―――時間は、ほんの少しだけ遡る。
漆黒と、煌めきの世界がそこにはあった。
見つめ続けていれば今にも吸い込まれそうな黒の中に散りばめられた星々の光は、映像越しでも何ら遜色なく見る者の心を動かす。
(―――これで二度目、だな)
管制ユニットの中で、白銀は網膜投影越しにその深淵世界を覗く。横浜基地から宇宙に登ったA-01と凄之皇四型は衛星軌道上を周回待機しながら時が来るのを待っていた。
桜花作戦の進行内容自体は『前の世界』と大差ない。
まず、ユーラシア大陸を囲う対BETA防衛線から第一次陽動として海上射撃を散発的に行い、内陸部のBETAを散らす。その後、大陸外縁部にある全ハイヴへの同時大規模攻勢を全世界の軍が短期的に第二次陽動として行う。ここまでがフェイズ1だ。
フェイズ2はこのフェイズ1を踏み台に、他ハイヴからの増援の可能性が低くなったオリジナルハイヴへの侵攻を試みる。まずは国連宇宙総軍低軌道艦隊がハイヴ周辺に反復軌道爆撃を開始。重金属雲の発生を確認と同時に、国連軍軌道降下兵団二個師団がダイヴを敢行、ハイヴ周辺を強襲する。次いで、米戦略軌道軍二個大隊がオリジナルハイヴ南西87kmに位置する門―――戦略名称、SW115周辺に降下展開し制圧を開始する。ここまでがフェイズ2であり、オープンチャンネルで流れた情報によると、現在地上で合流した国連と米国の軌道降下兵団がSW115の制圧を開始したそうだ。
そしてフェイズ3で、ようやくA-01の出番となる。白銀にとっては二度目の軌道降下、そして二度目のオリジナルハイヴ攻略だ。
(今回の軌道降下は上手く行くはずなんだ………)
『前の世界』で、フェイズ2での第三次降下作戦ではオリジナルハイヴへ投下したAL弾の尽くが迎撃されないと言う異常事態を受けて、それでも強行降下を行ったが為に軌道降下第一戦隊に限って言えば壊滅的とも言っても差し支え無いほどの甚大な被害を被った。
その裏には、00ユニットの情報漏洩がある。無論、意図して行われたものではなく、偶発的―――言い換えれば、事故みたいなものではあった。とは言え、その影響でいらぬ犠牲を強いることになったし、ほんの少し何かが掛け違っていればA-01や凄之皇四型にも被害が出て、作戦自体が失敗に終わっていた可能性があるので、今考えればぞっとしない。
しかし今回は情報漏洩対策は既に取っているし、横浜基地防衛戦も反応炉を仮死状態にすることによって事前に防いでいる。敵へ必要以上の情報は流れていないし、戦力も確保してある。
下準備としては、これ以上ない程だ。
後は―――イレギュラーだ。
この世界にとっての異物である『ミカミショウジ』が存在することで生み出された波紋。現状、それは新型のBETAだけに留まっているが、この先どうなるかは分からない。事前の説明によると新型BETA―――騎士級は要所である反応炉や主広間、アトリエやその他にて配置されていることが多いと言う。尤も、そのルールもいつまで通用するかは分からないが。ともあれ、佐渡ヶ島で見たあの敏捷性や機動力を考慮する限り―――。
(無視して進むことは不可能、か………)
ハイヴ内で光線属種は攻撃をしてこない為、極論を言えば常時滞空していれば比較的安全なのだ。無論、天井に張り付いたBETAが降ってくれば話は別だが、それを除けば推進剤がある限りと言う条件付きではあるものの、死ぬことはない。
だが、騎士級の存在がそれを覆す。
騎士級の跳躍力と敏捷性は従来のBETAのそれを凌駕し、滞空している戦術機に追い縋ることが可能だ。攻撃手段こそ近接的なものだが、集団で集ればラザフォード場でさえ打ち抜く打突を持っている。
であるからして、ハイヴ内での侵攻の基本は極力BETAが配置されているルートを回避し、騎士級を『全て』迎撃しながら進撃する事となる。無論、他のBETAも十分な脅威となるが、一度切り抜け振り切って距離を取ってしまえば追いつかれることもそうそうそう無くなる。
(主広間、それから反応炉までの流れは『前』と同じ………)
即ち、隔壁を強制開放させ最深部へと侵入、然る後に凄之皇四型による最大砲撃で『あ号標的』を撃破する。プランだけ見ればそう難しくない。辿り着くまでにGI元素残量に余裕があれば、隔壁を強制開放などしなくても荷電粒子砲でぶち抜くことも可能だ。『前の世界』よりも優っているこの人数、この兵装と状況を以てすれば間違いなく作戦は成功できる。未知数であった『あ号標的』の行動も今回は読めている。であるならば、前回のように凄之皇四型を乗っ取られることもないだろう。
だから、本当に問題になってくるのは―――。
(庄司、か………)
正直な所、白銀にとっては桜花作戦よりもこちらの方が頭の痛い問題だ。
二度目だからと言って油断している訳では勿論無い。因果のイレギュラーも関わってくる問題もあることだし、万が一ここで失敗すれば文字通り後が無くなる。だがそれでも、この作戦の先はある程度見えているのだ。
しかし『ミカミショウジ』の問題は、先が見えない。
そも、白銀は彼の因果導体開放条件も知らない。近く―――あるいはそれこそこの作戦がそこに関わってくることぐらいは、数日前の彼の狂態から何となく見て取れる。しかしそこまでだ。それ以上のことは知らないし、知らないからこそ下手に探りを入れることも出来ない。
(庄司の心を救う、か………)
一口に救う、と言っても様々だ。
命を救うのは勿論のこと、人によっては一息に殺してしまう方が救いとなる場合もあるだろう。
人の価値観は、人それぞれ違う。
白銀にとって救いであっても、三神にとってイコールではない。また逆も然りだ。だからこそ白銀が三神を救おうと言うならば、確固たる信念に基づいた『何か』が必要なのだ。一種の我侭や押し付けにも似たこの想いを―――社霞の願いを叶えるためには、手段よりも先に、白銀武の覚悟が問われてくる。
しかしその『何か』が何なのか分からない現状では―――。
(くそ………こんなんじゃ、世界を救うほうがよっぽど気が楽だぜ………)
白銀が胸中で自嘲気味に吐露していると、網膜投影に秘匿通信の文字が浮かんだ。このタイミングで誰だろうか、と疑問に思いつつ繋げてみると香月の顔が浮かび上がった。
『あら、随分と不景気な顔してるじゃない。そんなんでこれから大丈夫なの?』
「作戦に支障はありませんよ、やるべき事をやるだけですので。それより、何か問題でもありましたか?」
『これから「ある」、それはアンタにも分かってるんじゃない?』
「ひょっとして夕呼先生………!」
目を細めて告げる香月に、白銀は驚きのあまり食いつくが彼女は呆れたように手をひらひらと振った。
『はいストップ。そりゃあたしはアンタよりかは理解しているわよ。そして「これから」に対する手段も持ってる。けれどそれはあたしの手で行なってはダメなのよ。それじゃ、意味が無い』
