はこの場所で、妖精の命を拾う選択をした。
妖精は天使に抱かれ、全てを失って世界を得た。

「……私はもしかすると、とんでもない地雷を踏んだのかもしれませんね」
「?」
「ほら、もう……泣かないの」

ティティスはエルシェアを見限らなかった。
シンデレラの魔法は解けたのに……それでも相手を求め続けた王子様のように。
夢は覚め、イメージは崩れ、理想が破れても尚……妖精は天使に縋りつく。
その手を振り払えない以上、エルシェアに退路は存在しなかった。
これほど面倒な後輩が居るだろうか?
ティティスは、エルシェアに一切の妥協を許さない。

「貴女を救う事を選んだのは、ディアーネさんです。私は、見捨てる心算でした」
「はい……先輩なら、見ず知らずの相手にはそうしますよね」
「ええ。だけど……だけどね?」

天使は妖精の額に、唇を堕とす。
此れは敗北宣言だった。
彼女はディアーネに対するそれと半ばは重なる意味において、ティティスに対しても負けを認めた。
ほろ苦い微笑を止められない。
そんな顔を見せるのが嫌で、後輩をきつく抱き寄せる。

「貴女が、居てくれてよかった。生きていてくれて、そばにいてくれて、ありがとうございます」
「先輩……」
「見ていて……私も、頑張って見せますから」
「……はい!」

この日、一人の少女が飛翔を決めた。
背中を押した妖精は、後に多大な苦労を背負い込むことになる。
それはリリィが危惧していたこと。
ティティスは自分が目覚めさせた天使が、通称でも天才と呼ばれていた事をまだ知らない。



§


後書き

『魔改造 やりたい時が やり時だ! byりふぃ』

遂に暴走を始めた作者の邪気眼が、この物語をどの様に破壊していくのか!?
……ごめんなさい反省してます。石投げないで石orz
作者のととモノ。プレイ時ですと、冥府の迷宮から先は敵の強さで行き詰ることの無い、サクサクプレイだったんですが……
SSでそれをすると、やっぱり不自然に感じたのでorz
このゲームだと三校が結構仲よさそうだったので、交換留学くらいしてもいいじゃないか! 
という妄想により、次から各学校のNPCの方が出てきます。
というかそれが書きたかったとも言います。
あ、ごめんなさい石投げないで石orz



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑧
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/12/02 16:30
愛する保険医リリィの紹介で、エルシェアがドラッケン学園に留学して半月あまり。
学園の教師、生徒は留学生に基本好意的であり、ある一点を除けばまず満足した生活を送る少女。
元々社交性と容姿に優れ、地の性格に絡みついた皮肉の棘も、出し入れ自在のハイスペック天使である。
その場に溶け込もうと思えば、過不足無く周囲に気を使って居場所を作ることは出来た。
そんな彼女の最近の趣味は、遠くタカチホ義塾に留学した相棒との文通である。

「……」

彼女はタカチホへクエストに向かうパーティーに、手紙の配送と受け取りを頼んでいた。
そのパーティーが帰参の予定時間より、半刻も早く学生寮の玄関口で待ち続けて居たエルシェア。
これは手紙を心待ちにする心情と、郵便屋を頼んだ一団が厄介な相手だったから。
天使が溜息をついた時、寮の扉がやや乱暴に開け放たれる。
現れたのは、ディアボロスの少女。
エルシェアと同じ薄桃色の髪。
やや背の低い容姿だが顔の作りは其れなりに整っている。
そしてディアボロスの特徴たる角もさることながら、頭上に冠する王者の証が人目を引いていた。

「おお、エルシェア。今帰ったぞ」
「お帰りなさいませ、キルシュトルテ王女殿下。ご無事の帰還、心よりお喜び申し上げます」
「うむ!」

エルシェアは自分の尊厳に関わらない範囲なら、礼儀作法は必要に応じて売った。
ドラッケン学園にはこの大陸を統治する王家の、第一王女が在籍している。
王女は当然ながら学園内でも大きな勢力を持っていた。
その勢力につくか離れるかが、この学園の生徒が辿る大まかな道の歩き方になっている。
エルシェアは手っ取り早く馴染む為と、余計な摩擦を回避するために恭順を選ぶ。
自分の血統を重んじて他者を無意識に見下し、言動も幼稚に感じる少女を内心で冷笑しながらも。

「ほれ、お前の番たる少女からの手紙じゃ」
「ありがとうございます王女殿下。しかし、態々御自身で届けてくださるなど……」
「なに、あっちでそやつと意気投合してのう。お前に届けると請け負った」
「まぁ……ディアーネさん、何かおっしゃっておりましたでしょうか?」
「う、うむ……どうもあっちでは財布の紐が厳しいパーティーに入った様でな……お前を恋しがっておった」
「あぁ、きっとお腹を空かせていた事でしょう」
「最初は哀れに思ったが、装備品より食費がかさむと言われると、どちらに同情すべきか分からんのぅ……」

やや遠い目をして語るキルシュトルテに、エルシェアも心から同意する。
個人としては、キルシュトルテをそう嫌っていない天使である。
しかし王女と言う事でついて回る付属物が鬱陶しく、基本保守派のエルシェアとしては、蚊帳の外から礼を尽くしたい相手でもあった。

「あぁ……ディアーネさん……」

手紙を受け取りながら、エルシェアはさり気なく封が切られた形跡が無いのを確認する。
嬉しくてたまらないと言った表情を装い、手紙の封を指でなぞり、掲げるようなしぐさに隠して中を透かす。
そんな自分を微笑ましげに見つめる王女の視線を、まるで今気がついたかの様に意識し、照れてみせる。

「嫌ですわ……わたくしったら、殿下の前ではしゃいでしまって……」
「恥ずかしがることもあるまい。他校の離れた番を想うその気持ち、察するに余りある」
「そう言っていただけると、わたくしも気持ちが安らぎます」

エルシェアは極自然に右足を左足の斜め後ろに引くと、スカートの端を摘み、軽く持ち上げながら深々と頭を下げる。
同時に膝も深く曲げ、丁寧な礼をとって見せた。
比較的背の高い少女のカーテシーはキルシュトルテの目を楽しませ、鷹揚に頷いて微笑した。
留学当初から誰にでも好意的であり、物腰穏やかな美少女だったこのセレスティアは、王女としても存在を不快に感じることは無かった。
懐を開いて付き合うには、多分に社交辞令が先行していることは双方が理解していたが。

「そういえば、今日のエルシェアの授業はどうなっておったか?」
「本日の午前中は、このように空いております。午後からは、カーチャ先生から『堕天使』の講義をいただける事になっております」
「ふむ。堕天使専攻と言うのも、この学園では珍しいからのう」

キルシュトルテの呟きに、エルシェアは曖昧な微笑で頷いた。
王家の一族が在籍し、その王女がディアボロスである以上、ドラッケン学園は自然とディアボロスが多く集まる。
対照的に相性の悪いセレスティアの生徒は減り、むしろ校長が同族であるプリシアナ学園に集まるのである。
今の時代、種族間の差別はだいぶ風当たりが緩くなったが、しこりは完全に消えることは無い。
しかしキルシュトルテが何処までそれを理解して発言しているか掴めず、エルシェアとしてはやや対応に困ったのだ。

「さて、では行く。用も済んだしな」
「態々ご足労を……」
「謝辞を述べるならせめて級友として申せ」
「お手数をお掛けして申し訳ございません。お手紙、本当にありがとうございます……キルシュ様」
「ふむ、まぁ是としようかの」

キルシュトルテはそういうと、踵を返して歩み去る。
その背中が見えなくなるまでは見送り、視界から消えたのを確認したエルシェアは、一つ大きく息をつく。

「本当に、面倒なお子様ですね」

エルシェアが面倒と言うのは、キルシュトルテの内面が未だ安定していないことに寄る。
今のように距離を嫌がることもあれば、近づくことを拒まれる場合もある。
その日その場のご機嫌しだいで望む対応が安定せず、エルシェアとしては苦労が多い。
更にその嗜好が多分に百合系な王女様は、気まぐれに自分に好奇の視線を投げてくることもある。
自身も百合系腐女子の自覚を持つエルシェアだが、今の彼女は前と上に進む事しか興味が無い。
いま少しエルシェアにゆとりのある精神状態なら、学園恋愛モノ所か、昼ドラも真っ青の火遊びを楽しんだかもしれないが……

「……」

一人寮の玄関に立つ自分に苦笑し、エルシェアも宛がわれた個室に引き取る。
午後からは講義が入っており、今のうちにディアーネの手紙を確認しておきたかった。
エルシェアはドラッケン学園での生活リズムを構築しつつあり、大分馴染めていることを自覚している。
一時的ながらも良好な交友関係も築き、不自由な思いはしていない。
不満があるとすれば、一つだけ。
彼女が慕うリリィがこの学園で紹介してくれた、校内唯一の堕天使。
現在自分が師事する相手のことが、なんとも苦手なタイプであっただけである。



§



文字には魔力があるのだと、この文通を通じて思うようになったエルシェアである。
彼女は此れまで、手紙や日記等を嗜む趣味は無く、またその様な趣味を持った友人も居なかった。
どちらかと言えば、エルシェアは用があれば会って済ませればいいと思う性質なのだが……

「時には、良いものなのですね」

文字という情報によってしか相手の想いを図れないとなると、より相手の事を考えてしまうものなのだ。
ディアーネの寄越した手紙は、白い封筒に青い蝋で封をされたシンプルなもの。
しかし中の便箋はエルシェアの髪と同じ薄桃色で、目に優しい色合いである。
紙面の筆跡は書き手の人柄を示すように、颯爽と流れる綺麗な文字。
余白に描かれたディフォルメされたおにぎりと湯飲みの絵が、エルシェアの微笑を誘う。





 私のエルシェア様へ
 
 早いもので、私達が留学して半月になろうとしております。
 お身体に変わりはありませんか?
 そちらの学校は私の其れより北寄りで、秋の訪れも近かろうと思います。
 暖かくしてお過ごしください。
 
 新しい学校には、もう慣れましたでしょうか?
 エルは何でも器用ですけど、偶に毒が厳しくなるから心配です。
 保守派と言いつつ、気に入らない相手には損を承知で反抗する気質は、愛すべき美点だと思いますが。
 どんな学校にも、心無い生徒は居るものです。
 くれぐれもご自愛ください。
 
 こちらの近況ですが、タカチホで幾人かの友人が出来ました。
 また、こちらの教師も独特な文化を持ちながらも興味深い技巧を持ち、私も日々勉学にいそしむ日々を送っております。
 充実した毎日を送れていると胸を張り、この手紙に書き記すことが出来る今が幸せです。
 しかし中には、あまりに私の中の常識と違う文化に戸惑う事もございます。
 一例を挙げますと、留学当日に生徒の有志の方が、私の歓迎会を開いてくださったのですが……
 その食材の費用と調達が、何故か被歓迎者の負担であった事など、開いた口が塞がりませんでした。
 しかも要求された食材の一つは、普通に死者の出る火山の一角にあると言うのは、どうなのでしょうね?
 生息していた緑の不定形生物に絡まれたときは、あまりの腐臭に生きていくことを諦めそうになりました。
 このような事を、この地方の伝統芸能、スモウの隠語では『可愛がる』と言うそうです。
 エルも雌雄同体のタカチホ産フェアリーにはご注意ください。
 ティティスの素直さと優しさが、身に染みる思いでございました。
 
 此処で少し友人の事を書こうかと思います。
 ティティスと同じ金色の髪を真っ直ぐに伸ばした、本当に綺麗なエルフの女の子です。
 明るく朗らかな娘さんで、留学して間もない私に、何かと気を使ってくれる優しい子です。
 どうやら彼女はアイドル学課志望らしく、ウチの学校の事を知りたがっていました。
 エルが一時その学課にいた事を話したら、とても興味を示しておりました。
 恐らくエルの好みのタイプだと思うので、何時かそれぞれを紹介できる日が来ると良いと思っております。
 私は現在、そのエルフの方のパーティーと一緒に研修させていただいております。
 例のタカチホ産フェアリーもおり、如何ともし難い日々ではありますが……
 此れもエルと共に歩む為の修練と思えば、むしろ遣り甲斐も増すと言うものです。
 今一人ドワーフの少年が居り、自称『班長』を名乗っております。
 実権はどうもエルフの子が握っている印象ですが。
 このドワーフも中々にお調子者らしく、ピンチに駆けつけた時、『其処まで言うなら手伝わせてやっても良い』だそうです。
 何故か憎めない子なんですけれどね。
 しかし、やはりパーティー全員が尊敬できる相手ばかりとは限りません。
 分かっていたことではありますが、貴女やティティスの貴重さをこの期に及んで痛感する毎日です。
 
 最後になりましたが、此れより秋も深まり、木々の色付きも益々栄える季節となってまいります。
 お互いに顔すら見えない日々が、今しばらくは続きますが……
 木の葉が紅に染まるように、私達の友情も深く色付いて行きますように。
 それでは地元プリシアナの地で、出来れば雪が降る前に再開出来ることを祈っております。
 その時まで、是非ご壮健で。
 
 
                                   貴女の行く道に、女神の祝福がありますように。
                                              貴女のディアーネより
                                  
                                                                』
 
 
 
手紙を何度も読み直したエルシェアは、相棒も相当に苦労していることを察する。
せめてお腹いっぱい食べさせてもらえれば、ディアーネも幸せなのだろうが……
エルシェアは自分のパーティーのエンゲル係数が凄まじい数値になっていた事を思い出し、其れも難しいのだろうと息を吐く。
彼女がディアーネを養えたのは、それ以前のパーティーで蓄えた貯蓄がそれなりにあったからである。
普通に学課をこなしているだけの学生では、中々そうも行かないのだろう。
苦笑した天使は、今一度手紙を流し読みして首を傾げた。
彼女はディアーネの仕草の端々から、行き届いた躾の良さを感じたことが多くある。
そしてこの流麗な手紙に、以前『冥府の迷宮』で見せた絵心。

「もしかして……彼女、何処か良家の子女だったり……?」

お互いに過去を好んで語ろうとはしなかった。
エルシェアはあながち無いとは言えない可能性の一つに、彼女の家柄を追加する。
天使にとって、彼女が大貴族の出だろうがスラムの貧家だろうが一切関係ない。
あの悪魔が、彼女の相棒である今こそが、最も貴重なことのはずであった。

「それにしても……女神の加護かぁ」

其れは確かにエルシェアの事を思って書かれた一文に違いない。
セレスティアは信仰心に熱い、天使の血を引く一族である。
しかし中には例外もあるもので、エルシェアは神を嫌っていた。
そのことは、触りだけとは言え語ったこともある。
何の心算で書かれた一言なのか考え、しかし正解と確信できる答えは見つからない。
このようなもどかしさが、天使に手紙の面白さを感じさせる。

「……」

天使は手紙を丁寧に畳み、封筒に仕舞う。
そして備え付けの机に入れて鍵を掛けると、一つ背伸びして窓から空を見上げる。
日が高い。
もうじき昼休みが始まり、食堂がごった返すに違いない。
折角午前中が空いたこの日、どうせならゆっくりと食事を取って午後の授業に備えたかった。

「さぁ……行きますかね」

私服の『貴婦人の服』を脱ぎ捨て、天使は翼を黒く染める。
そのまま服を衣装棚に戻すと、プリシアナ学園指定の学生服に身を包む。
ドラッケン学園の制服も貸与されているのだが、彼女は一貫してこの制服を使っている。
プリシアナに残した後輩は勿論、恐らく遠い地の相棒も同じ服を着ているであろうから。



§



ドラッケン学園の保健室が、現在のエルシェアの学び舎である。
セレスティアの少ないこの学園で、更にその専用学課である堕天使を選ぶものは珍しい。
現状は留学生のエルシェア一人だけであり、其れを教えることが出来る教師も、保険医兼務の堕天使しか居なかった。

「失礼します」

一言掛けて、スライド式のドアを開ける。
其処はプリシアナ学園の保健室と同じ、消毒用のアルコール臭がした。
部屋の奥に回転式の椅子があり、一人の教師が足を組んで座っている。
純白の白衣から漆黒の翼を広げ、妖艶な微笑でエルシェアを見つめる堕天使・カーチャ。
誰もが認める美人ではあるが、エルシェアから見るこの美しさは、毒婦の其れだと感じていた。

「いらっしゃい」
「よろしくお願いします」

エルは一つ息を吐き、知らぬうちに強張っていた肩から力を抜く。
相変わらず、苦手意識が抜けてくれない。

「……」

彼女はこの教師と始めて会ったとき、いつの間にか震えていた自分に気がつかなかった。
そんな留学生に苦笑したカーチャは、エルシェアをあやす様に緩く抱き寄せた。
何時も、彼女がディアーネにするように。
この時のエルシェアは内心の恐慌を制御できず、膝が崩れそうになるのを必死に耐えた。
エルシェアと言う堕天使は、カーチャという堕天使には絶対に勝てない。
彼女は自分の遥かな上位互換であり、彼女が居れば自分は敢えて必要ない。
そんな思いに囚われるほど、その存在は衝撃だった。
器用なエルシェアに取って、おおよそ初めての経験だったろう。
目に付くあらゆる分野において、相手に勝てないと意識したのは。

「まだそんなに緊張する?」
「しますよ。貴女は其処にあるだけで、私の存在意義が全否定されるのですから」
「どう考えても、私のせいじゃないわよねぇ」
「その通りです。私が弱いから、貴女を怖がっているだけで」

彼女はエルシェアの人となりを、リリィから書面で知らされていた。
その内容はあまりにもかつての自分と酷似しており……
過去の自分の姿をエルシェアの影に見出し、若干の哀れみを持って接している。

「少し肩の力を抜きなさいな? 私に勝てないのはそんなに悪い事かしら?」
「貴女に勝ちたい訳ではありません。貴女を意識する私自身が、なんと言うか……許せなくて」
「むしろその方が病気であると、自覚は……あるんでしょうねぇ」
「はい、自分でも馬鹿な拘りだと思っています」

カーチャが、そしてリリィが感じるエルシェアの病。
其れは自分が弱いという認識を、どうしても許容することが出来ない事。
強迫観念にも似た強い思いが、彼女を高みへ駆り立てている。
今までのエルは、全てに本腰を入れない事でその病気と折り合いをつけていたのだが……

「あまり生き急ぐと、振り返ったとき何も残っていないわよ」
「のんびりして置いて行かれても、結局一人になることに変わりありません」
「どちらにしても一人になるなら、誰よりも高みを一人で飛びたい?」
「はい。それに、私は一人にならない事を知っています」

エルシェアは相棒と後輩が、自分と同じかそれ以上の飛躍をすると信じている。
だから、自分も其処へ行かなければならないのだ。
今の彼女にとって、祈るのは神ではなく自分の力。
そんなエルシェアはある意味で、最も堕天使らしい堕天使であると言えたかもしれない。
カーチャは苦笑して椅子から立ち上がる。

「まぁいいでしょう。リリィが寄越した生徒だもの……望みどおりにしてあげる」
「少し……気になっていたのですが、リリィ先生とのご関係は?」
「情婦」
「死ね(『デス』)」
「ちょっと!?」

無詠唱で放たれた即死魔法。
身の丈程の闇球体が現れ、ゆっくりとカーチャに迫ってゆく。
速度はヒューマンの徒歩ほどで避けるのは難しくないが、例え間違いでも当たってしまうと、問答無用で死に至る。
カーチャの冗談は、エルシェアの逆鱗に触れた。
サイドステップで回避したカーチャを、エルシェアの指先が追いかける。

「待ちなさい! もう少しジョークの受け幅を広く持たないとモテないわよ」
「別に、いいです」
「威嚇もなしに即死魔法を使っちゃいけませんって、リリィに教わらなかったの?」
「即死魔法は乙女の浪漫だって、先生はおっしゃっておりました」
「あいつは……」

真偽の程は定かではないが、ありそうだと言うことは納得したカーチャ。
背中に冷や汗を感じつつ、舌先三寸で窮地からの脱出を試みる。

「今私を殺したら、答えは聞けなくなるんじゃない?」
「貴女が失踪してしまえば、どんな答えだろうと、後でリリィ先生にお聞きすれば良い事だと思いませんか?」
「この子は……」

この少女は、確かにリリィの教え子である。
その確信を持ちながら、カーチャは両手を挙げて降参を示す。
やや複雑そうにしながらも、指先を下ろしたエル。

「リリィは、若い頃……いえ、私は今も若いけど、相棒だったのよ」
「うぅ……聞かなければ良かったと言いますか……もう一度デスしたい……」

カーチャはエルシェアを見て、かつての自分に似ていることを既に認めている。
そしてリリィからの手紙によって、エルシェアとディアーネが『かつての自分達』に似ている事も、やはり認めているのである。
複雑そうな少女を見つめるその瞳の奥に、若干の危惧と期待をない交ぜにした光がある。

「さぁ、時間が惜しいわ。魔法の基本をひたすら詰め込みましょうか」
「基本ですか?」
「魔法の構成を正確になぞる事。此れが出来れば、魔法の完成が早くなるわ」
「ある程度なら、既に速射も出来ますが……」
「そういう魔法は次の段階に行きましょう。発動遅延を付加できるように構成を組んでいきなさい」
「遅延……? 態々遅くするのですか」
「堕天使は所詮器用貧乏だもの。普通に魔法を使ってもダメージは望めないでしょう?」
「はい」
「堕天使が魔法でダメージを出したいなら、詠唱完了から遅延十秒の時間差で発動した魔法を直撃させる。相手が魔力抵抗するタイミングを外すのよ」
「あの……詠唱完了から十秒後に相手が存在する座標を、正確に先読みしておけと?」
「どちらかと言えば、効果発現までのタイムラグの間に、相手を魔法の発生ポイントに追い込む感じかしらね」
「……なるほど、罠師の発想になるのですね」

内心で、カーチャは苦笑を禁じえない。
リリィは彼女に、とても厄介な生徒を宛がった。
しかし、初めて自分の全てを教え込める素材を手に入れた。
これから二ヵ月半の時は、退屈しないで済みそうである。
日々を惰性で生きているカーチャにとって、暇を潰せるという事は何よりも意義のあることだった。



§



「……あの、堕天使……何時か……殺……」

虚ろな瞳で学生寮に這いついた留学生。
彼女がカーチャの講義から解放されたのは、日が落ちてからである。
講義の最初は集中力が切れるまで魔法制御の特訓。
コンセントレートが出来なくなると、今度は保健室の地下に備えた訓練施設に通される。
其処はかつてこの学園で、まだ少数ながらも堕天使学課が存続していた頃……
カーチャが生徒達を集めて使っていた、今では知る存在も少ない施設である。
ドラッケン学園の七不思議の一つ、保健室から響く謎の悲鳴のモデルでもあるのだが、其れは今は関係ない。

「うぅー……」

講義の後半は、エルシェアが力尽きるまで筋力トレーニングに費やされた。
この時間まで掛かったのは、なまじエルシェアが意地を張り、粘ってしまったためである。
全身が筋肉痛でひたすら痛い。
夜と言うこともあり、這いずる姿は誰にも見られなかったことが幸いであった。
もしこの姿を見たものがあれば、万難を排して口を封じねばならなかったろう。

「あれ、エルシェア……何してるの?」
「しゅとれんさん?」

這い蹲ったまま、顔すら上げられないエルシェアは、声のみで相手を判断した。
クラッズのクノイチであり、キルシュトルテのパーティーのメインメンバー。
実はこの学校でエルシェアが最も懇意にしている相手であり、郵便も本当は彼女に頼んだものだった。

「何を……しているように……見えまして?」
「……負け犬ごっこ」
「反論出来ない所が、なんとも癪です」
「ほら、肩貸すよ」
「……お姫様抱っこお願いします。浮きますから」
「ああ、其処まで辛いか」

苦笑したシュトレンは、うつ伏せのエルシェアをひっくり返す。
肩と膝裏に腕を回し、軽々と抱え上げる。
エルシェア自身が浮遊を使うまでも無く、特に重さを苦にしている様子も無かった。

「あんた軽すぎ。ちゃんと食べてる?」
「……基本、セレスティアは見た目より軽い種族柄です。飛ばないといけませんからね」
「そうらしいねー。女の敵めっ」
「負け犬の遠吠えが耳に心地よいです」
「三階から捨てるよ?」
「其れこそ敗北宣言と認識しても宜しいので?」

お互いに言い合いながら、心地よい緊張感に包まれる。
シュトレンは無条件に甘い少女ではなく、やる時はきっちり止めまでさす少女である。
エルシェアはそんな相手の性格を承知した上で、やるなら相手の喉笛も噛み切る心算で挑発している。
双方を簡単に御せないからこそ、二人は対等に付き合っていた。

「……カーチャ先生さ、あんたが来てから楽しそうよ?」
「私は、自分がサディストの玩具になる日が来るとは思いませんでしたよ」
「あんたも相当だもんねー」
「貴女に言われたくはないのですが……」

笑いながら、シュトレンは堕天使を個室に運ぶ。
身長の低いクラッズが、セレスティアを抱かかえる図と言うのも珍しい光景であったかもしれない。

「うぅ……身体が痛いです……」
「あんた、ずっと保健室で何してたの?」
「最初魔法の制御で、後ずっと地下で筋トレを……」
「何、その地味なの」
「重箱の隅を突くような基礎鍛錬ですよね。基本は間違いの無い成果を得られますが」
「まぁ……留学生をどうかしちゃったら不味いしねぇ」
「……あの堕天使がそんな事気にすると思います?」
「……しねぇか」
「はい」

エルシェアは深い溜息をつき、シュトレンも苦い笑みを漏らす。
シュトレンは天使を抱えたまま軽々と階段を上り、三階にたどり着く。
捨てるためではなく、エルシェアの部屋が三階にあった為だと思われる。

「何が恐ろしいかって、あの先生保険医じゃないですか?」
「うん」
「たとえオーバーワークで私が壊れても、治せてしまうんですよね……ご自分で」
「そりゃ、ちょっとした悪夢だねぇ」
「はい。壊すも治すも自由自在なんですよあの人たち。絶対に敵に回してはいけない人種は、保険医なんだと学びましたね」
「ああ、其れドレスデン先生も言ってた。青ざめた顔してたなー」

鬼教官として名高いドレスデンだが、苦手なものもあるらしい。
意外な共通点を見つけたエルシェアは、今度その先生と話してみたいと思うのだ。
それに、彼女には確信もあった。
相手が鬼であろうと妖怪であろうと、今師事している堕天使に勝る化け物は絶対に居ないと。

「エルシェアはさ、辛くない?」
「辛くは……ありません。辛くはないんですが、もどかしいです」
「もどかしい?」
「はい。私の仲間は、私を実像以上に評価してくれているんです。私は、現実の自分をその評価のほうに追いつけたいので」
「倒れてる暇も無いってか」
「ええ。第一からして私のお友達だって、私よりずっと強いんですよ?」
「その辺ちょっと信じられないんだけどね。あんた以上のがゴロゴロしてるって、プリシアナは化け物の巣窟か」
「……そして、そんな私達よりも先に居るのが、生徒会長なんですよ」
「溜息しか出ないわぁ」

実際に深い溜息を吐き、シュトレンはエルシェアの部屋のドアを足で開ける。
そのまま備え付けのベッドに降ろすと、自分はデスクの椅子に座った。
シュトレンの位置からは、窓から空を見ることが出来る。
遠くに煌く星に向かい、手を伸ばしていた。
エルシェアはそんなクラッズの姿を、どこか眩しそうに見つめている。
シュトレンも、大切なものに手を伸ばし続けている。
つい最近その道を歩き始めた天使とは、きっと思いの桁も違うのだろう。

「……私さ、今月はクラティウスにもベルタにも勝ったんだ。本当に最近、やっとだったけどさ」
「……」
「一番になったっていう実感があった。だけど、留学初日のあんたに負けた」
「相性の問題ですけどね? あのお二人は近接特化、私は中、遠距離からはぐらかすのが得意でしたし」
「うん。それでもあんたに負けたのは事実で、しかもあんたの学校には、それ以上の奴らが居るんでしょ?」
「はい」
「……私も、少しは強くなったって、思ったんだけどなぁ」
「貴女も、そして私も進歩はしていると思いますよ。それにしても……」

この世界は強さの天井が知れない。
追い着いたと思えば、あっという間に水をあけられる。
どうやってもこいつには勝てない……そう思い知らされた相手が、別の誰かに完敗する。
そんな事が日常茶飯事に起こるのである。
星屑に手を伸ばすシュトレンは、そんな現実に軽い眩暈すら覚えるのだ。

「ま、いいんだけどさ。やり甲斐が増すってもんだ」
「ええ……目指し甲斐がありますよね」

この二人の道は違えど、目的地は同じ。
少女達は強くなりたい。
だから温度差無く付き合える。

「運んでくれてありがとうございますね?」
「いいって、あんたは目下、私のターゲットなんだからね」
「せいぜい高い壁であろうと思いますよ」
「……言ってなよ」

微笑と苦笑を交換し、しかし心地よい空気が部屋を満たす。
エルシェアは遠い地にある二人の仲間に想いをめぐらせる。
プリシアナに残ったティティスに不安は無い。
しかしタカチホに行った相棒が、多少気掛かりではあった。
彼女は、自分にとってのシュトレンのような同志を、あちらで見つけることが出来たのだろうか?
此処で気に病んでも仕方ない事ではあるが、やはり気になってしまうのだ。

「ディアーネさん……元気かな」
「……」

意図せずに呟いた天使の、それは弱音だったかもしれない。
シュトレンは丁重に聞こえない振りをして、再び星を見上げたのだ。

§
 


後書き


エルシェアの魔改造編でした。
彼女はゲームシステムと戦闘スタイルが作者の趣味と合致した稀な例でしたので、それほど派手なルール違反はしないですみそうですw



PS
この板を教えてくれた知人から、板移動勧められました。
非常に光栄なことなのですが、どうしたもんだろうかこれ……
胃が痛いです。・゚・(ノД`)・゚・。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑨
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/12/10 11:33
英雄学課のトップとして、タカチホ義塾に短期留学したディアーネ。
彼女は早々に留学先での居場所を確保した。
ディアボロスの少女が廊下を歩くだけで、義塾の生徒が壁に避ける。
好奇と畏怖に満ちた視線が、ディアーネの神経を無形のやすりで削り取る。
表情はふてぶてしいまでに無表情だが、内面では胃痛でどうにかなりそうだった。
昼休みでごった返す廊下での一幕。
神話に名高い海割りを、人波で再現した悪魔の少女である。

「纏わりつかれるのとは逆方向にうぜぇ……」
「まぁまぁ、歩きやすくていいじゃない」

能天気な声を掛けるのは、隣を歩く金髪エルフの少女だった。
元々美しい容姿の種族であるが、ディアーネの目にはその中でもかなり上位に写る。
この学園で現在、ディアーネを怖がっていない数少ない生徒である。

「ロクロちゃん、人事みたいに言わないで」
「ああ、ごめんね」
「……なんでこんなことに」
「いや、何でって言われても自爆としか」
「私、頑張っただけなのにね?」
「限度ってもんがあるでしょうが」

この留学はディアーネが望んでいたものではない。
ただ慣例として、彼女が在籍している学課のトップが、この時期に交流として留学すると言うものがあっただけ。
それでも、ディアーネはやるからには手を抜かない少女である。
留学初日から積極的に課題をこなし、近場のラビリンスにも果敢に挑む。
講師からの指示で砂漠からマワシを運び、同級生の頼みで『炎熱櫓』から巨鳥の卵を入手し、この間は『蹲踞御殿』のモノノケ退治から帰還した。
普通ならば、ディアーネは示した実力にふさわしい尊敬と信頼を勝ち取ったかもしれない。
しかし彼女は普通ではなかった。
留学当初、こちらでの知り合いも殆どいない状態で様々なクエストを受け続け……
そのクエストをほぼ一人で、強引にクリアしてしまったのだ。

「毎年、こっちでそれなりのパーティーにくっつけてクエストに挑戦させるってのにさー」
「そんな事知らなかったもん。初めて留学にきたんだもん」

拗ねたように呟く悪魔の少女。
このような事情により、ディアーネはプリシアナ学園の名を高く轟かせる事となった。
一方で一部教師からは、やや協調性の欠ける行為とのマイナス評価を受けることにもなっているが。
元々ディアーネはパーティーに強い憧れと理想を抱いて、プリシアナでは出遅れた生徒である。
最初の熱病が冷めてしまえば、人懐っこい性格と圧倒的な実力を持って、ロクロのパーティーに居ついていた。

「ま、こっちとしては大助かりよ? カータロは役に立たないし、トウフッコは腹黒いし」
「私の相棒も腹黒いけど、あの子のは……まぁ、多少不安定になるのも仕方ないんだろうね」

苦笑したディアーネの脳裏に、雌雄同体であるというフェアリーの顔が思い浮かぶ。
出会った当初はその性格や言動に毒を感じ、嫌悪感すら覚えた悪魔の少女。
しかしディアーネはフェアリーの複雑な心境を知るにつれ、毒も気にならなくなってきた。

「……歓迎会の件は、説教しておいたから」
「あぁ、ありがとねロクロちゃん」

ディアーネから見るに、トウフッコはカータロに何らかの好意を抱いている。
その正体まで踏み込む心算はない悪魔だが、当のカータロ本人は隣を歩くロクロしか見ていない。
しかもカータロの好意の示し方は全く隠す気のない直球である。
そんなものを隣で見続けてきたフェアリーの心境は、いかばかりか……

「……」

想いの一方通行は辛い。
それがどれ程純粋なものであれ、或いは純粋な想いだからこそ、報われずに朽ちる時に毒を放ってしまうのだろう。
悪魔の顔にほろ苦い笑みが浮かぶ。
そんなディアーネの横顔を見つめるロクロは、このお人好しの悪魔がタカチホ義塾で恐れられている現状に溜息をついた。

「あんたみたいな子が、どうして人様から避けられちゃうのかねー」
「ねぇ? 幾らディアボロスが嫌われてるって言ってもさー」

発言の内容とは裏腹に、能天気な口調と表情で話すディアーネ。
微笑するロクロだが、例えこの悪魔がセレスティアやノームであっても現状が変化していたとは思えなかった。
自分の事になるとやや無頓着なこの悪魔は、他人が驚くようなことを飄々とこなして、その事への評価を喜ぶでもなくさっさと次に興味を移す。
それが周りから見たとき、人によっては不気味に感じることもあるのだろう。
こんな会話をしながらも、廊下では現在進行形で人混みが真っ二つに裂けていた。
親しげにしているロクロでさえ、今の関係が築けたのは偶然だと思っている。
彼女はディアーネが突っ走り始める前から、訪れる留学生に好意的であろうと決めていた。
それは相手が常識的な人格をしていることが前提だったが、そもそも学校の顔として他校から送り込まれる生徒である。
優秀なことは勿論だが、それほど付き合いにくい者が来たりはすまいという計算もあった。
ロクロの予想は当たり、ディアーネは好意に対しては好意を返してくれる少女だった。
二人は直ぐに打ち解け、行動を共にすることになる。

「ディアーネ、午後は?」
「ウズメ先生と……鬼ごっこかな」
「鬼ごっこ?」
「うん。結構難しいんだこれ」

タカチホ義塾でディアーネが直接師事しているのは、クラッズの教師であるウズメだった。
これはリリィの紹介によるものである。

「リリィ先生……」
「だれ?」
「あ、うちの学校の保険医さん。良い先生なんだけどさ」
「うん」
「もしかして、各校で保険医ネットワークとかがあって、繋がってたりするのかなぁって」
「そういうのがあるって話は、聞いたこと無いけどね」
「そっか。いや、ちょっと気になっただけなんだけどさ」

ディアーネはドラッケン学園へ留学した相棒と、手紙による連絡を欠かしていない。
その中で、相棒がやはりあちらの保険医を師事していると知らされていた。
どちらもリリィの知り合いであり、紹介であると言う。
元々冒険者養成学校の三校は、それなりに交流が厚い間柄。
校長同士以外の教師の繋がりと言うのはあまり知られていないが、あったとしても不思議ではない。

「その追いかけっこってさ。あんたが鬼?」
「両方鬼かなー」
「で、捕まえられないんだ?」
「一方的になる。上手いんだよねあの先生」

ロクロはディアーネの強さを間近で見てきた生徒である。
彼女はどのような訓練をすればそうなるのかと言うほど、一対多数に慣れている節があった。
左右の手に一振りずつ剣を携え、正確な一振一殺で数を減らす。
その剣技は今までこのエルフが見てきた、どの生徒のモノより流麗であり酷薄だった。
炎熱櫓のスライムが、蹲踞御殿の白鯨が、彼女一人で屠られていく様は、白昼夢を疑うほどに現実味に欠ける出来事だったのを覚えている。

「ウズメ先生も大概だけど、あんたも相当の筈なのになー」
「私なんてまだまだっすよ」
「既にウチの裏番状態なのに?」
「言うなっ」

頬を引きつらせて反論するディアーネ。
この悪魔は本当に、大した事はしていないつもりだった。
事前に聞かされていた、タカチホ義塾周辺の強力なモノノケ達。
しかし実際に手を合わせてみれば、彼女が『冥府の迷宮』で見た魔物の方が遥かに強かった。
そして其処の魔物に完敗しているせいで、今一つ自分の強さを掴み切れていないのである。
彼女にすれば、未だに自分が英雄学課の首席にいることすら出来の悪い冗談に聞こえた。

「学課でいうと、ダンサーになるんだっけ?」
「ん……ダンサーとカンフーで、良い所取りかなぁ」
「何そのご都合主義学課?」
「まだまだ、こんなもんじゃ足らないっすよ」
「……あんた何処まで行く気なのよ?」
「そりゃ、相棒において行かれないようにねー」

緩んだ顔で過酷な修練をこなす悪魔の原動力が、まさに此処にあった。
ロクロが見る限り、この悪魔は本当に嬉しそうに相棒の話をするのである。
留学の初日から行動を共にする間柄だけあり、その話は既に幾度も聞かされているエルフ。
ロクロはまだ見ぬディアーネの相棒、エルシェアの事を想像する度、全体像が掴めずに苦笑する羽目になる。
才媛、百合腐女子、サディスト、へたれ、美人、利己主義、人情家……
等々、それに纏わるエピソード添えで語られるのだが、いかんせん同一人物の話をされているような気がしないのである。
しかし話の最後には、必ず同じ言葉で〆られるのだ。

「エルが本気出したら、私なんか足元がせいぜいだもん。頑張らなきゃ」
「あんたより凄いって言うのが信じられない……」
「んふふ、何時か紹介するっすよ。自慢の嫁」
「嫁?」
「そ。嫁」

其れはコンビを組んだときの女房役と言う意味だが、ロクロがどう捉えたかは分からない。
それにディアーネにはこの時、発言や表情の軽さほど、心穏やかだったわけではなかった。
タカチホ義塾に留学し、早一月。
出会ったときから才能の塊のようだった天使が、一体どれほど伸びているのか……
傍で顔を見ることが出来ず、実感が乏しすぎる。
しかし、必ず歩みを進めているという点には何の疑問も無いディアーネであった。

「負けてらんないっすね」
「相棒に?」
「いや、自分にさ」

負けられない、負けたくない
ロクロが見るディアーネは、必ず最後にそう呟いた。
急速に和やかさが減じた悪魔の横顔を、エルフの少女が興味深げに眺めていた。



§



タカチホ義塾……
それは移民の文化を色濃く残す、大陸南端の冒険者養成学校である。
校長のサルタは穏やかな人となりで知られ、各教師陣も優れた文化の継承者達が集う学園。
生徒達の制服も、異国情緒に溢れた個性的なものであった。
その中に在り、一際異彩を放った装束の女生徒が居る。

「来ないのん?」
「……」

板張りの屋内訓練場で向かい合う二人の女。
余裕の笑みで誘うのは、タカチホ義塾の校医にして教師であるウズメ。
一方、鋭い視線を向けるのみで、動かない女生徒。
少女は赤を基調とした自校の制服に身を包み、襟に光る校章はプリシアナ学園のソレ。
ディアーネは木製の刀を二本、それぞれの手に納めている。
やがて彼女は、右の刀を右肩に担ぎ、左の刀を右の脇に構える。

「行きます!」

やや右に捻った体幹から、その身体がはじけ飛ぶ勢いで前進する。
ウズメの目から見るその動きは、やはり未熟なものだった。
最初に体の右側に刀を纏めたその姿勢は斬撃を放つ構えであり、移動する構えではない。
右に溜めた刀を左側に振るときに真価を発揮する構え。
其れを意識して駆けるディアーネは、走る姿勢がやや不自然であり加速が鈍い。
開幕の姿勢から、少女のミスが見て取れた。

「うふふ」

ウズメは身体を一度右に傾け、反動で左側へ。
ディアーネが二刀を構える反面へ滑り込む。

「っち」

右に溜めた重心を更に右に移すことは、人体が二足歩行をする以上、不可能ではないにしろ困難である。
それでも悪魔は上体の力だけで右の刀を打ち下ろす。
ウズメは一歩踏み込むと、ディアーネの刀の握りを掴む。
そのまま手首を極め、ひじを極め、肩を順に極めていく。

「ぎ!?」
「ほーら」

右手を逆手に捻られながら、背中に嫌な汗をかくディアーネ。
彼女は力に逆らわず、ウズメの捻る方向に身体を逃がして自分で飛ぶ。
もしも無理に逆らえば、関節を拉ぎ折られたろう。
クラッズとディアボロスの身体能力の差は、この際あまり関係ない。
幾らディアーネでも、ウズメの両腕の腕力を手首一つで跳ね返すのは不可能だった。
ディアーネは自分の身長の三分の二にも届かない相手から、綺麗な投げを極められる。
信じがたい光景であったが、ディアーネは既に受け入れていた。
本人の語りを信じるなら、ウズメは此れでバハムーンすら投げ飛ばせると言うのだから。

「良い反応ねぇ。自分で飛ばないと、肘から逝っちゃったわよン」
「初日それで折られてますから」

床に身体を打ちつけながら、ディアーネは怯まず刃を振るう。
ウズメの足元を狙う右の刃にと、クラッズの低い身長故に、比較的近い喉を狙って突き上げる左の刀。
教師は微笑のまま、足元に来る刃を踏みつける。

「はぁ?」
「一本目~」

上げた足を下ろす。
それだけの動作の、何処にそんな力があるのか。
そう疑いたくなる光景だった。
ディアーネの右刀は、ウズメの足の下で真っ二つに圧し折れる。
同時に突き出した左刀は、仰け反ったウズメの身体を捕らえられない。
彼女は刀を引こうとし……全く動けず固まった。

「引かないのん?」

ウズメは刀の峰部分から、小さな手の平で腹部分を握っている。
木刀は片刃の作りなので実際でも手は切るまい。
生徒と教師が握り締める木刀が、両者の中間で震えている。
穏やかに微笑するウズメに、歯を食いしばるディアーネ。
両者の間に込められた力が尋常でないのは、木刀の軋む悲鳴が物語っている。

「ふっ!」
「あん?」

ディアーネは戻せないと悟ると、逆に突き出しながら立ち上がった。
生徒の引きに対して、等量の力で引いていたウズメ。
逆に押されたその時に、小さな体が踏鞴を踏む。
悪魔の少女は舌打ちし、相手に合わせて退いた。
よろめいたウズメに追撃はしない。

「今来なかったのは、どうして?」
「あんた下がりながら溜めたでしょうが」
「あら……もう視えるのねぇ」

満足げに頷くウズメに、苦笑するディアーネ。
元々、ウズメはバランスを崩してさえいなかった。
刀を出されたときにふらついたが、重心は全くぶれていない。
常に自分の体重を腰の中心で捕らえ、相手の前進に合わせて逆撃を入れる事の出来る体勢だった。
ディアーネは最早、ウズメの見せ掛けの姿勢を当てにしていない。
それでも、ありえない姿勢と状態から、体重の乗った打撃を食らい続ける日々だったが。

「今私に投げられた時、左手を使えなかったでしょう?」
「はい」
「二刀使いでも、加重を乗せた斬撃を撃てるのは一方向のみ。カバーできる範囲はそう広くないのよ」
「うぃっす」
「それと、あんなに簡単に持ち手を取られるのは軌道が単純だからよん。二刀流の弱点、一刀流より剣閃が単調になるわ」
「……マジで?」
「えぇ。今もっている刀を両手で握って御覧なさい? 左手は柄尻に小指が掛かるように、拳一つ半開けて右手を添える」

言われた構えを取りながら、ディアーネは刀を正面に構える。
其れはこの地方で正眼と呼ばれる構えである。

「そのまま左手だけ動かして?」
「お……おぉ?」

ディアーネの左手が一寸動くだけで、その切っ先が一尺動く。
初めてとった構えだが、ディアーネは刃の動きに魅入られた。
盾を持つのとは違う、二刀を使うときとも違う。
一つの刀に腕の機能を全て使う事で、初めて得られる一体感がある。
そして気がついた。
両手で刀を握るこの姿勢であれば、そう簡単に持ち手をとって捻ることなど出来ない。

「二刀を使えると言うことは、其れ相応の腕力もついたと言うことよね」
「そうっすねー。先ずは握れないと意味ないっすから」
「その腕力をたった一つの得物に全て捧げる……それによって得られる一体感は、どうかしら?」
「うん……これ、凄い……悪くない」

ディアーネは刀を二度、三度と振りながら身体の新しい使い方を覚えていく。
其れは傍で見ているウズメに、感嘆の目を見開かせるほどの進歩だった。
僅か三回の素振りで、ディアーネは両手の刀に加重をかける身体の使い方を覚えてしまう。
四度目からは刀の風切音が全く違い、切り裂かれた空気が一瞬遅れて戻る様子が、視認出来ると錯覚するほど鋭かった。

「だけど、此れだとちょっと……大人数相手に厳しくないっすか?」
「そうでもないわよん? 貴女は一振りで一人を倒していく天性があるわ」
「……それ出来ないと、敵が後衛に手を出す余裕をやっちゃうっすからね」
「其れも正解ねぇ」

ウズメはそう言いながら、無造作に歩いてくる。
ディアーネの視線が細くなり、殺気に近い感覚が木刀を通して放たれる。
其れは二本の刀を構えていたときとは、桁違いの威圧感。
肌で感じたウズメは、やはりこの生徒には一刀に入魂するほうが向いていると感じるのだ。

「その攻撃力は貴女の武器よん。その上で、貴女に必要なものがある」
「防御力?」
「んーん。不正解」

ディアーネの答えを否定しながら、ウズメはふと気がついたように小首を傾げる。

「あ、もしかして防御力のほうが欲しい?」
「……どっちかって言うと、斬られる前に斬りたいっす」
「あぁ良かった。貴女が守りたいっていうなら、先生そっちを教えないといけなかったわん」

ウズメの瞳が鈍く輝き、爬虫類のような鋭さを宿す。

「貴女の才能が、それで磨耗するって分かってても……ねぇ?」
「生徒の過ちを正すのは教師の役目じゃないっすか?」
「自主性の尊重が今の主流だもの。生徒が自己実現出来るように導いてゆくこと……それが教員試験の模範解答なのよぉ」
「良いね、良いっすねそれ。あんた生徒が不幸になるって、分かってても止めねぇだろ」
「望みの先にあるのが破滅だとしても、其れを自ら悟れない子に興味無いわン」

自分の持っている才能を正確に自覚し、その方向性を自ら定められるもの。
それはウズメが自らの弟子たる相手に望む、唯一にして絶対の条件である。
そんな生徒が道に迷った時に、ウズメは初めて歩き方を伝授する。
ウズメは自分が、一対多数の講義に向いていないことを内心で知っていた。

「ま、あんまり地を出すと嫌われちゃうから、本腰は入れないようにしてるんだけどねぇン?」
「私には良いんすか?」
「貴女は、リリィが期待してる子だもの……実はもの凄いワクワクしてたのよぉ~」
「うっわ……」

唇を舐める仕草が、ぞっとするほど艶かしい。
子供のような見た目の種族でありながら、その芳香は成熟した大人の其れである。
ディアーネは奥歯をきつく噛み締めると、下腹に力を入れて睨み返す。
この艶こそが、ウズメの気当りなのである。
叩きつけるような威圧感や、刺すような殺気ではない。
虫を粘度の高い蜜で絡め殺す、食虫植物の気配。
構え直すディアーネを見たウズメは、蕩けるような吐息で感嘆する。

「切り替えたか。ズルイわぁリリィ……自分ばっかり美味しそうな生徒独占して」
「……ドラッケンで相棒が、保険医が毒婦だって言ってた。あんたも相当っすねっ」
「私とカーチャが似てるというなら、自ずと分かるでしょう? 保険医としてはリリィの方が、マイノリティなのよん」

ディアーネはプリシアナに入学を決めた過去の自分を、心の底から褒めてやりたい心情に駆られた。
甘い相手ではないことは知っていたが、此処まで徹底しているとは思わなかった悪魔である。
そして、ウズメがこのような一面を見せたと言う意味も、ディアーネには分かる。
自分はこの時、初めてウズメに認められたのだ。
此処から先にある講義こそ、ディアーネの望んだ領域。
ウズメの技法の奥義の一端がある。
快感で背筋が泡立つのを感じた悪魔。
その刃の一歩手前で、ウズメは足を止める。

「ちょーっと……待っててねん?」

ウズメは稽古靴の脱ぎ捨て、やはり艶かしい仕草で靴下も脱ぐ。
素足になった教師は、一つ二つをステップを踏み自分の足場を確かめた。
その足捌きは、傍で見ていたディアーネが戦慄するモノだった。
小柄なこの教師が、まるで樹齢千年の大木のように錯覚する程、凄まじい安定感で動いている。
ディアーネには例え相手が上体を九十度傾けても、絶対に崩れないと言う確信があった。

「さ、それじゃ……絶招見せてあげるわね」
「こぉ……」

ディアーネは深く息を吸い、今一度下腹に力を込める。
そのまま体内に酸を形成し、肺の中で練磨する
吸った息すら甘く感じるほど、ウズメの気配が艶を帯びる。
其れを錯覚だと否定しつつ、呼気と共に気を放った。

「かぁあああアァアアアぁっ!」

ディアボロス種族特有の、アシッドブレス。
当てる為ではなく、避けさせて動かすことを目的である。
読み通り、ウズメはブレスを避け様にディアーネの右手に回り込んだ。
気合と共に、ディアーネの刀が迸る。
先程の二刀時より遥かに速い斬撃はウズメの前進をはじめて阻んだ。
足を止め、右手を挟んで凌ぐウズメ。
その腕ごと圧し折る心算で悪魔の刀は振り切られ……
ウズメの服の下に仕込んだ、手甲に遮られた。

「真剣、使う?」
「どうせ切れないなら、硬いこっちが……あ」

応えかけたディアーネは、不意に戦闘態勢を解く。
額に落ちかかる髪を掻き上げ、一度だけ深呼吸する。
殺気立っていた自分を内心で苦笑し、人懐っこい笑顔でウズメを捕らえる。

「ちょっと、武器交換していいっすか?」
「なに使うのん?」
「木刀、もう少し重い奴が欲しいなー」

そう言って踵を返し、訓練場の器具室へ歩いていく。
無防備に背中を向けながら遠ざかる生徒に、ウズメは一人呟いた。

「あの子……いいなぁ」

ウズメは大勢に対して自分の技術を仕込むことに向いていない。
しかし自身が会得した技術を、誰にも伝えずに朽ちる心算も無いのである。
ある意味で、この学園で誰よりも貪欲に才能との出会いを求め続けてきたウズメ。
そして今、漸く巡り会えた逸材がある。
あと二ヶ月と言う留学期間がもどかしかった。

「あの子、欲しいなぁ」

苦い笑みを浮かべながら、訓練場の天井を見つめるウズメ。
無いもの強請りする子供の心境と理解しながら、旧知たるリリィが本気で羨ましいウズメだった。



§



「いいわねン。一刀両手持ちも、スムーズに切れてるわ」
「ありがとうございます」

幾度かの攻防の末、ウズメが生徒に休めを命じる。
ディアーネは切っ先を正眼から自在に変化させ、多様のタイミングで間合いに浸透するウズメを阻み続けた。
一度も捕らえられはしなかったが、その度にウズメを退かせることは成功している。
避けてくれているというのは、ディアーネ自身も理解している。
しかし斬撃が及第点に達していなければ、ウズメは手痛い反撃を叩き込んでいるだろう。
その点では、ディアーネは自分の剣技にそれなりに満足できた。

「一度も足を止めなかったわねぇ。一撃離脱を狙っていたみたいだけど?」
「離脱というか……本当は一撃必殺を繰り返して戦い続けたいんですよね」
「動きの中で必殺の力を溜め込むのは、発想としては悪くないわン」
「でも、其れだと手数が出せないんすよ」
「……だから二刀に手を出してたのねん」
「ええ。試験的にではありましたけど……」

二人は修練の内容を語り、それぞれの情報を交換していく。
ディアーネは此れまでの結果と、今後目指したい目標を。
ウズメはその道筋を、自分の経験から導き出す。

「前衛は一撃必殺の手段を持っていなければ、相手に圧力をかけられない。貴女は一刀の方が向いてるわん」
「うぃっす。もう少し煮詰めれば、上体の動きに足も追いついて来れそうっす」
「貴女の性格を考えても、小手先で戦うのは向いてないしねン」
「だけど其れだと、先生みたいな達人には当たらないんすよねー」
「……難しいわねぇ。必殺と必中は、両立させなければ意味が無い。出来ないときは必中の方が優先順位高いのよン」
「むぅ……」

二人は腕を組んで考え込んだ。
とにかく、基本方針を定めなければこの先の訓練が迷走する。
最初の一ヶ月近くをタカチホのクエスト攻略に勤しみ、ウズメとろくに顔を合わせなかった時間が痛かった。

「パーティーで一緒に戦うなら、仲間と状況を作るって無理っすか?」
「……まぁ、其処までお友達におんぶ抱っこされる前衛に納まるなら別に止めはし――」
「嫌っす」
「孤戦を凌げない前衛だと、安定感が乏しいわねぇ。安定感の無い前衛って後衛にとっては胃痛の種よン」

甘い考えを切って捨て、ウズメは思考を巡らせる。
ディアーネの剣技は多数を相手に動きながら振ることを前提としている。
その発想は間違いではないと思うし、実践で使える領域まで練り上げられてもいた。
既にタカチホ義塾の生徒達に畏怖の目で見られているこの留学生は、『生徒』の枠の中では十分に強いのである。
最もこの段階で本人も、そしてウズメ自身も満足する気はさらさらない。

「とりあえず、貴女が苦手そうにしている間合いの穴埋めが合理的かしら?」
「苦手な間合い……剣の外とか」
「ハズレ」
「あ!?」

ウズメが眼前に沸いた。
そうとしか形容出来ない自体が、目の前で起こった。
確かに向き合って語り合っていた教師が、唐突に至近距離……
其れも腕を伸ばしきらなくとも触れ合える、密着間合いを取られていた。

「此処から出来ること、あるかしらン?」
「うぐっ」

この距離で武器を振り回すことは出来ない。
至近距離とはいえ、ほんの少し離れれば刀の鍔や手元を使った打撃もある。
しかしこれほど隣接されてしまうと、小柄なクラッズを引き剥がす術が悪魔には無い。

「まぁ、この間合いに入れない事が至上命題になるんだけどね?」
「……」
「でも、一対多数を相手にするなら避けられない状況でもあるわぁ」

解説を聞きながら、ディアーネは全く動けなかった。
わき腹に添えられた、ウズメの左拳。
此れがディアーネを完全に威圧し、あらゆる行動を妨げている。
どのように動こうとも、ウズメの初速はディアーネのそれに勝る。
この状況から、ディアーネに避ける術は無いのである。
背中に冷たい汗が伝うのを、悪魔はこの時自覚した。

「因みに、遠い敵の魔法なんて考えなくてもいいのよ?」
「其処まで寄って、切れば良いっすね」
「そ。つまり貴女の穴は、この間合いに入られた相手を突き放すゼロ距離打撃……」
「是非、ご教授願いたいっす」
「勿論よぉ……だけどその前に聞かせてねン?」
「うぃ?」

ウズメは顔を上げ、邪気の無い笑顔で悪魔を見据える。
普段から艶を振りまいているこの教師の無邪気。
其れは、相手を馬鹿にしている時の顔。

「加減いる?」

挑発の返礼は、数倍の苛烈さを持って見舞われた。

「本気で来いババァ」

我が意を得たりと、ウズメが動く。
ディアーネはウズメの左足が踏みしめる床が爆発したような錯覚を見た。
同時にディアーネは身を捻る。
最早回避が不能なのは、十分承知していた悪魔。
挑発によって打撃のタイミングを限定し、軸をずらして凌ぐしかない。

「……」

一方、ウズメは左足の更に先……親指を使って床を噛む。
其処から足首、膝を通る力を、腰で回して倍加する。
威力が肩まで昇った時に、右脇を締めて腕を胸側に畳む。
その動作で背筋を引き絞り、上体の捻りを咥えて左の手首を硬く締める。
足の先端から腰の捻り、上体の振りに加重移動……
人体で練成出来るあらゆる力が、ウズメの左拳を媒体にして悪魔の身体に透される。

「―――……!?」

痛覚は、都合よく寝てくれた。
しかしそれ以外の感覚は研ぎ澄まされていた。
ディアーネは生まれて始めての直線的高速低空飛行を体験し、忘我の数瞬の後に訓練場の壁へ叩きつけられる。

「ぐぃいいいいぎぁああっ」

其れを合図にしたように、痛覚が目を覚ます。
床に落ちた悪魔の身体は、床をのたうつ様に転げ……回れない。
身動き一つ取れない身体は、只管に痛みを訴えてきた。
全身がバラバラになったような痛覚が駆け巡り、打たれた場所すら自覚できない。
そんな悪魔に歩み寄り、何時もの艶めいた微笑を向けるウズメ。

「……ふっ、っぐぅぁ」

驚嘆すべきであったろう。
ディアーネは直前まで上げていた悲鳴を、ウズメの気配でかみ殺した。
必死の思いで首を上げ、見下ろす教師と目を合わせる。

「今の作戦は悪くないわん。だけど私に対してってことなら、最悪手と言ってもいいわぁ」

もがく事も出来ずに呻くディアーネの傍にしゃがみ、見上げる生徒の頭を撫でる。
ウズメの目が、全く笑っていなかった。
ディアーネは極々純粋な恐怖で、一瞬だが痛みすら忘れる。

「女性を歳で挑発すると、藪に蛇じゃすまないのよン?」
「……肝、に銘じ……ま」
「打撃のタイミングを誘導する……その意図は二重丸上げちゃうわ」
「……うぃっす」
「あの打撃は接触面から破壊力を通して、内部から外に奔る衝撃で、対象をばらばらに粉砕する打法ね? 私、指先からでも撃てるわよぉ」
「……私も、出来る?」
「覚えさせます。覚えたら次に歩法の基礎ね? 留学中に貴女に仕込めるのは、この二つが限界かな~♪」
「……あい」

がくりと首から力が抜け、悪魔は完全に倒れ伏す。
屈服したディアーネは、奇しくも遠いドラッケンへ留学した相棒……
堕天使エルシェアが到達した真理と同じものを噛み締めることとなった。

「はい。じゃあ、今のでずれた骨格矯正しましょうか……加減、いる?」
「……お願いしますお姉さま」
「ん、良い子良い子」
「保険医、こえぇっす」
「世界で一番恐ろしいのは、保険医なのよん?」
「今、身に染みて理解してます……」

破壊と治療を全て自分でこなしてしまう学園保険医。
ディアーネはエルシェアも、同じような相手を師事していることを知っている。
顔も見れない相棒の近況が、この時はっきり分かった気がした。
きっとあの堕天使も、自分と同じような目に遭っているに違いなかった。


§


後書き

こんにちわりふぃです。
今回はディアーネさんの魔改造編になりました。
前回の堕天使に引き続き、フルボッコにされているだけともいうかもしれません(*/□\*)

タカチホ義塾は、書くとき少し難儀しました。
あくまで私個人の感想ですが、原作のこのルートは、序盤かなり理不尽に感じる丸無げ戦闘をさせられる事が多く、進行が苦痛になるレベルでした。
しかしある時……確か三学園交流戦の最後、タカチホ義塾内での同級生戦だったと思います。
私のゴーストが囁きました。
『トウフッコ→カータロ→ロクロ→?』
この相性図が閃いた瞬間、生暖かい瞳でこいつらを見守るお母さん視点が確立されまして、快適すぎるプレイ環境に一変したのは懐かしい思い出です(*/□\*)
トウフッコが妙にカータロに毒がきついのはツンデレ乙!
こっちに理不尽な戦闘投げてくるのは、仕方ないですよねこっち女性六人パーティーだもの!
ライバルになりそうな相手は円滑に排除するとかもう戦場では当たり前!
頑張れトウフッコ! 私は君を応援するぞ!(*/□\*)
なのでロクロちゃんはこっちに任せてくださいな!

こんな感じで突き進んだタカチホルートだったと思います。
このシナリオ、一番妄想で悪乗りしてた気がするなぁ……w



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑩
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/12/23 10:16
普段は人気の少ない、プリシアナ学園北校舎。
その中にあって、最も寂れた場所に保健室がある。
一時期は英雄学課トップが送り込んだ、種族学課もバラバラな亡者共の呻き声が絶えなかったが……
その亡者達も今や完治し、それぞれの実家に戻っていった。
悪魔の恐怖を心底から味わった彼らは、トラウマを抱えたまま復学出来なかったのである。
冒険者としての道に挫折して、学園を去る生徒は、年間相当数に上る。
彼らがそうだったからと言って、特に気にするものはいない。
とにかく彼らは去ったのである。
保険医の悪評と言う、置き土産を残したまま。

「……」
「人、来ませんね?」
「保険医が暇なのは良い事です」
「涙、拭きません?」
「泣いていません」

保険医を務めるリリィは、怪我をした当事者達からは感謝の言葉を受け取った。
しかし彼らが生ける屍となっている時、うっかりと保健室前を通りかかってしまった者は、彼らの呻きをリアルに聞いた。
その悲鳴とも呪詛ともつかぬ声は生徒達の不穏な憶測を呼び、元々悪かったリリィの評判を地の底に叩き落したのだ。
真実を語れる当事者達は、今頃実家で農作業にでも勤しんでいる。
リリィとしては嘆かずには居られない。
生徒に慕われる保険医を目指してきたはずであるが、現実は非常に厳しく彼女に歩み寄ってはくれなかった。
元よりプリシアナ学園は、ジャーナリスト学課に代表されるように情報に敏感な生徒達が多い。
その情報には噂話も含まれ、出だしで陰気なイメージを先行させてしまったリリィには、何時までたっても生徒達が寄り付かないのである。

「ティティスちゃんは、良くこちらに来てくれますね?」
「私先生の事好きですよ? それにエル先輩からも此処の事を頼まれているんです」
「なんて?」
「寂しがり屋の先生が、発作で手首とか切らないように見張っていてくださいねって……」
「お腹の黒い天使の言うことを真に受けると、幸せが逃げていきますよ」
「私も先生に会いたいですから」
「……ありがとうございます」

リリィは自分を慕う、数少ない生徒の姿を見つめる。
金色の宝箱の前で腕組みし、開錠に四苦八苦しているフェアリー。
箱と同じ金の髪を真っ直ぐに伸ばした、青い目の女生徒である。

「ディアーネ先輩も、リリィ先生の事気にしてましたよ? この間タカチホから手紙が届きまして」
「へぇ?」
「はい。保険医の恐ろしさが分かったって何回も書いてあったんですが……」
「恐ろしさ?」
「前にエル先輩からいただいた手紙にも、同じ様なことが書いてあったんですよね……」
「さて、どんな目に遭っていることか」

苦笑したリリィは、既に冷めている珈琲を一口。
しかし不意にあることに気がついた。
リリィは留学に送り出した二人の生徒からは、慕われていたと断言出来る。
そんな二人が、他校では保険医を恐れているという。
そして現状、リリィも学園の多くの生徒から『死神』だの『マッドドクター』だの、不名誉な二つの名をいただいている。

「もしかして、保険医って生徒から見ると恐ろしい存在なの?」
「私は、リリィ先生を恐ろしいと思ったことってないですけど……」
「……思い過ごしかしら」
「先生、先輩方が居なくなって少し寂しいですか?」
「そうですね。あの子達は、私の所に来てくれる貴重な子達でしたから」
「……」
「ええ、そうね。本当は、留学になんか出したくなかったのかもしれません」

言いながら、リリィは自分の中に確かに存在した独占欲を自覚する。
あの子達をウズメにもカーチャにも渡さず、自分の手で導きたかった。
才能との出会いは教師の至福。
其れが自分を慕ってくれていたのだから、尚更である。
しかしそれでは、ディアーネは兎も角エルシェアは大成出来ないことも分かっていた。
だからこそ、リリィとしてはこの学園で最も自分を慕う生徒を……
ある意味で一番手元に置きたかった生徒の留学を押し通したのだ。

「手紙が来るということは、元気でやっているのでしょうね」
「だと思います。先輩方……きっと頑張ってます」
「寂しいですか?」
「……」

リリィの返しに、ティティスは微妙な表情を滲ませた。
寂しいことは間違いがない。
しかし、今の彼女にあるのは焦燥感。

「寂しいです。それに、傍に居てくれないと焦ります」
「置いていかれないかと、このまま帰ってこないのではないか……待つ身の辛さですね」
「……はい」

俯きながらも、手は止めないティティス。
彼女は現在賢者学課に在籍しつつ、講義の半分をボイコットしては保健室で宝箱を弄っている。
一応クエストで校外に出ている扱いなので、単位的には問題ない。
そもそも彼女は、先輩コンビの詰め込み学習と『冥府の迷宮』の強敵との連戦により、賢者学課の単位を相当数稼いでしまっている。
本人にその自覚はないが、今のティティスはプリシアナ学園でも有数の魔法使いであった。

「先輩方は、外でもいっぱい頑張っています。私も頑張らないと……」
「いきは買いますが、焦ると転びますよ」
「はい。その時は先生、止めてください」
「そう言うからには、止めた時はちゃんと止まりなさい?」
「うぐ……」

ティティスは常に憬れの先輩の背中を追い続けている。
しかし二人の足はとても早く、邪魔にならないようについて行くには同じ以上の早さが必要なのだ。
自覚は少女を焦らせ、強迫観念に近い思いで無理することもしばしばだった。
一度など、賢者学課三日分の講義を一夜で詰め込み、リリィが止めるのも聞かずに実戦に向かったことがある。
そして案の定、校舎を出た途端に貧血で倒れ、リリィに背負われて保健室へ連行された。
この一件をエルシェアやディアーネに秘する代わりに、リリィはティティスの体調管理の全権を掌握したのである。

「倒れるまで走るのは、努力ではなく自己管理が出来てないだけですからね?」
「……耳が痛いです」
「まぁ、走ろうともしない子が増えている現代社会においては、貴女の様な生徒も貴重ではあります」

そう言って窓を見たリリィは、誰よりも早く走れた天使を思う。
走った先の勝敗に目を奪われ、走ることそれ自体を怖がるようになった才媛。
やっと飛翔を決意した少女がプリシアナを旅立ち、早二ヶ月。
残暑は緩み、秋の訪れが紅葉や風の匂いの中から感じられる季節になった。

「先輩達、早く帰ってこないかなぁ」
「きっと、直ぐ帰ってきますよ」

そう言いながら、リリィは椅子から立ち上がる。
壁際の窓を一つ開け放ち、外の風を部屋に招く。
秋の風が流れ込み、消毒用のアルコール臭を薄くした。

「今度お会いするときは、もう少し背が伸びているかも知れませんね」

其れは外しようのない予言である。
リリィは背後でカチリと音が聞こえた。
互いに背を向けた格好だが、ティティスが開錠に成功したらしい。

「……」

リリィは白衣の内側に手を入れる。
そして振り返ると同時に音も無く、手術用のメスを高速で投擲する。
刹那の間も置かずに即応したフェアリーは、腰のダガーを抜き打ちで振るう。
金属同士が衝突する澄んだ音が響き渡る。

「『警戒』に弛みが減りましたね?」
「風の音消しと、開錠成功の気の緩み……狙われるかなと予想できました」
「これは、一本取られましたね。明日から本気を出しましょう」
「……台詞だけ聞くと駄目人間の其れですけど、先生には手加減して欲しいです」

常の無表情でそう語るリリィに、頬を引きつらすティティス。
彼女は今、この部屋に居る間は常にリリィに狙われている。
不意打ちに対する警戒を日常レベルで行い、敵意以下の微弱な存在感のようなものまで感知する特訓。
初めは怪我をしないような投擲物であったが、最近は殺傷力があるモノまで普通に飛んでくる毎日である。
その甲斐あってと言うべきか、鋭敏化した五感はティティスの中で六つ目の感覚を育てつつある。
特にフェアリー種族特有の半透明な羽を持って、空気の流れを感じる事が新たな特技になっていた。
生徒の成長に満足し、リリィは窓を締める。

「次は、こっちの青い箱を開けてみましょうか?」
「はい、頑張ります」
「集中して、さりとて周囲を観察して」
「はい」

素直な生徒は、与えられた課題に取り組んだ。
順調な成長は生徒本人にも感じられ、彼女の心を弾ませる。

「その青い箱は、ちゃんと中身がありますから」
「え?」
「開ける事が出来たら、貴女方に進呈しましょう」
「はい!」

貴女方と言ったリリィの言葉を、ティティスはしっかりと受け止めた。
自分が頑張れば、帰ってきた時に先輩に土産が出来るのだ。
俄然張り切るティティスに、リリィのメスが再び飛ぶ。
ほぼ無意識の動作で正確に其れを叩き落し、妖精は開錠に没頭する。
その様子を見て苦笑するリリィ。
盗賊のスキルである『警戒』は、申し分ない領域である。
しかしリリィも甘くない。
ティティスは今後一月、この箱一つ開けるのに全てを費やすことになるのであった。



§



プリシアナ学園生徒会長であるセルシアが、保健室を訪れたのは特に意味のある行動ではない。
彼はこの日、知り合いの受けたクエストの付き添いで、ドラッケンとタカチホの両学園に向かうことになった。
その時、現在プリシアナ学園から両校に留学している知人を思い出し、更にこの学園で居残りをしている、彼女達のメンバーがいる事を覚えていたのだ。
戦力的には、彼のパーティーだけでも他校への道のりは容易いだろう。
しかし余裕があるからこそ、彼はティティスが望むならば、彼女をエルシェア達の元へ連れて行っても良いと思った。
最も、特に親しいわけでもない相手であるし、約束を取り付けていたわけでもない。
エルシェア達が溜まり場にしていた保健室を覗いて、ティティスが居れば誘ってみる。
断られても問題は無く、彼としてはちょっとした気遣いの域を出ない行為であった。

「それにしても、彼らの反応は何だったんだろうね……」

セルシアが首を傾げるのは、その考えを告げた時の彼の友人……
バハムーンのバロータと、エルフのフリージアが驚愕したような視線をくれた事である。
バロータは兎も角、フリージアはセルシアと主従関係を結んだ仲である。
既に一流への道を歩み始めた執事であるフリージアが、主にそうとはっきり分かるほど驚くというのは珍しかった。
思い当たる節のないセルシアは、一つ首を振って思考を切り替える。
保健室の扉が見えたからだ。

「失礼します」

天使の少年はそう前置きし、スライド式の扉に手を掛ける。
彼が以前此処を訪れたのは、冥府の迷宮探索前にリリィに挨拶に来たとき。
その時は偶然鉢合わせたエルシェアと、答えの見えない会話を交換したものである。

「あれ……会長?」
「いらっしゃい、セルシア君」
「……貴女方は、何をなさっているのですか?」

セルシアが見たものは、行儀悪く保健室の床に座って宝箱の開錠に勤しむフェアリーの少女。
その周囲には数本のメスが散乱している。
そして彼の目の前で、リリィの右手が鋭くぶれた。

「ん」

間髪入れずに、そしてリリィの方すら見ずに妖精の少女はダガーを振るう。
弾かれたメスは偶然に、セルシアの方へ飛んだ。
幸いにして軌道はそれ、顔の横の扉に突き刺さったメス。
それはリリィの獲物が、間違いなく本物の刃物であることを否応無しに理解させた。

「お気になさらず、どうぞ会長」
「いや、気にするなというのも無理な話だろう?」
「唯の警戒訓練です。宝箱に集中しながら辺り一帯に意識を配るんです」
「今時の盗賊学課は、そういうことを教えているのかい?」
「いえ……私賢者学課辞めてないんで、ちょっと本職の方の訓練は存じ上げないんです」
「……そうか」

セルシアのパーティーに盗賊学課履修者はいない。
それ故に、彼はこの訓練が通常のモノと納得してしまう。
リリィが表情を崩していないこともあり、セルシアは違和感を無理やりねじ伏せた。

「いらっしゃいセルシア君。今日は何処か……悪いわけでは無さそうですね」
「はい。お蔭様で健康です。今日は、此処に来ればティティス君に会えるかと思いまして」
「私ですか?」

小首を傾げ、セルシアの方へ向き直るティティス。
彼女にはセルシアが尋ねてくる理由が思いつかない。
しかしリリィは何かを感じ取ったらしい。
一つ咳払いして間を置くと、やや照れたように尋ねる。

「もしかして、私は席を外したほうが宜しいですか?」
「いえ? 別に構いませんよ」

告白の類かと勘違いしたリリィは、席を外そうとするが止められる。
年頃の少年であるにも関わらず、セルシアには浮いた噂が一切ない。
情緒的にそれもどうかと思っていたリリィは、遂にこの時が来たかと思ったのだが……
リリィの思考を他所に、セルシアはティティスと向き合った。
座り込んで箱を弄るティティスと目線を合わせるため、片膝をついて跪いたのは彼の礼儀に寄るものである。

「ティティス君、ちょっといいかな」
「はい」

箱を弄る手を止め、立ち上がる。
同時に制服の埃を払うと、セルシアも微笑して立ち上がった。

「実は、僕は今日の午後からクエストでしばらく校舎を空ける」
「はぁ……」
「そのクエストというのが、ドラッケン、タカチホの両校に行く用事でね。上手く回るとドラッケンだけで澄むんだけど」
「えっと、どんなクエストなんですか?」
「知人の弟が、その両校でコンサートを開くらしい。彼は弟に会いたいらしくてね。一応他校の門を潜ることになるし、僕も同行を申し出たんだ」

きょとんと小首を傾げるティティスは、小動物的な愛らしさがある。
常にセントウレアの弟であった彼には、下の兄弟を知らない。
或いはエルシェアも、この妖精少女を妹のように思っていたのかもしれないと考え、自然と表情が穏やかになった。

「人を探しながらになるし、あっちについてもゆっくりはしていられないと思う。だけど、もしかしたら……」
「先輩に会える!?」
「可能性はあるよ。最も、あちらに話を通してもいないし、クエストで出てしまっているかもしれないけれどね」

急にそわそわと落ち着かな気に、視線を彷徨わせる少女。
何を考えているか、傍で見ている二人には手に取るように分かる。
その性根にサディストの気は無いセルシアは、直ぐに望む言葉をかけてやる。

「どうかな、もし良かったら僕達と来ないかい?」
「はい! ご迷惑でなければ、ご一緒させてください」
「うん、是非よろしく。僕らのパーティーには盗賊がいないからね。頼もしいよ」
「私は……正式に履修してないから亜流で、しかも俄か仕込ですけど……」

そう言って俯くティティスを他所に、セルシアは青い宝箱と周囲に散乱するメスを見る。
そしてリリィと視線を合わせ、保険医が苦笑して頷くのを確認した。

「君の訓練を見せてもらった感想だと、十分実戦で通用するよ」
「そ、そうでしょうか?」

自信無げに保険医を見上げる妖精。
リリィは無表情のまま頷き、ティティスの髪を撫でてやる。

「此処で学んだことが、外で通じるか試す機会です。通じなかったらそれはそれで、課題が浮き彫りになるでしょう」
「……はい!」

決意を込めて頷くと、再びセルシアに向き直るティティス。
瞳には静かな決意が秘められ、真っ直ぐに少年を捉えた。

「よろしくお願いします、会長さん」
「ああ。出発は今日の午後一だけれど、大丈夫かな?」
「はい……あ、この箱持って行っていいですか?」
「別に構わないけど、何が入っているんだい?」
「まだ開けられないので、分からないんですよ……」

相当に梃子摺っているようで、ティティスの表情が暗くなる。
出先でも練習するに違いないと悟った少年は、熱心な後輩に一つ頷く。

「頑張ってね」
「はい!」

ティティスは元気に応えると、準備をすると言い残して学生寮へ走り去る。
集合場所を告げる暇さえなかった。
唖然として佇む生徒会長に、保険医が苦笑して椅子を勧める。
恐らく羞恥で顔を赤くして、妖精が戻るまでは暫くあるだろう。
リリィはデスクから便箋と封筒を取り出すと、留学している堕天使へ送る手紙を書き始めた。



§



このクエストの依頼人は、アイドル学課所属のエルフ、ブーゲンビリアである。
彼は可愛い路線を目指したアイドル志望だったのだが、何を間違えたか筋骨隆々の逞しい青年へと成長してしまう。
エルフの規格を嘲笑うかの如く変身(としかいえない)を遂げた彼には、同じアイドル志望の弟がいた。
ほぼ一年前にプリシアナ学園を飛び出した、その弟の名をアマリリスと言う。
幸いな事に兄に似ず、見目麗しい美少年の形態を維持し続けるアマリリス。
学園在籍時代は兄弟仲睦まじかった彼らだが、此処最近では音信不通の状態である。
ブーゲンビリアとしては可愛い弟である以上、あって色々と話したいことがあるらしかった。

「そういえば……エル先輩って、ブーゲンビリアさんとお友達みたいでした」
「マジかよ?」
「はい。前に少しそんな事をおっしゃってらして」

現在ドラッケン学園への道のりは、セルシアのパーティーが先行している。
ブーゲンビリアは依頼主だが、彼らのパーティーの一員であるレオノチスに、戦士学科の追試が入ったのだ。
流石に置いて行く事は出来ず、さりとてアマリリスを補足出来ねば意味が無い。
二パーティーの代表は話し合った結果、セルシアが先行してドラッケンへ向かう事になった。
其処でアマリリスに会えれば、ブーゲンビリアの到着まで引き止めておく為である。

「まぁ、ブーゲンビリアはあのなりだが、それ以外はいたってマトモだしなぁ」
「そのなりが、致命的な領域だと思わなくも……」
「ハハ、違いねぇわ」

バロータはティティスの発言を豪快に笑い飛ばし、全身で頷いて同意した。
このフェアリーは道中、よく隣を歩くバハムーンの少年と会話している。
ティティスとしては種族相性からか、ややバハムーンを苦手としているのだが……
バロータには、竜族特有の気位の高さが無い為親しみやすい。
また、セルシアやフリージアが何処と無く近寄りがたい雰囲気を持っているため、自然と庶民的なこの竜族はティティスの精神安定剤になった。

「でもブーゲンビリアさん、やっぱりエルフさんですよね。顔の彫りも深いし、色も白いし……路線変えれば人気出ると思うんですけど」
「お、お前さん通だねぇ。いや、俺もそう思ってんだよ。ビジュアル系のロックとか行きゃ良いのに……あえて茨道行かないでもなぁ」
「弟さんを探していらっしゃるんですよね?」
「ああ。あいつら学園じゃ、仲も良かったらしいんだ」
「今は、良くないんですか?」
「弟がいきなり飛び出しちまって、音信不通だったらしいぜ。今回はやっと見つけた手がかりって奴さ」

ティティスの問いに、口調以外は丁寧に答えるバロータ。
彼は美少女には優しいナイスガイを自称している。
特にティティスは性格が素直な事もあり、バロータにしても好ましい少女だと思える。
少年がちらりと前を行く親友二人に目を向ける。
セルシアとフリージアもそれぞれに話をしているようだが、偶にフリージアがこちらに視線を投げていることに気がついた。

「……」

バロータとフリージアには、共通の興味がある。
それはセルシアが気にかけた、この妖精の少女の事。
二人が知る限りセルシアは、絶対的な価値観をセントウレアに据えている。
そして究極的には彼以外が全く見えておらず、只管に『兄のようなセレスティア』という目標に邁進しているのである。
セルシアにとって学年首席と生徒会長の地位は、その道筋の付属物に過ぎない。
最も高い所を目指しているのだから、途中にあるものを得るのは当然のこと。
セルシアとしてはその様なものに全く価値を見出していない。
しかし何事も完璧主義のセルシアは、与えられた社会的立場を弁えてこなす事も出来た。

プリシアナ学園の生徒会長として―――

この思考法だけが、セルシアの本来乏しい社交性を、非常識の領域からかろうじて救い出している。
かつてエルシェアとディアーネが語ったように、セルシアは他人に興味が無かった。
そんなセルシアが、ティティス個人を認識して気にかけたと言うのである。
幼馴染と呼べる程に長年連れ添ってきた彼らにとって、正に驚愕の事態であった。
バロータは異分子から主を守るように警戒しているフリージアに苦笑する。
ティティスとしても、フリージアから好意的な雰囲気は感じられず、また好意的にする理由も無いので気にしてはいなかったが。

「寒くなってきましたね」
「もう秋だからなぁ……しかし運が良かったぜ? もう少し冬が近かったら南回りでドラッケンまで行かねぇとだったからな」
「その時は、もうタカチホで待ったほうが良かったでしょうね」
「違いないな」

北周りでドラッケン学園を目指す一行。
『歓迎の森』から『ローズガーデン』を経由して『約束の雪原』を抜ける。
更に北上して『スノードロップ』の町から『断たれた絆の道』の先に、目的の学園がある。
彼らの旅路は非常に順調なものだった。
ティティスは豊富な魔力を駆使し、魔物の大半をほぼ一発の範囲魔法で一掃してしまう。
最初はフリージアからガス欠を心配されたが、ティティスは特に息を上げることなく魔法の行使を繰り返す。
フェアリーの消耗が心配ないのなら、効率が良いことは確かである。
初日を余裕でついてきた後は、フリージアも何も言わなかった。
この日もティティスは蜂の大群を『ビッグバム』で吹き飛ばす。

「相変わらず、呆れる程の手際ですね」

爆風でずれそうになる眼鏡を抑え、苦笑するエルフの少年。
フリージアは妖精の、浪費とも取れる魔法に肩を竦める。
大味な一掃は彼の好みではない。
必要な敵に必要な魔法を必要なだけ行使する。
その見極めがこそが魔術師の完成度だと思っているこの少年は、光魔術師学科専攻だった。

「早く着いた方がいいと思いまして」

にっこり微笑む少女は、十数匹の魔物を消し飛ばした魔術師には見えなかった。
セルシアはその様子を見て、顎に手を当てて首を傾げる。

「ねぇ、ティティス君。君ばかり働かせて申し訳ないのだけど、ちょっといいかな」
「はい?」
「うん、君の魔法は見事なものだよ。それを認めたうえでの質問なんだけど」
「何でしょうか」
「……エルシェア君は、今の君より強いのかな?」

反射的に即答しようとしたティティスは、セルシアの目を見て息を呑む。
世間話のような口調で問われた割に、彼の眼は全く笑っていない。
表情も非常に真剣で、ティティスとしては言葉の意味を吟味せずには要られなかった。

「事、魔法の分野においては……堕天使より賢者の方が優れていると思います」
「ああ、そうだろうね」
「ですが、私はエル先輩の影を踏むことは出来ていないと考えています」

その答えを聞いたときのセルシアの表情は、ティティスには変化が無かったように思う。
実際に、天使の少年は眉一つ動かしていなかった。
傍に控える友人二人が、その変化に気がついたのは年季としか言いようが無い。
バロータとフリージアは素早く視線を交換し、互いの胸のうちに抱いた回答を確かめる。
セルシアの内面は、おそらく歓喜。

「そうか。君も強いけど、彼女はもっと強くなったか」
「はい。私の先輩は、強いですよ」

私の、と言う部分を強調した妖精。
そんなティティスの様子に満足したように頷くと、セルシアは再び歩き出した。

「行こうか」
「御意」
「おう」

フリージアとバロータは迷うことなくその背に従う。
ティティスも慌てて後を追った。
種族柄背が低く、少しの遅れが大きくなってしまうのだ。
一度振り向いたセルシアが、ティティスを確認する。

「フリージア、何時までも客人だけに仕事を任せるのも不甲斐ないな」
「はい」
「バロータ、お姫様を頼んだよ」
「任せな」

急にやる気を出したような男性陣により、慌しくなったパーティー。
セルシアは本来、仲間に守られて引きこもるリーダーではない。
彼の本質は、仲間の先頭に立って率いて行くことである。

「私、余計なことしちゃってました?」
「いや……よくやってくれたのかも知れねぇ」

ティティスは不意に活気付いた様子のセルシア達を見つめている。
バロータはそんなティティスの頭を乱暴に撫でる。
特に意味のある行為ではないが、背の低い妖精の頭はバハムーンにとって撫でやすい所にあったのだ。
やや不満げに見上げるティティスに、バロータが苦笑を返す。

「わりぃな。代わりに此処から楽させてやるから勘弁してくれ」
「楽?」
「ああ。まぁ見てな……うちの大将の本気をさ」

ティティスは一人息を飲む。
彼女が憬れる天使と悪魔。
その片割れの心を折ったのは、プリシアナ学園の生徒会長。
セルシア・ウィンターコスモスである。
忘れていたわけではないが……

「お前さんじゃなかったんだなぁ」
「え?」
「いや、セルシアの奴さ……お前に気があると思ったんだよ。フリージアも、だからお前に冷たかったろ?」
「はぁ」

バロータは楽しそうに笑っている。
何が楽しいのか分からず、ティティスはとりあえずついて行く。
その行く手には、先程の爆発を聞きつけたか大量の蜂が現れる。
ティティスは再び吹き飛ばそうかと考え、それはバロータに止められる。

「手ぇ出すな。セルシアの事を良く見てろ」
「え?」
「よーく見て、そんでエルシェアに教えてやれ。あいつは、まだ納得しちゃいなかった」

ティティスは聞き返そうとするが、バロータはそれ以上答えなかった。
いざと言うときは範囲魔法を使う為に意識だけは傾ける。
しかし、彼女の備えは無駄になる。
目の前で披露された少年の剣技は、先程の倍はいようかと言う魔物の群れを切り裂いた。
時間にして一分足らず。
文字通り秒殺したセルシアは、呆然と視線を送るティティスに微笑する。

「さぁ、急ごうか」

ティティスはその笑みが、空恐ろしいものに見えて仕方なかった。
かつてのエルシェア程ではないにしても、同じ畏怖を感じた妖精の少女。
バロータはその小さな背中に、興味深い視線を向けていた。



§



その夜、絶たれた絆の道の途上で最後の野宿をすることになった。
明日の昼前には、ドラッケン学園の校門に着けると思われる距離である。
交代での見張りを立てて仮眠を取る一行。
セルシアはティティスを見張りのサイクルから外そうとしたが、頑として譲らなかった。
少女の芯の強さに逆に感じ入った様子のセルシアは、彼女の意見を取り入れて四交代に決めたのだ。
初めの見張りについたティティスは、震える身体で抱きしめるように宝箱を弄る。
音を立てないように細心の注意を払いながらの開錠作業は、全くと言っていいほど捗らなかった。

「……」

昼間のセルシアの剣技が、彼女の脳裏に張り付いて離れない。
彼女が知る限り最高の前衛はディアーネだが、少なくとも留学前の彼女ではセルシアに及んでいないだろう。
ティティスは自分が見た現実を受け入れられず、さりとて自分を騙し切れずに心の置き場に戸惑った。
セルシアの剣はとにかく速い。
剣の振りがそうさせているのか、または身体の使い方が上手いのか……
ティティスの眼に銀色の光がぶれた瞬間、周囲の敵が二等分にされている。
彼女は遠目ならディアーネの剣も目で追えているのである。
そんな妖精の目にも、セルシアの剣は残像しか捉えきれない。
魔法に寄る集団殲滅の効率を、高速単体撃破によって塗り替えるその手際。
それは神に愛された才の所有者のみが成し得る技巧に感じられ、ティティスの心を重く湿らせた。

「エル先輩……ディアーネ先輩……」
「おっす、交代だぜ」
「あ……バロータさん」

眠そうに欠伸を交えながら、起き出してきたバハムーンの少年。
ティティスはだらしない少年に苦笑しながら、再び青い宝箱に目を落とす。

「まだ良いですよ?」
「どうせ、寝らんねぇか」
「……はい」

隠そうともせず首肯する妖精。
バロータは焚き火の向かいに座ると、深い溜息をつく。

「すげぇだろ、うちの大将はよ」
「はい。何であんなことが出来るんです?」
「そりゃ、がんばって特訓してるからだよ。あいつ才能ねぇからさ」
「あれで……?」
「少なくとも本人はそう思ってる。あんな兄貴を持っちまったら、多少の自惚れなんか吹っ飛んじまうさ」
「……」

セルシアがウィンターコスモス家の次男であり、当主は兄のセントウレア。
プリシアナ学園の校長であることは周知の事実である。
ティティスは敢えてそれには応えず、宝箱の開錠を続けている。
リリィが託した宝箱。
この箱だけが、今の彼女の拠り所なのかもしれなかった。
バロータは小さく震えながら、必死に箱に縋りつくような少女に痛ましげな視線を送る。
やや逡巡し、彼は誰にも語る心算のなかった想いを口に乗せることにした。
なぜそうしようと思ったか、後になっても彼の中で答えの出ない事だった。
ティティスには、人の心の一部を開かせる何かがあるのかもしれない。

「なぁ、お前もう少し起きてるか?」
「……はい」
「じゃ、ちょっと昔話に付き合ってくれや」
「昔話?」
「おう。俺が、この学園に入学したときの話さ」

ティティスは身の丈はあろうかという宝箱を横に置き、バロータの顔を見つめてくる。
その視線から、意外に彼女が真剣に会話に付き合う心算らしいことに驚く少年。
彼としては、開錠の片手間に聞いて欲しいことだった。
顔を突き合わせて語るには、やや精神的圧力が重い話だったから。

「俺がプリシアナ学園に入学したのは、二年前の前期だった。同期にはエルシェアの奴がいてさ……」
「先輩と、同期だったんですか?」
「ああ。入学した時のあいつは、周囲から本当に浮いた奴だったよ。実力は頭一つなんてもんじゃねぇ、桁一つは違ってたからな」
「エル先輩……」
「本当に、凄かったんだぜお前の天使は。その頃には、俺はもうセルシアと長い付き合いでさ……あいつを知ってる俺でさえ驚いたんだ。こんな奴がまだ、世界にはいるんだ……てな」

バロータは目を閉じると、当時の様子を鮮明に脳裏に描くことが出来た。
今よりやや幼げな少女の顔。
まだセミロングだった、薄桃色の巻き毛の天使。
誰よりも高みを羽ばたいていた少女は、しかし直ぐに地に堕ちた。

「もともと、俺らの世代はエルシェアが圧倒的に強かった。だけど、半年後の後期にセルシアとフリージアが入学してきた」
「……」
「後から現れたセルシアは、あっという間にエルシェアを追い抜いていったんだ」
「エル先輩でも、会長には勝てなかったんですか?」
「セルシアが入った時点では、確実にエルシェアが上だったよ。でも逆転するまでに、三ヵ月は掛からなかったな」

バロータの容赦ない返答に、ティティスは一人俯いた。
竜族の少年は、そんな妖精の反応に苦笑する。
彼は決してエルシェアを貶める意図はない。
彼にとって、セルシアが三ヶ月も頭を抑えられた事は驚嘆に値する事実なのだ。
エルシェア自身は、そんな結果に価値を見出すことは出来なかったが。

「セルシアと出会ったとき、俺はまだガキだったしよ……時間と共に、あいつに勝てない自分を受け入れることが出来るようになった」
「負けて……それで良いんですか?」
「仕方ねぇだろ? 勝てねぇんだから。でも、そうだな……お前の先輩は、納得できなかったんだろうな」
「……」
「あいつはなまじそれまで一番でいたから、初めての敗北から簡単に立ち直ることが出来なかった」

深い溜息を吐きながら竜の少年は空を見る。
この世界の空は広いのに、たった二人の天使が同時に舞い上がるには狭すぎるらしい。
そんな感想を抱く少年は、省みて飛ぶことも出来ずに諦めた自分を自嘲する。
しかし口に出したのは、堕天使の過去だった。

「それからのあいつは、ちょっと酷かったよ。学科にも居つけず転々として……あまり評判の良くない連中ともつるむようになっちまった」
「……」
「去年の前期に新入生が入学してきた時には、もうエルシェアの事を特別に見る奴はいなくなってた。セルシアが生徒会長になって、学園でとんでもなく目立つようにもなったしな」

俯いたまま、ティティスは少年の言葉を聞く。
自分の知らないエルシェアの栄光と挫折。
そして迷走……
ティティスは今更、エルシェアへの思慕は揺るがない。
ただ、尊敬する天使の当時の気持ちを考えると胸が痛い。
憐憫も哀惜も沸かない。
只管に痛みだけがティティスの心を揺さぶった。
ふと頭上に違和感を感じ、顔を上げたティティス。
バロータは隣に座ると、昼間のように彼女の頭に手を置いていた。
不満げに顔を歪めるが、バロータはティティスを見ていない。
彼は澄み渡った秋の夜空を見上げている。
常の砕けた表情ではなく、誇り高い竜の顔だった。

「でもよ……やっぱり後輩に追い抜かれるのは、先輩としちゃ……立つ瀬ねぇだろ?」
「はい」
「だけど、セルシアには敵わねぇ。あいつが台頭していく中で、俺らの世代は皆思ったさ……こんな時、あいつがいたら……てよ」
「バロータさん……」

