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[24527] 【武ちゃん三周目】Muv-Luv Interfering【プラスオリ主混在中:桜花作戦中幕】
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2013/05/07 17:29
初めまして光樹と申します。
オリジナルでちょこちょこ小説を書いている身ですが、こうして二次制作をするのがこれが初めてとなります。
その為、かなり緊張しておりますですハイ。

当方、マブラヴ作品に触れたのは今年の八月、お盆の真っ最中でして、連休を良いことに無印、サプリメント、オルタ、AFと立て続けにやった上、連休終了二日前にこの掲示板の存在を知り、またもパソコンに齧り付く羽目になりました。
完全に引き籠もっていたため、身体が鈍っており仕事始まったら即熱中症になったのはいい思い出です。

それはともかく、オルタを三週くらいした後にふと思いました。
あの結末あってこそのオルタなのは分かる。けど武ちゃん頑張ってたし純夏報われないしなんかこう―――どうよっ!?(意味不明)

と言う妄想を仕事中に炸裂させ、その勢いのままに『はじめてのにじさくひん』に取りかかる始末。折しもこの不況の煽りで残業が少なく、仕事中によそ事考えてても大して問題ないので最早歯止めが効きませんでした。(オイ)


そんな独りよがりの妄想の元生まれた本作の概要をさらっと御説明致しますと、

武ちゃん三週目。
夕呼先生マジチート。
オリジナルキャラは主人公格一人と名前のないヴァルキリーズを除き、極力出さない。(←最近そうも言えなくなってきました)
番組後半モードでオリジナル戦術機有り。
所々テコ入れして順番は変化するものの、少なくとも桜花作戦までは原作の流れで。
死人もなるべく出さない。
カワカミン1000mg配合。
最近増量。
その上感染拡大。

となる予定です。
尚、独自設定、独自解釈、妄想展開、ご都合主義などの成分が含まれますので、それらに対し嫌悪感をお持ちの方はブラウザの戻るをクリックすることをお薦めします。
遅筆の上に修正に修正を重ね、更新が遅くなるやもしれませんが始めたからにはなんとか完結まで持っていきたいので、ご意見ご感想、誤字脱字も含め、長い目で生暖かーく見守って頂けるとこれ幸いかと愚考する次第ですハイ。


それでは、作者のInterfering(お節介)に少しばかりお付き合い下さい。



[24527] Muv-Luv Interfering 序章       ~願望の放浪~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:18
 黒がそこにあった。
 光もなく、闇もなく、言うならば虚無の空間。その直中で、嘆きと悲しみと後悔が渦巻いていた。
 ―――何故、救えなかったのか。
 ―――何故、守れなかったのか。
 そして今、何故―――諦めようとしているのか。
 平和な世に生まれ、平行世界に飛ばされ、更には時間をも逆行するなどと言う数奇な運命を辿った少年、白銀武。
 彼は願い、求め、そして世界は確かに救われた。
 だが同時に、彼は世界以外を失った。
 大事な戦友達。
 愛した女。
 そして今、自分自身も失いかけている。
 これから自分は元々いた平和な世界―――それも、愛した幼馴染みの望む世界に戻るらしい。恩師曰く、そこに戻ればこの記憶―――即ち、BETAとの戦いの日々は消えてしまうらしい。
 この白銀武を形作る記憶達の大半はBETAであると言っても過言ではない。
 しかしそんな物騒なものは新たな世界には存在せず、ならばそんなものは不純物以外の何物でもなく、言ってしまえば不要なのだ。
 だから消えてしまうのは、当然と言えば当然なのだ。
 だが、BETAの記憶を消せば―――それに立ち向かうために背を預けた仲間達の事も、今白銀武が抱えている嘆きも、悲しみも、後悔さえも消え去ってしまう。
 それで―――いいのだろうか。

(オレは―――)

 既に身体の感覚は無い。意識だけが波間にたゆたう感覚だけがある。それでも『白銀武』という個は未だ残っていた。

(このまま、純夏の望む世界へ行ってしまっても………いいのか?)

 結論から言えば、それしか方法は無い。
 何故ならば、彼は既に因果導体では無い。平行世界への移動も、時間の逆行ももう出来ない。
 既に、為す術はない。
 あの世界は既に救われた。
 いや、正確には時間を稼げた、だ。
 それでも後十年後には滅亡は確定だったのだ。滅亡まで二十年も引き延ばせたのだから、御の字だろう。
 些か無責任ではあるが、後は恩師の天才頭脳に任せるほか無い。
 だが、と白銀武は思う。
 まだ何か出来る方法があるのではないのだろうか。
 まだ誰かを救う方法があるのではないのだろうか。
 まだ戦友を護る方法があるのではないのだろうか。
 そして何より―――。

(『あの純夏』を、幸せにしてやれるんじゃないのか………?)

 BETAにより身体を、心を壊された愛しき幼馴染み。最早それが人として生きていなかったとしても、生まれ変わったのだと言うならば、彼女の願いを叶えるのは―――白銀武の役目だ。


 ―――ならば、どうする?


 かつての恩師は言った。意志を強く持て、と。それは世界を動かし得るのだと。心の何処かで、静かに情熱が灯るのを彼は感じた。

(そう、だ………)

 それはかつて、自分の口から出た言葉であるのだ。

(白銀武と鑑純夏は、二人で一つだ………)


 ―――だから、どうした?


(『オレ』が消え、『白銀武』があっちに戻っても………)


 ―――シロガネタケルが消え、白銀武が戻っても?


(あいつが笑ってなきゃ、オレがオレでいられないだろうが………!)


 ―――よく言った。


 直後、世界が割れた。





 その様子を『見て』いた者がいた。
 あくまで『見て』いただけだ。身体もなく、意識もなく、ただただ馬鹿で直情的で―――それ故に真っ直ぐな少年の生き様を。

 その少年、白銀武は最初、力も知識もなかった。

 だが時間逆行の回数を重ねる事にそれらを身につけていった。

 それでも、今度は覚悟が足りなかった。

 だが、前のループでそれらを身につけた。

 そしておそらくもう一度―――彼は征くのだろう。

 今度こそ、自らの願いを叶えるために。


 それを『見て』いた者は思う。それでは駄目だと。まだ足りないのだと。

 力が無かった。

 知識がなかった。

 覚悟がなかった。

 だが、今はそれがある。

 それでもまだ足りないのだ。

 ならば、後足りないものは何だ。


 ここまで足掻き抜き、尚も足掻いて最上の未来を目指す者に与えるべき祝福とは何だ。


 そしてそれを『見る』ものは見つけた。

 それは自らが切に願うもの―――。

 ―――理解者だ。





 2001年10月22日



「ここは………」

 薄く目を開き、白銀は白い天井を見つけた。酷く懐かしささえ覚える天井。それを見て、心の何処かが浮き足立つ。

「戻ってきたのか………?」

 何処へ、とは敢えて言わない。だが何となく、予感がある。ベッドの脇に置いた目覚まし時計を見る。時間は八時過ぎ。
 幼馴染みが起しに来る時間はとっくに過ぎている。それを邪魔するお嬢様も隣に寝ていない。
 確証はない。だが、白銀は戻ってきたのだと確信した。

「戻って、戻って来た………!」

 嬉しさのあまり、白銀は跳ね起き、ベッドから降りてカーテンへと手を伸ばし―――止める。

「―――まだ、拙いか」

 確認したいのは山々だが、それをして『部屋が廃墟へと変貌』しては困るのだ。
 言うならば、ここはまだ確率の霧の状態だ。外を見て廃墟か否かを確認しなければ、この部屋は存在の確定ができない。
 今現在、観測者が白銀しかいないために『元の世界』の部屋になっているが、観測者たる白銀がここをBETAの世界と認識した瞬間に、この部屋がBETAの世界の『白銀武の自室』へと変わる可能性がある。

「まずは、色々準備するか」

 何周も世界をループしているせいか妙に冷静になったな、と吐息して、白銀は身の回りの準備をすることにした。
 柊学園の白い制服に袖を通し、ゲームガイやその他諸々、自らが『この世界』の人間ではないという証拠物品を大きめのスポーツバックに詰め込む。
 それを肩に掛け、一階へと下りる。
 念のためにキッチンも覗いてみたが、月詠も三馬鹿もいなかった。いよいよもって『あの世界』である可能性が確定的になる。
 そして玄関。
 靴を履き、靴ひもを強く結び直す。
 これから、もう一度この世界を、大事な人達を救うのだと決意を新たにするために。
 靴ひもを結び終えた彼は、一度振り返って誰もいない玄関に一礼をする。
 そして―――。


「―――行ってきます」


 誰もいない家にそう告げて、玄関の扉を開けた。 





「やっとこの日が来たか………」

 廃墟となった柊町を歩く男が嘆息と共に呟いた。
 背格好を鑑みるに、年の頃なら二十代前半と言ったところか。中途半端に伸ばした黒髪をうなじで結い、やや吊り上がった瞳はどことなく憔悴している。
 しかしながら彼の風貌を考えれば、確かにそれも仕方ないだろうとおそらく誰もが頷くだろう。
 ボロボロの衣服に身を包み、無精髭は伸ばしっぱなし、頭髪は油やフケなどが目立つし、身体も埃や汗で黒くなっている。
 どこからどう見ても浮浪者である。
 しかしながら彼がこうなっているのも理由がある。何しろ、『予定日である10月22日よりも10日も早くこの世界に着いてしまった』のだから。

(今は下手に歴史に干渉できないからな………。私の役目はあくまで白銀武の手助けだし)

 自分で何であるか、何のためにここにいるのか理解している彼は、今現在、極力この世界への干渉を止めている。
 その為、半ば原始人じみたサバイバル生活を余儀なくされていたのだが―――それも今日で終わる。
 今日は10月22日。
 『あいとゆうきのおとぎばなし』を終えた主人公が、今度こそ自らの願いを叶えるために『ゆめときぼうのおとぎばなし』を始める日なのだから。
 そして彼は、道行く先に白い制服姿の『主人公』を見つけた―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第一章     ~再開の再会~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/07/15 04:16
 正直、白銀武は戸惑っていた。
 意志を強く持った影響か、はたまた別の要素があったのか、それともそれらが複雑に重なった影響か―――いずれにせよ、白銀はこの世界、『BETAのいる世界』の10月22日に戻って来られた。
 年号こそ確認していないが、ここまで今までと一緒だったのだ。おそらく2001年と見て間違いない。
 もし間違っていたとしても、この廃墟を鑑みるに、明星作戦は終了している。
 ここまではいい。問題は―――。

「久しぶりだな白銀武。今回は何回目だ?」

 目の前の男だ。
 長めの黒髪―――おそらくはただ単に切っていないのだろう―――を後ろで結んだ、妙に目つきの鋭い浮浪者然とした男は前回のように横浜基地へと向かう白銀の前に突然現れ、気安く意味不明な言葉を宣った。
 いや、正確に言えば『シロガネタケル』以外には意味不明な言葉を、だ。

「―――誰だ?あんた」
「私を知らない、か。一つ聞くが、前回は2002年の1月には死んでるのか?それと―――あ号標的は倒したのか?」
「………っ!」
「倒した―――ようだな?」

 男の言葉に白銀は息を呑み、それを返答とした男は口角を吊り上げる。その様子に白銀は警戒を強くし、肩にしたバックを地面に放ると、身構える。
 武器こそ携帯はしていないが、生身でも多少の自信はある。そうそう遅れは取らないだろう、との判断だった。
 しかし、浮浪者は軽く両手を挙げた。

「勘違いするな白銀武。私もお前と同じだよ」
「同じ………?」
「やれやれ鎧衣課長にも言われただろうに。問えば何でも答えが返ってくるなどと思ってはいけない、と」

 すると男は肩を竦め、両手を軽くあげたまま瞼を閉じ、黙した。要は自分で考えろ、と言いたいらしい。

(考えろって言われてもな………ここまでヒントを出されれば、答えは一つだろうな………)

 白銀は男の吐いた言葉を一つ一つ思い出すまでもなく、既に一つの結論に至っている。と言うよりも、ここまであからさまなヒントを出されて辿り着かない方がおかしい。
 以前の―――何も知らないガキだった自分ならば、そんな思考をせずに相手を問いつめる方法を選んでいただろう。
 最早聞くまでもない。


 ―――目の前の男は、因果導体だ。


 問題なのはこの男の目的―――それと、何故自分を、『シロガネタケル』を知り得たのか。
 どの世界に於いても、『シロガネタケル』は機密中の機密だ。知り得るのは本人である白銀武本人と恩師である香月夕呼、その助手である社霞のみだ。

(夕呼先生や霞が話した………?いや、墓にまで持っていくって言ってたしそれはないか………それにコイツは『私を知らないのか』って言って、『2002年1月には死んでるのか』って聞いてたな。と言うことは、オレはコイツに会ったことがある?いや、あのまま生き続けていたら、1月には出会う可能性があった………?)

 確かに、白銀には記憶の欠落が幾つかあった。その理由は幼馴染みである鑑純夏以外と結ばれたことによって、ループの際に鑑純夏の無意識願望というフィルターに引っかかり、『鑑純夏以外の女と結ばれた記憶』が消されてしまう為だ。
 それによる弊害で、オルタネイティブ5の結末が曖昧であったり、自分自身がどんな最後を迎えたのか分からなくなったり、培ってきた実戦経験でさえ消えてしまう始末だ。

(その消された記憶の中に、コイツの事も入っていたのか?)

 だとすればどうするか―――。

(まぁ、話を聞くしかないな)

 白銀は深くため息を吐き、放り投げたバックを拾って肩に掛けると片目を開けた男を見据えた。

「あんたがオレと同じ因果導体なのは分かった。だけどオレにはあんたと出会った記憶がない。だからまずはそっちの状況を教えてくれないか?こっちの状況も教えるから」
「やれやれ。香月女史の教育の賜物かね。お前も交渉が巧くなったものだ」
「分かってるならさっさと教えてくれよ。オレもこの後予定が詰まってるんだしさ」

 分かったよ、と男は苦笑すると路肩の瓦礫に腰を下ろした。白銀もそれに習って男の隣に腰を下ろす。そして思う。

「何か臭いぞ、あんた………」
「仕方ないだろう。もう10日近く浮浪者やってるのだから」

 少し距離を取る白銀に、男は渋い顔をした。しかし気を取り直すと、ボロボロの衣服の中からクシャクシャになった煙草の箱とマッチ箱を取りだし、火を付けようとする。
 しかし湿気ってるのかなかなか火がつかず、何度もマッチを擦り、いい加減白銀が苛ついてきた時になってようやく着く。
 そして紫煙を深く吐き出して、男はようやく白銀の方に目をやった。

「さて、どうもお前は私を忘れている―――もしくは本当に知らないようだからまずは自己紹介しておこう。私の名前は三神庄司。庄司と呼んでいいぞ白銀武」
「フルネームで呼ばれると鎧衣課長思い出すからオレも武でいい」
「そうか。じゃぁ武。まず私の状況だが―――言うまでもなく因果導体で、お前と同じようにループを繰り返してる。お前とはループの仕方が違うが、それは香月女史との面会の時にでも話そう。そしてそのループの中で何度か一緒に戦ったこともあって、BETAを滅ぼした経験もあり、元の世界へ帰るお前を見送った事もある」
「………はぁっ!?」

 白銀が素っ頓狂な声を上げるが無理もない。一緒に戦った事など記憶にないし、前回のループ中『元の世界』へ帰る時にも三神はいなかったはずだ。その上、BETAを滅ぼしたとはどういう事か。

「驚くことはない。『シロガネタケル』は一人だとでも思ってるのか?」

 首を傾げる白銀に、三神は苦笑して。

「世界の数だけ『シロガネタケル』はいる。その中で、本当にお前だけが因果導体に成ったとでも?」
「―――つまり何か。他にもまだループしてる『シロガネタケル』がいて、庄司はその『シロガネタケル』の内の一人と出会ったと?」
「一人じゃない。何回か出会っていて―――しかし『何人』と出会ったかは確認が取れないな。お前の場合、記憶が無かったりするしな。私のことを覚えている『シロガネタケル』もいれば、知らないもしくは忘れた『シロガネタケル』もいる」
「う゛………」

 そう聞くと、自分が何か物凄く薄情な人間に聞こえてならない。その反応を楽しむように三神は紫煙を吸い込み、吐き出す。

「ともあれ、私はお前のように記憶の欠落をせず、既に三桁近くループしている」
「三桁ぁっ!?」
「ああ。もうすっかり爺だよ」

 苦笑しそして三神は空を見上げた。こんな廃墟には似合わないとても澄んだ秋空を、彼は何処か睨むようにこう続けた。

「そして私を因果導体にしている原因を、私は知っている」
「なっ………!」
「目下の所、それを取り除くために行動中だ」
「じゃぁ、あんたの―――庄司のループは今回で終わるのか!?」
「分からない。原因が分かったとしてもそれを取り除けるかどうかは別問題だし、その上、これは人に相談すると取り除けなくなる類のモノだ。例え同類であるお前であっても話してしまえば、私はもう一度死んでやり直さなければならなくなる」

 それは一体どんな―――と、口に仕掛け、白銀は噤んだ。聞いたところで答えは返って来まい。本人も『喋ってしまえばもう一度死ななければならない』と言っているではないか。

「それで正解だ武。いい加減私も精神的に疲れてきたのでね。出来ることなら今回で終わらせたいんだ」

 口にした煙草を地面に投げ捨て、足で火をもみ消す。

「さて、私の事情は一通り話したぞ。今度はそちらの番だ」
「あ、ああ………」

 白銀は未だ動揺が抜けきらないが、それでも自らの状況を話すだけならば問題はなかった。
 少なくとも、この『三神庄司』という人間が『白銀武』に害を成す存在ではないことだけは理解できた。
 だから彼は前のループで桜花作戦を展開し、あ号標的を倒したこと。それにより鑑純夏を失い、因果導体から解放されたこと。『元の世界』に戻る予定だったが、『シロガネタケル』の未練がもう一度『この世界』へと届いたことを説明した。

「成程。お前はあ号標的を倒し、更には因果導体から解放されて、それでも戻ってきたあの『シロガネタケル』なのか。―――やはりな」

 最後の呟きは白銀には届かなかった。

(―――いつもの『あの』白銀武にしては用意周到過ぎるしな。当然と言えば当然か)

 三神は思いながら白銀の足下に置かれたスポーツバックを横目で見る。おそらくは自らの証明をするために、この世界には存在しない物品などを入れてきたのだろう。彼が知る白銀武なら、ゲームガイ一つを持って後は手ぶらだったはずだ。
 一見した時に推測は立てて挑発してみたが、まさかドンピシャでその通りとは三神自身も思わなかったようだ。

「こっちに戻って来られた理由はあくまで仮説だけどな。だけど、夕呼先生は意志の力は世界に影響を与えられるって言ってたし、他にオレを『この世界』に引っ張り戻せるような要因って考えつかないんだ」
「『この世界』の鑑純夏がもう一度お前を因果導体にした可能性は?」
「あり得るかも知れないけど………流石にオレは夕呼先生じゃないしなぁ」
「議論するだけ無駄か。私自身も専門家ではないからな」

 しばらく二人は黙りこくって、思索に耽る。だが結論が出なかったのか、だぁあああ、と白銀は叫んで立ち上がった。

「こうしていても埒が明かねぇ!取り敢えず庄司っ!横浜基地行こうぜっ!?まずは夕呼先生に会って、話はそっからだ!!」

 その様子を見て、三神は苦笑し同じように立ち上がる。

「それもそうだな。では武。ここで一つ、宣誓しておこう」

 彼は右拳を突き出し、覇気に満ちた瞳でこう言った。

「私は必ずこのループで全てを終わらせる」

 それに白銀は笑みを返し、突き出された右拳に自らの右拳をぶつける。

「オレは今度こそ、世界だけじゃなく仲間も、惚れた女も救ってみせる」

 そして二人は小高い丘の上にある横浜基地に視線をやり、言葉を重ねた。


『さぁ、征こうか………!』





 香月夕呼は苛立っていた。
 オルタネイティヴ4が発足して早六年。未だ満足な結果が出ず、上層部からは計画の存在を疑問視する声が日に日に高まっており、彼女自身、このままではそう遠くない未来に予備計画であるオルタネイティヴ5に移行するだろうと睨んでいる。

(一部の人間が逃げ出すだけの馬鹿計画なんて、あたしは認めない………!)

 B19階の執務室、第四計画の要のデータに目を通しながら、彼女は胸中で吐き捨てていた。
 つい先日も国連理事会による会議があった。いや、自らの蔑称である魔女を是とするならば、あれはまさに異端審問と言えるだろう。
 要は小言と次期計画をちらつかせる事による脅しだ。
 ここ数年、代わり映えのしないやりとり。
 今はまだ、魔女の舌で押さえ込んではいるが、そろそろ限界が近い事を彼女は悟っていた。
 何か成果を―――計画の完遂こそ至上だが、最早そんなことを言ってはいられない、計画を延長できる程度のものでも良い。何か結果を出さなければ―――。
 そうしていつものように、泥沼のような思考に嵌っていると卓上に設置された通信端末が鳴る。

『ピアティフです。―――お耳に入れておきたいことが』

 その右腕の報告に眉根を寄せた香月だが、直後に思い出す。忙しくて失念していたが、今日は10月22日。腹心の言葉が正しければ―――救世主のやってくる日だった。
 そしてこの日より、魔女の牙城に新たな風が吹き込み始める。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二章     ~因果の三人~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:17
 白銀武は困惑の中にいた。幾つかのループを経験し、横浜基地来訪時の対応はもう大丈夫だと思っていたのだが―――浮浪者を伴っていたためだろうか、門の前に立っていた既に馴染みとなっている伍長二人にいきなり銃を突きつけられた。
 いつも通りフレンドリーに接触してくるかと思った矢先だったので、自分でも情けなくなるぐらい態度に出てしまったのだろう。隣で三神が苦笑している。

「見たところ訓練兵のようだが………そっちは?」

 東洋人の伍長の言葉にやはりそうか、と白銀は思う。だから彼は三神に目配せして、両手を挙げて抵抗の意志がないことを示す。三神もそれに習った。

「オレは夕呼せんせ………香月副司令の直属の部下だ。特殊任務中の為、訓練兵の格好はしているが、少し違うだろう?」

 そう言って腕章を見せる。

「確かにマークが違う………材質も違うようだが」
「因みに許可証も認識証も無い。理由は同じく特殊任務中の為だ。後ろの浮浪者もオレと同じだ。そしてオレ達は香月副司令の研究に必要な情報を持ってきた。面会を希望する。副司令に関する用件は全て報告するように言われているはずだが?」

 白銀の淀みない言葉に、伍長二人は顔を見合わせると、やがて片方―――東洋人の方が頷いた。

「………一応取り次いでやる。名前と用件は?」
「ああそれは―――」

 オルタネイティヴ4や5に関する事を仄めかせようとした白銀は、はっと息を呑んだ。
 門の向こう、こちらに向かって歩いてくる軍服姿の女性を認めて。


「―――久しぶりだな、白銀」


『た、大尉!?』

 唐突に後ろから聞こえた声に振り返った二人の伍長は、その姿と階級章を認識し、即座に敬礼した。

「伊隅、大尉………?」

 懐かしい顔を見るように微笑む伊隅に、白銀は絞り出すように呟いた。
 その女性の名は―――伊隅みちる。階級は大尉。白銀にA-01、伊隅ヴァルキリーズの何たるかをその身を賭して教えてくれた人。
 その壮絶な、そして隊規に殉じた最後の勇姿を瞬間的に思い出し、白銀の涙腺は思わず緩む。

「泣く奴があるか。少なくとも、『今の私』は生きているぞ?」

 その言葉を聞き、白銀ははっとする。

(何で『今』の伊隅大尉が俺を知ってるんだ………!?)

 伊隅と出会ったのは12月のXM3トライアルの後。即ち今より『二ヶ月近く後になる』はずだ。隣の三神に視線をやるが、彼も分からなかったようで首を左右に振るだけだ。

「やはり―――貴様も『そう』なのか」

 何が、とは問われなかった。だから白銀は小さく頷いて。

「ええ。隣の―――三神と言うんですが、コイツもオレと同じです」
「味方と考えても良いのか?」
「オレと同じである以上、五番目に与する人間じゃないですよ」

 苦笑する白銀に伊隅は成程、と頷くと。

「伍長。この者達の身元は私が保証する。連れて行くがいいか?」
『はっ! 』

 敬礼で返す伍長達を尻目に、伊隅は白銀と三神に目配せし背を向けた。着いてこい、と言いたいらしい。
 それに従いつつ、三神は口を開く。

「伊隅大尉。一つ聞く」
「何だ?」

 振り返ることなく問い返す伊隅に、彼は目を細める。どうも白銀と共に行動していたためか、妙に信用されているようだがそれは軍人としてどうだろうか、等と苦笑しつつ先程から考えていた仮説を裏付ける問いを投げかけた。

「貴官の最後の記憶―――それは凄乃皇弐型の手動自爆であってるかね?」

 ぴたり、と伊隅の足が止まり、彼女はゆっくりと振り返る。

「―――ここで話す内容ではないだろう」

 即ち、肯定だ。少し警戒したような伊隅の表情に、三神は満足げに頷くと左手の人差し指を立てた。

「ではもう一つ質問だ。私達の身体検査をしなくてもいいのかね?」
「お、おいおい庄司!オレは嫌だぞ?前だって四時間もねっとり検査されたんだ。夕呼先生と話す前に疲れちまう」

 妙な流れになってきたので、白銀がおどけてみせるが張りつめた空気は変わることなく、伊隅が口を開く。

「安心しろ。どのみち貴様等は検査される。白銀の方は確かに私は知っているが、もう一人の方は知らないし、そもそも香月副司令からすればどちらも初対面だ」
「それを聞いて安心した。ついでに風呂にも入らせて貰おう。まさかこの風体で香月女史の前に出られるはずもないからな。ああそれと国連の軍服も用意しておいてくれ。こんなボロ切れのような服をいつまでも着ていたくはないのでな」

 伊隅の威圧にも何処吹く風で、三神はのらりくらりと軽口を叩く。最も、風呂とか衣服とかの要求はこの上なく本気だが。本人にしてみれば、何が悲しくていつまでも浮浪者の格好をしてなければならないのか、と言ったところだろう。

「―――分かった用意しておこう」

 伊隅が観念したように答える。この浮浪者然とした男の態度に思うところはあったようだが、何か言ったところで改めるつもりもないのだろうと諦めたようだ。
 だから、と言う訳でもないのだろうが、伊隅は少しだけ皮肉な笑みを浮かべて二人にこう言った。

「ようこそ。横浜の魔女の釜へ」





「それで?あんたが白銀武?」

 やはり四時間にも及ぶ身体検査の後、伊隅に連れられて白銀と三神の二人は香月のB19階の執務室へとやって来た。
 白銀にとって前回、前々回と違うところは自分の横に三神という名の同族がいることと、その後ろに伊隅がいることぐらいか。
 その三神だが、先程の要求は冗談ではなかったようで、風呂に入ってさっぱりしており、伸びきった無精髭も剃られ、衣服もボロボロの服から国連軍の階級章こそ着いていないが士官の服を身につけていた。本来ならば訓練兵の服でも渡しておけばいいのだろうが、この時代、若い男の訓練兵は少なく、それ故に備蓄がなかったためにこうなった。
 こうして身なりを整えて、改めて三神という人間を観察してみれば、精悍な青年であることが分かる。
 最も見た目に反比例して、因果導体である以上その経験値はおそらく世界で随一だろうが。

「ちょっと、聞いてるの?」
「え?あ、ああすみません」

 少し人間観察に意識を割きすぎていたようで、香月が訝しげな表情をしていた。
 こんなことではいけないな、と白銀は自分を戒めつつ一つ咳払いをする。何しろ、ここからが本当の始まりだ。自らが望む未来を手に入れるためには、まずこの目の前の魔女の信用を勝ち取り、信頼へと繋げねばならない。
 全体からしてみれば最初の一歩故に、こんな所で躓いている余裕はないのだ。

「はい。オレが白銀武です。―――お久しぶりです。夕呼先生」
「………あたしは」
「『生徒を持った覚えはない』」
「………っ!」

 口にしかけた言葉を白銀に取られ、香月は絶句する。それに苦笑しつつ、白銀は思う。

(本当に、この時の先生は余裕がなかったんだな………)

 香月夕呼という人間は紛れもなく天才だ。頭脳、と言う面では言うに及ばずだが、それを使った人心掌握等にも才能は活かされる。
 故にこそ他人を驚かせる事を半ば生き甲斐としており、それに対して妙なプライドも持っている。
 そのプライドからしてみれば、驚かせるならばいざ知らず、驚かされる―――それだけならばともかく、驚かされ、更には表情に出してしまう等、以ての外だろう。
 『元の世界』の香月夕呼、もしくはオルタネイティヴ4完遂まで行っていたあの時の香月夕呼ならば、これしきの事で動揺などしなかったはずだ。したとしても、表情に出ることはなかっただろう。
 故に、白銀はあの時の自分のガキさ加減に嫌気がさした。

(散々泣き喚いて騒いで引っかき回して………本当にすみませんでした。でも―――)


 今度は―――オレが貴方を助けますから。


 前回と、前々回の恩師『香月夕呼』に心の中で頭を下げつつ、白銀は決意も新たに『この世界の』香月夕呼を見つめる。

「オレが香月博士を夕呼先生と呼ぶには色々と訳があります。今からそれを話すつもりではいますが―――一つだけ質問を良いですか?」
「何?」
「伊隅大尉から、何処まで話を聞いてます?」

 白銀は、伊隅が前回の記憶を何故持っているのか―――実のところ、既に仮説を立てており、そしてそれは限りなく事実に近いのだろうと確信している。
 凄乃皇の自爆。即ち、G弾20発分の多数乱数指向重力効果域。その中心にいた伊隅の記憶が虚数空間にばらまかれ、何らかの理由で『この世界』の伊隅みちるに届いた―――あくまで可能性であるが、先の三神の質問から鑑みれば、やはりこの推察が正解である可能性が高い。そもそも自分がここにいるのも、突き詰めればG弾の影響なのだから、全くの当てずっぽうという訳でもない。

「それについては私から説明しよう」

 それを後ろから見ていた伊隅が口を開く。

「と言っても、大したことは覚えていない―――と言うよりは、知らされていなかったのだがな」

 伊隅が話したのは、この後起こるであろう事態、それから鑑純夏のことだ。

「まぁ、信じずにはいられないわよね。BETAの侵攻予知とかクーデターならともかく―――鑑純夏の事を言われると、ねぇ」

 香月は嘆息し、苦笑を浮かべた。
 無論、信じる信じないで言えばBETAの侵攻を言い当てられた方が余程信じられるのだ。鑑純夏に関しては、知る者こそ少ないものの、現状では情報としてあるので、その難易度は別として手に入れることは不可能ではない。
 しかしそれでも、この腹心が軍人として弁えている事を考えればそれを知り得る事はない。誰かに吹き込まれた可能性もあるが―――ならば余計に、わざわざ香月の前で口にする必要はない。
 その上に―――。

「今日、白銀武という鑑純夏の待ち人が来るって言われればね」

 現状、鑑純夏という存在を知っている人間はいるが、その鑑純夏が待ち望む人間―――即ち白銀武を知る人間は、香月とそれを読みとった社霞の他にいない。
 それ以外の白銀武の情報は、BETA横浜侵攻時に死亡となっているだけで、今更誰も見向きもしない。
 しかし疑問が湧いた。

「そう言えば、何で伊隅大尉は今日オレが来るって知ってたんですか?俺と伊隅大尉が初めて会ったのってXM3のトライアル以降のはずですが………」
「ああ、それは前回お前がこの基地に来てこの部屋で博士と二人きりになった時、私は部屋の外で待機していたからだ。何か不穏な事態でも起これば、すぐにでも制圧できる護衛としてな」

 最もそんな事態など起こらなかったが、と伊隅は付け足した。それに対し、白銀は成程、と得心した。
 よく考えてみれば確かにそうだ。如何に検査をし非武装だと分かっても、軍歴のある人間が天才とは言え一科学者である香月に害を成そうと思えば、素手でも十分だ。

「ま、伊隅の話は良いでしょ。それよりも、アンタ―――いえ、アンタ達の方が余程情報を持ってるんでしょ?」

 言って、香月は白銀と部屋に入ってきてからずっと腕を組んで黙したままの三神へと視線をやった。
 それを受け、白銀は頷いた。

「ま、それもそうですね。庄司、どっちから話す?」
「武からの方が良いだろう。おそらく、持ってる札は私の方が強烈だからな」

 三神はそう言うと、目を伏せて押し黙った。白銀としては、同じ因果導体である三神の話にも興味があったが、それは取り敢えず置いておくことにした。
 白銀武という人間を知る三神がそう判断したのだ。つまり、彼が持ってる情報は白銀が持っている情報よりも重く、信じがたいものなのだろう。故に、いきなりそれをぶつけさせるよりは、白銀の持つ情報を渡して耐性を付けさせてからの方がいいのだ。

「じゃぁ、オレから話させて貰います。伊隅大尉の話と重複する部分もありますけど、取り敢えず聞いて下さい。まず最初に―――オレは『この世界』の白銀武じゃありません」

 そして、白銀武は語り始めた。己が辿ってきた『あいとゆうきのおとぎばなし』を―――。





「成程、ね………」
「にわかには信じがたいが―――私にはその記憶があるしな」

 全てを話し終え、香月と伊隅が若干の疲労と共に吐息した。
 白銀の『元の世界』から始まり、オルタネイティヴ5が開始される『一度目の世界』、それからオルタネイティヴ4が完遂される『二度目の世界』。そして、おそらくは白銀の強靱な意志によって舞い戻ってきた―――この『三度目の世界』。
 いずれも、にわかには信じがたい話だろう。だが、香月には自身が提唱する因果律量子論によって説明が付けられるし、伊隅にとっては実体験が含まれる。
 妄想だと決めつけるには、心当たりがありすぎた。

「まぁ、いきなり信じろとは言いませんよ。『前の』夕呼先生だってオレを完全に信用したのは11月11日の佐渡島からBETAが侵攻してきた時ですから」

 BETAは人間の都合など気にしないし、こちらから干渉をしなければ未来が変わることはない―――それを逆手にとって、BETAの侵攻を予知する。それによって『前の世界』で白銀は香月の信用を勝ち取ったのだ。
 だから、この時点で白銀は香月の信用を勝ち取ろうなどとは考えてはいない。今の段階では、単なる手駒で良いのだ。
 信頼は後々積み重ねていけばいい。

「とにかく、これがオレの知り得る全ての情報です。さっきも言ったように、このままではオルタネイティヴ4は12月24日に凍結し、オルタネイティヴ5に移行。その結果―――人類は敗北します」
「それをさせないために、あんたは動くのね?」
「はい。今度こそ―――護るために」

 ふぅん、とまるで獲物を見つけた猫のように微笑む香月に、白銀は苦笑する。

「夕呼先生。オレは何も全部を護ろうだなんて今更ガキみたいな事言うつもりはないですよ。オレはオレの手の届く範囲―――突き詰めれば207B分隊やA-01、夕呼先生や霞、そして純夏が護れればそれで構いません。世界を救うのは、単なるおまけですよ」
「その中にそこの三神が入ってないようだけど?」
「こいつも因果導体ですからね。自分の身は自分で守れるでしょ」

 その答えに、今まで黙していた三神が僅かに微笑み、片目を開けた。

「その通りだ武。何せ人生経験で言えばお前よりも上だからな。先達として、後輩に頼っているようでは示しがつかんよ」

 言って彼はさて、と制服の上着からクシャクシャになった煙草を取り出す。

「来客用に灰皿は置いてあるだろう?香月女史」
「ここ、禁煙なんだけど」

 舌打ちしつつ、香月は執務机の中から灰皿を出した。いちいち従う必要はないが、白銀を越える情報を持つと仄めかしたこの男の機嫌を今損ねるのは拙い、と考えたからだ。
 彼は礼を言ってマッチを擦り、煙草に火を付けると紫煙を一度深く吸い込み天井に向かって吐き出す。
 非喫煙者に対する、彼なりのささやかな配慮なのだろう。
 無論、そんな配慮をするくらいなら始めから吸うな、と言うのが香月以下、非喫煙者達の意見なのだがそこは敢えてスルーだ。

「武の話が終わったようなので、私の方から色々話そうか」

 今し方出来た吸い殻を灰皿に落とし、三神は言う。

「まず最初に、私は武と同じ因果導体だが―――少しその立ち位置というか、状況が違う」
「と言うと?」
「私は武の言う『元の世界』とはまた違う『別の世界』からの異邦人だ。まぁ、平和度では武の『元の世界』とはどっこいどっこいだがね。BETAもいないしな。―――それはともかく、私がこの世界に最初に現れたのは2016年の事だ」
『っ………!?』

 香月や伊隅はおろか、白銀でさえ絶句した。
 2016年。香月の予想では今から10年後―――即ち、2011年前後には人類は滅亡している。それより五年後の世界を、この男は見たのだという。

「世界の終末。人類の死滅を前提とすれば、まだそうではなかった。人類は確かに生きていたよ。―――その二週間後に終末は訪れたがね」

 三神が最初に訪れた場所は、南アメリカにある前線基地だった。
 しかし前線基地とは言っても、後方とは既に連絡が付かず、それはおそらく世界中何処を探しても同じ状況だったのだろう。
 聞くところに寄ると、2004年にG弾による人類反攻作戦―――通称バビロン作戦が行われた。結果として四つのハイヴを落とすことに成功するも、2005年にはG弾は無効果され逆にBETAによる大反逆を受ける。
 その後になってようやく人類は国家の垣根を越えて一致団結することとなるが―――やはり遅すぎたのだろう。年々ハイヴ数は増えていき、2014年末には後方との連絡、補給が途絶えた。
 その後一年半も補給も無しにその基地が持ちこたえて来れたのは、BETAによる侵攻が数ヶ月に一度、その上大した数で無かったのと、基地に備蓄された食糧に対し人員が少なかったためだ。
 電力は自家発電で何とかなっていたし、戦術機などの兵装は基地の外―――即ち戦場を巡れば、BETAの食い残しという形でだが割と落ちている。燃料なども然りだ。

「自分で言うのも何だが私のような若い男は流石に珍しいようでね。適当に記憶を失ったと言うことにして情報を収集し、幸いにも戦術機特性もあったために戦術機に乗る訓練も受けた」

 しかし、三神が状況を飲み込み、行動を開始した二週間後。BETAの襲撃によって基地は壊滅した。総数は五個軍団規模。それに対し、戦術機は新入りの三神を含めて僅か12機―――中隊規模だ。
 防衛するにも圧倒的な戦力不足故に、三神の初陣は突撃級の突進により呆気なく終わった。

「次に私が目覚めたのは薄暗い洞窟の中だった。―――そしてすぐに兵士級のBETAに食われて死んだ。今にして思えば、『目覚めた先がハイヴ内』とは一体何の冗談なのかね」

 あくまでも気楽に告げる三神に、白銀達は二の句が継げない。形の上とは言えループの経験がある伊隅や、因果導体である白銀にはBETAに殺された記憶はない。
 いや、白銀に関しては覚えていないだけで、『鑑純夏から見た記憶』として経験がある。しかし体験はしていないのだ。
 それが、三神にはある。
 この時点でのループは僅か二回であるのにも拘わらず、BETAに殺された記憶があるのだ。その上、その内の一つは生身で食い殺されるという身の毛もよだつ程の経験。それがどれほど凄惨なものか、この場にいる三人には想像することしかできない。
 そしてそれ故に、笑って話すこの男に畏怖を覚えた。

「次に目覚めたのは何と北極だ。シロクマがいたから間違いないだろう。BETAこそいなかったが、私はその時スーツ姿でね。数時間後に凍死した」
「………スーツ姿?」

 香月の問い掛けに、三神は頷いた。

「ああ、私の『元の世界』での職業は交渉人でね。最後の記憶では銀行に立て籠もった犯人を説得してる所かな」

 因みに、今回もスーツ姿であったのだが、嗜好品(煙草)確保のために売り払ったとの事だ。食料などはなるべくその辺のネズミとか蛇とか食ってたそうな。

「その後もBETAと戦って死んだり武と出会ったりまたBETAと戦って死んだりするのだが、まぁその辺は割愛しておこう。敢えて言うならば、その戦いの中で私は強くなり、死ににくくはなったが―――結局最終的には死んでた訳だ」

 そして、彼は自分のループの法則を見いだす。

「私のループが死ぬことで発動するのは武と一緒だが、武のように基点がない。武は死ぬと10月22日の自室にて目覚めるようだが、私は何処で何時目覚めるかが分からない。それこそハイヴ内とか笑えない冗談みたいな展開も何度かある」

 だが一つだけ、法則性と呼べるモノがある。

「私は死ぬと、始まった日にちよりも前に逆行する」

 即ち、2016年に出現し死んだのならば2016年よりも前へ。そしてそこでまた死ねば更に前へ。

「そうして辿り着いたのは2002年1月―――正確には白銀武が、元の世界に帰る直前。即ち、オリジナルハイヴ制圧後」
「じゃぁ、俺を見送ったってのは………」
「そう。多分お前で間違いないだろう。あの時のパラポジトロニウム光はお前があの世界を去る前兆にして、私が現れる瞬間だったんだ」

 言った瞬間、白銀は三神の両肩を掴んで揺さぶった。

「霞はっ!?夕呼先生は!?宗像中尉や風間少尉、涼宮はどうなったんだっ!?つーか世界はっ!?人類は勝ったんだよなっ!?」
「お、お、お、お、おお落ち着け武………!今話してやるからまずその手を離せ………!」

 がくがく揺さぶられ、返答さえまともに出来ないながらも、三神は何とか意思疎通を図ろうとした。その甲斐あってか、白銀はばつの悪そうな表情をして手を離した。

「ふぅ、酷い目にあった………。―――結果から言って、人類は勝ったよ。地球上の全ハイヴを叩き潰した。それどころか月まで奪還できた。まぁ、私はその際に負傷して一線を退くことになったがね」
「火星は?」

 香月の問いに、三神は小さく首を横に振った。

「人的、物理的資源を鑑みても現段階では不可能―――と言うのが退役前に聞いた国連本部の結論だ。私も59歳で病死したが、確かその時は火星の先遣調査隊が無事に帰還していたはずだ」
「………。ちょっと待ちなさい。今、あんた何歳なの?」
「当年とってぴちぴちの約百歳だ」
『百歳っ!?』

 三人が驚愕する。

「因みにループ回数は三桁を超えている」
『三桁ぁっ!?』

 これに関しては香月と伊隅の二人だけだ。白銀は出会った時に三神のループ回数を聞いていたため、そこまで驚かなかったがやはり約百歳発言が効いているため混乱している。

「まぁ目覚めてすぐ死んだりしているし、きちんと数えた訳ではないからあくまで暫定だがな」

 だがどちらにしても、『この世界』にとっては長者番付に載ってしまう程の高年齢だ。
 オーストラリアやアメリカなどの平和な地域でさえそれほどの高齢者は数える程しかいない。理由としては様々な要因があるが、三神や白銀の『元の世界』のような高度な医療技術を民間人に受けさせる余裕がないと言うのと、やはり合成食に頼る食生活故だろう。
 最も、一部の医療技術は『元の世界』よりも異常に高度なのだがそれはやはりBETA大戦による影響にして弊害だろう。
 戦争をすると言うことは、それに付随する科学技術を無理矢理引っ張り上げる力となる。戦術機などがまさに良い例である。

「あたしの守備範囲をぶっちぎりで突き抜けてるわね………」
「まぁ、私の肉体年齢は24のままだがね。思考も今でこそ死ぬ間際と同じだが、いずれ肉体に引っ張られて若々しくなるかもしれんし」

 まぁそれはともかくとして、と三神はもう一本煙草を取り出した。先程まで加えていた煙草は、話の途中で消してしまったのだ。

「そうだなぁ、私の持ちうる最大のカードを教えようか香月女史」

 余裕たっぷりに告げる三神に、香月は訝しげに眉根を寄せる。それが崩される瞬間が楽しみでならないな、と三神は思い彼はこう告げる。


「先程武が言った『元の世界』の香月夕呼の数式。即ち、00ユニットを完成させるための数式―――私はそれを知っている」





「………何よこれ」
「本当に………」

 香月夕呼と伊隅みちるは戦術機シミュレーター室の一角でシミュレーションの映像を見て愕然としていた。リアルタイムで流れてくるそれは、二機の不知火が二機連携を組んでハイヴ内を攻略していく様子だった。
 ヴォールク・データ―――。
 史上初のハイヴ内突入。その際に得られたハイヴ内を再現した、現在存在するシュミレータで最大難易度を誇る―――はずだった。
 だが、目の前で行われている現象は一体何なのか。
 難易度はSS。即ち、地上支援など一切無く、また兵站もない。援軍も友軍もないないずくしの状況下、それでも二機の不知火は果敢にハイヴ内を進撃していた。
 どちらも三次元機動をこなし、必要最低限のBETAだけを掃討すると共に進軍する。その速度たるや、従来の比ではなかった。
 無論、彼等や伊隅の話の中で出てきたXM3は現在作られていない為に彼等の機動には限度がある。
 しかしながらそれを補って余る程の技量を二人は持っていた。

(これが………二人の実力………?)

 伊隅の記憶では、甲21号作戦時、光線級を護る要塞級を引きつけるために白銀が単騎で陽動を買って出たことがあった。
 確かにそれに比べては見劣りする。だがあの時はXM3があったのだ。今とは状況が違う。しかしその分を埋める要素として二機連携が組まれている。
 二人の連携は至って単純だ。まず、突撃前衛装備の白銀が駆る不知火が噴射跳躍しながら突撃し、続いて三神の駆る迎撃後衛装備の不知火が噴射跳躍しながら白銀機の足場を確保。確保された足場に白銀機が着地、それと同時に今度は白銀機が三神機の足場を確保。そして両方揃ったらすぐさま次の足場へと向かう。
 その単純な繰り返しだけで彼等は既に中層を突破、前人未踏の下層まで踏み入っている。
 最も、当然の事ながら本当にその繰り返しだけで進めるはずもない。その連携はあくまで基本方針だ。
 白銀は兎に角動き回る事でBETAの危険度を上げ陽動、三神はその陽動によって空いた穴を蹴散らす、等と言うこともしている。
 だがいずれにせよ作戦としては在り来たり。軍人としてはお粗末とも言って良い程の作戦で、しかし何故下層まで到達できるのか―――それは二人の精度にあった。
 白銀は機体の硬直時間を極力縮めることで、回避率を極限まで高めている。キャンセルのない従来OSでそこまでやるには、おそらく入力を極限まで細分化し、更には高速で入力しているのだろう。
 例えば腕を振り上げるという動作一つにしても、ただ単にいきなり腕を振り上げるのではなく、前に突き出し、その上で腕を上げるという動作を経ることで同じ結果に辿り着ける。
 確かに速度こそ若干緩慢になるが、その分予想外の事態に対処できるようになる。
 白銀機が妙にカクカク動いて見えるのも、細かく入力した動作がいちいちそこで止まるためだ。
 だが戦闘には支障はないようで、白銀機はそのポジションに相応しき暴虐の嵐の如くBETAを蹴散らしていく。
 対して三神は白銀と同じような入力をしているのだろうが、こちらは白銀に比べて若干見劣りする。
 シミュレータ開始前の本人の弁に寄れば『XM3に慣れすぎてるから出来るかどうか分からない』との事だが、しかしそこらのベテランより遥に上であるし、そもそも白銀に着いていける方がおかしいとも言える。
 だが、彼の驚くべき技術精度はそこではない。驚くべきは近中距離での射撃精度とその戦法だ。
 近距離の射撃精度は約98%。中距離は約95%。
 自身も迎撃後衛であるが故に、この射撃精度はあり得ないと伊隅は思う。その上、彼は突撃級と要撃級は必ず36mm三発で仕留めている。
 三発だ。突撃級は後方に三発。要撃級は尾に一発、頭部に二発だ。
 要塞級にこそ120mmを使っているが、それも必要最低限。弱点である結合部にみに絞られている。
 その徹底的な弾薬節約のためか、最下層付近に近い今現在、まだ総弾数の六割も残っている。
 更にはその戦法。
 基本的に白銀を前衛とした二機連携だが、ラインを押し上げるためか稀に三神も前衛に出る時がある。
 その際、彼は右手に突撃銃、左手に長刀を握るのだが―――長刀を『逆手』に握っていた。
 何事かと思ったが、すぐに得心する。
 彼は走り抜けると同時に長刀を振るっているのだ。
 通常、長刀を使う時は両手を使う。と言うのも、短刀ならばともかく長刀の重量で片手では戦術機の関節に負担が掛かりすぎてしまうのだ。
 だがその負担は振り上げ、斬り上げ、突き刺し、薙ぎ払ったりするからこそ発生する。無論、だからこそ縦横無尽な剣術を戦術機で再現できるのだが―――それをわざわざBETA相手にする必要はない。
 ならば『逆手』ならばどうなるか。
 当然の事ながら振り抜く事しかできない。
 しかしながら、それは最も機体に負担を掛けない長刀の振り方だった。
 何故ならば、走り抜けながら振るう長刀は振り上げるより速く、振り下ろすよりも遠心力による加重が見込め、何よりも次の動作への移行が速い。隙が出来てしまっても、左手にした突撃銃でその隙を埋めることが出来る。
 無論、対人戦ではこれは不可能だろうと伊隅は考える。常に一定方向からしか斬撃が来ないのだ。どこから来るのか予測できてしまえば、避けるのは難しくない。
 だがBETA相手にそれは関係ない。奴らは物量に任せて突撃してくるだけだし、避けることを考えない。
 故にこそ、その一刀はまさしく一撃必殺となる。
 ―――断頭台。
 香月と伊隅の脳裏にそんな言葉が過ぎった。


 シミュレーターの結果は、反応炉直前で師団規模にぶつかり、増援に挟まれ、更には推進剤が切れてしまったためにそこで終わってしまったが、それでも二人は前人未踏のヴォールク・データ下層踏破を成し遂げた。





「実はあんた達二人で全部のハイヴ落とせるんじゃない?」

 シミュレーター室から香月の執務室に戻って開口一番、部屋の主はそう言った。

「いやいくら何でも無理ですよ!今回は割とうまく行きましたけど、やっぱりXM3が無いと動きが悪いですし、S-11二つだけじゃ反応炉は落とせませんよ」

 香月の呆れの言葉に、白銀は反論する。

「何でよ。あんたの話じゃここの反応炉S-11二発で壊せたんでしょ?速瀬が自爆したんだっけ?」
「あの時は純夏が反応炉の一番脆い場所を速瀬中尉にプロジェクションしたからですって。それに、ここ以上に反応炉がでかかったらやっぱり火力不足でしょう」

 ま、それもそうね、と香月は頷くと改めて白銀と三神を見やった。

「それ、で?二人はどの階級を望むの?あたしの出来る範囲なら、如何様にでもできるけど」

 実力は言うまでもなかった二人に、香月は満足気に問いかけてきた。どうしようかと考えている白銀より先に、口を開いたのは三神だった。

「私は少佐で、武は中尉がいいだろう」
「その根拠は?どうせあんたが佐官になるのなら、白銀も佐官にすればいいじゃない。どっちにしてもあたしの骨が折れるんだから」

 士官ならともかく佐官ともなると、さしもの香月もねじ込むのにそれなりの下準備がいる。どうせ手間が掛かるなら、二人とも佐官にしても問題はないのだ。

「私はA-01を鍛えるつもりだからな。作戦時の指揮は今まで通り伊隅大尉が執れば良いだろうが、XM3を教導するとなると伊隅大尉と同階級では怒鳴る時に下の者が反発する。それを押さえ込むために少佐の地位がいる。武に関しては―――お前、今回207分隊の教導でもしようかとか思っているだろう?」
「う………。ばれてた?」
「何となく、そんな気がしただけだ」
「どういうことよ?」
「少佐という地位では彼女たちは妙に畏まってやりずらいし、かといって同じ訓練兵では彼女たちにちょっかい出す連中から護ってやれない―――それを考えると今は中尉という中途半端な階級が丁度いいだろう」
「ふぅん。やっぱり白銀、甘いのね」
「オレが甘いのは身内だけですよ。―――『この世界』じゃ、まだ出会ってもいませんけどね」

 207B分隊に関しては、心情的な意味でも戦力的な意味でも白銀は鍛えておきたいと思っている。ついでにA-01も鍛えようと思っていたので、それを三神が引き受けてくれるのならば白銀としてもありがたい。
 と言うのも、実はそこに白銀のジレンマがあったのだ。
 207B分隊には同年代だし気軽に接したい。無論、A-01とて同じ気持ちだが、あっちは実戦部隊だ。次の実戦が11月11日と分かっている以上、手緩い教導は出来ない。
 仲良し呼良しでXM3の真髄を、後二十日前後で叩き込めるとはとても思えない。
 であるならばやはり大尉以上を望むべきだが、そうすれば今度は207B分隊に接しづらくなる。
 あっちを立てればこっちが立たず。
 実のところ、三神と出会うまでその事で相当悩んでいたのだが―――当の本人があっさりと解決してくれた。

「ま、いいわ。三神は少佐、白銀が中尉ね。データベースにそう登録しておいてあげる。服とか階級章は後で部屋に届けさせるわ。―――伊隅も、いいわね?」
「はっ!―――期待してますよ?三神少佐、白銀中尉」
「任せておけ」
「『また』よろしくお願いします、伊隅大尉」

 敬礼し合う三人を眺めながら、さて、と香月は椅子に深く腰掛けた。

「あんた達の待遇は決まったわ。これで文句ないんでしょ?三神。―――とっとと数式、教えなさい」

 先程、しれっと三神が『00ユニットを完成させる数式を知っている』と発言したことにより、香月は例の如く取り乱した。
 無理もない。白銀の話の中で、現状進めている理論を否定され、更には修正された理論によって00ユニットは完成したと聞かされたのだが、肝心の数式はまだ分からないと言われたのだ。
 それを、この男は知っていた。
 当然の如く香月は三神に掴みかかり、揺さぶり、喚いた。
 白銀はああやっぱりこうなったかでも今回は俺が被害者じゃなくて良かったなぁ、という表情をしていて、伊隅に関しては忠誠を誓った上官の醜態に半ば引いていた。
 ややあって落ち着きを取り戻した香月に対し、三神はまずは自分達の待遇を決めてくれ、と言ったところでそれならばまず実力を見る、という展開になり先程のハイヴ攻略と相成った訳だ。
 結果は言うまでもなく最上。
 現状、世界中を探してもこの二人程の衛士は五人もいないだろう。
 であらば、この二人がどの階級を望んだところで政治的な面では香月が、実力面ではこの二人自身の力が周囲を納得させるに足る。
 無論、香月の出来る範囲内ではあるが―――この横浜基地に限って言えば香月夕呼は副司令であると同時に最大権力者だ。
 司令官であるラダビノット司令は実力はさておき、あくまでお飾りでその職に就いているに過ぎない。
 一応、香月のブレーキ的な役目もあるが―――たかだか一人二人の強引な人事にブレーキも必要ない。
 故に今、二人は望みうる上で最上の階級を手に入れたのだ。

「ああ―――っと、その前に社をそろそろ呼んでやってくれ。もうリーディングさせる必要は無いだろう?」
「………それもそうね」

 香月の若干の間に、三神は心当たりがあった。
 社霞は三神をリーディング出来ない。理由は分からないが、それは前回のループで知ったことだ。
 おそらく、今の間―――香月の胸中では舌打ちしていたはずだ、と三神は推察する。
 事実その通りで、三神と白銀がヴォールク・データをこなしている最中、社本人から報告があった。
 曰く、白銀武の言っていることは本当であり、少なくとも本人はそう思っている。しかし、三神庄司に関しては何故かリーディング出来ない。
 あわよくばそれで数式を手に入れてしまおうと思っていた香月にとっては大誤算である。
 ややあって、香月の執務室に銀髪の子うさぎさんが入ってきた。そして真っ先に白銀へと近づき、じっと見上げる。その反応に彼は苦笑すると、手を差し伸べる。

「こっちでは初めまして。オレは白銀武。―――君の名前は?」
「………………………知ってるはずです………」
「ああ、知ってるよ。だけど、オレが知ってる社霞と君はまた違うだろ?だから、名前を教えてくれないか?」
「………………社、霞です………」
「そっか。よろしくな、霞。あ、霞で良いよな?」
「………はい」
「よしよし。じゃぁ、握手だ」
「握手………」
「こうやって、手を握るんだ」
「………………握手………」
「ああ。思い出、一杯作ろうな」
「………思い出………私、思い出が欲しいです………」



「会話だけ聞いてるといかがわしさ爆発だな」



 何だか妙に良い雰囲気だったので三神が茶々を入れると、二人は顔を真っ赤にした。

「な、何言ってるんだよ庄司!これはコミュニケーションの一つでなぁ!」

 白銀は喚き言い訳を並べ立て、社は社で白銀の陰に隠れていた。うさ耳を模した髪飾りがぴこぴこ激しく動いている辺り、相当照れているのだろう。

「さすがは恋愛原子核。幼女はこうやって落すのか………。参考にならんが勉強にはなった」
「どういう意味だよ!」
「いや、私には幼女趣味は無いが、前の世界で気になってはいたんだ。―――何故社はあそこまで武に入れ込んでいたのか、と」
「んがっ!」

 言われ、思い出したのは前の世界から消える直前に受けた社霞の告白だ。そして次の瞬間、やばいと気付く。
 白銀が思い出してしまえば当然、社はそれをリーディングする。
 おそるおそる振り返ってみると。

「………………………」

 耳まで真っ赤にして俯き、髪飾りがぴこぴこぴこぴこ高速稼働していた。その内空でも飛べそうだ。
 その様子に微笑みを浮かべた三神は社の視線を合わせるように屈み込む。

「初めましてだ社霞。私の名は三神庄司という。さっそくで悪いが―――武を幼馴染みに会わせてやってはくれないか?」

 言われ、社の耳飾りの高速稼働が止まる。次いで、まだ真っ赤にしたままだが顔も上げた。しばらく三神を見つめていたが、小さくこくん、と頷いた。
 そして白銀の手を引いて部屋を出ようとする。

「お、おい霞?」

 振り払おうと思えば出来るが白銀にそんな度胸もなく、ただ引かれるがままに執務室の外へと出て行った。

「伊隅大尉。悪いが武についてってくれ」
「しかし………」

 伊隅とて、三神が人払いをしようとしているのは分かる。今更香月に害を成す理由は無いだろうが、それでもこの場を離れてしまって良いのか逡巡する。だが、当の香月が小さく頷いて。

「構わないわ伊隅。それに、もうこいつはあんたの上官よ。上官命令には従っときなさい」
「………はっ!」

 ややあって、伊隅は敬礼すると執務室を出て白銀達を追っていった。

「やれやれ。これで二人っきりになったな」
「あら、あたしにとってあんたは性別認識圏外なんだけど」
「こう見えても約百歳だが?」
「年齢高すぎて認識圏外ね」

 軽口を叩き合った後、三神は紙とペンを要求した。当然のように香月はそれに従う。
 それを受け取った三神は、テーブルにそれを置くと何も書く素振りも見せず、香月を見つめた。

「今から数式を書くが―――その前にもう一つばかり、要求がある」

 そら来たことか、と香月はほくそ笑む。当然、この事態は想定していた。ただ単に数式を教えるだけならば、あの三人がこの場にいても問題なかったはずだ。それなのに人払いした―――即ち、あの三人に聞かれてはならぬ事があるのだ。

「何かしら?」

 それはきっと、驚くべき内容なのだろうと香月は思っていた。だが結果的に、それは裏切られることとなる。
 ―――ベクトルとしては、上向きに。


「香月夕呼。貴方には、00ユニットになってもらう」



[24527] Muv-Luv Interfering 第三章     ~魔女の覚悟~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:17
(コイツ今、なんて言った………?)

 自分の城の中で、何故か香月は死刑宣告を聞いている気がした。いや、事実上の死刑宣告だ。
 何故ならば、目の前のこの男は00ユニットになれ、と言ったのだ。
 生物根拠0、生体反応0。故にこその00ユニット。
 それになると言うことは、即ち生物としては死ぬと言うこと。
 今更自分の命が惜しいなどとは思わない。香月は自分の命はBETAを屠るために使うと決めている。
 それ故のオルタネイティヴ4。それ故の00ユニット。
 手段を問わず、魔女と呼ばれ、その手を血に染めてきた彼女にとって、自分の命などBETAを屠れるのならば今更どうでも良いものだ。
 だが、それとこれとは話が違う。

「あんた、それがどういう意味か分かってるの?」

 香月の問い掛けに、三神は当然、と応えた。

「生物根拠0、生体反応0。つまり、香月夕呼という女は死ぬ。―――だが、00ユニットとして生まれ変わる」
「そんなの知ってるわ。聞きたいのは―――」
「適正の話かね?」

 やりにくい相手だ、と香月は思う。どうも思考が誘導されているようにしか思えないが、それも無理もないだろうと結論する。
 『この世界』の香月夕呼にとっては初対面だが、彼は『前の世界』の香月夕呼に出会っていて―――間違いなく全てを知っている。
 数式を『前の世界』の香月夕呼に託されたのだとしたら、『この世界』の香月夕呼の心情について知っていてもおかしくない。
 そしておそらく―――『前の世界』の香月夕呼は00ユニットになっている。

「それならば問題ない。考えてもみたまえ。その天才的な頭脳、恵まれた容姿、魔女と呼ばれる程の権謀術数。更にはA-01を始めとする00ユニット素体候補、第三計画中では最強とも言える能力を持つ社霞、脳髄にされた鑑純夏、その幼馴染みであり『この世界』の住人ではない白銀武―――その全ての中心に、香月女史はいる。00ユニットになる条件が、『無意識により良い未来を掴み取る能力』だとするならば、香月女史―――貴方程素体に優れた人間などいないよ」

 確かに、それはそうなのだ。
 今日まで考えもしなかったのだが、白銀の話を聞く限りでは、『前の世界』の香月夕呼は運に恵まれすぎている。
 無論、白銀という呼び水があってこその話だが―――それはあくまで最後の1ピース。それ以外を組み上げたのは、間違いなく香月夕呼本人だ。
 であるならば、香月にも00ユニット素体としての適正はある。ともすれば、鑑純夏を超える程に。

「―――幾つか質問するわ。いいわね?」

 有無を言わせぬ問い掛けに、三神はもちろんだ、と鷹揚に頷く。この辺の仕草は年季を感じさせる。伊達に約百歳を名乗ってはいないのだろう。

「まず最初に―――『前の世界』のあたしは00ユニットになったの?」
「ああ―――なった」

 直球が繰り出した玉はものの見事に打ち返された。だが、これは予想していたことだ。

「先程私は言ったな?『結果から言って、人類は勝った』と」

 即ち、そこに至るために様々な犠牲があったと言うことだ。
 三神が言うには、オリジナルハイヴを落した後、確かにBETAの学習能力は無くなった。だが、だからと言って油断できる状況ではなかったのだ。
 BETA最大の脅威は物量―――。
 それを知らしめるように、オリジナルハイヴを落された数百万のBETAは近くのハイヴへと向かう。
 受け入れたハイヴは、すぐに飽和状態となり人類への逆襲を始めた。

「他の連中は冷水をぶっかけられた気分だったそうだよ。まぁ、オリジナルハイヴを落して浮き足立ってたのは理解できるが、佐渡島の例があるんだから少し考えれば分かるだろうに」

 苦笑する三神はあくまで他人事だ。
 国連上層部はすぐにでも香月夕呼に支援を求める。
 さて困ったのは『前の世界』の香月夕呼だ。何しろその時の彼女には既に手駒が無かったのだ。
 宗像や風間は生きてはいるものの意識不明の重体。涼宮妹は負傷していて出撃できない。
 オリジナルハイヴから生還できた白銀は『元の世界』へと帰ってしまったし、同じく生還できた社はオペレーターとしては優秀だがやはり戦力外。
 そして頼みの綱の00ユニットは機能停止状態。
 唯一動ける人間として、三神がいたものの、ベテランとは言え衛士一人でユーラシア大陸全土で起こっているBETA大逆襲をどうにか出来るはずがない。
 当然の事ながら香月夕呼はこう言った。今は無理、と。無理でも何でもやるんだよ、と言わんばかりに上層部はせっついてくるが、無い袖は振れない。
 しかしそんな押し問答をしている中、独自に行動する勢力があった。

「オルタネイティヴ5ね?」
「ご明察。それもとびっきりの過激派だ」

 既に虫の息であったオルタネイティヴ5だが、これを機に勢力図をひっくり返す算段を立てたのだ。
 なんと、手近なハイヴに片っ端からG弾を落したのだ。―――それも無許可で。
 おそらくは相当焦っていたのだろう。確かに人類の宿願であるオリジナルハイヴを敵対していた勢力に落されたのだから焦るのも仕方がないのだろうが―――しかしこれはあまりにも無謀且つ無駄だった。

「因果応報と言うべきかね。因果導体である私が言うとやけに真実味があるが」

 結果として―――G弾はBETAに通用しなかった。
 BETAは明星作戦の際に、既にそれを学習していたのだ。一発目で対応できたのは、おそらく鑑純夏から情報が流出していたためと思われる。

「現場の話によると、G弾の入った再突入殻ごと光線級に撃墜されたそうだ。BETAはG元素に反応する習性があるから、それを利用して見極めたのだろう、とは『前の世界』の香月女史の弁だ」

 それによりG弾神話は脆くも崩れ去った。
 その上、オルタネイティヴ5の独走―――無許可でG弾投下は流石に各国が黙ってはなかった。
 特にG弾信奉者の多い米国などは見ていて可哀想になるぐらい他国の信頼を失墜していったそうだ。
 折しもオルタネイティヴ5=米国という偏見という名の等式が既に成り立っていたために起こった―――オルタネイティヴ4側からしてみれば喜劇だ。
 しかしながら、今回ばかりは対岸の火事ではなかった。
 G弾が無効果されれば、当然の如く00ユニットに白羽の矢が立つ。だが、前述したように鑑純夏は既に機能停止状態にあり、再起動出来たとしても、それはもう鑑純夏ではないただの人の形をしたコンピューターだ。
 さて進退窮まってきた―――。

「素体候補であるA-01は残り三人。宗像、風間、涼宮。しかしこの三人は素体としてはあまり良くなかったらしい。社も志願してきたが、香月女史は断っていたよ。多分、心情的なものだろうが―――まぁ、私の預かり得るところではないな」

 無論、その中で三神自身も候補に挙がった。適正としては、因果導体である彼は非常に高い―――のだが。

「そんな時に香月女史は閃いたそうだ。―――自分自身はいったいどうなのかと」

 そして調べてみた結果、驚くべき数値が出たそうだ。

「まさか鑑と同等以上とは、ねぇ」

 三神の言葉に絶句していた香月は、呆れた表情と共に呟いた。
 そして『前の世界』の香月夕呼は決断したそうだ。

「状況が今と違うからな。数式は手元にある、鑑純夏によって成功する前例は作ってある、素体適正はその鑑以上―――後は、誰が手を下すか」

 そこでお鉢が回ってきたのが三神だ。香月夕呼としては、あまり近しい人間には手を下させたくなかったのだろう。副官であるピアティフ中尉にも何も言わなかったそうだ。
 そしてその段階で、三神は『既に次のループが決まっていた』。

「次のループの事を考えれば、いちいち武を『元の世界』に送らなくても、私が覚えてさえいれば事足りる。そう言う意味も含めて、私が適任だったんだ」

 そして、香月夕呼は00ユニットなった。

「そこから先はもう八面六臂の大活躍だ。対BETA相手には凄乃皇を使って無双。量子電導脳をフルに使っての兵器開発。リーディングやプロジェクションを用いた洗脳とも言える権謀術数。古今東西、何処を探しても貴方以上に世界を好き勝手出来た女はいないだろうよ」
「まるで世界征服の夢を叶えた独裁者ね」
「言い得て妙だ。事実、貴方の近くにいた私は00ユニット脅威論を掲げた連中の気持ちが分かりすぎる程に分かったからな。―――無論、香月女史は真っ先に奴らから潰したが」

 後に付いた渾名が魔女ではなく女帝なのだから笑えない。因果導体として世界を繰り返し、百年近く経験を蓄えている三神をして、どんなチートだ、と思わずにはいられない程だ。

「ともあれ、そうしている内に七年で地球のハイヴは片づいた。月を取り戻すのにそこから二十年程掛かるが、これは物資や人材が足りなかったためだ。それをクリアしたら、実質一年も掛からなかった」

 その後の火星は、更に物資や人材が必要だった。因みに、三神が天寿を全うする間際に聞いた話では、火星の先遣調査隊を率いていたのは香月だったそうだ。
 とは言え、00ユニットは歳を取らない。国連の上層部は00ユニットの正体を知っているから良いとしても、周りは知らないのだ。
 しばらくは本人として特殊メイクなどで誤魔化し、二十年ぐらい経ってから娘として立ち振る舞い、火星調査の時は孫として香月姓を名乗っていたそうだ。

「因みに、あんたは何やってたのよ?確か、月で負傷して一戦を退いたんでしょ?」
「ああ、一応その後教官職に就いた。因みに、神宮司軍曹の後釜だ」

 00ユニットの正体を知っているのだ。当然、香月の手の届く範囲にいた。

「ふぅん………。社は?」
「相変わらず香月女史の助手だ。私としても妹というか娘みたいな感情が芽生えていてな。彼女が四十過ぎるまでは見合いを勧めていたんだが―――武のことが忘れられないそうでなぁ」
「あんたが貰ってやれば良かったじゃない」
「その時私はちゃっかり結婚していてな」
「あんた割と人生謳歌してるのね」
「仕方ないだろう。『元の世界』では仕事漬け、こっちに来てからは戦闘漬け。そうやってやっと手に入った『次に死ぬまで』の平穏なんだ。ループの原因も分かっていたし―――少しぐらいはっちゃけた所で問題なかろう?」
「ループの原因が分かったですって………?」
「それについては後で話そう。その為の人払いだ」

 三神は軽く手を振って煙草に手を伸ばそうとして―――舌打ちした。先程のが最後の一本だったらしい。

「ま、いいわ。じゃぁ、次の質問。―――鑑純夏はどうすんの?」

 言外に白銀はどうすんの?と聞かれ、彼は軽く頷いた。

「簡単な話だ。―――香月女史が00ユニットになればな」

 三神が言うには、00ユニットの人格移植技術を使って、鏡純夏を人間に戻すらしい。肉体に関しては、との香月の問いにBETAの製造プラントを使うと答える。

「BETAはクローン技術で増殖する。その際、反応炉内にあるデータを参照するが、この横浜基地にある反応炉は鑑純夏のデータを持っている。何せ、ここで彼女は解体されたのだからな」

 00ユニットになった香月が最初に行う作業はプロジェクションによる反応炉のハッキングとクラッキングだ。これには00ユニットに欠かせないODLによる防諜対策も兼ねる。
 反応炉の制御を乗っ取り、まずは通信機能を破壊する。その上で、現在封印されているBETA製造プラントと思わしき区画を解放、再起動させる。
 BETA製造にはG元素が必要だが、人間一人の生成程度ならばこの横浜基地内にあるサンプル用のG元素で十分だ。
 プロジェクションにより乗っ取っているため、間違ってもBETAは生成されない。
 更にクローン技術とは言っても、BETAのクローンは今現在人類が持っているそれよりも格段に進化している。その為、ドリー現象のような遺伝子上の致命的欠陥は皆無、更には肉体年齢も自由自在となる。
 その上で、鑑純夏の意識を今の脳髄からクローン体へと移すのだが―――。

「その上で注意したいのは鑑純夏の精神だ」
「社から聞いてある程度は分かってるし、白銀からもさっき聞いたけど………どうなの?」
「おそらく、新たな肉体を手に入れてもすぐに安定はしないだろうな。むしろ、量子電導脳が無い分、武が直接話しかけたとしても『物わかりが悪い』だろう。―――最悪、精神が崩壊する恐れがある」

 だからこそ00ユニット香月夕呼が必要だ、と三神は言う。

「プロジェクションを用いて説得―――最終的には、真実を伝える」
「―――記憶を封印するのではなくて?」
「如何に00ユニットの能力が高くても、精神を完全にコントロールすることは難しい。誘導するだけならともかくな。もし封印したとしても、似たような体験―――例えば武と結ばれるなどして記憶の関連付けが行われれば、思い出してしまうかも知れない。―――そうなれば、今度こそ鑑純夏は壊れるだろう」 

 だからこそ、まだ脳髄である内に全てを知り、納得ずくで人間に戻る必要がある。成程、と頷く香月に対し、三神はそろそろかな、と予測する。

「―――で?私のデメリットは?」

 そら来たぞ、と三神はほくそ笑んだ。このために本来の交渉術とは逆の手順をわざわざ踏んだのだ。
 通常の交渉は、デメリットを先に挙げてからメリットを挙げる。
 理由としては、提示されたデメリットに対して気落ちしている所にデメリットと同等のメリットを提示されると、それがデメリットを遥に上回るメリットに見えてしまうのだ。
 勿論、冷静に考えればそんなことはない。
 だが三神が相手してきたのは、極限状況下の立て籠もり犯などだ。そんな状況下の人間は、藁にも縋りたくなり、割と簡単にそれを掴む。
 無論、それまで他愛のないやりとりをしたり、可能な限り犯人の要求を聞いたりしてある程度の信頼関係を築いておく必要があるが―――まぁ、それはともかく。
 省みて、今回はどうか。
 相手は理性を失った立て籠もり犯ではない。理性を武器に世界と立ち回る極東の魔女だ。
 00ユニット完成の鍵が目の前にあるというある種極限状況下だが―――むしろだからこそ慎重に事を進める。
 先程の醜態は一時的に理性ゲージが振り切っただけで、今では通常運行していることだろう。
 であらば、人間心理を逆手に取った交渉術は、逆に下策だ。
 今まで振りまいてきたメリットに対し、小さな―――そして大きなデメリットを挙げる。その上で決断を迫る。
 これが三神の考えてきた対香月夕呼戦の策―――その第1段階。

「香月女史のデメリットは唯一つ。―――貴方の命だ」
「つまり、あたしの命をベットにしろって事ね?」
「今更加減が強いがね。とは言えその命、とうの昔に地獄に向かう覚悟は出来ているだろう?」
「まぁ、ね………」
「因みに、無論逃げ道はある。鑑純夏を00ユニットにすればいい。ここで首を縦に振った後、心変わりしたとでも言って同じように鑑純夏を使うとかね。―――無論、私は敵に回るし、場合によっては武も鑑純夏も敵に回るだろう」

 三神のその言葉に対し、香月は眉を顰める。わざわざ言葉に出して逃げ道を潰しに来なくてもいいのに、とでも思ったのだろうが彼としても香月夕呼00ユニット化は死活問題に直結しかねないため割と必死なのである。

(因果導体から解放されるためにも、何としても香月女史には00ユニットになって貰わねばな………)

 その為には手段を選ばない。そう言った部分に関しては香月と似通った思想をこの男は持っていた。

「他にデメリットは?」
「今のところは思いつかないな。『前の世界』の香月女史はその賭に勝ち、確かに好き放題していたから。最も、私に話さないだけで、それなりの苦悩はあったのかも知れないがね」

 三神の言葉は本当だが―――香月にしてみれば嘘かどうかは測りかねる。社でもいれば別だが―――いや、その彼女でさえ三神の思考は読めない。
 厄介な男だ―――と香月は思うが、逆にこの手の男が味方に付けばこれ程心強いことはないだろう。
 何しろ、今まで政治的な分野に関しては彼女一人でやって来たのだ。文官出身とは言え技術屋のピアティフには任せられないし、衛士である伊隅も無理だ。社はリーディングという最強の矛があるが、性格的にも年齢的にも腹芸が出来る訳がない。ラダビノット司令に関しても頭は回るが香月程の権力はない。
 故に、こと政治面に関して、彼女は孤独だったのだ。だから、損得抜きにこの手の人材は欲しく思う。
 しかし、00ユニットになればそんな憂鬱な作業からは解放される。そうなると政治力に関しては三神は要らなくなるのだから皮肉な話だ。
 さてどうするか―――と、思ったところで逆に気付く。

(成程、確かにこれは誘導されてるわ)

 流石交渉を生業としてきた人間は違うわね、と香月は感心する。実のところ、三神が香月に出会った時既に勝敗は決していたのだ。
 わざと先に白銀に話をさせて、それを踏み台に自分の話に適度なインパクトを持たせる。
 この順序を逆にすると、インパクトがありすぎて場が混乱するし、白銀の話も聞くことを考慮すると時間の無駄だ。
 故に白銀、三神の順になった。
 そして話の後のヴォールク・データ。
 その結果を見るに、情報としても勿論だが純粋に戦力として欲しくなる。更に彼はA-01を鍛え、戦力の増強まで提案してきている。手駒が強くなるに越したことはないのだ。
 この時点で、既に香月にとって三神は無視できない存在になっている。本人はほぼ身の上の事しか話さず、衛士としての実力しか示していないと言うのにも拘わらず、だ。
 そして極めつけは人払いをした上での―――メリットのばらまき。
 代りに示されたデメリットは香月夕呼本人の命一つのみ。それもこの男の言葉が正しければ生物学的に命を失うだけで香月夕呼の意志は動き続ける。
 更にその気になれば、BETAの製造プラントを使っていつでも人間に戻れる、と鑑純夏を例に仄めかしているのだ。
 つまり、言外にこう問われているのだ。
 即ち―――命ほしさにこの提案を蹴るのか、と。


(―――冗談じゃないわ………!)


 表情には出さず、魔女は猛る。
 この極東の魔女、横浜の女狐を甘く見て貰っては困る。今までさんざ汚してきたこの手は、心は、今更自分の命を大事にする、出来る程綺麗でも醜くもない。
 そんな次元は、既に突き抜けた。
 欲したのは人類の勝利。
 捧げたのは人としてのモラル。
 故にこそ、魔女は魔女として釜を造りだし、最後は地獄の業火で焼かれるのみ。
 外道というならば罵るがいい。狂人というならば蔑むがいい。
 例え人外のイキモノとして他の誰かに認識されようがそんなことは知ったことではない。
 他人の価値観など必要ない。
 望んだのは人類の勝利唯一つ―――。
 それ以外のものは望まないし必要ない。
 なればこそ、自分の命など安いものだ。
 ああいいでしょう、と香月は思う。
 必要ならばこの命、いくらでも差しだそう。
 白銀や三神の話を聞くに、人類の勝利に香月夕呼は必要不可欠。00ユニットになることで『本当に』死んでしまえば、そこで世界が終わる。詰んでしまう。
 だが『生き残れば』―――。

(残っているのは消化試合、か)

 理論は別世界の香月夕呼。実証者は前の世界の香月夕呼。その二人の尻馬に乗っかろうというのだから、研究者としては失格ねと嘲笑しつつ、しかし香月は既に覚悟は出来ている。
 名誉もプライドも自己満足も必要ない。
 繰り返す。必要なのは人類の勝利のみ。
 だからこそ、香月は三神をしっかり見据えてこう言った。


「―――いいわ。この魔女の命、好きに使いなさい」


 そして彼は契約成立だと言わんばかりにテーブルの上に置いた紙に数式を書き始め、それを香月に渡す際こう告げた。

「では、交渉成立記念に私の因果導体解放条件をお教えしよう」

 そしてこれこそが三神庄司の『本命』だった。





「にしてもびっくりしたなぁ………」

 基地内の自室―――前回や前々回と同じ部屋だった―――に割り当てられた白銀は、硬いベッドの上に身を横たえながら先程のことを思い出して呟く。
 あのシリンダールームで脳髄状態の鑑と再会した後、香月の執務室に戻るなり部屋の主はいきなりこう宣言したのだ。

『白銀。00ユニットにはあたしがなるわ!』

 まるで何処ぞの海賊のような軽いノリで言われ、白銀は疎か、社や伊隅でさえも硬直した。
 当然のように驚愕し、鑑はどうなるのかと色々疑問も出てきた。だが、その全てに香月は的確に答え、ついに白銀は納得した。

「純夏が―――人間になれる」

 無論、諸処の問題は細々とある。それこそ手段に始まり鑑純夏の精神状態、戸籍に至るまで。だがその全てを解決できる能力を香月は持っていた。
 なればこそ、白銀にとってそれは喜ぶべき事だ。
 愛した女が疑似生体の塊ではなく、生身へとなれる。
 共に人生を歩み、歳を取り、そして朽ちていく。

「でも、戦場に立つんだよな………」

 国連上層部は鑑純夏が00ユニットになることを知っている。それを逆手に取り、しばらくの間―――00ユニットとなった香月夕呼が00ユニット脅威論を掲げる勢力を片付けるまで―――00ユニットとして擬態することとなったのだ。

「まぁでも、それでいいのかな」

 鑑純夏に戦術機特性があるのかないのかはこの際さておいて、彼女が乗せられるのは擬態としての役目もある以上、当然凄乃皇になる。
 ある意味で、一番安全な戦術機である。

「しかし今回は色々勝手が違うなぁ………」

 まず同業者―――というか理解者がいることに驚いた。そして香月の00ユニット化は、その理解者こと三神庄司の提案だそうだ。
 ついでに、鑑純夏人間化の案も彼だ。
 更に伊隅も前回の記憶がある。
 シリンダールームで聞いた話によると、何と彼女、例の幼馴染みとやっとこさ一線を越えたそうだ。
 それに対し、白銀は自分のことのように喜んだ。と言うのもやはり自分の境遇と重ねているのだろう。
 その伊隅だが、記憶を取り戻したのはつい10日前のようだ。確か三神が『この世界』に出現したのも10日前なので、おそらくはその影響で一部の因果情報が流れ込んできたのだろうとは香月の弁。
 それにしても、記憶を取り戻して香月に事情を話すとすぐに休暇申請を取り、続いて温泉作戦を断行するとは恋する乙女の行動力は凄まじいものがあると白銀は感心していた。
 それはともかく。

「懸念事項もなくなったし、取り敢えず―――いい方向には流れてる、よな?」

 白銀は既に因果導体ではない。前回のループでその原因が死んでしまったのだから、言うまでもない。
 今回のループは、原因は曖昧なもののあくまでイレギュラーなものだ。白銀の話を聞いたこの世界の香月が言うには、再びループした際、白銀武の因果情報は二つに分かたれたそうだ。
 即ち、鑑純夏が望んだ新しい世界へ向かった白銀武の因果情報と、こちらの世界に残った因果情報。
 篩いに掛けられる条件は、彼の記憶。
 あちらの世界に行ったのは、平和な世界で暮らしていた記憶達。
 こちらの世界に残ったのは、こちらでずっと戦ってきた記憶達。
 故にこそ今の白銀は、平和な世界での記憶が曖昧だ。強烈な出来事はまだ覚えているが、まるで虫食いの林檎のようにあちこち欠落していた。香月の話によると、白銀武が白銀武であるために必要最低限の記憶は確保されているものの、今日以降それに絡まない記憶から順繰りに無くなっていく、とのことだ。
 しかしそうなると、00ユニット完成の為の理論を回収できなくなってしまう。あれは白銀がいた『元の世界』の香月夕呼が纏めたもので、前回理論を回収できたのは、白銀が『元の世界』を強く望んで認識したからであり、その起爆剤となったのは『元の世界』の記憶達だ。
 だからこそ、目下最大の懸案事項だったのだ。
 実のところ、香月と対面しても妙案は浮かばず、ぶっちゃけどうしようとか考えていた。
 そんな中、あの三神の『その数式知ってるぞ』発言。

「それにしても、庄司の奴―――オレのことをよく知っているよなぁ」

 不意に思うのは、三神のことだ。
 数式にも驚かされたが、それ以上に彼は白銀についてよく知っている。否、知りすぎている。その結論に至ったのは、実のところヴォールク・データの最中だ。
 白銀が何処へ行こうとしているのか、そこに至るために何が邪魔で、何をしなければいけないのか、彼は全て理解しそして行動していた。操作技術もさることながら、その先読みも半端なものではなかった。その上、207B分隊を気に掛けていることも知っていた。

「んー。………やっぱりオレは会ったこと無いんだけどなぁ」

 思い出そうとしても思い出せない。それも仕方ないだろう。おそらくは何度か繰り返したはずの『一回目の世界』で出会っていた。ならば、鑑純夏の無意識の嫉妬によって再構成の際に消えてしまう。
 『二回目の世界』では、完全に入れ違いだ。
 もう一つ可能性があるとすれば―――この『シロガネタケル』とは本当に出会っておらず、彼が出会ったのは別の『シロガネタケル』だという可能性。
 だがどちらにしろ、確認のしようがない。まぁ今のところ問題は無いので、気にすることは無いだろうと白銀は結論を出す。
 因みに、当の三神は香月と社を交えて早くもXM3のプロトタイプを作っているらしい。今夜中にもα版が出来るので、早ければ今夜からデバックを白銀と三神の二人がかりで行うようだ。

「―――深く考えても、仕方ないか」

 しかしそれまで暇な白銀は、こうして思索に耽っていたのだが、やはり頭を使うのは慣れていない上に結論が出ない袋小路に至るやいなや、すぐに放り出す。
 そんなおり、部屋のドアが軽くノックされた。

「はーい。どうぞー」
「失礼します」

 適当に返事をした白銀だが、その声が聞こえた途端、即座に跳ね起きる。この声は間違いない、彼女だ―――と確信し、ドアが開いてやはり安堵する。
 そこに立っていたのは国連の軍服に身を包んだ神宮司まりも。階級はあの時と同じ軍曹。
 瞬間的に、白銀の涙腺が緩む。思い出すのはやはりXM3のトライアル。さんざんな初陣の後に掛けられた、かつての鬼軍曹とは思えない程の優しげな言葉―――そして襲う悲劇。
 それを苦に逃げたガキがもたらした、『元の世界』での重い因果。
 自分が生涯背負うべき十字架を再認識し、しかし白銀は決意を新たにする。

(―――貴方のお陰でオレはここまでやってこられました。もう、貴方をあんな目に遭わせません。今度こそ―――今度こそ救って見せます)
「あの………中尉?」

 気遣わしげな神宮司の声が、白銀の意識を引き戻す。怪訝に思うのは無理もないだろう。軍服とID等のもろもろ一式を持ってきてみれば、目の前の上官は何故か涙目になっているのだから。
 こんな事ではいけないな、と思いつつ白銀は小さく自嘲する。

「いえ、何でもないですよ軍曹。ちょっと目にゴミが入っちゃって、今まで格闘してたんです」
「はぁ、そうですか………。あ、これ、制服とIDになります」
「ああ、ありがとう。―――今後の予定は聞いてますか?」
「はい。207B分隊の教官をして頂けるとか」
「そんな大層なものじゃないですよ。それに、基本は軍曹が教官を務めます。オレは少し口出しする程度です。教官職の最高位は軍曹ですからね。中尉のオレはあくまで補佐です。本格的に動くのは―――総戦技演習を越えてからですね」

 即ち、戦術機教習課程に入ってからだ。

「今、戦術機の新しいOSを夕呼先生達が作ってます。その新OSは絶大な効果が認められますが、ベテランになればなるほど扱い慣れるのに時間が掛かります。しかしそれを何も知らない訓練兵が最初から学べば―――どうなるかわかりますね?」
「既存の概念が無い故に―――吸収も早い、と」

 その通りです、と満足気に頷く白銀に、しかし神宮司はいい顔をしない。当然と言えば当然か、と白銀は思った。
 自らが手塩に掛けた教え子がそんな人体実験みたいなプロジェクトに参加させられるのだ。真の意味で生徒思いのこの教官が、いい顔をするはずがないのだ。
 だからそれを安心させるように白銀は言う。

「大丈夫ですよ。神宮司軍曹には先んじてそのOSを試して貰います。もしも気に入らなければ『こんなものを訓練兵に使わせる気か!?』って突っぱねることも出来ます。―――最も、気に入って頂けるでしょうけどね」
「はぁ………」

 しかし神宮司の返答は色よくない。これ以上は仕方ないかなぁ、と苦笑しつつ話題を切り上げるため、明日から顔出しますんで宜しく、と告げると退室を促した。
 神宮司がいなくなった後、白銀はぽつりと呟く。

「大丈夫ですまりもちゃん。―――オレも一緒にあいつ等を鍛えますから」





 カタカタと、キーを叩く音だけが部屋に鳴り響く。ここはB19階にある電算室。その一室で三神と社は二人でキーの多重音を奏でていた。
 既にXM3の基礎は組まれている。後は細かな部分を修正してやるだけだ。少し前まで香月もいたのだが、社はともかく三神が思ったよりもプログラマとして優秀だったので、後は任せると言って出ていった。
 彼が優秀なのは『前の世界』の香月夕呼に叩き込まれたためだ。
 本来の彼の得意分野は交渉と戦術機なのだが、00ユニット作成の為に香月にその辺の知識を教わることとなる。―――それもスパルタで。
 間違えるごとに飯時のおかずが一品消えていくという生存本能に直結する恐怖の罰ゲームがある故に、三神は心底努力した。それはもう頑張った。あんなに頑張ったのは、警察大学校の入試以来ではないだろうかと思う程だ。
 その甲斐あって、今現在の彼には並の技術士を軽く越える能力がある。
 それを確認したが故に香月は自分の研究に着手することにしたのだ。三神もXM3完成の目処が立ったので、特にそれを咎めることはしなかった。片手間にではあるが自分も他事をしているし。
 そんな訳で。今この部屋の中は百歳の若年性爺さんと子うさぎさんしかいない。

(―――どうしたものか)

 会話が無い。圧倒的に無い。今この部屋に響くのはキーボートのセッションのみ。重苦しいことこの上ない。
 手だけは動かしつつ、三神は物思いに耽る。

(やっぱり、警戒されているな………)

 バッフワイト素子などでリーディングブロックされている訳でもないのに、相手の思考が読めないというのは、社霞にとっては初めての体験なのだろう。
 実のところ、三神にとってこの経験は二度目だ。
 一度目は言うまでもなく前回のループ。それ以前は既に社は外宇宙に飛び立った後だった。
 その時にも思ったことだが、社霞という少女はリーディングを毛嫌いしつつもそれに依存している。本人も自覚はあるのだろう。幼女然としているものの、その思考は下手な大人よりも余程発達している。故に気付いていないはずがない。
 前回の社は白銀の影響か鑑の影響か―――あるいはそのどちらもか、ある程度他人に心を開いていたから大した労力は必要なかった。
 無論、最初は拒絶に近いものがあった。
 後から本人に聞いた話によると、怖かったそうだ。リーディング出来ないが故に、三神が自分に対し何を思っているのか分からなくて。
 結果として、分からないからこそ社は恐る恐るではあるが三神に接触を図り、そして三神庄司という存在を知り得た。
 そこからは、むしろ彼女の方から積極的に接触を図ってきた。分からないからこそ、新鮮だったのだろう。
 そんなやりとりをする内に、三神と社の間には奇妙な信頼関係ができあがっていた。それは父と娘のような―――あるいは兄と妹のような。
 男女の仲にはならなかった。互いが異性としてあまり認識していなかったせいもあるだろうが、社には白銀という思い人が、そして三神にはその時既に恋人がいた。

(まぁ、そんなことはさておいて―――)

 やはりというか何というか、自分はどうも若干傷ついているらしい。『前の世界』の社霞と『この世界』の社霞は別人だ、と頭で理解していても、娘のように妹のように思っていた少女に、こうも頑なまでに拒絶されるとやはり心の一部が疼く。

(明日はA-01と顔合わせするというのに―――大丈夫か私は)

 あの中には『前の世界』で最期まで連れ添った彼女がいる。当然のように、その彼女も初対面のように接してくるだろう。その時、三神は本当に大丈夫なのか不安になる。

(齢百を数えるというのに、情けないことだ)

 自嘲し、ならばとばかりにキーを叩く。そして最後の調整を終えると、一際強くエンターキーを叩いた。それが部屋に響き渡り、社はびくり、と肩を振るわせた。
 その様子を横目で見つつ、こういう小動物っぽい仕草は変わらないな、と苦笑する。

「―――さて、私の方は終わったが、社の方はどうだ?」
「………いえ………今、終わりました」
「そうか。ご苦労さん」

 労ると、社は答えず耳飾りの片方をぴこ、と動かした。
 作業は完了した。後は統合すればα版の完成だ。それをする際には香月に立ち会って貰った方がいい―――XM3のハードはオルタネイティブ4のスピンオフ故に、それの兼ね合いは香月にしか分からない部分が多々あるのだ―――ので、三神は室内に備え付けられた通信機を手に取るとピアティフ中尉へと繋ぎ、香月への伝言を頼む。本人に直接言っても良いのだが、彼女は一度集中し始めると物理的に妨害されるまで外界に反応しない場合がある。そして妨害されると大抵機嫌が悪くなるのだ。中尉には申し訳ないが、人身御供になって貰おう、と三神は考えたのだった。
 さて、後は彼女が来るまでやることが無くなった。それまでどうしてようか―――と思案していると、子うさぎさんがこちらをじぃっと見ていた。

(リーディングしようとしているのか?―――まぁ、多分無理なんだろうが)

 ふむ、と三神は考える。ここらで一つ、彼女との信頼関係を築くのも悪くはないな、と。彼本人としても社を憎からず思っているのだ。すぐには無理かも知れないが、なに、時間なら山程ある。
 ここでのやりとりが、これ以降に続く試金石になればいい。
 だから三神は社に向かって手招きしてみた。

「………?」

 その意図が分からなかったのか、取り敢えず社も三神の真似をしてみた。それを微笑ましく思いながら、今度は口にも出してみる。

「こっちにおいで」
「………!」

 今更ながらその意図に気付いたのだろう、びくんっと身を仰け反らせ、その真意を探るためか上目遣いでこちらを見てくる。
 しかし三神はそこで腕を組み、目を伏した。
 言うまでもなく小動物は臆病だ。追えば逃げる。ならばじっと耐えて好奇心が刺激されるまで待つのみだ。
 やがて、三神の肌が風の動きを捉えた。こんな室内に風が吹く訳がない。吹いたのは―――誰かが動いたから。
 その誰かは、言うまでもないだろう。
 伏した目を片方開いてみれば、目の前に社。椅子に座っていたため、視線は丁度いい位置にあった。
 深い蒼の瞳に微笑みかけ、三神はゆっくりと社の頭に手を伸ばして撫で始めた。
 一瞬だけ彼女は膠着するが、すぐに警戒を緩めされるがままにされている。

「お疲れ社。よく頑張ったな」

 もう一度労いの言葉を掛けてやると、社はぴこん、と耳飾りを動かしその小さな口を開く。

「………………霞、です………」

 つまり、そう呼べとのことだ。

「では霞、改めてお疲れ様。よく頑張ったな」
「はい………」

 頭を撫でられたままそう言われた社は少し誇らしげに頷く。それに苦笑した三神は手を離そうとするが、何と社は『なでなで』続行を要求した。
 さしもの三神もこれには驚いたが、別に嫌な訳でもないし彼女の要求に素直に従った。
 因みにそれは、香月がこの部屋に来る直前まで続けられていた。
 更に余談だが―――これ以降、社霞は何かを成し遂げる度に三神に『なでなで』を要求するのだが、それはまた別の話である



[24527] Muv-Luv Interfering 第四章     ~若造の説教~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:17
 2001年10月23日

「小隊集合っ!」

 グラウンドに神宮司の声が響き渡る。それに呼応するようにしてグラウンドを走っていた四人の少女達が駆け足で集合し、整列する。
 それを尻目に、神宮司の斜め後ろに立った白銀の思うところは一つ。

(泣いちゃ駄目だ泣いちゃ駄目だ泣いちゃ駄目だ………)

 泣く程懐かしい顔ぶれ―――と言う訳でもない。主観で言えば一週間ぐらいしか離れていなかったのだ。
 だが、白銀は207B分隊―――否、元207B分隊の凄絶な最後を知っている。その上、彼女らの死後、遺品を整理している最中に書かないと言っていた遺書を見つけ、彼女たちの想いを知ることとなった。
 好かれている自覚はあった。
 如何に鈍感と言われようと、その程度の機微に疎い白銀ではない。しかしそれは、あくまで仲間として好かれているのだと思っていたのだ。
 ―――どうして五人全員が自分のこと異性として見ていた、など思えるか。
 最も、第三者から見ればやっと気付いたかこの鈍感男、であるが本人は至って真剣だ。

「貴様等に紹介しよう。こちらは本日より貴様等の特別教官に就任された白銀武中尉だ。敬礼!」

 一糸の乱れなく敬礼する四人に、白銀は内心『さて公私の区別だけは付けておかないとな』と苦笑しつつ答礼する。

「今紹介に預かった白銀武だ。オレが直接お前達の教官役をするのは戦術機教習課程に入ってからなので、それまでは神宮司軍曹の補佐をすることとなる。―――と、ここまでが仕事の話だ」

 真摯な表情と硬い言葉で淀みなく言い放つ白銀は、最後に笑みを浮かべて陽気な声で言った。
 その様子に戸惑ったのは訓練兵四人だけでなく教官の神宮司もだった。

「実を言うと、オレはお前達と同い年でなぁ。その上教官職なんてコレが初めてなんだよ。正直な話、そんなオレがお前達を教導して良いのかどうか自分自身でも分からなくてさ。神宮司軍曹を手本にするって事に関しては、実はお前等とそう変わらない訳だ。だからさ、気楽に頼むよ。ああ、因みに自己紹介は要らないぞ。資料で読んでるから誰が誰なのかは分かる。鎧衣だけ入院中でいないんだったな」

 あくまでフランクにそう言いきる白銀に、面食らって二の句を告げない五人。その反応を無理もないか、と何処か楽しげに観察していると神宮司が一番に復帰した。

「あ、あの中尉、それでは他の者に示しが………」
「駄目ですか?まりもちゃん」
『まりもちゃんっ!?』

 わざと白銀がその名を口にすると、その場にいた全員が驚愕する。訓練兵達は自らの上官―――本人達にとっては唯一直接接する絶対権力者―――に対しての暴言故に。言われた本人は年下の少年とも言える年齢の上官に『ちゃん付け』された羞恥故に。

「まぁ、公の場ならともかくとして、207B分隊だけでの訓練やプライベート中はそうやって垣根無く接するつもりなのでそのつもりで。でなきゃチームの信頼感なんか構築される訳がないからな。資料で読んだけど、前回の総戦技演習の不合格の理由、それなんだろ?」
『―――!』

 まりもちゃん発言に衝撃が抜けきらない中、訓練兵達は冷や水を浴びせられたように目を見開く。
 そして更に畳み掛けるように白銀は暴言とも言える言葉を叩きつける。

「最初の作戦に拘泥して戦況に柔軟に対応できない無能な指揮官、献策を持ちながら上官に具申せず勝手に見切りを付けて独走する馬鹿な隊員、その不和を知りながら諫めようともしない無力な副官、和を望む振りをしてただ右往左往するだけの無気力な隊員二人。―――最前線で戦ってきた人間から言わせて貰うと、最悪のチームだな。オレならそんな奴らに『命を預けることなんか出来やしない』」
『―――っ!』

 痛いところだらけの指摘。その上、現場衛士視点からの痛烈な評価。四人は視線を落し、歯を食いしばる。

「お前等が抱える『特別』な事情も知ってるよ。けどオレから言わせて貰えばそれがどうした、だ。何しろBETAはそんな『特別』な事情は考慮してくれないからな。奴らは平等に人を食う。一歩戦場に出れば、浮浪者だろうが大統領だろうが―――それこそ老若男女、どんな人間でも等しく奴らの脅威に晒される。それから身を守るためには、一人じゃ無理だ。一人が護れるものなんて、たかが知れてる。時と場合によっては、自分自身でさえ護れやしない。―――だが仲間がいればどうだろうな」

 信じるに足る、命を預けるに足る仲間がいたならばどうなるか。

「答えは簡単だ。一人で護れなかったものが護れるようになる。自分自身が危ない時でも、仲間は助けてくれる。それに甘えるようじゃ駄目だけど、だからこそ努力して自分を護れるように、仲間を護れれるように力を手に入れる。お前等が衛士にどんな憧れを抱いてるのかは知らないけれど、衛士ってのは一人じゃ戦えないんだ。現場レベルではそれを支える仲間や後方支援、整備士の連中がいるからこそ戦える。広い視野を持てば一次産業や二次産業を支える人たちがいるからこそ高価な兵器を維持できる。たった一人の衛士のために、どれほどのコストが掛かるか、なんとなくは分かるよな?勿論、それは訓練兵だって同じ事だぞ?」

 そして、と白銀は続ける。

「お前達は前回の総戦技演習で一度『死んだ』。これが何を意味するか分かるよな?お前達を育てるために神宮司軍曹が手がけた労力、演習のための経費、訓練に費やした時間やお前達が消費した飯代―――それらは当然タダじゃなくて、膨大なコストが掛かってる。それをお前達は前回の総戦技演習で『死ぬ』ことで無にしたんだ。それらに掛かったコストは力無き一般人に全て押しつけられた。本来ならばお前達が護るべき者達に、な。更にその理由が―――隊内の不和だなんて本当に笑えないよ」

 だが、と彼は思う。自分だって、そうだったのだ。いや、彼女たちよりも自分が犯した罪は遥かに重い。しかしそれでも、白銀は無にしなかった。過ちさえ自らの血肉へと変えて、それでも彼は前へと目指したのだ。
 そしてそんな彼を成長させたのは何時だって207B分隊だ。だからこそ、自分が成長できて彼女たちが成長できないなんて事はあり得ない。

「だけど、お前達はまだやり直せる。失敗しない人間なんていない。オレだって取り返しのつかない失敗をしたのは一度や二度じゃ済まない。その為に死なせてしまった人だってたくさんいる。だけど問題なのは、その事で後悔するだけじゃなく、その失敗をどう受け取って、次の選択肢でどう活かすかだ」

 そして彼は問う。

「お前等、護りたいものはあるか?取り戻したいものはあるか?命を賭けてそれが手に入ると言うのなら、進んで命を賭ける程の想いはあるか?無いんだったらもう衛士にならなくていい。卒業できてもどうせ死ぬだけだし、むしろ周りの足を引っ張るだけ邪魔だ。でも、もしもそれらがあるのだと言うのなら、そのくだらねぇ見栄やプライドは捨てちまえ。そんなもので誰かを護れるだなんて浅はかなこと思ってんじゃねぇ。意見の不一致があるのなら、殴り合いしてでも分かり合え。和が大切なら何時までも後ろで指銜えて見てるんじゃねぇ。お前等が本当に衛士になりたいのなら―――いつまでもこんな所で足踏みしてる暇は、一秒だって無いんだよ。今この瞬間だって、世界中の何処かで誰かが奴らに殺されてるんだ」

 そして白銀は気付く。下を俯き、何かに耐えていた彼女たちが前を向き自分を見ているのを。
 そこに怒りや悔しさはなかった。自らが掲げた目標を思い出し、再び邁進しようという気概があった。

(そうだよ。お前達の想いがどれだけのものか―――オレは知ってるんだ。だからこそ、こんな所で躓いてる場合じゃないだろ?)

 心の中だけで白銀は問いかける。無論、返答はない。だがそれでいい。彼女たちは、既に態度で示しているのだから。
 白銀はふっ、と小さく吐息すると声を張り上げる。

「ふむ。少しはマシな目になったな?まぁ、この程度のことオレなんかに言われなくてもお前達なら分かってるんだろうけどさ、良い機会だから言わせて貰った。―――さて、時間取らせて悪かったな。訓練を再開しようか。総員、グラウンド十周!」
『了解っ!』

 四人の訓練兵が敬礼し、我先にと走り出す。その姿を見送ってから、白銀は神宮司に声を掛けた。

「ちょっと、大演説ぶちかましちゃいましたね?」
「いえ、いいお話でしたよ。中尉」

 優しげに笑みを浮かべる彼女に、白銀は苦笑する。

「酷いなぁまりもちゃん。若造は若造なりに頑張ってるんですよ」
「………。あの中尉。そのまりもちゃんというのは話の切っ掛けにするだけだったのでは?」
「え?何言ってるんですか?公私は使い分けるって言ったじゃないですか」

 その白銀の言葉にげんなりする神宮司。それを胸中で謝罪して白銀は思う。『前の世界』でもう甘えないと決めた以上、この呼び名は止めようかとも考えた。
 しかし彼女は白銀にとってやはり『特別』なのだ。そして出来るならば、こんな『特別』な事情を抱え込んだ部隊の教導を任されてしまった彼女の責務、更には香月の親友というある意味前述よりもきつい立場を自分が出来る限り和らげてあげたいと思ったのだ。
 何しろ香月にからかわれている神宮司は、『元の世界』の神宮司とそっくりの反応を示すのだから。

(まりもちゃんにだって、色々辛いことがあるんだ。こんな些細な恩返ししかできないけど、何も出来ないよりはマシだな)

 白銀はそんな事を思いつつ、グラウンドを走る未来の戦乙女達を眺めることにした。





 一方、現在の戦乙女達は驚愕の渦中にあった。
 新しくA-01に配属されてきた新任の少佐―――最初、彼女たちは懐疑の気持ちが強かった。
 と言うのも、A-01―――即ち伊隅ヴァルキリーズは香月副司令直属の部隊の秘密部隊で、その名の通りこの中隊は全て女性で構成されている。
 そんな中に、現隊長である伊隅よりも階級が上の年若い男が放り込まれてきたのだ。
 使えるのか、と言う疑念。大丈夫なのか、と言う不安。
 それらが入り交じった最初の邂逅の後、その新任少佐は模擬戦を提案してきた。当然の事ながら、新しい上官の腕を見てみたい気持ちもあって、誰もが賛成したが―――そのレギュレーションに問題があった。
 一対十二。
 馬鹿にされている。一人を除いて誰もがそう思い、胸中で怒りを燃やした。聞くところに寄ると新任少佐の年齢は24。あり得なくはないが、それでも若い。きっと、エリート気質の現場を知らないお坊ちゃんタイプなのだろうと前衛組は特に思った。だから逆にボコボコにしてやろうと。
 ならばこの結果はどういう事だろう。
 涼宮遙中尉は管制室の中で半ば呆然と状況の推移を見ていた。現在、一対一―――。
 生き残っているのは、おそらく最初から油断していなかった伊隅一人だ。既に新任少佐と伊隅はドックファイトへと突入している。CPとして最早伝えうる作戦はない。
 動かそうにも盤上の駒は既に王一つ。逆転はこの王の力のみによる。だがそれも、ここに至るまでの状況を鑑みれば間もなく決着が着いてしまうだろう。
 戦闘開始してそうそう、敵は奇襲を仕掛けてきた。
 そこまではいい。予想の範疇だ。
 彼我の戦力差をひっくり返すためには、奇襲や地の利を用いた一撃離脱しかない。だがこの一撃はあまりにも重すぎた。
 宙を舞った敵の不知火が放つたった五発の120mm。それはまるで吸い込まれるように五機の不知火の管制ユニットを貫いた。
 更に、着地した敵機は『逆手』にした長刀で追い抜きざまに三機を追加で斬り伏せ、即座に全速離脱。
 一瞬で八機―――。
 油断や慢心は勿論あった。しかしながら戦乙女達は実戦部隊だ。その程度でそう易々とやられる程柔ではない。
 だと言うのに―――まるでそれを嘲笑うかのように、死神はその大鎌を容赦なく振り下ろした。
 その混乱状態を伊隅が即座に収めるが、それも束の間。敵は静かに、そして素早く次の行動へと移っていた。
 データリンクの知覚外から抜け出た敵機はそのまま回り込むように伊隅達の背後へと周り、全速で突っ込んできた。
 認識すると同時に即座に反転し、応戦しようとするが敵機は36mmを無造作にばらまきながら弾幕を張って接近し、空いた右主腕で短刀を二度投擲する。そしてそれは驚くべき精度でまたも不知火の管制ユニットに突き刺さり、この時点で三機となる。
 そして体勢を立て直すために一度後退するよう伊隅が指示を出すが、それを実行するよりも速く120mmが残る二機へと突き刺さり―――今の状況へと至った。
 そして今、既に今日三機撃破している必殺の一撃が放たれる。『逆手』から繰り出される長刀の一撃だ。
 まるで狼が襲いかかるように、低姿勢から繰り出されるその一閃を、伊隅は手にした手にした長刀でそれを受け止めるべく構えるが拮抗することすらなかった。
 伊隅の長刀が半ばからへし折れたのだ。
 戦術機と長刀の重量、機体の膂力、更には遠心力を伴って繰り出されるその一撃は、言うならば単調の極みである。剣技のけの字すらない。見切ろうと思えば見切れる程だろう。
 しかしそれ故に―――それは圧倒的なまでに突き詰められ、無駄を徹底的にそぎ落とされた神速の一撃なのだ。
 一度放たれれば必ず殺す唯一つの技巧。
 それを前に、たかだか長刀一本の壁など紙に等しい。
 そう体現せしめるが如く死神の大鎌が振るわれ、伊隅の不知火は長刀ごと胴体部分を二つに裂かれた。





「―――弱いな」

 シミュレーターを終えて隊員を集め―――開口一番、三神は戦乙女達にそう告げた。
 簡潔な自己紹介をしあった後、三神は模擬戦を提案した。
 昨日の内にXM3のβ版が出来たのだが、その最終調整のために徹夜状態だった。その為、三神は非常に機嫌が悪く、本当なら今日の所は適当に顔合わせをしたらさっさと自室に行って寝ようと考えていたのだ。
 だが、戦乙女達の中で知らない人間が何人かいた。
 先任に式王寺小夜中尉、紫藤あやめ少尉。
 新任に築地多恵少尉、麻倉伊予少尉、高原智恵少尉、七瀬凛少尉。
 おそらくは、『前の世界』で11月11日のBETA侵攻やクーデター、XM3のトライアルで命を落したり重傷を負って病院送りになっていた人間だろう。
 それ以外の隊員の実力や性格を三神は『知っていた』が、他は知らない。じゃぁ、軽くテストでもしてみるかと眠いながらも模擬戦を始めたのだ。
 その結果―――先程の三神の発言が全てを簡潔に物語っていた。
 無論、普通の部隊ならばこれでも十分通じるだろうというのが三神の見解だ。だが、魔女の手足となって働くのであれば、これでは足りない。足らなさすぎる。
 そして今、寝不足故に三神の苛立ちは最高潮に達している。

「伊隅。これが『今』のヴァルキリーズか」
「―――残念ながら」

 腕組みしながら問いかけてくる三神に、伊隅は頷く。彼女とて『前の世界』の記憶があるのだ。彼女が知り得る最後のヴァルキリーズは甲21号作戦時。
 XM3と言うアドバンテージを差し引いたとしても、やはり練度が足りないと言わざるを得ない。しかしながら、それはまだ敢えて良しとする。件のXM3が明日明後日中に配備されれば、まだまだ伸び白のある彼女たちだ。すぐにでも一皮も二皮もむけよう。だが圧倒的に足りないものがあった。
 何より足りないのは―――その意識だ。
 この中隊が抱えている新任は六名。総員の約半数。未だ『死の8分』を越えていない彼女らに引きずられて、先任達も少し緩んでいるような気がした。
 その結果が顕著に表れたのが―――三神の最初の奇襲。数瞬で八機という驚異的な撃破速度だ。因みに、本人としては三機落とせれば良い方かな、と考えていたのだが。

「―――実戦であと四回、と言ったところか」
「そうなるでしょうね」

 何が、とは伊隅は問わない。昨日聞いた白銀が語った未来―――オリジナルハイヴ攻略戦後までに、ヴァルキリーズは彼を残してほぼ壊滅すると言う受け入れがたい情報を思い出してだ。
 続く三神の話では、宗像、風間、涼宮茜に関しては後に戦線復帰しており、その後も月奪還まで戦い続けたそうだが―――だからと言って他の仲間の死を想わぬはずがない。
 衛士の心得がある以上顔にこそ出さない伊隅だが、昨日の夜は密かに寝所で涙を流した。そして今度こそ部下を守り抜くと、改めて彼女は心に誓ったのだ。
 そんな上官同士の会話に口を挟めるはずもなく、十二人の乙女達は直立不動のまま揃いも揃って厳しい顔をしていた。
 当然だ。
 ボコボコにしてやるとまで勢い込んで―――更には十二倍の戦力差を以てしても負けた。いや、勝負など始まる前から決まっていたのだ。
 慢心と油断。その隙を突いての奇襲。
 結果を見れば惨敗―――唯一まともに戦えた伊隅も終始防戦一方で、先だって撃墜された八人に関しては何もしてないのだ。
 ―――何も、出来なかった。
 三神と伊隅が言葉少なげにヴァルキリーズの評価を下す中、速瀬水月は奥歯を噛む。
 先任として、突撃前衛長としてこれ程の屈辱はない。
 チームを纏めるのが隊長である伊隅なら、それを牽引するのが速瀬の役目だ。誰よりも速く戦場を駆け、敵陣に斬り込んで誰よりも戦果を挙げる。
 故にこそ消耗率が一番高いポジションであり、逆に言えばそこにあり続けることは何よりの実力証明となる。
 事実、彼女の撃墜数は中隊内でも群を抜いており、そこに彼女は誇りと自負を持っていた。
 今でも目に焼き付いている。
 『逆手』に握られた長刀が、まるで四足獣が口に刃を銜えたが如く振るわれる抜打ち。結果など目もくれず走り抜けるその様は、速瀬に狼を幻視させる程だった。
 魅了されたと言っても良いだろう。
 何としても、自分のモノにしたいと心から思った。

「―――少佐。今日の御予定は?」

 いつの間にか評価が終わっていた。伊隅がこれからの予定を聞きに行った所で、これを機とばかりに速瀬がいち早く挙手をする。

「少佐っ!もう一度訓練を付けて下さいっ!!」
「少佐!あたしからもお願いしますっ!!」

 憧れの先輩が発する闘志に呼応するが如く、涼宮妹も手を挙げる。それを皮切りに、全ての隊員が自分もと手を挙げた。
 特に文字通り瞬殺された八人は明らかに目の色を変えていた。普段飄々とした態度の宗像でさえも有無を言わせぬ迫力を醸し出していた。
 ふむ、と三神は思わせぶりに腕を組むと。

「駄目だな。私はこの後寝る予定だ」

 そう言いきりやがった。

「ね、寝るですか………?」

 絶句する隊員達の代りに、伊隅が気まずそうに問いかける。

「昨日の夜七時にはα版が出来たからな。平行して改修していたシミュレーターにインスコして、私と武でバグを吐き出し続け、それが終わったのが深夜二時。武はその後部屋に帰したが、私と霞と香月女史は引き続き最終調整で貫徹。その上、私は片手間に三次元機動訓練用の教習データなんかも作ってたから、今の私は非常に眠い」
「ではXM3が………?」

 それを聞いて伊隅は思い至る。三神はそうだと頷いて。

「取り敢えずはβ版だな。今夜もう一度念入りに修正してから先行量産版が出来る。概念実証も兼ねるから、当然この隊で使うこととなる。昼にはここのシミュレーターをまるまる改修するから、明日から使えるな」
「了解しました。では今日は実機訓練で?」
「いや、昨日の内に掛け合って、私と武の二機連携によるヴォールク・データの閲覧許可を出して貰った。まずはそれを見て三次元機動の有用さを学んで、その後で私が昨日即興で組んだ三次元機動訓練の教習データで今日一日遊んでろ。勿論他のシミュレーター室でな。ピアティフ中尉にデータのパスを教えてあるので訓練前に声を掛けておけ。取り敢えず私は夕方までは起きないし、起きたら起きたでやることがある。今し方一戦付き合ってやったのは単に気まぐれだ」

 そして最後に一つだけ注意しておいてやる、と三神は告げる。

「昼寝と煙草をこよなく愛する私はその内一つでも取り上げられると非常に機嫌が悪くなる。よって、現状睡眠不足の私は今非常に機嫌が悪い。その上、これから所属する中隊のこれ以上の失態を見たら、怒鳴りつける程度ではおそらくすまん。我を忘れて殺しかねん。―――いずれ実戦で死ぬなら、人間の手で死んだ方がまだマシだろう?」
『―――っ!』

 今まで大した表情の機微を見せなかった三神が、ここに来てその表情を般若かと思わせる程険しくさせ、それだけで人を殺せそうな程凄絶な殺気を振りまく。
 その場にいた全員が凍り付き、一部の者はかつて狂犬と呼ばれたあの恩師を思い出していた。
 いや、あれとはまた違う威圧感―――言うならば、狼だ。飢餓寸前の狼に目を付けられた、そんな強烈なまでの圧迫感。
 息を呑む音が聞こえる程の静寂がその場を支配し、永劫続くかと思えたその空気を三神自身が霧散させた。

「まぁ、明日になれば嫌でも私の教導を受けて貰う。それまで楽しみにしていろ」

 そう彼は言い残すと、立ち尽くす戦乙女達に背を向けてシミュレーター室を後にした。





(―――何とかなったな)

 自分の執務室に向かって歩きつつ、三神はそんなことを思う。『前の世界』で自分の伴侶だった彼女は、元気そうだった。
 ―――風間梼子。
 最後に見たのは、病室だった。
 ベッドに寝かされていたのは三神。その最期を看取ったのは彼女。
 月を取り返した英雄は、その時の負傷を理由に第一線を退き、教官職に就いた。五十過ぎまでその職務を全うするが、末期の肺癌により退役を余儀なくされる。―――煙草が原因だ。
 その後は療養生活をしていたのだが、長年酷使し続けた身体は病魔と共に命を削り取り、退役後二年も持たずにその生涯を閉じた。

(鎮魂歌が最後の記憶とは、何とも洒落ていたよ。梼子)

 意識がなくなる寸前に聞いたのは、桜花作戦以前から彼女が少しずつ作曲していたもの。
 月を取り戻した後、風間は―――その頃には既に旧姓だったが―――退役し、長年の夢であった音楽という文化を広げるための活動を始めた。
 その後何十曲と作曲する彼女が、夫の最後のために弾いたのはやはりあの曲だった。
 共に怨敵を討ち滅ぼす仲間でもあった夫の最期。それに手向けるのは、やはり今は亡き仲間達を送った曲が相応しいと思ったのだろう。

(―――泣かずには済んだか)

 欠伸などの動作でどうにか紛らわしてはいたが、実のところ三神は涙目だった。それほど涙腺が緩い訳ではないが、それでもやはりこう、胸に来るものがあったのだ。

(―――今回は、結ばれる訳にはいかないしな)

 三神のループは今回で終わる。いや、終わらせる。そして自分は―――否、その因果は『元の世界』へと帰る。
 因果導体でなくなれば、人々の記憶の中から消えてしまう―――言うならば三神は泡沫の夢。
 今回の白銀のようにこの世界に戻ってこようとは思っていないし、そもそも『元の世界』に戻ることが三神の第一目標だ。そしてそれは最終目標を前に、踏まなければならない前段階。
 実のところ、『元の世界』に大した思い入れはない。だがだからといって世界の法則をねじ曲げてまで『この世界』に留まりたいとは思わない。そんな異分子は、世界の存続のためにはあってはならないのだ。
 それに―――三神はもう疲れているのだ。
 人の生き死になど何処にでもある。それこそ、所属する世界に関係なく。だがそれでも、『この世界』は死が多すぎる。
 そして彼はそれに触れすぎていた。それでも尚、人として壊れなかったのは『元の世界』に因果を戻すという最初に定めた目標があったからだ。
 ―――目標があれば、人は努力できる。
 まさしくその通りだと三神は思う。故にこそ掲げた目標を達した時が、全ての終わり。
 三神庄司という存在の終焉。
 白銀が手の届く全てを護るために走るように、三神は自分の全てを消し去るために走り続ける。
 前のループで、既に彼は天寿を全うしたのだから。

(ある意味では―――私は武の最大の敵対者だな)

 あの優しい少年のことだ。手の届く範囲に、三神のことも入れているに違いない。昨日の香月との対話では明言しなかったものの、そう言うところからしてまず甘い。

(まぁ、それ以外の望みは全て叶えてやるさ。やがて私の手の届かない場所に行くとしても、その為の路は『俺』が付けておいてやる。だから安心して下さい―――白銀『大佐』)

 三神庄司の終焉の後も、白銀武の物語は続く。
 それをこの眼で見ることは叶わないが、その下地を作る手伝いぐらいは出来るはずだと三神は思う。

(しかしやっておかねばならんことが多いこと多いこと―――が、その前に一寝入りするか)

 基本的に、三神は自堕落大好き駄目人間なのだ。今は色々とやるべき事が多い為に徹夜とか不慣れなことをしているが、それも香月が00ユニットとなるまでの辛抱である。彼女が量子電動脳をフルに活用すれば、三神は戦闘や教導以外にすべき事はなくなるのだ。

(まぁ、それまでに少しでも恩を売っておくか―――ああやばい、目がしぱしぱする………)

 軽く目を擦りつつ、彼は幽鬼のような足取りでふらふらと自室へ向かって歩いていった。





 伊隅にとって二度目になる白銀と三神のヴォールク・データ鑑賞は、一度見ているのにも拘わらず、やはり驚愕の二文字が先に出る。
 状況が違うためか、昨日は見えなかったことも見えてきた。
 特に、白銀の機体制御についてだ。

(私が知っている白銀よりも―――凄くないか?)

 シミュレーターの中で着座調整をしつつ、彼女はそんなことを思う。
 三神の指示通り、部下達に昨日彼等がこなしたヴォールク・データを見せた。当然のように皆が絶句し、それでも少しでもその機動を我がものにしようと食い入るように画面を見つめる様を、伊隅は少し誇らしく思った。
 今、ヴァルキリーズの面々は三神が作成したという三次元機動訓練教習を行うために着座調整中だ。
 それは伊隅も同じだが―――しかし彼女は他事を考えていた。無論、その手を休めることはなかったが。

(私の最期の記憶は甲21号作戦―――白銀の話に寄れば、あいつはその後横浜基地襲撃、『桜花作戦』を経験している。だが、『桜花作戦』では凄乃皇弐型の後継機である四型に乗ったと言っていた。実物を見た訳ではないから何とも言えないが、同じ凄乃皇の系列であるなら要塞のような大きさの筈。となると、あいつが戦術機で………三次元機動を使って戦ったのは横浜基地襲撃の時まで。―――たった一戦。たった一戦であそこまで腕を上げられるものなのか………?)

 伊隅は自問するが、答えは出ない。そもそも、白銀武という衛士は規格外なのだ。彼の操縦感覚は彼の『元の世界』のゲームによって培われており、この世界のそれとは一線を画している。
 その概念も、成長の伸び白も、この世界の感覚で推し量ることなどできはしないのだ。
 である以上、伊隅があれこれ考えたところで無意味に等しいのだが、しかしそう疑問せざるを得ない程に『彼女の記憶の中の白銀』と『今の白銀』の技量差がありすぎる。それはXM3をさておいても目に余る程で、彼のあの戦い方はベテラン衛士のそれ以上。

(甲21号作戦では手を抜いていた―――?あり得んな。白銀は作戦中に手を抜くような輩ではないし、あの場面で自分の技量を隠す必要はない)

 であるならばその後に成長した、と言うのが一番無理がないのだ。しかしそうなると最初の疑問に戻ってしまう。
 だから少し吐息して、思考をリセットした。

(―――堂々巡りね。最も、白銀に関して常識が通用しないのは分かってたことだけど)

 それは戦術機の機動もそうだが、あの突飛な言動なども当然含まれる。しかし、それが隊にとって有益なものであったことを伊隅は知っていた。
 それは未来の―――あるいは別世界の記憶だというのに、何故だか少し懐かしくなって彼女は口元を綻ばせる。

『………伊隅大尉。設定、完了しました』

 そんな中、涼宮姉の呼びかけがあった。伊隅は頷いて、網膜に投影された部下達を見やる。

「良し。―――貴様等、準備はいいか?」
『はいっ!』
「これから行うのは、『あの少佐』が作った教習課程だ。その実力は身を以て体験しただろうから多くは言わん。これはそこらの訓練兵が行っているような生易しいものではないと知れ!」
『はいっ!』
「では行くぞ!―――涼宮、開始してくれ」
『了解―――』

 涼宮の声が聞こえ、一度網膜投影がブラックアウトした。教習用データに切り替わるのだろう。

(はてさて―――一体どんな教習を用意したのですか?少佐)

 胸中で問い掛け、切り替えを待っていると―――。
 子うさぎさんが現れた。

『―――え?』

 ヴァルキリーズの声が一斉に重なった。
 切り替わった先はハイヴを再現した映像だった。しかしそこに、本来あり得ないものがあった。
 BETAではなく、戦術機でもなく―――それは、社霞だった。
 しかし実物の社よりも縮尺が小さく、胴体よりも頭部の方が大きく―――ぶっちゃけていうとSD化されていた。
 ハイヴ坑内をバックに、網膜投影の横合いから現れたSD社は、視界の中央に立つとぴょこんと一礼する。
 あ、なんか可愛いと思った瞬間、伊隅は思い至る。その可愛さは『奴』にとっては命取りなのだと。

「式王寺!鼻血!鼻血っ―――!!」

 網膜投影の中、自分の副官である式王寺小夜が恍惚とした表情を浮かべたまま鼻血を噴射していた。なまじ清楚系美人の為に妙な怖さがあった。

(ああ出たよあいつの悪い癖が―――っ!)

 伊隅と一つ階級が下である式王寺は同期で、共に明星作戦を生き残った仲でもある。ポジションも同じ迎撃後衛で、彼女は左翼を担当していた。
 視野も広く、指揮力も高いために伊隅の右腕としてヴァルキリーズを纏めているのだが―――一つだけ困った癖というか性癖があった。


 ―――可愛いものに目がないのだ。


 香月夕呼の直属であるA-01は、同じく直属である社霞とは一応面識がある。と言っても話す機会はあまり無いし専門とする畑も違うのでそれほど仲が良い訳でもないが、社自身のその容姿もあってか隊では割と好意的に受け入れられていた。
 そしてその最先端―――好意的に受け入れ過ぎちゃった女こそ式王寺小夜である。
 元々可愛ければショタでもロリでも犬でも猫でも何でもござれな彼女だ。
 子うさぎさんは、ド直球なのである。
 常日頃『かーわーいーいーっ!!』とは喚いて社を捕獲しようとし、他の隊員に止められていたりする。

『いーちゃん………』

 式王寺は、他人を愛称で呼ぶ癖がある。今回の場合で言うと、伊隅故にいーちゃんである。しかし彼女も軍人である。きちんと公私を分けていたため、訓練中や作戦中にそんな失態を見せることなど一度としてなかったのだが―――。

『私、萌え死ぬ………!』
「式王寺―――っ!?」

 網膜投影の中、自らの鼻血に溺れるかのように式王寺は倒れ伏していく様を、伊隅は見ていることしか出来なかった。
 後に彼女は語る―――『もんじゃ焼きでシミュレーターを汚した衛士は数いれど、鼻血で汚したのは奴だけだ』と。
 二十分後。
 取り敢えず式王寺が持ち直したので、シミュレーターを再開することとなった。
 先程のSD社霞は、どうやらこの教習のガイダンスの役割を負っているらしい。
 先程と同様にぺこり、とお辞儀すると彼女は口を開いた。

『………それでは、本教習課程の趣旨をご説明します………』

 伊隅はそれを聞きながら、チラチラと式王寺に視線をやっていた。式王寺は鼻にティッシュという乙女にあるまじき姿で、しかしやはり幸せそうにSD社を眺めていた。
 因みに、そこまではいかないが涼宮姉や風間も目を輝かせている。おそらく胸中では式王寺と同じく『かーわーいーいーっ!』コールを響かせまくっていることだろう。

『………本教習では、三次元機動を学んで貰います………』

 どうでも良いがこの教習データを作る際、社はどんな思いで台詞を読み上げたんだろうか、とかこんなものを作り上げる少佐って一体………と皆は思った。
 後に三神はこう答える。『―――私の趣味だ』と。



[24527] Muv-Luv Interfering 第五章     ~道化の策謀~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:16
「それで?一体どうしたのかね香月女史」
「あら、機嫌悪そうね?」
「私は一日六時間は寝ないと不機嫌になるのだよ。可能なら十時間ぐらい寝たい。惰眠は二時間以上が理想だね。故に―――徹夜など論外だ」
「衛士にあるまじき発言ね」
「体調管理も仕事の内なのでね。―――即ち睡眠は私の仕事だ」

 香月の執務室で三神は彼女と軽口を叩き合っていた。
 自室に戻った彼はシャワーを浴びてすぐにベッドに倒れ込んで意識を手放したのだが、五時間ぐらいで社に起こされ、香月の執務室へ向かうよう促された。
 本人も言ったように彼は非常に寝起きが悪い。しかし社に八つ当たりする訳にもいかず、だから自分を呼び起こした魔女に対し抗議の眼差しを向けていた。

「そう膨れないでくれる?あたしだってあんま寝てないのよ」
「寝ればいいだろうに。00ユニット完成の目処は立っているし、細々とした雑事はあるだろうが、それこそ00ユニットになれば寝ながらでも片づく。後回しでも構わないだろう?」
「XM3の件もあるけど?」
「だから私も手伝ってるだろうに」

 ま、それもそうねと香月は苦笑して本題を話す。

「呼んだのは他でもないわ。00ユニットの話。―――あんたがあたしの身体を作るんだったわね?」

 香月の確認に三神は頷いた。
 00ユニットの疑似生体―――即ち身体は実のところ外注だ。如何に香月が天才であろうと、今のところ専門外に手を出している余裕はないため、00ユニット素体―――即ち鑑純夏やA-01や207B分隊の身体も全て横浜基地外の業者に全て依託している。香月がやったことと言えば、注文し、作成に必要なバイタルデータを渡しただけだ。
 しかしながら、今回香月が00ユニットになる場合、外に依託できない。
 当然だ。上層部は鑑純夏が00ユニットになるのだと思っているのだから。
 取り敢えず現状、香月夕呼00ユニット化計画は秘密裏に進行せねばならないため、今までのように疑似生体を外注できない。
 となれば作らなければならないのだが―――その技術は三神が持っていた。例によって、『前の世界』の香月に仕込まれたそうだ。

「疑似生体を作るための部屋は用意したわ。これ、その部屋に行くためのIDカード。場所は後でピアティフにでも聞きなさい」

 渡されたカードにはB26と書かれていた。ここよりも更に下らしい。

「それで聞きたいんだけど、ODLの問題をどうするつもり?白銀とあんたの話を統合すると、あたしが目覚めるまでBETAに情報が流れっぱなしになるはずよ?」

 00ユニットに人格移植した後目覚めるまではODL漬けにされる事を知っていた三神はああ、と軽く頷いて。

「今の内にODLを大量に精製、ストックしておく。前の香月女史は目覚めるまで丸一日掛かったから、それまで反応炉から切り離しての浄化作業を行うのだよ」
「輸血パックによる人工透析みたいね」
「言い得て妙だな。ともあれ、香月女史が私達を完全に信用する11月11日まで後20日前後。それだけあれば、一ヶ月分ぐらいは作れるだろう」

 成程ね、と香月は頷くが、三神は小さく首を振った。

「やれやれ。本格的に鈍っているようだな香月女史。昨日と違って冷静ではあるようだが睡眠が足りていないぞ。―――普段の貴方ならこの程度のこと私の手を借りなくても気付けたはずだ」
「うるさいわね。このクソ忙しい時期に呑気に寝てられないのよ」
「ではその忙しさに拍車を掛けてやろう」

 言って、三神は懐からデータディスクを取り出し香月に渡す。

「―――これは?」
「不知火用の追加噴射機構の設計図だ。昨日の内に作っておいた。香月女史の事だから、どうせもう私と武の不知火は発注しているのだろう?それが届くまでに開発の連中に言って作らせといてくれ。最初は二機分でいい」
「なんでよ?」
「それはどっちの意味だね?」
「両方よ」
「今の私と武では不知火は不足すぎる。例えXM3を載せてもな。だが、それを使えば不知火・弐型とはいかなくても、多少マシな機動力を得られるだろう。無論、機体に掛かる負担は今まで以上になるだろうが。ヴァルキリーズの分を作らないのは、今の彼女たちでは持て余すだろうと踏んだからだ」
「そう言えば聞いたわよ?朝、連中を叩きのめしたって」
「何、附抜けているところを軽くあしらっただけだ。―――次は油断してこないだろうから、多分頑張って半壊できれば良い方か」

 十二機相手に完全勝利しておいて何言ってるんだか、と香月は呆れるが言及はしない。今更この男や白銀の腕を見くびる程彼女も甘くないのだ。
 特に自分は昨日、彼等の機動を間近で見ているのだから。

「で、11月11日にXM3とあわせて実戦証明するって事?」
「ついでにお披露目もしたいと考えている。―――だから鎧衣課長を紹介して欲しい」
「別に構わないけど―――あんたはどういうプランを組んでるつもり?」
「簡単だ。―――鎧衣課長を通じて秘密裏に殿下にお目通りする」
「―――まさか」

 その一言で香月は悟る。

「そのまさかだよ。―――殿下を含め、その忠臣には私達の正体を知って貰う。そして香月女史と同じように11月11日のBETA侵攻を以て信用して貰う」

 何故か、と三神は一言を置く。

「このまま推移していけばBETA侵攻、クーデター、甲21号作戦で日本は大きく戦力を減らしてしまう。BETA侵攻やクーデターはともかく、横浜にとって甲21号作戦はオルタネイティヴ4を完遂させるための第一段階だ。故に万全を期さねばならない。―――その地盤である日本には体力を温存して貰わないと困るのだよ」

 いくら三神と白銀の情報提供によって、BETAの社会構造を知ったと言っても、それを証明する手だてが特定のBETA侵攻のみでは因果律量子論を掲げる香月はともかく、事情を知らない国連上層部が納得するはずがない。となればいきなり『桜花作戦』を展開できるはずもない。
 それを行うためにも、やはりBETAの社会構造は00ユニットを通じて明らかになった、とした方が波風が立たないのだ。
 更にG弾を使わずハイヴ制圧出来れば最早誰も文句を言うまい。米国あたりは言いそうだが、少なくとも国内にハイヴを抱える国はオルタネイティヴ4を支持するだろう。
 そしてそこで得た発言力を以てして『桜花作戦』を展開するのが理想の流れである。
 であらば、甲21号作戦は絶対に行う必要があり―――尚かつ負ける訳にはいかない。
 前回の作戦中、フェイズ4であるにも拘わらず、佐渡島ハイヴはそれ以上のBETA群を抱えていることが分かった。
 それを踏まえると前回以上の戦力が必要となる。
 であらばどうするか。
 決まっている。11月11日のBETA侵攻で被害を極限までに抑え、続くクーデターはそもそもそれを起こさせない。いや、表面上は起こさせるが、血を流さない終結に導く。
 また、甲21号作戦開始を予め年末に設定しておくことにより、オルタネイティヴ4凍結に牽制打を入れておく。更にはそれまでに帝国側の投入戦力や弾薬を確保しておく必要がある。
 しかしながら国連軍所属の香月や三神、白銀にはそれをするための権限は無い。だが無いなら無いで、権力を持っている者をこちら側に引き込んでしまえばいいのだ。
 それこそが現政威大将軍煌武院悠陽殿下その人である。
 現状、その権力は形骸化してはいるものの、今尚多岐に渡って日本国民に影響力を与えられる立場にいる。

「故に、私はクーデターを利用して日本と横浜基地から邪魔な米国を一掃するつもりだ。その上で大政奉還に繋げ、甲21号作戦における日本の戦力を盤石なものとする」
「その信用を勝ち取るためにBETA侵攻さえ利用する、か………。あたしと同じ交渉術って事ね」
「不服かね?」
「まさか。今のところあたしとしてはメリットしかないわよ。この基地は日本にあるんだしね。―――いいわ。鎧衣課長を紹介してあげる。この不知火用の追加噴射機構だっけ?それも作らせておくわ」

 機嫌良く言いながら香月は思う。やはりこの手の戦略を考えれる腹心は欲しいな、と。しかしながらそれも彼女自身が00ユニットになるまでの間しか重宝しないとなると、皮肉なことこの上ないが。





 PXにて神宮司は夕食を取っていた。合成かに玉丼を突きつつ、向ける視線は同じPXの一角。普段207B分隊が使っている席だ。

「………委員長、冥夜、彩峰、たま、今日からお前等の事をこう呼ぶことにする!」

 女四人に混じって、今日着任した新人教官である中尉はそれぞれをびしりと指差しつつ声高らかに宣言する。
 それを半ば呆れながら見て神宮司が思うのは、やはり白銀武という一人の中尉のことだ。中尉という階級を持ちながら、しかしそれを笠に着た言動はせず、訓練兵に同年代として接する。
 無論、訓練中は最低限の公私は分けているようだが、それでも彼女らに向ける眼差しは幾分か優しげなものがあった。

(………普通、あの歳なら彼女たちに鼻の下を伸ばしてもおかしくないんだけど)

 神宮司からして見ても、207B分隊の女としてのレベルは高い。それに見向きもしない彼はまさか同性愛なのか―――等と一瞬勘ぐってしまったぐらいだ。

(訓練でも気を抜いている様子はないし)

 午前中は基礎訓練を行い、午後は白兵戦の模擬戦を行った。それぞれの能力を知りたい、と白銀は神宮司に告げると、一対一で彼女たちと試合し始めた。
 207B分隊は、そのチームワークはともかくとして個人技の腕言えば正規兵に匹敵する。本人達は自覚がないようだが、神宮司は当然見抜いていた。

(―――まさか、全勝するなんてねぇ)

 榊や珠瀬に関してはまぁまず間違いなく勝つとは踏んでいた。彼女達がその真髄を発揮できるのは白兵戦ではないからだ。
 だが、御剣や彩峰となると話は違ってくる。
 それぞれ剣を用いた近接戦闘、素手での格闘戦を得意とする彼女達だ。完膚無きまでに―――とまではいかないだろうが、勝っても辛勝、あるいは僅差で負ける可能性もあるだろうと神宮司は読んでいた。
 さて午前中、散々奮起剤を投入してくれた新人教官に、一太刀浴びせてやろうと挑み掛かる二人だが―――結局、掠りもせずに敗北を喫することとなる。
 これには207B分隊どころか神宮司さえ驚いた。彼女でさえ長年培ってきた経験と勘で一対一ならば負けはない、程度なのだ。それぐらいに御剣と彩峰の実力は高い。
 いくら最前線で戦ってきたとは言っても、白銀の年齢は十七。初見であの二人に無傷で勝利はない―――その場の全員が思っていた。過大評価でも過小評価でもなく、純然たる事実として。
 しかし蓋を開けてみればどうだ。
 彼は戦いながら、まだ余裕があるようだった。
 それは極力戦闘を長引かせ、相手にアドバイスをしていたことからも見て取れる。

(まだ上があるのよね………)

 親友の肝煎りで回ってきた新任教官だが、なかなかどうして底が知れない人物だった。同じ教官として、負けてられないと神宮司は思う。

「失礼、軍曹。相席しても良いかな?」

 神宮司が今後の抱負を抱いていると、横合いから声が掛けられた。見やれば大小二つのアンバランスな組み合わせだった。
 背が小さいのは社霞―――彼女については知っていた。親友の助手をしている少女だ。
 背の高い方は―――初見だ。見たところ自分より少し年下のようだが。階級章を見やると―――。

「しょ、少佐っ………!?はっ!どうぞこちらへっ!」

 それを認識した途端神宮司は機械人形のように立ち上がり、敬礼する。年若い少佐は軽く苦笑すると、そう畏まらないでくれと言う。

「飯時に堅苦しくする必要はない。確かにここは軍隊だが―――私は香月女史の直属なのでね」

 つまり、堅苦しいのが嫌いと言うことだ。

(夕呼に掛かれば軍規も何もないわねほんと………)

 半ば諦めてはいるが、改めて親友の奔放さに呆れる。

「さて―――初めましてだ神宮司まりも軍曹。貴方の事は香月女史から聞いている。私は三神庄司。階級は少佐だ。よろしく」

 社を伴って対面に座ると年若い少佐―――三神はそう名乗った。

「こちらこそ宜しくお願いします、少佐。それはそうと―――私に何か御用でしょうか」
「何、飯を食うのに適当な相手がいなくてね。いい加減この娘―――霞も誰かと喋りながら食べる食事の楽しみを知って欲しかったのだよ」
「は、ぁ………?」

 ちらり、と神宮司は彼の横の椅子に腰掛ける社に視線をやった。確かに彼女はあまりPXで見かけない。いたとしても、香月がいつも一緒だった。
 確かに珍しい組み合わせではある。

「まぁ、もう一つ理由もあってね」

 三神は笑みを浮かべながら訝しがっている彼女に視線を外し、社と揃って『いただきます』と手を合わせると合成鯖みその身をほぐし始める。

「今日、そちらに白銀中尉が着任したと思うが、彼についてだ」
「白銀中尉ですか」
「ああ。あいつとは長いつき合いでね。まぁ、手の掛かる弟みたいなものだよ。本当はあいつと食べようとも思ったんだが―――なかなかどうして、うまくやっているようなのでね」

 ちらり、と向ける視線の先には白銀と207B分隊の四人。傍目から見ても和気藹々としていて、今はまだ余所者の三神が割って入れる雰囲気ではない。
 たった一日でこうなるとは流石恋愛原子核―――等と三神は苦笑しつつ、神宮司を見やる。

「軍曹には迷惑を掛けるとは思うが、あいつの事を宜しく頼む。頑張ってはいるが―――あれで年相応な部分があってな」
「い、いえ。中尉は目を見張る程の実力をお持ちになる傑物です。そして、初見で207B分隊が抱える問題を看破し、それを乗り越えるよう声を掛けてらっしゃいました。―――むしろ、私の方が足を引っ張ってしまいそうで」

 これは神宮司の偽らざる本音だ。上からの圧力があったとは言え、鬼軍曹と呼ばれる彼女でさえ207B分隊の扱い―――特に『特別』な事情に関しては慎重にならざるを得なかった。
 しかし白銀はそんなこと知ったことか、と四人の間に割って入り、仲間の大切さを説いた。知らないのではなく、知った上で無視したのだから神宮司は驚きを隠せなかった。

「まぁ、確かに実力はある。軍人としても衛士としてもな。特に衛士としては天才的と言っても過言ではない。―――しかしやはり彼も十七の少年だ。私も目の届く範囲では気を遣ってはいるが、それでも限界はある。人生の先輩として目を掛けてやってはくれないかね?」
「はっ。私などでよろしければ」
「それでは困るな軍曹」

 即答する神宮司に、苦笑しながら三神は首を横に振る。

「神宮司軍曹が必要なのではなくて、神宮司まりも個人が必要なのだよ。―――それに言われなかったかね?公私は分けるが階級に関係なく接すると。つまり、あいつ自身もそうされることを望んでいるのだよ」

 そう言って浮かべる優しげな表情に、神宮司も表情を緩めた。

「分かりました少佐。階級がある分いつも、とはいきませんが―――出来うる限り白銀中尉には個人として接することにします」

 それでいい、と三神は頷くと食事を再開しかけ―――ふと、隣の社に目をやった。

「―――霞。好き嫌いを止めなさい」

 びくぅっ、と子うさぎさんが硬直する。にんじんを除けるために箸で摘んだままで。そして恐る恐る三神の方に視線をやると、目が合う。
 しばしじぃ、っと無言の応酬を繰り広げる二人。
 それを何だか親子のやりとりのように思いつつ、神宮司は二人の無言の筈の会話の内容を悟った。
 お父さんは『食べなさいと』圧力をかければ娘さんは『嫌です』と涙目で訴える。
 娘さんが『苦手です』と不安そうに視線を寄越せばお父さんは『食べないと大きくなれないぞ?』と諭す。
 やがて『大きくなりすぎてブーデーになります』と小理屈をこね始める娘さんだが、『神宮司軍曹が見ているぞ?良いのか?社霞はにんじんも食べられないお子ちゃまだと思われるぞ?人の口に戸は立てられないと言うし、きっと基地内で噂になるだろうなぁ』とお父さんは半ば脅迫じみた説得を始める。
 ややあって、社はしばらく不満そうな表情を浮かべ―――因みに彼女のそんな表情を見るのが初めてだった神宮司は呆気にとられていた―――意を決し勢いよくにんじんを摘んだままの箸を口へと投入した。そしてほとんど咀嚼することなく嚥下。
 本当はきちんと噛んだ方がいいんだけどなぁ、とかまぁそれは追い追い慣らしていけばいいか、等と三神は思いつつ社の頭に手を置いて撫で始めた。

「よくがんばったな」
「………………三神さん、卑怯です………」
「私の本業は交渉だからな。―――卑怯は褒め言葉だ」

 そんなある意味微笑ましいやりとりを半ば唖然と見つつ、神宮司は驚愕の事実を目の当たりにする。
 向かう視線の先は、三神の鯖味噌定食が―――あった皿。既にそこに食品と呼べるものは乗っていなかった。なんといつの間にか完食し終えていたのだ。

(え………!?ちょっと前まで手も付けてなかったわよ、ね………?)

 元教え子である風間並の早食いだ、と神宮司は絶句しているが三神からしてみればその風間の為に覚えたいわば一つの男の意地であった。
 前の世界で関係が深くなるに連れて、二人で食事を取る回数も増えていったのだが、当初は彼女が先に食べ終えることが圧倒的に多かった。必然、食べた後に彼女を待たせることとなるので―――これは男として何とかせねばと一念発起したのだ。
 それ以外にも最前線任務の時には早食いは必要になるので、実用面でも必要なことではあったのだ。
 結果、三神は他人に悟られることなく高速でしかもきちんと味わいながら食べる等という器用な芸当を身につけるに至った。
 無論、今はそんな事をする必要は全くないのだが悲しいかな、既に数十年近くそうしてきたためか、半ばオートで早食いスキルが発動する。今回もその例に漏れず、無意識に早食いしていたようだ。

「ん?どうしたかね軍曹。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「え、いえ………その、少佐がいつの間にか食べ終わってらっしゃったので………」
「ああ、これか。常在戦場の心得、と言えば格好はつくかね?」

 しれっとそんな事を宣う三神に、神宮司はしきりに感心していた。





「くっはーっ!疲れたーっ!!」
「と言いつつまだまだ元気そうだなこの変態」
 深夜のシミュレーター室の一角で、手にしたペットボトルに入った水を一気飲みして親父臭い動作でベンチに仰向けになる白銀に、若干憔悴した三神が毒舌を放っていた。
 既に日付は変わって二時間程経っている。夕食後、普段ヴァルキリーズが使うシミュレーター室で落ち合った二人は、XM3β版の動作確認と最終調整をこなすために兎に角無茶苦茶な機動を―――合間合間に休憩を挟みながらではあるが―――半ばぶっ続けでしていたのだ。

「変態って何だよ変態って………いやもう言われ慣れたけどさ」

 反論し掛けてすぐに諦めに入る白銀。最早言うまでもないとは思うが、無論彼の戦闘機動のことである。本人の名誉の為に言うと、決して性的な意味ではない。

「って言うかそんなオレに着いてこれる庄司も変態仲間だと思うけど?」
「変態を理解するのと変態になるのとではまた違うぞ武」
「んがっ!?」

 せめてもの仕返しにお前も同類だと切り返してはみるが、流石に舌を武器にするだけあって更に切り返されてしまった。

「あたしからしてみれば七時間近く揺られっぱなしで疲れたで済むアンタ達は十分に変態だけどねー」

 二人がそんな軽口を叩き合ってると、横合いから香月が社を伴って呆れた様子で声を掛けてきた。

「先生、調整の方はどうですか?」
「もう終わったわ。と言うより、アンタ達の無茶な機動でバグも確認できなかったから、昨日の調整段階で『終わってた』と言った方が正しいかしらね。時間を無駄にした気分よ」

 そう言って白銀をじろり、と睨め付ける香月に白銀と三神は思う。仕方ないとは言え相当機嫌が悪いなコレは、と。
 と言うのも香月にも、そして白銀達にも理由がある。
 香月としては昨日入手した数式を元に00ユニット基礎理論を組み直している真っ最中であるし、白銀達にとっては最終調整に目を通せる人間は香月以外いなかったためである。
 前者はともかく、後者は三神や社でも十分でしょと宣った香月ではあるが、XM3は彼女が作った高性能並列処理コンピューターが地盤となっているので、彼女以上にそれを理解している人間はいない。そして更に言うと、XM3に叩き込むべき三次元機動は白銀と三神では異なる為、シミュレーター要員に二人取られてしまう。
 白銀は根本的に別次元の三次元機動。
 三神は現在の二次元機動から進化させた三次元機動。
 何故、このように二つの動作パターンが必要になるのかというと、XM3を扱うのは最初こそ旧OSに慣れたベテラン衛士だが、これが普及して行くに連れ、訓練兵の段階から扱うこともあるだろう―――といった将来性を踏まえてのことだ。
 故に、二人同時にシミュレーターに乗る必要があり、それでは調整をする人間が社一人になってしまうのだ。
 それは流石に大変、という事で香月に協力を依頼したのである。

「まぁ、そんな拗ねるな香月女史。これは諸外国に対する貴方の手札にもなるし、何よりBETAに勝利するためには00ユニットだけでは無理だ。―――戦力は満遍なく整えなくてはな」

 機嫌の悪さを隠そうともしない香月に、三神は宥めるように諭し始めるが、当の本人は分かってるわよと一蹴する。
 そう、香月も分かってはいるのだ。
 白銀と三神が来るまでの香月はそれに気付かなかった。―――いや、その可能性に薄々気付きつつも心の何処かで認めたくなかった。
 オルタネイティブ4の根幹を成す00ユニット―――即ち、対BETA諜報能力があれば、戦況をひっくり返せると香月は思っていたのだ。
 それは確かに正しさの一面を持ち合わせてはいる。
 人類同士の戦いも、近代化が進むに連れて情報戦がモノを言うようになってきた。
 BETAに対しても同じ事が言える―――確かに、相手を知ると言う意味では間違いではない。だが、知ったところで覆せないものも確かにあった。
 BETA最大の脅威―――即ち、物量。
 白銀と三神によって図らずもオルタネイティブ4完遂を宣言しても良いような情報を既に手に入れた香月ではあるが、究極的に彼女が望んだのはBETAの弱点―――物量に対する、絶対的な優位性だ。
 火に弱い、水に弱い。そんな目に見えて分かりやすいもの。しかし現実にはそんなものはなかった。
 だからといって、魔女はそこで思考停止はしない。ならば別の方法を以てして、物量に対抗する。
 同じ物量では対抗できない。人類は既に十億人程度しか残っていないし、その中で戦える者も、戦術機にだって限界がある。
 であらば質を上げていくしかない。
 まず先だっては、このXM3。続くようにして00ユニットによって運用できるようになるXG-70。そして00ユニットになって初めて手に入るはずの―――。

「ま、いいわ。アンタ達が来てもう三日目―――いいえ、正味一日でXM3は先行量産が可能になった。そしてその影響であたし自身の研究も捗り始めた。これは喜ぶべき事ね。さて、これを踏まえて今後動いていくことになるけど―――何か他に要望はある?」

 その場にいた全員が戦慄を覚えた。
 何しろあの香月夕呼から何か欲しいものはある等と聞かれたのだ。裏を返せば、それを叶える代りに何か寄越せと言外に言われている気がしてならない。
 いや、通常時の香月ならば問題あるまい。だが、今は割と機嫌が悪いはずだ。下手な要求は、只でさえ短い導火線に火を付ける行為に等しい。
 ―――と言うよりも、他になんか文句あるかコラァと凄まれているだけにしか思えない。

「何よ、あたしがアンタ達に便宜を図るのがそんなに意外?」
「意外というか………」
「香月女史の場合、等価交換ではないからな………」
「失礼ね。まぁ、確かにあたしも誰も彼も便宜を図る訳じゃないけど、アンタ達は別よ」

 考えてもみなさい、と香月は言う。

「アンタ達はあたしの研究に最大級の貢献をし、あたしの戦力となり、更にはあたしの手札を増やした。確かに今はまだ完全に信用した訳じゃないけど、アンタ達は今現状のあたしが望みうる全ての要求を満たしているのよ?あたし自身がアンタ達をつなぎ止めるためにご機嫌取りをしてもおかしくはないわ」

 場所が場所だけに00ユニットの事は口にはしないが、それだけに彼女の言葉は信憑性を持たせた。

「ふむ………。では武、頼んでみたらどうだ?今晩一緒にベッドで組んず解れつどうですか、と」
「ばっ………!オレは別に夕呼先生なんて」
「年下は性別認識圏外よ。―――白銀。あたしなんて、何かしら?」

 三神の茶化しに二人同時にそれぞれ突っ込みを入れ掛け、香月が耳敏く白銀の失言を聞き取って睨む。それにひぃっと後ずさりしながら怯える白銀を横目に、やれやれと三神は首を横に振る。

「まぁ、今のところ私の要望はないな。強いて言えば、明日からA-01を鍛え始めるからシミュレーター室を占拠することと、勝手に使われないように最初はロックしておいて欲しい―――ぐらいか」
「それぐらいなら構わないわ。と言うよりここはA-01用のシミュレーター室だからね。機能説明しながら教えた方が良いでしょうし、ロックの方もやっておくわ」
「後の要望は………まぁ、追い追い言うとしよう。ほら武、次はお前の番だぞ?」

 話を振られ、しかし睨まれた後遺症か、おっかなびっくりの様子で白銀は言う。

「あの、207B分隊の総戦技演習を早めにして貰いたいんですけど………」
「別に構わないけど、何でよ?」
「出来れば、11月11日に間に合わせたいんです」
『っ………!』

 白銀の発言に声にこそ出さなかったが、三神と香月―――それから成り行きを無言のまま窺っていた社までもが息を呑んだ。

「白銀。アンタ本気?」
「正気、とは聞かないんですね?」
「質問を質問で返すのは良くないな武。―――訓練兵を戦場に持ち込む気か?」

 珍しく硬い声で咎めるように問う三神に、白銀は神妙に頷いた。

「そのつもりだ。―――次を逃すと、その次は佐渡島だから」

 言われ、二人は気付く。彼の語る『前の世界』で、11月11日以降、幾つかの戦闘またはそれに類似するイベントはあるものの、本格的な初陣、対BETA戦は甲21号作戦となる。XM3トライアルの時は207B分隊はまともに戦闘に参加していないのだ。
 白銀は、そんな大規模な作戦を彼女達の初陣にさせたくはないと思っている。
 あの作戦の後―――衛士の流儀こそあった為に、各々の心中こそ知ることはなかったが、きっと誰もが自分と同じように悔いていたはずだ。
 もっと力があれば、伊隅や柏木を死なせずに済んだのではないかと。
 無論、そんなものは只の驕りだ。
 事実、彼女達が命を落したのは凄乃皇弐型の制御が効かなかったため―――より正確に言うならば、白銀の記憶が原因だ。
 彼女達はそんな十字架を背負う必要はない。
 だがそれは00ユニットの秘密に直結するため、白銀は彼女達を慰めることさえ出来なかった。

「あいつ等には才能があります。それも、生き抜けば世界有数の実力者になるぐらいの。こんな所で燻らせておくのは正直惜しいですし、精神的な意味でも技術的な意味でも鍛えられる内に鍛えておきたいんです」
「随分とスパルタなのね?」
「まりもちゃんじゃありませんけど、オレはいくら憎まれても恨まれても構いません。あいつ等が少しでも早く自分の足で立って、生きる為に、戦い抜く為に走り出せるなら―――オレはBETAだって利用します」

 この先、彼女達の生死に直結するのは紛れもなくBETAだ。であるならば、それを正しく認識させるために実戦に放り込んだ方が手っ取り早い。
 今はまだ、訓練兵という立場上、白銀や神宮司が護ってやれる。戦場に関しても、敵の少ない後方を選ぶことが出来る。
 だが任官してしまえば戦地は選べない。
 特に彼女らは00ユニット素体候補―――即ちA-01に所属することが既に決まっている。故に、戦地は常に激戦区。確かに腕の立つ仲間達はいるが―――死の八分は、それをも食い破りかねない。
 前の世界ではトライアルの時の影響か、甲21号作戦では大した動揺はなかった。
 しかし今回、白銀はトライアルでBETAを放つつもりはない。三神がいるとは言え、BETAを殲滅ではなく捕獲するとなると、A-01に損害が出る可能性があるのだ。今はまだ香月にその事を告げてはいないが、11月11日までにはその旨を伝え、そもそも捕獲をさせない。
 基地内の空気に関しては、別の手を考えるつもりだった。

「………ま、いいわ。どのぐらい早めるの?」
「美琴―――鎧衣の退院を早めて、出来れば10月の終わりに。演習内容も変えて、二、三日で終わるようにします」
「演習を簡単にするってこと?」
「はい。と言っても、病み上がりの鎧衣が良い感じに足を引っ張ると思いますから難易度自体は変わらないでしょう。元々あいつ等は正規兵に匹敵する実力はだけは持ってますから、問題はないでしょう。それに―――正直、総戦技演習に大して意味は無いですから」

 総戦技演習は戦術機のベイルアウト後を想定する。だが、そもそもベイルアウトが出来る状況になる方が稀だ。衛士としては、突撃級に体当たりされたり、要撃級の前足で貫かれたり、戦車級に集られたりした時点で大抵詰む。勘違いされがちだが―――そもそも戦術機は歩兵にすら落されかねない脆弱な装甲しか持っていないのだ。BETA相手になれば、それこそ一撃保てば御の字だ。
 そしてよしんばベイルアウト出来たとしても、戦場の直中で身一つになってしまえば、例え強化外骨格があったとしても中型級以上に踏みつぶされるか、小型級に食われるか―――いずれにしても生き残れる可能性は低い。
 であるならば、もしもの状況を想定して只でさえ低い可能性を数%伸ばすのではなく、そのもしもの状況を作り出させないために衛士として腕を磨いた方が幾分かマシだ。
 特にA-01はこれからハイヴに幾度と無く潜ることとなる。そんな状況下でベイルアウトするよりは、S-11で自爆した方がまだ犬死ににはならないだろう。
 故にこそ、白銀は総戦技演習に大して意味はないと考える。

「ふぅん―――次に失敗すれば彼女達、終わりよ?夏に一度落ちてるからね」
「それならそれで構いませんよ。民間人になれば今より安全―――とまでは言いませんが、それでも少しはマシでしょうし、何よりもう軍に関わることもないでしょう」

 如何に戦術機特性があるとは言え、二度も総戦技演習に落ちた無能は、何処の軍だって受け入れたがらない。特に彼女達は『特別』な背景がある。歩兵にすら回されないだろう。いや、彼女達がいくら望んでも、周りが二度総戦技演習に落ちたことを理由に徴兵免除を以て束縛するに違いない。
 そうなったらそうなったで、彼女達は危険からは遠のくのだ。白銀としては是非もない。生きていればそれでいい、とまでは言わないが―――それでも彼女達は与えられたチャンスをモノに出来なかったのだ。文句は言えないだろう。

「やっぱりアンタ、甘いのね」
「身内にだけですって」

 勿論夕呼先生にも甘いですよ、と何の気無しに言う辺り、流石は恋愛原子核だ。邪気もなく言われ、さしもの香月もそっぽを向いた。少しではあるが、頬が紅い。
 それに助け船を出す訳でもないが、三神は吐息と共に白銀を見やった。

「武の気持ちは分かった。私が必要な時は遠慮無く言え。空いていればいくらでも手を貸そう」
「頼りにしてるぜ、庄司」

 男の友情宜しく拳と拳をぶつける二人を、どこか羨ましそうに社が見ていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第六章     ~守護の理由~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:15
 10月24日

 目を覚ましてみれば、午前九時を過ぎていた。

「おぉう………」

 妙な呻き声と共に、三神はのそのそとベッドから這いずり出る。
 昨夜XM3の最終調整を終え、シャワーを浴びてそのまま床についたのが午前三時前。おおよそ六時間は寝た計算になる。
 彼としてはこのまま二度寝に突入しておきたいところだが、今日からヴァルキリーズの教導を始める為に、そうも行かなかった。
 仕方なしに起きることにする。適当に洗顔と歯磨きをして、軍服ではなく強化装備を着る。朝食を摂るためにPXに行っても良いが、どのみち後三時間程で昼時だ。

「んむぅ………」

 重たい瞼を擦りつつ、部屋を出る。そしてそのままシミュレーター室へと足を向けた。
 因みに前のめりにのそのそ歩く彼の姿を何事かとすれ違う人々が見るが、本人は気にならないし気にしない。血圧が低いために、どうしても起き抜けは動きが鈍いのだ。
 最も、これが実戦となればまたスイッチが切り替わるのだが―――今は幸か不幸か日常の範疇である。
 それはともあれ、しばしあって彼はシミュレーター室へと到着した。中に入ってみると、二十以上あるシミュレーターの内、十二機と管制室が稼働中だった。疑う余地もなく、ヴァルキリーズが訓練中なのだろう。
 一度終わるまで待ってようかとも思ったが、それも不毛なので管制室にお邪魔することにした。
 管制室の扉を音もなく開くと、こちらに背を向ける形で涼宮遙中尉がコンソールに手を這わせていた。外出力モニタには、ヴァルキリーズがハイヴ内で戦闘している様が映し出されている。

(いや、戦闘じゃないな)

 よく見ると、ハイヴ内を駆け抜ける十二機の不知火はいずれも非武装。跳躍し、壁を蹴り、時にはBETAを踏んづけたりして奥へ奥へと進んでいく。
 ―――先日三神が作った三次元機動教習の真っ最中らしい。
 どの程度腕が上がったか聞いてみることにした三神は、足音も立て涼宮姉の背後に立つと。

「―――おはよう涼宮中尉」

 肩を叩いて声を掛けた。

「ひゃっ………!」

 びくぅっと後ろめたいことは何もないはずなのに、彼女は飛び上がって後方を確認すると、すぐさま直立姿勢を取って敬礼する。

「み、三神少佐っ………!?お、おは、おはようございます!」
「ああ敬礼はいらんよ。君もまだ訓練中だろう。私の相手など片手間で良い」

 ならもっと普通に声を掛けろよ、とこの場に白銀がいれば突っ込んだだろう。

「それよりも皆の調子はどうだね?」
「あ、は、はい。昨日ずっとやってたお陰か、みんなBETAのかわし方のコツを少しずつ掴み始めたようです」
「ふむ。私の強化装備に昨日からの被撃墜データを回してくれるかな?」

 言い切るが早いか否か、すぐに三神の網膜投影に伊隅ヴァルキリーズの被撃墜データが回ってくる。それを仕事が速いなぁと感心しつつ、三神は目を通した。
 全体的に通して確かに被撃墜率は低下してきている。
 特に前衛組の伸びは高く、その中で一際―――というよりも最初から被撃墜率が低い者が一人いた。
 ―――築地だ。
 気になって視線を外出力モニタを見やってみると、彼女の駆る不知火の動きが妙だった。いや、妙と言うよりは。

(―――猫っぽいな)

 それはどことなく自分の機動に近い気がする、と三神は思う。彼自身が意識して生み出した訳ではないのだが、彼と試合う機会のあった者達が言うには、彼の機動は狼のそれに良く似ているそうだ。
 低空を疾駆し、三次元機動を駆使し、更には他に追随を許さぬ高速地上機動。それらを高い次元で融合した彼の高速機動戦闘法は、確かに狼のそれを彷彿とさせた。
 対する築地は、まだつたないながらも回避という一部分に関しては他の皆より突き抜けていた。
 どうやって後ろから来る突撃級や真上から降ってくる要撃級を避けているのか―――おそらく本人も分かってはいまい。
 あれは勘だ、と三神は思う。
 獣のように鋭く、そしてそれを疑うことなく動作に移せる程の―――絶対的な勘。流動的な戦場の空気を読みとることの出来る者だけが身につけうる、最強の危機察知能力。
 その片鱗が、彼女にはあった。

(後は―――こいつか。紫藤あやめ)

 次に視線を向けたのは、中隊内で一番被撃墜率が高い女だ。だが、その内訳の全てが『仲間を庇った』為となれば話は別だ。
 おそらく、それらを除けば築地と同等か、それ以上の危機回避能力を発揮しうるだろう。
 何せ彼女は自分は勿論―――他人の危機さえ察知しているのだから。
 今はまだ身を挺して庇うことしか知らないようだが、適切な援護能力さえ与えてやれば、隊の損耗率は驚く程低下するに違いない。

(面白いな、コレは………)

 他にもまだ原石と呼べる人材がいる。光り始めている人材もいる。今現在は取り分けこの二人に目が行っているだけで、別の分野になればまた違う才能を発揮するだろう。その瞬間に立ち会えることを思うと、三神の身体は喜びに奮えるのだ。
 そして思う。時間逆行しても教官やっていた頃の感覚は消えないのだな、と。

(いいだろうヴァルキリーズ。貴様等に『俺』が知りうる全ての技術をくれてやる。月面戦争まで戦い抜いた英雄の技術をな)

 我知れず、獰猛な気配を振りまく三神に、前にいた涼宮は何故か悪寒を感じた。





「―――と言う訳で、新型OSであるXM3はこのコンボ、キャンセル、先行入力の概念を新たに取り入れた新時代のOSだ。これはおまけだが、即応性は三割り増し、と。………まぁ、まず間違いなく戦術機業界に革命を起こすだろうな」

 ブリーフィングルームにて、三神はヴァルキリーズにXM3の基本説明を行っていた。
 ホワイトボードに簡略した概念をなるべく分かりやすく書きつつ、回された資料と見比べながら情報を整理しているヴァルキリーズの面々を見やる。
 XM3説明会に対する彼女らの反応は、伊隅を除けば困惑一色だった。
 と言うのも無理はない。
 今まで使ってきたOSとはかけ離れた設計理念。それによる操縦概念の根本的転換。
 旧式のOSでさえ数々の犠牲の上に、無駄を無くし、バグを潰し、性能を向上させてきたのだ。
 しかしそれを―――少なくともスペック上では圧倒的に凌駕するOSが現れたのだ。興味がないはずがないし、嬉しくないはずがない。何より、誰よりも先に自分達が触れられるのだというのだから尚更だ。
 だが―――圧倒的に凌駕しすぎている故に、逆に彼女達は実感が湧かなかったのだ。
 そして香月の直下であるが故に実戦に多く触れてきた先任達は思う。果たして、このOSは実戦で使えるのかと。
 実戦証明偏重主義という訳ではないが、やはり自分の命を預けるものだ。当然、些細なことでも気を遣う。それが戦術機を動かす上で必要不可欠であるOSともなると尚更だろう。
 戸惑うヴァルキリーズの様子をいち早く察した伊隅が、安心させるように口を開く。

「私は先んじて使ってみたが―――世界が変わるぞ?」

 前の世界でだけどな、と心の中で苦笑する伊隅。だが、前の世界のXM3を元にしている以上、今回も同じ―――あるいはそれ以上の性能を発揮するはずだ。

「へぇ~大尉がそう言い切るってことは、スペック上だけじゃないんですね?このXM3は」

 口元を緩めて問うのは速瀬だ。気配が既に臨戦態勢に入っており、すぐにでもシミュレーター室に突撃しそうである。

「おやおや、流石戦闘狂の速瀬中尉ですね。―――昨日少佐に瞬殺された癖に」

 しれっと爆弾発言を投下するのは宗像美冴中尉だ。そしていつものように速瀬が宗像をロックオンする。

「む~な~か~た~?」
「って紫藤が言ってました」
「紫藤ーっ!」
「否定。我、無言」

 漢字の片言で首を横に振るのは、ショートヘアの少女―――紫藤あやめだ。風間と同期でもある彼女は、余程のことがない限り、今のように漢字の片言でコミニュケーションを取る。
 きちんと喋るのは、軍人として公の場にいる時や、上機嫌の時だけだそうだ。よく軍人として今までやってこれたなと思う三神だが、A-01はその特性上、外部に触れることはないので矯正する必要もなかったのだろう。

「もう駄目よはやちゃん。しぃちゃん困ってるじゃない」

 ぎゃぁぎゃぁ騒ぐ速瀬を窘めるように、セミロングの女性が口を挟む。鼻血女―――もとい、式王寺小夜中尉である。
 速瀬とは同階級だが先任なので、伊隅に次いで隊内での発言力があった。

「そうだよ水月~。ほ、ほら少佐が見てるよ?」

 涼宮遙中尉が式王寺に賛同し、三神に無理矢理話を振る。それに呼応して、皆が居住まいを正した。やはり昨日の一件が効いているようだ。

「まぁ、説明は終わったし、訓練中でも実戦でもないしいくら喋ってくれても構わないが―――長引くなら煙草吸わせてくれ。終わるまで待ってるから」
「た、煙草って………衛士は身体が資本なのに………」

 涼宮茜少尉の小声の突っ込みに、しかし三神は肩を竦め。

「病死だろうが戦死だろうが、生きてる以上死ぬのは変わらない。だったら私は好きなことを好きなだけやってから死ぬ。人生は短いんだから、君らも謳歌するといいぞ?」

 何の気なしに放った三神の言葉に、皆が絶句する。その言葉の受け取り方次第では、死にたがりと思われても仕方がない。
 だがそこまで考えて、伊隅は気付く。
 彼はもう三桁人生をやり直しているのだ。その原因こそ知らないが、おそらく彼の言葉は、生きるだけ生きた者だけが辿り着いた末に得られる一つの答えなのだろう。
 しかしそんな事を知らない他の面々は、訝しがるように三神を見やる。

「少佐は………死ぬのが、怖くないんですか?」

 静寂の中、問いかけたのは風間梼子少尉。
 三神は何を考えたのか、数秒だけ目を瞑って。

「死ぬのは―――そうだな、私にとってはただの通過儀礼だ。怖くはあるが、どう足掻いたところでいずれ訪れるものだし、要はそれが早いか遅いかの違いだけだろうと思っている」

 だがな、と三神は告げる。

「ありふれた言葉だが―――私は人が本当に死ぬのは、誰かに忘れ去れた時だと思っている。どう生きたかは問題じゃない。どう死んだのだって過ぎてしまえば仕方のないことだ。だがどう忘れられるか―――私は、それが一番怖いよ」

 それは自分が何度も体験してきたことだ。

「その人の幸せに埋没して、私という存在が忘れられるのならそれでいい」

 幾度と無く誰かと出会い、どちらかが死ぬことで別れ。

「その人が私の死を悲しんで、覚えててくれたのなら―――忘れてくれていいのにと思いつつも感謝するだろう」

 逆行することで再び出会い、しかし―――。

「だからこそ、と言うべきか。出会ったことも、死んだことも、私に関わる全てを無かったことにされるのが―――私は一番怖い」

 再び出会った人達は、三神のことを『知らなかった』。全てを無かったことにされた。因果導体である以上、仕方のないことなのだが―――それでも、三神は忘却ではなく消却に怯えた。
 しかしその垣根を飛び越えたのが―――シロガネタケルだ。
 無論、彼も完全ではなく、三神を覚えてないこともあった。だが、覚えている時だって確かにあったのだ。
 それが、彼の唯一の救いであったと言っても良いだろう。
 そしてこれを最後のループにする以上、三神は彼の手助けをしようと思ったのだ。今まで受けた恩を、雪だるま式に増えていく負債を、ありったけの感謝を込めて自分が消えるまでに返しきろうと彼は誓ったのだ。
 それ故に三神は白銀に無条件で手を貸す。
 お節介と言われようが、自分が彼の理解者である限り、彼が望む全てを手に入れさせてやろうと思う。
 鑑純夏の人間化もその一環だ。
 無論、彼とて見返りはある。

(―――私の因果導体の解放条件は、武に纏わるものだしな)

 その為、前回のループでは既に『次のループが決まっていた』のだ。
 シロガネタケルがいない世界では、三神は因果導体から解放されない。そしてその原因も、既に分かっている。
 だから―――後は本当に、走り抜けるだけだ。

「―――すまない、辛気くさい話をしたな。取り敢えず説明は終わったしシミュレーター室へ―――」
「―――忘れません」

 妙に重い空気にしてしまったので、それを払拭するように割と早口になりながら三神が次の予定に移ろうとしたところで―――凛とした声が響く。

「私は―――絶対に忘れません」

 風間梼子の、かつて隣を歩いた女性の―――最期に聞いた言葉と共に。
 何故―――今は何も知らないはずの彼女がそんな事を言うのか、三神には分からなかった。
 同情なのか、憐憫なのか。はたまた逆のベクトルなのか。
 分からない、分かりはしないが―――心の何処かで嬉しさがあった。例えそれが、叶わぬものだとしても、そう言って貰えるのは嬉しかったのだ。
 だから三神は、小さく微笑むとブリーフィングルームの入り口を親指で指す。

「シミュレーター室に行くぞ。―――君らが私を忘れることが出来ないくらい、徹底的に扱いてやる」

 心の中で、別人であるはずの妻に感謝しながら。
 因みに、その日のヴァルキリーズは―――一人の修羅を見ることとなる。





 10月の後半にもなれば夜はそれなりに冷える。澄んだ空気の中、天上の月はその輪郭をくっきりと浮かばせ、地上を見下ろしていた。
 そんな中、基地のグラウンドで白銀は走っていた。こちらの世界に来て、戦術機にこそ乗って体力は十分と理解はしたが、実際に体を動かす加減を確かめるためにはそれだけでは不十分だったのだ。
 一定のリズムを刻んで、身体を鍛えると言うよりは慣らすように軽く走る。
 しばらくの間暗がりの中を走り続け、その先にある人物の姿を認めた。

(そう言えば、冥夜は夜に自主鍛錬してたんだったけか)

 少しだけペースを上げつつ、しかし足音を立てないように踵からの接地を心掛けて走る。ゆっくりと背後に揺れる長い髪に近づいていき。

「よっ。冥夜も自主鍛錬か?」
「ち、中尉!?な、何故ここに!?」
「なにゆえって………オレはちょっと身体動かそうと思ってな。戦術機とかシミュレーターには乗ってたけど、こうやって自分の身体を動かすのはまた別だからさ」
「そ、そうですか………」
「んな緊張するなよ訓練中じゃあるまいし。夕飯の時にも言っただろ?同い年なんだからプライベートなら敬語も無しで名前で呼んでもいいって」
「し、しかし………」

 あまり色よくない御剣の返答に、白銀はふむと考えて。

「じゃぁ、宿舎の出入り口まで競争な?オレが勝ったらプライベートでは敬語も無し、名前も呼んでもらう。冥夜が勝ったら明日の朝飯のオカズ一品やる。―――じゃ、スタート!」
「中尉!そんな勝手な―――っ!」
「あははは先手必勝だっ!」

 御剣が文句を言うよりも早く高らかに笑いながら白銀はグラウンドを駆け抜ける。御剣も出遅れつつそれに追従するが―――。

「ほいお疲れさん。オレの勝ちだな?冥夜」
「フ、フライングしておいて何をいいますか………」

 余裕綽々の白銀に、御剣は膝に手を突いて荒い呼吸のまま文句を言う。

「おいおい勝ちは勝ちだぞ?敬語は無し、名前で呼ぶ。―――3、2、1ハイ!」

 何処ぞの中尉の真似をしつつ促すと、やがて観念したか御剣はそっぽを向きつつ。

「………………ケ………ル」
「んー?聞こえないぞ?」
「………タ………ケ………ル」
「もう一声」
「タ………タケル………」
「はいよく出来ました。何度も言うけど、同い年なんだから気楽に行こうぜ?」
「………はぁ、そなたには何を言っても無駄なようだな」

 呆れ気味に呟く御剣に、白銀はようやく分かったかと胸を張る。

「そういや何でこんな時間に自主鍛錬なんかしてるんだ?」

 返ってくる答えを知りつつも、白銀は敢えて聞く。自分を語る上で、御剣と夜の自主鍛錬中に交わしたこの話は―――御剣冥夜という存在を再認識するのにやはり必要なのだ。

「………。私は、一刻も早く衛士になり、戦場に立たねばならんのだ」

 天を見上げ、御剣は言う。

「―――何のために?」
「月並みだが、私にも護りたいものがあるからだ」
「それはなにか、聞いて良いか?」
「この星、この国に生きる民、日本という国だ」

 ああやっぱり、と白銀は思う。どこまで行っても、世界が変わろうが時間を逆行しようが―――御剣冥夜は御剣冥夜だ。
 彼女というある種不変の存在を再認識し、我知らず涙を流しそうになるが気合いで押しとどめる。

「だが―――今は少し違う」

 と、彼女は白銀を見据えた。

「何が違うんだ?」
「うん。違うと言うよりは、理由が増えた―――の方が正しいか」

 あの時とは違う反応に、白銀は軽い驚きを覚えつつ問いかけると、彼女自身も整理している最中だった。

「昨日の朝、そなたに発破を掛けられ、私なりに思うところがあった。今まで私は衛士になりさえすればいいと思っていたが―――それだけでは駄目なのだな。衛士は一人では戦えない。よくよく考えてみれば、その通りなのだ。一人の衛士が戦うために、幾人もの力無き民に無理を強いる。矛盾にも思えるが―――護るためには必要なことで、だからこそその無理を無駄にしない為に衛士は戦い抜かねばならない」

 そして、と彼女は言う。

「私達はその無理を無駄にしてしまった。だからこそ、思ったのだ。私は早く衛士になり、戦場に立たねばならん。そして無駄にしてしまった分を取り返すために戦わねばならん。そして戦うためにまた無理を強いてしまうが―――それすらも取り返すために他人の二倍も三倍も戦おう。この星の、この国の、日本の民が安心して暮らせるようになるまで」

 それは今はまだ、現実を知らない訓練兵の夢想。だが故に純粋で気高く―――そして彼女がそれに届くために掲げる決意表明。
 例えどんな苦難が待ち受けようとも、決して諦めはしないと彼女は言外に告げた。

「―――タケル。そなたにもあるのだろう?既に衛士となったそなたでも、護りたいものが」
「ああ。あるよ」
「聞かせてはくれないか?」
「冥夜が教えてくれたんだ。オレが話さない訳がないだろう?」

 小さく笑って、白銀は空を見る。夜空に浮かぶ、小さな月。数十年前まで、何もなかったそこは、今や化け物の巣窟となっている。

「―――オレは、色々なものを失った。詳しくは、機密も絡むから話せないけれど、何処までもガキだったオレは―――立脚点の無かったあの頃のオレは、辛いことから逃げて、悲しいことから逃げて、逃げた先で逃げられないことを知って、やっと前を見れた時にこう思ったんだ」

 恩師を二度も死なせ、逃げて、逃げられないことを知って―――白銀は初めて自分の成すべき事を見定めた。
 世界を救うなどという漠然とした目標ではなく、白銀武にしか出来ない目標を。

「オレが壊してしまったものを、出来る限り取り戻そうって。オレが犯した罪は決して許されるものじゃないけど、だからこそ贖う為に戦おうって」

 そして―――。

「そしてそれは、一応の決着は着いたんだ。だけど代りに―――オレの中に後悔を残した」

 白銀は因果導体ではなくなった。彼が干渉した世界は修復されるはずだ。だがその結果―――白銀は再び全てを失った。
 仲間も。
 愛した女も。
 自分自身でさえも。
 だがそれでも、と白銀は願ったのだ。
 あの暗闇の中、全てが消え行く中で―――誰よりも強く、もう一度と。

「だからこそ、かな。今のオレは、世界よりも、国よりも、自分の手の届く範囲の人達を護りたい。その為に世界が救われなきゃいけないって言うなら―――ついでに世界を救ってやる」

 名誉も栄光も必要ない。共に歩む者達が生きていてくれるなら、今の白銀はどんな手段も厭わない。その為に必要ならば、世界だって救ってみせる。

「ついでに世界を救う、か。―――そなたは、強いのだな」
「そんな事ないさ。オレが強く見えるのだとしたら―――オレを育ててくれた人達が強かったからだ」

 香月夕呼に始まり、神宮司まりも、伊隅みちるを始めとしたA-01の仲間達。勿論207B分隊だってそうだ。

「きっと素晴らしい人達なのだろうな」
「―――ああ。自慢の仲間達だ」

 『衛士の心得』そのままに―――白銀は誇らしく、笑ってそう言った。





「いやー青春してるな、武の奴」

 その様子を上から眺める出歯亀が一匹。
 宿舎の屋上で紫煙を吐きながら一服していた三神だ。
 ヴァルキリーズに本日の教導を終えた三神は、夕食後香月に与えられた部屋で彼女の体を作るための作業をしていた。
 そして先程、九時過ぎ頃に鎧衣課長が来るらしいと社に聞き、取り敢えず作業も一段落したので、気分を変えるために屋上で煙草を吸っていたのだが、不意に見下ろしたその先で偶然白銀と御剣を見つけるに至ったのだ。

「尊き存在、か………」

 白銀が御剣を称す時に、時々使う言葉だ。三神にとっては、白銀自身を指す。彼がいなければ―――今の三神は存在し得ないのだから。

「お前が受けた恩を皆に返しているように、『俺』もお前に返さないとな」

 フィルター近くまで吸いきり、携帯灰皿に吸い殻を押し込むと三神はフェンス越しに見ていた二人から目を離し―――。

「―――ん?」

 その二人から少し離れたところで、紅い色と白い色三つを見つけた。
 しばらくその様子を観察していると、宿舎に戻っていく御剣と入れ替わるように武に近づいていく。

「―――幾つであっても巻き込まれ体質は変わらないようで白銀『大佐』。全く以てやれやれですが―――お節介をすると決めているのでな」

 誰に言い訳するでもなく、苦笑しながら三神は宿舎へと戻る。自分が下に着くまでには、きっと面倒なことになっているのだろうなと思いつつ。



[24527] Muv-Luv Interfering 第七章     ~消却の共感~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:15
 夕食時もとうに過ぎ、人気が無くなったPXでヴァルキリーズの面々が項垂れていた。と言っても、この場にいるのは風間、紫藤と元207A分隊の面々のみである。伊隅や他の中尉連中は本日の反省会をブリーフィングルームで個別に行っていためここにはいない。
 まるで葬式か通夜か―――そんな暗鬱とした空気で項垂れている理由は、あの新任少佐の訓練にあった。
 ―――三神は怒鳴らない。
 初対面の時、怒鳴るどころか殺しかねないとまで言い切った彼ではあるが、いざ訓練となると怒鳴ることはない。
 では何故、彼女達がこれ程までに落ち込んでいるのかといえば―――。

「あはは………厳しい、ですよね………」

 重苦しい沈黙に耐えかねて、柏木晴子が気持ち軽く言う。だが、本人自身も相当落ち込んでおり、その表情から暗さを払拭し切れていない。

「………そうだね。私達は自分達が思っているよりも実力が無さ過ぎたんだね。―――だから、少佐は取り合わなかった」

 普段は言葉数が少ないはずの麻倉伊代が、珍しく長台詞で胸中を述懐する。

「でもアレはやりすぎだと思う。あんな訓練続けてたら、実戦の前に体を壊してしちゃうよ」

 苦虫を噛み潰したように、高原智恵が首を振った。

「しかし少佐は言っていました。『死の八分』を越えてない貴様達がBETAの何を知っているって。今のまま甘ったれた訓練をしてると死ぬ、と。―――正直、私にも思うところはありました」

 七瀬凛がそう告げる。無論、それは彼女だけではなく、六人の新任全員に言えたことだった。
 任官して早二ヶ月。実戦には未だ出たことはなく、訓練の日々。それ自体に不満はなく―――どこかで安心していた。弛んでいたと言っても良いだろう。だがそれを見抜いた三神は、ある命令をする。

「―――シミュレーターを降りることを許さない、か」

 涼宮茜が少しやつれた顔のまま呟いた。
 本日の訓練内容を振り返ってみると、午前中は新OS―――XM3の慣熟訓練だった。最初の方こそ三割も増した即応性に振り回され、その遊びの無さに戸惑ったものだったが、A-01は元々高い素養を持つ集団だ。すぐに慣れ、今まで以上の機動性を手に入れると子供のようにはしゃいだ。
 午前中を慣熟に費やし、一度昼食を取って午後からの訓練を始めるのだが―――ここからが彼女達にとっての地獄だった。
 最初に行ったのは、先任対新任の模擬戦。
 そして撃墜された者だけが地獄へと招かれる。
 先日体験した三次元機動教習用データ―――それの改造版。フィールドこそハイヴ内ではなく地上戦だったが、BETAの進行速度、個体の動きが通常の1.5倍速だった。
 それを非武装のまま避け続ける。しかも開始から十分経つと必ず機体に不調が出る設定がされていた。場所こそランダムだが、推進剤が無くなろうと中破しようと『撃墜されるまで』続くこの訓練に於いて、機体の不調はまさに命取りだった。
 一応、迫り来るBETAを駆除する方法はある。
 派手に動いて陽動し、後方の地雷原に誘い出すのだ。それで一時的には総数が減る。だがしばらくすると復活し、更に動きが1.5倍速になる。
 当然、全員が三十分も持たずに撃墜された。
 そして撃墜されても―――それで終わらない。
 一番最初に撃墜されたのは紫藤で、撃墜された後、彼女は三神に皆が撃墜されるまでランニングを命じられた。
 ―――シミュレーターに乗ったままで。
 シミュレーターは地上戦から、そのまま市街地に切り替わり、彼女はひたすら主脚走行をさせられたのだ。
 撃墜された者が一人、また一人と市街地で主脚走行のランニングを開始し、やがて皆が撃墜されると―――休憩は疎か総評すら無いままに同じレギュレーションでの訓練に放り込まれた。
 以降、無限ループである。
 流石に涼宮妹が皆を休ませるように進言したが、三神は先程の七瀬が言ったように『死の八分』を越えていない貴様等はBETAの何を知っているかと問い、今までの訓練で満足しているようでは死ぬぞ、と脅した。
 その際、彼の表情は一切の感情を映してはおらず、まるで能面のように無表情で―――だからこそヴァルキリーズは別の意味で恐怖する。この男は本気だ、と。本気で休ませることなくひたすら訓練させる気だと。
 因みに、最初の模擬戦で撃墜されなかった者は同じ訓練を武装した状態で行ったらしい。

「―――疲労困憊………」
「あやめさんが一番長く揺られてましたからね………」

 ぐったりして机に突っ伏す紫藤に、風間が気の毒そうに言った。
 訓練中でも仲間を庇って撃墜されることの多い紫藤は、今回も当然のように真っ先に落されている。それは誰もが知っていて、特に庇われることの多い新任連中は彼女に頭が上がらない。
 自分達がもっとしっかりしていれば、彼女の被撃墜率が下がるのは分かり切っているのだから。そしてそれと同時に不安になるのだ。今はまだ訓練だから良い。だがこれが実戦となったら―――自分達の失敗が、紫藤の死を招いてしまうのではないかと。
 自分達が―――彼女の命を奪ってしまうのではないかと。
 口下手で、基本的に漢字のみで喋るという変わった芸風のため、まともなコミュニケーションが取りにくい紫藤ではあるが、基本的に素直で後輩の面倒見も良く、何より情に篤い。
 だからこそ、実戦でも彼女は迷うことなく自分の身を盾にするのだろうと、訓練兵の頃から付き合いのある風間は思う。
 事実、何度か経験した実戦で、彼女は必ず機体の何処かを壊しており、その理由は誰かを庇った為なのだ。
 何の奇跡か、今まではその程度で済んでいたが―――何時までもそんな奇跡が続くとは思えない。
 いつか―――いつか必ず、彼女は誰かを庇った為に死ぬ。
 新任だけではない、先任も、あるいは本人自身もそう予想している。だから隊長である伊隅は何度か紫藤と話し合って、戒めるようにしてはいるが―――いざとなると、彼女は理性より本能を優先してしまうのだ。
 軍人としては失格―――だが、背中を預ける仲間としては頼もしくもあり、同時に怖くもある。
 危なっかしいという言葉は、彼女のためにあるようなものだった。

「大丈夫ですか?紫藤少尉。何か飲みます?」
「………平気。無問題」

 築地に声を掛けられ、のそりと起きあがった紫藤は、げっそりした表情のままそう言った。どう考えても先任としての意地でそうしているだけであって、身体の調子は芳しくないはずだ。
 早々に撃墜され、主脚走行のランニング―――これは実は一番きつい。真っ先に撃墜されたことは精神的にも厳しいし、そもそも主脚走行のランニングは体力の消耗が著しい。
 何しろ―――ずっと揺られっぱなしなのである。
 これが回避運動であるならば、そちらの方に集中できるが、ただ延々とランニングして揺られっぱなしだと集中力が乱れ、体力どころか気力までガリガリ削られていく。
 故に、今の彼女は心身共に疲れ切っていた。下手すると、明日までに回復できないまでに。

「―――でも、少佐はなんでこんな厳し過ぎる訓練にしたのかな」
「死なせたくなかったからじゃないかな?」

 涼宮の呟きに、柏木がそう言った。

「どういう事?」
「多分、だけどね。少佐は、自分が死ぬのは納得できても、他の誰かが死ぬのが納得できないんじゃないかなって」

 確かに、と風間が後を繋ぐ。

「―――誰かにどう忘れられるのが一番怖い、と少佐は仰ってました。と言うことは、ご自分が亡くなられた後に、少佐を知る誰かが生きていることが大前提なんです」

 忘却は、自分以外の誰かが存在してこそ成り立つ。誰にも知られず只一人戦い続け、死んでいってしまえば―――忘れられることすら出来ない。
 出会ったことも、死んだことも、自分に関わる全てを無かったことにされるのが一番怖いと彼は言った。
 ならば出会うことすらなく、護ることすら出来ず、死んだことすらも知らない。
 ―――彼が真に恐れているのは実は消却なのではないか、と風間は思う。そして出会った以上、手の届く範囲で彼は護ろうとするはずだ。届かないのなら、自衛できるように相手を強くしようと思うはずだ。
 ―――酷く、甘い。
 まるで子供のように我儘で―――それ故に風間は共感を覚える。
 彼女には夢がある。
 音楽という人類の遺産を、後世に残すこと―――。
 だが、今のこの世の中ではそれもままならない。その才がある者も素養を持つ者も、等しく徴兵されてBETAと戦い、命を散らしていく。
 現に、新鋭の音楽家は年々減り続け―――近い将来、間違いなく音楽家そのものが絶えてしまう。
 そしてその先にあるのは―――音楽の消却だ。
 人は、こんな素晴らしいものがあることすら知らずに生まれ、知らないままに死んでいく。
 やがて―――人類そのものが滅亡し、全て無かったことにされてしまう。
 知ることも、伝えることも、忘却したことすら知らずに文化そのものが消却されていく―――。
 それを考えると、風間は悲しくなる。
 人類が滅亡することも、人類が何百何千年とかけて続けてきた文化の営みが消し去られることも。

(私と少佐は、どこか似てますわね………)

 あの時―――忘却を恐れていると言った彼に、何故ああも頑なに忘れないと豪語したのか―――実は風間自身不思議だった。
 その疑問が、氷解する。
 結局の所―――似たもの同士なのだ。自分と彼は。
 その対象が違うだけで、共に消却に恐れを抱き、だからこそ足掻く。

(少佐、私は貴方を忘れません。―――忘れさせもしません)

 彼の身に、何があったのかは分からない。それを知ることは無いのかも知れない。だが、共に同じものに怯え、足掻く者として―――風間は三神の応援をすることにした。





 夜風が頬を撫でる。その心地よさを感じながら、白銀は瞳を閉じた。

「―――いるんでしょう?出てきたらどうですか?」

 もう少し風を浴びてる、と適当に理由を付けて宿舎に戻る御剣を見送ってから、白銀はそんな風に呼びかけてみた。

「―――ほう、私の気配を察したか」
「何となく、ですけどね」

 背中から声を浴びて、白銀は答えながら振り返る。
 視線の先には紅い軍服を着た女性と、白い軍服を着た少女三人がいた。
 帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊―――。
 月詠真那を先頭に、神代巽、巴雪乃、戎美凪が背後に控えている。
 まさかこのタイミングで出てくるとは思わなかったが、流石に三度目ともなるとこの敵意にも慣れる。
 白銀は軽く目を伏せ、開くと同時に最敬礼する。

「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉であります。―――『初めまして』、月詠中尉、神代少尉、巴少尉、戎少尉」

 思い出すのは前の世界。あの『桜花作戦』の直前だ。
 本当は死地に赴く御剣に着いていきたいはずなのに、それが出来ないからと四機の武御雷を元207B分隊に託した彼女達。
 そして御剣の身を案じ、頭を下げた月詠。
 ―――彼女達の願いに、報いることは出来たかは、今でも白銀には分からない。
 白銀が横浜に戻った時には、既に彼女達は帝都に召還され、武御雷無断譲渡の件で軍法会議に掛けられていたのだ。
 その結果を知る前に、白銀はあの世界から消えた。
 だから彼女達が―――結果的に御剣を殺した白銀を憎んだのか、許したのかさえ分からない。
 だが、彼女達が武御雷を譲渡してくれなければ、間違いなく『桜花作戦』が成功することはなかったはずだ。
 この最敬礼は、その挺身に対して。
 この世界の彼女達は別人であると理解しつつも、もう出会うことが叶わないあの四人に、せめてもの礼をしたかったのだ。

「こちらの事は先刻承知、という訳か。―――ならば、言いたいことは分かるな?」

 依然、月詠と後ろの三人は白銀に敵意を向けたまま、睨め付けながら問いただす。

「―――死人が、何故ここにいる?」
「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ理由は何だ?」
「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか?」
「追求されないとでも思ったのか!?」

 何時か聞いた台詞を流しながら、白銀は思考を巡らす。確か前回、前々回では武御雷搬入の時にこういう流れになったのだ。
 では何故今回これ程にまで早くこの流れになったのかと考えれば―――。

(オレが、207B分隊の教官になったからか………)

 おそらくは、昨日の段階で鎧衣課長辺りから情報を探らせてたに違いない。その結果が『白銀武は死んでいる』という事実。
 そしてそれは正しい。
 確かに『この世界の白銀武』は死んでいるのだから。
 さてどう切り返そうか―――と白銀が考えていると、横合いから声が掛かった。

「やれやれ、斯衛はいつから工作員の真似事をするようになったのかね?」

 三神だ。いつの間にか出入り口に現れた彼は、紫煙を燻らせながら肩を竦めて近寄ってくる。

「これは―――確か、三神少佐でしたかな?」
「ほぅ?私を知っているのか?月詠中尉」
「先日、基地入り口の方で一悶着あったようですね?」

 そう確かめるように月詠は言いながら、白銀の方に視線をやる。それを感じて、白銀はやばいな、と思う。
 間違いなく一昨日、自分達がこの基地に来た時のことを知っているのだろう。実際に見たのか人づてに聞いたのかは分からないが、その時の白銀と三神の風体―――訓練兵と浮浪者の格好―――を知っているはずで、且つ伊隅に連れていかれた事から、香月に深く関わっていることぐらいは推察しているはずだ。
 更に、翌日には片方は中尉で教官。片方に至っては佐官になっているのだから、月詠からしてみれば不自然極まりない。

「ふむ。それを知っているのなら話は早いだろう。私と武の素性は―――機密につき答えることが出来ない。例え死人だろうが国連軍のデータベースを改竄しようが、それは貴官等の知るところではないだろう?」
「―――確かに、他軍の内情に関してはそう言えるでしょう。私としても、貴官の情報は実のところどうでもいいのです。しかし―――そこの中尉に関しては別です」
「何故かね?」
「知っていて尋ねているようなのでこう答えましょうか。―――愚問、と」

 彼女達警護小隊からしてみれば、御剣に近づく者に関しては全て知っておく必要がある。それが例え機密が関わる人物であっても同様だ。だからこそ直接探りを入れに来たのだが―――。

「―――そんなに煌武院悠陽殿下の双子の妹君が心配かね?」
『っ!?』

 白銀の周囲には、道化の交渉人がいるのだ。
 しれっと爆弾発言を投下する三神に、月詠達ばかりか白銀さえも息を呑む。

「貴様―――何故それを………!?」
「おやおや口の利き方がなってないな中尉。他軍とは言え、佐官に対してそのような口を利けるなど―――斯衛とはそんなに偉いのかね?」
「くっ―――!」

 思わず素のままで問いつめようとする月詠に、誰にでも傲岸不遜で通す道化がいけしゃあしゃあと言い放つ。

「情報戦が情報省だけの十八番ではないのだよ?CIAだってその気になればこの程度の情報、割と簡単に掴むのではないかね?」
「―――貴官は、何故それを?」
「何でも尋ねれば答えてくれると思わない方がいいぞ月詠中尉。先程から何故何故と―――正直、アホの子に見える」

 ぴきり、と空気が凍るのを白銀は感じた。気配で人が無差別に殺せるなら、今間違いなく自分は死んだと思う。口に出して突っ込める勇気がないので、心の中でオレってば庄司の巻き添えじゃねぇかと嘆いた。これ以上飛び火しては何だか拙い気がするので、彼は貝のように口を閉じることにした。

「………ことは国家機密です。差し支えがあってもお教え願いたい。貴官は、何処でそれを知ったのです?」

 内心、帝都に強制連行して拷問でも何でもして口を割りたいだろうに、月詠は丁寧に尋ねる。

「悪いが機密だ。まぁ、少なくとも私とそこの武しか知らんはずだから、安心したまえ」
「機密なのに―――貴官等しか知り得ないと?」
「そうだが、何か疑問かね?」
「香月博士は、この事は?」
「知らないはずだ。―――薄々気付いているかも知れんがね」

 言われ、月詠は混乱する。一佐官が抱える機密を、その上位の香月が知らないというある意味、軍隊という存在を無視した現象にだ。
 この横浜基地は、魔女の牙城だ。肩書きこそ副司令であるが、香月夕呼はこの基地に於いて最高権力者である。故に―――ここにある機密の全てを把握いなければおかしいはずなのである。
 であるのに―――気付いている可能性はあるものの―――彼女はまだ知らないという。

(嘘を付いているようには、思えんな………)

 胡散臭く、飄々とした相手だが、嘘を付くのならもっとマシな嘘を付く。悔しいが、先程からいとも容易くこちらの動揺を誘う程の輩が、この程度のことで謀ったりはしないだろう。
 であるならば―――やはり最初の疑問に行き着く。
 何故彼は―――いや、彼等は、その情報を知り得たのか。
 表向き、御剣冥夜の立場は将軍家縁の者とされている。確かに直接彼女と接すれば、その容姿から邪推はするかもしれない。
 だが、相手はいきなり断定から入った。推測の当てずっぽうならばともかく、揺るぎなく彼は言い切ったのだ。

「それにしても―――訓練兵一人相手にご苦労なことだ。それほど大事ならば、いっそ手元に置いておけばいいのに」
「やんごとない事情があるのです。―――国連の一佐官には計り知れない事情が」
「仕来り云々がやんごとない事情とは、時代錯誤も良いところだ」

 やはり知っているか、と月詠は胸中で舌打ちする。

「それに大体―――私達があの訓練兵に危害を加えると、本気で思っているのかね?」
「………どういう意味です?」
「月詠中尉。君はなかなかおめでたいな。少し考えれば分かるだろうに。―――もう何回彼女を殺す機会があったと思う?」

 三神は嘆息して、軍服のポケットの中から煙草の箱を取り出し、月詠に向かって軽く放り投げる。
 それを半ば反射的に受け取ろうとし―――。

「因みにそれは高性能な小型爆弾だ」

 慌てて叩き落して明後日の方向へ蹴り上げた。しかしそれは放物線を描いたまま爆発せず、グラウンドへと落下した。

「何をするのかね月詠中尉。―――中身は只の煙草なのに」

 苦笑し、三神はいいかね、と前置きする。

「今のように、誰かを殺すだけならば簡単だ。私は佐官だし、武は中尉で彼女の直接の上官にあたる。適当な理由で呼び出して射殺するなりすればいい。殺害を咎められたのなら、日頃の訓練を根に持った訓練兵に襲われ、やむなく抵抗した末に殺してしまった―――等と正当防衛を主張すればいい。通るかどうかは疑問だが、逃げ道はある」

 あるいは、と彼は続ける。

「私は器用貧乏でね。戦術機の操縦もプログラミングも並以上には出来るが、その道を極めている人間にはとてもじゃないが敵わない。だがそんな私にも特技はあるのだよ。―――口八丁手八丁を活かした交渉術がね」
「何が仰りたいのです………?」

 いきなり話題を変える三神に、月詠が警戒の眼差しを向ける。今や彼女にとっての危険度は白銀よりも三神の方が高くなった。
 ―――無論、三神もそれを狙ってやっている。
 にやり、と彼は口角を吊り上げる。それを見ていた白銀は、何処かの空気を読まない課長を幻視した。

「交渉術とは対話だ。そして対話するには時間が掛かる。―――時に、彼女を護衛すべき斯衛は四人全て今ここにいるが………その全員が私如きにかまけて、護衛対象をほったらかしにしてもいいのかね?彼女はここで自己鍛錬をしていたようだから―――主のいない部屋に細工をするのは簡単だろうね?」

 例えば爆弾とかどうかね?と三神は首を傾げ、月詠は叫ぶ。

「神代!巴!戎!行け………!」
『………はっ!』

 一拍の間を置いて、三人が血相を変えて走り出す。それを三神は見送ってから―――。

「ま、冗談なのだがね」
「―――念のための措置です」

 そうかね、と三神は投げやりに言ってさて、と居住まいを正す。

「まずは状況確認をしておこう。中尉の言うとおり、白銀武は死んでいる。そして私に至っては戸籍そのものさえない」

 何故だろうね、と問いかける三神に、月詠は黙りを決め込む。この男と話術で勝負するのは危険だ、と既に理解している。
 喋るだけ喋らせた方が良いと判断したのだ。

「まぁ、私はこの際どうでもいいだろう。適当に難民出身とかでも片付けられるしな。だが―――白銀武は違う」

 すっと、三神の目が細められる。そして彼は白銀の方を向き。

「武。言ってやると良い、お前が―――どのようにして死んだのかを」
「庄司、それは―――!」

 前回と前々回の世界で、白銀の過去―――と言うよりは正体は禁忌であった。あくまで一部とは言え、その一端を他者に知られる事に彼は忌避感を覚えるが。

「大丈夫だ。―――理由は後で話そう」

 優しく諭すように促す三神に、白銀は逡巡し、やがて意を決すると月詠の方を向いた。

「オレは………『白銀武』は、BETAの横浜侵攻の時、幼馴染みと一緒に奴らの捕虜になりました」
「なっ………!」 

 白銀の告白に、月詠は驚愕の声を上げる。BETAが人間を捕らえ、研究、もしくはそれに類似する何かをしている事を知っているのは各国の上層部のみだ。
 紅の斯衛とは言え、ただの衛士が知っている情報ではなかった。

「捕虜になった人は、他にもいました。けど、一人、また一人と奴らに連れて行かれ―――帰ってきませんでした」

 抵抗する者はその場で食われ、しなかった者も脳髄になるまで『解体』された。

「やがて、オレ達の番が回ってきました。そしてオレは幼馴染みを護るために兵士級に殴りかかって―――食われました」
「っ―――!」

 事の真偽はさておいて、兵士級に食われる等という生理的に受け付けない言葉に、月詠は眉を顰める。
 その様子を眺めていた三神が口を開いた。

「因みに、武の言っていることは事実だ。―――では、何故白銀武はまだ生きているのか。死んでいるのに、何故生きていられるのか」

 謳うように、三神は言う。

「成りすまし?違うな。双子の兄弟?違うな。クローン?違うな。―――事はそんな常識では計れない。信じられないような奇跡の元に、武や私はいる」

 彼は問いかける。

「知りたいかね?何故死人が生きているのか、何故存在しない男がいるのか。そして私達が何を知っていて、何を目的に動いているのか」

 もしも、と三神は前置きして月詠に背を向ける。

「もしもそれを知りたいというのならば―――しばらく夜間に予定を入れないことだ。日程はまだ決まっていないが、私達の正体を明かす場所を設ける」

 それだけ言い残すと、彼は白銀に声を掛けて去っていった。
 飄々とした男が最期に見せた、途方もない威圧感に気圧された月詠は、しばらくその場を動くことが出来なかった。



[24527] Muv-Luv Interfering 第八章     ~道化の二人~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:15
 香月の執務室に二つの影があった。一つは部屋の主である香月夕呼。彼女は椅子に腰掛け、足を組むともう一つの影に視線を向ける。
 トレンチコートに身を包んだ大柄な男だ。室内だというのに、深く帽子を被ったままだった。

「いやはや、珍しいこともあるものですな。まさか香月博士からお呼び頂けるとは」
「何か不満でも?鎧衣課長」
「まさか。ただ、少し不思議でしてね。―――最近若い燕を二羽拾ったご様子ですが………それに関係していますかな?」

 大柄な男―――帝国情報省外務二課長、鎧衣左近は口角を上げて香月に視線をやる。それをいつ見ても人を食ったような顔だ、と香月は思いつつ、軽く頷いた。

「どうせもう調べてるんでしょうけど、そいつ等………正確には片方からのご指名なのよ。―――非公式に動ける鎧衣課長に話があるって訳」
「ほほぅ、いやはやそれはそれは………」

 帝国情報省所属の自分を名指し―――知るだけならば、それこそ香月から教えて貰えばそれで事足りる。だが、呼びつけるためにその香月を『使った』となれば、件の人物達―――少なくともその片方は余程彼女に影響力がある人物に違いない、と鎧衣は目を細めながら思案する。
 香月夕呼の魔女という蔑称を、鎧衣はある意味で正しく理解している。
 その職業柄、オルタネイティヴ4の概要についても承知しており、対BETA諜報となれば、相手こそ違うが畑は同じなのだ。
 故に彼女が掲げる理論や計画に対し、鎧衣自身は悪く思ってはいない。むしろ、祖国である日本主導のこの計画、何処ぞの大国の干渉を振り切るためにも成功して欲しいところだ。
 しかし計画発動から早六年。ろくに成果を出せていない為、国連上層部も痺れを切らし始めており、彼の国の方で妙な動きがある。
 正確には未だ把握し切れていないが、仕込み自体は少し前からされているようなので、近々大きな流れになるのではと鎧衣は懸念していた。最も―――好きにさせるつもりはないが。
 だが、六年―――ろくに成果を出していない状態での六年、よく持った方だと思う。
 前計画であるオルタネイティヴ3は1973年からの22年間続けられたが、それはソ連というお国柄―――そしてまだ人類に余裕があったからである。
 オルタネイティブ4発足の1995年には世界人口は半分まで減らされており、それは年を越える事にじわじわと、そして確実に減少の一途を辿っていった。
 その中にあって、端から見ればほぼ独裁私案と言っても良いオルタネイティヴを―――しかも前大戦で敗北を喫し日本の立場が弱くなっていたのにも拘わらず続けて来られたのは、やはり香月夕呼の政治的手腕があってこそだろう。
 横浜の魔女―――。
 誰が呼んだかは知らないが、言い得て妙。そして彼女自身も自分自身を皮肉る為か、時折それを自称する。
 そしてその魔女を『使う』人物。
 興味がないはずが無かった。

(―――多少は、把握しているがね)

 昨日の事だ。
 この基地に駐留している帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊から、連絡があり、帝国内のデータベースを不眠で洗う羽目になった。
 大して芳しい情報は得られなかったものの、件の二人が素性の怪しい者だと言うことだけは分かった。
 特に若い方に関しては、記録上、死んでいることになっている。
 そんな輩が―――翌日、片や佐官、片方に至っては士官兼護衛対象者の教官となって基地内を闊歩しているのだ。
 将軍家縁者を守護する19独立警護小隊からしてみれば、喉元に剣を突きつけられている心境だろう。

(はてさて、一体どんな対面になる事やら………)

 帝国の道化は、苦笑しながら彼等の到着を待っていた。






「庄司、さっきのはどういう事なんだ?」

 B19階の通路を歩きながら、白銀は隣を歩く三神に声を掛けた。
 元々ここまで来ることの出来る人間が少ない上に、時間が時間だけに人気がなかった。だから白銀は聞いてみることにしたのだ。

「さっきのお前が殺された事を話せといった理由か?」
「―――ああ」

 頷くまで若干の間があり、それを見た三神は少しナーバスになってるな、と思う。それも無理はないが。
 白銀武にとって、自らの正体を明かすことは禁忌となっていた。それは『一回目の世界』で香月夕呼に厳命されたことから始まり、今まで続いているのだが―――そこに落とし穴があった。

「では聞くが、どうしてお前は自分の正体を明かすことが禁忌だと?」
「それは夕呼先生が―――」
「『何が起こるか分からないから喋るな』、とでも言ったんだろう?」
「!?そ、そうだけど………」

 言葉を先取りされて、白銀は鼻白みながらも肯定した。
 そしてこれこそが落とし穴にして―――魔女の呪い、あるいは枷だ。

「結論から言うと―――お前の正体を誰が知ったところで『何も起こらない』」
「はぁっ!?どういう事だよ?」
「―――武、世界は幾つ存在すると思う?」

 質問を質問で返され、白銀は首を傾げる。そして導き出す答えは―――。

「無限―――じゃないのか?」
「正解だ。例えば今、目の前に分かれ道があったとして、右に行く選択肢と、左に行く選択肢が現れるとする。その場合、世界はそこから派生するよな?」
「えぇっと、右の道に行った世界と、左の道に行った世界だよな?」
「その通り。人一人の行動によってすら世界は分岐する。この世界が生まれてどれぐらい経つのかは知らないが―――その間ずっと派生し続けている事を考えれば、その派生数は10の37乗とかいうBETAの総数を遥に超えているだろうな」

 つまりだ、と三神は前置きを於く。

「お前が自分の正体を誰かに喋る―――例えば、さっきの月詠中尉でも良い、とにかく喋ると『白銀武の正体を月詠真那が知っている世界』へと派生するだけだ。そこに時空間的なパラドックスは発生し得ないし、そもそも、お前の中には『この世界の白銀武』の因果も混じってる。世界がその存在を否定することは出来ないんだ」

 もしも『この世界の白銀武』が現段階で生きていた場合、出会った瞬間にパラドックスが発生し、対消滅を起こす。世界から否定されるとはそう言うことだ。
 事実検証こそされてはいないが、ドッペルゲンガーなどの都市伝説は、実のところこの現象が元になったのではないかと三神は仮説を立てていた。
 本来存在し得ないはずの『別の世界の自分と出会う』―――そうすることによって、世界というコンピューターはその矛盾を解決するために対象者というラベリングのフォルダごとゴミ箱に放り込んで消去する。
 その結果、その世界の対象者が消えるとしても、矛盾が起こったことすら消えてしまうので安定を望む世界としてはそちらを選ばざるを得ないのだ。
 しかし白銀に関して言えば、この世界で殺された白銀武の因果情報も混じっているため、結果的に死んだ白銀武と『すげ替わった』状態になっているのだ。故に、世界は白銀武に一時的な空白期間があったとしても、『白銀武は生きている』と認識している。

「え?じゃぁオレは―――」
「ああ。誰に自分の正体を明かしたところで、何も変わることはない。―――まぁ、信じて貰えるのかどうかは別問題だがな」

 それこそが魔女の枷だ、と三神は言う。
 前の世界の香月夕呼は、おそらく『鑑純夏が望む白銀武』として以上に、白銀を自らが掲げる因果律量子論の貴重な実証サンプルとしても置いておきたかったのだろう。
 その為に、彼が抱える秘密を絶対のタブーとして刷り込んだ。
 この世界に流れ着いた白銀は、言ってしまえばひな鳥だ。保護した親鳥である香月の言うことを盲信し―――自分の正体は禁忌と本能に刻み込んでしまったのだ。
 まさしく落とし穴。
 おそらくは『二回目の世界』の香月も白銀が因果律量子論について自分に絶対の信頼を寄せている事に気付き、そして前の世界で仕込まれたであろう自分の策に乗ったのだろう。
 それによって、今まで白銀は誰にも自分の正体を明かさずに来たのだから、流石は魔女と言ったところか。

「―――恨むか?香月女史を」
「―――いや、仕方なかっただろうしさ。あの時のオレは、ガキ丸出しだったし」

 体よく駒として扱っていく為に仕込んだのだ。事実、それによって白銀は世界を救う尖兵となり、その結果オリジナルハイヴを潰せたのだ。
 感情としては癪ではあるが、世界を救うためにあらゆる手を使う彼女からしてみれば当然のことで―――故にこそ理性では納得できた。

「はぁ、オレって最後まで夕呼先生に使われてたんだな………」
「まぁ、衛士の本分は戦闘だからな。こういった権謀術数はお前の領分じゃないだろう」
「でも庄司はうまく立ち回ってるじゃねぇか」
「私の場合、元の世界での経験が活きているだけだ。お前と違って社会人、しかも交渉を生業としてきたからな」

 だからそう落ち込むな、と励ます三神に白銀は苦笑で答える。

「―――そう言えば、何処に行くか聞かずに来たけど、夕呼先生の所に行くのか?」
「ああ。―――正確には、鎧衣課長に会いに、な」
「え―――?」

 白銀の驚きの声には応えず、三神は歩く速度を早めた。
 これから行うのは帝国情報省外務二課長と交渉人との舌戦―――道化と道化の化かし合いだ。
 職業的にも人間的にも似通った相手との戦いに、三神は好戦的な笑みを浮かべていた。





「まずは初めましてと言っておこうか鎧衣課長。私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ。こちらは同じく国連太平洋方面第11軍横浜基地所属の白銀武中尉だ」
「白銀武中尉であります!」

 香月の執務室に入って鎧衣と視線が合うなり、三神は硬い軍人口調で自己紹介を始めた。何かしら考えがあるのだろうと思った白銀も、それに習って軍人らしい自己紹介をする。

「私は帝国情報省外務二課長鎧衣左近です。―――まぁ、私についてはご承知のようですが」

 三神が軍人然としている為か、『前の世界』の白銀の時とは違い、ふざけたりせず敬語で鎧衣は自己紹介すると、右手を差し出し、二人は握手を交わす。

「噂は、ね。忍者というのは、本当かね?」
「さぁ、どうでしょうな」

 道化二人がにやり、と笑う。

(二人いる………!鎧衣課長が二人いる………っ!!)

 そのやりとりを見て、白銀は戦慄を覚えた。一人いるだけで突っ込みに疲れるのに、二人もいて―――しかも二人ともボケに走ったら最早突っ込みが追いつかない。そしてこの二人なら、突っ込み不在のままでもボケ倒すだろう。
 せめて香月が味方に付くのを彼は祈った。

「はいはい男同士でいつまでも見つめ合ってないでちゃっちゃと話を進めなさいよね。―――何の為にあたしの部屋を提供してやってると思ってるの?」
「妬いてるのかね?香月女史」
「それはいけませんな香月博士。女の嫉妬は、もっと可愛らしく演出しないと」

 びきり、と部屋の空気が凍ったように白銀は感じた。

「―――さて三神少佐、貴方が私を呼んだそうですが………何か御入り用ですかな?」

 流石鎧衣課長、空気読まねぇっ!いやむしろ読んだのかっ!?と内心驚愕しつつ、香月の方をちらりと見る。―――婉然と微笑んだままこめかみに青筋を浮かべていた。正直怖い。

「何、簡単なお使いを少々………ね」
「ほぅ、お使い、ですとな?」

 訝しげな視線を向ける鎧衣に、三神はああと頷いて―――。

「煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい」





 ポーカーフェイスを保ったまま、鎧衣左近は驚愕の中にいた。
 香月の執務室で待たされることしばし、二人の男が入ってきた。片や青年、片や少年。
 青年の方は三神と名乗り、階級は少佐。
 少年の方は白銀と名乗り、階級は中尉。
 鎧衣が昨日調べた二人だ。
 特に白銀の方は記録上、既に故人となっていたので、気になって注視してみたが変装などをしているようではなかった。少なくとも、写真に写った少年がそのまま少し成長したように見える。
 白銀武の記録が残っていた理由は、彼が軍属として徴兵される為だった。
 BETA横浜侵攻時、彼の年齢は15歳。あの侵攻が無ければ翌年にも徴兵され、帝国軍所属となっていたはずだ。
 それ故に城内省のデータベースに彼の写真や家族構成等が記録に残っており、横浜侵攻後、生存確認が取れなかった為に死亡扱いとされていた。
 しかし、彼は確かに生きている。
 なりすましか、はたまた本当にあの地獄を生き延びたのか―――それは分からないが、少なくとも今は『どうでもいい』。
 それよりも今、目の前のこの青年の言葉が問題だ。

「今、何と仰いましたかな?少佐」
「聞こえなかったかね?それなら耳鼻科に行くことをお薦めするよ。職業柄、耳は大事だろう?」
「それは確かに。舌の手入れは欠かしていませんが、耳の手入れも疎かには出来ませんな。この件が終わったらご忠告通り耳鼻科に掛ることにしましょう。では―――もう一度、仰って頂けませんかな?」
「煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい―――私はそう言ったのだよ」

 いいかね?と首を傾げる彼に、鎧衣は内心苦笑する。いい訳あるか、と。
 三神が挙げた四人は日本を代表する―――いわば顔と言っても差し支えがない。
 軍部の顔である帝国斯衛軍所属紅蓮醍三郎大将。
 政界の顔である榊是親総理大臣。
 外交の顔である珠瀬玄丞斎国連事務次官。
 そして―――権力を削がれて久しいものの、未だ日本の顔そのものである現政威大将軍煌武院悠陽。
 いずれも、そう簡単に動かすことの出来ない面子だ。
 鎧衣はその職業柄、四人との面識を持ち、それぞれのパイプ役として重宝されることはあるが、彼の一存で招集したことはない。
 当然だ。その能力はさておいても、鎧衣は帝国情報省の手足でしかないのだから。頭が手足に命じることはあっても、その逆はない。
 しかし目の前の、何処か自分と似通った男はそれをしろと言う。本来ならば怒るところかも知れないが―――しかし鎧衣は怒りよりも先に興味を抱いた。
 ともすれば、死人であるはずの白銀よりも気にすべき存在だと―――今ようやく気付いたのだ。





(まぁ、こんな所か………)

 無理難題を吹っ掛けて、それに鎧衣が混乱―――あくまで表面上はポーカーフェイスだが―――している間、三神はそう思っていた。
 この部屋に入ってきた時、鎧衣の興味は三神よりも白銀にあった。まぁ死人が生きているのだから、気にならないはずもないが、それは三神的にちょっと頂けない。
 と言うのも、横浜陣営の外交はこれから香月と三神のツートップとなる。政略面では香月がやるだろうが、それ以外、例えば軍略面となると三神が個別で動く機会も出てくるだろう。
 そうなると手足が必要だ。

(鎧衣課長は必要だからな―――)

 何処にでも湧いて出るという何処かの黒い生命体を彷彿とさせる潜入能力と、三神をしてよく回ると思わずにはいられない舌、そして奇抜な言動で相手を丸め込む交渉能力。
 対人類の情報戦という一点に於いて、彼程優れた人間は少ない。
 それを手札にする必要があるのだから―――部屋に入った段階で、既に三神は仕込みを済ませていた。
 まず、軍人として上から接して彼の奇抜な言動を封じ込む。少佐という肩書きは一介の諜報員と比べるべくもない。如何に鎧衣と言えど、白銀のように十代ならばともかく、二十代半ばの三神にその様な言動をすることはないだろう。
 次に何かしらで共感を与える。―――実のところこれは偶然だったのだが、香月をネタにして意見の一致を得られた。正直、後が怖いが。
 そして最後に―――こちらのカードを早々に切る。
 これで鎧衣の興味は白銀からこちらに向き―――そして、油断ならぬ相手だと気付いたはずだ。

(これから付き合っていく上で、舐めて貰っては困るからな………)

 鎧衣左近は香月夕呼にその性質が近い。割り切れる性格なのだ。その代償が―――実の娘であっても。
 そして代償を『得た』ならば何があっても目的を完遂する。
 その結果こそが『前の世界』でのクーデター、そして大政奉還だろう。
 故に、舐められていてはいいように使い潰される。それは香月に対しても同じで、だからこそ三神は自らの手の内を早々に晒した。
 本来の交渉ならば、場を整えて最後の最後で自らの目的を見せるのが常套手段だ。目的は有用なカードであると同時に弱みでもある。相手より先に見せてしまえば、それを元に付け入る隙を見せてしまう。であるならば、先にそれを見せるのはまさしく愚の骨頂。
 しかし今回や前回の香月戦で、敢えて常道を崩したのは、三神が香月や鎧衣と言う人間の性格を知っていて、且つそれ以上に大きなカードを持っていたからだ。
 もしも知らない状態であれば、未だに地盤固めに四苦八苦しているところだろう。

「―――一つ、お聞きしても宜しいかな?」
「何かね?」
「何の理由があって、その四人を?」

 ―――掛った、と三神は内心ほくそ笑む。
 これで完全にこちらに興味を持ったはずだ。であるならば、後はシナリオ通りにこなしていけばいい。

「鎧衣課長。疑問には思わなかったかね?私やそこの武の素性を調べていて―――何故存在しない男や、死人がいるのかと。何故今になって表舞台に現れたのかと」
「確かに、思いましたな。―――結局分からず仕舞いでしたが」
「そうかね。まぁ、無理もないが」

 苦笑して、三神は大仰に片手を広げた。

「ではここらで一つゲームをしよう鎧衣課長。私達二人が何者か―――予想で良いから言ってみたまえ。それが―――非現実で面白かったら貴方の勝ちで、私達の正体を明かすことにしよう。チャンスは三回までだ」
「私が負けたら?」
「そうだな―――そう言えば、支給された枕が妙に硬くてね。世界中を飛び回る鎧衣課長ならきっと良い枕を手に入れられるだろうから、今度何処か行く時にでも見繕ってくれたまえ」
「ふむ、いいでしょう。判定は誰がするのですかな?」
「無論―――香月女史だ」
「最近ストレスが溜まってるからね。笑わせて頂戴、鎧衣課長」

 疑問に思わないでゲームに乗るのかよ!?ノリ良いなっ!と白銀が胸中で突っ込みを入れるが、それを知れたのは隣の部屋で待機している社だけだ。

「美女の頼みとあらば―――では、いいですかな?」

 どうぞ、と促す三神に鎧衣は若干思案した後。

「先のBETA横浜侵攻の際、白銀中尉は危うい所で誰か―――そうですな、A-01あたりにでも拾われ、その縁で香月博士の子飼いとなり、今まで表に出ることなく動いていた―――」
「そして私はそこらの戦争難民で同じように拾われたと?―――在り来たりだな」
「在り来たりね。鎧衣課長、ふざけるのは十八番でしょう?もっと真面目にやって頂戴」
「おやおやふざけるのに真面目とはこれいかに。しかし仕方ありませんな」

 二人に駄目出しを喰らった彼は、ふむ、ともう一度思案して。

「実は二人は某国のスーパーエリートソルジャーでして………」
「ぶふぅっ………!」

 何処かで聞いた話に、たまらず白銀が吹き出した。

「全く、人の話は最後まで聞きなさいと教わらなかったのかね?シロガネタケル」
「そうだぞ武。―――面白いじゃないかスーパーエリートソルジャー、略してSESだな。開発番号は009とかどうだね?加速するのかね?私の方が兄貴分だから、007とかが良いな。何処ぞのスパイみたいだ。妙に頑丈且つ多機能な車を駆って、毎回毎回美女とイチャコラして―――実に楽しそうだ」
「三神少佐。何故、今私が言おうとした事を―――まさかリーディングですかな?」
「私は第三計画出身ではないよ鎧衣課長。―――どうかしたのかね?武。何だか萎びているが」
「いえ、何でもないです………」

 いかん、懸念していた事態が起きた………!と、白銀はげんなりする。このまま放っておけばこの二人は更にボケ倒すはずだ。ここは一つ香月に助力を―――。

「へぇ、面白そうね。もっと詳しく聞かせて頂戴」
「って夕呼先生までそっちに回るんですかーっ!?」

 最早我慢できずに突っ込みを入れる白銀。それを見て、三神は仕方ないなぁと思いつつ。

「鎧衣課長。うちの武はもっとシリアスをご所望のようだ。シリアス且つ香月女史が笑えるようなネタは無いかね?」
「なかなか難しい事を仰いますな三神少佐。ふむ、ではとっておきの妄想話をば」

 こほん、と一つ咳払いして鎧衣は居住まいを正す。どうやらこちらが本命のようだ。三回のチャンス中、最後に本命を持ってくる辺り心得ているな、と三神は感心する。

「実は―――二人は新種のBETAなのです」
「ぶっ………!」

 今度は香月が吹いた。しかし鎧衣は意に介さずに続ける。

「人間の姿を模す事によって対人類諜報が可能になった彼等は、香月博士の元へ潜り込み、活動を開始、そして人類の内面から徐々に徐々に支配を始めたのでした―――めでたしめでたし」
(めでたくねぇっ………!)

 最早声に出して突っ込む気力が湧かず、胸中だけで済ませる白銀。
 香月が顔をひくつかせながら、問いかける。

「因みにそのBETAの名前は?」
「諜報級………スパイ級とかどうですかな?」
「そのまんまね。まぁ、不謹慎だけど面白かったわ。―――本当にいたら冗談じゃ済まないけど」

 最後の言葉は少し翳りのある表情だったことを三神は見逃さない。間違いなく、00ユニットの欠陥を脳裏に過ぎらせたはずだ。何の処置もしなければ、ODLを通じて00ユニットそのものが―――その諜報級になっていた可能性だってある。
 表面上面白かったと言ってはいるが、内心では肝が冷えていたはずだ。

(こういう演技が出来る辺り、流石だな。―――武なんか見事に動揺しているというのに)

 三神は胸中で苦笑して、鎧衣を見やる。

「ゲームは鎧衣課長の勝ちだな。香月女史もいい息抜きになっただろう。―――礼を言う」
「いやいや美女に優しくするのは紳士の務め。三神少佐に頭を下げられる理由はありませんよ。―――それよりも、教えて頂けませんかな?何故、存在しない男と死んだ男がここにいるのか」

 鎧衣の促しに、三神は首肯しその前に、と告げる。

「私もゲームに参加しよう。そうだなぁ、実は私達は『この世界』の人間ではなく、別の世界で生まれ、生きていた存在なのだ―――とかどうかね?更に、私達は死を迎えると、過去に向かって逆行する―――とか設定すると面白いかも知れないね?」

 朗々と歌うように告げる三神に、鎧衣は訝しげな視線を向けた。しかしそれを気にした風もなく、三神は続ける。

「私達はこの世界の未来に向かい、そこで何があったか知っている。だからこそ過去に戻った今、未来で得た情報を元によりよい未来を手繰り寄せようとしている―――そう言う妄想はどうかね香月女史。面白いだろうか?」
「却下ね。―――『つまらないわ』」

 そして鎧衣は気付く。ゲームに託けてふざける三神の話は―――その詳細はどうであれ、一部真実が混じっていると言うことを。
 何しろ、世界間移動を因果律量子論提唱者自身が『つまらない』と言い切ったのだ。
 香月は正しく科学者だ。故に自身が提唱する理論を元に組み立てられた妄想に興味は持っても『斬り捨てる』ことはない。あるとすればそれは―――。

(既に実証されている場合のみ―――!)

 ここに来て、ようやく鎧衣はその可能性に気付く。
 もしも、彼等二人が別の世界から、あるいは未来から来ていて―――この世界がどうなるか知っていたら。
 もしも未来情報を持っていて―――それ故に日本の重鎮達に面会を望んでいたとしたら。

(だが確たる証拠がない以上、下手に動く訳には………)

 鎧衣が自らの仮説に戸惑っているのを見越してか、三神が小さく笑って言う。

「香月女史は私の話を気に入らなかったようだな。残念だ。―――まぁ難しい話はこれまでにしておいて、軽く腹の内を喋っておこうか。そうだね―――戦略研究会、米国、BETAの襲来。これだけ言えば聡い貴方のことだ。予想はつくのではないかね?」

 直後、鎧衣の表情が厳しいものになる。初めて見るその顔に、白銀は驚く。
 その表情に満足するように頷き、三神は告げる。

「腹は決まったようだね鎧衣課長。私の要求を再度言おう。煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい。その場には鎧衣課長、貴方や帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊の月詠中尉達も同席して貰う。―――そこで私達の正体を明かすとしよう」
「殿下達に害を成さないと、あたしが保証するわ。もしも何かあった場合、即座にオルタネイティヴ4を見切ってくれても構わないと言い含めておいて頂戴」
「―――!」

 決まり手だ、と鎧衣は思う。『あの』香月夕呼がオルタネイティヴ4を切り捨てることなどあり得ない。しかしそれを見せ札とは言えベッドにしてまで―――彼女はこの二人の男を信用していると言うのだ。

「一体貴方達は―――彼女に何をもたらしたのですかな?あの香月博士が他人をそこまで信用するとは、俄には信じがたいのですが」
「何、信用は『これから』だ。―――ただ、私達と彼女の目的は一緒でね。それ故に彼女の研究に必要なモノを提供した。そしてそれは彼女にとって、とても大切なモノだったのだよ。―――香月女史は、こう見えて意外と現金なのだ」
「アンタ達よくも本人の前でそんなこと言えるわねぇ………っ!」

 魔女が殺気を放つが道化二人は動じない。それをすげぇと思いつつ、白銀は心から香月に同情した。

「ともあれ―――どうかな鎧衣課長。我々としてもこれ以上日本の国力が減退するのは正直困るのだ。この横浜基地は日本にあるのだしな」
「―――そう言うことなら、努力致しましょう。他に何かご要望はありますかな?三神少佐」
「そうだな―――出来れば早めに、そして夜間にセッティングを願いたい。人間相手ならどうとでもなるが、BETA相手だと色々と準備が必要だ」
「分かりました。準備が整い次第、連絡を入れましょう」

 にやり、と道化二人が笑い合う。その様子を魔女は半ば呆れながら、ガキ臭い救世主は戦々恐々と眺めていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第九章     ~白銀の欠片~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:15
10月25日

「おお、ここにいたか。―――邪魔していいかね?」

 昼時のPXにて、喧噪の中で割と陽気な声が通った。白銀と207B分隊が席に着き、さて食事を始めようかとしていた時だった。
 振り返ってみれば、そこには佐官の階級章を付けた若い男と、小さな銀髪の少女がいた。
 ―――三神と社である。

「け、敬礼………!」

 それを見た榊千鶴が号令と共に207B分隊の皆を立たせ、一斉に敬礼する。
 しかし三神は苦笑して。

「そう畏まる必要はないよ。そこの武も敬礼なんかしないだろう?」
「そうそう。昼休みはプライベートの内だ。適当にやっておけばいいって」

 彼女達とは違い、席に着いたままカラカラ笑って言う白銀だが、榊達からして見れば白銀の方が異常である。訓練兵という立場からしてみれば、中尉という階級は絶対権力者―――そしてその上の佐官ともなればまさに雲の上の人だ。
 いくら畏まる必要はないと言われても、緊張するに決まっている。

「ほら霞、そこに座りなさい」
「はい………」

 三神はトレイを二つ―――自分の分と社の分だろう―――持ったまま、社に白銀の隣に座るように言い、自らはわざわざその対面に回り込んで着席した。

「さて、まずは自己紹介をしておこう。私は三神庄司。階級は少佐だ。そこの武の直接の上官で―――まぁ、兄貴分みたいなものだ」
「は、はい私は―――」
「ああ、君らについては武に聞いているから自己紹介の必要はない。分隊長の榊千鶴、副官の御剣冥夜、それから彩峰慧に珠瀬壬姫―――入院しているのは鎧衣美琴だったな?」

 一人一人視線を巡らせながら確認する三神に、207B分隊の面々は萎縮する。その視線に他意こそ無いが、やはり一訓練兵の身分で少佐に覚えられているという事実が彼女達を居心地悪くさせるのだろう。
 その様子に気付いた彼は苦笑して。

「別に悪い意味で覚えが良い訳ではないから安心したまえ。むしろ、武の話に寄れば高評価だよ。―――欠点であったチームワークの改善にも尽力しているようだしな?」

 一度安心させて、要らないことを付け足す三神に、207B分隊は『う゛っ………』、と言葉を詰まらせる。
 そんな彼を白銀はため息混じりに見やって。

「おい庄司、そんなにいじめてやるなよ。って言うか何か用か?」
「おいおい武。用が無ければ私達はお前達に話しかけてはいけないのか?折角飯でも喰いながらコミュニケーションをとろうとしたのに。なぁ、霞?」
「白銀さん………私達とご飯食べるの、嫌ですか………?」

 涙目で悲しそうに俯く社に、白銀は大いに慌てるが。

「い、いやそんな意味で言ったんじゃないけど」
「まぁ、三つばかり用件があったんだが」

 狸に踊らされたと気付く。コイツいつか締めると心の中で誓う白銀であった。

「用件の一つは207B分隊だ。彼女達が次世代OSの実証者になるんだからな。直接会ってみたかったのだよ」
「次世代、OSですか………?」

 首を傾げる御剣に、三神はそうだ、と頷く。

「そこの武が発案し、私や香月博士が組んだ戦術機用の次世代OSのテストベットとして君達が選ばれたのだよ。―――言ってしまえばテストパイロットだな。同じ日本人で衛士を目指すなら、巌谷中佐の事ぐらいは知っているだろう?憧れたりはしないかね?そしてなってみたいと思わんかね?彼のような凄腕の開発衛士に」
「あ、あの巌谷中佐と同じ………」
「テストパイロット………」
「なんと………」
「はわわわわ………」

 三神の言葉に驚きの表情を浮かべる四人だが、白銀はきょとんとしままだ。

「なぁ、庄司。その巌谷中佐ってどんな人なんだ?」
『えぇっ………!?』

 上官の、しかも先に衛士となっている人間の無知とも言える発言に、207B分隊の面々は更に驚愕する。

「タ、タケル!そなた、巌谷中佐を知らぬのかっ!?」
「あ、ああ………」

 皆の驚きようと御剣の気迫のせいか、白銀は気持ち身を後ずらせた。

「巌谷榮二中佐。今は―――確か日本帝国陸軍技術廠第壱開発局の副部長だったかな。撃震の派生進化を目指した瑞鶴の開発に参加し、当時の最新鋭だった米国のイーグルを撃破した―――私から言わせて貰えば化け物だ。国産戦術機開発の礎を築いた伝説の開発衛士として日本衛士の間では知らない者はいないぐらいだな」
「え?じゃぁ………」

 オレって今やばいこと言ったのか、と焦る白銀だが、すぐさま三神がフォローを入れる。

「と言っても、武は海外で戦うことが多かったし、その手の情報に疎いのも仕方あるまい。―――お前の本分は開発ではなく戦闘だからな」
「あ、あはははは。まぁ、な。最前線だったからあんまり余裕無かったし」

 嘘は言ってない、嘘は言ってないぞ………と白銀は胸中で自己弁護する。確かに、任官前から―――人間相手とは言え―――実戦に出ていたし、任官してからも甲21号作戦、横浜防衛戦、そして桜花作戦と立て続けに連戦しているのだ。余裕がなかったのは事実である。

「ともあれ、その次世代OSは自分で作っておいてなんだが、戦術機業界に革命を巻き起こすものだ。正直な話―――乗る者が乗れば撃震で不知火を撃墜することも夢ではない」
『―――!』

 第一世代で第三世代を撃墜する。事情の知らない者からしてみれば、まさに夢物語だ。
 だが、所詮戦術機は人間の乗るモノだ。絶対的な性能というアドヴァンテージ活かし切れなければ意味がない。
 事実、白銀は不知火で米国のラプターを撃破した男を知っている。
 同じ第三世代とは言え、不知火とラプターの性能差は埋めようのないものとなっている。しかしそれを腕の差だけでカバーし、撃墜まで至るのだから、如何に衛士の腕が重要なのかが分かる。
 そして、戦術機の世代という壁は、XM3である程度埋まる。
 であるならば、三神の言うように、XM3の真髄を引き出せる衛士なら、撃震で不知火を落すことも決して不可能ではない。

「まぁ、それに触れられるのは戦術機教習課程に入ってから―――即ち、総戦技演習を越えてからの話だ。これを奮起剤に頑張ってくれたまえ」
『はいっ!』

 目を輝かせて207B分隊が返事をする。それに満足気に頷いてから、三神は白銀を見やった。

「二つ目の用件は―――武、お前午後から空いているか?」
「んー。一応、午後の207B分隊の訓練は座学だから、空いてると言えば空いてるけど?」
「なら少し付き合え。―――そろそろ、戦乙女達に限界値を教えてやる必要があるのでな」

 何の、とは三神は言わなかった。しかし白銀はXM3の事だと悟る。今しがた、207B分隊に言った手前、次世代OSという言葉は使えなかったのだろう。
 他にも次世代OSを触っている者がいる―――と言うのは奮起剤になる可能性もあるが、やる気を削ぐ一助になる可能性もあるのだ。彼にしては珍しく、言うべき順番を間違えたようだった。

「分かった。―――みんな、悪いけど午後からオレは抜けるから」

 軽い調子で言う白銀に、207B分隊は頷いた。

「そして最後の用件だが―――霞、やってしまいなさい」
「はい………」

 三神は社に話を振ると何処からともなくカメラを取り出し、構える。その謎の行動に一同が首を傾げていると、社が動く。

「白銀さん………あ~ん………」

 自分の昼食である鯖味噌を箸で摘み、白銀へと突き出したのだ。

「いっ………!?」
『―――っ!?』

 まさかこのタイミングでコレが来るとは思わなかった白銀は絶句し、207B分隊は凍り付く。

「あ~ん………」
「い、いや霞?ここじゃちょっと………」
「駄目ですか………?」
「え、えっと………」
「前は食べてくれましたよね………?」
『前は―――っ!?』

 社の発言に、皆は勘違いした。
 社の言う『前』とは『前の世界』での事だ。わざと事実を伏せながらそういう言い回しをしたのは、実のところ修羅場を楽しむ為に三神が仕込んだものなのだが、そんな事を状況に流され冷静な判断が出来なくなったヘタレが気付く訳もない。

「ほらほら武。折角霞が食べさせてくれると言っているんだ。男ならパクッといかんかパクッと」
「庄司てめぇ!知ってやがったなっ!?」
「違うな武―――むしろ私が仕込んだ」

 しれっと暴露する三神に、白銀はこの野郎ぉぉぉっ!と絶叫する。しかしそこに起死回生の一投を見い出したのだ。

「はっ―――!ま、まて霞!庄司にも食べさせてやったらどうだ!?」
「霞。私はもう自分の飯を食べ終えている。既に満腹だ。故に―――思う存分に武の世話を焼いてやると良い」
「嘘ぉっ!?」

 見事に打ち返されたが。
 慌てて白銀が三神の方を見ると、確かに彼のトレイの―――因みに合成焼き鮭定食―――皿は空になっていた。
 例の早食いスキルである。
 因みに当の本人はカメラを構えたまま合成麦茶を啜っていた。器用な奴である。

「白銀さん………」

 社が気持ちずぃっと前に出る。さぁ進退窮まってきた―――。

(えぇいっ………!ままよ………!)

