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[24770] 【短編集】【一発ネタシリーズ】輝きを求めて(Dies irae×ジョジョ第2部)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2013/01/18 10:47

 この短編集は読者さまからやってみたら? と言われて乗りで作ってしまったものです。
 なので、過度な期待をせずに流す感じで読んできた頂ければ幸いです。

 また、内容はあくまでも一発ネタであり、続編はなく、各話終了といった形になります。

 基本的に更新は不定期です。

 以上の事を許容できる方のみ、進んで頂ければ幸いです。



[24770] 【短編】【一発ネタ】死と薔薇の夜(Dies irae×HELLSING)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/11 02:45
 暗く深き森の中。人一人さえ本来であれば近づかぬ樹海の奥。そこに本来無い物がある。
 飛空艦。ジェット戦闘機の量産に伴い、戦場から姿を消した空の要塞。
 今となっては忘れ去られた過去の名残は、その身を偲ぶかのように息を止めていた。
 今日この日、再び世界に己の姿を見せつける為に。
 自らを忘れ去った世界に、反逆の狼煙を上げる為に。


     ◇


 かつかつと、軽い軍靴の足音が床を跳ねる。飛空艦の内部。まるで広大なエントランスを思わせるその場を、稀代の演説家である『宣伝省』ヨーゼフ・ゲッベルズもかくやという弁で周囲を熱狂の渦に包みこんだその男は、目の前に立つ男に気軽そうに挨拶した。

「お待たせした、ヴィルヘルム・エーレンブルグ曹長。いや失礼、今は中尉だったか。
 パルチザン掃討戦以来なのでね。どうも懐かしく思えてならない」
「オウ別に気にしちゃいねぇよ中尉。いや少佐だったか? いや、今のはわざとって訳じゃねえぜ。何せここの空気は良い。クソ下らねえ戦場のボケ共を何匹吸い殺してもあの地獄には遠すぎた。
 張りがねえ、詰まらねえ。何もかもすぐ簡単に壊れちまうし、どいつもこいつも味気がねえ。
 だが、ここは違う」

 あの日。あの時代の空気をそのままに。かつて共に地獄を歩いた戦友たちの息吹を感じ取れる。

「結構。君が彼らを毛嫌いしないかと危惧していたが、無用の心配だったようだ」
「確かに吸血鬼としちゃあ、そこそこってところだ。だが、それで?
 俺がキレて連中をぶち殺して帰るとでも思ったか?
 ケッ、日頃の行いってやつァどうしたって目に付くもんだが、俺はあいつらを否定しねえよ」

 ここに集うのはかつての敗北者。第二次世界大戦という地獄を生き延び、不死の軍団として返り咲いた無敵の敗残兵にして最古参の新兵たち。
 曰く吸血鬼。ここに集う者たちは、日の光に背を向けた闇の不死鳥に他ならない。

「アァ……どいつもこいつも見覚えがありやがる。トバルカインにゾーリン、大尉、シュレディンガー……リップバーンにゃ逢えなかったが、どうせ変わり栄えもなくビクビクニヤニヤしながら任務をこなしてんだろう?」

 これが紛い物なら確かにヴィルヘルムは怒りを露わにしていただろう。嚇怒の念を以て同胞を八つ裂き、恥知らずめと唾を吐き捨てたに違いない。
 だが違った。彼らは吸血鬼の何たるかを弁えている。
 日の光を忌む闇の不死鳥としての分を理解し、真の怪物として君臨している。
 ああ懐かしい、そして輝かしい。彼らは自分と同じ物だ。弱点を晒しながらも誇らしげに地獄を歩いている。
 止まった時間を駆け抜けて、あの地獄の延長を求めている。
 デイウォーカーだの何だの似非野郎共がこねくり回した紛い物ではなく、真に同胞としてヴィルヘルム・エーレンブルグは彼らを認めていた。

「そう言ってくれれば喜ばしいな、中尉。それでこそ君に串刺し公の血を提供した甲斐があるという物だ」

 かつての大戦。ドイツ第三帝国の趨勢は悪化の一途をたどっていた時、戦況を覆すべく二つの組織が暗部に台頭した。
 一つは『総統特秘666号』。吸血鬼による不死の兵士を誕生させ、無敵の軍団によって欧州を侵攻する事を念頭に置いた狂気の研究。
 そしてもう一つ。SS指導者、ハインリヒ・ヒムラーのオカルト遊びから真に不滅の組織が誕生した。
 名を『黒円卓』。本来それは単なる高官の秘密クラブの様な物だったが、当時のSS中将、ラインハルト・ハイドリヒが黒円卓の所持していた聖槍ロンギヌスを手にしたことから、やがて真の魔窟となっていく。
 聖槍を手に出来るのはラインハルト・ハイドリヒのみであり、その時点でヒムラーとの力関係は逆転。
 彼の親友にして魔術師にして詐欺師、カール・クラフトが編み上げた術式によって黒円卓に集った者たちは真に人外の力を手にした。
 エイヴィヒカイト。聖遺物と呼ばれる品と魂を同化し、殺人を重ね魂を喰らうごとに力を増す外法の業。
 ヴィルヘルム・エーレンブルグもまた、エイヴィヒカイトを組み上げるに辺り聖遺物を手にした。
『闇の賜物』。串刺し公ヴラド・ツェペシュの結晶化した血液を素体としたそれは、ある組織から送られ、その際に一つの契約を持ちかけられた。

『来る日。我々を世界が忘れた日に再び世界を地獄に染め上げる時が来る。
 その時に御身に助力して頂く事をここに確約して欲しい』

 要は力を万事都合よく得たのなら、その力を我々の為に使え、という物である。
 これは当時のヴィルヘルムにとっても渡りに船だった。
 何故なら彼は自らが唯一忠誠を誓うラインハルト・ハイドリヒ卿に命を下されていたのだから。

 曰く『来るべき“怒りの日”に備え、各々魂を蓄えよ。さすればその魂に見合った祝福を約束しよう』と。

 それは何という幸運。ヴィルヘルムに祝福という名の力を与えた者は、『永遠に奪われる』という呪いを残したし、事実彼の人生は奪われ続けた。
 ある時は女を。ある時は至高の戦いを。彼は望んだ物を何一つとして手に出来ず、今もその呪いは続いている。
 だが、今度こそは譲れぬという想いが、今のヴィルヘルムには有った。
 彼が不死の軍団『最後の大隊』と共に目指すのはロンドン。かつての大戦の宿敵である事も、ヴィルヘルムが殺意と喜悦を滲ませる一端だが、それ以上に己が殺さねばならない存在がある。

 ────吸血鬼、アーカード。

 化物から英国を守護する為に設立された王立国教騎士団HELLSINGの鬼札。
 吸血鬼でありながら人間に味方するその怪物の正体を、ヴィルヘルムは己が内で感じ取る。

 あれは……。

 思考の海に埋没しかけた時、飛空艦のモニターにソレは映し出された。
 燃え上がる旗艦。今にも倒壊し、沈没するのではという危惧さえ覚える甲板に、二つの人影が映し出す。
 一人は女性。腰まで届く黒髪と丸眼鏡が特徴的なその女性は、本来の持ち物であるマスケット銃に心臓を穿たれ、無数の影に拘束されている。
 そしてもう一人は正しく悪鬼。無数の影を触手のように蠢かせ、拘束した女性の首から生き血を啜っていた。
 背徳的であり、扇情的な光景。女性は血を吸われながら喘ぐような嬌声を上げ、ただ身悶えている。
 悪鬼は女性を気にも留めない。ただ作業のように女性の血を啜り、自身の影に女性の肉体を貪らせていた。
 その光景を少佐は画面越しに見据え、無線を通して女性……リップバーン中尉へと呼びかけた。
 作戦は成功だと。君の未帰還を以て、我々はその悪鬼、アーカードを打倒すると決意を告げる。

傾注 アハトォウン!」

 号令一喝。軍靴の鉄鋲が規則正しく鳴り響き、全員が一糸乱れぬ動きで直礼する。

「さようなら中尉。ヴァルハラ出会おう。さようなら、さようなら中尉」

 少佐の言葉と共に、誰もが別れの言葉を口にする。さようならと、真正の狼男 ヴェアウォルフであるが故に声こそ出せぬ物の、大尉もまた画面を見据える。
 そして、一度として正面から相見える事の無かったヴィルヘルムもまた、直立の体勢ではない物の別離の想いを向けていた。

“ああリップバーン中尉。お前は臆病でどうしようもない程に手間のかかる女だったが、本当に良い女だったよ”

「あばよ中尉。ジークハイル」

 ここに集う者たちと同じく、戦鬼と恐れられた彼もまた敬礼と共にかつての同胞を見送った。


     ◇


 そうして彼らは、ロンドンへと向かう。夜が来た。万感成就の夜が来たのだ。
 故に目指す場所は一つ。あの都市の輝きへ。あの尖塔の輝きへ。
 ヘルシングを打倒し、アーカードを斃すのだ。
 
「堰を切れ! 戦争の濁流の堰を切れ……! 諸君!!」

 少佐は鼓舞する。来るべき日は来た。この日こそが我々の『最後の大隊』の奏でる『怒りの日』。
 六十年の時を超え、我々を忘却の彼方へ置き去った者らへ進軍するのだと。
 地獄へまっしぐらに行進するのだという万感の思いを込めて。

「帝都は今宵、諸君らの晩餐となるのだ。さあ諸君! 殺したり殺されたり死んだり死なせたりしよう。乾盃だ。宴は今宵此の時開かれたのだから。
 乾盃プロージイット!!」

 手にしたグラスが地に落ち砕けると同時、ロンドンの上空を死の槍が駆け抜けた。
 飛空艦から放たれたV1改ロケット弾は都市を焼き、人を焼き、全てを地獄へ変えて行く。
 崩れ落ちる時計塔。器物の破片が突き刺さりのたうち苦しむ住民たち。
 跡形もなくなった女子供。正しく地獄。正しく業火。忘れ去られた地獄が、今鎌首を持ちあげた。

「もっと戦火を、もっと戦果を!!」

 その期待、その要望に応えるべく、部下たちは配置につく。

『着上陸作戦開始。降下兵団出撃せよ』

 響き渡る無線の指令。開かれたハッチから眼下に覗く都市は、さながら紅蓮を思わせる。

「綺麗だ……地獄が見える」

 恍惚としたその表情。恐れなど欠片もなく、彼らは真実求めた物を得られるのだと、その希望を胸に抱く。

「征くぞ前線豚ども。フライトの時間だ」

 言葉と共に降下部隊は開かれたハッチから文字通り射出された。
 それは明らかに人外の業。人間にはこなせぬ所業。命綱もパラシュートもないままに、彼らは飛空艦からカタパルトによって射出されたのだ。
 人間であれば死亡は必至。しかし彼らは人に非ず、不滅の軍団なればこそ。

『降下兵団第一中隊第二小隊長ラインボート・ファルトナー曹長落着。英国着上陸第一号者です。戦闘開始!
 英国上陸成功! 先陣を切りました!!』

その結果もまた、必定と言えるのだ。


     ◇


 溢れる死。謳う地獄。地上に描かれるのは戦火による鉤十字 ハーケンクロイツ
 かつてベルリン崩壊の折にラインハルト・ハイドリヒが行った地獄と同質の物が、今この場にも巻き起こっていた。だが。

「君は行かないのかね? ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ中尉」

 この場に最も相応しい筈の男が、未だ飛空艦に留まっていた。

「なぁに。確かに腹ごなしにはなりそうだが、あれは連中の獲物だ。俺は俺で待ってる野郎が居るんでな」

 飛空艦の上。夜風が熱風を運ぶ空間にヴィルヘルムは少佐と共に立っていた。
 ああ、早く来い。焦がれて焦がれて待っているのだ。愛しの怨敵。真祖を騙る不埒な悪鬼。
 舞台は出来上がっている。宴は最高潮に達そうとしているのだ。
 ヘルシング本部はゾーリン中尉を打倒した。英国はカトリックの豚どもがハーケンクロイツを台無しにする程の戦火を上げた。

「少佐! 中へお入りください! この艦の装甲とてこの攻撃では、長くは持ちませんぞ!」

 おっとり刀で駆け付けたドクに二人は一切耳を貸さない。当然だ。方や大隊を統べる魔の指揮官。
 方や誉れある黒円卓の騎士。敵の火遊びに尻込みする様な臆病者では断じてない。
 少佐は両腕を振り、指揮を執る。楽器は兵士、音色は惨劇。事この場において、その演奏を邪魔する無粋な者は居てはならない。
 故に。

「死ね! 狂った戦争の亡霊が!!」

 指揮者に狙いを定めた戦闘ヘリが、極大の杭に貫かれた。

「俺にゃあ音楽なんぞ上品すぎて肌に合わねえが、演奏は黙って聴くって事ぐらいは知ってるぜ。
 目障りな羽音立ててんじゃねえ。楽器はそれらしく音出してろ」

 およそ学もなく雅という言葉さえ知らぬであろうヴィルヘルムにあって尚この空間は神聖な物だった。
 唄い踊れ死者の群。かつて自分たちの繁栄と共に絶望に落とされた国が、今こうしてお前たちを同じ眼に遭わせているぞ。狂気が形を為して現れているぞ。

「ひっでえモンだ。てめえは勝ちたかったんじゃねえ。地獄を作りたかったんだろう?」

 自らが倒し、斃される為に。無限の地獄に進軍する為に。

「そうだ中尉。私はその為にここに来た。無限に亡ぼし無限に亡ぼされるのだ。
 その為に野心の昼と諦観の夜を超え、私はここに立っている」

 さあ、勝利と敗北が訪れる。我々は今童話の世界に降り立ち、神話の舞台へと盛り上げた。

 ────では、皆さま。今宵の恐怖劇 グランギニョルをご覧あれ。


     ◆


 かつてある吸血鬼が英国にやって来た。自らが渇望する一人の女性を手にする為に。
 その吸血鬼が乗り込んだ帆船は霧の中を波から波へと飛び移り、有り得ない速度で疾走した。乗組員を皆殺しにしながら……。

 そしてついに死人と棺を満載にした幽霊船はロンドンへ着港した。
 船の名はデメテル号────ロシア語でデミトリ号である。


     ◆


 そして今。かつての地獄を再来させるかの如く、赤い吸血鬼はテムズを船で乗り越える。
 戦闘によって軋み、今にも倒壊しかけたそれはさながら幽霊船。
 船の主は三日月の如くに口を歪め、深紅の瞳は喜悦に燃える。
 地獄を渡る為に、地獄の軍勢を滅する為に。
 
「かくして役者は演壇を登り、暁の惨劇 ワルプルギスは幕を上げる」

 両手を上げて笑みを浮かべ、カーテンコールの幕上げを告げる魔の指揮官。だが、そんな彼の横でこの舞台の主賓は不平を零す。

「暁だぁ?」

 一体何を言うのかと。今宵開かれるは恐怖劇 グランギニョル
 その晴れ舞台が朝日で迎える筈がなかろうと、怪物の舞台に日は昇らぬと言い放つ。
 瞬間。周囲は言い得ぬ圧力が包み込む。地獄と化した空間にあってそれを超える死の臭い。血と肉の臭気が飛空艦から溢れだし、殺意は街を覆い尽くす。
 見渡す限りに広がる地獄に、異物が目に付いた、白の法衣と頭巾をかぶり、横槍を入れて我が物顔で闊歩する神の下僕。
 ああ、邪魔だ。狂い泣き叫べ劣等共。今宵この地に神は居ない。
 目に見えぬ殺意。不可視の衝撃が彼らを穿つ。それは正しく串刺し公の業。決して瞳に映らぬ杭は彼らを穿ち、飛び散った肉片から舗装された広間にかけて、あらゆるモノを風化させた。

「ケッ……見かけだけか、クズが」

 言って、彼は舞台に踊る。間もなく訪れるであろう朝日。暁に差し掛かり夜が薄れゆく空間を、少しでも早く感じたいとばかりに宙を舞う。
 風に靡くのは白の長髪。翻る外套は黒く、魔鳥のはためきを思わせる。
 喜悦と歓喜に滲んだ瞳は紅く、サングラスに覆われていようともその異様さを知らしていた。
 この日、この夜こそ我が舞台。忘れ去られ、取り残された戦争の悪鬼。半世紀もの間、闇を駆け抜けた白いSSは、今宵その姿を曝け出す。
 活目せよ。その姿に打ち震えよ。今宵己は真祖を下し、有一無二の存在となる。
 己こそが闇の不死鳥。墓の王に仕えし獣の爪牙。
 その絶対の自負。自身の認めた黄金への忠誠を胸に抱きながら、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイは舞台へと降り立った。


     ◇


「貴様は……」
「よぅ元気そうじゃねえか、リップバーンが世話んなったな。つってもお前は俺を知らねえか」

 傲岸にして不適。自らの親に対する発言としては不敬に過ぎるが、元より彼を縛るのは己の主たる黄金、ラインハルト・ハイドリヒのみである。

「逢いたかったぜえ。退屈してたんだ、長い事」

 来る日も来る日も焦がれていた。己は吸血鬼。闇に生きる夜の不死鳥。
 ならば己の先輩はどんなものかと、吸血鬼に焦がれたヴィルヘルムはその存在を信奉し、期待し、喰いたいと想い続けた。
 ……貴様の正体。度し難い程に低俗な姿を知るまでは。

「お前はニセモンだ」

 逢っても間もなく、自身が恋い焦がれた存在に、臆面もなくそう言い放つ。
 何だその姿は? 貴様は俺達を侮辱しているのかと。
 デイウォーカー……日の光を克服し、銀も流水も意に介さぬ無敵の存在。
 絶対的な強さを持ち、真祖と名高き伝説の吸血鬼、アーカードを前にヴィルヘルムは嚇怒の念を向けていた。

「似非野郎共がこねくり回したパチモンが……」

 日の光に背を向けた筈だろう? 夜こそが我々の領土であり世界だった筈だろう?
 なのに何故貴様は昼に立つ。何故貴様は弱点を是としない。
『怪物』なのだろう? 『伝説』なのだろう? 弱点を受け入れず、恐い物だと逃げるその姿。吸血鬼の何たるかを知らぬその矮小さ。全てが誇りを逆撫でる。

「お前は吸血鬼じゃねえ。怪物としての矜持も、美学すら置き去ったゴミの寄せ集めだ。
 アーカード? 俺が認めたのは串刺し公だ。てめえなんぞ知らねえよ」

 かつて認め、憧れた存在。彼が黄金と同胞以外に認めた真祖。近付き追い越し、喰らいたいと思った存在。憧れであったが故に穢れた姿を見るに堪えぬとの声に、アーカードは返す。

「ならばその爪牙を見せるが良い。化け物として、怪物として研ぎ上げた爪牙を以て、この心の臓腑を貫き抉れ」

 尤も────

「化物に私は殺せない。化物を殺すのは、いつだって人間だ。
 人間でなくば、ならないのだから────────────────────!!」

 それこそが全てだという様に、伝説の吸血鬼は牙を剥き、陰陽相克の二挺拳銃を構え持つ。

「かは──ッ!!」

 笑みが零れる。ああ、いいぞ。その気概、その気迫。牙の抜け、飼い慣らされた畜生では血を吸う価値など無いと踏んでいたが、そう言い切れるならば貴様はまだ怪物だ。
 故に、我が全霊を以て答えよう。

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。
 名乗れや、先達」
「王立国教騎士団HELLSINGゴミ処理係、吸血鬼アーカード」

 瞬間、暴虐の突風が吹き荒れる。銃口から射出される銃弾はマズルフラッシュと共に轟音を響かせ、不可視の杭は機銃掃射の如き速度で打ち出される。
 駆け抜ける暴虐の雨。だが両者は満足などしていない。これは前座。互いが互いを殺すに足ると見極める検査に他ならない。故に杭の数が万を超え、屍の上に無数の空薬莢が落ちた時、両者は唐突に立ち止まる。
 資格あり。この相手は真に迎え撃つ資格あり。

「いいぜ、来いよ。隠し玉なんぞ腐るほどあんだろう? 霧に化けろよ、使い魔を出せ。
 勿体ぶってんじゃねえ退屈させんな! くすぐり合うだけじゃプレイになりゃしねえしイけもしねえ!
 それともあれか? こっちが弾まなきゃ乗らねえってか? いいぜ、見せてやるよ」

 ドクンと、大気が悪寒を震わせる。彼の銘は串刺し公カズィクル・ベイ
 その銘の意味をここに見せよう。

「────形成イェツラー

 響く声は神託の如く。それでありながら音色は背徳的に。
 その力に宿すのは、狂気と忠誠であるが故に。
 吹き荒れる凶念の陽炎。殺意に満ちた空間に、溢れんばかりの血臭が混じる。ヴィルヘルムの全身が波打ち歪む。それはまるで、血液その物が意志を持つかのように。
 言葉と同時、その“血”が爆発した。発芽というべきなのか。人体を苗床に生える奇形の植物。
 しかし葉も無ければ花もなく、実も無ければ樹液もない。それは彼の狂気の具現。
 ただ搾取し、略奪するモノ。ソレは辺りの死骸から血液、果ては水や電力に至るまで命を吸い取り、反転する邪悪の樹クリフォトに他ならない。
 そしてソレが出現すると同時、ヴィルヘルムを中心に舗装ブロックが罅割れ、街は微かに残った灯りを消していく。
 何者にも例外はない。今宵、この恐怖劇はあらゆる存在を喰い尽くす魔の物語なのだから。

「ク……クハッ、クハハハハハハハハハハハハハハハハハ…………………!!
 楽しい、こんなに楽しいのは久しぶりだ! 貴様を分類カテゴリA以上の吸血鬼 ヴァンパイアと認識する!!」

 そして、真祖アーカードは両手を翳す。

拘束制御術式クロムウェル一号、二号、三号解放!!」

 瞬間、アーカードの身体は立体から影へと変わり、全身から浮かび上がった無数の瞳がヴィルヘルムを捕える。

「始めよう、本当の吸血鬼の闘争を…………………………………………………!!」

 ぎちぎちとアーカードの身体が軋む。肉体が溢れ、崩れ、無数の異形が零れだす。

「そうだ、そうだよそれで良い! 怪物がご丁寧に人間のままでいる必要何ざねえよなあ!!」

 バルカン砲の如く放たれた杭。それは影絵の魔物を穿ち貫き、一片の形を残さぬとばかりに砕きにかかる。
 だが。

「チィ……!!」

 影は止まらず、蠢き揺れる。影絵の魔物は確かに喰いに触れた瞬間に吸われ、存在を喰われるも際限なく溢れて迫る。
 蟲のように溢れて足元へ。猟犬のように飛び跳ね喰らいつき。人の一部となって銃爪を引く。
 個にして群。一にして全。成程確かに伝説にして真祖。如何なヴァンパイアハンターとて、この吸血鬼を前にしては敗北するしかなかっただろう。
 このヴィルヘルム・エーレンブルグを除いては。

「ああ堪んねえなオイ。楽しいか!? 楽しいだろう!! 死ぬまで続けてみてえだろう!!」

 杭を放つと同時に影へと迫り、その拳を叩き込む。喧嘩の肝は腕力と肉弾戦。
 これが舞台であるならば、華々しい戦いこそが盛り上げる。
 尤も、目の前の真祖はそういった気概を持ち得まい。アーカードはこの時を待っていた。
 命を吸う杭では満足せず、この気性の荒い存在は必ず素手で仕留めにかかると。

「やっと……捕まえた。私はお前を捕まえた」

 まるで鬼ごっこをした相手を捕まえたかのような、そんな喜悦に満ちた声をアーカードは滲ませる。
 影がヴィルヘルムの身体を伝う。それは本来ならば自殺行為。現に身体に触れた影は吸われ、数百の魂が一瞬で吸い切られている。
 だが止まらない。影は必勝を確定した。この時点で自らが勝利の布石を手にしたのだと、そう確信を得るが故に。
 
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! てめえええァァ!!」

 気付いた時にはもう遅い。ヴィルヘルム・エーレンブルグはその瞬間、真祖に血を吸われたのだ。


     ◇


 辺り一帯を包む薔薇の園。見事としか言いようのない真紅の庭園の中央に、精巧に作られた噴水と、薔薇の敷き詰められた対象建造物シンメトリーの花壇が映る。
 鮮やかな水流はその実血液。敷き詰められた薔薇は、その噴水の血を浴びてより美しくに咲き誇っていた。
 そして、その美しくも背徳的な庭園の中央に、一人の少女の姿があった。

「────あら、おじ様、だあれ?」

 その少女は可憐にして異常。瞳の焦点は合っておらず、華の咲く様な笑顔には、微かに血のにおいが混じっていた。

「なに、君の本体であった者。と言っても判るまいが、立ち話をするような間柄ではないのでな。用件だけ済ませに来た」

 言って、男は少女の手首を掴む。一方的に、それこそ当然だという様に。

「待って! わたし、お花の手入れをしなくちゃいけないし、あの子が、ヴィルはわたしがいないと……」

 それは切実なる哀訴。彼女は自らの弟であり恋人を愛するが故に、ここに居なければならないと言い。

「なら心配は無用だ。あの男は、この私が殺すのだから」

 その瞬間、アーカードは言ってはならぬ事を口にした。

「え? 今……何て言ったの?」

 ドクン、と薔薇園が震動する。

「ねえ、いま、何て言ったの?」

 殺意が庭園を揺らしていく。だがアーカードは気付かない。なまじ強大であるが故に、この程度の、かつて自らの一部、血の一滴でしか無かったモノがヴィルヘルムの姉という形で具現化した存在など、取るに足らぬと思っている。

「殺すといった。お前も我が内に還れ、それが」

 それこそが全てだと言うアーカードの発言に、少女、ヘルガは怒りを滲ませ。

「………………さ、ない」

 その奔流を止める事など、神であろうと出来はしない。

「……ゆる、さない。ゆるさない、ゆるさないゆるさない許さない許さない許さないユルサナイユルサナイユルサナイ──────」

 愛しい者。愛した者を傷付けられた。彼からわたしを遠ざける? 愛しいあの子を殺す?
 この世界、この少女こそヴィルヘルムが駆使する聖遺物の中枢。
『闇の賜物』。串刺し公ヴラド・ツェペシュの結晶化した血液を素体としたソレがヴィルヘルムに愛され、ヴィルヘルムを愛したが故に姉の形を取っていた『闇の賜物』が、いま愛する者を救うべく絶叫した。

「────許さない、よくもォッ!
 わたしのヴィルヘルムに、手を上げたなあぁぁぁァッ!!」

 ────愛しい者 ヴィルヘルム・エーレンブルグを、勝利の高みに導く為に。


     ◇


 影が飛び退く。恐れをなして衰退する。
 ああ、確かに元はお前の一部。お前が乗っ取ろうとするのも道理。子がよその男と付き合おうとするのを認めぬ親の心境も理解できる。だが。

「俺達の間に入ってくるんじゃねえよ、間男が。口説きたけりゃ誠意を見せな」

 ああ、血が滾る。内に込み上げる愛を感じる。今この時この瞬間こそ自らの幸福を噛み締められる。
 ならば見せよう。いずれ来る夜明けなどいらぬ。日の無い世界こそ我が渇望ねがいなればこそ。
 我が覇道は────世界を犯す!

