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[24778] 【ネタ】たぶん病気な、俺と×の物語【ラブコメ?】
Name: ハイント◆069a6d0f ID:c94e815a
Date: 2012/09/01 03:21
 突然だが、俺には奇妙な同居人が居る。
 同居人、というのも変な表現かも知れない。ソイツはおよそ真っ当な意味で人ではないのだから。

「あー! もっと優しく扱ってって言ってるでしょうが!? 力入れすぎ!!」

「‥‥‥」

「だからアンタは繊細さが足りないってのよ! 傷付いちゃうじゃない!」

 今日も今日とて、耳障りな罵声を飛ばされる。ここしばらくの間、こいつの文句を耳にせずにすんだ日の記憶が無い。
 叶うならば今すぐにでも、やかましい!、と言ってやりたかったが自重する。そんなことをすれば、先に倍する勢いで罵倒が飛んでくるのは間違いない。

「ちょ、付けすぎ付けすぎ! なんでそんなにぽんぽん打つのよ!? 前から思ってたけど、思慮が足りないわよ思慮が! そんなに私の肌を傷だらけにしたいわけ!?」

 我慢我慢‥‥‥

「落ーとーしーてー! 拭う前に落として!」

 忍耐忍耐‥‥‥

「って、なんなのこれ! てっしゅ硬いわよ!? もっといいの買ってきなさいよ!」

 怒鳴り声を聞き流し、感情を抑えつつも、努めて優しく肌を拭い終える。蛍光灯の灯りに照らされたそいつを目をすがめて観賞する。
 しかし『てっしゅ』て。ババ臭いな。

「ふふん。どうよ、相変わらず美しいでしょ?」

 腹立たしいことに事実だった。少なくともこの美しさがある限り―――この美しさに魅了された記憶がある限り、俺はこいつを手放そうとは思わないだろう。

「‥‥‥ちょっと、いつまで眺めてるつもり? いい加減寒いんだけど」

 そんなわけねえだろ、と俺は思ったが、よくよく考えると温暖な瀬戸内生まれのこいつにとって、北海道の冬は初体験のはず。暖房を入れていても、精神的に寒さを感じることはあるのかもしれない。

 ‥‥‥精神、ねえ。

 自分が随分と毒されていることに気付かされ、俺は溜息を吐こうとして自重した。今鼻息でも掛けようものなら、烈火のごとく怒られるのは目に見えている。
 俺は油に手を伸ばす。さっさと塗ってやって、今日は終わりにしよう。

「ねえ、ちょっと」

 なんだ。俺は口に出さず先を促した。

「てっしゅ、ちょっとは解しなさいよ。そのまま使われたんじゃたまったもんじゃないわ」

 ‥‥‥文句の多い奴だ。

 仕方ないので、俺は左手でティッシュを数枚取ると、まとめて指先でくしゃくしゃと解してやる。片手だと実に解しにくい。あらかじめ用意しておくべきだったな‥‥‥。

「ちょっと、私の方がお留守になってるわよ」

 はいはい、分かりましたよ。

 もう右手もしっかりと握りなおす。ぐっと握り締めてやると、機嫌を直したのか大人しくなった。
 それにしても、と俺は思う。なんでこんなことになっているのだろうか‥‥‥。

「どうしたのよ?」

 問いかけに、俺は顔を背けて答えた。

「自分の境涯を嘆いていた所だ」
「嘆けるような身分でもないじゃない、馬鹿なの?」
「それは言わないで欲しい所だな‥‥‥」
「ま、私としてはどうでもいいけどね。いい加減就職したら?」
「‥‥‥」

 俺は何故、こんなけったいな代物に説教されているのだろうか‥‥‥。

「べ、別に現状を非難してるわけじゃないのよ? 私としてはどっちでもいいんだけどね!」
「‥‥‥もういいだろ。油塗るぞ」

 面倒くさい話になってきたので、会話を打ち切る。
 最近妙な知識をつけたのか、俺の生活に文句を言われることが増えてきた気がする。由々しき事態かもしれない。

「あ、ちょっと、付けすぎないでよ?」
「いい加減心得てる」
「それと、もう大丈夫だと思うけど、元の方から先端に向かって優しく拭うんだからね!」
「さっきからそうしてるだろうが。一々言われなくても大丈夫だ」
「そう、ならいいけど‥‥‥」
「‥‥‥さっきからどうした。今日は妙に突っかかるな」
「だって‥‥‥」