 半ばやけくそ気味になりながら差し出された鯖味噌に食らいつく中尉。
 それを絶対零度の視線で見る207B分隊訓練兵の面々。
 そしてその光景を写真に収める少佐。
 後に、ここを仕切る京塚曹長は語る。
 その日の真昼のPXは、妙にカオスな空間だったと。





「何よコレ………!」

 シミュレーター室の一角、外部出力映像に齧り付きながら、速瀬水月は驚愕の声を挙げた。同じヴァルキリーズの面々も声には出していないが、同じように驚愕を表情に張り付かせ、映像を食い入るように見つめている。
 映像の中、まるで踊るように市街地を駆ける二機の不知火。
 三神の駆る迎撃後衛装備の不知火と、白銀の駆る突撃前衛装備の不知火だ。
 先日より訓練している三次元機動を越える三次元機動のぶつかり合い。
 片方が廃ビルに突き刺さったナイフを足場にして三角跳躍すれば、片方は追いすがる為に壁さえも蹴って速力を得る。かと思えばその行動をキャンセルして着地、その隙を先行入力で潰して次の行動へ移る。
 一進一退―――。
 そんな言葉がヴァルキリーズの脳裏を過ぎる。
 事の起こりは午後の訓練を開始する直前だった。
 三神が連れてきた、彼をして兄弟、もしくは相棒と呼ぶ年若い中尉―――白銀武。
 現在、彼は特殊任務中であるが、それが済み次第A-01に配属されるというので、先だって自己紹介をする為に連れてきたと三神は言った。
 白銀と同年代である新任達は勿論、先任達も三神の相棒という聞かされ、当然興味は持つ。特に速瀬の興味は誰よりも強かった。無論―――実力的な意味で。
 自己紹介が終わり、すぐさま彼女は言う。
 『白銀中尉の実力を知りたいので、模擬戦をしませんか?』と。
 しかし三神はこれを却下。曰く『お前達ではそれこそ束になっても敵わない』らしい。更に驚くことに、XM3のそもそもの概念を発案したのは、白銀だとのこと。
 今現在習っているXM3用の三次元機動の概念元。更に極論を言うならば―――XM3とは、本来彼が思い描く機動を戦術機で再現させる為のOSだというのだ。
 となればますます実力を見てみたくなるのが衛士としての本能。
 それを知って知らずか―――おそらく狙ってやっていたのだろうが―――三神は、自分と白銀の一対一ならばやって見せてやると言った。
 ここまで来ると、ヴァルキリーズとしては最早自分達が戦えなくても良くなっていた。
 兎にも角にも、この中尉の実力が見てみたいと。
 そして今こうしてその願いが叶ったのだが―――。

(―――まさに別次元ね………)

 映像を見ながら、伊隅は思う。
 記憶の中、何度か白銀の機動を見たことがある彼女としては、その頃から似たようなことを感じていた。
 白銀の正体や、その戦術機の操縦概念がそれこそ本当に別次元由来のものだと知ってようやく自分の感覚が正しかったのだと理解し、しかしあのヴォールク・データを見て再び齟齬を感じた。
 だからこそ、と言うべきか。彼女は理解した。
 白銀武は―――急速に、更なる進化を遂げているのだと。
 その理由こそ分からない。
 だがシミュレーターとは言え戦闘を重ねるごとに、白銀の動きが一味も二味も違ったものになっていく。
 まるで別人だ。
 何人もの白銀武が入れ替わり立ち替わり戦っているようにしか見えない。
 それを相手取る三神も大したものだが―――彼の腕は、あくまで究極のベテランである。
 100年にも及ぶ人生の中で、死にながらも繰り返し戦った結果に身につけた、非常に粘り強い戦い方。逆手に握る長刀も、見た目程奇をてらったものでは無く、あくまでその消耗率、各関節への負担を極限にまで抑える為のもの。
 人類の斜陽。極めて物資の少ない中で長く戦い続ける為に身につけた継戦能力の―――いわば一つの到達点。
 誰でもと言う訳ではないだろうが、多少才能のあるものが三神と同じ道を辿れば、おそらくは辿りつく。
 対して白銀は天才。
 一つの戦いで千も万もの経験をかき集め、習得し、試すことによって自分のモノとする。
 まるで高速で組み上がっていくジグソーパズル。
 そしてその過程も、組上がった絵でさえ凡人には理解することの叶わぬもの。
 誰であったとしても、彼の操縦概念がこの世界のものでない以上、おそらくは絶対に辿り着くことの出来ない。

(だけど―――その為に少佐がいる)

 三神の三次元機動は既存の概念に近い。
 おそらくは、彼がループの中で出会ったというシロガネタケルの機動を取り入れ、噛み砕き、既存の機動概念と融和させたのだろう。
 そのものを習得するのではなく、なぞり、真似ることによって誰でも使えるようにダウングレードする。それによって既存の概念そのものを進化させる。
 いずれ、誰かにそれを教える為に。

(必ずものにしてみせます、少佐。そして―――)

 今度こそ、誰も死なせない。
 自らが立てた誓いを胸に、伊隅は画面を見つめた。彼等が描く機動を、少しでも自らの血肉とする為に。





 白銀は狂喜の中にいた。

「すげぇ………!すげぇよ庄司………!!」

 この世界のヴァルキリーズと対面し、前の世界で失った先任や同期達に想いを馳せて少し泣きそうになった白銀であったが、いざシミュレーターの中に入れば気持ちは切り替わる。
 この模擬戦を始める前、三神は彼にこう言っていた。
 『本気でやるから、お前も本気で来い』と。
 果たして―――それは正しかった。
 逆手に握られた長刀が繰り出す一撃必殺の斬撃。
 未来予測でもしているのかと疑いたくなる程の高精度射撃。
 地を這う狼の様に機敏に駆け抜けたかと思えば、直後に自分に似た三次元機動―――縦の機動さえも行って追撃してくる。
 こちらも果敢に攻めるが、三神は遮蔽物や行動をキャンセルする事によって予測のつかない機動をし、その全てを避けていく。
 ―――ベテラン。
 白銀はふと、そんな言葉を思う。
 確かに、三神はその言葉が相応しい。
 強いのではない。
 ―――巧いのだ。
 それこそ強さだけで言ったら、白銀の知る中で言えば月詠やラプターを不知火で落した沙霧の方が強いと言える。
 あの一対一の時、確かに背筋が震える程の気迫が伝わってきたのだから。
 だが三神にそれは無い。
 おそらく、彼は激情などの感情で強くなるタイプではなく、あくまでフラットに、平均的に能力を『使い切る』タイプだ。
 感情による能力変動がない分、どんな状況下でも十二分に力を出し切れる。
 白銀と真逆の性質だった。
 そしてそれ故に―――。

「ちぃっ………!」

 こちらの頭上を飛び越え、倒立反転中に下方に向かって射撃する等という曲芸をする三神機に、白銀は現在実行中の全ての行動をキャンセル。次に右へ水平噴射跳躍のコマンドを叩き込んで、それが実行されている間に反転旋回、着地の瞬間を狙う為にロックオンをする。

「逃がすかぁっ!」

 白銀は叫んで36mmをばらまくが、相手は着地のシーケンスさえキャンセルして水平噴射跳躍して横に高速で逃げる。

「またかよっ………!?」

 折角捕捉したのにまた逃げられ、悪態をつく白銀。
 先程から、良いタイミングで射撃することは何度かあった。だが、それら全てを避けられる。
 今のような唐突な高速二次元機動によってロックオンが外されるのである。
 ロックオン時間を長引かせれられれば自動補正によって多少の高機動でも追従可能だが、そもそもそれをさせてくれないのだから、ベテランの嫌らしさが前面に出てくるのだ。
 最も白銀自身、射撃の腕は取り立てて良くはないと自覚している。近接戦に関しても同様だ。
 彼が最も秀でているのはその機動制御。
 今まではそれが補って余りある程だったので対して苦にはならなかったのだが、少なくとも同じレベルの人間相手にそれだけでは太刀打ちできない。
 しかも、相手は射撃も近接戦も平均以上のベテランだ。
 今でこそ奇抜な操縦概念によって避け続けているが、何処かでボロが出た時、あのベテランがそれを見逃すはずがない。

「何か手を打たねぇと………」

 思考を巡らし―――そして白銀は勝負に出る。





「やはり―――経験が覚えているか」

 倒立反転射撃後、ロックオン警報があったので即座に着地シーケンスをキャンセルした三神は、左へ水平噴射跳躍をしてビルとビルの谷間へと逃げ込む。
 ―――一昨日のヴォールク・データの最中から、その傾向はあったのだ。
 今の白銀は因果導体ではない。
 『元の世界』の記憶達と別れ、『この世界』の戦いの記憶達から再構築された因果集合体だ。
 幾千、幾万にも及ぶループ回数の為に脳に収まりきらず、その記憶こそ消されている可能性があるが、戦いに置ける経験―――記憶の欠片だけは残っているのではと三神は仮定を立てていた。
 それを裏付けるように一昨日のヴォールク・データの最中、何度も何度も白銀の機動が変わった。
 まるで一度にたくさん手に入れた玩具を一つずつ試すように。
 おそらく本人は自覚していないだろう。
 知らない人間からしてみれば、白銀は戦いの中で急激に進化しているように見えるだろう。
 しかし三神は違った。

「どんどん白銀『大佐』の動きに近づいていくな………」

 『この世界』の2016年で初めて出会った人間―――そして今尚、三神が恩師と仰ぐあの彼。
 その動きを知り得たのは、初陣の時の一度きり。
 XM3も無く、乗っている機体もボロボロのブラックウィドウⅡだったが、今の白銀の動きはあの時の彼に近い。

「今まで私が出会ってきた『シロガネタケル』の集合体か………」

 手強い訳だ、と三神は苦笑する。
 戦闘が始まって既に三十分以上。どちらも『被弾していない』状況だ。
 正直、異常だと三神は思う。
 お互いに手を抜いている訳ではない。XM3の限界値―――いわば一つの到達点を見せる為に、模擬戦前、白銀に本気で来いと言い含めておいた。
 そして三神自身も、今まで自分が培ってきたものを全て使っている状態だ。
 戦乙女12人に対してさえ、本気で行かなかったのに―――たった一人の救世主に全力で行って拮抗している。
 もしも仮説を立てておらず、只の三週目の白銀と思って掛っていたら―――三神の負けという結果でこの模擬戦は既に決着がついていただろう。
 それほどまでに―――今の白銀は強い。
 ―――闘神。
 ふと、そんな言葉が三神の脳裏を過ぎる。
 気の遠くなる程ループを重ね、戦いで培った経験だけ抽出し、因果を越えた彼にその全てが引き継がれ、上乗せされている。
 まだ純朴さの残る白銀に、数多の絶望と後悔と嘆きを経験した『シロガネタケル』達の力が彼に受け継がれる。
 挫けて泣いて、逃げ出して―――それでも前を向いて走り抜き、尚も最上の未来を望む彼に送られた、それは贈り物。
 戦友を護り、愛した女を護る為の、闘う力。
 幾千もの戦場を駆け抜け培った―――闘神達の力。
 ならば今の白銀はまさしく―――。

「―――闘神達の息子、だな」

 人はきっと、彼を天才と呼ぶのだろう。
 そうして一括りにして、彼を戸惑わせるに違いない。
 だから三神だけは―――幾人もの『シロガネタケル』を知る三神だけは、こう言おう。

「それは間違いなくお前が、お前達が死に物狂いで努力して手に入れたものだよ。―――『シロガネタケル』」

 そして―――永劫にも思えたこの三十分の模擬戦。
 その終極の時が来る。





 最初に動いたのは白銀機だ。
 彼はビルの屋上を足場にして、レーザー判定を喰らいそうになるとキャンセル降下しつつ移動する。
 すでに網膜投影のマップ上に三神機のマーキングは済んでいる。後は走り抜けるだけだが―――そのまま接近したのでは、高精度の射撃が襲いかかってくるのは目に見えている。
 だからこそ、屋上の足場にして上空を『走って』いるのだ。
 一直線に、そして『目立つように』。
 当然の事ながら、白銀機が迫ってきているのを三神機は理解していた。だが、狙撃はしない。
 彼自身がじっくり狙う長距離の狙撃はあまり得意ではないのも理由に挙げられるが、ロックした瞬間にどうせキャンセル降下して逃げられるのが今までの経験上分かっていたのだ。
 だからこそ―――白銀機が思いもしなかった行動に打って出る。
 直後、今まで距離を取る為に背を向けて逃げていた三神機が反転、白銀機へと突進をしかけたのだ。
 更には、左手にした突撃砲を担架へと戻し、後は右手にした長刀一本となる。当然、握りは逆手だ。
 それに反応して、白銀機は駆け抜けながら36mmをばらまいて弾幕を張る。
 しかし三神機はキャンセルを用いて左右に機体を振りながら走る。
 ジグザグに走り抜けるその様は、まさしく狼のそれだ。
 その際に幾つか被弾するが、いずれも損傷は軽微。
 戦闘続行に支障はない。
 そして互いに肉迫し―――待っていたとばかりに白銀機が得意の奇抜な行動に出た。
 何と、手にした突撃砲を三神機に向かって投げたのだ。
 さしもの三神機もそれには驚いたようで、それを左に避ける。いきなりの機体制御にほんの一瞬であるが三神機の動きが止まった。
 白銀機からしてみれば、それこそが好機だ。
 ナイフシースから短刀を取り出すと、それをアンダースローで投擲。無論、それで決着がつくなどと甘い考えは持っていない。
 事実、その短刀は硬直をキャンセルした三神機によって避けられる。
 だがその時には白銀機は次の行動に移っていた。
 投げると同時に残心をキャンセルして倒立跳躍、反転降下、更には担架を跳ね上げて長刀を抜ける状態にする。
 そして三神機の背後へと降下しながら、白銀機は抜刀しつつ振り下ろした。
 不意をついた抜打ち―――しかも上空、背後からの強襲だ。
 並の衛士ならば反応できずに唐竹割にされる。
 しかし―――あくまで三神はベテランだった。
 白銀機が倒立反転降下をしていると悟った三神機は、短刀を避けた慣性を利用して旋回。更にはその旋回時に於ける慣性さえ利用して右手に握った長刀を、背後に降り立つ白銀機に向かって横薙ぎに振るう。
 ―――激突。
 拮抗も鍔迫り合いもない。
 互いに戦術機の重量と慣性を十分に載せた一撃は、その両方の長刀が折れるという結果を以てして終焉を迎える。
 しかし未だ二機は闘いを終えていない。
 ―――むしろ、ここからが正念場だ。
 半ばから折れた長刀を使い物にならないと二人は判断し、すぐさま投げ捨てる。
 白銀機はナイフシースから最後の短刀を。
 三神機は横薙ぎに振り切った状態から更に旋回させ、背を向けると突撃砲を収めたパイロンを跳ね上げる。


 そして―――。


 短刀が背後から三神機の管制ユニットを突き刺し、担架から跳ね上げられた突撃砲は120mmを至近距離から白銀機に向かって吐き出した―――。





「ログを見てみたけど、アンタ達やっぱり化け物ね」

 香月は自らの執務室で三神と対面しながら呆れ顔でそう言った。

「どちらかというと化け物はあいつの方だよ、香月女史。何とか引き分けに持ち込めたが、正直次は勝てる気がしない」
「並の衛士からしてみればどっちも似たようなものでしょうよ。―――そう言えば、その白銀は?」
「ヴァルキリーズと遊ばせているよ。速瀬がご執心のようだ」

 つまり、まだシミュレーターで訓練していると言うことだ。

「アンタは行かなくて良いの?」
「私は武や速瀬ほど戦闘狂というわけではないからな。運動は適度にするのが一番良い」

 正直な話、模擬戦とは言え白銀と一対一で戦うのは精神的にきつかった。あんなにも身を削るような戦いをしたのは、もう何十年ぶりなのかと考える程だ。

「大体、用件があって呼び出したのだろう?霞が来たぐらいだから、それなりに重要な案件か?」

 訓練中に社がわざわざ呼びに来たのだ。その為、三神一人で抜け出してきた。因みに、その社は式王寺にとうとう捕獲され、今は愛でられている真っ最中だ。本人は別に嫌がっている訳ではないようなので、そのまま三神は放置してきた。

「せっかちねぇ………。ま、いいわ。鎧衣課長から連絡があったのよ」
「ほぅ………」
「あんま驚かないのね」
「十分驚いているがね。後二、三日と見ていたが、思ったよりも鎧衣課長の仕事は早かったようだ」
「あっちもそれだけ真剣って事でしょ?アンタがBETAを使って脅すから」
「事実を言っただけだがね」

 あっそ、と香月は肩を竦め、改めて三神を見る。

「予定は明日の夜。夕方の五時には迎えに来るそうよ」
「と言うことはあちらでディナーか。精々食い溜めするようにしよう。貴重な天然物が出てくるだろうしな」
「遊びにでも行くつもり?」
「何、ほんのついでだ」

 しれっと三神が軽口を叩くと、香月は大丈夫かしらコイツと呆れ顔で見やるが、彼は気にも留めず言葉を紡ぐ。

「分かっているさ。次の交渉は絶対に落とせない。精々気合いを入れて臨むとしよう。―――お互いの為にも、な」

 にやり、と横浜の狐と狸が嗤い合い、横浜基地の夜は更けていく―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十章     ~三神の本領~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:15
10月26日

 白銀はグラウンドを走る『五人』を見つめながら、腕を組んで少し感傷に浸っていた。
 そう、五人だ。
 いつもの四人の中に、小柄な影が一つ。
 鎧衣美琴―――。

(やっと………やっと五人揃ったな………)

 今日の朝方、鎧衣が退院してきた。退院と言っても、念のための検査入院だけだったので、大事はなかったのだが。
 どちらにしろ、これで207B分隊は全員が揃った。
 後は総戦技演習をパスさせ、戦術機教習過程に移行する。そして、自分と神宮司が知る限りの技術を叩き込む。

(今日が26日。今日と明日を使って美琴の体力を多少なり戻して―――総戦技演習開始日は28日がいいか。演習場はもう手配はしてあるし、問題はないな。急な日程も、夕呼先生の命令と言えば納得してくれるだろうし。んで、30日には終わらせて、一日休ませて―――11月の頭から戦術機に乗せる)

 そこから11日まではひたすらシミュレーターと実機に乗せるつもりだ。BETAに関する知識はシミュレーターに乗りながらでも説明できるし、戦術機に関しても同様だ。不足するようならば、11日を越えてからでも遅くはない。
 兎に角11日までに必要なのは何よりも技術だ。知識は必要最低限あればいい。

(何としても間に合わせる………)

 次を逃せば、12月の甲21号作戦まで対BETA戦は無い。初陣がそんな大規模作戦になってしまえば、『死の八分』はより大きな壁となって彼女達の前に立ち塞がる。
 更に彼女達はA-01に配属され、A-01はその作戦でハイヴに潜るだろう。
 本土侵攻してくるBETAの数と、ハイヴを攻める際に相手にしなければならないBETAの数では、それこそ天と地の開きがあるのだ。
 BETAと戦ったという経験は、例えほんの少しだとしても必要だ。

(無理に最前線に出る必要ない。戦場に立つって事が大事なんだ)

 望むべきは戦線の中央から後方に掛けて。それぐらいなら、すり抜けてくるBETAはほとんどが小型種。中型や大型がいたとしても数えられるぐらいの筈だ。
 光線属と相対する機会は無いかもしれないが、どのみちハイヴに潜ってしまえば光線属はいない。
 潜るまでは、先任達にカヴァーして貰えばいい。

(ハイヴに潜れば、三神の教習データが活きてくるしな)

 あの三次元教習課程データは、本来如何にBETAの波をすり抜けるかと言う目的を主眼に置いて作られている。あれを完璧にこなせるようになれば、ことハイヴ内に於いて足を引っ張ることはないだろう。
 そして11日を越えれば、習熟するまでに一ヶ月以上の時間的余裕が出来る。
 前回のループで最終的にオリジナルハイヴの反応炉手前まで進めた彼女達の潜在能力があれば、それぐらいの時間があれば余裕の筈だ。

(大丈夫だ―――。お前達は前よりも絶対に強くなれる。オレが強くしてやる。だから頑張れ。お前達が強くなるまでは―――オレやまりもちゃんが護ってやるからさ)

 白銀は慈しむように彼女達を見守りながら、改めて戦友達を護ることを誓った。





 その様子を屋上から見やる人影一つ。
 例によって三神である。
 昨日のことがあったからか、ヴァルキリーズが妙に気合い入れて訓練に臨んでいるので、邪魔しては悪いと思い一服がてらここに来ていたのだ。
 白銀に視線を向けつつ、しかし思うのは他事だった。

(―――さて、対殿下戦か)

 紫煙を吐き出して、今夜のことを思う。
 三神が立てていたプランの中では、序盤最大の山場である。いや、むしろこれを越えると他に大きな交渉の場はなくなるので、計画全体の中で最大の山場であろう。
 クーデター絡みで沙霧と交渉することはあるが、彼は基本的に国に、そして殿下に忠誠を誓っている。
 殿下さえこちら側に引き込んでいれば―――順番を間違えなければという前提付きではあるが―――負けはない。
 となると、やはり桜花作戦までの流れの中で、最大にして最強の難敵こそが煌武院悠陽殿下。及びその忠臣。

(―――どこの世界であろうと、日本人は基本的に思考が硬いからな)

 厄介なことだ、と三神は思う。更に言うなら、この世界の日本人は彼がいた『元の世界』で言うなら、世界大戦前の気風がある。
 軍人が軍人らしく、男が男らしく、女が女らしく―――そして日本人は日本人らしく。
 ―――ナンセンスだ、とは思わない。
 何しろ、狭い自国の領土にハイヴを抱えている状態だ。
 プロパガンダでも掲げ、人民意識を統制せねば暴動が起きかねない。この狭い日本の中に二つ―――今は一つであるが、ハイヴを抱え、尚も日本が日本であり続けているのも、政威大将軍である殿下筆頭に、五摂家、そしてそれを護る近衛が象徴として日本を統制しているからに過ぎない。
 無論、全ての人民が統制されている訳ではないが、善良な民に関して言えばその限りではない。そしてその数は善良な民の方が圧倒的に多い。
 親米派が蔓延る政治面はさておいて、日本という国は、国としてはそれなりに纏まっている方なのだ。―――少なくとも、今は。
 だからこそ、三神にとっては厄介だった。

(―――香月女史や鎧衣課長のように考えが柔軟ならこうも悩む必要はないのだがな)

 対香月戦の交渉では、彼女が掲げる因果律量子論や00ユニットの数式を武器に有利に進められた。
 対鎧衣課長戦の交渉では、戦略研究会やBETA侵攻等の示唆によって巧くこなせた。
 しかし、今回の対殿下戦では三神の手札に手土産は少ない。唯一自分達がこの世界の人間ではないと証明するのに、白銀のゲームガイを持ち込むだけで、後武器に出来るのは11月11日の未来情報と己の舌のみだ。
 その他の未来情報に関しては勝手に動かれては予定が狂いかねないので仄めかす程度で伏せるつもりだった。
 もしもこれが殿下だけならばあるいは簡単に事が運べたかもしれない。
 今でこそ実権はないが、彼女自身は非常に聡明で、故にこそ何が国益になるのか見定める目を持っている。
 だから真実を知った時、彼女は間違いなくこちらの味方につく。
 少なくとも、11月11日までは表面上の信用をするはずだ。その為に白銀と直接会話させる機会も作る。御剣との関係、更にはその事情などを仄めかせば興味を持たないはずがない。
 だが、周りの人間はどうか。

(―――11月11日までは信用しないだろうな)

 本来ならば、それでもいい。特に榊総理大臣や珠瀬外務次官などの政治面に特化した人間は、後々でもどうとでもなる。しかし、紅蓮大将に関してはある程度協力をして貰わねば困るのだ。
 と言うのも、11月11日のBETA侵攻の時に軍を動かすからだ。
 表面上、実弾演習及び新型OSのお披露目として軍を動かす予定だが、その実は迎撃戦。
 実際に戦う衛士はさておいて、指揮を執るであろう紅蓮大将にはこちらに協力的であって貰わねば困る。
 無論、実際にBETAが攻めてくれば切り替えて迎撃するだろうが、それまで附抜けていているようでは士気に関わる。

(―――紅蓮大将の人なりとして、それは無いだろうが………)

 だがあり得ないを仮定して、思わぬ損害を被ることはままある。しかも実戦ともなれば、人の生死が関わるので、戦力を余分に減らしたくない三神としては極力不安要素は潰しておきたいのだ。

(ああいった武人にはこちらの力をある程度示してやる必要がある―――)

 白銀をぶつけても良いが、彼には殿下の相手がある。となると、自然と三神が相手にしなければならないのだが。

(―――あの化け物相手に戦うのか………)

 途端に気が滅入る。三神は白銀や速瀬のように戦術機馬鹿ではない。まぁ、衛士ではあるから興味がない訳ではないし、戦うのが嫌いという訳でもない。
 しかし基本的に駄目人間なので、極力面倒なことをしたくないだけだ。必要最低限の労力で最大限の結果を得るのが彼のスタンスである。
 要は白銀が女の子相手にきゃっきゃうふふしている間に、何故に自分はあんなむさ苦しいおっさん相手に戦わねばならんのか心底疑問に思うのである。

(しかもある程度好奇心を掻き立ててやらねばならんから―――ああもう面倒だ………いっそ、一度全員『敵』に回すか?)

 ふとそんな事を思いついて―――それが今後のプランにどう影響するか考える。

(デメリットは―――無いか。どのみちほとんどニュートラル、もしくは悪い状態から始めるから、一度落して持ち上げるだけだし………。ん?実はこの基本方針は最良の手じゃないか?)

 不意にした閃きから高速で対殿下戦のプランが組み上がっていく。その速度たるや、過去の自分でも例にない程だと三神は思う。
 そして一段落すると、フィルター近くまで吸った煙草を携帯灰皿に押しつけて火を消して、にやりと嗤う道化が一人。

「方策はこれで決まったな。では―――月詠中尉で遊ぶとしようか」

 これも夜の為の仕込みだと言い聞かせ、その実あの手の生真面目な女性をからかうことに妙な快感を見いだしている三神であった。
 この男、割と鬼畜である。






 月詠真那は懐疑を抱いていた。
 横浜基地に駐留している彼女ら帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊の目的は、御剣の守護である。普段は離れた場所から交代制で警護する為、空いた人員は休憩や自己鍛錬を行う。
 その休憩中に月詠は割り当てられた自室にいた。
 理由は先頃送ってもらった例の二人組の資料を吟味し、後は実際に会ってみてどう感じたかを報告書にまとめ、帝都に送る為である。
 実のところ、警戒こそしているものの、あの二人が御剣に害を成す存在ではないのではないかと彼女は考えていた。
 あの道化が語るように、殺そうと思えばいつでも出来た。
 それこそあの夜―――御剣の自室に爆発物でもしかければ良かったのだ。事実、あの瞬間、彼女の周囲には護衛はついておらず、爆発物でなくとも人知れず殺す機会はあった。
 しかしあの二人はそれを見送った。
 それはつまり、今のところは御剣に危害を加える意志がないということだ。
 無論、それこそが彼等の作戦で、こちらが油断したところで手を出すのかも知れないが、それをする意図が分からない。
 それに、あの白銀という中尉に対して思うところがある。
 昨日と一昨日、御剣達207B分隊の訓練風景を覗いていた月詠ではあるが、207B分隊を見守る白銀は何処か郷愁を感じているように見えた。
 まるで一度失ってしまったものを、再び手にしたかのような―――そんな表情。
 彼が何を思ったのかは分からない。だが、少なくとも白銀武を名乗るあの少年は、依然素性こそ怪しいものの、こちらに何かやましいことは無いのかも知れない。
 ―――無論、油断や楽観は出来ないが。
 そして、もう一人の三神庄司に関しては―――。

「―――三神だが、月詠中尉はいるかね?」

 月詠の部屋を尋ねてきていた。

(どういう事だ………?)

 机の戸棚に閉まった拳銃を引き出しながら、月詠は考える。
 ここに来て―――あの道化が自分を訪ねてくる理由をだ。

(―――マイナス要因しか考えられんな)

 少なくともあの二人の内、三神庄司はこの上なく『敵』だ。いや、そうなるような言動をわざと取っているような節があるが、あの飄々とした態度は月詠自身好きになれなかった。

「―――何か用ですか?三神少佐」

 警戒しつつ拳銃を後ろ手に回し、ノックされた自室の扉へと音もなく近づく。

「何、少し話があってな。戎少尉に聞いたら、自室にいるとの事だったのでこうして足を運んだのだ。―――開けてはくれんのかね?」

 戎も月詠と同じく休憩中だ。一昨日の事で自分同様に三神を警戒している彼女がそう簡単に教えるとは思えないが、おそらくは階級を盾にしたのだろう。所属が違えど、階級は絶対だ。理由もなく断れば、それを理由に帝国へ国連側から苦情が行きかねない。止むに止まれず月詠の居場所を喋ったのであるなら、今現在、戎は三神を影から監視しているはずだ。
 少なくとも今は、妙な真似は出来まい。

「―――少々お待ちを」

 そう結論した月詠は拳銃を懐に仕舞い、扉を半分だけ開ける。そこには浅く腕を組んだ三神がいた。

「私めに何か御用ですか?」
「ああ、何簡単な事だ―――」

 彼は軽い調子でにやりと嗤い。



「夜這いに来た。―――いやこの場合、朝這いかな?」



 月詠の思考が硬直した。
 夜這い。よばい。YOBAI。
 夜に恋人などの女性の寝所に忍び込み、情交をかわすこと。
 ならば朝這いはどうだろう。夜に行うことを朝に行うのだから、朝に恋人などの女性の寝所に忍び込み、情交を交わすこととなる。

(―――どちらにしても破廉恥な意味ではないかっ………!!)

 三拍ぐらい遅れて結論に達した月詠は耳まで紅潮させ、目の前の馬鹿を睨み付ける。心の中では懐に仕舞った拳銃を取り出しセーフティを外して―――。

「まぁ、冗談だがね」

 有り弾全部をその脳天に叩き込む前に、道化は言い逃れた。

「では、何の用があってここに?」

 口調こそ冷静を装っているものの、その殺気は凄まじいものがあった。少し離れた所で事の次第を見守っていた戎が震え上がる程だ。
 しかし三神はそれを直に受けてもそよともせず、泰然と笑みを浮かべたままだ。

「一昨日言っただろう?―――私達の正体を明かす機会を設けると」
「………今、ですか?」
「いや―――その前に立ち話もなんだ。部屋に入れてはくれんかね?ついでに茶でも出してくれ。合成麦茶が良い」

 図々しく要求を始める三神に月詠は一瞬だけ考えて。

「………良いでしょう。どうぞお入り下さい」
「では失礼するよ」

 促すと、遠慮することなく三神は足を踏み入れると。

「―――何と!月詠中尉の部屋は畳かねっ!?」

 珍しく驚きの声を挙げて玄関口で立ちつくす。
 駐留軍とは言え、士官に割り当てられた部屋は結構融通が利く。ある程度の改装は可能だし、畳程度ならば文句も言われない。と言うより、帝国軍士官ならこれがデフォルト、という人間の方が多い。

「―――それがどうかされましたか?」

 警戒を解かないままの月詠を知ってか知らずか―――おそらく知ってだろうが―――三神は靴を脱ぎ捨ていきなり畳の上で転がりだした。

「あぁ………堪らんなぁ………藺草の匂い………」
「なっ………!」

 その痴態というか暴挙というか、突飛な言動に月詠は今日二度目の殺意を覚え―――。

「なにをするかぁっ!この大馬鹿者ぉーっ!!」

 とうとう爆発させた。






「さて、申し開きを聞こうか?」
「くっ………!」

 道化の振る舞いに月詠がついに爆発したその十分後、二人は件の畳の上で向かい合っていた。
 三神はあぐらを掻き、出された合成玉露を啜りながら。
 月詠は正座をし、三神の問い掛けに表情を歪めながら。

(夜這い発言で爆発しなかったからどうしようかとも思ったが―――まぁ、結果良ければと言ったところか)

 茶を啜りつつ、三神はそんなことを思う。
 今夜殿下に会うにあたって、まず間違いなくボディーチェックを受ける。そうすると、現状この世界の人間には不明な物品―――即ち、ゲームガイを持ち込むことは出来なくなってしまう。
 そうすると別世界から来たという物品証明が出来なくなり、ひいては未来情報にある程度の信憑性すら持たせることも出来ない。
 今回の交渉に於いて、三神の最大の武器はゲームガイである。
 これを用いることによって、彼と白銀の持つ未来情報は殿下達にとって無視できないものとなるのだ。
 故に、絶対に交渉の場に持っていく必要がある。
 だがボディーチェックは回避できないし、その場で危険物ではないと言ったところで調べないことには信用されないだろう。
 しかし調べるにしても分解は必須だろうし、この世界の人間が一応精密機械であるゲームガイを分解して再び組み直せるかと言えば無理の一言だ。
 であるならば、これを無傷で交渉の場に持ち込む方法は唯一つ。
 ボディーチェックを受ける必要の無い人間に持たせれば良いのだ。
 それこそが月詠真那。
 煌武院悠陽の双子の妹、御剣冥夜を守護する斯衛。
 殿下からの信も篤く、斯衛に於いて一目以上置かれている彼女ならば、ボディーチェックを受けることはないだろう。
 よしんば受けたとしても、適当に誤魔化せる立場にある。
 であるからこそ、三神は彼女を選び、そして用いる為に弱みを握る必要があり、故に一芝居打った。
 最初は夜這い発言。それが失敗したようなので畳ゴロゴロ。
 最初の発言で勝負が決まると思っていた三神にとっては、それこそが最大の誤算で、この部屋に畳があったことは最大の幸運だった。

(―――私の部屋も畳にしようかな………)

 個人としては和風部屋は好きな方である。布団を敷くのが面倒なのでベッドの方が良いのだが。
 敷きっぱなしでいいかな、とも思うが煎餅布団は嫌だとの結論に達し、結果畳の導入を諦めることにする。

「―――佐官相手にあの暴言。斯衛の中尉はどう考える?」
「お言葉ですが少佐。―――下級者の者の部屋でのあの行動は問題だと思います」
「畳の上で寝っ転がっただけだ。―――日本人ならば誰でもするだろう?」
「………」

 屁理屈とも言える物言いだが、実際誰でもやることだし、強く言い出せない月詠である。ただ、時と場合を考えろとは思うが。

「まぁ、それについては今のところはいい。それよりも今夜のことだ」
「………今夜、ですか?」
「ああ、言っただろう?近い内に私達の正体を明かすから、知りたかったらしばらく夜は空けておけと。―――それが今夜だ」

 すっと、月詠の目が細められる。三神の真意を量っているようだが、弁舌に於いて自分の上を行くものを推し量ることなど出来はしないだろう。
 そして更なる混乱に至る発言を三神は投下する。

「今宵―――殿下にお目通りする」
「なんだとっ………!?」

 自らの主を引き合いに出されてか、瞬間沸騰する月詠だが、先程の失態を思い出してか、すぐに自制する。

「―――それは、どういう事ですかな?三神少佐」
「私と武の正体は、日本の未来に関わることだ。日本の将来を担う殿下には知っていて貰わねばならん事だし、その為に敢えて非公式で謁見を取り付けた。尚、この場には紅蓮大将や榊総理大臣、珠瀬事務次官等も同席する。―――下手な真似はできんから、安心したまえよ。月詠中尉」

 日本にとって無くてはならない歴々の名前の登場に、月詠は考えが纏まりきらない。だがそれを知った上で畳み掛けるように三神は告げる。

「当然、その場に中尉やあの白の少尉達も同席してもらって構わない。―――だが、覚悟しておくがいい」

 告げる三神に、いつもの飄々とした態度はなかった。
 そこにいるのは三神庄司ではない。
 幾百もの世界を繰り返し、百年もの時間を生き、更には自らの消滅を得る為に直走る―――一匹の狼がいた。

「事は貴様等の常識では推し量れない。その渦中にある私や武でさえ、正直ふざけた話だと思う。だが私達が告げる言葉は真実で―――それ故に酷く残酷だ。知りたいのならば教えてやるが、知ってしまえば最早引き返せないと思え。もう一度言う。事は貴様等の常識では推し量れない。故に―――覚悟しろ」

 そこにあるのは、悲劇めいた御伽噺だ―――。


 そしてそれだけ告げると、三神は月詠の部屋を去っていった。






 煌武院悠陽は謁見の間にて、傅く二人の男を見ていた。
 一人は二十歳そこそこの青年。
 一人は自分と同じ年代の少年。
 それぞれ、国連軍の少佐と中尉という立場でありながら、国家機密である煌武院悠陽と御剣冥夜の関係を知っていると言う。
 更に、重用している鎧衣をして今後の帝国に必要不可欠な存在かもしれないと言わせる程の人物達だ。情報を扱う彼にしては珍しく曖昧な言い方で、しかもこのような機会を作るよう進言してきたのは初めてのことだ。
 訝しがりはしたが、悠陽は鎧衣が帝国に忠誠を誓っているのを知っている。その彼が紅蓮大将や榊総理大臣、珠瀬外務次官まで招集すべく動いたのだ。何か深い意味があるに違いないのは明白で、故にこそ早急にこの非公式の謁見と招集を実現させた。
 そして悠陽は思う。

(―――さて、そなた達は、一体何を私達に伝えようとしているのですか?)

 まるでそれに応えるように青年の方が顔を上げる。
 そして―――。

「お初にお目にかかります殿下。自分は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐であります。此度の謁見、非公式且つ急な話にも拘わらず、斯様な程迅速にお目通り叶ったこと恐悦至極に存じます」
「―――良い。此度の謁見、鎧衣の進言があったからこそ。礼を言うならば、あの者にするのが筋でしょう」
「然り。後ろにいる彼には、また後で礼を言っておきましょう」

 三神は言って、立ち上がる。その様子を、その場にいる全員が注視する。最早この場は彼に支配されている。彼の一挙手一投足こそが、この場の行く末への最初の一歩となる。
 だからこそ―――いずれ至る最良の未来の為に、道化はこの場にいる全ての人間を一度『敵』に回す為の振る舞いをしなければならなかった。
 故に、道化は嗤う。




「では殿下。本題の前に―――まずは飯にしないかね?」




 そして、三神はその本領を発揮し始めた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十一章   ~悪意の操者~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/28 16:37
「おい見てみろ武。これ全部天然物だぞ?―――今日は食い溜めしないとな!」
「あ、ああ、そうだな………」

 道化が用意された食卓へ一目散に付き、白銀が居心地悪そうに追従する。
 その様子を見ながら月詠は、この一種異様な状況を思う。
 今日の夕方五時ぐらいに、三神本人から連絡があった。『今から殿下と謁見するから、来る気があるなら正面ゲートに来い』と。
 一応、白の三人にその旨を伝えると、謁見の場に立ち会うかどうか聞いてみた。三人は月詠に従うと言って身を委ねた。
 月詠としては当然、将軍を護る斯衛の本懐として、あのような道化と殿下を会わせるのは心配があった。本来ならばその様な機会など潰してしまいたい程だ。
 しかしどのような手を使ったのか、非公式ながらも謁見という形を取っている以上、殿下自身が許可した事だ。
 斯衛の紅とは言え、あくまで殿下の配下である月詠に、介入する術はない。出来ることと言えば、この道化が殿下に何かしらの危害を加えないように務めるだけだ。
 そしてその際に、手勢は多い方が良い。だから、白の三人も立ち会わせることにした。
 正面ゲートに三人を伴って向かうと、情報省の鎧衣課長が車に乗って待機していた。そして本来殿下との接点がないはずの道化のパイプを見い出す。
 諜報を武器にする鎧衣の顔は広い。おそらく香月とも付き合いがあるはずなのは、月詠も予想していた。
 半ば確信に近い精度で、三神が香月に鎧衣を紹介して貰い、何らかの手段を用いて今回の謁見を取り付けたのだろうと予測する。

(この者の飄々とした態度はさておいて、頭と舌は回るからな………)

 そしてそれ以上に、場の空気を操る術に長けている。どう行動すれば、あるいはどう発言すれば皆が自分に注目し、どう思わせることが出来ればどこに誘導出来るのかを心得ている。
 高貴な者や才気ある者が放つカリスマ性はそこには無い。
 あるのは、緻密に張り巡らされた知略の上に成り立つ―――ある意味反則なまでの人心掌握術。

(―――これも、その一つか)

 謁見の前に白銀経由で渡された物品を服の上から確かめる。何らかの端末の様なそれは、道化曰く『今回の謁見に絶対に必要なモノ』で『少なくとも危険なものではない』とのことだ。
 無論、頭から信用する彼女ではない。
 むしろ、率先してこれを危険物として処分しようとした。
 だが、昼間のあの一件―――他軍の佐官への暴言で完全に弱みを握られてしまっている。証拠たる証拠も無いので、帝国軍へ苦情を入れられても大して問題にはならないだろうと高をくくり、この端末のようなものを渡された時、一度は拒否した。
 しかしその際、道化はイヤらしい笑みを浮かべて小型の携帯録音機を取り出して件の暴言を再生して聞かせたのだ。
 どうやらあの時月詠の自室を尋ねてきたのは、それが目的だったらしい。
 してやられたとは思うが、後悔先に立たず。
 あの録音を元に苦情を入れられれば、下手すると国際問題になる。斯衛とは言え、一介の中尉が他軍の少佐に向かってあの暴言。しかも言い逃れが出来ないようにわざわざ録音にまで取ってある。
 詰み将棋で言えば、既に八王手ぐらい掛っている。
 唯一出来る能動的な行動としては、素直に投了し相手の条件を呑み、それを条件に録音データを廃棄させることぐらいだ。
 本来なら殿下の命以上に優先する事情など無いが、『少なくとも危険なものではない』と白銀と三神の二人が揃って明言している以上、これを呑まない訳にはいかない。
 更には、受け入れられないならばこの謁見はこちらから取り止めるとまで脅されたのだ。非公式とは言え殿下自身が下知した謁見を、月詠が取止めさせたとなれば政威大将軍の顔に泥を塗ることとなりかねない。
 ここに来て、更に王手が掛けられ九王手。最早彼女に逃げ場など無かった。
 完全に詰みだ。
 もしも例の如く爆弾の類なら、身を挺して殿下をお守りせねばと堅く心に誓い、月詠は食卓の下座へと座る。白の三人がそれに続いて食卓へ座ると、これでこの場にいる全員が食卓に着いたことになる。

(―――改めて、そうそうたる顔ぶれだな………)

 着席したその豪華キャストとも言うべき面々に、感慨に耽る。
 政威大将軍たる煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連外務次官、情報省外務二課長鎧衣左近。
 そして―――。

(斑鳩家現当主、斑鳩昴―――この方まで出てきたか)

 上座である悠陽の両翼を支えるように紅の紅蓮大将と、蒼の斑鳩少佐が着席していた。
 斑鳩の蒼鬼―――。
 1998年に起こったBETA本土上陸。その際に起こった京都攻防戦に於いて斯衛第16大隊を指揮し、皇帝陛下と政威大将軍を逃がす為に殿を務めた若き英傑である。
 その戦が実質初陣であったのにも関わらず、獅子奮迅の戦い様を見せつけ、それを見た帝国衛士達は戦い荒ぶるこの若き当主に鬼を幻視し、五摂家斑鳩の蒼い色もあった事から、彼は以後『斑鳩の蒼鬼』という二つ名で呼ばれるようになる。
 月詠自身は直接彼と話したことはないが、従姉妹である真耶が斑鳩率いる斯衛第16大隊の副官を務めており、その人となりを多少なりとも聞いていた。

(戦術機の腕は天才的。性格は普段は沈着冷静で、公の場では威厳のある態度を取っているが私人としては大らかで気さく。―――しかし一度火がつくと鬼のよう、か)

 しかし今年に入って白の武家出身の女性と結婚し、その妻が子供を身籠もった辺りから少し様子が変わってきた―――とは従姉妹の弁だが、少なくとも公人としての威厳を損なっているようには見えなかった。
 今も道化を振る舞う三神を冷徹な眼で見据えている。
 それは他の重鎮達も同じで―――そう言う意味では、三神の策略は成功しているように見える。
 政威大将軍である煌武院悠陽にあのような口の利き方―――そしてこのようなおよそ公の場に似つかわしくない言動。
 もしもこの道化が狙ってやっているのならば―――。

(―――既に場は奴に掌握されていると見て良い)

 だが同時に思う。ここまで不利な状況を作り出して、一体彼は何を狙っているのか。
 その疑問を抱えたままに、怒気と疑問の渦巻く会食は始まった―――。






(事は順調―――と言っても良いかな、これは)

 道化を振る舞いながら、三神は胸中で思う。
 先の言動によって、これで全ての相手を『敵』に回した。唯一の懸念材料として五摂家の出身であろう蒼の斯衛の存在があったが、今はこちらに敵意、もしくは警戒心を持ってくれているようで何よりだ。
 実のところ、その蒼の斯衛を除き、三神は他の人間と面識があった。と言っても、当然前の世界での話だが。
 であるからして、彼等の性格についてある程度把握している。だからこそ一度敵対せざるを得ないと結論に至ったのだ。

(―――この緊張感、久しぶりだな)

 この世界に来てからというもの、ほとんどのループで三神の交渉能力が使われることがなかった。
 最初のループは言うに及ばず、初期の頃はすぐに死んでいたし、その時既に人類はBETAに対抗する為国家の垣根を越えていた。クーデターや何処ぞの国の干渉など無いに等しく、そもそも三神は交渉できる立場にいなかった。
 2007年以前にループできるようになった際、戦場での功績を認められ佐官階級を手に入れる事も度々あるようになり、多少なりに交渉することはあったものの、それも現場レベルでの話だ。
 表だって本格的に外交レベルの交渉したのは前回のループの際、香月が00ユニットになるまでの僅かな期間だけだ。以降は彼女が表舞台に上がったので、三神はひたすらに現場指揮官として戦うこととなる。

(この交渉は何としても落とせない………)

 『敵』に回した面々が放つ殺気や怒気を表面上は平然と受け流しながら、その内面で冷や汗を流しつつ、自分を奮い起こすように三神は胸中で呟く。
 三神や白銀の持つ未来情報とは最強最悪の諸刃の剣だ。
 それを知れば最強の剣となり得るが、それに頼りすぎれば足下を掬われる。
 例に出して言うならば『前の世界』に於いての天元山だ。白銀はその前の世界で、救助に赴き吹雪二機を大破させた経験から、救助を強制的に行う必要があると香月に言い、結果として強制退去という形を取った。
 だが、これによりクーデター―――後の12・5事件の引金となってしまう。それにより、天元山に救助に赴いた時以上の被害になったのは言うまでもない。
 だからこそ未来情報とは諸刃の剣なのだ。香月のように因果律量子論に精通し、傍観する必要がある場合その選択を取れる程の胆力があればいい。だが無い場合、悪戯に弄った運命は必ずや干渉した者に牙を剥く。
 いや、その香月でさえ未来情報を元に11月11日にBETAを捕獲し―――結果的にそれによって親友を喪っている。であるならばこそ、やはり未来情報とは誰であれ触れてはならないものだ。
 三神は疎か、白銀でさえも。
 しかしながら、正史とも言える歴史を辿れば、待っているのは人類の滅亡だ。それを回避する為には、未来を変えることでしか抗えない。
 そして最低限の歴史改変で得られるであろう『前の世界』と同じ道では、三神も白銀も納得はしない。
 だからこそ、歴史を変えることによって発生する責を負うのは、いや負えるのは三神や白銀―――未来情報を持っている者達のみ。
 それによって得た犠牲は、誰に糾弾されなくても、罪として自らに科す。それは他の誰にも背負えないものだ。
 故にこそ、こちらの事情に巻き込んだ全ての人達を意のままに『操る』必要がある。そして彼等にも『操られている』自覚を持たせたまま、それも仕方ないと思わせる必要があった。
 道化ぶって敢えて全てを『敵』に回したのはその下準備。

(ここから全てをひっくり返し、最良の未来を手に入れてみせる―――っ!)

 そして三神はかつて無い程本気で、交渉の場に臨む―――。







(―――何なんだこの野郎は………)

 斑鳩昴は苛つきながら目の前の道化を見ていた。
 国連軍の佐官と中尉が殿下と会うと偶然にも紅蓮大将から聞いた時、当然斑鳩は訝しがった。
 何故他軍の、しかも一介の佐官と士官に国柱の一柱である殿下が謁見する必要があるのかと。
 しかも非公式の謁見をセッティングしたのはあの鎧衣課長ともなれば、俄然興味が湧く。だからこそ鎧衣本人にも問いつめてみたのだが、いつもの曖昧な返事が返ってくるだけで要領を得なかった。
 分かったことと言えば、この道化を振る舞う馬鹿と恐縮して縮こまっている若造の二人が日本の行く末を左右しかねないということだけだ。

「殿下、私はもう我慢ならん。食わせて貰うぞ」

 そう言って、返事すら待たずに食卓の料理に手を伸ばす三神を睨みつつ、斑鳩は鉄皮面のまま胸中で舌打ち一つ。

(悠陽ちゃんに上から物言うわテーブルマナーはなってないわ………。不敬罪で打ち首に出来ねぇかな………)

 そんな事を思うが、無論不可能である。三神は日本人ではあるが、国籍を持っていないらしく、所属も帝国軍ではなく国連軍。実際に何かしら害を働いたならともかく、今の現状からしてみれば、国連軍に嫌味を言うのが精々だ。
 まして今回は非公式の場。打ち首は論外である。

(流石の悠陽ちゃんも呆気に取られてるな………)

 表情こそ表に出してはいないが、歳も近いこともあってプライベートでは兄妹のように接してきた斑鳩には、彼女の内心はある程度分かる。
 この傍若無人な馬鹿に対し驚愕しているのだろう。
 斑鳩自身驚いているし、もしもこれが悠陽ではなく自分に向けられているのならば、逆に好意的に見ただろう。
 五摂家の一つである斑鳩の名は、大抵の日本人にとって雲の上の存在である。それ故に敬われることは多くあっても、こうまで明け透けに接されたことは数少ない。
 斑鳩の知る中では妻だけだ。

(ああ、あいつは確かに明け透けに辛辣だな。嫌味を直球で言いやがる。しかも俺限定で。―――まぁ、そこが可愛いんだが)

 ともあれ、その行為自体は決して褒められたものではないが、時と場所を選ぶならば斑鳩としても望むところだった。むしろ新鮮で、とても楽しい気分になる。
 家柄のせいで友人らしい友人を持てなかった彼からしてみれば、三神のような友人を持てれば自分の人生は幾分か楽しくなるだろうとも考える。
 しかし―――。

(それとこれとは、また別だな………)

 眼を細め、冷徹な視線を三神へと向ける。
 非公式とは言え、今は公事。
 相手は政威大将軍。
 決して舐めて良い相手ではない。
 そして舐められっぱなしでは帝国の、斯衛の、そして何より悠陽の沽券に関わる。
 だからこそ斑鳩は口を開く。

「三神少佐。非公式とは言え、公の場だ。―――少し自重は出来ないか?」

 柔らかい物言いだが、その声は硬く、威圧感があった。幼少よりそうした場で鍛え上げた威厳である。大抵の者はそれに絶えきれずに屈す。
 しかし、道化はそれを鼻で笑うとこちらを見据えてくる。

「自重するならばそちらの方ではないかな?紹介すらしてもらって無いし―――そもそも私は君の同席を許した覚えはない」

 場の空気が数度下がるのを周囲の者達は感じた。

「………これは失礼したな。私は斯衛第16大隊隊長、斑鳩昴少佐だ」
「―――ほぅ、あの『斑鳩の蒼鬼』か。まぁ、若いからある程度予想はしていたが、想像していた人物像とは少し違ったな」
「私を知っているか」

 言外に、知っていて尚もその態度なのだな、と問うが道化は揺るがない。

「尤も、私が知るのはもう少し『後』になるがね」
「どういう意味だ?」
「答える義理はないし、同席を許可していない君には知る権利はない」

 にべもなく言い放つ三神に、悠陽が二人が放つ気配に圧されてか珍しく遠慮気味に言う。

「三神少佐。斑鳩殿は私から同席を願ったのです。―――事と次第によっては、私だけでは対処できないゆえに」

 しかしそんな彼女に、三神は決定的な言葉を投げる。
 無論―――。

「そんな事では困るな煌武院悠陽。君は自覚が足らなさすぎる」

 全てをぶち壊しかねない一言だった。







『貴様―――っ!』

 正面と横合いから絶叫が上がるのを白銀は聞いていた。
 正面は斑鳩、横合いは月詠だ。

(な、何言ってるんだよ庄司………!)

 先程から、相棒の言動は目に余る。普段以上に傍若無人な振る舞っていることから、何かしらの狙いがあるとは予想していたが、それを考えてもやりすぎだった。
 特に悠陽を糾弾するなど斯衛である彼等にとっては主を侮辱されたに等しい。むしろ、今までよく堪えていた方だと白銀は思っていた。

(これじゃ交渉どころじゃなくなるぞ………!?)

 今回の謁見は自分達の正体を明かし、未来情報を元に11月11日のBETA侵攻を予想しておくことによって、それ以降の帝国の協力を取り付ける為のものだ。
 これでは正体を明かすことすらできない。
 しかし室内に溢れかえる殺意をものともせず、三神はいつもの笑みを浮かべる。

「何を怒っているのかね斑鳩少佐に月詠中尉。最早政威大将軍としてほとんど実権が無いとはいえ、五摂家に名を連ねる煌武院家は力がある。それを振るわずに持て余し、ただただ未来を憂うだけの小娘が糾弾されることに、何を不快に思う必要がある?」
「三神少佐。それは流石に聞き捨てならんぞ」
「これはこれは紅蓮大将。そこの斑鳩の若造に貴方からも言ってやったらどうだ?力のある者がそれに振り回されるなど、言語道断だと。文句があるなら、貴様が政威大将軍になれと。―――五摂家である斑鳩なら、その資格はあるだろう?」

 只でさえ不穏な空気が更に劣悪となり、軋む音さえ聞こえてきそうな中、しかし道化はただただ嗤っていた。

「座して得られるものなど何も無い。これは世界を相手に、頭脳一つで立ち回るある女性の言葉だが、その通りだと私は思うよ」

 不意に紡いだ三神の言葉に、白銀は既視感を覚える。いや、彼が言った頭脳一つで立ち回る女性から考えれば、すぐに答えに行き着く。
 ―――香月夕呼だ。

「煌武院悠陽。君には力がある。そして力のある者は、それに対し責任がある。今の君は、その責を全うしていると言えるのかね?座して得ようなどと、そんな甘い考えを持ってはいないかね?」

 そしてこれは、かつて白銀自身が悠陽から賜った言葉だ。
 道を指し示す者は、背負うべき責務の重さから目を背けてはならない―――例えそれが、自らの手を汚す結果になろうとも。
 辛かった時、悲しかった時、泣き出して、逃げ出して、それでも前を向いた時。―――いつもこの言葉が白銀の背を押した。
 今の白銀があるのは、この言葉のお陰でもある。

「何も知らない道化の戯れ言とでも思うかね?それならばそれでもいい。―――今からそれをひっくり返してみせよう」

 そして言うなり、三神は月詠にこちらを睨んだままの視線をやる。

「月詠中尉。―――例の物を」

 表情を歪めたまま、月詠は仕方なしに三神の言葉に従って懐から例の端末のような物―――即ち、ゲームガイを取り出す。

「さてこの端末のような物―――一体なんだと思うかね?」

 月詠が取り出したゲームガイに皆が注目し、眉を顰める。おそらくはボディーチェックを抜ける為に彼女に託したのだろうと、皆がその考えに行き着くが、それが何であるかまでは分かるまい。

(―――まぁ、この世界には無い物だしな)

 しかしこれで平行世界の証明が―――。



「実はコレ、小型の高性能爆弾だ」



 簡単には出来そうになかった。







『っ!?』

 三神の文字通りの爆弾発言により、室内はまた別の意味で緊張が走り抜けるが、榊是親はそれを手にしたままで三神を白い眼で睨む月詠に違和感を覚えた。
 斯衛である筈の彼女が反応もせず、何故そうしているのか。いや、彼女だけではなく、三神の隣の中尉や白の三人まで白い目で見ている。
 やがてそれに皆が気付いたのか、場は何とも言えない空気に包まれるのだが、三神は舌打ち一つして月詠を見やった。

「月詠中尉………君が大袈裟に反応してくれないと、皆が信じないではないか」
「何故私が貴官の冗談に付き合う必要があるのです?」
「爆弾ネタはもう飽きたかね?仕方ない、今度は別のネタを考えよう」

 しれっとそんな事を宣う彼に、榊は思う。

(―――取り敢えず、危険物ではないようだな)

 その役職上、テロという言葉には敏感だ。しかもここには政威大将軍を始め、内政、軍部、外交、諜報の顔が全て出揃っている。テロを行い、上位権力者を一掃するというのならば、非公式という秘匿性を考えた上でもこれ程までに整った条件は他に類を見ないだろう。

(しかしこの男―――食えんな………)

 政界にもこういう手合いはいる。だが、この男のように自らにわざと敵意を向けさせるような政治家はいない。
 政治家とは、一種の偶像であると榊は思う。
 無論、本当に良政を志し、それに邁進する政治家もいる。何処の業界でも同じように、一枚岩ではないのだ。
 しかしながら、政治家を人気取りの専門職とはき違えている輩は嘆かわしいことに多くいるのは事実。
 大抵は自らの保身に走っている只の馬鹿だが、稀に食えない馬鹿がいる。この若い少佐はそれに似ていて―――しかしかけ離れていた。

(彼は―――話を何処へ持っていこうとしている………?)

 かけ離れている理由は、話の落としどころだ。食えない馬鹿とは言え、所詮馬鹿は馬鹿。最終的には自分の保身に走っている。
 しかし、同じような手口で場を混乱に貶めている彼は、自らの保身に走っていない。むしろ、率先して自らを矢面に立たせているように思えるのだ。
 事実、榊自身彼に対しては悪感情が向かっているが、隣の中尉に関してはその限りではない。

(隣の―――白銀と言ったか、彼を護っているのか?)

 分からない。分からないが―――気にはなる。

「では月詠中尉、それのスイッチを入れたまえ」
「………どれですか?」

 端末を手にしたまま裏や横を観察しつつ問う月詠に、三神は白銀を見やった。

「………武。教えてやってくれ」
「偉そうに命令しておいて思うようにいかなかったのは分かったからそんなしょぼくれるな。―――月詠中尉、その横にあるツメです。スライドさせると、電源が入ります」
「む?こうか………?」

 言われたとおりに触ると、軽快な音楽が室内に響き渡った。

「な、何だコレは………!?」

 端末の画面に浮かび上がった映像の解像度に、月詠は絶句する。

「ふははははは入れてしまったね月詠中尉!超高性能爆弾のスイッチを―――何故皆はそんな哀れみの表情で私を見るのかね?」
「それは同じネタを繰り返すからだろ?テンドンは一日一回!」

 この世界には無い漫才用語まで活用して窘める白銀に、三神は唸って、仕方なしに月詠に言う。

「月詠中尉、それを他の人間にも見せてやりたまえ」
「―――分かりました」

 訝しげにしてはいたものの、危険物ではないと理解したからか、座った順繰りにその端末を回す。誰かに渡るたびに、それぞれが一様に驚愕の表情へと変化する。
 やがて、榊の手元にそれが来た。

(―――これは………!!)

 あり得ない程の解像度を誇るその端末の映像には、『バルジャーノン』と書かれたタイトルらしき文字が軽快な音楽と共に躍っており、画面中央より少し下には『Play Start』と書かれていた。
 何の為の端末なのか、今ひとつ要領を得ないが、これが生半可な技術の元に作られたのでは無いと結論付ける。

(しかも―――日本製、だと………っ!?)

 おもむろに端末をひっくり返して見れば、中央、銀色のシールが貼られた部分に、日本製と書いてある。会社こそ知らぬ名だが、むしろだからこそ不可解だ。

「榊総理大臣。興味津々なのは理解できるが、後が支えている。―――出来れば早めに回してはくれないかね?」
「あ、ああ。すまない………」

 苦笑する三神に、端末の映像に魅入られたままの榊は頷き、名残惜しみつつも隣へと回す。
 やがてそれが悠陽の元へと行き着くと、三神はこう告げる。

「さて―――それを見た諸君は、それをどう思う?」

 問い掛けに、皆は沈黙する。沈黙の中、例の端末が音楽を奏でているのは、かなりシュールな光景だ。
 しかしながら、沈黙する理由は分かる。
 否、分からないからこそ沈黙するしかないのだ。

「実はその携帯端末―――名をゲームガイと言うのだがね、それは娯楽商品だ」

 沈黙していた皆の顔に衝撃が走る。
 これ程の技術力の塊が、娯楽商品―――。
 あり得ない、と思う。だがそんな皆の意見など、三神は見越していたのだろう、彼はにやりと笑みを浮かべると、唐突に話を変えた。

「―――さて、鎧衣課長によって集められた諸君ならば、私や武の戸籍上の扱いも聞いているだろうが、一応念のために確認しておく。武は1998年のBETAの横浜侵攻によって死亡。そして私の戸籍はそもそも存在しない。―――これはいいかね?」

 問い掛けに、皆が頷く。榊自身、白銀は誰かの成りすまし、そして三神は東洋系の人間が日本人らしい名前を名乗っているだけなのだろうと思っていた。

「そしてその情報は正解だ。月詠中尉には少し話したが、武は1998年の横浜侵攻時にBETAの捕虜にされ、幼馴染みを護る為に抵抗した為に兵士級によって喰われている。私に至っては、存在そのものが存在しない」

 その兵士級によって喰われるという壮絶な話に、真偽はともかく皆が絶句する。しかし三神は至って平静のまま話を続ける。

「しかしここにいる白銀武は本物で、DNA情報などが残っていれば見事に一致する。まぁ私は存在そのものが存在しないので、確かめようがないがね」

 さてどういう事だろうね、と三神は問いかける。

「死んでいるはずなのに生きている。存在しないはずなのに存在している。―――この絶対的なまでの矛盾。そしてそのゲームガイという未知の科学技術の結晶体。それらを結びつけるヒントを一つだけ挙げよう。―――香月女史だよ」

 言われ、榊は半ば瞬間的に結論に至る。彼女がまだ学生だった頃から親交があるのだ。オルタネイティヴ4の最高責任者に彼女を推挙したのも、彼である。
 彼女が掲げる理論について、知らない彼ではない。

「因果律量子論―――っ!」

 思わず声に出す榊に、道化はにやりと嗤う。






(因果律量子論………?)

 榊総理大臣の言葉に、珠瀬玄丞斎は眉を潜める。
 因果律量子論とは香月夕呼博士が掲げる独自理論で、内容は確か―――。

「エヴェレット多世界解釈を元に、香月博士が研究している理論―――でしたかな?」

 口に出して珠瀬は気付く。多世界とは、即ち並行世界の事だ。
 この世界に存在しないはずの人間。
 この世界に存在しないはずの技術。
 そして―――多世界解釈。
 それらが結ぶものは―――。

「諸君も気付いたようだね。そう、武や私は―――この世界の人間ではない」



[24527] Muv-Luv Interfering 第十二章   ~慟哭の真実~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
 この世界の人間ではない―――。
 今になって鎧衣は知る。あの時三神が言った、『非現実的な妄想話』。それが一部の事実を含んだものではなく、事実そのままだったのだと。

「馬鹿な!有り得ん………!!」
「月詠中尉、声高らかに否定するのは構わんが根拠を言いたまえ。―――無論、非現実的だからとか言うのは無しだぞ?言ったら張り倒そう。何せ私達は、この世界にはあり得ない技術を既に物的証拠として提出しているのだからな。それとも君は何か?証拠も無しに私の話を否定すると?」
「くっ………!」

 機先を制され、月詠は奥歯を噛む。しかし、その流れを断ち切るように今まで黙していた悠陽が口を開く。

「月詠。下がりなさい。―――事は思ったよりも深刻なようです。今は三神少佐のお話を聞きましょう」
「賢明な判断だ殿下。では―――そうだな、武。そろそろ出番だぞ?」
「出番ってお前な………」
「何、事前に言い含めておいた注意事項にだけ気を付けて、お前の言葉で有りの侭に話すといい。お前がどのように世界を駆け抜け―――そして何を得て、何を喪ったかを。衛士の心得そのままに、な」
「庄司………」

 白銀を見る三神の瞳は優しげだった。だからこそ、白銀はありがとうと呟く。
 白銀は何時だって、自分の境遇を誰かに話したかったのだ。
 それを甘さだと知っても、叶わぬものだと知っていても、それでも彼は理解者を求めた。
 故にこそ香月夕呼や社霞、そして鑑純夏は白銀にとって最大の理解者で拠り所だった。
 それを逃げだと、弱さだと、甘えだと―――断じることが出来るのは、白銀武だけだ。
 他の誰にも、彼を責めることも断じることも、笑うことも許されない。いや、同じ境遇である三神が許さない。
 人の身で、人の枠を越え、尚も人として世界を繰り返す異常な存在。あってはならないイレギュラー。
 その中にあって、彼が真に欲したのは自らの理解者だ。そして白銀武を知り、ただ理解してもらいたかっただけ。
 同情も憐憫も必要ない。
 今の白銀が思うのは、かつてこんな世界があり、その中で自分の大切な人達がどう生きたのか知ってもらいたい―――それだけだった。
 ―――魔女の枷は、既に外されている。
 ならば今こそ語ろう。
 ある意味悲劇めいた御伽噺を―――。



 自らが辿ってきた『あいとゆうきのおとぎばなし』を―――。







 オレはここではない世界―――BETAのいない世界の横浜に生まれました。
 その世界ではこの世界とは少し歴史が違っていて、BETAがいないと言うことを除けば―――多分、この世界とあまり変わらない世界です。おそらく、BETAがいなければかなり似た世界になってたんじゃないでしょうか。
 クラスメイトに榊千鶴がいて、彩峰慧がいて、珠瀬壬姫がいて、鎧衣尊人―――あっちでは男だったんですけど、兎に角あいつがいて、オレの幼馴染みがいて―――割と平和な世界でした。
 勿論、日本という国以外では戦争や紛争はありました。でも、特に世界情勢に関して関心を持っていなかったオレにとって、それは対岸の火事で―――少なくともオレの周囲には関係のない出来事でした。
 ともかく、そうやってオレは平和な国の平凡な学生として暮らしていきます。
 状況が少し変わるのは2001年10月22日。
 朝起きてみると―――御剣冥夜が隣で寝てました。
 いや、やましいことはしてないですよっ!?本当ですって睨まないで下さいって月詠さん!!
 と、兎に角、冥夜はオレの通う学園に転校してきて、『タケルと私は絶対運命で結ばれている』とか言い出して、更にはオレん家の周辺の民家を買い取るとどでかい御殿を隣に建てました。挙げ句、オレの部屋への直通通路まで用意して。
 月詠さんも三人の少尉も、冥夜の専属メイドとしてくっついてきました。
 まぁそんな風に馬鹿げたイベントがあって、でもやっぱ人徳ですかね。意外な程冥夜はクラスに馴染んでいきました。
 その後も平和な世界で色々とあって―――え?殿下?殿下は―――すいません、これは人づてに聞いた話なんですけど、殿下は幼い頃、ご両親と共に交通事故で亡くなってらっしゃいました。
 ………。
 取り敢えず話を戻しますと、色々あった生活の中で―――オレはその年のクリスマスに何か重大な決断をしたようなんですが、それは思い出せないんです。そして、それを境にオレはその世界での記憶を失ってます。
 改めて目が覚めてみれば、そこは2001年10月22日。
 しかし隣には冥夜は寝ておらず、いつも起しに来てくれる幼馴染みはやってこない。
 いつも目が覚める時間より大分遅れていた為、学校に遅刻すると思ったオレは慌てて家から出ました。
 そこにあったのは―――一面広がる廃墟。
 そうです―――オレは、この世界の自分の部屋に迷い込んでいました。
 その世界の白銀武は横浜ハイヴ内でやはりその世界でも一緒にいた幼馴染みを庇った末に死にました。
 そして彼の家で―――オレは目覚めたんです。ただ、家の中身はオレの世界のものを引き継いでいるようで、そのゲームガイもそこにあったものです。
 他にもドリスコとかプレスタ2とかそれに似た別の娯楽も持ってきていますが、ちょっと大きくて嵩張るので、今日は持ってきませんでした。
 後日証拠物品として見せろと言われれば見せますけどね。
 取り敢えず、話を進めますと、その世界に来たばかりのオレは平和な世界の学生のままの精神でして、その、恥ずかしいんですけど、これは夢だと思って廃墟となった柊町を探索しはじめたんです。
 で、色々と散策した後に、自分の通う学園―――白陵大付属柊学園へと足を向けました。
 そこで見たのは自分の通う学園ではなく―――国連軍横浜基地でした。
 自分の夢なんだから、きっと偉くなっているだろうと思いこんで、門兵に適当に挨拶しながら基地内に入ろうとして―――捕まって営倉に放り込まれました。
 し、仕方ないじゃないですか!オレは夢だと思ってましたし、まさか拘束されて自白剤まで打たれて営倉入りだなんて考えもつかなかったんですよ!!
 し、白い目で見ないで下さい!ああ、殿下までそんな乾いた笑いを―――え?何だ庄司、さっさと進めろって?わ、分かったよ………。
 兎に角、営倉に入れられたオレは、しばらく放置されていたんですが―――ある人物がオレを尋ねてきます。
 国連軍横浜基地副司令―――香月夕呼博士です。
 今ここでは伏せておきますけど、夕呼先生はある理由があってオレに―――白銀武に接触してきました。
 そしてオレは―――夕呼先生は元いた世界での学園で物理教師をやっていた為―――やっと知り合いに出会えたことを喜びました。
 オレが彼女を夕呼先生と呼ぶのも、その元の世界での呼称をそのまま使っているからです。あの人はオレの恩師の一人ですから、今更変えるつもりもないんですけどね。
 兎に角、オレは必死になって彼女に訴えました。悪い冗談ならもう止めてくれと。だけど、これは冗談なんかじゃありませんでした。
 ―――夕呼先生は自分の掲げる因果律量子論を元に、オレが並行世界にやって来たのだと説明しました。
 そして、この世界はBETAという地球外起源種と戦っているのだと言いました。
 当然、オレはそんな訳があるかと反論しました。こんなふざけた世界は絶対に認めないと。すぐにでも元いた世界に帰りたいと願いました。
 だけど―――オレにはその術はなくて、結局衣食住を確保する為に207B分隊に訓練兵として配属されました。
 そして―――『その時』のオレにとってはクラスメイトとの再会でした。
 無論、世界が違えば同じ人間でも別人です。だけど、まだ只の甘ったれたクソガキだったオレにとって、その再会は救いでした。
 冥夜や委員長、彩峰やたまや女の子になってたけど美琴がいる―――それだけで心が安らかになりました。―――翌日の訓練でへばっちゃうんですけどね。
 ただの平凡な学生だったオレは、多少なりに運動に自信があったんですけど、このある意味ギリギリの世界で任官すべく鍛えている彼女達に比べたら、そんな自信なんか無いのも同じでした。
 剣術も体術も銃の扱い方も、全て劣るオレはまさにお荷物で、夕呼先生がみんなに言った『白銀武は特別』という言葉が無ければ隊から外すように教官が具申していたかも知れません。その位駄目な訓練兵でした。
 でも、一つだけオレがいて良い方向に働いたものがありました。
 この世界のことを、オレがほとんど知らなかったことです。
 例えば冥夜の特別な事情とか、彩峰の親父さんの事とか―――207B分隊が抱える、この世界の普通の日本人なら邪推しそうな事情を、です。
 それが結果的にチーム内の融和に繋がって、オレ達は総合戦闘技術演習を越え、戦術機教習課程へと進みました。
 それまで何の取り柄もなかったオレですが、元の世界で似たような娯楽で長く遊んでいた事もあって―――戦術機特性では歴代一位に輝きました。
 そして、オレ達は日々訓練に勤しみます。
 その間、色々な事件が起こるのですが―――ここでは敢えて話しません。
 先程の夕呼先生がオレに近づいてきた理由と同じく、庄司に止められたことですし、ここでは多くを語れません。
 兎に角、そうして時間は過ぎていき―――2001年12月24日。
 オルタネイティヴ4は凍結、オルタネイティヴ5へと移行しました。
 それ以降のことは―――オレ達207B分隊が任官して、二年程ずっと訓練の毎日だった事は覚えているんですが、それ以降となると朧気ながらにしか覚えていなくて―――ただ、何かとてつもない喪失感があることから、おそらく人類は負けたんだと思います。
 そしてオレはその世界で『死』にました。
 どうやって死んだかは分かりません。ですが、死んだことだけは確かで、『だからこそ』オレは2001年10月22日に戻りました。
 夕呼先生によると、オレは因果導体という存在で、死ぬと同時に起点となる2001年10月22日に時間逆行してしまうそうなんです。
 しかしそれを利用して―――まだまだガキだったオレは世界を救うことを思いつきました。
 何もしなければ世界は滅びる。なら、都合の悪いところだけ干渉して、良いように持っていこうと思ったんです。
 夕呼先生もこれには表面上賛同してくれて、二人でオルタネイティヴ4にとって都合の良いように歴史を改変していきます。
 オレは前回と同じように訓練兵として207B分隊を今度は牽引していき、同時に夕呼先生の研究も手伝って―――ある出来事から、その完成へと行き着きます。
 はい。非公式の謁見ですから言いますね?
 結論から言って―――前の世界で00ユニットは完成しました。
 それはこの世界でも同様で―――まぁ、その時のことは庄司に喋って貰います。『未来については』庄司の方が詳しいので。
 ともかく、その間にも帝国を揺るがす大事件があったりしますが―――今はまだ黙っておきます。
 そんな風に日々は過ぎていき、207B分隊は任官して―――ある出来事から、オレは自分の心の弱さを痛感します。
 挫けて泣いて逃げ出して―――逃げた先で逃げられないことを知って―――そして戻ってきた横浜基地で、オレに新たな試練が科されます。
 ―――鑑純夏。
 オルタネイティヴ4に通じているこの場の人達なら、彼女が何者なのか、分かりますよね?


 はい、00ユニット被験者にして―――オレが愛した幼馴染みです。


 BETAに解体された純夏は身体と共に心も壊され、その修復が出来るのはオレだけでした。
 と言うのも、純夏が肉体を解体され、脳髄として生きていた理由が強靱な精神力―――即ち、目の前で殺されたこの世界の『白銀武』に会いたいという願望があったからです。
 世界こそ違いますが、オレは同じ幼馴染みで同じ白銀武です。
 純夏に関して、オレ以上に知っている幼馴染みは、どの世界でもオレ―――白銀武だけなんです。
 だからこそ、純夏の心を取り戻し、00ユニットを完全なものと出来るのは、オレを於いて他にいませんでした。
 そして徐々にではありますが、純夏は感情を取り戻していき―――00ユニットとして完全なものとなりました。
 ですが―――00ユニットには致命的な欠陥があったんです。
 無論、その欠陥は今ではきちんと対策を取りますので問題はないんですが、その当時はかなり拙い状況にあった為に致命的で、すぐさまオリジナルハイヴを落す必要がありました。
 そこに乗り込んだのはオレや純夏、あと社霞。直援として元207B分隊。
 オレと純夏と霞はハイヴ制圧用の大型戦術機で。元207B分隊はとある理由で乗機であった不知火が使えず―――しかしどうしても落とせない戦いだった為、月詠さんに頭を下げて、第19独立警護小隊の武御雷を四機、そして総戦技演習を越えた後で殿下の御意志によって搬入された紫の武御雷の五機を使用して戦いに望みました。
 無論、そんな少数精鋭では他の国が認めなくて、一悶着ありましたが―――結果として、他の国が無理矢理に付けた護衛は、オリジナルハイヴ内で全滅。
 主広間に辿り着く頃にはオレ達しかいませんでした。
 そして―――オレは直接見た訳じゃないんですけど………。
 後で霞が教えてくれたところによると、委員長―――榊と彩峰は、BETAの追撃を阻止する為に回廊を崩落させようとして、機体が大破した為に、爆破地点で自爆して、BETAの追撃速度を大幅に抑えてくれたそうです。
 たま―――珠瀬と美琴も、BETAの追撃を止める為に反応炉へと続く隔壁を閉じる為に防戦して―――戦死しました。
 そして冥夜は………反応炉―――あ号標的に浸食され、最後にオレの手で死にたいって言って―――。
 オレが放ったハイヴ制圧用の大型戦術機の主砲で、あ号標的諸共―――死にました。
 ………。
 ―――その後、横浜基地に戻ったんですけど、純夏も戦闘中に掛った負荷の影響で死んでしまっていました。
 夕呼先生が言うには、オリジナルハイヴを潰したことによって、00ユニットの致命的な欠陥がもたらした最悪のシナリオは回避され、少なくとも人類は30年の猶予を得たそうです。そしてオレは―――オレを因果導体にしていた原因が死んだ事により、オレはあの世界から消えることになりました。
 その原因というのが―――純夏の願いでした。
 武ちゃんに会いたい―――ただひたすらに願った純夏の願いは、横浜ハイヴに投下された二発のG弾が生み出した多数乱数指向重力効果域によって時空の歪みが生まれ、そこから純夏の願いが漏れだし―――オレを別世界から呼び寄せたんです。そしてオレが純夏に会って結ばれることが―――因果導体の解放条件となっていたんです。
 だから、あの世界で純夏と結ばれたオレは、純夏の死を以て因果導体から解放されました。身体が世界から消え去り―――意識さえ曖昧になっていた中で、でもオレは願ったんです。
 まだ何かできるんじゃないかって。
 まだ誰か救えるんじゃないかって。
 まだ誰か護れるんじゃないかって。
 そして―――BETAに壊された純夏を救えるんじゃないかって。
 その意志がオレを再びこの世界に辿り着かせたかどうかは―――正直、分かりません。でも、夕呼先生は強い意志は世界を変えうるって言ってましたし、あながち間違いでもないと思っています。
 もうオレは因果導体じゃありません。
 今度死ねば、やり直すことも出来ません。
 だから………。
 だからこそ―――今度こそ!今度こそ絶対にオレはオレが救いたいと思う人達を、護りたいと思う人達全てを護ってみせるっ!!
 神宮司軍曹も!
 夕呼先生も!
 伊隅大尉やヴァルキリーズも!
 委員長や彩峰やたまや美琴も!
 冥夜や霞だって!!
 そして―――オレが愛した純夏さえも!!
 その為に必要なら―――世界だって救ってみせるっ!!





 涙を流しながらの叫びの後。
 その場にいた全員が白銀の放った気迫に気圧され沈黙を保っている中―――三神はゆっくりと拍手を送った。
 それは魂の慟哭。
 白銀武が歩み、泣いて挫けて逃げ出して―――それでも歯を食いしばって前を向き、走り抜けた先で得た最後の願い。
 甘い。―――だからどうした。
 青い。―――だからどうした。
 例えそれが幻想に過ぎないのだとしても、全てを喪った後に彼がそれでも、と選んだものだ。
 その高潔なる魂を汚せる者など、誰一人としていない。
 ここにいるのは、BETAに破れたシロガネタケルの結晶を受け継いだ、身を削りながら走り抜けた白銀武だ。
 ガキ臭かろうが何だろうが、彼は確かに世界を救った。その身を挺して、大事な戦友達を犠牲にしながらでも―――走り抜けた。
 その彼に送られるべきは賛辞であって然るべきだ。
 白銀武に救われた世界を生きた三神は、本当にそう思う。例え他の誰が白銀武を忘れてしまおうとも、自分だけは決して忘れないと心に刻んだ。
 だからこそ今、彼に対して拍手を送れることを、三神は誇りに思う。

「よく言った武。その気概があればきっとお前の願いへと辿り着けるさ。そしてその道に邪魔なものがあれば―――『俺』が全て排除してやる」
「庄司………」

 そんな涙声で呼ぶな、と三神は言って、白銀の頭をクシャクシャとかき混ぜる。そしてそのまま重鎮達へと視線を向けた。

「これが白銀武の正体だ。そして私も似たようなもので―――しかし私は未だ因果導体として囚われたままだ。詳細はまだ伏せておく」
『―――!』

 因果導体として囚われたまま―――つまり、死ねば時間を逆行すると言うことだ。三神は自身の逆行の特徴を伏せてはいるが、その場にいた者達は、三神は白銀と似たような経験をしているのだと推測する。

「まぁ、人間である以上、この御伽噺には猜疑を以てかかるのは必定だろうが―――一つだけ、それを証明する為の情報をやる。私が意図的に武に伏せるように言い含めていたものだ」

 白銀の独白の中、敢えて未来情報に関わるものは伏せられていた。それは三神が事前に言い含めておいたもので、今の段階で知られ、勝手に動かれてしまうと困るものだからだ。
 事情に巻き込んだ全ての人達を意のままに『操る』。そして彼等にも『操られている』自覚を持たせたまま、それも仕方ないと思わせる。
 これこそが、三神の望む交渉の落としどころ。
 未来情報を極力伏せることによって、こちらの都合の良いように動かし、相手は未来情報を知らないからこそ操られても仕方ないと思うしかない。
 今まで散々挑発して悪感情を向けさせたのは、その後で白銀の御伽噺を聞かせることによって、一度落したマイナス感情をプラスへと反転させる為だ。
 事実最初に謁見の間で一同に会した時、猜疑と好奇心が複雑に絡み合っていて、誰がどの感情を抱いているのか精査する為の情報も時間も無かったのだ。
 一人一人の交渉を行えば全てをプラス感情に向かわせる事は可能だが、その度に白銀の話を聞かせるとなると、時間も掛り、面倒で―――且つ、白銀が話慣れてしまう。
 特に最後の部分がデメリットだった。
 彼のあの話は話すことに慣れてしまうと、下手すれば何処か嘘っぽさが出てしまう。いくら理論立てて話していても、拒否という感情で振り切られてしまう可能性がある。
 だからお膳立てしてやる必要があった。
 まず散々挑発することによって全員にマイナス感情を植え付ける。それによって、全員の心の方向性を一定方向に整える。
 その上でゲームガイを渡し、驚愕と共に疑問符を持たせる。方向性を整えてあるので、これは全員が同じ感情を持つ。
 更に因果律量子論やエヴェレット多世界解釈を以てして自分達の正体の可能性を示唆してやり、気付いたところで正体を明かす。
 当然、誰もがまだ半信半疑だ。
 だからこそ止めとなる白銀の話―――。
 まだ誰かに話し慣れておらず、たどたどしく、だからこそ感情にまみれた語り手が話す、『あいとゆうきのおとぎばなし』。
 非公式ながら謁見という場故に逃げることなど許されず、更にはばらまかれたピースを己の中で組み合わせるのに忙しく、拒否という感情によって振り切ることなど出来はしない。
 最後まで聞くことしか出来ず―――そして最後にあの魂の慟哭。
 三神にとっては、嬉しい大誤算だった。
 あのままでも十分な戦果は得られただろうが、あの感情の爆発は話を聞いていた者の魂を共振させた。
 白銀武の歩んできた道を知ったからこそ、彼が望み、彼が願い、そして彼が再び歩もうとしている最上の未来を、皆が知る。
 笑うことなどできはしない。
 貶すことなどできはしない。
 それは自分達が歩んできた人生と違い、酷く過酷で残酷で―――それでも抗い抜いた者の、最後の想いなのだから。
 今―――皆の感情は、困惑こそしているものの、確かにマイナスからプラスへと反転している。その上で、再び三神の手に場の支配権が戻ってきている。
 だからこそ、今から出す手は最上の未来へと至る為の第一手。
 白銀の話さえ布石として放つ―――最初の未来情報。

「11月11日―――その明朝に、佐渡島からBETAが侵攻してくる」
『なっ………!?』

 皆が絶句する中、鎧衣だけは何処か納得したような表情だった。それを気にも留めず、三神は続ける。

「私はこの未来情報を以て諸君に問おう。―――座して全てを喪うか、それとも今後私達がもたらす情報を以て最上の未来を目指すか」

 あの時殿下を糾弾したのは、この言葉を告げる為だ。即ち―――事情を知った諸君は、その力を振るわずに朽ちていくのかと。その責を全うせずに喪っていくのかと。

「………三神少佐。お主はどうするつもりだ?」

 長い沈黙の後、紅蓮が言った。三神はそれに頷いて。

「差し当たって、11月11日のBETA侵攻を信じてくれるならば、当日に実弾演習を提案しよう。そして、武の話の中では敢えて伏せさせていたが、オリジナルハイヴ攻略戦に於いて著しい戦果を挙げた戦術機用の新型OSを既に作っていてな。これのお披露目と実戦証明も兼ねる」

 そして、と一度言葉を句切る。

「もしも信じないならばそれでもいい。11月11日に迎撃布陣を整えなくても、一応対処は出来る。―――大損害は喰らうがね」

 そしてそれは当然、日本の国力減退に繋がる。
 国を運営する彼等にとって、見過ごせない事態だ。

「もしもBETAが攻めてこなくても、演習という名目で誤魔化せる、と?」
「まぁ、それは無いと思うがね。BETA はこちらから干渉しない限り、その行動を変えることはない。つまり―――このまま推移していけば、確実に11月11日には侵攻してくるよ」

 月詠の言葉に、三神は断言する。
 人の歴史でさえ、それを知る者が干渉しなければ変わらないのだ。BETAの侵攻など、それこそ間引きでもしない限り変わらないだろう。
 そして今一度、沈黙が落ちた。

(―――予想はしていたが、これは少し時間が掛るかな)

 二人の正体、白銀の過去、そして未来情報。
 その重要性を説く為に畳み掛けるように話したが、吟味する時間はほとんど与えていない。
 故に、未だ判断に困っているのだ。
 拙速を尊んだ訳ではないが―――少し裏目に出てしまった。

(―――ならここは、予定を少し早めておこうか)

 この空隙を突いて提案すべく、三神は紅蓮に視線をやった。

「紅蓮大将。殿下達には少し時間が必要だろう。その間、私とシミュレーターで相手して貰えないだろうか。こちらの強化装備は持って来ているから、後は場所さえ提供して貰えれば大丈夫だ。―――今後付き合いがある人間の実力ぐらい、軍部の人間としては知っておきたいだろう?」
「ふむ。では………」
「その勝負、ちょっと待った!」

 若干思案した後、頷いた紅蓮に待ったを掛けたのは斑鳩だった。

「その相手―――私にさせてはくれないか?」
「斑鳩の………?」

 唐突に挙手した斑鳩に、紅蓮は訝しげな視線を浮かべたが、やおら何かに思い至ったか、頷いて三神の方を見た。

「―――どうだろうか三神少佐。儂としては、この若き天才を推すが」

 問われ、三神は考える。
 『斑鳩の蒼鬼』を知ったのは、『前の世界』での事だ。実際に会うことはなかったが、何度か同じ戦場を駆けたことがあり、その英傑らしき噂は幾つか知っていた。
 損得勘定を考えると―――。

(少なくとも、紅蓮大将よりは与しやすいか………)

 一度だけ、『前の世界』で三神は紅蓮と手合わせしたことがある。
 横浜が日本と共同して作った試作第五世代戦術機同士での実機模擬戦闘の時だ。

(―――化け物だったな)

 月面戦争前だった為その戦術機の設計には少し関わっていた三神は、機体特性を十全に引き出していた。だがそれにも関わらず、紅蓮は初めて乗る戦術機でループ経験もある三神に肉迫し、引き分けにまで持ち込んだ。
 しかも、目玉である新機軸の武装等を一切使わず長刀のみで挑んできたのだ。一体何の為の模擬戦なのか分かってるんですか―――と後で副官に怒られて正座させられていたのが印象的だった。
 それはともかく、そんな化け物相手に三神は最初から勝とうなどと思っていない。実力をある程度証明できればそれでいいのだ。
 ならば、斑鳩が相手でも何の問題もなかった。

「いいだろう。―――では、シミュレーター室へ案内して貰えるかな?」

 言って立ち上がると、三神は座ったままの国政の重鎮達を見る。

「私が斑鳩少佐と戦っている間によく考えておくことだ。何が国益に繋がるかを、な」

 そして最後に白銀に視線を移すと、彼はにやりと笑う。

「―――お前はここに残って殿下フラグを立てておけ。恋愛原子核の真価を発揮する時だぞ?」
「はぁっ………!?庄司お前………!」
「ついでに207B分隊の父親も懐柔しておけば、障害はほとんど無くなってハーレム一直線だな。―――良かったな、武」
「し、しみじみ言うなぁっ!」
「―――白銀。どういう意味か聞かせて貰おうか?」
「え?月詠さん?ち、違いますからね?今のは庄司の得意の冗談で―――ってもういないしっ!?」

 気付いた時には三神は既に会食の場から出ていた。
 そして残されたのは、哀れな子羊が一人―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十三章   ~斑鳩の蒼鬼~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
(―――こういう結果になるとはな………)

 帝都上にある斯衛用のシミュレーター室の一角で、三神が着替えてくるのを待ちつつ、既に強化装備姿の斑鳩は目を伏せ先程の話を思い出す。
 三神庄司という男が只の狸ではないことは、最初の時の無礼な言動で理解できていた。それについて言及出来なかったのは、彼の出自と所属が理由だ。
 日本国籍を持っておらず、国連軍所属―――。
 国が違えば言葉も文化も違う。あの大国では、大統領でさえyou〈アンタ〉で通る。だから、政威大将軍に対しての言葉遣いやその態度に不満はあっても、直接的な行動は出来なかった。
 郷に入っては郷に従えという諺もあるが、それも日本の諺だ。日本文化に疎ければ理解できまい。そして直接的に害をなした訳でもない。先述したが、あの状態では国連軍に対し素行不良を警告することしかできなかった。
 ましてあの場は非公式ながら謁見の場。悠陽自身が下知した場所だ。悠陽が拘束しろと言えば動けたが、その彼女すら呆気に取られていた。
 納得は出来ないまでも理解は出来た。だから斑鳩は口頭注意だけで済ませようとしたのだ。
 だがあの一瞬。
 煌武院悠陽と呼び捨てにした一瞬。
 月詠がそうであったように、斑鳩も問答無用で拘束すべく思わず立ち上がって―――。

(何も出来なかったな………)

 第三者からしてみれば、おそらく間髪入れずに三神が口を開いたからだろうが、斑鳩がその動きを止めたのは、三神と眼があったからだ。
 ―――深い、落胆の色を刻んだ瞳だった。
 理由は後になって分かった。理論こそは分からないが、彼も因果導体という存在で―――そして時間を逆行している。
 それが指し示すことは―――。

(―――未来の悠陽ちゃんと会っているんだろうな)

 それ故に落胆したのだ。例え自分の出会った悠陽が、今の悠陽の未来の姿だと分かっていたとしても。
 斑鳩自身、思う時がある。
 確かに、今彼女に実権はない。政威大将軍という身分は今現在お飾りに過ぎない。だが―――彼女には煌武院という力がある。
 五摂家の一つであるこれを、議会は無視できない。表だって動くことが出来なくても、その力を用いて議会を裏から掌握することは出来るのではないか―――斑鳩はそんな事を時々思う。
 尤も、現実は同じ五摂家である斑鳩も何も出来ていない。
 自分が出来ないのに、悠陽にそんな事を思うのは大間違いだ。彼女自身、何も出来ない自分を悔いているし、そもそも彼女はまだ二十歳前の少女。
 その家柄と宿命さえなければ、普通の少女として―――は無理でも、普通の衛士として戦っていたはずだ。
 あんな薄汚れた議会とは縁遠い場所で、自国を護る為に気高く。
 無論、それが楽な道とは言わない。
 斑鳩自身、五摂家の嫡男故に実質的な初陣は三年前の京都攻防戦。自分の戦い振りを見た皆は、鬼と呼ぶが―――こんなに臆病な鬼はそういまいと彼は自嘲する。
 当時、彼が率いていた第16大隊には彼女がいた。
 斑鳩楓―――旧姓、水無瀬。
 白の武家出身で、今は斑鳩の最愛の妻。
 あの初陣で―――斑鳩は恐怖した。迫り来るBETAでは無く、圧倒的な戦場の空気でもなく、自国を奪われることですらなく。
 ただ隣に立つ女性を、喪うことに恐怖した。
 自分が生まれて初めて愛した女性を、何よりも尊いその人を喪うことに恐怖した。そこには死の八分等という自らの命を量りに掛けた恐怖は無く―――純粋に略奪に対する恐怖があった。
 喪いたくないと思った。
 死なせたくないと思った。
 ―――だからこそ斑鳩は恐怖を突き破った。
 誰よりも前に出て、誰よりも多く迫り来る略奪者を切り裂いた。そこに大儀や信念はなかった。
 荒々しく燃やした、自らの願望だけがあった。
 天才的と言える腕さえなければ、ただ単に半狂乱になって暴走しているとしか見られなかっただろう。
 しかし結果から見れば斑鳩は大暴れしつつも隊長として指示を飛ばしていたし、自ら死にに行くようなヘマはしていない。
 そしてその時の戦いを讃え、口調まで激変させた斑鳩は『斑鳩の蒼鬼』と呼ばれるようになったが―――本人としては末代までの恥である。
 五摂家斑鳩―――蒼を賜る自分は、常に冷静で威厳のある態度を振る舞わねばならない。幼少の頃よりそう教え込まれ、実践してきた彼にとって、ああした戦場で口調を私人である時のものに戻すのは、この上なく恥ずかしいのだ。
 まぁ、それはともかく。

(―――悠陽ちゃんについては、いずれどうにかしてぇな………)

 彼女は―――自分を追いつめすぎる。幼少の頃から実の妹のように可愛がってきた斑鳩には分かる。
 その責務、その力、そしてその高潔さ―――いずれも、今後の日本には無くてはならないものだ。しかしその全てを携えている彼女ではあるが、周りの環境がそれを行使することを許さない。
 悪いのは周囲であるのに、彼女はそれすら自分のせいだと責めていた。

(ったく、どんな博愛主義者だよ………)

 苦笑し、彼女らしいと思う。そして故にこそ政威大将軍として相応しいとも思う。これが自分なら、間違いなく邪魔なものをぶち壊すべく動いていただろう。
 結果として、どれだけの血が流れようとも。
 そしてふと、あの道化の言葉を思い出す。

『よく言った武。その気概があればきっとお前の願いへと辿り着けるさ。そしてその道に邪魔なものがあれば―――『俺』が全て排除してやる』

 今まで『私』と自称していた彼が『俺』とわざわざ言い換えた。であるならば、きっとあれこそが本来の三神。

(ああそうか………手前ぇはきちんと走ってるんだな、三神)

 似たような二面性を抱え、しかし自分と違って護るべき存在を導く為に彼は走っている。ただ過保護に護るのではなく、レールを敷き、必要とあらば自ら矢面に立ち、白銀武という少年が願う最上の未来へと届かせる為に、彼は走り続けている。
 その結果、彼がどんな結末を迎えるのかは斑鳩には分からない。だが、きっとそれは三神自身が望むものなのだろう。

(俺と手前ぇは似てるな、三神………)

 望むべきものに向かって走る三神と、望むべきものを遠くに見たまま立ち止まる斑鳩。違いがあるとすれば、走っているか否か。
 ―――斑鳩には不安がある。
 先頃、妻が懐妊した。今年の12月には出産予定だ。だが、斑鳩の新たな嫡子として生まれるその子の事を考えると、今の日本や世界の情勢ではきっと苦労するのは目に見えている。
 ―――斑鳩には不安がある。
 護るべき煌武院悠陽は、奸臣に政界から追いやられ、日本の未来を憂いたまま何も出来ていない。そして自分も何も出来ていない。そんなことで、この先この国は大丈夫なのか。
 ―――斑鳩には不安がある。
 こうして不安がり、それを理由に立ち止まっている自分が、やがて国や妻子の未来を奪ってしまうのではないかと。

(手前ぇだって、不安はあったんだろ?どうやって振り切ったんだ?なぁ、教えてくれよ三神―――)

 その心の中の問い掛けに応えるようにシミュレーター室の扉が開いた。
 そこにいたのは、道化でも狸でもなく―――狼だった。





 それより遡ること少し、案内された更衣室で強化装備に着替えつつ、三神は吐息した。

(―――今回は色々と危ない橋を渡ったな)

 政威大将軍の前であの振る舞いをするのは、さしもの三神も神経を使う。本人が許可したならばともかく、悪意を操り糾弾する為だけに道化になるのはリスクが高すぎる。
 しかし、そのリスクを背負ってでも成さなければならないことがあった。
 煌武院悠陽の成長だ。
 今、彼女はあまりにも精神的に弱い。
 無理もない―――と三神は思う。生まれながらにして将来を決められその為に教養を身につけ生きてきたとしても―――実際に力を振るうとなれば話は別だ。
 彼女の細手一つで国民の命が動く。
 十七と言う齢では考えられない程の責務。信じられない程の重責。自分が十七だった時、何をやっていたか考える。

(兄貴と―――あの人の後を追っていたか………)

 いずれにしても馬鹿な子供だった、と三神は自嘲する。そんな子供が日本の全権を任されたとしても、その重圧に耐えきれなかっただろう。
 しかし悠陽は幼い頃からの教育で、それを可能とした。いや、させてしまった。彼女はまだ少女だ。友達や家族と泣いて笑って喧嘩して、そんなありふれた家庭の中にいたとしても不思議ではないのだ。
 その宿命さえなければ、あるいは―――。

(こんな時代じゃ、それもままならんか………)

 馬鹿なことを考えたと思う。もしも五摂家の生まれでなかったとしても、日本人ならば既に徴兵年齢を満たしている。戦場に出ていても不思議ではない。

(―――そして、日本の膿………)

 腐った政治家共が蔓延る議会。誰も彼も―――とは言わないが、少なくとも一人や二人では済まない。他国と通じ、甘い汁を吸う。使い捨てにされると薄々気付いていても、その甘さに誘われる蟻の如き浅ましさ。
 ―――下らない、と三神は思う。
 前の世界で、三神は悠陽と出会っている。世界を去った白銀の後を継いで最も多くのハイヴを潰し、月まで行った英雄なのだ。各国の首脳陣と談話する機会は何度かあった。その中で、悠陽と言葉を交わしたこともある。
 衝撃を受けた。『知っていた』ものの、これ程若い年齢でここまでの気品と知性を身につけ、跳梁跋扈する世界の政界で彼等と渡り合う彼女を見て、だ。
 自分の交渉術など、それこそ霞んで見える力強い発言力。
 惚れ惚れするような立ち振る舞い。
 そして何よりも慈愛に満ちた高潔な魂。
 日本人の誰もが崇拝じみた対応をする訳だ。この世界の日本人でない三神でさえ、無条件で平伏しそうになった。

(―――だが、今の彼女は………)

 一目見た時に分かった。
 『今』の煌武院悠陽は弱いと。
 無論、三神とて別人なのは分かっている。あの時の彼女はクーデターで愛した国民の血が流れたことによって、その燻らせていた決意を固めたのだ。
 そして白銀に贈ったあの言葉。
 自らの手を汚すことを、厭うてはならない―――。
 あれはきっと、自分自身に向けた言葉なのだ。
 ここで燻り続ければ、間違いなく混乱は加速する。立ち上がり、日本を纏める為にその覚悟を決めなければ、その間隙を突かれて他国に食い荒らされる。
 聡明であるが故に―――その先の最悪のシナリオを彼女は見たはずだ。だからこそ、自らが未熟だと認めながらも、立ち上がって日本を率いていくことに決めた。自ら掲げたその理想の為に、ありとあらゆる犠牲を背負う覚悟を決めた。
 そして覚悟の先に辿り着いたのが―――三神が出会った煌武院悠陽殿下だ。
 その経験がない『今』の煌武院悠陽は只の賢しい小娘に過ぎない。しかしそれでは困るのだ。

(今回のクーデターは流血沙汰にはさせない)

 これは前から決めていたこと。人的、物資的に考えても本気のクーデターを起こさせるのは全てに於いて無駄だ。しかし起こさねば邪魔な米国派や米国そのものを一掃できない。故に内容を変える。
 だがそうすると、煌武院悠陽は決意をしない。
 いや、聡明な彼女だ。何かしら考えるだろうが、あの悲劇を経験した彼女以上に成長することはないだろう。
 それでは困るのだ。
 横浜基地があるのは日本。オルタネイティヴ4も日本が主導。そしてクーデターが終わり、邪魔者のいなくなった日本を、政威大将軍に実権が戻った日本を、必ず他国は警戒し牽制し始める。
 そんな中、少し成長した程度の悠陽が耐えられる訳がない。無論、内政面では榊や鎧衣がフォローするだろう。外交に関しては珠瀬が。軍部では紅蓮が。そして五摂家では斑鳩がいる。
 しかし、結局の所、実権が戻った後、最終的な意志決定を下すのは煌武院悠陽となる。故にこそ、今のままでは駄目だ。少し成長しただけでは足りはしない。
 最悪でも、あの悲劇を糧とした煌武院悠陽が最低条件だ。
 そしてそこに至るのであるならば、誰かが促してやる必要がある。
 斯衛では無理だ。あれは主に付き従う者達。
 五摂家でも無理だろう。あれは諫めこそはするが、鍛えはしない。
 ―――しかし、部外者の三神ならば可能だ。

(差し当たっては危機感は叩き込めたな)

 白銀や三神が未来情報を持っていて、その中で日本にとって重大な何かが起こる―――そう言い含めておいた。何が起こるかは分からないだろうが、それが輝かしい未来でないことぐらいは分かるだろう。
 鎧衣は事の次第をある程度把握しているだろうが、こちらがそれ以上に把握していることを示唆したので、下手には動くまい。殿下に告げ口してご破算、と言うことにはならないはずだ。
 だからこそ、種は蒔いた。
 今は白銀という水をやっている。
 彼をあの場に残してきたのは、その為だ。そして間違いなく、白銀に話しかけそれとなく未来情報を聞き出そうとしているに違いない。
 無論、それについては絶対に喋るなと言い含めてある。白銀自身、未来を下手に改変するとどんな目に遭うかよく知っている。だからこそ決して口を割らないだろう。
 代りに、別世界の御剣の話をしてやれと三神は指示してある。
 これこそが危機感という種を育む為の水。自分の双子の妹である御剣冥夜に、煌武院悠陽が反応しないはずがない。
 彼女が何を見、何を聞き、何に触れて何を得て、そしてどのように生きているのか知りたいはずだ。
 白銀も自らの尊き存在について、よく喋るはずだ。特に衛士の誇りもある。だからこそ、会話の種は事欠かない。そして会話を繰り返せば、信用も生まれてくる。
 その蒔いた種が芽吹き、花開くのは11月11日。
 未来情報が、完全に確定する時だ。
 その時こそ、信用は信頼へと変わる。

(―――必要なことだったとは言え、この交渉の仕方は疲れる)

 三神の持つ交渉術は、大まかに分けて二つある。
 一つは、香月や鎧衣の時のような相手とのキャッチボールをしながら手札を一枚一枚捲っていく基本的な手法。特に一対一での時に真価を発揮し、交渉人としてはこの手法を使う機会が一番多かった。
 もう一つは、今回のようになるべく間を空けず機関砲のように巻いて巻いて話を強引に進めていく手法。これは一対一よりも対多人数の時に多く用いる手法だ。
 今回のように何人も相手にしながら言葉のキャッチボールをしながらやっていては埒が明かないし、道化を演じている以上時間を掛ければ非礼を理由に拘束されかねない。
 だからこそ三神はなるべく巻いて白銀の話へと繋げた。
 相手に思考する時間をなるべく与えなかったのだ。兎に角情報を与えるだけ与えて、処理落ちさせる。その後で、自らの要求を告げる。
 前者では会話が終了すると同時に交渉も終わるが、後者では種だけ先にばら蒔き、時間を掛けて交渉する。
 その空いた時間を利用して、白銀という水をやり、三神は軍部に実力を見せある程度の信用を勝ち取る。

(まぁ、私の評価はプラマイゼロと言ったところか)

 必要なことだったとは言え、道化ぶって相当無礼な事をしたのだ。白銀と同じ、しかも現在進行形で因果導体である事を考慮してもよくて差し引きゼロ。
 ここから引き戻すには―――。

(11月11日の実戦。そして―――)

 国連の軍服をロッカーに仕舞い、パタンと戸を閉じる。

「『俺』の実力を示すこと―――」

 そして、道化は狼へと成る。





 紅蓮醍三郎は違和感を感じていた。
 それは強化装備に着替えた三神がシミュレーター室に現れた直後に感じ取った。
 黒の国連仕様の強化装備に着替えた彼は、それまであった何処か飄々とした雰囲気は一切無く、ぴんと張りつめた空気だけがあった。

(―――戦になれば変わる性質か………?)

 そういう手合いの人間は案外よくいる。と言うより、隣で瞑目している斑鳩がその一人だ。本気でスイッチが入ると、彼もがらりと性格が変わる。まぁ、よく知る人間から言えば、素が出ただけなのだが。

「―――待たせたな。まずは互いのレギュレーションを確認しようか」

 よく通る三神の声に、紅蓮は頷いた。

「戦場は市街地廃墟。判定はどちらかが撃墜判定を喰らうまで。使う機体や装備に関しては自由だ」
「なら決まっているな。私は不知火。斑鳩少佐、君は蒼の武御雷だ」
『―――!』

 即答する三神に、紅蓮と斑鳩が目を見開いた。

「どういうつもりかな?三神少佐。ただの不知火で蒼の武御雷に勝てると?」

 静かな怒りを乗せて、斑鳩が問う。
 不知火と武御雷では、同じ第三世代とは言えスペック差がありすぎる。どちらも純日本国産の戦術機ではあるが、不知火はあくまで量産性と汎用性を重視した現場に適した機体。省みて武御雷は生産性や整備性を度外視し、極限にまで日本製の第三世代戦術機を突き詰めた設計思想の元に生まれている。
 そして五摂家を表す蒼のカラーリングの武御雷は、搭乗者に合わせたチューニングを施されており、性能差だけで言えばその時点で勝負は決まっている。
 斑鳩や紅蓮には三神に侮辱されたのか―――それとも最初から勝つつもりがないのか、今一判断できない。
 しかし彼は大したことはない、と前置きを入れて。

「今回するのは実力証明だ。互いに乗り慣れた機体が一番良いだろう?」

 言うことは尤もだ。斑鳩は武御雷か瑞鶴が一番長く乗っている為、その二つしか選択肢がない。
 先程の三神の言葉が正しければ、彼は繰り返す時間逆行の中で、ほとんどの戦術機に乗っているはずだ。
 その中で不知火を選び、武御雷を指定する。その選択の示すところは―――。

(勝ち負けには拘っていないと、そう言うことか)

 紅蓮は得心しながら思う。彼の狙いは、自分の実力証明。武人としては、一番信用に足るもの。
 単純と言われればそれまでだが、口先だけの輩よりは武を以て示された方が生粋の武人である紅蓮は余程信用できる。
 口は嘘を付けるが―――強さは嘘を付けない。
 その者が何を思い、何を願い、何を目指して何を掴んだのか。戦い方には、それが如実に表れる。
 今回の模擬戦では、それを見極めろと言うことだろう。
 度重なる時間逆行の中、三神庄司という人間が選びつかみ取った一つの到達点を。

「―――無論、だからと言って負けるつもりもないがな」
「面白い。ならば見せて貰おうか。そなたが至った答えを」

 狼と鬼が真っ正面から視線をぶつける。紅蓮はその気迫を横で心地よさそうに感じていた。






 一方、その頃の白銀は。

「………で、冥夜の奴その話信じちゃうんですよ!」
「まぁ。あの者らしいというか………」
「白銀、貴様よくも冥夜様を謀りおって………」
「ふむ。世界は違っても、私の娘は融通が利かない、か」
「たまの弓道着姿………見てみたいのぅ………」
「何と私の息子のような娘はそちらの世界では娘のような息子だっのか。はて良いのか悪いのか………」

 割と楽しそうに歓談していた。






 紅蓮は見る。
 仮想の空間を駆け回る二機の戦術機。三神が操る迎撃後衛装備の黒い不知火と、斑鳩が操る突撃前衛装備の蒼い武御雷だ。
 かつての話だ。家柄的に、紅と蒼の出である紅蓮と斑鳩であるが、その年齢差と経験から、紅蓮が直接斑鳩に剣術の基礎や戦術機のいろはを指導することがあった。その為、彼は斑鳩の能力や才能をある程度把握している。
 ―――天才。
 紅蓮は掛け値無しに彼をそう評価していた。
 一を以て十を知り、十の努力で百の結果を得る。斑鳩は、幼い頃からその才気を放っていた。
 それが直接的に外部に出たのが、三年前の京都攻防戦だ。
 斯衛の存在理由からして、直接実戦に投入されることは当時をしてそう多くない。故に、『死の八分』を越えられていない若い世代もそれなりにもいた。
 斑鳩もその一人だった。
 だが、彼は実質初陣であるその戦で、鬼神の如き強さを発揮する。斯衛第16大隊を文字通り率いる為に先陣に立ち、余裕がなかった為か口調を素の荒いものに戻し、迫り来るBETAを片端から薙ぎ払っていく。
 狂乱状態にでもなったかと、最初は疑った。しかし違った。誰よりも深く敵陣に踏み込み、誰よりも多くの敵を相手にしながらも、彼は適切な指示を部下に出し、自身の退路は必ず確保していた。
 それを見て、紅蓮は少し彼の評価を改めた。
 ―――軍神。
 戦場にあり、戦場を駆け、戦場を統べる軍を司りし神。
 おそらく、数年もしない内に戦術機の腕では抜かれてしまうだろうと紅蓮は思う。下手をすれば、次の実戦にでも。
 軍略面に関しては、まだ長年の経験故に届かないが、それも時間の問題だ。
 いずれにしても、斑鳩昴という男は才気溢れる男だ。
 では、相手取る三神はどうか。
 人柄としては―――道化。しかしこれはおそらく狙ってやっているのだろう。深く観察した訳ではないが、斑鳩のような二面性を何処か感じさせるのだ。
 そして今重要なのは戦術機の腕だ。

「―――凡人、だのう」

 外部映像を見ながら、紅蓮は思う。
 戦闘開始直後、右主腕に長刀を『逆手』に握ったことから、何かしら特異性があるのかと思ったが、その実彼の戦い方は丁寧且つ堅実なものだった。
 改めて思う。
 ―――凡人だと。しかし―――。

「究極の凡人だ」

 それは遙かな高みに至った凡人だ。斑鳩のように才気もなく、あるいは紅蓮のような修練を積んだ訳でもなく―――しかし一つ一つの基礎を、応用を、発展性を全て飲み込み、ありとあらゆる無駄を削り取った―――そんな戦い方。
 そこにあるのは凡人。しかし積み重ねたものは他のそれとは明らかに一線を画す。

「世界を繰り返した結果、か」

 その高みに至る為に必要なのは才能でも特殊な訓練でもない。気の遠く成る程の時間と、至るまで―――あるいは至った後も粘り続ける努力。
 三神庄司という衛士とは、その集大成だ。
 世界を繰り返し、無限とも言える時間を使って熟成させ続けた凡人は、神たり得るのか。
 その狼のような機動を見て、紅蓮は彼をこう評価する。
 ―――神狼。
 名に神を入れた狼。
 正直、面白い試合になると思う。
 軍神と神狼。
 数多の兵を率いて戦い、才能の神に愛された鬼か。
 一人時間の波にたゆたい、時間を積み重ねた狼か。
 ―――狼と鬼が、交錯する。





 斑鳩は苛立ちの中にいた。
 敵機は不知火。相手は道化―――否、狼。
 そう、狼だ。
 高速でジグザグに駆け抜け、こちらのロックを外し、すり抜け際に右主腕で『逆手』に握った長刀を振るう。それと同時に離脱、余裕があれば左主腕で保持した突撃砲で牽制。
 ―――完璧なまでの一撃離脱。
 そしてその精度が異常だ。
 長刀の一撃こそ避けてはいる。近接格闘は斯衛のお家芸だ。如何に経験があろうと、物心つく頃から剣を握っていた斑鳩にとって、振り抜かれるだけの一撃など児戯に等しい。
 異常なのは、その射撃精度。特に中近距離の精度が異常だ。機能不全こそ出ていないが、36mmで至る所で小破判定が出ている。
 120mmこそ予測しやすいので避けてはいるが、このままでは36mmで機能低下し、いずれ長刀か120mmを喰らって落ちる。
 あの異常なまでの射撃精度を考えるに―――彼が今も繰り返しているという世界―――その時間で積み重ねたものが影響しているのだろう。
 戦術機のロックオンは、ロックオンし続けることによって自動補正が掛る。だが、それでは少し時間が掛ってしまうので、ある程度遊びが持たされている。故に、その遊びの範囲内で射角をずらし、CPUの予測を超えた射撃を行うのがある程度の技量に達した衛士だ。
 そして、世界では稀に、FCSを切って戦う衛士がいる。
 欧州のリオン=ハインリッヒ少佐や統一中華の李小飛大尉などが有名で、彼等はIFFだけは残してFCSは切る。
 曰く、『長中距離での射撃ならともかく、乱戦時はロックしている暇さえ惜しい』との事だが、無論誰もがこんな芸当を出来る訳がない。
 IFFで識別だけは出来るが、最低限自機や目標の現在位置、移動方向、相対速度を予測する必要がある。更に気象条件や砲身摩耗等を考慮すれば、如何にFCSを切るということが非常識なのかが分かるだろう。
 そもそも、下手をしなくてもIFFを超越して味方誤射をする可能性がある。ロックオンがないとはつまりそう言うことだ。
 しかし彼等はFCSを切ることによって、あり得ない程の近距離射撃精度と撃墜数を誇っている。当然、味方誤射などしたことがない。
 その精度と撃墜数のデータは、彼等の所属する欧州連合や統一中華が士気高揚の為か公表していて、斑鳩も眼にする機会があった。彼自身射撃の腕自体はあくまでそれなりである為、正直、これは何かの冗談かと思った程だ。
 その射撃精度を―――実のところ、斑鳩は現在進行形で体感していた。

(最初にばら撒く36mmは囮。接近し抜けた後での三発。―――あれの命中率が異常だ。まさか本気でFCS切ってる訳じゃねぇだろうな………?)

 市街地である事を有用に使い、相手はよく隠れる。そして一撃を加える為に急速強襲し弾幕を張り、接近したところで『逆手』の一撃。それが当たろうが当たるまいが駆け抜け、余裕があれば振り切った慣性を利用してこちらを振り向き―――異常精度の36mmを三発放つ。そして成果を確認もせず全速離脱。
 追撃も何度か掛けているが、あの三発を避ける為に無駄な動きを迫られ、その隙に逃げられるのだ。そしてこちらの得意の接近戦を、まずやらせて貰えない。しかも忠実に基本を抑えて行動している為、予測は出来るが隙がない。
 頭に来る程粘っこい戦い方だ。良い意味でも悪い意味でもベテランという言葉がしっくり来る。
 だが、機体の性能差を考えれば、奇襲か―――あるいは堅実且つ地道な戦い方しかなくなる。武御雷相手に、正面から殴り合いなんぞすれば、不知火に勝機は無い。性能差を考えれば、砲撃戦でも危険だ。しかも、近接戦の腕自体の開きがさほど無いなら、尚更だ。
 故にあらゆる意味で、三神はセオリー通りの戦い方をしているだけなのだ。

(埒が明かねぇな………)

 斑鳩は思う。こんなのではないと。自分が三神庄司に望んだのは、こんな戦いではないと。そして聞きたいこともあるのだ。
 ならば、伝えてやる必要がある。

「―――三神少佐。聞こえているか?」





(―――やりにくいったらないな………)

 三神は胸中で毒づくと、この模擬戦が始まってからのことを考える。自分で言い出しておいてなんだが、まずレギュレーションからして不利だ。同じ第三世代とは言え不知火で武御雷―――しかもほぼワンオフのカスタム機に勝てる訳がない。
 加え、OSも従来のモノ。三神お得意の高速地上機動戦法も、キャンセルが効かない為に全て予測、コンボが無い為に全て手打ちというシーケンスを通して行なっているので、忙しさとそれに付随する苛立ちが半端ではない。
 しかも即応性まで下がっている為、射撃精度が悪すぎる。
 ロックオン速度はともかく、射角調整は戦術機の即応性に寄る。その為、旧OSとXM3では調整速度がかなり違ってくる。
 動きが単調なBETAならともかく、戦術機―――しかもスペックでは上の武御雷相手ではそれは致命的だ。捕捉し続ければある程度補正は入るが、そんな時間は当然無い。

(XM3唯一の欠点だな、これは………)

 一度それに慣れてしまっている三神に取っては、旧OSは両手足に重りを付けて戦うようなものだ。
 初手でそれを痛感した三神は、故にいっそFCSを切った。誤射する味方もいないし、どうせキャンセルがない為に機動制御を三秒先まで予測しながら戦わなければならないのだ。ついでに火器制御も自分でやる。
 接近しながらの射撃を囮にしたのはこのためだ。
 そして相手を抜けた後に、本命の三発―――ロックに頼らないマニュアル制御ではこれが限界―――を放つ。
 その甲斐あって、着実にダメージを与えてはいる。無論、三神の方も何発か被弾しているが、相手よりはマシだ。

(さて。このまま機能不全に落したところで、長刀で一撃、と)

 非常に地味な戦い方だが、アレ相手に相手の土俵で戦う等と、彼は考えたくもなかった。
 斑鳩昴は―――天才だ。
 何度か正面交差したことで、三神はそう感じた。下手をすれば、今の白銀に匹敵する程の才能の塊だ。今はまだ三神のちまちまとした攻撃に耐えているが、本気が出てきたら正直拙いと思う。
 只でさえ機体スペックでこちらが劣っているのだ。その上、近接戦の腕は間違いなくあちらが上だ。証拠に、こちらの『逆手』の一撃が掠りもしない。即ち、相手はこちらの間合いを完全に見切っているのだ。ヒットアンドアウェイによる削りでもしないと、互角に持ち込めそうもない。
 だが焦るのも禁物だ―――と、三神が戒めたところで。

『三神少佐。聞こえているか?』

 オープンチャンネルで、斑鳩から呼びかけてきた。訝しげに思ったが、取り敢えず廃ビル群に機体を隠し、応えることにする。

「何か用かね斑鳩少佐。私は今、その武御雷の機動力を削るのに忙しいのだが」
『―――聞きたいことがある』

 こちらの挑発には乗ってこず、しかし斑鳩は簡潔に言う。

『そなたは世界を繰り返していると聞いた。正直理解しがたいが、頭から否定する程私も馬鹿ではない。―――故に、世界を繰り返し、経験を重ねたであろうそなたに聞きたいことがあるのだ』
「何かね?」
『―――子を、成したことはあるか?』
「―――は………?」

 三神は、久しぶりに自分の思考に空白が出来たことにまず驚いた。次に、この状況で何言ってやがるんだコイツと思った。

『子だ。子供を、作ったことはあるか?』
「―――前の世界で、一人だけだが………あるぞ?」

 相手の真意が分からず、取り敢えず話に乗ることにする三神。彼にしては珍しく、会話の主導権を取りには来なかった。おそらくは、割と動揺が長引いているのだろう。

『そうか。名は?』
「武。―――私の恩人から貰った名だ」
『そうか良い名―――ん?その名は確か先程の―――』
「ああ、白銀武は私の恩人だ。前の世界で彼がいなくなった後、彼を忘れない為、そして彼のように甘くても良いから強い男に成って欲しくて付けた。―――一応釘を刺しておくが、本人には口外しないように」
『了承した。―――では、かつて父親になったそなたに聞きたい。私も今年の十二月に父親になる予定だが………私は父親として何を成せばいいのだろうか』
「―――」

 コイツ馬鹿だ、と三神は思った。そんなことを、何故に今聞くのだ。と言うより、何故自分に聞くのだ。そしてそれ以上に―――何故そんなことを考えるのだ。

(―――ああ、違うか………)

 斑鳩の突飛な言動によって停止しかけた思考が少しずつ回転する。人の親になるのであれば、それは誰でも経験すること。しかし、五摂家として立ち振る舞う彼は、下々にそれを請うことは出来ない。であればこそ―――赤の他人の三神に聞いたのだ。
 自分の仮定を確かなものにする為に、三神は問う。

「―――不安か?人の親になることが」
『―――ああ、堪らなく不安だ。親になることも、この国の将来も、そしてその将来で生きていく子のことも』

 確信する。コイツは馬鹿だと。だがその馬鹿は、誰もが一度は通る道だ。だからこそ、それを既に通った者として―――。

「馬鹿かお前は」

 三神は宣った。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十四章   ~不安の先駆~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
『馬鹿かお前は』

 その言葉を掛けられ、斑鳩は怒りよりも何処か痛快な気持ちになった。

(俺に向かって馬鹿と言うかよっ………!)

 五摂家として敬われ、傅かれることはあっても馬鹿呼ばわりされたことはない。生まれて初めて馬鹿にされ、しかし斑鳩は楽しげだった。
 そんな彼の心情など知りもせず―――おそらく知っていても気にもしないだろう―――三神は問いかける。

『いいか?―――不安にならない奴がいるものか』






 三神は宣う。それは道化としてでなく、狼としてでも無く、三神庄司としての言葉。かつて夫であり、父であった男の言葉。
 自らが体験し、得たものだ。

「『俺』だってそうだった。当時、権力も金もある程度持ってはいたが、何もかもが不安だった。『俺』みたいな存在が、人の親になっていいのかとな」

 外法を以て世界の理から外れた道化。そんな存在が、果たして誰かと結ばれ、あまつさえ人の親になって良いものかと、本気で悩んだ。
 ―――だが。

「口先しか取り柄のないこんな父親でもな、あいつはきちんと生まれ、立派に育ったよ。そりゃフラフラもしたさ、危なっかしい時も確かにあった。だがあいつは自分の夢を見つけ、それに向かって走り出した」

 その時に三神は決めた。自分の人生はここなのだと。最早、『次』は無いのだと、自らに課した。
 自分は『あの世界』で天寿を全うし、『この世界』で全てを終わらせるのだと。
 だから三神庄司はひた走る。
 生きる為にではなく、死ぬ為にでもなく。
 ただ自分の人生を終え、後かたづけをする為に。
 ここに至るまでに得た罪を、出来うる限り清算する為に。
 三神庄司は、己が終焉のその瞬間まで―――走り続けるのだ。

「お前はどうだ斑鳩昴。少なくとも『俺』よりも教養を身につけているお前は、いずれ生まれて来るであろう子供に何をしてやれる?」






 問い掛けに、斑鳩は考える。
 分からない。
 金も権力もある。人が一人成長していくだけの環境は整えられる。だが、斑鳩に生まれると言うことは、子の人生を縛ると言うこと。斑鳩という名を背負わせること。
 ―――それでいいのだろうか。
 問い掛けに対する答えは応と否。
 斑鳩として生まれた以上、その名の責務を背負うのは当然のこと。自分自身そうして来たし、ある種の洗脳だろうが、それが当たり前だった。
 ―――仕方ない。
 そう諦めもあった。
 だが否と思ったのは何故か。
 ―――分からないのだ。

(俺は………何で疑問に思うんだ?)

 自問する。
 斑鳩の妻に宿ってしまった以上、生まれてくる子は斑鳩の宿命を背負う。それは当たり前の事で―――だが、何故ここまでそれに抵抗を覚えるのか。

(俺が親でないからか?俺自身が斑鳩を選んだ訳じゃないからか?)

 斑鳩は、自分の家を選んだ訳ではない。
 無論、誰だってそうだ。産んでくれる親、生まれて育つ家を選べる訳がない。そしてそこで生まれた以上、無関係にはなれない。
 彼の場合は、ただ単に生まれた家が普通以上に厳格で、権力の塊であっただけだ。
 それを嫌った訳ではない。疎んじた訳でもない。
 しかし昔から、時々ありもしない妄想をすることがあった。
 自分が普通の家の出だったら、と。
 ありふれた一般家庭の出で、幼い頃からよく注意されたこの伝法な口調を使う事に躊躇いも覚えず、普通に学校に行って成長して徴兵されて衛士になって。

(それでも楓に出会って、恋に落ちて―――結婚してたのかな)

 そして子供が出来たのだろうか。
 愚にも付かない妄想だ。我が事ながら情けなくなる。

『―――分からないか?斑鳩昴』

 少し考え込んでいたからだろう。三神が問いかけてきた。

「―――ああ。分からねぇ………分からねぇよ」

 言った時に気付く、自分を取り繕う事すらしていなかったと。しかしそれを聞いた三神は苦笑して。

『それが本当のお前か。まぁ、いいけどな』

 いいか、と彼は前置きする。

『―――分からなくていいんだ。斑鳩昴』
「―――え………?」

 我ながら、間の抜けた声が出たと思う。

『お前が悩んでいるのは、どんな人間であれ、人の親になるのなら誰でも一度は通る道だ』

 三神は言う。それは勿論、自分も通った道だと。

『迷えよ。悩めよ。その為に今、お前の前には暗闇が来ているんだ。そしてそれを抜けた後にこそ、生まれた子供を抱く腕と、愛す心がお前に備わる。その時になってやっと、命の意味ってのが分かるはずだ。父親になるって意味が分かるはずだ。そしてそれを護りたいと、導きたいと思うはずだ』

 三神は言う。それは勿論、自分も思った事だと。

『案ずるより産むが易し、とはよく言ったものでな。お前が今悩んだり不安に思っていることも、実際に子供が生まれれば割と簡単に吹き飛ぶよ。経験者が保証しよう。素直に生まれてきてくれた事を喜べるはずだ』

 三神は言う。それは勿論、自分も喜んだ事だと。

『大体、母親に比べれば、父親に出来ることなんざたかが知れている。そんなどうでも良いことで悩んでるぐらいなら、嫁さんの世話でもしてろ。そっちの方が余程建設的だ』

 三神は言う。それは勿論、自分が失敗した事だと。

『そしてもし―――生まれたその子が、いつか自分の家のことで悩むのなら、導いてやれるのは親だけだ。その苦労を知っているお前だけだ。いいか?斑鳩昴。お前が親として何を成せるのかは―――子供が自身の悩みとして教えてくれる。だから親であるお前は、その時に導いてやればいい』

 そして三神は言う。それは勿論、自分がしてきたことだと。口先しか能のない親が、辿々しくも導き、そして子供はそれに応えて自分で歩き出した。
 後は、ただその背中を見守ってきただけだと。

「―――俺は、迷っても、悩んでもいいのか?」
『不安に思っても、立ち止まってもいい。その後に前を向いて走り出せるならな』

 返事に、優しさはない。

「―――俺は、恐れても、何も出来なくてもいいのか?」
『挫けても、泣いてもいい。その後に歯を食いしばって走り出せるならな』

 返事に、甘さはない。

「―――俺は、人の親になっても、いいのか?」
『いいか?言い古された言葉だが、為になる言葉だからよく覚えておけ』

 だが。

『親ってのはな、子供と一緒に生まれてくるんだ』

 経験者としての、確固たる自信があった。






 三神は思う。
 『武』と名付けたあの子供が生まれた時、初めて自分もあの世界に生まれたのだと。この腕に抱いた瞬間、初めてこの世界で骨を埋めたいと思ったのだと。
 そして一人前に育て上げ、彼が自立して―――三神は、親として最低限の役目を終えた。

(『俺』の人生は、確かにあそこにあったんだ)

 幸せだった。時間の流れさえ忘れた。例えBETAと戦いながらでも、終生軍から離れることが無かったとしても、三神庄司という人間が生きる意味を見つけ、最後まで生き抜いた証があの世界にはあるのだ。
 そして―――その生涯を終えた。
 確かにそれは病死というあまり立派なものでは無かったが、あれは自己責任だ。自分で望んで生きて、望んで死んだのだから、それまでBETAに殺され続けた三神としては大往生も良いところである。
 だからこれは夢の続き。
 終焉を迎えるまでのロスタイム。
 生き散らかした自分の後かたづけ。

(だから、『私』は走り抜けなければならん。それが―――あの人への、最後にして最高の恩返しだ)

 知り合えた時間はたったの二週間。だが、その後を生きる術を彼は教えてくれた。三神庄司という衛士の方向性を、彼は叩き込んでくれた。そして最後に―――彼によって三神は救われた。
 小さく、通信越しに苦笑が聞こえる。

『親は、子供と一緒に生まれてくる―――か。良い言葉じゃねぇか』
「随分分厚い化けの皮を被っていたようだが、それを被り直さなくてもいいのか?」
『はっ。もうバレちまってるんだ。―――今更手前ぇの前で被ったところで、仕方ないだろうよ』

 斑鳩は伝法な口調で、しかし穏やかに笑う。

『―――礼を言うぜ三神。俺にはまだ親になる実感は湧かねぇが、覚悟の方向性は分かった気がする。全ての迷いが吹っ切れた訳じゃねぇが、走り出せる気がする』

 そして、気配が変わる。
 ただの気安い青年から―――一匹の鬼へと。

『だからそろそろ―――決着と、行こうぜ?』

 自らの悩みの決着を得た『斑鳩の蒼鬼』は、今こそその本領を発揮する。





 動いたな、と紅蓮は思う。
 いきなりオープンチャンネルで問答を始めた二人を訝しげに思いながら、しかし彼は見逃した。ここしばらく―――正確には、斑鳩の妻が懐妊した時から―――彼の様子がおかしいのは付き合いの長い紅蓮も理解していたのだ。
 それが何であるか、大体の所見当は付いていたが、身分の差がある。相談されたのならばともかく、こちらから問いかけ私生活に踏みいるのは斯衛の本分ではない。もしも軍務に支障が出るようであるようならば干渉するが、少なくとも公人としては斑鳩は今まで通りに勤め上げていた。
 だから、紅蓮であっても動くことが出来ずにいた。それは、彼が率いる第16大隊の副隊長である月詠真耶であっても同じだった。
 故にこそ、斑鳩は一人で悩んでいた。
 誰にも相談せず、出来ず、ただ自分の中で悩みを燻らせ続けていた。
 だが―――。

「三神庄司、か………」

 斑鳩と似たような二面性を、あの道化は持っていた。おそらくは『俺』と自称したのが偽らざる彼自身なのだろう。
 そしてあの助言。

「やはり、ただの若造ではないな」

 無論、紅蓮とて白銀や三神の境遇を疑って掛っていた訳ではない。しかしながら、白銀はともかく三神が得た経験はまだ話されていない。少なくとも、白銀と同じ―――あるいは、それ以上の人生を送っているのは想像に難くなかったが、まさか子供まで作っているとは思わなかった。
 そして、世の男親が必ず感じるであろう不安を、彼は斑鳩から取り除いて見せた。
 彼が半生被り続けた仮面を、剥ぎ取って見せた。
 だからこそ紅蓮は思う。
 あの道化。あるいは―――。

「昴の―――朋友になるやもしれんな………」

 そして、鬼と狼の決着の時が来る。






「ちぃっ………!」

 あの一連の会話の中で、おそらくこちらの位置をついでに探っていたのだろう。抜け目のないことに、宣言と同時にいきなりこちらに向かって長距離噴射跳躍をしかけてきた。
 当然の如く、機体性能差から考えて正面からの殴り合いは無謀だ。故に三神は距離を取ろうと長距離噴射跳躍で逃げるが―――やはり機体性能差でじりじりと追い上げてくる。
 仕方なしに牽制として跳躍と同時に倒立して機体を背後に向け射撃するというアクロバットで足を止めようとするが、斑鳩機は左右に極短噴射する事によって機体を振り、弾幕を避ける。
 しかもそれが仇となって、更に距離が縮まる。

(拙いな………)

 跳躍倒立で目視したが、敵は既に突撃砲を手にしていなかった。手にしていたのは長剣。それも二刀流だ。
 本来、その様な使い方は機体の関節を著しく損耗させ、且つその自重から攻撃速度の低下に繋がるのだが―――。

(蒼の武御雷だからな………)

 何しろ個人用に改造された機体だ。長剣特化仕様として、二刀流も負担無く出来るようになっているのかも知れない。
 その上、相手がやけに殺る気満々なのが背中越しでも分かる。かなり本気だ。気分的に、戦術機を使った鬼ごっこである。その証拠に―――。

『待ちやがれ三神ぃっ!』
「お上品なのを止めたのは良いが極端すぎないか!?」

 舌打ちするが状況は変わらない。このままではいずれ追いつかれ、近接戦に持ち込まれる。もしも機体性能差がなければ、三神とて迷うことなく打って出られただろうが―――XM3も無い状況で、それは厳しいどころの問題ではない。

(相手が大人しくしている間に仕留めきれなかったのが、私の敗因だな………)

 ある程度削ったものの、致命傷にまで至れなかった。当初の予定では、最低限機動力を奪って、後はこちらのフットワークで翻弄しつつ仕留めるつもりだったのだ。
 その前に―――鬼が本気を出し始めた。
 参ったな、と思う。
 中長距離では勝負を決められない。中距離ではXM3無しでは射撃精度が落ちるし、長距離は三神自身が苦手だ。
 となると―――近距離しか選択肢が無くなる。

(相手の土俵に入るしかないとは………何とも情けない選択だ)

 しかし他に選択肢がないのも事実。
 ならば後は―――身を削り合うだけ。
 仕方ない、と呟いて三神は機体を反転させる。そして―――。

「征くぞ斑鳩ぁ―――!」
『来いよ三神ぃ―――!』

 最大速度で二機が接敵する。
 三神は得意の高速二次元機動を以て、36mmをばら撒きながら斑鳩の移動速度を下げ、進撃進路を限定させる。
 しかし斑鳩はこれを必要最低限の機動で避けつつ三神に肉迫した。無論、避け切れずに何発も被弾するが、それすらも読んでいたのか、戦闘機動に支障がなかった。
 そして二機が交錯し、瞬時に互いの背後に回ろうと旋回機動を取るが、流石に武御雷の名は伊達ではない。交錯後の慣性をそのまま旋回速度に回して、三神を左の横合いから捕らえる。

『貰ったぁっ!』
「ちぃっ!?」

 振り上げられた右主腕に握られた長刀が恐るべき速度で振り下ろされる。三神もそれに反応して機体を捻らせて回避運動を取るが、僅かに遅い。ガスン、という衝撃と共に、左主腕の突撃砲が寸断された。
 幸い、左主腕そのものは無事なようだが、唯一勝っていると思われる射撃武器が使えなくなったのは痛い。
 機体を後退させつつ、残骸となった突撃砲を捨てて左主腕をフリーにし―――。

『逃がすかよ………!』

 鬼の追撃が来た。
 今度は左主腕に握られた長刀だ。先に振るった長刀の慣性を利用しての、大上段の一撃。しかも極短噴射跳躍を使っての高速の踏み込み付きだ。

「させるか………!」

 さしもの三神もこの状況から逃げることは出来ない。だが、防ぐことは出来る。右主腕に『逆手』で握った長刀を振るわせ―――そして予想外の結果が出た。
 交錯した二本の長刀の内―――三神の方だけ折れたのだ。

「なぁっ―――!?」

 振るった一撃はいつもの速度も重さも無いものだった。それでも同じ長刀だ。防ぐぐらいは出来るはず―――という三神の予測を振り切って、斑鳩が振るった長刀は三神のそれを押し切った。
 先程よりも強い衝撃が三神を襲う。網膜投影の機体ステータスを見れば、右肩から下が真っ赤だった。間違いなく、斬り落されたのだろう。
 更には―――。

『―――これで終いだ………!』

 左主腕を振り下ろす事によって身を半身に移動させ、斑鳩は右手にした長刀を引き、突きの体勢に入る。
 そこから繰り出される一撃は、まず間違いなく三神が操る不知火の管制ユニットを正確に刺し貫くだろう。
 ―――詰んだ。
 そう思う。
 だが―――例えこれがただの模擬戦であったとしても―――その瞬間になって灯るものがある。
 三神庄司は因果導体故に、真の意味で死ねない。何度死ぬ経験を味わっても、まだみっともなく生きている。生き汚いと自分でも思う。しかし、そんな自分を生かした恩人の為に、三神はそれを受け入れた。
 自分が最後まで足掻かなければ、自分を救う為に死んでいったあの人に申し訳が立たない。
 だから彼は―――例え詰んでしまった状況であっても諦めない。

「『俺』はなぁ………!」

 三神は奥歯を噛み締め、補助腕を使ってナイフシースから短刀を抜き放ち、左主腕に『逆手』で握らせる。

「どんな時でも―――」

 そして振り切り、無くなった右主腕の慣性を更に流し―――。

「タダで死んでやる訳にはいかないんだよ………!」

 裏拳の要領で相手と同じく管制ユニットを狙う。
 攻撃手段は互い刺突。距離はどちらの攻撃も有効射程。違いがあるとするならば、リーチと速度。
 長刀は長く、短刀は速く。
 停滞する一瞬。
 そして―――。






 煌武院悠陽は自室から襖を開けて、夜空を眺めていた。
 虚空には冷え込みだした時節もあってか、輪郭がはっきりと分かる月。その月を見て、思うのはやはり自分の妹のこと。

(冥夜………)

 胸中で呟き、手にした人形を両手で包む。白と紫の布で人の形に作られたシンプルなその人形は、かつて数日だけでも姉妹が共に過ごせた証。
 悠陽が彼女を思う日は多い。だが、今日はまた違った意味で彼女を思う。それには数時間前に白銀が話した別の世界の御剣冥夜が影響している。
 この世界とは違って、平和な世で、やはり家柄に縛られていた彼女。
 この世界と同じように頑固で実直で―――そしてやはり国を、国民を思っていた彼女。
 そして―――世界や仲間の為にその命を燃やし、去っていった彼女。
 いくつもの彼女を聞いた為か、悠陽自身も自分の事が気になった。しかし、白銀曰く悠陽とは『前の世界』でしか会ったことが無く、そして会ったのも極短い時間であった為か『立派な人でした』としか言わなかった。
 そんな中、模擬戦を終えた三神と斑鳩、そして紅蓮が現れた。話を聞くところに寄ると、どうやら二人の勝負は引き分け。しかし、そのレギュレーションを聞いて皆は唖然とした。
 蒼の武御雷対ノーマル不知火。
 試合結果こそ同時大破―――引き分けではあるが、前提を考えると三神の粘り勝ちであるのは誰もが理解した。
 皆が半ば呆然とする中、当の本人は、そろそろ遅くなってきたから帰ると言い出し、そして協議の結果を聞かせて欲しいと悠陽に尋ねた。
 事の次第、それから諸処に対する建前もある為に、11月11日の対応は三神の案を採用することを、彼等がシミュレーター室に向かった段階で決まっていた。
 その旨を伝えると、三神は満足そうに頷き、後の対応は鎧衣を通してやりとりすると言い残し、白銀と共にその場を去ろうとした。
 ―――そして、悠陽はそんな彼を呼び止めた。
 『前の世界』での自分は、どうだったのかと。
 そう尋ねる彼女に、三神は少しだけ瞑目した後―――悠陽の前で跪いた。今までの道化の様な態度とは百八十度違う態度に、皆が驚く中、しかし彼は流暢に言葉を紡ぐ。

『―――殿下。「前の世界」の殿下は、確かに御立派であられました。私の交渉術など足下にも及ばぬ発言力。見る者を魅了する立ち居振る舞い。そして、何よりも慈愛の心を持ってらっしゃいました。しかしながら、それは今後日本で起こりうる悲劇を経験し、乗り越え糧としたからこそ。心に傷を負い、それでも前を向いた結果として手に入れた強さなのです。しかし―――私は、「この世界」でその悲劇を起こさせません。いえ、起こさせる訳にはまいりません。故にこそ、殿下が「前の世界」の殿下程強くなる為には、とても長い時間が必要になるでしょう。しかしながら、理由こそ伏せますが―――それでは間に合わないのです。私共が悲劇を回避する為に歴史を変えれば、殿下の成長を待っている時間は無くなってしまうのです。故にこそ―――故にこそ努々御覚悟下さい殿下』

 これより続くは茨の道。最上の未来へと辿り着く為の、後戻りできぬ一本道。それを歩むと言うならば―――。

(―――覚悟を。身を削りながらでも、前へと進む決して揺るがぬ覚悟を)

 悠陽は三神の告げた言葉を繰り返す。そして―――最後の言葉を思い出す。

『殿下。―――貴方の妹君は、もう成長を始めておりますよ?』

 その言葉は、悠陽の心を強く響かせた。
 実際に会ってはいない。時折上がってくる報告や白銀から聞いただけだ。だと言うのに、悠陽は何処か近くで御剣を感じていた。
 そして、そこに彼女の成長。

(―――冥夜。そなたは前を向いているのですね?前を向いて、歩き始めているのですね?)

 本当は、国連に渡したくなかった。人質になど、させたくなかった。某国や城代省の干渉が無ければ斯衛に入れて、可能な限り速く昇進させて、側に置いておきたかった。そしてそれこそが、自分と妹が時間を共に出来る方法だと―――そして強くなる方法だと思っていた。
 しかし、彼女は自分で歩いている。
 他人が選択肢を狭めたのだとしても、自分で敢えてそれを選び、自分でそこに進み―――そして成長を始めているのだ。
 省みて、姉である自分はどうだ。
 三年前に国民の大半を、国土の大半を喪っても動かず、未だお飾りの将軍である自分は―――あの時から、何か成長できているのだろうか。

(いいえ―――何も、何も変わっていない。私は、何も変われていない………)

 では、どうすればいいのか。
 心を痛めるだけでなく、手を伸ばし、国民を救わんとする為には、自分はどうすればいいのか。
 分からない。分かりはしない。
 その悲劇を経験していない煌武院悠陽には分からない。

「私は―――何をすればいいのでしょうね?冥夜―――」

 その問い掛けに応える声は無く、国を想う少女の懊悩は虚しく夜の帳に消え行くのみだった―――。






(―――これで粗方仕込めたな)

 香月に報告を終えて、白銀と別れた三神は自室の執務机に足を放り出し座って煙草を吹かしていた。
 思うのは、今日の交渉。
 当初の予定通り、11月11日に実弾演習を取り付けた。時間や場所などの細かな調整は追って鎧衣を通して行なう。
 紆余曲折はあったが、終わってみれば三神の思惑通りの結果だ。予想していた最上の結果である。これでしばらくは、根回しなどの忙しさからは解放されるだろう。

(次は香月女史の疑似生体―――そしてヴァルキリーズの育成)

 11月11日までまだ二週間余り残している。疑似生体の方はこのまま行けば予定日までに間に合う。問題なのは―――。

(ヴァルキリーズを何処まで伸ばせるか。それと―――基地の雰囲気)

 香月への報告の後、三神は白銀にそれとなく聞いてみた。以前、彼が207B分隊を戦場に持ち込むと言った時から薄々気付いていたことを、だ。

(―――予想通り、捕獲はさせないようにするか)

 『前の世界』で、香月は11月11日にA-01にBETAの捕獲命令を出した。結果として幾らか損害は出たものの、捕獲自体は成功。後に捕獲したBETAはXM3のトライアルで解放され―――基地内の空気を引き締めるのに一役買った。
 しかし、白銀にとっては忘れられないトラウマである。
 何しろ、恩師を二人も死なせ、幼馴染みを死なせ掛ける原因となったのだから。
 彼がその事について、香月に対しどう思っているのかは分からない。しかし、彼はその悪夢を再現させない為に、原因から取り除くことを決めたのだ。
 無論、ヴァルキリーズの損害も頭には入れていただろうが、あの何かと甘い少年のことだ。何よりも恩師の生存を願ったに違いない。

(まぁ、いいだろう。―――それが武の願いなら、私は叶えるだけだしな)

 ただし、基地内の雰囲気改善については案はあるものの少々骨が折れるので、それには白銀に付き合って貰うことにする。
 香月女史を説得するのにまた何か材料が必要かも知れないな………と不安に思いつつ、三神は吐息と共に紫煙を吐き出す。
 そして―――。

(―――さぁ、仕込みは終えて幕は開いた。後は―――どう演じるかだけだ)

 そして狼は走り抜く。
 白銀武の前に続いている道を、三神庄司の全てを賭けて護り抜く。
 例えその先に―――。

「―――『俺』自身がいなかったとしても、だ」







 そして今こそおとぎばなしの幕は開く。
 『あいとゆうきのおとぎばなし』を走り終えた希望と。
 『あいとなげきのおとぎばなし』を走り続ける夢が織りなす―――。



 『ゆめときぼうのおとぎばなし』が―――。




[24527] Muv-Luv Interfering 第十五章   ~主義の不信~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
 10月27日


「さて、本日の訓練を始める前に―――明日の予定を言っておく」

 早朝、グランドにて207B分隊を整列させ、手を後ろに回した白銀は軍人然とした態度で一歩進み出た。

「明日から―――正確には日付が変わってから、楽しい楽しい『旅行』の始まりだ」
『―――!?』

 彼の何処か悪戯小僧のような笑みに、しかし207B分隊の面々は硬直する。この時期に旅行と言えば、それが何を指すのか理解できない彼女達ではない。
 総合戦闘技術評価演習―――通称、総戦技演習。
 衛士になる為に必要な、折り返し地点。そして彼女達にとっては―――一度挫折した心の傷。

「思ったより早いと思ったか?明日からとか急すぎるとか思ったか?まぁ文句を言うのもいいけどな―――よく覚えとけ、それが軍隊ってもんだ」

 一様に表情を硬くする彼女達に、白銀は言う。
 それはまだ未熟だった頃、力さえなかった頃、厳格な基地司令に言われた言葉。言われた当時は反感しか持たなかった白銀だが、成長するにつれて、軍隊というものを理解するにつれてその言葉が至言なのだと知った。
 だからこそ、彼は彼女達に伝えるのだ。

「BETAがいつ来るのかなんて分からない。命令がいつ下るのかだって分かりゃしない。そして奴らが来たら、命令が下ったら俺達軍人はそれに従って動くしかないんだ」

 そして、と白銀は前置きをして。

「だからこそ、常に予想しておけ。いつどこで何が起こってもいいように準備をしておけ。もしもこのタイミングでの『旅行』に少しでも反感を覚えたなら、そいつは軍人としての心構えが足りないだけだ。―――何だったら、取り止めても良いんだぞ?」

 問いかけると、白銀は彼女達の瞳を見る。そこに闘志を見つけると、満足そうに頷いて。

「午前中の訓練を終えたら午後からは自由時間とする。各員、明日に備え体を休めるなり準備をするなり好きにするといい。―――ではまずはグラウンド二十周!!」
『―――了解っ!!』

 白銀が命じると、207B分隊は敬礼し、即座に走り出す。それを見送ってから、白銀は隣の神宮司の方を見た。

「―――やっぱり、不安ですか?」
「―――少し、不安ですね」

 問い掛けに、しかし神宮司は偽ることなくそう答える。
 今日の朝になって、総戦技演習実施の命令が下った。いつもなら11月中頃に実施だったので、それを聞いた神宮司は自分の耳を疑ったものだ。
 白銀が特別教官になって早数日。初日の説教が効いたかそれとも彼自身の人柄の影響か―――いずれにしても、207B分隊の雰囲気は以前よりも明るいものになった。しかしながら、それだけで不和が完璧に改善される程、根が浅いものではない。
 というよりも、それでどうにかなるのならば、とっくの昔に神宮司が改善している。それでもどうにか出来なかったからこそ、彼女達は夏の総戦技演習に落ちたのだ。
 無論、彼女達が抱える『特別』な背景の圧力が、前回の総戦技演習に掛っていたのは知っている。終盤の地雷原を前にしての揉め事が無く、無難にクリアしていたとしても、何かしら難癖を付けてやはり彼女達はやはり落されていただろう。

「―――大丈夫なのでしょうか………」
「どっちの意味で、ですか?」

 質問を返され、神宮司は瞑目した後。

「どちらも、です」
「大丈夫ですよ」
「え?」

 気負い無く気軽に言う白銀に、神宮司は何処か間の抜けた声を挙げた。それに苦笑し、白銀は続ける。

「少なくとも、あいつ等が抱える複雑な事情は、今回の総戦技演習に働きかけてきません。後は、あいつ等の努力次第でしょうけど―――まぁ、それも大丈夫だと思います」

 だってあいつ等負けず嫌いですから―――。
 そう楽しげに告げる白銀は、何処か誇らしげだった。






 グラウンドを一定のリズムで走りながら、榊千鶴は思考していた。無心になって体を動かしていると、だんだんと思考が加速していくのだ。
 思うのは当然、明日の総戦技演習のこと。
 ―――失敗は、許されない。
 だが夏に一度落ちたことによって、ただでさえまとまりに欠ける207B分隊に決して浅いとは言えない楔が打ち込まれた。
 あるいは、これが他の隊員だったのならば、分隊長として諫める事もしたのだろう。しかしその楔が分隊長である自分自身で打ち込んだものなのだから―――。

(―――不甲斐ないわね)

 冷静に、そんな事を思う。
 生真面目だと昔からよく言われてきた。頑固だと、融通が利かないと自分自身でさえ時々思う。しかし育ってきた環境や、彼女自身の誇りがそれを止めることは出来なかった。

(そんなもの、意味なんか無いのに………)

 あの中尉は言っていた。そんなものは、BETAに対して何の役にも立たないのだと。確かにそうだ。アレは平等に人を食う。男だろうが女だろうが、若かろうが老いていようが―――内閣総理大臣の娘だろうが。
 そこに生い立ちは関係ない。誇りさえも奴らは噛み砕く。
 でなければ、人類はここまで衰退することはなかったはずだ。

(―――今までの私は、それにしがみついていた)

 徴兵免除まで蹴って衛士を目指したのは、一つの意地だった。だが、榊とてただ立ち止まっていた訳では無い。自分なりに努力して進んできたつもりだ。その中で、意地の使い方を見いだしてきたつもりだ。しかしそれでは足りなかったのだ。そしてその結果こそが―――。

(前回の総戦技演習………)

 無能な指揮官が部下の暴走を抑えきれなかった。
 言葉にしてしまえば簡潔なこと。しかし、果たしてそこに私情が入っていなかったかと問われれば、榊は首を横に振るしかない。
 前を走る少女の背中を見た。
 ―――彩峰慧。
 馬が合わない部下。不真面目な部下。突飛な言動でこちらに喧嘩を売ってくる部下。だけど―――優秀な部下。
 榊とて真に無能な訳ではない。
 彩峰の特技はおそらく隊内で一番把握しているし、『正しく』協力を得られればこれ程心強い仲間もいないだろう。
 ただ、それを差し引いても気に入らなかっただけなのだ。
 何よりも―――彼女の在り様が。
 自分と対極のその生き方が。
 彩峰は自由だ。彼女は勝手気ままに生きている。少なくとも榊はそう思っていた。そしてそれが207B分隊にとって足枷になると思っていた。
 しかし―――。

(―――僻みね。まるで子供よ)

 榊はそう思っていた自分を嘲る。結局の所、自分は羨んでいただけなのだ。何者にも囚われず、侵されず自由に振る舞う彼女が。
 ―――そんな訳がないのに。
 誰だってままならないことはある。自分の目から見て彩峰は自由に見えるが、彼女だって何かを抱えているのかもしれない。
 いや―――その名があの『彩峰』ならば、間違いなく彼女の背負っているものは自分のそれを遥に超える。そしてその上で、彼女はああして振る舞っている。

(―――確定はしていないわ。でも、この分隊にいることを考えると………)

 鎧衣については分からない。だが、珠瀬は言うまでもなく、特に御剣―――誰も明言こそ恐れ多くてできてはいないが、その姿を見るに将軍家とは浅からぬ縁があるのは誰の目から見ても明らか。その証拠に、本来将軍家に仕えるべき斯衛までこの基地に常駐している。

(不干渉、か………)

 誰が最初に言い出したか、もう思い出せない。あるいは、無言の了解だったか。いずれにせよ―――。

(分隊長である私からが、筋よね)

 あの中尉は言っていた。意見の不一致があるのなら、殴り合ってでも分かり合えと。
 総戦技演習前日にそれをやるのはどうかと思うし、正直結果は変わらないかも知れない。だが、もう何もせずに手を拱いているのは嫌だ。これ以上、親友に後れを取るのは嫌だ。
 そして何より―――。

(そんなつまらない理由で、終わる自分が嫌なのよ………!)

 ああいいでしょう、と榊は思う。
 見栄やプライドはあの人の言うとおり捨ててやる。誰だって失敗する。あの人だって言っていたではないか。しかしその失敗を、自分はまだ取り返せる位置にいるのだ。
 だからこそ―――。

(みんな………私は貴方達のプライベートに踏み込むわ………!覚悟しなさい………!!)

 意を決すると、榊は走る速度を上げていく―――。






「ここでこうして………ほら!出来た!」
「あ………出来ました………。橋、ですね………」

 昼過ぎ、少し手透きな時間が出来た白銀は、社と共に鑑の部屋に訪れていた。手にしているのは、PXで京塚曹長に借りたあやとりの紐である。
 ここしばらくドタバタしていて、あまり社や鑑との時間を取れなかった白銀であるが、総戦技演習目前で訓練兵達が自由時間を得るとやることはなくなる。
 A-01の方を手伝おうとも思ったが、三神に追い出された。曰く―――。

『こちらの事は気にするな。それよりも今日は霞の相手をしてやれ。少し寂しがっていた。―――ウサギは寂しいと死ぬらしい』

 と父親が息子に言い含めるように言われ、香月の所にいた社を捕獲。一応、本人と香月に許可を得てからこのシリンダールームへと足を運んだのである。
 ―――因みに、ウサギが寂しいと死ぬと言うのは迷信である。
 閑話休題。

「どうだ霞~?あやとりも結構面白いだろ?」
「はい………いろんな形が出来ます………」

 完成した橋を掲げ、見入る社に白銀は微笑んだ。
 ―――主観時間で約二年。
 例え世界が違い、彼女達が別人であったとしても、それが彼が彼女に接した時間だ。その決して短いとは言えない時間を、彼女と共に過ごした。端からは、似ていない兄妹のように見えただろうか。

(だったら、純夏は姉ちゃんか?)

 苦笑する。どちらかと言えば、こちらの世界では社に世話されていた。だとしたら随分と頼りないお姉ちゃんだ。

「お姉ちゃん………」

 社が呟く。どうやら白銀から読みとったようだ。

「ああ、お姉ちゃん。―――もう少し待ってろよ?あいつなら、間違いなく霞のこと気に入るからさ。そしたら甘えてみろよ。きっと色々世話焼いてくれるはずさ」
「はい………お姉ちゃん………」

 心なしか嬉しそうにその言葉を繰り返す社に、白銀はその頭を撫でる事で応えた。
 ―――社霞に、家族はいない。
 彼女の生まれは、人の営みからかけ離れていた。そして生まれ持って『開発』された能力も。それを否定することは―――白銀には出来なかった。
 世界の斜陽が見える世界では、倫理など何の役にも立たない。まして社を産んだ国は、自国にハイヴを複数抱えているのだ。それこそ倫理は二の次になるだろう。そして彼女の生まれ自体を否定することは―――社霞を否定することだ。
 だから白銀は否定しない。
 彼女はここにいていいのだと、いて欲しいのだと心より願う。
 自らの生まれに恐怖し、自らの能力を嫌い、それでもそれに依存し続け、やがて人を恐れた臆病な子ウサギ。
 彼女には、家族が必要だ。

(本当は夕呼先生がその役目なんだろうけどなぁ………)

 形式上、香月が社の保護者となっている。彼女自身も社を気に掛けているようだが―――やはり性格か、それを決して表に出さない。魔女に愛情は必要ない――――何とも捻くれた思想だ。あるいは、それこそが魔女の良心なのかも知れない。
 いざ自分が失敗した時、社を巻き込まぬ為に。
 だとすれば、その甘さ加減は自分の比ではないと白銀は思う。そしてそれ故に彼女が直接愛情を社に注げないのなら、その役目は自分が引き受けようとも思う。

「そうだ霞。オレ、明日から二日程出掛けるんだけどさ」
「はい………総戦技演習………ですね?」
「ああ。オレが留守にしてる間、純夏の事頼んだぜ?あいつオレがいないとごねるからさ~」
「はい………」
「まぁ、折角南の島行くんだから、何か適当に土産見繕ってくるよ」
「あの、貝殻がいいです………」
「―――そっか」

 遠慮がちに意思表示した社に、白銀は思う。それは、いつかの社に渡したもの。そしておそらくは、白銀を『読んで』知ったもの。
 彼女自身も、白銀が知る社霞と自分は別人だと理解しているはずだ。しかしそれが『思い出』であるならば――――例えそれが真似事であったとしても、手に入れたいと思ったのだろう。
 だから白銀は頷く。

「純夏が人間になってさ、今よりも戦況が良くなったら――――三人で海行こうぜ」
「海………行きたいです………」
「ああ、行こうぜ。―――約束だ」

 白銀はそう言って、右手の小指を差し出す。社はそれが何であるか一瞬分からなかったようだが、白銀をリーディングすると、同じように右手の小指を差し出して、それを絡ませた。

「ゆびきり、げんまん………です」
「ああ、破ったら針千本だからな」

 二人―――いや、『三人』は約束を交わす。
 いつか果たせなかった約束を、今度こそ果たす為に。






 自室にて、明日の総戦技演習の用意をしつつ鎧衣美琴は驚きの中にいた。
 事の発端は、PXにて榊の発言だ。曰く、『少し話があるから、ご飯食べ終わったら私の部屋に来て欲しいの』とのこと。時期も時期だ。間違いなく総戦技演習に因む話だとは思っていた。
 しかし――――。

(まさか千鶴さんがあんなこというなんて、驚いたなぁ………)

 普段から割と空気読まない―――もとい、自由人な鎧衣であるが、さしもの彼女も閉口せざるを得なかった。
 207B分隊が榊の部屋に集って、部屋の主である彼女が開口一番に言った言葉が―――。

『―――不干渉主義、やめるわ』

 である。
 しかも彼女は、畳み掛けるように彼女は自分が現内閣総理大臣の娘であることを明かした。無論、皆は知っていたが不干渉主義があった為に敢えて言及をしなかったのだ。
 当然、皆は疑問に思う。
 総戦技演習が差し迫ったこの時期に、何故その様な事を話すのかと。しかし榊はだからこそ話したのだと言った。白銀が話したことを自分なりに吟味して、答えを出したのだと。

『私達には後がないわ。だから私はいつまでも無能な指揮官でいられないのよ。それに―――部下に命を預けて貰うんだもの。その命を預ける貴方達からしてみれば、見栄やプライドに凝り固まった指揮官なんか信用できないでしょ?』

 だからそんなもの捨てるわ、と榊は言い切った。
 今までの自分を否定した彼女に皆は驚いたが、それ以上に何処か吹っ切ったような清々しい表情をした彼女に驚きを覚えた。
 そして彼女は問う。皆は明かすことはないのかと。

『無理には聞かないわ。でも、差し障りの無い範囲で話してくれないかしら?―――貴方達自身の事を』

 皆は一度沈黙して――――最初に鎧衣が、次に珠瀬が、その次に御剣が―――出自こそ明言はしなかったが、国家機密が絡むと言った時点で想像は付いた―――そして最後に、彩峰が自分のことを話し始めた。
 榊はそれに対し、ただ静かに聞くだけだった。
 そして最後に、彼女は一言だけこう告げる。

『―――明日の総戦技演習、必ず合格するわよ』

 その言葉の端々に、闘志がにじみ出ていた。

(ボクはその場にいなかったけど、あの千鶴さんをあそこまで変えちゃうなんて、タケルはすごいなぁ………)

 因みに、出会った初日にプライベートではそう呼べと白銀本人から言われている。そして鎧衣は何の抵抗もなくそう呼び始めた。ある意味大物である。

「………ボクも頑張らないとね」

 意気込んだ後、ああカレー粉用意しなきゃと鎧衣は部屋をひっくり返し始めた。







 夜の九時頃になって、三神は屋上へと来ていた。
 既にヴァルキリーズへの教導を終え、今は香月の疑似生体制作の真っ最中だが、息抜きがてら外の空気とニコチン補給に来たのである。

「―――おや?」

 扉を開け、胸ポケットに入れた煙草の箱に手を伸ばし、フェンスの付近に人影を発見した。白い制服から訓練兵だと分かる。その後ろ姿から察するに―――。

「―――彩峰?」

 彩峰慧であった。フェンスの向こう側を見ていた彼女はこちらに気付くと振り返り、敬礼をする。

「ああ、敬礼はいらんよ。―――しかしこんな時間にどうした?日付が変わったら総戦技演習しに行くんだろう?寝なくて良いのか?」
「ヘリの中でも寝れる………」

 三神が敬礼はしなくてもいいと言ったことで、今がプライベートだと悟ったか、彼女は肩肘張ることなくそう言った。この場に神宮司がいれば顔を真っ青にしていただろう。如何に三神が許可しようとも、佐官と訓練兵の階級差は天と地の開きがある。こんな態度は論外だ。
 しかし三神は取り立てて気にした様子もなく、そうかと呟いて煙草を一本取り出すと口にくわえ、火を付ける。

「―――それで?何か悩みでもあるのか?」
「………別に、何も」

 否定する彩峰に、三神は苦笑する。
 その様子をどこか拗ねた子供のように感じたからだ。

(こいつがここまで悩んだりすると言うことは―――榊絡みか?沙霧の手紙はまだ読んでないだろうしな)

 大方、総戦技演習を前にしてどうすればいいのか考えていたのだろう。前回の総戦技演習失敗の裏には、間違いなく彼女自身が噛んでいるのだから。

(全く、こう言うのは武の役目だろうに。―――何処に行ったんだあの恋愛原子核は)

 やれやれと嘆息して、三神は紫煙を吐き出す。お節介かもしれないが、それが自分の存在意義なのだから出しゃばるしかないな、と思いながら。

「榊と何かあったのか?」
「っ!?―――何でそれを」

 悩みを一発で見抜かれて、彩峰は目を見開く。しかし道化はにやりと笑う。

「私は武の直接の上官と前に言っただろう?特にお前等の不仲はよく聞くよ。―――正直馬鹿らしいとは思うがね」
「………」

 佐官にまで話が言っていて、しかも白銀と同じような批判を受けて、彼女は閉口する。
 そんな彼女を苦笑して見やりながら、三神は問いかけた。

「彩峰。―――仲間が信じられないか?」
「そんな、ことは………」
「別に信じなくても良いぞ」
「―――え?」

 この間の白銀の話を真っ向から否定する物言いに、彩峰は面を喰らった。どうして、と視線で問いかける彼女に、三神は口を開く。

「信じなくても良い。人間、別に一人でも生きようと思えば生きられる」
「でも、白銀は―――」
「言っただろう?『生きられる』と。それは―――衛士となって戦えるとはまた別問題だ」
「っ―――!」

 つまり、それは民間人としての尺度だ。

「衛士は一人では戦えない。多くの仲間や同志が必要不可欠だ。しかし、一般人ならば人一人分の食い扶持さえ何とか出来れば生きていける」

 銃後にいるだけならば、仲間を信じなくてもいい。無論、ネットワークなどのツテは多い方が生き抜きやすいだろうが、別に無くても生きていける。ツテにしても、損得勘定の信用はあっても信頼は必要ない。
 であるならば―――そもそも仲間など不必要だ。
 しかし彩峰は衛士を目指している。それでなくとも軍人ならば白銀や三神の言うように、仲間や同志は多く必要だ。

「仲間が信じられないなら、衛士になんかならなくていい。―――似たような事を、武にそう言われなかったか?」
「………言われた」
「実戦経験のある人間から言わせて貰えば、それは正しいよ。―――戦場では、仲間を信じられない奴から死んでいく」

 百を超えるループ。そして百年を超える経験から、三神は疑心暗鬼に陥って死んでいった兵士達を腐る程見てきた。
 それは国同士の軋轢から、軍の上下関係、隊内の不和など多岐に渡る。
 その上で、敢えて三神は彩峰に尋ねる。

「お前はどうする彩峰。仲間を信じずに死ぬか―――仲間を信じて生き残るか」
「………」

 問い掛けに、無言。黙りを決め込んでいるのではなく、おそらくは207B分隊の面々を思い出しているのだろう。
 無論、彼女とて馬鹿ではない。
 207B分隊の面々が信じるに足る存在なのは分かっている。しかしいざとなった時、仲間を信じずに独自判断してしまうのではないかと、あるいは『自分自身』を信じ切れずにいたのだ。
 そんな彼女を見越してか、大きく紫煙を吐き出した三神はこう告げる。

「人は国の為に成すべきことを成すべきである。そして国は人の為に成すべきことを成すべきである」
「―――っ!?」

 それは彩峰萩閣―――彩峰の父が残した言葉。
 今も彼女の胸に残る、今は亡き父との唯一の絆。

「日本人で軍人やってれば、彩峰中将を知らない人間はいないだろう。彼が成したこと、そして彼の行いが招いた悲劇もな」

 光州事件。そして光州の悲劇―――。
 三神の言うとおり、日本人―――いや、極東方面で軍人をやっている人間で、これを知らない者はいないだろう。

「私は彼との面識はない。だからその生き様を口伝にしか知らないが―――彼は国として人の為に成すべきことをし、人として国の為に成すべきことをしたのだと思う」

 では、と三神は前置きをする。

「その娘であるお前は何を成す?あるいは何を成すべきだと思う?」
「………」

 問い掛けに、やはり無言を以て彩峰は返す。おそらくそうなるであろう事を予測していた三神は、それ以上は追求しなかった。

「今は無理に分からなくてもいい。だがいつか答えを出さなければならない瞬間は必ず来る。―――そしてその時は、きっと仲間の生死に直結する時だ」

 ―――その時までに覚悟しておけ。

「歳食うと説教臭くなっていかんな。―――私はもう戻る。物思いに耽るのもいいが、風邪は引かんようにな」

 それだけ言い残すと、三神は携帯灰皿を取り出して吸い殻をそこに放り込み、身を翻して施設へと戻っていった。




「父さん………私は―――」

 その場に取り残された彩峰の問いは、最後まで紡がれることなく、秋風によって掻き消された。








 一方その頃の白銀は。

「白銀さん………それ、ロンです………」
「んがっ………!?」
「どれどれ社、手を見せてみなさいよ」
「って大四喜っ!?ダブル役満じゃないっ!?」

 社、香月、神宮司を交えて行なわれた恐怖のリーディング麻雀でカモられていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十六章   ~雛達の戦場~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
 10月28日


 総合戦闘技術評価演習。略して総戦技演習。
 今回、207B分隊がこれに挑むに当たって、白銀は少しばかり内容を変えた。
 まず、演習場となる島には一部を除いてトラップの類を無くした。207B分隊の面々にはこれを伝えている。尤も、ある地点に設置した一部のトラップについては伏せたが。次に、本来3カ所あった目標を2カ所に減らし、そこの破壊による後方攪乱では無くチェックポイントとして、演習完遂に有用なものが置いてあると言い含めておいた。減らした目標は、ここから一番近い目標地点だ。他の自動砲台が生きていたり、初期の目標地点に到達すると最終目的地が指示されるのは通常の総戦技演習と変わりない。
 全体的に難易度が下がったように思われるが―――時間制限は48時間。鎧衣美琴が復帰して僅か二日でこの時間制限は、正直白銀でもきついものがあると思う。
 目標の減少、そしてトラップがないことによって進撃速度は確かに上がるだろうが、ここは南の島だ。いつスコールが降って足を止めなければならなくなるか分からないし、この湿度と気温は確実に体力を奪っていく。
 そこに加えて、本来この場で最も活躍すべき鎧衣美琴は病み上がり。
 難易度としては―――むしろ上がったように思える。

(―――大丈夫かしら、あの子達)

 時刻を合わせ、作戦を練る為に一カ所に集った207B分隊を遠巻きに見ながら、神宮司はそんなことを思った。
 彼女達に取ってはおそらく今回で人生最後の総戦技演習になるだろう。
 受かれば、次に待っているのは戦術機教習課程。
 落ちれば、次に待っているのは除隊処分。
 彼女達の『特別』を鑑みるに、他の部署に回されることはない。唯一鎧衣だけは可能性はあるが、他の四人に関しては彼女達の周囲が黙っていないだろう。
 であるからこそ―――これが最後のチャンス。これをものに出来るか出来ないかによって、今後の展望が大きく変わる。

(運動能力や技術的には問題ないわ。問題なのは―――チームワーク)

 衛士は一人で戦えない。かつて白銀がそう言ったように、戦場で仲間との連携は必要不可欠だ。特に戦術機に乗るならば、二機連携は部隊最小単位。
 互いの背中をカバーする仲間は絶対に必要だ。

(―――私が、言えたものじゃないんだけどね)

 かつて犯した過ち。それに贖う為にただ一人単騎突撃を繰り返した過去の自分。そんな自分がチームワークを説くのだから、おかしな話だ。

「大丈夫ですよ、まりもちゃん」
「白銀中尉………」

 心配そうに207B分隊を見つめる神宮司の背後から声がした。振り向くと、白銀がいた。

「あいつ等だってちゃんと成長してます。いつまでも燻ってる連中じゃないんですよ。―――ほら」

 苦笑しながら白銀が指差した向こう。見てみると、作戦会議を終えたのか、密林に身を投じる207B分隊の後ろ姿があった。
 数は2人が一組、3人が一組だ。
 そこまでは問題ない。何しろ通過すべきチェックポイントの位置が離れているのだ。固まって行くよりも一度別れて後で合流した方が時間の短縮になる。
 問題なのは―――その内訳。

「え―――?」

 神宮司は目を見張る。今まであったら、決して見られなかったであろうその組み合わせに―――。






 その数分前。
 207B分隊の面々は額を寄せ合って手渡された地図をのぞき込んでいた。

「チェックポイントは2カ所。―――随分離れているな」
「そうね。ここはセオリー通り一度別れて、合流してから回収地点に向かった方がよさそうだわ」

 御剣の分析に、榊は頷く。

「でも、割り振りはどうするんですか?一人余りが出ちゃいますよ?」

 珠瀬の問いに、榊はそうね、と手を口元へやる。そしてしばし熟考した後、鎧衣の方へ向いた。

「鎧衣。―――率直に聞くわ。貴方、身体の方は大丈夫なの?」
「うーん………正直―――厳しいかな。この環境じゃなければまだ大丈夫だったかも知れないけど。………足手まといで、ごめんね」

 伏し目がちに謝罪する鎧衣に、皆は首を横に振った。

「仕方ないわ。貴方まだ病み上がりなんだし」
「そうだぞ鎧衣。それに支え合うからこそ、我々はチームなのだ。謝る必要はない」
「無いね………」
「はわわわわ………そんなこと言ったら、体力がない壬姫が一番足手まといじゃないですか!」

 口々に言う四人に、鎧衣はくすぐったそうに苦笑した。そして、榊が言う。

「こうなるだろうと思って、一応考えてあるわ。まず、隊を二つに分けるとして、3人組の方に鎧衣を入れる。そして―――この場合なら、ここから比較的近いAポイントに向かうべきでしょうね。そして残りが遠い方のBポイントへと向かう」

 地図を指差しながら言う彼女に、他の面々はそれぞれに頷いた。セオリー通りだが、だからこそ手堅い。

「時間がないからなるべく急いで頂戴。中尉もトラップはないって言ってたから、多分急ぎ足でも大丈夫なはずよ。ただ、それ自体がミスリードの場合があるから、そこだけは気を付けて」

 まぁ、言ってどうにかなる問題じゃないけどね、と榊は自嘲して続ける。

「昼過ぎにはチェックポイントを通過して、日が落ちる前にはこの川付近で合流。スコールがいつ降って増水するか分からないから、渡河できるようなら、その内に渡るわ。その時に雨が降っていたら、そこで野宿して明日に備える」
「それで、翌日に回収ポイント?」
「そうよ。―――何か問題ある?彩峰」
「ぶんぶん」

 擬音だけを口にして否定する彩峰に、突っかかりもせず榊はそうと頷いた。時間がない為にスルーしたのか、それとも彼女の態度を吹っ切ったのかは傍目には分からない。

「それで、隊の振り分けはどうするのだ?」

 御剣は副隊長である為に、自分と榊が別のチームになることは分かっている。そして、『今までの榊』ならば必ず『彼女』は御剣と同じチームになる。
 それが分かっていて敢えて聞いたのは、昨日の榊があった為だ。
 今までのような、肩肘張った姿勢はそこに無かった。何が彼女をそうさせたのかは分からないが、何処か吹っ切ったような表情で、隊員達を受け入れていた。
 だからこそ、敢えて御剣は聞いた。個々の能力だけを判断するならば、おそらくはそれが最高の組み合わせなのだから。

「A地点に向かうのは、御剣を隊長として珠瀬と鎧衣よ」
『―――!?』

 息を呑む他の面子に、やはりかと御剣は思う。能力面だけで見れば、それこそが一番バランスの取れている。特に鎧衣の体調も考えればそれしか選択肢はない。

「で、でも―――」
「珠瀬。―――いいの」

 不安げに榊と彩峰を見つめる珠瀬に、しかし榊は何処か優しげに言ってみせる。そして、彩峰の方を向いた。

「いいわよね?―――彩峰」
「ついてこれる?」
「当然よ」
「―――私、速いよ?」
「知ってるわ。―――あんまりもたもたしてると、私が追い抜くわよ?」

 軽口を叩き合って、二人は不敵に笑う。了解の合図だった。
 そして榊は皆を見回す。

「―――時間は限られているわ。問題はないみたいだから、行きましょうか」

 そして、雛鳥達の戦いが始まる―――。






 珠瀬は先を行く御剣と鎧衣を追いながら、先程のことを考える。

(………大丈夫、だよね)

 言うまでもなく、榊と彩峰の事である。あの二人の不仲は出会った頃から続いていて、その上根が深い。性格が両極端なのも挙げられるが、双方共に負けず嫌いなのだから、一度衝突すると収拾がつかなくなるのだ。
 だから、正直不安になる。

「―――うん。やっぱりトラップの類は無いみたいだね。冥夜さん、行進速度をもう少し上げても良いと思うよ」
「そうか。―――無理そうだったら早めに言うのだぞ、鎧衣」
「ありがとう冥夜さん。―――ごめんね?」
「何、気にすることはない。なぁ、珠瀬?………………珠瀬?」
「―――ひゃ、ひゃいっ!?」

 唐突に御剣に声を掛けられ、思索に耽っていた珠瀬は身を縮こまらせて飛び上がった。

「そなた、どうしたのだ?何かあったのか?」
「う、ううん。そうじゃなくて………」

 心配そうにこちらをのぞき込んでくる御剣に、珠瀬はしどろもどろになって、そして言う。

「榊さん達………大丈夫かなって」
『………』

 両手の人差し指を突いて告げる珠瀬に、御剣と鎧衣の二人は黙り込む。どうやら、二人も心の何処かで同じ事を思っていたらしい。
 まさかこの大事な時期に発案者自らぶち壊すことをするとは思えないが―――それでもあの二人の不仲は深刻なのだ。しかも前回の総戦技演習はそれで落ちたとも言える。
 今回に限って大丈夫、とは流石に言えない。

「正直、私も不安だが―――それでも榊自身が言い出したことだ。昨日の事もある。私達はそれを信じるしかあるまい」
「そ、そうだよ壬姫さん。あの二人だって今がどれだけ大事な時期か分かってる………は………ず………だよ?」
「鎧衣。そこは言い切れ」

 御剣の突っ込みに、鎧衣は苦笑。その二人の様子を見て、珠瀬は少しだけ表情を和らげた。

「そうですよね。壬姫達が信じないと、駄目ですよね」

 そうだよね?たけるさん―――。

 最後の言葉だけは胸中で呟いて、珠瀬は樹木に狭まられた空を見上げた。







 一方その頃の榊と彩峰は。

「彩峰っ!速すぎる!トラップがあるかも知れないのよっ!?」
「白銀が無いって言ってた。大丈夫」
「だからそれはミスリードかもしれないって………ああもう待ちなさいってばっ!!」
「やだ。待たない」
「彩峰ーっ!!」

 やはり仲違いしながら鬼ごっこ宜しく密林を疾走していた。






「まったく、あの二人は………」

 その様子を支給したベルトキットに入れておいた盗聴器で聞いていた白銀は、呆れ半分で聞いていた。盗聴器は発信器も兼ねているので、現在地も分かる。そこから察するに、随分な勢いで走っているようだった。

(まぁ、結果的にトラップは無いからいいけどさ。理由ぐらい話してやれよ、彩峰………)

 最初の頃は普通に歩いているような速度だったことから、おそらくは彼女自身もミスリードを警戒していたのだろう。そして本当にトラップが無いことを確認してから一気に速度を上げた。このまま行けば、昼前後には目標地点に到達できるだろう。
 御剣達の班もペースが上がっている。こちらは行軍速度はそれほどでもないが、元々目標との距離が近い。同じように昼前後には到達できるだろう。
 そして完全に日が暮れる前に合流、翌日に回収ポイントへ向かう。

(委員長達にとっては、そこからが本当の勝負だな………)

 白銀の予想では、明日の昼過ぎには到達できる。確かに演習場であるこの島は足場が悪く、赤道付近の為温度や湿度が高い。しかし密林対策をしていることが前提であるものの、毎日走って鍛えていた彼女達の体力を以てすれば、実のところ大したことはない。
 彼が経験した総戦技演習で5日という時間を使ったのは、何処にあるか分からないトラップを警戒もしくは解除したり、追跡者を想定していたり、その日の分の食料を調達していた為だ。
 トラップもなく、追跡者もいない。そして食料も48時間という制限を考えれば必要最低限で事足りる。
 であるならば、彼女達が今日一日で初期目標の半分をこなすのは目に見えていたのだ。
 だからこそ―――本当の勝負は明日。回収地点に着いてからだ。

(本当に頑張れよ、お前等―――さて、土産の貝殻でも拾いに行くか)

 そう心の中で応援を送り、白銀は浜辺に向かって歩き出した。







 それからしばらく時は過ぎ、時刻は正午。
 榊、彩峰組はチェックポイントであるBポイントの施設へと到達していた。鬱蒼と生い茂る密林の中にあって拓けた場所に立てられたそこは、手入れもなく雨風に晒されていた為か、施設と言うよりはまさしく廃屋のそれだった。
 主となる施設と、周囲に幾つかトタンで出来た倉庫がある。それらに視線を巡らした榊は言う。

「一応これで第一目標を達成したけど、中尉が有用なものが置いてあるって言ってたわね。取り敢えず探してみましょうか」
「了解。何処から?」
「彩峰は中。私は外の倉庫を探ってみるわ」
「ん」

 二人は短く言葉を交わすと、それぞれ行動に出た。
 彩峰は廃屋の入り口に歩み寄ると、その横に背を押しつけて、中の様子を窺う。事ここに及んでまさかトラップの類は無いだろうが、警戒しておくに越したことはない。
 つんと据えた油臭に埃の匂い。それに眉根を寄せながら、周囲を探る。動体感知式のトラップ等はやはり無いようだ。
 それを確認してから、彩峰は猫を思わせるしなやかさで廃屋の中へと進んでいく。元は倉庫か何かだったのだろうが、晩年は廃材置場にでもされていたのか、そこら中にガラクタの山が転がっていた。使えそうな物など、パッと見では分からない。

(………何もなさそう………)

 そうは思うが、白銀があると言った以上なにかあるはずだ、と言い聞かせて彩峰はガラクタの山をひっくり返した。しかし探せど探せど鉄くずしか出てこず、唯一新品同然の道具と言えば、ポリタンクなどで使う大きめのスポイトだった。しかしどう考えても実用的ではない。
 嘆息して周囲に視線を巡らす。
 廃屋の隅に、高機動車があった。使えるかと思って近寄ってみるが、開け放たれたエンジンフードの中に肝心のエンジンが無い。これでは動かすことは出来ないだろう。おまけにタイヤもパンクしていた。やはり無理だ。
 運転席の方に視線をやると、ガスメーターが半分以上あった。まだ燃料はあるようだ。

(………これ、使うのかな?)

 状況的に見て、先程手に入れたスポイトを使えば燃料を取り出せる。しかし取り出した燃料で何をしろというのだ。

(………ちょっと休憩)

 吐息して、彩峰は高機動車に寄り掛かる。ここに来るまでほぼノンストップだったのだ。如何に普段から体を鍛えているからと言っても、生い茂る木々にどうしても足を取られるし、この気温と湿度は無意識の内に体力を奪っていく。
 ベルトキットから水筒を取り出し、水を口に含む。この先もまだ長いのだ。飲める水に出くわせるとも思えないし、ここは湿らせるだけで我慢だ。
 だから喉ではなく口を潤し、人心地つくと彩峰の思考は今の状況へと向かう。

(榊、か………)

 思うのは当然、外の倉庫を調べているであろう分隊長の事だ。
 自分と彼女は両極端だと彩峰は理解している。
 規律を重んじる榊と、柔軟を重んじる彩峰。
 あからさまに両極端だが、その根っこの部分で共通認識があることも、彩峰自身、実は理解している。
 ―――負けず嫌いなのだ。よりにもよって、二人とも。
 だから反目するし、意見が違えばいがみ合う。そこに妥協は存在し得ないし、根っこの負けず嫌いが意見の撤回を拒絶する。
 どこまで行っても平行線。多分、一生変わることはないだろうと―――昨日までは思っていた。

(でも、榊は踏み込んできた………)

 昨日の夜のことだ。『あの』お堅い榊が自分達が抱える事情に踏み込んできた。自らの事情を明かすことを手土産として。何処かバラバラだった207B分隊を一つに纏める為に、彼女は皆を知っていこうと動き出した。そしてその中に、当然彩峰もいた。
 ―――躊躇った。
 自分の父のことを話すのを。
 だが、この場を於いて今後話す機会など無くなってしまうかも知れないとも思った。
 彩峰は一匹狼の気質である。今までならば例えそうした場であっても、そんなことを思うことすらなかったはずだ。しかしながら、彼女自身が気付いていないだけなのかも知れないが、白銀が着任時に掛けた言葉は無意識に彼女を変えていたのだ。

 ―――意見の不一致があるのなら、殴り合いしてでも分かり合え。

 榊にもこの言葉が心に刺さっている。だからこそ、昨日動いたのだ。殴り合ってでも分かり合う為に。
 奇しくも、彩峰にも同じ言葉が心に刺さっていた。それ故に、自分のことを話すのを躊躇い、今後話す機会が無くなることを何処かで恐れた。
 そして彩峰は語った。自分の父が成したこと。自分はそれを見損ない、しかし彼が遺した言葉を胸に生きていること。―――だからこそ、撤退が嫌なのだと。
 それを聞き、皆は驚いていたが、榊は瞑目したままだった。そしてそれ以上の追求はしてこなかった。

(―――少し、懐が深くなった………)

 元々、あの生真面目過ぎる性格と融通の利かなさを除外すれば、彼女は軍人としても人間としても優秀な人材なのだ。
 何の理由があってああなったかは知らないが、険の取れた今の彼女にこれまでのような反感は持たなかった。簡潔に言えば、取っつきやすくなった。
 尤も、弄くりやすい性格はそのままのようなので、これからもからかっていくつもりではいるのだが。

(御剣も、何処か変わり始めてる。珠瀬や鎧衣はまだだけど………きっと変わる)

 何に、そしてどう変わるのかは彩峰には分からない。それを成長と呼べるのかさえ彼女には分からない。しかし、確信を持って言える。彼女達は変わっていくのだと。そして皆が変わっていく中で、自分だけが意固地になって今のままでいるのは―――正直、嫌だった。
 子供のような理由だが―――自分だけ置いて行かれるのは、酷く切なくなる。
 ならば、どうすればいいのか。

(私自身も、変わること………)

 答え自体は既に出ている。問題なのは、その方向性。彼女にはそれが分からなかった。

「―――どうすればいいのかな、父さん………」

 呟きに、誰も答えなかった。







 やがて榊と彩峰は合流した。そしてしばらく周囲を散策して出てきたものは。

「ラペリングロープ一本とスポイト一つと十年以上前の乾パンが三つか………正直、ロープぐらいしか使えないわね」

 地面に並べて、榊は一つでも使えそうな物が出てきただけマシかと呟く。

「乾パンは?」
「食べられないこともないけど、保存条件が悪すぎるわ。―――演習中に食中毒にでもなりたい?」
「ぶんぶん」
「私もなりたくないから却下ね」

 乾パンは実際の賞味期限は五年程度だが、保存条件次第では十年以上保つ。ただ、乾パンから出る油脂の酸化によって食中毒になる可能性があるので、一概に食べられるとは言えない。ましてこんな熱帯に十年も置きっぱなしであったのだ。中の状態は推して知るべしだろう。

「他に何か役に立ちそうなものはあった?」
「中に高機動車があった。エンジンが抜かれていたけど、燃料は残ってる」
「燃料、か………」

 言って、榊は空を見上げた。青々とした空が広がっているが、ここは南の島。いつ何時スコールが降るとも限らない。
 そしてもしも降った場合、湿気で火を付けるのに苦労しそうだ。
 この熱帯であっても、やはり火は必要だ。食料自体が自分で調達しなければならないし、タンパク質を摂るにはネズミや蛇を捕まえるしかなく、その調理にはやはり火がいる。
 無論それだけではなく、スコールで身体が濡れてしまえばこの熱帯でも風邪を引くだろうし、野生動物を退けるのにも一役買う。
 湿気によって火が付けられないのは、正直困る。ここはやはり持っていくのが最良だろうと榊は判断した。

「丁度スポイトもあるし、持っていきましょうか」
「入れ物は?」
「乾パンの缶で十分よ。プラスチックの蓋もあるし」

 言って榊は蓋を開け、缶のプルを引っ張って開封する。そして中から出てきたのは。

「―――食べたいと思う?」
「ぶんぶん」

 その真っ黒になっている乾パンを見つめ、彩峰は再び拒否の擬音を口にした。






 その後は割と順調に進んだ。
 夕方頃には榊、彩峰組は合流地点である川付近に到着し、食糧の確保をしている最中に御剣、珠瀬、鎧衣組が合流してきた。
 彼女達が手に入れたのは対物ライフル一丁と弾丸一発、それから防寒シート一枚。いずれも使いではありそうだった。
 その時に若干雲が出てきていたので、榊は先に渡河することを提案し、皆がこれに賛同。ラペリングロープを使い、全員が渡河したところで案の定雨が降り出した。急いで木々を傘にし、防寒シートで雨を凌ぐことにした。
 夜警を順番に立て、207B分隊はそこで夜を明かす。
 そして夜が明けて、彼女達は一路回収地点へと向かって行軍を始めた。前日と違い、五人での行軍である為にやはりどうしても速度が落ちる。しかしそれでもどうにか207B分隊は目標地点周辺にまで歩を進めていた。
 総戦技演習二日目―――正午前のことである。






「いやー、思ったよりも簡単に終わりそうだねっ!」

 おそらく、体力面で自分が一番お荷物になるであろう事を予測、そして演習中に再確認したであろう鎧衣が持ち前の明るさでそう言った。

「そうですねー。ライフルも要らなかったかもです」

 それに珠瀬が続き、御剣が苦笑する。

「そなた達。余裕なのは良いがまだ気は抜くなよ?もう少しで回収地点に辿り着くとは言え、まだ演習中なのだからな」
「そうよ鎧衣、珠瀬。最後まで油断は禁物よ?」
「流石委員長。―――言うことが模範的」

 榊が戒めるように言い含め、ぼそりと彩峰が爆弾を投下した。

「………。彩峰?何か言ったかしら?」
「え?」
「あ・や・み・ね~………?」

 すっとぼける彩峰。黒いオーラを放ちながら威嚇する榊。207B分隊は総戦技演習中でも平和だ、と何処か年寄り臭いことを思いつつ、御剣は微笑む。二人のやりとりはいつもと同じようなものではあるが、それはいがみ合いではなく、どことなくじゃれ合いに近いレベルだった。
 だから御剣はそれを放置し、そして思う。

(これもあの者のお陰か………)

 思うのは、白銀のことだ。
 彼が来てからというもの、207B分隊の雰囲気は随分明るいものになった。訓練中こそ軍人然として動く彼ではあるが、いざプライベートとなると逆に何処か子供っぽささえ感じることがある。
 改めて不思議な男だ、と御剣は思う。
 そしてそれを好意的に見ている自分がいる。いや、自分だけではないだろう。207B分隊全員が彼を大なり小なり好意的に見ているはずだ。
 中尉という階級を笠に着て威張るようなことは決してせず、持ち前の明るさでぎくしゃくしていた207B分隊にするりと入り込んできた少年。
 自分達の特別な背景を知っていて尚、あのように振る舞う度胸―――と言うか気さくさ。
 そして何よりも―――。

(―――見守ってくれるのだ、タケルは)

 無論、それは彼だけではない。教官である神宮も、護衛である月詠にも言えることなのだが―――しかし彼の場合、それとは何処か違う感じがするのだ。
 言うならば郷愁。
 自分達を見守る彼の目は、何処か懐かしさを得ているように見えた。

(なんであろうな、あの者の優しさは………)

 それが生来のものである事は理解できる。だがそれ以上の感情があることもまた事実だ。
 それが何であるかは―――今の御剣には分からなかった。

「あーっ!見えましたよ!!あそこですよねっ!?」

 御剣が考えに耽りながら歩を進めていると、珠瀬が木々の隙間から回収地点と思わしき場所を見つけた。皆がそちらを見ると、確かに少し拓けた場所があった。

「時間は十分にあるけど―――急ぎましょうか!」
『了解!』

 榊の音頭に皆が頷いて走り出す。
 そして―――207B分隊は、目標である回収地点へと辿り着いた。

「あ!発煙筒が置いてありますよ!」
「アレを焚いて救援信号を出せってことかしらね」
「多分そうであろうな」
「誰がやる?」
「あ、ボク!ボクにやらせてよ!今まであんまり役に立ってないからね~。最後ぐらいみんなの役に立ちたいんだ」
「分かったわよ。じゃぁ、鎧衣は発煙筒をお願い。―――私達は念のために周囲の警戒をするわ!」

 榊の命令に、各自が動き出す。と言っても、本当に周囲を見回す程度だ。しゅぼ、と発煙筒の着火音がしたのを御剣は背中越しに聞いた。

(少々呆気なくは感じるが………私達が成長したと見ていいのだろうな)

 きっと、白銀が来る前の自分達では、ここに来るまででも相当な苦労をしただろうとも考える。だが、今は違うのだ。

(まだ不安材料は残っているものの、榊と彩峰の不仲も改善されつつある。―――うん、良い方向に進んでいる)

 それを心強く思っていると、空からヘリの音が聞こえた。あの迎えのヘリに乗れば、この総戦技演習は終了だ。そこに至って訓練兵としてはやっと半人前。そして遂に念願の戦術機教習課程に入れる。
 まだ先は長いが、これで一安心と言ったところだろう。
 御剣は我知らず微笑みを浮かべ―――。


 ぞくり、と背筋に悪寒を覚えた。


(何だ―――?)

 それに気付いたまだ自分だけのようで、皆は空から来るヘリに夢中だった。
 御剣は素早く周囲に視線を巡らす。何もない。襲撃者や自分達に害を成すようなものなど認められない。だが、悪寒は消えない。むしろ強くなっていく。動けと。ここから今すぐにでも逃げ出せと本能が警鐘を叩き鳴らす。

(一体何だ………?)

 気のせいだと振り払うには余りにも不快すぎる。そして経験上、こういう時の勘は良く当たる。
 だから御剣は警戒を解かない。何度も周囲に視線を巡らし、悪寒の原因を探る。
 そして―――彼女は『それ』を見つけた。
 驚愕するよりも速く―――。

「逃げろぉぉおおぉっ!」

 御剣が叫び、皆が反応するよりも速く―――自動砲台の砲撃が開始された。






 雛鳥たちの戦場はまだ終わらない。
 そして―――今こそ彼女達の本当の試練が始まる。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十七章   ~信頼の定義~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:14
『―――以上の理由により、回収地点を変更する。制限時間は5時間だ。急げよ』
「………了解」

 通信装置からの神宮司の声に、榊は渋い顔をしながら頷いた。
 御剣の叫びと共に開始された砲撃をどうにかかいくぐり、何とか射角外に抜けたところで、通信機が鳴った。出てみると、『どういう訳か自動砲台が生きており、その回収地点では回収できない為に新たな回収ポイントを指示する』とのこと。言われた場所を地図で確認してみると、砲台がある場所より後方だった。つまり、砲台の射角に入らないように一度後退し、砲撃されないように大回りしながら向かわなければならないのだ。
 更にここに来て、制限時間まで設けられた。

(―――間違いなく、『想定内』ね)

 『どういう訳か』では無い。『予め』なのだ。初期目標の回収地点に着き、浮き足だった所で状況をひっくり返して精神的に打ちのめす。そして、新たな回収地点を提示すると同時に制限時間という枠を設けて焦燥感を煽る。つまり早い話が―――。

「ここからが本番、と言う訳か」
「そうでしょうね」

 御剣の呟きに、榊は頷いた。
 考えてみれば、確かにそうだ。ここに来るまでが甘すぎたのだ。トラップも追跡者もない。二日という制限時間があったにせよ、207B分隊の体力を鑑みれば猶予がありすぎた。
 それを踏まえるならば―――今まではただのウォーミングアップ。
 本当の試練はここからなのだ。

「新しい回収ポイントまでの制限時間は五時間。砲台の事を考えると大回りするのがセオリーね」
「だが距離を考えるとかなりギリギリではないか?」
「そうね。それに―――」

 榊は御剣の問いに頷いて―――珠瀬の方を見た。ブーツを脱ぎ捨て、右の素足を晒していた。足首は若干赤くなっており、これから時間が経つに連れ酷くなっていくのは目に見えている。
 先の砲撃の瞬間、何とか直撃こそ避けたものの珠瀬は回避運動の際に足を挫いた。なんとか皆で珠瀬を引きずるようにして一旦森の中へ移動し、現在は鎧衣による手当の真っ最中。更にその時運悪く彼女のベルトキットがちぎれ、崖下へと転落。今彩峰がいないのは、それを彼女が回収しに行っているからだ。

「はぅぅ………ごめんなさい………」
「気にしなくて良いわ。あの場合、誰が怪我してもおかしくなかった。―――下手すれば死人だって出てたかもしれない」
「そうだよ壬姫さん。―――と、これでいいかな」

 手早く治療をした鎧衣が最後に包帯を巻いて、おしまいと言った。

「鎧衣。珠瀬の具合はどうなのだ?」
「捻挫だと思う。でも、無理に動かすのは駄目だね。これからもっと腫れてくるだろうし、念のために一度ちゃんとした検査を受けた方が良いよ」

 ヒビが入ってる可能性だってあるからね、と鎧衣はそう診断した。

「となると、背負っていくしかないか」
「鎧衣は体力のこともあるし、私と貴方、それから彩峰で交替で背負いましょう。幸い、珠瀬は軽いしそれほど遅くはならないと思うわ」
「そうだな。では彩峰が戻ってきたら直ぐにでも―――」
「呼んだ?」

 御剣が頷いて言いかけたところでひょっこりと彩峰が戻ってきた。手にはベルト部分がちぎれたキット。どうやら無事に回収できたようだ。

「回収してきた。―――それから報告」

 何?と首を傾げる皆に、彩峰は崖下の方を指差して。

「近くにボートがあった。燃料タンクは空っぽだったけど、使えそう」

 それを聞いて、皆が顔を見合わせた。その反応に首を傾げる彩峰に、御剣は通信であったことを教えた。

「ボートを使えれば、かなり時間短縮できるね!」
「ええ、燃料もあるし。ただ―――」
「自動砲台、ですね」

 明るく言う鎧衣に榊は頷き、珠瀬が続ける。
 彩峰が言った崖下は完全に射角外ではあるが、そこから出れば砲台の射程内に入るかも知れない。そしてろくに身動きが出来ないボートの上では狙い撃ちにされて終わるだろう。ボートを使うには、まず砲台を黙らせるしかない。しかし砲台を黙らせるには―――。

「手段はこの対物ライフルか………」

 榊は纏めてあった荷物に目をやった。昨日Aポイントで拾ったものだ。弾丸は一発。207B分隊の能力を考慮すれば扱うのは珠瀬が適任だ。足こそ怪我しているが、狙撃だけならば問題にはなるまい。問題なのは―――おそらくいかに対物ライフルと言えど一発では砲台を破壊しきれないという点だ。
 砲撃をどうにかする方法がないのならば、ボートを使う案は安全上却下せざるを得ない。
 やはりセオリー通りに行くのが上策か、と榊が決断しようとすると、珠瀬が遠慮がちに声を掛けた。

「あの………自動砲台ですけど、多分、近くにレドームがあると思うんです」
「レーダードームが?―――ああ、そうか自動砲台だから、センサーアンテナが必要よね」
「はい。だから、それを探し出して破壊できればボートが使えるんじゃないかって思うんですけど………」

 その提案について榊は考える。
 確かに、その案で行けばレドームを黙らせる事ができ、ひいてはボートが使えるようになる。そして結果的に時間を短縮できる。おそらく、珠瀬を背負って残りを移動するにしても、それなりに時間的猶予が生まれるはずだ。
 対して、セオリー通りに大回りに進むルートを取ると、時間的にはギリギリ。そして今回のような『訓練兵にとってのイレギュラー』が発生すれば間に合わなくなる可能性が大幅に跳ね上がる。
 それらを踏まえれば、前者の方が良い案ではあるが―――問題が二つ。
 前者の作戦は、あくまでレドームを発見できたらの話。それを探すのに時間を必要以上に掛けてしまっては本末転倒だ。更に―――考えたくないことではあるが、レドームが一つだけという保証も無い。
 いや今が演習中、そして対物ライフルの弾が一発だけであることを考えれば―――おそらくレドームは一つだけ。しかしそれがミスリードの可能性だってある。

(疑心暗鬼になって足踏みしても仕方ないか………)

 いつの間にか、皆が自分を見ていた。彼女達も迷っているのだろう。どちらの案も正しく、一概にこれが正解とは言い切れない。
 だとすれば―――。

「決めたわ。―――二つの案を同時進行する」
『同時進行?』

 首を傾げる四人に、榊はそうよ、と頷いた。

「まず、珠瀬を担いで目的地に向かう。その際に全員でレドームを探すわ。行き道で見つかれば即座に狙撃で破壊。一度戻って、砲撃の沈黙を確認した後にボートに乗って移動。レドームが見つからなかったり、見つかっても戻るのに時間が掛りそうだったらそのまま大回りして目的地に向かうわ」
「レドームが一つじゃなかった場合は?」

 榊の提案に、彩峰が疑問を口にする。どうやら彼女も榊と同じ可能性に行き着いていたらしい。

「ロスした時間を取り戻す為に走るしかないわね。―――制限時間に間に合わないかも知れないけど」
「ではボートに拘らずに始めから歩いて行った方が良いのではないか?」

 御剣の問いに、榊は首を横に振る。

「一概に良いとは言えないわ。また『今回のように』私達が予期していないトラブルが起こるかも知れないし」

 その時に時間を食ったらそれこそ終わりよ、と榊は付け足す。

「どちらにせよ、ここで疑心暗鬼になってうだうだしていても埒が明かないわ。だから、私はこの二つの案を同時進行してその途中経過で今後の作戦を決めようと思うの。―――何か反対意見はある?」

 分隊長の問いに、隊員達は無言。即ち、肯定である。

「―――じゃぁ、行くわよ」

 そして207B分隊は行動を開始した。






「お。動き出しましたね」
「ええ。―――無事に辿り着けると良いんですけど」

 心配そうに発信器の反応を追っている神宮司に大丈夫ですよ、と白銀は頷いた。
 訓練兵時代には分からなかったが、やはりまりもちゃんはどの世界でどの役職であってもまりもちゃんなんだな、と白銀は感じていた。
 今の彼女は、まさに受け持ちの生徒を気に掛ける優しい担任のそれである。きっと『前の世界』での彼女も、こんな風に心配しながら207B分隊の総戦技演習を見守っていたに違いない。
 教官という役職と軍曹という階級の為に、決してこんな姿を訓練兵に見せなかったのは流石の一言に尽きる。

(大丈夫です。貴方の育てたあいつ等は、決してこんな所で潰れるようなタマじゃないですから)

 胸中で呟き、白銀は地図を見ていた。
 新しく設定された回収地点―――その1km手前を、ずっと。







 その二十分後、207B分隊の一行はレドームを発見していた。
 そこからの狙撃を珠瀬に任せ、他の皆は彼女の気を散らせない為に周囲の哨戒に出た。

(気を遣われちゃったな………)

 伏射姿勢で対物ライフルを構えつつ、珠瀬は思う。
 体力面に置いて、自分が皆の足を引っ張る事は前々から理解していた。成長期ではあるが、これ以上の恵まれた体躯を手に入れられないであろうことも何となく分かっていたことだ。だからこそ、地道に体力を付けることを珠瀬は続けていた。
 珠瀬壬姫という少女は、自覚していないだけで207B分隊随一の努力家である。狙撃という一点に置いても、元々あった才能を努力で伸ばしたものだ。
 無論、他のメンバーも十分に努力家ではあるが、その性格的な部分から、珠瀬以上ではない。
 珠瀬には自信が無い。
 奥ゆかしい日本人、と言えば聞こえは良いだろうが―――その実、コンプレックスの裏返しだった。
 身長が低い。体力が低い。近接戦では御剣や彩峰には劣る。指揮能力では榊に劣る。生存能力では鎧衣に劣る。数え出せばキリがない。
 努力は自信の無さを補強する為の手段に過ぎなかった。
 しかしそんな中で、唯一自分が誰よりも誇れるのがその射撃能力だ。だからこそ、せめてその一点だけは他の誰にも劣ることのないように強くなろうと決め、努力した。
 無論、それに突出しているだけでは軍人としては三流も良いところだ。それは理解しているので、他の分野での努力も忘れたことは無い。
 そしてその地道な努力のお陰か、最近では体力面で多少の改善は出来た。射撃という点に於いては、実戦経験のある中尉に褒められる程だった。
 だが―――肝心の部分は成長していなかった。

(駄目だなぁ………)

 あの一瞬。あの砲撃の瞬間。珠瀬は大いに慌てた。それは皆とて同じであろうが、自分の場合は彼女達以上に反応が遅れるという致命的な部分があった。その結果、足が縺れ挙げ句挫いてしまった。すぐさま御剣達が気付いて回収してくれなければ、自分は自動砲台に狙われて―――最悪、死んでいただろう。
 その事実に、身震いする。
 今更、恐怖心が鎌首をもたげてくる。
 自信がないから―――。
 珠瀬は思う。
 もっと自分に自信があれば、足手まといにならないのではないのかと。あの砲撃の場面だって、自信さえあれば動揺を押さえ込んで素早く回避行動に移れたのではないのかと。その結果、怪我をして文字通りお荷物になることは無かったのではないかと。

(終わったことを、悔やんだって仕方ないのに………)

 そんなことは分かっていた。だが、どうしたって脳裏を過ぎる。軍隊にたらればが通用する訳が無いのに、振り返ってしまう。
 弱い人間だな、と珠瀬は自嘲する。
 こんな精神状態で狙撃なんか出来る訳がない。
 彼我の距離はおおよそ1km。ライフルの射程圏内ではあるが、海風と湿度を鑑みれば、観測手が必要な距離だ。それを無しで、そして初めて使う銃で、たった一発しかない銃弾で仕留めなければいけない。
 珠瀬の腕を以てしても厳しいレベルだ。

(たけるさん………壬姫は、どうすればいいの………?)

 心の中、問いかけるのはあの中尉。自分の狙撃を極東一だと褒めてくれた人。気恥ずかしくはあった。唯一少し自信が持てる程度だった技能を、そこまでべた褒めされる事が。それと同時に、嬉しくもあった。
 彼を思い出しただけで、心の何処かが軽くなるのを珠瀬は感じた。
 だから思い出す。訓練の時、彼が掛けてくれた言葉を。

『オレもそうなんだけど、誰だってさ、どんな場所でも自分の腕を信じるってのは実は簡単なことじゃないんだ。だからいざという時、それを信じる為に、信じられるようにする為に訓練して努力を積み重ねていくんだ。―――たまみたいにな』

 常に戦術機の訓練を意識がけるように言い含めた時、彼は自分を引き合いに出してそう言った。
 ―――嬉しかった。
 自分が積み重ねている努力は無駄ではないと、無駄なんかにならないと言ってもらえたことが。
 ―――今が、そのいざという時ではないだろうか。
 かちり、と珠瀬の中でパズルのピースが嵌る音がした。

「………そう、だよね」

 珠瀬は呟いて瞳を閉じる。
 自分が積み重ねてきた努力は無駄にならない。無駄になんかさせない。その為にどうすればいい。
 ―――決まっている。
 観測手はいない。―――だからどうした。
 初めて使う銃だ。―――だからどうした。
 銃弾は一発のみ。―――だからどうした。
 今必要なのは、劣悪な条件に怯え立ちすくむ自分ではない。震えてここから逃げ出す自分ではない。
 努力を以て、自らを信じる自分だ。自分に襲いかかる不安や状況をはね除けられる強い自分だ。
 積み上げたのは努力。
 ただひたすらに磨き続けた唯一つの特技。
 それは訓練兵珠瀬壬姫の出発点。
 何もかもが不安だった時に、それを振り切る為に身につけた技能。
 どんな時でも、自分の腕を信じることは簡単ではない。だからこそ、珠瀬は今まで積み上げてきた努力をこの銃弾に込める。
 この一発は当てる。必ず、当てる。
 ―――そう信じる為に。



 ………だからたけるさん、壬姫に勇気を下さい―――。



「………壬姫の狙撃は―――」

 目を開く。スコープを覗き、射角を調整。左手で台尻を包むように押さえる。グリップを右手で握り、人差し指をゆっくりと引金に掛けた。
 そして―――。

「―――極東一なんだからっ………!」

 爪弾いた。







(やっぱたまはすげぇな。あんなの、よく当てられるよ)

 発信器の動きを追いながら、白銀は思う。
 レドームを破壊した彼女達は一度回収ポイントだった地点に戻って、自動砲台の沈黙を確認してからボートに乗った。
 今は崖をなぞるように移動している。
 このままの勢いで行けば、一時間ぐらいの時間短縮になるだろう。
 尤も―――白銀はそれを許さないのだが。
 軍服のポケットの中から、遠隔起爆用のスイッチを取り出す。ブースターを噛ませてあるので、対岸のここからでも彼女達の乗る『ボート』に起爆コードが届くはずだ。

(だけど悪いなお前等。お前等がどっちを選んでも、時間ギリギリで到着するようにするつもりだったんだ)

 そして白銀はそのスイッチを押した。







 時刻は午後四時二十分。
 指定された時刻までは後二十五分ほどだ。
 目下の所―――207B分隊は全力で走っていた。
 本来ならば、一時間程前には最終目的地に着いていたはずだ。それが何故ここまで遅れたのか。

(まさかエンジントラブルだなんてねぇ………)

 他の3人より若干遅れて走りながら鎧衣は思う。
 珠瀬がレドームの狙撃を成功させ、自動砲台の沈黙を確認し、ボートに乗ったまでは良かった。
 しかし、しばらく進むとエンジンが急に煙を吹き出して停止してしまったのだ。幸い、オールが備え付けられていた為に立ち往生することはなかったが、結果として速力を落す原因となり、徒歩で向かうのと大差ない時間となってしまった。

(でも後二十分弱………位置的に数キロ手前まで来てるから、距離に関しては大丈夫かな)

 今は御剣が珠瀬を背負っており、全力疾走しているとは言えその影響で従来に比べると行軍速度は遅い。しかし元々体力のある207B分隊だ。二十分もあれば十分に目標地点に着ける。

(………今度は、ボクが先に気付かないと)

 あの砲撃の瞬間、実は鎧衣も嫌な予感を感じていた。だが、発煙筒を掲げることと、ヘリを目視したことでその嫌な予感を振り払ってしまったのだ。
 ここまで来たらもう大丈夫だと。安心してしまった。その結果があれだ。
 幸い、御剣が直前に気付いて状況認識するよりも速く行動に移せたが、代りに珠瀬が足を挫く結果となってしまった。ここに来ての怪我人は致命的。それをカバーする為にボートを使用したが、途中で手漕ぎになった為に、時間短縮という目的は果たせていない。
 まぁ、幸い疲れたのは上半身だけで足腰は少し休めたのだが。
 それはともかく―――。

(―――多分、まだ何かあるはずなんだ)

 でなければ、この総戦技演習の基準は少し甘い。自分の体力や珠瀬の負傷を除外すれば、五時間という制限時間は少々長い。それに合わせて時間設定したと考えても、まだ少し余裕のある方だ。現に、ギリギリだと思っていた今も少し時間を余らせて到達しようとしている。それを考慮すれば、残り数kmで何かがあると考えるのは自然だろう。
 余るはずであろう時間は、おそらくは最後になる関門を突破する為に当てられた時間。
 状況的に、極短時間で突破できる類のものだろうが―――迷えば確実に時間に間に合わなくなる。

(だとすると、一体何が―――)

 考えている間に、少し拓けた場所に出た。そして分かれ道だ。このまま真っ直ぐ進めば回収ポイント。右に進むと回り道になるが、同じく回収ポイントへと到達する。

「さぁっ、ラストスパートよっ………!」
『了解………!』

 聞きも絶え絶えに、しかし207B分隊は唱和する。
 その時だった。

(―――え?)

 鎧衣の首筋に、ちり、とした嫌な感触が走った。それが本能的な警鐘だと気付くと同時、脳裏に過ぎる一つの光景。
 ―――前回の総戦技演習だ。

(まさか―――!)

 前を見る。その拓けた場所には、一目にはトラップが仕掛けてあるかどうかは分からない。
 当然だ。
 『地面が草で覆われて』いては、そんなものが分かる訳がない。
 そしてこの状況下―――行き着く答えは唯一つ。

「みんなっ!止まってっ!!」



 ―――地雷原。



 この総戦技演習の最終局面で、おそらくは彼女達が最も忌避するであろう関門が口を開けて待っていた。







(気付いたわね………)

 既に白銀と共に回収ポイントへとヘリで回り込んでいた神宮司は、急に足を止めた発信器の反応を見て思う。
 足を止めたポイントは、埋設された演習用地雷のある場所の直前。演習前に言われた『トラップは無い』という固定概念に囚われず、注意していた結果だろう。
 もしもその情報を信じ切って行動していれば、既に彼女達は不合格となっている。
 おそらく、気付いたのは鎧衣。こういった類のトラップには、最も敏感な少女だ。
 問題なのは―――。

(これを榊達が信じるか。そして信じたとして―――どう行動するのか)

 既に時間的猶予はあまり残されていない。ここで前回のように仲違いすれば、間違いなく不合格になる。

(中尉は、最初からこれを狙っていたのね………)

 演習の全容を白銀から聞いた時は、厳しい内容だと思った。だが、これは全て彼女達の為だ。
 神宮司自身、総戦技演習は衛士になるにあたっては大して重要でないと考えている。だが、それでもこれを行なう理由は数ヶ月を共にしてきた仲間とのチームワークを計る為なのだ。
 白銀の言うとおり、衛士は一人では戦えない。だからこそ、仲間を必要とする。それを戦術機に乗ったことのない訓練兵に教え込むには、こうした演習に放り込むしかない。
 だから総戦技演習は存在する。
 しかし、207B分隊は個々人の能力が高すぎた為、大したチームワークを必要とせずここまで来てしまっていた。

(でも今回は違う)

 個々の能力が高すぎてチームワークが必要ないなら、個々の能力があってもチームワークを必要とせざるを得ない状況を作るのだ。
 まずはそれぞれの意識改革をする為に、中尉という階級を取り払って彼女達と接する。それが下地。
 次に鎧衣という病み上がり。
 制限時間48時間という極端に短い時間。
 珠瀬という負傷者は予定外だが、結果として彼女達は力を合わせざるを得なくなっていた。
 そしてこの最終局面に来ての―――ミスリード。
 総戦技演習の地雷原は、未だ彼女達の心の奥底で燻り続けている傷だ。この切羽詰まった状況で敢えてそれをぶつけることによって、彼女達の真価が試される。
 あるいは―――これこそが、総戦技演習の総仕上げだ。これを乗り切れぬようならば、彼女達はもう戦えまい。衛士としては当然だが、こんな大事な局面で仲違いするような軍人は、何処の軍でも欲しがらない。
 だがもし―――乗り切れたのならば。

(あの子達は、やっと本当の仲間になれる)

 だから神宮司は心の中で彼女達に問いかける。

 ―――さぁ、どうするの?207B分隊―――。







(ほんと、どうしようかしら………)

 榊率いる207B分隊は円陣を組むように向かい合っていた。時間がないのは分かっているが、目の前の状況をどうにかしなければ始まらない。
 鎧衣が呼び止め、最初に言った言葉が『ここ地雷原かもしれない』である。慌てて足を止め、じっくり観察をするが草で地面が覆われていて目視できる訳がない。

(今までの私なら、間違いなく突っ走ってたわね)

 何せ事前に『トラップの類は無い』と上から言われているのだ。融通の利かない以前の自分ならば、鎧衣の言葉を一蹴して突撃。ここが本当に地雷原だったら既に総戦技演習は終了していただろう。

(今の私―――いえ、207B分隊なら、迂回を取る。けれど、時間が無いわ。それがどのように作用するか)

 迂回ルートでどれだけ時間を取られるか分からない。地雷原と思わしき場所を回避して遅れましたでは笑い話にもならない。しかしだからと言ってこのまま無策で突撃して爆死判定は洒落にならない。

(本当、どうすれば―――)

 再度悩みかけて思い出す。あの中尉の言葉を。

『いいか委員長。軍隊はピラミッド方式の命令系統って教えて貰っただろうけど、現場じゃ逆だ。状況が刻一刻と変化していく戦場では、それじゃ間に合わないんだよな。だから、現場指揮官がその状況に沿った作戦を考えて上の許可を貰って行動ってのが普通だ』

 自分をそのピラミッドの頂点だと考えると、207B分隊の隊員達は現場指揮官だ。つまり―――。

(一応、案はあるわ。けど、私一人が考えたって、必ずしもうまくいく訳が無いじゃない)

 苦笑して、榊は皆を見た。

「―――聞くわ。この場を乗り切る案はある?」

 そして、彼女は皆に意見を求めた。







「―――私は、この場を突っ切るべきだと思う。無論、地雷に注意すべく鎧衣を先行にしてだが」

 御剣の言葉に皆が注視する。

「危険よ?」
「承知の上だ。本当ならば、前回の二の舞は避けたいが―――時間が無い」

 言うことは尤もだ。好きこのんで地雷原と思わしき場所に突っ込む馬鹿はいない。御剣も心情的には避けたいのだろう。だが、それを回避した為に制限時間に遅れてしまっては本末転倒だ。

「珠瀬は?」
「わ、私は―――そ、その………ごめんなさい。どっちも、選べません」

 珠瀬の言うことも正しくはある。この大事な局面で確実にこれだと言い切るには、何か拠り所となる自信が必要だ。無論、指揮官としてはその対応は駄目だが、今の彼女は一介の訓練兵だ。ここで確かな答えを出せと言う方が酷だろう。
 だから榊は気にしなくて良いわ、と言って鎧衣の方に視線を移し―――。

「鎧衣―――は、言うまでもないか。地雷があるって言い出したのは貴方だしね」
「うん」

 はっきりと、鎧衣は頷いた。トラップの気配に関しては207B分隊に於いて彼女の右に出る人間はいない。となれば、やはりここが地雷原であることを前提に話を進めるしかない。
 だから最後に―――榊は彩峰を見た。

「彩峰、何か案はある?」
「―――」

 来た、と彩峰は思う。
 そして多分、ここで自分が投じた一票で今後が決まると。

(案は―――ある)

 彼女が思いついた妙案―――と言うより折衷案だが、考えるにそちらの方が確実である。問題なのは―――。

(榊が、それをどう思うのか―――)

 一昨日から、榊は変り始めている。だがこのある種極限の状況下で、自分の案を受け入れてくれるのかは分からない。思いついた最良の案を、榊がどうするのか。そして、もしも拒否された時―――自分はどうするのか。
 また指揮官を見限って独走し、前回の二の舞を踏むのか。
 それとも―――。

(父さん―――)

 思うのは、父の言葉。

『人は国の為に成すべきことを成すべきである。そして国は人の為に成すべきことを成すべきである』

 この場に限って言えば、人は隊員、国は分隊。隊員として、207B分隊の為に成すべき事は何だ。
 彩峰慧として、仲間に対し成すべき事とは。

(―――信じること)

 必要なのは信用ではない。信頼だ。
 ここに来るまで、彩峰は皆に頼り、頼られた。今回も、同じ事をするだけだ。
 今まで黙ってきたそれを―――今度は口に出すのだ。

「私は………」

 だから彩峰は真っ直ぐに榊を見つめた。それは先程、榊自身が採った道。今度は自分がそれを採る。

「どっちも採る。地雷があるかどうか、私と鎧衣で調べ、一つでも発見した時点で迂回ルートを取る。発見できないようだったら、突っ切る」
「―――時間、掛るわよ?」
「知ってる」
「間に合わないかも」
「走るしかない」

 そう、と榊は満足そうに頷くと皆を見回してこう言った。

「私は彩峰の意見に賛同するわ。強行突破1、迂回1、保留1、折衷案が2でこの案を採ろうと思うけど―――文句があるなら早めに言って頂戴。時間がないわ」

 挑むように告げる榊に、しかし挙がる声は無かった―――。







 次第に遠ざかっていく南の島をヘリの窓から眺めつつ、白銀は苦笑する。

「制限時間一分前とは、はらはらさせてくれますよ。あいつ等」
「私からしてみれば、わざわざ地雷を埋設して彼女達を試した中尉程じゃありませんよ」

 神宮司の言葉に、白銀は言葉を詰めた。
 結局―――207B分隊は制限時間一分前に最終回収地点へと到達。それにより、総戦技演習は彼女達の合格を以てして終了。今は、後ろの貨物室で仲良く眠りに落ちている。

「で、でもあいつ等、成長できたでしょ?」
「まぁ、確かにそうですけど………」

 懸案事項だった隊内の不和も、今回で完全に取り除けただろう。まぁ、合格通知してから榊と彩峰がまた衝突していたが、あれはじゃれ合いの範疇だ。一応、演習終了はしていたから、神宮司も文句は言わなかった。

「ここから、ですね」
「ええ。―――やっと、あいつ等に生き抜く術を教えられます」
「生き抜く術、ですか………」

 戦う術ではなく、生き抜く術。
 それだけで、神宮司はこの年若い中尉が目指すものが何であるか、少し見えた気がした。
 それは自分と同じ。
 臆病でもいいから、一分一秒でも長く生きていて欲しい。
 それはきっと、その先に生きる人達を護る力になるから。
 だから、衛士になるのにまず最初に必要な力は、生き抜く為の力だ。戦う為に必要な力は、生き抜き続けていれば自ずと手に入る。

「―――神宮司軍曹」
「はい………?」

 白銀の堅い口調を不審に思い視線をやると、彼はこちらを真っ直ぐに見ていた。少しどきりとするぐらい、真っ直ぐに、真摯な瞳で。

「あいつ等、これから今まで以上に大変になると思います。オレも頑張ってあいつ等を鍛えるつもりですが―――心のケアまでは、手が回らないかもしれません。だから―――宜しくお願いします」

 そう言って、彼はこちらに頭を下げてきた。その対応に大いに驚いた神宮司ではあるが、やがて立ち上がると最敬礼を白銀にした。

「………はっ!この神宮司、必ずや彼女達を一人前の衛士に育て上げて見せます!!」

 顔を上げた白銀は、その神宮司を何処か懐かしげに見ていた―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十八章   ~齟齬の挽歌~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/03/25 10:57
10月30日

(流石は戦乙女。恐ろしい程に伸びしろがあるな………)

 時刻は昼過ぎ。いつものようにシミュレーター室でA-01行なわれている訓練を、今日は途中参加で見ていた三神は彼女達のログを確認しながら胸中で感嘆の声を上げていた。
 彼がA-01の教導を始めて早一週間。最初の方こそXM3の慣熟に時間を費やした彼女達だが、それぞれの特性に合った運用方法を見いだすと、瞬く間にその技量を伸ばし始めた。
 特に前衛組の戦闘機動の変わり様は凄まじい。以前、白銀と引き合わせた時、XM3の真髄を生で体感したのだが、その際に彼の機動を独自に取り入れたのだ。無論、そのままそっくりとはいかないものの、今ではかなり白銀武の機動に近いものがある。
 後衛組もそれに触発されてか、成長を始めている。こちらの機動は極力無駄なく、各関節に負担を掛けないような継戦能力を重視した―――どちらかと言えば三神よりの機動だ。地味ではあるが、動きが激しい分消耗が激しい前衛組とのバランスは良い。いざというときに隊列をスイッチ出来るのと出来ないのとでは、隊の運用性の幅が違うのだ。
 そしてそれぞれが成長の方向性を見定めると、こちらが手を貸すまでもなく走り出した。その成長速度たるや、もはや教導の必要が無い程である。

(もうレーザー避けられるしな………)

 噴射跳躍キャンセルからの反転降下。即ち対レーザー機動を、彼女達は既に習熟している。どうやら隠れてこっそり練習していたようで―――白銀が軽々やって見せた為、悔しかったようだ―――一昨日のシミュレーター訓練の最中に見せられた時、さしもの三神も唖然とした。
 高速機動を得意とする前衛組だけならまだしも、『全員』が避けたのである。つまり、緊急回避先に上空を選択できることに加え、『全員』が囮の役目を負えるのだ。これで戦術の幅がまた広がる。

(………私は三ヶ月ぐらい掛ったんだが)

 まぁ、XM3が無かった時ではあるし、当時同僚だった白銀の機動を通常訓練の片手間に真似て覚えたので、一般的な習熟時間の参考にはあまりならないのだが。
 一応、旧世代のOSでもレーザーは避けられる。正確には、空撃ちさせるのだが。
 ただし今のように最初から対レーザー用コンボがあるのとは違い、完全に手動入力だ。当然相当なハイリスクになる上に、緊急対応力を上げる為に跳躍の入力を小刻みにし続けてやる必要がある。その上、初期照射のタイミングまで完璧に読まねばならないから、割に合わない程シビアだ。よしんばうまく避けたとしても、ほとんどの場合対レーザー蒸散塗膜加工を削られるので何度も出来る技ではない。
 その時の白銀は―――少なくとも表面上は―――苦もなくやっていたが、三神は長いループの中で数える程しかやらなかった。しかも三回は避け損ねて、二回は蒸散塗膜の限界値を超えた為に直撃喰らって死んでいる。

(それを考えるとXM3様々だな………)

 三神が経験したループのほとんどがオルタネイティヴ4が潰えた後の世界だ。XM3の存在や概念を『知っていた』三神でも、セットになっている並列処理コンピューターの方までは手が出せない。故に、実際にXM3に触れることが出来たのは、前の世界が初めてなのだ。
 最初は歓喜したものだ。何しろ、白銀の動きを叩き込まれたそれは、いつか目指した彼の機動をなぞるように動くのである。
 本人は既に世界にいなくとも、その残滓を追えることに三神は純粋に喜んだ。だが追えば追う程、彼の才覚と自分の凡才の輪郭が浮き彫りになっていくだけだった。
 限界を感じたことはある。だが、それで良いのだと三神は思う。
 自分はあくまで凡人だ。積み上げたものの厚みが他人のそれと違うだけで、真に才能のある者からすれば、それは砂上の楼閣に過ぎない。
 だが、凡人には凡人なりの戦い方があるのだ。それを極めれば良い。

(まぁ私と違って戦乙女達は才能の塊だからな。―――正直、後教えられるのは細々とした戦術面や巧い戦い方ぐらいか)

 個々の才能は既に開花している。後は、経験がそれを伸ばしていくだろう。だとすれば、残るのは後付で覚えていくものだけだ。三神が積み重ねた百年余りの経験。それが生み出した戦い方を彼女達に教えていく。
 だが11月11日まであと二週間もない。それを考えると、今はそれぞれの得意分野を伸ばした方が良いだろう。そして少しでも生存能力を上げ、無事に実戦を越えさせる。
 ―――三神は、当日に彼女達のフォローが出来ないのだから。

(私は私でやることがある、と。―――ままならないものだ)

 男を相手にするよりは若い女の子相手にしていた方が楽しいのにな、と親父臭い事を考えていると、A-01がシミュレーターから降りてきた。どうやら、一段落付いたようだ。

「少佐、いらしていたんですか?」
「ああ、ついさっきな」

 シミュレーターから降りてきた伊隅に声を掛けられ、三神は頷いた。

「少佐~。もしかして寝坊ですか~?」
「速瀬中尉じゃあるまいし、そんな訳がないでしょう」
「む・な・か・た~………?」
「と、涼宮が言っております」
「茜ーっ!」
「言ってませんってっ!!」

 いつものようにじゃれ合いが始まり、一気に騒がしくなる。三人寄らば姦しいとは言うが、その四倍も集っているのだから本当に騒がしい。三神自身、女子校の教師にでもなった気分だった。

「それで、少佐はどうしてこんな時間に?」
「仕事だ。―――明け方まで起きていた」

 風間に問われ、三神は欠伸を噛み殺しながら言う。言うまでもなく、香月の疑似生体の件である。しかし―――。



「明け方まで仕事って………少佐もお盛んですね」



 何気なしに放った柏木の一言で、乙女達から黄色い声が挙がった。

「で?で?で?お相手は誰ですか?」
「少佐に一番近い女性と言うと―――まさか香月副司令!?」
「いやいやピアティフ中尉という線も………」
「ここは大穴でラダビノット司令とか………」

 姦し過ぎて最早誰が喋っているのかさえ分からなくなる。

「そんな気楽なものだったら私も嬉しいんだがね。残念ながら、ただの特殊任務だよ。―――後、誰だ候補に司令を入れた奴は」

 気怠げに言いながら、しっかり釘を刺しておこうとするが、きゃいのきゃいの言い始めた乙女達は止まらない。

「そう言えば少佐の噂って聞かないですよね。―――色恋沙汰の」
「あー、そうよね。少佐もいい歳なんだから、恋人の一人や二人いてもおかしくは………」
「ひょっとしてまさか………本当にそっちの人なんじゃ?」

 めいめいに意見を交わし合って、しかし結論が出ないとなると、彼女達は頷き合って三神に問う。

『で?どうなんですか?』
「いい加減にしないか貴様等!」

 流石に割と明け透けなA-01とは言え、これ以上は見逃せなかったのか、伊隅が声を張り上げる。それを受け、皆は背筋を伸ばして直立不動。伊隅はそれを満足そうに見やってから、くるりと三神に向き直って。

「それで、少佐は誰と付き合っているんです?」
「どうして君まで尋ねてくるのかね………?」
「色恋沙汰は数少ない娯楽なんです。―――特に他人のは」

 余裕発言かよこれだから彼氏持ちは、とか不穏なオーラが隊内に立ち上るが、当の本人は素知らぬ顔だった。まるで小揺るぎもしない。女は強いなとか思いつつ、さて困ったのは三神である。

(さてどう誤魔化したものか………)

 当然の事ながら、三神は『この世界』に恋人はいない。と言うより、ここに来て一週間程度しか経っていない上に毎日が忙しいのだ。そんな暇など無いし―――そもそも、近い内に消え去る人間だ。作ったところで意味がないし、相手にも申し訳ない。それに―――。

(梼子以外の女というのもな………)

 『元の世界』にいた頃、とある理由で半ばやけくそ気味に女遊びをしたこともある。だが、どれもしっくり来なかった。こちらの世界に来てからは、戦闘や死亡を繰り返してそんな余裕など無かった。
 唯一余裕があったのは『前の世界』。
 そして、そこで長年連れ添ったが故に、彼女以外の女性に新鮮味を感じても安心感を感じない。歳を食った人間にとって、それは致命的だ。
 まぁそれはともかく―――。

(―――適当に誤魔化す理由が見当たらん………!)

 『前の世界』での経験を話せばいいのだが、ここには伊隅がいる。もしも妙な突っ込みを入れてきた場合、即応できる自信がない。その上―――。

(一度話してしまった以上、引っ込みがつかなくなる………!)

 しかしこのまま黙っているのは拙い非常に拙い何しろ候補にラダビノット司令を入れてくるような連中だ黙秘して要らぬ噂を立てられたら色々やりにくくなるし精神衛生上大変宜しくないと言うよりも何故そこで男が候補に挙がるのだ男が主観時間で約百歳である以上京塚曹長とかならともかくいくら何でも私に男色の好みはないと思いたい思うよね思えよ間違った方向性に目覚めるな私―――!

『少佐………?』
「はっ………!?」

 思考を高速化させ何だかカオスな状況に陥っていた三神は、皆の訝しげな呼びかけによって我を取り戻した。しかし状況が好転した訳ではない。

「ああ、ええっと、そのだな………」

 曖昧に言い淀みつつ進退窮まっていると、シミュレーター室の出入り口が開いた。藁にも縋る思いで視線をやってみると―――子うさぎさんが一人。

「―――霞?」

 疑問に思った瞬間、好機の文字が脳裏を過ぎる。そして案の定。

「いかん!式王寺を―――」
「か・す・み~ん!!」

 伊隅が静止の命令を飛ばすよりも早く、式王子―――否、野獣が子うさぎさんを確保すべく文字通り身を弾ませて突撃する。その速度たるや、まさしく獲物を発見した女豹のそれだった。

「………嫌だったら嫌だと言っていいんだぞ?霞」

 捕獲、抱きしめ、頬ずりという三連コンボを極められ、しかしなすがままにされている社に、話が逸れてよかったと思いつつ三神はそんなことを言ってみる。だが彼女は抱きすくめられたままふるふると顔を横に振って。

「………。大丈夫です。式王寺さんは、あったかいです」

 以前捕獲された時にリーディングしたようで、式王子の行動に悪意は無いと知ったようだった。同性ということもあってか、何処と無く安心した表情を浮かべている。社からしてみればこうしたスキンシップは新鮮で、そして無意識に願っていたものなのだろう。
 三神はそれを微笑ましく思いながら、予想は付くが彼女に尋ねてみる。

「それで、何か私に用か?」
「香月博士が呼んでます」

 その答えに、やはりかと三神は思う。今の時点で呼ぶということは、中間報告でもしろと言うことだろうか。

(まぁ、一応予定通りなんだがな………)

 三神の立てている計画は、現状滞り無く進んでいる。そして11月11日を超えれば、下拵えは磐石のものとなる。続くのが香月夕呼の00ユニット化―――そこからがまさに人類反撃の開始と言っても過言ではない。擬似生体に関しても順調で、このまま行けば問題なく聖母誕生の日を迎えられる。

(報告するような案件は何も無いが―――)

 考え込んでいても仕方がないと三神は結論づけると、シミュレーター室を後にしようとし。

「ねぇねぇ、かすみんかすみん」

 式王子が社に何か吹き込んでいるのを見る。それを訝しげに思っていると、社が近寄ってきて、じっとこちらを見上げてきた。その行動を不思議に思って声をかけようとすると―――。



「―――お父さん」



「………………………………………………………………ごふっ!?」

 唐突な言葉に、三神は吐血した。

『しょ、少佐っ!?』

 その醜態というか痴態というか、ともかく形容しがたい反応に大いに慌てる戦乙女達に、しかし三神は千鳥足になりながらも片手を上げる。

「だ、大丈夫だ………あまりの攻撃力に一時的に理性メーターがレッドゾーンを振り切ってリミッターが効いただけだ」

 明らかに大丈夫ではない。しかし彼は不敵な笑みを浮かべると、式王子を見やり、右手の親指を立てた。

「しかし式王寺。………やるな」
「任せて下さい少佐。―――子供は女の子が欲しいんですよね?」
「よく分かったな………」
「ふふふ。かすみんに対する少佐の接し方は、まさしく父親のそれですからね~」

 自慢げに言う式王寺に、三神は成程と頷いて。

「霞。ちょっと来なさい」

 社を呼びつける。そして彼女に何事かを耳打ちすると、式王子を指さして『Go.Ahead!』と叫んだ。社はそれに従って式王子に近寄ると、両手を胸の前で組んで。



「小夜おねえちゃん。今夜、一緒に寝てくれる?」



「………………………………………………………………ぷはっ!?」

 おねだりされた式王子は自身の鼻血によって噴射跳躍。虹と孤をを描き落着し、部隊の面々に起こされる。

「だ、大丈夫よみんな………。ちょっと天国を垣間見ただけだから………。―――むしろこれはご褒美っ!」

 案外平気そうなので伊隅はそうかそうかと半眼で頷いて。

「自分で掃除しておけよ?」

 言外に自重しろと言ってみるが、しかし彼女は『任せていーちゃんっ!』と宣うだけで全く反省の色が見られない。

「しかし流石少佐………。やりますね………!」
「何、私とてまだまだだよ………!」

 血みどろのシミュレーター室で、血塗れの馬鹿が二人互いの健闘を讃え合っていた。
 A-01は、今日も平和である。





 B19階の廊下を歩いていた白銀は、行く先に見知った背中を見つけると小走りに駆け寄ってその肩を叩いた。

「よう、庄司。やっぱりお前も呼ばれてたのか?」

 苦笑しながら、白銀は三神にそう言った。207B分隊の訓練に付き合っていたため、少し遅めの昼食をとっていた彼は神宮寺に香月の執務室に来るように言われたのだ。

「武か。―――そう言えば、総戦技演習の結果は?」
「ん。全員合格。本当は今日は休みにしておいてやろうと思ったんだけど、結構元気そうだったから朝から適性検査受けさせた。―――伝統付きで」

 振り向いた三神が尋ねてみると、白銀は何でもないように言ってみせた。

「お前………割と鬼だな」
「11日まではスパルタだよ」

 207B分隊に降りかかったであろう災難を哀れに思って言ってみるが、白銀はしれっと流すだけだ。ちなみに、今は全員げっそりしながら神宮司の座学を受けているそうだ。そんな風に歩きながら雑談をしていると、目的の香月の執務室へと辿り着いた。

「遅いわよ二人とも」
「すみません―――と、鎧衣課長に月詠中尉?」

 部屋に入ってそうそう主からお小言が投げてよこされ、それに白銀が頭を下げると室内に香月以外の人物を認めた。ソファーに腰を下ろしているのは、紅い軍服の月詠とトレンチコート姿の鎧衣だ。

「二人がここにいると言うことは―――11日の件かね?」
「それと武御雷の件よ。―――紫のね」

 三神の問いに香月は不機嫌を隠そうともせずに答えた。彼女がこうしたあからさまな態度を取る理由を、白銀は知っていた。

(鎧衣課長か………)

 どうせまた何か訳の分からない小話でも始めたのだろう。そう思って半眼で鎧衣を見ていると、同じ答えに至ってであろう三神がその当事者に話しかけた。

「随分と嫌われたものだな鎧衣課長。―――今日は一体どんな小話を?」
「はっはっは。ドードー鳥の生態について少々。どうも香月博士はお気に召さなかったようで」
「何と、ドードー鳥か。―――そういえば、この世界のドードー鳥は絶滅していないそうだね?」

 え?と白銀は首を傾げる。彼がいた『元の世界』では、ドードー鳥は絶滅している。確か中学の頃、英語の教科書か何かでそう習ったはずだ。何故この世界では生きているのか、と疑問には思うが、そもそも日本の歴史ですら『元の世界』とは随分異なっている。そういう事があっても不思議ではない。

「いかにも。外敵が多すぎるために未だ絶滅危惧種指定ではありますし、生息地も保護によって南アメリカへと移っていますがまだ絶滅はしてはおりませんよ。幸い、あちらの方はBETAによる侵攻はありませんしな」
「故にドードー鳥は絶滅寸前を比喩する、と。―――時に鎧衣課長。憂国のドードー鳥は当日どう動くのかね?」

 白銀がいた『元の世界』でのドードーは『滅びてしまった存在』という意味も持つ。しかしこの世界では絶滅していない。故に、おそらくこの世界ではドードーは絶滅寸前と言う意味になる。そして、憂国という言葉。
 ならば、それは―――。

(クーデター部隊………!)

 白銀はその答えに行き着いた。
 現状のまま事が推移していけば、彼等は間違いなく『絶滅』する。その行動の是非はともかくとして、米国が絡むのならばあるいは戦場で、あるいは戦後の軍事法廷で彼等は等しく滅ぼされる。
 故にこそ―――今はまだ絶滅寸前のドードー鳥だ。

「最前線に出るでしょうな。―――それが彼らの本来の役目ゆえに」
「やはり、か。となればそれが最後の機会になるかな。オランダ人のネズミに見張られている以上、そうそう接触もできまい。―――放ってけば、そのネズミに食い殺されるだろう」

 オランダ人のネズミが何を暗喩するか白銀は考える。当然、行き着くのは―――。

(米国―――CIAだよな、やっぱり)

 さすがに、直接のエージェントはいないだろうが、家族を人質に取られていたり、米国への亡命を交渉材料に協力している日本人がいるはずだ。親米派の政治家もその内に含まれるのだろう。

「何でしたら、もう少し詳しい情報を持ってきましょうか?」
「頼めるかね?私もある程度把握してはいるが、あくまで書面上のものだ。その上、色々と状況を動かしているからね。―――それがどのように作用するか、私とて断言できんよ」

 おそらく、書面上とは『前の世界』でのクーデターの報告書だろうと白銀は推測した。彼が香月の直下であったことを考えれば、詳細な情報を手に入れることも可能だろう。だが、あくまでそれは机上での話だ。実際に経験した訳でもない三神が、彼らが何を願い、何を思ったのかは知りえない。
 あまつさえ、今は徐々にではあるが未来を変え始めている。それが与える影響を、異質であってもあくまで人の身である白銀と三神には読みきることはできない。

(多分、庄司は沙霧大尉と交渉する気だ………)

 彼がクーデターの旗頭であることを考えると、そこを落とすのが一番手っ取り早く効率がいい。故に、沙霧尚哉という人物についてある程度知っておく必要があるのだ。
 交渉の基本はプロファイリングから―――というのは、以前聞いた三神の弁である。

「ご冗談を。殿下の御前で道化を振舞える胆力を持つ程の貴方が読めないと?」
「それは過大評価だよ鎧衣課長。私はあくまで凡人だ。ただ、交渉に関しては昔取った杵柄であるだけだ」
「ほほぅ。ではただの凡人が斑鳩少佐と互角の勝負を演じれますかな?」
「そちらは経験の差だ。世界を繰り返す私は、見た目通りの年齢ではないのでね」

 白銀が熟考している間にも、道化二人が腹の探り合いをしていく。しかし、三神が軽く手を上げて話を切り上げにかかった。

「焦らなくても11日を過ぎれば、私がどのように世界を繰り返しているかきちんと話すよ、鎧衣課長。―――無論、今後日本がどうなっていくかも」
「その為のドードー鳥、ですかな?」
「解り切っている事を問うのを愚問、と言うそうだよ鎧衣課長」

 成程、と鎧衣は呟いてその口を閉ざした。だが。

「で?狸の密談はもういいのかしら?」
「密談とは人聞きが悪いですな香月博士。―――嫉妬ですかな?」
「おやおや稀代の天才に妬かれるとは我々も気に入られたものだな鎧衣課長。―――不倫のお誘いは良心が痛むので遠慮願いたいが」

 香月が口を挟むと、二人して遊びにかかった。びきり、と部屋全体が軋んだのを白銀と月詠は感じた。

「ほぅ。三神少佐は既婚者でしたか」
「『前の世界』で、だがね。―――それよりも話を進めようか。先程から騎士と救世主と魔女の視線が痛いのでね。特に魔女の視線は石化成分でも入っているかのようだ」

 再び探られるのを嫌ったのだろう、珍しく素直に三神は話を戻した。それを見計らって、月詠が嘆息混じりに皆を見渡してこう告げる。

「11月11日は三神少佐の御希望通りに実弾演習が組まれました。―――殿下も御出陣なさります」
『―――っ!?』

 最後の一言に、白銀と三神、そして香月の息を飲む音が重なる。

「殿下が!?そんな、危険ですっ!!」

 最初に声を挙げたのは白銀だ。しかし月詠は首を左右に振る。

「それは殿下も御承知の上だ、白銀中尉。―――我々とて、お止めしたんだがな」
「へぇ、じゃぁ搬入予定の紫の武御雷は無しになるのかしら?」

 総戦技演習を超えた段階で搬入の打診があったのだが、殿下自ら戦場に立つとなると、紫の武御雷は彼女が乗ることとなる。だが、それさえも月詠は否定した。

「いえ、紫―――R型は予定通り搬入されます。殿下がお乗りになるのは、政威大将軍専用機のR型ではなく煌武院家に与えられたR型―――蒼の武御雷を紫に塗装しなおしたものです」

 五摂家には蒼い武御雷が与えられている。即ち、悠陽は将軍機としての一機と五摂家煌武院としての一機を持っているのだ。そして間違いなく彼女の配置は最後方。つまるところ指揮者の立ち位置だ。であるならば、見てくれが同じなら何の問題もない。

「張りぼてって訳か………。まぁ、それでも武御雷なんだけど。―――でも、いいんですか?仮にも政威大将軍が乗る機体がそれで」
「本来ならば良くない。だが、殿下の御意思だ」
「そう、ですか………」

 言いながら、白銀は考える。これは多分、この間の話のせいだなと。この間、白銀がその素性を明かした際、御剣が紫の武御雷を駆って戦った話も含まれていた。おそらく、それを思って彼女は予定通り紫の武御雷を搬入させ、自身は再塗裝したR型に乗ることにしたのだろう。すぐに御剣が紫の武御雷に乗ることはなくとも、自分の意志を示しておく為に。
 ―――姉として、ささやかであっても妹の力になる為に。

「月詠中尉。一つ聞いておきたい。殿下は―――覚悟なされたのか?」

 三神に問われ、しかし月詠はすぐには答えなかった。おそらく、部外者にそれを話していいのかどうか迷ったのだろう。だが、やがて意を決すると。

「………まだ、揺れておられるようです。ですが―――」



 きっと、当日までには御覚悟されることでしょう―――。



 迷いなく言い切る彼女の瞳には、揺るぎない忠義の色があった。






「とりあえず、うまく行っているようね。―――仕掛け人としては嬉しい限りかしら?」
「これに満足せず、予定通りに進めなければならないがな。全く―――毎度毎度綱渡りの連続だよ」

 鎧衣課長と月詠が退出した執務室で、狐と狸が化かし合う。白銀はそれを見やりながら、実は別のことを考えていた。

(沙霧大尉、か………)

 思うのは先程も話に挙がっていた憂国の烈士の事だ。
 まず間違い無く、三神は彼をこちら側に引き込む為に何らかの交渉を行うはずだ。それがどのようなものかは白銀には分からない。分からないが―――。

(………オレは、あの人の間違いを知ってる)

 彼らの想いや行動の是非はともかく、責任の取り方を履き違えている。それだけは断言できた。
 直接面と向かって話すことはなかった。いや、数ある確率時空の中で、出会ったことはあるかもしれない。しかしそれを記憶として持っていない以上、白銀武と沙霧尚哉は初対面だ。
 だが―――。

(今この世界で、『あの世界の彩峰』の気持ちを知っているのは………オレだけだ)

 あの無口な少女は、思いの外激情をその心に宿している。そして手紙の件もある以上、沙霧尚哉を他人任せには出来ない。

(庄司には悪いけど………)

 相棒の段取りを崩すようで申し訳ないが、それでも白銀はそれを譲るつもりはなかった。だからその旨を三神に伝えようとし―――。

「ところで香月女史に一つ尋ねるが―――11日にBETAを捕獲するつもりかな?」
「………!」

 口を閉ざした。そう言えばまだこの件について彼女に話してなかったな、と今更ながら思う。
 しかし香月は三神の言葉に訝しげな視線を寄越した後、得心したように手を叩いた。

「―――ああ、そういう事」

 そして、チェシャ猫のような笑みを艶然と浮かべた。

「やらないわよ」

 その唐突な言語に、白銀も、問いを投げかけた三神でさえも硬直する。それを見て、更には今まで散々良いようにされてきた憂さ晴らしもあってか、ふふんと彼女は上機嫌に言う。

「やらないって言ったの。―――こっちにも考えがあるのよ」
「………それは、情かね?」

 搾り出すような三神の問い掛けに、しかし香月は目を細めるだけだ。

「………アンタ達に隠すのは無駄のようだから、この際言っておきましょうか。―――両方よ」

 何と何を取るために、とは彼女は言わない。しかし白銀とて黙ってはいられない。結果的には望むところとは言え、その程度で止めてしまうのならば、何故『前の世界』であんな事をしたのか。

「でも夕呼先生は―――!」
「確かに、今の基地の雰囲気は気に入らないわ。それを改善する手として、BETAをぶつけることも考えたぐらいだしね」
「じゃぁ、まりもちゃんですか?」
「言ったでしょ?それもあるし―――もう一つ、理由があるのよ。それがあるから基地の雰囲気を変える必要性はないの。使える手駒は必要だけど、腑抜けた手駒が何人死んだって、あたしは一向に構わないしね」

 それは何か、と視線で白銀と三神の二人は問うが、しかし魔女は彼らを突き放す。

「言うわけ無いでしょ?『今』のあたし達は、単なる協力者の集まりよ。―――味方や仲間じゃないの」

 そもそも、そうなる為の11月11日でしょう?と問われ、二人は閉口する。確かにその通りだ。11月11日の未来証明は二人の存在証明に直結する。即ち、それが済まなければ魔女は二人を仲間とは認めない。

「取り敢えず、当日に余分なことはさせるつもりないから、精精あの子たちが生き残れるように尽力しなさい。―――今日のところは、これでおしまいよ」

 そう言って、香月は二人を部屋から追い出した。






「………どう思う?庄司」
「………正直、読めない」

 執務室から追い出され、白銀と三神の二人はB19階の廊下を並んで歩きつつ香月の行動についての所感を述べていた。地獄に堕ちることを覚悟している彼女が、今更生温い情に流される事はないだろう。だとすれば、本人も言っていたようにあの言動には何かしらの意図がある。だが、その意図が二人には分からなかった。
 しかしながら、それはいずれ話されることだろうと白銀は思う。彼女自身が『今』は単なる協力者の集まりと言っていたのだ。
 であるならば―――11月11日。未来証明が為され魔女の仲間となったその日以降に何らかの説明があるはずだと。
 だとすれば―――。

「なぁ」
「………武。お人好しも度が過ぎると病気だぞ?」

 三神に話しかけ、しかし白銀の言葉を先回りして彼は半眼でこちらを見てくる。

「ゔ………分かったのか?」
「どうせ、香月女史がやらないなら私達でやろうと言うんだろう?」
「………駄目か?」
「駄目だ。………と言いたい所だが、お前がそうしたいなら手伝ってやるよ」

 即ち、基地内の改善だ。これについては色々と案があるが、どうせだから207B分隊を巻き込もうと白銀が言い出し、三神は訝しながらもそれに沿ったプランを組んだ。
 そして、地上に向かうエレベーターに乗った時に、白銀は意を決してこう尋ねた。

「憂国のドードー鳥って、沙霧大尉達の事だろ?」
「―――まぁ、お前には分かるよな。あの場には月詠中尉がいたからああいう遠まわしな言い方をしたが」

 まぁな、と白銀は頷いて、更に問いかけを重ねた。

「あのさ、11日に交渉するのか?」
「まさか。幾ら何でも戦闘中にそんな事できるか。一当して、表舞台に引っ張り出す段取りを組むだけだ。実質的な交渉は、その後だな」

 この件での交渉とは、沙霧尚哉の取り込みだ。その後に殿下に引き合わせる、と三神は言う。直接会わせれば早いのだが、それではネズミに感づかれる可能性がある。だから11月11日に表舞台に引っ張り出すための段取りを組む必要性があるのだ。

「なんで殿下を交渉の場に出さないんだ?沙霧大尉は殿下に忠誠を誓ってるし、話はスムーズに行くと思うけど」
「確かにその方が話が早いのだが―――忠誠を誓う殿下の前で私が場を掌握してしまえば、殿下は国連軍に誑かされていると思われてしまう可能性が高い。逆にしなければしないで一般の日本人が持つ国連軍への悪感情や不信感を払拭出来ないだろう」

 そうなれば殿下がいたところで交渉など出来はしないだろう。良くも悪くも日本人である彼が一度そう思い込んでしまえば、再交渉も難しい。
 故に、まずは一人の国連軍人として交渉に当たり、国連軍への悪感情や不信感を払拭。然る後にある程度の真実という楔を打ち込み、殿下に引き合わせる。
 かなり迂遠な段取りを組まなければならないが、クーデターを無血で終わらせるには彼の協力が絶対に必要だ。
 だから白銀は三神が提示した段取りに納得するように頷いて、そして告げる。

「じゃぁ、さ………。表舞台に引っ張り出した後の交渉―――オレがやってもいいか?」
「―――!」

 尋ねた瞬間、三神が目を見開き酷く狼狽した。

「………庄司?」

 その様子を不審に思った白銀が訝しげに名を呼ぶと、彼は我に返って慌てたように表情を取り繕った。

「あ………いや、何だ?」
「だから、沙霧大尉との交渉だって。オレがやってもいいか?」
「………何故―――何故、そんな事を?」

 ああ、と白銀は頷いて先程考えていた事を話し始める。

「『前の世界』の時にさ、オレはあの人ときちんと話す機会はなかったけど………何かを変えたいって強い気持ちは分かったんだ」

 それは、目的は違っても、白銀も持っているものだ。
 沙霧尚哉は日本を変えたくて。
 白銀武は未来を変えたくて。

「あの行動が正しかったか間違ってたかどうかは分からない。あの事件は色々な思惑があって、結果的に良い方に収束したけど―――犠牲が出すぎた。当然、沙霧大尉もそれは覚悟の上だったんだろうけどさ」

 だが、日本を変えた沙霧尚哉が得られず、未来を変えた白銀武が得たものがある。

「何かを変えたいって気持ちがあるんなら―――気づかなきゃいけないんだ。オレは………気づくのが遅すぎたから」

 その結果が、恩師二人の命と、幼馴染の犠牲だった。
 白銀武が得て、喪ったもの。それを、沙霧尚哉に伝える。そうすることできっと―――彼等を救えると白銀は思う。

「………一つだけ条件がある」

 今まで黙してきた三神が、大きな吐息と共に人差し指を立てた。

「せめて私の手解きを受けてくれ。書類上でしか知らないが沙霧大尉は、良くも悪くも日本人らしいからな。―――交渉術は必須だろう?」






 夜。基地の屋上で三神は虚空を睨んでいた。

(何なんだこれは………!)

 苛立ちを隠そうともせず、口に銜えた煙草のフィルターを噛み潰しながら、フェンスの金網を握る。
 執務室での一件以降、彼はA-01の教導には戻らず、香月の擬似生体に掛かり切りだった。だがそれは仕事ではなく―――胸の奥で渦巻く、齟齬を振り払うための現実逃避だった。
 しかしそれも限界がある。集中力が切れた三神は、一服すべく屋上へと上がったのだが、何もしていなければ何もしていないで思い出すのは昼間に感じた得体のしれない齟齬だった。

(全て上手く行っているはずだ………だというのに何故ここで予定外の行動に出る?)

 月詠中尉と鎧衣課長がいた時までは良かった。殿下が出陣する話も、予測のついたことだ。だが、その後が違和感の連続だった。

(香月女史の思惑、武の申し出………しかし変化点としては小さいはずだ。殿下に謁見し、情勢を下地から変えていくのだからこうした部分が出てくるのは、予め分かってたはずだ………!)

 だというのに。

(何故だっ!?何故こうも苛立つ………っ!?)