「Wo war ich schon einmal und war so selig
(かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか)」

 死と狂気。自らの内に来る愛と敵の向ける殺意アイの混濁。
 侵される焦燥と侵す歓喜。今この時より幸福な瞬間など、人生を振り返ってもそうはない。

「Wie du warst! Wie du bist! Das weis niemand, das ahnt keiner!
(あなたは素晴らしい 掛け値なしに素晴らしい しかしそれは誰も知らず また誰も気付かない)」

 周囲の位階がずれて行く。暁の昇ろうとしていた街が、闇の深淵に包まれる。

「Ich war ein Bub', da hab' ich die noch nicht gekannt.
(幼い私は まだあなたを知らなかった)
 Wer bin denn ich? Wie komm'denn ich zu ihr? Wie kommt denn sie zu mir?
(いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう)」

 それは己の業の打倒の為。『永遠に奪われ続ける』人生など、果たして誰が納得できよう?

「War' ich kein Mann, die Sinne mochten mir vergeh'n.
(もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい)」

 唯一無二の黄金への忠誠。あの人以外に、自分が破れるなどあり得ず、破れた瞬間にこそ、己が忠は瓦解する。

「Das ist ein seliger Augenblick, den will ich nie vergessen bis an meinen Tod.
(何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても 決して忘れはしないだろうから)」

 求めた世界が産声を奏でる。歓喜を上げて誕生を待つ。そしてそれは、ヴィルヘルムのみに限った事ではなく───────

「あるじよ! 我が主人、インテグラ・ヘルシングよ!! 命令 オーダーを……!!」

 伝説の真祖もまた、自らの主の命を待つ。ああ、始めよう恐怖劇を。
 今宵、この舞台に最高の終曲フィナーレを響かせよう!

「我が下僕スレイブ! 吸血鬼アーカードよ、命令する! 掃滅せよ!!
 魔城ヴァルハラの騎士を打ち斃せ! 一木一草悉く、我々の敵を赤色に染め上げよ。見敵必殺! 見敵必殺!!
 帰還を果たせ! 幾千幾万となって帰還を果たせ! 謳え、アーカード!!」

 遥かな頭上、崩れ落ちた時計塔の頂上で、真祖の主人は高らかに命を下した。この帝都を死都へと塗り替えるために。
 死者をこの島から帰さぬ為に。

「私はヘルメス」

 紡がれる真祖の詠唱。それを見て、ヴィルヘルムはほくそ笑む。
 ああ、やはり有ったか、見せていなかったのか。お前の正体。幾百幾千の影に触れた瞬間に、貴様の本質は理解したぞ。

「Sophie, Welken Sie. Show a Corpse
(ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ 死骸を晒せ)」

 そして一つ余さず喰われるが良い。その魂、我が糧となって共に魔城ヴァルハラへと召し上げられよう。

「Es ist was kommen und ist was g'schehn, Ich mocht Sie fragen
(何かが訪れ 何かが起こった 私はあなたに問いを投げたい)
 Darf's denn sein? Ich mocht' sie fragen: warum zittert was in mir?
(本当にこれでよいのか 私は何か過ちを犯していないか)」

 後悔など欠片もない。貴様の渇望、貴様の世界。その全てを見せつけろ。

「私は自らの羽を喰らい」

 全てを侵すその世界を、この明けぬ夜に流れ出させろ。

「Sophie, und seh' nur dich und spur' nur dich
(恋人よ 私はあなただけを見 あなただけを感じよう)」

 今この時この世界に、俺とお前以外の外敵は居ないのだから!!

「Sophie, und weis von nichts als nur: dich hab' ich lieb
(私の愛で朽ちるあなたを 私だけが知っているから)」

 ───ああ、よくもやってくれた。わたしからヴィルを奪おうなどと───

 そして愛する主の為に、『闇の賜物ヘルガ』は己の全てを捧ぐ。
 己の全てで、愛しい主を満たす為に。

「Sophie, Welken Sie
(ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ)」

 我らの殺意 アイに散る花となれ。

「Briah───
(創造)」

 鳴動する夜気、揺らめく闇。今宵、明けぬ薔薇の夜を生み出そう!

「飼い慣らされる」

 この世の全てに、我が死を流出させる!

「Der Rosenkavalier Schwarzwald
(死森の薔薇騎士)」
拘束制御術式クロムウェル零号、解放……………………………………!!」

 夜が創造され、死が満ちる。今宵、歌劇は終局へと突き進んでいった。


     ◇


 互いの祝詞が紡がれた時、世界は奈落の地獄と化した。

「───カハッ! ハハハハハハハハハハハハ!! てめえ、そりゃあ何の冗談だ!!」

 血とは命の通貨にして魂の貨幣。命の取引の媒介物に過ぎず、血を吸う事は命の全存在を自らとする事。
 死なぬ筈だ。殺せぬ筈だ。幾千幾万の魂を啜り、例え消耗してもまた血を啜れば全てが終わる。反則にして出鱈目。究極のズル。
 だがヴィルヘルムはそんな不死性には頓着しない。彼もまた魂を喰らう事で極限まで強化した不死の兵士。例えアーカードが不死であったとしても殊更驚く事ではない。
 故に、彼が見たのはその能力の特性。殺した者を自らの戦奴とする異能。
 自らが殺し、血を吸った者を己が兵団に加え指揮する事。魔城の領主は今この時、己の城から領民を流出させたと言うその一点。
 それは正に彼の主、黄金の獣、ラインハルト・ハイドリヒ卿の創造と何ら変わらぬ物なのだから。

「最高だ真祖! てめえまさかハイドリヒ卿に喧嘩売るつもりかよ!!」

 無論そんな事を言われた所で、面識のない真祖には判らない。だが一つ判るとすれば、ヴィルヘルムという吸血鬼がアーカードの能力に似通った何かを知っていると言う事か。

「そそるぜ、堪んねえ。てめえの魔城はどれ程のもんか、たっぷり拝ませて貰おうじゃねえか!!」

 迎え撃つは死の軍団。イェニ・チェリ軍団、ワラキア公国軍、果てにはつい先ほど滅ぼしたばかりのカトリックから自らの同胞まで、ありとあらゆる死者が集っている。
 だが、彼らは忘れてはいないだろうか? 死と暴虐の串刺し公 カズィクル・ベイ。彼が創造した夜は、果たしてただの夜なのか?
 否。断じて否。
 この夜は死の世界。街路樹が、建物が、そして死者が一瞬にして灰と化す。
 ここに残れるのは歴戦の勇士にあって一握りのみ。有象無象の存在など、皆すべからく塵芥となるが良い!!

「オラオラどうしたァ! たかだか数千数万の雑兵で、俺を殺せると思ってんじゃねえだろうなァ……!!」

 死都に吼える白い吸血鬼。彼は自らの杭と爪牙で、隊伍を組みて方陣を敷きながら自身に向かう軍団を喰い殺す。
 ああ、これだ。剣と槍、そして自らの四肢で戦場を駆け抜ける栄誉。
 銃が唸り、爆撃機が飛び交い、穴倉からこそこそ隠れて狙い撃ち合う戦場ではない。
 すぐ傍で骨の砕ける音がする。ブチブチと音を立てて肉が裂け、溢れる血が迸りながらも夜に吸われて消えて行く。

「おいどうした? 感激過ぎて声もでねえか? 永遠に吸われ続けるってのはよォ」

 哄笑が止まらない。殺意が溢れる。無限に溢れる死を糧に、ヴィルヘルムは成長する。相手が弱まれば弱まる程、ヴィルヘルムは強大になっていく。
 攻と防の究極系。この薔薇の夜こそ無敵の世界なのだから。

「楽しいか? 吸血鬼」

 そんな彼に、真祖は優しく微笑みかける。蓄えた髭、肩まで伸びる髪と、煤けた全身鎧を纏った男は、先程戦った真祖とは似ても似つかない。
 ああ、これこそ真の串刺し公ヴラド・ツェペシュ。己が恋い焦がれた夢の残滓。その存在になりたいと夢追い駆けた己の理想。

「ああ、ガラにもなく思っちまった。カール・クラフトのクソ野郎みてえにな……今が永遠に続けばいいってよぉ」

 それは紛れもない本心。明けぬ夜に永遠の闘争を求める装飾なき自己の内部の叫び。それを前に、串刺し公ヴラド・ツェペシュは、そうかと頷き、

「では、これはどうだ」

 突如、上空から放たれた銃弾が、肩を掠めた。

「てめえ……」

 倒壊しかけたビルの屋上。其処にかつての同胞を見る。魔の猟師、リップバーン・ウィンクル中尉。

「おう、中尉。随分良い女になったじゃねえか」

 ぎらついた瞳は獰猛にその視線は射殺すように。ああいいぞ、昔のお前はどうしようもない臆病者だったが、今のお前なら啜ってやれる。
 一滴も残らず絞り取りたい。
 そんな事を考えて居るさ中、横合いから無数のトランプが我が身を斬り裂きに迫り来る。
 常人なら必死。そのトランプはかのアーカードをしても癒えぬ傷を与えた聖遺物もどき。
 だが。

「甘え」

 そのトランプを無数の杭が叩き落とし、のみならず使い手さえも仕留めた。

「トバルカイン。てめえにゃギャンブルで散々世話んなったな」

 お前と繰り出して行った売春窟での酒は中々に良かったよ。

「ああ、それから」

 忘れていたとばかりに地を蹴り、遥か上空へと飛翔する。それは重力を置き去りにした行為。物理現象さえ無視する所業でありながら、当然だと言わんばかりに優雅に屋上へと着地し、

「あばよ、中尉」

 その一撃で首を刎ねようとした所で、

「何処を見ている?」
「クソがぁ!!」

 後ろに迫る、アーカードと激突した。後ろに居たリップバーン中尉の姿は既にない。おそらく、分が悪いと見て真祖が取り込んだのだろう。
 またか、また欲しい者は奪われるのかと、喜悦から嚇怒の念に意識を切り替え、殺してでも女を奪うと鉤爪を揮うも、アーカードの手にした剣が、その鉤爪を打ち払う。

「見事だ。我が宿敵」
「殺せたって面してんじゃねえよ、真祖」

 次いで吹き荒れる暴風。重力という軛を無視した攻防は両者を果てなき闘争に迎え、地獄は最後の審判の日まで続くかと思われた。
 いや、続けるのだ! 奪われ続ける事に終止符を! この戦いに勝利を以て幕を下ろすと、そう意思を込めて薔薇の夜を最大にまで高める。

「グッ……」
「どうよ真祖。そろそろ血が恋しくなってきたんじゃねえか?」

 既に死都と化した地。辛うじて残った肉片や僅かな血は、既にこの場から遠く離れた場所にあるのみだ。そういう風に戦ったのだ。
 決定的な反撃の隙、回復する為の準備。相手が真祖であり血を吸う事で不死性を手にするのなら、そうさせなければ良いだけの事。
 ヴィルヘルムは知性無き化物ではなく軍人。自らは死なず、他者を死なせる事に特化した存在。
 臆病とは言うなかれ。これは美学。戦場に生きる者として、この程度の事で不覚を取るならば、所詮それまでの相手だったと言うだけに過ぎないのだ。
 そして、当然ながら軍配は白の吸血鬼に上がる。燃料の切れかけた存在で剣を振ろうと所詮児戯。己を殺したいのなら、せめて回復してからにすれば良い物を。
 無造作に振り降ろした拳が、アーカードを遥か下の地上に叩き落とす。それと同時、ヴィルヘルムもまた空中で体勢を立て直し、地上へ向かう。
 往生際も悪く水流操作で血液を運んでいるようだが、それも己の一撃で有れば魂ごと散華させられる。
 ああ、楽しかったぞ。この上なく憎らしく、そして繰り返したくなる時だった。
 貴様に変わり、唯一無二の真祖として君臨しよう。故、伝説よ。安らかに眠れ、この夜に君臨する闇の不死鳥はただ一人在れば良い。

 ────怨敵 こいびとよ、我が殺意 アイに朽ちる薔薇となれ。

 決定した勝利。止めとばかりに極大の杭を、餞別とばかりにヴィルヘルムは真祖に放つ。
 そしてその杭は過たず真祖の心臓を貫こうとし────

 ────その瞬間、有り得ない事が起こった。


     ◇


「な……」
「ん、だとぉ………………!?」

 放った筈の杭が真祖をすり抜ける。有り得ない。何百何千の怨念を積み上げ、己の中での最大最高の一撃を通過するなどと、あの一撃を受ければ、黒円卓の大隊長とて無傷では済まぬ筈なのに、と。
 そして、その疑問はアーカードも同じ。確かに今自分は死の気配を感じ取った筈なのに、と。
 両者が疑問を抱く中、帝都全体を飛空艦の無線が響く。

『人生は歩きまわる影に過ぎぬ、消えろ消えろ短い蝋燭』

 その声は知っている。つい先ほど、この夢のような舞台に招待した男の声だったから。

「少佐──────! てめえ、俺を謀りやがったなぁ!!」

 一体どういう事だ! どういう了見で俺の聖戦に踏み込みやがった!

『中尉、私は君を謀ってなど居ない。
 アーカードから聞かなかったかね? 化物は人間にしか斃せないと』

 つまりこれはそういう事なのだと、至極簡単な事だろうと少佐は語る。

『シュレディンガー准尉……君も知る自らを自己観測する“シュレディンガーの猫”、存在自体があやふやな彼の魂とアーカードを同化させた。
 アーカードはもう自分で自分を認識できない。最早彼は虚数の塊だ』
「てめえ……!!」

 聞きたいのはそういう事ではない。一体どうしてこれを行ったかを聞いているのだ!!

『君は覚えているかね? 1945年、5月1日───ドイツ、ベルリン。
 ラインハルト・ハイドリヒが黄金練成を行い、ベルリンを死の都市にしたあの日だ』

 本当に遠く、長かったと。過去を慈しみ、同時に何処か吐き捨てる様な口調で少佐は語る。


     ◆


 1945年、5月1日───ドイツ、ベルリン。
 ソビエト連邦の赤軍50万によるドイツ市民の大虐殺。包囲されたベルリンは風前の灯であり、女子供は犯され、兵と男は鏖殺される一つの地獄。
 有り触れた勝者のもたらす悲劇に、私はただ歯を噛み締め、そして本当の地獄を見た。
 白、黒、赤……死んだ筈の三名の士官が黒円卓の腕章を腕に付け、自分たちを圧倒した筈の兵を次々と殺して行く。
 それは悪夢か、英雄譚か、それとも夢だったのかと当時の私は思っていた。

 そんなものが匙に思える地獄を……私は見てしまったから。

 赤い、赤い、血と炎に染められた空に、黄金の獣が君臨していた。
 獣は市民へと語りかける。この敗北を覆したいかと。勝利を求めるのか否かを。
 勝利したくば、我が軍団レギオンに加われと。

 そして……その悪魔の声に、市民は挙って頷いた。

 銃を持つ者は銃を口に。
 刃物を持つ者はそれを胸に。
 何も持たぬ者は火の中に。
 撃ち、刺し、飛び込み、自殺する。

 これが地獄でなくて何なのか? 愛すべき民だと、護るべき同胞だと自ら言っておきながら、それを壊す事を愛だとぬかす。
 ああ……それは歓喜であり祝福であり、幸福なのだろう。
 他者と己を一つとし、不滅の軍団レギオンとして世界に進軍する。
 きっとそれは素晴らしいのだろう。だが、冗談じゃない。真っ平御免だね。
 俺の物は俺の物だ。血液一滴から毛筋の一本に至るまで。
 確かにお前たちは羨ましい。眩しく思えるし、それはとても楽な選択だ。
 全て強者に任せればいいのだからな。だが駄目だ。私は私だ。
 永久に戦奴として無限に戦うのはいい。だが、勝つまで他者に依存しながら無限に戦い続けるなど、冗談ではないのだから。


     ◆


『だからこそ私はあの日、あの地獄から抜け出したのだ。
 お前たち黒円卓も、吸血鬼アーカードも認めない。他者を取り込み喰い散らかす事でしか生きていけないお前たちと私は違う。
 私は何もない人間だ。だからこそ他者に依存しなくてはならない、お前たちのような弱い化物を否定する。私が私である為に!
 私が私で在り続けた証明として私はアーカードを倒し、お前を出しぬいたのだ、中尉』
「ざけんなァ────────!!」

 良いだろう、其処で待っていろ少佐、化け物が人間に勝てぬと言うなら、この手で貴様の息の根を止めてくれる!!

『残念だが時間切れだ、中尉。何故ならアーカードを斃すのが私であり、私はHELLSINGに斃されるのだから。
 勝利と死……それが戦場の全てだ。Auf Wiederseh'n.ヴィルヘルム・エーレンブルグ中尉。君が人間であったなら、勝者は……』

 途切れた声と共に銃声が響く。無線に響いたその音はあまりにも呆気なく、しかし“人間”少佐が死ぬには充分だった。
 それを最後に、飛空艦は炎上し、爆発した。もう何も残らない。
 このロンドンには敗北者と生者のみが残り、明確な勝者は死者となって消えて行った。


     ◇


「クソが……」

 創造が解かれると共に暁が辺りを包むも、それを一度として見る事もなく、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイは背を向ける。
 己は闇の不死鳥。日の光に背を向けし唯一無二の真祖なればこそ、最早ここに用はない。

 結局、彼はまた奪われ続けた。真祖の打倒も、気に入った女を取り込む事も出来ず、千か万かの雑魂を己が内に取り込んだだけ。
 真に欲しかったモノは、全てこの手を掠めて行った。
 だが、ここでは終わらない。いつの日か必ず、己が宿業を超えて見せると。

 そう決意と共に拳を握り、暁の世界を後にした。




     ×××


あとがき

 初めての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。c.m.です。
 今回は私的神作品であるDiesとHELLSINGのクロスオーバーを書かせて頂いたのですが、この物語は少佐とベイ中尉が主役になります。
 個人的に二人とも作者の大好きなキャラなのですが、個性の強いキャラなので上手くキャラを書き切れているかが正直不安の残る所です。

 本当はちゃんとアーカードとの決着をつけさせたかったのですが、奪われ続けるのがベイ中尉だと思うのでこうしました。
 リップバーンを殺せなかったのも同様の理由……非モテの哀愁が切ない。
 ヘルガ姉さんは是非ベイを慰めてやって欲しい。

 あと、これは余談ですが次あたり短編を書くとしたらペンウッド卿を無双させたいと思っていたり。
 まあ書くとしても当分先の事になりそうですが。

 それではまたどこかで、お会いしましょう。失礼致します。




[24770] 【短編】【一発ネタ】英国の守護神(HELLSING)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/11 03:33
 良い剣筋です……また上達された。まるで貴方のおじいさまの様な……。
 え? どんな方だったか?

 ええ、忘れもしませんよ。貴方のおじいさまは─────────────


     ◆


 それは突然だった。少なくとも、その日のロンドンの夜はいつもと変わらぬ喧噪を見せ、帝都には幾万もの市民が日常の生を謳歌していた。

 ……あの狂った戦争の残滓が現れるまで。

『最後の大隊』。かつてドイツ第三帝国の手によって作られる筈であった吸血鬼による戦闘集団。
 大戦期においてはその製造が間に合わず、不完全な吸血鬼達も又、当時の英国の対化物部隊HELLSINGの手によって壊滅。事実上消滅したかに思われた。
 そう。消滅した筈だったのだ。あの大戦に英国は勝利し、第三帝国は滅んだ。
 それが表であろうと裏の者だろうと関係ない。勝利者は自分たちの平和を信じて疑わず、自らの手で安寧を勝ち取ったと過信した。
 いや、そう信じたかったのだろう。もう自分たちを脅かすモノは何もない。降りかかる火の粉を振り払い、長き戦いを乗り切ったのだと。そう信じたかったからこそ、彼らはその存在を見過ごした。
 奴らがどれ程往生際が悪く、諦めの悪い存在かを理解していなかった。
 その猛執も、執念も、彼らが勝者であるからこそ判らない。敗者の惨めさも、失い敗北し続けた苦衷も勝利者には判らない。
 ああ、だからこそ彼らは奴らの存在を見逃した。
 闇から闇に葬ったと思っていた者達は、そう信じて疑わなかった者たちは、より深き闇から真に地獄の戦奴として訪れた。
 鋼鉄の騎士団、ジークフリートの再来。狂気と闘争の権化として、かつて欧州全土を包むローゲとして君臨した不死の戦団。
 黒と銀に彩られた髑髏の軍団。

 ────最後の大隊ラスト・バタリオンは、再び現れたのだ。


     ◇


 ああ、ぬるま湯に浸っ愚物共。我々は遂に帰って来たぞ。
 この世の全てを灰に帰すため。終わらぬ闘争を、かつて見続けた地獄の残滓を追い求めて。
 我々を忘却の彼方へ追いやった者たちよ。今この時我々は進軍する。終わりの始まりに向かい、敗北と勝利を手にする為に。

 ────その為だけに最後の大隊われわれは、蘇ったのだ。


     ◇


 そうして彼らは、そのツケを今ここで払わされた。念入りに潰しておけば良かった。もっと早く気付けば良かった。そんな言い訳は通用しない。
 者皆全てが血に染まる。愛しい者も、憎かった者も、全てが血と肉の集まりとなる。
 それを理解していたが故に、英国海軍中将、シェルビー・M・ペンウッドは奥歯を噛み締める。
 英国安全保障特別指導部・本営。本来、英国の危機に備え行動するべき軍の司令部に、似つかわしくない者が二名ほど存在した。
 王立国教騎士団HELLSING。対化物に特化した組織。埒外の狂気と非現実的な脅威に対抗する為に造られた組織。
 その長である女性……インテグラ・ヘルシングと執事、ウォルター・C・ドルネーズの二名。
 彼らがここに居る時点で、ペンウッドに出番はない。彼はあくまでも常識の範疇での戦いの専門家であり、化物の相手には特化していない。
 そう。特化などしていない。彼は人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ。
 だからこそ……。

「ペンウッド卿。ここは危険です、すぐに避難を」

 同じ英国を護る同志として円卓に集ったインテグラにその言葉を言われたからこそ、彼は己の無力さに奥歯を噛み締めた。
 確かにその通りなのかもしれない。ペンウッドは常識という存在から英国を護り、英国の為に動く者だ。
 だからこそ、彼の出番はここで終わり。異常には異常を。非常識には非常識で対応しなくてはならない。その為にこそ専門家は存在する。
 誰しもが平等に一つの舞台に立てる筈もないのだ。だが……。

「それは出来ない、出来んのだ……インテグラ卿」

 既に政府中央司令部のみならず、各基地や艦との通信は途絶えた。英国には無数の吸血鬼が、髑髏の集団が訪れる。だからこそ。

「ここを────この国から離れる事など、私には出来ん」

 その言葉と共に警報が鳴り響く。爆破されたドアと、押し寄せる武装集団。
 そして、彼の部下達もまた、吸血鬼に与していた。

「中佐……」
「言わずとも判るでしょう? ペンウッド卿。ああ……吸血鬼とは実に素晴らしい」

 人間としては有り得ぬ程に発達した犬歯を覗かせ、かつての部下はそう語る。

「そうかね……中佐、君は今でも私の部下だ。無能な私に、よくここまで付いて来てくれたね」

 普通に考えれば、それは命乞いかと思うだろう。或いはそれこそがペンウッド卿の人柄であり、彼なりの遺言だとばかり、インテグラ達も含むこの場の者たちは考えた。
 だが。

「────赦せとは言わん。さらばだ、友であり部下よ」

 その瞬間。弧を描くように白銀が煌めいた。何時までも形の残るような鮮やかな刃の軌道。
 それを、この場に居た者の何人が捉える事が出来ただろう?
 芸術的なまでの煌めきは死を撒き散らす死神の鎌に他ならず、その軌跡に触れた者は皆すべからく死を与えられる。
 痛みさえ無い。斬られた者さえ理解出来ない程の鮮やかな太刀筋。しかしその正体は凡庸な物。人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ者が手にした力だった。

「すまんな……君も、私を怨んでくれて構わん。インテグラ卿」
「……何故、です!? ペンウッド卿!!」

 片目を押さえながら猜疑の念を向けるインテグラ。当然だ。ペンウッドは裏切り者のみならず、彼女の片目までも斬っていたのだから。
 ……他ならぬ、彼女の剣を使って。

「ペンウッド卿! これは冗談ではすまされませんぞ!!」
「……その傷では前線に出る事は無理だろう。ウォルター、君の主を傷付けた者の言える事ではないが、彼女を頼む。
 ドーヴァー要塞ならアイランズ卿やウォルズ卿が居られる筈だ。そして彼らなら先を見越した対策も立てている筈だ。
 彼らと合流し、速やかに英国を救ってくれ」
「出来ません! 貴方はどうするのです!?」

 残るべきは我々の筈だ。去るべきは貴方達の筈だと、そうインテグラが口にするも、馬耳東風とばかりに聞き流す。

「インテグラ卿……君には生きて貰わなくてはならない。君が居なくなれば、今回のような事態に誰が対応するのかね?
 これから先、同じような悲劇を繰り返してはならない。一家が機関を統率する時代は終わったのだと……私は骨身に沁みて痛感したよ。だからこそ、君には生きて欲しいのだ」

 ────もう二度とこんな事が起きないよう、新たな目を育んで欲しいと。そう言い残し、ペンウッドは扉を指さす。

「お前達もだ。ここの機能は完全に失われた。だからこそ、私は最後の命令を下す」

 辺りを見回せば、己の見知った部下たち。誰もかもが自分よりも優秀で、そして素晴らしい軍人だ。だからこそ。

「インテグラ卿を護衛しろ。決して立ち止まらず、この帝都からドーヴァー要塞へと送り届けるのだ。
 ────それが、私からの最後の命令だ」

 ここで彼らを死なせる事は、絶対に出来なかった。

「行きなさい。行ってくれ、皆。行くんだ、インテグラ。
 君達は生き残って伝えるんだ。新たな芽を育てるんだ。それが、君達の仕事つとめなんだ」

 そうして、僅かばかりの沈黙の後、インテグラは立ち上がる。片目の傷を覆うともせず、ゆったりと気品のある動作で葉巻を口に咥えると、懐から一挺の拳銃と弾層を机に置く。

「法儀済みの粒化銀弾頭が入っています。ただの鉄より連中には効果的でしょう。
 ……御武運を、ペンウッド卿」
「ああ────そして君もな、インテグラ卿」

 互いが笑みを浮かべ、それぞれの道を行く。
 生き延びる為に。
 戦う為に。
 そして────己の仕事つとめを全うする為に。


     ◇


 焼け落ちた帝都に、幾つもの屍の呻き声が木霊する。まるで安物のホラー映画。
 ただ一つ違う所があるとすれば、彼らは現実の存在であり、平和を謳歌する市民であったと言う事だ。

「ウォルター……本部へ帰るぞ、全速力でだ!」

 それは明らかに先程とは違う会話。ここから抜け出すよう言われたインテグラが、今は真っ直ぐに敵を倒すべく向かっている。
 だが、それは彼女に限った事ではない。既に人気の無くなった本部にはペンウッドの部下が再度集結し、通信の回復と生還者の救助に向かっていたのだから。

 そう────彼らは誰も逃げ出さない。決して、絶対に。

 己の仕事つとめを、全うする為に。
 英国を護るという、唯一の仕事つとめを果たす為に。


     ◇


「馬鹿者ども……」

 そして、そんな彼らを、ペンウッドは一人遠くから見つめていた。
 ああ、こうなる事は判っていたのだ。彼らは皆誇り高き騎士であり、救国を胸に抱く勇士。であれば、自分達だけが逃げ出す事など、万に一つも有り得ない事だった。