「意味が無い………?」
『そう、結果的にそれでより良い未来を引き寄せられないのだから、それは意味が無いのと一緒でしょ?』
香月の言葉は酷く抽象的だ。
普段言いたいこと、あるいは言えることは竹を割ったような物言いで突き付けてくる彼女にして、こうまで曖昧な表現はなかなか無い。寧ろ、ここまで曖昧だとこちらから問い詰めない限りはこうまであやふやな言葉を引き出すことも出来ないだろう。香月が自分から会話を振って、今のように極端にボカした発言をした場面を、白銀は知らない。と言うよりも、そんな無駄な事に脳のリソースを割きたくないとか言って、口にすらしないだろう。
だからこそ、今ここでそう言うということは何かしらのヒントで、彼女なりの柵の中で白銀に何かを伝えようとしているのは理解できる。
理解はできるが―――白銀は答えには到達できない。それは口にした香月も理解しているようで、軽く吐息する。
『はっきり言えなくて悪いけどね、あまり誰かに知らせすぎても、そして手を加えすぎても必要以上の不確定要素が交じるのよ。まぁそれが無くても博打要素満載なんだけどね。だからあたしはギリギリのレベルでアンタに発破を掛けて、手段だけは渡しておく。アンタはあたしの「宿題」を自力で解いてより良い未来を引き寄せる。―――いつもと同じスタンスでしょ?』
そう嘯く香月が視線を動かすと、白銀の網膜投影に一つの電子データが出現する。そのフォルダを訝しみながら開くと、思いもよらない『モノ』が入っていた。
「―――!?夕呼先生!これって………!!」
『まだ不確定だけど、多分必要になるわ。時間があれば、もう少し順当な手続きを踏んだんだけどね』
ここ一番でこれを寄越したということは、香月夕呼はこの後に起こるイレギュラーをある程度予見しているのだろう。それは00ユニットによるものなのか、彼女自身の予測なのかは不明だが、少なくとも解决するために出来うる限りの行動を起こし、それは白銀の手元に来た。
『もうあたしには分からないことだけど、人の心って、本当に面倒臭いわよね。―――じゃぁ頑張んなさい、ガキ臭い救世主サマ』
そして聖女は少しだけ苦笑した後に、通信を切った。
今後の世界にとって、たった一つの切り札を残して。
静かな駆動音を感じながら、鑑純夏は後ろ髪ひかれる思いで眼下の地球を眺めていた。青く眩い光に目を細め考えるのは、想い人のことだ。
(う~ん………やっぱりタケルちゃん、また何か抱え込んでるみたいだなぁ………)
鈍感の塊である想い人と違って、鑑はごく普通の気遣いのできる少女である。無論、身体が妙に強化されていたり00ユニットになっていた経験を持っていたり、自覚していない天然のESP能力者だったりと付けようと思えば途方も無い付加価値が付くが、根本的にというか性格的に、彼女はごくごく普通の少女なのである。
そんな彼女が他でもない白銀武の悩みに気づかないはずがない。その内容までは知らなくても、ここ数日出口のない迷路に囚われて懊悩していることぐらいは見て取れる。ただでさえ、行動を共にすることが多いのだ。嫌でも気付く。
だが、彼女はそれについて深くは尋ねなかった。例えば昨日の朝―――いや、もう一昨日の朝か―――に彼が迷った時に促すように尋ねてみれば話してくれたかも知れない。しかし結局は白銀は迷った挙句に『腹が減ったから早くしてくれ』と誤魔化したし、ある意味でそれが鑑にとって決定的だったのだ。
少なくとも白銀自身は、自分が解決しなければならない問題なのだと決めているのだろう。だからこそ、鑑にでさえ相談しようとしない。それを無理に聴き出したり相談させようとするのは、違うと思ったのだ。水臭い、とは思うがこれ以上踏み込むのは野暮だ、とも思う。
だから待つことにした。少し寂しくはあるが、待つことには慣れている。そしてもし彼が助けを望むのなら、せめてその時に間に合うよう側にいようと決めた。
「純夏さん………?」
不意に、後方のナビシートから社の声が聞こえ、網膜投影に顔が映ったウィンドウが開いた。ひょっとしたら今の考え聞こえちゃったかな、と苦笑しながら鑑は頭を振るう。
「ううん、何でもないよ霞ちゃん。それより、外部映像リンクしておいてくれた?」
「………。はい、皆さん、地球に見入ってるようです」
「そっか、よかった」
どうやら、聞かなかったことにしてくれたようだ。
鑑も『前の世界』で白銀がそうしたように、部隊の面々に宇宙から見る地球の姿を見せるように社に頼んだのだ。尤も、彼女は鑑の頼みが無くてもそうするつもりだったようだ。
青い光に目を細め、鑑は思う。この光を見るのも三度目だと。一度目は『前の世界』で突入前に。二度目は『前の世界』の00ユニット『カガミスミカ』が意識を失う前に。そして今回で三回だ。宇宙に上がるたび何だかんだでこうした光景が見れると言うのは、ジンクスを考えれば良い兆候なのか。
作戦自体は二回目。諸々のイレギュラーを内包しているものの、対処できない範囲ではない。ただ何か―――この作戦で、何か大きな動きがあるのではと直感レベルでそう思う。上手く言葉には出来ないが、こうした勘は昔から良く当たる。
「艦隊旗艦からの音声通信です」
鑑が胸騒ぎを感じていると、社の知らせとともに音声回線が開いて男の声が流れ始めた。
『―――こちら第3艦隊旗艦ネウストラシムイ。最終ブリーフィングを開始する』
今回、A-01部隊を引き連れる降下部隊輸送戦隊旗艦からだ。
『―――まず最初に、「桜花作戦」の状況を伝える。ユーラシアの各戦線では、最外縁部のハイヴに対し全軍が一斉に進行中だ。現在、作戦は第2段階。国連軍と米軍の軌道降下部隊がSW-115周辺を制圧中。だが、戦況は芳しくない。部隊の損耗率は予想を遥かに上回っている』
やはりそうなるだろう。
SW-115はオリジナルハイヴ内部への突入孔であるが故に、敵地のど真ん中だ。陸路での搬送は難しい以上、軌道降下による強襲を前提としている。であれば、当然光線属種による派手な出迎えを受けているのだ。凄之皇や叢雲のようにラザフォード場を用いて一時的にレーザーを無力化できるならともかく、そうでない場合の地表到達率は推して知るべし、その後の生存確率も同様だ。
『従って、作戦司令部は予定通り第3段階移行タイミングの繰り上げを決定した。SW-115周辺の戦力が健在である内に、「あ号標的」攻撃部隊の降下を完了させるのだ』
今回の桜花作戦では『前の世界』に比べて幾つかの修正案を取り入れている。とは言うもののそれでも犠牲は出るし、現に今も命を上乗せ続けている。
おそらく、もっと時間があったならば量子電導脳による兵器開発や作戦で摩耗は防げただろうが―――あくまでタラレバだ。結果として『前の世界』と同時期に桜花作戦を展開せざるを得なかったし、因果導体二人にも制限がある事を考えれば、これ以上の結果は望めないだろう。