 しばし躊躇うように沈黙して、そいつは言った。

「だって、アンタこの前逆に拭ったでしょ?」
「ああ。あれは迂闊だったな」

 この俺としたことが、随分とうっかりしていたものだとしみじみ後悔した。そして、しっかりと教訓を心と体に刻み込んだ。あんな真似は一度で十分だ。
 などと俺の中ではとっくに整理のついていた話だったのだが、しかしながら俺の手の中に居るこいつは、俺以上にその一件を引きずっているようで、

「そうよ、迂闊な真似をして! アンタ凄い血出してたじゃない!」
「‥‥‥おまえが『凄い』と形容するほどの出血じゃないと思うんだが」
「でも、骨まで見えてたでしょ!?」
「自分の骨なんで見る機会がないから新鮮だったな」
「あー、もう!」

 腹に据えかねたように叫ぶ。

「だから! アンタがこれ以上怪我しないように! あどばいすしてあげてるんじゃないの!!」

 そんなこと叫ばれてもリアクションに困る。
 というか俺は、こいつに心配されるほど落ちぶれたつもりはないのだが‥‥‥。

「べ、別にアンタの心配をしてるわけじゃないんだからね! 私にアンタの血を付けられるのが嫌なだけなんだから!」
「はいはい、俺だって付けたくないよそんなもん。というか、この前だって最優先でおまえに付いた血の処理をしてやっただろうが」
「うー‥‥‥」

 唸るな。

「とにかく、怪我しないように注意するから。だからいい加減油を塗らせろ。いつまで経っても終わらん」
「分かったわよ‥‥‥怪我しないでよ?」
「留意する」

 こうして、俺はようやく作業の続きに取り掛かることが出来た。












 さて、いい加減にこいつについて説明するべきだろうな。

 この口やかましくて横柄で、割とナルシストで微妙にツンデレ入ってるような同居人(?)

 ‥‥‥察しのいい人はとっくに気付いているだろうが、遅ればせながら、ここで“彼女”の正体を明かそう。

 この物語のヒロインにして、俺の部屋に居座るお姫様。

 輝く地肌に、優雅な曲線を描くすらっとした細身のシルエット。

 いつまで眺めていても飽きないような美しさに、触れれば切れる危うさを兼ね備えた“彼女”の正体は―――






















 ―――『日本刀』である。
















 たぶん病気な、俺と刀の物語

 第一話「日々の手入れ」





 登録記号番号 香川ろ第30×××号
  種別 わきざし
  長さ 37.5センチメートル
  反り 0.8センチメートル
  目くぎ穴 1個
  銘文(表)備州住勝光


 以上が、香川県教育委員会発行の銃砲刀剣類登録証に記された、彼女―――というには、些か抵抗があるのだが―――のデータだった。
 縁あって、というか、普通に俺に買われて家に来たのが今年の春。以来俺の部屋で無聊をかこっている。

「んー‥‥‥やっぱりてっしゅじゃ駄目よ。ちゃんとした拭紙(ぬぐいがみ)買ってきなさい」
『あれ高いんだよ。文句言うな』

 小さく切った眼鏡拭きで丁子油を塗りながら、口に出さず反論する。実の所、こいつと会話するのに声を出す必要は無かった。‥‥‥というか、そもそもこいつの声が俺にしか聞こえていない時点で、多分この声も俺の妄想の産物である。恐らく統合失調症だ。なんてこったい。

「高いって言ったって、高々五百円でしょ」
『おまえが頻繁に手入れしろって言ってこなけりゃ、拭紙使うところなんだがな‥‥‥』
「刀の手入れはマメにしないと駄目なのよ。特に私、白鞘(しらさや)持ってないし」

 マメにやりすぎても傷が付く気がするのだが。それ以前に毎週手入れさせられては、流石に紙代も馬鹿にならない。
 今回は勘弁していただくことにして、先ほどのティッシュを使って拭っていく。刀身を挟み込むようにして鍔元(つばもと)から切先(きっさき)へ。これを逆にすると、先週の俺のように指先を切る羽目になる。