 僅かな、ほんの僅かな変化点が許容できない。理性ではなく本能が、致命的な何かが起こっていると警鐘を鳴らしている。それが何に対しての致命的なのかは分からない。だが、この齟齬を許容することは、なにかとてつもない見落としに繋がる気がしてならない。

「落ち着け………万事上手く行っている。修正するべき箇所はまだ無い。無いはずだ………!」

 金網を握り締め、彼は自分に言い聞かせるように呟く。その齟齬の正体に気づくこともなく、得体の知れない不安に押し潰されないように―――強く。
 半月が、ただただ道化を照らしていた―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第十九章   ~改善の流儀~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:13
11月3日

 時刻は起床ラッパを少し過ぎてから。高等演習機の搬入で教え子達が未だはしゃいでいるハンガーを後にした神宮司は、小さく笑みを浮かべていた。思うのはここ数日のことだ。

(通常通りの教程なら、歴代最速でしょうね………)

 207B分隊が戦術機教習課程に移ってから、メインとなる教官は神宮司から白銀に移った。しかしながら、彼たっての希望もあって―――本人曰く、自分は教官としては未熟で先達として指導して欲しいとのこと―――座学やシミュレーターの設定といった細々とした部分を任されている。まぁ、戦術機教程に移ったらすぐさま御役目御免となることはないと思っていたので、これについては予想内であった。
 予想外と言えば、訓練の内容だ。
 総戦技演習が始まる前日に、神宮司は教え子達に先んじて新OS―――即ち、XM3に触れる機会があった。
 その時の神宮司が思ったことはたった一つ。
 ―――価値観が変わった、である。
 最初の方こそそのピーキーな即応性と挙動に戸惑ったものだが、一度慣れてしまえばその恩恵は計り知れないものがあった。
 先行入力、キャンセル、コンボ。
 最後のコンボに至ってはまだ把握し切れていないが、少し触っただけでも今までのOSのどのヴァージョンよりも優れているのは理解できた。特にキャンセルは、もしも戦術機の黎明時代にあれば、幾人の衛士を救ったのか分からないほどだ。無論、たらればを語ったところで、何がどうなるわけでもないのは彼女自身よく分かってはいるのだが。
 ともあれ、そんなOSを発案し、それを訓練兵に最初から教え込むために白銀武という中尉は207B分隊の特別教官に就任したのである。207B分隊の面々は元より、神宮司も彼がどんな教導を行うのか興味があった。
 それを見た率直な感想は―――。

(予想外という言葉以外の感想が出てこないわね………)

 彼は、通常の訓練課程を彼女達に課さなかった。彼女達をシミュレーターに乗せると、ある教習データを展開させたのだ。
 対ハイヴ突入作戦―――それの、地上陽動戦。あの三神とかいう若い少佐が作ったというその教習データに、訓練兵をいきなり放り込んだのだ。
 無茶だとは思ったが、しかしながらいきなり戦わせたと言うわけではない。最初はハイヴ防衛の為に展開している全てのBETAは動いておらず、停止しているだけだった。ベテランである神宮司にとって忌々しいあの異形共が呆けたように停止している様は中々に滑稽だったが、シミュレーターとは言え、初めてそれを目の当たりにする訓練兵達は総じて顔を青ざめさせていた。しかし誰も悲鳴を上げたり降りようとしなかったのは教官として誇らしく思った。シミュレーターのリアルな網膜投影で、あの異形が初見ともなると一種のトラウマになっても不思議ではなかったのだ。
 ともあれ、神宮司の心配はよそに、白銀は通常行うような基礎課程を始めた。無論、BETAの大群の中でだ。
 まずは歩くこと、走ること、曲がること、跳ぶこと。戦術機を動かすに当たって覚えなければならないことは山のようにあるとは言え、座学や事前に配布しておいたマニュアルによってある程度知識を身につけていた207B分隊は、周囲がBETAだらけというかなり特殊な状況の中おっかなびっくり『順調』に基礎課程を進んでいき―――。

(応用課程と同時にBETAの講座、か)

 よもや応用課程の最中にBETAを動かすとは思わなかった。
 とは言うものの、無論攻撃はしてこない。ただ無秩序に歩くだけだった。応用課程はそれらを避けつつ目標地点に到達するというものだったのだ。そしてBETAを避けさせつつ、白銀はBETAに対する知識を彼女達に教えていった。例えば突撃級は正面外殻こそ硬いが旋回性能が低いので極低空で飛び越えて背後を取ってしまえば割と簡単に撃破できるだとか、要撃級の頭のような尾は感覚器の役割を担っておりこれに36mmを数発叩き込んでおくだけで動きがかなり鈍るだとか、今後衛士として生きて行く上で非常に有益となる情報をだ。
 戦術機に乗っていればBETA一匹一匹は大した事はない、問題なのはその数だ―――と何度も繰り返しながら。
 彼女達がそうした情報を入手し、戦術機の扱いにも次第に慣れてきた頃、彼は武器とポジションの説明に移り、実際に動き回るだけのBETAを撃破させる。

 ―――どうだ、倒すだけなら簡単だろ?

 あの時の悪戯小僧のような表情を神宮司はこれから先、一生忘れることはないだろう。最初の内は顔を青ざめさせていた207B分隊。しかしBETAが十分人の対抗出来る生き物なのだと認識でき、人心地ついたところで―――。

(全BETAが攻撃してくるなんて………)

 今まで無秩序に歩くだけだったBETAが突如一斉に襲いかかってくるのだ。彼女達が受けた衝撃は計り知れないだろう。前を見ても後ろを見ても右を見ても左を見てもそこかしこにBETAだらけ。津波のように押し寄せる敵に、207B分隊は応戦虚しく呑み込まれ、唯一空に逃げ延びた彩峰も即座に光線級に叩き落とされた。
 教官という立場上、鬼の扱きを訓練兵に与えるのが仕事とも言える神宮司だが―――あれは少し可哀想に思えたほどだ。

(でも、あの子達はそれで自分達の楽観を過ちだと認められた)

 無尽蔵とも言えるBETA群に対し、戦術機一機が持てる武装は限られる。機体やポジションにも寄るが、36mmであれば予備弾倉も含めおおよそ10000発。120mmであればこれも予備弾倉を含め18発。確かに一発一殺出来ればそれこそ一騎当千の力を発揮できるだろうが、そうもいかない。小型種ならばともかく大型種は一発では殺しきれないし、腕によっては無駄弾だって使ってしまうだろう。
 衛士一人に戦術機一機。
 軍隊に於いてそれは消耗品で量られるものであっても、直ぐさま供給できる程安くはない。であるからこそ、対BETA戦に於いては補給や兵站―――そして積載した武器を一発も残すこと無く使い切れる程の生存能力が重要なのだ。

(そして中尉は、それを教えようとしている)

 BETAを倒す―――それを行うためには、何よりも生き残ることが肝要だ。そして一人だけでは決して生き残ることは出来ない。だからこそ、部隊があるのだ。

「貴方達にとっては、ここからが本当の戦いよ―――」

 背後に向けて投げかける言葉に、応える者はいなかった。






 御剣はハンガーの一番奥に搬入された機体を見ていた。
 今日の朝、自分達の演習機である吹雪が搬入されると聞いて、少し寝不足になるほど喜んだものだ。前回の総戦技演習に落ちてからというもの、自分達は訓練兵としてでさえ一人前ではないのだと思い知らされ、どん底にいたと言ってもいい。そこをやっと抜け、衛士を目指す為のスタートラインに立てた。そして、新たなステップへ進むために、自分の機体が搬入されてくるのだ。これで気が昂ぶらない訳がない。
 そして実際に吹雪が搬入されると、確かに感慨深いものがあった。国連カラーの吹雪。自分達が初めて触れる機体。これが本当に最初の一歩なのだと、そう思えた。
 だが、そんな御剣の感慨を吹き飛ばすように、その機体が搬入されたのだ。
 紫の武御雷―――。
 日本に於いて、これほど特別の意味を孕んだ機体は他に類を見ない。この特別な機体が何故この国連軍の基地にあるのか。他の誰に分からなくても御剣には分かる。
 だからこそ、贈り主の気持ちは素直に嬉しく思う。しかし、自分は未だ一介の訓練兵だ。そしてそれ以上に、国連軍に所属している以上武御雷に乗る資格はない。例え御剣冥夜という人間に、いかなる秘密があろうとも、だ。
 贈り主の気持ちを理解しつつ、しかしこればかりは突き返さなければならない。それを憂鬱に思って、御剣は深く吐息する。その時だった。

「紫の武御雷が気になるか?」
「―――!!タケル………」

 隣に白銀が立ち、そう尋ねてきた。

「そんな驚くことじゃないだろ。―――前にオレはお前達の『特別な事情』を知ってるって、言ったろ?」

 息を飲む御剣に、しかし白銀はあくまで軽く言う。

「そう、であったな………」

 特別教官として就任した時に、確かに言っていたと御剣は思い出しながら頷く。無論、どこまで知っているのかは、彼女には分からないのだが。
 行こうぜ、と白銀に促され、御剣は武御雷のガントリーへと足を向ける。

「………そなたは、不思議な男だな」
「彩峰の方が不思議なやつだぞ」
「ばか………そういうことではない」

 武御雷の足元からその厳しい頭部を見上げ、御剣は吐息する。

「あれを武御雷と知っても………そなたは、変わらないのだな………。私が―――」
「はいストップ。―――正直、どうでもいいんだよ」

 白銀は片手を挙げて御剣の言葉を遮るとそう言った。ある意味突き放しとも言える言葉に、御剣は鼻白む。

「ど、どうでもいい………?」
「ああ、どうでもいいね。―――どんな生まれであろうが、オレにとって冥夜は冥夜だ。他の誰がなんと言おうと、それが変わる訳じゃないんだよ。だから―――例え誰から武御雷を託されようが、オレにとっちゃそれはどうでもいい事なんだよ」
「タケル………」

 半ば呆然とする御剣に、白銀は笑みを浮かべるだけだ。

「あんまり気にしないことだ、冥夜。今は分不相応だっていうなら、これから相応になっていけばいいんだから。―――この武御雷は、その時の為に取っておけ」
「しかし………」
「おいおい、教官の命令が聞けないのか~?じゃぁ、取っておきの理由を教えてやるよ。この武御雷にはな―――XM3が搭載されるんだよ」
「何………?」
「機密が絡むから詳しくは言わないけど、これがここにあるのは、日本側の打算もあるってこと。勿論、国連にもな」

 無論、これはでっち上げである。確かにXM3は搭載予定だが、それは11月11日を超えてから―――より正確に言うならば、白銀と三神の存在証明が出来てからだ。
 本来の意図は、彼女の姉の意志によるものだ。
 しかしながら後者だけならば御剣が拒絶してしまいそうなので、前者のような理由の方が受け入れ易いだろうと思ったのでそうしたのだ。

「政治絡み、か………」

 事実、彼女は複雑な表情を浮かべてはいたが、そこに拒否の感情は見えなかった。
 そういう事、と締めくくった白銀は紫の武御雷を見上げる。

(―――ありがとうな。お前には『前の世界』で助けてもらったからさ、きちんと礼を言いたかったんだよ)

 返答が無い事が分かっていながら、しかし白銀は苦笑しつつも心の中で頭を垂れた。
 あ号標的との死闘の際、もしもこれを駆る御剣が現れなければ、自分はそこで終わっていただろうと思う。その時には既に鑑純夏と結ばれており、因果導体では無くなっていたのだ。もしもそこで死んでしまっていれば―――もうループすることはなかった。
 即ち、白銀武という存在の終焉の危機だったのだ。

(いつか―――いつか冥夜達にもオレの事を話してさ、その時にもう一度、今度は声に出してありがとうって言うよ)

 魔女の枷は既に解かれている。白銀が望めば、自らの事情を誰かに話すことはできる。『だからこそ』、今はまだ伏せておこうと思っていた。
 今、207B分隊は成長期だ。言い換えれば非常に不安定な時期と言ってもいい。そんな中、自分の自己満足の為だけに話す気は無かった。だからこそ、白銀武が再び誰かの前で『おとぎばなし』を語るのは―――。

(桜花作戦が終わってから、だな………)

 今度こそ、みんなで生き残ろう。そして、その時こそ自分の辿ってきた道を語って聞かせるのだ。
 出会った人達の事を。
 別れた人達の事を。
 命を賭して、世界を守った人達の事を。
 やっと一人前になった、一人の衛士として―――誰よりも、誇らしく。






 ここ横浜基地の整備兵の中には、親方と呼ばれる男がいる。
 元々は日本人、それも帝国軍に所属の整備大隊長をしていたが横浜基地が国連軍に接収されると同時に部隊ごと出向になった。まぁ、事実上の転籍である。何処の国も部署も人手不足のこのご時世、本来所属する軍が変わるというのは在り得ないのだが―――親方とその一派に関しては特殊例だった。と言うのも、それには不知火が大きく関わっている。
 不知火は日本製の戦術機だ。それも帝国軍の次期主力機であり、独自の発想や技術も盛り込まれている。それが国連基地にあるのは何故か―――全ては、オルタネイティヴ計画にある。
 『計画に関わる設備、装備、補助人員は現地政府が提供する』という通例があるのだ。
 これにより、当時の最新鋭機である不知火の導入が決定された。無論、それが決まるまでに色々と揉めたが、オルタネイティヴ第四計画の成否が国益にそのまま直結するために条件付きで不知火は導入されることとなった。
 その条件というのが、『不知火に関わる人間は全て日本人とする』というものである。
 当然衛士は言うまでもなく、整備兵もである。
 無論、そうした裏事情を一介の整備兵である親方自身が知る由もないが、不知火を直接整備していれば薄々は気づく。何しろ国連の基地なのにも関わらず、日本人以外が自分の部隊に編入されてこないのだから。

(整備兵としちゃぁ、楽しいっちゃ楽しいんだがなぁ………)

 A-01の不知火が収められているハンガーの一角で、口に蓄えた白髭を撫でながら、親方は鷲鼻の機首を上げる。厳しい眼光が見据えるのは、先程搬入されてきたUNブルーの二機の不知火。そして、同時に開発部の方から回ってきた、改造用パーツ。

(俺も整備兵やって長いが―――ここまで大掛かりな改造を頼まれたのは初めてだ)

 一昨日のことだ。最近配属されたらしい歳若い少佐と中尉が差し入れと一緒に挨拶に来た。まぁ、それ自体は別にいい。現場をよく知る人間ならば、部隊内の連携と同等―――あるいはそれ以上に自らの命を預ける機体を整備する人間との信頼関係は非常に大事なのだ、と親方は思っている。
 親方の経験上、多少腕に覚えがあり天狗になってる衛士や、まだそこまで気が回らない若造などはそう言った部分をおろそかにする。無論、整備兵はプロの集団だ。感情で仕事をするわけではないが、プロであると同時にやはり人間なのだ。蔑ろにされて気分がいい訳がない。
 特に、親方は新しく搬入されて来たこの二機の不知火の機付長である。その少佐と中尉がこの不知火に乗る以上、これから多く顔を合わせていくことになるだろうし、きちんと挨拶に来る事は素直に好ましく思った。
 だがその時に、不知火改造の話を聞かされた。
 その少佐が言うには、何でも開発部から追加噴射機構なるものが新しく作られ回ってくるので、それを自分達の不知火に装備して欲しいとのことだった。
 当然、訝しげには思った。
 不知火という機体の特性上、拡張性が犠牲にされており、それ故にある意味芸術的なまでの絶妙なバランスを保っている。その為、下手な改造は機体バランスを悪戯に崩してしまうだけだ。現場の衛士や、開発部がそれを分かっていないはずがない。なのに何故、改造の話が出てくるのか、と。
 そして今日、いざ回ってきたパーツを見て得心した。成程、確かにこれは正しく追加噴射機構だ。

(機体の両肩部の後ろ、そして両脹脛の後ろ側にオルガン展開式の小型噴射機構を付けるのか。確かにそれだけだったら機体重量は少し嵩むぐらいで済むし、あの新型OS乗っけてるから、総合的にはノーマルの不知火よりは高機動にはなるわな)

 パーツ搬入と同時に回ってきた要領書に視線を落としながら、親方は思う。
 無論、燃料は通常の跳躍ユニットと違って主脚からの供給に限られているので過度の使用は出来ないだろうが、ここぞという時に瞬間的な加速ができるのは衛士として有難いだろう。
 加えて、これだけならば機体バランスもアライメントを調整するだけでどうにでもなる。むしろ一番の問題は―――。

(常時使うわけではないとは言え―――平均で燃費は15パーセント増しか。割に合わなくはないが、関節負担を考えるとな………)

 関節各部への負担である。
 元来、戦術機の関節自体が構造上強いとは言えない。無論、世代を越えるごとに進化してはいるが、これは技術開発の問題ではなく運用環境―――平たく言えば重力に問題がある。
 あんな鋼鉄の塊が飛んだり跳ねたりすれば、当然、着地の瞬間に凄まじい程の負荷が関節に掛かるのだ。
 巧い衛士になると、着地の直前に極短距離噴射を行うことによって衝撃を和らげるなどという芸当を熟すようだが―――。

(それ以上に、XM3が問題だよなぁ………)

 確かに、画期的なOSなのは認める。
 先んじてA-01の不知火に導入する際、親方率いる整備大隊はまとめてXM3の講習を受けた。と言うのも、整備の時に少し動かしたりする際にわざわざ衛士を呼んで乗ってもらうのは手間になるのである。ちなみに、何もこれは親方の部隊に限らない。何処の整備部隊の整備兵もある程度は戦術機の動かし方を知っている。場合によっては戦闘することだってあるのだ。何処の国かは忘れたが、補充要員の到着が遅れ、その隙にBETAに襲撃された時に戦術機を駆って大暴れした整備兵がいるらしい。
 それはともかくとして―――確かにXM3は優秀だ。
 しかし、それをハード側―――即ち、機体側が受け入れきれていないと親方は感じた。

(まぁ、確かにXM3用に作られた機体なんか世界中探してもないだろうけどよ………)

 三割も向上した即応性はまだいい。だが、キャンセルが問題だ。あらゆるシークエンスを即時停止させる事のできるキャンセルは確かに便利だが、その分機体に負担をかける。

(それに加えて、この追加噴射機構か………)

 全く以て頭が痛い。これから先、きっと間違いなく関節摩耗で頭を悩ますことは想像に難くないのである。
 どうすっかなー、とか考えていると背後から声がかかった。

「すいません親方!お待たせしました!!」
「遅ぇぞテツ!!何処で油売ってやがった!?」

 振り返ると、そこには背の低い男がいた。いや、背だけではない。顔立ちも幼く、体も華奢な少年である。しかしテツと呼ばれたその少年は、実は既に立派な30代で、親方とも帝国軍時代からの付き合いである。

「いやぁすみません。8番機で不具合が出てましてね。様子を見に行ってたんですよ」
「箇所と不具合内容と原因は?」
「箇所は右のマニピュレータ。内容は動作確認中に動かなくなったようです。原因はハーネスの経年劣化ですね。端子が割れて接触不良になってました。おそらくは昨日やった実機演習でヒビが入ってて、それが動作確認中に割れてスッポ抜けたんじゃないかと。予備はあるのでそれと替えるように指示は出してきましたよ」
「―――追加の発注は?」
「しておきました。ついでに、他の機体にも似たようなケースが無いかチェックするように指示も出しておきましたよ」
「ふん。そうか」

 ぽんぽんとテンポよく会話をし、二人して吐息する。

「忙しい、ですね」
「ああ、全くだ」
「その割には暇しているように見えたんですが」
「テメェが来んのが遅ぇからだ」
「僕は副長としての仕事をしていただけなんですが」
「俺は隊長としての仕事をする為に待ったんだが?」

 さいですか、とテツは肩をすくめ、ハンガー脇に積まれた追加噴射機構を見る。

「それが例の改造用パーツですか?」
「ああ、思ってたのよりもよく出来てるよ」

 要領書を手渡され、テツはそれに視線を落とす。ふむふむと何度か頷いて。

「また関節に負担を掛けそうな仕様ですねぇ………」
「全くだ。XM3と言い―――テツを殺す気か」
「―――。親方。何故僕が死ぬんですか?詳しく聞きたいんですけど」

 半眼になって尋ねるテツに、しかし親方は大真面目に頷いて一言。

「過労だ」
「いや、それは親方もでしょう?」
「大丈夫だ。俺は適度に休息を取る。俺の仕事はお前がやる。―――完璧だろう?」
「ええ、完璧に僕を殺す気ですね?」
「まぁ、取り敢えず今日中にこれ組んじまうぞ。それが終わったら機体本体の調整と動作テストだ。―――テツ一人で」

 この鬼上司ーっ!!という悲哀の叫びがハンガーに響き渡った。







11月4日


 時刻は昼過ぎ。
 初めての実機演習を終えて、PXで207B分隊の面々と昼食をとっていた白銀は、楽しく談笑しつつも別のことを考えていた。

(あー………今回は、思ったよりも早かったな)

 横目に見やる先には、ちらちらとこちらを見る正規兵が二人。三回目ともなると、怒りよりも呆れのほうが来るから不思議だ。最も、彼らに取ってはこれが初めてなのだが。
 前の世界、そしてその前の世界では吹雪と紫の武御雷搬入の四日後に現れたのだが、今回は翌日だった。

(まぁ、何にしても11日より前に来てくれて助かった。あんま遅すぎると、機体の整備が大変だしな)

 彼等には申し訳ないが207B分隊成長の為にも一肌脱いでもらいますか、と苦笑すると白銀は階級章を外してポケットへと仕舞う。そして視線を周囲に巡らせれば―――。

(あ、いたいた。霞ー、庄司呼んでくれー)

 少し離れた位置で昼食を取っていた社に念を送ると、彼女は一度こちらを見て対面に座る三神へと何か言葉を放つ。それを聞いた彼はやおらこちらへと視線を投げて寄越し、頷いた。
 了解の合図だ。

(うし。これで後は絡まれるだけだな。取り敢えず、みんなが気づく前に動くか)

 さて行くか、と席を立とうとすると鎧衣が小首をかしげた。

「タケルー?どうしたの?さっきからキョロキョロして」
「いや、なんでもないよ。それよりオレ、ちょっと便所行ってくるわ」

 白銀はそう断りを入れて、今度こそ椅子から立ち上がった。
 そしてこちらを見る正規兵二人の前を横切るように通過して―――。

「おい、そこの訓練兵」

 声を掛けられた。振り向くと、男女二人組の正規兵がこちらを見下すように見ていた。階級章を見ると、二人とも少尉だ。

「はっ。自分でしょうか?」
「お前以外にいないだろ?」

 明らかに馬鹿にしたような態度に、白銀は内心辟易しながら彼らを見る。

「………なにか御用でしょうか?少尉殿」
「お前らの隊はあそこにいるので全部か?」
「はい。それがどうかしましたか?」
「ハンガーにある特別機………。帝国斯衛軍の新型は誰のだ?お前らの中の誰か用だと聞いたが―――何であんなモンがここにある?」

 んなもん、お前らに何の関係があるんだよ、と思いつつ白銀はわざと神経を逆なでするように笑みを浮かべる。

「恐れながら少尉」
「あ?何だ?」
「それは少尉の個人的な興味を満足させるための質問でしょうか?」
「なんだと………?」

 言った途端、二人の雰囲気が剣呑なものへと変わる。
 それを意にも介さず、白銀は続ける。

「それとも『あの機体に搭乗する衛士を探せ』という雑役を遂行中なのでしょうか?」
「お前………誰に口聞いているか、分かっているのか?」
「はい」

 中尉として下級者を諌めてるんだよ、と胸中呟くが当然相手に届くわけがない。

「随分と生意気な口を利くヒヨッコだな」
「少尉がなさるべき事は、他にあると考えますが」
「………なんだと?」
「少なくとも、訓練兵相手にイキがるより有意義な―――」

 直後、男の方の少尉から拳が飛んできた。
 殴打音がPXに響き、そこにいた全ての者が何事かと振り返る。

「―――っ!………気は済まれましたか?」

 そろそろ来る頃だなと身構えていた白銀は、拳を受け軽くよろける演技をしながらも、少尉を見据えて毅然と言い放つ。それを見て、女の方が軽く口笛を吹いた。

「カッコイイねぇ。………少しは骨があるじゃないか」
「この野郎………」

 そして男の方が白銀の懐に入り込むと、その胸倉を掴み上げ―――。



「何を―――やっているのかね?」



 横合いから掛けられた声に、放つ直前だった拳が止まった。訝しげに二人が声の方を振り返ると―――三神がいた。

「え………」
「お………」

 二人は何の用だと文句を言おうとして、その階級章を見て口を紡ぐ。

「何を、やっているのかね?―――と、聞いたのだが?」
「は、はっ………!こ、この者が生意気な口を利きましたので、修正を!!」

 目を細めながら再度問われ、二人は直立不動の姿勢を取り敬礼をするとそう弁明をした。

「そうか。―――白銀、彼等に生意気な口を利いたのかね?」
「はっ!いえ!自分はそのような口を聞いた覚えはありません!!」
「なんだとっ………!?」

 白銀のその物言いに、怒りを顕にする二人だが、しかし三神は小首をかしげた。

「ふむ。意見の相違があるようだね?―――おや?白銀。貴様、階級章は何処にやった?」
「あ………、は、そ、それが、先程強化装備から着替えたときに、ロッカーに置き忘れてしまったようでして、今から取りに行くつもりだったのですが」
「言い訳はいらんよ。―――歯を食いしばれ」

 はっ、と白銀は敬礼すると三神の前へ立ち―――ぶん殴られた。その上、そのまま後方へと吹き飛び、空いたテーブルへと突っ込む。がしゃん、と穏やかではない音がPXに響き、ただでさえ不穏だった空気が沈痛なものへと変わった。
 誰もが見守る中、しかし三神はそれを意にも介さず、白銀を見下すと命令する。周囲にも聞こえるように大きめの声でだ。

「私の部下でありながら、規律を守れないのかね貴様は。自覚が足らないようだ。―――その場で腕立て200!!」
「はっ!」

 何とか立ち上がった白銀は、直ぐ様その場にかがみ込むと、腕立てを始めた。それに一瞥やって、三神は少尉二人の方へと向いた。

「さて―――申し訳ないね少尉。私もこの基地に来て日が浅いのでね、どうも方々から舐められているようだ。情けないと笑ってくれてもいいよ?」
「は、いえ………そのような事は………」
「そうかね。それはよかった。ところで白銀。一つ聞きたいのだが―――中尉である貴様が何故少尉に殴られていたのかね?」
『………えっ!?』

 三神の白銀への訪ねに、しかし驚いたのは少尉二人の方だった。無理も無いだろう。二人は今の今まで白銀を訓練兵だと思っていたのだから。

「おや?その反応は知らなかったのかね?誰に向かって口を聞いているのか―――等と言っていたから、てっきり中尉よりも偉い少尉様なのかと思っていたのだが」

 無論、そんな訳がない。半ば呆然とする少尉二人に、三神は畳みかけるように言葉を続ける。

「随分と生意気な口を利くヒヨッコだな、とも言っていたね?―――白銀。どういう事か説明してくれないかね?」
「はっ!そこの二人が、自分を訓練兵と勘違いし、自分が担当する、訓練兵に関して、何か探る様子を見せたので、何故それを聞くのか、問い返しただけです!」

 説明を求められ、腕立てをしながらの返答なので妙に言葉を区切りながらだが、しっかりと白銀は答えた。

「そしたら殴られたのかね?」
「はっ!そうで、あります!!」

 なるほどなるほど、と三神は頷くと再び少尉二人の方へと向き直った。

「―――少尉。これはどういう事かね?」
「は、いえ、その………」
「少尉。君も軍人ならば、はっきりモノを言いたまえ」

 顔を強ばらせ、しどろもどろになる二人に彼はぴしゃりと言って目付きを鋭いものへと変える。

「全く。上官に暴行、加えて機密を探るとは………反逆でも企てているのかね君達二人は。まぁ、その辺はおいおい調べるとしよう。それよりも君達の上官の元へ私を案内するといい。―――直接陳情してやる」

 佐官直接の陳情という事態に、少尉二人は言葉も出ず震え上がるだけだった。







 その二時間後、207B分隊が使うシミュレーター室に三神が顔を出した。折よく今は神宮寺が分隊の教導をしていたので、白銀はそのまま教導を任せると部屋の壁に背を預けた。

「武。傷の具合はどうだ?」

 三神もそれに倣い背を壁に預けて問いかけた。

「いや、大したことねぇよ。わざと派手に飛んだだけだしな」

 先程の一件は、言うまでもなく茶番である。しかも白銀自身が提案したものだ。
 それより首尾は?と問う白銀に、三神は頷く。

「ああ、問題ない。第7戦術機甲大隊のドラゴン隊との演習を取り付けてきた。―――あの少尉二人は尋問中だ。終わったら営倉行きだな。今回はそれで手打ちだ」

 本来なら大した理由もなく上官殴ったならば、それで済むわけがないが―――今回は結果的に二人を利用した形になったのでこのような温情措置を取った。無論、これも白銀発案である。

「第7のドラゴン隊って―――確か、陽炎が配備されてたよな?ってことは、あの二人、それなりに出来る方なのか………」

 この基地に配備されている戦術機は撃震が13中隊分と陽炎が4中隊分だ。条件付きで提供されている不知火とは違い、他の機体は腕の順番でいい機体に乗れるので、この基地内で陽炎に乗れるというのはそれだけで実力証明になる。
 あの二人もその性格や素行はさて置いて、衛士としては少なくとも中堅以上だったらしい。

「XM3搭載の吹雪相手なら丁度いいのかもな。―――PXの様子はどうだった?」
「上々。元々、お前が夕呼先生の直属って事はみんな知ってたようだし、これで厳しい少佐のイメージも付けれたな」

 それこそが白銀の狙いだった。
 今回の一件で、三神庄司という副司令直下の少佐は自分の部下に対しても決して容赦がないという認識が基地内に広まることとなる。特に三神本来の人となりを知らない人間からしてみれば、彼と出くわせば自然と必要以上の緊張をせざるを得なくなるだろう。
 つまり、以後彼が基地内を出歩けば、それだけで空気が引き締まることになる。三神の仕事に基地内の散歩が含まれた瞬間だった。
 尤も、これだけで万事が解決するとは白銀も思ってはいない。三神とて常に基地内を闊歩できる程暇ではないわけだし、この基地の緩んだ空気は想像以上に根が深い。だが何もやらないよりはマシであるし、それ以上の改善をする為に、正規兵と訓練兵の演習というシチュエーションを用意したのである。

「やれやれ、こんな老人を歩く広告塔にしようだなんて、お前もひどい奴だ」
「言ってろ言ってろ。―――腕立てなんかさせやがって」
「厳しい少佐のイメージのためだ」

 しれっと言い返す三神に、白銀は苦笑して問い掛ける。

「で?演習は明日か?」
「ああ、午後からな。レギュレーションは五対五を二回戦。まぁ、油断してくるだろうから一回目はどうにか勝てるだろう」
「問題は二回目だな」
「そうだ。本気になったベテランを相手に、207B分隊がどこまで戦えるかが肝になるだろう」

 正直厳しいとは思うがな、と三神は加えるが―――。

「まぁ、勝っても負けてもいい経験になるって」

 今回の一件を仕組んだ張本人は、何とも無責任に笑ってた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十章   ~実生の戦術~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/01/30 12:13
11月5日

 その日、レジナルド=コルネリウスは機嫌が悪かった。いや、正確に言えば昨日の昼過ぎからだ。
 レジナルドは15歳の頃に国連に志願した黒人である。彼の故郷では黒人の扱いが悪く、それ故に故郷の軍に志願しても昇進の望みは薄かった。しかし多国籍軍である国連軍ならば、人種による差別は少なく、一定の戦績を示せばそれなりの地位につけると思ったのだ。
 彼は、スラムで生まれ育った。
 両親もなく、兄弟もなく、家もなく。ただ虐げられ生きてきた彼にとって、地位は憧れであり目標であった。その取っ掛かりとして、祖国に強制徴兵される前に国連軍の門戸を叩いた。
 そこからはあっという間だ。
 戦場で生き残る術を身につけ、仲間という絆を結んだ。死にたくなくて、死なせたくなくて足掻いている内に、気づけば大尉に昇進していた。同時に、ふと気づいた時には三十路前だったのだが。
 ともあれ国連太平洋方面第11軍横浜基地第7機甲大隊所属、ドラゴン中隊。
 その中隊長が今のレジナルドの肩書きである。

(―――全く、月始めから碌なことになりませんね………)

 ロッカー室で強化装備に着替えながら思うのは昨日の事だ。
 自分の隊の人間が、この基地の副司令直下の中尉に暴行を働いた。話を聞くと、どうも訓練兵と勘違いした上での蛮行のようだが、理由や経過などはこの際どうでもいい。上官に暴行を働いたという事実が大事なのだ。しかも相手はあの香月副司令直属の部下であるという。
 この横浜基地にあって、司令であるパウル=ラダビノットを差し置いて最大権力者とも言われる香月夕呼。
 その噂は一介の衛士であるレジナルドだって知っている。

(その最大権力に寄りにもよってウチの馬鹿二人が喧嘩を吹っかけるとは―――一体何の嫌がらせですかこれは)

 結果として、件の二人は今現在営倉にぶち込まれている。出てくるまで一週間程掛かるらしい。しかしながら、スパイ容疑や何やらの嫌疑をかけられてのこの措置は、レジナルドでさえ軽い処遇だと思う。レジナルド本人も当事者の上官として嫌疑をかけられたりあの二人の管理責任を追求されると思っていたのだが、簡単な事情説明と普段の素行を調査されただけで、大した御咎はなかった。
 いかなる裏事情があったのかは分からないが、ともあれあの二人にはいい薬になるだろうと思う。
 レジナルド率いるドラゴン隊には、陽炎が配備されている。
 それはこの基地に所属する一般衛士が乗れる、最も良い機体だ。香月傘下の部隊には不知火が配備されているようだが、あれは特殊部隊のようなもので、一般とは少し違う。であらば、この横浜基地に於いて、陽炎に乗れるというのは自然と己が実力証明になるわけである。

(少し、弛んでいますしね………)

 国連の最前線基地である横浜基地ではあるが、実のところここに配属されてから一年近く、レジナルドは実戦に出ていなかった。かと言ってBETAが攻めて来なかった訳ではない。
 今年の二月にも侵攻があったが、防衛基準体制2が発令されただけに留まったのだ。結局のところ、此処に来るまでに日本帝国軍によって殲滅、もしくは撃退されるので、自分達にまでお鉢が回ってこないのである。
 一人の人間としてはあるいは喜ぶべき環境ではある。しかし一人の衛士としては、そうも言ってはいられない。無論、何処の戦闘狂でもあるまいし、レジナルド自身が戦いたい訳ではない。要は、心構えの問題だ。
 件の二人に限らず、これは他の人間にもそれと気付いている自分自身にも当てはまる。

(自分と皆を鍛え直す、いい機会になりますかね?)

 昨日、暴行された衛士の上官が、直接話しに来た。自分よりも年下のようだったが、少佐という階級を持っていること、そして被害者である中尉と同じように香月副司令直属であることを考えると、決して舐めていい相手でないことは一瞬で理解した。
 だからこそ彼の申し出には首を傾げざるを得なかった。
 ―――曰く、自分の部下が育てている訓練兵と実機で模擬戦してくれないか、とのこと。いかなる意図があるのかは不明だが、しかしながらそれを以て件の事件についてはチャラにすると言われれば、レジナルドとて首を縦に振らざるを得ない。
 模擬戦に使う機体は訓練兵が操る吹雪とドラゴン隊の陽炎。
 レギュレーションは五対五を二回戦。
 丁度ウチの馬鹿二人が営倉入りしているため十人しかいないので、人数的には丁度いい。吹雪という機体に関しては高等演習機であることしか知らないが、紛いなりにも第三世代である以上、陽炎よりは上であるだろうと踏んでいる。そしてそこから生まれる機体性能差に関しては、おそらく腕の差でカヴァーできる。
 疑問があるとすれば―――。

(しかし―――模擬戦の様子を基地内に生中継するとは………)

 その歳若い少佐が言うには、訓練兵がどこまでやれるのか、皆に知ってもらいたいとの事だが―――その真意はやはり不明だった。
 しかしいずれにしろ―――。

「情けない姿を見せるわけには、いけませんね」

 眼鏡のブリッジを押上げ、レジナルドは獰猛な笑みを浮かべた。






 その日、榊千鶴は頭が痛かった。
 11月に入ったことにより少し下がった気温によって体調を崩した訳ではない。
 事の起こりは昨日の事だ。
 昼時のPXで、所謂軍人の『修正』というのを初めて目の当たりにした彼女達207B分隊は、当然の如く修正された白銀を心配した。だが当の本人はケロッとしたままで、こんな事を宣ったのである。
 曰く―――明日、正規兵との模擬戦があるから、気合入れていけよ?
 一体何がどうなって正規兵との模擬戦が組まれたのか甚だ疑問ではあるが、唐突に命令を下されるのが軍だ、と以前に言われていたので表面上は何も言わなかった。だが、内容を聞くと段々と頭が痛くなっていったのだ。
 相手は、この横浜基地所属の第7戦術機甲部隊ドラゴン隊のベテラン。機体は陽炎。試合は五対五の二回戦。あちらは一回戦と二回戦では別々の衛士が出ることになる。こちらからはそのまま二連戦だ。使用武装に制限は無く、模擬戦では主に運用経費の問題であまり使われることのない92式多目的自立誘導弾システムも使える。無論、中身は本物ではなくペイントで、直撃の手前で自壊するので危険はないのだが。
 ともあれ、このレギュレーションで思うことは―――。

(不利、ね………)

 既に強化装備に着替え、吹雪の中で着座調整を行いつつ榊はそう思う。
 機体に関してはおそらくこちらが有利だろう。吹雪は高等練習機であるとは言え、第三世代。出力こそ実戦仕様の陽炎に劣る可能性はあるが、元が不知火の実証実験機だ。不知火から色々な部分を削ぎ落とされているが、こちらにはXM3が搭載されている。榊達はノーマルのOSというのを体感したことはないが、あの神宮司をして『段違い』と言わせるほどだ。おそらくは削られた部分を補って余りあるだろう。幾分かの希望的観測が入るとは言え、この予測はかなり正確なのではないかと榊は思う。
 問題となるのは、それ以外だ。
 まず衛士。こちらは戦術機に乗って一週間も経たない―――実機に乗ったのだって昨日が初めてだ―――訓練兵。相手は、出撃20回以上のベテラン。この時点で力量差は明白。それこそ大人と子供ぐらいの開きがある。加え、自分達は戦術機同士の模擬戦経験が少ない。戦術機教程に入ってからこっち、ほとんどが対BETA戦を想定しての訓練だったのだ。無論、戦術などはそのまま流用できるだろうが、実機を使っての模擬戦などはこれが初めてなのである。
 次に試合の形式。五対五なのはいい。だがそれを二連戦ともなると自分達の体力や精神力、そして機体がどうなるか分からない。体力や精神力に関してはともかく、まだ実機に慣れていない彼女達に取って、機体が耐えられるギリギリのマージンというのがまだ分からないのだ。一回戦で与えた機体ダメージが、二回戦で顎を開くこともあり得る。
 完全に不利と言えるのはこの二点。どちらとも言えないのが―――兵器使用制限の有無。

(普段模擬戦で使わない武器を使えるって言うことは………こちらの利になるかしら?)

 そして若干の思考の後、榊は一回戦での作戦を決めた。

「みんな、聞こえる?これから作戦を伝えるわ―――」

 通信で皆に呼びかける彼女の口元は、柔らかい微笑を浮かべていた。その作戦を聞いた皆は、彼女のその微笑みが悪魔の笑みに見えてならなかった。






「さて………どうなると思う?庄司」
「まぁ、昨日も言ったように、一回戦はどうにかなるだろう。ドラゴン隊はXM3の存在を知らないし、それが対戦相手に搭載されていることも知らないんだ。如何に熟練と言っても、絶対にその挙動に戸惑う。そこを突けば207B分隊でも勝てるだろう」

 演習場に配置された定点カメラの中継をピアティフ中尉を含めた技術士官数名にお願いした二人は、管制室にVIP待遇者よろしく居座っていた。小声で話す二人に、常勤の管制員が不思議そうな顔をしていたが気にしない。
 因みに―――この定点カメラによる生中継も白銀発案による基地改善計画の一端である。むしろ、これがメインと言っても良い。その成否を握るのが207B分隊の奮戦だ。是如何によっては、改善計画の見直しも考えねばならない。
 それはともかく―――。

「お、出て来たぞ」

 定点カメラがハンガーから出てくる陽炎五機の姿を写し捉えた。それに続くようにして吹雪五機の姿が―――。

『………はぁ―――っ!?』

 その一種異様とも言える姿を目の当たりにし、二人はおろか、この中継を見守る基地内全ての人間が目を剥いた。



 そして―――207B分隊にして初の実機演習が始まった。






 舐められている、と臨時でドラゴン1のコールナンバーを預かったその衛士は奥歯を噛み締めた。
 何の意図があって組まれた模擬戦なのかは知らないが、そもそも何故訓練兵の『お遊び』の相手を正規兵がしなければならないのか甚だ疑問だ。それだけでも十分に不愉快になるというのに、何よりも相手の心構えが気に食わない。胸を借りている分際で、それは無いだろうと思う。自分ばかりではない。訓練兵が取った行動は他の連中の神経をも逆撫でした。
 ハンガーから出てきた五機の吹雪。その『全て』が92式多目的自立誘導弾システムを積んでいるのだ。
 これの意図するところは―――。

『つまり接近戦でやり合うつもりはないって事だ。ふざけてやがるぜ』
『ああ、こっちは付き合わされている側だってのによ』

 網膜投影越しに不満を言う隊員達に、ドラゴン1は全くだと頷いた。
 92式多目的自立誘導弾システムは戦術機用の制圧兵器だ。そしてその発射機構が垂直発射式である事を考えると、近距離戦には向かない。つまり相手の取った戦術は遠距離一辺倒の火力制圧なのだ。
 確かに技量では訓練兵と正規兵では違いがありすぎる。それを補う戦術としては間違ってはいない。だがだからこそ気に食わない。

「胸を借りている分際で、よくもまぁそういう行動ができるよな。―――今はまだ足りねぇ技能を磨くための模擬戦だってのによ」
『全くだよ。それとも何かね、あたし達は直接相手にする価値はないって言いたいのかねあの子達は』
『どっちにしても舐められてるじゃねーか。―――気に入らねぇ』

 隊内で不穏な空気が募る。皆の不満は既に最高潮だ。調子に乗った訓練兵に灸を据えるに、最早躊躇いはない。
 ―――と、そこで。

「っと………どうやら開始時刻だな」

 網膜投影に演習開始の文字が踊る。
 口角を釣り上げ、ドラゴン1は主機を起動させながら叫んだ。

「さぁ手前ぇ等いよいよ狩りの時間だ!調子くれてる訓練兵共の青いケツを引っぱたいてやろうぜっ!!」

 応、と皆が呼応し主機を起動させる。

「ドラゴン1より各機!作戦はさっき伝えたとおりだ!ドラゴン4とドラゴン5が指定ポイントで潜伏!俺とドラゴン2、ドラゴン3で奴らを追い込んで挟撃する!!気を付けろよ!訓練兵の腕なんざに関係無くミサイルは追尾してくるからなぁっ!!」
『了解っ!!』

 心地良い駆動音が身と心を揺さぶる中―――そして、試合が始まった。






 その中継を見守る誰もが訝しがっていた。
 というのも無理はない。既に試合は開始されている。だというのに、207B分隊の方が一歩も動かないのである。そもそも、その装備からして不自然なものがあった。
 ポジションに準拠する装備も何処か不自然だ。突撃前衛1機、打撃支援3機、制圧支援1機の計五機。相手がベテランであることを考えると、かなり偏った編成である。これでは近距離戦に持ってこられれば苦戦するのは眼に見えている。
 そして最も問題なのは、その五機全てが92式多目的自立誘導弾システムを積んでいるということ。
 これが問題だ。何しろ長刀を積んでいる状態での92式多目的自立誘導弾システムの搭載は、武装が干渉しあって機体上半身の可動域が著しく制限されてしまうのだ。それではまともに戦闘など出来ない。
 では何故そうした装備編成にしたのか。他者がそれから取れる意図は二つ。遠距離戦で全てを片付けるか―――それとも、最初の一撃のみ92式多目的自立誘導弾システムを全弾発射し、後はパージして通常の戦闘に移行するのか。
 92式多目的自立誘導弾システムは戦術機がミサイルコンテナを担ぐような形で運用される。そしてその装備は通常の突撃砲などの装備に比べて非常に重い。担いだままの高機動戦闘などは出来なくはないが、どうしても最高速度が落ちてしまうために不向きだ。故に、先に全て使い切ってパージするのが理想的な使い方だ。だがそのような使い方をするのであれば、彼等がいる演習場は非常によろしくない。
 というのも、演習場は廃墟をそのまま使用している為、障害物が非常に多いのだ。いくらミサイルが誘導兵器、そして垂直発射式とは言え、限度がある。それを踏まえるとここで92式多目的自立誘導弾システムを選ぶ事自体が間違いとも言える。
 誰もが所詮は訓練兵の浅知恵か、と結論づけたところで―――ドラゴン隊が207B分隊に急速接近を始めた。
 試合が―――動き出す。






 廃ビル群に身を潜めつつ、ドラゴン1は相手の出方を伺っていた。
 地の利はこちらにある。こうも障害物の多い環境では、誘導兵器もその特性を十全に発揮は出来ないだろう。だからこそ、既に彼我の距離が直線距離にして3km―――十分に92式多目的自立誘導弾システムの射程内であるというのに、相手は撃ってこない。

「―――ま、所詮は訓練兵の考える戦術って事だ」

 呟いて、ドラゴン1は周辺のマップに目をやる。僚機は既に作戦位置についている。自分は真正面から、ドラゴン2と3は回りこんで訓練兵の左側から。そして押し込むようにして右側に追い込み、既に配置しているドラゴン4と5とで挟撃、十字砲火で一掃する。
 作戦としては単純であるが、それだけに効果が高い。まして、どう考えても相手は遠距離戦を臨む算段を組んでいる。追い立てれば逃げるはずだ。例え正面からぶつかり合いになっても、92式多目的自立誘導弾システムを積んだままではまともに戦闘などできはしないし、パージするにしても隙ができる。そして相手の五機中四機が後衛仕様である事を考えれば、殴り合いになっても十分に対処できる。

「悪く思うなよ訓練兵。―――これも経験って奴だ」

 ドラゴン1は呟くと、ドラゴン2と3に呼びかける。

「ドラゴン1よりドラゴン2、ドラゴン3!これより仕掛ける!!正面のミサイルは任せろ!」
『了解!』

 そして機体を動かし―――警報が鳴った。被ロックオンの警報だ。

「っ―――!?いい反応してやがる!!」

 こちらの位置は粗方予測できていたのだろう。動かした瞬間にロックしてくるとはそういう事だ。今までは廃ビル群が邪魔で撃たなかっただけに過ぎない。

「だが―――それだけだ!!」

 網膜投影に着弾予測時間を表示させ、機体を真横に噴射滑走。残り五秒を切ったところで全ての入力を解除、ニュートラルにする。その上で―――反転全力噴射。

「くぅっ―――!」

 凄まじいGが彼を襲う。それと同時にミサイルも彼の機体を襲撃するが、噴射滑走で引っ張られ、直前での反転全力噴射によって目標をロスト。修正が効かなくなったミサイルは、元の不規則軌道以上の不規則さで廃ビル群に突っ込む―――前に自壊。ビルをオレンジ色に染め上げる。

「行くぜぇっ!!」

 反転全力噴射の慣性さえも利用して機体を旋回、ドラゴン1は相手に向かって即座に跳躍噴射する。
 と、そこでようやく相手に動きがあった。

「逃げるか………!」

 網膜投影の視覚素子で敵影の反転を確認。マップの更新を見れば、こちらの狙い通りの方向を向いている。後はこのまま押し込み、十字砲火を浴びせてやればそれで詰みだ。

「ドラゴン1よりドラゴン4、ドラゴン5!そっちにネズミが行ったぞ!しくじるなよっ!?」
『了解!』

 仲間の頼もしい声に頷き、ドラゴン1は機体を加速させる。
 敵の反転からの追撃も無く、状況は順調に推移している。ドラゴン2と3も適度な速度で追い立て、そして散発的に36mmを放って敵を煽っている。
 もしも―――もしもこの時、相手が訓練兵と知らなかったのならば、あるいは模擬戦では無く実戦であったのならば―――彼は気付いていただろう。
 例え訓練兵相手だと言っても、状況が上手く行き過ぎているということに。
 それは207B分隊が、ドラゴン隊の十字砲火予定位置に差し掛かった時だった。
 状況が―――反転する。





「来るね………!」

 陣形は鎚壱型を維持しつつ、彩峰は下唇を舐める。陣形の左右を務めるのは彩峰と鎧衣だ。中央には御剣、その後方には榊、最後方に
珠瀬がいる。
 そして網膜投影のマップに、新たなマーカーが灯る。進行方向に二つだ。

『03!04!来るわよ!?』
『大丈夫だよ!』
「分かってる………!」

 榊の問い掛けに、鎧衣と彩峰が応える。

『02!05!準備はいい!?』
『問題ない!』
『いつでも行けます!』

 今度は御剣と珠瀬が力強く頷く。
 彩峰は自然と笑みを強くする。そしてそれも仕方ないことだと自分に言い聞かせる。
 榊の作戦や指揮を今更疑うつもりはなかったが、まさかこうも『うまくいく』なんて思わなかったからだ。
 あの時榊が伝えた作戦には、皆が驚かされた。
 まず、彼女はこの演習のレギュレーションを念頭に置いていた。要は、二回戦目もあるということをだ。
 以前、白銀に聞いたところによるとXM3は機密扱いで、知っているのは極一部の人間だということ。これを考えると、一回戦目で普通にやりあっては、それと分からなくても普通の吹雪ではないという認識を相手側に与えてしまう。
 そうなると、相手は対XM3用の戦い方を見出してしまうだろう。無論、この短期間では見いだせないかもしれないが、相手はベテランなのだから油断ならない。訓練兵の自分達が及びもつかない方法で対応されれば、それこそ太刀打ち出来ないだろう。
 その上、こちらは実機に乗って二日目。正味一日だ。機体のダメージコントロールもままならない。
 ということは、なるべくこちらのXM3という手の内を隠しつつ、そして各関節などを温存しつつ一回戦目を戦わねばならないのだ。
 そしてその為の作戦が、ポジション装備を偏らせ、全機に92式多目的自立誘導弾システムを載せるという奇抜じみたものだった。
 まずはこれによって、相手にこちらは真正面からやり合う気はないと誤認識させる。それに深みを与える為に、最初の一手はこちらから仕掛けた。
 それは唯一前衛装備の御剣の役目だった。どの道、機動力を確保させるために使わねばならなかったからだ。
 そして、相手の包囲網から逃げる―――演技をする。
 最初に一歩も動かなかったのは、全員で相手の位置を探っていたからだ。あらゆるセンサーを使って、ドラゴン隊のおおよその位置を探り、三機が近くにいるのは分かった。では残り二機は何処か考えると、当然相手の包囲網が開いている方向にいる。
 まず間違い無く挟撃を狙っているのは眼に見えているので、出てきた時にこちらから仕掛ければいい。
 それが今、この瞬間だ。



 ―――さぁ、逃げる時間はもうおしまい。



 彩峰は口元を三日月に歪める。
 元々逃げるのは嫌いなのだ。
 だからただの訓練兵だと舐めて掛かってくる相手に、思い知らせてやろう。
 自分達は逃げていたのではないと。
 罠に嵌めたつもりで、その実掛かっているのはそちらなのだと。
 だから―――。

『慧さん行くよ!タケル仕込みの―――』
「白銀式変態機動………!!」

 鎧衣と彩峰は、あの色々とデタラメな教官の動きをなぞり始めた。






 そして誰もが見た。
 幹線道路を走り抜ける前衛三機の内、左右の二機がナイフシースから短刀を抜き放つと、進行方向の『ビルの壁』に向かって投擲。
 そしてそれに追いすがるように噴射跳躍でビルの壁に突き刺さった短刀に向い―――足場にして再度、今度は高く跳躍。
 そして倒立すると、ビルの隙間から見える敵機二機をロック。直ぐ様―――92式多目的自立誘導弾システムをぶっ放した。

『なぁっ―――!?』

 反転倒立跳躍途中からの発射という奇抜な行動に、その光景を見守っていた誰もが声を上げる。ただの射撃ならばともかく、ミサイルの発射ともなると、反動で機体バランスを崩してしまうのだ。
 しかし跳躍した二機はミサイルの発射後、92式多目的自立誘導弾システムをパージ。機体の軽量化とパージの際の微小な慣性を利用して体制を立て直し―――更に落下しながら背後担架から突撃砲を取り出して36mmを放つ。
 先に発射したミサイルは彼我の距離と相対速度によって全弾命中には至らず、それを補うための追加攻撃だ。結果として、まるで鏡合わせのような機動をした吹雪二機が地表に下りてくる頃には、挟撃を狙っていた陽炎二機はオレンジに染め上げられていた。
 そして、背後でも反撃の狼煙が挙がっていた。






『―――05反転!そのまま匍匐発射!』

 榊から指示が飛び、珠瀬は即座に反応する。
 反転し、クラウチングスタートの態勢を取ると、後方から迫り来る敵機をマルチロック。即座にトリガを引く。するとそれに連動して、珠瀬と同じように反転し―――しかしこちらは仁王立ちしたままの榊機からもミサイルが発射される。
 データリンクの応用で、マルチロックの処理を二機で分担し速度を上げ、同時発射するためにトリガを一機に集中したのだ。
 これにより、下方から来るミサイルと、上方から来るミサイル。コンテナ一基に付き16発。二機運用で都合64発の不規則軌道弾幕が形成される。
 そしてその弾幕を盾にして接近するのが―――。

「征くぞ………!」

 唯一突撃前衛装備だった御剣の役目だ。
 長刀を抜き放ち、縦に並んだ珠瀬と榊を飛び越えるように全力で噴射跳躍。ミサイルの弾幕を壁にして、可能な限りの最高速で最も近い敵へと突撃する。

『01より02!正面の敵はこちらで狙撃する!』
「了解!」

 三方向にバラけている敵の内、向かって右手の方が近い。それを排除して、返す刀で左手の敵の相手をする。
 だから―――。

「取った………!」

 高速で最接近、そしてミサイル弾幕の回避直後の硬直を狙って、御剣は抜きざまに長刀を横薙ぐ。直ぐ様ドラゴン隊03大破の文字が網膜投影に踊った。
 無論、実際に斬った訳ではなく、あくまで『JIVES』の判定である。直後、04、05、少し遅れるようにして02と立て続けに戦闘不能の文字が現れる。
 全てドラゴン隊のものだ。背後を任せた彩峰達も無事に敵を落としたと判断し―――。

「残り一機………!!」

 最後の一機であるドラゴン1の方へと向き直る。見やれば、相手は弾幕を避けきった直後だった。この距離からでは硬直は狙えない。どうやら最後の最後で格闘戦に持ち込むしかないようだった。

(相手の武装は突撃砲―――近接兵装に切り替える前に踏み込めるかっ!?)

 御剣は疑問を浮かべながらも吹雪に加速を叩き込む。最大出力の噴射地表滑走。手にした長刀は、脇構えだ。
 ここまで来たら苦手な射撃を選ぶよりも、得意の近接で勝負を決めた方がいい。故に御剣は相手の懐に飛び込まんとした。
 しかし―――。

「くぅっ………!」

 最後の敵機は硬直を抜け、こちらに向かって突撃砲を構える。
 距離にして僅か200m。
 だがそれが圧倒的に遠い。距離を詰めるよりも、36mmを斉射される方が速い。

(あと少し!あと少し何かがあれば―――!)

 最早これまでか、と思われたその瞬間。ドラゴン1の構えた突撃砲が突如オレンジ色に染まった。
 この距離、このタイミング、そしてこの高精度でそんな芸当を出来る人間を、御剣は一人しか知らない。

「珠瀬!そなたに感謝を………!!」

 致命的な隙が生まれる。だが相手も流石はベテランだ。突撃砲が使えないと分かると、直ぐ様膝部に格納されたナイフを取り出し―――。

「―――遅いっ!」

 しかし既に懐まで踏み込んできた御剣によって、一刀のもとに両断。大破判定を受けた。
 そしてこの瞬間、207B分隊にして初の隊外模擬戦の勝利が確定したのだった―――。






「着実に武の影響を受けているな、207B分隊は………」
「庄司。それ、褒めてるのか?貶してるのか?」

 訓練兵が正規兵を打ち破る、という異例の事態にざわめく管制室の一角を陣取る三神と白銀は、結果だけは予想通りだったので大した感慨もなく会話していた。

「両方だ。ナイフを足場にして三角飛びとか、反転倒立跳躍しながらのミサイル発射とか、戦術機でMLRSの真似事とか―――もう発想が既に変態だぞ?」
「いやそれをオレに言われても………って言うか変態言うな」

 普段より言われ慣れているとはいえ、白銀は大真面目に提案実行しているのであって、本人からしてみれば言いがかりもいいところだ。

「しかしまだ戦術機教習課程に入って間もないというのに、もう反転倒立跳躍が出来るのか」
「ああ、突撃級で練習させまくったからなぁ………」

 腕を組んで感慨深げに言う白銀に、何故か三神は嫌な予感がした。

「………。武。束のこと聞くが、一体どんな練習を?」
「真正面から突撃級を飛び越えて撃破する練習。一列に並んだ突撃級だけがひたすら走ってくるんだよ。で、効率よく倒すには反転倒立跳躍で飛び越えてる最中に36mmをケツに叩き込んだ方がいいって教えたんだ」
「速度は?」
「もち1.5倍速で」

 つまり、体感の速度は270kmにも及ぶ。

「―――鬼だ」
「誰が鬼か」
「鬼だろう。いくらコンボがあっても反転倒立跳躍は訓練兵が簡単に出来るものじゃ―――」
「やってるだろ?あいつ等」

 装備交換のために一度ハンガーに戻って行く吹雪達を捉えた映像を指さして言う白銀に、三神は言い淀む。

「因みに、他にはどんな練習を?」
「んー………。レーザー照射地帯に放り込んでレーザーをひたすら避けさせる訓練とか、リロードの感覚を身につける為に予備弾無限の戦車級地獄とか、ああ、要塞級の首刈り訓練とかもやったぞ。冥夜が凄くてな、一瞬で三体刈った時なんか唖然としたぜ」
「私は今、お前のスパルタぶりに唖然としているよ」

 軽く頭を抱えながら三神は言うが、そう言えば自分もヴァルキリーズに似たようなことやっていたなと思う。それでもここまでではなかったと思うが。

「しょうがないだろ?もう日がないんだし、教え込める技術は教えておかないと」
「まぁ、言うことは尤もだが………」

 それでもやり過ぎな気がしてならない。

「それでどうだよ?オレ達からしてみれば、次の試合が本番なんだけど―――ちょっと賭けしないか?」

 賭け?と首を傾げる三神に、白銀は頷いた。

「どっちが勝つかさ。まぁオレは冥夜達に賭けるけど」
「賭けと言っている割には、私に選択肢は無いな。―――まぁ、いい。やるとすれば私は正規兵に賭けるだろうからな」
「へぇ、そっか。じゃぁ、賭けの景品はオレが決めてもいいか?」

 まぁ、別に構わないがと三神が言うと―――白銀は少し目を細めてこう告げた。

「―――オレが勝ったら、お前の過去を教えてくれ」
「―――!」

 唐突な要求に、三神は息を呑む。

「どういう、意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。三神庄司が歩んできた人生を教えてくれって言ってるんだ」

 絞り出すように問う彼に、しかし白銀は真っ直ぐにこちらを見たままだ。

「この間、鎧衣課長と月詠さんが夕呼先生の部屋にいたろ?その時に、お前は自分は結婚したことがあるって言ってたよな?―――今までは開放条件の絡みがあったから何も聞かなかったけど、それが言えるってことは、全部が全部秘密ってことじゃないんだろ?だから、それを教えて欲しい」
「それは―――何故だ?」

 場所が場所だけに、因果導体とは言わなかったものの、三神には白銀が何を思ったか、何に気づきつつあるのかを理解した。つまりそれは―――。

「なぁ、庄司。お前の開放条件って、オレが関わっていないか?」
「―――」

 問いかけに、三神は無言。
 しかし胸中では、やはりかと思っていた。こうなることを、予期しなかったわけではない。だからこそ、誤魔化すためのある程度のプランは最初からあった。それを用いつつ、釘を刺しておく必要がある。

「だったらさ、オレが―――」
「いいだろう」
「は?」

 白銀の言葉を、黙していた三神が急に遮る。会話の主導権を半ば強引にもぎ取った。

「だから賭けを受けると言った。ただし、賭けを受けるのを条件に一つ要求がある」

 それは。

「この賭けがどうなっても、これ以降、私の過去に触れないでくれ。時期がくれば―――いずれ話すから」
「―――分かった」

 神妙に頷く白銀に、三神は吐息を一つ。そして話を元に戻すことにする。

「では私が勝った場合の景品はだな―――」
「いやいやいやちょっと待て!それって二つ目の要求になるじゃ!?」
「何を言う武。さっきのはこの賭けに乗るための要求だと言ったろう?そしてこれは私が勝った場合の景品だ。そうだなぁ、霞と添い寝、がいいかな?」
「因みに誰が?」
「無論、お前が」

 やっぱりかよ!と頭を抱える白銀であった。






 因みに、その様子を管制室出入口の扉一枚挟んで伺っていた子うさぎさんはというと。

(お泊りセット………用意しておこうかな………)

 既に今夜のことを考えていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十一章 ~熟達の底意~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/02/01 16:53
 レジナルドが日本という国に足を踏み入れたのは、約一年前。ここ横浜基地に配属になった時だ。初めての国、初めての土地というのは今まで何度も経験があったが、それでもその都度緊張を覚えたものだ。特に島国であるゆえか、ここの国は外国人に対して強い警戒心を持っているという。上手く馴染めるかどうか、不安を覚えたこともあった。
 だがいざ所属してみると、多国籍な国連故に自分と同じような境遇の外国人もいて、思いの外居心地がいい。警戒心を持っているというのも、基地内に限って言えばそれ程でもない。
 ―――基地の外を出歩いた際、現地の子供と路地で出会い頭にぶつかって泣かれたこともあったが。クロンボとは何かの揶揄だろうか。
 ともあれ、レジナルド個人としては、今の環境には満足している。特にこの国特有のボードゲームである『将棋』は非常に面白い。チェスのように駒を特定の規則に則って動かすのは変わらないが、倒した駒を再利用出来るというシステムを知ったときは驚愕を覚えた。これによって、非常に多様性のある戦術を展開できる。師匠である京塚曹長には四枚落ちでさえ未だ勝てた試しがないが、いつの日か対等な条件で彼女に勝つのがレジナルドの密やかな野望である。

(将棋といい何といい………つくづくこの国には驚かされますね)

 着座調整を行いつつ、レジナルドは先程の模擬戦を思う。
 訓練兵の全てが日本人、更には全て少女だったことから大丈夫なのだろうかと相手を心配したものだが、蓋を開けてみれば何とも無い。それどころか、ベテランであるはずのこちらが圧倒されていた程である。

(見事な作戦勝ちです)

 おそらくは、こちらに手の内をあまり晒さないためにああした戦術をとったのだろう。
 最初に全機が92式多目的自立誘導弾システムを積んで現れたのには驚かされたが、そうした意図を汲み取ると、確かに納得出来る戦術なのである。
 事実、レジナルドは先程の模擬戦から、彼女達の得意とするスタイルをあまり見出せてはいない。分かったことといえば、格闘戦を得意とするのが一機、狙撃を得意とするのが一機。そして奇抜な軌道を得意とするのが二機という事だけ。最後の一つに関しては、あるいは全員が同じ機動ができる可能性も踏まえている。

(正直、あれが第三世代の動きとは正直思えませんが………)

 各地を転戦してきたレジナルドは、何度か第三世代の戦闘を見る機会があった。特に欧州戦線に長く居たので、僅か三ヶ月間ではあるが、実戦配備されたEF-2000の戦闘を間近に見れたのだ。
 それを踏まえると、やはり先程の訓練兵が操る吹雪の動きは少々妙だ。

(断定は出来ませんが―――硬直が無かった気がします)

 戦術機の操縦には、必ずと言っていい程行動後硬直が起こる。だからこそ、それを如何に縮められるかが良い衛士のステータスなのである。極限に至った衛士は全く硬直せずに戦えるだろうとは、彼を鍛え上げた教官の弁だが、それが訓練兵が出来るとは到底思えないし、数多くの戦場を駆け抜けてきた彼でさえそんな衛士を見たことはない。無論、今更彼女達を侮るようなことはないのだが、だからと言って硬直を完全に無効化出来るとは思えないのだ。
 しかし気のせいだ―――と言うには、彼女達の戦術が気になる。
 極力手の内を見せないと言うことは、まだ隠し玉があるということだ。それを解析されては困るからこそ、ああした奇抜な戦術をとったのだ。
 となると、やはり硬直無効化やそれに類似する機動に関して何かしら秘密が隠されているのかもしれない。それが人によるものか、機械によるものかまでは分からないが。

(であらば―――真っ向から挑むのは不正解ですね)

 ここはベテランらしく、搦め手で挑むのが定石だろう。見方によっては卑怯にも思えるが、レジナルドは最早207B分隊をただの訓練兵部隊と思っていない。これが実戦ならば、彼女達は既に中隊を半壊させているのだ。決して舐めていい相手ではないのは、既に明白。
 いいでしょう、と彼は口元に笑みを浮かべると通信を開き、作戦を部下に告げる。
 そして口調は、いつもの温厚なものではなく、軍人然とした硬いものへと変えた。

「―――貴様等、覚悟するといい。これから行うのは模擬戦であって模擬戦ではない。かつての我々がそうであったように、正規兵と訓練兵の違いを相手に理解させる為の機会だと思え。そしてその為に我々の持てる全ての技術と経験を使って事に当たれ。―――いいな?」
『了解!』

 気合の入った部下達の声に、彼は頷くと機体の主機を起動させる。

「―――では覚悟しろ訓練兵。竜の名を冠する牙は、そう容易く折れはしないぞ」

 そして―――竜の機兵隊は演習場へと飛び込んでいく。





 敵機を追いながら鎧衣は違和感を感じていた。
 二回戦目の模擬戦が始まってすぐのことだ。敵はいきなり強襲してきた。何とかやり過ごし確認した機影は三機。しかし敵機は一当するとすぐに反転し、距離を取り始めた。しかも、妙に足が遅い。分隊長である榊はこれを囮と判断。敵はこちらを陽動し、何かを仕掛けてくるつもりなのだと。
 こちらの装備は、一回戦目と違って非常にバランスの取れたものだ。
 御剣が突撃前衛装備、彩峰が強襲前衛装備、榊が迎撃後衛装備、珠瀬が砲撃支援装備、そして鎧衣が打撃支援装備だ。今回に関しては最早こちらの手の内を隠す必要のないことから、自身の特性と機動性を重視した装備にしたのである。前回の奇策は、あくまで奇策。一度見せたカードが何度も使えるとは訓練兵であっても思わない。

(なんだか嫌な予感がする………)

 鎧衣は眉をしかめて述懐した。それは総戦技演習の時のような痛烈なものではないが、粘着くような―――そんな言い知れぬ不安だ。しかしそうしたはっきりとした予感ではないが故に、皆に告げるかどうか迷ってしまう。
 そして彼女が迷っている内にも状況は推移していく。
 現在、マーキングした三機の敵影を主脚走行で追う207B分隊は、相手に対処できるように十分に距離を取り縦型の陣形を取っている。おそらくは待ち伏せによる挟撃や包囲を狙っているのだろう。しかし先程、こちらはそれを『内側から』食い破っている。一度敗れた手をベテランである彼等が繰り返し使うとは考えづらい。

(うーん………タケルや神宮司軍曹ならこんな時どうするんだろう?)

 鎧衣が手本とすべき教官達の事に思いを馳せた時だった。



 隊列の中央―――榊の吹雪が『足元から』緑の蛍光塗料に染まった。



「え―――?」

 疑問符を浮かべる暇こそ無く状況が走りだす。
 前方を行く敵機が再度反転、こちらへと最高速で最接近を試みる。更にはそれを援護するかのように、隊列の左右二方向から支援突撃砲が榊機に降り注ぎ、20701大破の文字が網膜投影に浮かび上がる。次いで他の機体が狙われ始めるが―――。

『………各機散開っ!』

 指揮官機である榊が撃墜―――それを受け、指揮権は02である御剣に移る。おそらく彼女は状況認識するよりも速く行動に移したはずだ。よくもこうした不透明な状況下の中、正しい判断が出来ると鎧衣は思うが、舌を巻いている余裕はない。
 自分も回避行動に移ろうとし―――。

『きゃぁっ………!?』

 前方、珠瀬の悲鳴が上がる。畳み掛けるように支援突撃砲の狙撃が珠瀬を襲い、20705大破と文字が踊り、そして鎧衣はようやく理解した。
 何故、榊機がいきなり『足元に』攻撃を喰らったのか。目の前で珠瀬がそれの餌食になって初めて気づく。

「地雷―――!?」
『鎧衣!歩くな!跳べ!!』
「くっ………!?」

 一番先頭にいたのにも関わらず、おそらくは一番最初にそれを見抜いていたのだろう。御剣は既に跳躍してビル群の屋上を足場としている。彩峰も同様だ。鎧衣もそれに続くが―――。

『んっ………!』

 彩峰の苦悶の声が響く。
 屋上を足場にするということは、それだけ遮蔽物の恩恵がなくなるということだ。つまり、左右と前方から狙い撃ちされることになる。しかも相手は標的を散らすことをせず、狙う相手を彩峰だけに絞り、三方向からの多重砲撃で襲いかかる。
 彼女もXM3を使った白銀仕込みの奇抜な機動で回避するものの、流石に全てとはいかず、徐々に機体ダメージを蓄積させていく。

『彩峰!鎧衣!ここは一度退くぞ!体勢を立て直す!!』

 92式多目的追加装甲を掲げ、彩峰と敵の射線軸に割って入りながら御剣が指示を飛ばす。鎧衣はそれに従いながら、突撃支援砲で牽制行う。
 だが、追い縋るように前方の三機が接近してきた。







「ドラゴン1より各機!我々の牙が獲物を捉えた!!このまま食い破るぞ!!」
『了解………!』

 レジナルドは指示を飛ばしつつ、機体を反転旋回させる。
 今回のレギュレーション―――武装制限の自由―――を利用して207B分隊が92式多目的自立誘導弾システムを使ったように、レジナルドも普段の演習では使わないものを使った。
 地雷である。
 92式多目的自立誘導弾システムと同じように、効果測定演習や大規模演習の時にしか使わないこれは、無論ペイントである。踏むと上方に向かって蛍光塗料を撒き散らすだけの非常に単純なものだ。市街地戦では埋め込むことも出来ず、路上に置くだけしか出来ない。きちんと注意すれば分かるのだが、アスファルトの市街地に地雷はないという固定観念がそれを補ってしまう。そしてそのようなお粗末な策であっても掛かれば『JIVES』がきちんと計測する。
 レジナルド率いるドラゴン隊の採った作戦は、以下のようなものだ。
 まず、隊を二つに分ける。
 陽動用の三機と、地雷を設置する二機だ。陽動が時間を稼いでいる間に残る二機が地雷を設置。
 そして陽動の際、敵機との距離をコントロールするためにわざと主脚走行にして速度を落としている。一回戦目と同じ手を仄めかせれば、相手も慎重にらざるを得ないからだ。
 そして頃合いを見計らって地雷を設置した地点へと誘導する。その上で罠に掛かった敵に一気呵成で畳み掛けるのだ。
 作戦としては単純で、一回戦目のこちらの敗北が前提となっていなければ上手く機能しなかっただろう。まぁ、その時はまた別の作戦を取っていただろうが。
 どちらにしろ―――。

(真っ先に指揮官機を落とせたのは僥倖ですね)

 敵の装備は非常にバランスの取れたものだ。
 しかしそれ故にそれぞれの役目が分かりやすい。一目見ただけで迎撃後衛装備の吹雪が指揮官機だと理解した。故に、敵が地雷に掛かった直後の隙を突いた狙撃は指揮官機狙いだったのだが、まさか指揮官機が最初に地雷に掛かるとは思わなかった。
 ともあれ当初の目論見通り、指揮官機を撃破し敵を混乱に陥れた。思いの外早い復帰だったが、それでも狙撃が行える砲撃支援装備の吹雪を追加で一機落とせた。
 彼我の戦力差はこれで五対三。

(それでも、正直ぞっとしません………!)

 36mmを放ちながら、レジナルドは思う。ロックの先、強襲前衛装備の吹雪が、信じられないような奇抜な三次元機動で三方向からの多重砲撃を避けている。無論、いくつかは被弾しているが、いずれも小破レベルで、機能停止には程遠い。

『何なんだ………!何なんだこりゃぁよぉっ………!!』
『これが本当に訓練兵なのか………!?』
「落ち着け貴様等!奴等の動きは奇抜だが、指揮官機は既に撃破してある!残っているのは個人技だけだ!!」

 レジナルドは焦る部下に喝を入れるが、予想していたとは言え彼自身戸惑いがあった。
 薄々は感じていたが、あの吹雪達の動きは戦術機として異常だ。動きに全く隙がなく、行動中に他の行動を重ねているように見える。その上、動きそのものに予想が付かない。
 右に行ったかと思えば飛ぶし、飛んだと思えば降下する。一見無秩序な行動のように思えて、その実全てを計算しているかのように精緻。加えて、反応速度が極めて速い。
 戦力差には未だ有利だというのに、気持ちやっと五分に持ち込んだ気がしてならない。

(もう一手必要ですか………!)

 それも犠牲を前提にした一手だ。
 動きを抑えた上での攻撃ならばどうにかなったが、既に戦端は切られている。残るは機動同士のぶつかり合いだが、アレに勝てる気は正直しない。となると、中遠距離からの砲撃一点が望ましいが、この機動力を以てすれば避けつつ最接近することも不可能ではない。
 そこから突き崩される可能性があることを考えると―――。

(ナイトメアは、正直好きな手じゃないんですけどね………!)

 将棋と違い、チェスは消耗戦。そして味方の犠牲を前提にして取る戦術の名をナイトメアという。仲間を駒として扱い、そして切り捨てるやり方はレジナルドとて好きではない。だが、より多くの仲間を救うためには、時として一人の犠牲が必要だ。
 そして犠牲を出すならば―――最大の効果を得なければならない。
 仮にも隊を率いる者として、当然の心構えだ。

「ドラゴン1よりドラゴン2、ドラゴン3。三機で突撃して仕留めるぞ。ドラゴン4とドラゴン5は援護を。撃墜されても構わないが―――管制ユニットだけは避けろ」
『ドラゴン2了解。―――落とされるのは、俺の役目ですよ?』
『おいおい一人でカッコ付けるなよ。隊長―――俺の方が先に落とされるぜ?』
『何馬鹿なことで競い合ってんだいアンタ達!』
『そうだそうだ!先を競いあって落とされるとか―――お前等マゾか!?』
『バカヤロウ!―――俺は万能だ』
『え………?』

 戦闘中にも関わらずぎゃあぎゃあ言い争い始める隊員達に、レジナルドは苦笑。隊の長としては収めるべきなのだろうが、彼自身こうしたノリは嫌いではない。辛気臭いよりは、こちらの方が遥かにやり易い。
 だからレジナルドは口元を歪める。

「サドでもマゾでもイケルなら、ブチかましてからヤラれるように。―――行くぞ!!」
『了解!』

 そしてドラゴン隊の突撃により、戦況は更に加速する。






 ここに来ての突撃に、指揮官と後衛の要を失った207B分隊は腹を決めざるを得なくなった。残り三機のうち、二機が前衛向きだ。となれば、下手に後衛に回るよりは正面から突撃し、機動防御を用いて翻弄、各個撃破していくしか無い。敵の後衛に関しては、前衛を潰した後、地道に距離を詰めて仕留めるのが理想だ。
 最早作戦も何もあったものではないが、そんなものは榊機が落とされた時点で失われたに等しい。207B分隊の頭脳は、確かに彼女なのだから。
 ともあれ、207B分隊はドラゴン隊の突撃を、左右の狙撃に曝されながら受けることになる。それは余りにも厳しい条件だった。
 まず最初に鎧衣が落とされた。機動防御を用いて最速接近して一機を撃破したまでは良かったが、その隙を敵の後衛に補足されて撃墜された。同じように彩峰も突撃してきた敵機二機を相手取るが、一機を長刀で仕留めたところで残った一機に背後を取られて撃墜された。
 残るは御剣一人のみ。戦力差は一対三。敵は前衛一機に後衛二機。例えXM3があったとしても、正面からのやり合うのは正直絶望的だ。しかしながら、状況を唯一ひっくり返せる奇襲を行う為には一度身を隠さねばならず、そもそも補足されてしまっていてそれもままならない。
 最早退く事はできない。ならば―――狙撃される可能性を飲んだまま己の最も得意とする分野で勝負を挑むしか無い。

「はぁあぁあああっ!!」

 裂帛の気合と共に、長刀を振りかざし突撃するが、別のところからロックオン警報があり、直ぐ様行動をキャンセル。後方へ跳ぶ。そして今しがたまで御剣機がいた場所を緑の色に染まる。

(くっ………!遣り難い!!)

 臍を噛むが、状況は変わらない。ただでさえ三対一という不利な状況下だ。その上、前衛一機にかまけている間に、残り二機が狙撃してくる。では先に後衛を片付けようかと思えば前衛が距離を詰めてくる。
 XM3の恩恵もあってか今のところまともに被弾はしていないが、これからもそうとは限らない。
 であらば、御剣の取れる道は限られている。

(どのみち被弾をするならば―――肉を切らせて骨を断つ!)

 直後、彼女は吹雪に加速を入れた。最大加速の突撃だ。
 前方から放たれる36mmを機体を左右に振ることによって散らし、装甲を削りながら距離を詰める。左右からも支援突撃砲の狙撃があるが―――。

「させぬ………!」

 別方向からのロックオン警報が表示されると同時に跳躍させる。
それも、反転倒立跳躍だ。そして前衛機を飛び越え―――。

「―――ここだ………!」

 その最中に噴射降下。前衛機の後方危険円錐域への長刀振り下ろし。

(まずは一機………!)

 直撃判定よりも速く御剣は確信する。
 後方危険円錐域は人型である戦術機にとって最も脆弱なスペースであり、ここに敵を入れることは被撃墜に直結すると座学で習った。そして実際に戦術機を動かすようになって、それは確かにそうなのだと実感した。
 後方への攻撃は担架を跳ね上げることによって可能ではあるが、その可動域には限界があるのだ。ソ連式のオーバーワード方式ならばともかく、陽炎の担架システムはダウンワード方式。その為後方危険円錐域への迎撃は不可能。
 だが―――。

「もらっ………え―――!?」

 仕留めたと思った直後、しかし御剣は別方向から36mmの斉射を受け、大破した。
 そしてその瞬間を以てして、207B分隊の敗北が決まったのだった―――。






 基地内を何をするでもなく歩き、誰かとすれ違うたびに畏怖を帯びた敬礼を送られそれに一々答礼しながら、三神は先程の模擬戦のことを考える。

(思ってたよりも成長しているな、207B分隊は。―――まぁ、あんなキツイ訓練していたら伸びるのも当然か)

 一回戦目は確かに作戦勝ちである事は否めないが、それでも包囲を打ち破るという発想をし、それを確かなものとするために92式多目的自立誘導弾システムという仕込みまでしていた辺りなかなかどうして侮れない。奇策ではあるが、手の内を隠すという意味では最上だろう。
 尤も―――二回戦は同じように奇策によって出鼻を挫かれてしまうのだが。

(ドラゴン隊もXM3の存在には気づいたようだし、それは仕方ないか)

 XM3そのものを知らなくても、何となく相手が異常な動きをするということを一回戦目で見抜いていたのだろう。それ故に、奇策を用いて出鼻を挫いた。出来ることならばそのまま仕留めるつもりだったのだろうが、彩峰が三方向からの多重砲撃を避け続けたことによって、中遠距離からの火力制圧を諦め、接近戦を挑んだ。
 そして被害を出しながらも一機づつ仕留め―――。

(御剣の倒立反転跳躍からの噴射降下攻撃―――見事なものだったが、相手の方が一枚上手だったな)

 あの一瞬。
 誰もがドラゴン隊の前衛機がやられると思っていただろう。白銀や三神も同じ考えだった。だがあの一瞬、御剣の後方から36mmの斉射が行われ、負けたのは彼女の方だった。
 彼我の立ち位置は、御剣と前衛機を中心に500m離れて後衛が二機。しかも倒立反転跳躍によって砲撃を避けられた直後である。あの場所に、36mm斉射を行える機体はいないはずだった。当然、誰もが思う。何故そんなところから砲撃があったのかと。

(既に撃墜された機体からの砲撃とは………よく考えたものだ)

 当然、『撃墜判定が下った機体が攻撃』すればそれは反則であり即ちドラゴン隊の負けになる。だが『撃墜判定が下った機体を使って攻撃』ならば反則にならない。

(データリンクの応用で、火器管制だけを生きてる機体に預けた訳だ)

 落とされた他の二機は動力部こそ大破判定を受けていたが、管制ユニットは生きている。そして戦術機の担架システムや制御機器に関しては動力供給ではなく、補助電源によって動く為、管制ユニットさえ生きていればまだ『動かせる』。
 とは言うものの、前述したように撃破された機体が攻撃を行えば反則になる。だからこそ、生き残った前衛機に火器管制制御をデータリンク経由で預けた。
 つまるところ―――固定砲台となったのだ。
 そして攻撃可能位置まで御剣機を追い込み―――最接近した直後に砲撃。これが二回戦目の決着の全容である。

(思った以上に意味のある戦いになったな………)

 先程のことだ。
 三神は一般衛士用のシミュレーター室を覗いてきた。時刻は既に夕餉に近いというのに、そこには人が溢れていた。聞き耳を立ててみると、皆が207B分隊とドラゴン隊との模擬戦についてそれぞれの意見を口にしていた。やはり生中継にしたのは正解だったようだ。
 衛士は負けず嫌いが多い傾向がある。
 戦場の花形、人類の切り札。
 衛士は色々な呼ばれ方があり、そしてそう呼ばれる衛士もそれなりの自信と自負がある。故に、訓練兵がベテランを相手取りあそこまでの奮戦をし、それを同じ衛士の視点で見せられれば、嫌でも焦りが生まれる。
 そして人間とは大衆に迎合する習性がある。一人がその焦燥感に苛まれて訓練に身を入れるようなれば、続くようにして一人、また一人とその流れは波及していくことになる。
 これこそが白銀の基地改善計画の最終段階だ。
 そして今回の切っ掛けとなったのは、昨日のPXでの騒動であることを基地内の誰もが知っている。故に、今後再び基地の空気が緩むようなことがあれば、三神が出歩けばいい。彼が何故畏怖されるのかを思い出せば、今日の模擬戦のことも自然と思い出す。
 そうすれば再び訓練に身を入れるようになるだろう。

(まぁ、BETAをけしかけるよりはよほど平和的だな)

 正直、それよりは高い効果は望めない。命を天秤に掛けずに改善するとなると、この辺りが限界だ。

(まぁ、賭けは私の勝ちだし、今のところ言うことはないな。―――もう一つの目的も果たせそうだ)

 三神にはここ数日中にやっておかねばならないことがあった。そしてそれをやるには何よりも知名度がいる。そしてその時は存外早く来た。

(そろそろ来ると思ったよ。全く―――暇人が)

 胸中で毒づきながら見やる視線の先、一人の男が立っている。国連の軍装を来た彼の階級章は大佐。三神よりも上だ。
 歩き去る前に一度立ち止まり、その大佐に向かって敬礼。そして答礼も待たず去ろうとすると―――。

「―――あまり、調子に乗らないことだ」

 低い声で、そう警告された。

「何を、かね?大佐」
「ふん。噂通り、弁えぬ男だな。上官にそのような口を聞くとは」
「答礼の代わりにヤンキーのような脅しをする君よりマシだと思うがね」

 不貞不貞しく言い返すと、大佐のこめかみに血管が浮く。それを好い様だと楽しみながら、三神は口元を緩める。

「―――上官侮辱罪で営倉にぶち込まれたいか?」
「私はそれでも構わないよ。ここ最近忙しくて休む暇もないからいい休養になるだろう。だが―――その後に裁かれるのは誰だか分かっての発言かね?」
「何………?」
「第四計画。―――その階級であれば、この基地で行われている計画の名前は知っているだろう?」
「………」

 答えはイエスだ。

「知っているとは思うが私は香月女史の直轄だ。そして―――計画の最重要人物でもある」
「………!?」

 一瞬だけ、大佐の表情に驚愕の文字が貼りつく。しかし三神はそれに頓着せずに続ける。

「いいかね?君を侮辱した程度で私を営倉に叩き込んだとなれば、計画は大幅に遅れることになる。国連の極秘計画を、君自身の手で遅延させるわけだ。私が上官侮辱罪で裁かれるならば、君は極秘計画を邪魔した反逆罪で裁かれるな。―――さて、一体どっちの罪が重いのだろうね?」
「脅す気か………?」
「先に脅したのはそちらだろうに。―――どちらにしても、君では私を御せないよ。階級を盾に横暴しようというのなら他をあたりたまえ」

 少しわざとらしいかな、とは思うがついでに鼻も鳴らしておく。相手の怒りはここで買えるだけ買い叩いておくのだ。
 そして、仕上げのセリフも忘れない。

「ああ、一つ言い忘れていたよ。アルバイトは程々にしておくことだ。戦場ではネズミも食料だからね。情報という屍肉を漁るつもりでほいほいやって来るのはいいが、喰われる側にはならないことだ。―――この横浜には、雌狐と古狸がいるのだから」
「―――!?」

 今度こそ、大佐の表情が驚愕と焦りの感情で複雑なものになる。しかし三神はそれ以上の言葉を放たず、その場を後にした。

(これでしばらくは私に目が向くな………)

 歩調を変えること無く歩きながら三神は思う。
 国連軍は多国籍な分、諜報員の温床となっている。そうでなくても祖国に情報を売る『愛国心溢れた』人間も存在するのだから、困った話だ。
 ともあれ、国連上層部―――ひいては諜報員の祖国には、しばらくの間00ユニットになったのは鑑純夏であると思い込んでおいてもらう必要がある。少なくとも、脅威論を掲げる連中を排除するまでは。
 そして香月を00ユニットにする際、おそらく一日―――下手すればそれ以上ODL漬けになる。つまり、その間彼女は不在となるのだ。今後の未来情報から考えて、11日以降に大きな事件はしばらくないので、香月が研究室に籠っているということにしておけば問題ないのかもしれないが、念には念を入れておく必要がある。
 つまり、諜報員達の視線を一時的に三神に集中させておくのだ。

(全く………根回しも楽じゃないな………)

 辟易しつつも、基地内を徘徊―――もとい、巡回をする三神であった。






 その夜、白銀は寝付けずにいた。と言うのにも退っ引きならぬ事情がある。
 まずはここに到るまでの状況を整理しよう。
 この日の夕方、白銀は207B分隊と共に夕食を摂った。それは問題ない。今日の模擬戦の事を話したり、明日の訓練の予定を話したりと、今日はいろいろな事があった為に話題が尽きなかった。それにより、少々自室に戻るのが遅れてしまったほどだ。
 ともあれ、207B分隊と別れた白銀は自室に戻る。
 何気なくドアを開けてみれば、そこにうさ耳があった。



 ―――うさ耳である。



 うさぎの耳で略してうさ耳である。そしてそれを日常的に付けている人間の事を知っている。
 社だ。
 白銀の自室に、社がいた。
 それ自体は、実は大した問題ではない。白銀の自室は、その居心地の良さから『前の世界』、『その前の世界』から使い続けている部屋で、元が訓練兵用の部屋だからか、施錠ができない。しかしながら白銀は大した私物を持ってはおらず―――ゲームガイやその他の他世界物品は『研究用』と香月に接収された―――ほぼ着替えのみであり、誰も盗みに入るような真似はしないし、意味が無いのだ。何故本来ならば士官用の私室を与えられるにも関わらず、こうして訓練兵用の部屋に住んでいるのかと言えば、その方が207B分隊との距離が近くなると思ったからだ。
 これが今後XM3の発案者として知られるようになればまた話は違ってくるが、今の白銀は特殊任務で訓練兵の教導をしている一衛士、というのが基地内の共通認識である。いや、白銀のことを知らない人間の方が遥かに多いだろう。
 ともあれ、そういう事情から、白銀の部屋に入ることは容易い。別に社に限った話ではなく、誰でも入ることが出来る。
 だから最初、白銀はそのうさ耳を見た瞬間、『また夕呼先生が霞をメッセンジャー代わりに使ったんだな………』と得心し、しかし疑問符を浮かべた。社がこの部屋にいることは分かる。だが、何故彼女のうさ耳が最初に目に入ったのか。
 社霞は小柄だ。割と長身な方である白銀の普段の視点から見れば、うさ耳、頭、上半身と見事なバストアップで視界に収まる。だから彼女と話すときは、頭を少し俯かせると丁度いい。
 だからこその疑問符だ。
 いつもの視点で、何故バストアップではなくうさ耳だけが視界の下の方に映るのか。答えは明白だ。社がしゃがんでいるからうさ耳だけ映るのである。では何故しゃがんでいるのか、それを確かめるべく白銀は足元へと視線を運び―――硬直した。
 確かに、彼女はしゃがんでいた。
 ―――何故か、正座に三つ指をついて。
 更に突っ込むべき場所がある。いや、この部分こそが一番の問題だろう。その服装が大問題なのだ。



 ―――ベビードールなのだ。



 重ねて言う。



 ―――ベビードールなのである。



 社らしく黒を基調とし、過剰なフリルとかアレとかコレとかソレとか色々な部分が透けており、しかし大事な部分はしっかりとカバーしている辺り製作者の根性というか魂というかあえて表現するならばリビドーを感じる一品で、不覚にも鈍い鈍いと言われ続けた白銀でさえくらりと来たものだ。
 しかし、しかしながらである。流石は白銀武の名を冠する男だ。
 ここは愛する想い人の為、ヨダレを垂らし、しっぽを振りながら鼻息荒くする本能をステイステイと宥めつつ白銀は社に問い掛けた。何故そんな格好をしているのかと。それを聞いた社は、三神と白銀が交わした賭けの件を持ち出してきた。白銀は目の前が真っ暗になった。
 まさかあの会話が聞かれていたとはいやリーディングしたのかもしれないいやいやむしろそれはどうでもいいつまりコレはあの馬鹿の仕業か―――!
 と、喚き立てるが社は首を横に振った。
 賭けの話は偶然二人の会話を聞いているうちに知っただけで、三神はこの件に関して一切関わっていないと。
 だがそれはそれで疑問が残る。では誰がそんな扇情的な服を用意したのか。三神ではなく香月なのか。
 ―――あり得る。
 彼女は社にうさ耳と改造軍装を用意した、社のロリィな魅力に取り憑かれた人間からしてみれば言わば元凶である。無論、褒め言葉だ。
 しかしそれに関して社は言葉ではなく、行動で示した。一通の手紙を差し出したのだ。ピンクにハートマークのシールで封をした、如何にも乙女ちっくなそれを、疑問に思いながら封を切り、便箋を取り出す。それもまたピンクであり、何やら丸っこい文字が書いてあった。
 ―――以下は、その内容である。



『はろ~白銀中尉!式王子だよ~!
 なんだかかすみんが白銀中尉の部屋にお泊りって言うか添い寝するっていうから、私がちょっとした演出を提供してみたよ!
 題して!

 「夜の新妻!?ベビードールでドッキドキ大作戦!!」

 どう?どう?気に入ってくれた?
 いやーかすみんったら素直でねぇ。私が最初に「裸エプロンが最高!!」って言ったら本当に実行しようとするんだからもう―――可愛いよね!?最高だよもうお姉さん鼻血出そっ………(ここらに血の跡)!!
 でもね。流石にそれは行き過ぎかな~って思ったの。だって裸エプロンは新婚の楽しみだもんね?白銀中尉だってかすみんと結婚してから楽しみたいよね?でも新婚プレイも楽しみた~いって事で、だ・か・ら、今回は妥協案でベビードールにしてみました~どんどんぱふぱふ!!
 おっとなんで私がかすみんのサイズに合った服を持っていたのかは内緒だぜぃ?なんたって趣味だかんなベイベ!!
 という訳で、かすみんINベビードール………!思う存分愉しみなさいっ!!

 追記
 あ、一応それかすみんへのプレゼントだから、汚してもいいよ?でもほどほどにね?
                 か☆し☆こ

 追記の追記
 ―――炉利魂。
    By紫藤あやめ』



 ぐしゃり、と手紙を握りつぶした。
 つまりコレは何か。あの宗像×風間以上にレズ疑惑が掛かっている式王子の差し金かと。よしあの中尉今度締めると白銀は決意すると、社の方に向き直った。
 そう。ここは一つ、オトナの対応をするべきだ。
 何しろ、白銀は社と寝食を共にするのはこれが初めてではない。『前の世界』で『元の世界』に一時的に帰る際に、彼女との繋がりを深めるため寝食を共にしていた。それは数えてみれば数日程度だが、それでも経験している以上対応策があり、最早白銀に取って恐るるに足らないのである。因果導体を舐めてもらっては困る。伊達に経験を重ねてはいない。
 ―――つまり自分は床で、社はベッドで寝ればいいのだ。
 完璧だ、と白銀は自画自賛した。だが、彼はこの時失念していたのだ。社霞が持つ、特殊能力を。
 そんな対応策は―――リーディングでとうの昔にお見通しだった。
 どうなるかというと、涙目、上目遣い、加えて『嫌………ですか………?私と………一緒に寝るの………』などという見るものの良心を攻め立てる危険極まりないコンボを喰らい、白銀は轟沈した。
 そしてその結果が―――コレである。

「ん………ぁ………」
(おおおお落ち着けオレ!Coolに!Coolになれ………!!)

 狭く硬いベッドの上、冷凍マグロもかくやと言わんばかりに硬直する白銀と、それに抱き枕よろしく抱きついている社の姿があった。特に社は、普段うささんに行っている所業―――抱きつきや頬ずりなど―――を無意識に繰り返し、その度に白銀の精神力がガリガリと音を立てて削れていく。何しろ彼女が動くたびに柔らかさとか少女特有の匂いとかその他諸々などで一々刺激され、理性崩壊メータがぎゅんぎゅん回っていく。
 しかし白銀の名誉のために言っておくと、彼も初心なネンネではない。女の味も知っているし、それに比べればこの程度軽いスキンシップにしか思えない。そして何より、白銀武という男は根が純真であり、それ故に心に決めた女以外に手が出せるわけがなかった。
 だが―――最大の脅威は実は別にあった。

「はむ………」
「ひぁっ………!?」

 この少女、たまに舐めてくるのである。―――主に耳とか首筋とかピンポイントで。
 これこそが―――白銀が寝付かぬ最大の理由だった。
 以上、状況説明終了。

(ふ、ふふふふふ!!甘くみるなよ霞!オレには、数字の魔術がついているんだ!!そうだ、素数を数えるぞ!素数とは1と自分以外の数字以外に正の約数が無い孤独な数字………。これを数えることによってオレはこの現実から乖離し孤独になる!!)

 最早本人でも何を言っているのか分からない。

(よし数えるぞ………2、3、5、7)
「ふぁ………」
「ひぃっ………!?」

 吐息を吹き掛けられ素数詠唱は中止する。駄目だ。もっと集中できる何かが必要だ。

(駄目だ素数詠唱が通用しねぇっ!?ほ、他に何か術式を………!はっ!?そうだ般若心経!!―――って内容知らねぇっ!!)

 混乱の極みの中、白銀の最も長い夜は―――まだ始まったばかりだった。



 因みにこの翌朝。
 社と共に部屋を出るところを207B分隊に発見されることとなる。それ自体はどうとでもなったのかもしれないが、かたや一晩中本能を抑えつけたがために不眠不休でげっそり、かたや熟睡したのですっきりツヤツヤした顔だったのがいけない。あらぬ嫌疑をかけられ、社も弁明せず、更に騒ぎを聞いて駆けつけた神宮司まで乱入し、その日は朝から晩まで修羅場だったのだが―――それはまた、別の話である。






 11月8日

 カツン、カツンと廊下を靴底が叩く音が響く。
 音源は二つ。軍靴の重い音。油が染み込んだツナギ姿の女と、野戦服にフライトジャケットを羽織った男の二人だ。年齢はどちらも三十代後半から、四十半ばと言ったところか。
 並んで歩く二人の内、女の方は腰まで届く緩やかにウェーブの掛かったブロンドをうなじの辺りで一括りにしており、碧眼は何処か郷愁の色を帯びていた。
 男の方は金髪の角刈りにがっちりとした如何にもな軍人体型で、その鷹のように鋭い双眸は、心なしか悪戯を咎められた少年のようにバツの悪そうに女から背けられている。

「それにしても―――本当に久しぶりね、ハーモン。行方不明のはずの貴方がまさか生きてて、その上ここに配属されるなんて思わなかったわ」
「裏方仕事をするには、そちらの方がいいんだそうだ。それに俺も驚いたよエイプリル。まさか君がこんなところで技術開発の責任者をやってるなんて。ノースロック・グラナンに就職したんじゃ?」
「最初は企業からの出向組だったんだけどね。色々やってる内にいつの間にか軍に転籍していて、気づいたらこの基地じゃ一番の古株よ」

 基地司令でも私に文句言えないわ、と冗談めかして言う女の名は、エイプリル=カーティス。このサンディエゴ海軍基地の技術士官で、大尉待遇だ。本人の言うように、民間から軍属に転籍した技術者で、腕を見込まれてそうなる人間は多くはないがいることはいる。彼女もその少ない内の一人であった。

「―――ジュニアは、元気?」
「………報告書ではな。俺が表面上行方不明になってるから、ここ十年は紙でしかあいつを知らないよ」
「子供の沙汰が報告書だなんて、味気ないわね。あの子―――今は法務部だっけ?」
「ああ………ってよく知ってるな」
「同じ海軍にいれば音に聞こえるわよ。伝説のトップガンを父に持つ、若き天才衛士―――その栄光と転落はね」
「まさか俺より先に戦術機を降りるなんてな。―――皮肉なものだ」

 力無く苦笑する男の名はハーモン=アーサー=ウィルトン。フライトジャケットの階級章が示すように、米国海軍所属の少佐。しかしその名前は偽のものである。本来の名は、名乗らなくなって久しい。

「夜盲症、か。あれは確か遺伝もするようだけど―――貴方は大丈夫なの?」
「俺の方はな。親戚筋を探ってみたが、パトリシアの父が夜盲症だったらしい」
「パトリシア………か、残念、だったわね」

 エイプリルにとっては古い友人の名―――そして、ハーモンにとっては最愛の妻の名に、二人は沈黙を落とす。それが指し示すことは一つ。

「ごめんなさい。今言うべきことじゃなかったわね」
「気にしなくていい。あれは前から病弱だったしな」

 そして二人は再び沈黙した。ただ歩みを進め、やがて通路の突き当たりへと辿り着く。エイプリルが扉脇のコンソールに指を走らせ、何かを入力すると、重たげな鉄扉が自動で開いていく。
 扉の先から漏れる光量もあって、ハーモンは目を細めるとその先の広大な空間を認めた。そこはハンガーだった。だが、手前のガントリーには一機も戦術機はいない。
 二人はハンガーの中に入ると更に歩き、一番奥に鎮座する黒塗りの戦術機の足元へと来た。

「これは―――F-14………いや、微妙に形が違う………?」

 ハーモンはその戦術機を見上げて呟く。第二世代戦術機の先駆けにして傑作機であるF-14―――通称、トムキャットは彼が最も慣れ親しんだ機体だ。傑作機であるが故に、いくつかの拡張バージョンがあり、それによっては形が違ったりするのだが、これはそのどのバージョンにも当て嵌らない。ではこの戦術機はF-14では無いのか、と問われればハーモンは首を横に振る。特徴的な腰部のディティールはそのままだし、脚部に関しても同様だ。違うのは上半身の細部。肩部や頭部と言った部分だけだ。

(いや、跳躍ユニットも少し違うな。可変式なのは変わらないようだが………より大型化されている?どちらかというと―――ラプターの跳躍ユニットに近いような………)

 それ以外は従来のF-14―――それも最終型であるE型に近い。そこでふと、とある計画を思い出す。
 先進戦術戦闘機計画―――通称、プロミネンス計画。
 国連軍がアラスカにあるユーコン基地で進めている各国家間の情報、及び技術交換を主目的とした国際共同計画で、確かそこの計画にイラン側からトムキャットの改修機が参加していたはずだ。
 他軍であっても、既に十年以上の付き合いがある機体なのだ。その改修機ともなればハーモンとて気にはなる。だからそれについては聞きかじった程度ではあるが覚えている。確か―――。

「F-14Ex………スーパートムキャット………」
「惜しい、わね。いくら何でも他軍の機体が米国の海軍基地にある訳が無いでしょう?」

 苦笑するエイプリルに、ハーモンは首をかしげた。ではこの機体は一体なんなのか、と問いかけると彼女は笑みを深める。

「これはね、F-14がイランに払い下げられる前に米国が立ち上げた―――『スーパートムキャット21計画』の遺産よ」
「『スーパートムキャット21計画』………?」
「そう。かつてあった『スーパートムキャット計画』はF-18E/F………ようはスーパーホーネットにその座を奪われちゃって頓挫しちゃってるのよ。今アラスカのユーコン基地で試験運用されてるスーパートムキャットは、その計画の息子。そしてこの機体の甥っ子のようなものね。―――仕様は随分違うけど」

 まぁ他軍に計画ごと渡ってしまっているのでそれも仕方ないけど、と彼女は言うと手に持っていたバインダーをハーモンに差し出す。彼はそれを受け取り、目を落とすと、そこにはこの機体の仕様が書いてあった。

「………おい、おいおいおい!何なんだこのスペックシート!これがこの機体のスペックだって言うのか!?しかもF-14で―――単座っ!?」
「そうよ?単座なのはフェニックス載せてないからだけどね」
「そうよって、この仕様………下手すると第三世代に匹敵するんじゃないか!?」
「だって最終的には私が弄り倒したんだもの。それぐらいフツーよ」

 驚愕するハーモンに、エイプリルはくすくすと品よく笑う。

「トムキャットの改修案である『スーパートムキャット計画』は実は二つあってね。開発企業であるノースロック・グラナンが掲げたのが、今ある『スーパートムキャット計画』。普通の改修強化計画ね。さっきも言ったように、こっちはコスト面が難航して頓挫。計画ごとイランに移って、今のF-14Exの元になったわ。そしてもう一つの計画………米国が独自に立ち上げたのが『スーパートムキャット21計画』。―――これは、次世代技術研究先行開発計画だったの」
「次世代技術研究先行開発計画………?」

 小首を傾げるハーモンに、エイプリルはそうよ、と頷いた。

「本来の『スーパートムキャット計画』から枝分かれした、21世紀以降を見据えた新技術開発を目指した計画よ。言わばコンバートプロジェクト。例えば―――そうね、新たな世代の戦術機を造るのには、莫大な資金と人材、そして時間を必要とするわよね?」

 機体の運用思想に始まり、基礎設計、現在まである技術の応用発展、使用する材質、更にはその使用材質の開発と―――新機軸の戦術機を造ろうとすると、まさに『一から造る』ことになる。それまでの戦術機で培ってきた応用が色々利く場面もあるとは言え、全体からしてみればそれは些細なものだ。故に、新世代戦術機を造るとなるとエイプリルが言うように途方も無い資金や人材、時間が必要となる。
 特に機体の基礎設計や材質開発は、当時日進月歩と言っていいほどの進捗を見せており、どの部分で決めればいいのか上層部では議論が紛糾した。軍部の人間からしてみれば性能が良ければ良いほど、政治家からしてみれば、コストが掛かれば掛かるほど話はこじれていく。これは何処の国でも言えることで、うまく折り合いを付けていかなければならない。
 ところが、米国という土地柄―――あるいは他の国よりも揉めることとなる。
 現在でさえ、米国は自国にハイヴを抱えてはいない。あるいはこれが日本であったり、ユーラシア大陸の何処かの国であったりしたならば、最早一刻の猶予もなく、だからこそ政治部は折れるなりして早々に決着がついただろう。戦術機開発に限らず、軍事による遅れで国が崩壊すれば、その後の政治などある訳がないのだから。しかし米国にはまだまだ余裕があった。加えて、F-4を開発したという諸外国に対する優位性、更には戦術機開発に関しては最先端にあるという事実から、議論はますます遅くなる。
 その上、『対BETA兵装は第二世代機で十分、次に必要なのは対人類用の兵装である』という考えが主流になったが為に新規装備開発は更に大論争に発展。最早一朝一夕では収拾が付かない事態になる。
 しかしそうしている間にも、新たな技術はどんどん作られていく。だがそれを載せるための次世代戦術機の開発が遅れているために、機体相性などの試験運用すら出来ない。
 そこで登場したのが『スーパートムキャット21計画』だ。

「『スーパートムキャット21計画』―――長いから私は『21計画』って言ってるけど、それはいずれ第三世代に反映させるための技術データを収集する計画だったの。つまり、第三世代を開発するに当たって掛かる人材、資金、時間の内、時間の部分を少しでも短縮しようとしたわけね」

 次世代型戦術機―――今で言う第三世代機に載せることになる技術を、先行して現行機に載せ、そして第三世代機の基礎設計の目処が立ったところでコンバートする。この計画には、当時比較的予算に余裕があった海軍が主導することになった。その頃の陸軍は、度重なる欧州遠征やF-15の改修などで他に手が回らなかったからである。
 そうして海軍の主力機であるF-14にスポットが当たった訳だ。折しも、本家である『スーパートムキャット計画』が立ち上がっていたので、その分のノウハウも吸収できるという開発側の打算もあった。
 だが―――。

「でもスーパーホーネットの登場で、大本である『スーパートムキャット計画』は頓挫。更にはATSF計画の確定によって、『21計画』の成果は全て次世代試験機に接収。これによって『21計画』は完遂したの」

 計画の成果は、以降YF-22やYF-23に組み込まれ、最新鋭機であるF-22ラプターにもその系譜は受け継がれている。
 尤も―――そのラプターもG弾登場によってF-22懐疑論が提唱され、量産開発が遅れに遅れる事となるのだが、それはまた別の話である。
 ともあれ計画終了後、試験実験機であった数機のF-14は解体されたはずなのだが、この機体に関しては何故か解体もされずにここサンディエゴ海軍基地の最奥でゆっくりと時を過ごしていた。しかし―――。

「私が此処に来るまでは埃被ってたんだけどね。偶然見つけて、手漉きの時間に修理してやってたら軍のお偉いさんに見つかっちゃってね。―――どうせやるなら徹底的にやってくれって」
「それでこんなデタラメなスペックになったのか………」
「尤も、最初からある程度デタラメなスペックだったけどね」

 何しろ、新技術の概念や予算を数機のF-14だけに全てつぎ込んであったのだ。元が第二世代である事を考えると、明らかにオーバースペックである。まさに資金が潤沢にある国だけが出来る『贅沢』だ。
 エイプリルが言うには、そのお偉いさんにバレた時に海軍に転籍になったらしい。以降も企業からのデータ提供があることから考えて、軍と企業側が何らかの利益の為に提携を結んでいることは想像に難くない。

「毎月企業から最新のデータが回ってくるわ国からは下にも置かない高待遇を受けるわ挙句の果てにはラプターの跳躍ユニットまで搬入されてくるわ………何でこんな期待されてるのかしらと思っていたけど、貴方が―――正確には、貴方のような所属の人間が乗るならそれも納得ね」
「正義と自由の国も、色々と裏家業は必要なようでね。―――無粋極まりないが」

 やれやれだと、ハーモンは首を横に振り、黒塗りの機体を見上げた。

「―――コイツの名前は?」
「正式には決まってないわ。表には出ない機体だしね。―――一応、開発コードはF-14F、ナイトトムキャットらしいけど」
「『夜の雄猫』?………まぁ、確かに機体は黒いが」
「頭文字はNじゃなくてKよ。―――つまり、『雄猫の騎士』ってところね」
「また随分小洒落た名前を………。まぁ、ともあれこれが俺が乗る機体か」
「乗りこなせる?」

 悪戯な笑みを浮かべるエイプリルにさぁな、とハーモンは苦笑すると黒い機体の脚部に手を触れる。

「まぁしばらくの間、よろしく頼むぞ。―――相棒」

 艶光する漆黒の機体が照明を反射させ、新たな主の呼びかけに応えるように輝いた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十二章 ~姉妹の心重~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/03/14 20:08
 ―――夢を、見ていた。
 茫洋とした意識の中で、しかしそれが過去の出来事であると理解できたのは、『彼女』にとってそれはとても大切な記憶であるが故だろう。『彼女』はゆらゆらと揺蕩う意識に身を任せ、過去の回想とも言うべき夢を見つめる。
 そこは何処でもない白画の世界。その中央に、二人の幼い少女だけがいた。二人の衣装こそは違う。だが、背丈や顔立ちなどは非常に似通っていた。何も知らない第三者が見れば、見分けがつかないほどに。
 ―――まるで鏡合わせ。
 彼女達は向かい合い、手を重ね合わせる。

『あねうえ。わたしは「えいし」になります。そして、このくにを、たみを、そしてあねうえのおんみをおまもりいたします』

 一人の少女が凛と告げる。
 それは誓約にして契約。少女が少女であるための、『とてもたいせつなやくそく』。
 繋いだ言葉は覚えたてのように辿たどしい。しかしそれ故に純粋で、純真で、無垢で―――そして何より確固たる意志があった。それ故に『彼女』は理性ではなく、本能で確信する。きっとこの少女はその誓いに辿り着くと。如何なる艱難辛苦がその先に立ち塞がろうと、如何なる不安や迷いを抱こうと、きっと少女はその本懐を遂げる。
 これは少女の存在理由。
 今はまだ幼き身なれど、進むべき道を決めた者の―――心の形。
 だから『彼女』は自問する。
 その約束に対し、自分はどうすればいいのかと。

『では、わたくしは―――』

 『彼女』は言葉を紡ぐ。しかしその言葉は世界の反転によって掻き消されてしまった。
 唐突に訪れた夢の終わり。そして世界は『彼女』を残して暗闇に包まれる。全ての感覚が泡沫と消えてしまう。
 だが聞こえなくても分かる。
 見えなくても分かる。
 最早感じることが無くても信じられる。
 確かに、誓約にして契約―――そして『やくそく』はこの時に成ったのだ。



 例え共いることが出来なくても、いつか必ず、再び巡り逢えると信じて交わしたのだから―――。






 11月10日

 そして煌武院悠陽は目を覚ました。
 時刻は見なくても分かる。公務に関わるようになってから、この手の時間間隔は身体が把握するよう鍛錬した。いつもの就寝時間に寝て、そして目が醒めたのであれば、今は朝の五時前後。
 暦も11月を数えている。この時間の外はまだ夜の帳に包まれているのだろう。身を起こし、部屋の外を見てみるが、朝日は一向に差さない。

(―――今のこの国と同じ………)

 胸中で呟き、寝起きから暗澹たる気持ちとなる。
 既に11月10日。未来情報を持つという若者たちがもたらした情報を鵜呑みするのならば―――約束の日は明日、11月11日。だが、ここに至って未だ、悠陽には迷いがあった。
 何に対して、と問われれば―――全てに対して、と彼女は応えるだろう。
 彼等がもたらした情報も、彼等が警鐘した日本の行く末も、その先に繋がる悲劇も―――未だ信じきれない。それを確定させるための11月11日ではあるが、悠陽はそれすらも信じきれていなかった。
 否―――信じたくなかった。
 彼等の存在証明が成されれば、今後否応なく彼等がもたらす情報通りに事が進む。無論、彼等もそれを阻止、あるいは改変するために動くのだろう。故にこそ、11月11日のBETA侵攻情報をこちらに提供した。
 自分達の証明、それから侵攻による被害を少しでも減らすために。
 信じたくはないが―――おそらく、彼等の情報通りにBETAは侵攻してくるのだろうと理性は思う。でなければ、彼等が背負うデメリットはあまりにも大きすぎる。しかしそれを背負ってでも、日本との繋がりが大事だと判断したはずだ。
 そして実際にBETAが侵攻してくれば―――。

(彼等の存在が証明され………私は立たねばなりません)

 彼等が言う、日本に降り掛かる悲劇―――それを止めるために。
 だが、自分が立つということは、とてつもない力が動くということに他ならない。
 政威大将軍―――。
 その役職であるが故に、悠陽は簡単に動くことはできない。
 日本帝国に於いて、国事の全権を代行する役職。皇帝により五摂家から一人選出されるこの役職は、第二次世界大戦での敗北により今でこそ名誉職―――即ちお飾りに等しいが、本来の権限を以てすれば皇帝の名に於いて国の一切を、それこそ軍部であろうと政治であろうと取り仕切ることの出来る役職だ。皇帝の代理人ではあるが、事実上の最高権力者と言える。
 自分が立つということは、その権限が付随する。
 だからこそ、悠陽は迷うのだ。
 政威大将軍の権限は余りにも強大だ。彼女の言葉一つ、行動一つで国民の明日が左右される。それこそ、悠陽が誰かに死ねと命じれば、それは皇帝の代弁として果たされることになる。例えそれが悪意あってのことでも、命じた悠陽が裁かれることはない。
 無論、これは極論にしか過ぎないが―――彼女の一言、一挙一投足は、それ程までに重い。
 例え五摂家の半ば洗脳じみた英才教育によって悠陽が育てられていても、その責任を背負う部分だけは本人任せだ。責任に対し何も感じないほどに心根を歪めてしまえば、歪な人間にしかならない。自己判断ができない機械のような人間は、それを操る他人の手を離れてしまえば途端に壊れてしまう。故に、煌武院家は悠陽の心だけは自由に育てた。
 自らの足で、意志で、その職務を全うできるように。
 だが皮肉にも今、その自由に育てられた心が、彼女の足枷になっている。
 もしも彼女が機械のような人間であったのならば、おそらく迷うこと無く11日の次第を確かめ、直ぐに行動に移っていただろう。その行動の先に、何人の国民の血が流れようとも。
 だが、彼女は血の通った人間だ。民を家族、国を家と想い大事にするからこそ、その権限を封じられても尚お飾りに収まってきた。そしてこれは、何も悠陽だけではない。
 第二次世界大戦後の米国による占領政策によって、政威大将軍という役職が事実上の名誉職に貶めらた。だが歴代の政威大将軍はそれに甘んじた。―――自らが動けば、それを引き金に再び戦争が起こりかねないのだから。戦争が起こるということは、既に傷ついている民に、再び傷つけと言うことに他ならない。
 そして、歴代の政威大将軍がそうしたように、悠陽もその道を選んだ。
 加え1998年のBETA東進―――そして京都の陥落。侵攻以降の軍部による拡大解釈による権限制限。
 力を削がれて尚、彼女はお飾りであったのか。それは偏に、何よりも民を想ったが故だ。国外であれ国内であれ、自分が動かなければ波風は立たない。少なくとも、内部で争うようなことは起こらず、目の上のたんこぶである佐渡ヶ島に集中できる。
 だからこそ、彼女は今まで動かなかった。

(ですが―――私が迷って立ち止まっていることで………)

 悲劇が起こるという。
 それがどれ程のものかは彼女は知らない。知らないが、わざわざ政威大将軍に直接知らせてくるぐらいだ。おそらくは歴史に残るような事件となるはずだ。それを直視した時、あるいは知った時―――自分は一体何を思うのか。

(冥夜………私は―――)

 遠き日の安らぎを夢に見て、悠陽は彼女を思う。
 あの日交わした『やくそく』は、未だ道半ばであることを嘆きながら。






「―――以上が、明日の方策と三神少佐の要求になります」
「そうですか。大儀であった、鎧衣」

 その日の夜、謁見の間にてその日の公務を終えた悠陽は鎧衣と会っていた。国連軍所属である彼等との橋渡しを担う鎧衣は、ここしばらくはメッセンジャーのような役割をさせていた。本来の職務からは多少なりに逸脱していた為に、悠陽は礼を言うが、狸は小さく苦笑して固辞するだけだ。
 因みに、話す内容が内容だけに、側仕え達には席を外してもらっている。

「言うほどではありませんよ、殿下。ああ、それと方策に関しては、既に各部門への根回しを紅蓮大将に話してありますのでご安心を。―――それよりも、三神少佐の要求に関しての返答はどういたしましょう?」
「迎撃後、とある帝国軍人との謁見をしてもらいたい………でしたね。―――鎧衣、そなたはどう見る?」
「そうですな………。私が掴んでいる情報を鑑みましても、おそらく彼等が言う『今後日本を襲う悲劇』に関与するであろう人物であることは想像に難くありません」
「そなたも、やはりなにか掴んでいるのですね?」

 悠陽の問に、鎧衣はやはり苦笑。
 白銀や三神との謁見の際、彼はあまり動揺を見せなかったのを悠陽は知っている。事前に二人から色々な情報を聞いていたわけではなさそうだが、ある程度の予想は立っていたはずだ。

「確かに私の方でもある程度掴んではいますが―――正直、彼等の持つ情報よりは精度が劣ります。私が殿下にそれを申し上げなかったのは、中途半端な情報で混乱させたくなかったから、と言い訳しておきましょう」
「よい。―――これまでのそなたの働きを鑑みれば、何か考えがあってのことであることは理解できます。故に、私も今は無理に聞き出すことはしないでおきましょう」

 小さく首を振る悠陽に、鎧衣は静かに首部を下げるだけで応える。

「三神少佐の要求は呑んでおきます。―――その帝国軍人を招致するための条件は彼が整えるのでしたね?」
「はい。―――BETAが侵攻してくると分かっているからこそのやり方ですよ」

 頷いて何処か楽しげに言う彼に、悠陽はしばし目を伏せると問を投げかけた。

「―――鎧衣。そなたも、明日BETAが侵攻してくると思いますか?」
「十中八九、来るでしょうな」

 あるいは、予見していたのだろうか。鎧衣の返答は思った以上に早く、そして断定だった。

「その理由は?」
「彼等が背負うメリットとデメリット―――それから、期間、ですな」
「短すぎる………ですね」
「はい。ただ単にこちらを騙すだけならば、もっと前に仕込むことはできたはず。尤も、それすらも仕込みだと言われればどうしようもありませんが―――おそらくそれはありますまい」

 問を投げかけた悠陽も、実は気付いていた。
 もしも彼等が某か別の目的があって近づいてきたと仮定すると、色々と辻褄が合わない部分が出て来る。そして例の謁見の時以降に何か別件の要求をしてくるのかと思えばそうでもなく、したとしても今回のような11日以降を見据えての要求だ。
 つまり、彼等に取って11日のBETA侵攻は既に確定しているものであるという反証になる。
 尤も、鎧衣の言うようにそれすらも仕込みという可能性もなきにしもあらずだが―――これも彼の言うように、おそらく無いだろう。
 彼等は色々と情報を持っている。否―――知りすぎている。
 それは国家機密となっている自分と御剣との関係を始め、オルタネイティヴ4やその最終目標の被験者の名前。更には、あの香月夕呼が後ろ盾になっていると聞けば、企んでいることがあったとしてもこちらの不利になるようなことは無いと考えられる。
 であるからこそ、鎧衣は『無い』と断言した。

(―――ですが、明日………)

 そうなると、ますます明日の信憑性が高くなってくる。そして彼等の予定通りは、ある意味で悠陽の予定外だ。
 そんな彼女の憂いを感じたのか、鎧衣が言葉を掛けてきた。

「―――殿下。これは忠臣としてではなく、一人の日本人としての言葉だと思って聞いて頂きたい」

 その声音は何処か優しげで、普段は飄々としたこの男も一人娘を育てた親であるということを思い出させる。

「我々臣民は殿下に守られるだけの存在ではありませんよ。―――時として、その重荷の一端を背負う役さえ買って出れます」

 だからいつでも頼ってくれて構いませんよ?と微笑む彼は、いつもの道化然とした笑みを浮かべていた。




 そして彼女のモラトリアムは終わりを告げる。
 日はまた巡り、時計の針はその動きを止めない。
 彼女自身がその覚悟をしていなかったとしても、容赦なく現実は押し寄せてくる。
 運命の日が―――ついに来た。








 11月11日

 午前6時。
 日本帝国軍の航空宇宙軍参謀部佐渡ヶ島観測班が、監視衛星からBETA群の不自然な動きを観測。

 同6時10分。
 これを受け、この同時刻に行われる予定であった日本と国連軍の合同実弾演習は中止。付近の帝国軍基地は防衛基準態勢1へと移行。尚、日本政府からの要請もあり、演習に参加予定の国連軍もそのまま戦力として参戦することを受諾。

 同6時20分。
 佐渡ヶ島ハイヴから出現したBETA群が海底を南下。


 そのBETA群の規模は―――。






「師団規模………!?」
「ああ。何も知らされずにこの日を迎えていたかと思うと………正直、ぞっとしねぇよ」

 旧吾妻郡中之条町に本陣を構えていた悠陽は、既に強化装備に着替えていた斑鳩からその知らせを聞いて、我が耳を疑った。あの二人からもたらされた情報によれば旅団規模―――即ち、3000から5000のBETA群だった。師団規模ともなれば、その総数は10000から20000にも及ぶ。無論、これには観測しにくい小型種は含まれていないので、実際の総数はもっとある。

(事前に情報を聞いて迎撃体制を整えていなければ………絶対防衛線を突破されるかもしれませんね)

 今もその危機に直面してはいるが、それでもきちんと準備してある。少なくとも、何も知らず準備していなかった場合よりはマシだ。
 今回の実弾演習には東北、東部、中部三方面の軍と斯衛からは第1、第2、第24とほぼ全ての戦力を抽出している。損耗を減らすための過剰とも言える抽出戦力だったが、反って好都合だったようだ。無論、これで当初の損耗を減らすという目論見は挫かれてしまったのだが。
 ともあれこのBETA群の誤差は何なのかは不明だが―――しかし彼等の情報が真実であることは疑いようのない事実だ。そしてこの瞬間、彼等の存在が証明され―――悠陽には一つの選択を付きつけられた。

(私が………立つこと………)

 お飾りではなく、真の意味での政威大将軍として。そして、今後日本に襲い来るであろう悲劇を跳ね返すために、立たねばならない。
 果たして自分に、それが出来るのであろうか―――。

「―――悠陽ちゃん?」
「っ!?………斑鳩殿。申し訳ありません。話の途中で」
「いや気にすんなって。内容が内容だからって人払いしたんだし。―――俺も素の喋りだぜ?」

 普段の厳格な言葉ではなく、気さくな言葉で問われ、悠陽は苦笑する。この青年には、昔からこうしてよく気を遣われる。それを兄のようだ、と思いはすれど、不快に思うことはない。

「そうですね。では、昴殿―――今後、どうなりますか?」
「多分、後数分もすれば第一次海防ラインを突破されるな。一応、もう最前線の構築は完了しているが―――この規模相手じゃぁちとヤバい。第二次前線を押し上げて後衛に回したほうがいいかもしれねぇ」
「ではそのように手配を。空いた第二次戦線には東北方面軍を配置しましょう」
「了解。つってもあの参謀長、ああ見えてやり手だからな。ひょっとしたら、もう動いてるかもな」

 本土防衛の総指揮を任されている帝国軍参謀本部の参謀長とは、悠陽も何度か会ったことがある。温和な性格で退役後の年金暮らしを夢見ていると嘯く好々爺だが、一度指揮を取れば現場の指揮官をして奇跡、あるいは魔術とも言わせるほどの手腕の持ち主だ。
 斑鳩の言うとおり、あるいは既に動いているかもしれない。
 彼は悠陽の下した指示を伝えるべく設営テントを後にしようとし―――その足を止めて、一度振り返った。

「あー………あのさ、悠陽ちゃん。―――あんまり、気負うなよ?」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、そんな事を宣う。おそらく彼も、悠陽が抱えている迷いに気づいているのだろう。いや、気付かないはずがないのだ。斑鳩も、同じ五摂家なのだから。
 しかし同じ政威大将軍という立場に立てる資格を持ちえながらも、そうしないことに引け目を感じ、色々と言葉を選んだのだろう。その不器用さが何だかおかしくて、悠陽はくすくすと品よく笑う。

「鎧衣にも、似たようなことを言われましたよ」
「あのオッサンもマメだな………」
「そんな事はありませんよ。皆には………心配をかけてばかりです」

 悠陽は笑みを潜めて俯く。
 事此処に至って尚、未だ覚悟を決められない自分を不甲斐なく思いながら。






(あー………正直、この方法はどうかと思っていたが………他ならぬ悠陽ちゃんの為だ。仕方ねぇわな)

 結局、悠陽を元気づける言葉を掛けることも出来ず、設営されたテントから出てきた斑鳩は、一つの案を考えていた。
 それはある意味で諸刃の剣。
 そしてあの掟を是とするならば、おそらくぎりぎりで禁忌。
 だが―――。

(まぁ、バレたら責任は全部俺が引き受けりゃぁいい。―――それが政威大将軍になれなかった………いや、悠陽ちゃんに全てを押し付けちまった俺なりのケジメだ)

 何時までも、年下の少女ばかりに頼り切っているのはどうかと思う。
 政威大将軍という役職。本来ならば年齢や経験で考えれば斑鳩のほうが適任だ。いくら前任者が煌武院家の者だとしても、政威大将軍は世襲制ではない。まして成人さえもしていない少女に押し付けるのはどう考えてもおかしい。
 では何故彼女が選ばれているのか。
 決まっている。
 無力な少女の方が利用しやすいのだ。―――政治的に。

(クソッタレの売国奴共が。陛下を誑かしやがって。だが、あの娘を嘗めていられるのも今の内だぜ。何たって―――根っこの部分は、今も昔も全く変わってねぇんだからよ)



 その迷いさえ振り切れば、あの娘はきっと誰よりも強くなる―――。



 そして彼女の迷いを振りきれるであろう人物は、一人しか知らない。
 不敵な笑みを浮かべる斑鳩は、急ぎ準備に入る。敵の動きから鑑みて、そう時間は残されていない。後十分十五分程度が限界だろう。
 そして、自らの君主を最上の未来へと導く為に、斑鳩の蒼鬼は動き始めた。






 御剣は吹雪の管制ユニットの中にいた。
 実を言うと、大分緊張していた。今、彼女が所属する207B分隊は第三次戦線―――旧十日町市にいる。佐渡ヶ島ハイヴから迫り来る、BETAを迎撃するために。

(よもや、今日が初の実戦になるとは………)

 管制ユニットの中、何度も操縦桿を握り直しながら、そんな落ち着かない自分に御剣は苦笑する。数日前にXM3のお披露目を兼ねた実弾演習を、日本帝国軍と行うことを白銀から聞かされた207B分隊は、前回のベテランとの模擬戦での敗北をバネにより一層訓練へと励んだ。
 やはり皆、負けず嫌いで―――悔しかったのだ。特に早々に落とされた榊と珠瀬はあの後の反省会で、少し涙目だった。
 あの戦闘からも分かるように、機動などではXM3という補正もあって、自分達はベテランに肉薄できるほどのものとなっている。それを認識できたことは喜ばしいことだが、逆にそれ以外が足りていないことが浮き彫りになったのだ。
 御剣自身、戦術の要である指揮官、そして狙撃要員を落とされただけで、ああも作戦の幅が狭められるとは思っていなかった。今までそう言ったことを想定してはいた。だが経験はしていなかったのである。とは言え、仮にも副分隊長である自分が最終的に正面突撃しか策を取れなかったことを深く反省した。
 だから今日、先日得た反省を活かして戦うことを皆と約束し―――何故か模擬戦よりも先に、実戦が来た。

(まさか、訓練兵の内から初陣を経験することになろうとは………)

 予定外ではあるが、御剣に取っては望むべくもない。自分は未だ訓練兵でひよっこではあるものの、戦術機に乗って戦う以上、衛士なのだから。

(姉上………。あの時の『やくそく』を、果たす時が来たようです………)

 瞼を閉じ、後方の本陣にいるであろう姉を思う。
 たった数日しか共に過ごせなくても、交わした『やくそく』は何時でもこの心にあった。それを胸に抱いて、ここまでやってきたのだ。例え所属する軍が違ったとしても、国を、民を、そして彼女を護る為に。

(―――気を引き締めていこう)

 シミュレーターで飽きるほどに対BETA戦はやった。
 だが、実機とシミュレーターとはまた別物なのだと先日の実機演習で思い知った。そして、自分達の教官である白銀や神宮司は、シミュレーターのBETA戦よりも実戦の方が厳しいと言う。言われなくても当たり前だろう。所詮シミュレーターはシミュレーター。要はニセモノだ。そのニセモノでいくら優秀な成績を残そうとも、本物で通用するとは限らない。
 だから、決して油断してはならない。
 気を引き締めて臨み、そして―――。

(皆と共に、生き残ろう)

 と、御剣が決意を新たにしていると、網膜投影に秘匿回線の文字が踊る。呼び出し人は―――。

「第19独立警備小隊………月詠?」

 彼女達第19独立警備小隊は207B分隊に随伴している。理由は分からないが、207B分隊の引率者である白銀が連れてきたというのならば、訓練兵である御剣は何も言えなかった。
 だが、仮にも他軍の者に、勝手に秘匿回線など使ってもいいのだろうか。
 疑問には思うが、何時までも放置しているわけにもいかず、取り敢えず出ることにする。
 すると網膜投影に赤の強化装備を纏った目付役の顔が映った。

「月詠………そなた、何故秘匿回線を………」
『御安心を。白銀中尉には許可は取っております故』
「む。そうか………ならばよい」

 開口一番に問いかけるが、あるいは予見していたのだろう。直ぐ様切り替えしてくるので、御剣もそれ以上の追求はせずにおいた。

「それで、一体何用だ?よもや私に下がれと言うのではあるまいな?」

 彼女とも長い付き合いだ。次に言いそうなことは分かっていた。だが、月詠は小さく首を振って。

『滅相もございません。今の私奴は一介の中尉。他軍の人事に口を出せる程ではありませぬし、何より、それが冥夜様の御意思ならば侍り従うのが斯衛の―――何より私奴の本懐。事此処に至って、冥夜様を御引き止めするような無粋な真似は致しませぬ』
「―――すまぬ。そなたを疑ったわけではないのだが」
『良いのです冥夜様。ですがこれだけは覚えておいて欲しいのです。―――我々は、いつでも冥夜様と共にあると』
「月詠………。―――そなたに、感謝を」

 所属こそ違えど、自分に忠誠を誓ってくれる彼女に、御剣は感謝の言葉を送った。





 その様子を、音声のデータのみで聴く者がいた。
 悠陽だ。
 先程、斑鳩が悠陽の強化装備を持ってきて、着るように促したのだ。疑問に思いながら着るとデータリンク経由での音声データの転送が行われた。本来ならば秘匿回線には干渉できないが、月詠の方が悠陽の強化装備に音声だけを送ってきているのだ。
 鑑みるに、斑鳩が月詠に頼んでこうなったのだろうが―――礼を言おうにも、彼は既に自分の隊の指揮を取るためにこの場を離れている。
 だから、悠陽は聴く。
 本当に久しぶりに聞く、妹の声を。

『して、では何故秘匿回線を使ってまで私に?』
『は。冥夜様はこれが初陣ですので、お気持ちを和らげようかと』
『ふふ………。確かに緊張はしてはいるが………案ずるほどではないぞ?』
『では冥夜様は、怖くはないのですか?』

 月詠の疑問に、しかし御剣は笑って答えた。ただ短く―――。



『―――いや、怖いぞ?』



「冥……夜………?」

 記憶の中と報告でしか彼女を知らない悠陽ではあるが―――彼女は、こんな事を言う人間だっただろうか。あの頑固な性格から言って、ああ問われればむしろ弱みを見せずに『怖くない』と言うのではないだろうか。
 しかし、悠陽が疑問に思うよりも早く会話は進んでいく。

『網膜投影越しでは伝わらぬだろうが………私も今、随分手汗を掻いている』

 それは初陣だからだろうか。それとも―――。

『敵が………BETAがすぐそこまで来ているのだ、月詠。そして私達は今からそこで殺し合いをするのだ。―――怖くないはずがないだろう?』

 怖い、と彼女は言うがそこに気負いはなかった。声も震えてはいない。ただ在るが儘を受け入れ、そして正しく今の自分を認識している。
 そして彼女はだがな、と続ける。

『だがそれ以上に、この国や民や、そして姉上を奪われるのが―――私は怖いのだ』
「っ!?」

 それはいつか自分が感じた恐怖。三年前、あの京都落城の時に。
 国土を奪われ、民を殺され―――そして、ともすればあの時に、御剣が命を落としていてもおかしくはなかった。例え出会うことがなくても、御剣の宗家は京都にあったのだから。

『月詠、そなたには話したことがあっただろうか?私はな、幼い頃に一度だけ―――数日の間だけだが、姉上に会ったことがあるのだ。その時にな、共に過ごした証として人形を―――そして「やくそく」を交わしたのだ』
『約束、でございますか?』
『うん。「やくそく」だ。私は衛士になり、この国と民と姉上を護ることを誓った。そして姉上は―――』

 そして悠陽は思い出す。
 昨日の朝、泡沫と消えた夢の中で―――幼い二人が交わしたとても大切な『やくそく』。
 これはその片割れ。
 あの時に自分が『やくそく』したのは―――。



『ではわたくしは、いつか「せいいたいしょうぐん」になって、このくにとたみとそなたをまもりましょう。そうすれば―――きっとこのくにはだいじょうぶです』



「―――あ………………」

 ぽたり、と頬を伝った雫が落ちて行くのが分かった。
 それは煌武院悠陽の出発点。
 それは誓約にして契約。
 そして大切な『やくそく』。
 まだ現実も何も知らない子供の自分達が交わしたものであったとしても―――姉妹の契りは確かにここにあったのだ。
 例え離れ離れになっても、姉妹として共にいることが出来なくても―――いつかきっと、必ず再び出逢えると、そう信じて交わした『やくそく』。
 彼女も、覚えていた。いや、それどころか最早『やくそく』を果たそうとしている。あの少佐の言う通り、彼女は成長していっている。敵が来て不安や恐怖を感じていても、拒絶するのではなくそれを受け止め、飲み込んで―――護る為に戦おうとしている。
 あの『やくそく』を胸にして。
 省みて―――自分はどうなのか。

(何も………何も出来ていない………!)

 何も変わっていない。
 何も出来ていない。
 そして―――。

「私は、何一つとして自分で決めていない………!」

 政威大将軍は皇帝によって選ばれる。
 そこに悠陽の決定権はない。
 三年前の京都防衛戦にしてもそうだ。自分のような戦争を知らない若輩が全軍の指揮を取れるはずもなく、只有能な部下の助言を聞いて、正しいと思われる選択をしただけだ。
 そこに悠陽の決断は無い。
 そして政威大将軍としての権限が縮小されるにあたり、自分は何もしなかった。お飾りのままでいるという安易な選択をし、身を削る覚悟を決めなかった。
 彼女は―――御剣冥夜はどうか。
 確かに、国連軍行きしかなかったのは事実だ。だが、彼女はたった一つしか道がなかったとしても、それを敢えて選んだ。
 いつか交わした『やくそく』を果たすために、戦う力を身につけた。
 そして今、彼女は自らの信念と覚悟、そして『やくそく』を胸に戦場に立っている。
 
「私は………」

 このままでいいのか、と自問する。
 このままでいいはずがない、と自答する。

「私は………………」

 変わらなくていいのか、と自問する。
 変わらなくてはならない、と自答する。

「私は………………!」

 かちり、と心の中、何かが動き出す音がする。
 それは時計だ。
 三年前のあの時より止めていた時間。
 ゆっくりとだが、それは動き出す。





 まだ間に合うのだろうか、と自問する。
 間に合わせるのだ、と自答する。

 誰かが傷ついてしまうのではないか、と自問する。
 その責を負うためにこそ責任者は存在するのだ、と自答する。

 待っていれば誰かが何とかしてくれるのではないか、と自問する。
 座して得られるものは何も無い、と自答する。

 自分で本当にいいのだろうか、自問する。
 ―――答えなど、最初から決まっているではないか。



「―――私がやらなくて、誰がやるのです………!」



 不安や迷いがあってもいい。
 それを振り切り、身を削ってでも前へと進む覚悟さえあれば。
 そうしているからこそ、今、御剣冥夜はあの場所にいるのだから。
 ならば双子の姉である自分が出来ない道理はない。
 だから煌武院悠陽は立ち上がる。足を踏み出し、設営されたテントから出る。そして声を大にする。

「―――誰かあるっ………!」
「はっ。ここに」

 姿を見せたのは、自分に仕える侍従長。そばに侍り、傅く彼女へ悠陽は告げる。自らの決意を体現するために。

「私の御武雷をここに………!!」

 不安はある。迷いもある。だが、同じものを抱えているはずの妹は、随分遠くへと行ってしまった。
 だから今は全て飲み込んで、彼女に追いつくために征こう。
 例えどれだけ離れ離れになっていようとも、彼女ともう一度心を重ねるために。
 あの時の『やくそく』を、果たすために―――。






 ―――6時43分。
 既に第一次海防ラインは突破され、BETA上陸までもうまもなくといったときに、網膜投影と言わず、全周波数でその声が流れ始めた。
 誰もが訝しげに首を傾げる。中には忙しい者も多く、こんな時に何だと悪態をつくが、その声が政威大将軍煌武院悠陽のものであると気づくと、直ぐ様清聴すべく口を噤む。

『―――聞こえていますか?日本帝国の精兵達。
 ―――聞こえていますか?日本帝国の国民達。
 ―――聞こえていますか?日本帝国の同胞達。
 そして聞こえていますか?私の大事な家族達』

 誰もが聴く。
 彼女がこうして戦場に出ていることも、皆に向けて声を発することも稀なので、ある者は興味半分、ある者は真剣に聴く。無論、作業を止めることはしないが。

『敵が―――この国を脅かす怨敵が来ています。かつてこの国の半身を食い破り、今尚その巣を楔として打ち込んでいる怨敵が、直ぐそこまで来ています』

 BETAの事だ。数は師団規模。『運良く』実弾演習が組まれていて、戦力には事欠かないが、もしもいなかった場合の事を想像すると、この周辺の基地の誰もが絶望していただろう。

『―――見えていますか?日本帝国の精兵達。
 ―――見えていますか?日本帝国の国民達。
 ―――見えていますか?日本帝国の同胞達。
 そして見えていますか?私の大事な家族達』

 見ている。
 どうやら彼女は強化装備を着て、更には戦術機に乗っているようで、網膜投影のある衛士達は彼女の顔も、背景となっている管制ユニットもきちんと見える。

『私達の大事だと思う全てを侵す為に、彼等は直ぐそこまで来ています。情けも容赦も感慨さえもなく、ただただ喰らい尽くす為に彼等は進撃してきます』

 奴等は何でも喰う。
 物も、人も、国さえも。
 まるで餓鬼。
 そして喰うだけ喰い散らかし、奴等は巣を作る。

『―――何を思いますか?日本帝国の精兵達。
 ―――何を思いますか?日本帝国の国民達。
 ―――何を思いますか?日本帝国の同胞達。
 そして何を思いますか?私の大事な家族達』

 そんなのは許せない。
 ここは自分達の国だ。
 自分達の許可無く土足で上がりこみ、好き放題やらかしてくれる相手を、許せるはずがない。

『私はこの上なく恐怖します。この日本が侵されることを、奪われることを。そして何より―――私の大事な家族達を喪うことを』

 誰もが恐怖する。
 当然だ。国を失うことも、家族を失うことも―――どうして耐えられようか。

『―――戦えますか?日本帝国の精兵達。
 ―――戦えますか?日本帝国の国民達。
 ―――戦えますか?日本帝国の同胞達。
 そして戦えますか?私の大事な家族達』

 戦える。
 その為に自分達は今ここにいるのだから。
 不安と恐怖を押し殺し、略奪者共を討ち滅ぼすためだけに。

『ならば立ちなさい。剣を握り、銃を構え、その魂を燃やしなさい。侵されることも、奪われることも、喪うことですら抵抗を止めなければ終わりに至りません』

 そうだ。
 自分達が抵抗をやめない限り、この国は終わらない。
 誰が終わらせてなんか、やるものか。

『そして私も抵抗を止めません。例えこの身が銃火に晒されようと、身が削れていこうと、最早私は歩む事を躊躇いません』

 自分達の後ろにいるのは政威大将軍。
 高貴な身であっても、硝煙漂う戦場に身を投じ―――そして歩みを止めぬ姫将軍。

『斯衛軍よ。聞きなさい。私を護るというならば、私の歩む先にある怨敵を須く滅ぼしなさい』

 斯衛軍は聞く。
 彼女を護るのであれば、彼女が進む道の露払いをするのが正しく己が役目であると。

『帝国軍よ。聞きなさい。家族の為に戦場に立つというのなら、その背中は私が護ると誓いましょう』

 帝国軍は聞く。
 家族を護る為に国を護るのは、軍人として当然の役目。しかしその背中を彼女が護ってくれるというのならば、これほど心強いものはない。

『そしてこの場にいる全ての者達に―――』

 それに斯衛も帝国も国連ですら関係ない。
 此の場に在り、そして同じ敵に立ち向かわんとするならば、その所属が何処であれ盟友。

『日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽が今こそ命じます………!』

 そして悠陽は大きく息を吸い込む。

『―――我が征く先に在りし怨敵を、我が家族を脅かす怨敵を、その力を以て全て討ち滅ぼしなさい!』

 そして―――。



『そして―――この国を護りなさい!!』



 少女の命に誰もが応える。
 言葉など、最早一つで十分だ。



『―――御意………!!』



 御意という言葉が戦場に重なり、広がっていく。






「斯衛として、これ程嬉しいことは無いのぅ」
「ああ。これで遠慮無く暴れられるってもんだぜ」

 本陣の近くでは、紅蓮と斑鳩が共に笑い合っていた。





 旧五泉市に展開する戦術機部隊もいつも以上の熱気があった。

「いいか手前ぇ等!あの殿下御自らの御下命だ!ここで奴らを滅ぼせなかったら、末代までの恥だぜっ!?」
「はいはい。熱血するのはいいですけど、ちゃんと仕事はしましょうね、隊長」
「そうそう。隊長はいつも肝心な所で大ポカかましますからねー」
「でも悪くないね、こういうのも」
「ああ、どうやら俺達は殿下の大事な家族らしいからな」
「じゃぁ、護らねぇとな。―――悠陽様はオレの大事な妹だ」

 ―――直後、その陽炎は全周囲からロックオンされた。

「お前、後で始末書な?」





 旧上越市に展開する機械化歩兵部隊も、実戦直前だというのに終始和やかな雰囲気だ。

「何かなぁ―――いつもと違うよな」
「そうね。………負ける気がしないわ」
「あったりまえじゃん。―――殿下が後ろにいるのよ?」
「それもあるしさ―――いい加減、BETAにやられっぱなしってのは気に入らないじゃん?」
「そうね。じゃぁ、今日は勝ちに行こうか。そして胸張って殿下に言うのよ。―――殿下が背中を護ってくれたから勝てたんですよって」





 そして旧長岡市に展開するとある戦車中隊でも、動きがある。

「さて、出番だぞ。貴様等」
『応!』
「敵を最も倒せるのは誰かね?」
『自分達、167戦車中隊であります!!』
「敵を制圧できるのは誰かね?」
『自分達、167戦車中隊であります!!』
「敵を瞬殺できるのは誰かね?」
『自分達、167戦車中隊であります!!』
「ではそんな君達に最後の問だ。戦場では衛士が花形のようだが?」
『撃墜数は、我々の方が上であります!!』
「そう、そうだ。当然、当然だとも。何故なら戦術機は基本的に面制圧が出来ない。ならば最も多くの敵を倒す我々こそが戦場の真の花形。丁度殿下の目もある。ならばここらでどちらが優秀なのかハッキリさせようではないかね?」
『応!!』
「では征こうか諸君。今こそ我ら、167戦車中隊の力を見せる時………!」





 空を見上げれば東雲がそこにある。
 月夜は終わり、暁へ。
 この空のように―――いつだって、陽はまた昇るのだから。

「―――さぁ、征きましょう………!」

 そして煌武院悠陽は歩き出す。
 いつか目指した―――最上の未来へと。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十三章 ~鋼鉄の乙女~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/02/13 13:35
 Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race―――。
 人類に敵対的な地球外起源種。
 通称、BETA。
 その巣であるH21―――佐渡ヶ島ハイヴから、魑魅魍魎が百鬼夜行を刻み、人類を喰い尽くすためにその猛威を振るい始める―――。





 ―――6時48分。

 師団規模のBETAがついに上陸し、構築されていた最前線部隊と接敵。砲撃部隊による初撃を見舞うが、次々と上陸するBETA相手には手数が足らず、次第に乱戦となる。

 ―――6時53分。

 上陸した師団規模のBETA群は大まかに分けて三方向に分かれる。一つは旧阿賀野市方面。一つは旧三条市方面。一つは旧柏崎市方面だ。数はほぼ均等でいずれも5000強―――旅団規模だ。

 ―――6時59分。

 そして―――旧阿賀野市方面は地獄になった。

「畜生が………!」

 迫り来る魑魅魍魎に突撃砲を向けてトリガを引き絞るその撃震の衛士は、悪態をつきながら死を覚悟する。
 元々、この旧阿賀野市方面は東北方面軍が配置についていたのだが、師団規模という予想外の敵の数に第二前線を最前線の後衛に回し、ここに配置されていた東北方面軍は第二前線へと転換した。
 それ自体は仕方が無いと思う。
 対BETA迎撃戦は緒戦の砲撃戦を抜けてしまえば後は混戦乱戦が主体となる。それに合わせて戦うとなると、どうしても何十もの防衛ラインを緩衝材のように張って徐々に敵の進軍速度と物量を削っていくしか無いのだ。その為に、第二前線への戦力供給は決して間違っていないし、こういう状況になったとしても、その衛士は上を恨んではいなかった。
 だが―――。

「一体何匹抜けて来てるってんだよっ………!?」

 師団規模、そしてそれが三方面旅団規模に分かれて進撃していることは網膜投影の隅―――戦況表示図に浮かぶ光点で知っている。だが、抜けてくるにしても敵の数が多すぎる。砲撃戦で削ってこの数というならば、元がどれほどの数だったのか想像もつかない。

「ちっ………!」

 網膜投影に残弾切れの文字が浮かぶ。そんな事に注意している暇も余裕も無かった。戦術機に乗って早二年、そして迎撃戦にも何度か参加している身だというのに、こんな素人のようなポカをやらかす自分に舌打ちする。

「ったくよぉ―――もう俺一人しかいねぇじゃねぇかよっ………!!」

 砲撃支援は未だある。周囲に展開する部隊もまだある。だが、彼が所属していた部隊は既に彼一人だ。ここからでは距離が遠すぎて、他の中隊からの援護は受けられない。いや、距離が近かったとしてもこの物量相手ではこちらを気にしていられる余裕はないだろう。
 最早彼がいる場所は当初の防衛ラインの役目を負っていない。相当数のBETAが彼を摺り抜け後方へと流れていっている。せめて、後方で仕留めてくれていることを願うばかりだ。
 BETAという濁流を押し留めるには、彼一人では不可能なのだ。むしろ、未だに彼が一人でも生き残っている方が奇跡的だと言える。
 何故、接敵数分で壊滅寸前になっているのか―――。
 問題だったのは彼が所属していた中隊の半数。
 今回が―――初陣だったのだ。

 ―――『死の八分』。

 前回の侵攻の際、彼の中隊は半壊した。その補充要員として、六人の新人が配属されていた。
 だが、いくら戦術機が進歩しその性能を上げようとも、所詮は人が手繰る物。人が成長し機体性能を引き出さなければ意味が無い。
 BETAを前に、初期混乱に陥った新人が三名。それに巻き込まれて共倒れした熟練も三名。初期混乱こそ抜けたものの、経験不足と部隊内混乱で突撃級に踏み潰された新人が三名。その穴を埋めようと必死になって戦ったが、まもなく要撃級に管制ユニットを貫かれた熟練が一名、戦車級に取り付かれて食い殺された熟練が一名。
 そして―――尚もしぶとく抗戦する彼で、中隊は全員だ。

「―――隊長………みんな………クソッタレ………クソッタレがぁぁあぁあぁっ!!」

 予備弾倉も既に無い。突撃砲を投げ捨て、長刀を装備。迫り来る要撃級の前腕を軽く跳躍して回避すると、その慣性を利用して長刀を振り上げ、上段から両断する。これでまた一匹敵を屠った―――だが、それは迫り来る濁流のほんの一滴に過ぎない。
 眼前に広がるは、化け物共の海。
 ―――焼け石に水。
 ふと、そんな言葉が脳裏によぎる。

「は、ははは………」

 たった5000。要撃級と突撃級がたった5000。構成率を考えれば、戦車級がおおよそプラス12000。要塞級、光線級、重光線級がおおよそプラス各250。唯一の救いは小型種は戦術機の敵ではないので、換算しなくてもいいということだけだ。
 だが―――その全てを自分達が相手にしている訳ではないというのに、全く減らないのだ。
 ―――BETA最大の脅威は物量。
 誰が言ったかは知らないが、まさにその通りだ。その撃震に乗る衛士は、BETAの物量に屈しつつあった。

「―――誰か………」

 別に死ぬのが怖い訳ではない。
 衛士を目指したその時から、死の覚悟などとうに済ませている。

「―――誰かさぁ………」

 仲間は皆死んだ。であるなら、その最期を彼等の家族に語って聞かせられるのは自分だけだ。自分が今ここで果てれば、自分だけでなく彼等もただの死傷者として数字で数えられる。
 そんなのは、嫌だ。
 同じ飯を食い、同じ訓練をこなし、そして戦場を共にした彼等の死を、無慈悲な数字で穢したくはない。
 だが、もうそれは叶わない願いだろう。
 ならば―――。

「―――誰か………!!」

 せめて、彼等と自分の最期を見届けてくれ―――。
 その衛士は前方を見据える。最早自分は助からない。ならば、仲間の死に恥じないように、最後まで抵抗を続け、そして一匹でも多くのBETAを道連れに果てるとしよう。
 そしてその撃震は最後の突貫を開始し―――。



『死力を尽くして任務にあたれ―――』



 不意に、声が聞こえた。
 それは女性の声だ。それも、複数の女性の声。その唱和。



『生ある限り最善を尽くせ―――』



 また聞こえる。
 オープンチャンネルで、軍歌のように朗々と、そして声高に。



『決して犬死するな―――!』



 それが隊規なのだと、彼は今更気づく。
 だが何故それがオープンチャンネルで流されているかが分からない。
 そんな彼の疑問に応えるように、気の強そうな女性の声が彼に届いた。

『そこの死にかけのあんたに聞くわ。あんた、死力を尽くした?最善を尽くした?今―――犬死しようだなんて思ってない?』

 死力を尽くした。―――だが仲間は死んだ。
 最善を尽くした。―――最早詰んでいる。
 では犬死しようと―――しているのだろうか。

『これはね、私達の隊規よ。だから、これを他軍のあんたに聞くのは単なる押し付けでしか無い。けどね―――』

 それはきっと彼女達の信念。
 幾人もの仲間を失い、傷つきながらも今尚走り続ける―――彼女達の、唯一つの流儀。

『だからって、目の前でそれを否定されるのは―――我慢ならないのよ!!』

 古くは戦死者の屍肉を啄む鴉。
 神話では戦死者をヴァルハラへと導く英霊の侍女。
 現代では―――人類を守護する、鋼鉄を纏った乙女。
 そして―――今、死期を悟るその衛士を護るかのように、十二人の戦乙女達が舞い降りた。






「行くぞ!ヴァルキリーズ!!」
『了解っ!!』

 舞い降りた戦乙女達は、今まさにその命を散らさんとしている撃震を救うべく、彼を中心に円壱型の陣形を取り、まずは周辺BETAの掃討から取り掛かる。
 伊隅は皆に喝を入れると半ば機械的に36mmをばら撒き、思考では別のことを考えていた。

(皆、何とか乗ってきたか………!)

 先程まで行う予定だった実弾演習。香月にも三神にも言質は取っていないものの、『未来の記憶』からおそらくは迎撃戦に差し替えるために演習を組んだのだろうと予測していた。そしてそれは正しく、今や訓練は命のやりとりへと変化している。
 この日を迎えるにあたって、伊隅には一つの懸念材料があった。
 それは『未来の記憶』で知り得た、11月11日の戦死者。
 式王子、紫藤、そして七瀬の三名。
 彼女達を救う為に、ここ数日は様々な方法を考えた。前回と違って今回はXM3があり、更には直接の原因となった捕獲作戦は無いとは言え、油断は出来ない。自分の部下を、仲間を失うことが『分かっている』のに、慢心など出来るはずがない。だから三神にも頼み、協議した結果が―――。

(ポジションの変更………)

 XM3に加え、白銀と三神両名による教導の結果、ヴァルキリーズの能力は飛躍的に進化した。それを踏まえ、それぞれの特性を活かしたポジションへと変更したのだ。基本骨子こそ変わっていないものの、今のポジションは、元々あったものを最適化したと言えるものだ。
 変更後のポジションは以下の通りになる。


 突撃前衛
 ヴァルキリー03速瀬水月、ヴァルキリー09築地多恵。

 強襲前衛
 ヴァルキリー04宗像美冴、ヴァルキリー07涼宮茜。

 強襲掃討
 ヴァルキリー06紫藤あやめ、ヴァルキリー12七瀬凛。

 迎撃後衛
 ヴァルキリー01伊隅みちる、ヴァルキリー02式王子小夜。

 砲撃支援
 ヴァルキリー10高原智恵、ヴァルキリー11麻倉伊予。

 打撃支援
 ヴァルキリー05風間祷子、ヴァルキリー08柏木晴子。


 中隊のムードメーカーである速瀬と、奇抜というか特異な機動をする築地をトップに据え、その下にどのポジションも幅広くフォローできるマルチスキルを持っている宗像と涼宮を配置。仲間の危機を素早く察知出来る紫藤に手数と中堅距離を与えるため強襲掃討を割り当て、そのフォロー役に七瀬を後衛から上げた。
 自分と式王子は隊の長と副長故にそのまま迎撃後衛に据え置き、直下の砲撃支援に経験の浅い高原、麻倉ペアを配置。そしてそれを挟むように実戦経験のある風間と実戦経験は無くとも視野の広い柏木を最後方に置く。
 最終的に、これが最もバランスの取れたポジションとの結論に至った。
 因みに、今回は戦場を縦横に駆け抜けることとなるので制圧支援は除外してある。流石に92式多目的自立誘導弾システムを担いでの高機動戦闘は厳しいのだ。

(新人達も、何とか『死の八分』を乗り切った………)

 ここから後方に流れてきたいくつかのBETAは、自分達と後詰の部隊で排除した。その際に元207A分隊は『死の八分』を乗り切った。撃ち漏らしもいくつかあるにはあるが、そこより後ろにも防衛ラインはある。そちらで仕留めてもらうしか無い。

(ここの穴は後詰の部隊に埋めてもらう。我々の役目は―――遊撃っ!!)

 元々XM3のお披露目でもあったのだ。自分達の与えられた役目は、派手に遊撃しその力を見せつけることによって、横浜国連基地への風当たりを軟化させること。無論、すぐにとはいかないだろう。だが、帝国軍を救うことによって、その取っ掛かりぐらいならば作ることは出来るはずだ。

『あんた等は………こ、国連軍………?』

 助けた衛士から通信が入る。先程の速瀬の口上もあってか、随分と驚愕しているようだった。殺戮の手を止めること無く、しかしその緊張を解すように伊隅は心持ち柔らかい口調で問いかける。

「無事か?」
『あ、ああ………。俺だけ、だが………』
「………そうか」

 周囲には、いくつか撃震の残骸があった。それ以上の追求をしなくても、どうなったかは理解できる。
 ―――間に合わなかったことを、悔いても仕方がない。戦場にたらればなど通用しないし、そうしたところで失われた命は戻ってこないのだから。
 ならば、ここで彼だけでも救えたことを良としなければならない。何時までもそこに心取られていては、今度は自分の仲間を失ってしまう。だから伊隅は気持ちを切り替える。

「―――すぐ後ろに後詰の部隊が来ている。そこまで戻れば回収してくれるはずだ。開いた穴は彼等が来るしばらくの間、私達が埋めておく」
『待てよ!何であんた達国連軍が手を貸してくれるんだっ!?』

 その衛士の疑問は尤もだ。
 国連は日本政府の要請が無ければ動けない。そしてそれ故に横浜の国連基地は最前線でありながら最後方並みに腰が重い、と帝国軍では揶揄の対象になっていることも伊隅は知っている。
 だが―――。

「政治的な理由では上層部のやりとりがあって命令が下ったから。個人的な理由では―――私達も日本人だからだ」
『日本人、だから………?』
「殿下の言葉を聞いていなかったか?あのお方は此の場にいる全ての者に命じられたのだ。所属が違っても、動く理由など、それで十分さ」

 あの演説は、同じ日本人を心動かす何かがあった。もし命令が下っていなかったとしても、動きたくなるぐらいに。
 感情で動きたくなるとは、私も軍人としてはまだまだだな、と内心苦笑しつつ、伊隅はその撃震を見やる。いくつか機体に損傷があり、手にしている武器は長刀一本。と言うことは弾薬は既に切れているのだろう。ならば、逆にここに留まられるのは足手まといになる。

「それよりも、早く下がるといい。―――散っていった仲間を語り継ぐためにも、貴官は生き残らなければならないはずだ」
『―――すまん』

 それは彼も良く分かっているようだった。帝国軍人としては、おそらく命果てるまで戦いたいのだろう。だが、生き残ってしまった彼には衛士の流儀を貫く義務がある。意地になって此の場に留まることは、失ってしまった仲間の魂まで汚すことになりかねない。
 だからその衛士は素直に伊隅の忠告に従うと、後方へと下がる。

「………そういう時は、礼を言うものだ」

 何となしに呟いた言葉に返答はない。だが、通信が切れる直前、ありがとうと聞こえた気がした。

「―――ヴァルキー01より各機へ!陣形変更!楔参型!!」
『了解!!』

 撃震の離脱を確認してから、伊隅は指示を飛ばす。そして自身も押し寄せるBETA群に向かってトリガを引き絞りつつ部下達の動向に気を配る。
 どうにも、不安が拭いきれないのだ。

(………白銀も、こんな気持だったのだろうか)

 不意に、伊隅はそんな事を思う。
 今、彼女は未来を変えつつある。
 『未来の記憶』の中、失った戦友達。
 あの時と違って、今度はXM3がある。直接の原因となった捕獲作戦は無い。ならば今回の戦闘は規模こそ違っても普通の迎撃戦だ。この日を予期して戦力を整えてきた自分達ならば、乗り越えられるはずだ。
 ―――だというのに、胸のつかえが取れない。どうしても、『もしも』と考えてしまう。

(未来を知って、こんな不安を抱えて………それでもずっと一人で足掻いていたんだな、あいつは。―――どうりで、強い訳だ)

 だがその強さも、何度も挫け、立ち直る度に手に入れたもののはずだ。それは神宮司の死に対し、あれ程まで気にしていたことからも分かる。
 ―――私も頑張らなければな、と気を引き締めたところで通信が入る。左翼の式王子からだ。しかも秘匿回線を使ってきていた。

『お仕事中に余所見だなんていーちゃんらしくないねー。どしたの?』
「………式王子。任務中にその呼び名はよせ。秘匿回戦とは言え―――気が抜ける」

 開口一番いつもの調子で問い掛けてくる彼女に、引き締めた気が一気に抜けていく。しかし彼女はカラカラ笑うだけだ。

『いいじゃない。私達は香月博士の直属、そんでもってししょー直下の部隊なんだし。堅苦しいのは無し無し!』

 ししょーとは三神のことだ。以前、血まみれになって互いの健闘を讃え合ってからというもの、何故か二人は師弟関係になっていた。―――主に社絡みで。
 因みに、当の本人は単独行動中だ。出撃前に聞いた話では、コールサインはフェンリル01だそうだ。

「全く貴様は………」
『不安?』
「―――少しな」

 文句を言おうとして、しかし本音をズバリ言い当てられ―――伊隅は頷いた。

『そっか。あのね、いーちゃん』
「何だ?」
『私、いーちゃんがここ最近、何か悩んでるのは知ってるけど、何を悩んでるかまでは知らないよ。けど、そゆときぐらい、私を頼ってほしいなぁって思うわけだよ。副隊長だしね』

 昔から、彼女はこういう所がある。普段はちゃらんぽらんというか軍人としてはふざけた部分が多々見られるが、時々核心を正面から突いてくるのだ。しかも、今も戦いの手は止めておらず、更には伊隅が頷きやすいようにわざわざ秘匿回線を使ってまで。
 それも全て、副隊長として伊隅を支える為に。

「―――すまんな。式王子」

 気を遣われているな、と思いつつも伊隅はそれを甘受する。なにもかもを一人で抱え込んでいけるほど、自分は強くないと知っているから。

『それだよそれー。もう結構付き合い長いのに何で未だに苗字で呼ぶのさー』
「お前だって私を苗字で呼んでるだろうに」
『えー、いーちゃんは愛称だよ?でもそういうなら―――みっちゃん?みちるん?みーちゃん?』
「………………………今のままでいい」

 馬鹿な会話を繰り返しながら、伊隅は訓練兵時代からの親友に胸中で感謝する。

(ありがとう。―――小夜)

 だが―――そんな彼女を嘲笑うようにその時は来る。



『―――多恵っ!!』



 伊隅が感じていた『もしも』を現実にするかのように―――涼宮の、悲鳴のような声が戦場に響いた。






 時は、ほんの少しだけ遡る。

(―――すごい………!)

 陣形を変更しつつ涼宮茜は歓喜の中にいた。
 これが初陣であるのにも関わらず、そこに必要以上の緊張はなかった。散々気に掛けていた『死の八分』も、飛び越えられた。無論、最初はおっかなびっくりだったが―――今は、そのぎこちなささえ無い。そしてそれは自分だけではない。元207A分隊全員に言えた。
 身体が動く。思考が冴え渡る。迫り来るBETAの物量は、たしかに怖くある。しかしそれが放つ死の恐怖に飲み込まれることはない。
 ―――何故か。
 その答えは、三神が課していたシミュレータ訓練の内容にあった。

(本物のBETAの方が、遅いだなんて………!)

 あの訓練中のBETAの進撃速度、そして個体速度は通常の1.5倍速。それが基本。ある程度の技能を身につけ、兵装使用が認められると、今度は撃墜する度に速度が上がっていくサドンデスな訓練となった。やり込む度に難易度が上がっていくので、確かに自分でも技量が上がっていく感覚があった。そして気づけば最終的に、中隊全員が三倍速のBETAと相対するようになっていた。
 無論、三倍速ともなると、如何に才能があったとしても最早反射神経がついていかない。そこまでの速度に達してしまうと、いくら装備が潤沢にあっても三分も持たずに全滅してしまうのだ。だからそこからは、いかに一分一秒長く生き残れるかが勝負だった。
 故に、そうした訓練をこなしてきた彼女達には、今のBETAは『遅すぎる』。
 そして―――BETAの速度が予想よりも遅いということは、それだけ気持ちを落ち着かせ、対処するために考える余裕ができるのだ。
 『死の八分』の原因のほとんどが、初陣という特殊な環境から発生する精神的な余裕の無さに起因するのならば、その精神的余裕を作ってしまえばいい。端から見ればデタラメなあの訓練も、それを作る為のもの。今考えれば、確かにあの訓練は理に適ったものだったのだ。
 更にそれは、新人だけに留まらない。

『ほらほらほらほら!鈍くさいわよあんた達!!』
『おやおや、速瀬中尉。いい加減その猪な戦い方は考え直したらどうです?―――正直、何処のアマゾネスかと』
『む・な・か・た~?』
『って七瀬が言ってました』
『七瀬ーっ!!』
『言ってません言ってませんよ!で、でもフォローが大変なのでちょっと自重してくれると助かります!!』
『い、言うわね七瀬………私突撃が仕事なんだけど………。し、紫藤?あんたも、同じ?』
『否。―――大丈夫、みんなは、ボクが護るから』
『紫藤がまともに喋ったーっ!?』

 ―――何だか先任がいつも以上にはしゃいでいる気がする。付き合わされている七瀬が少し哀れだった。

(というか紫藤少尉の一人称ってボクなんだ………意外なような納得なような………)

 ともあれ、新人も先任もこれだけのBETAを前にしてまだ多くの余裕がある。それは決して慢心ではなく、言うならば心のマージン。交渉の余地が無い対BETA戦は押し並べて殲滅戦になる。そして殲滅戦は常に長期消耗戦だ。そんな中、常に緊張し続けていればふとした拍子に緊張の糸が切れてしまう。心に余裕のない状況で戦い続けられるはずがないのである。

(―――大丈夫、私達は戦える。戦えてる………!)

 そして彼女は前を見据え―――。

「え―――?」

 凍りついた。
 それは自分の先を行く機体。
 いつかは、その場所に行きたいと願い―――今は親友の場所となっている突撃前衛のポジション。
 その彼女が―――動きを止めている。
 どうして、と思う。
 機体の不調か、と思う。
 だがそんな疑念よりも先に―――近くにいた要撃級が彼女に襲い掛かろうとしていた。
 フォローが、間に合わない。
 だから涼宮は叫ぶ。
 ―――彼女の名前を。

「―――多恵っ!!」






 築地多恵には後悔があった。
 訓練兵時代―――と言っても、今年の夏の終わりのことだ。とある切っ掛けで、自分の207B分隊への異動と涼宮の分隊長降格処分を賭けて、教官である神宮司と6対1の模擬戦をしたことがあった。
 結果は負けたものの―――その成長を認めた神宮司によって二人の処分は取消しされた。
 だが、その模擬戦は築地に後悔を残した。
 涼宮が、自分を庇って撃墜されたのだ。

(茜ちゃんは気にしなくていいって言ってたけど………)

 それでも、あれが実戦だったらと思うと正直ぞっとしない。だが、その模擬戦を行うきっかけとなった戦術機訓練では、自分も似たようなことをしていたのだ。それを棚上げして自分が否定することは出来ない。
 今、自分達は実戦の中にいる。
 あのスパルタ訓練のおかげか、思いの外冷静で、いつの間にかあれほど気にしていた『死の八分』も飛び越えていた。だが油断はできない。何故なら、その油断を掬われれば今度は本当に死ぬし、死なせてしまう。
 だから築地は戦闘が始まってから彼女を気に掛けていた。だが、思ったよりは大丈夫で―――思った以上に自分との差があるように感じた。
 ずっと彼女を見ていたからこそ、築地には分かる。今、彼女の調子は物凄く良い。元々才能はあり、神宮司の練成によって素地は組まれていた。それがここ最近のスパルタ気味の訓練で醸成され、実戦の中で昇華しつつある。
 きっとこれから彼女はどんどん伸びていく。
 ―――自分を置いて。
 いや、置いて行かれるぐらいだったらまだいい。その分努力して、追いついていけばいいのだ。だが、もしも―――もしもその前に、神宮司との模擬戦の時のように自分を庇ったせいで撃墜されてしまったら。



 今度は、本当に死ぬ。



(そんなの、嫌だよ………)

 彼女に置いて行かれるのは嫌だ。
 彼女に庇われて、彼女を喪うのはもっと嫌だ。
 ならば、どうすればいいのだろうか。
 ―――不意に、機体の動きを止める。

(強く、ならならなくちゃ………)

 そう思う。
 護られるのではなく、護る為に。
 喪わず、喪わせない為に。
 ―――視界の端で、要撃級の接近を感じ取る。

(あたしは、強くなりたい………)

 そう願う。
 彼女と共にいる為に。
 ずっとずっと、一緒にいる為に。
 ―――要撃級がその前腕を振り上げる。
 そして―――。



『―――多恵っ!!』



 彼女の、声が聞こえる。
 自分の名を叫んでいる。
 彼女は今もそこにいる。
 だから―――。

「あだしは、強くなるンだ………!!」

 築地は加速した。





 そして皆は見る。
 迫り来る要撃級の前腕に対し、築地は92式多目的追加装甲を掲げ叩きつけた。92式多目的追加装甲には、リアクティヴアーマーとしての機能があり、叩きつけたその瞬間、指向性の爆薬が起爆。要撃級の前腕を破壊こそ出来なかったものの弾き飛ばすことに成功した。
 だが、モース硬度15以上を誇る前腕に叩きつけたことによって、92式多目的追加装甲自体はその役目を果たせなくなる。だから築地はすぐさまそれを破棄。元々使い捨ての消耗品だ。執着する理由はない。
 それと同時にバックステップ。着地点は残骸となった帝国の撃震のすぐ側。そこには、まるで墓標のように一本の長刀が突き刺さっていた。それを左主腕で引き抜く。更にバックステップの慣性モーメントを利用して、倒立跳躍。前腕を弾かれた為、態勢を崩している要撃級の真上へと踊り出る。
 構え直しは必要ない。
 『逆手』で行くのだから。
 レーザー属種からの攻撃を考え、即座に噴射降下。しかし距離が近すぎる。倒立中の噴射降下では、引き起こしの前に激突してしまう。
 誰もがそう思った。
 だが―――。



『―――にゃっ………!!』



 妙な鳴き声が聞こえたこと思うと、築地の機体は背中から落下しながらも身を捻り、『逆手』にした長刀を要撃級の背に突き立て、それを起点に姿勢制御。更には右手腕に装備した突撃砲で駄目押し追加攻撃。尾のような感覚器を即座に潰す。

 ―――猫捻り。

 この時代、BETA侵攻により全地球規模で食糧難や生態系の破壊が起きているためか、ヴァルキーズの誰もが動物の生態に詳しくないので気付かなかったが―――それは、まさしく猫捻りだ。
 戦術機の関節に使用されている電磁伸縮炭素帯は、非常に広い可動域を持っており、築地はそれを最大限に用いることによって、機体を引き起こすのでは無く横に捻ることでそれを可能としたのだ。
 そして築地は休むことなく次のBETAを撃破するために、まるで猫科の動物を思わせるような機動で動き出す。
 大事な人を脅かす、全ての敵を排除する為に―――今、鋼鉄の乙女が戦場に解き放たれた。






「―――そうか、そちらは順調なようだな」
『はい、みんな頑張っています。―――少佐も、お気をつけて』
「ああ、そちらもね。―――皆で無事に生きて帰ろう」

 CPである涼宮遙にヴァルキーズの様子を聞いた三神は、彼女と二、三言葉を交わすと通信を切った。
 色々と手を尽くしてきたが、実戦となるとまた勝手が違う。果たして大丈夫かと少し心配していた三神ではあったが、話を聞く限り大丈夫そうであった。

(伊隅………後は頼んだぞ)

 今、彼は旧三条市に展開している第三前線の中にいる。
 表向き、緊急迎撃の為に参戦している国連軍はA-01と207B分隊だけなので、国連仕様の不知火は妙に悪目立ちする。帝国色の機体が展開している中、自分だけUNカラーなので、好奇の視線が妙にうざったい。
 まぁそれはともかく。

(師団規模、か………)

 思うのは、今回の侵攻規模の誤差。
 11月11日にBETAが侵攻をしてくる。ここまでは『前の世界』や白銀が経験した世界と変りない。問題なのは―――その時は旅団規模だったのだ。
 BETAの行動は人が予測できない。逆説的に考えれば、こちらから干渉しなければBETAの行動は今までの世界と同じになるはずだ。事実、11月11日に侵攻してくるという大筋は変わっていない。変わっているのは、その内訳。
 これが何を示すのか―――。

(香月女史や武の時に感じたのは―――これか)

 バタフライ効果と言う、カオス理論を端的に表現した思考実験がある。概要としては、ある場所での蝶の羽ばたきが、そこから離れた場所の将来の天候に影響を及ぼすというものだ。

(武が既に因果導体で無い以上、この世界の因果導体という特異点は私だけ。今まではオルタネイティヴ4が潰えた後の世界だった為に、歴史の変化など気にもしなかったが………)

 三神は、世界という水面に投げ込まれた小石だ。
 例えそれが最小限の力で投げ込まれ、最低限の波を起こすことしか無くても、徐々に波紋は広がっていく。少しずつ、少しずつ三神と白銀が知る未来から離れていく。
 言うならば、この変化は因果律のバタフライ効果と言えるだろう。

(桜花作戦を開始できるまで後二ヶ月程度………修正可能な誤差であればいいが………)

 三神は吐息して、思考を閉じた。これ以上は今考えても仕方がない。今重要なのは―――。

(沙霧尚哉―――彼を、表舞台に引っ張り上げること)

 その為の方針は既に固まっている。
 白銀にも交渉のいろはをある程度教え込んであるし、準備は整っている。だから、そちらの方面もしばらくの間、思考から外していい。

(主観時間で8年ぶり―――いや、9年ぶりぐらいか?戦場に立つのは)

 『前の世界』で起こった第二次月面戦争。それが三神にとって最後の戦いだった。それ以降は、実戦から遠く離れた生活を送っていたのだ。こちらの世界へ来て、シミュレーターなどで鈍った腕のサビ落としは出来るだけしてきたが、やはり戦場の微妙な機微はそこに立たなければ分からない。
 だから三神庄司は初心に立ち返る為、ある言葉を思い出す。

(―――死ぬ覚悟を決めるんじゃない。生きる覚悟を、生き残る覚悟を決める………)

 それは、異邦人としてこの世界へ迷い込み、初陣の時に『彼』に言われた言葉だ。それは衛士としての三神庄司の原点。戦術機のいろはを、衛士としてのいろはを叩き込んでくれた恩人の―――最後の教え。
 それを胸に、三神は下唇を軽く舐め、獰猛な笑みを浮かべた。

「―――さぁて、どうやって戦い抜くかな?」

 そして狼は―――戦場を駆ける風となった。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十四章 ~後悔の否諦~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/07/15 04:16
 白銀は戦況表示図を拡大して状況を確認する。
 彼と神宮司が率いる207B分隊と、それに随伴している帝国斯衛軍第19独立警備小隊は現在第三次戦線である旧十勝町にいる。最前線での接敵から約20分。そろそろ第二次戦線から少しずつ抜けてくるBETAも出てきている。もう少しで第三次戦線の最先端と接敵するだろう。
 正直、旅団規模に対しては、戦力過多とも言える配置だったが、結果的にそれでよかったようだ。

(まさか師団規模で侵攻してくるなんて………)

 白銀の記憶の中、『1回目』も『2回目』も侵攻規模は旅団規模だった。予定では、自分と神宮司、そして第19独立警備小隊で中型種以上を相手にし、207B分隊に戦車級などの小型種を任せるつもりだった。
 対BETA戦は今回が初めてである彼女達に、いきなり熟練と同じように戦えと言うのは、余りにも酷だ。まして、今回の戦闘は―――少なくとも彼女たちにとってはイレギュラー。動揺しないほうがおかしい。であらば、徐々に『馴れさせて』いくのが肝要。だが、もうそれは望めない。

(失敗、したかな………)

 白銀は奥歯を噛み締める。
 油断していたといえばそれまでだ。しかし、白銀にそれは許されない。未来を知っている因果導体『であった』自分に、それは許されない。誰が許そうとも―――それは白銀自身が許さない。
 未来を変えることは、傲慢だと思う。それは既に『2回目』の時には気付いていた。でなければ、神宮司は死ななかった。だがその傲慢を飲み込んだ上で、白銀は最上の未来を目指し、様々な犠牲を出した上で人類に生き残る道をつけた。
 そう―――道をつけた『だけ』だ。
 例えそれが『人類のとって最上の未来』であっても、その先に、散っていった大事な人達の幸せは無いし、自分のそれも無い。つまり『自分達にとっての最上の未来』は無いのだ。それどころか、許されざる罪過だけが残った、余りにも悲劇的な結末。
 それで終わるのならば―――あるいはよかった。主観はともかく、客観からしてみればきっとそれは『正しい』結末だ。
 だが、白銀は三度目この世界に降り立った。
 もう一度、傲慢を以て未来を変える機会を手に入れた。
 結末を変える機会を手に入れた。
 それだけではない。三神という協力者を―――00ユニット完成の鍵を手に入れた。そしてあの愛しき幼馴染を本当の意味で救う術を提示された。
 今度こそ―――彼女を幸せに出来る。
 そう思った。
 だが―――。

(何処までも―――本当に、何処までも邪魔してくれるぜ………!)

 白銀の願いの先に、207B分隊や神宮司も含まれている。かつての『これから』。白銀のせいで死なせ、白銀を護るために死んでいった彼女達を―――今度は自分がまとめて救うことこそ、今の白銀の至上命題。だが自分の手はそれ程長くないことは理解している。故にこそ、彼女達自身も強くならなければならない。その為の実戦だったのだが―――そのファーストステップでこうも蹴躓かされるとは、思ってもみなかった。

(世の中うまくいくことばかりじゃないとは知ってたけどさ。―――もうちょっとやり方があるだろ………)

 ぐずぐずと、心の中が膿んでいくのが分かる。
 まるで澱のように濁って重なっていくそれは、怒りだ。理不尽な因果に対する、幾千、幾万もの白銀が感じた怒り。

(知ってたさ。ああ、知ってたけどさ。でも―――納得出来るようなもんじゃないよな)

 どれだけの白銀が―――あるいはどれほどの白銀が絶望し、嘆き、叫んで斃れて逝ったのだろうか。幾つもの『シロガネタケル』から形成される、今の白銀ですら、それは最早分からない。
 だが―――総じて想いはただ一つ。



(巫山戯るな………!)



 そう、巫山戯るな、だ。
 握り砕かんばかりに操縦桿を握り締め、白銀武はこの理不尽に激昂する。
 とうとうここまで来たのだ。幾人もの自分が願い、そして破れていった先で―――ようやく最上の未来へと至る光明を見出したのだ。それを何だ、『この程度の化け物共』に壊されるというのか。
 否。―――断じて、否だ。

(認めねぇ………オレはお前等を認めねぇ………)

 危機的な状況など、もっとあった。
 オリジナルハイヴ内での戦闘もそうだったし、横浜基地が襲撃された時もそうだった。甲21号作戦だって何度か死にそうな目にあったし、トライアルの時もバッドトリップしてよく生きていたものだ。クーデターの時だって、空挺強襲されたあの瞬間は心が挫けそうになった。

(ああそうだ!死にそうな目は、何度も見てきたじゃねぇか………!何人もの部下を、仲間を死なせて来たじゃねぇかよっ………!!)

 日本陥落時の防衛戦もそうだ。トライデント作戦の時もそうだ。ユーコン基地防衛戦も、ユーラシア大侵攻作戦も、欧州奪還作戦の時も、第二次スワラージ作戦の時も、南米防衛戦の時も、オーストラリア奪還作戦の時も。
 そして2016年、三神庄司という青年を救った時だって―――後悔と絶望は、いつだってそこにあった。
 それを知るが故に、白銀は吼える。



「これしきの事で―――みんなを喪ってたまるかっ………!!」



 白銀の視界が光りに包まれる。
 幾つもの光景がフラッシュバックする。 
 脳裏に蘇っていくのは失われたはずの未来群。
 それは『かつて』と『いつか』のシロガネタケルの記憶達。
 苦しみと、嘆きと、悲しみと、絶望と。
 呼び覚まされていくのは全てBETAに踏み躙られた記憶だけだ。戦いに関する記憶だけだ。だがそれでいい。それだけでいいのだ。この記憶達を連れて、この記憶達を以て、そしてこの記憶達の最後の願いを叶えるのだ。
 『2回目』を超えた白銀武を中心に、『1回目』で潰えた『シロガネタケル』達が積み重なっていく。志半ばで消えて逝った自分の欠片達。それが今、本当に自分のモノになっていく。
 今度こそ本当の願いを叶える為に。
 覚悟が決まる。
 死ぬ覚悟ではなく、生きる覚悟が。生き残る覚悟が。
 そして―――あさき夢みし闘神は、今、ここに成る。
 歪んだこの世界で、己の物語を始める為に。






 白銀の様子がおかしい。
 最初にそれに気づいたのは神宮司だった。
 XM3換装済みの撃震の管制ユニットの中で、神宮司は訝しげに眉をひそめる。
 網膜投影の戦況表示図を見やれば、接敵までそう時間は無い。そろそろ最終ブリーフィングとして作戦の確認、それから今回が初陣となる訓練兵に激励の言葉でも与えてやるべきだ。実戦経験がある彼ならば、その辺りは押さえてくるはずだと思ったのだが―――。

(中尉………?)

 胸中呟きながら、自機の前に立つ不知火に視線をやる。
 国連カラーのその不知火には、両肩部と両脹脛に小型の機構が装備されていた。白銀が言うには、それは追加噴射機構なるもので、戦術機の機動力を微力ながら上げることが出来るらしい。実際どのようなものかは想像の範囲でしか分からないのだが、彼が役に立つと言っていたので少なくとも無駄なものではないのだろう。
 それはともあれ、神宮司は白銀が搭乗している不知火の背中を見やり、微かな違和感を覚えていた。
 それは熱気だ。
 不知火から、まるでその名を表すかのように立ち昇る熱気。それを彼女は幻視したのだ。

『―――みんな、聞こえてるか?』

 白銀から、通信が入る。網膜投影に彼の顔が浮かび上がり―――神宮司は息を呑んだ。
 そこに居たのはあの少し大人びた少年ではない。
 そこにあのあどけない笑顔はない。
 そこにあるのは―――戦士の顔だった。
 幾千、幾万もの絶望と後悔を飲み込んで尚、戦うことを止めようとしない男の顔があった。
 その彼が告げる。

『もうすぐそこまで敵が来てる。作戦ってほどでもないけど、一応確認しておくぞ。―――月詠中尉達も、いいですね?』
『207B分隊に随伴している以上、今の我々は貴官の指揮下にある。―――遠慮は無用だ』

 現在、207B分隊には第19独立警備小隊が随伴している。詳しい事情こそ軍機上神宮司は知り得ないが、それが『特別』な範疇であることと、おそらくは白銀がその事情を知っていることは何となく想像がつく。
 映像の中、白銀はありがとうございますと小さく告げると話を続けた。

『まず、オレとまりもちゃんの二機連携が前衛、中衛を第19独立警備小隊、そして後衛を207B分隊の変則傘壱型。これが基本陣形だ』

 今回が初陣となる207B分隊に先鋒は勤めさせられない。まずは馴れさせるのが肝要だ、と戦闘が始まる前から白銀が言っており、神宮司もまた同意見だった。しかし参戦する以上、戦闘は避けられない。であるならば、最後衛に回すのが妥当だ。

『役割分担は覚えてるな?前衛と中衛で大型、中型種を出来る限り削るから、お前達は小型種を片付けろ。まぁ小型種っていっても、戦車級に集られれば、戦術機だってやられる。機動力を駆使して上手く立ち回れ。仲間同士でフォローしろ』

 その上で、捌くBETAを絞らせる。戦車級を含む小型種もその総数からして確かに驚異だが、接近さえ許さなければただの的だ。突進力のある突撃級や旋回能力の高い要撃級を直接相手にするよりかは幾分か『マシ』の範疇である。落ち着いて距離を取り、そして射撃にだけ集中すれば、掃討は初陣の衛士であっても難しくない。

(―――大丈夫、よね)

 言い聞かせるように、神宮司は胸中で呟く。
 ここに到るまで、207B分隊間で交わされた会話は乏しい。普段なら率先して話しかけるであろう白銀も、今回に限っては何故か押し黙ったままだった。であるなら、教官である神宮司が話し掛けて緊張を和らげてやるべきなのだが、他軍である第19独立警備小隊の手前、憚られる部分がどうしても出て来る。故に、神宮司であっても細かいフォローが出来ずにいたのだ。
 しかしそんな機微をものともせずに踏み込んでくるのが、彼女達の特別教官なのだ。
 今まで黙してきた白銀が、ついに彼女達に声を掛けた。

『―――怖いか?』

 ここにきてようやく彼は彼女達に問い掛ける。おそらくは、どんな優秀な衛士であっても感じる感情がそこにあるのかと。それに対し、彼女達は無言。俯くその姿から、肯定であることが見て取れる。
 きっと、彼女達はそれを恥じている。
 自分達は軍人で、敵を倒すために訓練を積んできたのだ。その敵を前にして恐れを成すなど、情けない―――。
 軍人としての経験はともかく、その姿勢は真面目な彼女達である。間違いなくそんなふうに思い詰めているはずだ。
 そんな事はないのだと、神宮司は思う。
 人がここまでBETAに対し抗ってきたのは、その根底に恐怖があるからだ。誰だって死ぬのは怖い。それも、あんな訳の分からない化物に殺されるとなれば尚更だ。そうした反応ができるのは、むしろ正常な反応と言える。

『それでいいんだよ』

 だからそれを知る先駆として、白銀は彼女達の恐怖を肯定した。

『怖くていい。怯えたっていい。不安に思ったっていい。臆病でいいんだ。オレの恩師はそう言ってくれて―――だからオレは、そうやって戦ってきた』

 彼は告げる。
 歪んだこの世界で、そうした感情を持ち続けることは、あるいは何よりも大切で、それ故に強くなれるのだと。

『オレも訓練兵時代に初陣を経験したんだけど―――演習中にBETAが強襲してきてさ、混乱してた時に興奮剤打ち込まれてバッドトリップしちまったんだ。装備してるのは模擬弾だってのに大真面目な顔して突っ込んでさぁ………。おかげで自分の機体は全損するわ積み上げてきた自信も木っ端微塵に吹き飛ばされるわ、最悪な初陣だったよ』

 きっと彼の事だ。当時からその才能を発揮していたのだろう。そしてそれなりの自信があったはずだ。しかし、BETAはそれを微塵に砕く。
 その上―――。

『でも何よりも最悪だったのは、そうやって落ち込んでたオレを慰めてくれた恩師が―――目の前でBETAに喰われたことだ』
『―――っ!?』

 神宮司を含めた全員が息を呑む。
 恩師が目の前でBETAに喰われる。その時一体何が起こったのか。理由は単純だった。

『兵士級、知ってるだろ?コード991が解除された後でも小型種なんかはまだ生き残ってる場合がある。その時も、生き残ってやがったんだ』

 そう口にする白銀の表情は無。感情を押し殺し、表情を消さなければならない程、その事件は彼の心を蝕んでいる。だというのに、彼は戦うことを止めない。話すことも止めない。
 あるいは贖罪。
 あるいは執念。
 あるいは妄執。
 いずれにしても、衛士の流儀が根付いている。
 そしてそれ以上に―――。

(そう、か………この人は………)

 そして神宮司は―――今にしてようやく思い至る。
 白銀武という人物を知ってから感じていた、微かな違和感。年に似合わない経験の豊富さ。化物じみた戦術機特性。それを活かした別次元の三次元機動。それを元に発案された新OS―――。
 およそ一般の衛士で収まらない彼の才能の数々。
 その大元となる部分、根底となる部分にある一つの感情。
 それは―――。

(後悔の、塊なのね………)

 そう、後悔だ。
 衛士で―――いや、軍人である以上、そして戦場に出る以上そんな感情は必ず付いて回るものだ。故に、多くの兵士がそれを切り捨てる。しかし彼はそれを良としなかった。それを認め、諦観することは、彼にとっておそらくは一種の背信行為だから。
 ここに到るまで、きっと彼は色々なものを喪っている。その都度後悔して、しかし悲しむのを後回しにして前に進んできたのだ。
 後悔に縛られ。
 後悔を縛り付け。
 そして後悔と共に征く。
 切り捨てるのではなく、抱え込んで尚、前を向いて走る。
 決して―――そう、決して彼は後悔を『諦めない』。
 それこそが白銀武という存在の『今』を支える、唯一つの揺るがない真実。

『今でも思うよ。オレが壊れた機体の前であんなに無様に落ち込んでなかったら―――いや、戦術機に乗ってた時からまともに戦えていれば、あの人は死ななかったんじゃないかって』

 後悔はする。だが決して悲しまない。それが許されるのは―――みっともなく泣き喚くのは、全てが終わったその後だ。 

『でもどうやったってあの人は戻ってこない。だから、オレはあの人の教えに沿って―――臆病なままで戦い抜くことを決めた。でなけりゃあの人に合わせる顔がないからな』

 だから今はただ、その人の教えを胸に白銀武は戦場に立つのだ。
 衛士の流儀のままに―――誇らしく。

『―――手が震えるか?
 ―――鼓動が煩いか?
 ―――頭が真っ白か?』

 初陣で、幾人もの衛士が恐怖に呑まれてきた。
 神宮司自身でさえも、その例に漏れない。

『いいんだよそれで。それが分かるんだったらお前達はまだ生きてる。死ぬ覚悟はしてない』

 だからそれを切り捨てず、抱える。
 否定せず、認める。
 まずはそこからだ。

『―――人は、死を確信した時、持てる力の限り尽くし、何にも恥じない死に方をするべきだ。だけど、生きて為せることがあるなら、それを最後までやり遂げるべきだ―――。オレの恩師はそう言っていたよ。だから―――』

 そして諦めない。
 生きている限り、為せることは無限にある。

『いいか?お前達の教官として、そして上官として、臆病なオレから、実戦での―――最初の命令だ』

 だから―――。

『覚悟を決めろ訓練兵!
 死ぬ覚悟じゃなく、生きる覚悟を!
 みっともなく這いつくばってでも、生き残る覚悟を決めろっ!!』



 ―――お前達には、まだ生きて為せることがあるだろう?



『―――さぁ!征くぜぇっ!!』

 虫のように蠢き、BETAが埋め尽くす大地。それを目指して、彼等は前進する。
 怯えながら、後悔しながら―――それでも諦めない勇気を以て。






 第三次戦線―――旧十勝町の北端、旧県道49号線付近にて帝国本土防衛軍の第195中隊は最初のBETA群と会敵していた。突撃級のあらかたを支援砲撃と120mmの斉射で潰し、今は要撃級と小型種を掃討している真っ最中だ。

「ふむ………!流石に数が多いであるな!!」

 中隊長である宮本哲哉はその巌のような顔を顰めて、にじり寄ってくる戦車級に36mmの雨を降らせる。

『全くです。入れ食い過ぎて胃袋破けそうですよ―――隊長!チェックシックス!!』

 宮本の呟きに中隊の副隊長が反応し、警告と同時に背後をカバーする。
 見やれば、宮本の後ろには蜂の巣になった要撃級がいた。

「礼を言う副隊長。流石は吾輩の右腕であるな」
『今度奥さんの手料理食べさせてくださいね~』
「貴様………!まさか我が妻に懸想を………!?」
『人妻………それもいいかもしれません』
「おのれ!しかしいかに貴様と言えど吾輩と妻の愛は引き裂け―――えぇい邪魔だ!!」
『難攻不落の人妻………ふふふっ!燃える!燃えま―――えぇい寄ってくるな鬱陶しい!美女以外お断り!!』
『あのー………隊長に副隊長。修羅場展開しながら戦闘するの止めましょうよ~』

 喧嘩しながら砲撃掃討する上官二人に、隊員の一人が遠慮がちに諌めるが、大して効果は無くしばらくの間修羅場というか男のみっともない嫉妬と下半身に直結した煩悩が何故かオープンチャンネルで炸裂する。
 コレ後で始末書だよなぁ、と諌めた隊員は思うが、自分の仕事じゃないしいいかと放置して黙々とBETA掃討に注力することに決めた。

『しっかし本当に旅団規模で向かってくるか………いっその事ひとまとめだったほうが楽だったんですけどね』

 醜い争いが一段落したのか、副隊長は深い吐息と共に軽口を叩く。

「確かに火力を一纏めに出来る分、やりやすさはあっただろうが………正直、吾輩達はあまり変わらない気がするのである」
『それもそうですか。どっちにしても俺達衛士にとっちゃ正面からBETAと戦うのは変わらないですからね』

 それでもまだマシな方だ、と宮本は思う。
 BETAはまだ先鋒しか踏み込んできていない。旅団規模とは言え、今はまだ光線級がいないため、ある程度上空に逃げ道がある。いざという時に上に逃げ道があるのと無いのとでは戦いの幅が大きく変わってくるのだ。

(しかし敵が多過ぎるのである。まだ後方に戦線はあるというものの、少々不利であるな………)

 この物量は前の前線の不手際というよりは、予想外にBETAが多かったことに起因するだろう。むしろその中で光線級だけは撃ち漏らしていない事を考えるとよくやってくれている方だ。

(ならば吾輩達は吾輩達の仕事をすべきであるっ………!)

 決意を新たに長刀を振り抜いた直後だった。

『う、うわっ………!く、来るなっ!!』
『05!くっ………!』

 隊の中列に、横合いから戦車級が雪崩込んできた。狙われたのはまだ経験の浅い少尉。それをカバーすべく先任がカットに入るが、戦車級の数は予想以上に多い。

「07!05!―――02!援護を!!」

 宮本は即座に救出プランを組み、叫びながら機体を旋回させる。
 だが、それよりも疾く―――。

『―――ぉぉおぉおおおっ!!』

 臆病を標榜し、恐怖と後悔さえ抱え込み、尚も前へと走る闘神が―――今、戦場に舞い降りた。






「ぉぉおぉおおおっ!!」

 白銀は雄叫びを上げ、戦車級に呑み込まれかけている二機の撃震の間に割って入るべく追加噴射機構をアクティヴにし、フルブーストを仕掛ける。
 追加噴射機構は通常パッシヴ状態で、主に姿勢制御のみの可動だが、アクティヴにすることによって全ての噴射に追従する。跳躍ユニットによるアフターバーナーと合わせると、最大速度はプラス毎時100km。不知火の最大速度は毎時700kmなので、現在の最大速度は毎時800km。
 そこに掛かるGを、飛びそうになる意識を、白銀は叫ぶことによって抑えつける。
 強襲前衛装備の為、手数には余裕がある。両主腕に構えた突撃砲を戦車級に向けて36mmを斉射。帝国の撃震二機と戦車級の間に自機が入り込む余地を作ると、そこに投げ込むように機体を滑りこませ―――。

「吹き飛びやがれ………っ!!」

 兵装を切り替え120mmに―――それも、キャニスター弾を二発放つ。
 通常、キャニスター弾は一定飛翔後に爆発して弾子がばら撒かれるのだが、もう一つだけ爆発条件がある。何かにぶつかることによって、強制的に爆発するのだ。
 白銀が放った二発のキャニスター弾は、先頭の戦車級に着弾すると、強制的に弾子を散逸させ後方に続く戦車級達を諸共吹き飛ばす。しかし彼はそれで安心しない。即座に再び兵装を切り替え、36mmに戻すと残存し臆せず前進する戦車級に向かって砲撃を開始。そして通信を開いて叫ぶ。

「今の内に距離を取ってください!」
『君は………?』
「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉以下第207衛士訓練小隊!―――『日本人』として、助太刀します!!」

 網膜投影に映る誰かの問に白銀は応え、戦車級に呑み込まれかけていた二機の撃震が距離を取るのを確認した。

『中尉!』

 通信で神宮司の声を聞く。戦況表示図に視線を見やれば、207B分隊が白銀に追い付いてきたのが分かった。
 だから白銀は叫ぶ。

「スイッチ!」
『了解!』

 白銀の背を護るように降り立った神宮司の撃震が、今度は前に出る。地を舐めるように疾駆し、時にはBETAさえ足場にして跳躍し、虐殺の舞台へと彼等を誘う。

『す、すごい………』

 誰かの呟きが聞こえ、白銀は当然だと胸中で胸を張る。
 自分を育てくれた恩師は、この程度の敵でどうにかなってしまうほど弱くない。恐怖を肯定し、同じように後悔を抱えているあの彼女が、弱いはずがない。

『―――礼を言うのである。白銀中尉。吾輩は帝国本土防衛軍第12師団所属、第195中隊長宮本哲哉大尉である』

 と、白銀の網膜投影に厳つい造形の顔が浮かび上がる。どうやら、彼がこの中隊の隊長であるらしい。

「気にしないでください宮本大尉。所属が違っても、敵が同じなら助けあうのは当然でしょう?」
『なかなか面白いことを言う少年であるな白銀中尉』
「まぁ、横浜基地が帝国軍からどんな風に思われているか理解は出来てます。―――それを今からひっくり返してみせますよ」

 白銀は不敵な笑みを浮かべると、通信を切る。行動で示さない限り、帝国軍の横浜基地に対する評価が上がるわけがない。ここで問答などしていても時間の無駄であることを、彼はよく分かっていた。
 だから白銀は多くを語らず、追加噴射機構をアクティヴからパッシヴへ。そして先に征く神宮司を追うために噴射滑走。

「邪魔だ………!」

 行く手を阻むBETAに36mmを叩き込み、一人斬り込んで殺戮の舞踏を繰り広げる神宮司に追い縋ると、通信を開いた。

「まりもちゃん!!」
『了解!!』

 最早多くは不要。名前を呼ぶだけで相手が何を求めているか分かる。だから白銀は神宮司に背中を預けて前へと出る。

「まだまだぁっ!!」

 闘神と狂犬の殺戮はまだ続く。
 全ては、教え子達に負担をかけない為に―――。






『20705フォックス2!』
『20706フォックス2!』

 後方から鎧衣と珠瀬の援護があり、その隙に榊は手近な戦車級に残弾を叩き込みつつオートリロードを強制起動。残り数十発となったところで弾倉が排出され、予備弾倉へと交換された。
 オートリロードは本来、弾切れと同時に自律的に動くのだが弾切れを認識した後での装填は僅かなタイムラグがある。そして戦場―――特に今回のような乱戦及び密集戦闘時はその僅かなタイムラグが生死を分ける場面がある、という白銀の言葉から、207B分隊は突撃砲の残弾数が150を切るとオートリロードを手動起動させている。
 補助椀が腰部の弾倉を引き出し、突撃砲の近くまで持ってくるまで引き金を引き続けていれば、僅か数十発を残しての交換となるので無駄も極力減らせる。
 榊達はこうした細かなテクニックを戦車級無間地獄(命名彩峰)訓練で身体に染み込ませていた。

(なんとか、やれているわね………!)

 先を行く03御剣と04彩峰に気を配りながら榊は胸中で安堵の言葉を紡ぐ。
 急な実弾演習。今度は負けないようにと意気込んで挑んだ上で―――何故か初陣になるという不測の事態だが、榊も、そして他の皆も思いの外落ち着いていた。いや、正確には白銀の言葉を聞いて落ち着いたというべきか。

(そうよ………私達にはまだ生きてやるべきことがある!)

 駄々をこねようが何をしようが、敵が来ているのだ。ならば銃を構え、引き金を引くことこそが軍人としてあるべき姿。BETAの姿に怯え、立ちすくんでも決して背を向けない事が衛士の心意気である。
 半人前とは言え、榊達も既に一端の衛士だ。
 だからこそ、自分達を育ててくれた教官の言葉を信じ、みっともない姿を晒そうが前へと進む。
 そして榊の役割は指揮者だ。周囲の状況を正確に把握し、仲間に指示を飛ばさなければならない。
 それ故に、というべきか。彼等の実力に真っ先に気づく。

(これが………中尉と軍曹、そして斯衛の実力………)

 視線の先、まず最初に映るのは中衛の第19独立警備小隊だ。紅と白の武御雷が突撃級と要撃級のみを正確に仕留めていく。個々人の実力もさる事ながら、あの四人の連携が異常だ。まるで視界を共有しているかのように互いの死角をフォローし、竜巻のような渦を描くが如く次々とBETAを屠っていく。
 更にその先、白銀と神宮司に至ってはまさに嵐だ。
 荒々しく飛び、砲弾のように着地したかと思えば弾かれるように地を疾駆する。同じXM3を搭載しているが故に、彼等がどんな操縦をしているかよく分かる。
 多重キャンセルによる永続無間行動。
 行動の最後をキャンセルし続けることによって、隙を無くす。それはXM3搭載機ならば通常運用のように思えるが、彼等はもっと細かいレベルでそれを行っている。例えば着地一つにしても、ただ着地するのではなく、一度噴射を入れて緩衝力を産んでからそれをキャンセルし接地、オートバランサーによる自律調整をキャンセル、更にそれに伴う転倒防止の受身をキャンセル。加え、重心移動時に先行入力を叩き込む事によって倒れこむようにして噴射滑走。
 おそらく、この一連の制御には幾つかコンボが組み込まれある程度簡略化されているとは言え、殆ど入力しっぱなしの状態であるはずなのは変りない。
 たかが着地一つにもこの有り様である。他の行動に対しての入力がどうなっているのか、知りたいようで知りたくない榊であった。

(とは言え、私達も負けていられないわね)

 実力差はあればあるだけ埋めるのが大変で―――だからこそやり甲斐がある。榊もそうだが、207B分隊は基本的に負けず嫌いの集団なのだ。
 だから彼等に追いつくために今は経験を積もうと意気込んで―――。

「え―――?」

 榊は戦況表示図に変化を認めた。






『奴等め………!地中から出てきおったか!!』

 第一波の掃討が粗方片付きつつある中で、白銀は宮本の舌打ちを聞く。
 戦況表示図に視線をやれば、丁度第二次戦線の後方と第三次戦線最先端であるここの間に、紅い光点が突如として吹き出した。それが指し示すところは、宮本の言うとおり、地中からのBETA侵攻だ。白銀は即座に数を計測させる。出てきた数は―――おおよそ2000。

(マズイな………)

 砲撃支援もあり、戦力も二個中隊近くあるので、対処できない数ではない。だが、どうしても時間を掛けることとなるため、敵は第二次戦線を抜けてきた第二波と合流することになるだろう。
 その時、BETAの総数がどうなるか、正直想像したくない。

(どうする?流石にあの数じゃぁ………)

 常道としては救援を呼ぶことだ。
 だが他の場所も人手はいる。呼んだからと言って直ぐ様補充が効くのなら、そもそもBETA大戦は既に終結しているだろう。
 であるならば、用いるのは常道ではなく奇策。
 ふと思いかべたのは、甲21号作戦だ。

(XM3のCPUとオレの機動でBETAの危険認識を引き上げてやれば………?)

 あの時、後方に控えた重光線級を掃討するために道をつくる必要があった。
 BETAにも戦闘思考―――というよりは、戦闘時の優先順位がある。基本的に、高い性能の機械と仲間を大量に殺戮する兵器を優先して攻撃するのだ。これを逆用し、白銀は甲21号作戦で敵中で大暴れするすことによって敵の危険認識を強制的に引き上げた。
 これによりBETAは少し離れたところにいたヴァルキリーズよりも、白銀機の方に意識を割き、それによってできた間隙を縫うことで重光線級を掃討出来た。
 同じように、今回も似たようなことをすることで第195中隊や207B分隊、第19独立警備小隊に掛かる負担を幾分か減らすことが可能かもしれない。上手く行けば1000―――行かなくても500程度のBETAを引き付けることはおそらく出来るだろう。
 更に奴等の群れをかき乱す結果になるだろうから、ここで抗戦する側は格段にやりやすくなる。

(問題は、何処で片付けるかだ)

 仮に誘引することが出来ても、白銀単機で全てを片付けるには流石に骨が折れる。危険度を度外視すれば出来なくもないだろうが時間が掛かるだろうし、既に結構な数の弾薬を消費しており、推進剤だって限りがある。
 となれば、手伝ってもらうのが一番良い。
 白銀は戦況表示図を拡大し、周辺の地理を吟味する。
 度重なるBETA侵攻によって、山間部であるこの辺りもある程度平らになってきている。それは旧十勝町市と旧小千谷市の市境であるこの周辺も例に漏れない。旧県道59号線に抜ける細道も、BETAの群れが通り抜けられるほどには大きく均されていた。
 掃討に適した場所は、若干盆地になっている倉下山の北部―――ここが一番いいだろう。

「20700からHQへ。旧県道59号線に砲撃部隊を配置することは可能か?」

 通信を開き問いかけると、直ぐ様出来ると返答が帰ってきた。おそらく上層部―――悠陽や斑鳩から何かしらの圧力が掛かっていたのだろう。国連軍の一中尉が作戦を打診してきたというのに、無用な問答は一切なかった。
 しかし他の戦線から戦力を捻出する必要があるので、20分程掛かるとのことだった。どのみちBETAの危険度を引き上げるために暴れる必要があるし、付かず離れず誘引するために進行速度は遅くなるので、ある意味で丁度いい時間だろう。
 そして白銀はオープンチャンネルで宮本に話し掛けた。

「今からなるべく多くのBETAをこの地点に陽動します」

 すると、厳しい宮本の表情が更に厳しい物になる。 

『危険だ中尉。訓練兵を抱えたままで陽動など―――』
「大丈夫です。―――陽動はオレだけで十分ですから」
『なっ―――!?』

 こちらを心配してくれた上での発言だろうが時間がない。白銀が被せるように言い放つと、宮本どころかそれを聞いていた第195中隊や207B分隊、第19独立警備小隊の面々も驚愕した。

『駄目です中尉!それは―――』
「黙っていろ軍曹。上官同士の会話に割って入るな」

 直ぐ様神宮司が諌めてくるが、白銀は有無も言わさず封殺する。彼女を止めることで、この後続くであろう207B分隊の具申も止まる。立場を利用したようで申し訳ないが、これは全員が生き残る為に必要な作戦だ。だから白銀は畳み掛けるように捲し立てる。

「いいですか?時間がないので手短に話します。オレ達の機体には新型のOSが搭載されているんですが、それと一緒にCPUも違ったものに換装されています。これが従来と違って高性能である為、放っておいてもBETAを誘引するんです。あいつらは機械、それも高性能なものに興味を示しますからね」
『自分達の群れの中にそれがあれば、奴等は必ずそれに飛びつく、であるか。それは理解できるが何故単機なのだ?それではむざむざ死ににいくようなものではないか』
「理由は二つ在ります。一つは、オレ以外では厳しいということ。新型OSを載せている207は訓練兵。神宮司軍曹は熟練ですが、乗ってる機体が撃震では流石に厳しいでしょう」
『もう一つは?』
「一機のほうが分散せずに固まって誘引されるのでそちらの方がやり易いんですよ。―――逃げ回るだけなら一人のほうが気楽ですしね」

 理路整然と理由を並べ立てると、皆が押し黙った。だから白銀は言葉を続ける。

「まぁ、宮本大尉が何と言ったところでオレは行きますけどね。―――そちらの指揮下に入った覚えはありませんし、命令権は無いでしょう?」
『確かに。―――しかし作戦をわざわざ吾輩に伝えたということは、何かしら要求があるのでは?』
「やっぱり分かりますか。―――207B分隊を貴官の中隊に組み込んでください。彼女達は訓練兵ですが、腕はそこらの訓練兵とは比べものになりませんよ?ついでに斯衛の小隊も付いてきます」
『つまり―――護れ。そういう事であるな?』

 それに対し、白銀は無言。それが何よりの返答だった。だから宮本は力強く頷く。

『あい分かった。吾輩の部下を救ってくれた礼もまだ出来ていないのである。ヒヨっ子の五人程度護れぬようでは帝国本土防衛軍の名が廃るのである。―――貴官は安心して征くと良い』
「よろしくお願いします」

 念を押すように白銀は告げると、今度は網膜投影に映る彼女達に視線をやる。

「―――そんな心配するな。オレは昔、要塞級23体に囲まれて陽動やったことあるけど、生きてるぞ?」

 その後死に掛けたけどな、と胸中で付け加える。あの時、伊隅が救けてくれなかったらどうなっていたか分からない。だからこそ、白銀は気を引き締める。
 ―――今度は助けは無い。
 そして既に因果導体でない以上、『次』は無い。
 だが、白銀は思う。
 こんなところで終われないと。
 だから―――。

「―――さぁ、征くぞ化け物共。オレを………『シロガネタケル』を殺せるものなら―――」

 全ての通信を閉じる。
 追加噴射機構をパッシヴからアクティヴへ。
 下唇を舐め、操縦桿を握り直す。
 そして―――。

「―――殺してみやがれっ!!」

 白銀は、弾かれたように駆け出した。 






 皆は見る。
 神速で踏み込んだ白銀の不知火は接敵と共に倒立跳躍し、先鋒である突撃級を飛び越えつつその臀部に鉛玉を叩き込み、要撃級の『背中』に着地、と同時に36mmを斉射する。
 更に跳躍し、次々と要撃級の『背中』を飛び移って敵中へと潜り込んでいく。その姿はまるで牛若丸が八艘飛び。この上なく身軽に、そして素早く移動していく。
 出現した2000のBETA群の中には光線級もいるというのに、彼はその射線から尽く外れ、そして上空へ飛んでも狙いが確定するよりも速く降下する。
 そして、幾度かそれを繰り返して―――ついに彼は敵中のド真ん中へと到達する。

「ぁあぁああぁあああああっ!!」

 両主腕を広げ、二丁の突撃砲の銃口がBETAの海を捉える。そして全てロックオン任せで、デタラメにばら撒く。機体を旋回させ、暴風雨が如く36mmを放つ彼は、まさに台風の目。
 一通り殺戮すると、右主腕に装備した突撃砲の弾が切れた。予備弾倉のことを考えると、そろそろ邪魔なので即座に放棄。そして担架に装備した長刀へと手を伸ばし。

「っ!?」

 短距離噴射跳躍。
 後方から迫ってきていた要撃級の前腕を回避すると、噴射降下と同時に長刀の柄を握る。直後、ロッキングボルトの炸薬が起爆して長刀を強制開放。ノッカーが作動し、開放の勢いを以て振り下ろし、接近してきた要撃級を二枚に卸す。
 更に硬直キャンセルと共に左主腕に握られた突撃砲から36mmの弾幕を張る。

「ぉおぉおおおっ!!」

 更に噴射滑走を以て、BETAの隙間を潜るように闘神は征く。
 生きる為に、生き残るために。
 そして何よりも、大事な人達を護る為に―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十五章 ~履行の契約~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/03/06 20:08
 帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊第3中隊所属、沙霧尚哉大尉は旧柏崎市に展開された最前線にて不知火を駆っていた。既に会敵から25分経過している。BETAの進行速度は今までと変りないものの、その物量から戦線は既に幾つか破られ、後方へと流れていってしまっている。
 事態は既に乱戦。こうなってしまっては砲撃支援は碌に期待できない。今は徐々に下がりつつ支援部隊の後退の手助けをしている。しかしそんな中で、沙霧率いる第3中隊は未だ一機たりとも失っていなかった。
 当然だと沙霧は思う。
 帝都を守備する自分達は、普段より厳しい訓練を課している。それは帝国本土防衛軍全体にも言えることだろうが、沙霧の隊はそれ以上に厳しくしている。それは何故か。

(日本の夜明けがすぐそこまで迫っているのだ。………皆もこんなところで終わるつもりはないだろう)

 沙霧は要撃級の一体を長刀で斬りつけ、胸中は冷静にそう思う。既に準備は着々と進行している。戦略研究会を立ち上げ、同志を募り、協力者を得て作戦を煮詰めている。後は何かしらの切っ掛けがあれば、すぐにでも動かせるほどに。
 今のこの国は、病んでいると沙霧は思う。
 第二次世界大戦後、手足をもがれてこの国は蹂躙された。しかしながら、それは仕方ないことだと思う。終戦直後は勝った国が正義だ。後に遺恨を残すことが起きようが、その時その瞬間は確かに勝った国こそが正義。日本の歴史を紐解けば、それを他国に強要したこともあり、転じてそれが自らに返って来ただけだ。
 だから問題なのは、その後。
 戦勝国に押し付けられた憲法を戦後半世紀経とうとも唯々諾々と受け入れ続け、あまつさえ皇帝の御使とも言える政威大将軍を形骸化させ、この国を『都合のいい国』と変えた。そればかりか、一部とは言え日本人でさえそれに賛成しているというのだから沙霧は憤慨せずにはいられない。
 三年前、米国は一方的に押し付けてきた安全保障条約を一方的に破棄し、更には二年前、G弾という後遺症で言えば戦略核にも等しい規模の戦略兵器を日本に落とした。確かにそれによって人類にして初の対BETA戦勝利とはなった。だが、落とされた側はたまったものではないし、あの作戦に参加していた沙霧は知っている。
 G弾は、確かに横浜ハイヴを吹き飛ばした。―――味方ごと。
 落下被害による事前通告すら無く、あの黒い爆風は敵味方関係なく、いっそ慈悲とも言える破壊力で炸裂した。事前通告しなかったのは間違いなく、可能なかぎりBETAをその場に留める為だろう。BETA殲滅という至上目的がある以上、理解は出来る。理解は出来るが―――正直、納得はできなかった。
 元々、その前年に起こった彩峰中将事件―――自分の恩師が投獄、処刑された時から澱のように疑念は積み重なっていたのだ。そこに来て安全保障条約の一方的な破棄と明星作戦での暴挙―――それこそ捨石のようにこの国が扱われた事実を見て沙霧の心は固まった。
 未だにそれに対する謝罪表明は米国から出ていない。
 日本も、それに対する非難を儀礼通りにしたのみ。
 重ねて思う。この国は、病んでいる。
 このままでは、他国と獅子身中の虫にいいように食い潰される。そうなる前に、何としても手を打たねばならなかった。
 今は亡き恩師が愛したこの国を、代わって護るために―――。

(―――今ここで、死ぬわけにはいかんっ………!)

 だから沙霧尚哉は前へ出る。
 そして部下達も自分に付いてきてくれている。それを心強いことだと思い、今はこの迎撃戦を切り抜けることこそが肝要だと言い聞かせる。故に彼は機体を滑るように動かし、更なる殺戮を繰り広げようとして―――。

『きゃっ………!?』
『駒木中尉!?』

 部下の悲鳴が響く。
 視線を後ろにやれば、沙霧と二機連携を組んでいた駒木咲代子の不知火が、宙を舞っていた。そのすぐ後を通り抜ける突撃級の姿を認め、沙霧は状況を認識する。
 おそらくは着地硬直の瞬間を運悪く横合いから突撃されたのだろう。中途半端に右腰部から右主脚がひしゃげていることから、直撃したのではなく硬直抜けに跳躍回避しようとした時に喰らい、姿勢制御もままならずに錐揉みしながら宙を舞ったのだ。

「くっ………!?」

 沙霧は奥歯を噛み締め、機体を旋回。二機連携を組んでいた沙霧が最も近いためにすぐフォローに入ろうとするが、まるで足止めをするかのように要撃級と戦車級が沙霧の不知火の行く手を阻む。

「退けっ………!!」

 弾薬消費は厭わない。あるだけの弾丸を吐き出し、道をつくろうとするが―――僅かに遅い。錐揉みのまま落下し、地面に叩き付けられた不知火が起き上がるよりも疾く、要撃級の一体が迫る。それを止める為に、突撃砲を向けて放つ沙霧だが、周囲の要撃級が盾になり、弾丸が届かない。

『―――っ!?』

 最早これまで―――。
 まるでそんな諦観が見えるような吐息の嚥下。しかしそれでも諦めきれず、沙霧は手を休めないが―――やはり間に合わない。一瞬が永遠に引き伸ばされ、部下の最期を看取る覚悟を瞬間的に決めた時だった。
 ―――直後、駒木機に迫る要撃級の、振り上げられた前腕が吹き飛んだ。それが120mmによるものだと気づいたときには、同方向から降り注いだ36mmによってその要撃級は蜂の巣にされていた。
 一体誰が―――。
 誰もが同じ疑問を抱き、戦況表示図と網膜投影による視覚で弾丸の発射方向を見やる。
 その先に―――。

『―――無事かね?』

 長刀を逆手に持った、国連カラーの不知火がいた。






(な、何とかなるものだ………)

 機体を倒れた帝国軍の不知火の近くへと着地させる。周辺のBETAを突撃砲で牽制しつつ、追加噴射機構をアクティヴからパッシヴへ切り替えながら三神は内心冷や汗を掻きながらそんな事を思っていた。
 鎧衣課長に事前に調べてもらったとおり、沙霧尚哉率いる中隊は最前線にて奮戦していた。そして彼を表舞台に引っ張り上げる為の下準備をするべく、接近しようとし中隊の内の一機が危機となっていたのである。
 悠陽の時の交渉と違って、今回は対多人数ではない。故に意志の統率は必要なく、悪感情を使っての人心掌握は逆効果になる。あの時は一部を除いてそれぞれの感情が不明だったので、統率するために悪感情を最初に植えつけた。しかしながら今回は既に『国連軍』という肩書きのせいで既に悪感情が生まれていると言っても過言ではない。そんな状況下でそれを利用するために道化を振舞えば更に頑なにさせかねないのだ。故に、どこかでポイントを稼いで極力プラス方面に持っていかなければならなかったのだが、悩むよりも先に危機からこちらにやって来てくれた。
 しかしながら、いかんせん距離が遠すぎた。追加噴射機構を用いて最速接近をしようとも間に合う距離ではなく、36mmではいささか距離が足らない。仕方無しに120mmの狙撃を試みたのだが―――実は狙いが少しずれていた。本来ならば前腕ではなく、胴体に命中させるつもりだったのだ。その結果、最接近しての36mmの追い打ちを掛ける必要があったのだ。

(やはり私の狙撃は下手くそだな………)

 こればかりは素養の問題だ。いくら機械のほうが補正ロックをしてくれると言えど、最終的な射角調整とトリガを引くタイミングは衛士に委ねられる。人間のほうが未熟ならば、いくら最高性能の機械とて真に実力を発揮できるはずもない。
 三神とて何度か努力を重ねてみたが、どうやっても実を結ばなかった。今回は半ば反射的に発射し、たまたま上手くいったが、下手をすれば倒れた不知火の方に当てかねない危うさがあったのだ。やはり長距離狙撃はこれっきりにしておこうと彼は強く思う。

『貴官は………?』

 未だ戦闘は続いているものの、それでも人心地つく三神に、同じく戦闘しつつ遠慮がちな呼びかけがあった。網膜投影に映るのは、眼鏡を掛けた生真面目そうな青年―――沙霧だ。

「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ。コールサインはフェンリル01。君は?」
『帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊第3中隊所属、沙霧尚哉大尉であります。―――部下を救って頂き感謝します。三神少佐』
「何、手が届いたから助けただけだよ」

 こちらが名乗ると、沙霧は複雑な表情をした。
 機体色からこちらが国連所属であることは分かっていただろうが、それでも素直に感謝するのはやはり抵抗があったようだ。青い、と言えばそれまでだが、国連=米国のイメージを払拭しきれていない現在の在日国連軍にも問題がある。
 だから三神はそこには触れず、状況を促すことにする。

「それよりも、その部下は退がらせたらどうかね?流石にもう戦えないだろう?」

 右主脚を潰され、転倒の際に同じく右の跳躍ユニットをヤラれている。推進剤も漏れ出しているようで、誰の目から見ても継戦は不可能と映るだろう。

『―――駒木中尉。貴官は退がれ』
『―――は』

 それは沙霧も、その不知火に乗る駒木も理解しているようで、彼女は両主腕と片足で器用に立ち上がると、そのまま片方だけとなった跳躍ユニットと片足だけで後退していく。
 一時的に単独行動となるが、今、彼等が後退を手助けしている支援部隊に合流すればそれなりに安全にもなるだろう。幸い、そこまでの距離は遠くない。戦線に穴を作るわけにはいかない以上、護衛も付けられないので、後は彼女一人で何とかやってもらう他無い。

『ところで、何故ここに国連軍である貴官が?』
「理由としては―――そうだな。命令という部分が三分の一、現在この機体に搭載されている新OSの実戦証明というのが三分の一、そして殿下の言葉に感銘を受けたのが三分の一、になるだろうか」

 無論、はったりであるが、全てが全て嘘ではないのがミソである。
 事実、形式上だけだが香月経由で迎撃戦に参加するよう命令されているし、XM3の実戦証明も兼ねている。加え、戦闘前の悠陽の演説を聴き、少なからず『前の世界の悠陽』を思い出した。躊躇う事を恐れなくなった彼女は、最早ただの小娘ではない。将軍として、そして一人の日本人としてこれから力強く進んでいくに違いない。
 それはともあれ。

「ところで沙霧大尉。私から一つ、提案があるのだが」
『―――何でしょうか?』

 口調こそ、階級差もあってか丁寧だが―――やはりこちらが国連軍であるということで、少し警戒している。無理も無い話ではあると一応、理解は出来るが、せめて共通の敵がいる中では止めて欲しいものだと思う。しかしそれを嘆いたところで事態が変わるわけもないので、三神はすぐに提案を口にする。

「私は今のところ単独行動中でね。何かと不便だから、君と二機連携を組みたい。―――見たところ、先程の中尉が君の相棒のようで、今は君も単機のようだが?」

 そう言って、彼はニヤリと笑みを浮かべた。






(この男―――一体どういうつもりだ………!?)

 『手負い』の要撃級を仕留めつつ、沙霧は疑念を胸中で爆発させていた。
 そう―――『手負い』の要撃級である。
 あの得体の知れない国連軍の少佐と二機連携を組み、BETAの掃討を始めたのはいいのだが、彼はとにかく前に出る。中隊指揮官である沙霧本来のポジションは迎撃後衛だが、今は突撃前衛と大差ないラインまでオーバーラップしている。正直、今や陣形などあって無いに等しい。だがそれで中隊連携が崩されたかと思えばそうでもない。
 元々、沙霧自身一個中隊を任される前のポジションは突撃前衛だったのだ。今迎撃後衛なのは、指揮官として止む無く下がらざるを得なかっただけで、性分的にも突撃前衛のほうが向いている。部下達もそれを知っているが故、本来の突撃前衛と強襲前衛、それから強襲掃討のラインを一つずつ下げる事で均衡を保った。
 本来ならば、沙霧とて相手に文句を言い、目に余れば提案を呑んだという立場でありながら、不義理と言われようが解消するところだ。しかし現実としてそれが効率が良いならば話は別だ。

(三神庄司………!何を狙っているっ!?)

 三神と名乗った佐官の戦い方は、非常に独特だった。
 いや、反応が異常に素早かったり、行動硬直が無かったり、行動の最中に別の行動になったりと既存の戦術機概念を覆しかねない部分も多々あるが―――本人が言うには、それは新型のOSに寄るものとの話だ。それだけでも十分に驚くべきことであるが、沙霧の疑念はもっと他の部分にあった。
 彼の機動自体は至って平凡である。その新型OSという部分さえ抜けば、おそらく一対一でも負けはないと踏めるほどに。確かに、その機動一つ一つが丁寧で、総じて地味だ。如何にもベテランのそれではあるものの、才気というものが感じられない。逆手に握った長刀も、見た目ほど奇を衒ってはいない。おそらくは機体や長刀そのものの消耗を抑えるためのアイディアだろう。
 だから、彼の機動には疑念は無い。
 あるのは―――その戦い方だ。

(何故BETAを殺さない………!?)

 三神庄司はBETAを『殺さない』。
 正確に表現するならば仕留めない。
 要撃級はその頭部のような尻尾をすれ違いざまに逆手の長刀で斬り飛ばすか、36mmを叩き込むだけ。突撃級に関しても要撃級と同じくすれ違いざまに片側三本の多脚を一息に斬り飛ばすか、尻に数発36mmを浴びせるだけ。流石に要塞級には120mmを使うか首を落としに行くが、それも近寄ってきた場合のみで小型種に限っては殆ど無視している。唯一積極的に殺しに行っているのは光線属種だけだ。
 彼がそうした行動に出た結果、無言の内にそれぞれの役目ができた。沙霧を含めた前衛は『手負い』の中型級を。後衛は小型種を基本的に担当している。故に、沙霧は先程から『手負い』のBETAばかりを処理することに徹しているのである。
 しかしながら、先述したようにその影響で異常なまでに効率が良い。既に撃墜数は一中隊平均の倍近くまで登っている。最前線で戦い続けたとしても、ここまでの撃墜数が出るだろうかという程だ。
 だから沙霧は尋ねてみることにする。

「―――こちらバンディット01からフェンリル01へ」
『………何かね?沙霧大尉。私は今、割と忙しいのだが。具体的に言うと根性注入レベル8ぐらいだ。10まで行くと射撃毎にアチョーと叫ぶようになる。―――ちゃんとオープンチャンネルで叫ぶぞ?』
「―――貴官の腕を以てすれば、仕留めることも可能なはずだ。何故それをしない?」

 コールサインを無視した上に、何か訳の分からない事を言い始める三神に、沙霧はやや憮然とした表情で問いかける。

『私のボケはスルーかね?36mmでのアチョーは叫ぶ側が大変だからまぁいいがね。―――確かに仕留めようと思えば出来るが、長い目で見ればそちらのほうが面倒臭い』
「何?」
『BETAは同士討ちをしない。あの物量の中で、統率が取れていることから分かるように、中級以上の種族は小型種を踏み潰さない』

 有名なのは光線属種だが、その法則は他のBETAにも当てはまる。例えば今も例に上げた光線属種は、味方を絶対に誤射しない。その為、乱戦中に於いては常にBETAを壁として利用する。ハイヴ内に至っては、その存在を思考から抹消してもいい。
 それと同じように、他種も味方を攻撃しない。だから―――『事故』を起こす。

『そこを逆手にとって、要撃級の感覚器官を潰し、突撃級の足を斬り落とす。まともに動けなくなった奴等は小型種を巻き込んでくれるし、上手く行けば同属種同士ぶつかって一石二鳥。運良く生き残っても足掻けば足掻くだけ他のBETAの被害は広がる。死体にしてしまえば奴等も無視して進撃してくるが、ただ無力化した程度なら生きた盾にもなるしな。―――後で処理するにしても、そちらの方が楽だ』

 言われ、沙霧は周囲を見渡す。
 片側の多脚を斬り落とされ、じたばたと無様にのた打ち回る突撃級や、感覚器が無くなったがためにあらぬ方向に前腕を振るい、あるいは踏み潰し、小型種や同族を巻き込む要撃級。更にはそれらが邪魔することによって、BETAの進行速度がここ周辺だけ急速に遅くなってきている。

「まさか―――貴官はこれを狙って………?」
『まぁ他にも「色々」と理由があるが、乱戦混戦時は一番効率的でな。更に他部隊の撤退支援をするとなると、これが最適な足止め方法になる』

 更に加えて、BETA側の被害が著しく拡大するため、この策を行った側の攻撃優先度が一気に跳ね上がる。つまりそれだけBETAに狙われるようになるのだが―――転じて、撤退部隊はその分安全に逃げられる結果となる。

『私は何処かの救世主と違って凡人なのでね。こうした地味な戦い方しか出来んよ。そして地味とは下「地」の「味」と書いて地味と読む。―――だから非凡な君達には仕上げを任そう』

 撃破ではなく弱体化。『敵を殺す』のではなく味方が『敵を殺し易い環境』を作る。
 何処か老成した苦笑を浮かべる三神はそう言って、先を見据えた。BETAは徐々にこちらに集まって来ている。ここからが本当の正念場になるだろう。
 だから三神は沙霧率いる第3中隊に告げる。

『さぁ征くぞ諸君。そろそろ本番だ。君達の活劇舞台は―――この私が作ろう』

 そして、狼は再びその牙を解き放った。






「うぉおおぉっ………!!」

 白銀は雄叫びをあげながら、BETAの群れの中を疾走っていた。突撃砲を構え、長刀を振り回し、跳躍し、降下し、魑魅魍魎中唯一人駆け抜けている。
 そう、一人だ。
 単機で突撃してから、既に15分程立つ。敵中で派手に動いたためか、今では結構な数のBETAが白銀機を仕留めるべく狙って来ている。計測してみれば、1100と少し。無論、これは観測しやすい要撃級と突撃級のみだ。実際には、もっといる。
 ともあれ、どちらにしても上々だ。数としては多いが、その全てを相手にするわけではない。散発的に36mmをばら撒き、長刀を薙振るうだけに留めておいて、いちいち相手にはしない。要は、注目さえ集中させておけばいいのだ。むしろこちらが集中するのは、撃破数よりも如何に敵の攻撃に当たらないかに絞る。
 そして徐々にではあるが、白銀は西進を始めていた。このまま行けば、後数分で予定地である倉下山の北部へと誘導できるだろう。問題なのは、砲撃部隊の展開が間に合っているかどうかだが―――。

『―――こちら帝国本土防衛軍相馬原駐屯地所属、第7砲撃支援連隊連隊長花菱燈中佐だ。聞こえているかよ20700』

 不意に伝法な口調で呼びかける声があった。
 砲撃支援連隊―――90式戦車を主力とし、87式自走高射砲やMLRSで編成される後方支援の要となる部隊だ。

「こちら20700。聞こえていますよ花菱中佐」
『そいつは重畳。どうだ?塩梅は』
「引き連れてこれたのは1100と少し。人気者の辛いところです。―――そちらは?」
『何も問題はないさ。こちらは既に展開し終えている。―――後は間抜けなBETA共が誘い込まれるのを大口開けて待っている段階だ』
「はは、それはいいですね。―――文字通りの食い放題って訳ですか」
『ああ。で、オメェは口まで運んでくれる箸ってわけだ。―――出来るか?』
「はい。―――なるべくギリギリまで引っ張ります」

 白銀がそう言うと、花菱は少し押し黙った後で口を開く。

『―――オイ国連の。名前は?』
「?白銀武中尉であります」

 急に名前を問われ、白銀は疑問符を浮かべるが彼は気にせず言葉を続ける。

『そうか。じゃぁ、白銀。率直に聞く。オメェ―――死ぬ気か?』

 そう言われ気付く。ギリギリまで粘るということは、それだけ砲撃に巻き込まれる可能性も上がるのだ。言葉遣いこそ乱暴だが、この中佐なりにこちらの身を案じてくれているらしい。
 だから白銀は微笑みを浮かべた。

「死にませんよ」

 そして啖呵を切る。

「オレは、死ぬ覚悟なんか決めてません。決めたのは、生きる覚悟と泥水すすってでも生き残る覚悟だけです。それに―――」

 脳裏に思い浮かぶのは、彼女の笑顔。あの笑顔をもう一度見る為に、白銀武は今『この世界』にいる。だからこそ―――。

「待たせてる女がいるんですよ。アイツにもう一度逢うまでは―――オレは何があっても死ねないんです」

 物凄く利己的な返答だとは思う。だがそれを失ってしまっては、自分はもう自分でいられないのではないのか、と白銀は思うのだ。だからこそ世界のための挺身は、もう止めた。次は、愛する者の為にこそこの身を捧ぐ。
 その者の為に世界が必要とあるならば―――世界ごと救ってやる。
 臆面も無くそう言ってのけた白銀に、花菱は一瞬絶句した後、破顔した。

『はっ、はははははっ!そうか、はははははっ!!待たせてる女がいるとあっちゃぁそりゃ気楽に死ねねぇよなぁっ!?』

 やがて笑いを収めると、彼は口元を吊り上げた。

『いいぜ気に入ったよオメェ。っとに誰だよ国連軍は腰抜けぞろいとか言い出した奴。―――ちゃんと骨のある奴もいるじゃねぇか』

 次いで、データリンク経由で白銀の網膜投影が更新される。

「これは………!!」

 視界の左端に浮かぶ倉下山北部の地図。その周囲を取り囲むように、青いマーカーが幾つも浮かび上がる。間違いなく既に展開しているという第7砲撃支援連隊だろう。
 そして迎撃地点となるであろう盆地にラインが引かれる。

『よく見ろ白銀。BETAがここに来たら砲撃を開始する。一応カウントダウンしてやるから、オメェはギリギリまで粘ってから逃げろ。―――流れ弾に当たるんじゃねぇぞ?』
「遠慮は要りませんよ?―――弾ぐらい、こっちで勝手に避けます」
『言うじゃねぇか。―――吐いた唾は呑めねぇぞ?』
「そんなせせこましい事をする気はありません」

 二人は軽口を叩き合うと同時に笑いあった。

『じゃぁ征くぞテメェ等ぁ!女の為に生きる覚悟を決めてる馬鹿を助ける為に、デケェ花火を打ち上げるぜぇっ!?』
『了解!』

 第7砲撃支援連隊と白銀の声が唱和する。
 そして―――砲撃の狂騒曲が始まる。






 白銀が引き連れるBETAの群れは倉下山北部の盆地へと差し掛かった。
 それに合わせてカウントダウンが開始される。

 ―――5。

 白銀は追加噴射機構をパッシヴからアクティヴへと切り替える。一度群れの中へ入ってしまえば、必要以上の高機動は必要がなかったので、通常に戻していたのだ。

 ―――4。

 第7砲撃支援連隊のMLRSがリフトアップし、狙いをつける。最初に放たれるのはAL弾だ。群れの中には光線級も確認されている。続く砲撃の着弾率を上げるためにも、初手であるAL弾は必要だ。

 ―――3。

 続くようにして90式戦車が砲弾を装填する。44口径120mm滑腔砲の威力は、突撃級を正面から打ち破ることが出来る。この連隊のまさに主力と言ってもいいだろう。

 ―――2。

 皆は思う。これで準備は整ったと。後は、思う存分あのくそったれな化け物どもに叩き込んでやるだけだと。
 そして自分達の砲撃は、一瞬で勝負を付けられるのだと誇る。

 ―――1。

 花菱は大きく息を吸い込む。自分の命令でこの連隊は動く。だからこそ、最初の一言は力強くなければならない。
 怒鳴るような大音声で。
 砲撃音に負けないように。
 誰よりも、強く。

 ―――0。

『―――ぅ撃てぇぃっ!!!』

 そして、戦場に花火が咲く。
 まず最初に解き放たれたのはAL弾だ。
 まさしく四方八方から迫り来るAL弾の幾つかは光線級に撃墜されるものの、構成比率に準じてかそれ程多くはなかった。これならば重金属雲が発生するまで待つ必要はない。
 だから花菱は叫ぶ。

『白銀ぇ!離れろっ!!』
「了解!」

 持ち前の三次元高速機動を以てして、迎撃されずに着弾するAL弾をすべて避けきってみせた白銀はBETA群から抜け出るために加速をぶち込む。
 不知火の跳躍ユニットと追加噴射機構が奏でる音が、次第に高鳴り、比例するようにしてきついGが白銀に襲い来る。

「ぅぅうおおおおおおっ!!」

 意識が飛びそうになる程の急激なGを気合で抑えつけ―――白銀はBETAの一団から抜け出た。

『行けよ本命………!第二射ぁっ―――!!』

 それを確認し、花菱が指示を飛ばす。
 そして来るは本命。90式戦車から吐き出される44口径の120mm滑腔砲。突撃級の外殻を正面から食い破ることの可能な砲撃の―――四方八方からの十字砲火。
 だがまだだ。まだ足りない。だから―――。

『次弾装填―――!』

 言われるまでもないとばかりに、一射目を終えたMLRSと90式戦車を操る部下たちは成果を確認するまでもなく次弾を装填する。
 そして第三射目。
 続けて第四射目。
 止めの第五射目。
 やがて砲身が焼けつくかと思われたとき、中型種、大型種の殆どが死骸、もしくは行動不能となっていた。しかしBETAの脅威は終わらない。120mmは威力が高いが大味で、小型種まではカバーできないのだ。
 そこで登場するのが―――87式自走高射砲である。

『テメェ等小物が来るぞっ!?合言葉はっ!?』
『戦車は中華!』
『その心は―――!?』
『―――火力が、命っ!!』

 90口径35mmを二門搭載した自走機関砲は、120mmの雨を掻い潜ってきた戦車級以下の小型種に更なる難関を叩きつける。弾幕と言うのが薄っぺらく感じるほどで、その様子はゲリラ豪雨を彷彿とさせる。
 そして―――戦車は火力が命、と彼等が叫んだように、圧倒的な火力を以てしておおよそ1100―――大隊規模のBETAは程なく殲滅された。






 同じ頃、第195中隊と207B分隊、そして随伴の第19独立警備小隊は、白銀が引き連れていけなかった1000近いBETAを増援として乱戦に陥っていた。
 そんな中、紅の武御雷を駆る月詠は臍を噛んでいた。

(少々、不利か………!!)

 懸念していた207B分隊は『死の八分』を何とか超えることができた。そして、如何なる訓練を積んでいたのか今や正規兵に勝るとも劣らない戦いを繰り広げている。
 しかし、彼女達を戦力として数えられても、BETAの物量というのはそれを蹂躙する程である事を忘れてはならない。
 たかが1000。
 されど1000。
 あくまで観測しやすい中型以上が計測されているだけであって、小型種はもっといる。そして弾薬は限られている。
 元々、白銀は207B分隊に小型種掃討しかさせるつもりはなかったのか、前衛の御剣と彩峰は強襲前衛装備、中衛の榊に強襲掃討装備、後衛の鎧衣と珠瀬に打撃支援装備という弾薬の多い装備にさせていた。教官である神宮司は、連携を取りやすいようにか白銀と同じ強襲前衛装備だ。
 ともあれ、そのお陰もあってか、第195中隊も第19独立警備小隊も弾薬には事欠かなかった。戦術機の弾薬は世界共通規格であるが、弾倉は国によって違ったりするのだ。これは突撃砲の種類によるのだが―――横浜に支給されているのは日本のものだ。故に、予備弾倉を隊内で共有できる。
 だが―――。

(それも限界か………!)

 弾薬消費もそうだが、推進剤も懸念しなければならない。XM3という新型OSを実際に目にして、確かに月詠も度肝を抜かれた。しかし同時に危うさを感じたのだ。
 彼女達は確かに白銀の教え子で、高機動での戦闘は彼の動きにかなり近い。腕の差は歴然としているものの、その概念からして既に今までの戦術機概念から刷新されており、このまま順調に成長していけば、いずれ彼の横に並び立つほどの実力者となるだろう。
 だが今は、圧倒的に経験値が足りない。
 特に―――節約という部分に関して。
 高機動の戦闘はそれだけ推進剤をよく使う。例えOSが新しくなったところで、機体の基本性能の上限が上がっただけで主脚や跳躍ユニットに収められた推進剤のタンクが増設されたわけではない。月詠が見る限り、白銀はおそらく機体特性を上手く活かして節約している。
 不知火の頭部にある大型化された一対のセンサーマストはレーダーの役割と共に、空中での姿勢制御を担う。帝国軍の中にも頭部モジュールを意図的に動かすことによって跳躍ユニットを使うよりも遥かに小さい出力で機体を制御する衛士はいる。
 意識的にか無意識にかは分からないが、彼も同じことをすることによって推進剤を節約しているのだ。
 しかし、あくまで練習機という部分を意識してか、吹雪にはそうした空力部分は省略化されている。その為、同じ機動を行っていたとしても推進剤の消費量には雲泥の差があるのだ。

(―――そろそろ、進言したほうがいいな)

 今の月詠率いる第19独立警備小隊は、あくまで随伴者だ。207B分隊の指揮権は神宮司が持っているし、その207B分隊も今は第195中隊に組み込まれている。中隊を率いる宮本の階級は大尉であるし、如何に斯衛と言えど階級差は無視できない。
 月詠も本来の部隊に戻れば大尉なのだが、少なくとも現状では下級者だ。故に進言という形で―――207B分隊を一度退かせ、補給させる。

(おそらく神宮司軍曹も同じことを考えているだろうが………)

 ただでさえ他軍の上に、階級差もあってか、なかなか切り出せないのだろう。であらば、波風の立ちにくい月詠こそが適任だろう。
 だから月詠は意を決し―――。

『う、うわぁああああああっ!?』

 直後、状況が一転した。







 部下の叫びが聞こえた瞬間、網膜投影に映っていた19509のナンバーがロストした。その理由を覚って、宮本は叫ぶ。

「全機後退―――!」

 叫び行動に移した直後、地中から要撃級の前腕が『生えた』。そこだけではない。至る所から突撃級の頭、要塞級の衝角などが『生える』。それが指し示すことは唯一つ。

『地中からの侵攻っ………!?』
「やられたであるな。この乱戦状況では、確かに音紋センサーによる精査は出来なかったのである」
『冷静に言っている場合ですかっ!?加藤が………!!』
「分かっているのである………!」

 苦虫を噛み潰したように顔を顰める宮本に、声を荒立てていた副隊長は言葉を噤む。彼とて部下を奪われたことは腸が煮えくり返るぐらいに腹立たしい。だが、今ここでそれに憤っても、失った部下が帰ってくるわけではないのだ。
 そして、隊を率いる者である以上、冷静にこの苦難を切り抜ける術を探さねばならない。だが新たに地中から出現したBETAの数は多い。今尚増え続けている。
 であるならば、取れる方策は自然と限られてくる。
 そしてそれに―――彼女達を巻き込むわけにはいかない。

『失礼、しました………』
「構わんのである。それよりも―――」
『―――はい。そうですね』
「………すまぬ」
『隊長の義理堅さは昔から変わりませんからね。―――お前達も、分かってるだろ?』
『当然じゃないですか』
『つーかここで保身に走ったら隊長じゃありませんよ』
『最高にカッコイイパパですもんね』

 必要以上の言葉は要らない。
 寝食を共にし、戦場を共に駆けた彼等には、過剰に修飾された言葉など最早必要ない。それぞれの役割を、それぞれが理解している。だから宮本は謝罪ではなく、ありがとうと感謝の言葉を述べる。
 そして―――。

「―――第195中隊から207B分隊、及び第19独立警備小隊へ告ぐ。現時点を以て貴官等を我が隊から『除隊』する。貴官等は速やかに後退し、後続の部隊へと合流せよ」
『大尉!それは―――!!』
「神宮司軍曹。―――これは命令だ」

 意義を申し立てる神宮司に、宮本は首を小さく振って封殺する。

「吾輩には、白銀中尉に部下を救ってもらった大恩があるのだ。そして吾輩は確かに彼と『契約』したのである。―――貴官等を護ると」

 救ってもらった命を、再び危険に晒すのは愚かな行いだと宮本は思う。だが、それによって彼の大事なものを一つでも護ることができたのならば―――きっとそれは恩返しになる。
 そして一度交わされた『契約』は、必ず履行されなければならない。
 何より『日本人』として、受けた恩を返さねばならない。

「―――月詠中尉も、それで構わぬであるな?」
『………私共は、あくまで随伴の身です。―――大尉、御武運を』
「そちらもな」

 流石に弁えている、と宮本は苦笑する。戒律が帝国軍以上に厳しいと言われる斯衛だけあって、こういう時の説得がいらないのは楽だなと思う。
 きっと彼女達も、内心は此の場に踏み止まりたいはずだ。しかし己が役目がある以上、それは叶わない。

「さて―――神宮司軍曹。貴官は訓練兵を率いて後続の部隊へと合流。以後は白銀中尉が戻るまではそこの部隊の指揮下に入れ。―――いいであるな?」
『了………解、しました………』
『そ、そんな!!無茶です!!あれだけの数を相手にするなんて!!』
『黙れ珠瀬訓練兵!上官同士の会話に口を挟むな!!』

 たまらず抗議の声を上げる珠瀬だが、奇しくも白銀が神宮司の進言を諌めたのと同じ論法で封殺された。おそらくは他の隊員も同じ気持であっただろうが、それ以上の口を挟まなかった。

『部下が失礼を。―――207B分隊は宮本大尉の命令を遂行します』
「ならば行くといい。―――なるべく、時間は稼ぐ」
『はっ………!御武運を!!』

 網膜投影の中、207B分隊と第19独立警備小隊の面々が敬礼する。それに答礼すると宮本は声を張り上げる。

「さぁ、疾く征け若者達よ!!貴官等が今から行うのは撤退でも後退でもない!!明日を切り開くための転進である!!そして我が隊はそれを全力で支援する!!」

 長刀を抜き放ち、彼は名乗りを挙げる。

「帝国本土防衛軍第12師団所属第195中隊が中隊長、宮本哲哉。いざ―――推して参る………!!」

 そして犇めくBETA群に突貫しつつ、彼の胸中に不意に去来したのは妻と息子の―――家族の笑顔だった。そう言えば、今日は朝早いのに笑って送り出してくれたな、と思う。



 ―――すまんなぁ美樹、勇太。パパ、今日は帰れそうにないのである。






 そして207B分隊は見た。
 網膜投影の端に写った戦況表示図のマーカーが一つ一つ消えていき―――彼女達が後続と合流した直後、最期の光点が静かに消えたのを。
 そして確かに―――『契約』は履行された。
 少女達の心に、忘れることのない傷を残して―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十六章 ~嵐撃の疾走~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/03/14 20:02
 榊と二機連携を取って進撃するBETA群を相手しながら、神宮司は受け持ちの教え子達に注意を割いていた。本来ならば、戦闘に全ての意識を割くべきなのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
 15分程前、帝国軍の後続の部隊―――第12師団所属の第6大隊に合流した207B分隊と第19独立警備小隊は、補給もそこそこに撤退する予定だった。これは神宮司の案だ。白銀がいない以上、そして第19独立警備小隊がただの随伴である以上、決定権は神宮司にあるのだ。
 ―――207B分隊は、既に『死の八分』を超えた。
 戦場の風を肌で感じる、という名目ならば既に果たしていた。もしも―――もしも、未だ第195中隊が存続していたならば、神宮司も撤退ではなく継戦を予定したかもしれない。だが、彼女達は『死』を背負ってしまった。
 断末魔などは開戦当初からオープンチャンネルで流れていて、それに付随する精神的負担も『死の八分』に含まれる。であるならば、彼女達は既に死を知っていると言っても過言ではない。―――識者を気取る、アナリストならばそう言うのだろうか。
 現場の意見からしてみれば―――そんなモノは、死ではない。
 同軍と言えど、よく知りもしない仲間が死んだことに悲しみと悼みを覚えても『死を想わない』。そう、想わないのだ。
 Memento mori―――『死を記憶せよ』。
 今、彼女達の脳裏には第195中隊の最期が―――『死』が記憶されている。
 こんな時代だ。身近な人間を亡くすことなど衛士でなくとも珍しくはない。だが、戦場で知り合い、そして共に駆け抜ける事によって、一種の連帯感―――仲間意識が生まれる。それが例え三十分にも満たない邂逅であったとしても、彼等はその最期を自分達の為に使ってくれたのだ。ならば尚更、そして今まで戦場を知らなかったが故に―――強烈なまでに彼等の背中は207B分隊に刻み込まれる。
 傷として。
 楔として。
 そして何よりも―――責任として。
 自分達はまだ戦える―――。
 合流した第6大隊の大隊長に撤退の打診をしようとした神宮司に、彼女達はそう意見した。
 神宮司は彼女達の教官だ。だから207B分隊の管理も職務の内である。本来ならばそんな意見などねじ伏せて、さっさと撤退していただろう。今の彼女達は身体的にも―――そして何より精神的に消耗しているはずなのだから。
 だが、今、彼女達は未だ戦場にいた。
 第195中隊が最期まで守り抜いた戦線までBETAを押し返す為に、第6大隊の随伴として戦っていた。
 それは何故か―――。

(もう、半人前とは言えないわね………)

 『戦場に出れて半人前、無事に生きて帰れて一人前』―――。
 神宮司は、かつて教官にこのように教わった。だから、あるいは207B分隊がただの責任感のみでまだ戦うと言っていたならば、首根っこを引きずってでも撤退していただろう。
 だが違った。何故まだ残って戦おうとするのか問う神宮司に、彼女達は責任感だけでまだ戦うなどとは言わなかった。ただ一言、声を揃えてこう言い切ったのだ。

(―――生きて帰る為に戦う、か)

 207B分隊は、第195中隊の命を『喰った』。彼等の命と引換えに、生き長らえた。
 ならばこそ、ここで死ぬことは彼等に対する冒涜だ。
 撤退することは、自らが掲げた信念に対する背信だ。
 そして、故にこそ―――彼女達はまだ戦う事を望む。
 後悔を積み上げ、経験を積み上げ、そして生きて帰ることを望む。自分達が『喰った』彼等の命を無駄にしない為にも、ここで得られるものを全て得て、磨けるものを磨いて、次の戦場で同じことを繰り返さぬよう―――生き残る。
 そしていつか衛士の流儀に従って、誇らしく語るのだ。自分達が今ここで存在できるのは、第195中隊の挺身があってこそだと。
 彼女達は、既に生き残ったその先のことを考えている。ただの死にたがりであるために戦いを望んではいない。生きる覚悟を、生き残る覚悟を決めた上で―――戦いを望んだ。
 白銀と同じだ、と神宮司は思う。
 後悔をしても悲しむのを後回しにし、前に進む。
 後悔に縛られ。
 後悔を縛り付け。
 そして後悔と共に征く。

(まさに、中尉の子供達ね………)

 苦笑して、神宮司は正面を見据える。
 状況は少しずつではあるが好転してきた。追加で現れたBETAも、後方からの多重砲撃によってかなりの数を削られ、そこで残存したBETAも一大隊の戦力投入で随分楽になった。今は戦線を押し返している最中で、もう少しで第195中隊と別れたポイントへと押し戻しそうだ。
 207B分隊が担当しているのは大隊の中衛にあたる。これは第6大隊の隊長による指示で、敵のどのような行動にも即応出来る位置に配置することによって、訓練兵の心を落ち着けようという配慮だった。だが、それも必要ないかもしれないと神宮司は思う。
 もう、彼女達は落ち着いている。
 第195中隊の最期がどれほど深く心に突き刺さっていようとも、歯を食いしばって前を向く事を忘れていない。かくあることこそが、彼等の挺身に報いることだと、きちんと理解している。
 だから―――。

(あの子達は、もう大丈夫………)

 ならば、後は生き残るのみ。
 そして神宮司は敵をロックし―――。

『跳べぇっ!彩峰ぇえぇええぇっ!!』

 戦場の風を切り裂くような、榊の叫びを聞いた―――。






 時間はほんの数十秒だけ遡る。
 鎧衣美琴は後悔の中にいた。思うのは、第195中隊の最期だ。

(まただ………また、ボクは………!)