『では、再突入の詳細を説明する。当初予定されていた再突入殻の降下軌道投入プランAは全て破棄。現周回を以て、全艦隊再突入し降下部隊の地表到達率を高めるプランBを発動する。まず艦隊陣形だ。爆装した第1、第2戦隊は再突入軌道を420秒先行。続いてA-04、降下部隊を輸送する第3戦隊、降下援護用に爆装した第4、第5戦隊はそれに続く』
今回降下する兵器群はA-01とA-04のみだ。『前の世界』では国連の軌道降下兵団も同じく降下したが、事前に余分な政治要素は香月が排除しているのでその分をSW-115確保に回している。代わりに、降下直前に目眩まし代わりに爆撃してもらうため、2戦隊を爆撃装備に変えているのだ。
『続いて、再突入シーケンスだ。まず、第1第2戦隊は再突入開始900秒前にAL弾を全弾分離。その後、先行120秒まで減速。隊形を維持したまま再突入開始。尚、第3戦隊各艦は再突入殻を分離せず、背負ったまま再突入せよ。電離層突破後再突入殻を分離し、直後に第4、第5艦隊に因る追加爆撃を行い再突入殻の地表到達率を底上げる。その後、各艦は最大加速。侵攻軌道を先行しエドワーズに向かう。これがプランBとなる』
ここまでは『前の世界』と基本的に同じ流れだ。そしてこの後、BETAがAL弾を迎撃せず重金属雲が規定濃度に達しないイレギュラーが発生するが―――。
『―――尚、作戦司令部によるとレーザー級からのAL弾迎撃が行われない可能性があるとのことだ。その場合、降下プランCに移行する。その時点で生き残っている第2戦隊駆逐艦を船頭として全艦隊同期制御を行い、A-04のラザフォード場利用し鼻先を突き込み、全艦隊で地表15kmまで降下する。その後、再突入殻を切り離し、残存艦隊は囮となってエドワーズへ向かう。尚、船頭役は事前に通達した優先順位になる。各員充分に理解しているとは思うが、改めて確認されたし。―――以上だ』
Al弾を迎撃しないと言う学習をBETAが何時行ったか分からない以上、今回も起こると考えておく必要が有る。如何に凄之皇と言えど、何時までもレーザーを捻じ曲げていられるわけではないので、出来れば起こって欲しくはないが念には念を入れて、と香月はプランを考えていたようだ。
そして、一拍置いて―――。
『全艦減速開始!再突入回廊へ進入せよ!』
降下の指示が来た。
「―――減速開始。A-04軌道降下中」
社の言葉と共に機体が僅かに振動した。突入角と進路の調整でスラスタを少し吹かしたのだろう。降下時に於ける機動制御は艦隊側に同期して行なっているため、鑑自身がやる事は多くない。いざという時のマニュアル制御と、後はML機関のチェックぐらいだ。
「システムチェックお願い」
「データリンク正常。A-01全機、リンクシステム起動待機中。軌道制御は艦隊と完全に連動中」
「了解。ムアコック・レヒテ機関起動」
「機関、起動します」
機関が起動すると機体内の駆動音が僅かに高まった。速度計と高度計が徐々に忙しなく動き始め、網膜投影された外の映像が徐々に赤くなっていく。大気摩擦に因る赤熱化だ。
「大気圏に突入―――ラザフォード場展開」
ラザフォード場が展開されると、視界の赤は少し遠くなったが依然目に突き刺すような鮮やかな色で凄之皇を包んでいる。
「展開率100%。抗重力係数9.8。次元境界面の歪曲率、許容値以内。ラザフォード場、安定。A-01収容の各艦、本機と同一軌道を降下中。電離E層突破。機関正常。00ユニット、安定しています」
矢継ぎ早に報告してくる社に鑑は頷く。
ここまでは『前の世界』と同じだ。よく『覚えて』いる。凄之皇四型の制御装置の中で蹲るようにしていたあの時、外部モニタ越しでもない、言うならば感覚的に地上の光線属種に睨まれた気がして―――。
「っ!?BETA、レーザー級による迎撃開始!第1、第2戦隊、一次照射により半数壊滅………!重金属雲、規定濃度に達していませんっ!!」
「やっぱり………!涼宮中尉!」
『こちらヴァルキリーマム了解。光線属種の分布図から進入コースを作成中』
瞬間的にレーザー照射警報が鳴り、慌ただしくなる。
今回、CP将校として涼宮遙が凄之皇四型に同乗している。増設された通信室で撃墜された第1、第2戦隊のデータを元に光線属種の配置図から比較的手隙の進入コースを割り出すのだ。
その間にも状況は進んでいく。
「降下プランCに従い第1、第2戦隊散開して離脱―――レーザー照射、来ます!!」
「機関最大出力!!」
鑑の叫びに一拍遅れて正面に光の矢が幾条も突き刺さり、しかし見えない壁に遮られ、ねじ曲がってあらぬ方向へ拡散していく。ラザフォード場による防御だ。
「00ユニットに高負荷!機関出力低下!出力限界まで後157秒!!」
しかし確かにラザフォード場による防御は鉄壁だが、無敵というわけではない。ただでさえ展開時には莫大な演算能力を必要とするのだ。これが出力限界まで上げていたり、荷電粒子砲発射時における追加演算を行ったりすると如何に00ユニットとは言え『疲労』は免れない。
いや、まだ『疲労』程度で収まればいいが、このまま続けば間違いなくオーバーブローしてセーフモードに陥る。無論、降下予測時間を鑑みればこのままでも地表につくまではギリギリ持つだろうが、その後の作戦行動に支障が出る。何しろまだ緒戦も緒戦だ。こんな所で00ユニットを失えば作戦失敗どころか、世界が破滅しかねない。
―――しかし、それをあの香月夕呼が見越していないはずがない。
『フェンリル1より全機へ!リンクシステム起動!データリンク経由で凄之皇四型に直結後ブースト!』
オープンチャンネルで流れた三神の声に呼応するように、鑑の網膜投影にLink Systemと書かれたタブが開かれ、画面中央にOn Lineと表示された後に凄之皇四型の機体ステータスと叢雲19機分の機体ステータスが現れる。そしてその叢雲19機分のステータスから凄之皇四型へと矢印が敷かれそれぞれの矢印の横にゲージが出現し0%から100%へと一気に伸びて埋まる。
代理演算共有処理機構。
現状、突入殻に収まっている状態の叢雲はML機関を起動していない為、リンクシステムによる演算処理は必要ないのだ。それを利用し、00ユニットの補助演算装置として使用する。そうすることに因って、00ユニット本体の負担を少しでも減らす目算だ。
「ラザフォード場の次元境界面以前不安定!機関出力曲線降下中ですが大幅に減衰しました!出力限界まで442秒まで回復………!」
果たして目論見は見事に成功した。現在の高度は地表からおおよそ70km。もう少しで電離層Dを突破する。