 ────ならば、私は私の仕事つとめを果たそう。

 振り返った先に映るのは、己を取り囲む緑灰色の軍勢。死と狂気に満ちた吸血鬼、『最後の大隊』の隊員に他ならない。

「やはり英国人ライミーには荷が重かったか」

 おそらくはこの場の隊長であろう男がそれを口にする。彼らの手には、既にコックを引かれたシュマイザーや、担がれたパンツァーファウスト。
 一介の軍人さえ手にすれば人一人は容易く殺せるであろう武装が、数十の吸血鬼によって握られ、その殺意は余すところなくペンウッドへと向けられていた。

「彼らを……私の部下を侮辱するな、来い吸血鬼共!!」

 獅子吼と共にペンウッドはサーベルを構え、己が身一つで突貫する。
 それは通常であれば自殺行為。吸血鬼である彼らを以てしても、自分が相手ならばこのような愚行は犯さぬであろう。
 故に彼らは哄笑と共に銃爪を引き、砲火を浴びせる。
 取るに足らぬ猪武者だと、家柄だけで上がって来た詰まらぬ将校だと、そうペンウッドを罵倒しながら跡形もなく消し飛ばした。
 否、消し飛ばした筈だった。

「な……」

 爆発と衝撃で撒き上がった土煙が晴れると同時、隊長格の男の首が血飛沫と共に宙を舞い、のみならず前線の兵の身体が縦に爆ぜ割れた。

「にぃぃぃ……………………!?」

 驚愕と困惑の伝播。まるで悪夢か何かを見たのかと彼らは自身の眼を疑ったに違いない。
 当然だ。ペンウッドはあくまでも人間でありその域を出る者ではない。
 彼らと同じ吸血鬼でも無ければヴァチカン13課のアンデルセンのように何らかの改造を施されている訳でもない。
 だからこそ、彼らは己の眼を疑う。一体何故!? どうして自分達がただの人間に後れを取るのかと。
 しかし、その疑問も次の一言で氷解する。

「人間だからだ」

 言葉と共に、左手の剣で十の兵士が胴を横薙ぎに切断され、

「化物を斃すのは、人間でなくてはならない」

 その背後の兵は、右手の銃で心臓を貫かれた。

「人間でなければ、ならないからだ」

 己を囲んでいた兵を一掃した後、虚空を見上げる。先程から己を監視していた視線。
 その存在を射抜くように。

「13課の人間だろう? 姿を見せろ」

 言葉と共に、聖書の頁が吹き荒れる。
 この裏の世界において、決して知らぬ者はいないであろう存在。『銃剣』『天使の塵』『殺し屋』『斬首判事』『再生者』『聖堂騎士パラディン』……数多くの異名を持つ神父。
 名を─────

「……アンデルセン」
「ほう……貴様の様な骨のある男がまだ英国に居たか。
 それでこそ、我々の怨敵にして宿敵たる資格があるというものよ」
「ならどうする? ここで戦うかね? 私と」

 かちゃりと、サーベルの柄を握り直し、ペンウッドは問う。
 一触即発の空気であり、ともすればこれからの一挙一動で火薬庫に火を投げ入れるかのような激闘が繰り広げられるかと思いきや、アンデルセンはくつくつと、より深く傲岸な笑みを見せるに留まった。

「……貴様を斃すのも良いが、HELLSINGを動く死体に取られる訳にも行かん。
 あれを倒して良いのは我々だけだ!! 誰にも邪魔はさせん、誰にもだ!!」

 言って、アンデルセンは踵を返す。おそらくペンウッド自体は興味本位で見に来ただけであり、本来の監視目標はHELLSINGなのだろうと、そう考えペンウッドもまたその場を後にした。

 ……そう遠くない内に、再び相見える事をお互いが気付かないまま。


     ◇


 一体何時までそうしていたのか。背後に広がるのは吸血鬼の屍。本来であればその一体一体が一騎当千の怪物であるにも拘らず、その全てがただ一振りの剣によって絶命し、その全てが驚愕に目を見開いたまま絶命していた。
 尤も、だからと言って小休止などしては居られない。生き残った僅かばかりの市民を倒壊していないビルなど、比較的安全な場所へ移動したり、警官達に怪我人を運ばせたりといった措置を取らせなければならない。
 そして、ようやく暁が訪れる。吸血鬼にとって太陽は天敵だが、奴らはそれに備えた準備もしてくる事だろう。
 だからこそペンウッドは、遥か高みより顕れた無数のヘリを見やる。
 明らかに民間機とは違うその威容。無数のライトの光芒が闇を切り裂き、機銃やロケット砲が一つ余さず地上へと向けられていた。

「……全員伏せろ!!」

 ペンウッドが叫ぶと同時、無数の弾雨と砲火の地獄が吹き荒れる。
 地獄の夜は終わらない。敵は最後の大隊のみならず、化かし合いとはいえ一応の共同戦線を張っていた筈のヴァチカンさえ裏切った。
 だが、その事に対してペンウッドは呪詛の言葉を撒き散らすには至らない。戦において騙撃・裏切りは当たり前。それどころか元が敵同士であった事を考えれば、称賛さえされるだろう。
 故に。

「貴様らが討たれる事も、弁えているのだろう?」

 剣を構える。目の前には隊伍を組み、方陣を布きながら迫る騎士団。攻撃ヘリと共に輸送機によって運ばれてきた彼らに不退転の覚悟を以て立ち向かう。
 己の後ろには市民が居る。未だ通信の回復を図る部下がいる。状況の打破を望むHELLSINGが居る。
 充分だ。意味や意義などそれで充分すぎるのだと、ペンウッドは口元を三日月に歪めながら、一人戦場を駆けた。


     ◇


「ハハハハハハハハハッハッハハハ!! 被告『英国』! 被告『化物』! お前たちは哀れだ! だが許さぬ!!」

 罪人よ、実を結ばぬ烈花のように死ね。蝶のように舞い蜂のように死ね。
 お前たちは異教徒である限り罪人にして家畜以下の死刑囚なのだと、狂気と嘲笑の混じった声でマクスウェル大司教は告げる。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……!!
 これが我々の、ヴァチカンの力だ! 虫けら共、哀れな連中よ! 死んだプロテスタントだけが良いプロテスタントだ!!」

 未来永劫死に絶えろ。貴様らは罪人である限り我らが裁く。異教徒よ、鮮烈にして壮烈にして凄絶なる死を配ろう。
 我らは死の天使であり裁判者なのだから。

 自らこそ神に仕えていると信じてやまぬ狂信者。故にマクスウェルには判らない。
 気付いてさえいない。自らが仕えているのは神でなく、神の力なのだという事を。

 故に……。

「ありえないアリエナイ有り得ない………………!!
 何だこの報告は!? 信仰心があるなら原因をさっさと付きとめろ!!」

 第九次十字軍……総勢一六〇〇名死亡。うち『クールランテ剣の友修道騎士会』、『カラトラバ・ラ・ヌエバ騎士団』、『聖ステパノ騎士団トスカナ軍団』は全滅。
『マルタ騎士団』は各分隊長の死亡により指揮系統が乱れた状態で、『最後の大隊』との交戦中。

 ……神はその勝利を、彼らに齎す事は無かった。

「ふざけるな……フザケルナフザケルナフザケルナ………………!!
 アーカードが居る訳ではないだろう!! 奴らの、プロテスタントの豚どもの何処にそんな戦力がある!!」

 口角泡を飛ばしながら無線に怒鳴るも、それと同時に自らを護衛していた武装ヘリが爆破される。

「ナチ共か!!」

 先程の爆発はパンツァーファウスト。ならばまず奴らを殲滅するべきかとマクスウェルは考え、弾道の先に視線を向けた所で。

「な……」

 吸血鬼から鹵獲したパンツァーファウストを、こちらに向けるペンウッドの視線と交差した。

「……莫迦な!!」

 貴様が、貴様だというのか!! あのロンドンの王室別邸で出逢った将校風情が、我々を……。

「さらばだ。狂信者」

 言葉と共に放たれるパンツァーファウスト。回避など間に合う筈もない。
 死の槍は真っ直ぐに突き進み、マクスウェルの乗るヘリを爆破した。


     ◇


「あ……ぐ、いやだ。俺は、こんな所で死ぬのか。
 先生……アンデルセン先生。どう、して…………………」

 地に落ち、無数のガラス片の突き刺さった状態で地を這いながら、マクスウェルは息絶えた。
 その手に、幼いころに過ごした神父の裾を握りながら。

「馬鹿だよ、お前……大馬鹿野郎が」

 ただ一度も亡骸と目を合わす事も無く、アンデルセンは膝に乗せたマクスウェルの瞼を下ろして立ち上がる。

「アンデルセンより全武装神父隊に告げる。第九次十字軍遠征は失敗。事実上の壊滅だ。
 ヴァチカンへ帰還し、未来永劫法皇とカトリックを護れ」

 其処まで言って無線を切る。これより先は己の私闘。相も変わらず泣き虫で意気地のない馬鹿を……マクスウェルの元へ行ってやらねば、どうしてあの大馬鹿者を救えよう?
 ああ、救ってやらねばならぬ。寂しい想いをさせぬ様、友と呼べる者が無く、一人ぼっちで居る事を許容したあの大馬鹿者の元へ自分が行かずに、果たして誰が傍に居てやれるというのだ。

「そうだろう? ペンウッドよ」
「アンデルセン……」

 再会と呼ぶにはあまりにも早い時間に、再び二人は相見える。
 片や、両手に銃剣バヨネットを。
 片や、右手に銃を左手にサーベルを。
 それぞれが武器を手に、相見えた。

 許してくれ、悪かった。そんな言葉は両者の間には存在しない。

 だってそれぞれが自分の大切なモノを奪われたから。
 愛する民を。
 愛する生徒を。
 無論、だからと言ってお相子だ、などという選択はない。倒さねばならぬ。乗り越えねばならぬ。
 その先にあるモノを、どちらも手にする為に。

 そうして、戦いの鐘が鳴り響いた。


     ◇


 飛び交う銃剣を銃弾が叩き落とすと同時、その隙間を掻い潜るように疾駆する神父とペンウッドの剣が交差し火花を散らす。

「シィィィ!!」
「ハッ……!!」

 鍔競り合いに持ち込まれ、僅かばかりアンデルセンの膂力が勝ったと判った時、ペンウッドは彼を蹴り飛ばし、同時に三発の銃弾を叩き込んで弾層を入れ替えた。

「見事だ将軍」
「見事だ神父」

 この戦いにおける賛辞を。躍動感など欠片も無く、互いが失った者のために下らない争いをしているだけ。
 しかし、だからこそ彼らは引く事は出来ない。己が失った者、失わせてしまった者の為に、ここで引く事だけは如何しても出来なかったから。
 だからそう。もし賛辞を送るとすればその在り方。失った者、掛け替えの無かった者を真に愛していたというその行動にこそ、両者は賛辞を送るのだ。

 そして両者はただ駆ける。前へ、前へ、前へ……!!

 己の全力を以て迎え撃て。
 己の全力を以て相手取れ。

 それが、それこそが亡き者たちへの鎮魂歌。涙を以て死を悼むのでなく、行動によって彼らを高みへと導くのだ。
 私は貴方達を愛したと、これ程鮮烈にして壮烈にして凄絶に、私達は貴方達を愛したと。
 その愛に報いる為に、我々はこうして戦うのだ。
 永劫に、永遠に。那由他の彼方まで駆けて行こう!!
 互いが全力にして全霊。もし勝敗が付くのなら、それは両者に何らかの違いがあるだけであり、

 その違いがあったからこそ────この戦いは、幕を下ろした。



     ◇


「ぐ……」

 四肢の全てを根から奪われ、アンデルセンは地に転がる。彼の再生能力を以てすれば三分もあれば回復できる。
 尤も、その三分さえあればペンウッドは敵の本陣に斬り込みをかけるなど造作もないだろうが。

「何故殺さん……俺はカトリックだぞ? 貴様らプロテスタントの、英国の怨敵だぞ」

 情けなどかけてくれるなと、怒りの中に何処か懇願する様な音色を混ぜながら、アンデルセンは問いを投げた。

「そうしても良いが……君が居なくなれば、君を待つ子が泣いてしまう。
 親を失う愛児の顔など、私は見たくないのだ……」

 言って、ペンウッドはアンデルセンの後方を見やる。修道服を纏った者の、その一人一人が汗を滲ませ、こちらへと向かってきていた。

「この……大馬鹿野郎共」

 どうして戻らなかった。帰らなかったのだ? ヴァチカンを護れと、未来永劫カトリックを護れと、そう言った筈なのに……。

「このままヴァチカンに帰ったら……ここで貴方を失ったら、私達はイスカリオテの13課ユダでは無くなってしまう。ただの糞尿と血の詰まった肉の袋になってしまう」

 私達は、貴方を愛していたのだからと。そう誰もが瞳で訴える。ここに集う誰もがアンデルセンに育てられ、育まれてきた愛児達だった。
 ああ……そうだ。これなのだ。アンデルセンが負け、ペンウッドが勝った理由。
 失った者だけを見てしまった者と、これ以上失わせないようにと行動した人間。
 どちらもが正しく、そして悲しいだけの戦いは、だけどその違いによって勝敗が変わってしまった。
 違いがあるとするならば、それはその一点だけだったのだ。

「マクスウェルの亡骸は持って帰れ。この地で弔った所でカトリックには土が合うまい」
「……礼は言わんぞ?」

 構わんよ、と。まるで応年来の友に語りかける様な口調でペンウッドは応えた。
 そうして彼ら、イスカリオテの面々は物言わぬマクスウェルに十字を切る。
 幼少期、妾の子であるが故に捨てられ、流れ着いた孤児院で友などいらぬと、誰もかもを偉くなって見返すと、そう言っていたあの頃の少年に、彼らは静かに祈るのだ。
 ここに居る誰もが、友として貴方を見ていたと。決して貴方は一人では無かったのだとそう告げる様に祈るのだ。

 ────Amen.

彼らと共に十字を切り、ペンウッドは踵を返そうとしたところで。

「くだらん。人は死ねばゴミとなる」

『死神』が、絶望をもたらした。


     ◇


「人が死ねばゴミとなる。そうだろう? ペンウッド卿」

 暁の廃墟。死者の積み上がった死都に、死神は降り立つ。
 マクスウェルの亡骸を駒切りにし、その身を踵で磨り潰しながら。

「ウォルター……ウォルターなのか……?」

 鷲鼻やモノクル、服装などは確かにウォルターと一致するものの、ペンウッドは信じられないといった瞳でその姿を見やる。
 当然だ。何故なら今の彼は全盛の姿を保っていたのだから。

「だったらどうしたのです? 私が奴らに捕えられ、吸血鬼にさせられ、洗脳されて無理やり戦わされていると、そう言えば満足ですか?」
「いや……」

 思えば前から嫌な予感はあったのだ。インテグラが幼いながらに家督を継ぐ段になった時、彼女の父であるアーサーの弟が危険だと真っ先に忠告したにもかかわらず、インテグラは窮地に陥り、結果アーカードを復活させた。
 その時、この男は何処に居た? 何故インテグラを護らなかった?
 その答えがこれだ。一体何時からそうだったのかは判らない。だが、この男は少なくともアーカードを復活させる段から裏切っていたのだと、そうペンウッドは理解し、納得した。

「君が何故裏切ったのか、そんな事は私にはどうでも良い。しかし感謝している。
 こうして君が私の目の前に現れてくれた事を」

 ────インテグラの前に、その姿で現れなかった事を。

「イスカリオテ。君達には悪いが、これは英国の問題だ」

 言葉と共に、サーベルで石畳を横一文字に斬りつけた。その線よりこちらに来れば殺すと、そう言外に告げる。

「君を止めよう。円卓の一員として」

 ────この国を護る者として、と。そう告げようとした所で。

「いいえ。ペンウッド卿、彼の相手は私がしなくてはなりません」

 この場に、最も現れて欲しくない者が現れた。

「……インテグラ」
「ペンウッド卿、ここは私とセラス・ヴィクトリアが引き受けます。
 これは、私の責任なのだから」

 握りしめた拳。手袋から血が滲み、奥歯が砕ける程きつく噛み締めながら、しかしインテグラは前を向く。
 決して目を逸らさない。逸らしてはいけない。

「何があったとは聞かない。私はお前を倒す……徒為す者は、討たなくてはならない。
 たとえそれが、お前であっても……!!」

 今にも泣きそうな顔で、インテグラは決意を露わす。そして、その横で吸血鬼であり彼女の部下であるセラスもまた、一歩前に出る。

「ペンウッドさん、征って下さい。行って、終わらせて下さい」

 ここは私達が引き受けますから、と。そうセラスもまた泣きそうな顔で、ペンウッドの背中を押す。

「ああ……行ってくる。インテグラ……君は君の仕事つとめを果たせ」
「はい……」

 ペンウッドは振り返らない。彼の仕事つとめはまだ終わっていないから。
 この長い夜の夢を、終わらせなくてはならないから。

「さらばだウォルター……地獄で会おう」
「それは無理な相談だ、ペンウッド卿」

 貴方と私は別の場所へと逝くのだからと、何処か遠くを見る様に、ウォルターは返した。

 そうして彼らは動き出す。それぞれの仕事つとめを、全うする為に。


     ◇


「来るが良い少佐、敗北を与えてやる」

 遠い空。未だ飛空艦に乗ったまま姿を見せぬ指揮官に、ペンウッドは言い放つ。
 それは本来であれば口先だけの攻撃、取るに足らぬと耳を貸さず、降りてくるような発言ではない。だが。

『面白い』

 少佐はその発言を是とした。やれるものならやってみろと、幾つものビルを薙ぎ倒し、飛空艦を地上に降ろす。
 開かれる虎口。顎を開いた魔城の門に、ペンウッドは踏み入る。

『運命はカードを混ぜた。ようこそ、魔城へ。勝負コールだ。円卓の騎士よ』
「ああ……勝負コールだ」

 ペンウッドを呑みこむと同時、飛空艦は再び空へ舞う。敵の航空勢力は未だ衰えず、本営と共に、彼らは行動を開始する。
 シェルビー・M・ペンウッドを殺すという、一つの目的の為に。


     ◇


 銃を、スコップを、角材を。目に見えた武器からそうでない物まで、各々が一心不乱に迫りくる。
 彼らは歓喜と共にペンウッドに襲いかかり、歓喜と共に死んでいく。
 当然だ。彼らは勝つために来たのではなく、死ぬ為にここに来たのだから。

「勝手に死ねばいいものを……」

 思わず口にしたその言葉を、無線から流れる声が否定する。それは駄目だと、それだけは駄目なのだと。

『そういう訳にはいかんのだよ。我々はそれほどまでに度し難い。
 世界中の全ての人間が我々など必要として居ない。
 世界中の全ての人間が我々を忘れ去ろうとしている。
 それでも我々は我々の為に必要なのだ。そうやってここまでやって来た、来てしまった!!』

 声に狂気が入り混じる。言葉と共に、意志がより強くなっていく。

『そうだ、もっと何かを、と求め続けた! 世界には我々を養うに足る戦場が存在するに違いないと! でなくば我々は死ぬ為だけに無限に歩き続けなくてはならない!!
 だから君達は愛おしい、愛おしかったのだ! 英国の騎士よ!!
 誤算であったが、君は私達が死ぬ甲斐のある存在であり、私達が殺す甲斐のある人間だった!!』

 愛しいと、もっと早く気付けば、もっと早く出逢えればと。
 まるで夢見る乙女の様な声で少佐は告げ、目の前の存在が殺意と共にペンウッドを見やる。
 長剣かと見紛うかの様な銃身を持つ二挺のモーゼルを提げ、北アフリカ戦線のコートを纏った長身の軍人。
『最後の大隊』最高戦力……大尉。
 彼の背後には行き先の書かれた案内板があり、その先に少佐が待っていると指をさす。
 尤も。

「勝者のみ通す、という事か」

 足元に転がるグロスフスMG42機関銃を蹴りあげ、構えると同時、大尉もまた二挺のモーゼルを引き抜く。
 互いが銃爪を引き合い、銃声と硝煙が聴覚と視覚を狂わせる。
 そして、その硝煙の霧からサーベルを構え、ペンウッドが斬り込むも、大尉が投げつけたコートが彼の視界を覆い、弾雨が確実に息の根を止めにかかる。
 しかし。

「甘い!」
「……!」

 弾雨に曝されるよりいち早くコートを切り裂き、ペンウッドが安全圏へと逃れると、先程の意趣返しとばかりに銃弾を叩き込む。
 だが、その瞬間にこそペンウッドの顔が驚愕に歪む。目の前の存在、大尉の顔の半面が、既に人ではなく狼へと変わっていた事に。

狼男ヴェアウォルフか……」

 既に人としての姿は其処にない。身の丈虎をも凌ぐ巨大な狼は牙を剥き、ペンウッドの肩口を捥ぎ取ると同時に霧となり、再び人間となって彼の頬肉を蹴りで切り裂く。

「づッ……」

 奥歯が数本宙を舞い、頬肉を抉られた痛みを堪えつつ、ペンウッドは己の抜け落ちた歯の一本を掴む。
 ここより先はある種の賭け。現状は最悪だが、他に打開策がないのなら、と投げ遣り気味に覚悟を決める。

「さあ……来いッ!!」

 言葉と共に大尉が迫る。霧となって迫る時では攻撃できない。しかし、攻撃する時は話は別。
 それは先程の攻撃を見ても明らかであり、今己の身体を手刀で斬り裂こうとしていることからも明白だ。
 この瞬間、この時こそが絶好の好機なればこそ。

「ぬおォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 わざと強引に手刀を脇腹に貫かせ、そのまま堪える。
 腹部が弾け飛ばなかったのは僥倖だ。片手の剣で肩口から肋にかけてまでを切り裂き、開いた身体に自分の歯を叩き込む。

「歯医者には……通っておくものだな」

 心臓に叩きこんだのは銀歯。
 その素材は言うまでもなく、狼男ヴェアウォルフである大尉には絶好の武器である。

「さらばだ……狼男ヴェアウォルフ

 背後で声もないままに笑いながら斃れる大尉に一瞥もくれる事無く、ペンウッドは歩き出す。

 ────さあ、物語を終わらせよう。


     ◇


「少佐……」
「やあ、ようやく直に御目見え出来て嬉しいよ、ペンウッド卿」

 既に誰も居なくなった一室で、少佐は椅子に腰かけている。
 その余裕、その傲岸さにペンウッドは呆れる事も無く、黙したまま少佐に近づくと、彼の横にあるテーブルを見やる。

「チェスか……」
「ああ、嗜むのなら相手をして貰えないかね?」

 冗談じみた口調で問う少佐に、ペンウッドは良いだろうと用意された椅子に腰かける。

「さて、どうしたものか……」

 こつこつと互いが駒を動かし、兵士ポーン女王 クイーンに変わった所で少佐の手が止まる。

「間違いなく負けだな。ここにはルークもビショップもナイトもない」
「そう。これは君の完全勝利だ。ここに在るのはキングのみ。
 いやいや実に強いな」
「良く言う」

 そう勝つように手を打った男が何を言うのかと、呆れ交じりにペンウッドは応え、しかし次の瞬間には眼前の相手の顔に薄気味悪い笑みが無い事に気が付いた。

「何故こうならなかったのだろうか……? 全ての駒は私の掌から零れ落ちた事など無かった。このゲームは俺の全てを奪われ、アーカードを俺が斃す事で終わる筈だった」

 だが結果はこれだ。少佐は今まったくと言っていい程、意に介す事の無かった存在に追い込まれ、為す術無く立ち止まっている。
 一体何がいけなかったのか、何がこうさせてしまったのかが、最後まで判らないという様に。

「化物を倒すのは、何時だって人間だからだよ。少佐」

 ────それこそが全てだったのだ、と。ペンウッドはそう言い放つ。

「それには私も賛同するよ。ああ……だからこそ、お前はここまで来たのか。
 人間として吸血鬼の群を、人間として神の力を打ち倒した……素晴らしい、素晴らしいぞ騎士よ」

 成程、それでは叶わぬ筈だと、そう少佐は納得する。
 幾ら吸血鬼を集めようと、幾ら狂信者を指し向けようと、所詮彼らは化物に過ぎない。
 化物を打ち倒すのは人間であり、幕を下ろすのも人間であればこそ、この結果は必定だったのだ。

「ああ、憎らしく、そして愛おしいな怨敵よ。ならば────」
「ああ、ならば――――」

 両者は銃を構え合う。この距離ならば間違っても外さないと、お互いが納得できる一で着きつけ合う。

「「────この物語に、終焉を」」

 重なり合う銃声と共に、二つの薬莢が乾いた音を立てて落ちていく。
 片や、肩口へ。片や、心臓へと。
 それぞれの銃弾を浴びて。

「ふふ……初めて当たったぞ。勝利は得る事が出来なかったが、素晴らしかった。怨敵よ、いずれ地獄で……」

 最後まで言い切る事無く、少佐は床に崩れ落ちる。その顔は、何処か残念そうで、しかし満ち足りた笑みだった。


     ◇


「終わった、か……」

 思わず地に崩れそうになる所を辛うじて堪える。
 まだ己にはやるべき事が残っている。少佐は倒したものの、空中にはまだ他の飛空艦が残っているのだ。

『この……放送を聞く、全ての者に告げる』

 ノイズ交じりの声が、帝都一体に響き渡る。
 それは戦いを終えたインテグラ達やイスカリオテ、さらには別飛空艦から待機していたナチまで余すところなく伝えられていた。

『最後の大隊……ミレニアム指揮官少佐は、死亡した。夢は終わったのだ』

 その声に歓喜する者、怒りに震える者などそれぞれの念が放送される飛空艦に向けられる。
 当然ながら、その飛空艦を堕とすべく、集まる者達も。

『夢は……終わったのだ』

 朝日が昇る。暁の光が世界を満たす。
 その世界をぼんやりと眺めながら、ペンウッドは過去の記憶を追想する。
 まだ幼かった頃のインテグラ。アーサーが死んで、もう振り回される事の無い安堵と寂しさを覚えた時、その娘も又自分を振り回し続けてきた。
 ああ、覚えている。何処までも慌しくて面倒で、けれど掛け替えのないと思えるほどに退屈な日々。
 そんなありふれた日常という幸福を、護るべき国民に与える事こそが己の役目なればこそ。