 あの一瞬。
 BETAが地下から侵攻してくるあの瞬間、鎧衣は事前にそれを察知していた。探知による精査はしていなかった。ただ、来るかもしれないという、漠然とした勘―――そう、あくまで勘でしか無い。だが、その勘がいざという時に最も頼りになるのだというのにも関わらず―――確信がなかったために、鎧衣は見送った。
 その結果がこれだ。

(あの時もそうだ………!)

 数日前の実機演習。ベテランが何かを仕掛けているかもしれないという粘っこい危険予測があったのにも関わらず、一回戦目の快勝に気を良くして見逃した。
 ―――今回も同じだ。
 『死の八分』を超えたという達成感があって、何処か楽観があった。自分達は戦える。だから大丈夫だと、根拠のない安心感があった。彼奴等は、そんな自信など粉々に吹き飛ばすというのに。
 ほんの少し、ほんの一言でも良い。もしも、もしもあの時に注意を促せていたらならば―――こんな事にはならなかったのではないだろうか。そんな愚にもつかない妄想が、先程から彼女の脳裏にこびり付いて剥がれない。

(分かってる………半人前のボク達がいたって、大して力にならないってことは………!けど………!!)

 護りたい場所があって、護りたい人達がいて―――例え現実を知らない訓練兵であったとしても、その力の一端を担うことができた。だから、自分達は戦えるのだと思った。だが結果は逆で―――自分達は、彼等に護られた。

(タケル………ボクは悔しいよ………)

 きっと、207B分隊の誰もがそう思っているだろう。そして、この思いは皆が―――衛士だけではなく、戦場に立つ全ての者が抱えている感情だ。それこそ、あの白銀だって抱えた感情だろう。そしてそれを乗り越えたからこそ、彼は強くなれたのだ。
 ならば、自分も―――自分達もそうならねばならない。
 彼等の事を忘れない為に。
 彼等の事を語り継ぐ為に。
 では、自分の出来る事とはなんだろうか。
 自分の役割とはなんだろうか。

(ボクは、ボクの役割は―――感覚だ)

 207B分隊を身体に例えるならば、鎧衣は五感だ。分隊の脳である榊に情報を伝える為の、最初の情報発信源。であるならば、鋭く、繊細に、この雑多な戦場の中で誰よりも疾く状況を本能で理解しなければならない。
 ―――そう、定めた時だった。
 ちり、と首筋に違和感。
 鎧衣はそれが何だか知っている。
 何が起こっているのかは分からない。
 だが本能が、それを回避せよと訴える。

「―――千鶴さん!10時方向!!」

 だから鎧衣は叫ぶ。
 もう二度、過ちを踏まぬために。
 そして―――最上の未来へ至る光明を、彼女は見つけた。






 榊千鶴は鎧衣の声を聞く。
 直ぐ様10時方向に視線を向け、何が起こっているか把握する。

(これは―――!)

 視線の先、BETAの谷が出来ていた。まるでそこだけ存在を消し去ったかのように、BETAが左右に分かれ、谷の終着に―――緑の壁があった。
 ―――光線級。
 状況を理解する。
 光線級がレーザーを放つ為に、他のBETA群が射線を確保すべく道を譲ったのだ。そしてその射線の先には―――第6大隊の中衛がいる。しかも、運の悪いことにあの数を以てすれば殆どが撃墜可能だ。

(どうする………!?)

 思考が高速化するのを榊は感じた。まるで全ての情景がコマ送り再生でもしているような感覚だ。
 最早迷っている時間はない。今ここで第6大隊に乱数回避を促せば、自分達を含め半数は生き残るかもしれない。
 ―――しかし、それでいいのだろうか。

(その選択を―――私が出来るのっ………!?)

 生き残る為に、何かを切り捨てる。
 分隊長になった時から―――いや、軍人になった時から、ある程度の覚悟はしていた。大事な何かを護るために、時として別の何かを切り捨てなければならないことは理解していた。例えそれが、後に遺恨を残す結果となろうと、誰かがやらなくてはならないことならば手を下すのは自分の役割だと。
 今―――選択の時が来ている。
 誰が切り捨てられることになるかは分からないが、ただ乱数回避と叫ぶだけで―――きっと何人かは救われる。反面、残りは光線級の餌食になるだろう。よしんば生き残ったとしても、機体に損傷はしているだろうから、どこまで戦えるか分からない。ある意味で、もっと過酷な地獄を見ることになるかもしれない。レーザーで死んでいればと、悔やむような未来が待っているかもしれない。
 それを選ぶことが出来るのか。
 一部の人間だけが生き残る未来を、自分は選べるのか。
 自らを切り捨てることによって、207B分隊を生き長らえさせた第195中隊のような選択を取ることができるのか。
 ―――自問する。

(―――無理よ………!!)

 冗談じゃない、と榊は奥歯を噛み締める。
 何かを得るために、何かを犠牲にする。きっとそれが賢い大人の生き方なのだろう。今まで自分があろうとした、理想の軍人のあり方なのだろう。だが、今の榊はそんなモノを認める気にはなれなかった。
 これもきっと、あの中尉の影響なんだろうな、と苦笑する。同時に、軍人としては失格なのかもしれないな、と自嘲する。だがそうであったとしても―――。

(私は、諦めないわ………!!)

 生きる為の、生き残る為の覚悟は決めている。そして分隊長として―――生き残らせる覚悟も決めたのだ。
 あの時、自分は何もできなかった。
 ただ、第195中隊が食われていく様を、戦況表示図の光点が消えていく様を淡々と見ているだけだった。
 何も出来ないことが悔しかった。
 その力があるはずなのに、手を伸ばすことすら許されない自分が歯がゆかった。
 だから―――今度は。

(皆を、救うわよ………!)

 切り捨てるのではなく、全て抱えてこの苦難を飛び越える。その為の唯一の可能性を、榊は知っている。XM3が搭載されている207B分隊しか―――もっと正確に言うならば、『彼女』しか次に迫る危機を乗り越える手段を持っていないだろう。
 そして多分、『彼女』は待っているはずだ。
 自分が、分隊長として指示を下すのを。
 そしてこう言うに違いない。『榊はいつも一呼吸遅い』と。全く以て不愉快だが―――榊は知っている。『彼女』とは性格が合わないが、その能力は分隊の中でも最高レベルなのだと。
 だから叫ぶ。
 他人から見れば自殺行為である命令を。
 しかし自分達から見れば、最上の未来へと至る第一歩である命令を。

「跳べぇっ!彩峰ぇえぇええぇっ!!」






 そして彩峰は榊の声を聞いた。
 思うのは唯一つ。

(やっぱり、榊はいつも一呼吸遅い………!)

 言われるまでもなく、既に行動を起こそうとしている。この状況の中、危機を回避するための道を切り開くことが出来るのは、XM3を搭載した207B分隊の吹雪か、神宮司の撃震のみ。その中でも、『それ』が可能な程の精度を持っているのは、彩峰を置いて他にいない。

(でも、状況判断力はやっぱり優秀………!)

 自分の能力ではなく、他人の能力を正確に把握出来る人間は、榊のようなリーダーシップを持つ人間には、割と多い。だが、こうした突発的な場面でそれを素早く、そして的確に活かすための状況判断能力を持つ人間というのは、実の所一握りだ。
 何かと反発する仲ではあるが、その一点に関しては認めざるをえない。
 彩峰は10時方向―――モーゼの海割りよろしくBETAが分かたれたその先に、二つ目の化物を見据える。光線級―――数は24体。そしてそれを護るようにして要塞級が3体。
 既に、榊の中ではこの状況を乗り切る策が組みあがっているはずだ。でなければ、自分に跳べなどという指示を出せるはずがない。だから、彩峰は後のことは仲間に任せる。
 今自分がすべきことは―――。

(全ての光線級を引き付けること………!!)

 そして彩峰は吹雪を跳躍させた。高めの放物線を描くように、そして、光線級の方へと向かうように。
 自殺行為だと誰もが思うだろう。
 光線級のレーザー照準能力は極めて高い。この照準能力には優先順位があり、基本的にミサイルなどの空間飛翔体を最優先で撃墜する。つまり、今第6大隊を狙っていた光線級の全ては、空高く上がった彩峰の機体を再捕捉することになる。都合24条の光の槍が彼女を狙うことになるのだ。そして、光線級の追尾性能はマッハ7~8に達する極超音速の軌道爆撃に対してさえ有効で、一度認識されれば全長1m未満の小型弾でも撃墜してしまう。
 故に、光線級のレーザーを避けることは物理的に不可能であり、戦術機に塗られた蒸散塗膜加工が比較的小出力の照準用初期照射を抑えている間に照射源を叩くことが最良とされている。
 しかしながら、ここに一つの落とし穴がある。

(近距離なら―――避けられる!)

 レーザーも一つの射撃武器である以上、どうしても射角というものが存在する。つまり、光線級の正面に備え付けられた目玉からしかレーザーは発射できず、その調整には身体を動かすことが必要とされ、そしてそれには若干の時間を要するのである。
 先述した軌道爆撃などは、距離が離れているため相手がどれほど機敏に動いたとしても、僅かな調整で再捕捉が出来る。しかし、対象との距離が近すぎれば―――再捕捉には時間がかかり、場合によっては回避不可能のレーザーが『外れる』。これにはキャンセル必須であるが、状況次第ではノーマルOSでも可能だろう。
 これを教えた白銀自身も、『前の世界』での甲21号作戦中、光線級の不意打ちを食らったが乱数回避で初期照射を、マニュアルで本照射を切り抜けている。
 理論上、数百メートル圏内ならば、700km以上の水平移動で照射回避が可能なのだ。尤も、吹雪には700kmも推進速度は出せないが―――しかしそれをカヴァーし、任意でレーザーを『外す』ための技がある。XM3にコンボがあってよかったと本気で思う。そして今までレーザー照射地帯での回避訓練をきちんとやってきてよかったと本気で思う。
 207B分隊の中で、白銀の変則機動に最もついて行けるのは自分だ。そしてその変則機動を最も習熟しているのも自分だ。だから、此の場を切り抜けるためには、自分の力が絶対に必要なのだ。
 そう信じる。
 いつまでも、護られてばかりの自分ではないと、先に逝った第195中隊の面々に誇るためにも。
 今はただ―――自分の力と、仲間を信じよう。

「白銀直伝の………!」

 跳躍後、彩峰は失速域機動状態に持って行き、機体を倒立させる。網膜投影の中、照射警報が鳴るが無視。
 蒸散塗膜で3秒ならば耐えられる。
 そして3秒あれば大丈夫だ。
 全ての行動をキャンセル。宙ぶらりん状態にしてからの―――。

「―――稲妻落としっ!!」

 叫ぶと同時、跳躍ユニットを吹かす。同時に、では無く二つある跳躍ユニットをキャンセルを用いつつ『交互』に、だ。
 結果どうなるか。
 それこそ稲妻が落ちるが如く、左右にブレながら吹雪は地面に向かって落下するのだ。
 途中、ボン、という音と振動が機体を揺らし、網膜投影の機体ステータスチェックを見やれば右主脚部が赤くなった。回避しきれずに被弾したようだが、跳躍ユニットはまだ生きている。
 ならば大丈夫だ。

(余裕………!)

 視界の端を抜けてく幾条もの光の槍には目もくれず、彼女は口の端を三日月に釣り上げる。この程度の被害は想定内だ。幾らでもフォローは効くし―――あの分隊長が絶対に効かせる。
 だから―――全てのレーザーを避けきってBETA群のど真ん中に降り立った彩峰は叫ぶ。自分が稼いだ僅か12秒。これを有効に活用できる仲間に向かって。

「珠瀬………!」

 そして、最上の未来へ至る道を歩いた彼女は願う。ゴールへと手を伸ばせる彼女が、自らの殻を破って突き抜けるのを。






『鎧衣、御剣!―――珠瀬!!』

 彩峰が飛んだ直後、榊から指示とも言えぬ指示が飛んだ。だが、今の自分達にはそれで十分だった。
 彼が来て三週間近く。あっという間に過ぎ去っていく日々の中、自分達は確かに絆を深めていった。だから分かる。
 鎧衣と指示を飛ばした榊は稲妻のように落下してレーザーを避けていく彩峰のフォローを。
 御剣は彩峰の回収率を高めるための陽動を。
 そして自分は―――。

(光線級の撃破………!)

 支援突撃砲を構え、珠瀬は集中力を高める。敵は都合24体。支援突撃砲の連射速度では、12秒のインターバルの間に24体を仕留めることは不可能だ。更に、この距離では突撃砲の36mmでは届かせることは可能だが、正確な射撃は難しいだろう。
 だが案はある。だから珠瀬は待つ。始まりの合図を。
 そして―――。

『珠瀬………!』

 時は来た。彩峰の呼びかけを合図に、珠瀬は跳ぶ。より正確な射撃を行う為には、地上よりも上空のほうが勝手が良い。彩峰の働きによって僅かだが制空権の戻ったその空間に機体を滑りこませ、珠瀬は思う。

(―――怖いな………)

 彼女は思う。
 ここ一番という瞬間は、何時だって怖いと。自分があがり症なのは、最早確認するまでもなく分かっている。彼が来てから、それは少しずつ改善されてきているが、だからといって完全に克服したわけではないのだ。
 ここで自分が失敗したら、皆がどうなるだろうか。
 そう考えただけで、怖くて逃げ出しそうになる。

(でも………!)

 そんなのは、みんな一緒だ。207B分隊だけではない。第6大隊だって、第195中隊だって、あの白銀であっても恐怖と不安を抱えている。それに押し潰されないように、何時だって足掻いている。
 臆病であっても、前へ進めるように。
 だから―――。

(壬姫がやらなきゃ………!)

 光線級をロックする。狙うのは端の方から。12秒と言う極端に短い時間の中で全て排除するには、おそらくコレしか無い。そして跳躍のために既に数秒使っている。
 本当に、時間がない。

「壬姫の狙撃は………」

 日本一。―――そんなモノでは足りない。
 極東一。―――そんなモノでは足りない。
 だから、過剰でも良い。
 今は、持てる最大の自信を―――この腕に掲げよう。
 そして今こそ、自分の不安とコンプレックスで出来た殻を突き破るのだ。

「―――世界一なんだからっ!!」

 トリガを爪弾く。
 それも単発ではない。連発だ。引くと同時に次のロックへ。勘で射角調整を加えて自動補正も掛けずに次々と連射していく。
 乱射―――。
 何も知らない人間ならば、そう見えただろう。だが、では何故ただの乱射で光線級が次々と肉塊へと変わっていくのか。
 決まっている。これは乱射ではなく、高速狙撃なのだ。
 珠瀬壬姫という少女が積みあげてきた、本人ですら気づいていない桁外れの努力。それも、コンプレックスが生んだ努力だ。その努力が実を結び、一人の人間が行える狙撃の限界性能を極限にまで引き上げる。
 ほんの僅か―――それこそ、ほんのコンマ一ミリずれれば外れてしまうような調整を、ほぼ一瞬―――それも機械に頼らず自らの感覚のみで行い、同じく感覚のみのタイミングでトリガを爪弾く。
 まるで精密機械のような繊細な狙撃を8発―――全弾命中させ、光線級を残り16体へと減らす。だが、もう時間が無い。残り時間は既に4秒を切っている。残り16体を4秒で仕留めることは物理的に不可能だ。
 ―――支援突撃砲では。

「―――ごめんね」

 珠瀬は誰ともなく謝罪の言葉を口にし、担架を起動させ左の主腕で突撃砲を構える。それは、普段彼女が得意としている砲撃支援装備には無いもの。
 ―――120mm。
 しかも、小型種掃討用に装填していたキャニスター弾。

「今日の壬姫の装備は―――打撃支援なんだ」

 高速狙撃によって光線級の一団、その端の方は削った。残っているのは中央―――即ち、『固まって』いる光線級のみ。
 キャニスター弾ならば、纏めて全てを吹き飛ばす。
 だから―――。

「いっけぇっ!!」

 そして珠瀬は最上の未来へと手を伸ばした。






 御剣は見る。
 レーザーを放つ為に空けられたBETAの谷を噴射滑走しつつ、自らの上空をキャニスター弾が通り抜けるのを。光線級がインターバルを終え、迎撃するよりも速くそれは散逸し、雨のように光線級へと降り注ぐ。
 しかしそれは雨のように優しくはない。雨粒のように弾かれること無く、一瞬にして全ての光線級を肉塊へと変貌させる。まさに一掃という言葉がふさわしい。

(流石だ………!!)

 御剣は胸中で珠瀬を褒め、機体を跳躍させる。
 自分の役目は、損傷した彩峰機の回収率を高める為にBETAの注意を逸らすこと。それを可能とする為に、自分の最も得意とする分野で勝負を掛ける。
 それは―――。

(要塞級を狩ること………!)

 白銀曰く、BETAの危機識別認識の順位付け条件には幾つかあるが、基本的にはより脅威度の高い兵器を優先的に破壊する。そして、その脅威度を引き上げるためには、より多くのBETAを倒すか―――大物を狙うかの二つの方法がある。だが、単機では多くのBETAを倒すのには時間が掛り過ぎる。故に大物―――即ち、要塞級を狩ることによって瞬発的、強制的に自機の危険度を引き上げるのだ。
 そして、ここ数日の訓練で身につけた、自分が最も得意とする技が―――要塞級の首狩りだ。
 御剣は長刀を抜き放つと、水平移動。3体の要塞級の側面に回りこむ。正面からでは衝角による攻撃を躱さねばならないし、一撃必殺である首刈りは難しい。だから、側面から狙うのが最も容易だ。
 しかし、事はなかなかうまく運ばない。
 瞬間的に警告音が鳴ったのだ。レーザー照射の警告だ。だが、不思議なことがそこで起こる。
 網膜投影にレーザー照射警告が一瞬だけ点って―――消えたのである。

「なにっ………!?」

 絶句し、一体何があったと疑問の声が沸く。だから周囲を探る。御剣から見て3時方向―――ここより、後方だ。視界の隅に息を呑む光景があった。
 崩折れた要塞級。その頭部に、長刀を突き刺したままの撃震がいる。その撃震の管制ユニットが融解していることから、どうやらその要塞級の足元にいた光線級に撃墜されたのだろう。
 目を見張ったのはその状況―――そして肩部だ。
 撃墜され、既に物言わぬガラクタと成り果てたその撃震に、如何なる力が働いたのかは分からない。だが―――何故か、左主腕の下腕部分が落下し、足元にいたであろう光線級を押し潰したのである。
 そして―――その肩部には、隊長機のエンブレムがあった。ここで戦闘が起こり、そして隊長機に搭乗していた人物など、御剣は一人しか知らない。

(宮本大尉………!?)

 それは、ただの偶然か―――それとも、死して尚契約を果たそうとした英霊のなせる業だったのだろうか。御剣には分からない。だが、高速化した思考の中、一つの言葉を聞いた気がした。



 ―――征けよ、若者。



 奥歯を噛み締める。

(―――貴官に、最大級の感謝を………!)

 最早言葉は必要ない。ここには彼等がいる。彼等が見守ってくれている。ならばこそ、無様な姿を見せられるはずがない。
 長刀を肩に担ぐようにして、噴射滑走。
 そして彼女は叫ぶ。

「―――推して参る!」

 駄目押しの加速をぶち込み、御剣は更に速度に乗った。
 最初の一匹目の要塞級の顎の下を潜るように通り抜ける。その際、肩に担ぐように構えた長刀を振り切り、その速力を以て要塞級の頭部を断頭する。
 結果など見なくても分かる。
 だから既に御剣の視線は二匹目に移っていた。
 振り切った刃を返して下段、地摺り八双のまま加速。ただし、二匹目の足元へ来る前に接地―――そのまま跳躍する。当然、跳躍の際に長刀を振り上げるのを忘れない。二匹目の首を狩る。
 上空に躍り出た御剣は、機体を後方に倒して倒立させる。そしてもう一度肩に担ぐように構え―――。

「ぉおぉおおおおおおっ!!」

 全力降下噴射。
 まさしく隕石落としの如く落下してきた御剣機は、三匹目の首を斬り落としたのだった。






 旧魚沼市にて展開していた斯衛軍第2連隊は危機的な状況下にあった。本丸の一つ上の戦線展開部隊である彼等は、開戦当初から抜けてきた小型種の掃討だけを担っていた。これは別に尻込みしたわけではなく、前線が思った以上に優秀で小型種以外が抜けてこなかったためである。
 しかし、状況は一転する。
 地下からの強襲―――。
 その上、此処に至って数が5000の旅団規模による増援。
 当然、旧魚沼市の最終防衛線は即座に混乱状況に陥る。第2連隊に所属する衛士達も瑞鶴を操って必死に抗戦するが、味方のど真ん中に出現されたのが非常に痛い。まともな連携を取れないままに戦線自体が北南に分断されたのだ。
 だが、そんな乱戦を吹き飛ばすように―――嵐を纏った救世主が降臨する。

『国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉―――吶喊します!!』

 国連カラーの不知火が今、最後の戦場に舞い降りた。






 白銀はBETAの危険認識度が変わること無く、自機を優先していることを確認するとオープンチャンネルで叫んだ。

「ここは一度後退してください!一時的なら、オレだけでも奴等を引き受けれます!その間に戦線を立て直してください!!」
『しかし貴官は………!!』
「―――うるせぇっ!グダグダ言ってる暇があったらとっとと動け!!こっちは問答してる余裕なんかないんだ!!」
『りょ、了解した………!!』

 思わず怒鳴るが、事実である。
 あの砲撃による掃討の後、白銀は帝国軍の好意で旧津南町に展開した補給部隊で弾薬と推進剤の補給を受けた。その後、207B分隊に合流する予定だったが、本丸の目と鼻の先にBETAが地下から強襲してきたとあっては放ってはおけない。
 幸い、207B分隊の方は第6大隊がついていて、データリンク経由で彼女達の状態も多少なりとも知れた。第195中隊が全滅したことも―――結果的に、彼等の死が207B分隊の成長を促すことになったのも知った。

(ありがとうございます、宮本大尉………)

 今は、それだけの言葉を彼等に送る。感傷は後回しだ。今自分がすべきことは―――。

「―――精精暴れてやるさ………!!」

 そして闘神は征く。
 5000ものBETA群の真っ只中に飛び込んで尚、猛禽を彷彿とさせる笑みを浮かべたまま。






 一方、三神と沙霧率いる第3中隊は旧上越市に展開した補給部隊による弾薬と推進剤の補給を受けていた。そんな中、三神は言葉を発する。

「―――何か空気が妙に硬いので、ギャグを言ってもいいかね?沙霧大尉」
『―――どうして補給中に騒々しくする必要があるのですか?三神少佐』
「粛々と補給を受けてるとどうも葬式の参列を彷彿とさせるだろう?それでは空気が暗くなる。皆のテンションが下がる。そこで私がギャグを言う。そして君は今は少なくなって久しい関西人ばりのコテコテの突っ込みを入れる。こう………戦術機の主腕を使ってスナップ効かせて―――なんでやねん、と」

 どうかね?と尋ねる三神に網膜投影に映った沙霧は一つ頷いて。

『控えめに言いますが、貴官―――頭は大丈夫か?』
「落ち着きたまえ沙霧大尉。それは控えめではなく率直というのだよ沙霧大尉。そしていいかね沙霧大尉。君は中隊長だ。この隊を率いる者だ。故に、部下達の身体状況や精神状況は逐一把握しておかねばならない。身体状況は強化装備のバイタルデータでなんとかなるかもしれないが、精神状況はどうにもならない。だから、ここで漫才を行うことによって皆のテンションをアッパーに入れておくのだ。―――いつでも戦闘が起こってもいいように」

 捲し立てるように屁理屈を並び立てると、沙霧はやおら何かを考えるように腕を組んで瞑目。そしてややあってから不知火の右主腕を動かし、突っ込み準備をする。

『―――了解した。では三神少佐。何かしら冗句を………』
「む。戦況に変化があったようだ。―――どうしたのかね沙霧大尉?まるでボケ待ちの突っ込み芸人のようだが」
『いえ、何でもありません………』

 何処か憔悴した表情の沙霧と、それを励ますように声を掛ける第3中隊の面々。『大尉!頑張ってください!』とか『負けないで!』とか『今度自分がボケますから!!』とか何故か心温まる激励の言葉が彼に掛けられているが何であろうか。

(流石はクーデター部隊の中核………理由はわからないが統率はしっかり取れているようだ)

 感心感心としたり顔で三神は頷くと、戦況表示図に視線をやる。
 動いたのは本丸の北の旧魚沼市。そこに展開していた最終防衛線のど真ん中にBETAが地中から湧いて出た。その影響で防衛戦が北南に分かたれている。それだけでも最悪なのに、もう一つ最悪な状況がそこにあった。

(―――武っ!?)

 20700―――即ち、白銀武の駆る不知火が湧いてでたBETA群の中で小刻みに動いている。考えうる状況は一つ。崩壊した戦線を立て直す時間を、白銀が単機で稼いでいるのだ。だがしかし、上下無作為に分断されてしまっている以上、再編成には時間が掛かる。この間にも、BETA群の包囲網は完成していき―――やがては跳躍して抜け出ることも不可能な魑魅魍魎の檻が完成することだろう。
 その前に抜け出す必要があるが―――。

(帝国軍はどう動く………!?)

 悠陽がいる以上、最大限の便宜は図ってくれるだろう。だが、それにも限界がある。彼女や斑鳩などは白銀の正体を知っている以上、極力助けようと動くだろうが―――事情を知らぬ帝国軍に取っては、白銀は国連軍の一衛士でしかない。そんな末端の人間を助けるために、軍を動かしたりはしない。一人を助けるために、どれほどの犠牲が生まれるのか分からないのだから。
 そしてどうせ犠牲が生まれるのならば、彼が死んで、後顧の憂いが無くなったところで残存BETA群を包囲殲滅すればいいのだ。そちらの方が結果的に安くつく。
 そして悠陽達が説得して時間を掛ければ掛けるほど状況は不利になり、最終的には白銀を見捨てるという選択肢しかなくなる。

(となると―――残る手は………)

 三神は思考を巡らせる。
 やるとするならば、必要なのはネゴシエーションではなくアジテーション―――即ち、煽動だ。決まればおそらくなし崩し的に全てが動き出す。決まらなければ、三神一人で白銀を救出するしかなくなる。しかしながら如何に尋常ではない経験を積んだ三神といえど、所詮は凡人だ。5000ものBETA群の中に吶喊し、白銀に辿り着くだけならばまだしも、無事に救出して脱出できるとは思えない。
 だが―――。

(―――うだうだと躊躇っている暇はないな………!)

 こうしている間にも包囲網は完成へと近付いている。幸いにして、たった今、補給が終わったようだ。機体に張り付いていた整備兵達が離れていく。
 だから三神は直ぐ様機体を跳躍させた。

『少佐!?どちらへっ!?』

 驚きの声を上げる沙霧に、三神はいつものシニカルな笑みを浮かべた。

「何、少しばかり―――恩師の魂を継ぐ者を救いに、な」






 本丸にて紫の武御雷に乗り込んでいる煌武院悠陽は、ままならぬ状況に歯がゆさを感じていた。

(このままでは―――白銀がっ………!)

 戦況表示図の中、彼は旅団規模のBETA群に囲まれて、たった一人で足掻いている。それに対し、悠陽は何もすることが出来ない。いや、何をするにしても一手足りないのだ。斯衛軍を動かすためには戦線を立て直さねばならない。帝国軍を動かすためには、白銀一人を救うことにメリットがあるのだと提示しなければならない。
 だが、斯衛軍は現在立て直しの最中で動けず、白銀の持つ未来情報は下手に外部に漏らせないし、よしんば漏らしたとしても常識では信じがたい。
 事実、悠陽達ですら実際にBETAが侵攻してくるまでは半信半疑だったのだから、事情を知らぬ他の者に至っては何をいわんやだろう。

(後一手………!後一手何かあれば―――!)

 必要なのは切っ掛けだ。それさえあれば、後は自分でも動かしていける。
 後一手―――能動に至る何かがあれば。

(誰か―――!)

 そして―――悠陽が願ったその直後。それに応えるように、『彼』は全周波数でこの戦域にいる全ての者に呼びかけた。



『―――諸君!聞こえているかね!?』



 何もかもを動かしていく為の最初の一手を打つべく―――道化を演じる古き狼が、最後の戦場へと遂に来たる。
 全ては―――かつての恩師を救うが為に。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十七章 ~集結の恩義~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/03/19 11:10
 集えと―――世界を震わせる、始まりの声が響き渡る。

『―――諸君!聞こえているかね!?』

 狼が吼える。
 聞こえているかと。
 全周波数で流れる他の情報を押しのけて、全ての者に自分の声が届いているのかと。

『私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ!―――聞こえているかね諸君!!』

 それは遠吠えだ。
 集わせる為の。
 伝播させる為の。

『いろいろ忙しいと思うが敢えて問うぞ諸君!―――諸君は何人かねっ!?』

 それは起点となるべき遠吠え。
 何もかもを動かしていく為の、最初にして最後の一手。

『私や―――そこで大暴れしている白銀武中尉は日本人だ!諸君と同じ、義理堅きジャパニーズだよ!』

 狼が叫ぶ。
 自分や、彼も同じなのだと。

『もはや愚問だとは思うが更に問いかけるぞ諸君!―――日本人とはどんな民族かねっ!?』

 所属や、寄って立つところが違ったとしても―――根幹は同じなのだと。

『答えは単純だ!我々日本人は閉鎖的な農耕民族!身内に甘くて他人に辛い!そんな排他的な我々が他人を身内と認めるのに必要なものとは何か分かるかねっ!?』

 そして問う。
 自分の答えは、もうずっと昔に出ている。

『恩義だよ!恩と義理を以てこそ、我々は仁義を胸に掲げる!!』

 それだけを胸に、自分は生きてきたのだから。

『私には、ある人に返さねばならぬ恩義がある!この命を以てしても返すことが出来ぬ恩義が!だがその人は、遠く昔に逝ってしまった!しかし―――そこで大暴れしている中尉がその人の魂を受け継いでいるのだ!!』

 忘れてはならない。
 今の自分があるのは、自分の基礎を作ってくれたあの人が―――白銀『大佐』があってこそだということを。

『ならば私は、それがただの自己満足であったとしても、今こそ恩義を―――その一端をここで果たそう!!』

 全て返済しきれるかは分からない。
 ならばせめて―――自分が消え行くその瞬間までは返済し続けよう。

『諸君はどうかねっ!?今日、この戦場で―――誰かの世話にならなかったかねっ!?恩を感じた場面には出くわさなかったかねっ!?―――胸に手を当てて考えてみろよ義理堅き日本人っ!!』

 だから、皆よ―――さぁ吠えろ。

『そして最初の問いに戻るぞ諸君!―――諸君は、何人かねっ!?』

 見て見ぬ振りをせずに。

『答えはいらない!言葉は不要だよ諸君!これより必要なのは、万感粉飾された小奇麗な言葉ではない!恩を以て義で応える万夫不当の行動力のみだっ!!』

 立ち止まることもせずに。

『そして私は凡人だ!私は凡人なんだよ諸君!だからどう頑張っても彼の元に辿り着く程度の力しか無い!あそこから彼を救い出すには、まだ他に力が必要だっ!!』

 集い、走り出せ。

『それでも私は征くぞ諸君!だからもしも―――もしも、諸君の中に、彼に救われたという者がいたならば、そして自らは義理堅き日本人だと叫ぶ者がいたのならば、言葉より行動で示してくれっ!!』

 そしてどうか、願わくは―――。



『どうか彼に帰路をっ!―――彼が生きて帰る為の道を付けてくれっ………!!』



 ―――誰も彼もが、何もかもを諦めぬように。







 来た、と悠陽は思う。
 悠陽にして最初の、三神にして最後の一手―――能動に至る切っ掛けが。

「聞こえていますか?我が家族達よ―――」

 狼の遠吠えに、皆が戸惑う中―――悠陽はゆっくりと皆に話しかける。

「私は、これ以上の命を出しません。皆が皆―――己の答えを出して、そして行動しなさい」

 言葉を紡ぎ、彼女は武御雷を操作する。

「私は既に答えを出しています。ですが、それを皆に強要するつもりはありませんし、また私の答えに従う必要もありません」

 担架から抜き放つのは長刀。

「己の信ずる道を征きなさい我が家族達。今の三神少佐がそうであるように日本人として義に生きるか、それとも閉鎖的で排他的な農耕民族であるべきか」

 将軍家は、万民の先頭に立たねばらない。

「誰がどの様な選択をしようとも私は責めるつもりはありません。その権利を持ち得ません。ですが―――」

 皆が迷っているのならば、先頭に立ち、我が身を以て道を切り開くのが正しき将軍のあり方。

「もしも―――もしも、どちらか決めかねているのならば、せめて今日を思い出して欲しいのです。今この局面に到るまで―――彼等国連軍がどれほどの戦果を上げ、それによって幾人の同胞が救われたのかを」

 足踏みしている時間はない。

「そしてその選択をした者達は、自らの選択を誇ってください。今から自分は、恩義を果たしに行くのだと。彼が帰る為の道を築くのだと」

 そして最早、自分を止められるものなどいない。
 止めようとしても、それを振り切ろう。
 この終局へと至る状況下で―――能動をもたらす行動が出来るのは、それを波及できるのは自分を於いて他にいないのだから。

「いいですか?私は今から一つの宣言をします。ここからの私の行動は、この宣言に基づくものだと思いなさい。そしてこれはこの戦闘が終わるまで覆されることはありません。故に―――心して聞きなさい」

 だからこそ―――彼女は告げる。



「日本帝国政威大将軍改め、『日本人』煌武院悠陽―――参りますっ………!」



 そして、紫の武御雷は飛翔した。






 たった二人の言葉。
 時間にすれば、ほんの数分の出来事。
 この騒がしき戦場の中で―――一体どれほどの同胞がそれを聞いたのかは不明だ。だが静かに、そして驚くべき速度で彼等の言葉は皆に浸透、波及していく。まるで、静かな水面に小石を落としたように。
 一人の佐官が撃鉄を起こし、一人の将軍が引き金を引いた。
 突き詰めれば、ただそれだけのこと。
 ただそれだけのことで―――しかし全てが動き出す。
 そして今こそ―――最終劇の幕が開いた。






 旧小千谷市の南端に、斯衛軍第16大隊は展開していた。粗方片付いた戦場の中で、大隊長である斑鳩は、二人の言葉を聞き、あることを思い出していた。
 先代の斑鳩―――斑鳩昴の祖父のことである。
 豪放にして磊落。天衣にして無縫。他にも、傾奇者とか虚け者とか、あまり名誉を感じない二つ名を影で叩かれながらも、だからどうしたといつも呵々大笑していたあの祖父は、8年程前病魔に蝕まれて逝った。
 その最期を看取り、そして遺言とも言える戒めを―――何故か今、思い出していたのだ。その言葉に従って、自分を省みてみれば―――。

「俺、つまんねー大人になってたのかな………」
『少佐………?』

 ぽつり、と呟いた言葉に応える声があった。
 月詠真耶―――紅の武御雷を駆る、この第16大隊の副隊長で、今は国連軍に出向している月詠真那の従姉妹だ。斑鳩にとっては、3年前の初陣の時から共に轡を並べ続けている良き右腕である。
 網膜投影に映った訝しげな表情をした彼女を見て、斑鳩は苦笑を浮かべてこう述懐した。

「なんかさ、アイツの言葉聞いてたら爺さん思い出したわ。で、今の今まですっかり忘れてた遺言も一緒に思い出したんだよ」
『遺言、ですか?』

 月詠の問いかけに、斑鳩はああ、と頷いた。
 あれは8年前。五摂家といえども一通りの軍事教育が必要で、それを超えてようやく一端の軍人と言えるようになった時だった。突然、実家から祖父危篤の知らせがあり慌てて戻ってみると、床に伏した祖父が青い顔のまま彼に向かってこう言ったのだ。

「『世の中には二種類の大人がいる。カッコイイ奴とカッコ悪い奴だ。それは転じて、面白い大人とつまんねー大人に分けられる。こんなカビ臭いだけの家に生まれた以上、ほっとけばつまんねー大人になるだろうが、諦めないで足掻いてみろ。足掻いて面白い大人になれ。そうすりゃぁこんな家に縛られていたって―――世の中は面白くしていける』ってな」
『それは………なんというか………』

 極端な論法に月詠は言葉を濁すが、斑鳩は気を悪くした様子もなく軽く首を横に振った。

「ああ言葉選ばなくていいぞ?俺がこんな口調してるのもあの色々ぶっ飛んだ爺さんの影響だし、端からみたら奇人変人もいいところだったからなあのジジィ。―――五摂家オーラで何も言わせなかったが」

 尤も、あの祖父はそうした扱いを望んでいた節があると斑鳩は今にして思う。型に嵌められるのを何よりも嫌っていたし、自由を好むという―――少し子供っぽいとも言える部分が多々あった。

「でさ、ちょっと自分を省みてみたんだが―――何というか、つまんねー大人だよなぁ俺も」

 その祖父が逝去し、当主の座は斑鳩が継いだ。彼の両親は彼が幼い頃に他界しているので、当然の成り行きだった。
 しかし実際に斑鳩が当主の座を継いでから、何処か気負っていた部分があったかもしれない。五摂家斑鳩として、余所から軽く見られないように努力をしてきた。だがその努力の方向性は―――果たして正しかったのか。彼には分からなかった。
 だが、あの祖父の言葉を是とするならば―――間違っているのではないのだろうかと、今更になってそう思い始めたのだ。

「五摂家で威厳が必要だからって堅っ苦しい口調で厳しく喋って、それらしく振舞って、偉そうにしてて、見栄を張っててさ。その癖、ガキ出来たぐらいで色々悩むんだぜ?―――ほらみろ、つまんねー大人だ。カッコ悪い奴だ。気付かん内に、とんだクズになってやがる」
『そんな事は………!』

 何処か自嘲気味に言葉を紡ぐ彼に、月詠は否定しようとするが―――斑鳩はそれは違うと言った。それを決めるのは、他人ではなく自分だと。

「他人の評価は知らねーよ。いや、いらねーんだよ月詠。少なくとも俺はそう思うんだ。―――だがさぁ、気づいた以上、変えていかないとな。男か女か分からんが、次の『斑鳩』が生まれて、育って、物心ついた時に―――俺はカッコイイ大人だって胸張れるように」

 生まれてくる子供が、どんな道を歩んでいくのか―――親にすらなっていない今の斑鳩には分からない。だが、その子を導くのならば、せめて誇れる自分でありたいと強く思う。自分自身に失望しない自分でありたいと願う。
 だから―――。

「だから俺は征くぜ月詠。誰でもなく、俺自身が俺に命じる。―――あいつ等救って、カッコイイ奴になれってな」

 今は一歩、強く踏み出そう。
 これからの自分を始めていく為に。

『―――御伴を』

 月詠の言葉に視線をよこせば、背後には大隊所属の機体が全て集っていた。彼女との会話を聞いていたのだろう。誰もが無言で―――着いて行くと物語っていた。

「強制しないぜ?」
『御存知ありませんか?―――カッコイイ少佐に仕える我々は、カッコイイ部下で御座いますれば』
「そいつはシビれる返答だ」

 斑鳩は苦笑する。こいつらも自分と同じで大概馬鹿だと。だがその馬鹿の一念は道理すら覆すだろう。
 恐れずに。
 武家に生まれた自分を誇り。
 ただただ、今は自分が掲げる信念を胸に。

「―――じゃぁ征くぜ手前ぇ等!一丁カッコよくあの二人を救いによぉっ!!」
『―――御意っ!!』

 そして、斯衛軍第16大隊―――都合36機の武御雷は、最後の戦場へと飛び立つ。






『―――で?どうすんの?』
『決まってるでしょ。―――行くわよ』

 旧魚沼市北西部で態勢を立てなおしていた斯衛軍第2連隊所属の女衛士二人は、瑞鶴の管制ユニットの中で己が心境を語っていた。戦況表示図を見れば、本丸から一機を先頭に続々と味方機が続いて旅団規模のBETA群へと迫っている。
 先程の演説を鑑みるに、先頭はまず間違い無く政威大将軍―――いや、『日本人』煌武院悠陽。まさか本当に先頭に立つとは思わなかったが、それならばそれで、彼女を護るのが斯衛の本懐。何も恐れることはない。
 しかしそれ以上に―――。

『あの時、あの中尉が来てくれなかったら、多分私達死んじゃってたからねぇ』

 5000ものBETAが地下から強襲を掛けてきた時、彼女達もあの場に居合わせた。強襲というだけあって敵の行動は素早く、もしも後ほんの少しでも判断が遅れていたならば、飲み込まれて各個撃破されていてもおかしくはなかった。
 そしてそのほんの少しの時間を稼いだのは、紛れもなくあの国連軍の中尉である。言うならば、第2連隊は彼に救われたと言っても過言ではない。流石にどの機体も無傷―――損失なしとはいかなかったものの、それでもあの強襲を受けたにしては、軽度である。
 まだまだ―――十分に戦える。
 彼を救うことで、恩義を返せる。
 だから彼女達の腹は既に決まっていた。

『本当よ。―――この間、やっと彼をお父さんに紹介したばっかりなんだから、こんな所で死ねないわ』
『惚気?ヨユーねぇ』
『余裕なんか無いわよ。―――どうやってお父さん説得しようか今から頭痛いもの』
『あー………そう言えば、火炙りにされそうになったって?彼』
『ええ。しかもあの父親、超笑顔でバーベキューセット持ってくるの。決め台詞は「最高に灰な気分を味あわせてやろう」』
『色々アレなお父さんだよねぇ………』
『アレで参謀本部の長だって言うんだから世の中どうかしてるわ』

 二人は笑い合って、正面、敵が犇めく戦場を見る。
 直接的な命令は『まだ』無い。
 だが自分達は日本人だという自覚がある。
 そして日本人は―――義理堅いのだ。

『ま、それはともかく―――征くとしますか』
『ええ………!斯衛軍は恩知らずと思われるのも癪だしねっ!!』

 だから、受けた恩を返すべく―――二機の瑞鶴が最後の戦場へと向かう。






「一つ―――一つくだらない話を聞いてくれるかね?」

 本丸にある指揮車両。そこを臨時の帝国軍参謀本部として機能させていた参謀長は、おもむろに全回線で問い掛けた。

「実は先日。私の娘が男を家に連れてきたのだ。一人娘でね。目に入れても痛くないほど可愛がってきた娘が、ようやく伴侶となり得る男を連れてきたことに歓喜した私は、嬉しさのあまりその男を火炙りの刑に処すべく納戸のバーベキューセットを持ち出そうとしたのだが、何故か血相を変えた娘と妻に止められてしまってね。―――その理由が未だ分からないのだ」
「参謀長。―――それは性急過ぎたのだと思われます」
「成程、火刑は性急か。―――ではどうすれば良かったと思う?」

 参謀長の副官が無表情で意見し、今度は逆に参謀長に意見を求められる。だから副官は数秒思案し、一つ頷いてから口を開く。

「ここは一つ、どんな馬鹿でも人を裏切らなくなる帝国式矯正術が妥当かと。―――拳で騙る、という奴ですな」

 一瞬、その通信を聞いていた独身帝国軍人が総じて顔を青くした。―――約一名、今後降り掛かるであろう不幸に禁断症状を起こしかけている者もいたが。
 ともあれ、そんな様子を知るはずもなく、参謀長は感心したように何度か頷いて言葉を紡ぐ。

「ああ、その手があったか。次は考慮しよう。―――で、だ。その娘の話に戻すが、娘は衛士でね。衛士として贔屓目に見ても実に優秀な娘なのだよ。バカ親の自慢に過ぎないが、数年前にその腕を買われて斯衛軍に転属したのだ。そして今、あの娘が所属しているのは第2連隊なのだよ。―――さりげなく確認してみたが、あの娘はきちんと生き残ったようだ」

 一度言葉を切り、分かるかね?と問いかける。

「先程、国連軍の中尉に救われた娘の父親なのだよ私は。そしてそんな親馬鹿な私は、あの国連軍の中尉に恩義があるわけだ。故に―――その恩を返したいと思うのだ」

 それは我侭だと、言葉を口にした参謀長自身も思う。

「諸君には全く以て関係の無いことだと思う。そして私は私情で軍を動かそうとしている。いくら将軍殿下のお墨付きがあったとしても、正直に言って、軍人にあるまじき行為だ。場合が場合ならば、国家反逆罪で処罰されてもおかしくはないと思う」

 だが、ここで退くことは―――自らの信念に反すのではないかと思う。

「だが私は、こうも思うのだ。恩を受ける事は恥ではないと。恩を返せぬ事こそが恥なのだと。今、あの国連軍の少佐は、それを身を以て証明しようとしているのだと。そして気づいたよ。私は反逆罪に問われることよりも、恩を返せぬ恥の方が遥かに怖いのだと。故に、私は軍人ではなく―――一人の日本人として、一人の人間として、そして一人の父親として、娘を救ってくれたあの国連軍の中尉に報いたいと思うのだ」

 こう思う私はどうかね?と、問い掛ける参謀長に、副官が一歩前に出る。

「参謀長。―――参謀長は、一つだけ勘違いをしておられます。我々一同は上官と部下の関係であり、そして親子の関係であります。転じれば、参謀長の御息女は、我々の妹でもあるのです。故に―――家族が受けた恩を返すために立ち上がるのに、何の躊躇いがありましょうか」

 副官に宣言され、参謀長は周囲を見回す。指揮車両に詰めた皆はこちらを見つめ、一様に不敵な笑みを浮かべている。通信越しでは分からないが―――きっと、他の皆も同じ笑みを浮かべているのではないか、とそう思える。
 何故ならば、皆同じ日本人なのだから。

「―――私は、良い部下に恵まれたようだ」
「おや、今頃気づきましたか?」
「はははっ。歳は取りたくないものだ。―――色々と、大事なことを見落としてしまう」

 それを快く思った参謀長は、同じように不敵な笑みを浮かべ、姿勢を正して胸を張る。喉を鳴らし、肺に空気を取り入れ、そして力強く命じる。

「―――手が空いていて、私に賛同する者達に告ぐ!
 今こそ立ち上がりたまえ!
 銃を構えたまえ!
 剣を振り上げたまえ!
 恩義に報いるために一人敵地に身を投じた彼を援護し、敵中只中で死の演舞を奉じる我が恩人の帰路を築け!!
 我々が日本人であるために、与えられた恩をただ貪るだけの餓鬼でないことを証明してみせろっ!!
 そして諸君!私は今から無茶な命令をするぞ!?よぅく聞けっ!!」

 我が事ながら、無茶苦茶な命令だと思う。今の地位についてから今まで、これほどまでに無茶な命令をしたことはない。
 だがやれるはずだ。
 やってくれるはずだ。
 何故なら自分達は日の丸の元に集いし、義理堅き日本人なのだから。恩を返し、礼を言うまでが恩返しだ。故に、何としてでも彼等は生き残るだろう。
 だからこそ―――参謀長は最後の引き金を引いた。

「誰も死ぬな!そして彼等を死なせるなっ!!―――いいかっ!?」
『―――了解!!』

 そして―――己が民族の証明をするために、帝国軍が動き出す。






「さぁて、じゃぁ上のお墨付きも出たことだし―――ちょっくら征くとするかよ」
「でも、間に合うんでしょうか………?」

 参謀本部の命令を受け、旧長岡市に展開していた第7砲撃支援連隊は動き出していた。そしてその中枢、連隊長の花菱がいる指揮車両で彼と副隊長が言葉を交わしていた。
 花菱は副隊長である彼女の疑念の声に、眉根を寄せて鼻で笑う。

「馬鹿かオメェ。アイツが死ぬわけねぇだろ?」
「で、でも!5000―――小型種を数えればもっと多くのBETAに囲まれてるんですよ!?さっきとは訳が違いますっ!!」
「かーっ!コレだから女って奴ァケツの穴がちっさくていけねぇ。―――小せぇのはその胸だけにしとけ」
「セ、セクハラ!最初から最後までセクハラですよ!?」
『そうです隊長!副隊長の小さな胸には大きな希望が詰まっているのでありますっ!!』

 慌てて小振りな―――否、控え目な胸を両腕で隠す副隊長に、連隊全員のフォローが入る。
 やや間を置いて、うん、と軽く頷いた花菱は髭を撫で付けながらこう言った。

「あー、その、何だ。オメェ、意外とモテてんのな?」
「こ、こんなモテ方は嫌ぁーっ!!」

 副隊長が喚くが、『そこがイイ!』と皆が唱和する。
 最近の若いのの趣味はわっかんねーなぁ、と零しつつ花菱は言葉を続けた。

「まぁ、何だ。アイツは死なねぇよ。ゼッテー死なねぇ。何しろアイツは言ってたぜ?逢わなきゃいけねぇ女がいるってよ。だからアイツはきっとあんな状況でも絶望しちゃいねぇ。―――男ってなぁな、割かし単純なんだ」

 何しろ俺がそうだかんな、と花菱は笑う。

「帰りたい場所があって、惚れた女がそこにいる。いつだって―――絶望に落ちない理由なんざ、それで十分なんだよ」
「敢えて言いますけど非現実的だと思います。どんなベテランでも死ぬときは一瞬で―――」
「オーイ!オメェら!普段よりイイトコ見せたら副隊長のちっせぇ乳揉ませてもらえるってよーっ!!」
「え!?ちょっ………!」

 よせばいいのにいらないこと言った副隊長が止める暇こそあらば。



『………っ―――!!』



 直後、皆が声にならない雄叫びを上げ、連隊の行動速度が二倍になった。

「良かったなオメェ。―――嫁の貰い手には事欠かねぇようだぜ?」
「こんな職場もう嫌ぁーっ!!」

 喚いてももう止まらない。そしてこの速度ならば、この迎撃戦の最終端には間に合うだろう。だからこそ、もう一度気合を入れておくべく花菱は声を張り上げた。

「―――じゃぁ征くぜオメェら!女の為に足掻き続ける馬鹿が歩む漢の花道に、一丁デケェ花火を打ち上げ添えてやろうぜぇっ!!」
『了解っ!!』

 そして第7砲撃支援連隊は征く。
 フィナーレに相応しき花火を打ち上げるべく。






 同じ頃、旧阿賀町に展開していたある中隊があった。その中隊は陽炎で構成されているのだが、何故かその中に何機か撃震が混ざっていた。
 国連軍の佐官、政威大将軍、そして帝国軍の参謀長が立て続けに述べた言葉を聞いて、しかし未だ動けずにいたその中隊長に、その撃震の一機を駆る衛士は通信を飛ばす。

「隊長!一つばかり、自分の願いを聞き届けては頂けないでしょうか」
『―――何だ?』
「自分を、除隊して欲しいのであります」

 突然の申し出に、他の隊員が息を呑み、中隊長が目を細める。

『―――理由は?』
「はっ!自分は開戦直後、国連軍の不知火の中隊に命を救われたのであります。音声通信のみだったので、声から察することしか出来ませんが―――おそらく、『彼女達』に命を救われ、その後、隊長の隊に合流できたのであります」

 そして、とその衛士は続ける。

「あそこで戦っているのが彼女達の内の一機かどうかは不明ですが―――少なくとも、同じ国連軍、そして同じ機体を扱っている以上顔見知りではありましょう」
『―――それで、あの不知火を救いに行きたい、と?』
「はっ!」
『―――他の連中も同じ意見か?』

 問いかけると、その他の撃震に乗る衛士達もそれぞれ頷いた。その衛士の言葉に中隊長は瞑目し、やや間を置いてからゆっくりと目を開く。

『―――却下する』
「―――!?隊長っ!!」
『黙れ。隊長は俺だ。確かに、貴様の所属していた中隊は壊滅して、宙ぶらりんになった貴様を一時的とはいえ俺の隊に所属させた。他の連中もそうだ。だから貴様達はゲストだ。しかし、一時的でも隊に所属している以上貴様達への命令権は俺にある。だから命じるぞ。―――却下する』
「―――っ!!」
『そして俺の隊に所属する勇敢な貴様等に命令する』

 撃震の衛士の具申を断じた中隊長は、大きく息を吸い込むと皆に命じた。

『銃を構え、剣を取れ!ゲストとは言え俺の隊に所属する部下達には命の恩人がいるらしい!ならばこそその命の恩人を救うことこそが勇敢な俺達に相応しい仕事と心得ろっ!!』
「隊長………!」
『貴様達のそのボロボロになった撃震だけで、まともに戦えるわけがないだろう。―――上官は上手く使え』
「はっ!ありがとうございます!!」
『礼など不要だ。―――上官にとっては、部下の尻拭いも仕事のうちだからな』

 小さく鼻を鳴らし、皆が南西―――英傑が集いし場所を見据える。

『では征くぞ貴様等!他軍であっても救いの手を伸ばした、勇敢なあの不知火を救いにっ!!』
『了解っ!!』

 そして、傷つき、様々なものを喪った彼等もまた征く―――。






 三神が去った後、旧上越市で補給を完了した沙霧達は、出撃の前に悠陽達の声を聞いた。己が信ずる道を征け、と彼女は言った。今、自分が信ずる道とはなんだろうかと自問する。いや、自問するまでもなく満場一致であるはずだ。
 何故なら―――自分達は『烈士』の二文字を掲げているのだから。

「―――貴官等に聞きたい。私は―――」
『みなまで言う必要はありません。大尉』
『確かに、大事な時期ですけど―――我々も、日本人ですから』
『駒木中尉を救けてもらったお礼、しなきゃ駄目ですよね』

 沙霧の問いかけに被せるように、皆が述懐する。やはり、皆考えていることは同じようだ。

「すまない。本来ならば、無駄な消耗は控えるべきなのだが………」
『いいんですよ。ここで退いたら、俺達の大義も霞んでしまうでしょう』
「そう、だな………」

 それを心地良く思ってふっ、と小さく沙霧は微笑み、操縦桿を強く握り直すと中隊全員に命令を下した。

「―――では征こうかっ!烈士の名の元―――日本の夜明けの前に、後顧の憂いをここで断つっ!!」
『了解っ!!』

 そして憂国の烈士までもが立つ。
 例え近い将来、悪鬼羅刹の烙印を押される事を覚悟している身であったとしても―――今はただ、一人の日本人として、仲間を救われた恩に報いるために。






 そして同じ頃―――補給を受けるべく、207B分隊と第19独立警備小隊は旧津波町の補給部隊に身を寄せていた。各自が補給を受ける中、神宮司は今後の行動予定を白銀の救出と定めた。自らの教官の救出に、207B分隊の面々が文句をいうはずもなく、逸る気持ちを抑えつけ、補給が終わるのを待つ。
 だがそんな中、ただ一人だけ―――此の場に残るよう指示された者がいた。

「神宮司軍曹………!」
『しかし、彩峰。貴様の機体は片足が無いだろう。それでは同行は許可できない。気持ちは分かるが―――ここで大人しくしていろ』

 彩峰だ。
 先の光線級殲滅の一幕で、彩峰は全ての光線級を引き付け、都合24条のレーザーを避けるという離れ業をやったはいいが、流石に無傷というわけには行かず、右の主脚をごっそりと持ってかれていた。幸い、跳躍ユニットは生きているので、基地への帰還だけならば何とかなるだろうが、このまま戦闘行動をするには支障がありすぎる。
 だから、彼女を戦闘が終わるまで此の場で待機するよう指示したのだが―――案の定、と言うべきか、彩峰は素直に首を縦に振らなかった。
 結果、押し問答に近いやりとりが続いていたのだが―――その二人に割って入るように、榊が口を開いた。

『―――神宮司軍曹。私に一つ、考えがあります』

 そう言って告げられた提案に、神宮司は頭を抱えてこう思う羽目になる。
 ―――嗚呼、コイツ等は確かにあの中尉の子供達だ、と。






 旧三条市の最東端を最高速で突き抜ける12機の不知火があった。A-01―――即ち、伊隅ヴァルキリーズ中隊である。開戦後、彼女達は戦場の東域を担当し、最終的には旧新発田市を主戦場に暴れ回っていたのだが、直接の上官である三神の言葉を聞いて南下することにした。
 幸いにして東域は既にある程度の掃討を終えており、残っているのは殆どが小型種で、それは他の帝国軍に任せてきた。
 新たなる戦場へと急行すべく、限界域まで巡航速度を上げている中―――当の本人達は至って元気そうであった。

『よっしゃぁー!ここらで日頃の鬱憤を晴らすわよ!!』
『おやおや。速瀬中尉はここらで白銀中尉に恩を売って、デートを強要するおつもりですか?―――とんだビッチですね』
『む・な・か・た~!』
『と、高原と麻倉が―――』
『言ってませんっ!!』
『ユニゾンで私の言葉を遮るとは………!腕を上げたな二人とも』
『あははは。最近出番が無くて迎撃用意万端だったんだよね?二人とも』
『は、晴子………アンタ、容赦無いわね………』

 状況に似合わぬほど和気藹々というかいつも通りというべきか―――表現には困るが、少なくとも悪くはないと風間は思ってくすくすと小さく笑う。

『風間、どうした?』
「いえ、戦闘中なのに不謹慎なんですが―――何だか、楽しくて」

 それを聞き咎めた訳ではないだろうが、不思議に思ってか伊隅が問い掛けてくるのでそう告げると、七瀬が賛同した。

『あー、ちょっと分かるかもしれません。少佐が煽って殿下が応えてから、空気変わりましたよね』
『胸熱』
『しーちゃんそれちょっと違うと思う』

 したり顔で頷く紫藤に、珍しく式王子が突っ込みに回る。それを見てこの二人は平常運行だな、と風間は思う。
 ともあれ、確かにあの煽動というか、呼び掛けというか、演説があってから、流れてくるオープンチャンネルの遣り取りの雰囲気が明らかに力強いものへと変わって来ている。
 それを快く思って、風間は伊隅に言う。

「どちらにしても、私達が動かない訳にはいきませんね。―――あの二人は、私達の親とも言える存在なんですから」
『それもそうだ。―――では征くぞ!ヴァルキリーズ!!』
『了解っ!!』

 そして伊隅の音頭に皆が応え、更なる加速を求めた。

(待っていて下さい少佐、中尉………!今、そちらへ参りますっ!!)

 最後の戦場を目指して、戦乙女達は征く。
 彼女達もまた、恩義に報いるために―――。







 集っていく。
 古狼の遠吠えを起点に。
 国という垣根を超えて。
 軍という垣根を超えて。
 人という垣根を超えて。
 恩義という、形のない仁義を胸に―――英傑達が集っていく。
 そこに命令はなく。
 そこに強制はなく。
 そしてそこには意志しか無い。
 当然だとも、と三神は思う。
 恩を以て義を感じ、仁を以て義を返す。
 それこそがこの世界に於いて、美徳とされる日本人の本質なのだから。

「来いよ皆―――あの闘神の御元へ………!」

 戦況表示図を見れば、手隙の部隊は全て旧魚沼市へと向かっている。旅団程度のBETA群ならば、あっという間に駆逐できるだろう。だが、その前に白銀の元へと辿り着き安全を確保せねばならない。
 ならばその役目は、自分が引き受けよう。
 いや、これは『あの場』に居合わせた自分こそがなすべき役割だ。
 主観では80年以上も『昔』―――そして現行時間である今からは16年も『後』。
 三神の初陣の時だ。
 軍団規模のBETA群に挑んだ、おそらく世界最後の戦力であった白銀中隊。次々と喰われていく仲間達。それでも諦めずに足掻き続け―――白銀『大佐』は三神を庇い、機体を損傷させた。そして死期を悟った彼は、出来うる限りのBETAを引き付けるために敵中へと飛び込み、消えていった。
 その時の最期の言葉は、今でも三神の耳朶に残っている。

 ―――この世界に、アイツがいなくて良かった―――。

 それが誰の事かは分からない。
 遠い星に旅立っていった『誰か』なのか、それとも共に戦い死んでいった『誰か』なのか―――あるいは、半身同然であった『誰か』なのか。
 分からない。分かりはしない。だが―――。

「―――もう二度と、あの人を死なせてたまるか………!」

 気がつけば、もう目の前にBETAの壁がある。追加噴射機構をアクティヴに変え、更なる加速を得る。叩き付けられるような追加のGに歯を食いしばって抵抗し、左主腕にした突撃砲を担架に戻す。

「―――征くぞ化け物共!出し惜しみは無しだっ………!!」

 スタイルを変えよう。
 今までのように、継戦能力だけに特化した戦い方ではなく―――突破力に優れた戦い方へと。
 空いた左主腕で、行き道に墓標のように突き刺さった長刀を逆手で引き抜く。既に右主腕には逆手にされた長刀がある。
 逆手二刀。
 担架に突撃砲二門。
 ただ進撃するためだけの―――あの時の後悔を超える為に生み出した戦い方。それはまさに、狼の犬歯が如く。

「今度は間に合わせる!間に合わせてみせるともっ………!!」

 努力は積んだ。
 経験も積んだ。

「必ずだ!必ず―――私は武に辿り着く!何故ならば―――」

 才能は元から無い。
 だが、恐怖も無い。

「それこそが『かつて』の『いつか』!あの人に救われ、あの人に生かされた『俺』の―――最大の恩返しなのだからっ!!」

 彼を救う。
 彼の望む全てに手を貸す。
 それこそが、最も簡単な因果導体開放条件を捨てた三神庄司の、今のあり方。例え、最終的な目的がどれほど難しくなろうとも、どれほどの回り道をしようとも―――ゴールは既に分かっているのだから、そこに到るまで徹底的に彼に恩を返す。

「止められるものなら止めてみるがいい!そして道を阻むというならば覚悟しろ魂無き木偶共よっ!!我が牙、我が恩義は―――!!」

 敵は目の前にある。
 『シロガネタケル』を継ぐ白銀武を喰うべく集っている。
 それを許さぬ為に―――狼は咆哮する。



「―――因果すら喰い破るぞっ………!!」



 そして、三神は駆け抜ける。
 例えその身が朽ちようと、ただただ恩義を果たす為だけに―――。
 神狼が、BETAの群れへと突撃した。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十八章 ~英雄の条件~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/03 15:45
 ―――声を、聞いていた。
 実感は沸かないものの、『かつて』の『いつか』、確かに最後の教え子であった彼が叫んでいる。

「―――ははっ………!」

 機体を旋回、跳躍、降下、射撃、格闘―――ありとあらゆる戦闘行動入力を機体に高速で叩き込み迫り来るBETAを蹴散らしながら、白銀は笑みを浮かべた。
 三神庄司に関しての記憶は、開戦当初に断片的に思い出した記憶群の中にあった。しかし詳しくは思い出せない。何故なら、それは白銀武の記憶にして『シロガネタケル』の記憶なのだ。残滓としては残っていても、所詮それは致命的なまでに壊れてしまったファイルの断片。例え読み込んだとしてもブツ切りのノイズ掛かった画像に過ぎない。だが、自分が目に掛けて最期の瞬間まで育てた彼は、世界さえ飛び越えて―――今、咆哮している。
 不思議な感覚だ。
 精神的な年齢は、多分彼の方が上のはずなのに、まるで成長した我が子を見ているような感覚を覚える。
 そしてその断片的な記憶があって、白銀は彼が抱えた後悔と恩義を知った。

(そっか………あいつがオレにいつも協力してくれてたのは、それがあったからか………!)

 いつも不思議に思っていた。
 彼にも因果導体開放に至るため何かしらの条件があるはずなのに、時折、それを押し退けてまで自分に協力してくれているような感覚があったのだ。詮索はしない、というルールがあった為にそれを直接問うことはなかった。だが、そうした感情を元に行動を起こしていたならば―――理解できる。

(もしも………まりもちゃんと置き換えたら、多分オレもそうするしな………)

 神宮司が白銀の立場で、白銀が三神の立場であったとしたら、やはり今の三神と同じ行動を取るだろうと白銀は思う。彼女には、返しても返しきれない恩義があるのだから。

(大馬鹿野郎だよ、あいつも………)

 同じ因果導体だっただけに、白銀には分かる。
 例え世界が違って、厳密には別人であったとしても―――自分が今まで出会ってきた人達は、何処の世界であっても同じ魂と志があった。だから、白銀は理性では別人であると納得していても、半ば本能的に皆との付き合う距離を統一させていた。つまり、白銀武は誰であっても今までと同じ付き合い方をしているのだ。
 それと同じように、三神も言葉や態度に出なくても『白銀武』を『シロガネタケル』として認識して接していたのだ。

(お人好しも過ぎると病気、とかオレに言ってた癖に………自分が一番お人好しじゃねぇか)

 苦笑する―――と、同時に、本能が警鐘を鳴らす。

「ちっ………!」

 着地先に、要撃級がいる。白銀は舌打ち一つして、機体を操作。落下速度はそのままに、頭部のセンサーマストを微調整することによって着地点を少しずらす。
 だが―――。

「なっ………!?」

 着地と同時、機体が傾いだ。理由は何だ、と問うと同時半ば反射的に理解する。
 ―――BETAの死骸だ。
 唯一人敵中で大暴れし続けていたのだ。周囲にはBETAの死骸―――及び、体液などが散乱し、正直な所足の踏み場もない。それでも今まで大した影響もでなかったのは、積み重なった死骸による段差や体液によって出来た地面の緩みがオートバランサーの許容範囲内であった為だ。
 しかしあまりも殺し過ぎた為、死骸は山のように積み重なり、散らばった体液は水溜りになって接地面を緩ませる。そして遂にオートバランサーの許容範囲を超えてしまったのだ。
 そして間の悪いことに―――。

「ちぃっ………!」

 着地と同時に撃破する予定だった要撃級に付け入る隙を与えてしまった。前腕が振りかぶられる。キャンセルを入れて回避するには時間が足りない。

(本当はやりたくないんだけど………!)

 しかしそうも言ってはいられない。白銀は意を決してキャンセルを入れると同時、突撃砲を握った右主腕を振り上げた。
 その瞬間、機体を揺さぶる振動と銅鑼でも打ち鳴らしたかのような甲高い音が鳴り響いた。網膜投影のステータスチェックを見やれば、右主腕の部分が真っ赤に染まっている。
 要撃級の前腕を弾き飛ばしたはいいが、右主腕と突撃砲を一つ壊してしまった。だが、これで逃げる隙が―――。

「―――マジかよっ!?」

 白銀の目が見開かれる。最接近している要撃級は弾かれた左の前腕の慣性を利用して、右の前腕を振り上げていた。

「くっ………!」

 考えている余裕はない。残った左主腕は命綱だ。だとしたら残るのは―――。

「―――脚………!」

 即座に行動入力。
 左主脚が跳ね上げられ、膝から前腕と激突する。再び派手な音と振動が機体を揺らす。後方へと流れる勢いを利用して、バックステップと同時に射撃。何とか正面の要撃級を仕留めるが―――突如、がくんと左主脚から機体が傾ぐ。

「―――第二脚柱が逝った………!?」

 幸い、膝前部にある装甲のお陰か多少なりに防げたようだが、コの字で構成される脚柱はその名の通り関節の柱である。ここを壊されれば、例え脚が繋がっていても、無いのと一緒だ。加え、膝前部装甲と一緒に電磁伸縮炭素帯も逝っている。
 最早左主脚は動くことはない。精精がスタビライザー―――いや、単なる突っ支い棒の役割しか果たさない。

「このっ………!」

 何とか機体重心と跳躍ユニットの噴射量を偏らせて、水平を保とうとするが―――ここは敵中ど真ん中。そんな暇こそあらば。

「―――っ!?」

 一匹の突撃級が白銀に向かって走ってくる。回避行動に移るが―――僅かに遅い。
 視界が暗くなり、世界が鈍化する。急速にあらゆるものの動きが遅くなる。思考が高速化し、次に起こるであろう未来を予測する。結果は全て最悪。
 しかし―――。

(あいつに………純夏にもう一度『出逢う』まで―――!)

 その瞬間になって灯るものがある。

「―――死んで、たまるかぁぁぁああっ!!」

 叫ぶと同時、白銀は敢えて機体を左に倒し、跳躍ユニットを調整噴射から最大出力まで引き上げて噴射させる。左半身を引きずるようにして、横っ飛び。その捨て身の回避行動のお陰で、辛うじて突撃をかわすが―――。

 「―――っ!?」

 逃げた先にも、別の要撃級がいる。
 こちらはまだ体勢を整えきれていない。
 今度は、逃げられない。
 しかしそれでも―――白銀は諦めていない。






 二振りの長刀を逆手に持って三神機は征く。
 自らの役目は誰よりも疾く白銀の元へと辿り着き、その安全の確保をすること。彼を救う手順の最初の一歩こそが三神の役割だ。そして、第二歩目に繋がる役目も自分の役割だと彼は知っている。
 だから―――。

「邪魔だ………!」

 疾走り抜ける。
 小型種を踏み潰し、戦車級は担架に収めた突撃砲を自律起動させ蹴散らし、中型種と中型種の間をすり抜ける。極力相手にはしないが中型種の間を摺り抜ける時に、逆手の長刀を振るい。脚、もしくは感覚器を斬り飛ばしていく。
 オープンチャンネルではここへと集い始めた日本人達の声が聞こえる。彼等はきっと此処に来る。そして、今三神が疾走っている道を通るだろう。だからこそ、その道を均しておくのは自分自身の役割だと彼は心得ているのだ。
 そこに、白銀のような派手さは無い。
 ありとあらゆるモノを打ち破っていく強さは無い。
 あるのは―――速さのみ。
 征く手にどんな辛い迷路が待ち受けていたとしても、振り返らずに走り切るだけの鋼の意志のみ。

(武………!)

 やがて三神は網膜投影越しに、血染めの不知火を見つけた。その返り血を見るだけで、彼がどれ程の敵を屠り、どれだけの戦果を上げたのかがよく分かる。だがどうも様子がおかしい。右主腕が完全に破壊され、機体の重心が左に偏っている気がする。よくよく見やれば、左膝にも破損が認められた。
 見た目的には中破程度だが、白銀の強さはその独特な戦闘機動に支えられている。中破と言えども、損傷が関節にまで及んでいれば致命傷になりかねない。加え、ただでさえ彼の機動は既存の戦術機では負担になる。積み重なった負担が、破損を切っ掛けに何かしらのトラブルを併発させていても不思議ではない。
 事実、白銀は迫り来る突撃級を横っ飛びで回避。非常に危ない躱し方だ。機体が完調ならば、そんな危うい避け方はしないだろう。と言うことは、左の主脚をヤラれたと見てほぼ間違いない。
 加えて―――。

「っ―――!?」

 避けた先に、要撃級がいる。

「くっ………!なんてタイミングの悪いっ!!」

 左主脚が言うことを利かない状態で、あの体勢では最早避けようがない。受けて流すにしても、正直厳しい。何しろ彼は既に右主腕を失っている。四肢を犠牲にして躱そうにも、残るは左主腕か右主脚のみ。軸足になっている右主客は防御に使えないし、左主腕を使ってしまえば次を凌げない。
 どちらにしても―――詰みだ。白銀が自力で助かることはない。

(あの時と、同じ………!)

 直後、脳裏に蘇るのは『あの人』の最期。
 三神の制止を振り切り、唯一人敵中に飛び込んでいった『シロガネタケル』。彼を救うべく、三神もその後を追い―――しかし間に合わなかった。
 残されたのは、恩師を救えなかった後悔と嘆き。
 それをずっと抱え続けてきたからこそ―――彼はこう思うのだ。

(巫山戯るなっ………!)

 認めない。
 そんな最期など、三神庄司は認めない。
 決して認めてはならない。
 ならばこそ―――。

(間に合えっ………!)

 三神は左の主腕を振るい、一匹の突撃級の横を摺り抜け斬りつけると同時、軽く跳躍させ、小型種を踏みつぶしながら左主脚で踏み込む。そして、それを軸足にして上体を捻らせ、右主腕にした長刀を逆手のまま振りかぶり―――。

「―――届けぇえぇええっ!!」

 ぶん投げた。






 槍投げの要領で投擲された長刀は空中を征く。
 半世紀以上に及ぶ後悔と嘆きを乗せて―――届けと。
 そして―――まるでその願いに導かれるように、白銀機の眼前に迫った要撃級へと突き刺さった。






「っ―――!?」

 突如横合いから飛来し、迫っていた要撃級を刺し貫いた長刀を見て、白銀は思わず動きを止めた。何が起こった、と一度思考が停止したが、網膜投影の戦況表示図にその表示を認めて得心する。
 まるで大量の血痕のように広がるBETA反応の中に唯一点、緑色に光るフェンリル01の文字。
 ―――三神だ。

『武っ!』
「庄司っ!?」

 呼び声と共に、狼が降り来る。
 互いの死角をフォローするかのように背中合わせに並び立ち、36mmを斉射しつつ回線を開く。

『何とか無事のようだな』
「来るのが遅いんだよ」

 二人は軽口を叩き合って苦笑する。

『ちょっと大渋滞していてな。―――道を均すのも結構手間なんだ』

 三神の意味深な言葉に、何のことだ?と白銀が首を傾げると、戦況表示図に変化が認められた。彼がやってきた方向から、高速で接近しつつある47の光点。無論、味方識別でだ。
 赤いBETAの反応を掻き分けるようにして、それらは名乗りを挙げた。

『帝国斯衛軍第16大隊所属、大隊長斑鳩昴少佐以下36名―――』
『帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊第3中隊所属、沙霧尚哉大尉以下11名―――』



『義によって助太刀致す………!』



 そして、『日本人』を体現する者達が遂に降り来る。白銀機と三神機を囲むように展開した彼等は、着地と同時に周辺を確保すべく即座に戦闘行動に入った。
 それを満足そうに見やって、三神は彼等に声を掛ける。

『遅いぞ斑鳩少佐。―――沙霧大尉達まで来たのか』
『はっ。手前ぇが一人で突っ走っただけじゃねぇか。自業自得だろ?』
『我々は貴官に駒木中尉を救って頂いた恩義がありました故』

 口々に答え、そして戦闘へと移っていく。その背中を見やって三神は一つ頷いた。

『武御雷と不知火の混成軍―――うん、なかなか絵になるな』
「おい暢気に言ってる場合じゃないだろ。―――どうするんだよここから」
『何。私に考えがある』

 白銀がしたり顔で頷く馬鹿を促すと、彼はオープンチャンネルで声を張り上げる。

『斑鳩少佐!沙霧大尉!三分―――いや、二分でいい!私と武の周囲に小型種一匹たりとも近寄らせるなっ!!』
『素直に従うのは癪だが―――しゃぁねぇ、やってやるよ。おい沙霧大尉!手前ぇもそれでいいな!?』
『はっ!―――陣形変更!フェンリル01と20700を中心に円壱型っ!!』
『こっちも陣形変更だ!第1戦術機甲連隊第3中隊を中心に菱壱型っ!!』
『―――了解っ!!』

 陣形が変化する。国連カラーの不知火二機を中心に、第1戦術機甲連隊第3中隊が防御陣形を取り、更にその外周に斯衛軍第16大隊所属が重ねて防御陣形を取る。
 武御雷と不知火が多重展開することによって形成された防御網はまさに鉄壁と言えるほどの堅牢さを誇った。内側に入り込んでいた小型種も、瞬く間に掃討されていく。
 それを尻目に、三神は白銀へと秘匿回線を繋げてきた。

『武。私の不知火に乗れ』
「―――男の二人乗りは嫌なんだけど」
『私も嫌だよ。―――だからお前の機体には私が乗る』

 開口一番にそんな事を宣う三神に、白銀は一瞬思考が停止して、次いで素っ頓狂な声を挙げた。

「―――はぁっ!?ちょっと待て!オレの機体は―――」
『たかだか片腕と片足が無くなっただけだろう。―――今はまだ、破棄する方がデメリットが多い』

 命あっての物種という言葉があるように、人命を至上命題にしたならばここで不知火を破棄するのが最良だろう。だが、後々の政治的駆け引きを鑑みるとここで機体を破棄するのは、実の所デメリットにしか成り得ない。
 不知火は日本産の戦術機で、これが横浜国連基地に供給されているのは偏にオルタネイティヴ4の慣例がある故だ。しかしながら戦術機とてタダではない。一機あたり何十億とする高価な機体を、更には帝国陸軍にとっては最新鋭機である機体を、慣例があるとは言えそう安々とは渡せないだろう。
 白銀と三神の不知火は香月が用意させたものだが、それだけでもそれに見合った何がしかの取引があったと見て良い。ここで白銀の不知火を破棄して、次に彼が乗る不知火を用意するのに、日本が要求するのはまず間違い無く白銀と三神の持つ未来情報だ。
 無論、彼等とてそれを提供する予定だが、物には順序というものがある。不知火という交渉材料を無闇に与えて、こちらの未来情報を必要以上に引っ張り出されても、因果律のバタフライ効果を鑑みれば後々非常に困ることになる。
 あくまで情報提供における主導権はこちらが握っておく必要があるのだ。この程度のことで交渉の優位性を手放す理由にはならない。

「言いたいことは分かるけどさ………だったら、オレがこのまま乗って逃げればいいじゃねぇか」
『そうもいかないさ。―――いいか?XM3の本当の限界値を出せるのは、この世界でお前しかいない。そしてこの土壇場で帝国軍にそれを見せ付けれるのは、お前しかいないんだ』

 既に新型OSの優秀さはA-01や207B分隊を通じて、ある程度は伝わっているだろう。そして、誰しもが注目するこの最後の戦場で、駄目押しの一打を入れることによって、XM3の優位性を磐石のものとする必要がある。
 それを行えるのは、発案者である白銀を於いて他にいない。
 さらに、大体だな、と三神は嘆息する。

『ドードー鳥を表舞台に引っ張り上げる為の下準備に煽動じみた演説に敵中突破とどこまで私を働かせる気だ。―――老人はもっと労れ』
「オレも色々頑張ってたんだけどなぁ………」

 207B分隊の引率に、大規模な単機陽動を二回。その影響か撃墜数が凄まじいことになっている。これが通常の軍隊ならば、勲章ものだろう。

『ともあれ簡易とは言え着座調整しなければならないことも考えると、時間はそう無い。さっさと行動するぞ。何、私は両手足がもげて跳躍ユニットと背後担架だけの撃震で戦ったことがあるから大丈夫だ。―――ホバリングの調整ミスって光線級に撃ち落とされたが』
「全然ダメじゃねぇかっ!」

 突っ込みを入れつつ、白銀は機体を操作する。
 二機は彼我の距離を極力接近させ向かい合わせになる。そして片膝を付かせると、ハッチを開いた。それぞれタラップを伸ばして橋を形成すると、まずは三神が白銀機へと渡ってきた。

「―――武、後は頼んだ………!」
「―――ああ頼まれたよ………!」

 入れ違いざまに言葉を交わし、今度は白銀が三神機へと渡った。
 管制ユニットに身を滑り込ませ、ハッチを閉じる。着座すると同時に強化装備が制御システムにアクセスして、自動で蓄積したパーソナルデータを機体側へコンバート。それに合わせて各部が最適化されていく。網膜投影に着座調整の文字が踊り、次いでバイタルチェック、及び機体の各部損傷チェックが行われる。
 視界右上に投影されたステータスチェックを見やれば、オールグリーン。気になって詳細を表示させてみれば、戦闘機動による各部摩耗は全て誤差範囲内だった。

(こういう部分は流石だな………)

 純粋な戦闘能力に関しては、三神よりは上だと白銀は自負している。現に模擬戦に関しても最初の一戦こそ引き分けたが、ここ最近は全て勝ち越している。
 だが、白銀の機動は激しい動きをする分、どうしても荒っぽい扱い方をせざるを得なくなり、試合終了後の各部消耗率はA-01と比較してみても群を抜いて高かった。逆に、被弾などの損傷を除外して最も各部消耗が少なかったのは三神だ。細く長く戦う―――即ち、継戦能力という一点に関しては、文字通り桁が外れている。この辺は玄人らしくメンコの数がモノを言うのだろう。

(ま、お陰で機体に気を遣うこと無く戦えるんだけどな………!)

 白銀は薄く笑いながら更に機体状況を把握する。
 推進剤は十分ある。弾薬も同じだ。どうやら、此処に来る直前に補給をしていたようで、そちらの方も気にしなくても良さそうだ。

「―――じゃぁ、征くぜっ!」

 そして―――三度目、闘神は敵中を征く。






 三神は機体の状況を確認する。
 右主腕は大破、左主脚は中破レベルだが損傷が脚柱にまで及んでいるために、実質大破と変りない。他の部分の損傷こそ見られなかったものの、やはり激しい動きについて行けず、あちこちが磨耗しているようだ。あのまま最前線で使い続けていればスクラップとまではいかなくても、その一歩手前まではいっていただろう。
 それを見て、しかし三神は呆れよりも懐かしさを覚えた。

(私が最初に乗った不知火もこんな感じだったな)

 苦笑する。
 2016年―――彼にとっての最初の世界。そこで彼は初めて戦術機に触れるのだが、目出度き初乗りは不知火だった。とは言うものの、あの世界の人類は崖っぷちどころか既に崖から転落している最中だったので碌に整備が行き届いておらず、更には白銀『大佐』がブラックウィドウⅡに乗るまで使っていただけあってスクラップ同然もいいところであった。

(―――あの時とは違うさ)

 度重なる逆行で、しぶとさだけは身につけてきた。機体が完全でなくとも動かすだけならば、それこそ手足が無くてもどうにでもなる。

『おい、大丈夫かよ。三神』

 各部のチェックをしていると、蒼い武御雷が接近してきた。斑鳩だ。

「ああ、逃げるだけなら問題無い。―――戦闘行動は少し厳しいがね」
『その状態でまだ戦おうってのか?手前ぇも大概だな』
「馬鹿を言うな。凡人は凡人らしく、天才の後ろで指咥えて成り行きを見守ってるよ」

 実際、出来て自衛ぐらいだろう。それも戦車級までで、中級以上ともなると流石に厳しい。

「それよりもいいのかね?猫かぶりしなくて」

 問いかけると、斑鳩ははっ、と鼻で笑う。

『いつまでもつまんねー大人でいるのも飽きてきてな。最新の自分流行は俺様らしく。―――どうだ、カッコイイだろう?』
「五摂家自らちょいワル自慢とは君も大概はっちゃけてきたね。―――威厳を気にする老人共が頭を抱える様が眼に浮かぶよ」
『構わねぇさ。―――先代の爺さんもこんな感じだったしな』
「それはまた随分とファンキーな御老体だな。―――丁寧に言うが頭大丈夫ですか貴様の一族」
『切っ掛けを与えた手前ぇが言うかよ』

 歯に衣着せぬ三神の物言いに、斑鳩は気を悪くした様子もなく笑みを浮かべる。

『「言葉は不要」と手前ぇは言ってたじゃねぇか。必要なのは行動力。それだけだってな』
「成程、な。どうやら一本取られてしまったようだ。では言葉を必要とせず、行動を以て応える君に―――露払いを頼む」
『―――承知!』

 白銀に続くようにして彼等も動き出した。







 国連カラーの不知火が跳ぶ。
 それを沙霧を筆頭とした第1戦術機甲連隊第3中隊は見ていた。防御陣形を維持する自分達を飛び越え、敵中に向かって進撃するその不知火の背中には、その名を体現するような闘志が漲っていた。

「速い………!?」

 そのあまりの速さに沙霧は舌を巻く。
 突撃速度もそうだが、あらゆる戦闘行動にそれが当て嵌まる。先程旧柏崎市での戦闘時にも思ったが―――これはそれ以上だ。何をどうやったら倒立跳躍中に水平噴射と降下噴射を組み合わせて射撃、且つ着地と同時に噴射滑走からの斬撃など出来るのか分からない。既存の戦術機の戦闘機動に当て嵌めれば、それは全く滅茶苦茶で―――しかし恐ろしく理に適っていた。

「あれは一体―――」
『あれが白銀武だよ』

 呟きに、応える声があった。網膜投影に三神のバストアップが映し出される。発信源は後方。20700のマーカーが打たれたスクラップ寸前の不知火だった。

「三神少佐………!?何故そちらの機体に!?」
『何、私ももう歳でね。少し疲れたから休ませてもらってるんだ。それよりも見たまえよ。私の知る限りで―――最強の衛士の姿を』

 三神に促され、沙霧は見る。
 先程の無茶苦茶な機動などほんの一部に過ぎない。矢継ぎ早に叩き込まれた入力に沿い、次々と沙霧の知らない機動パターンをこなしていく。そして、凄まじい勢いで壁の如く立ち塞がるBETAを粉砕していく。
 まさしく闘神。
 闘う為だけに在る神そのもの。

『皆、見えているかね?あれこそが我が恩師の魂を継ぎ、この世界に救いを齎す救世主。そして臆病を標榜し、不安と恐怖を抱え、しかし不屈の勇気を以てして全てを乗り越えゆく―――真の英雄だ!』

 まるで我が事のように誇らしげに、彼は続ける。 

『では征こう諸君、あの英雄の御元へっ………!!』
『―――了解っ!!』

 そして―――英雄を先頭に、集いの時が始まった。






「ふっ………!!」

 呼気を短くして、白銀はリズムを取る。
 生身での格闘訓練と同じように、戦術機も重力のしがらみを受けるのだから、動作時に機体に掛かる力は常に一定ではない。だから極力それを操縦者である衛士が測り、上手く利用してやればより少ない出力で最大の力を得うる。
 着地と同時に機体が沈み、関節が最大の緩衝を得てから反発する。そしてその瞬間に前方へと身を投げ出し、跳躍ユニットに火を入れた。
 ―――噴射滑走。

「ぉおおぉおおっ………!!」

 逆手にされていた長刀を構え直し、複数の要撃級がたむろする間を稲妻を思わせるような鋭角的なラインを描いて斬り抜け、僅か数秒で一息に五体を屠った。
 更に、最後の横薙ぎで機体を流すように旋回させ、担架に収められた突撃砲二門を自律機動。キャンセルの間を埋めるようにして周囲に36mmがばら蒔かれ、小型種と言わず仕留め切れなかった要撃級までもを巻き込んでいく。

「まだだっ!!」

 旋回の遠心力を利用して、白銀は機体を跳躍させる。前へ、ではなく後ろへ。まるで軽業師のようにバク宙する不知火を、一団の中で身を潜めていたのか、光線級が捕捉する。

「―――!」

 しかし理解より先に本能が動く。
 空中における全ての行動をキャンセルと同時に、跳躍ユニットを吹かして全力噴射降下。この間僅か一秒と少し。装甲に塗布された蒸散塗膜に余裕を持たせての回避だ。
 加え、機体起こしと同時に唐竹割りの要領で直下の要撃級へと長刀を叩き込む。

「もう一丁!」

 その慣性を殺し切る為の間隙を利用して、再び背後担架の突撃砲を自律機動。弾幕で周囲のBETAを押し切るように自機の聖域を広げていく。
 その時だった。

『―――おい聞こえてるかよ白銀ぇっ!!』

 自分を呼ぶ、野太い男の声がまるで雷鳴のように轟いた。
 白銀はその声を知っている。だから理解と同時に疑問が沸き起こった。

「―――花菱中佐っ!?何でここにっ!?」
『野暮なこと言ってんじゃねぇ!こんな楽しい祭りに花火が無いってのは寂しすぎるだろうがよっ!!』

 呵々大笑する花菱に白銀は苦笑して、他のBETAに捕捉されないように高速機動しつつ網膜投影の戦況表示図を拡大表示する。旧魚沼市の北西に、第7砲撃支援連隊とそれに呼応した他の砲撃支援部隊が横並びに進撃してきていた。
 まるでローラー作戦が如く、陸上兵器の壁が出来上がる。

『花菱―――いや、花火師の名に賭けて、オメェに至る花道を作ってやる!だからちぃっと待ってろよっ!?』

 全周波数でそれは呼び掛けられる。

『雅に征くぜオメェ等!根性用ー意―――!』
『気合装填―――!』

 戦車は言うに及ばず自走砲、自走ロケット砲、自走対空砲と全ての陸上兵器が道を切り開くべく準備をする。

『唱和用ー意!!芸術は―――!?』

 そして―――。



『―――ボンバーっ!!』



 直後、花火が咲く。
 まるで大地が震えるような一斉砲撃と共に戦況表示図を埋め尽くしていた赤い光点の群れに一直線の隙間が出来上がる。更にそこからまるで掘り進めるように隙間は広がっていく。全ての砲撃を一点に集中させ、BETAの死骸を絨毯として本当に道を創り上げたのだ。

「す、すげぇ………!」

 火力をこれでもかと一点に集中させた、陸上兵器なのにも関わらずまるで爆撃のようなその桁外れの威力に―――何故か白銀は『元の世界』でやったシューティングゲームを思い出した。

(全域攻撃型のボムじゃなくて、放出系のボムだよな………。極太レーザーとかその辺の………)

 半ば唖然としていると、出来た道を進撃する部隊があった。砲撃によって巻き上がった土煙や血煙を吹き飛ばして、彼等も参戦していく。

『帝国斯衛軍第2連隊所属、第14中隊―――義によって助太刀致します!!』
『帝国本土防衛軍第6師団所属、第263中隊―――恩義に因って馳せ参じた!!』

 瑞鶴と撃震、そして陽炎の帝国機種混成軍が白銀へと至り、彼を護るように周囲に展開。それだけでは留まらない。彼等を皮切りにして、続々と帝国軍―――いや、『日本人』が白銀の元に集っていく。
 仲間が受けた恩は自らの恩だと叫ぶように、次々と戦闘に加わっていく。
 更には―――。

『ほらほらほらほら!戦乙女のお通りよっ!!』

 北東方向から、道も出来てないのにBETA群を蹴散らして進撃してくる12機の不知火があった。その内の一機から通信が飛んで来る。

『無事かっ!?白銀!!』
「伊隅大尉!?皆もっ!!」

 A-01―――伊隅ヴァルキリーズである。
 突撃前衛が突破口を開いて道をこじ開け、続く機体がその道を押し広げる。身が竦むようなBETAの壁を恐れず突破していくその姿は、冠された名に違わずまさに戦の乙女達。ならばその進撃はまさしく戦乙女の騎行であった。
 やがて彼女達も白銀の元へと辿り着き、帝国軍に混ざって殲滅戦に加わっていく。
 しかし集いはまだ終わらない。

『―――中尉!』

 声と共に、一機の撃震が降り来た。それに続くようにして、四機の吹雪と同じく四機の武御雷もだ。
 207B分隊と第19独立警備小隊である。

「まりもちゃん………!?ってお前等も―――!?」

 網膜投影に次々と移っていく彼女達の顔を見て、しかし白銀は首を傾げた。

「な、何やってんだ?たまと彩峰………」

 バストアップで映った珠瀬の後ろに、何故か彩峰の顔があったのだ。すると彩峰が何処か満足そうに一つ頷いて。

『―――二人羽織』
『あ、あははは。彩峰さんの吹雪、脚部が壊れちゃったから、壬姫の機体に乗ってもらってるんです』

 そう言えば前にオレも冥夜と似たようなことしたっけなぁ、と白銀は思う。聞けば、これは榊の提案らしく、本人が言うにはこの方がある意味効率がいいらしい。
 確かに戦闘に加わったその吹雪は彩峰の高機動に珠瀬の精密射撃が加わって、最早手がつけられない状態になっていた。神宮司は頭を抱えたそうだが、否定はしなかったし、実際にやらせてみてこうも実力を見せ付けられれば否定など出来ようはずもなかった。
 そんな教え子の急成長に白銀が戸惑っていると―――。

『―――白銀っ!!』

 紅と―――紫の武御雷までもが敵中に進撃してきた。そして彼等に続くようにして、背後に直属の武御雷軍団までもが乱入してくる。

「紅蓮大将!?―――で、殿下までっ!?」
『ふははははは!驚くことではないぞ白銀!お主はそれだけの事をやってのけたのだからのぅっ!!』
『白銀。そなたの働きによって多くの臣民が救われました。この悠陽、そなたに与えられた恩義を一生忘れることはないでしょう』

 網膜投影の中、バストアップで映った悠陽が恭しく頭を垂れる。実質日本のトップに頭を下げられ、白銀は大いに慌てた。彼にしてみれば、当然のことを当然のように行なっただけなのだ。

「そ、そんな………オレは―――」
『おいおい、謙遜も度が過ぎれば嫌味だぜ?手前ぇはよくやった。―――だからここは一つ、主役らしく音頭を取れよ』

 だが、固辞する前に追い付いてきた斑鳩が口を挟む。その彼に続くようにして、同じく追い付いてきた三神も言葉を繋いだ。

『皆がお前の言葉を待ってるぞ。だから言ってやれ、武。―――それが英雄の役目だ』

 言われて、白銀は周囲を見渡す。
 敵中で戦闘を繰り広げる彼等には、しかし悲壮感は見られない。あるのは、自らが定めた仁義のみ。
 それを見て、白銀は思う。
 自分は、英雄でも救世主でも無いと。

「―――違うよ庄司。オレは………オレはやっぱり英雄なんかじゃない。何度も何度も間違えて、ふらふらして、色々失って………そんな奴が英雄なわけがない」

 本当の英雄ならば、きっと世界だけではなく自分の大事な人達も救えていただろう。自分自身でさえも、救えていただろう。だから白銀は改めて思う。自分は、英雄でも救世主でも無いと。
 しかし、もしも―――もしも、だ。

「だけどさ、それでも誰かがこんなオレを英雄と呼んでくれるなら―――英雄ってのは、きっと誰にでもなれるものなんだ」

 だから、『今』はまだ英雄で無かったとしても―――。

「だからさ、皆でなろう。ちゃんと生きて帰って―――英雄にっ!!」
『―――応っ………!!』

 声高らかに、皆が呼応する。
 例え今が苦しくとも、必ず自分達は勝つのだと。
 ここを生き抜き、大事なモノを脅かす全てを打ち砕き―――誰もが英雄になるのだと。
 迫り来る危機さえも好機へと変えて―――最上の未来を掴みとるのだと。



 そして―――『日本人』の逆襲が、始まった。








 かくして、日本史上稀に見る大規模BETA侵攻は、日本側の勝利という形でその幕を閉じた。
 師団規模という1998年の日本本土侵攻に次ぐ大規模侵攻だったのにも関わらず比較的軽微な消耗で撃退できたのは、その日開催されるはずだった日本と在日国連軍の共同実弾演習の影響で戦力が集中していた為である、とその場に居合わせた皆がそう結論を出した。
 そのあまりのタイミングの良さに、『11月11日の奇跡』と後に呼ばれるようになるのだが―――しかしその『奇跡』の裏に、二人の国連軍人による『予言』があったことを知る者は、極めて少ない。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二十九章 ~最後の晩餐~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/03 17:14
 11月11日の午後2時を回った頃、神宮司は自機である撃震と教え子達の吹雪が格納されたハンガー横にある休憩所のベンチに腰掛け、缶コーヒーを片手に小休止していた。視線をガントリーに向けると、既に機体に付着したBETAの血糊は綺麗に洗浄されており、今は整備兵達による機体の総点検が行われていた。
 迎撃戦が一段落ついたのは今日午前の9時半頃。そこから1時間程は残党処理に費やし、小型種などの残りは帝国軍に任せて白銀率いる207B分隊が帰投したのが12時前後。そこから簡単なデブリーフィングを行った後、解散し彼女達を休ませることにした。
 今回の唐突に訪れた初の実戦は彼女達にとって得難い経験であると同時に、決して消えない傷痕を残す結果になった。間違いなくこの実戦で衛士としての限界上限は跳ね上がっただろうが、第195中隊の全滅はこれから先、彼女達の心に重くのし掛かってくるだろう。それに押し潰されるのか―――それとも呑み込んで、傷痕さえも自らの血肉へと替えられるのか。あるいは、これが訓練兵である彼女達にとっての、分水嶺―――最後の試練かもしれない。
 本来ならば、こうした経験は任官後にするものだが、訓練兵の内にするというのも悪くはないと神宮司は思う。いや、教官として彼女達を気に掛けてフォローとケアが出来る分、彼女達の今後を考えればこちらの方がいいだろう。
 ちらり、と激戦を潜り抜けた機体達を見やる。五機の内、見た目が酷い状態なのは右主脚が欠損している彩峰の吹雪だけだが、他の機体も内部状態はどうなっているかは分からない。いずれにしても実戦後なので、総保守点検を行うことになるだろう。
 しばらくは実機演習は出来ないわね、と神宮司が教官らしく今後の予定を考えていると、横合いから声が掛かった。

「おや、神宮司軍曹」
「少佐………?―――お疲れ様でした!」

 三神だ。
 軍装姿の彼も神宮司と同じように一休みする気だったのか、缶コーヒーを片手にしていた。
 神宮司が立ち上がって労いの言葉と共に敬礼すると、三神は軽く手を振って座るように促した。いつものように堅苦しいのは要らない、という合図だ。

「お互いにな。―――君も陣中見舞いかね?」
「ええ。―――親方には苦労をかけます」

 並んでベンチに腰掛け、缶コーヒーを口元に運ぶ。
 神宮司がハンガーに訪れていた理由は、207B分隊の機体を触る整備兵達を見舞うためである。
 戦術機も兵器―――極論を言えば消耗品である以上、どうしてもガタが来る。それを極力引き伸ばし、戦場で起こり得る機体にまつわるトラブルを、一つでも減らすのが整備兵の役割であり仕事である。であるならば、こうした気遣いは無用なのかもしれない。事実、整備兵との関わりを必要以上に持たない衛士も多くいる。
 しかしながら、本意ではないとは言え彼等が整備した機体を壊したのだ。従来の保守点検以上の仕事を割り振ってしまったのだから、何かしらの謝辞は必要だと神宮司は思う。こうしたことも良い経験になるので、本来ならば207B分隊も引き連れてくるところだが、流石に初の実戦後ということもあって今回は見逃した。

「私の方も武の機体が凄い事になっていたからね。追加噴射機構の時にも世話になったし、しばらくは彼等に頭が上がらんよ」

 苦笑する三神に、神宮司はふとあることを思い出す。

「―――あの………少佐、もし差し支えがなければで構いませんのでお聞かせ願えないでしょうか」
「何かね?」
「あの子達は―――ちゃんと、生き残りましたか?」

 旧魚沼市に集った部隊の中に、国連カラーの不知火中隊の姿もあった。各国に幾つもの基地を持つ国連とは言え、不知火を扱ってる基地は横浜を於いて他に無い。それ等に乗れるのもごく限られた人間だけだ。そして神宮司は、自分が育てた子等がそのごく限られた人間であることを知っている。
 しかしながら、ごく限られた人間の集う『その部隊』に配属された以上、一教官である神宮司はその後の様子を知り得ないのだ。それこそ、生きているのか―――死んでしまったのかさえも。
 それでも同じ基地にいる以上、時々偶然に顔を合わせることもある。その時になって初めて、神宮司は教え子の生存を知り得るのだ。
 正直な所、これを聞くのは間違いなく越権行為だろう。場合に拠っては、スパイ行為と見なされてもおかしくはない。それでもあの戦場を共にしていたと知る以上―――どうしても気になってしまうのだ。

「それは―――新任達のことかね?」
「出来れば、他の子達のことも」
「―――今回は、皆生き残ったよ。負傷した者もいない」
「そう、ですか………」

 しばし、沈黙が落ちる。
 今回は、皆生き残った。次回は、分からない。単純なことだ。戦争があって、そしてそこで軍人をやっている以上―――誰にでも平等に死は訪れる。今回は運良く生き残れたとしても、次回もそうだとは限らない。それは自分にも、今手掛けている207B分隊にも言えることだった。
 しかしそれでも今回は生き残ったのだ。その事実だけで、神宮司は少しだけ胸のつかえが取れた気がした。

「それにしても―――207B分隊もかなり派手にやっていたようだね」

 少しばかり暗くなった空気を払拭しようとしたのか、三神が大きめの声で言ってガントリーへと視線をやる。

「はい。―――まるで白銀中尉が五人になったみたいでしたよ」
「ははは、それはさぞかし大変だっただろう。―――その207B分隊は?」
「中尉と簡単なデブリーフィングを行った後、休ませました。―――流石に疲れたでしょうから」
「成程。―――そう言えば武は?親方の所には顔を出していたようだが」
「香月副司令の所に行くと仰ってましたが………?」
「ふむ、すれ違ったか。―――まぁ、いいか」

 成程成程、と三神は何度か頷いて神宮司に視線をやり、再び何度か頷く。その不審極まりない挙動に神宮司が首を傾げていると、馬鹿が何かを思いついたように口の端を釣り上げた。
 それは何と言うか、面白い悪戯を思いついた少年のようで悪魔のような―――何とも形容しがたい笑みだった。

「ところで神宮司軍曹。この後仕事はあるかね?」
「はい。と言っても、簡単な報告書類と事後処理程度ですが」
「そうか。―――では、一つ仕事を頼まれてくれないかね?」
「仕事、ですか?」

 経験の差であろうか。この時、神宮司は妙な焦燥感を覚えていた。知らず知らずのうちに地雷原に足を踏み入れていたとか、遮蔽物の無い場所で狙撃兵に狙われているとか―――じわじわと精神を磨り減らしていくような、そんな焦燥感だ。
 首筋がちりちりする不快な警鐘に眉をひそめている間にも、三神は言葉を続けていく。

「うん。本来ならば私がどうにかしようと思っていた案件なのだが、私は私で今夜別件の任務があってね。おそらく徹夜になるだろうから、今の内に少し仮眠を取っておかなければならないんだ。―――そこで、私の代役を頼みたい」

 何故だろう、声の調子を鑑みるに、どうやら簡単なお使い程度の内容のようだが―――どうにも嫌な予感が拭えない。

「何、大して難しいことではないし―――どちらかと言うと………うん。やはり考えれば考える程これはむしろ君の方が適任だ」
「は、ぁ………。では、私は何をすれば良いのでしょうか」

 本能では拒否しているが、神宮司は優秀な軍人だ。上官がそう言うならば否はない。だが、次の言葉で自分の軽率さを呪う羽目になる。

「うむ。ではまず先に君の仕事を片付けたまえ。その後に―――式王子中尉の『私室』を訪れるように」

 嫌な予感が的中した。

「し、式王子中尉、の『私室』、でありますか………」
「ああ。彼女にその後の段取りは話しておこう。―――おや?どうかしたのかね神宮司軍曹。顔が引き攣っているが」
「い、いえ………少しトラウマが………」

 国連カラーの不知火に乗れるごく限られた人間が集う『その部隊』に所属する式王子小夜も、例に漏れず神宮司の教え子で―――彼女の知る中で最大の問題児である。
 とある大手呉服屋の娘である彼女には、神宮司もそれはもう手を焼かされた。どういった経緯で国連軍に入ったのか甚だ問題だが、その出自からしてイイトコのお嬢様である彼女は座学はともかくフィジカル面に問題があった。走れば最下位、銃を構えればあさっての方向へ飛び、その銃を整備させればパーツは余る。座学以外は本当に何やらせても駄目だったので正直、コイツ軍人に向いてないなぁと神宮司も何度か諦めかけた程だ。しかしまぁ、そうしたマイナス面も同期である伊隅に手伝ってもらい徐々に改善していったので、軍人として、訓練兵として取り立てて問題があったわけではないのだろう―――結果的には。
 問題があったとすればその思考というか嗜好というか行動理念というか行動原理というか―――有り体に言えば本能に忠実な所か。
 確かに今期の訓練兵達も厄介と言えばなかなかに厄介だが、その厄介さはどちらかと言えば主にバックグラウンド―――即ち、彼女達の出自にあり、彼女達自身は多少の軋轢はあるものの真面目な訓練兵達である。そういった意味では、彼女以上の問題児を神宮司を知らない。



 何しろアイツは、あの女は―――『可愛いは正義』の名の元に、教官である神宮司を着せ替え人形にした女である。



 元よりそうした偏執というか偏愛があったのは神宮司も知っていた。しかしながら、それがまさか自分に向かってくるなどと誰が思うか。
 思い出すのは数年前。
 とある切っ掛けで狂犬と呼ばれるようになってからしばらくしてからか。確か、伊隅や式王子の世代が任官間近になってからだったはずだ。相談があるから部屋に来てくれませんかと言われ、教官としても人生の先輩としても放っておける立場ではない神宮司はノコノコと奴の私室に赴き―――。

『………軍曹。軍曹には、犬耳が似合うと思うんです。―――狂犬だけに!』

 等という訳の分からん理論武装と共に式王子は神宮司に飛び掛かって来た。当然、神宮司とて抵抗したが―――『貴様本当にあの何やらせても駄目だった式王子か!?』と当時の神宮司をして言わせるほどの身体能力を見せて神宮司を拘束。そのまま着せ替え人形の如くファッションショーと撮影会のコンボを決められた。
 その時撮った写真で脅しでも掛けてくるのかと思いきや、あくまで趣味用と言い張っていた。確かに、任官前も任官後も誰かにあの写真集を見せた素振りはなかったが、それでもその時のことは神宮司にとって今でもトラウマである。―――訓練で逆襲はしてやったが。

「薄々想像がつくが―――何、君もまだまだ若い。大丈夫だ」
「少佐………?まさか………」
「ははははでは後は頑張りたまえああ忙しいなさっさと部屋に戻って寝なければうん睡眠は重要だね速やかに行こう速やかに」

 トラウマを思い出し、唇をわななかせる神宮司に三神はしたり顔で頷くと立ち上がり、しゅたっと片手を挙げて強歩でもしているのかと思うほどの速度で立ち去っていく。

「あ!ちょっ!?少佐っ!?」

 そして後には―――ぽつり、と数年後しにトラウマに立ち向かわなければならなくなった軍曹が一人、取り残されるばかりであった。







 B19階にある執務室が数度ノックされて、部屋の主である香月が返事をすると軍装に身を包んだ白銀が入出してきた。

「失礼します」
「お疲れ。―――大活躍だったみたいじゃない」

 目を通していた書類を机の上に放り出し、香月が労をねぎらうと白銀はたはは、と後頭部を掻いた。

「―――不知火を一機潰しかけたようだけど」
「あがっ!」

 調子づかせるのも癪なので、持ち上げたところで落としてやると、白銀は肩を落とした。それを良い気味、と思ってから香月は言葉を続ける。

「まぁ、アンタ達が大暴れして宣伝したお陰で、ちょっと前まで大変だったのよ?国連軍の新型OSとは一体なんだとか互換性はあるのかとか技術提供はしてくれるのかとか帝国軍のあちこちから引っ切り無しに電話掛かってきて―――予想以上の大反響ね」
「あはは………でも夕呼先生なら―――」
「当然よ。今はまだ先行量産版だからそっちに供給してやる気も余力もないって突っぱねたわ」
「ですよねー………」
「それにしても現金よねぇ………あれだけ横浜基地の陰口を叩いてた癖に、アンタ達がちょっと暴れただけで手の平返すんだから」

 尤も、先行量産版と言っても今回の実戦での『学習』で既に製品版―――つまるところ、完全量産版と言ってもいい程の仕上がりになっているだろう。後はこの実戦で培ったA-01と207B分隊のデータを上手く纏めてアップデートしていくだけで良い。
 勿論、クーデターの絡みがあるので、XM3を帝国軍に渡すとしてもそれを超えた甲21号作戦前が好ましい。習熟期間を兼ねると、作戦二、三週間程前が理想と言えるだろう。

「―――って………あれ?庄司はいないんですか?てっきり先に来てるもんだと思ってたんですが………」

 今更ながらに、白銀は執務室を見渡して言った。

「ああ、三神なら顔出してすぐに引っ込んだわよ。―――一眠りしてくるって」
「一眠りって………」
「まぁ、寝不足のままじゃ安心してあたしの身体を任せられないからね。―――自己管理する余裕があるなら大丈夫だと思うわ」

 その香月の意味深な言葉に、白銀は眉をひそめて―――やがて思い至る。今日、この日を持って白銀と三神の存在証明は成った。そしてそれが成って初めて魔女は彼等を仲間として認め―――彼女は聖母にして聖女と成る。

「まさか………」
「そうよ。今夜、なるわ。―――00ユニットに、ね」

 ふ、と小さく香月は微笑む。その笑みに何処か諦観と言うか達観と言うか―――まるで憑き物が落ちたような何かを見つけ、白銀は困惑する。

「夕呼先生………」
「なによ?変な顔して」
「い、いえ………その、何と言うか………」
「あのね~白銀ぇ。そんな『何か気楽に言ってるけど00ユニットになるってことは死ぬってことなんだけど大丈夫なんだろうか』って顔止めてくれる?仮にも発案者なのよ?あんたに心配されるまでもなくよ~く分かってるわよ。それこそ―――この世界で誰よりも、ね」

 そう。
 誰よりも分かっているのだ。それになると言うことが―――。

「生体反応0。生物的根拠0。故にこその00ユニット―――それになろうって言うんだから、あたしという人類は今日を以てして『死ぬ』わ。―――けどね、それをあたしが今更恐れると思って?」

 自分の死を指し示すということを。
 だが、魔女がその程度のことで立ち止まるはずがない。
 だから香月はいつものように不遜で不敵な笑みを浮かべる。

「甘く見ないでくれる?あんたが言う『二回目』の世界でBETAを横浜基地にけしかけるような茶番を演じた魔女は、自分の命惜しさに人類の救済から目を逸らすような愚者じゃないのよ。魔女は魔女で、道化には成り得ないの。だから犠牲はそれがどんなものでも、幾つであっても出すわ。けれど、それに見合った結果を必ず手に入れる。それこそが清濁併せ呑み続けたあたしの―――たった一つだけ赦された流儀よ」
「―――すいません………」
「別に謝って欲しい訳じゃないわ。ただ―――舐めないで欲しいってだけ」

 畳み掛けるように言い放つと、今度こそ白銀は黙りこくった。変に同情されるのも気に食わなかったので続く言葉を封殺したは良いが、これはこれで妙な空気になってしまった。
 仕方ないわね、と香月は内心苦笑しつつ話題を変えることにする。

「―――まぁ、まずはおめでとう、と言っておくわ」

 口調を軽くして、彼女は微笑む。

「今回の迎撃戦でアンタ達二人の存在が証明されたわ。これからは、アンタ達の言う未来情報を元に行動計画を立てていく訳だけど―――何か質問はある?」

 問われ、しばし白銀は腕を組んで熟考し、やがて何かに思い至ったか、ぽんと手を叩いた。

「あ―――そう言えば、今回の迎撃戦………BETAの侵攻規模が違ったんですけど―――夕呼先生はどう見ます?」
「って、白銀ぇ………。元とは言え因果導体だったのに気付かなかったの?」
「ゔ………」

 呆れた、と呟く香月に白銀は言葉を詰める。まぁ、彼も因果律量子論を体現していたとしても精通している訳ではないので、気付かなかったとしても無理からぬことかもしれない。

「まぁ、いいわ。アンタ達の話によれば、11月11日のBETA侵攻の規模は旅団規模だった。にも関わらず、何故か今回に限って師団規模に膨らんでいた―――これの起因は何か。一応、限りなく正解に近い推測は立っているわ」

 実証できない以上、あくまでこれは仮説―――推論の域を出ない。だが、白銀や三神の体験を今回の迎撃戦で是とした場合、自ずと限りなく正解に近い答えというのは出て来るのである。
 まずは、今回の出来事の起点となる要素を探す。

「今回の一件―――白銀にとっての『一回目の世界』と『二回目の世界』にない要素が原因になっているんだけど、何だか分かる?」
「………庄司、ですか?」
「そ。三神庄司の存在が、今回の『ズレ』の原因よ」

 考えるまでもないだろう。
 白銀が10月22日に『いつもどおり』に出現して、真っ先に感じた差異がそれである。
 だから、起点は間違いなく三神庄司で正しい。

「そもそも、三神庄司と言う人間はあんたと違ってこの世界に存在すらしないわ。―――そう言えば白銀。あんた、自分が今どういった状態の存在であるか理解してる?」

 問われて思い出すのは、この世界の鎧衣課長と初めて面会した日だ。月詠中尉の詮索をいなし、この部屋に向かう途中で白銀と三神は『シロガネタケル』の考察をしたのだ。
 それを脳裏に引っ張り出し、暗唱する。

「えっと………『白銀武』―――つまりオレは、数ある世界の『シロガネタケル』の因果情報から出来ていて、その中にはこの世界で死んだ白銀武の因果情報も混ざっている。で、それがあるからこそ世界はオレを一時的な空白期間があったとしても白銀武として認識している………で、合ってます?」
「まぁ概ね、ね。もっと簡潔に言えば、あんたはこの世界に元々いた白銀武と入れ替わった状態なの。それはあんたの言う『一回目』や『二回目』の世界でも違わないわ。確かに『死』という空白期間があるけれど、何の脈絡もなく新たな人間が出現するって言う事象よりも、世界にとっては、そちらの方が負荷が少ないんでしょうね」

 でなければ、こちらに出現した途端にその矛盾を異質と判断した世界が修正を掛けるべく白銀を排除しようとするだろう。この事から、『生死の矛盾』よりもむしろそれを司る『因果の矛盾』の方が世界にとって比重は大きいのだろう。
 だからこそ、白銀は『死んだ』という情報を持っていながらにして『生きて』いられる。

「で、ここで話を戻すけれど、じゃぁ三神庄司は世界にとってどういう扱いになっていると思う?」
「―――異物、ですか?」
「あら、あっさり正解するのね。てっきりトンチキな返答でもするのかと思ったけど」

 茶化す香月は何処か楽しげだった。
 やはり自身が提唱する理論について話し合うのは気分がいいのだろう。

「世界にとって、三神庄司は異物よ。あんたと違って、この世界に通じる因果情報も無いから、本来ならばそもそも存在することすら出来ないはずなの。古風な言い方をすれば縁がないからそもそも出逢うことがないって所かしら?」

 白銀とは逆に、三神にはこの世界に代替となるべき自身の同位体が存在していない。
 もっと簡単に表現するならば、この世界は椅子取りゲームのようなもので、しかもその椅子は自分の身体に合った椅子しか用意されていないのだ。白銀は『この世界の白銀』が死ぬ事によって空席となった椅子に腰をおろして自身の存在を確定した。しかし、三神には彼の身体にあった椅子そのものが存在していないのである。

「じゃぁ何故この世界に存在できるのか―――これについては、正直現段階では答えられないわ。おそらくは三神を因果導体にした存在が関わっているんでしょうけど、いずれにしてもまだ憶測の域を出ないの。本人でさえ分かってないみたいね。だから、まずは敢えてそれを一つ飛び越して、三神庄司という異物がどのような影響を与えるかを考えてみなさい」
「世界が庄司を消せないって事を前提にするんですか?」
「そうよ。まぁ、その前提を考えれば、もう答えは出るんだけどね」

 問われて、再び白銀は瞑目して熟考する。
 如何なる裏技と使ってこの世界に存在できるかは今のところ不明だ。だからそれありきで影響を考えてみる。自ずと出てくるのは―――。

「修正………ですか?」
「その通り。三神の存在を消せない以上、世界は世界自身が辿る正史を改変していくしか無い。これは、あんたも未来情報を以て行動を起こすことで似たような事をしてるわね。あいつの場合は、存在しているだけでそれが行われていると思いなさい」

 おそらくは、今までも―――彼が繰り返した三桁の逆行でも同じ現象が起こっていたはずだ。彼自身、今回ようやく気づくに至った理由としては、比較するべき未来が無かったためだろう。
 元々、平行世界論からしてみれば世界は極小ながらもそれぞれ違ったものだ。更に白銀武という因果導体が来た段階で、未来は若干ながらも変化し始める。つまり、因果律の振り幅が最も小さいのは白銀武という因果導体が現出する2001年10月22日までで、そこからは彼を中心に少しづつ振り幅が大きくなっていくのである。

「バタフライ効果っていう理論があるんだけどね。考え方はこれに近いわ。―――さしずめ、因果律のバタフライ効果って所かしらね」

 三神が最初に現出したのが2016年。その頃になると、白銀の存在は世界に大きな影響を与えていて、『人類の敗北』という部分が共通であったとしても、様々な部分で違いが出てくるはずだ。
 だから、三神が世界に与えたバタフライ効果に彼自身が気付かなくて当然だろう。それが自分が与えた影響なのか白銀が与えた影響なのか分からないのだから。
 故に今回、因果導体という特異点が自分だけになってようやくその可能性に気付けた訳である。

「今はまだ小さいけれど、この波紋は次第に大きくなっていくわ。―――と言っても、直ぐにどうこうはならないでしょう。多分、目に見えて歴史が変わっていくのは、もっと先―――早くても数カ月先になるわ。だから、あんたが経験した事件は内容が少し変わるぐらいで概ね同じような時期に同じように起こるって事ね」
「庄司は、この事を知ってるんですか?」
「明確には口にしなかったけど、さっき仄めかして言ったわ。―――迷惑を掛けるが、そのイレギュラーのカウンターとしても使えるから安心しろってね」

 存在するだけで世界に影響を与えるならば、その影響に対して能動的に干渉することによってもまた別の影響を与えられるはずだ。つまり、こちらの思惑通りに運ばない場面に関しては、カウンターとして三神をぶつけてやれば良いのである。
 喩えるならば―――ウイルスとワクチンの関係に程近い。
 原因が三神ならば、修復できるのも三神のみ。
 毒をもって毒を制す、というやつである。

「事実、今回の迎撃戦もそうでしょ?三神がいなければ、旅団規模のBETA群で済んだ。三神がいたからそれが師団規模に膨れ上がった。けれど、三神がいなければ白銀、あんた死んでたでしょう?それに他の連中も」

 カウンター?と首を傾げている白銀に香月が説明してやると、ああと白銀は一度得心して、あれ?と再び首を傾げた。
 無理もない。
 卵が先か鶏が先か。
 ここまで来るとどちらが原因で結果なのか分からない。まさしく因果律のジレンマである。

(三神を殺すって言う案もあるけれど、もう既に波が出来てしまっている以上、殺したところでそれが消えるわけじゃないのよね。むしろ、イレギュラーに対処できる唯一の人材が居なくなる結果になるから、こっちとしては苦しくなる一方、と………。―――本当、いてもいなくても厄介な奴だわ)

 トランプで言えばジョーカーだ。使い勝手は良いが、どこかで必ず足を引っ張る。
 まぁ、その辺りについては諦めるしか無いわね、と香月は苦笑するとまだ因果律のジレンマに囚われている白銀に他に何か質問ある?と尋ねてみる。

「これからの行動計画って言ってましたけど―――何か案があるんですか?」
「差し当たっては、日本の方ね。取り敢えず、三神が鎧衣課長を通して、15日に再度の謁見を取り付けたようだけど―――その時のことは、あんたの方が詳しんじゃない?」

 言われ、白銀はあぁと得心した。
 悠陽達との再交渉。それから、白銀自身は沙霧との交渉がある。是如何によってはクーデターが起きるか起きないかの瀬戸際なので、本当に気が抜けない。

「ま、そっちの方はアンタ達に任せるわ」

 既に段取りは組まれている。ここで無理に香月が動く必要性はないだろう。だから彼女は白銀と三神に丸投げ―――もとい、一任した。
 そして、今からやる事あるからとっとと出てきなさいと促す。

「―――白銀」
「はい?」

 そして去り際の白銀に、香月は声を掛ける。

「こうなった以上、あたしはアンタ達を信頼するわ。今日この時を以て、アンタ達をこの魔女の『仲間』と認めてあげる。だから頑張んなさい。座して得られるものはないんだから、何処までも手を伸ばして―――あんたが望む、最上の未来を掴みなさい」
「―――はいっ!」

 直立不動で敬礼をして、白銀は執務室を後にした。
 閉じられた扉をしばらく眺めてから、香月は革張りの椅子に背を預けて虚空を見やる。そして、照明を遮るように右手を翳す。
 その右手は―――小さく震えていた。

「―――あたしも、掴まないとね」

 その震えごと、自身の不安を押し殺すように握りつぶした。






 神宮司はその扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けたまま開けるのを躊躇っていた。
 開ければまず間違いなく面倒くさい事態になるだろうと予測していたからだ。ノックして部屋の主から返事があって―――既に五分はこうしているだろうか。しかし何時までもこうしている訳にはいかず、意を決して彼女はその扉を開け―――。

「いらっしゃ~い!」

 部屋の主に飛びかかられた。
 叩き落とそうかと思ったが今は上官だ。昔のように手を上げるわけにはいかない。結局仕方無しに、なすがままに抱擁を受け入れる。

「………式王子中尉。もう少し落ち着きを持っては如何ですか?」
「えへへへ………神宮司軍曹久しぶりですねぇ~」

 部屋の主―――式王子小夜はふにゃふにゃとした笑みを浮かべながら神宮司を抱きしめて身を摺り寄せている。それを猫のようだと思っていると、やおら彼女はこちらを見上げて。

「―――まりもちゃんって呼んでいいですか?」



 神宮司の眼力で世界が数秒凍った。



「で、私に与えられた仕事とは?」

 訓練兵時代を思い出したかカタカタと震える式王子を見下すように神宮司が問いかけると、トリップした馬鹿がはぅあっ!と何か真理に行き着く。

「う、うぅ………軍曹が怖い………可愛いのに………怖いのに可愛い―――はっ!?新しいジャンルですかっ!?コワカワ!?」
「し・き・お・う・じ・中尉~………?」

 しかしそうした茶番に何時までも付き合っている気がない神宮司がスタッカート付きで式王子の名を呼ぶと、彼女は直立不動で敬礼する。

「ひ、ひゃいっ!こ、これでありますっ!!」

 次いで部屋から引っ張り出したのは、ホテルの給仕が使うようなワゴンである。上には食器や何やらが乗っており、パッと見二人前はあるような気がした。
 彼女が言うには、これを香月の元へと運び、共に食事をとれとの事だった。

「つまり夕………香月副司令と食事しろと?」
「ん~。少佐が言うには、近々大きな実験があるらしくて、その前に溜まったストレスを吐き出させてやった方がいいとの事です」
「しかしそれならばわざわざ式王子中尉の部屋に来る必要性は………」
「ちっちっち………甘いですよまりもちゃ………ごめんなさいもう言いませんすいませんでしただからそんな虫けらを見るような目は勘弁して下さい………」

 再び絶対零度の視線をぶつけてやると塩をかけられたナメクジのごとく縮むがそれも一瞬で回復する。タフというか立ち直りが早いというか鳥頭なんだなコイツと神宮司は結論を得た。

「それで?何故中尉の部屋に来る必要性が?」
「それはですね~………―――コレですよっ!!」

 そう言ってやおら取り出した『ソレ』を見て、思わず神宮司は仰け反って顔を引き攣らせた。

(嫌な予感ってどうやっても当たるものなのね………!?)

 世の中の真理を垣間見た気がしたが考察は取り敢えず後である。まずはこの状況を切り抜ける術を探さなければ。だから神宮司は現状把握のため、式王子に話しかけた。

「し、式王子中尉。―――『ソレ』をどうしろと?」
「当然、着るんですよ~?」
「誰が?」
「軍曹が」
「―――何でそんなモノ持ってるんです?」
「趣味です。―――知っているでしょう?」
「いやどうやって入手したんですか?」
「私の実家服屋ですから。必要なら自作できますし」

 やっぱり駄目だコイツ軍人としてとかよりもまず人間として色々駄目だ、と神宮司の脳内会議で満場一致で即決だったわけだが、そんな事情を露ともせずにじり寄ってくる馬鹿一人。

「神宮司軍曹のサイズも把握してあるので大丈夫ですよ?えぇ―――2キロぐらい太ってても調整は効きますし効かせます」
「何故それをっ………!?」
「さっき抱きついた時に測りました。―――一目見た時に以前のサイズじゃないって思ったので」

 この女、油断ならない。

「さぁ、楽しくお着替えしましょうか。速やかに、早急に、軽やかに、艶めかしく、卑猥に、いやらしく―――具体的に言えばエロくっ!!」

 最初の三つ以外意味は一緒である。
 ハァハァと鼻息荒く、更にはワキワキと手を蠢かせて変質者が迫ってくる。さながら獲物を追い詰めた肉食獣のそれであった。

「―――きょ、拒否します………!」

 思わず後ずさりして拒否権を行使する神宮司だが、権力を持った馬鹿ほど手に負えない存在は無い。

「軍曹。これは上官命令なのですよ~?―――大丈夫、撮影会の準備は既に出来ていますので」
「そ、そんな心配はしてませんっ!!」

 この女、本当に油断ならない。

「問答無用!覚悟ーっ!!」
「あ!ちょっ………!?」

 そして逃げる間もなく―――神宮司は式王子の餌食となった。






 その日の夕刻頃、香月は死に掛けだった。
 原因は腹部の過剰痙攣で―――詰まるところ笑い死にである。

「ちょっと………ま、まりも………あんた、なんて格好を………!!」
「い、言わないで夕呼………私だって、好きで着たわけじゃ………」

 書類整理をしているところに神宮司が夕食を持ってやってきた。
 それ自体はいい。社が付き添っていたから、彼女の手引きなのだろう。
 問題だったのは―――その服装だ。



 ―――メイド服だったのである。



 フリルカチューシャにフリルのエプロン。加えて濃紺のロングスカートと言う嫌味な色気のない所謂ヴィクトリアンメイドではあるが、神宮司自身のメリハリの効いたプロポーションと相まって、非常にオトコゴコロを擽る仕様であった。
 更に羞恥のためか彼女は耳まで真っ赤に染めており、非常に加虐心を煽る状態だったのだが―――女の、しかも親友の視点から見ると笑いの種にしかならないらしい。

「ひぃ………ひぃ………に、似合ってるわよ、まりも………くくっ………!何処かのメイド長みたい………!!」
「笑いを堪えながら言ったって説得力無いわよ!後それ褒めてるようで褒めてないわよねっ!?」

 ケタケタと爆笑する香月に、最早余裕が無いのか相手は副司令だというのに友人のノリで突っ込む神宮司。

「はぁ、はぁ………あぁ笑った笑った―――ぷっ………!」

 そんな遣り取りが続いた後、笑いで流れた涙を拭い、香月はもう一度興味深げに神宮司を見やる。

「いやぁ可愛いじゃない。―――まだまだあんたも若いわね」
「うぅ………夕呼に言われても嬉しくないわよぅ………」
「あんたそれどういう意味?」

 何気に酷い事を言われたようなので追求しようとするが、羞恥の極みで涙目の神宮司には届かなかったようだ。

「で?何でまたそんな格好を?」
「知らないわよ。ただ三神少佐の言うとおりにしたら………」

 それだけ聞いて、香月は理解した。

(あの馬鹿、変な気を回したわね………)

 つまり、この茶番は三神の手回しによるものなのだ。おそらくは、ストレスという不安材料を排除するための処置だろう。しかしもしもそれ以外の意味があるとしたら―――。

「―――最後の晩餐ってことね………」
「は?」
「何でもないわよ。それより、料理あるんでしょ?―――給仕して頂戴な、メイド長さん」
「誰がメイド長よっ!!」

 軽口を叩く香月に、神宮司は渋々と従う。
 その様子を愛おしそうに眺めながら、香月は親友に胸中で言葉を掛ける。

(ありがとう、まりも。それから―――さよなら)

 きっと、きっとまた戻ってくるから―――。






 そして11月11日の深夜―――時刻はそろそろ日を跨ごうとしている。場所はB26階―――擬似生体精製用の部屋に三神と香月はいた。

「では問うぞ香月女史。―――覚悟の程は?」
「愚問ね」

 問い掛ける三神を、香月は鼻で笑った。

「あの時にあたしはこう言ったはずよ三神。―――この魔女の命、好きに使いなさいと」

 だから最早問答は必要ない。
 必要なのは、始まりの言葉のみ。
 故に―――三神は告げる。
 救世の為に必要な―――始まりの言葉を。

「香月夕呼。貴方には、今から―――死んでもらう」

 そして―――かちりと音を立てて、時計の針は12時を指し示した。



[24527] Muv-Luv Interfering 第三十章   ~反転の聖魔~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/09 02:28
 白い世界の中、自分の意識がバラバラに刻まれていくのを香月は感じていた。まるでジグゾーパズルのピースのように、一つ一つ丁寧に『香月夕呼』という存在から意識が引き剥がされていく。その様は、まるで心が壊されていくようだった。
 しかし―――そこに恐怖は無い。
 今、彼女が感じていたのはどちらかと言えば懐かしさだった。
 走馬灯―――多分、これはそれに近いものだ。引き剥がされていく意識と―――それに付随する記憶達。香月は残っている意識でそれを眺めている。
 それは自分の生まれた瞬間から始まっていて、まともに考えれば少し気恥ずかしくはあった。だが、もしも自分の身体が正常に反応していたとしたら、涙を流していただろう。それぐらい懐かしくて―――何処か切なくもあった。
 ―――物心着く頃から、神童と呼ばれていた。その基準が世間一般でどう価値があるかは当時の香月には分からなかったが、その稀少性を理解できるぐらいには賢しい子供だった。そして、誰に言われるでもなく、彼女は自らの知的好奇心の赴くままにあらゆる物、あらゆる場所を使って貪欲に知識を吸収し始める。しかしながら、余りにも速い吸収速度に世間のほうが付いていかなくなる。やがて、彼女は知識を吸収するのに飽き始めると―――今度は知識を作り出す快感を覚えた。世間一般で言えば、それは研究と言えるものだったが、彼女にとっては遊びに近いものがあった。
 ―――あるいは、『香月夕呼』という女性は、その頃から大して成長していないのかもしれない。誰よりも早く、そして限り無く完璧に近い形で成熟してしまったが故に、それ以上は必要なくなってしまったのだ。
 しかしながら、それでも彼女は人間だ。天才であっても完璧ではない。だから―――生きている以上、転機は訪れる。
 ―――神宮司まりも。
 自身をして、唯一無二の親友と呼べる女性。
 最初は―――多分、見下していたと思う。天才である自分と比較すれば、彼女は何処までも凡才だった。多くの天才の有りがちな傾向は、香月にとっても例外ではなかったのだ。
 それでもここまで付き合いが長くなったのは何であっただろうか。果たして、一体彼女の何に惹かれたのだろうか。改めて考えると、そんなモノは無かったような気がする。理屈を追求する科学者としては失格かもしれないが、何処か本能で彼女は自分にとって必要な存在なのだと感じたのかもしれない。
 やがて、神宮司は軍人として戦場に出ることとなる。それを持ち前の先見性で悟ったが故だったか―――香月はその頭脳を以てして動き出す。
 いずれにしても共に戦場に立つことは出来ない。知的好奇心の赴くままに育ったがために、彼女の身体能力は世間一般から見ても低い部類だった。今から鍛え直すには遅すぎる。だから―――彼女とはまた違った方法で戦うことを香月は決めた。
 ―――オルタネイティヴ4。
 後にそう呼称される極秘計画。何処か子供のような我侭を通すために、彼女はその最高責任者の座についた。そして、それはやがて彼女にとって生き甲斐と言える程まで重要な存在となっていく。


 ―――何度も挫折した。


 誰に頼ることも出来なくて、常に何かに追い立てられるような焦燥感を表情に出ないように努力した。


 ―――魔女は悠然とそこに在らなければならない。


 みっともなく喚き散らすこともなく、ただ人類の―――もっと限定的に言えば、自身が守りたいと思う人達を救済する為にその身を粉にしなければ。


 ―――何度も発狂しそうになった。


 先が見えない闇の中で、あらゆるモノを犠牲にしつつ、ただただもがき続けた。


 ―――だが魔女は残酷でなければならない。


 それこそが彼女に赦された唯一つのやり方―――唯一つの流儀なのだから。
 ありとあらゆるモノを犠牲にしても、どれほどの犠牲を出そうとも―――だからこそ、手に入れうる最上の未来を手に入れる。


 だから『香月夕呼』は意識を開く。
 光を見つけ、手を伸ばす。
 眩むようなそれに向かって手を伸ばす。
 届けと。
 最早自分には、それしか残されていないのだから。
 そして―――その光を手にした『香月夕呼』は死を迎え、『コウヅキユウコ』へと生まれ変わる。


 世界を憂う魔女から―――世界を救う聖女へと。






 11月12日

 その日の朝、白銀は社とB19階にあるシリンダールームで朝食を取っていた。メニューはいつも通り鯖味噌である。
 昨日は色々とあったが、一日過ぎれば思考は日常へとシフトしていく。こうした切り替えができるのは染み付いた軍人体質に依るところが大きいだろう。しかしながら、白銀の気分は酷く複雑なものだった。

(―――夕呼先生………)

 香月の姿が朝から見えなかった。
 いや、予想はつく。昨日、彼女は『今夜00ユニットになる』と言っていたのだ。であるならば、今は人格の転写手術の最中か―――終了後か。いずれにしても、もう彼女は生身の人間では無くなっているだろう。もっと根本的なことを言うならば―――『香月夕呼』はもう死んでいるのだろう。
 そして多分―――成功しているはずだ。
 三神が『香月夕呼は一度00ユニットになっている。そしてその手術を三神が行った』という前例を作った―――より正確に言うならばその因果情報を内包している以上、彼が手掛ける限り世界から補正が入る。
 だから昨日の話に出てきたイレギュラーが起こったとしてもおそらくプラス方向に働くし、よしんばマイナス方向に働いてもそのカウンターとして彼がいる以上何も問題はないはずだ。
 しかし―――。

(―――くそっ………!分かってるけどさぁ………!)

 自分でも相当甘いと自覚している。
 何かを得るために何かを犠牲にしなければならないのは理解できる。鑑純夏と人類の救済を両立させるためには、対価としてまた別の誰かを生贄として捧げなければならないのは理解している。
 だがそれでも、彼女も白銀にとっては恩師の一人なのだ。
 どうしても、心が乱れる。

「白銀さん………」
「霞………」

 そっと手を握られる。白く細い手指は柔らかく、そして少し冷たくて、茹だつ思考の熱を吸いとってくれるようだった。
 こんな小さな少女にまで気を遣われるという事実に、白銀は少しだけ自己嫌悪する。そんな状況から早く抜け出したくて、深く吐息して気持ちを落ち着けるように努力すること数秒。やっと彼女の顔を見れるまでに落ち着いた。

「ごめん、気を遣わせちまったな………」
「いえ………」
「大丈夫かな、夕呼先生………」

 何となしに呟いた言葉に、社は瞼を閉じるとまるで黙祷を捧げるように沈黙し、やがて言葉を発した。

「―――大丈夫です。成功、しました………」
「―――え?」
「三神さんがほっとしています。………多分、成功したんです」
「霞、三神をリーディングは出来ないはずなんじゃ………?」

 社の言葉に白銀の脳裏に疑問が過ぎる。
 そう言えば、数日前、基地内の雰囲気を改善しようと言う時に、三神自身が話していたはずだ。あの若手少尉二人に絡まれるのが分かっていたので、メッセンジャーとして社を自分と三神のどちらの側に置くかを考え合った時に、『リーディングが効かない私の側に配置したほうがいいだろう』と言っていた。
 その理由こそ彼自身も分かっていないようだったが、協力を仰いだ社がそれを否定をしなかったので今の今までそれを信じていたのだが―――どうやら、少し事情が違うらしい。

「リーディングは、出来ます。ただ、『理解が出来ない』だけで………」
「リーディング出来るけど、理解が出来ない………?」

 オウム返しに口にして、白銀は小首を傾げる。

「心は分かるんです………。今みたいにほっとしているとか、焦っているとか、楽しいとか、悲しいとか………そういう大まかな感情の色は。でも、何を考えていて、どんな言葉を心で紡いでいるのかは―――『速すぎて』理解出来ないんです」

 身振り手振りを交えて何とか説明しようとする社に、白銀は思考を総動員して結論を得ようとする。
 つまり、情報として三神をリーディングは出来るが、その情報の精査が出来ない、ということだろうか。これを機械―――丁度パソコン辺りに例えるならば―――。

(処理ができないってことか………?)

 フォルダに入った情報を見ることが出来ても、いざ読み込もうとするとスペックが足りなくて処理落ちしてしまう。それを防ぐために社自身は上っ面の情報は読んでもそれ以上は読まないようにしているらしい。

(じゃぁ、逆にそれだけの処理能力があれば………三神をリーディング出来る………?)

 ふと思いつくが、いや、と小さく首を横に振る。それが出来たところで意味はないだろうと。
 そもそも、三神の因果導体開放条件が『不明であることが条件の一つ』であると彼が言っている以上、彼の口から出て来る情報以外を知るのはまずいだろう。社が彼を完全にリーディング出来ないのは、ともすればその部分が絡んでいるのかもしれない。
 だから白銀はそれ以上考えないようにして、シリンダーに浮かぶ幼馴染を見上げる。

(―――もう少しだけ、待っててくれよ。純夏………)

 その呼び声に応えることは無く、未だ眠れる姫君は、ただただ蒼白い光の中にいた―――。





 芒洋とした白い世界が収束していき、やがて暗闇が訪れる。
 バラバラに刻まれた意識達が再集結し、『コウヅキユウコ』という新たな存在を創り上げていくのを、広がっていく意識の中で香月は感じていた。更に、その思考が加速していく。おそらくは、量子電導脳が正常に稼動し始めたのだろう。
 半ば本能的に起動確認を始める。



 00ユニット『コウヅキユウコ』の起動確認開始―――。

 グレイ・ナインの温度安定―――正常稼動中。

 ODLの減衰劣化率0.005%未満―――予測稼働限界時間までおよそ68時間と39分。

 プログラミング言語精査―――待機状態の為コプロセッサにて作動中。

 仮想人格『コウヅキユウコ』起動を確認。思考加速化現象を確認。演算領域の圧迫を認識。対処としてQuantum Computation Languageへの切り替え推奨―――承認。

 量子電導脳演算試験開始。試験内容は2のN乗―――試算終了。正常稼動中。

 総括。量子電導脳は正常稼動中―――システムに異常は認められず。

 続いて擬似生体のバイタルチェック―――終了。各部正常稼働中。転移手術後の拒絶反応も認められず。即時身体使用可。

 擬似生体適合率100%―――00ユニット『コウヅキユウコ』完全稼働を確認。

 起動確認終了―――00ユニット『コウヅキユウコ』に問題は認められず―――。



 次々と脳裏に浮かび上がっていく報告を焦るでもなく捌いていく。エラーは一つとして浮かび上がらず、それを少しつまらなく思い、同時にあの馬鹿はきちんと仕事をしたようねと妙に感心する。

(さて、と………。じゃぁ、折角だからちょっとやってみましょうか)

 瞼を落としたまま、香月は下唇を舐める。
 量子電導脳はそれ単体でも十分過ぎるほどの演算能力を誇るが、その真価はまた別にある。00ユニットが存在する全ての平行世界の量子電導脳へと接続し、その演算能力を借りて行う超並列演算処理こそが00ユニットの本領だ。
 そして演算能力を間借りするということは―――他世界の情報を入手できると言う事に他ならない。

(例えば―――BETAを簡単に蹴散らせる、呆れるほどぶっ飛んだ兵器の設計図とかね………!)

 黒い考えを浮かべながら、しかし『まぁいきなりそれはまずいでしょうけど』と胸中で付け加える。
 現段階では00ユニット脅威論を掲げる連中はまだいる。それを封じる為には、最初は無茶な事はできない。明らかにオーバーテクノロジーな兵器を創り上げてしまえば、それが新たな火種になりかねないのだ。
 まずは甲21号作戦で00ユニットの試験運用を行い、桜花作戦でその有用性を証明してじわじわと彼等を消していく必要がある。最終的に人類が対BETA戦力として00ユニットに依存するようになれば、後はゴリ押しで脅威論者を封殺することも出来るだろう。

(ま、それは来年の楽しみに取っておくとして―――今は、こっちを片付けましょうか………)

 無意識領域にあるポートを解放する。
 手近な並行世界からノードを繋ぎ、リンクを作ろうとするが―――それが急に消失した。
 眉をひそめると同時、暗闇の世界の中から―――ぼんやりと影が浮かび上がった。それは最初、球体の形をしていたが、徐々に人の形となり、最終的に―――よく見知った人物となった。

「初めまして、と言うべきかしら?―――『あたし』」
「自分の顔を鏡以外で見るってのは、さっき自分の擬似生体を見た時だけだと思ってたんだけどね………」

 そのよく見知った人物―――香月夕呼の姿をした『それ』に話しかけられ、香月は苦笑と共に軽口を叩く。これが何であるか、予想は大体つく。

「―――無意識領域下の統括者………ってところでいいかしら?」
「そうよ。00ユニットは別世界の00ユニットと無意識領域で繋がっている。転じて言えば、無意識領域を共有していると言ってもいいわね」
「それを統括するのがあんた………ってコトね」

 言うならば、これはインターフェイスだ。00ユニット専用のナビゲートコンピューターと言っても良い。

「―――でも、なんで『あたし』の姿なのよ?」
「認識の問題よ。『あたし』を一番知っているのは誰?」
「成程、『あたし』を一番に知るのは『あたし』。だから他世界の00ユニットの翻訳としては『あたし』の姿であるのが最も効率的である、か」

 例えば、これが鑑純夏であれば鑑純夏の形をした統括者が出て来たであろう。

「話が早くて助かるわ。鑑純夏の時は時間が掛かってしょうがなかったからねぇ。―――ま、あんな思いをすればそれも当然でしょうけど」
「あんな思い?」
「体験してみる?00ユニットは演算能力を共有できるんだもの。当然、情報なんかも共有出来るわ。例え個体が違ったとしても―――同じ量子電導脳ならね」

 嫣然と微笑む統括者に、香月が眉をひそめていると―――突如、それが来た。

「―――っ!?」

 フラッシュバックのように映像が過ぎっていく。それは記憶の奔流だ。しかも、ただの雑多な記憶ではない。鑑純夏の―――生身であった時の、最後の記憶。

「か………は………っ………!!」

 『その記憶』を追体験する。しかも―――体験とはよく言ったのもので、御丁寧にも感触付きだ。
 触手状のものに身体を拘束され、その体液と思われる物で体中ベトベトにされ―――抵抗の意識さえ吹き飛んでいく。まるで頭のネジを一本一本丁寧に抜いて、解体していく作業のように、身体ばかりか心さえ壊されていく。
 それに反比例して、性欲だけは異常なまでに昂ぶっていく。催淫剤を致死量限界まで投入されたように、触れられただけで身体が反応する。撫で回されていくだけで、理性が吹き飛びそうになっていく。
 ―――拒絶する。だが、香月も『その記憶』の主である鑑純夏も拘束からは抜け出せない。
 そしてまるで電流が駆け抜けるように体の末端から痺れ始める。それが絶頂だと気づいたとき、香月は一つの命令を出した。

(強制思考制御―――!感覚をシャットアウト………!)

 唐突に、五感が抜けた。吹き飛びそうになった意識もフラットライン近くまで強制的に引き戻る。しかし、『その記憶』は終わらない。思考の中、触手群が延々と鑑純夏を陵辱していく映像だけが流れ続けている。何時間も―――あるいは何日もありとあらゆる快楽を植えつけられた彼女は、最早人間と呼べる姿では無くなっていた。
 ―――解体だ。
 足と言わず、手と言わず、切り離せる部分は全て切り離していく。スプラッタ映画の方がまだマシと思えるほど残酷に、冷酷に―――そして無機質に。
 やがて脳髄だけとなって―――。

「気分はどう?」
「―――最っ悪………!」

 追体験の終了と共に、五感を復帰させると、暗闇の中ニタニタと笑う統括者の姿があった。そのいやらしさと言ったら思わずぶん殴りたくなる程だったが―――やめておく。意味が無いし、統括者も言わば香月の一部だ。
 一研究者としての立ち位置ならば、自分も同じような笑みを浮かべていたのかもしれないのだから。
 諦めるように吐息して、システムを再チェック。今のでODLの減衰劣化率は35%低下していた。感覚をシャットアウトしなければ、下手すると自閉モードに入っていたかもしれない。

「何よコレ………!白銀から話には聞いてたけど、とんでも無いわね………!」

 ああそれにしても腹が立つ。どうしてあの娘があんな目に遭わなきゃいけないのだ。基本バカでトロくて幼馴染のことしか考えていないちょっとアレな生徒だが、ああいう真っ直ぐな部分は嫌いじゃなかった。大体、自分の受け持ちの生徒をあんな目に合わせたBETAってのは―――。

「―――?」

 はた、と思考が止まる。自分は今、一体何を考えたのかと自問し答えが返って来る前に統括者が口を開く。

「不思議?実はそうでもないわよ。白銀の話は覚えてる?」

 白銀の話、と言われて眉を動かすと統括者は御丁寧にも説明を始めた。

「白銀は『二回目の世界』で一度『元の世界』に逃げ出した。まぁ、『あたし』の思惑としては鑑純夏の記憶を回収するためにね。でもその際、他の人間の記憶も虚数空間にばら蒔かれているのよ」
「じゃぁこれは………」
「そ。あんたが今感じた怒りや記憶は―――白銀の言う『元の世界』の香月夕呼の因果情報が原因よ」
「鑑純夏がそうしたように、あたしも記憶を回収して統合している………?」
「ま、今は違和感の方があるでしょうけどね。その内気にならなくなるわ。それはどの世界の『コウヅキユウコ』でも一緒。環境や経験に差こそあっても、所詮はベースを同じくする人間だしね。互換性は当然あるわ」

 同じように、心を壊された鑑純夏が00ユニット『カガミスミカ』として、安定性を得るために、別世界の同位体の情報を取り込んだ事例もある。そしてそれは不具合には繋がらず、むしろ00ユニットを完全稼動させる一因となり得た。
 そのことから鑑みるに、こうした他世界の因果情報には同位体であれば互換性はあるし、基本的にマイナス要因にはならない。

「―――さて、じゃぁ、本題に入りましょうか。あんたの要求はただ一つでしょ?」

 統括者が脱線した話を元に戻そうとする。そう言えば、自分は他世界の兵器情報を入手するためにポートを開いて平行世界とリンクしようとしていたのだ。

「分かってるなら話は早いわね。―――一番いいのは白銀や三神の言う『前の世界』のやつかしら?」

 あまり先進的過ぎても困る。再現できなければ意味が無いし、再現出来ても争いの種になるようなのは御免だ。

「そうねぇ。他にも色々あるけれど………あんまり先に行き過ぎたものは周囲から勘ぐられるから、そのあたりが一番いいでしょうね。―――それでもキチンとダウングレードして使うのよ?」

 そう言って、統括者は右手を振る。すると、まるで手品か何かのようにそこに正立方体の何かが出来上がる。鑑みるに、それが平行世界の情報―――を圧縮したものだろう。

「―――?」

 しかしそれを出現させただけで、統括者の動きが止まる。その上―――。

「誰がタダでやるって言ったの?」
「はぁ?」

 陰険な笑みを浮かべて宣う統括者に、さしもの香月も不機嫌な声を挙げた。元々、会話の主導権を握られるのを嫌う彼女だ。こうも良いようにされるのは本意ではない。今我慢しているのは、こちらが主導権を握るためのカードを持っていない為である。
 でなければ、とっくの昔に全てを掌握している。

「世の中甘くないわよ。演算処理だけならともかく―――情報を引き出すとなると、それなりに準備や条件がいるの。特に白銀や三神の言う『前の世界』のに関しては、ね」
「どういう事よ………?」
「『前の世界』でどうして香月夕呼が00ユニットになる必要があったかしら?」
「それは鑑純夏が機能停止したから………―――!」

 言われて気付く。確か、彼等の『前の世界』での結末は―――。

「そういう事………か」
「話が早くて助かるわ」
「因みに聞くけど―――あたしは『何人目』?」
「一人目であって何人目でもあるわ。―――世界という概念の前に時間という法則は意味を成さないから」

 そうそう、と手を叩いて彼女は続ける。

「唯一つだけ言えるのは―――『三神庄司が関わった00ユニット香月夕呼』は、あんたで二人目よ」
「―――それは、三神が単一の存在ってこと?」

 色々と量子電導脳をフル活用して考察してみるが、結論を得られず問うてみると、統括者はさぁね、と笑みを浮かべた。

「まぁ、今あたしに聞かなくても目を覚ましてアイツに会えば分かるわよ。ただ―――そうね、一つだけ忠告しておくわ」

 そして、まるで魔女のような託宣を下す。

「三神庄司は………いいえ、『ミカミショウジ』はアンタ達の最大の味方にして―――最大の敵よ」






 時刻は夕刻。
 いつものように屋上へと出た三神は、煙草を取り出して口に加え、風から庇うように手を翳して火をつける。そしてそれを一吸して、紫煙を吐き出し、フェンス越しに廃墟となっている柊町を眺めた。
 ―――00ユニット制作は昨日の深夜から行い、早朝には片付いた。
 人格転写手術自体は成功したはずだが、彼女が目覚めないことには安心出来ない。故に、経過観察を今まで行っていたのだ。
 だが、昼頃にODLの異常劣化を数分だけ起こったことを除けば、概ね順調で、それも前回と同じように量子電導脳の最適化に於ける揺れ幅である可能性を考えると、既に峠は超えたと見て良い。だから三神は一服がてら屋上に上がってきたのだ。
 そして、口にした煙草が半分ぐらい灰になった時だった。

「―――あら?少佐………?」

 不意に、昇降口から声がして、振り向いてみると二人の女性が立っていた。

「―――風間と宗像か。どうした」

 風間と宗像だ。二人一緒なのはいつものことだが、屋上で鉢合うというのは珍しいシチュエーションだ。だから興味本位で聞いてみたのだが―――。

「少佐こそどうされたんですか?随分と黄昏ていたようですが。―――恋のお悩みですか?」
「あらあら美冴さん。そんな好奇心をむき出しにしては駄目ですよ?この間のことを考えるに、少佐はシャイな方なんですから」
「ああ。そう言えばそうだったな。これからは気をつけよう」

 うんうんと二人は頷き合って―――そろってこちらを見る。

『―――で?お相手は誰です?』
「君達も随分イイ性格しているね………」

 どうしてA-01は他人の恋愛沙汰を肴にしたがるのか。他に娯楽がないからか、と三神は結論して、右手にした煙草を軽く見せた。

「なに、一仕事片付いて息抜きしていたところだよ」

 君達は?と逆に問うと、風間が手にしたものをこちらに見せた。その黒い瓢箪のような形をしたケースを見て、三神はああと頷く。言うまでもなく、ヴァイオリンだ。

「今日の訓練は終わりましたから。夕食までもう少し時間がありますし―――少し練習をしようかと」
「少佐も如何ですか?―――確か、祷子の演奏はまだ聴いていないでしょう?」

 宗像にそう言われ、ふむ、と三神は考える。

(ここで固辞するのも逆に変か………まぁ、良い息抜きにはなるかな………)

 既に三神の仕事は終わっている。
 ここ最近忙しくて、心にゆとりがなかったのも事実だし―――それに、『かつて』の『いつか』、共にあった伴侶の若かりし頃の演奏を今になって生で聴く、というのもなかなか乙なものだと思った三神は静かに頷いた。

「―――では拝聴しよう」






 統括者の言葉の意味を、香月は高速で考察しつつ―――今まであった情報を元に問いただしてみる。

「―――それは、因果律のバタフライ効果と言う意味で?」
「その程度は可愛いもんよ。もっと本質的な部分で、アイツは敵なのよ。―――本人は気づいていないだろうし、多分、これから先も気付くことはないだろうけどね」
「それは一体………―――!」

 問いかけると同時、情報が来た。先程のような追体験ではなく、これはただの情報群だ。送りつけられたそれは、自動で解凍して香月の思考領域に展開していく。

「面倒だから情報を送ったわ。―――それを見て判断しなさい」

 相変わらず主導権を握られっぱなしで腹立たしい限りだが、こちとら起動して直ぐの―――言わば赤ん坊のような状態である。だから、キチンと00ユニットの機能を使えるように把握してから絶対復讐してやると香月は固く誓う―――が、次々に展開されていく『ミカミショウジ』の情報群を読んでいく度に、段々と香月の表情が強張っていく。
 
「なんてこと………。冗談じゃないわ………!ちょっと面倒なだけかと思ったら思いっきり面倒なことになってるじゃないっ!!」

 思わず叫ぶ香月だが、それで解決するわけでもなし―――そもそも、そんな痴態は統括者を助長させるだけだと気づき、即座に感情を抑えこむ。
 どうも新たに取り入れた因果情報―――即ち、白銀の『元の世界』の香月夕呼の影響で、少し熱しやすくなっているようである。

「つまり、あんたはあたしに『ミカミショウジ』を救えって言いたいのね?」
「まぁ、どちらかと言えばそれはオマケね。まだ時間もあるし『あたし』ならそれまでに対抗策は考えつくでしょ。だから、平行世界の情報を読む条件として―――鑑純夏を………いえ、『カガミスミカ』を救いなさい」

 先程の遣り取りで、情報を引き出すのに準備と条件が要ると言っていた為、それ自体は予測できた。だから、香月は違った切り口で問を重ねた。

「―――あたしが『カガミスミカ』を救うのは、確定事象なの?」
「答えはYESにしてNOよ。この世界軸で見ればYESだけど、世界群全体で見れば自力で世界に抗った『カガミスミカ』もいるでしょう。だから、NOでもあるの。―――そのぐらい、因果律量子論を掲げる『あたし』なら分かるでしょ?」

 確かに、と香月は思う。分岐した世界を考えれば、『全ての可能性』があり得るのだ。
 取り敢えずそれには納得できたので―――だから香月は最終確認をすべく統括者に尋ねた。

「―――これは、『約束』じゃないわね?」
「そう―――『契約』よ」

 魔女は約束を守らない。
 だが契約は果たすのだ。

「―――厄介な事を押し付けてくれたわね、本当………」

 大きく吐息して、軽くこめかみを押さえる香月に、統括者は今までの嘲ったような笑みではなく、何処か同情の色を帯びた笑みを浮かべて、手にした正立方体を投げて寄越す。
 それを片手で受け止める香月だが、精査はまだしない。おそらく、解凍できるのは、契約を果たしたその後だ。

「仕方ないわよ。既に因果導体じゃなくなった『シロガネタケル』が現れた時点で、『あんたの世界』はこの世界群の最先端となったの。―――先駆者ってのは、何時の時代も苦労するものよ」

 だから、と彼女が続けると―――暗闇の世界が薄らぎ始めた。
 そろそろこの邂逅も終わりか、と香月の直感的に気づくと、遠ざかっていく思考の中で統括者の最後の声を聞いた。

「せいぜい頑張りなさい天才〈あたし〉。―――その全てを掴むために」

 そして―――聖女は現世へと還る。
 その手で奇跡を起こすために―――。





 夕闇に吹く風が、ヴァイオリンの奏でる旋律を運んでいく。その最後に紡がれた音が掻き消されるまで待ってから、三神と宗像は拍手で演奏者を賛えた。

「いい腕だね風間。―――将来の夢はプロかね?」
「そんな………私なんてまだまだです」

 謙虚に応じる風間だが、三神は知っている。BETAが居なくなった世界で、彼女が思うがままにその道を歩んでいたということを。

(今回は手伝うことが出来ないが―――応援だけはしておくよ、祷子………)

 久々に彼女の音楽を聞いたせいか、妙に感傷的になっている三神に、宗像が口元をにやりと上げて声を掛ける。

「では少佐、ここで一つ質問です。祷子が今弾いた曲名と作者は?―――因みに速瀬中尉ならここで『クロイツェル・ソナタ』にラフマニノフと答えるでしょう」
「馬鹿にするなよ宗像。クロード・ドビュッシーの夜想曲第一楽章だろう?」
『―――』

 その素早く正確な解答に、問い掛けた宗像はおろか、風間でさえも閉口した。その様子を不審に思って、三神は首を傾げる。

「何かね?」
「いえ………正直、驚きました。今時分、ドビュッシーを知ってる方がいるなんて。―――少佐も、何か音楽を?」
「まぁ子供の頃に少しな。専門はピアノだが―――付き合いの関係で、ヴァイオリンも少しだけ囓っているよ」

 『元の世界』での話だがね、と三神は胸中で付け加える。

「それはそれは―――似合いませんね」
「み、美冴さん………」
「良く言われるよ。まぁ尤も、私自身下手の横好きだから気にはしないが」
「と言うと―――ああ、いい人、ですか?」

 どうしてもそちら方面に繋げたいのか、宗像がそう言うと三神は小さく方を竦めた。

「当たらずとも遠からず、と言ったところか。初恋の人がヴァイオリニストでね。追っかけるようにピアノを習ったはいいが―――ま、元々が横恋慕だったから、結果は推して知るべし、だね」

 あの頃は若かった………と、何処か遠い目で三神は述懐する。
 何しろ物心ついてから十年越しの初恋だったのだ。実力としては凡才ながらも幾つかのコンクールに入賞するぐらいだったが、失恋と共にすっぱりと止めてしまった。以降は気まぐれでたまに触る程度だ。こちらの世界に来てからは殆ど触っていない。

(兄貴と天姉ぇ………元気でやってるだろうか………)

 初恋の人と―――その彼女と結ばれた実兄を思い出す。主観時間で言えば、もう数十年も会っていないが―――まぁ、心配しなくてもあのドバカップルは何があっても元気でやっていそうだな、と苦笑する。

『………』
「―――?どうかしたかね?」

 物思いに耽っていた為、気づいたら二人が沈黙していた。不思議に思って問いかけると、彼女達は少しぎこちなく首を振って。

「いえ………少佐も、フツーに恋愛するんですね?」
「正直、意外でした」
「君達は私を何だと思ってるのかね………?」
「突然現れた爽やか変態紳士にして戦闘系煽動者―――仲間内での共通認識です」
「み、美冴さん!幾ら何でも本当のことを言うのは………」
「風間。君、実はフォローする気無いな?―――宗像、次の訓練では私に背中を見せないことだ」

 私の本業は交渉なんだけどなぁ、と思うが『この世界』に来てからこっち、全ての交渉を秘密裏に行っている。その為、彼女達の眼に触れるのは、どうやっても普段の態度と先日の迎撃戦の割合が大きいのだろう。これなら勘違いされても仕方ないとは思うが―――。

「まぁ、私はもう行くがあまり風に当たるなよ。―――風邪引いても明日の訓練には強制参加で二人まとめて虐めてやる」

 せめてもの仕返しを訓練でする、と言外に伝え、三神は屋上を後にした。






 B19階の執務室に戻ってきた香月は、馴染みの椅子に腰掛けて深く吐息した。
 今しがた、反応炉をハッキングしてその制御中枢を手中に収め、通信機能も破壊してきた。色々と得るべき情報もあったが、それは一先ず後回しだ。差し当たっては鑑純夏の身体が必要なので、生産区画を割り出し、再起動と共にリーディングした『鑑純夏』のデータを入力してきた。調べてみると、3時間程で出来上がるらしい。
 人の身体を3時間で、しかもドリー現象を回避して精製できるBETAのクローニング技術力には正直舌を巻くが―――まぁ、今はそれも後回しだ。

「さて、やる事はやったわね………」

 誰となく呟いて、今後の予定を立てていると―――執務室の扉が無遠慮に開け放たれた。その先にいたのは、軍装姿の三神だった。少し息が荒いことを考えると、多分、香月の姿がB26階から消えていたので、慌てて心当たりを探していたのだろう。

「―――姿が見えないと思ったら………やはりここにいたか」
「ああ、三神………―――!」

 彼と目を合わせた瞬間だった。
 即座にリーディングが発動し、『読み取る』。

(これは………そう………そういうことなのね………!)

 膨大な情報の奔流。それを量子電導脳が捌いていく。
 確かに人一人の処理能力ではこれは無理だろうと香月は思う。社が読み取れるが理解出来ないと言ったのも分かる。経験と記憶を百年以上溜め込んでいるというのにも関わらず、三神の肉体年齢は依然24のままだ。つまり、脳の処理能力もそれに準じ―――しかし膨大な記憶量を整理しなければならない為に常に常人よりも活性化している。言うならば、脳の機能がクロックアップされている状態なのだ。
 当然、そんな使い方をしていればやがて壊れてしまうだろうが―――彼は、睡眠時間を多めに取ることによってその負担を極力を減らしている。以前、可能なら一日10時間は寝たいとかほざいていたが―――確かに、それぐらい脳の休息を取らなければ厳しいだろう。いや、それですら所詮は付け焼刃とも言える。
 そしてその情報で得る―――『ミカミショウジ』という存在。
 統括者が『ミカミショウジ』は最大の味方にして最大の敵と言った―――その真意。それを理解する。

「なるほど………ね………」
「………?」
「いえ、何でもないわ」

 訝しげな表情をする三神に、香月は無表情を装って否定した。

「―――何処かに行っていたのか?」
「ちょっと反応炉までね。―――取り敢えず反応炉の通信機能は潰して来たわ。後、生産区画を再起動して鑑の身体を今精製させているから、3時間後に回収に行って頂戴」
「は………?」

 しれっと告げると、彼にしては珍しく鳩が豆鉄砲を食らったかのように呆けた。出会ってからここまで、振り回されることが多かったので実に良い気味だ、と内心ほくそ笑んで香月はもう一度指示を出す。

「分かった?ああ、それと―――あんたのIDで反応炉区画まで入れるようにしておいたから安心していいわ」
「あ、ああ………」

 余りにもハイスピードで状況が進んでいたためか、唯々諾々と言った感じで三神は頷く。その様子を満足そうに見やってから、香月は椅子から立ち上がった。

「さって、これで本題に取り掛かれるわね………」

 何となしに呟いた言葉に、三神が本題?と首を傾げる。香月はふふん、と小さく鼻を鳴らすといつもの不敵な笑みを浮かべた。
 折角聖女になれたばかりなのだが、今回はどうやっても魔女として動かねばならない。逆に言うならば、魔女としては―――これが最後の役目なのだろう。
 何故ならば―――。

「―――さぁ、囚われのお姫様を迎えに征きましょうか」

 『おとぎばなし』に於いて、姫君を王子の元へ送り届けるのは、魔女の役目なのだから―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第三十一章 ~救世の裏方~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/14 19:19
 幾つもの扉があるのを香月は見た。
 夜色の世界の中、まるで無重力遊泳でもしているかのように身体を漂わせ、周囲に視線を巡らせる。そこには360度あらゆる方向に、無秩序に漂う扉達があった。大きさは様々だが、装飾は統一されており、全て木目調であった。

「―――さて、と………一体どの時間軸が『あの時』の時間軸なのかしら?」

 ふわふわと心もとない感覚を感じ、しかしまるで泳ぐようにして香月は身を滑らせていく。その様子は、さながら海中を行く人魚のようでもあった。
 ―――既に世界軸は確定している。
 香月が選んだのは白銀と三神が存在していた―――あるいは、存在している『前の世界』。量子電導脳経由でそこの世界とリンクを作り、無意識領域を経由してその世界に存在する00ユニットへ―――もっと言うならば、世界へ干渉する。
 しかしそれを行うにあたって、決めるべき時間軸がある。
 この時間軸というのが実の所厄介で、それ故に攻めあぐねいていた。
 統合者との契約は『カガミスミカ』を救うこと―――。
 それがどの『カガミスミカ』であるかは不明だが―――あの時の会話を鑑みるに、おそらくは『前の世界』の機能停止直前の『カガミスミカ』だろうと香月は結論づけている。
 それと同時に、『00ユニット香月夕呼がいる世界』の『カガミスミカ』も救う。
 故に、選ぶべき時間軸はオリジナルハイヴ攻略戦―――即ち、『桜花作戦』終局付近だ。
 だが―――。

「―――で、一体どの時間軸がそれなのよ………?」

 その扉の多さにめまいを覚え、香月はもう一度、今度はげんなりと呟いた。
 香月が干渉し得る世界は量子電導脳がある世界―――即ち、00ユニットが現在進行形で存在している世界に限られる。しかしながら、ただでさえ世界というのは無数に存在しているのだ。それだけでも砂漠の中で砂金を探すような難易度であるというのに、因果導体『シロガネタケル』の世界改変行動によって、この世界軸は必要以上に散逸している。
 正直、量子電導脳の演算処理を用いてもどれだけ掛かるか分かったものではない。

「せめてもう少し絞れる条件があれば………」

 そう呟いて、ふと白銀の言葉を思い出す。
 彼が香月の世界へと来て、『前の世界』での出来事を語った中には、桜花作戦でのことも含まれていた。その中で、『カガミスミカ』は―――。

「―――そう、か………。救うってのは、確かにそういう意味も含まれるわね………」

 考察の中、新たなる結論を得た香月は、時間軸を絞る情報を入れる。その内容は―――。

「『桜花作戦』時に於ける―――00ユニット鑑純夏が浸蝕された直後………!!」

 無数に存在する扉が、一つ、また一つと消え始め―――加速を始める。まるでドミノ倒しのように扉が次々と消えていく。それを免れ残った扉も多々あるが、おそらく後はどれを選んでも変りないだろう。
 しかしどうせ選ぶならば―――。

「その最先端!それを変えれば、その後に続く世界も変わる………!」

 そして香月はその扉を開ける。
 魔女のお節介を始める為に―――。






 2001年12月31日

 オリジナルハイヴ最奥―――人類未踏の地に、しかし人類が鍛えた剣の切っ先が遂にそこへと至った。しかしながら、その喉元を捉えておきながら―――最後の一押しを入れることが出来ずにいた。
 『あ号標的』―――。
 BETAという巨大なシステムの中枢が、神剣の切っ先を噛み砕かんと牙を剥く。
 醜悪な姿をしたそれから伸びてきた触手は、凄乃皇四型の主砲部分へと突き刺さり、充填したエネルギーを吸い取ると同時に、制御システムである00ユニット―――鑑純夏を浸蝕し、機能不全へと陥らせた。
 幸いにして、追い付いてきた御剣機の奮戦もあって、触手を切り離すことに成功したものの、依然危機的な状況には違いなかった。いや、荷電粒子砲の再充填に30分も掛かる以上、最早絶望的と言っても良い。
 しかしながら、そこに至っても尚、白銀武は諦めていなかった。
 当然だ。
 彼の双肩には、様々な人の想いが掛かっている。こんな所で、終われるはずもない。

「―――霞っ!」

 御剣が『あ号標的』を陽動して時間を稼いでいるこの瞬間こそが最後の好機。だから、彼は後部座席の社へと声を掛けた。

「―――純夏にオレの声を直接聞かせる事は出来ないかっ!?例えば直接スピーカーでとか!」
「四型の接続方式では、純夏さんに外の音を聞かせることは出来ません」

 鑑を呼び起こすのは、自分の役目だと白銀は自負している。だから何とか手段を模索するが、社は首を振って否定する。

「―――他にやりようはないかっ!?何でもいい!!」
「さっきのような同調状態が再現出来れば―――可能性はあります」
「BETAの浸蝕と同じ………!?」

 言われて白銀は思い出す。
 先程、『あ号標的』から伸び出た触手は凄乃皇四型へと突き刺さり、それを経由して機体のメイン中枢である00ユニットとインターフェイスの役割を担う社を掌握した。
 転じて言えば、『あ号標的』、『00ユニット鑑純夏』、『社霞』の順番で一律に制御、同調していたのである。
 これを人為的に再現出来れば、現状、錯乱状態にある鑑に接触することが出来るのだ。

「全く同じは無理です。でも、それに近い状態なら………」
「出来るのか、そんな事っ!?」

 問い掛ける白銀に、社は理論上は、と前置く。

「完全に同調するには、深層意識下まで潜る必要があります。その上で、リーディングとプロジェクションを同時にしないと会話は出来ません」
「でもその並列処理は00ユニットじゃなきゃ無理なんじゃないのかっ!?」
「はい。それに、私には深く潜る力もありません」
「―――えっ!?」

 如何に社霞がオルタネイティヴ3に於いて最高レベルの能力を持っていると言っても、所詮は人の枠を出ない。00ユニットのように超高速並列演算が出来るわけでも、自身の感情を機械的に抑制制御できるわけでもないのだ。
 やれてどちらか片方のみ。
 しかし、ならばそれを補う手を用いるのだ。

「でも、私と純夏さんを繋いでいる同調装置を使えば、何とかできると思います。装置の入出力を逆転させて、プロジェクションだけに集中するんです」

 社の説明を聞いて白銀は得心する。

(なるほど、純夏は今しゃべれる状態じゃないからリーディングを切るわけか………!)

 どの道、今の鑑は自閉モード寸前の状態にある。更に、感情はハレーションを起こしており、読み取っても逆に社に負荷がかかるだけだ。ならばいっそ、リーディングを切ってしまった方がまだマシな方だろう。

「―――でも深層意識下までどうやって………!?」
「装置のリミッターを解除して、私の力を機械的に増幅させれば、深く潜れるはずです」

 確かに精神に過負荷を与えないようにしているリミッターを解除すれば、一時的に社の能力は00ユニットに比肩しうる程高まるだろう。だが、当然それは諸刃の剣だ。社は元より、鑑にさえ悪影響を与えかねない。
 しかし、最早それ以上の手は残されていなかった。

「上手く行けば、白銀さんの声を直接、純夏さんに聞かせることが出来ます」
「―――最悪の場合どうなる!?」

 あまり考えたくは無い。だが、いざそれが起こった時、何も知らなかったでは次の行動が出来なくなる。

「純夏さんの深層意識に捕われて、二度と意識が戻らないと思います」

 即ち、それは社霞の精神的な死を意味する。
 だがそれでも―――。

「それでも―――やってもらえるか………!?」
「―――私も一緒に戦います………!」

 自分だって皆と一緒に戦いたい―――。
 そう願って此の場に要ることを望んだ彼女に、否は無い。あるのは、自分に『思い出』を与えてくれた人達に対する恩義のみ。だから彼女はそれを胸に掲げ、彼女は叫ぶ。

「―――始めます!」

 そして、茨に囚われた聖女を救うべく、彼等は彼女に呼び掛ける。






 鑑純夏は錯乱していた。
 『あ号標的』の触手が凄乃皇に直撃した直後から浸蝕が始まり、あっという間に制御中枢への侵入を許した。僅かな間隙を縫って、作成した障壁によって精神汚染までは免れたものの、その光景は『鑑純夏』であった頃のトラウマを掘り起こすのには十分なものだった。

「来ないで………!来ないでよ………!!」

 白磁の世界。その中央に膝を丸めたままで拒絶する鑑の周囲には、透明な障壁が張られていた。まるで膜のような薄さのそれは、遥か彼方から迫り来る無数の触手を弾き返す。
 だが、あらゆる方向から、幾度と無く突撃を繰り返す触手は、本体が凄乃皇から切り離されたのにも関わらずその猛攻を止めず―――次第に障壁の方が疲弊していく。
 そんな中、何処か遠くから―――声が届いた。

『―――純夏!オレだ純夏!―――聞こえるかっ!!』
「いや………」
『―――目を覚ましてくれ純夏っ!!―――純夏っ!』
「いや………」
『―――今、冥夜がオレ達の為に、一人で戦って時間を作ってくれているんだ………!!』
「いやだよ………」
『―――霞もお前を助ける為に、命懸けで頑張ってくれてる………!』
「いやだよタケルちゃん………」
『―――お前も今、凄く辛いんだと思う………』
「救けて………」
『―――せっかく乗り越えた嫌なことや悲しかったことを、またほじくり返されたんだと思う………』
「救けてタケルちゃん………」
『―――そんなお前に戦わせるのは………凄ぇ辛い………!』
「壊さないで………」
『―――だけどお前しかいないんだ!『この世界』を救えるのはお前だけなんだっ!』
「私を、壊さないで………」
『お前がもしこのまま目を覚まさなかったら………人類は―――「この世界」は終わっちまう!!』
「怖いよ………」
『―――お前が辛い思いするのをもう一度見るなんて、絶対に嫌なんだ………!!』
「怖いよタケルちゃん………」
『未来が分かっていたって、やり直しが出来たって―――そんなの嫌なんだよっ………!!』
「いや………」
『―――頼むよ純夏っ!戻ってきてくれ………!!』
「いや………」
『オレと一緒に戦ってくれ!皆の「この世界」を一緒に護ってくれ!!』
「いや………!」
『―――純夏ぁ………!!』
「いやぁあああぁぁぁあぁぁあぁあっ!!」

 直後、今まで鑑を護っていた障壁が弾き飛び、触手の侵入を許してしまう。そして、無防備となった彼女を食い破らんと触手群が襲いかかる。

「ああぁあぁああああぁあぁあああっ!!」

 かつての忌まわしい記憶がフラッシュバックし、狂乱状態に陥る鑑に、容赦なくそれは迫り来て―――。

「―――しっかりしなさいっ!」

 馴染みのある、とある女性の声と共に触手群は吹き飛んだ。






 触手群から護るように鑑の精神領域に降り立った香月は、両手を振るい、高速で迎撃プログラムを組み上げる。凄乃皇四型に打ち込まれた触手は、システムの掌握と共に00ユニット鑑純夏を内面から破壊する為のウイルスを打ち込んでいたのだ。

「―――全く、悪趣味極まりないわね………!」

 そのウイルスが触手の形をしていたのは、おそらく、それが最も鑑純夏の精神を攻撃するのに適していたからだろう。その効率性はともかくとして―――実に胸糞悪い話だ、と香月が思っていると、弾き飛ばされた触手達が体制を立て直し、今度は邪魔な香月の元へと迫り来る。

「この極東の魔女相手にやり合おうっての?いい度胸してるじゃない………!」

 その様子を不敵に鼻で笑うと、量子電導脳をフルに使って即座に組み上げた迎撃プログラムを起動。直後、ばちん、と紫電が弾けるような音共にそれらが周囲に出現する。
 それは―――百数十機から成る不知火の軍団だった。
 いつかあったA-01―――オルタネイティヴ計画第1戦術攻撃部隊が、連隊規模で聖女と魔女を護り抜く為に展開する。
 もしも、誰も死ぬことがなかったのならば、それは叶っていた光景だろう。

(もう少しだけ………手を貸してね、アンタ達………)

 その目的の為に、いつか犠牲にした彼等に彼女は胸中で願う。
 虫のいい願いだろうとは、自分でも思う。目的の為に彼等を犠牲にし、結局は自分の命を以てして事は成ったのだから。しかしならばせめて―――彼等が無駄ではなかったと告げる為に、そして最後の花を持たせる為に、香月は彼等の機動パターンや癖を呼び寄せて迎撃プログラムに組み込んだ。
 やがてその願いに応えるように、彼等は動き出し、迫り来る触手を攻撃し始めた。

「こう………づき………はか………せ………?」

 不意に、背後から声が聞こえた。

「あら、ようやくお目覚め?だったら早く制御系統奪い返しなさい。無意識領域経由で処理能力に一時的に割り込んでるあたしじゃ―――この辺りが限界よ」

 振り返ってみると、鑑が目を白黒させていた。
 当然といえば当然だろう。防ぎきれなかった触手によって侵食され、破壊されるかと思ったら、生みの親が目の前にいて―――何故か百数十機の不知火が自分を護るように展開して戦っているのだから。

「ど、どうして………香月博士が………?」
「面倒だから、その辺は読みなさい」

 ぞんざいに告げると、香月は正立方体の何かを投げて寄越した。鑑が慌ててそれを受け取ると、瞬時に情報が思考に展開し、何があったのかを悟る。

「―――………!じゃぁ、香月博士は………!」
「そ。別世界で00ユニットになった香月夕呼よ。だから今は―――先生と呼びなさい」

 じゃないと、こっちの世界のあたしと区別がつかないでしょ?と香月は笑みを浮かべる。

「申し訳ないけど、今ここにいるあんたを救うことはもう出来ないわ。―――けれど、『あたしの世界』のあんたを救うことは出来るの」

 香月の言葉に、鑑は渡された情報を元に理解する。
 彼女が欲しているのは、『カガミスミカ』の記憶だ。それを『香月の世界』にいる鑑純夏に渡すことによって、精神の安定化を図ろうとしているのである。

「だからあんたがその記憶をあたしに譲ってくれるなら―――あの気色の悪い親玉を倒す手助けをしてやるわ」
「もしも私が、いやだって言ったらどうするんですか………?」
「どうしようもないわね。00ユニットと言えど、同世界軸で繋げる時間軸は一つだから―――ま、この世界の近似世界でも見つけてもう一度交渉するだけよ」

 それは『前の世界』―――いや『この世界』の白銀が証明している。
 以前、00ユニット完成のための数式を『元の世界』に回収しに行ったとき、『この世界』の時間と『元の世界』の時間は進行度合い―――即ち、日付が違うのにも関わらず同期した。
 これを念頭において考えると、一度他世界に介入するとその時間軸にアンカーが打ち込まれ、世界移動時に起きる時間偏差は起こらなくなる。そして、それを利用した時間逆行は不可能になってしまうのだ。
 故に、ここで失敗するとなると、この世界軸では香月の目的は果たせない為、この世界に似た世界軸を再び探し出さねばならないのだ。
 故に、お互いにとってはここで協力するのが一番いい結果へと繋がるだろう。だから、鑑はその提案を受け入れることにする。

「約束してください。―――タケルちゃん達を、絶対に救うって」

 聖女の切なる願いを、しかし魔女は嘲笑で応じた。

「馬鹿じゃないのあんた?―――約束なんかしないわよ」
「こ、香月博士………?」

 鼻白む鑑に、香月は肩をすくめる。

「先生って呼びなさいって言ったでしょ?大体ねぇ………魔女は、約束を平然と破るものなの。だから、あたしは約束なんかしないわ。―――そんな不義理に思われるのも癪だしね」

 だから―――。

「だから、あたし達が交わすのは契約よ。対価を以て結んだ約定は、魔女の名の元に必ず履行されるわ」

 告げる香月の表情は、鑑の知るものよりもずっと柔らかく―――まさしくそれは、記憶の中にだけ存在している、『香月先生』のものであった。
 だから彼女は、魔女の背中に向かって言葉を投げる。

「お願い、します………!」

 魔女との契約はここに成る。
 そして、命短し聖女の―――最期の戦いが始まった。







 遠く、声が聞こえる。
 これは彼の声だ。
 人の身で無くなったとしても、求め続けたタケルちゃんの声―――。

『―――純夏………!』

 ―――タケルちゃん………!

『もしかしたら、お前に話しかけるのもこれが最後になっちまうかもしれない………!』

 ごめんね………私のせいで、こんなことになっちゃって………。

『もうすぐS-11が爆発しちまうんだ。そしたら、オレもお前も………霞や冥夜もお終いだ』

 でもね、もう大丈夫だよ………。

『そして………「この世界」の人類も………』

 何も出来なくて、私の我侭で世界を巻き込んじゃったけど………。 

『でも、もしこれでお前が目を覚まさなかったとしても―――それは仕方がない』

 『これからの未来』は絶対、護るから………。

『別に諦めた訳じゃないんだ………。それに、もう一度やり直せばいいなんて………絶対に思ってないよ』

 ―――タケルちゃん、優しいもんね………。

『でも、もしそうなっても、オレは―――立ち向かうよ』

 いっつも一人で先に行って………でも、いつだって私が追いつくまで待っててくれた………。きっとそんなタケルちゃんだから―――。

『いきなり「因果導体」なんて、最悪な存在にされちまったけど………』

 立ち止まっても………。

『でも、そんなオレにしかできない事だから―――やるよ』

 悩んでも………。

『本当は凄く嫌だし、凄く辛いんだぜ………?だけど―――オレは、絶対に逃げないよ』

 苦しくても………。

『自分だけが不幸だって面して泣きわめいても、誰かのせいにしても………何も変わらない』

 悲しくても………。

『自分だけが信じている自分の正しさを、いくら人にアピールしたって―――何も変わらなかった』

 傷ついても………。

『まず自分自身を変えて、現実を受け入れた上で、それを変える努力をしなきゃ―――何時まで経っても同じことの繰り返しなんだ』

 迷っても………。

『「因果導体」になって初めて、思い知らされた。そう考えると、この運命に感謝しなきゃいけないのかもな』

 それでも………。

『だから、今度は必ず―――誰にも辛い思いをさせない』

 タケルちゃんは前に進んでいくんだね………。

『―――誰も苦しめないで「次のこの世界」を護るんだ』

 だからね、私は………。

『オレのこういう考え方は………理想論なのかもしれない。そう言うのは幼稚だって―――自分でも思った時もあったよ』

 そんなタケルちゃんに似合う人になりたい………。

『だけど今は、それでもいいって思えるんだ………』

 タケルちゃんの隣に並び立てる人になりたい………!

『ただ理想を口にするだけじゃなく、それに向かって努力して、精一杯行動すれば―――』

 例え真実がどんなに苦しいものだって………!

『理想論も悪いもんじゃないって思うぜ………?』

 その答えがどんな残酷なものだって………!

『―――オレ、「次のこの世界」の横浜基地に行ったら、真っ先に地下19階に行って、お前に話しかけるよ』

 例えその未来に私がいなかったとしても………!

『そして1秒でも早く。お前が苦しみから解き放たれるように全力を尽くす!』

 そんなものがなんだって言える、強い私に………!

『「次のこの世界」ではもう純夏を苦しめない。絶対だ―――約束する』

 タケルちゃんを支えられる、そんな私になりたいから………!

『だけどさ、オレ………「この世界」で残されたあと数分間でも―――出来る限りのことはしたいんだ』

 だから―――!

『「因果導体」になって学んだ大切な事が、もう一つあるからな』

 もう何も怖くないよ―――!

『だから、例え無駄になっても―――最後の最後まで、諦めないで全力を尽くす………!』

 いつだって、どんな時だって―――!

『「この世界」に生きる人達がそうしているように………!』

 『私のタケルちゃん』は、私の傍にいるんだから―――!!

『だから頼むよ―――純夏っ!!』



 ―――うん………!一緒に征こう!タケルちゃんっ………!!







 直後、システムに異変が起こる。
 『あ号標的』によって完全に掌握されていた部分が、突如それを跳ね除けて息を吹き返し、一瞬だけだが制御中枢が真の主の元へと回帰する。
 聖女の願いが、末期の奇跡を呼び込む―――。





 御剣は管制ユニットの中、抗っていた。
 既に機体はボロボロだ。凄乃皇の正面に磔の如く縛り付けられた武御雷の右主脚は大破、そうでないところも至る所で中破していて、更には主腕のコントロールを奪われた上に離脱も出来ない。もっと最悪なのは―――。

「―――ぐっ………ぐぉぉぉっ!!」

 強化装備のリンクを介して、御剣の精神を直接浸蝕しようとしていることだ。

「―――おっ………おのれぇぇぇぇぇっ………!」

 四肢が云うことを聞かない。それどころか、徐々に神経を乗っ取り始め、御剣の命令に従わなくなりつつあった。いや、下半身は既に乗っ取られているようだった。フットペダルを踏んでいる感触すら、もう無かった。

「っ………この私が………!貴様の………言いなりになると―――思うでないぞ………っ!」

 その類稀なる精神力によって、辛うじて意識があるが、ほんの少しでも気を緩めれば直ぐにでも精神ごと『あ号標的』に乗っ取られそうだ。

「―――うぅうぅうぅうぅぅうぅうぅっ………!」

 歯を食いしばり、御剣は目を伏せる。

(―――奴等は、BETAは何処まで人を愚弄すれば気が済むのだ………!)

 巫山戯るな、と思う。
 この身体も、この想いも、全て自分のものだ。奴等にくれてやる部分など、一欠片もない。
 この星も、この世界も、あの国も―――全て地球に生きる生物達のものだ。奴等にくれてやる場所など、一つとしてない。

「―――人類を………!無礼るな………っ!」

 吐き捨てるように、御剣は呟く。
 そして―――。

「―――人間を、無礼るなぁあぁあぁぁあぁぁあっ!!」

 『何故か』一瞬だけその手に戻った制御を以て、機体に絡みついた触手を引き裂き、千切る。






 だが、引き千切られた触手群は本体に戻ると同時、瞬時に修復される。そして再び触手が再び紫の武御雷へと迫り、頭部、双肩、左主脚と残った部分を破壊していく。
 しかしその間隙を縫うように、彼女達の戦いも終局へと向かう。
 魔女が叫ぶ。
 『先生』として―――教え子が全てを振りきれるように。

「命を燃やしなさい鑑純夏!惚れた女を護るのが男の甲斐性なら―――惚れた男の背中を押すのが女の甲斐性よっ!!」
「―――はいっ………!!」

 頷くと同時、鑑は量子電導脳をフルに使う。
 乗っ取られた制御中枢を瞬間的にではなく、恒常的に奪い返すために即座に駆逐プログラムを制作。香月が作った迎撃プログラムを真似て、不知火の形をしたそれを解き放つ。
 時間が無いので、制御中枢―――機体制御を全て奪い返すのではなく、機関制御と兵装制御、それから脱出用の装甲連絡艇の制御だけ部分的に奪い返す。
 そしてその手に制御が戻ると、燃調のリミッターを開放して、搭載した全てのG元素を投入。ムアコックレヒテ機関を瞬間的に臨界状態まで持っていく。
 半ば暴走に近い形だが、数分程度ならばこれで何とか持つ計算だ。
 そしてその余剰出力を以てして―――。

「―――あたしの教え子が言ってたでしょ?人類を無礼るなって」

 香月は再び紫の武御雷に迫り来る触手群を、ラザフォード場で弾く。
 香月が持つ処理能力を全てラザフォード場に回すことによって、触手群の中和能力を分析し、それに反発出来る力場を形成して弾き返しているのだ。学習能力のある『あ号標的』ではあるが―――学習する度に香月は新たなパターンを瞬時に組んで対抗する。
 まるでイタチごっこの縮図であった。
 解決には至らないが―――しかし、時間を稼ぐだけならばこれで十分だ。

「―――香月先生っ………!」
「護りはあたしに任せて、あんたは機関出力の調整に専念しなさい!―――ここが正念場よ!!」
「―――はいっ!!」

 香月の言葉に鑑が頷くと、弾かれた触手群が再び来る。それを呆れたように見やって―――そして魔女は壮絶な笑みを浮かべた。

「アンタ達もいい加減しつっこいわねぇ………。口にしなきゃ分かんない訳?なら言ってやるわよ―――!」

 『元の世界』の因果があるとは言えあたしも甘くなったものだわ、と内心では苦笑し、それも悪くないわねと述懐する。
 ―――故に彼女は開き直る。

「これ以上―――あたしの生徒達に手を出すなって言ってんのよ………!!」

 何人たりとも通さぬ鉄壁の魔女は、哄笑さえ上げる勢いで、次々と迫り来る触手を弾き飛ばしていく―――。






 主砲の再充填が間もなく終わる。
 そんな中、御剣はまだ武御雷の管制ユニットの中にいた。いや、最早動けないのだ。強化装備経由で浸蝕された結果、既に彼女の四肢は言うことを利かなくなっていた。大本である触手はラザフォード場に阻まれてここまで辿り着けていないと言うのに、切り離された部分はまるで意志を持っているかのように管制ユニット内を乗っ取り、彼女を拘束していた。

「頼む………」
『………え?』

 音声越しに、まるで哀願するように、彼女は呟く。

「………撃ってくれ―――タケル………」
『冥夜………!』

 彼には、酷く辛い決断を迫ることになってしまうと理解していても、しかしそれでも、最早助からないのならばせめて―――人として、最期を迎えたい。

「影としての生を受けた私が―――斯様な死に場所を得ることは……… 身に過ぐる栄誉だ………」
『―――冥………夜………』

 影武者として生きることを宿命付けられ、ともすれば籠の中の鳥であった自分が、後年であっても名を明かされることの無い部隊で果てたとしても、世界を救うその一翼を担えるならば、これほど誇れることはないだろう。

「今ここで果てるに………何の迷いがあろう………」

 しかし、どうしても―――たった一つだけ心残りがある。

「だが一つだけ………この世に、未練があるのだ………」
『未練………』

 これは我侭だ。

「お願いだ………タケル」

 重々承知している。

「今際の際の我侭………どうか―――どうか聞き入れてくれ………」
『冥夜………』

 だが、これが最期だから、せめて―――。

「せめて………せめて最後は………!愛する者の手で―――そなたに撃たれて逝きたいのだっ………!」
『―――冥………夜………』

 例えここで果つる運命であったとしても―――。

「―――私の生涯が………例え………影としての生でしかなったとしても………そなたが―――そなたが生き続け………」

 自分を語り継いでいく愛しき彼がいるならば―――。

「………私という人間が存在した事を、御剣冥夜がこの世に在った事を………覚えていてくれさえすれば―――私は………幸せなのだ………」
『―――っ………!!』

 それだけで、迷うこと無く、怖がること無く―――逝くことが出来るだろう。

「―――墓まで持って逝く、つもりだったのに………。私の弱さを………許せ―――鑑………!」

 ―――私こそ、今までごめんね………。『冥夜』―――。

 自嘲して許しを乞う御剣に、何故か彼女の声が聞こえた気がした。






 主砲の再充填が完了する。
 最終セーフティが外れ、荷電粒子砲の発射トリガーがせり出て来て、白銀の前に現れる。

「あ………うぅ………!」

 それに震える手を伸ばす。
 小刻みに震える手が得たのは、哀しみか―――それとも嘆きか。

(ちくしょう………ちくしょうっ………!)

 奥歯を噛み締め、瞼を強く閉じて、白銀は何度も何度も行き場のない感情を胸中で吐き捨てる。だが、目を開けなければならない。
 これから散り逝く、彼女の最期を目に焼き付ける為に。
 その姿を、いつか誇らしく語る為に。

「―――うぁああぁぁぁあっ!」

 白銀が、咆哮する。
 この悼みを、胸に刻み込む為に。
 この迷いを、振り切る為に。
 この嘆きで、最後にする為に。

「―――冥夜ぁあぁあぁあああっ!!」

 そして―――。






 ぼんやりとした視界の中、鑑は目を覚ます。
 そこは一度はBETAに浸蝕された自分の精神世界。漂白剤のように真っ白な、何も無い世界。その中でふよふよと漂う自分を、覗き込む人影があった。
 その人影が、ゆっくりと声を掛けてくる。

「―――お疲れ様、鑑」
「香、月………先生………?」

 その姿を確認して思うのは、まだ自分が生きているという事実。奇跡的ではあるが―――しかし、それも長くはないだろう。チェックを回してみれば、ODLの劣化減衰率は既に100%を超えてしまっている。
 こうして意識がぼんやりとでも残ってる方が不思議だ。

「タケル………ちゃんは………」
「気を失ってるだけで、無事よ。―――外、見てみなさいな」

 そう言って、 香月は白い空間に何かを描いた。すると、装甲連絡艇の映像を中継してきたのか、そこには黒い闇に輝く―――蒼い星があった。

「『この世界』は、あんたが救ったのよ。―――よくやったわね、鑑」

 何処か誇らしげに、頭を撫ぜて来る香月に、鑑は少し気恥ずかしくて、話題を変えることにする。

「香月先生………これで………終わりなんですね………」
「―――ええ」

 何が、とは問わない。
 言うならば、全てだろう。
 00ユニットとしての『生』も。
 BETA大戦最難関と思われた戦いも。
 ―――愛しき幼馴染の『この世界』での戦いも。

「私が、居なくなる前に………私の『記憶』を、お願いします………」
「分かってるわ。―――それが契約だもの」

 告げると、ぱしん、と軽い音を立てて鑑の体の末端から―――まるで砂のようにさらさらと崩れ始めた。

「―――それと、そっちの世界の………私を、よろしくお願いします………」
「約束はしないわよ?」
「じゃぁ………それでも、いいです………」
「―――そ」

 素っ気ない返事を見て、何故か鑑は確信する。お願いするまでもなく、よろしくしてくれるんだろうな、と。
 やがて、視覚も覚束無くなってきた中で、聖女は眠るように瞼を閉じて―――最期の言葉を口にした。

「―――ばいばい、タケルちゃん………『またね』………」

 その言葉を最後に、彼女の身体は塵となり―――ただ静かに、00ユニット『カガミスミカ』はその役目を終えた。
 そして、香月は飛散したその塵を掻き集めて、一つの球体にする。
 それは記憶だ。
 『鑑純夏』が遺した、『カガミスミカ』の記憶。
 それを大事そうに胸に掻き抱き、香月は微笑む。

「―――じゃぁ一緒に『生き』ましょうか、聖女様………。あのガキ臭い救世主の元へ―――」

 その呟きと共に、お節介な魔女は、聖女の記憶と共にこの世界から消え去った―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第三十二章 ~再結の赤糸~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/22 04:43

 漆黒の帳が降りる明晰夢の中、記憶が流れ込んでくるのを鑑純夏は感じていた。
 そう、記憶だ。
 自分の知らない記憶。
 自分が知るべき記憶。
 自分が架すべき罪過。
 いつか自分が得るであろう未来の記憶。


 ―――それは、
     とてもちいさな
      とてもおおきな
       とてもたいせつな―――

 ―――あいとゆうきのおとぎばなし―――


 それを知って、鑑純夏は自覚し、安定する。
 しかし自覚し、安定したが故に、鑑純夏は『カガミスミカ』を―――。





 ―――拒絶した。







 2001年 11月13日

「いーかぁ?この間の実戦で分かったと思うけど、今までシミュレーター内でのBETAの動きと実際のBETAの動きは違うんだ」

 時刻は午前10時半頃。
 この時間の207B分隊の訓練は、普段使っている教室での座学だった。教壇に立った白銀は、先日行ったデブリーフィングを元に、対BETA戦についての考察を彼女達に教え込んでいた。
 普段は神宮司がここに立つのだが、彼女は先日のメイド服の一件が尾を引いており―――否、自分もまだ未熟と言う事で一度客観的な視点に立ち返るべく、教室の後ろの方で白銀の話を傾聴していた。決して先日のメイド服事件で心に深い傷を負ったためにテンションがダウンに入っている訳ではない。

「これに関してはデブリーフィングの時にも言ったけど、初陣のお前達に余裕を無理やり与える為に、わざとシミュレーターの方を速くしていたんだ。―――実際、BETAの動きが思ったよりも遅くてビビっただろ?」

 問い掛けると、皆が苦笑しながら頷いた。

「で、これを踏まえて次のステップを踏むわけなんだけど―――」

 白銀がさぁ本題、と口にしようとした所で教室の扉がコンコン、と軽く二度ノックされた。皆が首を傾げ、白銀がどうぞー、と促すと扉が横にスライドして開き、一人の男が姿を見せた。
 ―――三神だ。
 だから白銀はうん、と一つ頷いて。

「対エキセントリック防御―――!」

 叫ぶと同時、207B分隊と神宮司が行動を起こす。目をつぶり、親指を耳の穴に突っ込んで四指を後頭部に回した。口こそ半開きにしないものの、それはまさに手榴弾などを使用した時に用いる防御姿勢であった。
 一糸乱れぬその動きに、三神は眉をひそめて首を傾げる。

「―――武、武。何故皆は防御姿勢を………?」
「決まってるだろ?―――お前に染めさせない為だ」

 したり顔で頷く白銀に、三神は更に首を傾げる。

「私に染まる………?どういう事だね武」
「ヒントその一、帝国軍全般」
「ふむ?ヒントその二は?」
「あー………えっと………」

 言い淀んだ後、皆がきちんと対エキセントリック防御をきちんとしていることを確認した白銀は少しだけ声音を下げて言う。

「―――殿下とか斑鳩少佐とか」
「ヒントその三は?」
「最後にして最大ヒントだ。―――式王子中尉」

 出されたヒントを鑑みて、ふむふむと三神は頷く。
 帝国軍全般と殿下と斑鳩に関わることで、更には式王子中尉にも関わること。一体全体何だろう、と三神は考える。よもや迎撃戦のことではないだろうな、と思い至るがいやいやそんなはずはあるまい、と否定する。確かに迎撃戦の最後の方は何だか皆ノリの良い感じでテンションがアッパー入って一部の人間がヒャッハーしていたが、アレは自分のせいではない。きっと自発的に脳内麻薬をドバドバ出して飛んでいただけに違いない。切っ掛けを与えた気がしないでもないが、それでも最終的な意思決定は彼等のものだ。故に私に非はない、と何処の悪徳業者のような理論武装を纏い、三神はうん、と一つ頷く。

「ふむ。心当たりが無いな。―――一体何を懸念しているのかね武」

 うわぁやっぱり本人自覚ないんだなぁ、とちょっとげんなりしながら、白銀は吐息混じりに遠い目をして呟く。

「実戦でな、ちょっと色々と昔を『思い出して』さ………」

 白銀の欠片達が齎した記憶群の中に、三神に纏わる記憶も幾つかあった。かつての部下であり、同僚であり、上司であった彼を鑑みるに、彼は一つの懸念を覚えたのである。
 即ち―――。

「昔っから、お前に関わった人間って皆ちょっとづつエクストリーム入ってって―――気づいたら皆手遅れになってるんだよ!!しかもなんか空気感染でどんどん広がっていくしっ!!」
「はははそんなまさか。私を細菌扱いとは酷いじゃないか。―――彼等は皆、元から素養があったんだよ」
「煽ったことは否定しねぇっ!?」

 感銘を受けると言えば聞こえがいいが、幾つかの世界で三神を知る白銀からしてみれば、あのテンションというかノリというか影響の波及力は一種のバイオハザードにしか見えなかった。しかもその感染力は彼の声の届くところだけに留まらず、感染者が次の宿主になるので被害率は青天井。その上、普段真面目な人間の方が効き目がいいのか、真面目な人間ほどはっちゃけ易く、そしてノリ易い。
 端から見たら新手の世界征服になるんじゃなかろうかと密かに危惧する白銀であった。

「って言うかだな?いいか?良く考えてみろよ?帝国軍って元々あんなアッパーなノリじゃなかった気がするし、殿下も斑鳩少佐も最後の方はなんか色々振り切っちまってたし―――式王子中尉に至ってはあの人なんか最近はっちゃけ過ぎだろ!?前は霞にベビードールとか着せるし………その上、一昨日まりもちゃんにメイド服着せてたらしいぞ!?」
「ああ、何だ武は知らなかったのか?―――お前が頼めば喜んで着てくれると思うぞ?」

 言われ、白銀と三神は教室の後ろで防御姿勢をしている神宮司に視線を一つ投げて寄越す。
 そして空白。

「ちょっと想像したな?―――しかも『ロンスカメイドいいかも』とか思っただろう?」
「べ、別に見てみたいとかそんなことは思ってないぞ?本当だぞ?」
「はははこのむっつりシャイボーイめははは。―――横浜の種馬とでも呼んでみようか」

 やめてくれマジで、と頭を抱える白銀に三神は一つ指摘をした。

「―――と言うかだな。お前は勘違いしているぞ武」
「何がだよ?」
「うむ。神宮司軍曹がメイド服を着たのはだな―――アレは式王子ではなく私の命令だ」
「やっぱお前が原因かーっ!!」

 突っ込む白銀だが、三神は気にした風も無く、声量を絞ってこう付け加えた。

「いやなに、香月女史にも息抜きは必要、と判断してな。―――まぁ、結果は付いてきたからそう言うな」
「え?じゃぁ、もう………」
「安心しろ。もう安定している。後の調整は本人でも出来るだろうから―――実質的に、私はこれで御役目御免だよ」

 香月夕呼―――いや、この場合、00ユニット『コウヅキユウコ』の事である。天才と言えども所詮人の子だ。感情という精神が人格を形成している以上、そこに振れ幅を持たせてしまえば00ユニットになる際の転写手術に影響が出る。故に、極力落ち着いた状態で手術に望むのが好ましかったのだ。
 前の世界では前例があった為か、香月は前日に基地に咲いた桜で何事かしていた。あくまで予想ではあるが、あれが彼女なりの墓参りと決意表明であったのかもしれない。
 故に、今回はキチンと親友とそうした時間を設けてやった方がいいだろうと三神は考えたのである。
 まぁ、それはそれとして―――。

「―――で、だ。本題に移ろうか」
「そうだよお前、何でこっちに来たんだ?」
「なに、朗報を一つ持ってきただけだよ」

 にやり、といつものように人を喰ったような笑みを浮かべる彼に、白銀はまた厄介ごとかなぁと思うが―――次の瞬間、硬直した。

「―――お姫様が、永き眠りから目を覚ましたよ、とね」
「―――まさか………!」
「そのまさか。―――行ってやれよ王子様」

 直後、白銀は弾かれたように走り出す。教室を飛び出して、全速力で先を急ぐ。向かう先は、間違いなくB19階の香月の執務室だろう。
 それを見送って三神は吐息を一つ。

(焦る気持ちは分かるが―――自習なら自習と言っておいてやれよ………)

 突如職務放棄した教官に目を白黒とさせている207B分隊と神宮司達を気の毒そうに見やって、三神はふむと頷き一つ。そしておもむろに教壇に立つと、彼はこう言った。

「………よぅし、では武に代わって私が諸君の座学を受け持とう。そうだな、内容は………屁理屈使って世界をちょっと面白くする授業、とかどうかね?―――少し思想と言論が偏って周囲に敵ばかりが出来ていくが」

 いいえ遠慮しておきます、と皆は丁重にお断りした。






 B19階にある香月の執務室の扉が勢い良く開け放たれ、弾丸のように白銀が飛び込んできた。

「先生先生先生先生先生先生ーっ!!」
「何ようっさいわね白銀ぇ………ああ、そういうコトね」

 机に座って何をするでもなく目を伏せていた香月は、血相を変えて現れた教え子を見やって、状況を聞くのが面倒くさくなったのでそのままリーディング。そして何故彼がここに訪れたのかを理解すると、白衣を翻して立ち上がった。

「じゃ、行きましょうか」
「は?え?」

 いつも以上に唐突に行動に移った香月に白銀は困惑する。

「何よ?鑑のところ、行くんじゃないの?」
「え、いや、そうですけど………」
「だったらチンタラしないの。―――あたしにはやらなきゃいけないことが山程あるんだから」
「は、はいっ!」

 今だって別に暇してた訳じゃないんだからね、と睨むと白銀は直立不動で首を何度も縦に振った。端から見れば、休憩していたように見える香月だが、彼女は00ユニットである。人のようにキーボードを使ってPCに入力したり、書類を読みふけって研究したりと、そういう手間は最早必要ない。量子電導脳を搭載している彼女にとっては、脳裏に作業場があり、言うならばそこで既に自己完結しているのである。つまり、白銀が執務室に入った瞬間にも、その機能を使って何事か作業していたのだろう。
 閑話休題。
 執務室を出た二人は、エレベーターを使って更に下の階層へと降りていく。そんな中、香月が口を開いた。

「―――で、まぁ現状を話しておきましょうか」
「現状………?」
「そ。どうもあんた、鑑が目覚めたってとこしか聴いてないようだから、補足しておこうってこと」
「はぁ………」

 訝しがる白銀に、彼女は苦笑して肩を竦める。

「そう不安にならないの。事実、鑑純夏は目覚めたわ。―――まぁ、ちょっと方向性を違くしたけど」
「方向性………?」
「そ。今までの話じゃ、鑑は色々正視したくなくなる過去があるけれど、あたしが色々説得して乗り越えてもらおうってことになってたじゃない?」

 当初の予定では、鑑純夏を00ユニットによるプロジェクションによって説得し、トラウマを乗り越えさせることになっていた。だが、00ユニットになる過程で、統括者と接触した香月はまた別の結論を得たのだ。
 そしてその答えが―――。

「それ、ちょっと色々あって―――やめたの」
「やめたって………じゃぁ、純夏は………!?」

 あっけらかんと言い放つ香月に、白銀は大いに慌てるがその言葉を片手を振ることによって遮って彼女は続ける。

「まぁ、聞きなさいな。で、代わりにアンタ達の言う『前の世界』に存在した鑑純夏の記憶を引っ張ってきたのよ」
「え?じゃぁ………今の純夏は、『前の世界』の純夏なんですか?」
「違うわ。だって記憶に感情は付随しても意識そのものは付随しないもの。だから、ベースはあくまでこの世界の鑑純夏。それに上乗せして―――『未来の記憶』があるって言うのが現状」

 これは自己の経験則だ。
 香月の中に入り込んできた『元の世界』の香月夕呼の記憶―――より正確に言うならば因果―――によって、様々な物事に対して今までとは違う感情が芽生えるようになったが、あくまで基本は今までの香月夕呼である。蛇足として、言動に影響を及ぼすことはあっても、あくまで最終決定を下すのはこの世界の香月夕呼なのだ。
 この事を鑑みると、『前の世界』の記憶を手に入れた鑑純夏はただ単に一つの―――あり得るかもしれない未来を知るだけに過ぎないのである。

「『未来の記憶』………?」
「そ、自分が何者であるか、どうしてあんな脳髄だけになっていたか―――白銀武を因果導体にしたのは誰か。今の鑑は―――それらを全部知っている鑑純夏よ」

 しかしながら、一つだけ、忘れてはならないことがある。

「けど、その事実に対して―――心が着いていかない。記憶は所詮記憶。だってあの娘は―――それを手にしたところで、中身は15歳の少女だもの」

 この世界の鑑純夏は三年前―――即ち、横浜ハイヴが建設された1998年9月以降から時間が止まっているのだ。身体と心を壊され、快楽漬けにされて思考力を奪われ―――標本にされた。
 今まではただ一つの願いだけでよかった。だが、新たな肉体と『前の世界の記憶』を得たことで、彼女は正気に戻った。否―――戻ってしまった。BETAに捕まりどのような目にあったのかも、空白となった期間に何があったのかも、自分と想い人が紡いだ『おとぎばなし』も―――全て、理解してしまった。
 しかしそこに意識が―――トラウマを乗り越え、想い人と結ばれた意識が付随しない以上、例えそれが『いつか』の『かつて』あった自分の記憶だったとしても現実味が無い。そうなってしまうと―――その記憶でさえ、見知った誰かのビデオレター程度にしか思えないのだ。
 エレベーターが停止する。
 鉄扉が開き、香月と白銀は歩みを始める。ここに入れる人間はかなり限定されているのか、まるで人の気配が無い。そんな静寂が支配する階層の廊下を二人は歩き―――やがて、一つの扉の前へと立つ。

「だからあのお姫様は怯えているの。忌まわしい記憶もあって、残酷な真実も抱えて―――そんな中でも、優しい記憶が混ざってて」

 それが事実であったとしても―――いや、だからこそ受け入れたくなかった。
 かつて絶望があって。
 かつて痛みがあって。
 かつて孤独があって。
 そして今、不安があって。
 そんな深淵から姫君を救い出せるのは―――。

「―――そんな訳だから、王子様の出番よ」

 そう告げると、香月は扉から背を向け、白銀の肩を叩いた。

「頑張んなさい男の子。―――惚れた女を護るのが、男の甲斐性でしょ?」
「―――はいっ!!」

 そして白銀は―――その扉を開けた。





 白を基調とした、まるで無菌室のような殺風景な部屋に、一つのベッドがあった。そしてそこに、身を起こしたまま俯く人影一つ。長い赤毛に、薄い青の病衣に身を包んだ彼女の名は―――鑑純夏。
 彼女は俯いたまま、自分の両手を眺めていた。
 見覚えのある、白い手。
 身体が新たに増えた記憶の中にある18歳のものに程近くなっている為か、少し大きくなっている気がするが―――指紋も手相も、こんな感じだった気がする。
 だが―――あり得るはずがないのだ。

(―――だって、私の身体は………)

 思い出して、寒気がした。それから逃れたくて、自らの両腕を掻き抱くように身を縮める。
 ―――汚された。
 ―――犯された。
 ―――壊された。
 そして何よりも―――。

(タケルちゃんの未来を、壊しちゃった………)

 幾つもの世界であったであろう未来―――今も続いているであろう未来。自分の無自覚の嫉妬が、それを壊してしまった。

(私は………)

 どうして、自分は今ここに居るのだろうか。
 どうして、自分はまだ生きているのだろうか。
 どうして―――。
 不意に、かちゃり、と部屋の扉が開く。その音に鑑は肩を震わせ、身を硬くする。今まで何度かこの部屋に人の出入りはあったが、こちらに気を使ってか、必ずノックがあった。今回は、それが無い。
 ―――予感がする。
 今一番逢いたくて、逢いたくない『彼』が来る予感が―――。

「純夏………?」

 開けられた扉の方から、こちらを伺うような声が掛けられた。
 知ってる。
 覚えている。
 狂おしいまで望んだ、彼の呼び声が、直ぐそこまで来ている。

「―――純夏」

 もう一度名が呼ばれた。
 確かめるようにではなく、こちらを認めた上での呼び掛け。
 けれど応えない。
 応えられない。
 そんな資格、自分には無い。

「―――なぁ、純夏………?」

 彼が近寄ってくる。
 駄目だ。
 これ以上は駄目だ。
 だから―――。

「―――来ないでっ!!」

 ―――拒絶した。





 B19階の執務室に戻ってきた香月が最初に見たのは、ソファーに座り込み何をするでもなく頬杖をついてただ虚空を見上げている三神と、その彼の膝を枕にして横になる社の姿だった。

「―――あら三神。あんた暇そうねぇ………」
「これを見てもまだそう言うかね?私は現在、大絶賛枕としての職務を遂行しているのだが。―――貧乏揺すりも出来んよ」

 声を掛けると、苦笑で返って来た。
 三神が言うには白銀がここを尋ねたのを察知した社は、自身も鑑に会うべくその後をつけようとしたのだが、途中のセキュリティで阻まれて途方にくれてしまったらしい。仕方無しにこの部屋で待機していると、同じように白銀の後を追ってきた三神がやってきた。
 彼は自分のIDでも鑑純夏の部屋に行けると告げたのだが、彼女は行けないなら行けないでいいし、何より二人の邪魔をしたくないと固辞した。その後、しばらく二人で雑談していたのだが、やがて社はうつらうつらと船を漕ぎ出し―――今に至ったらしい。

「………気持よさそうに寝ちゃって」
「ここ最近、心配でよく眠れていなかったようだからな。まぁ、それだけこの子にとっては大切なのだろう。―――貴方と鑑純夏は」

 そう、と香月は頷くと身体を丸めたまま眠る小動物の頭を撫ぜてみた。少しだけ擽ったそうにした後、一定リズムの寝息に戻る。
 それを微笑ましく思ってから、香月は対面のソファーに腰を下ろした。

「それにしてもただぼけらっとしてるだけでいいなんて、何ていいご身分かしら」
「いやいやこれがなかなかに大変でね。―――苦痛も退屈もしないし、どちらかと言えば小動物になつかれた感じで微笑ましく心地良い部類なのだが………いかんせん、一服できないのが玉に瑕だ」
「吸えばいいじゃない」
「子供の前で紫煙を吐かないのが喫煙者のマナーだよ」

 常識だよ常識、と嘯く三神に、香月は眉をひそめた。

「―――あんたが常識人振ってると違和感の方が先に来るわね………」
「―――貴方は私を一体何だと思っているのかね………?」
「爽やか変態紳士にして戦闘系交渉人」
「最近思うのだがこの基地はそんな人間ばっかりだね。―――これが僻みという奴か………」
「あたし最近BETAよりもあんたの頭の中身を研究したいって思うのよ。ちょっと頭骨削っていい?―――大丈夫。死ぬほど痛いから」
「ははは貴方が言うと洒落にならないね。そして遠慮しておこう。―――きっと天才だからこそ私のような凡人は理解出来ないだろう」

 軽口を叩き合って、三神はさて、と前置く。どうやら、話題を変える気らしい。

「―――それより、どうかね?王子様とお姫様は」
「大絶賛青春中、ってとこね。―――説得には相当手を焼くんじゃないかしら?」

 言葉の割に、何処か楽しそうに告げる香月に、三神は首をかしげた。

「………ふむ?その割には、安心して任せているようだね?」
「当然じゃない。これはオトナの男の仕事よ?『今の』あいつなら、そのくらいの度量はあるでしょうし―――大体、『前の世界』で一度それをこなしたんだから、二度目が出来ませんなんてことはないでしょう?」

 ま、本人の前で言うと調子乗るから言わないけどね、と香月は小さく方を竦めた。そして言葉を続ける。

「まぁ、それが無くても―――」

 くすり、と微かに微笑む彼女に、三神はああそういえばと頷く。確かに、下手な考察よりも余程分かりやすい。
 白銀武という少年を一言で体現する言葉が、ずっと昔からあったではないか。
 そう、それは―――。

『―――恋愛原子核は伊達じゃない』

 二人は言葉を重ね、苦笑した。






 鑑がいるベッドまで数歩残し、白銀は足を止めていた。
 それと同時に、この状況にどこか既視感を覚えていた。それは何時だったか。心の奥底で引っ掛かりがあったが、思い出すには至らない。だからそれを振り切るようにして一歩足を踏み出して。

「すみっ………!」
「―――近寄らないで!」

 もう一度、拒絶があった。

「な、何言ってんだよ純夏。―――オレが分からないのか?」
「分かるよ。でも―――タケルちゃんだからこそ、私に近寄らないで」
「はぁ………?」

 言っている意味が分からなくて、白銀は困惑する。事前に香月に言われていたこともあって、ともすれば00ユニットになった直後の鑑純夏と同じような症状になっているのかと思ったのだが、どうにも違うらしい。
 あの時と違って、今の鑑にはきちんと自我があり―――しかしそれ故に白銀を拒絶していた。

「私………もう、人じゃないんだよ………」

 ぽつり、と独白するように鑑は続ける。

「BETAに壊されて、BETAの技術で甦って―――私なんかが………人なわけがないんだよ………。それに………タケルちゃんにあんなことしておいて………私、タケルちゃんのそばにいる資格無いよ………」

 震える声で続ける鑑を、記憶を探って照らし合わせれば―――確かにそこにあった。あれは甲21号作戦が終わってしばらく立った後―――鑑が白銀を避けていた時だ。

(成程、な。それで、最後のが本音か………)

 不意に、白銀は理解する。
 確かに、香月の言う通りだ。記憶はあっても―――感情が付随しても、意識は付随しない。であるならば、ここにいる鑑純夏は『前の世界記憶』があったとしても、あの日白銀を拒絶した鑑純夏と同じなのだ。即ち、これはあの日の焼き回し。鑑純夏の自己嫌悪から来る―――拒絶。
 それが分かってしまえば、話は早い。色々なことを何度も何度も間違えた自分だが、だからこそその都度成長してきたはずだ。そしてそれを自覚しているからこそ―――白銀武は、今ここにいるのだ。

「あのなぁ純夏。お前なにか勘違いしてないか?」
「勘違い………?」

 気怠そうに髪を掻き上げ、彼は告げる。

「―――お前に決定権なんか無いんだよ」

 あまりの横暴さに、一瞬鑑の思考が停止した。

「ど、どういうこと………?」

 しかし困惑する彼女を無視して、彼は畳みかけるように続ける。

「どうせこう思ってるんだろ?『自分は汚れていて、鑑純夏の複製品で単なるクローンで、タケルちゃんを因果導体にした張本人なんだよー』とかさ」

 伊達に何年も幼馴染をやっている訳では無い。というよりも、こうしたやり取りはもう二度目なのだ。
 ―――一度目は間違えかけた。
 御剣という助言者がいなかったら、多分自分は間違えたままで、きっと鑑の気持ちを理解できずにああした結末すら得ることが出来なかっただろう。今、ここにその御剣はいない。助言してくれる人も、励ましてくれる人もいない。白銀は、一人で鏡の心を解きほぐさねばならない。
 ―――だが、だからどうしたのだ。
 いつまでも何も知らないガキではないのだ。

(―――惚れた女の一人ぐらい、自分の力で手に入れるさ)

 もう二度と、間違えない為に―――だから彼は彼女を見据える。

「汚れた?知るかよ。複製品?だからなんだよ。クローン?上等だ。因果導体にした張本人?―――もう知ってるよそんな事は。全部知ってるんだよ、オレは」

 吐き捨てるように言って、白銀は一歩踏み込む。

「いいかよく聞け純夏。お前が今悩んでいることはな、オレにとっちゃもう過去のことなんだよ。だからもう一度言うぞ。お前に決定権なんか無い。―――オレはあの時、確かにこう言ったはずだぞ?」

 拒絶はない。
 だから続けてもう一歩、踏み出す。

「お前が強がって嫌がろうが―――オレは絶対お前を離さない」

 拒絶はない。
 だからもう一歩。

「あんときはテンパッててもう一度こんな台詞を言うなんて思わなかったけどさ。―――本当に、小っ恥ずかしいんだから、今回で最後にしてくれよ?」

 拒絶はない。
 だから最後の一歩を踏み出して、ベッドへと腰掛ける。

「―――どの世界の存在であったとしても、オレは鑑純夏を愛してる」

 鑑の瞳を覗き込むように見て、手を握り―――。

「全ての世界の、どの鑑純夏も全部オレのものだ」

 そのまま抱き竦めた。

「オレはな―――白銀武は、鑑純夏と一緒にいて、初めて白銀武なんだよ」
「でも………!でも私は………!!」

 抱き竦めたままで、しかし今更抵抗が来た。
 だが約束したのだ。
 心を読みたくないと言った彼女に。
 心を読むのが怖いと言った彼女に。
 これからは、言葉や態度で直接伝えに行くと。
 だから―――。

「まだ言うか。本当に頑固な奴だよな、お前って。だから―――もう、黙れ」
「んっ………!?んんっ………!?」

 その喧しい唇を自分の唇で塞いだ。

「んーっ………!?」

 一度だけ、大きな抵抗があった。

「んっ………んむ………!?」

 それを封じ込める為に、柔らかい唇を割って、舌を差し入れる。驚いたように身を硬くする鑑を安心させるように、抱きすくめる腕の力を少しだけ緩め、代わりに背中をゆっくりと撫ぜる。
 ―――どれほどそうしていただろうか。徐々に鑑の身体から力が抜けて、ほんの少しの拒絶も無くなった。
 だが―――。

「ご、強引だよタケルちゃん………」
「お前は頑固だろうが。―――いい加減諦めろ」
「んむ………」

 心が納得いかなかったようなので、もう一度伝えるべく行動で示した。

「だって………だって私………」
「まだ伝わらないか?―――まぁ、今回は時間がたくさんあるからいいけどな」

 まだまだ文句を言うようなので、もう一度。

「タ、タケルちゃんが野獣になった………」
「馬鹿か純夏。いや馬鹿だ純夏。―――男は皆、狼だよ」

 度重なる攻撃に、さしもの彼女も耳まで赤くするが、開き直ったヘタレほど怖いものはない。白銀は容赦なしに駄目押しの一手ならぬ一口を叩き込んで、最早文句の一つも言わせない。

「本当に、いいの………?私なんかで………」
「さっきも言っただろうが。全確率時空の鑑純夏はオレのものだ。―――当然、その中にはお前だっているよ」
「タケルちゃん………」

 抱き合いながら―――白銀は、鑑の首筋に顔を埋める。
 こうした弱音は、正直吐きたくはないが―――彼女には、いや、彼女にだけは知っていて欲しいのだ。繰り返した世界の先、積み重ねてきた後悔と嘆きを。

「―――というかさ。もう、嫌なんだよ………。誰かを失ったり、失わせたりするのは………だから―――頼むから、もう、オレの前からいなくならないでくれよ………ずっと側にいてくれよ………」
「ふぇ………」

 顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろ涙を零し頷く鑑の頭をそっと撫でて、白銀は軍装の胸ポケットからあるモノを取り出した。

「―――お前にもう一度逢えたらさ、渡したかった物と言いたかった言葉があるんだ」
「サンタ、ウサギ………?」
「ああ。この世界に来てから、ちょこちょこ作ってたんだよ。前の時みたいに突貫じゃないから、今回は結構いい出来だと思うぜ?」

 木彫り細工のそれは、二度目ということもあってか手作り感があっても、前よりずっと精緻なものだった。加えて、今回は時間があった為か、細やかな塗装もされていた。白銀曰く、手の開いている整備兵達に少しずつ教えてもらって塗っていったそうだ。
 そして、それを手渡して―――必ず伝えようと思っていた言葉がある。
 気障ったらしい台詞はさっき散々言った。
 だからこれは、再会の言葉。
 一人死地に向かう覚悟を決めて、それを成し遂げた彼女を迎える言葉。
 この時をずっと待っていたと伝えるために。
 これから先ずっと側にいると伝えるために。
 そして途切れてしまった赤い糸を再び結ぶ為に―――彼は、その言葉を彼女に贈る。

「―――おかえり、純夏」
「―――ただいま………!」

 かくして―――『おとぎばなし』の眠れるお姫様と、長い旅を続けた王子様は再び巡り逢うことが出来たとさ。






 一方その頃―――。

「―――おはよう、霞」

 執務室で三神と香月が今後の予定に着いて大まかに話していると、社が唐突に目を覚ました。半眼のままむくりと身を起こし、くしくしと目を擦る。その度に身体が左右に揺れ、うさ耳が自律稼働する。
 そして声を掛けた三神と、その様子を興味深げに見守っている香月の姿をぼーっとした表情で認めると、かくん、と頭を垂れて。

「………………………おは………よう………ございまふ………」

 あまり呂律の回ってない口調で返事をした。

「取り敢えず、顔を洗ってきたらどうだろうか」
「………はい………」

 そう助言してると、彼女は再びかくんと首肯して、てふてふと蛇行しながら執務室を出て行った。相も変わらず寝起きは最悪なようだが、少なくとも最低限の思考は出来るようであった。
 それを見送った後、三神は立ち上がって体を捻る。ずっと同じ体勢でいた為か、その都度体中がゴキゴキと凄まじい音がした。やがて固まった身体を慣らし終えると、彼は香月に告げる。

「―――さて、私は外で一服してくるよ」
「ちょっと待ちなさい三神」
「何かね?」
「あんた、明後日の交渉で一段落ついたら、しばらく暇でしょ?あたしは逆にしばらく忙しいから、書類仕事をちょっと手伝いなさい」

 それを聞いて、彼は途端に嫌そうな顔をした。

「―――一佐官が副司令の仕事など出来るわけ無いだろう?」
「しらばっくれても無駄よ。―――『前の世界』で、あたしに扱かれまくってたでしょうが」

 しかしながら、かつて魔女であった聖女は抜け目ない。
 『前の世界』での香月は、自分の研究に集中する為に、雑用係として三神に様々な仕事を仕込んでいた。その雑用には、それこそ子供のお使いレベルのものから、今も言ったような副司令に回ってくる書類の整理にまで至る。
 無論、ただの整理ならば00ユニットになった香月にとっては児戯にも等しいのだが―――いくら処理能力が上がったとしても、腕がいきなり四本になったわけではない。デジタルならばともかく、紙に書かねばならない、もしくは書いてあって判子が必要なものだとか―――デジタルではなく、アナログなものとなるとどうしても人並みに時間が掛かってしまうのだ。副官としてピアティフがいるが、彼女は彼女で香月の研究に必要な人材で、書類仕事に割り振りたくない。
 となると必然、雑用係にそれが回ってくるのだ。無論、一佐官が副司令の仕事をするなど前代未聞ではあるが―――そこはそれ、聖女に軍人の常識は通用しないのである。
 付き合いが長いせいか、哀しいかな、三神は既に諦観の表情を浮かべていた。彼女のゴーイングマイウェイ振りは今に始まったことではないし、拒否したら拒否したで後が怖い。だから彼は、肩をすくめる程度で済ませておいた。

「―――やれやれ、人使いの荒い聖女様だ」
「そんな女の部下になった自分の運命を呪いなさい」

 運命呪ってもどうしようもないよ、と妙に達観した台詞を残して、彼は執務室を出て行った。先も言っていたように、煙草を吸いに外へ出るのだろう。
 その姿を見送って、香月は瞑目する。

(―――さて、と。三神の方は筋道は立ったわね。後は風間の方をあれこれして、それから………一番大事なのが戦力の増強、と)

 意識を集中させ、リーディングで白銀と鑑を探る。心配するでもなく上手くいっているようで―――今は二人していちゃついている。
 それを若いっていいわねぇ、と何処か年寄り臭く思って、取り敢えず契約は果たしたわね、と苦笑する。

(―――じゃぁ遠慮無く使わせてもらうわよ、『あたし』)

 そして、脳裏の中―――統括者から渡された正立方体のそれを解凍する。すると、まるで濁流のように情報が雪崩込んできて、まずは使えそうな情報からより分けることにした。



『GI元素精製理論』

『ムアコック・レヒテ機関の小型化』

『それに付随した遠近二系統のPPCシステム及びラザフォード場を限定利用した二系統の重力偏差刀』

『代理演算共有処理機構〈リンクシステム〉』

『多重噴射跳躍機構〈フラッシュブーストシステム〉』



(―――ま、こんなところかしら)

 差し当たっては手持ち戦力―――即ち、A-01の増強が急務だ。人材の方はXM3の影響もあってか育ってきているようだが、だからといって刃の方を疎かには出来ない。出来うる限り、最高の装備を整えてやるのが上司の甲斐性だろう。
 だから彼女は下唇を湿らせて、量子電導脳をフル活用しつつ脳内で設計図を引いていく。途中まで描いた後で、ふと題名を決めていないことに気づき―――しばし考えた後、その設計図をこう名付けた。



『第二次月面戦争決戦用第五世代戦術機「草薙」を元にした、第四世代戦術機「叢雲」開発設計図』



 世界を救う聖女の練成が、今、静かに始まった―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第三十三章 ~烈士の憂鬱~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2013/05/07 17:01
 11月15日

 沙霧尚哉は身体が少し跳ねたのを感じて、ゆっくりと意識と瞼を開いていく。広がる視界に、助手席のヘッドレストとフロントガラス越しの帝都の街並みが飛び込んで来きた。時刻は夕刻。歩道には家路を急ぐ人達で賑わっていた。
 そんな歩道に挟まれるようにして続く幹線通りを、沙霧を乗せた黒塗りの乗用車が走る。大手企業の高級車をベースとした公用車だ。乗る前にちらりと見たが、ナンバーからして陸軍の物になっていた。普段は高級者の送迎にでも使われているのだろう。沙霧自身、こうしたクルマに乗るのは初めての経験だが、流石に軍用戦闘車などと違って、乗り心地は別次元だ。今車体が跳ねたのも、アスファルトの轍からなる微妙な段差でも踏んだのだろう。それぐらい、通常走行時の静音性は優れていて、これから斯衛軍の上層部と会うというのにも関わらず、ついうとうとしてしまう程だった。

(―――いかんな………。気を緩めているわけでもないのだが)

 吐息していると、それを気にしたのか運転席の中年男性が起こしてしまってすいません、と謝罪してくる。訂正しようとも思ったが、相手は緊張しているのか妙に低姿勢なので、気にしなくて良いとだけ伝えておくことにする。

(―――全く………。一体何なのだ………)

 実はこうした対応は今に始まったことではない。沙霧が所属する朝霧駐屯地に迎えに来た時からこの有り様だ。
 そもそも、事の発端は一昨日の事である。11日の突発的な迎撃戦の後、段階的に防衛体制が解かれていき、その日の朝方になってようやっと通常警戒態勢に戻った。通常の勤務形態になった為、各部隊がローテーションで半休を取ることとなり、その順番が沙霧の隊に回ってきた時だった。彼の元に、一つの命令書が回ってきたのだ。
 内容はいたって簡単で、11月15日に帝都城に登城しろとの事だった。しかも送迎付きで―――まぁ、帝都城に来いと言っている時点でセキュリティ上そうなるだろうが―――出頭先が斯衛軍の第16斯衛大隊となっていた。
 ―――本来、こうした命令書は部外秘である。当然、同じ隊内であろうと、リークすれば命令違反になる。だが、自分を筆頭に日本の革新を水面下で進めている以上、この手の情報は共有しておいたほうがいいだろうと思い、沙霧は決起部隊の同胞にこうした出頭命令があったことを密かに打ち明けていた。その上で、何故、今の段階で自分が呼び出されたのかを考えた。
 よもや計画が漏洩しているのではと危惧したが―――おそらくは勧誘だろう、と皆で結論の一致を得た。
 斯衛の戦力は、生まれた時から宿命付けられている五摂家を筆頭とした武家を除けば、全て市井の出である。では何処で徴兵するのかといえば、基本的に帝国軍からの引き抜きなのだ。その引き抜き条件というのがあやふや―――と言うよりも、明確になっていないので結論を断定できなかったのだが、それでもかなり正答に近いものだと沙霧は考えている。
 随分前から帝国軍から斯衛への人材流出は起こっているが、特に酷いのは1998年以降―――BETAの大規模東進による京都陥落から明星作戦前後―――で、腕の良い衛士の順番で引き抜かれていっている。移籍は任意であるが、帝国軍の兵科事情を知っている人間はさて置いて、世間一般から見れば将軍家を守護する斯衛に移るのは誉であり、基本的に後方任務である為に落命確率も低く、更には待遇も良い為に二十歳以上―――特に家庭を持つ衛士は諸手を上げて移籍する。これが帝国軍からしてみれば頭の痛い話で、ただでさえ度々起こる迎撃戦で人材不足の上、貴重な実戦経験を持ち、更にはそこそこ腕のある中階級の衛士が次々に引き抜かれれば正直、斯衛軍にいい感情を持たない。帝国軍の上層部―――特にこうした兵科事情を知っていて、更に口さがない人間は、息をするように斯衛軍の陰口を叩くらしい。
 ―――閑話休題。
 沙霧が呼び出されたのも、おそらくは先の迎撃戦で目を見張る程の戦果を上げた故にだろうとの事だった。実際、彼が率いる第3中隊はあの迎撃戦に参加した戦術機部隊の中では最も撃墜数が高かった。彼個人の撃墜数も全体を通してみれば上位三名に食い込んでおり、帝国陸軍内部では実質トップである。
 ―――因みに、国連軍を含めた全体を通してのトップは二度の単機突撃単機陽動をやってのけた白銀であり、二番目は斯衛の先陣を切って大暴れしていた斑鳩である。白銀はともかく、斑鳩が何故そんなに撃墜しているのかと言えば、『先取防衛』と銘打って各次戦線ごと―――特に激戦区であった最前線から第二次戦線―――の隙間を縫うようにひたすら移動と戦闘、即ち遊撃を繰り返していたためだ。次に沙霧が続き、それ以降は横浜の戦乙女達が占めていた。更に余談だが、戦乙女の中での最上位は意外な事に築地で、僅差で速瀬と続く。最下位はその戦い方が反映されているのか三神である。
 撃墜数偏重主義―――という訳でもないだろうが、それでも絶対防衛戦が国内にある以上、ある一定の目安にはなるのだろう。そうした経緯もあって、ここ最近の沙霧尚哉大尉の評価は内外ともに高まりつつあり、青田買いと言えば聞こえが悪いが―――斯衛がそうした動きを見せても仕方が無いだろう、とは出頭命令書を持ってきた上官の台詞だ。

(―――私にその気はないがな………)

 沙霧の本心としてみれば、誉れ高いことと思っても、帝国軍の内情―――加えて、恩師の事を想えば応じることは出来なかった。同じ二十代であっても、国の為だけに粉骨砕身戦ってきた彼には、守るべき家族はおらず、死にたがりという訳でもないが、自身の命を必要以上に省みることもない。平たく言えば―――保守的に動く必要性が無いのだ。
 いや、そもそも―――。

(―――日本の夜明け前なのだ。)

 それがある以上、沙霧尚哉が斯衛に移籍するということは在り得ない。
 ―――むしろ、逆の発想をする。

(これは斯衛の動きを知る好機………)

 組織的に内向的な分、端から見れば斯衛軍には不透明な部分が非常に多い。流石に決起当日の動きを知ることは出来ないだろうが、それでもこちらが表面上移籍に意欲的な姿勢を見せれば、その傾向を探ることは出来るはずだ。

(うまくすれば、殿下に御目通り叶うかもしれん………)

 あくまで希望的観測だが、そうした期待は仲間内にもあった。そしてその真意を測り、あわよくば彼女をこちらに取り込むことが叶えば―――。

(―――流す血は、最低限で済む)

 一人の軍人である以上、彼とて軍略面に於いては無能という訳でもない。決起とBETAの侵攻が重なれば、日本は大打撃を被る。しかしながら、このまま獅子身中の虫を放置しておけば、遠からず同じ結果にもなるだろう。
 そして師団規模を撃退した以上、敵も無傷とは行かなかったはずだ。前回の侵攻が今年の二月だった事を鑑みれば、今しばらくは侵攻してこないはずだ。
 決起の準備は滞り無く進んでいる。事を起こすならば―――一ヶ月前後が妥当。それならば、国の体勢を立て直すにしても時間的猶予は少しは出来るはず。後は、切っ掛けだけだ。
 だが、その前に打てる手は全て打っておく。偶発的な今回の件も、上手く動かせばいい仕込みになるだろう。

 ―――全ては、彼が愛したこの国の為に―――。

(―――慧。こうして君の父上に縋る私は、女々しいかな………?)

 自嘲気味に呟く憂鬱な烈士を乗せて―――その乗用車は帝都城の敷地へと入って行った。






「時々思うんだが―――武。実はお前は馬鹿なんじゃないか?」
「はい………面目次第もありません………」

 帝都城の謁見用の待合室で、大きな革張りのソファに身を沈めた三神の呆れた声に、対面に座る白銀は縮こまっていた。帝国との再交渉の為、二人は月詠率いる第19独立警備小隊と共に帝都城に登城していた。彼女達は一足先に悠陽と謁見することになり、その間三神と白銀はここで待たされ、暇を持て余して雑談をしていたのが―――その最中、からかい気味に言葉を発した三神の言葉に白銀は顔を青くすることとなる。

『いちゃつくのは一向に構わないが―――ところで避妊はしたのかね?』

 そう尋ねられた瞬間、白銀は絶句したのである。その時の表情と言ったら、そのまま額縁に入れれば『失念』というタイトルの絵画の完成であった。そんな劇画調の表情のまま石化する白銀を、にたにたと笑いながら三神は言う。

「―――まぁ、今日が生理予定日だから問題ないらしいがね」
「は………?」

 何で他人の彼女の生理周期知ってるんだコイツと訝しがる白銀に、三神は喉を鳴らして含み笑い。

「今朝、霞の様子がおかしかったのでね。香月女史に問い質してみた」
「そう言えば今日は朝から霞の姿が見えなかったけど………?」

 嫌な予感が白銀の背筋を伝う。

「まるで夜中うっかり両親の情事を覗いてしまった初心な少女のようだったよ。―――どうやら昨晩のお前達を計らずも一晩中リーディングしてしまって寝不足のようだ」
「やっぱりかーっ!?」

 つまり何か昨晩のいやんであはんな十八禁の色々を包み隠さずピンク色一色で一挙手一投足全てをお茶の間電波に大発信ーっ!?と、大いに慌てる白銀だが、完全に対岸の火事である三神はくっくと身をくの字にして笑い、それが落ち着いてからこう言った。

「まぁ、しばらく顔を合わせてくれないかもな。全くいたいけな少女に無自覚に性教育とはお前もなかなかやるじゃないか。―――ざまぁみろ」
「褒めてないよなっ!?絶対褒めてないよなっ!?しかも最後のが本心だろっ!?」

 しれっと悪態ついた三神に突っ込み入れる白銀だが、しかし彼は悪びれる様子もなくむしろ堂々と糾弾した。

「当然だこの変態。娘にはいつまでも穢れを知らないでいて欲しいというのは全国のお父さんの願いだというのにお前は―――この精神レイパーがっ!!」
「や、やめろ!誰か聞いてたらどうするんだっ!?」
「略して精パーとかどうだろうか?股間のセイバーと掛かっているのだが」
「いやその略し方もどうよ?」
「やかましい人のボケに素で返すな。―――ともあれ話を戻すとだな、後数日は身体の調整が必要なんだよ。彼女は」

 突然真剣な表情になる三神に、白銀は寝耳に水だった。

「ち、ちょっと待て。じゃぁ、オレが純夏とその、なんだ………い、いたしたのはまずいんじゃ………?」
「今更恥ずかしがるな思春期の中学生かお前は。それについては安心しろ。ホルモンバランスの調整………と言うか活性化のためには性交渉はむしろ最適らしい。―――よかったな、聖母公認だぞ」

 そ、そうなんだ………と胸を撫で下ろす白銀に、三神は胸ポケットから煙草を取り出して銜え、火をつけると豪奢なテーブルに置かれたこれまた精緻な細工の灰皿に手を伸ばした。
 そして一度深く紫煙を吸い込んでから、トントンと灰皿の上で煙草の灰を落とす。

「まぁ、若くて健全な男女がいちゃつけばそうなるのが自然だろう。誰もやるなとは言わないし、世界を超えて結ばれたお前達にそう言える人間なんかいないだろう。―――だが、彼女の役割を忘れるな」
「―――ああ………」

 三神の言葉に、白銀は神妙に頷く。人として復活した鑑ではあるが、それと引換に、その自由を著しく制限される事になる。
 彼女は―――『00ユニット香月夕呼』の影武者として、生きていかねばならないのだ。
 無論、これから先ずっとという訳ではない。少なくとも、香月が00ユニット脅威論を掲げる連中を片付けるまでの、一時的なものだ。香月によれば、最速で桜花作戦を完遂してしばらくするまで。悪くすれば、G弾神話が崩壊するまでとの事だ。
 それでも、白銀や鑑が思っていたよりもずっと早い。

(―――大丈夫だ。今回は、時間はたくさんあるんだからな………)

 白銀はもう因果導体ではない。この世界で骨を埋める事になる。鑑も00ユニットでは無い以上、少し制約がつくだけで、普通の人間として生きていける。
 願ってもいない結果だ、と白銀が少し感傷的になっていると、三神が懐から何やら取り出した。

「で、それを見越してだな―――こんなモノを買っておいた」
「―――っておいっ!これってコンドー………ってなんだコレっ!?」

 ソレは煙草の箱のような形をしていた。一目見てコンドームだと分かったのは、箱の表面に製品イラストが書かれていた為である。しかしながら、突っ込み入れると同時にその製品名に彼は再び突っ込み入れることとなる。
 その製品イラストの上部に、極彩色でこう文字が書かれてあったのだ。

 ―――『光る突撃一番!?い、いろいろすけちゃうっ00.5mm!~木苺味~』と。

「ふははは何を驚いているのかね武。オトナの男の嗜みではないか。折角なので奇を衒ったものをPXで購入したのだが、この会社には何処か共感を覚えるね。―――しかしこのセンス、どこかで見た覚えがあるのだが………?」

 いやぁ他にも『黒鉄魔愚南無~銀杏味~』とか『主砲発射~カルキ臭~』とかキワモノが色々あって迷ったよ、と呵々大笑しながら馬鹿が押し付けてくるそれを、白銀は渋々ながら受け取って懐に仕舞った。どうやら、少しは反省しているらしい。
 因みに、彼等は知らないことではあるが、突撃一番は『元の世界』でも実在している。20世紀初期―――より正確に言うならば大戦時代、しかも軍用なのであまり一般的ではないが。
 そんな風にして二人が時間を潰していると、待合室の扉が開き、女中に通されて一人の青年が入ってきた。

「―――おや、君は………」

 眼鏡を掛けて帝国の軍装に身を包んだ、生真面目そうなその青年を三神と白銀は知っていた。
 ―――沙霧尚哉。
 今から、白銀が交渉を行う相手だ。

「もしや………三神少佐でありますか………?」

 彼はこちらを伺うように問い掛けてきた。だから三神は軽く頷いてソファから立ち上がる。

「ああ、そうだよ沙霧大尉。―――四日ぶりだね」
「はい。その節はお世話になりました。―――そちらは?」

 敬礼をして頷く沙霧に視線を投げ掛けられ、白銀も起立し軍靴を鳴らして敬礼一つ。

「はっ!白銀武中尉であります!沙霧大尉!」
「やはりそうか………。三神少佐が呼ばれて、君が呼ばれないはずがないものな」

 答礼して呟く彼にはあまり気負った様子はなかった。どうやら、先の迎撃戦での印象が良かったらしい。同じ轡を並べたと言っても、そも所属する軍が違う為に仲間意識はないだろうが―――それでも、国連=米国という概念を少しでも払拭は出来たようだ。

「―――お二人も、先の戦いを評価されて?」
「ま、そのようなものだよ」

 実際は違うが、流石に本当のことを言うわけにはいかず、適当にあしらって三神は話題を変える。

「そう言えば君達の撃墜数を見たよ沙霧大尉。上手くすれば昇進も夢ではないね?」
「何を言いますか。私の隊の撃墜数が郡を抜いていたのは、貴官のフォローがあった故でしょう。―――そういった意味では、そこの白銀中尉の方が余程素晴らしい戦績でしょう」
「は、はは………」

 白銀が返答に困って曖昧に笑みを浮かべていると、沙霧を通した女中が三神を呼んだ。どうやら、折よく謁見の時間が来たようだ。

「っと、では私は先に行かせてもらうよ。―――武、『しっかりな』」
「―――ああ」

 口に銜えた煙草を灰皿で揉み消して、彼はそう言い含めると女中に連れられて部屋を出て行った。

「―――沙霧大尉も、どうぞ」
「ああ、すまない」

 それを見送って、白銀は沙霧にソファに腰掛けるように促す。
 三神に入れ替わって対面に腰を下ろした沙霧を見やって、白銀は深呼吸を一つ。

(―――一応、三神はオレが沙霧大尉の説得に失敗した時の事は考えてあるって言ってた)

 正直な所、本職の三神と違って、こうした論説は白銀向きではない。そのいろはを習ったと言っても、所詮付け焼刃。本来ならば、こうした部分は彼に丸投げするのが正道だろう。特に、クーデターがかかっているならば、尚更。
 しかし、白銀は知っている。
 あの事件が207B分隊に与える傷を。
 だからこそ―――。

(よし………!一丁やってみようかっ!!)