しかし、このまま降下という訳にはいかない。レーザーを受け続ける限りラザフォード場は不安定で、些細なきっかけで食い破られないとも限らないのだ。加え、着地点を確保するためには高度2000m付近で叢雲を自由に動かす必要がある。そうなるとリンクシステムによる演算補助は無くなるので、ここからも可能な限りの安全策を取る必要がある。
だからこそ―――。
『―――一文字艦長!降下プランCを実行する!そっちは無事だろうな!?』
『腕のいい操舵士がいるのでね!問題ない!―――夕凪からA-04及び全艦隊へ!縦列フォーメーションに変更後、全機動制御をこちらへ!』
旗艦ネウストラシムイの呼びかけに答えるのは、A-04の前方をいく第2戦隊の再突入型駆逐艦夕凪艦長、一文字鷹嘴だ。今回、降下プランCを実行するにあたって、船頭の優先順位が最も高いのが夕凪だ。もし第一次レーザー照射で生き残っていなければ別の艦が担当していたが、どうやら無事に生き残っていたようだ。
『こちらヴァルキリーマム。地表光線属種の分布図、及び分布図を元にした降下コースをそちらに送りました。降下機動の参考にして下さい』
『感謝する!―――さぁ、送迎最速理論を掲げる我等の見せ場だ………やれるな!?富士和良!!』
呼び掛けられた夕凪の操舵士はそれには答えず眠そうな半眼のまま送られてきた光線属種の分布図とそれに重ねられたレーザー照射を掻い潜るための予測を眺めつつ―――操縦桿から手を離し、降下の機体振動さえ物ともせずブリックパックをずぞぞ、と音を立てながらすすっていた。
『って富士和良!何操縦桿から手を離してんだっ!?』
「あー、ちょっと喉渇きまして………それに同期の調整制御はコンピュータ任せですし完了するまでは暇ですし」
『早く操縦桿に手を戻せぇっ!軌道降下中だろうがァァァっ!!』
「全艦隊の制御同期率90%。さて、ぼちぼち行くかな………」
艦長である一文字を除く全クルーからの突っ込みを食らいつつ、しかしその操舵士は飄々とした態度を崩すこと無く飲み終えたブリックパックをインストルメントパネル脇のトランクに放り込み、操縦桿を握る。
その様子を見つつ、艦長席に座る一文字は苦笑した。この男は、地上で四輪転がしてた頃と何一つ変わらないと。あるいは理解しているのかもしれない。こういう一世一代の状況だからこそ、無理にテンションを上げて下手にノって凡ミスするよりも、いつもどおりの精神で居ることが何よりも大事なのだということに。
だから一文字は他のクルーのように苦言を口にしない。世の中には凡人には理解できない天才というのは確かに存在し、この男も間違いなくそれに属するのだと知っているからだ。
「ふ、余裕があるのはいい事だ。調子もよさそうだな?」
「ぼちぼちですね。まぁ、降下プランCのシミュレーションは死ぬ程やりましたし、ラザフォード場っていうものの感覚特性も掴みましたし、今も光線属種の制空権を抜けるコースデータ見せて貰いましたし。―――それだけあったらもう充分です」
「成程。見る限り、今回のコースは無駄にテクニカルでしかもプラクティス無しだが?」
「途中でオイル撒かれてたり、自分でレブ縛ってなけりゃ余裕ですよ」
口角を上げる操舵士に突っ込みでも入れるようにレーザー照射が来るが、既に艦は全艦隊の最先端―――A-04の目の前だ。ラザフォード場に包まれているため、視界が数瞬フラッシュしただけで事なきを得た。
「では見せてもらおうか。あの榛名峠で私を魅了したお前のダウンヒル………いや、ダウンフォールを!!」
「了解。じゃぁちょっと無茶しますんで、舌噛まないようにして下さい」
―――全艦隊の同期率100%を指した途端、操舵士は全コントロールをマニュアル制御にし、加速を叩き込んだ。
伊隅は錐揉み回転、と言う現象を久しぶりに体験していた。
いや、何も彼女に限った話ではないだろう。衛士ならば誰でも戦術機特性を検査するために何回か洗濯機に突っ込まれた衣服になったはずだ。その後も実機に乗ってから機体がトラブったり腕を磨くためにわざと滞空中の体勢を崩して復帰する訓練を行ったりと、衛士である以上、誰もが通る道だ。
消費した推進剤と衛士の腕は比例する。
そうして重ねてきた実働時間と実戦経験は衛士の腕をより高次元に押上げ、やがて熟成されていく。それに従ってこういう経験もしなくなっていく。だからこそ、だ。
(駆逐艦の動きじゃない………!)
ベテランであるからこそ、このランダムな動きについていけない。
縦横斜め五捻りからからの横滑り。どう考えても一般的な駆逐艦の動きでは再現できないし、戦術機でも無理だろう。そもそも、再現の問題ではなく物理的に機体が耐えられない。
秒速2km前後の軌道降下中にそんな真似をすれば艦自体が大気の圧力に負けてへし折れる。いや、その前に中の人間に掛かるGに負ける。宇宙ならばまだしも、今は大気圏内。地表より30km離れているとはいえ大気濃度は充分に上がってきている。そも、通常の軌道降下はもっと高高度―――100km付近で再突入殻を分離する。今回はラザフォード場という特殊状況を利用し且つ生存確率を上げるために、降下中に再加速される再突入殻をここまで切り離さずに引っ張ってきているのだ。
普通ならば、もう駆逐艦ごと爆散している。そう、普通なら。
味方にどう考えても普通じゃない天才科学者が居ると本当に楽だな、と伊隅は苦笑する。
ラザフォード場だ。
夕凪を先頭に、列車のような縦列陣形を構成し、その頂点を重点的にラザフォード場を展開し、夕凪の機動に連動している全艦隊の内部に掛かるGも軽減する。加え、光線属種の第一次斉射を元に割り出した比較的手薄な降下コースを通り、それでも来るレーザーには当たる角度を浅くしていなし、00ユニットに係る負担を極力軽くする。この出鱈目な降下機動はそのせいだ。Gをある程度キャンセルされているため、直接的に体に係る負担はそう大きくないが、網膜投影に出力されている映像を見ているだけで訓練兵の頃を思い出す。
因みにごく最近まで訓練兵だった五人は。
『あー、このぐるぐるするの何か思い出すね。タケルの変態機動訓練』
『そうだな。あれは初めてタケルの後ろに乗った時だったか』
『そうね。確か、「いつかこれぐらいの機動は出来るようになってみせろ」って複座の後ろに乗せられたのよね』
『すごく気持ち悪かった』
『壬姫なんか、何度吐いたか分かりません………』
『もういいよ………もう慣れたよ………変態とか変人とか言われるの………』
こんな時でも平然と師匠を弄りに行く五人をやっぱり化物ねこの子達とか夕凪の変態降下機動に連動している駆逐艦乗り達は大丈夫なのかとか思っていると、上層雲を吹き散らした眼下の荒野に『それ』は現れた。