『私は私の仕事つとめを果たそう』

 ────それが、自分に出来る唯一の事だから。

『────さようなら、インテグラ。私も楽しかったよ』

 その言葉を最後に、飛空艦が爆発する。その余波にペンウッドを討つべく近寄った他の飛空艦が巻き込まれ、一つ余さず燃え落ちて行く。

 夢を終わらせる為に。暁の世界を……、生き残った者たちにもたらす為に。



     ◆


「……と、いった具合でして」
「本当ですか……それ」

 信じられないといった風に、髭を蓄えた青年が投げ掛けるも、彼に話をした女性は本当ですよと、どこか寂しそうに告げた。

「本当ですので新しいヘリの代金をお願いします」
「またですか!?」

 叫ぶ青年────ペンウッド卿の孫にあたる青年に、女性は睨みを利かせると、彼は泣きながら退出していった。

「大変ですね……あの人も一族も」

 殆どマフィアのやり口じゃないですか、と冷や汗交じりに投げ掛ける婦警、セラス・ヴィクトリアに、女性は笑みを零す。

「良いのだ、苦労して貰わねば。
 ペンウッド卿の言う通り、一家が機関を統率する時代は終わったのだから」

 だからもっともっと苦労して貰うのだと、そう笑いながら女性―――インテグラは陽光の照らす世界を見る。

「あれから……三十年か」

 長いようで短かった日々。未だヴァチカンとの小競り合いは絶えないが、アンデルセンもあれ以来何処か落ち着いたらしく、以前ほどの対立は無くなっていた。

「ペンウッド卿────私も、楽しかったですよ」

 幼かった頃の日々を思い返しながら、インテグラは微かに微笑む。
 どうか貴方の救ったこの国の民が、この日差しの下で笑顔を振りまけるようにと、そんな事を願いながら。


     ×××


あとがき

 やってしまったぜ英国無双。本来ならチラ裏に来るのはゼロ魔板の作品が行き詰った時だけなのですが、おだてられて調子こいちまった作者です。

 前回の短編が評判良かったせいか今回はモチベーションを維持して書けたのですが、作者的に出来そのものはこれで良いかな? と不安がある所です。
 まあモブキャラ最高! が信条の作者としては、ペンウッド卿はいつかは書きたいと思っていたキャラなので、今回のは渡りに船といった感じです。

 しかしペンウッド卿無双過ぎ!! こんなんの何処が無能だよ! と突っ込みが来そうで怖い。
 いや、指揮官としては無能か? 何気に部下とか全員命令違反してるし。と書き終わった後で思わなくもない。

 次回の更新は未定、というか、これから先は忙しくなりそうなのとネタがないので期待しないで待って頂ければ幸いです。

 それでは、失礼致します。




[24770] 【短編】【一発ネタ】悲劇を越える為に(とある魔術の禁書目録×魔法少女まどか☆マギカ)
Name: c.m.◆8bd4fd3f ID:6bef94fe
Date: 2011/08/25 00:08
 茜に染まる夕暮れが、簡素な一室を朱に染める。運ばれた風にそよぐカーテンの音へぼんやりと耳を傾けながら、彼は上体を起こして景観を眺める。
 見知っている筈の景色。幼いころに過ごした景色。懐かしい筈の景色を、そうしてぼんやりと眺めている。

「────当麻」
「あ、はい」

 呼ばれた方へ振り向く。おそらくは中学生だろう。快活そうな雰囲気を纏わせたショートカットの少女は、にこやかな顔を浮かべながら彼の元へと近付いて行く。

「気分は良い?」
「はい」
「何か欲しい物とかある?」
「いえ、特には」
「あたしのこと……覚えてる?」
「…………」

 その一言。何気ない会話の中の最後の質疑に彼は顔を俯かせると、少女はそっか、と軽く流した。
 けれど、その表情が偽りなのだと、彼を気遣ってのものだという事は誰の目にも明らかだろう……そう、この目の前の少年にさえも。

「……ごめん」
「いいよ。当麻は何も悪くないもん」
「あの……さやかさんは、俺の幼馴染……なんですよね?」
「やめてよ、あたし年下なんだからさ、敬語なんて使わなくて良いんだよ?」

 その言葉に、再び彼は俯きかけてしまう。彼、上条当麻は決して薄情な訳でも物忘れが激しい訳でも無い。

 彼は───記憶喪失なのだ。

 本来、彼の居場所はここではない。
 ここではない都市、ここではない場所で、彼は日常を謳歌している筈だった。
『学園都市』。東京西部に位置する完全独立教育研究機関であり、総面積は東京都の約三分の一に相当する、総人口約二百三十万人の巨大都市。
 あらゆる教育機関・研究機関の集合体であり、都市の内外では数十年以上の技術格差が存在すると言われる場こそ、彼が本来生活する場である。

 だが、そこで事件は起きた。
 この世ならざる理、常軌の枠より外れた文明にして手段にして力、『魔術』。
 科学の最先端たる学園都市の中で、彼は不幸にも巻き込まれ、そして結果として記憶を失った。
 学園都市の生徒は入学と同時に『超能力』開発のカリキュラムを受け、その技術の漏洩を防ぐために都市外の行動は原則として禁止されているが、彼はどういった事情からか事件後に意識を失い、記憶快復の見込みが無いと認定されるや、すぐさま地元へと送られる事になった。
 それがどういった事情かは、当人に知る由はない。ただ疑問だけが残った。自分はどうして、ここに戻されたのか、と。

「あの、さやかさ、」
「さやか!」
「さやかは俺がここでどんな風に過ごしてたか、知ってるのか?」
「…………」

 その言葉に、こんどはさやかが俯いてしまう。
 上条当麻には特殊な能力が備わっていた。それは『超能力』開発のカリキュラムを受けたが故ではなく、彼生来の持ち物。
 名を『幻想殺しイマジンブレイカー』。それが異能の力であれば、超能力・魔術問わず打ち消すことができる能力。
 ……それが、彼を常に不幸にし続けた。
 その右手は異能を打ち消すと共に、神の加護や奇跡さえ打ち消してしまう。

 上条当麻は小学校に入って数年と持たず学園都市に送られた。
 彼は、周りの者たちにこう呼ばれていたのだ。

 ────疫病神、と。

 彼は生まれ持ち『不幸』な人間だった。
 だがそう呼ばれたのは、子供達の悪意ないイタズラだけではなかった。
 大の大人までもが、そんな名で彼を呼んだ。理由などない。原因などない。ただ『不幸』だからというだけで、そんな名前で呼ばれていた。
 上条当麻が側にやってくると周りまで『不幸』になる。そんな俗話を信じて、子供達は顔を見るだけで石を投げた。
 大人達もそれを止めなかった。体にできた傷を見ても、哀しむどころか嘲笑った。何でもっと酷い傷を負わせないのかと、急き立てるように。
 上条当麻が側から離れると、『不幸』もあちらに行く。そんな俗話を信じて、子供達は彼を遠ざけた。その話は大人までもが信じた。
 時には借金を抱えた男に追い掛け回されて包丁で刺された事もある。話を聞きつけたテレビ局の人間が霊能番組とかこつけて、誰の許可も取らずに彼の顔をカメラに映して化け物のように取り扱った事さえあった。

 それは彼だけでなく、彼を慕う数少ない者らにとっても地獄だった。両親は逃がすように彼を学園都市へと送り、さやかは幼いながらに彼が居なくなった日に一人で泣いた。
 親しい者が居なくなってしまったと。自分から遠ざかってしまったと。その事実を事実と認識出来ない程幼いまま。

 事実を事実と知る事が出来た時には、さやかはもう一度涙を流した。

 そして……彼が戻ってきたその日にも。

「悪い……ひょっとして俺、何か馬鹿な事やっちまってたか? ほら、女の子に悪戯するとか、そういう最低な、」
「ううん……当麻は優しかったよ。ドジでおっちょこちょいで、それでもあたしにとっては、頼れる兄ちゃんだった」

 優しい言葉。優しい笑顔で取り繕うと、さやかは、ほんの少しだけ彼が記憶を失った事を感謝した。
 たとえそれが調べればすぐに判る事だとしても……あの苦くて辛い想い出は、彼の中にはないのだから。


 そして……彼の、上条当麻の不幸はここでは終わらない。
 上条当麻の物語は、これより別の道へと進んでいく。


     ◇


「あ。さやかちゃん、今日もお見舞い?」
「うん。流石に右も左も判らないんじゃ心細いかなって思ってさ。幸い退院はまだ伸ばせる・・・・みたいだし」

 上条当麻の過ごす病院は近年新設されたばかりの大病院だ。当然、当時ここに住んでいた彼の実情を知る者は居ないだろうし、仮に知っている者がいたとしても、それはごく少数だろう。
 ……少なくとも。ここほどではないのだ。

「えらいね、さやかちゃんは」
「……別に、全然そんな事無いよ」

 親友である鹿目まどかに軽口を叩きつつも、その表情は浮かばれない。そうだ。自分は決して偉くなどない。
 あの絶望の中で。あの震える日を鮮烈に覚えている美樹さやかにとって、こんな事は全然偉くも何ともないと。
 そんな物思いに耽るさやかに対し、まどかは唐突に辺りを見回す。

「え?……え?」
「どうしたの? まどか」
「声がするの、助けてって呼んでる」
「あ!? まって、まどか!」

 言葉と共にいちにもなく駆けだすまどかを、さやかは追いたてる。
 とはいえ、体力ごとになれば見るからに大人し目な少女であるまどかがさやかに敵う筈もなく、結局同着どころか若干さやかの方がペースを合わせながら走る事になってしまった。

 そしてソレ・・は、まどかの胸に飛び込んできた。
 何処までも白い体表と、兎めいた赤い瞳を持った小動物は、しかし既存の生物ではない。
 耳から耳の生えたような独特のフォルム。犬とも猫ともとれぬ様な、マスコットめいた体躯に戸惑いかけたが、弱々しく震えるその生物を前に、二人は訝しむより早く安否を気遣った。
 二人はすぐさまこの奇怪な生物を安静にさせようと考え込むが、そこで二人の少女が挟みこむ様に迫る。

 片や黒と白、そしてグレーを基調とした衣装を纏う、黒い長髪を靡かせる少女。
 片や黄を基調とした衣装を纏い、カールされた明るい髪を二つに纏めた少女。

 黒髪の少女は睨めつける様に相手を見やり、黄の少女は優雅な仕草で相手を睥睨する。

「あ、あのほむらちゃんだよね?」

 転校生でありクラスメイトの名を呼ぶまどかに対し、ほむらと呼ばれた少女は静かに彼女の腕の中に居る生物を指さした。

「そいつから離れて」
「そうもいかないわ。この子は私の大事な友達なの」
「貴女は黙って。私が用があるのは、」
「見逃してあげるって言わないと判らない?」

 一触即発の空気。何処までも深く重い空気が辺りに満ちかけるも、やがてほむらの方が先に折れた。
 そして、ほむらはその場を去る。何処までも冷たく、そして悲しげな足取りで。

「ありがとうマミ。助かったよ」

 マミと呼ばれた少女が何らかの措置を施したのだろう。眼に見えて健康そうになった生物に、彼女は軽く首を振った。

「私は通りかかっただけ。お礼はその子達に言って」
「どうもありがとう! ぼくの名前はキュゥべぇ!」

 そして。キュゥべぇと名乗る生物はぺこりとお辞儀をすると、

「鹿目まどか。それに美樹さやか」

 知らない筈の二人の名を呼び、

「僕、君たちにお願いがあって来たんだ」

 何処までも可愛らしい、作り物の様な声で、

「僕と契約して、魔法少女になってよ!」

 ────そんな事を、口にした。


     ◇


 そしてマミ、本名を巴マミという少女とキュゥべぇは彼女たちに説明する。
 キュゥべぇに選ばれ、契約をした少女はその証明として魔力の源にして魔法少女の証である卵型の宝石、ソウルジェムを与えられ、どのような願いや奇跡でも一つだけ叶えてくれるという。
 しかし、その代償もまた存在する。
 魔女と戦い続けるという宿命……願いから生まれた魔法少女と対を為し、絶望を無辜の民へもたらす存在である魔女を狩る事こそ、魔法少女の務めだという。

 それは命を賭けた戦い。決して安易な道でも選択でも無いのだとマミは釘を刺し、同時に二人に自身の魔女退治に付き合い、危険を冒してまで願いを叶えるべきかどうかを考えてみる様に説得した。

 そして……。

「まさか病院とはね」
「…………」

 マミの言葉にさやかは沈鬱そうに項垂れる。何故ここなのか。よりにもよって、どうしてこんな場所を選んだのかと、見た事もない魔女に内心歯軋りする。

「さ、さやかちゃん、大丈夫?」
「あたしはね。けどマミさん、ここにいる人たち、まだ大丈夫なんでしょうか?」
「今はまだ。けど急いだ方が良いわ。唯でさえ弱っている人の集まる場所に取り憑いてるんですもの」

 そうですね、とマミの言葉に、さやかはこの日の為に用意したバットを強く握りしめると、マミはくすりと笑って光の輪と自身の腕からバットへと移らせる。

「気休めにだけど、身を守る位にはなるわ」

 そう言われつつも、白いステッキと化したバットを、さやかはまじまじと見つめ、次いで現れた魔女の使い魔に対してやたらめったらに振りまわす。
 お菓子を模る使い魔はそれに対して殆ど効果を得る事はなかったが、マミは手にした白銀のマスケット銃で狙い過たずその全てを撃ち抜いた。

「マミさん、カッコいい!」

 そんなさやかの声援に、マミはもう、と困った顔を浮かべつつも、満更では無い様に進み、

 そこで、逢いたくはない相手に出くわした。

「今回の相手は私が狩る。貴女は引いて。それと、鹿目まどかは契約させない」
「この子の素質に気付いてたから邪魔しに来たって訳? 自分より強い相手は邪魔者って事かしら」

 ほむらとマミ。二人の少女は再度互いを敵対し合い、

「……貴女とは戦いたくはないのだけれど」

 直接手を出したのは、マミが先だった。

「こんなことやってる場合じゃない! 今度の魔女はケタが違うの!!」

 光の帯に拘束されながら責め立てるほむらに対し、マミは行きましょうと二人を促した。


     ◇


「よかったの、マミさん」
「敵が来たら外れる様にしてあるわ……ごめんね。貴女達の前じゃ年上ぶってるけど、本当はそんなに強くも、完璧でも無いの」

 カッコつけてるだけ、と。そう語るマミにさやかは微かに口を開く。

「けど……カッコつけるってすごい事なんだと思いますよ」
「え?」
「あたしも今、凄く怖くて不安なんです。もしかしたら死んじゃうかもしれないんじゃないかって。自分だけじゃなくて、この病院に居る人も。
 けど、あたし知ってるんです……どうしようもなく辛くて、誰にも助けてくれない、助けても違う事実で塗り潰されちゃう。
 褒めてもくれなくて、痛い思いばっかりして、それでも手を伸ばしてくれるヒーローがいるって事。カッコつけて、清々しい位に頼もしいヒーローがいるって。
 だから、なんとなくマミさんに憧れちゃうんです。あたしの知ってるヒーローみたいにカッコいいから」

 何気ない言葉。何気ない独白。だが、その言葉はこれまで一人で戦い抜いてきた巴マミにとっては特別な物だった。
 誰も知らない。誰からも気付かれない。ただ一人、たった一人で魔女と戦い続けた彼女にとって、その言葉は何よりも希望に満ちていた。

「だからあたし、マミさんと一緒に戦っていきたい! 魔法少女になってもならなくても、ずっと一緒に!!」
「────本当に?」

 その言葉。憧れに満ちた眼差しに、マミの声は微かに震える。

「本当に、傍にいてくれるの?」
「はい……といっても、足手纏い確実ですけど」

 苦笑しつつ頭を掻くさやかに、マミはありがとうと呟くと、魔女の創りだす結界、巨大なケーキの中へと飛び込んだ。

「「マミさん!?」」

 慌てて遥か下へ落ちたマミを見やるさやかとまどか。
 しかし、マミ動きはこれまでとは明らかに違っていた。
 無数に現れた銃を取りかえ、持ち替え、身に迫る悉くを舞うが如き動きで撃ち落とす。
 まるでここが魔女ではなく己の領域であり、舞台なのだというように踊り終え、止めとばかりに白銀のマスケット銃を大砲へと変化させる。

「ティロ・フィナーレ!!」

 その言葉と共に、最後に現れたぬいぐるみめいた魔女は撃ち抜かれ、光の帯に拘束されると、息絶えたかのように項垂れた。

「「やったぁ!!」」

 魔法少女の勇姿にはしゃぐ二人の少女と、その喝采を受けて微笑む魔法少女。
 ここまでの内容を見るならば、間違いなくハッピーエンドである物語はしかし、

「え?」

 突如斃した筈のぬいぐるみから現れた怪物によって、状況は逆転する。
 巨大な、それこそ大きさだけなら竜か何かと見紛うような口だけの怪物は、マミをそのアギトに捉える。

 死に逝く一瞬。己の生がここで終わる事をマミは本能で察した。

“……いや”

 友達と呼べる者達が出来た。もう一人ではないと、一緒に居られる筈だった少女達の顔が頭によぎり、次いで先程まで交わした言葉が思い出される。

『けど、あたし知ってるんです……どうしようもなく辛くて、誰にも助けてくれない、助けても違う事実で塗り潰されちゃう。
 褒めてもくれなくて、痛い思いばっかりして、それでも手を伸ばしてくれるヒーローがいるって事。カッコつけて、清々しい位に頼もしいヒーローがいるって』

 彼女の人生に、そんな者は居なかった。両親は交通事故で他界し、自分もまた事故によって死に逝く筈だった命を契約によって長らえさせた。
 そこから先は辛いだけだった。死んで止まるか、生きて動くというだけの違い。
 誰にも理解されず、ただ孤独なまま過ぎて行く日々を諦観する事で過ごすだけ。

 だから、彼女は死の間際でこんな事を想うのだ。

 もしヒーローが居るのなら、どうか彼女たちを救ってあげて欲しいと。

 そして、

「二人とも、今直ぐ僕と契約を!!」

 決して間に合わない筈の窮地に白い生物は少女に契約を持ちかけ、

「う、うん、それじゃあ、」

 それに同意しかけた時、

「ここか──────────────………………!!!」

 ガラスの砕けるような音が、辺りに響いた。

「「「え?」」」

 空間が罅割れる。この異界に亀裂が走る。
 鹿目まどかも、美樹さやかも、既に牙が喉元に食い込んでいた巴マミさえ、この声を聞いた。
 どうしようもない絶望。どんな状況でも手を伸ばしてくれるヒーローはその右手を固く握りしめ、

「女の子にかぶり付いてんじゃねえぞ、悪食野郎………………!!」

 決して助かる筈の無かった少女を、その手で救ったのだった。


     ◇


「えっと……当麻。どうやってここに?」

 全てが終わった後、寝巻から私服に切り替わった上条当麻に対し、さやかは問う。

「いや、俺の右手、『幻想殺しイマジンブレイカー』っていうんだけどさ、こいつは異能なら科学だろうが魔術だろうがお構いなしに打ち消せるんだわ、これが。
 で。病院を退院する段に当たってさやかと連絡しようと廊下に出たら、こいつが何か壊したみたいで、中に入ったら女の子が縛られててさ。助けたついでに、さやか達が奥に居るって聞いたから急いで駆け付けたんだけど」

 平然と事情を説明する上条当麻であったが、ついでという言葉が痛くお気に召さなかったのか、さやかは目に見えて不機嫌になった。

「そっか。当麻はついでだから、あたし達やマミさんのとこに駆け付けたんだ、ふうん」
「いやいやいや!! そこで思いっきり足を踏まないで下さい!! ていうか上条さんがさやかさん達が居るって知ったのはついさっきの事で、正直何が何だか判らなかったんですのことよ!?」

 そして、そんなやり取りを見て巴マミはというと、

「ヒーローか……さやかさんが羨ましいわ」

 そんな事を口にするも、さやかの方はそれを慌てて否定する。

「え!? ちょ、ちょっと待って下さいマミさん! あれなし!! お願いですから忘れて下さい!!」
「ふふっ……いいの? そんな事言って。私が取っちゃうわよ」
「あの、できればそろそろあのメルヘン空間や、そちらのコスプレしたナイスバディで美人なお姉さんを紹介、ぎゃああああああああああああ!?」
「あんたは中学生にそんな事言うのかァ!!」

 え!? うそ!? 中学生!? と驚きつつも絶叫する上条当麻とその足をぐりぐりと踏み付けるさやか。
 そしてそんな二人を横目に笑うまどかとマミ。
 これをきっかけに、この物語は本来の姿を大きく変えて行く。


     ◇


「一体何者なの、あの人」

 今日の事態を振りかえり、ほむらは明らかに異質だった少年を思い返す。
 魔法少女でも無く結界へ押し入り、右手の一撃で魔女を粉砕せしめた存在。
 その存在は、彼女は一度として知り得はしなかったのに。

「気になるかい? お嬢ちゃん」
「!?」

 声の主へと振り返る。アロハシャツにサングラスという何処までも軽薄そうなスタイルで決め込んだ金髪の少年は、あっけらかんとした口調で口を開く。

「あの男、上条当麻はつい最近まで学園都市に居てにゃー。
 ま。あの右手に関しちゃ天然ものなんだが、それはさておき、こっから先は交渉だ。お互い有益な感じで行こう」
「有益?」

 見ず知らずの人間である事に加え、余りにも胡散臭い事この上ない。が、一応話ぐらいは訊いてやろうという気構えで手にしていたベレッタM92Fの銃爪から指を離す。

「最近の女子中学生は過激だにゃー。外も少し見ない間に変わっちまったって事か?」
「帰るわよ?」

 冷淡な声で拒絶を示すと、男は悪い悪い、と片手で謝る。

「学園都市の親玉から直々の申し出だ。活躍次第では、あんたら魔法少女を元の身体に戻す手助けをイギリス清教に掛け合う。その見返りは、」

 その言葉に息を飲む。本当にそんな事が出来るのかという疑念と、その見返りとして求める物を同時に想像したが故に。

「インキュベーターの捕獲。無論、生死を問わず デッド・オア・アライブで構わないぜい?」


     ◇


 それからの日々は、慌しくも充実した時間だった。
 魔法少女やらキュゥべぇやらの説明を終えた後、結局まどかもさやかも契約の為されないまま、魔女たちは巴マミと上条当麻によって倒されていった。
 時折怪我もしたし、他の魔法少女───杏子というらしい───と鉢合わせする事もあったが、一般人である上条当麻の協力と仲裁の甲斐もあってか、それほど悲嘆するような事態に陥る事は無かった。

“けど……”

 事件が解決するその度に、新たな一日を迎えるその度に、さやかは上条当麻との間に溝があるように感じていた。
 いや、それは溝という物ではない。単に距離が開いているだけ。
 さやかという少女と行動する以上に、上条当麻と巴マミとの距離が近付いているように感じているだけ。
 だからこそ、時折あの日の言葉が脳裏に蘇る。
 あの日、巴マミが上条当麻に救われた日に、巴マミが悪戯交じりに言っていた言葉。

『ふふっ……いいの? そんな事言って。私が取っちゃうわよ』

「ッ……」

 思わず唇を噛み締める。きっとあれは嘘偽りの無い本音だったのだろう。
 少なくとも、あの時は本気で無かったにせよ今の巴マミを見れば満更でない事位は判る。
 だから……

「悔しいのかい? 美樹さやか」

 その可愛らしい言葉に、

「もし願いがあるのなら、僕はいつでも叶えてあげるよ」

 彼女は首を縦に─────


     ◇


「ようカミやーん、やっと見つけたんだぜーい」

 奇怪な猫ボイスが飛んできた方向へと振り返ると、上条の前に身長百八十センチはあろうかという大男がダッシュで接近してきた。

「つ、土御門で良いんだよな?」

 土御門元春。上条の学生寮の隣人にしてクラスメイト……、らしい。記憶のない上条当麻には良く分からないが、少なくともカエル顔の医者が用意してくれた資料には写真付きの物が多くあり、一通りは目を通してあるので名前と顔位は記憶喪失でも知っている。

「って、ちょっと待てよ。何でお前がここにいるんだよ! どうやって学園都市の『外』に出たんだ!?」
「そこはまあ、ちゃんと許可を貰って。それよりカミやん、この子の事に見覚えはないかい?」

 そうして土御門の背後に佇む少女は、一礼の後に上条当麻へと進み出る。

「暁美ほむらと言います。その節はお世話になりました」
「なーんて他人行儀な対応だが、大好きな友達には内心デレデレな……って、いだだだだ!?」
「時間がありません。あの悪魔は隙あらば契約を結ぼうとしてきますから。
 上条さん、鹿目まどかと美樹さやかには連絡がつきますか?」

 ああ、と応える上条当麻。彼の携帯は学園都市で壊れたまま買い換えていないが、それでも横にある蜘蛛の巣が張った電話ボックスを使えばすぐに連絡がつく。

「そうですか……では私の話を聴いた後にでも……いえ、連絡をしながら話を聴いて下さい。貴方には知って貰う必要があります。
 ────あの悪魔の契約の真実を」

 そうして彼女は語る。この世界の影。閉ざされた環の真実と、その背後に潜む存在を。


     ◇


「……嘘だろ」
「残念だが真実だぜい、カミやん。あの悪魔が契約の際に叶える希望は絶望になって返ってくる。決して奇跡なんかじゃない。金を貸した後で破産前提の利息を強引に取り付ける悪徳商法だ」

 奇跡にはそれに見合う代償を。希望には絶望を以てバランスを保つ悪魔の契約。
 一度契約したが最後。魔法少女という犠牲者は金利という戦いと、返済という絶望の二重苦を味わうしかない。
 しかも。

「戦って倒して行ってもいつかは魔女になる……魔女とは元は魔法少女、私達だった存在です」
「なら……一体何が目的でそんな事を!?」
「エネルギーだ」
「土御門……」
「あれはこの世界の住人じゃない。奴らは自分たちの世界のエネルギーを賄う為に感情をエネルギーに変える手段を得た」

 だが奴らに感情はなく、それこそが最大の課題となったと土御門は語る。

「だからこそ人間……特に感受性の強い二次成長期の少女を槍玉に挙げたんです。絶望と希望は、奴らにとって最も効率の良いエネルギーだから。
 奴らからしてみれば、それは些細な問題なのでしょう」

 人が家畜を見る様に、奴らもまた人を人としては見ていないのだとほむらは付け加える。

「お前は、それを何処で……」
「私が魔法少女として契約によって得た奇跡は、『やり直し』を繰り返す事です。
 もう何度も経験して……その中であの悪魔は全てが終わった際に淡々と語りました。
 手品の種をばらすように……」

 そして、そこまで訊き終えて上条当麻は拳を握りしめる。

「あの野郎は何処にッ!?」
「カミやん!?」
「上条さん!?」

 バチン!! と、火花の弾ける音と共に彼の右手から煙が立ち込める。

「っづあ……!?」
「契約だ……」
「え?」

 土御門の呟きに、ほむらは顔を歪める。

「カミやんの右手は特別性だ! 奇跡を使って無効化したかった奴が居るみたいだが、どうやら種のある奇跡じゃダメージを通すのが関の山だったらしいな!!」
「そんな、じゃあ契約は、」
「まだだ! 契約は完了していない!! それが終わるまでソウルジェムに魂を持って行けないのは、奴が定めたルールだ!
 契約不履行でもとぼけて強引にされちまったらお手上げだが、それでも奴を捕まえればイギリス清教と取引が出来る!
 カミやん、心当たりがあったらそいつの電話番号を! 学園都市の衛星ならそれだけで捕捉出来る!」
「ああ、ある……!!」

 言われるがままに土御門に電話番号を教え、ほむらの用意した軍用車に乗り込む。

「ここから南西、五キロ先だ!!」


     ◇


「それで、君は何を望むんだい?」
「あの人の不幸の元凶を消して欲しい……それが出来れば、あたしと当麻は」
「叶えよう」

 切実な吐露。何処までも悲痛な声に、白い悪魔は坦々と契約を為そうとし、

「莫迦な……奇跡が消える?」

 本来ではあり得ぬ事態に、声を微かに震わせる。
 そう。誰もがあの少年の右手を、ただの特殊な能力としてしか考えていなかった。
 あの右手の神秘を何処までも軽んじた。高々タネも仕掛けもある紛い物の奇跡で、アレを何とか出来ると過信した。