少年は視線を降ろし、横の妖精と目を合わす。
この小さな少女が、彼らの世代で最も輝いていた才能を蘇らせた。
それは彼にとって、決して小さくない出来事なのだ。

「俺はセルシアだって知らない……エルシェアの半年を知っているんだ。誰よりも高く遠くを飛んでいた、黒翼天使をな」
「……」
「もし、あいつが完全に立ち直ったんだとしたら……俺は今度の『三学園交流戦』の本命はあいつだろうと思ってる」
「交流戦?」
「あ? なんだ、知らねぇのかよ」

言いながら、バロータはティティスが、ごく最近の転入生であった事を思い出す。
彼女の実力から感覚が麻痺していたが、この少女は本来ならば、今だ賢者学科の初心者の域を出ていないはずなのだ。
至極身近に、驚くべき素質を眠らせた少女がいた事に少年は驚いた。

「うちと他二つの学校の上位陣が、合同でポイントを競う対抗戦さ。まぁ……冒険者の新人王決定戦ってところかな」
「先輩方も出るんですか?」
「大体この時期に留学する奴は、各学科のトップ級だからな。ほぼ間違いなく、例年は参加してる行事だね」

大陸に三つある冒険者養成学校が共催して行う対抗戦。
それがどれほど大きな催しか、ティティスには想像もつかなかった。

「優勝者を出した学校は、実績の証明になる。勿論、此処で優勝した奴はその後の進路にも影響するぜ? 少なくとも選択の幅は広がる」
「……」
「何となくだがよ、リリィ先生は其処を見据えてお前らを育ててる気がするんだよな」
「あ!」

三学園交流戦は年末を飾る最後の行事。
此れをやり遂げねば、学生達に新年は来ないといわれている。
エルシェアとディアーネが留学したのが九月の頭であり、三ヶ月の期間を終えて帰ってくるのが十二月の上旬である。

「ま、俺が勝手にそう思ってるだけだがね」

バロータは一つ伸びをすると、いつの間にか冷えた身体を焚き火に寄せた。
ティティスは寒そうにしている少年を見て、いつの間にか悴んでいた自分の手に気がついた。
こんな手で、宝箱の開錠などを試みていたというのが信じられない。
火に手をかざし、裏から息をかける少女。
その頭上から、バロータの声が降ってくる。

「あったまったら、そろそろ寝とけ。明日エルシェアに会った時、お前の顔に隈でも出来てりゃ、何されるかわかりゃしねぇ」
「……はい。それじゃ、お言葉に甘えます。バロータさん」
「あ?」
「ありがとうございました」

はっきりと告げ、頭を下げたティティス。
バロータは特に気にする様子も無く、片手を振って追い払う。
しかし自分のシュラフに潜り込んだ妖精に、彼は最後に声を掛けた。

「当たり前だが……交流戦はチーム単位だ」
「……」
「俺も、そんでフリージアも……セルシアとエルシェア以外に負けたこたぁねぇぞ」
「そうですね。貴方達は、ずっと会長の傍にいたんですものね」
「そういうこったな」

彼は誇り高い竜の末裔、バハムーンの少年である。
最強を諦めた男にも矜持があった。
それは遥か高みを目指す天使の友として、恥じない竜であること……
その翼は退化して、飛べなくなった一族。
しかしその爪も、牙も、彼は失っていなかった。



§



後書き

天使と悪魔と妖精モノ第十話をお届けします。
早いもので、この作品も二桁に突入いたしました。
作品内の時間とメインストーリーは遅々として進んでいませんが……
此処まで書き続けられたのも、読んでくださる皆さんのお蔭と頭の下がる思いでございますorz

登場人物が勝手にお話を進めてくれるのは、こういうものを書いてる人間とすると非常に嬉しいものですが、既存のNPCキャラクターが其れをやってくれた場合、私の実力不足部分がキャラ劣化として代償を求めてくる……orz
前回のウズメ先生といい今回のNPCの皆さんといい、原作ファンの方本当に申し訳ありません(´;ω;`)
何かご意見、ご感想などお待ちしております。
それでは、失礼いたします。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑪
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/12/19 15:47

霜風が多くの生き物を眠らせる十二月……
留学の最終日を迎えたエルシェアは、間借りしていた学生寮の整理を行っていた。
持ち込んだものは衣類、洗面用具と化粧品一式に筆記用具。
更に現場でお世話になる装備品一式である。
殆どが来たときと同じ荷物だが、違いが二つ。
この学園で新調した片手鎌『シックル』と、制服の上から羽織るようになった『白衣』。
装備以外では、この三ヶ月で溜まった相棒と後輩からの手紙である。
手紙は折れないように、小さな宝箱に入れて鍵を掛けた。
彼女はそれらを私物である、物理的に容量を無視した魔法の道具袋に仕舞う。

「忘れ物って無いかしら?」
「はい。もし何かあったら、取りに参ります」
「そうね。まぁ、今生の別れって訳でもないか」

エルシェアは背後から掛けられた声に、驚くことも無く答える。
声の主は、彼女がこの三ヶ月を師事したドラッケン学園の保険医、カーチャであった。
留学当初のように、この声を聞くだけで身体を強張らせていたエルシェアは、もう何処にもいない。

「なんだか面白くないわ。昔みたいに怖がってくれない?」
「なんといいますか……憎悪が恐怖を駆逐してくれました」
「私、貴女に怨まれるような事した覚えって無いけれど……」
「どの口でおっしゃいますか? ご自分の胸に手を当てて考えてください」
「ふむ」

カーチャは律儀に右手を胸に添えると、瞳を閉じてこの三ヶ月を回想する。
エルシェアを扱いて泣かせて苛めて罵って嘲笑って吹っ飛ばして鍛え上げて……力尽きた所を回復してやった記憶しかない。

「貴女、私に感謝の気持ちが足りないわ。此れはもう絶対」
「……まぁ良いです。今は……今だけは言わせておいて差し上げますっ」

穏やかな微笑の仮面の下……心の中では唇を食い千切るほどに噛み締めていた少女である。
地獄であった。
エルシェアにとってこの三ヶ月は、正に生き地獄と言って過言では無い日々だった。
そんな毎日に耐え忍んだ代償か、彼女は自身の常識を塗り替える。
今ならば、リリィに胸を張って成果を告げることが出来るだろう。

「感謝も、していますよ。わたくしは、少しだけ強くなれました」
「うちの学校の上位陣荒らしまわってくれたくせに、少しだけ?」
「ええ、少しだけ。私、この先も伸ばせそうですから」

艶然と微笑むカーチャに、同質の笑みで応えるエルシェア。
そんな弟子の様子に満足したように頷くと、カーチャはエルシェアを緩く抱く。
特に逃げもせずに抱擁を受けた生徒は、相手の白衣に染み付いた消毒用アルコールの匂いに包まれる。

「正直もう少しこの学園に居るべきだったわ。遣り残したこと多いでしょう?」
「ええ、貴女の息の根を止めずに帰参するのは業腹ではありますが……」
「貴女の挑戦なら、何時でも受けてあげるわよ」
「負けたら所持金半分で再戦させていただけますか?」
「ボス戦闘にそんなものがあると思う?」
「……五年……いえ、三年で追いついて見せます」
「へぇ、随分大きく出たじゃない」

カーチャは女生徒を開放すると、不敵に微笑む相手を見つめる。
後十年は影すら踏ませる心算はないが、前に向かって挑んでくるこの少女の気概は心地よい。
この若い天使に欠けていたモノは、望んだ未来で現実を塗りつぶす意欲である。
今のエルシェアは勝つと決めたなら、万難を排してそうある未来を作るだろう。
カーチャはとりあえず、彼女を自分に預けた相手……
プリシアナ学園で保険医を務める友人に、顔向け出来なくなることは無さそうだった。

「出発前に、先生方やお友達には挨拶したの?」
「はい。昨日、主だった方々にはご挨拶をして回りました」
「……留学中に貴女と仲の良かった生徒が今、軒並み保健室で呻いている件について弁解は?」
「私が売った喧嘩ではありません」

エルシェアは留学中に主だった学課の上位陣と、ほぼ全て手合せして勝利していた。
伝統校であるドラッケン学園の成績上位者である。
彼らは自分の努力と、それに見合う実力に相応の矜持を持っていた。
この留学生に一矢報いようと、躍起になる学生は後を絶たない。
昨日は此れが最後とあって、エルシェアが挨拶に回った生徒はほぼ全員が決着戦を挑んできたのである。

「私への当てつけに、仕事を増やしてから帰ろうとしているのかと思ったわ」
「皆さん本気で向かってきてくれました。応えるなら、私も手は抜けませんよ」

戦術の引き出しが多いこの堕天使は、優れた観察眼で相手をデータ化し、弱点を徹底的に突いてくる。
その戦闘スタイルはこの学園に在籍するセレスティアにとって、新たな可能性に気づかせる結果となった。
彼らの中から堕天使学科に興味を示し、カーチャへ相談に来る生徒も増えている。
カーチャとしては面倒な反面、暇も潰せるとあって複雑な心境は隠せなかった。

「それにしても……今日でこの学び舎を去るとあっては、感慨深いモノがありますね」
「あら、いっそうちの子になる?」
「謹んでお断りいたします。そろそろリリィ先生のお顔が見たいので」
「あ……」
「……何か?」

カーチャはエルシェアの発言に、ある事を思い出す。
ほぼ一月前……プリシアナ学園から数人の生徒がやってきた。
彼らは当時、この学園でコンサートを開こうとしていたエルフに会いに来たのだが、結局会えずに立ち去った。
その時のパーティーで紅一点だったフェアリーが、エルシェアを捜していたのである。
エルシェアはその時、私用で校外に出ていたために会えなかった様だが……
カーチャはそのパーティに対応した学生から、外部生徒から預かったという手紙を渡されている。
そしてエルシェアが戻ってきたときには、すっかり頭から抜け落ちていたのである。
冷たい汗が背中を伝う。

「カーチャ先生。何か?」

エルシェアはこのような時、相手の都合の悪い部分を見逃してくれない。
既に何か隠し事があると勘付いたらしい女生徒は、にっこり笑ってカーチャに詰め寄る。
カーチャにとって都合の悪いことに、この手紙はリリィ本人が、フェアリーに託したモノ。
思い出してしまった以上、手紙を握りつぶすことは出来ない。
彼女は僅かでも身の危険を減らそうとし……更なる墓穴を掘っていく。

「えっとね……怒らない?」
「別に、先生の言動一つで今更理性を無くす可能性は、低いと思いますよ」
「神様に誓って?」
「ええまぁ……今正直に自白してくださるなら」
「…………リリィにも誓える?」
「はぁ!?」

その時のエルシェアの表情は、正に豹変という言葉の見本であった。
普段物腰穏やかな堕天使は、常の余裕をかなぐり捨てて師たるカーチャの胸倉を掴み上げる。

「貴女如き毒婦との口約束に、リリィ先生のお名前を引き合いに使えるとお思いですか!? 私の女神をっ! 信仰を冒涜なさるおつもりか!」
「わ、解った、私が悪かったから指先の『デス』は仕舞いなさい」
「とにかく、そろそろどんな悪事を働いたか白状していただけますか? そうすればシックル一撃で許して差し上げる気になるかもしれません」
「どの道即死判定は免れないのね……まぁ、今回は私が悪いんだけど」

カーチャは指先を一つ振ると、保健室のデスクに保管してある手紙を自分の手元に召喚する。

「ほら、一ヶ月くらい前に、貴女の仲間が此処に尋ねてきたじゃない?」
「ええ……入れ違いになったと聞きましたが」
「その時、私妖精の子からリリィのお手紙預かってたんだけどね……」
「忘れていらっしゃったんですね?」
「いぐざくとりぃ」
「サイズとシックル、どちらの即死判定をご希望ですか?」
「どっちも嫌」
「解りました。二刀流で」

そう言いつつも鎌は出さず、カーチャの胸倉を開放して右手を差し出すエルシェア。
とにかく今は手紙の中身を確認したかった。
カーチャへの復讐は、内容が時限性で取り返しがつかなかった場合に考えればいい。
エルシェアの計算を寸分違わずに読み取ったカーチャは、この場に居ない友に祈りを捧げながら手紙を渡す。
この内容如何によっては、カーチャはエルシェアのみならず、本物の死神先生に狙われることになる。

「……」
「……」

受け取った手紙の封を切り、内容を確認するエルシェア。
わざとゆっくり読んでいるのか、それとも重要な内容なのか、少女はそれなりの時間手紙から目を逸らさない。
その間、冷たい汗を滴らせたカーチャである。

「これ、内容を把握なさっていらっしゃいましたか?」
「いいえ? 流石に読むわけに行かないし」
「ふむ……」

エルシェアはそれきり口を閉ざし、手紙をカーチャに手渡した。
視線で読んでいいのかと尋ねたカーチャに、エルシェアは一つ頷いた。

「此れは……」

それは三学園交流戦の、参加申し込みを促す手紙であった。
リリィは情理を尽くしてエルシェアの交流戦参加を望んでくれていた。
心温まる内容ではあったのだが、締め切りは十一月の末日である。
今の日付は、十二月の三日で……

「さぁ、生徒達に最後のお別れをいたしましょう?」
「落ち着いて? ね? 大丈夫だから、何とかするから落ち着いて」
「さようなら。あの世で私に詫び続けなさい、カーチャ先生」

即死判定持ちの鎌を二刀流で振り回す女生徒に、完全回避で逃げ回る女教師。
狭い部屋の中で行われたリアル鬼ごっこは、エルシェアの留学最後の一日の半分が費やされる事となった。



§



タカチホ義塾所有の、屋内訓練場第一棟。
其処はこの一月程の間、教師のウズメに拠ってほぼ貸しきり状態になっている空間である。
彼女が自分の担当たるアイドル、クノイチ学科を副担任に押し付け、熱を上げている少女を育成するために。

「……」
「ぜっ……ひゅ……っはぁ」

不敵に微笑むウズメに対し、呼吸すら侭ならない少女は、プリシアナ学園から留学しているディアーネである。
本来なら二日前に留学期間を終えているが、彼女は未だにウズメとの修練に勤しんでいる。

「うふふ」
「はっあぅ……ぐぇ」

哀れなほどに荒い呼吸を繰り返す悪魔の少女。
しかし、その表情は爆発しそうな歓喜に染まっていた。

「……あ、あたった?」
「えぇ、有効防御を取れなかった事は認めるわぁ」

ディアーネが大上段から振り下ろした、鉄芯入りの木刀。
右腕の手甲で遮ったウズメは、その剣圧に潰されるように片膝をついた。
ウズメは規格外の力を持っているとは言え、本来非力なクラッズである。
基礎体力が違うディアボロスの、しかも長身のディアーネに上から潰されれば、このような事にもなるのである。
ウズメにダメージは通っていない。
この状態からでも続行すれば、ウズメは幾らでも仕切りなおし、若しくはこのまま逆撃を入れる術があるだろう。
しかしそうしないのは、ディアーネの攻撃がウズメの防御を、瞬間的に上回った為である。

「お見事♪」
「あ、ありがとうございます!」

膝をついたまま、教え子を称えるウズメ。
その言葉はディアーネの緊張の糸を断ち切った。
此処しばらく、彼女はウズメに剣先を掠らせる事すら出来ていない。
高速の体捌きと不規則に揺れるような歩法。
二つを巧みに組み合わせたウズメの出入りについて行けず、一撃離脱で削り倒される毎日を送っていたのである。
ウズメがこの動きを使う様になってから、ディアーネが相手に刀を当てたのは初めてのことである。
倒れこむように床に崩れた悪魔の少女。

「床……冷たくて気持ちいいっす」
「んー……実力以上のモノが出てたわねン?」
「そりゃ、気合も入りますって」

そう言ったディアーネは、訓練場の隅で、一人佇む少女に目を向ける。
薄桃色のウェーブヘア。
年頃の少女にしてはやや高い背。
その背中と側頭部に、漆黒の翼を携えた堕天使。

「やっと当てて見せてくれましたね? てっきり打たれ強さを披露する組み手なのかと思いました」
「ん、エルの皮肉も久しぶりだと快感に感じる?」
「まぁ? お望みでしたら、ドラッケン学園で吐き出せずに溜め込んだ毒を、全て貴女に注ぎ込んで差し上げますが」
「ごめん。私それ、多分泣く」

起き上がりながら、頬を引きつらせたディアーネ。
彼女がタカチホの地に留学後も居座っていた理由が、この待ち合わせである。
エルシェアは冬季に北周りでプリシアナ学園に帰る事を避け、遠い南回りで戻る事をディアーネに告げていた。
その時、必ず通るタカチホ義塾周辺で合流し、此処から一緒にプリシアナ学園に帰る事を約束していたのである。
ディアーネは当初、近場の町で宿を取ってエルシェアを待つ心算であった。
しかしウズメは事情を知るとディアーネを自宅に招き、ロスタイムを追加講習に当てたのである。
ディアーネとしても宿代の節約と、師として慕うウズメの講義を受けたい心情もあり、二つ返事で転がり込んだ。
エルシェアと違い人懐っこい悪魔の少女は、留学先の師と良好な師弟関係を結んでいた。

「しかし、最後の一閃は凄かったです。速すぎて打ち終わりしか視認出来ませんでした」
「えぇ。思ったより速くって、受けるか流すか迷っちゃったわぁ」

迷いが判断の遅滞を招き、やや中途半端に受けたウズメ。
その結果、力に対して技巧を挟む余地を失い、ウズメの足が止められたのだ。

「あれは打ち下ろしより、その前の呼び込みが大本命だったんだよー」
「不意に刀が上段に跳ね上がりましたよね?」
「うん。手元だけで操作してるけど、握り方でああいうことも出来るっす」

得意げに語るディアーネは、木刀を片付けるとウズメに向かう。
正面で一つ礼をすると、そのまま正座に座りなおした。
小柄なクラッズとディアボロスでは、正座をしても目線の高さがそれほど変わらないのだが……
傍で見ているエルシェアにも、存在感の桁が違うのが解る。
その理解こそ、彼女がこの三ヶ月で新しい領域の住人になった証左であったろう。

「ウズメ先生。今日までのご指導、本当にありがとうございました」
「よくついて来たわぁ」
「まだ先生から学ぶことの多い身です。ですが、私も他校在籍の身。それは次の機会に、よろしくお願い申し上げます」
「ええ。また、道に迷うようなことがあればいらっしゃい」
「はい」
「私は生徒の望んだ姿を映す鏡。私の中に何を見出すか、見出したものを貴女自身がどう使うか……貴女の行く末に期待しているわン」
「はい」
「うん。それじゃ、お友達も来た事だし、お行きなさい」
「……失礼いたします」

ディアーネはウズメと握手を交わして立ち上がる。
そして相棒に預けていた『千早』を受け取り、制服の上に羽織った。

「先生、またね!」
「ええ、またねン」

二人は手を振り、其れきり振り返ることも無く歩き出した。
ウズメはタカチホ義塾の学び舎へ。
ディアーネは相棒と共に、タカチホ義塾の正門へ。

「ディアーネさんは、私が来るまでずっと修行を?」
「うん。私物は『トコヨ』で交易所の預かり所に放り込んで、ウズメ先生のお宅にホームステイ」
「それは、貴重な経験かもしれませんねぇ」

エルシェアはタカチホ義塾へ到着すると、通りすがりの生徒からディアーネの所在を聞くことに成功する。
本来はこの学園で、相棒の担当をしていた教師を探していたのだが……
まさか留学期間を過ぎても、ディアーネが此処に留まって居たとは予想しなかった天使である。
彼女は相棒がいつも訓練しているらしい屋内訓練場を探し、念願の再開を果たした。
その後一刻ほど二人の組み手を見学し、先程最後の一本を終了したのである。

「ウズメ先生、お強い方でしたね」
「解る?」
「ディアーネさん、最後以外はサンド……いえ、ミートバックだったじゃないですか」
「……そだね、笑っていいよ」
「……いいえ、笑えませんよ」

トコヨの町へ向かう途中の、『飢渇之土俵』での会話。
二人は同時に深い溜息を吐く。
ディアーネの組み手を見たエルシェアは勿論だが、その様子を見て逆に落ち込む相棒を見た悪魔も、この天使がどのような目に遭っていたのか想像がついた。

「ずっとあんな組み手を繰り返していらっしゃったので?」
「うん。最後の方は、私の歩法の練習だった」
「あの先生、不可思議な動き方を為さっておりましたね……」
「あれを捕らえるには、刀を振る速さより足の巧さが必要なんすよ」
「どちらかと言えば、連撃で追い縋っていたように見えましたよ?」
「その通りっす。その連撃は大雑把に動いてたら速く打てないんだなー」
「なるほど……もう剣においては私の追従できる領域ではなさそうですね」
「ん……もう、エルだって守るよ」

苦笑するエルシェアに、ディアーネは満面の笑みを浮かべる。
最早ディアーネは何があっても最前線を譲る心算はない。
エルシェアとポジションのスイッチが出来てしまう程度であった、それまでの実力では不足を感じていたのである。
決して口外していないが、彼女は最も身近に居た堕天使に、近接戦闘能力で勝つことこそが至上命題だった。

「エルは、あっちで何してたの?」
「地味な基礎を繰り返しておりましたよ」
「魔法? 物理?」
「両方です。私は先生と組み手など一度も……なかったとは言いませんが……」

答えながら、エルシェアはやや自信無さげに言葉を詰まらせた。
別れ際には刃物を持ち出しての大立ち回りを演じている。
その他も、カーチャの挑発に乗る形で起こったリアルファイトは、それこそ数知れず行われていたのである。
エルシェアにとって訓練という印象は無かったが、あれも一応は組み手の領域に入るのか?
言葉に詰まった堕天使は、一つ咳払いして事実のみを告げる。

「殆どが魔法構成のおさらいと、筋トレだったのは間違いありませんね」
「本当にそれだけだったんだ……」
「ええ、先程の貴女方の組み手を見て……正直ちょっと不味いかなとも思いましたよ」

エルシェアは相棒が見違えるほどの向上を果たした事を確認した。
正直カーチャと出会う前の彼女であれば、双方の実力差を自分の物差しで決め付け、お互いの為と信じて離れようとしただろう。

「良いんですけどね……結局、私も貴女もティティスさんも、持っている武器は違いますし」
「エルならどうせ、何とかしちゃうでしょ?」
「はい。なるべく期待に沿えるようにしたいと思います」

他人が言えば自信過剰に聞こえる台詞を、平然と言うようになった天使であった。
話をしながらの道中は、時間の経過を忘れさせてくれる。
トコヨの町を遠目に発見したディアーネは、目を輝かせて活気付く。

「行こ!」
「引っ張らないでください」

言葉の通り、エルシェアの手を引いて走り出したディアーネ。
苦笑したエルシェアが、無意識にその手を握り返した。

「んぅっ?」

ディアーネは繋いだ手の違和感に一瞬だけ歩行を止める。
悪魔は多少つんのめりながらも、足を送ってそのまま歩いた。

「どうしました?」
「あ、ごめんね……なんでもない」

ディアーネの背筋には、この時冷たい汗が浮いていた。
何よりも本人がその事を自覚し、その汗が繋いだ手の平に滲まないように祈る。

「エルさ……手が、硬くなったね」
「……喧嘩を売っていらっしゃいますか?」
「んーん。エルも、やっぱり苦労してたんだなーって」
「どうしたんですか急に……」

悪魔の手が鈍く痛む。
エルシェアに何気なく握り返されたその手は、既に握力の殆どを失っていた。
天使の手は、このまま自分の手を握り潰すことが出来る。
ディアーネをしてそう確信させる握力を、今の天使は秘めていた。

「……」

ディアーネは肩越しに振り返り、後ろを歩く相棒を確認する。
繋いだ手から、腕、肩、そして全身。
見た目のサイズこそ変わっていないが、接触した身体の部分から感じる圧力は、かつてのそれと比較にならない。

「何ですか? ジロジロと」
「エルさ……あっちでどんな筋トレしたの?」
「どんなと言われましても……普通に倒れるまで身体を動かして、魔法で回復してまた倒れるまで動くんです」
「……なに、それ?」
「えっと……筋トレ」

絶対に違うと眼で言う悪魔。
何が可笑しいと居直る天使。
筋力とは、身体を使うあらゆるファクターにおいて有利になる要素である。
エルシェアの師は少女の身体を、内側から作り変えた。
技術面やセンスでは他の追随を許さぬエルシェアに、小細工を粉砕する純粋な力を身につけさせたのだろう。
ある意味においてディアーネより、もっと判りやすい形で彼女は強くなってきた。

「これから、エルのツッコミがこえぇ……」
「ん? 何か言いました?」
「いえ! 何でもありません!」

思わず敬語になった悪魔に、天使の少女は微笑する。

「……はぁ」
「どうなさったんですか本当に?」

剣においては追従できないと言ったのはエルシェア自身。
しかし剣でなければ……
たとえばこの筋力で盾を構えられた時、どうやれば彼女を崩せるか?
自分が近接戦闘でこの天使に完勝する日は、当分先かもしれない。
そう考えるディアーネは、自覚の無い相棒に深い溜息を吐くのであった。



§



トコヨの町で宿を取り、身繕いを一通り済ませた少女達。
ディアーネは久しぶりにお腹いっぱいの食事を許され、幸せを噛み締めている。
相棒の天使としては、悪魔の緩んだこの表情が好きだった。
例えそのことでパーティー内のエンゲル係数が、凄まじい事になったとしても。
生き物としての幸福である食事と、年頃の少女としての幸福である湯浴み……
その両方を満たすと、自然二人の会話はこれからの目標に向けられた。

「ほぇ? エルって交流戦に出ないっすか?」
「ええ……不慮の事故という側面もありますが」

エルシェアはカーチャの凡ミスで登録申請が間に合わなかった。
しかし元から、エルシェアの中で『三学園交流戦』に対する興味は薄い。
カーチャは教師権限で申請を行おうとしたのだが、本人の希望によって取り消していた。

「何で? 出れるよね?」
「ええ。一応私の単位は出場条件を満たしていますね」
「じゃあ出ようよ。一緒に」
「目立つの好きじゃないですから」
「こ、こいつは……」

事も無げに言い放った天使に、悪魔の少女が引きつった。
大陸に三つある冒険者養成学校。
その全てが共催して行う交流戦である。
各学校の成績上位者同士で争われるその交流戦は、いわば一流の冒険者への登竜門。
参加することも難しく、その中で上位成績を収める者は本当にごく一部である。
そんな大会の中で、出れば目立つ成績を収める。
そうはっきりと宣言したのだ。

「ディアーネさんは、参加なさるのですか?」
「うん。ティティスも出るって」
「ん……あの子に会った?」
「うぃっす。エルにも会いに行ったけど会えなかったって言ってた」
「ああ、あの時ですか」

一月程前にティティスがセルシア達と共に各学園を回ったと言う話は、エルシェアも知っている。
その際エルは後輩に会えなかったが、学園でウズメと組み手をしていたディアーネは、ティティスとの再会を果たしていた。
此処で郷愁を刺激されたディアーネは、エルシェアと一刻も早い再会を望み、こうして帰路を共にする約束に至ったのだ。

「成績上位を狙うなら、『スポット』は必須でしょう。ティティスさんは両学園に一瞬で飛べますから便利ですね」
「うん。後は私とティティスを一番上手く使える司令塔が、絶対必要っすね」
「……だから目立つの嫌なんですって」

やや平行線になりかけた話だが、二人は特に気にしていない。
元々この二人は性格が真逆に近く、意見が完全に一致するほうが稀なのである。
この二人の仲に必要なものは、自分の意見を告げる事、相手の意見を聞く事であった。
双方共に、その事はよく理解している。
ディアーネは宿の備え付けの浴衣に着替え、同じ服を着て正座している相棒の隣に座った。
初めて出会ったときから、この二人の間は握りこぶしが一つ分である。

「エルは、今でも結構目立ってるよ?」
「昔はもっと目立っていたんです。貴女が入学してくる、もう少し前ですけど……」

エルシェアは苦笑して当時の事を思い出す。
確かにエルシェアは、それなりに学園で名前が売れている。
かつての名声に咥え、その後堕落した様子。
さらに此処最近では『冥府の迷宮』探索の失敗に、今回の留学の件もある。

「目立つと言う事はそれだけで危険を伴います。私は相手の事を知らないのに、相手は私を知っている……そんな状況が増えるのですから」
「えっとね? それって確かに危険でもあるけど……学校でそういうのは、そんなに悪いことでもないと思うんさ」
「ふむ……ディアーネさんは、目立ちたいのですか?」
「ん……どうなんだろう……」

聞き返されたディアーネは、自分の内面と対話するために俯いた。
彼女は英雄に憬れている。
多くの人々からの尊敬を受け、良好な繋がりを作りたい。
その為に実績が欲しい。
嘗てエルシェアに語った事である。
今改めてそのことを思い出し、自分の中に在る熱意は少しも冷めていない事を理解する。
誰かに認めて欲しい。
その思いは変わらない。
変わった事はその誰かと共に、出来ればエルシェアにも……との一言が加わったことである。

「私俗っぽい女だよ。自分の力を他人の為に使う……そしてその後は、やっぱり『ありがとう、助かったよ』って、喜んで欲しい」
「ごめんなさいディアーネさん。私、貴女の今の発言の何処が俗なのか解りませんでした」
「最初から見返りを期待してるもん。純粋に、好意だけで他人の為に尽くし続けるって……きっと私、出来ないから」
「その英雄観はグラジオラス先生の教えですか?」
「いや、私が何となくそうなんじゃないかなって思ってるんだけど」

エルシェアは相棒の話を聞き、深い安堵に息をつく。
この時点でディアーネと会話し、その考えを聞けた事は幸運だったと思うエルシェアである。
少なくとも今のまま、自分に無頓着なディアーネを世に送り出す事は危険すぎると思うのだ。

「良かった。もしグラジオラス先生が、英雄学科で精神的奴隷を量産しようとしているなら、どうしようかと思いました」
「そんな事ある訳無いっすよ」
「その様ですね。貴女が、自分から成り下がろうとしていただけの様ですから」
「ん……あぁ、でもそうか……何の見返りも無く、他人に尽くそうとしかしないなら奴隷と同じか……」
「その通りです。そして、そんな異端思考保有者は絶対に多数派に理解されません。好意だけで他者に尽くす英雄様は、必ず助けた相手に排除されるでしょう」

エルシェアは隣に座るディアーネの頭を緩く抱く。
天使の胸に抱かれた悪魔は、深い息を吐き瞳を閉じた。
相変わらず此処は居心地がよく、眠くなるのである。

「私は、英雄になって、皆に認めてもらいたい。その為の実績が欲しい」
「そうですね。貴女は始めて会った時から、そうおっしゃっていましたね」
「うん。ちょっと俗っぽいかも知れないけど、誰かを助けて『ありがとう』って言ってもらって、また歩いていける……そんな、英雄になる」
「……私にとっては、それでも欲が無さ過ぎて不気味なんですがね。どうやってそれで生きていく心算なんですか? お礼でお腹が脹れる異常体質なんですか貴女は?」
「むぅ……其処は今後の課題。とりあえず英雄になるためには、自分を養う貯金がいっぱい必要ってことだね」

相棒の答えに噴出しそうになりながら、エルシェアは悪魔の髪を指で梳く。
ディアーネは今まで、英雄になるために歩いてきた。
今後もきっとそうであって、ならば今回の交流戦は、絶対に逃がせない好機だろう。
ディアーネは相方に抱かれたまま身を捩り、器用にその顔を見上げてきた。
至近距離で見詰め合う二人だが、何故か甘い雰囲気に成らないのがこの天使と悪魔である。

「私、この交流戦で一番になりたいっす。その先の進路を少しでも有利にするために」
「まぁ、貴女の行く道は楽ではないようですからね」
「うん。だから、お願いエル……手伝って」
「ん……そうですねぇ」

ディアーネの髪を指で遊びながら、エルシェアは一人思考する。

「……本人で登録していなくても、出場する貴女のパーティーなら参加は出来ましたっけ?」
「出来るはず……というか、出来ないと下の年代とパーティー組んでる上位陣が参加できない」
「なるほど、それもそうですね。それでは、久しぶりに三人でクエストに望んでみましょうか」
「うん!」

満面の笑みを浮かべ、相棒に抱きつく悪魔の少女。
しかし直ぐに顔を上げ、エルシェアの表情を伺った。
その顔に特に無理をしている様子は無く、それがディアーネを安堵させる。
悪魔の気遣いに微笑したエルは、自分の参加の理由を表明してやる必要に駆られたらしい。

「貴女が英雄になりたいように、私にもなりたいものがあるんですよ」
「おお? エルの夢って聞いたこと無い」
「おや……前に屋上で話しましたよ。私は強くなりたいんです」
「強く?」
「はい。他人と比較してと言う事ではありません。私は、自分を認めることが出来れば、それで良いんですけど……」

その答を聞いたディアーネは、内心で悲哀を伴った痛みを覚えた。
エルシェアが抱えるその病気は、自分の英雄願望と同じか、それ以上に性質が悪い。
一片の曇りなく自らを曲げずに、その強さを信じることなど、一体誰に出来るというのか?
ましてこの堕天使は、自分の殻に閉じこもって他人を評価しない娘ではない。
冒険者として生きて行きながらエルシェアの希望を貫くのは、想像を絶する苦痛か、若しくは何処かで妥協が必要なはずだった。

「エル、それは修羅道だよ……」
「ですよねぇ……でも私、自分が弱いって認めちゃったら生きていけない気がするんです。病気だって、ちゃんと解っているんですよ?」
「そっか……」
「なので、交流戦とかしてるくらいなら自己鍛錬しようと思っていたんですよ」

そんな堕天使が、自分を曲げて参加を決めてくれたのは何故か?
答を待つディアーネに対し、エルシェアは一つ息を吐く。

「今更、他人様なんてどうでもいい。だから、拘りと言うのも無かったんですけど……」

エルシェア微笑しながら瞳がスッと細くなる。
ディアーネはその瞳に悪寒を覚え、しかし余りに綺麗なその表情に魅入る。
それは意識してはいなかったが、彼女の師たる堕天使とよく似た笑み。

「機会が在るなら、返しておきたい借りというのもありましてね」
「誰か狙い撃ちにするの?」
「ええまぁ、私達が本気で結束したとき、それを阻めるパーティーなんて最初から一つしかありませんけど」

それはプリシアナ学園の最強メンバー。
生徒会長セルシアを筆頭としたグループである。
ディアーネは口に出すまでも無く相棒の発言の意図を悟る。

「借りは、返しておかないと……だね」
「はい。貴女は単位、私は私怨。それぞれの目標の為に頑張りましょう」
「ん」

話を纏めた天使と悪魔。
ディアーネはエルシェアの腰に抱きついたまま目を閉じる。

「このまま寝て良い?」
「朝まで正座をしていろと?」
「私が、寝たら……動いていいよー」
「……まぁ、再会を祝してサービスしましょう」

欠伸をしながら答える悪魔に、エルシェアは一つ息をつく。
余程疲れていたのだろう。
エルシェアは相棒が昼間もウズメと稽古していた事を思い出す。
しかし彼女が眠りに堕ちる前に、天使は聞いておきたい事があった。

「ねぇ、ディアーネさん」
「ん?」
「今……貴女の道は私と、ティティスさんと、リリィ先生と……ウズメ先生も、全て重なって伸びています」
「そうだね」
「もしも此れが、全て別の方向に伸びだしたとき……貴女はどれを選んでどれを捨てるか、此処で聞いてもいいでしょうか?」
「……意地の悪い質問だなー」
「……ごめんなさい。忘れてください」

睡魔に必死に抗いながら苦笑するディアーネ。
或いはディアーネこそ、この質問をしたかったのかもしれない。
今日、此処で話し合ってはっきりした事がある。
ディアーネが自分の想いに妥協しないように、エルシェアもしないだろう。
何時の日か、二人は話し合いだけでは譲れない思いを抱く。
そうなった時、どうするのか。
自分たちが争う事など想像もつかない天使と悪魔。
しかしそれと同じ領域で、自分たちが道を譲る場面も想像する事が出来なかった。


§



後書き

交流戦に向けてのワンクッションで、第十一話をお届けします。
白衣と千早を装備していただきました。
作者は古く凝り固まった脳味噌の所有者なので、学生=制服という固定観念に支配されております。
なので、服の上から羽織れるこの装備はお気に入りです。

それにしても、アイテムがポツリポツリと出て来ました。
次辺りで、設定に色々追加しようかな……ゲーム中の思い出とかも含めて。
それでは、失礼いたします(*/□\*)



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑫
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/12/23 16:36
プリシアナ学園学生寮。
男女別棟に分かれているこの寮は、普段は余り人がいない。
この学園では校内の講義をそこそこに、生徒達は外のラビリンスへ探索に向かうことが多いためである。
しかし『三学園交流戦』を間近に控えたこの時期は、それに参加するために帰参してくる学生もいる。
特に各学科上位者の多くは学園に帰参して備えているため、寮は寒い冬にも関わらず奇妙な活気に包まれていた。
そんな学生寮の二階……
フェアリー種族が多く割り当てられるこの一画で、一人の少女が呻いていた。

「……開かないっ」

無個性な寮の一室で行儀悪く床に座り、青い宝箱相手に格闘を続ける妖精。
金髪を真っ直ぐに背中まで伸ばし、箱と同じ色の眼をした女生徒である。
恨めしげな半眼を箱に向け、手の平で一つ引っ叩く。
当然ながら、痛かった。

「むぅ……」

彼女は現在賢者学科に在籍しつつ、その講義を半分ボイコットして独自路線で盗賊技能の習得に励んでいる。
その点で独学は厳しいので、何故かそっち方面にも明るい学園保険医の指導を受けながらであったが。
物静かなディアボロスのドクター、リリィによって一月前に出された課題が、この箱を開けることである。
開封が出来れば中身を進呈するとまで言われただけあり、その難易度は今までの開錠とは桁違い。
一ヶ月の殆どをこの箱と共に過ごしながら、未だにご機嫌を伺うことが出来ていない。

「先輩方……帰ってきちゃったしなぁ」
「お? 喜んでくれてないっすか?」
「ひぎぃ!?」

唐突に掛けられた声に、少女の声が裏返る。
慌てて背後を確認すると、にんまりと笑ったディアボロスの女生徒の姿。
プリシアナ学園の制服の上から、『千早』を羽織っていた。
半分パニックに陥った少女は、とにかく床から立ち上がろうと足を動かす。
その拍子に足の小指を宝箱で強打し、非常に滑稽な仕草で再び床に崩れ落ちた。

「おお……痛そう」
「ディ、ディアーネ先輩……」
「うぃっす。頑張ってるねティティスちゃん」
「の、ノックくらいして下さっても……」
「したよ」
「あぅ……すいません、気がつきませんでした」

半ば悶絶しながら自分に『ヒール』を掛ける盗賊風味妖精賢者。
本来なら数分はのた打ち回る激痛も、この世界では数秒で収める事が出来るのだ。

「詰め込みは効率悪くするよ? お昼だし気分転換にいらっしゃい」
「あ……でも此れ……」

ティティスは未練がましく宝箱を見つめる。
彼女には憬れの先輩が二人おり、目の前の悪魔がその一人。
留学から帰った先輩との再会は、彼女にとって何よりも嬉しかったが……
出来れば宝箱の開錠をこなし、リリィのご褒美を手土産に、格好良く出迎えたかったという欲もあった。
結局間に合わなかったが、だからこそ開錠を急ぎたい心情は強い。

「その箱、出迎えてくれたときも持ってたよね」
「はい……もう一月以上開けられなくて」
「罠とか無いの?」
「はい。それは確認してます」
「ふむ、ちょっと見せて?」

ティティスから受け取った宝箱を見回すディアーネ。
かなり大きな箱であり、ディアーネが両手を回しても抱えきることが出来ない。
恐らく魔法処理されたその箱は、重さを誤魔化されているようでかなり軽かった。

「よし、ちょっと持ってて」
「はい?」
「動かないでねー」

後輩に箱の背中を押し付け、自分は鍵穴と対峙したディアーネ。
何をするつもりか解らず、小首をかしげるティティス。
妖精の眼前で銀光が閃き、金属同士がぶつかる澄んだ音が部屋に響いた。

「開いたよ」
「は!?」

何時の間にか抜き身の剣を引っさげたディアーネ。
見れば箱は前面から鍵穴部分が正確に両断され、その役割を果たせなくなっている。

「……切った?」
「うぃっす。それじゃ保健室でご飯食べよ? エルもリリィ先生もいると思うから、箱の中身も其処で見ようか」
「……」

妖精は自分の一ヶ月の努力を根底から否定され、力無く床に崩れ落ちた。
やるせなさに目頭が熱くなる。
ティティスが正攻法に固執しすぎたのか、ディアーネの発想が大雑把過ぎるのか。
とにかく、箱は開いたのだった。
一人の少女の心に、消えがたい傷を残したが。

「なぜ泣く?」
「……うれし泣きです! 先輩ありがとうございました」

顔で笑って心で泣いて。
また一つ大人の階段を上ったティティスは、背中からディアーネの首にしがみ付く。
フェアリーは種族柄、平均身長が百センチ程の種族である。
学園を移動する場合は歩調を合わせる為もあり、何時の間にか此処がティティスの定位置になっていた。
軽い妖精が浮遊を使って更に軽くなったとき、ディアーネは宝箱を両手で抱え上げる。

「何が入ってるんだろうね?」
「さぁ……開けられたら、中身はくれるってリリィ先生言っていました」
「きっと美味しい食べ物だよ!」
「……最低でも一ヶ月は常温で放置されていたんですけど」
「むぅ、ティティスちゃんの管理責任を追求する場面だね。食べ物の恨みは恐ろしいよ? 特に私のは」
「もう中身は食べ物で固定なんですか!?」
「他に考えられないよ」

仲良くじゃれ合う妖精と悪魔。
学生寮を出た二人が向かうのは、お馴染みの学園北校舎……彼女らにとって思い出の多い保健室である。



§



プリシアナ学園北校舎は、常から人の出入りが少ない場所である。
交流戦を間近に控え、校内が活気付くこの時期であっても例外はない。
しかし何処にでも物好きはいるもので、極少数ながら好んで此処に訪れる生徒もいる。
先日ドラッケン学園の交換留学から戻った堕天使もその一人であり、彼女は午前の講義が終わるとその足で保健室を尋ねていた。

「相変わらず、閑古鳥だけがお友達のようですね?」
「酷評ありがとうございます」
「でも、私はそんなリリィ先生の事大好きですよ」
「飴と鞭……か」

口の悪い堕天使の皮肉やら、向けられた親愛やらで涙ぐむリリィ。
エルシェアはそんな保険医に正面から抱きつくと、リリィは静かに抱き返す。

「まぁ、此れくらいは良いですよね? 先生、私をあんな毒婦の所に送ったんですから」
「ええ。その様子だと、カーチャに随分気に入られたようね」
「……見限られはしなかったと思います」
「そう……良かった」
「んぅ……」

リリィの胸に顔を埋め、ゆっくり十を数えてから離れた。
エルシェアとしては今少し『リリィ成分』を補給したいところであったが、まだやる事が残っている。
二人は丁度二つある椅子に向き合って座った。

「お医者さんごっこって良いですよね」
「私のは、ごっこじゃないのだけれど」
「今度私がドクター役やりますから、やってみません?」
「構いませんが、私の前でドクターに有るまじき行為に及んだ場合……」
「申し訳ございませんでした」

お互いに身の危険を感じる奇妙な会話は、そこで一端打ち切られる。
エルシェアは回転式の椅子を回して保険医に対して背中を向けた。
そして『白衣』と学生服の上着とワイシャツを脱いで抱え、上半身だけ下着になる。
肩越しに振り返ったエルシェアは、視線でこれ以上の脱衣の必要性を問う。
リリィは一つ頷くと、エルシェアの身体に手を当てる。
両肩から二の腕、そして背中から脇。
背骨をなぞって降りてきたリリィの手は、少女の腰を両手で触れる。

「こっちを向いて」
「はい」

再び向き合った生徒と教師。
リリィは座ったまま上体を倒し、天使の足を両手で触れた。
足首からふくらはぎに指が滑り、そのまま太腿に到達する。

「握手」
「はい」

右手同士を繋いだ二人。
リリィはそのまま徐に力を込めていく。
教師の握力の六割から七割に移行しようとしたあたりで、エルシェアの表情が引きつった。

「痛かった?」
「少し……」
「そう。次は左ね」

左の握手は、右手よりもゆっくりと力を込めたリリィ。
こちらは七割から八割の所で、女生徒は同様の反応を見せる。
手を離したリリィは一つ頷き、少女に服を着るように促した。

「見た目は変わっていないけれど、全身筋力は桁違いね。筋繊維の質から弄られている印象です」
「ふむ」
「背骨を中心とした骨格に歪みも無い。骨盤と背骨の接合部分もおかしな所は見られません」
「握力ってどうなっています?」
「以前の貴女を正確に測ったことはありませんが、今だと大体百二十から百三十前後でしょうか」

平均的なヒューマンの成人男性と比較しても、二倍以上の力になる。
リリィは自分が右手の握力のほうが強いことを知っており、そこを差し引いて考えるとエルシェアは左右ほぼ同等の力になるだろう。
彼女はドラッケン学園の友人が施した訓練の成果に満足した。
実際に訓練していた当人は地獄だったろうが、その結果はリリィ本人が太鼓判を押すほどである。

「流石カーチャ。セレスティアの身体の作り方を良く知っているわ」
「あの……気にはなっていたんですけど、あの毒婦と先生のご関係は……」
「情婦です」
「死んでやる」

懐から小刀を取り出し、迷うことなく手首に当てる。
一瞬リリィを確認すると、指先に『メタヒール』を用意して微笑していた。
エルシェアの手が完全に止まり、唖然とした顔で保険医を見つめる。

「切らないの?」

このままリストカットを試みても癒されるだけだろう。
保険医の前で自殺など出来ない。
やや青ざめた顔で慄いた堕天使は、決まり悪げに小刀を仕舞う。

「死神め……」
「癒そうとしたのに?」
「だって生かすも殺すも思いのままなんですもの」
「貴女を死なせるわけ無いでしょう」

リリィは常の無表情に戻ると、エルシェアの頭を撫でる。
天使はリリィの冷たい指の感触を、瞳を閉じて受け入れた。

「カーチャとは昔、相棒だったのよ。そうね……丁度貴女とディアーネさんのように」
「……あっちの先生と同じ回答だったので、信じてあげますね」
「安心しました?」
「……安心することにします」

自身で百合系腐女子を自覚しているエルシェアだが、相棒のディアーネに食指が動かない。
エルシェアにとってディアーネは、恋愛感情を差し挟む余地すらない程に必死で求める対象である。
それはディアーネにとっても恐らく同じ。
二人は誰よりも高く評価している相手にとって、相応しい相棒で在ろうとしている。
互いが互いを高めあい、限界を限界でなくしてしまう。
リリィにとって、カーチャがそんな相手だったと言うなら、その絆には何者も侵すことは出来ないだろう。

「貴女達が居なくなってから、此処もすっかり静かになったわ」
「私が留学する時には、賑わっていましたけれどね?」
「あの子達は皆、自主退学してしまいました」
「流石ディアーネさん。生徒七人分の学費って年間どれくらいの損失になりますか……」

苦笑したエルシェアに、無表情のリリィが頷いた。
実際リリィの元にはティティスが入り浸っていたのだが、その他に此処に来るものは一人も居なかった。
生徒達が目的を持ち、このような場所に見向きもせずに直走っているのなら、それはそれで構わないが……
それでも、やはり寂しい保険医だった。

「貴女が卒業したら、私もそろそろけじめを付けようかしら」
「けじめ?」
「ええ。潮時かなと思わなくもありません」

エルシェアの髪を撫でながら、何処か遠い目をして語るリリィ。
自分がこの学園に必要ないのではないかという思考は、別に今更のものではなかった。
そんな保険医を見つめる天使は、髪に触れているその手に自分の手を重ねる。
リリィの手は、エルシェアが身震いするほど冷たかった。
しかし、決して離さぬように握り締める。

「此処をお辞めになったら、一緒に冒険者やりません?」
「……面白いかもしれませんね」
「あ、言いましたね? 言質取りましたよ」
「ええ、そうね……貴女が卒業するまでそう考えてくれるなら、一緒に旅をしましょうか」
「はい!」

邪気の無い満面の笑みで返事をした天使。
相手がエルシェアであったことを思えば、その笑みの希少価値は計り知れなかったろう。

「あ……そうだ、忘れるところでした」
「はい?」

エルシェアは制服のうちポケットから、小さな袋を取り出した。

「前に先生に教えていただいたお花の種です。ドラッケン学園からは、比較的近場で取れました」
「……覚えていてくれたのですね」
「はい。暇を見つけては集めていたんですけど……何故か一度に多く見つけられなくて」

リリィは手渡された袋を開ける。
中から出てきたのは、花の種が六個。
涙ぐみそうになったが、リリィは深く息を吐いて感情を胸に沈める。
今エルシェアが示した優しさと想いは、全て自分のものだった。
涙などで外に零す真似はしたくない保険医である。
生徒の真心を両手でしっかりと胸に抱く。

「ありがとうございます。春にはきっと、この種が花をつけるでしょう」
「素敵ですね」
「ええ」

微笑したリリィは種をデスクにしまい、しっかりと鍵を掛けた。
今日の仕事終わりにプランターを購入し、園芸活動を始める。
好きな花をこの天使と一緒に、一日も早く見たかった。

「ああ、そうだ」

保険医は胸元のスカーフを緩めると、服の中に入れていたペンダントを取り出す。
細い銀鎖のペンダントのトップは、本を模ったスクウェアの銀細工。
長い髪を背中側からかき上げると、取り外したペンダントを堕天使の首に手ずから掛ける。

「お礼です」
「此れは……ロケット?」
「ええ」

ペンダントを開くと、中には押花にされた花が収められていた。

「春が来たら……」
「……」
「春が来たら、貴女に花束を贈りましょう。それまでは、此れで待っていてください」
「はい。素敵な贈り物、ありがとうございます」

エルシェアはリリィが先程そうしたように、ペンダントを両手で抱きしめる。
そして直ぐに制服の下にしまい込むと、誰の目にもつかない様に身に着けた。
憬れていたリリィからの初めての贈り物。
一生の宝になるであろうその品を、エルシェアは服の上からそっと撫でた。



§



保健室を訪れたディアーネとティティスは、先に来ていたエルシェアと合流した。

「いらっしゃい。ディアーネさん、ティティスさん」
「うぃっす。リリィ先生相変わらず顔色悪いっすね」
「お邪魔します先生。エル先輩を誑かすのは程ほどにしてくださいね」
「……もう、生まれてきた事を土下座して謝りますから、苛めないでください」

入室するなり保険医を突く仲間に、エルシェアは生暖かい笑みを送る。
涙目になって落ち込むリリィは生徒達から見ると大変愛らしく、三人はカメラを持参していなかったことを後悔していた。
ディアーネは背中にティティスを張り付かせたまま宝箱を放り出し、先程自分でへこませたリリィに抱きついた。

「んー……リリィ先生久しぶりっす。私ね? 留学した時思ったの。プリシアナに入ってよかったって」
「あら、どうしてですか?」
「だってタカチホのウズメ先生、おっかないんだもん」
「……貴女も随分気に入られたのね」

苦笑したリリィは、ティティスごとディアーネを抱き寄せる。
相変わらずその手は冷たいが、エルシェア同様この二人も、そんな事は苦にしない。
やがてリリィから離れたディアーネは、傍に控えたエルシェアに並ぶ。
保険医は並んだ生徒三人を順に見渡した。
この三人が、プリシアナ学園でリリィを慕う生徒のほぼ全てと行って過言ではなかった。
彼女らの存在がどれほどリリィを救っているかは、今更語る必要すらない。
だからリリィは、別の話をするのである。

「ディアーネさん、両手を」
「ん?」

言われるままに手を出すと、保険医はその手を取ってまじまじと眺めた。
親指の付け根から手首、腕と視線を送り、その箇所を押さえて手で触れる。
直ぐに肩まで確認したリリィは、また手の平に視線を戻した。

「なんす?」
「肉のつき方とマメの出来方を確認していました」
「おお? 結果は?」
「二刀流を続けていたマメの出来方では在りませんね。重いものを両手で握る出来方です」
「大正解っす。流石先生」

悪魔同士の会話を聞きながら、エルシェアはディアーネが投げ出した箱が気になっていた。
それは帰参時に出迎えてくれたティティスが、大事そうに抱えていた箱だと記憶している。

「ディアーネさん、その箱は?」
「ん、ティティスちゃんが気になるみたいだったから、開けちゃった」
「なんというか、切断面が見えるのですが……」
「ん、ティティスちゃんが気になるみたいだったから、開けちゃった」

満面の笑みでエルシェアを見つめるディアーネ。
懐っこい子犬が、褒めて褒めてと視線でねだっている。
その頭を撫でてやりつつ、ややしょぼくれている後輩に慰撫をかけた。

「大事なことなので二回言っていただきました。ディアーネ先輩ありがとうございます」
「自分で開けたかった?」
「はい……でも、私にはまだ無理だったかもしれません」

ティティスはディアーネから降り、極自然に先輩二人の間に納まった。
この二人を相手にセンターポジションを確保する妖精は、やはり只者ではないのかもしれない。
そう考えて微笑したリリィは、仲睦まじい三人に遠慮しつつ声を掛けた。

「多少反則気味ですけど……開ける事は出来ましたね」
「はい……ごめんなさい」
「まぁ、いいでしょう。その中身は今回の留学を正式なクエストとして消化した、貴女方への報酬として考えていたものです。この時期には開けて頂かないと逆に困るところでした」
「そうっすよ。そろそろ開けてあげないと鮮度が落ちて腐っちゃうし」
「鮮度……腐……?」
「すいませんリリィ先生。先輩、お腹空き過ぎて錯乱していらっしゃいます」
「ディアーネさんには、稀に良くある発作ですのでどうか御気になさらずに」
「むぅ!? んんー!」

相棒に手で口を塞がれ、後輩から両手を後ろ手に抱えられる悪魔の少女。
呻き声で抗議するも、二人は全く耳を貸さない。
リリィも錯乱しているという妖精の意見を受け入れると、一つ咳払いして続ける。

「ティティスさん、中身はもう確認しましたか?」
「いいえ……」
「ではどうぞ。先ずは貴女へ贈る物です」

ティティスは悪魔を天使に任せ、自分は青い宝箱を開ける。
中から出てきたのは一振りのナイフと、二枚の紙。
妖精はとりあえずナイフを手に取ると、その品に込められた魔力に身震いした。
見たことも無いほど強力な武装だというのは、その場の生徒全員が理解する。
エルシェアはディアーネを開放していたが、彼女も何も言わなかった。

「そのナイフは『パリパティ』。古の預言者が使用していたとされる、祭器に近い武装です。武器としても強力ですが、魔法の媒体にも使用出来るので貴女に向いているでしょう」
「これ……本当に私なんかがいただいて良いんでしょうか?」

不安げに首を傾げるティティスに、リリィは無表情を崩さずに答える。

「私が現役で冒険者をしていた時の私物ですから、御気になさらず」

事も無げに語るリリィだが、売れば相当の値になるだろう。
ティティスは鞘に収まったナイフを、刀身半分ほど抜いて見る。
大降りのナイフは背の小さなティティスに取って、やや小さめな片手剣の要領で扱えそうな武器だった。
表面は白金に輝き、鞘と刃を触れさせれば魔力同士が干渉して青白い火花を散らす。

「先生……」
「お気に召さなかったでしょうか……」
「いえ、いいえ! 本当にありがとうございます」

どう考えても破格としか思えない報酬に戸惑うティティスは、保険医の不安げな表情に覚悟を決めた。
リリィは生徒と接する機会が少なく、好意を受けることも示すことも慣れていない。
安堵した様子の保険医に、ティティスも胸を撫で下ろす。
パリパティを、鞘ごと収める皮製ダガーホルダーで腰に挿し、ナイフを一息に抜き放つ。
青い火花を散らした抜刀に、天使と悪魔は目を見張る。

「おお……格好良いっす」
「ティティスさん……立派になって……」
「なんというか……武器だけ立派になってしまって申し訳ないといいますか……」
「今の貴女なら、そう不足でも無いでしょう。お気に召したなら使ってあげてください」

ティティスはリリィに頷くと、ナイフを腰の鞘に収めた。
そしてまだ未確認の紙があるのを思い出し、照れくさそうに確認する。

「此れは……クーポン券?」

妖精が手に取った紙には、可愛らしい丸文字で書かれた『クーポン』の文字。
エルシェアとディアーネも後輩の手元を覗き込み、その紙を確認する。
ティティスの手からそれぞれに渡されたその紙は、リリィのお手製と思われる引換券だった。

「傍で成長を確認出来たティティスさんと違い、貴女方はこの三ヶ月でどう変わるか、私も予想できませんでした」

リリィの声を聞きながら、天使と悪魔は顔を見合わせる。
既に大よその事情を察したエルシェアは、手元の紙をひらひらと振りながら微笑する。

「と、おっしゃいますと……私とディアーネさんへのご褒美は不特定だったわけですね」
「はい。お二人の身体を見て、今決めた所です」

リリィは一つ頷くと、出口に向かう。
途中肩越しに振り返ると、愛する生徒を私室に招いた。

「三人とも、お弁当を持って私の研究室で待っていてください」
「うぃっす。お腹すいたし」
「私は報酬を倉庫から引っ張り出さないといけませんので、先に召し上がっていてください」
「解りました」

エルシェアはドラッケン学園ですっかり身についたカーテシーで答え、保険医の背中を見送った。



§



一度訪れたことのある、プリシアナ学園のリリィの研究室。
完全にリリィの私室となっているこの部屋で、三人はとりあえず昼食を済ます。
購買部で買っておいたおにぎりと、プリシアナ名産の紅茶。
三人で囲うときの定番となっていたメニューだが、実際に口にするのは三ヶ月ぶりのことである。
因みに、おにぎりの総消費量は五十五個。
内訳はお察しである

「そういえば、エル先輩」

リリィを待つ間にしっかりと食事を終えた三人娘。
食後に紅茶とクッキーで談笑している所、ティティスがふと気がついたように声を掛けた。
紅茶のカップを傾けつつ、視線で先を促す天使。
ティティスは一つ頷くと、気になった事を確認する。

「リリィ先生が、交流戦参加の申し込みが来ないって不安がってましたけど……」
「ああ、来ないも何も出る心算が無かったので」
「え……出ないんですか?」

意外そうに呟くティティスに、エルシェアは首を横に振る。

「正式に参加者としては出ませんよ。ディアーネさんのパーティーメンバーとして参加になりますから……準参加者というか、協力者になります」
「なるほど……でも、出れば進路に有利だって聞きましたよ?」
「進路を選ぶ時は有利かもしれません。しかしその先を歩き続けることが出来るかどうかは、こんなモノの結果に意味は薄いと思います」

エルシェアはティティスの言葉に答えながらクッキーを一つ齧り、紅茶を一口。
仄の甘いクッキーと、ストレートの紅茶の芳香が心地よい。
保健室と違い消毒用のアルコール臭がしない事も良かったが、リリィがやや遠くなったような気がして複雑な心境の天使であった。
無意識に服の下のペンダントを撫でながら、エルシェアはティティスに笑みかける。

「なので、どうせなら自己鍛錬しておこうと思っていました。だけど気が変わったので……ディアーネさんにくっ付いて参加させてもらいますよ」
「はい! 良かった……一緒で……」
「貴女は正式参加ですか」
「はい。何とか単位も通っていました」
「そうですか……では尚のこと、優勝を目指して頑張りましょう」
「はい」

ティティスがそう答えたとき、部屋の扉が開く。
帰ってきたリリィは大降りの剣と、盾を持ってきた。
それなりに使い込まれた跡は見られるが、魔法処理されたその品は、やはり唯のガラクタではない。
ティティスの短剣が破格であったことから想像はしていたが、この二つの装備も相当に高価なものだった。

「お待たせしてしまいましたか」
「いいえ、お先に食事失礼しました」
「構いません。私お昼は食べませんから」

リリィは無表情に言い切ると、同族の少女に向き直った

「先ずディアーネさんの大剣……銘は『オルナ』。一応魔剣の異名を持った一振りです。此れも魔法媒体としても使えますが、貴女には余り意味は無いでしょう」

ディアーネは大剣を受け取ると、ゆっくり鞘から抜いてみる。
手に馴染む重量感を両手で支え、柄をしっかり握りこむ。
剣越しに見る先が、歪んでいるかのような錯覚を覚えるほど濃密な魔力を帯びた剣だった。

「これ、切れ味洒落になってないような……」
「ええ。貴女にはとにかく両手持ちに適した、強い剣がいいだろうと思いましたので」
「こんな良い物貰っていいっすか?」
「いいんじゃないでしょうかね?」
「……ん、今はまだ自信ないっすけど……すぐにこいつに恥じない使い手になります」

ディアーネは剣を鞘に収めると、革のベルトで背中に背負う。
そしてリリィに向き直り、しっかりと頭を下げた。

「ありがとうございます。リリィ先生」
「はい。頑張ってくださいね」

リリィは微笑すると、エルシェアに視線を投げる。
堕天使はその視線によって、自分がペンダントを撫でていたことに気がついた。
一つ息を吐き、手を下ろす。
エルシェアとしては、このペンダントがあれば他に望むものは無い。
くれると言うなら、あえて辞退する心算も無かったが。

「貴女には、この盾を贈ります」
「此れは……」

エルシェアも見たことが無いその盾は、一尺よりやや大きい円形のモノ。
盾の前面には中央と上下左右の計五箇所に、強力な魔力を込めた宝石が埋め込まれている。
裏側には拳用の武器に近い指を通す握りがあり、構えたときは拳に対して垂直に展開する仕様であった。
重量的にはやや軽いと感じるが、動きの邪魔になりそうも無い。
それまで使っていた盾よりも小ぶりだが、魔法仕掛けの盾は守備力も高いと思われる。

「その盾は『アダーガ』という、兵器です」
「……兵器?」
「ええ。中央の宝玉に魔力を流して」
「ん……」

エルシェアが微量の魔力を注ぎ込むと、中央の宝石が黒く輝く。
輝きは直ぐに四方の宝石に伝播し、盾の側面から外に伸びた、一尺程の漆黒の刃を形成する。
更に中央の宝石からは黒の刃が真っ直ぐに伸び、やはり一尺程の長さで安定した。
盾の中央から十字状に伸びた刃と、垂直方向に伸びた刃。
攻防一体の、武器として使える盾である。

「その盾から生み出された刃……切れ味は生半可な剣なら斬り飛ばせます」
「武器破壊も出来ると」
「使い慣れるまで注意してくださいね? 稀に自分に刃が触れるような事故もありますから」
「成る程……気をつけます」

エルシェアが魔力を止めると、漆黒の刃は消え去り円盾だけが残る。
持ち運びにも便利な装備は、初見の奇襲にも使えるだろう。
エルシェアは頭の中で、既にこの装備を用いた戦術のパターンを組み始めていた。

「先生、ありがとうございます。此れは家宝にして、厳重に保管を……」
「使いなさい」
「えぇ……」

不満げな堕天使に苦笑しつつ、リリィはライティングデスクに備え付けの回転椅子に座る。
それぞれが大幅に補強された装備の使用に戸惑っているようだが……
彼女の目から見た場合、このくらいの武器を持っていてもおかしくないと思うのだ。

「ティティスさん」
「はい」
「貴女は後衛魔法戦力、相手からすれば最初に潰したい敵になります。貴女は、必ず生き残らなければいけませんよ」
「……解りました」
「ディアーネさん」
「うぃっす」
「貴女は最前線で敵を受け止める責務があります。その背を、後ろの仲間全員が見ている事をお忘れなく」
「うん。気合入るっす」
「エルシェアさん」
「……」
「貴女は、好きになさい」
「……どんなお言葉をいただけるか、とても期待して待っていた生徒の純情を返してください」
「それが一番強いでしょう? 貴女はもう大丈夫ですよ」

リリィは壁の時計を見ると、間もなく午後の講義の時間。
時を置かず大聖堂から、セントウレアのパイプオルガンが響き渡る。

「私は明日から交流戦の準備という仕事が入ってきます。終わるまで、誰の味方も出来なくなります」

保険医の言葉を聞いた三人は、やや暗い顔で俯いた。
何時か来ることは解っていたが、やはり本人の口からそう告げられるのは寂しかった。
だからこそ、リリィは年長者としてはっきりと口にしたのだろう。

「今日から、保健室の出入りも禁止にします。勿論此処も」
「……」
「貴女方の活躍を、期待しています」

そうして保険医は椅子を回してデスクと向き合う。
これ以上語ることは無いと、その背中から感じ取った生徒達。
リリィは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

「さぁ……お行きなさい、プリシアナの子らよ」
「うぃっす」
「頑張ります」

保険医の耳には二つの足音が届き、やがて扉の開閉が聞こえた。
最後に残った一人は、その言葉を無視したように動かない。
エルシェアは挑むように、リリィの背中を見つめていた。
この堕天使はプリシアナ学園それ自体に思うことなど無い。
だから、その言葉では動かない。
想いを受け止めたリリィは、彼女をこの学園に初めて執着させた呪いを、この場で再び掛けてやった。

「さぁ、お行きなさい。私の、教え子……」
「はい。行ってまいります……私の、先生」

エルシェアは満面の笑みで一礼し、踵を返して歩み去る。
今の堕天使が持つ絆は、全てプリシアナ学園で育まれたものである。
しかしリリィがいなければ、彼女は今に至る前に学園を去っていただろう。
エルシェアという女生徒を形成するパズル……
その最初の一ピースは、間違いなくこの保険医によって作られたのだ。

「……」

再び扉が開閉し、静寂が研究室を満たす。
プリシアナ学園でリリィを慕う生徒は、殆ど皆無である。
そんな彼女は、恐らく始めて業務上の都合で自分に懐いた生徒達を突き放した。
苦く重い疲労感を両肩に抱えた保険医は、自分が教師に向かぬ性格である事を再確認する思いであった。


§


後書き

神アイテムが続々と登場してまいりました十二話をお届けいたします。
勿論皆様の中には、皆様の神アイテムがあると思いますので、あくまで私の中の……ですがw
合わせて設定資料のアイテム編を更新しております(*/□\*)
一作品書くのと同じくらいてこずりましたorz
この連作初めて十二話で、やっとスポットを当てられたリリィ先生。
思えば本編で花束を頂いた時、物凄く嬉しくてもうアクワイア様分かってやがる!
ってガッツポーズしたのも良い思い出です。
このシーンを書きたいが為にこの連作に手を出したという面もあります。
其れくらい好きなイベントでした。
一応リリィ先生の名誉の為に此処で申し上げておきますと、本編の先生はプリシアナ学園を愛し、その教師であることに誇りを持っていらっしゃいます。
だから、きっと本当は教師をお辞めになるという選択を、この方はしないと思います。
こんな展開になったこと自体が、きっと劣化って言うんだろうな……
でも私にはこの辺りが限界でした。・゚・(ノД`)・゚・。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑬
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2010/12/30 18:45
一年を締めくくる最後の行事、『三学園交流戦』。
各校の学科上位の生徒と、そのパーティーメンバーが参加する対抗戦は、一流の冒険者への登竜門として知られている。
優勝パーティーを出した学園は今年の実績を称えられ、優勝したものは界隈に大きく名が売れる。
そんな一大イベントの当日……
プリシアナ学園大聖堂で行われた出陣前の訓示を、堂々とバックレた問題児の集団があった。

「このルールですと、各学校が配置したゴーレムを倒し、より多く魔法石を集めたパーティーが優勝する仕様のようです」

人気の少ない学園北校舎屋上に集った三人娘。
全員が同じ交流戦説明書を開いている。
薄桃色の緩いウェーブを背中まで伸ばしたエルシェアは、確認するように呟いた。

「うちから出るのは、『プリシアナセンチネル』とかいう木偶人形っすね」

天使の発言を受ける形で、ディアボロスの少女が続ける。
漆黒の髪を真っ直ぐに伸ばした、緋色の目をした少女の名は、ディアーネ。
その隣で説明書を読んでいた、小さな人影が顔を上げる。
金髪碧眼のフェアリー、ティティスは、風に弄られる髪を整えるのに苦労していた。

「場所は『歓迎の森』に放つらしいですね。専用の探知機が貸与されるってあります」
「あ、探知機はパーティー単位みたいだよ。私が貰ってる」

此処までは確認するまでも無く、三学園共通のマニュアルに乗っている。
その上で勝つために重要な要素こそ、今この場で話し合われる議題であった。
パーティーのブレイン役を務める天使に、自然と視線が集まる。

「センチネルはこの学園の生徒で奪い合いになるでしょう。問題は他の二校が放つゴーレムを如何に早く攫えるか……ですね」
「うぃっす。ティティスちゃんの魔法に期待だね」
「お任せください先輩方。どちらの学校にも、『スポット』すれば一瞬です」

ティティスは賢者学科を専攻する魔法使いであり、転移魔法も習得している。
更に彼女は他校への訪問経験もあり、移動手段は豊富であった。

「一応、ルール上は生徒同士で戦う必要は無い……と書かれてはいますね」
「……微妙な表現だなぁ」

エルシェアの言葉に苦笑したディアーネは、その表記の裏の意味を良く把握している。

「本当に微妙ですね。戦闘厳禁とは書いていません。他校のゴーレムを探す際は、その学校で配布される探知機が欲しい。そうなれば……」
「……奪い合いにもなりますか」
「そうなると思います。更に欲をかけば、私達が使う以外のレーダーを全て破壊出来れば、言うことはありませんね」

堕天使はそう言いながらも、其処までは無理であろう事は承知している。
此処は如何に早くレーダーを手に入れ、ゴーレム狩りを行うかに掛かっていた。
やや考え込んだエルシェアは、相棒の悪魔に情報を求める。

「ディアーネさん、貴女が留学したタカチホ義塾……生徒さんの強さは如何でした?」
「此処に出てくる連中が弱い訳無いよ。でも、先ず間違いなく勝てるかな」
「貴女お一人でも?」
「うぃっす。開幕奇襲で倒されない限り負けない自信あるっす」
「それは頼もしい」

微笑したエルシェアは、再びマニュアルに目を通す。
ディアーネもティティスも、そんなエルシェアに信頼の視線を向ける。
この堕天使が構築した作戦を遂行できれば、必ず勝てる。
実際どうかは解らないが、そう信じていることは間違いなかった。

「さて……どうしたものでしょうね……」

手元のマニュアルを閉じながら、エルシェアは仲間に視線を送る。
背中に両手持ちの魔剣を背負い、制服の上からタカチホで仕入れた『千早』を羽織る相棒、英雄学科専攻のディアーネ。
腰に大振りのナイフを携え、その手には『ヘイルの杖』を持った賢者学科専攻、最近では盗賊風味に染まったティティス。
エルシェア自身も含め、この三ヶ月前後で飛躍的に強くなったパーティーである。

「此処はセオリーを無視してでも、速さ重視で行きましょう」
「分担する?」
「はい。更にヤマを掛けて行こうと思います」

エルシェアは作戦を纏めると、各人の動き方を決めていく。

「先ず、分け方は私が単体で動きます。ディアーネさん、レーダー私にくださいな」
「うぃっす」
「ディアーネさんとティティスさんは、二人組みでタカチホに飛んでください」
「解りました」

特に異論を挟まれること無く、エルシェアの意見が採用される。
しかし天使はやや不安げな視線を寄越す妖精に苦笑し、その頭を撫でてやった。

「今回は良い盾をいただいているので、『ナイト』の経験を生かします。硬い学科ですし、危なくなったら逃げますから大丈夫ですよ」
「そう……ですよね」
「余り心配しないでください。貴女のその態度が、妙なフラグを立てかねません」

エルシェアは風で収まりの悪い後輩の髪を、更にくしゃくしゃにしてしまう。
頬を膨らませたティティスが必死に髪を纏めるのを、微笑ましく見つめる先輩コンビ。

「センチネルは私が狩り込みます。ディアーネさん、ティティスさんの事を頼みますね」
「任せて。生かさず殺さず、たっぷりとしごいてくるっすよ」
「それは……ティティスを? それともあっちの生徒を?」
「両方」
「ひぃっ!?」
「此れだから体育会系は……まぁ、程々にお願いします」

ディアーネは一つ頷くと、ふとある事に気づいて首を傾げる。

「あれ……ドラッケン学園はどうする?」
「あっちは捨てます。私達はプリシアナ、タカチホ方面の二箇所を制圧し、総合評価で一位を狙います」
「成る程、確かに三箇所同時は難しいですよね」

交流戦が始まれば、多くの生徒は先ずレーダーを使える自校のゴーレムを狙うだろう。
プリシアナのゴーレムをエルシェアが担当し、ディアーネとティティスは直ぐにタカチホへ飛ぶ。
此処までは、殆ど時間をロスすることなく動ける。
しかしその先、タカチホ、プリシアナのゴーレムを殲滅した後からドラッケンに向かっても、恐らく敵は残っていない。
ドラッケン学園の生徒は近場から狙うだろうし、最初から其処にヤマを張る生徒も居るだろう。
故に、ドラッケン方面のゴーレム狩りは捨てる。
ディアーネはタカチホへの留学経験があり、周辺の地理にも明るい。
其処での探知機入手とゴーレム狩りの時間を短縮出来るであろう事を期待した配置である。
エルシェアには今一つ思案があったのだが、それはこの場で披露することは出来なかった。

「今更なんですけど質問、いいでしょうか?」
「どうぞティティスさん」
「学校のゴーレム……最大で六人までで挑んでいいって書いてありますよね?」
「そうですねぇ」
「えっと……私達は、そんなバケモノに勝てるでしょうか?」
「勝てると思いますよ。私達なら」

エルシェアの返答にディアーネを見たティティスは、微笑して頷く悪魔を見た。
別に根拠の無い発言ではなく、二人は他校への留学中に各学校の上位陣と、直接手を合わせた経験がある。
流石に交流戦のゴーレムと戦ったことは無かったが、生徒達には負けた事が無い天使と悪魔。
二人が手も足も出ない敵だった場合、他校の成績上位者も、徒党を組んだ所で勝てない可能性すらある。
幾らなんでも其処まで鬼畜なゴーレムが、交流戦で使われることは無いと読んだエルシェアだった。

「それでは、他に質問が無ければ解散です。開戦と同時に動きましょう」
「あれ……エル先輩、どちらに?」
「着替えてきます」

開始時間まで、後三十分少々。
エルシェアは装備を変えて転科を行うため、学生寮へ向かう。

「あ、エルもしかして転科する?」
「ええ」
「ん、じゃあこれ」

ディアーネは制服のポケットから鍵を取り出し、エルシェアに渡す。
それはエルシェア自身も持っている、学生寮の個室の鍵だった。

「私がタカチホで使っていた剣とか刀がお部屋にあるの。好きなの使って」
「それは助かりますね。ありがとうございます」

一礼して鍵を受け取ったエルシェアは、ヒラヒラと手を振って屋上を後にした。
残ったのは悪魔と妖精の二人。

「ティティスちゃん」
「はい」
「勝とうね!」
「はい!」

ディアーネはティティスを脇に抱えて空を見る。
雲ひとつ無い冬の空は何処までも遠く青かった。



§



タカチホ義塾は交流戦開幕から、パニック状態に陥った。

「奴だ! 悪魔が来たぞ!」
「下級生を、校舎内にっ」
「校門閉めろ! 早くっ」
「きゃぁ!?」
「嗚呼! アサミン!?」
「あの子はもう駄目よ! 振り返っちゃ駄目、走って!」
「い、いやぁあああああぁ……」

交流戦開始から一分後。
タカチホ義塾全景にスポットを掛けたティティスとディアーネ。
その姿は多くの生徒が目撃し、それが悲劇の始まりだった。

「先輩……留学中に何をなさったんですか?」
「言わないで。いや、お天道様に顔向けできないようなことはしてないよ?」

多くの生徒は潮が引くように校舎内に非難していく。
転んで泣き出す下級生も居れば、苦笑してそんな生徒を慰めている上級生もいる。
ある程度落ち着いているのは、留学中にディアーネとそれなりに付き合いがあった者である。

「大惨事になってますけど……」
「うん……此れだからディアボロスは辛いんだよね」
「……絶対に、それだけじゃない気がします」

ディアーネは留学中、普通ならパーティーを組んで踏破するクエストを一人でクリアしてしまっていた。
実際にはロクロと一緒だったのだが、彼女は殆ど手を出していない。
最初から圧倒的な強さだけがクローズアップされた彼女は、タカチホ義塾の裏番として虚像を拡大されていたのである。

「あーらら。いきなり凄いとこに出くわしちゃったなー」

騒動の中で呟かれたその声を、ディアーネは間違いなく聞き取った。
それは盗賊としての修練を積んだティティスも同様であり、二人の視線は全く同じ方向に注がれる。
大勢の生徒達が校舎へ向かって駆け出している中で、その流れを縫うように歩いてくる少女。
絹糸のように細く長い金髪。
特徴的な長い耳。
赤を基調とした、この地方独特の衣装である着物を身に纏ったエルフであった。

「綺麗……」

後輩の呟き声に、ディアーネは心の底から同意する。
それは彼女との初対面時に自身も呟いた言葉であった。
人波に逆らいながら、更にぶつからずに歩いてくると言う荒業を披露したのは、タカチホ義塾のロクロ。
留学初日からディアーネと付き合い、最も懇意にしていた相手である。

「やっほーロクロちゃん」
「やっほーディアーネ。相変わらず人間磁石やってるわねー。同極的な方向で」
「言うな!」

やがて全ての人混みを縫って来たエルフは、ディアーネと笑い合って手を握る。
そして隣のティティスに向き合うと、丁寧に頭を下げた。

「始めまして。私、タカチホ義塾のロクロっていうの。よろしくね」
「あ、どうもご丁寧に。私はプリシアナ学園のティティスと申します。どうぞよろしく」

こちらもしっかり頭を下げて挨拶し、ティティスは隣のディアーネを見上げた。

「こっちの仲良しさんだよ。来たばっかりの私に優しくしてくれた良い子」
「貴女の事は、良くディアーネから聞いていたわよ。頑張る子だって」
「あ、ありがとうございます」
「そう言う事、あんまり後輩の前で言わないでね?」

苦笑したディアーネは、彼女が一人で此処に来た違和感に漸く気づく。

「あれ? カータロ君とトウフッコちゃんは?」
「ああ、あの馬鹿ドワーフはトウフッコの腐ったお豆腐食べて、今休んでるわよ」
「……なぜ腐った豆腐とか持ち歩く?」
「さぁ……発酵食品が多いのは、この地方のお国柄ってやつだけどねぇ」

からからと笑うロクロを見て、ティティスも自然笑みになる。
ロクロを一目見た印象では、まるでセルシアやフリージアの様に近づきがたい雰囲気を感じたティティスであった。
こうして話している所を見ると、柔らかい表情でよく笑う、朗らかな少女だと感じる。
しかし次の先輩の一言が、緩みかけた意識を引き締めた。

「じゃあ、ロクロちゃん。貴女のパーティーの魔物探知機、一つ私にくださいな?」
「直球ねー。もう少し旧交を温めてもいいんじゃない?」
「此れが終わったら、一緒にトコヨの温泉とか行きたいっすねー。此れが、終わったら」

お互いに笑みのまま、表情一つ変えずに雰囲気だけ凍てついて行く。
ティティスが感じた最初の印象は、決して間違いではない。
ロクロは甘いだけの少女ではなく、この交流戦に正式に参加できる実力者なのだ。

「態々私から奪わなくてもさ、その辺に転がってる連中なら、喜んで差し出してくれるんじゃない?」
「ん……」

ディアーネが周囲を見回すと、辺りには逃げ遅れた数パーティーが遠巻きにこちらのやり取りを眺めていた。
悪魔の少女の視線を受けると、身を震わせて目を背ける。
苦い笑みを浮かべつつ、彼女はロクロに謝った。

「ごめんね。本当にごめんロクロちゃん」
「謝るようなことを、あんた私にやったのかしら?」
「これからするよ。やっぱりさ、もう背中を向けた相手を追いかけてモノを奪い取るって、駄目だと思うんだよね」
「私からなら、良いの?」
「今、私の前に立っているタカチホ義塾生は……ロクロちゃん、貴女だけだから」

妙な所で義理堅い悪魔に、ロクロは深い溜息を吐く。
ディアーネは決して悪意からロクロを狙っているわけではない。
この悪魔は多くの生徒の中で彼女だけを、競う相手として認めたのである。

「……ったく。カータロじゃないんだから、こういう暑苦しいの好きじゃないんだけどなー」
「ごめんね……何となく自覚はあったんだけど、私もそっち系みたいっす」
「自覚あるだけあいつよりマシね。因みに、私はずっと前から分かってたわよ?」
「ああ、だから好かれてたのか」
「――誤解されそうな発言、自重してね」

返答に一瞬間があったことは、気づかない振りをしたディアーネ。
傍に控えるティティスを手で制し、周りの生徒の輪まで下がらせる。

「悪いね」
「いえ……私も、なんだかお二人の勝負が見たくなっちゃいました」
「バトルマニアの血が騒ぐか! 流石私の後輩、次の強敵は譲ってあげよう」
「私は観戦専門でいいです」

一対一の状況を作り、お互いだけを見つめる悪魔とエルフ。
この時になり、ディアーネは始めて気が付いた。
ロクロとは、留学初日から一緒にいたのである。
後半はウズメとの組み手の合間に、多くの学科の生徒とも直接手を合わせた。
しかしロクロと戦ったことは、考えてみれば一度も無い。
ずっと傍にいてくれた、一番近くでディアーネを観ていた少女。
そんな相手が今、悪魔を前にして平然と戦闘を受けたのだ。

「もしかして……私は雌狐に嵌ったのか?」
「何か言った?」

ディアーネが背中から両手剣を抜き放つ。
保険医リリィから託されたその魔剣の銘は『オルナ』
鞘を抜かれた瞬間から、刀身が歪んでいるかのような錯覚を起こすほど、濃密な魔力を放っている。

「いい剣持ってるなー。それがあんたの本当の武器か」
「まだ武器に使われてる身分だけどね」
「そっか。でも良かったわ」

苦笑したロクロは胸元から取り出したのは、手の中に納まる程の小さな棒。
しかし悪魔の目の前で一振りされた棒は、次の瞬間身の丈近い長さに変化する。

「それくらい持っててくれないと、幾らなんでも不公平だもんね」
「それが、ロクロちゃんの本当の武装っすか?」
「『如意棒』よ。護身用にねー」

身体を半身にしつつ、腰を落ち着けた脇構え。
長い棒状の武器が、ロクロの身体の線の中に完全に隠されている。
棒自体の派手さは無いが、それを構えたロクロからは凄まじい圧力を感じる。

「行くよロクロちゃん。死なないでね」
「おいで、ディアーネ。遊んであげる」

タカチホ義塾の生徒とプリシアナ学園の後輩。
それぞれが固唾を呑んで見守る中、両者の得物が噛み合った。



§



歓迎の森に足を踏み入れたエルシェアは、『プリシアナレーダー』に寄る探索を早々に放棄した。
学園の教師陣に、技術の粋を結集したと豪語させるゴーレム達。
相当数放たれているらしいそのゴーレムは探すまでも無く、我が物顔で森を跋扈していたのである。
仲間達への宣言通り、ナイト学科での探索を進めるエルシェア。
装備はリリィから受け継いだ『アダーガ』と、ディアーネから借りた『エストック』。
更に最近愛用している『白衣』であった。

「……」

エルシェアは四匹目のセンチネルを盾の方で殴り倒す。
それは直径一尺程の円盾であり、前面には中央と上下左右の計五ヵ所に、魔法処理された宝石が埋め込まれている。
裏側は指を通せる握りがあり、拳に被せるように装着できる盾であった。
この盾の最大の特徴は、魔力を流した時に宝石部分から刃を展開できること。
中央から垂直に、上下左右の宝石からは水平に伸びた一尺程の魔力刃。
その切れ味はディアーネから借りた剣を遥かに上回っていたのである。

「べ、便利すぎませんかこれ?」

誰にともなく呟いたエルシェアは、まじまじと盾を見つめる。
半身になって盾を構え、相手に近づく。
そのまま相手が攻めてくれば、盾を構えたまま脇を抜ける。
魔力刃に引っ掛けるように動いてやるだけで、かなり相手を削れてしまう。

「ふぅ……」

最もそれだけで倒せるような甘い相手でもなく、此処まででエルシェア自身も手傷を負っていた。
竜の上半身と蛇の下半身を融合させたようなゴーレム。
地を這うように移動し、かなり伸縮幅の大きな身体を、うねらせる様に襲ってくる。
巨体を生かした突撃も厄介だが、背中部分のハッチを空けて飛び出してくる三本の触手攻撃……
更には毒も使用しているらしく、意識障害、眠り、筋肉の麻痺等の症状が出るのを確認している。
最大六人までで挑んで良いというルールは、やはり伊達ではないようだった。

「ナイトで来てよかった……」

そのスキルである『経験則』によって、毒が致命になる前に対処している天使。
リリィが此処で盾を渡したのは、もしかすると此れを見越した上の、自分の立場からの精一杯のメッセージだったのかもしれない。
そんな事を考えながらも、比較的順調に五匹目のセンチネルを解体した天使である。
ふと周囲を見渡せば、視界の中に動く者の気配がない。
先程まで別グループの生徒もいた気がするが、何時の間にか此処にいるのはエルシェア一人。
既にレーダーを頼りに、森の奥まで入って行ったらしい
エルシェアも道具袋からレーダーを取り出し、起動する。
やはり周囲に反応は無く、近場の反応は一区画も先だった。
一つ息を吐いた天使は、水筒から水を一口含む。
外気に冷やされた冬の水は、戦闘で火照った体に心地よい涼をもたらした。

「……」

歩きながら道具袋から軟膏を取り出し、傷口に塗りこむ。
本格的な回復魔法が欲しい所だが、無いもの強請りをしている暇は無かった。
簡単な治療を終えると再びレーダーを確認し、多くのゴーレムが集まっているポイントを発見する。
それは天使の位置から比較的近い一画であり、移動にもそう時間はかからない。
此処を取れれば、或いは一気に勝負を決められるかも知れない。
そんな予感を抱いた天使は、翼を打って舞い上がった。
彼女は普段、初動の取りやすさを重視して地に足を着けて歩いている。
しかし勝手知ったるこの森でその様な必要も感じられず、飛行で現場に急行することにした。
木々を追い越し風を切り、やがて天使の少女は森の一角に舞い降りる。

「ぁ……」

そこに居たのは、プリシアナ学園自慢のセンチネルが五匹。
此れを刈り取って討伐数を十に伸ばせば、チームの有利はかなり固まったことだろう。
この森に合計幾つのゴーレムが配置されているのかは知らないが、撃破数を二桁に乗せる事が出来ればトップは硬い。
だが、幾らなんでも五匹同時に戦って完勝出来ると信じるほど、彼女は自分を美化していなかった。

「……」

森の木々にその身を隠し、エルシェアは動かない。
今こうしている間にも、別の場所では生徒達がゴーレム狩りをしているだろう。
勝てないと見切ったのなら早々にその場を立ち去って、狩りを続行すべきであった。
そんな事は重々承知しているのだが、天使はゴーレムに……正確にはゴーレムに囲まれた三人の生徒に、冷めた視線を送っている。
エルシェアはこの一画にセンチネルがこれほど集まった理由を諒解した。
恐らくこのパーティーが、最初の一匹を引っ掛けた。
プリシアナセンチネルは状態異常耐性が無い場合、かなり高レベルのパーティーでも躓く可能性がある。
今囲まれているパーティーも、そんなどつぼに嵌ったのだろう。
そして逃げたところに別のゴーレムを引っ掛け……
最終的には数が此処まで膨れ上がったのだと思われた。

「んー……」

生徒達の制服は、彼女自身が留学していたドラッケンのモノだった。
両手に銃を構えたヒューマンの少年と、剣と盾を構えたフェルパーの少年。
二人が間に入れて守っているのは、盗賊風のクラッズの少女。
少女は半失神しているらしく、膝をついて立てないで居る。
三人ともかなりの傷を負っているが、今だ致命傷だけは避けていた。
既にほぼ動けない少女と、同等の傷を負っている少年二人。
それは彼らが少女を見捨てず、常に庇い抜いてきた証左であった。
良いパーティーだと天使は思う。
この状況でも誰一人心を折るものがいない。
生還の可能性を捨てず、必死に抵抗するその様子は、エルシェアの目には非常に美しく……また酷く滑稽に映る。
少なくとも、現状でこのパーティーが生き残れる可能性は、彼女の予測では零だった。

「……」

惨劇から身を隠し、暢気にレーダーを確認するエルシェア。
自分が歩いてきた方向と、周囲のゴーレムの配置。
更に地図を取り出すと、地形と森の構造を照らし合わせて、他の生徒達の分布を予想する。
此処は森の西側であり、ゴーレムの反応は殆どが東に集まっていた。
ゴーレムの多いほうに生徒も集まる。
このパーティーが東側から敵を引っ張り、此処まで来てしまったのだとすれば……

「誰かが都合よく通りかかるなんて、奇跡のような事は起きませんよね」
「おめぇはどうなんだよ?」
「さぁ……どうでしょうね」

エルシェアは不意に掛けられた声に苦笑する。
聞き覚えのある声だった。
そして、懐かしい声でもある。
振り向いた少女は、ニヤニヤと品の無い笑みを浮かべた少年と目が合った。

「よぉ、エル。ローズガーデンですれ違って以来だから……三ヶ月ぶりか」
「そうなりますね。お久しぶりですバロータ君」

二人は挨拶もそこそこに、再び戦場を眺める。
センチネルはガンナーの少年を集中的に狙いだし、状況は悪化の一途を辿っていた。
出来ればこのまま見なかったことにしたいエルシェアである。
しかし此処でエルシェアが彼らを見捨てた場合、残ったバロータに一人勝ちさせる事にもなりかねない。
彼女は最大限の安全と利益を確保する為に思考を進める。

「質問、二つだけいいでしょうか?」
「おう」
「先ず一つ。セルシア君は?」
「ドラッケンだ」

この場にたった一人現れたバロータ。
そしてこの質問の答えで、エルシェアは十分事足りた。
自分達がしている事を、セルシア達もしているのだろう。
此れで作戦上の有利は無くなった。
後はそれぞれのメンバーが、どれだけ仕事をこなせるかである。
ディアーネとティティスの能力に不安はない。
後は遠いドラッケンの地で友好を深めたクラッズの少女が、セルシアの足を極力止めてくれる事を祈るだけだった。

「二つ……此処の魔法石の取り分は私が三で、貴方が二と言う事で宜しいですか?」
「其処は二、二、一にしておかねぇか?」
「一は誰?」
「……細けぇ女だなお前さん、そりゃ助太刀されるあいつらだろうさ」
「まぁ、それなら良しとしましょうか」

ごく自然に、名も知らぬ生徒達を仲間に計算している竜の少年。
エルシェアは彼がそういう少年だと言う事を知っている。
同期で入学した二人は、セルシアが入学してくるまでの半年は組む機会がそれなりに在ったのだ。
当時の二人は大きな実力差があり、コンビとはとても言いがたかったが……

「行くぜ!」
「お供しましょう」

突っ込んでゆくバロータに、溜息を吐いたエルシェアが続く。
少年は何も変わっていない。
自分のほうが弱かったのに、何時もエルシェアを置いて先陣を切ろうとするバロータ。
その背を半眼で睨み付け、しかし遅れぬ様に追いかける事が、この二人の関係だった。



§



ロクロを倒し、『モノノケ羅針盤』を手に入れたディアーネ達はそのまま狩りへと移行した。
タカチホ義塾が送り出したのは、式神『瀬戸大将』。
二足歩行型のゴーレムは、巨大な煙管を怪力で振り回す化け物であった。
常ならば、ディアーネ一人でもそう苦労しない相手だったかもしれない。
しかし此処へ来て、そのディアーネ当人が精彩を欠く。

「っぐ」
「先輩!?」

豪腕から繰り出される煙管を、ディアーネはオルナで受け止める。
そのまま剣は圧力に負け、悪魔は砂漠に転がった。
瀬戸大将は追撃に足を進めるが、それはティティスの雷に阻まれる。
跳ね上がるように起き上がり、相手を目掛けて駆けるディアーネ。
雷を振り切るように飛び出してきた瀬戸大将と、悪魔が再び切り結ぶ。
薙ぎ払う様な悪魔の剣と、打ち下ろされるモノノケの煙管。
中空でかみ合った二筋の軌跡。
振りぬかれたのは悪魔の魔剣。

「ん……」

切り飛ばされた煙管が砂漠に刺さる。
打ち勝ったディアーネだが、後ろで見ているティティスは違和感を拭えない。
刃を溜めて振りぬく際、ディアーネの動きが一瞬止まる。
その硬直は悪魔の剣が速度に乗る事を阻み、本来封殺するはずの相手の攻撃を有効にしてしまう。
今の状態であれば、ティティスにもはっきりと解る。
ディアーネは何処か故障していた。

「先輩、離れて!」
「っつ!?」

ティティスの声に従い、追撃を中止して退くディアーネ。
モノノケとの距離が空いた時、賢者の声が場を圧す。

『トール!』

それは古の雷魔法。
ティティスの生み出した紫電は縦横無尽に荒れ狂い、モノノケを瞬時に炭化させた。
敵の消滅を確認し、膝を折ったディアーネ。
悪魔の元に妖精が駆け寄った。

「お見事だねティティスちゃん」
「先輩! 何処を怪我なさっていますか」

ディアーネに縋るように問いかけたティティスは、困ったように笑う悪魔と目が合った。
彼女はタカチホ義塾で校生のロクロと戦っている。
斬撃と打撃がめまぐるしく入れ替わる二人の戦いは、見るものを圧倒する領域の攻防だった。
悪魔の少女は激戦が本格的な死闘になる前に押し切り、戦いの後でティティス本人が双方に回復魔法をかけている。
しかしこの様子からすると、ディアーネの傷が癒えきっていないことは間違いない。
此れで三匹目のゴーレムだが、この悪魔の乱調は狩りの最初から始まっていた。

「ん……何処も悪くないよ」
「だって! それじゃ――」
「ティティスちゃんが、自分で癒してくれたんでしょう?」
「はい。ですが、効果があったとは思えなくて……」
「それで治りきらないって言うのはね……回復魔法が身体の異常を認識できない怪我なんだよ」
「……は?」

そんなものが在るとは、夢にも考えた事が無い妖精賢者。
ティティスにとって傷とは外傷の事であり、今のディアーネは見た目に大きな怪我は無い。
しかしタカチホ義塾に留学し、この地方の技を触りだけとは言え習った悪魔は、自身の状態をある程度理解していた。

「ロクロちゃん、顔狙わないで身体打ってきたでしょ……当て易さからだと思ったけど違ったんだよ」
「身体……?」
「動物は頭を刈れば意識を無くす。でも、小さくてよく動く身体の先端部分の一つを、最初から狙うのは難しいでしょ?」
「はい」
「だからあの子、私の脇腹狙ったんだね。肋骨を抜ける衝撃が内臓弱らせて、息が出来なくなるように」
「な、何ですかそのエグイの……」

ディアーネは苦笑するが、その笑みがティティスには弱々しく映る。
その原因が悪魔の青ざめた顔色と紫の唇にあると、この時初めて気がついた。
明らかなチアノーゼ症状である。

「……」

妖精は手を伸ばし、ディアーネの額に触れる。
その汗は砂漠の熱によるものではなく、自身の変調に押し出された脂汗。
悪魔は深く静かな呼吸を繰り返し、剣を支えに立ち上がった。

「ああもう! お腹痛いし息苦……ごほっ」
「先輩!?」

苛立ったように大声を上げ、酷使した肺の反逆にむせ返るディアーネ。
心配そうに寄り添った妖精は、しかし悪魔の顔が声に反して嬉しそうな事に驚いた。

「ねぇ、ティティスちゃん。ロクロちゃん……強かったよね」
「はい……凄かったです」

これはティティスの本心である。
盗賊の心得を齧った今の彼女は、近接戦闘のノウハウも持っている。
そんなティティスの目にも、ロクロの身のこなしは感嘆に値した。
しかし彼女はそんなロクロにすら勝利したディアーネに、更なる尊敬を寄せる方が大切であった。
何処までもこの少女の思考は、エルシェアとディアーネに占められている。

「あはは……っぐふ、ごほ……でも、さ。それでも私、勝ったんだよね」
「はい!」
「ロクロちゃんがあんなに強かったなんて、知らなかった。でも私、それにも勝った」

ディアーネはふら付く足を気力で支え、剣を背中の鞘にしまう。
そして傍らの妖精の頭を撫でながら、半分独語の様に語る。

「留学前の私じゃ絶対勝てなかったよ? 私、初めて自分が強くなったって実感出来た」
「先輩……」
「この三ヶ月で、エルは凄い強くなってた。ティティスちゃんも頑張ってる。だけど私も、今はっきり言える……私は、『冥府の迷宮』の自分を超えられたんだ」

ディアーネの笑い声が響く。
時折咳き込みながら、喘ぐような息を必死に繰り返し、それでも悪魔は笑い続ける。
決して進歩と成果に慢心したためではない。
この時、ディアーネは笑わなければ泣いていた。
後輩の前で涙だけは見せたくない彼女の意地は、感情の表現を喜色によって表現することを選ばせたのだ。

「ディアーネ先輩……」

笑い続ける悪魔に寄り添う妖精。
ティティスはディアーネが心に抱えた傷を正確に理解している。
冥府の迷宮で見た地獄。
前衛と後衛の、たったそれだけの距離が遠かった堕天使の背中。
二人は同じものを見て、同じ傷を心に負った。

――あの時の自分を超えられた

その台詞にディアーネがどれ程の想いを込めていたのか、ティティスだけが理解できる。
何時か、自分も心の底からそう言える日が来るのだろうか……
はっきりと出来るとは断言できない妖精は、其処にたどり着いた悪魔を心から祝福した。

「先輩」
「ん?」
「おめでとうございます!」
「ん……ありがとティティス」

小さな妖精を抱き上げ、そのままきつく抱きしめる。
圧迫された肺が悲鳴を上げるが、根性で無視する悪魔。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
タカチホ義塾の生徒は、序盤で混乱してゴーレム狩りに出遅れた。
しかしディアーネ達もロクロに苦戦し、その後遺症で狩りが順調に行えない。
状況は、決して予断を許すモノではなかった。

「さぁ、続き行こう。私達も頑張らなきゃ」
「そうですね、頑張りましょう」

ティティスを張り付かせたまま、ディアーネが砂漠を行く。
何時の間にか二人のときは、自然となった歩き方。

「二人掛りでエル先輩に撃破数で負けたら、何を言われるか……」
「きっと満面の笑みを浮かべてネチネチと、嬉しそうに皮肉が飛んで来るんだよ」
「え? それはご褒美じゃ……」
「……ティティスちゃん。一応それ、あんまり他で言わないほうがいいと思うよ」

しっかり堕天使に調教されているらしい後輩に、心の中で合掌するディアーネ。
最も、方向性は違えどあの堕天使に染められているという点では、彼女も他人の事は言えない。
自覚はしている悪魔だが、それが不思議と心地良いと思うのだ。
結局の所、複数の朱がお互いを朱で染めあっている三人娘。
しかし彼女達個人に言わせれば、自分だけはマトモなつもりであるに違いなかった。



§



エルシェア、バロータの参戦により、五匹のセンチネルは瞬く間に駆逐された。
エルシェアが三人の生徒を庇いつつ、アダーガで削る。
そうして時間を稼ぐ間に、バロータが一匹、また一匹と数を減らす。
多くの時を費やすことなく、五匹のセンチネルは五個の魔法石へを姿を変えた。
図らずも他校生を救助する形となった二人だが、この後が問題である。
助けた三人はかなりの深手を負っており、クラッズの少女は失神していた。
しかしこの場にいる全員が、回復魔法を使えなかったのである。
エルシェアは転科を行えば回復魔法の使用制限が無くなる。
しかしその為には今の装備を、一度全て外さねばならなかった。

「おめぇ、光術師やれんだろ?」
「この場で脱げと?」

そうと知りつつ、にやけた顔で提案したバロータ。
満面の笑みで叩きつけられた殺気は、天使の背中に死神の幻を見せてくれた。
結局の所バロータがクラッズを背負い、五人は一度学園に引き返した。
負傷した三人の生徒はエルシェア、バロータに付き添われ、プリシアナ学園の救護班と合流を果たす。
別れ際に丁寧な礼と、自分達の棄権を伝えてきたのは、リーダーらしいヒューマンの少年。
そして彼らの集めた三つの魔法石は、天使と竜に託された。
入手した八個の魔宝石を、とりあえず二等分した二人。

「……」
「……」

合計九個になった魔法石を道具袋に収めつつ、エルシェアは歓迎の森に戻ってきた。
何故か、竜の少年も一緒に。
先を進む天使から、数歩遅れて同じ道を歩むバロータ。

「さっき二つと言いましたが……もう一つ質問、構いませんか?」
「答えられるもんならな」
「貴方の存在が鬱陶しいのですけれど、もしかして個人的に粘着されているのですか?」
「そいつぁ……わりぃがYESだな。お前を一人、自由にさせると面倒だ」
「セルシア君がそう言ったのですか?」
「質問が増えたな」
「……」

肩越しに振り向いたエルシェアの瞳がスッと細まり、バロータの背中に冷たい汗が滲む。
しかし彼はそんな事はおくびにも出さず、常の口調と態度を崩さなかった。

「答えはNOだ。こいつは此処でお前さんに遭遇した、現場の判断って奴だな」
「そうですか……」

天使は再び歩き出し、竜の少年がその後をついてきた事を確認する。
次いで道具袋からレーダーと地図を取り出し、残りのゴーレムの位置を確かめた。
既に粗方のセンチネルが狩られたらしく、残る反応は少ない。
それでもエルシェアは森の中に踏み入っている。
ゴーレムの反応が無い、先程五匹を狩った場所へ向かって。

「……」
「……」

バロータは前を歩く天使の背中だけを見つめていた。
歩きながら地図とレーダーを確認して、進む方向を決めているらしいエルシェア。
彼はその方向が先程の場所だと気づいていたが、黙って付いて行く。
やがて目的の場所に到着したエルシェアは、振り返って竜の少年と向かい合った。

「本当に良かったんですか……のこのこと、ついて来てしまって?」
「俺以外を連れ込まれるよか、何ぼかマシと思うしかねぇよ」
「うふ、ふふふ……あは!」

破顔して笑い出した天使に、バロータは顔を引きつらす。
先程の自分の答えを、全力で否定したくなった。
今此処にいる事が危険極まりない事態だと、彼は知性と本能で悟っていたから。

「……」
「……」

笑みを納めたエルシェアは、再びバロータと視線を合わせる。
お互いに入学当初の姿を知るもの同士。
天使の記憶よりも大きく、逞しくなった竜。
そんなバロータはエルシェアから目を逸らすことなく、真っ向から対峙していた。

「お前、何時から狙っていやがった?」
「最初から」
「最初……だと?」
「ルールを確認した時から、もっとも効率的なのは『略奪』だと気づいていましたよ?」

交流戦の勝利条件は各校が配置したゴーレムを倒し、その魔宝石を手に入れること。
決してゴーレムの撃破数を競うルールでは無いのである。
そして生徒間の戦闘行為を明確な文章で制限はしていなかった。
勿論、他校のゴーレム探査機を奪う為の戦闘ならばという不文律があったのは間違いない。
だが今大会に限って言えば、拘束力は持たない。
ならば……魔宝石を手に入れた生徒から、其れを奪えばいいのである。

「真っ向勝負しても良かったんですけれどね? 間違いなく、プリシアナ学園の優勝と私達のパーティーの二位以内は取れたでしょうから」
「……」
「ですが、確実に一位を狙うなら……もう一つ決め手が欲しいところでした」

エルシェアは最大のライバルになるであろう、セルシアのパーティーを撃ち落す事を計算していた。
しかし一人で彼ら三人に勝てるはずも無く、実行する機会は無いものと諦めてもいた。
故に標的は、歓迎の森で魔宝石を集めた『他校』の生徒だったのだが……
セルシア達も、自分のパーティを分散させた。
此処にエルシェアが望む各個撃破が出来る状況が生まれる。

「貴方から奪い取れれば、自分のを増やしつつセルシア君の数を削れますね」
「念のため、本当に一応なんだが聞いていいか?」
「はい」
「俺が逃げたら、見逃してくれるのか?」
「別に私の邪魔をしないのでしたら、構いませんよ。その時は別の子を見つけて、美味しくいただくだけことですから」
「……淫魔かお前」
「堕天使ですよ」

艶然と微笑むエルシェアに、苦虫を噛み潰したバロータである。
そうなる可能性に気づいていたからこそ、彼は自分でエルシェアに立ち向かわざるを得なかった。
セルシアとフリージアがドラッケンのゴーレム狩りに出ている今、彼女と立ち回れる生徒は、少なくともプリシアナには彼しか居ない。

「逃げたければどうぞ? 貴方に拘るより、別の子を襲ったほうが楽だし数もこなせるでしょう」
「完全に悪役じゃねぇか……」
「はい。だから、ディアーネさんやティティスさんにお手伝い願うわけにも行かなくて……ね?」

エルシェアは移動効率や、現地での地理を計算してパーティーを分けたことは間違いない。
そして同時に、この時の為に自分を一人にした事も間違いは無かった。

「私はディアーネさんに、この交流戦で優勝していただくと決めました。それは同時に、私の意趣返しでもあります」
「そうか、其処から『セルシアに勝つ』って共通項が生まれるんだな」

エルシェアは左のアダーガの刃を展開させ、右手のエストックを構える。

「……貴方は、理解が早いのですね。退化した竜の癖に」
「……さり気なくキツイなおめぇ。堕ちた天使の癖によ」

バロータは左腕に装着したブレスレットに右手で触れる。
其れは魔力を光のグローブに変換する『オーラフィスト』
両の拳に燐光が生まれ、光の魔力同士が干渉して白い火花が散った。
半身の姿勢で構えた竜は、エルシェアの目から見ても隙が無い。

「さっきも思ったのですけれど……強くなったね、バロータ君。だけど……」

天使の脳裏に、この場に居ない相棒と後輩の顔が浮かぶ。
このような役回りをする自分を、彼女たちはどう思うだろうか?
受け入れてはくれないかも知れない。
認めてくれることは無いかも知れない。
しかし、其れでも良いと思うのだ。
全てはエルシェアが自身で決めた道である。
エルシェアがセルシアに負けたとき、彼女の傍には誰もいなかった。
しかし今、この天使には何より特別な仲間がいる。

―――仲間の為に……そして、自分の為に

決してぶれない目的を、やっと見つける事が出来た天使。
どんなに汚れた仕事だろうと、頑張ることが出来る自分を手に入れた。
そんな自分は間違いなく、セルシアに負けたときのエルシェアよりも強くなったと胸を張れる。

「私もね、強くなったんだよ?」

満面の笑みでそう告げた天使。
その笑みはバロータが知る中で、最も高く飛んでいた頃のエルシェアの顔だった。




後書き

うぅ……チラシ裏に帰りたいよ(´;ω;`)
のっけから泣き言ですが、十三話をお届けします。
戻れないかな……駄目かな……
もし宜しければ出戻りの可否って聞かせてくださると嬉しいです。
あんまりそういう作品の流れって聞かないのですが、完全禁止でしたっけ……?