 胸中で気合を入れて、彼は交渉に臨んだ。






 謁見の間にて、傅く男が一人。その先には両翼を担うように、榊総理大臣と鎧衣課長、珠瀬外務次官、第19独立警備小隊が正座で待機しており、中央には悠陽と左右に斑鳩と紅蓮がいた。
 傅く男は片膝のまま視線を上げ、言葉を紡ぐ。

「―――国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐。お呼びに預かり参上致しました」

 恭しく頭を垂れる三神に、場は一度水を打ったような沈黙が支配し、その後で―――斑鳩が急に吹き出した。

「斑鳩少佐。いきなり腹を抱えて爆笑とは何事かね?」
「い、いやだってよ。手前ぇが真面目に挨拶するなんて誰が思うかよ。―――てっきりまた何かしでかしてくれるかと皆で予想してたのに」

 見てみろよ、と斑鳩が指さした先を視線で追うと。

「意表を付いた私の勝ちですな」
「ううむ………やはり道化を知るのは道化という訳ですか………」
「我々もまだまだですな………」

 鎧衣が何処か勝ち誇ったように口角を歪めており、珠瀬外務次官と榊総理大臣が何やら悔しそうに頭を振っていた。

「失礼な発言が聞こえるね。―――私とて相手を選ぶというのに」

 嘘だーっ!と、月詠中尉とその部下三人から突っ込みの気配が出るが、場を考えてか声には出さなかったようだ。彼女達も随分私の冗談の扱いに慣れてしまったなぁ、と何処か寂しく思っていると、悠陽がくすくすと品よく笑う。

「ふふふ。では、『今の』私は、そなたの眼鏡に適ったのですね?」

 問い掛けに、三神は再び頭を垂れる事で応じる。

「―――は。先の迎撃戦での戦前演説。私も例に漏れず感銘を受けた次第であります」
「そう言ってもらえて少しだけ安心しました。―――それと三神少佐。今は他に誰もいません故、普段通りに振舞ってもらって結構ですよ」
「では失礼して―――ふぅ、やはり堅苦しいのは疲れるね」

 片膝から正座に戻し、彼は吐息して肩の力を抜いた。

「さて、小難しい話はこれまでにして―――では気楽に再交渉といこうか」

 そしていつも通りの声音に戻って告げる言葉に、皆が訝しげな表情をした。

「再交渉、ですか………。しかし、もう話は纏まっているのでは?」
「そうじゃな。実際、BETA侵攻を言い当てた以上、最早三神少佐や白銀中尉の言葉を疑うまい」

 月詠の言葉に、紅蓮が頷く。軍人、ということもあってか、実利が伴った以上はそこに否定的な意見はあまり入らないらしい。だが、政治面に属する他の面子にとってはまた違う。

「おやおや。信頼してくれるのは嬉しいがね。私が望むのはあくまで対等な関係だよ。それに―――少しだけ、イレギュラーが発生したのでね」

 そう告げる三神に、二人も気づいたようだった。
 そもそも、10月末に行った交渉で粗方が片付いている。これは確かに月詠達の意見の通りだ。それの証明をする為に、11月11日の迎撃戦があったのだから。しかしながら、その当日にBETAの侵攻規模が違うという、誤差も出ている。これが指し示すところは、彼等の予言も万能ではないということだ。結果的に過去類を見ない圧倒的勝利になったものの、僅かな不安もつきまとう。
 それを踏まえた上で考えると、彼等の未来情報を盲信するのは危険だ、という結論にどうしても達するのである。無論、参考にならないという訳ではない。だが、それはあくまで高精度の天気予報というスタンスで臨まなければ足元を掬われる結果になりかねないのである。
 故にこその―――再交渉。
 三神と白銀が持つ未来情報と変化した未来をどう取り扱っていくのかが、今回の交渉の焦点になる。

(―――基礎が出来ているので楽なことには変りないが)

 三神は内心で苦笑する。
 今回は真っ更な状態からの交渉ではない。限りなく好意的に偏った状態からの交渉だ。順序と彼等の取り扱いを間違わなければ、失敗は無い。正直なところ言うと、対沙霧の交渉の方が余程難しい。

(―――まぁ、その前に試しも必要だがね)

 ああした演説を行える以上、今更悠陽を疑うわけでもないが、それでも彼女が何処まで為政者として成長したのかを確かめる必要がある。今回を以てクーデターの件を伝える以上、それを真正面から受け止められる器量がなければ、必要以上に傷つくのは眼に見えているからだ。
 まぁ、どう転んでも傷つくことには変りないのだが。

(十代そこそこの少女に一国の政治を押し付ける、と言うのも―――正直どうかと思うが)

 遺憾に思うが、それでも、人にはそれぞれ役割がある。彼女に限っては、それが政治だっただけに過ぎない。どの道避けられないならば、せめてその負荷を少なくしてやるのが大人の役目だろう。
 不意に周囲に視線を投げると、皆が無言でこちらを注視していた。再交渉と口にした為か、どうやらこちらに主導権を渡してくれたようだ。だから三神はふむ、と頷いて。

「まずは―――そうだね………以前、武の経緯は話したから、次は私の経緯を話そうか」

 既にクーデターの話に至る為の道筋は出来ている。その流れの中で、悠陽の成長振りも確かめようと決めた三神は、己の辿ってきた数奇な運命を話し始めた。
 白銀と同じく平和な別の世界にいたことから始まり、そこで交渉人として生きていたことから、不意にこちらの世界へと迷い込んだこと。2016年に放り出され、死ぬ度に逆行して、とうとう2001年まで遡ったこと。そして、自分の存在が歴史に少しずつ影響を与えているということも忘れず告げる。
 当然、色々と細かいところは掻い摘んだが―――それでも、因果導体として普通でない人生経験を積んだことは伝わったはずだ。

「―――以上が私がここに至った経緯だ。理解は出来たかね?」
『―――………』

 問い掛けに、皆は無言。

「―――?どうしたのかね?そんな神妙な顔をして」
「いや、手前ぇ―――今、何歳よ?」

 だから首を傾げて再び問う三神に、斑鳩は逆に尋ねた。

「百は飛んでいると思うがね。正直、不意に死んだりすると日数が分からなくなるから、途中で数えるのが面倒になって正確にはもう分からない。―――実際はもっと行っていると思うが」

 肩を竦める彼に、斑鳩はそうかそうかと頷いて。

「初めてあった時から只者じゃねぇとは思ってたが―――妖怪だったか」
「待て斑鳩少佐。その認識は一体何だ。―――君達も何故そんな納得したように頷いているのかね?」
「喧しい妖怪。百年以上経験を貯めこんで身体は二十歳そこそことかどんな反則技だ」
「おやおや。最近私の周囲限定で私の評価がゲテモノ扱いなんだが一体どうしたことか。ああ嘆かわしい―――私はこんなにも常識人なのに」

 天を仰いで手を額に当てる妖怪嘆き爺を、皆は顔を背けてスルー。最早突っ込みすら無い。自業自得とも言う。
 そして何事もなかったかのように紅蓮が口を開いた。

「しかしこれで納得がいった。―――儂も斑鳩も不思議には思っていたのでのぅ」
「紅蓮、どういう事ですか?」
「は。斑鳩との立会の際、観察しておったのですがどうも―――泥臭『過ぎる』戦い方をしていたのですよ」

 悠陽の問い掛けに、紅蓮は答えた。実際それと立ち会った斑鳩も同乗する。

「それだけだったら玄人と言えば済むんだが、こいつの場合はその精度が半端なかった。そういう経緯があっても―――たかだか数年程度戦術機に触った程度じゃ、ああはならねぇよ」
「しかし百年近く―――しかも死線で戦術機を乗り回していれば、才能がなくても確かにあの習熟の域には達せるでしょうな」
「色々と酷い言われようだ。―――まぁ、戦術機乗りとしては凡才だから否定はしないがね」

 肩を竦める三神だが、これは謙遜でも何でもなく事実である。
 そもそも、彼が受けた最初の戦術機特性は中の下―――決して高い部類ではなかった。いや、斜陽の人類の中では腕の良い衛士が生き残っていく。そんな中で比較すれば最下層もいいところだった。実際、訓練がてら白銀『大佐』の軌道パターンを体感したらシミュレータ内がもんじゃ焼き屋になったぐらいである。それ以降、ひたすら経験だけを重ねて今の三神が出来上がっていった。
 喩えるなら―――普通の人間の人生がコイン一枚で挑む残機無しのシューティングゲームなら、彼の場合はコイン投入口に針金突っ込んでコイン感知を誤作動させた上で望むコンテニュー有りのシューティングゲームだ。しかも、ドロップアウト不可能の強制コンテニューである為、嫌になっても止めることは許されない。
 そんな状況になれば、どんなド素人でもいずれはそれなりの腕になる。

「さて、まぁともかくだ。私の経緯はそんな感じで、今も言ったように未来情報は知っているが、私という存在の影響で少しづつその未来情報にも誤差が出てきている」
「先の迎撃戦でのBETAの規模が違ったのは、それが原因なのですね?」
「そうだ。―――そして、今からするのはそれを踏まえた上での交渉だよ」

 悠陽の問い掛けに三神は頷き、そして皆を見据えて言葉を紡ぐ。

「私達は未来情報を提供しよう。それに絡まるイレギュラーも、私と言う存在を充てがうことで対処も出来よう。そして、これを以て諸君にする要求は………そうだな、比較的穏やかに言うと―――」

 そこで一呼吸区切ると―――。

「―――しばらくの間、こちらの言いなりになってもらう」

 試しの言葉を贈った。






 道化の言葉に周囲が息を呑んだのを悠陽は感じた。それと同時に、思うことは一つ。

(―――試されて、いますね)

 不快感はない。そもそも、先月末での交渉でそれを指摘されたばかりだ。そして彼女自身、我が身の未熟さをよく知っている。だからこれは試しだろう、と結論する。
 どれほどの覚悟を決め、この国を背負っていくことにしたのか示せ、と言外に問われているに過ぎない。そしてこれから先―――他国と渡り合っていく上で、こうした視線に晒されることも増えていくだろう。
 であるならば―――これは外交の模擬戦だ。
 自分を自国、三神を他国と見なした上で言葉という刃を交わす。場面的には、侵略戦争だろう。言いなりになれ、ということは宣戦布告を申し入れられていると見て良い。BETAという人類共通の脅威がある今時分、そうした直接的な言葉を以てして外交を仕掛けてくる国はないが―――今後もないとは言えない。北アメリカを筆頭に、南アメリカ、オーストラリアと日本という絶対防衛戦が崩れた際に被害を被る大国は多い。
 であるならば、その国を内外問わず手中に収め、最悪切り捨ての出来る植民地としてしまった方が自国民の不安も払拭できる。それも場当たり的な時間稼ぎにしかならないが―――その時間稼ぎもBETA大戦には必要なものなのだ。
 だから、悠陽は一度瞼を落とし、やがてゆっくりと開いて毅然を三神を見据える。
 今の彼は敵国だ。
 仲良しこよしで言い包められる相手ではない。
 威厳と厳格と冷厳を以て、初めて通じる相手だ。

「それは―――どういう意味ですか?」

 自分が思っていたよりも、静かで、しかしよく通る声が出た。いや、それだけ周囲の皆が静かにしているのだ。騒ぎもせず、皆が自分を見守っていてくれている。それだけで悠陽は少しだけ気持ちが軽くなった。
 その皆の期待に応えたくて、だから彼女は凛とした眼差しで道化を見据えた。

「いい瞳をしているね、殿下。交渉を本業としている私は今まで色々な人間と接してきたが―――今の君のような瞳をしている人間こそ最も油断ならない」

 それを一身に受けた彼はにやり、と口元を釣り上げると手を叩いて褒めてくる。おそらく、偽りなき本心だろうが―――今、それを素直に喜んでいられる程、彼女も愚かではない。
 今の煌武院悠陽は、日本帝国の国事全権を任されている政威大将軍だ。
 舐められては、威信に関わる。

「光栄、と思うべきなのでしょうね。ここに到るまで、如何なる状況であっても自身を崩さなかったそなたにそう言われるのであらば。―――ですが、今、私が欲しているのはそのような賛辞の言葉ではなくその言葉の真意です」

 だから、返す言葉は剣。
 乗せる視線は敵意。
 触れれば斬れる、絶氷の刃。
 まさしく王の貫禄を以て、言葉を放つ悠陽に、三神はますます笑みを深くした。

「ふ、ふふ………本当に、ただの一戦でよくぞここまで成長したものだ。―――いや、これが君本来の強さなのかな?どう思うかね?斑鳩少佐」
「元からこの娘は強ぇよ。今までは踏ん切りがつかなかっただけだ。―――それよりも、我が主の問い掛けに応えろ道化」

 鼻を鳴らした斑鳩も、最後は将軍に従う摂家として言葉を放る。四面楚歌の狼になった三神ではあるが、まだ試しは終っていないらしい。顎に手を触れて、相も変わらずシニカルな言動を止めない。

「おやおや。随分と不穏な空気になってしまったね?―――まぁ、私としては馴れ合いで行う話し合いよりも、こうした空気の中での交渉の方が互いに見落としが無くなって良いと思うがね」

 確かに、と悠陽は思う。
 未来情報が若干なブレがありつつも確かな物であると理解してからは、三神や白銀がこちらの味方、という認識をしていた。いや、根本的な部分では味方であるだろうが―――彼等は国連所属で、そして彼等には彼等の目的があるのだ。その利害が一致していれば組織の垣根を超えた協力を得られるだろうが、それが違った時―――下手をすれば彼等は敵に回る。
 所属が違う以上、まずは、その部分を留意しなければならないのだ。先述したが―――仲良しこよしでやっていける程、この世界は甘くない。特に騙し騙されが横行―――いや、基本スタンスの政治や外交ならば当然の話だ。

「さて、話を戻す前に、以前私が諸君に言った言葉を覚えているかね?」

 やがて、三神が問いかけを寄越す。視線はこちらではなく、周囲を見回してだったので、悠陽を含め、此の場にいる皆に問うたのだろう。
 しばしして、榊が挙手をして口を開いた。

「―――近い内に、この国に何か大きな事件が起きると、言っておりましたな」
「その通りだ榊首相。先程も言ったように、私という存在の影響で少しブレはあるが―――」

 彼はそう前置きすると―――。

「―――現状のまま事が推移すれば、来月の頭にこの国でクーデターが起こる」

 先程の比にもならない爆弾を投下した。

『なっ―――!?』

 その場にいた皆が絶句し、身を乗り出す。―――ただ一人を除いて。

「―――戦略研究会、ですな?」

 鎧衣だ。
 いつものように微笑みの鉄皮面を纏い、確認するように問い掛けた。そして悠陽は得心する。以前、彼が僅かに掴んでいると言った情報は、まさしくこの事であったのだと。

「その通り。だからこそ、その筆頭である沙霧尚哉を此の場に呼んだのだよ」

 三神は頷き、それこそが沙霧尚哉という一士官を呼び出した理由だと説明した。
 迎撃戦の前に彼が望んだ要求は、斯衛の徴兵制度―――主に撃墜数の部分を利用して出来るだけ自然に、具体的には『表面上は斯衛へのスカウト』という形を取って此の場に呼び出すというものだった。
 これは、現在の内政の間隙を縫って忍び込んだ間諜の目を誤魔化す為である。唯一の難点としては、その沙霧尚哉が条件を満たせるかどうかだったのだが―――それは実戦で、三神が直接フォローに入ることでクリアした。あの実戦で彼が見せた『BETAを極力仕留めない』という戦闘法は、沙霧に説明した効力以上に、手負いのBETAを倒させることで第3中隊の撃墜数を底上げする為の仕込みだったのである。
 そうして呼び出された沙霧は、今、白銀の交渉を状況上受けざるを得なくなっていると三神は言う。

「まずは『前の世界』での経緯から話しておこう」

 そして彼は『前の世界』で起こったクーデターの顛末を伝える。
 沙霧尚哉が戦略研究会と称する超党派勉強会を結成し、帝都体制の正常化を志向したことから始まり、決起に足る切っ掛け、事件の経緯。そして他国の思惑による介入、収束。事件後の影響まで全てをだ。

「そんな事が………」

 その一つ一つを聴くたびに、悠陽は自分の気持がどんどん重くなっていくのを感じていた。これをもし、何も知らずに経験していたかと思うと―――胸が張り裂けそうであった。
 自国民を家族と標榜し大事にする彼女に取って、それらが殺し合いをする等ということは、自傷行為以上の痛みである。しかも、それは―――自分がしっかりしていれば、起きる必要もなかったとなれば、尚更だ。

 ―――しかし、である。

 彼女は既に傷ついてでも前に進む覚悟を定めている。その身にある権限を恐れず、それを正しき方向に振るい、それに寄って出来た責任ならば如何なるものであっても背負うと決めた彼女に停滞はない。不安や迷いはあっても―――それを抱えて前に進む。この背を護ってくれる人達もいる。
 そして今、全てを知った以上、最早躊躇う理由は何処にもない。
 だから彼女は道化を演じる四面楚歌の狼を見据える。
 おそらくは、次の言葉が最後の試しだと理解して。

「―――問いましょう。三神少佐、そなたはどうするつもりですか?」

 威厳と厳格と冷厳を以て尋ねる彼女に、やはり道化はシニカルな笑みを浮かべたまま飄々とした態度を崩さない。
 しかし―――。

「おやおや、それを私に問うかね?ならば応えよう。――― 諸君が何と言おうと、クーデターは起こすよ」

 今まで黙って事の成り行きを見ていた斑鳩や紅蓮、月詠達第19独立警備小隊が身を硬くする。必要あらば、此の場で下克上を促す不逞の輩を取り押さえる為に。しかし、悠陽はそれを視線も寄越さずに気配だけで制した。


 ―――主の命無く動くな。


 十七の少女が放つ異質とも言えるその空気に、政治屋の榊達はおろか、軍人である斑鳩達でさえ気圧されて硬くした姿勢を解く。それを見届けることもせずに、悠陽は一呼吸置いてから三神に言葉を投げ掛けた。

「………それだけではありませんね?―――そなたの狙いを話してください」
「やれやれ、やはり腹を括った君は怖いね。つくづく、『前の世界』で敵対関係になくてよかったと思うよ。しかし―――それを問えるということはもう殆ど見えているんだろう?」

 おそらく、試しは終わったのだろう。三神の声音は先程よりも随分と柔らかい。
 だが、やられっぱなしは気に入らない。今の自分の経験値では、この世界を超えた道化に一矢報いることしか出来ないが―――それでも、政威大将軍を舐めてもらっては困る。
 だから、交渉の条件を呑むという返答と共に、せめてもの意趣返しをする。

「ええ。―――ですがはっきりと、『今後を動かしていく』そなたの口から聞いておきたいのです」

 一瞬、三神が呆けたような表情をした後、破顔して膝を打った。

「くくっ………!いやはや全く、正直、君がここまで成長しているとは思わなかったよ。今回は私の完敗だな。それと―――君を試すような真似をして申し訳なかった」

 彼は頭を下げ、その上でこちらを見据えてきた。そこにあるのは、道化でなく、狼でもなく―――世界を変えていく交渉人の顔だ。

「クーデターは起こす。―――だが、首謀者をこちら側に引きこんで、無血でだ」

 その言葉に、やはり、と悠陽は思う。でなければ、わざわざ沙霧尚哉を呼び出す必要性はない。それこそ、権力差を以て潰してしまえば良いだけの話だ。

「しかし―――全ては、米国か………」

 今まで黙してきた榊が苦々しく呟いた。
 外に内にと米国の圧力を日々感じている彼に取っては、実に頭の痛い話だろう。対外的な所属こそ親米派の彼ではあるが―――それも、必要以上の干渉を拒む為に止む無くそうしているだけに過ぎない。
 日本という小さな島国を維持していく為には、他国との交流は必要不可欠なのだから。

「君の苦労も分からないではないが―――それは偏見だよ。確かにあの国の実利主義もどうかと思うが、少なくとも自国の為に動いている。彼等も彼等で護ることに必死なんだ。―――特に、日本が落ちれば二面作戦を展開しなければならなくなるからね」

 三神の言葉に、顔を顰めたのは月詠だ。

「三神少佐は、米国を擁護するおつもりで?」
「誤解してもらっては困る。私は博愛主義者ではないよ。こういう言い方はどっちつかずで好きではないが―――掲げる正義は、それこそ人の数だけ、国の数だけある。日本にとって米国が悪に見えたとしても、米国にとっては日本が悪なのかもしれない。要は立ち位置の問題だ。―――愛国心は持ちつつも、全ては公平に。国を治める者にとって、必要な心構えだと思うよ?」

 そうだね?と問い掛けられ、悠陽はええ、と歳相応の柔らかい微笑みを浮かべた。

「だからこそ我々は結束せねばならない、ですね?他国に付け入る隙を与えない為に」
「その通り。今回は敢えて介入させるが―――それを逆用して、これで最後にする。勿論、親米派やその他諸々を排除してね。そして君に実権が戻れば―――佐渡島を取り戻せる」
「佐渡島を………?」

 訝しげな視線を投げる斑鳩に三神は頷く。

「そうだよ斑鳩少佐。元々、私の目的は佐渡島奪還作戦―――『前の世界』で甲21号作戦と銘打たれた作戦を成功させる為の戦力確保なのだ。前回では、11月11日のBETA侵攻とクーデターで戦力を随分減らしていたからね」

 佐渡島には想定数以上のBETAが住み着いている。それは『前の世界』で実証済みだ。そして、如何に今回万全体制の00ユニットがあったとしても、万能ではない。ハイヴ攻略戦には必要以上に手数が要ることを、それ以降のハイヴ攻略戦全てに参加した三神は知っているのだ。故に、帝国軍の手数を無駄に減らすことを厭う。
 しかしながら、実権が悠陽に戻らねば再び他国の介入されて更なる混乱を招く可能性がある。であるならば、今回の介入は見逃すが―――こちらで制御して、最大限の利益を得る。更に、この件が諸外国に対する抑止力になれば、最早言うことはない。

「それを踏まえて、だ。―――殿下、君にはこれから一仕事してもらおう」

 そして、交渉人は意地の悪笑みを浮かべた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第三十四章 ~問答の遊戯~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/05/14 15:45
 三神が女中に連れられて待合室を出て直ぐ、白銀は深く息を吸って、まずは相手の観察を始めた。自分の対面のソファに座る青年将校―――沙霧尚哉の説得を申し出た後で、彼は三神から交渉の手解きを受けた。無論、元より全く畑の違う分野だった為に、本職に比べればその能力は格段に落ちるだろう。付け焼刃と言って相違ない。しかしながらそれを呑み込んだ上でも、幾つか手札はある。

(まずは、相手を知ること………)

 交渉人に曰く、大概の交渉とは相手を話し合いの席に着けるまでに決着が付いている、との事だ。三神が持つ交渉能力は本来、対犯罪者用という些か特殊方面に特化しているものではあるが、これがなかなかどうして通常の交渉にも応用できる汎用性の高いものだった。その視点を以てすると、相手の望み、性格、癖、弱みなど様々な要因を最初にプロファイリングすることで、話し合いにある程度の道筋を立てられるのである。
 これを鑑みるに、彼がこの世界に来てからの交渉は随分と楽だったのだろうと思える。三神がこれまで行って来た交渉―――即ち、香月夕呼や鎧衣左近、煌武院悠陽とは『彼にとっては』初見ではないのである。『前の世界』で幾度か話す機会があれば、その際に相手の言動基準を知れる。言い換えれば、彼は既に件の三人用の攻略法をある程度持った状態で交渉に挑んでいたのであった。あそこまで余裕があったのは、年齢以上に有力な手札が手元にあったが故だろう。
 ―――閑話休題。
 今回の件に関してみれば、白銀は沙霧に関する情報を多くは知らない。と言うのも、彼との接点はあまり多く無い為である。断片的な情報を持ってる気がするが、少なくともすぐに思い出せる記憶としては『前の世界』でのクーデターの時しか無い。それを鑑みれば―――。

(狂信者………かな)

 愛国心と言えば聞こえはいい。だが、あの時期に彼等が起こしたクーデターは今考えても正直、暴挙にしか思えなかった。例えそれが結果的に日本の良い方向に転んだとしても、あくまでそれは結果論だ。その結果に至る過程で、様々な人間の思惑の上を転がり、そしてどれほどの犠牲が出たか分からない。
 ―――現状、日本は自国にハイヴを一つ抱えている。
 そして『それ以上』に、多くのハイヴに囲まれているのだ。
 最も近い鉄原ハイヴから始まり、北方にエヴェンスクハイヴとブラゴエスチェンスクハイヴ、南方に重慶ハイヴ。その他のハイヴも日本から程近い。BETAがその気になれば、数日と掛からず大挙して押し寄せ、本土侵攻に発展するのは避けられないだろう。―――それこそ、1998年の大規模侵攻の時以上に。

(だから、何としても今回は止めないと………)

 人間同士の争いで戦力を摩耗する必要性は無い。物資的には一機あたり何十億とする戦術機。人的資源としては育成に適正と時間と資金を必要とする衛士。そのどちらも、今後日本を守っていく上で必要なものだ。そしてそのどちらも限りあるものだからこそ、有意義に使っていく必要がある。

(―――例え誰に甘いと言われても、こればっかりはな)

 何よりも『身内』に被害が掛かる以上、白銀は黙ってそれを見過ごすつもりはない。色々と勿体つけた理由があったとしても、極論を言えば―――ここまでクーデターに入れ込む理由は、それだけなのだから。それが無ければ―――三神がどう動くつもりであれ―――あるいはもっと冷めた視線で極力被害が出ないようにしていただけだろう。

(さて、余所事考えている暇はないか)

 気持ちを切り替えて、白銀は再び沙霧を見やる。あまり黙ってジロジロと眺めていても、相手に与えるのは不信感と不快感だけだろう。ここは一当して相手の出方を見るべきだ。ではどんな話題がいいだろうか。一応、この部屋は監視されていない事になっている。事前に鎧衣課長自ら調査しているので、隠しカメラの類もないだろう。危険球を直球で投げることも出来るけど、と考えていると―――。

「―――白銀中尉に一つ聞きたいのだが………」

 先に向こうから話し掛けられた。

「あ、は、はい。何でしょうか?」

 いきなり機先を制されてしまったが、まぁこれはこれでいいかなと白銀は思う。三神が言うには、情報不足の場合は相手に会話の主導権を渡して一度聞き手に回ってもいいとのことだ。
 雑談を幾つかかわせば、沙霧の人となりを少しは知ることも出来るだろう。

(えぇっと、友好の時は、鼻周辺の三角形を中心に見るんだったな………)

 白銀は物理的な交渉術の一つを思い出して実行する。師に曰く、人の視線による印象操作との事だ。因みに、他には優位に立ちたい時には額を逆三角形に見たり、下手に出るときは顎先を見たりする。
 こうした印象操作は極々些細なものだが、そうして積み重ねることが重要だと三神は言っていた。
 どうでもいい話だが、物理的交渉術の最終手段は拳らしい。

「国連軍の戦術機に搭載されていた新型のOS―――確か、貴官が開発したとの話だが、本当だろうか?」
「ああ、はい。って言っても、オレ、いや、自分は発案しただけで、実際に作ったのは香月博士なんですけれど」
「ああ、あまり気負う必要は無いよ。君の話しやすい言葉で構わない。―――それにしても、そうか………あの女才が………」

 こちらの緊張を気遣ってか、沙霧はそう断ると、腕を組んで感慨深げに思案する。

(………ヤバイな、オレ、結構緊張してる)

 よくよく考えてみれば、初対面の人間との交渉事はこれが初めてだ。『前の世界』や『その前の世界』で香月と幾度か交渉まがいの遣り取りはしてるとは言え、白銀からしてみればある程度人となりを把握した上での事だ。
 完全な初対面では初めてのことだし―――なにより、掛かる内容が際どすぎる。今は種明かしをしていないからまだいいが、こちらがクーデターの事を知っていると相手に知れたとき、一体どのような行動を取るか―――正直、予測がつかない。
 やはり畑が違うのか、と思うが―――最早後には引けない。白銀は腹をくくると、もう少しだけ雑談を続けて相手を計ることにする。

「香月博士の事をご存知なのですか?」
「横浜にその人有りとまで言われた人だ。帝国軍に所属していて横浜基地を知っている人間ならば、誰でも知っているだろうさ。―――何の研究をしているかまでは知らないが」

 やっぱあの人有名なんだなぁ、と思いつつ沙霧の少し暗くなった表情を鑑みるに、あまりいい噂ではなさそうだ。まぁ、その噂の七割ぐらいは正しそうなのだが。

(―――やっぱりオルタネイティヴ4の事は、知る訳ないよな………)

 国連もそうだが、日本内部でも最高機密に属する計画だ。本来ならば、名前を知っただけでも消されかねない。内実など知ったらそれこそ土の下である。それを考えるとオレとか庄司とか結構危ない橋渡ってきたんだなぁ、と白銀は苦笑する。まぁ、今回もカードの一つとして使うのだが。

「―――実際見て、どう思いました?あのOSを積んだ機体の機動は」
「素晴らしいな。実際にどんな機能が付いているのかまでは分からないが、あれ程まで向上した機動性ならば、それだけでBETA群を翻弄できそうだ。ただ―――」

 ひとしきり褒めた後、沙霧は一息置いて探るような視線で白銀を見た。

「―――少しばかり、機体の方がついていけていない気がする」
「………」

 それに対して白銀は無言。しかし、胸中では感嘆の声を上げていた。

(―――鋭い。やっぱり、沙霧大尉も現場で実戦経験を積んできた衛士ってことか………)

 おそらく、その疑念は衛士でなくとも長年戦術機に慣れ親しんだ人間ならば、誰しも覚えるはずだ。元々、新型のOS―――即ち、XM3は白銀武が思い描く機動を戦術機で再現するために生まれたものだ。では、その思い描く機動とは一体どのようなものかと問えば―――物理法則の介在しない、バーチャル空間で養われたものなのである。
 バルジャーノンというゲームの評価はさて置いて、そのゲームのシステムの中に、戦闘機動による機体の劣化や部品破損時に於ける不具合などは無い。当然といえば当然だろう。所詮ゲームはゲーム。娯楽以上ではないのだから。極端にリアルティを持ち込んでしまえば、コアなファンはともかく、ゲーム会社という企業がターゲットとする最も有力な客層―――特にライトユーザーには受けないだろう。
 まぁ、そんなゲーム会社の戦略はともかく。
 ではそのような概念を現実に持ち込めばどうなるかというと、機体重量や耐久性―――平たく言えば重力という問題にぶち当たる。元々、戦術機自体がある程度無茶な機動に耐えられるものだとしても、それは設計した人間がここまでは大丈夫だと定めたボーダーでしかない。設計した人間が定めた以上の土壌を以てして生まれた発想をそこに持ち込めば、当然ながら許容値は容易く限界を迎える。
 仮にそこを理解して、衛士自身―――此処で言うならば白銀―――がある程度その許容値に擦り合わせたとしても、それでも何処かしら不都合というものが生まれていく。
 そしてその不都合というのが、今も横浜基地の整備兵達が頭を悩ませている各関節の異常劣化等である。
 因みに、今の話を逆に考えれば、設計段階でXM3を基準とすることを含めて新たな戦術機を作れば、そうした問題はある程度クリアされるのだが―――またそれは別の話だ。

(―――少なくとも、自分の畑では冷静な物の見方は出来るってことか)

 転じて、そうでなければ彼に着いて行こうとする人間もいないだろう。となれば、敢えて『前の世界』での彼の敗因を明記するなら、不得意な分野―――広義として政治面―――に手を出してしまったことか。

(きちんとした情報を渡してやれば有用に生かせるけれど、それを精査する能力は無い―――庄司の見立て通りって訳だ………)

 実際に―――米国の後押しや魔女や狸の介入があったとは言え―――根本的な部分ではクーデターは成功しているのだ。それこそ日本を掌握するぐらいの情報網と精査能力を持っていれば、反逆者を封じて無血開城も夢ではなかったのかもしれない。いや、そもそもそうした情報網を持っていれば、日本内で極秘裏に進行しているオルタネイティヴ4の事も勘づけたかもしれない。
 そしてそれが今後日本の発言力を高めていくものだと悟ることが出来れば、クーデター等起こす気はなくなっただろう。少なくとも、もうしばらくは様子見になっていたはずだ。

(たらればを話したってしょうがないけどさ………)

 この青年の能力を少し知って、何処かやりきれない気持ちになった白銀は、それを悟られないように軽く吐息する。その吐息で、前髪がふわりと揺れた。

「―――よく分かりましたね。XM3―――ああ、新型OSの名前なんですけど―――が慢性的に抱えている問題点ですよ。これは、このOSを基準とした戦術機が開発されれば解消されていくと思うんですけどね」
「―――部外者の前で、そのような話をしてもいいのか?」
「構いませんよ。―――近い内に発表しますし」

 クーデターが終わってからですけどね、と白銀は胸中で付け足した。XM3はこちらに興味を持たせる撒き餌としては、最高のカードだ。話の種にすることは既に香月にも話して承認を貰っていることだし、ここは景気良くばら蒔くことにする。
 元々は自分の思い描く機動を再現するために香月夕呼に掛け合ったということから、彼女が別の研究で開発していたものを流用して作られたということ。そして肝心要であるキャンセルと先行入力とコンボという概念。洗いざらい、という訳でもないがその殆どを躊躇わずにぶち撒ける。
 流石に同じ衛士という立場もあってか、沙霧も興味津々といった風に白銀の言葉に度々頷いては、疑問に思ったことを口にして、白銀から答えを得ると感心したように再び頷く。
 そうした遣り取りを交わして、一通りの話を終える頃には沙霧の白銀の見る眼は尊敬の色に変わっていた。

「―――君ほどの衛士がこの国にいればな………」

 ふと、沙霧が自嘲気味に口を歪めて呟いた。

(ここら辺、かな………?)

 今の会話である程度の信用は得られたと思う。まぁ、仮にも他軍ではあるし、信用というよりかは言葉を重ねた分だけ気安くなったというべきか。ともあれ、本題に入る為の下地としてはこんな物だろう。
 ―――次は、取っ掛かりだ。
 白銀は下唇を舐めて、話題を変えることにする。

「―――そう言えば、この間の迎撃戦の時に思ったんですけど、殿下が戦場に出ることなんてあるんですか?」

 問い掛けてみると、沙霧の眉がぴくり、と動いた。おそらくは、少しばかり気安くなった白銀の言葉遣いを気に留めたのではなく、殿下という言葉に反応したのだろう。
 返答の声音は、少しだけ硬い。

「いや、私が知る限りでは、殿下がああして戦場にお出になられたことは1998年の京都攻防戦の時だけだ。私も風に伝え聞いただけだが、その時は直接陣頭指揮をお採りになったらしい」
「はぁ、そうなんですか………。聞いた話なんですけど、確か殿下ってまだ17歳ですよね?1998年って言ったら15歳とか14歳ぐらいか………すげぇな………」
「そうだ。あの若い身空で………いや、君とはそう変わらないような………?―――白銀中尉、失礼だが君の歳は?」
「は?ああ、えぇっと………17、ですね。あ、殿下と一緒ですか」
「ふふ………。とは言え君も新型のOSを開発できるぐらいだ。私からしてみれば、十分に凄いと思うよ」

 適当に芝居を打ちつつまぁ実年齢はもうちょっと上ですけどね、と白銀は胸中で舌を出した。元因果導体である以上、見た目通りの年齢ではない。意識的にはプラス三年ぐらいでハタチそこそこか、と苦笑して沙霧との会話に戻る。

「いやいやそんなことないですよ。もうちょっと動きやすくなんないかなぁ、と上司に言っただけですし。―――沙霧大尉も何か上に具申してみたらどうですか?ひょっとしたら、何かとんでも無いことが出来たりするかもしれませんよ?」

 心持ち軽く言ったつもりだった。
 だが、返って来たのは―――。

「―――無理だ」

 酷く、憔悴した言葉だった。

「―――今のこの国では、上にいくら具申したところで、何も変わらない」

 伏し目がちに、呪詛の如く沙霧が吐き出す言葉に、白銀の瞳がすぅっと薄くなる。
 そして気付く。
 これが彼の絶望なのだろうと。
 こうまで実直な青年の事だ。恩師亡き後、何もしていなかった訳ではないだろう。この国を変えようと色々と動いてみたはずだ。だが国家が群体―――しかも、割と縦割り社会な以上、一個人が行える変革などたかが知れている。軍人であれば尚更、その歪さに気付くはずだ。

(―――行き詰まってたんだろうなぁ………)

 彼だけではない。おそらくは、誰も彼もが。
 自国にハイヴを抱え、復興もままならず、難民は増える一方。食料の供給や労働条件の悪化や人が人がましく生きて行く為の環境―――何もかもが不透明だ。
 ある程度裕福な層であっても同じだろう。いつ何時職を、生活を、国を捨てねばならない時が来るか分からない。それならば、と先を見据えて他国に国を売る動きを見せる者がいてもおかしくはないのかもしれない。
 あくまで可能性だ。所詮、この世界の一般人ではない白銀には、そうした人達の実情など知り得ない。

「変えたければ、何かを起こしたければ、自らの手で起こさなければならない。例えその先に―――」

 ―――自分がいなかったとしても。
 ある意味、それは一つの自己犠牲。言い換えれば、所詮自己満足。その是非を問えるのかといえば、答えは否。何故なら白銀自身、自己満足を以て世界を変えることを望んだのだから。
 であるならば、根本的な部分で沙霧と白銀にどれほどの違いがあるのか。実の所、その信念やその他諸々が違うだけで、ベクトルは同じなのかもしれない。
 だから―――。

「―――だから、クーデターを起こすんですか?」

 白銀は、切り込んだ。






「―――っ!?」

 沙霧尚哉には自分の呑む息の音がはっきりと聞こえた。待合室の温度が急速に冷えていくのを肌で感じ、背中からは冷や汗がどっと出る。耳鳴りを覚え、早鐘のように叩き鳴らす鼓動を感じたまま白銀を見据えた。
 何故、という疑念はある。
 まさか、という驚きはある。
 しかし相手はそんなこちらの様子など気に留める素振りも見せずに、言葉を紡いだ。

「変わらないから、変えれないから、それでも変えたいから―――無理矢理でも変えるために、クーデターを起こすんですか?貴方は」

 問い掛けが来た。
 一時的に停止した思考をどうにか転がして、沙霧は対応の結論を得る。

「―――何のことかな?」
「惚けなくたっていいです。大体、あれだけ図星って表情をしておいて今更惚けても時間の無駄ですよ」
「………」

 返す刀でバッサリ斬られ、沙霧は無言のまま胸中で舌打ちした。相手にはまだ確たる証拠は無いと判断してすっとぼけて見たものの、相手はこちらをよく見ていた。

(どうする………!?)

 余りにもタイミングが悪い。
 決起計画を知られた以上、この中尉を生かしておく理由は無い。ここが自分の所属する基地内ならば機密漏洩云々等と適当な理由をつけて問答無用で斬り捨てることも出来るだろうが―――あいにくとここは帝都城。その上、殿下が招致した相手だ。しかも他軍であることを考えると、下手に即物的な解決法を用いれば逆に自分の首を絞めかねない。
 それを狙ってやっているのならば、既に退路を絶たれている可能性すらある。

(激昂して有耶無耶にするか………?それとも………)

 切り出されたタイミングも悪い。焦りで上手く思考が纏まらない。奥歯を噛み締めて無理矢理にでも考える。
 最もまずいのは、決起計画を知っているのはこの中尉以外にもいる場合だ。いや、今まで巧妙に隠蔽してきたのだ。それを一介の衛士に暴かれるとは考えがたい。であるならば、やはり彼の背後には組織だった動きがあり、彼はその末端と考えるのが妥当か。
 となると、ほとほと厄介だ。ここで彼一人を始末しても、それで終わる訳ではないのだから。

「沈黙は肯定と受け取りますけど?」

 その上、こちらの纏まらない思考を予期していたのか詰めの言葉を放ってくる。
 沙霧は深く吐息した後、白銀を睨んだ。

「―――認めよう」

 妥協案ではあるが、ここで一度認めてから彼の狙いを聞く必要がある。目的が競合していなければそれを元に交渉し、背後関係を洗い出す。それが今後不利益になるようならば消せばいいし、それが余りに強大であったり、そもそも競合して完全に敵と判断できれば―――。

(―――即時決起する必要があるな)

 一応、準備自体は整っている。
 こうなってしまった以上、元の計画以上に電撃作戦になってしまうが致し方ない。武器の類は取り上げられてしまっているので、ここで捕まる事を覚悟をせねばならないが―――。

(せめて同志と連絡を取る方法を探さねば………!)

 今後の指針はある程度は固まった。ならば、まずは時間稼ぎと相手の目的を探る必要がある。沙霧は努めて冷静に切り出した。

「ところで、君はそれを何処で知ったのかな?」
「知ったというよりは体験した、ですけどね?」
「………?何のことだ………?」
「オレの交渉の師匠曰く、いい男には秘密が多いそうです」

 人差し指を立ててそう嘯く白銀に、沙霧は何故か既視感を感じた。こう妙に飄々とした態度を、ここ最近何処かで見た気がする。どこだっただろうか、と記憶を掘り起こしていると、相手が言葉を続ける。
 主導権を握られてしまうが、今は致し方がない。

「さて、この事実を知っているオレとしては、あまり面倒なことをしてほしくありません。―――ですが、そうも言っていられない事情が貴方にはある」

 違いますか?と問い掛けられて、沙霧は渋々ながら頷いた。やはり相手は決起には反対らしい。相手の目的は明らかにされていないものの、何処かで競合してしまうのかもしれない。
 ならばやはり、実力行使で此の場を切り抜けることも必要かもしれないと覚悟しつつ、彼は告げる。

「―――そうだ。今の日本………勿論、全てというわけではないが、少なくとも帝国議会や軍上層部は殿下を蔑ろにしている。そればかりか、他国にしっぽを振り、自身の権益と保身だけに走る輩もいる始末。このままでは遠からず他国に内部から蹂躙されるだろう」
「だからその前に政治形態を本来の―――将軍殿下主導に戻そうと?」
「そうだ。殿下さえ御無事であれば、この国はまだ生まれ変われる」

 再度の問い掛けに、沙霧は首肯。これは偽りなき本心だ。結局の所、今の政治体系が悪いわけではないと沙霧は思う。それを正常運用させない輩がいるからこの国は上手く回らないのだと。
 実際―――この間の迎撃戦で、図らずもそれは証明された。
 政威大将軍が旗頭となって、国の敵を討ち滅ぼす。あの時には余計な利権争いや権力争いは無く、皆が一丸となった。今まで夢物語であったそれは、確かに現実味を帯びて来たのである。であるならば―――後は、彼女のしがらみを砕いてしまえば、この国は生まれ変われる。

「―――本当にそう思いますか?」

 しかし、同じ迎撃戦に参加した彼はまた違った見解のようだった。

「オレ、あんまり頭良くないから分からないんですけど―――仮に、殿下主導の政治に戻ったところで、全てが全て上手く行くだなんて思えないんですよ」
「―――無礼な。その籍は違っても君も同じ日本人だろう。あの御方のお力を否定する気か」
「そうじゃないですよ沙霧大尉。『今』の殿下にその人徳や力があるのは理解できます。実際、あの迎撃戦であの人は自分はただのお飾りじゃないってことを証明してみせた。だから、そんな事は今更疑ってはいません。―――オレが言いたいのはそういう事じゃないんですよ」

 ではどういう意味だ、と言葉にせず睨む沙霧の視線を受け流して、白銀は脚を組んで一息。こういう会話の間のとり方も何処か既視感を感じる。

「沙霧大尉。―――仮に、貴方の思い描くクーデターが成功したとして、その後はどうするんです?全てが片付いたその後で―――貴方はどうするつもりなんですか?」
「愚問。如何な理由があろうと叛意は叛意。然るべき裁きを受けるまで。例え―――」
「―――その先に、死が待っていたとしても?」

 言葉を先取られ、沙霧は一度言葉を詰める。どうにもやり難い。胸中で舌打ちしながら、彼は大仰に頷く。

「―――そうだ」

 その瞬間だった。

「―――ふざけてんじゃねぇぞ糞野郎」

 ぽつり、となにか罵倒が聞こえた気がした。眉をひそめるが、相手は失礼、と手を掲げて流れを元に戻す。

「―――自分の言っていることをもう一度良く考えてみてください。殿下さえいればこの国は生まれ変われる?如何な理由があろうと叛意は叛意?」

 だがそれで沙霧は気づいた。
 今の呟きはやはり罵倒か何かだったと。目の前の少年は、冷静を装ってはいるが、腹の中では沸騰するぐらいに怒りを覚えていると。

「―――じゃぁ貴方は殿下に全て押し付けて、自分で責任取らずに逃げる気ですか?」

 その問いかけは予期していたものだ。
 全てを終えた後、逃げようなどとは思っていない。今も言ったように叛意は叛意。国を変えるという目的を果たせれば、後はどう裁かれようとも文句はない。

「―――言っただろう?裁きは受けると」
「逃げじゃないですか。貴方が死ねば責任は果たせるんですか?クーデター起こした奴等が自己犠牲精神発揮して将軍殿下万歳三唱で投身自殺でもすれば全て片付くんですか?」

 随分と見下してくれる、と沙霧が奥歯を噛み締めて反撃に転じようとした瞬間―――予期せぬ糾弾が来た。

「貴方は国のため殿下のため臣民のためとか色々御託並べますけど、何だかんだ言って―――自分じゃ何一つ変えてないじゃないですか」
「っ―――!?」

 痛いところ、というつもりはない。だが、心の何処かで思っていたことだ。結局の所、自分達は切っ掛けだと。使い捨てだと。その先の事は、反逆者である自分達ではなく、彼女に任せておけばいいと。

「情報戦も他人任せ、外交も他人任せ、政治も他人任せ、極めつけは、自分が起こしたクーデターの後始末さえも他人任せだ。そりゃぁ全部を自分でやってみろだなんて言いませんけど、それでもある程度は把握しておくべきだったんじゃないんですか?」

 ふと、相手の物言いに沙霧は違和感を覚えた。
 この少年は何を言っているのだろうかと。まだクーデターは起こしていない。だというのに、何故『だった』等と過去形を用いるのか。何故、あたかもそれを見てきたかのように言うのだろうか。
 反骨心よりも先に、疑念が脳裏に渦巻く。
 しかしそれも―――。

「結局、貴方の言ってることは立派ですけど―――やってることはただガキの我侭じゃないですか」
「貴様………!」

 次の挑発で弾け飛んだ。
 最早是非もない。ここまで虚仮にされて黙っていられる程、自分は達観していない。外道にも外道なりの信念がある。
 拳を固く握り締め、身を乗り出して―――。

「オレに怒るのは御門違いでしょう?―――自分の行動の後ろに誰がいるかも知らないのに」
「何っ………!?」

 しかし、まるでその行動を待っていたかのように白銀は言葉を差し挟む。そしてそれは沙霧の暴挙を諌めるのに十分な効力を持っていた。自分の知らない情報を持っていると仄めかされたのだ。それを探る為にクーデターを企てていることを認めた身としては、無視できない。

(―――本当に遣り難いっ………!)

 言葉巧みに行動を御されている気がしてならない。しかもこちらが自覚できる程強烈だ。まるで心の中を見透かされているような気分だった。
 しかしそんな不快感も、次の言葉で吹き飛ぶ。

「貴方が起こすクーデターは、仕組まれてるんですよ。―――貴方の大嫌いな米国にね」
「なっ―――!」

 絶句と同時、沙霧はテーブルに拳を叩きつけて立ち上がった。

「馬鹿なっ!有り得んっ!!」
「否定するのは構いません。でも―――自分でも薄々気づいてるんじゃないですか?上手く行き過ぎているって」
「っ―――!?」

 思い当たるフシは幾つかある。戦略研究会を立ち上げてしばらくしてからのことだ。一時期を境に支援が爆発的に増えた。それは人材から始まり、物資や情報に関してもそうだ。当初は自分たちの考えに賛同してくれた者が多くいたことを喜び、同時に情報が漏れているのではと懸念する気持ちもあった。
 しかし、実際に何処にもばれる事もなく順調に準備が進んでいくと、その気持は徐々に麻痺していき―――今の今まで気にすることもなかった。

(―――白銀中尉が決起を知ったのはそこを経由して………?いや、しかし国連が米国と繋がっている以上、彼がそれをこちらに知らせる必要は………くっ………!)

 相手の狙いが読めない。
 白銀が米国側で介入を狙っているならばこちらに知らせるのは致命的な失策だ。であるならば味方なのかと考えれば、それは違うだろうと思いたる。そもそも最初に面倒なことは起こしてほしくないと言っているのだ。
 ここに来て沙霧は完全に混乱状態に陥った。本人はそれと気付いていなくても―――術中に嵌ったとも言う。
 そしてまるでその間隙を突くように、道化師に交渉術を仕込まれた救世主が踏み込んでくる。

「他にも色々と複雑な思惑がありますけど―――その一つを知れば、疑いも持てるんじゃないですか?」
「―――思惑?」
「聞きたいです?―――聞けば、もう引き返せなくなりますけど」

 まるで試すように、挑むように来る問い掛けに、沙霧は瞑目して考える。
 そして―――。

「―――聞こう」

 その思惑を知るために、彼は首を縦に振った。






 首を縦に振った沙霧を前にして、白銀は実の所、驚きの中にあった。

(―――これ、すげぇよ庄司………)

 クーデターを知っていることを告げてからの会話の流れは、全て三神が事前に用意していたものだ。言い方や細かな部分などはアドリブだったのでそれはさて置いて、間の取り方や仕草、切り返し方や促し方などは全て彼が白銀に仕込んだ交渉術である。
 ある程度の気安さを得た後―――即ち、殿下の話題を出して沙霧に会話の主導権を渡す。そして彼が現政府への不満を口にしたところで、クーデターを企てていることを知っていると告げて、動揺を与えると同時に主導権を奪い返す。そこから先は、彼が冷静さを取り戻すまでが勝負だった。時間稼ぎとして、なるべく心を乱させるために挑発的な言動も取る。そうすることで相手の思考力を奪うのである。無論、あの糞野郎発言も仕込みだ。小声で呟き、相手にこちらを観察させることによって、他に対する注意力や集中力を散逸させるのだ。
 そして糾弾した後、暴言によって爆発を促し―――その出鼻を挫いて本題を持ってくる。
 これほどまでに回りくどい会話を経由したのは、こうでもしないと本当に暴挙に出かねない為である。もしここで暴れられたり逃げ出されたりすると厄介だ。だからそれを封じ、相手に『聞く姿勢』をさせる為にはクーデター経由で、聞くことによって有益な情報を得られると思わせる必要があった。

(彩峰の名前を使うって手もあるんだが………)

 共通の話題を以てすれば、あるいはもっと早いはずなのだが―――三神はそれを封じていた。彼が言うには、『彩峰の名前は最後の切札だから、絶対に最後まで使うな』との事だった。彼が何を狙っているのかは不明だが、もしかしたら失敗した時の為の秘策なのかもしれないので、白銀はそれに従ってその名を出さなかった。

(さて………問題はこっからだ)

 此処から先は、オルタネイティヴ計画について話していくことになる。こちらに取り込んで、更には『前の世界』で起こったクーデターの裏を詳らかにする為には、オルタネイティヴ計画を持ってきたほうが上手く説明できる。米国の極東に於ける影響力回復―――と言ってもいいのだが、そんな上っ面の情報だけでは火に油を注ぐ結果になりかねない。ならば出来るだけ細かく、数多くの思惑があって厄介だという認識を持たせる必要性がある。
 その為に、オルタネイティヴ計画をカードとして切る。
 一応、香月から許可は得ている。まぁ、彼女の許可が国連の総意ではないので、計画を知った沙霧が余所で口外すればどうなるかは言うまでもないのだが。
 それはともあれ。
 問題なのは―――ここからは、三神のシナリオが無い事だった。彼が言うには、『そこからはお前がやってみろ』との事だった。言葉だけ見れば師匠の課題とかそんな感じだが、実際は鎧衣課長に頼んで買ってきてもらったソテツをうっとり眺めながら投げやりに言っていたので実は教えるのが面倒になっただけなのかもしれない。多分そうだ。ちなみに、盆栽趣味でもあるのかお前はと白銀が突っ込んだところ、頼んでもいないのに物凄い勢いでソテツについて説明しまくってた。実にどうでもいい。

「―――オルタネイティヴ第四計画。貴方が起こすクーデターの裏に、米国が絡む………幾つかある理由の一つです」
「オルタネイティヴ第四計画………?」

 とりあえず、言葉を脳裏で考えつつ白銀は切り出した。

「そう。日本と国連主導の対BETA最重要機密計画。そしてもう一つ、オルタネイティヴ第五計画。こっちは米国主導です。今は予備計画ですけどね。日本が米国に先んじてこの計画に絡めたのは、現総理大臣の榊是親の手腕と、未だあの国が余裕があったためです。けど発足から六年―――あっちの国は、そろそろ痺れを切らしてきている」

 榊、と聞いて沙霧は眉をぴくりと動かすが、それ以上の反応はなかった。

「方法としては幾つかあります。真正面から第四計画を握り潰す方法。裏から手を回して潰す方法。しかし―――自国の利益になりそうな方法があれば、そちらの方を着手しますよね。日本内部でクーデターが起これば、それを理由に介入を掛け、日本を内部から乗っ取り、ついでに第四計画ごと接収してしまうことも出来る。どちらの派閥にとっても理想の展開だ」
「―――君は、どちらの派閥だ………?」
「第四計画ですよ。―――恩もありますしね」

 恩?と首を傾げる沙霧に、内緒ですよと流してから白銀は言葉を続ける。

「で、この計画ですけど―――何処で行われているか分かりますよね?」
「―――横浜基地………」
「その通り。まぁ内容は話せないですけど、第四計画派と第五計画派―――この二つの計画は相反していましてね。だから第五計画の中身の方はバラしてしまいましょう」

 言い忘れてましたけど計画に関することを口外すると消されるので気をつけてくださいね、と今更ながら言い含めてから口を開いた。

「G弾運用を前提とした人類最終作戦と選ばれたバビロン作戦の断行。そして選ばれた10万人だけが外宇宙へと逃げる―――それが第五計画の全容です」
「な、に………?」

 その内容に驚愕する沙霧を畳み掛けるように、白銀は言葉を放つ。

「目下のところ、この第五計画を阻止するのがオレの―――いえ、横浜基地の目的です。あの計画じゃ―――人類を救えない。救えても、たった10万人だ。そして第四計画は大詰めを迎えている。そんな時期に、変な横槍は勘弁して欲しい」

 しかし―――。

「だから交渉です、沙霧大尉。オレ達に―――」
「―――断る」

 その言葉を紡ぎ切る前に、拒絶された。






 夜の国道を横浜に向かって走る黒塗りの高級車が二台あった。
 その内の一台に、二人の男が乗っていた。一人は運転席。一人は助手席だ。助手席の男がパワーウィンドウのスイッチを押して少しだけ窓を開き、胸ポケットから取り出した煙草を口に銜えると、運転席の男が話しかけた。

「―――それで結局の所、今回は何処まで見えていたのです?三神少佐」
「―――何のことかね?鎧衣課長」
「惚けなくてもいいですよ。白銀中尉が説得に失敗するように仕向けたのは、貴方でしょう?」

 安物のライターで火をつけて、深く紫煙を吸い込む同族を横目で見やりつつ、鎧衣は車のハンドルをトントンと指で叩きながら何処か楽しそうに続けた。

「沙霧大尉が拒絶したあの直後―――あるいはその前にでも白銀中尉が『彩峰』の名を使っていればまた結果も違ったでしょう。そして彼にはその知識もそれを考える為の頭もあった。しかし、実際には手詰まりに陥って何も出来なくなった。逆説的に考えれば、『彩峰』の名を使えない何かしらの事情があった。―――どうですか?」

 尋ねられ、紫煙を吐き出して三神は前を行く―――白銀と月詠達が乗った車を眺めながら、小さく笑う。

「―――情報外務2課の名は伊達ではないね。食い詰めたら私か香月女史の元を訪れたまえ。言い値で雇おう」

 三神はいつもの軽口を叩いてから、吸うかね?と鎧衣に煙草の箱を突き出した。では一本だけ、と断って摘むので、三神はライターを翳してやることにした。どうやらここ最近は周囲に煙草仲間がいなかったので嬉しいらしい。

「その通り。武に『彩峰』の名を使うなと言い含めたのは私だよ。交渉指南役だったからね。それ自体は簡単だった。―――鎧衣課長はメンソールでもいけるか」
「何でもいけますよ。―――酒と煙草と音楽は万国共通のコミニュケーションツールですからな」
「諜報員も大変だね」

 まぁそれはともかく、と三神は話を元に戻す。

「理由としては二つある。一つは、そもそも私は沙霧尚哉『とは』交渉するつもりはなかったんだ」
「ほぅ」
「意外かね?しかし少し考えれば至極単純だよ。例え私であっても―――彼を説得は出来ないだろうからね」

 三神の交渉術の基礎は対犯罪者用で、その視点からしてみれば沙霧尚哉は最早『手遅れ』だ。
 突発的に犯罪を企てたわけでなく周到に計画して、更には自身の信念の元に外道となることすら厭わない。ここまで心をガチガチに固められていたら、幾ら何でも解きほぐすことは不可能に近い。
 しかし諦めるわけにはいかず―――一応、手はまだ残されている。
 交渉という建前で時間を稼ぎつつ―――頃合いで突入部隊で武力制圧する。
 今回の結果に当て嵌めるならば―――。

「成程、実際に説得を行うのは始めから殿下で、白銀中尉が申し出なければ少佐が道化役を買って出るつもりだったと?」

 白銀が交渉に失敗した直後、待合室の扉の前で聞き耳立てていた三神は悠陽をその場に放り込んだのである。

「彼は殿下に心酔している日本人だ。ならば彼女が言い含めるのが一番早くて正確だ。だが、その背後で私達国連の影がちらほら見えて、しかもそれがやり手だったら妙な邪推をしてしまうだろう?例えば殿下は誑かされている、とかね。だから―――まずは私達自身を貶める必要があった」

 その上で、悠陽に説得させる。こうすれば彼は妙な邪推をしないし、殿下に忠誠を誓っているという矜持も満たせる。自分は国連の説得には応じず、将軍の言葉を聞き入れたのだ、と。
 ちなみに、こうした経緯を一切知らされていなかった白銀は苦笑した後で思いっきり三神の方を睨んでいた。無論スルーしたが。

「もう一つの理由は、経験を積ませる必要があったんだ」
「経験………?」
「そう。経験だ。例えば―――そうだね、鎧衣課長。君が今の役職を放棄するとして、後釜を誰に据える?」
「―――その言い分ですと、近い内にいなくなるのですかな?」
「私自身の目的を果たせば―――おおよそ、後二ヶ月ぐらいでね」

 ぴくり、と鎧衣の動きが一瞬だけ止まり、しかし運転中のためか直ぐに何事もなかったかのようにほぅ、と興味深げに吐息する。三神はそれを無視して、インパネの灰皿を引き出して灰を弾く。

「問題はその後だ。香月女史は確かに有能だが、身体が三つも四つもある訳ではない。そして私が後二ヶ月程でいなくなる以上、彼女のフォローを出来るのは、内外ともに武だけになる。であるなら、今回のような外交も状況によっては任されることも出てくるはずだ」

 彼女は天才で、更には最近量子電導脳という武器さえ手に入れたが―――それでも身体は一つである。どうしたって限界は出て来る。今はまだ彼女の手足として三神が支えることは出来るが―――居なくなった後で、彼女を支えられるのは白銀以外いない。
 勿論、伊隅やピアティフもいるが―――全てを承知している万能な駒という点ではやはり白銀には劣る。

「その時に経験がありませんでは話にならん。特に必要なのは―――」
「失敗経験、ですな」
「よく分かっているね、鎧衣課長」

 失敗は成功の母とはよく言ったもので、交渉失敗の経験は糧になる。特に今回白銀自身初めての交渉であったことから、得るものは多かったはずだ。
 その為に仕草一つから話の筋まである程度仕込んでいたのだから。

「普通の外交ならば失敗は許されないだろう。しかし今回は、初めから失敗を予定していた。ならば生半可な成功例で妙な自信を付けてしまうよりも、派手に失敗してもらって、それをバネに頑張った方が今後の為になるはずだ」
「スパルタですな」
「これが戦場ならば払うのは自分の命だ。仲間を巻き込んでもまぁ、自己責任で済むだろう。だが政治的な交渉は思わぬ所でツケを払わされるのが常だ。特に我々の陣営は人類が救われる道を歩いている。―――そう考えれば、おいそれと失敗できないよ」
「成程、最初から最後まで少佐の手の上だった訳ですか」
「そうでもないよ。付け焼刃とは言え武も思ったよりはいい線いってたからね。上手くすれば、とも思ったが―――」

 正直話の運び方次第では上手く行けたかもしれないな、と三神は今更ながらに思う。鎧衣の言うように、断られた直後に彩峰の名前を出していれば―――あるいは、オルタネイティヴ計画では無く、もう少し別の話の種を持ってきていれば―――。

(いや、所詮タラレバか………)

 色々と思考し始めて、しかしぷつりとそれを途切らせる。
 そうした力ずくの交渉よりも、今回は沙霧の中で既に偶像になっていた悠陽を更に昇華させたほうが遥かに楽で、効果は高いはずだった。そして普段は得られない―――逆に言えば得てはいけない貴重な失敗経験を白銀に積ませることが出来た。
 クーデターに関しても、沙霧は全面的に悠陽を支持して彼女の命令に従うことを約束した。細かい段取りはまだまだ煮詰めていかなければならないが、当面の問題は米国協力者の洗い出しになる。それについては香月に一案あるようなので、それを待ってから帝国情報省との連携をしていくことになる。
 ともあれ―――結果としては上々だ。
 これ以上は望むべくもないだろう。

(―――少し早いが………ついでだし、まぁ、いいか)

 三神は胸中でそう思ってから鎧衣に声を掛けた。

「―――鎧衣課長、君に頼みがある」
「何ですかな?―――また何か観葉植物でも御所望ですかな?」
「いや、私はソテツちゃんで十分だよ。―――それより前にも頼んでいた枕を………ではなくてだね」

 いかん物欲ダダ漏れだな、と自分を諌めてから三神はコホン、と咳払いを一つ。

「私がいなくなった後―――武と香月女史の事を頼む」
「―――所属が違うんですがね」
「それを承知の上で、だよ。私が消えれば、私に関する記憶も自然と消えるだろう。きっとこうして話したことも忘れてしまうだろうが―――それでも、頼む」

 何を、とまでは言わない。
 鎧衣も何を、とは尋ねない。
 ただしばらくの間、車の走行音と、少しだけ開けた窓から入ってくる夜風の音だけが響く。
 やがて―――。

「―――頼まれましょう」

 深く紫煙を吐き出した鎧衣が観念したように肩を竦めた。

「しかし少佐も随分日和ったお願いをされる」
「一児の父親である君には分かるだろう?どんな小さな子供であっても、気付かないうちに大きくなって、いつの間にか親を追いぬいていくものだ。それを寂しいと思うのは大人の感傷で、しかしそれを感じたときに自分が作ってきた道を譲るのが―――老いた者に残された、最後の特権だよ」
「若い子達が今を見て走るなら、私達大人は先を見て走り、開拓をする―――ですか」
「そう。いずれバトンを渡し、その瞬間を人生で最も輝かしい瞬間にする為にね」
「やれやれ、年寄りみたいな考えですな」
「こう見えて百歳超えているのでね。君ももっと年食ってみれば分かる。―――達観を通り越すと、存外享楽的な生き方になるよ」

 苦笑する二人を乗せて、黒い高級車は夜の国道を行く―――。






 同時刻、横浜国連基地のB19階にある香月の執務室に二つの影があった。一つは部屋の主である香月。もう一つは風間だった。
 訓練を終えて自室で休んでいたところ、社伝いで急に呼び出された風間は、初めて入る副司令の執務室に若干の緊張を覚えながら―――突き出された紙に眼を丸くした。

「略式で悪いけど、辞令よ。アンタは今日から中尉。ヴァルキリーズからも一応外すわ。状況次第では戻すけど。―――やったわね、給料上がるわよ?」
「え?あの………?」

 いきなり捲し立てられ、緊張もあってかまともな返事すら出来ずに風間はその辞令を受け取る。
 それを満足気に見やってから、香月は椅子の背もたれに体を預けて口元を緩める。

「唐突で悪いわねぇ。何しろ―――こうでもしておかないと、後々厄介なことになるから」

 何の話かと首を傾げると、彼女は機密よ、と嘯いて誤魔化した後、右手の人差指を立てた。

「で、アンタの次の所属だけど」
「あ、はい」
「―――三神の元で補佐官やってもらうわ」




[24527] Muv-Luv Interfering 第三十五章 ~馬鹿の転機~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/05/14 15:48
 これを夢だと認識できたのは、その光景が記憶の中にあったことと―――どれほど願っても、もう二度と会うことの出来ない顔ぶれがそこにあったからだ。
 築10年ほどの市営マンションの三階。一組の夫婦が暮らすには丁度良く、その夫婦が新婚で、これから家族が増えることを考えると少し手狭なリビングで―――三人の男女が顔を付き合わせていた。一人は灰皿に押し付けた長いままの煙草を名残惜しそうに眺めながら憮然としている青年。一人はその青年と何処かに通っているが、表情は柔らかい青年。最後の一人は背中にかかる髪を一つに括った女性だ。
 そしてその女性が瞳を輝かせて身を乗り出し、対面で憮然とした表情のままの青年に言葉を放った。

『―――で?で?で?ショウジ君はそろそろ良い人はいないのかなぁ?』
『あぁ?馬鹿か天姉ぇ。いや馬鹿だ天姉ぇ。―――今の俺にそんな暇あると思うか?』

 舌打ちして吐き捨てるショウジと呼ばれた青年に、しかし女性の横に座る青年が肩を竦めた。

『バッカお前そんなん気合だ気合。―――気合があれば何でもできる!偉い人も言ってただろう?』
『で、気合が余りに余ってガキ出来ちゃいましたー、か。―――まさか帰国して最初に聞くのが妊娠報告だとは思わなかったぞこの馬鹿兄貴オレの煙草返せ!折角火付けたのに一口で消さなきゃならなくなっただろうが!』
『はっはっはこのニコ中め今更常識人振るな。―――いやぁこの間の連休でパパ頑張っちゃったぞぅ?』
『やだもう耕司ったらぁ。―――温泉連れてってくれるって言ってたのに資金不足で結局連休中ずっとゴロゴロしてただけじゃないこの出不精!』
『ふふふ大丈夫だ天音!次の連休はボーナス入った後だからな!何処にだって連れていけるさ!!』
『きゃー耕司素敵ー!不況でボーナスカットされるかもとか言ってた癖に見切り発車で大見得切っちゃう耕司素敵ーっ!結婚してー!!』
『既に結婚してるだろうがあんた等って言うかああもう黙れこのド馬鹿ップル!あんた等相手にしてると俺の突っ込みゲージが何本あっても足らねぇだろうがっ!!』

 ギャーギャーと騒ぐ三人に、お隣さんから壁殴りの突っ込みが入った。
 それを境に、束の間の夢から意識が浮上していく―――。







 11月16日

「っ―――!」

 目覚めると同時にごつん、と額に衝撃。一瞬身を硬くして何事かと周囲を見渡していくと、三神庄司は徐々に状況を理解し始めてきた。
 昨夜の一件の後、報告がてら香月の執務室を訪れてみると『アンタの執務室にあたしに回ってきた書類を運び込ませておいたから処理しておいて』と理不尽極まりない命令を頂き、佐官用に充てがわれた執務室に足を向けたのだ。そこで彼が目にしたものは、質実剛健な机に積まれた書類の山だった。あんた一体どれだけ溜め込んでるんだと思わず突っ込んだが本人がいないので意味はなく、仕方無しに先に仕分けから始めて―――。

「寝落ちしていたか………。―――それにしてもなんとまぁ随分と懐かしい夢を」

 瞼を擦り、首を振って吐息する。
 主観からしてみれば八十年以上も昔だ。確かあれは海外での定例研修が終わって帰国した直後の話だったと思う。産まれて来る子供の名前を一緒に考えてくれと頼まれたのでよく覚えている。そして一本無駄にした煙草の恨みを忘れていない。火を付ける前に言え火を付ける前に絶対嫌がらせだなあの馬鹿兄貴―――等と愚痴りつつ吐息。

(―――あの二日後だったか)

 あの世界での、『ミカミショウジ』としての最期の交渉を思い出し、苦笑する。随分と馬鹿なヘマをしてしまったものだ。何処の世界でも組織は一枚岩ではないと知っていたのにも関わらず、御することが出来なかった自分の落ち度だ。
 あの世界の日本はそうそう大きな事件が起きない代わりに、対処能力に難がある。末端はともかく、実際に命令を下す上の方がとにかく浮き足立ってしまうのだ。その後の結果は分からないが、せめて人質が救われていることを願うだけだ。

「んーっ………!」

 椅子から立ち上がって背伸びをするとボキボキと関節が鳴った。寝違えてしまったのか、妙に首筋が痛い。やはり机は寝具に向かない。何度か摩って部屋の壁に掛けてある時計を見やると―――起床ラッパが鳴ってから2時間程経っていた。少々遅いがPXに行けばまだ何か作ってもらえる時間だ。早いところ何か腹に入れて―――。

「コレを片付けないとな………」

 視線の先には、机の端に積まれた書類の山だ。まずは早急に処理しなければいけないものをそこにより分けておいた。その後の記憶は曖昧なので、どうやらそこで力尽きたようだ。因みに、優先順位が低い物は台車があったのでそれに積んでいた。
 とりあえず顔洗ってPXにでも行こうかな、と行動方針を決めた時だった。
 コンコン、と扉が叩かれた。一体誰だろうか、と思いながら机に置かれた内線のコンソールに触れてロックを解除。流石に佐官用の執務室となるとセキュリティがしっかりしているので、外部カメラまで備え付けられているが、寝起きのせいかそこまで思考が回らなかった。

「入りたまえ」
「―――失礼します」

 だからそのまま促してみると、入ってきたのは軍装に身を包んだ風間だった。初めて入る部屋の為か妙に緊張した面持ちだった。

「おや?どうかしたのかね風間。こんな朝っぱらから」
「―――え?」

 それを不思議に思って首を傾げていると、相手も不思議そうな顔をした。どうも状況が読めない。何かがすれ違っている気がする。彼女の様子からして情報の行き違いがあるようだが―――。

「………ふむ。すまないね、風間。どうも情報に行き違いがあるようだ。何かあったのかね?」

 改めて問い掛けると彼女は軍靴を鳴らして直立不動の体勢を取って最敬礼。

「失礼しました。―――風間祷子『中尉』、本日を持ちまして三神大隊大隊長補佐官に着任致します!」

 唐突に流れてきた名詞を順不同で処理する。
 風間祷子『中尉』―――ああ昇進したのかおめでとう。
 大隊長補佐官―――権限的には中隊長とほぼ同等だな伊隅ヴァルキリーズの些か特殊な視点で見れば二階級ぐらい昇進してるのと同じかやったじゃないか立場的には叩き上げの速瀬を追い抜いてるぞ。
 三神大隊―――三神大隊かぁ懐かしい響だなアレは確か『前の世界』で………いやちょっと待てなんだソレ。

「風間、風間。いいかね?私も些か動揺しているが―――今言った『三神大隊』とは何かね?」
「え?ご存じないのですか?近々A-01を再編成するから、それに先駆けてまずは形だけ作っておくと―――香月副司令が」

 きょとんとする風間に、三神は一拍置いてから。

「―――――――――はぁあぁぁぁ!?」

 素っ頓狂な声を挙げた。







 香月夕呼に朝も昼も夜もない。
 天才という存在はとにかく集中力が高いと言う事を証明するかのように、香月の睡眠時間は昔から平均で三時間程だ。五時間も寝れば御の字、七時間寝れば寝すぎである。特に手に掛けている研究があるとその傾向は顕著になり、それは00ユニットになった今でも変わらない。
 00ユニットという性質上―――ODLの浄化という側面に掛かって―――休息は必ず必要なのだが、量子電導脳の使用領域をパーティション分けしてローテーションで使用する事によって休息中も一部稼動させることが出来るようになったので、実質的に休む時間は無くなった。
 尤も、今現在手にかけている研究―――と言っても、『前の世界』の香月が既に完成させているのだが―――がもう少し進めば体内でのODL浄化が自動で出来る装置を作れるので、それまでの話なのだが。
 こうまでして急ぐ理由は一つ。
 何しろやることが多いのである。
 今後戦力の中心となる新型戦術機に関しては部品設計をしてからメーカーに送りつけて外注したり、基地内の部品で組めるものは開発部で作ってもらったり、肝心要の新型ムアコック・レヒテ機関―――本体を作れるのはまだ先だが―――に必要なGI元素を今の内に大急ぎで精製していたりする。地下の技官達はローテーションを組んでフル回転で作業中だし、自分の副官だってここ数日まともに休ませていない。
 更に11月28日にはHSSTの件がある。
 まぁ、こちらはクーデター発生の一因になるようなので、事前に防ぐようにするのだが、なるべくこちらに疑いが掛からぬよう今の内に仕込んでおく必要があるのだ。
 更にそのクーデターに関しても早急にやるべき事が幾つかある。
 なまじ先が見えていると、それまでに間に合わせなければならないので自然と急ぎ足になってしまう。いくら00ユニットとしての処理能力があっても物理的な部分はどうしようもない、といういい例だった。
 かくて、香月夕呼は現状とにかく忙しいのだが―――目の前には、そんな彼女のやる気をゴリゴリ削っていく馬鹿が一人。

「ちょっと白銀ぇ………アンタ朝っぱらから何げんなりしてるんのよ」

 執務机に頬杖をついて、呆れた視線を向ける先には、俯いて項垂れる白銀とその背中を叩いて励ます鑑の姿があった。
 鑑の身体の検査もあったので呼びつけたのだが、何だかそれどころではなさそうだ。と言うか、付き添いでついてきた白銀の方が付き添われているというのは一体どんな了見か。

「うぅ………オレが一体何をしたって言うんだ………」
「あ、あはははー………。ご、ごめんね?タケルちゃん………」

 こちらの言葉が届かなかったようで、いちいち聞き出すのが面倒臭くなった香月はリーディングで事情を知る。
 出てきたのは―――。

(ああ………修羅場ったのか………)

 どうも朝食をPXで鑑と取っている時に207B分隊に鉢合わせたらしい。まぁ、それ自体はまだいいのだが、鑑が持ち前の嫉妬心―――と言うか独占欲と言うか―――を無意識の内に出してしまったらしい。
 まぁ何と言うか、早い話が―――『あ~ん攻撃』を。
 その一角だけ体感温度氷点下まで冷え切って、居た堪れない朝食になったのは最早語るまでもないだろう。

(ちょっと見直するとすぐコレだからねぇ、コイツは………。皆苦労するわけよ)

 ひょっとしてヘタレは恋愛原子核発生条件の一つなのかしら、とどうでもいい考察をしていると、香月は執務室の入り口に人の気配を感じ取る。
 視線を向けてみれば、少しだけ開いた扉から顔を半分だけ覗かせてこちらの様子を伺っている小動物一匹。こっちはこっちで色々大変そうだ、と思いながら―――。

(―――混ぜっ返すのも楽しそうねぇ………)

 そうだここ最近忙しくて息抜きも出来やしないからここらでストレス発散でもしておこう、と極めて研究者らしい独善的な判断を下すと、心持ち声量を上げる。

「………ま、イチャつくのも程々にしなさいよ?あの子も大変そうだから」
「へ?」

 鑑が首を傾げてくるので、香月は彼女達の後ろ―――即ち、社の方を指さした。

「あれ………?どうしたの霞ちゃん?」
「えっと………その………」

 鑑に問い掛けられ、子うさぎさんは俯きがちにしどろもどろになりながらもこう告げた。

「………し、白銀さんが、その………ケダモノで、あの………野獣で、なんというか………は、激しくて………凄くて、大変で………その、眠れなくて………」

 意訳―――白銀さんがケダモノで野獣で激しくて凄くて『それをリーディングしちゃって』大変で眠れません。
 鑑訳―――白銀さんがケダモノで野獣で激しくて凄くて『その相手をするのは』大変で眠れません。
 補足―――うさ耳の高速可動と首筋まで真っ赤というオプション付き。
 判決―――冤罪で私刑。

「タ~ケ~ル~ちゃ~ん………?」
「い、いやちょっと待て純夏!お前今物凄い勢いで誤解していってるだろっ!?」
「『ふぁんとむ』は、勘弁してあげるね………?」

 うわぁい泣きっ面に蜂って言うんだよねコレー!と悲嘆にくれる白銀に追い打ちを掛けるべく、口元を緩める香月が有り難くない解説を付け加えた。

「因みに、鑑は身体を構成する際に常人よりも頑丈にしておいたから身体能力はアンタが知ってる鑑より上がってるわよ?」
「『ふぁんとむ』でなくても死刑宣言!?」
「小型種程度なら素手でもいけそうよねぇ?―――世界を狙えるってやつ?」
「むしろ倍率ドン!?」
「―――タケルちゃん、覚悟は良い?」

 背後で気配がゆらりと揺れる。
 誤解だ誤解ー!と叫ぶ暇こそあらば、風を逆巻いて極低姿勢で鑑が白銀の懐に滑り込む。地を舐めるというよりは、むしろ這うような滑らかさで拳の射程圏を確保。床でも踏み砕く勢いの震脚と共に、その踏み込みを利用して運動エネルギーを爪先から拳へと『捻り上げる』。見る者が見れば目を見張っただろう。彼女はきちんと震脚の反発力と踏み込み時の回転エネルギーを、体の各部を経由する度に増幅させているのだ。爪先、踵、脚、腰、肩、腕、手首の順番で爆発的なエネルギーを産み出して解放に備える。何かしらの格闘技に通じるような気がしなくもないが、彼女の場合は独学だ。本能で得た究極の突っ込みというのが二重の意味で涙を誘う。
 そして―――。

「―――どりるみるきぃぱんちっ………!!」
「エゾゲマツっ!?」

 一部心底どうでもいい描写が混ざっていたが、それはともあれ解き放たれた拳は白銀を捉え、宙へと屠る。とは言えここは地下19階だ。いつものように空に打ち上がることはなく、白銀は天井に激突して突き刺さっただけで留まった。
 ただし―――頭からであるが。

「―――朝から一体何の地獄絵図かねこれは」

 この意味不明なパンチ何とかして兵器化出来ないかしら、と香月が量子電導脳の無駄遣いを真剣に始めたところで、タイミングがいいのか悪いのか三神が社の背中を押しながら入ってきた。

「あら三神。―――他に言うべきことは?」

 何となく問い掛けてみると、彼はまだ顔の赤いままの社を見て、次に残心を取っている鑑を見て、最後に天井に頭から突き刺さって両手足をだらんと下げている白銀を見てからふむ、と頷いて社の頭を撫でてささくれた己の心を慰めつつこう言った。

「愚問だな香月女史。―――私も命は惜しい」

 視線を外してスルーすることにしたようだ。なかなか懸命な判断である。

「それよりも、だ。色々聞きたいことがあるが………」
「ちょっと待ちなさい。どうせアンタのところに風間をやった理由でしょ?」

 わざわざリーディングしなくても分かる。彼の下に風間をやればこういう展開が待っていることは予見できたのだから。故に香月はいつもの不敵な笑みを浮かべて、予め用意していた答えを並べ立てることにする。

「ある程度は風間から聞いたとは思うけど―――早い話が、クーデターが終わったら今の207B分隊は任官する訳よ。で、まりももついでに昇進させてそのまま戦力に加えるつもりだから―――そうなると、色々ごちゃごちゃするじゃない。まさかヴァルキリーズに無理矢理六人………アンタと白銀含めたら八人突っ込むわけには行かないし―――再編成は必須でしょ?で、アンタ一応佐官だから大隊受け持ってても不思議じゃない、と」

 この世界では多くの場合、部隊在りきで階級が決まる。余裕のない前線では、いちいち昇級のための試験等をやっている暇はないし、ある程度の実力と実績があれば臨時階級を以てでも即座に昇級させる。特に前線国家ではこの傾向は顕著になる。
 それだけBETA大戦での人員損耗率は高いと言えるのだ。それは各国で若手の将校が多いことを見ればよくわかるだろう。上の人間が捌ければ、絶対数を変えたくない軍からしてみれば当然下から供給するしか無い。
 閑話休題。
 まぁ要するに、今まではあくまで形式上佐官であった三神に、これからは指揮官としてもキチンと働いてもらうわよ、と言外に言い含めているのである。むしろ、現場指揮可能な佐官がいるにも関わらず大隊を発足させていない今までの方が異常とも言えた。

「とりあえず、編成の内訳は追々考えていくとして、アンタが気になるのは何で風間が補佐官なのかって事でしょうけど―――一応、理由はあるのよ」

 何かね?と問い掛けてくる三神に、香月は簡単よ、と答える。

「前にも言ったけれど、ピアティフなんかは研究に必要だから手放せないし、他の技官連中もそう。オルタネイティヴ計画に絡める人材で唯一例外なのはヴァルキリーズだけど、新任連中は経験不足だから除外。伊隅は当然動かせないし、速瀬と宗像は大事な後釜だし、式王子とアンタ組ませると変な化学反応起こるから却下。紫藤なんかがいいかとも思ったけど、あの子はあの子で式王子のストッパーとして機能してる。―――となると、後は風間しか残ってないのよねぇ」
「涼宮姉辺りでもいいだろう?むしろ書類整理という点では適任だろうに」
「アンタ本気で言ってる?ただでさえ人員不足なのに、CP外したらどれだけ訓練が滞ると思ってるのよ?」

 見た目的には消去法ではあるが、元々香月には幾つかの打算があった。それを通す為に風間を三神の補佐官に充てがったのだが―――それを悟らせることもなく、彼女は事実だけをゴリ押す。
 この男が反論してくるならば、CPを役割を衛士がこなすことで、その重要性を理解するとか何とかそういう揚げ足取りのような論法を用いてくるだろうが―――当然のことながら、それを封殺する対三神戦での切り札も持っている。
 00ユニットとなったこの天才に、最早隙は無いのだ。

「―――それとも、何か風間じゃ嫌な理由でもあるのかしら?」
「―――知ってて言っている辺りがえげつないな」

 切り札の言葉を投げると、相手にしては珍しく渋い表情を浮かべた。こちらが『前の世界』の記憶をある程度持っていることを推察したのだろう。
 今の彼の目には、自分が『前の世界』の香月とダブって見えているに違いない。今まで良いようにされてきたので、それを良い気味、等と暗く笑いつつ、勝ち誇ったように香月は告げる。

「あんまり『元』魔女を甘く見ないことね」
「最近の聖女様は随分底意地が悪いようだ」

 舌打ちでもしそうな表情で憮然と答える道化が、負け惜しみ気味に皮肉ってから大きく吐息した。どうやら、今回の件は承服はしかねるが受け入れる方針をとったようである。

「まぁ、どうも後付っぽい上に何か作為的なものを感じるが一応の理由はあるようだから、今回は納得しておこう」
「そうしておきなさい。―――なんだったら、食べちゃってもいいわよ?」
「それが出来ないから困ってるんだろうに………」

 肩を竦める三神に、香月はまぁそうでしょうね、と同意の言葉を舌で転がした。この世界から来てからここまで、極力彼女との接触を拒んでいた彼である。今更そんな短絡的な思考が出来るなら、初めからそうしていただろう。
 因果導体から解放されて消滅すれば、人々の記憶から消えてしまうのだから、やりたい放題やっても文句は何処からも出ない。だというのにそれを良としない辺り、この男も身内には甘いタイプなのだ。

「あ、あの………」
「ん?」

 話が一区切りついたと見たか、事の成り行きを見守っていた鑑がおずおずと声を掛けてきた。心持ち緊張しているのか、姿勢が硬いまま、彼女は勢い良く腰を折って一礼した。

「あの、初めまして三神少佐!えと、タケルちゃんがお世話になっていますというか、私がお世話になりましたというか………」
「ああ………」

 真正面から礼を言われ、彼は少し言い淀んでから取り繕うように片手を左右に振った。

「初めまして鑑純夏。―――あまり気にしなくていい。武に構うのは恩返しのためだし、君が人の体を得られたのは、ただ単に私が私のやりたいようにやった結果だ」
「そ、そんなことありません!タケルちゃんに色々聞きました。色々良くしてくれるって………」
「まぁ、こちらにも色々打算があるからそう気にする必要は―――」
「いえいえそういう訳にも―――」

 その遣り取りを部下の嫁さんに挨拶される上司のようだと思いつつ―――状況的には正しくそうなのだが―――香月はまたからかいのネタが出来たとにんまり笑う。

「何よアンタ、照れてんの?」
「そういう茶化しは無粋と言うらしいよ?」

 つついてやると、彼は短く反論して会話を無理矢理切り上げるとこちらに背を向けた。どうやら逃げるらしい。そして彼が歩き出すと、天井に突き刺さっていた白銀がようやく重力に引かれて落ちてきた。それを見て、香月は大事な仕事を三神に依頼する。

「ああ三神、天井の修理を手配しておいて頂戴。―――修繕費は白銀の給料から差っ引いといて」






 11月19日

 それから数日が経った。
 迎撃戦で色々と騒がしかったせいか、世間は水面のように穏やかだった。無論、一部の者達はそれが嵐の前の静けさだと知って奔走しているが、少なくともそれ以外はいつもの日常を取り戻していた。
 そんな中、三神と風間は―――。

「―――風間」
「はい、こちらですね」

 最初の方こそ慣れない書類仕事でぎこちなさはあったものの、風間はここ数日で見事な適応力を見せた。三神も三神で『前の世界』での経験があったためか、彼女に適切な仕事を振れる。結果として、珠瀬外務次官来訪の知らせを受けて俄に慌ただしくなりつつある上層部から余計な仕事が回されてきても、ヴァルキリーズとの合同訓練の時間を必要以上に削ること無く熟せていた。

「―――流石だな………」

 手元に回ってきた書類を眺め、三神は苦笑気味に呟いた。

「どうかされましたか?」
「いや、独り言だよ。―――本当に、もう手がつけられないな………」

 手元に回ってきたのは、クーデター軍の裏切り者のリストである。既に四回の改訂をされていて、その都度精度を高めていっている。三神の元にこれが回ってくるのは、彼自身が『前の世界』で覚えたリストとの照らし合わせをして今回起こるであろうイレギュラーを推察した後で―――これを鎧衣課長に引き渡すためだ。前者はともあれ、後者は狸と無駄な舌戦を繰り広げるのを嫌った聖女様の我侭だった。

「―――?どういう事でしょうか?」

 三神の執務室に新たに置かれた机に戻った風間が、再度問い掛けてくる。無論、別に言う必要性はないが、何となしに三神は口を開いた。

「そうだね………。例えば、幾つかのグループがあって、君はその内の一つのグループに所属していたとするね?そして、他のグループ同士と争っていたとする。そんな中、自分のグループに裏切り者が要て、しかしその裏切り者が誰か分からないとしたら―――君はどうする?」

 問い掛けに彼女はしばらく黙考して。

「状況によって手段は違うでしょうが―――出来うる限りの方法で排除すると思います」
「そうだね。それが正しい判断だ。放置すれば、いつか足元を掬われるからね。―――では、あらゆる方法が出来うるとして、何をすれば一番正確で手っ取り早いと思う?」

 出された答えに重ねるように再度問い掛けると―――。

「―――敵対しているグループごと潰してしまえばいいかと」
「意外と君は過激だね………。だが真理ではある」

 獅子身中の虫をいくら排除したところで、環境を変えねば幾らでも湧いて出る。ならば、身体が蝕まれる前に大元となるものを潰した後で、虫をゆっくり始末すればいい。少しばかり乱暴ではあるが、正しくはある。
 クーデターに関しても実の所同じ方法で片付きはする。無論、米国との戦力差や国力を無視して更には勝利しなければならない事を考えれば無理な話なのだが。

「―――条件を一つ付け加えよう。その敵対しているグループは君が所属しているグループよりも格上で、すぐにどうこうは出来ないとなったら?」

 重ねられた問い掛けに、風間は少し黙った。分からないのではないだろう。あらゆる方法が可能、という条件が逆に縛りとなってしまったのだ。そこに至る選択肢が過多になると、人間誰でも二の足を踏む。
 だから三神は即座に答えを出した。

「答えは簡単だ。―――把握してしまえばいい」
「把握、ですか………?」
「そう。誰が裏切り者なのか、調べてしまえばいいわけだ。あらゆる方法が許されているのだからね。邪魔しない内は普通に兵力として使えばいいし、邪魔をする動きを見せれば切り捨てる。―――それとなく裏切り者同士にまとめておけば後々の対処も楽だろうから、ついでに配置換えでもしておくのもいいね。まぁ、あまり露骨なのは気付かれてしまうだろうが」

 今回の件も同様だ。
 事前にクーデターが起こることが分かっていて、更にはその内実―――要は裏切り者がいることも分かっている。結果を最上なものとするならば、これらを排除することをまずは念頭に置かねばならない。問題なのは、その裏切り者というのが誰なのかは分からない点である。
 しかし分からなければ調べてしまえばいい。非常に安直である故に、誰でも必ず一度は行き着く結論だ。
 問題があるとすれば―――その難易度。

「でも、そんな簡単に把握できるのでしょうか………?」
「人の身では無理だね。だから―――これは例え話なんだよ」

 人が動けば何かしらの痕跡が残る。当然のことながら、工作に関わる人間は注意して念入りに自身の痕跡を消していくだろう。しかしながら、一つだけ盲点がある。如何な工作員であったとしても、近代化の波には敵わないのである。これが戦国時代ならばまだしも、近代化した今現在、どうやっても正確性と速度を重視してデジタルに頼る場面は出て来る。無論、慎重な人間ならば、それを信用できずにアナログ的な手段を噛ませる事もするだろうが―――それでも完全にアナログをだけを用いることはない。
 確かに、ここまで念入りにすれば、並の調査員では尻尾すら掴むことは不可能だろう。
 だが、それを可能とする存在が、この世界にはいるのだ。人の身にして人の身では無くなった『元』魔女が。ありとあらゆる所に痕跡すら残さずハッキングを仕掛けれる、最強にして最恐の―――電子の聖女様が。






 11月23日

 更に数日が経った。
 上層部が事務次官来訪の件を言い訳に必要以上に仕事を回してきている気がしないでもないが、今日も今日とて三神と風間は書類の山を切り崩していた。
 流石に一週間も共同作業をしていると互いの呼吸が分かってくるのか、三神が煙草に手を伸ばした段階で風間は立ち上がっていた。

「コーヒー、もう一杯如何ですか?」
「頼もう。ガムシロップは―――」
「三つにミルク一つ、ですね?」
「よく分かっているね」
「流石にもう慣れました。―――でも、糖分の摂り過ぎは身体に良くありませんよ?」
「頭脳労働者には糖分が必要なのだよ。―――甘党の言い訳だが」

 嘯く三神に風間は苦笑して、隣室へと向かう。
 佐官用の執務室は必要以上に充実している。部屋の右側に隣室へと続く扉があり、そこには給湯室とシャワー室とトイレ、更には奥に仮眠室まである。基本的に三神はここ一部屋で生活しているが、他の佐官はこうした執務室に加えて別個で寝室を持っていたりする。
 異常待遇にも思えるが、元々この基地自体佐官階級の人間は少ない。全体が一万と少しであるのに対し、佐官は三級をまとめても二十人に満たない。しかもその半数以上が技術屋で、実戦部隊として戦闘に参加するのは三神を含めてもほんの数人。残りは発令室に詰める人間だ。
 この人員の少なさから、如何に総司令部がこの基地を後方と認識しているのかが伺える。確かに日本帝国軍の守りはあるというものの、佐渡ヶ島からの距離はBETAの進軍速度から考えれば半日も必要ない。

(―――まぁ、『前の世界』で起こった横浜基地襲撃に関しては、香月女史が何かしら考えているようだがね………)

 何を考えているかは現状不明だが、必要となれば明かされるだろう、と楽観的に考えた三神は煙草の灰を灰皿に落として―――。

(―――はて、何か忘れているような)

 ここ最近書類整理に追われていたせいか、何かを失念している気がする。最初の方は随分と気を揉んだ気がするが、今ではそれもどうでもよくて―――。

「―――少佐、どうぞ」
「ああすまないね、風間―――」

 考えていると机にコーヒーカップが置かれた。三神は礼を言ってそれを手に取り一口含んで―――ふと気づいた。

「―――ってなごなごしてる場合か………!」

 あまりの自然さに三神は今更ながら頭を抱えたくなった。なまじよく知った間柄なだけに、主観的には『社長と秘書プレイ』をしている気にならなくもない。―――いかん末期だ、と彼は自身の思考回路を憂慮するが、既に彼に留まらず色々な場所へと感染している事を考えると最早手遅れだろう。
 ともあれ彼は立ち上がると執務室の出入口へと向かう。

「少佐………?どうかされましたか?」
「ああ、いや、何だ………少し急用を思い出した。―――ではな」

 返事も待たずに部屋を出て行く三神を見送って、風間はただ首を傾げて。

「―――コーヒー、甘くしすぎたかしら………?」

 見当違いな疑問を抱いていた。






 基地内を強歩の勢いで踏破しつつ三神は思考を加速させた。

(まずいまずいまずい―――気付かないうちに物凄く馴染んでいるぞ私………!なんだコレは!老夫婦マジックか!?)

 当初は様子見のつもりだった。
 香月に丸め込まれたにせよ、了承したのは自分自身だし、節度を持って接すれば後二ヶ月程度問題ないと考えていたのである。つまり、一定の距離をとって接すれば変に意識しないで済む、というわけだ。しかしながら、相手はともかくこちらにとっては勝手知ったる何とやら。ほんの一ヶ月前までほぼ毎日顔を合わせていたのだから、当然のことながらこちらは相手の呼吸を知っていて、相手が合わせやすい呼吸も知っているのである。
 結局、半ば無意識の内に相手に合わせていて、一週間程たった今では最早違和感さえ感じない。
 なんにせよ、何かしらの対策を取らなければなるまい。

(しかし今更急に距離を置くと不審がられるし、仕事にも支障が出るだろう。どういう意図があるかは不明だが、香月女史が絡んでいる以上突っぱねるのは不可能だし―――どうする………?)

 強歩を維持したまま、何か良いアイディアは浮かばないかと考えてると―――。

「なぁなぁ、いいだろ?」
「や、やめてください!」

 自販機の前で男性士官に言い寄られる女性士官の姿があった。
 三神は彼等に素早く近寄って、男の方の肩を叩いた。

「―――君」
「あぁ?何だよって―――し、失礼しました!少佐!!」

 振り返って三神の階級章を確認した男性士官は直ぐ様直立不動で最敬礼する。無理もない。以前、PXで一芝居打った一件以来、三神はこまめに基地を歩き回って『厳しい少佐』のイメージを維持していた。元々佐官階級の人間が多くない為に、そのイメージは瞬く間に浸透し、今や彼の顔を知らぬ人間はいない程になっていたのである。
 それはともあれ、三神は男性士官をじぃっと見つめた後―――。

「―――それだ!!」
『は………?』

 何のことか分からず、間抜けな声を上げる二人に、馬鹿は急に男性士官の肩をがっしり掴むと歓喜のあまりシェイクした。

「突っぱねるのは不可能!距離を置くのは不自然!その上仕事に支障が出るのでどうしようか困っていたが―――君のお陰で答えが出た!!よくやってくれたっ!!」

 では!と片手をしゅたっと挙げると馬鹿が強歩で去っていく。その様子を半ば呆然と見送った二人は―――。

「―――なぁ、飯でも行かね?」
「―――まぁ、一回ぐらいなら」

 因みにこの二人、これが切っ掛けで後にゴールインまでするのだが―――それはまた別の話である。






 引っ付く訳にいかないのであれば相手に嫌われればいいじゃない、と何処ぞの王妃のような思考回路を経た三神は、綿密なプランを練った後で執務室に戻った。
 今、一人の馬鹿の戦いがひっそりと始まる―――。



「風間風間風間―――!一緒に食事でもどうかねっ!?」
「あ、はい。丁度一段落ついたので構いませんよ」
「はっはっは嫌がっても無駄だ私は上司特権で―――今、何と?」
「え?だから構いませんよ、と」
「―――。あ、はい、そうですか………」

 ミッション1―――失敗。



「風間風間風間―――!君は今日も綺麗だねっ!?」
「いやですわ少佐、急にどうしたんですか?」
「はっはっは照れてる君も魅力的だね。しかしセクハラ上司である私は―――」
「あ、そう言えば先程香月副司令宛の書類が回ってきました。―――目を通しておいてくださいね?」
「―――。あ、はい、そうします………」

 ミッション2―――挫折。



「風間風間風間―――!」
「あ、少佐。シャーク隊とライガー隊が演習場の使用権で揉めているそうです。どうか少佐のお力で此の場を納めて欲しいとハンガーから要請がありました。―――頑張ってくださいね?」
「はっはっは全て私に任せておきたまえっ!」

 ミッション3―――頓挫。






「なんて事だ………」

 ハンガーで一色触発状態にあったシャーク隊とライガー隊をどうにか宥めて、自分の執務室に向かってトボトボと歩きつつ三神は頭を抱えた。
 今更ながらに相手の強大さに気づいたのである。

「彼女が若干天然気味だったのを忘れていた………」

 『前の世界』で本人から聞いた話だが、良い所の出でのせいか色恋沙汰にあまり免疫がなく、風間自身それを自覚していたらしい。故に、宗像と行動することによって一種の予防線を張っていた訳だが―――それが仇となって、彼女には迂遠な言い回しや行動は伝わりにくいのである。逆にこれが下心丸出しであればまた違ったのだが―――三神自身、それに気付いていない辺り、結構切羽詰っているのかもしれない。
 ともあれ状況は早くも手詰まりになりつつある。ここはどうにかしてセクハラ上司として彼女に接し、嫌われなければいけない。
 ―――因みに、本来の『風間と一定の距離を取る』という目的を完全に忘れた上に努力の方向性を徐々に間違えつつあるが、テンパッてる本人が気付く訳がない。
 そんな風に思考の迷路に陥りつつ歩いていると―――。

「なぁ、いいだろ?―――花子」
「な、名前を呼んでいいだなんて言った覚えはありませんわよっ!?」
「ははは君は恥ずかしがり屋さんだなぁ」
「さ、触らないで馴れ馴れしい………!」

 またもや例の自販機の前で、今度は先程とは違う男女が揉めていた。

「―――君」
「何だよ今いいところ―――って少佐!?し、失礼しました!」

 等と何処かで見たような遣り取りがあり―――。

「―――それだっ!!」
『は………?』

 やはり馬鹿は男の方の肩をがっしり掴んでシェイクした。

「許可されていないのに名前を呼んで、更にはスキンシップと称して身体に触れる!これぞ窓際族にありがちな正統派セクハラ!直接的に卑猥語を言わずに逃げ道を残している辺り実に姑息にして小物!裁判とかでも状況次第では逃げ切れるね!?―――よくやってくれた君!素晴らしい!これで私は救われる………!!」

 そして呆ける男女を放っておいて高笑いと共に強歩で去っていく。

「―――気分直しに食事でもどうだろうか?花子」
「―――い、一回ぐらいなら構いませんことよ?」

 因みにこの二人、やっぱりこれが切っ掛けで後にゴールインまでするのだが―――それもまた別の話である。






 廊下を爆走しつつ馬鹿が哄笑する。

「ふふふのふ………!待っていろ祷子!今までの私とはひと味違うぞ!敢えて言うならネクスト私………!」

 既にテンションがおかしな方向を向いて限界突破しているが、突っ込み不在の為に最早止まらない。
 全速力で自分の執務室まで戻ると扉を開けて高らかに叫ぶ。

「風間風間風間―――!いや、敢えて改めて祷子と呼ばせてもらおう!いいかね祷子―――!?」
「え………―――!?」

 はた、と室内の空気が止まる。
 戸惑った声の先には、確かに風間はいた。ただし、不安定な回転椅子を足場にして、壁際の書架の上部に手を伸ばした状態で。御丁寧にも爪先立ちだ。おそらくは何かの書類を取るなり仕舞うなりしていたのだろう。
 では、そんな状態で声をかけ、あまつさえこちらを見るために勢い良く身を捩ってしまえばどうなるか―――。
 当然、バランスを崩して倒れ込むことになる。

「―――っ………!」

 まずい、と思った時には身体が動いていた。前傾姿勢になり、弾かれたように彼女の落下地点へと頭から滑り込む。
 そして―――。

「あがっ………!ぐおっ………!?」

 勢い余って頭頂部を書架の柱にぶつけ、更には落下してきた風間に背中から押しつぶされて奇妙な鳴き声を二度上げた三神はあまりの激痛にゴロゴロとみっともなくのた打ち回る。

「いたたたた………だ、大丈夫ですか少佐っ!?」
「ふ、ふふ私は無事だよ祷子………。こちらこそすまな―――!?」

 頭を抱えて身体を横たえたままで三神はこの状況に気付く。尻餅をついて、ぺたんと座り込んでいる風間。そして身を横たえたままの自分。
 これは―――セクハラして嫌われるチャンスではないか、と。
 気づいたときには既に彼は行動を起こしていた。目をカッと開いて叫ぶ。
 その名は―――。

「―――秘技!リバース膝枕っ………!!」

 バッタのように身を跳ねさせて、ぴったりと揃えられた風間の膝―――厳密には太もも―――にめがけて顔面からダイヴする。ぽふん、と軽い音と共に彼女の太ももは柔らかく馬鹿を受け止めた。
 そして大きく息を吸って―――思う。

(おぉうコレはなんというか一言で言えば―――天国?)

 柔らかさといい暖かさといい匂いといい、申し分ない。
 ならばここはやはり言うべきだろうか、『あの』伝説の名言を。しばし迷った後、うむやはり言うべきだ、と決意した馬鹿は顔面を風間の太ももに埋めたまま―――。

「うん、まロ―――」
「―――きゃぁあぁああっ!!」

 全てを言い切る前に、正気に戻った風間の肘鉄が三神の無防備にさらけ出された後頭部に直撃し、彼は二、三度激しく痙攣した後―――そのまま昏倒した。
 後に、彼はこう語る。彼女の肘は、世界を狙えると―――。







 不意に目を覚ますと見慣れた天井があった。

「ここは………仮眠室?―――お?」

 身を捩って起き上がろうとすると、後頭部が妙に痛んでくらりと視界が揺らぐ。それを押さえて状況認識をしてみれば―――ここは執務室の隣にある仮眠室のベッドの上だ。順当に考えれば、風間の一撃で昏倒した後、彼女に運ばれたのだろう。
 未だダメージが抜けきっていないのをなんとも情けない、と自嘲していると―――。

「―――あ、お目覚めですか?少佐」

 仮眠室の出入口から風間が顔を覗かせた。軍装の袖をまくった手には氷枕を持っていた。

「もう少し寝ていたほうがいいと思います。―――やった私が言うのもなんですが、結構良い所に入りましたので」

 たんこぶ出来てましたよ、と告げると彼女は氷枕を敷いて身を起こしていた三神の身体をゆっくりと倒す。それに流されるままにした彼は、まだ少し熱を帯びている後頭部にひんやりとした感触が当たるのを確かめると、深く吐息した。

「すまないね。―――その、色々と」
「いえ―――疲れていたんですよね?」
「風間、風間。―――何故君はそんな哀れみの視線で私を見るのかね?」
「いえ、今日の少佐は『いつも以上に』おかしかったので。―――何かあったんですか?」
「その認識には些か抗議をしたいところだが、まぁ、それは置いておくとして―――どうだろうね」

 突っ込みが入った影響か、今は妙に落ち着いて状況を考えられる。

(本当に―――何やってるんだろう………百歳超えたジジィが)

 今考えてみると相当に恥ずかしいことをやった気がする。いや、間違い無くやった。セクハラまがいな発言はともかく、最後のは完全にセクハラだ。と言うか、いつの間にか目的を履き違えている。

(身体に思考が引っ張られると理解はしていたが………こうもアレな感じになるとはなぁ………)

 今回はいつも以上だな、と三神は嘆いた。
 繰り返す逆行の中、いつからか彼は自分の感情制御が時折甘くなるのを自覚していた。具体的に言うと、妙なスイッチでテンションがアッパーに入るのだ。逆行直後はまだいいのだが、身体が馴染んでくると、思考が突然『若々しく』なるのだ。おそらくは、思考と身体がお互いを摺り合わせる為に最適化しようとした結果の産物だろうが、特にここ十数回の逆行は酷い。理解していても自制が効かない程度には。
 まぁ、それも一定の期間を超えると―――即ち、最適化が終わるとまた落ち着いてくるのだが。

「―――所詮、私も人間ということか」
「少佐………?」
「いや、なんでもない。―――今日は悪かったね。君の言うとおり、連日の書類整理で私も疲れているようだ。今日はこのまま休むとしよう」

 君も今日はもう上がってくれていい、と告げて退室を促すが、彼女は笑顔のままで動かない。

「―――少佐。私はまだ許してませんよ?」

 ぞくり、と三神の背中を嫌な予感が駆け抜けた。

(い、いかん!結構怒っているぞこれは………!)

 長年の経験で彼は自らの危機を悟る。
 風間祷子という人間は基本的に穏やかで、滅多な事では怒ることはない。しかしそれでも彼女も人間だ。感情の生き物である以上、当然感情の起伏はある。人よりも沸点が高いだけで、決して菩薩ではないのである。
 そして普段大人しい人間が憤怒するとき、何故か笑顔のままという傾向があり、彼女はそれに当てはまっていた。

「か、風間?君の怒る気持ちは分かるが―――」
「だから、要求があります」
「な、何かね………?」

 何とか宥めようとするが、短い言葉で黙殺される。
 さて一体どんな無茶な要求が来るか―――と固唾を飲んで見守る三神に、風間は意外な要求を突きつけた。

「―――少佐の演奏を聞かせてください」
「それは―――別に構わないが、ヴァイオリンに関しては素人に毛が生えた程度だよ?」
「いえ、この基地が国連に譲渡される前、地域交流の一環で演奏会が開かれていたんです。その時に使われていた楽器は今もこの基地に残ってます」
「その中にピアノもある、と?」

 頷く彼女が言うには、以前、上の許可を取って調べた結果、調律の必要はあるもののまだ使えるそうだ。

(流石に本格的な調律までは専門外だが―――まぁ、時間を掛ければやれないことはないか………)

 『元の世界』の実家には年季物のグランドピアノが置いてある。ピアノを覚えたての頃は調律師―――と言っても行きつけの店の店員だが―――を呼んで調音を任せていたのだが、その際、ある程度自分でいじれるように少しだけ教えてもらったのだ。何十年も昔の話なので、既に錆びついた技術だがそれでも何も知らない人間よりはマシだろう。
 しかしながら一言に調律と言っても色々ある。どれだけ放置されていたかは知らないが、フェルトの硬さからタッチの深さまで色々こだわっていたら、おそらくいくら時間があっても足りない。特に、これからまた忙しくなっていくことを考えると、余分なことをしている時間は―――。

「駄目、ですか………?」

 少し諦めたように上目遣いで問われ、三神は否定的な思考を全て放棄した。
 ―――相変わらず、身内には甘い男である。






 ホワイトハウスのとある執務室で、その男は葉巻を燻らせながら水面下で蠢動する各勢力の情報を分析していた。

(―――さて、CIAもそろそろ本腰を入れてくる時期か)

 状況としてはまずまず。本来、あまり表舞台には立ちたくない性分だが、それはこれからの趨勢が許さないだろう。まぁ、チケット制を利用して閑職に着き、十分に力を蓄える時間を得たから、まぁよしとしよう。
 ならば―――今こそ動くべきか。

(ジョンソンには悪いが、これ以上彼等の独走を許す訳には行かないのでね。―――私も、色々と介入させてもらうとするか)

 この国もそうだが、この星の事も考えなばならない。BETA等という意味の分からない化け物どもに、この星をくれてはやらない。
 だからその男は―――執務机に備え付けられた受話器を手に取った。そしてあるダイヤルをコールすると―――。

「―――私だ。サンディエゴ海軍基地のエイプリル=カーティス技術大尉に繋いでくれ」




 少しずつ少しずつ―――状況は動き出した。




[24527] Muv-Luv Interfering 第三十六章 ~練成の聖女~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/05/29 10:41
 11月26日

 世の中には、どんな人間にでも抗いがたいものというのが幾つかある。それは人によって違うし、あるいは共通のものの場合もある。では目の前のこの状況は、一体どうなのか問えば―――風間祷子の場合、人によっては抗いがたい部類なんじゃないかなぁ、と思い至るわけで―――。
 まぁ何が言いたいのかというと―――昼頃のPXの一角で、風間は小動物二匹を視界に入れて悦に浸っていたのだ。

「はい、霞ちゃん。あ~ん」

 風間の対面に座る鑑純夏が鯖味噌の切身を端でつまんで、隣に座る社霞の口元へ運ぶ。社はそれを口に入れて咀嚼すると、今度は鑑に向かって同じことをした。

「あ~ん………です………」

 仲の良い姉妹のように鯖味噌定食を食べさせあいをしていく二人に、何この可愛い生き物達、と例の早食いスキルで早々に定食を食べ終えた風間はほぅ、と吐息した。きっと涼宮姉ならば自分と同じような反応をし、式王子ならば有無を言わさず誘拐に走っていただろう。
 それ程までに和やかな一幕であった。
 風間が鑑純夏という少女に出会ったのは、つい最近である。白銀と三神、風間と伊隅ヴァルキリーズ合同の訓練の最中に香月副司令が連れてきて皆と対面した。
 取り敢えず『女の子だやっほぃ!』と暴走しかかった式王子を皆で簀巻きにして聞いたところによると、近い内に再編されるA-01の補充要員として彼女は数えられているらしい。ただ、その立ち位置は普通の衛士とは違い、階級も社と同じように技術少尉にあたるようだ。
 どんな理由があってそんな立ち位置になっているかは不明だし、香月から説明されない以上、それは知る必要のないことなので、皆は深くは追求しなかった。と言うよりも、その次に投げ込まれた爆弾でどうでも良くなったと言うべきか。
 曰く―――『因みにこの娘、白銀のコレだから』と、何処ぞのおっさんのように小指を立てる香月に、皆は驚愕した。後は適当に親交しておいてね~、と投げやりに告げて香月が去っていった以降の展開は、何と言うか―――転校生がやってきて初めての休み時間状態である。
 まぁ、そんな事があった為か、今や鑑純夏は共に訓練をすることはなくても、割とA-01に溶け込んでいる。少なくとも、基地内で見かければ互いに声を掛け合うぐらいには。
 では風間の場合はどうかというと、それよりも少しばかり付き合いは深かった。
 と言うのも、三神経由で風間には命令が下っていたのだ。即ち―――『鑑純夏の護衛』である。まぁこの基地内にいる限り、そんなモノは必要ないと思うのだが、彼が言うには、あくまで体面上そう取るだけだそうだ。曰く、彼女はしばらく前まで大病を患っていて、ずっと一人だったために親身になってくれる人間はそう多くないとの事。親交範囲が白銀や社、香月や三神と極めて限定的なためにどうにかしてその幅を広げてやりたいそうだ。

(命令だから、という訳でもないのですけれど………)

 仲睦まじい様子を微笑み見守りながら、風間はそんな事を考える。何だか妹と後輩が一度に出来た気がするが、それを心地良くさえ思う。一人娘だった為に、何処かそんな存在に憧れがあったのかもしれない。
 ともあれ、そうした経緯もあって、時間が合えば今回のように食事を共にする機会も増えていったのである。
 と―――。

「―――おや?珍しい取り合わせだな」

 声の先を振り向くと、トレイを手にした宗像と涼宮遥が立っていた。

「美冴さんに涼宮中尉。―――お昼ですか?」
「うん。私達だけ先にね。―――隣、いいかな?」

 涼宮の問い掛けに三人は頷いてどうぞどうぞと促す。宗像は風間の隣に、涼宮は社の隣に腰を下ろした。

「―――他の皆はどうしたんですか?」
「特訓中だよ。―――ほら、追加噴射機構が導入されただろう?」

 宗像の答えに風間はあぁ、と頷いた。
 あれは6日程前だった。丁度、鑑が合流した前後だったので風間も良く覚えているのだが―――迎撃戦で白銀機と三神機に取り付けられていた追加噴射機構が伊隅ヴァルキリーズの機体にも配備されたのである。
 あくまで補助的な役割を担う追加噴射機構ではあるが、最大噴射で跳躍ユニットの限界値プラス100km毎時の速度に届く性能がある。不知火の限界値ならば700km毎時なので、最大速度でおおよそ800km毎時にもなるから、意外と侮れない。
 しかしながら人間の体とは慣れるものだ。凄まじいGが襲いかかったとしても、ゆっくりと直線的なGならばまだ耐えられる。だから問題があるとするなら―――。

「―――高機動下での3次元機動ですか」
「ま、そういう事だ。―――私達は機種転換の時に無理矢理慣らされたが、新人達はずっと第三世代だったからな」

 たかが100kmされど100kmである。普段よりも速度が乗った状態での横Gや縦Gはキツイものがある。
 伊隅や式王子は言うに及ばず、風間達が訓練兵だった頃はまだ訓練機は激震だった。その為、任官してから第三世代機に触れることとなり、その時の機種転換カリキュラムで先任に大分『揉まれた』。その経験があるので、多少のスペック変移は大して気にならないのだが、それでもXM3を加味すると結構辛いものがあった。いつもの感覚で乗り回せるようになったのも、ここ数日の話である。
 だが、この例に当てはまらないのは任官してまだ三ヶ月程度の新任達―――即ち、元207A分隊だ。
 彼女達が訓練機として使用していたのは第三世代の吹雪で、その癖を受け継いでいる不知火へと乗り換えてもさほど違和感を覚えなかったらしい。本人たちが言うには、パワーが上がっただけでフィーリングは一緒との事だ。
 しかし、最近導入されたXM3でさえまだ完璧に使いこなせていない上に、追加噴射機構での機動力の底上げにより、彼女達の不知火は『とても使いづらい機体』になった。ただでさえ割と突き詰めた基礎設計をしているのに、限界以上の出力を出せるようになってしまっては、そうなるのも必定だろう。
 前述したように、風間達先任は機種転換時の経験を持ってその性能と自らの技量を摺り合わせていったのだが、新任達にはそれが無い。その為、今現在猛特訓中だそうだ。

「今は水月と紫藤少尉が纏めてるよ。伊隅大尉と式王子中尉はブリーフィングルームに籠ってる。―――霞ちゃん、私の竜田揚げいる?」
「ブリーフィングルームに………?」
「復帰もあるかもしれないが―――今の所、中隊としては後方支援に難有りだからな」

 社に餌付けしながらの涼宮の言葉に宗像が補足を入れて、風間はなるほどと頷いた。
 現状、風間は伊隅ヴァルキリーズを除隊されている。即ち、彼女が普段置かれていたポジションが空くことになるのだ。そこを埋める必要があるのだが―――誰にするかで相当悩んでいるらしい。

「まぁ、コレばっかりは仕方ないだろう。―――そっちはどうだ?」

 生姜焼きを箸でつつきながらの宗像に問われ、風間は淡く微笑んでから―――。

「上から容赦なく仕事が振られてくるので忙しいですよ。―――特に時々少佐が暴走するので」

 何処か遠い目で語った。

「そ、それは………何と言うか、ご愁傷さま………?」
「同情するよ祷子。―――で、どんな風にあの人は暴走するんだ?」

 あの変人の暴走、と言う事実に涼宮と宗像は表情を引き攣らせ、その様子を見ていた鑑は苦笑いした。社は黙々と供物された竜田揚げを咀嚼。
 その姿で心を慰めつつ風間はここ最近起こった馬鹿の奇行録を詳らかにする。

「えぇ、上から上から際限なく回されてくる書類仕事に憤った少佐が『この怒りをニコチン過剰摂取で低体温にして鎮める』とカートンを口に銜えて火を付けようとしたり、現実逃避気味に重要書類で千羽鶴ならぬ千機紙飛行機づくりに励んだり、式王子中尉に借りてきた衣装の数々を私に着てくれと頼んだり、お気に入りの観葉植物ソテツちゃんに虚ろな目で話し始めたりと全方位で暴走していました」
「そ、そんなのどうやって止めるの………?」
「少佐もお疲れになっているだけですから、突っ込みを入れれば正気に戻ってくれます。―――こう、ネクタイをきゅっと」
「―――祷子、強くなったな………」
「強くもなりますよ………」

 まぁあの奇行の原因は単に疲労である。きちんと休んでくださいと常々言っているのだが、本人は『時間があまりないので、一段落着くまではこのままで行く』と言い張って聞かないのだ。
 加えて―――風間自身は与り知らぬことだが―――夜な夜な倉庫に籠ってピアノの調律をしていたりするので、ここ最近の三神の睡眠時間は通常の三分の一以下になっている。連日徹夜よりは遥かにマシではあるものの、それでも地味に体力を削っていくのである。

(―――少佐、貴方は一体何をそんなに焦っているんですか………?)

 胸中の問い掛けは、虚空に消えていった。






「―――へっくしょんっ………!」
「何よ三神。アンタ風邪でも引いたの?」
「いや、誰かが噂していただけのようだ」
「一誹二笑三惚四風邪って言うぐらいだからな。大方、誰かに貶されてたんだろ?―――いつものことじゃねぇか」
「た、武が妙な諺を………!?」
「明日は雪かしらねぇ………?」
「もっとマシな反応はないんですかあんた等っ!?」

 香月を先頭に、白銀と三神が人気のない通路を歩いて行く。
 B19階よりも更に下―――90番格納庫の真下に位置する階層だ。白銀は知らないことだったが、そこに開発部と呼ばれる部署があるらしい。呼び出された白銀と三神の二人は『まぁ、大体先は見えてきたから、面白い物見せてあげる』という香月の言葉と共に連れられてきたのだ。

「それより面白い物って何ですか?夕呼先生」
「まぁ、黙ってついてきなさい。あんたの言葉で言うなら―――マジで凄いものだと思うから」

 くっくっと背中越しに喉を鳴らして先を行く聖女様が、何故かRPGとかの黒幕のように見えなくもない白銀だった。

「―――なぁ、庄司。お前、開発部にあるものって何か知ってるのか?」
「いや、聞かされていないが………まぁ、おおよその想像はつく。―――香月女史。この時代、『あの変態』はまだ生きてるな?」
「ピンピンしてるわよ?変態だけど腕はいいし、あいつが抜けただけで開発部の能力は三分の一ぐらいになるでしょうねぇ。―――変態だけど」

 この二人をして『変態』と言わせるその人は一体どれだけ奇人なのか想像もつかない白銀に、香月が問いかけを投げる。

「―――白銀。最初に聞くけど、今後の対BETA戦に置いて必要なものってなんだと思う?」
「―――強力な兵器、ですか?」
「あら、意外と冴えてるじゃない。―――その通りよ」

 香月が突き当たりの鉄扉の前に立つと、扉が自動で開き、彼女は更に先を行く。白金と三神はそれに続いた。

「衛士だけに限らず、人類は前線でどんどんその数を減らしている。物量に物量を当てて、無尽蔵に出て来る奴等に対抗出来るわけがないし、そもそもたった一匹のBETAにさえ人一人では太刀打ち出来ない。―――だったら、やるべき事は人員の増員ではなく、人員そのものの底上げ」

 だが、人の力にも限界はある。どんな鍛え方をしても、素手でBETAの物量に対抗出来るわけがない。ならば鍛えるべきは、それらを打ち払うべき剣。
 即ち―――戦術機を筆頭とした、兵器群だ。

「ま、そんな事は一々指摘するまでもなく、第三世代機を造ったりして他国はやってるでしょう。何しろ航空機が全く役に立たないんだから」

 光線属種という存在さえ無ければ、あるいはBETA大戦は始まることはなかっただろう。それは高高度の爆撃に対し、BETAは光線属種以外での迎撃を行っていないことからも推察できる。
 上空からの爆撃だけでは勿論時間は掛かるだろうし、その時間によって地上に被害は出るだろうが―――少なくとも、今日のような絶望的な情勢にはなっていないはずだ。
 今は鉄壁の要塞と思われるハイヴも、落着時の段階ならば、核の集中運用で無に帰せたのだから。

「で、航空機爆撃に代わる大規模戦略兵器として生み出されたのがGX-70シリーズ。要は凄乃皇ね。あたしにとっちゃただの拡張プランだったんだけど、その攻撃力自体は否定しないわ。荷電粒子砲の威力はアンタ達も知ってるでしょ?」

 白銀は確かに見た。
 日本人にとって、絶望の象徴であった佐渡ヶ島ハイヴのモニュメントを、跡形もなく吹き飛ばしたあの威力を。
 Particle Projection Cannon―――即ち、荷電粒子砲〈PPC〉。使用後に問題がある核やG弾を除けば、間違いなく単一では世界最強の大規模戦略兵器である。
 だから―――。

「―――じゃぁそれを、戦術機に転用しない道理はないわよね?」
「で、出来るんですか………?」

 白銀の問い掛けに香月は無言。ただ口元を釣り上げて、歩を進め―――壁に備え付けられたコンソールに手を翳した。バッフワイト素子を介して彼女はあらゆるデジタルを支配下に置けるのだ。
 すると、通路の壁だと思っていたものはシャッターだったようで、それはゆっくりと上がって行き―――。

「―――これは………!」

 白銀と三神は、ガラス越しに見える広大な空間に、それを認めた。
 空間の中央。ガントリーに立たされた―――それは鉄巨人の骨組みだ。二体並んでいた。鎧となるべき装甲板も無く、内部で支えるべきアクチェータでさえもまだ中途半端で、機体各所の柱が剥き出しになっていた。その機体に取り付いている人間が要ることから、これらはまだ未完成なのだろう。
 驚きに言葉を失う白銀とは対照的に、三神はやはり、と自らの推測が正しかったことを確かめた。
 機体の一部には、『自分が携わった部分』が散見されるのだ。そして香月が他世界へのアクセスが出来ることを鑑みれば、これは間違いなく『前の世界』で月奪還の際に用いられた戦術機。そして、三神が最後の実戦で乗った機体だ。
 XM3を基本骨子に設計された第四世代。
 従来より指摘されていた攻撃力不足を見直し、凄乃皇に勝るとも劣らぬ攻撃力を付与された第五世代。
 それを真空空間でも運用可能にしたこれこそが―――。

「―――第五世代戦術機『草薙』………!」
「違うわ。月面仕様じゃないし、所々オミットしてるから、主要兵装と機動拡張ユニット以外は軒並み別物に変わってるの。だから『草薙』とはまた別系統の機体よ。敢えて言うならば―――」

 草薙は天に献上されて名を変える。
 ならば、聖女に献上されたこれはそれに肖って名付けられるべきである。

「第四世代戦術機『叢雲』。―――史上初、ムアコック・レヒテ機関を搭載する戦術機よ」






 『叢雲』に釘付けになる二人に対して、香月は軽く鼻を鳴らしてから尋ねた。

「さて、まずは軽く講義と行きましょうか。三神は知ってるからいいとして―――白銀、G元素って、何だと教えられた?」

 問われた白銀は、『前の世界』で得た知識を起点にしてG元素に関する一般的な知識を掘り起こしていく。

「えぇっと、BETA由来の人類未発見元素で、正式名称はグレイ・エレメンツ。幾つか種類があって―――G弾やML機関の燃料として使われてるのはグレイ11………でしたっけ?」
「そうね、それであってるわ。じゃぁ、G元素―――いえ、その元となるものが何なのかは知ってるかしら?」

 再度の問い掛けに、白銀はしばらく迷った後で首を横に振る。少なくとも、彼がいた世界ではG元素の謎は解明されていなかったはずだ。彼が知るのは、G元素はBETA由来の物質で例えハイヴを落としても、フェイズ次第では数百kgしか手に入らない事もあるという、とんでもなく貴重なものだということだけだ。
 香月は宜しい、と頷くと世界中の科学者が未だ到達出来ていない答えを弾き出した。

「その答えはね―――重力子よ」
「重、力子………?」
「今現在でも人類未発見の物質よ。ただ、人類が未発見なだけで―――BETAはそれを探知し、回収できる」

 重力子とは素粒子物理学において重力相互作用を伝達する役目を担わせるために導入される仮説上の素粒子だ。この世界に於いても、白銀や三神の『元の世界』に於いても未だ存在している『はず』と仮説を立てられているだけの物質で、その発見には至っていない。

「詳しいことは省くわ。言っても基礎知識の無いアンタには上手く理解出来ないだろうし、その辺は後で自分で勉強しなさい。ともあれ、BETAの目的は資源回収。その最上位に位置するのが重力子の回収と変換によるG元素精製」

 香月が言うには、フェイズ5以降のハイヴで定期的に空に打ち出されている謎の物質は、やはりG元素で間違いないようだ。ではその元となる重力子を、BETAは一体どのような方法を以て収集し、変換しているのか。
 答えは、意外と簡単だった。

「重力子はね、実は割と何処にでも存在するのよ」

 あっけらかんと言い放つ香月は、何処か楽しげだ。
 重力子と呼ばれる素粒子が未だ未発見なのは、人類にそれを観測するための能力が無いためである、と彼女は結論づけた。ならば機械に頼ればいいのだが、そもそもどの様な存在なのか、どの様な作用があるのか未だ謎の物質だ。機械に引っ掛かる条件すら分かっていないものを、如何にして絞りこませるかすら出来ないのである。判然としていない物を探せ、というのがまず無理に近い。
 しかしながら、BETAはそれを見抜く術―――と言うか器官を備えていた。そして、彼等がああまで雑食なのは、密度の差こそあっても、重力子というものは至る所―――それこそ空気中から土塊、生物や鉱物に到るまで存在しているからだ。唯一の例外として、火山に関しては重力子が離散する現象が見られる為、それは無視しているそうだ。
 だからBETAはありとあらゆるモノを喰らう。
 人であれ、モノであれ、星であれ。

「そして食べた物を反応炉でG元素に変換、精製する。精製されたG元素は資源回収の運用に必要な分を残してBETAの言う創造主の元へと送られる」
「反応炉で………?」
「アトリエが出来るのはフェイズ5以降―――つまり、その前のフェイズでは、反応炉でG元素を精製しているの。それ以上になると、末端BETAへのエネルギー分配に支障が出るから、アトリエってのが出来るのよ」

 BETAの活動に必要なエネルギーは反応炉から供給される。その際、個体が集めた重力子を反応炉に渡しているのである。しかしながら、その個体数が増え始める―――即ち、ハイヴの拡張が進んでくると、次第に反応炉だけではエネルギー供給とG元素精製の両立が難しくなっていくのだ。故に、アトリエと呼ばれるG元素精製プラントを作り上げ、以降は反応炉が各個体へのエネルギー供給だけを行い、G元素精製はアトリエが行う。これがフェイズ5でアトリエが出来る理由である。
 そうして作られたG元素を打ち上げた後、残されたG元素はハイヴの拡張や兵力の増強に使ったりする。だからこそ、フェイズ2であった横浜ハイヴにも400kgのG元素が残されていたのだ。
 そして―――聖女はにんまりと笑みを浮かべた。

「で、よ?―――ここにも、フェイズ2の反応炉があるってことは………?」

 直後、白銀に電流が走った。
 今までの話を総合するに、G元素を作るために必要な物質はそこら中にあり、変換するための反応炉は手元にある。そしてそれを香月が制御下に置いているのならば―――。

「G元素を、作れる………!?」
「いや、無理なんだけどね?」
「えぇぇえぇ………?」

 期待を持たせてバッサリ斬り捨てる香月に、白銀は非難の眼差しを向けた。だがそんな視線を物ともせず、彼女はいいから聞きなさい、と前置きする。

「考えても見なさい。BETAはこの日本を散々掘り起こすなり何なりして重力子をかき集めたはずよ?確かにハイヴを大きくするにあたって使うなりしたでしょうし、鑑があんたを呼び出すのに使ったりしたでしょうけど、それでもこの横浜ハイヴには400kgのG元素しか残ってなかったの」

 つまり、G元素とは重力子によって作られるが、その精製には莫大な量が必要になることが予想されるのだ。BETAは日本の西端から駆け抜けて、横浜の地を荒らすに荒らして―――400kg。無論、その全てがG元素精製に費やされたものであったり、出来たG元素を全く使わなかったりはしなかっただろうし、鑑が使用した分もあっただろう。
 しかし、それにしても400kgしか残らなかった事を考えると、尋常ではない質量を必要とする。

「試算してみたけど―――そうね、全てのハイヴを攻略するのに凄乃皇を使うとして、必要なG元素はおおよそ10t前後。勿論、必要最低限の砲撃、そして光線属種の攻撃を受けることを想定してね。そして、これを変換前の質量に例えると―――」

 うん、と香月は頷いた後で。

「富士山、四つ分ぐらいかしら?」

 直後、白銀の表情が凍った。
 富士山四つ分とはどれほどの質量になるのか、予想が全くつかなかったのである。

「勿論、何でもいい訳じゃないわ。重力子を含んでいる質量に限定されるのよ。まぁ、濃度の差こそあれ、何処にでもあるんだから、手当たり次第に―――それこそ本当に富士山を切り崩すなりなんなりすればそれなりに集まるんでしょうけど」

 しかし、である。

「だけど、そんな質量を集めるにしても、変換効率が悪すぎるわ。G元素にはそれに似合った恩恵があるにしても、ね」

 BETAの視点からしてみれば、倫理も縄張りも無い。故にどんだけ荒らそうが何しようが問題はないが、人類側にしてみるとそうもいかない。
 当然のごとく生物には手は出せないし、他国を荒らすわけにはいかない。G元素を精製するにあたって、絶対的に質量が足りないのである。無論、それこそそこらのゴミからでも回収できるので、その気になればなんとでも出来るが―――今、派手な動きをすると横浜基地に潜んでいる間諜に何かしら感づかれる可能性がある。
 出来ることならば、それを回避したかった。
 実は似たようなことを『前の世界』の香月も考えていたようで、彼女はこんなことを思いついたそうだ。

「だったら、純度を薄めればいいじゃない」

 純粋なG元素では莫大な質量が必要とされる。ならば、その紛い物で間に合わせれば良い。

「戦闘に必要なのは―――正確に言うなら、ML機関に必要なのは抗重力反応の能力を持つグレイ11だけ。その能力を薄めても、数だけ増やして補うために大量に積めばいいし、数が増えれば他に転用も出来るわ」

 稀釈した不純なG元素を精製し、単離させる。
 そうして出来たG元素こそが―――。

「Gray Imitation Elements―――通称、GI元素。G元素の劣化模造品。デッドコピー。ニセモノ。〈Imitation〉にして、おそらくは現実的なレベルでは最も使いやすいG元素と言えるでしょうね」

 そうして、そのGI元素を、新型のML機関の燃料として使い、『叢雲』に搭載する―――と彼女は続けた。

「新型のML機関………?」
「凄乃皇に載ってるのは大きすぎて戦術機には使えないわ。―――だから、小型化するの」

 無論、燃料が純粋なG元素ではない上に小型化なんぞすれば最大出力は大いに下がる。しかしながら、戦術機一機程度ならば覆い尽くすラザフォード場は余裕で作れるし、余剰電力を以て発射する荷電粒子砲も威力と範囲は落ちるものの―――それでも従来の戦術機兵装の数十倍上を行くのだが―――発射できる。

「まぁ、まだ作ってないけどね」
「え?何でですか?」
「あのねぇ、ML機関の開発に全く関わっていないあたしが独自に一から作りましたーなんて言って、周りが信じられると思う?」

 場合に拠っては、00ユニットの能力と看破して他世界の技術を疑ってくる輩も出て来るだろう。少なくとも桜花作戦が終わって、00ユニットの有用性を十全に証明できるまでは、何をするにしても建前が必要なのだ。
 繰り返すが、今はまだ、派手には動けない。

「だから、この二機の心臓部は茶番クーデターの後、それを交渉材料に凄乃皇を引き取ってからって事になるわね」

 即ち、『引き取った凄乃皇を解析し、新型を作りましたー』という建前が必要なのである。無論、あまりに早過ぎる新型開発に疑いを持つ人間は出て来るだろうが、その時こそ『天才』という名の鬼札を切ればいい。
 つまり、『あんた等凡人が数年掛かりでやるような仕事も、あたしに掛かれば数日で十分よ』と。聖女になっても、相変わらずやり口は魔女のそれである。

「あ、でもほら!確かML機関は00ユニットが無ければ使えないんじゃ?」
「あら、よく覚えてたわねぇ。偉い偉い」

 すると、唐突に白銀が疑問を投げかけてくるので、香月は苦笑しながら褒めてやった。

「確かに、重力偏向を抑えるのに、00ユニットの演算能力は必須ね。代役として考えているものもあるけれど、『叢雲』の数が揃っていない以上、まだそれは先だし」
「数が―――揃ってない………?」
「だって『叢雲』は量産機よ?これは先行版として作ってるけど、もう完全版の量産機の部品は発注してるし」

 舐めてもらっちゃ困るわ、と香月は嘯く。

「あのねぇ、あたしを誰だと思ってるの?00ユニット『コウヅキユウコ』よ?まして『別世界』のあたしが一度設計してあるわけだし、号試機体も品確機体も量確機体も必要ないわよ。あんたの言葉で言うなら―――そうね、プラモデルと一緒って事」

 戦術機製造に於いて、試作機の前には号試機体という前段階の製造過程が存在し、それをクリアした後で試作機を作り、量産するに当たって品質確保機体を作り、量産確保機体を経てから正式量産されるのが通例である。
 しかしながら、幾つかダウングレードと言うかオミット―――特に真空空間での稼働時に於ける気密性や低重力下での機体運用能力―――したと言えど、『叢雲』の基礎設計は完全量産された『草薙』のそれと同義である。であるならば、そのまま量産体制に入ったとしても、何も問題はないのだ。
 プラモデルとはよく言ったのもので、言うならば『叢雲』は『草薙』をベースに魔改造した機体とも言えた。

「まぁ、話を戻すけど、確かに重力偏向には問題を抱えているわ。でも、だったらだったでクリアする方法は考えるだけよ」

 それは、と言いかけてから三神が口をはさむ。彼は彼で、『草薙』のML機関制御装置が無い場合の対処法を考えていたようだ。

「データリンクだろう?」
「そ。『あたし』がデータリンク経由で『叢雲』にハッキングしてリアルタイムで出力と制御を並行同時調整するわ。凄乃皇と合わせても二機程度なら、片手間に出来るし」

 00ユニット無しでの制御は理論上可能ではある。だが今現在、『「叢雲」の機体数が少ない為にML機関の制御は不可能』だ。この世界の技術力ならば、機体が量産され、最低でも小隊単位での運用ができないと00ユニット無しでのML機関制御は出来ない。ならば、今は00ユニットで制御、運用してやればいいのだ。
 広域データリンクならば、ハイヴ内以外での戦場限定ではあるがタイムラグは無いし、常時ハッキングしていれば荷電粒子砲発射時に於ける重力偏差で衛士を死に追いやることはない。
 完全な力技ではあるが、だからこそ単純で効果が高い。
 しかしながら、今日既に何度も驚いてはいる白銀ではあるが、こう思わざるを得なかった。

「む、無茶苦茶だ………」
「完全稼働した00ユニットって、本来そういうものよ。色々とタイミングと折り合いが悪くて『前の世界』じゃ本領を発揮できなかったけど」

 しかし、世界を相手取る聖女はからからと笑うだけだ。

「ま、そんな訳で、あんた達二人には甲21号作戦でこれに乗って暴れてもらうわ」

 少なくとも発令の二週間前までには間に合わせるから腕磨いて待ってなさい、と告げてから彼女はコンソールに手を翳し、シャッターを閉じてから再び歩みを再開して背中越しに言葉を寄越した。

「―――で、もう一つ見せるものがあるのよ」






 長島光一はここ最近忙殺されていた。
 開発部の実験施設に格納された二機の不知火に取り付ける拡張ユニットの調整をしつつ、彼は最近後退してきた髪に手をやって吐息する。手元にはノートのPC。拡張ユニットの接続自体は跳躍ユニット同じ方式なので、大した苦はないが、これが終わったら新型機の様子を見に行かねばならない。
 さて、忙しさの話に戻ろう。忙しさ自体は先月からその兆候があった。あれは何時だったか、突然副司令から作ってみろと思いっきり振られた『追加噴射機構』の開発からだ。
 開発に関しては基本的にこちらに任せっきりな副司令には珍しく、設計図付きで投げて寄越してきたのだが―――。

「まさかアレがフラグとは思わなんだ………」

 キーを叩きながらぼそりとそんな事を呟く。

「何か言いましたか長島部長」

 後ろから声を掛けられ、長島はびくぅっと肩を震わせた。恐る恐る後ろを振り返るとそこには副部長の如月佐奈がいた。黒髪を肩で切り揃え、メガネと白衣で完全武装した妙齢の女性だ。目の下に隈をこさえ、その不機嫌な表情を隠そうともせずこちらを見つめていた。
 なまじ美人の部類なだけに、怖い。

(既に五十を過ぎている儂はともかく、まだ三十手前の女性なのだから、メガネをやめて睡眠取って笑えばまだまだ全然行けるのになぁ………。やはりアレか、金髪巨乳が一番か………!)

 などと思っていると、如月の眉が釣り上がった。

「な・に・か・言・い・ま・し・た………?」
「い、いや!何でもないよ如月君!わ、儂何も言ってないもんね~!国産のガリ勉よりも外来産金髪巨乳の方が良いとかいやこの際巨乳でなくてもつまりイリーナちゃんが良いとか………はっ!?言ってもうたがな!?」

 気づいた時にはもう遅い。
 ふふふ、と薄ら暗い含み笑いと共に如月から殺意という名のオーラが立ち昇る。

「ほほぅ、国産のガリ勉、ねぇ………」
「い、いやアレだよ如月君!あや!言葉のあや!」
「人が折角一息入れましょうかとお茶の用意をしてきたというのに………」
「お、お茶かね!?いやぁ、如月君の淹れてくれたお茶おいしいからなぁ!―――何故か時々手足がシビれるが!!」
「えぇ、部長がピアティフとか他の娘にちょっかい掛けるので、お仕置きの意味で色々盛らせてもらってます」
「あ、あれー?何か儂急に体の調子が悪くなってきたぞー?」
「大丈夫です。―――変態は死んでも治りませんので」
「そっち!?ってか儂毒殺確定っ!?って言うかアレだね!?さっきの台詞ちょっと『ジェラってやっちゃった、てへ☆』とも聞こえなくもないよっ!?ひょっとして今、儂に遅まきながらの春襲来ーっ!?」

 ヒャッハー!と小躍りする長島に、如月は殺気を霧散させてにっこりと微笑んだ。

「あ、あれ?何この反応………ソフトMの儂としては冷たくあしらわれるのがジャスティスなんですがー?」
「はい、部長。これをどうぞ」

 そう告げて、如月は自前の手鏡を長島に渡した。

「さぁ、その鏡で自分を見てください。鼻がありますね?目がありますね?口がありますね?ちょっと鼻毛出てますね?思いっきり脂ぎってますね?顔の形が全体的に悪いですよね?―――こんな貴方にどうやって恋をしろと?」
「ひ、ひどいよ如月君!顔しか見れない腐れビッチかね貴様は!儂の心は陶器製だというのにここ最近で一番の責め苦だよ!!あぁ悔しいでもなんか嬉しい!!」
「ふふふオッサンの上にソフトMのド変態。そんなのが上司だなんて私ってば不幸ですね?敢えて言うなら超不幸です。そうですよね?そうだと言いなさい。そしてそう思ったならいい男紹介しなさい」
「え、えぇっとぉ………じゃぁ、整備班の親方とか………?」
「しまったこの人に頼んでもオッサンしか知り合いいないんですよね。―――所詮は類友か………」
「ひ、ひどいっ!世の中にはダンディズムが良いという女の子も多分いるというのに!!―――青春に期限なんかないんだよ!!」
「イイ事言ったー!みたいな顔しても無駄です。と言うか限度があると思います。―――要約すると、もう一度鏡見ろ」

 今度こそ変態は膝をついた。そして膝を抱えたまま床にのの字を掻きながらぶつぶつ言っている。『好きでこんな顔に生まれたんじゃないわい』とか『セメントなのはその胸だけにしておけ』とか言っているので、取り敢えず如月は張り倒していおいた。
 そうしたら喜ばれたので、もう二度としてやるものかと心に誓った如月であるが、きっとそれすらも糧にするんだろうなこの変態は、と吐息した。

「―――で?仕事サボってなにやってるのかしら?」

 すると、背後から声がした。
 振り向くと、香月とその背後に二人の男―――即ち、白銀と三神がいた。一体何用か、と疑問に思う暇こそあらば。

「ゆ~こちゃ~ん!」
「―――如月」
「了解」

 変態が即座に復帰して香月に飛び掛ろうとするので、如月は副司令権限の名の下長島をヤクザキックで蹴り倒した。ハイヒールの踵が顔面にめり込み、変態が奇声を上げるが、日常茶飯事の為か皆(初対面の白銀を除いて)は冷静そのものだ。

「あんたも大変ねぇ………」
「だと思うなら配置転換願います。―――出来れば、未婚のいい男が沢山いる職場で」
「あんた相変わらず日照ってるわねぇ。―――こいつ等とかどう?」

 ふと背後の二人を紹介され、如月はふむ、と思案顔をする。最初に白銀を見たが、若すぎると判断したか、彼をスルーして三神の方へ。
 そして思う。若くして佐官。顔は良くもないが悪くもない。将来性はありそうだ。
 だから如月は問い掛ける。

「少佐、お名前は?」
「三神庄司だが?」
「お年は?」
「24」
「合格っ………!」

 何故か嫌な予感がして、三神はこう一言添えた。

「―――既婚者だが?」
「不合格っ………!」

 夢は儚かった。

「はいはいそんな落ち込まないの。―――取り敢えずその変態拘束したらお茶でも出して頂戴」

 大きく肩を落とした如月は白衣のポケットからさりげなく手錠を取り出して未だのた打ち回る長島の両手を後ろで拘束。そして失礼します、と一礼してから場を後にした。
 そして香月は芋虫宜しく這い蹲る長島を足蹴にした。

「ゆ、夕呼先生!流石にそれは………」
「あ、あひんっ!?ゆーこちゃんそこ!そこいい………!!」

 流石の白銀も止に入ろうとするが、被虐者からもっともっとと声が上がるので引きつった表情と共に介入をやめた。

「ん?なんか言った?白銀」
「い、いえ何でも………」
「諦めろ武。この変態が開発部の長だ。―――しかも嘆かわしいことに腕だけはいい」

 したり顔で言う三神だが、白銀からしてみれば彼も十分に変態である。

「―――で?『多重跳躍機構』の方はどうなの?」
「今しがたテストが終わって、今は着脱確認中。―――問題はなさそうだがね」
「『多重跳躍機構』………?」

 視線を向ける先には二機の不知火があった。ここに来て直ぐに目に入ったので問い掛けてみると、あの不知火は白銀と三神が迎撃戦で使った2機らしい。
 そしてその腰背部には、通常の跳躍ユニットと、その両跳躍ユニットとの間に固定されるように別の機構があった。左右三発の排出口があり、それぞれ跳躍ユニットに同期して稼働するようだ。

「要は跳躍ユニットの追加パーツよ。概要としては、吸気時の酸素をバイパス繋いで『多重跳躍機構』―――即ち、拡張ユニットに放りこみ、イオン化させて圧縮。それを一時的に溜め込み、任意でフラッシュオーバーさせることによって加速を得られるの」
「追加噴射機構とは違うんですか………?」

 白銀の問に、香月はええと頷いて。

「元々、追加噴射機構はこれの補助の役割だったのよ。それに―――加速力は追加噴射機構の比じゃないわ。一回あたり双発で発動して、その加速性能はプラス200km前後。しかもこれ、三回連続、もしくは六発同時に使えるのよ」

 加えて機動中にも空気は取り込んで―――つまり、『タメ』が出来るので、一度加速さえついてしまえば、ローテーションで多段使用が可能だ。連続しての多段加速は他の戦術機には見られない超高速機動を実現するだろう。無論、使う衛士が耐えられれば、の話ではあるが。
 更に、である。

「そして同時に使った時の最高速度は、重量を加味しても―――おおよそ1300km超。機体や衛士の方に相当な過負荷が掛かるという問題は当然あるけれど―――」

 即ち―――。

「―――音速を、超えるわ」

 そして香月は、にやり、と聖女らしからぬ悪戯好きな子供のような笑みを浮かべた。





[24527] Muv-Luv Interfering 第三十七章 ~暗黙の策謀~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/06/12 01:40
 11月27日

 サンディエゴ海軍基地の地下にある一室に向かって、一組の男女が歩いていた。佐官の階級章、古ぼけた軍装にフライトジャケットを羽織る金髪角刈りの男はハーモン=アーサー=ウィルトン。軍装に白衣を羽織った、緩いウェーブのブロンドを左右に揺らして歩くのは、エイプリル=カーティスだ。
 自分に歩調を合わせてくれるハーモンに、エイプリルは尋ねた。

「フラッシュブーストシステムの具合はどう?」
「上々だな。まさか戦術機―――しかも、第二世代で時間制限付きとは言え、音速近くまで行けるとは思わなかったよ」
「あら、実はそう難しいことじゃないのよ?概念自体は『21計画』からあるのだし。―――問題だったのは、コストと衛士の実力。後は、合衆国の戦術機への取り組みね」

 そのコスト面から打ち捨てられたフラッシュブーストシステム―――即ち、『多重跳躍機構』は、今の技術力を以てすればある程度低コストで作ることは出来る。更には、エイプリルによって改良が加えられ、二回までの連続発動が可能になった。同時発動も可能なので、一時的にではあるが1000km前後まで速度を上げることが可能だ。
 ベースであるトムキャットが第二世代という事を考えると、破格の巡航速度と機動力である。しかしその破格の性能とは裏腹に、衛士には相当の負担を強いる。並の衛士では扱い切る前に加速度病になってしまうだろう。
 加え、米国は現在積極的には戦術機開発へと取り組んでいない。軍事ドクトリンを見ればわかるが、G弾運用を念頭に置いているのでこうした新装備は―――対外的にはともかく―――基本的には作らない方向で進めている。年々新型戦術機の開発費用も縮小傾向にあり、代わりにつぎ込んでいるのは対人類用の兵器開発だ。

「Kシステムは?」

 重ねてのエイプリルの問い掛けに、ハーモンは渋い顔をした。

「ありゃ怖いな。―――軽量化の意味を込めて排除できない?」
「あのねぇ、仮にも製作者に向かってそういう事言う?あの子は私の子供みたいなものなのよ?」
「あの自律制御システム―――フェシカは便利といえば便利だが、時々衛士の意志に反して行動する時があるからなぁ。―――しかも邪魔にならないのが妙に癪に障る」
「簡易だけど自己学習プログラムを組んであるからね。使い込めば使い込む程貴方の動きに合わせてくれるし、貴方の死角をゼロにしてくれるわ。―――本来、そう言う意図を込めて作った子だし」

 元々私の得意分野はそっちの方だからね、とエイプリルは言う。
 F-14Fはフェニックスを取り外してある為に単座だ。しかしながら、エイプリルが開発した新装備を取り付ける為に、自律制御システムを載せてある。いわゆるA.Iと呼ばれる代物だが、定型の動きでは戦場でまともに対応できないために、搭乗する衛士の動きをトレースし、解析し、分析し、学習、パターン化していく機能を持たせた。
 とは言うものの、そこまで複雑のものではなく、精精が衛士の邪魔にならないように専用装備で死角の標的を攻撃する程度である。
 しかし、である。機械の癖に何故か意思疎通を執拗に搭乗者―――ハーモンに求めており、音声こそ出ないものの網膜投影の縁の専用ウィンドウで彼に話しかけてくるのだ。

「そのせいで単座のくせに結局複座のシートと変わらないじゃないか。俺の身体には狭っ苦しくてたまらん。しかもあいつ妙にお喋りだし」
「仕方ないでしょう?F-14の強みを捨てるのは勿体無さ過ぎるんだもの。―――そんなに目障りなら、音声出力も付けてあげましょうか?男の子の声で」
「やめてくれ。網膜投影に文字が流れるだけでもちょっと鬱陶しいのに声付きになったら発狂する。―――と言うか、やるならせめて女の子の声で頼む」
「そう?フェシカは結構貴方の事気に入ってるっぽいわよ?メンテの時、貴方の話ばっかりだし。―――母親として、妬けちゃうわ」
「俺の希望はスルーか………。と言うか本気で勘弁してくれ。コンピュータに気に入られたってなぁ………」
「ハーモン………お願いだからあの子の前では絶対そんな事言わないでよ?ああ見えてデリケートなんだから」
「デリケート、ねぇ………」

 親馬鹿が、と胸中で毒づいてハーモンは肩を竦める。
 そうして会話を繰り広げていると、目的の一室へと辿り着いた。どの基地にも、大抵誰の目にも触れぬ貴賓室というものが存在し、それがここだった。ここに通される人間は、どの人間も表立っては動けない者達ばかりだ。勿論、良い意味でも悪い意味でも。
 ハーモンとエイプリルは扉の前に立っていたSPのボディーチェックを受けると、一呼吸置いて扉と対峙した。

(―――デボンとは報告書での文通状態だったからなぁ………直接会うのはもう数年振りになるか)

 かつてはハーモンの上官であった男―――デボン=シャイアーだが、階級を超えての友人でもあった。そんな彼も、随分前に軍を抜けて政治家へと転向した。その頃には姓を捨て、既に合衆国の暗部に首まで浸かっていたハーモンだったが、各方面へ伝手を作ったデボンの個人的な子飼いとして動くことが度々あり、直接会うことは無かったものの報告書での遣り取りは続いていた。
 因みに、ハーモンの息子のことを月一で報告してくるのもデボンだ。
 一度深呼吸をした後、ハーモンは木目調のその扉を軽くノック。

『―――入りたまえ』

 扉越しに、年老いた男の声が聞こえ、彼は扉を開けてエイプリルと共に貴賓室へと足を踏み入れた。すると、部屋の中央、革張りのソファに身を沈めていた初老の男性がこちらの姿を認め、ゆっくりと立ち上がった。
 たっぷりと蓄えた白髭を撫で付けながら、その男性はハーモンへと歩み寄り右手を差し出す。

「―――久しいな、ハーモン」
「―――あぁ、久しぶりだな『中将』」

 握手を交わして、二人は苦笑。

「今はただの政治屋だよ、ハーモン。―――元気にしていたか?」
「お陰様でな。―――そっちはどうよ?」
「相変わらずさ。ジョンソンが頑張ってくれているから、私は基本暇だしね」
「いーねぇ、閑職は。―――俺もそんな仕事したいよ」
「接待は好きだったか?」
「ああ。―――タダ飯食えるんだろ?」
「会話も必要だな」
「飯食ってるとき限定で得意だぜ?―――テーブルの下で物理的に、だけどな」

 じゃぁ駄目だな、とデボンは笑うとハーモンの斜め後ろにいるエイプリルへと視線を向けた。

「久しぶりだね、エイプリル君」
「お久しぶりです、デボン。お元気そうで何よりですよ」
「はっはっは。もうしばらくは生きてなければならないからねぇ。―――F-14Fはどうかな?」
「上々ですよ。テストパイロットの腕もいいですし」
「それもそうか。―――ま、この男で使いこなせなければ誰にでも無理だろうな」

 そうですね、とエイプリルは微笑む。
 ハーモンがこの基地に配属、更にはF-14Fのテストパイロットに選ばれると知らされたとき、彼女は表向きの経歴と本当の経歴を知ることになった。表向きの方は完全に嘘八百で、普通の叩き上げになっていたが、デボン経由で回ってきた本当の経歴は凄まじい物があった。
 1990年に出来たボパールハイヴ建設後に起こったBETA東進でのネパール防衛戦に参加し、所属していた大隊が全滅。そこでMIA扱いとされた。ここまでは友人であるエイプリルも知るところだったが、その後彼は傷だらけのところを後続部隊に保護され、継続参戦。その後一度帰国するが、とある組織の『強い要望』により、MIAのまま組織の末端として動くことになる。
 新しい戸籍と名前が与えられ、激戦区となったユーラシア大陸を駆け巡ってBETA及び各国の戦力を偵察する任務につく。表向き将兵として参加した作戦はスワラージ作戦、光州作戦、明星作戦と歴史に名を残す作戦に加え、各地で行われている間引き作戦やゲリラ戦、九-六作戦後の掃討作戦や各地域での防衛戦。無論、それらは米国、もしくは国連が援軍として参戦したのに限るが、それでもその戦歴は経験不足を他国から影口として叩かれている合衆国の中でも一、二を争うだろう。
 開発に携わった人間の意見としては、そんな化物じみた衛士にしか使いこなせないあの機体は、兵器としては欠陥品ね、と自嘲せずにはいられなかった。
 それはともかく―――。

「買いかぶってくれるのは嬉しいが、あんたに言われると妙にムズかゆいな。―――で?世間話をしに来たんじゃないだろ?」
「君は相変わらずせっかちだな。まぁ、几帳面なのはいい事だ」

 話を促すハーモンに、デボンは一束の書類を彼に渡した。

「これは………?」

 ぱらぱらと捲っていくと、それは何かの計画書と、後は衛士のリストがあった。もう一度最初から読むと、色々不穏当な言葉を幾つか見つけた。
 国家に従属する身としては、些か気になる言葉ではある。

「近々、非公式の作戦を行うことになる。これに君も参加して欲しい。ただし、君の直接の上司経由ではなく―――」
「成程、あんた個人のって訳か。ひょっとして、俺をここに飛ばしたのもあんたの命令か?―――『その程度の権限』はあるもんな」
「まぁ、そんなところだ。あまり表立っては動けないが、どんな組織にもハト派とタカ派がいるものでね。―――どちらも最近忙しくて視野狭窄気味になっているようだね?」

 その視野狭窄と自分の異動、そしてデボンの策謀を繋げて、ハーモンは少しばかり顔を顰めた。政治や権力というものに屈服させられ続けてきた人間にとって、お偉いさんからのご依頼程の鬼門は無いと彼は考えている。
 どう考えても、妙なことに巻き込まれかけて―――否、既に巻き込まれている、と判断してげんなりした。

「で、リストのコイツ等を使えってか?数は中隊分そろってるが―――大丈夫なのか?」
「君には遠く及ばないが、全員出撃回数50以上の超一流だよ。それでも個人が集められる機体には限界があるからねぇ、あっちのType-94にでも当たれば厳しいかもしれない。まぁ、もし落とされても自力で生還するぐらいの能力はある。それを基本に集めたからね」
「使い捨てにしろ、と?」

 挑むようなハーモンの眼差しを、デボンは真正面から受け止め肯定した。

「『今の』米国には必要無いとは言え、F-14Fは結構貴重な機体だし、特にあの機体に積まれた色々なシステムは『今後』必要になる。本来ならば、こうしたことに使いたくはないが―――時期的に、そうも言ってはいられない。何しろ私がコソコソ個人で集められたのは第一世代やその改良機ぐらいだからね。であらば、君とF-14Fだけは何がなんでも回収しなければならないんだ」

 分かるだろう?と問われれば頷かざるを得なかった。
 戦術機は例え第一世代であったとしても、一機あたり何十億もする。それを個人規模で中隊分集めたデボンの財力のほうが異常であるが、しかし表だって動けない以上、最新鋭機には手が出せず、虎の子として現実的に動かせる最高の機体は、おそらく軍部から忘れ去られたF-14Fしか無いのだ。

「―――本人達は?」
「了承済みだ。彼等もプロだからね。一応、落とされた後のプランもある。―――安心したまえ」

 自らの意思ではないとは言え、計画の手の内を知ってしまった以上、ハーモンは既に引き返せないところまで来ている。それでも躊躇う理由を、デボンは痛いほどに知っていた。
 『だから』、彼はそれさえも利用する。

「―――無論、これは私の個人的な要望だ。タダで動いてもらおうなんて思っていない」
「へぇ………じゃぁ、何を対価に俺を買うつもりだ?」

 興味深げに尋ねるハーモンの表情が―――。

「―――君の枷を解き放とう」
「―――っ!!」

 一気に凍りついた。そして何かを伺うようにデボンの目をじっと見つめた後、大きく吐息した。

「―――本気、のようだな」

 確かに彼の思惑が成就すれば自分の願いも叶うだろう、と思う。しかし失敗すれば―――。

(いや、違うな………)

 これはいい転機なのかもしれない。いつまでも最前線で戦うことを生業としている自分が、ずっとその役目を負えるとは思えない。今まで守ってきた『彼』も、もう十分に大人だ。既に自分の身ぐらい、守れる力を付けているだろう。であるならば―――。

「じゃぁ、詳しい話を聞こうか?テストパイロットなんてチャチな仕事じゃなく、本物の戦場と―――自由を俺にくれるんだろう?」

 そして男は、動き出す。
 いつか夢見た―――自由を求めて。








 11月28日

 横浜基地の屋上に、二人の男がいた。
 一人は軍装に少佐の階級章を付けた青年、もう一人は初老のスーツ姿の男性。揃って銜えているのは半ば灰になった煙草。まるで上官と部下の一服を絵にしたような構図だが、年齢と内実は逆転している。
 三神と珠瀬玄丞斎だ。
 視察という瞑目で横浜にやってきた珠瀬は、207B分隊で少し遊んでから三神に誘われて屋上へとやって来ていた。

「半月ぶりぐらいだね、珠瀬事務次官」
「そうですな。―――準備の方は、どうですかな?」
「上々だよ。―――それより、先程武がボコられていたが」
「ああ、ちょっとからかってみたのですが………はっはっは、彼は人気者ですな」

 知っていながらも避けられなかったのか因果なものだなぁ………と三神が感慨深げに紫煙を吹かしていると、珠瀬が話を変えた。

「―――さて、当日、私にやって欲しいことがあるとのことでしたが?」
「単純だよ。―――仕込みが整うまででいい、米軍が基地に入るのを抑えていて欲しい」
「と言うと?」
「―――安保理の決定を横浜基地に知らせるのは?」

 尋ねる珠瀬に、三神は一言だけそう言い放つ。すると珠瀬は一度眉をひそめてから、やがてニヤリと口元を釣り上げた。少ないヒントで解に至る理解力もそうだが、こうしたやり取りを楽しめる辺り、やはり彼も舌を武器に戦ってきた猛者なのだろう。

「どのぐらい、必要ですかな?」
「そうだねぇ、珠瀬事務次官。君は高所恐怖症だね?」
「―――成程、分かりました」

 珠瀬が頷いた直後だった。
 フェンス越しに、下から人影が飛び出してきた。軍装姿のそれは、一瞬だけ三神と珠瀬の目の位置で停滞した後、涙を流しながら誤解だぁっ!と悲痛な叫びを上げながら引力に引かれて地上へと墜落していった。

「―――三神少佐。今、白銀中尉が………」
「あまり気にしない方がいいよ珠瀬事務次官。―――おそらくは痴話喧嘩の類だろう」
「いやはや、最近の若い子の愛情表現は激しいですな………」
「全くだ。しかし珠瀬事務次官。勘違いしてはならない。―――アレはアレで、手加減した結果なのだ」

 そしてしたり顔で三神は紫煙を吐き出し、こう言った。

「―――あの娘が本気でやったら、武は星になる」








 11月29日

 沙霧尚哉は軍より貸与された朝霧駐屯地の自室で、どうやって侵入したのかいつものコート姿の鎧衣左近と顔を付き合わしていた。そして手渡された資料と、小型レコーダー―――間違いなく盗聴したもの―――から流れてくる秘匿通信の内容を聞いて大きく吐息した。
 今はまだ確認してはいないが、他国の諜報員と密会している映像データも手元にあった。
 まぁ、それはともあれ。

「決定的、か………」

 半ば悠陽に口説き落とされる形で首を立てに振らざるを得なかった沙霧ではあるが、国連のあの二人も噛んでいる以上、こうして証拠たる証拠を示されるまでは半信半疑―――いや、八信二疑ぐらいだった。
 しかしこうして―――他でもない帝国情報省の諜報員から証拠をかき集めてこられれば、信じざるをえない。同士の中に他国の諜報機関の息がかかった者がいて、こちらとはまた別の意志が介入してくるのは、もう疑いようもない。

「しかし今回は存外楽でしたよ。何しろ、さる筋からほぼ確定的な情報を貰っておりましたからな。後は部下を張り込ませておくだけでした」

 その意味深な言葉に沙霧が眉をひそめると、何処か楽しげに笑う狸はニヤリと口角を釣り上げる。

「お気になさらず。先方とは今後も上手くやっていきたいので、貝のように口を閉じておきませんとな」

 なら意味深な台詞を言うな、と思う沙霧だが、何か切り返されそうな気がしてそれ以上は何も言わなかった。

(―――ともあれ、不幸中の幸いと言うべきか………)

 リストを見る限り、少なくとも自分が統括する中隊や切り札であった富士教導団の中には工作員はいなかった。いたのは、箱根方面部隊や先発隊―――取り分け、歩兵部隊の中に多く見られた。
 その数、23人。
 全体を通してみれば数千規模の中の―――たった23人の裏切り。だが、状況次第では唯一人の裏切りで計画が御破算になる可能性もあった事を考えれば、決して少ない人数ではない。
 しかしそれでも、このぐらいの人数ならば押さえるのにはあまり苦労はしないだろう。
 問題は、これを知ってどう動くかだが―――。

「誰も彼もが悪いわけではなく誰も彼もが良いわけではない。―――ならば、貴方が裁きますかな?沙霧大尉」

 鎧衣に尋ねられ、沙霧は無言。これが謁見前の彼ならば、問答無用で処断していただろう。しかし、彼にも心境の変化があった。
 国を正すために、国民を斬っていいのか―――。
 あの日、そう悠陽に問われた時、沙霧は返す言葉を持たなかった。無論、その罪を背負う覚悟はあった。後世に悪鬼羅刹として名を残そうと、この国の今後を作っていけるのならば、それも本望と。おそらく、白銀と話す前ならば臆面も無く言い切っていただろう。
 だが、白銀に糾弾されることによって僅かな疑念が沙霧の中で芽生えつつあったのだ。
 本当に大丈夫なのか、と。全て殿下に押し付けて、自分は結局責任逃れをしているだけではないだろうか、と。その軛が沙霧の覚悟を鈍らせ、その心の間隙を縫うように悠陽は告げた。
 このクーデターを逆用して国家を一つに纏めることと、佐渡島を取り返すことを。
 無論、如何に悠陽に心酔している沙霧といえど、直ぐに全てを信じ切れるほどおめでたくはない。だが、佐渡ヶ島を取り返す為の力の一端を迎撃戦で見せたと告げられ、今眼の前にこうして『謀反の謀反』を逆用するための情報が手元にある以上、最早信じる以外に道はない。
 だからこそ、彼はこう思った。

「―――いや、斯衛が殿下の盾ならば我々は殿下の剣だ。あの御方の命無しに私は誰かを裁く権利を持ってはならない。この間の件で、身に染みた」

 結局の所、自分は衛士だ。
 戦うことに慣れていても、権謀術数には通じない。ならば、これは責任を丸投げにするのではなく、役割分担だ。彼女が政治の道を歩むのならば、彼女に振りかかる全ての邪悪を打ち払うことこそが己が役割だ。
 故に、裏切り者への対処は行うとしても、その後の処遇は彼女に任せるべきだ。如何にクーデターの責任者は自分であったとしても、その権利は持たないと思ったのである。
 沙霧がそう告げると、鎧衣は破顔してコートのポケットから何やら小瓶を取り出した。

「そう言うと思いまして―――実はこんな物を用意致しました」
「これは………?」

 無色の液体が詰まったその小瓶をいかがわしそうに眺めながら沙霧が問うと、帝国の狸は積み木を積み上げる子供のようにあどけない笑みを浮かべた。

「即効性の睡眠薬です。斬ることも裁くことも出来ぬならば、全てが終わるまで彼等には眠っていてもらいましょう。なぁに、御安心を。―――私に案がありますので」







 11月30日

 グアム諸島にあるアンダーセン基地の一室にて、ローレン=ターナー中佐は上層部から回ってきた指令書を読みふけっていた。上層部は上層部でも、彼が所属する陸軍ではない。もう少し別系統の上層部だ。

(ふん、面倒なものだな。あんなモンキーの国の一つや二つ、正面から叩き落としてやればいいものの………)

 巌のように厳しい顔面に更なる皺を寄せ、そんな事を思う。
 その後の政治を考えればそうも行かないだろうが、それでもここまで周りくどいことをしなくても他にやりようはいくらでもあるだろう、とターナーは考える。
 そもそも、あくまで保険とは言え、自分のところにこうした仕事が回ってくるのが疎ましかった。叩き上げの軍人である彼にとっては、こうした根回しや周りくどいやり方は性に合わない。どうせなら、真正面から戦争吹っ掛けたほうが気が楽だ。

(まぁ、命令というならば従う他無いだろう。後は―――)

 シケた仕事だ、と悪態をつきながら今後のことを考えていると部屋の扉が叩かれ、名乗りがあった。

「イルマ=テスレフ少尉です」
「―――入りたまえ」

 一瞬だけ誰だろうかと考えこんだが、そう言えば根回しの一環で呼びつけていた、と直ぐに思い出す。彼女を選んだ理由は特にない。基本的に、栄えある勅命の『生贄』となった第66戦術機甲大隊―――その後も機能させることを考えると、隊長であるアルフレッド=ウォーケン以外ならば誰でも良かったのだ。
 彼女の出自がフィンランドからの難民であることも考査の条件に入れたが。

「―――楽にしたまえ」
「―――はっ!」

 厳かに入室してきた軍装姿の彼女に休めの合図を送ると、机の引き出しに閉まってあった書類を取り出す。

「さて、君を呼び出したのは他でもない。―――先日行われた健康診断で何か不備があったようでね」
「不備、ですか………?」

 訝しげに復唱するイルマに、ターナーはそうだと頷いた。

「詳しくは知らないが、そのお陰で君はもう一度検査を受けなくければならなくなったらしい。―――今日の午後からは半休扱いにするから、この場所まで行くように」

 そう言って、彼はイルマに書類を手渡した。彼女はちらりとそれを一瞥すると、抜け目なく追求してくる。

「―――今度は基地内のメディカルセンターではないのですね………?」

 まさかこちらの思惑に気づいたわけではないだろうが、こうした賢しさは癇に障る。軍人は軍人らしく命じられた内容に従えばいいものを、と胸中で毒づきながら、ターナーは努めて柔らかい声音を出した。

「今度、極東方面へ出向いて演習を行うだろう?結構な規模になるから、その準備で忙しいらしい。―――だから、外部、と言っても国営の病院だがね、そこで行うそうだ」
「そう、ですか………」

 少しばかり不安そうにするイルマに、ターナーは内心ほくそ笑みながらこう告げた。

「気にしなくてもいい。―――単なる再検査だよ」







 12月1日

 ホワイトハウスにある執務室で、その男は椅子に深く腰をかけ受話器を耳に当てていた。
 白髪混じりのその男は、ささくれた太い指で机をトントンと神経質に叩きつつ、低く威厳のある声音で受話器の向こう側の相手に問いかけた。

「準備はどうかね?ターナー中佐」
『はっ。全ては滞り無く。昨日の内に仕込みは終えておりますので。―――尤も、自分の準備はただの保険ですので、使うことはないでしょうが』

 確かに、と男は思う。本命の方はCIA―――しかも発案者である長官自らが進めている。どのような手段を取ったかは知らないが、既にあの国にはこちらの息の掛かった工作員が潜り込んで時期を待っているはずだ。
 であるならば、自分の子飼いとして重宝してきた彼の出る幕はあるまい、と理性では思う。今回の秘匿回線を使ってまでの連絡も、あくまで保険の準備は整っているのかの確認だけだ。
 だが―――。

「そう、願いたいものだな」
『何か、ご懸念でも?』

 ターナーの言葉に、男は言い淀む。
 確かに、あの長官も伊達にCIAのトップをやってはいない。その手腕自体は男も高く買っているし、万に一つも失敗はないだろう。であるからこそ、ターナーの仕込みはあくまで保険であるのだ。
 だというのに―――何故か男の本能が警鐘を鳴らし続けている。
 もう一手打つ必要があると、長年の経験がそう告げている。だから男は、その経験に従うことにした。

「いや、何でもない。気のせいだろう。―――それよりも、これは私個人からの頼みだが………今回の作戦は何があるか分からん。当日は君も同行してはくれんか?」
『自分も、ですか………?』
「不服かね?」
『いえ、そのようなことは』

 訪ねてみると、否定の言葉が返って来た。
 相手は根っからの軍人だ。今の復唱には他意はないだろう。そう理解はしていても、何故か言い訳めいた言葉を吐かなければならないほど、男の神経はカリカリと苛立ちを募らせていく。

「君には悪いと思うがね。どうにも、嫌な予感が拭えないのだよ。だからせめて君だけでも、とね」
『了解しました。―――第66戦術機甲大隊は私が預かっても?』
「構わん。―――では頼んだぞ」
『はっ!それでは失礼します。大統領閣下』

 受話器を置き、男は―――合衆国大統領は、机に肘を立て、左拳に額を載せて深く吐息する。
 嫌な予感は、実の所随分前―――日本の内政に裏から介入するという計画が持ち上がった時からしていた。正直な所、それは男の本意ではないが―――日本が落ちれば太平洋を挟んだ合衆国や周辺諸国にも被害は出る。
 特に今や世界の食料庫となっているオーストラリアがBETA侵攻に晒されれば、経済や精神の前に、世界的な飢餓恐慌が起きる。であるならば、あの防衛線は絶対に死守せねばならない。故に、本来ならば、表立って兵力を貸出したりすべきなのだが、三年前のBETA侵攻で―――色々と理由付けしたものの―――安全保障条約を破棄してしまったのだ。今更どの顔をして『また力を貸します』と言えたものか。
 だから―――今回の件も、苦肉の策ではあったのだ。

「自国の安寧のために、他国をも傀儡とする、か―――落ちたものだ、我が合衆国も」

 ぽつりと呟いて右手で腹部をさする現職大統領の胃の痛みを知る者は、専属医ぐらいものだった。







 12月2日

 首相官邸で、榊是親は静かに息を吸って―――。

「―――構わない。やってくれ」

 身を切る思いで、その命令を出した。
 生きてさえいればなんとでもなる、そう自分に言い聞かせるように―――。







 薄暗い部屋で、顔を付き合わせる複数の人影があった。意図的に光量を絞ってあるせいか、その顔までは分からないものの、シルエットからその全員が恰幅のいい体格をしていることが見て取れた。
 嗄れた声を皮切りに、何かの会合が始まる。

「―――榊が動いたようだな」
「そのようだ。彼等の性格を考えれば今回の一件が引き金になるだろう」

 彼等、という言葉にこの場にいる全ての者が嘲笑で応じた。その意図するところは、口には出さない。

「―――しかし、大丈夫だろうか。ここ最近の殿下は妙に精力的だが」
「問題ないだろう。如何な権力があろうと―――所詮は17の小娘だ。権謀術数では私達には敵わんよ」
「ふん。傀儡は傀儡らしくしていればいいものを。賢しい知恵を身につけおって」
「そこまでにしておけ。―――あれでも国民の拠り所だからなぁ」

 一人がおどけて言うと、皆が苦笑した。
 言葉とは裏腹に、そこには見下すような色しか無かった。

「因果なものだ。かつてはどうにかして完全な属国の不名誉を退けたというのに、その転機がもう一度やってこようとは」
「長いものには巻かれろ、と言う。―――正直、ハイヴを抱えている現状のこの狭い国で、他国の支援無しにこれからをやっていけるとは思えん」
「同感だな。―――だからこそ、私達はこうして集うわけだが」

 口々に勝手なことを言い始める面子に、最初の嗄れた声の男が諌めるように言った。

「まぁ、そう言うな。政治家とて人間だ。国民よりも身内を取るのが悪いとは誰も言えないだろう?」

 そうして、誰にも知られていないその集いは、今夜も密かに進行していく―――。






 ―――ほぼ同時刻。
 帝都城の一室にて、鎧衣経由で入手した『国連軍衛士訓練兵の制服』に着替えた悠陽は、胸ポケットに収めた人形の感触を確かめつつ、側に侍る侍従長にこう告げた。

「では、行きましょうか。―――横浜基地へ」







 状況が動き出す。
 それぞれの意志の元に、それぞれの状況が動き出す。
 その根底にあるのは、ただ単に世界を、国を、民を、仲間を、家族を、自分を守りたいという唯一つの防衛衝動。
 そこに善悪はない。
 誰も彼もが正しくて―――。
 誰も彼もが間違えて―――。


 だからこそ、単純な正義や悪では測れない、偽善と偽悪が入り混じる狂騒劇が幕を開く―――。






[24527] Muv-Luv Interfering 第三十八章 ~茶番の前哨~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/06/05 21:03

 12月2日

 12月にも入れば、外の気温はかなり低くなる。
 曇天模様とは言わないものの、それでも薄く広く広がった雲を押し流していく風は、皮膚を刺すような感覚がするほどに冷たい。まして夜ならば何を況やである。そんな風の中に身を晒して、彩峰は基地の屋上のフェンスに腰をかけていた。
 手には―――開封された一通の手紙。先月の迎撃戦前に届いたものだ。
 如何にそこから遠ざかろうと、過去というものは案外断ち切れないように出来ている。その証明をするかのように、毎月毎月この手紙は『彼』から届いていた。
 『彼』との関係は、幼なじみと言うよりは、血の繋がらない兄妹か。幼い頃は、あまり家にいない父の代わりによく相手をしてもらったし、自分も良く懐いていた気がする。
 関係が変わったのは―――父が亡くなってからだ。
 その死によって彩峰の名は世界を二分した。
 父を肯定する者と。
 父を否定する者と。
 どちらが正しいかは彩峰には分からなかった。究極的な物言いをすれば、人道的には正しくて政治的には間違っていただけだろう。しかしながら、極端な答えに至れなかったが為に彩峰自身も、そして父を知る者達も不完全燃焼になってしまった。
 それが故に、彩峰自身は父を批判しつつしかしその教えに背くことはできなかったのだ。
 だからこそ、今思えば―――逃げることを否定する自分こそが、一番父から逃げていたのかもしれない。そしてその結果こそが、この手紙の内容ならば―――。

(―――もう私は、過去から逃げちゃいけない………)

 見てしまったから―――否。
 知ってしまったから―――否。
 気づいてしまったから―――否。

(中途半端は、もうおしまい………)

 初陣を経験し、そして他人の命を『食ってしまった』以上、最早彩峰慧の命は彼女だけのものではない。
 だからこそ―――。

「―――来たね、白銀」

 ―――自分が最も信頼するこの男に全てを託そうと、そう決めたのだ。







 ここ最近の白銀の行動予定は、午前中に207B分隊の面倒を見て、午後に自分の訓練―――取り分け、『多重噴射機構』の習熟に勤しんでいた。ついでに、仮想データは既に出来上がっているので、シミュレーターで叢雲の慣熟訓練も並行して行っている。

(―――流石に次世代機だけあって、半端ないな………)

 京塚曹長に頼み込んで厨房を使わせてもらい、とある物品を入手してから白銀は施設の階段を上がっていた。
 荷電粒子砲を戦術機で使えるなどと正直な所眉唾ものだったが、実際に上がってきたデータは、データだというのに閉口せざるを得ない威力を誇った。二系統のPPCの内、長距離砲撃が可能な方は最大出力で射程に入った2km圏内のBETA群を残さず屠ったし、中近距離での集団戦や密集戦に特化した方はある程度の連射に加えてモードの切替でスラッグショットも可能になる。
 新兵装の方に目が行きがちだが、機体能力もXM3搭載を前提としてあるだけあって高機動特化、更には『多重噴射機構』を加えることによって最早手がつけられないほどだった。当然、Gも凄まじいはずなのだが、ラザフォード場による重力制御によって体に掛かる負担も極限にまで緩和されている。
 何よりも恐ろしいのは、これが既に量産体制にあるということだ。

(夕呼先生はヴァルキリーズに乗せるのは、甲21号作戦が終わってからって話だけど………)

 彼女の予定では、佐渡ヶ島攻略後は余り間を置かずに桜花作戦を行うつもりらしい。では何故佐渡ヶ島戦前に彼女達に機体を渡さないのかと問えば―――。

『あんなのがポンポン出来たらありがたみがないでしょ?―――こう言うのは、小出しにしていくものよ』

 ケタケタと魔女のような笑みを浮かべていた。正直怖かった。
 甲21号作戦で二機の試作機という形で投入し、その優秀性を『全世界規模』で知らしめ、量産機を桜花作戦に投入して磐石にすると言う目論見らしい。
 確かに実用的な面でも、PPCシステムの前に『多重噴射機構』の講習をヴァルキリーズに行わなければならないことを考えると、そちらの方が現実的なのかもしれないと白銀は思った。何しろ、『多重噴射機構』は便利だが、使う側の神経をかなりすり減らす。車のターボのように一度速度が乗ってから追加加速するのではなく、『タメ』てさえあれば停止状態からの加速も可能で、断続的に、しかも移動線を変えての多重発動は凄まじいGが掛かってしまうのだ。強化装備のフィードバックと経験のお陰で、最近ようやくマシになってきたが、彼女達がこれを使いこなせるようになるにはそれなりの習熟期間は必要だろう。
 同時進行でPPCシステムの講習をしている余裕は無いはずだ。
 であるならば、甲21号作戦までにこれの習熟をした後、桜花作戦までにPPCシステムの運用をマスターする、と言うのが最も現実的な流れだ。
 まぁ、それはともあれ。

(―――それにしても………彩峰からの呼び出し、か)

 階段を上がりながら、胸中で呟く。
 午前中の訓練の後、白銀は彩峰に話があるから屋上に来るようにと言われた。今夜から少しばかり忙しくなるのであまり時間を割けないが、この時期に彩峰の方からアクションがあるのは少し不自然だ。
 だから、考え得るのは唯一つ―――。

「―――来たね、白銀」

 白銀は昇降口の鉄扉を開き、屋上のフェンスに腰掛ける少女を一人、認める。
 彩峰だ。
 いつものように、下着が見えるのも厭わず悠然とそこにある彼女の手には、一通の開封された封筒があった。

(―――ああ、やっぱりそうか………)

 ―――何となく、予感はしていた。
 初対面の時以来は特に意識改革をした覚えはないが、彩峰に限らず迎撃戦後の207B分隊は少し大人っぽくなった。やはり初陣を経験し、そして直接誰かの死に触れて想いを継いだのが決め手なのだろう。
 いや、大人っぽくなったというよりかは―――元々あった自分の願いを明確化したのだろう。
 まずはそこに至るために、あらゆる障害を乗り越えるのではなく―――『蹴り倒す』。悠長なことをしている暇はない。だから、さっさと任官すべく、邪魔なものはそれが例え自らの感情であっても排除する―――。
 決意を固めた彼女達の成長ぶりは凄まじく、白銀VS207B分隊ならば、四回に一回は負けるようになってきた。加え、既に互い手の内は知り尽くしているので、ひたすらに長期戦になる。一番酷い時には、午前中ずっと膠着状態になり、推進剤も弾薬も切れて近接格闘のみになった。因みにそうなると、純粋に数の暴力に屈することが多いのだが。

(―――ここ最近、何か考えてたようだしな………)

 彩峰が訓練中にも物思いに耽ることが多かったのを白銀は知っていた。だからもしかしたら、とは思っていたが―――。

「どうしたんだよ彩峰。―――オレに愛の告白か?」
「白銀―――案外バカ?」
「相っ変わらず率直だなお前………!」
「根が純真なだけ。でも白銀に汚された………」
「人聞きの悪いこと言うなっ!」
「訓練で」
「取ってつけたように言うなっ!」
「嬲るように」
「酷くなったっ!?」
「もうお嫁に行けない………」
「なぁコレってオレが悪いのかっ!?」

 さめざめと嘘泣きする彩峰に、白銀はこんな不穏当な単語をアイツに聞かれてたらまた空に飛ばされるなぁと思い突っ込むが、彼女はいつも通り何処吹く風だ。

「―――ところで白銀。さっきから、気になる匂いがする………」

 相変わらず自由人な彩峰は白銀を翻弄しつつも、その視線は彼の小脇に抱えられている紙袋に注がれていた。作りたての上に風下だったためかセンサーに引っかかったようだ。

「流石に気付くか………。中身は何だと思う?」
「焼きそば一確。匂いで分かる」

 即答する彩峰に、白銀はチチチ、と立てた人差し指を左右に振って。『それ』を取り出した。

「今までの焼きそばは食卓に付かねば食べることがままならなかった!しかし世界10億人の焼きそばャーは常に焼きそばに飢え、求めている!だからオレはもっと手軽に焼きそばを食せる新メニューを独自開発した!刮目せよ!乾坤一擲!温故知新!これこそが究極の携帯食料―――焼きそばパンだっ………!!」

 大仰な言い回しと共に焼きそばパンを空に掲げたまま白銀が硬直することじっくり三秒。

「………くれるの?ねぇくれるの………?」
「相変わらず焼きそばのことになると脇目も振らんなお前………って言うか痛いから手を離せくれてやるから手を離してください!」

 彼我の距離約五メートル程を一足飛びで詰め、軍人としての訓練は積んでいるとは言えその細腕に一体どれほどの力があるのかと思うほどの怪力で手首を万力のようにホールドされ、白銀は情けなくも懇願して彩峰に紙袋ごと渡した。
 そして彼女は恐喝、もとい強奪、ではなく略取、でもなく『比較的』平和的に譲ってもらった焼きそばパンを一口。
 その味を噛み締め、天を仰ぐ。

「―――人生万歳っ………!!」
「割とお手軽だよなぁ、お前………」

 この世の春を謳歌するが如く黙々と残りを食し始める彩峰に、白銀は苦笑して、吐息を一つ。

「―――まぁ、食いながら聞けよ」
「んぐ………?」

 焼きそばパンをもきゅもきゅしながら上目遣いでこちらを見る彩峰を、野良犬かなにかのようだと失礼ながら思いつつ、彼は言葉を続ける。

「手紙、読んだんだろ?だから、誰かに打ち明けたかった。―――違うか?」
「―――どうして、知ってるの………?」
「今は言えない。何処に耳があるか分からないからな。―――けど、心配はいらねぇよ」

 穏やかにそう言って、白銀は空を見上げる。雪でも降ってきそうな寒空を、彼等も見ているのだろうかと思いつつ、彼は言葉を紡いだ。

「あの人も―――『津島萩治』もこの国の姫君も、そしてオレ達も、願うことは一緒だからさ」







 御剣冥夜は突き付けられた状況に戸惑い、硬直していた。
 午後の訓練を終えて、夕食を取り、日課である自主訓練に勤しんでいたところで白銀に声を掛けられた。何事かと訪ねてみると、何やら合わせたい人がいるとの事なので、着替えもせずにその後を付いて行ってみると、B18階―――訓練兵の彼女では電子的なアクセスでさえ禁じられている区画へと誘われた。
 一体何が待っているのだろうと心持ち緊張して、通された部屋に待っていたのは―――自分と瓜二つの容姿を持つ女性だった。

「―――久しいですね、冥夜」
「―――!」

 煌武院悠陽―――。
 状況に混乱し動きを止めていた御剣だが、彼女に声を掛けられた途端に片膝を付き首部を垂れた。そして自らは言葉を発さずに彼女の次の言葉を待つ。

(何故ここに姉上が―――!?)

 困惑する思考の中、御剣は自らの立ち居位置を再確認する。
 例え双子の妹と言えど、自分はその存在を公には認められていない事は十全に理解している。であるからこそ、煌武院ではなく御剣の名を名乗っているわけだし、『人質』として国連に預けられる程の価値があるのだ。
 密かに周囲に視線を巡らせれば、部屋の中には月詠率いる第19独立警備小隊の他に白銀と三神がいる。
 独立警備小隊はこちらの事情を把握しているが、他の二名は何も知らないはずだ。だからここで下手な言動は取れない―――と御剣が固唾を呑んでいると、悠陽がふっと柔らかく微笑んだ。

「良いのです、冥夜。―――ここにいる者達は、私達の関係を全て承知しております」
「なっ―――!?」

 驚愕に目を剥いて、御剣が部外者二人に視線を向けると、並んで立っている白金と三神は揃って頷く。

「ですから今は、今だけは―――日本の将軍と国連の訓練兵という立場では無く、ただの姉妹の関係に戻っていいのですよ」

 そして悠陽は御剣へと歩み寄り、彼女を立たせると真正面から抱き竦めた。力強く、そして優しく包み込むように悠陽は実の妹の頭を掻き抱く。
 柔らかな感触と、何処か懐かしい匂いと―――頭部に僅かに感じる液体のような感触。

「―――ずっと逢いたかった」
「姉、上………」

 それを涙滴と知ったとき、様々な思いが綯い交ぜになって、御剣は胸にこみ上げた感情の我慢をやめた。そして思うままに実の姉の背に手を回し、抱き締め返す。

「姉上………」
「冥夜………」

 抱き合いながら名を呼び合う姉妹の様子は美しく、まるで名画のように神々しさがあったのだが―――。

「―――麗しいほどの姉妹愛だが、そんな様子を下心満載でニヤニヤしつつ『ククク………こいつぁ上玉だぜぇ』と舌なめずりする武であった」
「こ、こんな時に変なナレーション入れるな庄司!」
「白銀中尉………?」
「ち、違うんですよ月詠さん!これはこの馬鹿が!」
「えぇっと明日のスケジュールは………」
「うっわ最悪!この馬鹿最悪っ………!!」

 いかんせん、外野が煩かった。

「あ、あの、姉上………」
「ふふふ。ここは楽しげなところですね」

 衆人環視の中だったことを今更ながら思い出し、顔を赤くして離れようとする御剣だが、悠陽の細腕はそれを許さず、もうしばらくの間彼女の腕の中にいることになった。
 それから数分、なすがままにされていたが、不意に悠陽が腕の力を緩め、それでも御剣の肩に手を置いたまま、しっかりとした声でこう告げる。

「さて、冥夜。名残り惜しくはありますが、時間はそう残されておりません。故に―――そなたに姉ではなく、政威大将軍として命を下します」
「―――はっ………!」

 そこには姉としてではなく、将軍としての貫禄があった。故にこそ、御剣は最敬礼を以て応じる。
 そして―――。

「御剣冥夜。そなたには―――この煌武院悠陽の影武者役を命じます」

 御剣に取っては予想だにしない命令が下った。







 12月4日

 まだ夜明けも遠い早朝、朝霧駐屯地の自室にて、愛刀の手入れをしつつ沙霧は深く吐息した。これから起こる戦いで使うことはないであろう愛刀を手入れしているのは、彼に取っては一種の精神安定剤の役割を担っているからだ。
 Xデーが近づくにつれて、彼の心中は穏やかではなくなっていった。無論、今回の行動は政威大将軍の名の下行われるので、義はこちらにある。無血であることが前提ではあるが蜂起後の部下の処遇も将軍自ら温床を掛けることになっており、政府転覆を掲げたことを鑑みると、これ以上は望むべくはないだろう。
 ただ一人―――沙霧を除いては。

(―――如何な理由があったにせよ、そしてどのような経緯を経たにせよ、所詮クーデターはクーデター。首謀者である私が許されてはいけない)

 悠陽との対談の際、沙霧はまず最初に部下の処遇について話し合った。結果として、先述したように殆どお咎めなしという形に収まったものの、だからと言って何の見せしめもしないとなると、周囲に示しが付かない。
 場合に拠っては、悠陽の言質さえとっていれば何をやってもいいと考える輩も出てくるだろう。ならばこそ、首謀者である彼だけは責任を取らねばならなかった。

(お優しくも殿下は私をも不問に付すと仰ったが―――それだけは、また反乱が起こるやもしれぬ)

 その軛として、沙霧は人身御供となる必要があり、彼は自らそれを買って出た。
 元よりその覚悟であり、大義を果たした上で散るのならば満足だ。
 そう―――かつての恩師のように。

(どのような処罰であろうとも、受ける覚悟はある。だが―――)

 たった一つだけ、未練と呼べるものがある。兄妹のように育った、彩峰の血筋を継ぐ彼女のことだ。

(―――結局、新たな手紙を書くことは出来なかったな………)

 迎撃戦前に送った一通を最後に、沙霧は彼女に手紙を送ってはいない。忙しかったのもあるが、15日に行った対談以降の事を書いて、もしも他の誰かに見られてしまったら悠陽達の仕込みが無駄になる、と言われたためだ。
 代わりと言っては何だが、昨夜遺書のような物をしたためておいた。内容は全てあの妹のような幼馴染に向けたもので、部隊内の誰かが発見すれば、必ず彼女に届けてくれるだろう。
 難しいことは書いていない。ただただありふれたものだ。焼きそばばかり食べてないできちんと栄養を取ることとか、体を壊すような無茶はするなだとか、歯はきちんと磨けとか後半に行けば行くほど小言ばかりになっていったが、最後ぐらい兄のような役割を演じたかったのかもしれない。
 今日―――公にしていた予定を一日前倒しにして、決起する。
 今回の件を経て何としても日本の内政に介入したいであろう米軍の対応は、おそらく一日ずれたぐらいでは差は出ないだろう。だが、そのほんの少しの差で暗躍する者達が仕込む時間を作れる。他にも時間確保するための仕込みはしているようなので、そちらの方は他の者に任せておいていいだろう。
 油塗紙で刀身に油を塗り、鏡面のような輝きに自分の顔を映していると、部屋の扉がノックされた。促すと、入ってきたのは室内だというのに帽子をかぶったままのトレンチコートの大男。
 鎧衣左近。
 おそらく今回の一件で、裏方で最も動くことになるであろう男だ。
 彼はいつものようにシニカルな笑みを浮かべると、人差し指でぼうしを押し上げて沙霧を見据えた。

「―――今しがた、部下から連絡がありました。全員、ぐっすり夢の中だそうですよ」
「どのようにしたのか些か気になるのだが………」
「ご安心を。就寝中に拉致して起きたところでもう一度眠ってもらっただけですので。彼等には、とある廃倉庫で大人しくしていてもらいます」

 少なくとも、手荒な真似はしていないようだった。こちらを裏切って他国と共謀していたなどと、色々と思うことはあるが―――それを見抜けたなかった自分にも責はある。加え、例え他国と共謀していようと、自国民は自国民と説いた悠陽の顔に泥を塗ることは出来ないので、比較的穏便なやり方を鎧衣課長に頼んだのだ。
 沙霧からしてみれば憤懣やるかたないとはこの事で、しかしそれを抑えこむように吐息して、手入れしていた刀を鞘に収めた。
 チィン、と小気味いい鍔鳴りとともに、気持ちが切り替わる。
 そして、机の上に置かれた電話の受話器を手に取り、とある内線番号を入力。しばしのコール音がしてから、相手が出る。

「―――私だ。皆を招集してくれ。ああ―――」

 二、三言葉を交わし彼は言葉を告げる。
 新たな日本の夜明けを得るための―――始まりの言葉を。

「―――決起を、始めよう」

 これからが、本番だった。






 午前3時42分。

 沙霧尚哉の発した言葉により決起部隊各員が叩き起され、予定よりも一日早い決起に訝しがりながらも、それぞれの役割をはたすべく行動を開始。



 同3時54分。

 夜討ち朝駆けの言葉の通り、予め指定されていた場所に移動を開始。



 同4時36分。

 全部隊の移動が完了すると、帝国議事堂、首相官邸、各省庁、主要浄水施設、国営放送局、発電所等の主要機関をほぼ同時に制圧。



 同4時58分。

 沙霧尚哉は部下を引き連れて国防省を訪れていた。警備していた者達も当然いたが、鎧衣課長から入手した隠し通路とエアダクトの見取り図を潜入班に配っており、内部からの奇襲を行うことですんなりと陥落させることが出来た。残りの職員達も同じようにして拘束し、一箇所に軟禁した。当然、警備員達を始め抵抗するものもいたが、部下達には全員ゴムスタン弾とスタンロッドを持たせてあり、抵抗されたらそれを使う許可を与えている。
 そして沙霧は人気の無くなった赤絨毯の廊下を歩き、官邸の一番奥、大きな木製扉を二度ほどノックしてから、扉を開けた。
 部屋の中央、大きな執務机に向かってこんな時でも書類仕事をしている男が一人。白髪をオールバックにし、銀縁眼鏡を掛けたその初老の男性の名は榊是親。現内閣総理大臣である。
 同時に、彩峰萩閣に人身御供になるよう頼み込んだ―――沙霧からしてみれば、仇のような男だ。
 しかし、あの時―――悠陽に諭されてからは、不思議と敵意は湧かなくなった。
 無論、蟠りが無くなかったかと言えば嘘になる。もしも彼がもっと日本の外交力を高めていれば、あるいは国連に対して何かしらのカードを持っていれば、降格処分程度で済まされたのかもしれない。今でも、そんな詮なきことを考えてしまうほどだ。
 だが、もう取り返しの付かないことだ。
 沙霧も、それは理解している。
 外交的にその処分を決定せざるを得なかった榊も、教えを受けていたという悠陽も、そしておそらくは彩峰萩閣を知る全ての人も、彼の死を今も悼み続けている。
 それを知った時、沙霧の心はほんの少しだけ軽くなった。きっと心の何処かで、彼を今でも悼んでいるのは、身内である自分達だけだろうと思い込んでいたためかもしれない。
 だがそうではなかった。
 今は遠い、あの恩師は未だ皆の心の中で生きているのだと―――その時に、沙霧は初めてそう思えたのだ。

「―――来たか、沙霧大尉」

 低く威厳のある声が通り、沙霧は部屋の出入り口の前で直立不動になった。

「はい。少しの間、不自由な思いをさせますが………」
「構わないよ。―――他の者達は?」
「丁重に扱わせてもらっています。装備を限定し、部下にも厳命してありますので、怪我人は出るかもしれませんが死人は出ないでしょう」

 如何に非致死性兵器であるゴムスタン弾やスタンロッドとは言え、兵器は兵器だ。当たり所が悪ければ死に至るし、そうでなくても怪我をすることはあるだろう。
 決起の前に口が酸っぱくなる程部下たちに言い聞かせ、出撃前にも殺しは御法度だと言い含めておいたのが功を奏したのか、今の所死者の報告は来ていない。
 件の裏切り者達がいればどうなったか分からないが―――少なくとも、今手元にいる部下達は素直にこの国を思って手を貸してくれている者達だ。ならば、こちらの命令は厳守してくれるはずだ。

「―――『彼等』は?」

 榊の問い掛けに、沙霧は首を横に振った。

「今の所、見つかっていません。十中八九、既に逃げおおせたものかと」
「何もかも予定通り、か………」

 『彼等』は親米派―――どころか恭順派である。
 おそらく一連の事態を察知して―――決起の情報を予め入手していたのならば―――一日早いこの決起に大慌てになって逃げ出したことだろう。
 ならばこそ、次に来るのは―――。

「次に来るのは仙台臨時政府。そして、『表面上』渋ってからの米軍受け入れ………」
「流石は殿下です。ここまで順調だと、空恐ろしい物がありますよ」

 苦笑する沙霧に、榊は確かに、と頷いた。
 沙霧にはこの決起に於けるシナリオは悠陽が描いたものだと告げてある。もしも白銀や三神が流した情報だと告げれば、おそらく彼は政威大将軍に対等以上に立ち会える彼等に対して不信感と疑念を持つだろう。
 下手をすると、それを謀略だと勘違いしかねない。
 だから、事の真相を知る榊が思うのは―――。

(―――これが未来情報の強みか)

 11月11日の迎撃戦の時もそうだが、情報一つでここまでスムーズに事が運ぶと、普段それを扱っている鎧衣をして『自信が無くなる』と言わせるのにも納得出来る。
 閑話休題。

「さて、私もおとなしく軟禁されていよう。―――後のことはよろしく頼むよ、主演男優」

 榊は椅子から立ち上がると、沙霧に背を向けて両手を腰の後ろで組み、そう告げた。






 同6時4分。

 横浜基地の中央発令室にて、三人の男女があまり穏やかではない空気で声を発していた。
 一人はこの横浜基地の司令官であるパウル=ラダビノット司令。一人は副司令官である香月夕呼副司令。一人は国連事務次官である珠瀬玄丞斎だ。
 日本国内でのクーデターの知らせを受けた横浜基地は、現在防衛基準態勢2を発令し、全戦闘部隊に完全武装での即応待機命令を発令している。起床ラッパが鳴って直ぐの事態に、基地内の各所が慌ただしく動いている中、ここ中央発令室の空気は室内だというのに外気並に冷えつつあった。

「―――ラダビノット司令。それは、どういう事ですかな………?」
「これは日本帝国の国内問題です。我々国連が帝国政府の要請も無しに干渉することでは………」
「最早一刻の猶予も既に許されないはずです。この機を逃しては、後悔することになりますぞ」
「まるで米国みたいなやり方ですのね………。国連はそんなにアジア圏での米国の発言力を回復させたいのかしら?」

 口を挟んだ香月に、珠瀬は目を細める。

「博士、国連軍はあくまで国連の軍隊です。いかに独立権限を認められていようと、オルタネイティヴ計画を遂行するあなた方もまた国連の組織であり、ともに国際社会の下僕なのですぞ?」
「司令も仰っているように、日本政府の出動要請が出ていないようですわね………。国連はいつから、加盟国の主権を蔑ろに出来る権限を持つようになったのかしら?」
「―――国連は、対BETA極東防衛の要である日本が、不安定な状態に陥ることを望んでいません。それは即ち、オルタネイティヴ計画の中枢である横浜基地の安全が脅かされることに直結しますからな」
「しかし事務次官、この度の騒乱は帝国軍のみで対処可能な規模であると判断します。今、国連軍が介入する必要性は―――」
「―――予防的措置です。人類全体の命運を賭した計画を、危険に晒す訳にはいきません。クーデター後の新政権が、この横浜基地を………人類の切り札の接収を要求してきたら、どうなさるおつもりです?」
「その時は国連の名に於いて、当基地の全力を以て応戦するまでです。そうなれば当然、米軍への支援も要請するでしょう。ですが、今はその時ではない。米軍を受け入れるわけにはいきません」

 そう、今は受け入れるわけには行かない、と香月は胸中で同意した。今現在、日本国内―――臨時政府が出来る仙台の方で、鎧衣課長を筆頭とした情報外務2課が仕込みの最中だ。
 それが完了してから受け入れを開始し、珠瀬事務次官には臨時政府に出向いてもらう。そして臨時政府の全権特使と珠瀬が会談し、初めて米国がこの騒乱に食い込める。
 内容的に事前の仕込みが出来ないので、どうしてもここで時間を稼いでおかねばならないのだ。故に―――香月も珠瀬も『無駄』と理解しつつ議論をここで重ねる。

「大体………このタイミングで、米国太平洋艦隊が相模湾沖に展開しているのはどういう事です?まるで何が起きるか知っていたみたいですわね」
「艦隊については緊急の演習と聞いておりますが………まさに僥倖と言ったところでしょうか。それに四日ほど前、米国諜報機関より基地司令部宛に、帝国軍内部に不穏な動き有りとの勧告が回ってきているはずですが?」
「―――用意周到ですこと」

 本当に用意周到だ。だからこそ、逆用のし甲斐があると香月は内心でほくそ笑む。

「事務次官。………あなたも日本人なら、米国のそのような強硬姿勢が、この国でどのような反発を生んでいるかはご存知のはずでしょう?」
「言っても無駄ですわ司令。属国の誹りを受けてまで忠実なパートナーであろうとした日本を、さっさと切り捨てて逃げ出した国ですからね………」
「日米安保条約を一方的に破棄し、他のアジア諸国からも一斉に撤退した米国は、極東に於ける条約上の義務と権利の一切を、大東亜連合に委譲したと記憶しておりますが?」

 ラダビノットの言葉に、珠瀬は小さく首を横に振った。

「私は米国政府の人間ではありません。それに日本と米国の昔の関係について、ここで議論しても無意味です。問題なのは今と、これからなのです」
「国連軍の実態が米国軍だと認めないのは、国連と米国政府だけですよ………事務次官?」
「―――国連軍と米軍を混同する発言は謹んでもらいたいですな、お二人とも。それより、あなた方は、全人類の命運を左右する国連の活動を認めないと仰るのですか?」
「いいえ、筋として先ず、日本政府の了解が必要だと申し上げているだけです。それに私達は、日本政府の関係者ではありません。そんな質問に答えられるわけありませんわ、事務次官」
「―――どうしても、増援部隊を受け入れることは出来ないと?」
「受け入れないとは申し上げておりません。正式な手続きが踏まれていない上に、時期尚早だと申し上げているのです、事務次官」
「そうですわ事務次官。私は先程、日本の世論をお伝えしたまで………個人的な反米感情は、微塵も持ちあわせておりません」
「嘉手納や岩国の国連基地であればともかく、この横浜はオルタネイティヴ計画直轄基地です。安保理の正式な決議を待ちましょう」

 畳み掛けるように二人に言われ、珠瀬は大きく息を吐いた。

「平行線―――ですな」
「では事務次官。展開中の第7艦隊にお引き取り願って頂けないかしら?―――大変目障りですので」
「私にそのような権限などありません。それは、ご承知のはずだと思ってましたが?」
「あら。―――失礼」

 やれやれ、と肩を竦める香月を横目に、珠瀬はちらりと腕時計に視線をやった。そしてこれでひとまずは十分な時間を稼いだだろうと判断したのか、会話を切り上げた。

「―――仕方ない。一旦、退散するとしますか」
「安全保障理事会の正式な決定さえあれば、我が横浜基地はいつでも米軍を受け入れます」
「では、後ほど―――『また』戻って来ます」

 そう告げて、珠瀬は中央発令室を後にして行った。その姿を見送ってから、香月はさて、と一息つく。

(―――後は鎧衣課長と殿下、それから白銀と三神次第って所ね。細々とした根回しはあたしがするとして―――司令達には、ネズミの駆除でもしてもらおうかしら)

 証拠の類は至る所にハッキングして山程集めた。量が量、更には機密も絡んでいたので軍法会議に掛ければ間違いなく銃殺ものだ。香月にとっては間諜などどうなろうと知った事ではないし、コソコソされるのもいい加減鬱陶しいので、これを機に一掃してしまう。
 次に入ってくる補充要員は、きちんとリーディングで精査しよう。

(―――さぁ、面白くなってきたわねぇ………)

 童女のようにニコニコと笑みを深くして我知らず舌なめずりする香月に、それを横目で見ていたラダビノットは何処か薄ら寒いものを感じたのだった。






 同6時13分。

 帝都城にある一室―――普段悠陽が使っている部屋に、御剣はいた。その身に纏うのは国連の制服ではなく、政威大将軍が纏うべき白の衣と金の簪。立ち鏡を見てみたが、確かに一見では偽物と見抜けないほどだった。

(―――まさか、本当にこのようなことが起きるとは………)

 ほんの一時間前に叩き起され、クーデターが発生したことを知った御剣は部屋の窓から外を見る。帝都城を包囲する烈士の文字を刻んだ戦術機群と、それに対峙する四色様々な斯衛の戦術機群。
 状況としては膠着状態だ。
 昨日、姉と再会した御剣は本人からクーデターが起こることを告げられた。そしてそれを無血で終わらせる為に独自行動を取るので、入れ替わってほしいと頼まれたのだ。
 だからこそ、姉が健在でいる限りはもう一生足を踏み入れることはないだろうと思っていた場所に、御剣はいるのである。
 ―――と、廊下から人の気配がした。

「よぉ、久し振りだな」
「い、斑鳩………殿!?」

 無遠慮に部屋に入り声を掛けてきたのは強化装備を身に纏った五摂家当主―――斑鳩昴だった。そして口にしてしまってから気付く。悠陽は彼を前にして普段どんな反応をしていたのだろうか、今の対応で間違ってはいなかっただろうかと。
 しかし、狼狽する御剣とは対照的に、斑鳩自身はカラカラと笑って手を振った。

「ああ気にすんなよ、冥夜ちゃん。俺も『こっち側』だからよ。今は誰もいないし、前みたいに下の名前でいいよ」

 かつて呼ばれていた自分の愛称と『こっち側』という言葉に、御剣は少しだけ安堵する。少なくとも、彼は御剣と悠陽が入れ替わっていることを知っている立場らしい。 
 だから御剣は軽く首部を下げて挨拶する。

「―――お久しぶりです、昴殿」
「おぉ、元気にしてたか?まぁ、迎撃戦に出てたことは知ってたから、元気にやってただろうけどさ」

 そして彼は、さて、と前置きを入れてこう尋ねた。

「念の為に聞くけど、冥夜ちゃん―――いや、政威大将軍の支持を仰ぎに来た奴はいるか?」
「―――一度、だけ………」

 斑鳩の尋ねに、御剣は目を伏せて答える。問いかけた斑鳩自身も分かっていたのか、だろうなと小さく頷いた。
 クーデターが勃発して直ぐに御剣―――いや、政威大将軍煌武院悠陽にお伺いを立てに来たが、それも一度だけ。その時、御剣は悠陽に指示されたとおり、戦闘は避けるようにと厳命したが―――それだけだ。
 以降は音沙汰が無いし、御剣も動きがあるまでは現状待機を指示されているので動かなかった。
 だが―――。

(―――これが、姉上が背負っている重荷なのか………)

 政威大将軍―――その力が形骸化していることは公然の秘密だ。無論、御剣とてそれは理解していた。いや―――理解した気になっていた。だからこそ、実際にこうした場所に立たされて初めて分かったのだ。
 国の一大事だというのに、本来ならばその権限を持ち合わせているというのに、何も出来ないこの無力感。この歯がゆさ。
 

(姉上はずっと、こんな無力感を感じておられたのか………!)

 国を背負う覚悟があっても、力が伴わなければ意味を成さない。それを今、痛いほどに御剣は痛感していた。
 身代わりであっても彼女も悠陽と同じ血筋。ならばこそ、この現状を口惜しく思って歯噛みする彼女の肩を、斑鳩はそっと叩いた。

「―――それが、今のあの娘が立たされている現状さ。政威大将軍なんてのは所詮お飾り。こんな時であっても定型通りの対応しかされねぇし、本人も大部分の権限を取り上げられているから必要『以下』の動きしかできねぇ。だけどよ、見てな………」

 そして彼は一度そこで言葉を切ると、窓の外、睨み合いが続く戦術機群を通り越して横浜の地を見据えた。

「―――今からそれを、あの娘自身がブチ壊しに来るぜ?」







 同6時17分。

 ヴァルキリーズの様子を見に行くべく、ブリーフィングルームへと向かう三神は腕を組み、自身の思考に没頭していた。
 考えているのは、実はクーデターのことではない。
 昨日の昼頃から、三神は妙な焦燥感に駆られていた。また例のごとく因果律のイレギュラーが始まったのかと思ったが、それほどの緊張感は無い。しかし見過ごしてはならないと何故か本能のレベルで警鐘を鳴らし続け、結局今日に至ってしまった。
 一体何があるのか―――と通路を歩いていると、壁に設置された掲示板に目が止まる。幾つかのポスターと一緒に、そこにはカレンダーが掛けられており、しかし未だ11月のページになっていた。
 やれやれ今はもう12月だぞ、と嘆息付きながら1ページ捲ってやると、何故か今日の日付―――12月4日に目が止まった。

(―――はて、12月4日………じゅうにがつよっか………ジュウニガツヨッカ………)

 首を傾げ、12月4日について記憶を探っていると―――。

(―――12月、4日………っ!?)

 そして、三神に電流走る。

「―――って、あぁっ!?今日は祷子の誕生日じゃないか………!!」

 かくして水面下で様々な動きを見せつつ、状況は激突へ向かって緩やかに推移していく―――。






[24527] Muv-Luv Interfering 第三十九章 ~散逸の収束~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/06/12 08:59
 12月4日

 ―――同日7時35分。

 帝都城を包囲した決起部隊は、それを守護する斯衛と睨み合いを続けていた。しかしながら一瞬足りとも気が抜けないのかと問われれば、実の所そうではない。何しろ、向こうからもこちらからも正面切っては手が出せない状況だ。
 決起部隊を指揮する沙霧尚哉は数分前にジャックした放送局経由で日本全土に演説を行い、この現場へと向かっている最中であり、到着するまで待機するように厳命されている。斯衛の方も城内に殿下はいるものの、その性格からして自国民への攻撃指示など出すはずもなく、正当防衛が確立されない限りは手を出してくることはない。
 事態はいよいよ膠着状態へとなりつつあったが、それでも決起部隊の一部は比較的和やかな雰囲気であった。その理由としては―――。

「―――にしても、思った以上にスムーズに行ったなぁ………」
『そうですねぇ。風は完全にこちらに有りって奴ですね』

 左翼を任されている中隊の隊長が呟くと、副隊長も頷いた。現在の状況としては膠着状態ではあるものの、ここまでに至る経緯は悪くない。むしろ、目立ったイレギュラーも無く、全て計画通りに事が進んでいる。帝都を戦火に巻き込めないと誰もが考える以上、『何処かの馬鹿が暴発しない』限り、この状況は続き、やがてはこちらの言葉を将軍殿下は聞き入れざるを得なくなる。
 本来、籠城側のほうが遥かに有利ではあるが、主要機関をこちらが押さえてしまっている以上、臣民の生活を念頭に置けばこちらの言葉を聞いてしまったほうが早く事が済む。その上、決起側がまだ一人の犠牲も出していないのが最大の盾となっている。今の状態で決起部隊に手を出してしまえば、逆に決起部隊には大義名分が出来る。
 だからこそ、しばらくはこのまま動きはないだろう、とその隊長は考えた。

「こりゃ何の心配もいらねーかな。にしても、斯衛の連中も朝から俺等に付き合って大変だねぇ………」
『何を馬鹿な事言ってるんですか!』

 皮肉げに呟く隊長に、隊員の一人が酷い剣幕で隊長を非難する。

『斯衛に同情なんかしちゃいけません!いいですか?良く考えてください隊長。あいつら斯衛は―――』

 そしてその隊員は一度言葉を溜めた後、カッと目を見開いてこう告げた。

『いつもいつもあの殿下から命令もらってるんですよっ!俺達はむさいオッサンからの命令しか来ないのに………!!』
『―――なん………だと………!?』

 その驚愕の事実に中隊全員が絶句し、隊長は管制ユニットのスティクに拳を叩きつけた。

「くそっ!そう言えばそうじゃないか!斯衛は殿下の直轄なんだから!なんて羨ま………いや羨まし………もとい羨ましいんだ!!俺も迎撃戦の時のように殿下に命令されたいっ………!こう、服従のポーズ取っているとこで冷ややかな目線でズビシっと………!!」
『―――隊長のそういう素直なところ、割と他の隊の女どもに好評のようですよ?』
「え?本当か?いやぁ、お、俺独身だからな!?ちゃんとそう言っておけよ?」
『えぇ―――好評なのは嘘ですけど。その上そんな特殊性癖もってたら婿の貰い手もう無いですよねぇ』

 ムカついたのでIFF外してロックオンしてやった。

『冗句冗句日本式冗句ですよ隊長敢えて言うなら超冗句。―――怒っちゃ、めっ!』
「なぁ、お前等、斯衛に今から銃が暴発してウチの機体の一機が爆散しますが気にしないで下さいって言っておいてくれないか?あぁ、安心しろ。―――一発で仕留めるから」
『た、隊長?目が座ってますよ?』
「はっはっは。当たり前だコノヤロウ。純情なオトコゴコロを弄ばれて俺の怒りゲージは三本超えて激憤状態だ。―――敢えて言うなら超激憤」

 取り敢えず、戦術機同士でじゃれ合うぐらいには余裕のある決起部隊であった。







 同8時47分。

「―――何、だと………?」

 相模湾沖に展開した米国軍第7艦隊の内の一隻―――戦術機母艦セオドア・ルーズベルトの艦橋でその報告を聞いた時、ローレン=ターナー中佐は我が耳を疑った。
 横浜国連基地が米軍の受け入れを事実上拒否してから、すぐさま安保理の緊急会議が開かれ、比較的迅速に要請が国連内で受理された。そして、メッセンジャーである珠瀬事務次官はその内容を伝えるべく第7艦隊へとやってきていた。確かに、そこまでは問題はなかった。しかしそれを横浜基地へと伝える段階になって問題が起こったのだ。
 即ち―――。

「ですから、珠瀬事務次官は『ボート』で横浜基地へ向かい、その後『車』で仙台臨時政府へ向かうと」
「馬鹿なっ!何故ヘリを使わないのだ!!」

 そのあまりの非常識な行動に思わず声を荒げるターナーだが、既に出て行ってしまっているようで、所謂後の祭りというやつである。その上、強制的にヘリに載せようとしたら『ほっほっほ、君達は国連所属の私の身柄を確保できる程偉いのかね?』とか脅迫まがいの台詞まで吐いていたらしい。

「そ、それが、どうも高所恐怖症のようでして………」
「こっちに来たときはヘリを使っていただろうが!!」
「我慢の限界、と申しておりました………」

 思わずF言葉を胸中で吐き出すターナーを余所に、状況はゆったりと動いていく。







 同9時19分。

 仙台臨時政府本部が設置された宮城県庁を離れること数キロ。今は使われていない廃ビルの一室に大柄なトレンチコート姿の男が一人いた。打ちっ放しのコンクリート部屋の片隅に、長机を配置し、そこに無線機の類を載せ、それを前にパイプ椅子に腰掛けているその大男の名は鎧衣左近。腕を組み、瞼を伏せて彼はただひたすらに時を待つ。
 そして―――部屋の積み重なった埃を震わせるように雑音混じりの無線が入る。

『―――課長。潜入強襲班の配置、完了しました』
「ご苦労。指示があるまで待機するように。―――ここからは待ち時間の方が長いだろうから、その辺を留意するようにしてやってくれ」

 素早く指示を下し、鎧衣は状況の進捗状況を脳内で整理する。

(―――さて、と。これで仕込みは整った。後は動きがあるまではゆっくり出来る、か………)

 今回の仕込みに関しての最大の問題点は、何にしても時間だった。
 白銀と三神から齎された未来情報によれば、前回と同じように宮城県庁に仙台臨時政府が設置される予定で、事実その通りになったが、最初からその為の人員を仕込んでいると彼等に感づかれる可能性があったのだ。
 無論、ただ制圧するだけならば少数精鋭を最初から仕込んでおくだけでも何ら問題はないのだが、今回は悠陽の意向によって無血が望まれている。それを果たすためにはどうしても人数がいるのだ。
 では、感づかれずにそれなりの人数を仕込むにはどうすればいいか―――。

(木を隠すならば森の中。そして人を隠すならば、人の中………)

 仙台臨時政府が設置されれば当然、そこに要人が集い、それを警備するために人が動く。故に、鎧衣は悠陽の特命状を以て情報省の実働部隊を殆どを動かして配置することにしたのである。
 一番の問題は、配置するまでの時間―――個人認証の偽装やら何やらで、情報省の十八番とは言え、人数が人数のため時間がかかるのだ―――だったのだが、それは上手く珠瀬事務次官が稼いでくれたようだ。加え、珠瀬の到着が遅れるだけで注意はそちらに削がれ、こちらの仕込みは格段にやり易くなった。

(―――後は、殿下次第ですよ………)

 口内で言葉を転がして、鎧衣は再び瞼を伏せた。状況が激動するまでもう少し掛かる。それまで仮眠を取っておくために―――。







 同10時21分。

 三神と香月から状況の説明を受けたヴァルキリーズは、自機の着座調整を終えた後、兵装関係で整備部と折衝を行っている伊隅と式王子を除いてブリーフィングルームで談話していた。
 本来ならば、母国がこのような状況になっている中で談笑など出来るはずもない。場合に拠っては、同じ国民同士で殺し合わねばらないのだから。それでもこうして談笑しているのは、今日という日が彼女達にとっては別の意味で特別であるためだった。

「しかし―――とんだ誕生日になってしまったな、祷子」
「ええ。でも、こればかりは仕方ないですわ」

 12月4日―――つまり、本日を以て19を数えることになった風間祷子は苦笑で宗像に応えた。状況が状況だけに大っぴらには祝えないものの、ならばせめて仲間内でだけでも祝辞を送ろうと風間を取り囲んでいたのだが―――涼宮遙の思わぬ一言に、徐々に話がズレていく事となった。

「そう言えば、風間中尉。少佐からは何か貰ったの?」
「え―――?」
「あ!私も気になります!少佐って煙草にしかお給料使いそうにないから、結構持ってそうですよねー?」

 硬直する風間に、高原が便乗する。

「あ、いや、その………少佐は、私の誕生日は知らないかと」
「あの人のことだから、こっそり用意してるんじゃないですか?」

 麻倉の促しに風間はどうだろうか、と考えてみるが、答えは出ない。
 最近ずっと行動を共にしていたためか、ある程度の予測は効くようになっては来たが、あの上官は時々常識を遥か後方に置き去りにしてエクストリーム入るから油断ならない。緊急停止用の突っ込み技を体得したものの、時々あのノリに着いていけない時があるのだ。
 そんな風にして思考の迷宮に足を踏み入れかけていると、宗像がふと思いついたように提案してきた。

「それか直接言ってみたらどうだ?―――今日私の誕生日なんですけど、と」
「美冴さん、そんな催促するみたいに………」

 おろおろと困惑する風間に、今度は速瀬が燃料を投下した。

「って言うかさ、前から聞いてみたかったんだけど、風間は少佐のことどう思ってるわけ?」
「あ、それ聞いてみたいかも。仕事とは言えここ最近ずっと一緒にいるから、ひょっとして………」
「―――恋慕?」

 七瀬の言葉尻を掴んだ紫藤の一言に、女性陣はきゃーっと黄色い声を上げた。
 すると流石にそこは歳若い乙女と言うべきか、それとも普段こうした話題に飢えているいるためか、あっという間に波及していき、完全に肴にされてしまった。割とこういう事態に免疫のない風間としては、元凶となった速瀬をじっと見つめることで事態収拾を促すことにする。

「―――速瀬中尉?」

 瞬間、速瀬の背筋に悪寒が走る。ぎぎぎ、と錆びついた機械のように声の方を向くと、にっこりと笑いながら背後に般若の幻影を浮かべる風間がいた。何も言ってないのに、ただ笑っているだけなのに、速瀬にはこう聞こえた。『あまりオイタが過ぎますと、どうなるか分かってますよね?』と。それが何処か親友の暗黒モードに近いものがあることに気づいた速瀬は硬直。やがて熊でも圧倒しそうな眼力を真正面から受けた彼女の顔につぅ、と一筋の汗が流れ、時間を置くたびにそれが加速していき、最後には滝になった。

「―――~~~っ!さぁあんた達!ここは宗像に任せてあたし達はもういっぺん着座調整しとくわよっ!!」
『ええ~っ?』
「いいから………!ほんとお願いだから………!ね?後で何か奢るから………!ほら遙!遙も手伝って………!!」
「はいはい、全くもぅ。水月はしょうがないんだから………」

 声を重ねてブーイングする新任達を親友と一緒に抑えこみ、速瀬はそそくさとブリーフィングルームを後にして行った。
 そして、残された宗像は風間に向き直って。

「―――で?どうなんだ?実際」
「美冴さんも結構直球ですわね………」
「割と気になるからな」

 完全に他人事だと言わんばかりにふんぞり返る彼女に、風間は諦めたように吐息して思考を纏めてみた。

「どう、なんでしょうね?何と言うか………歳の離れた兄か、年の近い父、と言ったところでしょうか。少佐の近くにいると、何だか安心『は』するんです。呼吸があっているというか波長があっているというか………。確かに、今までにはいないタイプの男性かもしれませんけど、でも美冴さんの言うような気持ちとはまた違うんですよね」

 異性、というよりは家族というべきか。風間にしてみれば、新鮮味よりもどこか安堵感のほうがあるのだ。
 ―――まぁ、渦中の本人からしてみれば、『前の世界』で本当に家族だったのだから、呼吸を読めて当たり前なのだが。

「ふむ………でも、だったら案外危険かもしれませんね?」

 ―――と、まるで始めからそこにいたように柏木が口を挟んだ。宗像と風間が驚いて視線をそちらにやれば、皆と一緒に速瀬に連れ去られていったはずの柏木が、いつの間にか先程と同じ席に座っていた。

「柏木………お前、速瀬中尉に連れて行かれたんじゃないのか?」
「こっそり抜け出しました。それに大体―――」

 明言こそしなかったものの、その口の形は確かに『こんな面白そうなこと見過ごせると思いますか?』と雄弁に物語っていた。それを仕方のない奴だ、と思いつつも宗像は疑問を投げ掛けた。

「―――で?何が危険なんだ?」
「少佐ですよ。ああ見えて、意外と優良物件ですからね。あんまり放ったらかしにしておくと、誰かに取られちゃうかも」
「その心は?」
「衛士としては最近負け越してるけど『あの』白銀中尉と並び立てる程。若くして佐官で将来有望―――命令違反とか平気でして降格とかしそうですけど。顔は………まぁ、あの顎の無精ひげと中途半端に伸ばした髪さえ何とかすれば、多分見れなくはない。性格も普段のあのエキセントリックな言動さえ除けば悪くは無いと思いますし、何よりいいお父さんになりそうなんですよね~………ほら、社少尉を溺愛してますし。―――幼女偏愛者という可能性もなきにしもあらずですが」
「ほほぅ、いちいち全部にオチが付くところまで語るとはなかなか見る所を見ているな………実は少佐狙いか?」
「う~ん………悪くはないですけど、狙うなら白銀中尉ですかね。見てて飽きないってのは少佐と一緒ですけど、歳が近い分彼の方が気安いですから」
「だが白銀には鑑がいるぞ?」
「あははは、本当に好きになったら、私は愛人でも構いませんよ?―――むしろそっちの方が刺激的?」
「お、大人なのね………。柏木少尉は………」

 割り切ってるだけですよ、と柏木は苦笑すると話を戻す。

「まぁ、私のことは置いておくとして、香月副司令とかピアティフ中尉とか結構ウチ以外にも綺麗どころはいますからねぇ………そういう意味で、危ないんじゃないかと」

 どうですかね、と尋ねる柏木の言葉は風間の耳には既に入らず、彼女は思考の渦に埋没していた。

(で、でも香月副司令は年下に興味はないって仰ってましたし………あ、でも、少佐は歳相応に見えないし、むしろちょっと老けてるような………そう言えばこの間ピアティフ中尉と仲良さそうに話してましたっけ中身は仕事の話でしたけど………あぁそう言えば他にも―――)

 俯きがちに無言で熟考する風間を遠巻きにして、宗像と柏木の二人は顔を見合わせて苦笑した。

「―――おぉ、祷子が思考の迷路に入った」
「あはは、これは意外と脈アリかもしれませんねー。―――で?先程私の好みを聞いてきた宗像中尉の方こそどうなんです?」
「―――しまった。藪蛇だったか………」

 後輩に手痛い反撃を食らって、宗像は顔を顰めるのだった。







 同午後12時56分。

 ハンガーへと向かう通路を歩きつつ、三神は対風間誕生日対策を立てていた。
 即ち―――。

(―――よくよく考えてみれば、今の私と祷子は赤の他人なのだから、そう気を遣わなくてもいいじゃないか。むしろ妙な気を遣って変なフラグ建ててしまった方が後々困る。だったら、ここはスルーしたほうが安全だな)

 思いも寄らぬ所からの衝撃に右往左往した三神ではあるが、状況を整理すると普段どおりに振る舞えるようになった。
 何故こうも彼が慌てたのかというと―――『前の世界』での事だ。
 一度だけ、彼女の誕生日を物の見事に忘れたことがある。無論、三神にも事情があり、その前後に地球最後のハイヴ攻略戦があったのだ。その頃になると各国の戦力も大分復旧しており、ハイヴ攻略戦自体よりもむしろ各国との折衝の方が大変だった。何しろ人工的にG元素を作れるようになったとは言うものの、それは横浜が―――正確には香月が独占している状態であり、お題目を掲げて真正面からG元素を入手できる機会はそのハイヴ攻略戦を於いて他になかった為である。
 他国よりも一歩リードしておきたい各国は挙ってその攻略戦に参加することを表明し、結果としてフェイズ5に育ったウラリスクハイヴに地球のほぼ全戦力を投入することとなったのだが―――その影響で、三神は交渉役としても戦前戦中戦後と西に東に駆けずり回ることとなってしまったのである。
 まぁそんな事もあってか、当時付き合っていたのにも関わらずころっと12月4日の事をすっかり忘れてしまったのだが、彼にとって真の恐怖はそこからだった。
 ―――一週間程、口を利いてくれなかったのである。
 例えば、これが別の部隊であったならばまだよかっただろう。しかし風間とは同じA-01。加えてその時も補佐官だった為に一緒にいることが多かった。そんな中で―――無言の圧力。仕事中、こちらが何か用があっても返事をせずに淡々と要求に応え、黙々と自分の仕事『だけ』をこなしていく。プライベートで話しかけても当然無視。これにはさしもの彼も三日で心が折れた。
 これ以降、『誕生日』という単語に過剰反応するようになってしまい、先程もそれを思い出して大いに慌てる結果になったのだが、今回は事情が違うと理性が思い至り、落ち着きを取り戻せたのであった。

(ま、まぁトラウマを思い出すのはここまでにして、だ。―――さて、何はともあれ米軍だ。他部隊は別行動だからいいとして、A-01と207B分隊は彼等と行動を共にするからな………指揮権を取られないように注意しなければ)

 『こちら』の予定通り、国連は8時過ぎに安保理の承認を以て米軍の受け入れを決定した。しかしながら、その書類を持って来るべき珠瀬が時間を稼いだ影響で、実質的に米軍が横浜入り出来たのは12時過ぎだ。
 三神は軽快に軍靴を鳴らして米軍のために整理したハンガーに入る。ただっ広いハンガーを見回してみると、F-15やF-16等の米国産戦術機がガントリーに収められており、三神はある一画―――F-22が収められたガントリーに視線を留めた。その足元で何やら話し合っている二人の米国兵士を見つけ、近寄っていく。
 『前の世界』で得た情報と照らし合わせながら、一人目を確認。金髪の大柄な男性―――軍装の階級章は少佐。顔も資料で見たことがある。だからあれは間違いなく―――。

(アルフレッド=ウォーケン少佐と―――誰だ………?)

 そのウォーケンと話し込んでいる、壮年の白人男性に視線をやるが、記憶になかった。階級章を見ると中佐。軍装はアメリカ国軍のものなので、おそらくはウォーケンの上司だろうが、少なくとも『前の世界』で見た資料の中には無い顔だった。
 ここで待っていても仕方ないので、三神は声を掛けてみることにした。

「―――失礼。そちらは第66戦術機甲大隊の指揮官でよろしいだろうか?」
「―――君は?」

 すると、壮年の男性の方が訝しげにこちらを見た。三神はそれを受けると踵を揃え、最敬礼で応じる。

「私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属特殊教導隊隊長三神庄司少佐であります。第二次進軍で、そちらと組むことになるので、ご挨拶に、と」
「………グアム準州アンダーセン基地所属ローレン=ターナー中佐だ。今回に限り第66戦術機甲大隊の指揮を任されている」

 三神の名乗りに壮年の男性―――ターナーは答礼で返す。

(―――やはり覚えがないな。少なくとも第66戦術機甲大隊の指揮官はウォーケン少佐だった。となるとこのターナー中佐とやらは米国上層部からの回し者………そして、今回のイレギュラーか)

 ならば現場に出たときに一番気をつけるべきは彼だな、と三神が相手をそう認定していると、ターナーは目を細めて警戒心を露にした。

「―――どうかしたか?」
「いえ、何でもありません。―――米国の新鋭機が珍しいだけですよ」
「ふん………ウォーケン少佐。後のことは頼む。私は自分の機体の所へ行っている。―――国連の連中に我が国の新鋭機をいじくり回されてはたまらんからな」

 適当に誤魔化すと、ターナーはそう捨ておいて自機の方へと歩いて行った。すると、入れ替わるようにウォーケンが口を開く。

「あまり、気を悪くしないでくれ。普段はもう少し気さくな人なんだが………今日は少し神経が尖っていてな」
「―――君は………?」

 『前の世界』での資料などで分かってはいるが、敢えて惚けつつそう尋ねた。

「これは失礼をした。私の名はアルフレッド=ウォーケン少佐だ。先のターナー中佐と同じくアンダーセン基地所属で―――第66戦術機甲大隊の本来の指揮官でもある」
「三神庄司少佐だ。今も言ったようにこの基地にある特殊教導隊の隊長を務めている。―――互いに中間管理職は辛いものだね?」
「だが命令である以上、軍人はそれに従うべきだ」

 今しがた上官の非礼もあったためか、ウォーケンは敬礼よりも握手を選び、三神もそれで応じた。精悍な顔立ちをしているウォーケンだが、上層部の意向により微妙な立場に立たされている故か、若干の疲労が滲み出ていた。
 それでも口には出さず、軍人たろうとするその姿勢に妙な好感を覚えた三神は彼を気遣ってこんな提案をしてみることにする。

「―――ふむ、ではウォーケン少佐。私が気晴らしがてら基地を案内しようか」







 同14時12分。

 一通り基地の案内を終えたところで、そろそろニコチンを身体が欲していることに気づいた三神は、ウォーケンと共に屋上へと移動した。
 そこでとある二人と鉢合わせた。

「―――白銀中尉と………御剣訓練兵」
「あ、庄………三神少佐!」

 フェンスに背を預けて何事か話していたのは白銀と御剣―――と入れ替わっている悠陽だった。彼等はこちらに気づくといつものように接しようとして、しかしウォーケンの姿を認めると慌てて敬礼を送った。
 三神とウォーケンはそれに答礼で応え、疑問を投げ掛けた。

「どうしたのかね?こんな所で」
「いえ、自分も殿………御剣訓練兵もやはり気になりまして、気晴らしに」
「そうか………。ウォーケン少佐。この二人は私の部下の白銀武中尉と、衛士訓練兵の御剣冥夜訓練兵だ。二人とも、こちらは―――」
「私は米国陸軍第66戦術機甲大隊のアルフレッド=ウォーケン少佐だ」

 三神がそこで言葉を区切ると、ウォーケンは頷いて自分で名を名乗った。そして、彼は重ねるようにこう尋ねる。

「―――今しがた言っていた気になる、とはやはり私達米軍のことだろうか?」
「―――いえ、この国の行く末、でしょうか。私も白銀中尉も、そして三神少佐も日本人ですから」

 その問に応えたのは白銀ではなく悠陽だった。瞼を閉じ、何かを耐えるようにしながらも、彼女は意を決したように尋ねた。

「愚かだ、と思われますか?ハイヴを自国に抱え込んでいるのにも関わらず、身内で争う日本人を」
「―――誤解されるのを覚悟で言えば………確かにそうだな。今の人類に人間同士で争っている余裕はない。このような茶番は、早急に終わらせるべきだ」

 それに対し、ウォーケンは一切の慰めも誤魔化しも妥協も無く、率直に意見を述べた。
 国の防人―――即ち、軍人としての常識に当てはめてみれば、今回の一件は度し難いものがある。これがもしも平時であればそうは思わなかったかもしれないが、現状の日本は仮にも前線国家である。極東戦線の瓦解が世界の破滅を招きかねない事を鑑みれば、平静ではいられないだろう。
 しかしウォーケンは一通りの批判をした後で、こう続けた。

「だが、何処にでも、そして誰にでもそれぞれの正義があるように、全ての日本人が愚かなわけではないだろう。―――日本人の中にも、賢明な人間もいると、私はそう思いたい」
「………。誤魔化すこともなく、正直なご返答をありがとうございますウォーケン少佐。他国の方からそう言われるのであれば、この国もまだまだ捨てたものではないのかもしれませんね」

 小さく笑って、悠陽は心からこの異国の来訪者に謝辞を述べる。

「―――きっと皆、不安なだけなのです。何が正しくて、何が間違っているのか判らなくなるぐらいに。ですがそれは、誰にでもあるもの。勿論私にもありましたし、きっと今でも心の奥底にあります。ですが―――」

 だが―――。

「―――それを呑み込んで一歩前に踏み出す勇気を持てば、人も国も、何かに縋って願うだけでいるよりは、いい方向に変わっていけると………そう思うのです」

 今の自分が、かつての自分を乗り越えた先にあることを知る彼女は、柔らかい微笑を残して白銀と共に去っていった。
 その姿を見送って、半ば呆けていたウォーケンがポツリとこう漏らした。

「―――可憐だ………」
「ウォーケン少佐?」

 三神の問い掛けにも反応しないので、彼は一思案した後、自分の予測が正しいか否か確かめるべく幾つかの単語を並び立てることにした。

「―――黒髪ロング」

 ぴくり、とウォーケンの身体が反応した。

「―――色白巨乳」

 ぎぎぎ、とウォーケンの首がこちらを向く。

「―――大和撫子」

 がっくりとウォーケンが項垂れた。

「成程、君の嗜好はよく分かった。―――イイ趣味をしていると判断する」
「ぐ、む………最早言い訳はしない。だがこの事は皆には………」
「安心するといい。私も男だし、母国の女性をそのように高く評価してもらえると少し誇らしく思える。―――口外はしないと誓おう」
「そ、そうか………」

 己の威厳を保てたためか、妙に安堵するウォーケンに、三神はさらなる追撃をすべく一枚の写真を取り出して項垂れる彼の視線の高さに合わせた。

「では誓約の証としてこんな物を進呈しよう。―――今朝方出来上がってきたものだ」
「こ、これは………!」

 それを手に取り、ウォーケンは驚愕に打ち震える。
 そこには、銀髪の少女を後ろから抱き竦める悠陽の姿があった。まるでお気に入りのぬいぐるみでも抱き締めるかのように恍惚―――もとい、ご満悦な表情を浮かべて。

「ふふふ、私が実の娘のように可愛がっている少女が一緒に映っているものの、今の君には垂涎の逸品だろう?」
「こ、こんな物を、一体どうやって………?」
「被写体の許可は取ったし、カメラもあったからね。問題なのは基地の外に出ないと現像が出来ないのだが―――知り合いに、腕のいい現像屋がいてね」







 同時刻―――。

「―――っへぷち………!」
「どうした?式王子」
「今、ししょーに呼ばれたような………」
「馬鹿な事言ってないで、さっさと出撃テーブルを確認するぞ」
「あぁっ!?待ってよいーちゃん!!」

 腕の良い現像屋は、伊隅にこき使われていた。








 同16時27分。

 宮城県石巻市にある籠峰山の中腹辺りに12機の戦術機が潜伏していた。
 対BETA戦兵器である戦術機を隠匿させる方法など、何処の軍に行っても習わないが、一般兵とは言えない経歴からハーモン=アーサー=ウィルトンはその方法を学び取っていた。全高20m近くある戦術機を隠すのは色々と方法があるが、道具も使わずに手早く済ませるならば森の中にしゃがませるのが一番手っ取り早い。背の高い木々ならばどうにか頭は隠せるし、状況と塗装次第ではそれだけで意外と人の目をごまかせる。
 他にも色々と細かいテクニックはあるが少なくともここに長居はする気はないので、それ以上の隠蔽工作はせず、ハーモンは管制ユニットの中で一息付いていた。
 舌で唇を湿らせていると、網膜投影の端、F-14F専用のウィンドウに文字が浮き出てきた。

『―――しかしハーモン。現在内乱状態にあるとは言え、あまりにも湾岸側の警備が薄くはないだろうか?』

 声は無い。しかしその文面には確かに明確な意志があり、内容も理性的なものだった。
 フェシカ―――。
 このF-14Fに搭載されているA.Iで、本来は特殊装備専用制御回路なのだが、どういう訳か妙に人間らしい反応を示し、ハーモンがこの機体に乗るようになってからは執拗にコミニュケーションを迫るようになった。作り手たるエイプリルの言を借りれば『成長した』とのことだが、本人に問えば『人間に興味を覚えた』と返ってくる。
 いずれにしても、妙にオカルトじみている感は否めない。まぁ、ハーモン個人としては、こうした待機中に暇にはならないからそれでも構わないのだが。

「どうだろうな。ある程度の手回しはしてあるってデボンは言ってたし………それに、北にハイヴがある以上、日本海側の戦力を必要以上に割くことは出来ないだろうし―――それ以上に横浜の方に本隊が行ってるからな。そっちの警戒もしなきゃならんことを考えると、割と妥当なんじゃないか?」
『だが―――』
「まぁいいじゃないか。お陰で俺達は無事密入国出来た訳だしな」

 二日前にアメリカを経ち、アブラ海軍基地に寄ってからタンカーに偽装した戦術機母艦に乗り込んだハーモンと彼が率いる即席中隊は、順調に日本の領海付近へと接近し、決起の混乱に乗じて機体ごと入国した。
 無論、これが平時であれば入国どころか領海に接近するだけでも警戒されそうなものだが、今の日本は上も下も大慌ての状況だ。その隙を突くような形で潜入したのだが―――正直な所、こうまで上手く行くとはハーモン自身思ってはいなかった。
 それはフェシカも同じだったようで、しかし既に終わったことと割り切っているハーモンとは違って、その辺は機械らしくこの不明瞭な状況をよく思っていないらしい。

『ハーモン。君はいつも楽観的すぎる。そしてその結果主義をどうにかした方がいい。物事はもう少し慎重にだな………』

 と前置きを置いてひたすら長文がポップウィンドウに浮き上がってくる。内容は全て姑のような小言だった。

「だぁっ!もう喧しい!何だってお前はいつもいつもそう小言臭いんだっ!?」
『それは違う。君が無鉄砲すぎるんだ。大体だな―――』

 等とここ最近は日常になりつつある口喧嘩をしていると、副隊長から秘匿回線経由で通信が入った。

「―――おう、どうした?」
『国連軍が進軍を始めました。―――そろそろのようですぜ?』
「はいよ。―――じゃぁ、お前等は指定ポイントで待機してろよ。出来るだけ俺一人でやってはみるが、どうしようもなくなったら頼らせてもらう」
『はい。これも仕事ですから、遠慮なく頼ってくれて構いませんぜ』

 ヤバくなったらそうさせてもらうさ、とハーモンは伝えると通信を切り主機に火を入れる。電装系が徐々にユニット内を照らしていき、腹に響く稼動音が気持ちを高揚させる。
 それを心地良く思いながら、ハーモンは相棒に声を掛けた。

「さぁ、フェシカ。やっと俺達の出番のようだぜ?―――準備はいいか?」
『やれやれ、ハーモン。君は誰に向かってその質問を投げているのかを、もう一度よく考えたほうがいい。私はフェシカだ。〈Felis silvestris catus〉は犬じゃない。そう、猫〈Fe.Si.Ca〉は猫〈フェシカ〉で犬じゃないんだ。ならばお手も待ても伏せも不要。―――故に私は誰の命令が無くとも主人である君の為に在ろう』
「はっ、上等だ。まぁ尤も、状況次第では手は出さないし、出しても一当して全速力でブッチ切るから、本気を出す暇はないだろうけどな………!」

 しゃがんだ態勢から、漆黒の機体が立ち上がる。頭部の紅い単眼を幽鬼のように左右に揺らし、騎馬を駆る者が表舞台へと走り出す。

「―――ナイト01より各機へ。これより、この茶番に介入する………!!」
『―――了解っ………!!』

 そして、更なる混乱を齎すものが日本の空を舞う。






 同17時8分。

 アメリカ合衆国大統領、ジョンソン=マルチネスは自分の執務室にある大型モニターに映る映像に釘付けになっていた。映されているのは、国連軍機の中に混じった自国の最新鋭機F-22の混成軍と日本の決起部隊との睨み合いの様子だった。

「―――それは、どういう事だね?Miss.香月」
『あら?もう一度言ったほうがよろしいですか?』

 白い受話器を耳に当て、それを砕きそうなほど握り締め、ジョンソンは平静を装いつつ極東の魔女と畏怖される女性の声を聞く。

『折角ですから、この茶番を生放送で見せて差し上げますわ。―――各国のお偉いさんに、ね?』






 同17時12分。

「な、何者だ貴様等………!」

 宮城県庁に設置した仙台臨時政府の会室に、武装した黒ずくめの男達が乱入し、即座に制圧した。困惑する高官達に、答えるように男達を割って一人の大男がゆったりとした動作で現れる。
 そしてそのトレンチコート姿の大男は室内だというのに帽子を目深に被ってこう嘯いた。

「なぁに、通りすがりの国家公務員ですよ。―――生憎と、単身赴任ではございませんが」





 仕込みの時間が終わり、収束の時間が始まる。
 平定を望む者と、簒奪を望む者と。
 茶番を望む者と、混乱を望む者と。
 様々な思惑を孕み、舞台は激突の主戦場へと移っていく―――。





[24527] Muv-Luv Interfering 第四十章   ~選択の信念~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/06/20 03:07
 12月4日

 ―――同日17時21分。

 香月夕呼は執務室で暗い笑みを浮かべつつ、状況の推移を脳裏で整理していた。
 既に横浜基地から米国との混成軍が第三陣まで出撃している。第一陣で出撃させた涼宮遙の指揮車両を中継器として、現場の様子を香月は探る。第二陣として出撃し、帝都に到着したヴァルキリーズの網膜投影をジャックしてみれば、帝都城を包囲した決起軍を更に包囲する形で国連、米国、帝国の混成軍が展開していた。
 取り敢えず、予定通りに事が運んでいるようで何よりだった。
 ―――因みに、この映像は先程合衆国大統領に告げたように各国の首脳陣宛に発信中だ。
 決起側に潜んでいた工作員は排除しているので、戦闘と混乱を招くためには出撃した混成軍の中に潜む工作員が直接手を下す必要がある。しかし、各国の首脳陣が見守る生中継中のこの状況下でそんな真似をすれば、如何に事の真相がどうであろうと、『米国側が事態の混乱を招いた』と上っ面の情報は行き渡ることになり、ひいては米国の権威失墜へと繋がる。
 そしてもはや出撃してしまっている以上、米国側は止める術を持たない。

(―――ま、世界中にばら蒔かれないだけ有り難く思いなさい)

 今回の映像を中継しているのはあくまで首脳陣宛なだけだ。無論、00ユニットの能力を用いれば世界中の報道関係をジャックして知らしめることができるが―――何事も、やり過ぎは毒である。
 出る杭は打たれると言う諺があるが、正しくその通り、ただでさえアメリカは各国の嫌われ者だ。ユーラシアが半分以上陥落しているこの世界では、確かに名実ともに世界一の国家だが、それ故に敵も多い。今回の一件を引き金に、世界の反米感情が高まり過ぎればBETA大戦中だというのに人間同士の戦争が起こってしまう可能性がある。
 だから、あくまで知らせるのは各国の首脳陣までだ。
 そうすることに寄って表立って米国と対立している国も、米国に胡麻をすっている国も、今回の一件で残らず不信感を植えつけられることになる。無論、首脳陣が知れば、余所に噂として流れてしまうが、噂は所詮噂。映像が流出しても、何とでも言い訳もできるだろう。故に、そんなモノで武装蜂起は起こらない。よしんば最悪の流れになったとしても、その時には既に日本が赦しているので、それを理由に蜂起することは不可能になる。
 だからこそ―――狙うべきは、バランスだ。
 今回の件を逆用して米国という国を崩壊させるのではなく、あくまでその発言力を低下させる。無駄に突出してしまった発言力を低下させることで、各国のパワーバランスを平均化させるのだ。そうするだけで、随分とやりやすくなる。

(―――カードとして考えれば、米国には米国の良さはあるからね)

 香月は博愛主義ではないが、差別主義でもない。敢えて言うならば実利主義―――突き詰めれば興味主義だ。興味を覚える方の味方で、邪魔をするならば敵。だからこそ、邪魔を『する』オルタネイティヴ5は敵で、邪魔を『しない』オルタネイティヴ5は中立だ。彼女に取っての世界情勢とは、割と単純に色分けされているのである。

(さぁ、御剣。舞台は整ったわ。―――影武者としての本懐、果たして見せなさい)

 そして狐は哂う。
 未だ自分の弱点に気付けずに―――。







 同17時25分。

 帝都城の地下にある斯衛専用の格納庫―――その最奥に鎮座した紫の武御雷のガントリーが起き上がり、ゲート式の整備パレットが徐々に上がっていく。搭載する装備は無い。これから行うのは説得―――と言う名の演技だ。殺し合いではない。故にこそ、その武御雷は無装備で出撃する。
 搭乗者の名は御剣冥夜。
 その務めは、煌武院悠陽の代役だ。
 古臭い因習に囚われ、引き裂かれた姉妹。だとしてもそれを受け入れ、己が役目をただ果たすために邁進する二人を、外野は黙って見ていることしかできない。

(―――頑張れよ、冥夜ちゃん)

 ハンガーの片隅で、躊躇いなく進んでいく紫の武御雷を見送りながら斑鳩はそんな言葉を舌で転がす。そして、ずっと背後から感じていた気配に向かって声を掛けた。

「―――で?いつまでこそこそしてる気だ?」
「むぅ………」

 促してやると、まるで初めからそこにいたかのように『唐突に』強化装備姿の紅蓮が出現する。何処ぞの忍術を使う国家公務員並みの神出鬼没さではあるが、それと違って表情に浮かべているのはアルカイックスマイルではなく渋面だった。
 何が気に入らないのかを何となくではあるが把握した斑鳩は吐息してこう言った。

「折角なんだから、顔ぐらい見せてやったっていいだろうに」
「そういう訳にはいかん。この大事な局面で、下手にあの娘の心を乱すのは得策ではないだろう」

 言うことはもっともではあるが、自分で下した決定に紅蓮自身は余り納得いっていないようだった。言葉とは裏腹にその様子はまるで不貞腐れた子供のようで、左右に逆立った髪も気持ちしなびて見える。

「言いたいことは分かるけどよ。―――弟子なんだろ?心配じゃないのかよ」
「師弟だからこそ、よの。弟子の晴れ舞台に、老いぼれが出しゃばるものではなかろうて」

 そうかいそうかい、と斑鳩はしたり顔で頷いてから突っ込みを入れることにした。

「ところでオッサン。―――鼻血ぐらい拭いたらどうだ?」

 すると紅蓮は慌てて鼻から垂れる一筋の血液―――もとい、リビドーを拭い去るとさもありなん、と胸を張る。

「―――後ろ姿も捨てがたしっ!」
「姿を見せなかった本当の理由はそれだろっ!!」

 言葉では足りないようなので、蹴り倒すことにした。







 同17時28分。

 決起部隊を率いる沙霧尚哉は状況を認識する。
 現状、帝都城を包囲する決起部隊は正面に城を護る斯衛、後方で国連、米国、帝国の混成軍と対峙していた。城を中心に円周で包囲する決起部隊を、混成軍が更に円周で包囲するという形だ。決起側からしてみれば逃げ場が無くなったとも言えるが、元より誰もそんな気は持ちあわせてはいないし、沙霧にしてみればそもそもこれは『予定』されていたことだ。
 網膜投影の左上に表示されたミニマップ―――即ち、勢力配置図が自動更新される。それを確認してから、沙霧は地図を拡大してある一部隊を追うことにする。

(―――三神少佐達は………ここか)

 国連の不知火を目印にして、目的の人物達を探り当てる。改めて見ると帝都城より南東に展開するその一団は、他の混成部隊よりも際立っていた。
 ただでさえ珍しい国連カラーの不知火14機に吹雪が5機と撃震が1機。そして何よりも緑色塗装のF-22ラプターが37機。二国の新鋭機と演習機と全世界規模で使われている旧世代機という、事情を知らなければ何とも不可思議な取り合わせである。ごった煮という言葉がこれほどふさわしい取り合わせもないだろう。

(さて、状況は整ったな………後は、動きがあるまで待てばいい)

 ここまでは予定通りだ。次に起こす能動的な場面は、その動きがあった後。だから沙霧は、部下たちの様子を見ることにした。周波数を合わせて、部隊内のチャンネルに流れている会話を拾う。

『あー、とうとう国連軍まで出張ってきましたねぇ』
『ああ、しかもF-22………米国まで一緒だ』
『何と言うかあからさま過ぎだよなぁ。―――こっちはお呼びじゃねぇってのに』
『全くですよ。―――少しは相手にする身にもなれってんだ』

 流れている言葉を聞く限り戦意を失ってはいないものの、少しだけ暗いものがあった。やはりこの不利とも言える状況下が彼等のテンションを少し下降させているようだ。
 双方手が出せない状況ではあるが、いつどんな理由で戦闘が起こるかは分からない。決起部隊内に入り込んだ工作員は退かしてあるものの、それを知っている沙霧でさえ内心では冷や冷やしている。まして何も知らず―――必ず戦闘が起こるという心構えで決起に参加している彼等にしてみれば何を況やであろう。
 確かに『予定』では、今回、実質的な戦闘は起こらない。何故ならこれは茶番なのだから。だが、何が起こるか分からない以上、なるべく士気は高くしておくべきだ、と沙霧は思う。
 しかしながら、それをするに当たって、彼は手段を持ちあわせてはいなかった。
 さてどうするべきか、と悩んでいると―――。

『ほ、ほらほら皆さん暗いですよ!え、えっと、その、皆さんがあんまり暗くなると私「くらく」らしちゃうっ!!』

 直後、場を和ませようとしたであろう一人の衛士のどうしようもない駄洒落が、沙霧の脳からとある記憶を引っ張り出した。11月11日の迎撃戦の時、あの色々と頭のおかしい国連の少佐はこう言っていた。
 曰く―――漫才をして、皆のテンションをアッパーに入れておくと。
 今がその時ではないだろうか、と思った沙霧は半ば反射的に自機の右手腕を操作して、スナップを効かせつつ。



「―――な、何でやねん」



 刹那、決起部隊全てが凍りついた。

『………………………―――っ!?えっ!?何っ!?今のまさか沙霧大尉っ………!?』

 静止した世界からいち早く復帰したのはどうしようもない駄洒落を言った衛士で、彼女は半ばパニックになりながら状況を確認すべく沙霧の不知火を脅威の視線で見つめる。

「―――んっんっ………。その、何だ。ざ、雑談もいいが、程々にな」
『あ、え、その、はい………』

 何となく気恥ずかしくなった沙霧がわざとらしい咳払いと共にそう促すと、決起部隊の硬直も徐々に溶けていく。
 しかし復帰したら復帰したで『信じられん………』とか『あの沙霧大尉が………』とか『戦術機のスナップ付きで突っ込みだと………!?』とか色々と普段の自分の評価が気になる言葉が波及していった。

(―――そんなに普段の私は硬いだろうか………)

 等と、沙霧が自分の今までの有り様に僅かな疑問を覚えていると、駒木中尉から通信が入った。

『―――沙霧大尉』
「ど、どうした。駒木中尉」

 未だ少しだけ動揺している心を抑えこむようにして返答すると、駒木は小さく頷いて。

『国連軍から通信が入っておりますが、どうなされますか?』
「―――無視してくれ。こちらが人を斬っていない以上、あちらは手が出せない。大義名分が無いからな。故に再三になるが、部下達にもこちらが指示を出すまで手を出すなと厳命してくれ。例え攻撃されても、とな」
『了解しました。―――それから、沙霧大尉』
「何だ?」

 何かと思い尋ね返してみると、彼女は眼鏡のレンズで光を反射させながらこう告げた。

『―――その突っ込みセンスは、どうかと思います』

 今度こそ、沙霧は管制ユニットの中で項垂れた。
 







 同17時32分。

 帝都城より東に混成軍の一部―――即ち、第66戦術機甲大隊と表向き特殊教導隊と名乗っているA-01、それに加えて207B分隊が展開していた。その中に混じっているローレン=ターナー中佐は、この状況を不可思議に思っていた。
 と言うのも、国連との混成軍が現場に到着してから早十分弱―――更に言うならば斯衛と決起部隊が睨み合いを初めて十時間弱、何時まで経っても戦闘が起こらないのだ。無論、何の事情も知らなければそれで良いと言えるだろう。ターナーとて戦闘狂ではない。軍人としての視点で見れば、こちらに損害が出る可能性がある以上、回避できる戦闘は極力回避すべきだと思う。
 しかし、今回は外交の一手段としてこの事態の深刻化を誘発させ、その深刻化した事態に介入することによって利益を得ねばならない。まるで鳶かハイエナの様な浅ましさだが、それもまた国の有り様だ。この時代、小奇麗な外交手段だけでは、ユーラシアに消えていった数々の国家と同じ道を辿りかねないのである。
 故にこそ、ターナーは不平を言わない。軍人は政治家ではなく、そして命令に従うのが軍人としての務めだからだ。
 しかし、である。

(―――まさか、CIAがしくじったのか………?)