「なによ、小さく切って使ってたくせに」
『あの紙、元がでかいんだからいいだろうそれくらい。一回の手入れに一枚全部なんて必要ないわ』
「貧乏性‥‥‥」
『貧乏ですが、何か?』

 いい年して無職の俺が、そうそう無駄遣いできるわけ無いだろうが。

『というか今回打粉(うちこ)打つ意味あったのか? 週一で手入れしてるんだから必要ないだろうが』
「なによ、あんたがしばらく打粉打ってないなー、とかぼやくから練習させてあげたんじゃないの。‥‥‥余計な傷、付けられそうになったけど!」
『それについてはすまんかった』

 こいつを傷つけるのは、所有者の俺としても不本意である。‥‥‥しかしながら、こいつがぎゃーぎゃー騒がなければ、もっと丁寧に扱えたんじゃないかと思うと、文句を言われる筋合いはないのではないだろうか。
 さて、先ほど塗った油を数度拭い、薄い油膜が残る程度になったところで、御刀様の判断を仰ぐ。

『‥‥‥こんな所か?』
「まあ、いいんじゃない?」
『質問に質問で返すな』

 この時は、拭いすぎても拭い足りなくても駄目である。頻繁に手入れする場合、拭いすぎるということはあまり心配しなくてもいいのだが‥‥‥まあ、俺の場合は聞けば済む。有難いといえば有難い話である。
 油を塗った刀身を灯りにかざして見る。地鉄(じがね)の美しさは勿論だが、俺は油を塗った直後の曇った輝きも結構好きだった。

「いや、いいから鎺(はばき)嵌めて」
『‥‥‥人が浸っている所を‥‥‥』
「刀身の観賞なら鎺嵌めてたって出来るでしょ? 手を滑らせて指落としたらどうする気よ?」

 ‥‥‥ご尤も。

 横に置いておいた鎺を手に取ると、茎尻(なかごじり)から嵌めこむ。ちなみに、こいつの茎は至って普通の形状だ。茎尻は刃上栗尻(はあがりくりじり)といったところか。素人判断なので断言しがたい。ちなみにどうでもいいことだが、栗尻とは、『栗の尻のように丸い』という意味らしい。だからどうしたと言われても困る。閑話休題。

 軽い抵抗を感じつつ、親指でゆっくりと鎺を押し込む。

「んんっ」

 妙な声を出すな。

 奥まで押し込んで一息つく。刀身の観賞の場合は、鎺を嵌めて行うこともある。手を滑らせた時、鎺があればいきなり指を落とす羽目にはならないからだそうだ。こいつは脇差なので片手で保持するのも楽なのだが、大刀ともなれば結構な重さがあるはず。気をつけるに越したことはないのだろう。

「見ないの?」

 鎺を嵌めて一息ついた俺に、御刀様は言った。そんなに見て欲しいのだろうか。
 しかしながらさっきの妙な声で気分が萎えていた俺は、さっさと次の工程に移ることにした。

『柄嵌めるぞ』
「‥‥‥まあいいけど」

 俺はまず、鍔と切羽(せっぱ)に手を伸ばした。嵌めこむ順番は、最初に切羽、次に鍔、また切羽の順である。鍔を挟み込むのが切羽の役割だ。
 なお、こいつの鍔は、片面に人物が彫金されている。この彫金がどちらを向くかというと、切先ではなく柄の方を向くのだ。刀の装飾要素は刀を腰に差したときに見栄えがするようになっており、決して抜いて対峙する相手に見せるものではない。刃文(はもん)だって、対峙した相手からは見えない。友達に模擬刀の切先を向けてもらったことがあるが、本当に点にしか見えないから刀は怖い。

 次いで、柄を嵌める。この時刀は片手に持って垂直に立て、もう片方の手で柄頭(つかがしら)を叩いて嵌めこむ。これも先ほどの話と繋がるのだが、叩くのは柄“頭”である。刀を腰に差したとき、上を向くから柄頭だ。刀身の場合は切先が上になるので茎“尻”だが、拵(こしらえ)―――刀の外装、つまり柄、鍔、鞘など―――の場合は逆になる。よって腰に差した時に下になる鞘の先端は、鞘“尻”(さやじり)となる。