今回はやっと始まりました、交流戦の本戦です。
尺の都合でVSロクロとVSバロータはばっさりカットの方向でw
このルールでゴーレムの奪い合いをする場合、時間経過をありだとするなら上位入賞の条件は絶対にスポットか、移動系アイテムは必須。
両学校のゴーレムを徒歩で狩りに行くのは論外だと思います。
その場合に強いPTが財力のあるキルシュトルテと、メイン水術師サブ土術師のフォルクス。
しかし王女様のパーティーはアタッカーに偏っており、フォルクス君のパーティーには上位学課を納めた子がいらっしゃいません。
いや、基礎を極めようとしてるこのジークムント君PTって好きなんですけどね。
ドレスデン先生の指導方針を垣間見ることが出来る構成だと勝手に思ってます(*/□\*)
とまぁ私の妄想はおいといて……
そうやって考えていったとき、恐ろしいのがセルシア君のパーティーです。

セルシア君 メイン『プリンス』サブ『弟』
フリージア君 メイン『光術師』サブ『執事』
バロータ君 メイン『格闘家』サブ『パティシエ』

何この一片の遊びも無いガチ学課?
スポットと回復と魔法壁はフリージア君が担当し、前衛にバロータ君が納まってオールラウンドなセルシア君が締める。
セルシア君のサブが弟でイペリオンが二方向から飛んでくるのがおぞましい(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル 。
そしてフリージア君……貴方完璧に『執事』の立ち位置にいるくせに敢えてそっちをサブにしている所が抜け目無い……てか隙が無い。
バロータ君のサブがパティシエで、無魔法ながら強力な補正がついてくるのも……
個人的には、フェアリーでありながら無魔法の学課に突撃したチューリップさんみたいな学課の取り方も好きなんですけどねw
でも実際に戦わないNPCの方々に此処まで本気の学課を組ませた所に、アクワイア様の愛とかその他いろいろを感じずにはいられません。
其処に咥えて私のお気に入りパーティー補正が加わって更に強化される王子様達。
此れ三人娘は勝てるのかな……別にいいか負けちゃっても(*/□\*)

此れが今年最後の投稿になると思います。
それでは皆様、良いお年をー(*/□\*)



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑭
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/01/08 00:07
プリシアナ学園北校舎の一角にある保健室。
冒険者養成学校の救護施設ということで、それなりに設備の整った場所である。
一ダースのベッドと様々な医薬品を備えた、保険医リリィの持ち場たる療養所。
常ならば保険医本人しかいないこの空間に、珍しく二人の男女が居た。

「……動けねぇ」

ベッドで呻いたミイラ男は、この学園の生徒。
竜の祖先を持つ種族、バハムーンの少年である。
彼は手足を包帯で身体ごと巻かれ、『丁重に』ベッドに寝かされていた。

「動けない? 其れは結構。両手足の腱を切ったのに動けたら、わたくし困るところでした」
「切っ!?」
「冗談ですよ? あ、切ったのは本当ですけどもう繋ぎました」

物騒な事を平然と言うのは、薄桃色の長いウェーブヘアの少女だった。
その背中と側頭部に対の羽を持つ、天使の血を継ぐ種族セレスティア。
少女はプリシアナ学園指定の制服の上からサイズの大きい白衣を着込み、ベッドで呻く少年を見下ろしていた。

「此処は……保健室だよな? なんだ、俺負けたのか?」
「無様に這い蹲ったのは君ですよ、バロータ君」

バロータと呼ばれた少年は、渋い顔をした……様だった。
顔までしっかり包帯が巻かれていたため、表情の確認までは出来なかったが。

「おい、エル。ちょっと良いか?」
「どうぞ」
「随分大げさな格好にされちまってるけどよ、俺はどうなったんだ?」
「ふむ、何処から説明したものか……貴方は何処まで覚えています?」
「あー……開幕お前の顔面に一発お見舞いした筈だぜ?」
「……随分と都合の良い所だけ、記憶なさっているのですね」

深い溜息を吐き出して、セレスティアの少女は肩を竦めた。
この少女……エルシェアとバロータは、『三学園交流戦』において直接対決を演じていた。
きっかけはエルシェアが、この少年の魔宝石を奪おうと襲い掛かったことによる。
バロータは善戦したものの、最終的には地力で勝るこの天使が勝利を収めた。
彼は動けなくなるまで少女の剣に切り刻まれ、集めた七個の魔宝石を奪われたのだ。
当時の状況を思い出すにつけ、不甲斐無さに落ち込むバロータ。

「……負けちまったのか」
「……」

先制したのは彼だったが、エルシェアが短期決戦を諦めてからは戦況が完全に落ち着いた。
勿論少女に有利なまま。
エルシェアは魔法盾『アダーガ』を構えて徹底的な防御に専念。
そのままバロータが攻撃してくる都度、盾から展開する魔力刃で相手を削る。
攻める度に自らが痛んで行く現状に焦った彼が、やや雑になった所を『エストック』で刺して行く。
其れは一息に勝負を決めるモノではなかったが、バロータが倒れるまで、一度も流れが変わることが無い戦闘。
正に封殺と行って過言ではない勝負だった。
バロータは身を捩るように動かすと、見下ろすエルシェアと目を合わす。
特に思うことも無いのか、少女の表情は沈んでいるように見える。
しかし今一つ、彼には確認しなければならない事があったのだ。

「お前さ……俺を此処に運んだのか?」
「はい」
「その後、何してた」
「別に……何もしておりませんよ」
「……そうか」

バロータは勝利に喜ぶでもなく、微妙な表情をしている少女の様子を理解した。
エルシェアは何も、バロータ一人を標的にしていたのではない。
彼女は交流戦で確実に勝つために、魔宝石を手に入れた生徒から其れを奪うという裏技に踏み切ったのだ。
其れを察したバロータは、実力差を承知して彼女に挑んだ。
彼は自分以外の被害者を出さなかった。
この天使の戦略目的からすれば、バロータとの勝負に手間取り過ぎた失敗と言っても過言ではない。

「っへ、なら引き分けにしておいてやらぁ」
「誰の慈悲で生かされていると……」

頭を抱えたくなったエルシェアは、一つ息を吐いて椅子に座る。
其れが本来リリィが座る椅子だと気づいたバロータは、漸くこの場に居るのが二人だけだと理解した。

「リリィ先生何処行った?」
「先生でしたら、大聖堂です。交流戦の結果発表と、表彰式に出ていらっしゃいますよ」
「おめぇは?」
「私は神様の近くに行くと蕁麻疹が出るので、看病という名のさぼりですね」

そう言って笑う少女は、とても少年を切り刻んだ者と同一人物には見えなかった。
バロータは包帯を引き千切って起き上がる。
中からはしっかりと魔法で癒された、五体満足の少年の姿。
やはり完全に全身を拘束されたミイラスタイルは、腹黒い天使の嫌がらせだった様である。
半眼で睨み付けてくるバロータに、少女は口元を手で隠して微笑していた。

「蕁麻疹ってのは兎も角、ああいう場所が全然似合わねぇセレスティアってのも珍しいよな」
「ですよねぇ。普通は一番絵になる筈なんですけど」
「あ……似合うって言やぁよ、お前知ってるか?」
「お?」
「俺、前に奉仕活動で大聖堂の掃除を買って出た事があるんだが……」
「居眠り罰則は奉仕活動とは言いませんよ?」
「黙れ。まぁ……掃除やってるときな? お前さんの相棒が来た事があったんだよ」
「大聖堂に?」
「おう。ディアボロスじゃ珍しいだろ? 何やってるのかと思ったら、あいつ祈ってたんさ」
「へぇ……」
「ステンドグラス越しの光の中で跪いてよ……ありゃ、本当に綺麗だったね」
「……写真とか取ってません?」
「流石にねぇな……」
「……役立たず」

氷点下の視線で少年をねめつけるエルシェア。
理不尽な八つ当たりに苦笑したバロータは、当時の事を思い出す。

「もう半年以上前の事だぜ? お前らが組み始めたのって最近だよな」
「そうですね……本当に、まだ夏と秋を越えただけでした」
「うちの学校だって、自発的に祈りに来る奴なんて一握りだ。しかもそいつが悪魔で……美人と来たもんだ」
「……」

氷点下だった眼差しが、更に冷え切ってゆくエルシェア。
バロータはそんな視線に気づくことなく鮮明に口を滑らせて行く。
腕組みをして、瞳を閉じ、当時の状況を記憶から掘り起こしていく竜の少年。
エルシェアは椅子から立ち上がり、白衣を脱いで折りたたむ。

「ほら、そうなるとやっぱり興味も沸くじゃね? 一個下の後輩ってのも萌えだしよ」
「ええ、後輩っていいですよね」

天使は極力自然を装い、少年の戯言に答えてやった。
そして白衣の下に着込んだ学園の制服を、一つ一つ脱いでゆく。

「そこでコナかけねぇのは男じゃねぇだろ。俺は勿論お近づきに為るべく声を掛けたさ」
「まぁ、積極的な事ですね。男性の魅力の一つではありますわ」
「だろ? あ……勿論お祈りが終わるまではしっかり待ってだぜ? あの横顔見てるだけで、時間が経つのも忘れるってもんだ」
「――お羨ましいことです」

少年は自分の語りに熱中しているらしく、少女を気にした様子は無い。
エルシェアはバロータの背後からそっと近づく。
服を脱ぎつつ音も無く寄るというのは通常なら至難だが、彼女は天使の血族である。
純白の翼を閃かせ、床から数センチ浮き上がって音を消した。

「で、終わったところで尋ねてみたんだ。熱心に何を祈っているのか」
「彼女……なんて仰っていましたか?」
「何時か、運命の人に会えますように……って祈ってたんだ。ちょっと寂しげな微笑でさ、照れたみてぇにそう言ってた」
「へぇえ……運命の人ですかぁ」

エルシェアの翼が白から黒へ、一瞬で変色した。
『堕天使学科』への『転科』である。
更に音も無く愛用の片手鎌、『シックル』を右手に召還した。
少女の口元が歪む。
最も近い表情は笑みだが、纏う雰囲気は殺気である。

「俺はあの時、神の存在を確信したね! あの子の心の隙間を埋めるのは俺しかいねぇ! あの子の両の手を握りながら俺は……」
「……は……す」
「あ……あ!?」

叩きつけるような殺気と、呟くような少女の声。
地獄の底から搾り出されるようなどす黒い声音に、バロータが振り向いた。
そして絶句する。
黒染めの翼をはためかせ、下着姿で鎌を構えたエルシェアの姿。
ありえない光景に頭の中が真っ白になった少年。
しかし危地に陥ってからの思考停止程、愚かな事は無いのであった。

「あな……では……や……く……です」
「え……あれ?」
「あなたでは、やくぶそく、です!」

濃密な殺気と共に振り下ろされた片手鎌。
少年は鍛え上げた格闘家としての本能で、その手首を捉えて刃物を止める。
切っ先が顔の数センチ手前で停止した。
バロータは癖でそのまま手首を捻り、武器を奪おうと試みる。
しかし天使の筋力は竜の其れと拮抗し、鎌は全く動かない。
近づかないが、離れない。

「うお!?」
「私より先に出会っていた? 自慢していらっしゃいます?」
「ちょ、おま……」

エルシェアはベッド上のバロータに半ば圧し掛かるようにして、上から鎌で切りつける。
不利な体勢から必死に押しのける少年は、奥歯が折れ砕けるほどに喰い絞めた。

「貴方がディアーネさんを? 口説いたの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「ま、待て……振られたから! って言うかおめぇ服着ろよ!」
「勿論です。この鎌を振り下ろしたら、直ぐにでも」
「お前っ……一応年頃の娘なら恥ってもんを……っぐ!?」
「大丈夫……数分後の死体に何を見られたところで苦にしません」

微笑と共に左の指先に即死魔法を展開し、少年に突きつける堕天使。
バロータはとっさに手首を掴み、迫る指先に抵抗する。
こちらも拮抗した筋力らしく、震える指先は動かなかった。
バハムーンと力比べするセレスティアというのも珍しいが、結果が拮抗しているというのは更に珍しい光景だった。
プリシアナ学園の片隅で、地味な命の危機に瀕した竜の末裔。
バロータの脳裏に此れまでの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
その中には目の前の少女とのモノもあり……彼女が出てくるたびに、何故か死に掛けている自分に気がついた。

「……死神かお前は」
「随分な仰りようですね? 反省の色が無い場合、後五分あったものが八秒になるのですが」
「な、何だよ?」
「貴方の余命」
「おいぃ!?」

エルシェアは左の即死魔法を打ち消し、バロータの手を振り払う。
そのまま右手の鎌を両手に持ち直し、一気に振ろうと試みる。
バロータも即座に開いた手で押さえ、両手の腕力で少女の膂力に拮抗する。
しかしその間隙に、堕天使は完全なマウントポジションを確保した。
いよいよ本格的な処刑の予感を感じる少年。
とっさにブレスを吐こうとするも、その時は少女も攻撃魔法を使うだろう。
緊張状態が少年の精神を蝕み、なりふり構わず悲鳴を上げそうになった時……
スライド式の扉が勢いよく開け放たれた。

「エル! 勝ったよ! でも……ぁ?」

飛び込んできたのは悪魔の少女。
先程からエルシェアの独占欲を刺激してやまない相棒のディアーネである。

「……」

話の主役の登場に、完全に固まる竜と天使。
ディアーネの視線が、下着姿の相棒からバロータへ……そして二人の間の鎌へと移る。
どのような状態なのか理解に苦しみ、悪魔も完全に固まった。

「……」

最初に理性を取り戻したのは、翼もお腹も黒い天使だった。
半泣きになっていた少年とベッドから降り、長い髪をかき上げながら息を吐く。

「いらっしゃい、ディアーネさん」
「あ……ごめんねエル、邪魔だったかな」
「そうですね。後十秒時間をくだされば、バロータ君を確実に葬ることが出来たでしょう」
「ん。後で私も手伝うから」
「お願いします」
「待てや」

命の危機を脱した少年だが、決して味方が来たわけではなかった。
エルシェアは脱ぎ捨てた服を拾い上げ、白衣と共に無人のベッドに持ち込んだ。
病床はカーテンで仕切られている為、ブラインドとして使える。
制服と白衣を着込むエルシェアの耳に、バロータの声が聞こえてくる。

「なぁ、お前さんさ……前に大聖堂で会ったの、覚えてるか?」
「バロータ先輩、奉仕活動してたっすね」
「その通り。で、だ……運命の人って見つけたか?」
「うぃっす。エルに会えたよ」

本人の前であっさりと言い切ったディアーネ。
着付け終わった堕天使は、手を掛けたカーテンを開けられなかった。
自分の顔が赤くなったのが、はっきりと解ってしまったから。

「……だ、そうだが?」

揶揄するような少年の声に、堕天使の何かが再び切れた。
躊躇無くカーテンから飛び出し、相棒の悪魔の下へ跳ぶ。

「……ディアーネさん」
「ん?」
「その男、一緒に埋めましょう」
「エルが言うなら」
「何でだおい!」

一瞬の迷いも無くエルシェアの提案を受け入れるディアーネに、少年が抗議の声を上げる。
其れを丁重に無視しつつ、エルシェアはディアーネを何時ものように緩く抱く。
表情から険が抜け、やっと機嫌を直したらしい堕天使。
バロータは漸く命の危険が去った事を感じ、心の底から安堵した……



§



やっと落ち着いた保健室。
三人の生徒はベッドと椅子を使って円座を組んだ。

「ティティスさんはどうなさいました?」

最初に口を開いた堕天使は、彼女の今一人の仲間の事を聞いてみる。
受けた悪魔は苦笑して、後輩の所在を語った。

「あの子は今、ジャーナリスト学科の子達に囲まれてるよ」
「お……?」
「ティティスってほら、転入直後からアレだったし話題性もあって……最近急に強くもなったからね、新人賞取ったんだよ」
「おお……此れは褒めてあげなければ」
「そうして上げて。あの子も其れを気にしてた」

共通の後輩を想う天使と悪魔。
そんな二人の会話に堂々と割りこめるのが、バロータという男である。

「其れは結構なんだが……結局何処が勝ったんだ?」
「ん……魔宝石の数は、うちと会長のチームが引き分けだったっす」
「引き分けですか……」

エルシェアとバロータは顔を見合わせ、それぞれに深い溜息をついた。

「バロータ君から七個削って、こっちの宝石にして尚同着……」
「結局あいつの一人勝ちか……?」
「まぁ、貴方が一人負けなのは確定でしょうね」
「うっせぇよ」

可哀想な者を見る目のエルシェアに、頭を撫でられるバロータ。
そっぽ向きつつその手を払い、彼は頭を掻き毟った。
ディアーネは一つ咳払いして、相棒の堕天使に向き合った。

「エル、ごめんね」
「何ですか?」
「エルは凄い手を尽くしてくれたのに、私がタカチホでてこずっちゃった」
「其れは確かに負着の一つではありますが、其処だけが原因というわけでもありません」
「ん……」
「私も、自分で考えていた程は動けませんでしたから」

そう言ったエルシェアは、バロータに再び視線を送る。
自身は敗北したが、エルシェアの略奪は阻止できた竜の少年。
複雑な内面をそのまま顔に持ってきたような表情が、天使の溜息を誘っていた。

「エルがさ、あんな裏技考えてたなんて気づきもしなかった」
「裏技というか……私今までなんで誰もやっていないのか、不思議でしょうがなかったんですが……」
「誰もがおめぇみたいな腹黒だと思うなよ」
「お黙りなさい爬虫類。蜥蜴男」
「んだと鳥類! 蒸して食うぞゴラァ」

常よりも直球の毒を遠慮会釈無く吐き出すエルシェア。
即座に言い返す少年もそうだが、ディアーネから見ても珍しい光景だった。
考えてみれば、彼女はエルシェアが同年代の異性とプライベートで話しているのを始めて見た。
先程エルシェア自身が公言したが、この天使と悪魔の付き合いはいまだ、季節を二つ越えただけ。
最早長年連れ添った気さえしていたが、まだまだ過去より未来を遥かに多く持つコンビであった。

「実はね? 一部の先生からは随分批判も出たんだよ」
「それは予想済みですが……リリィ先生は何か?」
「なんか頭痛そうにしてたけど怒ってはいなかった。困ってたのかなあれ……」
「まぁ、そんなところですか」
「だけどね……ティティスが、真っ赤になって怒ってた。マニュアルを先生に投げつけて、何処に禁止が書いてあるって」
「あの子……其れは私の仕事ですのに」
「……私もそう思って自重したらさ、後輩に全部持っていかれた」

苦笑したディアーネに、エルシェアは同じ笑みを返した。

「でもさ……エルが一人で背負い込んだのと、私が不甲斐無かったせいで後輩に負担かけたのは……忘れちゃ駄目だと思う」
「……同感です。交流戦の前日までには、貴女とは相談すべきだったかもしれません」
「エルは、私とティティスの為に一人でやってくれたんだよね。私其れが解って、だから我慢しちゃった……そしたら、あの子がキレた」
「……正直、あの子が怒る所って想像がつきませんね」
「私もね……まだまだだなぁ」

一時騒然となった、交流戦の閉会式と表彰式。
事態を収めたのは、校長たるセントウレア当人であった。
彼はティティスの投げたマニュアルを拾い上げると、微笑して少女に返す。
ディアーネにとっては意外なことだが、セントウレアはルール上で、エルシェアのやったことがまかり通る事は承知していたのである。
それでも明文化して先に禁止を作らなかったのは、生徒自身に考えて欲しいと願ってのこと。
問題が起き、其れを事例として理由付けすることで初めて大勢の者への説得力を持つ。
彼は『何年の交流戦でこのような事態が起きたため……』この一文をマニュアルに付け加える条件が揃うまであえて手を入れなかった。
同時にセントウレアは、生徒達に目的達成の為の道筋を自ら切り開く力を身につけて欲しかった。
ルールを理解し、目的を把握し、其処にいたる道を定めること。
エルシェアがやったことは倫理上の問題はあれど、多くの生徒達に発想の転換を見せた。
そう言って笑う校長を見て、ティティスは漸く自分のしでかしたことに気がついた。
そしてそれ以降、真っ赤になったり真っ青になったりしながらもディアーネにしがみ付いて離れなかったのである。

「まぁ、おめぇらはあの嬢ちゃんに好かれてるからな」
「……」
「お前らが慕われている分だけ、大きなベクトルがそのまま裏返って敵に向かう。今後あいつに、そんな一面があるって事を解っていてやるんだな」
「ご忠告、ありがとうございます」

天使と悪魔は顔を見合わせ、お互いに深く頷いた。
この二人にとって、やはりあの妖精少女は特別な存在なのである。

「それにしても、同点たぁな。この場合って二班同時優勝か?」
「いや、それがね……」
「同着班が出た場合は、優勝決定戦で直接対決になりましたよね?」
「うん。先生方、そうなるって言ってた」
「このルールで同着って言うのは、中々ねぇよなぁ?」

三人はお互いの顔を見合わせる。
ややあって、竜と悪魔の視線は極自然に天使に集まった。
エルシェアは顎に手を当てながら記憶を手繰る。
彼女は思い出せる限りの年度の優勝校とそのパーティーの検索する。

「ん……少なくとも……此処二十年で、同着が出たことはありませんね」
「だけど、これまではなるべく直接対決を避けさせるルールだったのね……」
「そうですね。私もこの交流戦の性格を考えたとき、優勝校が決まった後で、その先まで争うと言うのは、首を傾げる部分がありますが」
「そうか? やっぱり一位ってのは、ちゃんと決めたほうが良くねぇか?」

エルシェアが首を傾げるのは、この交流戦が学校単位の対抗戦であった事。
プリシアナ学園の生徒は、自分の学校を優勝させるために魔宝石を集めていた。
このルールだと、エルシェアがバロータから宝石を奪い取ったのは身内の同士討ちになる。
しかし同時に最後まで同着を許さない、パーティー単位の個人戦と言った側面も持った大会なのである。
どちらを重視するかにもよるが、此処に其れまで同じ目的の為に魔宝石を集めていた、プリシアナ学園の生徒同士が相打つという構図が生まれてしまった。

「確かに、それならそれで私も構いませんけど」

苦笑して肩を竦めたエルシェアは、不意に視線を扉に向けた。
その動作で、残りの二人も近づいてくる足跡に気がついた。
廊下から足音が届く距離のこと。
直ぐにスライド式のドアが開かれた。

「やぁ、元気そうだねバロータ」
「おう、セルシアじゃねーか。そっちは終わったんだな」
「いや……全く動けなかったんでね。フリージアに任せて自由にしてもらったんだ」

やって来たのはプリシアナ学園生徒会長、セルシア・ウィンターコスモスである。
エルシェアはその姿にひらひらと手を振り、ディアーネは軽く会釈した。
セルシアは微笑と共に頷き、少女らの挨拶に答える。

「失礼します」
「先生も居ないのに、律儀なことですね」
「何となく、言っておかないと落ち着かなくてね」

入室したセルシアは、ディアーネと向き合った。

「君達の代表は、ディアーネ君だったね。優勝おめでとう」
「うぃっす、ありがとうございます……って、会長の所も優勝っすよ」
「ああ。それで優勝決定戦の日取りが決まったからね……君は式が終わるとあっという間に消えてしまうものだから、伝えに来たんだ」
「あ……とにかくエルに教えなきゃって思ったら……」
「良いよ、大した手間でもない。本来は直ぐにと言うことらしいんだが、こっちはバロータが居なかったからね」
「こっちもエルがバックレてたっす」

セルシアとディアーネの視線が、それぞれの仲間に注がれる。
堕天使と竜は視線を合わせ、やや気まずそうにそっぽを向いた。
少女に負けたバロータも、此れで終わりだと思っていたエルシェアも、それぞれの甘さに気恥ずかしさを覚えたのだ。

「決定戦は明日の十時から。場所は大聖堂で、午前の講義は取りやめ。見学者は自由参加らしい」
「見学者を巻き込んだり、盾にしたりして宜しいので?」
「そうしてはいけないと言うルールは無いけれど、殊更僕が目の前で其れを許すと思うかい?」

挑発的に微笑むエルシェアに、穏やかな笑みで答えるセルシア。

「折角巡ってきた舞台なんだ。僕としては、君との純然たる決着を望んでいるよ」
「決着などとうの昔に、貴方の勝ちで着いているでしょうに」

セルシアの発言を暑苦しいと感じ、エルシェアは深い溜息を吐いた。
やる気のなさそうなその様子に、セルシアは再び苦笑する。
エルシェアはセルシアが入学した時、既に学園で頭角を現していた才媛だった。
半年先に入学していたバロータの伝手もあり、初めて組んだパーティーメンバーの一人。
やがてこの堕天使は少年達から離れていったが、セルシアに取っては兄以外で生まれて初めて壁として立ちはだかった少女である。
再戦を望む気持ちは、非常に強いものがあった。

「始めて会った時は君の背中が遠かったよ。追い抜くのに三ヶ月も掛かった」
「それから、もう二年半も経っているのですが」
「ああ、本当だよ。僕は君が直ぐに抜き返してくると覚悟していたのにね?」

嬉しそうに語る天使は見ずに、堕天使は椅子から立ち上がる。
一つ息を吐き髪をかき上げ、白衣を揺らしてその脇を通り過ぎた。

「会長」
「なんだい?」
「ティティスが何処に行ったかご存知ですか?」
「僕が開放される前に逃げ出していたからね。此処にいないとすると、寮の自室に引き篭もったんじゃないかな……」
「成る程、其れはありえそうですね」

エルシェアはある意味で、ティティスの成長をこの学園で最も評価している少女である。
しかし彼女のイメージでは、部屋の片隅で小動物のように震えている印象が強い。
ティティスはどれだけ強くなろうとも、エルシェアとディアーネの前では懐っこい子猫になる。
それは出会った頃から変化しない妖精少女の姿であった。

「少し様子を見てきます。ディアーネさんは?」
「私も行くっす。放り出してきちゃったし」

椅子を蹴って立ち上がった悪魔は、相棒の下へ駆け寄った。
極自然に手を繋ぎ、少女達は学生寮へ向かう。
セルシアはその背を見送ると、ベッドで胡坐をかいているバロータに声を掛けた。

「……と言う事だが、大丈夫かい?」
「おう。俺は今すぐだって良いんだぜ」
「頼もしいな」

バロータはベッドから飛び降りると、セルシアに復活をアピールする。
苦笑した天使の少年は、一つ頷いて彼の相棒の肩を叩く。

「彼女、どうだった?」
「強かったぜ」
「そうか。最高の答えだね」

バロータの強さは、セルシアが一番よく知っている。
そんな彼が迷い無く、エルシェアの強さを認めた。
願い続けた直接対決。
しかも学校公認の勝負である。
セルシアは何時の間にか握り締めていた拳を開いた。

「直接対決してぇのか?」
「ああ……実はフリージアにも頼んである。君も頼まれてくれるかい?」
「そうだな……まぁ、俺は今日負けてるしなぁ」
「そうだったよ……君はずるい。事情を聞いたとき、森担当の君がどれだけ羨ましかったか……」
「っへ、わりぃなセルシア。でも、其れは結果論だろ?」
「承知してはいるんだが……」

天使の少年は一つ息を吐き、明日の優勝決定戦にはやる心を落ち着けた。
何処か子供っぽい仕草が、バロータには懐かしい。
常のセルシアからすればらしくない事この上ないが……
エルシェアがいた頃は、そんな年相応のセルシアの姿をよく見かけたのだ。

「エルシェア君に、感謝しないとね」
「ああ」

彼女はバロータを倒した後、彼を放置しないで学園に引き上げている。
怜悧な少女の中に確かに在る優しさ、或いは甘さが、両パーティーの突出を許さず引き分けに落ち着いた要因の一つ。
その他にも様々な偶然と、各学校の生徒の奮戦が絡み合い、明日の優勝決定戦にもつれ込んだ。
最高の舞台で最強の相手に望める幸福。
セルシアは何時の間にか浮かんでいた、自分の笑みに気づかない。
彼は遠足を明日に控えた少年の心地で、相棒の竜に声を掛けた。

「さぁ、フリージアが待っている。行こうバロータ」
「おうよ」

セルシアの笑みに気づいていたのは、傍で見守る竜の少年。
彼は胸中で同期生たる少女に合掌した。
明日のセルシアは間違いなく、メンタルまで含めたベストコンディションになるだろう。



§



学生寮を訪れた天使と悪魔は、後輩の個室の前で立ち往生をしていた。
外界との接触を拒むかのごとく閉ざされた扉は、しっかりと鍵を掛けられている。
其れはまだ良いのだが、問題は扉正面の廊下と壁。
明らかに高威力の魔法で破壊されたと思われる其れは、随分と風通しの良い作りに生まれ変わってしまっていた。
十二月の風に曝される二人。
エルシェアは白衣を、ディアーネは千早を、それぞれの胸元を押さえて身震いする。
ディアーネが扉に耳を当てると、中からはブツブツと何かを呟いている後輩の声がした。

「ティティスさーん?」
「え、エル先輩?」
「はい。エル先輩です……此処、開けてくださいませんか?」
「ほ、本物?」
「は……? 本物だと思うんですが……」
「嘘です! エル先輩は皆そうおっしゃるんです!」

意味の解らない答えに、顔を見合わせる先輩コンビ。

「ティティスちゃん。廊下寒いんで、そろそろ入れて欲しいっす」
「ディアーネ先輩も……いらっしゃる……?」
「いるよー。ってか、どうしちゃったのよティティスちゃん?」
「うぅ……あーうー!」

再び顔を見合わせたエルシェアとディアーネ。
二人はベッドの上で、頭まで布団を被って震えているティティスの姿が想像できる。

「あの子、どうしたんでしょう?」
「ん……私が聞きたい」
「ジャーナリスト学科の方々から、何か言われたんでしょうかね……」

何かに脅えているらしい後輩に、堕天使の少女が優しく問いかけた。

「えぇと、ティティスさん聞こえますか?」
「……」
「貴女が何に脅えているのか、私には解りません。だから質問に、其処から答えてください。『YES』or『NO』で構いません」
「……YES」

とりあえず返答があった事に満足しつつ、エルシェアは質問を重ねていく。

「セルシア君のパーティーと、明日優勝決定戦を行います。日時と場所はご存知ですか?」
「……YES」
「次。ジャーナリスト学科の方々は、ちゃんと撒けましたか?」
「……NO」
「次。貴女が此処に引き篭もった後、私かディアーネさんが来ましたか?」
「……NO」

エルシェアはそこで質問を切り、肩越しにディアーネへと振り返る。
相棒は黙ってやり取りを見守っていたが、その視線には隠し切れぬ好奇が見て取れた。
堕天使の少女としても、見学に回れればそのほうが面白そうだと思うのだが……

「口ぶりからすると、私かディアーネさん……或いはその両方と、会話をしていそうな雰囲気でしたよね?」
「うぃっす。『エル先輩は皆そう言う』っていうのは、複数のエルに遭遇してそうな発言っすね」
「私、何時の間に細胞分裂して増える生物になったんでしょうねぇ……」
「ティティスちゃんの口ぶりからすると、私もっぽかったけどね」

ディアーネはタカチホ義塾の留学中に、他人の顔真似を生業とする一族の少年と出会っている。
それ程親しかったわけではないが、その技術は幾度かの宴で披露してもらっていた。
関連性は見えなかったが、同じモノマネという発想から彼女には閃くものがある。

「声だけ、私達の真似をする人がいたんじゃない?」
「ジャーナリスト学科の方々が?」
「もしかしたら……だけどね。アイドル学科の連中とかなら、声真似とか上手そうだし。技術提供か、若しくは連携か」
「ふむ……扉を開けた途端、記者連中と鉢合わせ。其れだとこの大惨事も納得ですね」
「ん、とりあえず私……下の瓦礫に生存者が居ないか見て来るっす」
「お願いします。まぁ、ティティスも加減したようですから死者は居ないでしょうけど」
「手加減……まぁ、紙一重だろうね」

苦笑したディアーネは破壊跡から身を躍らせ、階下まで一気に飛び降りる。
その様子を見送ったエルシェアは、着地してサムズアップする相棒に手を振った。
今一度瓦礫と化した部分を観察した堕天使。
激しく破壊された形跡はあるが、崩壊部分は極狭い範囲で納められている。
それは後輩が人ではなく、彼らが踏んだ廊下と背後の壁を対象に、効果範囲を絞り込んだ構成の魔法で粉砕した証拠だろう。
此れを見たからこそ、彼女は死者がいないと断言できた。

「魔法の構成が本当に巧くなりましたね……そうか……賞もいただいているんですよね……」

エルシェアはティティスの成長のささやかな一端を垣間見た。
恐らく堕天使自身でも、此処まで精密な魔法は使いこなせないだろう。

「……」

エルシェアは扉に視線を戻す。
外界との接触を只管拒む後輩の意思を示すように、硬く閉ざされた木製の扉。
堕天使の顔には微笑と苦笑を混ぜたような、曖昧な表情が浮かんでいる。
本来のエルシェアならば、拒まれた時は全く執着せずに退いたろう。
例え相手の本心が、踏み込む事を願っていると解っていても。
それは浅く付き合い、深入りしない事で面倒事を遠ざける彼女の処世術である。
今回もそうすべきだったのだろうか?
エルシェアの脳裏に浮かぶのは、やはり小動物のように震えているティティスの姿。
……抱きしめてやりたかった。
肺が空になる程の溜息を吐き出す堕天使。
少女は自分の節を曲げてサービスしてやることにした。

「さて、続きの質問です。可哀想に……こんなに脅えて、怖かったでしょう?」
「……YES」
「きっと、強引な質問とかもされたのでしょうね?」
「……YES」
「だから今、貴女の部屋の前で凍えている私を締め出すのですね?」
「……」

最後の質問からは明らかな愉悦を滲ませて、エルシェアは問いかける。
ティティスは答えに一瞬詰まり、頭だけ布団から出して扉を見つめた。
今まで此処を開けたとき、喜色満面の記者団に取り囲まれたのである。
扉の中に足を引っ掛け、ティティスへの取材を敢行しようとしたイエロージャーナリスト達。
其れはまだ学科に入って日の浅い連中ではあったが、嘗て似たようなことをされた経験が、彼女の対応を過激にした。
やっと訪れた平穏に、またやって来た先輩の声。
開けたい心情と先程の記憶がせめぎ合い、ティティスの身体を縛る。
そんな後輩に、堕天使の質問が続く。

「次……貴女はジャーナリスト学科の方々を、怖がっています?」
「……YES」
「……で、それは私の怒りを買うより怖いのですか?」
「え……先ぱ――」
「お黙りなさい。私は『YES』or『NO』で答える様に言いました。それ以外の発言を許可した覚えはありませんよ」
「……」
「理解しまして?」
「……YES」

段々と高圧的になっていく堕天使の声音。
それに比例するように愉悦に染まってゆく問いかけに、ティティスは否応無く悟る。
彼女が最も愛し、そして恐れる堕天使は、扉の前にいる。
絶対にいる。
思えばジャーナリスト学科の声真似は、優しいエルシェアを演じていた。
コロッと騙された自分であったが、こうして本物と対峙した時、なんと稚拙に感じる演技だったか。
彼らの演技には、ティティスの背筋を凍らせつつ快感で泡立たせるような、サディスティックな刺激が無い。

「質問を続けます。此処を開ける気になりましたか?」
「YES!」
「次……私、凄い寒くて震えているんです。開けた後、この仕打ちに見合うお仕置きを受ける覚悟がおありですか?」
「NO!」
「今一度……此処をあける心算は、あるのですね?」
「……イ、イエ……ノ……イ……」
「……中から自分で開けるのと、外から私に撃ち抜かれるの、どちらがお望みか十秒以内に行動で示しなさい」

最後通告をしたエルシェアは、扉の蝶番側に移動する。
部屋の中から響くガタンという音は、へたれ賢者がベッドから転げ落ちた音だろう。
そのままバタバタと音が響き、廊下側へ押し出すように扉が開く。
ティティスが扉を開けた瞬間、扉自体がブラインドになってエルシェアの姿を覆い隠す。
堕天使は同時に『テレポル』の魔法を唱え、ティティスの部屋の玄関へワープした。
扉と向き合っていた妖精は、至近距離で無防備な背中を堕天使に曝している。

「っ! しまっ!?」

其れは盗賊としての修練を積んだ賜物か。
背後に生まれた気配までは感じ取ることに成功したティティス。
しかし、其処までだった。

「捕まえた」
「ひぃぃいいいイいいいぃいっ!」

後ろから冷たい腕に絡め取られた妖精さん。
片手で身体を抱え上げられ、刹那の間すら置かずに部屋の中に連れ込まれる。
扉は閉まり、鍵を掛けられ、完全に密室で二人きり。
これでお姫様抱っこでもされれば、ティティスが夢見た理想的シチュエーションの一つである。
しかし現実は甘くない。
エルシェアは驚異的な握力で、ティティスの頭頂部を鷲づかみに持ち直して宙吊りにする。

「嗚呼、寒かった……手間、掛けさせてくださいましたね?」
「あ、あわわわわわわ……」
「『YES』or『NO』……OK?」
「YES!」

先程まで後輩が潜り込んでいたベッドに腰掛たエルシェア。
そのまま自分の膝の上に小さな妖精を座らせると、その腕深くにしっかりと抱き込んだ。
凍えていたと言うのは本当らしく、エルシェアの手足は相当に冷たかった。

「お布団にいたからでしょうか……暖かいですね貴女」
「……」
「ふふ、学習の後が見て取れますね。質問を続けても宜しいですか?」
「YES」

妖精は冷たい堕天使に抱えられ、深く静かに息を吐く。
ティティスにとって、此処こそが新たな生を与えられた揺り篭である。
例え危機的な状況だろうと、此処に収まると無条件で力が抜けた。
妖精の体が弛緩し、意識は眠りに落ちそうになる。

「次……貴女は今、疲れている?」
「……ノ……YES」

反射的に否定しようとしたティティスは、背中のエルシェアに身を預けて肯定しなおす。
堕天使の問いかけは甘く優しく、妖精の心に滑り込む。
気のせいではなく、エルシェアの声音は先程と互い、愉悦も高圧も存在しない。
ただ、慈しむ様に囁かれるだけ。
エルシェアは後ろからティティスの髪を指で梳く。

「次……先生方に食って掛かったんですか?」
「……YES」
「私を、守ってくれたんですね?」
「……んぅ」

ティティスは答えず、エルシェアに後頭部を押し付けるように擦り寄った。
苦笑したエルシェアは、これ位はオマケしてやろうと言葉を続けた。

「無理なさらないの……私とディアーネさんが悪い部分もありますが、貴女の行動にも軽率な面がありますよ?」
「……YES」
「ディアーネさんまで、私の意図を汲んで自重してくださったのに……本当は彼女が一番怒っていて、其れを飲み込んでいたんですよ?」
「……YES」
「貴女が私を守ってくれたのと同じくらい、私も、ディアーネさんも、貴女を守りたい。其れは、解ってくださいますか?」
「……YES」
「ん……良い子です」

堕天使は妖精の金髪を一房手に取り、そっと唇を落とす。
ジャーナリスト学科とは言え、学生に追い立てられて脅えていた少女。
こんな臆病者が、上位者たる学園の教師を怒鳴りつけるほどの怒りを顕にした。

「私の後輩……本当に良い子……」
「……」
「眠い?」
「……YES」
「いいですよ、このまま……お休みなさい」

初めての行事で人々の注目を浴び、他者に対して激しい怒りを爆発させたティティス。
彼女が疲れていると言ったのは、本当の事だろう。
やがてティティスの吐息が安らかな寝息へと変わってゆく。
エルシェアは自分の腕の中で蕩けている後輩に、微苦笑して髪を梳き続けた。
そのままゆっくりと五百を数え、ティティスが動かなくなったことを確認する。
堕天使は一つ息を吐き、扉に向かい……正確には扉の外で震える相棒に向かって声を掛けた

「……ごめんなさいディアーネさん、良いですよ」
「さ、寒かったっす~」

ディアーネは薄刃の短剣を扉に差込み、掛け金を素早く跳ね上げた。
あっけなく鍵を無力化し、凍えた悪魔が入って来る。

「救助終わりました?」
「いや、ティティス苛めた連中だもん。先生呼んで、後任せた」
「結構。うちの娘を……」
「エル、過保護だよね」
「お互い様だと思います」

お互いに揶揄しあい、挑発的な笑みを交換する。
ディアーネは床に落ちた毛布を拾い上げ、エルシェアの肩にかけてやった。

「ディアーネさん、寒いんですけど」
「ん?」
「この毛布、二人だと少し大きすぎません?」

腕にティティスを抱いたまま動けないエルシェアは、そう言って相棒を招く。
悪魔の少女は冷え切った自分の身体に躊躇する。

「あぅ……でも……」
「風邪引きますよ? 明日は長い一日になるでしょう……だから今は、私の傍にいらっしゃい」
「……うぃっす」

ディアーネは堕天使の隣に寄り添うと、一緒に毛布に包まった。
吐く息まで凍えるような寒さに縛られた身体が、心地よい熱に癒される。
悪魔の少女はこのような時、エルシェアが年上なのだと意識するのだ。

「ねぇ、ディアーネさん」
「うぃ?」
「私、この交流戦に意義を見出していませんでした。そんな私が、こんなことをお願いするのは気が引けるんですが……」
「……私、バロータ先輩抑えればいいんだね?」
「良いんですか?」
「うん。会長もエルと戦いたがってるし……私も、本当なら完全に観客として観たい位」

無邪気な悪魔の発言に、噴出しそうになるエルシェアだった。
正直に言えば、エルシェア自身も観戦に回りたい心情はある。
彼女が知っているセルシアは、自分を超えていった瞬間までの彼だった。
期間にして二年半。
其れは彼が歩み続けた時間であり、エルシェアが戸惑い続けた時間である。
そんな自分が、光の翼に勝てるのか……
しかし勝てないとしても、エルシェアにはセルシアとの勝負が必要だった。
これだけは回避出来ないということは、エルシェア自身で理解している。
その先を歩き、更なる上を目指すために。

「不安っすか?」
「えぇ……まぁ……」
「大丈夫。私とティティスは、エルが勝つって信じてるから」
「前も言ったと思いますが、其れは……」
「昔は昔、今は今だよ。今のエルなら、私とティティスが信じることは信じてくれるでしょう?」
「……最大限可能性があるかどうか、吟味してみようとは思うようになりましたね」
「それなら大丈夫。エルが本気出したら、絶対何とかなるんだよ」

聞き様によっては無責任に聞こえる発言。
しかし其処には鷹揚で揺ぎ無い信頼があった。
だからこそ、エルシェアも偽ることなく思う所を話すのだ。

「正直な所、私と彼がぶつかれば七対三で彼が勝ちます。いや……三もあるのか微妙なところです」
「……」
「でも私も前とは違います。今の私には貴女と、ティティスがいますから」
「うん。勝とうね、エル」

ディアーネは横からエルシェアにしがみ付いて瞳を閉じた。
冷えた身体が温まり、意識を睡魔が侵食してくる。
急速に重くなった目蓋を薄く開くと、幸せそうに眠るティティスの姿。
今日は特等席を後輩に譲ろう。
ティティスが本当に頑張ったのを、ディアーネは傍で見ていたのだ。

「エル……」
「はい?」
「これ終わったらさ、皆で忘年会しよう」
「良いですねぇ。実は私もその心算でして、ドラッケン学園で珍しいケーキ等、仕込んできたんですよ」
「おお、エルの手作りとな?」
「ええ。お楽しみに」
「ん……」

片腕でティティスを支え、もう片手でディアーネを抱き寄せる堕天使。
片方が小柄な妖精だから出来る芸当だが、これも留学中に仕込まれた筋力トレーニングの成果だろう。
エルシェアは師たるカーチャに珍しく感謝し、両手の華を堪能していた。



後書き

この間は色々と迷走してすいませんでした……
暖かいお言葉をいただき、本当にありがとうございます。
恐らく今度戻ったら絶対出て来れないと思いますので、もう少し此処で頑張ってみようと思います。


今回は優勝決定戦前のインターミッションとして組ませていただきました。
いや、何故か私の脳内で大聖堂に全員揃っていなかったのでw
総力を挙げてほのぼのさせてみました。
この程度か? 此れが私のマックスでしたorz
次からは只管戦ってもらう事になると思います。
実は少し書いているんですが……戦闘描写ってどうすりゃいいの!? 。・゚・(ノД`)・゚・。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑮
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/01/15 19:08

その日、プリシアナ学園では生徒の多くが大聖堂に詰め掛けた。
元々冒険者養成学校の生徒は、学園に在籍しつつも校外に出て単位を稼ぐ者が多い。
しかし今回珍しく、三学園交流戦で出た同率一位による優勝決定戦。
それが一日置いて行われたということもあり、一部の生徒は観戦の為に帰参していた。

「……見知った顔が多いことです」

うんざりした表情で、心底嫌そうに呟いたのはこの戦いの主役の一人。
優勝パーティーのメンバー、堕天使エルシェアである。
既に大聖堂には関係者が勢ぞろいしており、一番最後に現れたのがこの少女。
ディアーネとティティスの視線に微笑して頷き、真紅のカーペットを静々を歩いてゆく。
歩きながら周囲を見渡し、場所と状況を確認する堕天使。
礼拝用の椅子は全て片付けられ、相当に広いスペースが用意されている。
両サイドの壁際には、観客たる生徒達がかなりの人数で犇いていた。
エルシェアが見る限り、その中の大部分が自分と同じ年に入学した同期生である。
入場してきた堕天使に、大きな歓声と声援が掛けられた。

「……」

驚いたように足を止めたエルシェア。
しかし一つ息を吐いて再び進む。
奥の壁には巨大なステンドグラスと、壁に埋め込まれるように設置されたパイプオルガンがある。
オルガンの前には校長のセントウレアが静かに佇んでいた。
その表情からは、少なくともエルシェアに読ませる情報はない。
直ぐに視線を巡らせ、奥の一角に集まった教師陣を見つける。
エルシェアが探すのは、その中で唯一人。
この学園で自分の師と認めて慕う教師、ディアボロスのドクター、リリィである。

「……」
「……」

本人を見つけても視線は止めず、その姿を一瞬流し見るだけに留めた堕天使。
居ると解ればそれで良い。
正面を見れば仲間の姿。
英雄学科首席のディアーネが居て、最近盗賊に染まった賢者のティティスが居る。
そしてその二人と向き合う形で対峙している三人の生徒。
中央には生徒会長……『プリンス』であり『弟』のセルシアが、瞳を閉じて佇んでいた。
左にはその『執事』にして『光術師』のフリージア。
そして右には『格闘家』でありながら『パティシエ』の単位も納めたバロータが居る。

「やぁ、よく来たね」
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや……うん、そうだね。待ったよ」

堕天使の視線を受けた時、其れを待っていたようにセルシアの瞳が開かれた。
遂にエルシェアが仲間達と合流する。
この時、ディアーネとティティスは極自然に左右に割れた。
その隙間には堕天使が収まり、正面から対峙したセレスティア。
今日の戦いの中で、主役を勤めるのはこの二人。
どちらのパーティーメンバーも、その事は良く知っていた。

「二年半か……本当に、君の卒業前にこの機会が訪れたことを、神に感謝しないとね」
「私に祈る神などありませんが……君には感謝していますよ。貴方に堕とされ、飛べなくなった私は始めて仲間に恵まれた」
「……そうだね。僕にはフリージアとバロータがいてくれた。だけどあの時、君には誰もいなかったね」

セルシアがこの堕天使と共にあったのは、出会ってほんの三ヶ月程。
常にセントウレアの背中を見てきたセルシアにとって、初めてその視界の中に割り込んできたのがこの少女だった。
彼女に勝てれば兄に近づける。
其れまで歩んできた道が、間違いでなかったと確信できる。
そう考えて努力し、そして彼自身がもっとも強くなっていく実感に恵まれた期間であった。

「アレから僕達は違う道を進んだけれど……駄目だね僕は。どうしても、成果を君で確認したくなる」
「迷惑なことですね。私は貴方など、今となってはどうでもいいのですけれど?」
「君は君自身に拠って立ち、そして歩んでいけるからね。本当に凄いよ」

誰にも拠らず孤独に、しかし自由に飛ぶことが出来たエルシェア。
誰も追従できない高度で飛び回る少女の足を、初めて掴んだのがこの少年だった。
彼に勝てれば、あの時の自分を超えられる。
ディアーネと出会い、ティティスを拾い、胸に抱いた想いが間違いでなかったと確信できる。
そう考え、生まれて初めて努力を惜しまなかったこの三ヶ月であった。

「セルシア君、一つ教えてください」
「なんだい?」
「私を追い抜くまでの三ヶ月……どんな気持ちでした?」
「とても一言では語れないな……とにかく楽しかった。本当に、楽しかったよ」
「……なるほど」

戦術の引き出しの数が桁違いだった当時。
セルシアがエルシェアから学んだ技術は数多い。
その技術を模倣し、更に昇華して自分の新たな技巧を構築した。
そしてエルシェア自身に試し、初見のはずなのに破られる。
自分の技巧が通じるか、想像もつかない手段で堕天使が其れを打ち破るか……
この少女の反応一つ一つが、本当に楽しみだったのだ。

「僕からも、一ついいかな?」
「どうぞ」
「君がそちらの二人と出会い、歩き始めたのもほぼ三ヶ月だ。君にとって、其れはどんな時間だったのかな?」
「其れこそ、一言では語れませんが……私は強くなりたいのだと自覚したのは、この時期でした」
「そうか……」

セルシアが肩越しにフリージアに見向く。
執事の少年は懐から懐中時計を取り出し、蓋を開けて主に差し出した。
九時五十八分。
天使の少年は一つ頷き、その翼を大きく広げる。
セレスティアの固有能力である浮遊技能が、その身体を重力から解き放つ。

「ディアーネさん、あの脳筋蜥蜴男……お任せしますね」
「うぃっす」
「誰が蜥蜴か……」
「あながち間違ってもいませんがね」
「眼鏡、後で覚えとけよ!」
「ティティスさん、あの陰険モヤシ眼鏡……お願いします」
「も、もやし……?」
「……本当に、口が悪くなりましたね貴女は」
「いや、的確だろうよ」
「……」

見下ろす少年。
見上げる少女。
セントウレアが無言のまま、パイプオルガンと向き合った。
椅子に腰を下ろし、白く細い指が鍵盤に据えられる。

「エルシェア君。前回勝ったのは僕だ。この位置が、今の二人の構図になる」
「……」
「だけど、今の僕達に差なんてあってない様なものさ。そう……後、階段にしてほんの一つで、君は此処まで届くんだ」
「……」
「僕は此処に居るよ。さぁ早く、此処まで昇っておいで」

少年の右手が差し出され、見上げる少女を空へと誘う。
その手はとても美しく、そして暖かいだろう。
微笑して自分を誘う天使の隣は、きっと居心地がいいだろう。
それが分かっているからこそ、彼女は其処へ行く気が無い。

「敗者を見下すのは勝者の特権です。だからこの構図に文句はありません」
「……」
「ですがしばらくお会いしない内に、女性の扱いが更に随分不味くなりましたね? 誘いに女性の足労を請うというのは、正気を疑います」
「……」
「私は此処に居ます。だから、貴方が堕りていらっしゃい」

少女は右手を指し伸ばし、見下ろす少年を地へと誘う。
この堕天使の隣は、本当に居心地が良い世界だった。
既に道は分かれているが、その記憶が色あせることは無い。
だからこそ、彼は自分から其処に堕ちる事は出来なかった。

「僕は、其処にはいけないんだ」
「私も、其処にはいけませんよ」

天使の差し出した右手に、眩い光が握られる。
堕天使が指し伸ばした右手に、仄暗い闇が絡みつく。
その両脇に控える二人の仲間も、それぞれの武器を解き放った。
遂にセントウレアの指が鍵盤を奏でる。
壮麗な音色の賛美歌が、広い大聖堂を吹きぬけた。

「其れならば……引きずり昇げて上げるよ、黒翼天使!」
「では、引きずり堕ろすしかありませんね、光翼天使!」

空の天使と、地の堕天使。
二人の放った光闇の魔術が中空で激突する。
三学園交流戦優勝決定戦の火蓋は、こうして切って落とされた。



§



光と闇を引き裂いて、先陣を切ったのは竜と悪魔。
悪魔の武器はリリィから授かった大剣『オルナ』。
竜の武器は両の拳を覆う燐光『オーラフィスト』。
武器の間合いから先に射程に捕らえたのは、ディアーネの方である。
彼女は剣を頭上から、殺すつもりで振り下ろす。

「……良い剣だ」
「腕を褒めろよ」

頭上から落ちかかる魔剣を、右の拳で止めたバロータ。
完全にかみ合った両者の手応えは互角であり、武器の優劣は殆ど無い。
ディアーネは剣を手元で繰る。
不意に跳ね上がった切っ先は中空で弧を描くように、右からの逆袈裟に変化した。
後方に飛び、剣の間合いから退く竜。
悪魔の剣は逆袈裟から急静止し、バロータの正面から突きに変化して追い縋った。

「っ!?」

両手剣のような大型武器は、振りぬいた後の戻り動作が遅くなる。
バロータは空振りさせる心算だったが、ディアーネは相手の回避行動を確認してから切っ先を選択して来る。
剣の軌道からは右方向に身を逃し、突きに合わせて踏み込む竜。
しかし悪魔の切っ先は三度変化し、間髪居れずに横薙ぎの一閃へ。
同じショートレンジの武器とは言え、両手剣の長さは拳武器の比ではない。
剣の中ほどで捉えられたバロータだが、とっさに左手を挟み込む。
同時に膝から力を抜き、足を地面から一瞬浮かす。
振りぬいた魔剣はバロータの身体を吹き飛ばすが、彼女の手元には切った感触が皆無であった。

「っとと……あぶね」
「おお、すごいっす」

魔剣に接触した竜はまともに宙を飛ばされるが、彼は空でバランスを取り、何とか足から着地する。
オーラフィスト越しとは言え、オルナに触れた左手は少々の痺れを感じていた。
だが、振り抜かれた両手剣の腹部分から捕まったダメージとして考えるなら、破格どころの騒ぎではなく無傷と言っても過言ではない。
ディアーネは遠きタカチホ義塾で立ち会ったエルフの事を思い出す。
必殺と思われた斬撃は何故か手応えが無く、平然と戦闘を続行してきた少女。
竜の少年からはその時と同じ、柔らかい防御の技巧を感じる。
力任せのスタイルを予想していたディアーネは、苦笑と共に甘すぎた戦闘プランを修正した。

「バロータ先輩、実はこっそりと強かったんすね……」
「実はこっそりってどういう意味だよ。俺の扱い酷すぎねぇか?」

賞賛したディアーネは魔剣を正眼に構え、切っ先の延長線が竜の喉に向けられる。
バロータは右の拳を引き、左を前に残した半身に構えた。
現状では。ディアーネの斬撃は全てバロータを退かせている。
もしも先読みで避けられた後、その踏み込みを剣の軌道変化で封じられれば、このまま勝負は決められる。
お互いに魔法技術はなく、武器と身体が資本である。
リーチ差がそのまま、それぞれの勝敗因になるだろう。
ディアーネは迷わず踏み込むと、最短距離で相手に届く剣技を披露する。

「それで突きかよ!?」

舌打ちするバロータは、半歩退いて剣を避ける。
両手剣のような大型武器は、その自重を生かして叩き斬ることで真価を発揮する。
先が尖っているとは言え、突きは動く部位が少なく大きさを生かした威力が得難い。
実際にバロータは特に苦労した様子も無く、その剣をいなしている。
しかしディアーネも当てる心算で振っていない。
彼女は得物の切っ先を突き出すことにより、武器の長さを最大限利用する。
先端での攻撃を避けたとき、剣の本体との距離が自然と作られてしまう。
踏み込んで拳を当てなければならない少年にとって、この距離は非常に厄介な防壁として機能した。

「……」

更に追い縋るように突き出される悪魔の魔剣。
今度は左に軸をずらせど、少女は手元で魔剣を操り、常に武器の正面を相手に向けてくる。
触らせないが、踏み込めないというこの状況。
一見互角のようであるが、遠い間合いでは剣を振り回すディアーネが有利である。
その間合いに釘付けにされている現状は、バロータにとって少なくないストレスになった。

「……成る程、おめぇ態と二刀流してねぇのか」
「うぃっす」
「両手で剣を握るから、そこで梃子を使えるんだな……いや、振りも返しも速いこと速いこと」
「……」
「得物だけで悪かったわ。おめぇ普通に強かったんだなぁ」

バロータは再び右手を引き、左半身に構える。
ディアーネは腰をやや落とし気味に、重心を低く身構えた。
竜が右を引いたのは、利き腕に貯めを作る動作。
悪魔は視線でバロータの瞳を捕らえ、視界はその全身を納めるように意識する。
やがて竜が引いた右足が震え、次の瞬間少年の身体が突然少女に近づいた。

「むっ」

今度の先手はバロータ。
しかし初動を予期した悪魔は、間髪居れずに踏み込むと魔剣を再び突いて出す。
バロータの狙いは、ディアーネの振るう魔剣の先端。
双方が得物の有効範囲での接触にも関わらず、蹈鞴を踏んたのは悪魔の少女。
純粋な腕力と、何より身体の重さが違う。
ディアーネは平均よりも高めの身長を有するが、肉のつき方は華奢に分類される少女である。
バハムーンの平均値を持った少年には身体能力では大きな差があり、両者の衝突ははっきりと明暗が分かれた。
速度をなくして泳ぐ魔剣。
少女が武器の重心を自分のうちに取り込む間に、バロータは再び動き出す。
無理なく一歩を踏み込むと、左拳を鋭く振るう。
ディアーネは剣の根元で受け止めつつ、大きく後ろに飛び下がる。
しかしもともと、退き足よりも追い足の方が速い。
バロータはディアーネに倍する速さで踏み込むと、再び剣の内側に入る。

「っぐ、先輩少し加減する!」
「わりぃな。無理だわ」

至近距離を取りながら、鋭く細かい連打でディアーネの行動を封殺する。
其れはタカチホでの留学中に、ウズメに散々やられた事。
身体の小さなクラッズなら兎も角、大きく鈍重なはずのバハムーンに同じ事をされる現実が信じられない。
まるでウズメと戦っているかのような錯覚を覚えたディアーネ。
しかし直ぐに苦笑すると、その妄想を打ち消した。
相手がウズメであったなら、この時点で自分が無傷なことがありえない。
バロータの攻めは厳しくとも、今のディアーネなら対応出来るのだ。

「負けないよ!」
「おう、来いや」

不利な攻防の中、しかし有効打は許さずに剣の根元で捌く少女。
苦戦の中でも善戦を続けるディアーネに、バロータは不敵な笑みで答えた。



§



大聖堂の一角が、真紅の炎に包まれる。
煉獄の繰り手は妖精賢者。
その中から平然と歩み出るのは、エルフの光術師である。
多種多様の属性魔法を叩きつけるティティスに対し、執事の技法『魔法壁』で押さえ込むフリージア。
ある意味において最も分かりやすく、そして派手な攻防が繰り広げられていた。

「流石はティティスさん。相変わらず底なしの魔力をお持ちですね」
「……もう少し反撃とか試みていただけませんか?」
「貴女の攻勢に曝されながらの魔法行使は効率的ではありません。今少し大人しくなっていただかねば」

フリージアは右手で眼鏡を抑えつつ、左手で繰るのは『マリオネット』
本来は両手で扱うものらしく、その動作はややぎこちない。
しかし未だにこの少年は、人形を介した魔法行使を見せていなかった。
彼はティティスの要求を平然と却下し、自身を魔法の壁で覆う。
其れを見た妖精は、溜息と共に『ヘイルの杖』を放り出す。
代わりに腰のダガーホルダーから抜き放ったのは、保険医リリィから授かった短剣『パリパティ』。
古の預言者が使用していた武装であり、強力な魔法媒体としても使用できる一品である。
青白い魔力を火花の形で撒き散らし、派手な抜刀と共に身構えたティティス。
フリージアの瞳が感嘆に染まる。

「その短剣……以前はお持ちでなかったが、相当の武装のようですね」
「今の私には過ぎたもの……ですが、此処は使わせていただきます」
「ご自由に。いやはや……まさか手加減していただいていたとは。気を使わせてしまって、申し訳ありませんでしたね」

フリージアは出来の悪い妹を嗜める口調と共に微笑する。
丁寧な物腰の中に、隠そうとしていない毒を感じた妖精賢者。
ティティスは短剣に魔力を流し、詠唱と共に解き放つ。

『ナイトメア』

其れは彼女が慕う堕天使が好む、闇の魔法。
しかも賢者たるこの少女が扱う闇は、堕天使の其れを凌駕する。
強力な媒体を通して生み出された暗黒の波動は、華奢なエルフの少年をいとも容易く飲み込んだ。
魔法とは術者が認識した破壊対象と接触したとき、手応えとして術者に帰ってくる感覚がある。
ティティスの放った魔法は、威力に相応しい強力なフィードバックを両の手に返してくれた。
それにより、少女は魔法の直撃を確信する。
対策無しでまともに喰らえば、パーティー単位で殲滅を掛けられる大魔法。
たった一人の少年に行使するには、いささか過ぎた威力である。
しかし尚、ティティスは手を緩めない。

『イグニス』

少女から放たれたのは、古の炎魔法。
大聖堂の真紅の絨毯が、そのまま炎を生み出す母体と化す。
下方から伸びる炎の舌が、今だ消えない闇ごと少年を飲み込んだ。
使い手の著しく少ない、古代魔法。
その連続使用という離れ技を行使したティティスは、一つ息をついて三度目の詠唱を開始する。
周囲で見守る生徒達から、小さな悲鳴が漏れる。
彼らは教師陣が張った結界の内部で守られている。
しかし実際に戦っている者達は、当然その加護は無い。
二つの古代魔法を受けたエルフの少年に対し、更なる魔法を叩き込む心算のティティス。
その行為は行き過ぎたダメ押しに見えたのだろう。
ギャラリーの一部が青褪めた視線を送る中、賢者の魔法は完成した。

『トール』

其れは雷の古代魔法。
三学園交流戦本戦において、タカチホ義塾の式神の多くを飲み込んだ神の槌。
大聖堂の天井を撃ち抜き、巨大な音と光を侍らせて降り注いだ雷は、闇と炎を引き裂きながら圧倒的な破壊力を撒き散らした。

「……はぁ」

一つ息をついたティティスは、今だ荒れ狂う雷に目を凝らす。
その瞳に油断は無く、勝利に驕った様子は無い。
やがて雷が収まった時、其処にいたのは無傷の少年。
フリージアは何事も無かったように、古代魔法の三重奏を三度の魔法壁でいなし切った。
周囲から感嘆と驚愕のざわめきが起きるが、当事者達はそれ程穏やかな心境ではない。

「……殺す気ですか?」
「そんな心算は無いんですけど……壁を重ねられると、困るんです」
「ふむ……おや?」

フリージアは返答しようとし、その台詞の途中で糸が切れたマリオネットを支え抱き上げる。
賢者の大魔法は執事の魔法壁を崩し、その破壊力を極々僅かながら通したのだ。

「これはこれは……」

フリージアの戦闘スタイルは非常にシンプルである。
コストパフォーマンスの良い魔法壁を只管重ね、持久戦に持ち込んで相手の戦闘意欲を削り取る。
相手が魔導師である限り、この方法で完封する自信が少年にはあった。
ティティスの様に、魔法壁を一度の魔法で破壊してくる相手には、制圧までに時間が掛かる場合もある。
しかしこの調子で攻防を続けた場合、必ずティティスが先に力尽きるという計算も立っていた。

「ふぅ……はぁっ」

ティティスは深く静かに息を吸い、再びパリパティに膨大な魔力を流し込む。
生半可な魔法では壁は壊せず、破壊出来なければ、次に重ねられた壁は更に強固になってゆく。
少女としては、一発で必ず壁を壊さねばならず、消耗戦に引きずり込まれたとしても手を緩めることは出来なかった。
先の見えない泥沼の予感に心が揺らぐが、諦めるという選択肢は最初から存在しない。

「……」

視線を送る余裕すらないが、彼女の先輩達は今も頑張っているだろう。
フリージアの二人の仲間が、今だこの戦線に参加してこないのだから。
ならばこそ、最初に自分が脱落するわけには行かない。
ティティスにとって、憬れの天使と悪魔と共にあること。
決してその歩みを妨げず、お荷物ではなく仲間として傍にありたかった。
ディアーネが英雄になりたいように、エルシェアが強くなりたいように、ティティスはこの二人と一緒にいたい。
歓迎の森で一度死んだ彼女にとって、今を生きる理由はたったの此れだけ。
だからこそ、必ず実現しなければならない願いだった。

「いきますよ、モヤシさん!」
「まぁ、筋力に恵まれた体躯では無いのは確かですがね」

口の悪い台詞が、全く似合っていない少女。
慕う者の口調を真似て、自分を奮い立たせているのが少年には良く分かる。
嘗てバロータがそうだった様に、無理だろうが無茶だろうが必死に足掻くこの少女の姿は、相手の心に響くのだ。
なりふり構わず背伸びするティティスを微笑ましく感じたフリージアは、敬意を込めて全力で叩き潰す事を胸に誓う。
手加減は……しない。

『セイレーン』
『魔法壁』

指向性を持った水が濁流と化して、少年と人形を包み込む。
ティティスが攻めて、フリージアが守る。
この流れが一度でも変わったときに勝負は決まる。
光術師の最秘奥『イペリオン』。
光の古代魔法究極奥義は、既に収めている少年である。
その破壊力は他の古代魔法の群を抜く、正に必殺技だった。
華奢な妖精賢者の止めとしては、些か過ぎた代物だろう。
妖精の魔力を削りつつ、エルフは最強の逆撃を叩き込む瞬間を狙っていた。



§



それぞれが最初に放った魔法を追いかけるように掛けた追撃。
セルシアが腰の鞘から抜き放ったのは、彼が昔から愛用する魔法仕掛けの細剣である。
堕天使の頭上から天使の刃が降り注ぐ。
エルシェアは『シックル』で細剣を遮り、至近距離から少年と睨み合った。

「ん?」

セルシアの刺突はエルシェアからすれば軽かった。
恐らく全身筋力では堕天使に大きく分がある。
しかしエルシェアは天使を押し返すことはせず、むしろ自分から退いて距離を作る。
セルシアは追わず、一度足を地に着けた。

「……」

エルシェアが退いたのは、衝突時に感じた違和感である。
固い金属同士でぶつかった筈なのに、手の中で鎌が妙に頼りなく、歪むような感触を持った。
堕天使の扱うシックルは、良い品ではあるものの既製品。
セルシアの扱う『魔法のレイピア』と比べたとき、見劣りするのは致し方ない。
エルシェアが見た限り、セルシアの細剣は刀身が百センチには届かない両刃の作り。
握りを保護する大きな鍔と、手の甲を覆う湾曲した金属が付けられた、標準的なつくりである。
右手に剣を携えた少年は、左手には何も持っていなかった。
細剣は相手の攻撃を受け流し、隙を作って急所を一突きするための武器である。
その為に攻め込まれたときの受け方は多岐に渡って研究されているが、其れを実践するには生半可な努力と才能では不可能。
しかしこの少年が其れを修めていることは、既に少女は知っていた。
エルシェアは右足を引いて半身になると、左の『アダーガ』を相手に突きつけるようなシールドスタンスを取る。
セルシアは両肩を脱力させ、最速の剣を披露した。

「行くよ」

掛けられた声すら追い抜いて、セルシアの細剣が迸る。
突き出されるレイピアの軌道へ、正確に盾を割り込ませる堕天使。
セルシアは自分の剣が止められると、更に剣速を上げて再び突く。
目に近く庇いやすい顔と上体を集中的に狙いつつ、意識を其処にひき付ける。
エルシェアが盾の位置を変えなくなってくると、レイピアを翻して足を狙う。
とっさに飛び退いて避けるが、彼女の右腿には一筋の傷が刻まれた。

「っ」

堕天使は今のフェイクは読めた。
その上で回避行動を取りながら、尚間に合わなかったのである。
これこそエルシェアの想像を超えて、少年が強くなった事を証明する傷であった。
エルシェアは一つ息を吐き、自らセルシアに向かってゆく。
しかし傷が重いのか速度は乗らず、右足の踏み切り時に傾くように前傾になる。
セルシアが眉を潜めたその瞬間、送った左足で跳躍を仕掛けた堕天使。
彼が気づいたときは、眼前に魔力刃を形成したアダーガが突き出されていたのである。

「っく!?」

セルシアは咄嗟に右にステップし、エルシェアの盾の外側に回る。
その瞬間、彼の頭上を襲うシックルの刃。
例え片手鎌とは言え、柄の長いその武器はミドルレンジに分類される装備である。
相手が武器の無い左側面に居ようとも、柄を長く持てば十分届く。
天使が真後ろに下がったとき、少女はアダーガを前面に構えたまま向き直る。
常に盾を構えられ、その盾から刃を突きつけられているというのは、対峙する者からすると途轍もない圧力になる。
少年は一つ意識を引き締め、堕天使に立ち向かう。
両者は同時に地を蹴るが、先に相手を間合いに収めるのはエルシェアの鎌。
彼女は鎌の柄を最大限長く持ち、しかも持ち手の指先でペン回しの様に旋回させる。
変幻自在な上、少年にとって初めて経験するその太刀筋に、セルシアは不本意な守勢を強いられた。

「流石だね」
「……割と粘りますね」

盾の魔力刃を突きつけられ、その外側から襲い掛かる片手鎌。
形状がL字の為、盾の後ろからでも相手を刈り込む事を可能にしている。
非常に厄介な一人連携だが、セルシアは今だその刃に触れていない。
盾は正面からポイントで突いて牽制し、間隙に滑り込む鎌は剣身で最も硬いフォルトで受け止める。
更に高速のフットワークでエルシェアを揺さぶった。
速度ではセルシアが有利。
しかし翻弄できるほどの差は無かった
現状でエルシェアは鎌の間合いを維持しつつ、セルシアに後、半歩の間合いへの進入を許さない。
最も盾と鎌で繰り出される波状攻撃を、細剣一本で凌ぎ切る技量である。
二人の戦力は拮抗し、攻守は一方的なれど膠着した状況が続く。

「……」

均衡が崩れ始めたとき、その異常に気がついたのはギャラリーの……少なくとも、生徒達の中には居なかった。
気づいたのは其れを仕掛けたセルシアと、攻め続けていたエルシェアのみ。
堕天使の鎌を剣の根元で受け続けて居た少年は、初めて中腹部のミドルセクションを使って受け流すことに成功したのだ。
徐々にエルシェアの鎌の軌道に慣れてきたセルシア。
受け止めてしまえば、力で勝る堕天使に対し、一瞬でも動きを止められる。
しかし受け流すことが出来るなら、剣の動きは取られても体の動きまで縛られることは無い。
少女自身最初の太刀合わせで武器強度の違いを理解し、本気で振り回せていないという事情もあった。

「……」

更に数度を切り結んだとき、セルシアはレイピアのカッティングエッジを合わせて来た。
鎌は細剣の刀身を沿うように滑り、天使は自然に踏み込みながら鎌の持ち手を斬りつける。
咄嗟に手を引きつつ、至近距離からアダーガの刃で切り返す少女。
セルシアはリーチの短い盾の間合いから、高速のステップで身を逃がす。
双方の刃は互いの身体には届かない。
仕切り直しになった時、周囲の観客から割れんばかりの歓声が送られる。
しかしその対象たる二人のセレスティアは、最早相手のことしか頭に無い。

「良いタイミングで切り込めたと思ったのにな」
「あの切り返しは、昔も見せていただきましたよ」
「ああ、そうだった……じゃあ、此処からは未体験だね」

セルシアは一つ息を吐くと、緩く脱力した自然体になる。
剣を構えることも無く降ろしたその姿勢は、次の初動を読みづらい。
其れが決して油断や慢心の類から来る構えではないことは、少女が背中に感じる寒気が証明していた。
エルシェアは踏み込むと見せかけ、重心を一瞬前に傾ぐ。
その動きだけ見せ付けると、間髪居れずに魔法を放つ。

『ダクネスガン』
『シャイガン』

堕天使の声に半瞬遅れ、天使の声が追いかける。
舌打ちしたエルシェアは、両者の中間で炸裂する魔法から退いた。
多少のフェイントでセルシアの隙は作れない。
今の彼と剣の間合いで勝負したくなかった故の魔法攻撃だが、両者が扱う魔法には威力的な差異は殆ど無い。
迎撃されてしまえば、例え先撃ちしようともダメージは通せないだろう。
エルシェアが次手を構築した時、光と闇を切り裂くように疾駆するセルシア。
彼はこれまでで最速の踏み込みで少女の間合いに侵略する。
盾を突き出した堕天使に対し、少年はサイドステップで右回り。
其れまでと同じように盾の外側に回りこんだ天使に対し、反射的に振るわれた堕天使の鎌。
セルシアに会心の微笑が閃き、右手のレイピアが迎え撃つ。
その太刀筋が生み出した銀光は、三本殆ど同時であった。

「あ!?」

三つの光速剣は全て少女の鎌に吸い込まれる。
耳障りな音と共に、斬り飛ばされたシックル。
武器強度の違いを意識していたのは、セルシアも同様であった。
少女の武器が脆いのなら、その優位性を生かして破壊するのは定石。
開幕でその事に気づきつつも此処まで為し得なかったのは、エルシェアの力量がセルシアの過去の対戦相手よりも飛び抜けていたためである。
少年は手を緩めることなく、再び細剣を翻す。
エルシェアは反射的に退きそうになる足を止め、高速で迫る刃に左の盾を合わせて凌ぐ。
彼女にも狙いがあったため、此処で引くことは出来なかった。
攻撃を完全に放棄し、負けない事に徹した少女。
アダーガは攻撃能力を有する盾だが、その刃は一尺程であり、拳武器程度のリーチしかない。
片手剣、しかも距離の長い突きを得意とするレイピアと、これだけで対峙するのは難しかった。

「……」

攻守は逆転し、一方的に切り刻まれる堕天使。
セルシアは優位に立ったにも拘らず、決して油断することなく細剣を小さく早く操った。
細かい連撃でエルシェアの防御を揺さぶり、どうしても生まれる隙をレイピアで突く。
少年の剣は遂に少女の身体を捕らえ始める。
しかし堕天使が着込んだ白衣は意外な強度を見せ、掠った程度では切り裂けない。

「なに?」
「飾りで着込んではいませんよ」

その素材に対刃繊維を使用しているらしい少女の白衣は、セルシアの細剣を凄まじい摩擦で絡め取る。
速度を奪われた刃は、切る能力を減殺されて繊維を破壊することが出来なかった。
堕天使は致命になる突きを盾で止め、滑り込んでくる斬撃は身体を逃がして白衣で凌ぐ。
天使の刃は未だ、少女を服の上から撫でているに過ぎなかった。

「君は、強いな」
「余裕ですか?」
「いや。本当に、心からそう思うんだ」

その年にしてはやや幼げで無邪気な微笑。
少年はこの堕天使を心から認め、その力量を純粋に楽しんでいる。
相手の武器を折り、魔法攻撃も相殺した。
高威力の盾は残されているが、最早その間合いにセルシアが踏み入る必要は無かった。
彼の細剣はエルシェアを翻弄し、捨て鉢な反撃を試みる以外に少女に出来る事は無い。
そう考えたセルシアは、凄まじい違和感を覚えて背筋が凍る。
何か思考の落とし穴に嵌っている気がした。

「……っ?」

攻める天使と守る堕天使。
現状で圧倒的有利を確保した少年。
エルシェアの徹底防御は、仲間の到着を待つための時間稼ぎだと説明できる。
実際に少女は攻めの一手も返せず、成す術がないではないか。
堕天使に自分を打倒する術は無い。
……本当に?