この速度、そしてこの距離であっても確かに見える。あれは二十八年前。伊隅でさえまだ生まれていなかった時代に、それは来た。まるで希望の無いパンドラの箱。ただただ恐怖を振りまき、人の絶望と命を喰らって育ち続けた寄生物。地表構造物高度1km。地下茎構造物の水平半径100km。最大深度4km。最奥に重頭脳級が鎮座するそここそが―――。
『あれが………オリジナルハイヴ!』
誰かの言葉に、あぁそうだとも、と伊隅は頷く。
同時に地表まで15kmの位置に到達する。これ以上は駆逐艦の復帰限界点を超える。だから再突入殻を切り離して離脱しなければならない。ガコン、と鈍い金属音を共に一瞬だけ後方に流されるような浮遊感。それも束の間、再突入殻のロケットモーターが点火。A-04より先行して地表に向かって最大加速を開始。これまで以上のGが身体を襲い、思わず口から苦鳴が漏れる。
『諸君、人類を………頼んだぞっ!!』
託された言葉と共に、艦隊との通信が途絶える。此処から先、彼等はラザフォード場による援護は無い。丸裸の状態で自力で帰投しなければならないことを考えると、下手をすればハイヴ突入以上の過酷なミッションになるだろう。
だが、今は彼等だけを慮ってばかりはいられない。こちらも軌道降下を完了させ、且つハイヴ内に侵入しなければならないのだ。だから伊隅は加圧されるGの中で無理矢理息を吸って吐き、網膜投影の高度計を睨む。
高度10kmに差し掛かろうとしている時だった。
『全機再突入殻パージ!』
三神の指示とともに19機分の再突入殻が切り離され、機体を守るものはアンチレーザーアーマー―――装甲カプセルのみになる。そしてそれに一拍遅れるようにして空気抵抗に因る大減速が来た。今度は下に掛かるGだ。
だが、これも通常の軌道降下に比べれば幾分かマシだろう。通常ならば、マッハ7からマッハ3までの減速―――最大減速度は8.2Gにまで及ぶ。しかし今回はラザフォード場に守られた駆逐艦に因る変則降下によって、速度を大分落としていたし―――それでも秒速2km以上なのだが―――再突入殻のロケットモーターによる再加速も切り離すまでの5km分しか行われていない。
それを考えると、世の軌道降下兵団は日頃どれほど無茶な事をやっているのかが伺える。
高度2.5kmまで迫った。再び三神の指示が来る。
『続いてML機関起動後、ALAカプセルパージ!ヴァルキリーズは展開プランA実行!!』
展開プランA。
軌道降下のラストにしてある意味では最も難度の高い作戦フェイズだ。この大減速に耐えつつ先行し、後続の着地点を確保する。その内訳は、荷電粒子長砲による多重砲撃だ。長砲の最大射程は2km。それを用いれば、この距離からでも充分に攻撃可能だ。しかしそれを行う為には最大出力で挑まなければならない。そして荷電粒子長砲の最大出力放射後は―――五分間の砲身冷却が必要で、その間はラザフォード場を展開できない。つまり、光線属種の制空権の中で完全な無防備となるのだ。それを防ぐために、長砲装備の機体は半数にしてある。残りの機体はラザフォード場で放射後無防備となった僚機を防御するのである。
カプセルから解き放たれた叢雲六機が長砲を地上に向けて構え、伊隅の指示を待つ。
詰まるところ長砲六発。六発で地上の光線属種を最低でも降下完了するまでは封殺し、且つ着地点を確保しなければならない。その見極めはヴァルキリー1―――伊隅の仕事だ。
軌道降下と言う目まぐるしく状況が移り変わる中でその精査を行わなければならない途方も無い重圧。
―――一人だけならば、押し潰されていたかもしれない。
『ヴァルキリーマムよりヴァルキリー1へ。SW-115周辺の地形データ―――更新完了です』
瞳に映る地図が書き換わる。
狙うべきは最も光線属種が集中している地域と、着地点。必要な適正能力は注意分配。その後に着地後の展開。先行し戦闘している地上部隊の残存戦力。ML機関によって引き寄せられるBETAの総量。更には突入までに掛かる時間を精査し―――。
「―――目標EJ-865、LN-27、GO-484、TY-374、HP-57、WD-61!」
関節思考制御が瞬間的に各機体に目標地点を割り振る。データリンク経由でそれは各機体に伝わり、そして。
「撃て―――!!」
伊隅の叫びと共に地表に向かって六条の雷光が解き放たれた。
薄明光線、と呼ばれる現象がある。
太陽が雲に隠れている時、雲の切れ目あるいは端から光が漏れ、地上に向かって放射線状に光柱が降り注いでいるように見える現象だ。あるいは、こうした気象名称よりも別名のほうがよく知られているかもしれない。
―――天使の階段。
あるいは天使の梯子、ヤコブの梯子、レンブラント光線。無論、これはただの気象現象だ。大昔の人間がその美しい現象に神々しさを重ねてそう呼んだだけにすぎない。しかしもしもその昔の人間が、この光景を―――光芒を伝うようにして降りてくる21機の鉄巨人を見たのならば、何と呼ぶのだろうか。
神の御使か、あるいは神そのものか。
『じゃぁ三神。全世界へ対する時間稼ぎをしなさい』
その中で、一際大きな鉄巨人に乗る聖女が告げる。
『やれやれ、人使いが荒いね』
それに対して道化を辞めた狼は小さく微笑み。
『諸君―――』
万感の思いを込めて。
『諸君―――』
最早留まることをせずに。
『諸君!聞こえているかね!?私の―――!』
世界に響けと。
『―――私の、この声が!!』
ただ、遠吠えた。
そして声は世界に鳴り響く。
『さぁ待たせたね諸君!
我々は遂に辿り着いたぞ!四半世紀続くこの戦争の原因!敵のお膝元であるオリジナルハイヴに!
だが諸君!まだだ!まだ終わりではない!ここから我々は敵の懐に潜り込まなければならない!』
広域データリンクと00ユニットを介し、あらゆる戦場へと伝播する。
『諸君!この戦争で、どれほどの犠牲を出した!?
諸君!この作戦で、どれほどの仲間を失った!?
諸君!その戦闘で、どれほど身を削っている!?』
誰もが聴き、そして誰もが答えた。
そんなものは数え切れないと。
『今、諸君のそばにはいない我々は、きっとその苦しみを知ることは出来ないだろう!いずれ知ることはあっても、今を知ることは出来はしない!
そしてそれに対する慰めも同じくだ!』
誰もが思う。
そんなものは必要ないと。
『いいか諸君!
この作戦―――その全てが我々を生きてオリジナルハイヴへと送り込むだけのモノだ!だからそこに係る犠牲も損失も罪過を問うとしたら我々にあるだろう!そして後世で我々を批判したとしても、罵ったとしても構わない!
だが忘れないで欲しい!我々はただ沙汰を待つだけの罪人ではなく、罪を以って世界を得る悪役だということをっ!!』
誰もが思う。
だからこの作戦で失った全ての命を背負えと。
『そして諸君は対価を前払いにした!命と、装備と、世界を擲って今この時を我々に繋いだ!だからこそ、理解しているかね諸君!今日この日は、歴史の分岐点だということに!