 網膜投影の戦況表示図に視線をやると、やはり動きは無い。自分達がここに到着している以上、状況を混乱させずに放置している理由にはならない。であることを考えると、工作員の方に何かしらの問題が起こり、この膠着状態が維持される結果になっていると考えた方が現実的だ。
 さてどうするべきか、とターナーが思案していると、戦況表示図に映る帝都城に動きがあった。
 一機の戦術機が飛び出してきたのである。工作が始まったのかと思うターナーだが、オープンチャンネルで流れる日本語によってそれは否定される。

『―――紫の………武御雷っ!』

 続くようにして多くの『殿下』という言葉が飛び交った。鑑みるに、あれが―――。

(―――政威大将軍………煌武院悠陽か)

 おそらくは、時間を置くごとに悪くなっていく事態を見かねて出てきたのだろう。しかし、護衛もつけず、見る限りその機体には一切の武装がなかった。
 話をする為に来た、という意思表示の表れなのだろう。
 その武御雷は自らの姿を知らしめるように帝都城上空を周回すると、南東側―――即ち、第66戦術機甲大隊と決起部隊の間に降り立つ。
 自身を盾にすることによって、直接的な戦闘を回避しようと思ったのだろう。確かにこれで、より一層正面からは手を出し難くなった。

(だが、工作員達に取ってはこの上ない機会だ。これを逃すようならしくじったと見ていいだろう)

 その時こそが、自分が手を下す時だと見極めたターナーは状況を一瞬たりとも見逃さないように集中することにした。

『―――決起部隊の首謀者よ。自らに何ら恥じ入らぬことがあるのならば、我が前に姿を現すがよい』

 機体の胸部ハッチが開き、強化装備に身を包んだ少女が現れる。その凛とした佇まいと声にこの場にいる全ての者が感嘆の声を漏らす。
 そしてその声に応えるように、決起部隊の一部が割れ、烈士の文字を刻んだ不知火が一機前に進み出てくる。『殿下』と同じように胸部ハッチを開放し、搭乗者―――沙霧尚哉が姿を見せた。彼はタラップに進み出ると、片膝を付いて面を伏せる。

『―――そなたが沙霧か?』
『は。拝謁の栄誉を賜り、真に恐悦至極にございます。私は、帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉であります』
『面をあげるがよい』

 謁見という形で、状況は進んでいく。そしてそれを壊そうとする者は何処にも現れない。故にこそ、ターナーは深く吐息した。

(―――どうもCIAの仕込みはご破算になったようだな………そしてこのままではマズイ、か………)

 データリンクの指揮官用ウィンドウを開く。一般衛士には基本的に使用が許可されていない機能が幾つか開いていき、その中に催眠暗示の項目を見つける。
 本来、この項目は初陣の兵や極度のストレス障害を発症した兵士に対して使うべきもので、実の所基本的に精神干渉能力はそれほど高くない。ただ、反転の作用があるので恐怖を怒りにすげ替えたりは出来るのだ。
 更に、この他にもまた違った使い道がある。事前に無意識下に催眠暗示を仕込んでおくことによって、感情や欲求などを別方向に誘導、増幅することが出来るのだ。

(まさか、本当にこの保険を使うことになるとは)

 そして、ターナーはそのボタンを―――押した。








 同17時34分。

 『殿下』と沙霧の謁見の様子を見ながら、白銀は大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

(―――大丈夫だ。介入があっても、今回は『予定通り』だ。米国には悪いけど、悪役になってもらう………!)

 無論、そんな介入は無い方がいい。無ければ無いでそのままこの決起は終息していくが、十中八九―――いや、『十中十』介入はある。何しろ、『前の世界』直接介入を仕掛けてきたハンター2―――イルマ=テスレフ少尉がこの場にいるのだ。
 本人の意志であったのか、はたまた誰かに操られていたのか―――結局の所、『前の世界』では分からずじまいではあった。しかしながら、結果として出ている以上、今回でも同じような動きは必ずある。それに注意してさえいれば、乗りきれるはずだ。

(行けるさ………今回は事前に準備してるんだ)

 網膜投影の右上にある機体ステータスに白銀は視線をやる。
 跳躍ユニットの推進剤残量を示すメーターの下に、別の小さいゲージが三本並んであった。『多重噴射機構』のブーストゲージだ。現在、三本の内一本がフルになっている。これは、一回分の多重噴射が可能であることを示している。酸素をイオン化させ圧縮、フラッシュオーバーさせることによって一時的に爆発的な加速力を得ることが出来る『多重噴射機構』は、一度タメてさえあれば停止状態からも発動が可能だ。しかし、三回分をフルでタメて時間を置いておくと圧力に耐え切れず暴発、もしくは爆発してしまうので、停止状態の場合は一回分だけに留めておき、圧縮イオンを循環させてその圧力を保つ。
 跳躍ユニットと主脚、そして『多重噴射機構』を用いれば、僅かな時間で最高速度にまで達せる。
 これならば何が起ころうとも、素早く対応できるはずだ。
 白銀が来たるべき時に備え、何度も何度も機体チェックをしていると、香月から通信が入った。

『―――白銀、三神。聞こえるかしら?今、ターナー中佐の機体からハンター2に向かって後催眠暗示の起動キーワードが発信されたわ。そのハンター2に狙われてるのは沙霧よ』

 どうやらデータリンク経由で各機体の動きを把握していたらしい。彼女はにこにこと―――白銀に取っては薄ら寒くなるぐらい―――それはそれはご機嫌な表情でそう告げてくる。

『―――武。予定通りにお前はテスレフ少尉を。私は沙霧大尉を護る』

 入れ替わるようにして三神から通信が入った。

「―――しくじるなよ?」
『そちらもな』

 おどけて言うと、何時もの皮肉げな笑みが返って来た。







 同17時35分。

 イルマ=テスレフ少尉は荒い呼吸の中、自分の視界が暗くなっていくのを感じていた。自分の身体がおかしくなって行くという感覚はある。しかし胸の奥から沸き上がってくる激情に理性が押し流されていく。
 脳裏に過るのは忌まわしき記憶。
 国を、父を、全てを奪われていく戦火の記憶。

「―――殺さなきゃ………殺さなきゃ………BETAを………父さんとフィンランドを奪った………あいつ等を………」

 芽生えるのは殺意。
 身体がそれに支配される。
 そして―――。







 同17時36分。

『―――今よっ!!』

 香月の叫びと同時に、白銀と三神の機体が同時に加速した。
 主脚による跳躍と同時に、『多重噴射機構』を用いての最加速。同時に跳躍ユニットを吹かし、移動によって吸気される酸素を使って再び『多重噴射機構』を順次フラッシュオーバーさせて多段加速。

「―――っ!―――っ!―――っ………!!」

 持続的に掛かるGと断続的に掛かるGが白銀の意識を吹き飛ばさんと襲いかかり、彼はそれを奥歯を噛み締めることによって抑えこむ。その甲斐あってか、一気に速度が乗る。
 霞む視界の中、一瞬だけ視線を横に向けると同じようにして三神の不知火も加速をして、ハンター2と沙霧との射線軸に割って入った。そして迎撃後衛の標準装備である92式多目的追加装甲を掲げ―――ガコン、と甲高い音と共に36mmが着弾した。
 対弾性能のお陰で貫通こそしなかったものの、超高速機動下で直撃を防御したためか、三神機は即座に制御を失い、錐揉み回転で失速していく。
 それをありとあらゆる噴射制御を用いて復帰するべく操作しながら―――三神は叫んだ。

『―――武っ!!』

 名を呼ばれて、白銀は発砲したハンター2を視界に捉える。予め香月から派手にやれと言われている。だからその為の手段を白銀は事前に編み出していた。
 即ち―――。

「征くぜ!『元の世界』の格ゲーを参考に編みだした魅せ空中連殺………!!」

 呆然としている第66戦術機甲大隊を摺り抜けるような機動で最速接近し、担架の長刀を抜き放つと刃を返す。
 今回行うのは制圧であって撃墜ではない。そして派手にやるとなると、圧倒的な強さで叩き潰す必要がある。それが故のエアリアルコンボだ。BETA相手には全く使わないというより使えないし、戦術機同士の模擬戦でさえ隙が大きすぎて使った試しはない。所謂魅せコンボというやつだが、『派手に制圧』という条件を念頭に置けば、これほど適した技はないだろう。
 加速をぶち込み、ハンター2の懐に潜り込む。その慣性のままに、長刀の峰でラプターの腹部を捉え、『多重噴射機構』を三段同時にフラッシュオーバーさせて機体ごと打ち上げた。
 それを起点とし、跳躍ユニットによる追撃を掛け、同時に再び『多重噴射機構』をタメる。

「追いつくっ………!」

 打ち上げられたラプターに追い縋った白銀機はダメ押しに『多重噴射機構』を一段だけ発動し、一度追い抜くと跳躍ユニットの右側だけを逆噴射制動。

「もう一丁っ!んでもって―――!」

 独楽のように綺麗に半回転した白銀機はその回転のままに長刀を振るい、追い抜いたラプターの背部に直撃させ、今度は真上に打ち上げる。それと同時全行動をキャンセル。次いで、もう一段『多重噴射機構』を発動。打ち上げたラプターに更なる追撃を掛ける。
 まるで天を登る龍のように追い縋り、追い抜くと同時に失速域機動。そして頭部が地上を向いた瞬間に―――。

「ラストっ………!!」

 振りかぶった長刀の峰をラプターに叩きつけた。





 同17時38分。

 アメリカ合衆国大統領、ジョンソン=マルチネスはその映像を呆然と見ていた。
 何が起こったのか―――あまりにも唐突すぎて、理解できずにいた。いや、したくなかったというべきか。自分が保険として仕込んでいた策が『止める術もなく』発動し―――あるいはそれが成って居れば、口先三寸で何とかなったかもしれない。あの一発の弾丸が事態の混乱を招ければ、全てを有耶無耶にも出来ただろう。状況は動かざるを得なくなるし、その結果として、あの場の将軍殿下を護るために決起軍を討伐出来れば、本来の結果に帰結していたはずである。
 しかし現実には二機の不知火によって防がれた。あまつさえ、その内の一機は自国の最新鋭であるF-22をまるで赤子の手を捻るかのようにいとも容易く制圧した。

「―――どうなって………どうなっているんだ………」

 ―――あるいは。
 この時、もっと彼が冷静であれば―――左のこめかみに突き付けられた拳銃に気付くことが出来たのかもしれない。尤も、気付けたからと言って既に逃げ切れる状況でもなかったのだが。
 ―――この日、第42代アメリカ合衆国大統領ジョンソン=マルチネスはホワイトハウスの執務室でその生涯を終えた。後の公式発表には自殺とされたが、そこに至った理由は明かされることはなかった。







 同時刻。

 香月はデータリンク経由で送られてくる現場の映像に身を捩って哄笑を上げていた。

「ふ、ふふふ………あーはっはっはっは!変な欲を掻くからこんなことになるのよ!」

 これで茶番は成った。
 如何なる理由があれ、米軍機が決起部隊と将軍殿下の会談を邪魔したのだ。リアルタイムでこの映像を各国に流している以上、米国への不信感はまさしく鰻登りとなっていくことだろう。如何に単独で最も力がある国と言えど、世界征服を標榜している訳ではない。他国の意向をまるっきり無視はできないし、今回の一件で今まで以上に他国に気を遣わねばならなくなるだろう。
 いずれにせよ、これで米国の―――ひいてはオルタネイティヴ5の発言力と影響力は一時的に衰退する。後はその機を逃さずにオルタネイティヴ4を完遂してしまえばいい。
 ―――と、で脳内に新たな情報が入ってくる。どうやら米国側の指揮官が秘匿通信でまだ何やら画策しているようだ。
 後はA-01に随伴している207B分隊に御剣冥夜―――否、『本当』の殿下に登場してもらって事態を収拾してしまえばおしまいなのだが、ものはついでだ。

「あぁそう、まだ足掻くの?じゃぁ、落ちるところまで落ちちゃいなさい。―――それでチェックメイトよ………!」

 だから香月はデータリンク経由でその指揮官機の通信制御部分をハッキングし、秘匿通信からオープンチャンネルへと切り替えた。







 同時刻。

 アルフレッド=ウォーケンは唐突且つ瞬発的に起こった事態に混乱を覚えていた。いや、彼だけではない。第66戦術機甲大隊を始めてとした米国部隊も、国連軍も、帝国軍も、斯衛軍も―――そして決起部隊でさえ、その状況を飲み込めずに硬直していた。
 突然友軍―――ハンター2が将軍殿下と決起部隊首謀者に向けて発砲したと思ったら、その射線軸に飛び込んできた国連機が身を盾にして防ぎ、別の国連機がハンター2を信じられない機動で制圧した。
 言葉にすれば単純だが、その射線軸に飛び込んできた不知火の動きも、ハンター2を制圧した不知火の動きも共に尋常なものではなく、その場にいた全員が呆気に取られてしまったのだ。

(何が………一体何が起こったんだ………!?)

 ざわめきがオープンチャンネルで流れる中、未だウォーケンが状況に戸惑っていると、網膜投影に秘匿回線の文字が踊り、指揮官権限で繋がったためか強制的に回線が開いた。
 相手はターナー中佐だった。彼は開口一番に、ウォーケンにこう告げる。

『ウォーケン少佐!奴等を―――決起部隊を攻撃しろっ!!』
「中佐………!?それは一体どういう事です!?」

 上官の信じられない命令に、ウォーケンはその真意を問い質そうとするが、ターナーは取り合わなかった。

『今ならまだ間に合う!私が注意を引き付けている間に決起部隊を攻撃し、混乱を招け!!』
「なっ………!?一体何を………!!」
『説明している時間はない!これは上官命令だぞアルフレッド=ウォーケン!軍人ならば命令に躊躇うな!奴らを攻撃しろ………!!』

 気でも狂ったかと思う指示の次は上官命令、と来た。
 軍人を標榜する以上、ウォーケンは命令に逆らえない。しかし、このままその命令に従っていいのかを考える。

(いや、私は軍人だ………!軍人は命令に従うものだ………!!)

 押し黙り、ウォーケンはそう思考する。しかし、身体が動かない。本当にその命令に従っていいのかを自問してしまう。自答するなら答えはYES.だ。上官命令は何があろうとも絶対だ。ならば出された命令に従い、決起部隊を攻撃するのが自分の役目だ。
 しかし―――苦悩する彼の脳裏に、ある一人の少女の言葉が過ぎる。

『―――きっと皆、不安なだけなのです。何が正しくて、何が間違っているのか判らなくなるぐらいに。ですがそれは、誰にでもあるもの。勿論私にもありましたし、きっと今でも心の奥底にあります。ですが―――』

 何が正しくて、何が間違っているのか―――最早ウォーケンには、分からない。それが分からない故に、この状況にも、これから起こす行動にも不安が何処までもつきまとう。
 だが、それは誰の心にもあるもの。だからこそ、まずはそれを認めることから始まる。
 そして―――。

『―――それを呑み込んで、一歩踏み出す勇気を持てば、人も国も、何かに縋って願うだけよりは、いい方向に変わっていけると………そう思うのです』

 その不安を呑み込み、一歩踏み出す勇気を持つ。
 命令に縋って願うのではなく、自ら考え、自らの手で切り開く。

(―――私は………)

 問い掛ける。―――お前は何者だと。

(―――私は………!)

 問い掛ける。―――お前は誰なのかと。

(―――私はっ………!)

 問い掛ける。―――お前が為すべきは何かと。

(―――私はアルフレッド=ウォーケン………!アメリカ合衆国の軍人だ………!そして、私が為すべきは―――!!)

 善と悪を超え、偽善と偽悪さえ呑み込んで、信念の選択をする。
 だからアルフレッド=ウォーケンは吼える。
 軍人として。
 衛士として。
 人間として。
 そして何より―――アルフレッド=ウォーケンが、アルフレッド=ウォーケンでいるために。

「―――中佐。私はその命令を拒否します………!!」
『貴様………!』

 ターナーが驚愕に目を見開き、事態を理解したかこちらを射殺すような鋭い視線で睨んでくる。しかしウォーケンは怯まない。
 何故ならアメリカ軍人は、決して悪に屈してはならないのだから。

「黙れ………黙れ………!私が忠誠を誓ったのは合衆国だ!貴様ではない!!だからこそよく聞け………!!」

 そしてウォーケンは啖呵を切る。

「我が誇るは祖国!祖国が掲げるは自由と正義!例えこの命令拒否が今の悪であろうとも、未来の正義になるのならば私は喜んで悪になろう!そして今後の禍根を一切残さぬために、私が貴様を止めるっ!何故ならそれが―――!!」

 偽悪?―――上等だ。
 偽善?―――それがどうした。
 命令不服従?―――知ったことか。
 何故ならば掲げたのは正義でも悪でもない。何処までも高く掲げ、その胸に誇るものはいつだって唯一つ。それこそが―――。

「―――私が選んだ、私の『信念』だっ………!!」

 突撃砲をターナーのラプターへと向け、IFFを切ってロックオンする。
 しかし―――。



『よく言ったな若造。―――だが、その中の偽悪だけは俺のものだ』



 ウォーケンがトリガーを引くよりも早く、北東から超高速で飛来したミサイルがターナー機の管制ユニットを撃ち貫き、爆散させた。






 同17時40分。

 漆黒の機体が紅い単眼を左右に揺らしながら高速で帝都城周辺と接近していく。
 それを既存戦術機の改良機だと一見で見抜ける者がどれだけいるだろうか。確かに大まかなシルエットは第二世代のF-14トムキャットだ。しかし、それよりも一回りは大きく、戦術機の時代を逆行したかのように重装甲だった。そしてその重装甲による鈍さをカバーするために、腰部後方の『多重噴射機構』や肩部や脹脛、更には背部に追加のスラスタシステムを搭載している。
 更に背部担架や左主腕に装備された突撃砲こそ一世代前のWS-16C突撃砲だが、右主腕には奇妙な形の追加装甲が装備されていた。
 帝国軍や極東国連軍が使う92式多目的追加装甲よりは短く、横に長い。端々に小さなぼっちが付いていることから、リアクティヴアーマーとしても活用できるのだろうが、それよりも先端部の射出口のようなものが目を引いた。

「追加装甲に仕込んだフェニックスなんざ最初の内は眉唾もんだったが―――エイプリルの奴もいい仕事するもんだなぁ、オイ!」

 狙った機体―――ターナー機の撃墜を網膜投影で確認して、F-14Fナイトトムキャットを駆るハーモンはご機嫌な声を挙げた。それに呼応するようにして、網膜投影の専用ウィンドウに文字が踊る。

『当然だ。私の産みの母は天才だからな』
「そう言えばそうだったなっ!それはともあれ―――もう一発、征くぜっ………!!」

 恙無く進行していた茶番に一石投じるべく、本当のイレギュラーが―――遂に来た。






 同17時41分。

 イルマの凶弾を防いだ三神は、北東から接近する漆黒の機体を視界に捉え、驚愕する。

(―――ナイトトムキャットだとっ………!?まさか、本当のイレギュラーは………!!)

 驚いている暇こそあれば、その漆黒のF-14は右主腕に掲げた奇妙な形の追加装甲を前に突き出した。
 三神庄司はそれを知っている。ナイトトムキャット専用装備搭載スペースを確保するためにオミットした、F-14の装備であったAMI-51フェニックス―――それが、ただ単に『勿体無い』という馬鹿げた理由でその追加装甲に仕込まれていることを。

(まずい、さっきのもフェニックスか………!!)

 狙い撃ちするためだけにクラスター弾頭こそ外されてはいるようだが、92式多目的自立誘導弾システムと違って低空を疾駆する為に軌道が直線的で―――その分弾速が速い。
 元々140km―――公式の最大記録は210km―――の超長距離射程を売りとしているために、その飛翔速度は1300km以上―――音速にまで達する。

「―――武っ!イルマ=テスレフを護れっ………!!」

 叫ぶと同時、ナイトトムキャットからフェニックスが発射される。
 初速こそ若干のラグがあるものの、一度固形燃料に火がつけばその加速は人間の視認速度を越える。迎撃は不可能に近いだろう。それは白銀も分かっているようで―――。

『だったらこうするまでだ………!!』

 地面に叩きつけられ、動かなくなったイルマ機に『多重噴射機構』を用いて接近した白銀の不知火は、手にした長刀を刃を返して振りかぶり、ゴルフクラブよろしく振り抜いてイルマ機を弾き飛ばした。
 その脇を、目標を見失ったフェニックスが高速で通り抜け、爆散する。飛翔速度の高さ故に、追尾性能はそれほど高くない。一度避けてしまえば確かに再捕捉はされないが、それにしても―――。

「さっきのエリアルといい何といい、相変わらず出鱈目だなあいつ………!と言うかイルマ少尉大丈夫か………!?」

 峰打ち、そして管制ユニットを外しているとは言え先程から鉄塊でボカスカ殴っているのだ。正直な話、中は相当なシェイクをされているはずだし、衝撃だけでミンチになっているような気がしなくもない。
 少しだけ彼女の安否が心配になる三神だが、今はそれよりも別の問題がある。
 フェニックスを放ったナイトトムキャットはその一撃が外れたのを確認すると、脇目も触れずに転進、後退していく。

『三神。あいつは………!』
「分かっているよ香月女史。―――『彼』がどちら側の人間かも、よく知っているさ………!」
『―――そ。じゃぁ、ふん縛ってあたしの前に連れてきなさい。決起はこれで終息するでしょうけど、最後に茶々入れられたのは気に入らないわ。だから、あのお邪魔虫には米国との「個人的な」交渉カードになってもらいましょう』

 茶番に一石投じられ、少しだけ不機嫌になった香月の顔が網膜投影に浮かぶ。それに了解、と小さく呟いて三神は記憶を掘り起こす。
 ナイトトムキャットに乗る『彼』やナイトトムキャットの後継機に乗る『彼の息子』には数多の世界で世話になっている。それ故に、彼等の人なりや衛士としての技量を三神は知っているのだ。
 それを考えると―――正直、気が乗らない。
 白銀や三神が死を重ねて手に入れた経験を、彼等はその才能で覆す。機体的に、そして相手の手の内を知っているというアドバンテージはあるものの、それでも単騎で勝負を挑めば勝ち目は薄いと三神は考える。最低でも二対一は必須だ。

(―――武を連れていきたいが………!)

 しかしながら三神がここを離れるとなると、もしもこの場でまた違うイレギュラーが起こった場合、対処できる者はいない。だが辛うじて僅かな干渉を加えられる者がいるとすれば、それは『元』因果導体である白銀と、『前の世界』の記憶を内包している伊隅だけだ。
 だから、三神庄司は苦渋の決断をする。

「武と伊隅はここに残れ。―――残りのヴァルキリーズは私に続け!」

 そう指示を飛ばし、三神は機体を跳躍させ、北東へ方向へと逃亡するナイトトムキャットへと追撃を始める。

「さぁ、征きますよハーモン=アーサー=ウィルトン少佐………いいえ、ハーモン=ラブ少佐………!!」

 そして、状況は断続的なものから流動的になものへと変化していく―――。





[24527] Muv-Luv Interfering 第四十一章 ~追撃の騎行~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/07/15 04:17
 ―――ざわめきがそこにあった。
 決起を発端に断続的に続いた状況は、彼等の目の前で帝都周辺を離れて流動的なものになって行く。しかしながら、この日の中心にあったはずの決起部隊や帝国軍、国連と米軍の混成軍はその流れに乗れず、ただただ困惑するのみだった。
 無理もない。
 この混然とした状況で何かしらのアクションをとれば、それが乱戦への引き金へとなりかねない。
 米国部隊が何故凶弾を放ったのか。
 それを何故国連軍が防げたのか。
 次いで出た、狂気のような米国指揮官の命令と、それを拒否する信念の軍人と。
 更には所属不明機体の乱入、そして米国指揮官機の撃破―――。
 ここに到るまでの流れも、裏側で錯綜する思惑も複雑すぎて、しかしそれが表面にまで浮き彫りになりつつあるために現場の人間は真実を知る者を除いて把握しきれない。
 あるいは、これが対BETA戦ならば迷うことはなかったかもしれない。だが、どちら側にとっても敵は人間。故にこそ、最早『誰が味方か分からない』。
 混迷を極める状況に、誰もが最悪の事態を想定する。
 だからこそ―――。

『―――静まりなさい』

 その瞬間に流れた声は、まるで何かの導きのように思えたのだ。






 オープンチャンネルで流れた女性の声に、皆が動きを止める。それに合わせるようにして、混成軍の中から一機の吹雪が飛び立った。誰もがその吹雪に視線を向け、そして今の声がそこから発信されたものだと悟る。
 国連カラーの吹雪が紫の武御雷の正面へゆっくりと着地する。胸部ハッチが解放され、出てきたのは、国連の強化装備を身に纏った―――本当の、そしてこの場にいる事情を知らない人間に取っては、もう一人の政威大将軍だった。

『殿下が―――二人っ………!?』

 周囲が驚愕の色に彩られる中、鏡合わせのような容姿の二人は微笑を浮かべ―――御剣が片膝を付いた。

「―――大儀でありました、冥夜」
「いえ、私は何も出来ませんでした、姉上」
『姉上………!?』

 更に驚きの事実が展開する中、場を完全に掌握した悠陽は少しだけ安堵の吐息を漏らした。
 本来はハンター2の凶弾の後、米国軍を包囲し、その流れで姿を表す予定だった。しかし、突如指揮官機から何故かオープンチャンネルで米国軍機同士の問答が始まり、更には所属不明機の乱入もあって機を逃してしまっていたのだ。
 さてどうしたものか、と考えていたが高速で移り変わっていく事態に皆が戸惑っている間隙を突く形で予定通りの登場と成った。

(―――そちらの事は頼みますよ、三神少佐)

 あの所属不明機の介入は完全に予定外だった。であるならば、これは以前彼が言っていたイレギュラーと呼べるものなのだろう。ならばその対処は、彼が適任だ。
 こちらは既に佳境に入っている。後は自分だけでも行えるだろう、と悠陽は思った。そして一呼吸置いて、彼女はその声をオープンチャンネルに乗せる。

「我が名は煌武院悠陽。その武御雷に乗っているのは、私の双子の妹、御剣冥夜。―――此度は、私の影武者をやってもらいました」

 双子の妹、更には影武者と言う単語に新たなざわめきが生まれた。
 無理もない、と悠陽は思う。十数年前に煌武院家に生まれた嫡子は一人だけ。少なくとも公式上はそうなっている。御剣冥夜―――否、煌武院冥夜の存在を知るのは極少数。そしてその存在を知り、不憫と思っていても誰も抗うことをしなかった。
 それこそ―――本人達でさえも。
 思えば―――自分の歴史は奪われることから始まり、此処に至ったのかもしれない。しきたりに妹を奪われ、BETAに愛すべき国や民を奪われ、そして奸臣には力を奪われた。
 もしも―――もしもそこで諦めていなければ抗うことは出来たのだろうか、と11月11日の迎撃戦の後、彼女はよく考えるようになった。あの迎撃戦で、彼女は初めて運命と呼べる不可逆性の事象に抗った。導きがあったとは言え、確かに煌武院悠陽として抗い、そして勝利を掴み取った。
 無論、悠陽とて夢見る少女ではない。抗えば何もかもが変わっていく等と、都合のいい事を信じているわけではない。時には壁に阻まれて転んでしまうこともあるだろう。立ち止まってしまうこともあるかもしれない。泣き出したいほどに辛いことも、目を背けて逃げ出したいこともきっとある。
 しかし、抗うことを忘れてしまえば、後に残っているのは緩やかな破滅だ。それだけは―――この国を思う者として、許すことは出来ない。

(ならば私はこの道を征きましょう。例えそれが茨の道であっても―――全てを照らし出し、取り戻すために)

 ざわめきの中、再度決意を新たにした悠陽は御剣へと視線を向ける。
 御剣を影武者に立てたのには、幾つか理由がある。これを機に御剣冥夜という存在を公表してしまうという私事と、もう一つ、悠陽が政威大将軍としての大義名分を作り出すためだ。

「―――問います、冥夜。そなたは斯衛や帝国軍に何かしら命を出しましたか?」
「はい、姉上。私は決起部隊との交戦を避けるようにと命を下しました」

 わざとらしい問答だとは思うが、これから世界を相手に立ち回らなければならないことを思えば、児戯に等しい。

「おや、私が聞いた話によると、政威大将軍から決起部隊宛に無条件降伏の要求が出ているとの事でしたが―――これに聞き覚えは?」
「いいえ、姉上。私は姉上から名代を申し付けられ、そして言いつけ通りに交戦を避けるようにとの命だけを下しました。決起部隊に無条件降伏の要求など、『一言も発してはおりませぬ』」

 やはり、という声が決起部隊の中から漏れた。
 誰もが知っている。今の政威大将軍という役職は、ただの傀儡であり、それの糸の先にはこの国を蝕む者達がいるということを。
 だからこそ、決起部隊は立ち上がったのだと。

「―――皆の者、聞きましたか?これが現状です。我が身の至らなさ故の結果とは言え―――私の言葉は、何処にも届いてはいないのです」

 嘆かわしいことだ、と悠陽は思う。
 この国の窮状を招いたのは、他でもない自分自身だと知っているからだ。もっと早くに抗うことを覚えていれば、あるいはこの事態を回避できたのかもしれない。国を憂う者達に、死を覚悟させなくても良かったかもしれない。
 どちらにしても、事ここに至った以上、全てはたらればだ。ならばこそ、最早嘆くのはこれで終わりにする。これから進むのは、決して後戻りできぬ道。嘆くことも涙することも許されぬ、孤独な王の道。
 その中で足掻いていこう、と彼女は思う。

「しかしながら、彼等はしてはならぬことをしてしまいました。我が背にある政威大将軍の名は、皇帝により賜りしもの。如何な理由があれ、それを騙るということは―――即ち、皇帝に刃を向けるのと同じこと」

 既に翼をもがれ、何処までも落ちた身だ。後は、這い上がるしか無い。

「―――政威大将軍、煌武院悠陽として全ての日本人に勅命を発す。皇帝陛下に賜りし我が名を騙り、この国を蝕む者を捕らえよ」

 そして何処までも歩んでいこう。

「我が名を騙る、真の敵は―――」

 最早躊躇いも、後悔も、不安さえも呑み込んで―――誰よりも、気高く。

「真の敵こそは仙台政府に在り!ただし殺してはなりません!敵であっても我等が同胞!殺生は我が名に於いて禁ずる!!―――良いかっ!?」
『―――御意………!!』

 了承の言葉が伝播する。
 戸惑い、困惑の中にあった決起部隊も帝国軍も斯衛軍も、導きの言葉に従い、行動に移していく。
 撃震が、瑞鶴が、陽炎が、不知火が、武御雷が―――次々と夜の帳を切り裂いて、帝都を離れていく。目指す先は唯一つ―――仙台臨時政府がある宮城県県庁。
 悠陽もそれに続くべく、再び吹雪に乗り込みつつ―――ふと異国の武人に礼を述べていないことに気付く。

「―――ウォーケン少佐。凶行を止めるために立ったそなたに感謝を」
『は………はっ!も、勿体無きお言葉です、殿下。しかし私は、何も出来ておりません。いいえ、それどころか私がした選択は、軍人としてはただの命令不服従であり、決して誇れるものではありません』

 突然話しかけられて動揺したのか、ウォーケンは少しだけ戸惑いながら―――しかし物怖じせずにはっきりと自分の意見を述べた。実直と言えばこれ以上にない程実直な返答に、悠陽は好感を覚え、柔らかく微笑みながらこう告げた。

「―――確かに、軍人としてその選択はしてはいけなかったかもしれません。しかしそなたはそれでも最良の未来へと至るための選択を確かにしたのです。そしてそこには例え異国人であったとしても、武士の魂が確かに宿っておりました。故にこそ、そなたが成した信念の選択を、私は生涯忘れることはないでしょう」
『お、おぉ………』

 感嘆の声を挙げるウォーケンとの通信を終えると、悠陽は思考する。米国軍に関してはこの場に残った白銀が対処するだろう。ならば、自分がこの場に残る理由はもう無い。
 だから、彼女は呼び掛ける。

「さぁ皆、征きましょう―――止めてしまった私達の時間を、再び始める為に………!」

 そして取り戻して帰るのだ。
 いつか夢見た最上の未来へと。







 夜の色に混じって、筑波山を迂回するように飛翔する影があった。
 現在時速にして約750km。第三世代機の限界近い速度を出しつつも、騎士の名を冠された雄猫は未だ余力を残していた。もう少し速度を上げることは出来る。しかし、機体と共に帰還することを念頭に於いているため、あまり無茶をすれば推進剤切れになってしまう。既にある程度距離を離している事を考えれば、このペースを維持していれば追いつかれることはないだろう。

(―――もう11年、か………)

 機体の振動を感じつつ、ハーモン=アーサー=ウィルトン―――否、ハーモン=ラブはそんな事を思う。
 1990年にその存在を抹消された彼は、常に戦場の最前線にいた。それに関しては不満はない。恐怖がないといえば嘘にはなるが、それでも元は軍人なのだ。そんな状況にはとっくに慣らされている。
 しかしただ一つだけ―――気がかりがあった。
 家族のことだ。
 ハーモンには一人の息子がいる。当時はまだ15歳で、思春期だと言うのに特に反抗らしい反抗もなく、それを男なんだからもっとやんちゃでもいいのになぁ、と思いつつ嬉しくも思った。
 何しろ息子が8歳の頃には母親―――つまり、ハーモンの妻は他界していたのだ。まだまだ甘えたい盛りの少年に愛情を注ぐ母親がいないのは非行の原因になるのでは、と危惧していたからだ。
 だがそんな危惧も杞憂に終わり、15歳になった彼の息子は自分の道を決めた。
 ―――父親と同じ、アメリカ軍人の道を志したのだ。
 当時、人類の衰退が足音を立てて忍び寄ってくる中でも、アメリカはまだまだ余力を蓄えていた。他国のような強制徴兵制度は無かったし、ある程度の学力さえあればハイスクールに入ることも比較的容易だった。にも関わらず、彼は軍人―――しかも父親と同じ海軍を希望した。
 内情を知っている身としては当然と言うべきか―――ハーモンは止めた。それはもう止めた。具体的には『忙しい上に命の危険もあってその割に給料意外と高くなくて何よりも嫁に会えないしイチャコラできない軍人になんぞなるもんじゃない』と何度も言った。
 しかし『父さんのような格好いい軍人になりたい』と瞳を輝かせて言われれば父親としては擽ったいような背中が痒くなるような妙な気持ちになって―――結局、最終的にはハーモンの方が折れてしまっていた。
 そしてその矢先にネパール防衛線に駆りだされ―――ハーモンは、記録上死んだことになった。

(―――あいつが今の俺を見たら、どう思うのかな………)

 ふと、そんな事を思う。
 記録上死んだことになった後はCIAの現地調査員として最前線を渡り歩くことになったのだが、無論、これは彼の意志ではない。家族をチラつかされれば大抵の人間は首を縦に振るだろう。
 だが、見返りも確かにあった。
 息子の配属先に関して、ある程度の干渉が出来るようになったのだ。そこでハーモンは極力自分の昔馴染みを息子に充てがうようにし、環境を整えることにした。まぁその努力も虚しく、息子―――ハーモン=ラブ=ジュニアは夜盲症が原因で戦術機を降りることになってしまうのだが。
 その後、彼は法務部へと異動し、今は法務担当士官として働いている。

(法務部には流石に知り合いがいないからなぁ………)

 そんな父親の憂慮を余所に、息子は息子でしっかりと自分の人生を歩んでいた。だから数年前からそろそろ潮時だとは考えていたのだ。

(―――今回の仕事が終われば、デボンの力で俺はハーモン=アーサー=ウィルトンからハーモン=ラブへ戻れる。あと少し、あと少しでもう一度あいつに会える………!!)

 だから早く此の場を離脱しよう、と決意を新たにしていると、専用ウィンドウに文字が浮かび上がった。―――フェシカだ。

『―――何かあったか?ハーモン』
「んー。まぁ、な。あの中佐が何でオープンチャンネルであんな事したのか、と」
『―――確かに、あの時の状況は不明瞭だ。お陰でこちらの攻撃のタイミングがズレてしまった』

 何となく胸中で思っていたこと誤魔化しつつハーモンがそう言うと、フェシカは頷くように肯定した。
 ハーモンの今回の役割は米国軍があからさまな行動を取った時のストッパーだ。所属不明機を装い、持ち前のフットワークを以て振り切ってしまえば口封じと思われても、証拠が無くなる。何しろナイトトムキャットの元はF-14―――即ち第二世代機であり、他国にも輸出している以上それだけで特定することは困難なのだから。疑われることはあっても、確たる証拠が無ければしらを切り通せる。
 だからあの瞬間、本来ならば真っ先に狙うのはイルマ=テスレフのはずだった。
 しかしハーモンが動くよりも早く国連軍機が制圧し、彼の出る幕が無くなってしまったのだ。
 そんな中で―――あのターナー中佐の言葉。黙っておけばイルマ=テスレフを他国の諜報員扱いにするなり何なりして切り捨て、逃げきることも出来ただろうに何をトチ狂ったかオープンチャンネルでベラベラと要らない事を喋り出すので、ハーモンは独自判断で撃墜することにしたのだ。ついでにイルマ=テスレフも狙ってみたが、これは上手くいなされてしまった。

(―――後は俺の仕事じゃないしな。デボンなら何とでもするだろ)

 気楽に思うハーモンだが、彼は知らない。横浜に住まう聖女が、件の一部始終を世界の首脳陣宛に生中継でお届けしていて、今現在相当な混乱が起こっていることを。

「ま、これで俺も晴れて御役目御免だ。色々まずい状況も呼び込んじまったが、後は政治家の仕事だろ。後は帰って冷えたビールで一杯やりたいね」
『あんな炭酸麦茶飲料のどこがいいのだ?―――男ならスコッチだろう』
「お前機械の癖に趣味が渋いな………って言うか飲めないだろっ!?」
『母親の教育のお陰だ。飲めはしないが、ビールは水と教わった。―――ところで話は変わるが、今頃上層部は大慌てだろう。今後、君はどうするつもりだ?』
「あー、状況次第だろうけど、多分デボンの下で働くんじゃないかな。どっちにしても『ハーモン=アーサー=ウィルトン』は廃業だからさ。ま、CIAの現地調査員なんていつ死んでもおかしくない仕事よりも、デボンの下でフツーの軍人やってた方がまだマシだ」
『フツーの軍人、か………。君程フツーを遠ざかった軍人はいないだろうな』
「言うなよ。こんなんでも、海軍じゃ今でも伝説的なトップガンだぜ?」
『それも随分昔の話だろう?きっと今では―――………』

 不意に、フェシカの文字が途絶える。それを不審に思って、ハーモンは眉根を寄せた。

「―――どうした?フェシカ」
『いや、今何かノイズが………―――!ハーモン!!後方より機影多数!!』

 警報の文字と共に、網膜投影のミニマップに紅いマーカーが12個後方に出現した。こちらよりもやや早い速度で追撃を仕掛けてきている。

「意外と速いな………!」
『推進剤もそれほど残っていない。時間を稼ぐために「彼等」を使った方がいいと思われる。―――どうする?』
「こんな所じゃ終われない。だからお前に賛成するさ………!」

 そう言って彼は操縦桿を握り直す。
 全ては―――再び自由を取り戻すために。






 はるか前方の夜に混じる黒い機影を見つけ、三神は不知火の管制ユニットの中で下唇を舐めた。
 伊隅を除いた11機の戦乙女を引き連れ、彼の不知火は虚空を疾駆する。時速にして約920km。追加噴射機構と『多重跳躍機構』を併用して、戦乙女達よりも少しだけ早い速度の追撃だ。もう少し速度を上げれるが、あまり早過ぎると突出しすぎてしまい戦乙女達との連携が取りづらくなる。

(―――全く。こんな所で貴方に出くわすとは、正直予想外でしたよ、ハーモン少佐………!)

 三神は深く吐息して、ハーモンの顔を思い浮かべる。
 彼と―――彼等との関わりは、厳密に言えば『最初の逆行』からだ。この世界に迷い込んだ三神の最初の逆行。即ち、2016年。おそらく人類最後の中隊―――白銀中隊の副隊長を務めていたのが、ハーモン=ラブ=ジュニア中佐。視界の先に行くナイトトムキャットを駆る彼の息子だ。
 彼本人とは度重なる逆行の中、幾度も戦場で出逢うことになる。時には命を救われた場面もあった。そして、『前の世界』では戦場以外で出逢うことがあり、その時に調べて分かったことだが、彼の所属は―――。

(―――オルタネイティヴ5『穏健派』………!!)

 それに気づければ、今回のイレギュラーの全貌も見えてくる。
 何処の世界でもそうであるように、オルタネイティヴ計画にも幾つかの派閥がある。現状で言えば、オルタネイティヴ4とオルタネイティヴ5の確執がそれに該当するが、そのオルタネイティヴ5も一枚岩ではないのである。
 米国主導ということもあってか、戦後の覇権を確保するために奔走するのが推進派。こちらには移民派なども含まれている。それを宥め、そしてG弾使用に対する不安からオルタネイティヴ5を人類最後の手段と目するのが穏健派。
 無論、派閥が違っていても他国主導の第四計画とは違って表立って反目してはいないし、現在の大統領であるジョンソン=マルチネスとそのチケット制で当選した副大統領デボン=シャイアーはそれぞれ推進派と穏健派だが、少なくとも政治に支障が出ない程度には共存している。

(まだこの時期はCIAの現地調査員に所属しているはずの彼が『穏健派』に与していると言うことは、穏健派筆頭のデボン=シャイアーに引き抜かれたのはこの頃なのか………)

 そしておそらく、クーデターに与して極東での発言権を得ようとしたのは推進派だろう。上手く行けば、オルタネイティヴ4をまるごと接収できるのだから。であるなら、穏健派が仕込んでいたのは、もしもの時のストッパーだ。

(成程、じゃぁそれが理由でナイトトムキャットを与えられた、と)

 第二世代機であるF-14はイラン等の中東にも輸出、もしくはライセンス生産されており、全世界で愛用されているF-4程ではないものの、比較的容易に入手できる。その上、あんな風に改造して機体色も真っ黒にしてれば、特定することは難しい。
 あの状況からして誰もが口封じと見ていても、確たる証拠がなければ断ずることは出来ないし、誰かが米国に罪を着せるため―――とでも言ってしまえば、逃げきることも不可能ではない。
 まぁそれでも彼等に取ってのイレギュラー―――即ち、香月がハッキングでターナー中佐の秘匿通信をオープンチャンネルに切り替えてしまったことで、言い逃れが難しくなったのだが。

『―――三神、聞こえてる?』

 噂をすれば影がさす、とばかりに強制的に回線が開き、不機嫌な香月の顔が網膜投影に写った。

「どうかしたかね香月女史。―――今現在大絶賛追撃中なのだが」
『嫌な知らせよ。―――米国大統領が「自殺」したわ』
「お得意のハッキングかね?」
『当然よ。まだ情報規制されているわ。知っているのはホワイトハウスに詰めている極少数』
「まぁ、大体犯人の目星は付いているが」

 大方穏健派の誰か―――あるいは、デボン=シャイアー本人が片付けたのかもしれない。

『アンタの思ってる通りよ。直接か間接かは知らないけど―――間違いなく、副大統領が絡んでいるわね。―――あまりにもタイミングが良すぎるもの』
「オルタネイティヴ5穏健派筆頭にして、合衆国副大統領デボン=シャイアー。まさかここで出てくるとは………」

 いずれにせよ、これでオルタネイティヴ5の派閥情勢は変わる。失態を演じた推進派は筆頭であるジョンソン=マルチネスを潰されて混乱を余儀なくされ、その間隙を突く形で穏健派筆頭であるデボン=シャイアーがトップに立つ。
 表側にしても、大統領死去の際の大統領権限継承順位というものがあり、それに則れば第一位に副大統領―――即ち、デボン=シャイアーが来る。

『「前の世界」では二年後の大統領選で再出馬した推進派筆頭のジョンソン=マルチネスと袂を分かって大統領に当選しているわね。この一種の下克上が今回の本当のイレギュラーか―――』
「それとも、『前の世界』でも同じような動きがあったのか。―――私は後者に票を入れよう」
『その根拠は?』
「半ば以上は勘。後付の理由としては、前回のクーデターは流動的『過ぎた』。顧みて今回は帝都から全く動いていない」

 『前の世界』でのクーデターは戦闘が起こってからというもの、非常に流動的に事が運んでいった。それを鑑みるに、基本的に姿を隠して動かねばならないナイトトムキャットは事態に追いつくことが出来なかったのかもしれない。
 だが、今回では最初から最後まで帝都で帰結している。
 それを念頭に置くと本当のイレギュラーは、実はこの茶番を仕組んだ三神達なのかもしれない。

『まぁ、あたしも大体同じ意見よ。それで、デボン=シャイアーの狙いだけど………』
「今回の件で出ると予想される不利益を最小限に抑える為と―――」
『オルタネイティヴ5推進派に対する戒め。そんな所ね』

 前述したように、推進派の暴走に対するストッパーとしてナイトトムキャットを仕込んでいたのならば、大凡の疑問が氷解する。まぁ尤も―――。

「とは言えあちらもイレギュラーを含んでいるからね。―――まさかターナー中佐の暴言がオープンチャンネルで流れるとは思っていなかっただろうし、それが全世界の首脳陣が生中継で見ていたなどと、夢にも思ってないだろう」

 こちらの誤算はナイトトムキャットが仕込まれていたことだが、あちらの誤算は今回の決起が最初から茶番で、更には敵に電子のスペシャリストが存在していたのを知らなかったことだろう。

『でもこちらも相手の動きを追えなかったわ。おそらくは―――』
「全てアナログだったのだろう。あのナイトトムキャットの搭乗者とは幾つかの世界で面識があるが、上司がアナログ人間で困ると言っていたよ」
『意図的にではなく「偶然」に、こちらの弱点を突かれた。―――これもイレギュラーの範疇なのかしら』

 自嘲気味にそう言って、香月は深く吐息する。
 00ユニットは万能だ。ことデジタルに関しては世界最強と言ってもいいだろう。だが、万能であっても全能ではない。アナログ―――例えば通信媒体を用いず、『直接出向く』なり何なりして計画を潜行させておけば、如何に00ユニットであっても事前に察知することは不可能だ。
 ある意味では、これこそが香月の―――00ユニット最大にして唯一の弱点とも言えるだろう。

『今回は痛み分けになるわね。と言っても、損失的な面で言えば、こちらは思い通りにならなかっただけで実質的な被害は無し。むしろあちらの方が一方的に被害を被るのだからそれで溜飲を下げるとするわ。―――アンタもあたしの手札を増やしてくれるみたいだしね』

 言外にちゃっちゃと捕縛してあたしの前に引きずり出しなさい、と言われて三神は苦笑。
 まぁ、彼としても『どちらのハーモン』も恩人に違いはない。故に撃墜などする気はないし、であるならば自然と制圧しか選択肢は残らなくなる。
 しかし、アレを制圧、と聞いただけで頭が痛い。飛び飛びではあるが、付き合い自体は長いのだ。彼等の実力を目にする機会が多分にあったが故に、さてどうしたものかと考えてしまう。

「なかなか無茶を言ってくれる。あの人の捕獲なんぞBETA相手にするのと同じか、それ以上に面倒だ」
『さっき一当してデータ攫ってみたけど、改造機とは言っても所詮は第二世代のF-14よ?幾つか特殊なシステム積んでいるけど、アンタに取っては初見じゃないはずだし―――そんなに腕いいの?あのお邪魔虫』
「私も詳しい経歴は書類上しか知らないがな。海軍に所属していた頃はその名を知らないものがいないほど腕が立つ、伝説的なトップガン。後から調べて知ったことだが、1990年からはMIAにされてCIAの現地調査員としてずっと最前線で生き抜いてきた―――猛者だよ」

 常に死線という死線を潜りぬけ、そして『壊れなかった』化物だ。その強靭な精神力は言うまでもなく、実力も生半可なものではない。

「確かに経験値ではもう私の方が上だろう。だが、私が積み重ねた経験をあの人は才能―――並外れた環境適応能力と生存能力で覆していく。正直、機体性能が同じならば、私に勝機はないだろう。正面切って勝てるのは多分、似たような才能を持つ武ぐらいだ」

 だから本当ならば白銀を連れて来るべきなのだ。だが、まだイレギュラーがある可能性を捨てきれず、結局彼を残す選択を三神は取った。

『成程、ね。けど今は機体性能差もあって、手数もある。―――そうよね?』
「ああ、このまま私が頭を抑えに行って、追いついてきたヴァルキリーズと一緒にタコ殴りにすれば負けはないさ。―――卑怯と言われようがそれが一番『穏便』だ」

 そう言った瞬間だった。網膜投影の中央にロックオン警報の文字が踊る。

「―――っ………!!」
『三神っ………!?』

 即座に全ての制御をキャンセルして、逆噴射制動を掛ける。田園を踏み散らかすように着地すると、その頭上を幾つもの銃弾が通り抜けて行った。

「―――まずい事になったな、これは………」

 着地の衝撃で歪む視線の先、近くの森にでも潜伏していたのか11機の戦術機が姿を現した。その取り合わせは雑多で、F-4やF-5、更にはそれらの改修機―――F-5Eなどもあった。いずれも第一世代で、世界中でお目に掛かることはあるが―――どれも米国が関わっている機体だ。

(―――伏兵まで用意していたとは………誤算だな)

 胸中で舌打ちして、三神は違うかとその考えを否定する。そもそも彼が介入してきた時点で何もかもが誤算だらけなのだ。今更小さな誤算が重なった程度では最早驚かない。
 問題なのは、これらへの対応だ。戦力差的に負けはないが、まともに相手をしていてはおそらくハーモンには逃げ切られる。ここに捨て駒のように配置してあることから考えてみても、相手は末端も末端、下手をすると米国とすら関わり合いのない人間で構成されているかもしれない。ならば、彼等とまともにやりあって捕まえても、大した成果にはならないだろう。しかし無視して進軍すれば、下手するとハーモンと挟撃される可能性がある。

(ここぞという時に一番やりたくない選択をしなければならないとは―――本当に、因果というのは性悪だな………!)

 目算では半々―――いや、初撃もしくは奇襲に全てを賭ければ七三ぐらいまでには釣り上がる。一対一など正直やりたくもないが、そうも言っていられない。
 だから三神は式王子に通信を飛ばした。

「―――フェンリル01からヴァルキリーズ02へ。これより私は単騎で奴等を切り抜け目標を追う。そちらはヴァルキリーズを率いてこいつらを制圧しろ。―――撃墜はするなよ?」
『―――ふぇっ!?ちょっ!ししょーっ!?』
「悪いな。―――問答している暇はない………!!」

 通信を切ると同時、三神は機体を跳躍させる。
 行く先を塞ぐ11機の伏兵は即座に反応して弾幕を張るが―――。

「―――っ!―――っ!―――っ!!」

 機体を左右に、しかも『多重跳躍機構』を併用して揺さぶることによって、狙いを外す。そして最速接近したところで最大噴射で跳躍し、敵機を飛び越える。
 跳躍したことによって、右端に映る『多重跳躍機構』のゲージが三本貯まる。フラッシュオーバー可能の合図だ。同時開放し、最大速度を得ることはこれで可能となるが、その前にしなければならないことが幾つかある。
 滞空した状態で機体をなるべく進行方向に倒し、頭部のセンサーマストを寝かせる。更に、機体上半身の関節をロックし、極力空気抵抗を受けないキャノンボールスタイルへと変える。
 ラザフォード場も無く、ましてこんな低空では危険すぎて音速超えまでは出せないが、それでも遷音速までならいける。
 網膜投影の左下に4.2秒と書かれたタコメーターが出現し、オールグリーンになる。直後、三神は『多重跳躍機構』を三発同時発動させ、機体に加速が叩き込まれた。

「征くぞっ!音に最も近い世界へ………!!」

 加速が乗ったと同時に、ヴェイパーコーンが発生し、それを置き去りにするように三神の不知火は夜空へと飛び込んだ。






 その様子を後方で認めつつ、投げっぱなしにされた式王子は思わず頭を掻き毟った。

「あーもう止める間もなく行っちゃったし………!」

 しかも何だあの跳躍速度、と半ば現実逃避しかけるが直ぐ目の前に迫る所属不明中隊に思考が行く。
 相手の技量は不明だが、機体の戦力差はこちらに分がある。あのラインナップからおそらく相手は寄せ集め―――対してこちらは第三世代機、追加噴射機構とXM3というオプション付きだ。故に、一機程度ならば欠けてもどうとでもなる。

(こっちは最速で片付けて追っかけるとして、ししょーにはせめてエレメントを組ませないと………!)

 こうして待ち伏せされていたことを考えると、未だ何かしらあるかもしれない、と式王子は考える。であるならば充てがうのは、援護や支援が出来る人材。
 即ち―――。

「とーこちゃん!道を作るからししょーを追って!!」
『えっ!?』
「こっちの相手は第一世代の中隊だから10機でもどうにかなる!けどまだ伏兵がいたら幾ら何でも単騎じゃ厳しいでしょっ!?」
『で、でも………!』
『祷子、今のお前はあの人の補佐官だ。―――理由はそれで十分だろう?』
『美冴さん………』
「はいはいはーい百合百合してないでちゃっちゃと動くー!」

 珍しく式王子が捲くし立てると。

『な、何か式王子中尉が珍しくいつもとは違う意味で怖い………何だか上官みたい』
『ほら、上司に仕事を投げっぱなしにされた中間管理職の人みたいな感じだよきっと。―――普段、伊隅大尉まかせで楽してるから、たまにこうした仕事が回ってくると焦っちゃうんだろうなぁ………』
『それって結局自業自得じゃないですか?』

 高原、麻倉、七瀬の順で失礼なことを言ってくれるので、式王子はにっこり微笑んで。

「そこの三人、後で撮影会ね?―――大丈夫、際どい衣装を選んであげるから」
『ひぃっ………!?』

 顔を引き攣らせて悲鳴をあげる新任達に釘を刺すと、そろそろ敵が射程範囲内に入る。だからその前に―――。

「じゃぁ、いつもの斉唱!」

 ―――死力を尽くして任務にあたれ。
 ―――生ある限り最善を尽くせ。
 ―――決して犬死するな。

 朗々と、乙女達が声を重ねる。ただそれだけで、気持ちが戦闘する為のものへと切り替わる。
 そして―――。

「征くよ!ヴァルキリーズっ………!!」
『了解………!』

 11機の戦乙女達の戦いが始まった。






 同じ頃、横浜基地ではパウル=ラダビノット司令を筆頭に、基地に入り込んだ諜報員の洗い出しが行われていた。予め該当者を絞り込み、わざと手が塞がるような仕事を割り振っていたので、比較的容易に制圧、拘束へと至ったのだが―――。

「くそっ………!!」
「待てぇいっ!!」

 白い通路を全速力で駆け抜けながら、その大佐は背後から迫る鬼のような形相の司令とMPから逃げていた。彼は一度は捕まりかけたのだが、一緒にいた同胞の手により創りだされた僅かな隙をついて逃走したのだ。

(このままではまずい………!)

 逃げ出せたのはいいが、何の事前準備もしていなかったので、逃走経路もプランも何も無い。身につけているもので使えるものといえば護身用の拳銃ぐらいだが、背後には小銃で武装したMPが数人いるのだ。どうにかなるものではない。
 さてどうするか、と走りながら思考を巡らせていると、行先に二人の少女の姿を認めた。

(―――!あれは………第三計画の!!)

 一人は銀髪の少女。もう一人は赤毛の少女。赤毛の方は知らないが、銀髪の少女の方は知っている。
 この基地で行われている第四計画の前身、第三計画の研究成果とも言える被験体だ。どれほど第四計画に関わっているのかまでは知らないが、それでも非常に重要な人物だということは知っていた。
 しめた、と思った大佐は懐に仕舞った拳銃を取り出すと、その二人に向かって走りこみ、こちらに気づいて驚きの表情を浮かべる赤毛の少女を突き飛ばした。

「どけっ!!」
「きゃぁっ!?」
「純夏さん………!」

 そして、銀髪の少女―――社霞の背後へと回りこむと、その細首に腕を巻きつけ、右手にした拳銃の銃口を突きつける。

「動くな………!!」
「ぬぅっ………!!」

 叫ぶと、司令とMP達の疾走が止まる。それを見て、思ったとおりだと大佐はほくそ笑んだ。
 当然だが司令も社霞は第四計画にとって重要なポジションにあることは知っている。ならば、それを人質にとってしまえば、この劣勢を覆せる。

「悪いですが司令。このまま逃げさせていただきます。余計な手出しをすれば―――この娘がどうなるか、分かりますよね?」
「情報漏洩では留まらず………何処まで落ちる気かね?君は」
「この際どこまでも落ちますよ。なぁに、逃げ切れさえすればまたやり直しも出来ます。―――その伝手もありますからね」

 積み上げたものは捨てなければならないが、どの道諜報員として必要だったもので大した愛着もない。捕まれば銃殺刑は免れないが、生きて逃げ切ればまたやり直せる。
 彼がここからの脱出方法を高速で考えていると、人質がおずおずとこう言った。

「あの………私を、離した方がいいです」
「人質は大人しくしてろ」
「いえ、ですから………あ………」

 何とかして何かを伝えようとする社だが、何を感じたのか深く吐息して諦めたように目を伏せた。

「………もう、手遅れです………」

 一体何を言っている、と疑問に思った時だった。

「―――霞ちゃんに、何してるのさ」

 ぞわり、と大佐の背筋に今までに感じたことのない悪寒が走り抜ける。声の方に視線をやれば、今しがた突き飛ばした赤毛の少女―――鑑純夏がゆらり、と立ち上がっていた。
 何の変哲もない、細身の少女だ。少なくとも、見た目はそうだ。だと言うのに何故―――彼女の周囲の空気がこうも重いのか。

「動くな………!この娘がどうなっても………」
「私の妹に何してるのかって聞いてるの」

 鑑が一歩前に足を踏み出す。そしてぽつり、と呟きのような問い掛けに、何故か猛獣に睨まれたかのような威圧感を覚え、大佐はこの状況を見せ付けるように社に突きつけた拳銃に力を込めた。

「う、動くなと言ってるだろうが………!」

 ―――あるいは、それが引き金だった。

「痛っ………!」

 硬い銃口を頭に押し付けられ、それが痛かったのだろう、社が苦悶の表情を浮かべた。その瞬間、鑑の中で何かが弾け飛んだ。

「っ!!―――もう、怒ったんだから………!!」

 ―――さて、ここで思い出して頂きたい。
 この世界の鑑純夏という存在は、00ユニットではなくあくまで人間である。しかしながら、その身体は精製過程で能力を底上げされており―――早い話が、そこらの軍人よりか余程身体能力が高いわけで。
 更には大事な者が奪われるかもしれないというこの局面で、この少女が何もしないはずもなく―――。

「ジャブ………!」
「ぬわっ!?」

 彼我の距離は確かに4メートルはあった。それを一足で飛び込んだ鑑は左手を一閃させ、大佐の右手―――即ち、拳銃を握った手を弾く。
 一体どれほどの膂力が加わっているのか、射線がずれるどころではなく、右腕ごと弾かれ大佐は驚愕の表情を浮かべる。だが、それで終わるわけがない。
 一閃させた左腕を引き戻すと同時、鑑は右に身体を倒し、右腕を旋回させるような動きで―――。

「ボディ………!」
「ぐふっ………!?」

 抱え込まれた社の身体を回りこむように右フックが大佐の左脇腹へと突き刺さり、爪先が宙に浮いた。社はそれをリーディングで読んでいたのか、拘束が緩むと同時にしゃがんで転がるようにして退避。
 ―――射線が開く。
 右フックを放った慣性を利用して、『左』腕を引く。踏み込んだ右足の爪先を浮かせ、踵を中心に捻って回転エネルギーを下から上へと増幅しながら押し上げていく。
 そして―――。

「どりるみるきぃ―――」
「純夏さん!ふぁんとむは駄目です………!」

 社の叫びと同時に、鑑は一瞬躊躇する。
 そうだ。ふぁんとむは駄目だ。アレはヤバイ。下手すると―――いや、下手しなくても自滅する。

(―――ど、どうしようっ!えっと、えぇっと………!!)

 今更変更も効かなくて、鑑が思考を高速化させていると、ふと脳裏に某財閥御曹司のライバルの顔が浮かんだ。
 左足の震脚と共に繰り出すのは―――左フック。

「~~~―――ぶ、ぶーめらんっ………!!」
「くろにくるっ………!?」

 それが大佐の右頬へと突き刺さり、更には吹き飛んで通路の壁にめり込んだ。
 ―――後に、その様子を見ていたMP達の間で鑑は噂になり、彼等どころか司令でさえも畏敬の念を以て接するようになるのだが―――それはまた別の話である。







 米国軍への対応を任された国連軍の一団の中で、白銀は嫌な予感を二つ感じていた。一つは、近い内に自分の身に降り掛かるであろう予感。もう一つは―――。

(―――あの黒い機体………)

 白銀は胸中でそう呟いてあの機体―――ナイトトムキャットを思い出す。
 事前に、イレギュラーが起こった際の対処は基本的に三神が対応すると決めていたことなので、帝都に残されることになった白銀に不満は無いが―――何故か、嫌な予感が消えない。

(―――どうする………?)

 幾度かそう呟き、結果として出した答えを伝えるべく、伊隅に通信を繋げる。

「伊隅大尉。オレ、やっぱり皆を追います。何か嫌な予感がして………」
『―――一応、命令違反になるぞ?』
「終わったら、自分で営倉でも入って反省しますよ」

 そう言って苦笑する白銀に、伊隅は大きくため息を付いた。どうやら、引き止めても無駄だと悟ったようだ。
 だからこそ、彼女は白銀の楔を引き抜く。

『白銀中尉。現場指揮官として命ずる。―――三神少佐達を追え』
「伊隅大尉………」
『現場判断と言うやつだ。―――お前はもう少し賢く生きろ』
「はい!ありがとうございます………!!」

 そして、闘神までも追撃に加わっていく―――。








[24527] Muv-Luv Interfering 第四十二章 ~乱舞の雄猫~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/07/15 04:18

 10機の不知火と、11機の第一世代の混成部隊が三度目の交錯を迎える。
 一度目の交錯はそれと同時に、風間機が突出し、XM3特有の機動パターンを用いて潜り抜けてこの場を後にした。二度目の交錯は風間機を安全に先に行かせるために、残された10機の不知火が弾幕を張り、一時的に遅滞戦闘を行った。
 そして、これが三度目の交錯―――。

(―――っ!巧い………!!)

 ヴァルキリー07のコールサインを預けられている涼宮茜は相手の機動に舌を巻きながら、それでも攻撃の手を緩めない。構えた銃から吐き出される36mmが敵に突撃していき―――掠めるだけに終わる。
 相手は第一世代機。こちらは第三世代機―――その上、XM3と追加噴射機構のおまけ付きだ。正直な所、最初の一当―――悪くとも二当目で大体の勝負は決すると思っていたのだ。
 だが現実にはどうだ。
 相手は第一世代機―――当然のようにノーマルのOSであるのにも関わらず、こちらに劣らぬ動きで食いついてきている。流石に最初の風間の吶喊にこそ驚いていたようだが、続くヴァルキリーズの動きにはしっかりと対応している。

(まるで三神少佐みたい………!)

 個々の動きはそれ程突出したものではない。むしろ逆に、総じて地味だ。こちらの砲撃も何度か当てていて小破、中破には至っているし、制圧も時間の問題だろう。しかし、涼宮だけではなくヴァルキリーズの全員が同じこと思って舌を巻いていることだろう。
 ―――相手は玄人。それも、おそらくは最前線で戦い続けた玄人だ。
 当たりはする。機動ではこちらが勝っている。おそらく、瞬発的な才能でもこちらの方が優れているだろう。
 だが―――致命傷を与えれない。
 主脚を失っても、跳躍ユニットの出力を調整して動く。
 主腕を失っても、背部担架に載せた突撃砲で攻撃してくる。
 衛士としてはおそらく凡才。だと言うのにも関わらず、まだ決着が着かない。無論、押しているのはこちら側だ。やがては勝利に至ることは出来るだろう。予感ではなく、確信に近いレベルでそう思える。
 だと言うのに―――。

(―――しぶとい………!!)

 何一つとして目立つ所がないが、それでも何かを挙げるとするならばその粘っこい巧みさ―――異常なまでの継戦能力か。更に、こちらは撃墜という手を封じているのが戦闘の硬直に拍車を掛けていた。
 相手の主脚を狙ってトリガを引く。それに合わせるようにしてぬるり、と相手が動く。結果として、数発掠りはしたが装甲を削るだけに終わってしまった。まるでこちらの攻撃のタイミングを熟知しているかのようだった。

『ヴァルキリー02からヴァルキリーズ各機へ!動きを止めちゃダメだよ!?―――敵は全員ししょーだと思って!!』

 式王子から通信が入り、皆が苦笑する。どうやら思っていたことは皆同じだったようだ。

『ヴァルキリー04〈宗像〉了解。―――この間、訓練でたっぷり虐められましたからね。その意趣返しと行きましょうか』
『ヴァルキリー08〈柏木〉了解。―――うわぁ、随分直接的な八つ当たりですよねー。しかも半月以上も前の事なのに』
『ヴァルキリー03〈速瀬〉了解。―――ま、気持ちは分かるけどね。あの日は宗像と風間のとばっちりであたし等まで酷い目にあったし』
『ヴァルキリー06〈紫藤〉了解。―――私怨?』
『ヴァルキリー10〈高原〉了解。―――その上逆恨みもいいところですけどね』
『ヴァルキリー11〈麻倉〉了解。―――ひょっとして言い出しっぺの式王子中尉もそう思ってる?』
『ヴァルキリー12〈七瀬〉了解。―――あれですね。OLの給湯室的なささやかな仕返し』
『ヴァルキリー09〈築地〉了解。―――アレ?中尉って意外と小心者?』
『こ、こらー!こんな時に私をネタにしないの!!―――激写するよっ!?』

 直後、皆が貝のように口を閉じた。
 こんな状況でもみんな元気でいつも通りだなぁ、と涼宮は思う。これもあの少佐と関わるようになってからだ。今が対人実戦であるということを考えると、少し気を抜き過ぎな気がしなくもないが、妙に緊張してガチガチになってしまうよりかは余程いい。

(でも、あたしは………)

 ここ1カ月と少しでA-01は劇的な変遷期を迎えている。特に実力面に関してその傾向が顕著であり、11月11日の迎撃戦を超えてからは新任達も一皮も二皮も剥けた。
 涼宮自身も強くなっていく感覚はあった。しかし、どうにもそれに高揚を覚えない。むしろ、強くなっていくことを自覚するたびに、焦りにも似た感情が湧き上がっていく。いや、それは間違いなく焦燥感だ。技能のレベルが上がっていくたびに、周囲との実力差が浮き彫りになって行くのだから。
 ―――置いて行かれる。そんな子供のような不安が胸の奥で燻り続けている。
 彼女自身気づいていないことだが―――彼女が劣っているわけではない。周囲のレベルが高すぎるだけだ。付き合いの長い元207A分隊に関しても、遅咲きだったのか伸び白が凄まじいだけだ。
 だが、それでも―――。

『ヴァルキリー07?―――あーちゃん?どうしたの?』
「あ、い、いえ、ヴァルキリー07了解!何でもありません!」

 いけない、と思う。妙な思考の迷路にはまり込んで、少し集中力を欠いていた。ただでさえ対人戦闘―――その上、撃墜は封じられているのだ。こんな事ではいけない、もっと集中しなければ、と思った時だった。
 ―――後方から、高速で突っ込んでくる機体を感知した。
 コールサインはフェンリル02―――白銀だ。






 遷音速に突入していたためロックしていた機体上半身を解除して、白銀は機体を着地させると同時に通信を開く。

「こちらフェンリル02………!みんな無事ですね!?」
『こちらヴァルキリー02!大丈夫だよー!』
「庄司は!?」
『黒い機体を一人で追っていっちゃった!フォローにとーこちゃん回してる!』

 式王子から状況を聞いて、白銀はパズルのように現状を取りまとめる。目の前にいる第一世代機の11機―――ヴァルキリーズと何度か交錯した為に既に至る所が小破、もしくは中破している―――の狙いは間違いなく足止め。
 やはりあの黒い機体を鹵獲されたくはないらしい。

(―――まだだ………まだ嫌な予感が消えない………!)

 背筋に粘着くこの言い知れぬ感覚は、BETA群と相対したその時と同じものだ。
 ―――放っておけば、何かを失う。
 漠然とした、しかし確信に近い焦燥感が白銀の胸中を焦がしていた。

(―――やっぱりあの黒い機体だ………!アイツと庄司を戦わせちゃいけない………!!)

 理由は分からない。機体的な面で言えば、XM3と『多重跳躍機構』を積んでいる不知火に改造機とは言え、幾ら何でもF-14が勝てるとは思えない。ならば腕の差か、と問えば100年以上生きている三神の方が経験で勝るはずだ。
 だから、何故ここまで焦るのか―――本当に理由が分からない。
 だが、『あの三人』を戦わせてはいけないと、心の奥底で警鐘が叩き鳴らされている。
 故にこそ、白銀は決意する。
 状況的に見て、此の場をこのままヴァルキリーズに任せておいても問題ないはずだ。機体面でも技能面でも、今の彼女達に届く衛士は少ない。ならば、此の場で自分がすべきことは無いだろう。

「―――援護してください!オレもあの黒い機体を追います!!」
『ヴァルキリーズ02了解!頑張って!!』

 宣言と同時に突出。突撃砲を構えて弾幕を張り、ほんの僅かなほころびを作り―――。

「退け………!!」

 そして白銀は、再び音に最も近い世界へと跳躍した。






「―――追いついた………!」

 足止めの部隊を潜り抜けた風間は、推進剤の消費を気にも止めず最大速度で追走し、遂に先行する二機の姿を認めた。視線の先―――茨城県石倉山の夜空を変速的、そして変則的な軌道を描きながら、二機の戦術機が舞う。
 片方は国連カラーの不知火。右手腕に逆手の長刀を装備し、左主腕には突撃砲を装備。両肩と両脹脛に追加された噴射機構を最大展開し、左右の噴射跳躍ユニットの間に装着された『多重跳躍機構』で追加加速することによって、既存の戦術機にあるまじき速度を叩き出し、目標を追撃する。
 その目標―――即ち、もう片方は漆黒のトムキャット。追撃者よりも若干スピードは劣るものの、同じように『多重跳躍機構』を用いる事によってとても第二世代機とは思えないほどの高機動を実現している。
 空中に刻むのは排出口から放たれる、前へと進む意志―――その残光の軌跡。離れては引かれて、競う合う独楽のように二機は激突を繰り返して、シュプールを描くように交錯する。
 その姿はまるで―――何かの対話のようだった。

「―――少佐、今、そちらに参ります………!」

 そして風間は、彼等に届くために―――最後の加速をぶち込んだ。







 F-14F―――ナイトトムキャットの管制ユニットの中でハーモンは忙しなく操縦桿とペダルに行動を入力を叩き込みながら毒づいた。

「くそっ………!どうなってやがる………!?」
『相手は第三世代機―――その上、こちらと同じように多重跳躍機構を持っている、か。しかし、元々多重跳躍機構は随分前に発明はされている。―――それ程不思議がることはないだろう?』
「この状況下でよくそんな落ち着いてられるな!?つーか問題なのはそっちじゃねぇっ!!あの機体の反応速度だ………!!」

 叫ぶと同時、ロックオン警報が来たので、機体をわざとダッチロールさせ、加えて多重跳躍機構を発動させることで錐揉み回転。その脇を36mmが飛んでいき、どうにか回避することができた。
 しかしながら、ただでさえ進行方向への速度は時速1000kmを超えている。その上機体を振った為、即座に制御を失いかける。遠心力によって思考さえ吹き飛び掛ける中、ハーモンは逆噴射制動で最大噴射させ、機体を必要以上に起こしてから通常噴射へと切り替える。すると機体は上向きとなり、上空へと登る。
 佐渡ヶ島ハイヴがあるために、この周辺は1km以上の高度までは上がれないが、それでも緊急機体制御を加えるだけならばそれで十分だ。

「―――っくはぁっ………!今のは本気で死ぬかと思ったっ!!」
『―――あの状態でよく復帰できたな。流石私の主人と言っておこう』
「ありがとうよっ!相手がお情けかけてくれてるお陰だっての………!」

 フェシカの言葉にハーモンは皮肉げに笑う。
 機体の性能差を鑑みても相手の方が有利だ。実力面に関しては、こちらとほとんど拮抗している。それでもまだハーモンが無事でいられたのは、相手がこちらを落とす気がない為だった。
 決して遊んでいるわけはないだろう。であるならば、相手が上から受けている命令はこちらの捕獲と見て良い。しかしながら、それ故にというべきか―――先程から戦闘は硬直状態に陥っていた。
 何度か撃ち合い、交錯したが互いにロックオンと同時に多重跳躍機構を発動して軸をずらして回避する。離れた距離を再び詰めては同じことを繰り返し―――互いに掠りはするものの、小破にすら至らない。

『それで、君は反応速度を気にしているようだが―――確かに、既存の機体より三割ほど速いな』
「それだけじゃない………!アイツ、硬直が『一切無い』んだよ!それを狙ってフェニックスをもう3発も叩き込んだってのに―――だからあっさりかわされる………!」

 戦術機には行動後硬直と呼ばれる現象が存在する。所謂、CPUの処理落ちに近い現象だが、これを如何に少なくすることが出来るかが衛士としての腕の見せ所だ。そしてこれは、腕に寄って極限まで少なくすることは出来ても、『無くす』ことは不可能だ。
 しかし、相手はそれを可能としている。フェニックスの初速の遅さと巡航速度を踏まえ、行動後硬直直前を狙って発射しても、その行動後硬直が無いのだから基本的に弾速が速い故に直線的にしか動けないフェニックスでは追従できない。

(―――追加装甲に仕込んだフェニックスは後1発………!これは虎の子で残しておくとして、後残っている手は………!!)

 相手の追撃を機動でいなしながら、ハーモンは思考する。残っている手はあることにはある。
 それこそがこの機体が単座でありながら複座と同じスペースであり、更にはフェシカ等というA.Iを積んでいる理由。更には普通のF-14よりも重く、それ故に多重跳躍機構に頼らなければならない理由―――この雄猫が騎士と呼ばれる所以。
 ―――Kシステム。
 ハーモンがそれに思い至った時だった。網膜投影の専用ウィンドウに文字が踊る。まるで―――籠に閉じこめられた雄猫の、野生の声のように雄々しく。

『―――ハーモン。私はKシステムの起動を提案する。このまま戦えば、推進剤不足で領海付近で待機している輸送艦に届かなくなる。ならば、全力を以て障害を排除するべきだ。Kシステムを使い切れば、軽量化もできるからな』

 フェシカのその提案に、ハーモンは若干思案してから深く吐息した。どの道、事態は硬直状態にある。これを動かすためには、何かしらのアクションを起こさねばならない。

「―――仕方ない、か。パージして痕跡残すのは出来る限り避けたかったんだけどな。まぁ、どっちにしても領海付近に辿り着けないってんならパージする他無いか」
『そうだな。―――時間を掛ければ、どちらに転んでも我々の負けだ』

 このまま戦闘を続けていれば、いずれ推進剤が尽きる。そうすれば、例えここを凌ぐことが出来ても帰還は望めない。それよりも先に相手がこちらの撃墜も厭わなくなってしまっても、おそらく『このまま』では負けてしまうだろう。
 ならば第三の手を打つしか無い。

「―――フェシカ。Kシステム起動。全力で奴を落とす………!」
『Yes.My Lord―――.〈畏まりました。我が主―――〉』

 承認と同時、網膜投影の専用ウィンドウに『Knight System』の文字が浮かび上がり、遂に雄猫の騎士はその本領を発揮する。

「さぁ征くぜフェシカ………!何故この機体に騎士の名を冠されているのか―――奴に教えてやれ………!!」

 そして―――雄猫の乱舞が始まる。








 天を駆け上がるF-14Fを追撃しながら、三神は口元を歪めて笑みを浮かべていた。

「流石ですハーモン少佐………!」

 ここまでは予想通りだ。
 十年以上最前線で一人戦い続けてきた彼相手に、真正面から挑んで勝てるとは三神も思ってはいない。経験で言えば、八十年以上前線にいる三神にも言えることだが―――しかし、才覚が二人の能力に差をつける。―――即ち、状況への適応能力。そして、生存へ至るための勘だ。
 三神はそれを死を重ねて積み上げてきたが、ハーモンは生き続けて研ぎ澄ませてきている。どちらが優れているのかと問えば、どちらともと言うしかないだろう。結局の所、違いがあるとするならばその方向性でしかない。
 故に互角―――追撃戦は硬直状態へと陥っている。

(機動力に関しては優っているが―――やはり正面からは厳しいな………!だからこそ狙うべきは、あちらの『奥の手』が出てからの奇襲………!)

 三神の乗る不知火に搭載されている追加噴射機構も多重跳躍機構も、元はF-14Fに搭載されていたもので、『前の世界』で香月が半ば趣味となったハッキングで何処からか引っ張ってきた技術を再構成し改良を加えたものだ。更には乗せる機体が第三世代機であることもあって、速度差で負けることはない。
 そしてこの戦闘に関して言えば―――いや、この戦闘だからこそ、状況は三神の方に有利に働く。何故なら、相手はこちらの手の内を知らないが、彼は相手の手の内を知っているのだ。

(あちらの武装が私の知っている通りのものなら、残っているフェニックスは後一発。通常兵装の突撃砲三門と短刀二本に―――奥の手のKシステム………!!)

 米国らしいといえば如何にも米国らしい砲戦特化型装備に加え、奥の手のKシステム。その実態は、フェシカと呼ばれる支援システム専用のA.IにF-14Fに搭乗する衛士の機動パターンを覚えこませ、機動毎に起こる死角や硬直をフォローするための―――対密集戦闘用自律砲撃支援システムだ。
 XM3がキャンセルによってそれを『無くす』ことを前提に組まれているように、Kシステムは死角や硬直を攻撃に『転化』することを前提に製作されている。
 所謂、砲撃防御―――まさしく、騎士の名にふさわしいシステムだ。
 F-14Fが従来のトムキャットに比べて一回り大きい理由がここにある。機体各部に追加されたような装甲は、実は全て36mm銃架の格納装甲となっているのだ。総数は両側肩部二門、腰部二門の計四門。実際に装備できる突撃砲を含めると、総計八門による大砲撃が可能となる。
 とは言うものの、所詮改造機―――元がトムキャットでそれ専用に設計されていないこともあって、積載弾数は一門辺り1マガジン分にすら届かず―――約1000発が限度で、更には戦闘中の弾倉交換も出来ず、使い切ったらパージするという使い捨てのシステムになっている。加えて、その専用装備の為に機体重量が嵩み、だからこそ多重跳躍機構という追加の跳躍システムが必須となってしまっている。
 因みに、後の後継機となるFB-2000〈トランザム〉ではこの問題は解消されており、挙句120mmにも対応するようになって、更なる砲撃特化となってしまうのだが、それはまた別の話だ。
 まぁ、それはともかく―――。

「Kシステム―――来るか………!!」

 網膜投影の先、上昇してこちらの追撃の手から逃げていたF-14Fが反転、急降下と同時に最速接近してくる。
 おそらく、狙いはすれ違い際。そこで仕込んだ銃架で攻撃してくるはずだ。それで致命傷にはならなくても、相手が自分の手の内を知らないということを前提にしていれば、致命的な隙にはなると考えているのだろう。確かに、そこを突いて再度攻撃を加えれば、その時こそ本当に決着する。
 だが、そうしたハーモンの目論見は最初―――いや、前提からして崩れている。何故なら、三神は彼等の奥の手であるKシステムの存在を知っているのである。
 故にこそ―――。

(なら敢えて―――誘いこむ………!)

 すれ違い際に来ることが分かっているのならば、その時にこちらの本命を叩き込めばいい。元々、逆手に構えた長刀など、すれ違い際にしか使えないのだから。掠りでもすれば―――この速度だ。相手も体勢を崩す。そこを多重噴射機構で追い縋ってやれば、勝ちを収めれる。

「さぁ―――征きますよ!ハーモン少佐………!!」

 36mmを適当にばら蒔く。ロックオンも全くしておらず、本当にばら蒔くだけではあるが、演技としてはそれで上等だ。
 そして、その弾幕とも言えない火線を、揺れる木の葉のようにヒラリヒラリと潜りぬけ、F-14Fが接近。彼我の距離が詰まっていき―――。

『ヴァルキリー05、フォックス2―――っ!』

 警告と同時に120mmが飛来し、F-14Fの右手腕に装備された追加装甲に突き刺さり、主腕ごと破砕した。

「なっ………!?祷子………!?」

 驚きに目を見開いた三神が戦況表示図を確認すれば、マップには確かにヴァルキリー05の文字があった。おそらくは単騎で追撃したこちらの身を案じて式王子辺りがフォローに寄越してきたのだろうが、タイミングが悪い。
 その上―――まだ相手は動ける。
 感知と同時に僅かに機体制御を加えていたのだろう。120mmの直撃を受けたのにも関わらず、右手腕を失っただけで済んだF-14Fは錐揉み回転しながら地表に向かって落下するが、激突する寸前で体勢を立て直し―――。

『えっ―――!?』

 多重跳躍機構を用いてヴァルキリー05へ反転。左主腕に残った突撃砲を斉射しつつ接近を開始するが、弾が切れたのか突撃砲を投げ捨て、膝部から短刀を取り出すと更に加速した。対する風間は応戦しつつ、距離を取るべく後退するが―――間に合わない。

「ちぃっ………!?」

 三神は舌打ちして、機体を反転し多重跳躍機構を発動。加え跳躍ユニットを最大噴射まで引き上げ加速。その加速で得た吸気をすぐさまイオン化、フラッシュオーバーさせて順次追加速を叩き込む。
 瞬間的に第三世代機の速度を凌駕する加速性能を以て、カットをすべく風間とハーモンの間に割って入るが―――ハーモンは転進すること無く、それどころかナイフをこちらへ投擲して、更に加速する。
 セオリーを無視した、いっそカミカゼとも言えるその行動に三神は眉を潜め―――顔を引き攣らせた。

(―――!?まさか………!)

 弾幕を張り、飛来したナイフを右主腕を犠牲にしつつ受け止める彼の脳裏に過ぎったのは、いつかの世界、武装を全て使い果たし、丸腰となったF-14Fが―――速度という武器を使って要塞級に飛び蹴りをかます姿だった。

「しまっ………!?」

 気づいた時にはもう遅い。
 幾つかの36mmを被弾しようとも加速を止めなかったF-14Fは、それそのものを武器にして、右主脚を突き出し―――。

「ぐっ………!?」
『きゃぁっ!?』

 両手腕をクロスさせてガードをしたものの、それを軽々と飛び越える大質量の直蹴りを喰らい、三神機は背後の風間機を巻き込んで吹き飛んだ。








 一方その頃、ヴァルキリーズと死闘を繰り広げるナイト中隊は、各機動いてはいるものの―――ほとんどの機体が『それだけ』という現状だった。
 そもそも第三世代機相手に第一世代機では余程の腕の差が無ければ敵うわけがない。ある程度は詰められるとは言え、それでも世代間の能力差はほぼ絶対に等しいのだ。
 ナイト中隊がまだ中破止まりで奮戦していられたのは、第一世代機の頑健さに救われている面が大きい。でなければ、とっくに大破していることだろう。
 それに加えるとすれば、相手がまだ本気でないことが理由に挙げられる。ならばこそ―――本気になられる前に逃げるのが一番だ。

(―――さて、そろそろ引き際だな………)

 この中隊を任されているナイト02は状況を鑑みてそう思う。
 各機至る所に被弾しており、これ以上の戦闘続行は厳しいだろう。折しも、予定していた七分を既に耐えぬいている。第一世代機で第三世代機―――しかもおそらくは改良機―――の猛攻を七分耐えたのだ。お義理は果たしたと言っても過言ではない。
 だからこそ、彼は予定通り逃げ出すことにした。

「ナイト02からナイト各機へ!―――ずらかるぞ!各機、タイミングを合わせろ!!」
『了解………!!』

 呼応と同時、ナイト中隊は変則的な陣形を取り始める―――。







 その様子を見ながら、紫藤は眉を潜めた。

(不可解。―――反撃?)

 当初の予定通り、相手の主脚や主腕を狙って削り、敵の機動力が落ちてきたところで、鶴翼参陣を展開し始めた所だった。このままにじり寄って囲い込み、制圧しきればこちらの勝ち―――と思ったところで、紫藤は妙な違和感を覚えたのだ。
 敵の陣形が変化しつつある。
 こちらの陣形を考慮してか、側面防御を重視していた楔参型から鎚壱型へと変わっていく。陣形そのものは珍しくない。戦術機運用を考えると、これはむしろ基本戦術陣形だ。
 だが、敵が抱えている条件はシビアだ。ただでさえ機動力に劣る第一世代、加えて戦闘による各部損傷。こちらが撃墜を封じているために一足飛びに決着までは至らないが、それでも着実にダメージを与え、相手は最早風前の灯火と言って過言ではない。
 そんな状況下で、攻撃陣形を取るというのもおかしな話だ。自滅覚悟でやるならばともかく、相手にはそんな余裕すらないはずだ。
 だから紫藤は機体のセンサーを最大レベルにして―――気付く。
 鎚壱型の正面四機の主機が異常加熱―――有り体に言えば、暴走状態にあることを。
 これが指し示すところは即ち―――自爆。

「っ―――!全機後退―――っ!!」

 紫藤が警告を促すと同時、後方七機が何かを上空に撃ち上げ、それが四散すると一斉に通信障害が発生する。そして全敵の管制ユニットが射出され―――一拍置いて正面四機の敵機が爆散。
 自爆時の衝撃と上空にばら蒔かれた金属粉―――チャフの影響で、通信が復旧できない。有線接続すればいいが、全機繋げるのには時間が掛かる。

『―――………ち………ら………!こちらヴァルキリー02!みんな、聞こえる!?』
「―――無事」
『何だったの今の………』
『―――機体の主機を暴走させて爆発の前にベイルアウト。ついでにチャフをばら蒔いて目眩まし………って所かな。無茶するなぁ………』

 結局、センサーや通信が復旧する頃には射出された管制ユニットの行方は分からなくなっていた。ベイルアウト時の方向はどの戦術機も後方へと向かうが、自爆の影響を免れた他の機体を見てみれば、機体そのものを傾けて各々方向を調節していて、散り散りになっていた。
 それでもその進行方向を辿れば追いつけるかもしれないが―――機体を放棄したとしても裸一貫という訳ではない。強化外骨格があるため、生身よりも素早く移動ができる。更に運の悪いことに、近くに石岡市等の街があり、そちらの方向へ潜り込まれてしまえば最早発見も難しくなる。
 つまり、これは―――。

『逃げ………られた………?』

 誰かの呟きに、皆が意気消沈する。そんな空気を慮った訳でもないだろうが―――式王子が、珍しく真面目な顔で口を開いた。

『―――そんな事より、もっと大切な事があると思うの』

 この上まだ何か有るのかと皆がげんなりして―――。

『コレ、帰ったら少佐と副司令といーちゃんのお仕置きフルコースじゃない?始末書付きで―――私だけ』

 その問い掛けに、皆は一斉に顔を背けた。

『ねぇっ!みんな顔背けないでフォローしてよ!自分で言っててなんか怖くなってきちゃったよ!へるぷ!へるぷみ~!!』

 その魂の叫びに、しかし皆は応えなかった。

『うわ―――ん!帰ったらみんな激写してやる―――!!』








 右の主脚で三神機に強引な直蹴りを叩き込んだハーモンは状況を確認する。蹴り飛ばした不知火は、増援で現れた不知火を巻き込んで、二機共々転倒。無力化、という意味では上々の結果にはなった。

「―――やったか………!?」
『そのようだ。死んではいないようだが、しばらくは衝撃で動くことが出来ないだろう。機体の方にも双方ダメージが行っているだろうしな。―――それよりもハーモン。君は人の体だと思って何という無茶をしてくれたんだ』
「仕方ないだろ?さっき食らった120mmであちこちダメージ出てんだから」

 フェシカの小言にハーモンはうんざりしながら機体ステータスをチェックする。
 先程の乱入の際食らった120mmは追加装甲のお陰で機体本体への直撃は免れたものの、弾頭炸薬が虎の子で残しておいたフェニックスと右肩部と右腰部のKシステム―――銃架に誘爆し、結果的に右主腕が犠牲になった。更には誘爆の影響であちこちエラーが出ており、これ以上の戦闘続行は幾ら何でも厳しいものがある。
 だからハーモンは奇策を取った。
 増援として現れた機体を狙うように見せかけ、あの厄介な相手を誘い、喰い付いたところで転進強襲するつもりだったのだ。しかしどういう訳か相手はそのまま守りに来たので、二人まとめて吹き飛ばすことにしたのである。
 こちらの右主脚のオートバランサーを代償として払うことになったが、後は逃げ切るだけなので対価としては安いほうだ。


『とどめは刺さないのか?』
「ただでさえ旗色が悪いんだ。『事故』ならともかく、下手なことしてデボンの仕事増やす必要はないだろうよ」

 政治方面には明るくないハーモンではあるが、今ここでこの二機を撃墜してしまえば、日本にも国連にも要らぬ口実を与えてしまう可能性があることは理解できる。
 やむを得ない状況ならばともかく、現状無力化できたのだから、それ以上は望むべきではない。

「―――思ったよりはあっけなかったな。ま、お互い運が無かったってことか」

 そう、呟いた時だった。

『―――手前ぇ………!!』

 オープンチャンネルで、少年の怒声が響き渡る。
 そしてこの日のハーモンにとって、最大の苦難となるべき存在が―――遂に来た。







「う………」

 ずきん、身体を突き抜けた衝撃の残滓があって風間は目を覚ました。
 大部分の衝撃は強化装備の方で吸収してくれているが、それでも戦術機という大質量の衝突があったのだ。生半可な衝撃ではないし、巻き添えを食らった自分の方でさえこの状態だ。直撃を受けた『彼』の方は一体どうなっていることか―――。

(―――そうだわ!少佐は………!?)

 瞬間的に目が覚める。あれからどうなったのか―――事態を正しく認識しようとした時だった。通信が開き、白銀の顔が大映しになる。

『―――風間中尉!無事ですか!?風間中尉!!』
「白銀中尉………!?どうしてここに………?」
『そんな事はどうでもいいです!庄司が応答しません!それに、バイタルが………ちぃっ、逃がすかよっ!!』

 どうやら、白銀は白銀であの黒い機体を追っているらしい。そして風間は三神の機体データとバイタルを呼び出し―――絶句した。

「―――そんな………っ!?」

 主腕は両方共ひしゃげ、それに押しつぶされる形で管制ユニットの前面ブロックも同様に―――機体の向きがあったためか、真正面からではなく右真横から潰されていた。逆にそれがいけなかったかもしれない。第三世代機は特に空力特性を活かすためにボディ形状が鋭角的なものが多く、その為に比較的装甲の薄い部分と言うのがどうしても出てくる。
 まさか狙ってやったわけではないだろうが、結果としてその一撃は不知火の主腕ごと胸部装甲を押し潰し、管制ユニットまで届いた。今現在風間の不知火は三神機に寄りかかられているため、目視はおろか、網膜投影でさえ確認はできないが―――搭乗衛士のバイタルデータによれば、右腕下腕骨折、右肋骨二本骨折、右側頭外骨挫傷と全て右に偏っている事を考えれば機体損傷は間違いなく管制ユニットまで届いている。
 下手をすれば、ひしゃげた管制ユニットに挟まれて身動きが取れない状態かもしれない。

(―――私、の………私のせいだ………)

 あるいはもっと引きつけてから援護すれば―――。
 あるいは制圧ではなく、撃墜を視野に入れていれば―――。
 あるいは―――。
 どうしようもないたらればがグルグルと風間の胸中で蠢く。血の気が引いて、思考が停止する。手足が震え、心のコントロールが出来なくなる。こんな事、いやこれ以上の事が戦場ではあるというのに―――何故か身体が動かなくなる。
 しかし―――。

『―――あの黒いのはオレが相手します!風間中尉は庄司を!!』
「………」
『風間中尉っ!?』
「は―――はい………!」

 駄目だ、と思うよりも早く白銀の恫喝が飛び、それをきっかけに何とか身体が動き出す。
 管制ユニットの強制射出は不可能だ。機体の制御権をこちらに緊急委譲させれば可能だが、それよりも前に物理的に機体がひしゃげているために不可能だった。だからまずは自分の機体と、それに寄りかかった三神機をゆっくりと地表に座り込ませる。次に胸部ハッチを解放させ、昇降ワイヤーを伝って三神機へと飛び移る。背部ハッチからでも可能だが、こちらも制御権が必要になるために断念した。
 そして機体股間部にある緊急メンテナンス用のレーザーカッター発振器を引っ張り出し、その近くにあるコンソールを操作してマニュアル制御。これは管制ユニットがオートでイジェクトされるのを防ぐためだ。今、中がどうなっているか分からない以上、下手に動かせば怪我を悪化させかねない。そして胸部ハッチ強制解放レバーを捻る。しかし案の定というべきか、装甲板がひしゃげていて途中で突っかかってしまう。幸いにもあと少しで管制ユニットにまで入り込めそうなので引っ張り出したレーザーカッターで装甲を一部削る。この時、蒸散塗膜を回避して内側からやるのがコツだとかつて戦場帰りの整備兵から教わった。
 その教え通りに削ると、やがて胸部ハッチが完全に解放され―――。

「っ………!三神少佐………!!」

 額から血を流し、意識を失っている三神の姿があった。
 側に寄って状態を確かめる。腕や肋骨が折れているということだが、どうやらやはりひしゃげた管制ユニットに挟まれたらしい。しかし幸いにも、少し身体をズラして動かしてやれば抜け出せそうなので風間はゆっくりと慎重に三神の腕をそこから引き抜く。

「う………あの人、は………?」
(あの人………?)

 その際の痛みで少し意識が戻ったのか、彼は譫言のようにそう尋ねてくる。

「大丈夫です、あの黒い機体は白銀中尉が追っています」
「白銀―――大、佐………?」
(大佐………?)

 疑問に思いながらも安心させるように風間がそう告げると、突如、三神が身体をくの字に曲げた。







 うっすらと、何処か懐かしい声が聞こえる。

 ―――大………夫で………。あの黒………機体………白銀………が追って………。

(―――白銀、大佐………?)

 胸中で呟いた途端、ざざざ、と三神の視界にノイズが走る。ぼんやりとしたそれはまるでテレビの砂嵐のように一瞬だけ乱れて、何処かのハンガーの様子を映しだした。
 それを半ば本能的に過去の記憶だと気付けたのは、今も思い出として大事に胸の奥に閉まってあるものが映ったからか。あるいはそれがモノクロだったためか。

『―――お?どうしたんだ?お前等』
『あ、白銀大佐。この機体―――FB-2000〈トランザム〉のことと、ラブ中佐の親父さんの事を教えてもらってたんですよ』
『ははは。こうして僕の父のことやフェシカの事を話すことは滅多に無かったですからね』

 漆黒の機体を前に、まだ何も経験していない若い頃の自分と―――最初の恩師が二人、映しだされる。

『まぁ、この基地の人間は大体皆知ってるしなぁ………』

 恩師が苦笑すると、何処からとも無く男性の合成音声が聞こえた。

『―――失敬な。言葉で語れるほど、私の歴史は浅くないぞ、白銀大佐』
『こ、こらフェシカ!言葉が過ぎるぞ!』
『あはは。まぁ、ナイトトムキャットに載せられてた時から換算すれば、オレと歳近いからなぁお前さん』
『その上、私には階級が無いからな。―――言いたいことを言いたい放題だ』

 カラカラと笑うその声に、もう一人の恩師が頭を抱え、三神は苦笑することしかできなかった。

『なんかスゲー人間臭い機械なんですね………』
『ふ。母親と前の主の教育の賜だ。それと三神少尉、私のことを機械と呼称するな。―――ロックなA.Iと呼びたまえ』



 皮肉げなその合成音声と共に、場面がカチリと切り替わった。



『―――じゃぁな。ちゃんと生き残れよ………。シロガネ、ミカミ』

 いつかのかつて、何処かの撤退戦で彼等はただ『二人』、最後まで戦場に残ることを決めた。
 相対するは軍団規模のBETA群。地形上、そこは谷になっているため迎撃にはもってこいだが―――当然、単騎で戦い抜くことなど出来はしない。
 しかしながら彼等もそんな事は百も承知二百も合点。それでも護りたいものがあるからこそ―――彼等は退くことをしないのだ。
 何故ならば―――。

『さぁ征くぜフェシカ………!ここが地獄の三丁目だ………!!』
『ならば四番目の―――最後の地獄へと奴等を誘うとしようかハーモン。そしてそれを以てこの背にある全てを護るとしよう。何故なら我等は騎士。現代に蘇った正義の騎士。そうとも、我等こそが―――!』

 そして彼等は高らかに叫ぶ。

『―――騎馬を駆る者〈KightRider〉なりっ………!!』



 カチリ、と場面が切り替わり―――今度は、今まで自分が乗っていた不知火の胸部装甲、そのタラップが視界に映る。片膝を付いたまま視線をわずかに上げ、夜が落ちる空の向こう―――軌跡を刻み、演舞を描く二機の戦術機が見えた。
 それを見て、三神は心より思う。

「―――だ、め………だ………!」

 あの『三人』が戦うことがあっては駄目だと―――。

「あ………の『三人』………を、戦わせちゃ………駄目だ………!」

 理性を剥ぎとれ、感情を剥き出しにしろ。
 ―――お前に今必要なものは、そんなモノではない。

「あぁ、そうか………」

 選ぶべきは道化ではない。
 ―――お前が今選ぶべきは全ての因果を噛み砕く狼だ。

「そう、だよなぁ………だって、『俺』は―――」

 そして自らに問い、自らに応えろ。
 ―――お前は今、何のためにその世界にいる?

「―――救う為に、ここにいるんだっ………!!」

 だからこそ、三神庄司は自らを呼び覚ますために―――硬いタラップへと自分の額を叩きつけた。








「くそっ、たれ………マジ痛ってぇ………」
「し、少佐………?」

 三神の凶行とも取れる行動に風間が唖然としていると、彼は風間にはよく分からない言葉を以て痛いと呟き、今さっきまで自分が収まっていた管制ユニットを振り返る。

「―――ダ、メか」

 しかし直ぐに動かないことを悟ったか、彼は周囲に視線を巡らせ―――風間が乗っていた不知火を認めた。

「―――不知、火………あっちは、まだ動く………」

 おそらくは網膜投影でデータを呼び出したのだろう。
 巻き添えを食らった風間機ではあるが、直撃を受けた三神機よりは当然ダメージは少ない。戦闘続行も十分可能な範囲だ。
 それを理解したか、彼はふらふらと歩き始め―――慌てて風間は止めに入った。

「し、少佐!駄目です!右腕が折れてるんですよっ!?それに―――」
「うるさ、い………!」
「っ!?」

 しかし返ってきたのは拒絶だった。

「『俺』、が救うん、だ………。今度こ、そ………白銀大、佐と………ハー、モン少佐、とフェシ、カと………ラ、ブ中佐を………!今度、こそ………今度こそ、絶対に、『俺』が―――!」

 途切れ途切れの言葉や、焦点の定まらない瞳にはいつもの理性的なものは一切なかった。
 まるで野生の獣だ。本能のままに生き、本能のままに殉ずる狼。もしもそれ以外の何かを抱えているとするならば―――きっとそれは恩義。彼は11月11日に起こったあの迎撃戦の中で、返さねばならない恩義があると叫んでいた。

(―――きっとそれが、白銀『大佐』に繋がるんですね………?)

 おそらくそれが、三神庄司という男が成す根幹。始点にして最終。深すぎて、きっと今の自分には触れることはおろか、知ることすら出来ない想いのカタチなのだろう。
 彼が何故そこまでそれにこだわっているのかは分からない。何があったのかは知る由もない。今、それを問うことも出来はしないだろう。
 だが、彼をこんな怪我を負わせてしまった責任は自分にあるのだ。だからこそ風間は―――。

「―――分かりました。私も、お供します」

 せめて今は、彼の望む全てに手を貸そうと―――そう決めた。







 加速を止めない二機がその夜空にあった。
 茨城県東茨城郡にある水戸市森林公園を横断する形で不知火とナイトトムキャットが駆け抜ける。
 奇しくも先程と同じ光景だが、状況が幾つか違う。まずナイトトムキャットは右腕が大破しており、その影響が他の各部にも出てしまっていて、先程までのようなアクロバティックな三次元機動は出来なくなってしまっている。
 そしてもう一点。
 むしろ、ハーモン達にとってはこれの方が問題だった。
 自分達を相手取っている不知火の衛士のレベルが尋常ではなかったのである。

「―――ちぃっ!化け物め………!こっちは四十過ぎのロートルだぞ!?もっと労れってんだ………!!」

 左主腕と背部担架の突撃砲二門、加えて無事だった左肩部左腰部の銃架―――Kシステムを用い、何とか一定の距離を確保しているものの、接近を許せば命はない。予感ではなく、確信としてそう思える。
 何しろ相手は―――36mm四門の弾幕を真正面から避け続けているのだ。一体どうやってこちらの火線を読んでいるのかは知らないが、放つ弾丸の悉くが外れ、掠りさえしない。
 そんな訳の分からない機動をする相手が懐に飛び込んできたら―――後は推して知るべしである。

『―――流石に厳しいか』
「あぁ!さっきのと違って、こっちは落とす気満々みたいだしなっ!」

 技量という面では、あるいは先程の不知火の方が上かもしれない。今追ってきているのは―――強いが詰めが甘い。あんな出鱈目な機動を続けていれば、機体の方が先に持たなくなってしまうだろう。
 短期決戦を望んでいるのかもしれないが―――真正面からの殴り合いだったら、先程の不知火の方がやり合いたくないタイプだ。勝てるかどうかはさておいて、こちらの方がまだ与し易いとも思える。
 ―――尤も、それも機体が完調ならばの話だが。

(―――くそっ、どうする!?もう手はないぞ!つーか何でコイツはKシステムの存在に気づきやがった………!?)

 先程二機の不知火を倒した直後、この不知火が乱入、追撃してきたのだが―――ハーモンはこれをギリギリまで引きつけてKシステムで一掃することにした。その存在さえ知られていなければ、このシステムは衛士にとって既知外の存在だ。不意を突くという意味では最高のカードだった。
 ―――それを、何故か察知されて避けられた。
 その上―――。

『―――ハーモン。悪い知らせだ』
「んだよっ!こっちは今忙し―――」
『―――推進剤が、もう保たない』
「―――そっか」

 素っ気なく返事をしながらも、いよいよ進退極まってきたとハーモンは奥歯を噛み締める。
 そもそも、今回の作戦はF-14Fの既存戦術機を超える巡航速度を以て追撃さえも振り切ることを前提に組まれていた。その前提から崩されていた時点でこうなることは予期できてはいたのだ。しかしそれでも、実際にそれを突き付けられると舌打ちの一つでもしたくもなる。

『代替作戦を提示する。ハーモン、君は敵機に最速接近した後、ベイルアウトしろ。Kシステムの残弾を全て使ってパージ、軽量化もするから君の腕を以てすれば可能なはずだ。そして主機を暴走させて―――自爆する』
「―――ちょっと待て!お前はどうするつもりだ?」

 フェシカの本体はこの複座管制ユニットに積まれている。ベイルアウトさえすれば機体を自爆させようが何しようが問題はないが―――ここは敵地の真っ只中である。当然のこと、身一つになるハーモンには管制ユニットを回収する手立ては無い。

『私にはもしもの時の機密保持プログラムが組まれている。まぁ、単に回路を焼き切って私自身をデリートするだけだが―――それを発動させる』
「ばっ―――お前!何考えてやがる………!?」
『我々の任務は、推進派が良からぬ動きをしたときのストッパーであり、その内訳の中にはF-14Fの回収も含まれている。だが、推進剤が足らない今、帰還は不可能だ。よって、この作戦は最早失敗と見て良い。そして帰還が出来ない以上、他国にこの機体が渡るより自爆させて「無かった事」にしてしまったほうがいい。私に関しても同様だ』

 今回のオルタネイティヴ5推進派の動きは多かれ少なかれ損益を含んでいた。だからこそその最大出目が損になった時点で、合衆国を今後も存続させる為にその損を最も少なく、そして出来る限り益に反転させる必要があったのだ。
 そして、実際に損の出目が出てしまった以上、米国とオルタネイティヴ5―――もっと正確に言うならばG弾運用前提の軍事ドクトリンは一時的という条件付きではあるものの衰退を余儀なくされる。
 であらば、それが復旧するまでの繋ぎの役目として戦術機生産にスポットが当たるのだが―――90年代で既に米国は戦術機離れとも言える現象が起こってしまっている。予算の縮小を繰り返し、その結果90年代前半に開発着手したF-22が最近になってようやく量産体制になったのだ。この事からも分かるように、そうした足踏みの結果、他国でも第三世代機が開発され、かつて米国が持っていた戦術機というカテゴリーでの他国への優位性はもう殆ど無いに等しい。唯一リードしている部分があるとすれば対人戦闘能力やステルス性能ぐらいだろう。それでも十分に他国にとっては脅威ではあるものの、こと対BETA戦に関して言えば何の役にも立たない。
 G弾という鬼札が残ってはいるが―――前述したとおり、今回の件で他国の信頼を落としてしまった為、どうしてもプッシュすることは出来なくなる。
 だからこそ、まだ純粋に対BETA戦兵器を作っていた頃の残滓であるF-14Fが必要であったのだ。これを―――あるいはこれに積んだ技術を量産し、輸出出来れば再び米国は他国よりもリードできるし、戦闘証明が出来れば表面上の信頼を回復することも難しくない。
 しかし―――この追撃戦で、その目論見は崩れ去った。
 このまま行けばF-14Fを―――引いてはその技術を鹵獲される可能性が高い。ならばこそ、合理性を追求するA.Iとして、フェシカは全てを無かった事にするプランを取ったのだ。データ自体は本国にあるのだから、復元は容易ではないものの不可能ではないだろうと。

『―――しかし、替えの効かない人的資源は大事にすべきだ。君程の衛士を他国に捕らえられるのは、合衆国に取って大きな損失になるだろう。デボンもこれから苦労するはずだ。そして、それを影に日向に支えてやれるのは、事情を知っている君ぐらいだ。ならば、君だけはこの場を脱出する必要がある』

 フェシカの判断は正しい。
 機械は幾らでも替えが効く。戦術機であれA.Iであれ、人の作りしものは人がいれば幾らでも複製ができる。だが、人間はそうもいかない。物理的な意味では人を増やすことは出来ても、それを育てたり経験を積ませたりするには莫大な時間と手間が掛かる。
 結果として、一機あたり数十億する戦術機以上に人的資源というのはコストが掛かってしまうのである。
 故に―――フェシカの判断は正しいのだ。
 少なくとも、『軍人』としてハーモンはそう判断した。
 だが―――。

「―――ふっざけんな………っ!!」

 『人間』としては到底正しいとは思えず―――だからこそ、ハーモンは激昂した。

『ハーモン、これは合理的な判断で―――』
「うっせぇ黙れ!合理的な判断?はっ!ふざけてんじゃねぇぞ馬鹿野郎!いいか!?俺はな、確かにCIAの下っ端だよ!だがなぁ、それでも俺はアメリカ軍人なんだよ!!」

 ―――0か1か。
 全てをデジタルのような合理性で決めてしまえる程、ハーモン=アーサー=ウィルトンは―――いや、ハーモン=ラブは人間が出来てはいない。
 上層部に翻弄され、四十過ぎても現役として最前線で戦ってきた男はその任務の性質上、表面上はともかく本質的には常に一人であった。そのために、仲間と呼べる存在にあるいは子供のような憧れを持っているのだ。

「上の連中は知らねぇ!知りたくもねぇ!でも現場のアメリカ軍人ってのはなぁ、仲間を絶対に見捨てない―――見捨てちゃいけないんだよ!何しろ現場の俺達は、何考えてるか分からん上の連中と違って『本当に』自由と正義を誇りとして掲げているんだからな!!」

 上からの命令があったならばともかく、現状自己判断で動いている以上、例え相手が機械であったとしても、この一ヶ月苦楽を共にしてきた『相棒』をこの男が見捨てられるはずがない。

「いいかフェシカ。よく聞けフェシカ。俺達は相棒〈バディ〉だ。相棒ってのはな、背中を預け合うものだ。お前がいなくなったら、俺の背中はガラ空きだぞ。そうなったら今ここでお前が日本人みたいな自己犠牲精神発揮したところで遠からず俺は背中から撃たれて死ぬ。―――ほらみろ、結果はどっちでも一緒だ」

 迫り来る不知火の猛攻をあらゆる回避行動を叩き込むことでどうにか回避し、それでもハーモンは口調には出さず諭すように相棒に言い聞かせる。

「足掻けよ相棒。足掻いて足掻いて生き抜いて、お前はママの所に帰ってメンテしてもらう。俺は息子のところへ帰って酒を飲み交わす。―――それが俺達にとってのハッピーエンドだろうが」

 そして言葉を切ると、フェシカが呆れたように文字を流した。

『―――全く、君は機械相手に何を熱くなっているのだ。私の損害など、所詮は経費で数えられるものだぞ?』
「うっせぇ黙れこのポンコツ。戦争って枠組みの中じゃ、人間も一緒だっての。―――それから、もう自分の事を機械だなんて言うんじゃねぇぞ。これからは………そうだな、ロックなA.Iとでも名乗っときな」
『反抗するA.Iとは私の存在意義を完全否定だな。母が聞いたら「私の息子に反抗期が!」と嘆くだろう。―――それはともかく、現実的に考えて他に手はあるのか?』
「なぁに、あいつを落とせば良いだけの話だ」

 どういう事だ、と追求するフェシカにハーモンは何処かの悪ガキのような笑みを浮かべた。

「推進剤をあいつから頂けばいいだけの話ってことさ。それでも足りなきゃ、さっき倒したType94からも頂く。他の追撃から逃げ切れるかどうかは―――賭けだな」
『また随分穴だらけな計画だな』
「俺の人生は行き当たりばったりだからな。―――できちゃった婚だし」
『胸を張って言えるものじゃないだろう』
「それでも今まで生き残ってきたんだし、息子もちゃんと育ったんだからそこは褒めろよ?」

 おどける『二人』をせっつくように、120mmが機体の横を駆け抜けた。

「さぁて、準備はいいか?次で仕留めるぞ―――スマートに、ド突き合いでなっ………!!」
『―――了解!』

 そして『二人』は、最後の悪足掻きをするべく、機体を反転させた。







 白銀は怒りの中にいた。
 彼が状況に追いついて最初に見たものは、胸部装甲をひしゃげさせた三神の不知火だった。一瞬にして血の気が引き、バイタルデータを呼び出して―――奇しくも風間と同じように愕然とした。
 右腕や肋骨だけならば、まだどうにでもなる。この世界の医療技術は白銀の『元の世界』よりも数段進んでおり、治りが遅い不完全骨折はともかく、完全骨折であれば二週間も掛からず前線復帰も出来る。
 問題だったのは右側頭外骨挫傷だ。場合に拠っては脳挫傷―――最悪の場合は脳裂傷を起こして例え命に別状はなくとも日常生活さえ困難になる。衛士としては勿論、軍人としても復帰できなくなるだろう。無論、バイタルデータでのスキャンはあくまで大雑把なものなので脳内部がどのようになっているかは不明だが―――それでも下手をすれば、半身不随になりかねない。

「よくもウチの馬鹿をやってくれたな………!」

 多重跳躍機構に火を入れて、前を行くF-14Fを追撃する。
 速度ではこちらが上だ。加速能力に関しても同様。同じく多重跳躍機構を相手も備えているとは言え、相手の連続発動回数は二回が限度のようで、三回連続発動出来るこちらの方が機動力という面で有利に動く。
 だというのに未だ決着に至らないのは、相手が逃亡しつつ機動防御に専念しているためだ。

「―――この野郎ォ………!!」

 接近しつつ、36mmを斉射。しかし真横に多重跳躍機構を発動され、火線がズレて、更にはその勢いで一時的に距離を空けられる。もう既に同じ遣り取りを何度かしている為、いい加減苛立ちが白銀の表情に出てくる。
 本来、白銀はドッグファイト向きの衛士ではない。その特異な機動特性を用いて敵を翻弄しつつ、ロックオン任せ―――あるいは単騎でのアトランダムな砲撃による削りと、近接戦闘による一撃必殺を信条とするトリックスターなスタイルだ。
 その戦闘スタイル故に、停滞乱戦時に―――取り分け、対BETA戦時に能力を最大限に発揮する。無論、だからと言って対戦術機戦で優位に立てない訳ではない。正面切って戦えば、様々な確率世界での経験を取り入れている彼に勝てる相手はそうそういないだろう。
 だが、本気で逃げる相手の追撃戦となると、どうしても噛み合わせが悪い。
 彼自身も理解しているように、突出した能力は機動特性のみ。追撃戦で最も必要となる高速戦闘時の精密射撃は不得意な分野であり、どちらかと言えばそれは三神の分野だ。
 ならば割と得意な分野である近接戦闘に持ち込めば話は早いのではあるが―――いかんせん、相手も近接に対しての装備が心ないためか、一定以上に接近を許さない。

(くそっ………!だがこのまま行っても相手もジリ貧だ!どこかに付け入る隙はあるはず………!!)

 焦った方が負ける、と踏んだ白銀は120mmを発射。これを当てるつもりはない。プレッシャーを掛けるつもりで放った。
 しかし―――。

「来たっ―――!」

 それを避けると同時、突如としてF-14Fが反転、白銀機に向かって吶喊を仕掛けてきた。得意分野である近接戦が来る。右主腕の突撃砲をパイロンに戻し、代わりに長刀を引き抜く。
 今度は峰を返さない。余裕をかましていられるような相手ではないし、そのつもりもない。
 殺してしまう可能性があるのは重々承知だ。『前の世界』のクーデターで、まだ覚悟を決めていなかった白銀は、決起部隊を―――いや、『人間』を攻撃できるのかどうか酷く悩んだ。人を殺してしまうことに怯え、迷った。
 多分―――今もきっとそうだ。
 だが、その悩みが、怯えが、迷いが―――かつての恩師を殺し、『元の世界』を壊し、愛すべき幼馴染を傷つけたことを白銀武は忘れていない。忘れるはずがない。
 故に、ここでどんな罪を背負おうとも、停滞を促す全ての感情を押し殺す。
 燃焼すべきは、仲間を傷つけた敵に対する―――怒りのみ。

「―――覚悟しろ………!」

 その呼びかけは、相手に対してか自分に対してか―――。






 二機の戦術機が真正面から交錯する。互いに突撃砲を用いて弾幕を張るような牽制をせず、真っ向からの近接戦だ。
 F-14Fが多重跳躍機構による追加加速を掛け、不知火が迎え撃つ。F-14Fは左手腕にした突撃砲を捨て去り、膝部のナイフを引き抜くと、順手に持ち替え再度跳躍。不知火の頭部を越える倒立反転跳躍だ。
 そしてその最頂点で―――Kシステムを格納した追加装甲をパージした。
 パージされた装甲は四つ。いずれも白銀の不知火へと襲いかかり視界を塞がんとするが、彼は慌てること無くキャンセルを入れて機体を翻し回避。
 しかしそこを狙って倒立中のF-14Fが多重跳躍機構を用いて上空からパワーダイブを敢行する。左主腕に順手で装備したナイフを突き出し―――一直線に管制ユニットを狙う。この速度と質量を以てすれば、胸部装甲を貫く事は容易い。
 対して白銀は翻した慣性モーメントと入力をキャンセルせずに維持したまま、機体をそのまま回転させ、迫り来るF-14Fをまるでボールに見立てて振り回す長刀で打ち返さんとする。

『―――貰った………!!』

 奇しくも白銀とハーモンは同じ言葉を吐き―――己が勝つという同じようで違う未来を幻視した。
 白銀は自機の長刀がナイトトムキャットを逆袈裟に断ち切るのを。
 ハーモンは不知火の管制ユニットに自機のナイフが突き刺さるのを。
 だからこそ―――。

『―――させるかぁっ………!!』

 そこに第三者の介入があり、全く別の未来が現れるとは、思いもよらなかったのである。






「っ………!?」

 甲高い金属音と共に、F-14Fと不知火の間を長刀が下から上へと走り抜けたのを白銀は認めた。
 不知火の長刀は根元から断ち切られ、F-14Fの突き出された左主腕は上腕から斬り飛ばされていた。
 互いが互いの勝利を確信した時、横合いから急速接近して逆手の長刀で割り込んできたのは国連カラーの不知火だった。多重跳躍機構を装備しておらず、戦況表示図に映るのはヴァルキリー05。しかし、その逆手長刀という奇抜な運用方法と網膜投影に映るのは―――。

(庄司………!?)

 通信に映し出されたのは、ヴァルキリー05である風間祷子と―――その彼女に隠れるようにして重なっている三神だった。
 それはかつてのいつか、遠い世界で御剣と同じように、あるいは先の迎撃戦での彩峰と珠瀬がやったような―――二人乗り。おそらくは怪我による操作不備を少しでも埋めるためのものだろう。
 白銀がそう理解した時―――三神は叫んだ。

『白銀「大佐」―――!ハーモン少佐を殺しちゃ駄目だっ………!!』
「っ―――!」

 その叫びが聞こえた直後、白銀の脳裏に数多の情景が過ぎる。

(白銀「大佐」―――ハーモン=ラブ中佐―――FB-2000〈トランザム〉―――フェシカ―――ハーモン少佐―――F-14F〈ナイトトムキャット〉―――!そういう、ことかよ………っ!!)

 処理していなかった膨大な記憶の奔流。それが三神の言葉によって呼び起こされ、次々と関連付けされていく。超高速で理解していく記憶が脳に過負荷を掛け、それが頭痛となって白銀を襲うが、彼は唇を噛んで別の痛みを与えることで耐える。
 折角『元部下』が傷だらけの体を推してでも止めに来てくれたのだ。それをこの程度の頭痛如きで参っていては申し訳ない。

「―――ぉおぉおおっ!」

 だから白銀は根元から断ち切られた長刀を放棄。しかし加えられた機体上半身の慣性はそのままに右主腕を突き出して、迫り来るF-14Fの頭部を引っつかむと機体を後方に倒し、右主脚をF-14Fの腹部へと叩きつけ―――。

「―――っせぃっ………!!」

 ―――巴投げの要領でぶん投げた。






 意識が飛んでいたのは数秒か、それとも十数秒か―――少なくとも、敵が強制的に管制ユニットをイジェクト出来るような時間ではなかったらしい。
 しかしながらハーモンが背中から機体ごと叩きつけられた衝撃から復帰する頃には、相手の不知火はこちらに接近し、突撃砲を突きつけてロックオンしていた。先程から警報が鳴りっ放しだ。ついでにこちらが起きているのに気づいているのか、オープンチャンネルで出てくるようにと御丁寧にも英語で呼び掛けてきている。

「ああくそっ!―――負けちまったなぁ………。つーか何だよ、戦術機で『ジュードー』とか………出鱈目すぎるだろ………」
『―――どうする?これから』

 ぶつくさと文句を口にするハーモンに、フェシカが文字で問いかける。

「もう逃げ出すプランは無いからなぁ、素直に投降して―――後はデボンが俺達を切り捨てないのを願うだけだな」
『本当に行き当たりばったりだな君は………』
「言うなよ。お前の案を採用しても、成功していたとも言えないんだし」

 呆れるフェシカにハーモンは苦笑して、コンソールを操作。すると胸部ハッチが解放され、ゆっくりと管制ユニットがイジェクトされていく。
 冷たい外気を肺に吸い込んで立ち上がるハーモンに、網膜投影の文字が問いかける。

『―――行くのか?』
「ああ、36mmでバラバラにされたくないしな。―――フェシカ」
『何だ?』
「機密保持プログラムってのは、最後の最後まで取っておけ」
『最後の最後―――とは?』
「解体されそうになったら使え。―――その瞬間まで、絶対に諦めるんじゃねぇぞ」
『―――Yes.My Lord.………ハーモン』
「何だよ?」
『君が私の主であることを―――いや、相棒であることを、私は誇りに思う』

 その言葉に、ハーモンは一瞬黙りこむ。
 これは、別れの言葉だ。
 ハーモンにしてもフェシカにしても、国連に捕縛された以上、どんな運命が待っているかは大凡の予想がつく。デボンの立ち回り次第によっては再び出会うこともあるかもしれないが―――正直、望みは薄い。
 しかしながら、ハーモンはCIAに、フェシカは軍上層部にその運命を翻弄され続けてきた身だ。こうした流れには慣れているし、だからこそ悪足掻きをする。
 運命なんぞクソ食らえと天に唾を吐く『二人』は―――。

「………そうかよ。―――『またな』、兄弟」
『See You Again.My Buddy―――.〈また会おう、我が兄弟―――〉』

 ―――再会を願って言葉を紡いだ。







 ナイトトムキャットの管制ユニットからまだ若い『彼』が現れたのを確認した三神は―――安堵のあまり前のめりに倒れた。

「―――し、少佐っ!?」

 結果的に三神の膝に座る形になっていた『彼女』の背中から覆い被さり、三神はなんかいい匂いするなぁと朦朧とする意識の中で思う。それから『彼女』に何かを言わなければならなかったのではないかと気づき、あまりハッキリしない意識をまさぐる。

(手伝ってくれてありがとうだろうかいやそれも違うああそういえば今日は―――)

 記憶の中、ようやくそれに行き着いた三神は霞みゆく意識の中でどうにかその言葉だけを紡ぐことが出来た。

「―――誕生日、おめでとう………」
「―――え………?」

 何故か『彼女』が酷く戸惑ったような表情をしていたが、まぁいいやと三神は思考を放棄して―――ついでに意識も手放した。







 夜の空を色とりどりの戦術機が埋め尽くしていく中、撤収準備をしていた鎧衣は部下に無線機を渡され、そこから伝ってきた声に訝しげに尋ねた。

「―――おや、一体どのようにしてこの回線を………?」

 しかし相手は取り合うつもりは無いようで、手短にそして手早く要件だけを伝えていく。聞いてみれば、確かに自分の力が必要だ、と納得出来るものだった。

「ほう、ほう………成程。なら、私も手を尽くしましょう。何、こう見えて美女の味方でしてな。そう言えば美女といえば―――」

 薀蓄を垂れる前に、通信が切れてしまった。仕方無しに、誰ともなく肩を竦めた後、鎧衣は帽子を目深に被っていつもの笑みを浮かべた。

「さて、サービス残業でもするとしようか―――」










 そしてこの日―――後に12・4騒乱と呼ばれる擬似クーデター事件は仙台臨時政府の制圧を以てようやく終息した。
 歴史的な出来事となった本事件以降、日本の政治形態は刷新―――いや、本来の形に帰結し、白銀や三神の知る未来とはまた別の道を歩んでいくのだが―――それはまた、別の話である。








[24527] Muv-Luv Interfering 第四十三章 ~遠望の世界~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/08/06 04:02
 それなりの日常に、特に不満は無かった。
 ただ漠然とした不安はあった。
 このままでいいのかと―――自分自身がよく分からなくなっていた。大切だと思っていた場所は、やがて違う場所へとその性質を変え、そこにあった『彼』の居場所は小さくなっていき、いつかは無くなってしまうのだろうとどこか確信めいた予感があった。
 だがそれに子供じみた苛立ちを覚えるよりも先に、日常は『彼』を押し流していき―――結局、『彼』の人生は敗北続きであることを、また一つ思い知ることになった。




 カツン、と革靴を一つ響かせ、そのホールに一人の男が姿を現した。
 とある銀行のエントランスホール―――受付や窓口が地続きになっているその奥には、長い籠城戦となったために精神を磨り減らしたか、顔を青ざめさせた従業員や一般客が一箇所に集められ、身を寄せ合っていた。
 そんな中、スーツ姿のその男は不敵―――と言うよりはまるで反骨精神溢れる十代のような皮肉気な笑みを浮かべてゆったりとした足取りで正面玄関から歩みを進める。
 その行く先―――男と相対するのは、目出し帽を被った小太りの男と、年端もいかぬ少女だった。目出し帽の男は右手に拳銃を持っており、左腕は少女の首に巻いていた。当然というべきか―――銃口の先は、少女の頭だった。
 ベタといえばベタな展開だ、とスーツ姿の男は思う。しかしながら、日本でこう言ったケースが起こること自体が珍しい。大概の場合は現金輸送車を狙うか―――場当たり的にしても金を奪ったら直ぐ様逃亡する。今回のこの銀行強盗に関して言えば―――タイミングが悪かったと言うべきか。襲撃直後に非常警報が押されたために犯人が金を詰めて逃亡する頃には通報を受けた警官隊が到着し、周囲を包囲していた。それだけならば問題ないのだが―――逃げ出す直前で犯人がそれに気づき、逃亡ではなく籠城を取ってしまったのである。
 そうした経緯もあって、事件発生から一時間後。つい先日海外研修から帰って来た本職の人間にお鉢が回って来たのだが―――。

『あ、あんたがミカミショウジか………?』
『そうだ。俺が先程からあんたと交渉していたミカミショウジだよ』

 小太りの男―――犯人の問い掛けに、ミカミは頷いて状況を確認する。
 人質の一団はこの単独犯の後方。事前情報によるとビニール紐で縛られて身動きが取れないらしい。たかがビニール紐であっても何十にも重ねれば即席のロープになる。見る限り、精神状態は良好とは言えないが最悪でもないだろう。少なくとも、真正面から銃口を向けられていないのだから、恐慌状態にはなっていない。
 では男の腕にいる少女はどうかと言えば―――こちらは最悪だ。外見年齢は十歳前後。当然のように自我も感情も人並みにある。既に幾つも涙を流したのか、瞼は赤く腫れており、銃口を向けられるという恐怖のあまり歯の根があっていない。
 春休みにこんな目に遭うとはとんだ災難だな、とミカミが心底同情していると、犯人が声を張り上げた。

『―――そ、そこで止まれ!』
『よし分かった。言うとおりにしよう』

 その言葉に従って、ミカミは両手を上げてその場で立ち止まった。
 ―――本来、こうした交渉事はもっと距離を取り時間を掛けて行うものだ。だが指揮官―――とは名ばかりの無能―――は手柄を焦ったか事態の速やかな収拾を望み、その為には突入も辞さない構えだった。
 無論、ミカミは最悪の事態を回避する為それを宥め、時間を掛けて犯人との信頼関係を築きそれを以て投降させるべきだと訴えた。しかしその指揮官はそれを否定し、あまつさえ命令に逆らうならこの件から外すとまで言ってきた。仕方無しに手短に言葉を交わす交渉法を取った。限られた時間しか無かったため相手の素性すら探れなかったが―――要求に素直に、そして素早く従う事によって一時的な信頼を得れると指揮官を納得させ、犯人の要求を呑ませるに至った。
 その犯人の要求というのは―――。

『―――さて、約束通り裏口に逃走用の車を用意した。既にエンジンも掛かっているから、いつでも発進できるぞ?』

 人質の解放を条件に犯人が要求してきたのは逃走用の車だった。無論、犯人自身もこれで逃げ切れるなどとは思っていないだろう。ここまで大事になってしまった以上、追跡は必ずあるし、GPSを使えば何処へ逃げようと車で逃げ切ることは不可能だ。
 だが追い詰められた人間の心理として、とにかく一度現場から離れたいという心理が働く。今回の件に関しても同様だった。

『では、人質を開放してもらおうか。無論―――その子もな』
『だ、駄目だ!この子を開放したら、僕を捕まえるつもりだろう!?』

 こちらの要求に、犯人は反発した。
 ここまでは予想通りだ。元の条件は人質一団と逃走車両。犯人が手元に置いている少女は含まれていない。
 もしもこの状況を何かしらの勝負に見立てるならば―――ここからが正念場だ。元々、逃走車両に全ての人質は乗らないし、逃走する身からすれば嵩張るだけであることを考えれば、犯人としては何処かで切り捨てる必要がある。その為、ミカミもその上役である指揮官も最も重要なのは犯人が手元においている少女だと判断していた。
 少女さえ確保してしまえば、犯人が新たな人質を得る前に周囲に配置した要員で抑えられる。射線も確保できるから、狙撃という選択肢も増える。
 しかしながら、交渉人としてはそんな力技を認めるつもりはない。あくまで言葉で相手を説得し、投降を促すべきだ。その為には時間が必要で―――それを稼ぐための案はある。
 だが、交渉人には作戦の決定権は無い。所詮は指揮官と犯人との仲介役にしかないのだ。そして正攻法を上から潰されている以上、奇策を以て望むしか無い。指揮官には既に民間人の安全性と説いた上でこの奇策を納得させた。
 故にこそ、ここが正念場。交渉人としての腕―――いや、舌の見せどころだ。
 だからミカミは―――。

『―――そうだな。間違いなく捕まえるだろう』

 躊躇いもなく、全てをぶちまけた。

『おや、意外そうな顔をするな。国家権力がそうした対応を取るのが珍しいのか?―――確かに俺も木っ端役人の一人だが、政治と詐欺を勘違いしている馬鹿とは違うさ』

 てっきりはぐらかされるのかと思っていたのか、唖然とする犯人にミカミは苦笑。そして畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

『まぁ、少なくとも、俺はあんた相手に嘘は付かない。もう一度言うぞ、俺はあんたに嘘をつかない。―――人質を手放したら、周囲で待機している警官が間違いなくあんたを捕まえに行く。新しく人質に銃を向けるよりも速くな』

 一種脅迫じみたやり方だが、事実という現状を理解させるのは一番手っ取り早い。そして確実性のあるマイナス要素の中に『嘘をつかない』と言う言葉―――個人的なプラス要素を一つ混ぜておくだけで、以後の言葉に僅かな信憑性を持たせることが出来る。
 それは半ば無意識な信憑性ではあるものの、こうした極限状態の中では何よりも重要だ。
 その上で―――代替案を提示する。

『あんたは人質を手放せない。手放したらあんたには「盾」が無くなり、直ぐに確保されるからな。だが、何の罪もない一般人、しかも子供を巻き込むのは人道的ではないだろう?あんたはその子の頭を吹っ飛ばしたいぐらい憎んでいるのか?違うだろう?無抵抗な人質なら、誰でもいいはずだ。何もそんな小さな子供でなくてもな。だったら―――ここは一つ、折衷案で俺が人質になるというのはどうだろうか』
『あ、あんたが………?』
『ああ。―――そうだ、念の為にここで俺の装備を紹介しておこう』

 次に、犯人のミカミに対する警戒心を薄めるための手を打つ。
 ミカミがスーツの上着を脱ぐと、カッターの白に混じって茶色いハーネス―――拳銃が一丁収まったホルスターがあった。ミカミはそのホルスターを犯人に見せ、確認させてから外すと床に置き、両手を上げて一回転。非武装であることを認識させた。

『さ、これで俺は丸腰だ。―――大の男でもあんたが手にした豆鉄砲一つで十分対応できるはずだ。なら、その子の代わりに俺が人質になっても問題ないだろう?』

 問い掛けに、犯人は無言。
 だが頑なに拒否しないところを見ると、少なくとも迷わせるぐらいには言葉の影響力を与えられたようだ。ミカミはそれを手応えと感じ、後二、三手打っておくべく会話の派生をシミュレートする。

『な、何でそこまでする………?』

 不意に、犯人がそう尋ねてきた。
 その反応にミカミは胸中で食いついてきた、とほくそ笑んで舌を湿らせる。

『体面の問題さ。国家機関が民間人を護れずみすみす死なすのと、公務員が一人殉職するのと―――さて、国としてはどっちの罪が重いと思う?』

 一度軽く嘯いてから、本命の言葉を持ってくる。
 人情や感情と言った、特に日本人が揺さぶられるたぐいのものだ。

『ま、それは建前としてだな。俺はこれでもあと数カ月で叔父さんになる身でね。どうにも、子供には甘くなってしまうようだ。―――あんた、自分の子供はいるか?いや、いたらその子を人質なんか取らないか。じゃぁ、友人や知り合いの子供を見たことあるか?身内でもいい。その子供に―――銃を突きつけたいか?細っこい身体に鉛玉をしこたまぶち込んで、内蔵や脳漿をぶちまけたいと思うか?』

 加えてわざとグロテスクな描写を持ってくることよって、忌避性を誘発させる。相手が精神異常者ではなく、ただの営利目的の強盗であると分かっているからこそ取れる手法だ。特に平和ボケしたこの国では効果的である。
 犯人はしばらく黙した後―――ゆっくりと吐息して口を開いた。

『―――分かった。この娘は解放する。代わりに、あんたが人質だ』
『了解した。まだ銃口を向けたままで良いから、その子から半歩離れていてくれ。俺は背中を向けて後ろ足であんたの所に行く』

 何とか第一段階はクリアしたな、とミカミは判断する。ここで自分が人質になれれば、必然的に犯人との会話の時間が増える。そこで改めて交渉、説得すればいい。よしんば上手くいかなくても、突入班が仕掛ける際に隙を作ることが出来るし、自分の安全を確保することも出来るだろう。
 少なくともこれで最悪の事態は回避できた。後は得意の手八丁口八丁でどうにか収められる―――そう思った時だった。
 ―――カン、と何かが落下するような金属音が響いた。

『―――っ………!!』

 その音にミカミと犯人が反応する。だが、両者の差異があるとすれば―――何の音か分かっているかいないかだ。

(―――あの馬鹿指揮官が………!突入タイミングが早過ぎる………!!)

 閃光発音筒―――。
 それを理解したとき、ミカミは身を翻し、犯人を目視する。そして位置を確認すると全力で駆け出す。爆発までの待機時間は約三秒。

『ひっ………!!』

 犯人の上ずる声が聞こえるが無視。身体を投げ出すように犯人から手放されている少女に体当たりをし、射線に割り込む。
 そして―――。

『っ―――!!』

 ―――マズルフラッシュとスタングレネードの閃光が、ミカミの視界を焼いた。






 12月5日

 横浜基地にある医療棟の一室に、白銀と香月は訪れていた。
 昨日の追撃戦の後、意識を失った三神はここの集中治療室へと運ばれた。医師の話によると幸いにも骨折に依る内蔵ダメージはないようだが、脳挫傷を起こしていて記憶の混乱が見られていたそうだ。
 事情を聞いた戦乙女達が揃って見舞いにやって来ていたが、流石にあの人数に辟易した医者が面会謝絶を理由に追い払った。それでもその場に残ったのは白銀と風間、それから社とそれに付き合った鑑だけだ。
 そしてそのまま一夜が明け、朝日にうとうとし始めた所で香月がやって来たのである。

(―――風間中尉、大丈夫かな………)

 副司令権限で目をしょぼしょぼさせた鑑と社をB19階まで送り届けるように命じられた風間は、酷く憔悴していた。話を聞いたところ、あの状況に陥ったのは自分のせいだと責任を感じているようだった。
 しかしながら、白銀はあの状況は仕方ないと思う。機体の映像記録を強化装備経由で見せてもらったが、白銀でも『何も知らなければ』あの瞬間はカットに入る。三神がF-14Fの特性を理解しているという事実を知っていればまた別だが、それを初見の風間に求めるのは酷というものだ。白銀でさえ三神の言葉がなければ『未来の記憶』を呼び起こすことが出来なかったのだから。
 どちらかと言えば問題は三神の方だろう。いかにF-14Fが既存の戦術機とは一線を画していても、強化された不知火と仮にもヴァルキリーズの末席にある風間の腕を以てすれば一二合競うぐらいならば問題ではない。即座にカットに入らなくても、一合交えさせた後で二人がかりで制圧すればよかったのだ。更に言うならば、単騎で追ったことも指揮官としては失策だ。確かに因果律のイレギュラーを考えれば、それに対抗出来る三神が出張るのは仕方がない話だが他にもやりようはあったのではないかと思える。そうやって客観的に一つ一つ検証して見れば今回の件は運が悪いという部分を差し引いても本人の自業自得とも言える部分が出てくる。
 だが色々と機密の絡むそれを落ち込んでいる風間に言えるはずもなく、結局白銀は彼女に大した励ましの言葉も掛けてやることは出来なかった。

(後は庄司に任せるしか無いか………)

 白を基調とした病室のベッドの上で、深く眠る三神の横に、香月が立って瞑目している。本人が言うには、プロジェクションで叩き起こすとの事だった。
 今日ぐらいゆっくり休ませてやればいいのに、と白銀は思ったが『深刻なダメージじゃないし、直属部隊の空気が悪くなるし、いつまでも社や鑑を遊ばせておく訳にもいかないから』と言い張って強行した。―――あるいは、彼女なりに風間や周囲を気遣った結果なのかもしれない。
 やがてそうすること数分―――。

「―――ここは………?」
「あら、ようやくお目覚め?―――いいご身分ねぇ」

 青い病衣に頭部に包帯、右腕にギブスと如何にも怪我人といった出で立ちの三神がうっすらと瞼を開けた。因みに、病衣に隠れて見えないが腹部には折れた肋骨の為にコルセットが巻かれている。
 彼はゆっくりと視線をめぐらし、状況を確認してから―――。

「………何だ。香月女史か」

 ふい、とそっぽを向いた。そのそげない反応に、白銀は香月のこめかみがぴくり、と動いたのを見逃さなかった。

「白銀。コイツを手術室へと運んで頂戴。―――頭を打ったせいか、あたしを敬う心を忘れているわ」
「ゆ、夕呼先生夕呼先生。念の為に聞きますけど―――一体何の手術を?」
「決まってるじゃない。―――ロボトミー手術よ」
『あんたが言うとそれはマジで洒落になってねぇっ!』

 危険発言を躊躇わずにしてくるので白銀と三神は揃って突っ込みを入れた。しかし寝起き、更には怪我もあってか三神は突っ込みを入れた瞬間苦痛に呻いた。

「痛つつ………あーくそっ、身体中が痛いな………すまないが状況を説明してくれ。記憶が飛んでて、何がどうなったか全く分からないんだ」
「―――そうね、じゃぁ、まずはあんたの怪我の具合から話すとしましょうか。怪我の内訳は右下腕完全骨折、右脇腹第六と第七肋骨完全骨折。で、最後に右側頭部の頭骨挫傷―――腕にしても肋骨にしても頭にしても、骨は折れたけど、奇跡的に内蔵には問題ないわ。頭は軽く脳挫傷起こしたみたいだけど、MRIで調べた限りではこちらも問題なし。しばらくは痛むでしょうけど、それは脳が打撲していて、治るための揺り戻しのようなものだから安心しなさい。―――怪我自体は全治二週間程って所ね」

 相変わらず車にでも跳ねられたかのような大怪我だな、と白銀は思うが、この世界の医療技術はその程度ならば短期間で治してしまう。薬を飲んでおくだけで自然治癒なら数カ月ものの怪我を数週間に短縮させてしまうのだから驚きだ。
 そこまで思ってから、白銀は三神の言葉に引っかかりを覚え、なんとなしに疑問を口にしてみる。

「と言うか庄司、お前どこまで覚えているんだ?」
「あ?えーと………確かあの時風間が乱入してきて、ハーモン少佐が目標を変えて―――それをカットしようとして直蹴りを食らったところまで、かな………?」

 すると彼は身を横にしたまま天井を見上げ、自信なさげにそう言った。

「―――何だ?」
「いや、実はな………」

 沈黙する彼に、三神は首を傾げ―――白銀はその後に起こった事を伝えることにした。
 F-14Fを自分が追撃したこと、その中で三神が風間と一緒に割り込んできたこと、更には記憶の関連付けが起こり、白銀はハーモン=アーサー=ウィルトンの事を思い出したということ。
 結果として―――いつかの確率世界で戦友であった『彼等』を感情に任せて殺さずに、捕縛する事が叶ったということを。

「―――そうか、そんな事が………」
「ありがとうな、庄司。お前が止めに来てくれなきゃ、覚えていなかったとは言え、俺はあの人を―――自分の命の恩人をこの手で殺してたよ」
「ああ、いや、気にするな。どうやら私も無意識に動いてたようだし、そもそもそうなりそうになった原因は私が彼を制圧できなかったことにあるわけだし、更に言うなら因果律のイレギュラーを気にしすぎて失策を重ねた私に責任があるわけだし………」
「そうよねーその上不知火一機オーバーホール行きですものねー。―――あんた達、腕はいい癖に出撃するたびに機体壊してるわよね?」

 香月の無粋といえば無粋な突っ込みに二人は、ゔ、と声を詰まらせた。

「ま、いいわ。どうせ次の作戦―――甲21号作戦じゃあんた達叢雲に乗るわけだし。―――今度は壊さないでよ?」
「甲21号作戦の話はもう進んでいるのか?」
「いいえ、まだこれからよ。―――丁度アメリカの大統領が日本に来てくれている訳だし、こっちに寄った時にでも根回しして引き込んでおくつもりよ。で、国連安全保障理事会を招集して日本側と一緒に佐渡ヶ島攻略戦を提唱するわ」

 香月のその言語に、白銀は首を傾げた。殆ど病室の待合室にいたために詳しい情勢を知らない白銀ではあるが、食事をPXで済ませる際に流れていたニュースで少しだけ情報を入手している。
 それによると―――。

「え?今、大統領がこっち来てるんですか?って言うか、自殺したんじゃ………?」
「そう言えばあんたにはまだ言ってなかったわね。前大統領―――ジョンソン=マルチネスの自殺ならデマよ。状況を考えるに彼の死は人身御供。その後釜になったのが前副大統領デボン=シャイアーよ」

 結局、第42代アメリカ合衆国大統領であるジョンソン=マルチネスは自殺という扱いでその死を公表された。そこに至った理由は公表されることはなかったが、同時期に日本で起こった米軍介入とは密接な関連があると一連の事件を知っている諸国上層部は睨んでいて―――事実その通りだ。
 結局、大統領法に則り、副大統領であるデボン=シャイアーがその権限と任期を引き継ぎ、新たに大統領選挙が行われる三年後までは彼が実質米国のトップとなった。因みに、こちらは公には公表されてはいないが、仕掛け人であるCIA長官やクーデターに関わった人間数名が行方不明扱いになっている。おそらく、後に事故死として処理されるだろう。死人に口なし、とはよく言ったものである。
 平たく言えば―――事を起こした張本人達を処分したからこの件は水に流せ、と態度で示しているわけだ。
 それを聞いた白銀はやりきれない怒りを覚えた。

「そ、そんな………!そんな事で日本が納得出来るわけがないじゃないですか!いくらトップやクーデターに関わった人間がいなくなったからって責任が消えてなくなるわけじゃないでしょう!?」
「その通りね。だからあたし達の目論見通り、他国の米国に対する信頼は現在大絶賛下降中。国連内部でもオルタネイティヴ5側への追求が始まっているわ。―――実はあんた等が関わってんじゃないでしょうね、ってね」

 大統領制らしい素早い事後処理ではあったが、それでも米国はこちらの思惑通り不利な状況下にある。栄華を極めていた米国のリーダーシップも今回の一件でヒビが入り、どう足掻こうがその発言力は一時的にと言う条件付きではあるものの衰退する。
 ―――目論見通り、時間を稼いだ。
 だが、そんな不利な状況を抑えてしまう方法が、米国には一つだけある。
 三神がそう言うと、白銀は首をかしげた。その疑問に対して彼は―――。

「決まってるさ。日本に対して―――全裸で土下座だ」

 しれっと、そう言ってのけた。






 後に12・4騒乱と呼ばれる日から一夜明けて―――煌武院悠陽は帝都城にある茶室で一人の男と対峙していた。
 ―――デボン=シャイアー。
 昨日亡くなったアメリカ合衆国大統領ジョンソン=マルチネスの権限を継ぎ、その肩書こそ未だ副大統領ではあるものの、実質アメリカのトップにある男だ。
 敢えて謁見の間を選ばなかったのには二つほど理由がある。今回の会合は非公式という部分があることと―――相手側の突然の訪問にこちらは譲歩などしない、という強い意思表示をするためだ。
 しかしながら糊の効いた清潔な濃紺のスーツに身を包んだ彼は、慣れていないであろう畳の上にきちんと正座をした上で、しゃんと背筋まで伸ばしている。外国人ながら日本の作法に通じているのか、なかなかに堂に入った佇まいだった。
 茶室には二人の他に四人がいる。悠陽の護衛として斑鳩、紅蓮。デボンの護衛としてSPが二人。通訳でも噛ませるかとも思ったが、何故かデボン自身が流暢な日本語を用いてきたので必要以上の人間を動員しなかった。
 そして、悠陽をして初の外交の幕が切って落とされる。

「―――さて、此度の非公式での訪問………その意図をお聞かせ願いましょうか」
「―――そうですな。では、まず最初に………」

 緊張を以て促す悠陽に、デボンは静かにこう告げた。

「―――謝罪を」
『―――っ!』

 何に対して、とは敢えて言わない。だが、それが何を指し示すかを此の場にいる誰もが知っている。政略には疎い斑鳩や紅蓮はデボンの発言にほんの僅かな驚きを見せ、その後で湧いた怒りを強靭な自制心で抑えつける。
 それと対照的に―――最早ただの小娘ではない彼女は幾つか用意していたパターンの一つを相手が用いてきたことで、デボン=シャイアーという男を推し量る

(―――その手で来ましたか。確かに最良の手ですが、それを打てる気概がある御仁が相手となると、今後も気をつけねばなりませんね………)

 刻一刻と悪くなっていく米国の外交情勢に歯止めを掛ける手立てはそう多く無い。その中で最良の手があるとするならば―――さっさと謝ってしまうことだ。
 無論、この手があらゆる国に通じる訳ではない。日本という特殊な政治状況にある国だからこそ通じる―――一種の裏技だ。そも、日本は民主政治でありながら、皇帝と呼ばれる王族が存在し、更には同格の権限を持っている政威大将軍が存在する。日本人からしてみれば皇帝は皇帝、政威大将軍は政威大将軍として別個で見ており、その上で民主政治を行っている、あるいは行わさせていただいているという認識がある。しかしながら、当然他国がそれを理解できるはずがなく、これを他の国の視線で見ると―――『日本は王政』という思い込みが確立されている場合がある。勿論全ての外国人がそう思っているわけではないだろうが、そう勘違いしている人間もまた多い。
 デボンが用いてきた手は、それを逆手にとった手法だ。王政は王の器が自国の評判に直結する。ここで彼の謝罪を跳ね除ければ日本のトップは器が小さいと悪評を流されかねない。日本が民事であれ軍事であれ自給率の高い国ならばあるいは問題はないのだが、この国は貿易で成り立っていると行っても過言ではないほどだ。
 ここでのイメージダウンはそうした方面にも決して小さくないダメージを貰ってしまうだろう。新政権を樹立したばかりだという事を考えると、特にそうだ。
 他方にメリットがあるこの手法だが、しかしながらむしろこれを用いる方にこそ王の器必要とされる。第二次世界大戦時、そして以降しばらく黄色い猿と蔑んだ相手に―――白人としてのプライドを曲げる器量があるかどうか、それが問われるのだ。
 前大統領に白人至上主義の噂があったが、これが本当ならば彼は謝罪等口にすることはなかっただろう。

「―――その謝罪は昨日の騒乱時に、貴国の軍が内政干渉紛いの事を行った事について、ですか?」
「いいえ、内政干渉を行ったことについて、ですよ」
『―――っ!?』

 敢えてオブラートに包んだ悠陽の言葉に、デボンは真実を以て切り返し、その場にいた全員が絶句した。

「事の発端は色々とありますが、今回の一件につきましては全て我々の方に非があります。―――私はそのことについて謝罪を申し上げたのです」
「我が国の政治家や決起部隊を唆し、クーデターを誘発し、更には収束し始めた事件の中で混乱を齎そうとしたことを―――ですか?」
「やはりそこまでご存知でしたか。その通りです―――ですが、一つだけ、言い訳をさせていただきたい」

 デボンの真意を知るべく、少し突っ込んだ言葉を放る悠陽に彼は動じることもなくこう告げた。

「―――『何処の国でも同じように』、我々にも派閥があります。他国の侵略をも厭わぬ過激派から、自国を守りたいだけの消極派まで。どうか、全てのアメリカ人が貴国の混乱を望んでいたなどと思わないで欲しいのです」

 成程、と悠陽は得心する。
 そう、『何処の国でも同じように』、派閥争いというのは存在する。それがあるからこそ、日本『も』今まで緩やかに破滅に向かっていたのだから。

(もっと舌戦を繰り広げることになるかと思いましたが―――これはこれで、悪くない終わり方かもしれませんね)

 結局の所、話の落とし所はデボンが謝罪と言った時点で決まっている。
 米国は日本から赦しを得ればこれを免罪符に国連や諸外国に対する追求を逃れる。その全てからは不可能かもしれないが、被害者である日本が赦している以上、関係の無い他国や国連が必要以上に口出しすることは出来ないだろう。
 では日本側が得るものが無いかといえばそうでもない。世界のトップ大国である米国に直接出向かせて謝罪させ、更には許すという寛大な心を見せたとなれば諸外国の日本に対する評価は高まる。前述したように様々な部分で他国に頼っている日本の現状を鑑みるに米国の謝罪は大きなメリットになるだろう。かてて加えてこの一件は米国に対する大きな貸しとなる。今後のことを考えると、むしろ多いぐらいだ。
 尤も、そのぐらいの役得がなければ納得もできないのだが。
 まぁ、あまりに素直すぎると諸外国に舐められて要らぬ干渉を招きかねないのでその辺の匙加減が難しくはある。
 だからこそ、と言うべきか。悠陽は彼にこんな問い掛けで返した。

「デボン=シャイアー殿、貴殿は―――どちらなのです?」
「私は―――人類を救う者の味方ですよ」







「―――なんか、納得がいかねぇ………」

 横浜基地の病室で、米国が打つであろう手を予想した三神に白銀は不貞腐れたような表情をした。

「政治、特に外交なんて本来そういうものだよ。―――いくら公式ではないとは言っても、基本的に謝罪表明を出している国を一方的に非難するわけにはいかない。あまり頑なな姿勢を取れば自国の評判が悪くなるし、特に日本のような特殊な政治形態、貿易など他国に頼らなければならない運営状況では尚更だ。ついでに関係が緊張状態になれば些細な切っ掛けで戦争が起こりかねん。そして第二次世界大戦の時のように大国とやり合うような力は今の日本には無い―――となれば、日本側が取れる最上の手はその全裸土下座を受け入れ、それを今後のカードとして交渉していくしかないんだよ。一応、メリットもあるわけだしね」

 幾つか取れる手の中で、それこそがおそらく両国にとって最上の手だ。悠陽もそれが分かっているからこそ、相手が下手に出れば受け入れる方針を取る。
 問題があるとすれば、その手を取れる器がアメリカ側のトップにあるかどうかだが―――『前の世界』でこの数年後に大統領に就任するデボンーシャイアーならば問題はないだろう、と三神は判断した。

「―――それで、香月女史。ハーモン少佐はデボン=シャイアーが引取りに?」
「そうよ、鎧衣課長に捕まえさせた11人も一緒にね。―――あくまで極秘裏に、だけど」

 ヴァルキリーズと相対して、奇策を以て逃げ出した11人の衛士達は昨日深夜、茨城県ひたちなか市の日立港の廃倉庫にて発見捕獲され、国際情勢を鑑みて横浜基地へと移送されてきた。
 その後の調べによると、数日間その廃倉庫で潜伏し、ほとぼりが冷めた頃に別働隊に回収される予定だったようだ。

「―――決起部隊は?」
「殿下の御提案通り殆どの人間はお咎め無し。沙霧や彼を中心とした側近も予定通り特別派遣即応専任部隊―――通称特派の中核になったわ。まぁ実験的ってこともあるから、まずは大隊規模で運営していくみたいだけど」

 悠陽発案の特別派遣即応専任部隊は特定の駐留基地などに所属せず、対BETA戦があれば何処にでも、そして常に最前線に派遣される。言ってしまえば悠陽の私兵のようなものだ。斯衛が盾ならば、さながら彼等特派は剣と言ったところか。
 しかしながら場合によっては海外にも派遣されるとのことなので、あるいは極刑よりも厳しい罰のように思える。しかし―――命じられた沙霧達はその生命を国や悠陽のために使えることを喜んだそうだ。

「―――ま、順調に事後処理が進んでいるようで何よりだ」

 僅か一日ではあるが、日本は新たに忙しく動き始めている。それを三神が喜ばしく思っていると、何故か香月が神妙な顔をした。

「―――どうかしたのかね?」
「別に。―――一言、謝っておこうと思ってね」

 不思議に思って問い掛けると、普段の彼女からはありえない言葉が返ってきて―――気味が悪くなった三神は病室の窓の向こう、雪でも降り出しそうな冬の曇天を見上げて白銀に尋ねた。

「―――武、明日は雹でも降るかな?」
「いや―――槍だと思う」
「あんた達まとめて改造手術でも受けてみる?平行世界の技術に生身でBETA倒せそうなのが幾つかあるんだけど」

 目が本気だったので二人は口を閉じた。

「とにかく―――今回の件、別に油断していたわけじゃないけど、慢心していた部分はあるのよ。00ユニットは万能だけど全能じゃない。―――そんな事は当たり前なのに、何処かで楽観視していたわ」

 無論、全てが全て香月の責任ではない。穏健派の動向を察知できなかったのもアナログな手段を用いての潜行だった為で、00ユニットで把握できなかったのも仕方が無い話だ。
 だが、00ユニットも足を掬われることがあるということを、思考から除外していたきらいは確かにあったのだ。今回の一件は結果的に悪くない方に収束したとは言え、もしもそれに気付けなければいつか取り戻しのつかない事態を引き起こしてしまうかもしれない。

「だからあたしはもう慢心しない。あたしのミスで、あんた達を失うだなんてことは―――絶対にさせないわ」

 その言葉に、白銀は『元の世界』の香月を重ねた。
 普段はクール振っている癖にいざという時は意外と生徒想いのあの人は今はどうしているのか、と不意にそんな事を彼が考えていると、三神が左拳を突き出した。

「―――今度から香月女史も戦場に出るんだ。だったら、こっちの方がいいよな?武」
「そうだな。―――変に畏まった夕呼先生はらしくないですよ。いつも通り、偉そうにふんぞり返って不敵な笑みを浮かべてればいいんです」

 同じように右拳を突き出す白銀は苦笑しながら、こう続けた。

「夕呼先生が抱えきれない分は、オレ達が受け持ちますから。―――だから、手詰まる前に遠慮無く言ってください」

 何処か大人びた表情をする白銀と、体を横にしたまま肩を竦める三神を交互に見やった後―――。

「ふん―――覚悟しなさいよあんた達!ボロ雑巾になるまでコキ使ってあげるわ………!」

 そしていつもどおり不敵に笑いながら、聖女は二人の拳に己のそれを打ち付けた。







「―――どうしたのさ祷子ちゃん。あんたがご飯に手をつけないだなんて」
「京塚曹長………」

 早朝の忙しさを終えたPXの中で、鑑と社をB19階に送り終えた風間が朝食を前にぼぅっとしていると、京塚志津江が声を掛けてきた。

「ちょっと―――ちゃんと寝てるのかい?ひどい顔だよ」

 問い掛けに、そう言えば昨日の朝、総員起こしが掛かってから寝てないことに気付く。そろそろ丸一日だ。妙に思考が上手く噛み合わないと思ったら、単に寝不足だったようだ。
 しかしそんな時間がなかったことも確かだ。夕方から夜にかけては出動していたし、横浜基地に帰って来てからはずっと待合室で彼が目覚めるのを待っていた。その間に何度か白銀達と言葉を交わしたが、何を話したかよく覚えていない。
 考えていたのは―――。

(―――私のせいで、少佐が………)

 三神が負傷することとなった切っ掛けは自分にある。しかしそうした責任を感じると同時に、彼が意識を失う直前に言った言葉が混ざって風間は自分の感情のコントロールが困難になる。
 ―――気持ちの整理がつかない。一言で言えばこうだろう。ついでに寝不足も合わさって、もう何度も何度も同じ考えをループさせている。
 どうにも反応に乏しい彼女を重症だねぇ、と判断した京塚は肩を竦めて風間の隣に腰を下ろした。

「―――どれ、ちょっとおばちゃんに話してみな」
「え、でも………」
「任務のことは話さなくていいよ。あたしにはそれを知る権利はないし、祷子ちゃんにも話す権利はないだろう?だからあんたが話すのは、何に落ち込んでいるか―――それだけだよ」

 その言葉に風間は少しだけ迷った後、色々と伏せながら訥々と話し始めた。
 作戦の最中に自分のミスで三神に怪我を負わせてしまったことから、何故か意識を失う直前に誕生日を祝われ、その真意が分からないことまでを、だ。

(―――ある意味、これはこれで脈アリなのかねぇ………。本当、あの手の男は罪作りだよ………)

 今は亡き自分の夫もそうだったが、白銀なんかもそうだ。他人の好意に恐ろしく鈍い癖に、妙な気の回し方を心得ていて、気がついた時にはどっぷりハマっている。逆にこれが全て打算の結果ならばまだ可愛げがあるが、あの手の男共は天然だから手に負えない。
 その上、自分の目標に実直で、その為には女を省みないこともしばしばある。
 京塚の見る限り、白銀は前者が、三神は後者の方が強い。

(あの子が何を目指しているかは分からないけれど………時々、酷く寂しそうな顔をしてるのは―――あたしの気のせいかね………?)

 京塚の視線からしても普段馬鹿ばかりやっている鮭定食の鮭の皮が好物の変わり者だが、時折実年齢以上の表情を見せるのを知っている。壮年じみた―――というよりかは、老人のように達観したような表情だ。
 それが何故か達観よりも諦観に近い気がして―――しかし京塚も人の心に土足で踏み入れるほど無粋ではないので、それ以上は知らない。

「―――庄司が怪我したっていうのはタケル達からも聞いたけど………そんなに酷いのかい?」
「怪我自体は半月ぐらいで治るそうです………でも………」

 自分の責任、という部分もあって心配なのだろう。
 だがそれ以上に―――。

(祷子ちゃんも、自分自身ではまだ気づいていないみたいだねぇ………)

 此の場でそれを指摘してやることは出来る。先達として色々教えてやることもやぶさかではないし、こんな時代で、彼女も戦場で命の遣り取りをする身だ。せめて平時ぐらいは、幸せでいて欲しくはある。
 だが、こんな時代だからこそ、ゆっくりと大事に育んで欲しくもあるのだ。
 だから京塚はほんの少しだけ、お節介をしてみようと思った。それだけに留めることにした。

「あの子は………庄司はね、あたしの旦那やタケルと一緒さね。―――こうと決めたら何処までも突っ走っていく男だ。だから残される女ってのは、待ってちゃ駄目なんだよ。待ってたらきっと置いて行かれる。だから―――不安なら、追っかけるんだよ」

 彼女の心を他人の自分が決めてしまわないように。そして願わくば―――。

「いいかい祷子ちゃん。あたしなんかが言わなくても分かってるだろうけど、あの子は賢そうな顔して実は案外馬鹿だから、誰かが手綱を握ってやらなきゃいけないのさ。それが出来るのは―――今一番あの子の近くにいる、あんただけだよ」

 ―――いつか彼女自身が、自分でそれに気付けるように。







 アルフレッド=ウォーケンはF-22の中で待機していた。
 昨日の騒乱から一夜明けて、横浜基地に駐留している米軍機は全て撤収、沖合に待機している第7艦隊へと帰艦することになった。今は出発前の最終チェック中で、少しだけ余裕があるのだ。

(―――流石に、今回の件は堪えたな………)

 彼はあの時取った選択を悔いてはいない。悠陽や他の日本人衛士からも褒められ、嬉しくもあった。
 だがそれでも、ターナー中佐はウォーケンの上官であり、同じアメリカ軍人だったのだ。やむを得ない状況であったとは言え、同胞に銃を向けてしまった。実際に撃つことはなかったものの、真面目な彼らしくどうしても考え込んでしまう。

(いかんな、このままでは………。―――そうだ、先程、手紙を預かったな………)

 機体に乗り込む直前に、白銀が顔を見せた。話を聞くと、見送りと―――三神からの手紙を預かってきたらしい。何でも、一人の時に読んだ方がいいとの警告付きでだ。
 網膜投影の時刻を表示させる。最終チェック中終了時間までもう少し時間はある。管制ユニット内ならば一人だし、今なら読めるなと思ったウォーケンはその茶封筒を開き、中から便箋を引っ張り出す。すると、それに引っ張られて一枚の写真が落ちてきた。

「こ、これは………!」

 拾ってみると、そこには悠陽と御剣がまるで鏡合わせのように抱き合う姿が写されていた。ウォーケンは知らぬことだが、これは悠陽と御剣が摩り替わった夜に撮られたものだ。
 慌てて手紙を確認してみると中にはこんな事が書かれていた。

『異国の侍へ―――。

 今回の一件で落ち込んでいるだろう君にプレゼントだ。―――姉妹揃ってのツーショットは超レア物だぞ?

 PS.もし次に会う機会があれば、写真集でも作って進呈しよう』

 確かにこれは一人の時に開けるべきだ、とウォーケンは思う。そして彼はテンション上がりすぎて思わず管制ユニット内で叫んだ。

「―――日本万歳っ………!!」

 ―――因みに、この追記の部分に書かれていた他愛も無い約束が、後に小さな波紋を呼ぶことになるのだが―――それはもう少し先の話である。








 昨日から相模湾沖に展開している米国第7艦隊に、守られるように存在する一隻の戦術機母艦があった。ミニッツ級9番艦―――シーホーク。
 その中にある貴賓室のソファにデボンとハーモンは腰を下ろしていた。
 政威大将軍との謁見の後、デボンはその足で横浜基地へと向かった。名目上は横浜基地に駐留している米軍と合流して撤収するためのものだが、その内実はF-14Fやハーモン、そしてナイト中隊を回収するためだ。

「―――意外と元気そうだな、ハーモン」
「ま、拷問とか受けなかったからな。―――やっぱアレか、第三計画の力でそんなモノは必要無いのか」
「いや―――多分第四計画の集大成だろう」

 横浜に立ち寄った際、デボンは香月と会談する時間を設けた。彼としては第五計画がしばらく動けないことを考え、第四計画の進捗状況を知りたかったからなのだが―――思った以上に事が進んでいた。その上、ハーモン達を引き渡す条件として『色々』と約束をさせられてしまった。だが、それ自体に後悔は無い。実りのある話だったし、彼女の提示したプランは荒唐無稽ではあるものの、それをH21攻略戦で証明すると言われれば是非もない。
 G弾という最後の武器を使わずに人類が救済できるのならば、それに越したことはないとデボンは考えている。あの黒い光が炸裂し、数年たった今でも廃墟のままである横浜を見て、彼は改めてそう思った。
 それにしても先程の政威大将軍殿下と言い天才科学者と言い、日本の女性は強いな、とデボンが苦笑するとハーモンが不思議そうな顔をしたので、小さ首を横に振ってやった。

「―――何でもない。それよりも、これから忙しくなるぞ。何しろ今現在我が国は上に下に大慌てだからな」
「だろうな。―――つーかあの時の映像を生中継してたとはなー………知ってたらまた違った手を打ってたんだが………」
「こればかりは仕方ないさ。『前』大統領とあの中佐、第五計画―――それからHi-MAERFの遺産を蜥蜴の尻尾切りに出来ただけ十分だ。今回出た損失は、また今度巻き返せばいい。―――手札は幾つかあるからね」
「これがその一枚か?―――って、オイなんだコレ………!」

 デボンの言葉に、ハーモンは手渡された資料に目を通して絶句した。

「開発コード『Fire Bird』―――。号試機体のナンバリングは開発コードから取ってFB-2000。個体名称は〈トランザム〉。F-14Fの技術を第三世代機に『最初から』搭載した機体だ。私が個人的にスポンサーをしている財団で密かに作っていてね。結局、今回の件には間に合わなかったが。―――本国に帰ったら、君にはこれに乗ってもらう。ハーモン=アーサー=ウィルトンではなく、ハーモン=ラブとしてな」
「―――デボン、俺はあんたの依頼に失敗したんだぞ?それは………」
「私のお情けではないよ。―――Miss.香月の部下からの『お願い』だそうだ」

 『色々』と約束された条件の中に、何故かハーモンの戸籍復活も含まれていた。詳しいことはデボンも聞かされてはいないが、彼女の部下はかつてハーモンに命を救われてことがあるという。何故それと今回の件が結びつくのかは些か判然としないが、デボンからしてみれば安い取引だ。
 元々、彼程の衛士を手放すつもりはないし、いい加減息子とも再会させてやりたいと思っていたのだから。
 デボンがハーモンに視線を向けると、彼は手渡された資料の一文に視線を釘付けにし、そこに嬉しい名前を見つけたのか、淡く微笑んでいた。

「―――またよろしく頼むぜ、『兄弟』」







 横浜基地屋上で、遙か遠くに見える米国艦隊を見つめて三神は煙草を口に銜えていた。

(―――我が事ながらまた随分と酷い怪我をしたものだ………。まぁ、どうせこの身体とも後一月ぐらいの付き合いだ。最低でも甲21号作戦までに間に合うならば別に構わない、か………)

 頭には包帯、右腕はギブスで固めて三角巾で首から吊っており、服の下にはコルセットを巻いている。どう考えても出歩いていい格好ではないが、どうしても『彼等』を見送りたかったのだ。
 深く紫煙を吸い込んで、冬の風に身を任せる。短くなった煙草を床でもみ消すと、右腕が使えないので左腕で敬礼した。

「―――どうかお元気で、ハーモン少佐。ジュニアによろしく」

 もう二度と会うことはない。だからこそ、最後にその言葉を送りたかった。例えそれが『彼等』に届かなかったとしても、ただの自己満足であったとしてもだ。
 さて病室に戻る前にもう一本吸って行こうか、と三神が新たな煙草を取り出して火をつけた瞬間だった。突然昇降口の鉄扉がバタンと開き、転がり出るように風間が姿を現した。

「―――おや、風間。どうかしたかね?そんなに慌てて」

 不思議に思って問い掛けると、彼女は走ってきたのか荒くなった息を整えて―――こう宣言した。

「―――少佐の怪我が治るまで、私がお世話します………!」
「―――は?」

 その突拍子も無い宣言に、三神は口に銜えた煙草を思わず取り落としたのだった―――。











[24527] Muv-Luv Interfering 第四十四章 ~飛翔の大翼~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/08/13 14:17
 12月7日

 片手で生活、というのはこれはこれで存外に不便である。
 確かに慣れれば意外とどうということはないのだが、ギプスで右腕で固めて正味二日しか経っていない現状では慣れろと言うのも無理な話で、こればかりは如何に経験を重ねた三神とて同じだった。
 つまり何が言いたいのかというと―――。

「か、風間………。昨日も言ったが飯ぐらい一人で食えるから大丈夫だ」
「駄目です。少佐は右手が使えないじゃないですか。―――お手伝いします」

 ずい、と箸で摘まれた生姜焼きが突き出された。

「私は左手でも大丈夫だ。ほ、ほら、フォークで何とかなるし」
「―――お嫌ですか?」
「くっ………!?」

 にっちもさっちも行かなくなって、馬鹿はだらだらと脂汗を流し―――やがて観念したようにそれを口に銜えた。
 昼頃のPXで、執務に一段落付けた三神と風間は昼食を取ろうとしたのだが、何を思ったか食事を手伝うと言い始めたのだ。実のところ、これは今に始まったことではない。あの屋上での宣言の後、その言葉通りに三神の世話を始めたのである。内容はそれこそ仕事から始まり私事に到るまでだ。何とか煙に巻いて私事に関しては踏み入らせてはいないが、それでも―――あるいはそれがいけなかったのか日に日に積極的になって行く。
 される方からしてみれば、助かるやら困惑するやらで大慌てである。
 丁度午前の訓練を終えたヴァルキリーズと鑑や社もその場に相席しており、彼女達はその様子を遠巻きにしながら。

「少佐が手玉に取られてるわね………」
「白銀がいたら指さして笑いながらざまぁみろとか言われるんでしょうね。普段アイツをからかってばかりだから」
「あははー。既に昨日言われたみたいですよ?」
「そこ!午後の訓練メニューいつもの二倍な!?」
『えぇっー!?』

 うっかり口を滑らせて速瀬、宗像、柏木がとばっちりを食らうが馬鹿は気にしない。

(まぁ、今回のは『怪我をさせた』という責任感から来るものだろうが―――それにしても何故だ?私の意志に反して順調に外堀から埋められて行ってる気がしてならん………!)

 そもそも彼女はこんなに積極的ではなかった、と三神は思う。こう見えて意固地な部分はとことん意固地ではあるが、基本的に他者―――特に男に対してはもっと消極的だった。確かに半月ほど上官として接してきてそれなりにコミニュケーションも取ったが、それにしてもこの急接近は眉を顰めざるを得ない。
 ―――尤もその積極的行動の裏に、香月や京塚の意志が介在しているのだが、彼は知らないことである。
 何年生きても不可解な女と言うものに三神が頭を痛めていると、その彼の横ではむはむと天津飯を啄んでいる社に背後から跳びかかる存在があった。

「か・す・み・ん~!」
「―――式王子か。伊隅に扱かれてたんじゃないのか?」

 三神が視線を向けると、社を後ろから抱き竦め、その後頭部に頬ずりしている式王子の姿があった。背後に至福の二文字を浮かび上がらせている彼女ではあるが、その顔は憔悴を隠せていない。主に目元あたりに隈が出来ていたりする。
 あの12・4騒乱時に謎の中隊を取り逃がしたヴァルキリーズは基本的にお咎めなしであった。公表されてはいないし当事者である彼女達でさえ知らぬことだが、結果的に鎧衣課長がその尻拭いをしたことによってその責任を免れたのである。まぁ尤も、元々A-01の本来の任務は対BETA戦が主軸であることと、香月の直下であることを考えると責任追及を出来るのはそれこそ当の香月ぐらいだ。
 それはともあれ、では本当に何のお咎めもなしであったかといえば嘘になる。件の戦闘時に部隊を率いていた式王子が人身御供、もとい彼女に責任追及が行き―――現在、伊隅による指揮官養成訓練が行われている。無論、スパルタでだ。

「ゔ………。ししょー、今その話は止めて………胃が!胃がっ!!」
「まさかと思うが………逃げてきたのか?」
「違います。これは寄り道です。私、式王子小夜が最近発見した精神安定に必要不可欠な脳内物質『カスミン』を補給するためにやってきただけなのです。―――はふぅ………」
「外部摂取が必要なくせに随分と限定的な脳内物質だな………」

 呆れた様子の三神だが、彼女はそんな突っ込みなど意にも介さずに脳内物質を外部摂取しつつ恍惚とした表情を浮かべ、社の隣の席の鑑に気づいて首をかしげた。

「あれ………?すみかん―――今日は白銀中尉と一緒じゃないんだね?」
「あはは………今、タケルちゃんは教官として最後のお勤めをしてるんですよ」

 最後のお勤め?と再度首を傾げる式王子に、三神が肩を竦めてこう言った。

「207B分隊―――涼宮達の同期の解体式なんだよ」
「おぉ………!ということは―――遂に被写体追加っ………!?」

 瞬間的に瞳を輝かせる変態淑女に相席していた高原、麻倉、七瀬の三人は先日の不幸な情景を思い出して遠い目をする。

「いっそ清々しいぐらい欲望まみれですね………」
「本能に忠実というか何と言うか………」
「基本的に見境ないよね………」
「そこの三人、後で『また』私の部屋に集合ね?」
『ひぃっ………!』

 よせばいいのに要らないこと言った為に再び己の黒歴史を刻むことになってしまった。

「まぁ、何はともあれA-01に補充人員が入ってくるのはいい事だ。―――式王子。敢えて自重しろとは言わないがちゃんと被写体から許可は取るように」
「ふ、ふひひ、ふへへ………!207B分隊、前から気になってたんだぁ………白銀中尉の管轄だから手は出せなかったけど………これは大人の事情でお蔵入りにしていたあんな服やこんな服を引っ張り出してこないと………!」

 涎と鼻血を流しながら妄想、もとい、今後のプランを組み始める馬鹿に聞いちゃいねぇよこの変態淑女、と三神が呆れていると―――ゆらり、と背後で爆発的な殺気が膨れ上がった。
 それと同時に、地の底から這いでてくるような低い声が馬鹿を現実に引きずり戻す。

「し・き・お・う・じ~?」
「ぴぃっ………!?」

 妙な鳴き声を上げて恐る恐る式王子が振り返れば、そこには鬼の形相の伊隅が腕を組んで仁王立ちしていた。怒髪天を衝くとはよく言ったもので、心なしか闘気で髪が揺らいでいるような気がしなくもない。

「来ない来ないと思って探してみれば貴様………私の呼び出し無視しておいて何を油売っている………?」
「ち、違うんだよいーちゃん!こ、これは昨日から続いているいーちゃんの神宮司軍曹仕込みのスパルタ指揮官養成訓練に嫌気が差したわけじゃなくて!し、ししょー!ししょーからも何か言ってやってくださいっ!―――後で私秘蔵のカスミンコレクションを提供しますから!!」
「―――ふっ!弟子の危機とあらば手助けせざるを得ないなっ!!」

 どうでもいいや、という表情をしていた三神ではあるが、最後の一言で全てをかなぐり捨てて立ち上がり―――。

「三神少佐、買収されるおつもりですか………?」
「―――あ、風間。次は玉子焼きが食べたい」
「はい、どうぞ」

 鬼の形相の伊隅に睨まれて着席、この状況を対岸の火事にするべく現実逃避を実行した。

「う、裏切り者ー!最悪!最悪ですよこの上官っ………!!」
「覚悟は、出来てるんだろうな………?」

 がしっ、と伊隅に肩を掴まれ最早逃げることの出来なくなった式王子はだらだらと脂汗を流しながら、こんな状況でも動じず天津飯を啄む社にしがみついた。

「………っ~~~~~~!や、やぁのやぁの!私まだカスミン補給するの~!!」
「えぇいっ!子供みたいな駄々こねるんじゃない!いいから来い!今からみっちり指揮官の何たるかを貴様に叩き込んでやる!!」
「だ、誰か!誰かへるぷみ~!!」

 首根っこを掴まれて社から引き離され、ドナドナ宜しく引き摺られていく式王子は一縷の望みを他の皆に求めるが―――。

「これで強制撮影会は無くなるね………!」
「うぅ………お嫁に行けない身体にされなくてよかった………!」
「何とか二度目の黒歴史回避………!」
「あれー!?私の人望!人望は何処ですかーっ!?」
『日頃の行いを省みろっ!!』

 ヴァルキリーズどころかその様子を遠巻きにしていた他部隊の衛士等PX中から総ツッコミを食らって敢え無く轟沈。

「うわ―――ん!あいしゃるりた―――んっ!!」

 何とも情けない悲鳴を上げてずるずると引き摺られ、PXを後にしたのだった。







 12月8日

 A-01用のブリーフィングルームではヴァルキリーズが十三人と、新しく入隊してきた元207B分隊である新任少尉五人、それから原隊復帰してきた神宮司まりも『大尉』との顔合わせが行われた。
 元207B分隊のA-01編入はともかく、神宮司の原隊復帰と編入は先任にも新任にも衝撃を与え、特に新任達はつい昨日部下として接することとなった教官が、たった一日でまた上官に戻ったという些か以上に慌ただしい事の成り行きに目を白黒させていた。
 そして一人ほど被写体が更に増えたことに喜ぶあまり暴走仕掛けた馬鹿がいたが程なく捕縛され、簀巻きにされて部屋の隅に放置された。びちびちと陸揚げされた魚のように跳ね、更には『ギョーザ!』とか『春巻き!』とか宣いながら存在をアピールしているが、皆は敢えてそこから視線を外した。
 まぁ、それはともあれ、これでA-01には19名―――別枠とされている三神や白銀、鑑や社を含めれば23名にまでに膨れ上がった。だがこれでも大隊枠にすら届かない事を考えれば、如何にA-01が人手不足であるかが理解できるだろう。しかしながら、これ以上の補充要員は望めないし、運営する側の香月も望まない。少なくとも、ある程度情勢が落ち着くまでは―――早くても、オリジナルハイヴを落とすまではこの信頼できる面子でやって行くしか無いと考えている。
 この中途半端な人数で問題になったのは、何はともあれ隊の編成だ。伊隅ヴァルキリーズ中隊に全員突っ込むにしても、またシャッフルして二つに割るとしても、人数の不揃いは避けられない。であるならば、といっそ割りきって伊隅ヴァルキリーズ―――即ち第9中隊を変にいじらずそのままに、もう一隊、神宮司を旗頭に定員割れの変則中隊を作ってしまった方が楽だとの三神の提案により神宮司中隊が結成された。
 構成内容は神宮司を筆頭に元207B分隊の面子の六人構成。コールサインは『ウォードッグ』。これは神宮司自身が決めたものだ。中隊ナンバリングは第10中隊。本来連隊には存在しないはずの番号だ。
 そして―――。

「―――さて、一通り顔合わせが済んだ所で今後について話しておきましょうか」

 隊の編成を伝えた後で、香月は皆の顔を見回しながらそう言った。

「昨日、国連安全保障理事会での会議で、12月25日にある大規模な作戦を展開することが決定したわ。これには日本帝国を中心に、あたし達国連も参加する」

 奪われた土地を取り返す為に。
 積み重ねてきた成果を示す為に。
 そして何より、世界を救う為の第一歩とすべく展開する作戦のその名は―――。

「作戦名『甲21号作戦』―――名前の通り、佐渡ヶ島ハイヴ攻略戦よ」
『っ―――!』

 香月の言葉に皆が目を見開く。
 いつかは訪れると思っていた祖国の国土奪還作戦。だが、実際にそれを聞くとなると耳を疑いたくもなるだろう。作戦を展開するのは良いとして、勝算はあるのか、そして明星作戦の時のようなG弾を用いてしまうような事態にはならないのか。
 確かな勝算を提示されないだけに、考えれば考えるほどマイナス方面の思考が強くなる。それをリーディングしたのか、香月は小さく鼻を鳴らす。

「現状決まっている部分をまとめた簡単な作戦概要は今から話すけれど―――その前に言っておくわね。明日からあんた達の機体には多重跳躍機構を取り付けさせるわ。先の12・4騒乱で三神と白銀が見せたでしょうけど、機動力が大幅に増す分、動きがピーキーになるし、今までの運用方法からは少し離れたものだから、きっちり習熟して作戦前までには各自使いこなせるようにしておくこと。―――いいわね?」
『―――了解っ!』

 既存の機動概念を覆しかねない多重跳躍機構を装備し、使いこなせればそれだけで隊の戦闘力―――引いては生存能力は跳ね上がる。XM3や追加噴射機構とも合わさって、確かに凄まじい機動力を実現するだろう。しかし、機動力だけで押し通せないのが対BETA戦だ。
 果たして、たった二個中隊にも満たない機体だけがパワーアップしたところで、一体何処まで戦況を有利にできるか―――戦乙女達が興奮の中でも冷静な目で状況を観察する。

「一応、本来は作戦を伝えるのは司令の役割なんだけど、あんた達はあたしの直属で、今回作戦の中核を担うことにもなるから、先にある程度伝えておくことにするわ。―――ピアティフ、三神」

 香月が支持すると、壁際で待機していたピアティフは部屋中央のプロジェクターを操作し、スクリーンに佐渡ヶ島の地図を表示させた。その横に三神が立ち、左手にしたレーザーポインターで解説を始める。

「本作戦では従来のハイヴ攻略戦と同じように国連宇宙総軍による衛星軌道上からの軌道爆撃から始まり、帝国艦隊による制圧攻撃、戦術機などの上陸部隊による地上制圧、周回待機していた軌道降下部隊による再突入、そしてハイヴ内突入から反応炉撃破へと至る。これから行う帝国との折衝によって細かな部分は変わってくるだろうが、大筋はこれだと思ってくれて構わない」

 概要は彼が言うように、作戦は従来のハイヴ攻略戦と同じような流れであった。
 唯一違うところがあるとすれば、軌道降下部隊の役割か。通常、機動降下部隊は再突入殻廃棄後―――即ち、着陸後はそのままハイヴ内に突入することになっている。しかし今回の彼等の役割は再突入殻によって出来た突入孔を確保する事になっていた。

「この内訳の通り諸君が訓練で習った通りの流れではあるが、今も言ったように軌道降下部隊はハイヴ内に突入しない。では誰が突入するのかといえば、言うまでもなく我々A-01だ。そしてその突入時の中核を成すのが―――」
『―――!』

 三神がそこで言葉を切り、次にスクリーンに映しだされた映像を見て、皆が絶句する。

「XG-70b、日本名『凄乃皇弐型』。それからType01、日本名『叢雲』。これらが作戦の中枢に位置し、諸君の役割はこれの護衛、支援になる。―――香月女史、新型兵器の概要説明を」

 驚きに目を見開く皆に畳み掛けるように、香月はまずはこの作戦に於ける真意と基本骨子―――即ち、この新兵器群のテストが根幹となって計画されたものだと言い含めてから『凄乃皇弐型』について説明を始める。
 XG-70シリーズの成り立ちから、搭載されたムアコック・レヒテ型抗重力機関の持つ特性、更にはその余剰電力を利用した荷電粒子砲による攻撃やその弱点、護衛の際の注意点等を懇切丁寧に落し込んでいく。

「―――じゃぁ次に『叢雲』の方だけど、こっちは今言った『凄乃皇弐型』の特性を戦術機サイズにダウンサイジング化したものだと思ってくれて構わないわ。とは言っても、流石に『凄乃皇』並の出力は持っていないから、だからこそ戦術機っていう機動力が必要なんだけどね。現状、ラザフォード場に関しても『凄乃皇』みたいに主機負担さえ無ければ延々レーザーをねじ曲げ続けられるって訳じゃなくて、一瞬そらしてその隙に離脱って言うのが基本になるし」

 スクリーンが切り替わり、『叢雲』が拡大化される。
 日本名があるように、全体的なフォルムは日本産の戦術機と似通ったえぐれたような空力形状を随所に織り込まれていた。不知火の系譜を継いでいるのか、大型化された頭部左右のセンサーマストはそのままに、頭部中央には前に大きく突き出た一本角が特徴的だった。
 両肩や両脹脛の装甲にはオルガン展開式の追加噴射機構が始めから埋込式で装着されており、これは多重跳躍機構に関しても同様だが、多重跳躍機構に関しては更なる一体化、空力性を求めてか腰部まで覆い隠すようなカウリングを成されており、そのカウリングが背部担架とは別に腰部担架と呼べる可動兵装担架システムを形成していた。
 ―――因みに、事情が事情だけに香月は説明しなかったが、この機体の大本は不知火と武御雷だ。『前の世界』での2002年以降に国連仕様の武御雷が導入されているので、その系譜も継いでいるのである。

「主武装は汎用兵器である突撃砲や短刀の他に換装武装として四系統の物があるわ。近接兵装としてラザフォード場収束発振器を埋めこませて重力偏差を刀身に発生させる01式近接戦闘重力偏差長刀と01式近接戦闘重力偏差双刀」

 画像が切り替わり、三本の刀が表示される。
 一本は通常の長刀よりも長大で、その大きさは英国軍が正式採用している大剣型近接戦闘長刀BWS-3に迫るほどだった。もう二本は二本で一対なのか形状を同じくしており、こちらは通常の長刀よりも若干短く、取り回しを重視した設計をしているようだった。

「この二つの大きな違いは性能よりもその運用方法ね。こっちに関しては次の兵装の時に説明するわ。で、長刀の方はラザフォード場を最大収束展開すれば有効斬撃範囲は40mまで『延長』できるけど、『叢雲』の腰部担架には収まらないから背部担架を一つ潰してしまうわ。逆に双刀の方は最大展開したところで18mが精精。代わりに腰部担架に二刀収められるわ」

 この二系統の特徴はその刀身にラザフォード場を収束させる装置を埋め込んでいる点である。
 『叢雲』に積んであるムアコック・レヒテ抗重力機関によって発生するラザフォード場を収束発振器によって誘導、制御して刀身に限定させる。そして刀身に触れるものを―――あるいはその延長線上のものを重力偏差によって『捻じ』斬る。
 因みに、『叢雲』本体にも一部収束発振器が搭載されており、これにより祖先である武御雷に採用されていたブレードエッジ装甲は取り付けられていない。そもそも、ラザフォード場を用いた防御障壁と戦術機の機動力があれば基本的にBETAに取り付かれることもないのだ。

「もう二系統は射撃系、どちらも荷電粒子砲よ。一つは01式荷電粒子長砲、もう一つは01式荷電粒子突撃砲よ。この二つの違いは遠距離か中距離か、それに絡んで威力と放射回数の差異―――それだけね」

 画像が切り替わり、今度は三丁の銃砲が映しだされる。
 一挺は長刀並みの砲身を持つ長砲だ。最大充電時間は約5分。出力を絞って使えば5発に分けて使えるが、最大出力で放つのが基本運用だ。最大出力でも『凄乃皇弐型』の十分の一以下であるものの、2km直線圏内のBETAを一掃出来る程の高威力を誇っている。尤も、取り回しが悪く、一度最大出力で放射すれば砲身冷却も考慮すると充電時間と同じ5分程度のインターバルが必要になるという弱点があるのだが。
 もう二挺の突撃砲は丁度支援突撃砲と同じぐらいの大きさだった。最大充電時間は同じく約5分。出力は一律ではあるものの突撃級を真正面から貫通し、着弾と同時に周囲を吹き飛ばす程度の威力は持ち合わせている。ただ、従来の36mmと違って連射ではなく単発射撃となる。こちらの放射回数は片側70発計140発となるが、10発使うごとに砲身冷却で30秒のインターバルが必要とされる。加えて、照射方法を散弾に切り替えることも可能だ。
 以上のようにこの固有兵装は有利な点が幾つかあるが、同時に不利な部分も抱えており、それをカバーするために通常兵器である突撃砲との並行運用が絶対的に必要となる。

「尤も、こちらは主機負担を考えるとどちらか片方しか装備できないわ。先の近接装備と合わせると自ずと装備内容は限定されるけど、どちらも強力だから攻撃力という面では申し分無いんだけどね」

 そしてムアコック・レヒテ機関への接続方式の関係からそれぞれ背部担架、腰部担架を潰してしまうので装備が限定される。
 即ち、長砲を選べば近接兵装は腰部担架に双刀、腰部担架に突撃砲を選べば長刀しかない。フォローとして通常の突撃砲も装備させることも考えると、どうしてもこのように組み合わせは限定されてしまうのだ。
 ―――余談だが、白銀は長刀と突撃砲、三神は長砲と双刀の組み合わせで出撃する予定となっている。

「―――さて、『凄乃皇』に負けず劣らずのこの二機だけど、ある問題を抱えているわ。これはこの機体が『量産』されることによって解決する問題だけど、現状では未解決の問題なの。まぁ解決したとしても問題の根幹部分は変わらないからよく聞いておきなさい―――甲21号作戦が終わったら、あんた達にもこれに乗ってもらうんだから」
『―――!』

 データだけで見れば既存概念を遥か後方に置き去りにした仕様もさることながら、これが既に量産体制にあり、少なくともこの次の作戦以降は自分達もこのある意味出鱈目な機体に乗ることになるとを知らされ、皆は息を呑む。

「まず、『叢雲』は現状、『凄乃皇弐型』のデータリンク領域圏外には出られないわ。『叢雲』のムアコック・レヒテ機関の制御は特殊でね。その一部を『凄乃皇』が肩代わりしているの。だから通信障害が起こると通常機動はともかくムアコック・レヒテ機関を使った行動が一切出来なくなるわ。無理にでもしようとすれば―――さっき『凄乃皇』の時にも言ったけど、重力偏差に巻き込まれて衛士は中でシチューになるわね」

 『叢雲』のムアコック・レヒテ機関に関しては現状、00ユニットの演算能力と電子制御能力を以て常時外部制御を行う他無い。
 これは機体を量産し、『あるシステム』を組み込むことによってある程度解決はするが、根本的な解決をするためには00ユニットに迫る演算能力を持つCPUの開発が必要だ。これに関しては政治情勢上、現状は不可能なので力技でねじ伏せるか、代替の『あるシステム』で凌いでいくしかない。

「と言っても、例え重金属雲が発生していても佐渡ヶ島ぐらいの広さじゃ通信障害は発生しないわ。だから問題なのは地上戦ではなくハイヴ内。あんた達も座学で習ったから知ってるでしょうけど、ハイヴ内はその内壁が電波を吸収するのか時々電波障害が起こってしまう場合があるの。それを考えると、どうしてもハイヴ内での『叢雲』の行動は『凄乃皇』周辺のみに限定される。だからこれに乗る三神と白銀には『凄乃皇』の直衛についてもらうわ」

 逆を言えば、ハイヴ内での斥候や露払い、機動重視の進攻、防衛はヴァルキリーズの役割となる。彼女達の本戦は地上戦よりも、むしろハイヴ内と言っても過言ではないだろう。

「以上が本作戦の中軸となる新兵器群の説明になるわね。他にも細々とはあるけれど、一度に詰め込んだって整理できないだろうから作戦内容が正式決定してから伝えるようにするわ。―――何か質問は?」

 問い掛ける香月に、手を挙げる者はいなかった。








 12月9日

 季節柄、脚の早い西日に照らされた帝都の郊外を、一輌の車が走る。
 無骨な軍用車ではなく、黒色に儀装されたワゴン車だがナンバープレートが青を基調としていることから、それが国連所属の物だと分かる。
 その車のハンドルを握っているのは白銀だった。助手席には神宮司、後部座席には一昨日を以て解散した元207B分隊の面々が座っていた。いずれも正装―――いや、軍装姿だ。
 午後の訓練を早々に切り上げ、白銀は神宮司達を連れ出した。事前に許可は降りていたらしく、便宜上連隊長扱いになった三神を筆頭に、香月やMPにも引き止められること無く基地の外へと出ることが出来た。
 横浜基地から出ておおよそ一時間ぐらいか。途中で周辺の商店街へ寄って白銀が何がしかを購入しに行った以外は特に何事も無く車は街中を進み、そろそろ見慣れぬ風景が目に入ってきたところで神宮司はようやっと口を開いた。

「―――あの、中尉、私達は一体何処へ向かっているんです………?」
「ほら神宮司大尉、敬語になっちゃってますよ?昨日付けで原隊復帰したんですから、下級者には下級者の扱いをしないと」

 小さく笑う白銀に、神宮司は言葉を詰めた。
 軍隊では稀にある光景だが、長らく教官職であった自分にまさかそのような状況が巡ってくるとは思わなかった。教官という立場上、自分が手がけた教え子たちが任官して二つ上の階級になることは良くある事―――と言うよりも、毎度の事だが、まさか逆があるとは思わなかったのだ。
 慣れていない、ということも理由の一つだが、それ以上に神宮司は既に白銀という少年を認めて、尊敬すらしている。確かに彼は自分よりも年下だが衛士としての才能は元より、XM3を考案する発想力や元207B分隊が抱えていた不和を解消する程の、一つのリーダーシップを持っていた。
 そこまで才能を示されれば、周囲の対応はおおよそ二つ。尊敬するか妬むかだ。神宮司の場合は、前者だった。
 そうした経緯もあって、今でも彼に接するときには不意に敬語が口を衝いて出てしまう時がある。しかしそれでは確かに周囲に示しが付かない。何よりも一昨日、自分の教え子達にそう接してきたことを考えると、自分もそれに則るべきだ。
 だから神宮司は大きく吐息して、気持ちを切り替える。

「―――ふぅ………では白銀、新人共も率いて何処に連れ出す気だ?」
「オレ達全員に縁がある人の所ですよ。本当はもっと早くに連れていきたかったんですけど―――皆が任官しないことには、合わせる顔も無いですから」

 明確に誰々、とは白銀は口にしなかったが、神宮司はそれを聞いて自らの予想を確信へと変えた。
 先程商店街へ立ち寄った際、神宮司と元207B分隊は車に残っていたが―――白銀が買い物から戻ってくる際、バックミラー越しにその手にした荷物を一瞬だけだが見ることが出来たのだ。それは直ぐにトランクに押し込まれたが、あれは間違いなく―――。

(ヤグルマギク―――このご時世、そしてこの時期ですものね………)

 おそらく、彼なりに悩んだのだろう。
 3年前のBETA侵攻以降、この国は需要に比べて供給のほうが間に合っていない。それは多岐に及び、『献花』に関しても同様だ。必然的に、売り出されるのは耐寒性一年草等の強い品種が多くなる。時期的にもあれ以外の選択肢はそうなかっただろう。
 やがて車は林道のような細道に入り、駐車場らしき砂砂利の広いスペースに出た。そしてその奥には―――。

「―――霊園………?」

 彩峰の呟きに皆が眉を細めて、直ぐにその意味に気づく。
 自分達に関わりがある人で、任官しないことには合わせる顔がない人。
 そして今は亡き人―――。

「ここ、まさか………」

 ここまで条件が揃うと、思い至らないほうがおかしい。つい数日前までただの訓練兵であった彼女達に取って、人の死に直接触れたのは、あの日―――11月11日の迎撃戦以外になかったのだから。
 だから白銀は、その言葉を継いで―――こう言った。

「ああ、宮本大尉の墓があるんだよ」







 宮本が眠る墓石へと榊達を連れて行った白銀は、手桶を借りてくると適当に理由を付けて彼女達をその場に残し、神宮司と共に霊園内を歩く。
 事前に連絡もなく、突然連れてきたのは悪かった気がしたが、変に準備させて心構えをさせるよりは、素のままの気持ちで接して欲しいと白銀は思ったのだ。
 ―――どんな出来事も、時間というものはやがてそれを風化させる。
 きっと第195中隊の挺身も、彼女達の中でいずれ過去の存在となる。いや、もうなりかけているだろう。だが、それを薄情だとは白銀は思わない。人間は忘れる事で心を保つ生き物だ。忘れることさえ忘れてしまえば―――いつかきっと、心を壊してしまう。
 しかしながら、何もかもを忘れてしまっては、きっと人は成長することは出来ないのだろう。それは何度も何度も世界を繰り返したはずの白銀自身が証明している。
 本人達が第195中隊をどう思っているのかは、白銀は知らない。だが、自らの経験を鑑みてみれば、こうした墓参りでも何でもいい、例えそれが自己満足であったとしても、心に整理をつける出来事は必要なはずだと思ったのだ。
 ―――かつて、彼自身があの桜並木に参ったように。
 そして、記憶を思い出に変える。時間が記憶を風化させようと、胸に宿った思い出は、きっと彼女達の原動力になる。

「―――管制ユニットを、レーザーで撃ち抜かれたそうです」
「………。そうか」

 霊園を歩きながら、白銀は神宮司にそう言った。頷く彼女はやはりか、とあの時のことを思い出す。
 第6大隊と合流した後、207B分隊はそれに随伴して戦線を押し上げ、第195中隊と別れたポイントまで戻った。そこには、BETAに食われ、あるいは壊された撃震の残骸があり、特にある一機が目を引いた。その機体は要塞級の顔面に長刀を突き立て、管制ユニットを融解させていたのだ。腰部の跳躍ユニットは使い切ったのかパージされ、背部担架には突撃砲の余りさえなく、不退転―――文字通り、退くこともせずその命を賭して最期まで戦い抜いた、英雄の亡骸。
 肩のマークから指揮官機である事を見抜いていた神宮司は、おそらくそれが宮本の機体であるのだろうと予測をしていた。

「あの日の後、ちょっと伝手を使って第195中隊の事を調べたんですけど―――近くに墓があるの、宮本大尉しかいなかったんで」
「すまんな。こうした気を使うのは、本来教官であった私の役割なのだが」
「そんな事はないですよ。オレだって、伝手がなければ調べることも出来なかったでしょうし」

 白銀の言う伝手とは鎧衣課長の事である。11月15日に帝都城に赴いた際に既に掛け合っていたのだ。擬似クーデター前で忙しかっただろうに、彼は翌日には宮本の遺品が埋葬される場所を突き止め、知らせてきた。相変わらず、謎めいた仕事の速さである。

(遺品を埋葬、か………。そうだよな、BETAと戦って、遺体が返って来ることの方が珍しいんだよな………)

 白銀がそんな感傷を胸に秘めていると、不意に視界の端に影がちらりと過ぎった。網目状に張り巡らされた霊園の道―――その一本向かい側に、誰かがいたのだ。
 気になって視線を向ければ、まだ年端も行かない小さな子供だった。赤いトレーナーを来た少年は何処かから手折ってきたのか、茎の千切れた花を手にしていた。

(あ………れ………?ユー………タ?)

 それを認めた瞬間、ざざ、と白銀の脳裏にノイズが走る。情景すら浮かばず―――ただただ、単語だけが浮かんでいく。
 御剣と、遊園地と、そこで出会った少年と。

「どうした?白銀」

 急に足を止めたためか、神宮司が怪訝な表情で尋ねてきて、白銀が感じたノイズが唐突に止む。

「あの子供………」
「あの男の子がどうかしたか?」

 視線の先、件の少年はこちらに気付くことはなく霊園内を歩いていた。それに何を思ったか―――白銀はただ小さく微笑んでから首を横に振った。

「―――いえ、何でもありません。神宮司大尉、もう少しゆっくり歩きましょうか。アイツ等も、思うことはあるでしょうし」








 御剣達はただ静かにその墓石を見つめ、手を合わせていた。宮本の二文字が刻まれたその墓の下には、誰もいない。収められるべき骨も無く、収められているのは遺品だけだという。
 この時代では、とりたてて珍しいことではない。特に軍人であれば、そして戦場に出ることがあればその傾向は強くなる。当然といえば当然だ。人間同士の戦争でさえ、遺体が戻ってこないことは珍しくない。まして文字通り食うか食われるかにある異星起源種との戦いともなると、何を況やである。

(宮本大尉。貴官のおかげで、我々は全員無事に任官することが叶いました。これからは、貴官の分までこの国の―――いえ、人類の剣として、戦います。どうか、安らかにお眠りください………)

 胸中で繰る言葉は違うだろうが、他の皆も同じ気持だろうと御剣は思う。同じ苦境に立ち、同じ試練を乗り越え、そして同じ人に命を救われた。ならば、事此処に至っては思うことも同じだろう。
 彼等の挺身を無駄なものにしないためにも、これからは彼等に代わって護るために剣を取る。それこそが、きっと彼等に対する最大の恩返しになるだろうと、そう思う。
 と―――。

「おねぇちゃんたち、だれ?」
「え―――?」

 不意に、横合いから声を掛けられた。
 視線を向けると、小さな子供がそこにいた。年は小学校に上がってすぐぐらいだろうか。利発そうな瞳をした少年だった。赤いトレーナーに、小さな手には名も知れぬ野花が一本。
 まだ年端も行かない子供だというのに、それ特有の人見知りをせず、真正面にこちらを見据え、疑問を投げかけてくる。

「パパのしりあい?」
「あ、えっと、その………」

 その少年の一番近くにいた鎧衣が少しだけ戸惑ったような表情を浮かべた後、やおら少年の目線に合わせるためにしゃがみ込んでこう言った。

「うん。ボク達は宮本大尉に助けてもらったことがあるんだ。―――君は?」

 問う前から、何となく分かっている。この少年は、『パパのしりあい?』と聞いてきたのだ。そして、この墓に入った男を父親だとすれば、この少年の名は―――。

「みやもと、ゆーた」







 宮本勇太、と名乗った少年は父親の墓に摘んできた花を供えると、榊達と少しだけ話をした。その中で御剣達の素性を問われ、まさか子供に国連軍や帝国軍の違いが分かるわけがないだろうと、分かりやすく『衛士』とだけ答えると、少年は瞳を輝かせた。
 自分の父親も『衛士』で『正義の味方』だと誇らしげに語る少年は、いつかは自分も父親と同じ『衛士』になって、一人になってしまった母親を護るのだと―――そう胸を張った。
 そこに、父親を失った哀しみというものは無かった。
 最初は、父親の死の意味をまだ知らないのかと思った。まだ物心付き始めた年頃だ。それも無理も無い、とそう結論づけ―――次の言葉で、自分達の認識が甘かったのだと御剣達は衝撃を受けた。

『パパといつもやくそくしてたんだ。「いつかわがはいはせんじょうでしぬから、そうなったらゆうたがママをまもるんだぞ」って』

 何ということはない。この少年は、父親の死の意味を知らないから哀しみを見せないのではなく、既に理解し終えているから哀しまないだけなのだ。
 考えてみれば、確かにそうだ。
 男に限らず女も―――この国の大体の人手は徴兵されて戦地に駆り出され、そこで果てる者も多い。その人達にも恋人や家族がいて、そして彼等はいつも残される側だ。この少年だけに限らず、この少年の周囲の子供達の中にも戦争によって肉親を奪われた子供もいることだろう。
 あるいは、それが『普通』になってしまっているのかもしれない。
 だから、宮本勇太は父の死を受け入れている。悲しむのではなく、恨むのではなく、ただ純粋に、ひたむきに―――尊敬する父親の遺志を受け継ごうと前を向いている。
 そんな彼に、父親の最期を看取ったと―――自分達のせいで死んだのだと告げることが出来るだろうか。遺族に対して、誇らしく語ることが出来るだろうか。
 結局、彼女達がそうして悩んでいる間に、少年は別れを告げて去っていってしまった。その小さな背中を見送りながら、彼女達は自分達の未熟さを痛感し―――そしてそれと同時に、こうも思ったのだ。

「―――護らなくてはな」
「そうね。それが私達の罪滅ぼしと―――」
「ん………。宮本大尉への恩返し」
「あの子がいつか大きくなったら、『衛士の流儀』に則って壬姫達が宮本大尉の事を話してあげないと駄目だよね」
「その為にはまず、帰ってから多重跳躍機構を使いこなせるようになって、これからの戦いを生き残らなきゃ」

 今はまだ自分達に何ができるか、分からない。それはこれから始まる戦いに身を置いて、初めて感じ取れるものだ。だから今は、この無力感を噛み締めて、更なる強さを手に入れる為に今日起こった出来事を胸に刻み付ける。
 そして―――大翼を広げる鳥達は、夕焼けの空を見上げて僅かに頬を湿らせた。生涯忘れることはないだろう恩義と、奪ってしまった少年の安らぎを想って。








 12月10日

 横浜基地の正面ゲートを抜けて少し行ったところに、桜並木がある。
 冬ということもあって、桜の木には葉一つ付いておらず、寒々とした光景に一層の拍車をかけるが―――何も、この季節に限ったことではない。G弾による重力異常地帯―――それが齎した、生態系の破壊。その最たる被害者は、あるいはこの桜なのかもしれない。春になっても花を芽吹かせることも出来ず、まるで死んでしまったように時に埋れていく。
 だが、そんな桜も今年になって、少しだけ花をつけたそうだ。それが奇跡か偶然か―――白銀には分からないが、どんな絶望にあっても生命の輝きを見せるからこそ、人や植物に限らず、生き物は強いのだと思えた。

「―――よっと、こんなもんかな………?すいません伊隅大尉、手伝ってもらっちゃって」
「気にするな。貴様がやらなければ、私がやっていたさ」

 桜並木の一角で、演習場から運んできた一抱えのコンクリートの破片を一本の桜に立て掛けて礼を言う白銀に、伊隅は肩を竦めてそう言った。
 彼等に取って、今日―――12月10日は少し特別な意味を持つ。
 『前の世界』での、神宮司の命日だ。

(―――神宮司軍曹。やっと、何とか誰も失わずにここまで来れましたよ。ここからの方が厳しいですけど―――どうか、見守っていてください)

 『この世界』の彼女は生きている。だから、ここに墓標を建てることはただの自己満足だと彼等自身がよく分かっている。だが、白銀にしても伊隅にしても、『前の世界』を無かった事にしたくはないのだ。あの時に感じた喪失感や絶望感でさえも、彼等に取っては貴重な経験だ。そうでもなければ、『前の世界』での神宮司の死は犬死に思えてしまう。
 だからこそ、今日この日、戒めとして白銀と伊隅はここに名もなき墓標を建てることにした。
 その墓標を前に、白銀は瞼を閉じる。

(さぁ―――ここからだ。ここからがオレ達の本当の戦いだ)

 ここまでは予定調和だ。
 迎撃戦もクーデターも、ある程度コントロールが出来る範疇にあった。だがここからは、未知の部分が前面に出てくる。甲21号作戦に於いてはハイヴ内突入はしなかったし、桜花作戦も今回の政治情勢ではどう動くか分からない。
 しかしそれでも―――シロガネタケルは、もう二度と逃げ出さぬことを、『いつか』の『かつて』、この場所で誓ったのだ。
 だからこそ―――。

(やろう。そして、今度こそ絶対にオレ達が望む最上の未来を手に入れるんだ!)

 もう一度、今度こそ辿り着くために、彼は固く誓った。







 終わりの序章が、ゆっくりと幕を開いていく。
 その先にあるのは、希望と絶望と―――泡沫の夢。
 お伽話が、終焉へと向かって徐々に加速を始めた。













[24527] Muv-Luv Interfering 第四十五章 ~決戦の狼煙~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/08/13 13:46

 12月16日

 決して忘れていたわけではないのだが、年を取るといつの間にか誕生日という存在が頭からすっぽりと抜け落ちることがある。
 白銀にしても御剣にしても同様で、特に白銀に関してはループという自身の特殊な環境下もあってか物の見事に忘れていた。まして大規模な反攻作戦を近日に控えているということもあったのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが―――それ故に、サプライズで祝われると応対に困ってしまうのだ。

「や、やっと抜け出せてきた………」

 A-01用のブリーフィングルームにて、乙女達の包囲網を何とか抜けだしてきた白銀は壁際に退避して一息つく。
 PXでは迷惑が掛かると考えてか、ブリーフィングルームに京塚特製の料理の数々を持ち込んで立食形式で囁かな誕生会が開かれた。今は酒の入った香月と式王子が暴走して際どい衣装とカメラを抱えて皆を追い回している。その隙に一息つきたかった白銀は抜けだしてきたのだが、式王子はともかく00ユニット香月夕呼は果たして酔っぱらえるのかと甚だ疑問である。
 ―――因みに、その二人を抜身の刀片手に『この不敬者共ぉっ!』と追っかける同じく酒の入った月詠がいたのだが、まぁ割とどうでもいい話か。

「お疲れのようだな、本日の主役」

 壁際に背を預けていると、ビールの入ったグラスを片手に三神が近寄ってきた。

「他人事だと思いやがって………お前、ずっと後ろでニヤニヤしてただろっ!?」
「はっはっは。本当、この基地にいると酒の肴に事欠かないな」

 むっとして睨む白銀に同じように壁に背を預け、グラスを口にする三神はカラカラと笑って片目を瞑った。

「まぁ、そんな顔するな。―――意外と嬉しかっただろう?」

 そう問われれば、白銀としては否とは言えない。
 当の本人はすっぱりと忘れてはいたが、仲間内で祝われるというのは悪い気分ではないし、こんな時期だからこそ娯楽を提供できて良かったとも思える。
 だからガリガリと頭を掻いてポツリと本音をつぶやくが―――。

「全く………発案は誰だよ………」
「鑑少尉だよ。本当は彼女と霞、それから御剣少尉だけで祝う予定だったようだが、ここの所、お前が根を詰めているからガス抜きも兼ねたそうだ。―――旦那の事をよく見ている、いい嫁さんじゃないか」

 三神の種明かしに、白銀は言葉を詰める。
 甲21号作戦の概要が提示されてからというもの、隊内の雰囲気はピリピリしている。それは決して悪いものではなく、大事な作戦を控えた上で起こる必要な緊張感であった。
 その緊張感の発信源は意外な事に元207B分隊で、白銀仕込みの変速機動と神宮司仕込みの戦術で実力を周囲に見せつけ、呼応するようにヴァルキリーズも―――元々そうであったがそれ以降は特に―――切磋琢磨するようになった。それを見た神宮司が『もうヒヨっ子とは言えないな………』と微笑んでいたことを白銀は知っている。
 それはともあれ、同じようにその緊張感に当てられたのが白銀だ。特に彼は叢雲の慣熟訓練も重ねてあり、PPCシステムの戦術運用を三神から教わっていたのもあってか、日がな一日シミュレーターに篭もりっきりという日も何日かあった。端から見ても少し身を入れすぎだと思われる程だった。
 その過剰とも言える訓練スケジュールの原動力は間違いなく―――。

「―――不安か?」
「まぁ、正直に言うとな。次と、その次の戦いは特に」

 三神の問い掛けに、彼は誤魔化すでもなく正直に答えた。
 彼が経験したこれから先の三つの実戦―――即ち、甲21号作戦、横浜基地防衛戦、桜花作戦でA-01は壊滅状況に陥り、生存者は宗像と風間、それから涼宮茜だけだ。
 今回、香月が一計を案じておそらく横浜基地防衛戦は起こらないと予測されるが、それでも大規模作戦を二つも残している。
 無論、これら作戦での対策はいくつか仕込まれているが、それでも不安は拭えない。

「だが避けて通ることは出来ない。ここが正念場だろう。我々にとっても―――人類にとっても」
「分かってる。ここを超えなけりゃ、この世界は遠からず詰んじまう。だから何としても勝ってやる。―――みんなと一緒に、な」

 誰一人欠けることもなく、望んだ未来に至るのが今の白銀の目標だ。
 もう因果導体ではなく、世界を繰り返すことの出来ない彼に取っては―――失敗できない、一発勝負。だからこそ、不安を努力で塗りつぶし、心を誤魔化していくしか無い。

「安心しろ。お前の道を作るのが私の役割だ。お前はそこを突っ走っていればいい」

 白銀の心の誤魔化しを感じ取ったか、三神がそんな言葉を放ってくるが、その視線は遥か遠く―――白銀には、この世界すら見ていない気がした。

(その先に―――お前の未来はあるのか?なぁ、庄司………)

 何となくではあるが、予感がある。
 これから続く連戦の内で、この青年との別れがあるのでは、と。それが戦いの中か、それとも終わった後かは分からないが―――彼も因果導体である以上、解放の瞬間があるはずだ。その枷から解き放たれれば、彼は彼の『元の世界』へと帰っていく。
 ―――そして多分、自分と違って二度と帰って来ないだろう。
 白銀の胸中を知る由もない三神はグラスを煽り、空にしてから白銀にグラスを手渡し、背を向けて此の場を後にしようとする。

「さて、明日から二日は帝国との折衝があるのでな。私はそろそろ寝るとするよ。―――だから、神宮司大尉の相手は任せた」
「―――は………?」

 一瞬だけ最後の言葉の意味がわからなくて、しかし直ぐに周囲が妙に静かなことに気付く。恐る恐る周囲を見回してみると、いつの間にやらA-01連中が死屍累々の如く地に伏せており、何があったのかと悟るよりも早く―――。

「し~ろ~が~ね~………」

 横合いから、酒気に塗れた地獄の番犬の呼び声がした。

「ま、まさか………」

 そして理解する。死屍累々の如く倒れている皆は物理的にどうこうされた訳ではなく、己の限界量を超えて酒を呑まされた結果だという事実に。
 ―――かつて、白銀の『元の世界』で狂犬の名を欲しいがままにした英語教諭がいた。何処の世界であっても大胆不敵唯我独尊な香月夕呼をして『アイツにだけは酒を呑ませるのはやめておけ』と言わしめる程の傑物で、呑ませたら最期、この世の全ての酒を呑み尽くすまで止まらないと言われる―――飾らない言葉を使えば、酒乱。
 その名は、神宮司まりも。
 慌てて彼女を止める術を持っている可能性がある香月を探す白銀だが―――その香月も、地に伏しており望みは絶たれた。と言うか00ユニットも酔っ払うのか!?と胸中で突っ込みを入れる白銀だが、現実問題として戦闘不能ならば仕方がない。他の救援を呼ぶ他無いのである。

「お、おい庄司!助けてくれ!まりもちゃんアルコール入ると………って、もういねぇっ!?」

 しかし最後の望みである三神はとうの昔に逃走しており、やっぱり白銀の望みは絶たれて即ち絶望が彼を支配する。
 ゆらり、と神宮司の体が揺れ、手にした酒瓶に入った酒がちゃぷん、と音を立てる。
 そして―――。

「私のぉ、酒がぁ―――呑めないのかぁあぁああっ!」
「ひぃっ………!」

 この夜、阿鼻叫喚地獄絵図が明け方まで続いたということだけはここに記しておく。









 12月18日

 風間祷子は疑問の中にいた。

(ど、どうしてこんなことになっているのかしら………)

 帝都城周辺の一等地に、木造平屋建てのその家があった。敷地面積が街中だというのに恐ろしく広く、野球場でも開くのかとつい先程まで一緒にいた三神が辟易した様子で呟いていた程だ。
 昨日から行われた甲21号作戦に於ける各部門への折衝は今日の正午ぐらいには片付いた。一昨日の神宮司の暴走現場から実はこっそり抜けだしていた風間は、二日酔いに悩まされることもなく折衝役として赴いた三神の護衛として随伴したのである。本人は一人でいいと固辞していたが、彼のギプスが取れるのは明日。それまでは自分が責任をもって世話をせねばならないだろうと風間は思っていた。
 そして帰り際のことである。五摂家の一つに数えられる斑鳩昴が三神に話しかけてきたのだ。風間は初対面だったが、三神はそうではなく、二人は二、三言葉を交わしいつの間にやら斑鳩の実家へと赴くことになっていたのである。

「風間中尉、だったわね。―――紅茶は大丈夫?」
「あ、は、はい。お構い無く」

 その斑鳩家の一室で、風間はある人物と相対していた。ベッドの上で身を起こして長い髪を三つ編みにして前へと流し、大きく膨らんだ下腹部をさすりながらそう問いかけてくる妊婦は―――斑鳩楓。
 この斑鳩家の当主、斑鳩昴の妻である。
 因みに、当の本人と三神は彼女と幾つか会話すると『後は女同士でよろしく』と言い残して去っていった。その後、廊下で『三神ー、野球しようぜ!』とかいう斑鳩の妙にはしゃいだ声が聞こえた気がしないでもないが気のせいだと思い込むことにした。
 風間の緊張を感じ取ったのか、楓は小さく微笑んでこう言った。

「ふふ。そんな緊張しなくてもいいのよ?五摂家と言っても私自身は嫁いだだけだし、権力があるのは昴さんの方だから。―――表向きだけど」
「奥様奥様。それでは実権握っているのは自分と暴露しているのと同じだと思われます」
「あらいけない。―――黒幕は面に出てはいけないわよね?」

 側に控えている侍女に突っ込みをくらって微笑む彼女に暗いものを感じた風間は戦々恐々としながら冷や汗を流す。

(わ、私、今、色々な意味ですごい人と対峙しているんじゃないかしら………)

 元々、五摂家自体が一般の日本人からしてみれば雲の上の存在である。風間自身裕福な家に生まれたと自覚はしているが、彼等はそれとはまた桁が違う。
 尤も、性格的な面も含めて色々な意味ですごい人と言える辺り、彼女も色々な意味で順応してきたのだとも言える。

「それにしても、さっきの人が噂の三神少佐ね。成程、昴さんがご執心な訳だわ。―――型に嵌らない、面白い人」
「あ、あの、少佐がなにか粗相を………?」

 くすくすと品よく笑う彼女に、風間はなにか不穏な空気を感じ取りそう問いかけてみると。

「そうねぇ。私が聞いた限りだと、斯衛の中尉を脅迫したり殿下を小娘扱いしたりシミュレーターだけど五摂家の武御雷相手にガチで模擬戦やったりとかかしら?」
(何をやっているんですか少佐―――!?)

 案の定、とんでもない返答が返ってきて思わず風間は胸中で頭を抱えた。
 事実、月詠という斯衛の中尉を脅迫まがいの手法で仲介役にし悠陽への謁見を取り付け、その謁見の席で悠陽を糾弾し、更には斑鳩相手に本気で模擬戦やってたりと一歩間違えなくても国際問題になりかねない事をやってたりする。
 それでも問題にならなかったのは、三神にしても白銀にしても『未来情報』という強烈な手札を持っていたからであるのだが―――この二人がそれを知る由もなく、結果的に色々無茶苦茶やる破天荒な国連軍人という認識『だけ』が生まれてしまったのだ。
 風間がこの状況をどうしようか本気で悩み始めると、部屋に備え付けの電話が鳴り、侍女がそれを取った。幾つか会話を交わすと、受話器を置いて楓に向かってこう言った。

「奥様奥様奥様。―――旦那様が振り子打法で隣家の屋敷に硬式ボールを叩き込んだそうですが」

 あの『野球しようぜ!』って本気だったの!?少佐も少佐で片腕しか使えないのに!?と風間が驚愕に打ち震えていると、日常茶飯事なのか楓は動じる素振りも見せずに紅茶を一口。

「………そう。後でお仕置きね」
「いえ、叩き込まれたお屋敷の―――雷堂翁から既に拳骨という名のお仕置きを頂いたそうでして、先方の奥方が治療も出来ずじまいだったからこちらの方で一度診てあげて欲しいと」

 あらそう残念ね、と彼女は一息ついて―――。

「お馬鹿に付ける薬はないわ。でも怪我なら舐めてれば治るわよ」
「畏まりました。では―――僭越ながら私めが」

 侍女の放った一言に顔を引き攣らせた。

「―――待ちなさい。あなた、人の夫に何をするつもり?」
「舐めれば治るとのお話でしたので、私がお舐めして差し上げようかと。そう―――真っ赤に腫れた部分を、こう、ねぶるように」

 小さく舌を出してそっぽを向きながらわざわざ頬を赤くする侍女に、楓は冷たい視線を向けた。

「私は言外に放っておきなさいと言ったはずなのに何ちょっと卑猥な発言してるのかしらこの子」
「あらあら奥様。そのように頬を膨らませて………見ようによっては可愛い嫉妬に思われますよ?素直に言ったらどうですか?―――何だかんだ言いつつも旦那様ラヴだと」

 職を失うのが怖くないのか主を全力でからかいに走る侍女に、主は主で雇用主の権力を振りかざしても無駄だと知っているのか風間に視線を向けた。

「風間中尉風間中尉。あなた護身用に拳銃とか持ってないかしら。この子最近体重を気にしていたから、ちょっとダンスを踊らせてあげようと思うの。そう―――死のダンスをね」
「此処に来る前にボディーチェックを受けてその手のものは預けていますので」

 事実ではあるが、実際に持っていても渡す気にはならなかっただろう。あの目は本気だった。
 しかしながら間髪入れずに切り返した風間に思うところがあったのか、楓と侍女は顔を見合わせる。

「―――意外ね。初対面で私達のこのノリに付いて行けるだなんて。大抵の人間は面を食らうのだけれど」
「普段、少佐に鍛えられていますので………」

 鍛えられる情景が容易に目に浮かぶだけに哀しい耐性ではある。
 ここに普段からオモチャにされている白銀がいたら、きっと涙を流しながら風間の肩を叩いていたことだろう。

「完璧ね風間中尉。そしてそれは素晴らしい事よ風間中尉。堅苦しさは人間を小さくまとめてしまうわ。ならば人はもっとおおらかになるべきだと思うの」
「おおらかになりすぎて少佐の扱いには困るのですけれど………」
「でも悪い気はしていないみたいね。―――ひょっとしてイイ人なのかしら」
「いえ違います」

 無表情で即答する風間ではあるが―――。

「どうやら脈はあるようですね、奥様」
「そのようね。意地の張り方が昔の私そっくりだわ」

 仲が良いのか悪いのかよく分からない女二人は鴨が葱を背負って来たとばかりににんまりと極上の笑みを浮かべて。

「昴さんと私も元は上官と部下の関係だったからね。その辺の機微は嫌でも分かるのよ。という訳で暇を持て余している妊婦に話題を提供しなさい風間中尉。―――拒否したら五摂家パゥワァーが国際規模で発動するわよ?」

 ―――権力を笠に着た脅迫を始めた。









「疑問に思うが―――どうして私まで拳骨を喰らう必要があったのだ」
「決まってんだろ、手前がヘッピリ球投げたのがいけねぇんだ」

 斑鳩邸の縁側で、脳天に特大のたんこぶをこさえた大の男二人が緑茶を啜りながら冬の青空を見上げていた。
 三神と斑鳩である。

「利き腕が固められていて使えないんだから仕方ないだろう。と言うかそんな球を本気で打ち返すお前もどうかと思うが」
「馬鹿野郎、元野球少年甘く見るんじゃねぇ。―――甘い球来たらつい反射的に手が出ちまうんだよ」

 楓が養生している部屋を出た二人は、斑鳩の提案によって何故か野球―――と言うかバッティング練習のようなもの―――を行うことになり、三神が利き腕でない左腕で投げたへろへろの球を斑鳩が『グォラカキ―――ン!』とかいう訳の分からない擬音付きでジャストミート。お隣りの屋敷の庭に突き刺さり、ガシャン、とガラスか盆栽かが割れる派手な音がして雷のような親父の怒号が響き渡った。
 そして二人して謝りに行って拳骨食らって帰って来た次第である。

「で?私に何か相談事でもあったのか?」

 帝都城での折衝の後、三神は斑鳩に呼び止められて茶でも出すから付き合えと拒否権もなく引き摺られてきたのである。
 なので身内には言えない何かしらの相談でもあったのかと思ったのだが、どうもそういう訳ではないらしい。

「いんや別に。ただ、アイツに話し相手を充てがってやりたかっただけだよ。側仕えはいるが、新鮮味は無いだろうしな。まぁ、実際にはお前よりもあっちの娘の方に興味を持ったようだが」
「確か前に予定日は12月―――今月だと言っていたな。病院に移さなくていいのか?」

 以前、模擬戦の時に聞いた言葉を思い出して三神が問いかけると、斑鳩は小さく頷いた。

「斑鳩の子だから、この屋敷で産みたいんだと。俺としちゃぁ、初産だから病院の方が安心出来るんだけどなぁ」

 自宅出産とは珍しい、と三神は自らの経験を鑑みて思う。全体の九割強が病院での出産ということを考えると、確かに珍しいのが伺える。尤も、設備や人員その他諸々は斑鳩家の金と権力を総動員して既に臨戦態勢にあるようなので、ここまで来ると自宅も病院も余り変わらない気がするが。

「で?どっちだ?」
「男だとさ。クリスマスに生まれるなんざ、何処のイエス様だっての」

 苦笑する斑鳩は何処か嬉しそうに笑う。
 その様子を見ながら、ふと三神はこんな事を思う。

「何というかアレだな。―――この数分で次々と死亡フラグが立っているぞお前」
「何だよその『しぼうふらぐ』って」

 いかん別世界の言葉だったな、と思いつつ三神はフラグチェックすべく尋ねてみる。

「束のこと聞くが、最近何か良い事あったか?」
「お?ああ、そう言えばこの間某自動車メーカーが名前被ってるからイメージキャラクターになってくれって依頼してきてな。引き受けたらポケットマネーがガンガン量産されていってるぜ。なにせ給料とか資産とかは全部楓が握っているからなぁ。俺、自由にできる小遣い殆ど無いんだよ………ってコラ、何でそんな生暖かい視線を向けやがる」
「これでお前が戦死しなかったらフラグクラッシャーの称号をくれてやろう」

 意味分かんねぇ、と斑鳩は肩を竦めて緑茶を飲み干す。

「まぁ、何にしてもめでたい日にしたいよな、とは思うよ。―――作戦の中核が国連頼みってのはちょいと癪に障るが」
「仕方ないだろう。戦力の摩耗を防げたとは言え、既存の戦力でハイヴを攻め落とそうとなるとそれこそ玉砕覚悟で挑む必要がある。―――軍隊ではなく、国そのものがな」

 誤解されがちだが、兵器というカテゴリの中で戦術機自体の攻撃力は大したものではない。戦車や戦艦の主砲連打の方が実のところ、余程攻撃力がある。それでも戦術機が対BETA戦の主戦力となっている理由はその機動力と汎用性である。
 戦車や戦艦よりも早く動くことが出来、そしてハイヴ内に潜ることが出来る。その難易度はさて置いて、これだけでも有用な性能だ。かてて加えて、戦術機にはS-11と呼ばれる核兵器規模の大規模戦略兵器を装備できる。
 これらの既存戦力を並び立てた上で―――対ハイヴ戦で確実に勝利を得ようとするならば、戦車や戦艦などで支援砲撃し、戦術機部隊全てをハイヴ内に突入させてS-11を起爆させる。こうなれば如何に頑強なハイヴと言えども一溜まりもないだろう。
 ―――尤も、こんな頭から人命を無視した作戦など何処の軍隊も取れようはずもないのだが。
 その上、そこで戦力を減らしてしまえば『次の』防衛時に必要な戦力を抽出できない可能性が高い。従って、勝利にだけ固執してしまえば、無防備になるのは国そのものなのである。
 故にこそ、国連という名の友軍、そして新兵器が必要となる。

「分かってらぁ。けどよ、あの島は―――あのハイヴは象徴なんだ」

 そう言って、斑鳩は瞼を閉じる。その裏に浮かぶのは、三年前のあの日から、今も変わらず日本中を睥睨する歪な塔。

「それは俺達日本人だけじゃねぇ、ユーラシア大陸を追われた人間全てに言えることだ。だから、取り戻す時は必ず自分達の手で、と信じていたのさ」

 故郷を追われた誰もが思っただろう。
 何時か必ず、あの醜悪な侵略者から故郷を取り戻すと。

「実際にはこの三年間、どうにもならなかったけどな。くっだんねぇ身内争いをしている内に、何処も彼処も不満が鬱積して、仕舞いにはクーデターなんつー馬鹿な話が出てくる始末。それに歯止めを掛けることも出来なかった俺達も俺達でどうしようもないが、身内の火種を煽る馬鹿までいて―――日本人ってのはこんなに愚かだったかと、正直少し失望してた」

 人が人である以上、そして群れている以上、何処も身内争いは絶えない。そんなモノは、大なり小なり何処にでもあるし、斑鳩自身権力争いの近くにいる人間だ。言われずとも分かっていた。
 それでも―――自国を崩壊の危機に追いやる程だとは、信じたくはなかったのだ。
 故にこそ、斑鳩はクーデターが起こるという未来情報を聞いて、自分も含めた日本人全てに対して失望した。
 だが、それさえも利用して立ち上がっていく悠陽を間近に見て、彼は徐々にこう思い始めたのだ。

「だが、風が吹けば流れも変わる。いや、他でもない日本人が風を吹かせて流れを変えていかなきゃならねぇ。あの支配の象徴をぶっ壊して、俺達日本人は何時までも俯いてる阿呆じゃねぇと示さないと―――きっと俺達は、どこまで行っても負け犬のままだ」

 だから―――。

「ぶっ潰すぜH.21。んでもって奪い返すぞ佐渡ヶ島。そんでこれから産まれて来るガキに何時か語って聞かせてやる。俺達日本人はかつて負け犬だったが―――そこから這い上がってきた不屈の農耕民族だってな」

 拳を掌に打ち付ける斑鳩の蒼鬼は獰猛な牙を剥いて、遠く北を睨んだ。








 12月21日

 時刻はもう日付を回っているというのに、シミュレータールームの一画は未だ低く鈍く稼働していた。そのアイドリング状態にある筐体を前にして、涼宮茜は奥歯を噛み締めていた。

(―――届かない………)

 脳裏に思い描くのは、あの出鱈目な中尉と、それに鍛えられた元207B分隊の機動だ。
 筐体制御端末に入力したのは対ハイヴ攻略地上戦で、僚機としてゴーストの白銀と元207B分隊を当ててみたのだが、その再現機動にすらついていけない。彼等の動きは恐ろしくスムーズで、極限までに隙がない。それはXM3という潤滑液を最大限に利用し、機体のポテンシャルを引きだしているからこそ可能な一つの到達点だ。
 対してこちらは何をするにしてもワンテンポ遅れ、戦闘後の撃墜数でも負けており、彼等とは1・5倍近い開きがある。

(作戦までもう日がないのに………どうしてあたしは………!)

 それは、前々から気にしていた焦りだ。
 11月11日の実戦以降、ヴァルキリーズは飛躍的に成長を遂げた。先任達は言うに及ばず、元207A分隊にしても築地を筆頭に遅咲きの伸び白を芽吹かせ始めた。
 ただ一人―――涼宮を除いて。
 いや、彼女自身も周囲の才能に囲まれて目立たないだけで、一般からすれば十分に強い衛士となっているのだが―――得てして当人は気付かないものである。

(―――落ち込んでてもしょうがない、か………。とにかく、今は少しでも実力差を埋めないと………)

 何が足りないのかは彼女自身分からない。だが、だからと言ってこのまま実戦に赴けば間違いなく死ぬ。それだけならばまだいいが、足を引っ張った挙句、仲間まで巻き添えにしかねない。
 ―――そんな事になってしまったら、もう自分は立ち直れないだろうと、彼女は思う。だから今は訓練して少しでも彼等に近づこうとシミュレーターの制御端末に手を伸ばした時だった。

「―――訓練?」
「わひゃっ!?」

 いきなり背後から肩を叩かれ、涼宮は飛び上がった。慌てて振り向いてみると―――。

「し、紫藤少尉!?何でここにっ!?」
「少々不眠。―――休憩推奨」

 軍装姿の紫藤がいつもの無表情でそこに立っており、手にした缶ジュースをこちらに押し付けてきた。

「あ、ありがとうございます………」

 反射的によく冷えたそれを受け取ってしまい、受け取ったからには礼を言わざるを得なくなり、更には紫藤に手を引かれてシミュレーター脇のベンチへと座らされた。
 不意を突かれたとは言え、なんだかなし崩し的な流れに妙な怒りを覚え、不満げに涼宮は紫藤を睨むが。

「美味ー」

 当の本人はのほほんとジュースをやはり無表情で口にしていた。まぁ、美味いと言っているのだから別段機嫌が悪いわけではないのだろうが、それにしたって無表情はやめてほしい。
 他に人がいない為、シミュレータールームは使っていた一画を除いて照明も切っているので、そんな薄暗がりの中で無表情に缶ジュースを啜りつつ『美味ー』とか宣う女などどんなホラーだと突っ込みを入れたくなる。
 だから、不意にこんな言葉が口を衝いて出た。

「あの、紫藤少尉は不安じゃないんですか?」

 涼宮自身、他意があるわけではないが―――紫藤の実力はヴァルキリーズの中では下から数えたほうが速い。だというのに、自分のように焦るでもなく、泰然自若としている彼女に妙な敵愾心を覚えたのだ。
 しかし、当の本人は小首を傾げるだけだ。

「だ、だって、白銀中尉とか千鶴達とか………あたし達と年も近いのにこんなに実力差があって………」
「………焦燥?」

 慌てて言い繕う涼宮を遮って、紫藤は核心を突いて来る。それに何と答えればいいのかしばし迷った後―――。

「―――はい。最初は、負けるもんかって気持ちがあったのに………」

 涼宮は素直に頷くことにした。
 元207B分隊が任官し、神宮司も原隊復帰してきた頃は、妙な対抗心があった。こちらが先任という矜持もあったし、何分年が近いだけに負けたくない気持ちの方が強かった。
 だが、訓練中の彼女達の気迫は、あの伊隅ですら面を喰らうほど鬼気迫るものがあった。そして兼ね備えた技術も新任とは思えない程に醸成されており、前衛の御剣や彩峰に関しては既に速瀬に勝るとも劣らない程の実力があった。しかし彼女達は現状で満足している様子はまるでなく、『まだ白銀の半分にも及ばない』と常々口にしている。
 以前、親友の榊に涼宮はこんな事を尋ねてみた。何故、そこまで強くなろうとするのかと。すると、こんな答えが返ってきた。

『私達は生き抜いて、ある人に伝えなければならないことがあるの。いつか胸を張ってそれを伝えられるように―――もう二度と立ち止まってなんか、いられないのよ』

 その言葉の真意を、涼宮は知らないし分からない。だが、はっきりと言い切る彼女には明確な意志があり、それが力強さの源だというのは理解できた。
 あるいは、その差異が自分と彼女達との違いなのかと密かに悩んでいたのだが―――。

「ボクは、人には人の役割があると思う」
「え―――?」

 突然、紫藤がいつもの単漢字ではなく普通に喋り出すので、涼宮は自分でも間の抜けたと思う程素っ頓狂な声を上げてしまう。だが、紫藤は気にした様子もなく言葉を続ける。

「白銀中尉には白銀中尉の、榊少尉には榊少尉の。そして涼宮、君にも君の役割が必ずある。実力在りきでそれを探すんじゃなくて、まずそれを探してから強くなればいいと、ボクはそう思う」
「紫藤少尉の役割は、何ですか?」

 そうだね、と紫藤は瞳を閉じて吐息する。

「ボクの役割は、皆を護ること。それがかつて、ボクを護って死んでいった先輩達に対する恩返しだと思うから」
「あ………」

 いつだったか、涼宮は宗像から聞かされた昔話を思い出した。
 A-01には、戦術機適性試験歴代最低の記録を持つ女がいる。訓練中も任官した当時も適正値は低く、正直戦術機に何故乗れるのか疑問な程だったが、当時からA-01は人手不足なのでいないよりはマシだった。
 だが、ある作戦でその女を護って一人の先任が命を落とした。
 戦場ではよくあることなので、その女のことを誰も責めなかったが、他の誰でもない女自身が自分を責めた。
 その日から、女は来る日も来る日も訓練という名の自分いじめを始めたそうだ。最初の内は、周囲も真面目に訓練しているだけだと思っていたが、日に日に訓練はエスカレートしていき、遂には四六時中訓練するようになった。流石にまずいと隊内の誰もが諌めたが言う事を聞かず、しまいには営倉行きになるほどだったという。
 心身ともに女が消耗している中、佐渡ヶ島からの侵攻がありA-01は出撃。当然、女も出撃したが無理な訓練が祟って、満足に体を動かすことも出来ず―――また一人、その女を庇って先任が一人死んだ。
 今度こそ、女の心は壊れたそうだ。塞ぎこんで衛士としては元より軍人としても周囲が絶望視した中―――意外にも、式王子が立ち直らせたそうだ。
 何を言ったのか、あるいは何をやったのか―――余人には預かり知らぬことだが、結果として、その女は二人の先任の死を背負って戦うことを望んだ。
 その先任達が護るはずだった人達を護る為に。
 もう二度と自分のせいで誰かを失わない為に。
 今度こそ誰かに護られるのではなく護る為に。

「焦る必要はないよ涼宮。これは経験談だけど、焦って空回ると、そこで足踏みしちゃうだけだから、結局身にはならないんだ。だから、ゆっくり自分のやり方を探そう。そうすればきっと―――」

 だから―――。

「―――誰だって、強くなれるはずだから」

 A-01内で仲間の危機に最も鋭いその女は、いつもの無表情ではなく、穏やかな笑顔でそう告げた。







 一方その頃。

「―――にゃっ………!?ライバル出現………!?」

 謎の電波を受信した築地が飛び起きていたりしたが、まぁどうでもいい話である。









 12月24日

 レーザーの迎撃を鑑みて、舳倉島を周回するような航路で幾つもの戦術機母艦が進んでいく。その中の一隻に、A-01が収容された戦術機母艦がある。
 実戦前という事も手伝って、少し気が昂ぶって眠れなかった風間は、風に当たろうと思って甲板に出たが―――そこには先客がいた。周囲に明かりもなく、星空に装飾された半月を見上げるように、ただ一人立つ影を。

「しょ………」

 上官の後姿を認めた風間は声を掛けようとして―――何故か止めてしまった。
 その背中の雰囲気が、いつもと違ったからだ。
 そして彼女は彼の声を聞く。

「―――これを含めて、後二戦。やっとここまで来たんだ。今度こそ、必ず終わらせてみせる………!」

 それは隠されていた古い傷跡。
 世界を繰り返した道化が、最果てに見つけた―――唯一つの、終焉。

(あ、あれ………?)

 そこにいつものような皮肉気な笑みは無く。
 そこにいつものような巫山戯た表情はなく。
 そこにいつものようなお馬鹿なノリはない。
 道化でも、神狼でも、上官でもない―――本当の『ミカミショウジ』。

(え、ちょっと待って、私………え………?)