 それが異能である限り────神の奇跡さえ打ち消す右手を。

 そして、その右手を持つ主人公ヒーローは拳を振り上げ、

「さやかァァァァァァァァァァ……………………………!!!!」

 固く、何処までも強く握りしめた右手が、白い生物の顔面に突き刺さった。

「が!? ぐぅ……」

 回復が出来ない。本来のキュゥべぇであればたとえ銃弾で蜂の巣にされようとも傷を癒せる筈が、この少年の一撃だけは癒せない。

「な、にを……」
「何を、だと!? ふざけるんじゃねえ!! 助けに来たんだよ、クソったれが!!」

 その声は何処までも大きかった。その拳は何処までも力強かった。その背中は何処までも逞しかった。

 ────上条当麻は、美樹さやかの想い出と何一つ変わっていなかった。

「いい加減にしろよ! 有りもしねえ希望で幻想持たせて、そのうえ死ぬまで戦えってか!?」
「君が何処で何を知ったのかは知らないが、少なくともその考えは間違い……いや、浅はかと言っていい。
 全てはこの宇宙の寿命を延ばす為、君たちにとってもこれは非常に有益だろう?
 数えられる程度の命で己の種族が生き永らえる事が出来るんだ。なのに何故君たちはそんな風に語るんだい?
 事実を事実と知った時、君たちは『騙された』と言うね? けど僕らからすればそれはただの判断ミスだ。契約は合意に基づく物でしかないし、取引を持ちかけている以上良心的と思って貰いたいな」

 何処までも平坦で、何処までも冷たく、何処までも嘲るようなその声に上条当麻は理解する。
 目の前に居るモノはそういう存在であり、そういう価値観しか持たないのだと。
 損か得か。ただそれだけを主軸とした価値観しか持たないのだと。

「それでも俺達は生きてんだ! お前らにとってはちっぽけで、それこそそこいらの石か何かと変わらないのかもしれない!!
 けど皆生きてんだよ。魔女になっちまった奴も、今戦ってる奴も、皆希望を持って生きてんだ! 絶望なんか望んじゃいねえ、手を貸しただの願いを叶えただの、押し付けがましいこと抜かすな!!
 俺達はここに生きている! 世界には希望があって、絶望を乗り越える為にもがいてんだ!」

 確かにこの世には絶望が満ちている。救いたいモノは掌から零れて行くし、涙や嘆きなんて、それこそ星の数ほどあるだろう。
 けれど。それでも生きたいという意思を、生き抜こうとする意志を、かけがいの無い者を守ろうとする意志を、ちっぽけだなんて上条当麻は言わせない。
 たとえ地獄の底に落ちても、そこから引きずり上げてやると。
 かつて救えない者を救った彼だからこそ、何処までも力強く宣言する。

「テメェらが何でも思い通りに出来るってんなら、」

 その声は高らかと。世界の全てに響く様に。

「まずは────その幻想をぶち壊す!!」
「……わけが、判らないよ」

 だが、それさえもこの相手には届かない。敵対だの何だのという関係も、恐怖も怒りも無縁の存在。
 インキュベーターは、訥々とソレを繰り返す。

「生きている? だから何だい? 生まれ死ぬのは生物のプロセスだ。円環の輪は壊せない。
 君は知らないかもしれないが、僕らはずっと君たちの歴史と関わり、有史以前からその繁栄を促した。僕達と契約し、犠牲となった事で人の歴史が紡がれてきたという事実を忘れていないかい?」
「……そんな事、ただの結果論じゃねえか」

 犠牲となった少女達。その一つ一つの絶望を見る事は、今の上条当麻には適わない。
 もしかしたら、そうする事が正しい選択だったのかもしれない。けれど。

「─────誰だって、絶望になんて染まりたくはなかった筈なんだ」

 たとえインキュベーターと拘わらなかった事で文明が築けなかったとしても、人は少しでも前に進もうとしただろう。
 何故ならインキュベーター自身が目的として挙げている。
 人の感情こそがエネルギーなのだと。そこにある希望と絶望こそが糧なのだと。

「絶望があるから、横に居る奴が助けに行く。希望があるから、手を取り合える。
 お前らはそれを────理解出来ないまま、遠いとこに行っちまったんだな」

 憐れむような、悲しむ様な声。怒りも敵対心も知らないまま、事実かそうでないか、何処までも合理性だけを突き詰めてしまった存在に、上条当麻は握りしめていた筈の右手を開く。

 彼は知ったのだ────こいつらには、拳を握る意味さえ無いのだと。

 だから、上条当麻とインキュベーターの会話はここで終わる。
 これより先、この特殊な生命体と相見えるのは上条当麻以外の誰かだ。
 もう二度と、二人が出会う事はない。何故なら。

「あッ!? な!?」
「ご苦労だったにゃー、カミやん。この手の相手は会話に持ち込んで足止めって言うのが常道パターンだからにゃー」
「……別に、計算でやってた訳じゃねえよ」
「そいつは良い。人間ってのは感情で動くもんだ。一々機械みたいに計算してちゃ、人生には面白みってもんが無くなっちまうからにゃー」

 言いつつ、土御門は捕獲用のケースに入ったキュゥべぇを覗きこむと、この白い生物にしか聞こえないように囁く。

「アレイスター=クロウリーが『窓の無いビル』の理念を元に再構築した特別性。
 内側は常に一定の細胞を破壊するように作られたおまけ付きだ。光栄に思え、この世界の科学の親玉が、お前の為だけに拵えた物だ」


     ◇


 それじゃ、積もる話もあるだろうから俺達お邪魔虫は一時退散するぜい、という言葉を残して土御門達は去る。
 後に残されたのは幻想殺しの少年と、膝をついて呆然とする少女。

「どうして……?」

 どうしてなのか。何故来てしまったのか、と少女はうわ言の様に繰り返す。

「……あたし、あたしは当麻に不幸になって欲しくなくて、その右手が無くなったら幸せになれるんじゃないかって、」
「……ばっかやろう」

 泣く様な、掠れるような少女の懺悔。決して不幸になって欲しくないと、その願いの裏に愛憎が隠れていたとしても、確かに事実だった奇跡の願いだった。
 だが、上条当麻はそれを否定する。

「確かに俺は不幸だった……けどな、俺はたった一度でも、後悔なんてしてないんだ」

 もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ、巴マミは助かっただろうか?
 もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ、絶望を撒く魔女を止められただろうか?

 もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ────美樹さやかを救えただろうか?

 もしも『幸運』にもこれらの事件に巻き込まれなかった時の事を考えるだけで、上条当麻は恐ろしいと感じずにはいられない。

「俺が『不幸』じゃなければ、もっと平穏な世界に生きていられたと思う。
 けど、そんなもんが『幸運』なのか? 自分がのうのうと暮らしている陰で別の誰かが苦しんで、血まみれになって、助けを求めて、そんな事にも気付かずに!
 ただふらふらと生きている事の何所が『幸運』だって言うんだ!?」

 誰から見ても『不幸』だった少年。誰にも理解されない理不尽な毎日を送り続けた少年。
 決して消える事の無い『不幸』な日々を生き抜いた少年は、自分の手を固く握る。

「こんなにも素晴らしい『不幸』を俺から奪うなよ! この道は俺が歩く。これまでも、これからも、決して後悔しないために!」

『幸運』なんて欲しくない。すぐ側で皆が苦しんでいる事にも気付けずに、ただ一人のうのうと生き続けるぐらいなら、『不幸』に苦しむ人々にいくらでも巻き込まれてやると上条当麻はひたすらに叫ぶ。

「『不幸』だなんて思っちゃいない! 俺は今、世界で一番『幸せ』なんだ!」

 そして、そんな彼だからこそ────

「莫迦……」

 ────美樹さやかは、上条当麻を好きになったのだ。

「莫迦だよ……覚えてないんだろうけどさ。ずっと変わらないんだもんなぁ」

 苦笑交じりに涙を拭い、さやかは当麻を抱き締める。

 今もはっきりと覚えている。借金苦に陥った男がさやかと当麻を攫い、追い詰められた男が上条当麻を刺した事を。
 あの日────本当に刺される筈だったのは、さやかの方だった。

 自棄になり、血走った目と荒いだ息で四つになるかという少女に迫った男を前に、震える事もなく身を呈して守った少年。
 何の力もない、自分と同じ小さいだけの、それこそ少ししか歳の違わないただの子どもは、倒れる事無く立ち続けていた。
 怖かったと思う。本当は倒れたかった筈だ。どうしようもない絶望。大人でさえ諦める状況で最後の最後まで諦めなかったヒーローの背中を、さやかはずっと想い続けていた。

「ありがとう────当麻兄ちゃん」

 正直、キュゥべぇの事や、契約の事なんて判らないままだ。
 何の説明もなく、ただ状況だけが過ぎて行った中で、何一つとして要領をない。
 それでも、一つだけ判る事がある。

 助けると、そう言ってくれたあの時の言葉が何よりも温かかったという事ぐらい。

「あの……正直呼び付けられた矢先にラブシーンを見せられちゃ、どうして良いか判らないんだけど」
「え!? うそ、マミさん!?」

 バッ!! とその場を飛び退いたさやかに突き飛ばされる上条当麻は、ゴロゴロとアスファルトを転んで電柱に後頭部を打ちつけられ、くぐもった声を上げて仰け反っていた。

「味噌が、味噌が出る…………」
「あの、当麻さん。痛いのは判りますが、正直どうして良いか判らないの。
 その頭の風通しを良くしたら、会話がスムーズになるでしょうか?」
「ノーですマミさん!! 何で怒ってるのか判りませんが、上条さんは改造手術を受けてる訳でも、アンドロメダに行ってもいないのでそういうのは勘弁して下さい!!」

 即効回復しつつ直立不動の体勢を取る上条当麻だったが、その横でさやかが先程までのしおらしい状態から一気に不機嫌なモノへと変わっていた。

「判らないって……ソレ本気で言ってんの?」
「え? いや、なんで?」
「私が言えた事じゃありませんが、さやかさんの事には気付いているんでしょう?」
「そりゃまあ、幼馴染的なあれでしょ? 抱きつかれたのは驚いたけど、兄みたいに慕われるのは悪いもんじゃないし」

「「「…………」」」

 さやかやマミのみならず、まどかさえこの時ばかりは絶句した。
 正直、何で気付かないのか全く分からない。そしてさやかとマミの怒りのボルテージも上限が分からない。

「いっぺん、」
「死んで出直しなさい」

 振りかぶるマスケット銃の銃床と拳。己の身に迫る暴力に、上条当麻は乾いた笑みを零す。

「「この朴念仁!!」」

 とてつもない快音が、日の暮れた夜に響き渡った。


      ◇


「つまり暁美ほむらは時間遡行者で、これまでは同じような事態が起きても信じて貰えなかったけど、新たに現れた上条さんや学園都市の介入によって成功の兆しが見えたから打ち明けたと。そういう事で良いのかしら?」
「は、はい……」

 顔面を腫らし、頭に巨大な瘤と作りつつ正座モードならぬ土下座モードで待機する上条当麻に、巴マミはティーカップを口に運びつつ説明を纏め上げた。

「けど、不思議ですね。さやかちゃんはともかく、わたしまで魔法の才能があるなんて」
「まあ……それに関しては本人に会って話をしてやってくれ。多分もうじき、」

「もう着きました」

 唐突に、これまでの流れを断ち切るかのような声で現れた暁美ほむらに一同は振り向くと、まどかを置いてその場を離れようとする。
 誰も語らない。何も語らない。それがこの暁美ほむらという少女に対する誠意だという様に、彼らはその場を立ち去ろうとするが、暁美ほむらはそれを止めた。

「いいの。私はまどかが魔法少女にならない結末になった事が嬉しいから、だからもう充分……それに、今まで親しくもなかった転校生が、実は友達だったんだって言っても、」
「友達だろ」

 本当に、何でもない事の様に、自虐的になったほむらを上条当麻は制した。

「お前にとって鹿目は友達だったんだろ? 何回も何回も繰り返して、救えなかった友達を救う為に頑張ってきたんだろ?」

 それは遠い過去。行く度のやり直しを繰り返してきた少女の始まり。
 本当の自分はただ身体の弱い内気な少女で、そしてまどかが輝く魔法少女だった。
 けれど運命は残酷で、最後の最後。最強にして最悪の魔女によって死んでしまったまどかを救う為に、暁美ほむらは戦うと決めた。
 繰り返す環。閉じられた時間は彼女とまどかの間に溝を作り、ついには今の様な冷たい関係になってしまった。
 ……けれど。

「誇って良いんだ。友達になれなくっても、これから先でなれば良いんだ」
「けど、私は間違い続けた。あの白い悪魔は言ったわ……私がやり直しを重ねた事で、螺旋状の並行世界を束ねてしまったって。
 そのせいで、まどかは魔法少女の才能にあふれちゃった……私がまどかの安否を気遣っちゃったから、まどかを中心軸に世界が一つになっちゃったって」

 失敗ばかりを重ねた時間。繰り返される『やり直し』の中で、事態はより深刻になって行くばかりだった。
 気付いた時にはもう遅い。避けようのない現実と絶望が、徐々にその壁を高くする。
 魔女を倒し、その絶望を引き受ける事で魔法少女は新たな魔女になる。
 あの悪魔はここでは無い世界で言った。
『君が、まどかを最強の魔女に育ててくれた』と。

「だから……俺がここに居るんだろ?」
「え?」
「お前の望んだ幻想は、こんな所で壊れやしない。だって鹿目は魔法少女にならなかったじゃねえか。
 居ない筈の俺がここに居るじゃねえか。お前の幻想は、絶望なんかに染まっちゃいない。
 ここから始めればいいんだ。間違いでも失敗でもねえ。希望を知らないなら俺が教えてやる! 俺達が魔女を倒せばいいんだ!!」

 下らない現実リアルも、絶望も、全部壊して進めばいい。暁美ほむらの幻想が奇跡を呼んだという事を証明すると、その決意と想いを込めて。

「本当に?」
「本当だ」
「倒せるの?」
「倒すさ」
「怖くないの?」
「怖くねぇ」

 強がりでも、行き当たりばったりでもない。ただそこにある奇跡を叶える為に。
 歪んだ幻想を砕く為に、上条当麻はほむらの想いに応える。
 奇跡を絶望で返す存在としてでなく、奇跡を奇跡で叶えるヒーローとして。

「なら……貴方を信じて見ようと思います」

 そうして、暁美ほむらは一歩前に進み出る。
 自分が友達として想ってきた少女。どんな事をしても救いたいと願った少女。
 いつか必ず救うと誓った少女の前に、初めて会った時の様な、おどおとした態度で。

「……今の話を聴いてても、実感ないって思うだろうし、貴女にとっての私は、ただの転校生だって事も判ってる」

 けれど。その想いは本当だから。
 彼女の信じてきた幻想は、今もしっかりと残っているから。

「判らなくてもいい……何も伝わらなくてもいい。それでも」

 どうかお願いだから、と。震える手で彼女はまどかを抱きしめる。

「────貴女を、私に護らせて」

 その言葉に、一体どれ程の重みがあるのか。どれ程の時間が込められているのか、まどかは判らない。
 ただこの時、彼女に判った事がある。

「ありがとう……ほむらちゃん」

 自分はこの時、ようやくこの友達と、再会する事が出来たのだと。



 そして、ゆったりとした動作で、名残を惜しむ様にまどかから離れたほむらは、上条当麻に頭を下げた。

「ありがとうございます……本当なら、上条さんは私達魔法少女とは関係ない筈なのに」
「関係ないって事はねえよ。あのマスコットに踊らされてたのは俺達人間皆なんだ。
 それに、お礼にはまだ早いしな。最強の魔女を倒してハッピーエンドって訳でも無い。その後は地道に頑張って行かなくちゃならないんだ。すぐに解放されるって訳でも無いんだろ?」

「はい────もしその日が来たら、その時は改めてお礼を。上条さん」

「………またか」
「……この野郎」

 これまでに見せた事の無い青春まっしぐらな、ほむらの笑顔にマミとさやかはコメカミに青筋を立てる。

「ところでさ」

““しかも流すのかよ””

 思わずため息をつく二人だったが、それも仕方が無いかと思う。
 こういう風に自分にも他人にも鈍感だからこそ、彼はここまでこう言う風に在る事が出来たのだろう。
 それを否定した所でどうにもならないし、欠点ぐらい受け入れてやるような甲斐性も無ければ、この相手と過ごすのは無理だ。
 だから、いつかは自分がという思いを胸に、彼女達は意中の相手へと耳を傾ける。

「その最強の魔女、何て言う名前なんだ?」

 その、あまりにも基本的な問いに、そう言えば語っていなかったと彼女達はくすりと笑みを零す。

「『ワルプルギスの夜』…………それが、私達が倒す魔女の名前です」


     ◇


『ワルプルギスの夜』……あまりにも強大であるが故に結界に隠れる事無く現出し、しかし人の目に映る事が無い故にその破壊は災害としか見なされない。文字通りの意味で最強最悪の魔女を前に、彼女達は立ち向かう。
 嵐の様な空。暴威を具現化した存在は突発的な異常気象と多くの者らに見なされ、市井の人間は避難を余儀なくされた。
 だが、ここに例外は存在する。たとえ戦えずとも、見守ろうとする少女。
 奇跡の結末を見届ける為に、何の力もない二人の少女は戦地に立つ者を見届け、その期待に応えるべく彼女達は死力を尽くす。

「行くわよ!!」
「まかせて!!」

 炸裂した大砲が豪雨の如く降り注ぐコンクリートの瓦礫を消し飛ばし、大型のタンクローリーや塗料で満たされたトラック、果ては輸送機までもがワルプルギスの夜に突っ込んでいく。
 彼女達の目的は一つ。上条当麻の右手が触れられるようにお膳立てをする事。
 上条当麻は人間だ。異能ではない物理的な破壊や暴力には対応できないし、右手だって手首から先までしか効果が無い。
 右手以外は何処までも普通な、ごく有り触れた高校生に過ぎない。

「ぐっ……あっ」

 吹き飛ばし切れなかった瓦礫の破片が肉を裂く。塗料を被った所以外、見えない相手に焦りを感じる。

 だが、それでも。何度傷つき、何度倒れかけても、上条当麻は駆け抜ける。

 辛くないと言えば嘘になる。あれだけの啖呵を切っても、全容の捉え切れない程に巨大な魔女を恐ろしいとは少しは思う。
 けれど、ここで止まる事だけは出来ない。
 絶望が運命だというのなら、運命を砕く。
 神が定めたシステムだというなら、そのシステムを砕く。
 踏み出す一歩は万感の思いを込めて。倒れそうになっても前を向き続けて。
 だが。

「な!?」
「え!?」

 二人の魔法少女が、今度こそ絶望に顔を歪める。倒壊するビル群。如何な奇跡を以てしても、この全ては決して砕けない。
 上条当麻は人間だ。どうしようもない位ただの人間だ。
 だが、ここで諦める事だけは、絶対にしない!!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 間に合えと。ただ駆け抜け突き進めと前に出る。
 どうしようもない『不幸』。何かが悪かったのではなく、運が無かったというだけの事。
 しかし、上条当麻は言った。誰かが絶望に倒れたなら、それを横で起こす者がいるという事を。

「まったく……ド素人がなに熱くなってんだか」

 風に靡くは赤髪のポニーテイル。燃える様な深紅の装束に身を包んだ少女は、片手に携えた槍でビルを吹き飛ばし、のみならず少年の為の道を作る。

「話は土御門とか言う奴から訊いてるよ……さっさと行きな、ヒーロー」
「ったく、どっちがヒーローだよ!!」

 真紅の魔法少女に軽口交じりに礼を述べ、上条当麻は最後の一歩を踏みしめる。
 たった一つの能力。日常を生きる上で、何一つとして役立たない右手。
 だが、この右手には確かなチカラがある。誰かを救う事が確かに出来る。
 
 強く、強く、強く────

 この右手を届かせる為に、上条当麻は手を伸ばす。
 この右手はその為にある。この右手は立ち向かう為にある。

「お前がどんな道を進んで、何に絶望したのかは判らない。
 けどな、お前の作った希望は確かに世界に届いたんだ! その絶望と同じだけの希望が、確かに世界に響いたんだ!! だからもう……お前は苦しまなくて良い!!」

 そして────この右手は、魔女を救う為にある!!

「絶望も後悔も要らねえんだ! お前が行かなくちゃいけないのは、もっと暖かくて幸せな場所なんだ!!」

 だから、上条当麻は拳を振り上げる。嘆きと悲しみで前の見えなくなった少女の為に。

「教えてやるよ、この世には奇跡も魔法もあるって事を!!
 お前が救われねえってんなら、絶望なんていう幻想に閉じ込められているって言うなら────」

  絶望という、真っ暗な穴に落ちた少女を引き摺り上げる為に!!

「─────その幻想をぶち殺す!!!!」

 そうして響いたのはガラスが砕ける様な音と、姿を保てずに崩れて行く魔女の叫び。
 真っ白に染まった世界の中で、しかし上条当麻は確かに見た。

 魔女は泣いている。
 ただ冷たく、重く、何よりも悲痛な声で鳴き叫んで暴れている。
 止められない自分を嘆いて。
 暴れるしかない自分を怨んで。
 今にも崩れる姿で、身動きの取れない上条当麻に手を伸ばす。

「く、っそ」

 だが、上条当麻には何も出来ない。それが右手を使っても完璧には崩せなかった幻想が原因なのか。
 それともこれがゼロ秒以下の世界だからかは判らない。
 ただその結末に、上条当麻は歯ぎしりした。敵わないからではない。泣いている女の子を救えないという、それだけの理由で。

「俺は、助けられねえのか……!?」

 血を吐く様な叫び。力の及ばない自分自身を、上条当麻は嫌悪し、

「いや。君は確かに救ったよ、幻想殺し。彼女を────そして私をな」

 その男とも女ともとれぬ声の先を、静かに見据えた。
 腰まで届く、色の抜けた銀色の髪。表情の窺えぬ端整な顔。緑色の手術衣だけを纏った特異な姿。男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見える奇妙な雰囲気の存在を。

「ここから先、彼女の苦痛を拭うのは私の役目だ。
 君は君の護る者の為に死力を尽くした……魅せられたよ、完敗だ。
 君の存在は私の人生における二度目の敗北であり、そして立ち上がる契機となった」

 声の主は構えさえ取る事は無く、手の指を動かして、ゆっくりと見えない物を掴み取った。
 パントマイムのような仕草の中に、上条当麻はおかしなものを知覚した。ある筈のない杖が滲み出た気がするのだ。いや、確かに現実世界には存在していない。にも拘らず気配や雰囲気といった未分類情報のせいで、『銀』という色までついた幻覚があるように見えてしまう。

「直接会う事は、もう二度とあるまい……故に君には感謝を、彼女には謝罪を送ろう」

 そうして、声の主は杖を軽く振るだけで魔女に引導を渡すと、静かに声を漏らす。

 ありがとう。
 さようなら。
 ごめんなさい。

 子供の様にも、大人の様にも聞こえる声で、たどたどしい言葉を紡いだ。
 まるで遠い日。まだ幼かった頃に帰る様に。

 世界が再び色と景色を取り戻し、上条当麻が自分は瓦礫の上に寝転がっているのだという事をようやく知覚した時には、あの声の主は何処にも見当たらなかった。


     ◆


「……わけが、判らないよ」

 夥しい機械に埋め尽くされた一室。より高度な次元と技術のもとで生きてきたであろう白い生物、インキュベーターは己の及びもつかない世界に言葉を零す。

 この部屋には窓がない。
 ドアもなく、階段もなく、エレベーターも通路もない。建物として全く機能する筈のないビルの中、インキュベーターはこのビルと同じ論理で創られた黒い半透明のケージに拘禁されていた。

「その問いには疑念が含まれているようだが、何を以てそのような言葉を紡ぐのか訊きたいな」

 声は部屋の中央にある巨大なビーカーから響いた。
 直径四メートル、全長十メートルを超す強化ガラスで出来た円筒の器には、赤い液体が満たされていた。
 ビーカーの中には、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いている。
 それは『人間』と表現するより他なかった。銀色の髪を持つ『人間』は男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えた。
『人間』としてあらゆる可能性を手に入れたか、『人間』としてあらゆる可能性を捨てたか。
 どちらにしても、それを『人間』以外に表現する言葉は存在しなかった。

「君たちは何故僅かな犠牲に目を背けられない? 他者を犠牲にする事で発展を遂げる事を苦とも感じないというのに、何故僕らには『敵対』という感情を示すんだい?」

『敵対』……その言葉の意味を知りつつも、理解する事の叶わない生物は、疑念という形で問いを投げた。

「私には繁栄も未来も興味として持ち得ない。
 私が望んだのは君達という種の『打倒』であり『根絶』だ」
「それこそ、わけが判らないよ。君たち……否、君は『繁栄』にも『未来』にも興味が無いと言う。なら望むのは世界の破滅かい?
 だが、それなら君は何故『ワルプルギスの夜』が倒されるのを是とした?」
「破滅が望みではない」

 その疑問にさえ、声の主、学園都市統括理事長、『人間』アレイスターは否定した。

「私が望んだのは、先に述べた通り君達という種の『打倒』であり『根絶』だ」
「…………」
「君は恨みという感情を知っているかね?」
「人間が自らの過ちを認められなかった際に起こす、感情の爆発、或いは蓄積だろう?」

 さも当然だと、それこそが全てで有り真実だろうと、機械の様に坦々と語る。

「ふむ。それもまた一理。
 しかし君は大前提が抜け落ちているな。そも、恨みとは憎むべき『対象』が居てこそ初めて形を為す」
「それが君にとって……僕らだったと?」

 そうだ、と。これまで一切の感情を欠いた声の、ある意味目の前の白い生物と同じ視点で語っていた筈の存在が、そこに確かな感情の起伏を見せた。

「私は君たちを知っていた……その存在を知り、知覚し、認識した時、私は一度目の敗北をした」


     ◆


 それは厳格な十字派の教徒、俗世の欲を棄てたと自称する近代魔術結社の中で生きてきたアレイスターの過去。
 アレイスターは敬虔なる十字教徒であり、歴代最高の魔術師だった。
 誰よりも苛烈な修行と研究を重ね、世界を混沌から救おうとする青年だった。
 弱き者、貧しき者に手を差し伸べ、世界に神の愛を広めんとした信徒だった。

 そんなアレイスターが、自らと同じ志を持った少女に出会えた事は、確かに奇跡だっただろう。
 少女は自分の様な天才でも、秀才でも無かった。ただ優しく、暖かい心のまま、教会に孤児として迎え入れられた少女は日々の祈りと献身に身を捧げ、いつの日か世界を救おうと外へ出る事を胸に誓っていた。
 その在り方……その存在が何者よりも美しいとアレイスターは感じ、そして少女の夢を共に歩みたいと誓い、願い、許しを乞うた。
 少女にとっても、それは幸運であり幸福あったのだろう。
 途方の無い夢であっても、そこに同じ志があるのなら進む事が出来ると。そう笑う少女に、アレイスターは歓喜した。