「う……おぉおおおおお!?」

少女が足を止めたのは、自分を囮にセルシアの足も止めるため。
セルシアは常の余裕をかなぐり捨てて、床に飛び込むように身を伏せる。
間髪入れずに堕天使の蹴りが打ち込まれ、脇腹で受けた天使は鈍痛で息が詰まる。
それでも彼は動きを止めず、床を転がって避難した。
優雅さも華麗さもない無様な逃走だが、それが少年の命を救う。
彼が先程まで立っていた場所には、身の丈大の黒球が揺っている。
遠目から見ていたギャラリー達は、それが天井付近に出現して、ゆっくりと降りてきた存在であると気づいていた。
堕天使が好む闇系魔法ではない。
この闇は仄暗い暗黒ではなく、虚無の漆黒。
すなわち……即死魔法。

――『デス』

エルシェアは再び黒球を生み出すと、少年に向けて解き放つ。
セルシアは動揺を抱えたまま跳ね起きると、二つ目の死を何とか避けた。
黒球の速度は人が歩く程の速さしかない。
回避は比較的余裕を持って行われたはずであるが、天使の背中は冷たい汗で濡れている。
畏怖の視線を相手に向ければ、艶然と微笑む堕天使と目が合った。
無手となったその右手に、魔力で編まれた黒い球体が二つ。
手の中で弄ぶように回しつつ、少女は無邪気に問いかける。

「どうしたの? もう、笑えないの?」
「君は……流石に洒落になっていないだろう」
「そうですか? 即死魔法でしたら、遺体を損傷させずに決着できます。リリィ先生もいらっしゃいますから確実に蘇生出来ますのに」
「あぁ……成る程ね。それが君の慈悲の示し方なのか」

セルシアは苦笑の発作を、深い溜息と共に吐き出した。
現在は蘇生魔法の技術革新が進み、ロストする危険は激減した。
しかし遺体そのものが消し飛んでしまえば、蘇生魔法など掛ける余地が無い。
その意味ではティティスとフリージアの戦いは非常に危険で容赦の無いものである。
だがティティスは先日も、ジャーナリスト学科の生徒を大魔法で吹き飛ばしつつ、その全員を軽傷で済ませていた。
恐らくこれこそ、自分の命の限界を見届けた少女が会得した、神業とも言える魔法技術。
相手によってそれぞれに異なる生死の境界を見切り、ギリギリの手加減で命を奪わずに戦闘不能にする奇跡の呼吸であったろう。
エルシェアにはそんな事は出来ない。
だからこそ、彼女は『即死』を選択した。

「少し甘く見ていたよ。そうだね……僕と君の戦いは、どちらかの息の根が止まるまで続くのかもしれない」
「ああ、やっとその気になってくださったんですね?」
「うん。すまなかったよ。僕が、本当に甘かった」

セルシアの表情から笑みが消える。
それだけで対峙する堕天使は、少年の中身が入れ替わったのを理解した。
此処から先のセルシアは、プリシアナ学園生徒会長では無い。
生まれた時から兄という、未だ超えられ無い巨大な壁に挑み続ける、病的なまでに不器用で一途な少年。
エルシェアを地に堕とした最強のセレスティアが、彼の内面から浮上する。
快感に近い寒気が背筋を伝い、堕天使がその身を震わせた。
後も先も存在しない。
お互いに今を勝つため全力を尽くす。

「此処からは死に物狂いさ。行くよ、エルシェア!」

セルシアは腰のダガーホルダーから一振りのナイフを抜き放つ。
細剣を操る者が本来持つべきものは、守備力を重視した左手用レイピアとも呼ばれる短剣である。
しかし少年が手にした得物は、凶悪な破壊力と石化の効果を備えた『ゴルゴンナイフ』。
セルシアの両手が翻り、少女を襲う三刺三斬。

「先輩とか、様とかつけなさい、年下のセルシア君」

堕天使は三筋の斬撃を盾で防ぎ、三つの刺突を足で避ける。
それぞれに慕う教師が見守る中で、二人の第二ラウンドが始まった。



§



後書き

戦闘描写等という自分に過ぎた代物をどう扱うか。
迷いに迷った挙句やってみる事にした第十五話を此処にお届けいたします。
遅くなって真に申し訳ありませんでしたorz
実は書きながら、表彰式まで何事も無かったかのようにスキップして逃げようかとかずっと考えておりました^^;
セントウレア校長先生が何食わぬ顔でサブ学課の説明をしてくれる絵までは浮かんでいたんですが、二人のセレスティアの直接対決をテーマに此処まで引っ張ってきた話で其れをやったら負けですよね魂的にorz
因みに本編では難しいことはありません。
いちごミルクを適当にぶっぱして何時の間にか勝っていましたw

そしてこれ、まだ終わっていません。
前編に当たる話になるので、後編も同時に出したかったのですが前回から時間が掛かってしまったので先に上げさせていただきます。
とりあえず此処で撒いた伏線の回収を頑張らないと……

戦闘の中でティティスさんが水魔法を使っています。
四話辺りで氷系使っておりましたが、その後覚えなおしたということでお目こぼしを(*/□\*)
いや、水辺でもない限り相手を殺傷出来るほどの水を何処から確保するんだという部分で納得行かなかった過去の自分でしたが……まぁいいか、魔法世界のファンタジーだしと少し大人になったりふぃです。
あ、ごめんなさい石投げないで石。・゚・(ノД`)・゚・。






[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑯
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/01/29 23:34
一片の慈悲も無い剣技が、堕天使の白衣を内側から朱に染める。
天使の右手には『魔法のレイピア』。
左手には『ゴルゴンナイフ』。
刺突と斬撃が入り乱れ、少女の手傷は増えてゆく。
右手から繰り出される高速の三連突。
左手から繰り出される低速の三連斬。
この二つを交互に繰り出すだけで、エルシェアの攻め手は封殺される。
彼女が今だ倒れない理由は二つ。
その一つは、完全な防御に徹しているから。
攻めを返そうと欲を出せば、セルシアの間断ない連携に絡め取られるだけだろう。
堕天使にはそれが読める。
だからこそ動きようが無かった。

「盾一つでは苦しいかな?」
「右手の剣とか、貸してくださいません?」
「少しは慎みを見せたらどうだい? 其処せめてナイフだろう」
「そっちなら貸していだだけます?」
「お断りだね」

閃光のような細剣の突きと、変幻自在の短剣の斬り。
エルシェアは致命傷になる部位に来るそれを、『アダーガ』で受け止める。
力それ自体は少女に分があり、軸さえ合えば守りきれる。
しかし速度はセルシアに分があり、どうしても止められない攻撃がでてくるのだ。
アダーガは攻撃能力を有するが、その間合いは極短い。
少年は細剣で突きのリーチを生かして攻め、短剣は盾から伸びる刃を弾くように狙う。
ゴルゴンナイフのターンで深く踏み込んでこないセルシアは、距離と速度を活用してエルシェアを封じる。

「……」

内心で舌打ちしたエルシェアは、真っ直ぐ後ろに引き下がる。
セルシアはそれを追おうと足を踏み出し、しかし不意に眉をしかめてその場に踏みとどまった。
半瞬遅れて両者の間に炸裂する炎。

「不思議な魔法だね……何時唱えているのか、こうして向き合っていても分からないよ」
「……それでも避けてくるのですから、大したモノです」

珍しく直球の賞賛を投げ、深い息を吐いた堕天使。
セルシアは優勢を確保しつつ、今だ決着をつけられない。
二つ目の理由が少女の魔法。
守りながら盾で自分の詠唱を隠し、発生に遅延を掛けて退く。
攻めを誘ってその進行方向に発現する攻撃魔法に、天使は警戒を隠せない。
だがそれすら、最早距離を稼ぐ程度の役しか果たせなくなりつつあった。

「……」

実はセルシアの発言にはブラフがあり、少女の詠唱のタイミングだけは、ほぼ完全に掴んでいる。
それは盾で口元が見えなくなっている時であり、身体を狙う刃を強引にアダーガの魔力刃で受ける時だった。
珍しい技術ではあったが、その繰り手である堕天使も、今だ生徒。
構築する戦術には本人にも見えない穴があり、相手にそうと悟られる場合もあった。
ましてやセルシアは拮抗か、それ以上の領域の敵なのだ。
再び始まる天使の剣舞。
流れるように繰り出されるレイピアとナイフの競演に、エルシェアの顔が歪む。
少年にはその表情が本当に苦しんでいるか否かは分からない。
ただ少女が倒れる時まで油断無く、そして容赦無く剣を振るい続けるのみである。
その時にこの堕天使が生きているかどうかは、彼女の運と生命力しだい。
早々に諦めてくれれば、生きの目も出てくるだろう。
少女自身が語ったことだが、此処には優秀な保険医もいる。

「……」

セルシアが一瞬リリィの姿を確認する。
学園では悪評の絶えない、しかしこの上なく生徒想いの保険医。
エルシェアが俯き続けた長い迷走期間も決して見捨てず、立ち上がるときを信じて寄り添った教師。
感情表現が上手くなく、どんな時でも表情があまり変化しない女性。
今も常の無表情だが、その両手は胸の前で血の気が引くほど硬く組まれている。
少年は胸中に罪悪感を抱くが、それも刹那のことでしかない。
彼にはセントウレアという大きな目標があり、それ以外を全て切り捨てる覚悟がある。
死ぬ覚悟は先程決めた。
殺す覚悟も決めたはず。

「……え?」

それをセルシアの隙と言うには、余りに酷だったかもしれない。
彼が視線を外したのは、ほんの一瞬。
決して殺人快楽者ではない少年は、殺し合いになるかもしれない勝負に出る前に、保険医の姿を確認しておきたかった。
リリィがいれば、万一の事故が起こっても大丈夫だから。
その発想自体が甘さと言えないことも無い。
しかしエルシェアと同様、彼もまだ生徒なのだ。
少年が視線を相手に戻したとき、右手に握られていたのは身の丈に近い両手剣。
刀身からは濃密な魔力が放たれ、その向こうの景色が歪んでいるかのような錯覚を覚える。

「『オルナ』?」

それは天使が視線を外した半瞬で、堕天使の相棒が投げ放ったモノ。
中空でその柄を握ったエルシェアは、重量をまるで苦にせず剣を振るう。
咄嗟に両の武器で受け止めたセルシア。
軽い物に対し、重く、硬い物が高速で衝突したらどうなるか。
天使の両足は簡単に地面から引き抜かれ、冗談のような勢いで宙空を吹き飛ばされる。

「くぅっ!?」

浮遊能力を有するセレスティアは、見た目よりも体重が軽いものが多い。
その場にいる全員が持っている知識だが、いま目の前で起こった事は余りにも現実離れしていた。
圧倒的な膂力で大剣を片手で振った少女。
剣に捕捉されながら直撃は避け、中空では浮遊を駆使して足から着地した少年。

「良い仕事してくれますね、ディアーネさん」
「それは良いんだが、君の相棒は困らないのかな」

エルシェアは無手でバロータと対峙しているであろう悪魔を想う。
しかし刹那で切り替えると、何時もの穏やかな微笑に戻る。
本当は、今すぐにでも傍に行きたかったが。

「ご心配は無用です。あの子はきっと勝ちますよ」
「ほぅ、理由は?」
「……私の首に鎖を着けた女ですよ、アレは」
「……成る程、それだけ聞くと凄いことだね」

両手剣と盾を持った堕天使。
細剣と短剣を持った天使。
優勝決定戦は、まだ終わらない。



§



ディアーネが取った行動は、決して頭で考えていたことではない。
只、苦戦する相棒を助けたかったから。
竜と相対する自分は其処へ行けないなら、自分の最も信じるモノを彼女の元へ届けたかった。

「……で、どうしようか?」
「お前、アホだろ?」
「ん、否定出来ない」

ディアーネは英雄学科の首席を納めた少女である。
この学科は様々な武器を扱うし、拳による戦闘も必修科目。
当然ながら彼女にもその心得があるが、決して本業ではない。
英雄はやはり『剣』を持ったときにその真価を発揮する。
その状態で、やっとバロータとは互角の勝負が展開できた。
では、その武器を無くせばどうなるか?
結果は火を見るより明らかである。

「……」

バロータは半眼で少女を睨む。
ディアーネは苦笑を浮かべているものの、絶望感や悲壮感は全く無い。
竜の少年は、そんな悪魔の思惑が解らなかった。

「おめぇ、俺が殴れないとか思ってるか?」
「思ってないっすよ」
「じゃあ、他に武器でも隠してるか」
「持ってないっすねー。今度から何か用意しておこう」

カラカラと笑うディアーネ。
影の無い表情は、彼女に迷いが全く無い事を示している。
これが堕天使ならば、ポーカーフェイスの可能性に思考を逃がしてやれたろう。
しかしこの悪魔にそんな芸は無い。
ならば何故、この状況で笑えるのか。
単純であるが故に、その内面を読ませぬ少女であった。

「バロータ先輩、格闘学科とパティシエでしたっけ?」
「……おう」
「んー……そりゃ、殴り合いとかも強いっすよねー」

悪魔の少女は両手をゆっくり握り締め、同じ時間を掛けて開く。
それを三度繰り返すと、深く息をついて左足を引く。
右を前に残した半身の姿勢。
その構えを見たバロータは、ある回答が脳裏を掠める。
しかしその回答に正解を与える事は、彼の常識が拒否していた。

「あー……もしかしてお前さんさ」
「うぃ?」
「本当にもしかしてなんだが、お前殴り合いで俺に勝つ心算なのか?」
「うん。勝つよ」

きっぱりと言い切ったディアーネに、バロータは絶句する。
そんな先輩の姿に、内心で溜息をつく少女。
恐らく今、自分を見ている生徒達も同じ事を考えているに違いなかった。
例えどれ程気に入らなくとも、それが周りの評価と言う物だろう。
しかし彼女にも言っておきたい事がある。

「なんか不思議そうにしてますけど、バロータ先輩私に勝てると思うっすか?」
「流石に今のお前さんにゃ、負けねえと思うぞ」
「私には、それこそ不思議でしょうがないんですけど……」
「あ?」
「いや、だって……エルに勝てない先輩が、私には勝てると思ってるんだもん」

バロータの表情から感情が消える。
彼は誇り高い竜の末裔、バハムーンの少年である。
確かに彼は最強ではない。
セルシアには勝てないのは間違いない。
先日はエルシェアにも敗北した。
だが、だからこそそれ以外の相手に負けるわけにはいかない。
悪魔の発言は、彼の矜持を明確に傷つけた。

「なんだよ、おめぇエルシェアよりつえぇ心算だったのか」
「ん? 私がエルより強いわけ無いけど……弱いわけも無いっすよ」

ディアーネは冥界の血を継ぐ、ディアボロスの少女。
長年に渡って差別と排斥を受けてきたこの種族は、他人に頼らず自らの足で立つ気風がある。
ディアーネ自身も幼い時は多くの白眼に曝された。
その中でいつも夢想していたのは、何時かこんな自分を見てくれる誰かと共にある事。
彼女は悪魔として生まれて苦労はしても、そう生まれたことを後悔したことは無い。
少年には竜の誇りがあるように、少女にも悪魔の誇りがあった。

「私はエルの相棒なの。友達なの。対等なの」
「……」
「エルが先輩に勝ったのなら、私だって勝てるよ」

ステンドグラス越しの光の中で、不敵に笑った悪魔の少女。
少年は嘗てこの光の中で跪き、祈る少女を目撃している。
自分の半身を預ける相手と巡り会うことを痛切に希求していたディアーネは、その半年後にエルシェアを得た。

「成る程、お前は見つけたんだったな」
「お?」
「運命の人ってやつさ」
「ん。エルは私の、天使なんだよ」
「っは、お熱いこった」

バロータは苦笑しつつも左腕のブレスレットを外す。
同時に彼の両手から燐光が消え去り、悪魔と同じ無手となった。

「お?」
「コレでやろうぜ? 折角のお祭りだし、楽しまねぇとな」

悪童の笑みで拳を作り、肩を回すバロータ少年。
年長者の余裕と、所属学科で培った努力。
それらが生み出す無理のない自信を感じ、初めて少女の顔が曇る。
武器や道具に拠らない、彼自身の強さを肌で感じたディアーネ。
バロータを一回り大きく感じ、その圧力だけは『オーラフィスト』装備時よりも上に思う。
戦闘力が低下した事は間違いないはずなのだが……

「武器を振り回してくれた方が勝ち易かったか?」
「どっちにしろ負けやしねぇから、遠慮なく掛かって来な」
「舐めんなよ」
「お互い様だろ」

ディアーネは正面から踏み込むと、バロータは余裕を持って身構える。
小細工無用とばかりに振るった右フックを、少年は腕を上げて受けた。
思いがけずに強い衝撃に、バロータの動きが半瞬止まる。
少年の動きの遅滞を逃さず左拳を突き出すも、バロータは右手で払う。
しかしディアーネは接触の瞬間に突き出した両手を開き、少年の腕を取った。

「お……ぐっ!?」

そのまま相手の身体を引き寄せ、自分も身体ごと飛び込みながら鳩尾に膝を打ち込む少女。
思いのほか喧嘩慣れした悪魔の少女に、バロータは頬を引きつらす。
痛みに少年の身体が折れ、二人の身長差がなくなった。
ディアーネは自分の顔より低くなった少年を、上から潰すために拳を掲げる。
少女の目にはバロータの後頭部しか見えておらず、彼が笑んでいることに気づかない。
彼は足の位置からディアーネの身体の位置を見切り、唐突に折った身体を跳ね起こす。

「っぎ?」

バロータの後頭部がディアーネの顎を跳ね上げ、少女の身体が蹈鞴を踏む。
竜の頭も割れそうに痛むが、当てに行ったのは彼である。
先に動けたのはバロータ。
後ろに傾ぐ悪魔に踏み込み、その顔目掛けて拳を突き出す。
ディアーネはサイドステップで回りこみつつ、右足の膝を狙って前蹴りを飛ばす。
逆間接に入るその蹴りに対し、膝を曲げて受けた少年。
もし膝を伸ばしきった状態で受けたなら、間接に重いダメージを負ったろう。
バロータが舌打ちした時、更に踏み込んだ少女はその手を両手で掴みとる。

「ん?」

竜は少女の意図が読めず眉を潜めるが、一瞬の後にその疑問は氷解する。
悪魔は両手で少年の手首を捻り、そのまま肘、肩と順に極めて行く。
背筋を凍らせたバロータは、ディアーネが捻る方向に身体を逃がして飛び込んだ。
自分から地面に投げられに行った少年は、それに拠って腕間接の破壊を食い止めた。
彼はバハムーンの腕力を駆使し、ディアーネを自分ごと地面に引き倒そうとする。
しかし純粋な力比べでの不利を知る悪魔は、両手を離して飛び退いた。
最早疑う余地は無い。
ディアーネは間違いなく、無手の戦闘技術にも長けている。

「格闘……いや、カンフーか?」
「うぃっす。ウズメ先生強かった!」

少女がやっている事は、留学先の師から散々やられた事である。
彼女ははっきりとウズメからカンフーを倣ったことは無いが、身体に刻み込まれた動きと打法の幾つかは見取りで覚えている。
思えばウズメは、ディアーネが見失うほどの速度を出したことは無い。
恐らく彼女はその指導の中で、態と少女に技を見せていたのだろう。
遠いタカチホ義塾の師に感謝しつつ、ディアーネは油断無く身構えた。
バロータは起き上がりつつ埃を払い、一つ息を吐いて少女と再び対峙する。
その表情から油断は感じないが、相変わらず悪童のような笑みを張り付かせている。

「やるじゃねぇのお前さん」
「うぃっす。本気出して貰えますか?」
「おう。楽しもうぜ!」

両者は同時に地を蹴ると、真っ向から拳を打ち合わせる。
衝突で押し負けたのはディアーネだが、少女は直ぐに足を使って衝撃を流す。
高速の歩法と出入りでバロータを翻弄するディアーネ。
少年はじっくりと腰を落として悪魔を見る。
バハムーンは全種族中で最も体格に恵まれた存在である。
ディアーネとの身長差はそのままリーチの差であり、少女は必ず彼の間合いに侵入しなければならないのだ。
接触の瞬間を狙うバロータと、捕まりたく無いディアーネ。
徐々に高まる緊張感の中、遂に少女が飛び出した……



§



ありえない筈のモノを見たとき、人はどのような反応を示すのか。
その一例が此処にあった。

「……」

降り注ぐ雷が収まった時、無傷で佇むエルフの少年。
荒い息を吐くフェアリーの少女は、膝に手をついて身体を支える有様である。
二人の様子から戦闘の趨勢は明らか。
しかしその表情は大方の予想と間逆にあった。
俯きかける首を必死に上げ、瞳をギラつかせて睨むティティス。
捕食者に狙われたかのような錯覚を覚え、背筋を凍らせるフリージア。
彼は自らが構築した消耗戦に妖精を引きずり込んだ。
それは功を奏し、少女の魔力に過度の負担を強いることに成功したはずである。
だが、それでもティティスが止まらない。

『イグニス』
『魔法壁』

両者の声が同時に響き、紅蓮の炎は少年に届かず霧散する。
同時に壁も破壊され、澄んだ音を大聖堂に響かせた。

「……二十八。此れほど魔法を使ってもまだ底を見せませんか」
「……はっはぁ、こほっ……」

上がりきった息に、時折むせ返るティティス。
その右手に握られた『パリパティ』は、既に取り落としそうな程頼りなく揺れていた。
幽鬼のような表情に変わりつつある妖精賢者は、しかしフリージアの前で左手を刺し伸ばす。
その手には仄暗い闇を侍らせている。
少年ははっきりと解るほどに、眉間に皺を寄せている。
ティティスの魔法行使は異常であり、明らかなオーバーペースの筈である。
消耗の大きな古代魔法を既に三十近く撃っておきながら、尚次を放つ準備を止めない。
まるで彼自身が底なしの泥沼に引きずり込まれたような錯覚を覚え、少年の瞳が鋭くなる。

「……」

フリージアは両腕で抱きかかえていた『マリオネット』を開放する。
彼自身の魔力に拠って支えられた人形の身体は、持ち主の手を離れても、まるで生き物のように佇んでいた。
それはこの戦いの中で、フリージアが始めて見せた攻撃態勢。
執事のスキルである魔法壁は、その強力な効果に比較して消費する魔力が少ない。
しかも魔力を加工する必要も無い為、ほぼ確実に相手に先駆けて発動できる、相手からすれば悪夢の防御技術である。
しかしそれでも消費は零ではない。
さらに彼が奥の手とする光魔法の奥義『イペリオン』は、単純計算で魔法壁十五回分の魔力を食う燃費の悪い大魔法。
ティティスの驚異的な粘りに拠って魔力を削られた少年は、最早それを行使するだけの魔力を残していない。
泥沼の消耗戦に引き込まれた少女は、先に沼地を干上がらせる事に成功した。
後が無くなった少年は、先に勝負をかける事を余儀なくされたのである。

「あ、あれ……?」

フリージアの動きに、虚ろになり掛けていた少女の瞳に光が戻る。
眉を顰めたティティスだが、視界と思考が戻ってくると、頭の隅に鈍い痛みを感じてふらついた。
限界に近い魔力の行使が、その代価を肉体への負荷として戻ってくる。
ティティスは最早思考回路すら放棄して魔法行使に専念していた。
意識を完全にクリアにし、自身の中の魔力を全て使い切る。
粘りに粘った妖精賢者は、初めてこの戦いの行方を動かした。

「……貴女は本当に、バケモノなのですか?」
「それ、年頃の女の子に言う台詞じゃないと思います」
「失礼。ですがその魔力……正直私の常識を超えていらっしゃるもので」
「世の中不思議がいっぱいなんです」
「そういえば、特に少女は秘密が多いと伺いますね……」

少年の魔力がマリオネットに注がれる。
主の意思と魔力を受けた人形は、その右手を指し伸ばしす。
光魔法を携えたその手は、フリージアの開放命令を待っている。
彼がティティスを見据えると、少女は深呼吸しながらパリパティに魔力を流している。
先程の準備した闇魔法をキャンセルし、別の魔法を選択したか。
それとも、その動き自体が牽制か……
フリージアにはティティスが後、どれ程の魔力を残しているか予想がつかない。
彼の知る限り、術師系の学科上位者でも古代魔法は二十撃てれば一流である。
そんな彼の常識を、少女は八度も超えてきた。

「……」

フリージアはこのまま守り続けるか、攻めに転じるか、この段階でも迷いが在った。
それは現在の戦況と過去の成功の板ばさみ。
彼は相手が魔術師の場合、的確な魔法壁に拠って完封してきたのである。
今まで自分を勝たせて来た戦術を、此処で放棄するか否か……
彼自身の本音を言えば、ティティスの様に大魔法を無尽蔵に扱う相手にこそ、この戦法で封じたかった。
必要な魔力を必要なだけ使い、その戦いの後まで魔力を温存する。
これは彼だけではなく、回復補助のエキスパートたる光術師全体が持つ発想である。
見境無く魔力を消費する相手に、持久戦で負けたくない。
そう考えた少年は、柄にも無く意地を張っていた自分に苦笑する。
思えば丁度一月前、他校への道行きを共にして以来、この少女に対して何処か一線を引いて対応している自分がいた。
自覚してしまえば何のことは無い。
魔術師としての方向性が間逆であるこの少女を、彼は何時の間にかライバル視していたのである。

「終わりにしましょう!」
「閉幕と行きましょうか!」

戦闘スタイルを先に変えてきたフリージアが苦しいことは間違いない。
しかし苦しいといっても、本当に後が無いのかどうなのかは、ティティスに取っては解らない。
フリージアも相手の余力を正確に測る術などない。
そんな事情から両者の最終局面は、ごく正統的な隙の探り合いから始まった。

『アクアガン』

先に動いたのは、やはりと言うかティティスであった。
水流が少年と人形を囲むように展開され、水の幕の先にある少女の姿を覆い隠す。
フリージアは一切構わず、人形に蓄積した魔力を解き放った。

『シャイガン』

水流を貫いて光球が突き進み、ティティスがそれまで立っていた場所ではじけ飛ぶ。
手応えは無い。
返礼は新たな攻撃魔法で示された。

『ファイガン』

それはフリージアの左手から響いた声。
水の幕を張った少女は、高速の浮遊で少年の左側面に回りこんだようだった。
思わず舌打ちがもれるエルフ。
この速さも、彼が今まで攻勢を躊躇わせた要因の一つ。
両者が共に一撃必殺の魔法を持った状況なら、攻め合えば先撃ちしたほうが勝つ。
其処へ来て相手は、全種族中最速のフェアリー。
彼の持つ技能の中で魔法壁が選択されたのは、この速度差を補う意味もあった。
少年が右側へ飛び込むように床を転がった時、水と炎が接触して爆発。
多量の水蒸気を生み出した。
霧のように立ち込める水蒸気が、再び両者の視界を塞ぐ。

『エアー』

一陣の風が大聖堂を凪ぐ。
人形を通して放たれたその魔法は、執事学科での必須魔法。
それはティティスが生み出した霧のカーテンを引き裂いた。
しかし両者の視界が戻る前に、少女は霧を自らの前進で追い抜いてゆく。

「勝負です!」
「……」

パリパティを携えた賢者が、光術師に襲い掛かる。
少年は表情を変えずに一歩退く。
同時に魔力で操る人形を一歩動かし、ティティスの間に割り込ます。
フリージアは突進してくる妖精が、呼吸と共に薄く羽を発光させているのに気づく。
それは足を止めて魔法を使っていた時には気づかなかったもの。

「あれは……?」

違和感を覚えはしたが、彼はその正体までは解らなかった。
ティティス自身も無意識の発光現象の正体は、魔力の胎動である。
妖精は羽で光を吸収し、体内で魔力を生み出す種族。
しかし勿論どんな妖精にも出来る事ではない。
それはあらゆる魔法を使いこなす『賢者』が、果てに極めるとされる妖精種族の奥義。
結論から言えば、フリージアの戦術転換は正しかった。
此れが出来るという事は、この少女に魔力切れは理論上無いということなのだ。
ティティスの短剣が振るわれ、高速二筋の銀閃が彼の人形を斬り飛ばす。

「……」

少女がマリオネットを破壊した間隙に、エルフはバックステップで退いた。
息の上がったフェアリーは追えない。
見送るティティスは、フリージアに会心の笑みを見る。
人形を囮にしつつ、媒体無しの魔法行使を敢行した少年。
ティティスとしては少年の魔力が溜め込まれた人形を放置は出来ず、攻撃で破壊する手間を掛けざるを得なかった。
結果、詠唱を相手より僅かに早く始められたフリージア。
唱えた魔法は、光術師学科の最新魔法。

『ウィスプ』

少年の声に招かれたのは光の獣。
豹のようなフォルムの獣は、発生と同時に主に従い、敵手たる少女に襲い掛かる。
ティティスはパリパティを両手に持つと、真っ向から光の獣に刀身を叩きつけた。
少年の魔力と短剣の魔力が干渉し、弾け飛ぶ光の残滓が少女を抉る。
だが、同時に少年は声を聞いた。

『ビッグバム』

光に呑まれた少女が生み出す、幾重もの紅い帯状の筋。
それは少年の周囲に収束すると、派手な爆発を引き起こした。
光の奔流と物理的な爆発。
互いに魔法を駆使した勝負の最後は、両者の魔法をそれぞれに喰らう展開で幕を引いた。

「きゃあ!?」
「っぐぅ?」

光の獣に食われた少女と、目の前で爆ぜた空間の圧力で吹き飛ばされた少年。
やがて光が、爆発が収まった時、ギャラリーが見たのは満身創痍の生徒が二人。
ほんの一瞬の魔法でボロボロにされ、床に叩きつけられて意識を失ったフリージア。
たった一度の魔法に飲み込まれ、光の中で焼かれたティティス。

「……うぐ……つぁあ……」

パリパティを床に差し、その剣にもたれ掛かるように立ち尽くす妖精少女。
戦闘続行など冗談にもならない様子であるが、この戦い……最後まで立ち続けたのは、ティティスであった。

「……」

フリージアは術師系学課の奥義の一つ、『倍化魔法』を最後まで使わなかった。
それは自分の魔力の残量が心もとなかったという事もあるのだが……

「っごふ?」

唐突に血を吐いて床に崩れた少女。
多くの古代魔法の適性を持ち、回復補助の魔法まで完備するのが賢者という学課である。
自身の体内で魔力まで生成出来る程に魔法の扱いに長けるその反面、フィジカル的な部分では病的なまでに脆い。
魔力を多く消費した倍化の魔法等扱う必要は無い。
たった一度の攻撃魔法直撃で、既にティティスは虫の息。
ティティスは歓迎の森で、自分自身すら気づかぬうちに死を迎えた。
天使と悪魔に拾われた後は、必ず二人に守られていた。
おおよそ久しぶりに体感する激痛に悶絶する少女。

「あぅ……ぅふふ、い……痛いよぉ……」

床をのたうちながら、ティティスは場違いな笑みを湛えていた。
この妖精にとって痛みこそ生きた証である。
エルシェアの胸に抱かれて始まった二度目の命は、苦痛の中に在ったのだから。

「……エル先輩……ディアーネ先輩……私――」

余りの痛みに少女の身体は痛覚を麻痺させ、精神の発狂を予防する。
しかし痛みで意識を繋いでいたティティスにとって、それは気力の元を失うことにもなった。
ティティスがこの日の最後の意識で想うのは、タカチホを共に旅した先輩。
あの時の自分を超えられたと、胸を張って宣言した姿が忘れられない。

「私も……頑張りましたよね……?」

その問いに答える者はいなかった。
しかし少女が気を失う寸前、目蓋の裏に見た幻は、暖かく自分を抱き上げる天使と悪魔の姿であった。



§



正面から踏み込んだディアーネの拳が、少年の顔に伸びてくる。
その突進は直進に見えるほど早かったが、決して真っ直ぐは進んでいない。
悪魔はその身体を左右に小さく揺すりながら、やや小刻みな摺り足で動いている。
その歩法はバロータの視界を幻惑しつつ、送り出される拳打の威力を増幅させる。

「っち」

舌打ちと共に小さく仰け反り、少女の手から身体を逃がす。
起こし際に自らも拳を返すが、ディアーネの影にも触れない。
少女は自分の間合いよりもやや遠い地点までしか踏み込んでいなかった。
正確には、バロータが其処までは入れてくれない。
双方共に足一つ分遠い距離の攻防は、それぞれの防御と回避を強固にする反面、決定打を撃ちこむ機会も与えずにいた。
バロータは自ら踏み込むと、攻撃後の隙に攻め込もうとした少女の出鼻を挫きに掛かる。

「ん……」

急速に詰まった間合いに眉を潜め、サイドステップで受け流すディアーネ。
回避は自分の左。
追撃は自分の右。

「うぁ!?」

相手の行動を強制しつつ、ヤマを掛けて正解する。
少年が格闘家としての経験を駆使して悪魔を次第に追い詰める。
両者が共に自分の主導権下で間合いを詰める事を望んでいた。
それを先に成功させたバロータは、遠慮無く少女の顔に拳を伸ばす。
今度はディアーネが小さく仰け反り、同時に首を捻って威力を殺す。
まるで少年の拳がすり抜けた様に振りぬかれ、その内側から滑り込んだ少女の拳が、逆にバロータの顔面を的確に捉える。

「っく!」

命中の直前で顎を引き、歯を食いじばる竜の少年。
ディアーネは右手に硬い感触を覚えたが、バロータに決定的なダメージが通らない。
少年は足首をしならせる様な下段蹴り放ち、咄嗟に少女が上げた足に命中する。
舌打ちしながら飛び退く悪魔。
先程からバロータが狙ってくるのは、少女の足を止めるローキック。
顔に飛んでくる拳は、それを意識させて下段の守りを揺さぶる布石。
今の所は回避か、若しくはカットで凌いでいるが、守ったところでダメージは溜まる。
本格的に足を止められれば、殴り合いで悪魔が竜に勝てる道理が無かった。
少女としては動けるうちに勝負を掛けたいところだが、遠目の間合いで幾ら当ててもバロータの耐久力を超えられない。
彼を戦闘不能に追い込むためには、今一つ強力な技が必要だろう。
両者は無言のままに一度揃って距離を置く。
周囲の生徒達のどよめきが、当事者達には心地よかった。

「んー……見て貰えるってやる気出るなー」
「だよな。やっぱり祭りの主役はいいもんだ」

ディアーネは左を後ろに溜めた半身の姿勢。
バロータは右を後ろに溜めた半身の姿勢。
同じ右利き同士で構えが逆なのは、双方の純粋な腕力から来る選択だった。
相手と比べて非力な少女は、威力差を埋めるために強い利き腕を少しでも相手に近い位置で使いたい。
バロータは左の牽制でも相手の注意を引ける自信があり、利き腕を溜めて一撃で相手を打ち抜きたい。
現状では手数を多く当てているのは悪魔だが、バロータには殆どダメージが通っていない。
戦術変更の必要を感じた少女は、やや前掛りに加重を移す。
左足の踵は浮いたまま、しかし右足の踵は地につける
フットワークの使いにくい、地に根ざしたその構えは、威力重視の姿勢であった。

「……」

相手が勝負に出る事を見取った少年は、警戒の色を強めて構え直す。
足の位置は変わらない。
上体は拳を作らず、自然に腕を相手と自分の間に挟むように突き出す。
それは身体を腕で守りつつ、パワー重視でスピードが犠牲になるであろうディアーネを掴む為の構えであった。
前衛学課を専攻するバハムーンに捕まれたら、無魔法の場合には同族以外で抜け出せるものは無い。
その事を良く知る少女は、背中に嫌な汗を自覚した。
しかし彼女が勝ちを拾うためには、相手の手が届く所に必ず入らねばならない。
意を決して勝負をかけたその瞬間、先に動いたのは竜の少年。

「ん!?」

生き物は勝負をかける瞬間に、一つ呼吸を入れるという。
その瞬間が最も危険な時であり、相手に取っては攻め時でもある。
格闘家の経験からそのタイミングを完璧に読み取った少年。
左右の動きでは悪魔の軽さに勝てずとも、直進する瞬発力では劣らない。

「はぁあああああああ!」

裂帛の気合と共に振り下ろされる左の手刀。
しかし少女は不意を突かれたが、対応不能域には達していない。
彼女を優秀な前衛足らしめる、生まれ持った素質。
それは動体視力と深視力からなる物体の把握と、把握した相手の動きに身体を追いつかせる反射神経。
研ぎ澄まされた少女の集中力は、竜の動きをコンマ一秒遅く体感させてくれる。
悪魔は受けにも避けにも回らず、バロータの振り下ろす腕のさらに内側に滑り込む。

「っ!」

バロータは懐に入った少女の腕を掴もうと右手を伸ばす。
しかし悪魔は止まらない。
相手の左脇を抜けつつ右手から遠ざかり、並び際で脇腹に拳を一つ入れた。
その威力は重量のある物体になんら効果は無かったが、其処を打たれると身体を捻る動作が一瞬止まる。
さらにディアーネは急静止し、バロータの左半身を自らの左肩で突き出した。
地に根ざした大木を押すような感触だが、相手も二足歩行生物である。
重心を狂わせば倒せない道理が無いと、少女は下側から押し上げるように左の肩を当てて行く。
少年は自分の至近距離から出て行かないディアーネを逆に嫌い、自ら半歩退きながら右の手刀を二度返す。
悪魔は一つ目を避け、二つ目は相手の手首を両手で掴み取る。
再び捻って投げようとした時、驚異的な反応で左拳を振るったバロータ。
彼は右手を敢えて取らせて少女の両手を封じつつ、捻られる前にカウンターで顔面を狙う。
流石に此れは避けられず、ディアーネは首に力を込めて額で受ける。

「んぎ!」

この戦いの中で始めてまともに喰らった竜の拳。
歯を食いしばり、頭部で最も硬い額で受け、首も固定していた。
にも拘らずディアーネは、一撃で首が圧し折れたような錯覚を覚える。
痛手を受けたことは間違いない。
しかしその事に拠って少女の中に芽生えたのは、怖気ではなく闘志だった。
右手を両手で押さえながら、左拳を受けた。
相手は両の腕を使用した瞬間であり、双方蹴りが飛ばせる距離もない。

「かぁあああアァアアアぁっ!」

少女は左手で竜の右手首を押さえ込んだまま、右の拳を振りぬいた。
狙いは胸の中央よりやや左。
心臓打ちと呼ばれる打法である。
命中の瞬間、バロータが体感した衝撃は驚くほど軽かった。
しかし間髪居れずに拳を返そうとした彼の体は、持ち主の意思を裏切った。

「……ぁ?」

強打で一瞬心臓を止め、無防備な相手の意識を狩る。
それは英雄学課で必須とされる、無刀流免許皆伝の奥義であった。
この技は決して生き物の心臓のみを狙う技にあらず。
その真の目的は、相手の動きの動力を止める事にあった。
それは生き物の心臓であり、魔法生物の核であり、霊の念であり、精霊の契約である。
ありとあらゆる存在の源を、拳の衝撃と何より其処から直接打ち込む、自らの意思の力に拠って活動不能に陥れる。
此処まで出来て初めて、英雄学課の生徒は半人前になれるのだ。
ディアーネは硬直した少年から左手を離し、その右手を開放してやる。
しかしバロータは動けない。
少年の顎に返しの左を打ち込まれる。
此れこそ彼女が三ヶ月前に七人もの生徒にトラウマを植えつけた、悪魔のコンビネーションだった。

「ぎっ」

少女の左手に十分すぎる衝撃が返る。
顎の骨が砕ける感触に、ディアーネの顔が一瞬歪む。
しかし次の瞬間、自らの肩に走った激痛。
バロータは硬直から脱すると、顎を砕かれながらも全く怯まず、左の拳を硬く握って小指の付け根を打ち下ろした。
鉄槌と呼ばれるこの打法は、相手の固い部位を打つときに拳を痛めず粉砕する技法である。
悪魔の少女は竜の顎を砕いた瞬間、自分の右肩も壊された。
打撃の後に直ぐ離脱していれば違ったろう。
それは少女の油断としか言いようが無い。
少年は標的が目の前に居るという事実に支えられ、気力と苦痛で意識を保って反撃に転じたのである。

「っ……!」

額に脂汗を浮かべた悪魔は、今度は右腕を振り上げる竜を見た。
振り下ろされたら左肩に喰らう。
両腕を潰されたくないディアーネは、身体を反転させて背中からバロータに身を預ける。
その間に今一度竜の鉄槌が振り下ろされ、先程と全く同じ位置に打ち込まれた。
肩の骨が折れ砕ける音を、この時少女は聞いた気がする。
悲鳴を上げてのた打ち回り、全ての情報を遮ってしまいたいという欲求が鎌首をもたげた。
それら全てを奥歯で食い殺し、ディアーネは守りきった左の肘を少年の据える。
ディアーネが会得している無刀流免許皆伝は二種類。
一つは武器を失った状態から活路を見出す、グラジオラス直伝の生き残る為の打撃法。
今一つは最初から無手の状態で相手を無力化する、ウズメ直伝の破壊する為の打撃法。

「せー……のっ!」

次の瞬間、バロータの目の前で少女の身体が激しくぶれた。
ディアーネの足元の真紅の絨毯が、圧力を掛けて捻られたように皺がよる。
其処から足首、膝を通る力を、腰で回して倍加する。
威力が肩まで昇った時に、右手を真っ直ぐ突き出した反動で左肘を引く。
破壊された肩から激痛が走るが、一秒だけやせ我慢して左肘撃ちを成立させた。
足の先端から腰の捻り、上体の振りに加重移動……
人体で練成出来るあらゆる力が、少女の左肘を媒体にして、接触している竜の体に透される。
遠目から見ているものには、ディアーネが背中でバロータの身体を押し退けたように見えたろう。
男性……しかも全種族中最も体格の良いバハムーンの身体が、まるで冗談のように吹っ飛んだ。

「う、おおぉおおおお!?」

苦鳴というより混乱の声を上げながら、バロータは直線的高速低空飛行を初体験する。
それは留学先でディアーネがウズメに拠って見せられた生き地獄の序章。
壁に打ち付けられた少年は、かつての少女と同じように全身がバラバラに引き裂かれたような激痛に悶絶した。

「っく……つぁあ……」

ディアーネと決定的に違ったのは、バロータは最後まで痛みでは悲鳴を上げなかった。
初めて師から此れをされた時、無様な声を出していた自分を思い出して苦笑する悪魔。
その全身には脂汗が浮き、まるで水浴びをしたように少女の制服を濡らしている。
膝をついて肩を押さえ、泣き出してしまいたかった。
しかしまだ、彼女にはやる事が残っている。
悪魔は周囲を見渡すと、大聖堂の片隅で倒れた後輩の姿があった。

「……」

其処まで少し距離があり、歩いていく間に彼女のやせ我慢に限界が来る。
今一度首を巡らすと、未だ地面に倒れ、しかし必死に起き上がろうと床でもがく少年の姿。
その顔は見えないが、恐らく今も諦めていないに違いない。
バロータは間違いなく、身体も心も鍛え抜かれている。
しかしその近くに転がる、白金の輝きにも目が留まった。
少女の顔に微笑が浮かぶ。
その表情は苦痛と混ざって直ぐに消えてしまったが。

「みーつけた」

ディアーネは苦悶を必死で堪え、一つ一つの歩を進める。
やがて目的の場所まで来ると、其処で見つけた銀色の刃物を拾い上げた。
それはセルシアが斬り飛ばした、エルシェアの鎌。
柄は半分以下になってしまっているが、指し当たってはそれで十分。
少女は直ぐ近くでもがく少年と目が合った。
苦しんでいる。
悪魔の肩も粉砕されており、激痛はお互い様かもしれない
しかしあの打法で打ち抜かれた経験を持つ少女は、少年を苛む痛みがどれ程のものか知っているのだ。
勝敗は既に定まっている。
だからこそ、早く少女には行うべき事があった。
それをしてやらなければ少年も、何より自分自身も休むことは出来ない。
ディアーネは左手に持った鎌を、バロータの眼前に突き立てた。

「……」
「……」

それは勝利宣言。
お互いに勝ちも負けも声は掛けず、ただ視線のみを交換する。
バロータの瞳が静かに少女の鎌へと動き、そして再び瞳に戻る。
大きく息を吸い込むと、長い時間を掛けて吐き出した。
それだけでも全身がバラバラになりそうな少年。
しかし最後まで苦鳴は飲み込むと、代わりに一つ呟いた。

「……まいった」
「……ん、ども」

ディアーネは少年の傍に今度こそ座り込む。
こみ上げてくる涙は痛みによるものか、それとも勝利の歓喜のためか。
自分自身でハッキリしないその液体は、吐き出す息と同じくらい苦かった。

「先輩、強かったっす」
「お前さんも、強かったぜ」

座った少女と倒れた少年は、同じ方向を見ていた。
二人の視線の先ではそれぞれの相棒が、最後の死闘を演じている……



§



エルシェアが左手の盾を翳すと、仄暗い闇が迸る。
それを見たセルシアも、光の魔法を打ち返す。
最早幾度目になるか……
両者の魔法は衝撃波と明滅する光を撒き散らしながら互いをのみ合う。
その間隙に乗じた堕天使は、少年との間合いを一気に詰める。
武器を手にしたエルシェアは、それまでの鬱憤を晴らすかのように攻勢に転じていた。
片手で振るわれる両手剣。
相棒から託された魔剣はうなりを上げて、セルシアの頭上に降って来る。

「……」

セルシアは唐竹の軌道で迫る剣を、身体半分ずらして避ける。
そのまま一歩踏み込むと、右手の細剣で少女の右手を斬りつけた。
攻撃を受け流しつつ、武器の持ち手を狙うのは細剣のセオリーの一つ。
だからこそ、それは受け手である少女も良く知るところであった。
間髪いれずにアダーガの魔力刃が差し込まれ、魔法のレイピアを食い止める。
両者の動きが止まった時、至近距離で炸裂する攻撃魔法。

『ビッグバム』
『ウィスプ』

セルシアが光の獣を召還するも、その形が作られる前に別の魔力で引き裂かれる。
エルシェアの爆裂魔法も、セルシアの魔力と押し合って正常な構成を保てない。
結局双方の威力を殺し合う事になり、二人はそれぞれの表情で無念さを露にする。
少女は強引に魔剣を振り払い、その刃を細剣で流す形でセルシアが退く。
下がりながら翼を打って、やや遠目の距離まで空けた少年。
堕天使はその動きが攻撃的転進である事を、誰よりも良く知っていた。
先程から二人は守勢に回る事がない。
両者の選択は相手の攻めをそれ以上の攻めで押し返すパワーゲーム。
それは緻密な戦術ではなく、若い二人のセレスティアはお互いに負けることを嫌って意地の張り合いを続けている。

『ウィスプ』

セルシアが再び光の獣を生み出した。
四足歩行型の獣であり、豹に近いフォルム。
エルシェアが対応を選んでいると、天使は地を蹴り走り出す。

「う!?」

その後を追うように光の獣も駆け出し、セルシアとタイミングを揃えて堕天使に迫る。
獣の姿をしていても、その正体は光魔法。
豹の速度はセルシアのそれを遥かに上回り、直ぐに少年を追い抜いた。
先に来る獣を潰せば、セルシアに対して隙を曝す。
セルシアに構えれば光魔法をまともに食らう。
シンプルであるが故に厄介な連携は、エルシェアの眉を歪ませた。

「……」

血染めの白衣を靡かせて、堕天使は前に踏み出した。
魔法の詠唱を進めつつ、光の獣をオルナの一閃で斬り潰す。
間髪いれずに打ち込まれる、左右の武器の六連撃。
普通なら回避不能の斬撃に曝されながら、エルシェアの魔法が発動する。

『テレポル』

迷宮単位を跳躍する範囲の狭い転移魔法で、自分の身体を空に逃がす。
セルシアの剣は空を斬り、その目が驚愕に見開かれる。
少年は直ぐに頭上の気配に気づき顔を上げた。
彼が見たのは、大剣を振りかぶった堕天使の笑み。
中空から自由落下しつつ振り下ろされた両手剣。
堕天使の渾身の力で加速した鉄の塊は、派手な音を立てて大聖堂の床を粉砕する。
セルシア自身はサイドステップで回避したが、その右腕は避けきれずに浅い傷を残していた。

「っく!」
「浅い!?」

手応えの無さに眉を顰める少女。
剣と魔法と盾を駆使したその戦力は、徐々にセルシアを押し込みつつある。
しかし堕天使は自分の着込んだ白衣……その内側で朱に染まる部分が、徐々に広がっているのを知っていた。
彼女は此処に至るまでに、セルシアの一方的な攻勢を凌ぎ続けて来たのである。
その無理は出血として少女に返済を要求した。
本当に少しずつ……しかし確実に堕天使の動きは鈍くなり、腕の力も入らなくなる。
セルシアに拮抗する速さで動き続け、さらに両手剣を振るい続ければ傷は開く一方だろう。
速いうちに勝負を仕掛ける必要が、エルシェアにはあった。

「……」

エルシェアの着地際を狙いセルシアの細剣が迸る。
アダーガで止めた堕天使は、魔剣を横薙ぎに振り払う。
攻撃範囲が広い斬撃に少年は舌打ちし、ゴルゴンナイフを軌道に挟みつつ身体ごとぶつかって剣を止めた。
堕天使の身体が万全ならば、強引に切り払うことも出来たろう。
傷は少女の力を奪い、セルシアはよろめきながらも殺傷力を削ぐ事には成功する。
しかし完全に重心を崩された少年は、長い硬直を余儀なくされた。
剣を素早く引き戻し、上から潰そうと振り上げる。

「まだだよ!」

天使は転倒寸前の無理な姿勢から強引に少女の喉を突く。
それはこの戦いの中で、エルシェアが始めて喰らう下方向からの攻撃。
目が慣れていなかった事もあり、少女は盾による防御を選択する。

「あ!?」

少女の声は悲鳴に近い。
彼女は自分の選択が致命的な失策であることに此処で気づく。
エルシェアの盾アダーガは、一尺よりやや大きい円盾である。
それで下から喉を狙う突きを防いだ時、それは自分の視界から相手を遮るカーテンになる。
この体勢では剣も振るえず、しかも少年の攻撃待ちの状態になった。
攻めの選択肢を相手に与える事になった少女は、自分の次手を魔法に替えた。
そして彼女の予想通り、盾に剣が当たる感触が来ない。

「貰うよ、エルシェア!」
「……」

天使の勝利宣言を、静かな心地で聞いた堕天使。
体勢を崩したその状態から、苦し紛れに放った突きだった。
そんな攻撃を守ろうとしてしまったのだ。
攻守の主導権が入れ替わったのは少女の失態。
セルシアはエルシェアの防御体勢に即応してフットワークで切り返し、少女の左側面に跳ぶ。
その動きが終わる前に、至近距離からゴルゴンナイフで斬りつける。
盾の影から移動した天使の動きは、少女には捕捉出来ない……筈だった。

「!?」

しかしエルシェアは魔剣を手放し、体を捻りながら右手でナイフを掴みに掛かる。
動きを読まれた事に驚くセルシアだが、此処で攻撃は止められない。
エルシェアは単純な計算で相手の動きを予測した。
正面はアダーガで守っているし、そもそも其処から来ると読んだ少女の裏をかいていない。
後ろに下がる意味も無い。
ならば左右のどちらか。
右手に魔剣を持ち、攻撃は出来ずとも振り上げた攻撃態勢だった為、その方向に回り込むとは考えづらい。
左側面であれば、正面に構えたアダーガの死角に滑り込む動きになる。
単純な損得勘定ゆえ逆手を取られる可能性もあるが、セルシアとしても選択肢を吟味する暇は無かった筈……
自分の最も大きな隙に乗じると読んだ少女は、その読みに賭けて勝ったのだ。
エルシェアの右手とセルシアのナイフが交錯する。
右手の二指と三指の間を切り裂かれた少女。
しかしそのまま踏み込んだエルシェアは、少年の手をナイフの柄ごと掴み取った。

『ビッグバン』

間髪いれずに少女の集団殲滅用爆裂魔法が発動し、二人を等しく飲み込んだ。
轟音と爆風が大聖堂を走りぬけ、両者の悲鳴をかき消した。
やがて煙が晴れたとき、立っていたのは先程と全く同じ姿勢のままボロボロになったセレスティアの姿。

「……無茶を……するなぁ……」
「あの……状況から、ダメージが互角なら……悪い収支じゃありませんよ」
「君に取っては、そうかもしれないね」

セルシアの発言は、この攻防での敗北を認めるもの。
エルシェアの失策から優位に立ち、その状況から五分に近いダメージを受けた。
爆裂魔法は巻き込まれた少女にも深刻なダメージを残したが、直接撃ち込まれたセルシアの傷はその比ではなかった。
しかし堕天使も右手をまともに切り裂かれ、最早長くは戦えない。
終わりが近い事は、双方が感じていた。
少年はよろめきながらも後退り、一度少女と距離を置く。 

「……」

無感動に見送った少女は、右手の傷に目を落す。
止め処なく溢れる血が不味い。
後一度オルナを握れなければ、彼女に勝機は見出せない。
少女は一度左手からアダーガを抜き、極限まで絞った構成で魔法を掛ける。

『ファイア』

最弱の炎魔法を出来うる限り弱く使い、右手の傷を焼き付けた。
眉を顰める少女だが、声を上げることはない。
手の感覚の殆どが無くなったが、無理をすれば剣も持てるだろう。
後一度だけ振れれば勝てる。

「本当に、無茶をするなぁ……」
「あら、喜んでいただけないので?」
「……何をだい?」
「この痛みを飲み込むくらいには、君からの勝利に価値をみているのですよ。私は」
「あぁ、そうか。うん……それは嬉しいな」

セルシアは自然な微笑を浮かべ、魔法のレイピアとゴルゴンナイフをそれぞれの鞘に戻す。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す少年。
一つ深呼吸した天使は、再び武器を抜き放つ。
右手に短剣を、そして左手に細剣を。

「では僕も、君に見限られない様にしないとね」
「貴方は……左利きだったのですか?」
「いや、どちらも普通に使えたよ。右で戦っていたのは、最初の君は武器より盾が強かったからさ」

セルシアの言葉に納得した少女。
左で盾を構える相手は、右で持った武器が対する。
少年がその選択をしたのは、アダーガの魔力刃を警戒していたからだろう。
天使は順手に握ったナイフを真っ直ぐに突き出す。
その刃の上に魔法のレイピアの刃を乗せると、弓を引き絞るように半身になった。
ゆっくりと身体が沈み、全身の筋肉を使って飛び掛る姿勢。
右の短剣の刃は、エルシェアの身体の中央で十字になる位置に据えられている。
其処を標準に使いつつ、その手を引く反動で左の細剣を突き出す、セルシアの切り札だった。

「左手が本命。突きを狙った勝負手……ですか」
「ご名答。この動作は左持ちの方がやり易くてね。その意味では、僕は左利きなのかもしれない」

エルシェアは一つ頷いて、周囲の様子を確認する。
自分とセルシアは大聖堂のほぼ中央で向き合っている。
後方にはティティス。
やや離れた壁際には、ディアーネとバロータが勝負の行方を見守っている。
其処を除いた壁際には、観客たる生徒達がいた。
正面にはセルシアが居り、必殺の構えを見せている。

「……」

その奥の壁にはステンドグラスが嵌め込まれ、煌びやかな光が差し込んでいる。
やや眩しいのは致し方ない。
左奥の壁にはパイプオルガンがあり、校長にしてセルシアの兄、セントウレアが穏やかな眼差しを送っている。
右奥には教師達が固まっており、その中には少女が敬愛する保険医の姿もあった。
再びセルシアと向き合う。
エルシェアは左手のアダーガを突き出し、右を引いて半身になる。
そして右手の魔剣は柄を逆手に握ると、肩に担ぐような投擲姿勢に落ち着いた。

「……」

二人とも、武器の間合いはショートレンジの剣である。
しかしその長さは両手剣のエルシェアが僅かに長い。
それでもセルシアの全力突進から繰り出される刺突の前では、誤差の範囲にもならないだろう。
故に堕天使は武器を捨てる。
正確には突進しか出来ない構えの天使に対し、その軌道に剣を投げつけることで隙を作る。
セルシアに盾は無く、か細い剣とナイフでは高速で投擲された両手剣を防ぐのは難しい。
かといって横に避けてしまえば突進速度を削られ、エルシェアに捕まる。
少女の意図をそう読み取った少年。
堕天使の両手剣を、前に出ながら避けるのがセルシアの勝利条件。

「成る程、こういう返しはされたことが無かったよ」
「面白いでしょう?」
「ああ。だが勝つのは僕だよ」
「そうですね……私と貴方の勝負なら、貴方の勝ちだと思います」
「それは、敗北宣言かい?」
「いいえ? 世の中には弱者が強者に勝てる、マグレと言うものがあるじゃないですか」
「僕達の勝負に、そんなものを差し挟む余地を与える心算はないよ」

エルシェアの顔に微笑が浮かぶ。
その発言を聞きたかった。

「では、もし貴方が先に倒れた時……それがどんな不幸な偶然の結果だとしても、私の勝ちだと認めてくださるのですか?」
「勿論だよ? 君は強い。僕は誰よりもその事を知っている心算だし、それを評価している心算なんだ。本当だよ、此れは」

少女は目を閉じ、再び開いた時に覚悟を決めた。
両者が地を蹴ったのは同時。
決して遠いわけではない二人の間合いは、あっという間に詰まるだろう。
堕天使の手から魔剣オルナが投擲された。

「え?」

……プリシアナ学園の公式記録には、こう記されている。

『エルシェアは深手を負い、最早大剣を正確に投擲することが出来なかった』

では……逸れた剣の遥か先に、セントウレアがいた事は果たして偶然だったのか?
セルシアは思考より早く剣を振るい、虚空で魔剣を撃ち落す。
必殺の為に溜め込んだ左の剣で。
セルシアにとってセントウレアとは、自分の中で絶対の聖域に君臨する神と言っても過言ではない。
生まれたときから目指し、憧れ、その背を追うことこそが少年の生きる指針。
人生という暗い闇を照らす光であり、歩むべき道そのもの。
それが、たかだか超遠距離からすっぽ抜けた大剣であろうと決して侵すことの許されぬ存在。
そして何より、敬愛する家族であり大好きな兄だった。
その身を脅かすものを切り払うのに、何の躊躇いがあるというのか?
彼は生涯この一太刀を後悔した事は無い。
例えその事により、飛び込んできた少女の盾から伸びる魔力刃に、胸を射抜かれたとしても。

「ぐふっ」

後にエルシェア自身ですらこの結果をまぐれだったと笑った。
勝負を見届けた生徒たちも、天使の不運を慰めた。
しかし誰がなんと言おうとセルシアだけは、この結果に偶然の介入があった事を認めない。
結局の所セルシアはセントウレアから自立できず、エルシェアは少年の心理的な弱点を容赦なく突いて来た。

『見学者を巻き込んだり、盾にしたりして宜しいので?』
『そうしてはいけないと言うルールは無いけれど、殊更僕が目の前で其れを許すと思うかい?』

先日の会話が少年の脳裏で再現される。
ほろ苦い笑みが彼の顔を滑り落ちた。
お互いに有言実行をした結果が此れだ。
肺に溜まった血が逆流し、天使の口からあふれ出す。
その血を避けようともせず、セルシアを見つめる少女。

「痛い?」

当たり前だと言いたい少年。
しかしそう聞いてくる少女の白衣も血に染まり、痛々しさを伝えてくる。
そんなになってもエルシェアは、セルシアを気遣うことを止めない。
急速に重くなった武器は、この時両方手放した。
そして自由になった、しかしあまり動かなくなった左手を伸ばして少女の頬に触れる。
ぼやけそうになる視界の中で、少女が泣いているように見えたから。

「痛い……ですよね」

少女は盾の刃をそっと引き抜く。
そのまま少女も盾を捨て、何も持たない、しかし自由な両手で少年の身体を抱き寄せる。
最早両の足で立つことも覚束ないセルシアは、もたれかかる様に身体を預けた。
何を言うべきか、何が言いたいのか纏まらない天使。
様々な言葉がぐるぐると頭を駆け巡るが、言葉になる前に消えてゆく。
何か言わねばならないのに、それが出来ないのがもどかしかった。

「ごめんなさい」

謝罪の声を聞いたとき、セルシアの中で最後のピースが埋まる。
少女の言葉は二人が始めて戦い、そして決着した時のモノだった。
兄以外の相手に始めて負けた少年は、悔しさと八つ当たりを込めて悪態を吐いたはず。
最早声帯を動かすのも億劫になりながら、少年は何とかその言葉を紡ぎ出した。

「こ……の、魔女……め」
「堕天使、ですよ」
「ああ、そうだった」

それが二人にとって始まりの会話。
悪態とは裏腹に、天使の表情は穏やかだった。
力尽きたようにセルシアの身体から力が抜ける。
エルシェアは少年を丁重に抱き上げた。

「其処まで。優勝は、ディアーネ君のパーティーです」

セントウレアの声と共にパイプオルガンが奏でられ、優勝決定戦の終結が告げられる。
戦闘開始から三十分。
それは通常講義の三分の一程の時間でしかない。
たったそれだけの時間で、力も技も心も全て使い尽くした生徒達。
エルシェア自身も限界であり、堕天使はセルシアを落さないように気をつけつつも大聖堂の床に崩れ落ちる。

「リ……リ、せんせ……」

駆け出して来る保険医の姿を見届け、安堵の中で気持ちが切れた。
仕事を増やしたことを心の中で謝罪しながら、少女の意識はここで途切れた。




後書き

真っ白に燃え尽きました……遅くなって申し訳ございません。
何とかやりたい事を形にしていこうと試行錯誤を繰り返し書いては消して書いては消して、やっとこの形になった時もう此れを崩したら春まで掛かっても完成しないと気がつきましたorz

とりあえずそれぞれのオーダーのテーマ等……

ティティスVSフリージア
魔法戦。執事の魔法壁と賢者のMP自動回復を如何に絡めて行くかを考えていました。フリージア君の武器がアレになったのは……良いレベル帯の本がなかったことと私のある妄想ゆえですw
もっと動かしたかったんですが、彼は人形師じゃないんですよね……諦めましたw

ディアーネVSバロータ
肉弾戦。勢いでオルナを捨てるという暴挙に出てくれたディアーネさん。
一応彼女は相棒よりも修行シーンを濃く書き込んでいたために、あそこで習ったことを生かそうというコンセプトはありました。
が、バロータ君が付き合ってくれなかったら100%勝てなかったと思いますw

エルシェアVSセルシア
頂上決戦。此処を書きたいという思い故にこの話を書き始めた動機の部分の一つです。
無作為に作ったエルシェアが、ゲーム内のNPCに脳内設定の立ち居地が正反対に出来ていた時から妄想は始まっていました。
二人の最終攻撃力は、エルシェアがオルナ(140)+アダーガ(107)で247の、堕天使の剣補正が1.4倍。
セルシア君が魔法のレイピア(165)+ゴルゴンナイフ(98)の263のプリンスの剣補正1.3倍と短剣補正1倍。
プリンスが剣の極み持ちで1.2倍の補正がつく事、アダーガが盾で守備力があり、魔法攻撃力が地味に32もある事等を加味すると、殆ど互角になるかなぁとか考えながら書きました。
もう少しセルシア君には歪んでいただきたかったのですが、本当に作者がその前に力尽きましたorz

後は〆を持ってくる作業なのですが、ちょっと本気で力尽きているためさらに遅くなるかもしれません。
本当にごめんなさいorz



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。⑰
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/02/12 14:31
昼時に学生食堂がごった返すのは決して珍しいことではない。
プリシアナ学園でも例外ではなく、その時間には多くの生徒でほぼ全てのテーブルが埋め尽くされる。
中には立ち食いする生徒も居るが、食事にありつけただけでも彼らは幸運なのであった。
安くて量もそこそこを誇る冒険者養成学校の学生食堂は、毎日が売り切れ御礼なのである。
そもそも冒険者とは味覚が洗練とは逆方向へ矯正されている人種なのだ。
ラビリンスの探索は幾日も携帯食料で凌がねばならず、其れも尽きたときは虫でも草でも食んで生き残らなければならない。
そんな彼らに取って湯気の立った食事というものはこの上ない贅沢品であり、其れを提供する食堂は生徒たちの大人気スポットだった。
しかしこの日、学食の一角が常とは違う雰囲気に包まれていた。
隅のテーブルに二人の生徒が向かい合い、その周囲に隣接するテーブルには生徒がいない。
其れは決して食堂がすいているからではなく、其処を除くテーブルは満席である。
原因は向かい合う二人の男女が、この学園ではそれなりに有名人な事に起因するモノだった。

「お怪我は、もう宜しいので?」

そう問いかけたのは、漆黒の翼のセレスティア。
薄桃色のウェーブヘアに端正な顔立ち。
プリシアナ学園の制服の上に新調した白衣を着込んではいるが、時折寒そうに身を震わせている少女。
その双眸はからかう様に、しかし穏やかに細められ、口元にも微笑が浮かんでいた。

「リリィ先生に治療していただいたからね。死に掛けても三日で完治させられてしまうのだから、本当に恐ろしい世の中だよ」

そう答えたもセレスティア。
この学園では知らぬ者の無い生徒会長、セルシア・ウィンターコスモスである。
少年はほろ苦い笑みを浮かべて少女の微笑と対峙した。
二人は数日前の三学園交流戦の優勝決定戦において死闘を演じた間柄。
周囲の生徒も其れを知り、実際に殺し合い寸前の領域で斬りあう所を目撃しているのである。
そんな両者が公然と笑い合っているのだから、周囲の者も疑問に思う。
しかし圧倒的な力量をぶつけ合う当時の姿を知る生徒達は、この二人の間に割って入ってまで好奇心を満たそうとするものはいなかった。

「其れは結構。正直苛めすぎたかなと思わなくはありませんでした」
「……まぁいいよ? 今は言わせておいてあげるさ」

挑発的でからかう様な堕天使の声音に、深い息を吐く天使の少年。
二人が挟むテーブルには、同じ紅茶のカップとカード。
そして互いに十枚のコインがあった。
少女は慣れた手つきでカードを切ると、向かいに座る少年に束を手渡す。
セルシアは無作為に三回程カードの束を入れ替えてテーブルに戻した。

「エルシェア君は、正式参加はしていなかったんだね」
「ええ、面倒なことは嫌いでして」
「それは知っているけれど」

お互いにコインを一枚差出し、交互に一枚ずつ五枚のカードを取る。
勝負手を引いたらしく、少年の瞳が細くなった。
少女の顔は最初の微笑から動かない。

「それで、態々負け犬の呼び出しに応じて差し上げた寛大な私に、何か仰る事はございませんか?」
「ええと……本当にありがとうエルシェア。今日も可愛いね?」
「……堂々とカンペを取り出し、しかも棒読みとは……死ねばいいのに」
「だから実際に死にかけたんだけどね。まぁ、冗談はこのくらいにして本題に入ろうか」
「ふむ、良いでしょう。私も君に用がありましたし」
「用?」
「そちらが先で構いませんよ。行動を起こしたのは貴方の方が速かったのですから」

セルシアは一つ頷くと、手元五枚のカードの内二枚をテーブルに伏せた。
そしてヤマ札から二枚はぐると、再び五枚になったカードを眺める。
天使は九枚になったコインの内、四枚を最初に送ったコインの上に乗せた。
強気の姿勢に少女の瞳から笑みが消える。

「実は、君達のパーティーに同盟と互助を申し入れたいんだ」
「ん……? 合併じゃなくて?」
「ああ。僕達自身も、そのメンバーもアクが強いからね。無理にパーティーという形に拘らずに協力していく方が上手く回ると思ったんだ」
「同感ですねぇ」
「だから、互助。僕達だけでは苦しいと判断したときには、君達の助力を願うことを許して欲しい。勿論逆の場合も協力は惜しまない心算だよ」

少女の瞳が少年の顔と、手元のカードを行き来する。
気だるげな表情でしばし考え込んだ後、手元のカードを四枚テーブルに伏せた。

「其れは君の独断ですか?」
「いや、フリージアやバロータとも相談したよ。この先の事を考えたとき、三人パーティーというのは必要最低限過ぎるとね」
「なるほど……」
「勿論今すぐに返答を求めたりは――」
「構いませんよ」
「……あっさりと引き受けてくれるものだね?」

悪戯っぽく微笑む少女に、呆れたように呟いた天使。
エルシェアはヤマ札から四枚のカードを引く。
やや考え込んだ少女は、上目遣いにセルシアの瞳を覗き込む。
困惑したような光を見つけた堕天使は、満足げに頷いた。

「此方都合よく頼れる協力者が欲しいのは、私達も同じでして……候補に貴方達のお名前もあった。其処からお誘いを頂いたのですから、別に断る理由もありませんよ?」
「君達も……?」
「別に不思議は無いでしょう。此方は組み出してから日も浅く、ティティスの成長のお陰で漸くパーティーとしての形が整いつつある段階です」
「ああ、そうか……とても安定しているパーティーだという印象が強かったよ」
「私が状況で転科を繰り返している時点で、もう……ね? 戦力やバランスでは穴も多いんです。困ったことに」

苦笑したエルシェアは、セルシアに合わせてもう四枚のコインを積み上げる。
少年の強気を受けて立つ姿勢。
今回後出しの堕天使が衝突を回避しないのは、読み合いの勝負に踏み込んだからだろう。
少女はどう読んだのか。
セルシアの強気を威嚇と読んで勝負に来たのか、それとも勝負手を真っ向から踏み潰せる役が揃ったのか。

「では、同盟成立かな。だけど早速で悪いのだけれど、此処は君の奢りだよ?」
「……へぇ?」

セルシアは札をフルオープンし、その手を相手の下に曝す。
赤と黒。
それぞれ二枚ずつ違う絵柄が描かれた、同じ数字が現れる。

「ジャックで、フォーカード」

四枚のJに一枚のK。
エルシェアの瞳が曝されたカードの上を滑る。
そして口元を手札で隠して一つ笑むと、自らも勝負手を明らかにした。
三枚のQ、一枚の8、そして可愛らしい道化師の絵札。

「私もフォーカードですね? ジョーカーとクイーン三枚で」
「……そんな馬鹿な」
「ご馳走様。会長」 

肩を竦めたセルシアは、両手を挙げて降参を示す。
此処までは勝ったり負けたりの結果だった。
しかしその中で一番強い役を揃えた挙句に競り負けた時、今日の勝運が堕天使に向いていることを認めたのだ。

「今日の所はこのくらいにしておく事にするよ」
「攻守の判断が正確で早いですねぇ……本当に可愛げの無い」
「僕にそんなものがあっても、不気味なだけだろう?」

やや憮然とした少年に苦笑した少女は、手早くカードを片付けて冷めかけた紅茶を一口。
拗ねてしまった男の子のご機嫌を取るべく、自分の用事を済ませることにする。
白衣のポケットから三枚の封筒を取り出し、セルシアに差し出した。

「此れは……」
「明日うちのパーティーで忘年会しますので、お誘いに」
「それは急だね。予定があったらどうする心算だったんだい?」
「ありえませんねぇ」
「……根拠は?」
「貴方は友達が少ないですから、というか居ないですから。年が明けてからご実家に帰省する以外は、生徒会のお仕事があるだけでしょう?」
「否定できないところが、なんとも癪だよ……」

エルシェアが指摘した通り、セルシアには友人と呼べる相手が居ない。
フリージアは友人だが、彼には執事という明確な上下関係が存在する。
そしてそれ以外となると、対等に付き合えるのはバロータしかいないのだ。
セルシアは高すぎる目標の為、周囲に弱者を置くゆとりが無い。
其処にずば抜けた実力が加わった時、彼の周囲には崇拝や嫉視は在れど友誼を結ぼうとする相手は寄って来なかったのである。
苦笑した少年は、招待状を懐にしまう。

「では厚かましくお邪魔させていただこうかな」
「是非。実はその席で互助の相談を持ちかける、下心もありましたので」
「なるほどね……会費は?」
「ローズガーデンにある学園運営の宿舎をお借りします。この時期は無料でしたよね」
「シーズンオフだからね。だけど、それ以外は?」
「当日に使う食材等も、貰い物ですので誰のお財布も傷まないんですよ……私達は」
「なんだか悪いな。本当に良いのかい?」
「はい」

少女は話を終えると立ち上がり、少年に笑みかける。

「それでは、当日現地でお会いしましょう」
「ああ。何か手伝うことは?」
「お客様は堂々といらしてくださいな」

堕天使はそう言い残し、人混みの中へ紛れ込んだ。
少女の姿が見えなくなると、セルシアも冷めかけた紅茶を片付ける。
この時間だと、フリージアは図書室に居るだろう。
運がよければバロータも其処で寝ている。
招待状を届けるべく、彼もまた立ち上がった。



§



堕天使が食堂でセルシアと話していた頃、その相棒は職員室を訪れていた。
この時期は学園が冬季休業に近くなり、『講義全般』が開講しない。
生徒達は望むものだけが自主的に単位取得の為に実習に出かけ、学園施設も幾つかが閉鎖されて使えなくなる。
自然と教員の数も減り、閑散とした職員室の中で少女は目的の人物を見つけ出した。

「あ、先生みっけ」
「やあ、ディアーネ君。怪我はもう治ったんだね」

ディアーネが呼びかけたのは、英雄学課で師事している教師のグラジオラス。
こうして面と向かうのは、それなりに久しぶりだった。

「うぃっす。元気っすよ!」
「そうか。では改めて、交流戦の優勝おめでとう。ディアーネ君個人の戦いぶりには、言いたい事が山程あるが……」
「……我ながら無謀だったと今反省してるから、責めないでやってください」
「見ている分には、本当に面白かったんだがな」

そう言って笑う恩師に、ディアーネは小さくなって俯いた。
彼女は自分の武器を相棒に貸して、格闘学課のバハムーンに素手で立ち向かって行ったのである。
相手となったバロータも無手の勝負に付き合ってくれたが、そうならなかった時は確実に負けていたであろう。
自覚があった為、其処を指摘されるとぐうの音も出ない少女だった。

「しかし、最後の肘は見事だったな。正に必殺の威力があったろう」
「タカチホで教えて貰った奴っすね。性格鬼みたいな小人先生が此れ得意で……」
「ふむ。所で今、君の留学先の師へ、此度の受け入れと指導に対する御礼の手紙を書いていたんだが――」
「地べたに頭こすり付けますので今の発言は御内密にっ」

本当に土下座を始める教え子に苦笑し、グラジオラスは了承をくれる。
安堵で深い息を吐いたディアーネ。
教師は愉快な生徒を一度流し見て、机に向き直って書類をまとめる。

「すまないな。直ぐに終わる」
「あ、あんまりお構いなく。お時間は取らせませんので」
「ん? そうか」
「はい。っていうか先生、何で一人だけ働いてるっす? 講義とかも無いし、交流戦も終わったのに……」

無邪気に聞いてくる教え子に、口元だけで笑むグラジオラス。
彼の仕事とは先程も少し語ったように、留学したディアーネに対する事後処理である。
ある意味では仕事の元凶である少女に対し、彼はその事を告げる心算は無かった。
子供がその可能性を伸ばす事へ遠慮する事が無いように環境を整えてやること。
其れが教師足るものの務めだと思うグラジオラスである。

「まぁ、年末年始は家庭持ちの教師には色々と都合が入るだろう? そちらで希望休が多くなると、独り者に仕事が回ってくる訳だ」
「其れって不公平じゃないっすか?」
「そうでもない。年間の休暇日数の総数は同じだからな。偏りがあるというだけで」
「世の中持ちつ持たれつか」
「そういうことだな」

言いながらも手は止めず、教師は筆を進めている。
少女はそんな恩師の背中を見つつ、先程の発言を吟味していた。
家庭持ちの教師は用事が出来るから独り者が働いている。
要するに今働いているグラジオラスは、ある意味においては暇だから仕事をしているのだ。

「それにしても、今回は本当に良くやってくれたよ。此れで他の生徒たちも、少しは交換留学と座学の意義を見直してくれるだろう」
「お?」
「どこかで聞いた事がないか? 交換留学は今の生徒達には迂遠に見えるらしくてな……あまり歓迎されていない」
「ああ、そういえばリリィ先生が言っていた気がする」

現在、冒険者養成学校の生徒達は校外へ実習に出ることで単位を稼ぐのが主流である。
ほぼ学校には寄り付かず席だけ置いて、自習自得に励む日々。
向上心旺盛なのは良いのだが、冒険の基礎から自分流で伸ばしている生徒達の中には、その時点で既に間違えて覚えている者も少なくない。
そして周りの生徒達がこのように急ぐものだから、その周りの生徒も我先にと足を速めようとする。
グラジオラスとしては、ひよっこが死に急いでいるようにしか見えないのだ。

「留学者を二人出して、その間探索に出れなかったパーティーの優勝だ。基礎固めが如何に重要か、此れで少し見直して欲しいものだがな」
「……私エルに会うまでは、本当に基礎しかやってなかったっすからね……」
「だがそのお陰で、動き始めてからはあっという間にうちの学課で首席を取れたろう。長い下積みが正当に報われた結果だな」
「良い仲間、良い戦、そして良い師に恵まれた結果です。今年一年も、本当にありがとうございました」

ディアーネが頭を下げるのと、グラジオラスが手紙に署名を書いたのがほぼ同時。
教師は一つ息を吐くと、椅子を回して生徒と向かう。

「何より、君自身の努力によるものだよ」
「今後も怠らずに伸ばして行きたいと思います。つきましては、来年もよろしくご指導ご鞭撻のほどを」
「ああ。此方こそよろしくな」

外向けの礼儀を重視して、やや硬く感謝の意を告げる生徒。
自然体で受けた教師は、思い出したように少女に椅子を勧めた。
ディアーネは其れを謝絶すると、懐から封筒を差し出した。

「果たし状?」
「……リリィ先生と同じボケですよそれ」
「む、すまんな」

苦笑したグラジオラスは、視線で開封の可否を生徒に問うた。
頷いたディアーネを受けた教師は、中から二枚の紙を取り出す。
一枚は簡単な手紙で招待状。
二枚はローズガーデンの学生宿舎の使用許可証。

「先生、暇そうだから明日飲みに行くっすよ」
「いや? 暇とは誰も言っていないが」
「暇だから仕事してるって言ったもん」
「……」

言葉の裏を探ることをしない割りに、意味の解釈は怠らない少女。
教え子の言う様に取れなくも無い返答をしていたグラジオラスは、両手を挙げて降参の意を示した。

「生徒同士の企画だろう。態々教師を誘っても硬くなるだけだぞ」
「そうでもないっすよ? 参加するのってうちと会長のパーティーっすから、大人が欲しい所っす」
「ふむ……」

メンバーを聞いたグラジオラスは、この宴の意味を了解した。
ディアーネのパーティーとセルシアのパーティーは、優勝決定戦で双方が瀕死に陥るほどの激闘を行った。
それぞれに決して私怨は無いが、周りで見ていた多くの生徒の中には、不仲を印象付けたろう。
お互いのこれからの為、早めに友好関係を強調して置きたいと言うのがエルシェアの考え。
ディアーネもティティスも、此れには賛成したのである。
最も、この陽気な悪魔は大勢で騒ぐほうが楽しいというだけだったが。

「なーに黙り込んでるっすか」
「お?」
「生徒に飲み会に誘ってもらえるとか、教師冥利に尽きるイベントじゃないっすか。其れとも何かご予定が?」
「無いな。会費は?」
「実家から私でも食べきれない程の食材が送られてきたんで、お願いですから食べて行ってくださいって感じの宴会なんすよ」
「いいのか?」
「はい。本当にこのまま腐らせるのは忍びないので、一緒に片付けてください」

右手で敬礼したディアーネは、言うだけ言うと颯爽と踵を返す。
長い黒髪が靡き、燕のような軽快なステップで立ち去ろうとする悪魔の少女。
グラジオラスは一瞬あっけに取られたが、ふと思い立って教え子の肩を捕まえる。

「お?」
「君に、一つだけ言っておく事がある。あまりにも自然に言われたので聞き流すところだった」

ディアーネの背筋に冷や汗が浮く。
しかしまさか此れだけの会話でばれる筈が無いと、極力平成を装って振り向いた。

「なんす?」
「教師を誘う以上、飲酒は許可出来ないからその心算でな」
「ばれてるし!?」
「当たり前だ」

苦笑したグラジオラスに、崩れ落ちたディアーネ。
悪魔の少女は心の中で相棒に謝罪しつつ、恨めしげな視線を恩師に向けるのであった。



§



ローズガーデンはその名に相応しい薔薇園と、都市中央の噴水が有名な避暑観光地として知られる街である。
また、晩秋から早春以外の季節では雪がなくなる気候故、此処より北へ向かう旅人の中継点としても利用されていた。
しかし本格的な冬が訪れると、この街も雪に閉ざされる
この時期のローズガーデンは夏の頃の賑わいは無く、住民は日々厳しい寒さに耐えていた。
最も、観光シーズンで利潤を上げるためにはこの時期からの備えを怠ることは出来ず、それに携わる多くの住民に暇な時は無かったが。
そんな街の中央区よりやや北側に、プリシアナ学園が運営する生徒兼冒険者用の宿泊施設が存在する。
格安ということもあり、夏季はそれなりの利用者があるこの施設。
シーズンオフになる冬季は殆ど使うものが無い為、生徒が希望すれば無料で使用させて貰える。
しかし設備は大したことの無いこの宿は、余程金銭面に余裕の無い生徒以外は避けたがる傾向が強かった。

「勿体無いですよね。無料開放していただけるのに使わないなんて」

宿泊施設の一室から、少女の声が聞こえてくる。
それは金髪碧眼のフェアリーであるティティス。
プリシアナ学園の冬季制服に身を包み、頭には無地の三角巾を被って壁の埃をハタキで落す。

「世の中は、便利な時間を過ごすためには多少のお金は惜しまない方々の方が多いです。明日をも知れぬ冒険者ならなおさら」

答えたのも女の声。
私服の上に白衣を着込み、長い髪の中から対に生えた悪魔の角。
彼女はプリシアナ学園の教師にして校医を勤めるディアボロス。
学園内では死神先生として悪名高いその名を、リリィと言った。

「でも、資材いろいろ持ち込めるから其れほど不自由はしないと思うんですけど……」
「其れは私達の目的が宴会で、その場で終わりに出来るからです。此処を拠点に冒険をしようとした場合、態々荷物を持ち込むのは手間でしょう」
「なるほど……だけど、この時期の宴会会場には凄く便利ですよね。エル先輩、何でこんなところ知ってるんだろう……?」
「あの子は昔此処に引き篭もって居た事がありましたからね」
「引き篭もり?」
「はい。餓死しないように餌は私があげていたんですけど、私のお財布も厳しくなってきたので三日で引っ張り出しましたが」

昔を懐かしむように微笑し、目を細めて語る保険医。
其れを見つめるティティスは、今の発言の多すぎる突っ込み所に迷って逆に何もいえなかった。
実はこの保険医とエルシェアの付き合いの長さは、ティティスとディアーネの其れを足して二倍しても足りないのである。
その事に思い至ったティティスは、この機会に色々と聞いてみたいことがあった。

「エル先輩って、昔は結構問題児だったんですか?」
「そうですね……打たれ弱い子でしたよ。打てる子もいませんでしたけど」
「打たれ弱い?」
「彼女は才能で結果を出せてしまう子でした。其処に自分の努力という過程が伴わなかったために、高い評価も自分の自信に出来なかったんです」
「……」
「片手間にやった事を『素晴らしい』と言われ、適当にやっているのに『頑張ったね』と言われてしまう。エルシェアさんは、自分を客観視出来る子でしたから……」
「自己評価と他人の評価の落差に苦しんでいたんですね」
「はい。そんな環境に居れば、誰だって何かを真剣にやろうとはしなくなるでしょう。片手間にやっても出来るんですから」

困ったように息を吐き、ティティスの落した埃を追いかけるようにモップをかけるリリィ。
この一室を掃除して、ティティスの魔法で学園に戻る。
そして学生寮のディアーネの個室から食材を運び込み、明日の宴会の準備を整えなければならなかった。

「セルシア君に負けて、いろいろ非行に手を染めて……その挙句に此処に引き篭もったのも冬の事でしたね」
「先生は、エル先輩と何処でお知り合いになったんです?」
「あの子が『堕ちた』と話題になった時、今まで彼女に頭を押さえつけられていた生徒の一部が暴走してしまいました。小集団で襲い掛かって――」
「!?」
「あっさりと返り討ちになりました。当時ナーバスの極みだったエルシェアさんは、殆ど手加減せずに全員瀕死にしてしまって……此処までやれる子ってどんな子だろうと、此れが最初の興味でした」
「先輩が一番だった頃は、お会いにならなかったんですか?」
「私は保険医ですから、特定の学課を持っていません。彼女の噂は耳にしていましたが、関わる機会もありませんでした」
「……」
「魔法と手術で処置をした私は、直ぐに犯人に会いに行きました。彼女は……校舎裏の花壇で花に水をやっていました。返り血の乾かぬ制服を着て」
「凄い絵ですね……」

そう語るリリィは、一度ティティスの顔を確認する。
常識で考えれば奇行を通り越して異常なエルシェアの行動に対し、この妖精は嫌悪感や恐怖は感じていないらしい。
ティティスは既にエルシェアの中の光と闇を受け入れている。
過去に何があろうと、妖精の知る堕天使は共にある時間のみ。
その輝きを至福とする少女にとって、大切なのは過去より未来だと知っている。

「其処で声を掛けて、ちょっとお話をして……結構盛り上がってしまって……」
「えっと、どんなお話だったか良ければお教えいただけませんか? そんな状態の先輩と、まともに会話が成立するって信じられないんですけど」
「内容は……蘇生手段の技術革新とロスト率の激減における、学生達の学習意識の変化の関連性についてですけど……」
「……は?」

きょとんとした目を向けてくる妖精に苦笑し、保険医は拭き掃除を続ける。
其れは当時リリィが書いていた論文のテーマ。
生徒達が学園で基礎を学び切る前にラビリンスへ行こうとする原因の一端に、ロストの危険が減った事が関連していると言う内容だった。
彼女の書いたモノの中では比較的好評だったその論文は、プリシアナ学園で天辺も底辺も味わったエルシェアから聞いた、生徒達の生の声を反映したものである。

「でも私、あの子と出会った時から分かっていたんです。この生徒とは気が合うって」
「出会った時って……」
「血染めの制服を着て、花の世話をする様な生徒でした。ですが、私には確信があったんですよ」

そう言って笑う保険医に、ティティスは手を止めて浮遊を解く。
床に足が着いたとき、築二十年の木造建築物は極々僅かに悲鳴を上げた。
リリィも一度モップを止め、水を張ったバケツにさす。
横目で妖精少女を見れば、思いのほか真剣な視線を向けられていることに気がついた。

「その時、先生は先輩の中に何を見つけたんですか?」
「あの子が水を上げてくれた花壇は、私が作ったものでしたから……」
「……あ」
「私が美しいと感じ、愛でているもの……同じものを、あの子も愛でてくれていた。だから私は、エルシェアさんとは心の一部を重ねられると思ったんです」
「そっか……そっかぁ」

ティティスはけぶるような微笑を湛え、本当に嬉しそうに保険医の白衣に正面からしがみ付いた。
面食らったリリィだが、とりあえず小さな妖精の体を抱き返す。
かなり身長差のある二人。
ティティスはは顔を上げると、やや困惑したような保険医と目が合った。

「私、先生が羨ましかったです。先輩の特別な先生が。昔から先輩といれた先生が、本当に羨ましかった」
「……」
「だけど、此れも本当に心から思います。先生が、先輩を見つけてくれて本当に良かったって」
「ティティスさん……」
「エル先輩の一番辛いとき、傍にいて下さってありがとうございます。先生がいなかったら、今のエル先輩はきっと無かった。ディアーネ先輩はまだ一人で、私は歓迎の森で死んでいたと思います」

ティティスに取っては寒気がする程恐ろしい、しかしありえた可能性。
エルシェアとディアーネの出会いの端に、ティティスの命は繋がった。
どちらが欠けても拾えなかった奇跡の末に、生きることを許されたのがこの妖精である。
彼女にとって大切な天使と悪魔。
その片割れを見出し、大切に見守ってきた一輪の百合……。
其れが保険医リリィだった。

「ありがとうございます。エル先輩に、ディアーネ先輩に、私に、未来をくれて、本当にありがとうございます」
「そんな……大げさな事は私、していませんよ?」
「先生に取ってはそうなのかもしれません。だから此れは、私達の方で大切にして行かなければいけない事なんだと思います」

真っ直ぐな謝辞を向けられ、リリィは言うべき事を纏めることが出来なかった。
彼女は生徒から好意を向けられることに不慣れ過ぎたから。
エルシェアすら此処まで直球を向けることは少ない。
自分の対人能力の不味さを痛感している保険医に、ティティスは構わず続ける。
土壇場では決して躊躇をせず、しかも答えを間違わないのがこの少女だった。

「先生」
「はい」
「来年も、よろしくお願いします!」
「此方こそ、よろしくお願いしますね」

二人は同時に笑い合い、そして掃除を再開した。
明日はこの大部屋が狭く感じる程にぎやかな宴が始まるだろう。
其れはきっと、幸せな記憶を積み重ねる時間になる。
今から待ち遠しい二人の作業は、自然と軽やかに進んでいった。



§



プリシアナ学園の北校舎は、設備の関係上生徒の用事が出来にくい場所である。
常から閑散としているこの校舎の一画に保健室が在った。
主たるリリィがローズガーデンにいる今、本来無人であるはずの空間。
そんな保健室のベッドの一つに、エルシェアは独り腰掛けていた。
時刻は夕暮れ。
昼と夜の短い境界の交差を、窓越しに眺める少女。

「私達は熱い夏の日に出会って……」

小さく呟く堕天使は、自分の耳で聞いた自分の声に身震いした。
彼女が意図していたよりも、溢れた声は暗かったのだ。
少女が腰掛けているベッドは、夏の日に別れたかつての仲間が暴行の末に運び込んでくれた所。
そして、彼女が本当の相棒と出会った所。
目蓋を閉じればディアーネと過ごした日々の幻が脳内を乱舞する。

「あっという間に離ればなれ……気がついたときは、冬になっていましたね」

思い出に浸っている堕天使の意識を、現の息吹が呼び戻す。
廊下を真っ直ぐ、此方に駆けて来る足音。
其れが誰かなど、思考することすら最早意味を持たなかった。
エルシェアが苦笑したのと、ディアーネが扉を開けたのがほぼ同時。

「エルー? 居るー?」
「視界に入らないでいただけますか? 薄汚い悪魔を見てると、蕁麻疹が出そうです」
「エルはそんなに繊細じゃないもん。病気に失礼な事言わないの」
「……貴女も打たれ強くなりましたね」
「そりゃーいろいろありましたから」

堕天使の皮肉を意に介さず、悪魔の少女は保健室に入ってきた。
かつて今の一言でマジ泣きしていたディアーネは、もう居ない。
その事を頼もしく思いつつ、やや寂しくも感じるエルシェアだった。

「……」

悪魔は天使の隣に腰を下ろす。
肩が触れ合う距離。
初めて会った時は、拳一つ分開けて座っていた。
このヘタレ悪魔は、たったそれだけの距離をつめるのに三ヶ月掛かったのだ。
そう考えたとき、エルシェアの顔には自然と笑みが浮かんでいた。

「何か不愉快な思考を感じるよ?」
「私の傍にいると、良くあることですので御気に為さらず」
「それもそうか……」

納得の行かない表情で首を傾げる相棒に、エルシェアは小さく噴出した。
更なる抗議を重ねようとしたディアーネは、楽しそうな堕天使の顔に言葉を奪われる。
社交辞令を交えないエルシェアの笑みは、本当に綺麗だったから。

「……昼間ね、先生宴会に誘ってきた。オッケーだって」
「助かりますね。胃袋は多いに越したことはありません。因みに、会長達も確保しました」
「やったねー。当日は同盟持ちかけるんでしょ?」
「その心算でしたが、先を越されましてね……あちらから申し出てくださいました」
「おお?」
「ですから、当面の課題はクリアです。明日は純粋に楽しませていただきましょう」
「うぃっす」

ディアーネは沸々と湧き上がる宴への高揚感を抑えるのに苦労する。
遠足を待ちきれない子供の心境。
そんな幼き日の気持ちを忘れぬままに成長した悪魔が、彼女であった。

「あ、そうだ……お酒持ち込もうとしたのが先生にばれた。駄目だって」
「どうせお誘いするときに『飲み会』とか不穏な単語を使ったんでしょうよ」
「あーっ! ばれてるしっ」
「うふふ」
「うー……ごめんね?」
「まぁ、アルコールに頼らずとも楽しめる宴になるでしょう。御気になさらず」
「う、うん」

しょぼくれた相棒をフォローし、堕天使は体をベッドに倒す。
下から見上げる悪魔の顔は、沈みきる寸前の夕日に染まっていた。

「そもそも食材は貴女の提供なのですから、主催として堂々として欲しいものですね」
「ん、まぁ私っていうか、私のお婆ちゃんだけどね……」
「高級食材ばかり山ほど送りつけてくるとか……貴女の事を良く解ったお婆様ですよ」
「うん。否定はしない」

苦笑の中に暖かな思いを滲ませたディアーネ。
エルシェアは体を起こして再び相棒と肩を並べる。
そして以前より気になっていたことを聞いてみた。

「ディアーネさんは、もしかして貴族のお生まれですか?」
「うん。子爵家の一人娘だよ……なんか、エルには気づかれてる節があったけど」
「そうですね。何となくですが」

隠していた訳ではない。
ディアーネは履歴書や自己紹介に偽りで応えたことはなかった。
しかし意図的に自分から触れることを避けていたことも事実である。
気づいていながら素知らぬふりをしてくれたのは、堕天使の気遣いだったろう。
そして此処で聞いてくれたのも、隠しようが無い実家からの仕送りに対して、ディアーネの気を軽くしてやるためだろう。
他人の心を読み取って、正負どちらの方向にも利用できるのがエルシェアという少女だった。

「殆ど勘当状態だけどね。実家は娘が冒険者とかやるのを認めてない」
「まぁ……」
「あ、だけど最近は多少態度が軟化したかな……手紙のやり取りも偶にしてる」
「もしかしてプリシアナ学園にいらっしゃったのは、セレスティアが多い学校だからですか?」
「うん。セントウレア先生が纏めるこの学校は、ディアボロスの影響力が弱いからね。その貴族の家だって手は出しにくいし」
「中々に苦労を為さったのですねぇ」
「兄弟でも居れば良かったんだけど、一人娘だとね……」
「跡取りですものねぇ」

言いながらエルシェアは、不意に苦笑の発作に駆られた。
彼女の知り合いには、跡取り娘でありながら冒険者養成学校で学ぶじゃじゃ馬がいる。
しかもそちらは貴族様を通り越して王女様であった。

「まぁ、この国はお姫様が似たような事をしていらっしゃいますし? 今時の流行なのかもしれませんね」
「……そういえばドラッケンに居るんだっけか」

ディアーネもキルシュトルテ王女の噂は聞いたことがある。
そういわれれば留学中にはタカチホに来たキルシュトルテと言葉を交わし、相棒への手紙を託した程の仲であった。
貴族で、冒険者で、しかも同じディアボロスである。
自分の拡大再生産を発見したディアーネは、相棒の横で笑い出した。

「なんだ、私普通じゃん」
「そうですね。何もおかしくないんですよ」

釣られた様にエルシェアも笑いのツボを刺激され、二人してしばらく笑っていた。
常は閑散としている保健室に、珍しく響く笑い声。
それを聞くものはお互いしか居なかった。

「馬鹿みたい。私、此れでも結構悩んでた時期あったんだよ? エルに会う前はさ」
「当事者には大きな問題でも、少し視点をずらすと大した事が無い……なんて良くある事です。その視点をずらすというのが、個人でやると難しいのですけれど」
「私はそういうの本当に駄目だから、頭のいい相棒にお願いします」
「最初から思考することを諦めていると、脳味噌が『うにうにチタン』の表面みたくツヤツヤになってしまいますよ?」
「ひどっ!」

ディアーネはエルシェアの腕にしがみ付き、上目遣いに抗議の視線を送る。
涼しげに見下す視線をくれる堕天使。
その瞳に写る自分の姿を見たとき、エルシェアもディアーネの瞳に写った自分を見ているのだ。

「……ねぇねぇ? 此処って今私達しかいないじゃない?」
「そうですねぇ」
「で、ローズガーデンにはリリィ先生とティティスがいて、そっちの様子って私達、分からないじゃないっすか」
「はい」
「私達の知らないところで、誰かと誰かがそれぞれに、自分達が主役の物語を紡いでる。この学園だって今も何処かで、昔の私達みたいな出会いを経験してる子が居るかもしれない」
「意外と詩人さんですねぇ……感傷的になりましたか?」
「んー……そうかもしれない。学園って、なんていうのかな……凄い『舞台』だなって思ったの」
「多種族で歳の近いモノを集めて、専門知識を詰め込む機関ですからね……相当に特殊な環境と言えるかも知れません」

一つ息を吐いた堕天使は、隣の相棒を緩く抱く。
悪魔がその気になったときは、何時でも腕から出て行けるくらいの強さで。

「まぁ、良い事ばかり起こっているとも限りませんよ? 貴女と出会う一時間前の私は、私刑を受けていたんですから」
「また夢も希望も無いことを言うー」
「事実でしょう? もしかしたら、何処かで悪の秘密結社が魔王復活を企んで暗躍しているなんてことも……」
「今時そんな事してる連中がいたら、指差して爆笑しても許されるよね?」
「ですよねー」