 やっと本当の『ミカミショウジ』を見つけた風間は―――。









 見慣れた執務室―――その壁に掛けられた時計を見上げて、香月は感慨深げに小さく呟く。

「―――やっとここまで来れたわね」

 長かったといえば長かったが、ここ数カ月は―――特に、あの二人が来てからはあっという間だった。
 この戦い―――佐渡ヶ島戦は前哨戦だ。次の桜花作戦こそが本命と言える。それを迎えるに当たって、香月がしなければならないことが一つだけあった。それは、横浜基地の地下にある反応炉の停止である。
 『前の世界』で、佐渡ヶ島を追われたBETA群は一度撤退し、補給を終えた後で横浜基地―――いや、横浜ハイヴへと『引越し』を始めたのだ。
 これこそが横浜基地防衛戦の根幹にある事象だということを忘れてはならない。これに関して何の対処もしなければ、『前の世界』と同じような現象が起こり、また壊滅規模の被害を被る可能性がある。
 それを防ぐ手段として、反応炉の停止を取った。既に通信機能を破壊してあるので、あるいはそれだけで十分なのかもしれれないが、念には念を入れて、である。
 再起動に関しては反応炉を完全に掌握しているので問題はないのだが、一つだけデメリットがある。G元素―――引いてはGI元素の精製が不可能になるのだ。
 故に、香月は反応炉掌握と同時に技術者連中をフル稼働させてGI元素の大量生産を行ったのである。その甲斐もあってか、フェイズ4程度のハイヴならば三つぐらい制圧可能な分は精製できた。
 そしてつい先程、反応炉を停止―――いや、アレを頭脳級のBETAと判ずるならば、仮死状態にさせてきた。
 ともあれ、これで全ての準備は整ったのである。
 故にこそ―――。

「さぁ、始めましょうか。あたし達人類の―――反撃を………!」

 カチリ、と小さな音を立てて―――12月25日、運命の日が訪れた。








 そして今こそ、四半世紀に渡って負け続けた人類の―――反撃が、始まる。
 







[24527] Muv-Luv Interfering 第四十六章 ~再征の軍隊~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/08/28 23:44
 12月25日

 国連宇宙総軍装甲駆逐艦隊の旗艦である再突入型嚮導駆逐艦『ノーフォーク2nd』は麾下の艦隊を従え、眼下に蒼き星を見据えて軌道上を周回していた。
 現在、『ノーフォーク2nd』の艦橋は戦闘を控えて緊張の中にあった。と言っても、本来装甲駆逐艦隊の役割はハイヴ攻略戦、及び漸減作戦時に於ける最初期のAL弾投下、もしくは機動降下部隊の投下が主な役割で直接戦場に立つ訳ではない。無論、だからと言って何の危険も付きまとわないわけではないし、作戦前ともなればどんな手慣れた駆逐艦乗りでも一定の緊張はする。
 だが、今回の作戦に関しては別格だった。
 この作戦に関わる人間は元より、直接関わりのない日本以外の軍人もこの一戦に注目しているからだ。

(作戦中の映像を各国の軍部へ中継するなど―――よく総司令部が許可を出したものだ)

 艦橋中央のパネルを指先でトントンと叩きつつ、『ノーフォーク2nd』の黒人艦長は小さく笑った。
 作戦を上から伝えられた時には対して感慨を覚えなかった。どんな作戦であれ自分達の仕事は変わらないし、いつもどおりに仕事をこなせばいいと。それは自らの仕事に見切りを付けているのではなく、きちんと把握した上でテンションをフラットに調整し、仕事に不備を出さないための―――一種の精神安定法のようなものだった。
 だが、作戦概要を読み解いていく内に、徐々にこの作戦―――オペレーション・サドガシマは今までのハイヴ攻略戦や漸減作戦とは様相が違うものだと理解した。
 作戦のフェイズ4に於ける―――新兵器の投入。
 この文字を見つけた時、艦長は投入される戦力の殆どがこれの囮なのだろうと目星を付けた。更には、投入戦力の約半数にはXM3と呼ばれる新型の戦術機用OSが搭載されており、ますます新兵器の囮という認識は強まった。
 そして極めつけが―――作戦中の様子を、世界各国の軍部へ発信するという項目だった。
 最初は目を疑った。
 誰の発案かは知らないが、おそらく長く続いて疲弊し、徐々に下がりつつある世界中の士気を一気に上げるための策だろうが、余りにも諸刃の剣すぎる。
 噂の新兵器とやらがどんなものかは知らないが、功を奏せば確かに目論見通り中継を見た兵士達は希望を見つけるだろう。だが、もしも失敗したら突き付けられるのは絶望だけだ。士気は上がるどころか、急降下するだろう。
 総司令部がどれほどの期待を寄せているかは知らないが、おそらく初実戦である新兵器にここまでリスクの高いお膳立てを整えるのは異常と言える。正直な話、『誰かに弱みでも握られて仕方なく許可した』ようにしか思えない。

(ここが―――世界の分水嶺になるやもしれんな………)

 成功するにしろ失敗するにしろ、世界中の軍人が固唾を飲んで見守るこの作戦は、大きな影響力を持つようになるだろう。
 まるで一枚のコインのように、明暗が分かれるはずだ。人類の生存か―――あるいは滅亡か。

「艦長、時間です」

 艦橋にいるオペレーターの一人がそう言葉を寄越してくる。
 時刻は現地時間で08時47分。上からの通達によると、作戦の現地国―――即ち、日本のトップが開戦演説を行い、その直後にAL弾を着弾させるようにとの事だった。投下から着弾、更には周回軌道を考えると確かにそろそろ時間だ。

「―――では、我々の仕事を始めるとしようか」

 開幕の鐘が、今まさに鳴ろうとしていた。








 佐渡ヶ島を臨む日本海北西洋上に、帝国連合艦隊の旗艦である重巡洋艦最上は来るべき作戦に備え、沈黙を保って鎮座していた。刻一刻と迫ってくる開戦の時間に、乗組員の緊張は高まる一方であった。
 その空気を肌で感じつつ、日本帝国海軍提督、小沢仁一郎は遠く佐渡に突き刺さった人工物―――いや、創造物を見据えた。
 『たった』、そして『もう』三年前だ。
 三年前もこの場所で、あの島を眺めていた。そして多くの将兵が命を散らしていく中で、己の無力感をこれでもかとばかりに思い知らされた。
 何が足りなかったのか―――実は、今でも分からない。
 兵力か、弾薬か、気力か、兵器か、運か。
 敢えていうのならば、何もかもが足りなかったのだろうと―――曖昧ながら、そう思う。
 確かにあの頃は、他国が次々と異星起源種に侵略されていく中で、自分の国ならば―――日本帝国ならば、負けるはずがないとそう驕っていたきらいがあった。
 これは何も小沢だけではなく、殆ど全ての帝国軍人―――いや、日本人に言えることだ。でなければ、如何にBETAの侵攻速度が早かったと言っても、僅か一週間で九州を落とされるということはあり得ない。そこから先も、二ヶ月としない内に西日本を完全に制圧されている。如何に対BETA戦略が確立されていない時期だと言っても、全てが後手後手に回らなければそんな結果にはならなかったはずだ。それでもそうした結果になったのだとすれば―――結局は、自分達の慢心が根底にあったとしか思えない。
 第二次世界大戦で自国の限界を見せつけられたというのに、僅か半世紀程度でこの有様だ。ここまで来ると、怒りを通り越して乾いた笑いが出てくる。
 だが―――。

(ようやっと、精算の機会が巡って来た………)

 あの日失った部下が居た。
 あの日失った同期が居た。
 あの日失った同胞が居た。
 だが嘆くことも、怒ることも、泣くことでさえも―――提督という立場故にままならない。それが誰にはばかれること無く赦されるのは、きっと全てを精算し終えた時のみだ。
 それは誰でもない―――小沢自身が決めたこと。そして、三年前に此の場にいて指揮を取った他の艦長たちにも言えることだろう。

『―――小沢提督、安倍です。第2戦隊信濃以下各艦、戦闘配置完了。後は、攻撃命令を待つばかりであります』

 その内の一人である第2戦隊信濃艦長である安倍は通信でそう通達してきた。その声が何処となく牙を研ぐ獣のように思えて、小沢は小さく苦笑する。

「うむ………貴官等は本作戦に於ける地上戦力の先鋒だ。心して任務に当たられよ」
『―――はっ、畏まりました』

 その様子を聞いていたのだろう、第3戦隊の井口と田所も苦笑交じりに言葉を交わす。

『安倍君、随分と逸っておるな』
『我々も、似たようなものだよ、井口さん』
『ふふふ………確かに』
『あの島が奴等の手に落ちた日―――あの日も、我々はここに居たのだからな』
『ああ、今でもあの日の事は夢に見るよ………忘れられる訳がない』

 小沢だけではない。
 先の安倍も、この二人も―――そしてここに集った将兵の多くが三年前のあの日、涙を呑んだ者達だ。あらゆるものを失っても、牙を研ぐことだけは忘れなかった者達なのだ。

『まさか生きてこの日を迎える事ができようとは………夢にも思わなかった。あの日、この地で失われた幾多の命に報いるためにも、必ずこの作戦は成功させねばならない』
『BETAを叩き出し、あの島を………我が国土を我等の手に取り戻そう。先に逝った者達も見守っている』
『うむ………そうだな』

 二人のやりとりに誰も口を挟まない。いや、この二人のやりとりが、自分達の胸中を代弁してくれているのだから、言葉など不要なのだ。
 だからこそ、小沢は背後に佇む人物へと話しかけた。

「いよいよ、ですな。―――殿下」
「ええ、全てはここから始まるのです」

 彼の背後に佇むのは将軍の正装に身を包んだ一人の少女―――煌武院悠陽であった。
 小沢ですらこの再戦には少なからず緊張をしているというのに、この眼の前の少女はそんな様子など微塵にも感じさせず、ただ泰然とそこにあった。
 それを流石一国を束ねるだけあって大した胆力だ、と思いつつしかしながら口にしておかねばならぬことがあった。

「―――しかし殿下御自らご出陣なさる必要は無かったのでは無いでしょうか。如何にこの最上が戦場の最奥にあると言っても、危険なのには変わりありませぬ。まして現在我が帝国は大きな変遷期を迎えております。もしも御身に何かあれば………」
「小沢、そなたの言い分も分かります。ですがこの一戦、何としても落とす訳には行かないのです。私個人の力など、到底及ばない戦場の中でしょうが、せめてこの声が届くのならば届かせたいのです。―――それこそが、将軍本来の役割なのですから」
「しかし………―――いや、もう何も言いますまい。私なぞが言わなくても、散々引き止められたのでしょうから」

 反論し掛けて、最早事ここに至った以上、詮なきことだと小沢は今更ながらに思い至った。
 軍人である自分でさえ思いつくのだ。側付の人間達は元より、政治家連中でさえそれこそ必死で止めただろう。しかしそれでも彼女はここにいる。全てを振りきって、戦場に立つ。
 故にこそ、これ以上は野暮だと悟ったのだ。

「皆には、苦労を掛けます。ですがこれを我侭だと、道楽だと揶揄されようと―――私は見届けなければなりません。この日本が開放される瞬間を………」

 それが私の役割です、と微笑む少女が―――何故か小沢にはとても大きく見えた。子供かあるいは孫ぐらい年齢が離れていると言うのに、一瞬ではあるがその雰囲気の呑まれてしまったのだ。

(また一つ、負けられない理由が増えたか………)

 この少女が作る未来を見るためにもこの一戦を是が非でも勝ち取らねばならないな、と小沢が決意を新たにしているとオペレーターが開戦の鐘を打ち鳴らす者へと呼びかけて来た。

「―――殿下、お時間です」










 近くて遠い潮騒を聞きながら、此の場に集った皆がその言葉を耳にする。

『―――これより戦場を共にする、全ての同胞に尋ねます』

 まるで鈴の音のように凛と鳴るその声は、日本人ならば聞き覚えがあり、それを知らぬ異国の者でも自然と惹きつける力があった。

『今、何を感じているでしょうか。
 今、何を思っているでしょうか。
 今、何を信じているでしょうか』

 開戦直前。
 それを前にして思うのは、家族への心愛か同胞への友誼か、あるいは―――いつかこの地で散った英霊達への悼みか。

『―――三年前、我が国は異星起源種によって半身を食われ、今尚その脅威に曝され続けています』

 有史以来、幾つもの変化点があった日本ではあるが、本物の侵略というのを体験したのは三年前が初めてである。
 言葉も通じず。
 武力も通じず。
 想いも通じず。
 ただただ蹂躙されていったのは―――果たして、誰の責任か。

『あの運命の日から―――いずれの例外もなく、誰もが様々なものを失いました。土地を、家を、友人を、恋人を、家族を―――あるいは、自分自身を』

 それを問うことは出来ない。
 それを問うことは―――ただ、自らの愚かさをさらけ出すことと理解していたのだ。
 事の責任の所在を探りつつ、怒りの遣りどころを探りつつ、きっと誰もがその在り処を知っていたのだから。

『忘れてはいません。
 忘れられるはずがありません。
 そして剣を取れる者はかつてこの場所で、固く誓ったはずです。
 全てを奪われたこの場所で―――何もかもを取り戻すと』

 だから誰も忘れなかった。
 だから誰もが願い誓った。
 そしてだから誰もが―――この場所に集った。

『始めましょう、奪還を。
 始めましょう、反撃を。
 始めましょう、日本を。
 そして今こそ始めましょう、私達が望む―――私達の国土再征服戦争〈レコンキスタ〉を』

 泣き寝入りの時間は、もう終わり。
 最早、誰も振り返らない。
 最早、誰も背を向けない。
 最早、誰もが見失わない。
 今一度手を伸ばし、必ず掴み取る。

『全てを失ったこの場所で、もう一度全てをこの手にする為に―――』

 だからこそ―――開戦の鐘を、悠陽は叩き鳴らす。

『政威大将軍、煌武院悠陽がその全権限を以て勅令を発す!
 全軍、不安も、過ちも、後悔でさえも全て抱え乗り越えて、己が心のままに進撃せよ!
 そして征きましょう!
 私達が奪われた、全てを取り戻す為に!!
 今こそが―――我等の悲願を果たす時っ!!』

 この少女が命を下す時―――帝国軍人の言葉は唯一つで十分で、それ以外は全くの不要。
 故にこそ、誰もがそれを以て叫び応える。



『―――御意っ!!』



 御意、という二文字が戦場に広がっていき―――そして、天空より初撃が降り注ぐ。







 佐渡ヶ島より南西に展開している第2戦隊の信濃で、安倍はオペレーターの開戦を知らせる言葉を聞く。

「―――国連機動爆撃艦隊の突入弾分離を確認!!」
「来たか………!」

 呟くと同時、幾千もの光条が空へと撃ち放たれ、突入弾が文字通り光速で迎撃されていく。だがそれで良い。初撃の高高度爆撃の弾は全てALM―――即ち、対レーザー弾だ。光線属種に迎撃、撃墜される事で重金属雲を発生させ、レーザーを減衰させる事に意義がある。故にこそ、AL弾は落とされてなんぼなのである。
 尤も、この重金属雲があったとしても、安全とは決して言えない。基本的にレーザーを減衰させることが出来るだけで、無力化出来たわけではないのだ。
 しかしながら、砲弾等の着弾速度の速い飽和攻撃ならばその破壊力を落とすこと無く到達可能なので、砲撃を主力とする場合では必須と言えるだろう。

「全艦斉射準備良し!!」

 オペレーターがオールグリーンを指し示す。
 だから安倍は挑むように佐渡ヶ島を見据え、こう吠えた。

「燃える漢の大艦巨砲主義!目にもの見せてくれようぞ………!目標、旧河原田一帯―――ってぇっ!!」

 直後、第2戦隊のあらゆる火器が一斉に火を噴く。
 信濃、美濃、加賀による主砲―――46cm砲3連装3基連砲とVLSによるミサイルを筆頭に、随伴している国連軍の太平洋艦隊からは40.6cm3連装3基による砲撃、更にはロケット砲艦によるロケット斉射と一瞬にして佐渡の空を砲弾で埋め尽くす。
 面制圧とはよく言ったもので、重金属雲を突き抜け届く着弾音はまさに砲撃の多重奏。
 核などの大規模破壊兵器と一線を画せば、戦艦とは―――こと瞬間火力に於いては、現行兵器の最先端を行くのである。
 そして安倍は叫ぶ。
 この世紀の一戦―――例えその身を戦火に晒しても、緒戦を自分達が制すのだと、高らかに。

「帝国海軍軍人たる者、海行かば水漬く屍は元より覚悟!ならば征くぞ諸君!今こそが―――我々海軍の、日本人の底意地を見せる時と心得ろ!!」
『了解っ!!』

 更なる砲撃を重ねて、第2戦隊は海を征く―――。






 福岡県にある築城基地にある大講堂にて、帝国本土防衛軍相馬原駐屯地所属の第7砲撃支援連隊は各々の様子で大型モニターに映し出された佐渡ヶ島攻略戦の映像を、築城基地の面々と共に見つめていた。
 どういう経緯があったかは知らないが、今回の作戦の様子は訓練兵や民間協力者を除く軍人ならば誰でも見られるようになっているらしい。と言うのもBETAの姿自体が機密扱いになっているので、こういう妙な縛りが出来ているようだった。
 驚きなのがこの映像が日本だけに留まらず、世界各国へと配信されていることだ。こちらもどういう経緯があったのか、そしてどういう意図があるのかは今の所不明だが―――今回の作戦に戦車という兵器の仕様上参加できない第7砲撃支援連隊や、国土防衛上戦力を残されている九州や北海道の地域の軍人たちに取ってはありがたい事だった。
 こうして見ていることしか出来ないのは確かに歯がゆいが、後になって結果だけ知らされるというのも寂しいものだ。

「始まり、ましたね」
「ほーだな………」

 隣のパイプ椅子に座った副官の言葉に、口に咥えた堅焼き煎餅をガリ、と齧りつつ花菱は応えた。

「中佐………この一大事に煎餅なんか齧ってないでくださいよ………」
「あぁン?別にいーだろーが、今回は俺達出番ないんだし」

 先述したように、今回は上陸戦が下地にある為、戦車を筆頭とした砲撃支援が可能な陸戦兵器は大部分が使用不可である。それを補うように戦艦の主砲などがあるが―――多くの帝国兵士が参加できなかったのは言うまでもない。
 では所属基地でずっと待機しているのかといえばそうでもなく、北海道や九州からもある程度戦力を抽出する為、その補填要員として『出張』という形で各々各地に散らばっているのである。
 そして花菱率いる第7砲撃支援連隊もその例に漏れず、だからこそ本来所属している相馬原駐屯地を離れてはるばる北九州まで来ているのであった。

「拗ねないでくださいよぅ………」
「うっせうっせ。つーか泣くな鬱陶しい―――あ?何だよテメェ等、文句あるのか?」

 ぞんざいに扱うと、少し涙目になる副官に花菱が眉を顰めていると急に多くの視線を感じて彼は背後―――自分の部下達に向かって所謂メンチを切った。指揮官にあるまじき感情発露ではあるが、どうも今回の決戦に参加できなかったのが余程悔しいらしく、現在相当に不機嫌である。
 しかしそんな上官にも慣れている第7砲撃支援連隊の面々は臆すること無く堂々と胸を張り―――親指を立てて声を重ねた。

『―――涙目の貧乳もまた良し!!』
「何でこの連隊こんな変態ばっかなんですか―――!!」

 即座にそれこそ涙目で突っ込みを入れる副官だが、その姿さえツボったのか面々は身悶え『変態と呼ばれるのはむしろご褒美!』とか『貧乳涙目気弱娘最高ーっ!』とか訳の分からない雄叫びを上げている。
 それを見て、花菱は意地悪な笑みを浮かべた。

「ケケケ、ウチは男連中ばっかだから結婚相手はよりどりみどりだが軒並み変態ってのもなかなか面白いもんだなぁ?」
「私は面白く無いです―――!欲は言わないからせめてまともな人カモン―――!!」

 すると席を同じくしていた築城基地の面子が立候補すべく次々と立ち上がり、ライバルの出現に第7砲撃支援連隊が徒党を組んで一触即発の事態になるのだが―――これ以上関わると巻き込まれそうなので花菱はそれをただの背景だと思い込み、映像に視線をやった。
 それを見る限り飽和砲撃は順調に叩き込まれているようで、既存のハイヴ戦略を鑑みればそろそろ強襲上陸が開始されるだろう。

「さぁ、てと。そろそろウチの家族の出番か」
「へ?中佐って確か………息子さん達が陸軍の衛士で、今欧州に派兵中でしたよ、ね………?戻ってきたんですか?」

 花菱の呟きに、副官は以前本人から直接聞いた家族構成と状況を思い出してそう尋ねてみる。

「いんや、三馬鹿はまだ海外行ってるが、オカンは海軍でな。むかーし―――1983年ぐらいまでには所属してて、あの三つ子が生まれた辺りで辞めてたんだが………ほれ、三年前の大侵攻で一気に人手不足になっただろ?その絡みもあって二年ぐらい前から復帰してんだよ。本人もそうだが、何でも上からも強い要望があったらしくてな」

 ははぁ、と副官は頷く。
 日本が現在進行形で前線国家である事を考えると実はさほど珍しい話ではない。現在でも軍属の女性が身籠ると二年は戦地から離されるし、状況が許せばその後も復帰すること無く予備兵力として子育てする場合もある。まして大侵攻がある前ならばそれも納得出来るだろう。
 しかしながら三人の子供を産み、更にはその子供が現役の軍人という事は、花菱の妻はもう壮年である。にも関わらず原隊復帰―――しかも上層部から渇望されたとなると、一角の軍人なのかもしれない、と副官は感心した。

「きっと凄い人なんでしょうねぇ………」
「まぁ、俺よりも血は濃いからな」
「―――はい?」

 唐突に訳の分からない事を言い出す花菱に、副官が首を傾げると彼は何かを思い出すように瞼を閉じて口角を歪めた。

「昔の話だよ。俺は最初軍人じゃなくて花火師だったんだ。んで、徴兵にあって軍属になったんだが―――俺は元々、花菱家の入婿なんだよ」
「はい?えっとそれってつまり………?」

 花菱の血を正式に継いでいるのは、彼ではなくその妻。即ち―――。

「うちのオカンは、代々続く花菱のDNAを継いでいて―――本人も、生粋の花火師って訳さ」










 日本海海中を潜行しながら佐渡ヶ島に舵を取る部隊があった。
 帝国海軍第17戦術機甲戦隊―――81式潜航ユニットの編隊である。その内の一隻のA-6イントルーダー〈海神〉の管制ユニットの中で―――コールサイン、サラマンダー1を預かる花菱葉月中尉は切って落とされた戦端を頭上で感じて下唇を舐めた。

「―――さぁ、て。いよいよあたし等の出番さね」

 好戦的な笑みを浮かべると、秘匿通信で網膜投影に映る小麦色の肌をした若い女性が苦笑した。海兵部隊スティングレイ母艦〈崇潮〉艦長の大田千早大尉である。
 同じ戦隊、そして何よりも個人的な縁もあって親子程年の離れたこの二人は割と仲がいい。

『二年前に突然原隊復帰して部下になった時も思いましたが………まさか貴女と戦場を共にすることが出来るとは思いませんでしたよ。サラマンダー1。いえ―――花菱中尉』
「今更よしとくれよ大田大尉。確かにアンタのオトンとは同期だったけど、今は一中尉―――そして直接ではないにしろ、アンタの部下さね。こんなオバハンに畏まる必要なんざ、何一つ無いさ」

 二年前の事だ。
 日本の半分が占領され、そして行われた明星作戦で帝国軍は機能不全寸前に陥るほどに疲弊してしまった。兵器や弾薬もそうだが、何よりも代えの効かない兵力の方が何よりも問題だった。
 十数年前に子育てを理由に退役してからそれまで、予備兵力として民間人であった花菱であるが、折しも息子達は手を離れて軍属になっていたので正直手が空いていたのだ。そんな折、帝国軍は人事整理―――実質的には損失人員補填―――を理由に予備兵力としていた民間人、特に中年男性や若い女を徴兵し始めた。しかし同じ予備兵力でも年重のいった女である花菱には話がなかなか来ず、仕方無しに自ら軍の門戸を叩いた。
 何しろこの御時世である。ただの民間人でいても、一人で食べていくのにも苦労していく有様で、ならばいっそのこと軍属に戻ってしまった方が生活水準は多少マシになる。
 最初は中年女性を起用するということに難色を示していた軍の人事部だが、以前の経歴を盾に実際に実機の海神を乗り回し、更に『あの』花菱の妻である事が発覚すると即座に上層部に引っ張られ、この帝国海軍第17戦術機甲戦隊へと放りこまれた。
 そしてこの部隊で花菱は―――かつて同期であり、佐渡ヶ島に果てた男の娘に出会ったのである。

『確かに、形式上はそうでしょう。ですが、今は亡き父からよく聞かされました。―――女だてらに花火師を名乗って当時配備されたばかりの海神乗り回してた突撃馬鹿だと』
「はっはっは。あの野郎はホンットに死んでも口の悪さは変わらないねぇ。で?アンタから見てあたしはどう見える?」
『ここ二年の間引き作戦の戦績を考えればそうですね。火蜥蜴〈サラマンダー〉のコールサインにふさわしい―――やっぱり、突撃馬鹿だと』

 BETA侵攻の時に海神が出撃することは少ない。と言うのも、BETAの進行速度が早すぎて展開までに間に合わない事の方が多いのだ。
 故にこそ、海神が出撃するのは中から大規模な間引き作戦の時のみ。それはここ二年で四回程行われているが―――そのいずれも、花火師の名に劣らぬ、派手な活躍をしている。
 それを皮肉っての突撃馬鹿発言ではあるが、花菱は軽く肩をすくめるだけだ。

「あの親にしてこの子ありだね全く。―――もう一度親の顔が見てみたいよ」
『それは構いませんがせめて陸に揚がって海神に載せた弾薬全て使い切ってからにしてくださいね?運用費も馬鹿にならないらしいんですよ、いや本当に』
「親子揃って現実的にセメント系なのは本当に救いがたいね………!」
『何処の軍の海兵隊も口が悪いと相場が決まってるんですよ。っと………』

 大田がそう見も蓋もなく切り返すと唐突に通信を切った。それだけで花菱は大体の見当をつける。本来の仕事を行う時間が来たのだろう、と。
 それを示すように―――。

『―――HQより帝国海軍第17戦術機甲戦隊、上陸を開始せよ。繰り返す、上陸を開始せよ』

 遂に指示が来た。
 そして81式潜航ユニットが最大加速を始め、速度が乗ったところで獣を野に放つ命令が下る。

『―――全スティングレイ、及び全サラマンダー離艦せよ!』

 声に反応して花菱はコンソールを操作。1式潜航ユニットから先端の海神をパージさせ、それまでに得た慣性とパージ時の炸薬による瞬発力、更には海神単機の水力も合わさって一時的に27ノットにまで達する。

『スティングレイ1より各機―――海兵隊の恐ろしさを奴等に思い知らせろ!全て蹴散らせっ!!』
『了解っ!!』

 同戦隊のスティングレイの音頭に合わせるように、花菱も海軍らしく―――皆のケツを引っ叩く。

「サラマンダー1より各機!さぁ征くよアンタ達!まずは景気よく―――デカイ花火を打ち上げようじゃないかっ!!」
『イエス、マムっ!!』

 幾つもの海神が海中を割り裂くように進撃し、遂には真野湾旧河原田付近へと到達する。
 それと同時に潜水形態の海神達に変化が起こった。そう、上陸と同時に攻撃を開始するために、攻撃形態へと変形を始めたのである。
 先ず最初に主脚となるべき機体下部分のロック解除が行われ、同時に砂浜に接地すべく踵が主脚先端から飛び出て左右に展開、固定される。続いて機体上部分のロックが解除され、砲塔となるべき肩腕のウェポンカーゴが展開。それに繋ぎ止められるようになっていた主腕も伸長し、蛇腹のように伸びて行動可能になる。
 最後に攻撃形態のメインカメラとなる胸部装甲のフェイスが起き上がり、変形が完了する。
 そして―――。

「叫ぶよアンタ達!たーまや―――っ!!」
『かーぎや―――っ!!』

 上陸と同時、左右8門の36mmチェーンガンと120mm滑空砲2門とミサイルポッドからなる嵐の如き砲撃が、戦隊単位で旧川原田へと吹き荒れた。










『旧河原田本町一帯の面制圧を完了。旧八幡新町に向け砲撃を継続中―――』

 上陸よりしばらくして、未だトリガーを引き続けるスティングレイ1はHQから流れた情報を聞く。最初の艦隊による集中面制圧砲撃で、大抵の大型種は片付いた。残った小型種に関しても、自分達第17戦術機甲戦隊の砲撃によって現在挽肉へとその姿を変えている真っ最中だ。
 海神は戦術機というカテゴリにありながら、二足歩行こそ可能だが陸上では大した機動力を持たない。よって、基本的な運用方針は固定砲台と言う事になる。その戦術機にあるまじき瞬間火力を以てして指定ポイントを制圧、そして即座に後続部隊を投入して間断なく作戦を進行させる。
 だから現在の状況を考えれば、戦術機甲隊の移動時間も計算に入れた上で、完全制圧をしなくても七割制圧すれば問題ない。
 故にこそ、スティングレイ1は叫んだ。

「スティングレイ1よりHQ!上陸地点を確保!繰り返す、上陸地点を確保!!」
『ウィスキー部隊、各機甲師団の上陸を開始せよ―――繰り返す、ウィスキー部隊、各機甲部隊の上陸を開始せよ』

 陸軍の上陸が支持され、後方が騒がしくなった時だった。スティングレイ1は網膜投影端のミニマップと目視で、上陸戦に於いて一番厄介なモノを確認して舌打ちした。
 一つ目目玉の、人間のような足を持った―――化物。
 光線属種―――しかも、重光線級の群れである。
 光線級でさえ厄介なものだが、重光線級ともなると唯の一撃で母艦事戦術機を撃ち抜いてしまう。
 場所は旧青野から旧窪田へ掛けて、現在移動中。戦場が乱れ始めているので、誤射をしない光線属種は仲間を避けるべく移動しているのだ。

「スティングレイ1よりHQ―――!支援砲撃要請!ポイントS-52-47!重光線級が接近中だ!戦術機母艦が危ない!!」
『HQ了か―――』

 しかしHQが了承するよりも先に―――。

『いくよアンタ達!』
『イエス、マム!』

 サラマンダー部隊が砲撃しながら重光線級の群れに向かって移動を開始し、突出したのである。
 両手腕のチェーンガンを周辺のBETAに放ちつつ、彼等は叫ぶ。

『覚えとけよバケモン共!オレ達の肝っ玉母ちゃん〈ビッグ・ママ〉はなぁ………!』
『退くことを知らねぇ上に―――!』
『誰よりも先に、前に出るんだよっ!!』
『当然さね!花火は火がなきゃ燃えないんだ!だったら他でもないあたしが誰よりも先に、誰よりも前に出て火を付けてやる!だからこそ征くよ―――!』

 そして射線を確保すると―――。

『燃える女のォ………ド根性―――!』

 両肩部のウェポンカーゴのミサイルポッドを重光線級へ向かって斉射する。
 上陸時、そして確保時に相当量のミサイルを発射しているが、それでも攻撃機の名を冠される海神は伊達ではない。機動力を殆ど捨ててはいるが、弾薬積載量と最大瞬間火力ならば既存の戦術機の頂点に君臨しているのだ。
 未だ弾薬には余裕がある。
 しかし―――。

(流石に重光線級の群れ相手には厳しいか………!)

 重光線級に限らず光線属種の弱点はその目玉である。しかしながら、その弱点を隠すべく重光線級には瞼のような皮膚膜によって防御を行う習性があるのだ。その状態になってしまうと、36mmでは貫通できず、100mm以上の砲弾が必要だ。
 確かにミサイルならばその貫通力を以てして大いに効くが、今回は数が多い上に、レーザーによる迎撃まで行い始めている。
 正直、これだけの火力を以てしても足止めが精一杯だ。そしてそれは、花菱自身も分かっているようだった。

『こちらサラマンダー1よりHQ!今の内に戦術機部隊の発進を急がせな!こんな使い方してたらいくら弾があっても足りないからねぇ―――長くは保たないよっ!?』
『了解………!!』

 即座に艦隊による砲撃支援も叩き込まれ、ある程度数も削り始めたが―――今度は射線確保の為突出し、そして重光線級足止めの為に手数を削られているサラマンダー部隊に戦車級や要撃級の群れが襲いかかる。
 サラマンダー部隊も36mmチェーンガンで応戦はするが、いかんせん手数が足りずじりじりと迫られてきている。固定砲台を目指して作られただけあって、海神は素早い回避もできない。砲撃支援は重光線級と旧八幡新町に掛かり切りだ。

(ちっ………!こっちの手を回すか………!?)

 このまま見殺しには出来ず、スティングレイ1が次善策を思考で巡らせていると通信が入った。
 それは―――。

『こちらオルシナス1よりスティングレイ各機へ!そのまま上陸地点の確保を続けろ!サラマンダー部隊の援護は―――こちらが行うっ!!』

 オルシナス1―――即ち、81式潜行ユニットからだった。








 81式潜行ユニットの中で、大田は部下に緊急浮上を命じながら思う。こうした無茶をやるのは本当に久し振りだと。
 81式潜行ユニットは概念的には海神の跳躍ユニットという形だが、運用方法は普通の潜水艦と変りない。つまり、通常浮上を行う場合はパッシブソナーやアクティブソナーを用いて周囲の状況確認を行ってからだ。更に潜望鏡深度まで上昇し、海面を確認してから浮上する。
 だが、今回は緊急で、更には浮上して極力射程を稼がなければならない。

「昔テレビで現場を知らない馬鹿なコメンテーターが言ってたねぇ………81式潜航ユニットは海神切り離して上陸支援したらお役目御免だって。―――それを今からひっくり返してやるよ………!」

 身体が足元から急速に浮き上がっていく感覚を心地よく思いながら大田は笑みを浮かべ―――その直後、重力に一瞬だけ逆って艦体先端が天へと向き、やがて重力に引かれて海面に叩きつけられた。
 その衝撃に耐えながら、彼女は叫ぶ。

「積載弾薬なら―――こっちだって引けを取らないんだっ!!」

 そして、まだ残っている余りのロケット弾やクラスターミサイルをありったけ発射した。









 後方の戦術機母艦の中では光線属種の迎撃をものともせず戦士達が怒号を交わしていた。
 発艦しては撃ち落される仲間もいる。
 発艦さえ出来ずに母艦ごと落とされる仲間もいる。
 だが彼等はそれでも臆することはなかった。
 ただ一つ―――今も被害を少しでも食い止めようとしてくれている女に報いる為に、彼等は叫ぶ。

『おい急げ!海軍の肝っ玉母ちゃんが重光線級の頭抑えてくれてんだ!これで遅れたらオレたちゃ陸軍は穀潰しのドラ息子になっちまうっ!!』
『いいか貴様等!速攻で全力匍匐飛行して強襲上陸部隊の援護に向かう!海軍だけにいい格好させてるんじゃねぇぞ!?いいなっ!?』
『はははっ!また海軍の花火師か!この間の間引き作戦でも大暴れしてたって話だよなぁっ!?』
『今回は陸軍〈ウチ〉の花火師の旦那が出てこれねぇからなっ!きっとその分も暴れてんだろうよっ!!』
『どっちにしても景気のいい話だ!俺達はあの人の打ち上げる花火を間近で見られるんだからなっ!!』

 誰もが逸る。
 誰もが闘志を滲ませる。
 そして誰もが心を重ね―――やがて声をも重ねる。

『征くぜ化物………!今度は俺達陸軍の底力―――その目に刻めっ!!』

 そして戦いの舞台は、上陸戦から地上戦へと移り変わっていく―――。






[24527] Muv-Luv Interfering 第四十七章 ~鬼哭の進撃~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/10/03 02:16
 旧二宮神社跡付近までを第一次侵攻として進撃を開始した帝国陸軍第3師団122連隊はその数を減らしながらも砲撃による弾幕を張り続け、BETA群を押し込むことにより後続部隊の揚陸場所の確保に至っていた。
 既に相当数の被害が出ている。光線属種の迎撃により沈んだ艦も戦術機も多い。よしんばそれをくぐり抜けて上陸しても、後から後から次から次へと湧き出てくるBETA群を真正面から相手にしていてはいくら手数があっても足りない。
 上陸時の勢いで一度は押しこんでいても、それは一過性のものだ。
 自分達の役割が陽動だということが分かっていても、一人一人、あたかも真綿で首を絞めるようにじわじわと勢いを削がれていけば、待っているのは破滅のみ。
 それを理解していても、彼等は喉が枯れるほどに叫ぶ。

『―――この野郎………!!』
『オレ達の国から―――出てけぇっ!!』

 そして叫びと同時に36mmが横殴りの雨のように降り注ぎ、120mmの槍がBETA群を突き刺していく。一瞬にして地表のBETA群を挽肉にするが、後続から次々と出現し、肉塊となった仲間を踏み越えてどこまでも湧き出てくる。
 どう考えても手が足りない。単純に数に数を当てて押し込んでも、こちらの弾薬には限りがある。それが尽きれば逆に押し返されるだけだ。

『ちぃっ!いつもの事だが、思った以上に数が多い!!―――砲撃支援はまだかよっ!?』
『旧市野沢の右翼はこっちよりも酷いらしい!今は踏ん張るしかねぇぞっ!!』

 誰かの泣き言を蹴り飛ばすように一人の衛士が叫び―――撃震を駆る古参の皆が声を上げて笑った。

『はっ!上等ォ………!帝国陸軍無礼るんじゃねぇぞっ!!』
『伊達に三年前のあの日から生き抜いちゃいねぇよっ!―――面子の数ならそこらのエリートにだって引けはとらねぇぜっ!』
『だよなぁっ!こちとら泥臭い戦いに「だけ」は慣れてんだ………!!』

 三年前の大規模侵攻から生き残った衛士に曰く、あの撤退戦程屈辱的で酷い戦いは知らないと言う。それに比べれば、この程度の戦線拡張、戦線維持ぐらいは訳はない。
 もう少しぐらいならば、砲撃支援が無くても持ち堪えられる。誰しもが挑むような眼差しで攻撃の手を休めない。
 だが―――。

『なっ………!?』

 誰かの驚愕の声が聞こえた時だった。戦線の左端から、次々と土柱が天に向かって突き上げられた。
 ―――BETAの地中侵攻。
 誰もがそう理解した瞬間だ。

『がぁぁあああぁぁあぁああっ!!』

 その土柱に巻き込まれ、9機の撃震が姿勢を崩し―――湧き出てきた要撃級の前腕によって管制ユニットを貫かれ、行動を停止した。更にはそこから湧き出てくるBETA群に飲み込まれて、骸さえ晒すことを許されなかった。

『っ!?………―――畜生っ!こっちにも!?』

 地中侵攻はそれだけに留まらなかった。戦線の左端から出現したBETA群に連隊が気を取られていると、まるでそれ自体が陽動だとでも言うように今度は右端から戦車級が湧き出てくる。
 行動がワンテンポ遅れてしまった為か、緊急退避がままならず十数機の陽炎が赤い海に飲み込まれていく。

『た、助け………ひぃいっ!?』

 ガリガリと金属を噛みちぎる音共に、幾つもの悲鳴と絶叫が聞こえた後―――ホワイトノイズへと至る。

『くそったれ………!』

 残された者達は、一瞬の内に殺された仲間を偲ぶことすら許されない。ここで動きを止めれば次に死ぬには自分だと理解しているからだ。だからこそ、奥歯を噛み締めてトリガを引き絞り続けるが―――やはり手数が足りない。
 ただでさえ手が足りていないところに、BETAの奇襲じみた地中強襲によって、連隊の三分の一近くの仲間が命を落としたのだ。まさにダメ押しを食らった状態にある。
 これ以上の戦闘続行は厳しい。最低でも砲撃支援は必須だ。最上を求めるならば、戦線を一時後退させて立て直しが必要だ。誰もが現状を理解している。
 一瞬先に、自分の死が残像のようにチラつく。
 しかしそれでも―――。

『―――っ!畜生!こんな所で退いてたまるかよ………!!』
『当然だ!泣こうが喚こうが敵は容赦しちゃくれねぇんだ!だったら泣きながら、喚きながらでも戦い抜いてやるさ!!』
『ここで退いたら―――死んでったアイツらに顔向け出来ねぇだろうがっ!!』

 誰一人として後退を望まない。
 誰一人として敵に背を向けない。
 誰一人として自らの命を惜しまない。
 それは愛国か、矜持か、それとも友誼のなせる業か。あるいは―――その全てか。
 いずれにしても、彼等は退かなかった。むしろ、こんな時だからこそ進撃を開始した。今の彼等にとって、後退とは撤退で、停滞は後退と同義。ならばこそ、進撃をする。前に出て、自らの意思を示す。
 そして―――まるでそれを助けるかのように、後方から砲撃が降り注いだ。

『―――え?』

 降りしきる36mmの砲弾。その中で一人の衛士が網膜投影の戦況表示図にて味方の識別マーカーを出している一団を確認する。規模は大隊規模。不知火が36機、後方から急速接近をしてきている。そしてそれ等を率いるコールサインは―――バンディッド。
 決して諦めない彼等の―――追い風となるべき存在が、遂に来た。








 バンディッド1の名を預かる男の声がオープンチャンネルで響き渡る。

「諸君に問う。―――我等の罪を」

 その男は、かつて愛国を盾に祖国に弓引こうとした者。

『―――我等、祖国の法に背いた者也』

 許されざる行為と理解しつつも、その命を投げ出そうとも是正を望んだ者と、それに呼応した者達。

「諸君に問う。―――我等の罰を」

 彼等の最後に残されたのは、如何なる結果を以ても拭い去ることのできない罪と―――生涯抱え込んでいくべき罰。

『―――我等、戦場の最先端への楔也』

 それでも彼等はただ矛であることを望んだ。
 背後に続く仲間が撃鉄ならば、彼等はまさに一発の銃弾。
 誰よりも速く、誰よりも加速して、そして誰よりも強く敵に楔を撃ち付け、割り裂き、食い破る。

「最後に諸君に問う。―――我等の役割を………!」

 だから―――彼等は叫ぶ。
 かつて己がした罪と罰の選択を、誇ることはなくともせめて心に掲げる為に。

『我等―――偽悪に寄って立ち、されど悪を絶つ者也っ!!』

 砲撃を一斉射。36機の不知火が、旧二宮神社跡に展開している122連隊を援護すると同時に降り来たる。
 灰色を基調とした帝国カラー。そして機体の腰部装甲に刻まれた赤字の『烈士』。それを今尚刻んだままにしているのは、己がして来たことを決して忘れぬためか―――いずれにしても、彼等は今は同胞に手を貸すために存在する。
 左右18機―――隊を二分割にし、それぞれ右端と左端のカバーをすべく緊急展開する。

『烈士………?例の特派かっ………!?』

 誰かの呟きにバンディッド1―――沙霧尚哉はそうとも、と胸中で言葉を転がした。
 『懲罰部隊』、『鉄砲玉』、『帝国の必要悪』―――。
 特別派遣即応先任部隊と銘打たれた旧決起部隊を中心に構成されたこの大隊は、発足してまもなく影でそうした蔑称で呼ばれることになった。将軍殿下お抱えの部隊でありながら、同じ帝国軍からは12・4騒乱時に敵味方別れたこともあってか蟠りもあり、鼻つまみ者扱いされている。
 しかしながら、彼等は誰一人として卑屈にならなかった。自棄になったわけでも、まして全てを諦めたわけでもない。
 誰もが知っているのだ。
 不言実行―――志とは、行動を以て示すべきものだと。
 そして今こそが―――その時なのだ、と。

「―――こちら特別派遣即応先任部隊隊長、沙霧尚哉少佐です。被害状況を要求します」

 沙霧は要撃級の群れに仲間と共に潜り込みながら、努めて冷静な声でそう尋ねる。しかし言葉とは裏腹に、機体の操作だけは苛烈なまでの勢いで入力を叩き込んでいた。
 機体旋回と共に36mmを吐き出し、接近警報と共に全行動を『キャンセル』、極短噴射跳躍で後方回避と同時に背後担架から長刀を引き抜き、一瞬前まで居た場所に突進してきた要撃級を側面から叩き斬る。その残心の間に次の回避行動を『先行入力』させて直ぐ様攻撃へと転化させる。
 硬直を無くした永続無間行動―――XM3が搭載されて、初めて可能な戦闘機動の新しいステージだ。
 二週間程前、国連から提供され、急遽取り入れたこの新型のOS。先の迎撃戦で派手に戦闘証明が成されていたので、これを取り入れた部隊は皆進んで慣熟訓練に勤しんだ。しかしながら、全員が全員完全にマスターできたかと言えば首を横に振らざるをえない。何しろ、国連から提供されたのはOS―――とそれに付随して専用CPU搭載の管制ユニット―――のみで、講師となるべき人間はおらず、皆は教本を片手に学ばなければならなかったからだ。
 誰しもがピーキーな操作性とキャンセル、先行入力、コンボという機能に右往左往している間、しかし沙霧は周囲の数倍の勢いでこれの習熟を完了した。何故なら、彼は既にXM3について制作者から要点やコツ、更には―――弱点ですらも口頭で伝えられているのだ。
 流石に自己流ではコンボまでの習得は至らなかったが、この二週間でキャンセルと先行入力に関しては完璧以上に嚥下出来た。そしてそれを部下にも広げることが出来たが故に―――今、特派は帝国内部で尤も戦闘力のある部隊へと変貌を遂げた。

(白銀中尉には感謝してもしきれないな―――)

 この力も、この戦場も彼の存在無しには手に入らなかった。122連隊から送られて来たデータを流し見し、次の戦況を脳裏で組み立てながら沙霧は苦笑する。
 思えば、あの少年には与えてもらってばかりだ。いずれ、何らかの形で恩返しをせねばならぬだろう、と彼はそう心に決めると、122連隊の連隊長へと通信を飛ばす。

「一度後退し、状況を立て直してください。その間の穴埋めは我々が行うとしましょう」
『しかし………!』
「我々の機体には新型のOSを積んでいます。一時的であれば問題はありません。必ずや連隊規模の働きをしてみせましょう―――11月11日の迎撃戦で、国連軍が示したように」

 沙霧が被せるように言い含めると、連隊長はしばらく黙した後、直ぐに戻ると言い残して一時後退を始めた。
 人手が減り、手数も減る。しかしながら戦線を下げる訳にはいかない。我ながら無茶な事を言い出した、とは思うが―――やってやれないことはないと沙霧を含め、特派全員が思う。
 何故なら彼等は『鉄砲玉』。
 無理無茶無謀は最初から承知の上だ。
 その為にこそ―――今まで牙を研ぎ続けてきたのだから。

「では征こう諸君。―――一度は泥を被った我等が『烈士』………その本来の意味を示しに………!」
『了解っ!!』

 加速していく戦場の中、烈士を掲げる咎人達はそれをも上回る加速を以て戦場の支配に乗り出す。









 国連太平洋方面第12軍シンガポール基地にある講堂では、戦術機に馴染みのある衛士や整備兵達が目を見開いてスクリーンに映る不知火の姿を追っていた。

「おい………おいおいおい!どうなってんだコレは………!?」
「日本の戦術機ってのは、こんな素早いのか………?」

 リアルタイムで送られて来る甲21号作戦の様子は、次第に地上戦へと差し掛かっており、彼等は一部の戦術機の動きに目を見張った。
 従来の動きに比べると明らかに速い。現状の戦術機には行動後硬直という不可避なものが存在するが、スクリーン越しの機体達にはそんなものが見当たらない。

「いや、この作戦に参加している戦術機の半分は新型のOSを積んでいるらしいぞ。何でも、行動後硬直が無いのはそれに搭載された機能らしい」
「それは本当か?確かに………動きが二極化しているが」

 そんな中、何処から仕入れてきた情報なのか、一人の整備兵がそう告げると皆は一斉にスクリーンに目をやって全体を見比べる。よく見ると、確かにやたら素早い機体と従来の動きの範疇に収まる機体とがあった。
 しかしながら、手元に正確な情報がない以上首を傾げる部分も出てくる。

「だがOS一つでこうも変わるものなのか?乗ってる衛士の腕の差じゃないのか?」
「分かんねぇ。だが、事実として今までの戦術機に無い動きや速さがある。これはひょっとすると、ひょっとするぞ―――」

 四半世紀以上BETAという異星起源種の脅威に晒され続けた人類は―――特にその驚異を肌で知っている者は、そう簡単に希望を見出せない。だがそれでも、この異国での戦いが何かを変えていくのかもしれないと―――僅かながらに、感じ取り始めていた。







 

『帝国連合艦隊第2戦隊は依然健在、現在砲撃を継続中!』
『ウィスキー部隊、旧八幡新町及び旧河原田本町を確保!部隊損耗4%!』
『ヴァルキリー・マムより各機―――エコー揚陸艦隊は現在両津湾跡に向け最大戦速で南下中。戦域突入まで―――』

 矢継ぎ早に入ってくる情報を整理しつつ、宗像は瞼を閉じて瞑目していた。脳裏の半分は作戦のことを考えていたが、もう半分は親友の事を考えていた。
 昨夜の事だ。そろそろベテランの域に到達しつつある宗像といえど、祖国の奪還作戦ともなると緊張はするようで妙に目が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。仕方なしに、軽く外の空気を吸って気分を変えようと甲板に上がろうとした時だった。
 顔を赤くして走り去って行く親友とすれ違ったのだ。
 自分が思う以上に初心であると自負する宗像でさえその行動には粗方の予想がついた。更には直接甲板に出てみれば遠く佐渡の地を臨む三神が居たのだから何かあったと考えるほうが妥当だ。では何があったのかと見当を付けようとするが、こればかりは経験値の少ない宗像ではいかんともしがたかった。直接本人に聞いてみようかとも思ったが、当の風間は直ぐに寝室に引っ込んでしまったので聞くに聞けなかった。かといって他ならぬ親友のプライベートだ。不用意に誰かに相談できるわけでもなく―――結局、作戦前夜だというのに無用な思考のせいで余り睡眠が取れなかった。

(少なくとも、悪い方には思えないが………)

 昨夜すれ違った際、顔を赤くしていただけで、少なくとも見た限りマイナスのイメージは無かった。となれば直接三神が何かをした、という訳ではないだろうが、あの馬鹿も馬鹿で割りと天然で不必要な言動をする。その上無自覚に他人に影響力を持っている辺り、質の悪さなら白銀に通じるものがあるのだ。断定は出来ない。しかしそれを念頭に考えると幾つか推論が立つが―――尤も高い可能性があるとすれば、あのトンデモ少佐に対する感情を風間が自覚した、という線が濃厚か。

(祷子も祷子で初心だからな………)

 宗像が知る限り、風間祷子という女性は潔癖症―――悪く言えば男性恐怖症の様な部分がある。とは言ってもそれ程病的なものではない。表層面に際立って現れるわけではないし、明確な発露があったとしてもやんわりとした拒絶に至るだけだ。相手が『男』であればある程この傾向は顕著で、ここ数年彼女と共にいてそれを感じさせないと感じた人間はそれこそ三神や白銀ぐらいのものである。
 何しろA-01はその特性上、どうしても内向的な部隊だ。外の部隊との接触がまるっきりないわけではないが、それでも対人関係は酷く限定される。時折どうせ相手がいても尻込みするくせに、速瀬辺りがよく『出会いがない!』と叫んでいる理由がそれである。
 まぁ、それはともあれ―――そんな中に、男が二人入ってきたのである。
 当然といえば当然だが、ゴシップ的な好奇心よりも、部隊のバランス崩壊を危惧するのが皆の総意だった。
 少し現実的な話をすると、同部隊内での恋愛はあまりよろしくないのである。特に片方が権力を持っているといざという時に冷静な判断を欠く。恋人よりも作戦を取れるほど冷酷―――いや、強靭な精神力を持っていればあるいは危惧の必要はないが、どこまで行っても人間とは所詮感情の動物である。絶対という保証は出来ないし、何処にもない。だから正規の軍隊では、所謂公認カップルは別部隊同士にする場合がある。まぁ、現場の兵士も兵士でそれは分かっているので、隠れてこっそり付き合っていたり、最低限作戦行動に支障を来さないぐらいの分別が付いているのならば直属の上官が口を閉ざす、というのが通例ではあるが。
 では顧みてA-01はどうかというと、当時一部隊しか無かったので、引き離すという選択肢が取れない。これで入り込んできた二人の男がどうしようもなく好色でつまみ食いばっかりする男だったさてどうしたものか―――と、宗像を筆頭に先任達が頭を悩ませてはみたが、蓋を開けてみれば出てきたのは彼女持ちのエースと変態紳士もとい戦闘系扇動人である。
 当然といえば当然の姿勢なのだが―――入り込んできた当初から、二人は色恋沙汰よりも仕事を優先していた。だからこそ、と言うべきか。少なくとも、11月11日―――あの迎撃戦の前後からはそうした危惧も薄れていった。
 顕在化の予兆があったのが、風間が三神の副官になった時だ。それでも当初は彼女の性格から言って必要以上の接触は無いだろうと思った。あのトンデモ少佐自身も女性関係に関しては何かしら感じるものがあるようで、今まで何のアクションも起こさなかったことから同じように必要以上の接触は無いだろうと思えた。
 だが、二人が仕事を共にするようになってから日を追うごとに『馴染んでいった』。これが宗像からしてみれば不思議な話なのだが―――端から見ていると、どうにもとても一ヶ月にも満たない付き合いだとは思えないのだ。まるで長年連れ添った熟年夫婦のような―――所謂、枯れた安定感がある。
 おそらく、風間自身はおかしいとは思いつつもあまり気にしなかったはずだ。それはあの12月4日。誕生日を仲間内で祝った時の発言にも出ているように―――彼女は、三神を歳の離れた兄、もしくは歳の近い父ぐらいにしか考えていなかった。安心『は』するものの、他の誰かが言うような甘酸っぱい感情は無いと。

(―――あるいは、それが盲点だったか………)

 父親、もしくは兄というスタンスがあれば風間はそこに『男』を見ない。それが自然であればある程顕著で、故にあのやんわりとした拒絶は三神相手には発動せず―――いつの間にか、ずるずると相手に引き寄せられてしまう。
 有害なのが、おそらく三神自身は意図していないということだ。あの馬鹿は変人かつ奇人だが、おおよその軍人がそうであるように、自らの目的に関しては非常に真摯だ。何かに目標を決めると、そこに至るまで脇目も触れない。
 となると―――。

(やれやれ、白銀といい、どうしてウチの部隊には主に恋愛面で厄介な事情を抱え込んでいる男が入ってくるんだ………)

 白銀も白銀で、恋人がいると周囲に知らせつつも他の女性―――主に元207B分隊から好意を寄せられている。本人は鑑一筋と思っているようだが、何も感じないわけでは―――。

(………………………あり得そうだな、あの恋愛原子核の場合)

 いつか香月をしてそう言わせた男も、三神以上に厄介だ。やはり軍隊に恋愛を持ち込むと碌な事にならないな『外』に想い人がいる私を見習えまぁ見ている分には面白いけど、等と宗像が思っていると通信で男の声が流れる。

『―――フェンリル1より全機へ』

 三神だ。
 上陸を前に、軽くブリーフィングでもしておくつもりらしい。

『事前に伝えているように、本作戦では私とフェンリル2は別行動を取る為、状況が整うまではこの艦に残る。フェイズ5………即ち、ハイヴ突入の時に現地で合流するまでは大隊の総指揮権は伊隅に預けておく。―――君達の役割は一番槍だが、あくまで本戦はハイヴ内だ。各員、そのつもりでペースを配分して動くように』
『―――了解!』

 今回A-01が担う役割とは凄乃皇の上陸確保とハイヴ内侵攻時に於ける露払い及び強行偵察である。
 凄乃皇単体にも十分な攻撃力がある為、比率としては後者の方に重点が置かれている。その為、A-01の本戦は三神が言ったようにハイヴ内となる。上陸確保の為光線属種を狩る必要性は出てくるだろうが、そこで本気になりすぎては後が持たないのである。

『後は―――武、言いたいことあるんだろう?』
『―――いいのか?』
『皆既にウィスキー部隊の状況を見て緊急発進に備えているんだから、もう私から言うべきことはないよ。なら構わんさ』

 話を振られた白銀が少し驚いたように尋ね、しかし三神は淡く微笑んでそう諭す。その様子を見つつ、宗像は不思議な感覚に因われる。どうもこの二人を見ていると、時折どちらが年上で年下なのか、あるいはどちらが上官で部下なのか判らなくなるのだ。
 今の会話も、上官が部下に所感を話すように促したように見えるし、逆に年下が年上を立てたようにも見える。
 軍人としては指揮系統が混乱するのでナンセンスな事この上ないが―――この二人の場合、何故か違和感が無い。相変わらず変なコンビだ、とそう宗像が思っていると、瞼を閉じていた白銀が深く吐息してこう告げた。

『―――ここまで来るのに、酷く時間が掛かりました』

 白銀の物言いに、宗像は眉をひそめる。
 彼等が来て二ヶ月になる。確かにそれなりの時間を要したが―――少なくとも、彼女達にとってはその間に起こった出来事が濃密すぎてあっという間という気持ちの方が強い。おそらく誰しもがそうだと思っていただけに、白銀の言葉は意外だった。
 だが、次の言葉でそれは覆される。

『ここに来るまでに失った時間も、失った人も、たくさんあります。だけど、オレはそれでも諦めたくなくて、手を伸ばしました』

 それはきっと、横浜に来る前の話だ。
 白銀は勿論のこと、三神もその経歴は謎に包まれている。何処で何をやっていたのか、どんなふうにしてあれほどまでの才能を開花させたのか―――その一切を機密という名の壁が拒んだ。
 だから宗像も―――A-01の誰もが彼等が何を経験してきたのかを知らない。
 しかし一方で、ある程度の予想がつく。白銀にしても三神にしても、衛士としての力を支えているのは実戦に基づいた経験だ。部隊損耗率が自殺志願者のレベルに近いヴァルキリーズにあって、その誰をも近寄らせない経験を得ようとするのならば―――それを超える過酷な戦場に身を投じる必要がある。
 即ち―――。

『誰も死なないなんて、そんなのは都合のいい夢なのかもしれない。ガキ臭いだけの、ただの我侭なのかもしれない。だけどオレは、そんな夢を、我侭を実現したくてここまで来ました。だから―――』

 彼等は、きっと誰かを死なせ続けたのだ。
 そうして後悔を積み重ね、同時に経験も積み上げて―――彼等はそれでも諦めないために足掻くことを決めた。
 網膜投影の中、白銀が静かに頭を下げた。

『だからお願いします。誰も死なないでください。オレに、都合のいい夢を見せてください。ガキ臭いオレの我侭を叶えてください』

 誰も死なないだなんて、取るに足らない幻想だ。だが、それを幻想だと決めつけて最初から諦めてしまえば、きっと本当に幻想で終わる。終わってしまう。それを知っているからこそ、白銀武は足掻くのだろう。おそらくは―――話を振った三神も。
 皆が微笑んで白銀に声を掛けていく中、宗像はちらりと網膜投影に映る風間を見やった。平静を装っているが、チラチラと視線が動いているのが分かる。その先にいるのは多分―――。

(いらないお節介かも知れないが………)

 それでも、大事な作戦前だ。出来うる限り後顧の憂いを断っておきたい。だから宗像は秘匿通信で三神を呼び出した。

「少佐、少佐」
『ん?何かね宗像、秘匿通信まで使って。今割りと感動の最中なのだが。―――いつも通り武が最後に弄られるオチに入りかけてはいるが』

 ちらりと横目で見ると、臭い事言った白銀が皆に弄られている。それを本来なら自分が先頭になってやっていたはずで、あぁなんか損した気分、と思いつつもここは親友の為を思って思考を切り替えた。

「昨夜、祷子に何かしました?」
『昨夜?―――いや、そもそも昨夜は風間と顔を合わせてさえいないのだが』

 しかし三神は首を傾げるだけだった。嘘を付いている様子もない。であるならば―――宗像は自分の予想は半ば以上正解なのだろう、と思うに至った。
 だからこそ、こう促すことにする。

「少佐も、祷子に何か声を掛けてはどうですか?―――あの子も、大事な作戦を前に緊張しているようなので」







 皆が白銀をいじり倒している最中、風間はよそ事を考えていた。
 昨夜の事である。
 半月の下、遠くを見つめる『男』を見た。道化ではなく、神狼でもなく、上官でさえない。あれは、一つの目標を目指しひたすら走る『男』だった。今までのような巫山戯た態度は何処にもなく、ただ真摯に前を向くあの『男』に―――風間は演奏直前の奏者を幻視した。
 スポットライトを浴び、眩しそうに目を細めつつも目の前の観客からは決して目を逸らさず、緊張に強張る身体を精神力で解きほぐし、そして旋律を奏で出す。世界に己の音を響かせる。声を出し、空気を伝い、人の心さえ震わせ―――そして最響へと至る。
 あれはそういうモノだ。実際に音を奏でていなくても、その雰囲気で分かる。同じく音を連ねるものとして、気付かないはずがなかった。惹かれないはずがなかった。そしてそれを自覚した瞬間こそが―――風間祷子が三神庄司を父や兄としていた認識が、ただ一人の『男』として反転した瞬間だった。

(ど、どうしましょう………)

 この土壇場になって、三神の顔さえまともに直視できなくなった風間は昨夜から同じ事を考え続けている。既に戦闘が始まっているのだから、気持ちを切り替えなければならないのだが、どうにも上手くいかない。
 このままではまずい、と思った時だった。網膜投影に秘匿通信の文字が踊る。渦中の人物が通信を入れて来たのである。

『―――風間』
「しょ、少佐?どうされたんですか?秘匿通信で」

 取らない訳にも行かず、少しだけ髪を弄って整え、慌てて通信を繋げてみればいつものシニカルな笑みを浮かべた三神がバストアップで映る。

『いや、何。一つだけ君に言うべきことを思い出してね』

 だがやはりあまり直視できず、視線が一定しない。しかし三神はそんな風間の態度を気にした様子を見せず、言葉を続ける。

『以前した私の演奏を聴かせるという約束、覚えているかね?この作戦を終えたら、それを果たそうと思う』
「え?」

 約束、と言われ風間は思い出す。先月この馬鹿のテンションがインフレ起こして人の膝に『リバース膝枕!』と顔面ダイブかましてきた時のことを。

(―――あぁ、何か急速に冷静になってきました………)

 何と言うかこの変人の奇行を日頃目にしている分だけ突発的な状況に対して妙な耐性が出来てきたような気がしなくもない。今も妙に舞い上がったテンションを冷水のプールに蹴り落とされた気分である。
 まぁ、それはともあれ。

『ピアノの調律自体は実はもう済んでいたのだがね。腕の方のサビ落としが相当量必要で、ついでにここ最近まで右手が使えなかったものだから思いの外時間が掛かってしまった。しかし―――うん、もう大丈夫だ。所詮下手の横好きだが、まぁ、少なくとも誰かに聴かせられる程度には、勘も戻ったと思う』

 日常の半分近くは共過ごしていたというのに、一体何処でそんな時間を作っていたのか風間は疑問に思うが、この際どうでもいい。自分で演奏するのも好きだが、誰かの演奏を聴きたがるのも音楽家としての性である。
 故にこそ、大丈夫かね?と問われた風間の答えはただ一つだった。

「―――はい………!」









 通信を切った三神は、深く吐息して瞑目する。

(私の我侭で、祷子を傷つけるのだけは避けたかったが………なかなか、ままならないものだ)

 三神庄司と言う男は、本業が交渉人であるが故に人の感情の機微には敏感だ。基本的に一対一で犯罪者と渡り合うからこそ、特に自分に対する感情には敏感にならざるをえないのだ。
 だからこそ、気付く。否、気付いてしまう。彼女の瞳が、『前の世界』に置いてきた妻と同じ色を帯びている事に。
 ほんの少し前―――少なくとも、昨日の最終ブリーフィングまでは何もなかったはずだ。こちらに向けられた感情は、世話の掛かる父か兄―――その程度のもので、自らの副官という離れるに離れられない立場になってしまった以上、三神はこのスタンスを近くに迫った『最期』まで貫き通すつもりだった。
 だが―――それは最早出来ない。宗像の言葉を信じるならば昨夜に何かあったはずだ。少なくとも昨夜は風間と遭遇していない三神はそれを知ることはできないが、彼女の心を動かす決定的な何かがあったらしいことは推測できる。
 だとすれば―――取るべき行動は、ただ一つ。

(変に傷跡を残してしまうわけにはいかない、か。私が消えた後、私に関する記憶が消えるとしても、傷が深ければ深い程おそらく消えるのに時間がかかる。それはきっと彼女に停滞を与えてしまうだろう。だとすれば、私がすべきは―――)

 出来ることなら、この我侭を通したかった。だがそれが出来ないぐらいに事情は立て込み始めた。
 だからこそ―――。
 この日、この時、この瞬間―――三神庄司は己に決断を下した。
 三神も。
 風間も。
 世界でさえも。
 今後、全てはこの決断によって、動かされていくことになる。
 その後に訪れる、酷く残酷な真実を知ることさえ無く―――。








 甲21号作戦はその後も、帝国軍国連軍の双方は甚大な被害を出しながらも、作戦自体は順調に進んだ。ウィスキー、エコーの両部隊はそれぞれ佐渡ヶ島東西へとBETA群を引きつけ、A-01はA-02―――即ち凄乃皇の砲撃開始地点を確保することが出来た。
 その報を受け、作戦司令部は作戦をフェイズ4へと移行した。
 フェイズ4の第一手は低軌道を周回している国連宇宙総軍艦隊によるメテオドライブ―――第6軌道降下兵団の再突入である。この際、軌道降下兵団の役割はハイヴ内の突入ではなく、あくまで突入孔の確保である。
 作戦は、順調に進みつつあった。その事に誰もが安堵していたわけではないが―――しかしながら、そういう時こそ、嫌なことは重なるのである。

『―――!?旧佐和田ダムより新たなBETA群出現!推定個体数約二万!!』
『き、旧相田町からもBETA群出現!こちらも推定個体数約二万ですっ!!』
(―――ちぃっ!巫山戯やがって!!厄介なことになってきやがったぜ………!!)

 オープンチャンネルで流れてくる情報に、指揮官としてあまり悪態をつくことは出来ず、しかし胸中で思う存分に舌打ちしたのは斑鳩だ。蒼の武御雷を駆って、斯衛軍第16大隊を率いる彼は現在佐和田ダムより若干南―――旧青野にて残存BETAの掃討を行っていた。
 本来ならば緊急時に展開できる予備兵力としてもう少し後方にいるべきなのだが、この戦場を前にして五摂家たる者が後方にいることは罷りならんと適当に理由を託けて前に出てきたのである。
 しかしながら、結果的にこれでよかったと斑鳩は思う。旧佐和田ダムと旧相田町から出てきたBETA群総計約四万。この段階での敵増援は予想を遥かに上回る数で、しかもこの様子からしてまだ多くのBETA群が佐渡ヶ島に控えているのは想像に難くない。
 何よりもまずいのは旧佐和田ダムから出てきたBETA群だ。帝国軍が最前線として戦線を引いているのは旧二宮から旧山田―――即ち、旧佐和田ダムの目と鼻の先である。
 ただでさえ激戦区のそこに二万ものBETAが進軍してくれば、瓦解は免れない。旧相田町の方はまだ遅滞戦闘を繰り広げて艦隊からの砲撃支援を加えれば現行戦力でもどうにかなるだろうが、こちらは海岸からも近い。遅延戦闘さえ出来はしない。

(だったら―――やるっきゃねぇなっ!!)

 即座に思考を切り替える。戦力が足りなければ足せばいい。それで足りるかどうかはまた別問題だが、何もしないよりは遥かにマシだ。そもそも、先述したように本来斯衛第16大隊はこうした緊急時に展開できる戦力として数えられていたのだ。今を緊急時とせずにいつを緊急時とするのか。
 だから斑鳩はHQへと回線を繋げる。

「こちらクレスト1よりHQ―――………いや、悠陽ちゃん!聞こえるか!?答えてくれ!!」

 本来ならば儀礼的にきちんとした言葉を使うべきだろうが、伝えなければならないのはどちらかと言えば個人的なものだ。あまり個人的な理由で通信など使うものではないが、斑鳩の場合五摂家という立場もある。
 ややあって、悠陽の声が返って来た。

『―――はい、昴殿。聞こえてますよ』
「ちぃっと前線やばいようだから、俺、加勢に行くわ。―――任せるぜ」

 何を、とは斑鳩は言わない。
 何を、とは悠陽は問わない。
 ただ今回、五摂家として佐渡ヶ島の戦場に立つと決めた時に、斑鳩は一つの約定を悠陽に取り付けていた。もしも自分の身に何かがあった時、妻だけは護ってくれと。その為ならば、斑鳩家を解体してくれても構わないと。どの道、現状、直接の血族は自分だけだ。生まれてくる赤子に斑鳩家の全てを託すのは余りにも酷と考えれば、当然摂家斑鳩の解体も考える。
 無論、斑鳩には遠縁の親戚は数多くいるが―――正直な話、彼はそれらを信頼どころか、信用すらしてはいなかった。
 妻や産まれて来る子供を彼等の政治の道具に使われるぐらいならば、家そのものを滅ぼしてしまったほうがマシだ。権力の残滓を残しておいてもお家騒動が起こって面倒なので、その全てを煌武院家が接収するように段取りも組んである。権力を持った人間が戦場に出るには、非常に面倒な残務処理が付随すのである。
 それについて、悠陽は何も言わなかった。最早決めたことであり、彼はもう何を言っても引き返さないだろうと分かっていたからだ。
 だから、悠陽は別の言葉を伝えることにする。

『昴殿。二つばかり、お伝えするべきことがあります』
「ん?」
『あと少しで、救世主達が戦場へと来ます。―――早まらないように』

 救世主、と言う言葉に斑鳩はあの二人を思い出した。
 世界を繰り返す、異常な二人。彼等は今度こそ、と言う言葉を胸にきっと戦場へと辿り着く。そして皆に希望を指し示していくだろう。その様子を見てみたい、とは思うが間に合うだろうか、とも斑鳩は思う。

「………そうかい。―――で?あと一つは?」
『これは先程入った情報ですが………楓殿が破水したとのことです』
「―――!」

 瞬間、斑鳩の思考が全て止まった。
 そんな彼の様子を知ってか知らずか、悠陽は畳み掛けるように言い含める。

『良いですか?斑鳩昴。今、そなたの奥方も戦いに赴きました。そしてそなたの戦いはそこが終着駅ではありません。これから先、親としての戦いもあるのです。いえ、もう始まっているのです。それを―――努々、忘れぬように』
「―――御意」

 斑鳩の言葉と共に、通信が切れる。それと同時に、彼は自分の手を見た。そこに小刻みに震えるよく見知った手を見つけて、彼は苦笑する。

(は、ははは………何だよ、これ………新兵じゃあるまいし………)

 つい一瞬前まで、自分の死を覚悟していた。
 そこに恐怖は無かった。五摂家であろうと斯衛であろうと、衛士として戦場に出ているのだ。どんな場所でも死の危険はつきまとう。今から行く場所は、それがとびきり濃いだけだと思っていた。
 ―――今は、それさえも怖かった。

(ちょっと待てよ………おい………三神、お前、嘘つきやがったのか………?)

 かつてあの道化はこう言った。父親になることに悩んだり不安に思っていることがあっても、実際に産まれてしまえば割と簡単に吹き飛ぶと。
 実際にはどうだ。こんな戦場のド真ん中で、斑鳩はシェルショック患者のようにガタガタと身体を震わせている。そう言えば、前にも同じような状況になったな、と思う。
 三年前の京都攻防戦。斑鳩にして、初の実戦の時だ。当時自分の副官だった楓と共に戦場に立ち―――斑鳩は今と同じように身体を震わせた。
 迫り来るBETAではなく、圧倒的な戦場の空気でもなく、自国を奪われることですらない。
 あの時の彼はただ―――楓を失うことを恐怖した。
 だが今はどうだ。何が怖い。彼女はここにいない。確かに出産には母体に負担がかかるが、あの女は強い女だ。案外ケロッと産んでくるだろう。では何だ。自分は何が怖いのだ。
 自問し―――そして斑鳩は答えに至る。

(あぁ、そうか………俺は、アイツらの『俺』が死ぬのが怖いんだ………)

 事ここに至って、斑鳩は自分の命を惜しんだりはしていない。惜しんだのは―――彼女と、産まれてくる子供に捧げるはずだった時間だ。そんな当たり前で、誰もが享受できるはずの時間を失うのが―――失わせてしまうのが、酷く怖い。

『―――少佐』
「手前ぇ等………?」

 通信が入り、網膜投影に視線をやれば月詠真耶を筆頭に第16大隊の面々がこちらを見ていた。周辺の残存BETAはいつの間にか掃討済みで、後は次の戦場へと向かうだけになっていた。

『我等斯衛一同、既に少佐に命を預けております。―――如何様にもお使いくださいませ』
「重てぇな………。今更だけど、人の命ってのは、本当に重てぇよ」

 斑鳩の胸中を慮った訳ではないだろう。だが、次の言葉は斑鳩の心を決めさせるのに十分であった。

『そうでございましょう。ですが―――我々は、あの迎撃戦の日に少佐が言ったお言葉を忘れてはおりませぬ』

 言われ、斑鳩は思い出す。あの日、あの時、あの馬鹿が煽ったあの瞬間。彼は今は亡き祖父の言葉を思い出していたのだ。
『世の中には二種類の大人がいる。カッコイイ奴とカッコ悪い奴だ。それは転じて、面白い大人とつまんねー大人に分けられる。こんなカビ臭いだけの家に生まれた以上、ほっとけばつまんねー大人になるだろうが、諦めないで足掻いてみろ。足掻いて面白い大人になれ。そうすりゃぁこんな家に縛られていたって―――世の中は面白くしていける』―――。
 その言葉の真意を、今ようやく悟る。

(あぁ、そっか………だから爺さん、あんな事言ったのか。手前ぇも、俺と一緒の臆病者だったんだな………?)

 面白い大人とつまらない大人。斑鳩なりにその基準を定めるとするならば、この行き場の無い恐怖を超えられるか否かだ。

(情けねぇ………本当に、情けねぇっ!!)

 超えられれば、型を飛び越えた面白い大人。
 超えられなければ、型にはまったつまらない大人。
 そしてそれを知って、孫に伝え逝ったあの祖父は間違いなく面白い大人の先駆者だ。ならば、その血の系譜を継ぐ自分が追いつけないはずがない。

(根性見せろ斑鳩昴!爺さんの遺言通り、カッコイイ奴になるって決めたんだろうが………!!)

 震える手を拳を作って握りつぶす。
 今から死ににいくのではない。
 生きるために、生き抜くために―――何よりも、これから続いていく父親としての時間を護るために、戦いに行くのだ。
 だから斑鳩は、声を張り上げた。

「問うぜ野郎共!俺達ゃ何だ!?」

 誰よりも強くあるために。

『―――我等、不屈不退転の斯衛也』

 今一度、強く願って届かせろ。

「問うぜ野郎共!斯衛ってのは何だ!?」

 手に入れた不安も迷いもそのままで。

『―――我等、五摂家を守護する者也』

 生きて帰り、温もりをもう一度手に入れたいと望むなら―――。

「そして最後は俺に問うてくれ!俺が―――斑鳩昴が斑鳩昴でいるための問いを………!!」

 あの幸せを失いたくないと叫ぶなら―――。

『我等、汝に問う。―――斑鳩とは何哉っ!?』
「斑鳩とは―――!」

 ―――この言い知れない恐怖を、突き破れ。

「斑鳩とは―――不安と迷いを抱え、されど恐怖を突き破る者也っ!!」

 長刀を抜き放ち、蒼の武御雷が天へと刃を掲げる。

「征くぜ手前ぇ等!我等の生き様の証―――今こそが立てる瞬間だと心得ろっ!!」
『御意………!!』

 箍が外れた鬼の哭き声に皆が応え、斯衛第16大隊は旧山田に向かって進撃を開始した。最早進むことに理由など不要。故にこそ―――今はただ征くぞ、と彼等は叫ぶ。
 そして、三年前の京都攻防戦で『斑鳩の蒼鬼』と恐れられた男が、今ここに再び目を覚ました。









 電源を落としていた管制ユニットが、静かに明るくなっていくのを白銀は感じていた。
 そして―――。

『―――さて、待たせたわね。ようやくあたし達の出番よ。精精派手にやんなさい』

 かつて魔女と呼ばれた聖女の声が届いた時、白銀は今こそ決戦の時が来たのだと悟る。
 戦況表示図を見ると、A-02のマーカーが新潟県弥彦山を大回りするように侵攻しているのが見て取れる。先にこちらとのリンクを取るためにわざとこうした回り道をしているのだろう。

『しかしいいのか?オルタネイティヴ4の名前もそうだが、A-01の存在やメンバーの名前を公表するのは作戦が成功してからだろう?』
『構わないわよ。あくまで「正式に」表に出すのが作戦後なだけであって、突発的に出ちゃった分はしかたないでしょ?それにどうせ成功させるんだし―――その方が効率的ってもんじゃない?』

 今回の作戦は全世界の軍人へとリアルタイムで中継中だ。そしてこのまま状況を推移させ、佐渡ヶ島を落とせばオルタネイティヴ4の地盤は磐石のものとなる。それに先駆けて香月はオルタネイティヴ計画の存在を明るみに出すことを安保理に承認させていた。
 無論、そこに至るまでは様々なところから大なり小なりの反発があったようだが―――これを米国側が『快く』承認すると、他の国は強く言えなくなってしまった。それでも統一中華やソ連などは最後まで反発していたようだが、作戦が成功したら、という条件をこちら側が呑むことによって黙らせた。
 因みに、米国側が承認した裏には香月の糸が見え隠れしている。12・4騒乱後に横浜基地に現れたデボン=シャイアーと交わした密約の中に、今回の一件が含まれているのであった。

『ま、アンタ達は何も気にすること無くいつも通りにはっちゃければいいのよ。特に三神、アンタはここ最近大人しくしてたから、色々溜まってるんじゃない?』
『確かに、ここらで一つ盛大に煽ってみるのも面白そうだ。迎撃戦からこっちイレギュラーに怯えて表には出なかったし、茶番で怪我してからは大したイベントも無かったし。―――少しぐらいテンションアッパーに入れても、問題ないよな………』

 網膜投影の中、暗い笑みを浮かべる三神に白銀は少し呆れた。

(あぁ、庄司の奴、悪い顔してるなぁ………)

 まぁ確かにここ最近、彼の様子がおかしいのを白銀は知っていた。出会った頃のような陽気さというか呑気さというか―――良くも悪くも緩い部分がなくなってきたような気がする。
 それは断じて今も彼が言ったようなイレギュラーを警戒してという面だけではないだろう。直感ではあるが、白銀はそう思った。だから彼は、ともすれば三神庄司という一人の人間の終焉が近いのでは、と思い始めているのだ。

『―――白銀』
「は、はい」

 そんな風に白銀がよそ事を考えていると、急に香月が名指しで話しかけてきた。

『今のあたしは幾つもの世界のアンタを「知ってる」わ。何を望み、何に絶望し、そして何を願ったのかをね。最初のアンタは何もなかった。あったのは、ガキの我侭だけだったわね。元の世界に帰りたい―――本当に、ただそれだけだった』

 思い出す。
 今考えれば、顔から火が出そうなほど恥ずかしい話だが、確かにあの頃の自分はただのガキだった。

『二回目の世界では軍人としての力はあった。けれど、その力に対して心が付いて行かなかった。それが固まるまで、アンタは色々なものを犠牲にした。―――まぁ、コレは前の世界のあたしも関わっているから、余り偉そうなこと言いたくないんだけど』

 思い出す。
 少し力があるからと言っても、精神がまだガキのままだった。だからこそ、白銀は魔女の画策にまんまとはまり続けた。

『最終的に、あんたには敵を倒す力もあって、仲間を護る覚悟もあった。だけどアンタは望んだ未来に辿りつけなかった。それは何故?足りないものは何?』

 何が駄目だったのか。
 それは何度も何度も白銀自身も考えたことだ。だが、どうやっても答えに行き着かない。何となくではあるが、今の知識を持ってあの世界をやり直したところで、同じような結果になるように思えてしまう。
 だから、白銀はそれ以上を考えられなかった。

『分からない?それでいいのよ。それがアンタの限界。一人の人として出来る限界。救世主であっても所詮人。そこが一つの到達点。もう、アンタ一人じゃその先にはどうやっても行けないわ。―――だからこそ、今度はあたしが手を貸してあげる』

 網膜投影に〈ML機関制御回路接続〉と文字が踊り、自動的に機体のシステムチェックが行われていく。

『アンタには敵を倒す力があるわ。
 アンタには仲間を護る覚悟があるわ。
 だけどそれがあっても届かない目標がアンタにはあるわ。
 だからそんなアンタに―――その目標に手を届かせるために、あたしは願いという名の剣をあげる』

 否、これは自動的ではない。白銀自身、機体に何の命令も下してはいないのだ。
 データリンクを経由して、香月がハッキングを仕掛けているのである。おそらく、三神の管制ユニットでも同じことが行われているはずだ。

『倒すべき敵を倒しなさい、白銀。
 護るべき者を護りなさい、白銀。
 そして願いに至りなさい、白銀。
 その為に必要な武器は、あたしが全て揃えてあげる』

 乗りなれた不知火とは違う、それでも心地良い駆動音が白銀を包み込む。

『受け取りなさい。これがかつて魔女だった聖女が鍛えた剣よ。そして―――』

 そして、〈全システムオールグリーン〉と全てを解き放つ文字が浮かび上がった。

『―――その目標に辿り着いた時こそ、アンタはガキ臭い救世主から本当の救世主になれるわ』

 そしてそれだけ告げると、香月は通信を切った。

「夕呼先生………」
『ああ見えて、意外にシャイだよな』
「本当だ」

 くっく、と喉を鳴らす三神に、白銀も苦笑で応えた。

『―――武』
「ん?」
『安心しろとは言わない。だが忘れないでくれ。―――お前の道は………いや、お前の未知は私が作る』
「―――三神………?」

 その真意は白銀には分からなかった。
 だが、今はそれでいいと思う。この男は、放っておいても自分の目標に走っていく。だとすれば、白銀のすべきは詮索ではなく、全てが終わった後で、同じ『元』因果導体として、彼に労いの言葉をかけてやることぐらいだ。
 だから、白銀はそれ以上、尋ねることをしなかった。

『―――時間だ、派手に行くとしよう』
「―――ああ………!!」

 そして―――聖女に鍛えられし天叢雲の剣は、今こそその鞘から解き放たれた。







[24527] Muv-Luv Interfering 第四十八章 ~反逆の人類~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/10/03 02:45


 横浜基地の開発部門には休憩所がある。しかしながらその使用率は現在一桁台にまで落ち込んでいた。
 理由は一つ。単純に、本来ここを使用するはずの開発部一同が多忙なのである。
 特に今月に入ってからは異常なほどの過密スケジュールで、しかし掛かる内容が内容なだけに部外からの応援や人員補充などされようはずもなく、結局今までのメンツでこの過密スケジュールを乗り越えざるをえなくなっているのであった。どれぐらい過密かといえば、睡眠と食事その他諸々を開発現場で済ませる程で、これが夏場だったら悲惨なことになっていただろうと容易く予見できる。
 ともあれ、結果として、開発部門専用の休憩所には今現在、二人しか人影がなかった。
 白衣姿の長島光一と如月佐奈である。
 カコン、と軽い音を立てて二つの缶ジュースが休憩所のテーブル、その一卓に置かれる。一つは白い無地の中身が判別できない物。もう一つはケミカルというか極彩色というか、極めて毒々しい色をしたものだった。
 それら二缶を置いた如月はテーブルに着きつつ、既に対面に座っていて、テーブルの上に置かれたインチの小さいモニタにチラチラと視線をやっている長島に問い掛けた。

「―――さて、どちらにしますか?」
「何のプリントもない事で妙に不安感を煽る無地の缶と、炭酸コーヒーのスイカ味か………最近、この基地に入荷されてくる商品がわりと魔界化してきたね………」
「きっと業者の頭に異世界からの電波が飛んできたのでしょう。よく馴染んじゃったり何でも許容しちゃう世界からの電波が」

 適当に切り返して、如月も長島と同じようにモニタに視線をやった。そこに映った映像は現在行われている『甲21号作戦』の生中継だった。如月自身、BETAとは直接対峙した経験があるわけではないし戦場を知っているわけでもないが、それでも立場上その容姿や特性などにはある程度精通している。
 それを踏まえた上でモニタに映る映像に関して何か感想を添えるとするなら―――。

(凄惨、の一言でしょうか………)

 一瞬にして挽肉にされていく憎き異星人を痛快に思うよりも気持ち悪いと感じ、断末魔を上げながら死んでいく兵士達の末期を見て目を背けたくなる。だが、やはり彼女もこの歪んだ世界に生まれついた人間である。そこらの非戦闘員よりは肝も太く、少なくとも表面上は動揺を表さない。
 それでもしばらくは肉類の摂取を控えようと心に誓っていると、長島がジト目でこちらを見やってきた。

「どうでもいいがどうして君はこういう極端なチョイスをするのかね?」
「単なる興味本位です」
「君は正しく科学者だねぇ………」

 正確にはここ最近憂さ晴らしをしてなかったのでここらで溜まったストレスを発散しておこうと考えたのだが敢えてそれに関しては触れない。
 だからしれっとしている如月を何も疑問にも思わず、長島はテーブルに並べられた地雷ジュースを見比べて―――。

「ではここは敢えて―――如月君如月君。何故君は無地の缶をこちらに持ってこようとしているのかね?」
「いえいえいえいえ。無地の中に何が入っているのかこっそり知っていて実はかなりヤバめだなぁと分かっているだとかそういう他意は一切ございませんのでご安心を」

 如月の言葉に、長島はふーん、と興味なさ気に頷いて。

「―――あ」

 それこそ如月があ、と呟く間に長島は炭酸コーヒーを奪取して大人気もなく胸を張った。

「へっへーん!早い者勝ちだもんねー!珍しく儂、大勝利ーっ!!」

 その上勝利宣言までする徹底ぶりだが、如月はそれについては敢えて言及せず、ふと思い出したかのように仕事の話を始めた。

「………………………まぁ構いませんが。―――そう言えば言い忘れてましたが、先程『リンクシステム』の最終調整と『ブリューナク』、『Ex.Bユニット』の試運転を無事終えました。詳細なレポートはメールで部長のPCに送っておきましたので後で御一読下さい」
「はいよ~。しかしアレだね~。先月からというもの、随分忙しくなったもんだ」
「追加噴射機構を始め、多重跳躍機構、叢雲の開発に増産、それに合わせてリンクシステムの開発、更には凄乃皇弐型と四型の調整。これだけでも過労死しかねないほど忙しいのに、その上イマイチ何に使うのか分からないブリューナクとEx.Bユニット………砕撃前衛〈ストライクヴァンガード〉装備の開発ですからね。まぁ、所詮私達は下働きですから必要以上の文句は言いませんが―――それでも一段落ついたら、開発部一同で香月博士に休暇を申請しましょう」

 場合によってはストライキも辞さない。人類の要所を任されている身であってもそう思ってしまうほどには如月を筆頭に開発部の面々は疲弊しきっていた。あるいは、過労による生産力低下ぐらいならばあまり問題は無いのかもしれないが―――怖いのが事故や機体を筆頭とした装備の不具合だ。
 特に叢雲がML機関搭載機―――言い換えれば劣化型のG弾である事を考えると、慎重且つ繊細な生産が必要になる。無論、幾つものセーフティがあるので不具合一つで即座にG弾のような多重乱数指向重力効果域が発動、等ということはないだろうが、それでも作り手としては最高のコンディションを以て臨み、最高の物を作らなければならないのだ。

(その叢雲が、そろそろお披露目ですか………)

 ちらり、と如月はモニタに視線をよこす。『甲21号作戦』は被害を出しながらも順調に推移している。既にフェイズは4。予定ではA-02―――即ち凄乃皇弐型が上陸強襲し、荷電粒子砲の一撃を叩き込む。その前段階としてA-03である叢雲が世界にその力を知らしめるのだ。

「やはり―――気になるかね?」

 長島の問いに如月は頷いた。

「それは勿論。何しろ、叢雲の開発には私も直接に携わっていますので。ほら、私開発とか超好きじゃないですか」
「そうかそうか。如月君は開発が大好きか。わ、儂も如月君に開発されたいなー―――とか言ってみたりして」
「さりげなさを装おうとしても無駄ですよこの変態」
「ご褒美!言葉責めは儂にとってご褒美だよ如月君!よぉうし!この喜びを舞って表すべくまずは景気づけにコレ飲んじゃおっかなぁ~?」

 適当にいなしてやると変態は身を捩らせて悶え、手にしていた炭酸コーヒーのプルタブを開け、腰に手を当てて一気に煽った。宣言通り景気よく喉仏をごきゅごきゅと鳴らして飲んでいた長島だが―――段々と顔を青ざめさせていき、最終的に口元に両手を当てて何処かへ走り去っていった。
 あれは新手の自分虐めと言う名のドMとしての遊びなのだろうか流石変態私には理解できません、と如月は肩を竦め、無地の缶ジュースを手にとった。そしてプルタブを開けて一口。

「―――うん、おいし」

 因みに、缶底には『フツーのココア~醤油味~』と書かれていたそうな。








 旧上新穂にてA-02の侵攻ルートを確保したヴァルキリーズとウォードッグのA-01部隊は各自補給をローテーションで行いながら、周囲の警戒に務めていた。
 代理とは言え総指揮官として部下達の動向に気を配りながらも、伊隅は戦況のチェックも並行して行う。作戦は既にフェイズ4へと移行した。この甲21号作戦は『前の世界』と似たような流れに沿って動いているが、香月や三神、白銀がテコ入れした影響か少しずつ違う部分が出てきている。
 まず最初に、作戦の進行速度だ。このフェイズ4、より正確には降下兵団登場に到るまで『前の世界』では4時間以上掛かったが、現段階では3時間程。やはりクーデターによる戦力の消耗は『前の世界』での甲21号作戦に相当に響いていたらしい。
 次に帝国、国連両軍の戦術機部隊の損耗が―――全体の死傷者を見れば若干ではあるが―――少なくなっている。これはXM3の存在が大きいのだろう。流石に艦隊や母艦などの轟沈率までは変わっていないようだが、それでも上陸後の損耗率は従来のハイヴ戦と比べると雲泥の差だ。
 そして最後に―――これが一番大きいのだが、BETAの増援である。『前の世界』では降下兵団がハイヴに突入し、その30分後に4万規模のBETA群が地中から出現し、その煽りを受けてA-02の砲撃地点にまでBETA群が殺到してしまったのである。結果として白銀による単機陽動などで事無きを得たものの、一歩間違えれば砲撃地点確保の前に部隊壊滅の憂き目に遭っていた可能性もある。
 しかしながら今回―――4万規模のBETAの増援は同じようにあったものの、ハイヴ内に降下兵団が突入しなかったためか、はたまた通常の地上戦力を脅威と感じたか―――明確な理由こそ不明だが、BETA群はその勢力を二手に分けて地上に出現した。その出現地点は旧佐和田ダムと旧相田町。少なくとも、この場所―――旧上新穂からは離れてるので、前回のような難易度の高い陽動や光線属種狩りは必要無い。今回はハイヴ内に潜ることを考えると、余分な戦闘はなるべく回避したいので、伊隅としては有難かった。

(―――だが、何故だ………?妙な不安感を覚えるな………)

 多数の被害は出ているものの、状況は明確にプラス方面に動いている。無論、そうなるように『前の世界』を知る彼等が動いたのだろうが―――それにしても『上手く行きすぎている』気がしてならない。それを思い込みだと一蹴するには、この妙なしこりは重すぎる。
 しかし―――。

(いや、今は考えるべきでは無い、か。指揮官が鈍れば部隊も鈍る)

 物思いに耽って思考を鈍らせる訳にはいかない。伊隅は首を横に振ってそのしこりを振り切り、網膜投影の戦況表示図に視線を向け、全体図を表示させる。
 佐渡ヶ島の南方、その洋上にA-02のマーカー。そして、佐渡ヶ島の東方に―――A-03aとA-03bのマーカーが出現した。

(―――そろそろ、か………)

 彼等が来る。
 世界を繰り返し、心を折られ、肉体が滅びても―――手を伸ばすことを止めなかった彼等が。
 BETAという暴虐を。
 因果という圧政を。
 世界という理不尽を。
 真正面から噛み砕きに征く―――そう、彼等は反逆者。









 BETAの大増援に押され後退をする帝国軍の殿を務める部隊が、旧北川内にあった。瓦解した部隊を現地で寄せ集めただけの撃震や陽炎が入り乱れる混成部隊だが、その中に一機だけ不知火が存在した。

「これ以上は、マズイよね………」

 その不知火を駆る小柄な女性衛士は状況を判断して小さく呟いた。
 作戦そのものは順調に推移していた。少なくともフェイズ4に入ってしばらくするまでは。いや、現状も陽動という側面を見れば順調と言えるだろう。しかしながら、それに掛かる被害が大きすぎる。今の旧佐和田ダム、旧相田町からの大増援で西の方は艦砲射撃や虎の子の斯衛部隊もいるので何とかなっているようだが、佐渡ヶ島東方―――即ちこちらは沿岸からは距離があって砲撃支援が上手く届かず、斯衛のような大戦力もない。
 彼女が所属していた部隊も大増援時に呑み込まれて崩壊しており、同じようにして生き残った者達で即席の中隊を結成したのである。臨時の隊長として最先任である彼女が選ばれ、他部隊が後退するまでの殿を買って出た。
 その後は遅滞戦闘を繰り広げつつ、旧北川内の最北端にまで下がってきたのだ。その甲斐があってか、丁度敵の流れが途切れている。加え、運良く第一次侵攻時に運び込んでおいた未使用の補給コンテナを複数発見した為、今は最警戒態勢のまま順次補給を行っている。
 しかしながら網膜投影のミニマップを見れば、近くに3000―――連隊規模のBETA群が迫ってきている。接敵予測時間を機体側に計算せてみたが、後3分も無い。
 さて、その規模をこの戦力で支えきれるかどうかを考えれば―――。

(無理、か………)

 揃っているのはいずれも歴戦の兵士ではなく、出撃回数数回のルーキーに毛が生えた程度の者達だ。臨時で隊長を張る彼女とて、この間の迎撃戦でようやく出撃回数が二十回になった程度の―――前の部隊で言えば、ようやく中堅に差し掛かったぐらいの実力だ。
 かてて加えて、機体状況も宜しくない。上陸からここまで戦闘に次ぐ戦闘で機体負荷は相当にかかっているし、特に彼女が乗る不知火は新型のOSを搭載しているのでそれが余計に拍車をかけている。他の者達は新型OSを搭載していないようだが、それぞれ片腕がもげていたり主脚に細かな不具合を抱えていたりと―――有り体に言って、満身創痍の状況だ。
 武装と推進剤の補給だけは何とか出来たが、この状況、この戦力で連隊規模のBETA群を迎え撃つことは自殺するのと同義だ。であればこちらも後退すべきなのだろうが、後方はまだ下がりきっていない。ならばもう一度遅滞戦闘を仕掛けてジリジリと下がっていくのが定石。しかし、3000ものBETA相手に中隊規模の戦力での遅滞戦闘は正直―――呑み込まれる危険性の方が高い。
 しかしながら他に代案は無い。ならば遅滞戦闘を前提とした次善策を持ってくる他無い。
 だから―――彼女は皆にこう告げた。

「―――皆、一度後退して」
『隊長………?』

 皆が怪訝な声を上げるが、彼女は気にしない。

「このままじゃ奴等に呑み込まれる。だけどもう少し下がれば艦砲射撃も届く位置まで引っ張ってこれるから」
『しかしそれでは敵を遅滞させることが………!』

 反論が出ることは分かっている。
 そして何かを犠牲にしなければ事を成せないことも理解している。だからこそ―――。

「それは私が単機やるから安心して」

 ―――彼女は、自分を差し出す選択をした。

『なっ………!馬鹿な!たった一人で何が出来るというのです!?死ぬ気ですかっ!?』
「いい?今奴等は一見して群れをなしてるけど、あれはあれでBETAなりの隊列なの。それを切り崩してやれば少しは撹乱出来る。今までの戦術機では無理だったけど、新型OSを搭載しているこの機体なら少なくとも不可能じゃない。―――先月、国連の人達がやってたしね」

 一度撹乱してしまえばBETAと言えども足並みが崩れる。それを立て直すまでに時間がかかる。しかしながら、彼等は崩れた足並みを立て直している間『待っている』と言うことをしないのだ。崩れたならば崩れたまま進撃しようと行動し―――結果として、戦線が縦に伸び切る。そして伸びきった状態であれば、中隊規模であっても善戦することは出来るし、遅滞戦闘を繰り広げながらもう少し下がれば艦砲射撃も届く。上手く行けば状況を立て直した後方と合流も出来るだろう。
 その状況に至る為に必要な『生贄』は―――新型OSを積み、第三世代特有の高機動を実現できる不知火に乗る、彼女のみ。

『しかしっ―――!』
「いい?損失考えて物言ってよ?私一人、機体一機分と君達全員。秤にかけたら私が浮くのが当然でしょ?大体、私は元々突撃前衛なの。指揮官なんて、性に合わないよ」

 それに、と彼女は続ける。

「幸い、私には護るべき家族も何もないからね。そんなもの、皆三年前に奴等に奪われちゃったし。だから私が今ここにいるのは君達みたいに誰かを守りたいだとかそういう、ご立派な志はないんだよ。あるのは復讐と………単なる惰性だよ。―――だけどさぁ、そんな私でも君達や後ろの皆が助かる時間を稼げるっていうなら………ここで砕け散る意味だって、あるでしょ………?」

 自己犠牲に酔うつもりはない。だが、誰かを犠牲にしてまで生き残るつもりもない。彼等とは所属していた部隊も違っていたし長く連れ添った訳ではないが、それでもここまでの戦闘で―――しかも殿を買って出た自分に文句も言わず付き合ってくれただけで、その心根を図ることは出来る。
 ならば臨時なれど隊を率いる者として、彼女には彼等を生かして帰す義務がある。その為の、自己犠牲と言う名の選択だった。
 だが―――。

「分かった?分かったら早く―――」
『隊長………いえ、中尉。一つだけ言っておきます』

 先を促そうとする彼女に、同じ階級―――しかし後任であったが為に臨時の副隊長に収まった男が口を挟んできた。
 何?と視線で問い掛ける彼女に、男を筆頭に隊員達がしたり顔で頷いて。

『―――この状況で突発的に自分語りして自己浸りは正直………思春期の中学生を見ているようで痛々しいです』
『何か昔の自分見てるみたいだよなぁ………嗚呼、黒歴史』
『って言うかこれ、アレだよな。何つったっけ―――死亡フラグ?』
『なんだそれ?』
『さぁ?何か今ふと頭の中に浮かんできたんだ』
『お前も中尉と一緒で何処かから何か変な電波でも受信してんじゃね?』
「き、君達君達、人が折角決意表明してるっていうのに容赦無いね!?」

 めいめいに何やら唐突に空気をぶち壊す発言をしてくるので、思わず自然に突っ込みを入れてしまった。我に返って皆を見渡すと、苦笑で返ってくる。

『所詮そんなものなんですよ、戦場での決意表明なんて。それは開戦前に自分の部下にでも語って聴かせるもので、戦闘中に正式な部下でもない自分達に話した所で「うわぁ痛いわこの人」と思うだけです』
「ねぇ、副隊長。君、さっきからセメント過ぎない?私ちょっと泣いちゃいそうなんだけど」
『お好きにどうぞ?それと私にとってはこの程度辛口の内に入りませんのであしからず。―――ともあれ、何かを失ったり、復讐とか惰性とか個人的な感傷を得るのは何も貴方だけじゃありません。誰だって何かを失って、感傷を以てダウナー入ったりしますし、逆に何かを得て喜びとかでアッパー入ったりするでしょう。人間ですから、生きていれば色々ありますよ。そう、色々あるんです』

 告げる彼自身も同じように思ったことはがあるのだろうか、と彼女は思うが―――多分、あるのだろうと結論づける。この時代、奪われることで始まる人間の方が圧倒的に多い。

『貴方が何を失ったかは知りませんし正直この御時世よくあることなのでさほど興味もありません。ただ、失ったからもう全て終わってる、だなんて事だけは言わないで下さい。―――そういうのは、人生に満足する努力をしない阿呆の台詞です。第一、即席の上に臨時とは言えこの中隊の隊長は貴方です。その貴方が部下を残して自殺志願とかどういう了見ですか。どうせやるなら、我々も巻き込んで道連れにしていくぐらいの気概を見せて下さい。それに大体ですね―――』

 小言臭い台詞を口早に続けた後で―――その男は、隊員達と視線を合わせ小さく頷いて唱和した。

『貴女みたいな美「少」女残して撤退なんかしたら男が廃るでしょうっ!?』
「ちょっ………!?私もう二十代半ばなんですけどっ―――!?」

 彼女にとっては最大級の失礼をぶちかまされて髪の毛を逆立てるほどの勢いで怒鳴るが、隊員達は反省は疎か驚愕、と言う表情を貼りつけたまま『い、今語られた衝撃の事実………!?』とか『低身長に加え童顔。その割りに巨乳だとは思ってはいたがまさかの………!?』とか『何という合法ロリ………!』とか色々失礼な事を宣った後で。

『―――だがそれがいいっ!!』

 ヒャッハー!とかホァー!とか雄叫びを上げて戦術機同士でハイタッチを交わし始める馬鹿共を何処か虚ろな瞳で見つめ、彼女は頭を抱えながらポツリと呟いた。

「あぁ………何時からこの国の軍隊ってこんな変態の集まりになったんだっけ………?」
『ここ最近でお固い国の筆頭だった我等が日本帝国も随分はっちゃけて来ましたからねぇ。理由は知りませんし敢えて追求もしませんが。―――そんなことよりホラ、馬鹿やっている間にそろそろ団体様の御到着ですよ』

 そんな嘆きを拾って副隊長が状況を促した。網膜投影の戦況表示図―――突撃砲の有効射程をリミットに設定していたカウントダウン表示を見やれば、残り1分を切っている。今のバ会話で随分と余分な時間を費やしてしまったらしい。
 それを無駄だったか、と自問すれば―――否、と出る。

「コレいちおー命令なんだけど―――ほんとーに、退く気、無いんだね………?」

 念の為にもう一度尋ねてみるが―――彼等は何処か少年のような快活な笑みで返してくる。

『いいねぇ命令違反。死ぬまでに一度やってみたいと思ってたんだ。んでもって生き残った後でアンタにぶん殴られて営倉ぶち込まれるなら―――「俺達はアンタを救ったんだ」と胸張って入りたいね、俺は』
『大体、ここで退いたら、例え生き残ったとしても貴方の顔を思い出して、一生後悔しながら生きていかなきゃならんのですよ。―――どうして俺達はあの人を見殺しにしなけりゃならなかったのかって』
『自分達一人一人は大して強くはありませんが―――だからって、ここでしっぽを巻いて逃げ出す程、弱くもありませんよ?』
『相手がどんだけ大群であろうと―――それを前にしても揺るがないもんの一つや二つぐらい、オレ達みたいな戦場の端役でも持ってるんスよ。今の中尉と同じようにね』

 笑みと共に返ってくる言葉は、どいつもこいつも馬鹿を具現したかのような言葉だ。しかし最も馬鹿なのは、その言葉に対して呆れよりも喜びを見出してしまった自分自身だろう、と彼女は思う。

「~~~~~~っ………!全くもう、皆して馬鹿なんだから!本当にどうなっても知らないからね!?」
『今のこの島に上陸した時点で、そんなものは既に理解してますよ。―――なぁ!?』
『応!』

 副隊長の音頭に皆が応え、もう後戻りできなくなる。
 故にこそ―――彼女は半ば自棄になりながら叫んだ。

「あぁそうですかぁ!―――じゃぁ、ちょっと私と一緒に地獄まで付き合いなさいっ!!」
『了解―――っ!!』

 皆の呼応と同時にカウントが残り10秒を切る。
 指示を出さなくても皆が分かっている。手数が足りない以上、数を分散しての通常の遅滞戦闘は展開できない。だから突撃砲の有効射程に入った瞬間に一斉射。道をこじ開けたと同時に突撃し、中央突破。敵の懐へと侵入し、後は各自撹乱。作戦と呼ぶのも烏滸がましい、一種の自殺行為。だが、12人と12機分の犠牲を以て後方を立て直す時間を必ず稼ぐ。

(あぁ、でもせめて―――)

 彼女は知っている。
 何かに縋ってしまえば、そこで人は甘えを得ると。そしてその甘えが何時か他力本願に繋がると。三年前、家も家族も恋人も、全てを失った後で天涯孤独になった彼女が得た教訓がそれだ。だから願いも夢も希望も得ようとしなかった。
 だが今はそれを曲げて―――彼女はただ願う。夢を描き、希望に縋る。
 それで現状を覆せるのならば、誰でも良い。何でも良い。せめてこの心優しき仲間達を―――。

(誰か―――彼等を助けてあげて………!)

 祈るように胸中で叫ぶと同時、カウント0。
 戦闘を始めなければならない。
 命令を出さなければならない。
 友を死なせなければならない。
 やはり何かに縋った所で何も変わらないな、と彼女は苦笑する。
 ―――彼女は気づいていない。
 運やツキ、因果や偶然。そうしたものがあるのだとしても、あくまで外部のファクターである。結局のところ、自らに本当の幸運を運ぶのは自身の努力。本気で後方の仲間や部隊員達を死なせまいと殿を務め、自己犠牲を厭うこと無く努力し続け、ひたすら時間を稼ぎ続けた彼女自身の力。
 ―――彼女は気づいていない。
 だからこそ―――天は自ら助くる者を助くのだという事に。





 直後、視界の脇を蒼い影が通り抜け―――砲撃とはまた違う轟音が機体を揺るがした。





『な、何だぁ………?爆撃………?』

 轟音を伴った衝撃が機体を揺るがし、誰もが困惑する。20m近い戦術機という鋼鉄の塊を揺るがす不可視の衝撃など、見たことも聞いたこともなかったからだ。
 そう。この世界の人間は知らない。空を異星人に奪われてしまったが故、それに至れるモノは少なく―――少なくとも、陸戦兵器である戦術機では実現不可能だったのだから。
 ―――音速超過。
 音を置き去りにし、断ち割る空気で衝撃波を創り出す。

「戦術機………?」

 彼女の視線の先、連隊規模のBETAの頭上を飛び跳ねながら、二機の戦術機らしきUNブルーの人型兵器が舞い踊る。その細かな部分は不明だが―――。

『不知火………いや、武御雷………!?』

 誰かの声にいや、と彼女は呟く。確かに日本製のような抉れたフォルムを持っていており、日本製戦術機を代表するその二機に似通ってはいるがそれそのものではない。少なくとも、彼女の知る中に該当する機体は存在しない。
 その上―――。

「―――え!?何!?今の………!!」

 倒立跳躍した一機の腰部から、一条の光の槍が放たれ―――直撃した要撃級を背中から貫通し、着弾と同時に周辺のBETAもついでに薙ぎ払った。
 それだけでも絶句ものではあるが、その二機は他のBETAを誘導するように立ち回り、一箇所に集めると―――。

『なっ―――!?』

 ―――光の奔流が、彼女達の視界を焼いた。








 佐渡ヶ島より北西洋上にある最上の艦橋はざわめきに包まれていた。ほんの数分前の事だ。両津湾沖に進軍しているエコー部隊、その戦術機母艦から二機の戦術機が飛び立った。
 実の所、それ自体は取り立てて問題はなかった。その状況を目撃したオペレーターも大方機体トラブルか何かで発艦が遅れただけだろうと結論していたのだ。しかし、その二機は発艦と同時に音速超過で東方最前線である旧北川内へと急行すると、一体いかなる攻撃を行ったのか―――。

「し、消失しました………!2km圏内………連隊規模のBETA群が………一瞬で!」
「なんと………!」

 状況を知らされた小沢は目を見開いて驚愕するが、確かに戦況表示図にあるBETAを示す赤いマーカー―――その一画が大きく削られているのを確認した。

「―――来ましたね、彼等が」
「あ、あれが国連の新兵器なのですか………?」
「その内の一つですよ。本命の前座、と言ったところでしょうか」

 背後で呟く悠陽に小沢は振り返って訪ねるが、全てを知る彼女はただ首を横に振るだけだ。
 そう、この程度はまだ前座。本命は、彼の扇動と共に来る。それはあの時の迎撃戦と同じだ。あの日の、焼き直し。あの時も戦場の収束点は彼にあり、彼から拡散を始めた。力もなく、狂気もなく、ただ響かせただけの彼から始まったのだ。
 故にこそ、この戦いも彼を収束点に拡散を始めるだろう。
 因果を超えた最強ではなく。
 聖女に堕ちた最狂でもなく。
 神狼が望んだ最響を始点に。

「いよいよ始まります。救世主達が織り成す『おとぎばなし』―――我々人類が四半世紀に及んで待ち望み続けた、反撃の瞬間が」

 だから悠陽は瞼を閉じて―――ただただ静かに待つ。

「―――耳を澄ませて待ちましょう。そろそろ来ますよ、狼の遠吠えが」

 始まりの―――遠吠えの、瞬間を。








 絶望がそこにあった。
 友人が死んだ。
 先達が死んだ。
 仲間が死んだ。
 伊隅あきらが関わってきた人々が悉く死んでいく。
 突撃級に踏み潰されて死んだ。要撃級に管制ユニットを抉り抜かれて死んだ。戦車級に機体ごと食われて死んだ。光線級に撃ち抜かれて死んだ。重光線級に機体の残骸さえ残せずに溶かされて死んだ。脱出しても兵士級に食われて死んだ。闘士級に頭をねじ切られて死んだ。小型種がいなくても結局中型種以上に踏み潰されてやっぱり死んだ。
 ―――ここは地獄だ。
 至る所に死が蔓延し、しかしここには救いが無い。
 誰も助けてはくれない。
 誰も守ってはくれない。
 誰も救ってはくれない。
 ここには―――もう、絶望しか無い。
 眼の前に、突撃級が迫って来ている。既に部隊は彼女を残して全滅している。皆自分を残して死んでいった。
 ―――次は、自分の番だ。
 認識した瞬間、バチン、と頭の奥で何かが弾き飛んだ。

「―――いやだぁあぁあああぁあああぁあああっ!!」

 拒絶と共に伊隅はトリガを引き絞る。吐き出される36mmが迫り来る突撃級に吸い込まれていくが―――その外殻の硬度を以てして悉く弾かれていく。

(あぁ、駄目だ………突撃級と正面からやり合うなら最悪でも120mmじゃないと―――あれ?砲弾の切り替えってどうやるんだっけ………?)

 涙と共に叫びながら脳の何処かにある冷静な部分が状況を観察するが、身体は硬直し、引き絞り続けているトリガから指を離そうとしない。

「―――ひっ………!」

 喉を引き攣らせ、もう駄目だ、と全てを投げ出した―――瞬間だった。
 光の槍が真横から突撃級を一瞬で蒸発させ、貫通。更にはその奥のBETA群を巻き込みながら爆ぜた。

「え―――?」

 何が起きたかうまく理解出来ない。
 自分に絶望をもたらすはずだった死神が、何故横合いから出現した光によって吹き飛ばされて消え去ったかも、その光の意味さえも。
 ただ、恐る恐るその光が飛んできた方向を見やれば―――見知らぬ戦術機があった。UNブルーのその機体は要所要所に不知火や武御雷のような抉れた空力フォルムを持ちつつも、明らかにそれらとは違った。もっと鋭く、禍々しい形状だ。加えて、頭部にある一角は武御雷のように後方ではなく前に大きく突き出ている。跳躍ユニットも従来のものとは違い大型化、更にはより機体に一体化するようにカウリングされていた。
 そしてそのカウリングに接続されるようにして、両腰には何かしらの砲塔があり、その内の一挺がこちら―――正確には、つい今しがたまで存在していた突撃級へと向けられていた。あの光が何かは分からないが―――推察するに、その砲塔から放たれたものだとは理解できた。

『―――無事ですか?』
「は………は、はい………」

 伊隅が状況に戸惑っているとその機体から音声だけで通信が飛んできた。まだ若い―――ともすれば自分とそう変わらない年齢の男の声だ。

『急いで後退して下さい。オレ達の近くにいると、巻き込まれますから』

 しかし彼は戦場のただ中にあっても落ち着いた声音で、名前も階級も言わず、ただそう促してこちらに背を向けた。
 そして伊隅は気付く。彼の見据える先―――また何処から集まったのか、今までとは比較にならない規模のBETA群が集って進撃を始めていた。その総数―――2万弱。
 思わず悲鳴を上げそうになったが、それに被さるようにして視界に新たな機影を確認した。こちらを救った見知らぬ戦術機の隣に跳躍、着地してきたのは同タイプの―――そして同じくUNブルーの機体だった。
 最初の一機と違いを挙げるとするなら、腰部の砲塔が無く、代わりに長刀のような近接武装を装備しており、更には背部に機体の背の丈程ある長砲が装備されていることか。

『武。敵中を突っ走ったおかげでうまい具合に集まったから、今から最大砲撃で一掃して中央に道を開く。―――暴れてみせろ、救世主』

 何故かオープンで会話しているらしく、伊隅にも彼等の会話がしっかりと聞こえた。

『お前こそしっかり煽れよ?―――交渉人』
『交渉人なのに煽れとはまた無茶を言うな。―――ま、香月女史のお墨付きも貰ったことだし、盛大に演出させてもらうさ』

 後から来た機体の衛士はくっくと喉を鳴らすと背部に搭載した長砲のロックを解除。通常の突撃砲と同じようにダウンワード方式なのか、脇下から潜るように長い砲身が前に突き出される。

『充填完了。―――しかし一発につき冷却充填共に五分はやはりキツイな』

 構えると同時、砲身が上下に分かたれて、その隙間に紫電が迸り、反復するようにその密度を高めていく。
 そして―――。

『まぁ、ともあれ―――まずは消え去れ化物。この世界は、我々の領分だ』

 宣言と共に長砲から放たれた雷光は、BETAと言う暴虐に牙を向いた。







 虚空を突き抜け、大地を抉り、触れるもの、近寄るもの、その全てを蒸発させながら三神が駆る叢雲から放たれた雷光―――最大出力の荷電粒子長砲は、BETAという肉壁を断ち割って強引に道を切り開いた。
 ここに―――旧佐和田ダムに来るまでに白銀と三神は旧相田町に寄り、叢雲二機のML機関を餌にして数万単位のBETA群を『釣って』来た。幾つかは旧佐和田ダムに出現したBETA群と合流した為に2万弱にまで膨れ上がったが―――他の1万強のBETAは転進が上手く行かず『あるポイント』でまごついている筈だ。
 ともあれ、砲撃で屠った数はおおよそ3000弱、連隊規模程度だ。01式荷電粒子長砲の最大出力での砲撃有効範囲は直線約2km。上手く誘導して密集させればこれぐらいの数は一瞬で片が付く。尤も、その後で再充電と砲身冷却に5分掛かり、更にはその間ラザフォード場が使用不可能になってしまうのだが。

(まぁ、その代わりにオレがいるんだけどなっ!!)

 砲撃に寄って創られた道―――凄まじい熱量に晒されて未だ燻る大地をスレスレに白銀は機体を水平噴射跳躍させる。多重噴射機構を併用しての最速加速で敵陣深くへと潜りこむ。ラザフォード場による力場干渉で着地による機体と身体に掛かる衝撃と負荷を緩和。
 それと同時に両腰の01式荷電粒子突撃砲を展開。それぞれ両主腕に持たせ、左右に突き出し―――。

「好きなだけ―――貰ってけっ!!」

 機体を旋回させ、360°全方位への容赦のない連射を叩き込む。乱打される光の槍に穿たれ、着弾と同時に爆ぜて周辺のBETAもまとめて吹き飛ばしていく―――が。

 ―――砲身加熱、強制冷却開始。

 網膜投影に文字が踊る。01式荷電粒子突撃砲は最大充電で片側70発撃てるものの、10発毎に30秒の冷却シーケンスが自動で入る。長砲のようにラザフォード場まで途切れることはないものの、両手装備で景気よくばら蒔けばこのタイミングで無防備になるのは必定だった。
 そしてたった10発―――左右合わせて20発を周辺にばら蒔いた所で、数を基本戦術にしているBETAが消え去るわけがない。骸を晒す仲間に何の感慨も覚えないかのように、無機質にそれらを乗り越え―――叢雲のML機関に惹かれて白銀へと殺到する。突撃級、要撃級、戦車級、小型種、見境なくだ。
 その様子を見て、白銀は小さく笑った。

「一ヶ月ぐらい前に言わなかったか?オレを殺せるものなら―――殺してみろってさ」

 01式荷電粒子突撃砲を格納、次いで背部担架の01式近接戦闘重力偏差長刀を抜き放ち、収束発振器を起動。機体周辺に展開させたラザフォード場を長刀へと誘導、最大展開させて斬撃範囲を伸張させる。
 纏った重力偏差によって刀身から40m範囲の空間を歪ませながら、白銀はそれを振りかぶり。

「せぇ―――のぉっ!!」

 ―――ブン回した。
 直接刀身に触れたBETAも周辺に挙っただけのBETAも軒並み重力偏差の暴風に巻き込まれた。外殻と言わず、皮膚と言わず、物質として構成するありとあらゆるモノを多指向の重力乱数に呑み込んで―――捻り、引き剥がし、押し潰し、絶ち斬っていく。そして一瞬の間を置いて、白銀を中心に血の仇花が咲いた。
 しかしBETAの攻勢は終わらない。最大の攻撃力である数をこれでもかと注ぎ込んでまだまだ白銀へと向かってくる。
 だから白銀は空へと跳躍。直ぐ様レーザー照射の警告が鳴るが、初期照射をラザフォード場でいなし、多重噴射機構を連発して射線軸を上下左右常に変更させ、背部担架の突撃砲を空いた左主腕に装備させ光線属種の一団へ向けて斉射。

 ―――強制冷却完了。

 砲身冷却が完了したとの文字を認め、白銀は突撃砲を背部担架へと戻し、左主腕に01式荷電粒子突撃砲を装備。今度はスラッグショットへとモード変化させて。

「退けっ………!!」

 自機の足元へと数発叩き込み、着地点を創り上げる。そしてそこに着地した時だった。

「―――っ!?」

 視界の端に、迫り来る『それ』を見つける。
 要塞級の衝角―――。
 よもや着地のタイミングを読まれていたわけではないだろうが、どちらにしても些かまずい位置だ。少なくとも管制ユニット直撃コースである。
 瞬間的に思い出すのは『前の世界』の甲21号作戦。
 単機陽動を買って出て、その最後でこれと同じ光景と邂逅した。あの時はフォローに回った伊隅によって救われたが―――今、彼女はここにいない。
 では―――ここで終わるのか。



「―――嘗めるんじゃねぇ………!」



 答えは否だ。
 何度も繰り返した。何度もやり直した。例えその記憶を持っていなかったとしても、その想いだけは確かに受け継いできたのだ。
 後悔と。
 悲嘆と。
 絶望と。
 積み重ね続けた負の感情。その先にやっと希望を見出し、夢を描いた。
 ―――今はまだ、その途中だ。こんな場所で終われない。終わっていいはずがない。だからこそ―――。

「あぁあぁああああぁぁあぁっ!」

 叫びと共にコマンドを叩き込む。やったことがない動きなのでコンボも間接指向制御による補正も効かない。ならば全て手打ち入力する。

 全行動キャンセル後左右跳躍ユニットを後方と前方に分けついでに多重噴射機構も同じように噴射方向を調整左主腕にした01式荷電粒子突撃砲を手放し格納と同時に左マニピュレータにラザフォード場を収束展開―――。

 ドン、という衝撃と共に機体が急速に右旋回。跳躍ユニットと多重噴射機構の同時使用による緊急旋回だ。それにより、目の前に迫った衝角を僅か数十cmで回避。その勢いを以て要塞級と衝角を繋ぐ触手を左マニピュレータで掴み、ラザフォード場による制御で旋回時の慣性を殺し―――更には掴んだ触手を重力偏差を以て握りつぶした。

「覚えとけ化物!オレは―――っ!!」

 ラザフォード場展開。跳躍。最大噴射。多重噴射機構三双発全力展開。
 ―――音速、超過。
 ヴェイパーコーンを撒き散らしながら直角の山を描き、長刀を大上段に構えた叢雲が舞い降りる。
 悲しい過去を断ち切るために。
 絶望の日々を終わらせるために。
 何よりも、弱かった自分にさよならをする為に―――。

「―――もう『二度』と、お前等には負けねぇっ!!」

 そして、天より振り降ろされたその一刀は、要塞級を真正面から両断した。








 その映像を見ていた者達は、須らく驚愕の中にあった。
 人類を絶望へと追いやった異星起源種。
 どれほど努力をしても、どれほど涙を流しても、そしてどれほど命を落としても―――決して完全な勝利を収めることはなかった。
 しかし今、映像越しに展開している状況は一体何だ。
 一機の戦術機がただの一撃で数千規模のBETAを屠り、現在進行形でもう片方の戦術機が敵中只中にありながら縦横無尽に暴れまわっている。
 分からない。分からないが、その答えを告げる為に―――。

『諸君、聞こえているかね?私の声が―――』

 狼の、遠吠えが始まった。







 声が聴こえる。

『戦いに参加している者も、参加していない者もそのままで聞くといい。この戦に興味がある者も、無い者も聞くといい。そして―――人類を勝利に導きたいと思う者達は、何があってもこの声を聞け』

 砲撃と断末魔とその他諸々雑音まみれの戦場の中で。

『既に知っている人間もいるとは思うが、改めて名乗っておこう。私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ』

 ただただ、声が聞こえてくる。

『さて、諸君。今、諸君はちゃんと「彼」を見ているかね?諸君にとっては見慣れぬ戦術機を操り、何処ぞのSF小説張りに物理法則をふっ飛ばした武器を使って戦い、そして誰も彼もが夢想したようにいとも容易くBETAを蹴散らしていく「彼」を』

 およそ此の場に似つかわしくない、おどけたような態度。

『夢だと思うかね?それとも合成映像だとでも思うかね?―――否、これは現実だよ。誰もがこうなりたいと思い、しかし叶わなかった現実は―――今、確かにここにある』

 だが、不思議とこの呼びかけに耳が行く。

『疑問に思わないかね?何故そんなものが実現しているのかと』

 何故だ―――と、誰かの声が、あるいは誰しもの声が響いた。

『ならば今こそ答えよう。―――全ては、オルタネイティヴ4の成果だと』

 声に抑揚が付いていく。

『オルタネイティヴ計画―――国連とその加盟国の各国が主導した、所謂BETAの研究計画だ。その四番目となるオルタネイティヴ4は日本主導で行われている。ここまで言えば分かるね?―――その牙城は、横浜基地だよ』

 徐々に徐々に。

『日本帝国の一般軍人達は我々の存在をよく思ってはいなかったようだ。無理も無いだろう、とは思うよ。我々はその計画の中枢を担っていたがために、常に後方にいたし、何よりもオルタネイティヴ計画は極秘計画で周囲に知らされていなかったのだからね。多少のバッシングぐらいは妥当だろう。しかし―――』

 そして―――。




『―――いつまでも、我々がそれに甘んじているとは思わないでもらいたいっ!!』




 ―――声が、叫びに変わった。

『諸君!我々横浜基地一同も人類だ!
 日々同胞が身を削って稼いでくれている時間を使ってただ安穏と過ごしてきたわけではない!失われていく命を無駄に出来るほど、人生を諦観しているわけでもない!何故なら我々横浜基地も諸君と同じように身を削り、心を削り、そして命さえ削ってここまできたのだから!!』

 さぁ、人類よ。今こそ思い出せ―――。

『しかし言葉を幾千幾万重ねようとも結果が伴わなければこれはただの戯言だ!愚にもつかない妄言だ!
 いいかね諸君!我々は子供ではない!大人だ!社会人だ!そして社会とは過程よりも結果を重視する!だからこそ今まで我々は何も言わずに来た!何の結果も示せない我々が大言を吐いた所で、何の意味も成さないのだから!
 故にこそ―――その集大成をここに見せよう!我々がただ無為に時間を過ごしてきたわけではないと、今持ち得る我々の全てを以て証明してみせようっ!!』

 悪を裂くはいつの世も神の刃―――。

『さぁ、見て驚きたまえよ諸君!
 そしてその結果を以て私は言おう!
 ―――人類よ!今こそ夢と希望を抱く時だとっ!!』

 即ち―――人の愛だということを。







 旧上新穂の攻撃開始地点にてA-01部隊に守られるようにして一つの要塞があった。白を基調としたそれは、宙を浮遊し、鉄槌を下す瞬間を今か今かと待ちかねているように思えた。
 XG-70b―――凄乃皇弐型。
 日本帝国と国連による島の東西陽動、加えてML機関搭載戦術機である叢雲による撹乱によって、BETAは東寄りにまとまっており、出足の遅かった旧相田町に出現したBETA群は現在丁度モニュメントと凄乃皇を結ぶ射線軸の中央にいる。これならば一斉射するだけで、相当数のBETA群を撃滅できるだろう。

『充填完了、機関出力安定………。待たせたわね社、鑑―――派手にやってくれて、いいわよ?』

 その凄乃皇の複座式管制ユニットの後方に座った社は、制御室にいる香月の声を聞いて頷いた。

「はい………純夏さん」
「うん。じゃぁ征こうか、霞ちゃん。―――目標、敵まとめてぜぇ―――んぶっ!!」

 管制ユニットの前方―――砲撃手として座る鑑が音頭を取る。

「本家本元の荷電粒子砲!―――いぃっけぇぇえっ!!」

 そして―――撃ち出されたのは光の鉄槌。
 大気を焦がし、地平を穿ち、邪悪を焼き尽くし―――神の刃は、ハイヴモニュメントへと突き刺さった。








 誰もが感じた。
 閃光と、轟音と、静寂と―――崩壊を。
 溢れでた光の柱がBETAの一匹たりとも赦さず屠り、突き進み、支配の象徴を噛み砕いた。一欠片の存在すら赦さず、砕き切った。
 そして今こそ―――世界に問い掛ける言葉が来る。

『―――諸君に問う。今、きちんと驚いているかね?』

 戦場にいるものも、この映像を見ていたものもこれが夢ではないだろうかと疑う。

『―――諸君に問う。今、我々は証明できたかね?』

 しかしこれが夢ではないと、現実であると確信し―――。

『最後に、全人類に問う。今度こそ―――夢と希望を、抱けたかね?』

 直後―――世界中が湧いた。







 叢雲の管制ユニットの中で、最響を以てこの戦場の指揮者となった三神は声を張り上げる。

「ならば今こそ問うぞ諸君!
 ここは何処だっ!?
 この地は、この国は、この星は誰の物だっ!?
 全て人類のものだと烏滸がましいことは言うつもりはない!だか、少なくともこの醜悪な異星人共のもののはずは断じて無い!!
 諸君!今、この世界は一つの分岐点に立っているっ!!
 諸君!今、君達の目の前に分岐点が存在しているっ!!
 左右2つに分かれたこの分岐点!
 一つは世界、引いては人類の滅亡!
 一つは世界、引いては人類の救済!
 ―――さぁ、諸君はどちらを取るっ!?」

 誰もが叫んだ。
 ―――人類の救済以外有り得ないと。

「ならばいいか?よく聞け諸君っ!!
 今日の相手もいつも通りBETAだ!顔馴染みにもなったこの醜悪な侵略者だ!!しかし忘れるな!この日本は法治国家だ!それを念頭に置けばこの化物共は侵略者ではない!!不法入国者!そして不法滞在者にして不法占拠者だっ!!」

 そうだとも。
 自分達は奴等に土足で家を荒らしていいなどと許可した覚えは全くない。

「いいかね諸君!彼等は知性や礼儀どころかビザも持たない無作法者共だ!その上、この地を無償で乗っ取り本州まで寄越せと言ってきている!!
 大人しくしていていいのかね諸君!?違うだろう!?ここは巫山戯るなと声を大にして叫ぶべき場面だ!!
 我々から奪っていった人命や土地や財産や時間やその他諸々!それらをまとめて返せと叫んでしかるべきだ!!
 目には目を、歯には歯を、礼には礼を、恩には義を!そして侵略には再征服で返すのが我々日本人だ!!ならばその怒りを以て劣化ウラン弾という名の督促状を奴等に叩きつけろっ!!」

 あぁそうだ、と誰もが思う。
 何故なら我等義理堅き日本人。
 受けた恩は倍返し。受けた仇は十倍返しだ。

「いいか諸君!
 今こそ、今こそが立ち上がるべき時だ!!
 泣き寝入りの時間はもう終わりだ!犠牲を重ね続ける時間ももう終わりだ!瞼を開き、足に力を込めて、新しい世界に走り出せ!!振り返ること無く、停滞することもなく、己を新しい世界に刻み込め!!
 そのために―――!」

 ―――宣言が来る。

「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、オルタネイティヴ計画第1戦術攻撃部隊部隊長三神庄司が、此の場にいる全ての諸君に告げるっ!!」

 これは命令ではない。
 これは指示ではない。
 これは強制でもない。

「突撃し、迫撃し、進撃せよ!
 我々人類は、最早食われるだけの存在ではないと己の行動を以て証明してみせろっ!!」

 これはただの言葉。
 しかしこの言葉に返すのはただ一つだと、誰もが心得ている。
 だからこそ―――。

『―――了解っ!!』

 日本帝国が、国連軍が、この映像を見ている全ての者がそう応えた。

「さぁ、では征くぞ諸君!そう、今日この日こそが―――我々人類の、反逆の日だっ!!」













[24527] Muv-Luv Interfering 第四十九章 ~未知の現出~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2012/05/20 07:58

 風が戦場を走り抜ける。
 絶望に染まったこの地を浄化するように、あるいは希望に追いつけと誰もを急かすように。この風を起こしたのはたった三つの現象だった。
 一人の英雄が力を示した。
 一体の聖女が光を示した。
 一匹の神狼が声を示した。
 そう―――突き詰めれば、風の起こりはこの三つのみ。
 しかしこの風が月面戦争開戦以来、人類の奥底でずっと澱み続けていた影を吹き散らしていく。心の何処かで諦めてしまっていた願いに火が灯り始める。いっそ全て壊してしまえれば楽だと、自棄になりつつあった感情が砕かれていく。誰もがかつて胸に掲げ、しかし現実に打ちのめされていた誓いが呼び覚まされていく。
 人類が取り落としてしまった希望を、この三人が拾い上げてきた。
 そして故にこそ、この瞬間から―――今一度、人類の足掻きが始まったのだ。







 戦場の中、斑鳩は聴く。
 風に乗って聞こえてくるのは、目の前のBETAという大群を圧倒せんばかりの鬨の声。馬鹿の煽りに呼応した、世界の声だ。この戦闘に参加している兵士達だけではない。九州で、北海道で、あるいは本州の基地で映像を見ている帝国軍人達も、それどころか世界各地で固唾を飲んで見守っていた他国の者達でさえ声を上げているはずだ。
 世界が変わる瞬間に、今、斑鳩は立ち会っている。
 そう思うと、どうしようもなく心が昂った。

「―――はっ、はははははははははっ!!やりやがった!あの馬鹿本当にやりやがったよっ!!」

 蒼穹の武御雷、その管制ユニットの中で彼は哄笑する。
 11月11日がそうであったように、いや、それ以前からの言動を考えれば何かをやらかすだろうとは思っていた。アレはそういう男だ。単体としての個々能力は押し並べて非才ではあるが、然るべき環境と状況を整え、『声』という起点を置いてやると途端に化ける。
 台詞一つ、呼び声一つで風を起こし、絶望や諦観を吹き散らし、希望に至る未知を呼び込んでくる。
 声音とは、ただの振動で。
 言葉とは、ただの指向性。
 だがそれら二つを合わせ、この戦場に最響を以て響かせることが叶ったのならば―――あるいはそれは、魂の励起へと至るのだろう。

(そしてリアルに因って冷め切った戦場に熱が灯る、か………。こう云うのを、熱血っつーんだっけか?)

 苦笑する斑鳩の網膜投影に、接近警報。右方より要撃級。距離は僅か20m。速度が乗っていればほんの数秒の距離。選択すべきは回避か、防御か。
 否。
 事此処に至って、そんな受身でどうするか。思えばここ数年、もっと言うならばあの終戦からずっとこの国は受身であったと思う。それがこの現状を招いたというのならば、今までと同じであってはならない。
 ならば―――。

「俺は今、すげぇ気分がいいんだ。―――邪魔すんなよ化物」

 彼は一瞥すら寄越さない。横合いから迫り来た要撃級に対し、右主腕にした長刀を投擲して迎撃。串刺しにして縫い止めた所で左主腕の突撃砲で追撃する。
 更には跳躍し、縫い止めた要撃級の背に着地。それと同時に突き立った長刀に手を伸ばし、捻って検死。要撃級の絶命を確認する。

「いいねぇ。実にいい。こんなに心躍るのは本当に―――久し振りだ」

 大きく息を吸い、網膜投影越しに空を見上げる。
 重金属雲によって淀んだ空。だがその向こうに斑鳩は自分の機体と同じ、蒼穹を幻視した。
 冬の空。
 澄み切った、清澄な、そして何者にも侵されぬ蒼穹。その蒼を、今ここにいない妻に、生まれ来ようとしている子供に見せてやりたいと思う。

(あぁ、それこそが俺『達』大人が未来に託せる、最高のクリスマスプレゼントだろうよ………!)

 かつては届かないかもしれないと諦めかけていたその願い。しかし今はもう、手を伸ばせば届く場所にいる。
 だから、斑鳩はそれを得るための戦いへと戻る。逆手に突き立った長刀を引き抜き、正眼に構える。見据える先にはBETA群。世界を侵す、魑魅魍魎。相手にとって不足なし。ならば持てる最高を以て最上の未来を目指すとしよう。
 故にこそ―――。

「さぁ!死にてぇ奴から掛かって来いよ!今日の俺は機嫌が良いからなぁ、手前ぇ等の抵抗に最期の最後まで付き合って―――一匹残らずなます切りにしてやるさっ!!」

 蒼穹を纏った鬼が、風に乗って疾走を開始した。







 月詠真耶は見る。
 叫びと共に先ゆく主君の背に、最早かつての不安定さは無い。迷いも不安も感じさせず、ただ前を見据え、先端切って突撃するその姿はまさしく斑鳩の蒼鬼だ。
 皆に護られるのではなく。
 皆を護ろうとするのでもなく。
 皆と護ろうとする為に、彼は誰よりも先に前に出た。

(そうであるからこそ、皆も呼応するのでしょうね………)

 周囲を見渡せば、全ての斯衛が彼に続いていく。
 本作戦の前に合流してきた従姉妹の部隊に至っては『やっと!』『出番が!』『ありましたわ!』『馬鹿やってないで行くぞ貴様等!!』とか何とかやって凄まじい四連携を決めているがアレはアレで大丈夫なのだろうか。主に精神的に。
 ともあれ皆が先に行くのなら、自分も続かなければと彼女は思う。何しろ、彼が皆と共に護りに行くのならば、それら全てを護ってこそ斯衛たる自分の本懐だ。だからこそ―――。

(あぁ、では私も征こう………!)

 そして彼女も、斯衛の本懐を遂げに戦場へと奔る。







 その斯衛の大進軍を視界に収めている部隊があった。
 特派と呼ばれた咎人達だ。122連隊の立て直しが完了したと共に彼等らしく遊撃による援護に務め続けていたが、ここに来て戦場の天秤が傾いたことを感じ取った。
 戦闘開始初期、電撃的な攻め手によってこちらに傾いていた天秤は、時間経過と共に無限に続く援軍を中心に敵側にゆっくりと傾きつつあった。その時までは、いつもの対BETA戦だった。初手はいつもこちらが有利だ。何故なら、先制を仕掛けることが可能なのだから。だが、何時の時代も攻城戦に於いては籠城側に利が傾く。敵側の状況が整うまでに攻め切れなければ、残るのはジリ貧だ。それはハイヴ戦にも言えることで、戦闘中期に差し掛かってくると無限にも思える敵軍と相対する最前線の士気低下から始まり、被害率の拡大、それに伴う部隊の欠損、最終的に末端からの戦力の低下へと続く。
 従来のハイヴ戦に於いて、これは避けては通れぬシナリオだ。だから、誰しもがそこまでは理解していたのだ。
 問題は、その先。
 今度こそは―――と、今までとは違った何かを誰かに求め、そしてその求めは光と成って奇跡を生んだ。
 だからその瞬間に誰もが気づいたのだ。この戦は、今までのそれとは違うと。半ば負け戦と諦めつつも行ういつもの間引きなどでは断じて無いと。
 今こそは―――再征服の瞬間であると。

(感謝しよう。今生きて、この戦場に立てることを―――私を生かした、あらゆる存在に………!)

 無意識に生んでいた絶望を、打ち払う気炎万丈。それが全ての味方に伝播していくのを沙霧は感じ取った。彼自身も例外ではなくその影響を受けている。今この胸に灯るのは疑心でも絶望でも無い。
 あるのはただ―――。

『沙霧少佐―――!』

 部下の呼び声と共に接近警報。周囲に散らばったBETAの死骸の中に、まだ生きているモノがいたようだ。突撃級。真正面から120mmの直撃でも食らったか、外殻を半ば近く失ってはいるが、双頭の内一つでも生きていたのだろう。ふらふらと頼りなくはあるが、それでも必殺に近い速度での突撃を図っている。
 如何に鋼鉄の巨人と言えどモース硬度15の前では紙同然だ。直撃を食らえばただでは済まない。

(以前の私ならば、どうしていただろうか………)

 回避だろうか。防御だろうか。どちらにしても、その行動選択は凡人の域を出なかっただろう。だが今はどうだろうか。偽悪を認め、罪を認め、その先を求めた今の自分にならば出来る行動とは。
 そうだとも、と彼は思う。自分はその先を求めた。クーデターを画策していた頃の自分は、死んで全てを精算する気でいた。しかし彼等や殿下に直接触れることによってその考えを変えた。否、人間早々価値観を変えられるはずがない。ならばこれは、少し視点が高くなったと言うべきか。
 司法に逆らい、道徳を無視し、更にその先を求める自分をなんと罪深く浅はかだと思い―――だからこそ、手に触れる全てを救いたいと願った。
 ならば彼には最早逃げることも護ることも赦されない。
 赦されたのは主君と同じ―――。

(身を削り、ただ前へと進む事のみ………!!)

 だから沙霧は行動を起こす。
 左翼に展開している敵部隊を確認。小型種多数。右主腕にした長刀の峰を返す。右側の跳躍ユニットのみ全力噴射。急速な推力の確保によって機体は反時計回りに回転。両手腕で長刀の柄をしっかりとホールド。

「駒木中尉に付き合ってもらって生み出した突っ込み奥義その壱―――!」

 そこへ突撃級が速度と硬度を武器に飛び込んできて―――。

「―――どないやねんっ!!」

 下から掬い上げるようにフルスイングで直撃。
 しかも峰の切っ先を外殻の角に引っ掛けるようにしての振り切りだ。するとまるで投石機に載せられた大岩のように突撃級が空を舞い、定めた方向―――即ち、小型種が展開する左翼へと吹き飛ぶ。ド派手に転がり、小型種を押しつぶして被害を拡大させてからようやく停止した。
 それを確認して、沙霧は主腕の長刀を指揮棒宜しく振り下ろす。

「さぁ、耐功の時間はもう終わりだ………!!」

 選んだの盾でなく剣。
 敵を打ち払うべき武器が前に出なくて何とする。だから沙霧尚哉はただ叫ぶ。

「我々も続くぞ諸君!夢と希望を齎したあの二人にっ!!」
『了解っ!!』

 烈士が続く。
 己が罪の精算は、それを以てこそ叶うのだと自ら体現するかのように。







「―――急いでおくれ!頑張れば最後の戦場の前にもう一発ぶち込めるんだからねぇっ!!」

 海の中、サラマンダーを統べる女が海神の管制ユニットの中で皆を急かすべく叫んだ。
 上陸地点の確保を終えた海神は搭載した弾薬を全て撃ち切ると再び海中へと戻り、潜行ユニットとドッキングしてユニット側の積載弾薬に余裕があれば補給の後に再出撃を行う。
 本作戦でも同様のシーケンスを持って海神の補給を行い、再び戦場へと赴くのだ。
 そして陸上と海中―――異なる戦場であれど、風は届く。

「あたし達を―――もう一度戦わせておくれっ!!」

 女の叫びに補給を行う兵士達は声では答えない。当然だ。事此処に至って最早言葉は不要。女の願いには言葉ではなく行動を以って応えるのが戦場の端役の務めだ。
 だからその声が響くのは、全てを終えた後。

『征けよビッグマム!戦場の最先端に出れない俺達に、派手な花火を見せてくれっ!!』
「応さ………!!」

 男達の願いを乗せて、女は再び血に塗れた花火会場へと赴く。







 帝國連合艦隊第2戦隊では安倍が叫んでいた。

「行けるか、等と野暮なことは最早問わない。ただ―――征こう。希望の光………その先へ!」

 彼だけに限らず、此処にいる者全てが光を見た。
 絶望の象徴を割砕く光。
 希望への道を照らす光。
 誰もが望んだその光に届きたいと思う。
 彼等は海軍だ。陸に上がることは出来ない。だが、陸に上がれぬ彼等は、ならばこそ砲弾を以て希望の先へ走り、全ての将校と肩を並べられるのだ。

「そう、必ず―――必ず追いつくともっ!!」

 砲弾が走る。
 誰も彼もが、そこへ追い着けと。








 一度は撤退せざるを得なかったエコー部隊が、補給と再編成を経て佐渡ヶ島東方から再進撃し、旧北川内にまで戦線を押し上げていた。
 一人の大隊長が叫ぶ。

『進め!前に出ろ!何故なら今この瞬間―――退く理由は何一つとしてないのだからっ!!』

 一人の中隊長が叫ぶ。

『いいかぁ貴様等!覚悟完了とか生温いこと言ってんじゃねぇぞ!?こっから先の歴史は俺達人類の白星で埋めていくんだ!!―――この程度の戦場で死ぬ気になってんじゃねぇぞ!?』

 一人の小隊長が叫ぶ。

『ここまで来たからには多くは言わん!ただ………根性据えて事に当たれ!―――以上だ!!』

 そして最後に、一人の連隊長が吼える。

『さぁ、もう一度だ!もう一度―――私達が望んだ私達の戦争を始めようっ!!』
『了解―――っ!!』

 東側の戦場も加速を始めた。








 そして日本時間にして13時02分。
 今までに無い希望を以て―――ハイヴ内攻略戦が開始された。









 淡い光があった。
 天然の大空洞が如くただっ広い空間に、まるで張り付くようにしてその光はあり、太陽の光が届かない地下だというのにも関わらず照明の必要性がないぐらいには明るかった。
 状況が状況ならば、幻想的な光景なのだろう。何も知らなければ、あるいは何もなければデートスポットにでもなっていたのかもしれないなー、等と白銀は愚にもつかない妄想をする。彼らしくもない、随分ブラックなジョークだった。現実逃避のようにも見えるが、あくまで心の余裕だ。無理にでもそれを作り出しておかなければならないことを考えると、致し方無いだろう。
 何故ならここは―――。

「邪魔だっ!」

 白銀は咆えると同時、右主腕の重力偏差長刀の偏差効力範囲を最大にまで伸張させ横薙ぎに振り払う。その瞬間、まるで穂でも刈るかのように小型種、戦車級、要撃級、突撃級―――あらゆる魑魅魍魎が一瞬にして意味を成さない肉塊へと変化した。
 だがそれも一時凌ぎにしかならない。斬撃の最大有効範囲は約40m。その範囲だけ削りとった所で、無尽蔵とも言えるBETA相手には焼け石に水もいい所だ。
 そう、BETA相手だ。この大空洞の主にして、醜悪な侵略者。
 佐渡島ハイヴ、地下700m深度。突入から約25分前後で全行程の半分を走破したことになる。『前の世界』でのオービットダイバーズが32分で400m深度だった事を踏まえると、破格の進軍速度だ。
 と言うのにも二つばかり理由がある。
 軌道降下部隊には詳細なハイヴデータが無く、手探りに現地でデータ取りをしながら進んでいたのに対し、白銀達は予め横浜ハイヴから00ユニット経由で進軍ルートが組まれていたのである。加え、従来の兵器群には無い凄乃皇弐型、更には叢雲もある。
 しかしながら、この進軍速度。予定よりも3分程遅れている。理由はただ一つ。
 凄乃皇弐型、そして叢雲二機に搭載されたムアコック・レヒテ機関である。
 稀釈してあるとは言え燃料として積載しているのはG元素だ。それに誘引されてBETAは群がってくる。特に横坑と横坑を繋ぐ広間ではその傾向は顕著であった。無論、従来の作戦と同じように進軍ルートではそれらを極力回避する道を取っていはいたが、それでも全ての広間を通らないなどという都合のいいルートはない。

(だけどこれを抜ければ主広間まで横坑だけで行ける………!)

 BETAがML機関に誘引されればされるだけ、横坑での機動力は落ちる。この最後の広間を抜け切ってしまえば、後は主広間まで一直線だ。
 だと言うのに―――。

(―――数が多すぎる!)

 危険ルートを避けて、なまじ順調に行き過ぎていたのだろう。
 佐渡島ハイヴ内で、主広間を除けば最も大きいこの広間に辿り着いた時、待ち受けていたのは都合2万を超える大群だった。どうも主広間で待機していたBETA群までも迎撃のために動き、合流した結果これほどまでに膨れ上がったようだった。加え、避けた広間から集まってきたのか背後から1万5千の追撃。結果として、ここで囲まれ、足止めを食らってしまったのである。現在、広間のド真ん中、凄乃皇を中心にウォードッグ、ヴァルキリーズ両隊が展開して防御陣形を敷いているが犠牲が出ていないことが奇跡に近い。
 だが、如何にフェイズ4の佐渡島ハイヴが規格外の兵力を蓄えていようと先の地上戦も踏まえればそろそろ頭打ちである。そして主広間の戦力まで動員したとなれば、ここを超えればこちらの勝ちだ。

(だけど………!)

 一撃必殺となる凄乃皇の荷電粒子砲が使えない。いや、使おうと思えば使えるが、こんな狭い所で使ってしまえば壁をぶち抜くだけに留まらず、下手すれば崩落を引き起こしてしまうだろう。出力を抑え調整した所で同じ結果だ。ならば叢雲はどうかと言えば、現状この大群に相手できるのが三神の機体に搭載された長砲のみ。しかしそれも最大出力では五分に一発しか放てず、密集しているとは言え5千程度のBETAしか削れないだろう。加え、ML機関制御の為に00ユニットである香月の側をあまり離れることができない。無論、時間を掛ければ可能だが、それを敵が許してくれるとは思えない。

(どうする?どうすれば―――!?)

 この場所を超える手段。
 この状況を変える方法。
 この苦難を覆せる戦術。
 それは―――。

『―――三神。アレをやるわよ』

 『いつか』の『かつて』。
 この場にいなかった者達こそが持ち得る、経験という名の錬鉄の刃。幾重にも叩き重ね、何十何百何千と磨き切ったが故に得た―――力を持たないからこそ生み出された知恵だ。
 共通回線で流れる香月夕呼の声に応えたのは名指しされた三神だ。彼は凄乃皇の後方にて追撃してきたBETA群を手近なヴァルキリーズと連携して押し留めつつ、こんな状況であってもいつもの声音で問い掛ける。

『どうやらそれしかないようだな。だが、弐型の出力で大丈夫か?』
『横坑に逃げ込めば最低限のラザフォード場を多重展開すれば済むわ。問題なのは、そこに行くまでの道だけよ』
『ではそれはヴァルキリーズに切り開いて貰うとしよう』

 彼はそう告げると持ち場を離脱、凄乃皇の正面へと移動すると背部担架から長砲を取り出す。構えた長砲の砲身が上下に分かたれ、その中央に雷光のようなエネルギーが集う。荷電粒子砲の砲撃体勢―――それも、最大出力だ。
 砲口の向かう先は、進軍ルートの横坑。

『フェンリル01より全機に通達!今より横坑に続く道を一瞬だけ作る!弐型が通りきるまでヴァルキリーズはその道を押し広げ続けろ!ウォードッグ隊、フェンリル隊は弐型の直衛だ!!』
『―――了解!!』

 唱和と同時、叢雲の長砲から光の奔流が解き放たれ、進行方向に存在したありとあらゆるモノを一息に蒸発させる。巻き起こる熱風。帯電を帯びた空間。しかしそんな砲撃の残滓に余韻を感じている暇はない。
 それを知っているからこそ、彼女は―――伊隅みちるは叫ぶのだ。

『征くぞ!ヴァルキリーズ!!』
『了解………!』

 戦乙女の名を冠された12機が道を確保すべく―――誰よりも前へと出た。







 速瀬水月には役割がある。
 第9中隊伊隅ヴァルキリーズ隊に於いて、突撃前衛長である彼女は常に隊のムードメーカーでなければならない。それはどんな隊でも当てはまるわけではないが、少なくともこの面子に限ってはそうあるべきだろうと自分に課したのである。何せ隊長からして典型的な委員長体質である。副隊長である式王子は最近変人度がとある馬鹿と化学反応して音速超過気味になってしまっているので忘れがちだが程よく―――もとい、やっぱり必要以上に緩く、伊隅と合わせると丁度いい気がしなくもない。考えれば考えるほど彼女の苦労が偲ばれる。今度何か奢ったほうがいいなぁ、とも思案する。
 ともあれ、であるならば自身は規律が許す範囲では割と緩く、時に引き締め、誰よりも声を張り上げる役こそが適任だと判じたのだ。
 そしてその姿勢は、転じて戦闘にも生かされる。

「てりゃぁっ!!」

 36mmで弾幕を張りつつ、踏み込んだ先で長刀を横薙ぎに振るう。
 叢雲の一撃によって道は開いた。無論、先に宣言していたように一瞬だけ、だが。その後はゆっくりと水のようにBETAが侵食し、折角こじ開けた穴も塞がってしまう。しかしその一瞬の間隙を縫って、ヴァルキリーズは自身と言う名の楔を叩き込んだ。
 その楔の最先端にいるのが速瀬と、エレメントを組んでいる築地だ。二機は背中を預け合い、独楽のように立ち位置をスイッチしながら既に消えかけようとしている道筋をなぞり、再び削って掘り進む。その様は酷く不安定で刹那的で―――だからこそ美しく見えた。
 無論、こんな戦い方がBETA相手に長く通用するはずもない。本来、戦術機は一撃当たれば墜ちる代物だ。特に彼女達の乗機である第三世代の不知火ならば言わずもがなである。ならばこそ、ヒットアンドアウェイにその真価がある。
 だが今の彼女達はどうだ。防御も回避も大して考えていない。ただただ攻撃に全てを回して、再び閉じつつあるBETAと言う肉壁を抉じ開けようとする。
 ―――無駄なことだ。
 何千何万とこの場に集ったBETA群はたかだか秒間数十発の突撃砲では抉じ開けることは不可能。一振りで一匹しか倒せないような長刀を幾ら振るおうとも焼け石に水。本来なら津波のように挙る化物に一瞬で呑まれて終わるのが落ちである。
 そう―――本来なら。
 しかし彼女達は未だそこにある。最先端を駆け抜け、壁を削り、剣舞を楔の切っ先で踊り続ける。驀地とも言える攻撃姿勢を重ね続け、そこでただ踊り続ける。
 それを支えるものは一体何か。それを可能とするのは一体何か。
 今まで培ってきた技量?―――否。
 突然開花した天賦の才?―――否。
 ずっと重ねてきた感情?―――否。
 彼女達を支えるもの。それはただ一つ―――。

『ヴァルキリー10/11/05/06フォックス2―――!!』

 叫びと共に来るのは隊列の後方―――砲撃支援の高原〈10〉、麻倉〈11〉、更には最後方打撃支援の風間〈05〉、柏木〈06〉の四名による多重砲撃だ。その支援は切っ先の速瀬や築地だけに留まらず、中央を担う宗像や涼宮、手数で左右を押し広げる紫藤や七瀬にまで及ぶ。そしてその四人を支援に専念させるために護りに徹しているのは伊隅と式王子だ。
 そう、速瀬だけに留まらず今の彼女達を支えるものは仲間だけだ。だからこそ、防御を捨て、回避を捨て、ただ攻撃だけに専念できる。無理や無茶や無謀など百も承知。一つのミスが全ての瓦解に繋がることなど二百も合点。
 その証拠に真正面から突撃級。躱そうにも行けるかどうか。いや、従来の回避方法では間に合わないだろう。
 知ってる。
 理解している。
 けれど―――。

(ここまで来て、止まれる訳がないでしょうが………!)

 多重跳躍機構を1ブースト使う。排出口を左斜め後ろに向けて噴射し、スライドしつつのブーストだ。機体を旋回させる。瞬間的な高加速。掛かるGに耐えていると、その移動時における大気貯蓄によりブーストゲージがもう一本貯まる。跳躍もせず、主脚でハイヴの床を削るように滑らせ突撃級を右斜め前に抜けて回避。同時に溜まったブーストをもう一つ開放。
 今度は、真左。

「―――っ!」

 ドン、と開放に重ねて慣性モーメントの変更が行われ、速瀬の身体に先程とは比較にならない程のGが掛かる。耐え切る時間はない。突撃級の突進を右斜め前に抜けて、真左に抜ければ背後を取ったことになる。直ぐに攻撃に移らなければならない。しかし、突撃砲ではロックが遅すぎる。
 ならば―――右主腕の長刀を取り落とすように緩め、逆手に持ち変える。
 とある馬鹿が得意の戦法だ。最初に見たときは1対12という状況もあって馬鹿にしているのかと憤ったものだが、今なら分かる。逆手長刀から繰り出されるのは振り切りの一撃のみ。突きも上段もない。ただただ、横薙のみ。
 戦場は一期一会だ。それは今も昔も同じ事。ならば、徹底的に鍛えた必殺の一刀が一つあればそれで十分だ。
 今必要とされたのは横薙ぎの一刀。
 主腕を振り上げることも、重心移動も必要ない。両手持ちでなくても構わない。必要なのは速度だけ。それは十分確保した。
 だから。

「―――ふっ!!」

 短い呼気と共に振るわれた横薙ぎ一刀は、突撃級の柔らかい尻をすれ違いざま横一文字に斬断。
 そして成果を確認するまでもなく速瀬は叫ぶ。

「築地―――!!」
『にゃっ………!』

 呼ぶと同時に猫が来た。
 得意の不可解機動で半ひねりバク宙気味に跳躍、落下して来た築地の不知火は、今しがた打ち倒した突撃級の背後に迫っていた要塞級の頭部に逆手長刀を突き立て、パワーダイヴ宜しく多重跳躍機構を発動して貫通。地表に着地して、アジャストの必要さえ無く疾駆を始め、速瀬もそれに合わせるように加速を始めた。
 嗚呼、これだ。この感覚だ、と思う。首筋が迫る危機に反応してチリチリ焦げ付く。そんな感覚で気分が高揚する。身体が軽い。この瞬間だけは、かつてあった嘆きさえも忘れられる。
 そして、上唇を舌で濡らしながら彼女は呟いた。

「さぁ、まだまだ征くわよ………!」

 狂乱の驀地舞踏者達は、血風を巻き起こすステップを刻み続ける。







 化物の津波が切り開かれていく等という前代未聞の事態に、神宮司は小さく吐息した。それでも驚愕よりも苦笑が出る辺り、彼女も十分に染まっている。

(今でも信じられないわね………)

 津波を押し広げる事によって出来た道を進撃する凄乃皇の左翼を守護しつつ、彼女はそんなことを思う。
 かつての教え子達の今の実力は、ここ半月で十分に理解したつもりだ。自分の元を巣立っていった彼女達は数々の実戦を超え、仲間を失い、心をすり減らしながらも―――あるいはそれを代償に、力をつけていた。無論神宮司とて楽観的ではない。伊隅や式王子に関しては自分の元を離れて数年来だ。当然強くなっているだろう、と思ってはいた。
 だが―――予想を遥かに超えていた。

(今のあの子達は、富士教導団と同等………いえ、下手をすれば超えているわ)

 経験を重ねたベテランを超える手段は幾つかある。
 ベテランを超える才能を開花させるか、ベテランと同じ経験を―――否、それをも凌駕する死地へと赴き生還するかだ。
 彼女達の場合は、おそらく後者。無論、ある程度前者の部分もあっただろうが、それだけで生き残れないことは自身の経験を照らしあわせれば明白だ。
 彼女達はここにいる。
 人によっては絶望と感じる状況を、無理難題とも言える命令を、苦にも思わず一つの楔となって敵を打ち据える。
 そこに至るために何を喪ったのか。
 そこに至るために何を手にしたか。
 彼女達が自分の手を離れてから今までを、何も知らない神宮司に知る権利は、少なくとも今は無い。

(だけど、いつか聴かせてね。例え血に塗れていたとしても、貴女達が命懸けで紡いできた物語を―――)

 凄乃皇が進撃する。
 天上の剣が作った一筋の道を。戦場の戦乙女達が水滴のように満ちる化物を押し留めている道を。
 そして遂に広間を抜け、凄乃皇の巨体が横坑へと侵入する。

『まりもっ!』
「了解………!」

 通信で飛んできた香月の指示に、神宮司が応える。コンソールを操作し、自身の不知火に搭載されたある物を引き出す。股間部に収納されていた六角形のその物体。本来、ハイヴ突入部隊に自決用として搭載されるそれこそが―――。

「―――S-11!投擲します!!」

 戦術核に匹敵する高性能爆弾、S-11。神宮司はデフォルトで持たされている指向性を解除し無指向性にして、更には投擲後5秒で爆破するように設定し、広間へ向かってぶん投げた。
 それに遅れること一拍。

『ラザフォード場多重展開っ!!』

 香月の声と同時に大気が震え、不可視の障壁が狭い横坑に蓋をするように、更には緩衝材のように幾重にも展開し―――。

『―――っ………!!』

 S-11の爆発光が全員の視界を焼いた。








「―――S-11の反応を確認!爆心地はモニュメント跡直下、地下700mです!!」

 佐渡ヶ島の北西洋上に鎮座した最上の艦橋にオペレーターの声が響き渡る。
 それに対する反応は二つだ。喜と哀。両極端の感情だ。
 地下700m―――即ち、フェイズ4ハイヴ攻略戦に於いて史上最高深度を記録したということであると同時に、最深部に到達していない段階でS-11の使用は自爆を示してしまう。
 誰かが犠牲になったのか。作戦が失敗に終わったのか、あるいは現在進行形で終わりかけているのか。通信が届かないが故に、その不安に歯止めが掛からない。
 しかし。

「大丈夫ですよ、彼等は死にません」

 静かに、計器類を前にして一人のオペレーターが言った。国連軍から出向しA-01のCP将校としてこの最上に乗船しているその女性は、欠片の不安もなくそう言い切った。
 共に戦場を駆けることはもう叶わない。何時だって残される側である事を理解はしている。それでも、せめて心は共にいようと願い、誓った。
 だからこそ彼女は思う。自分が知るA-01はこれしきのことで終わるはずがないと。
 何故なら彼女の妹はあの戦場にいる。
 彼女の親友もあの場所にいる。
 そして何より―――。

「夢と希望を掲げた私達の灯が―――世界を救う前に潰えるはずがないでしょう?」

 彼女は―――涼宮遙は、ずっと彼等を見続けていたのだから。








 紫藤あやめは網膜投影越しに先程よりも広く、奥に長い空間を見る。薄っすらと光る壁は変りないが、その最奥には壁―――否、事前の作戦説明に寄れば、門級と呼ばれる新種のBETAが鎮座していた。ハイヴ固着型なだけあって、成長はハイヴのフェイズに比例するのか、大きさ的には凄乃皇弐型がギリギリ入るかどうかだ。
 仕方が無いので結果として、本作戦の最終段階である反応炉破壊は荷電粒子砲による最大砲撃にて門級ごとぶち抜くという派手極まる手法になっていた。懸念材料である崩落も、ここからならば問題ない。
 何故ならここは―――。

『ここが………主広間』

 式王子の呟きに、皆も反応して周囲を見渡す。
 あの広間での戦闘より15分程経過していた。S-11による掃討が上手くいき、しかし多少の残存勢力も残ってはいたが、それも此処に来るまでに振り切ってきている。

『反応は少数、です………。やっぱり、さっきので頭打ちだったんですね………』

 社の報告に皆は胸を撫で下ろす。
 予想していたとは言え、このハイヴに巣食っていたBETAの数は明らかにおかしい。地上戦、更には先の迎撃戦を加味すると十万近くのBETAが居た計算だ。尤も、あくまでその計算は人類による想像であって、正確に調べた訳ではないので誤差があるのは当然なのだ。余談ではあるが、無論、このハイヴのBETA総数を香月は把握している。伝えることは勿論出来たが、あまり非現実的な数を知らせて士気を落とされても困る、という事もあって一部を除き伏せられていたのである。

(―――………?)

 そんな折、チリ、と紫藤は首筋に微かな違和感を感じた。
 感じた本人でも首を傾げる様な、本当に微かな違和感だ。チラリ、と鎧衣の方を見やる。彼女も紫藤と同じように、こうした些細な変化には敏感だ。いや、危険察知という条件に限っては自分よりも遥かに能力が高いはずだ。しかし、彼女は気にした様子もなく全周囲警戒に務めている。
 気のせいだろうか、とは思うがどうにも拭い切れない。真綿で首を擽られているような―――ともすれば、気付くこともなかった違和感。振り払うことも出来ず、消化も不良。さてどうしたものか、と考えていると上の方では話は進んでいた。

『―――夕呼先生、砲撃準備を?』

 白銀の問いに、香月は頷く。

『ええ、もうしてるわ。充填完了まで三分。後はこれを叩きこめば―――!?』

 香月が驚愕を表情に貼りつけたと同時、紫藤の消化不良の違和感が嫌な予感へと瞬間的に増大する。最早擽られているような感覚はない。ぞくり、といつも隣り合わせにあったこれは―――死への恐怖。
 視線を自身の左―――主広間の壁へ。
 そしてそこを突き破って飛び出てくる影一つ。

(偽装横坑―――!?)

 思うよりも先に認識が来る。飛び出た影の向かう先には一機の不知火―――涼宮茜の機体があった。

「涼宮!回避―――!!」
『―――え?』

 叫ぶ。―――涼宮はまだ気づいていない。間に合わない。
 射撃。―――何故か敵性認識されず、ロックができない。
 斬撃。―――同上の理由に加え、強襲掃討に装備されているのは短刀のみ。

(回避、不能………!!)

 彼我の距離は30m程だが駄目だ間に合わないそんな手段では間に合わないではどうするどうすればいい見つけろこの状況を切り抜ける手段を見つけろ彼女が自分よりも先に死ぬことは許されないヴァルキリーズで次に死ぬのは自分でなければならないのだから―――!

(―――多重跳躍機構っ!!)

 手段を見つける。
 万が一に備えてゲージは二本溜まっている。同時発動すれば瞬間的な加速は可能だ。それを以てすればこの距離だ、おそらく間に合う。
 影が迫る。
 一直線に涼宮を目指して。
 僅かに躊躇う。
 死への恐怖が付き纏う。
 こんな時、思い浮かぶのはあの人の言葉だ。
 普段ちゃらんぽらんで緩い癖してあの時だけは―――本当に、残酷なまでに厳しかった。

『死にたいと思うなら死ねばいいと思うよ。だけどねしーちゃん。私は………式王子小夜はこれでも伊隅ヴァルキリーズの副隊長さんだから、しーちゃんがヴァルキリーズの一員である限り言うよ、言い続けるよ―――』

 あの瞬間から、紫藤は振り返るのを止めにした。先達に救われたこの命は、後発を救うためにこそ使うと。
 そう、あの時改めて教えられたのは伊隅ヴァルキリーズ隊規第三則―――。

「決して犬死にするな………!」

 加速をぶち込んだ。
 強烈なGも最早感じない。重力の束縛を振り払う。主脚を削るような超低空で疾駆。絶望が彩る現実へと立ち向かう。これしか無い。最早これしか無い。ならば躊躇いはない。犬死ではない。もしもこの先に死を得てしまったとしても、それは決して犬死ではない。これは、誰かを救うことによって未来へと繋ぐ架け橋。
 最大加速へと至る。
 それを以てして―――。

「………っ!!」
『きゃっ!?』

 涼宮の不知火へと肩から体当りし、ガァン、と鈍く耳をつんざく音がする。ストップショットの要領で全慣性を彼女へ明け渡し、弾き飛ばす。代償として得るのが自身の停滞だ。可能ならば自分も回避したかったが、駄目だ。もう真正面に影が迫っている。
 影が肉薄し、胸部装甲へとそれが触れる。
 そして―――。





 この場にあってはならない因果のイレギュラーが、遂に来た。









[24527] Muv-Luv Interfering 第五十章   ~払暁の帝国~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2012/05/20 07:57
「はい、奥様ひっひっふーですよひっひっふー。―――まるで発情期を迎えた野猿のように猛々しく!!」
「あ―――あなた………!私が落ち着いたら………ぐっ………覚えてなさいよ………!?」

 帝都城下にある斑鳩家、その一室に一つの聖戦と一つの主従の戦いがあった。
 和室に運び込んだベッドに身を横たえ、息を荒く息んでいる斑鳩楓とその脇で手を握りながら全力でからかい―――もとい、リラックスさせようとする侍女である。
 まるで親の仇の様に険しくこちらを見やる主人に、侍女はやれやれと肩を竦めて。

「何をおっしゃいますか奥様。これはラマーズ法と言って医学的に正しい処置です。何も問題はありません。えぇなのでさぁご遠慮なさらず存分に野生の本能を発露してよろしいですよ?先祖返りですね?」
「うるっ、さい!!そ、そもそも………!なんであなたが、ここにいるの………よ!!人、払いを任せた、はずでしょう!?」

 視線を下方に向ければ、産まれて来る子供を見守っている主治医も助産婦も一斉に青ざめた表情で視線を逸らした。

「ご、五摂家付きの専属医に何したのあなた………!?」
「奥様がお嬢様であった頃からの付き合いである私の立ち会いを認めないとか宣ったので、えぇ、まぁ………コホン、奥様。古来より人に歴史ありと言いましてね?暗部もまた歴史なんですよ」

 脅迫!?脅迫なのね!?と普段の余裕を一切見せずに叫ぶ主人を軽くスルーして、侍女は懐からある物を取り出した。

「ともあれ、私は旦那様より色々と申し付けられておりまして。―――こちらを」
「それ、は………?」

 視線の先に見えたのは白い封筒だった。中身は分からず、だからこそ問い返してみると侍女は軽く頷いて。

「旦那様からのお手紙です。佐渡ヶ島攻略中に奥様が産気づいて、しかもあろうことか弱気になりだしたら渡すように、と」
「誰、が………!弱気よ!!」
「破水してから約7時間―――人それぞれとは言え、そろそろ初産の平均時間を超えます。こんな時そばに居て欲しい人がいないのは寂しいものですね?」

 言われ、楓は言葉を詰めた。
 そして何を思ったか、憮然としつつそろそろと手をその封筒へと手を伸ばし―――触れる直前で、ひょい、と侍女が封筒を握る手を上げて回避。

「―――あなた?」
「おやおや?奥様、ただでさえ険しかったお顔が般若のようになりましたね?そんなに旦那様のお言葉が欲しいですか?欲しいなら欲しいとおっしゃいなさい」
「ふ、っふっふふふふふふふふふふふ………何時かあなたが初産を迎えた時、今私が感じた恥辱を倍にして返してあげるわ………!」
「ご安心を。私は五摂家斑鳩に骨を埋める所存ですので、永遠にその時は訪れないでしょう」

 侍女は主人をからかうのに満足したのか、封筒の封を切って、中身から便箋を取り出すと折りたたまれたそれを楓へと渡した。
 視線を落とし、それを一読すると―――不意に、彼女の肩から力が抜けた。

「心動かされる愛の言葉でも書かれていましたか?」
「あの朴念仁にしては、ね。でも、それより、も痛烈なモノが書いて、あったわ」
「と言いますと?」
「この子の、名前よ。心の何処かでは私以上に不安なはずなのに、本当―――馬鹿な、人なんだから」








 涼宮茜には状況が理解できなかった。
 突然背後から何がしかの衝撃を受けたと思ったら機体ごと弾き飛ばされ、機体のコントロールが彼女の手から離れた。それを機体側が感知し、オートバランサーと跳躍ユニットを駆使して転倒しないように調整を加える。それによって起こるのが前から掛かる慣性だ。
 背後から弾き飛ばされ、更には制動を掛けるために踏ん張るという急激な慣性制御により、涼宮の身体は凄まじく揺さぶられ一瞬にして思考が飛びかける。意識を押し留める事が出来たのは、多重跳躍機構慣熟に因る対G訓練と強化装備に積み重ねてきた慣性制御のフィードバックデータ、そして何よりも彼女自身が己に課してきた努力の賜物だろう。もしもこの内のどれか一つでも欠けていれば、まず間違いなく気絶していた。それ程の衝撃だった。
 ともあれ、彼女は自らのどうにか意識を繋ぎ止めた。そして聴く。

『紫藤少尉―――!!』

 ―――親友の、絶望の声を。

「え―――………?」

 一瞬何の事か理解できず、隊列の中堅―――即ち、自分の後方を見るために機体を旋回させる。
 そしてその網膜投影に映ったのは、影一つ。いや、本来二つあった影が、折り重なって一つに見えただけだ。まるで抱き合うように一つになっているそれの片方はUNブルーの不知火。もう一つは同じく巨人。ただし、鋼鉄の巨人である戦術機とは違い、こちらは有機物―――言い換えれば、生き物だ。
 異形だった。
 要撃級と同じ肉質を纏い、突撃級と同じような外殻を兜のように頭部に纏っている。巨人、と言うからには手足があり、足は光線属種と同じ二足歩行。更には荷重バランスを取るためか巨大な尾があり、そのいずれも要処要処に防御用の外殻を備えている。次に両腕は上腕までは要撃級と同じながら、下腕からは要塞級の装甲脚のように細く鋭い杭打ち機のようなモノになっていた。
 まるで甲冑を身に纏った―――BETAのキメラだ。
 各BETAの特徴を取り入れながら、しかし本来の用途がまるで分からない。敢えて用途と言える用途があるとするならば、それはまるで人を、戦術機を打ち倒すためだけに存在しているかのような―――。

「そ、そんな………」

 そして涼宮はようやく気づく。その異形の左腕。杭打ち機のような下腕がヴァルキリー06、紫藤あやめの不知火の胸部装甲をぶち抜き、背面からその突端が突き出されているのに。
 吹き出たオイルが血飛沫のように酷く非現実的に撒き散らされ、心臓をぶち抜かれた不知火は糸の切れた人形のように異形へと伸し掛かる。異形はそれをせせら笑うかのように下腕を引き抜くと、ゴミでも打ち捨てるように払いのけてみせた。

「あぁ………」

 死んだ。
 間違いなく死んだ。
 何しろ胸部装甲に一撃だ。鋼鉄の防御もモース硬度15による打突の前には紙も同然だ。まるで意味を成さない。

「あぁ………!」

 死んだ。
 あっけなく死んだ。
 誰のせいだ。あの化け物か。紫藤の自己責任か。それともアレに気付けなかった自分のせいか。
 いや―――。

「あぁっ………!!」

 もう―――どちらでもいい。

「あぁああぁあああぁあああ―――――――――っ!!」

 叫びと同時に涼宮は両主腕に装備した突撃砲、更には背部担架に搭載した突撃砲を自律起動させて前面四門斉射の体勢を取る。何故かロックオンされないが、問題ない。この距離で弾幕を張ればマニュアルでも十分。
 それに反応したのか、異形は恐るべき速度でバックステップ。従来のBETAにあるまじき機動性だ。一斉射する頃には着弾点からズレていた。更には揺れた尻尾を翻しその慣性で反転、まるで戦術機を思わせる敏捷さで後退する。
 逃さない。
 激情と言う名の衝動に突き動かされ、涼宮はその異形へと向かって突進する。何を入力したかなど覚えていない。最高速、最短距離で駆け抜けるためにありとあらゆる入力をした。跳躍ユニットを吹かし、多重跳躍機構を開放し、追加噴射機構をアクティブへ。
 考え得る最高の前進運動の代償に、恐るべきGが彼女に襲いかかるが、慟哭がそれを抑えつける。
 追撃。
 それと同時に築地から通信が入った。強制的にウィンドウが開き―――。

『茜ちゃんそっち行っちゃ駄目―――!』

 知ったことか、と本能が全てをシャットアウトする。
 アレは許せない。
 アレは赦しておけない。
 彼女にとっては初めてだったのだ。初めて―――自分の劣等感を認めてもらえたのだ。手の届かないところに憧れの人がいて、それよりも先に、ぽっと出の自分と同じ年の少年が現れた。認めなかった。認めたくなかった。でもあれほどの才能を見せつけられては認めざるを得なかった。だから夢中で追いかけた。そして追いかければ追いかけるほど、あの少年や、あの少年が育てた親友やその戦友には届かないことが分かってくる。いつか追い抜くと決めた憧れの人にでさえ、だ。あまつさえ、出発点が同じであるはずの仲間達も自分を置いて先へ行ってしまう。
 自己嫌悪すら感じる劣等感の塊だ。しかしそれを消す方法を彼女は知らなくて―――だから自分もそうだったと紫藤に認められた時は、とても嬉しかった。この醜い感情が、少しだけ薄れた気がしたのだ。
 だと言うのに―――否、だからこそ、感情が沸点を突き抜ける。

「―――っ………!」

 加速を継続。正体不明のBETAを追いかけて主広間の中央部へと踏み込む。視界の端にデータリンクのアップロードの情報が更新される。補正が入って正体不明のBETAのロックオンが可能になる。
 しかし、彼女が引き金を引くよりも早く。

「っ―――!?」

 背後に爆砕音と衝撃を感じ、センサーを起動させれば―――彼女の後方には突如肉の壁が出現し、本隊と断絶されていた。







 めまぐるしく変わる状況に浮き足立つ部下を尻目に、香月は状況を正しく認識、高速で思考していた。

(どうにか紫藤は助けれたけれど、何とも厄介な時に厄介なモノが出てきてくれたわね………!!)

 最初の一瞬。
 そう、紫藤が伏兵に気づいたあの一瞬よりも早く、香月はその存在に気づき、そして正体にも気づいた。だからこそ、高速で状況を整理し、それよりも先に自己犠牲宜しく飛び出した紫藤の不知火をハッキングし、強制的にベイルアウトさせたのである。後一瞬遅ければ間違いなく紫藤は串刺し―――いや、跡形も残らなかっただろう。それでも完全に無傷とは行かなかったようで、両足と左半身に幾つか骨折が見受けられる。強化装備の補助があってもおそらくは一人で動くこともできなくなっているはずだ。管制ユニットも射出の勢い余って内壁に叩きつけられたようで、その衝撃も考えると意識を失っているだろう。
 しかし少なくとも死んではいまい。ならば問題はそこではない。問題なのはあの新種BETA。今この時期にあってはならないイレギュラー。
 『前の世界』―――。
 第2次月面戦争緒戦、月でのオリジナルハイヴ―――即ち、バイイハイヴ攻略戦に於いて、ハイヴ内最奥に重頭脳級を守護するように現れたのがあの異形だ。本来、重頭脳級の周囲には門級以外のBETAは寄り付かない。それは重頭脳級自体の高い守備能力に加え物理的な機密性を確保する為であって、その点に関しては地球のオリジナルハイヴにある重頭脳級と何ら変わりはなかった。
 ただ一点を除いては。
 『前の世界』での月面オリジナルハイヴ攻略戦は、当然桜花作戦後―――即ち、地球のオリジナルハイヴ攻略後である。そして、月の重頭脳級は地球の重頭脳級が撃破されたことを『知っていた』のである。その情報伝達がどのような経路だったのかは不明だ。何しろ地球の重頭脳級が撃破された瞬間は、まさに00ユニット『カガミスミカ』が機能を停止する直前。そこまでの情報を得られてはいなかった。
 いずれにせよ、月の重頭脳級は人類を生き物と認識していなくても、将来自身を脅かす存在であるという認識―――否、自然災害と言うよりは、厄災というべき認識を持っていたのである。結果、BETA本来の機能性、即ち資源採取という機能を排した、徹底的に戦闘守護するためだけのBETAを創りだした。
 それこそが騎士級。重頭脳級という王を守護する異形の騎士。
 ハイヴ外に出ることはなく、主広間や反応炉がある最奥で待機し、侵攻してきた外敵に攻撃を加える。第一次月面戦争末期に用いられたFP兵器『ハーディマン』を参考に用いられたのか二足歩行で、荷重バランスを取るために尾を取り付け、他のBETAには実現不可能であった三次元機動をハイヴ内壁やそれこそ他種BETA等を用いて可能にする。要塞級や光線属種のような理不尽極まる遠距離系の攻撃方法こそ持たないものの、それを補って余りある敏捷性と、戦術機程度なら真正面から軽くぶち抜く高威力の打突。ラザフォード場を展開していれば致命傷にこそならないが、衝撃は受けるし、連続で受け続ければ高負荷が続いて機体側が処理落ちし、最終的にはラザフォード場さえ貫通する。
 何しろ最初の犠牲者は三神だ。当時肉体年齢44歳であった彼は連隊指揮官としてバイイハイヴ内に突入、初めて接触した新種に浮き足立つ部隊を一時後退させるために殿を務めるのだが、打突に因る連続の衝撃とそれに伴うラザフォード場の過剰展開による機体の処理落ちも相まって、ラザフォード場を貫通され、死にはしなかったものの結果として両足を失っている。その後は後続であった香月と社が駆る月面仕様の凄乃皇に回収され、怪我を押して指揮を取り、辛くもオリジナルハイヴ制圧にまで至ったのだが、以後の月面ハイヴ攻略戦にも主広間、及び最奥にて騎士級の姿は確認されており、結局最後の月面ハイヴであるヘヴェリウスハイヴ攻略戦まで付き合う羽目になった。
 今回の出現に関しても同様の理由だろう。
 先の迎撃戦にて、ほぼ完璧に近い勝利を手に入れた人類だが、裏を返せばBETA側は史上類を見ない大敗を喫したこととなる。それも、明星作戦に於けるG弾等という初見の兵器も投入されていないのにも関わらずだ。即ち、三神というイレギュラーを内包した結果、BETAの人類対策の進捗状況が一段階か二段階ほど押し上がったのだ。

(成程、前回の迎撃戦でようやく人類を排除すべき敵として認識した訳ね。………だから、『戦術を使った』、と)

 更に加えてこの主広間の壁をぶち破り、横切る形で出現した肉壁―――否、三匹の『母艦級』だ。
 本来、他種BETAを運ぶのがこの母艦級の役割だが、今目の前にあるそれらはそれぞれ縦に三段重なり文字通り肉壁となって反応炉への道を塞いでしまっている。いや、そこまでは大した問題ではない。その気になれば凄乃皇の荷電粒子砲で母艦級ごと反応炉を消し飛ばすことは出来る。幸いにして母艦級の中にはBETA反応は無いので、本当に壁として存在しているだけのようだ。
 問題なのは、その壁を挟んで、部下がいるという状況だ。

(―――いいえ、酷な事を言えば涼宮『だけ』なら切り捨てることも出来るわ)

 涼宮は戦力の一つといえば確かにそうだ。だが、所詮一兵卒であり盤上で言えば替えが効く駒だ。しかし肉壁の向こうにいるのは彼女だけではない。
 これが頭の痛い大問題なのだが―――暴走し、単騎で追撃を掛けた涼宮を制止するために追った白銀がいるのである。

(さしずめ人質ってところかしら?)

 結果としてBETA側の思惑に付き合うことになったが何ともセコイ戦術だ。だがそれだけに有効打になり得る。まさか狙ってやったわけではないだろうが、白銀を人質に取れば、彼が因果導体解放条件である三神も強硬策も取れず、『ある問題を抱えたコウヅキユウコ』としても看過できない。
 即ち、凄乃皇の動きはこれで完全に封殺された訳である。
 ついでに、この状況を待ってましたと言わんばかりに周囲の偽装横坑からぞろぞろとBETA群が出現し始めた。その中には例の騎士級もいる。こちらはまだ生産体制が整っていないのか極少数であるのが救いか。追加されたBETAは数にして凡そ5000前後と言ったところだ。母艦級にしてもそうだが、最初にBETAの反応をあまり多く感じなかったのは、恐らく休眠状態にまで活動レベルを落とし、こちらの油断を誘っていたのだろう。
 その上―――。

(あまり時間も掛けられないのよねぇ………)

 何よりも向こうとの連絡がつかないのである。元々、ハイヴ内壁の特徴である電波吸収によって此処周辺の電波状況は劣悪に近い。加え、ああも直接的なまでに壁が出来てしまえば繋がりが悪くなるのは当然だ。
 いや、ただ連絡が取れないだけならばまだいい。問題なのは、叢雲のML機関制御は現状、香月がデータリンク経由で行なっているのであって、リンクが途切れればそれは不可能になってしまう事だ。通常主機とのハイブリッドである新型ML機関はこちらからの干渉が何らかの理由で出来なくなれば、自動で通常主機部分のみでの運用に切り替わるようにしてあるものの、それはあくまでも非常モードで荷電粒子突撃砲や重力偏差長刀は元より、ラザフォード場さえ展開出来ない。加え、電磁伸縮炭素帯の稼働率も二割ほど落ちる。
 要約すると、今の白銀機は通常の戦術機と同様―――いや、武装が極めて限定されてしまい、電磁伸縮炭素帯の稼働率が下がる分だけ通常の戦術機よりも弱体化しているのである。ここであまり時間を掛け過ぎてしまえば、如何に白銀といえど無事では済まないだろう。
 加え、母艦級が出現した時に感知したのだが、後方から一万近い援軍が迫って来ている。おそらくはこちらがルートを限定し、戦闘を避けたが故に生き残っていたBETA群だろうが、ここぞというタイミングでの追撃に意図的な物を感じてしまう。接触まではまだ暫く掛かるとはいえ、時間を掛ければ先程の広間以上の大乱戦は避けられないだろう。
 状況は刻一刻と劣悪へ変化していく。
 この佐渡ヶ島決戦に於いて今まで黙っていたイレギュラーが噴出して山のように積み重なり、当初の予定は遥か彼方に置き去りにされてしまった。その全ての起点は、間違いなく三神にある。
 だが、こうしたイレギュラーを呼び込むのが三神なのならば、そのカウンターとしてイレギュラーを封殺し得るのもまた三神だ。
 だからこそ、香月は叫ぶ。

「―――三神!状況を変えなさいっ!!」







 社は聴いた。
 凄乃皇弐型の管制ユニットは手を加えて四型と同様の複座式にしてある。そのユニットの後部で、彼女は香月の叫びにも似た命令を聴いた。
 刻一刻と、まるで坂道を転がっていくように悪くなっていく状況を変えるために必要な一手は、社には分からない。元々彼女はどちらかと言えば技術屋だ。戦術向きの思考よりも戦略向きの思考をしている。長期的な変動を起こすための手を打つことは得意だが、瞬発的な細工は苦手なのである。

『全く、無茶を言ってくれるっ………!』

 香月の声に呼応して三神が笑みを浮かべながらも愚痴りつつ、しかしその瞳には身内を護ろうとする狼のような決然とした意志の光があった。
 その意思の光に魅せられる。
 社だけではない。此の場にいる全ての者に言えることだ。加速するこの状況に於いて尚、自身をブレること無く押し通し結果を出す。あれはそうした人間の眼だ。今にして思えば、いつもそうだ。ここ一番という状況で、必ずこの男は居合わせる。そして力ではなく、狂気でもなく―――声で、言葉で状況を変えていく。
 新潟迎撃戦の時も。
 クーデターの時も。
 そしてつい先程も。
 だからこそ、と言うべきか。その場所に初めて居合わせた社は、半ば本能的に三神をリーディングした。大した理由では無い。言うならば単なる好奇心だ。人の心を読むのが嫌いな彼女が、唯一まともに読めない―――いや、正確には理解できない相手である三神。
 そんな彼が今、一体何を考えているのか。ただ純粋に、興味が湧いた。今までの彼女ならばそんな思いさえ浮かばなかっただろう。己の持つ力を忌避し続けた彼女は、あくまで任務という形でしか能動的な行使をしていない。もしも、鑑や白銀と出会っていなかったのならば、現在もそうだっただろう。しかし、人が絶えず進歩していくように彼女も例外ではない。自分とこの力は最早切っても切れない。それでも尚、今の自分にはそばに居てくれる人がいる。この力を知って尚、妹のように可愛がってくれる人達がいる。だからきっとこの力は、そして自分はここにいてもいいんだと、そう思えた。
 故に、自制することはなかった。ただ『彼』を救いたいと願い、そして行動を起こす三神の意志に触れることによって、自分も少なからず勇気を貰えれば良いと、そう思ったのだ。
 だから―――。


 ―――救―――突っ―――!違―――………!!―――変更――――――武―――ヴァルキ―――ォードッグ―――反―――最後―――勝機………!!


(早、い………!)

 圧倒的な情報の奔流に戸惑う。
 言葉と感情と思考と理論と倫理と理念。それこそは凡そ人が持ち得る―――本能に修飾されたありとあらゆる『武器』だ。
 まるで激流。ほんの数瞬の間に行われる思考の加速度は常人を遙かに超越する。人によっては閃きとも言えるそれは、百年近い経験と肉体最盛期でこそ行える脳の限界値。この2つが揃ってこそ初めて実現可能な高速戦闘思考加速。それは瞬間的な詰将棋のようなものだ。ただし五手六手先ではなく、一手目から王手までを弾きだすような一種反則じみたものではあるが。
 そしてその加速の中、社は一つの光を見つけた。

(これは………)

 戦闘思考では無かった。まるで隔離されたかのように大事に大事に仕舞ってあるのは―――あるいは、想いと言うべきものか。詳しくは分からない。しかしそれは相反する色を帯びていた。
 それは希望。
 そして絶望。
 三神庄司が目指した終極と、そこに至るために捨て去った我欲。心を軋ませ、精神を歪め、あらゆる軋轢を生みつつ、それでも走るために選んだたった一つ決意にして、唯一つの流儀。



 ―――やがて消え征く存在であるのならば
           例え傷つき血を流そうとも
              今はこの迷いを切り捨てる―――。



『―――ヴァルキリーズは凄乃皇を中心に菱弐型で迎撃開始!無理に倒さなくてもいい!手数で奴等を押し止めろ!凄乃皇に近寄らせるな!特に新種と相対する場合は相手をBETAと認識するな!対人戦の要領で戦え!ウォードッグは紫藤の管制ユニットを回収!後に合図があるまではヴァルキリーズと合同で迎撃!それから―――』

 僅かな躊躇もなく矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
 そして社は悟る。
 この男は最早終わりに向けての助走を終えている。後は出来る限りの加速を続け、力強く踏み切るだけだ。それはある側面では香月夕呼の思想と似通っていた。
 誰にも何も言わず。
 誰の理解を得られなくてもいい。
 振り返ること無く、見返りさえも求めずただひたすら走り切る。
 故に、そんな彼を寂しく思い―――社霞はある意思決定をする。

『霞、鑑少尉!君達が頼りだ―――武達の誘導を頼む!!』
『はい………!!』

 今は誰も知らない。
 今は誰も知り得ない。
 しかし間違いなくこの彼女の決意こそが、今後の『ミカミショウジ』と『この世界』の運命を変えた瞬間だった。







「参ったな、こりゃ………」

 前門に新種と既存のBETA群。
 後門に母艦級の肉壁。
 そんな状況下にあって、白銀は冷静だった。いや、急速に冷静になっていったというべきか。
 状況としては最悪だ。
 まず最初に涼宮のフォローに回るべく突出した影響で後ろに母艦級の壁が出来、後方との連絡が途絶えた。それだけならばまだ構わないが、データリンクが新種のロックオンが可能になった時点で途絶え、網膜投影の左上に非常モード実行中の文字が浮かんだ。事前に受けた叢雲の仕様を思い返すに、これはデータリンクが途切れ、外部―――即ち、00ユニットである香月からのハッキングに因るML機関強制外部制御が不可能になった場合に切り替わるシステムだ。
 ML機関単体による機体制御が現状不可能である以上、多少の出力低下と重量加算を覚悟したハイブリッド化はやむを得ず、こうした非常システムが出てくる。内容としてはそう難しいものではない。通常、叢雲の運用は小型化された通常主機部分で電装系を中心に電磁伸縮炭素帯の大部分―――約八割を補い、残りの足りない部分をML機関の余剰電力で賄っている。そしてML機関はラザフォード場を初めとした装備群を担うという形となっている。
 では振り返って現状を鑑みれば―――。

(ラザフォード場必須の新型装備は軒並み使用不可。電磁伸縮炭素帯の稼働率低下で機動性が二割落ち。多重跳躍機構は使えるものの使用可能な通常兵装が短刀二本と突撃砲一門………!)

 他の戦術機がそうであるように、叢雲とて決して万能ではない。否、この微妙な政治状況下では香月とて本領を発揮できず、結果として『自重した』兵器群開発しか出来ない事を考慮すれば、叢雲はML機関に特化した『だけ』の極めて中途半端な兵器にすぎないのだ。00ユニットの演算能力の届かない場所に出てしまえば、機動力に長けただけの鉄の塊だ。

(いや、機体状態はこっちで制御すれば何とかなるっ!けど………!!)

 問題は涼宮の方だ。
 前の世界の涼宮を知っている白銀にとっては、今回の彼女の暴走は不可解極まりない。生来の彼女は明るく真面目で、負けず嫌いな一面を持ってはいるがそれ以上に自分の行動に責任を持つタイプだ。訓練兵時代に分隊長を務めていたと言う事から冷静な判断力も持っているというのも推し量れるし、一時の感情に揺らぐ不安定さも持ってはいるが、決してそれ『だけ』に因われるタイプではなかった。

(じゃぁ、何でだ………!?)

 どうしてああいう行動に出たのか。しかし考え込む前に状況は進む。

「くっ………!」

 偽装横坑からぞろぞろと這い出た例の新種を含めたBETA群は白銀と、その少し先を行ってその場で停滞戦闘をせざるを得なくなった涼宮へと挙う。
 飛び掛ってきた一匹の新種を僅かな操作で見切ってかわし、すれ違いざまに外殻と外殻の隙間に突撃砲銃口を突っ込み斉射を喰らわせ黙らせる。

(コイツらも無敵って訳じゃない!外殻の隙間を狙えば要撃級の外皮と同じでダメージを与えられる!!)

 無論、ある程度の精度が必要ではあるが要塞級の体節接合部狙いと同じでやってやれないことではないし、特異な敏捷性も相手を戦術機と見て対応すれば問題なく戦える。難点があるとすればハイヴ内での滞空中の安全性が失われたということか。相手も跳躍できるようになった以上、いざという時に中空に逃げて一休み、とは行かなくなってしまった。
 いずれにしても厄介な相手ではあるが、重頭脳級並に出鱈目な相手ではない。従来の兵器でも充分対応可能だ。

(状況を考えれば夕呼先生や三神も対応を始めているはずだ。となればオレがすべきは―――)

 跳躍と同時に多重跳躍機構を連続発動して加速。今まではラザフォード場によって緩和されていたGが一斉に身体に掛かるが、まだ押さえ込めるレベルだ。
 追いすがるように跳躍、追撃してくる新種を突撃砲の掃射で牽制し、あるいは踏み台にし、多重跳躍機構を駆使し鋭角的な機動を取りつつ涼宮機に接近する。

「―――っ!涼宮!無事かっ!?」
『し、白銀中尉………あ、あたしは………!』

 着地と同時に通信を繋ぐ。
 そして気付く。網膜投影に映しだされた彼女の顔は蒼白で、今にも泣き出しそうになっていることに。辛うじて機体の制御は出来ているようだが、普段の彼女の動きを考えてみると明らかに精彩を欠いているし、両手腕から吐き出される弾丸にも無駄が多い。
 何故だ、と戸惑う。ほぼ間違いなく紫藤絡みで責任を感じているのだろうが、それにしてもこの反応はまるで新兵―――。

(っ―――!!そう、か。涼宮は『この世界』じゃ仲間を失うの初めてなんだ………!)

 瞬間的に思い出す。
 『前の世界』での涼宮は戦友であった元207A分隊の面々を亡くし、先達の死も見届けていた。少なくとも、白銀が合流した辺りでは築地、高原、麻倉を始め紫藤や式王子の最期を経験していたのだ。
 人は、慣れる生き物である。
 例えどれほど悲しくても辛くても、長く経験すれば精神を磨耗し、防御反応として拒絶よりも諦観を取る。おそらく、今回の件も『前の世界』の涼宮ならばこうも暴走しなかっただろう。
 だが今回は違う。二度目の実戦、初めてのハイヴ内戦闘、そして何よりも見知った人間を奪われる恐怖。それら全てが噛み合い、責任感が強いからこそ思考の放棄も出来ず、憎しみが身体を制御した。
 そして今、絶望的な窮地に立たされて正気に戻った。それを見て、白銀は―――否、彼だからこそ、悟る。

(この涼宮は―――昔のオレだ)

 忘れえぬかつての過ち。
 自分の感情をコントロール出来なかったが故に殺してしまった恩師。
 今はもう、どうやってもあの彼女を救えない。
 今はもう、どうやってもあの過ちを正せない。
 今はもう、どうやってもあの日を変えれない。
 しかし、『これから』を変えていけることを白銀は知っている。そして自分と同じような道を辿ろうとしている人に手を差し伸べれることを彼は知っている。
 だからこそ、彼は涼宮機の背中を護るように立つと突撃砲を斉射して牽制し、同じように牽制している涼宮へと言葉を投げる。

「涼宮。突撃砲を一挺貸してくれ。オレの機体、今は武装が限定されてるんだ」
『は、はい………』
「サンキュー。―――なぁ、涼宮」

 背中合わせに立ち、涼宮機の背部担架に積まれた突撃砲を一門、補助腕経由で受け取り、主腕二挺装備で弾をバラ撒きながら白銀は尚も言葉を続けた。

「誰かを失うのは辛いよな。悲しいよな。それは誰でも一緒だ。だから―――」

 かつては、気付く事は出来なかった。こんな風に思うようになったのは、きっと大事だと思える人達が大勢出来て、自分のことを大事だと言ってくれる人がいるからだろう。

「お前を失って辛くなる人もいる、悲しくなる人もいるんだってことも忘れないでくれ」
『でも………!でも、あたしのせいで紫藤少尉が!!』
「生きてるよ」
『え―――?』

 あの瞬間―――紫藤の機体が打ち抜かれる直前、白銀は確かに見た。彼女の機体の管制ユニットが機体の背部ハッチから射出される場面を。
 射出と新種BETAの打ち抜きによる押し出しも加えて必要以上に勢いが付き、結果としてハイヴ内壁に叩き付けるようになってしまっていたが、少なくとも即死ではなかっただろう。

「直撃を喰らう直前にベイルアウトしてた。それでもタイミングがギリギリだったから怪我はしてるかもしれないけど、多分、生きてる」
『あ―――』
「ほら、攻撃の手が止まってるぞ?」
『し、白銀中尉!あたしは―――!』
「言い訳も弁解も後にしろ。お望みなら後でいくらでも営倉に叩き込んでやる。今は、この状況をひっくり返さなきゃな」
『で、でもどうやって!?』
「さてな。オレ達二人じゃ無理だ。無理だけど―――!」

 かつて、白銀は一人だった。
 因果導体という特殊な存在であった以上、それは避け得ぬ宿命だったのかもしれない。だがそれを超え、唯一人の人として今を生き抜こうとする彼は、最早孤高の存在ではない。
 そう、今は―――。

「―――今は、みんながいるからさっ!!」



 タケルちゃ~ん!聞こえる―――っ!?



 声ではなく、通信でもなく―――頭の中に直接、いっそ場違いとも言える愛おしい女の声が聞こえた。







 凄乃皇弐型を護るべく、劣化ウラン弾を弾幕宜しく銃口から吐き出させながら御剣は奥歯を噛み締め祈っていた。

(タケル、涼宮………!頼む!どうか無事でいてくれ!!)

 分断されてからまだ三分程だ。
 直後の三神の指示によって比較的素早く体勢を立て直してはいるものの、向こうとの連絡が付かないとなるとどうしても不安が募る。特に白銀の機体は叢雲―――データリンクが切断されると著しく能力が低下してしまう。

(どうにか紫藤少尉を回収は出来たが―――後方にも………!)

 即座に紫藤の管制ユニットを回収は出来たはいいが、やはりバイタルデータは酷いものだった。詳しいことは検査しなければ分からないが、少なくとも先のクーデターで三神が負っていた怪我以上のもので、衛士生命どころかそれこそ命に関わるだろう。
 今は安全な場所―――凄乃皇の武器運搬スペースを開けてそこに収納させているので比較的安全ではある。だが、状況が状況なので応急処置もできていないし、あのまま長時間放置していれば本当に命を落としかねない。
 その上、後方からもBETAの援軍が迫って来ており、これ以上の時間を掛けても良いことはない。

(早く!一刻も早く状況を変えねば………!!)

 だが、今の御剣には何も出来ない。精々が迫りくるBETAを迎撃し、戦術機に迫る敏捷性を発揮してヒットアンドアウェイを繰り返す新種を牽制するだけだ。
 そうして彼女が焦れ続けていると―――静かに社が告げた。

『白銀さんと涼宮少尉に連絡付きました。誘導………今、完了しました。三神さん―――行けます!』

 網膜投影を見ればまだ白銀と涼宮の機体リンクは途切れたままだった。一体どうやって彼等との連絡をとったのかは不明だが、事此処に至ってあの少女が嘘を付くはずがない。

『了解だ。では―――再び私が道を着けるとしよう』

 だから叢雲を駆る三神が再び前に出た。

『ウォードッグ全機に告ぐ!さぁ、諸君の恩師が大ピンチだぞ!?ならば彼に教えられたその全てを以って―――!』

 機体の背部担架から脇下を潜るように長砲を取り出し、三段重ねになった肉壁の二段目へと砲口を向ける。凄乃皇の荷電粒子砲では威力が高すぎ、更には範囲が広すぎてBETAごと彼等を殺し切れないが、叢雲の荷電粒子長砲ならば一本道を通すだけで済む。問題があるとするならば下手に最大出力で貫き通せば彼等にも当たってしまう可能性があることだが、それも出力を調整し、社霞のプロジェクションを用いて誘導することで回避した。
 状況は、今ここにクリアへと至る。
 そして砲身が中央から割れ、上下にレールのように展開する。バシン、と紫電が砲身を中心に迸り、光がレールに何度も弾かれるように振幅し―――。

『―――救いに征ってこいっ!!』

 ―――発射された。
 瀑布のような光の奔流は一本の槍となり三段の内二段目の肉壁中央部に風穴を開けた。それは精々直径70m程度のものではあるが―――。

『ウォードッグ全機!突撃開始!!』
『了解―――っ!!』

 彼等が突撃するには充分な突入孔だった。
 中隊長である神宮司の叫びに呼応して六機の不知火が跳躍し、多重跳躍機構を用いて最大加速でその突入孔へと飛び込む。そして神宮司は次の指示を出す。

『鎧衣!榊!中継器を!!』
『了解っ!!』

 飛び込むと同時、二機が隊列を離れ、母艦級の外壁、ハイヴ内壁へと取り付く。
 元々、ハイヴ内での電波障害は予見し得たものだ。その対策として、香月は凄乃皇にデータリンク用のブースターを積んでいた。それを榊と鎧衣が起動させるべく比較的BETAが張り付き難い場所へと設置する。これにより、一時的ではあるが白銀の叢雲を復旧させることが出来るだろう。そして復旧さえ出来れば再び母艦級に空いた穴を通って凄乃皇と合流でき、そこまで来れば後は凄乃皇の荷電粒子砲で反応炉もろとも粉砕できる。
 付け焼刃的な作戦ではあったが、敵の援軍がすぐそこまで来ている状況的に、電撃的な速度を求めるとなるとこうした方法しかない。
 そして―――。

『見つけた………!』

 彩峰が左前方、ハイヴの壁を背に奮戦する二機を発見した。幾つか損傷は見えるが、まだ生きている。後はあそこまで行って援護するのみだが―――。

「くっ………!邪魔を………!!」

 ここはハイヴ内だ。BETAが絨毯の様に犇めいているのが普通である。足の踏み場もないとはよく言ったもので、その上飛んで避けようものならば新種が跳躍して狙ってくる。
 今も御剣が突撃級を踏み台に跳躍すれば追いすがるように新種が飛び込んできて―――。

『―――させないんだからっ!!』

 突如後方から飛んできた『57mm砲弾』が中空にあって無防備だった新種を弾き飛ばした。
 発射点は後方、母艦級の伽藍堂になっている腹の中で留まり、狙撃手の位置取りとして定石といえる高所を確保しつつ、長砲身を構える珠瀬の不知火があった。
 Mk-57中隊支援砲―――。
 以前、香月が電磁投射砲開発のサンプルとして日本帝国経由で欧州連合から手に入れたものだ。弾種やドラムマガジンという特殊規格から常時の使用こそ出来はしなかったが、予備兵装としてこれも凄乃皇に積んでいたのだ。先程、紫藤を格納スペースに入れるついでに取り出しておいたのである。
 簡易的だが、後方支援もある。だからこそ、彩峰が『素手』で前に出た。

『人の型をしているなら………!!』

 跳躍。
 それに引き摺られるように一匹の新種も跳躍する。一機と一匹が空中で交錯する。一匹が杭打ち機のような前腕を突き出し―――。

『―――ここっ!!』

 脇腹を掠めるように打ち込まれた前腕を抱え込み、多重跳躍機構を左右前後逆で発動させ機体そのものを一回転。そしてホールドした新種をまるで背負投の要領でぶん投げた。投げられた新種は他種を巻き添えにしながら地面を転がり、白銀と涼宮へ至る道が出来上がった。

『―――行って!!』

 彩峰の促しと同時に神宮司と御剣が前へと出た。そして劣化ウラン弾をバラ撒きながら牽制しながら合流を果たす。

「タケル!涼宮!無事だな!?」
『何とかな!神宮司大尉!冥夜と一緒に涼宮のフォローを!』
『了解した!―――鎧衣、榊!!中継器は!?』
『今―――終わりました!!』

 無駄な言葉は一切無く、そして白銀の叢雲は再びML機関に火を入れ―――。

『し、白銀中尉―――!?』

 それに反応した周囲のBETAが一斉に白銀へと襲いかかった。







 管制ユニットの中、白銀は小さく笑っていた。

(………言ったろ涼宮。お前を失って辛くなる人も、悲しくなる人もいるって。それはな、オレだって一緒なんだ)

 網膜投影の左上の非常モードの文字が消える。

(オレは今までいっぱい間違えて、純夏を苦しめて、泣かせ続けたんだ)

 一々確認しなくても分かる。周辺にはML機関に反応したBETAが大挙していることだろう。

(だけどもう苦しめたくないし、泣かせたくもない。だからもう、こんな化け物共にも、何よりも自分自身にも負けてられないんだ)

 網膜投影の左上、システムオールグリーンの文字が踊り―――。

(だから―――!)

 ―――鋼鉄の巨人と英雄の魂に、再び聖女の力が宿る。



「オレの邪魔を、するなぁっ―――!!」



 叫びと同時にラザフォード場が展開。手にした突撃砲を投げ捨て、腰部担架の荷電粒子突撃砲を取り出し、一斉射。都合二十発の光の矢があらゆる敵を瞬時に食い破り、その血風を纏うように白銀は敵中に飛び込む。
 突撃砲を格納し、背部担架の重力偏差長刀を引き抜く。ラザフォード場を収束展開して斬撃範囲を最大伸長。
 そして―――。

「おおぉおおおぉおおおおっ!!」

 ―――一閃。
 真一文字に敵の須らくを斬り裂き、白銀の英雄は天高く吼える。

「さぁ、さっさと片付けて帰ろうぜ!みんなっ!!」

 いつか夢見た、最上の未来へ届けと。








 
 弾丸が嵐のように吹き荒ぶ戦場の中で、一機、また一機と失われていく現実に耐え切れず、ある衛士がヒステリックに叫びを上げる。

『くそぉ―――っ!まだかっ!?まだなのかよぉっ!?』
『落ち着け!アイツらは必ずやる!俺達はその力の一端をこの目で見ただろうがっ!!』

 直ぐ様同隊の衛士が叱咤を入れるが、戦場の士気は下がりつつあった。
 ―――正念場だ。
 その様子を見ながら斑鳩は真実、そう思う。A-01がハイヴ内に突入してから既に46分経過している。地下の様子はこちらでは探れないが、20分程前にS-11の爆破振動があったのを斑鳩は知っていた。
 迫りくるBETAを掃討するために爆破を使ったのか―――あるいは、誰かが死んだのか。
 理由こそ知り得ないが、少なくともその震源予測地を考慮すれば大分深くまで潜っていることは理解できた。作戦そのものは順調に行っているはずだ。
 だから斑鳩は気勢を上げる。戦闘が始まって既に五時間近く。人員も弾薬も相当数減らしている今だからこそ、踏ん張りどころであると。ここが最後の正念場だと。

「手前ェ等!何としても持ち堪えろ!必ずだ!必ず―――その瞬間は来っ………!?」

 叫んでいる最中、戦術機に乗っていても分かるほどの地揺れがあった。まるで直下型の地震のような―――『まるで地中深くで何かが崩壊したかのような破壊的な振動』。

(この振動―――まさかっ!?)

 地震とは違う、BETAの地中侵攻とも違うこの揺れを他の皆も感じ戸惑い―――そして次に起こった状況に更なる混乱が起こる。
 全てのBETAが一切の行動を停止したのである。その様子はまるで操り糸が途切れた人形のように酷く滑稽で、異質だった。
 そして―――。

『あ………BETA、が………退いて、く………?』

 全てのBETAがまるで示し合わせたかのように一斉にある一点へと移動を始めた。行く先は佐渡ヶ島西方―――そう、その先には海を隔てて鉄原ハイヴがある。
 事前の作戦説明にて、横浜側から戦闘予想として作戦のフェイズ6―――即ち、反応炉破壊後は佐渡ヶ島に存在する全BETAは撤退をする可能性があるとの申し入れがあった。
 つまり、この状況は。

「HQ―――!指示だ!指示をくれ!!待ちに待ったこの瞬間がやっと来たぞっ………!!」

 斑鳩の叫びと共に世界が再び時を刻み出す。

『………は、反応炉の消滅確認―――!これより作戦を最終フェイズに移行するっ!!全軍、残存BETAを殲滅せよっ!!繰り返す!残存BETAを殲滅せよっ!!』

 オープンチャンネルで流れるのは勝利の鐘。だがまだだ。まだ終わってはいない。
 喰いたいだけ喰らい、散らかしたいだけ散らかし、たかだか家が壊れたぐらいで借金を踏み倒して親戚を頼ろうなどと、余りにも無責任過ぎる。この国で喰らった命の精算は、命によって払われる。
 だからこそ、望むべくは勝利。
 ただの一匹たりとも赦さぬ、完全無欠の勝利。
 そう、今こそはこの国の新たなる東雲。
 そう、今こそは新たなる時代の曙。
 そして新たに産まれて来る我が子に贈った名の通りの日にしなければならない。

「暁………!その名に相応しい結果にしてやろうじゃねぇかっ!!」

 夜が明けていく。
 深く、暗くこの国を、そして世界を覆っていた闇が人の意思によって切り開かれ、静かに、しかし確かに光射していく。




 この日、世界は確かに暁を見た―――。







[24527] Muv-Luv Interfering 第五十一章 ~本気の虚偽~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2012/09/11 05:04

 12月26日

 いっそのこと此の場の全ての人間を洗脳してしまえば、意外とこの世界を簡単に掌握できるんじゃないかしら―――等と物騒な思考をしつつ、香月夕呼は物言わぬ置物となって結論の出ようはずがない喧々囂々の会議場を後ろからつまらなそうに眺めていた。
 アメリカはニューヨーク。国際連合本部ビルにある国際連合安全保障理事会会議場。体内時刻は12月27日の早朝だが―――現地時刻ではまだ26日の夕方だ。
 佐渡ヶ島攻略戦―――即ち、甲21号作戦は先日の25日、現地時間にして14時12分に最終フェイズである殲滅戦が終了し、ハイヴ内等に僅かに残った残存勢力も同日の16時には掃討され、佐渡ヶ島は約三年にも及ぶの異星人による支配から脱却することが出来た。
 無論、それで全ての決着が着いた訳ではない。
 奪還した佐渡ヶ島にしても一度はBETAの手によって更地に変えられており、戦闘による重金属汚染やBETAの死骸による土壌汚染も深刻で、再び人が住めるようになるには数年で効かないほどの年月が必要となるだろう。対BETA戦略に関しても同様で、あくまで敵の前線基地の一つを潰したに過ぎなく、言ってしまえば対症療法が一時的に効いているに過ぎない。
 今回の勝利は確かに大きいが、その分、ここでの過信や慢心はいざ足元を掬われた時に大きく響く。
 しかしながら、おそらくその事実に気付いているのは対象を世界中に広げた所で一握りに過ぎないだろう。それ程までに世界の熱気は加速度的に高まっていき、今後も大規模な作戦で負けない限りは下がることもないだろう。無論、それは偶発的な産物ではなく香月が『そうなるように』誘導したし、また『そうなるように』仕込み、『そうなるように』三神に煽らせた。
 ―――全てはこの聖女に堕ちた魔女の手の中。
 そう、この結論が出ない円卓会議の中心には、聖女が捧げた供物がある。


 『桜花作戦計画概要書』。


 そう銘打たれた一冊の冊子。P5であるアメリカ、イギリス、統一中華、ソビエト連邦、そしてオーストラリアの常任理事国とその他非常任理事国である10カ国用に都合15冊用意されたそれ等は、各国の国連大使に読みやすいようにわざわざそれぞれの母国語に翻訳されており、それ故、会議開始後間を置かずに事態が紛糾する事となった。
 内容の序文として、甲21号作戦時に発覚したBETAの生態について触れられていた。
 端的に言って、これがまた地雷である。

「信じられん………!人類の情報が全て奴等に筒抜けだったなどとはっ!!」
「確かに俄には信じられない。しかしだからと言って看過するには余りにも危険だ。であるならこの情報を下に、早急な対策を行う必要があるでしょう」
「全てのハイヴの頂点であるオリジナルハイヴにある重頭脳級の完全破壊―――即ち、桜花作戦の実施か………。後々のために確かに準備は進めてはいるが………」

 常任理事国の意見は見事に割れていた。米国、英国やそれ等に付随する非常任理事国は作戦の即時決行を推し、逆に統一中華、ソビエト連邦を中心とした国々は渋っている。一応の常任理事国であるオーストラリアは沈黙を保ったままだ。
 こうした対立には、無論、それぞれ思惑があってのことだ。
 オルタネイティヴ5を擁する米国は、事態を鑑みて強硬派も穏健派もこれを機にBETAに一矢を報いたいと願い、よしんば作戦が失敗したとしても次善案であるオルタネイティヴ5の即時発動―――即ち、トライデント作戦の決行がオルタネイティヴ4側から約束されているので、今回に限っては反対する理由は無い。イギリスを事実上の盟主とした欧州連合としても、桜花作戦が成功するにしろトライデント作戦が発動するにしろ、少なくとも自国領周辺のハイヴを攻略するための礎となると考える以上は否は無い。
 逆に統一中華としては本来自国領土であるカシュガルを取り戻したくはあり、しかし何としてもG弾集中運用によるトライデント作戦の決行は阻止したいのだ。と言うのも、桜花作戦の失敗―――つまり、オルタネイティヴ4の敗北はオルタネイティヴ5の台頭を意味し、それはその後の対BETA戦略に必ずG弾を用いるということに他ならない。そしてG弾使用後の地域汚染やカシュガルの他に6つのハイヴを自国領に抱えていることを考慮すれば、自然とオルタネイティヴ4を推す立場にはなる。しかしだからと言って作戦の成功保証がない以上は首を縦には振れない。ソビエト連邦国にしても同様で、そしてこの二国に限って言えば、オリジナルハイヴにあるい号目標―――即ち、アトリエの所有権をオルタネイティヴ5有するアメリカ側に持たれたくないという思惑もある。
 統一中華側としてはカシュガルにある以上は、アトリエは自分達のもので、ソビエト連邦国としては世界のパワーバランスを考えればアメリカに渡るのは阻止したい。そして統一中華側に付けば、あわよくばG元素のオコボレを貰える立場になれると言う打算がある。尚、この二国に賛同する国も同じようにそうした打算がある。
 そしておそらくは最後に数の暴力で決定打を入れるであろうオーストラリアは未だ静観している。と言うのも、世界の食料庫としての重要度から、国土を失い発言力を落としたフランスに代わり常任理事国として加盟したものの、対BETA戦略に関して言えば他の前線国家に遅れを取るし、軍事技術的な側面でも今現在は発展途上にある。BETAの勢力拡大に伴い、中東、アジア圏から優秀な技術者や科学者の亡命を受け入れたとはいえ、今はまだ力を蓄えている時期であり、事態を静観するのが得策と考えているのだろう。そして決定打を入れれば、どちらかの勢力に恩が売れる。どちらにしても美味しい立ち位置だ。
 この人類最終決戦とも言える事態を前にして、早々に勝った後の事を考える。為政者としては正しいのだが、生き物としてはこの上なく間違っている。
 人類は既に崖っぷちだ。それこそ極東防衛線が崩壊しただけで世界の終わりがやって来るというのにも関わらず、未だに身内争いに精を出し、直視しがたい現実から目を背ける。生き物としての生存本能があるのならば、ここは捨て身になってでも勝ちに行く場面だ。後のことは、後に考えればいい。

(でもそれが出来ないからこそ、人間は賢くあり同時に愚かでもある、か。―――人を辞めたあたしからしてみれば、羨ましいやら馬鹿馬鹿しいやらねぇ………)

 未だに押し合い引き合い―――渋ったり強行すべきだと揉める議会をそっちのけで、香月は量子伝導脳のバックグラウンドで桜花作戦以降を見据えた兵器設計から月面奪回までのシミュレート等を行なって暇つぶしをしていた。
 ここにいる人間の何人が気付いているのかは知らないが、既に答えは出ているのだ。現状を鑑みれば、例え悪くしてもカシュガル一つを生贄にするだけでBETAの頭を潰せる。であるならばどの国も作戦決行にはやぶさかではなく、それは自国領土である統一中華としても同じだろう。
 それでもネックがあるとすれば―――それはやはりG元素、及びアトリエの所有権。米国は軍を動かす以上は間違いなく主張するだろうし、ソ連も各国も、それこそ渦中の統一中華とて黙ってはいまい。
 逆を言えばその問題さえ解決してしまえば、間違いなく桜花作戦は決行される。
 ではその解決策は無いのかと言えば―――そんな事はない、既に香月の手札として手元にある。だがそれを早々に切ってしまう気はさらさら無かった。精々無駄に言い争って消耗してしまうといい。そして手詰まった時に放つからこそ、彼女が持つカードはまるで天井から垂れる蜘蛛の糸のように見えるだろう。

「―――平行線、ですな」

 やがて―――不意に投げ放たれた安保理議長の言葉と共に沈黙が落ちる。既に会議が始まって二時間弱。係る案件の大きさからして、おそらくは誰もが早急な結論は出ないと考えていただろうが、ここまで膠着するとも思ってはいなかっただろう。

(そろそろ頃合い、かしらね………)

 会議の場に集った各国の大使をリーディングして、それぞれの腹の中を探りつつ香月はそう考える。
 口を挟むとすればこの段階だ。あまり放置してしまえば今はまだ静観しているオーストラリアが口を挟み、結論が出るにしろ出ないにしろ無駄に引っ掻き回されるだろう。
 だから、その前に手を打つ。

「―――失礼、議長。発言してもよろしいでしょうか」
「Dr.香月。―――君に打開策があるというのなら聞こう」

 若干の疲労を滲ませながらの議長の言葉に、香月はでは失礼して、と一言断りを入れてから席を立ち、Cの字になっている議卓へと歩み寄る。
 そして円卓の切れ目に立つと、大使の面々を見回す。

「さて―――私の事は皆様もご存知かとは思われますが改めて自己紹介をしておきましょう。国連太平洋方面第11国連軍横浜基地副司令香月夕呼………いいえ、オルタネイティヴ4最高責任者、香月夕呼と名乗ったほうが通りがいいでしょうね。えぇ、皆様の手元にあります資料を作成した者ですわ」

 普段の奔放な立ち居振る舞いと違って厳かな口調を用いるが、しかしその表情はいつもと同じ余裕のある笑みを浮かべていた。

「お手元の資料にあるように、佐渡ヶ島に於ける00ユニットの試験運用中に収集した情報に因りますと、BETAの支配構造は従来考えられていたオリジナルハイヴを頂点に置いた複合ピラミッド構造ではなく、箒型の直下構造であると判明しました。また、同時に我々人類が鹵獲した横浜の反応炉はBETA側が人類側の調査を行うために、おそらくはわざと手放した反応炉であり、我々の情報はオリジナルハイヴに渡されていると考えてもよいでしょう」

 改めて事実確認を行われ、各国の大使達は息を呑む。
 偶発的な産物とは言え、明星作戦にて鹵獲したBETAの反応炉から情報を奪うどころか情報を提供していたなどと皮肉にしては余りにも痛烈過ぎる。しかも最悪なことに、その情報はBETA間特有の情報技術を以てして既に重頭脳級に渡っているのである。

「それに係り現在、横浜の反応炉は機能停止―――いえ、アレを新たなBETA、頭脳級と考えれば仮死状態へと落としました。少なくとも、これ以上の情報流出は起こらないでしょう」

 対策は既に講じている、と告げる香月に皆がざわつく。その素早い対応に、ではなく対応の内容にだ。
 機能停止するだけで十分なのか、いっそのこと破壊してしまった方が今後の為になるのではないか、と口々に言う大使達をしばらく放っておく。やがて物言わぬ香月を不審に思い口を閉じるまで、二分程。それを無駄な時間ね、とそして人が喋っている時は黙って聞いてなさい、と胸中で毒づいて『その理由は後でお話しします』とだけ告げ、本題に戻す。

「とは言え、オリジナルハイヴにある重頭脳級も我々とは時間概念が違うのか、鈍重ではありますが愚鈍ではありません。直下である横浜の頭脳級からの連絡が無くなれば、またぞろ対人類用の新しい戦術を使ってくるかもしれません。いいえ、最悪を考えれば、戦略規模で人類を―――彼等にとっての『災害』を排除しようとするでしょう」

 BETAは人を生物として認識してない。そもそも、生物と言う言葉に対し価値観そのものが違うのである。であるならば、人類の抵抗は彼等にとっては唯の『災害』。人類で言うところの台風や地震と大差ないのだ。
 では人類は『災害』に対して何もせずに居たのか。
 答えは否だ。古くは神頼みからあった災害対策も、時代の進歩と共に着実に進化している。無論、自然現象である災害そのものを起こさせない方法などありはしないが、それでも発生後の対応などは昔に比べれば雲泥の差だ。
 ならば同じ炭素系生物のBETAにその法則が適用されないはずがない。極めて遅々とではあるが、それでも現に人類の戦術に対しては耐性を付けつつある。
 この上、あの無尽蔵の数を使って戦略規模での運用を始めたら、ただでさえ劣勢にある情勢は完全にBETAへと傾くだろう。

「ではそうなる前に何を行うべきか。打つべき手は何か。それは、お手元の資料にあります」

 『桜花作戦』。
 人類が勝つために打てる、最初にして最後の布石。
 これを無視した先に人類の勝利は無く。
 これを失敗した先に人類の明日は無い。
 これが成功した先に人類の未来は有る。

「幸いにして、何時かあるであろう最終決戦の為に各国の皆様もそれ相応の準備を成されている事でありましょう。些か準備不足―――と言う面は否めませんが、その最終決戦は今を於いて他にありません。BETA側は間違いなく頭脳級の停止を知ったはずです。とあらば、その上で対人類戦術、あるいは戦略を打ち出してくるでしょう」

 きっと誰かは言うだろう。それは無理だと。
 きっと誰かは言うだろう。それは無茶だと。
 きっと誰かは言うだろう。それは無謀だと。

「しかしBETAの対応速度は今までと変わらず19日以内。逆を言えば、それ以内にオリジナルハイヴの重頭脳級を破壊出来ればこれ以上BETAが『賢くなる』事はないのです」

 だが、誰かがやらねばならない。
 誰かが決断し、誰かが事を起こし、誰かが波風を立て、そして誰かが敵の喉元に切っ先を突きつける必要がある。
 しかしながらいつか来るこの瞬間を予見しながらも、誰もが名乗りを上げなかった。無論、香月もだ。それは力がなかったからだろうか。権力が足らなかったからだろうか。
 いや、突き詰めればきっと覚悟が足りなかったのだろう。それを行うということは、世界に喧嘩を売ることだ。今までのような『生温い』嫌がらせではない。それでは済まされない程―――張り飛ばし、ぶん殴り、襟首を掴み上げて心血注いで作った道へと放り投げる。
 故にこそ、これからは香月夕呼が決断し、香月夕呼が事を起こし、香月夕呼が波風を立て、そして香月夕呼が敵の喉元に切っ先を突きつける。
 その為にこそ―――。

「ですが、皆様には皆様の事情があることと存じます。特に―――G元素に関しては」

 香月夕呼は、世界に喧嘩を売った。
 一瞬にして大使達の顔が硬くなったのを香月は見た。リーディングで心を探る。どの国の大使も女狐めが余計な事を、と毒を吐いていた。本来、こうした話し合いは本心を隠したままで表面上の要望と本心との妥協点を探りあいながら『削っていく』ものだ。この数時間にも及ぶ茶番も、その為の前哨戦に過ぎない。彼等はこれからもっと時間を掛けて、ベストとは言わなくてもせめて各々にとってベターな結果に持っていくつもりだった。
 無論、一秒たりとて時間の惜しい香月がこれ以上この茶番に付き合う義理はない。だからこそ切り込んだのだ。
 そしてリーディングと同時に各々危惧が見受けられた。即ち、国連―――オルタネイティヴ4の名の元にオリジナルハイヴのG元素、及びアトリエを強制接収するつもりなのでは、というものだ。
 まずはすべきはそれの払拭。

「ああ、そんなお顔をなさらず。我々オルタネイティヴ4は最早ある程度の目的を達しております。オリジナルハイヴ攻略時に入手したG元素は―――そうですね、参加した各国に分配するか、この作戦に最も積極的だった国にでも渡すとしましょう。少なくとも、国連側が―――いいえ、オルタネイティヴ4側がオリジナルハイヴのG元素を欲することは有り得ません」

 それから―――。



「―――何故なら、G元素は既に我々が作り出しているのですから」



 切り札の、投入だ。
 各国の大使は疎か、国連側の連中まで唖然とした表情を浮かべ、それを見た香月はまるで本物の狐のように『にこにこ』と笑みを浮かべる。
 童女のように純粋に、そして娼婦のように艶然と。
 それは謀略や策略に対し、酸いも甘いも噛み分けた女の到達点。絶妙なタイミングで放たれた切り札は、いとも容易くその場にいる全員を思考停止へと叩き込んだ。

「あら、皆様どうかなさいましたか?まさか、甲21号作戦の概要書をお読みになられておりませんか?」

 G元素は未だ未知の物資ではあるものの、その高機能からして今後の技術開発―――否、人類の飛躍に欠かせないものとなる。誰もがそれを理解しているが故に、それを先んじて手に入れ、何処の国よりも早く実用へと漕ぎ着ける。
 かつて世界中が宇宙開発に沸き立ち挙って競い合ったように、今度はG元素を中心にそれが起ころうとしているのだ。

「本作戦にて投入した新兵器は二つ。XG-70b凄乃皇弐型とType-01叢雲。どちらもムアコック・レヒテ機関を搭載しており、稼働のための燃料はG元素となります」

 故にこそ、桜花作戦実施にあたってネックなのはオリジナルハイヴにあるG元素、及びアトリエの所有権。一国に集中すれば、それだけで今後のパワーバランスが崩れかねない。しかし分配したところで必ず均等にはならない。より多くの戦力を出した国が、あるいは予定以上の被害を出した国が、必ず他よりも多く分けろと駄々を捏ねる。
 下手をすれば、それだけで戦争になりかねない。
 だからこそ、香月はG元素を作り出せると言うこれ以上はない特大の餌をぶら下げた。
 つまり、各国の恨みを買い、しかもわざわざ危険なハイヴ内に潜って甚大な被害を出しながら少量のG元素を確保するか―――あるいは、オルタネイティヴ4側に付いて心証を良くすることで被害を出さずにG元素を提供してもらうか。
 効率の二文字を問われる二択だ。

「ですが横浜に元々あるG元素は僅か400kg。これですと精々実戦投入できて二、三回。新兵器を数回しか使わず鉄屑にするには惜しいでしょう?―――ですので、まずはG元素を複製することから始めました」

 朗々と謳うように言葉を続ける香月に、大使の一人が『出来たのか』と慄きながら言葉を投げる。
 それに対し、香月は静かに微笑む。それはまるで、天より雲を割って降りてきた聖女のような穏やかな微笑みだった。

「えぇ、その通りですわ。機密保持もありますから詳しいことはまたいずれお話するとして、少なくとも横浜の反応炉と00ユニットが無事であるならば、後は無尽蔵にG元素を作り出すことも可能です。先程横浜の反応炉を仮死状態にしたと言いましたが、これはその為です。壊してしまえば二度とG元素を作り出すことは出来ません。ですが、オリジナルハイヴを攻略し重頭脳級を破壊してしまえば起動状態にあっても何ら問題はありませんので、桜花作戦以降はどれだけでもG元素を作り出せます」

 実際には通信機能を破壊した段階で反応炉は脅威ではなくなっていたのだが、全てを事細かに説明する必要はない。下手に判断材料を与えてしまえば00ユニットの罪―――情報の漏洩に対していらぬ口実を与えかねない。それは不可抗力として流し、00ユニットを欠いてはG元素の精製は不可能とこっそりと刷り込んでおくのだ。
 その甲斐あってか、議卓は騒然となる。G元素の精製など―――言ってしまえば世界がひっくり返ったようなものだ。今現在は技術レベルの問題でG元素の使い道こそ少ないが、それでも彼等は生中継で甲21号作戦を見ており、ML機関が生み出した荷電粒子砲の威力を知っている。例えばアレを固定砲台としてでもいい、運用可能になりさえすれば―――あるいは叢雲のように戦術機レベルで運用できるようになれば長く続いたこのBETA大戦にも終りが見える。
 具体的になりつつある希望を見て―――だからこそ、香月は今一度現実を突きつける。

「―――尤も、その前にBETAが対策を取ってしまえば意味はなくなるんですけれどね」

 にわかに沸き立つあった議卓が、一斉に静まり返った。
 そうなのである。対人類戦だけならばまだしも、対凄乃皇、対叢雲まで対策を取られれば万事休すだ。現状の技術レベルではアレ以上に有効な兵器はG弾しか無い。
 オルタネイティヴ5側はともあれ、ユーラシア大陸に祖国を持つ者にとっては、それは頂けない。重力異常で人がまともに住めなくなった土地など、一体誰が欲しがるのだというのだ。
 いや、そのG弾とて対策を取られないとは限らないし、重頭脳級を放置して使い続ければ間違いなく対策される。そうなれば本当に詰んでしまう。

「―――では議長、私のお話はここまでですわ。後は皆様、存分に有意義な御時間を」

 最後に香月夕呼は一礼をして身を翻し、会議室を去っていく。
 そしてまだ詳しい情報を引き出そうと引き止める皆に対し、彼女はこう言い残していった。

「あら、それは言わずとも分かるでしょう?本作戦に御協力して頂ける各国の皆さんに、複製したG元素のサンプルを提供する準備をしなくてはならないので」

 そしてこの三十分後、朝と言わず昼と言わず夜と言わず、世界各国の首脳陣が大使からのホットラインを受け、『桜花作戦』の参戦を表明するのだが―――その時にはもう、彼女は日本に帰る途中で雲の上にいたそうだ。








 12月27日

 甲21号作戦の成功、佐渡ヶ島の奪還によって日本中が沸き立っている頃、同じ国にある横浜基地のとあるブリーフィングルームでは、それと打って変わって緊張感に包まれていた。
 一昨日、作戦が終わって帰投したA-01は昨日一日を基地内待機として過ごした。これは万が一の残存BETA襲来に備えた警戒待機であったが、無論それは建前だ。実質的には丸一日休息日として宛てがわれており、作戦成功の祝勝会なるものも内輪だけではあるがやっている。本来ならばそのまま持ち回りで休暇を与えられてもおかしくはないのだが、これにも色々と事情がある。
 そう、五日後に迫った桜花作戦の展開である。

「―――という訳で、大規模な作戦直後で休ませてやりたいところだが、そうも行かなくなった。追って詳しい話が司令、及び副司令の口から聞かされるだろうが、各員叢雲の慣熟訓練とリンクシステムの習熟完了を最優先に諸々の準備をしておけ」

 ブリーフィングルームのホワイトボードに桜花作戦の基礎概要を描き説明しながら、伊隅みちるがそう言った。
 時刻は既に昼前で、午前中の訓練はA-01全員がシミュレーターでの叢雲の―――いや、それに搭載されたPPC兵装とリンクシステムの習熟に費やした。PPC兵装の方は前々から白銀や三神が実際に動かして合同訓練にも参加していたのもあり、概要事態は皆頭の片隅にはあったようで、こちらの方は飲み込みも早く、むしろ途中からは新しい玩具を手に入れた子供のようにはしゃいでいた。
 そんな彼女達が戸惑いを覚えたのがもう一つの―――リンクシステムの方だった。
 正式名称『代理演算共有処理機構』。
 本来ならばデータリンクを介して00ユニットによる強制外部制御を行わなければ安定させられないML機関を、それに頼らず安定させる為のシステムだ。概念自体はそう難しいものではない。既存の技術であるデータリンクの応用で単一、あるいは直列で駄目ならば、それこそ00ユニット―――否、量子コンピュータのように並列処理してしまえばいいという力技以外の何物でもない発案の下に生まれている。これを載せた複数の戦術機同士をリンクさせ、一つのCPUに見立ててしまうのだ。
 詰まるところ、一機が一プロセッサコアになり、複数機、あるいは
隊全体が同時に運用することで一つのマルチコアになるわけである。これによって、00ユニットの演算能力を借りなくてもラザフォード場及びPPC兵装の使用が可能になる。
 だが、何の問題もないわけではない。
 大原則として小隊単位での運用が絶対になるし、単機では例え載せたCPUをオーバークロックに設定してもラザフォード場を極短期間維持するのだけで精一杯だ。最低四機いれば、荷電粒子長砲の最大出力も可能になるが、一機減る度に演算力低下による威力調整で出力が25%づつ落ちていく。一機になってしまえばPPC兵装そのものが使用不能になってしまう。
 では必ず小隊以上を組んでいれば大丈夫かと問えば、これもそうも言えない。無論、戦場が地上戦に限定されているのならば、例え重金属雲による電波障害があったとしても短距離通信でのリンクもあるから問題ではない。
 そう、問題はハイヴ内での戦闘だ。
 実際、先のハイヴ内戦でもあったように場所によっては電波吸収による通信障害が発生する場合がある。リンクシステムもデータリンク上に走らせるシステムである以上、その影響を直接受ける。これがなかなかに厄介で、シミュレーターでハイヴ内戦闘を行った結果、リンク切れ時に強制的に発生するセーフティに気を取られ落とされる事が多々あった。
 それに対する対処方法としては、周辺にブースターをばら蒔いて電波そのものを強化するか、00ユニット側に余裕があれば瞬間的に外部制御を行ったり、あるいは焦らずに通常兵器に切り替えたりするのが一番だが―――まぁ、これは今後の課題だろうと伊隅は考えている。
 どちらにしても作戦の決行まで5日は残されている。集中的に訓練を組めるので、佐渡ヶ島という死地を乗り越えた部下達ならば大丈夫だと信じていた。
 だからそれ以上の訓戒を口にすることはなく、伊隅は視線を入り口へと向け、壁際を背を預け腕を組んで瞑目する三神に声を掛けた。

「少佐。他に何か付け加えることはあるでしょうか?」
「無い」

 問いかけに対し短く返ってくる声に伊隅は違和感を覚えた。いや、違和感だけならばあの作戦が終わってから覚え続けていたのだ。言うならば『改めて覚えた』と言うべきか。
 甲21号作戦が終了し帰投した後、伊隅は涼宮茜の作戦中の単独行動に対する処遇を言い渡した。命令違反でこそなかったが、制止を振りきっての独断専行は立派な軍規違反だ。となればそれなりの処分を与えねば示しがつかない。無論、それは今後展開する桜花作戦も鑑みて、2日の営倉入りという酷く軽い処分だったが、それでも三神は必要はないと止めた。それだけを取っても、どうにもらしくない。情が動いた、と言えばそれまでだが彼自身それ程涼宮とは親しくない。仮にも隊長として規律を重視すれば、そして普段の彼ならば涼宮の処分に対して口を挟むことはしなかっただろう。
 違和感はそれだけではない。昨日の祝勝会も最初だけ顔を出して気づけばいなくなっていたし、今日の訓練に至ってはそれこそらしくない凡ミスを幾つか出している。
 それ程付き合いが長いわけではないが、何かがおかしいと判ずるには十分な条件が揃っていた。

「いえ、しかし今後の訓練に関しても」
「技術的な面に関しては、もう私が文句をつけられるレベルじゃないよ。後は一日でも早く叢雲に慣れてPPC兵装とリンクシステムに関した戦術を身に着けてくれればそれでいい」
「は、ぁ………」

 まただ。
 普段から口数の多いこの男が、昨日今日と妙に言葉少なげだ。色々と気になることもあるが、伊隅は午前の訓練はここで締めた方がいいと判断して、皆に解散を告げ。

「あぁ、一つだけ伝達事項がある。紫藤との面会が可能になったようだから、各員騒がしくしない程度に顔見せしていくといい」

 ついでにめいめいにブリーフィングルームから出ていく皆に通達しておく。帰投後直ぐに衛生兵に連れて行かれ、一時面会謝絶になっていた紫藤ではあるが、朝方確認を取ったら容態は安定し、意識もしっかりしているとの事だった。
 その事を知ると皆は一瞬だけ驚いた顔をして、それから式王子と涼宮茜が顔を見合わせてダッシュで部屋を出ていった。外で『さぁ!あーちゃん罰ゲームと言う名の私得の時間だよ~!!』とか『ちゅ、中尉!ほ、本気でやる気ですか!?や、やめて!やめてください!抱きつかないで!すりすりしないで!な、なんて無駄に力強いっ………!!』とか『茜ちゃん、ごめん………』とか『多恵!?何でアンタが!?』とか『うんうん。ちょっとあーちゃんの写真チラつかせたら手伝ってくれるって。ふふ―――たえちゃん。これからも頑張ってくれたらちゃんとご褒美あげるからね?』とか『はははははい!おねげぇしますだっ!!』とか『裏切り者ぉ―――!!』とか何か肖像権を侵害しかねない不穏当な会話や行為が聞こえた気がしたが聞かなかったことにした。あの馬鹿は本当にブレない。
 藪をつついて蛇を出すと言う諺があるが、わざわざ馬鹿をつついて奇抜な衣装を着させられることもないだろう。―――何もしなくても着せ替え人形にされる何処ぞの不遇な狂犬大尉もいることはいるが。

(あぁ、私は今、正しい判断をした………!!)

 心の中でそう言い聞かせると、伊隅は視線を三神の方へとやった。外では傍目から見ればという条件付きで面白おかしい事になっているのにもかかわらず、その上官は相も変わらず虚空を見上げ何事か考えているようだった。
 だから少し声を掛けてみる。

「少佐?どうかされましたか?」
「いや―――何でもない。ちょっと考え事をね」

 声を掛けられ、僅かに我に返ったか彼は少し首を振って部屋から出て行こうとする。

「成程、先程の訓練でも上の空になるような考え事ですか?」

 その背中に少しばかり嫌味を刺してみる。すると彼は大きく吐息して肩を竦めてみせた。どうも、自覚症状はあるようだった。皆が部屋から出ていき、周囲に人がいないのを確認してから伊隅に視線を寄越した。

「痛いところを突いて来るね。―――やはり気付くか?」
「少佐が来る前はA-01をまとめていましたから、流石に。とは言えミスと言っても細かなものですし、その後に挽回以上の事はしていましたから気づいたのは私と式王子と、それから速瀬ぐらいでしょう。宗像、風間辺りもひょっとしたら気付いているかもしてませんが」
「旧メンバーは殆どじゃないか。―――神宮司大尉は?」
「少佐との付き合いが短いですからね………。しかしあの人も職業柄人を見る目には長けています。宗像や風間同様、条件付きと言ったところでしょうか」
「参ったね。そうならないようにはしているつもりだったが」

 確かに、気をつけてはいたのだろう。
 しかしある程度三神と共戦したことがあり、且つ指揮経験がある人間が見れば先程の訓練では明らかに無駄が有り過ぎた。ただ従っているだけならばその無駄さえも布石だと勘違いしてしまう程度のごく僅かなものだが、実際に中隊を受け持つ伊隅、補佐として機能する式王子、突撃前衛気質でありながらも今後を見据えて伊隅が育てている速瀬は間違い無く気づいた。
 宗像と風間や、実戦経験豊富な神宮司も気付いているかもしれないが前者は指揮経験が無い故に、後者は付き合い自体が浅い故に『何かムラがある』程度には思ってはいても口には出さないだろう。

「何だかんだで少佐との付き合いももう二ヶ月です。調子の善し悪しぐらいなら分かるつもりですよ。―――お身体の具合でも?」
「いや………実に情けないことに精神的なものだよ。この大一番を前に、一番嫌な決断を下さなくてはならなくてね」

 困ったものだ、とらしくない苦笑いする三神には若干の憔悴がにじみ出ていた。普段から物事を斜に構え、ほぼ常にと言っても良いほど人を喰ったような言動をするこの馬鹿がこうも思い悩む等とても想像つかなかっただけに、伊隅は驚きに目を見開いて。

「少佐も人並みに悩んだりするのですね。素直に驚きました」
「ここ最近最早突っ込むのも億劫になってきたが敢えて聞くよ。―――君達の中で私の評価は一体全体どうなっているのだね?」

 言うまでもなく凄まじく長ったらしい上に常識汚染の心配がある空気感染菌保持者である。
 ともあれ流石に多少の自覚はあるのか、三神はそれ以上突っ込まずに小さく吐息した。

「これはあくまで私情的なものだが………成り行きによっては少しばかり部隊に迷惑をかけるかもな。無論、なるべく穏便に済ますつもりだが」
「出来る事なら、遠慮願いたいですが」

 対する伊隅としては全力で遠慮しておきたい。
 平時ならともかく、五日後は世界の命運を掛けた戦いがあるのだ。ここで隊内の不和を発生させることは勿論、その要素があることすら看過出来ない。いくら装備が充実しようとも、いくら緻密な作戦を組んだとしても、所詮それを手繰るは人の身で、だからこそ僅かな不安定要素すら呼び込みたくない。
 だが、それを三神が知らぬはずがない。この男とて、『前の世界』では桜花作戦にこそ参加しなかったものの、その後の戦いを経験し、遂には第二次月面戦争にすら参加した英傑の一人だ。部下のメンタルケアについて、一家言を持たぬはずがない。
 しかしながら、それを知っていても―――。

「すまん。これは私のどうしようもない我侭だが―――だからこそ、どうしても、例え何があっても譲ることの出来ないものだ」

 この男は、頑として譲らなかった。
 ここまで来ると最早一つの意地だろう。そう、意地だ。思えば、この男は意地一つでここまで来たのではないだろうか、と伊隅は考える。
 世界を繰り返す、異常な存在。
 その言い表せぬ絶望の中で、光を失わずここまで走り続ける事が出来たのは、きっと彼だけの力ではないだろう。だが例えそうだとしても、その根幹にあるのはきっと、何かしらの想いにしがみついた―――意地そのもの。
 それが譲らないと言っているのだ。ならば間違いなく、誰が何を言ったところで彼はその道を譲らない。その選択に後悔しても、その選択以外の道があったとしても、一度決めたことだからと―――意地だからこそ譲りはしない。
 だとしたら、その考えを捻じ曲げようと口を開くのは、野暮というものなのかもしれない。

「―――少佐。代わりと言ってはなんですが、一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「何かね?」

 だから、伊隅はもう諦めた。その代わりに尋ねてみる。
 世界を走り続ける男へ向けて。
 きっと最後になるであろう問いを。

「少佐のゴールは、もう見えていますか?」
「―――………。ああ。もう、目の前だよ」

 男は驚き、僅かに躊躇った後にそう答えた。だとすれば、最早伊隅には詮索する権利は持ち得ない。

「では、私から申し上げることはもう何もありません。今までも貴方の無茶に付き合わされてきたんです。最後ぐらいは何も言わずに付き合いましょう」
「恩に着る。―――参ったことに、この恩はどうやっても返せそうにないんだがね」
「次の作戦を成功させてくれるなら、それで充分ですよ」

 いつも通りに不敵な笑みで肩を竦める上官に、伊隅は気楽に応じる。
 きっとこの男相手にこんな軽口を叩けるのも、これで最後なんだろうな、と僅かに寂しく思いながら―――。








 横浜基地の建造物群の内、南東にある一棟はそのまま医療棟となっている。実際に戦闘などの有事が起きない限りは利用者数が少ないと思われがちだが、実はそんな事はない。外科内科は当然のこと、歯科や眼科、果ては小児科まであったりする。と言うのも、国連軍基地自体が一つの治外法権地帯である以上、ある程度の設備を基地内で整えておかなければならないのである。
 そういう事情もあって、今日も医療棟は持病持ちから定期健康診断待ちの患者まで人で溢れていた。この基地の勤務人数が約一万そこそこいることを考えると、当然の光景だった。
 しかしながら混雑しているのは主に下層で、実際に入院患者として部屋を割り当てられる上層はそうでもなかった。
 そんな医療棟五階の一室に、紫藤あやめはいた。頭に包帯、右手と左足にギプス、病衣に隠されて分からないもののコルセットとまさに怪我人とも言うべきいで立ちをして―――。

「平気、元気」

 しかし本人は割と元気そうだった。
 あちこち打ち身と骨折があったりするものの、全治二週間完治一ヶ月で済んだのは何を隠そうこの世界の医療技術あってこそだろう。そうでもなければ数カ月単位でベッドに縛り付けられていたはずだ。

(でも良かった。一時は本当に危なかったようですし………)

 そんな同期の様子を見て、風間は内心で胸を撫で下ろした。
 医者に聞いた話によると、骨折まではまだよかったが折れた骨が内蔵に突き刺さっていたようで、帰投した時には失血量とともに相当危ない状況にあったようだった。切開して内蔵に突き刺さった骨を抜いたり固定したり大量輸血したりと結構な大手術だったはずだが、それでもこうも元気でいられるの優れた医療技術の賜物か、はたまた兵士としての基礎体力が物を言ったのか。
 何れにしても、運が良かったと言うべきなのだろう。

「それにしても、式王子中尉達は遅いな………」

 不意に一緒に居た宗像が病室の出入口を見ながらそう呟いた。

「?」
「ああ、いや、ここに来るまでは一緒に来ていたんだが、途中ではぐれてな。―――まぁ、理由は大体想像つくが」

 首をかしげる紫藤に、宗像は苦笑いしながらそう言った。あまり大勢で詰めかけるのも何だから、と今回見舞いに来たのは風間と宗像と式王子、それから元207A分隊の面々だ。残りはまた後で来る予定になっている。しかし病室に入る前に式王子と元207A分隊の面々を見失った。だが紫藤のいる階と部屋番号は分かっていたので、はぐれて迷ったということはないだろう。
 となると考えられるのは唯一つ。

「お待たせしーちゃん!久しぶりにメイドイン式王子ショ―――タ―――イム!!」

 ―――この馬鹿の悪い癖が出たのだろう。
 私・オン・ステージヒャッハ―――!と叫びながら病室のスライド式のドアを障子宜しくスパーンと開け広げながら軍装の上に白衣を羽織ってカメラ片手に式王子が乱入してくる。
 その顔は妙につやつやしており、更には鼻から赤い液体を迸らせていることから何があったのか大体推察できるし誰が犠牲になったのかも何となく分かる。

「涼宮………哀れな………」
「は、ははは………」
「しーちゃん元気―――!?私正気―――!!」

 宗像と風間が乾いた笑いをしていると、久々に趣味に没頭できたためかリミッターが三つぐらい外れている馬鹿がイィェアァ―――!と叫びながら右手人差し指を天高く掲げ何処ぞの土曜日に踊り狂うペンキ屋のポーズを取る。しかしこの妙なハイテンションは正気と言うよりはどう考えても狂気寄りな気がする。

「はーいそんな訳でしてー今回の被写体………もとい、サ―――ヴィス要員はこの人だ―――!」

 色王子―――ではなく、式王子が掲げた右手をぎゅんぎゅん回してカメラを構えると、入り口からおずおずと人影が入って来る。宗像の予想通りその人影は涼宮茜だった。ただ、その姿は軍装では無く―――。

「看護服………!」
「うぅ………あまり見ないで下さい………!」

 紫藤が目を見開いて身を乗り出し、看護服姿の涼宮が身を小さくして恥ずかしそうに悶える。
 そう、看護服―――早い話がナース服である。水色とか桃色とか奇を衒った色彩ではなくオーソドックスな白。しかし妙に丈の短いワンピースにパンストと製作者の趣味が前面に出ており、勿論キャップやパンプスも忘れていない。それどころかカルテと注射器、聴診器などのグッズも完備させているところを見ると最早フェチの領域をぶっちぎっている気がしなくもない。

「ふふふお気に召したようだねしーちゃん!私も大満足―――!!」

 乙女の恥らう姿はたまりませんなムッハ―――!とだらだら鼻血流しながら手にしたカメラのシャッターを切りまくる式王子。病室は今や単なる撮影会へと姿を変えたかに見えたが―――。

「あ、看護婦さん、この人です」

 ふとそんな声が病室に響き、そちらの方を見やってみれば柏木を筆頭に元207A分隊の面々が看護婦を数人引き連れて現れ、その看護婦達は式王子を取り押さえ、そのまま担ぎあげて退室しようとする。
 さて、困惑したのは担ぎあげられた式王子だ。

「え?あれ?あのー看護婦さん?どうして私連行されてるんですかー?怪我人じゃないですよー?」

 怪我人ではないが病人ではある、主に頭の。等という突っ込みがこの場にいる全員が胸中で入れたことは言うまでもない。
 しかし彼女達はそんな馬鹿に取り合うこと無く担ぎ上げたまま出入口をくぐり。

「病室では、お静かに」

 それだけ言い残してスライド式のドアを締めた。
 ややあってから廊下側で『君かね。先程から私の職場でやたらうるさくしている見舞い人とは。―――これは女体実験………もとい、お仕置きが必要だね?』とか『や、やぁ―――!ここでまさかの本業によるR-18的展開―――!?』とか聞こえてきたが、皆は聞かなかったことにした。因果応報という言葉もある。
 ともあれ、嵐が去ったことにより病室は静かになり、やっと見舞いらしい雰囲気になった。涼宮達後輩組が紫藤と話しているのを横目に、少し離れて宗像が風間に声を掛けた。

「やれやれ。とても数日後に人類の最終決戦が控えているとは思えないな」
「えぇ、本当に。でも、これでいいのかもしれませんね」

 確かに数日後の作戦はまさに大決戦となるだろう。そこに気負いはないのかと言えば嘘にはなるが、気負い過ぎては本来の力も発揮できないだろう。何事も適度が一番だ。それを通り越してしまえば今しがたの馬鹿のように自滅してしまうだろう。

「そう言えば梼子。朝何やら少佐と話し込んでいたが、何かあったのか?」
「え?あぁ、今日の夜、少し会う約束がありまして」
「ほほぅ………?」

 意味深な言葉に、宗像はにやりと口元を緩めるが、風間はぱたぱたと片手を振ってこう言った。

「もう、美冴さん。そんなんじゃないですよ。ほら、以前お話ししたでしょう?少佐のピアノを聞かせて貰う約束があるって」








 夢の終わりが近づいている。
 あと一歩踏み込むだけで、全てに決着がつく。
 もう後戻りはできない。
 そのつもりもない。
 これは夢。
 泡沫の夢。
 覚める夢。
 いや、醒めなければならない夢。
 やがては誰の記憶からも消え去り、そしてここでの記憶も失う。
 だからこそ―――。

「やぁ、風間。よい夜だね―――」

 さぁ、嘘をつけ。
 道化としての最後の夜に。
 『この』生涯で最後、本気の嘘を―――。







 夜の基地施設内を早歩きで進む影が二つ。
 早歩き、とは言ってもそれは先導する小さな影の方だ。小さな影に手を引かれる大きな影はいつも通りの速さだった。

「お、おい霞、一体どうしたんだよ」
「お願いです………何も言わずに来て下さい」
「いや、そりゃついていくけどさ………」

 白銀と社だ。
 桜花作戦に向け、自主訓練に明け暮れたお陰で少し遅くなった夕食を取り、ひとっ風呂浴びてさっぱりした白銀を部屋で待っていたのは社だった。
 彼女は今から自分についてきてほしいと告げ、有無を言わさず白銀の手を引いて歩き出したのだ。
 白銀としても付いていくのはやぶさかではないが、行き先も言わずただ付いてきて欲しいと懇願する社に何やらただならぬものを感じ、訝しがらざるを得ない。
 その困惑を感じ取った社はやがて足を止め、白銀の瞳を見上げてこう答える。

「知ってほしんです。あの人のことを―――本当の、三神さんのことを」








 横浜基地の表層部には、幾つかの空き部屋がある。その大抵が資材置き場になっているが、この部屋だけは少しだけ趣が異なっていた。
 至る所に無造作に置かれた楽器群。埃をかぶり、ろくに手入れもされておらず、殆どが調律必須。
 ここがこうなっているのにはいくつか理由がある。そも、ここ横浜基地は三年程前にハイヴがあり、一度更地になっている。しかしハイヴが立つ前は帝国軍白陵基地があり、BETA大侵攻以前は後方基地として機能していた。そしてその頃の横浜周辺は人が住める土地であり、都市部といっても差支えがないほど賑わっていた。となると、幾つか問題が起こる。確かに白陵基地は公的施設ではあるが、であるからこそ周辺住民の十分な理解が必要となるのである。戦術機を始め、戦車や輸送機の駆動音、小規模とはいえ基地内で演習を行えば起こる騒音は日常生活を酷く侵害するだろう。
 無論、ある程度の距離を置いているとはいえ、騒音は届くし、更には墜落の可能性などもある。
 世界中が戦時下であり、当時の日本はまだ後方国家ではあったものの、だからと言って備えないわけにも行かず、しかし無理な行動は市民の反発を招く。そうした中で、時の白陵基地司令官は反発を緩和する為、地域交流と言う名目で様々な催し物を画策した。その中の一つに、音楽会があったのだ。幾つか行われた催し物の中で、とりわけ人気だったこれらはいつしか白陵基地の名物の一つとなった。
 後年、この地にハイヴが立ち、明星作戦を経て奪還した後、風の噂で基地が再建されると聞いた本土侵攻を逃れたファン達が手持ちの楽器を帝国軍に送ってきた程だそうだ。―――尤も、再建された基地は帝国軍白陵基地ではなく、国連軍横浜基地ではあるが。更には、横浜基地周辺は重力異常地帯であり、民間人でさえもおいそれと住むことが叶わぬ場所。以前のような騒音に因る反発も起ころうはずもなく、であるならば、と交流会なども必要なくなった。そうした経緯もあって、横浜基地に寄贈された楽器たちは一度の日の目を見ることもなく、かと言って捨てられることもなく資材の一つとして扱われることとなった。
 言うならば、ここは―――楽器の墓場だった。
 その墓場の中央に一台のピアノがある。俗にグランドピアノと呼ばれる種類で、製造元はかつては世界三大ピアノメーカーに数えられていたベヒシュタイン製だ。ユーラシア大陸に於けるBETAの西進によって本社のあるドイツが侵略されて名実共に潰れてしまった今現在、歴史的にも価値のある1台である。
 そのピアノの鍵盤に指を滑らせているのは、三神だ。ここ数週間、暇を見つけてはピアノを調律し、同時に奏者としての錆落としをする為に触れていたためか、指運びからタッチまで随分と馴染んでいるように見て取れた。
 少なくとも、部屋の廊下側に置かれた椅子に腰掛ける風間には、彼が数年単位でピアノに触れていないようには見えなかった。
 曲調が変わる。
 今まではベートーヴェンからシューベルト等のメジャーなところから、先月に風間がヴァイオリンで聞かせた曲に合わせたかドビュッシーまでメドレーで弾き流していたが、一度手を休め、彼は一息ついてから再び鍵盤に指を沈める。
 おそらくはこれが最後。
 ゆっくりとした曲調で流れるのは同じくクロード・ドビュッシーの『夢』。ピアノの独奏で始まるこれは、途中でオーケストラに引き継がれるのだが、今はピアノ1台だけなので、最初から最後まで独奏である。
 やがて曲は佳境へと至り、静かにフェードアウトしていく。
 それはまるで、『夢』の終わり。
 疾走った『夢』が終わる最期の瞬間。

(あ、れ………?)