 ……だが。その夢は思わぬ形で叶い、そして絶望を与えた。

 魔術の薫陶を受けたアレイスターにとって、見えざる物を見る事は容易い。
 そうして、何時の間にか少女の方に乗った白い生物を見、その真相を尋ねた時、彼の胸には言い知れぬ不安がよぎった。
 何事にも対価という物はある。確かに死すべき時まで戦う事は苦痛だが、決して救われぬ程の悲劇に彩られた国々を救う事など、果たしてできるのか、と。

 ……そして、その疑念は正しかった。

 希望に満ちた国々は疫病と紛争で死都と化し、少女は魔女になってしまった。

 アレイスターは膝をつき、白い生物を探す為に奔走するも、一度として見つけ出す事は叶わなかった。
 当然だろう……本来あの白い生物は知識も何もない無垢な一般人こそを標的とする。
 魔術師などという専門家を前には、タネが見破られてしまう事が判る位の脳は持ち合わせている。
 故に、アレイスターは挫折しかけた。今の自分では駄目だと、如何に天才だの何だのと言われようとも、結局はこの程度だったのかと膝をつきかけ、そこではたと思い至った。
 何故あの生物は、結社の結界の中を自由自在に入ってこれた?
 疑問を形にするより早く己が出た教会より戻り、そこで新たに憑かれた少女を見た。

 そう……結社の人間も噛んでいた。

 彼らは世界中から効率の良い素体を集め、その白い生物を研究せんがために犠牲を是とした。
 結社は……悪魔に魂を売ったのだ。

 結果だけ見るならば、何と言う事は無かった。教会の有象無象は元より、未知の技術、未知の文化を持つ生物とて、所詮は生物でしか無かったと。
 死に体の生物に杖を突きつけ、その意識を直接脳から死ぬまで覗きこんだとき、アレイスターは今度こそ絶望した。
 この一匹だけではない……そして、この生物は今のままでは打倒出来ない。
 有史以前より人間へ干渉してきた影の支配者。人という種の侵略者。
 これらを打倒するには既存の法則では不可能だと悟る。魔術も科学も、その全てがこいつらの劣化コピー。如何に知識を付け、新たな法則を導こうと、土台そのものが歪んでいる以上勝ち目はないと、アレイスターは完全に膝を折った。

 そう……アレイスターはこの時敗北し、そして立ち上がる事さえ出来なくなった。


 やがて時が過ぎた。世界最高の魔術師であったアレイスターは、『ワルプルギスの夜』が如何なる存在かに気付き、その絶望諸共心身を引き裂かれた。

 アレイスターには彼女を狩れなかった。魂を抜かれた少女を救う事は出来ても、どうしても彼女だけは狩れなかった。
 思い出されるのはかつての笑顔。アレイスターにとって彼女は被害者であり、害悪を撒き散らすしかないと知っていても、どうしても狩る事は出来なかった。

 死に絶える筈だった命。無為に消える筈の命は、しかし一人の医師に助けられる。
 カエル顔のその医者はアレイスターを助け、そして人生の指針を示す。
 それは何気ない一言。もし今までの技術が無意味だと知った時、医者ならどうするかという単純な問い。
 それに、カエル顔の医者は真顔で応えた。

『既存の法則が無駄なら、新しい法則を作って旧い物を壊せばいい。ボクなら、決して諦めはしないよ』

 その言葉に、アレイスターは天啓を得、再び立ち上がる為の力を得る。

 
 ────そうして、アレイスター=クロウリーの復讐が始まった。


     ◆


「人は絶望に至った際、自ら起きる事が叶わずとも横に居る誰かが手を差し伸べてくれる。
 私は友からそれを学んだ。
 そして……この都市によって君たちを超える存在を作ることにも成功した」

 それこそが超能力者。契約でも魔術でも無い第三の存在。新たなる法則を生みだす為にアレイスターが求めた存在。
 そして『幻想殺しイマジンブレイカー』。アレイスターが求め、アレイスターが欲した究極……やがてアレを用い『神上』に至る事で既存の法則を破壊し『神浄』となることでこの星、否、宇宙からインキュベーターを駆逐する。

 それこそが、アレイスター=クロウリーが描いていた筈のプランだった。

「馬鹿げている……僕達を超える何かで僕達に勝つつもりかい? 僕達なしでは未だに洞窟の中で裸で身を寄せ合っていたかもしれない君たちが?」

 その言葉、傲岸としか取れない発言に、アレイスターは確かな笑みを作る。
 そう……何者にも見える表情では無く、確かな笑みを。

「確かに君たちからすれば、我々は家畜も同然だろう。だが、君たちは過ちを犯した」
「過ちなんて犯していない」

 そもそもインキュベーターにあるのは理に適うか否か。過ちなどという物は、所詮精神疾患か何かでもない限り起こり得ないと考える彼らにとって、起こり得ないと思いこむが故に、気付く事は決してない。
 アレイスターにとって、それは何よりも痛快だった。

「君たちは私達を知的生命体だと認識した……そして、感情という物を持つという事も」

 それがどうしたという目でインキュベーターはアレイスターを見、
 それこそが答えなのだとアレイスターは語る。

「人は成長する……起こした過ちも、失敗も、涙さえも、それが次へと進む為の礎となる。
 自称『完璧』な君たちでは───決して判るまいがね」

 そうしてアレイスターは、ここに最大のタネをばらす。

「暁美ほむら……因果を束ねた彼女は結果として、鹿目まどかという存在を宇宙の法則を捻じ曲げるまでに昇華した。
 だが、鹿目まどかの力は未だ残ったままだ」

 コンソールが動き、そこに新たな画面が切り替わる。
 内容は『転入手続き』。
 そして……『「最終能力レベル7」移譲化計画』

「まさか……彼女の力を!?」
「宇宙の法則さえ捻じ曲げかねない力。二百三十万の頂点に立つ『一方通行』の二つ上。
『神上』の工程さえ飛ばし、『神浄』へと至る奇跡の存在」

 その計画。その道筋を、インキュベーターは否定する。

「不可能だ。あれは鹿目まどかという存在が並行世界の集合体として存在しているから内包出来ているに過ぎない」
「所がそうでもない。確かに力を得た事によって私という存在は消えるだろう。
 だが、私の奇跡までは消えんよ。力は確実に作用する。
 さらに言えば、今の彼女は魔術よりでも科学よりでも無い『才能の塊』。
『開発』が失敗する事もなく、能力の移譲も大能力レベル4までは成功した」

 後は機を見て無能力者扱いにする事で日常に送り返せば誰も苦しまない結末だと、そう楽しげに語るアレイスターに、感情からでなく本能でインキュベーター戦慄を覚えた。

「狂っている…………何が君をそこまで動かすんだい?」

 それに対し、アレイスターは何処までも楽しそうなままだ。歓喜と喜悦に歪んだ、それこそ真の意味で『人間』足り得るアレイスターは、勝ち誇ったように語る。

「それが『感情』だ」

 勝利宣言と共に、土御門がイギリス清教の神父を連れて入ってきた。
 インキュベーターの身柄と詳細の収められたデータを確保しに来たのだろう。これで魔法少女との約定は果たされたも同然となった。
 どうやらこの長く無駄な話もここまでという事らしい。最後にアレイスターは、こんな事を口にした。

「君たちが魔女にしてしまった存在だが……イギリス清教のみならず他の魔術結社にも危険だと判断された。倒滅されるのは時間の問題だろう。
 尤も、私が私のプランを完成させた暁には彼女たちの救済の道も用意しておくがね」

 だから安心して滅びろと────アレイスターは不敵に笑う。

 後に残された場所には何もない。
『人間』アレイスターは静かに目を閉じ、『ワルプルギスの夜』に……最愛の少女に引導を渡した日を思い返す。
 あの日……アレイスターは必要のない事をした。この培養液の外に出ればアレイスターの存在は明るみになる。
 態々危険を冒してまで出て行く必要は何処にもなかった。

 だが……もしあの選択をしなければ、アレイスターは自分が失敗し続けただろうと確信が持てる。
 あの日、自分は自らの足で進む事を選んだ。そうする事で、救えなかった少女を救う為に。
 鮮明に思い出せる。あの幻想殺しの少年の言葉。何気ない一言で、自分は動くと決めたのだ。

「奇跡も魔法もある……か」

 そうだ。奇跡も魔法も確かにある。絶望など用意せずとも、それだけで確かに人は確かに救える。
 それに気付けたからこそ、自分は幻想殺しを利用する事を止めた。
 その道には犠牲があり、絶望があり、苦しみがあると知っていたから。
 だからこそアレイスターは、この選択を悔いてはいない。
 この選択にこそ胸を張って進めるのだと、そうアレイスターは言い切れるのだ。


      ◆


 これより先の物語を語る意味はない。

 アレイスターは勝利し、インキュベーターは敗北した。
 それが正しいのか、間違っているのかは第三者の判断に任せよう。

 最後に言える事は一つ。『人間』は『侵略者』に勝利した。

 これはただ、それだけの結末なのだ。









     ×××


 はい、ツッコミどころ満載な内容で言いたい事は色々とあると思いますが、取り敢えず短編集も三作目(ネギま!のトサカさんが主役の別枠のも入れれば四作目ですが)になります。

 まどかと禁書は上条さん繋がりで想像した方も多いのではと思いますが、作者もその例にもれずやっちまいました。

 しかし、結末を見ればアレイスター勝利エンド。ぶっちゃけ、上条さんよりこいつの方が目立ってんじゃんと思われそうですが、この作品を書くに当たってどうしてもやりたかったのは

 ○魔法少女全キャラ救済ルート
 ○キュゥべぇへの右ストレート
 ○アレイスター勝利エンド

 の三つなので、作者的には意外とやりたい事をやれた感じです。
 特にアレイスターは原作を見るとどんどん追い詰められてる感じだったので、どうしても活躍させたかったというのが大きいです。


 しかし……ハーレムって書き辛い。一体どうすれば納得のいくハーレムが出来上がるのか。上条さんの求心力と説教がナチュラルに書けない駄作者っぷりが恨めしいです。
 次に上条さんを書く機会があれば出直して来ます。


 最後に。今回まどかと禁書をクロスさせるに当たって、設定を多く変えていますが、気に触った方がいらっしゃいましたらごめんなさい。

 ……特に幻想殺しと幼少期上条さんとアレイスター。
 ほむらなんかはラストで時間停止使ってませんでしたし。

 本当に申し訳ありません。


 それではまた機会がありましたらお会いしましょう。失礼致します。







[24770] 【短編】【一発ネタ】彼がその拳を得た理由(とある魔術の禁書目録×ベン・トー)
Name: c.m.◆8bd4fd3f ID:b6ef5ae8
Date: 2012/09/10 19:44

※この作品にベン・トーのキャラクターは登場しません。
 それでもいいという方のみ、ご覧ください。

     ×××





 学園都市。東京西部に位置する完全独立教育研究機関であり、総面積は東京都の約三分の一に相当する、総人口約二百三十万人の巨大都市。
 あらゆる教育機関・研究機関の集合体であり、都市の内外では数十年以上の技術格差が存在すると言われる場こそ、彼が本来生活する場である。

 そこに、ある少年がいた。年の頃は未だ幼さが残っており十四か五といったところか。
 服装こそ学園指定のものである反面、その特徴的なツンツン頭は生来のものではなく、最近になって髪型を気にし出した思春期特有のものであり、塗り慣れてないワックスからも背伸びをしていることが判る。
 そんな彼が、一人で足を踏み入れたのはある意味において非常に似つかわしくない場所であった。
 並べられた惣菜、パックに包まれた魚介類にややきつめに効いた冷房。
 日常において主婦たちが集い、戦い、死闘を繰り広げる決戦の地……スーパー。
 そんな場に少年……上条当麻は訪れた。
 事情を知らぬものが見れば、家族にお使いでも頼まれたのかと訝しむやもしれないが、ここは学生であれば誰もが寮か、或いはアパートへ通う学園都市。
 当然ながら親元を離れた彼がお使いなどする必要はない。
 ではなぜそんな彼がこんな場所をたむろしているのか。

“ああ……くっそ。やっぱ自炊しないときついよなぁ”

 ここ、学園都市は先に述べた通り学生たちは寮やアパートにて過ごす。それはつまり、一人暮らしをする学生もまた存在するということである。
 そして、上条当麻はつい最近になって高校生となり集団生活の寮から一人暮らしという、ある意味これまで経験したことなない者にとってはある種の憧れともいうべき場所に移ったわけであるが……。

“けどなぁ……いきなり自炊とか無理だろ”

 当然ながら、家庭科の授業ぐらいしか包丁を握ったことのない男子に料理スキルなど期待する方が酷というものである。
 よって、必然的に夕食は出来合いのものとなる訳だが、ファミレスに毎日通えるほど、彼の奨学金は多くないし、仕送りもまた同様である。
 当然、取るべき選択肢は限られ、朝と昼は半額のパンと学食……そして夕食は。

“今日は……ついてねぇな。二つしか残ってねえじゃん”

 心の中で愚痴を零しながらも、日清のカップヌードルを手に取りつつ時間を確認する。
 カップヌードルは確かに美味い。数十年以上の技術格差が存在すると言われるこの場でさえ、その魅力と信頼は絶大だ。だが思春期真っ盛りなこの身体ではカップヌードルひとつで腹は満たせない。故に、彼は静かに時間を待つ。
 並べられた弁当が、一定の時刻を過ぎることによって価格を落とすその時。
 お財布に厳しい学生たちが手を出すことなく売れ残りながらも、時を刻むことによって瞬時に垂涎の的として存在するその時。

 ────半額印証時刻ハーフプライスラベリングタイムを。


     ◇


 コチコチと、デジタルの時計がまるでアナログになったような錯覚を生む。
 空腹に胃が鳴りそうになるのを感じつつも、それを表に出そうとはしない。
 まだだ……まだなのだ。未だ割引として張られたシールは三割引き。ここで腹の虫を鳴らせば、確実に足元を見られる。
 これは意味のない行為なのかもしれない。既に常連と化している彼が、否、彼ら・・が何を狙っているかは周知の事実だ。
 だが、仮にそれがなかったとしても、ここで腹の虫を鳴らすような真似を彼はしない。
 空腹は伝播する。飢えはさらなる餓えた獣の本能を掻き立て、戦いはより熾烈を極まるだろう。
 余裕があれば、それもまた一興と腹を括ったろうが、残された弁当は二個……しかもここ数日の上条当麻の食事は日清のカップヌードルに絞られている。
 そんな彼が、目の前に存在する弁当をみすみす逃すという選択肢があるかと問われれば、それは間違いなく否だ。
 こってりと脂の乗った豚の角煮……黒ゴマと梅干を載せられた白米は、レンジで温めればさぞ芳醇な香りが鼻腔をくすぐるに違いない。
 来るべき時を待つ。一秒、一分……時間が恐ろしいほど長く感じられながらも、しかし確実に刻まれているのを感じる。コンマ一秒の時差も許さぬ腕時計が来るべき時刻を刻んだとき、それは訪れた。
 おそらくは五十は過ぎているであろうエプロン姿の……しかし日頃の作業によって逞しく発達した二の腕を半袖から覗かせ、シャツの内からはち切れんばかりの大胸筋をアピールする男が、シールを片手に現れる。

 ────同時、店内の空気が変貌した。

 効きすぎた冷房では、このこめかみを伝う汗を止められない。一切の埃も許さず、完全に磨き抜かれた床が電灯によって幾人もの客の姿を反射させていながらも、ここがまるで魔獣の胃袋の中にいるのではないかと言うほどの黒く淀んだ空間を幻視させる。
 忘れてはならない。ここは既に狼たちの領域だということを。
 そして刻め。あのシールが張られるその時こそ、この地が地獄と化すことを。
 電子の機械の如くレジ打ちを高速で行い続けるパートの手が震え、経験不足なアルバイターは失神さえしかねない。
 ペタリ、と。ただシールを張るだけの単純な行為が、この場の重圧を格段に上げる。
 僅か二つ……ただそれだけの数にシールが張り終わり、しかしここで飛び出す者はいない。
 戦いの始まりは、店員が完全に姿を消したその時なのだから。

 ────そして、地獄の釜の蓋は開いた。


     ◇


 二メートル級の巨漢が、痩せぎすな学者風の少年が、個々人の戦力の彼我にかかわらず高らかと宙を舞い、或いは雪崩に巻き込まれるように踏み潰される。
 いったいどれ程の人間がこの限られたスペースに存在していたのか。そしてそんなにも弁当が欲しいのかこいつらは!?
 と、店員たちはレジからこの地獄絵図を眺める。
 当然だ。自炊もできず金もない。料理を作ってくれる彼女もいないという哀れな男たちにとって、半額弁当をたかが弁当と罵ることなど断じてしない。
 血走った眼光はさながら猛禽。駆ける足は四足獣の如く、この僅かな決戦の時、彼らは餓えた獣と化すのだ。
 そして……この学園都市において何よりも恐ろしいのは、体格に優れた人間ではない。

「ぬお……!? 電撃かよ!?」

 全身を痺れさせながら床を転がる男が、無情にも後続の者たちによって蟻のように踏み潰され、止めとばかりにスーパーの入り口まで敗者は去れと言わんばかりに吹き飛ばされる。
 超能力……この学園都市は、一部でこそあるものの、そうした能力を使用することのできる者が存在する。
 とはいえ、そうした者らは多大な奨学金や上位の学校への進学が決まっているため、こうした場に来ることはまずない。能力者のレベルでいえば、精々1か2程度だろう。
 だが、そうした者らだからこそ油断はならない。火力が低いからこそ、他の商品に飛び火することはない。小規模だからこそ、発見は困難。
 平時であれば中途半端であり、上にも下にも見向きされない者たちは、しかしこの場において真に恐るべき影無き暗殺者へと変貌する。
 ある者は火傷を負い、ある者は金縛りに遭いながら、一人また一人と脱落していく。学園都市における大半は無能力者……レベル0であることを考えれば、これほどまで待つ者と持たざる者の差を痛感したことはなかっただろう。
 弱者は餓えていればいいのか? ただ床を舐め、スーパーの軽快な音楽を鎮魂歌に地に沈むしかないのか?

 だが……それに異を唱える者はいた。

「どけぇぇぇぇぇぇ………………………………!!!!」

 金縛りを、電撃をものともせず、突き進むのは幼さの残る少年。支給されたばかりの制服を擦切り、焦げ付かせ、髪を乱れさせながら、それでも彼は突き進む。
 そして、背後から掌に込められた電撃を右手で払いながら、カウンターとばかりに素人くさい拳で迎撃しつつ、地に伏せる者らに言い放つ。

 てめえら、それでいいのかよ、と。

「確かに俺たちは無能力者レベル0だ。だけどな、それで止まっていいのかよ!?」

 地に伏せる者らは未だ戦いながらも叫ぶ少年を見る。お前もまた敵だろうが、敗者の屍は越えていくべきだろうと。

「判ってる。確かにここにいるのは自分以外全員敵だ。だけどな、なに途中で諦めてんだよ!? なに中途半端にギブアップしてんだよ!?」

 これがただ勝負に敗れた問いだけならば、上条当麻は何も言わない。
 弱肉強食はスーパーの掟。限られた中だからこそ、勝利の味はかくも美味い。
 だが、だからこそ。

「能力が強いから? 一度膝を折ったから? ふざけんなよ! 俺もお前らも、能力者も無能力者も、皆同じだろうが!」

 彼は強く、これまで殆ど喧嘩さえしてこなかったその拳を、おそらくこの時初めて握る。
 諦めるなと。最後まで戦い抜いてから、この舞台スーパーを去れと。
 でなければ、納得などできない。勝利の味を噛み締められない。

「立てよ────腹が減っているんだろうが!!」

 同時、放たれた右拳によって、巨漢が宙に浮き、重い音を立てて沈む。
 空腹による限界を越え、裡に眠る身体能力が解放される。これまで、ただ能力を消す程度の力しかなかった、それこそ平凡なだけだった右手。
 何の力もなかったその右の拳が、今このとき真価を発揮した。
 それを見たとき、無能力者たちはよろよろと立ちあがる。既に弁当コーナーからは遠く、どうやって間に合わない。
 だが、もしかしたら。もしかしたらという一念が彼らを突き動かす。
 元よりここに集った理由は一つ……そうだ、彼らは………………

「────ただ腹が減ってるだけ。その通りだ、カミやん」

 天啓の如く光の差し込んだスーパーに、何処までも軽快な声が響く。

「……土御門」

 数多の能力者を地に沈めながら、上条当麻の友人、土御門元春はそこにいた。

 己こそが、この決戦の舞台スーパーの最後の敵だと言うように。


     ◇


「おまえ……何で。つか、舞夏はどうしたんだよ。あいつなら料理ぐらい!?」
「何処でうちの妹と知り合った!? つか、さり気に名前呼びする仲かこの野郎!!」
「うお!?」

 プロボクサーもかくやという拳を放つのを紙一重で回避しつつ、弁当を狙うべく位置を切り替える。

「舞夏は二日はこれねえんだよ!! そんな訳で弁当は頂いていく!!!!」
「大人気ねえなオイ!? つか二つあんだろ!?」
「生憎ルールがどうとか言ってられないんだにゃー……!! 弁当一個で持つかこの野郎!!」

 痛烈な連撃を致命傷にならない範囲で回避しつつ、しかし土御門以外の連中が弁当を手に取ろうとするのを阻止する。
 やがて埒が開かないと思ったのだろう。何より閉店まで時間はない。土御門の空気が変わり、かつてない重圧を見せる。

「────悪いが潮だ。こればかりは確実に頂いていく。
 十秒。耐える事ができたら、誉めてやる」

 瞬間、これまで目にしたことのない独特の歩法で間合いを詰め、のみならず四方より迫る男たちが地に沈む。
 同時、ガクン、と上条当麻の身体が沈む。狙いは顎……プロボクサーが敵の脳震盪を狙うのと同じく、正確無比に捉えた一撃は地面との抱擁を確定的にさせ……。

「な、めんなぁ…………………………!!!」
「な!?」

 寸でのところで持ちこたえた上条当麻に、土御門は驚愕する。脳への衝撃を最小限に抑える為、当たった直後に顎を肩で固定したのだ。
 無論、格闘技の経験などない上条当麻にそんな知識があったとは思えない。おそらくは咄嗟の判断だろうが、だからこそこの少年の裡に眠るセンスには感嘆の念を禁じ得ない。
 だが、土御門は手を緩めない。起き上がろうとする上条当麻の後頭部へと肘打ちを決め、今度こそ意識を刈り取らんとすべく追撃の蹴りを放つ。

 そして、誰もいなくなった戦場で、土御門は弁当を二つ・・取ろうとする。
 先の言通り、次の日の分も考慮してのことだろう。通常の人間であればその行為に問題はない……しかし、この決戦の舞台スーパーにおいてそれは重大なルール違反。
 二つ以上の半額弁当を取ってはならないという暗黙の了解に反している。
 それをこの場の空気から知ってなお、土御門元春は二つ取る。戦いにおいて、勝利こそが全てだと知っているから。
 如何にルールに反してでも勝利を掴む。それが土御門元春の戦闘スタイルなればこそ。

 土御門元春は────この舞台スーパーでは決して勝てない。

「ここの掟が……判ってねえな」
「……………………!?」

 既に死人と化した者らがむくりと起き上がり、土御門を拘束する。無論、それは彼の実力をもってすれば瞬時に振り解けるものだ。だが、彼は背中に冷たい汗を感じ取る。
 今、蹴り飛ばした相手の瞳が、まだ生きていることに………………!!