「‥‥‥さっきから誰に解説してるの?」

 心を読むな。
 それにしても、今俺が叩いたのはこいつにとって尻なのだろうか、頭なのだろうか‥‥‥。

 さて、柄を嵌めたら、最後に目釘(めくぎ)を入れる。目釘こそは刀身を保持する最重要パーツであり、その重要度たるや、目釘の無い日本刀は日本刀として認められないほどである。
 刀身を手で持ったまま、目釘を指で挿し入れる。

「んっ、もうちょっと奥まで‥‥‥」
『あとで目釘抜(めくぎぬき)で打ち込んでやるから黙ってろ!』

 だから何故一々声を上げるのか。これが俺の妄想だとすると、俺は全く以って度し難い変態ということになる。
 たしかに俺は日本刀が好きだが、別に性的な意味ではないはずなのだが。

「納めるぞ」

 一声掛けて―――無論顔は背けてである。唾でも飛ばした日には、一晩中怒鳴られ続ける羽目になるだろう―――鞘を取り、棟(むね 峰と言う方が一般的か)を下にして鞘に納めていく。ゆっくりと、一定の速度で、刀身を鞘の内側に触れさせないように、だ。ここが非常に気の使いどころと言っていい。下手に扱うと鞘が削れたり、刀身に傷が付いたりする。刀身の擦り傷をヒケ傷と言い、ほぼ全ての愛刀家はこれを恐れる。
 無論鞘の損傷も忌避すべきことだ。特にこいつの拵は中々の時代物で、鞘は小柄櫃(こづかびつ)付の代物だ。かなり気に入っているので、損傷は出来る限り避けたい。

「‥‥‥ふう」

 最後ぐっ、と力を込めて刀を納め終えると、俺は息を吐いた。刀の手入れはそれなりに神経に緊張を強いる。引き篭り気味の今の俺には、少々辛い。

「お疲れさま。‥‥‥それと、外に出なさい」
「心を読むな。てか、気付いたら雪が積もってやがるんだが」
「出なさい」

 何故俺は刃物に説教されているのだろう。

「ちょうどいい機会だし、近所に新しく出来たっていうスーパーで、良いてっしゅ買ってきなさいよ。来週使ってみるわよ」
「ティッシュは駄目なんじゃなかったのか」
「一応使ってみてから批判するわ。一応最近の本には、てっしゅでもいいって書いてあるんでしょ?」
「薬品含まないやつな。まあ、部屋のティッシュも無くなってるし、買ってきてもいいか‥‥‥」

 たまに高級品を使うのも悪くは無い。できれば安売りやってるといいんだけどな。

「そういえば昨日使い切ってたわね。ゴミ箱にはいっぱいあるのにね」
「おまえ少し黙れ」

 寒いんだから仕方ねえだろうが。それ以外の用途が無いとは言わないが。

「水に流せるてっしゅが便利だー、とか言ってたくせに」
「便利なものを便利だと言って何が悪いんだ‥‥‥!」

 実に口うるさい御刀様だった。
 というかなんで刀なのに女性人格なのか。フロイト的におかしいと常々思っているのだが、いまだに答えが見つからない。単なる俺の願望だと言う説が最有力ではあるが、正直認めたくなかった。

 刀を擬人化するなら、渋い古武士だろう常識的に考えて‥‥‥!

 などと憤ってみても現実は変わらない。そもそも俺が見ている現実は、多分本物ではない。なんだこのホラー。この話、ラブコメじゃなかったのか。タイトル詐欺にもほどがある。

「なんか変な思考が挟まったけど大丈夫?」
「電波が飛んできたようだ」
「‥‥‥頭、大丈夫?」
「貴様の存在そのものが、その疑問に答えをくれているな!」












 ―――とまあそんなこんなで、どうにか俺は今日も生きている。

 この物語は、たぶん頭のイカレちまった俺と、刀の物語。

 ここまで読んで後悔しなかった方は、また次回もお付き合いいただければ幸いに存じ候―――
















あとがき

 皆様はじめまして。ハイントと申します。
 ふと気が乗ってしまった物で、こちらに場所をお借りし、習作など公開させていただきます。
 自ら書いた文章をネットで公開するのはほぼ初めてなので至らない点、多々あるかと存じますが、平にご容赦下さいますようお願いいたします。
 ご感想などお待ち申しております。