犠牲がある!損害がある!今この瞬間にも失われていく命もある!だが後の世で、それでも今日という日が素晴らしいものだったと諸君に思って貰うために、我々は我々の対価を払うべくこれより敵地へ進撃するっ!!』
そして誰もが思う。
その上で、釣り合いを取り、等価にする為に今後に続く未来を作れと。
『そして敵地最奥、重頭脳級を打ち果たすために、諸君に更なる頼みがある!それは―――時間だ!!』
その為ならば何でもしよう。
『今回もギブアンドテイクでいこう諸君!
これから二時間―――これより二時間でいい!あらゆる手段を用いて時間を稼いで生き残れ!それさえ叶えば、我々は必ず諸君に世界を繋ぐ!あぁそうとも!確約しよう!我々はたった二時間でこのオリジナルハイヴを落とすのだ!!』
事此処に至っては。
『いいか!?私の言葉を理解したかね諸君!
ならば諦めを否定しろ!
ならば生き汚く足掻け!
ならば最後まで吼えろ!』
この身体も、この武器も、この魂も。
『前を見ろよ諸君!今、諸君の目の前に新たな世界がある!それは手の届く位置あるが―――手を伸ばさなければ決して掴めない!!』
今この瞬間だけは。
『ならば手を伸ばさない理由はないだろう!?さぁ前を向け!
右手に戦友を!左手に悪友を!そして己の魂に火を灯せ!身体に己の意志を刻んで進撃させよっ!!』
その為だけにあるのだから。
『これは一方的な通信だ。きっと諸君の返答は私達には届かない。だがそれでも敢えて聞かせて貰うぞ、いいか全人類―――………!』
だから―――さぁ問い掛けよ、来い。
『―――返事は、どうした?』
そして世界は―――。
「―――言われんでも分かってる!『了解』だ大馬鹿野郎………!!」
ある師団長は死地の中でそれでも声に応えた。
追い縋るBETAから最早逃げ切ることは叶うまい。彼我の距離は約1kmも無い。もう目と鼻の先に戦車級の海。嗚呼巫山戯るな。どうしてあんな気持ちの悪い生き物に栄えある戦車の名を冠してやらねばならぬのか。
手持ちの弾は尽きる寸前。燃料だってありはしない。だが闘志だけはマグマのように煮えたぎっていた。
だから師団長は無線機を引き千切るように手に取り叫ぶ。
「おい貴様ら聞け!諦めを否定しろと叫んだ馬鹿が二時間でオリジナルハイヴを落とすんだとよ!その先の世界を見たいか!?」
違う、と返って来る。
見たいのでは無い。見せてもらうのでは断じて無い。
その先の世界を、見に行くのだと。
「よぅし!ならレオパルドは全機次弾装填したまま全速前進だ!引き付ける!まだ撃つんじゃねぇぞ!?」
もう迷いはない。
もう諦観もない。
もう祈りもない。
だから―――。
「―――File!!」
『―――っ!?』
砲撃した。
距離500mでの55口径140m滑空砲は最早至近弾だ。炸裂も爆発も置き去りにしてまずは横一閃、赤い海を斬撃のようにぶち抜く。キューポラ越しにその光景を見て、師団長はほくそ笑む。
何だ、まだやれるじゃぁないか、と。
さぁこれで残存レオパルドの砲弾は後一斉射分。残っているスタックハウンド4の弾薬も一、二分保てば良いぐらいだろう。いよいよ進退窮まってきた。だがなかなかどうして、口元が緩んだままだ。それは自分だけか、と師団長は自問し―――小さく首を振って否定し再び無線機越しに怒鳴る。
「まだだ!まだ終わりじゃねぇ!そうだろう!?愛すべき大馬鹿共よ!俺達は何だ!?鉄の棺桶を駆り、荒野を踏み締め、女王陛下の元に勝利を運ぶ俺達は!たかが砲弾が無くなっただけで終わるのかっ!?」
問い掛けに笑い声が聞こえた。
『砲弾が無くなっても装甲でぶち当たれ!』
それは侮蔑でも嘲笑でもない。
『装甲が無くなっても履帯で轢き殺せ!』
この先の未来を見据え。
『動けなくなっても備え付けの小銃を手に取れ!』
そこに至った自分を幻視し。
『そして小銃の弾が無くなっても―――!』
高鳴った心を抑え切れなかった故の笑み。
だからこそ―――。
『我等が魂、簡単に喰えると思うな………!!』
今の彼等に恐怖も絶望もなかった。
接敵10秒前。
もう細かな指示は必要ない。
接敵9秒前。
誰もが己が役目をこなす。
接敵8秒前。
装填手が最後の砲弾を装填する。
接敵7秒前。
砲手が主砲を照準し、トリガに指を掛ける。
接敵6秒前。
操縦手がド至近距離の砲撃に備え、Tバーを握り直しアクセルを踏み込み続ける。
接敵5秒前。
師団長が砲撃を指示すべく口を開き―――背後から、砲撃が来た。
『なっ―――!?』
それは突風のように吹き荒れた。
戦車師団の真上を通過して隕石のようにBETA群を貫通し、それだけでは飽きたらず地表を削りのめり込む。しかし単発ではない。まるで横殴りの雨だ。赤い海が気色の悪い体液の海へと変わっていく。
瞬間的にこんな芸当ができる兵器はそう多くない。ヘリはこんな前線に出てこないし、内陸部であるマクデブルクに戦艦の主砲が届くはずがない。同じ戦車と考えれなくもないが師団規模の戦車部隊を避けつつの精密砲撃など出来ない。となると後は一つだけ。
「―――戦術機………!」
司令塔の出入り口を殴るように押し開けて上空を見やれば、三十六機の戦術機が日を遮るように参戦し、こちらに寄ってくるBETA群を軒並み掃討していく。
一体何処の誰だ、と視線を手近の一機に集中する。暗灰色をベースに、右肩部に日の丸。全体的に鋭角的なデザインに、特徴的なのは頭部から左右に広がった大型のセンサーマスト。カタログでしか見たことがないが、あれは確か他国の第三世代戦術機―――。
「Type94………?―――日帝の派兵部隊か!?」
師団長の音声を拾ったのか、二機の不知火がこちらにメインカメラを向け、外部音声で。
『応ともよ!俺達ゃ栄えある日本帝国生まれの日本帝国育ち―――』
『人呼んで花菱三兄弟と愉快な仲間―――』
『朱!翠!馬鹿やってないでちゃっちゃと片すぞ!!』
名乗りの途中で後詰の一機に邪魔された。
『あ、碧兄ぃ!最後まで言わせてくれよ!!』
『そうだぜ碧の兄貴!戦場じゃ名乗りは重要なんだぜ!?』
『ほほぉう、何でだ?』
『―――その方が燃えるじゃん?』
二人揃って馬鹿なこと言うので碧兄貴と呼ばれた機体から36mmのツッコミが入った。
『あ、碧兄貴碧兄貴!今装甲掠ったぞっ!?』