「弱きは叩く────」
「────豚は潰す────」
「────それが────」

 声が唱和する。この舞台スーパーにて、上条当麻が最初に受けた洗礼を、己もまた一匹の狼として口にすべく、呼気をため、拳を握る。

「────この領域のルールだぜ、土御門」


 突き上げた右拳と共に、半額弁当を高らかと掲げる。

 この日、この時を以て上条当麻の拳は完成した。

 神の奇跡さえ砕き、これより幾多の窮地を踏破する右手────

 ────幻想殺しは、こうして完成したのだった。


     ◇


 満身創痍となりながら、上条当麻は帰路に着く。さすがに体もボロボロであるし、寮に返れば土御門から再度襲撃を受ける可能性もある。
 既に体は限界であり、気を抜けば意識が飛びかねない。よって、公園で食べるべく歩を進め、

「あーもう! 黒子の奴、しつこいのよ、お陰で夕食も食べ損ねちゃうし。って、あ! ごめん!」

 曲がり角にてぶつかった少女によって、完全に崩れ落ちた。

「ちょっと、大丈夫!? ていうか……え?」

 力尽き、地に伏せる上条当麻。しかしその手は弁当を守り抜こうとしたのだろう。
 ヘッドスライディングを決めるがごとく受け止めた半額弁当は、見様によっては少女に手渡そうとしているようにも見える。

「え、その、何で? ひょっとして、くれるの?」
「ああ、」

 喉から声を出すのも限界だっただけなのだが、少女はそれを了承と見たのだろう。戸惑いからか気恥ずかしさからか、そっぽを向きながら慌てて駆けだす。

「一応お礼言っとくわ……! 今度会ったら、なんか奢るわよ!」

 たったった、と軽やかな足音と共に少女が去るのを失意と共に見送り、アスファルトに身を投げ、倒れ伏す。もはや口癖である『不幸だ』などと呟く余裕はない。
 上条当麻がこの日より心からあることを誓うのだった。

 ────明日からは、自炊しよう。と。


     ◆


 夥しい機械に埋め尽くされた一室。窓も、ドアも、階段も、エレベーターも通路もない。建物として全く機能する筈のないビルの中、直径四メートル、全長十メートルを超す強化ガラスで出来た円筒の器は、赤い液体が満たされていた。
 ビーカーの中には、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いている。
 それは『人間』と表現するより他なかった。銀色の髪を持つ『人間』は男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えた。
『人間』としてあらゆる可能性を手に入れたか、『人間』としてあらゆる可能性を捨てたか。
 どちらにしても、それを『人間』以外に表現する言葉は存在しなかった。

 その中で、『人間』アレイスター・クロウリーは静かにコンソールを動かし、映像を見やる。
 己が計画の要、上条当麻の拳に力が宿ったことを確信し、満足げに頷こうとして……。

「……………………」

 ふと、それが目に付いた。土御門元春が必殺の右拳によって吹き飛ばされ、錐揉み回転しながらも『ここが逃走経路だ!』と言わんばかりに掴み取った品が収められ、置いてきたスーパーの袋。
 そこに込められた意味と、究極的なまでの汚れ役を負わされた仕返し。

「箸が…………使えん……………………………………………………………………」


 ────この日、アレイスター・クロウリーは人生二度目の敗北を迎えたのだった。







×××

※当然かつ納得の突込みがあったため、最後の部分だけ修正しました。烏賊様刻様、ありがとうございます。



[24770] 【短編】【一発ネタ】輝きを求めて(Dies irae×ジョジョ第2部)
Name: c.m.◆71846620 ID:b6ef5ae8
Date: 2013/01/18 23:07
前書きと注意事項

 ※前回うpしたものの修正版となりますが、主役は獣殿ではなくルサルカになります。
  すみません、獣殿はチートすぎたので、思い切って主役を交代しました。

本作品はDies iraeとジョジョの奇妙な冒険第2部のクロスオーバーとなります。
 本編に入る前に、皆様にこの場を借りて矛盾点の説明をさせて頂こうと思います。

 Dies本編において黒円卓初期団員が集ったのは1939年12月25日であり、ジョジョ第2部は1938年からのスタートとなる訳ですが、両作品の擦り合わせを行う為、第2部の事件を1939年12月25日以降という形にしています。

 クロスオーバーを嫌う方。上記の矛盾点を許容出来ない方には、本作品を読む事をお勧めできません。
 それでも構わないという心の広い方は、本編をお楽しみ下さい。


     ×××


 第一次世界大戦の敗北により、貧困と絶望に喘いだドイツ帝国は一人の指導者によって不死鳥の如き復活を遂げ、数年足らずで世界覇を唱えんと大帝国へ躍進した。
 ドイツ第三帝国……今や欧州はおろか、世界全土においてその国家を脆弱と軽んずる国は存在せず、畏怖と驚異の対象として見られる欧州を包む炎。
 科学のみならず、魔術、超能力といった分野にさえ手を伸ばし禁忌にさえ触れることを厭わぬ国家。
 その国家において、ある機関に所属する女性がここメキシコ秘密基地を訪れていた。

「ふーん。確かに異常よね。柱に人が埋まってるなんて、巷で流行ってる伝奇小説にもないネタだもの」

 厚さ五十センチにもなる鋼鉄版のシェルターに隔たれた向こう側へ、まるでショウウィンドウに飾られたドレスを見つめるかのように、女性は興味深げに眺めている。
 とはいえ、そんな女性を見つめる周囲の視線は奇異か、或いは落胆を含んだ物だったが。

「おい、話が違うぞ」
「私に振るな……」

 ぼそぼそと科学者や控えの兵たちが囁くのを、女性は当然聞き取ってはいたが無視する。
 というより、そんな周囲の声よりも目の前の存在の方がはるかに重要なのだ。
 とはいえ周囲……男達の落胆は致し方ないとも言える。
 ドイツ古代遺産継承局……通称、アーネンエルベ機関よりこの柱に埋まった奇怪な存在の調査の為に派遣されたという女性は、送られてきた資料とはあまりにもかけ離れていた。
 端的に言って、年齢が違う。経歴や身分証明として同封された写真と、今の彼女とではあまりにも齢が離れている。
 モノクロ写真に写る女性は、妖艶にして蠱惑。特殊な性癖でも持たぬ限り、世の九割近い男性が振り返るであろう絶世の美貌とプロポーションを持つ存在が、何を間違ったのか二次性徴さえ終えていない少女としてやってきたのだ。
 当然、将校に宛がわれた侍従以外の女性を目にする機会のない男達の落胆は凄まじく、一部に至っては目に見えて肩を落とすものまでいる始末だ。

「大体、何故あんな子供が?」
「写真は顔立ちが似ているところから言って、親か姉だろう……まあ、アーネンエルベは物好きな蒐集家の集まりのようなものだ。
 上層部が気に入って取り立てたか、貴族位出身の子が箔を付けたいがために遣したのか、いずれにせよ我々には、」
「関係ない。そうだ、関係ないとも。諸君らには諸君らの仕事と持ち場がある筈だが?」
「シュ、シュトロハイム少佐!?」

 瞬間、背筋に氷柱を突っ込まれたかのように兵たちが背筋を伸ばす。

「持ち場へ戻れ!」

 その一喝に兵がそそくさとその場を後にすると、シュトロハイムは制帽を正しつつ女性……否、少女と呼ぶにふさわしい相手へと向き直る。

「部下の非礼は詫びさせて頂く。どうか気を悪くしないで貰いたいが」
「え? ああ、気にしなくていいわよ。あいつらの落胆は、まあ狙ってたっていうのも半分あるしね」
「……ワザと写真を差し替えたとあっては問題だが、今のは聞かなかったことにしておこう。よくぞメキシコ秘密基地へ。フロイライン」
「……そう畏まられると何か調子狂っちゃうんだけど。
 まあ、悪い気はしないわ。ルサルカとでもマレウスとでも呼んで頂戴」
「歌劇か……君ほどの年であれば、ああいったものはさぞ美しく映るのだろうな」

 男子が英雄譚を好むように、と付け加えたのを聞いて無邪気な笑みを作る。
 そんな年に見えるかしら? と微かに含みを持たせて。

「ていうか、こんな場所に子供が来ることに違和感とかないの?」
「ユーゲントは何歳から入れるかね? 何よりわたしは優秀なものには敬意を表する。
 たとえ人種が違っていたとしてもだ」

 優生学を基礎とした理念だが、それはこの男の根幹たる思想でもあるのだろう。
 ある意味、最もこの時代、この国家に則した人間という意味において彼ほど優れた人間はいないのかもしれない。

「それでルサルカ嬢。君はこの男をどう見る? やはりオカルトか何かの類かね?」

 そんな少佐の発言に、内心ルサルカはため息を零す。確かに今は魔と科学の混迷期とも言えるし、国を挙げてこういったものを調べている以上、そちらの方向に持って行きたいのは分かるが。

「まさか。こいつらわね、私たちの言う魔術やオカルトなんかとはまた違ってる。言うなれば、人とはまったく違う種ね」

 新種の生物が、たまたま人としての姿を進化の過程で得ているだけ。彼らは人間とは別の存在であり、故に自分たちに当て嵌める事こそが馬鹿馬鹿しい。

「石仮面だっけ? 連中の傍から発見された人間を吸血鬼にするっていうの。あれ、明らかに実験用の物よ」

 たまたま人としての姿を進化の過程として得た……それは連中がこちらを見たときにも言えることで、だからこそ彼らにとってこちらは格好の実験対象だったのではないだろうか?

「ならばその先がある……面白い! その技術を我々が駆使すれば、」
「軍事転用? 貴方達って、ほんとに考えることが一緒なのね」

 尤も、最初から自分はその為に派遣されただけにあまり言えた立場ではないが。

「……それだけなら単純だったが、そういう訳でもない。既にこの『柱の男』のみならず他所でも三名ばかり発見されている。野放しにするには危険すぎる以上、こいつらの調査は必要不可欠なのだ。
 さて、すぐにあの『柱の男』に捕虜の生き血を吸わせろ!」

 ため息交じりに頭を振ると共に、部下へ命を下す。
 彼らは知らない。この後に起こる出来事を。柱の男などとは別の、もう一つの存在を。


     ◇


「柱に吸い取られている血液量は五人分! 『柱の男』の能力は未知数であるため、あまりエネルギーを与えるのは危険と推測されるためです!」

 部下からの報告に満足げな笑みを見せつつも、対照的にルサルカの表情は徐々に好奇から遠ざかっていく。
 この柱の男の傍にあった石仮面を身に着けた者が吸血鬼として変貌した際のデータは、跳躍力が五~八メートル。
 膂力は最大で厚さ四センチの鋼鉄版を破壊できるかといったところだが、彼女の興味はそこではない。
 吸血鬼……夜に無敵となる魔人は当然ながら多くの伝承にあるように不死性を持つ。
 彼らは本当に弱点さえ除けば朽ちないのか? 魂は壊れないのかという疑問がルサルカの中に沸いている。
 ともすれば、この『柱の男』も『永遠』なのだろうか……。

「しょ、少佐!?」

 一定以上の血液を吸収すると共に、柱の各所より血液が吹き出し、一人の男が姿を現す。
 柱と同化していた際の石のような肌は光沢と血色がつき、瑞々しい肢体を曝け出していた。
 美丈夫……と言えば確かにそうなのだろう。腰まで届くのではないかという長髪と堀の深い顔立ちは、確かにそういった種類に当てはまる。

「名前が欲しいな、『柱の男』では呼びにくい……そうだな、『メキシコに吹く熱風!』という意味の」
「『サンタナ』ね……貴方も随分と詩人なのね、シュトロハイム少佐」

 こうして軽口を叩いている間でさえ、ルサルカは対象から目を離さない。
 そんな彼女を横目に、少女は紛れもない学者なのだとシュトロハイムと呼ばれた少佐は感嘆の息を零した。
 そう。今まさにサンタナが石仮面を被り、吸血鬼と化した老人を一体化して取り込み、喰らったという事態にさえ脅えの色を見せずにいるところからして、彼女が如何に研究職の鏡であるかを伺わせる。

「しゅ、シュトロハイム」
「へぇ……この密室からでも聞こえるんだ」

 まさに怪物……人語を理解しているのか、それとも鸚鵡返しなのかは定かではないが、間違いなくこちらを認識している。
 だが、そんな存在が忽然と姿を消した……無論、シュトロハイムも部下も目など離してはいない。

「な!? おい、記録フィルムを現像しろ! 急げ!」
「どうやら……空気供給管に潜り込んだようね」

 蛸みたい、と。おどけてはいるが、シュトロハイムはふと疑念を抱く自分たちでさえとらえられなかった存在を、どうしてこの少女が捉え切れたのだろう、と。
しかし、それ以上にシュトロハイムは軍人として、指揮官として優秀だったのだろう。この非常時にあって、即座に各員に供給管内に離れるよう告げる。
 だが。

「ちい────────!?」

 あろうことか、供給管のすぐ脇に立っていたルサルカめがけ、サンタナは飛び出すと同時に体に取り込もうとし、

「え、ちょ」

 浮遊感がルサルカを襲う。自らが担がれていると知ったのは遅れてからだった。

「貴様カ……眠リカラ妨ゲタノハ」

 人語を解したこと。高い知性を持つことはこの場において重要ではない。
 ただ本能が理解した。この相手はあまりにも危険すぎる。吸血鬼を取り込んだことも然り、あのシェルターから抜け出し、ここまで辿り着いたこと然り。
 放ってはおけない。この存在を、怪物を逃がせば間違いなく祖国に、ばかりかこの腕に抱えた年端もいかぬ少女さえ危うい。
 己は祖国と身命を共にする覚悟はある。だが、彼女にそんな愛国心を求める訳には行く筈もない。

「構わんッ! 射殺を許可する! 後退しつつ撃ち続けろ!!」

 マズルフラッシュと共に絶え間なく銃声が響き続ける。足場を薬莢が埋め尽くし、各員の弾倉が空になったところで、ようやく発砲音が止まる。
 だが、効果は見られない。サンタナはその場へと立ちつくし、ゆっくりと人差し指を向ける。

「駄目ッ! 逃げなさい!」

 この状況下、部下たちが凍りついたように立ち尽くす中で腕の中の少女の叫びにいち早く対応できたのは彼の軍人としての経験則ゆえだろう。
 対応できなかった部下たちは指から飛び出した弾丸に総身を貫かれ、冷たい骸となって床へと投げ出される。

「おのれぃ……!! よくも部下を!!」
「感傷に浸ったり怒ったりなんてできないわよ! こいつの埋まってた場所の壁画を見たでしょ! こいつらが苦手なのは太陽よ!」

 ちぃ、という舌打ちと共にシュトロハイムは階段を駆け上がる。ここは地下二十メートル。石仮面を被った吸血鬼の能力を鑑みれば脱出できる可能性は低いが、この少女だけでも!

「無理ね……このままじゃ追いつかれる」
「ならば、君だけでも!」
「違うわ。わたしを置いて行きなさい」

 呟いた言葉は、ひどく真摯なものだったが故にシュトロハイムは打ちのめされる。

「このシュトロハイムに、置いて逃げろというのか!?」
「構わないわ……わたしは派遣されたばかりで基地の自爆装置なんて判らない。
 けど、貴方はこの男たちの調査の指揮権を持ってるでしょう?」

 だからおいて行けと。一人助かるか誰も助からないか。それを考えれば取るべき選択は分かるだろうと。

「わたしだって、自分の国が酷い目に遭ってほしくないの……だから」
「だまれぃぃぃッ! 部下のみならず女子供も救えずして、何がドイツ軍人かあ!」

 冷汗をかき、すぐ後ろに迫るサンタナに恐怖を抱きがらもシュトロハイムは疾走を止めない。

「太陽の光が弱点と判っていれば造作もないぃぃぃ! 奴に日光浴をさせてくれるわァ!」
「だからそれじゃあ……!」
「ああ、ならばこうするまでよ! 女性の扱いとしては落第点だがな!」

 投げた! あろうことか、小柄な少女とはいえ、まるで野球でもするかのように!

「さっさと扉を開けて出て行くがいい! そして何処へなりとも消えてしまえ!」
「貴方……」
「さっさと行かんかぁッ! お前のような小便くさい小娘の顔など見たくもないわ! 貴様如きに心配されるほど、このシュトロハイムは落ちぶれておらんのだ!」

 無論強がりだ。でなくばここまでルサルカを担いで逃げたりはしない。だが、これでルサルカは間に合う。日の光が降り注ぐこの時刻、このメキシコではサンタナは追ってこれまい。

「逃がさん……!」

 しかし、サンタナは追いついた。少女が扉を開けるより早く、シュトロハイムの足を掴み、ばかりかアメーバの如く分離した肉片がルサルカを襲いかかり、

「ぬッ!?」

 じゅぶじゅぶと、肉片が音を立てて萎んで行く。

「な!? 溶けている! あのサンタナの身体が、まるで毒か何かを浴びたように!?」

 足を掴まれ、階段に叩き付けられたシュトロハイムの顔が驚愕に歪む。
 だが、それは重要ではない。つい先ほどまで腕の中で怯えを見せていた少女、その少女が今や一切の『脅え』を見せず、ばかりかある種の『覚悟』を持って立っている。

「まったく……全滅した後でじっくり調べるつもりだったのに。当てが外れちゃったじゃない」

 赤毛を揺らし、ため息と共にサンタナを見つめる少女……いや、

「ルサルカ嬢……君は少女なのか? その仕草、その視線! まるで君はあの写真の!」
「本当はばらすつもりなんてなかったけど、貴方があんまりにも頑張っちゃったしね」

 やはりだ。この少女は何かを秘めていた。総統からでなく、ラインハルト・ハイドリヒ中将から書状を送られてきた時より只者ではないだろうと感じていたが。

「まったく、魔道っていうのは隠秘学……隠れ秘めて学ぶのが正しい在り方なのに」

 自ら正体を晒し、畏怖を集めている。これが三流でなくてなんだ? なぜ自分はこんなことをしている?
 ……まったく判らない。判らないからこそ苛立つのだ。こんな何処にでもいる一将校風情に、何の間違いで正体を晒してしまうのか。

「こうなった以上、仕方ないけどね。来なさい、サンタナ。忌々しいけど、あの詐欺師から貰った技の実験にさせてもらうわ」
「愚かな。小娘、貴様のそれを蛮勇というのだ!」

 サンタナが迫る。シュトロハイムを階下へと投げ落とし、女王の如く見下ろすルサルカの元へ。

「させると思う?」

 視線が貫く。ルサルカがサンタナに目を向ける。ただそれだけの行為でサンタナの身体が溶けて行った。

「ぬっ」

 視線から外れるようにサンタナが飛びのき、天井へと張り付くと注意深くルサルカを見据えた。

「なんだ……その力」
「へぇ……人間ならすぐ溶けて終わりなんだけど、凄い再生能力ね」
「なんだと聞いているのだ!? 小娘! 貴様のそれは『波紋』か!?」
「? ああ、太陽のエネルギーを使うっていう技術ね。東洋の気功と似たような……はっずれー。わたしのはそんな面白おかしい力じゃないわ」

 とはいえ、わたしもこの力を持て余してるんだけど、とルサルカは内心呟く。
 カール・クラフト。あの忌々しい詐欺師が与えた力は本物だ。
 エイヴィヒカイト。聖遺物と呼ばれる品と魂を同化し、殺人を重ね魂を喰らうごとに力を増す外法の業。
 それを扱う者は、力を増すごとに『活動』『形成』『創造』『流出』へと位階を上げる。
 今の彼女が用いたのは『活動』位階。威力は低いものの不可視の業として使用する、いわば初心者用のものだ。
 何より、彼女の聖遺物はその特性上、活動位階では一撃で倒すことは難しい。

「引け、ルサルカ嬢! 確かに通常の人間であれば『酸』で融かすことは可能! しかしサンタナが相手では融かすより再生の方が上!
 その男を溶かしつくすには今の業以上の火力は必須なのだ! 火炎放射器では遺体が残ってしまうように、その男を消滅させきれない!!」
「解説どーも」

 意外と余裕あるわね、とルサルカは思いつつも思案する。確かにこの相手に拷問用の『酸』では有効打を与えられるとは言い難い。
 ならば。

「────形成イェツラー

 楽しげに、まるで歌声でも響かせるような軽い声が閉塞感に満ちた階段に響き渡る。
 同時、無数の鎖がサンタナを縛り、階下へと叩き付けた。

「むぐッ!?」
「……吸収されるかどうかは賭けだったけど、その様子じゃ、無理みたいね」

 聖遺物を形成する第二の位階。雑魚を殺すならば活動の方が有効だが、この相手には通用しないと判っている以上、現状扱える最高の位階が必要となる。
 だが、この相手が実験を行った際のように、自らの身体に飲み込んだ相手を吸収するといった行為が聖遺物には出来ないということが判ったのは大きい。
 この相手は霊的な存在に対して有効打を与えられない……いや、なまじ肉体が凄まじいだけにそういったことに目を向ける必要がなかったのかもしれない。
 生まれながらに『永遠』を手にしていた、彼らには……。

「ほんと、貴方達を見ていると苛立つわ……」

 縛鎖が強まる。万力めいた力がサンタナを圧迫し、そのまま強引に体が引き千切られる。
 いや、本当にこれは引き千切られたのか?

「違う! 奴は自ら肉体のパーツを分離させたのだ!」

 シュトロハイムの叫びが響く。
 だが、その声に反応するより早く、飛び散った肉片が酸に焼かれて蒸発する。
 形成と活動の両用。出来ないなどとは一言も言っていない。

「分離なんてしない方がいいわよ。細切れなら溶かしつくせちゃうんだから」
「ならば、自ら取り込んでくれるまでよ!!」

 流石に二度までは同じ失敗は出来ないと踏んだのだろう。
 四足獣めいた跳躍で飛びかかった瞬間、ルサルカの口元が弧を描く。

「いらっしゃい、ケダモノさん。ここが檻よ」

 眼前へと出現する鉄の処女。観音開きとなったその内側は、無数の棘がずらりと並ぶ。

「GYAHHHHH──────────────────────────────!!?」

 絶叫を上げるサンタナを、蠱惑的な瞳が捉えた。嗜虐を楽しみ、耳を弄すような絶叫さえ、ルサルカは恍惚に頬を赤らめる。
 いくら肉片を分けようと、如何な再生能力を持とうとも、この檻からは逃れられない。無数の棘は身を貫き、食虫植物のように全てを飲み込み喰らうのだ。
 だが、蓋の閉まるその刹那、サンタナの指がルサルカを指し、彼女と同じように口元が弧を描く。

「取ったぞ……るさ、ルカ」
「はっ!?」

 迂闊! いつから肉片を全て戻したと錯覚していた? 既にサンタナの一部はルサルカの背後へと迫っている!

「させるかぁぁぁぁッ!」

 シュトロハイムが両者の間に割って入る。
 そればかりか、自らサンタナに吸収されようとしていた。当然ながら、彼はただの人間だ。殴られれば倒れ、撃たれれば死ぬ存在でしかない。

「ぬおおっ!? こやつ、おれの身体にぃぃぃ!?」
「馬鹿! 早く外に出なさい! 日の光を浴びるのよ!」

 分厚い鉄の扉を片手で抉じ開け、シュトロハイムに日差しを浴びさせる。
 だが……。

「体内に……入られた。こいつはまだ生きてる! 取り込まれたおれだから判る! 首から上の組織を死ぬ間際に移したんだ! 鉄の処女に取り込まれた方は録音されたフィルムに過ぎない!」

 苦しげに息を吐きながら、ずるずると外へと出る。

「何を、する気なの……?」

 言わずとも判っているはずだ。だというのに問わずにはいられない。彼の手に持つ、手榴弾を見てさえ。

「こうなった以上、助からん……だがルサルカ、おれは後悔などせん!」
「ふざけないでッ! 誰が助けなんて頼んだのよ! 誰があんたなんかに!」
「……そうだな。全てはこの身勝手な男のしたことよ。だが、おれにも意地はある!
 日の光を拝ませてやるぞ、サンタナ!
 そして知るが良い、人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にあるということを!!」

 ジークハイル! という叫びと共に、シュトロハイムは爆発した。
 無論、サンタナが助かる筈もない。元より僅かな肉片でしかなかったのだ。日の光を浴びた今、砕け風化していくより他にない。

「だから……何だって男ってそうなのよ」

 最後まで人の話なんて聞きやしない。しかもそれがかっこいいとばかり思って、つまらない意地を張るのだ。
 そう、自分の前から消えた『彼』のように…………。

「良いわよ、なら、私も勝手にさせて貰うわ」

 全てが終わった場で、ルサルカは静かにため息を零すのだった。


     ◇


 サンタナの一件から数週間が過ぎ、メキシコから遠く離れたここヴェネツィアにてルサルカはこの一件に関わってから都合何度目になるかは判らないため息を零す。サンタナこそ排除を終えたものの、欧州各地で発見された柱の男の調査はまだ終えてはいない。
 とはいえ、奴らを研究して力を得ようという目論見は既にない。
 おそらく、彼らの魂は不滅ではない。サンタナが絶対的窮地にも拘らず、生存より闘争を優先したこと……おそらく、彼らにも自壊衝動はあるのだ。
 人の魂は永遠ではない……百年も経てば、自然と死にたがってしまう。魔術で深淵を覗いたルサルカと言えども、精々二、三百年が限度だろう。
 彼らにもそれがある以上、寿命を延ばすことが出来るという程度だ。
 当然ながら、自分は吸血鬼などと言う存在に憧れはしない。本能に負けるなど愚の骨頂だ。そういった飢えた獣は、黒円卓に居る二人だけで十分過ぎる。
 何より、彼らが人間とは異なる生物であると判った時点で、そんな発想は消えていた。
 詰まる所、時間の無駄だ。確かに連中の魂はそれ一つで数千の人間に匹敵することが取り込んだ時点で分かっているが、だとしてもリスクはある。
 それならばそこいらの戦場に出向いた方が遥かに安上がりだ。
 黒円卓の首領……ラインハルト・ハイドリヒからの委任状さえなければ手を引いていたものを。

「けどま……せいぜい今の立場を有効に使わせて貰うとしましょう」

 人を動かすということは自分の生涯であまりない。権力に興味などなかったということもあるが、これはこれで一興というものだ。
 しかし、部下からの報告を耳にするにつれ、その顔色は徐々に不機嫌なものとなる。
 柱の男達、計三名が監視に当たっていたチームを全滅させたこと。辛うじて息のある者によれば『エイジャの赤石』というものを探っているということだが……

「詰まる所、その赤石は『波紋』っていう能力の使い手である女が所持してるってこと?」
「はッ! しかし女は我々との協力に否定的であり、単身ここヴェネツィアに留まると」
「意固地な女ね……ま、ここに留まってくれるって言うならありがたいけど。それでその女は?」

 言い澱む部下に内心落胆を覚える。おそらくは撒かれたといったところだろう。
 問題は、女の最後の動向を告げずにいるという一点だ。留まっている場がヴェネツィアと判っていようと広い。部下を走らせれば多少の情報は拾えるだろうが、せめて最後に姿を見せた場所ぐらいは告げて欲しいものだ。

「そ、それが……今、准尉の」
「? ……成程ね」

 背後より放たれた貫手を躱しつつ、相手を見据える。
 黒の長髪と睫の整った顔立ち。モデルか何かのような長い手足と相まって女性の美しさをこれ以上なく引き出しているものの、鷹のような視線はまるで養豚場の豚を見るように冷ややかなものだった。

「先の者らとは違うようですね。これならば犬死はしなさそうです」
「やーねー。ヴェネツィアの女って皆出会いがしらに暴力を振るうの?
 あ、そーれーとーもー? わたしが若いから嫉妬してるとか?」
「……………………」

 僅かに顔を顰めるも、この少女がお飾りではないと判ったのだろう。少なくとも、先の行動はそこまで手加減してはいない。

「なーにー? 今度はだんまり? 協力したいから近付いたんでしょう? あんまり睨んでると小皺が増えちゃうわよ」
「………………判りました……精々足を引かぬよう、准尉殿」


     ◇


 女の話を纏めるならば、悠久の時を生きる柱の男たちは自らの弱点である日の光を克服するため石仮面を作り出し、人体実験を繰り返すことで、いつの日か自分たちがその仮面を被り、完全な生物として君臨することを望んでいる。
 そのために必要とされるのが女の持つ赤石であり、これを用いることでようやく男たちは完全な石仮面を被ることが出来る。

「なら壊せばいいじゃない……っていうのは浅はかだったかしら?」

 それが出来るならばとうの昔にやっているだろう。女は頷いた。

「……言い伝えでは、これを破壊すれば尚柱の男たちを倒せなくなると」
「それは貴方達の常識で、ということじゃないの?
 まあ、そんなに大事なら持っておきなさいな。要はそれがあれば、向こうから来てくれるんだしね」


     ◇


 観光地で知られるヴェネツィアのホテルにて、ルサルカは革張りのソファに腰かけつつ思案する。部下から訊いた話では新たに派遣された将校は一名。直属の部下が五名だという。
 彼らには女の監視を任せているが、役に立たぬのは判っている。
 力づくで宝石を奪うことも考えたが、あの女も馬鹿ではない。柱の男達を始末するのに協力を求めた以上、逃げ出すような愚行は避ける筈だ。

「しっかし、よく効く鼻ねー」

 階下より響く銃声。おそらくは部下が交戦しているということか。

「音は……二人か」

 面倒ね、と……まるで押し付けられた雑務を今すぐ片付けようとする社員か何かのように、ルサルカは重い腰を上げた。


     ◇


 既に瓦礫と化した階下。舞い踊るは部族めいた一人の男と、辛くも致命傷を受けていない、しかし満身創痍と呼ぶに相応しい軍服の男。
 その趨勢、彼我の実力は決定的でありながら、軍服の男は手を緩めない。
 進ませぬ、越えさせぬ。両者の実力差を埋めるのはその病的なまでの信念であり決意。
 その背後に……腕を組んだまま壁に背を預ける男がいた。
 猛々しい肉体を晒し、鼻輪を付けた男はこの戦いを静かに見据える……いや、既に男の中でもこの戦いの決着は見えており、であるがゆえに静観しているのだろう。
 尤も、たとえ両者の差がそのまま逆転していたとしても、男は手を出すことはしなかったろう。
 なぜなら彼らは戦士。無粋な横槍は彼らの美意識を穢すものであり、闘争にこそ誇りを求める精神に一対多数というものは相手からのものでしかないという価値観があるのだろう。
 少なくとも……いま戦っている者にとっては。