 さて、この話ですが、最近『俺妹』にハマってしまいまして、ツンデレラブコメなんぞを書いてみようと思って書き上げた次第です。
 つまり『俺の脇差がこんなに可愛いわけがない』という発想です。二次創作と紛らわしいので、タイトルは変えましたが。
 ヒロインは日本刀です。別に擬人化されているわけでもなく、単に主人公の脳内に声が聞こえる、ただそれだけの存在です。
 途中で主人公の病状が悪化し、美少女形態とかも見えるようになるかもしれませんが‥‥‥そこまでネタが続くか、正直微妙です。
 とりあえず次回は、「駄目ー! 目釘穴広がっちゃうー!」を予定しております。
 この度はこのような駄文をお読みくださり、誠にありがとうございました。


追伸
 ちなみに刀の手入れにおけるティッシュの使用についてですが、普通のティッシュは原則使えないものと思っておいて下さい。
 作中では省きましたが、結構条件厳しいです。興味のある方は自己責任で。



[24778] 第二話
Name: ハイント◆069a6d0f ID:c94e815a
Date: 2010/12/28 23:51
 それは、ある日のことだった。
 いつものように御刀様の手入れをしていた俺は、ふと思い立って訊いてみた。

「なあ、この目釘、いつから使ってるんだ?」
「んー?」

 ‥‥‥寝てやがったなこいつ。
 刀が寝てどうする。敵は起きるのを待ってくれないんだぞ―――などと言いそうになった俺は、別にこいつが起きてようが寝てようが、武器としての威力に差異はない事実に気付いた。
 あれ、こいつ何の為に人格獲得したの?

「そんなこと言われたって知らないわよ。大体私が物を考えられるようになったの、あんたと出会ってからだし」
「なんて投遣りな設定。俺の妄想力も衰えたもんだ‥‥‥」
「妄想じゃないっての。自我はなかったけど記憶はあるんだから」
「ほほう」

 それでは先ほどの疑問に答えられるはずだな?

「目釘? えーと‥‥‥先の戦の後、先帝陛下がお隠れあそばされる前、かな‥‥‥」
「範囲広いな!?」

 意外に歴史を感じさせる代物だった。最低でも20年以上使われていたことになる。

「‥‥‥ってことは、この拵はそれより前から使われてたのか」
「拵は‥‥‥んーと、徳川がまだ公方様だった頃に作られたかな」
「またしても範囲が広すぎる‥‥‥」

 古刀は伊達ではなかった。流石に足利将軍の御世に打たれたというだけのことはある。

「しかし、それ回答になってないんじゃないか」
「しょうがないじゃない。当時は元号なんか興味もなかったんだし」
 たしかにそうかもしれんが。そういえばうちに来る前は、結構長いこと蔵に放り込まれてたとか言ってたっけか。
「で、目釘がどうしたの?」
「ああ、ちょっとな」

 訊かれたので、目釘をかざしてみせる。
 至って平凡な竹の目釘である。先端が若干削れたようになっているが、頭は丸めてある。ちなみに、目釘の頭を丸めるのは打ち込みやすくするための心得だそうだ。御刀様が言っていた。

「こいつなんだが、少し細くないか?」
「今まで使ってて不自由なかったんだから、問題ないと思うけど」
「しかし頭側はいいんだが、反対側が微妙に穴に対して浮いてるように見えるんだが」
「‥‥‥穴の位置、ちょっとずれてるからね」

 柄の目釘穴は刀身の目釘穴に対応して開けるのだが、なにしろ規格もスケールも無かった時代の話である。穴の位置が完璧に合っていることなど中々無い‥‥‥というより、使っているうちに微妙にずれる。こいつは装身具としての意味合いが強い脇差なのでまだマシな方かもしれないが、それでも長い年月の間に多少の狂いは生じていた。
 具体的にはこいつの場合、切羽の厚みを変えたのかなんなのか、刀身が若干切先寄りにズレていた。ついでに言うと目釘の角度が若干斜めになっている。目釘は鍔に対して平行が基本だった気がするのだが‥‥‥まあ、これはこれで刀身のズレに対応しやすいかもしれん。