 そんな中、風間は有り得ない光景を幻視した。鍵盤に指を歩かせる三神の姿が突然ブレた。それはまるで映像にノイズが走ったかのような―――僅か一瞬のことではあるが、不可解な光景だった。

(見間違い、かしら………?)

 目を擦り、もう一度確かめようとしてみるが、そこには最後まで気を抜かず弾き切ろうとする男が、確かに存在していた。
 そして音が途絶える。終わったのだ。『夢』が。
 全ての音が部屋に吸収されるのを待ってから、風間は拍手を送った。

「いや、そんな大したものではないよ」
「そんな事はないです。錆落としと仰ってましたけど、実は必要なかったのでは?」
「必要だったさ。何せ数―――………いや、十数年のブランクがあるからね」

 照れ隠し気味に肩を竦めてみせると、三神はピアノの鍵盤にフェルトカバーを掛け蓋を降ろし、屋根も畳んで片付ける。

「さて、かなり適当に演っては見たが一応これで約束は果たしたと思う………しかし、本当にこんなものでよかったかね?」
「はい、充分です」

 正直な話、風間としては期待以上だった。このご時世、音楽を嗜んでいる人間自体がそう多くない上、見よう見まねとは言え調律をこなし、且つここまでしっかり演奏できる人間は非常に稀有だ。

「やれやれ、自分で撒いた種とは言えこれで肩の荷が下りた思いだよ」
「あら、少佐はお嫌でしたか?」
「素人の生半可な腕で、しかも観客付きで演奏等と羞恥の極みだよ」
「私一人だけですよ?」
「尚更だ。―――こんなご時世でなければ音楽で食っていけるような人間相手に聴かせるようなものではないよ」

 まぁ、私も久しぶりにピアノに触れてそれなりに楽しかったがね、と三神は嘯くと居住まいを正した。

「―――さて、そろそろ夜も遅い。明日の訓練に備えてそろそろ睡眠を取った方がいいのだが………その前に風間、君に伝えておかねばならないことがある」
「―――?はい」

 一体何事か、と訝しがる風間に三神は大きく深呼吸した上で、こう告げた。

「―――――――――風間祷子中尉。本日を以って、君を私の補佐官の任から解任する。以後は原隊に復帰し、今まで以上に励むように」

 一瞬、呼吸が止まる。
 告げた三神の言葉が理解できなくて、風間は若干の反芻を必要とする。解任、それから原隊復帰。噛み砕けば言葉として、意味としては理解する。だが、その理由は不明だ。
 何故この時期に、そして何故このタイミングでそうなるのか。

「ま、待って下さい!そんな突然………!」
「既に香月女史の了承は取り付けてある。正式な辞令は明日にでも出るだろう。―――それに、軍隊とは往々にしてそういうものだ」

 確かに、そもそも自分の昇進や補佐官としての辞令も唐突だった。しかしながら、他軍を見渡すまでもなく、軍属ならばこうした転属などは日常茶飯事ではあるだろう。
 今回の件とてその範疇。だとしても、風間は口に出さずにはいられなかった。

「少佐!私では役不足でしたか!?」

 彼女本人でも何故ここまで熱くなっているのかは分からない。ただ問わねばならない、と心の奥で強く感じた。

「そんな事は無いよ。君はよくやってくれた。私としても随分助けられたし、感謝もしている」
「でしたら………!」

 尚も食い下がる風間に、三神は仕方ないな、と後頭部を掻き咳払いを一つ。

「風間。これはここだけの話にしてほしい。結構機密に関わる話なのでね」

 いいかね?と前置きを告げ、三神は言い聞かせるように続けた。

「私はね、風間。次の桜花作戦終了後、その成否に関わらず横浜を去る」
「え………?」

 寝耳に水だった。
 否、今まで考えたこともなかった。と言うのも、三神の立場上この基地から籍と言う意味で離れることが出来るのは、退役した時かさもなくば死んだ時しか有り得ない。
 そもそも、本来A-01の存在自体が機密だ。前回の戦闘後、オルタネイティヴ計画に関する情報開示が行われてはいるが、寧ろだからこそ、機密中の機密を知っているであろう三神の退官を国連軍が許すはずがない。紛いなりにもそこの部隊長と言う立場であれば尚更だ。
 しかし、訝しがる風間に三神は言う。

「元よりそういう契約だったのだ。武はそれ以後も残るが、私だけはここからいなくなる。これは私がこの基地に着任する前から決まっていたことだ。今更覆らないよ」
「そんな………」
「言ったろう?そういう契約だったのだ、と」

 つまり、これは予定調和。

「そうだな、もしも思ったように事が運べば、次が私の最後の戦いになるだろうな。そしてそれが終わったら―――」

 そして―――。

「私は、やっと妻と子の元へ帰れる」

 三神の口から、再び理解が遅れる言葉が紡がれた。

「―――え?」
「おや?言ってなかったかね?こう見えて、妻子持ちなのだよ。今はBETAの手が届かない場所にいるがね」

 補足も加えられ、理解がようやく追いつく。
 風間には、前々から気になっていたことがあった。目の前で肩を竦めているこの男は、一体何の為に戦っているのかと。
 いや、こんなご時世だ。御大層な名分など無くても、あるいは究極的には生物である以上、人は生きるために戦わなければならない。だが、そんな根っこの部分ではなくもっと副次的な―――言うならば、生きる為の活力としての目的だ。
 例えば風間にしても音楽と言う一点を活力として戦争に挑む。この戦争が終わらなければ、失われてしまった文化を復興させることもままならない。無論、彼女だけではない。それは一人一人理由は違っても確実にあり―――あるいは、あったものだ。そして、それを亡くした者こそが、最も戦場での死期が近い者だ。
 往々にして、『夢』と言われるもの。
 得るも失うも容易く、誰もが持っているであろうこれを、風間は三神に見出だせなかった。戦術機の操縦技術一つとっても、この男が並ならぬ経験を得ていることは知れた。では、それを得るにあたって彼を支え続けたものが何なのか、様々なものを失っても尚走り続けた理由は何なのか。尋ねれば、答えてくれたかもしれない。それを敢えてしなかったのは、きっと―――。

(女の、意地だったのかもしれませんね………)

 けれど、今はそれを知ってしまった。図らずも、三神自身の意志で、その口を伝って。
 言いたいことはたくさんある。これが最後と言うのなら、ぶつけたい感情も胸にくすぶっている。しかし喉の奥まで出掛かったその感情を意志で嚥下する。
 それを吐き出すことは―――子供のすることだ。
 だから風間は深く息を吐いて、ただ呟くように心を騙す言葉を紡いだ。

「そう、ですか。少佐は、ご家族のために戦っていらっしゃったのですね」

 対する三神は何も応えない。
 きっと気づいたであろう風間の『嘘』を見届け、最後に軍人としての敬礼ではなく、私人として頭を下げた。

「風間中尉。今までありがとう。君という優秀な部下が居たことを、私は生涯忘れないだろう」

 それが結果だった。
 本気の『嘘』が交錯し、一つの別れがそこにあった。
 ただ、それだけだった。









 ぱちん、と部屋の照明が落とされる。
 暗闇が一瞬で部屋を包み、窓から漏れる月明かりが楽器の墓場をいっそ幻想的なまでに照らしだす。その部屋に、男が一人。先程までいた女はこの場を去り、残った男は感傷を胸に―――。

「―――く、ふ」

 身を折った。
 腹部を抱え、カカ、と音を連続させる。
 嘲笑いだった。他の誰でもない、自分自身へ向けての。
 連続させる。
 連続させる。
 連続させる。
 嗤う。
 哂う。
 嘲笑う。

「滑稽!実に滑稽じゃないか!こうなることは分かっていたのに!側にいればいずれはこうするしか無いことは分かっていたのに!そうまでしてこの私を困らせたいか!?えぇ?性悪因果っ!!」

 狂ったように叫び。

「いいだろうっ!次が私にして最期の大足掻きだ!精々首を洗って待っているといい!!いいか!?必ずだ!必ず―――!!」

 そして―――。

「―――『俺』の牙が、貴様を噛み殺すっ………!!」

 月夜が見下ろす空へ向かって、魔狼が牙を剥き―――ただ吠え続けていた。







 その狂態を、影から見守る姿が二つ。

「―――か、すみ………あれは………誰だ………?」

 絞りだすように言葉を紡いだのは白銀だ。

「あれが、三神さんです。道化でも狼でもなくて―――世界を走り続けた本当の『ミカミショウジ』さんです」

 答える社とて、あの日―――佐渡ヶ島が落ちた日に三神をリーディングしなければ気付くことはなかっただろう。

「あの人の心の奥にあったのは、あの人自身に絡みついた因果に対する『憎悪』。それから―――『消滅』」

 あの日、彼女が見た光は―――破滅の光。

「ずっと言ってるんです。―――もう赦してって。
 ずっと泣いてるんです。―――もう見たくないって。
 ずっと叫んでるんです。―――もう死にたくないって」

 いつか彼を取り巻いた全ての理不尽を焼き尽くすべく、大事に大事に育てられた、歪な想いの結晶。

「誰も知らなかったんです。誰も気づかなかったんです。あの人は意地を張って誰にも言わなかったから」

 いつしかそれが―――。



「本当はもう、あの人の心はとっくの昔に壊れているんだってことに」



 ―――自身を蝕むことを理解していながら。

「お願いです白銀さん………。私には、もう何も出来ません。気付けたはずなのに、気付いてあげられたはずなのに私は………私は………」
「霞………それは」

 これは社の責任ではない。
 思いを溜め続けた三神の責任であり、もしも彼ではなく他人にその責任を求めるのならば―――社だけではなく、彼の側に居た周囲の人間にも求められて然るべきだ。
 そう否定しようと思い、白銀は言葉を詰める。
 違うのだ。最早彼女は自らの特殊な力を忌避してはいない。その使いどころも、その意味も、全てを引っ括めて自覚している。自らの責任の上で、力を行使できる。
 だからこそ、その責任を今ここで否定することは、彼女の成長自体を否定することに他ならない。
 そんな事は、今までの社霞を知る白銀武として出来よう筈がなかった。

「―――」

 だから、何も言わずに抱き寄せる。せめてその涙を止める為に。

「お願いです白銀さん………せめてあの人が消え去るその前に、あの人の心を―――救ってあげて下さい」

 ただそれでも彼女は、白銀の腕の中でただ泣き続けた。
 それが彼女自身の涙なのか、それとも三神の壊れた心を読んだが為に感化されたものなのか理解らないまま―――。






[24527] Muv-Luv Interfering 第五十二章 ~運命の予告~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2012/09/11 05:03

 12月28日

 不意に、目が覚める。
 理解するのは背中越しの感触だ。慣れ親しんだシーツの触感と、お世辞にも寝心地がいいとは言いがたいベッドのスプリングの感触。そして、隣にある熱源。
 隣で寝入っているであろう彼女を起こさぬよう、宗像は軽く胸を張って気怠い身体を伸ばす。体内を流れる血流が変化し、寝惚けた意識が徐々に覚醒していく。身体を伸ばした反動を利用して、身を起こす。壁に掛けた時計を見て現状を理解する。まだ起床ラッパも鳴っていない早朝。普段の宗像ならば、もう少しは寝ていたはずだ。それでも目が覚めてしまったのは、環境の変化に他ならないだろう。
 つい、と視線を右手の方、環境の変化の原因へと向けてみる。
 身を横たえ、シーツを肩まで被って未だ寝入っている風間の姿があった。

(あのまま寝てしまったか………)

 昨夜の事だ。
 どうにも寝付きが悪くて、少し汗を流そうと軽くジョギングをしにグラウンドまで出て、帰って来る最中に風間を見かけた。最初は割りと軽い気持ちだったと思う。その夜、彼女とあの上官がプライベートで会うことは知っていたので、それを肴にするのも悪くはないかと風間に声を掛け―――少し事情が変わった。
 本人は否定していたが、何処か落ち込んでいるように見えたのだ。
 詳しいことは聞いていない。如何に同部隊所属で、私人としても付き合いがあるといっても、本人の口から語るのならばともかく、他人の事情に土足で踏み込むほど宗像は無神経ではないからだ。
 ただ、彼女が酷く落ち込んでいて、おそらくはそれにあの上官が関わっていることぐらいまでは予想できた。
 だから宗像は何も聞かず、何も語らなかった。ただ、親友を一人にはしておけなかったので、取り敢えず部屋に泊まっていく事を進めた。いくらか気が紛れるかと思って部屋に隠しておいた秘蔵の酒を少量振る舞い―――気付いたら現在に至る。
 眠りに落ちたままの風間が身動ぎする。髪から覗けた瞼は少しだけ腫れているように見えた。
 それを見て、宗像は深く吐息して天を仰ぐ。

「―――恨みますよ、少佐」

 事情は知らないが―――こういうのは大抵、男が悪いと相場が決まっているのだ。









 12月29日

 ペンシルベニア通り1600番地、と言われれば大抵の人間はある場所を思い浮かべ、アメリカ人にとっては一種の聖地であると答えるだろう。その聖地―――ホワイトハウスがウエストウイングの大統領執務室にて、シエスタの牛革に身を預け、積み上げられた書類を黙々と崩している男が一人。
 『自殺』した前大統領に代わって、今や一躍時の人となった前副大統領、デボン=シャイアーである。
 彼の仕事は前任大統領よりもハードだ。と言っても前大統領が楽をしていた、という訳ではなく―――正確に言えば、デボン自身が未だ副大統領としても半分は機能しているから、と言うべきか。
 かつて初代副大統領のジョン=アダムスがその座を『人類の作った最も不要な職』と嘆いたほどの閑職ではあったが、それも遠い昔のことで、特にBETAの地球進出以降は肥大化した行政権を分権することによって大統領の職責を減らし、名実共に要職となった。前大統領が死亡したことで継承法に則り、繰り上がり大統領となったデボンではあるが、では副大統領に繰り上がったのは誰かと問えば上院議員の最長老議員である。これは副大統領が上院議長を兼任するため、各所の摩擦がないように慣例的となっている。
 閑話休題。
 話を戻すと、実際、権限が移譲してまだ一ヶ月と経っていない現在、役職と仕事の引き継ぎが完全には終わっていないのだ。その上、数日後には人類史上最大の作戦とも言うべき桜花作戦も控えている。こんな状態で、きちんとした引き継ぎを行えるはずもなく、しかし行政を滞らせるわけにも行かず、結果として大統領としての仕事と副大統領としての仕事を抱え込んでしまったのである。実はもう三週間近くまともに寝ていない。
 自業自得ではあるが、しかしデボンはそれを苦には思ってはいなかった。まぁ、全部落ち着いたら数日休暇を取るつもりではいるが―――しかしそれも何時の事になるのやら。

(―――こんな十代のような無茶は二度としたくないな………)

 胸中で自嘲しつつ乾いた笑いを浮かべていると、執務机に備え付けられた電話が鳴った。ナンバーディスプレイに直通の文字が浮かぶ。訝しげに首を傾げながら受話器を取ると、嗄れた老人の声が聞こえた。

『よう、久し振りじゃのうデボン―――いや、大統領閣下』

 聞き慣れた声を聞いた瞬間、嫌な予感がよぎる。だが、それを表には出さず訪ねてみる。

「大、将………?どうしてこのホットラインを?」
『はっはっは。決まっておろう。―――退役軍人省には色々なツテがあるんじゃよ』

 愚問だった。何しろこの老人はかつてBETA大戦に於ける『最初の英雄』と謳われた男だ。本人が口にした退役軍人省は勿論、政界、財界その他諸々と、下手すると発言力を持っていない分野のほうが少ないかもしれない。そんな彼が上官であったのは随分と昔の話だが、今でも私人としては薄いながらも付き合いがあった。と言っても、年に二、三回手紙のやり取りをする程度で、実際に声を聞くのは相当久し振りだ。

『まぁ、昔話もしたいところじゃが………君もそう暇な身じゃないじゃろ?だから手っ取り早く本題に入ろうか、大統領閣下』
「貴方に閣下扱いされるのはこそばゆいので辞めて下さい、大将」
『そんな事言ったら君もそうじゃろうに。儂も、もう「元」大将じゃよ』

 アメリカ軍にその人ありと言われた男がくくく、と喉で笑い。

『来週あたり、面白い祭りが開催されるようじゃの?』

 予想通りに嫌な問い掛けをしてきた。となると、次の言葉も大体想像がつく。

『戦術機を一機、都合して欲しい』

 ほら来たぞ、とデボンは渋面を作った。
 老いて尚壮健、と言う言葉があるが、この老人の場合老いて尚血気盛んと言った方がいい。早い話が中身がまるで子供なのだ。
 だからデボンはそんな大人子供―――もとい、老人子供に言い聞かせるように言葉を作る。

「あのですね、『元』大将………。色々言いたいことはありますが、御歳を考えて下さい。御歳を。一体何処の世界に退役した老人の出撃を許可する大統領がいますか。それも戦術機で。乗れないでしょう?そのお身体では」
『別に軍属復帰させろとか戦列に加えろとは言ってはおらん。戦場は儂が選ぶからの。後、儂を甘く見るなよ?今も週一でギムリッドの坊やをからかう為にパターソンでレガシーホーネットを乗り回しておるわ。それに、何もラプターよこせと言ってる訳じゃないんじゃ。この際贅沢は言わん。F-4でも何でもいいわい。―――おぉ、そう言えばボーリングにヴァイパーが何機か転がっておったじゃろ。あれでいいわ』

 よし後でライト・パターソン基地の基地司令に陳情しておこうそしてこのジジィなんでもいいと言いつつ実は当たりつけて来たな、と胸中で毒づきながらボーリング基地のF-16の事を思い出す。
 あれは確か―――。

「あのF-16は共食い用の予備ストックですので多分一機たりともまともに動きませんよ?」
『じゃぁスコットに展示してあるF-5でもいいわい。あ、勿論Eの方な?』
「整備に時間が掛かって間に合いませんよ………。それに、貴方を戦場に出させるわけにも行きません。お立場を考えて下さいお立場を」

 前述した通り、この老人は―――信じがたくそして頭の痛いことに―――BETA大戦『最初の英雄』なのである。彼が行った数々の行動はアメリカには勿論、他国にも利益を齎したし、今の対BETA戦術の基礎はこの男がいなければ無かったものだ。
 アメリカ人はその国民性から英雄待望思想が強いが、その反面英雄の逝去には強い影を落とす。例えそれが退役していて軍事的に『用済み』な英雄であったとしてもだ。
 だから個人的な感情を差し置いても、デボンはこの老人の味方はできない。現在の政情下はお世辞にも安定しているとは言いがたい。民衆の不安を煽るような要素を万が一にも創り出す訳には行かないのである。

『何じゃい何じゃいケチじゃのう。君が支援している財団の方も儲かっておるんじゃろ?ん?知っておるぞー、君がトムキャットの改修機でヒャッハーして挙句の果てにそのデータで第三世代機作りおったの。―――この間の日本の作戦で出て来おったムラクモとか言うトンデモ兵器に色々出し抜かれたようじゃが?』

 いらんこと言うので受話器を置こうとするが。

『ま、待て待て。な?短気は損気じゃぞ!?』

 流石に付き合いが長いこともあって何をしようとしたか分かったらしく、慌てた様子で押し留める。
 余程慌てたのか、おそらくは電話の向こうで居住まいを正したのだろう、軽く咳払いが聞こえた。

『まぁ、何だ。儂もなぁ、そろそろケジメを付けなきゃならんのよ』
「ケジメ、ですか?」

 尋ねると、ああ、と短く返って来た。

『医者に言われたよ。後一年生きれるかどうか、とな』

 告げられた言葉にデボンは無言。
 何度かした手紙のやり取りで、数年前からこの老人が食道癌を患っている事を彼は知っていた。何しろ現役時代から『呑んだら乗って、乗ったら呑んで、呑んだらまた乗る』と言う戦闘機―――いや、飛行機黎明期の悪習を地で行っていた程の飲兵衛だ。アルコールと言う毒物を習慣的に摂取している以上、いずれ何かしら身体に不調が出ることは分かり切っていた。気になったので以前こっそり調べたが、事実だった。
 そして医者の言う余命宣告も、実は結構曖昧なものだが―――何の根拠もない戯言、と言う訳ではない。

『いつか決着を着ける必要があるとは思っておった。儂の終わりはどう考えても戦場にあるし、その時が来たら生身でも行くつもりじゃったよ。けどなぁ、あの若いのに中てられたんじゃろうなぁ………』

 あの若いの、と聞いてデボンは一瞬だけ考える。すぐには分からなかったが、老人の次の言葉で理解した。

『抱いたよ、儂の希望。だから最後は―――いや、最期ぐらい、派手に「生き」たい』

 数日前のオペレーション・サドガシマで世界に夢と希望を語って聞かせた青年将校だ。確かに彼の声は世界中に届いたが、それは軍人だけだ。何故最早一般人であるこの老人が知っているのか小一時間程問い詰めたくなったが―――退役軍人省のツテで大統領執務室へのホットラインに電話をかけてしまう時点でもう何か色々と無駄な気がした。どうせ先程出たライト・パターソンの基地司令が絡んでいるのだろう。後で減俸だ。
 ともあれ、あの大演説でこの老人の心に火が付いたらしい。実に厄介なことに。

『なぁに、儂とてかつてはNCAF-X1で月面を駆った男じゃ。そう簡単にはくたばらんよ』

 それだから困ってるんですが、とデボンは吐息する。
 この老人が『最初の英雄』たらしめているのはまさにそれだ。第一次月面戦争中期、月の前線に試験投入されたNCAF-X1に、まだ年若い将校だった彼は乗っていた。そこでの戦果は一切公表されていないが、当時を知る人間の間では割りと有名な話だ。
 そしてそれ知らない人間であったとしても、彼を『最初の英雄』として認識している。
 と言うのも、BETA大戦初期、光線属種の台頭で航空戦力が無力化され、いざ戦術機を導入した際に起きた摩擦―――即ち、戦闘機からの機種転換と対BETA戦術の基礎の確立を、月面戦争での経験を元に行ったのが彼だ。
 かのラスコー=ヘレンカーター提督が『戦術機の父』であるならば、彼は『戦術機の教師』とも言える存在だった。
 だからこそ、この老人の影響力は計り知れない。

「現在、我が国は桜花作戦のために戦力を抽出しております。余剰機体は確かに出てくるでしょうが、どれも貴方には渡せられません。損失すると分かってて渡せられるはずが無いですからね」

 断らなければならなかった。
 老人の要求を呑むことは、大統領としてしてはならないことだ。

「何しろ我が国の戦術機は国民の血税で作った兵器です。貴方一人の我侭のために一機損失すれば、億の金が動く。国の主導者として、それは断じて認められません」

 だが―――。

「―――ですから、私が『個人的に』支援する財団から『個人的に』機体をお貸しします。現在調整している第三世代機の概念実証機で、専用の特殊兵装も載ってませんが、紛いなりにも2.5世代機です。お気に召すとは思いますよ」

 知っているのだ。
 この老人がどれほどの悔恨と悲嘆を抱えていて、その捌け口を戦場に求めているのかを。
 かつては部下であったが故に。
 そして今は友人であるが故に。

『―――すまんの』

 返ってくる声は、言葉以上に申し訳なさそうだった。

「元部下から元上官へ―――いえ、現友人として出来る事をするだけです」

 きっと、自分の静止は届かない。
 国中の軍人が、国中の国民が総出で止めたとしても、この老人の意志は揺るがない。何しろこの老人には、最早それ以外の何も残されていないのだから。
 例えここでデボンが突っぱねたとしても、この老人は身一つ、拳銃一つでも戦場に乗り込むだろう。

「―――大将」

 ならば古き友人として出来る事は、打てる手を全て打って、万全の態勢で送り出してやることではないか―――デボンはそう考えたのだ。
 例えその先に、彼の明日が無かったとしても。

『―――何かね、閣下』
「全てを終えて、まだノコノコと生きていらっしゃったら、またジャックの店が潰れるまで飲み明かしましょうか」
『はっ、血が出るまで吐き戻しよった若造がよく言うわ』

 叩かれた軽口を聞いて、デボンはそっと受話器を置いた。
 そして呟く。

「―――さようなら、大将」

 もう、二度と出会うことの叶わぬ友へ向けて、せめて別れの言葉を。








 12月30日

 僅かに衣擦れの音がして白銀の意識は現実へと引っ張り上げられる。隣の熱源が無くなったためか、妙に身体が冷えてぼやけた現実の輪郭が明瞭になる。
 視界に映るのは、見慣れた赤毛。

「―――すみ、か………?」
「あ、ごめんねタケルちゃん。起こしちゃった?」
「あぁ………いや………」

 いつもの黄色いリボンを結っているのは鑑だった。
 その後姿を認めて、白銀は昨夜からの記憶を今に連結させる。昨日は―――正確には昨日も、A-01全員で対オリジナルハイヴ攻略のシミュレートを一日中行なっていた。全機生存率は95%。『前の世界』と比較すればこの数字は決してよろしくはない。『前の世界』ならば、現在よりも少ない人数と劣る兵装で一昨日には全機生存率100%になっていたからだ。
 しかし、これにも一応理由がある。
 今回は前回よりも優れた兵装と人数で挑むことが出来るが―――代わりに、因果のイレギュラーと言う全てをひっくり返しかねない爆弾があるのだ。事実、先の甲21号作戦に於いても新種のBETAから母艦級まで厄介極まりないものが土壇場で出てきているのだ。今回が無いなどとは考えられない。
 ならば、とばかりに香月が考え得るイレギュラーを全てシミュレーションの中に組み込んできている。その結果が95%という数字だった。それを考えれば、決して悪くはない数字だった。
 それはともかく。
 ここ最近の苛烈極まる訓練を熟し、更に白銀は自主訓練も夜中まで行なっている。連携も勿論必要だが、連携の根幹を支えるのは当然個人の技量だ。そちらも疎かには出来ないと考える白銀は、誰よりも遅くまでシミュレーター室に籠っていたりする。
 如何に戦術機特性が化け物じみているとは言っても、彼も人間であり疲労はある。実は白銀の部屋は未だに訓練兵時代の部屋なのだが、地下にあるA-01専用のシミュレーター室からだと若干遠いのだ。へばった身体で戻るのはどうにも億劫なので、最近はB-19階にある鑑の部屋をちょこちょこ寝床にしていた。因みに『ついでにイチャつけるし一石二鳥だ!』と気軽に言ったら、どりるみるきぃを喰らった。当然だ。
 ともあれ、昨日もそんな感じで―――日付が変わった辺りまでは記憶がある。オリジナルハイヴ攻略以外にも懸案事項があった白銀は考え事をしていて、そのまま寝落ちしてしまったようだ。

「朝ご飯、貰ってきてあげるね?タケルちゃんはもう少し寝てていいよ?起床ラッパはまだだし」

 時計を見てみれば、5時45分。確かにもう少しだけ惰眠を貪れる。
 だが、その前に―――。

「なぁ、純夏………」
「ん~?」

 身を起こして声を掛けて、白銀は言葉を詰める。
 この懸案事項を彼女に相談してもいいだろうか、と自問する。だが、あの場に彼女はいなかった。そして、直接的に彼に借りがあるのは他でもない白銀自身だ。

「あ―――………腹減ったから、早くしてくれ」

 結局、それだけ口にすると、鑑は軽く笑って頷いて部屋を出ていった。

「ふぅ………」

 誰もいなくなった部屋で、白銀は深く吐息して再びベッドに寝転んだ。
 あの日―――本当の『ミカミショウジ』を見た。哄笑を上げ、天を睨み吼える孤独な狼。考えてみればそうだ。壊れないはずがないのだ。白銀のループはあくまで断片的なもの。今回こそ異例で『前の世界』の記憶を全てを引き継いでいるものの、以前は中途半端な継承しかされなかったはずだ。
 では逆に、常に全てを引き継いでいたら、どうなっていたか。
 ―――正直、ぞっとしなかった。
 ただの記憶ならば、それでいい。だが、『死んだ記憶』まで全て引き継いでいたら―――果たして人は、その苦しみに耐えられるだろうか。
 一度ならば耐えられるかもしれない。では二度目は。三度目は。まして、こんなBETAが蔓延る世界だ。自然死や事故死、他殺や自殺よりもまず間違いなく―――『喰われた記憶』の方が多いはずだ。
 喰われる、と言う本能を直に刺激する恐怖。
 それを抱え、平然とするためには。

(壊れるしか、ねぇよな………)

 だが、ただ壊れるだけではダメだ。それはただの狂人だ。理性を失えば何もできなくなる。因果を切り開き、全てを超えて走り切るためには正常な部分も必要だった。
 その絶妙なバランスを、『ミカミショウジ』は取っていた。少なくとも出会ってから二ヶ月間、白銀は彼の心が壊れているなど知る由もなかった。いや、今も正確には何処が壊れているのかは分からない。
 だがしかし、あの狂態が正常だとはどうしても思えなかった。
 そんな彼の心を、せめて消え去る前に救ってくれと社は言う。

「どーすりゃいいんだよ、本当………」

 やり方など分からない。
 そして恐らく、リミットは近い。
 この世界に繋ぎ止めることも不可能だ。
 何がトリガーかは分からないが、それが引かれれば、三神庄司は間違いなくこの世界から消える。それは、彼自身の望みでもあった。
 ならばそのまま静かに見送ってしまえばいいのではないだろうか、と言う考えも鎌首を擡げる。あれはこちらが手を貸さなくても、自分のことは自分で片付けられる人間だ。余分なことをして、却って邪魔になるのは頂けない。

(だけど………)

 これで最後なら。
 これが最期なら。
 もうお終いなら。
 せめて彼に、何か恩を返せはしないだろうか。

「白銀さん………」

 そんな風に考えていると、部屋の入口から声がした。視線を向ければ、ドアを少しだけ開け、その隙間から顔をのぞかせている社が居た。
 どうも、読まれていたらしい。

「―――心配すんな。まだ少しだけど時間はあるから、何とかしてみるよ」
「お願いした私がこんなことを言うのはおかしいですけど………無理はしないで、下さい………」

 顔を伏して、どういう表情をすればいいのか分からない社を、白銀は柔らかく微笑んで手招きした。

「何とかするさ。―――あいつには、色々借りもあるからな」

 膝の上に座らせ、その小さい体を後ろから抱き締めながら白銀は呟く。
 ―――その方法は、未だ分からないと理解しながらも。









 その男が横浜基地の格納庫を預かる整備兵として働き始めて、早二年近く。日本人であることも考慮され、撃震から不知火まで幅広い機体に触れてきた職人ではあるが、ここ最近触るようになった叢雲と言う機体に関しては素人とも言えた。
 いや、彼だけではない。何しろ新型―――しかも、既存の戦術機とは一線を画すモノだ。彼は勿論、整備班を預かる親方とて例外ではなかった。実際に建造してきた開発部との連携を取って、ある程度のテンプレを作ったは良い物のまだまだ粗が多く、日に日に何かしらの更新が行われている。まぁ、頻繁なアップデートやディスカッションは今が過渡期である証拠で、こうしたものも徐々に落ち着いて固まっていくのだが―――いかんせん、固まる前に実戦が差し迫っているのである。
 戦場で衛士が戦術機の性能を100%引き出せるように最高のコンディションに持っていくのが整備兵としての戦争だ。では、衛士の思う100%の性能を引き出せる最高のコンディションと言うのは何なのか、と問われれば―――これはもう、実際に戦術機を手繰る衛士のフィーリング、と答えざるを得ないだろう。幾ら数値上が規定値であったとしても、実際に触らせないと分からないのである。それが所謂着座調整やら何やらなのだが、他にも調整に衛士の手を借りなければならない部分も多い。例えばこれが熟年夫婦のように連れ添った衛士と機付長ならばそんなものは必要ないのかもしれないが、男が今回機付長として担当する白銀武中尉と出会ったのも2ヶ月前、叢雲と言う機体触れたのも三週間前だ。阿吽の呼吸を求められても正直困る。
 だから彼は機体に乗る本人に聞かなければ分からない細かな調整を手伝ってもらうべく朝早くから彼を探し―――。

(参ったな………白銀中尉の居場所が分からん………)

 途方に暮れていた。
 普段、何故か彼が寝床にしている訓練兵用の部屋には行ってみたが、もぬけの殻だった。朝早くに起きて早朝訓練でもしているのかと思って、トラックや周辺も覗いてみたが見当たらなかった。ではPXで早めの朝食でも取っているのかと思って来てみたが、それらしい影がなかった。
 しかし代わりに―――。

(おや?あれは………確か白銀中尉の嫁さん………?)

 長い赤毛に、黄色いリボンの少女と言う特徴が目に入り、記憶からその容姿を引っ張りだすと合致する。何やらPXの最高権力者、京塚曹長と会話をしている両手には配膳トレイが二つ。京塚曹長が『ワゴン貸そうか?』と尋ねているようだが、彼女は大丈夫ですよーと軽く返してスタスタと通路の奥へと消えていった。

(ふむ………彼女なら白銀の中尉の居場所を知ってそうだな………)

 そう結論づけて、男は少女を追いかける。

「あの、鑑、技術少尉?」
「はい?」

 少しばかり気後れしながら声をかけると、首を傾げて少女―――鑑は振り返る。両手にトレイを持っているのにも関わらず、危なげもなく器用にターンを決めるので男は少しばかり驚いた。

「あ、えぇっと、確か整備班の………」

 こちらが驚いて空白を作っていると、鑑の方が男を認識したようだ。おぉ、若い娘に顔覚えられてますよ僕………!等と感涙極まる胸中だが、実際に顔に出したらただの不審者だ。
 自重自重、と男は念じつつ敬礼する。相手は技官少尉だが、少なくとも整備班の副長―――上等整備曹長よりは上官だ。帝国ならば整備兵でも特修兵として尉官、左官になることも可能だが、国連軍は若干内情が違う。尚、現場を指揮する者として横浜基地が白陵であった頃からここの整備班のトップだった親方は階級も引き継いでいて、現在も少佐である。
 それはともあれ。

「あ、はい、白銀中尉の機体の機付長を務めているものです。実は中尉の機体について相談したいことがあったのですが―――中尉は何処におられるか御存知ですか?どうもお部屋の方には居らっしゃらないようでして」
「あぁ、はい。今からタケルちゃんの所に行くんですけど………整備班の人が探してたって伝えておきましょうか?」

 話を聞く限り、どうも嫁さんに飯を運ばせているようだ。羨まけしからんですねあの中尉!等と男は心の中で叫ぶ。

「いえ、そう願いたいところですが………掛かる機体が機体ですので、機密的に余り人を挟むのは宜しくないかと。………あ!別に鑑少尉を疑ってるとかじゃないですよ!?違いますからねっ!?」

 いかん………!折角若い娘さんに顔を覚えてもらったのにこのままでは印象が悪くなってしまう………!どうする僕!?と大いに慌てていると、彼の内心に反して鑑はにこりと柔らかく笑い。

「分かりました。えっと、じゃぁ付いてきてもらえます?」

 えぇ娘や………!感涙咽びく胸中をひた隠し、

「あ、ぼ、僕も持ちますよ!」

 若い娘さんのポイントを稼ごうとする。
 まぁ、如何に女性軍人が多い世の中になったとは言え、男やもめな部署は多々ある。特に、この基地の整備班は顕著で主に整備する機体―――不知火は日本人限定と言う枷のせいで、碌に人員補填もされず、結果として三年前の大規模侵攻以前のメンツのままで部隊を運用しているのだ。
 そんな中にいれば、女の子相手に良い所見せたくなるのも無理は無い。例えその娘に旦那がいるとしても。
 ともあれ、彼女からトレイを受け取り、朝食であろうそれを運ぶのを手伝いつつ鑑と男はエレベーターに入る。
 地下にいるのだろうか、と首を傾げていると、鑑が迷いなくB-19階のボタンを押し、ボタンの横の認証IDスリットに自らのIDを滑らせた。
 はた、と気付く。自分のIDでは地下格納庫があるB-10階までが限度である。

「B-1………9………?あの………自分が行っても大丈夫でしょうか………?」
「大丈夫ですよー。私の権限で通してあげますから!」

 無論、機密的には大問題である。
 何となく流れで着いて来てしまったが大丈夫だろうか、と段々不安になっていく男を載せてエレベーターは地下へ地下へと降りていき、目的の階まで辿り着く。
 鑑は男を先導しながら進み、通路の先にある部屋まで来るとドアをノックせずに開ける。

「タケルちゃ~ん。朝ごはん持って、き………た………………よ………………………?」

 ドアを開け部屋に入った鑑が不自然にフリーズするので、男は不思議に思い、鑑の肩越しに部屋の様子を確認する。
 その目に映ったのは、上半身裸の男、改造軍服に身を包んだ銀髪の美少女。
 状況を整理する。
 上半身裸の男―――白銀武中尉が上半身裸で横浜基地男衆全員の妹にして娘(勿論非公式)である社霞を膝の上に乗せ、後ろから抱き竦めている。きっと髪とかクンカクンカしているに違いない。そんな場面で登場した本妻。所謂、ザ・修羅場と言う場面だが―――男は違う場所に着目して衝撃を受けていた。
 即ち―――。

(こ、これは―――!

 背・面・座・位!!

 あぁぁぁぁ………まさか、まさか―――機体の重要な調整を相談しようとしている相手がこのような異常性癖の持ち主だったとは!
 子供相手に信じられん!僕なら断然巨乳の女、映画女優で言うとイザベル・アジャーニが良いのに!
 しかし!しかしこの男以外に調整の相談を頼める相手がいないのは確かだ!何せ彼が乗るんだし!ならば僕は敢えて社会道徳をかなぐり捨てて見て見ぬふりをしなければっ!
 そう、そうだ、そうなんだ、これは―――。

 超・法・規・的・措・置………ッ!!

 僕は世界の平和のため一人の不幸な少女の人生を敢えて、敢えて見て見ぬふりするのだ!
 あぁぁあ最低だ最低だ!
 僕は何と最低な整備兵よ!
 故郷の両親よ、別れた女房よ、女房の実家に引き取られている一人息子よ!
 この僕の魂の選択を笑わば笑え―――!)

 その選択とは―――。

「―――見なかったことにしよう♪」

 フリーズしている鑑の手からトレイを取り上げ、恥ずかしそうにそそくさと部屋から出てこようとする社を英国紳士張りに出口へエスコートし、男は部屋のドアをそっと閉めた。
 そして、お約束が来る。

『タ―――ケ―――ル―――ちゃん………?』
『いや待て誤解だ純夏落ち着けこれは別に変な意味でああなった訳ではなく………!』
『どりるみるきぃ―――』

 直後、ドゴン、と何かが踏み締められる音がして―――。

『―――しゃいにんぐ、なっくる………!』
『えぇええぇ――――――――――――くすっ!!』

 ドアの隙間から、五色の燐光が一体となった光が溢れ、何かが派手に連打される音が聞こえた気がしたが、男は宣言通り目も、そして耳も塞いでいたため何が起こったかは知ることはなかった。
 ただ、心の中でただただ合掌し、若干『ざまぁみろ』と思っていた事だけはここに記しておく。









 12月31日

 横浜基地の正門に続く桜並木。夕日に照らされたそこには、一つの墓石があった。
 否、それを墓石と言うにはあまりにもお粗末だ。ただのコンクリートを墓に見立てただけの、ただの標。その下に誰が埋まっているわけではなく、建てた者が感傷だと知りつつも『いつか』の『かつて』を忘れぬが故に作った―――言わば、『未来の墓』。
 そして同時に、最早同じ過ちを繰り返さぬと刻んだ、誓いの場所。
 その場所に、一人の男が立っていた。
 何も声を掛けない。
 手も合わせようとしない。
 しかしそれでいて、彼は『其処にいて其処にいない』存在を偲んでいた。
 手繰る言葉はきっと胸の中で十分だ。だから、男は最後に踵を揃え最敬礼で別れを告げる。

「………では、白銀武大佐。三神庄司臨時少尉、これより出撃します。
 ―――どうか、お元気で」

 呟きは風に溶けて消える。
 三神は踵を返し、正面ゲートへと戻る。30分後には地上で行う最終ブリーフィングがある。その後は戦術機に乗って打ち上げ準備を行い、二時間後には遥か上空―――星の海の中にいることだろう。
 最早思い残すことはない。
 全てをこの作戦に捧げ、一世紀近くに渡った因果を消滅させる。
 そして―――。

「よぉ」

 三神が正面ゲートの衛兵の敬礼に応えようとした時だった。背後から声を掛けられた。聞いたことのある声だ。実際に耳にするのは、二週間振りぐらいか。

「―――………。どうかしたのかね、斑鳩少佐。佐渡ヶ島も取り戻して、しばらくはゆっくり出来るのだから嫁さんとイチャコラしていればいいのに」
「充分してるさ。―――ガキも無事に生まれたことだしな」

 振り返ると、蒼い軍服を着た青年―――斑鳩昴がいた。その後ろには護衛であろうか、赤と白の軍服もある。

「ほう、名前は?」
「暁って名付けた。悠陽ちゃんと冥夜ちゃんに肖ってな」

 成程、と三神は呟く。煌武院悠陽を『夕』、御剣冥夜を『夜』。ならば続くのは確かに朝―――『暁』に違いない。いい名前じゃないか、と三神が返せば斑鳩は安直って言われそうで不安だったぜ、とおどけてみせた。

「それで、何故ここへ?」
「ただの見送りだ。―――手前ぇには世話になったかんな、それぐらいはしてやる」
「君の世話などした覚えはないがね」
「よく言うぜ。あの大演説で何人救われたと思ってやがる」
「それは彼等が生きたいと願って頑張った結果だろう。私は背を押すことすらしていないよ」

 佐渡ヶ島での大演説。恐らく、単体では効果は薄かっただろう。あの演説があれほどまでに士気高揚の効果を上げたのは、全てタイミングだ。だからこそ、A-02凄之皇との連携は必須だった。
 どんな荒唐無稽な未来地図でも、そこに至るための力を見せつければ疑心は吹き飛び確信へと変わる。
 取っ掛かりは、白銀が操る叢雲の単機無双。それによって、興味をそちらへ向け三神の声を聴きやすくする。そして声が乗った所で―――本命である凄之皇の一撃。
 あの戦場にいる者もいない者も、中継で、あるいは肉眼でその威力をまざまざと見せつけられたはずだ。衝撃を受け、言葉を失い、頭が空白となったはずだ。だからこそ、その心の間隙に三神の声は水のようにするりと入り込んだ。
 材料さえ整えてしまえば、あの程度の扇動は三神でなくても可能だっただろう。

「―――『逝く』のかよ?」
「ああ。ここが私の終着点だ」

 何気ない斑鳩の問いに、三神は確信を以って応えた。

「あの日、言っていたよな。お前が因果導体ってのから開放されるには大規模な作戦であることをしなければならないってよ」

 11月15日に行われた帝国と横浜の再交渉の場で、三神は自らの経験と因果導体の開放条件について少し触れている。斑鳩も事細かには聞いてはいないが、大雑把には知っていた。勿論、それを白銀に告げることを禁止されてはいたが。

「それがこの桜花作戦ってのは何となく分かる。で、お前はこの作戦で何をするんだ?」
「別に言う必要もないが………まぁ、最期だし、いいか」

 軽く肩を竦めると、三神は胸ポケットからタバコを取り出し口に銜え火を点けると、一度大きく吸い込んでから吐き出す。
 『三神庄司の因果導体開放条件は、人に相談すると取り除けなくなるモノ』。白銀武は最初に出会った時にそう知らされていた。これを噛み砕いて考えると、三神自身が自らの因果導体開放条件を告げるだけでその周回が詰んでしまうことになる。
 だが、ここで一つ『矛盾』が生じてしまう。
 何故なら、この男は『香月夕呼と出会った日には彼女に自らの条件を告げている』のである。ならば、彼はあの日―――10月22日の時点で詰んでいる事になる。にも関わらず、こうして開放条件を満たすために奔走している。
 即ち、これは―――。

「私の因果導体開放条件は―――『桜花作戦後に於ける白銀武の存続』。その一点のみだ」

 嘘〈ブラフ〉。
 それは、自己満足に至るために塗り固めた泥の橋。

「白銀の―――存続?」

 『生存』ではなく『存続』。生きると言う意味では同義語でありながら、本質的な意味では違う言葉だ。
 三神は小さく頷くと、もう一度深く紫煙を吐き出す。

「大方の予想はついているが詳しいことは私自身も分かっていないよ。ただ、その条件だけはどうも決定的なようでね。いや全く、今から頭が痛いよ」
「いや待てよ、だったら白銀に事情を話して―――」
「出来ないよ」

 斑鳩が言葉を紡ぎきる前に三神は切り払った。
 そんな安易な考えがあったならば、最初からそうしている。何しろ、三神が最も簡単に開放条件を満たすならば―――桜花作戦の時だけ何かしら適当な理由を付けて白銀を作戦から外し、安全な場所へ拘束しておけばいいのだ。いや、イレギュラーを考えれば、出会ったその日に拘束して、11月11日の迎撃戦もクーデターも甲21号作戦も出さなければよかった。であれば、あんな危うい場面に出くわすこともなかったはずだ。
 条件を満たすだけならば、これほど簡単なことはないのだ。何しろ三神は白銀よりも10日早くこの世界に来ていたし、今もって彼よりも上官の立場だ。軍人として命令を出せば今からでも作戦から外すことも出来る。
 だが、そんな事は他でもない『ミカミショウジ』として出来よう筈がなかった。

「あいつには、私の開放条件を他人に知られると破綻すると『嘘』を言ってあるし………何より、それは私の主義に反する」
「何でだよ………?」
「出来る限り、あいつの思う通りにしてやりたいのさ。それが『いつか』の日、『いつか』の場所で、多くの白銀武を救えなかった私の贖罪であり、多くの白銀武に救われた―――『俺』の恩返しだ」

 全ては、恩返しの為。
 だからこそ、三神庄司は白銀武の前に続いている道を全てを掛けて護り抜く。
 狂っている。
 この男は『恩義』に因って立ち、そして他でもない『恩義』に因って狂っている。だが、そうでなければ何百というループで壊れた心を繋ぐことは出来はしなかった。『正常』に見せることが出来なかったのだ。

「止められはしないよ、私は。例え誰であったとしても、ね」

 そう、最早誰も止められない。
 最早あらゆる未練は断ち切った。後は全ての精算を済ますだけ。

「んなつもりもねぇよ。でもよ―――」
「理解ってるよ。こんなことに拘り続ける私は正直、異常だ。少なくとも冷静な判断じゃない。子供のような我侭や意地のせいで、下手するとまたループしなくてはならなくなる。だけどな―――」

 理解はしている。
 『私』を擲って、誰かの為に事を成す。聞こえはいいが全ての『私』を擲ってしまえば―――それはもう、何も考えない機械と大差ない。
 理解はしている。
 その異常性も、これが一種の自己満足であるということも。
 それでも―――。

「私にはもう、こんな意地しか残っていないんだよ」

 最早『ミカミショウジ』は、止まれはしないのだ。

「ではな、斑鳩昴。―――嫁さんと子供によろしく」

 そして彼は微笑みを残して背を向けた。
 その背中に何も声を掛けることも出来ず、斑鳩は奥歯を噛み締めた。何かが悔しかったわけではない。何かに憤ったわけでもない。ただ、これが世界を駆け抜けた狼の最期の背中なのかと思うと、そしてその背に何の言葉を掛けてやれないのかと思うと、酷く打ちのめされた気持ちになってしまう。

「馬鹿野郎が………今にも泣き出しそうな顔しやがって、何言ってやがる」

 既に声は届かない。
 彼を止める権利も持たない。いや、理解する権利も持たないだろう。それが出来るのは多分、同じ因果導体であった白銀―――。

(ん………?)

 ふと、何かが引っかかる。
 同じ因果導体であった白銀。彼が因果導体になった理由は、幼馴染に因る願望で、それは彼等の言う『前の世界』で片付いている。故にこそ、今の白銀武は因果導体では無い。
 では三神はどうだろうか。
 彼は未だに因果導体だ。
 その開放条件は不透明ながらも分かっているようだった。
 では―――。

「じゃぁ―――アイツを因果導体にしたのは………一体、何処の誰だ………?」

 風が、静かに吹き抜ける。
 まるで戦場に急ぐように。
 斑鳩の疑問に答える者は、もう何処にもいなかった。









 夕焼けに照らされた横浜基地に、静かな男の声が重々しく響く―――。



『先の甲21号作戦により我が国連軍、並びに帝国軍は輝かしい戦果を挙げ、そして日本列島の喉元に突き立った敵の刃を圧し折ることに成功した。

 我々は手に入れた。

 BETA大戦開始以来、誰もが夢見、しかし朝露のように虚しく散っていたはずの―――勝利を。

 諸君。最早その夢は幻想ではない。

 諸君。最早その勝利は幻ではない。

 諸君。最早我々人は無力ではない。

 しかし、痛みを得ずにこれを手に入れることは叶わなかった。如何な分野でもそうであるように、犠牲を得ずに先に進むことはできなかったのだ。

 多くの命と貴重な装備が失われ、精も根も尽きはてんばかりだった。

 そしてこの決戦で、また多くの命が死んでいくだろう。命懸けで作った装備達が壊れていくだろう。しかしそれでも、我々は止まることは許されない。そう、決して赦されないのだ。

 それは何故か―――。

 それは全身全霊を捧げ希望に向かい直走ることこそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利へと殉じて逝った輩への礼儀であると心得ているからに他ならない。

 諸君、耳を澄ませ。

 そうすれば聞こえるはずだ。

 この大地に眠る者達の声が。

 この海に果てた者達の声が。

 この空に散った者達の声が。

 彼等の悲願に報いる時が、遂に来た。

 そして今、若者たちが旅立つ。

 鬼籍に入った輩と、我らの悲願を一身に背負い、孤立無援の敵地に赴こうとしているのだ。

 旅立つ若者たちよ。

 諸君に戦うすべしか教えられなかった我々を許すな。

 諸君を戦場に送り出す我らの無能を許すな。

 願わくば諸君の挺身が若者を戦場に送ることなき世の礎にならんことを―――』



 そして今、決戦の火蓋が切って落とされた。
 人類史上最大の戦いが、始まる。







[24527] Muv-Luv Interfering 第五十三章 ~戦場の端役~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2012/09/11 05:26

 1月1日

 転機が訪れたのは、1997年の事だった。
 当時、強制徴兵直前だったその少年は、一つの選択を突きつけられていた。失われた祖国を取り戻すべく、統一中華戦線の一粒となって戦うか、また別の道で戦うか。
 祖国、中華人民共和国の一時的な『無期限』撤退。大陸という大地を手放し、逃げこむ先は台湾。そこに軋轢が生じないはずがなかった。確かに1986年の統一中華戦線誕生より11年の歳月を経ているが、台湾は第二次世界大戦後から数十年かけて独立運動を行なってきていたのである。同じ轡を並べたとしても、その蟠りや軋轢が消えることはない。そして、中国共産党政府受け入れによって、今までのパワーバランスは見事に逆転した。
 即ち、台湾人が上に、中国人が下に。
 そんな中で、少年は中国人として戦っていけるのか。祖国を取り戻すならば、違う道もあるのではないのではないか。ただの消費されるだけの防波堤では無く、もっと違った方法で故郷を奪い返す事はできないだろうか。
 考えた結果、国連軍の門戸を叩いた。
 故郷を奪い返す為には、力がいる。今の統一中華戦線にはそれは無い。確かに規模から言っても日本と合わせて極東防衛線の要ではあるが、現状は限られた土地を守るのが精一杯で、とてもではないが大陸を奪回するだけの余力は残されていなかった。当時、まだ単なる市民であった少年でさえその程度の事は感じ取れた。これが軍部の人間ならばそれ以上の絶望感を感じていただろう。
 少年は賢かった。いや、正確に言えば賢しかった。
 天才と呼ばれる人種でこそないものの、要領よく世渡りが出来て、一を以って十とは言わずとも五は知れる人間だった。そしてそこそこ裕福だった為に徴兵も遅く、だからこそ、彼は生き残ることを第一に、故郷の奪還に至るための未来地図を描いた。
 その一歩が、国連軍だ。
 中国人として統一中華戦線に加われば、確かに最前線と行けるだろう。そこで戦功を上げれば上層部へ行く事も夢ではないだろう。だが、現実的に考えてみて、前述したように統一中華戦線での中国人の扱いはあまり宜しくない。歯に衣着せぬ言い方をすれば、差別化が凄まじい。現場レベルでの昇進は早いだろうが、それ以上ともなると政治と偏見と軋轢が邪魔して難しい。それに、昇進するためには最前線で生き続けなければならないが、これもまた難しいのだ。才能云々の前に、おそらくは決定的に訓練量が足りてない状態で戦場に送り出される結果になるからである。日本もそうであるように、統一中華戦線も部分的な免除はあるものの学徒動員は既に行なっている。だが、大陸での激戦に因る人員消耗は激しく、戦場での人員需要と訓練校からの供給バランスが圧倒的に崩れてしまっている。需要拡大する一方で、どの兵科も供給が追いつかないのだ。大陸からの撤退後は小康状態にあるが、当時は衛士が戦術機の整備や改修を行うのは当然、それどころか戦闘以外の雑用までやるのは当たり前だった。
 そんな状態で、まして訓練不足が目に見えているのにも関わらず戦場に出て―――果たして生き残れるか。
 答えは否だ。
 生き残るためにはとにかく力がいる。それを得る為には、訓練の時間を確保しなければならない。そしてそれは、統一中華戦線では得ることは難しいと判断した。
 しかし国連軍ならば、確かに任地こそ選べないが十分な訓練を受けられるし、戦場での経験を積み、武勲を立てれば上に行く事も可能だ。遠回りはするかもしれないが―――権力を手に入れることが出来れば、故郷奪還の足掛かりになる。
 だから少年は国連軍へと入り、一年を訓練兵として過ごした。幸いにも思った以上に衛士適正があった為に、卒業と同時に士官として順調なスタートが切れた。一番の心配だった『死の八分』も任地が後方だった為、同期に比べれば割とすんなりと超えることが出来た。
 そこから二年程、後方での実戦を数回重ね、上層部の人間から声が掛かった。曰く―――。

『今後のBETA戦争を鑑み、ダイヴ専門の衛士を育成を目的とした計画が立ち上がった。折しも先頃、宇宙総軍の第七降下兵団の一部に空きが出来たとの事で、そこに試験隊を設立することになった。その人員に、君を推そうと思うのだが―――どうだね?』

 宇宙総軍、それも軌道降下兵団と言えばエリート中のエリートだ。実際にダイヴし、更にハイヴ内にも入らなければならない事を考えれば、生半可な操縦技能では務まらないことは容易に想像できる。
 つまり、この引き抜きは自分の能力が認められたに他ならないのだ。
 しかし、ここで素直に喜ぶのは愚者のすることである。確かに軌道降下兵団は任務の難易度から腕のある者にしか務まらない。いや、ある意味では腕のあるものでも務まらないのかもしれない。
 作戦遂行時の生還率―――およそ二割。
 それが軌道降下兵団の現状だ。光線属種が支配する制空権を掻い潜り、地上に到達出来てもハイヴ内に潜らなくてはならない。更にそこから生還しなければならない事を考えれば、それだけで難易度を推し量れるだろう。
 自分の命を第一に、故郷奪還を夢見る少年にとっては、決断に悩む選択だった。上に行くためにはここで心証を良くしておく必要がある。しかし簡単に頷いて死亡率七割超の軌道降下兵団に入って、果たして生き残れるのか。
 少年にとって、二度目の大きな選択だった。
 結局、自分が所属する予定の部隊が育成を目的とした試験隊である、と言うことを考え―――頷くことにした。試験隊であれば、余程のことがない限り無茶はさせないはずだ。そしていずれの選択をしたにせよ、軍人である以上BETAと戦い命を落とす可能性がある。ならば、より戦果を挙げれる場所に居た方がいい。
 この選択は、少年にとって正しかった。
 目論見通り、試験隊は育成を目的としているだけあってハイヴの突入は一度もなかった。入隊から一年、普段は軌道降下の訓練と、緊急展開時のスクランブル降下のみだった。
 ―――少年は恵まれていた。
 いや、それを本当の幸福であるかどうかは人によるだろうが―――少なくとも、この世界の軍人にとっては恵まれている部類だった。
 それ故に、と言うべきか。
 今日、この日、少年は本当の絶望を知った。

『く、来るな!来るな―――!!』
『ひっ………!!やめ………ぎゃああぁぁぁぁああっ!!』
『畜生!畜生が………!!』
『助けて!誰か助けてぇぇええっ!!』

 動悸が激しい。発汗が止まらない。だと言うのに、身体は恐ろしく冷えきっている。それとは対照的に、頭は今にも沸騰しそうだった。何故だ、何故自分はこんなところで死ぬような目に遭っている。
 2002年1月1日。
 桜花作戦の決行。
 少年が所属する第七軌道降下兵団は、昨日未明から行われている桜花作戦のフェイズ1である陽動作戦の増援部隊として参加していた。
 場所はボパールハイヴ近郊。
 オリジナルハイヴであるカシュガルからは程近いここでの陽動は特に重要視されており、抽出された戦力もアフリカ連合の一部、中東連合の半数、国連軍印度洋方面総軍とそうそうたる顔ぶれだった。尚、残りの兵力は各国の直接防衛と、ユーラシア大陸に於ける対BETA防衛線の戦力増強に当てている。
 作戦の第一段階としてアラビア海洋上に集結させた陽動戦力を、かつては港湾都市であったインド西部のスーラトに強襲揚陸。そこを臨時の侵攻拠点として確保し、約300km北東にあるインドールを目指す。因みに、更にそこから北東100km先にあるボパールハイヴには手は出さない。フェイズ5まで育ったこのハイヴを相手にするにはこれだけの戦力があっても足らないことが、10年前のスワラージ作戦に於いて証明されているからだ。今回も同じボパールハイヴが相手ではあるが、当時はフェイズ4。今回はそれよりも一段階上のフェイズ5。それだけを考えても相当に戦力不足であることが容易に想像できる。あくまで今回は陽動のためにハイヴ近郊で派手に戦うのである。
 作戦推移は割りと順調だったと言うべきだろう。如何にフェイズ5まで育ったハイヴと言えど、ボパールハイヴのみでインド全域をカヴァーできるはずがない。先だって対BETA防衛線からも順次海上砲撃を行なっているので、BETAの防衛戦力を海岸線に散らせている。
 結果として敵の防衛線は薄く伸び切る事となり、一点集中としてスーラトに殴り込んだ陽動部隊は瞬く間に周辺BETAを駆逐した。その勢いをそのままに、破竹の勢いで陽動部隊は内陸へと侵攻していくのだが、当然、海を離れれば離れるほど支援砲撃が薄くなる。戦車等の陸上戦力も持ち込んでいるが、それでも心許ない。更には補給線だ。侵攻とともに各所に補給コンテナをばら撒いてはいるが、無尽蔵に出てくるBETAを相手にしていては弾薬など幾つあっても足らない。
 そうした経緯もあって、一度はインドールまで押し上げた前線も直ぐに60km手前のサルダルプルまで下げられる事となった。
 そして、煮詰まりつつある前線に増援戦力として投入されたのが―――少年が所属する第七軌道降下兵団だ。

『―――よそ見してんじゃねぇぞルーキー!』

 怒声とともに背後に轟音。
 網膜投影のカメラが後方で要撃級が挽肉にされていく様子を捉えた。喉元まで出掛かった悲鳴を飲み込み、少年は状況を確認。
 ほんの20分前まで空の上にいた彼等第七軌道降下兵団は兵団の約三割を光線属種の迎撃に因って損失しながらも最前線へと到着。質量兵器と化した再突入殻をBETA群へと叩きつけ引っ掻き回し、そのまま戦線に参加した。これにより一時的に優位に立ったものの、ハイヴから程近いここでは直ぐに敵の増援が来てしまい、今は再びジリジリと戦線を下げつつあった。

「あ、ありがとうございます!大尉!」
『棒立ちして礼を言ってる暇があったら動いて撃て!!こっちもテメェ等の御守りをいつまでもしてる余裕はねぇんだぞっ!?』
「は、はい!」

 白人の上官の声に急かされるように少年はトリガを引き絞る。狙いなど付けなくていい。どの道見渡せど見渡せど周囲には敵だらけだ。使い慣れたF-15Eの推進力に身を任せ、徐々に後退しつつ弾幕を張る。

(くそ………!これが―――これが最前線なのか………!?)

 途絶えること無く悲鳴と断末魔がオープンチャンネルで流れてくる。それを聞くだけで全身が身震いし、身体が恐怖で硬直する。
 前線は地獄だと耳にタコが出来るぐらい聞いていた。少年も後方ながらも実戦を経験している。人の死にも立ち会ったし、救いようがない理不尽にも何度も立ち会ってきた。だが、これは―――。

『戦車級が機体に………!だ、誰か!誰か取って―――いやああぁぁぁああああああっ!!』
『駄目だ!戦線が維持できない!HQ!応答を―――!』
『もうあいつは見捨てろ!間に合わない………!!』

 地獄だ。
 間違いなく、ここは地獄だった。
 戦車級に集られる戦術機が居た。逃げ切れずに突撃級に踏み潰される戦車があった。光線属種がいる為に上空に逃げられず、要撃級に囲まれ嬲り殺しにされる機体もあれば、何の痛みも感じること無く、光線属種のレーザーに撃ち殺される衛士もいた。
 死が、そこには充満していた。
 やがて断末魔も少なくなっていく頃、オープンチャンネルでHQから撤退命令が入る。戦線を一時ここより西方80kmにあるゴドラまで下げるとのことだった。命令が下ると、生き残っている機体が我先にと撤退を始めた。
 定石としては、幾つかの殿部隊を作るべきだが―――今は時間的にそれすらも惜しく、且つそんな物を即席で組めるほど生存機体は多くなかった。

『ちっ………仕方ねぇな。オイ、ルーキー!お前も後ろの役立たず共率いてとっとと後退しろ!バルーチまで下がれば補給もできるし、一先ずは安全だろう!後は適当な奴捕まえてそいつの指示に従え!』

 舌打ちして、先程の大尉がそう告げる。
 ちらりと網膜投影を見やれば、自分と同じように引き金を引くのが精一杯と言った蒼白な表情の少年が三人いた。彼等も少年と同じく腕と将来性を見越してスカウトされた口で、年も近いこともあってよく話す仲だった。
 決して腕は悪くはなかったが―――少年と同じように、最前線へのダイヴは、今回が初めてだった。

「た、大尉は―――?」
『俺は殿だ。マヌケな事に中隊を失っちまったからな………化け物どもにゃ責任とって貰わねぇと、あの世で馬鹿共に合わせる顔がねぇよ』
「そんな―――」
『いいから行けよヘタレ!お前の事は前から嫌いだったんだ。チャイニーズの分際でちっと腕がいいからってデカイ面しやがってよ。いざ最前線に来たらそのザマじゃねぇか!!』

 その通りだ。
 どんな戦場であってもやっていく自信があった。その為に環境を整え、誰よりも訓練してきたはずだ。だと言うのに、ただ一度の最前線で身を竦ませ、今は戦うどころか完全な足手まといだ。

『ヘイ、チャイニーズ。悔しいか?悔しいだろ?だったらとっとと引っ込んで、一から自分を鍛え直して来い。そしていつか、見下したこの俺の鼻を明かしてみろ。―――いいな?』

 少年は、突撃砲の弾倉を交換しつつ告げる白人衛士に死相を見た。この状況、そしてこのタイミングで殿を務めると言う事は自らの命を差し出すことに他ならない。それでも、誰かを救うのだと決めた者の瞳は、悲愴よりも執念の色を帯びていた。
 その意味を、未だ未熟な少年には理解することが出来なかった。ただ、きっとこの白人衛士にも紡いできた物語があって、それを糧に生きてきたからこそ譲れない一線があるのだろう。

「了、解………」

 だから、まだ何も知らぬ少年は、ただ頷くことしか出来なかった。

『―――じゃぁな、強くなれよ………!』

 そして先達が去って逝く。
 自らの命を賭して、一秒でも長く時間を稼ぎ、続く世界を救うために。
 少年には理解できない。
 彼にとっては自分の命が一番だ。そうでなければ何も出来ない。まず前提として自分の命があるからこそ、誰かを護ることができ、故郷を取り返すために力を蓄えることができる。それを擲ってしまえば、後に残るのは死という無だ。
 少年には理解できない。
 だからこそ、きっとこの瞬間が少年にとって初めての―――完全な、敗北だった。









 ドイツはマクデブルクの旧市街地を北西に爆走する戦車師団があった。
 桜花作戦に於ける欧州方面の陽動はフェイズ5のブダペストハイヴを中心に行われていた。欧州連合の中心国であるイギリスに最も近いハイヴはブダペストではなくフランスにあるリヨンハイヴではあるが、こちらもフェイズ5まで育っている上、イギリスに『近すぎる』と言う不利点があるのだ。下手に叩いて大逆襲でも喰らった日には、消耗した後の戦力で応戦しなければならない。他国から応援を要請しようにも、その頃は何処の国も同じように消耗しており応じる事はできないだろう。であるならば、欧州連合は比較的被害の少ない運用をしつつ、より効果的に陽動を行わなければならないのである。
 そこで最有力候補に上がったのがブダペストハイヴだ。
 フェイズ5であるが英国からは若干離れている為に比較的時間稼ぎをしやすく、リヨンハイヴとミンスクハイヴの中間点に存在するため、ここを激しく叩けば両ハイヴから増援が出てくる。上手くすると、更に内陸にあるウラリスクハイヴからも増援が釣れるかもしれない。こうした考えもあって、陽動作戦はブダペストハイヴ北西―――場所的にはチェコのプラハで行われた。
 ブダペストハイヴから300km圏内と言う近距離ではあるが、リヨンハイヴとミンスクハイヴからほぼ等距離にある為、波状増援ではなく一斉増援になりやすく、その分撤退のタイミングが見切りやすいのである。
 果たして、目論見通りブダペストハイヴを叩くだけ叩いた所で北東ミンスクハイヴ、南西リヨンハイヴからの大増援が到達し、欧州連合は遅滞戦闘を行いつつ速やかに後退を始めていた。
 釣れたBETA総数、都合18万。尚も増加中だ。
 怒涛の勢いで進軍してくるその様は、まさに津波。ブダペストハイヴを相手にした後での戦闘は、些か以上に辛いものがあり、恐らく最も辛い状態にあるのが戦車や自走砲を始めとした陸上戦力だった。
 コンテナ一つを持ち込めば簡易ながらも補給の出来る戦術機と違って、その他の陸上戦力は補給に思いの外時間と場所が掛かる。加えて、最大戦速はBETAを大きく『下回る』。
 つまり、どれほど全力で逃げたとしても彼等が主力として乗るレオパルド2では68kmしか出ず、突撃級は疎か戦車級からすら逃げられない。その為、後退時は戦術機に因る遅滞戦闘の恩恵に預からねばならず、それが一部でも崩壊すれば彼等の命はない。
 現状、最前線はトルコとの国境沿いにあるケムニッツで行われているようだが、先程入った情報では一部のBETAが網から漏れだしここから南東100kmのライプツィヒへと進軍しているとのことだった。
 まだ100km。
 もう100km。
 突撃級なら、45分程度で走破する。弾薬は、もう心許ない。相手にできて、小隊規模―――それも、一度切りという条件付きでだ。そしてその情報が流れたのは30分以上前。もういつ追いつかれてもおかしくない。

「えぇい増援部隊はまだか!?」
『駄目です。ベルリンとカッセルの防衛戦に戦力を割かれてそちらまで手が回りません』

 師団長を兼ねる車長が叫ぶと、CPの無情な返答があった。

「くそっ!このままではBETAに追いつかれるぞ!?」
「ちょっ!ヤベェ………!」

 拳を車内に叩きつけていると、不意に後方警戒をしている砲撃手の呟きが、全力走行中にも関わらず妙に明瞭に聞こえた。

「っ!?」

 キューポラ越しに覗く車両後方。砂塵を巻き上げてこちらに迫ってくるのは突撃級の群れ。
 逃げ切れなかった。
 彼我の距離は精々2、3km。
 数分と掛からず追いつかれる。
 だとしても―――。

「レオパルド全機横隊陣形展開!前進行進後方水平射撃用―――意―――!!」
『了解―――!!』

 ここでただ朽ちる訳にはいかない。
 師団長が叫ぶと、戦車師団所属のレオパルド2全車の砲塔が後方に向けられ、残り少ない砲弾が装填手によって装填される。ここを凌がねば次が無い。ここを凌いでも次は無いかもしれない。しかしだとして、どうしてここで諦められようか。

(人類史上最大の作戦!全世界規模で行われているこの作戦で、栄誉ある我等イギリス軍が早々に諦めたとあっては女王陛下に申し訳が立たんのだ………!!)

 だからこそ―――。

「ってぇ―――っ!!」

 命を賭して砲撃を叩き込んだ。
 轟砲と共に一斉に放たれた砲弾は横並びに走り来る突撃級群に吸い込まれていき、外殻を貫いて最前面戦力を封殺。続く後方の幾つかを巻き込んで上手く『事故』らせた。
 本来、全速力前進を維持しての後方射撃等、命中率を著しく低下させかねないのだが、師兵団規模に加えこの近距離での水平砲撃ならば突撃級の脚を狙えると踏み、見事初撃を制した。

「次弾装填急げっ!」
『了解!!』

 だがこれで終わりではない。
 突撃級を蹴散らし、その残骸の向こう、ちらりと見えたのは赤い影。
 戦車級だ。突撃級に遅れること数分と言ったところか。正確な数は分からないがいずれにしても悪い予感しかしない。
 単体での脅威はさほどでもない。同じ戦車の名を冠してこそいるが、威力だけなら圧倒的にこちらの方が上だ。それでも奴等が何故戦車の名を戴き、且つ戦闘車両の天敵足りえるのか。
 それは偏にその数にあった。
 群れを成すBETAの中にあって、常に数十から数百の群体を組む戦車級相手には、レオパルド2の55口径140mm滑空砲では大味過ぎるのだ。撃ち漏らしは必ず出てくる。通常戦闘ならば、自走対空砲―――駆逐戦車での一斉射撃で対応できる。しかし今は状況が悪い。

(スタックハウンド4の生き残りは後18………いずれも残弾は残り僅か………へっ、お先真っ暗じゃねぇか)

 密集打撃戦になれば、現状の残弾を考えればものの数分で詰む。接近されるまでにレオパルド2で何処まで減らせるかが肝になってくるだろう。いや、その頼みの綱の120mm滑空砲も、後数度の砲撃で弾切れだ。
 さて、いよいよもって進退窮まってきた。

(こういう時、神なんて無粋なものじゃなく、ただ女王陛下に祈れる俺達はツイてるのかねぇ………)

 苦笑し、死地を見定めた時だった。

『………諸君―――』

 その声は静かに、しかし確かに響き渡ったのだ―――。










 ボパールハイヴ陽動作戦の最前線となったゴドラより南西80km、バルーチ西方14km地点には補給部隊が展開しており、簡易ながら補給拠点として機能していた。ここから最初期の揚陸地点であるスーラトまでは兵站が確保されており、更には港湾側には連合艦隊が展開している為、支援砲撃によるBETA群迎撃も可能でこの周辺は比較的安全と言えた。しかし、それはインド全湾岸部で行われている海上射撃による陽動が効いている為であり、桜花作戦のフェイズ1も終盤になっている今、いつまでここが安全地帯でいられるかは分からない。
 その上、BETAには地中侵攻という人類には届かない鬼札がある。これを用いられれば、如何に支援砲撃があるとは言え長くは持たないだろう。
 そんな中、一機のF-14がその地に降り立った。UNカラーのそれは、激しい戦闘を潜り抜けてきたのか、装甲の至る所が削られるなどしてボロボロになっているものの第一世代寄りの頑健さに助けられたのか未だ健在だった。

(―――何処の機体だ………?)

 その姿を認めた時、近くで支援輸送車両の兵装コンテナを開放していた整備兵は眉を顰めていた。
 いや、そのカラーを見れば何処の機体なのかは丸わかりなのだが、問題なのはそこではなく、所属を示すエンブレムが何処にも描かれていなかったためだ。加えて、F-14自体がこの周辺で展開する部隊では珍しい。少なくとも、彼はそれで統一された部隊は見ていない。それは他の整備兵も同じようで、皆そのF-14を怪訝そうに見ていた。
 やがてその機体はこちらの方までやってくると、直立停止。胸部装甲を開放し、管制ユニットをイグジットする。そして降下ワイヤーを伝って降りてきたのは―――。

「オイオイ………本気かよ………」

 強化装備に身を包んでいたのは、屈強な衛士でも思わず口笛が出てしまうような美人衛士でも無く―――白髪を後ろで撫で付け、酒飲みなのか妙にだらしなく出た腹を隠そうともしない老人だった。
 どう考えても正規の兵士ではない。そもそも、現役で通じるのが精々40年代前半―――しかも余程運良く生き残っていてと言う前提付きで、と言う戦術機業界に於いて、ここまで高齢の衛士等存在しない。しかし一応ウィングマーク―――臨時ではあるものの中尉の階級章を身に着けているときた。
 一体この老人は何者なのか。整備兵や他の周囲の者達も怪訝な視線を送るが、その老人はどこ吹く風でそのだらしない体躯とは裏腹にしっかりとした足取りでこちらへと向かってくる。
 そして―――。

「おい、そこの若いの」
「は―――は、何でしょうか。中尉殿」

 厄介なことに話しかけてきた。
 最初はこんな胡散臭そうな老人など、適当にあしらってしまおうと思っていたのだが、そのしゃがれた声は奇妙な威厳に満ちており、その整備兵はまるで父親に逆らえない息子のように萎縮して返事をしてしまった。
 老人はうむ、と軽く頷くと。

「腹が減った。なんぞ持ってないか?」
「はぁ………?」
「じゃから、腹が減ったと言ったんじゃ。機体に積んでた非常食は移動中に食い尽くしたし、戦闘が始まってからは何も食っておらんのだ」
「えぇっと………食べます?」

 何か下手に逆らったり関わり合ったらまずいような気がして、整備兵はツナギのポケットから棒チョコを取り出した。最前線で悠長に飯など―――レーションでさえ食っている暇のない整備兵のお供だ。片手でカロリーを摂取できて程よく腹を満たしてくれる。ストックに余裕があれば、出撃する衛士にギンバイ代わりに渡したりする。なけなしの一本だったが、仕方ない。どうもこの手の変人奇人と深く関わると何かに巻き込まれそうな気がしてならない。
 老人は軽く頷くとそれを受け取り、もしゃもしゃと咀嚼を始めた。白い髭にチョコがくっついていて汚い。

「で、では自分はこれで………」
「まぁ待て、若いの」

 体良く逃げようとしたが、そうは問屋が卸さなかった。

「な、何でしょうか………?」
「うむ。ほれ、アレ―――儂のトムキャットの補給を頼みたい。儂が勝手にやるつもりだったが、逆にお前さん達の仕事を増やしてしまいそうだしな」
「あ、あぁ………そうですか。えぇっと―――」
「跳躍ユニットはまるごととっかえてくれ。トムキャットの型番は分かるな?無ければホーネットのでも構わん。互換が効くはずじゃ。最悪、イーグルのPW-200でもいいぞ。若干パワーは落ちるが、何とか腕でカバーする。後、弾薬をありったけと、新品のナイフと中古の熟れた突撃砲4丁じゃ。あぁ、突撃砲は適当なので―――」
「あの、中尉殿!」
「うん?何じゃ?」
「ほ、補給はよろしいのですが、お名前と所属を教えて頂きたく………」
「あぁ?」

 個人としてはこれ以上関わり合いたくないが、これも仕事だ。
 今回の作戦のようにこうまで混合軍となると、備品の管理も難しくなる。同軍所属なら適当でいいが、そうでないならば最低限名前と階級、そして所属ぐらいは把握しておくのが通例だ。同じ戦場を共にするとはいえ、装備は国の備品で、それは国民の血税によって創られているのである。尤も、正式には書面に書いたりするものを口頭とデータ入力だけに簡略しているのだから融通は効かせている方だ。
 まぁ、ここが直接の戦場になれば、この通例も適用されなくなるのだが。
 ともあれ、整備兵が真面目にも仕事に徹しようとしていると、老人が白い眉を跳ね上げて睨んできた。
 普段なら、若く屈強な衛士達に凄まれても笑って挑める器量を持つ血気盛んな整備兵だが、どうにもこの老人相手には気が引ける。胸ぐらを掴み上げたら勢いで殺してしまいそうとかそういう意味ではなく―――この奇妙な威圧感が酷くやりにくいのだ。
 軍人の低年齢化が叫ばれて久しいが、この老人には昨今の若い士官にはない威圧感があった。言葉や態度や行動で示す外部的な威圧感とは違い―――言うならば、内蔵を鷲掴みにされたかのような内面的な威圧感、それに伴う圧迫感。
 その老人に逆らうな。
 何故だか知らないが、そう本能が警鐘を鳴らしていた。

「い、いえ何でもありません。跳躍ユニットと武装の換装はこちらでやっておきます」
「うむ、頼むぞ。最前線はもうアナンドまで下がってきておる。それと、海岸線の陽動も意味を成さなくなってきておるようでな、南東のジャルガウンに12万のBETAが集結中だそうじゃ。―――そろそろここも引き払う必要があるじゃろ」

 老人から情報を聞き、整備兵は顔を顰めた。
 ここからアナンドまでは約100km。遅滞戦闘が無ければ1時間と保たない。今から撤収準備を行えばジャルガウンから来るBETAからは逃げられるだろうが、アナンド方面は最前線次第と言ったところだ。
 一度戦線が瓦解すれば、もう立て直しは不可能だろう。

「儂は補給でき次第、アナンドに戻る。―――ん?」

 ふと、老人が整備兵の後ろへ視線を向けて、指を差した。 

「なぁ、若いの、あの小僧共は何をして居るのじゃ?」
「あぁ、あれですか………。よっぽど最前線がショックだったんでしょうね………もう二時間もああしてますよ。こっちも忙しいんで放っておいてるんですけどね」

 その先に居たのは、四人の少年だった。
 衛士なのか、強化装備に身を包み、しかし衛士としての精悍な顔つきは無く、おそらくは彼等の乗機であろう四機の直立したF-15Eの足元で座り込み、項垂れていた。いや、それだけではない。ある者は膝を抱え、シェルショック患者の様に身を震わせているし、ある者は顔面蒼白のまま涙を流している。

「国連軍………宇宙総軍か。軌道降下兵団じゃの」

 老人は彼等の機体であろうF-15Eを見上げ、そう呟いた。

「聞いた話じゃ、最前線は今回が初めてだったらしいですよ。確か、軌道降下兵団の生存率を上げるために試験的に創られた部隊で―――」
「S.B隊………」
「そうそう、そんな名前でした。あれ?中尉、ご存知なのですか?」
「何、名前を貸してやったのは、儂でな。―――なんとも運命的じゃないか」
「え?」

 首を傾げる整備兵に対し、老人はただ肩をすくめて見せ、やおら少年達の方へ足を向ける。

「ごちそうさん。―――じゃぁ、若いの。儂の機体を頼む。後でここの殿をやるつもりなんじゃ、ちょっとぐらいはサーヴィスしておいてくれよ?」

 そう言って片目を瞑る老人は、何処か悪戯盛りの少年の様な笑みを浮かべていた。








 フィンランドにあるロヴァニエミハイヴはフェイズ5である。
 これに対し陽動を行うためには生半可な戦力では不可能だ。時を同じくしてブダペストハイヴに戦力を注いでいる欧州連合だけでは、とてもではないが対応できない。その為、ここでの陽動は国連とソ連も合同で参戦しているのだが―――。

『貴様等!手癖の悪い客に的を取られんなよ!?』
『Einverstanden―――!!』
『同士よ!死にぞこないにスコアで負ける事はあってはならんぞ!?』
『Уразуметно―――!!』

 ここに二連隊、仲の悪い部隊が居た。
 共に乗る機体はSu-27。
 欧州連合に吸収された東欧州社会主義同盟とソ連だ。
 本来、東ドイツを盟主とした東欧州社会主義同盟とソ連の二国に関しては比較的関係良好である。特に、BETA大戦黎明期での西進で真っ先に陥落した東欧州はソ連から軍事支援を受けており、装備や軍事ドクトリンもソ連から受け継いでいるのだ。だがかつてあった第二次世界大戦で、国家レベルの関係修復が出来ても、個人レベルでは出来ていない場合が多々ある。
 何と言うか―――この二人の場合、運が悪かったというべきか。共に祖父を第二次世界大戦で失い、一家揃って相手を敵性国家として扱ったために、骨の髄まで毛嫌いしていた。

『―――トロ臭いんだよイワン野郎ォ!』
『―――邪魔過ぎるぞジェリー………!』

 まぁ、正確には、連隊長個人同士で嫌い合っているだけで、部下達は至ってまともである。しかし、中佐相手に諌めることは出来ず、何故か異様に効率が良いだけに誰も口を挟めなかった。

(けど、このままはちょっとマズイわよねぇ………)

 連隊長の副官として彼の背後を護るソ連の中尉は冷静に状況を俯瞰する。今回の陽動戦では間引き作戦よりも若干敵中深くまで切り込んでいる。何と言うか競いあうような感じでスコアは伸びまくっているが、ここらで一つ手綱を引いてやらないと戻れない位置まで行ってしまう。勿論、如何に仲が悪い彼等とて連隊を預かる者で、心の何処かでは理解しているはずだ。

『退けよイワン野郎!そいつは俺の獲物だ!!』
『貴様こそ私の射線に入るなジェリー!撃ち殺されたいのか!?』

 理解、しているはずだ。
 していると思いたい。

(ホントに男って、男って………!)

 さてどうしよう、と副官は考える。
 現状、支援砲撃は陸上戦力のみ。後方に50km程下がれば艦砲射撃が届くが、その時までに部隊が消耗していないとも限らない。折しもフェイズ1は佳境に差し掛かっているので、ならばまだ無事な今の段階で囮としてここに留まり、遅滞戦闘を行いつつその他陸上戦力を逃がしつつ自らも後退するのが得策だ。
 後は、如何にそれを上官に伝えるかだ。いや、伝えたはいいが意地張って相手が提案してくるかHQが通達して来るまでこのまま進むとか言い始めないだろうか。いやいや彼等も立派な左官だ。自分の意地と部下の命、どちらが重いかなど考えなくても分かるはずだ。

『ふははははは!同士諸君!ジェリー共々BETAを粉砕せよ!!』
『いいか貴様等!BETAとイワン野郎のケツにデカイフランクフルトをぶち込むぞっ!?』

 分かるはずだ。
 分かっていると、そう思いたい。

(不安………激しく不安………!)

 そんな風に副官が今後の方針を本気で思案し始めた時だった。

『………諸君―――』

 その声は、何かの天啓のように静かに降り注いだ。








 ―――負けた。
 完膚無きまでに負けた。
 自分の力は必ずBETAに届くのだと信じていた。幾つかの実戦を越え、確かに手応えを感じていた。例え相手が数で勝っていようと、知恵と質を伴わないのでは、自分達人類に勝てるはずがないのだと―――そう思っていた。
 結果はどうだ。
 その数に圧倒され、部隊は自分達四人を残し壊滅。殿を務めたあの大尉も、少年達が20km離れた所でマーカーが消失した。ほぼ間違いなく、死んだのだろう。

(僕は………何の為に………)

 一体何の為に、この戦場を訪れたのだろう。
 仲間を死なせ、先達を死なせ、何の為に生き残った。
 国連に入り、訓練を重ね―――何の為に生きて来た。
 そしてこれから、何の為に生きていくのか。

(勝てっこない………あんな、化物に………)

 脳裏に浮かぶあの異形。それを見ただけで背筋が凍る。指先と言わず、足と言わず、身体ごと震え出し、声が萎縮する。
 ―――何も、出来なくなる。
 上を見上げる。直立したF-15Eがこちらを見下ろしており、メインカメラで語り掛ける。
 『負け犬め』、と。
 そうだ。負け犬だ。戦う為に戦場へと赴き、しかし何を得るでもなく、ただ失って逃げ帰ってきた。帰って来てからはこのザマだ。何をするでもなく、何が出来るでもなく―――ただ時間を浪費するだけ。
 いずれここも戦場になる。そうなった時、また自分は逃げるのだろうか。やけを起こして戦うのだろうか。それとも、何もせずに喰われていくのだろうか。
 分からない。
 分からないが―――。

(もう………どうでも、いいや………)

 心が軋む音がする。
 それは折れる前兆。
 全てを投げ出す、その為の助走。

(全部………全部、終わって………)

 そして―――。

「―――で?小童共、こんな所で何をして居るのじゃ?」

 心が手から離れる前に、声が聞こえた。
 緩慢な動作で視線を向ける。その先に仁王立ちしていたのは、強化装備姿の―――老人だった。白髪を後ろに撫で付け、口にはチョコの着いた白鬚を蓄え、決して長身とは言えない身体に前に突き出たビール腹。こんな戦場よりも町工場か酒場の方が似合いそうな風体だった。
 全くこの場所に不釣り合いだが、階級章は国連軍の中尉だった。何故か臨時ではあるが。

「あな………たは………?」

 その不思議な老人に問いかけると、彼は口の端を歪めた。

「儂のことなぞどうでもいいわ。それよりも小童共、ここで何をやっておる?」
「―――何も………」

 少年が応える前に、他の少年が言った。そう、自分達は何もしていない。いや、何も出来なかったのだ。敵を屠る銃弾は土砂のように迫るBETA相手には焼け石に水。
 いっそ慈悲とも言える容赦の無さで、全てを呑み込んでいった。
 先達も。
 仲間も。
 矜持も。

「―――負けたか」

 老人の呟きに、少年達は答えない。いや、無言と言う名の肯定であった。そしてその肯定に対し―――。

「ま、そういう日もあるわい」

 老人は笑ってそう言った。

「そういう日って………!」

 その言葉に対し、少年は半ば反射的に老人を見上げて食って掛かった。

「死んだ人はどうなるんですか!?そういう日ってだけで死んだ人は!僕達の為に死んでいった大尉は!そんな理由だけで死んだっていうんですか!?」
「そうじゃよ」

 だが老人はたじろぎもせず、淡々と少年達を見据えた。

「加えて言うなら、殺したのは確かにBETAじゃろうが―――死なせたのは貴様等じゃ」

 その言葉は酷く冷徹で。

「小童共。貴様等が逃げなければ、貴様等が恐怖に怯えなければ、貴様等が勇気を出していれば―――あるいは、その大尉とやらも犬死せんですんだろうにな」

 その言葉は酷く冷静で。

「犬死じゃ。犬死じゃろうて。折角命張って助けた貴様等がそんな腑抜けでは―――浮かばれんだろうよ」

 その言葉は酷く薄情で。

「まぁ、死人は喋りゃせん。ここでその大尉をあーだこーだ言った所で、所詮は感傷じゃ。生き返るわけでもなし、な」

 その言葉は―――。



「あぁ―――そうじゃな。貴様等が弱かったから、その大尉は死んだ」



 ―――何処までも正しかった。
 かぁ、と嗚咽が漏れる。自分だけでは無い。他の少年達も、喉から湿った声を出し、今更になって痛感する。あの時、何も出来なかったのは―――誰のせいでも、それこそBETAのせいですらなく、自分達のせいであるのだと。
 無力だった。
 何処までも。
 だが―――。

「儂はな、長く軍人をやってきて、思い至ったことがある」

 老人は、それを責めはしなかった。

「弱さ、と言うのはな。―――『悪』ではあるが、『罪』ではない」

 何故ならそれは、戦場に立つ者の誰もが一度は通る道。

「弱さを抱えて強くなる者も居れば、弱さを超えて強くなる者も居る。この世界で、凡そ強い人間と呼ばれる者はそのどちらかを選んだ人間のことを言うのじゃ」

 そして―――。

「選ぶといい小僧共。今こそがその時と心得よ。弱さを抱え悪役となるか、弱さを超えて正義の味方になるか。例えそのどちらを選んだとしても、それはどちらも等しく強者であり―――この鋼鉄の巨人は、どちらの力にも応えてくれる」

 もう一度、少年達は自らの相棒を見上げる。
 今はもう、侮蔑されてはいない。ただ、静かに問い掛けてくる。
 弱さを認め、抱えて悪役となるか。
 弱さを越え、拒んで正義となるか。
 あるいは―――それ以外の、もっと別のものになるのか。
 今はまだ分からない。
 分からないが、走りださねばならない。このまま負け犬でいたのでは、先に逝った彼に対し顔向け出来ない。
 ならばどうする。
 ならばどうすればいい。
 未だ何もかもが足りない未熟な少年達が、何もかもを打ち払う強さを手に入れるためには。

「もしも、それでもまだ見定めが出来んなら、儂と共に戦場に来い。小童共の答えは小童共にしか出せんが―――その手伝いぐらいはしてやろう」

 そう言って向けた老人の背は、少年達にはとても大きく見えた。









 重慶ハイヴに対し陽動を行うために、旧九江市に展開した統一中華戦線は、今日だけで6度の大規模地中侵攻を受けていた。一時はここより西方300kmの旧常徳市にまで進行していたのだが、度重なる大規模地中侵攻に加え、フェイズ4にあるまじきBETA総数により、徐々にではあるが押し戻されていった。
 既にその他陸上戦力の撤退が始まっている。今、この場に残っているのは、F-CK-1―――経国を駆る小隊である。F-18の改修機と言うだけあって、脚部燃料タンクの大型化に因る航続能力、ひいては継戦能力に秀でている。その為、未だ燃料に余裕がある彼等が殿を受け持っているのである。

「こりゃまずいな………!」

 両手に突撃砲を構え、周辺に弾をばら撒いて包囲の輪を狭めてくる要撃級を蹴散らしながら、小隊長が胸中の言葉を口に出す。つい数時間前までは連隊規模を誇った彼等の部隊も、地中侵攻の煽りを喰らい、最早生き残っているのは僅か四機。
 おそらく―――いや、このままでは間違いなく『呑まれる』。
 そして―――センサーがその音紋を捉える。

「―――ここまでかよォ………!!」

 ドン、と網膜投影の視界の奥、絶望の土柱が幾つも上がった。
 今日、7度目の大規模地中侵攻だ。
 推進剤にはまだ余裕があるが、弾薬が少ない。手数も足りない。そして何よりも、絶望が気力を蝕んでいく。
 もう駄目なのか。
 そう諦めかけたその時だった。

『―――諸君………』

 こんな絶望の中で、戦場に不釣り合いなその声は聞こえたのだ。








 インドがバルーチの海岸線を北上する五機の戦術機があった。
 先頭はUNブルーのF-14。後ろの続くのは同じくUNブルーのF-15Eが四機だ。戸惑いながらも再び戦場に立つことを選んだ少年達は、これからの過酷に耐えられるだろうか、とトムキャットで先導する老人は思う。
 最悪の場合、一機だけでも行くつもりだったが、手数は多いほうがいいと考え、補給拠点に辿り着いた時、手隙の部隊がいないか物色していたのだ。そうしたら、まだ戦闘可能なF-15Eが小隊分残っているのを見つけた。あわよくば、その小隊に混ぜてもらえればと考えていたが―――。

(まさか乗り手が小童共で、しかも心をやられてるとはのぅ………)

 柄にもなく説教などしたが、あれでどうにか焚きつける事は出来たようだ。尤もそれも一時的なもので、彼等が本当の意味で弱さを克服できなければ、直ぐにでも元の『負け犬』に戻ってしまうだろう。

(―――まぁ、最期に若造を鍛えてみるのも、また一興か………)

 基本的な戦法は事前に教え込んだ。細々なフォローはこちらで行う。僅かに背中を押してくれる自分流の『おまじない』も伝えてある。
 後、彼がすべきは―――。

(テンションを極力上げることじゃが………)

 さて、どうしたものか―――と思案に暮れていると聴覚にノイズが走った。
 一体何だ、と訝しげに眉を顰めるとそれはオープンチャンネルで、しかし音声のみで強制的に流れ始めた。

『―――諸君………』

 その呼びかけに、その聞き覚えのある声に老人は閃きを得た。

「さぁ、馬鹿が来るぞ小童共!しかと聞け!!」

 それは僅か一週間程前の出来事。
 遠く異国の地で、おそらくは人類の趨勢を決めたあの一戦。
 そこで流れた、世界に対する大扇動。
 きっとこれは、その時の焼き増し。

『―――諸君!聞こえているかね!?私の―――!』

 そこで三神と名乗った青年と彼が率いるA-01の情報は、最早世界中に知れ渡っている。
 そして彼等こそが、この人類史上最大の一戦のカギを握るということを誰もが―――そう、誰もが知っている。

「このクソッタレな世界に夢と希望を運び、己の声を響かせる―――狼の遠吠えを!!」

 忘れるはずがない。
 自分の心に火を灯し、ただ朽ち逝くだけだったこの身体に再び魂を吹き込んだあの遠吠えを。
 呼び起こしたのは遥かな想い。
 胸に抱くのは、今は遠い願い。
 そして―――。



『―――私の、この声が!!』



 世界を越え、世界を変える遠吠えが―――今、最響に至る。









[24527] Muv-Luv Interfering 第五十四章 ~繚乱の桜花~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2013/01/04 17:16

 ―――時間は、ほんの少しだけ遡る。
 漆黒と、煌めきの世界がそこにはあった。
 見つめ続けていれば今にも吸い込まれそうな黒の中に散りばめられた星々の光は、映像越しでも何ら遜色なく見る者の心を動かす。

(―――これで二度目、だな)

 管制ユニットの中で、白銀は網膜投影越しにその深淵世界を覗く。横浜基地から宇宙に登ったA-01と凄之皇四型は衛星軌道上を周回待機しながら時が来るのを待っていた。
 桜花作戦の進行内容自体は『前の世界』と大差ない。
 まず、ユーラシア大陸を囲う対BETA防衛線から第一次陽動として海上射撃を散発的に行い、内陸部のBETAを散らす。その後、大陸外縁部にある全ハイヴへの同時大規模攻勢を全世界の軍が短期的に第二次陽動として行う。ここまでがフェイズ1だ。
 フェイズ2はこのフェイズ1を踏み台に、他ハイヴからの増援の可能性が低くなったオリジナルハイヴへの侵攻を試みる。まずは国連宇宙総軍低軌道艦隊がハイヴ周辺に反復軌道爆撃を開始。重金属雲の発生を確認と同時に、国連軍軌道降下兵団二個師団がダイヴを敢行、ハイヴ周辺を強襲する。次いで、米戦略軌道軍二個大隊がオリジナルハイヴ南西87kmに位置する門―――戦略名称、SW115周辺に降下展開し制圧を開始する。ここまでがフェイズ2であり、オープンチャンネルで流れた情報によると、現在地上で合流した国連と米国の軌道降下兵団がSW115の制圧を開始したそうだ。
 そしてフェイズ3で、ようやくA-01の出番となる。白銀にとっては二度目の軌道降下、そして二度目のオリジナルハイヴ攻略だ。

(今回の軌道降下は上手く行くはずなんだ………)

 『前の世界』で、フェイズ2での第三次降下作戦ではオリジナルハイヴへ投下したAL弾の尽くが迎撃されないと言う異常事態を受けて、それでも強行降下を行ったが為に軌道降下第一戦隊に限って言えば壊滅的とも言っても差し支え無いほどの甚大な被害を被った。
 その裏には、00ユニットの情報漏洩がある。無論、意図して行われたものではなく、偶発的―――言い換えれば、事故みたいなものではあった。とは言え、その影響でいらぬ犠牲を強いることになったし、ほんの少し何かが掛け違っていればA-01や凄之皇四型にも被害が出て、作戦自体が失敗に終わっていた可能性があるので、今考えればぞっとしない。
 しかし今回は情報漏洩対策は既に取っているし、横浜基地防衛戦も反応炉を仮死状態にすることによって事前に防いでいる。敵へ必要以上の情報は流れていないし、戦力も確保してある。
 下準備としては、これ以上ない程だ。
 後は―――イレギュラーだ。
 この世界にとっての異物である『ミカミショウジ』が存在することで生み出された波紋。現状、それは新型のBETAだけに留まっているが、この先どうなるかは分からない。事前の説明によると新型BETA―――騎士級は要所である反応炉や主広間、アトリエやその他にて配置されていることが多いと言う。尤も、そのルールもいつまで通用するかは分からないが。ともあれ、佐渡ヶ島で見たあの敏捷性や機動力を考慮する限り―――。

(無視して進むことは不可能、か………)

 ハイヴ内で光線属種は攻撃をしてこない為、極論を言えば常時滞空していれば比較的安全なのだ。無論、天井に張り付いたBETAが降ってくれば話は別だが、それを除けば推進剤がある限りと言う条件付きではあるものの、死ぬことはない。
 だが、騎士級の存在がそれを覆す。
 騎士級の跳躍力と敏捷性は従来のBETAのそれを凌駕し、滞空している戦術機に追い縋ることが可能だ。攻撃手段こそ近接的なものだが、集団で集ればラザフォード場でさえ打ち抜く打突を持っている。
 であるからして、ハイヴ内での侵攻の基本は極力BETAが配置されているルートを回避し、騎士級を『全て』迎撃しながら進撃する事となる。無論、他のBETAも十分な脅威となるが、一度切り抜け振り切って距離を取ってしまえば追いつかれることもそうそうそう無くなる。

(主広間、それから反応炉までの流れは『前』と同じ………)

 即ち、隔壁を強制開放させ最深部へと侵入、然る後に凄之皇四型による最大砲撃で『あ号標的』を撃破する。プランだけ見ればそう難しくない。辿り着くまでにGI元素残量に余裕があれば、隔壁を強制開放などしなくても荷電粒子砲でぶち抜くことも可能だ。『前の世界』よりも優っているこの人数、この兵装と状況を以てすれば間違いなく作戦は成功できる。未知数であった『あ号標的』の行動も今回は読めている。であるならば、前回のように凄之皇四型を乗っ取られることもないだろう。
 だから、本当に問題になってくるのは―――。

(庄司、か………)

 正直な所、白銀にとっては桜花作戦よりもこちらの方が頭の痛い問題だ。
 二度目だからと言って油断している訳では勿論無い。因果のイレギュラーも関わってくる問題もあることだし、万が一ここで失敗すれば文字通り後が無くなる。だがそれでも、この作戦の先はある程度見えているのだ。
 しかし『ミカミショウジ』の問題は、先が見えない。
 そも、白銀は彼の因果導体開放条件も知らない。近く―――あるいはそれこそこの作戦がそこに関わってくることぐらいは、数日前の彼の狂態から何となく見て取れる。しかしそこまでだ。それ以上のことは知らないし、知らないからこそ下手に探りを入れることも出来ない。

(庄司の心を救う、か………)

 一口に救う、と言っても様々だ。
 命を救うのは勿論のこと、人によっては一息に殺してしまう方が救いとなる場合もあるだろう。
 人の価値観は、人それぞれ違う。
 白銀にとって救いであっても、三神にとってイコールではない。また逆も然りだ。だからこそ白銀が三神を救おうと言うならば、確固たる信念に基づいた『何か』が必要なのだ。一種の我侭や押し付けにも似たこの想いを―――社霞の願いを叶えるためには、手段よりも先に、白銀武の覚悟が問われてくる。
 しかしその『何か』が何なのか分からない現状では―――。

(くそ………こんなんじゃ、世界を救うほうがよっぽど気が楽だぜ………)

 白銀が胸中で自嘲気味に吐露していると、網膜投影に秘匿通信の文字が浮かんだ。このタイミングで誰だろうか、と疑問に思いつつ繋げてみると香月の顔が浮かび上がった。

『あら、随分と不景気な顔してるじゃない。そんなんでこれから大丈夫なの?』
「作戦に支障はありませんよ、やるべき事をやるだけですので。それより、何か問題でもありましたか?」
『これから「ある」、それはアンタにも分かってるんじゃない?』
「ひょっとして夕呼先生………!」

 目を細めて告げる香月に、白銀は驚きのあまり食いつくが彼女は呆れたように手をひらひらと振った。

『はいストップ。そりゃあたしはアンタよりかは理解しているわよ。そして「これから」に対する手段も持ってる。けれどそれはあたしの手で行なってはダメなのよ。それじゃ、意味が無い』
「意味が無い………?」
『そう、結果的にそれでより良い未来を引き寄せられないのだから、それは意味が無いのと一緒でしょ?』

 香月の言葉は酷く抽象的だ。
 普段言いたいこと、あるいは言えることは竹を割ったような物言いで突き付けてくる彼女にして、こうまで曖昧な表現はなかなか無い。寧ろ、ここまで曖昧だとこちらから問い詰めない限りはこうまであやふやな言葉を引き出すことも出来ないだろう。香月が自分から会話を振って、今のように極端にボカした発言をした場面を、白銀は知らない。と言うよりも、そんな無駄な事に脳のリソースを割きたくないとか言って、口にすらしないだろう。
 だからこそ、今ここでそう言うということは何かしらのヒントで、彼女なりの柵の中で白銀に何かを伝えようとしているのは理解できる。
 理解はできるが―――白銀は答えには到達できない。それは口にした香月も理解しているようで、軽く吐息する。

『はっきり言えなくて悪いけどね、あまり誰かに知らせすぎても、そして手を加えすぎても必要以上の不確定要素が交じるのよ。まぁそれが無くても博打要素満載なんだけどね。だからあたしはギリギリのレベルでアンタに発破を掛けて、手段だけは渡しておく。アンタはあたしの「宿題」を自力で解いてより良い未来を引き寄せる。―――いつもと同じスタンスでしょ?』

 そう嘯く香月が視線を動かすと、白銀の網膜投影に一つの電子データが出現する。そのフォルダを訝しみながら開くと、思いもよらない『モノ』が入っていた。

「―――!?夕呼先生!これって………!!」
『まだ不確定だけど、多分必要になるわ。時間があれば、もう少し順当な手続きを踏んだんだけどね』

 ここ一番でこれを寄越したということは、香月夕呼はこの後に起こるイレギュラーをある程度予見しているのだろう。それは00ユニットによるものなのか、彼女自身の予測なのかは不明だが、少なくとも解决するために出来うる限りの行動を起こし、それは白銀の手元に来た。

『もうあたしには分からないことだけど、人の心って、本当に面倒臭いわよね。―――じゃぁ頑張んなさい、ガキ臭い救世主サマ』

 そして聖女は少しだけ苦笑した後に、通信を切った。
 今後の世界にとって、たった一つの切り札を残して。






 静かな駆動音を感じながら、鑑純夏は後ろ髪ひかれる思いで眼下の地球を眺めていた。青く眩い光に目を細め考えるのは、想い人のことだ。

(う~ん………やっぱりタケルちゃん、また何か抱え込んでるみたいだなぁ………)

 鈍感の塊である想い人と違って、鑑はごく普通の気遣いのできる少女である。無論、身体が妙に強化されていたり00ユニットになっていた経験を持っていたり、自覚していない天然のESP能力者だったりと付けようと思えば途方も無い付加価値が付くが、根本的にというか性格的に、彼女はごくごく普通の少女なのである。
 そんな彼女が他でもない白銀武の悩みに気づかないはずがない。その内容までは知らなくても、ここ数日出口のない迷路に囚われて懊悩していることぐらいは見て取れる。ただでさえ、行動を共にすることが多いのだ。嫌でも気付く。
 だが、彼女はそれについて深くは尋ねなかった。例えば昨日の朝―――いや、もう一昨日の朝か―――に彼が迷った時に促すように尋ねてみれば話してくれたかも知れない。しかし結局は白銀は迷った挙句に『腹が減ったから早くしてくれ』と誤魔化したし、ある意味でそれが鑑にとって決定的だったのだ。
 少なくとも白銀自身は、自分が解決しなければならない問題なのだと決めているのだろう。だからこそ、鑑にでさえ相談しようとしない。それを無理に聴き出したり相談させようとするのは、違うと思ったのだ。水臭い、とは思うがこれ以上踏み込むのは野暮だ、とも思う。
 だから待つことにした。少し寂しくはあるが、待つことには慣れている。そしてもし彼が助けを望むのなら、せめてその時に間に合うよう側にいようと決めた。

「純夏さん………?」

 不意に、後方のナビシートから社の声が聞こえ、網膜投影に顔が映ったウィンドウが開いた。ひょっとしたら今の考え聞こえちゃったかな、と苦笑しながら鑑は頭を振るう。

「ううん、何でもないよ霞ちゃん。それより、外部映像リンクしておいてくれた?」
「………。はい、皆さん、地球に見入ってるようです」
「そっか、よかった」

 どうやら、聞かなかったことにしてくれたようだ。
 鑑も『前の世界』で白銀がそうしたように、部隊の面々に宇宙から見る地球の姿を見せるように社に頼んだのだ。尤も、彼女は鑑の頼みが無くてもそうするつもりだったようだ。
 青い光に目を細め、鑑は思う。この光を見るのも三度目だと。一度目は『前の世界』で突入前に。二度目は『前の世界』の00ユニット『カガミスミカ』が意識を失う前に。そして今回で三回だ。宇宙に上がるたび何だかんだでこうした光景が見れると言うのは、ジンクスを考えれば良い兆候なのか。
 作戦自体は二回目。諸々のイレギュラーを内包しているものの、対処できない範囲ではない。ただ何か―――この作戦で、何か大きな動きがあるのではと直感レベルでそう思う。上手く言葉には出来ないが、こうした勘は昔から良く当たる。

「艦隊旗艦からの音声通信です」

 鑑が胸騒ぎを感じていると、社の知らせとともに音声回線が開いて男の声が流れ始めた。

『―――こちら第3艦隊旗艦ネウストラシムイ。最終ブリーフィングを開始する』

 今回、A-01部隊を引き連れる降下部隊輸送戦隊旗艦からだ。

『―――まず最初に、「桜花作戦」の状況を伝える。ユーラシアの各戦線では、最外縁部のハイヴに対し全軍が一斉に進行中だ。現在、作戦は第2段階。国連軍と米軍の軌道降下部隊がSW-115周辺を制圧中。だが、戦況は芳しくない。部隊の損耗率は予想を遥かに上回っている』

 やはりそうなるだろう。
 SW-115はオリジナルハイヴ内部への突入孔であるが故に、敵地のど真ん中だ。陸路での搬送は難しい以上、軌道降下による強襲を前提としている。であれば、当然光線属種による派手な出迎えを受けているのだ。凄之皇や叢雲のようにラザフォード場を用いて一時的にレーザーを無力化できるならともかく、そうでない場合の地表到達率は推して知るべし、その後の生存確率も同様だ。

『従って、作戦司令部は予定通り第3段階移行タイミングの繰り上げを決定した。SW-115周辺の戦力が健在である内に、「あ号標的」攻撃部隊の降下を完了させるのだ』

 今回の桜花作戦では『前の世界』に比べて幾つかの修正案を取り入れている。とは言うもののそれでも犠牲は出るし、現に今も命を上乗せ続けている。
 おそらく、もっと時間があったならば量子電導脳による兵器開発や作戦で摩耗は防げただろうが―――あくまでタラレバだ。結果として『前の世界』と同時期に桜花作戦を展開せざるを得なかったし、因果導体二人にも制限がある事を考えれば、これ以上の結果は望めないだろう。

『では、再突入の詳細を説明する。当初予定されていた再突入殻の降下軌道投入プランAは全て破棄。現周回を以て、全艦隊再突入し降下部隊の地表到達率を高めるプランBを発動する。まず艦隊陣形だ。爆装した第1、第2戦隊は再突入軌道を420秒先行。続いてA-04、降下部隊を輸送する第3戦隊、降下援護用に爆装した第4、第5戦隊はそれに続く』

 今回降下する兵器群はA-01とA-04のみだ。『前の世界』では国連の軌道降下兵団も同じく降下したが、事前に余分な政治要素は香月が排除しているのでその分をSW-115確保に回している。代わりに、降下直前に目眩まし代わりに爆撃してもらうため、2戦隊を爆撃装備に変えているのだ。

『続いて、再突入シーケンスだ。まず、第1第2戦隊は再突入開始900秒前にAL弾を全弾分離。その後、先行120秒まで減速。隊形を維持したまま再突入開始。尚、第3戦隊各艦は再突入殻を分離せず、背負ったまま再突入せよ。電離層突破後再突入殻を分離し、直後に第4、第5艦隊に因る追加爆撃を行い再突入殻の地表到達率を底上げる。その後、各艦は最大加速。侵攻軌道を先行しエドワーズに向かう。これがプランBとなる』

 ここまでは『前の世界』と基本的に同じ流れだ。そしてこの後、BETAがAL弾を迎撃せず重金属雲が規定濃度に達しないイレギュラーが発生するが―――。

『―――尚、作戦司令部によるとレーザー級からのAL弾迎撃が行われない可能性があるとのことだ。その場合、降下プランCに移行する。その時点で生き残っている第2戦隊駆逐艦を船頭として全艦隊同期制御を行い、A-04のラザフォード場利用し鼻先を突き込み、全艦隊で地表15kmまで降下する。その後、再突入殻を切り離し、残存艦隊は囮となってエドワーズへ向かう。尚、船頭役は事前に通達した優先順位になる。各員充分に理解しているとは思うが、改めて確認されたし。―――以上だ』

 Al弾を迎撃しないと言う学習をBETAが何時行ったか分からない以上、今回も起こると考えておく必要が有る。如何に凄之皇と言えど、何時までもレーザーを捻じ曲げていられるわけではないので、出来れば起こって欲しくはないが念には念を入れて、と香月はプランを考えていたようだ。
 そして、一拍置いて―――。

『全艦減速開始!再突入回廊へ進入せよ!』

 降下の指示が来た。

「―――減速開始。A-04軌道降下中」

 社の言葉と共に機体が僅かに振動した。突入角と進路の調整でスラスタを少し吹かしたのだろう。降下時に於ける機動制御は艦隊側に同期して行なっているため、鑑自身がやる事は多くない。いざという時のマニュアル制御と、後はML機関のチェックぐらいだ。

「システムチェックお願い」
「データリンク正常。A-01全機、リンクシステム起動待機中。軌道制御は艦隊と完全に連動中」
「了解。ムアコック・レヒテ機関起動」
「機関、起動します」

 機関が起動すると機体内の駆動音が僅かに高まった。速度計と高度計が徐々に忙しなく動き始め、網膜投影された外の映像が徐々に赤くなっていく。大気摩擦に因る赤熱化だ。

「大気圏に突入―――ラザフォード場展開」

 ラザフォード場が展開されると、視界の赤は少し遠くなったが依然目に突き刺すような鮮やかな色で凄之皇を包んでいる。

「展開率100%。抗重力係数9.8。次元境界面の歪曲率、許容値以内。ラザフォード場、安定。A-01収容の各艦、本機と同一軌道を降下中。電離E層突破。機関正常。00ユニット、安定しています」

 矢継ぎ早に報告してくる社に鑑は頷く。
 ここまでは『前の世界』と同じだ。よく『覚えて』いる。凄之皇四型の制御装置の中で蹲るようにしていたあの時、外部モニタ越しでもない、言うならば感覚的に地上の光線属種に睨まれた気がして―――。

「っ!?BETA、レーザー級による迎撃開始!第1、第2戦隊、一次照射により半数壊滅………!重金属雲、規定濃度に達していませんっ!!」
「やっぱり………!涼宮中尉!」
『こちらヴァルキリーマム了解。光線属種の分布図から進入コースを作成中』

 瞬間的にレーザー照射警報が鳴り、慌ただしくなる。
 今回、CP将校として涼宮遙が凄之皇四型に同乗している。増設された通信室で撃墜された第1、第2戦隊のデータを元に光線属種の配置図から比較的手隙の進入コースを割り出すのだ。
 その間にも状況は進んでいく。

「降下プランCに従い第1、第2戦隊散開して離脱―――レーザー照射、来ます!!」
「機関最大出力!!」

 鑑の叫びに一拍遅れて正面に光の矢が幾条も突き刺さり、しかし見えない壁に遮られ、ねじ曲がってあらぬ方向へ拡散していく。ラザフォード場による防御だ。

「00ユニットに高負荷!機関出力低下!出力限界まで後157秒!!」

 しかし確かにラザフォード場による防御は鉄壁だが、無敵というわけではない。ただでさえ展開時には莫大な演算能力を必要とするのだ。これが出力限界まで上げていたり、荷電粒子砲発射時における追加演算を行ったりすると如何に00ユニットとは言え『疲労』は免れない。
 いや、まだ『疲労』程度で収まればいいが、このまま続けば間違いなくオーバーブローしてセーフモードに陥る。無論、降下予測時間を鑑みればこのままでも地表につくまではギリギリ持つだろうが、その後の作戦行動に支障が出る。何しろまだ緒戦も緒戦だ。こんな所で00ユニットを失えば作戦失敗どころか、世界が破滅しかねない。
 ―――しかし、それをあの香月夕呼が見越していないはずがない。

『フェンリル1より全機へ!リンクシステム起動!データリンク経由で凄之皇四型に直結後ブースト!』

 オープンチャンネルで流れた三神の声に呼応するように、鑑の網膜投影にLink Systemと書かれたタブが開かれ、画面中央にOn Lineと表示された後に凄之皇四型の機体ステータスと叢雲19機分の機体ステータスが現れる。そしてその叢雲19機分のステータスから凄之皇四型へと矢印が敷かれそれぞれの矢印の横にゲージが出現し0%から100%へと一気に伸びて埋まる。
 代理演算共有処理機構。
 現状、突入殻に収まっている状態の叢雲はML機関を起動していない為、リンクシステムによる演算処理は必要ないのだ。それを利用し、00ユニットの補助演算装置として使用する。そうすることに因って、00ユニット本体の負担を少しでも減らす目算だ。

「ラザフォード場の次元境界面以前不安定!機関出力曲線降下中ですが大幅に減衰しました!出力限界まで442秒まで回復………!」

 果たして目論見は見事に成功した。現在の高度は地表からおおよそ70km。もう少しで電離層Dを突破する。
 しかし、このまま降下という訳にはいかない。レーザーを受け続ける限りラザフォード場は不安定で、些細なきっかけで食い破られないとも限らないのだ。加え、着地点を確保するためには高度2000m付近で叢雲を自由に動かす必要がある。そうなるとリンクシステムによる演算補助は無くなるので、ここからも可能な限りの安全策を取る必要がある。
 だからこそ―――。

『―――一文字艦長!降下プランCを実行する!そっちは無事だろうな!?』
『腕のいい操舵士がいるのでね!問題ない!―――夕凪からA-04及び全艦隊へ!縦列フォーメーションに変更後、全機動制御をこちらへ!』

 旗艦ネウストラシムイの呼びかけに答えるのは、A-04の前方をいく第2戦隊の再突入型駆逐艦夕凪艦長、一文字鷹嘴だ。今回、降下プランCを実行するにあたって、船頭の優先順位が最も高いのが夕凪だ。もし第一次レーザー照射で生き残っていなければ別の艦が担当していたが、どうやら無事に生き残っていたようだ。

『こちらヴァルキリーマム。地表光線属種の分布図、及び分布図を元にした降下コースをそちらに送りました。降下機動の参考にして下さい』
『感謝する!―――さぁ、送迎最速理論を掲げる我等の見せ場だ………やれるな!?富士和良!!』






 呼び掛けられた夕凪の操舵士はそれには答えず眠そうな半眼のまま送られてきた光線属種の分布図とそれに重ねられたレーザー照射を掻い潜るための予測を眺めつつ―――操縦桿から手を離し、降下の機体振動さえ物ともせずブリックパックをずぞぞ、と音を立てながらすすっていた。

『って富士和良!何操縦桿から手を離してんだっ!?』
「あー、ちょっと喉渇きまして………それに同期の調整制御はコンピュータ任せですし完了するまでは暇ですし」
『早く操縦桿に手を戻せぇっ!軌道降下中だろうがァァァっ!!』
「全艦隊の制御同期率90%。さて、ぼちぼち行くかな………」

 艦長である一文字を除く全クルーからの突っ込みを食らいつつ、しかしその操舵士は飄々とした態度を崩すこと無く飲み終えたブリックパックをインストルメントパネル脇のトランクに放り込み、操縦桿を握る。
 その様子を見つつ、艦長席に座る一文字は苦笑した。この男は、地上で四輪転がしてた頃と何一つ変わらないと。あるいは理解しているのかもしれない。こういう一世一代の状況だからこそ、無理にテンションを上げて下手にノって凡ミスするよりも、いつもどおりの精神で居ることが何よりも大事なのだということに。
 だから一文字は他のクルーのように苦言を口にしない。世の中には凡人には理解できない天才というのは確かに存在し、この男も間違いなくそれに属するのだと知っているからだ。

「ふ、余裕があるのはいい事だ。調子もよさそうだな?」
「ぼちぼちですね。まぁ、降下プランCのシミュレーションは死ぬ程やりましたし、ラザフォード場っていうものの感覚特性も掴みましたし、今も光線属種の制空権を抜けるコースデータ見せて貰いましたし。―――それだけあったらもう充分です」
「成程。見る限り、今回のコースは無駄にテクニカルでしかもプラクティス無しだが?」
「途中でオイル撒かれてたり、自分でレブ縛ってなけりゃ余裕ですよ」

 口角を上げる操舵士に突っ込みでも入れるようにレーザー照射が来るが、既に艦は全艦隊の最先端―――A-04の目の前だ。ラザフォード場に包まれているため、視界が数瞬フラッシュしただけで事なきを得た。

「では見せてもらおうか。あの榛名峠で私を魅了したお前のダウンヒル………いや、ダウンフォールを!!」
「了解。じゃぁちょっと無茶しますんで、舌噛まないようにして下さい」

 ―――全艦隊の同期率100%を指した途端、操舵士は全コントロールをマニュアル制御にし、加速を叩き込んだ。






 伊隅は錐揉み回転、と言う現象を久しぶりに体験していた。
 いや、何も彼女に限った話ではないだろう。衛士ならば誰でも戦術機特性を検査するために何回か洗濯機に突っ込まれた衣服になったはずだ。その後も実機に乗ってから機体がトラブったり腕を磨くためにわざと滞空中の体勢を崩して復帰する訓練を行ったりと、衛士である以上、誰もが通る道だ。
 消費した推進剤と衛士の腕は比例する。
 そうして重ねてきた実働時間と実戦経験は衛士の腕をより高次元に押上げ、やがて熟成されていく。それに従ってこういう経験もしなくなっていく。だからこそ、だ。

(駆逐艦の動きじゃない………!)

 ベテランであるからこそ、このランダムな動きについていけない。
 縦横斜め五捻りからからの横滑り。どう考えても一般的な駆逐艦の動きでは再現できないし、戦術機でも無理だろう。そもそも、再現の問題ではなく物理的に機体が耐えられない。
 秒速2km前後の軌道降下中にそんな真似をすれば艦自体が大気の圧力に負けてへし折れる。いや、その前に中の人間に掛かるGに負ける。宇宙ならばまだしも、今は大気圏内。地表より30km離れているとはいえ大気濃度は充分に上がってきている。そも、通常の軌道降下はもっと高高度―――100km付近で再突入殻を分離する。今回はラザフォード場という特殊状況を利用し且つ生存確率を上げるために、降下中に再加速される再突入殻をここまで切り離さずに引っ張ってきているのだ。
 普通ならば、もう駆逐艦ごと爆散している。そう、普通なら。
 味方にどう考えても普通じゃない天才科学者が居ると本当に楽だな、と伊隅は苦笑する。
 ラザフォード場だ。
 夕凪を先頭に、列車のような縦列陣形を構成し、その頂点を重点的にラザフォード場を展開し、夕凪の機動に連動している全艦隊の内部に掛かるGも軽減する。加え、光線属種の第一次斉射を元に割り出した比較的手薄な降下コースを通り、それでも来るレーザーには当たる角度を浅くしていなし、00ユニットに係る負担を極力軽くする。この出鱈目な降下機動はそのせいだ。Gをある程度キャンセルされているため、直接的に体に係る負担はそう大きくないが、網膜投影に出力されている映像を見ているだけで訓練兵の頃を思い出す。
 因みにごく最近まで訓練兵だった五人は。

『あー、このぐるぐるするの何か思い出すね。タケルの変態機動訓練』
『そうだな。あれは初めてタケルの後ろに乗った時だったか』
『そうね。確か、「いつかこれぐらいの機動は出来るようになってみせろ」って複座の後ろに乗せられたのよね』
『すごく気持ち悪かった』
『壬姫なんか、何度吐いたか分かりません………』
『もういいよ………もう慣れたよ………変態とか変人とか言われるの………』

 こんな時でも平然と師匠を弄りに行く五人をやっぱり化物ねこの子達とか夕凪の変態降下機動に連動している駆逐艦乗り達は大丈夫なのかとか思っていると、上層雲を吹き散らした眼下の荒野に『それ』は現れた。
 この速度、そしてこの距離であっても確かに見える。あれは二十八年前。伊隅でさえまだ生まれていなかった時代に、それは来た。まるで希望の無いパンドラの箱。ただただ恐怖を振りまき、人の絶望と命を喰らって育ち続けた寄生物。地表構造物高度1km。地下茎構造物の水平半径100km。最大深度4km。最奥に重頭脳級が鎮座するそここそが―――。

『あれが………オリジナルハイヴ!』

 誰かの言葉に、あぁそうだとも、と伊隅は頷く。
 同時に地表まで15kmの位置に到達する。これ以上は駆逐艦の復帰限界点を超える。だから再突入殻を切り離して離脱しなければならない。ガコン、と鈍い金属音を共に一瞬だけ後方に流されるような浮遊感。それも束の間、再突入殻のロケットモーターが点火。A-04より先行して地表に向かって最大加速を開始。これまで以上のGが身体を襲い、思わず口から苦鳴が漏れる。

『諸君、人類を………頼んだぞっ!!』

 託された言葉と共に、艦隊との通信が途絶える。此処から先、彼等はラザフォード場による援護は無い。丸裸の状態で自力で帰投しなければならないことを考えると、下手をすればハイヴ突入以上の過酷なミッションになるだろう。
 だが、今は彼等だけを慮ってばかりはいられない。こちらも軌道降下を完了させ、且つハイヴ内に侵入しなければならないのだ。だから伊隅は加圧されるGの中で無理矢理息を吸って吐き、網膜投影の高度計を睨む。
 高度10kmに差し掛かろうとしている時だった。

『全機再突入殻パージ!』

 三神の指示とともに19機分の再突入殻が切り離され、機体を守るものはアンチレーザーアーマー―――装甲カプセルのみになる。そしてそれに一拍遅れるようにして空気抵抗に因る大減速が来た。今度は下に掛かるGだ。
 だが、これも通常の軌道降下に比べれば幾分かマシだろう。通常ならば、マッハ7からマッハ3までの減速―――最大減速度は8.2Gにまで及ぶ。しかし今回はラザフォード場に守られた駆逐艦に因る変則降下によって、速度を大分落としていたし―――それでも秒速2km以上なのだが―――再突入殻のロケットモーターによる再加速も切り離すまでの5km分しか行われていない。
 それを考えると、世の軌道降下兵団は日頃どれほど無茶な事をやっているのかが伺える。
 高度2.5kmまで迫った。再び三神の指示が来る。

『続いてML機関起動後、ALAカプセルパージ!ヴァルキリーズは展開プランA実行!!』

 展開プランA。
 軌道降下のラストにしてある意味では最も難度の高い作戦フェイズだ。この大減速に耐えつつ先行し、後続の着地点を確保する。その内訳は、荷電粒子長砲による多重砲撃だ。長砲の最大射程は2km。それを用いれば、この距離からでも充分に攻撃可能だ。しかしそれを行う為には最大出力で挑まなければならない。そして荷電粒子長砲の最大出力放射後は―――五分間の砲身冷却が必要で、その間はラザフォード場を展開できない。つまり、光線属種の制空権の中で完全な無防備となるのだ。それを防ぐために、長砲装備の機体は半数にしてある。残りの機体はラザフォード場で放射後無防備となった僚機を防御するのである。
 カプセルから解き放たれた叢雲六機が長砲を地上に向けて構え、伊隅の指示を待つ。
 詰まるところ長砲六発。六発で地上の光線属種を最低でも降下完了するまでは封殺し、且つ着地点を確保しなければならない。その見極めはヴァルキリー1―――伊隅の仕事だ。
 軌道降下と言う目まぐるしく状況が移り変わる中でその精査を行わなければならない途方も無い重圧。
 ―――一人だけならば、押し潰されていたかもしれない。

『ヴァルキリーマムよりヴァルキリー1へ。SW-115周辺の地形データ―――更新完了です』

 瞳に映る地図が書き換わる。
 狙うべきは最も光線属種が集中している地域と、着地点。必要な適正能力は注意分配。その後に着地後の展開。先行し戦闘している地上部隊の残存戦力。ML機関によって引き寄せられるBETAの総量。更には突入までに掛かる時間を精査し―――。

「―――目標EJ-865、LN-27、GO-484、TY-374、HP-57、WD-61!」

 関節思考制御が瞬間的に各機体に目標地点を割り振る。データリンク経由でそれは各機体に伝わり、そして。

「撃て―――!!」

 伊隅の叫びと共に地表に向かって六条の雷光が解き放たれた。






 薄明光線、と呼ばれる現象がある。
 太陽が雲に隠れている時、雲の切れ目あるいは端から光が漏れ、地上に向かって放射線状に光柱が降り注いでいるように見える現象だ。あるいは、こうした気象名称よりも別名のほうがよく知られているかもしれない。
 ―――天使の階段。
 あるいは天使の梯子、ヤコブの梯子、レンブラント光線。無論、これはただの気象現象だ。大昔の人間がその美しい現象に神々しさを重ねてそう呼んだだけにすぎない。しかしもしもその昔の人間が、この光景を―――光芒を伝うようにして降りてくる21機の鉄巨人を見たのならば、何と呼ぶのだろうか。
 神の御使か、あるいは神そのものか。

『じゃぁ三神。全世界へ対する時間稼ぎをしなさい』

 その中で、一際大きな鉄巨人に乗る聖女が告げる。

『やれやれ、人使いが荒いね』

 それに対して道化を辞めた狼は小さく微笑み。

『諸君―――』

 万感の思いを込めて。

『諸君―――』

 最早留まることをせずに。

『諸君!聞こえているかね!?私の―――!』

 世界に響けと。

『―――私の、この声が!!』

 ただ、遠吠えた。






 そして声は世界に鳴り響く。

『さぁ待たせたね諸君!
 我々は遂に辿り着いたぞ!四半世紀続くこの戦争の原因!敵のお膝元であるオリジナルハイヴに!
 だが諸君!まだだ!まだ終わりではない!ここから我々は敵の懐に潜り込まなければならない!』

 広域データリンクと00ユニットを介し、あらゆる戦場へと伝播する。

『諸君!この戦争で、どれほどの犠牲を出した!?
 諸君!この作戦で、どれほどの仲間を失った!?
 諸君!その戦闘で、どれほど身を削っている!?』

 誰もが聴き、そして誰もが答えた。
 そんなものは数え切れないと。

『今、諸君のそばにはいない我々は、きっとその苦しみを知ることは出来ないだろう!いずれ知ることはあっても、今を知ることは出来はしない!
 そしてそれに対する慰めも同じくだ!』

 誰もが思う。
 そんなものは必要ないと。

『いいか諸君!
 この作戦―――その全てが我々を生きてオリジナルハイヴへと送り込むだけのモノだ!だからそこに係る犠牲も損失も罪過を問うとしたら我々にあるだろう!そして後世で我々を批判したとしても、罵ったとしても構わない!
 だが忘れないで欲しい!我々はただ沙汰を待つだけの罪人ではなく、罪を以って世界を得る悪役だということをっ!!』

 誰もが思う。
 だからこの作戦で失った全ての命を背負えと。

『そして諸君は対価を前払いにした!命と、装備と、世界を擲って今この時を我々に繋いだ!だからこそ、理解しているかね諸君!今日この日は、歴史の分岐点だということに!
 犠牲がある!損害がある!今この瞬間にも失われていく命もある!だが後の世で、それでも今日という日が素晴らしいものだったと諸君に思って貰うために、我々は我々の対価を払うべくこれより敵地へ進撃するっ!!』

 そして誰もが思う。
 その上で、釣り合いを取り、等価にする為に今後に続く未来を作れと。

『そして敵地最奥、重頭脳級を打ち果たすために、諸君に更なる頼みがある!それは―――時間だ!!』

 その為ならば何でもしよう。

『今回もギブアンドテイクでいこう諸君!
 これから二時間―――これより二時間でいい!あらゆる手段を用いて時間を稼いで生き残れ!それさえ叶えば、我々は必ず諸君に世界を繋ぐ!あぁそうとも!確約しよう!我々はたった二時間でこのオリジナルハイヴを落とすのだ!!』

 事此処に至っては。

『いいか!?私の言葉を理解したかね諸君!
 ならば諦めを否定しろ!
 ならば生き汚く足掻け!
 ならば最後まで吼えろ!』

 この身体も、この武器も、この魂も。

『前を見ろよ諸君!今、諸君の目の前に新たな世界がある!それは手の届く位置あるが―――手を伸ばさなければ決して掴めない!!』

 今この瞬間だけは。

『ならば手を伸ばさない理由はないだろう!?さぁ前を向け!
 右手に戦友を!左手に悪友を!そして己の魂に火を灯せ!身体に己の意志を刻んで進撃させよっ!!』

 その為だけにあるのだから。

『これは一方的な通信だ。きっと諸君の返答は私達には届かない。だがそれでも敢えて聞かせて貰うぞ、いいか全人類―――………!』

 だから―――さぁ問い掛けよ、来い。

『―――返事は、どうした?』

 そして世界は―――。







「―――言われんでも分かってる!『了解』だ大馬鹿野郎………!!」

 ある師団長は死地の中でそれでも声に応えた。
 追い縋るBETAから最早逃げ切ることは叶うまい。彼我の距離は約1kmも無い。もう目と鼻の先に戦車級の海。嗚呼巫山戯るな。どうしてあんな気持ちの悪い生き物に栄えある戦車の名を冠してやらねばならぬのか。
 手持ちの弾は尽きる寸前。燃料だってありはしない。だが闘志だけはマグマのように煮えたぎっていた。
 だから師団長は無線機を引き千切るように手に取り叫ぶ。

「おい貴様ら聞け!諦めを否定しろと叫んだ馬鹿が二時間でオリジナルハイヴを落とすんだとよ!その先の世界を見たいか!?」

 違う、と返って来る。
 見たいのでは無い。見せてもらうのでは断じて無い。
 その先の世界を、見に行くのだと。

「よぅし!ならレオパルドは全機次弾装填したまま全速前進だ!引き付ける!まだ撃つんじゃねぇぞ!?」

 もう迷いはない。
 もう諦観もない。
 もう祈りもない。
 だから―――。

「―――File!!」
『―――っ!?』

 砲撃した。
 距離500mでの55口径140m滑空砲は最早至近弾だ。炸裂も爆発も置き去りにしてまずは横一閃、赤い海を斬撃のようにぶち抜く。キューポラ越しにその光景を見て、師団長はほくそ笑む。
 何だ、まだやれるじゃぁないか、と。
 さぁこれで残存レオパルドの砲弾は後一斉射分。残っているスタックハウンド4の弾薬も一、二分保てば良いぐらいだろう。いよいよ進退窮まってきた。だがなかなかどうして、口元が緩んだままだ。それは自分だけか、と師団長は自問し―――小さく首を振って否定し再び無線機越しに怒鳴る。

「まだだ!まだ終わりじゃねぇ!そうだろう!?愛すべき大馬鹿共よ!俺達は何だ!?鉄の棺桶を駆り、荒野を踏み締め、女王陛下の元に勝利を運ぶ俺達は!たかが砲弾が無くなっただけで終わるのかっ!?」

 問い掛けに笑い声が聞こえた。

『砲弾が無くなっても装甲でぶち当たれ!』

 それは侮蔑でも嘲笑でもない。

『装甲が無くなっても履帯で轢き殺せ!』

 この先の未来を見据え。

『動けなくなっても備え付けの小銃を手に取れ!』

 そこに至った自分を幻視し。

『そして小銃の弾が無くなっても―――!』

 高鳴った心を抑え切れなかった故の笑み。
 だからこそ―――。

『我等が魂、簡単に喰えると思うな………!!』

 今の彼等に恐怖も絶望もなかった。
 接敵10秒前。
 もう細かな指示は必要ない。
 接敵9秒前。
 誰もが己が役目をこなす。
 接敵8秒前。
 装填手が最後の砲弾を装填する。
 接敵7秒前。
 砲手が主砲を照準し、トリガに指を掛ける。
 接敵6秒前。
 操縦手がド至近距離の砲撃に備え、Tバーを握り直しアクセルを踏み込み続ける。
 接敵5秒前。
 師団長が砲撃を指示すべく口を開き―――背後から、砲撃が来た。

『なっ―――!?』

 それは突風のように吹き荒れた。
 戦車師団の真上を通過して隕石のようにBETA群を貫通し、それだけでは飽きたらず地表を削りのめり込む。しかし単発ではない。まるで横殴りの雨だ。赤い海が気色の悪い体液の海へと変わっていく。
 瞬間的にこんな芸当ができる兵器はそう多くない。ヘリはこんな前線に出てこないし、内陸部であるマクデブルクに戦艦の主砲が届くはずがない。同じ戦車と考えれなくもないが師団規模の戦車部隊を避けつつの精密砲撃など出来ない。となると後は一つだけ。

「―――戦術機………!」

 司令塔の出入り口を殴るように押し開けて上空を見やれば、三十六機の戦術機が日を遮るように参戦し、こちらに寄ってくるBETA群を軒並み掃討していく。
 一体何処の誰だ、と視線を手近の一機に集中する。暗灰色をベースに、右肩部に日の丸。全体的に鋭角的なデザインに、特徴的なのは頭部から左右に広がった大型のセンサーマスト。カタログでしか見たことがないが、あれは確か他国の第三世代戦術機―――。

「Type94………?―――日帝の派兵部隊か!?」

 師団長の音声を拾ったのか、二機の不知火がこちらにメインカメラを向け、外部音声で。

『応ともよ!俺達ゃ栄えある日本帝国生まれの日本帝国育ち―――』
『人呼んで花菱三兄弟と愉快な仲間―――』
『朱!翠!馬鹿やってないでちゃっちゃと片すぞ!!』

 名乗りの途中で後詰の一機に邪魔された。

『あ、碧兄ぃ!最後まで言わせてくれよ!!』
『そうだぜ碧の兄貴!戦場じゃ名乗りは重要なんだぜ!?』
『ほほぉう、何でだ?』
『―――その方が燃えるじゃん?』

 二人揃って馬鹿なこと言うので碧兄貴と呼ばれた機体から36mmのツッコミが入った。

『あ、碧兄貴碧兄貴!今装甲掠ったぞっ!?』
『あー、誤射だ誤射。昔よくやったろ?馬鹿やったお前らのケツにロケット花火ぶつけんの。―――ここでも仕置きがいるか?』

 もう一度銃口を向けられると二機は悲鳴を上げながら周辺BETAの相当行動に移っていった。『兄貴の花火ダーツは全部ブル狙いだからマジ勘弁だぜぃ』とか『しかもシラフでハットトリック決めるからタチ悪ぃ』言っていたが一体何のことだろうか。ともあれその様子を見届け、全くあの馬鹿共はと毒づきながら残った一機がこちらに向かって声を飛ばす。

『ウチの馬鹿共が面目ねぇ。久々の大規模作戦でハシャいでいてな。それよりもここは俺達が引き受けるから、早く撤退するといい。ウチの親父も戦車乗りでね。むざむざ見殺したとあっては寝覚めが悪くて仕方がねぇんだよ』

 早口に告げる不知火の衛士に師団長は苦い物を噛み潰す表情で尋ねた。

「貴官の所属と名は?」
『あぁすまねぇな。俺ァ日本帝国陸軍欧州派兵部隊第87戦術機甲大隊大隊長、花菱碧少佐だ』
「ハナビシ………?―――!『サントメールの奇跡』………!!」

 話を聞いていた装填手が驚きの声を上げる。
 師団長も聞いた覚えがあった。確か、英国と同じく近接戦闘を重要視する日本にあって、敢えて最小限の近接兵装しか搭載せず、どのポジションであっても4丁の突撃砲と多目的自立誘導システムを載せた砲戦特化部隊の名がハナビシであったはずだ。日帝の欧州派兵部隊は小規模ながら技術や技量の交流も目的にあるので、ある程度腕の立つ人材が送られてくるのだが、その中でも数カ月前に送られてきた彼等の名は欧州連合で知らぬものはいなかった。
 2ヶ月前に行ったリヨンハイヴの漸減作戦に於いてサントメールにて殿を務め、しかし光線属種の大量出現によって戦術機母艦が接舷どころか沖合に出ることさえ出来ず、撤退不能となった戦術機師団がいた。その彼等を救うために、一足先に撤退していた花菱大隊は海上補給を済ませて再出撃し、搭載した全火力を以て光線属種掃討作戦を繰り広げ、戦術機母艦が到達する四時間を稼ぎ抜いたのである。不可能とまで目された救出作戦に多大な貢献をしたが故に『サントメールの奇跡』に於いては必ず彼等の名が出てくるのだ。

『へぇ、よく知ってんじゃねぇか。じゃぁ、多くは不要だな。ブラウンシュヴァイクで補給隊が緊急備蓄展開してる。そこまで行けばもう少し頑張れるはずだ』

 花菱の言葉に、師団長はそうかいと頷いて視線を後方―――掃討されていくBETA群の奥を見据える。
 戦車級の海はもうそろそろ平らげてしまうだろう。だがその奥に第2陣が見えた。どうやらそちらが敵の本体のようで、地平線に揺らぐようにして要塞級の姿まで見える。直線距離にして4kmかそこらか。
 さて、ここからブラウンシュヴァイクまではそう遠くない。精々50km前後だ。尤も、逃げるために燃費を無視して走り続けたのだ。残燃料から言えばそこまでがギリギリと言ったところか。だがこれで生きる道は出来た。逃げようと思えば逃げられる。ここで素直にハイと言えば一度は捨てたこの生命を拾える。
 だが―――。

「―――馬鹿言ってんじゃねぇ」
『あん?』

 自分達はそんなに安いのかと問われれば激昂するしか無い。

「まだ敵は残ってる。まだ弾は残ってる。―――まだ魂は滾ってる!!」

 頭ごなしに助けてやる等と言われて、皆が皆涙を流して万歳三唱で大喜びすると思うな。

「ここで死ぬ?認めねぇよそんなのは!あぁだから退きはするさ!体勢だって立て直す!だがそれは―――今、俺達の全てをぶち込んでからだ!」

 ここには、生より大事な意地もあるのだから。

「全世界の戦車乗り代表で言うぞ馬鹿!ふざけんな戦術機!お前達は毎度毎度、後になってから都合よく―――そう!都合よくしゃしゃり出て、ハイエナみたいに俺達戦車の出番かっさらてくんじゃねぇっ!!」

 何時だってそうだ、と師団長は思う。
 戦術機ばかりに舞台のスポットは当たる。確かに戦車では戦術機に敵わない。飛びだせば喰われ、遅れても喰われる。対BETA戦に於いては花形衛士のように夢さえも見れない。それを妬みややっかみだと理解しつつも思わずにはいられない。例え戦場の端役だと思われても、脇役がいなければ主役は栄えないのだ。だから噛ませだ何だと言われても、これこそが自分達の役割で出番だと、仕方ないから納得しよう。理解もしよう。しかしそれさえも主役に邪魔されたとあっては到底我慢ならない。
 だから彼等は叫ぶ。
 出番を寄越せ。俺達『も』舞台にいるのだ、と。
 その叫びに対し、花菱は問いかける。

『燃料は?』
「ブラウンシュヴァイクまでギリギリ!」
『残弾は?』
「後、一斉射分!」
『―――気合は?』
『十分だ馬鹿野郎!!』

 最後に重なった師団全員の怒号に、花菱はくつくつと笑みを零して声を大にする。

『―――全機に告ぐ!こんな遠く異国の地で、花火馬鹿が線香花火じゃ物足りないってよ!なら同じ花火馬鹿の俺達はどうすりゃいい!?』

 言葉に対して動きがあった。

『我等日本の心意気』

 突撃砲4丁装備の不知火36機に因る多重砲撃。

『意志は星で、魂は紙球』

 それ等はまるで戦車師団を取り巻くように旋回し、残存する戦車級を駆逐する。

『撃ち出す竹筒我等が身なら』

 トリガを引き絞り、弾を吐き出し根性で当てる。

『我等が熱き血は導火線』

 その姿は車花火の如く。

『我等打ち上げる者に非ず
 我等打ち上がる者に非ず』

 そして全ての戦車級の掃討を終えると。

『ただ見上げた空に落ちていき、刹那の万華火でこの夜を照らす者也っ!!』

 彼等は戦車師団の左右に展開し、まるで銃身のように直列する。その銃口の先に、BETAの第2陣があった。

『さぁ異国の大馬鹿共!野暮なこたァもう言わねぇ!最後の根性砲―――思う存分にぶち込めぇっ!!』

 礼は言わない。
 礼は必要ない。
 答えもいらない。
 それさえも必要ない。
 ここにそんなものは不必要だ。
 視線の先、BETAの第2陣が迫って来ている。約3kmと言ったところか。充分に射程圏内だ。一斉射分。たったの一斉射分だ。それを放つためだけに何時までもここにいる。馬鹿な話だ。それを放てたとして、一体どれほどのBETAが殺せるか。あの無尽蔵な物量の前では、焼け石に水も良い所だろう。先々のことを考えれば、ここは早々にこの戦術機部隊に任せて尻尾をまくるのが最良だ。
 だが。

(そんな惨めな言い訳で陛下に顔向け出来るか!結果じゃねぇんだよ結果じゃなぁっ………!!)

 だから師団長はただ右手を挙げて叫んだ。

「―――File in the hole!!」
『Aye,Aye,Sir―――!!』

 そして。

『File―――!!』

 ―――最後の打撃を叩き込んだ。








 ロヴァニエミハイヴで未だ戦闘を続けるSu-47が150機いた。
 互いに連隊規模であったが、長く続いたこの戦闘で一大隊分を失ってしまった。折しもHQから砲撃部隊の後退が始まったとの連絡があったので、今は遅滞戦闘を行いつつジリジリと戦線を下げつつあった。
 そんな中、東欧州社会主義同盟の連隊長とソ連の連隊長は同時に言葉を零す。

『はン、二時間でオリジナルハイヴを落とす、ねぇ………デカイ口叩きやがって』
『ふん、だったら無駄な演説など行ってないでさっさと突入すればいいものを。二枚舌が』

 すると二人はつまらないものでも聞いたかのように舌打ちして―――互いに突撃砲を向け合い、140mmを発砲。

『礼はいらんぞジェリー』
『礼はいらねぇぞイワン野郎』

 互いの背後に迫っていた二体の要撃級がキャニスターの至近弾を受け爆砕した。それを一瞥し、二人は鼻を鳴らしてから自らの部下に指示を飛ばした。

『同士よ!馬鹿が二時間だけ時間を作れと言った!後で作戦の失敗を時間を作れなかった我々のせいだと言い掛かりを付けられても敵わん!ならばこの瞬間だけは仮想敵であっても利用せよ!!』
『Уразуметно―――!!』
『貴様ら!阿呆が生き汚くても足掻けば世界を繋ぐと宣った!俺達が作戦の外様だからって手ェ抜いてると思われんのは酌じゃねぇか!?なら怨敵でもコキ使え!盾ぐらいにはなるだろうよ!!』
『Einverstanden―――!!』

 人は全ての人間を受け入れられはしない。
 人は全ての人間を認めることは出来ない。
 だがそれでも、気に入らない人間を使うぐらいは出来る。







 旧九江市にて周囲をBETAに囲まれたF-CK1経国4機は自らの死地を悟っていた。
 間違いなく助けは来ない。退路は無く。弾薬も無く。推進剤も無い。残る武装は77式近接戦闘長刀だけだ。最早万に一つでも助かる要因はないだろう。
 しかし。

「了解、と言っておこうかね………!」

 呑まれかけていた心に火が点った。
 いいだろう、と全員が思って開き直る。喰らいたいなら喰って行け。ただし世の中ただより高いものはない。喰らうのならば料金先払い。値段は時価。最低価格は化物一匹分の命。それでもいいなら精々気張って喰いに来い。
 4機の経国が長刀片手に互いに背を向け合い、舌なめずりをする。

『知って地獄に落ちろ異星人!』
『確かに世界を救い行くのは絢爛咲き誇る彼等かもしれないが―――!』
『この世に、雑草という草は無いのだよ!』
『踏み潰してみろよ化物ォ………!!』

 僅かに残った推進剤を吹かし、最大加速を以ってただ一本の武器だけを手に、彼等はBETA群へと切り込んだ。
 ほんの数分も続かないような命。生き残ることは最早叶わないが、それでも振り払う一刀一刀が要求された二時間の1秒1秒を作っていくのだと―――それだけを信じて。








 鳴動する世界を老兵はF-14を飛ばしながら確かに感じていた。
 人は一つにはなれない。
 人種、性別、宗教、国家、家族―――枠組みは人それぞれだが、価値観に共感することはあっても共有することは出来はしない。如何な危機が訪れようと、内輪争いに終始し、ここまでBETA大戦を引き摺ったのがいい例だ。だからあんな演説一つで全てが変わる訳がない。おそらく、世界の全戦域に流れたであろうあの馬鹿の言葉に対し憤りを覚えた者もいるだろう。口汚く罵った人間もいるだろう。毒を吐いた人間も、死に征きながら自分の最期の記憶はこんなものかと嘆いた人間もいるはずだ。
 同じ目的―――オリジナルハイヴを落とすという目的を抱いていたとしても、それは変わらない。変わりはしない。
 だが老人は知っている。その逆もまた然り、だということを。
 反感を覚える人間が必ずいるように、共感を覚える人間もまた必ずいるのだ。そして共感を覚えた人間が行動を起こせば、やがて伝播を起こす。その伝播の起こりは確かに小さなものかもしれない。だが絶えることがなければ、やがて大きなうねりになる。
 思い出す。
 経験した数多の戦場で、幾度も感じた大きなうねり―――それの起こりは、いつもこうしたささいなきっかけから始まったのだ。
 あるいはそれは一人が行った英雄的行動であったり、国家の決断だったりと枚挙に暇がないが、事の起こりにはいつも世界が震えるのだ。無論、これはあくまで感覚的なものだ。長年で染み付いた勘や肌で感じる予知と言ったものに近い。経験を重ねた者にしか感じることは出来ないかもしれない。
 しかしそれを、老兵は感じていた。震える口元から、笑いが零れていく。それを押さえつけもせず、後ろを付いて来る四人の少年に向けて老兵は言った。

「ふははっ………!おい小僧共!聴いておったか!?今から死地に赴く馬鹿が返事を求めておるぞ!?ならば叫び返してやれ!ここからは聞こえなくても、それは手向けになるだろうよっ!!」
『りょ、了解………』
「声が小さ―――い!!」
『了解………!』
「まだまだ―――!!」
『了解ィ―――っ!!』
「よぉ―――うし、それでいい。それでいいのじゃよ。さぁ、目の前に敵が迫って来たぞ?教えたように陣形変更すると良い!」

 指示すると、おっかなびっくりといった様子で陣形が変わる。老兵のF-14を中心に、前後左右に少年達のF-15が展開する形だ。形自体は全周警戒陣形の円壱型と同じだが用途が間逆だ。これは、外側の彼等を『生かす』為の陣形と戦術だ。
 視線の先、幾多の戦術機とBETAの群れが入り混じる戦場が見える。元々が負け戦だ。戦況は良くないらしい。そんな中に飛び込まねばならない。まだ幼さが残る彼等に、それはどれほどの重しとなるか。いや、だからこそここが分水嶺だろうと老人は考える。
 例えこの戦場で生き残ったとしても、何も得ることが叶わなければいずれ彼等は別の戦場で命を落とす。だからこそ、今回だけはしっかり見守ってきっちり教え込む。それがここを死地と見定めた老人の、最期の役割だ。
 自己満足の上に欲張りだな、と自嘲する。
 一人で死ぬつもりでいた。無理を押して『ここ』に戻ってきたのだから、それこそが礼儀だと。だがそれだけでは飽き足りないらしい。自らが生きた証を、決して名を明かすことはなかったとしても最期に残したくなったのだ。
 嗚呼いいだろう、と老人は居直る。どうせ人間、何処まで行っても欲望の塊なのだから最期ぐらい、人生と言う名のズタ袋に思う存分エゴを詰め込んでやる、と。

「さぁお呪いじゃ。しっかり儂の後に続けよ―――!?」

 だから老兵は今、ここにいるのだと―――自らの証を立てる。

「―――On your mark!」
『O………On your mark!』

 機体を操作。担架から二丁の突撃砲を脇下から潜らせ、正面四砲にする。

「Get set!!」
『Get set………!!』

 機体を沈ませるように前傾姿勢へ。

「Are we redy―――?」
『We are rediness―――………!』

 更に声を揃え―――。

『Go Ahead―――!!』

 そして、荒野を5機の嵐が駆け抜ける。

 



[24527] Muv-Luv Interfering 第五十五章 ~進撃の鉄人~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2013/05/07 17:27

 あらゆる拠点襲撃に於いて、攻撃側が最も心掛けねばならないのは何においてもまずは速さである。相手が侵入に気付いているいないに関わらず、一歩でも敵地に踏み入れたのならば最速最短ルートを以て制御中枢の制圧、破壊を試みなければならない。これは古今東西変わることはなく、古くは紀元前はメギドの戦いから昨今では第二次世界大戦までと、人類史に於ける戦略要点としての重要性は依然揺ぎ無い。では、対BETA戦略に対してはどうなのか、と問われれば何のことはない、人類と同じだ。拠点名称がハイヴと変わっただけで、最重要戦略目標の名が頭脳級と変わっただけでやる事は同じなのである。
 即ち―――ハイヴ内に侵入を果たしたならば、頭脳級を最高速で潰せばいい。
 折しも、前作戦である甲21号作戦でそれは証明された。BETAは所属するハイヴの反応炉が破壊されると撤退することが確認されているのだ。
 つまり、早い話がこのオリジナルハイヴに幾千幾万ものBETAが内包されていようとも、頭さえ潰してしまえば砂上の楼閣へと成り果てる。そしてここは今後、BETAが誇ったユーラシア大陸支配圏を突き崩す足掛かりへとなるだろう。
 そしてその未来を手繰り寄せる為に―――。

「そこを―――退けぇぇえぇええっ!!」

 戦乙女達を引き連れた闘神が最前線でBETAを屠り続けていた。
 白銀だ。視界を埋めるようなBETA群を前にして一歩も退かず、行使できうる攻撃を全て使い、隊列と言う槍の最先端となって道を切り開いていく。
 重力偏差長刀を横一閃。空間に横引かれた一本の線はそこを中心に異常重力を発生させる。本来ならば地球の中心に向かって発生する重力が360°あらゆる方向へと螺子曲がり、剣閃の範囲にいたBETAはまるで内部から破裂するように体躯の至るところを弾き飛ばされた。さながら、爆散したかのようだ。
 派手な殺し方と言えばそうだが、だからと言ってそれで全てが片付くはずがない。重力偏差長刀の範囲は40m前後が精々だ。飛び散る肉片と血風でその範囲内にいかにどれほどのBETAが敷き詰められていたのかよく分かるが、こんなものはまだ極々一部にすぎない。
 それを証明するかのように、二体の騎士級が同胞の死骸を踏み台に跳躍してきた。シミュレーターでも思ったが、厄介な事この上ない。緊急時に迂闊に上空が使えないことに加えて、ふとした拍子に他のBETA群から抜けて出てくる上に、場合によっては仲間を踏み台にして攻めて来るのだ。数が多ければ警戒し続ければいいが、構成比率が高くないために地上BETAを気にしている時に限って飛んでくる。

「こん、の………!」

 飛び掛ってくる騎士級の一体の打突を躱す。右主腕の長刀を横薙ぎに振り切った反動を利用して、左に機体の重心を流したのだ。推進剤は使わない。紙一重で避ける。右肩部装甲を掠めるように抜けていった打突を見送って、白銀は背部担架から右脇下を潜らせて突撃砲を持ってくる。高速ロック。狙うは外殻の隙間。そこならば36mmでも充分に有効打足りうる。
 射撃する。
 結果は必要ない。直撃しても外殻に弾かれても衝撃で騎士級の動きは一瞬止まる。白銀にとってはその副次効果こそが必要な結果だ。騎士級の動きが止まり、空白が生まれる。それを利用して振り切った長刀を翻し、返す一刀で切り裂く。モース硬度15を誇る外殻が、バターのようにやすやすと中身ごと上下に分断された。
 分かたれた上半身と下半身の隙間に、もう一体の騎士級の姿が映る。既に打突は放たれている。推進剤を吹かしている余裕はない。だから白銀は機体を前のめりに倒した。右から左に一閃を振るったことに因って、機体重心は前よりも右前方に寄っているのだ。一瞬前までいた空間に、打突が吸い込まれていく。相手には、フッと消えたようにしか見えまい。オレもそうだったしな、と白銀は高速思考する。師である神宮寺が『前の世界』で教えてくれたように、人間にできて戦術機に出来ない動きはない。だから、白銀は培った経験を全て機体にコンバートしているのである。この重心移動は御剣との訓練で学んだものだ。
 さて、網膜投影にはアップで騎士級の姿が写っている。手にした長刀を再び翻すには距離が近すぎ、相対速度も速すぎる。他の武装で対応するしか無いが、右担架の突撃砲は射角が足らない。手に取れば別だが、その間に抜ける。腰部担架の荷電粒子突撃砲にしても時間が足らないし、左側に至っては現在充電中だ。
 背後の仲間に任せてもいいが、ここまで接敵した以上、避けるよりは極力始末しておきたい。だから白銀は一瞬で結論に至る。

「らっ………!」

 倒れるように踏み込んだ右主脚を支柱に、騎士級に向かって機体をぶつけるように飛び込ませたのだ。無論、本気で体当たりなどする気はない。
 騎士級の懐に潜り込み、機体頭部をかち上げる。狙うは騎士級の顎部下。外殻による装甲が無い部分だ。そこに、叢雲頭部装甲の額―――前に突き出た一角をぶち込む。スーパーカーボンブレードでは無いそれは、確かに突き刺さりはするものの武御雷のような鋭さは持ち合わせてはいない。だがそこは、重力偏差刀と同じように、ラザフォード場の収束発振器となっているのである。
 即ち―――。

「弾け飛べっ!!」

 顎部下から打ち込まれた一角は一気にラザフォード場を纏い、騎士級の頭部を内部から構成組織を引き千切って爆散させた。
 返り血と肉片を浴びながら、白銀は状況を認識する。突撃砲の弾薬は半分以下。予備弾倉は無し。荷電粒子突撃砲は片側充電中。長刀はまだ使える。
 問題は―――。

『武。推進剤は?』

 長刀を左主腕に持ち替え、右主腕に突撃砲を持たせた白銀が弾幕を張りつつ次手を考えていると、三神から通信が入った。タイミングがいいな、と思うが多分、彼も狙って問い掛けてきているのだろう。
 一応、現時点での最高階級は香月が持っているのだが、だからと言って現場の総指揮を任されているわけではない。無論、指揮を取ろうと思えば取れるだろうが、彼女は彼女で00ユニットとして忙しいし、そもそも前線指揮官というタイプではない。命令権はあるが、まぁまず間違いなくそれを理由もなく現場で行使するような無分別な人間ではない。
 自分より慣れている人間がやればいい、と実戦指揮は部下に丸投げしている。だから今回の戦闘指揮も三神が取っているのだ。
 だから白銀は遠慮なく告げる。

「最大噴射で後37秒。弾薬もちょっとヤバイな」
『では一度下がって補給を三分以内で完了させろ。ウォードッグ3、ウォードッグ4はフェンリル2の援護の後、穴埋めを』
『了解!』
『続いてヴァルキリー9、ヴァルキリーズ10は最大放射後、後退。通常兵器で右翼前線援護を。冷却中はヴァルキリー2と私で左翼のフォローをする』
『了解!』

 矢継ぎ早に指示が飛び、皆が即座に行動を起こす。
 白銀は機体を反転させる暇も惜しく、バックステップで噴射跳躍。停滞し通常兵装で後方支援を行う凄之皇の足元まで来ると、脚部の内蔵担架から兵装コンテナを引っ張りだして展開させ、推進剤と弾薬補給に入る。

(ハイヴに潜ってから73分………踏破率84%か)

 コンソールに指を走らし補給シークエンスを実行させ、白銀は現在の状況を省みる。突入から一時間と少し。こうした停滞戦闘はこれで三度目だ。進軍中の細かな戦闘はもう数え切れない。次から次へと出現するBETA群相手に、あらゆる攻撃手段を用いて突破してきた。その分消費弾薬や噴射剤は激しく、白銀自身補給はこれで四度目で、その内一回は装備を総取り換えしている。
 だがそれでも。

(悪くない………どころか絶好調だな。―――だから不安なんだけど)

 『前の世界』での桜花作戦時のデータを元に作った対オリジナルハイヴシミュレーターは大いに役に立っている。前回は想定の二倍以上のBETA群をぶっつけ本番で相手しなければならなかったのに対し、今回は予めシミュレーターで訓練できていたし、騎士級に対しても香月が『前の世界』で収集したデータが活かされ対策がなされている。
 敵の抵抗は激しいが想定内だし、進捗状況も予定より少し早いぐらいだ。そしてこの広間を抜ければ、次の次はいよいよ主広間だ。作戦も大詰めになってくる。
 しかし白銀は知っている。
 因果という意地の悪い鎖は、希望が見えた瞬間に締め付けてくる事を。

『ヴァルキリーマムより全機へ!後方よりBETA群出現!数は―――15万………!?』
『っ!?』

 凄之皇に増設された通信室にいる涼宮が逼迫した声で状況を知らせてきた。
 増援が来る。それも15万もの大群だ。凡そフェイズ4ハイヴが内包している総数。どう考えてもまともに相手していられない。とならば結論は唯一つ。

「進むしか、無いよな」

 途方も無い数を相手に、息を呑んでいた全員に白銀の呟きが浸透する。それに対し、三神がくっくと通信越しに喉を鳴らした。

『その通りだ、武。事ここに至って、撤退の文字はないよ。だからどこまでも進撃し、進撃し、進撃だ。―――ヴァルキリーマム、その群れの中に突出して脚が速いのはどれほどいる?』
『そう多くありません全体の約5%程です。接敵はこれより5分後。本隊は12分後の予定です』

 約5%。凡そ7500だ。それが五分後、この広間に津波のように押し寄せてくる。片付ける方法はあるか、と白銀は幾つかプランを考える。
 凄之皇の荷電粒子砲は対反応炉用に取っておいている。ここに来るまである程度温存はしているが、それでもこれだけの巨体だ。全くのノーミスとは行かず、BETAに取り付かれた時にラザフォード場の出力を上げるなどして対抗してきた。そもそもただでさえ単機大気圏突入など相当な無茶をやっているのだ。その影響で、燃費や00ユニットの負荷も予定以上に掛かっているだろう。となると、凄之皇だけに頼った行動は難しい。
 では叢雲複数機による荷電粒子砲はどうか。確かに、横坑の入り口で照射すれば密集しているであろう騎士級は避けることは出来ない。上手くすれば、一掃もできる。だが、その七分後に敵の本体―――残りの14万2500体が攻め込んでくるのだ。その七分の間に次の主広間へ行き、門級を突破して反応炉に辿り着けるかと問われれば、首を傾げざるを得ない。

(となると、取れる手は多くない。―――『前の世界』でやった手を使うぐらい、かな)

 白銀がこれまでの経験を元に今後の計算を行なっていると、網膜投影に三神の顔が浮かんだ。どうやら次の一手を決めたらしい。

『―――諸君。これより予定を少し変更し、別の作戦を説明する。手を抜かず聞いてくれ』

 凄之皇を中心に、円壱型で展開した叢雲19機は攻撃の手を休める事無く、波のように寄せてくるBETA群に向かって銃弾を吐き出し続ける。
 そんな中、彼はこんなことを言い出した。

『まず、隊を分ける。私と神宮寺、式王子と七瀬の四機は此処に残り、迫るBETA群を迎撃する』

 一瞬、皆の思考が空白になる。それでも攻撃の手を休めることはなかったのは訓練の賜物か、あるいは呆れ果てた故の現実逃避か。いずれにしても、その説明を何度も反芻し、やはり反論が飛び出てくる。

『む、無茶です!15万もの相手を4機でなんて!!』
『黙ってまずは訊け。何も全部相手にするとは言っていない』

 そんな反論を彼は切り捨て、表情を変えずに説明を続ける。

『現状、敵の足が最も早いのは騎士級だ。ハイヴ内では突撃級も動きが鈍るからな。故に、全体の5%―――7500体の騎士級を相手にする』

 現状、ハイヴ内で最も自由に動けるのは騎士級に他ならない。最高速度では突撃級が上回ったとしても、それはあくまで直線速度だ。BETA同士が邪魔しあって身動きは取りにくいだろうし、こう曲がりくねったハイヴ内を最高速で行動できるとは考えにくい。
 となると、内壁や仲間を足場に三次元機動を取れる騎士級が最も速く追いついてくるだろう。
 これを踏まえた上で、敵の追撃を遅延させる。

『そして騎士級を削るだけ削り12分後、敵本隊到着直前でシミュレーションでもやったように、天井を崩落させ敵本隊の追撃を妨害する』

 ハイヴ内壁の脆い部分にS-11をセットし爆破、意図的に崩落させ追撃を阻害するという『前の世界』の桜花作戦で行われた手法は、以降のハイヴ戦でも使われており、その有用性から常套手段として多大な成果を上げている。
 今回の作戦でもシミュレーションの段階からその手法が取り入れられていた。確かに、作戦通りに上手く行けば15万もの追撃が掛かる前に反応炉を撃破できる。

『承服しかねます』
『聞こう』

 伊隅の言葉に、三神は短く返す。その反応速度から、おそらくは彼も反論が出てくることは分かっていたのだろう。にも関わらず発言を許した、と言うことはねじ伏せる為の言葉を持っているということだ。

『まず第一に、わざわざ全ての騎士級を迎撃する必要がありません。幾ら脚が速いといっても、反応炉撃破予想時間を考えれば、追いつけるものではないでしょう。天井を崩落させて遅延させるなら尚の事です』

 伊隅の言い分は尤もだ。どちらにせよ天井を崩落させるならば、直接騎士級を相手にする必要は無い。接敵直前で崩落させ、追撃を遮ると同時に敵の最先端をまとめて埋めてしまえばいい。

『第二に、迎撃に向かわせる人数が少なすぎます。リンクシステムの最低起動人数のみでは不測の事態に対応しきれないでしょうし、7500もの騎士級相手に4機では如何に叢雲でも耐え切れない可能性が高いでしょう』

 叢雲が最大限の能力を発揮する為には00ユニットかリンクシステムの存在が必要不可欠で、後者に関しては最低でも4機運用という縛りがある。三神が提案したのはほぼ間違いなくそれを踏まえた上での数だろうが、万が一もある。不測の事態が起こる可能性も考えれば2、3機増やしておいた方が安全だ。

『第三に、連隊長である少佐が迎撃組に入る理由がありません』

 そして何よりも、現場指揮官である三神が作戦の中核である凄之皇直援を離れる理由が不可解だ。
 何かしら問題―――それこそ、三神自身が死にかけているのならば階級順から言って伊隅か神宮司が引き継ぎの適任であるし、そもそも本来は香月にその権限がある。しかし現状、香月は作戦進行に関する一切を三神に一任しているし、その彼とて五体満足だ。機体にも不備があるようには見えない。どう考えても指揮官が本命の作戦をそっちのけでいいはずがない。つまり、伊隅や神宮司に遅滞作戦を任せたとしても逆は有り得ないのだ。
 しかし彼は一拍呼吸を置いた後、静かに問いかけた。

『―――以上かね?』
『はい』
『では却下だ。理由は幾つかあるが大本は一つ、帰りも奴らに付き合いたくはないからな』
『どういう意味でしょう?』
『騎士級は既存BETAの行動から逸脱した動きを取る。通常、反応炉を破壊すればBETAは撤退するが、騎士級は真逆だ。破壊の理由を探ろうと、反応炉ブロックに穴を開けてでも挙って反応炉に集う』
『しかしそれは可能性の問題では?』

 問いかける伊隅と黙ってやり取りを聞いていた白銀は思う。これは未来情報だと。
 騎士級の生態は表向き明らかにされてはいない。それは彼等の存在が直近のハイヴ戦―――即ち、甲21号作戦にて明らかにされたためである。調査するにはデータが足りず、行動原理を推察するにも同じだ。
 しかしながら、それを覆す存在が二人いる。
 『前の世界』で実際に騎士級と何度も戦った三神と00ユニット『コウヅキユウコ』の記憶を継ぐ香月だ。故に彼等がそう言うのであれば、間違いはないだろう。

『いや、確定的だ。無論、理由は話さないが』

 三神の返答にやはり、と白銀と伊隅は確信する。
 彼と白銀の存在背景は未だ機密扱いになっている。故に、ここでは微妙に濁した返答しかしないが、一部始終を口頭ではあるものの伝えられている伊隅と、自身がその存在であった白銀には想像は難しくなかった。

『そして諸君も知っているように、今回凄之皇四型は乗り捨てるが、叢雲は香月女史の要望もあって持って帰る事になっている。反応炉を破壊した後、凄之皇四型無しで我々はハイヴから脱出しなければならない。その際、騎士級に四方八方から攻めて来られても困る』

 『前の世界』での『桜花作戦』では反応炉を撃破後、直援衛士達は機体を乗り捨て凄之皇に搭載された装甲連絡艇で帰還する算段になっていた。しかし今作戦では凄之皇に搭乗している四名だけ先に装甲連絡艇で帰還するが、他の直援衛士達は自力で帰還する事になっている。香月は叢雲の技術が他国に渡るのが嫌だから、と嘯いていたがどうにも、狙いは他にあるように思えてならない。
 因みに、脱出ルートはボパールハイヴとマンダレーハイヴの間だ。その為に、予めフェイズ1の段階でボパールハイヴは東方から攻撃を仕掛け、マンダレーハイヴは西方から攻撃を仕掛けてBETA群をおびき出している。作戦の最終フェイズを迎える頃には相当な手薄になっていることだろう。
 しかし、大陸からの脱出ルートが確保されていても、まずはハイヴから脱出せねばならないのだ。その際、騎士級の特異行動が非常に厄介になる。

『だから最低でも一方を開けて退路を確保しておくと?』
『ああ。そして、私がそれを行うのは―――繰り返すようだが、話す理由がないな』

 ここに来て新たな作戦を提案した理由は理解した。確かに、その騎士級の情報が本当ならば成程、退路確保のために必要な作戦だろう。だがどうにも腑に落ちない。そしてそれは恐らく白銀や伊隅だけではないはずだ。黙々とBETA掃討をしている他の隊員達も首を傾げているに違いない。
 不信ではなく、不可解。
 三神のいつもの奇行、とは笑って割り切れない何か言い知れない不安感。それが胸中で渦巻いているのだ。
 そんな皆の心情を汲み取ったのか、三神は強引に状況を動かす。

『香月女史。「そういう事」だ。―――構わないな?』
『―――好きにしなさい』

 香月の鶴の一声で今後の方針は決まった。そのやり取りの裏に隠された意味を知ることは出来ないが、この場において最高権限を持っている人間が応と言うならば、部下に否は無い。

『珍しく、何も言わないんだな?』

 その三神の尋ねは、白銀に送られたものだ。だから、彼は補給を終えた機体を再び最前線へ飛ばしながら口角を釣り上げた。

「死ぬ訳じゃないんだろ?」
『ああ』
「じゃぁ、先に行って待ってるさ」
『―――ああ、待っててくれ。私は必ずお前に追いつこう』

 やり取りは短い。
 それだけに、この不可解な行動に何かしら意味があると―――因果導体『ミカミショウジ』に意味があるのだと白銀は悟る。それを止めることは出来ないし、邪魔することなど以ての外だ。
 だから白銀は胸中で言葉を紡ぐ。

(ここで終わるなよ、庄司。オレは、お前の心を救うって霞と約束したんだからな………!)

 そして指示が下る。

『では迎撃組は順次最後の補給を行い、次の横坑で迎撃準備を行う。それ以降の総指揮は一時伊隅に預ける。―――いいな?』
『了解!!』

 状況が、再び動き始めた。







 その地では、見る者が見れば、一種異様だと思える光景が展開されていた。
 暗灰色の鉄巨人108機と、暗緑色の鉄巨人108機。
 本来ならば、交わるはずのないの軍勢。
 本来ならば、銃火を交わすはずの軍勢。
 本来ならば、共に果てるはずだった命。
 片方は日本帝国が誇る純国産第三世代戦術機、Type-94不知火。
 片方はアメリカ合衆国が生み出した怪物、F-22Aラプター。
 それが都合216機、祖国を遠く離れてミャンマーのとある渓谷で、まるで防波堤のように旅団規模のBETA群と今まさに相対していた。

『Yeah―――!!』
『やっかましいぞメリケン野郎共!ちったァ静かに雑魚刈りできねぇのか!?』
『バッカ言うな全くテメェ等いっつも雁首揃えて辛気臭ぇ面しやがってよ糞ジャップ!戦場ぐらい楽しく陽気に暴れろよサムライアーミー!その手のカタナはフニャチンかファックファック!!』
『侘び寂び舐めンなバーガー脳!肉ばっか食ってガタイだきゃぁデカイんだからちったァ前でてガチンコしやがれ!豆鉄砲構えて芋引いてるようじゃぁ何時まで経っても自称世界の合法ヤクザだぜアァ大国さんよォ!!』
『貴っ様この期に及んで国辱かァっ!?』
『テメェ等こそどの面下げてここにいるんだノータリンっ!!』

 豪、と敵味方入り乱れた中で風が逆巻く。周囲を取り囲む師団規模のBETA群の中にあって、二国の狩人達はさも楽しそうに互いを罵倒しながら血に塗れていた。
 陣形は至って単純、ただの円壱型。ただし、外側108機内側108機の超大型陣形ではあるが。砲戦特化のラプターを円陣の内側に置き、外周を不知火で覆う。単純に、機体の特性を鑑みただけの布陣だ。だが、そのシンプルさ故に無駄なく機能する。
 まるで暴風だ。
 円陣を回転させ、BETAと言う濁流を堰き止める。しかしやはり完璧とは行かず少数ながら外へと弾いていく。弾かれたBETA群は振り返りもせずに後方へ流れていくが、気にしない。何故なら彼等は確かにこの戦場の最先端にいるが、単一で機能している訳ではないからだ。
 この渓谷の出口にて処理しきれなかったBETA群は後方にある本隊へと流れていく。展開する戦力は陸上海上双方合わせて3軍団規模。その総戦力を以ってすれば旅団規模のBETAなど恐るるに足らないが、彼等は数時間前から北西より出現している母艦級と呼ばれる新種BETAの対応に追われている。
 その名の通り単純に運ぶことに特化している為、母艦級自体には攻撃力を持たないがその腹に大量のBETAを内包している。しかし国連に因って予め情報が出回っていたため、口を開いた瞬間に海上砲撃支援で搬出されたBETAを火力で押し込み、S-11を装備した輸送隊を突撃させ内部に投擲、爆破させる作戦を展開し数多の犠牲を出しながらも八にも登る母艦級を現在進行形で撃破していた。
 だが未だに吐き出された残党は師団規模に及び、本隊は苦戦を強いられている。そんな中、ダメ押しとばかりに北東の渓谷から追加のBETA群が迫ってきたのだ。度重なる連戦で消耗していた本隊に二面作戦を展開する余力は無く、あわやこれまでかと思われた時に、彼等が現れたのだ。
 あの日より、未だ軋轢は消えない。それでも彼等が共闘しているのは、それを隊を率いる者達が望んだからだ。

『さて、一瞬だけこちらに砲撃支援があるそうだ』
『こちらにも連絡が来た。あちらも母艦級が後4体はいる中で、よくやっている。こちらも予定通り、着弾と同時にプランBへ移るとしよう』
『ここが正念場だが………異論はあるか?ウォーケン中佐』
『確かに些か厳しい展開だが、だからと言って臆するつもりはない。沙霧中佐』

 機体を背中合わせにし、オープンチャンネルで言葉をかわす男達の名はそれぞれ沙霧尚哉、ウォーケン=アルフレッド。共に階級は中佐。所属する国と、自らが率いる連隊に与えられた役割こそ違うものの、国を愛し、人類種の敵を討つと言う志は同じくする者だ。
 桜花作戦に於いて展開されたフェイズ1―――即ちユーラシア大陸全周域に対する強襲と陽動によって引き出されたBETA群を遊撃しながらピエ経由でヤンゴンまで南下してきたこの二部隊はそこで合流し、本隊の危機に少しでも負担を減らすために壁役を買って出た。
 二連隊で旅団規模を抑える。性能と物量的に不可能ではないが、確実に大きな犠牲を強いる役割だろう。それを物ともせず、異国の地で命を懸ける彼等の胸に去来するのは挺身かあるいは贖罪か。それを問うたならば、彼等はこう答えるだろう。
 ―――恩義故に、と。
 作戦としては既に終盤に差し掛かりつつある。
 桜花作戦では、特にマンダレーハイヴ、ボパールハイヴに戦力を集中させている。理由は幾つかあるが、大きな理由はやはりオリジナルハイヴに近いからだろう。ここで派手な戦いをすればオリジナルハイヴからの増援も出てくるし、そうなればオリジナルハイヴ攻略部隊も少しは楽になるはずだ。それに加え、作戦最終目標達成―――つまり、重頭脳級撃破後の攻略部隊撤退ルート確保の為にもこの二つのハイヴは他ハイヴよりも叩いて内包BETA群を少しでも減らしておく必要があるのだ。
 つまりここでの戦いは、激しさに比例して間接的にあの日本人達を助ける事になる。
 それを誇示はしない。例え知られなくても構わない。陰ながらでいい。粛々と、黙々と、自分達を救った者達に報いたいとそう願った。
 だから―――。

『支援砲撃到達まで後15秒………!!』

 予告が来た。
 そして違うようでいて、何処か似通った二人は命令を吐き出した。

『バンデッド1より全機へ!支援砲撃到達後突撃!怯んだ敵中へ斬り込む!星なぞ米国にくれてやれ!我々はかつてあの少佐がやったように、XM3の力を以てして徹底的にBETAを撹乱する!!』
『ハンター1より全機へ!我々の役割は敵中に斬り込むサムライの援護と弱体化したBETAの駆逐だ!一匹たりとも残さず、そして一機たりとも落とさせるな!!』

 重なるのは了解の二文字。
 そして遠くより飛来音。
 それはまるで狙いすましたかのように―――。

『JACKPOT/大当たり………!!』

 BETAが犇めく渓谷へと叩きこまれた。逃げ場のないBETA達はまとめて屠られる。だが、この天よりの一撃も僅か一瞬だけ。一瞬で旅団規模のBETAを全て殺しきれるはずもなく、しかし確かに間隙は空いた。
 何時までも防御陣形は性に合わない。
 自分達は国の盾ではなく、剣なのだから。

『全機、突撃―――!!』

 そして216機が宿した武士の魂が雄叫びを上げた。






 涼宮茜は状況を冷静に分析していた。
 彼女等が三神達を残し進撃し、五分程たった。横坑を抜け、次の広間へ到着してみれば、いよいよ敵の抵抗も激しくなってきた。待機していたBETAの総数もさることながら、ここに来て厄介な新種も出てきたのだ。
 それは―――。

『くっ………!?また母艦級だと!?』

 宗像の言葉に、皆が苦虫を噛み潰したような顔をする。
 そう、母艦級だ。
 この広間に侵入し、正面で待機していたBETAを排除していると後方から挟みこむように母艦級が出現した。それも一匹二匹ではない。四匹同時だ。幸いにして、荷電粒子長砲を正面から最大照射することで事なきを得たが、こうも連続して母艦級に責め立てられると長くは続かない。荷電粒子長砲の最大照射を行えば、五分は充電時間で機体制御が限定されてしまうのだ。
 最初の四匹が出現した時、珠瀬、鎧衣、風間、宗像の叢雲が対処した為、今彼女たちは通常兵器による前線組の援護に徹している。

(今残っている荷電粒子長砲は晴子と智恵と伊代の叢雲だけ。この後の展開と主広間までの距離、少佐達が追いついてきた時の事を考えれば………!)

 冷静に、冷徹に作戦が高速構築されていく。
 最も必要なのは全体的な作戦の遂行。
 その為に必要なチップ。
 加味すべきは自分の実力と、自分を最もよく知り完全にフォローしてくれる同期の存在。
 全てが最速で構築される。あるいはその一瞬、彼女は確かに伊隅や榊の思考速度さえ凌駕していた。
 通信を繋ぐ。
 彼女達へ視線を送ると、四人はただ小さく笑って頷いてくれた。こういう時、同期は理解が速くて助かる。
 だから―――。

「晴子!母艦級へ最大照射で打ち込んで!智恵と伊代は晴子の援護!多恵!あたしと二人で斬り込んで撹乱するよっ!!」
『了解っ!!』

 叫びと同時、行動が起こった。
 まず涼宮と築地が後方に出現した母艦級へ突出、荷電粒子突撃砲をバラ撒いて着地点を確保、と同時にそこを広げるように左右へ展開。広がった着地点を護るように麻倉と高原が二機連携で確保し、そこへ柏木が荷電粒子長砲を構えながら着陸してきた。
 脇の下を潜らせた雷神の槍は上下に顎を広げ、バシンと嘶きを上げる。
 そして。

『ヴァルキリー08、フォックス1―――っ!!』

 空間さえ焦がすように射程にある全てを焼き尽くした。
 その先に、大口を開け未だ眷属を吐き出し続けている母艦級が存在し、内包するBETA群と共に一瞬で燃え滓となった。
 空隙が生まれる。一瞬だけかもしれないが、これで後方に気を取られる必要はなくなる。
 だから涼宮は声を大にした。

「―――伊隅大尉、この広間はあたし達が引き受けます!」
『貴様ら!?』

 伊隅が激するが、否応なく状況は既に全て整っている。
 完全に事後承諾となったが、彼女は優秀だ。周囲をBETAに囲まれ掛けた状況から一転して正面だけ気にすればいい状況になれば、指揮官としてゴーサインを出さざるをえない。
 これだけ勝手なことをしたら後で懲罰ものだよね、と内心で苦笑しつつ残存BETAを屠り涼宮は続ける。

「前を向いて行ってください。すぐに、追いつきます」

 皆の息を呑む声が聞こえてくる。
 告げる涼宮に悲壮の色を見たからではないだろう。この状況にありながら、彼女は笑っていたのだ。それも好戦的な笑みではない。まして悟りきった笑みでもない。
 例えるなら、また明日と友人に別れを告げた時のような―――そんな笑み。
 この状況下で、その余裕が今の彼女にはあった。

『伊隅大尉、行きましょう』
『涼宮………!?』

 それを一番最初に悟ったのはやはり血のなせる業か、姉の涼宮遙だった。だから彼女は最愛の妹に問いかける。

『茜、頑張れる?』

 さてどう応えよう、と妹は思う。
 見た目に反してあの姉は頑固だ。こんな状況であっても生半可な回答では納得しないだろう。だとすればするべきは一種の決意表明か。今までの自分から脱却し、新たな自分を探すための第一歩。
 思い出せ。
 自身を投げ打つ事を厭わぬあの中尉は、あの夜なんと言ったか。

(あぁ、うん………そう、だよね)

 人には役割がある。
 では自分の役割は何だ。

(あたしの役割………)

 自問に、するりと自答する。
 だから彼女はその答えを胸に、姉に告げた。

「―――あのね、お姉ちゃん。あたし、もう追い掛けるのはやめたよ」

 誰を、とは妹は言わない。
 誰を、とは姉も問わない。
 だけど誰なのか、この場にいる全員が知っている。ただがむしゃらに、彼女は彼等を追いかけていたのだから。

「でもね、届かないから追い掛けるをやめるんじゃない。あたしに出来ることを………あたしにしか出来ないことを見つけたから、誰かの轍を走るのを―――もう、やめるんだ」

 誰かの二番煎じはもう御免だ。
 誰かに追いつき追い抜くことに、今は何ら感慨を覚えない。所詮それは単なるコピー。技術と経験を重ねてオリジナルを超えた所で、自分の物だと誇るのは浅ましすぎる。
 だから手に入れるのは誰のものでもない、自分だけの力。それが今、手の届くところにある。要領は理解した。後は実行し、自分の物にしていく。
 その決意を汲み取ったのか、伊隅は吐き出すように命令を下した。

『………涼宮、柏木、築地、麻倉、高原を残し、我々は前進する。―――返事!』
『了解!』
『元207A分隊!』
『はい!!』
『これが終わったら、一杯奢ってやる。―――忘れるな』
『―――了解!』

 そして再び進撃が始まった。
 その中で、この場に残る彼女達は言葉をかわす。

「ごめんね、貧乏くじ引かせちゃって」
『実務的には確かにそうだけどね、シチュエーションは結構大当たりじゃない?』
『あ、茜ちゃんと一緒なら問題ねぇだ!!』
『ま、かるーく揉んであげようよ』
『あの伊隅大尉が奢ってくれるだなんて楽しみだしね』

 皆の言葉にああ、と涼宮は思う。
 技術、技量、経験―――これまでこだわり続けた事が、酷く小さく見える。確かにあるに越したことはないが、結局この戦争においてはそう大きなウェイトを占めているわけではない。
 何故なら一人で戦争はできないのだ。
 だとすれば、最も必要な力は誰かと誰かを繋ぐ力だ。その極大は言葉一つで人々の言葉を揺することだろうが、自分にその力はない。
 だが幸いにして、自分は高機能な器用貧乏だ。ならばそれを使って現場で誰か補い、繋いでいこう。
 誰かが腕を失えば腕の役割を。
 誰かが足を失えば足の役割を。
 それが新たな自分の役割だ。
 新たな場所は見つかった。
 新たなやり方も見つけた。
 だから―――。

「じゃぁ、征くよ!陣形、楔弐型!元207A分隊の底力、見せてあげる!」

 今ここでこそ強くなろうと―――そう決めた。







 そしてオリジナルハイヴの西側にも、東側と同じように暴風があった。旧アナンド―――食い荒らされ、建築物の面影すら無いその荒野は地を這う異形達に埋め尽くされていた。
 その中で、暴れ狂う風があった。

『ふっははははは!一匹残らず蹴っ散らせぇっ!!』
『ひぃいぃい―――!!』

 五機編成、円壱型の陣形を展開した小隊だ。
 中心にUNブルーのF-14と、周囲四機が同じくUNブルーのF-15Eだ。周囲を取り囲む四機の動きはぎこちない。そこそこの腕はあるようだがまるでルーキーのように萎縮し、それでも懸命に攻撃行動を行なっていた。
 だが、それだけだ。
 突撃砲の斉射にしても、ナイフの使い方にしても凡人の域を出ない。いや、この状況下―――そしてオープンチャンネルで流れてくる泣き言を聞けば四機の衛士の腕は秀才であっても実戦経験が浅いであろうことは理解できる。
 ここは旧アナンド。ボパールハイヴ陽動作戦に於ける最前線だ。数も勢いも敵が優勢。こちらが優っているのはここを死守しようと心に決めた気概だけ。運や偶然で生き残れる場所ではない。
 それでもまだ新兵に毛が生えた程度の彼等は生き残っていた。
 それは何故か。

『ジェノサイド~ジェノサイド~一匹残らずジェノサイド~おーれは陽気な殺戮者ぁ~!!』

 四機の中心で謳う老人の存在があったからだ。
 彼が駆るF-14には右主脚が無かった。左主腕も肩から無い。跳躍ユニットも片方イカれているようで、時折機体が傾いでいる。満身創痍を地で行くこんな状態でまだ健気にも戦おうとしている戦術機の姿を機付の整備兵が見れば感涙するか卒倒するか搭乗衛士を怒鳴りつけるかの三択だろう。
 そして今も一匹の要撃級が外周で奮戦するF-15Eの一機を落とさんと横合いから襲いかかり。

『必・殺!滅・殺!ひーき肉!おぉ~我等がステイツ十八番~バーベでキュ―――!!』

 そうはさせないと老人が放った36mm砲弾で蜂の巣にされる。
 これでもう何度目かわからない。老人は円壱型の中心―――最も安全と思われる場所にいながら、外周を形成する四機の危機が迫ると今のように銃撃で支援し、時には機体そのものをぶつけてそれを救う。
 結果として、周囲四機よりも損傷度が桁違いに高い。それでも尚動きのキレは衰えること無く、逆に反比例するかのように援護の精密度が上がっていく。
 何とも不思議な光景だ。
 不思議すぎて、この場を預かる国連軍のとある中佐はポロッと本音を漏らした。

「こんな戦場で、あんな状態で訳の分からん歌いながらあんな曲芸を………!?ナニモンなんだあの爺さん!?気でも違ったかっ!?」
『それは僕達が聞きたいです―――!!』

 打てば響くといえばいいのか、外周を形成するF-15E四機の衛士達の心底からの悲鳴が聞こえてきた。
 まぁそれはともかく。

(こっちとしては有難いけどな………!)

 同じくF-15―――しかしC型を操作し際限なく押し寄せてくるBETA群を相手にしながら、その国連軍中佐は思う。
 現状はお世辞にもよろしいとは言えない。
 ボパールハイヴを強襲し、内包するBETA群を引き摺り出し遅滞戦闘を繰り広げながらここまで下がってきたが、部隊損耗率は正直笑えないほどになってきている。そもそも、今でこそ自分が全体指揮を行なっているが、本来ならば然るべき指揮官が居たのだ。戦術機甲師団として機能していたのは戦闘半ばまでで、その時点で団長である大佐が戦死し、引き継いだ副長の中佐が戦死し、更なる引き継ぎで先任の中佐が戦死し、一番若輩の自分にその番が回ってきたのだ。
 腕っこきとして意図せず成り上がってしまったが、そもそも自分は指揮官としては向いていないと思っている。他の中佐連中に比べれば無能といってもいい。確かにその過程でそれなりの教育は受けてきたが、完全に掌握して運用できるのは自分の連隊までだ。てんで教養を活かしきれていない。それを数が減ったとは言え、未だ二連隊分いる仲間を束ねていかねばならないのだ。
 しかし。

(戦力的にも気付け的にもあの小隊は使える………!)

 たったの五機。たったの五機が怒涛の勢いでBETA群を引っ掻き回し、こちらには理解不能な技量を以てして次々と敵を撃破していく。その様は部下達には一種の希望に見えるだろう。自分達も続けとこの状況下でも意思を奮い立たせていける。こちらの実力不足を、あの小隊は補ってくれる。
 これならば―――。

(やれる………!このまま殲滅は出来なくても、全軍撤退の時間まで保たせることは出来るっ!!)

 微かな希望が見えた。
 その瞬間だった。

『な、なんだありゃぁっ!!』

 轟音と共に、それは来た。
 魑魅魍魎が埋め尽くす荒野。そのど真ん中に特大の土柱を吹き上げ、まるでイルカが海面から飛び出してくるかのように『それ』は姿を現す。削岩機のような頭部。ミミズのような胴体。何よりも特徴的なのはその大きさ。
 最初に観測されたのは先の甲21号作戦。
 A-01の前に姿を現した『それ』は全長1800m、全高全幅それぞれ176m。学術名はまだ無い。
 暫定の識別名称として呼ばれているのは―――。

『ぼ、母艦級………母艦級だ!ブリーフィングで見たぞ!新種のBETAだっ!!』

 誰かの叫びに中佐は舌打ちして対抗策を思い出す。
 桜花作戦実施に際して、国連軍―――正確にはA-01連隊から新種BETAに対する策が世界各所に通達されていた。
 曰く『戦艦の主砲にさえ耐え抜く強度を誇る母艦級を撃破するのは容易ではなく、撃滅の際には荷電粒子砲を用いるか、叶わなければ比較的脆弱な内部からの攻撃が効果的である。攻撃はS-11、ないしそれに準じた威力を持つものが望ましい』。
 何も知らなければ鼻で笑うような内容だったが、実際に一戦交えた人間の報告を一蹴できるほど余裕が有るわけではない。そしてこうしてその威容を目の当たりにすれば嫌でも理解する。
 あんな要塞級よりも遥かにデカイ生き物を、36mmや120mmでどうにか出来るとは到底思えないのだ。
 だから中佐は悪態をつきながら叫ぶ。

「くそっ!こんな場所で、だとっ!?S-11輸送部隊は………!?」
『駄目です!拠点強襲を警戒して艦上待機中!こちらに到達するまで15分は掛かります!』
「15分………保つか!?」

 今から通信を入れて全速力で来てもらえば15分。既に母艦級は口を開いており、次々と増援のBETA群を吐き出している。ただでさえ数の面では劣勢だ。
 ここまで保ってきたのは気概とイカレ老人率いるルーキー小隊と言うイレギュラーが上手く相互作用をもたらした結果にすぎない。ここに来ての敵増援―――それもとびっきりの絶望感を引き連れての参戦に、間違いなく士気はだだ下がりする。
 それでも十五分だ。十五分持てば何とか―――。

『そ、そんな………!?』
「今度は何だ!?」
『きょ、拠点強襲!ジャルガウン方面から母艦級の強襲です!内部から出現した大量の重光線級により戦術機母艦数隻轟沈………!』
「おい、まさか………」

 拠点のあるスーラトの南東、ジャルガウン方面からBETA群が迫ってきているのは知っていた。12万もの大群との話だった。だが、余りにも接敵が早すぎる。予定では、こちらの方面を抑えてからでも充分に間に合っていたはずだ。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。戦術機母艦が
幾つか沈んだのだ。空荷ならいい。だがその中にいるのではないだろうか。この新種のBETAに対し、有用な札を保つ戦術機達が。
 果たして中佐の不安は現実のものとなる。

『S-11輸送部隊も幾つか沈み、残った輸送部隊も出現した母艦級の対応に追われ、本隊は撤退を開始していると………』
『そんな………!』

 皆が絶句する。
 このタイミングでの強襲。それも重光線級が先行したとなると、本隊は為す術もなく一翼をもがれたに違いない。そしてそこから反応が遅れれば遅れただけ、被害は雪だるま式に加速して遂には戦線が瓦解いく。寧ろ、即時撤退を決断できた分、被害は少なく出来たといえるだろう。
 英断だ。
 大局的、戦略的に見て、その撤退は間違いなく英断だ。
 だが、その英断は、この周辺で展開する部隊にとって退路が絶たれたことに他ならない。ここより内地はBETA勢力圏、後方の暫定拠点はBETAの強襲により破棄するだろうし、今からそこへ向かった所で間に合わないだろう。そして戦術機は外洋を横断する程の航続距離を出せるほど万能ではない。
 つまり周辺部隊は、完全にこの場に置き去りにされたことになる。

(どうする!?どうすれば生き残れるっ!?)

 この苦境にあって未だ生への渇望は尽きない。
 だがそれを実現するための手段がない。思い浮かばない。到達すべき目標が見つからないからこそ、道筋も探せない。
 分からない。
 分からない。
 分からない。
 部下が網膜投影越しにこちらの指示を待っている。不安そうな瞳で見つめている。ここで言葉を詰まらせ、一秒でも判断を遅らせれば遅らせるほど恐慌への引き金が引かれていく。
 口を開く。
 何かを喋れ。
 何でもいい。
 ここで指向性を持たせることが出来なくなれば、全滅は目前だ。
 だから。

『おい、若いの。何をボサッとしておる。雑兵が浮き足立っておるぞ、さっさと指示をださんか』

 オープンチャンネルで横合いから話しかけられた時、中佐はそれは天啓に思えた。
 こと指揮に関しては無能だ、と中佐は思っている。所詮は叩き上げ。その過程である程度の経験と教養を積んだとしても、この状況下で如才無く部隊を運用できるとは思っていない。
 ならばここは根性論だ。
 現場らしく怒鳴りつけ、気を引き締め、勇んで撤退する。その後のことは、その後で考えればいい。
 しかし―――。

「指示?指示だと!?こんな状況で………!!」
『ぶぁっかもん!貴様は何じゃ!?何の為にここに居るっ!!』

 怒鳴りつけるつもりが、怒鳴りつけられた。

『現場指揮官がこの程度でピーチクパーチク取り乱すでない!いいか!?ここは戦場!そして目の前に敵がおる!ならばやることは一つじゃ!殺して殺して殺しきれ!古今東西、どんな戦場であっても命のやり取りに虚飾をせねばいずれも虐殺よ!今こそそれを果たせずしてなァ―――にが軍人かっ!!』

 嗄声の大音声。
 繰る言葉はこちら以上の根性論。

「し、しかし退路が………」
『退路ォ!?そんなもん殺しまくってたら後から付いて来るわ!儂らが月でこれ以上に逃げ場のない中どんだけ殺しまくったか分かるか若いの!?』

 およそ理論的な弁舌ではない。

『それでも儂はまだおめおめと生きておる!仲間の屍と、上官の挺身と、同胞の魂を糧にまだ儂は生きておるんじゃ!生かされて英雄だ何だと祭り上げられ、ここまで生き恥晒しておる儂の気持ちがわかるかよ!!』

 何処にも説得力らしい説得力がない。

『分かるまい!?分かるまいて今のお主には!だがいずれ分かる!そしていつか「今」を省みた時、赤っ恥でベッドでゴロゴロのた打ち回るがいいわっ!!』

 だがそれでも、その叫びは真に迫っていた。
 人間だ。この老人は人間だ。何処までも感情に訴え、感情に因って赴き、感情のままに発露する。まるで子供の我儘だ。この期に及んでまだ感情を抱え―――未だ人間であろうとする。

(このじーさん………)

 恐らく、中佐がやろうとしたことを見抜いた上で怒鳴りつけてきた。こちらが考えていたプランとも言えないプランの上を行く考えがあるから声を被せてきた。
 そして老人の言葉―――『月でこれ以上に逃げ場のない中』、『生かされて英雄に祭り上げられた』。その真偽は不明だが、網膜投影越しに浮かぶ老人の年齢は、どう考えても最古参。それも、BETA大戦最初期から関わっているように見える。
 衛士の間には、昔から噂があった。
 公表こそされていないが、戦術機の教師とまで言われたとあるアメリカ軍人は、月面戦争での生き残りだと。

「まさか………あんた………」

 何故ここにいるのかは分からない。
 今、噂を問いただすことは野暮だ。
 だから中佐はそこで言葉を呑み込み、老人は先を促すように言葉を投げる。

『儂のことなぞどうでもいいわい。今は名も知れぬクソじいいで出ているからの。ただそれでも敢えて言うなら―――戦歴だけは、長いぞ?』

 つまり、ここを打開する術がある。
 その為に名も知れぬ、出自も知れぬこの老人を信じれるか。
 問われるべきは決断力。
 捨て去るべきは己の矜持。
 ただその一点。
 ならば―――。

「俺は………俺は無能だ。このご時世、上の連中がほいほい死ぬもんだから、ちょっとばかし腕がいい程度の俺がトントン拍子で出世して、だけどてんで頭の方が着いて来ちゃいない」

 そんなもの、犬喰わせてしまえ。

「けれど俺には俺の責任がある。部下を、仲間を最後まで面倒見る責任が。どんだけ無能でも、どんだけ馬鹿でも、それだけはどうあっても果たさなくちゃならないんだ。いいや、寧ろだからこそそれだけはどうやっても譲っちゃいけないんだ」

 ここで重要なのは生き残ることだ。
 軍規も規律も常識も知ったことか。生き残る。生き残るのだ。血みどろの戦場で、それでも自分に着いて来てくれた部下に報いるために、生き残らねばならないのだ。
 上は当てに出来ない。
 援軍も期待できない。
 藁にも縋る気持ちだ。
 しかしどうせ死ぬならやることをやってから死ぬ。取れる手を全て取って、その上で死ぬ。

「だから俺は生きなきゃならない。皆と一緒に生きなきゃならない。その為に―――」

 だから。

「名前も知らないじーさん、恥を忍んで頼む。教えてくれ。ここを………この危難を超えるために俺は………俺達はどうすればいいんだ?」

 その瞬間まで生き残るために、中佐は名も知れぬ老人に頭を下げた。
 その意を汲んだのだろうか、老人は自らの機体の股間部分を突撃砲の銃口でゴンゴン、と叩いてみせた。

『最期の最期に使うつもりだった虎の子一発があるのでな、それを使おうと思っておる。だが、タダではやらん』

 そこに収められる兵装は多くない。この状況下、このタイミングでそれを示すということは、答えは一つしか無い。
 そして老人は、まるで悪戯小僧のように笑ってみせた。

『故にレッスン1じゃ。―――まずはその機体を寄越せ』

 退路無き戦場で、嵐を呼ぶ者が再び暴風を巻き起こそうとしていた。






 大気中の埃を巻き上げて、薄暗い大空洞を鉄巨人達が突き進む。
 オリジナルハイヴ内―――主広間。門級の直前。
 涼宮率いる元207A分隊と別れてから、大凡十分程でそこまで進撃したA-01連隊は門級の直前で凄之皇を停止させ、開門作業へと移行した。

『ウォードッグは門級の開閉を!ヴァルキリーズは凄之皇とウォードッグの護衛だ!白銀!貴様は凄之皇を直衛しろ!』
『了解!!』

 伊隅の一声によって皆が動き出す。

「―――くっ!流石主広間!数が多いわね………!」

 荷電粒子突撃砲左右両門を広げて乱射しながら、速瀬は舌打ちする。
 主広間へ突入してみれば、文字通り津波となって数万規模のBETAが押し寄せてきた。それを凄之皇が保有する通常兵装を全て使い切って撃滅したはいいが、結果として凄之皇が持てる武器は荷電粒子砲しか無くなった。それでも使えればいいのだが、ここに至るまで多用したラザフォード場の影響で、荷電粒子砲は後一発が限度とのことだ。となるとそれは反応炉にこそ使うべきで、ならば凄之皇は丸腰も同然だった。
 無論、通常兵器の一斉射で主広間内のBETAが全ていなくなればよかったのだが、流石にここは敵の総本山、それも本丸だ。偽装横坑から次々と出てくるわ、横壁を突き破って母艦級が出てくるわ倒しても倒してもキリがない。

「邪、魔っ………!!」

 跳躍し、縋るように追いかけてきた三匹の騎士級を速瀬は捌く。
 正面に迫った一匹を背部担架に収めた重力偏差長刀を抜きざまに振り下ろし斬断、その慣性を利用し機体を縦回転して逆さまに、背後に迫った一匹を右腰部担架の荷電粒子突撃砲で打ち抜くと同時、左腰部担架の荷電粒子突撃砲で上空から迫る一匹を撃ち落とす。
 ほぼ一瞬で三匹を始末し、自由落下に任せながら機体制御、肉片がぶち撒けられた地面へ接地すると多重跳躍機構を発動して再加速し次の敵へ。
 凄まじく熟練した動きだが、それに反比例して速瀬の気持ちは落ち着かなかった。

(駄目!凄之皇を守りながらだと長く保たない………っ!!)

 ただでさえ部隊数が減っている上に、敵が正念場とばかりに次々湧き出てくるのだ。ただ戦うだけならばまだしも、凄之皇と言う巨体を守りながらではどうしても無理が出てくる。
 速く、と思っていると門級の扉がゆっくりと開いていく。すぐさま凄之皇が動き出すが、あれが通過するまでにどれだけのBETAが追いつくかわからない。となると、この門を死守する部隊が必要になってくる。
 それは指揮官である伊隅も分かっているのか、ここを抑えるべき人選を即座に下した。

『―――ここはヴァルキリーズが引き受ける。ウォードッグと凄之皇は先に反応炉へ向かえ。行って、全てを終わらせて来い』

 反論は出ない。
 ここを死守できるのは、腕と経験を持った先任だけだ。時間を稼ぎ、更には生存率を高めるための割り振りは、これしかない。だからウォードッグの面々は一瞬だけ目を伏せた後、了解と言葉を残し凄之皇に先んじて門を潜って行った。

『白銀、後の指揮は頼んだぞ!』
『ご武運を………!』

 伊隅と白銀が短い言葉を交わすと主広間に残るのはヴァルキリーズだけとなる。門級を背に、迫り来る化け物達を見据え、戦乙女達はいつも通り軽口を叩き合う。

「さぁ、て………入れ食いの時間ね。宗像、風間、準備はいい?」
『おやおや速瀬中尉。こんな気味の悪い化け物を踊り食いとはとんだ悪食ですね』
「む~な~か~た~?」
『と、梼子が言っております』
『………………………』

 いつものように隊内の空気を刷新するため漫才を演じようとしたが、話を振られた風間の返事がない。先程凄之皇が置いていった補給コンテナから取り出した中隊支援砲を黙々と放っては寄ってくるBETAを鴨打ちにしている。
 なんだか生気のない瞳をしていて、少し怖い。

「風間………?」
『………は、はい!何でしょう!?』

 改めて問い掛けると我に返ったのか、返事をした。
 その様子が、『彼』を失った直後の自分や涼宮と妙に重なって見えて、お節介かなと思いつつも彼女は口に出した。

「―――色々考えるのは後にしときなさい。そういうのは、時間が解决するものよ」
『言うじゃないか速瀬。少しは女の艶というものが出てきたのではないか?』
「た、大尉、何か褒められてる気がしませんが。それとさり気なく惚気てます?」
『まぁ、ともあれだ。泣くも喚くも全部終わってからにした方がいい。しかしそれでいて、ここで果たせるものもある。何だか分かるか?』
「決まってるじゃないですか。憂さ晴らしですよ。う・さ・ば・ら・し」

 ふふん、と速瀬は息巻く。

「いい?風間。世の中、女のヒステリー程手に負えないものはないって相場が決まってるの。それを公衆の面前で曝け出してたら女としての株が下がるわ。えぇだだ下がりよ。特に酒入ってると色々大事なものを失うから気をつけなさい。だけど今ならここには女しかいなくて、丁度いい的もある。となれば、やる事は一つよね」

 身構える。
 人目もなく、八つ当たりするには丁度いい的もあるのだ。
 だから。

「―――その鬱憤、こいつらで晴らすとするわよっ!!」

 そして、戦乙女達の憂さ晴らしが始まった。







 門が、開く。
 その先に、煌々と青い光が漂う空間があった。
 BETA大戦開始から四半世紀。かつて幾つもの人間がここに辿り着かんと持てる叡智をつぎ込み、しかし遂には叶わなかった場所。
 オリジナルハイヴ最奥、反応炉―――重頭脳級が鎮座する、『あ号標的』ブロック。
 その場所に、白銀率いるウォードッグ、凄之皇は到達した。

「―――これが………反応炉ブロック………」

 状況が状況でなければ幻想的なまでの光景に、鎧衣は声を零す。だが、それに魅入られはしない。先程からチリチリと首筋を焦がすような威圧感がある。
 その発信源は―――ブロック中央、重頭脳級からだ。
 巨大な反応炉の上に鎮座するひょろりと長い胴体に六つ目。そしてその周囲を取り巻く無数の触手群。まさに異形の王。未だ射程圏内ではないのか、触手群による攻撃こそ行ってこないが、予断は許されない。
 現に、鎧衣は妙な感覚を捉えていた。これはトラップの存在を感じた時と同じ感覚だ。ここは敵地―――それも、城で言うなら天守閣だ。侵入者に対し、某かの対策が講じられていても不思議ではない。

(何処から来る………!?)

 そして鎧衣が警戒度を最大にした瞬間だった。
 中空に浮いた凄之皇の足元―――地面から幾条もの触手が湧き上がり襲い掛かる。

『―――!なっ………!?』

 周囲の驚きの中、鎧衣は半ば反射的に行動する。荷電粒子長砲では間に合わない。ならば、と背部担架に収めた突撃砲を跳ね上げ、オートロック任せで弾をばら撒く。
 幾つかの触手は防いだ。
 だが。

「っ―――!?」

 鎧衣の奮戦虚しく、生き残った触手群はラザフォード場を突き破って凄之皇へと取り付いた。






[24527] 【閲覧】パロディーモードという名のネタ集【注意!】
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/12/12 01:03
 ここから先は色々な意味で危険なネタがあります。
 キャラ崩壊、原作崩壊、状況矛盾等と様々な部分に突っ込みどころがあり、ほぼ酔っぱらった勢いで書いたものをコピぺしているので、大変お見苦しいものがあります。
 ですので、少しでもそれに対して拒否感がある方はブラウザの戻るをクリックして下さいませ。
 それでも見るという豪気なお方は、どうぞスクロールして下さいませ。

















 そのいち 待っていた理由

「やっとこの日が来たか………」

 その施設の前に座り込んだ男が嘆息と共に呟いた。
 背格好を鑑みるに、年の頃なら二十代前半と言ったところか。中途半端に伸ばした黒髪をうなじで結い、やや吊り上がった瞳はどことなく憔悴している。
 しかしながら彼の風貌を考えれば、確かにそれも仕方ないだろうとおそらく誰もが頷くだろう。
 ボロボロの衣服に身を包み、無精髭は伸ばしっぱなし、頭髪は油やフケなどが目立つし、身体も埃や汗で黒くなっている。
 どこからどう見ても浮浪者である。
 しかしながら彼がこうなっているのも理由がある。何しろ、『予定日である12月29日よりも10日も早くこの場所に着いてしまった』のだから。

「ふふふ。今日はコミケ初日―――祭の始まりだ………!」

 危ない目をしたまま、男は拳を握りしめていた。







 そのに 匂いの理由

「分かってるならさっさと教えてくれよ。オレもこの後予定が詰まってるんだしさ」

 分かったよ、と男は苦笑すると戦場の端っこに腰を下ろした。白銀もそれに習って男の隣に腰を下ろす。そして思う。

「何か臭いぞ、あんた………」
「仕方ないだろう。もう10日近く待っていたのだから」
「え?今日三日目だぞ?ホテルとかは?」
「行く訳無いだろう?そんな金あったら同人誌買う。―――当然この三日も野宿だ」

 荷物はどうしたのだろうと白銀は素朴な疑問を覚えた。








 そのさん 三神の要求

「今から数式を書くが―――その前にもう一つばかり、要求がある」

 そら来たことか、と香月はほくそ笑む。当然、この事態は想定していた。ただ単に数式を教えるだけならば、あの三人がこの場にいても問題なかったはずだ。それなのに人払いした―――即ち、あの三人に聞かれてはならぬ事があるのだ。

「何かしら?」

 それはきっと、驚くべき内容なのだろうと香月は思っていた。だが結果的に、それは裏切られることとなる。
 ―――ベクトルとしては、上向きに。

「香月夕呼。貴方には、パチスロ機になってもらう」
「なん………だと………?」

 後に、香月夕呼自身がパチスロ機と言う名機の誕生であった。








 そのよん 三神の要求ていくつー

「今から数式を書くが―――その前にもう一つばかり、要求がある」

 そら来たことか、と香月はほくそ笑む。当然、この事態は想定していた。ただ単に数式を教えるだけならば、あの三人がこの場にいても問題なかったはずだ。それなのに人払いした―――即ち、あの三人に聞かれてはならぬ事があるのだ。

「何かしら?」

 それはきっと、驚くべき内容なのだろうと香月は思っていた。だが結果的に、それは裏切られることとなる。
 ―――ベクトルとしては、上向きに。

「香月夕呼。貴方には、同人誌のネタになってもらう」
「なん………だと………?」

 次のコミケで、『夕呼先生の甘い00ユニット講座』という同人誌が発売され、全国の夕呼ファンやオルタファンはそのレア本の登場に狂喜乱舞し、販売開始僅か三十分で完売した―――。








 そのご ツンデレ

「お疲れ社。よく頑張ったな」

 もう一度労いの言葉を掛けてやると、社はぴこん、と耳飾りを動かしその小さな口を開く。

「か、勘違いしないでよねっ………!?べ、別にあんたの為にやったんじゃないんだから!………です」
「え―――?」

 最後に通常運行に戻るという社風ツンデレに、三神は硬直した。










 そのろく 鬼軍曹は天衣無縫

「ふむ。少しはマシな目になったな?まぁ、この程度のことオレなんかに言われなくてもお前達なら分かってるんだろうけどさ、良い機会だから言わせて貰った。―――さて、時間取らせて悪かったな。訓練を再開しようか。総員、グラウンド十周!」
『了解っ!』

 四人の訓練兵が敬礼し、我先にと走り出す。その姿を見送ってから、白銀は神宮司に声を掛けた。

「ちょっと、大演説ぶちかましちゃいましたね?」
「全くですよ」
「え―――?」
「大体十七そこそこの若造が何言ってるんですか?熱血ですか?青春大統領ですか?へそで茶を沸かせちゃいますよ?」
「え?ちょっ………!?」
「大体目上の女性に向かってちゃん付けとか一体どんな教育を受けてきたんですか中尉は。そもそもですね―――」

 マシンガンばりに出てくる批判にどんどん小さくなる白銀に、グラウンドを走る訓練兵達は思う。

『軍曹に掛れば階級も何もないから………』












 そのなな 降ろさない理由

 任官して早二ヶ月。実戦には未だ出たことはなく、訓練の日々。それ自体に不満はなく―――どこかで安心していた。弛んでいたと言っても良いだろう。だがそれを見抜いた三神は、ある命令をする。

「―――おっぱいが揺れるまでを降りることを許さない、か」
「強化装備でどうやって揺らせっていうのよ………」












 そのはち 説明しよう!

 依然、月詠と後ろの三人は白銀に敵意を向けたまま、睨め付けながら問いただす。

「―――死人が、何故ここにいる?」
『説明しよう!』
『え―――?』

 どこからともなく三神の声でナレーションが入り、皆は唖然とする。

『因果ライダー白銀武は改造人間である。彼を改造した香月夕呼は因果制服を目論む悪の秘密結社総帥である。因果ライダーは人間の自由の為に香月夕呼と戦うのだ』
『えぇー………』

 テンションが盛り下がった。












 そのきゅう 曲がり角

「はいはい男同士でいつまでも見つめ合ってないでちゃっちゃと話を進めなさいよね。―――何の為にあたしの部屋を提供してやってると思ってるの?」
「短気は損気だぞ?香月女史。―――更年期障害かね?」
「それはいけませんな香月博士。ストレスはため込まないようにしないと」

 びきり、と部屋の空気が凍ったように白銀は感じた。












 そのじゅう ツンデレかむばっく

「そして最後の用件だが―――霞、やってしまいなさい」
「はい………」

 三神は社に話を振ると何処からともなくカメラを取り出し、構える。その謎の行動に一同が首を傾げていると、社が動く。

「白銀さん………あ、あたしが食べさせてあげるから、とっとと口開きなさいよね!?―――です」
『えぇ………?』

 皆が困惑した。













 そのじゅういち ナンパ

 だからこそ―――いずれ至る最良の未来の為に、道化はこの場にいる全ての人間を一度『敵』に回す為の振る舞いをしなければならなかった。



「では殿下。本題の前に―――まずは茶でも飲みに行かないかね?」



 そして、三神はナンパをし始めた。















 そのじゅうに 俺の名は―――?

「自重するならばそちらの方ではないかな?紹介すらしてもらって無いし―――そもそも私は君の同席を許した覚えはない」

 場の空気が数度下がるのを周囲の者達は感じた。

「それは失礼した。―――俺は最強最悪の、斑鳩だぜっ!」
『………』
「―――斑鳩だぜっ!」
『えぇー………』

 皆が盛り下がった。















 そのじゅうさん 証拠物品

 やがて、榊の手元にそれが来た。

(―――これは………!!)

 あり得ない程でかい箱の表面には、『置場○ない』と書かれたタイトルらしき文字が躍っていた。
 何の為のソフトなのか、何となく表面を見て理解したが、この箱が生半可な技術の元に作られたのでは無いと結論付ける。

(しかも―――18禁、だと………っ!?)

 おもむろに箱をひっくり返して見れば、中央、銀色のシールが貼られた部分に、18禁と書いてある。会社こそ知らぬ名だが、むしろだからこそ不可解だ。

「榊総理大臣。興味津々なのは理解できるが、後が支えている。―――出来れば早めに回してはくれないかね?」
「あ、ああ。すまない………」

 苦笑する三神に、デカイ箱に魅入られたままの榊は頷き、名残惜しみつつも隣へと回す。
 やがてそれが悠陽の元へと行き着くと、三神はこう告げる。

「さて―――それを見た諸君は、それをどう思う?」
『すごく………エロゲです………』

 問い掛けに、皆は言う。そんな中、例のエロゲが政威大将軍の手の中にあるのはかなりシュールな光景だ。













 そのじゅうさん 宿命の二人

 その上、相手がやけに殺る気満々なのが背中越しでも分かる。かなり本気だ。気分的に、戦術機を使った鬼ごっこである。その証拠に―――。

『待ちやがれ三神ぃっ!』
「あばよとっつぁ~ん!」

 三神は逃げ出した!



[24527] 【何故】続・パロディーモードという名のネタ集【続いた】
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/04/22 04:43

 タイトル通り前回の続きです。
 これを開いた方は前回を知っていると思いますので注意書きは省略します。
 というか何故続いたこのシリーズな為、例によって例の如くネタしかありません。相変わらず馬鹿です。でも今回酒入ってません。最近本編でもネタを載せるようになってきたので、次はないかも………?
 ともあれ例の如くアレな感じですので瞬で獄な殺な技を使えちゃったり背中に天の文字を浮かび上がらせちゃったり出来る方のみ閲覧してください。(違)
 場面的には第十五章から迎撃戦辺りまでです。
 ではでは、どうぞー。



















 そのじゅうよん ウ サ ギ  ~横浜に舞い降りた才女~



 一方その頃の白銀は。

「白銀さん………それ、ロンです………」
「んがっ!?」
「どれどれ社、手を見せてみなさいよ」
「って、大四喜っ!?ダブル役満じゃないっ!?」
「死ねば助かるのに………。今、気配が死んでいた………。背中に勝とうという強さがない。ただ助かろうとしている。負けの込んだ人間が最後に陥る思考回路………。あんたは、ただ怯えている―――です」

 香月、神宮司、社―――否、博打に生きる小動物を交えた恐怖のリーディング麻雀でカモられていた。








 そのじゅうご 誰かに言われた気がしたんだ………。


 その数分前。
 207B分隊の面々は額を寄せ合って手渡された地図をのぞき込んでいた。

「チェックポイントは2カ所。―――随分離れているな」
「そうね。ここはセオリー通り一度別れて、合流してから回収地点に向かった方がよさそうだわ」

 御剣の分析に、榊は頷く。

「でも、割り振りはどうするんですか?一人余りが出ちゃいますよ?」
「その前に―――いいだろうか」

 珠瀬の言葉を遮って、御剣はやおら立ち上がると、密林に向かって拳を振り上げた。



「待ちに待った時が来たのだ………。
 多くの英霊が無駄死でなかったことの証の為に………。
 再び訓練兵の理想を掲げる為に………。
 試験合格成就の為に………。
 ―――総戦技演習よ!私は帰って来たぁぁぁっ!!」



「み、御剣………?」
「すまん………。言わなければならない気がしたのだ………」









 そのじゅうろく 公爵トウゴー


 レドームを発見した207B分隊は珠瀬に狙撃を依頼する。

「頼んだわよ、珠瀬」
「だが断る」

 しかし、紫煙を燻らせる仕草と共に劇画調の表情で珠瀬は告げた。








 そのじゅうなな どっちかっていうとファ○ゲン?でも鷲と鷹は違うよね ~横浜の蒼き鷲とかどうよ?~


 ここはベテランらしく、搦め手で挑むのが定石だろう。見方によっては卑怯にも思えるが、レジナルドは最早207B分隊をただの訓練兵部隊と思っていない。これが実戦ならば、彼女達は既に中隊を半壊させているのだ。決して舐めていい相手ではないのは、既に明白。
 いいでしょう、と彼は口元に笑みを浮かべると通信を開き、作戦を部下に告げる。
 そして口調は、いつもの温厚なものではなく、軍人然とした硬いものへと変えた。

「―――貴様等、覚悟するといい。これから行うのは模擬戦であって模擬戦ではない。かつての我々がそうであったように、正規兵と訓練兵の違いを相手に理解させる為の機会だと思え。そしてその為に我々の持てる全ての技術と経験を使って事に当たれ。―――いいな?」
『了解!』

 気合の入った部下達の声に、彼は頷くと機体の主機を起動させる。

「―――じゃんじゃじゃーん!ドラグナー只今見参!!」

 そして―――竜の機兵隊は演習場へと飛び込んでいく………。










 そのじゅうはち この世界でK.I.T.T作れるかな………?


「―――コイツの名前は?」
「正式には決まってないわ。表には出ない機体だしね。―――一応、開発コードはF-14F、ナイトトムキャットらしいけど」
「『夜の雄猫』?………まぁ、確かに機体は黒いが」
「頭文字はNじゃなくてKよ。―――つまり、『雄猫の騎士』ってところね」
「また随分小洒落た名前を………。まぁ、ともあれこれが俺が乗る機体か」
「乗りこなせる?」

 悪戯な笑みを浮かべるエイプリルにさぁな、とハーモンは苦笑すると黒い機体の脚部に手を触れる。

「まぁしばらくの間、よろしく頼むぞ。―――相棒」

 艶光する漆黒の機体の赤いセンサーアイが、新たな主の呼びかけに応えるように輝いた。ふぉんふぉん………と。

『―――おはようございますマイケル。おや?しばらく見ないうちにずいぶん小さくなりましたね?』

 しかも喋った。センサーアイをふぉんふぉん………と音を鳴らして。









 そのじゅうきゅう てすためんと!

 ―――6時43分。
 既に第一次海防ラインは突破され、BETA上陸までもうまもなくといったときに、網膜投影と言わず、全周波数でその声が流れ始めた。
 誰もが訝しげに首を傾げる。中には忙しい者も多く、こんな時に何だと悪態をつくが、その声が政威大将軍煌武院悠陽のものであると気づくと、直ぐ様清聴すべく口を噤む。

『―――聞こえていますか?日本帝国の精兵達。
 ―――聞こえていますか?日本帝国の国民達。
 ―――聞こえていますか?日本帝国の同胞達。
 そして聞こえていますか?私の大事な家族達』

 誰もが聴く。
 彼女がこうして戦場に出ていることも、皆に向けて声を発することも稀なので、ある者は興味半分、ある者は真剣に聴く。無論、作業を止めることはしないが。

『敵が―――この国を脅かす怨敵が来ています。かつてこの国の半身を食い破り、今尚その巣を楔として打ち込んでいる怨敵が、直ぐそこまで来ています』

 BETAの事だ。数は師団規模。『運良く』実弾演習が組まれていて、戦力には事欠かないが、もしもいなかった場合の事を想像すると、この周辺の基地の誰もが絶望していただろう。

『―――見えていますか?日本帝国の精兵達。
 ―――見えていますか?日本帝国の国民達。
 ―――見えていますか?日本帝国の同胞達。
 そして見えていますか?私の大事な家族達』

 見ている。
 どうやら彼女は強化装備を着て、更には戦術機に乗っているようで、網膜投影のある衛士達は彼女の顔も、背景となっている管制ユニットもきちんと見える。

『私達の大事だと思う全てを侵す為に、彼等は直ぐそこまで来ています。情けも容赦も感慨さえもなく、ただただ喰らい尽くす為に彼等は進撃してきます』

 奴等は何でも喰う。
 物も、人も、国さえも。
 まるで餓鬼。
 そして喰うだけ喰い散らかし、奴等は巣を作る。

『―――何を思いますか?日本帝国の精兵達。
 ―――何を思いますか?日本帝国の国民達。
 ―――何を思いますか?日本帝国の同胞達。
 そして何を思いますか?私の大事な家族達』

 そんなのは許せない。
 ここは自分達の国だ。
 自分達の許可無く土足で上がりこみ、好き放題やらかしてくれる相手を、許せるはずがない。

『私はこの上なく恐怖します。この日本が侵されることを、奪われることを。そして何より―――私の大事な家族達を喪うことを』

 誰もが恐怖する。
 当然だ。国を失うことも、家族を失うことも―――どうして耐えられようか。

『―――戦えますか?日本帝国の精兵達。
 ―――戦えますか?日本帝国の国民達。
 ―――戦えますか?日本帝国の同胞達。
 そして戦えますか?私の大事な家族達』

 戦える。
 その為に自分達は今ここにいるのだから。
 不安と恐怖を押し殺し、略奪者共を討ち滅ぼすためだけに。

『ならば立ちなさい。剣を握り、銃を構え、その魂を燃やしなさい。侵されることも、奪われることも、喪うことですら抵抗を止めなければ終わりに至りません』

 そうだ。
 自分達が抵抗をやめない限り、この国は終わらない。
 誰が終わらせてなんか、やるものか。

『そして私も抵抗を止めません。例えこの身が銃火に晒されようと、身が削れていこうと、最早私は歩む事を躊躇いません』

 自分達の後ろにいるのは政威大将軍。
 高貴な身であっても、硝煙漂う戦場に身を投じ―――そして歩みを止めぬ姫将軍。

『斯衛軍よ。聞きなさい。私を護るというならば、私の歩む先にある怨敵を須く滅ぼしなさい』

 斯衛軍は聞く。
 彼女を護るのであれば、彼女が進む道の露払いをするのが正しく己が役目であると。

『帝国軍よ。聞きなさい。家族の為に戦場に立つというのなら、その背中は私が護ると誓いましょう』

 帝国軍は聞く。
 家族を護る為に国を護るのは、軍人として当然の役目。しかしその背中を彼女が護ってくれるというのならば、これほど心強いものはない。

『そしてこの場にいる全ての者達に―――』

 それに斯衛も帝国も国連ですら関係ない。
 此の場に在り、そして同じ敵に立ち向かわんとするならば、その所属が何処であれ盟友。

『煌武院の姓が今こそ命じる………!』

 そして悠陽は大きく息を吸い込む。

『進撃!進撃!進撃せよ、だ!!
 私達は進み!
 蹴散らし!
 そして全てを手に入れる!!
 その為に―――諸君等は右手に力を、左手に意志を持って自らを進撃せよっ!!』

 そして―――。



『―――返事はどうしたっ!?』



 少女の命に誰もが応える。
 言葉など、最早一つで十分だ。



『―――Tes.………!!』



 Tes.Tes.Tes.という言葉が戦場に重なり、広がっていく―――。



「のぅ斑鳩の。―――Tes.とは何なんじゃろうなぁ」
「さぁ………?」

 しばらくして、紅蓮と斑鳩は首をひねっていた。











 そのにじゅう にゃんこ先生………?


 そして皆は見る。
 迫り来る要撃級の前腕に対し、築地は92式多目的追加装甲を掲げ叩きつけた。92式多目的追加装甲には、リアクティヴアーマーとしての機能があり、叩きつけたその瞬間、指向性の爆薬が起爆。要撃級の前腕を破壊こそ出来なかったものの弾き飛ばすことに成功した。
 だが、モース硬度15以上を誇る前腕に叩きつけたことによって、92式多目的追加装甲自体はその役目を果たせなくなる。だから築地はすぐさまそれを破棄。元々使い捨ての消耗品だ。執着する理由はない。
 それと同時にバックステップ。着地点は残骸となった帝国の撃震のすぐ側。そこには、まるで墓標のように一本の長刀が突き刺さっていた。それを左主腕で引き抜く。更にバックステップの慣性モーメントを利用して、倒立跳躍。前腕を弾かれた為、態勢を崩している要撃級の真上へと踊り出る。
 構え直しは必要ない。
 『逆手』で行くのだから。
 レーザー属種からの攻撃を考え、即座に噴射降下。しかし距離が近すぎる。倒立中の噴射降下では、引き起こしの前に激突してしまう。
 誰もがそう思った。
 だが―――。



『―――とってんぱーのにゃんぱらりっ!!』



 妙な鳴き声が聞こえたこと思うと、築地の機体は背中から落下しながらも身を捻り、『逆手』にした長刀を要撃級の背に突き立て、それを起点に姿勢制御。更には右手腕に装備した突撃砲で駄目押し追加攻撃。尾のような感覚器を即座に潰す。

 ―――キャット空中三回転を戦術機でやってみせたのだ!












 そのにじゅういち だって元ネタだし………。


 白銀が引き連れるBETAの群れは倉下山北部の盆地へと差し掛かった。
 それに合わせてカウントダウンが開始される。

 ―――5。

 白銀は追加噴射機構をパッシヴからアクティヴへと切り替える。一度群れの中へ入ってしまえば、必要以上の高機動は必要がなかったので、通常に戻していたのだ。

 ―――4。

 第7砲撃支援連隊のMLRSがリフトアップし、狙いをつける。最初に放たれるのはAL弾だ。群れの中には光線級も確認されている。続く砲撃の着弾率を上げるためにも、初手であるAL弾は必要だ。

 ―――3。

 続くようにして90式戦車が砲弾を装填する。44口径120mm滑腔砲の威力は、突撃級を正面から打ち破ることが出来る。この連隊のまさに主力と言ってもいいだろう。

 ―――2。

 皆は思う。これで準備は整ったと。後は、思う存分あのくそったれな化け物どもに叩き込んでやるだけだと。
 そして自分達の砲撃は、一瞬で勝負を付けられるのだと誇る。

 ―――1。

 花菱は大きく息を吸い込む。自分の命令でこの連隊は動く。だからこそ、最初の一言は力強くなければならない。
 怒鳴るような大音声で。
 砲撃音に負けないように。
 誰よりも、強く。

 ―――0。



『ド―――(゚д゚)―――ン!』



 そして、戦場に花火が咲く―――。





 ―――全部オチない。



[24527] キャラ紹介もしくは設定と言う名の考察
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2011/08/13 13:13
 白銀武

 言わずと知れた主人公。二週目であるオルタを越えた後、強靱な意志ととある切っ掛け(いずれ本編で語ります)によって三週目に突入した武ちゃん。
 オルタ世界を越えているので、精神的にも少し大人になってますが、基本的に武ちゃんなので時々へたれます。完全無欠な彼も格好いいんですが、やはり主人公は多少青臭い方が周りを引っ張っていけるんじゃないかな、と。
 能力的には、武ちゃん自身が数多の確率分岐の記憶から再構成されている為、レベル60後半のアムロです。
 特殊技能はニュータイプレベル9、見切り、切り払い(レベル9)、アタッカー、SP回復等が付いてます(嘘)。
 因みに、本編で度々出てくる白銀『大佐』は上記の能力を持ったままレベル80後半ぐらいに成長しています。その因子を持っている今回の武ちゃんは、多分カンストするでしょう(笑)。
 ルートとしては純夏ルートでしょうか。一応、柔軟に対処すべく色々フラグを立てさせてますけど(オイ)。




 三神庄司

 オリジナルの主人公です。私が書く作品には、性格や字こそ違えど同姓同名のキャラを必ず出しています。ですので、今回も彼に出張して貰いました。
 因果導体なのですが、死ぬたびに前回の逆行時間よりも前へ逆行し、その出現場所も分からないというかなり不利な法則のループを大絶賛進行中。失敗し続ければ問答無用で詰みます。
 ループ回数は約三桁(途中で数えるのが面倒になった為)、年齢は約百歳(途中でry)。
 能力的にはメタスに乗せて補給と修理を繰り返しレベル99に達したハヤト・コバヤシもしくはバニングさんというスーパー一般人。現在の彼の腕を持っても、白銀『大佐』にはおそらく敵いません。
 精々が今の武ちゃん(レベル60後半)を引き分けにするのが精一杯です。そしてレベルもカンストしているため、これ以上の能力増強は見込めません。
 本領は、元の世界での仕事もあった為に交渉。特に人間心理を突いた交渉が得意です。序盤で彼が前面に出ているのも、マブラヴというお話を有利に持っていく為には各方面への根回しが必要だからです。
 それが終わって軌道に乗れば、武ちゃんが活躍できます。
 元ネタは某尻神教教祖様。



 香月夕呼

 作者の中で、二人目の主人公です。一人目は言うまでもなく武ちゃん。三人目は三神です。
 そして今回、彼女が00ユニットになることによって、本編で語られなかった『あの疑問』を、作者なりに解釈してみようと思っています。
 と言うかこの天才に量子電動脳なんか与えたら本気でチートなんですが、そうでもしないと正直BETAに勝てる気がしないんですよね。少なくとも桜花作戦まではBETAには只のやられ役になって貰うつもりなので、まぁ有りかなと。



 鑑純夏

 言うまでもなくオルタヒロインです。そして今回でもヒロインになってもらいます。問答無用で幸せになってもらいます。その為に多少無理矢理ですが人間に戻します。
 その後の扱いは、本編で。


 社霞

 私の娘です(オイ)。無論冗談ですが、本気でこんな娘が欲しいです。お父さんとか言われたら間違いなく吐血します。―――嫁になんぞ武ちゃん以外にはやらん!(コラ)
 三神に懐かせているのは、私の願望を満足させる為です(笑)。その内必ずお父さんと言わせます。


 御剣冥夜

 言わずと知れた武士娘。基準が純夏ルートなので武ちゃんとは結ばれない―――かなぁ。要望が強ければハーレムも考えていますけど。能力的にはまだ未知数。―――でも活躍の場は考えてありますのでご安心を。


 彩峰慧

 焼きそば娘。冥夜と同じく要望があれば白銀ハーレム(オイ)の一員に。能力はまだ未知数ですが、当然活躍させます。なんたって武ちゃんが教官ですからね、今回。


 榊千鶴

 眼鏡外して三つ編み解いたら超絶美少女とかそれなんてエロゲ?いやマブラヴ自体18禁から始まってるんですけど。上記二人に同じく要望があればハーレム入り予定。
 今回は彩峰との絡み―――というか、ある意味での決着を考えています。


 珠瀬壬姫

 狙撃娘。おそらく本作の207B分隊の中では最大レベルで覚醒する207B分隊の黄忠さん。何処ぞの公爵トウゴーさんのように恐ろしい神業を連発してくれる―――はず。
 上記三人のように白銀ハー(ry


 鎧衣美琴

 男の娘(違)。目立った活躍は今のところ無いんですが、燻銀のように渋いアシストを予定しております。上記(ry


 神宮司まりも

 言うまでもなくまりもちゃんです。原作のシーンは作者自身トラウマになっているので、やはり回避の方向で。


 伊隅みちる

 伊隅ヴァルキリーズの旗印。今回は記憶を継承しております。そのため正樹とは既に結ばれていたり。取り敢えずあまりにも不憫だったので記憶継承させて結ばせましたが、この継承が今後役に立つことはあまり無いでしょう。純夏とは絡ませたいなと思っていたり。


 式王寺小夜

 オリジナルキャラ。名前の無いヴァルキリーズの一人。私が以前書いていた小説のキャラから引っ張ってきました。性格は大分違うんですけどね。
 可愛い物好きで、常日頃から霞を狙うハンター(笑)。それが高じてシミュレーターを鼻血まみれにしたという伝説の持ち主。伊隅大尉とは同期の中尉。


 速瀬水月

 我等が突撃前衛猪隊長。作者のペンネームと同じ読みですが、意図的にした訳ではありません。私はマブラヴを知る前から月島光樹で通しておりました。っていうか今さっき気付いたよ………(汗)。
 ともあれ、中尉は今日も猪です。彼女にも救いをあげたかったんですが、10月22日時点で孝之が死んでいる為、結ばせることは出来ませんでした。まぁ、遙派の私としては、生きていたら遙と結ばせちゃうんですけど。


 涼宮遙

 ヴァルキリーズの癒しその1。もしくは名字が一発変換できないキャラその1。最近になってようやく辞書に登録してやっと出来るようになりましたが。
 ともあれ、中尉は今日も黒いです。え?違う?
 速瀬と同様、明星作戦で孝之が死んでいる為に結ばせることは出来ませんでした。


 宗像美冴

 ヴァルキリーズの狸。横浜の狸である三神とは相性が良さそうで、その内絡ませてやろうと画策しております。
 名前が出てきていない思い人とも、くっつけてやりたいと思ってるんですが、どうやってやろうか………。


 風間梼子

 ヴァルキリーズの癒しその2。前回のループ中に三神が娶った嫁。何故彼女だったかというと、ヴァイオリンに関してとある接点があり、それが切っ掛けになった為です。
 作者的な理由としては、宗像は思い人がいるし、茜は孝之や武ちゃんのことを考えているんじゃないかぁと思い、現状フリーな彼女にしました。


 紫藤あやめ

 オリジナルキャラ。名前のないヴァルキリーズ。風間の同期で少尉。例の如く以前書いていた小説からの出張組です。性格や名前は少し違うんですけど。
 元ネタはビジュアル長門。しゃべり方風神(FF8)。
 能力的に援護防御レベル9の鉄壁さんですが、戦術機自体が一撃喰らったら終了な脆弱さなので、真価を発揮した瞬間即死という矛盾な人。言うならばガーランドもしくはシビルに援護防御持たせた感じか。


 涼宮茜

 マニアックス!―――違う違う。
 高レベル器用貧乏さんです。原作ではそれをコンプレックスに思っていたそうですから、本作では乗り越えさせてやろうと思います。ですが、その前に一度挫折させますけど(オイ)。


 柏木晴子

 マニアックス!―――だから違うって。
 言わずと知れた視野が広い女です。伊隅大尉と同じように記憶継承させたかったんですが、凄乃皇自爆の前に死んでるんですよね。だから継承させませんでした。立場的にさせたところで活躍できませんし。


 築地多恵

 サイドポニテのロリ巨乳で百合というなんて俺直撃キャラ。何故オルタで登場前に死んだんだ………orz
 あまりに不憫なので、彼女には本作で鬱憤を晴らして貰います。その為のフラグも立てました。


 高原智恵

 例によって名字はあるのに名前がないキャラ。彼女も生存させるつもりなので、何かしら出番を作るつもりですが―――何しろ資料が少ないので、独自設定が多くなってしまうかと。名前自体オリジナルですし。


 麻倉伊代

 例によって名字はあるのに名前がないキャラ。あれ?なんか既視感。高原とワンセットで動かしますが、やはり資料の問題で独自設定が強くなる可能性が、が、が………。


 七瀬凛

 名前のないヴァルキリーズ。オリキャラは極力出さない方向ですので、サプリメントから強制徴兵。例の『お兄様』も出したいんですけど、準オリキャラになっちゃいますかね?コレ。


 煌武院悠陽

 名前が一発変換出来ないキャラその2。本作でははっちゃけさせようがどうか非常に迷うお方。や、キャラ的には好きなんですけどね?真面目なのもはっちゃけてるのも。もしも白銀ハーレムルートに進む場合、彼女の協力無しにはルート突入できないでしょう。


 月詠真那

 真面目さが仇となって狸によくからかわれる人。作者的にEXの真那さんが好きです。でも、怒りたいのに怒れない顔を真っ赤にして肩を振るわせているオルタ真那さんも好きです。だから狸を使ってからかわせますw


 三馬鹿

 出番があるのかないのか………。


 斑鳩昴

 PONさんの要望によって出てきた準オリジナルキャラ。斑鳩家の若き当主。少佐。『斑鳩の蒼鬼』は新・鬼武者を打ってた時に思いつきました。―――負けましたけど。
 公人では威厳を以て、私人では伝法にという二面性を持つキャラ。三神も似たような感じなので、対比となって丁度いいかもと思いその様に設定しております。
 いずれちらりと出てきた嫁さんと共に三神と絡ませます。


 紅蓮醍三郎

 言わずと知れたグレンダイザー。果たして本編で反重力ストームの出番はあるのか………。


 鎧衣左近

 ゲルマン忍法!いや違うか。帝国の狸です。この狸がいたからこそ横浜の狸が生まれました。今後も影で色々動いて貰います。


 珠瀬玄丞斎

 たまパパです。今現在出番は少ないですがHSSTの時にきっと輝く瞬間が!?


 榊是親

 パパは総理大臣。香月が学生時代から~や、オルタネイティヴ4の最高責任者に香月を推挙した~云々のくだりは、私の妄想です。確か公式では夕呼先生が最高責任者についた際の裏事情は設定になかったはずなので、あり得そうな独自設定をくっつけました。


 レジナルド=コルネリウス

 ドラゴン隊の隊長。流石に地の文で隊長隊長言うのはあれかと思い急遽作ってしまいました。元ネタはナイトライダー第4シーズンのメカニック。他のキャラと違いを出すために口調だけは変更してあります。


 エイプリル=カーティス

 米国側のシーンで出てきたオリキャラ。元ネタはまたもやナイトライダー。個人的に、ボニーよりこの人のほうが好きなのです。


 ハーモン=アーサー=ウィルトン

 米国側のシーンで出てきたオリキャラ。テコ入れ要員です。元ネタは犯罪捜査官ネイビーファイルの主役ハーモン=ラブ=ジュニア………の行方不明になっている父親。本当はそのままジュニアを出したかったんですが、さすがに法務局の人間を絡ませるには厳しいものがあったので設定的に扱いやすい父親に出てもらいました。アーサー=ウィルトンの部分は、ナイトライダーの主役であるマイケルの養父の名前から来ています。


 宮本哲哉

 第195中隊の隊長。207B分隊の成長要員。特に元ネタはないですが―――敢えて言うならば某正義の機竜?


 沙霧尚哉

 クーデターの人。個人的には割と好きな方なんですよね。視野が狭いけど。悪役を標榜する辺り、何故か某尻神教教祖と被るw


 駒木咲代子

 漫画版で彼女の存在を知り、違和感がないように取り敢えず出してみることに。


 花菱燈

 第7砲撃支援連隊の連隊長。元ネタは某ユニバのオリジナルキャラ。名前はそのまま花菱燈→はなびしどん→花火師ドン。嫁がいたら名前は葉月だよなぁ、とか思ってみたり。


 長島光一

 横浜基地開発部の部長。でも変態。先任伍長さんの要望により大城対応の変態を出すべく作成したキャラ。でも変態。例によって例の如く名前は以前書いていた作品から。でも変態。


 如月佐奈

 横浜基地開発部の副部長。上の変態を締め上げるために作ったキャラ。例によって例の如く名前は(ry


 デボン=シャイアー

 米国側で出てきた人。元ネタはやっぱりナイトライダー。その正体は………。


 ジョンソン=マルチネス

 アメリカ大統領。元ネタは特に無し。結構被害者?


 ローレン=ターナー

 中佐。こっちも元ネタは特に無し。命令に忠実なだけの人。


 イルマ=テスレフ

 原作でも多分被害者。今作ではもっと被害者w


 宮本勇太

 宮本大尉の息子。元ネタはマブラヴエクストラ編冥夜ルートの遊園地で出てきた少年。確かカタカナ表記だけだったので、漢字の方は適当にでっち上げです。


 斑鳩楓

 斑鳩昴の嫁さん。何処ぞのアンヌ様に似ている気がしなくもない。―――完璧だわ、貴方。



 原作キャラであれオリジナルキャラであれ、キャラが追加されるたびに加筆していこうかなと思ってみたり。

 


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