二人は同時に笑い合うと、そのままベッドに倒れこんだ。
何となく動くのが面倒だった。

「夕日、沈んじゃったね」
「本当に、夜が来るのは早いですね」
「寮まで歩くの、面倒くさい」
「同感です……が、お風呂には入りたいかな」
「私寝てるから、介護して」
「ご存知ですか? 自宅のお風呂場って意外と死亡率の高いスポットなんですよ」
「犯行予告!?」

エルシェアは笑いながらディアーネを開放し、ベッドから立ち上がって伸びをする。
振り向いて、未だベッドに倒れこんで脹れている相棒に微笑した堕天使は、右手を差し出してやった。
喜んで悪魔が手を掴むと、そのまま一気に引っ張り上げる。

「さぁ、とりあえず移動しましょうか」
「うぃっす」

悪魔と堕天使は手を繋いだまま保健室を出る。
エルシェアが預かっていた鍵で扉を閉め、そのまま並んで歩き出した。

「ねぇ、エル?」
「はい?」
「来年は三人で、もっと大暴れしよう」
「そうですね。私達も、少し本格的に卒業単位を稼ぎに出ましょうか」
「うん!」

互いの手をしっかりと握り、誰も居ない廊下を歩く。
上り始めた月の明かりが、繋がった二つの影をうっすらと照らしている。
間に入る後輩が居ない事が、ほんの少し残念な二人だった……



§



プリシアナ学園で、エルシェアとディアーネが保健室を後にしたその時刻……
世界の何処かで暗躍する集団は、本当に存在していた。
廃墟のような校舎の一室。
薄暗い部屋の中に集まる、四人の男女の姿が在る。
そのうちの一人……顔色の悪いヒューマンは、事実を確認するように呟いた。

「此度の三学園交流戦は、プリシアナ学園が優勝したか」
「茶番だがな。あの程度で、我ら『闇の生徒会』にかなう者など」

ヒューマンの発言を受ける形で笑ったのは、ディアボロスの青年だった。
忍び装束に身を包み、頭髪を全て刈り込んだその姿は、何処かの修行僧のように見えなくも無い。
最も、彼が歩むのは仏道ではなく魔道であったが。

「……」

そんな二人の会話を聞き流し、手の平サイズの自作セレスティア型マリオネットを、二体同時に繰る少女がいる。
薄紫の髪を肩に掛かるセミロングに揃え、白衣を着込んだフェルパーだった。
右手の人形は大剣と盾。
左手の人形は剣と短剣。
両手の指を複雑に、しかし見た目は簡単そうに動かすたびに、中空の人形はまるで命を宿されたようにそれぞれの得物を打ち合わす。
部屋にいた最後の一人である背の小さいエルフの少年は、少女の一人遊びを眺めていたが、区切るように息を吐くと会話に混ざった。

「あんたの担当はタカチホじゃん。負けた学校の生徒を見ればそりゃ茶番だったろうさ」
「何だと貴様? あの程度の連中なら負けて当然。そんな連中に勝ったとて何の評価も出来ん」

険悪な視線を向けるディアボロスに、冷笑を投げるエルフ。
どうもこの二人は、あまり仲がよくないらしい。
そんな二人の様子に深い溜息を吐いたヒューマンは、今尚人形達に複雑なステップを踏ませるフェルパーに声を掛けた。

「プリシアナの担当はベコニア……君だったな。どうだった?」
「……」

ベコニアと呼ばれた少女は、完全な無反応で人形繰りを続けている。
露骨な無視としか見えない少女の態度に、彼の中で嫌悪感の泡が小さく爆ぜた。
フェルパーは人形しか見ていない。
険悪な雰囲気になりかけた時、苦笑したエルフが発言を代わる。

「一人面白いのを、ドラッケンで見つけたよ。能力も素質も特A級の掘り出し物」
「珍しいな……お前が其処まで持ち上げるのは」
「バックダンサーに欲しい位の子だったからね。誘い方次第でこっちに来るよ、アレは」

この部屋に居るヒューマンもディアボロスも、このエルフの少年が傲慢な性格である事を知っている。
そんな少年が認める相手とは誰なのか、興味が沸いた。

「では、アマリリスはその生徒の獲得に向かって貰う。いいな?」
「了解、会長さん。其処のベコニア借りて良いよね」
「……好きにしろ」
「……」

両手を使って二つの人形を只管に繰り続けるフェルパー。
名前を呼ばれても意に介さず、無機物に魂を吹き込み手繰る。
左の人形は二本の剣を翻して襲い掛かり、右の人形は盾を用いて防戦に徹し始める。
ヒューマンの青年は再び嫌悪感を飲み込み、エルフの少年はそんな少女の態度に溜息を吐く。

「……」

その時、部屋の一つしかない扉が音を立てて開かれた。
部屋の中にいた四人の内三人は向き直り、圧倒的な存在感を持ったディアボロスの入室に備える。

「話は、纏まったか?」
「方針は定まりました。アマリリスとベコニアは、人材確保の為に一度戦線から外しますが」
「そうか」

身の丈程の杖と、装飾の多い漆黒のローブを纏った壮年のディアボロス。
彼こそかつてこの大陸を混乱せしめた悪の魔導師。
その名をアガシオンと言った。
最初に部屋に居た四人とは明らかに格の違うその威風。
対峙している三人は、背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。

「……」
「間もなく時は訪れる。星々の位置が正しくなった時、禁断の島への道が開かれ……我らが待ち続けた――」
「――よし、出来た」
『!?』

ディアボロスの声を遮って響いたのは、明るく弾む少女の声音。
それまで一音も発さずに人形を繰っていたフェルパーは、悪の魔導師の発言を堂々と遮った。
人形劇の最後では、右手の人形の盾が左の人形に押し付けられている。
無表情だったその顔には明るい笑みを浮かべ、額にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭う。
此処で初めて周囲を見渡したベコニアは、見知った連中の強張った視線に振り向いた。

「あぁ、校長先生……何時から其処に?」
「今しがたな」
「申し訳ありません、全く気がつきませんでした」
「その様だな」

少女は丁寧に頭を下げて非礼を詫びる。
校長と呼ばれたディアボロスの威風は全く変わっていないのだが、この少女は少なくとも表面上でそれに臆する様子は無かった。
ベコニアは再び机に向き直り、先程完全に無視したヒューマンに声を掛ける。

「会議って終わったの?」
「……ああ」
「あっそ。じゃあ後で議事録読ませて。何も聞いていなかったから」

言うだけ言ったベコニアは椅子を回し、他の三人に習ってアガシオンと向かい合った。
彼女は事此処に至って、始めて他人の話を聞く姿勢を取ったのである。
そんな少女の態度に気を悪くした風もなく、校長は話を続けた。

「――間もなく『原始』への鍵が手に入る。さぁ行け、我が生徒達よ。行って世界を闇に包め」

アガシオンの言葉に、それぞれの胸中で頷く四人の生徒。

『闇の生徒会の名にかけて!』

異口同音に応えた生徒達。
一番扉の近くに座っていたベコニアは、校長に目礼してさっさと部屋を出ようとする。
その背に向かい、ヒューマンの青年が声を掛ける。
呼び止めた名前は、今度こそ少女の聴覚を捕らえることに成功した。

「何?」
「お前の仕事は、アマリリスと人材確保だが解っているのか?」
「何それ? 初めて聞いたけど」

自分の知らないところで勝手に決まっていた仕事に対し、不快気に眉を寄せるフェルパー。
アマリリスはそんなベコニアに苦笑するしかない。

「そりゃ、あんたは聞いちゃいなかったろ」
「それもそうか……」

言いながらも待つような素振りは見せず、止めた足を再び動かしたベコニア。
アマリリスは慌てて立ち上がり、当面の協力者となるはずの少女の背を追いかけた。

「……申し訳ございません、校長」
「構わん。それより、お前達も早く行け」
「はい」
「御意」

青年二人も、部屋から直ぐに出て行った。
残ったアガシオンは、一人になった部屋で目的を反芻する。
魔王アゴラモートの復活こそ、かの魔術師の悲願。

「……」

かつての野望は後一歩の所で阻まれたが、最早当時の勇者も生きてはいない。
全ての障害物を排除し、今度こそ成し遂げねばならなかった。

「……ソ……ふ……?」

意味の解らぬ単語が、ノイズとなって脳裏に散った。
頭痛を覚えた悪の魔導師は、椅子の背に片手をついて長身を支える。
その魔王の存在を、アガシオンが何時、何処で知ったかは自分ですら思い出せない。
何故復活させなければと思い焦がれるのかも解らなかった。
しかしアガシオンに取って、魔王復活への階を上る時だけ自分の生を実感出来るのだ。

「……焦るな……もう直ぐ……もう直ぐだ……」

焦燥感が震えとなって、悪の魔導師を駆り立てる。
その正体を知ることも無く、そして疑うことも無く魔王を求める男。
震えが止まったその時、決まって彼の脳裏を掠めるのは金色の髪と白い翼。
ほんの半瞬にも満たないその幻だけが、彼の心を暖めてくれた……


§





後書き

天使と悪魔と妖精モノ。十七話、此処にお届けいたします。大変お待たせして申し訳ございませんでしたー。
待ってない? うん、分かってる……。・゚・(ノД`)・゚・。
いよいよこのシリーズも一応の完結を迎えることが出来ました。
よかった……とりあえずベコちゃんは出せたよ……
シリーズ通しての後書きは、また別に作成させていただきたいと思います。
ネタばれやら、やりたくて挫折したこととか……あと、どうして此処で区切るのかとか^^;

それでは、もう一つ後書きがありますのでこっちではこの辺りで。
此処までうちの娘達の冒険にお付き合いくださり、本当にありがとうございました!(*/□\*)



[24487] 独り言
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c8e576f0
Date: 2011/02/12 14:32
後書き(ネタばれ注意)

何とか本編を書き上げることができました。
自分のような未熟者が此処まで突っ走ることが出来たのも、偏に皆様の温かいご支援のお陰です。
後書きのまず初めに、お礼申し上げます。
本当にありがとうございました。


>>シナリオについて

三学園交流戦は、剣と魔法と学園モノ。3(以下ととモノ。)のメインストーリーでいうと、大体三分の一と言ったところでしょうか……
此れをクリアーした時に、闇の生徒会としてのカットが初めて入ります。
本当の物語が始まってきたという実感が沸いて良い演出だったと思います。
私も凄いワクワクして来た覚えがあります。
そして逆に言うと、後三分の二もメインストーリーは残っているわけですが……
私が二次創作として書いていけるのは、この辺りが限界だと判断いたしました。
その理由の一つが、この先は本当に作品の黒幕との対決姿勢が明確になっていく展開になりまして、剣と魔法は兎も角、学園モノとしての側面が薄くなってしまいそうだなぁと。
私が書くとそうなってしまい、とてもドロドロとした戦闘モノになってしまうのが容易に想像出来ました。
そうなると、原作の主旨と離れてしまうのかなと思った次第であります。
第二の理由として……これ以上進めると、キャラクターの中に死者が出てしまうんですよね。
このゲームを初めてプレイしたとき、プリシアナルートだったのですが正直後半に差し掛かったときはかなり冷めていました。
あざとすぎると感じるご都合主義で敵方、味方を全員無理やり生存させるそのシナリオが納得行きませんでした。
復活して帰ってくるのは良いのですが、復活に納得できる理由が見出せませんでした。
ですが、終盤もさらに終わりに差し掛かったときほぼ全員が最終決戦場に終結して……もうハッピーエンドならなんでも良いや!
と開き直ってしまえたのは良い思い出ですw
そんなハッピー至上主義シナリオを二次創作したとき、原作でアレだけ死亡フラグを立てながら帰ってきてくれた皆さんを私の手で殺すことも出来ず、かと言って私の筆力では自身納得の行くシナリオで全員を生存させることが出来ず……限をつけるなら此処しかないかなと思った次第です。
余談ですが……もし私がVS闇の生徒会を書くとしたら、ラスボスはアガシオンさんでもアゴラモートさんにもならなかったと思います。
最終決戦は多分あの二人の一騎打ちになったろうなーw
ばればれかも知れませんが(*/□\*)


>>王子様と王女様

この手のファンタジーゲームには王子様や王女様がつき物ですが、このととモノ。3にもしっかり登場してくださいました。
百合代表のキルシュトルテ様と、薔薇代表のセルシア様。
最も、セルシア様は薔薇というより無自覚で無関心なだけだという印象を受けましたが。
なんと言うか、ノーマルなカップリングが少ないですよねこのゲームw
過去のととモノ。シリーズもそんな感じだったんでしょうか……このゲーム初めてだった自分には、ちょっと分からないんですが。
SSを書く上では彼らがそうなった事に対する納得の行く理由が欲しくて、色々捏造と妄想を繰り返したのもいい思い出です。
しかし実際に物語の中に書き込めたのは、本当に一部でした。
セルシア君は本編ラスボスのポジションだったのでまだそれっぽいこと描写出来たんですが王女様は……
そこで本編に一段落した此処で、書ききれなかった部分を補完したく思います。
いえ、本編で書き込めなかった時点で負けなのは承知ですがorz
先に断っておきますと、この二人とそのパーティーは大好きで、賞賛なら幾らでも出てきます。
ですので、敢えて彼らの弱点になりそうな部分を突いてみる感じです。
こんな感じの表現でご不快になられる読者の方は、是非ともすっぱり読み飛ばしてください。

キルシュトルテ様
ガチ百合の方。一応ゲームを始める前にドラマCDでその事は存じ上げていましたが、最初は本当に驚きました。
まぁですが、小説なんかでも王族や貴族の性癖って歪に表現されている事が多いので気にはなりませんでしたが。
しかし此れはゲームを進めているうちに、アガシオン校長がこのお姫様の先祖だという事が判明してきた辺りで首を傾げる事に。
キルの祖先はハムスター!? やばい萌える!? という本音はおいといてw
この国の創始者がアガシオンだとしたら、国の最初の統治者は男性。
始祖が男である以上は、女系の王家ではないと思います。
そして現在ではこのキルシュトルテ様が、どうも王位継承権の上位にいらっしゃるようです。
他の兄弟や、親族により上位の継承権持ちが居ないという描写は確認できませんでしたが……
多分この王女様、女性であると言うだけで相当苦労された経験があるんじゃないかと思います。
『この子が男の子なら良かったのに』とは、思春期以前から言われ続けると結構重い荷物になるのでは……
御家にとって嫡子が男か女かというのは、今からすれば馬鹿馬鹿しいかもしれませんが当事者達には大問題だったと思いますし。
この辺りに彼女が女色に染まって行く切欠があったら萌えません!? 主に私が!
男嫌いな王女様ですが、実はその正体がコンプレックスにあったら萌えだなーと勝手に妄想してました。
もう少し出番を増やしてあげられれば……orz

セルシア様

完全無欠なブラザーコンプレックス王子様。
プリシアナ学園で始めた私ですが、セルシア君が家族であるお兄様しか見ていないと感じた為に、学園内で薔薇っぽい雰囲気を感じることはありませんでした。
彼は男色ではなく、女性にも男性にも興味が無いんだろうなぁとw
その辺りの事は本編にも多少書くことが出来ましたが……
後に出てくる女魔王様の幻覚攻撃にも無反応でしたしね彼は。
彼は内面の一部分においては、まだ思春期すら迎えていないのではないかと思います。
ベコニアのラブレターイベントの裏事情の脳内妄想は、出力したかったなぁ……
まぁ兎も角、そんなアンバランスさが私の正にツボ!
本当に博愛主義天然培養王子様とか最高でした。
しかしそんな彼にもアンバランスさ故の矛盾に見える部分も幾つか感じられた所がありました。
まず彼、『プリシアナ学園の生徒会長』なんですよね。
その彼がどうしてドラッケンの学課を専攻していらっしゃるの……?
ああ、お兄さんもドラッケンの専門学科ですもんね。お揃いが良かったんだねとw
セントウレア校長先生は既に教師であり、自分の道を歩まれていても全然問題ないと思います。
でもうちの生徒会長なら、うちの学課で強くなれることを証明してください。
この辺りに、生徒会長としての彼とお兄さんを目指す彼の乖離を感じたのかな……
他校の学課に手を出す前に、自分の学校の教えで強くなろうと。
もう一つ気になったのが、自分の子飼いを卒業単位取得の窓口にしていた所です。
フリージア君が図書委員をしていて、卒業単位を獲得するためのクエストの斡旋を行っているということは……
全校生徒の履修度、習熟度が全部セルシア君に筒抜けになるんですよね。
クエストの最後には必ず『報告』が義務付けられていますから。
勿論セルシア君がそういう情報を集めている証拠はありません。
私個人はそういうことはしていない、と言いますか、彼は興味も無いと思います。
ですが、そう邪推も出来てしまう委員会配置をしているなぁと思っただけで。
この辺りをもう少しエルシェア嬢には突きまわして頂きたかったんですけどね……無理でしたorz
余談ですがエルシェアさんは本当に、本編では悪役に徹し切れませんでした。
このゲームに出てくるキャラクターは、本当に良い子達ばかり私のように汚れた人間には眩し過ぎました。
だからエルシェアさんには、此れくらい悪い方向に物事を捉える視点もある。
そういうことを考える奴もいるんですよと言って欲しかった……
偏に作者の未熟と甘さに拠るものだと思います。


>>三人娘+α

このSSにはゲームで作ったキャラクターの半分しか出せませんでした。
最初に書きました通り、私に紙面で六人と場合によっては敵までもを同時に動かすスキルはありませんで……
いや、実は登場だけはしておりまして、第1話でエルシェアをフルボッコにして渡り廊下でディアーネがすれ違った三人組がそのイメージでした。
もっとも此れはこのSS内での役として必要だから私刑を行っていただいたものであり、実際にゲームプレイ時に脳内妄想していた設定とは大きく異なります。
……と言う訳でして、非常に心残りなのでこの場をお借りいたしまして、誰も聞いていないだろう私の脳内妄想というか、残りのメンバー三人の紹介をさせて頂きたくw

(幻の)キャラクター編

エリザヴェード(ヴェド)  種族エルフ

お名前の元ネタは、銀河英雄伝説という小説の公爵様ご令嬢です。
黒髪のストレートで黒目。
愛称はヴェドちゃん。
某アルバムの発売後に、エリーゼとかエリザとか素敵な略称も付けられる名前なんだと気づいて衝撃を受けたのは良い思い出……
光術師を初めとする回復役として全編通して大活躍してくださいました。
元ネタと同じく大貴族のご令嬢の脳内設定。
農民が納め、軍隊が収め、貴族が治めるという思考に固執している。
それぞれの身分を役割と割り切って見下す事は無いが、ヒエラルキー上位で同級の存在が少なくなる程優秀なモノが君臨しなければならないと信じている。
その為平民だが天才であり、その才能を自分の持つ当然の属性として、当たり前のように無駄遣いしているエルシェアを蛇蝎の如く嫌っていた。
でも、勝てないw


メルシュ・ムー  種族バハムーン  

お名前の元ネタはロマンシング・サガのスキル(メイルシュトローム)より。
ディアーネ以上のガチ前衛としてツンデレ竜騎士の道を行く。
二刀流と超鬼神斬りで、メインアタッカーとして大活躍してくれました。
身長155cmと、バハムーンにしてはありえない程のミニマムサイズ。
青の長髪。
脳内設定では祖先にシーサーペントを持つ珍種。
爵位の無い下級貴族の家柄で、エリザヴェードの大親友。
温厚な性格で、熱しやすい親友を(腕力で)沈静化するポジション。
種族相性から妖精のティティスと仲が悪かった。


ティアナ   種族ヒューマン

お名前の元ネタは、有名な最強の凡人様。
しかし三回目でBP52を叩き出した強運の持ち主であり、このゲームに限って言えば凡人じゃなかったですw
勿論所属学科はガンナー→トリックスターでしたw
このゲームではガンナーが強い学課だったために特に挫折を経験することも無くパーティーの要であり続けてくださいました。
特に序盤、エルシェアのポジションが定まらず、前衛と後衛をうろちょろする度にその穴を埋めるように動いてくれたお方。
彼女が前衛の時の千鳥は平然と相手の列に歩いて行き、そのコメカミに銃口を押し付けて一発ずつ打ち抜いていくイメージでしたw
ティティスが賢者になった後は、宝箱の鍵開け要員としての重役を担うことになりました。
彼女が宝箱係りに就任した瞬間に、パーティー最強の敵は罠になった位解除は下手でしたがw
そんな立ち回りをしていたためか、脳内設定ではパーティーのバランサーとして、エル組みとヴェド組みと等距離を保っている印象があります。
彼女だけはパーティー内で唯一相性線を引いておらず、博愛主義を貫いている子。
ゲーム内ではビッグレオが良い銃を提供してくださったため、本当に強い子になってくれました。



以上裏三人娘でした。
……出してあげたかったな……特にティアナ……orz



>>語れなかった物語

個人的には、もう少し突いておきたかった箇所が残っております。
エルシェア嬢とリリィ先生の出会いや、ティティスがドラッケンに行った時エルシェアさんが誰と何をしていたかとか……
何かの間違いで、続編を書こうとか思ったときは確実書かないといけないんですがw
もしかしたら、サイドストーリーとしてその辺りを書き込むかも知れません。
なので、今回の完結は一応と言うことに。



長々と語ってしまいましたが、本当に限が無いのでこのくらいにw
また何かの機会で皆様の前に戻ってこれる日を夢見て、失礼いたします。
この度は3ヶ月に渡って娘達の冒険に付き合ってくださり本当にありがとうございましたー(*/□\*)






[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act1 前編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:f13ef8c7
Date: 2011/06/23 11:51
年の改まった元旦早々……
多くの学生が実家への帰省を果たして閑散としたプリシアナ学園の廊下を、一人の女生徒が歩いてゆく。
長身にしてメリハリのついた肢体を学生服で包み、その上から白衣を纏った少女。
美しい顔のパーツは整然と配置され人目を惹くが、何より目立つのは四枚の翼。
その背中と、長い薄桃色のウェーブ掛かった髪から対になって生えた翼が、少女が人在らざる存在であることを声高に主張しているのだった。
大陸に十ある種族の一つ。
天使の血を引き、信仰心に富み、絶対的な正義を重んじると言われる種族『セレスティア』。
高潔にして純真な性格とされる種族柄だが、この少女の相棒に言わせると、彼女は生まれてくる種族を間違えている。

「……はぁ」

冬の空気に吐き出された少女の吐息が白くかすむ。
その吐息とは対照的に、少女の翼は漆黒に染まっている。
それはこの少女が学園にあり、『堕天使』の学科を納めた証であった。
堕天使は誰ともすれ違う事無く目的の場所にたどり着く。
プリシアナ学園西校舎に位置し、学園最大の施設である大図書館。
多くの生徒が卒業単位取得の為のクエストを受講しに訪れる、学生達に取ってはある意味最も重要な場所であった。
大きな造りと、やはり比例して大きな扉を開ける。
魔法で暖気を生み出しているらしいその室内は、小春日和を思わせる温かさ。
しかし冷たい廊下を歩いてきた少女にとって、室内の空気はやや暑い。
堕天使は白衣を脱いで腕にかけ、扉を潜ると後ろ手に閉める。
小さな音だが、それは無音の図書館には異質なるもの。
少ないが決していない訳ではない、元旦早々から勉学に励む生徒達……
幾人かが少女の方へ振り向き、その姿を確認して視線を逸らす。
興味を満たして自分の目的へ意識を戻した生徒が半数。
明らかな畏怖の視線を隠すため、手元の本へ目を向けた生徒が半数。

「……」

瞬間的な映像を脳裏に焼きつけ、誰がどの視線をくれたかを吟味した堕天使は、自分の無意識にして過剰な反応に自嘲した。
少女は学園ではそれなりに有名であり、彼女自身もその事を自覚している。
この程度の視線を気にしていては、ストレスで胃に穴が開くことは目に見えていた。
自分自身の目的を果たそうと、蔵書の列へ踏み込もうとする。
しかし彼女は違和感を覚えて今一度館内を見渡した。
其処には数もまばらな幾人かの生徒が、自分の本を探している。
今は誰も堕天使を意識しているものは……

「……ん」

いた。
たった一人。
受付のカウンターで佇み、扉の前から動かない少女を真っ向から見据えた学生の姿。
痩身にして端整な顔立ちの少年。
特徴的な長い耳は、彼が『エルフ』の出身であることを物語る。
怜悧な雰囲気は感情を読ませぬ無機的な瞳のせいか。
はたまたその瞳を遮る眼鏡のせいか。

「いらっしゃいませ」

少女が声を掛けようとしたその瞬間、タイミングを外すように少年からかけられた声。
意識の空振りを余儀なくされた少女は愉快になれる筈も無く、その双眸がすっと細くなる。
エルフは自身の間の悪さに気づかない。
この場合はそれを察しろというのは酷な話であったろうが、とにかく第一声から堕天使のご機嫌は低空飛行だった。

「……何か御気に召さないことでも?」
「別に、何もありませんよ」

堕天使の声音は暗く、少年としては胃酸の量が増したことを感覚的に自覚した。
お互いの間に小さくない緊張が巡る。
こんなやり取りをするのは初めてではない。
決して親しくは無いものの二人は顔見知りであったし、年単位で前の事なら同じパーティーを組んでいたこともあったのだから。
髪をかき上げた少女は、意識して柔和な苦笑を作って声を掛けた。

「ごきげんよう、フリージア君。新年早々から、お勤めお疲れ様です」
「ごきげんよう、エルシェアさん。先日は忘年会の招待、ありがとうございました」

表情は動かさずに一礼したフリージアに、エルシェアは鷹揚に頷いた。
エルシェアは現在、相棒たる『英雄学課』の少女と、『賢者学課』に在籍している後輩の少女と、計三人のパーティーを組んでいる。
年末の『三学園交流戦』で見事優勝を果たした堕天使のパーティーは、準優勝だったこのエルフのパーティーを忘年会へ誘ったのである。
其処で両パーティーは相互互助の契約を結び、協力関係を約束した間柄であった。
未だ連携して日の浅い両パーティーに実績は無い。
そのため周囲の生徒はまだその連立を知らないが、明るみに出れば先程のような視線を受ける機会は更に増えるだろう。
近未来を予想し、少女の表情はやや曇った。

「何処か、お加減が悪いのですか?」
「未来に希望が持てないだけです」
「先を不安に思うのは、誰しも同じですが……」
「不安等ありませんよ。何となく、面倒くさいだけで」

歩きながら肩を竦めたエルシェアは、フリージアが佇む受付のカウンター前へやって来た。
本を読むのに邪魔な私物は、ある程度なら受付で預かってもらえる。
両手を塞ぐ白衣を少年に手渡す。
恭しく礼をしながら、少女の白衣を受け取る少年。

「本日はどのようなご用件で?」
「実はわたくし、新しい学課を始めてみようかなと考えておりまして」
「……新しい学課ですか?」
「はい」
「……七つ目ではありませんでしたか?」
「失礼な。八つ目です」

プリシアナ学園は冒険者の養成学校である。
若い人材に多くの技能を叩き込み、実戦を積ませる事によって一人前の冒険者へと成長させる事を目的とした学び舎。
当然ながら一つの学科を納めればそれで終わりということではなく、複数の学課を学ぶ生徒も多い。
しかし数だけをこなしても質が伴わなければ意味が無い。
一般的な生徒が履修するのは精々三つ。
四つこなす生徒は殆ど居ない。
それをこの堕天使は七つである。
そして今度は八つ目の学課に手を出そうと言うのだ。
フリージアは頭痛を覚えて額を押さえる。
堕天使の多彩な素質を褒めるべきか、節操の無さを嗜めるべきか、このとき判断がつかなかった。

「まぁ……実は正式に開講している学課ではないのですよね。だから独学になってしまいそうなのですが」
「どのような技能を学ぶのです?」
「メイドと、執事を少々」

エルシェアの返答を聞いたフリージアは、内心の違和感を表情に出さぬように意識する。
少なくとも彼が知る限り、目の前の堕天使が誰かに忠誠を誓うとは思えなかった。

「執事、メイド学課は数年前に無期限休講になってそれきりでしたね」
「はい。ですから、当時の教科書や資料を借りて、自分で何とかしようかなと」

メイドや執事と言うものは、仕える相手ありきの職業。
一応は学課として認められ、習得すべき技術や魔法は定められているのだが、いかんせんなり手が少ない。
よって学園側はこの学課を一時的に閉鎖し、現在ではこの道を学ぶものは殆どいない。
数少ない例外がこの少年。
彼は大陸屈指の名家、『ウィンターコスモス家』に仕える執事の一人であった。

「当時の資料でしたら、東の百五十七列目の奥から三つ目の本棚の上半分がそうだったと記憶しております」
「……もしかして、何処にどの本があるか全部暗記していらっしゃいます?」
「その本は私も良く使うので正確に記憶しています。それ以外では、大まかな分類でおおよそ此処……と言う辺りまでしか覚えておりませんね」
「十分です。ありがとうございます」

微笑と共に一礼し、堕天使は踵を返して目的地へ向かう。
そんな少女の後姿を見た少年は、ある事を思い出して呼び止めた。

「エルシェアさん、少しよろしいでしょうか?」
「はい?」

肩越しに振り向いた少女は、やや逡巡するようなエルフの様子に内心で首を傾げる。
常に表情を殺して主の冷静な執事である事を旨とする彼には、珍しい事であった。
程度は分からないが、真剣な話のようだと身構えた少女。
過ぎ掛けた足を完全に止め、体ごと再び向き直った。

「実は、近々大陸中の執事、メイドの技を競う競技会が開催されるのです」
「へぇ……それは存じませんでしたね」
「関係者以外には興味を持たれる方も少ないでしょう。それを志すものに取っては、大きい大会なのですが」
「なるほど。知る人ぞ知る……と言った大会のようですね」
「はい。その競技会では、執事やメイドの仕事に興味を持ってもらおうと、体験コーナーの様なものもあるのです。此れが中々に好評なのですよ」
「……」

エルシェアの瞳が細くなり、真剣な面持ちで話を聞く。
少女には既にフリージアが言いたい事を大まかに察することができた。

「その体験コーナーと言うのは……貴方から見てどうなのですか?」
「完璧な初級講座です。基礎中の基礎を、しかし間違いの無いことを教えています」
「……いいですねそれ」

堕天使の口元が笑みの形に吊りあがる。
エルシェアは過去の資料をもとに、基礎から独学を始める心算であった。
しかし基礎とは絶対に間違えてはいけない部分であり、現在その道の知識が全く無い少女にとっては些か不安な所でもある。
その執事競技会で基礎を固めることが出来るなら、願っても無い事であった。

「流石に、最初の一歩から独学で歩み始めるのは不安もありましたし……この際はその競技会を楽しみに待つとしましょうか……」

呟くような少女の言葉。
聞いた少年は一つ頷き、彼にとっての本題に入る。

「では……今後しばらく、貴女の予定は空いたと思ってよろしいでしょうか?」
「ん? ……そうですね」
「……実は、貴女に一つ頼みごとがありまして」
「え!?」

エルシェアの脳裏で忘却したい過去が再現される。
かつて一度、堕天使はこの少年の相談に乗ったことがあった。
それは非常に重い内容の難題であり、後味の悪い出来事だった。
少女の脳内に、その事が原因で学園を去った同期生の後姿が蘇る。

「……惚れた腫れたの関係でしたら、今度は辞退したいのですが?」
「あれ以来、処理に困る事は起こっておりませんよ……幸いな事に」

フリージアもエルシェアと同じ件を想起したらしく、その表情は冴えなかった。
二人は同時に息をつき、思考を今の話に戻す。

「話を戻しますと、わたくしもその競技会に参加します。ですが此処で、少し困ったことがありまして」
「はい?」
「執事の必須技能の料理項目で、私は主たるセルシア様に、今回新たな創作料理をお出ししようと決めておりました。しかしお恥ずかしい事に、その材料を発注した業者と連絡の行き違いがありまして……」
「材料、足らないのですか?」
「はい……自ら調達しようにも、私はセルシア様のお傍を離れるわけに行かず、かと言ってこの件でセルシア様のお手を煩わせる訳にも行かず……」
「主人に使用人が調理する食材を自分で集めさせるのは、論外ですよね」

その行為の滑稽さがつぼにはまったらしいエルシェアは、声を立てないように笑った。
口元を隠し、俯いて体を震わせる少女の姿に苦笑した少年。
フリージアはエルシェアが落ち着くのを待ってから続けた。

「いかがでしょうか? 非常に心苦しいのですが、その材料集めを引き受けてはいただけませんか?」
「暇そうな蜥蜴が一匹、其方のお友達にいませんか?」
「……バロータに頼むと、料理のおおよその内容がセルシア様に伝えられてしまう可能性がありまして」
「……ありそうですね」

二人は共通の知人たる竜族の少年を思い出す。
彼は口の軽い男であり、せっかく始めての料理を主に振舞いたいフリージアにとっては、なるべく今回の件からは遠ざけておきたい存在であった。
バロータは格闘学課を専攻しているが優秀なパティシエでもあり、材料からフリージアの作ろうとしているものを推察してしまうかもしれない。
そう考えたとき、フリージアの中でバロータに頼むと言う選択肢は、あくまでも最後の手段にならざるを得なかった。

「明確に引き受ける前に確認しておきたいのですが、材料は直ぐに手に入る物なのですか?」
「貴女方のパーティーであれば直ぐに手に入るモノが一つと、少し手間の掛かるかもしれないモノが一つですね」
「モノは?」
「『三色団子』と『ヒレ酒』です」
「ん……? それ、両方ともディアーネさんが持っていたような……」
「おお?」

エルシェアは同じパーティーの相棒である、悪魔の少女を思い出す。
体育会系な思考回路の所有者であり、大よそ悪魔らしからぬ陽気な性格。
人畜無害な笑みで凶悪な大剣を振り回す、英雄学課首席の『ディアボロス』。
一般的にはセレスティアとの種族相性は最悪と言われているが、エルシェアはこの悪魔を心底気に入っているのだった。

「ええ。やっぱり間違いありません。だって昨夜、彼女の部屋で両方美味しく頂いたし」
「貴女に最早学生の倫理や常識を問おうとは思いません。無駄ですし。ですが一言だけ、今の発言を聞いて言わせていただきたいのですが?」
「ええどうぞ? その一言で、見事私の膝を折って御覧なさい」
「夜酒は過ぎると肥えますよ」
「ぐふっ!?」

思わず本当に膝を折りかけたエルシェアは、下が床であることを思い出して気力で堪えた。
この堕天使は女性としての発育に恵まれた体型をしている。
容姿も自他共に認める美形なのだが、最近はやや目方が増加傾向にあるのがひそかな悩みであった……
勝ち誇るでもなく常の無表情で少女を見据えるエルフ。
エルシェアは無意識に自分のお腹に手を当て、氷点下の視線で睨みつける。
しかしどれだけ視線を凍てつかせようと、涙腺から滲む涙は凍ってくれない。
そして半分涙目で睨みつける少女の視線は、本人が思っているほどの圧力は無かった。

「……いいでしょう、今回は負けを認めることも吝かではありません」
「では、勝者にはご褒美があっても良さそうですね」
「ディアーネさんに分けていただける様にお願いしてみます……という事で、よろしいですか?」
「ありがとうございます」

フリージアは深々と頭を下げる。
そして先程受け取った白衣をエルシェアに差し出すと、少女は憮然とした顔で受け取った。
白衣の前は閉めず、腕だけ通してはおった少女。
無言で退出するエルシェアに、フリージアは声を掛ける。
彼にしては珍しく、からかいの篭った声色で。

「今回のお礼として……」
「……」
「お礼として、セルシア様にお出しした後ですが、私の新作料理をご馳走しますよ」
「……いりません。太りますから」

覇気の無い声音で呟き、肩を落として歩く堕天使。
セレスティアは飛べる筈だが、態々歩いているのは少しでもカロリーを消費するためか?
そもそもセレスティアは種族柄かなり軽い生き物なのだが、年頃の少女に取ってはそんな事は関係ないらしかった。

「ねぇ、フリージア君」
「は?」
「オ ボエ  テ オ   キナ     サ イ」
「ッ!?」

地の底から響くような呪詛を残し、黒翼天使は図書館を後にした。



§



エルシェアのパーティーは、現在全員がプリシアナ学園に集まっている。
身内の誰も実家に帰らない事に苦笑した堕天使は、遠慮なく学生寮の相棒の下へ向かった。
扉をノックすると、中からは堕天使と同程度に長身の酔っ払いが迎えてくれる。

「おー。エルだー。エルが三人ー……あれ、五人? 増えた……うぃっく」

漆黒の髪を真っ直ぐに背中まで伸ばし、エルシェアに比べると肉付きの薄い身体を学生服に包んだ少女の名はディアーネと言う。
どちらの体型に魅力を感じるかは見る者の趣味で変わるだろうが、先程のエルフとの会話で傷ついた堕天使は細身の悪魔が羨ましかった。
機嫌の良いディアーネに誘われて入室したエルシェアは、今一人先客がいた事を此処で知る。

「あー……エルせんぱーいだー」

満面の笑みでそう言ったのは、エルシェアのパーティーメンバー最後の一人。
賢者学課に在籍しつつ盗賊技能を学んだフェアリー。
長い金髪と碧眼の少女であり、種族柄の特徴として身長が百センチ強しかない。
妖精は堕天使の入場にケタケタと笑い、手にしたワンカップをクイッと干した。
すっかり出来上がっている後輩妖精の名は、ティティスと言った。

「この、アホの子は……っ」

妖精の手にしたカップの中に種別不明の魚のヒレを見つけた堕天使は思わず泣き崩れそうになったが、今はまだその時ではない。
背後から、やはり酒面の悪魔が三色団子を手にやってくる。
堕天使は悪魔がお団子を口元に運ぶ作業を神速の左フックで中断させ、とりあえず酒盛りに終止符を打つ。
三色団子を間一髪保護したエルシェアは、再び妖精に視線を戻す。
其処には最後のヒレをお煎餅の如くポリポリと齧る後輩がいた。
よりにもよって、入手が面倒な素材が無くなったのは最早お約束と言うべきか。
頭を抱えたエルシェアは催眠魔法でティティスを寝かせると、その足で購買部に直行する。
高額の為あまり使いたくなかった『飛竜召喚札』を一枚購入し、悪魔の部屋に急いで戻る。
其処にあるのは意識を無くした仲間達が、幸せそうな寝息を立てている光景。
思わず踏み抜いてやりたい衝動を堪えた堕天使は、問答無用で飛竜を呼び出し強制拉致に踏み切った。
行き先は山岳の街『ノイツェハイム』。
街の中央に突如降り立つ飛竜に人々は驚きの視線を向ける。
しかし降りてきたのが冒険者養成学校の生徒であることが分かると、何事も無かったかのようにそれぞれの生活に戻っていった。
このような事は、この世界の町に住む者であれば日常茶飯事である。
堕天使はいまだ寝こける相棒と後輩を驚異的な腕力で抱え上げ、最寄の宿に連れ込んだ。
三人部屋が無かったため、四人の大部屋をとりあえず借りきり、宿の女将さんが呆然としているうちに部屋へ直行。

「起きなさい」

備え付けの風呂場に放り込まれた悪魔と妖精は、桶いっぱいに張られた真冬の水を頭から被る。

「ひぎぃ!?」
「ぴぎゃ!?」

心地よい酔いの果てに貪る惰眠から、強制的に現実へ引き戻された二人の少女。
ディアーネもティティスもそれぞれに周囲を見渡し、満面の笑みで怒る堕天使の姿を発見する。
悪魔と妖精は、この時二つの思考においてシンクロした。
一つは、いきなり頭から冷水をぶっかけると言う悪逆非道を行ったのはこの堕天使に違いない事。
そして今一つ……

―――今のエルシェアに逆らってはいけない

「目、醒めましたか。ディアーネさん?」
「イエスマム!」
「そうですか。所で、貴女のお部屋でティティスさんが酔っ払っていましたね? 私、忘年会の時、ティティスさんにお酒を勧めるのは止めてくださいと言いました。何故でしょう?」
「はい! 妖精は体が小さく内臓も弱いため、私達と同量のアルコールでも体に溜まる比率が高くなるからであります!」
「覚えていてくださって嬉しいです。にも拘らず、ティティスさんが酔い潰れていた事への釈明は?」
「いや、ほら、美味しいヒレ酒だったから、私とエルだけで飲むのは忍びない! ティティスちゃんにも、是非大人の味を教えてあげるのが先輩の役目と――」
「あぁ?」
「すいませんでしたっ!」

土下座したディアーネから、座り込んだまま脅える後輩に視線を移すエルシェア。

「ティティスさん?」
「はいっ」

びくりと身体を震わせる妖精に、堕天使は自らもしゃがみこんで目線を揃える。
このような時でも、いや、このような時だからこそ上から見下ろして話すべきではない。
そう考えるエルシェアに呼応するように、ティティスは脅えながらも堕天使を見つめる。
相手に聞く準備が出来たことを理解したエルシェアは、深い息を吐きながらお説教を始めた。

「飲酒自体を咎める心算って無いんですよ? 私も、ディアーネさんもやっていますし」
「……はい」
「ですが、アルコール濃度の高いお酒がフェアリーの体質には合わないこと……此れは貴女の方がよく知っていますよね?」
「……はい」
「その上で飲む、飲まないは貴女の自由ですが……貴女は私と約束をしてくれましたね。強いお酒は控えると」
「……」
「その約束を蔑ろにした事については、貴女を咎めたいと思います」
「……ごめんなさい」

しょぼくれるティティスは小動物に通じる愛らしさがあった。
反射的に抱きしめたくなったエルシェアは、心に三重の鍵を掛けて衝動を自制する。
一つ目の鍵がはじけ飛び、二つ目の鍵に亀裂が入り……
危うく手を出そうになった所で悪魔の少女が割り込んだ。

「ごめんエル! 私が推しちゃったから……」

堕天使はやや気まずそうに言ってきた悪魔を一瞥し、泣きそうになって落ち込む後輩に視線を戻す。
それを三回ほど繰り返した後、エルシェアは後輩の頭に手を置いた。

「大人になると言う事は、自分の酒量を弁える事だ……なんて言う方もいらっしゃいます」
「……」
「今後は、初級の催眠魔法に抵抗できなくなる程の深酒は、控えることをお勧めしますよ」
「はい」

はっきりと頷いたティティスに微笑し、堕天使は相棒に向き直る。
ディアーネはエルシェアの表情が戻った事を感じて安堵した。

「ところで此処何処っす? 後エル、メイドになるって言ってたよね? 帰ってくるの早かったけど収穫あった?」

首を傾げつつも周囲を見渡すディアーネは、とりあえず思いついた疑問を端から投げる。
堕天使は苦笑しつつもその一つ一つに答えていった。
フリージアから語られた内容を今一度説明し、ヒレ酒と三色団子を探していること。
団子は間一髪で保護したが、ヒレ酒が手に入らなかったこと等。

「じゃあ、その執事競技会の体験コーナーで基本は教えてくれるんだね」
「はい。基礎さえ固めることが出来れば、後は自分で必要な部分を煮詰めていくだけです」
「本当に、教え魔の先生方にとっては鬼門だよね。エルのスタンスは」
「どうせ私は可愛げも教え甲斐も無い、駄目な生徒ですよ」

拗ねた振りをしつつそっぽを向いた堕天使に、悪魔と妖精は顔を合わせて苦笑した。
二人は今更エルシェアに方針変更など求めない。
ただ器用に見えてその実、不器用な堕天使が少し心配なだけである。

「まぁ、そういう訳でして……耳寄りな情報をくれたフリージア君に、多少の義理を返そうかなと思った訳です」
「エルにしては珍しく殊勝な心がけっすねー」
「単にフリージアさんに借りを作りたくないだけのような……」
「一応、ティティスさんが正解ですね。他にも動機はありますけど」

半眼できっぱりと告げる堕天使の脳裏に、少年の端正な顔が思い出される。
同時に年頃の少女に向かって、肥える等とほざいた事もうっかりと思い出してしまう。
フリージアにしろセルシアにしろ、本当に女性の扱いが分かっていない。
エルシェアが重い溜息を吐いたとき、今度はティティスが声を掛ける。

「ヒレ酒は、此処にあるんですか?」
「恐らく売っていると思います。まぁ、お使いだけなら私一人で来ても良かったんですが……」
「先輩、何か思うことでも?」

無邪気に聞いてくるティティスに対し、エルシェアは反射的に本音を吐露しそうになる。
彼女はどうせ新年を暇に過ごしているのなら、この機会に新たな街を三人で見て回ることに魅力を感じていたのである。
しかし天邪鬼な堕天使は素直にそう認めることを癪に思い、口に出したのは別のことだった。

「いいえ? 私がお勉強している隙に、楽しそうにお酒を飲んでいた貴女方への嫉妬と意趣返しに巻き込みました」
「そういえば、此処って何処っすか? さっきも聞いたけど」
「あぁ、その質問に答え忘れていましたね……ノイツェハイムの街ですよ」

答えを聞いて反射的に納得しかけたディアーネだが、半瞬の間を置いて首を傾げた。
やっと思考から酒が抜けてきたらしい悪魔の少女は、脳裏に大陸見取り図を描きながら聞き返す。

「ノイツェハイムって山っすよね?」
「はい」
「ヒレ酒って海に近いところで作るもんじゃない?」
「一般的にはそうなのですが……」

其処で一度言葉を切り、溜めを作って相手の興味を惹き付ける。
ディアーネがやや身を乗り出してくる。
堕天使はにっこり微笑むと、相棒の耳元で囁いた。

「此れは極秘情報なのですが、この街には幻のヒレ酒があるらしいのです」
「ほう!?」

反射的に食いついてきた相棒。
予想以上の勢いに若干退きながら、エルシェアは続ける。

「この地には『水に守られし宮殿』という古い迷宮がありまして、其処で取れる魚のヒレを使ったヒレ酒が、秘蔵の地酒として有名……ではありませんね……この街の市場にしか出回りませんから。でも美味しいということです」
「あの……エル先輩は、どうしてそんなお酒をご存知なんですか?」
「リリィ先生は大変な地酒通でいらっしゃいます」

再び顔を見合わせた悪魔と妖精は、楚々たる美人といった風貌のリリィの姿を思い浮かべる。

「うっわ……」
「あーぁ……」

自棄酒を飲んだくれて潰れているイメージが良く似合った。
生徒と地酒の話をする教師という点に突っ込む者は、残念ながらこの場に居ない。

「なので、リリィ先生へのお土産を仕入れて媚を売ろうと思ったのが一点」
「自分で飲むんじゃないっすか?」
「ティティスに飲むなと言った手前、今回は諦めますよ。そしてもう一点……実はこっちが本命だったりするのですが」
「お?」
「セルシア君に壊された『シックル』、買い直しておきたかったんですよね……此処は良い鉄が出る街ですから」
「ああ、交流戦で武器破壊されてたっけ」
「えぇ、困ったものですよ。とりあえずお二人はそのまま、酔い覚ましにお風呂に入っていらっしゃい。このままだと風邪も引きそうですし」
「うぃっす」
「分かりました」

苦笑したエルシェアは、話は終ったとばかりに脱衣場のほうへを出て行った。
この後は三人で、初めての街を観光する事になるだろう。
思わぬイベントにはしゃぐ妖精を尻目に、悪魔の少女が苦笑する。
きっとお買い物の荷物持ちは、ディアーネの仕事になるに違いなかった。



§



山間の街であるノイツェハイムは、近郊に鉱山を持つ街である。
発掘された良質の鉄はこの街に運ばれ、腕の良い職人に加工される。
中でも冒険者御用達の武器防具の種類には定評があり、隣接するドラッケン学園の購買部とは専属契約を結んでいる店もあった。
エルシェア達が訪れた交易所は武器防具は勿論、食料品や一部薬品まで取り扱っている一般冒険者向けの販売店である。

「いらっしゃい、プリシアナのお嬢ちゃん」

店番をしている老齢のクラッズの旦那が愛想良く声を掛けてくる。
この種の店を営むのであれば、お得意様になる冒険者養成学校生の事は良く知っているのだろう。
三人とも学生服を身に付けているため、どの学園の所属かは直ぐに分かる。
堕天使は店主に、やはり愛想良く応えた。

「お邪魔しますご主人。新年早々からご精が出ますね」
「嬢ちゃん達もねぇ」

エルシェアを先頭に入店した三人娘は、真っ直ぐにカウンターへ向かう。
武器防具の類は非常に高価なため、盗難防止の意味もあり普通店先には陳列しない。
この店も例外ではなく、ざっと見渡す限りに物騒な品は置いていなかった。
もっとも冒険者が使う交易所の店主ともなれば、殆どが若かりし頃、自らも冒険をやっていた猛者である。
駆け出しから引退までを生き抜いた彼らは生半可な事で盗難など許すはずも無く、その様な無謀な行いは、店の主の武勇伝を増やすだけなのだが。

「此れを、見ていただきたいのですが」
「ん……」

エルシェアは主人に、交流戦で切られたシックルを差し出した。
受け取った店の主人は神妙な面持ちで刃部分の傷や、切り離された断面を観察する。
一頻り見終わった店主だが、やや不思議そうに聞いてくる。

「此れはうちがドラッケンに委託して売ってもらっていたやつじゃの」
「あ、そうだったんですか……其処までは存じ上げませんでしたが、良い品でしたので愛用させていただいておりました」
「ありがとう。じゃが此れは、同じモノの新品を買いなおすのかい?」
「はい。その心算です」
「んー……」

老クラッズは首を傾げ、エルシェアを見る。
そして背後に控える仲間らしい少女達に視線を送る。
たった三人と言う最小限の人数構成。
重い鎧の類を一切身に付けず、学生服を基調として整えられた装備品。

「……」

学園指定の学生服を脱いでいない生徒は、大きく分けて二種類ある。
一つは完全な駆け出しであり、支給品以上の装備を用意できない者。
今一つは既に学生の域を脱しつつあり、身を護る防具に自分の趣味を優先させる事が出来る者。
学生服の上に白衣を着込んだ堕天使に、同く制服の上から『千早』を纏った悪魔の少女。
妖精の少女は、何か特別なものを着込んではいない様に見えるが……
学生にしてはかなり鍛えこまれている雰囲気が、このパーティーが駆け出しではない事を教えてくれる。
しかし素人でないのなら、このような時に買い直しを選んだりしないはずなのだ。

「此れね……いや、うちも商売だから買ってくれる分にはありがたいんだけどさ……」
「はい?」
「これだけ綺麗に『廃品』にされたなら、そのまま『練金』した方が、ぶっちゃけ費用も格段に安く済むぞい?」

各学園には標準設備として『実験室』なるものがあり、其処では武器防具、または薬の調合等が出来る練金施設がある。
多くの生徒達は高額な装備を直接買うより、練金書を買ってレシピを調べ、材料を集めて自分で作る。
手間は掛かるものの、店頭販売している装備との差額を考えると大幅なコストダウンが見込めるのであった。
店主の言葉に苦笑したエルシェアが答えようと口を開く。
同時に背後から白衣の裾を引っ張られた。

「ねぇねぇ」
「――何ですか、ディアーネさん?」
「練金って何?」
「……は?」
「なぁに?」

プリシアナ学園英雄学課首席の少女から飛び出した爆弾発言に、完全に凍りつく一同。
店主は自分の見る目が間違っていたかと疑い、堕天使はもう片方の仲間に驚愕の視線を送る。
エルシェアの視線を受けたティティスは思い切り首を横に振り、堕天使の疑惑を全力で否定した。

「……ティティスさん」
「はいっ」
「其処のアホの子に、練金の何たるかを教えてあげてください。大至急、店の外で」
「ちょっとエル!? アホの子って私っすか!」
「ディアーネ先輩、ちょっと外、出ましょうか」
「ティティスちゃん!? 何その可哀想な子を見る目は!」

このままでは学園の恥になると判断した堕天使は、店主に愛想笑いを向けつつ相棒を退場させる。
ティティスが黙って従った所を見ると、大よそエルシェアと同意見のようだった。
悪魔の少女も非力な妖精に抵抗せず引き摺られて行ったからには、とりあえず大人しく練金初級講座を受けてくれるだろう。

「……待ちな、嬢ちゃん」

店主はカウンターから何かを取り出し、苦笑しながらティティスに放る。
それは全ての学園で始めて練金を学ぶ者に支給される非売品。
その名を『お試しぱちんこ』と言った。

「ご主人?」
「わしはドラッケンの出でね。それ、使っておくれ……ルールだから」

お試しぱちんこを受け取ったティティスは、深い溜息と共に深々と頭を下げた。

「ご主人の温情、感謝の言葉もございません」
「斜向かいの薬屋に、簡単な練金設備があるからの」

微妙な表情の老クラッズと堕天使に見送られ、妖精と悪魔の二人は練金の基礎を勉強に向かう。
概要だけなら数分で終るだろう。
彼女らの姿が見えなくなった時、エルシェアと主人は深い溜息を吐く。

「どうも……お見苦しい所を……」
「いや……何とかと天才は紙一重って言うけどアレは大物の方だろうね」
「そう思います!? 流石店主様お目が高い。わたくし、彼女は何時かブレイクするだろうとその日を心待ちにしておりまして……」
「もしかして、惚気られてるのかの?」
「中々、他人様に自慢する機会が無いものでして」
「ご馳走様」

やや引きつった笑みでエルシェアの身内自慢をかわそうとする店主。
堕天使も、この手の話題を客にされても困るだろうことは承知している。
直ぐにトーンを元に戻し、ついでに会話も元に戻す。

「とりあえず、こっちのシックルの廃品を下取りして頂いて、新品を買いなおしたいのですが?」
「練金しなくて良いんだね?」
「はい」

店主は頷くと、奥の部屋にある倉庫に一旦下がる。
直ぐに新品を用意したクラッズは、堕天使に品を手渡しながら尋ねた。

「何か、理由があるのかい?」
「壊れたものを無理に使い続けると、縁起が悪い気がしまして」
「あぁ、稀にそういう冒険者もいるねぇ」

堕天使の回答に一応の納得を示した店主。
その目の前でエルシェアは、受け取った鎌を丹念に確認する。
特に少女が見ているのは、柄と刃の接続部と全体の重心。
腕のみならず指と指の間まで使って振るうエルシェアにとって、得物の重心が何処にあるかは近接戦闘で使える戦術を大幅に左右するのであった。
エルシェアは店主から少し離れると、柄部分を右手の人差し指と中指の間に挟む。

「んー……」

そのまま高速で挟む指を中指と薬指へ、そして薬指と小指へと移して行く。
ペンを弄ぶ要領で指を動かし、その度に鎌は複雑な軌道で少女の周囲に無数の斬撃を展開する。
店主は知識として堕天使学課を専攻するものが、鎌の扱いが得意である事を知っている。
だが目の前で披露された刃の乱舞は、経験豊富な彼にしても珍しいモノだった。
初見ではなかったはずなのだが、以前その技を見たのは何時だったか?
老クラッズの脳裏に懐かしい、自らの学生時代の記憶が蘇る。

「―――先生?」
「ん?」
「あぁ……昔、その鎌の使い方を見た事があっての」
「……なるほど、店主様はドラッケン学園にいらっしゃったのでしたね」

答えながらも鎌は止めない。
エルシェアは一度だけ店主を流し見、記憶の回廊を逆走する老人を見つけた。

「お嬢ちゃんは、カーチャ先生のお弟子さんかい?」
「あの毒婦を師と呼ぶのは不本意ですが……」
「毒婦か。そうさの……清純とは、とても言えない人だった」
「昔からそうだったのですか?」
「ああ、きっと、あの先生は変わらんだろうね。昔も、そして今も、面倒くさそうに完璧な指導を為さっているんじゃろう」

どうやらこの老人は、本当にカーチャを知っているらしい。
ごく最近まで彼女にしごかれていたエルシェアとしては、なんとも妙な心地になる。
堕天使は息を吐き、やや強引な話題の変換を試みた。

「実は」
「お?」
「実は私も、あの娘の事を笑えなかったりするんですよね」

エルシェアは鎌を繰り続ける。
最早とても流しとは言えない真剣な乱撃。
刃の軌道は傍で見る者に取っては複雑怪奇な印象を与える。
対峙する敵からすれば、鎌という武器の特殊な形状も相まって、殆ど刃を認識できずに切り刻まれる事だろう。

「最初の練金の講義に失敗しまして……わたくし、学校の実験室は出入り禁止にされているんです」
「おや……」
「お試しぱちんこを頂いて、バラすまでは出来たんですが……」
「直らなかったのかい?」
「ええ。元に戻せませんでした」

苦笑したエルシェアは鎌を止め、礼を言って代金を支払う。
客がお気に召したらしい事に内心で安堵した店主は、恐らく才能の偏った学生達なのだろうとあたりをつける。
この少女達は多くの生徒が行う一般的な練金など、必要としないだけの何かを持っていた。
それ故、逆に基本的な知識を学ぶ機会を持てなかったのだろうと。
しかしエルシェアが苦笑と共に語った言葉は店主の予想を再び超えた。

「普通に合成した筈だったんですけどね……何故か携帯用カタパルトって言いますか、キャノン砲みたいなパチンコが出来ちゃって」
「はぁ!?」
「ちょっとした悪戯の心算で、私は手元にあるのがお試しぱちんこだと思っていた訳ですから、錬金術師学課の先生を狙って撃ってみた訳ですよ」
「……人にむけて撃っちゃいかんよ?」
「そのお言葉、もっと前に頂きたかったです。まぁとにかく反動が凄くて手元が狂って、結局先生には当たらなかったんですけれど。実験室の壁に大穴空けちゃいました。最近の学校は、設備が脆くて嫌ですよねぇ」

当時の様子を思い出し、懐かしさと共に気恥ずかしさを覚えたエルシェア。
そのほろ苦い微笑を呆然と見ていた店主だが、直ぐに入店してくる二つの気配に正気に戻った。

「戻ったよエル。いやぁー、凄いね練金! 戻ったら私も本格的にやってみよう」
「成果は上々のようですね」
「いいえ、あの……ディアーネ先輩、お試しぱちんこ壊しちゃったんですけど……」
「え、これ違うの?」

悪魔が差し出したパチンコは、明らかに原型を留めていなかった。
それは『奇跡のぱちんこ』と呼ばれる勘違いの産物。
かつてエルシェアが生み出したモノと全く同じブツが、今その相棒の手に拠って再現された。

「ディアーネ先輩、どうやったらそんな魔改造出来るんですか!? お試しぱちんこで家の壁粉砕するとか在り得ないんですけど」
「え、ティティスちゃんと薬屋のおばちゃんが教えてくれた通りに分解して、合成したらこうなったんだけど……」
「私そんなレシピ知りません!」
「ふむ、ディアーネさんがやってもそうなりましたか」
「あ、エルもこうなるよねやっぱり。ほら、じゃあ此れで合ってるんだよ」
「エル先輩も!?」
「私も始めての練金の講義では此れを作ったものです。懐かしい……所で、お店の壁どうしました?」
「それは『メタヒール』したら戻りました。回復魔法って壁とかも直せたんですね」

この妖精も、何やら在り得ない事を平気で言った。
最早何が普通で何がおかしいのか分からなくなりつつある老店主。
考え込んでいた彼は、三人娘に尋ねて来た。

「プリシアナのお嬢ちゃん達、お名前を伺っても良いかな?」
「ディアーネっす」
「あ、ティティスです」
「エルシェアと申しますが、何か?」

素直に応える三人娘に店主は深く頷いた。

「いや、ありがとう。覚えておこうと思ってね……何時か冒険者としてその名前の噂を聞いたとき、今日を思い出せるように」

店主の言葉に、それぞれの顔を見合わせた少女達。
その発言は自分達を認め、期待をしてくれたのだと気づいて最初に反応したのは悪魔の少女。

「ありがとうございます。何時か、きっと三人でそうなって見せます」
「ああ。楽しみにしているよ。頑張ってな」

ディアーネは店主と握手を交わし、先程借りたパチンコを返却する。

「此れお返しします」
「良いのかい? 此れはもう商品価値すらある立派な武器だが」
「元々おじさんのだし」

そう言ってパチンコを手渡すディアーネ。
店主は二人の仲間を見るが、特に気にしている様子は無い。
その間に、エルシェアは購入したシックルを白衣の下に収めた。

「それでは、失礼いたします」
「お邪魔したっす」
「お騒がせして申し訳ありませんでした」

それぞれに別れの言葉を残して去った三人娘。
一人店内に残った主は、ディアーネの生涯最初の練金作品を手に取り呟いた。

「天才か……?」

それなりに長く生きてきた店主は、それが軽々しく使って良い言葉ではない事を良く知っている。
しかし人生の終盤を迎えてから、その常識を覆す才能を目の当たりにした時、他にどのような言葉を用いるべきか分からなかった。

「……」

冒険者は流れ行くもの。
もしかしたらあの少女達とは、二度と会うことは無いかもしれない。
店主は物寂しさを感じ、ポケットから煙草を取り出し……
火をつけずに箱ごと、屑篭へ捨てた。
酒も止めようかと考える。
後十年、彼は生きてみたくなった。

「さて、どんな冒険者に育つ事やら」

センチメンタルな呟きが、無人の店にとけ消える。
老クラッズと三人娘の再会は数分後。
後輩妖精が目的のヒレ酒を買っていない事に気がつくまで、年老いたクラッズの感傷は続くのであった。


§


後書き



お久しぶりでございます。
天使と悪魔と妖精モノ。外伝の前編を、此処にお届けいたします。
お前なんぞまってねーよという方も、体感時間にして5万年まったぜという方も、我慢大会だと思って読んでくださると嬉しいですorz
扱いは外伝ですが、時間軸では最新話になります。
三学園交流戦を終え、一気に増えるサブクエストを消化して行く彼女達の一幕。
原作にもある冥土、執事学課解禁の為のクエストを題材にしたお話で、恐らく後編も此れくらいの分量になるかと思います。
今しばらく、耐久レースと思ってお付き合いくださると嬉しいです。
後編ではこのイベントの個人的な思い出も色々語りたいので今はこの辺にして置きます。
それでは、此処まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたー(*/□\*)




[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act1 後編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:f13ef8c7
Date: 2011/07/02 13:43
交易所の老店主と少し気まずい再会をした三人娘は、『釣竿』を三本と餌を購入して『水に守られし宮殿』にやって来た。
店主の情報に拠れば、幻のヒレ酒の材料は『オルカブレード』と呼ばれる魔物魚の背びれ。
それは、かの魔物が身を護るために進化の過程で磨き上げた、まさに凶器と言っても過言ではない部位であった。
一応根魚に分類されており、水底を走り回る事で知られている。
こいつが魔物と呼ばれる理由はただ一つ。
水が無い陸地も、構わず走り回るのだ。
近年ヒレ酒はその材料を入手するためのコストが掛かりすぎ元手が取れず、ノイツェハイムの中でも殆ど出回っていないらしい。
交易所にも在庫は無く、少女達は仕方なく素材集めから始めることにしたのである。

「そりゃ、廃れるよね。なんせ釣りの餌からしてステーキ用牛肉だっていうし」
「これ、ボウズに終ったら大赤字ですねぇ」
「まぁまぁ先輩方、そこはフリージアさんに必要経費として請求すればいいのです」
「流石は我が後輩ですねティティスさん。発想が私の好みになってきました」
「ありがとうございます!」
「あぁ……ティティスちゃんの羽まで黒く見える……」

さめざめと泣く悪魔には目もくれず、愉快気に笑い合う堕天使と妖精。
ティティスにとっては愛する先輩二人とそれ以外の人間には明確な差異があり、その扱いの落差は傍から見ると恐ろしい所がある。
極論すればこの妖精に取っては、エルシェアとディアーネが居れば良い。
ティティスには今少し、視野と興味を広く持って欲しいというのは、堕天使と悪魔の共通した思いである。
出来れば外に友人を見つけて欲しいと思うのだが、それはティティス自身が決めていかねばならない事だ

「それにしても、歩きにくいなぁ此処」
「ディアーネ先輩、大丈夫ですか?」
「ん、平気だよティティスちゃん」

水に守られし宮殿は、その名の通り床に水が張られた迷宮である。
今は歩く者の踝程度の水なのだが、床に群生している藻等のせいでとても滑る。
普段は初動の取りやすさから地に足を着けているエルシェアと、その教えを忠実に守るティティスすら、此処では浮遊能力を使っていた。
そうなると歩いているのはディアーネだけなのだが、此ればかりは仕方なかった。

「それにしても、こんな足場で襲われたらかなり不利になりますねぇ」
「だね……正直此処で立ち回る自信ってないよ」

今はそれほど深くない水であるが、此れが腰の高さまできたらどうなるか。
悠長に歩いているときに、下半身に肉食魚が群がって来るという可能性すら考えられた。
そもそも少女達の狙うオルカブレードにしても凶悪な肉食魚である。
群れで遭遇した場合、水牛程度なら解体して餌にしてしまうというのだから。
ティティスは盗賊として不意打ち警戒技能を持っているが、空気の流れが無い水中に対して違和感を感じにくかった。
不利になる要因だけが幾つも思いついてしまう中で、少女達は重い溜息を吐く。

「これ、飛べるフェアリーかセレスティアが居ないと釣りどころじゃないっすよ?」
「ですね……後は浮遊能力のある装備でも量産されない限り、難しいでしょう」
「こうやって幻のお酒が本当の幻になるわけですね」

ディアーネが少しずつ足場を確認するように、慎重に歩を進める。
行軍速度は非常に緩やかなものになったが、安全には変えられない。
このような時、後ろから急かされる心配がこのメンバーに限って言えば無い。
前衛のディアーネに取ってはそれが非常にありがたかった。

「お爺さんが教えてくれた釣り場って、この先だっけ?」
「はい。一つ先のフロアに水より高い床と、広く深い水場が隣接する絶好のポイントがあるそうです」
「陸地に居るときに捕まえるって出来ませんか?」
「……この足場に来るまでは、それも考えていたんだけどね……」
「まず無理でしょう。相手の足は速いらしいですし、この足場も苦にしないそうです。攻撃魔法で吹き飛ばしたら材料が痛みますし、状態異常魔法って効きが悪いですからね」

凶悪な切れ味を誇るオルカブレードのヒレ……
反面そのヒレは折れやすく、しかも本体から切り離されたヒレは急速に劣化して萎れてしまう。
結局ヒレ酒を造るためには、水中に居る時に釣りあげて生け捕りにするしかない。
エルシェアは底引き網を複数ばら撒く方法を考えていたのだが、老店主に網がズタズタに切り裂かれるだけだと言われて納得し、諦めた。
白地図を埋めつつ進む堕天使。
その白衣を、後ろの妖精が緩く引く。

「先輩、右……」

ティティスの声に視線を向ける。
其処は直進と右折の分かれ道になっており、目的地は直進の方向にある。
右手の通路には、現状で用事は無いのだが……

「ティティスちゃん?」

ディアーネが足を止め、しかし振り返らずに確認する。
妖精は腰から魔力を持った短剣『パリパティ』を抜き放ち、中級魔法を速射した。

「『ダクネスガン』」

闇を繰る少女の術は影を介して通路へ伸び、適当な位置で爆破をかける。
爆ぜた闇は通路に潜む魔物を巻き込み、悲鳴と怒号が聞こえてくる。

「お見事」
「流石ですねぇ」

ディアーネは背中から大剣『魔剣オルナ』を抜き放ち、エルシェアはその左手に盾『アダーガ』を構える。
購入したばかりのシックルも右手に握るが、使う機会が在るかどうか……。

「鎌を試してみたいのですが……」
「それは時の運って事で」
「ですね。無理に狙うのは止めておきます」

丁度その時、ティティスが放った闇を抜けて現れた七の影。
事前に交易所の老店主が教えてくれた、この迷宮ではポピュラーな魔物『マーフォーク・ロード』である。
体長はヒューマンの成人よりやや低く、二足歩行。
その全身からは鱗が生え、手には三叉の銛を持った半魚人であった。

「来いよバケモノ。刺身にしてやる」

オルナを脇構えに構えつつ、三歩進んで左膝をついたディアーネ。
この時悪魔がどれ程好戦的な顔をしていたか、後ろに居た堕天使と妖精に知る術はない。
ただ、本能的な恐怖を刺激されたらしい魔物が、躊躇うように一歩を退いた事から推測するのみである。
通路の中央に片膝をつき、横薙ぎに払う構えを見せる悪魔の少女。
魔物の群れは待ちの姿勢を見せる相手に攻めあぐね、状況は一瞬膠着する。
この一瞬で決着はついた。

「『ダクネスガン』」
「『シャイガン』」

後衛の堕天使と妖精の声が順に響く。
膠着に拠って稼がれた時間は、二人の魔法の完成に費やされた。
ディアーネは足場の悪い場所で自ら切り込むリスクを避け、相手の足を止めながら後衛の援護を待ったのだ。
闇と光が交互に爆ぜ、五匹のマーフォーク・ロードを仕留めた。
その影にいてダメージの少なかった二匹が、無謀な特攻をかけてくる。
速度としては遅くないが、ディアーネに取っては早くも無い。

「……さっさと逃げりゃいいのにさ」

嫌そうに呟く悪魔は、それでも全く躊躇せず片膝をついたままオルナを振るう。
銀の閃光が一筋奔り、剣の間合いに踏み込んだ魔物を、手にした銛ごと胴斬りにする。
切り裂いたなどと生易しいものではない。
斬撃の勢いは苛烈すぎ、二つに別たれた魔物の体が、紙の様に吹っ飛んだ。
その間隙に悪魔の脇を抜けようとしたもう一体の半魚人。
大型武器は振った後の硬直が長い。
巨大な質量と慣性に拠って生み出される破壊力は、最終的には持ち主の負担となって代価を強いる。
ディアーネにしても例外は無い。
少しだけ普通と違うとすれば、彼女はその負担すら利用し、次の斬撃に繋げる技を知っているだけである。

「んっ、しょっと」

それは冗談のような光景だった。
一体の魔物を切り飛ばした悪魔の魔剣は、振り切った慣性をそのままに旋回。
刃は少女の頭上に昇り、その勢いに従い自然に立ち上がる悪魔。
半瞬の間すら置かずに薙がれた剣は、少女の頭上に大上段で構えられていたのである。
斬りと返しが早すぎた。
呆然と足の止まった半漁人。
堕天使は容赦なくその首を鎌で刈り取った。
一方的な殲滅が終わる。

「お爺ちゃんの話だと、こいつらは此処で強いほうの魔物だったよね」
「ですねぇ」
「あの感じですと、古代魔法なら一発だったと思います」

圧勝の末にまだ余力と切り札を残す三人娘。
しかしその表情には余裕も油断もありはしない。
むしろ何かに追い詰められたかのように、真剣な表情を交し合う。

「まぁ、『冥府の迷宮』の例がありますから……何事も安全を第一に、油断せず、確実に……息の根を止めて行きましょう」
「うぃっす」
「異議なしです」

物騒な半眼で呟く少女達。
過去に迷宮探索で死に掛けた彼女らは、このような場所で魔物に容赦は無縁であった。
無縁にならざるを得なかったと言った方が正しいが。
それぞれの決意を持って頷きあった三人。
その時、悪魔はそれまで無かったはずの白金の箱に気がついた。

「お? さっきの奴らが落としたのかな?」
「その様ですね……ティティスさん」
「お任せください」

この世界、魔物はその強さに応じて宝物の箱を落とす事があった。
実は冒険者に取っては『真の敵は宝箱である』などという教訓や、それに纏わる有名な逸話が数多く残されていたりする。
それは屈強な冒険者が、宝箱にかけられた致死性の罠であっさりと命を落すという事故が、未だに後を絶たない為であった。
しかし今回は盗賊技能を修めたティティスの手により、比較的……
あくまで比較的だが、安全に宝箱を開ける事が出来る。

「……」

妖精は慎重に箱を調べ、罠の有無を特定する。
箱自体に仕込まれた呪いの様なものを感知したティティスは、今度は罠の種類を確認する。

「『堕天使の気まぐれ』だと思います」

罠を特定したティティスは、とりあえず即死する危険は少ない事を伝える。
返答は無い。
首を傾げて周囲を見渡したティティスは、十五メートル程離れて盾を構えたエルシェアと、その背中に張り付いた悪魔を発見した。

「先輩方! それはちょっと、なんていうか……!」
「いやほら、致命の罠に掛かって全滅とか洒落になっていませんし」
「ティティスちゃん、骨は拾ってあげるからね」
「はぅ……先輩が最近冷たい……」

涙目で箱に目を戻したティティス。
一つ息を入れると、罠の解除を試みる。
箱に描かれた自然な模様の様に見えた魔法文字を、手にした薄刃のダガーで削る。
呪いの意味を書き換えて無効化し、箱から微弱な魔力が抜けた事を確認した。
後ろで警戒を続ける先輩コンビに、無言でOKサインを出す。

「流石ティティスさん。信じていましたよ」
「頼もしく成長したね、ティティスちゃん」

頬を膨らませながらも褒められた事に顔がにやけるティティスは、針金を二本用いて簡単に箱を開錠する。
箱の中から現れたのは、一振りの片手剣。
それはディアーネの持つ魔剣には及ばぬものの、エルシェアが買った既製品は上回るであろう業物だった。

「此れは……『破邪の剣』ですねぇ」
「おお、割とレアだね」

武器そのものに呪いがない事を確認し、ティティスは堕天使に手渡した。
少し考え込んだエルシェアは、剣をディアーネに回す。

「ディアーネさん、サブウェポン欲しがっていましたね。これなんか如何です?」
「ん……いいの?」

ディアーネは両手で大剣を使うため、基本他の武装は持たない。
しかし以前、此れを堕天使に貸してしまい、自分は強敵に素手で立ち向かってしまった事があった。
その場の勢いで無謀な戦いをしてしまった事を反省した悪魔は、予備の武器を探していたのである。

「はい。持っているだけで魔法に打たれ強くもなりますし、前衛が持つのが良いでしょう」
「ありがとう。それじゃ遠慮なく使わせてもらうね」

破邪の剣はその威力もさることながら、本当の価値は対魔能力にある。
邪を退けるその力は、強力な魔法防御となって現れるのだ。
この剣ならば例え普段使わなくても、装備していれば魔除けの加護は有効に活用できる。
その意味で、ディアーネと相性の良い剣と言えたかもしれない。

「此れで多少ディアーネ先輩を巻き込んで、攻撃魔法使っても大丈夫ですよね?」
「ぇ!?」
「そうですねぇ……今度敵が現れたら、二人して『ビッグバム』共演と行きましょうか?」
「待って! 死ぬから。私それ死んじゃうから!」

楽しそうに物騒な発言を繰り返す堕天使と妖精に、悪魔の少女が縋りつく。
その姿はとても先程、魔物の群れを一蹴した冒険者と同一人物には見えないのだった。



§



探索は順調に進んでいた。
水位は悪魔の膝を超える事はなかったし、強力な魔物も出てこない。
ディアーネは此処での基本的な戦闘スタンスを待ちに決めていた。
大剣を構えて相手を威嚇し、それでも飛び込んできた相手だけを切る。
相手が警戒して止まれば、最初のように後衛が魔法で突っかける。
魔法に煽られて強制的に動かされた魔物を、ディアーネが一つずつ切り倒すのだ。
魔物の中には魔法で応戦してくるものもいたが、三人の魔法防御は高く大きな傷が入らない。
結局かすり傷を入れたそばから妖精に治され、堕天使の魔法で崩される。
そうして群れから分断された魔物は、悪魔の大剣の餌食になった。
では誰も躊躇せず、一度に多くの魔物が前衛に押し寄せたらどうなるか?
その時は堕天使が悪魔と並んで前列に入る。
そうして前衛が凌いでいる間に、妖精の強力な古代魔法で一蹴するのだ。

「まるでイージーモードっすねー」

既に相当数の魔物がこの戦法に掛かって駆逐されている。
その際には本命のオルカブレードが混ざる事もあったのだが、敵意むき出しで襲ってくる相手を無傷で捕獲するのは簡単ではない。
必殺の機会を見送って不測の事態を招かぬために、三人は釣り場を待たずして遭遇した相手は全て倒す事にしたのである。

「この分だと、もう直ぐ釣り場につけるでしょう」
「うぃっす。……ティティスちゃん、その盾どう?」
「私には少し重いんですけど……魔法使いとしては、とても良い物を頂きました」

ティティスの左手には此処で拾った盾が装備されていた。
『魔法の盾』と呼ばれるその盾は、物理防御力に咥えて対魔処理された材質が魔法の防御にも優れている。
更には受けた魔法の魔力をある程度盾に溜め込み、持ち手の魔法使用時に上乗せする事で武器にもなる。
金属の盾であるためやや重量が厳しいが、その性能は正に魔法職の為の盾と言えた。
もっとも妖精に取っては性能よりも、武器と盾を持ったスタイルが堕天使とお揃いになった事の方が嬉しかったが。

「宝箱って凄いですね、先輩」
「本当だね。いい物がいっぱい入ってるよ」
「それ故に欲を出し、痛い目を見る冒険者が多い事も事実ですがね」

迷宮探索は明確な目的を持ち、その途上で手に入ったモノはあくまでオマケと割り切る。
そして最初の目的を達したときは、執着せずに帰還する。
それを忘れた時、最悪の事故が起こるのだ。
目的を達する前にその様な事が起こったなら、それは運の問題ではなく実力の不足である。
堕天使の言葉に頷いた悪魔と妖精。
エルシェアは以前所属していたパーティーで宝箱の処理で痛い目にあっており、その言葉は重かった。

「とは、言ってみたものの……」
「お?」
「そろそろ私が使える装備が出てくれても良さそうなものなんですけどねぇ……」
「あ、あはは」

拗ねたように呟く堕天使に、後輩が乾いた笑みを浮かべる。
ディアーネの剣もティティスの盾も手に入ったのに、エルシェアが使える装備だけ出てこない。
剣は相棒が持っていたほうが有意義だし、盾に関してはエルシェアの方が既に強いものを持っている。
決して装備で不遇な訳ではないのだが、何となく冒険先で手に入れた装備と言うものが羨ましい堕天使だった。

「何言ってるの? エルだってほら……凄いのあるじゃん」
「っちょ!? それ近づけないでください怖いですからっ」

ディアーネが不思議そうに道具袋から取り出したのは、身の丈程の大きさの凶悪なフォルムの両手鎌。
その名を『命を刈る鎌』と呼ばれる一品だった。
勿論、此処の魔物が落とした宝箱に納められていたモノである。
材質は分からないが相当な業物であり、見た目の雰囲気もシックルとは比べ物にならない。
少女はその鎌を手に入れ、嬉々として一振りし……その場で派手に倒れこんだ。
持ち手の生命力を代価に真の力を発揮するらしいその鎌は、知らずに振った堕天使の体に予想外の変調を与えたのだ。

「とりあえず其れは封印です。なんというか、真の強敵と戦うときまでっ」
「そっか。でもさ、この鎌だったら、会長との戦いは逆に楽になったんじゃない?」
「そうですねぇ……全く違うアプローチも出来たでしょうね。それで勝てたかは微妙なところでしょうが……」

つき返された鎌を再び道具袋にしまいつつ、ディアーネは相棒に尋ねる。
命を刈る鎌は確かに持ち手に消耗を強いる。
しかしエルシェアが三学園交流戦の優勝決定戦で大きな傷を追い始めたのは、セルシアに武器が壊された後の事。
あの時この鎌であればセルシアと言えども簡単には破壊出来なかったろうし、そうなればまた違う展開もあっただろう。
先程堕天使自身が言ったように、最終的に勝てたかどうかは別の話だとしても。

「ですが私、自分が凄く可愛いですから、ああいう自虐入った武器を使うのは好みではないのです」
「私もエル先輩が突然倒れるとか、心臓に悪いです……」
「そだね。でも身を削って使う切り札ってなんかこう……熱くなるね!」
「私はノーリスクでハイリターンが好みなんですが、中々そういうのも無いんですよね」

テンションの高い悪魔に苦笑した堕天使は、喋りながらも地図の記入を怠らない。
やがて三人は目的の釣り場に到着した。
長い通路のつきあたりはちょっとした広場のようになっており、周りの床より一段高く浸水を免れている。
ディープゾーンに囲まれたその場所は完全に行き止まりであるが、確かに釣りをするには向いていた。

「此処のようですね……」
「結構広い足場っすね。私が剣振り回しても余裕かも」
「広いに越した事は無いですよ。それじゃ結界張りますね」

陸地に上がったティティスは自分の荷物を一度置き、『厄除けの塩』を四方に配置し、其処を起点にして結界を張った。
迷宮内で小休止を取るときの常套手段であり、此れでよほどの事が無い限り魔物は近寄ってこない筈である。

「ん……靴乾かしたいんだけど火って不味いかな?」
「此処は随分広いですし、私達の焚き火くらいで酸欠にもならないでしょう」
「真冬の水ですもんね……先輩、足大丈夫ですか?」
「正直寒いよー」
「エル先輩も、寒くないですか?」
「……寒いに決まっています」

待ちのスタイルで戦って来たディアーネは無論だが、一度半失神して床に倒れたエルシェアもずぶ濡れである。
濡れた衣類は二人の少女の体温を容赦なく奪っていた。
本当に浮遊できる者でなければ、こんな所へ釣りになど来るものは稀だろう。
悪魔はさっさと靴を脱ぎ、妖精は手早く火を起こす。
その横では、堕天使が早速釣りの支度を始めていた。

「えぇと? 釣り糸に釣り針を結わいて……浮きと呼ばれる仕掛けをつけて、餌を針に引っ掛けて……」
「その餌こっちで焼いちゃいたいなー」
「ステーキ用のお肉ですからねぇ……贅沢です」

ティティスが魔法で起こした焚き火に、ディアーネが寄り添っている。
足を暖め靴を乾かし、エルシェアに手渡された釣竿を確認した。
今回は根魚狙いの為、釣り糸は底に届くように相当長くなっている。
とりあえず交易所の店主から教えて貰った形にはなっていた。

「此れを水面に沈めて、水中で餌に食らいつくのを待つんだね?」
「そうらしいです。すると餌の中に在る釣り針が刺さって、その時浮きが沈みます」
「その時にビシッて竿を合わせて、相手を弱らせながら釣り上げるんですよね」

手順を確認する三人娘だが、実際に釣りを経験した事があるものはいない。
理屈が分かっても実際にはやって見なければ何とも言えない部分が多すぎた。
思い思いの位置にエサ付き釣り針を飛ばす少女達。
浮きの沈みさえ見逃さなければいいと言う事で、このまま自分達の食事に入る。
定番のおにぎりと、此れだけはエルシェアが常に切らさない紅茶。
今回はノイツェハイムで仕入れたアイスクリームも用意してある。

「それでも、魚より質素って言うのは何となく負けた気がするなぁ」
「そうでもありませんよディアーネさん。だってこのお肉、彼らに取っては最後の晩餐になるのですから」
「そっか。それなら贅沢させてあげるのも優しさだよね」

とりあえず納得した悪魔は、既に三つ目のおにぎり攻略を開始していた。
今回の探索で用意したおにぎりは五十個。
そのうち六割は此処で悪魔のお腹に消えるだろう。

「……」

堕天使は常と変わらぬ健啖振りを発揮する相棒に目を細め……
ふと気になって眉をひそめた。
ディアーネは体型的にはスレンダーであり、背が高い事もあって非常に締まった印象を受ける。
エルシェアは自分が贔屓目で相棒を見ている自覚もあるが、客観的に見てもこの悪魔は痩せ型の美人であろう。
摂取しているカロリーは桁違いにディアーネが上のはずである。
なのに、この悪魔は何故太らない?
堕天使は目前に突如として顕現した世界の不思議に、或いは不公平に、思考を半ば強奪された。

「ん?」

ディアーネは正面に座る相棒が、自分を凝視している事に気がついた。
小首を傾げて視線で用件を問いかけるが、エルシェアは自分の世界に入り込んで反応が無い。
しばし無言のにらめっこが続いた末、堕天使は唐突に問いかけた。

「ディアーネさん」
「んー?」
「貴女は何故太らないのですか?」
「あぁん?」

おにぎりを頬張ろうと大きなお口を開けたまま、悪魔の少女は固まった。
悪魔の瞳が相棒と後輩の間をせわしなく行き来する間に、堕天使は再び問い詰めた。

「ディアーネさん、私の数十倍の栄養を取っているじゃありませんか? にも拘らず私が横に成長するのに対し、貴女は縦に育っています。不公平です」
「数十倍とか……いや、其れより横って……私からすりゃ羨ましいっすけど……」

ディアーネは堕天使の豊かな胸元に視線を落とし、自分の慎ましやかな其れと比較してややめげる。
相棒はどうやら自身の体型について悩んでいるようであった。
しかし悪魔の目から見たとき、堕天使の身体は出る部分とへこむ所がはっきりとした、理想的な型だと思うのだ。

「エルは胸にお肉がついてるから、周りも大きく見えるだけだと思うよ」
「むぅ……」
「まぁ、それでも納得行かないと言うのなら……」

ディアーネは手にしたおにぎりを食べ終え、次のおにぎりを手にする前に右手を差し出す。
其れは少女らしい柔らかな手ではない。
重い剣を振り回してマメが出来、更に其れが治らぬうちから剣を振るい、マメが潰れた上から更にマメが出来てしまった手。
堕天使は相棒の手を取ると、その平に視線を落す。
パーティーの前衛として、この上なく頼もしい手だと思う。
この手に守られているのだということが、エルシェアには誇らしい。

「私はこの後も帰ったら、英雄学課でひたすら血マメ潰すまで剣振り回すのね?」
「ほう?」
「エルってばどうよ? 帰ったらコタツに潜ってポテチ摘んで紅茶すすって、魔導書読むだけでしょ」
「ぐふっ」
「それで色んな事を覚えちゃうエルはマジぱねぇっすけど……毎日そんな食っちゃ寝繰り返してたら、そりゃぁ……」
「あうぅ……言わないでください言わないでください言わないでくださいいわないでくださいわないで……」

悪魔の精神攻撃に、早くも心を折られ掛けている堕天使。
この時今まで黙っていた妖精が、悪魔の言葉に待ったを掛けた。

「あの……エル先輩は決して食っちゃ寝とかしてないと思います。と言うか私、先輩がいつ寝てるのか不安になる時があるんですけど……」
「ん?」
「……え」

後輩の言葉に疑問符を浮かべた悪魔と、崩壊寸前の心を気力と言う名の接着剤で埋めて復帰した堕天使。
それぞれの表情で後輩を注視する。
ティティスは一息に言葉を紡ぐのではなく、自分の中の記憶を辿りながら話していたため、続く発言はかなり遅くなった。

「えっと……交流戦の優勝決定戦の後って、私達全員ボロボロで臨時にお休み貰ったじゃないですか」
「あぁ、あったねー」
「私その日の深夜、エル先輩の部屋に行ったんですけど……」

―――何をしに?