『あー、誤射だ誤射。昔よくやったろ?馬鹿やったお前らのケツにロケット花火ぶつけんの。―――ここでも仕置きがいるか?』
もう一度銃口を向けられると二機は悲鳴を上げながら周辺BETAの相当行動に移っていった。『兄貴の花火ダーツは全部ブル狙いだからマジ勘弁だぜぃ』とか『しかもシラフでハットトリック決めるからタチ悪ぃ』言っていたが一体何のことだろうか。ともあれその様子を見届け、全くあの馬鹿共はと毒づきながら残った一機がこちらに向かって声を飛ばす。
『ウチの馬鹿共が面目ねぇ。久々の大規模作戦でハシャいでいてな。それよりもここは俺達が引き受けるから、早く撤退するといい。ウチの親父も戦車乗りでね。むざむざ見殺したとあっては寝覚めが悪くて仕方がねぇんだよ』
早口に告げる不知火の衛士に師団長は苦い物を噛み潰す表情で尋ねた。
「貴官の所属と名は?」
『あぁすまねぇな。俺ァ日本帝国陸軍欧州派兵部隊第87戦術機甲大隊大隊長、花菱碧少佐だ』
「ハナビシ………?―――!『サントメールの奇跡』………!!」
話を聞いていた装填手が驚きの声を上げる。
師団長も聞いた覚えがあった。確か、英国と同じく近接戦闘を重要視する日本にあって、敢えて最小限の近接兵装しか搭載せず、どのポジションであっても4丁の突撃砲と多目的自立誘導システムを載せた砲戦特化部隊の名がハナビシであったはずだ。日帝の欧州派兵部隊は小規模ながら技術や技量の交流も目的にあるので、ある程度腕の立つ人材が送られてくるのだが、その中でも数カ月前に送られてきた彼等の名は欧州連合で知らぬものはいなかった。
2ヶ月前に行ったリヨンハイヴの漸減作戦に於いてサントメールにて殿を務め、しかし光線属種の大量出現によって戦術機母艦が接舷どころか沖合に出ることさえ出来ず、撤退不能となった戦術機師団がいた。その彼等を救うために、一足先に撤退していた花菱大隊は海上補給を済ませて再出撃し、搭載した全火力を以て光線属種掃討作戦を繰り広げ、戦術機母艦が到達する四時間を稼ぎ抜いたのである。不可能とまで目された救出作戦に多大な貢献をしたが故に『サントメールの奇跡』に於いては必ず彼等の名が出てくるのだ。
『へぇ、よく知ってんじゃねぇか。じゃぁ、多くは不要だな。ブラウンシュヴァイクで補給隊が緊急備蓄展開してる。そこまで行けばもう少し頑張れるはずだ』
花菱の言葉に、師団長はそうかいと頷いて視線を後方―――掃討されていくBETA群の奥を見据える。
戦車級の海はもうそろそろ平らげてしまうだろう。だがその奥に第2陣が見えた。どうやらそちらが敵の本体のようで、地平線に揺らぐようにして要塞級の姿まで見える。直線距離にして4kmかそこらか。
さて、ここからブラウンシュヴァイクまではそう遠くない。精々50km前後だ。尤も、逃げるために燃費を無視して走り続けたのだ。残燃料から言えばそこまでがギリギリと言ったところか。だがこれで生きる道は出来た。逃げようと思えば逃げられる。ここで素直にハイと言えば一度は捨てたこの生命を拾える。
だが―――。
「―――馬鹿言ってんじゃねぇ」
『あん?』
自分達はそんなに安いのかと問われれば激昂するしか無い。
「まだ敵は残ってる。まだ弾は残ってる。―――まだ魂は滾ってる!!」
頭ごなしに助けてやる等と言われて、皆が皆涙を流して万歳三唱で大喜びすると思うな。
「ここで死ぬ?認めねぇよそんなのは!あぁだから退きはするさ!体勢だって立て直す!だがそれは―――今、俺達の全てをぶち込んでからだ!」
ここには、生より大事な意地もあるのだから。
「全世界の戦車乗り代表で言うぞ馬鹿!ふざけんな戦術機!お前達は毎度毎度、後になってから都合よく―――そう!都合よくしゃしゃり出て、ハイエナみたいに俺達戦車の出番かっさらてくんじゃねぇっ!!」
何時だってそうだ、と師団長は思う。
戦術機ばかりに舞台のスポットは当たる。確かに戦車では戦術機に敵わない。飛びだせば喰われ、遅れても喰われる。対BETA戦に於いては花形衛士のように夢さえも見れない。それを妬みややっかみだと理解しつつも思わずにはいられない。例え戦場の端役だと思われても、脇役がいなければ主役は栄えないのだ。だから噛ませだ何だと言われても、これこそが自分達の役割で出番だと、仕方ないから納得しよう。理解もしよう。しかしそれさえも主役に邪魔されたとあっては到底我慢ならない。
だから彼等は叫ぶ。
出番を寄越せ。俺達『も』舞台にいるのだ、と。
その叫びに対し、花菱は問いかける。
『燃料は?』
「ブラウンシュヴァイクまでギリギリ!」
『残弾は?』
「後、一斉射分!」
『―――気合は?』
『十分だ馬鹿野郎!!』
最後に重なった師団全員の怒号に、花菱はくつくつと笑みを零して声を大にする。
『―――全機に告ぐ!こんな遠く異国の地で、花火馬鹿が線香花火じゃ物足りないってよ!なら同じ花火馬鹿の俺達はどうすりゃいい!?』
言葉に対して動きがあった。
『我等日本の心意気』
突撃砲4丁装備の不知火36機に因る多重砲撃。
『意志は星で、魂は紙球』
それ等はまるで戦車師団を取り巻くように旋回し、残存する戦車級を駆逐する。
『撃ち出す竹筒我等が身なら』
トリガを引き絞り、弾を吐き出し根性で当てる。
『我等が熱き血は導火線』
その姿は車花火の如く。
『我等打ち上げる者に非ず
我等打ち上がる者に非ず』
そして全ての戦車級の掃討を終えると。
『ただ見上げた空に落ちていき、刹那の万華火でこの夜を照らす者也っ!!』
彼等は戦車師団の左右に展開し、まるで銃身のように直列する。その銃口の先に、BETAの第2陣があった。
『さぁ異国の大馬鹿共!野暮なこたァもう言わねぇ!最後の根性砲―――思う存分にぶち込めぇっ!!』
礼は言わない。
礼は必要ない。
答えもいらない。
それさえも必要ない。
ここにそんなものは不必要だ。
視線の先、BETAの第2陣が迫って来ている。約3kmと言ったところか。充分に射程圏内だ。一斉射分。たったの一斉射分だ。それを放つためだけに何時までもここにいる。馬鹿な話だ。それを放てたとして、一体どれほどのBETAが殺せるか。あの無尽蔵な物量の前では、焼け石に水も良い所だろう。先々のことを考えれば、ここは早々にこの戦術機部隊に任せて尻尾をまくるのが最良だ。
だが。
(そんな惨めな言い訳で陛下に顔向け出来るか!結果じゃねぇんだよ結果じゃなぁっ………!!)