「やだやだ。暑苦しいったらないわね」

 かつん、と。軍靴の鉄鋲が軽やかな音を響かせる。
 あまりにも場違いな声音。年端の行かぬその声に、この場にいた者は例外なく眉を顰めた。

「まったく。折角救援が来るまで癒してあげたっていうのに、貴方まだこの一件に絡んでたの?」
「ルサルカ……何故」
 
 何故……ああ、何故だろう。こいつらの目的は赤石で、ならば下になど来ず一足先に逃がしたリサリサとかいう女と共に待ち伏せればそれで済むはずなのに。

「別に……ただの気まぐれよ。それより、そっちのは戦わない訳?」

 壁に寄り掛かった巨躯の男。明らかに人間と呼ぶには悍ましい存在感を迸らせる相手は、ルサルカを一瞥すると鼻白む。

「女子供……だが、おれはワムウとは違う。戦士でなかろうと、いざ戦いとなれば容赦はせんぞ」
「そ。見る目ないわね」

 虚空より鎖が伸びる。幾重もの縛鎖は男を捕え、まるで釣り師の如く男を放り、天井へと叩き付けた。

「貴様……何者」
「勝利の女神様」

 なんてね、と悪戯気に微笑んでルサルカは手招く。

「それで、前言は撤回してくれるのかしら?」

 面倒なだけの筈だ。強敵と相見える舞台を楽しむような気性ではないし、そんなことが好きなのは男の特権だと判っているのに。

「面白い……! このエシディシ、貴様の持つ未知の技法を賛美し、敬意を表して殺してやろう!」

 何故かしら……こうして笑みを作る間でさえ、どこかでこの状況を楽しんでいる。

「気を付けろ! 奴らはサンタナとは違う!」
「ええ。でしょうね」

 傷付き、満身創痍となったシュトロハイムの横へと並び、ルサルカは眼前に迫る二名を見る。
 確かに奴らは違う。その存在感も含めて、彼らが人ならぬ存在であり、サンタナを超える戦士であることも疑いようはない。
 けれど、彼らは違うと感じたのだ。それがどう違うのかを、言い表すことはできない。
 だけど、確かにそう感じるものがあったから。

「こんな美少女をエスコートする殿方は幸せ者よね」

 立ちなさいな、とルサルカは笑みを崩さず、見下ろす事もないまま片膝をつくシュトロハイムに告げた。
 ふらついた足で立ち上がる、図体だけは一端な軍人へと半身で背中を合わせながら。

「二対二。文句ないわね?」
「……良いのか。おれなどが、お前と戦っても」

 だって、そうしたい気分なんだもの。

「リードしてよねー。殿方なんでしょ?」
「く、くくく……いいだろう! 死ぬまで踊り続けてくれるわ! ルサルカ、精々その名に恥じぬ歌劇を見せてもらおうか!」

 たっく、あんたって奴はほんとに乗りやすいのね。

「なら、相手にも踊って貰わないとねっ、と!」

 先程同様、鎖で相手を拘束する。今度は全く遊びはない。
 四肢を束縛するにとどまらず、五体をそのまま引き千切る。鎖にかけられた力はトン単位であり、聖遺物によってつけられた傷は実質再生不可能である。

「ヌウウ……! 小癪なぁぁぁ……!!」

 しかしエシディシは耐える。全身から血管を浮かび上がらせ、あと一歩というところで縛鎖の重圧を凌いでいた。ばかりか。

「このエシディシをなぁめぇるぅなぁぁぁ………………………………………………!!」

 引き千切られ、霧消する縛鎖。同時、ルサルカの腕から血が飛沫く。

「ぐぅ…………!!」

 歯を喰いしばりつつ、冷汗が背筋を伝うのを感じ取る。聖遺物は術者の魂と同化する。すなわち、聖遺物の破壊はイコールで術者の死を意味するのだ。
 ルサルカは聖遺物の特性上、一つ二つ破壊されたところで直接死ぬほどではないにせよ、ダメージばかりは避けられない。
 或いは現在の位階を越え、その先へ至ることが出来れば変わるだろうが、現状『形成』位階である以上はこの弱点を受け入れるしかない。

「ルサルカ!?」
「エシディシ様をあそこまで追い込むとはな……見事だルサルカ」

 初めて傷らしい傷を受けた少女に対して動揺するシュトロハイムに、ワムウと呼ばれた男は視線さえ合わせず拳を振るう。

「ぐ、づぁ…………ッ」

 致命傷にならなかったのはすんでのところで回避が間に合ったためだろう。
 尤も、直接触れたわけではなく、拳圧で吹き飛ばされている手前、良かったとは言い難いが。

「あー、もう! カッコつけた手前、ちゃんと勝ちなさいよ!?」
「貴様は自分の心配をしたらどうだ?」
「うげ、気持悪!? なにそれ、触手!?」

 こんな状況下にあって、自らの肉体を傷つけられた怒りより、ルサルカは目の前の相手の異様さにこそ目が行った。

「うねっている! 全身の皮膚を突き破り、血管がイソギンチャクか何かのように!?
 離れろ、ルサルカ! それに触れるんじゃあない!!」

 言われずもがな、ルサルカはその場から飛び退く。エシディシの放った貫手、その爪の先から突き出た血管が、確かな高熱を以て床を溶かす。

「紹介を済ませてはいなかったな。おれは『炎』のエシディシ! 熱を操る流法モード! そしてワムウは『風』を操る流法モードを持つ!!
 ルサルカとやら、どうやら貴様は未知の術理を持つようだが、我らをどう迎え撃つ!?」

 成程、確かに厄介だ。奴らの能力が常軌を逸している以上、たとえ空爆にも耐えるこの身と言えど、無事で済む保証はどこにもない。
 自分も含め、この世には未知の法則が溢れているのだから。

「けどさぁ。さっきから気になってたんだけど、あんた達わたしだけに話してない?」

 それが、とにかく癪に障るとばかりにルサルカは眉を顰めるものの、それを当然だろうとばかりにエシディシは口元を弧に歪めた。

「そこの男は所詮雛鳥。巣立ちさえ迎えず、毛も生え変わらぬ者を歯牙にかけようなどと思うものか。挑まれれば受けはする。だが、戦士と認めるか否かは別のことよ」

 確かにそうだろう。両者の差に絶対の開きがあり、苦戦を強いられている以上否定はできない。
 それが、どうしてか無性に苛立つ。何より……。

「ねえ、なんだってあんた、ここまで虚仮にされて黙ってんのよ」
「………………すまん。ルサ、」
「言いたいことはそれ? わたしに謝って女みたいにめそめそして死ぬのが好みな訳?」

 違うはずだ。人として生き、軍人としての努めを全うし、死の恐怖にさえ打ち勝った貴方が。

「それは……」
「見せてよ。歌劇の英雄みたいに、舞台に立って踊りなさいよ」

 言葉には魔力があった。それは魔女としての呪文ではなく、英雄への道を示す祝詞のように。

「聞かせて。貴方にとって名誉って何?」

 その問い、ただ僅かな言葉を以て、ルドル・フォン・シュトロハイムは敗者の姿から息を吹き返す。
 その言葉こそ、彼にとっての魔法だったから。

「我が名誉は────」

 圧倒的な差。人知を超えた存在。だからなんだ? 相手がただ強いというだけで、それだけの事で膝を折って俯くのか?

「我が名誉は、忠誠なりィィィィィィッ……………………………………………………!!」

「貴方の望みは?」
「勝利のみィィィィィィッ……………………………………………………………………!!」

 その声は高らかと。その顔は傲岸に。されどそれがこのシュトロハイム! それが世界の敵たらんとする、ドイツ軍人にこそ相応しいのだ!!

「世話が焼けるんだから。ねえ、今でも目の前の相手が怖い?」
「否、否、否ぁぁぁぁぁ…………!!!!
 我が肉体はァァァァァァァァァ────ッ! 我らがゲルマン民族の最高知能の結晶であり! 誇りであるぅぅぅ………………!!
 つまりはルサルカ! 我が肉体は、お前という存在を除く全ての人間を越えたのだァァァァァッ……………………!!」
「………………ッ、いかんワムウ! 奴は先程までの奴ではない!
 毛さえ生え変わらぬ雛鳥が、巣立ちの時をこの瞬間に迎えようとしている!?
 ヒヨコが突如鷹として現れたのだ! このエシディシをして危険だと本能が叫ぶほどに!!」
「それでこそ……それでこそ戦士として戦う価値があるというものです、エシディシ様!!」

 ワムウの巨腕が唸る。単純な腕力でさえ脊柱を木端と砕く豪腕が、今まさに台風の如き爆発を見せようとしていた!

「秘技、『神砂あら、」
「どこ見てるの?」

 暴威として振るわれる筈だったワムウの秘技。しかしそれを横から轟音と共に遮った。
 車輪……直径五メートルにも達し、禍々しいスパイクで大理石製の床を砕いているという荒唐無稽さを度外視すれば、それは車輪という他ない。
 しかし、問題は質量ではなく速度。あらゆるものを轢き潰し、轍に変える車輪は、四足獣はおろか軍用車さえ圧倒的な差でもって置き去りにするだろう。

「SYYYAAAHHH……………………………………!」

 絶叫と共に車輪を止める。突然の方向転換に加え、眼前の存在を食い止めんとしたために必殺となる筈の秘技が僅かに威力を落としたが、それに頓着している暇はない。
 回転は、受け止めている間さえ止まっていない・・・・・・・。これはそれ自体が動力を持ち、動き続ける刑具なのだ。
 不完全な秘技では食い止めるのが限度。時間をかければ壊すことも可能だろうが、二対二という現状、この硬直は致命的なものとなる。

「おのれぇぇぇ!! ルサルカぁぁぁぁぁ!!」
「美少女を前に目を血走らせるのは分かるけど、」
「たわけめぇぇぇぇぇぇっ! おれの存在を忘れたのが運の尽きよ!
 エシディシ! 仲間の窮地に駆け付けたその気概! 称賛しよう! その力! 尊敬しよう! 故に、この幕の敵として倒れるがいい! このおれの巣立ちを見届けてなぁ!!」

 弾帯が掴まれる。ナチスドイツによる最先端の科学によって全身を機械化し、武装することで復活したシュトロハイムの腹部に備えられた重機関砲が火を噴き、エシディシの脳を的確に削り取る。

「だが、射程圏外まで逃れれば良いだけのことッ! 貴様ら如きに、」
「遅いわァァァァァァァ…………………………!!
 貴様ら古代人の知恵などッ……最先端を突き進むナチスの科学の前には亀より遅いのだァァァァァァァァァ─────!!」

 ルサルカを食い止めんがために突撃したことが仇になった。この弾雨から逃れるには、死角に回り込むか、そもそもシュトロハイムにさえ目を向けていればよかった。
 砲弾の如く、ロケットさながらに手首から外れた両拳が飛び、エシディシの足を掴む。
 
「貴様が逃げに走ろうとォッ! この手からは逃れられんッ!!
 その鳥にも劣るチンケな脳味噌! 擂り身にしてくれるわッ!」
「この、このエシディシが! 人間如きにぃぃぃぃぃっ!!」
「だから負けるのよ。人間の成長を見ておきながら、人間を軽んじ続けるから」

 憫笑を吐息に混ぜ込んで、ルサルカは言葉を紡ぐ。それこそが、違うと感じた理由。
 もし彼が真に輝ける星ならば、そんな考えを最後まで持つことなく、敬意を以て戦ったはずだから。

 銃火の轟音に断末魔をかき消されながら、エシディシは散って行った。

「どうする!? 残りは貴様だけになったなぁ!!」
「馬鹿ね。よく見なさい……ここから先、貴方の手に負える相手じゃなくなるわ」

 足止めとして出した車輪は……既にない。血が滴り筋繊維の覗く両足、ワムウの秘技を封じた代償に、彼女は二つ目の武器と両足を犠牲にした。

「エシディシ様を……成程。人間の成長、確かに侮った! しかしここで易々と勝利をくれてやるワムウではない!!」

 ワムウの全身より亀裂が走り、血飛沫を上げると共にシュトロハイムとルサルカの皮膚が切り裂かれた。
 蝋燭は最後の灯において最大級の光を見せる! 今ワムウは、己が生命を燃やして風を操っていた!

「ワムウ!! その決意、その覚悟をシュトロハイムは尊敬する! そして、」
「ちょ、まちなさい! シュトロハイム!!?」

 駆け出している。突き進んでいる。手を伸ばそうにも傷付いた自分の足ではあまりに遅くて、反面彼はどこまでも先に進んでいる。
 後ろなんて見やしない。満身創痍になりながら、それでも笑って進むのだ。
 勝利を確実なものにするために。
 死ぬかもしれないとか、負けるかもとか、そんなことも考えず。
 前へ前へ、先へ先へ。

 ああ……なんて憎らしい。

 そう諭したのは他でもない自分なのに。どうしてかそれを恨めしく感じてしまう。
 英雄を焦がれながら、英雄を止めたいと願うこの感情。この矛盾は一体何なのだろう?
 
「勝利を望むこと! そこに同意しよう! しかし負けられぬ! 自称勝利の女神とやらが見ているのでなぁ!
 紫外線照射装置作動……………………………………………………………………!!!!」

 既に腕は千切れかけ、足すらぎちぎちと金属が悲鳴を上げる。それでも、それでも進む。
 その手が届くところまで。一矢報いれるところまで。

「SYYYAAAHHH……………………………………!?」

「ナチスの科学力はァァァァ世界一ィィィィィィィィ──────────────!!
 手も足も出ずとも目はまだ出せる! 太陽の光、すなわち紫外線こそ弱点ということなど、サンタナを捕えた時点で露呈済みよ!」


     ◇


 端末魔と共に脳を焼かれ、倒れ伏すワムウ。だが、その勝利に高揚感があったかと言えば否だ。
 終わってしまえば、あまりにあっけない。大声で凱歌を歌うことも、高圧的な言葉をかける気も起きなかった。

「穏やかなものだな。敗北だぞ? あのエシディシのように叫ばんのか?」
「……貴様らを認め、戦った。エシディシ様はどうか知らんが、おれにとって貴様らとの戦いは決闘であったのだ」

 だから恨み言など残さない。彼もまた英雄なのだろう。死すべき時、己を倒す相手に看取られていくことに悔いなどないとばかりに、静かな笑みを浮かべている。

「さらばだ……お前の口から、名を訊かせてくれ」
「ルドル・フォン・シュトロハイム」

 それ以上の言葉を、シュトロハイムは漏らさない。ただ塵となって消えていく敵に、静かに右手を伸ばす。
 彼もまた英雄、そして勇気ある者こそを称賛する男だったから。

「貴様ら如きに……エシディシばかりかワムウまで……」

 しかし、勝利の余韻に浸るまでもなく、闖入者が現れる。
 傍らには倒れる女性。崩れ、崩壊した天井より睥睨する頭巾の男は、赤石の嵌め込まれた仮面越しに殺意の視線をシュトロハイムへと向けていた。

「貴様、赤石を!」

 左手に鈍く輝く宝石。リサリサの返り血を浴びてなお、その輝きは曇っていない。

「このまま目的を達成することは容易いが……貴様を捨て置いたまま、究極の生物など名乗れぬ! 今! この場にて葬ってくれるわ!!」

 男の腕より突き出した刃が、異様な光を放ちながら迫りくる。
 だが、それを遅いとばかりに、シュトロハイムは紫外線照射装置を作動させた。

「フフ……フフフフ、フハハハハハハハ………………………………………………!!」

 かかったな、と。それこそが真の目的だったということを証明するように、赤石へ紫外線は命中し石仮面は男の脳を刺激する。
 木霊する哄笑。裡より迸る力に対する歓喜。男の両腕が鷹の如き翼へと変成し、天井を突き破って日の光を総身に浴びる。絶対の宿敵さえ克服したという充実感。
 今まさにあらゆるものを超越したのだという歓喜が男を満たす。

「だが足りぬ……このカーズの敵は、真の宿敵はあの美しい光ではない!!」

 獰猛な瞳が、シュトロハイムを射抜く。
 貴様だ。貴様こそ宿敵たる光、その内なる英雄の輝きこそがこのカーズが打倒すべき光!

「ワムウ達を葬った貴様の存在を消さずして、このカーズは覇者たれんのだ!!」

 既にこの身は究極の物。あらゆる生物の能力を備え、全ての生命を兼ねるモノ。
 故に、

「この身が新生した祝福として、貴様の命を散らせぃ!!」
「舐めるな古代人がぁ!! このシュトロハイムが、ドイツ軍人たるおれが祖国の敵である貴様を逃すと思うかぁ!!」

 翼より伸びる鉤爪。この世のいかなる生物よりも速く、そして獰猛に迫りくるカーズと、それを物怖じすることもなく迎え撃たんとするシュトロハイム。
 両雄の対決に、しかし取り残された少女はきつく奥歯を噛み締めた。

「なによ……どいつもこいつも」

 いつもいつも、わたしの事なんて置き去りにして…………。

「貴方達は、良いでしょうよ!!」

 誰よりも高く飛べるから。翼を生まれながらに持っているから。
 だからそうやって駆け上がれる。このヴェネツィアで、倒壊した舞台で、神話か何かのように己こそ世界の中心だと信じて疑わない。
 死地への恐懼など、墜落への焦燥など欠片もなく、ただただ上を向いている。

「だけど、何でよ……なんであんたまで、そんなに足が速いのよ」

 いいや、けれどそれは判っていたのだ。ルドル・フォン・シュトロハイム……彼が英雄としての輝きを秘めていることぐらい。
 だから助けた。他に見られるようなありきたりな存在でも、そこから先を見せたなら…………

「馬鹿みたい……そんな筈、ないのに」

 自分もまた、連れて行ってくれるのではないかと。高みへと導いてくれるのではないかと思いを抱いて。

「だって、わたしは────」

 声には出さない。けれどその真実は理解している。だから。

「飛ばせない……先へなんて、高みへなんて! 行かせない!!」

 自分の中にある渇望ねがい────確かな祈りを自覚したとき、自然と祝詞を紡いでいた。

「In der Nacht, wo alles schläft
(ものみな眠るさ夜中に)」

 意識は深く、まるで昏き水底へ沈むように。

「Wie schön, den Meeresboden zu verlassen.
(水底を離るることぞうれしけれ)」

 けれど心は世界の外へ。この覇道を以て、全てを犯せと希う。

「Ich hebe den Kopf über das Wasser,
(水のおもてを頭もて、)
Welch Freude, das Spiel der Wasserwellen
(波立て遊ぶぞたのしけれ)」

 ルサルカ……ああ、思えばなんて似合いの銘。
 わたしはこういうものなのだと、それは知っていたけれど。自覚すればするほどに、輝く世界が疎ましい。

「Durch die nun zerbrochene Stille, Rufen wir unsere Namen
(澄める大気をふるわせて、互に高く呼びかわし)」

 だからこの渇望ねがいで満たすのだ。
 翼を広げ、自分という存在を覆い隠す黄金の神鳥グリンカムビを、この深海へと誘うため。

「Pechschwarzes Haar wirbelt im Wind
(緑なす濡れ髪うちふるい)
 Welch Freude, sie trocknen zu sehen.
(乾かし遊ぶぞたのしけれ!)」

 この身は地星――――空へと輝けぬ存在なれば。

「Briah────
(創造)」

 翼持つ者たちよ! 全てを引き摺り、飲み込もう!!

「Csejte Ungarn Nachatzehrer
(拷問城の食人影)」

 言葉は紡がれ、世界が犯されると同時、両雄は完全に動きを止めた。
 何が起こった? 何をされた!? 突如現れた陰に触れたその瞬間に、彼らは指一つ動かせずにいた。
 そこまでの事態に陥って、ようやく彼らは事態の原因を、この問題の根源を知った。

「NUAHHHHHH……………………!! き、貴様ァァァァァ!!
 この俺を……究極の生命体たるこのカーズに何をッ!?」

 完全な静止。あらゆるものを止める未知の縛鎖に、カーズは階下より影を伸ばす少女に叫ぶ。
 そこに居たのは俯く少女……赤毛の髪を震わせて、地に目を向けたまま彼女は叫ぶ。

「皆、皆止まってしまえばいい!」

 いつの日か、自分が追いつけるように。手を伸ばせば、届くように。

「そう思って、だから足を引くのよ!!」

 その叫び、その渇望を耳にし、瞠目したのはカーズではなく。

「ル、サルカ……」 

 シュトロハイムこそ、信じられないというように下へと目を向けた。
 声をだし、疑問を口にする猶予などない。あのカーズでさえ容易に喋ることは出来たのだ。
 むしろ、この縛鎖は敵であるカーズではなくシュトロハイムこそを…………。

「怖かったのよ! 置いていかれるのが! 嫌なのよ! 抜かされるのが!」

 誰もかれも、自分を置き去る。振り向くことも止まることもなく、刹那の閃光として駆けていく。

「判ってるわよ、時間が違うっていう事ぐらい……!」

 生きる時間が違うから……どこまで歩んでも、駆けていく彼らには敵わない。
 短い時間を、刹那を燃やして生きる存在に、ただただ歩むだけの自分では。

 ────かつて去って行った、彼がそうであったように。

「お、れは……」

 縛鎖が強まる。高みへ昇る者を引き摺り下ろすことが本領なればこそ、巣立つ若鳥を捕まえようとするのは当然の帰結。だが、

「……感謝、している……お前に」

 微かに紡がれた言葉に、ルサルカは顔を上げた。
 暗い水底から、遥か高みを見上げるように。天に輝く星の光に微かな期待を抱いて。

「お前が居なければ……おれは死していただろう……巣立ちを迎えることも、高みへ挑むこともなく」

 彼女こそ自分を飛び立たせた。たとえそれが断崖からの飛翔であっても、自分はこうして迷いなく飛び立つことが出来たから。

「この翼は借り物よ……イカロスのように、蝋でできた偽りの物。
 だから、手を借りねば飛び立てなかった」

 言葉は、徐々に流暢なものへとなっていた。地へ縛る影の呪いが、飛び立つことへの願いに流されていく。

「今でこそ、自らの羽のようになっているがな……だからこそ」

 ここへ来い、とシュトロハイムは動けぬ筈の中で手を伸ばす。

「勝利の女神なのだろう……ルサルカ・シュヴェーゲリン!」

 言葉と共に、影は消えた。渇望は信仰こそが要となる。新たな位階に入ったばかりということもあるが、その信仰が揺らいだが故の世界の霧消だった。

「貴方は英雄よ……イカロスなんかじゃない」

 戦場に輝く星……紛れもない歌劇の主演。
 ああ、だからこそ。

「観客を待たせてないで、先に進みなさいよ。見てなさい、すぐに追いつくんだから」

 わたしは勝利の女神だから。いつか追い越して導くのだとここに誓う。

「きさまらぁぁぁぁぁ!! よくも、よくもこの俺を地に縛ってくれたなァァァァァァァァァァァァァァァァァ…………………………………!!!!」

 縛鎖より抜けたのはシュトロハイムだけではない。あの渇望は英雄を縛ろうとするものであり、輝く者を止めたいという願い。
 ならばこそ、シュトロハイムよりさきにカーズが解き放たれるのは当然だ。

「吠えるなよカーズゥゥゥゥゥゥゥ!! 女神さえおらぬ貴様に、この舞台の主役が張れるかぁぁァァァァァァァァァ……………………!!!!!」

 銃弾がカーズを捕える。しかし、それに飽いては怯みもしない。それがどうしたと言わんばかりに、カーズはシュトロハイムの身を斬り裂かんと腕を奔らせ、

「女神の加護はここにあり! ジィィクハイル・ヴィクトォォォリアァァァ…………!!」

 奔らせた貫手が、肘より先が消失する。シュトロハイムの中心。機械と化した彼の裡は空洞であり、その外周には無数の棘が顎の如く生えていた。
 鉄の処女……かつてサンタナを破った決定打となった物が、いまシュトロハイムの裡にある。

「BAAHHHOHHHHHHHHHHHHHHHH─────────────────!!?」

 片腕が食い千切られたことによる絶叫。再生することも可能だが、時間がかかる。
 究極の生物となった。あらゆるものを越えたと確信した! だというのに、

「この身が、このカーズが! 機械と小娘如きにぃぃぃっ!!」
「油断大敵ってね」
「ああ……加えて!」

 じゃらり、と宙に舞う鎖を引っ張り上げる。階下に居る少女、勝利の女神を自称した彼女を導くため────

「ナイス! 少佐!」

 ────そして、更なる高みへ立たせるために。
 誰しもが翼を持っているのだと信じさせるために、シュトロハイムは自分より先、遥か高みへ少女を放る。

「全て陰で覆ってしまえ! ルサルカ、お前こそが黄金の神鳥グリンカムビだ!!」

 日の光を背にする形。見下ろす先は遥か下。この位置こそ最良、ルサルカの持つ創造を最大限の速度で発揮する!!

「Csejte Ungarn Nachatzehrer!
(拷問城の食人影!)」

 位置の関係もあっただろう。日の位置と高低差、影の伸びる配置を考えれば、頭上を抑えるのは当然だ。
 だがそれ以上に、彼女は昂っていた。ほんの一瞬。けれど確実に、自分は今確かに高みへ立っている。
 この舞台の主演として。自分の力ではなく、他社を借りたものであったとしても確かにこの場所へ立てたから。
 だから、散るべき敵には退場願おう。
 自分はルサルカ・シュヴェーゲリン。空へと飛びかう者を落とす、水底の魔性。捕えるだけでは済まさない。
 影より響くのは……血の凍るほどの呻き声。黒円卓の法理より外れた魔女としての業。

「おのれ……おのれおのれおのれおのれおのれぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 影に飲まれる。食人影ナハツェーラ の銘に相応しく、影の海へとカーズは溺れ沈んでいく。

「Gute nacht(おやすみなさい)」

「RRRRRRRRYYYEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE……………………………!!!!」

 あまりにも優しく、故に恐ろしい響きを持った離別の言葉を最後に、カーズは魂さえ泥の中へと取り込まれた。
 呼吸さえ許さず、ただ深く、深く、果てのない深海へと手を伸ばしながらもそこは決して見えはしない。
 この汚泥に底などないと知ったとき……カーズは身を任せ、考えることを止めた。


     ◆


 そうして、わたしと少佐との奇妙な冒険は幕を閉じる。
 あれから、わたしと彼は二度と出会うことはなかった。
 あの少佐は、生き永らえたいがために機械となったのではない。
 祖国のために戦い、祖国の為に眠る事こそが目的であり、望みであった。
 そんなことは分かっていた……けれど、それを認めたくなんかなくて。
 もう一度、あの一瞬だけでなく、ちゃんと追いつきたいと手を伸ばしたくて。

 けど……わたしはそれをしなかった。

 彼は閃光だ。何処まで行っても、永遠には決してなれない。
 機械になっても、きっと、わたしと同じ存在になっても彼は彼としての在り方を変えないし、変えてはくれない。
 だから、静かに見送った……肩書だけでしかなかったけど、静かに右手を掲げて、ちょっとでも軍人らしく見えるように。
 笑顔になっていたかは、怪しいけれど。それでも振り返ってくれた彼は傲慢ちきな顔じゃなく、晴れ晴れとした笑顔だったのは覚えている。

「ルドル・フォン・シュトロハイム……一九四三年、スターリングラード戦線にて戦死」

 呟いたのは彼の死を認める為か、それともただ悼んでの物かは判らない。
 ただ、時々は思い返そう。自分の中で、確かな刹那としてあの軍人を残して行こう。
 いつの日かまた、彼のいる場所まで辿り着いたとき。自分の足で、越えたとき。
 胸を張って、自分は飛べたと笑えるように。












     ×××

あとがき

 お久しぶりです。修正にどれだけ時間をかけるのかという体たらくぶりですが……。
 色々と試してみましたが……やっぱり獣殿は無理でした。
 負ける姿……というか、苦戦する図がどうしても想像できなかったので、感想返信でも書いた、ルサルカを主役に、という形を取らせていただきました。
 次からはパワーバランスに気を付けます……今でも結構開いてますが。








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