先輩コンビは素早く視線を交差させ、瞳で意思の疎通を図る。
目で問うた悪魔。
首を横に振る堕天使。
二人は同時に後輩を見るが、当のティティスは当時を思い出そうと視線を上に向けていた。
本来なら怪我で休んでいるはずのエルシェアの元へ何をしに行ったのか?
しかも深夜……

「えっとティティスさん?」
「はい?」
「幾つか問い正したい所はあるのですが……貴女もしかして、アレを見ましたか?」
「見学させていただきました」
「そんな……人の気配なんて感じた事は……」
「私盗賊もやってますから」
「やだ、この子怖い」

事も無げに語る後輩。
徐々に手強くなって来た妖精に、堕天使は深い溜息をつく。
別にティティスなら見られても構わないのだが、自分がその事に気がつかなかったというのは大いに困った。
エルシェアにも盗賊学課の経験はあるのだが、今一度復習しておく必要があるかもしれない。
主にプライバシーを守るために。

「そしたら先輩、夜中に『歓迎の森』で色々練習してたじゃないですか!」
「エルってば秘密特訓を!?」
「何か勘違いなさっているようですが、秘密特訓ではなくて通常メニューです。冒険者に必要最低限の」

ふて腐れたように言い訳を重ねる堕天使。
ティティスは一度エルシェアの顔を確認するが、別にその話題を嫌がっている節は無い。
ディアーネもその事を敏感に感じ取り、ティティスに内容を聞いてみた。

「どんな事してるの?」
「えっと……結構高い木の枝に自分の足を結わえて、逆さ吊りで腹筋と背筋を随分と……」
「その後はひたすらイメージの相手とシャドウです」
「先輩凄いんですよ! ちゃんと相手の人もいるみたいでした!」

エルシェアが今も続けているその内容は、ドラッケンの留学中にカーチャに仕込まれた筋力トレーニングだった。
腹筋と背筋は体全体のいかなる動作にも使う為に重点的に鍛える。
それ以外の筋肉には、必要なものと不要なものがある。
不要な肉をつけてしまうと、其れは関節稼動域を狭める上に無意味に重量を上げてしまう。
では必要な筋力だけを付けるにはどうするか?
それは目的とする動作を繰り返す事である。
エルシェアの場合は冒険者としての戦闘に耐えられる力が欲しいのだ。
ならば自分のスタイルでの戦闘行為を繰り返した時、そこで使う筋肉こそが本当に堕天使が必要とする部分と言う事になる。

「……」

堕天使の脳裏に蘇るのは、留学中の地獄の日々。
マットの上に仰向け寝かされ、ひたすら重いゴム球を腹に落とされた。
飛行能力を封じられ、逆さ吊りにされて下から火で炙られた事もある。
その訓練の直後、床を這ったエルシェアに掛けられる師たるカーチャの嘲笑。
筋肉痛を怒りが凌駕し、手にした鎌でひたすらカーチャに襲い掛かってはあしらわれる日々だった。

「うぅ……」
「え、エル! どしたのっ?」

辛い思い出に涙ぐんだ堕天使を気遣い、相棒が駆け寄ってくる。
俯いて肩を震わせるエルシェアの背中を、ディアーネが優しく擦る。
今ならばあの修行の意味は分かるが、当時は本当に潰されるかと思ったものだ。
そしてもし潰しても相手は保険医。
例え本当に死んだとしても、過労による心停止くらいなら簡単に癒せてしまう。
先への不安と、死すら安らぎになりえないと知って本当に心が折れかけた。
暗闇を照らす光は三ヶ月という定められた期間があったことと、その間に先に進むであろうディアーネとティティスへの意地に他ならない。
今の堕天使の身体は、そうやって作ってきたモノである。
ティティスが知っている事は、留学から戻った後のエルシェアの姿のみ。
しかし努力している姿は、しっかりとその目で見ているのだ。

「ディアーネ先輩が頑張っているみたいに、エル先輩だって頑張っています。体重が増えたって言うのは、筋肉がついたってことだと思うんですけど……」
「……其れも年頃の女として、どうなんでしょうね?」
「あ……えっと……」

背の低い妖精を更に下からすくい上げるように見据える堕天使。
どんよりと濁った半眼でねめつけられたティティスは、思わず言葉を飲み込んでしまう。
言われて気がついた事は、贅肉だろうと筋肉だろうと嵩が増えたと言う事それ自体が、少女に取っては死活問題だということだった。
ティティスが言われるまで気づかなかった理由は一つ。
彼女もディアーネに近い細身の身体であり、小食な事も手伝って体重増加現象を経験した事がないからだった。

「でもさ、深夜にそんな事してるって……毎日でしょ?」
「それは……こういうことは繰り返さないと意味ありませんし」
「いつ寝てるの?」
「だから昼間コタツでグダグダと……セレスティアは眠りの仕組みが他種族と少し違いますから、寝溜めも余裕なのですよ」

堕天使の言葉に、ディアーネは苦笑と共に理解した。
エルシェアは自分なりに時間を有効に使っていたのである。
昼間のグダグダを良く知るが故に、自分が休んでいる夜に相棒が何をしているのかを知らなかった。
要するにこの堕天使は、何故か一般人と昼夜の使い方が逆転していたのである。

「ね、ね! 今度一緒にやろ? イメージより本物の私と勝負してみよう。私もエルとやってみたいよ」
「私は一度も貴女をイメージしているなんて言っていませんが?」
「でもエルが其れをするって言ったら私か、さもなければ会長くらいしかいないでしょ」
「……偶に、貴女にしてもティティスさんにしても、私以上に私の事を知っているんじゃないかと思うときがありますよ」
「エル先輩、愛されているんですよ」

ディアーネとティティスは顔を合わせ、同時に拳を突き出して親指を立てる。
苦笑した堕天使は、顔を上げると何時もの拍子を取り戻した。
とりあえず体型の問題は保留にする事に決めたのだ。
何時もの雰囲気に戻った三人娘。
幸せな少女達は気づかない。
三人の釣竿は、当の昔に一度浮きが沈んでいた事に。
野生のオルカブレードは水面下で芸術的な餌外しを披露し、最後の晩餐を思わぬご馳走に換えて悠々と巣穴へ引き上げていたのであった……



§



三人娘がその場を後にしたのは、到着から二刻後の事だった。
あれから釣りに集中しだした少女達だが、オルカブレードの神業のような餌外しに悉く食い逃げを許し、結局一匹の捕獲も叶わなかった。

「いやー。凄かったっすねあいつら、魚の癖に! 釣りが此処まで奥深いものだとは!」

帰り道、興奮したように話すのは前衛たる悪魔の少女。
初めて体験した釣りでその難しさに触れた彼女は、今まで其れを為してきたノイツェハイムの住民を心から尊敬するのであった。

「釣れなかったのは残念でしたが、装備は随分と充実しました。特にティティスさん、『それ』帰ったら着て見せてくださいね?」
「……本当に着ないといけませんか?」
「勿論ですよ。その防具は正に、貴女の為に神様が下さった贈り物としか思えません」
「エル先輩、神様なんか信じていないくせに……」

怒ればいいのか、それとも泣けばいいのか……
感情の選択に迷ったティティスは疲れたように肩を落とす。
その手にはマニア御用達のネタ防具、その名も『レオタード』が握られていた。
既にその製法はロストしており、練金レシピの存在しない奇跡の一品。
それは引き上げの際、最初に遭遇したマーフォーク・ロードが落としたモノだった。

「まぁ……性能だけなら本当にティティスちゃん向きだよね。品物がエルの趣味だったのはご愁傷様だけど」

単なる服としてのレオタードであれば、現在の技術でも再現は可能である。
しかし本当のレオタードとは、使用者に対する様々な恩恵をもたらす戦装束。
今回手に入れた品は、間違いなく本物である。
しかも此れは並の本物とは訳が違う。

「既に八段階もの強化が施されておりますから、防御能力もそれなりになるでしょう」
「素材に使ってる繊維にも魔力篭っていたしね……此れは出すところに出せば、一財産になるんじゃないかな?」
「じゃあ売りましょう? 売って幸せになりましょう?」
「お金には困っていませんから却下ですね。私は其れを着た貴女を視姦する方が幸せになれそうです」
「ティティスちゃんの防具って此れと言ったモノがなかったし、安全を考えると着てもいいんじゃないかなぁ」
「み、味方はいないんですね私……」

結局の所エルシェアとディアーネに言われた事に、最終的に否は無いのがこの妖精。
しかも今回は自身の守備力という、ある意味では至上命題とも言える部分に直結する装備であった。
その性能を鑑みた時、確かに有用であるのは間違いないのだから。

「まぁ、普段から其れを曝せと言っているわけではありませんよ? 幸いにもデザインはシンプルですから、制服の下に着込めばいいのです」
「え!? 此れを着て首輪をつけて四つんばいになって散歩に付き合えとか言わないんですかエル先輩!」
「……貴女が私をどんな目で見ているのか、今の発言でよく分かりました」
「いや、私も其れくらいさせるのかなと思ってたよ?」
「ディアーネさんまで……其処まで期待されると、応えてあげたくなるではありませんか……ねぇ、ティティス?」
「ひぃぃ!」

艶然と微笑む堕天使の横顔に、真剣な身の危険を感じた妖精さん。
エルシェアがその気になったなら、ティティスを社会的に抹殺した挙句に自分の下で飼い殺しにするくらいは出来るだろう。
もっともその場合でも恐らく、大事にはしてくれるだろうなという確信めいたものがティティスにはあるのだが。

「すいませんエル先輩。私も少し人並の青春を謳歌したいので、あまりにマニアックな事はちょっとご勘弁を」
「最初から素直にそういえばいいのです。少し甘くすると直ぐ調子に乗るんですから」

其れはマニアックな事でなければ何をされてもいいという発言にも取れる。
その可能性に思い至ったディアーネだが、敢えて何も言わなかった。
きっと自分が考えているくらい、頭のいい相棒は気づいているはずなのだから。
だからこそ、悪魔が語るのは別の事だ。

「それにしてもあの魔物……宝箱に後生大事にレオタードなんかつめて、しかも小児用でしょ此れ?」
「まぁ……妖精か小人か、はたまた子供でないと着難い大きさではありますね」
「どう考えてもまともな趣味をしていたとは思えないっすねー」
「同感です」

実はティティスが着るのを渋っていた一番の原因は、羞恥心よりもむしろ此処にあったりする。
半魚人が家宝にしていたレオタードを着るのは、心理的にとても嫌だった。
しかし其処は打たれ弱い虚弱妖精の宿命か、背に腹は変えられないのである。
この件を諦めたティティスは、本来の目的に話題を戻す事にした。

「ヒレ酒どうしましょうか……手に入らないと、困るんですよね?」
「ん……別に困りはしませんよ」
「え?」

ティティスに答えた堕天使は、一つ息をついて苦笑する。
意外そうな視線を向けてくる後輩に対して、堕天使は悪戯っぽい顔で語る。

「無くて困るのはフリージア君であり、私達ではありません。少なくとも私の不利益は、リリィ先生に売る媚が一つ無くなったというだけです」
「あれ、でも手に入れてあげる約束したんじゃないの?」
「していません。私は偶々貴女が両方持っていたことを思い出し、『分けてもらえるように頼んでみる』と言っただけです。その結果三色団子は確保してあげましたし、ヒレ酒が無いからと言って恨まれる筋合いはありませんよ」

あっさりそう言い切った堕天使。
彼女の目的は執事競技会の体験コーナーであり、フリージアの事情など他人事だった。
それでも一応頼まれた事は果たしたし、その先も自分の都合と被る部分までは考慮してやったのだ。
これ以上を求めるのなら、フリージア自身による対価が必要だろう。
執事競技会に付属している体験コーナーは、別に彼の手柄ではないのだから。
存在を教えてくれた事には感謝しているが、其れは三色団子で相殺である。

「ええ。やはりこれ以上の義理もありませんね。私は鎌も買えましたし、皆さんと一緒に遊べて楽しかったですし、装備も色々手に入って、良い旅でしたよ」
「同感」
「異議なしです」

微笑みあう三人娘は、襲い掛かってくる魔物をひたすらにビッグバムで蹴散らしている。
行きはどの程度の消耗が必要か未知である為に、魔力の消費を抑える必要があった。
しかし帰り道はどの程度で終るか既に分かっており、温存を考える必要がなくなったのだ。
戦術を構築する手間と力押しで終らせる手間を考えると、後者の方が簡単だという結論に達した少女達。
彼女らと此処の魔物は其れを許してしまえるだけの実力差があった。
ディアーネがかなり暇になったが、この足場で近接戦闘を仕掛ける事こそ、事故に繋がる要因になりかねない。
此処は大人しくしている事がパーティーの安全に繋がると判断した悪魔の少女は、トーチ持ちの役目に徹していた。

「ねぇ、エル? 戻ったらさ、一緒に練金やろうよ! あれ面白かったし」
「ディアーネさん……ご一緒したいのですが、私学校の実験室は出入り禁止にされておりまして……」
「む……エルは学校の生徒なのに学校の設備が使用禁止って、其れは学費納めてる側からすると納得行かない所じゃないかな?」
「そうですね。何時か練金を必要とする日が来た時に、その理屈で強請ろうと考えていました」
「今は特に必要無いから、大人しくしている?」
「はい。んー……それにしても、練金かぁ……」

エルシェアはしばし足を止めて思案にふける。
遅れてディアーネとティティスも足を止め、堕天使の顔を伺った。

「……よし、いけるかな」
「今度はどんな悪い事考え付いたっすか?」
「遂に世界を征服する日が来たとか?」
「貴女達……いや、まぁ良いんですけれど。やっぱり、フリージア君が困る事を見過ごすのは、後味悪いと思いません?」

悪魔と妖精は顔を見合わせ、突然方針を翻そうとする堕天使に疑問符を浮かべた。
しかし裏を考えず質問だけに答えるのなら、話は決して難しくない。

「そりゃあ、手に入るものなら持って帰ってあげた方が良いんじゃないかな……とは思うよ」
「私も、そう思います」
「ですよねー。やっぱり皆さんもそう思われますよねー。それでは、後一頑張りだけして見ましょうかねぇ……うふふ」

右手の甲で口元を隠し、悪戯っぽく嗤う堕天使。
その顔はエルシェアにあまりにも似合いすぎて、相棒も後輩も思わず魅入る。
この笑みは向けられた相手を必ず不幸にするモノだと、二人は分かっていた。
もしも今のエルシェアをリリィが見ていたら、ドラッケン学園の保険医に似てきた事を認めて複雑な顔をしたに違いなかった。

「どうするの? 餌補充して後一日粘ってみる?」
「いいえ、少し寄り道しながら帰ります」
「寄り道とおっしゃいますと、海沿いの町で普通のヒレ酒を買うんですか?」
「それでは面白くないでしょう? ティティスさん、少し急ぎますので『バックドアル』お願いします。此処を出たら『スポット』も」
「えっと……どちらまで?」

可愛らしく小首を傾げ、小さな後輩が尋ねてくる。
楽しい事を思いつき上機嫌の堕天使は、その頭を撫でてやりながら答える。

「ドラッケン学園まで。其処で実験室をお借りして、少し練金で遊んでいきましょう」
「おお、エルがやる気を出しているっ!?」
「はい。何となく、クリエイティビティとイマジネーションが湧き上がってきたんです。この感じ……私、今ならヒレ酒を創れてしまいそう」
「……今、作るの発音おかしくなかった?」
「気のせいです。其れよりもティティスさん、早く。私の熱が冷めない内に」
「は、はい!」

迷宮脱出魔法を唱える後輩を横目に、堕天使は道具袋の口を開く。
取り出したものは、先程まで自分達が使っていた釣り針三つ。
ヒレ酒の練金調合。
今の堕天使なら、多分出来る。
同質同成分同素材のモノは確かに届けてやろう。
しかし同時に肥える等とほざいた男への復讐も忘れてはならない。

「オ ボエ  テ オ   キナ     サ イ」

堕天使の呪詛を聞いたのは、本人以外にいない。
丁度その時ティティスの魔法が発動し、三人は迷宮を後にした……。

―――その後

エルシェアは図書室で、フリージアが必要とするモノを手渡した。
フリージアは執事競技会で、若手でありながら見事入賞を果たす。
堕天使はエルフの快挙を仄暗い微笑で祝福し、彼女自身はメイド、執事体験コーナーで望みの学課の基礎を学んだ。
此れは競技会終了後、プリシアナ学園の片隅で交わされた会話である。

「今回は本当にありがとうございました。ヒレ酒は手作りとの事でしたが、本当に素晴らしい味でした」
「間に合って良かったです。ディアーネさんがもう少し残して置いてくだされば、直ぐにお届けできたのですがね」
「とんでもございません。セルシア様も、此度の創作料理はお気に召してくださいまして、正式にメニューに載せたいと考えております」
「そうですか。気に入ってくださいましたか、彼」
「はい。それで大変申し訳ないのですが、そのヒレ酒のレシピを、どうかご指南いただけないでしょうか?」
「へぇ、聞きたいんだ?」
「え、えぇ……」
「うん、いいよ。教えてあげる」

堕天使の圧倒的な腕力で肩を掴まれたエルフの少年。
エルシェアに引き摺られたフリージアが、実験室に連れ込まれる姿は複数の学園生が目撃している。
すれ違った生徒達は、何故か全く甘さを感じない美男美女の組み合わせに、首を傾げながら見送った。
その数分後……光の古代魔法と集団殲滅用爆裂魔法が飛び交い、学園施設の二割を瓦礫に変えた。
実験室で何があったのか、生徒達に知る術はない。
当事者達も硬く口を閉ざしている。
ただ、二人が一緒に保健室へ運ばれた事。
両者に謹慎一週間が申し付けられた事。
そしてエルシェアに続いてフリージアまで実験室出入り禁止にされた理由を、当事者達がいない所で噂するのみだった。



§


後書き

此処まで読んでくださった皆様、真にありがとうございます。
外伝Act1後編、此処にお届けいたします。
現在9人で2PT作って、同時進行させるプレイを続行中です。
それで三学園交流戦を終えた頃に、メインストーリーなどのおさらいをしながら、また書きたい衝動が沸き起こってまいりました。
しかしメインを進行させて完結させる自信もないので、此処は思い出深いサブクエスト等を『実話も交えて』書いて行きたいと思いました。
今回のお話はその第一弾と言う事になります。


このゲームの初回プレイ時、フリージア君に頼まれたヒレ酒が何処にあるのか分かりませんでした。
いや、同じ迷宮でほぼ同じ場所を目指すドラッケンのお姫様のクエストは出来ていたんですけどね……
一度埋めたマップにもう一度潜りなおすという行為がやや苦痛で、そんな意識でやってたから恐らく探索も雑になって、ヒレ酒見つかりませんでしたw
行き詰った時、道具袋の中で勝手に増えていたアイテムがあります。
此処の敵が落す属性付与アイテム『釣り針』。
ある時呪われた装備を解体して呪いを解こうと、学園待機組みのアサミン(公式キャラ)を実験室へ。
適当に弄っている内に、釣り針三つがヒレ酒になる事が判明しました。やってくれるぜアクワイアさん!
その後三色団子を探し周り、交易所で売っている事に気がつくまで10時間。
合計17時間ほど掛かった長丁場のクエストでした。
辛かった分思いでもいっぱいですorz
それにしても、釣り針三つを煮詰めて作ったヒレ酒ってどんな味なんでしょうね?
しかも摂取するのはフリージア君本人ではなくそのご主人様……
ぼくしーらなーい(*/□\*)

今回は思い出深い装備も幾つか出せましたので、近日中に設定資料を更新したいと思います。よろしければ、其方もご覧いただけると嬉しいです。
それでは、またの機会にお会いできる事を楽しみに、ここらで失礼いたします。
ありがとうございました。

追記
(7月2日、設定資料を更新いたしました)



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act2 前編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:bd6dbf19
Date: 2011/11/11 16:58

タカチホ義塾……
其れは遠い移民の末裔が設立した、大陸最南端の冒険者養成学校である。
砂漠の中に立つその学び舎は威風堂々たる構えを見せ、其処で学ぶ生徒は厳しい寒暖の差からなる環境に耐えねばならない。
この地方で育つ屈強の冒険者はモノノフと呼ばれ、彼らがこなして来た修練は三学園で最も厳しいとの評価すらあった。
しかし現在、この学園でタカチホの生徒の姿は全く無い。
他二つの学園とは明らかに成り立ちの起源が異なるこの学園は、講義のカリキュラムもやや異なる。
特徴的なのが元旦から七日までを完全休講にする仕組みであり、生徒達は滅多に無い纏まった休みを過ごしていたのであった。

「ごめんねエル。なんかつき合わせちゃって」

閑散とした学園の廊下に、やや沈んだ少女の声が響く。
少女の装いはタカチホの雰囲気にはそぐわない洋風の赤い制服。
その制服の上には巫女装束の一つである千早をはおり、背中には身の丈を超える大剣を背負っている。
一見すると只の細身の少女であるが、その頭部には人あらざる種族の証、二本の角を生やしていた。

「大丈夫ですよディアーネさん。お陰で謹慎を免れたのですから」

ディアーネと呼ばれた悪魔は、にこやかな相棒の答えに苦笑した。
相棒は先日プリシアナ学園で知人のエルフと大喧嘩し、攻撃魔法によって学園の一部を瓦礫に変えた。
喧嘩の原因は当事者達が揃って口を閉ざし、学園側は双方に謹慎一週間を申し渡したのである。

「びっくりしたよ? 学校派手に壊れてるし、エルは保健室運ばれたって聞いたし」
「反省しています。私とした事が……光術師と魔法戦をしてしまうとは、正気ではありませんでした」
「反省点って其処なんだ……?」
「それ以外に見出せません。殴ればよかったんですよ……一方的に勝てる勝負で、共倒れに持ち込まれてしまうとは……」

実質負けに等しいと、エルシェアは溜息と共に肩を落とした。
悪魔と同じ制服の上から白衣を着込み、桃色の長い巻き毛を左手で弄ぶ堕天使。
背には小さな少女を背負っており、その為に右手は背中に回されている。

「ん……先輩、着きました?」

堕天使の背中で弱々しい声がする。
それは百センチ程の身長と、背中に生えた透明の羽が特徴的なフェアリー。
長い金髪と青い瞳が美しい少女だが、今は瞳と同程度に青褪めた顔色が痛々しかった。

「ティティスちゃん。目、醒めた?」
「あ……はい」

ティティスと呼ばれたフェアリーは、悪魔の声に小さく答えた。

「すいません、ご迷惑を……」
「んー。しょうがないよ。ティティスちゃん、砂漠の夜を知らなかったしね」
「いえ……結局私だけ倒れたのは自己管理が駄目だったです」

堕天使は落ち込む後輩を両手で背負いなおす。
妖精は堕天使の首に腕を回し、しがみ付くようにくっついた。
エルシェアの髪がティティスの顔近くにあり、強い日差しによって熱気を孕んでいるのが分かる

「……」

『飢渇之土俵』と呼ばれる砂漠に入ってから、此処につくまで三日。
ティティスが体調不良で倒れたのは初日であり、この堕天使は丸二日分は妖精を背負って砂漠を歩いた。
砂漠を歩く時は、日差しの緩い早朝と夕方を選ぶ。
それでも焼かれた様な堕天使の髪の匂いが、小さな妖精の罪悪感を煽る。
その時、何時の間にかエルシェアと並んでいたディアーネが、ティティスの頭を撫でてきた。

「ティティスちゃんもごめんね? つき合わせちゃって」
「そんな……置いていかれたら、私きっと泣いてますよ」
「うん、そうだね。でも、今回は此処で休むんだよ?」
「はい」

小さく頷いた妖精は、堕天使の背中で瞳を閉じた。
直ぐに小さな寝息が聞こえ、その寝顔に悪魔の頬が自然と緩んだ。

「それにしても、サルタ校長先生直々の呼びかけとは……ディアーネさん、今度は何をやったのですか?」
「ん……三学園交流戦で怪我人を出した位だけど、あれは試合の中での事のはずだしなー」
「他に呼び出される心当たりは?」
「……正直無い。頂いた年賀状に、今月中に顔を出して欲しいってあったんだよね」
「……態々パーティーでと注釈を付けられ、しかも歩いてフル装備で来いと言うからには、予想はついてしまうんですがね」
「修練……私達風に言うとクエストか。それ絡みなのは間違いないかなぁ」

其れはプリシアナ学園を出発した当初から考えていた事ではあった。
ディアーネはこの地へ留学経験があり、タカチホの修練もある程度知識がある。
またエルシェアとしても厳しい事で有名な修練に興味があり、かなり乗り気で此処まで来ていたのだ。

「所で、ディアーネさん……」
「うぃ?」
「今月中と言う事でしたら、態々タカチホの年始休講中に来なくても良かったのではありませんか? 流石にご迷惑な気が……」
「うぐっ……そうなんだけどね? 私ちょっと、此処の生徒さん達苦手で……」

ディアーネはタカチホへ留学した際、何を間違えたのか学園の裏番としての地位を確立してしまった。
既に殆どの生徒が廊下で出会っても壁際に寄ると言う徹底した状況の中、先日の三学園交流戦の事もある。
最早タカチホ義塾の生徒達にとってディアーネの心象は、『非常に怖い悪魔の娘』に固定されているのであった。
例外も無いではないが、自分と関わる事でその生徒まで同じように見られてしまうと言う懸念がディアーネにはある。
結局は会わない事が双方の為になると考えた悪魔は、この時期に用を済ませてしまう事にしたのであった。

「リリィ先生がどんな気持ちでいたか、私分かった気がするよ」
「……お辛い目に遭われていたのですね?」
「留学が結構辛かったのは、きっとお互い様だよ」
「……そうかもしれませんね」

本人の全く意識しないところでマイナス感情を持たれ、其れが修復不能域になっていたと言う点では、プリシアナ学園の保険医と同じである。
ディアーネはため息を漏らし、本来は皆に好かれたであろうリリィの不運に共感した。
気持ちが沈みそうになる悪魔だが、当面の目的地が見えたことで強引に顔を上げる。

「とりあえず其処が保健室っすよ」
「何でしょう……保健室が中央の本校にあるという事に凄い違和感があります」
「プリシアナの保健室は端っこだもんね」
「リリィ先生……不憫な子っ」

そっと目頭を押さえる演技をしたかった堕天使だが、両手で後輩を背負っているため諦めざるを得なかった。
ディアーネは堕天使が本来ならやったであろう演技を脳内で補完し、笑みを浮かべながらその戸を叩く。

「ウズメせんせー? いませんかー」
「どうぞぅ」

ディアーネが軽い声を掛けると、中から甘ったるい返答があった。
其れがタカチホ義塾の保険医のモノである事は、悪魔も堕天使も承知している。
ディアーネは保健室の戸を開け、堕天使は一礼しつつ扉を潜る。

「失礼します」
「ウズメせんせ! お久しぶりー」
「いらっしゃい、ディアーネちゃん。そっちの相棒ちゃんも、お元気そうねぇ」
「ご無沙汰しております、ウズメ先生。この間はろくにご挨拶も出来ず、真に申し訳ありませんでした」
「いいのよぅ。あの時はお互い、あまり時間も無かったしねん」

ウズメはディアーネがタカチホ義塾に留学した際、直接の指導を担当した教師である。
そしてディアーネはこの地でエルシェアと待ち合わせをしてプリシアナに戻ったため、合流の際に一度だけ、エルシェアとウズメは面識を得る事が出来たのだ。
当時は留学期間を超過していた事と、三学園交流戦が終わっていなかった事もあり、双方がそれぞれの事情で忙しかったのだが。

「ディアーネちゃん、エルシェアちゃん、色々とお話したい事はあるんだけど……とりあえず此れだけ。交流戦優勝おめでとぅ」
「ウズメ先生のご指導のお陰っすよー。そういえば、ウチの先生がお手紙書いてくれてたっすよね?」
「グラジオラス先生からは、お手紙頂いてるわん」

交換留学は生徒だけではなく、その生徒を指導する教師同士の情報交換の機会でもある。
今回のグラジオラスの手紙にはウズメの指導に対する丁寧な礼と、ディアーネに関する情報の交換。
そして生徒達全体の風潮や今後の予想、それぞれ良い面や懸念される不安等が記されていた。
生徒が校内での講義より実戦を重視するのは、別にプリシアナに限った事ではない。
タカチホでも同様の現象は見られ、生徒達に中々基礎を仕込めない現状は問題視されているのである。
その意味では、今回ディアーネ達のような留学生が交流戦で優勝したというのは小さからざる出来事だった。

「今回は、私の教え子とカーチャの教え子が同じパーティーにいたでしょう?」
「うぃっす」
「そして優勝したのがプリシアナ学園。三学園全てが指導に関わった生徒のパーティーが優勝してくれて、とっても角が立たない結果になったのよん」
「そういえばそうっすね」
「うん。だから頑張ったディアーネちゃんには、せんせーハナマルあげちゃう」
「ありがとうございます」

しっかりと頭を下げて礼をする悪魔を、目を細めて頷く保険医。
其処でウズメは一度表情を改め、堕天使が背負う少女に視線を投げた。

「砂漠の熱に当たったかしらん? とりあえずお布団に寝かせましょ」
「すいません、お願いします」

ウズメは手際良く寝具を用意し、エルシェアによってティティスが床に寝かされた。
保険医の手が妖精の首筋に伸び、脈と同時に熱感を測る。

「失礼」

ウズメの手が首からティティスの胸元に添えられる。
保険医は瞳を閉じて視覚を遮断し、一時的に聴覚と触覚を鋭敏にする。
触った感触と伝わる振動で肺の雑音を判別した保険医。
触診から少女の身体にやや熱が篭っているのを診て取ったウズメは、氷嚢を取ってティティスの首の裏に宛がった。

「先生、おでことか冷やさないっすか?」
「熱を下げる時は、太い血管を冷やさないと効果が薄いわぁ。おでこも冷えない事はないけれど」
「おお……私てっきり氷嚢ってつるして額にのっけるもんだと……」
「大きな血管が通っているのは、どんな種族でも大体首の裏、鼡径部、脇の下ね。此処を冷やすと熱が取れるけど、脇は肺も一緒に冷やしてしまうから要注意ねん」
「ティティスは、大丈夫でしょうか?」
「多少脈が早くて身体が熱っぽかったけれど……寝息も普通だし肺雑も無い。頭部だけ冷やして、水分をしっかり取って様子を見れば落ち着くはずよん」
「そうですか……よかった」

堕天使と悪魔は互いの顔の中に同じ安堵の色を見出し、深い溜息をついた。

「所でウズメせんせ。私達、サルタ先生に呼ばれているんだけど心当たり無いっすか?」
「あるわよん? というか、こっちの先生の職員会議で決まった事だから教師は全員知ってるわぁ」
「おお、なんす?」
「其れはほら……校長先生の口から、直接伺ってもらわないとねん」
「そりゃそうか……」
「大丈夫。悪いお話じゃないはずだから」
「其れを聞いて安心しました。私はほら……こっちじゃ評判良くないっすから」

寂しげに笑う相棒を見たくない堕天使は、一つ咳払いして話を切った。
ディアーネとウズメの視線を受けても表情を変えないエルシェアは、ティティスの額を撫でながら言った。

「それでは、ウズメ先生。ティティスの事をお願いします。あまりサルタ先生をお待たせするわけにも行きませんので」
「そうね。職員室の場所は、ディアーネちゃん分かるわよねん?」
「うぃっす」
「では、行ってらっしゃい。頑張ってね」

二人のプリシアナ学園生は、ウズメに一礼して保健室を後にする。
送り出された時の最後の言葉は、『頑張ってね』だった。
プリシアナ学園の教師の通例となっている『お行きなさい、プリシアナの子らよ』では無かったことに、少しだけ違和感を覚える悪魔達であった。



§



ディアーネの案内で職員室に到着したエルシェアは、正面に見慣れぬ熊を発見する。

「熊の置物を上座に置くとは珍しい……」
「っちょ!? エル其れ違うっ」

堕天使の真剣な疑問に対し、やはり真剣に静止を掛けてくる悪魔。
ディアーネは目の前の巨大熊のような男が『ドワーフ』である事を知っていた。
そして悪魔が止めに入ったときには、堕天使もソレが置物で無い事には気づいた。
置物と思っていた毛むくじゃらが、のっそりと動いたからである。

「良く来てくれましたね、プリシアナの生徒達」
「初めまして。サルタ校長先生」
「エル! 知ってて熊とか置物とか言ってたの!?」
「いいえ? 知りませんでしたけれど、校長先生がドワーフだという事は存じ上げておりました。当人だと気づいたのは今ですけど」
「はっはっは。物怖じしない娘さんですね。所で今しがた、ウズメ先生から内線がありました。仲間が一人お倒れになったとか……」

既に事情を知っているらしいサルタに、二人は顔を見合わせた。
内線と言うのは念話か、それとも『連絡水晶』のようなものか。
通信手段が気になった堕天使だが、先に正気に戻ったらしい相棒が話を続けていた。

「はい。砂漠の暑気にやられたようです」
「そうですか……彼女には、ゆっくりと此処で養生していってください」
「ありがとうございます、サルタ校長」

巨大なドワーフは温和な笑みを浮かべて頷いた。
堕天使は相棒とサルタの会話を聞きながら、その人柄を観察する。
縦にも横にも規格外の巨体。
大人のドワーフならエルシェアも見たことがあるが、此処まで育った獣人を見たのは始めてであった。
並みの『バハムーン』よりも体躯に恵まれ、しかも堕天使が見る所、アレは全て筋肉で出来ている。
にも拘らず暴力的な印象を受けないのは、穏やかな表情とモフモフの毛並みによるものだろう。
特に顔に刻まれた笑い皺が、この笑みが本物であるという事を教えてくれる。

「しかし、困りましたね……今回皆さんをお呼びしたのは、ある修練を受けていただきたいと思ったからなのです」
「態々お話を持ってきてくださったと言う事は、その修練には受領条件の様なものがあるんですか?」
「はい。心技体を備えた生徒であると私が認め、タカチホの教員の合議でもそう認められた者……ですね。実は、この修練を紹介出来る方はあまり多くありませんでした」

堕天使と悪魔は一瞬だけ視線を合わせ、それぞれの思いを確認する。
お互いに、この修練を受けないという選択肢は持っていない。

「その修練は是非受けてみたいと考えておりますが、具体的な内容を教えていただけないでしょうか?」
「内容は、さる場所に安置されている『武芸百般之目録』を持ってきていただくこと。報酬は、『侍学課』の履修許可です」
「おお……侍学課って有名だけど、どんな学課か知っている人が殆どいなかったっすね?」

侍学課はタカチホ義塾の代名詞と言っても過言ではない。
実際に他校の生徒にタカチホで思い浮かぶ学課と聞けば、侍学課を挙げるモノが殆どである。
それだけ有名な学課であるにも関わらず、その内容を知るものはあまりいない。
存在している事は確かだが、内実が知れない不思議な学課。
ソレが侍学課である。

「その通りです。侍学課は強さのみならず、或いは強さ以上に心の在り様が問われる学課。故に、誰にでもお勧め出来る学課ではありません」
「私達は他校の生徒ですが、構わないのでしょうか?」
「心技体を備えた若者であれば、所属は問いません。侍の武士道は、後世に伝えて行きたいモノ。その能力が認められるのに所属で制限してしまっては、可能性を細く狭くしてしまうだけですから」
「成る程……」
「ですが貴女方は今、仲間を一人欠いた状態。それでこの修練をこなすのは難しいと考えます」
「難しいですかね?」
「恐らくは……」

ディアーネ達のパーティーは三人組みである。
その中の一人が欠けるということは、六人フルパーティーの一人が欠けるのとは意味が違う。
最小限の人数から欠員が出れば、必要最低限の集団能力に支障をきたす。

「目録は『力水之社』と呼ばれる聖堂に安置されています。目録にたどり着くまでには、多くのモノノケの脅威が待ち受けている事でしょう」
「モノノケって言うと……?」
「私達で言うところの魔物っすよ」
「その脅威を退けたとして、目録は屈強な門番に拠って守られています」
「その門番と言うのは、強いのでしょうか?」
「はい。只のモノノケではありません。古のモノノフの魂に拠って生み出された、いわば聖なるモノノケです。貴女方は既に学園生徒の領域を乗り越えつつある優秀な生徒ですが、一筋縄ではいかないでしょう」

サルタは其処で言葉を切ると、今回期待を掛ける生徒達を観察した。
ディアーネの事は留学中に良く知っている。
今時には珍しくひたすら基礎を詰め込んだ、いわば巨大建築の土台とも言うべき素材。
その基礎にどのようなモノを築いて行くかは、これからの彼女の歩む道が決めていく事だろう。
そんな悪魔の相棒の堕天使は、素質が余りに多彩すぎて伸ばす方向性を定めきれずにいた才媛だった。
堕天使である事は自ら求めて決めてはいたが、その基礎を導ける教師には最近やっと巡り会った所である。
そしてこの場に居ない妖精の少女……
まだ直接の面識は無いが、この二人と組めていると言うだけで並々ならぬ素質と努力があったのは容易に分かる。
今が一番延びる時期だろうと思うサルタは、この未来明るい生徒達の一助として侍への道を開いておきたかったのだ。
選択肢の一つとして、恐らく有用であると考えるが故に。

「ティティスさんが回復して、修練を受けられる程に体調を戻すまでは、多少時間が掛かるでしょう」
「二人になっちゃうけど、まぁ最初は二人だったしなぁ……」
「仕方ありませんよね? 最近ティティスさんが頼りになるせいで、少し寄りかかりすぎたかなと思わなくもありませんでしたし」
「便利すぎるんだよねぇ……此処は一つ、先輩のポジションをしっかり確認しておかないと」
「決まりですね」
「うぃっす」

前を見据えて揺るがない若者二人。
そうやって進む事に対して嵌る、落とし穴の存在を知らないと言うわけではない。
実際に躓き、失敗して死に掛けた事もある。
少女達は罠の存在を知らないのではない。
知っていて尚、ソレを恐れていないだけである
本当に二人で修練を受けるらしい生徒達に、サルタは内心で苦笑する。
若さであるが、此れを咎める事は出来なかった。

「本当に、お二人だけで修練を受ける心算ですか?」
「うぃっす。何とかなるっすよ」
「無理そうなら引き揚げて増員を検討します」
「そうですね。一度の探索で全てを明らかにせよと言う事ではありません。時には退き、必要な物と知を整え、確実に攻略する事も大切です」

若者にありがちな、進む事のみに捕らわれた生徒ではない。
この悪魔の爆発力を堕天使が上手く制する限り、二人は最高のコンビネーションで事に当たる事が出来るだろう。
そしてエルシェアとディアーネは、そんな自分達ならこの修練も無謀な挑戦にはならないと考えている。
その事を確認出来たサルタは、たった二人で挑戦すると言った少女達を信じる事に決めた。

「分かりました。それでは力水之社への通行許可を出しましょう」
「ありがとうございます」
「今までの冒険と講義で貴女方が培ってきた知恵と力、存分に発揮して、この修練をやり遂げてください」
「頑張るっす」

力強く頷いた悪魔の横で、期待に目を輝かせた堕天使がいる。
話が終るまで我慢していたエルシェアは、ここぞとばかりに歩み出る。

「所で校長先生? 少しよろしいでしょうか」
「何でしょう」
「少しだけ、本当に少しだけでいいんですけど……」
「おや?」
「その毛並み、撫でてもよろしいですかっ?」
『はい?』

実は動物好きだったらしい堕天使。
発言の内容が直ぐには理解できず、サルタとディアーネが硬直する。
その間隙に返答は待たず、エルシェアが存分にもふもふの感触を楽しんでいたのであった。



§



タカチホ義塾を出発した二人は、最初に進路を西にとって『トコヨ』の町を目指した。
そしてトコヨから北に向かって『ヨモツヒラサカ』の町へ向かう。
目的の力水之社から一番近いのはこの町であり、ベースは此処に置く事になるだろう。
今回はティティスが倒れているため、早く用事を終えたい先輩コンビ。
堕天使は『テレポル』の魔法を駆使して、同日中に目的の町へたどり着いた。

「地図は私が用意します。ディアーネさん、補給品をお願いしますね」
「了解っす。予算は?」
「五千ゴールド迄でしたら、食べたいものを用意していただいて構いません」
「任せて!」

それぞれの目的に合わせた交易所で、補給品を揃える悪魔と堕天使。
この時点でまだ日は高かったのだが、大事を取ってそのまま宿に向う。
そして翌日の午前までを休養に当てる事にした。

「それにしてもびっくりしたよ? エルってば犬好きだったんだね」
「動物、可愛いじゃないですか」
「でもあれ、一応『人』だよ」
「一応って言うのは流石に……まぁなんと言いますか、毛むくじゃらなモフモフを可愛いと感じる性質なのでしょうね、私は」

風呂上りの事、寝巻き姿で思い出し笑いを堪えたような相棒の横顔に、エルシェアも苦笑する。
この旅の間、二人は常に取り留めの無い会話を続けている。
話のネタが尽きる事は無かった。
久しぶりに二人になった冒険は、お互いに懐かしさと共に新鮮な興奮をもたらしているのかもしれない。
たった二人だからこそ、自分が一人ではない事がより強く感じられる。
そんな雰囲気だったからだろう。
堕天使は珍しく……
本当に珍しく、自分の原点を相棒に明かせて見せた。

「昔、私の誕生日にママがね……犬の縫い包みをくれたんです。毛むくじゃらの」
「おぉ?」
「本物の犬も、好きですよ。あの子達は私が裏切らなければ自分から裏切ったりしませんから」

苦笑が消えない堕天使の横顔を、一瞬だけ流し見た悪魔の娘。
エルシェアが思い出すのは、プリシアナ学園でディアーネと出会う前のこと。
入学して直ぐ、当たり前のように首席でいた頃、小さな子犬を拾った。
子犬はエルシェアに良く懐いた。
セルシアに負けて無気力になっていた頃、子犬は少し大きくなる。
ソレまで自分を褒めてくれた人たちが、初めての敗北と共に離れていった時……
少しだけ大きくなった子犬は、それでも彼女に懐いてくれた。
周りの見る目が変わっていく中で、犬だけが変わらなかったのだ。
堕天使の記憶が、成長して寮に隠しきれなくなった子犬をリリィに預けた事を思い出した時、相棒がやや躊躇いがちに聞いてきた。

「エルさ」
「はい?」
「エルのお母さんって、どんな人だった?」

ディアーネに取って気になる単語は、犬好きよりも此方であったらしい。
エルシェアは相棒の顔を見ると、遠慮したような瞳に出会う。
一つ息をついて回想のチャンネルをシフトした堕天使。
大切な人に大切な人の事を伝えるこの機会。
自身の言語能力を総動員して想いの欠片を伝えたかった。

「どんな人……か……」
「うん……知りたい」
「そうですね……夜勤が多い人でした」
「夜勤?」
「はい。第一印象を申し上げると、最初にソレが出てきます。娼婦でしたから」
「娼婦……」

エルシェアとしては貴族の娘である相棒が、自分の母の職業を聞いたときどう感じるか予想がつかない。
自分が売女の娘である事は、完全な事実であったから。

「エルはさ、お母さんの事大好きだったんだよね」
「ん、そう思われます?」
「うん。さっきの『ママ』って、凄くあったかい顔してたから」

ディアーネとしてはだからこそ、相手の過去に踏み込むような質問をしたのである。
どんな職業をしていたとしても、娘を愛していた事は間違いないと思う。
その事をエルシェアも自覚していたからこそ、あのような顔になったのだ。
だから知りたい。

「……」

そんな悪魔の表情をどう読んだか。
堕天使は微笑と共に過去を語る。

「……私が物心ついたのは、スノードロップの少し北にある、小さな町の貸家の一室でした。四季は無く、一年が雪に支配された世界。父親の記憶は……ありません。母子家庭でした」
「物心ついたのは……っていうのは?」
「母はどうも、外から其処に移ってきたみたいなんです。私は生後半年から後の記憶は殆ど覚えていますが、その前の事となると自信が無いのです。私を抱いて住み着いたのか、そこで私を生んだのか……」
「生後半年からの記憶って……」
「別に、セレスティアには珍しい事ではありませんよ? 中には生まれたときから乗馬や魔法まで出来たとか言う、バケモノまでいるのですから」
「天使すげぇ!」

本気で驚くディアーネだが、エルシェアも初めてその話を聞いた時は似た様な反応をしたものだ。
一般的にはエルシェアも十分に早熟の領域に入るのだが、上には上がいるのである。
一つ咳払いした堕天使は、話の軌道を修正に掛かる。

「物心ついて直ぐに言葉を覚えて……私がそうなると、母は家を空けて仕事に出るようになりました。住んでる町ではお客さんも取れないようで、スノードロップまで行って客を探していたようです」
「エルは、その間どうしてたの? 何処かに預けられていたとか……」
「えっと、私は母の事愛していますが……何事も完璧にとは行かないものです。幼い頃は本当に命がけの日々でした」
「え?」
「なんというか……小さな娘を極寒の地で、家の中に一人にしたらどうなるのか、想像がつかなかったのかな……それともなまじ私が生き残ったから、改善する機会を逆に逃していたのか……とにかく寒かったです。家が、本当に凍えそうになるくらい」

エルシェアの母親は、食い扶持を確保するために本当に良く働いた。
当時なら兎も角、今ならそのことが分かる。
堕天使が育ったのは雪国の小さな町の、しかも裏町である。
母親と同じような娼婦は多くいたし、その中には自分一人の身すら養いきれずに飢える者もあった。
そんな世界で、自分と娘を生かしたのである。
ソレは尋常な苦労ではなかったと、堕天使は思うのだ。

「不満はありませんでしたけどね。それが他から見てどれ程異常であろうと、私に取ってはそんな日常が普通でしたから」
「むぅ……何となく、エルの強かさのルーツを垣間見た気がする」
「はい。自分でも、エルシェアと言う個人の原点ってあそこだと思っています。そして、生きていくために必要だから、私は言葉と殆ど同時に魔法を覚えました」
「魔法?」
「ええ。寒くて死にそうだから、暖を取るために『ファイア』を覚えました。水を飲まないと死んじゃうから、『アクア』を覚えました。アクアで作った氷をそのまま食べるとお腹を壊すから、作った水は一度沸騰させて飲むようになりました」
「……逞し過ぎるよ」
「当時の私はそうやって生き延びて、母を待つのが日課でした。そして五年ほど、無変化の時を過ごしたのです」

堕天使の脳裏に浮かぶのは、綺麗だがあまり愛想の良くなかった母親の姿。
自分は母を愛していたし、愛されている事も感じていた。
愛情を表現する事は、お互いにとても不器用だったけれど。

「時が過ぎて……私の手足が少しずつ伸びれば、出来る事も変わってきます。私は、自分で作った不味い水と母が作り置きする食事の落差に耐えかねて、料理を覚えたくなりました」
「お母さんと、接点が出来たのかな?」
「はい。そんな所です」

―――なにしてるの―――おぼえたい―――そう―――

話した事は、たった此れだけ。
後は母が手際よく調理をする所を、只見ていた。
しかしエルシェアはその一挙手一投足を今でも鮮明に思い出せる。
思い出せるという事は、自分自身でソレを再現する事も出来ると言う事である。
この堕天使にとって、それが最初の学習だった。

「お料理を覚えてからは、随分と生存が楽になりました。母もその頃になると多少は学習してくれたらしく、食料や固形燃料などは多めに家に置いてくれるようになりましたから」
「もう、なんと言っていいか……」

微妙な表情を浮かべる相棒に、苦笑を持って答える堕天使。
この部分はどれだけ語っても理解を得てもらう自信が無かった。
母親の育児が決して合格点に達していない事は、堕天使自身も身を持って知っていたのだから。
そしてエルシェア自身も、自分だけの宝物にしておきたいモノがある。

「……」

娘が少しずつ家事を覚えると、母子の生活時間が決まっていった。
夜に働く母は日が高いうちに就寝する。
母親が眠るとエルシェアは起き出し、母が作り置いた食事を取って、掃除や洗濯を済ませてしまう。
家事が一通り終ると、母の寝室へ行くのである。
何をするわけでもない。
眠る母の顔を、ただ見ていた。
時が過ぎ、日が傾き、少しずつ変わる光源が母の顔を照らすのを、飽きもせずに見つめていた。
夕刻が近くなると、エルシェアは母の額に唇を落として部屋を抜ける。
そして二人分の食事を作り、一人分を食べて就寝するのだ。
入れ替わりに起き出した母は、娘の作った『朝食』を食べて仕事に出る。
朝方に仕事から帰った母は、やはり二人分の食事を作り一人分を食べて就寝する……
毎日が、その繰り返し。
しかしある時偶々寝付けなかった娘は寝たふりをする中で、母が出かける前に自分の額に口付けしてくれていた事を知った。
それは、この堕天使にとって一番大切な記憶の一つである。

「……懐かしいなぁ」
「……」

少し遠くを見る瞳と、口元を彩る無意識の微笑。
その表情を見つめる悪魔は、相棒が普通ではないにしろ、幸せな時間を過ごしてきた事を窺い知る事が出来た。
思い出を取り出す作業の間に、その海に浸ってしまった堕天使。
ディアーネはそっと席を立つと、備え付けのキッチンへ向かう。
エルシェアが戻ってくるまでに、好物の紅茶を入れておいてやりたかった。



§



温かい紅茶で小休止し、その間も二人の話は続いていた。

「……そういえば最初に話した縫ぐるみ、此れを頂いたのも、五歳の時だったです」
「おお?」
「そうですねぇ。そう考えると、五歳の誕生日はある意味での分岐点と言えたかもしれません。私が『親切なおじ様』と面識を持ったのもこの時でした」
「親切なおじ様?」

母子家庭の中に入り込む親切な男。
ディアーネには胡散臭い印象しか沸かないらしく、その表情が引きつった。
そんな相棒の顔を敏感に読み取ったエルシェアは、悪人ではなかった事を付け足した。

「本当に、良い人でしたよ。顔も人柄も家柄も」
「へぇ……良縁だねそれは。でも接点って何処だったの?」
「私が知っているのは、母の一番の上客だったということです。母とおじ様の間には、別の絆があったのかもしれませんが……とにかく、その人は私の誕生日だけ母を買うのです」
「……」
「そして、何もしない人でした」
「ん? 何もしないって言うのは……」
「娼婦を買って抱かないのなら、休めるでしょう? だから、誕生日だけは私……一日中母と過ごす事が出来たのです。本当にささやかながら、お祝いもしていただきました」
「紳士だねぇ」
「本当に、ママもどうやって捕まえたのやら……」

年に一度だけ顔を見せ、母と自分を繋いでくれたその男は、セレスティアだった。
母からのプレゼントが毎年縫ぐるみだったのに対し、その男がくれたのは教科書。
教えてくれる者はいなかったが、エルシェアの生活に読書というサイクルが出来上がったのもこの時期である。
幼い少女への贈り物としてソレはどうかと思う堕天使だが、お陰で一般的な家庭の子供程度の学力は維持できたのであった。

「なんと言いますか……ある意味で娘の扱いがずぼらだった母と違い、気配りが出来て物腰穏やか。今思い返してみても、此れと言った欠点をあげつらう事が出来ない方ですね」
「完璧超人だね。そんな人がいるんだ……」
「はい。ですが、完璧すぎて今の私には、逆に不気味に感じます。人間味が薄いと言いましょうか……作り物めいた印象なんですよね」
「何となく分かるなー。なんか、うちの会長みたいだね」
「……もしかしたらセレスティアにはそういうの、多いのかもしれませんね。確証ってありませんけど」

堕天使は喉の渇きを覚えて相棒が入れてくれた紅茶を含む。
既に湯気は収まっているが、染み込ませるようにゆっくりと飲んだ。

「時は過ぎて……年に一回、縫ぐるみと新しい教科書が増えて……後一週間で六つ目かなぁという時に、また一つの転機が訪れました。母と、ちょっとした喧嘩をやらかしたのです」
「なんでまた?」
「私が母の仕事を手伝うと言い出したからです。おかしいですよね? 自分がやっている事を娘がやりたいといったら怒り出すんですから」
「おかしい……か?」
「どうも、私には理解しづらかったのですが……母は、私を娼婦にはしたくなかったようですね」
「そりゃ、自分の娘を愛しているなら、そういうことはさせたくないって考えるのは普通じゃないかな」
「普通……なの?」
「ん……多分……」
「……なるほど。普通だったんですね」

エルシェアは母を手伝いたかっただけで、別に娼婦になりたかったわけではない。
しかし彼女にとって指針となるのは母親しかなく、その母親が娼婦をしているのだから選択の余地など無かったのだ。
自分の希望に代替を出すわけでもなく、真っ向から否定された事に対しては未だに理解も納得もしていないエルシェア。
だけど、母とディアーネの意見が一致するなら……
ディアーネが、母の気持ちが分かると言うのなら、きっと間違っているのは自分のほうなのだろうと思う堕天使だった。

「そんな喧嘩をしたきっかけは、母に将来の希望を聞かれたからです。正直あれは、困りました。私にとって将来なんて、明日のお夕飯は何を作ろうかと言う所までの事しかなかったので……」
「ずっと、そうしてきたんだもんね」
「はい。ですが漠然とでも答えないといけない気がして、やっと思いついたのが母の真似だったのですが……何時の間にか、喧嘩になってしまいました」
「将来の事で親子喧嘩っていうのは、まぁ良くあることだよ」
「そうですね。でもその途上で相手が血を吐いて倒れるところまでは、私も予想しませんでした」
「あ?」
「珍しい事を聞いてくるなとは思ったんですが……どうも母はその時、既に体を病んでいまして。流石に自分のいなくなった後、私がどうやって生きる心算か気になったみたいです」
「……」
「母はそのまま起きられなくなって……何時の間にか私の誕生日が来て……何時ものように、おじ様がいらっしゃって……」

母の血を見てから、娘はずっと混乱していたのだろう。
時系列では正確に母との喧嘩が誕生日の七日前だと覚えているが、その七日をどうやって過ごしたか記憶が非常に曖昧だった。
母が倒れてから、誕生日に尋ねてきた男の顔を見るまでの記憶が、堕天使自身も当てにならないと感じている。
確かに覚えているのは、自分が母の不興を買った将来について男に相談した事。
そして、男が冒険者養成学校への進学を勧めてくれた事だった。

「おじ様に冒険者養成学校への進学という選択肢があることを教えていただきました。在学中に単位と学費を同時に稼げるという事で、代替案としては申し分なかったと思います。母も、それには納得してくれました」
「そっか」
「その年の……そして、最後のプレゼントは二人とも何時もと違っていました。おじ様は三学園全ての学校の、初等部の紹介状を書いてくださり、母は……魔法を一つ、教えてくれました」
「魔法?」
「はい。一番得意な魔法という事でしたが……実は、まだ使いこなせていないんですよね」
「エルでも使えない魔法かぁ」
「んー……もしかしたら今なら使えるかもしれませんね。教えてもらったのは何年も前で、当時は発動すら出来ませんでしたが……その後色々あったので、あまり試す機会も無かったんですよ」

この魔法が自在に操れるようになれば、誰にも負けないと教えてくれた母。
その言葉を肯定するように、優しい微笑と共に頷いた男。
当時のエルシェアにとって、自分の世界の住人はこの二人だけであった。
その二人が太鼓判をくれたのならば、きっとその通りなのだろうと思う。

「私が一つ年を取って……母が亡くなりました……おじ様が来て下さる日だったのは、本当に運が良かったです。母の埋葬とか、役所への届けとか……いろいろな事をしてくださって。最後には、私を養女に迎えてくださるとまで申し出てくださいました」
「本当に良い人だねぇ」
「はい。ですが私も、其処まで厚かましくもなれずに辞退いたしまして……母の遺品整理して、おじ様に頂いた紹介状を頼りに三つの学校を巡ってみました」

旅を始めた最初こそ戸惑ったものの、野外の生活も乳幼児期の彼女の生活環境に比べれば幾分マシと言えた。
基本的にエルシェアは、寝たまま凍死しない環境であれば生きていけると思っている。

「一人旅というのも、随分私の性に合っていまして。魔物倒してお金稼いで宿に泊まったり、適当に野宿してみたり……」
「小さい時からサバイバルしてたんだもんね……そりゃ野宿なんかも余裕だよね……」
「大陸をぐるっと一回りして……適当にブラブラしながら、だいたい七年くらい根無し草やってたかな?」
「どんだけ流離ってたの!?」
「いやぁ……何となく、このまま旅人でも生きていけそうだなと感じるようになりまして、それなら学校とか行かなくても、別にいいかなって」
「実にフリーダムっすねぇ」
「お家や家族で苦労なさったディアーネさんからすると、逆に羨ましいかもしれませんね」
「うーん……そこまでフリーハンド貰っちゃうと、私は何していいか分からなくなっちゃいそう」

ディアーネは腕組みし、その状態をシュミレートしようと試みる。
どの方向にも踏み出せる状況は、最初の一歩を踏み出すのに強い迷いを抱く。
更に一般的な感覚では裕福な貴族の娘である悪魔としては、この話を聞いたあとで相棒に対し自分の方が辛かったとは言えなかった。

「あっちこっちをフラフラと、でも一応学校付近は目指そうかなって感じで……最後にたどり着いたのはプリシアナ学園でした」
「それでそれで? プリシアナ学園を選んだ切欠って?」
「……おじ様の勤める学校だったから」
「え!? エルの恩人が学校に居たの?」
「いたんですよ……正直嵌められたと思いました」
「はー……ソレは、ちょっと会って見たいかも……」
「お会いしてると思いますよ? 学園行事でもあった時には、大聖堂の壇上で必ず」

誰だろうと考え込んだディアーネは、式典や行事で必ず壇上に上がる人物を脳内でリストアップする。
エルシェアは必ず会っていると言ったのだ。
ならば、重要行事には必ず出席していて毎回壇上に上がる人……そして、セレスティア……

「まさかその人っ!?」
「……お察しの通り、セントウレア校長先生です。いや本当に、当時は何の冗談かと思いましたよ」

エルシェアがプリシアナ学園へ入学を決めたのは、実際は知人が居た為と言うだけではない。
セントウレアは自分がプリシアナの教師であるにも拘らず、全ての学園の切符をエルシェアに選ばせてくれた。
その人柄と行為の公正さが、学園の中でも自分の知る彼と同じである事を見て取れたからこそ、セントウレアの学園で学びたいと考えたのだ。

「一応この事を知っているのは、リリィ先生と貴女だけです。校長先生と個人的に縁があると知られると面倒ですので、その点は御内密に」
「ソレは分かった。誰にも言わない。だけど……」

堕天使は相棒が言いよどんだ言葉の内容が予想できる。
恐らく自分が当時考えた、今思うと嫌過ぎる想像と同じであろうと。
その件でははっきりと回答できる用意があったため、エルシェアは余裕を繕ってディアーネを見据える。
ディアーネもそんな相棒の視線を受けて、躊躇いを振り切って聞いてみた

「ちょっと、気になったんだけどさ……エルのお父さんって……」
「ソレは違います。私も気になったので本人に確認し、その証拠になる校長先生の家の記録や日誌も見せて頂きました。正直、セルシア君を叔父様と呼ぶのは……ジョークとしては笑える気がしますけれど、本当にそんな嵌めに陥るのは嫌でしたし」

ディアーネは貴族としての感性と思考から、その記録や証言の信憑性は五分だと感じる。
しかし相棒が敢えてその先を考えないようにしている事も感じたので聞き流すことにした。

「うーむ……流石にリアクションに困る事聞いちゃったかも……例え血縁無かったにしても」
「おや、聞いた事を後悔なさっています?」
「まさか。そんな事ないよ。エルが教えてくれて嬉しい」

屈託無く笑うディアーネは、いつもと変わらないように見える。
自分の事を明かすというのは、例え相手を信じていても心身に負担を強いるものだ。
恐らく自分が貴族であると告白した時、ディアーネも似たような心境だったのだろう。

「まぁ、私に取っては何処までも『親切なおじ様』なんですよ。母とどんな関係だったのかは気になりますけど……ソレはきっと、あの人がお墓の中まで持っていったことだと考えています」
「そうだね。私もそんな気がする」

一頻り語った堕天使は、既に冷え切った紅茶を干した。
相棒の悪魔も其れに習う。
外を見れば既に日は落ち、陽光は各家庭から漏れる生活の明かりに席を譲りつつあった。
そこで漸く疲労を感じた二人は、それぞれに大きな欠伸を飲み込んだ。

「さて……満足いただけましたか、お姫様?」
「大満足。私きっと今日眠れないよ!」
「寝なさい。明日はクエストです」

笑い合った二人は同時にベッドへ倒れこむ。
本当に疲れていたのだろう。
直ぐに寝息を立て始めたのは、黒い翼の天使だった。
安らかな寝息を立てるその顔に、心の一部が温かくなる悪魔の娘。
しばし相棒の寝顔を見つめて逡巡したディアーネは、一つ息をついて瞳を閉じた。
割と度胸の無いこの悪魔には、堕天使の母と同じ事は出来なかったのである……












後書き

侍学科開放編をお届けします。
今回大半はうちの腹黒セレスティアの過去話でもあります。
自キャラの過去なんて需要が読者のどの層にあるんだろうと悩むこと数ヶ月orz
連作の最初期からこの辺も決まっていましたが、まさか出力出来る日が来ようとは思っていませんでした。
でも興味ない方は本当に興味はないと思います。
次はちゃんと冒険もすると思いますので、今しばらくお付き合いくださると嬉しいです。
それでは、なるべく早く後編でご挨拶出来るように頑張ります><






[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act2 後編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:bd6dbf19
Date: 2011/11/17 23:56

『力水之社』に踏み入ったディアーネは、その作りに既視感を覚えて呟いた。

「此処……なんか『蹲踞御殿』と雰囲気が似てるかも」
「蹲踞御殿?」
「うん。こっちに留学してる時に攻略した所だよ。門番がちょっと強かったけど奥は楽だった」
「ふむ……此処もそうだといいんですがねぇ」
「そうだね……まぁ、油断しないで行こう」

ディアーネの言葉に頷いたエルシェアは、前を行く悪魔の背中を目指して歩く。
ティティスの抜けた穴を補うべく、サブ学科に光術師を選択した堕天使。
得意とする鎌の射程を生かして後衛に控えたエルシェアは、地図を広げて行き先を示す。

「其処を真っ直ぐ行きまして、T字路を左ですね」
「おぉ? エルってば此処の地形知ってるの?」

ディアーネの疑問は、冒険者に共通する固定観念から来たものだった。
この世界で地図とはパーティーか、もしくは個人単位の持ち物である。
冒険者にとって完成されたラビリンスの地図とは、生命線と言っても過言でない価値を持つ。
それゆえに、一般の店に完成された地図が並ぶことは有り得ないのだ。
初見の迷宮で冒険者が最初に行うべきは地図の作成である。
これさえ出来れば、例え途中で帰還したとしても、魔法なり道具なりで続きから探索できるのだから。

「流石に来たことはありませんが……今回は二人で此処に挑まないとじゃないですか」
「うぃっす」
「なので少しでも負担を小さく進む為、怪しいお店で少しお高い地図を購入したのですよ」

そう言って堕天使が見せた地図は、序盤の道筋があらかじめ書き込まれたモノだった。
全階層で九フロアあるラビリンスの内、四フロアまでの直線進行ルートが記されている。
寄り道をせずに真っ直ぐ先へ進めれば、道中の回復アイテムや魔力を温存できる。
少数精鋭で進まねばならない二人にとって、これほど有難いことはなかった。

「流石エルってば、抜け目ないね! 最後には強いボスがいるってサルタ先生言ってたし、此処は道中節約したい」
「ですよね。少し冒険者の常識からは外れてしまいますが、別にこういう事がダメというルールはないんですから」

問題は掴まされた地図が偽物だった場合なのだが、堕天使もその辺は考慮している。
地図を購入する前に店の評判と客層を調べ上げ、正規の商品を扱っていない店の中では良質の品を扱う店選んでいた。
そもそもこの類の店で簡単に偽物などを売った場合、その悪評は一般の店よりはるかに早く、また誇張されて知れ渡ることは必至である。
かなりの出費だったが、書いてある部分までは信用できると思うエルシェアだった。

「まぁ、おかしな所に飛ばされても面倒ですから、この地図を頼りに転移魔法は使え……」
「ん……」

地図に視線を落としていた二人は、微かな違和感を覚えて顔を上げる。
殆ど同時に正面から現れた魔物の群れ。
宙を飛び、長い尻尾を鞭のように振り回してくるその魔物は、ディアーネには見覚えがあった。
警戒が甘かったことを自覚した悪魔は、内心で舌打ちしつつサイドステップで攻撃を躱す。
後ろにティティスが居れば足を止めて迎え撃ったろうが、相棒がエルシェアであれば例え流しても問題はない。
実際、堕天使はディアーネとほぼ同時に回避に移り、傷一つなく距離を取った。

「アレは……」
「『エレキブラスト』だね。雑魚だよ」

そう言いつつ、ディアーネは背負った大剣を抜き放つ。
悪魔の構えた『魔剣オルナ』は、鞘から釈かれた瞬間から濃密な魔力を刀身から放っていた。

「『サンダー』」

堕天使の声が空気を震わせ、言霊に導かれた魔法がその効果を発揮する。
小さな落雷は最初に先行した魔物を捉え、その動きが一瞬止まった。
間髪入れずに迸った悪魔の斬撃が、魔物を二つに両断する。

「ディアーネさんは、この子達をご存知で?」
「うぃっす、前に戦ったことある」
「なるほど」

後続の魔物が追いついてくる。
八匹程の群れは、最初の仲間がやられたために警戒しているのか、直ぐには襲ってこなかった。
堕天使は範囲魔法で一蹴しようと考えたが、ふと思い直して武器を構えた。
エルシェアが使うのは片手鎌の『シックル』と、恩師から授けられた盾『アダーガ』である。

「雑魚なんですよね?」
「うん」

言い切ったディアーネは、躊躇せずに相手の中に飛び込んだ。
踏み込みと同時にオルナを振るい、一匹の魔物を両断する。
その様子に頷いたエルシェアは、魔力の温存を決定した。
エレキブラストは左右にやや大きく展開し、飛び込んだ悪魔を囲もうと動く。
しかし間髪入れずに閃いた鎌が、悪魔の右手に陣取った魔物を切り伏せた。
同時に魔物の群れも数を頼んでディアーネに反撃を試みる。
三方向から振り回される尻尾。
空気を切り裂いて飛来するそれは、十分な威力を感じさせた。

「おっと?」

堕天使が一匹潰して作ったスペースを使ったディアーネは、余裕をもって回避し……
避け様に二つ剣を返し、二匹の魔物に確実な致命傷を撃ち込んだ。
更にエルシェアの追撃が魔物を切り裂くと、数の優位すら失った相手はまたたく間に駆逐された。
真新しい死骸の臭いに眉をしかめたディアーネは、周囲を警戒しつつ刃に付いた血を払う。

「まだ、なんとも言えない訳だけど……」
「そうですね、この程度なら問題なく進めるでしょう」
「だね。ポイントは地図に無い五層以降をどれだけ温存して進めるか、かな?」
「はい。何せ、九階層もある難所ですからね……流石は名高い侍学科の免状試験。一筋縄ではいきません」

微笑して語る二人の生徒。
この時点ではまだ、彼女達は確かに笑えていた。
やがてこの笑顔が凍りつき、その瞳から光が消えていくのはこの後数時間後のことである。

「あ、見えてきましたね……最初の階段」
「どうせボスは一番奥だし、とりあえず行けるところまでガンガン行こうか」
「そうですね、此処で回り道しても得るものはなさそうです」

後に二人にとって『冥府の迷宮の再来』とまで言わしめた、冒険探索の大失敗……
『力水之社迷走事件』は、こうして始まったのである。



§



序盤を一直線に踏破した二人は、いよいよ未開のフロアへ挑むこととなった。
此処まで彼女らが苦労する敵は現れていない。
しかしかなりの数が一度に現れる事もあるため、気を抜く事は出来なかったが。

「さて……此処からっすね」
「迷宮探索の始まりです。ディアーネさん、地図書きながら行きますので、進行を気持ち遅めにお願いします」
「うぃ。でも、何時もエルがやってくれるじゃない。偶には交代する?」
「大丈夫です。こういう作業好きなんで」
「そっか。じゃあお任せ」
「承りますお嬢様」

エルシェアに減速を頼まれた悪魔だが、もともと彼女自身もそれ程早くは動けない。
先を歩く彼女は索敵と罠警戒をしながら進まねばならず、結果としてそれは堕天使のマッピング作業と釣り合った。
本人同士が全く意識もしないところで、相性のいい二人である。

「うおっ!?」
「おっと?」

突然床が反転し、悪魔が半歩よろめいた。
堕天使も巻き込まれたが、彼女は間髪いれずに浮遊して、宙空で平衡感覚を取り戻した。
迷宮によくある、回転床トラップである。
これだけならば、ただの嫌がらせに過ぎないが……
強制的に通路の壁と対面させられたディアーネは、一見なんの変哲もない壁を慎重に調べる。

「基本だけど……えげつないっすね」
「お……まぁ素敵、電撃壁ですね」

壁には魔法の処理が施され、一部に高圧電流が流されている。
回転床で方向感覚を狂わせ、思わず壁に手をついた時に冒険者を感電させるトラップコンボ。
ある程度熟練した冒険者になると、魔物よりもこの手のトラップの方が嫌になるとも言われている。
これは冒険者にとっては性格が如実に出る部分であり、高レベルにも関わらず何度も罠に掛かる者もいれば、初心者でも慎重にくぐり抜けて行く者もいた。

「この程度のトラップでしたら、可愛いものですけれど」
「ほほぅ、エルだったらどんな組み合わせの罠を作る?」
「そうですねぇ……」

言葉を交わしながらも、意識は迷宮に向けている二人。
方向を正し、地図に罠を書き込み、慎重に先へ進んでいく。
両者の会話はそれらの作業の片手間に行われているため、話が数分に渡って止まることもしばしばある。
それでも切れた部分までの会話は忘却せず、唐突に続けられる話にも対応している辺り、熟年夫婦のような貫禄が伺えた。

「私なら、『ディープゾーン』の床に『アンチスペルゾーン』しいて、浮遊魔法を無効化すると同時に水没させますかねぇ」
「ひでぇ!?」
「『ワープゾーン』とか『ムーブエリア』の着地点にそれを仕掛けておくと、警戒もしにくくていい感じですよね」
「鬼畜がいるよぉ……」
「そういうディアーネさんでしたら、どんな罠を仕掛けます?」
「ん……エルのを聞いちゃった後だと、ハードル高いなぁ」

そう呟いた時、丁度襲ってくる魔物の群れ。
二人の会話は再び途切れ、堅実な各個撃破で殲滅する。
半数を仕留めたところで怖気付いたらしい魔物達は、バラバラになって逃げ出した。
悪魔はその様子を無感動に見送り、堕天使もそれに倣った。
迷宮の魔物はいくらでも湧いてくるものである。
戦意を失った相手まで殲滅していたら、身体が幾つあっても足らないのだ。
当面の危機が去った時、また唐突に始まる会話の続き。

「私なら……私なら……」

アイデアが出てこないらしい悪魔の様子。
その背を見つめる堕天使は、微笑ましさを覚えて息をついた。
単純にして根が善良なこの悪魔は、相手を陥れる発想で作る罠というものに適正がないのだろう
これは知性の優劣ではなく、性格の問題である。
エルシェアとしては、この質問に答えられない悪魔の娘を逆に好ましく思うのだ。

「んー……ごめん。ちょっとした悪戯位の物しか思いつかなかったよ……」
「悪戯……ですか?」
「うん」
「参考までにお聞きしてもよろしいですか?」
「いいけど、エルに言ったら笑われそう。本当に、子供のお遊びだよ」
「全然構いませんよ。知恵や発想は人それぞれの切り口があるものです。本当に無駄なものって、私達が思っている以上に少なかったりするんですよ」

ディアーネはどれだけ不味い提案でも相棒が受け入れるつもりらしいと知り、肩越しに振り向いた。
そこには地図に目を落とし、忙しく地形を書き込む堕天使。
いつもと同じその姿に微笑した悪魔の娘は、再び進みながら答えていく。

「そだね、私なら……ワープゾーンをいっぱい使うかな」
「ワープだけですか?」
「うん。それならほら……誰も痛くないじゃない」

誰も傷つかないで済む、ラビリンスの中のちょっとした悪戯。
予想した通りの可愛らしい提案に、エルシェアは顔を上げて悪魔の背中を見つめる。
先ほどディアーネが振り向いた事をこの堕天使が知らないように、今見つめられていることをこの悪魔は気づいていなかった。

「ルートを絞って最初だけ一本道にしてね? その先に分岐と小部屋を沢山つくるんさ」
「ほう」
「でね? 通路とその先の部屋に、ワープをいっぱい配置するの、全部入口に戻っちゃう奴」
「ふむ……ぇ?」

つまり、そのフロアのワープ全てが罠ということになる。
しかも冒険者は先に進むために、幾度も同じ道を通らねばならない。
初見の迷宮は皆手探りでマッピングしなければならない為に、敷き詰められたワープゾーンはほぼ全て踏み抜かねばならないだろう。
その度に、振り出しに戻される……
堕天使の口元がやや引つり、前をゆく悪魔の背中に視線が注がれる。

「でね? 分岐と行き止まり小部屋のワープを全部くぐり抜けた一番奥の部屋に、メインルートに続くワープゾーンがひとつだけあるの」
「つまり最後の部屋にもダミーワープてんこ盛りなんですね?」
「そりゃそうっすよ。やっぱり最後まで手は抜かないで行かないと」

一体この悪魔は、一フロアを何往復させるつもりなのだろうか?

「あの……ディアーネさん? つかぬことをお伺いしたいのですが……」
「あ、そうそう! 魔物は普通より弱い雑魚をいつもの倍で襲いかかって来る仕様だと完璧かな……ってエル? なぁに?」
「…………いいえ、なんでもありません」

せめてエンカウントは無しだろうと確認したかった堕天使である。
確認するまでも無く希望は打ち砕かれたが。
逆に戦闘回数を増やして、相手は経験値にもならない雑魚という徹底振り。

「あんまり強い魔物だと滅入っちゃうし危ないからね。弱めの敵が丁度いいよねきっと」

ディアーネの発言の根本は、その迷宮に挑む冒険者への安全を考慮したものらしい。
しかしこの悪魔の発想こそ、まさに匠の『心折設計』に通じるものだと堕天使は知っていた。
人は無為だと分かっている行為を、延々と継続出来るほど強くないのである。
もしかしたらこの悪魔にとっては、無意味に思える往復も苦にならないのかもしれないが。

「それにしても、エルってやっぱり凄いよね! 罠一つとっても厳しいよ」
「そのお言葉そっくりお返ししますよ」
「……? 良くわかんないけど、エルが敵じゃなくて本当に良かったって思う」
「はいわたくしも、でぃあーねさんがてきじゃなくてほんとうによかったです」

やや片言の棒読みな相棒が気になった悪魔だが、再び襲いかかってくる魔物の群れにお喋りは一時中断される。
エルシェアの動きは特に変わったこともなく、二人は高速連携で複数の敵を巻き込み、一気に殲滅してしまった。
戦闘が終わったとき、ディアーネは再び相棒を見つめるが、その時にはエルシェアは、何時もと変わらぬ風を取り戻していたのである。



§



初めに違和感に気がついたのは何時だったろうか。
各フロアを慎重に踏破していく少女達は、それなりの被害を受けつつもその歩を確実に進めていた。
ダークゾーンあり、回転床あり、ダメージトラップありと、それなりに豊富な罠には苦労したものの、二人の足を止めるには至らなかった。
それにも関わらず、少女達の足取りは重い。
各々の表情は虚ろであり、重いため息が無意識に溢れる。
その時、正面から現れる見慣れた魔物の群れ。
最早何匹切り倒したか、悪魔も堕天使も覚えていない。
力水之社の侵入してから、既に七時間。
目的の目録を探して只管さまよい続けていたのである。

「うざいっすよ……」

無表情のまま淡々と切り倒すディアーネ。
剣の冴えと引き換えにして感情を無くしたかのようである。

「……」

無言でアダーガを叩きつけるエルシェア。
しばらく前から、この堕天使は鎌ではなく盾を使って魔物を殴り潰していた。
特に危なげなく魔物を駆逐した二人は、お互いに暗い表情を確認する。

「今、どこだっけ?」
「ん……」

問われて地図を確認する堕天使。
九フロアに及ぶ広大なエリアの迷宮。
その最深部に届いたのは、なんと三時間以上も前の事。
其処には『うにうにチタン』という珍しい生物がいたのだが、目的のブツは無かったのだ。
苦労してラビリンスの最深部に到達した挙句、衝撃の事実に気力を削ぎ落された二人の少女。
しかし彼女達は諦めなかった。
それならばと地図を広げ、迷宮の最深部からローラー作戦で空白部分を埋める作業を始めたのである。
それ程苦労するとは、この時考えていなかった。
エルシェアもディアーネも、目録があるのは迷宮の深部であるとの固定観念から抜け切れず、九~七までのフロアを潰せば終わるだろうと思っていたのである。

「えぇと……今……最初のフロアまで戻ってきました。これが最後です」
「そっか……まさか此処まできちゃったか」

最新部からのローラー作戦も、ついに大詰め。
既に八階層の地図を埋め尽くした二人は最後の、そして本来なら最初に埋めていたであろうエリアのマッピングを開始した。
この時、エルシェアもディアーネも既に半ば諦めており、このフロアを埋めたとしても目録を見つけられるとは思っていなかった。

「私達、あの巨大ドワーフに騙されていたんでしょうか……」
「それはないと思いたいんだけど……此処まで見つからないと、何か罠があったんじゃないかって気がしてくるよ……」
「もし、『実は目録なんてありませんでしたこの経験が二人の宝物さ』なんてありがたい訓示でもいただけるなら……あの毛むくじゃらの暗殺クエストをうちの図書館に張り出しても許されますよね?」
「その時は報酬は、私が実家から私物だすよ。三千万G位は確実に集められるから」
「お願いします」
「まぁでも、どうせ私達がやるんだろうね」
「そうですね。これは人任せには出来ませんよね。憎しみ的な意味で」
「あはは。じゃあ、クエストの意味ないっすねー」
「うふふ。ですねー」
『あはははははははは』

不穏な台詞を交わし合い、壊れたような哄笑が力水之社に響き渡る。
数時間に及ぶ迷宮探索は二人の精神を蝕み、その思考を鈍化させていた。
それでも事故が起きなかったのは二人の高い実力と、何より運が良かったからに他ならない。
もっとも、痛い思いをすれば思考は一時でも冷えたろうし、場合によっては撤退して最初からやり直すことも出来たかもしれない。
そうする機会がなかったことが果たして幸運と言えたかどうかは、人によって判断の分かれる所だろう。

「それにしても、これで目録が此処にあったりしたら逆にオイシイと思いません?」
「だよねだよね。ティティスちゃんに良いお土産話ができるよね」
「先輩の威厳は、失墜しそうですけどね……」
「あうぅー」

心底嫌そうに呻く悪魔に、堕天使が嘆息する。
本当に、何時まで潜ればいいのだろうか?
既にフロアの半分のマッピングを終え、残るは一区画に密集する小部屋の中身を確認するのみ。
そして一二ある小部屋のうち、八部屋が既にハズレであった。

「後四部屋。さっさと済ませてしまいましょう。そして何もかも忘れて、お風呂入って休みましょう」
「うぃっす。そしたら戻ってティティスちゃん連れてさ、どっか遊び行こう。しばらくクエストなんか受けるもんか」
「大賛成ですディアーネさん。長い人生、自分にご褒美を上げなければ誰も生きていけませんよ」

ディアーネは乱暴に扉を蹴破り、エルシェアは不意打ちを警戒する。
動きはやや雑になったが、それでも必要最低限の警戒と布陣は条件反射に刷り込まれていた。
一つ目の扉。
何もなし。
扉を閉めて次の部屋へ。
二つ目の扉。
魔物の群れ。
『ファイガン』で焼却処分して次の部屋へ。
三つ目の扉。
宝箱。
何事もなかったように扉を閉める。

「此処が最後のお部屋ですね」
「……長かった」
「ですね……これで何処かに異世界に通じるワープゾーンでもない限り、此処の探索でやり残しは無いはずです」
「もうこの地図、タカチホ義塾に売り飛ばしてもいいよ。それで勘弁してもらおう」
「いいですね。勿論、原本を手元に残してからですけれど」

不穏当な台詞を吐きつつ、堕天使と悪魔は二人一緒に、最後の扉を蹴破った。




――通路の奥から目映い程の光が漏れていた


『……』


――ディアーネたちが近づいてみると、そこには頑丈な石遣りの小さな祠があった


『……』


――祠の扉を開けようとしたとき、周囲の空間が突然、歪んだ


『……』


――ディアーネたちの背中に、針のような鋭い殺気が迸る!




「武芸百般之目録を求めるのは……ひぃぃっ!?」

声の主は振り向いた堕天使と悪魔の視線に恐怖した。
死を連想させる濃密な殺気を纏った女生徒二人。
少女達が必殺の意思を込めて睨めつけたのは、黒鉄の鎧兜に赤い片刃の両手剣を携えたモノノケ。

「阿坊、何をしておる? 試験官がその様では面目が立つまい?」

呆れたように呟くのは今一方のモノノケだった。
白銀の鎧兜に、同色の両手剣。
左右で対のような門番だが、性格はそれぞれに違うらしい。

「吽坊! 貴様少しは空気を読め。この娘らの異様な殺気が分からぬか!?」
「何も……不細工な面が強ばって、更に見れたものでは無くなっているだけで……」
「っ!? 少し黙れ! 之だから年頃の女子の機微も分からん朴念仁は――」

なにやら揉めている門番モノノケ。
その小競り合いを止めたのは小さな、しかしなぜかよく響く靴の音だった。
モノノケの鎧兜が音の方向へ向けられる。
其処には穏やかな微笑と共に、ゆっくりと踏み出した悪魔が一人。
黒鉄の視線は、悪魔から背後の堕天使へ向かう。
エルシェアの表情が進み出た悪魔と全く同じだと確認し、これから起こるであろう惨劇に陰鬱なため息を吐く。
彼は生前の人生経験から、この笑顔で殺気を放つ女が如何に恐ろしい存在か知っていた。
一方、何も考えていないのは白銀のモノノケ。
彼は勇敢にも前に出た悪魔に満足そうに頷きながら、中断された口上を続行した。

「目録を手にすることが出来るのは心技体備えたツワモノのみ! お前達にその資格があるか、我々が――」
「黙れ」

簡潔に呟いた悪魔の視線と意識は、白銀のモノノケに向けられている。
ディアーネの意識が逸れた事に小さな安堵を感じる黒鉄の武者。
しかしその瞬間、彼は背筋に冷水を落とされたような違和感を覚えた。

「……」

悪魔の意識が白銀のモノノケに向いた瞬間から、背後に控える堕天使は黒鉄の武者しか見なくなった。
黒鉄は少しでも状況を整理しようと思考を巡らし、危険極まりない現状の確認作業を行う。
このようなとき、能天気な相棒が羨ましい黒鉄である。
生前からそうだった。
相棒の白銀が適当に無茶をやらかし、自分が後始末をしていくのである。
トラッシュトークが加熱していく相棒と悪魔の様子を尻目に、堕天使と睨み合いを続ける黒鉄。

「……」

此処に来たのは、今部屋にいる堕天使と、悪魔の娘の二人だけ。
意識を迷宮に飛ばしてみても、他に敵の仲間がいる気配はない。
彼がタカチホ義塾と盟約を結び、侍学科の免状試験の最終試験官を務めて以来、二人だけで此処に来たものはいなかった。
この修練には義塾の校長と職員の同意が必要であり、少なくともこの二人は其処で認められていることになる。
たった二人で、自分達と戦うことを。

「一番奥まで行ったとな? 愚か者め。足元を疎かにするからそのような目に合う」
「私ね? 侍学科に憧れてたの。その免状が、迷宮の入口に転がってるなんて思わなかった。なんの苦労も無しに得られる程度の学科なら、別にいらなかったよ」
「苦労が無いとは笑わせる。我らを打ち倒さねば、侍学科の道は開けぬぞ?」
「あんたら倒す苦労なんざ、迷宮七時間さまよう苦労の足元にも及ばねぇっす」
「哀れだな小娘。弱い犬ほどよく吠えると言う言葉を知らないらしい」
「そっちこそ、あんまり大口叩くと負けたとき惨めっすよ」

お互いを罵りながらもテンションを上げていく悪魔と白銀。
両者の手にはそれぞれの得物が握られ、解き放たれる瞬間を待ち望んでいる。
このままであれば、白銀の敵は悪魔になる。
黒鉄はなし崩し的に堕天使の相手をすることになるだろう。
彼はどちらかと言えば、直情的で分かりやすいディアーネの相手をしたかった。
先程から一口も訊かず、穏やかな微笑に静謐な狂気をにじませたエルシェアではなく……

「来るが良い。侍は、己の主張を刀でしか語れぬ生き物よ……」
「英雄は、その剣をもって生き方を示すだけ。いざ尋常に……」
「ちょっと待っ――」

黒鉄が声を掛けかけたその刹那、異口同音に開戦の布告が示された。

「勝負也!」
「勝負っす!」

悪魔の娘と白銀の武者は同時に地を蹴り、大上段から同時に得物を交差させる。
より多く前進したのはディアーネ。
より早く振り下ろしたのは白銀。
突進の優位と落下の優位はほぼ互角の威力を示し、中空でかみ合った二つの刃は凄まじい衝撃を持ち手に返す。
両者は破壊力の余波をまともに引き受ける愚を避け、示し合わせたように同時に踵を捻り、身体の円軌道の中に再び得物を巻き込んだ。
二人とも両手持ちの巨大武器を扱う者同士。
その激突は激しいが、たった一つの刃を避け損なえば、勝負は一瞬で決まるだろう。
無数の斬撃が両者の間に炸裂し、その全てが互いの得物に阻まれる。
完全に二人の世界に入っている白銀と悪魔を、遠い眼差しで見つめていた黒鉄の武者。

「――黄昏導く笛の音よ……」
「!?」

その意識を現実へ引き戻したのは、美しいソプラノだった。
鈴が鳴るような美声で紡がれる詠唱。
剣戟により鉄同士のぶつかる音が響く中、場を圧するでもなく溶け込むでもなく、只流れるその声に、黒鉄の武者は聞き入った。

「……『ラグナロク』」

堕天使の瞳が金色の輝きを帯び、その全身を同色の波動が包み込む。
かつて無いほどの威圧感を受けながら、黒鉄は無意識に太刀を構えた。

「昔、ママが教えてくれたこの魔法。ちゃんと使ったのは、これが初めてです」
「……光栄なことだ」
「正直わたくし自身、自分の変化に戸惑っています。加減も手探りになりますから、あっさり終わってしまうかもしれません。その時は、許してくださいね」

堕天使の表情から作り物めいた微笑が消える。
同時に右手から片手鎌が投げつけられ……
黒鉄が投擲された刃を弾いたとき、後ろから肩に手が置かれる。

「!?」

振り向きざまに刀を振るい、背後に回ったらしい堕天使を薙ぎ払う。
しかし彼自身が予想した通り、手応えが全くない。

「『ビッグバム』」

再び背後から聞こえた、綺麗な高音。
黒鉄が生前の肉体を持っていたら、涙目になっていただろう。
堕天使の唱える集団殲滅用爆裂魔法は、非常識な破壊力で部屋全体を飲み込んだ……



§



戦闘開始からどれほどの時間が経過したのか、知る者はいなかった。
金色の波動を纏った堕天使は、舞うような足取りと浮遊を持って、立て続けに繰り出される剣舞をすり抜ける。
白銀のモノノケと、黒鉄のモノノケ。
そして彼女自身の相棒たる、ディアーネの操る両手剣も。

「エルー!」
「あは!」

鬼の形相で切りかかるディアーネ。
エルシェアの魔法に巻き込まれた悪魔の娘は、精神の限界を超えてキレたのだ。

「エルがあんな地図買ってきたから、こんな事になったっすよ!」
「ディアーネさん、ずいぶん乗り気だったではありませんか!?」
「だいたいエルってば何時も発想が黒いんだよ! 楽することばっかり考えてるから、こんなに面倒なことになったんじゃない!」
「奥にボスが居るだろうと、前進を主張した人が何を言います! ヒロイックサーガ読みすぎて頭が固くなっている貴女が主な失敗要因です!」

堕天使も、決して態と巻き込んだわけではない。
初めて使った自己強化込みの攻撃魔法が、予想を遥かに超えていたというだけで。
しかしエルシェアとしても、長時間の探索で精神的に摩耗していた。
堕天使はなし崩し的に交戦を開始し、前衛の仕事を放棄して一騎打ちに走った悪魔を逆に攻めた。
そして互いに譲らぬ二人は、遂に同士討を開始したのだ。

「はっ!」

裂帛の気合と共に繰り出される悪魔の斬撃を、サイドステップで避ける堕天使。
避けた所に黒鉄が斬り掛かるが、これはあっさり止められる。

「馬鹿な……」

驚愕を通り越して呆れたような呟きを漏らす黒鉄の武者。
武器を持たぬ堕天使の右手は、手の平で切っ先を受け止めていた。
相手の動きが止まった瞬間、エルシェアは左の盾を叩きつける。

「ぐはっ」

武者は殴打の衝撃に耐え切れず、数メートルの距離を吹き飛ばされる。
その隙に再び切り込もうと、剣を構えた悪魔の娘。
しかし割り込んだ白銀の声が、少女の動きを押しとどめた。

「『アクアガン』」

白銀の武者が紡ぐ言霊により、空間に氷塊が導かれ堕天使を襲う。
巨大な氷に閉じ込められたエルシェアだが、直ぐに氷はまっぷたつに裂けてしまう。
その中から悠然と歩み出る、無傷の黒翼天使。

「児戯ですねぇ」

最初は三つ巴だった大喧嘩。
しかし現状はエルシェアに対し、ディアーネとモノノケが連合して挑む様相を見せている。
ラグナロクによって強化された堕天使の戦力は、それ程圧倒的だった。

「この!」

振り下ろされる悪魔の刃を、半歩ずれてやり過ごす。
ディアーネは手首と体の捻りで横薙に変化させるが、今のエルシェアは見てから避けても間に合った。

「はい」
「うわ!?」

強引な横薙が空を切ったとき、踏み込んだエルシェアがディアーネの足を蹴り払う。
エルシェアは一つ一つの動作を確かめながら戦っていた。
常よりも早く動く身体。
行きたい地点に早く届くから、余裕を持って静止出来る。
余裕を持って止まれるから、攻撃のテイクバックが正確に出来る。
狙った部分を確実に打ち抜く事が、今までよりも遥かに簡単にやれるのだ。

「次、行きますね?」

宣言と共に白銀の武者に踏み込むエルシェア。
その動きに即応して振るわれる一閃。
堕天使は緩い弧を描いたステップで刃の裏に滑り込んだ。
手の届く間合いを取ったエルシェアは、白銀の武者を右手で殴る。
彼は声を上げる事も出来ず、相棒と同じ様に吹き飛ばされた。

「……」

エルシェアはほぼ全力で殴った右手を凝視する。
衝撃は気持ち良いくらい返ってきたが、右拳は全く傷んでいなかった。

「ラグナロク……か。こんな危ない魔法を幼子に教えないでくださいよ……」

呆れたように呟いた堕天使。
この時、エルシェアは自分の状態をやや誤解している。
学園の術師系学科や、その他学科の上位者が習うラグナロクなら、此処まで非常識な強化は掛からない。
そもそもこの魔法は、パーティー単位を補強する集団強化の魔法である。
全く同じ詠唱と構成でも、その都度効果が変動する未知の魔法。
しかしその効果が恐ろしく有用なことから、熟練の冒険者にとっては秘法の一つ。
冒険者にとってラグナロクとは、本来そういうモノである。

「身体能力の向上と守備強化と魔力の充実。そして対魔遮断の結界生成……成程、これが使えれば負けないですね。普通なら」

だが、エルシェアのラグナロクは起源が違う。
彼女が扱う魔法は母親が死の間際、たった一人遺される娘の行く末を案じて授けたモノ。
恐らくかなり手の込んだアレンジがされていたらしい母の強化魔法だが、娘は一般的な魔法との差異に全く気づいていなかった。
エルシェアの魔法は彼女の身体から外に出る事がない。
仲間に掛けられないという欠点の反面、ラグナロクの効能のうち、自分に掛かるモノが全て同時に機能するのだ。

「エル!」
「ん!?」

戦力把握に思考を割いていたエルシェアは、悪魔の声を聞くまで警戒を怠った。
自分の油断と、律儀に奇襲に声を掛けた相棒の双方に苦笑する堕天使。
視界の中にディアーネが居ない。
エルシェアは背筋が泡立つのを感じつつ、勘に任せてアダーガを頭上に掲げる。

「くぅっ!?」

同時に頭上から降ってきたのは、跳躍した悪魔が落下の加速を足して振り下ろして来た魔剣オルナ。
アダーガを挟んだエルシェアだが、手首を固める暇は無い。
盾越しに伝わる衝撃が左手首を挫き、この戦いで初めて堕天使の痛覚を刺激する。
ディアーネはそのまま、盾と剣の接点を支点に前転し、エルシェアの背後に降り立った。
間髪入れずに振り向こうとした堕天使だが、その動作を強制中断させる雄叫びを聞く。

「おぉおおおおっ!」

彼女の敵はディアーネだけではない。
白銀の武者は悪魔の娘が生み出した千載一遇の好機を逃さず、盾を掲げて伸びきったエルシェアの身体に組み付いた。
ラグナロクにより金色の波動を纏った堕天使に、刃も魔法も届かない。
しかし腰に取り付かれてしまえば、力づくで引き剥がさなければ動けないのだ。
エルシェアは捨て身で自分を抑えに来た白銀の武者を一瞥し、その甲冑を粉砕するつもりで右拳を振り上げた。

「させぬわ!」
「む!? 鬱陶しいっ」

エルシェアが振り上げた右腕は、今度は黒鉄の武者に抱え込まれる。
純粋な腕力でも、今の堕天使はモノノケ達を凌駕していたろう。
しかし体躯は相手の方が勝っている上に、二人掛りで腰と右腕に組み付かれているのである。
これを即座に振り解くのは、堕天使とて難しい。

「離しなさい」
「ぐはっ」

腰に組み付く白銀の武者に、膝を打ち込む堕天使。
一瞬拘束が緩むが、モノノケは尚完全には離さない。

「ぐふっ……今だ、娘よ!」
「だ、だけどそれじゃあんた達も!」

白銀の武者は遠のく意識を必死に繋ぎ、敵だったディアーネに語りかける。
しかしそれ以上は言葉が続かず、残りの力を込めて堕天使を抑える。
そんな相棒に内心で苦笑しつつ、黒鉄の武者が続けた。

「ヤレ! 長くは持たぬっ」
「そんなっ……」
「友の刃に斬られるなら本望――っぐわ……それに、これほどの強敵を道連れに出来る機会もそうあるまい――ごはっ……」

暑苦しい三文芝居の悪役にされた堕天使は、無言でモノノケに左肘を打ち込んでいた。
かなり本気で殴っているのだが、自分と状況に酔っているらしい黒鉄の武者は離さない。
それどころか殆ど意識のないはずの白銀と共に、更なる力でエルシェアに組み付いてきた。

「征け! 若人――新たなる侍よ!」
「っく!? だからバカって嫌いなんですよ!」

エルシェアは珍しく本気で焦りながら、感涙に咽びつつも魔剣を腰溜めに構える相棒に視線を送る。
モノノケの剣も魔法も、エルシェアの纏う金色の波動は破れなかった。
しかしディアーネの魔剣と技量を持ってすればどうなるか? 
好奇心はあるが、試してみたいとは欠片も思わぬ堕天使である。

「いい加減お退きなさいっ!」

怒気と共にエルシェアの放つ雷撃が、鎧武者達を引き剥がす。
間一髪自由を確保した堕天使だが、この時既にディアーネは特攻の準備を終えていた。
浮遊で空に逃げれば、悪魔の剣は届かない。
それに気づかぬエルシェアでは無いのだが……

「奥技――」
「秘法――」

ディアーネからだけは逃げたくない堕天使は、全力で迎え撃つことを決める。
一方の悪魔は、既に全力で打ち込む以外の選択肢は存在しない。
アダーガとオルナ。
共に保健医から授けられた武具を構えた両者は、現時点で出せる最高の技法を解き放つ。

「超・鬼神斬り!」
「ビッグバム!」

悪魔の光速剣は都合六回迸り、部屋の壁と柱を解体する。
堕天使の魔法は問答無用の大爆発を巻き起こし、天井と床を粉砕する。
両者共に、奥義を相手に当てることをしなかった。
その結果……

『あ?』

既に散々傷つけられていた部屋へ、止めの一撃が加えられたに等しかった。

「ちょっ!? 待っ……」
「え、うそっ!?」

迷宮の一部が崩落し、仲良く巻き込まれた堕天使と悪魔。
彼女達が再び陽の光を見るのは、体調を戻した後輩が助けに来る二日後の事だったと言う。
救助された時、二人の女生徒の傍から件の目録も発見された。
これが決め手となり、侍学科は新たな人材を得ることになる。
迷宮を崩落させたほどの激闘は、三学園それぞれに噂として伝わり、しばらく語り草となった。
しかし当事者達は淑女同盟を締結し、この事を武功として語る事はお互いにしなかった。
本当の事など語れるはずがないのだが、明かされない嘘は真実と同義。
エルシェアもディアーネも、あの社での出来事は嘘でグルグル巻きにして墓まで持っていく心算である。
その姿勢を良い方に誤解した多くの者に謙虚さとして受け取られ、称賛と尊敬を集めたが……
堕天使と悪魔はこの話題が出る都度、顔を見合わせて苦笑いするのみであったという。













後書き

外伝その2の後編をお届けいたします。
ラビリンスに欠かせないのが罠。
とにかくこのゲームは罠とか厳しかった覚えがあります。
噂では2と1はもっときつかったとの話も聞きます。恐ろしい限りdす。

今回は、もう何回目かになりますほぼ事実に基づいたSS編です。
奥にボスがいるという、通常のRPGの常識を覆すまさかの1Fボス。
上手くいけば一度も戦わずにたどり着くことが出来るでしょう。
そうとは知らずに奥の奥まで転がっていき、最深部のうにうにチタンを乱獲した冒険者は多いと聞きます。
多いよね? 多いと言ってorz

此処まで来ら、プリンセス開放編も書きたいなぁ……
リアルに時間が……
 
此処まで読んでくださってありがとうございます。
それでは、またお会いできる日がございましたらよろしくお願いいたします。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act3 前編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c6c962b6
Date: 2012/09/08 10:26
プリシアナ学園女子寮の一角に、セレスティアが多く当てられた区画がある。
その一室を当てられているエルシェアは、久方ぶりの自室の空気に息を吐く。

「……」

タカチホ義塾の校長の呼びかけにより受けた、侍学科履修許可免状試験。
深読みした挙句、盛大に遠回りした堕天使は凄まじい疲労を抱えて今しがた帰り着いたのだ。
一人になった少女はまとわりつく倦怠感を隠そうともせず、ベッドに腰掛け首を回す。
内部から響く破滅的な音を聞きながら、エルシェアは今一度ため息をついた。

「んー……」

そのまま眠ってしまいたい堕天使だが、留守から帰ったならしなければならない事もある。
主に掃除と、手紙類の整理。
疲労からくる怠さと眠気に抗いつつも、備え付けのポストまで身を運ぶ。
中身がカラだったことは、今までの経験上殆どない。
本人の希望に反して比較的目立つこの少女は、疎ましがられる相手から熱狂的なファンまで事欠かないのである。
例によって例のごとく、二十近い手紙の束があった。

「ファンレターが五枚……あ、この子は綺麗なエルフの女の子でしたね……時間が出来たら口説いてみようかな……ラブレターが四枚……全部男……面倒な」

エルシェアはライディングデスクの引き出しから新品の封筒と便箋を取り出す。
便箋にはあらかじめテンプレートで纏められたお断りの文面が書かれている。
そのまま封筒に入れて蝋で封をし、明日にでも差出人に送ることにした。
因みにエルシェアは告白のお呼び出し系の手紙は完全に無視すると決めている。
過去一度、行った先で闇討ちされているので当然といえば当然だったが。