だから師団長はただ右手を挙げて叫んだ。
「―――File in the hole!!」
『Aye,Aye,Sir―――!!』
そして。
『File―――!!』
―――最後の打撃を叩き込んだ。
ロヴァニエミハイヴで未だ戦闘を続けるSu-47が150機いた。
互いに連隊規模であったが、長く続いたこの戦闘で一大隊分を失ってしまった。折しもHQから砲撃部隊の後退が始まったとの連絡があったので、今は遅滞戦闘を行いつつジリジリと戦線を下げつつあった。
そんな中、東欧州社会主義同盟の連隊長とソ連の連隊長は同時に言葉を零す。
『はン、二時間でオリジナルハイヴを落とす、ねぇ………デカイ口叩きやがって』
『ふん、だったら無駄な演説など行ってないでさっさと突入すればいいものを。二枚舌が』
すると二人はつまらないものでも聞いたかのように舌打ちして―――互いに突撃砲を向け合い、140mmを発砲。
『礼はいらんぞジェリー』
『礼はいらねぇぞイワン野郎』
互いの背後に迫っていた二体の要撃級がキャニスターの至近弾を受け爆砕した。それを一瞥し、二人は鼻を鳴らしてから自らの部下に指示を飛ばした。
『同士よ!馬鹿が二時間だけ時間を作れと言った!後で作戦の失敗を時間を作れなかった我々のせいだと言い掛かりを付けられても敵わん!ならばこの瞬間だけは仮想敵であっても利用せよ!!』
『Уразуметно―――!!』
『貴様ら!阿呆が生き汚くても足掻けば世界を繋ぐと宣った!俺達が作戦の外様だからって手ェ抜いてると思われんのは酌じゃねぇか!?なら怨敵でもコキ使え!盾ぐらいにはなるだろうよ!!』
『Einverstanden―――!!』
人は全ての人間を受け入れられはしない。
人は全ての人間を認めることは出来ない。
だがそれでも、気に入らない人間を使うぐらいは出来る。
旧九江市にて周囲をBETAに囲まれたF-CK1経国4機は自らの死地を悟っていた。
間違いなく助けは来ない。退路は無く。弾薬も無く。推進剤も無い。残る武装は77式近接戦闘長刀だけだ。最早万に一つでも助かる要因はないだろう。
しかし。
「了解、と言っておこうかね………!」
呑まれかけていた心に火が点った。
いいだろう、と全員が思って開き直る。喰らいたいなら喰って行け。ただし世の中ただより高いものはない。喰らうのならば料金先払い。値段は時価。最低価格は化物一匹分の命。それでもいいなら精々気張って喰いに来い。
4機の経国が長刀片手に互いに背を向け合い、舌なめずりをする。
『知って地獄に落ちろ異星人!』
『確かに世界を救い行くのは絢爛咲き誇る彼等かもしれないが―――!』
『この世に、雑草という草は無いのだよ!』
『踏み潰してみろよ化物ォ………!!』
僅かに残った推進剤を吹かし、最大加速を以ってただ一本の武器だけを手に、彼等はBETA群へと切り込んだ。
ほんの数分も続かないような命。生き残ることは最早叶わないが、それでも振り払う一刀一刀が要求された二時間の1秒1秒を作っていくのだと―――それだけを信じて。
鳴動する世界を老兵はF-14を飛ばしながら確かに感じていた。
人は一つにはなれない。
人種、性別、宗教、国家、家族―――枠組みは人それぞれだが、価値観に共感することはあっても共有することは出来はしない。如何な危機が訪れようと、内輪争いに終始し、ここまでBETA大戦を引き摺ったのがいい例だ。だからあんな演説一つで全てが変わる訳がない。おそらく、世界の全戦域に流れたであろうあの馬鹿の言葉に対し憤りを覚えた者もいるだろう。口汚く罵った人間もいるだろう。毒を吐いた人間も、死に征きながら自分の最期の記憶はこんなものかと嘆いた人間もいるはずだ。
同じ目的―――オリジナルハイヴを落とすという目的を抱いていたとしても、それは変わらない。変わりはしない。
だが老人は知っている。その逆もまた然り、だということを。
反感を覚える人間が必ずいるように、共感を覚える人間もまた必ずいるのだ。そして共感を覚えた人間が行動を起こせば、やがて伝播を起こす。その伝播の起こりは確かに小さなものかもしれない。だが絶えることがなければ、やがて大きなうねりになる。
思い出す。
経験した数多の戦場で、幾度も感じた大きなうねり―――それの起こりは、いつもこうしたささいなきっかけから始まったのだ。
あるいはそれは一人が行った英雄的行動であったり、国家の決断だったりと枚挙に暇がないが、事の起こりにはいつも世界が震えるのだ。無論、これはあくまで感覚的なものだ。長年で染み付いた勘や肌で感じる予知と言ったものに近い。経験を重ねた者にしか感じることは出来ないかもしれない。
しかしそれを、老兵は感じていた。震える口元から、笑いが零れていく。それを押さえつけもせず、後ろを付いて来る四人の少年に向けて老兵は言った。
「ふははっ………!おい小僧共!聴いておったか!?今から死地に赴く馬鹿が返事を求めておるぞ!?ならば叫び返してやれ!ここからは聞こえなくても、それは手向けになるだろうよっ!!」
『りょ、了解………』
「声が小さ―――い!!」
『了解………!』
「まだまだ―――!!」
『了解ィ―――っ!!』
「よぉ―――うし、それでいい。それでいいのじゃよ。さぁ、目の前に敵が迫って来たぞ?教えたように陣形変更すると良い!」
指示すると、おっかなびっくりといった様子で陣形が変わる。老兵のF-14を中心に、前後左右に少年達のF-15が展開する形だ。形自体は全周警戒陣形の円壱型と同じだが用途が間逆だ。これは、外側の彼等を『生かす』為の陣形と戦術だ。
視線の先、幾多の戦術機とBETAの群れが入り混じる戦場が見える。元々が負け戦だ。戦況は良くないらしい。そんな中に飛び込まねばならない。まだ幼さが残る彼等に、それはどれほどの重しとなるか。いや、だからこそここが分水嶺だろうと老人は考える。
例えこの戦場で生き残ったとしても、何も得ることが叶わなければいずれ彼等は別の戦場で命を落とす。だからこそ、今回だけはしっかり見守ってきっちり教え込む。それがここを死地と見定めた老人の、最期の役割だ。
自己満足の上に欲張りだな、と自嘲する。
一人で死ぬつもりでいた。無理を押して『ここ』に戻ってきたのだから、それこそが礼儀だと。だがそれだけでは飽き足りないらしい。自らが生きた証を、決して名を明かすことはなかったとしても最期に残したくなったのだ。
嗚呼いいだろう、と老人は居直る。どうせ人間、何処まで行っても欲望の塊なのだから最期ぐらい、人生と言う名のズタ袋に思う存分エゴを詰め込んでやる、と。
「さぁお呪いじゃ。しっかり儂の後に続けよ―――!?」
だから老兵は今、ここにいるのだと―――自らの証を立てる。
「―――On your mark!」
『O………On your mark!』
機体を操作。担架から二丁の突撃砲を脇下から潜らせ、正面四砲にする。
「Get set!!」
『Get set………!!』
機体を沈ませるように前傾姿勢へ。
「Are we redy―――?」
『We are rediness―――………!』
更に声を揃え―――。
『Go Ahead―――!!』
そして、荒野を5機の嵐が駆け抜ける。