「呪いの手紙三枚……破棄。カミソリレター四枚……購入履歴と目撃情報で身元割り出せる相手はお礼しないと失礼ですよねぇ……キープ」

ある意味でファンレター等よりよほど楽しそうにカミソリレターを区分ける少女。
こういう事をする相手は基本的に、身元まで調べて逆襲されることを想定していない。
そんな相手の虚をついて手紙を返し、その場で二度と人様に迷惑を掛けない様に体と心でお勉強。
稀にやりすぎて教師から呼び出しを受けることもあるのだが、基本的には先に手を出されたエルシェアが厳しい処分を受けることはないのである。
それなりに敵も多い少女だが、同様に味方も多いため探せばかなりの目撃情報を集められる堕天使。
特に自室の周辺の部屋主達とは意識して良好な関係を保っているため、早い時はそこに聞くだけで誰が手紙を置いていったか割れる場合もあった。

「……」

それらとは別に、三枚の手紙をまとめる少女。
差出人は同じであり、封筒も全く同じもの。
エルシェアは既知である差出人の名前とその筆跡が一致することを確認して封を解く。
それはドラッケン学園で知り合った友人からの手紙だった。
エルシェアがタカチホに赴いたのは、約二週間程である。
その間に三枚。
外部からの手紙が届くのは平均して五日に一度なので、かなりのハイペースで書送られたものになる。
堕天使は残り二枚の封も解いた。
恐らく内容は同じなんだろうなと予想しながら。

「ふむ、クラティウスさんの様子がおかしく、お姫様が癇癪気味と……ウチの会長に交流戦でボコボコにされたせいだから責任取れ? 責任取るのはセルシア君本人でしょうに迷惑な」

セルシアとキルシュトルテが性格的に合わないだろう事はエルシェアも承知している。
恐らくセルシアは正しいことを、しかし暖かくも優しくもない正論を言ったのだろう。
精神的に未成熟なキルシュトルテに取っては、セルシアの正しさは毒にしかならない。
ドラッケン学園で展開されたであろう、大陸の二大名家の修羅場は居合わせたもの……
特に教師陣の心臓を凍らせた事は想像に難くない。
キルシュトルテのパーティーではメインメンバーであり、間近でその様子を見てしまったシュトレンに同情する堕天使だった。

「さて、どうしたものかな……」

本来は他人事である。
セルシアの様に正論で語るなら責任を取るのは本人であるべきだし、もっと言うならおそらく悪いのはキルシュトルテ自身だろう。
何故エルシェアが、そもそもそう親しいわけでもない男のしでかした事の責任など取らねばならないのか?
そう考える堕天使だが、シュトレンはそんなエルシェアの性格をよく知っている少女である。
堕天使の思考回路をしっかりと把握しながら、上手い落としどころも持ってきていた。
シュトレンはご機嫌取りを丸投げにせず、ちゃんと方法まで指定してくれたのである。
しかもその方法はエルシェアにも興味深い。

「プリンス、プリンセス学科の生徒募集……王女様がお金と権力に任せて無理やり開講した学科でしたか。でも確か、セルシア君も今受講はしてるんですよねぇ確か」

セルシアに負けたとはいえ、キルシュトルテの実力は非常に高い。
精神的にムラがあるため実践の出来には差が出るが、低い方でも各学科の上位陣と勝負出来る。
絶好調なら勢いでセルシアや自分すら押し切るかもしれない。
『ノレば出来る子』を地で行く王女様である。
そしてセルシアも高い実力を持っていることは十分身にしみているエルシェア。
今のところ身近に二人しか受講者がいないにも関わらず、その二人共が高い実力を持った生徒なのである。
しかし生まれがモノをいう学科なだけに、受講生が全く続かず廃講の危機に瀕してもいた。
キルシュトルテはそれが非常に不満らしく、シュトレンはご機嫌取りの一環として、其処にエルシェアやその仲間をねじ込もうとしているのだ。

「何となく……受講者のセンスに頼り切った学科な気がするんですよね……でももし、万が一誰でもあそこまで強くなれる、画期的な講義内容だったりしたら……」

エルシェアは微妙な表情で唸る。
非常に面倒くさい。
でも講義それ自体はちょっと覗いてみたかった。
こんな機会は滅多にないと分かっていながら、徒労に終わる可能性の方がはるかに高い事も予想がつく。
この時エルシェアにも事情があり、キルシュトルテと近いうちに個人的面会をしたい心情はあった。
しかし話の内容は一発勝負になる為、出来るだけ王女の機嫌がいい時を狙っていきたい。
乗るか反るか、行くべきか行かざるべきか。
堕天使は今自分が何をすべきなのか考える。

「あ、お掃除……」

取るべき選択を見出した少女は、手紙を種類別にしまい込むと掃除用具を取りに向かう。
そして掃除が終わる頃にはシュトレンの事など頭からすっぱりと抜け落ち、ファンレターをくれたエルフの少女を如何に堕とすかを考えていたのであった。



§



翌日のこと、受け取ったラブレターのお断りを全て投函してきた堕天使。
男子寮を出て自室に戻る途中で後輩に呼び止められた。
自分を呼ぶ声に振り向いたエルシェアは、高速ですっ飛んでくる妖精の姿を捉える。
百センチ程の身長と、長い金髪のストレート。
青い瞳は興奮のためかやや血走っていて、エルシェアは反射的に退いた。

「エル先輩! お姫様ですよお姫様!」
「分かりました。分かったから少し落ち着きなさいティティスさん」

顔を引きつらせる堕天使だが、飛びついてきた後輩は避けずに抱きとめる。
事態は唐突であったが、ティティスの手には見覚えのある封筒があったのでエルシェアの理解も早かった。

「そのお手紙は、シュトレンさんから?」
「はい。お姫様になってみないかって」

堕天使は根回しのいい友人に苦笑するしかない。
どちらかというと舌打ちしたくなる類の苦笑だったが。

「ティティスさんは、今でも私達のお姫様でしょう?」
「その……お姫様と書いて役たたずと読むポジションはそろそろ卒業したいので……」
「何を馬鹿な」

自信なさげに俯く後輩が、自分達にとって如何に重要かは身にしみて理解している堕天使である。
先日の失敗も、ティティス不在の穴を上手く補おうとした結果空回ったものだった。
其処まで考えたエルシェアは、この後輩の異常なテンションの高さの原因に思い至る。
ティティスはタカチホで倒れて探索に参加できなかった。
自分一人が寝ている間にエルシェアと、その相棒のディアーネがクエストを達成してしまった手前、普段眠っていた劣等感が一時的に表に出ているのだろう。
後輩の自信回復のためにも、此処は一仕事こなすべきか?
堕天使の中でシュトレンの依頼に対する比重が、やや受ける方面に傾いた。

「貴女は強くても弱くても、冒険の役に立っても立たなくても、私とディアーネさんの傍に居てくれれば、それで十分なんですよ?」
「……ありがとうございます。でも、出来れば強くて役に立った上で、傍に居たいと思いまして」
「王学を学べば、強くなれる?」
「わかりませんけど、キルシュトルテ様も会長もとっても強い方ですから」
「……」

エルシェアはそう言って俯くティティスの、小さな頭を見つめていた。
あの二人はきっと、別の学科をとっても相応に強い事。
プリンス・プリンセス学科はなり手が少なく、恐らく個人の才能に依存した強さしか望めない事。
昨日自室でたどり着いた推論を喉で飲み込んだ堕天使。
ティティスがやってみたいなら、それで満足するなら遠出もいいかと考え、微笑してその頭に手を置いた。

「それでは、ディアーネさんを誘って行ってみましょうか?」
「はい!」

そう言ったエルシェアは、自室に向かいかけた足を返して相棒の部屋へと向かう。
ティティスはそんな堕天使の手を勝手に掴むと、遅れないようにやや早めに歩き出した。

「ティティスさんは、シュトレンさんとお知り合いでしたっけ?」
「はい。前ドラッケン学園にお邪魔した時、先輩へのお手紙を預かってくださいました」
「あぁ……あれシュトレンさんが対応してくださったんですか」

意外なところで知り合いが多いらしいシュトレン。
当時の様子を楽しそうに話す後輩に頷きながら、相棒の部屋へと歩いてゆく。
ディアボロスであるディアーネは、当然その種族が集まる区画の一室が当てられている。
現在地からやや遠い目的地を目指しながら、二人のおしゃべりは続く。

「そういえば、シュトレンさんってお花が好きみたいですね? 私も取次を待っている間に、一輪頂いたんですよ」
「あら、どんなお花を?」
「えっと……確か孔雀草だったと思います」
「……ナンデスト?」

思わず片言になった堕天使の少女。
彼女は慕う保健医の影響もあって花好きであり、当然花言葉も知っている。
孔雀草の花言葉は、『一目惚れ』。
因みにエルシェアはドラッケン学園に留学経験があり、シュトレンがしょっちゅう彼女を作っては、長く続かず別れている事を知っていた。

「冗談なら許しますが……」

本気なら相応の試練を受けてもらうことになるだろう。
堕天使が課すティティスに相応しい相手の必要最低条件は、自分とディアーネに勝つ事である。
急速に和やかさが無くなったエルシェアをフォローしようと、ティティスが慌てた様に継ぎ足した。

「あ、でも会長さん達もお花もらってましたよ!」
「……どんな?」
「えっとあれは……弟切草?」
「っ!? ふふっ。シュトレンさんナイスですよ」

先程の態度を一変して笑い出した堕天使。
夏に一日だけ咲く花を保存していた手間も然ることながら、そんな貴重な品を皮肉に使う友人に親近感を覚えたエルシェアである。
花に造形などないであろうセルシアは兎も角、フリージア辺りはどう思ったか。
怒ったかと予想した堕天使だが、素知らぬ顔でスルーした可能性も否定できない。
そうやって皮肉が空振りした事を教えてやると、この手の皮肉屋は手が出しにくくなるのである。

「そうだ、ティティスさんって『ラグナロク』使えましたっけ?」
「アレですか? 一応使えますけど息が続かなくて……」

各術師系学科での秘法の一つとされている大補助魔法。
その効能は凄まじく、不利な戦況を一瞬で覆すことすらあると言われている。
反面消費する魔力が尋常ではなく膨大なことと、同じ構成と詠唱でも発動効果が安定しないといったデメリットもあり使いどころが難しい魔法でもあった。
現状ではティティスとしてもラグナロクに頼らない立ち回りを考えているし、エルシェアやディアーネも同様である。

「後でで構いませんから、一度私に見せていただけません?」
「勿論構いませんけど、先輩も使えますよね?」
「使えると思っていたんですけどね……どうやら何かを盛大に間違えていたらしいのでお勉強し直しです」
「それは……お疲れ様です」

何をどう間違っていたかは語らず、失敗のニュアンスだけを強調して伝えた堕天使。
ティティスは先輩の発言と態度から、それが使えないのだと誤解した。
確かにエルシェアは一般的なラグナロクが使えない。
彼女がラグナロクだと思っていたのは、同名の別魔法であったから。

「お?」
「あれ?」

会話を続けるうちにディアーネの部屋の前までたどり着いていた二人。
しかしその扉はお出かけ中の掛札がかけられ、念のためノブを回してみても鍵がかかっている。
昨日三人で帰還し、其々の居室に引き取った。
ならばディアーネが此処を空けたのは、昨日戻ってすぐから今日の朝までということになる。

「こんな短期間でお出かけ……? ティティスさん何か……知りませんよね」
「はい」

知っていればここへ来る前に言い出したことだろう。
するとディアーネは何処へいったのか。

「……なるほど」
「先輩、何かわかったんですか?」
「えぇ。まぁ色々と」

エルシェアはディアーネがどこへ、何をしに行ったかは分からない。
しかし彼女は、自分にもティティスにも何も言わずに行ったのだ。
何か思うところがあるのだろう。
そうでなければ、必ずあの寂しがり屋は自分達に声をかけた。

「ディアーネさんもお年頃ですからね。色々あるんだと思いますよ?」
「いいのかなそれで……」
「学園の中で別れたのですから、そう危険もないでしょう。私にも貴女にも、何も言わずに行ったということは……」
「言うことは?」
「きっと何か、言えないことがあるんです。少し悔しいですが、こういう時支えてあげるのは私達ではないんですよ」

距離が近すぎるからこそ支えられない時がある。
ディアーネが敢えて二人を避けたというのなら、むしろ自分達ではダメなのだと思う堕天使だった。

「こういう時は待ってあげましょう。そして帰ってきた時にはお帰りなさい。と言ってあげればいいのです」
「……」
「納得行きませんか?」
「……少し」
「お優しいことですねぇ」

堕天使はティティスに向き直り、腰を落として目線を揃える。
反射的に息を飲み、妖精は身構えた。
自分と目線を合わせるときは、この堕天使が大切なことを伝える時。
それを今までの経験から知っていたから。

「貴女の優しさはきっと多くを癒すでしょう。ですが人の心を折るのは、悪意よりむしろ優しさの方が多いということも、忘れてはいけませんよ」
「……」
「んー、悪意より優しさで心が折れるというのは、私の偏見かもしれませんがね。私の経験では、その方が多かったというだけで」
「先輩にも、あるんですか……そういうの?」
「――良かれと思って成した事が、相手の最後のプライドを踏みにじる行為でした」

ほんのわずかだが確かにあった空白が、堕天使の心情をティティスに伝える。
思い出したくない出来事だが、繰り返さないためにエルシェアが自ら心に焼き付けた思い出である。
不安げに揺れる後輩の瞳を見つめ返し、堕天使は意識して眼光を緩めた。

「今回がそうだ、なんて確信はありませんよ? でもそういう可能性もあるということです。誰だって、偶には一人になりたい時があるでしょう?」
「はい」

エルシェアは立ち上がると、ティティスを連れて歩き出す。
形式的なものとは言え、職員室に外出届けを出さなければならない。

「さ、ディアーネさんが戻る前に、立派なプリンセスになってびっくりしてもらいましょう?」
「はい!」
「そういえば、二人で何処かに行くってありそうでなかったですねぇ」
「……っは!? そういえばそうですよね。これがデートというんでしょうか!?」
「何言ってるんですかねこの子は」

テンションの上がった後輩を適当にあしらいながら歩く堕天使。
返答は素っ気無かったが、繋がれた手が離されることはないのであった。



§  



「と、言う訳で図書室にやってまいりました」
「何がどういう訳だか説明せぬか」

ティティスの『スポット』でドラッケン学園に飛んだ二人は、エルシェアの案内で真っ直ぐ図書室に向かっていた。
例え直ぐに会えなくとも、図書委員であるキルシュトルテはいつか必ず此処に来る。
待ち時間を読書に当てるつもりだったエルシェアは、寧ろキルシュトルテがいた事を内心残念がっていた。

「初めまして、キルシュトルテ様。プリシアナ学園で学んでおります、ティティスと申します」
「うむ? プリシアナの生徒か……」

ティティスの挨拶に憂鬱そうにため息を吐く王女様。
制服を見ればどこの学園の生徒か分かりそうなものだが、そんなことも頭に入らないほど上の空に見える。
ノレば出来るキルシュトルテ的には、最高にノっていない状態と言えるだろう。

「何の話かは知らぬが、妾は今忙しい。用なら後日にして帰るがよい」
「……」

これは相当に滅入っている様だと苦笑する堕天使。
何処から攻めるかと思考を巡らし、はじき出した回答を実践する。
注意力が散漫になっている王女の意識の外でティティスに目配せし、口を挟まないように指示を出す。
出来のいい後輩がしっかりと頷くのを確認し、エルシェアは外行きの仮面をかぶり直した。

「王女殿下に置かれましては、我々庶子には理解の及ばぬ悩みも多かろうことと存じます」
「うむ。分かっておるなら――」
「『交流戦』から日も浅く、お疲れの様子とお見受けします。本日はお目通り頂き、誠にありがとうございました。出直す事に致します」

交流戦という単語を聞いて、一瞬肩を震わせた王女。
しかし堕天使としては反応の小ささが意外であった。
シュトレンからの手紙には、従者との仲がおかしい事とセルシアに負けたことが書かれていた。
その観察が正しいと仮定して原因を二つに絞るなら、今の反応でどちらの比重が重いのかを理解した堕天使。
読み違えたと内心焦る。
キルシュトルテとクラティウスは相思相愛。
性別を超えた愛情の絆が確かにあった。
故に二人の仲違いが長続きする筈もなく、へこんでいるならセルシアとの敗戦だと読んでいたのだ。
キルシュトルテが交流戦の結果を知らないはずがない。
この堕天使が優勝したことは知っているはずであり、多少あざとくても交流戦の単語を聞かせれば、直接対決の詳細を聞きたがるはず。
エルシェアはそう思っていたのである。
内心で舌打ちしながらゆっくりと、しかし決して止まらずにティティスに手を差し伸べる。
嬉しそうにその手を握るどころか、両腕を絡めて抱きついた妖精賢者。
その姿に、キルシュトルテは胸の奥にざわつく違和感を押し殺した。

「……待て」
「帰ります」

釣れたと内心で歓喜を上げつつ、そっけなく切り返す堕天使。
内心ヒヤヒヤしながらもゆっくりと出口に向かう二人。
一度待てと口にしてしまった以上、その発言をなかった事には出来ない。
キルシュトルテは上に立つモノとしてのプライドに掛けて、エルシェアを静止させなければならなかった。

「待て」
「……」

重ねて、今度ははっきりと告げられた命令に足だけ止める。
冒険者養成学校にいるならば、キルシュトルテといえど一介の生徒に過ぎない。
エルシェアが畏まっているのは、あくまで面倒ごとを回避する以上の意味はなかった。
その気になればいくらでも辛辣になれるこの少女は、前言を翻した王女を肩越しに振り仰ぐ。
冷めた視線で切りつけるつもりの動作だが、それが実行に移されることは遂に無かった。
堕天使の視線の先に傲慢な王女はいなかった。
どうしたらいいか分からずに途方にくれる、年下の少女がいるだけで。

「……」

肩越しに振り向く動作に合せ、身体ごと向き直ったエルシェア。
同時にティティスは腕から離れる。
堕天使は右足を左足の斜め後ろに引くと、スカートの端を摘み、軽く持ち上げながら深々と頭を下げる。
同時に膝も深く曲げ、丁寧な礼をとって見せた。

「……」

キルシュトルテはエルシェアの態度が擬態と社交辞令である事を誰よりもよく知っている。
化かし合いの様に本音を隠し、美辞麗句を交換する事にかけて、王女は堕天使よりはるかに慣れているのだ。
全て偽物。
だがしかし、このカーテシーは好きだった。
キルシュトルテが見てきた中で五指に入るほど美しいこの礼を取ったとき、エルシェアは必ず自分に従ってきた。
ティティスを見れば右手を左手で握り、その手を膝近くまで真っ直ぐ下ろしたお辞儀をしている。
幼くとも愚かでは無い王女は気遣われたことを察したが、それは丁重に無視することにした。

「エルシェアは交流戦で、ウチの生徒を救った事があったの」
「……そのような事までご存知でしたか?」
「功績に報いるのは上に立つものの義務じゃ。聞くだけは聞いてやろう」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」

異口同音に感謝を口にし、図書館奥に戻ろうとする二人組み。
それを手で制した王女は、自分からカウンターを出る。

「面倒だから部屋に来い。あまり他人に会いたくない」
「……此処はどうなさるのです?」
「こうすればよい」

プリシアナ組みを追い出したキルシュトルテは、入口に鍵をかけると『臨時休館』の掛札をした。

「今日図書館が使えないばかりに、卒業単位が取れなくなる生徒がでないと良いですね王女殿下?」
「一日の誤差で単位を落とすような無計画な輩は、ろくな冒険者にならん。あと一年此処で修行できるのが妾の慈悲というものよ」
「其処までお考えでしたか……考えが及びませんでした」
「うむ」

皮肉に対して意外にもまともな返答を返すキルシュトルテ。
明らかに虚を突かれたエルシェアは、この時心から称賛した。
ただ一人残った常識人である妖精だが、此処でツッコミを入れる勇気は無い。
基本的にはへたれなティティスは、長いものに巻かれる事で大人の階段を上っていくのであった。



§



キルシュトルテは王家の人間であっても、今はまだ学生の身分である。
国王である父からは重ねて自重を課せられているし、学校側に特別扱いしないようにも通知が来ている。
しかしそれでも、一国の王女の学園での私室が一般生徒とほぼ同じというのは違和感があった。
角部屋であり、本来は二人部屋に出来る所を一人で使っている辺りは配慮されたようであるが。

「ふむ、このケーキはなかなかであるな」
「お気に召していただき、光栄ですわ」
「エル先輩、いつの間にこんな仕込みを……」

三人が囲んでいるのはドライケーキ。
冬の貴重な甘味であるドライフルーツをふんだんに盛り込んだ贅沢な逸品である。
堕天使は留学中にこのケーキを複数仕込み、冷暗保存が効く学生に割り当てられた倉庫にしまいこんでおいたのだ。

「痛んだりしないんですか?」
「倉庫程暗い冷所に、しかも冬に置いたわけですから二ヶ月は普通に持つケーキなのですよ」
「そもそも、コレは作った直後に食べていいモノではないからな」

たっぷりと洋酒に漬け込み、ハーブを加えたドライフルーツを混ぜ込んだ生地。
しっかりと表面を溶かしたバターで油膜を作り、更にシュガーコーティングでバターの劣化を抑えた丁寧な作り。
それは劣化というよりも寧ろ熟成を促し、奥深い味わいと風味を生むのである。
エルシェアは調度いい機会とばかりに自作を振る舞い、味を確認するのだった。

「ふふ、ディアーネさんとリリィ先生に、良いお土産ができましたね」
「そういえば、お主の番はどうした?」
「今日は別件で出ておりまして、一緒には来られなかったのです」

肩を竦めた堕天使は、王女お薦めの葉で入れた紅茶を味わう。
ゴールデンルールに則って入れられた紅茶は風味を損なうことなく、素晴らしい芳香で部屋を彩った。
エルシェアの趣味からするとやや香りが強すぎるが、味は高い葉だけあって悪くない。

「それで、話とは?」
「私とティティスさんそれぞれ一つずつございます。先ずはこの子のお話をお聞きください」
「ほぅ」
「えっと、プリンセス学科という学科があると伺いまして」
「ふむ、冒険者養成学校初の王族たる妾が、後進たる他国の王族を導いてやるために作った、我が校独自の学科じゃな」
「今回シュトレンさんのご紹介に預かりまして、是非その学科を体験してみたくお願いに伺いました」
「ほぅ……」

シュトレンの名を聞いた王女は難し顔で考え込んだ。
なり手が少なく廃講の危機に瀕してるとはいえ、この学科はキルシュトルテなりに考えて作った学科である。
好奇心が強く学ぶと決めたら手を抜かないこの王女は、本来様々な学科をこなす優等生。
そんな彼女が、自身の特性を存分に振るう事が出来るように単位スキルと魔法を吟味した万能学科。
それは入学前から学べる環境を持つ貴族や王族が、入学してから一々基本学科を学び直さなくても済むように纏めた上級学科のはずだった。
生徒不足で廃講になるというなら、生徒を増やせば良い。
キルシュトルテとしても、学問としての成果が出ないならともかく人不足で潰されるのは納得がいかない。
ならば有望な生徒を取り込んで学科の質向上と、何より人手を確保すればいいというシュトレンの考えも分からなくはなかった。

「じゃが断る」
「あの、なぜです?」
「だってお主ら、王族ではなかろうが」

そんな事に拘わるから潰れかけるのだが、キルシュトルテ的に譲れない部分らしい。
ツンとそっぽ向いた王女様に、顔を見合わせるエルシェアとティティス。
エルシェアとしては、このまま話が終わってくれても構わなかった。
元よりあてにしていなかったし、よく考えればキルシュトルテに借りを作ると後が怖い。
しかしティティスはそうもいかないらしく、なんとか説得しようと言葉を探す。
短い沈黙が降りる中、それを破ったのはキルシュトルテの苦笑だった。

「まぁ、王家と言っても無数にあるし、ご落胤騒ぎの心配がない王等、歴代に三人とおらんじゃろうがな」
「お世継ぎは多くても面倒ですが、いなければ困りますものね」
「おう。なので少しテストしてやろう。それに引っかからなければ諦めるがよい」

首にかかる髪を肩の後ろに送りつつ、ティーカップを傾けるキルシュトルテ。
生徒が生徒を試すというのも傲慢な話だが、この王女の性格を知る者からすれば凄まじい譲歩に唖然としたかもしれない。
実際に堕天使もそのクチであり、寧ろバッサリ無理だと行ってくれた方が楽だったのではないかと今更思う。
これでは自分達が頼んだ手前、試験とやらを回避する事が出来ないのだ。
表面上はにこやかに、しかし内心でげんなりしているエルシェアを、キルシュトルテが流し見る。
薄い微笑みを投げた王女に、堕天使は踊らされていることを自覚した。
頼み事をしている手前優先権は相手にあるが、キルシュトルテの方もそれを自覚して自分の優位を手放さない。
ここまで来たらエルシェアも、王女の気まぐれ試験に付き合う他ないのであった。

「『ノイツェハイム』の街付近から、『水に守られし宮殿』という迷宮に入れる事は知っておるか?」
「存じております」
「かつて世界中の王家の家系を研究していた学者がおった。そいつは自分の研究を本に纏めて、そこに封印したらしい」
「王家の系譜等余すことなく研究されたら、困る人も多いのではありませんか?」
「うむ。王位継承権の低い王族は自国の貴族に降嫁する場合も多いから、結局王家のみならず、貴族の系譜まで手が行くからの。正妻愛人妾嫡子私生児出るわ出るわ……」
「あの、それって研究した人もよく調べられましたよね……」
「無駄に優秀だったらしい。更に貴族の醜聞は平民には良い娯楽じゃからな。ヤバイと思ったら民の中に紛れて、匿われてしまう事も多かったらしい」

結局捕まって殺されたがなと笑う王女。
キルシュトルテは学者が如何に凄惨な拷問の末に殺されたか語ろうとし、ティティスの手前自重した。
小動物を思わせるこの少女に、血なまぐさい話を聞かせるのは躊躇われた。

「妾も見たことはないのじゃが、非常に詳しく書き込まれたモノらしい。それにお主らの家系があったなら、王学というものを授けてやろうではないか」
「なるほど、ありがとうございます!」

勢いよく返事する後輩を尻目に、内心だけでため息を吐く堕天使。
そんな貴族に都合の悪いものが、場所までわかっているのに放置されているのは何故なのか。
簡単に手が出せなかった理由が必ずあると思うエルシェアは、面倒事に心の翼が萎れていくのを感じていた。

「ティティスさん、購買で必要な物を買い揃えておいてください。内容はお任せします」
「はい。行ってきます」
「ノイツェハイムで一泊し、探索は明日の朝からです。前に使った宿で落ち合いましょう」
「あれ? 先輩は……」
「少しこっちの知り合いに挨拶して回ります。前来た時は錬金室だけ借りて帰ってしまいましたから」
「あ、分かりました」

そう言って立ち上がったティティスは、エルシェアとキルシュトルテに会釈して出て行った。
キルシュトルテより先にエルシェアに頭を下げたのはティティスの確固たる価値観によるものだろう。
王女と堕天使はしばし無言で向き合っていたが、やがてエルシェアから切り出した

「……キルシェ様」
「うむ」
「何があったか、お聞きしても?」
「……」

不貞腐れたようにそっぽを向いた王女だが、何でもないとは言えなかった。
エルシェアはふと思い立ち、キルシュトルテの座るソファに隣り合って座る。
傍にいることは感じてもお互い視界に入らないように。

「……言ってはならない事を言ってしまったら、謝らなければならない。そうだな?」
「その通りです」
「何も皆が見ている前で無くても良い。二人きりの場所で構わない……よな?」
「はい。そう思います」
「そうか」

キルシュトルテはソファの背凭れに深く身を預け、天井を見上げて息を吐く。
その様子を見たエルシェアは、自分の相棒の事を意識せずには居られなかった。
ティティスの手前余裕を見せたつもりだが、閉ざされた扉に思うところがなかったわけではない。
ディアーネは何を思って一人で行ったのか知りたかった。
きっと近いうちに教えてくれることは疑っていなかったが。

「なんで」
「……」
「なんでたったそれだけのことが、妾には出来んのかのう……」

天井に向けて呟いた王女の独白に、自分達の出会いを思い出す。

「視界に入らないでいただけますか」
「む?」
「薄汚い悪魔を見ていると、蕁麻疹が出そうです……。初めてお会いしたとき、ディアーネさんに私が言った言葉です」
「鬼か貴様」
「ヒドイですよね。私、土下座して謝ってしまいましたよ」
「土下座のう……」

生まれは誰にも選べない。
エルシェアは何も持たずに生まれる事が出来たから、ディアーネに対して直ぐに頭を下げられた。
しかしそれが出来ない、してはならない類の人種もいるのだ。
キルシュトルテはその典型であり、彼女が頭を下げれば遠まわしに死人が出る。
迂闊に本音も話せず、人の腹の中を探り、自分が悪いと思っても簡単に頭を下げられない。
間違えたこと、失敗したこと、誰かを傷つけたこと。
それを謝罪したいと思ったことが、キルシュトルテに無かったはずがないのである。
隣に座る王女の横顔を見つめつつ、エルシェアはやや戸惑って手を伸ばす。
キルシュトルテの頭には、王族の証である王冠が輝いている。
それが今は疎ましく、非礼を承知で指で弾く。
こんなものがキルシュトルテを縛っている。
何となく、それが恨めしいと思うエルシェアだった。

「ノイツェシュタインもウィンターコスモスも、亡くなってしまえばいいのに」
「不穏分子め。国家反逆罪で処刑するぞ」
「みんなみんな、まっさらになったら素敵だと思いません?」
「……」
「種族だって、そう。エルフとドワーフ、フェアリーとバハムーン、そしてセレスティアとディアボロス……何時から嫌いあってしまったんでしょうね? 何時まで嫌いあっているんでしょうね?」

透明な無表情でつぶやくように語る堕天使から、目が離せなくなったキルシュトルテ。
端正な顔立ちの美しい少女だった。
彫像のように精気の抜け落ちた様子は、薄暗い部屋にいるせいだろうか?
キルシュトルテはディアボロスであり、冥界の悪魔の血統である。
神の存在を身近に感じたことはなかったが、今エルシェアが語っている言葉は神聖な響きを感じてしまう。
それは善悪の領域ではなく、魅入られる感覚。
自分の意思と思考を停止して相手にのめり込む危険な兆候だとキルシュトルテは知っていた。

「歴史と民を背負わぬ、根無し草の夢想じゃな」
「お堅いお姫様には妄言に聞こえますか?」
「うむ。お主の発言とも思えぬ綺麗事じゃ。神がセレスティアの口を使って、語る事でもあるのかのう?」
「あったとしても、堕天使の口を使う神は邪神でしょうね」
「っは、違いないの」

二人は同時に笑い出し、先程までの雰囲気を一蹴した。
気分転換に紅茶を入れ直そうとしたエルシェアを、キルシュトルテが制す。
代わりに立ち上がり、王女が棚から取り出したのはブランデーだった。

「初めて学園で冒険に出たとき、仲間内で回し飲みする行為に躊躇ったものよ」

キルシュトルテは栓を抜き、一口含んで瓶を渡す。
エルシェアも習って口を付けると、二人は再び向かい合う位置に座り直した。

「それで、貴様の話をまだ聞いておらんかったの?」
「そうですね……それでは、単刀直入に伺います。キルシェ様は、貴女のご実家とセルシア君のご実家の伝承が食い違っている件について、どうお考えですか?」
「ふむ……その件か」
「はい。私は留学中、こちらの歴史を学んでよりずっと不思議に思っていたのですよ」
「なるほど。妾の意見で良いのだな?」
「はい」

キルシュトルテは正面からエルシェアを見つめる。
エルシェアも同様だった。
互いに目を反らすことなく、真っ直ぐに意見をぶつけ合う。

「妾はノイツェシュタイン王家の姫として、王家の伝承を信じているぞ」
「……」
「……そして、恐らく妾と同じ程度には、ウィンターコスモスのボンボンも自分の祖先を信じておるだろうな」
「はい。そう言っておりました」
「大昔、アガシオンと名乗る魔道士がいた、そして誰かがそれと戦った」

キルシュトルテは空になったティーカップにブランデーを注ごうとするが、瓶はエルシェアに攫われる。
視線を上げると、瓶をもって微笑する堕天使がいた。
王女がカップを差し出すと、琥珀色の液体が注がれる。

「アガシオンが本当に巨大な力を持った悪の魔導士だったとしたら、その邪心を阻もうとしたのが、たった二人であったはずはあるまいよ。多くのものが戦い、そして死んでいったはずじゃ」
「伝承は、そうやって散っていったものの数だけ存在すると?」
「違う。それを語り継ぐ連中の数だから、もっと多いはずじゃ」

散ったら何も語れない。
何かを語り継ぐのは、常に生き残ったものである。

「我が王家とウィンターコスモスの伝承は、その中で最も大きく、有力なものじゃ。しかし、そのたった二つの伝承にすら矛盾と綻びが出ている始末じゃ」
「……誰かが意図的に歪めている?」
「口に載せるのも憚り多い事じゃがな」

エルシェアは一つ頷くと、期待以上の回答をもらえたことに満足した。
あまり長居して此処の保健医に会いたくない堕天使は、そろそろ辞そうと立ち上がる。

「ありがとうございました。大変有意義なお話を聞かせていただけました」
「うむ。もし何か分かったら、聞いてやるゆえ知らせに来い」
「もう追いかけませんよ。面倒ですもの」

白々しい嘘だが、聞き流してやる王女様。
それぞれが使ったティーセットを片付けようとする堕天使を制し、さっさとティティスの後を追わせる。

「さっさと行け。そして王家の証を立ててこい」
「そんなもの有る訳ないじゃないですか……」

追い出されるままに退室した堕天使。
キルシュトルテも、そんなものに期待はしていない。
あの二人がどんな家系であろうとも、学科は開放してやるつもりであったのだ。
キルシュトルテは私物のハンドベルを鳴らすと、一人のメイドが入室してくる。
クラティウスではない。
彼女は今日、体調不良を理由に休んでいた。

「侭ならぬものよのぅ」

一人呟いた王女の声は、彼女自身にしか聞こえなかった。















後書き


ほぼ一年ぶりの投稿になります、プリンセス開放編の始動をお届けします。
いろいろありましたねー。
ファイナル発売に寂しい思いをしたり、新ととモノ。が始まって歓喜したり忙しい一年でした。そんなにいろいろあれば、きっとこの子達も忘れられていたことでしょう、うん。
実際ほんと……お待たせして申し訳ありませんでしたorz

実は一旦前後編でほぼ書きあがり、後はプレイしてたファイナルがきりついたらだそうというところまで書けてたんです……が、ファイナルで無魔法がなくなる事への整合性が取れない内容だったため完全没。虚脱状態から立ち直って一から書き直すのに時間かかってしまいました……最初に書いた話には、ディアーネさんもこのクエスト参加していたんですorz
それでは、後編の完成までしばしお待ちください。
此処まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act3 後編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:c6c962b6
Date: 2012/09/14 12:34

『水に守られし宮殿』は、以前にも訪れたことがある。
その時はセルシア付きの執事であるフリージアに頼まれて、料理の素材を探しに来た。
多くのエリアで踝から脛辺りまで床が水没している地形のため、非常に滑りやすい迷宮。
濡れることを嫌う少女達は、浮遊種族なのを良い事に舞い上がった。

「再び此処に来ることになるとは思いませんでした」
「前の経験が生きてきそうですね。敵も地形もある程度分かっているのですから」

堕天使は以前の探索で制作した地図を見ながら進行方向を示していく。
その間やや無防備な所を妖精が警戒し、危なげなく進んでいった。
前に地図を作った時、その範囲にはなかったアイテムを探すのだ。
既知のエリアを通り抜けて未踏破の部分を探していけば、いつかはたどり着けるはず。
前回の失敗を生かして最初の階層から空白を埋めていく堕天使。
数度の魔物の襲撃を一蹴して進むうちに、迷宮に残る異変に辿りつく。

「コレは……」

二人が見つけたのは、多数の魔物の死骸。
それも非常に新しく、血が乾いていないものばかりだった。
厳しい顔で舌打ちした堕天使。
ここに誰かが先に来ているという発想はなかった。
敵であるとは限らないが、知っていれば音と振動が響くような魔法攻撃は自重しただろう。

「誰か来ている……」
「街の人がヒレ酒造りの為じゃないですか?」
「だと良いんですけれど。それにしては傷が鮮やかすぎます」
「同業者だったりしませんか?」
「まっとうな冒険者なら、こんなところに一人では来ないでしょう? まぁ二人で来ている私達も大概ですが」
「一人!?」
「一人だと思います。死因が全部太刀傷なんですもの」

嫌そうに呟くエルシェアに、ティティスが改めて死骸を確認する。
近接物理攻撃で倒すとなれば、当然相手も反撃を試みたはずである。
その痕跡を探した妖精だが、見つかるのは斬られた魔物のみ。
魔法や後列武器を使用した傷が一つもなく、また全ての魔物に一箇所しか傷がないため、堕天使が一人と判断したのはティティスにも理解できた。

「ティティスさん警戒。三割増で注意して」
「はい」
「最も……良くて生徒級最上位、悪ければ教師級でしょうから、私達でも厳しいかもしれませんが……」
「あっちは此方に気づいているでしょうか?」
「気づいていると思います。私達は無警戒に魔法を使っていましたし」

不確定要素は常に自分に不利な方向で予想する堕天使。
敵であった場合に備えて警戒のレベルを高くする。
それは先制攻撃を掛けるためではなく、相手より先にその姿を発見するため。
味方なら兎も角、どちらか分からない状態で相手に発見されるのは危険だった。

「先輩、此処は一旦出ましょうか?」
「ん……それも手ですが……」

エルシェアは渋い顔で黙考していた。
ティティスからすれば非常に珍しい光景である。
はっきり言えば、堕天使は今回の目的、『ロイヤル家系図大全』が見たかった。
せめてノイツェシュタイン王家の家系図だけでも。
その昔、悪の魔導士アガシオンと戦ったという、光のセレスティアとディアボロスの勇者。
そのディアボロス側が起こしたという王国がノイツェシュタインである。
もしも光のセレスティアが本当にいたと仮定するなら、その存在を消し去った第一容疑者はディアボロスの勇者でありキルシュトルテの先祖であった。
逆に件のセレスティアが存在しなかったなら、ウィンターコスモス家とは一体なんなのか?
同じ時代の英雄を祖に持ち、違う伝説を抱いた二つの名家の謎は、エルシェアにとって非常に興味深いテーマであった。

「どうしようかなぁ」

本音を言えば堕天使は一人で進みたかった。
自分の好奇心とティティスの安全が対立するなら、後輩を戻して一人で行きたい。
しかしティティスがそれを承知するはずがなかった。
理性では撤退を是としながらも、感情が納得していない。
ロイヤル家系図大全は貴族にとって都合の悪い内容もあるだろう。
キルシュトルテすらその在り処を知っていながら放置されてきたのは、何らかの理由があると思う堕天使である。
そんな所に腕の立つ誰かが侵入しているのだ。
先に行く何者かはロイヤル家系図大全を手に入れる、もしくは処分する為に来たのではないか……

「……っ先輩!」
「ん?」

何時の間にか小指を噛んでいたらしいエルシェア。
後輩に呼ばれるまで気がつかなかったが、堕天使の犬歯は手の皮膚を切り裂いて出血していた。
忌々しげに小指を眺めているうちに、傷はティティスに癒される。

「先輩、行きましょう」
「え、行くんですか?」
「行きましょう。行きたいです」

真っ直ぐエルシェアを見据えて宣言するティティス。
エルシェアの様子から、彼女が本に未練があることはよく解った。
そして、一人なら迷わず進むだろうことも。
もしくは今から一人になるなら……

「私が邪魔なら、置いていってください。私、勝手に着いていきます。だから――」

勢い込んで言い募るティティスは最後まで喋らせて貰えない。
堕天使はそれまでの表情とはまるで違う、寂しそうな微笑を浮かべて後輩の頭に手を置いた。

「貴女がね」
「……」
「貴女が何時までも、私をそうやって甘やかしてくれるから、私もなかなか貴女のイメージが変えられないの」
「え?」
「私、馬鹿ですね」

微笑は徐々に苦味を帯び、遂に堕天使のそれは苦痛の色が混ざり始める。
実際この時エルシェアは、呼吸困難に近い症状に苦しんだ。
心と身体がバラバラになっている時に、稀に起こる発作の一つとして。

「私が貴女を守るから、貴女はそんなに焦るんですね。貴女はずっと、私の見方を変えようと頑張ってきたのに」
「あ……ぅ……」
「私、全然気が付きませんでした。何が貴女を追い立てているのか、誰が貴女を追い詰めているのか、知ろうともしていなかった」

初めてティティスと組んだとき、エルシェアとは既に大きな隔たりがあった。
元々入学してからの年季も違うし、ティティスにはエルシェアのような、周囲を圧する程の天性は持っていなかった。
そして最初に出来た距離感を埋めるため、ティティスは色々と無理をしてきたのだ。
『歓迎の森』では堕天使ですら虐めかと思うほどの特訓に耐えた。
『冥府の迷宮』でも遅れずに着いてきた。
堕天使が留学している最中は、リリィがブレーキをかけるほどに自分の限界までアクセルを踏み抜いた。
尊敬するディアーネと、何より憧れるエルシェアの為に。
エルシェアはディアーネにした配慮を、ティティスにはしてやれなかった。

「馬鹿か、私は……」

ティティスには時間がなかったのだ。
エルシェアが卒業する前に、居なくなる前に、なんとしてでもその隣に立たなければならなかった。
プリシアナ学園という枷が無くなった時、この気ままな堕天使が誰と何処に向かうのか、全く分からなかったから。

「エル先輩は、勝手に好きに、何処にでも行っていいんです。私が、ついて行きますから。何処にだって勝手について行きますから、私を理由には止まらないで……」
「解った。解りましたから泣かないで? 貴女が、私を守ってくれるんでしょう?」
「ん……はい!」

エルシェアはプリシアナ学園で、自分が一番ティティスを評価していると思っていた。
しかしどうやら自信過剰だったらしい。
涙を拭って歩き出した盗賊風味妖精賢者の背中を見ながら、堕天使はこっそり息を吐く。
こんなやりとりをしながらも周囲警戒を優先して、後輩に意識の全てを向けてやれない自分の首を、心の中で捩じ切りながら。

「死んでしまえばいいのに……」

自己嫌悪のような自傷行為は好きではなかった。
その点は今も同様だが、どうやら彼女は一生自分が好きになれそうにない。
それは、どうにも苦い認識だった。



§



エルシェアとティティスは警戒を怠らず、未踏破のエリアを目指して進んでゆく。
其のため行軍は遅くなったが、先行する何者かも同じ方向へ向かっているらしい。
そしてその距離は、徐々に小さくなっていった。

「追いついて……いますよね?」
「そのようですね。これなら前に釣りをした辺りで追いつけるかもしれません」

方向が同じらしいことは、時々落ちている魔物の亡骸が教えてくれる。
距離はその死骸が硬直しきっていない事から、相当近いと知れるのだ。

「先行者は、魔物に出逢えば足を止められますからね」
「後をついて行く私達は、戦わないで済んでいますから早いですよね。なんだか申し訳ないです」

ライトを掛けた杖を左手に掲げたティティスは振り向かずに答えた。
この様な時、魔法で脳に細工して既存の地図を頭に焼き付ける技術も存在する。
確かにこれは便利な魔法であるのだが、何処かアナログ好きらしいエルシェアは一貫して地図を使うのである。
実際に地図を作れば、無魔法の仲間がいた場合には最後の保険になる。
今回は二人とも魔法を使えるためにあまり意味はなかったが。

「……」

しばらく進むと、またしても剣で切り裂かれた魔物の亡骸……以外のモノが見えてくる。
それは致命傷を負いながら、意識もなく痙攣している『マーフォークロード』であった。

――近い!

堕天使は地図を仕舞って周囲状況変化を警戒するが、彼女の感覚ではまだ何も感じない。
一方でティティスは、聴覚より先に背中の羽で空気の振動を感じ取った。
人でない何かの断末魔。
方向は……

「先輩!」
「お?」

エルシェアの右手を取ると、一気に飛翔の速度を上げる。
彼女の感覚で、振動を読み取ったのは通路二つ先の広間。
其処は以前三人が釣りをしたあの場所である。

「彼処にいます……たぶん」
「なるほど、見晴らしも良く戦いやすい所で接触してしまったほうが良いでしょう。賛成ですティティスさん」
「はい」

目的地が決まれば、不意打ち警戒しつつ迅速に現場に向かう。
相手が移動する前に捉えたかった。
エルシェアは翼を打って速度を上げると、一瞬でティティスと場所が入れ替わる。
手を引かれる形から、手を引く形へ。

「むぅ」
「拗ねないの。貴女の火力は切り札です」

通路を真っ直ぐ突き抜け、広い部屋を更に進む。
此処までくればエルシェアも戦いの様子が聞こえていた。
おそらく魔物と思われる何かの怒号と悲鳴。
先行している何者かの声は聞こえなかった。
更に進み、再び通路に飛び込んで奥へ。
エルシェアの瞳が半眼に細められる。
ティティスの様子に変化はないが、堕天使はこの瞬間に音が消えた事を知る。

「……」

戦いが終わった。
相手は此方に気づいている。
それは敵か味方か分からない。
堕天使は左手に『アダーガ』を握る。
それは一尺強の直径の円盾であり、持ち主の魔力で刃を展開できる武器でもあった。
全力移動をしているために直ぐに通路の先が見える。
この奥は少し高い床になっており、水面は床の下になる。
堕天使は後手に回ることを覚悟し、そのまま通路を飛び出した。

「お?」
「む……」

奇襲は無かった。
かつて三人で釣りに来た部屋にいたのは、顔色の悪い少年。
抜き身の剣を携え、ボロボロのマントの下にはドラッケン学園のものと思われる制服。
目つきが悪くかなり刺々しい印象の、ヒューマンだった。

「プリシアナで白衣の堕天使……エルシェアか」

少年は低い声で呟いたのを、堕天使ははっきり聞き取った。
これだから名前など売れないほうがいいのである。
こちらは相手を知らないのに、向こうは自分を知っている。
それがどれだけ危険か、身にしみているエルシェアだった。

「……」

とても味方には見えなかったが、雰囲気だけで全ての相手と敵対していたら身が持たない。
ティティスは自然と手を離し、エルシェアから半歩下がって身構える。
いざとなった時、半瞬の間すら置かずに古代魔法を叩きつけることが出来るように。

「私も有名になったものですが、生憎と私は貴方の顔を知りません。お名前、教えていただけません?」
「……エデンだ」
「エデン……貴方があの、エデン君ですか?」
「あぁ、おそらくそのエデンだろうな」

嫌そうに呟くエデン少年は、プライドの為か偽名だけは使わなかった。
首を傾げた妖精は囁くように先輩に問う。

「お知り合いですか?」
「私と同期にドラッケンに入学した方です。非常に優秀な生徒であったと聞いています」

エルシェアにとってほぼ唯一名前を覚えた、同期の他校生が彼だった。
他人に全く興味が無かった当時の彼女でも、同類なら意識に入る。

「大陸中央の謎を探すとおっしゃって旅に出て、行方不明になったらしいですねぇ」
「よく知っているな」
「ドラッケンには留学していたことがあるので、少し調べてみたのですよ」
「なるほどな……ん?」

エデンは不意に何かに気づき、眉を寄せる。
以前エデンの仲間であるエルフの少年が、ドラッケンで出会ったと言っていた逸材。
同じ時期にドラッケンに留学していた、目の前のセレスティア。
彼の中で断片的だった情報が、この堕天使を前にして一つの線で繋がったのだ。
やや躊躇った後、彼はエルシェアに問いかけた。

「ドラッケン学園に留学というと、お前はアマリリスに出会ったのか?」
「出会ったと申しますか、キルシュトルテ王女に逆らって捕まっていた所を、逃がして差し上げたのですよ」
「……なるほど、それは迷惑をかけたものだ」

半眼で語る堕天使に、エデンは深い溜息を吐く。
同学年だったシンパシイからか、争うよりも互いの情報を整理する方向で話が進む。
この様な時、逆にそこに加われなかったティティスの方が目的をしっかり見据えていた。

「それで、あの……エデンさんはどうして此方に?」
「それは言わなければならないのか?」
「もちろんですよエデン君。此処は一応、ドラッケン学園が管理する迷宮ですもの。三学園の生徒以外が、許可も目的もなく侵入していては都合が悪いではありませんか」
「暗黙の了解があるだろう。ドロップアウターや卒業生が、腕試しに入り込むことは珍しくない筈だが?」
「……」

それは事実であったから、堕天使は口を閉ざすしかない。
エデンが公に出来ない、もしくはしたくない理由から単身ここに来た事は雰囲気から察した二人。
しかしそれを指摘するには、この方面からでは難しかった。
最も、性格の悪い堕天使はこの程度では怯まないが。

「そうですか。でも運が良かったですよ。あの有名なエデン君にお会いできたなんて、お友達には良いおみやげ話が出来ました」
「……」

オブラートに包むことなく、この遭遇を学園側に報告する事を匂わせた堕天使。
クエスト報告ではなく、個人的な知り合いに話すと言っている所がミソである。
交渉次第では、暗に黙っていてやると持ちかけているのだ。
エデンとしては自分が此処にきた事が明るみに出るのは避けたかった。
それはドラッケン関係者のみではない。
現在彼が所属している陣営にも、忍んで此処に来ているからだった。
数秒の間にらみ合い、エデンは譲歩を飲み込んだ。

「とある書物が、この迷宮に隠されている事を知った。それを探しに来た」
「他人様の家系図を覗こうなんて、あまりいい趣味ではありませんよ?」
「それは有名税だろうな。あそこに書かれているような連中は、特に」
「まぁ、それは否定しませんがね」

やはりロイヤル家系図大全が目的だった。
小さなやり取りからエデンの狙いを確定した堕天使は、内心肩を竦めざるを得ない。
運が良いのか悪いのか、こんなところでかち合わなくても良いだろうに。

「私達もそれが欲しいのですが、一緒に行きましょう?」
「弱者と組むつもりはない」
「……何か勘違いなさっているようですねぇ」

意地悪く嗤うエルシェアに、少年は舌打ちを隠せなかった。
エデンとしては早く会話を打ち切って探索に戻りたいのだろう。
エルシェアは勿論、傍で会話を聞いていたティティスすらその事がよくわかる。
しかし目的が同じと解った今、此処でエデンを逃がすことはできない。
現在エデンは一人であり、エルシェアとティティスは二人組み。
総戦力を比較しても、二対一なら間違いなく勝てるだろう。
しかし正攻法で負けないからこそ、、相手が搦手で来ることを警戒しなければならないのだ。

「あのですね、私は貴方の都合などお伺いしていないのですよ」
「む?」
「人手でも戦力でも私達が勝っています。貴方が目的のモノを手に入れるとしたら、漁夫の利を得るか奇襲するしかないでしょう?」
「……」

勿論そのつもりだったエデン。
その為にはエルシェアとティティスの目を離れなければならない。
弱者云々よりむしろそっちの目的で別行動したかったエデンだが、エルシェアがそんな可能性を放置する訳がないのである。

「そうと解っていますのに、別行動等許す筈ないでしょう? 武装放棄して私達の監視下で行動をするか、此処で消息を絶つか好きな方を選べ、と言っているのですよわたくしは」
「エル先輩、鬼ですか……」
「え? 今の私の発言で何処にそんな要素が……」

心外だと言わんばかりの堕天使に対し、ティティスは一歩踏み出してエデンに対して頭を下げる。

「失礼します、私はプリシアナ学園のティティスと申します」
「知っている。今年度の交流戦で頭角を現した新人……だったか」
「過大な評価をいただいてしまいましたが、その評価に少しでも実力を追いつけるために、新しい学科を学びたいと思っています。私達はその為に、ロイヤル家系図大全をキルシュトルテ様の元に届けなければなりません」

自分の人相が良くないことを自覚しているエデンは、真っ向から対峙してきたこの妖精を芯の強い少女だと評価した。
もっとも、高圧的に出てから誠意を見せて説得するのは脅迫の手管だと気づいていないようだったが。
エデンはティティスの態度と状況から真意を読みかねたが、堕天使が笑いを堪えている所を見るにこれは天然らしいと理解する。

「それで、あの……なんとか譲っていただくわけにはいかないでしょうか?」
「……」

黙考するエデンだが、自分の選択肢が多くないことは承知している。
流石にこの状況から二対一で勝ちきる自信はない。
その上で不意打ちも出来そうにないのなら、相手の条件を飲みつつ譲歩の交渉をするしかないのである。
エデンは指を二本立て、一つずつ折ってゆく。

「一つ。此処で俺と出会ったことは他言無用」
「それはまぁ、構いませんよ」
「二つ。本は持って行って構わない。だが手に入れたら持ち出す前に、俺に読ませて欲しい」
「目的は?」

堕天使の問いかけに、これは迷うことなく言い切った。

「ノイツェシュタインとウィンターコスモス両家に伝わる、魔道士アガシオンの記録に連なる手がかりを探している」
「なるほど、よく分かりました。所でこれを拒否したら、どうなってしまうのでしょうね?」
「確実に、どちらかを道連れにしてやろう」
「……了解です」

気負うでもなく淡々と必殺を宣言した少年に、エルシェアは嫌な汗を自覚した。
この少年は自分に似ている。
かつて漠然と感じた共感が確信に変わった。
敵に回したら非常に面倒な相手になるだろう。
この場で本当に、亡き者にしておいた方が良いのではないか?
堕天使はそう思ったが、未だ其処までの話になるとはこの時思っていなかった。
あくまでも、この時は……の話である。



§



エデンが装備していた『サーベル』と『シャドウバレル』を預かり、更に魔法を一時的に封印して、三人は先へ進むことにした。
初めからエデンを半敵と見なしているエルシェアに対し、ティティスは非常に申し訳なさそうにしている。
その対比が、少年には非常に印象的だった。

「本当に申し訳ありません……」
「構わない。寧ろエルシェアの対応の方が常識的だと感じる」

現在はエデンに『マプル』を掛けて地図役にし、パーティー中央に配置している。
その後ろからティティスが背後からの不意打ちとエデン本人を警戒する事になった。
これはエルシェアの手をあけ、最前線に立たせるための布陣である。
この期に及んでエデンが裏切る可能性は低い。
攻撃能力を奪われたまま迷宮内で孤立すれば、どうなるかなど火を見るより明らかである。
目的が一致した事もあり、エルシェアとしても口に出すほど疑っているわけではない。

「此処の魔物は弱くはないのですが、もう少し連携を取って来ないものですかねぇ」
「あの、それされたら困るのは私達だと思うんですが」
「楽なのは良いのですが、余り訓練にならないんですよね……」

呆れたようにぼやくエルシェアに、一応言ってみるティティス。
前線ではエルシェアが二匹の『オルカブレード』の攻撃を盾で受け止め、アダーガの魔力刃に引っ掛けて切り裂いている。
そうやって怯ませたところを、右手の鎌を用いてとどめ。
堕天使の武器はL字という特殊な形状の為、盾の裏側に居ながら相手を刈り取る事を可能にしていた。

「見事なものだ」

その戦闘技能を素直に賞賛するエデン。
先程合流してから、エルシェアは一匹たりとも魔物を後衛に流さない。
アダーガとシックルを巧みに操り、敵の前衛を止めながら攻撃魔法で後列の魔物を直接射抜く。
危なげない必勝パターンを構築して作業のように撃破していく手際は、少年の記憶にも多くない。
今も十匹近い魔物の群れは、エルシェア一人の手によって簡単に駆逐されていった。

「なるほどな。これがお前の……交流戦優勝メンバーの後衛が見ている光景なのか」
「はい。本当は更にディアーネ先輩もいらっしゃいますから、前衛はもっと硬いんですよ」
「ふむ、参考になる」

迷宮に入り、戦いもせずに完全な観戦をするような機会は滅多にない。
エデンは最早開き直り、エルシェアとティティスの戦力把握の機会と割り切っていた。
実際にはティティスは殆ど戦わず、今のところエルシェアが一人で片付けているのだが。

「……」

スピード、パワー、バランスが非常に高い水準で拮抗している堕天使は、その三つを身体の中で完璧に制御して戦っている。
以前のエルシェアは力の不足を速度でカバーしていたが、その必要が無くなった今、無駄な動作が驚く程少ない
対峙した相手にすれば、同じ時間軸で動いているとは信じられない速度差を体感しているに違いなかった。
普段はティティスのみが見ていた堕天使の背中を見つめる少年は、笑みを浮かべずにはいられない。
これはなかなか興味深い機会を得ることができた。

「速度でも技量でも力でも守れる時は、敢えて力技で押し返す傾向があるか?」
「そうみたいですね。たぶん力技を身につけたのは最近だから、いろいろ試しているんだと思うんですけど」
「なるほどな」

エルシェアは基本的に相手の攻撃を盾で受け止め、足の止まった敵の首を鎌で刈り取る戦法を繰り返している。
受け止めてしまえば堕天使の足も止まってしまうが、受けるとほぼ同時に相手の首が飛んでいるので殆どリスクになっていない。
更に攻撃魔法によって敵後衛も同時に崩していくエルシェアは、まさにやりたい放題の蹂躙を進めていく。

「もう少し嬲るのが趣味だと思ったが、意外に必殺を躊躇わないな」
「倒せる機会を先に送ったりしませんよ先輩は」
「……貴方たちは私の採点係ですか?」

敵を全滅させた堕天使が、苦虫を噛み潰して言ってくる。
後ろで自分の戦い方を逐一観察されているのでやりづらくてしょうがない。
人に見せて恥じ入る程無様な動きはしていないつもりだが、試験でもされているようで居心地が悪かった。
半眼の堕天使に、肩を竦めるエデン少年。

「採点というなら六五点か。動きは良いが魔法の威力が足らないようだな」
「申し訳ありませんね頭悪いもので。そうまで仰るなら、湿気った爆竹の次位には役に立って見せたらどうですか元優等生」
「戦闘行為に参加することが許可されていないんだ。見学くらいしかすることがなかろう」
「図々しい事ですね? 今の貴方は私達の捕虜であることをお忘れなく」
「捕虜だというならしっかりと、その身柄を保証するのが捕らえたお前らの義務だろう」
「……」
「ま、まぁまぁ……」

ティティスに諫められたエルシェアは些か気分を落ち着けて探索を再開する。
幾らエルシェアの性格が悪かろうと、自分の指示を素直に聞いて武装解除した相手に暴力を加える程横暴ではない。
エデンが理性的に交渉と契約に従っている手前、先に手を出したら負けであることも理解している。
ただなんとなく、この状況で怯えた様子もなくふてぶてしいエデンの態度が可愛げのないモノと感じられて鼻につく。
エルシェアは手を出さないが、それを少年に見透かされているようで気に入らないのだ。

「そのT字路は右だ。そっちのほうがスペースが大きい」
「了解しました」

不機嫌なオーラを隠そうともせず、エルシェアが迷宮を先導していく。
エデンは不意に服の裾を引かれて振り返る。
其処には困ったような顔をしたティティスが、『めっ!』と視線で語っていた。
苦笑したエデンは、両手を上げて降参を表明する。

「悪かった。少し調子にのったようだ」
「エル先輩もエデンさんもどうしてそんな刺々しいんですか……」
「それは仕方ないだろう。俺達のような人種はな?」

其処まで言ったエデンは言葉を切り、続きを待ったティティスは不思議そうにその顔を見上げている。
エルシェアが気づいているように、エデンも気づいていることがある。
この堕天使が自分と同じものを探していること。
自分が弱いという認識を許容出来ず、強さという形も正解も無い何かを探し続ける求道者。
もしくは愚者と言い換えてもいい。
本当はそんなもの無くても人は幸せになれるのに、強くないと生きていけないと思い込んでいる自分達。
真面であり正気であるこの妖精に、そんな異常者を理解する事はできないだろうと思う。

「人種は?」
「いや、何でもない」

不思議そうに見つめてくる妖精から、先ゆく堕天使へ視線を戻す。
自分の前を歩む背中があることがひどく新鮮であり、ある意味では違和感すら覚えるエデンだった。

「なぁ、ティティス嬢」
「はい?」

エルシェアに聞こえないように、囁くように呼びかけるエデン。
釣られたように、ティティスも小声で聞き返す。

「お前はずっとあの背中を追っているのか?」
「はい。ずっと追いかけていくんだと思います」
「そうか」

この妖精の少女は、エデンがまだドラッケン学園に在籍したいた当時、痛切に希求して遂に得られなかったモノを持っている。
心から憧れ、尊敬し、真っ直ぐに目指せる先逹。
もしもそんな背中があれば、きっとエデンは間違えなかっただろう。
今でもドラッケン学園にいて、光の陣営の一人として闇の勢力と戦う道があったかもしれない。
悪の魔導士アガシオンの存在を知っている彼としては、何も悩まず戦えたかもしれない可能性に思いを馳せずにはいられなかった。
しかし現在、彼は闇の陣営の尖兵を纏める立場にある。
そしてアガシオンが自分達を使い捨ての道具にするつもりであり、魔王復活の為に手段を選ばない現状、彼は自分自身とモーディアル学園に集った生徒達のため、アガシオンの弱点を探し出さねばならなかった。
エデンの視線の先では、再び接敵した魔物達と堕天使が交戦を開始する。
ざっと見るに二十匹。
今度は数が多かったが、進み出たティティスから飛んだ古代魔法が十匹以上の敵後衛を巻き上げる。

「『セイレーン』」

水球に閉じ込められた魔物達は、内側に荒れ狂う高速高圧で撃ち出された水流の刃に切り裂かれる。
最初に巻き上げた水球の内部で惨殺し、その外側に破壊力を微塵も漏らさない精密な魔法構成は、エデンをして感嘆に目を見開いた。

「欲しいな……」

この妖精も、そして先を行く堕天使も、闇の生徒会にぜひ欲しい。
彼は闇の勢力を纏めて戦うことそれ自体に不満はなかった。
しかし戦うからには納得のいく戦いがしたいのである。
魔王アゴラモートの使いっぱしりのアガシオン……その捨て駒として戦うなど、惨めすぎるではないか。
アガシオンは時は近いと言っていた。
まもなく予言の通り、『始原の学園』を巡って光と闇が争う事になるだろう。
その時までに、彼はアガシオンの支配を食い破るだけの切り札を手に入れなければならなかった。
もしくは、アガシオンと戦って勝てるほどの戦力を……
しかし現状、彼は闇の生徒会数人の足並みすら揃えることが出来ていない。
みな其々、自分だけの目的を近視眼的に追い求めるため非常に仲が悪いのだ。
エデンとしては自分の求心力と主導力の不足を痛感する思いであった。
もしも闇の生徒会の全員が手を携えることが出来れば、アガシオンとて自分達を使い捨てには出来ないだろうに。

「ティティス嬢は核を固める娘で、核には成れない。だがもし、あの堕天使を引き入れて……」

闇の生徒会を統率させたらどうだろうか?
エルシェアにすれば心底嫌に違いないが、この堕天使が持つ一種の華は、上に立って引っ張っていく事こそ向いている。
幾ら個人戦闘能力を上げようと、こればかりは別の領域の話である。
優れた能力を持ちながら道を外れた闇の生徒会が、一つの目的のためにその素質を結集させることができたなら、おそらく最強の組織が出来るだろう。
そうなって初めて、自分達はアガシオンに物申す事が出来る。
エデンが何時の間にか握りしめていた拳を解いた時、最後の魔物がアダーガの魔力刃に射抜かれた。
返り血すら避けて飛翔し、宙を舞うエルシェア。
この堕天使は青空の下よりも、闇の夜空を飛んでこそ映えるのではないか……

「終わりました。道は?」
「……真っ直ぐで良さそうだ。部屋があるとすれば、残りの空間的に一つがせいぜいだろう」
「さっきのT字路の左って、何もなさそうですか?」
「あっちはその奥に部屋を作れるスペースが乏しい。おそらく通路の行き止まりだろう」

三人は目的地が近いことを確認し、其々の想いで進みだした。



§



ロイヤル家系図大全がなぜ放置されていたのか。
それは部屋に踏み込む前から明らかになった。
なんと作者は処刑されたあとも亡霊となって生き続け、今なお最新の家系図を記してはその成果を守り続けていたのである。
悪霊とは未練が強いほど寿命も長く、強力になっていく。
一体何がこの作者を駆り立てているのか、半ば本気で気になった三人だった。

「まぁ、それも今日でおしまいな訳ですが」

エルシェアとティティス、そしてサーベルのみ返されて前線に立たされたエデン。
三人は亡霊を囲んで未練尽きるまでボコボコにした後、彼が書き上げた最新版ロイヤル家系図大全を手に入れたのである。

「なんというか、どちらが悪者だったか分からない結末でしたね?」
「人様が生涯に渡って書き続け、死後も情熱を注いでいたものを奪い取ったのですから私達が間違いなく悪者でしょう」
「生まれ生きる以上、対立と抗争を避け続けることはできない。これもまた、世の倣いだろうな」

恨みを抱いて現世から強制成仏させられた作者を思い、やさしい妖精少女はたったひとり手を合わせる。
エデンとエルシェアはと言えば、早速本を開いて王家の系譜を確認していた。

「あ、ディアーネさん凄い。四代前の当主様に、お姫様が降嫁してますよこれ」
「本当ですか!?」
「コレは……ノイツェシュタインでは割と有名な恋愛話だな」

ディアーネの四代前、未だ男爵家であったその当主は、ケタ違いの商才を持った人物だったらしい。
下手な伯爵、子爵等よりはるかに富を集めたその当主は、王家の末娘と出会って大恋愛をしたという。

「その時、彼は姫を娶る代わりに財産の半分を王家に寄贈したらしい。これによって家は傾いたが、その代の間に持ち直している。家格も子爵に進んでいるな」
「流石ディアーネさん。まさか本当にお姫様の器であったとは……」
「普段の様子からはなかなか想像できません……」
「基本的に大食らいの体育会系ですからね」

堕天使は一通り流し見ると、別のページを開く。適当に開かれたページには、見たこともない別大陸の王家の系譜が記されている。

「ちょっと失礼いたしますねー」
「何をする気だ?」
「細工を少々」
『……え?』

ティティスとエデンが顔を見合わせ、その隙に本を確保したエルシェアは筆記用具を取り出し、加筆していく。
唖然としている人間と妖精の目の前で、ティティスの家系が勝手に王族関係者にされていった。

「えっと、ティティスさんは二千年前に沈んだとされる、ヌー大陸最後の王族の生き残りのお姫様の末裔で、この大陸に流れ着いて地元に根付いた……こんなところで完璧ですね」
「何しちゃってくれてるんですかそんな事実ありませんよ!?」
「だから本気で何がしたいんだお前は……」

更々と書き込まれる線と、適当な名前の数々。
未だ存命の両親の名前すらでっちあげられ、最後にティティスと書き込まれる。

「あ、ご兄弟とか姉妹はいらっしゃいます?」
「いません……」
「ではコレで完成です。おめでとうプリンセス!」
「あ……、あぁ……」

肩を叩くエルシェアに震えた声音を搾り出すティティス。
エデンも表情を引きつらせているが、とりあえず何も言ってこなかった。

「王女はロイヤル家系図大全で、王族の末裔と分かったらと申しました。証拠品がこれしかないのですから、書かれていることこそ正義です」
「無茶苦茶だ……」
「いいんでしょうか……」
「正直苦しいのは承知ですが、かすりもしていないではごねることもできませんので。やれることはやっておきましょう」

そう言ったエルシェアは、本命のノイツェシュタインの系図を再確認する。
エデンも興味はそこに向かったようであった。
ティティスもエルシェアの背中に張り付くと、肩越しに本を覗き込む。

「始祖は男性、王族は男系の家系ですねぇ……」
「女王が出たのは、わずか一回。当代はこのまま王子が生まれなければ、キルシュトルテが歴代二人目の女王になるな」
「珍しいことなんですねぇ」

三人はキルシュトルテの苦労を偲んで息を吐いた。
男系の王家に女性のキルシュトルテは、さぞ肩身の狭い思いをしただろう。
現在彼女に勝る王位継承権を持つ者はいないが、今後もそうとは限らない。
キルシュトルテが女王の位をどう考えているかは分からないが、例え即位したあとも親戚から男児が生まれれば廃位される可能性もある。
何より遣る瀬無いのがその場合、彼女の敵になるのが肉親や親族という身内であるという事実だろう。
今までも、そしてこれからも、彼女が権力の腐臭から遠ざかれる日は見えていない。

「まぁ他人事ですけれど」
「その通り。我ら庶民にはどうでもいい話だ」
「本当にドライですね先輩方」

二人が興味深いのは、始祖王の生存年代である。
ディアボロスということは、かなり長い寿命で生存しているはずである。
建国の年数は分かっているが、彼が何時生まれ何時死んだかは気になる所であった。

「王家の伝承では、生年と没年が不明なんですよね始祖様は」
「あぁ。だが生年は兎も角没年まで分からないというのはどういう事なんだ……」
「この本にも、載っていませんね……」

他の王族の殆どには生年と没年が記載されているにもかかわらず、ノイツェシュタイン建国の王は、その没するところ知らずと書かれている。
その後、彼の子孫が現在に至るまではっきりと、現在のキルシュトルテの名前まで書き込まれているにも関わらず。

「二代目の王子は二十歳で即位している。ディアボロスの王家にしては相当の早さだな」
「王様は息子さんに後を託して旅にでも出たんでしょうか……?」
「三代目以降なら兎も角、創始者の時代にそれをやったら国が危ないですよね?」
「うむ。二代目がよほどの賢王だとしても、部下の忠誠心はまだ、国より先王個人に向いている時期だと思う。まとめ切れたのかと言われれば怪しいものだ」
「……もう少し吟味したい所ですが……そうですね、ちょっとお待ち頂けますか」

エルシェアは白紙の地図を数枚取り出すと、そこにノイツェシュタイン王家関連の系図を書き写す。
家系と共に、その人物が成した主な功績、闇に葬られた悪行までかなりの角度で書き込まれているため、数十ページに及ぶ作業になるが。

「ティティスさん、ちょっと雑貨屋に飛んで紙を買い足して来てください」
「あ、わかりました」

元々エデンをあまり警戒していなかったティティスは、特に反対意見もなく『バックドアル』で脱出する。
堕天使は残ったエデンに本を渡すと、効率化のためにページ捲りと朗読を任せようとした。
エデンは本を受け取り、ページを開く。
しかしなかなか読み始めないため、エルシェアは批難の視線で切りつけた。

「こんな時に済まないが、お前はアマリリスから何を聞いた?」
「ん……まぁ闇の生徒会とかいう、ネーミングセンス零の不良集団があるという事は聞いていますよ」
「そうか。名づけたのは上の連中だからそれは気にしないでくれ」
「ドラッケン学園のドロップアウター……君もその一員ですか?」
「あぁ。生徒会長を務めている」
「へぇ?」

少女は読むつもりがない少年から本を取り上げ、自分で書き取りを進めて行く。
興味なさげに、実際全く興味のないエルシェアは写本作成を続けていった。

「悪の魔導士アガシオンは、今なお生きて魔王復活を目論んでいる」
「何年前の人物だと思っているんですか? アガシオンを名乗る別人の可能性は?」
「あるな。ではそう名乗れる程の力を持ったものが、魔王復活を目論んでいる……としておこう」
「君でも勝てないのですか?」
「論外だ。今のところ相手にもならん」

エデンの実力は、エルシェアも承知している。
此処の魔物をたった一人で相手にし、先程の亡霊退治でも卓越した剣技を披露した。
一対一で真面に勝負した場合、エルシェアも勝ちきる自信がない。
そんな男が、勝てないと断言する相手がいる。

「アガシオンが言うには、こちらの準備はもうじき整うらしい。おそらく三学園の方も、交流戦で上位の成績を収めた生徒からパーティーを組んで戦う事になるだろう」
「はっきりとこの場で、そしてそうなった場合学園側にもお伝えしましょう。私は行きませんから勝手にやってくださいなと」
「お前の仲間も、これには参加すると思うぞ」
「知りません。そもそもそんな面倒な事、生徒に押し付けるのが間違っています。学園の教師が真っ先に矢面に立つべきでしょう」
「全く持ってその通りだが、どうやら決戦場は『生徒』しか入れないらしい。断言するが、お前は必ずその面倒事に巻き込まれる」
「お黙りなさい。何で私の未来を貴方に決められなければなりませんか?」
「光の陣営に参加しなくても、こっちはお前を放っておけない。敵に回る可能性があるなら……と考える連中が必ず出るだろう。俺一人では抑えきれん」
「……」

説得力がありすぎて黙り込んだエルシェア。
心底嫌でたまらないが、彼女は今年度の交流戦優勝メンバーの実績がある。
書き写す作業の手は止めず、しかしその瞳からは感情が消え失せた。
堕天使の内面は現実味の乏しい、恐ろしく過激な破壊妄想が荒れ狂っているには違いなかった。
誰を何処まで葬りされば平穏を勝ち取れるのか、そんな思考遊戯で憂さを晴らしているのがエデンにはよく解る。
背筋が凍る思いをねじ伏せ、エデンは勧誘を続けていく。

「気の毒だとは思うが、お前の近未来に平穏はないんだ。だからどうせなら、お前は自分を優遇する陣営につかないか?」
「……闇の生徒会が私を優遇ですか? ディアーネさんも、あの子もいるプリシアナ学園より? 戯言も程々にしなさいな」
「……確かに実質お前に有益なのはそちらだろう。だが、権限としてなら話は別だ」
「権限?」
「光の陣営は三つの学園から人材と物資を集められ、その戦力は潤沢。そこにお前が参加しても軽く扱われるだろう。だが闇の陣営は劣勢であり、其処に参加すれば重く扱われるのは必定だ」
「……負け馬に誘うとか辞めて頂けません? 本当に迷惑なんですから」
「お前に取ってはそうだろうが、正直今のままではこちらは一方的な殲滅を待つのみだ。必死にもなる」
「そんなに不利なの?」
「かつて此処まで戦力差のついた光と闇の闘争も珍しいだろうな」

エデンはこの戦いの帰趨は闇の敗北であると読み、現状でそれは覆らないと考える。
アガシオンは全ての準備をアゴラモート復活に捧げ、エデン達と光の生徒達との戦いは始源の学園に至る鍵を運ばせる布石でしかない。
かの魔導士からすれば持ってこさせた段階で勝ちであり、そこで命懸けで戦い、神話を再現しなければならないエデン達など用済みの駒に過ぎないのだ。
戦う当事者である少年に取ってはたまった物ではない。
しかしそれを拒否するには、彼は少々アガシオンに借りを作りすぎた。
本来仲間の筈だった生徒会もバラバラである。
彼らを纏め、その力に方向性を示せる人材が一刻も早く必要なのだ。

「このままでは俺達の戦いも全てアガシオンに利用され、あいつが一人勝ちするだろう」
「アガシオンが一人勝ちした場合、出てくるのは魔王アゴラモートですよね?」
「だろうな」
「その場合、こちらも三学園の教師陣が無傷で残る訳ですけど魔王は止められませんかね?」
「恐らくは止められるだろう。だがそれ以前に戦い、敗死しているであろう俺達には意味がない」
「……」
「このままでは俺達の死すら、あいつの予定調和に組み込まれてしまう。俺達は、古き魔道士の軛を断ち切れる存在が必要なんだ」

エルシェアは書き写す手を止める。
話を真剣に聞く気になったわけではない。
紙が尽きたから止まっただけ。
十頁程を写し終えたエルシェアは、肩を回して息を吐く。

「……光のセレスティアも、ディアボロスの勇者もいなくなった今、旧時代からアガシオンだけが生きて好き放題しているのも気分が悪いです。最早彼の時代ではありません」
「あぁ、俺もそう思う」
「ですが、それと君に協力することの回答は別です。私には君達と共にあることが、ディアーネさん、ティティスさん、そしてリリィ先生の手を振り払う価値があるとは、とても思えません」
「……」

ある意味で予想出来た回答だった。
しかしエルシェアが光の陣営に残す未練はたったの三人だけである。
コレを諦めるほど、エデンは達観していない。

「また後日、改めて勧誘に伺おう」
「お好きにどうぞ。しかしこの先は私も、対応に学園を介入させますので」
「……女狐が」
「堕天使です」

一対一で話し合える機会など、今後はエルシェア側から提供するつもりはなかった。
勝ち目の薄い陣営に自ら飛び込むほど酔狂ではない堕天使である。

「この写本、書き上げたら君に預けます。私が所持していても、恐らく王女に所持品と預かり所等を調べあげられるでしょう」
「ありがたいが、写本の筆者というだけでも面倒ではないのか?」
「筆跡の癖、ページ毎に変えてますから」
「……器用だな」
「一人が長いといろいろ身につくものなのです。君もこれくらい出来るでしょう?」
「どうだかな」

二人の会話はそこで終わる。
それはティティスを待つ間にあった、ほんの数分の会話だった。
堕天使エルシェアと闇の生徒会長エデン。
そして彼らの敵と仲間達。
幾人かの未来を少しだけ変えた、ほんの数分の会話だった……



























後書き



この物語でゲームシステム的に主人公なのは転入生のティティスです。
作者が書く時に主人公補正を意識してるのはディアーネです。
ではエルシェアは……
今まで散々立っていた彼女のフラグが遂に形になってきましたねーw

とまぁこっちの事情はおいといて、お待たせいたしました、天使と悪魔と妖精モノ外伝3後編お届けいたします。
宿題というか借金を返し終えたような、晴れやかな気分ですわー♫
学科開放クエストの最終話いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
ファイナルでウィンターコスモス家が王家とは関係ないらしいことをフリージア君が言ってくれたので、エルシェアの事情の処理が楽に片付いたので結構早く書けました。
執事超GJですw

このクエストはなんというか、本当に勿体無いクエストだと思いました。
ノイツェシュタインとウィンターコスモスの食い違った伝承や、キルシュトルテの祖先の正体を生徒達自らの手で真相を解き明かしていく鍵になるクエストになり得たのに……
結局肝心なところはスルーして、敵が勝手に全部ネタばらししてくれましたしね。
このゲームでの主人公PTって単なる戦闘要員でしかなかったなぁと思うわけです。残念なことに。
この辺り言いたいことが溜まってきたのでまた後書きその二を書くかもしれませんw
作者の愚痴とも言いますがw

とりあえず一区切りついたところで、今後考えていますのは……
ファイナルの設定の関係から出番が一切無くなった哀れな主人公ディアーネ嬢の一方その頃的なお話と、エルシェアの二年前期の頃の話(ディアーネ入学の半年前)を考えています。本編暗黒校舎編も考えていますが、こっちは結構きな臭くなってて書きづらいです……w
まぁ予定は未定!
今のところいつ書こうという明確なヴィジョンはなかったりしますw
ファイナル放置してやってる刻の学園もやらないとだし、しばらくは休眠かなぁ。
まぁ学科開放クエストも年単位かかってここまで来てた訳ですがorz
とりま、またこうやって何か書いて、皆様にご挨拶できたらいいなと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございましたー^^



[24487] 生徒会の非日常に見せかけた、生徒会長の日常茶飯事
Name: りふぃ◆eb59363a ID:4c389966
Date: 2013/04/10 21:09

前書き
去年書かせていただいた合同誌の、私が書いた所です。 公開是非と時期ついては主催の方と協議し、双方で同意しております。 本の方には私などよりもっと素晴らしいSSや、素敵な学園祭を彩る絵が満載です。 もし興味を持っていただけた方がいらっしゃいましたら、ぜひお手にとってごらんください(宣伝)










 モーディアル学園には、かつて悪の魔導士アガシオンが拠点として利用していた頃の迷宮の名残が、今も残されている。その大半は開かずの扉の向こうに封印されているのだが、今でもその一画を使用している者もいた。元闇の生徒会会長、現モーディアル学園生徒会長のエデンもその一人であり、その日も彼は 日課となっている記録の整理に追われていた。
「……」
 彼が纏めているのは、かつて自分が闇の生徒会の一人として、光の陣営と戦った時の戦闘記録である。彼らにとっての勝因と、自分達の敗因を分析して次に活かす。それは二度とは負けないという静かな決意と同時に、今度こそ自らの道を誤らない為に必要な事だと思うのだ。エデンの脳裏に浮かぶのは、プリシアナ学園の生徒会長、セルシア・ウィンターコスモスの姿。かつての自分と同じく学園を代表する位置に居ながら、その道を間違えなかった生徒。
「あの時は敗れたが……」
 今ならどうかと思考した時、足音に気づいて扉に目をやる。旧闇の生徒会室に来るものは、同じ所属にいた者だけ。エデンは脳裏に此処へ来る可能性のある連中のスケジュールを列挙する。本校で学園祭が近いこの時期、慢性的な人手不足は何時までも彼らの手を空けてはくれなかった。
「仕事だエデン」
 そう言って入室してきたのは、黒衣のローブを着たエルフの少年。エデンが昔、ドラッケン学園に在籍していた頃からの知り合いであるスティクスだった。
「一体どうした……俺の日程なら、三徹かけて今日を開けた筈だが?」
「予定は常に、未定と同じと言うことだね」
「予定じゃなくて、確定した現在の筈だが?」
「この時期に休みが欲しいなら、学校などに居るべきではなかったね。処理して欲しい案件は刻一刻と増えているよ」
 そう言いながらエルフの少年は持ち込んだ書類を机に置いた。渋面を作って書類に目を通したエデンは、その内容に溜め息しか出ない。
「各クラスの企画に、公平な場所決め……やはり入口付近と水場付近は人気だな……というかなんだコレは? 昨日までに粗方仕上げたはずじゃないか」
「あれは我らがモーディアル学園内部の申請だよ。今回は外大陸の三校に加え、異次元からもゲストを招いてのお祭りだからね。公平を期すために申請までは自由だから、どうしても凄まじい数のブッキングがおきている」
「まさか此れから被っている申請を処理して行けとは言わないだろうな?」
「それは、明日からでいいよ。今ヌラリとジャコツが手分けをして区分けを手伝ってくれている。その作業が済んでからの方が、君の効率も上がるだろう。まぁ明日、覚悟しておくことだね」
 意地悪そうに微笑むスティクスに、半眼を返すエデン。仕方ないこととはいえ、このエルフは友人の貴重な休暇を邪魔して、なぜこんなに楽しそうなのか。エデンは内心で密かに復讐を誓いつつ、持ち込まれた書類を机の脇に寄せる。スティクスの話を信じるなら、今彼がしなければならないわけでもない。にも拘らず書類を持ち込んできたのは、この性悪エルフの嫌がらせだろう。
「話はそれだけか?」
「とんでもない。それでは僕が、まるで君を絶望させるためだけに態々足を運んだみたいじゃないか」
「違うというのか?」
「僕も其処まで暇じゃないさ。実は、ソフィアール校長先生からの伝言がある。伝言というか、まぁ依頼と言ってもいいだろうね」
「先生から?」
「そう。それを伝える事こそ、僕の本当の目的だよ」
「……」
 ならば最初からそれだけ伝えればいいと思うエデン。なぜ態々未処理の書類の山など持参して、此方の心を折りに来るのか?
 言いたいことは山程あったが、口でこの性悪エルフに勝った事がないエデンは、一つ静かに息を吐いた。その動作の中で大切なモノを一つずつ諦め、常備している胃薬を飲みながら先を促す。
「それで、先生はなんと?」
「今回は初の合同学園祭だからね。僕達生徒会にも、何か催しをして欲しいらしいよ」
「催しって……当日か? 運営はどうするんだ」
「当日の運営は各校の教師陣がやってくれるからね。始まってしまいさえすれば、僕達も身体が空くはずだよ」
 そもそもエデン達、生徒会のメンバーがこれ程苦労しているのは、現在教師陣の大半が別の要件で取られているからである。
 学校単位どころか世界単位での合同学園祭である。異次元へのリンクとその維持には膨大な異能力を必要とし、ソフィアールやネメシア、またミカヅチ等は今も不眠の作業に追われているのだ。
「……本当に、誰が考えたんだろうなこの無茶な企画……」
「ニーナ校長の発案らしいが、それを受け入れたのはソフィアール校長さ。天使の御意向なのだからそれこそ、神の思し召しじゃないかな? 偶然……運命……? いや、必然だね」
「……今だけは神すら締め上げてやりたいよ」
「僕も大筋では同意するけれど、出来ないのかと思われるのも屈辱じゃないか。やるからには完璧な運営実行をやって見せるべきだろうね」
「……確かに、その通りだな」
 スティクスの意見に頷いたエデンは、現実の課題に向き合うことにする。校長たるソフィアールの意向であれば可能な限りそってやりたいとは思う。しかし現状では企画を決めて催しを進めるだけの余裕はなかった。例え当日が自由に動けたとしても、その前に準備を進められなければ催し等覚束無い。
「現状では、生徒会としての企画を出す当ては立ちそうにないな……」
「だろうと思って、僕も一つ提案を持ってきたよ」
「……何かあるのか?」
「僕達には残念ながら、企画の立案に労力を割くゆとりは無い。ならば、暇そうな生徒を借りてそっちの進行を頼めば良い」
「暇そうな……この時期に暇な生徒がいるのか? いたとしても、それは学園祭そのものに興味の無い極一部だろう。そういう生徒が協力してくれるとも思えないな」
「確かに、会長の言う通りだね。だけど何事にも例外はあるよ。普段自分からは何もしなくとも、舞台さえ用意してやれば好き放題してくれる生徒がね」
 そう言って笑うエルフの少年はエデンの目には、とても機嫌良く見える。案外この腹黒エルフも、学園祭を楽しみにしているのかもしれなかった。
「そっちにも、何かあてがあるのか?」
「ああ」
「では、任せる。相手が正式に引き受けてくれるようなら、改めて代表として挨拶しに伺おう」
「そうしておくれ。では、良い休日を」
「ああ」
 そう言って出ていくスティクスを見送り、エデンは再び記録の整理に没頭する。後に彼は振り返り、合同学園祭の調整に忙殺されていた不眠不休の日々が、まだ平和な日常であったことを思い知る事になる。
    
§

 数日後、モーディアル学園生徒会メンバーが、スティクスの名義で招集された。集まったメンバーは生徒会長エデンを始め、紫色の毛並みのフェルパーであるベコニア。そして中性的に整った容姿のエルフの少年、最近は正統派のアイドルとしても有名なアマリリスだった。
「ちょっと……なんで私達だけ? ハゲとデカ乳はどうしたのよ?」
 忙しい中呼び出されたであろうベコニアは、重い目蓋を目薬で誤魔化しながら言う。素が半眼に近いこの少女は目つきが相当鋭い。しかし今はそれ以上に、目の下に色濃く出来ているくまが痛々しかった。
「あの二人はブッキング申請の区分けが、やっと一段落した所。揃って今日は休みだよ」
「休みじゃないでしょアマリリス? 呼び出しなさい」
「いや、だってさ……あのバカップルがイチャイチャしてる所に突っ込んでいけっての?」
「うむ……甘波による糖死がオチだろうな」
 悟ったように頷くアマリリスとエデンの様子に舌打ちしたベコニアは、一つ息をついて広くもない生徒会室を見回す。そう遠くない過去に置いて、彼女も闇の生徒会の一員として、此処で人形研究に励んだこともあった。あの当時の自分が今の自分を見たらどう考えるか……
 間違いなく丸くなった自分に、ベコニアは内心苦笑した。
「まぁ、いいわ。帰ってきたらあのリア充共は書類の渦に沈めましょ」
「意義なし」
「当然だな」
 独り者ならではの連帯感でもって同意した男共とアイコンタクトを交わしつつ、ベコニアは今ひとつの案件を訪ねた。
「それで、私達を呼び付けた本人は何処に行ったのよ?」
「スティクスなら、本日のゲストを呼びに行っている。他校の外部協力者で、学園祭で我々生徒会の出し物の企画と準備を進めてくれることになっている」
「外注のプロデューサーみたいなのかな?」
「そうだな。そんなものだろう」
 エデンとアマリリスの会話を聞き流し、ベコニアは眠気覚ましにミントを齧る。彼女はモーディアル学園生徒会の手伝いに加えて独自の人形研究の成果発表の準備もあり、ここ数日寝ていなかった。不意に痛みを覚えた少女は右手で肩を摩りつつ、ゆっくり首を回す。若さに似合わぬ破壊的な音を首の中から聞いたベコニアは、やりきれなさをため息に乗せて吐き出す。その時、漸くベコニアは自分が男達の視線を受けてることに気づいた。
「……なによ?」 
「いや、辛そうだなと思ってな」
「会長さぁ……そう思ってんなら、断りなさいよ? 生徒会で企画なんて現状無理だって」
「そうしたいのは山々だったが、俺達は脛に傷を持つ者の集まりだ。内申点は稼げるところで稼いでおかねば、卒業出来るかわからない」
「世知辛い世の中だよねー」
 エデンの発言に同意して肩を竦めるアマリリス。ベコニアの見た所、このエルフの少年は普段と変わらぬ様に思える。アマリリスも生徒会の仕事に加えて当日はライブを予定しており、寝る間もない日々を送っているはずであったが。
「……」
 ベコニアは意識してエルフの少年を観察するが、その仕草や顔に疲労が浮いている様子はなかった。
「何?」
「いや、あんた忙しいわりに元気よね……」
「ああ……アイドルは体力勝負なんだよ。研究屋とは基礎体力が違うからね」
「私も一応万能学科でツンデレ履修してるんだけど……」
「アマリリスの体力はアイドル云々ではなく、血筋だろう。顔と体格は華奢でも、あの男の弟だぞ」
「あ、納得」
 エデンの見解を聞いたベコニアの顔が緩み、口元を抑えてくつくつと笑う。
 アマリリスとしては笑われた事に抗議したかったが、根がブラザーコンプレックスの少年は兄と同じと言われたことに満足してしまうのだ。
 少女が一頻り笑った時、外の廊下から足音が聞こえてくる。数からして二人分。
「漸くお出ましだね」
「誰を呼んできたのかしらね?」
 今まで猫の手も借りたいほど多忙だったベコニアにとって、この生徒会独自の催しまで手をかける余力はない。外様の協力者とやらが何を企画するかは知らないが、勝手に進めてくれればありがたい話であった。
 もっともそれはアマリリスやエデンにしても似たような心境であり、彼らは基本的に企画の全てを協力者に委託するつもりだったのだ。
「お待たせしたね」
 その声と共に開かれた、旧闇の生徒会室。
入室してきたのは、黒衣を纏ったエルフの少年が一人と……
 そして今ひとりは、薄桃色のウェーブヘアを背中より伸ばした長身のセレスティア。その背中と頭から伸びた翼は漆黒に染まり、彼女が堕天使学科を専攻していることを示している。アマリリスとベコニアには、馴染み深いプリシアナ学園の制服に身を包み、さらにその上から白衣を羽織った少女は、穏やかな微笑に気だるげな雰囲気を滲ませて挨拶した。
「よろしくお願いします皆様。プリシアナ学園よりやってまいりました、エルシェアと申します。まぁ、皆さんに今更自己紹介が必要とも思えませんがね」 
 完全に固まったプリシアナ学園生二人と、モーディアル学園生徒会長を意に返さず、先に入室したスティクスは客人たる堕天使に椅子を引いた。
「ありがとうございます」
 丁寧な礼と共に着席したエルシェアは、凍りついた一同を見渡して宣言する。
「それでは、元闇の生徒会のプロデュースを始めましょうか」
 鈴の音が鳴るような美しいソプラノが狭い室内に響き渡る。この堕天使の性格が悪い事を知るエデン達は、其々に顔を引き攣らせて
未だ硬直から抜け出せずにいた……

   §

「なんであんたが此処に居るのさ!?」
 長い自失の後、いち早く正気を取り戻したのはアマリリスだった。
「……」
 その声によって硬直を抜け出したベコニアとエデンは、少年が声を上げる影で視線を交わす。二人は互いの瞳の中にゲンナリとした自分の顔を見つけて息を吐いた。
「呼ばれたからに決まっているでしょう? そうでなければ、誰がすき好んで、こんなカビ臭い穴ぐらに戻ってきたりするものですか」
 堕天使は気怠げに言い放つと、隣に座ったスティクスに視線を送る。
「すまないねエルシェア君。だけど、僕は会長には外部協力者を求めることは許可を得たよ? 第一僕達にとって、やるからには協力者が必要だった。選り好みなどしていられる立場にはなかったのさ」
「それにしても、限度というモノがあるだろう……何でよりによって『彼女』を選んだ?」
「それこそ愚問だろう会長君。僕達をまとめるなんて面倒な事、並みの生徒に出来るはずないじゃないか。その上でこの時期暇にしている可能性がある生徒なんて、この鬼畜堕天使の他に誰がいると?」
「面倒な事とか自分で言ってちゃおしまいじゃない……エル、あんた紅茶で良かったっけ?」
「お願いします」
 エルシェアと呼ばれた堕天使は、ベコニアに頷いて息を吐く。彼女はかつて、此処がまだ暗黒校舎と呼ばれていた頃、闇の生徒会だった彼らと関わりがあった。時に剣を交え、時に共に戦う関係として縁を結んだ間柄。最も、決して良い関係では無かったことは先程のやりとりの通りであるが。
「……外部協力者を求めるなら、せめて内部の意見くらいは統一してから探してください。このやりとりすら、本来なら時間の無駄です」
「……確かに頼んだ側の非である事は間違い無いな。すまないエルシェア。俺達はお前の協力が必要だ」
 そう言ったエデンは、食ってかかる雰囲気のアマリリスを手で制す。この場でごねているのが自分一人である事と、本来であれば、少なくともエデンはこの堕天使を呼びたくなかった事を察したアマリリス。諦めた様に溜息をつき、力なく着席した。
「ヌラリ君とジャコツさんは、私が来ることをご存知ですか?」
「彼らは今日が休みで、此処に来ないだろうことは最初から分かっていたからね。会長の次に話はしたよ。最も……甘ったるい雰囲気でじゃれ合っていたからね……頭に入っていたかどうかは、僕にも自信の無い所だよ」
「まぁ、話してあるなら良しとしましょう」
 元々癖の強いこのメンバーにおいて、全会一致等望みようがない事は承知しているエルシェアである。それでも実際、ことが始まれば何とかなってしまう辺が、旧闇の生徒会の連中がいかに優秀かを物語っていた。
 堕天使は少なくともこの場での発言権を確保したことを確かめ、エデンに説明を促した。
「お前も知ってのことだと思うが、きたる八月の十日、今から約四月後に世界合同の学園祭が開かれる」
「ええ。無茶な企画だと思いますが……」
「ソフィアール校長とニーナ校長が協力して行うらしいから、無茶でもないらしい。運営を考えると死にたくなるが」
「そうみたいですね……うちでもセルシア君やフリージア君は、大変お忙しいようですし」
「そんな中で学校放り出して、こんなとこで遊んでる訳?」
「セルシア君が折角、寝る間も惜しんでお仕事を頑張ってくれているのです。かわりに私くらい、じっくり休んで上げなければ釣り合いが取れないでしょう?」
 アマリリスの皮肉を涼風のごとく受け流し、口元に手を当てて微笑む堕天使。
 丁度その時、人数分の紅茶を入れたベコニアが戻って来る。
「待たせたわね」
「……ゴールデンルールは、相変わらず完璧ですね。美味しいです」
 堕天使は先程までの作ったような微笑ではない、柔らかな笑顔でベコニアを労う。肩をすくめたベコニアは、自らも着席して自作を味わった。
「ま、これが出来ないとセルシア君に、お茶も煎れさせてくれなかったからね。フリージアの奴は」
 紅茶の善し悪しなど分からない男性陣を差し置いて、和やかに語る女性陣。エデンは短い会話が切れるのを待ち、続きを語る。
「実際、此処までの運営は忙しいながらも何とかなっていたんだ。しかし此処へ来て、今一つの案件が浮上した」
「それが、わたくしが呼ばれた理由と言うわけですか?」
「その通り」
 エデンはスティクスに視線を送ると、その意を察した少年は、自らがソフィアールから聞いた言葉を伝えた。
「……この時期に一番忙しい部署から出し物とか、正気の沙汰では無いと思うのですが?」
「僕もそう思ったんだ。だけどもしかしたら、其処にすら校長先生が何らかの思惑を含ませているかもしれないと思ってね」
「ふむ……」
 堕天使が一度メンバーを見渡すと、全員が同じ表情で頷いた。エルシェアとしても彼等の意見が一致するなら、その筋から思考を進めるつもりはあった。
 個人的な好悪の念はともかく、その能力はそれぞれが評価しているのである。
「ソフィアール先生か……正直、昔の人って何を考えてるのか分からないんですよね……」
「ほんとだよね。原始の学園攻略した時もさ、
勿体ぶった言い回ししてたし」
「古代では物事を直接的に表現するのは、生徒に思考させる機会を失わせる……みたいな教育方針だったんじゃない? それよりも私はあの服装について言いたいことが有るんだけど」
「失礼なことを言うものではない。まぁ、あの服装が教師として相応しいのかと言われれば、どうかと俺も思うがな。初めてあった時は頭がおかしいのかと思った」
 恐れを知らぬ若者たちは、ソフィアールを指して言いたい放題である。
 思わず周囲に人気がないことを確認したスティクスだが、幸いな事に誰かが潜んでいる気配はない。このような会話がソフィアールの耳に届いたらどういうことになるか、好奇心はあれど試してみたいとは思わないエルフであった。
「とりあえず、何を企画するにしても場所どりが必要ですね。エデン君? ちょっと現在の状況表を見せてください」
「分かった」
 エデンの手からエルシェアに渡されたモノは、三枚のモーディアル学園の地図である。
「え、なんですかこれ……」
 全く同じ地図が三枚で、違ったのは地図に記された印の色。どの地図にも各場所にびっしりと点が書き込まれていた。
「その三枚は、それぞれ世界単位で纏めた場所申請だ。それを全て重ねれば、全世界の学校の生徒が何処を希望しているか分かるようになっている」
「三枚って……私達の世界だけでも、隙間なく埋めつくされているのですが……?」
 エルシェアは頬を引きつらせながらも、言われた通り三枚の地図を重ねる。それは最早地図ではなく、膨大な点の集合体で埋めつくされていた。
 この時点でも既に場所取り合戦から出遅れたことは間違いない。そもそも何をするかも決めかねている現状では、必要な広さすら定まっていない為に申請を出すことすら出来ないのだ。
「絶対何かありますね」
 力強い口調で断言したエルシェア。このような状況で無茶を出してきた以上、ソフィアールには何かしらの意図がある。エルシェアは場所に続いて生徒達の出した企画と、演物の場合はその公演日時の資料まで取り寄せる。ソフィアール校長は、生徒会に何をさせたいのか。その真意を読み解くべく、生徒達は現状集められる資料を全て持ち寄った。
 それぞれが資料を手に取り、山積する課題の多さにげんなりする。そうした時間がしばらく続き、やがてベコニアは或ことに気がついた。
「ねぇスティクス?」
「何かなベコニア君」
「ソフィアール先生がこの無茶ぶりしてきたのってだいたい何時よ? 先生がこんなことを言い出す切欠が、その少し前の資料にあったって事じゃない?」
「成程……冴えているねベコニア君」
 スティクスが示したのは、現在最も彼らの頭を悩ませる場所申請の地図であった。
「どう考えても場所が足らないよね……」
「そうだな……多くの学園の祭りを、我が校一つにまとめてやろうというのだ。人手はどうにかできたとしても、広さには物理的限界がある」
 アマリリスとエデンは三枚の地図を重ねて、その両側から挟むように覗き込んでいる。エ
ルシェアも見ようとしたが、既に頭に入れていた為辞退した。
「……そうですよ。無理なんですよこんな事……あれ?」
 堕天使は眉を潜め、地図を覗き込んでいるメンバーに声を掛ける。
「それ、本校の地図ですよねぇ?」
「ああ。そうだが?」
「使える場所は其処しかないので?」
「ああ……あ!?」
 エルシェアの言葉に答えかけたエデンは、自らの答えと共に違和感に気がついた。
「何かわかったの?」
「ああ……いや待てよ? ……もしかすると……」
 エデンは立ち上がると隣室に引き篭る。
何かを探しているらしく、隣の部屋からは棚をひっくり返すような物音が、しばらく続いた。
「ねぇエル、どういうことなのよ?」
「貴女が教えてくれたんですよベコニアさん」
 エルシェアはそう言いながら、ベコニアが煎れてくれた紅茶を飲みきった。
「コレだ! あったぞ」
 エデンが持ってきたものは、一枚の羊皮紙だった。しかしその紙に書かれたものは、この際黄金以上の価値を発揮してくれるかもしれない。それはモーディアル学園旧校舎、別名暗黒校舎と呼ばれる『迷宮』の地図だった。

   §

 モーディアル学園は、大分すると二つの区画に分けられる。一つは多くの生徒達が、日々の精進に励む本校。そして今一つが、開かずの扉の奥に封印された、旧暗黒校舎であった。
 モーディアル学園に在籍する者であれば、その扉の存在を知らないものは皆無であろう。しかし其処に封じられた建物が、実は本校の数倍に及ぶ大迷宮である所まで知っているのは、教師を除けば生徒会の一部学生のみであった。
 モーディアル学園の生徒にとって、開かずの扉はタブー扱い。一般生徒は近づこうとしないし、生徒会のエデン達はそこから遠ざけようとする。
 そのような思考の制約がなかったからこそ、堕天使は只でさえスペースが足りない時に、遊ばせている様に見えたこの旧校舎の存在に違和感を覚えたのである。
「ソフィアール校長のハラは読めた。あの方は学園祭当日の、せめて客だけでも旧校舎にさばいて人の密度を抑えろと言っている」
「確かに、この迷宮の詳細を知っているのは生徒では僕達位のものだ。その線で間違いなさそうだね」
 エデンとスティクスが顔を見合わせて頷いた時、アマリリスが挙手して発言する。
「でも、実際どうする? 今からこっち側に場所希望しても良いって伝える……?」
「それは難しくない? ウチと外三校は兎も角、異世界の、しかも七校へ連絡なんてそう簡単には行かないわ」
 受付期間を揃えなくては公平性が保てない。
特に主催側が有利になってしまう事柄に置いては、極力仕様の変更は避けるべきだというのがベコニアの主張だった。
「しかし、場所不足が深刻なこの現状では、ある程度の妥協は致し方ない所じゃないかな」
 其々に納得の行く理由のある発言同士が対立し、話し合いが纏まらない。エデンは苦笑して旧校舎の地図を堕天使に送る。自分とエデンを除く三人の討論を聞き流し、エルシェアは地図を受け取った。
「……先程までは場所で腐心し、其処が多少潤ったと思ったら、また別の問題が出てきますか……ままならないものですね」
 発言の割に楽しそうに笑う堕天使は、今までよりも真剣に思考を前に進める。元より彼女はモーディアル学園生徒会主催の企画の立案実行を依頼されてきたのである。場所が整い、導いた教師の思惑も見つけたからには、此処から先こそがエルシェアの仕事のはずだった。
「……」
 何時の間にか自分に注がれていた四つの視線を順番に見渡した堕天使は、確認するように口を開く。
「えぇと……まず私達は、ソフィアール先生から、旧暗黒校舎のスペースを出来るだけ有効に使うことを求められています……ですよねエデン君?」
「ああ」
「その上で、今から此処を共有スペースにするには、連絡準備その他諸々で難しい、と言うことですね」
「そう思うわ」
 ベコニアの意見を聞いた堕天使は、視線でスティクスとアマリリスの発言を促す。しかし先程までの討論で、ベコニアの意見に反論しようがない事が分かっていたのだろう。二人のエルフはそれぞれの表情で首を縦に振った。
「では、私達が此処を活用する他ありません。
さも初めから決まっていたかのような顔をして、暗黒校舎を独り占めしてしまいましょう。当日は、最も人々の興味を惹きつける企画によってお客様を此方に引き込み、本校の負担を軽減するのです」
「主旨は其のとおりだね。では、僕たちは何を持って外来の興味を惹くべきだろう?」
 スティクスは疑問形を用いたが、既にこの少年は堕天使の答えを承知していた。多くの者の興味を掴むには、それぞれに価値観が共通する部分に訴える事が重要である。今回の場合は何か?
 それは学園祭の参加者ほぼ全ての者が、冒険者養成学校の生徒だと言うことである。
「暗黒校舎を開放しましょう。トラップ、魔物、宝物を全て一新して、身の程知らずの冒険者の卵達を迎え撃つのです」
「そのまま使うわけには行かないのか?」
「それでは面白くないでしょう? 私達を含め、ロストも知らない未熟者が襟を正す機会になれば、きっと先生方もお喜びになると思います」
 段々と発言が過激になり、その声音に興奮の艶を滲ませるエルシェア。どうやら本格的にブレーキが外れかかっているらしいその様子に、ほかのメンバーは互いの顔を見合わせる。しかしそれも一瞬のことであり、スティクス達は示し合わせたように揃ってエデンに注目する。このような時、敢えて困難に立ち向かうモノこそ、生徒会長と言うことらしい。 渋面のエデンは常備している水無しで飲める胃薬を飲み干しつつ、口の中で物騒なトラップ作成計画を立てるエルシェアと向き合った。
「なぁ、おいエルシェア」
「なんでしょうか会長さん?」
「盛り上がっているところ悪いが、即死トラップは無しだぞ?」
「何故!?」
「いや、何故って……」
 心底意外そうに、そして裏切られ傷つけられたような表情のエルシェア。なまじ整った顔をしているだけに、その表情は凄みがあった。
「一般常識を考えろ堕天使。コレはお祭りで――」
「ナマモノの管理が大変だろうエルシェア君。実行するのは八月、暑い時期だよ」
「いやスティクスそういう問題では――」
「そう……ですよね。確かに腐ったら面倒ですものね」
「……」
 意思の疎通が難しい二人との相互理解を、早々に諦めたモーディアル学園生徒会長。自分の言語能力の限界を感じたエデンは溜息を吐きつつ、今度は頭痛薬を取り出した。
「あんた薬はいい加減にしときなさいよ?」
 痛ましいエデンの様子に苦笑したベコニアが背中をさする。
「……そうだな」 
 そう思うならお前も自重しろという心の声を、冷め切った紅茶で苦い薬と一緒に飲み干す少年。以前より落ち着いたとはいえ、ベコニアの人形実験は過激なものが多い。加えて当人が周囲の被害にあまり頓着しない性格のため、各所からの苦情が週に一度はエデンの元に上がってくる。
「……はぁ」
 そもそもからして、彼が薬を持ち歩くようになったのは闇の生徒会時代から。つまり今部屋にいる連中との付き合いが始まってからの事である。彼としては原因の一端を担うベコニアに、他人事のような事を言われたくなかった。
 正直にそう言った所で堪える連中ではないから、最早エデンも諦めていたが。
 そんなエデンを興味なさげに流し見たアマリリスは、旧校舎の地図を眺めながら呟いた。
「でもさ、流石に暗黒校舎時代のモノをそのままって訳にも行かないのは、確かじゃない?」
「ふむ、当日は相当数のパーティーが腕試しに来る……予定だし、各所の修繕とお宝の再配置位はしておきたい所よね」
「また、寝ずの作業になるのか……」
 陰鬱な溜息を吐いたエデン達は、本来の頭脳労働担当の筈のエルシェアとスティクスに視線を送る。六つの瞳の見据える先で、黒翼天使と腹黒エルフは、無邪気に意見を交わしていた。
「全体魔法を使う魔物を大量に配置するのは、基本だろうね?」
「そうですね。一緒に、うにうにチタンを少しだけ混ぜましょう」
「何故?」
「冒険者は慾深きもの。チタンが一匹混ざってしまうと、それを無視して戦うのは困難です。もし魔法戦力を無視して、そちらを叩いてしまうなら……」
「成程、経験値の美味しい魔物の顔見せ興行で、パーティーの初動を誤らせるんだね」
「……方針は決まったか?」
 エデンの呼びかけを聞いた二人は、其々に振り向き首を横に振るう。
「まだまだ、序ノ口に入ったところです」
「暗黒校舎が簡単に攻略されては、元闇の生徒会の沽券に関わるからね。此処は妥協できないよ」
「そうか……そうだな」
 複雑な顔をしながらも、エデンはスティクス達の意見に頷いた。程度の差はあるにしても、彼だって自分達の古巣を一蹴されてしまうのは面白くないのだ。
 そしてエルシェア、スティクスとは対照的に温厚な意見を出してくるのが、元プリシアナ学園の二人組みだった。アマリリスはエデンのマントを引っ張ると、地図を片手に提案する。
「暗黒校舎は十階層の難所だよ? 取り敢えず、三フロア置き位に休憩所を仕込まない?」
「ふむ……悪くはないが、甘くないか?」
「難易度決めてるのはあいつらだよ? こっちは甘いくらいの仕様にしないと、攻略不能になっちゃうって」
「それ、いいかもしれないわね。本校の場所決めに落ちた中で、バザーとか喫茶店する連中に誘致しましょう。公募ではなく、委託の形で、こっちの企画に巻き込むのよ」
「ベコニア……地味にこっちの仕事も手伝わせる心算だな?」
「相互協力よ。異論は認めない」
 意地悪そうに微笑むベコニアだが、提案そのものは悪くない。人手が足りない事情は未だ変わっていないのだから。
 丁度その時、迷宮難度を話し合っていた堕天使とエルフが戻ってくる。
「食材を使ったり売店を置くなら、搬送とスタッフ用のワープゾーンは必須ですねぇ。手配いたしましょう」
「一フロアを全て、休息スペース兼売店にするなら、本校のブッキングを多少なりとも解決できるね。なにせ無駄に広いから」
 基本的に休憩スペース設置については、反論がない堕天使達。エデンは意外に思ったが、どうせ各所の難易度を上げて調整するのだろうと納得した。
「休憩所とか作ってしまうなら、一フロアの難易度はもうあれですよね……ノーフューチャーモードって言う位にいたしませんと?」
「流石だねエルシェア君。君はなんて容赦がないんだ」
「それから、わたくしを鬼畜堕天使呼ばわりした貴方は、メイド服を来て受付に立たせますのでそのつもりでいてください」
「今更それを引っ張るのかい!?」
 恨みを忘れぬ堕天使のいじめっ子気質が、遂に身内にまで及んできた。エデンは自らの身にそれが掛かってくる前に、果断速攻で纏めに入る。
「いいか?」
 静かに挙手したエデンだが、その動作によって一時的に場を鎮静することに成功した。
 ベコニアとアマリリスは元より、エルシェアとスティクスもそれぞれの表情でエデンに注目する。
「整理しよう。俺達は生徒会の事務仕事を進める。迷宮の設定は、エルシェアに任せる。いいな?」
「面白そうなら、何でも良いですよ私は」
「必要な資材があれば連絡をくれ。可能な限り調達する。次にベコニア、アマリリス」
「なによ?」
「なにさ?」
「お前達は、暗黒校舎で出店を委託する連中の選別を頼む。なるべく三世界で均等になるように。通常業務は、復帰したヌラリとジャコツに一部回せ」
「是」
「了解」
 我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべ、顔を見合わせるベコニアとアマリリス。丁度その時、休日を満喫していたヌラリとジャコツが、同時にくしゃみをしていたことはお互い以外誰も知らない。
 一方最後まで名前を呼ばれなかったスティクスは、このまま何もしないでいられればいいと思いながらも、自ら進み出て問うた。
「僕は何もないのかい? なければそろそろ持ち回りの休みを消化させて……」
「お前はプリシアナ学園に翔べ。当日メイドをするんだろう? 本場の講義を受けてこい」
「誰がするか!」
「決定事項よスティクス。諦めなさい」
「プロデューサーの指示じゃあ仕方ない」
「そもそもエルシェアを巻き込んだのは、お前だスティクス。責任を取れ」
「味方が居ない……だと?」
 打ちひしがれる少年の肩に、優しく手が添えられる。肩越しに振り向いたスティクスが見たものは、白く美しい手。その手に沿って視線を滑らせると、聖母の如き微笑を讃えた堕天使の姿。
「ご心配なく。メイド学科はわたくしも確り履修しておりますので、奉仕精神にあふれた理想のメイドに仕立てて差し上げますよ。ねぇ? スティアちゃん」
「……何だいその呼び名は?」
「スティクスの女性名ですよ。周囲からその名前で認識されることによって、自我の部分から認識を変えて女性になりきってくださいな」
「それは洗脳だよね!?」
「洗脳とは物騒な。教育とおっしゃいスティアちゃん」
「や、止めろ堕天使っ」
 心底から楽しそうなエルシェアの言葉を聞きながら、その矛先が自分に向かってこなかった事を安堵するエデン達。自分の身が守れるならば、スティクスの英雄的犠牲も、この際は甘受するのは致し方なかった。
「それでは、特に意見も無いようなので……」
「待ちたまえ会長! 僕はこの処置に納得が――」
「無いようなので、本日はコレで締めとする。解散!」
 鶴の一声で会議を打ち切り、自分の仕事に向かうエデン。アマリリスとベコニアもそれに倣う。途中までスティアちゃんが何か喚いていた気がするが、エデン会長のログには何も残っていないのであった……

   §

 こうして立ち上がった生徒会主催、新・暗黒校舎探検ツアー。個性的なメンツ故に纏まるのは遅いが、決まってしまえば無駄に優秀なエデン達は、その実力を余すことなく使い切って準備に当たった。
 ベコニアとアマリリスが売店と軽食店を選り分け、エデンが配置を振っていく。
 途中合流したヌラリとジャコツが、本校の仕事を捌いてゆく。
 どうしようもなく使えなかったのがスティクスで、精神的ショックの大きかった少年はメイド服を(無理やり)着せられ、脱ぐことも許されぬまま生徒会室に引きこもった。
 現場担当のエルシェアは、プリシアナ学園での人脈を駆使して人手を確保し、各所の整備と解き放つ魔物の鹵獲、そしてトラップの改造を推し進めた。
 全てが順調に回っていき、二ヶ月が過ぎた時には全体の完成図が見えるところまで辿りつく。
 事態が急変を迎えたのは、七月の半ばの蒸し暑い日。モーディアル学園に届けられた一通の手紙。

『リリィ先生のお手伝いで救護施設のスタッフに入ります。後は宜しく。
 PS.スティアちゃんのメイド姿は写真に撮って焼き増しお願いします。』

 呆然とするエデン会長の元に残されたのは、作りかけで放り出された旧校舎と、エルシェアが連れてきたダンジョンメイカー三十人。この日、遂にエデンが胃潰瘍で入院し、生徒会の綱渡り運営も頓挫を余儀なくされるのであった……

 その後……エルシェアの職場放棄と同時にメイド服を破り捨てたスティクスが、旧校舎を一週間で完成させた。モーディアル学園生徒会としては、プリシアナ学園に堕天使の所業を報告して抗議したかったが、それでエルシェアが戻ってきては何をされるか分からない。結局の所、報告はスティクスの一存で差し止められる。迷宮作成も彼自身の手によって続けられたので、誰も文句を言うことは出来なかったらしい。
 因みに、エルシェアが引き受けた仕事を途中で放り出して来たことは、後日リリィの耳にも確りと届いてしまう。堕天使は保険医の静かな激怒で説教される事となるのだが……この件でエルシェアに同情するものは、誰もいなかったと言うことである。


























あとがき

こっちではどれくらいお久しぶりになるのだろう、りふぃです。
決して新作がつまっているからの過去作の投下ではありません。
ありませんったらありませんっ。
とと学祭。の発足当初から、出来れば自分の書いた物はウェブでいつでも読めるようにしておきたいなー・・・・主に自分が仕事先で時間つぶすためn・・・・・・・げふんげふんっ
いろんな方に読んでいただきたいのでw
そういう思いがありましたので、主催のまいたけうどん様とメールでその旨相談して、三月以降ならOKだよーとの事。
それでは遠慮なく・・・・・ということで、こうして出させていただきました。
とと学祭は私を底辺として素晴らしいSS,漫画目白押しの素敵な合同誌です。興味のある方は是非、手にとってごらんください^^



[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act3 一方その頃前編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:ae0bd785
Date: 2013/08/29 23:04


侍学科の免状を獲得したディアーネは、帰還して直ぐに自室へ向かう。
盛大に遠回りした挙句、相棒とは迷宮崩落級の大喧嘩までやらかしてのクエスト達成は、この元気な悪魔をして疲労させた。
エルシェアの方もその点は同様だったらしく、プリシアナ学園についてすぐに一時解散の流れになった。

「……」

ベッドに腰掛けたディアーネは、重い気分で両手を見つめる。
両手持ちの大剣を軽々と振るい、豆が潰れて治りきらぬうちにまた豆が出来た戦士の手。
年頃の少女としては少し気分が重くなるが、冒険者としては何の不満もない。
しかし今、悪魔は自分の手がとても小さく、そして頼りなく感じていた。
剣を振るうしか能のない自分の手。
しかし彼女が振るう剣は、相棒の堕天使に届かなかった。
手練の門番と三人掛りでエルシェアに挑み、そして完膚無きまでに圧倒された自分達。
急造で連携が取れない連中と組んだことを差し引いても、堕天使の強さはお釣りがくる。
表情の消えた瞳で呟いた悪魔は、陰鬱な溜息を吐き出した。

「あいつらかなり強かったよね、剣も魔法も当たってたのにさ」

愚痴のように呟き、『力水ノ社』の戦闘を回想する。
三人で振るった剣を全て避け、其々の攻撃を一つずつ選んでカウンターを拾う相棒。
成果に満足した堕天使は、遂にモノノケの剣を素手で掴む事すらしてみせた。
ディアーネの持つ魔剣とかみ合い、刃こぼれしなかった彼らの剣を。
ディアーネは左足の腿に痺れる痛みを思い出す。
エルシェアに、おそらくは手加減して蹴り抜かれた足。
頭に血が上っていた当時は兎も角、戦闘後はしばらく動けなかった。
舌打ちが洩れそうになるが、ギリギリ踏みとどまった悪魔の娘。
幻痛を訴える左足を鋭く張って、更なる痛みで誤魔化した。

「……」

時刻は夕刻を周り、冬の短い日も落ちかけている。
そろそろ学園の講義も終わる頃か。
そんな感想を持った時、学園に響きわたるパイプオルガンの音色。
ディアーネは愛剣を背負い、ベルトで止めて立ち上がる。
訓練場で汗を流せば、多少は気が紛れるかもしれない。
とりあえず今の気分を落ち着けなければ、明日以降相棒と後輩に合わす顔がなかった。

「大体エルってば狡いっすよ。いっつも追いついた! って思ったら奥の手が出てくるんだもん」

自分の勝手な言い掛かりに苦笑するしかないが、それでも止められないディアーネだった。
傍にエルシェアがいたならば、にっこり笑って皮肉の針を刺してきたことだろう。
そんな相棒に合わせる顔がないと思いながら、その皮肉が聞きたいと思う自分がいる
自室を出た悪魔は、扉に『お出かけ中』の掛札を貼って歩き出した。
今までも、こんな思いに揺れることが無かった訳ではない。
かつて保健医が言っていたではないか。
エルシェアが本気を出したとき、心配なのは自分達の方だと。
リリィの言うことは何時だって正しかったように思うディアーネ。
しかし今までは差を感じることはあっても、同時にイメージを持てていた。
今は少し先を行くあの堕天使に、自分の剣が届く所を。

「……」

だが、今回は全くソレが無い。
ディアーネの中ではどうやっても、あの時のエルシェアを捉えるヴィジョンを持てなかった。
廊下を歩くディアーネは、自分の限界という認めたくない単語を否定するのに必死だった。
エルシェアと対等であることにずっと拘って来た少女にとって、その単語を認めるのは精神的な自殺に思える。
実力が拮抗していることが相棒の条件では無い。
あの性格の悪い堕天使が自分を選んだのだから、エルシェアと共に歩めるのは自分であるという自負はあった
しかしそれはそれとして、ディアーネは目の前に示された実力差をそのままにする事も出来ない。
堕天使の隣りを死守するウチに、その他の相手には殆ど負けなくなっていた。
後はたった一人、空を翔ぶ速さで駆け上がっていくエルシェアを捕まえることが出来たなら……
目を閉じれば思い浮かぶのは、『冥府の迷宮』で見た光景。
負傷によって身体は動かず、しかし気絶することも出来ず、瞳に焼き付いたあの地獄。
あんな事が起こらなければ、それが一番良いのである。
しかし冒険者をしているならば、修羅場は必ずやってくる。
もしも次、もう一度同じことが起きたとして、その時剣を振るうしか出来ない自分が庇われる様な事があれば、自分は二度と立ち上がることはできないだろう。

「エルぅ……」

当人には絶対聞かせたくない、弱々しく甘えた声だった。
自分の状態が思ったよりも深刻だと自覚したディアーネは、訓練場の扉を開け放つ。
思ったより力が入っていたらしく、蝶番の限界にぶち当たった扉が大音響で不平を鳴らした。

「備品は丁寧に使ってくれ」
「ひぅ!?」

校舎内の訓練場というのは、時間によっては意外と人が居ないスポットである。
講義よりも実戦での単位取得がメインの冒険者養成学校では、そもそも校内に残る生徒が多くない。
常に残っている生徒は全体の五割ほどと言われており、その半数が術師系の研究屋で占められる。
其のため体育会系の訓練場が講義以外で使われていることは希であり、ディアーネも人が居ないと勝手に思っていたのであった。

「む? ディアーネ君だったか」
「ぐ、グラジオラス先生?」
「ああ。珍しいな、君がそんなに荒れているのも」
「す、すいません」

赤面して頭を下げた悪魔は、内心で自分の迂闊さを罵った。
確かに生徒が迷宮に向かっても教師は学園にいるではないか。
空回ってばかりの少女は情けなくなりながら頭をあげた。

「その様子だと、君も何かの憂さ晴らしか?」
「あぁ……えっと……そうです」
「まぁ、そんな日もあるな」
「あの、君もっておっしゃると……もしかして先生も?」
「うむ」
「……マジで珍しいっすね」
「まぁ。そんな日もあるさ」

グラジオラスはミスリル製の片手剣を用い、英雄学科で教える基本の型を繰り返す。
ディアーネはその隣につくと、同じく基本をなぞり出した。
片手剣と両手剣では型が全く違うのだが、英雄学科トップと教師が組み立てる剣の流れは淀むことなく続いていく。
しばらく無言で剣を振り続けた二人だが、やがて少女は呟いた。

「ねぇ先生?」
「うむ?」
「必殺技教えて欲しいっす」
「……どんなだ?」
「むぅ……」

剣を止めて考え込んだディアーネに視線だけ送り、そのまま剣舞を続けるグラジオラス。
ロクな答えが返って来そうにないなと思う教師の予想を裏切らず、悪魔の少女が希望を告げる。

「えっと、髪の毛が金色に逆立って戦闘力が五十倍になったり、全身に刺青が浮いて祖先のモノノケの血が蘇ったり、マジ狩るステッキに呪文を唱えて魔砲少女に変身したり……」
「全部知らん。私が見聞きした連中にもそんな事が出来る奴はいな……いや、殆どいないぞ」
「……少しはいるんだ?」
「あいつらなら出来るんじゃないかと思われるのはまぁ、何人か……」
「私にも出来るっす?」
「無理だろうな」
「えうぅー」

夢に裏切られた悲痛な少女の顔で縋ってくる悪魔を追い払い、教師は深い息を吐く。
教え子のおつむが深刻な状況一歩手前であることを確認してしまったグラジオラス。
剣を肩に担いで持つと、仕方なくディアーネに向き合った。

「必殺技等一朝一夕で身につくものではない、と君もよく知っているだろう? 身につくとしたらそれは奇剣であり、一発芸だ」
「むぅ」
「私が教える必殺技があるとすれば、これだよ」

グラジオラスは肩に担いだ剣を正面に構える。
そしてディアーネが見ている前で、三回程振ってみせる。
予備動作の一切ない刺突から横薙ぎに派生し、繋ぎ目の全く見えない斬り下ろし。

「え?」
「見えたか?」
「終わりだけ……」

呆然と呟く教え子に苦笑する教師。
ディアーネが夢想する必殺技に対して、なんとも地味な技である事が可笑しいグラジオラスだった。

「突きの後、横薙ぎから打ち降ろしに繋げただけだ。今まで私が最も振った剣の形が今の型だからな」
「なんというか……地味っすねぇ」
「自分でも解っているから言わんでくれ。だが剣士の技は極論すれば、早く鋭くを何処まで極められるかだ。出来るだけ少ない動作で完成させることを目指して突き詰めていく訳だから、極めれば極めるほど地味になるぞ」
「むー……」
「力の剣ならまた違うが、君がしようとすれば先ず、身体作りから必要だろうな」

頬を膨らませるディアーネだが、本当は彼女自身も分かっている。
今まで一足飛びで強くなれた事など一度もなかった。
英雄学科でトップを取った時だけは自分の感覚が追いつかなかったが、それだって以前からの積み重ねが実った結果なのだから。
しかしディアーネは見てしまったから納得がいかない。
一番身近にいた相棒が、たった一つの魔法で手が届かない世界の住人に化けるところを。

「エル……」
「うん?」
「エルは、そういうのあったもん……」
「エルシェア君が?」
「あの時のエルなら、きっと会長のパーティーだって一人で殲滅してたもん」
「はぁ?」

プリシアナ学園にて最強と言われているのが、生徒会長セルシアのパーティーである。
三学園交流戦ではギリギリでディアーネ達が競り勝ったが、両パーティーの間に実力差は殆どなかったとグラジオラスは見ていた。
あれから大した時間も立っていないというのに、エルシェアに其処までの成長があったとは考えにくい。

「何があったんだエルシェア君は?」
「ん……エルの切り札だと思うから具体的には言えませんけど」
「何でそれを交流戦の時に使わなかったんだ?」
「なんか、エルも自分の札があんなに強いって解ってなかったっぽいです。こないだタカチホ行って、ちょっと使ってみたらヤバかったって感じで」
「種別だけ教えてもらえるか?」
「んー……あれは自己強化のカテゴリーだと思うっす」
「あ、なるほど。納得した」

魔法やスキルによって自分の能力を強化する手段は確かにある。
この場合元の能力が高ければ高いほど上昇効果が大きいため、エルシェアが使えばかなりの効果が見込める。
もっとも、それだけではディアーネが言うような出鱈目な強化は望めないため、恐らくエルシェアならではのオマケがあったのだろう。
そちらの方にも心当たりのあるグラジオラスだが、とりあえず今は教え子と向き合う事にする。

「それで、相方に追いつくために必殺技か」
「うぃっす。先生、なんかないっすか!」
「無いな。私に教えられるのは通常技だ」

先程見せた斬撃が、グラジオラスの答えと言える。
愚直に基礎を繰り返し、自分の一番得意な太刀筋を極める事。
その過程において何時の間にか、それが必殺技になっているのである。

「無い……っすか」
「無いな。だが、一つ確認したいことがある」
「うぃ?」
「エルシェア君の切り札とは、魔法か?」
「魔法っす」
「やはり、魔法なのか」

苦笑いが教師の顔を滑り落ちた。
ディアーネはそれを見て、師が此処に憂さ晴らしに来たのだと思い出した。
グラジオラスがそんなことをしているところ等、一度も見たことがない。

「先生、何かあったっすか?」
「いや、大したことじゃない」
「そうは……見えないっすけど」
「……そうだな。少し、遣る瀬無い事が決まってな」
「遣る瀬無い?」
「ああ……ディアーネ君は、この後何か予定があるか?」
「うぃ? いや、タカチホから帰ったばっかりっすからね。しばらく何にもないっすよ」
「そうか。では明日、少し中年の愚痴に付き合ってくれないか?」
「お、良いっすよ。今なら先生とも何回かは打ち合ってみせるっす」
「それは頼もしいな」

元気な生徒の様子に微笑ましい思いの教師だが、流石に旅から帰ったばかりの少女に疲労の影が浮いていた。
グラジオラスはある決意を込めて、ディアーネに今日の休息を命ずる。

「明日、少し君の悩みに私なりの回答を示そう。私の悩みも、もしかするとそれで解消出来るかもしれない」
「えっと、もしかして超厳しい特訓とか来ます?」
「近いものがあるな。不服か?」
「いや、大歓迎っす」

グラジオラスがどんな答えをくれるのかは分からない。
しかしディアーネにとって最初の師匠は、彼女を決して見捨てずにいてくれた恩師である。
入学した当初、ダガーすら満足に取り回せなかった頃の自分すら。
きっとこの先に自分の必要なモノがある。
そう考える悪魔の少女は、自分の赴く先に漸く希望が見いだせたのだった。



§



恩師と別れた悪魔の娘は、その足で保健医の研究室に向かう。
以前其処を訪れたとき、持ち込まれた私物によってリリィの第二の生活空間に改造されているのは確認済み。
今も部屋からは明かりが漏れ、主人の在室を示していた。

「せーんせ、リリィ先生? 開けてー」
「ん……ディアーネさん?」
「うぃっす」

呼びかけはすぐ返答があった。
鍵が開けられ、開かれた扉から出てきたのは、ディアーネと同じディアボロス。
薄い紫紺の長髪をアップにまとめ、常の無表情で出迎えた保健医リリィ。
心優しい教師であるが、口下手で表情が乏しいところから、学園生からは冷酷な印象を持たれている。
恐らくその評価は、彼女がディアボロスである事も無関係ではないだろう。
様々な意味で境遇が近いディアーネは、この学園でリリィを慕う数少ない生徒であった。

「こんばんわリリィ先生、入っていい?」
「どうぞ、あまりおもてなしも出来ませんが」

近しいモノでなければ笑みと気づかないほど小さな微笑で、リリィは生徒を招き入れる。
本棚を埋め尽くす魔法書と、仮眠を取るための簡易ベッド。
水道と簡単に熱を通せる調理器具から、リリィが此処に泊まりこんでいる様子が伺える
部屋の奥にはデスクがあり、そして椅子が一つ。
腰を下ろせる椅子が一つしかない事が、普段から此処に来るモノがほとんどいないことを示していた。
ディアーネは簡易ベッドに腰掛けると、リリィは手早く珈琲を入れてくれる。
礼を言って受け取った少女に頷き、保健医も椅子に腰掛けた。

「貴女は、確かタカチホ帰りでしたね」
「はい。侍学科の履修免状をいただいてきました」
「おめでとうございます。帰ってきたのは……」
「今日っすね。本当に割とさっき」
「そう……お帰りなさい」
「ん、ただいまっす」

静かな雰囲気の中に、生徒を労わる心情が滲んでいる。
ディアーネは居心地の良さに瞳を閉じると、リリィが煎れてくれた珈琲を一口。
ミルクも砂糖も入っていないにも関わらず、なんとなく優しい甘さを感じて息を吐くディアーネ。

「あのね先生、明日グラジオラス先生と特訓するの」
「熱心ですね」
「ん……ちょっと、エルに水あけられちゃったから……」
「そうですか」
「……驚かない?」
「はい。私は、あの子がどれだけ高く飛ぼうと意外には思いませんから」
「そっか」

リリィとエルシェアには、ディアーネの知らない時間と絆がある。
ディアーネはリリィを偏見なく慕っているが、エルシェアはまた違う。
この悪魔の相棒は、プリシアナ学園でリリィのみを寄る辺にして過ごしてきた時間が確かにあった。
心に傷と迷いを抱え、進むことも退く事も出来なくなった時期。
エルシェアの傷を少しずつ癒し、いつの日か羽ばたいて行けるように見守ってきたのがこの保健医である。
なんとも言えないむず痒い気持ちになりながら、ディアーネはカップを空にした。

「此処に来たということは、身体の変調でも感じましたか?」
「いや、おかしな所ってないっすけど、マッサージお願いしたくって」
「疲労を抜けば良いんですね」
「うぃっす」

ディアーネは大剣を外し、制服の上着を脱いでリリィに預ける。
保険医が受け取ったそれらをデスクに置くと、悪魔の少女は簡易ベッドにうつ伏せになった。

「……」

リリィはディアーネの肩から、背中を通って腰まで指を滑らせる。
その途中途中で手を止め、静かに押して反応を見つつ。
悪魔の少女は肩の付け根を押した時以外は特に痛そうにしてはいない。
触れた感触では背骨周りの歪みも殆どなく、純粋に筋肉をほぐす事にする。
骨格矯正までするとなれば、悲鳴が外に漏れないよう措置が必要になったろう。

「両手でひとつの重さを支える武器の使い方をしているせいでしょうか……思ったより骨が歪んでなくて安心しました」
「そんなに簡単には歪まないっしょ?」
「いいえ? 結構簡単に歪むんですよ。何時の間にかバランスが崩れていたり、無意識にそれを補おうと更に歪な癖がついたり」

二足歩行する生物が立位のバランスを取るのは、本来は非常に難しい事である。
両手両足の長さは厳密には違うし、普通に立った時の重心も変わってくる。
特に冒険者のように身体を酷使する職業では、その歪みも顕著に出やすい。
大人のように身体が出来切っているならともかく、成長期の子供には特に定期的な診察が必要だろう。
リリィも生徒達に呼びかけてはいるのだが、そもそも冒険者養成学校の生徒はあまり学園に居着かない。
更に保健医自身の不人気もあって、その辺りをしっかりとリリィに管理させているのは、エルシェアとティティスしかいなかった。

「肩を回すとき、違和感はありますか?」
「んー……突っ張って少し痛い」
「やや酷使しすぎですね。もう少し労わりましょう」
「むぅ」
「弾性の強い良い質の筋肉がかなりカバーしてくれていますが、これ以上の負荷がかかると怪我になりますよ」
「そんなに痛いってわけじゃ無いっすよ?」
「それは、まだ怪我をしていないからです」

怪我をする前なのだから、痛みが少ないのは当たり前である。
ディアーネのような直情型は、我慢できる痛みは鈍感になる。
この段階で無理せず止まれるかというと、これがなかなか難しい。

「いい時に来てくれました。肩周りと腰周り、重点的にほぐしましょうか」
「うぃーっす」

リリィが本格的なマッサージをしようと右手に魔力を集めた時、棚に置かれた水晶が鈍い光を放ち始める。

「内線?」
「おお?」

急な仕事でも入ったならば、ディアーネには悪いが引き取ってもらうことになるだろう。
一つ息を吐いた保険医は、発光する水晶に手を触れる。
そのまま瞳を閉じ、水晶から送られるメッセージを聞き取った。

「グラジオラス先生? ……はい。明日までにですか? はい……」
「おやま?」

連絡を寄越したのは、先ほど別れた恩師らしい。
グラジオラスの声は聞こえず、リリィの返答からでは内容までは読み取れない。
しかしディアーネには、師が保険医を呼び出す事の意味がなんとなく予想がついてしまう。

「ええ、今来ていますよ。……はい、大丈夫です。わかりました。はい……お疲れ様でした。それでは」

リリィが水晶から手を離すと、発光は消える。
ディアーネは頬を引きつらせつつも、確認せずには居られなかった。

「あの……先生はなんて?」
「今日貴女の所へ行って、身体の疲労を抜いてやって欲しいと」
「あ、丁度良かったんだ」
「そのようですね。魔法も併用して重点的にやっておきましょう」

グラジオラスもディアーネも、回復魔法が使えない。
これは幾つかの学科で採用されている『無魔法』の処置によるものだった。
大陸に住まう十種族は、その全てが魔法を使用出来る。
その機能を外的手段によりあえて封印し、その魔力を別方面に回して特殊な身体機能を身につける技法。
それが無魔法と呼ばれる技術であった。

「……あの、こんなことって初めてなんですけど、明日何かするんですか?」
「訓練だと思うんだけど私も自信がなくなったっす。主に今のやり取りで」

複雑な内心を無表情の下に押し殺し、リリィは一つ息をつく。
取り敢えず、ディアーネの処置をしてしまいたい。
『フレアエッジ』の応用で緩い熱を宿した両手で、生徒の指圧を進めていく。
温めることによって血管を広くし、疲労物質を血流で押し流す。
基本的にこれだけでだいぶ楽になる。

「……ねぇ先生」
「はい?」
「なんかね、グラジオラス先生が元気なかったの」
「……そうですか」
「うん。先生、何か知らない?」
「思い当たる節はありますね」

少し迷ったディアーネだが、此処は聞いておきたいと思う。
グラジオラスのあの様な姿は、少女の記憶に無いものだった。
元々公正な人柄の教師であるが、無用の地雷は踏みたくない。
それで彼が怒ることは無いだろうが、傷つける事はあるかもしれないから。
そんな少女の心境をどう読んだか。
リリィは指圧を続けながら、自分の予想と他言無用を前置きして語りだした。

「――来季から、かなり大掛かりなカリキュラムの変更が決まりました」
「あぁー……毎年少しずつ変わってますよね」
「はい。ですが今回はとても酷いです。過去十年分の変化を一度にすませる……そんな次元の変更です」
「うぇ?」
「そう出来るほどの技術革新があった……ということなら、喜ぶべきなのかも知れませんがね」
「んぐぅ……」
「変更点も一つではないのですが、目玉としては先ず無魔法がなくなります」
「は?」

魔法とは非常に応用力の高い技術である。
無魔法の学科にはそれを犠牲にしてまで、身に着けるべき技法があるのか。
その技術自体を魔法によって代用することは出来ないのか。
それぞれを模索する研究は確かに行われていた。
しかしどうやら、遂に一つの決着を迎えようとしているらしい。

「すると、私も来期から魔法使える?」
「戦闘能力を犠牲にしては意味が薄れますから、学科に即して相性の良い魔法を吟味して覚えていって頂くことになるでしょう」
「むぅ……そっちでのブレイクスルーが期待出来るか? あ、でも……それで何で先生がへこむん?」
「グラジオラス先生は、無魔法撤廃を一番反対していた教師の一人だったのですよ」
「先生が……?」

背中を押される度に感じる微妙な痛み。
そして圧力を掛けられているにも関わらず、その下を巡る血流は勢いを増していく不思議な感覚。
ほぐされていく部分が熱を持つのを感じながら、悪魔の娘は思考する。
グラジオラスは既に身を立て、名を上げた英雄として著名な冒険者である。
そんな彼が教壇に立つ事を選んだのは、最新鋭の技術と近代教育を模索していく事を目指すプリシアナ学園。
他の学園が彼の獲得に動いたかは知らないが、彼の人柄と能力であれば志願を蹴られる理由がない。
おそらくはどの学園でも教鞭を取れた筈である。
ディアーネから見ても、グラジオラスは常に新しい技術を吟味していた。
新しいもの全てが良いものとは限らないがゆえに、苦労しながらも停滞に足を止めることをしない教師。
そんな彼が、無魔法撤廃という革命的な変化には反対だという。
古いモノへの固執だとすれば分かりやすいが、もしもそうでないのなら……

「無魔法じゃないとダメな理由……んぅ……」
「どうも、私には戦士畑の方の事は分かりません。分からないからこそ、その手の議論には中立でいたのですけれど……」
「ふぃー……あ、でも……」
「なにか?」
「んー……」

話題について思考するうちに、ディアーネにとって懐かしい記憶がよみがえる。
それはどちらかと言えば黒歴史に分類され、あまり思い出したくない類のものだったが。

「私昔聞いたことあった……先生に、なんで英雄学科が無魔法なんだか」
「ほぅ?」
「あれは……先生なんて言ってたっけ……?」
「ディアーネさん?」
「いかん、頭がまわんない」

ディアーネは一つ息をつき、うつ伏せの状態から起き上がる。
リリィの手が離れるのは惜しかったが、このままでは強制的に寝かされる。
湯浴みと洗顔一式を済ませなければまだ寝れない。
後は寝るだけになってから……
そう言い聞かせた悪魔の娘は、不思議そうに首をかしげる年上の同族に抱きついた。

「ごめんねせんせ、ちょっと身支度済ませてきちゃう」
「此処で寝る気ですか貴女は」
「それもゴメンナサイ。私たぶんマッサージの後起きてられそうにないっす」
「……まぁ、クエスト帰りに免じて今日は大目に見ましょうか」
「邪魔じゃない?」 
「かまいません。どうせ私用で徹夜のつもりでした。でもマッサージの最中は、頑張って起きてくださいね? 眠ってしまわれるとどうしても効果が落ちるので」
「ありがとせんせ!」

教師とは、教え導くものである。
自分の培ったものを、これから同じ道を歩むものに伝える。
どのような教師でも必ず何か、伝えたいモノがあるはずだった。
リリィは魔法畑の人間である。
戦士畑であるグラジオラスの気持ちを、どの程度理解出来るのかは当人にとっても疑問であった。
だが、幾度となく見てきたものがある。
此処へ至るまでの職員会議や、無魔法撤廃が決まってからの彼の落胆。
一度無魔法が撤廃されれば、再び日の目を見ることはなくなるだろう。
魔法とはそれほどまでに便利であり、応用性の高い技術である。
しかしそれが今まで存在してきたのは、無魔法がなくては極められない技術があったからだ。
そしておそらく、それは無魔法の消失に伴って失われていくのだろう。
グラジオラスが自分の学科の中で本当に教えたかったもの、守っていきたかったもの……
それは今後のカリキュラムでは教えられなくなるのかもしれない。
そういう意味で、彼の本当の教え子と呼べる最後の存在が、ディアーネになるのではないか?

「じゃ、ちょっと行って来るね」
「……」

リリィから離れて踵を返し、寮へと向かう少女。
ディアーネはリリィの表情から穏やかな微笑が抜けていた事に気づかなかった。
あくまでも少女の視線は、前を行く相棒の堕天使に向けられていたのである。



§





































後書き

お久しぶりです。
りふぃです。
一方その頃ディアーネサイドをお送りします。
難産でございましたーorz
流れとしましては、外伝3完成→ディアーネ編ほぼ完成→ファイナルで無魔法消失→総没→りふぃ逆切れ→脳内での再構成から栗山さんと妖女さんとの交流モノ作成→ネトゲ三昧→やっと完成(NEW!)
の流れになります。だめな子でほんとスイマセン;;
交流モノの詳細につきましては、よろしければピクシブの方でご覧ください。
こちらには無いお話も幾つかございますので!(宣伝
少し短めなのですが、導入部分みたいなもんですので限が良い所で出させていただきました。
後編も一応書けてはいるのですが、もう少し手直ししたいのでお時間下さい。
それでは、失礼いたしますー。













[24487] 天使と悪魔と妖精モノ。外伝 Act3 一方その頃後編
Name: りふぃ◆eb59363a ID:ae0bd785
Date: 2013/09/12 03:31

大陸に存在し、人間と呼ばれる種族は十種類ある。
天使の血族セレスティア。
冥界の血を引くディアボロス。
竜の血を引くバハムーン。
人造のボディに地霊を封じたノーム。
祖先に猫の血を継ぐとされるフェルパー。
精霊の声を聞く森人のエルフ。
高い言語能力を持つ獣人ドワーフ。
小人と呼ばれるクラッズ。
そしてヒューマンと、彼らと神を繋ぐ役割を持つと言われる妖精、フェアリー。
この十種族が共に歩むようになったのは、決して昔からのことではない。
十人十色。
好い奴があれば嫌な奴もあるように、気に食わない虫が好かないと言った事情は種族単位で存在した。
誇り高い性格が強すぎ他種族を見下す竜人や、冥界の血を引く悪魔達などが分かりやすい例といえる。
長い大陸史の中から現在に至るまで、単一種族の国家も多く存在していた。
中には自らの種族を至上とし、他種族を排斥して相対的な地位向上を目指す国もあった。
そうした国が長く続かなかったのは、それ以外の九種族の凄まじい反発と、適材適所の妙と言える。
それぞれの種族の特色の中にある得手不得手。
それらを理解し、分業して協力したときの効率と強さは、単一種族国家には及びもつかない高次元の技術と戦力を生み出した。
正に神の采配としか言いようの無い適材適所。
大陸にある十種族は力を合わせて未来へ向かっていくことを定められて生み出されたと断言する学者もいる。
種族間での交流が進み、それぞれがもつ文献が交換され、総合学問が成り立ってきた現代において、それは主流とも言える考え方である。
もっとも人見知りの多いフェルパーや、ドワーフとエルフの反り合いの悪さなど、挙げれば限が無い小さな不満は依然として存在してはいた。
誰だって自分の種族が一番であれば良いに違いない。
そうであることは、逆の立場であるよりも嬉しいだろう。
この種族だから良かった。
この種族だから駄目だった。
言うのは非常に簡単であるが、当事者達にとっては変更等しようがない以上、決して逃げることの出来ない問題である。
他種族に置いて行かれない為に、見下されないように。
自分の種族の特徴。
有利な点を伸ばし不利な点を補う研究は、時代とともに名を変えながら今もって絶える気配は無い。
しかしこちらも種族によって熱の入れようは様々であり、もともとが優秀であり寿命も長いセレスティア等は、それほどこの分野に力を入れていなかった。
もっとも研究が盛んな種族。
それは最短の寿命を科せられた、ヒューマンである。
ヒューマンは立ち居地が微妙な種族だった。
大陸十種に含まれているが、特徴の無い事が特徴とまで言われる種族。
分業をしても最高効率は生み出せず、他の種族の得意分野で当たれば幾らでも換えの効く存在。
確かにその繁殖力は凄まじく、大陸でもっとも数の多い種族である事は無視できない。
また、単一種族の国を築いたときにはしぶとい事でも知られている。
それでも、種族差別を分業によって埋めていこうと言う思想が主流のこの世界にあり、替えが効くヒューマン種の立場を危ぶんでいる者は少なくなかった。
しかし神は本当に、いてもいなくても良い種族など作ったのだろうか。
ヒューマンには、ヒューマンにしかなしえぬ何かがあったのではないか。
それが決して有利なことではなくとも、ヒューマンのみが持ちえた『何か』があったのではないか……

「……」

自分に宛がわれた研究室で、読みかけの本を閉じるグラジオラス。
卓上の時計に目をやれば、ディアーネとの約束まで後一刻程の時間だった。
そろそろ準備を始めようと、彼は引っ張り出してあった装備を確認する。
それは冒険者時代の装備であった。
現役時代、彼は素晴らしい仲間とめぐり合い、世界中を旅したものだ。
彼の装備に刻まれた小さな傷の一つ一つが、その思い出で刻まれたもの。
しかし今、彼がこの装備を持ち出したのは過去を懐かしむためではない。
自分の後から来たものが、自分の先を歩むために。
未来を託すために持ち出したはずである。
彼が好んで使用したのは、大型モンスターの皮鎧だった。
金属鎧に匹敵する防御力と、金属鎧よりはるかに軽い鎧である。
修復には専用の道具がなければ縫い合わせの針すら通らないため、皮鎧の癖にメンテナンスが自分で出来ないのが悩みだった。
そしてマント。
英雄には不可欠なアイテムだと彼は思っているが、防御性能や戦闘時に技の出所や装備を隠したりと機能面でも便利な一品である。
剣は二振り。
彼がプリシアナ学園に来てから使い出した『ミスリルソード』と冒険者時代の愛剣『イービルブラッド』。
二つの剣を見比べた彼は、教え子が魔剣を持ってくることを予想して自らも魔剣、イービルブラッドを手に取った。
同じ魔剣の名を冠する剣同士で切りあうのはちょっとした洒落と、彼の期待である。
本来の彼のスタイルは片手二刀。
彼はアタッカーだったのだ。
ヒューマンの彼は仲間の中でも素早さや力が、特に優れていたわけではない。
この分野で、ヒューマンはフェルパーやドワーフに勝てないとされている。
彼の仲間にそれらが居なかったのではない。
ただ、グラジオラスは彼らに負けないモノがあった。
それをディアーネに伝えに行く。
本当は英雄学科の全員に伝えたかった事である。
だがその時間は残されていなかった。
下地を仕込めたのは彼女だけ。
いま少し、生徒達に講義を強制すべきだったかもしれない。
生徒の自由意志を第一にするのが、今の冒険者養成学校の基本方針であったとしても。

「最終的には良し悪し……なんだがな」

冒険者とは危険な職業である。
自分と仲間のほんのわずかな実力と、多大な運を味方につけたものが勝ち残る世界。
そんな生き方を選んだ以上、学生と言えども甘やかされはしない。
自由という事は、行動の結果と責任も自分で持つということだ。
多くの学生達は、基礎もそこそこに実践に向かう。
其処で得るものは多いだろう。
失うものもまた、多いだろう。
彼らは少し勇敢すぎるとグラジオラスは思うのである。
蘇生魔法の発展で、昔よりは生還率も上がっているが、それでも少なくない犠牲者はでているのだ。
そして例え蘇生出来たとしても、その中の半分は心に傷を負う。
文字通り死ぬほどの目にあっているのだから無理も無いが、恐怖を刷り込まれた者は二度と冒険になど出られない。
冒険者など臆病に逃げ帰って来るくらいで良い。
その方が生き残る。

「……」

鎧を着込み、腰に剣を吊るし、その上からマントを背負う。
基本的にはいつもの彼と同じ格好。
だが着込んでいる鎧と、鞘の中の剣はいつもと違う。
装備が違うせいか、彼の中のスイッチが切り替わりそうになる。
教師から、戦闘者へ。
一つ息をついて肩の力を抜く。
楽しみだった。
グラジオラスは教鞭をとって日が浅い。
しかし明確な目的意識は存在した。
教えたい事は確かにあった。
今日これから、それをディアーネに渡せるか否か。
その成否こそグラジオラスが教師として在った、意義の有無に直結するはずであった。
時計を見る。
後半刻。

「行くか」

ごく自然にマントを払い、踵を返すグラジオラス。
彼が教え子の剣を直接見るのは、実はやや時間が空いている。
本当は交流戦の最後に少しだけ見れたのだが、頭の緩い悪魔の娘は剣を捨てて竜に挑んだ。
その時のことを思い出し、思わず笑みがこぼれるグラジオラス。
出来の悪い子ほど可愛いというのは、どうやら本当のことらしい。
入学当初の彼女はショートソードはもちろん、大振りのダガーすら片手で満足に扱えなかった。
本当に手のかかる生徒だった。
しかしたった一人、彼に質問を投げてきた生徒でもある。

――あの……この学科は、何故無魔法をしておりますの?

つまり気づいていたのだろう。
グラジオラスが設定した英雄学科のカリキュラムは、無魔法の底上げがなくても実現できると。
ならば何故無魔法なのか?
その先があるからだ。
初めてその質問を投げてきたディアボロスの少女に、彼はこう答えた。

「君がうちで首席をとったら、その答えを教えよう……か」

当時は彼女が自分の学科で首席を取る可能性は低かった。
実家の貴族言葉も抜けていないお嬢様が、無魔法の前衛などこなせるはずが無い。
ディアーネが他の生徒と同じように、基礎もそこそこに冒険に出れば其処で終わっていただろう。
しかしそうはならなかった。
本当に努力していたと、グラジオラスは思う。
悪魔の少女は気の遠くなる程の反復練習で基礎を固めた。
そして始めて冒険に出たとき、ディアーネが選んだのはエルシェアだった。
プリシアナ学園そのものが持て余し、誰も手を加えることができなかった才能の原石。
ディアーネは確かにエルシェアを追いかけて強くなった。
エルシェアはディアーネと共に強くなった。
宝石を磨くためには、同等の強度の素材が必要なのだ。
あの才媛を磨いたとすれば、ディアーネもまた素質はある。
今現在は差をつけられてへこんでいようと、此処で潰れなければきっと追いつけるだろう。
それに……
エルシェアは入学当初から強かった。
彼女が天才であることはグラジオラスも心から認めている。
そんな天才を、ダガーすら振れなかった所から出発した自分の教え子が超えてくれたら……
年甲斐もなく沸き立つ心を抑えようとも思わず、グラジオラスは向かう。
プリシアナ学園の訓練施設、『始まりの森』へ。



§



始まりの森の入り口に、一人の少女が佇んでいる。
赤い制服に、赤と白の千早。
背中には両手剣を背負い、腰には標準サイズの片手剣をさしている。
しかし装備よりも特徴的なのは、少女の悪い顔色と、頭から生えた二本の角。
それは少女が冥界の血を継ぐディアボロスの証である。
リリィの所でしっかりと休養を取ったディアーネは、待ち合わせよりも大分早く目的地に到着していた。
気長に待つつもりだった悪魔の娘だが、彼女の師も待ち合わせよりかなり早く現れた。

「三十分も早いっすよ?」
「そうだな。待たせるよりは、いいだろう」
「うぃっす。いきましょーか」
「あぁ」

グラジオラスが森の中へと入っていく。
その背を追いながら、ディアーネも続く。
それほど奥に行くつもりは無いが、仮にも森と呼ばれる迷宮の一種。
剣を振り回せる広場の様な空き地も幾つかあるが、その一つまで歩きでは少々かかる。
しばらく歩んだところで、彼女は師へと声をかけた。

「先生」
「うん?」
「……なんで、英雄学科は無魔法なんですか?」

グラジオラスは直接は応えず、肩越しに教え子に視線をやった。
少女の姿が昔のそれと重なった。
背が伸び、無駄な肉を削ってはいたが、確かにあの時の少女の顔である。
同じ相手から掛けられた同じ問い。
しかし今度は、グラジオラスが同じ答えを返すことは出来ない。

「はるか昔、ヒューマンは魔法が使えなかったらしい」
「おっそろしく昔の話ですよね? 神様が地上から去った直後の有史ギリギリの時代にはそうだったって聞きますけど」
「その通り。やがて他種族との混血がすすみ、世代が進むごとに魔法が使えるヒューマンが生まれてきたという」
「みたいっすねー」
「身体的特徴は、異種族間婚では混ざらなかった。結果、形はヒューマンとまったく同じでありながら、魔法が使える種族が誕生した。これはある種の進化だろうな。それが今のヒューマンだ」
「はい」

ディアーネには師が何の話をしているのか、はっきりとは分からない。
しかしその一言一句は決して聞き漏らすまいと意識している。
大切なことの伝授はもう始まっているのだ。

「つまり歴史の一時期においては、魔法が使えるヒューマンと、使えないヒューマンが混在していた時期があるわけだ」
「ですね。今はまったく見かけませんけど」
「魔法の素質が完全に零のヒューマンは、もう居ないといわれている。まぁ、その事実こそ、魔法と無魔法の優位性の決着を示しているものと言えるだろうな」
「……でも、先生は無魔法を選んだんですよね」
「ああ、感覚が狂うからな」
「感覚っすか?」
「うむ」

歩きながら話す師弟。
遠まわしではあったが、ディアーネの望んだ答えに近づきつつある。
少女の胸が、師が見せてくれるものを期待して高鳴った。

「例えば、君の相棒……」
「エルっすか?」
「ああ、私は彼女の冒険者としてのスタイルに驚愕したことがある。私の理想に近い姿勢を、誰からも学ばずに体現していたからな」
「お、おぉ?」
「エルシェア君は、魔法を使わないんだ」
「使ってるっすよ?」
「正確には自分を超えるための魔法を使わない……いや、使わなかった……だな」

グラジオラスが思い出すのは、彼女が作ったという『冥府の迷宮』の地図である。
いまどきの冒険者は手書きの地図など使わない。
思考を分割して脳内に地図を作りこんでいく魔法は存在するのだ。
これは大変便利な魔法であり、冒険者の九分九厘はこちらを使う。
手間も掛からなければ荷物も嵩張らず、また紛失や盗難の心配も無い。
にも拘らず、エルシェアはその魔法を使わないという。

「自己強化の魔法というのは、使っていなかっただろう?」
「あー……確かに」
「驚いたよ。まさか今時、『マプル』すらしない冒険者がいるなんてな」
「地図を作るのってエルの趣味っぽいですけど」
「まぁ、それは置いておこう。エルシェア君は自分の感覚を、頭や身体を弄る魔法を使わなかった」
「……」
「自分の全てを意思と努力で制御下においてきたわけだ」
「ですね……」
「そんな彼女が初めて強化魔法を使った結果が、『化けた』というやつだな」
「はい」

ディアーネは意図せずにエルシェアに蹴りぬかれた足を撫でた。
今はもう痛く無いはずである。
しかし刻まれた一撃は身体よりも心に圧し掛かっているらしい。
ふと気がつくと、恩師の背中から少し遅れている。
小走りで追いつく少女。
グラジオラスは振り返らず、しかしディアーネが追いつくのを待ってから続けた。

「魔法は本当に便利な力だ。昨日君の話を聞いて、私はますますそう思った」
「はい……」
「エルシェア君は、既にかなり強いな。そこから魔法一つで、別の世界の住人に簡単になれる」
「……ん」
「まぁ、魔法で出来てしまうのだから、それで良いといえば良いんだがな。そんな楽な道があるために、自力で壁を越える技術が廃れてしまうのは、残念だよ」
「…………え?」
「その技術が、君への答えだな。まぁ、私の学科だけを無魔法にしても意味は薄かったかもしれん。お陰で私は、校長を説得するだけの材料を集めることが出来なかった」

グラジオラスが自分の学科で魔法を禁じても、違う学科の生徒とパーティを組んでしまえば同じである。
その生徒は仲間から強化魔法の支援を受け、底上げされた自分の力を基準に物事を考えていくようになる。
便利なものとはそういうものだ。
人は無いことによる苦境ならそこそこに耐えられる。
耐え難いのは一度でも楽な道を見つけた後、それを失うほうであった。
やがて目的地が見えてきた。
歓迎の森の中に幾つか存在する、ぽっかりと木々の存在を忘れたような空き地の一つ。
意図的にそのように管理されているのだろうその場所で、グラジオラスは振り向いた。

「始める前にはっきりと言っておこう。魔法には、無魔法による能力向上を上回る利便性がある」
「……」
「だからこそ、コレが君にとっての最良であるかは、正直私にも自信が無い」
「今さらっすねー」
「……」

悪魔の娘はにっこりと、人好きのする笑みを浮かべる。
グラジオラスにはその笑みが、肉食獣の威嚇に見えた。
彼と競うには、いささか幼い獣であったが。

「私は、この学科が好きっすよ。無魔法も含めてさ。分かりやすいもん」
「……」
「だから先生、お願い……私を、エルに勝たせてください」
「……いいだろう」

ディアーネは背中に負った両手剣を構える。
グラジオラスは片手剣を抜かずに左足を少し引く。
恩師が剣を構えない事に違和感を覚えるが、挑む立場なのは少女である。
師の姿勢に文句をつけるのは、やった後でいいはずだった。

「行きます」

律儀に言ってから駆け出した。
グラジオラスは、動く気配が無い。
もともとそう離れていない。
悪魔の娘は瞬く間に剣の射程で捕らえると、遠慮は無用と剣を振り上げ……。
視界の上下がひっくりかえった。



§



「大丈夫か?」
「あ……? っ!」

ディアーネは上から掛けられた声に跳ね起き、そのまま下がって距離をとる。
グラジオラスは追わなかった。
自分が何をされたのか理解していない悪魔の娘。
不思議そうに、しかし警戒して自分を睨む少女に苦笑し、グラジオラスは立ち上がった。
グラジオラスはディアーネを投げただけである。
加速をつけて振りかぶった剣が振り下ろされる前に割り込み、右足を相手の足にかけながら右腕で相手の首を狩った。
そして真後ろに倒れかけた少女の落下に割り込んで、その後頭部を左手で支えて地面と接触する寸前に止めた。
それだけである。

「不用意だぞ」
「……いつ動いたし」

師の動きに感心を通り越して呆れたようにつぶやく少女。
グラジオラスは肩を竦めると、今度は剣を抜き放つ。

「君がバロータ君に勝った時、私は君が入り口に立ったことを知ったんだ」
「ほぇ?」
「あの時の感覚を思い出せ。君の呼吸を読み取ってバロータ君が仕掛けたとき、君は相手がどう見えた?」
「あの時……あの時は……」

大きく一つ息を吸い、時間をかけて吐き出す少女。
両手から伝わる剣の重さは、いつもよりやや軽く感じる。
足も軽い。
相手も良く見えている。
グラジオラスから目を離さず、しかし意識を戦域に向ければ、足元の草や石、自分達を取り囲むように控える樹だって感じられた。
戦場が少し狭く感じる。
それは実際に狭いのではなく、ディアーネの意識が彼女自身の身体能力と結びつき、そう感じさせているのだ。
三学園交流戦で、ロクロやバロータと戦った時に近い感覚。
自分自身の集中力が良い所まで高まっているのを感じる少女。
あの時は……

「遅かった?」
「だろうな。でなければアレは捌けん」

グラジオラスは鋭く踏み込み、ディアーネの剣の間合い直前で足を払うように剣を振るう。
同じショートレンジの武器でも、両手剣と片手剣である。
少女の剣が届かない所から振った所で届くはずが無い。
しかし背筋に嫌な寒気を感じたディアーネは、バランスを犠牲にして左足を引いた。
まるで其処を剣が通り抜けでもしたかのように。
左足を切られかけたかのように。

「良く避けた」

よろめいた少女が姿勢制御を取り戻したとき、少女の左足が踏んでいた草が切り払われたように散った。
屋内では分からなかった、グラジオラスの神技の一端。
教師の剣は、あそこから自分に届くのだ。

「因みに私は、いつも見本に剣を振った時は此処まで見せていたぞ?」
「……マジっすか?」
「誰も気づかなかったがな。しかし、本当に良く避けたよ。つまり君は、私の動きを捉えてはいるわけだ」
「まぁ、それだけなら」
「及第点だな。それが出来ないと話にならん」

そう言った教師は、再び生徒に踏み込んだ。
先ほどの踏み込みよりは遅い。
しかし斬撃で割り込める速度ではなかった。
少女は袈裟斬りに振るわれる剣を見極め、終わり際に切り返す為に小さく下がる。
一閃を避けられたグラジオラスは、振った剣を手首だけで返す。
両刃の剣だからこそ出来る芸当だが、強靭な手首がなければなし得ない。
振り下ろされた剣が、次の瞬間に斬り上がる。
ディアーネはさらに左に回りこむように動いて剣先を避ける。
回避は成功しているが、間合いは少女に近すぎた。
片手剣の距離から出られない。
不利な状況ではあるが、ディアーネは静かにこの状況を受け入れた。
相手は現代の英雄の一人。
そうそう有利など貰える筈が無いのである。
後ろに下がり、左右への動きを織り交ぜて徐々に振り切ろうと足掻くディアーネ。
対するグラジオラスは、刺突を軸に踏み込みながら自分の間合いに居座った。
回避に徹したことが幸いしたのだろうか。
少女のは反撃の糸口は見えないまでも、グラジオラスの剣を避け続けることには成功した。

「早いな」
「ども」

一旦退いたグラジオラスが、素直に生徒を賞賛する。
短く答えるディアーネは、まだ疲労を感じていない様に見える
あまり疲れさせると集中力が切れるだろう。
そうなっても困るのだ。

「あくまで普通は……の話だが、普通は白刃の切っ先なんぞ見てから避けるのは不可能だ」
「うぃっす」
「だが、君は今避けて見せたな。何処を見ていた?」
「あー……なんとなく……ぼんやりと?」
「……なんだねそれは?」
「いやー、改めて聞かれると、意識してどこか見てるってしてなかったんで」

要するにグラジオラスの雰囲気からなんとなく避けていたのだろう。
感覚派で天然の発言である。
教え子の無自覚なスペックの高さを再確認し、教師の口元に苦笑が浮かぶ。

「……まぁいいか。下手に意識しだすとギクシャクするだろうな、君の場合」
「あい」
「だがな、例えば一般市民がナイフをもって振るった時なら、君はしっかり見てから確実に取り押さえるだろう?」
「そうすると思います」
「そんなことが出来るという事は、君は一般人と違った体感時間を持っていると言う事になる」
「うぃっす。あくまで普通の人が相手ならっすけど」
「ああ。だが、その感覚で戦うことが出来たなら、君は誰にも負けないだろうな」
「ん……でもそれって天と地ほどの実力差がいりますよね?」
「その通りだ。それこそ、君を圧倒したエルシェア君がいる世界だろう。そして……」

その先に、グラジオラスのような一部教師の世界があるのだ。
グラジオラスは息を抜き、反れかけた話を修正する。

「英雄の伝説を紐解くと、ヒューマンが魔法を使えなかった時代にも、英雄と呼ばれる者達は存在した」
「……」
「魔法が使えない以上、彼らは剣を用いて戦ったわけだ。その時の彼らは、果たして今のヒューマンと同じ剣士だったのかな?」
「……違うの?」
「違うな」

断言するグラジオラスは、剣を持ったまま脱力する。
攻撃的な意志がまったく無い、ただ立っているだけの姿勢である。
少女は恩師の意図が分からず、自分は正眼に剣を構えた。

「リリィ先生が仰った事がある。大陸の十種族は理論上発揮できる身体能力を、二割から五割程しか使えていない不思議な種族だと」
「え?」
「五割使えるのは、強靭な身体を得たバハムーンや、ドワーフ達だ。二割しか使えないのは、クラッズやフェアリーといった比較的脆いと言われる種族だな」
「なるほどー」
「強化の魔法は、このリミッターを少しだけ緩くする魔法だ。この魔法は誰が掛けても、効果は常に一定している」
「え?」

それは無いと思う少女。
ディアーネのパーティにはその魔法を使いたがるメンバーがいない。
しかし今や迷宮探索の主軸とも言える強化魔法の効果は知っている。
あれらの魔法は、熟練者が使用すれば効果が増すはずで……

「あ!?」

思考が顔に出る教え子の百面相を、面白そうに見ている教師。
彼はディアーネが自分で気づいてくれた事を内心で賞賛した。

「そう、元が強いものに掛けると効果が増すんだ。新人が使っても熟練者が使っても効果は同じ。つまり受け手の力量に左右されるという特性があるんだ」
「あー、確かに」
「いってしまえば駆け出しのうちから熟練者と同じ効果が出せてしまう、大変便利な魔法だな。若いうちから多くの生徒がお世話になるわけだ」

此処までは誰もが知っている事だろう。
この魔法を主軸においているパーティは、全く意識せずにこの特性を理解して使っているのだ。

「つまり秘めたる力を解放する魔法であり、無から有を生み出しているわけではないんだ。一定の効果なのに受け手で結果が違うのは、強い者の方が力の制御に長けている場合が多いからだ」
「……」
「エルシェア君が強化魔法で化けたのもこの原理だ。彼女は常に自分の意志と能力を制御化に置こうと努力してきた。その意識が根底にあるから、自分の感覚が変わる魔法を使わなかった。制御する事に慣れているから、緩んだリミッターから多くの潜在を引っ張り出す事が出来るんだ」

頬を赤くしながら嬉しそうに頷くディアーネ。
自分の相棒が褒められているのが嬉しくて仕方ないのだろう。
そしてある意味で不気味だったエルシェアの強さの正体も見えてきた。
それさえ分かれば、追いかけることも出来るかもしれない。

「その意味では、君もそうだ。無魔法で底上げされた身体能力だけを……その感覚をひたすら磨いてきただろう?」
「うぃっす。つまり私も強化魔法を貰えば其処に届く……?」
「届くだろうな。だが、どうせなら自力で其処に行ってみろ」
「自力?」
「あぁ。もう一度見せるから構えていろ。避けてもいいし、斬り返してもいいぞ」
「うぃ――」

ディアーネは視界の正面から師の姿を見失う。

「え?」

両手で持っていた剣を取り落としていた。
違う。
落としていたのではなく、打ち落とされたのだ。
柄を握っていた筈の両手は、打ち込みで無理やり引き離された衝撃で少ししびれていた。

「此処だ」

背後から掛けられた声に振り向く少女。
其処には先ほどと変わらず片手剣を持った教師の姿……

「はぁ!?」

変わっていた。
グラジオラスの左手には、先ほどまでは無かった片手剣があった。
少女はその剣に見覚えがある。
彼女も使っている、破邪の剣だ。
痛みのせいではなく、打たれた両手が震えている。
戦慄と共にディアーネが視線を落とす。
腰には彼女が装備していた、破邪の剣が抜き取られていた。



§



「見えたか?」
「……影すら見えませんでした」

正面に立つディアーネに真っ直ぐ突っ込み、手元を打って武器を落とす。
そのまま少女の脇を抜けざまに腰の剣を抜き取った。
動きとしては、たったコレだけ。
しかし此処まで干渉されたにも拘らず、ディアーネが知覚できたのは全て事後の事だった。
冷たい汗が背中を伝う。

「ほら、打って来い」
「うぃっす!」

悪魔の娘は意を決し、教師に言われるままに切りかかる。
正面から接近し、間合いの直前で上体だけ左に振る。
グラジオラスの視線を釣ったディアーネは、上体を起こす反動で一気に右に回りこむ。
教師程の速度は出せなくとも、今の少女は調子が良い。
彼の視線も、重心も、何処にあるか全て見える。
見てから逆に振っているのだから追いつけるはずが無い。
少女は大型武器の攻撃範囲を生かすため、横一文字になぎ払う。
ディアーネの視界の中で、グラジオラスが向き直る。
絶対に間に合わない。
そう確信するタイミング。
普段なら此処で剣を止めていただろう。
しかしこの剣を振りぬけば、今一度あの動きを見れる。
グラジオラスは確かに言った。
コレは技術だと。
ならば必ず自分も覚えることが出来るはず。
教師の動きを見逃すまいと、その意識を注ぐ悪魔の娘。
今度は見失わなかった。
グラジオラスは大剣に捕らえられる寸前で、垂直に跳ねる。
そして振りぬかれる剣の腹を今一度蹴り、少女の頭上を飛び越えた。
今更何を見ても驚くまいと思っていたディアーネだが、コレには呆れるほかは無い。
背後で教師が地に下りた音を聞く。
背中合わせに立った師弟は、それ以上すぐには動かなかった。

「この技の正体は、体感時間の操作にある」
「時間っすか?」
「うむ、戦士は常に判断する。敵の武器、技量、数、味方の状況、敵の状況……上げれば限の無い数の状況判断と選択肢の中から、自分の技量の中で最善を選ぶ」
「はい」
「その判断こそ戦士の腕だ。最良の判断を最速で下せる事こそ最高の戦闘技能だと私は思う。しかし戦況が変われば最善も変わる。難しいものだ」

背中越しに教師の言葉を聞きながら、ディアーネは頬が引きつった。
彼女なりに今の言葉を整理したのだ。
つまりグラジオラスに取り、ディアーネが剣を一振りする間に上方に飛ぶ選択と併せ、動き続ける剣に合わせて足を乗せ、其処を足場にもう一度跳ぶ選択を選ぶ時間があったのだ。

「はっきり言って、高速移動等おまけに過ぎんぞ? 私はそんなに早く動いているつもりは無いんだ」
「人間辞めてますって位には早いっすよ……」
「あぁ、外から見るとそうらしいな。説明すると、引き伸ばされた体感時間に合わせるために、身体に掛かっているリミッターが外れるんだ。結果として強化魔法と同じ事が身体に起こる。人は魔法を使わずとも、壁を破ることが出来たんだ」

この時既にディアーネは理解していた。
全ては異常なまでの集中力のなせる技だと。
少女は教師と剣の修行をするものだと思っていたのだ。
しかし此処までグラジオラスは一つ一つの動きを見せるだけで殆ど打ち合っていない。
全てはディアーネに疲労をさせないためである。
疲労によって集中力を削られれば、霞の向こうにおぼろげに見えるような遠い境地に届かなくなる。
最も、この先は実践の中で壁を破るしかないだろうが。

「先生はさ……」
「うん?」
「先生は、誰にコレを教わったんですか?」

この技は使い手の感覚に依存する所が大きい。
遠まわしなように感じた説明も、一つ一つの仕組みを理解させるためだろう。
この神技に近道などがあるとすれば、その境地が存在すると知った上で其処を目指すことだ。
出来るか出来ないかを疑ったまま、暗中模索する過程ではおそらく此処には至れない。

「いや? 私の剣も技も、自己流だよ。無論、誰にも出来ない等と大言壮語するつもりは無いがな」
「そっか……せんせー、苦労したんすね」
「おお。解るか?」
「そりゃ、こんなの見せられりゃ……」

ディアーネにはどちらかと言えば、この領域は辿り着いたというより間違って来てしまった類に感じるのだ
普通に冒険をしていて、こんな境地に至れるはずが無い。
グラジオラスは常に死線をくぐって来たのだろう。
何度も何度も生きるか死ぬかの中で選択肢を選んできた。
彼はその中で、おそらく自分自身すら気づかぬうちに磨き上げていた。
彼自身が最高の戦闘技能と称した究極の判断能力と、それをなしえる体感時間を。
はるか昔、古の時代に生きた魔法の使えないヒューマン達……
彼らは皆、グラジオラスが今やって見せた事が出来たのだ。
魔法の使えないハンデから、何度も死地にさらされたが故に。

「現役時代、私はそれなりに長い期間役立たずだった事がある」
「先生が?」
「ああ。近接戦闘能力ではドワーフやフェルパーの仲間に勝てず、かと言って魔法も苦手でなぁ」
「あー……」
「私の仲間達は良い奴らばかりだった。私を責める事などなかったが、忸怩たる思いはずっとあった。本当に自分が情けなかった」

背中から聞こえる恩師の声は、思い出話というにはほろ苦すぎた。
当時の彼の苦境は、今のディアーネの悩みでもある。
ディアーネはエルシェアに近接戦闘能力で負けることは許されないのだ。
自分には魔法が無いのだから、其処ですら勝てなくて何が対等か。
エルシェアに言ったら何を馬鹿なと笑われると知っていても、コレだけは譲りたくないディアーネだった。

「ひたすら修行に打ち込んで、冒険では危険に飛び込んで、遮二無二剣を振るったよ」
「……」
「何度も死に掛けては、セレスティアやノームの仲間に癒されて、小言を言われ……いつの頃からか、私が最初に敵に飛び込めば殆ど戦いは決着がつくようになっていたんだ」
「……そのヒーラーさん達って女っすか?」
「――そうだが?」
「ふーん」

獲物を見つけた猫の声音だった。
グラジオラスの背中が悪寒で粟立つ。
女の勘を甘く見た自分の失言に内心で舌打ちしつつ、話題を変えようと続ける教師。

「ま、まぁ……そうやっている間に自分の感覚が仲間からずれ始めていると気づいてな。それは戦闘者としては有利なことだったんだが……」
「ほぇ? 何か問題あったっすか?」
「当時は安定してその状態に至れなかったんだ。私は自分に何が起きているのかを調べるために、最新鋭の学問を掲げるプリシアナ学園を尋ねたわけだ」
「おー……そこで校長先生にスカウトされた?」
「ああ。丁度こっちも貴族だったメンバーが家を継ぐために引退してな。パーティも一旦解散した直後だから引き受けたんだ」
「なるほど、人に歴史ありっすねー」
「そんなに大げさなものではないんだがなぁ」

一つ息をついた教師が振り返る。
その気配を感じた生徒も、また教師と向き合った。
ディアーネの瞳が活き活きと輝いている。
目指すべきものが、今日はっきりと形になった。

「ねぇ先生」
「なんだね?」
「私が勝ったら、先生とヒーラーさんのお話、詳しく!」
「構わんぞ? むしろ一太刀でも入れてくれれば質問には全て答えようか」
「っしゃぁ!」

自身最速の踏み込みと共に真っ向から大剣を振り下ろす。
グラジオラスは自分の感覚でギリギリまでひきつけ、後ろに下がってコレを避ける。
ディアーネには確実に当たると思った距離だ。
この差が二人の判断にかかる時間の差だった。
少女は剣が地面を叩く前に脇を絞り、寸前で止めて突きに繋ぐ。
早く見えるのは最短距離を真っ直ぐ飛んできているからだろう。
教師はまたも引き付けてサイドステップで身を逃がす。
突いた先からなぎ払うのは少女の得意連係である。
即座に薙ごうとした少女だが、教師は不意に右手の剣で胸の前を払って見せた。
ディアーネには教師の剣が、一瞬盾のように見えた。
横薙ぎを中断し、再び上段から切り下ろす少女。
グラジオラスは左の剣を無造作にディアーネの顔の前に突き出すと、少女は弾かれたように後ろに跳んだ。
そのまま振っても両手剣は、まして片手剣など届かない間合い。
しかしグラジオラスがその場で剣を振り下ろすと、少女は即座に左へずれる。
まるで右腕を落とされかけたとでも言うように。

「っち」
「……」

舌打ちと共にグラジオラスの側面に回り込もうと動く少女。
阻止するのは容易いが、あまり動きを縛ってしまうとディアーネが硬くなるだろう。
あえて右側面を取らせたグラジオラスは、視線だけ送って剣の位置を確認する。
横薙ぎがくる。
試しとばかりに少女の剣に合わせるように右の魔剣を軌道上に配置する。
ディアーネは師の剣をかいくぐる様に斬撃の起動を修正した。
体幹を逆に捻って攻撃を止めつつ、手首で剣を跳ね上げる。
横薙ぎから打ち下ろしに繋げた教え子を見て、感慨深げに頷く教師。
先ほどからディアーネはグラジオラスが剣を送った所に決して自分の剣を入れない。
少女には自分の剣ごと切り裂かれるという明確なイメージが見えていた。
そしてこの場合、それは完全に正解だった。
ディアーネは動きの小さい突きから、攻撃範囲の大きい斬撃へと繋げてグラジオラスを攻めている。
十重二十重と続くそれら全てが避けられた時、少女は大きく退いた。
はっきりと荒い息をつき、肩が大きく上下している。

「息が上がって来たな」
「……」
「集中力を研ぎ澄ます……言うのは簡単だが、実際には難しい。ましてや私達は、種族的な壁を越えようとしているのだから尚更だ」
「……うぃっす!」

ディアーネは一つ息を吸い込むと、地を這うような高速の跳躍でグラジオラスに迫った。
一足で剣の間合いに捕らえると、両手剣を下から振るう。
身の丈に近い刀身は半ば以上が地面に沈む。
大地そのものに剣を隠すという、魔剣の切れ味と剣腕にモノを言わせた奇襲である。
グラジオラスは高速で足元から伸びてくるような剣閃を、身を捻るだけで避けてみせた。
しかしもとよりディアーネもこれで仕留めるつもりは無い。
悪魔の娘は避けられた瞬間剣を翻し、掬い取った土を斬撃に合わせて撒き散らす。
顔の付近で散った土塊に、さしもの教師も片目を瞑る。
ディアーネは師が見せた反射行動に即応した。
一瞬つむった左目の死角に滑り込み、渾身の一刀を叩き込む。
会心の斬撃であることは、振るった当人も理解できた。
理解できなかったのは師の行動で、彼は頭上に落ちかかる刀身を左の拳で殴りつけた。
剣握っているのだから、その拳は唯の素手よりはるかに硬い。
しかし少女の手元に返った衝撃は、そんな次元の話ではない。
取り落としそうな程の衝撃とともに軌道がずらされ、剣はグラジオラスを捕らえることなく地面を叩く。
全力で振った剣を逸らされ、少女の動きが止まる。
其処へ悠然と踏み込んだグラジオラスは、左右の剣を用いた反撃に転じた。
顔の高さに振られる右の剣を、足元を払われる左の剣を、少女は受けずに足で避ける。
グラジオラスは剣の間合いの外から、右の剣を振り下ろす。
ディアーネは半歩右に動いて避ける。
ただのサイドステップではなく、相手へ距離をつめながらの踏み込みだった。
教師の左の剣が、再び生徒の足元を薙ぐ。
避けることには成功したが、折角つめた半歩を押し戻された少女である。
今度はグラジオラスが踏み込むと、顔の高さに剣を振るう。
少女は素早く屈んでコレを避け、頭上に掲げた大剣を手元で繰って身体の間近をなぎ払う。
その防御動作は教師の放とうとした突きを牽制した。
強引に打ち抜くのを大人気ないと引いたグラジオラス。
しかし生徒は教師が退いた空間に倍する速さで踏み込むと、突き気味のモーションから振るう斬撃に繋げて来た。

「ぬ!?」

両手剣を振っているとは思えないほどコンパクトなモーションで、伸びるように振り切られた少女の魔剣。
ディアーネが無心に放った斬撃はグラジオラスの予想を僅かに超えた。
外から見るものがあれば、悪魔の剣が教師の頭部を捕らえたように見えたろう。
しかし実際はその剣すらも紙一重で見切り、逆に繰り出された教師の左の剣がディアーネの顔面に襲い掛かった。
グラジオラスの背中に冷たい汗が浮かび上がる。
腕には鳥肌が立っていた。
教え子の鋭い剣と闘気に当てられ、反射的に返した攻撃だった。
頭で考えた行動ではないが故に、その斬撃は殆ど加減の無いものだ。
当たれば怪我ではすまない。
そんな斬撃に、しかし少女は身を捻る反応を見せていた。
結果顔に食らう剣を肩で受けた悪魔の娘。
素材に魔法を織り込むことよって防御力が水増しされている千早と学園指定の制服を貫抜き、ディアーネが吹き飛ばされて転がった。



§



「っと! すまん、大丈夫か?」

手元に返った衝撃から傷は浅いと知りながら、グラジオラスは声を掛ける。
ディアーネは肩を抑えて座り込み、下を向いていた。
駆け寄りかけた教師だが、それは生徒の手に止められる。

「んぐぅ……」
「分かった、分かったから抑えていろ」
「うぃーっす」

師を制するために伸ばした左手で、再び右肩を抑える少女。
顔を上げられないディアーネだが、それは痛みによるものではない。
この時少女が肩を抑えていたのは経験から来る反射的な対応に過ぎない。
彼女はこの時痛みなど感じていなかった。
ディアーネが俯いていたのは、単に自分の顔を見せたくなかっただけである。
油断すればだらしなく緩みそうになる、今のだらしない自分の顔を。

「……行けそうっす」
「だろうな。交流戦の時には、もう入り口に立っていた」
「うん……うんっ!」

最後の攻防を思い出し、全身を沸き立つ高揚感を必死で押さえつける悪魔の娘。
無意識の中でも手加減はされていただろう。
しかし確かに、自分は師の剣が見えていた。
いま少し慣れれば、あの状態を標準としてさらに上を目指していける。
そうした修行の先に、きっと師の背中があるのだろう。
それがはっきりと感じられた。

「より集中を深く出来れば、次第に自分の速度も釣りあがるぞ」
「なんとなく、そう感じました」
「後の課題は再現能力だ。何時いかなる場合、どんな相手であろうと安定してその状態に入れなければ技としては手落ちだろう」
「はい!」
「繰り返し慣れろ。本来は実戦で死に掛けるのが最善なのだが……」
「え?」
「君の場合は、エルシェア君辺りと試合うのがいいだろうな」

そう言われた少女は、一つの悪夢を思い出す。
冥府の迷宮で死に掛けたあの時を。
自らの血の沼におぼれたように重い手足。
相棒を切り刻む魔物達。
走馬灯の様に乱舞する記憶の中で、あの時見た縫い包みの斧と烏賊の化け物の触手は、はっきりと覚えている。
どの軌道でどの速さで、それがどうやってエルシェアに当たるのか。
何故そんな事をおぼえているのだろう。
それは、見えていたからで……

「あ――」

致命傷に近い傷の中で見たあの光景を持って、ディアーネはこの技の雛形に辿り着いた。
あの感覚こそ、今自分が習っている事だ。
悪魔の娘の中ではっきりと、最後のピースがはまり込む。

「先生」
「ん?」
「見てて」

陽炎のように揺らめく少女の影。
音もなく、いや音すら追い越す速度の踏み込み。
グラジオラスの頭上に煌く魔剣。
笑みと共に左手で振り下ろされるその剣は、グラジオラスのもつ魔剣に止められた。

「良い攻撃だ」
「うぃっす」
「どんな感じだ?」
「……やりにくいっす。寧ろいつもより自分が重い。遅く感じる」
「そうか、概ね私と同じ感覚だぞ」
「ねぇ先生! 私これで、先生の一番弟子名乗っていいっすか!」

剣を合わせた物騒な体勢のまま、無邪気な笑顔で語る少女。
興奮しているのか、自分の剣を無自覚に振り下ろそうとしているため、止めている教師は引きつった。
まともに受けるには、少女の両手剣は重いのである。

「……あぁ、卒業したらな」
「ありがとうございます!」

正直なところ蹴り飛ばしてでも離れたいグラジオラス。
しかし自分の失態で怪我をした教え子にそれは出来ず、教師は重さを支えかねて膝を突いた。

「ディアーネ君?」
「なんすか?」
「そろそろ引いてくれないか?」
「イヤっす」

まさしく悪魔の笑みで答えた少女は、痛むはずの右手も剣に添えてグラジオラスを押しつぶしにかかる。
教師は左の破邪の剣を離し、自分の剣を両手で支えてディアーネの圧力に対抗した。

「折角捕まえたのに逃がすわけないっすよ? 私にはせんせーのロマンスを後世に伝える義務と権利が……」
「いつそんな話しになった! というか伝えるな」
「あーあー、きこえなーい」

このまま押しつぶせば、グラジオラスの提示した条件を満たせる。
此処まで不利な姿勢からディアーネを押し返すのは、グラジオラスでも難しかった。
まして今の少女は好奇心と謎の執念で負傷の影響をものともしない。

「出血しているぞ! 早く治療しないかアホの子がっ」
「アホの子結構! エルに鍛えられた私の悪口耐性なめんな先生!」
「何の自慢にも――ぐっ!? 何処にこんな力を……」
「先生に力入ってないの。そんな姿勢から全身筋力を連動させるなんて出来るわけないっすよ? ……さぁ」
「ぬぅ……」
「楽になっちゃおう? きっとジャーナリスト学科の連中も大喜びしますって!」
「っ!? 絶対に断る!」

……結局師弟の意地の張り合いは四半刻程続くことになる。
勝利したのはグラジオラス。
決まり手はディアーネの、貧血による自爆であった。
心底から疲れきったグラジオラスだが、仕方なくディアーネを背負って帰った。
学園では心配していたリリィが予定を空けて待っていた。
負傷して気を失ったディアーネと憔悴したグラジオラスの様子から、奥義伝授の厳しさを察した保険医。
リリィから労いの言葉と共に回復魔法を貰ったグラジオラスは、誰にも言えない黒歴史が一つ、自分の中に増えたことを苦々しく思うのだった……






























後書き


一方その頃後編をお届けします。
間に39度熱出してぶっ倒れました。
お仕事は休めましたけどメガネの付けはずしだけで悶絶する頭痛生活はもういやでしたorz


前と合わせて難産でございました;;
ディアーネさんの覚醒イベントはこれを含めてあと一個在ったのですが、システム的な問題からそっちが使えなくなりました。
そのため残ったこのエピソードをこね回して、一本のお話として肉付けして作ったのがこのお話になります。
結果としては、グラジオラス先生の人柄は昔話を予定より掘り下げて書き込めたのでこれはこれで満足していたりw
本文では役立たず期間長かったとおっしゃっている先生ですが、あくまで自己評価です。
一般的な冒険者PTのアタッカーとしては十分以上の戦士だった先生が、一般人から逸般人になる過程で自身をそのように評価していたというだけで。

とりあえずこの話しはやりきったかなー感いっぱいで作者的には満足しておりますw
他にもネタはあるので気が向いたら出力してみようかなと思っています。
それでは、もっとととモノ。のSS増えないかなーと祈りつつ、失礼いたします


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