「というか鍔鳴りしてるじゃないか。緩んでるぞこれ」
「ずっと観賞用だったからね‥‥‥なんだかんだで、今となっては拵も骨董品と言えなくもないし‥‥‥」
「売っても二束三文だろうけどな」

 柄は痛みも少なく比較的しっかりしているが、鞘は所々塗装が禿げている。というかそもそも買った値段が安い。研ぎ上がりの刀身と拵の揃いで六万である。

「大体刀身の目釘穴が大きすぎるんだよな。そのせいで変な位置に目釘が入ってる」
「別にいいでしょ!? あんたが持ってる似非刀みたいに、目釘が目釘穴にぴったり合ってる方がおかしいのよ!」

 模擬刀のことか。あれは刀身ごと一気にドリルで穴あけてるんじゃないか?
 ちなみにうちの模擬刀は、俺が中学生の頃、誕生日に買ってもらったものだった。居合用でそれなりの高級品である。当然こいつよりも俺との付き合いは長い。

「エセ刀って言ってやるなよ。拵の立派さで負けてるからって‥‥‥」
「なーにーよー! ちょーっと真新しい素材で作られてるだけの量産品と比べないでくれる!? 大体ねえ、拵がいくら立派でも、刀身にあんなちばけた金属使ってるくせに『カタナ』名乗ってるなんざごうがわくんよ!」
「標準語か英語か北海道弁で頼む」

 何処の言葉だ。

「とにかく、私はあんなのと違うれっきとした備前刀なんだからね!」
「おまえさんの主張は理解したが、話の本筋は覚えてるのか」
「なんだっけ?」
「目釘を新調しないか、って話だ」
「‥‥‥最初からそう言いなさいよ」

 たしかに話を脱線させたのは俺だった。こいつとは普段暇つぶしの会話ばかりしているので、こういうことがままある。社会復帰のために、こういうところは改めなくてはなるまい。

 ‥‥‥いや、刀と会話してる時点でアウトか‥‥‥。

 などと己の人生に深刻な不安を抱える俺に、御刀様は鷹揚に返事した。

「ま、あんたがそんなに目釘作ってみたいなら反対はしないわよ」
「やっと許しが出たか!」

 というわけで、今回のお題は。










 たぶん病気な、俺と刀の物語

 第二話「目釘の製作」










「じゃあとりあえず、こいつでやってみようと思うんだが」

 言って取り出したものを見て、御刀様は渋い顔をした。
 ―――いや、顔ってどこだよ。俺は今何が見えたんだよ。
 思わず頭を振ったが、視界には特に変なものは映っていない。危うく一線を越えるところだったのだろうか。こいつの声が聞こえるようになってからというもの、毎日が刀刃の上を渡るような生活である。死にたい。

「それ、木じゃない。竹じゃないの?」
「竹は加工が難しいだろ。これだって、一応は武道具屋の店主から譲ってもらった目釘材だぞ」
「‥‥‥まあ、あんたの練習だと思って我慢するわよ」

 俺が取り出したのは、直径六ミリほどの白っぽい木の棒材だった。東急ハンズで竹ひごの横に売ってそうなアレである。先日御刀様の要望で下緒(さげお)を買いに行ったとき、ついでに所望した所、タダで譲ってもらえた物だ。
 別に竹の割り箸なんかを使って作っても良いのだが、今回はとりあえずこれでやってみようと思う。

「で、目釘の作り方は知ってるの?」
「当然調べた。間違ってたら指摘してくれ」

 まず、刀を鞘に納めたまま床に置く。穴の大きい方を上にして、大体の大きさの目安をつける。
 次に小刀で目釘材の片方をテーパー状に削る。出来る限り角度が緩やかになるように削るのが重要である。

「‥‥‥意外に難しいな」
「小刀が大きすぎるんじゃないの?」
「本来接木用らしいからな。肥後守買ってくるべきか」

 昔使っていた肥後守は少し前に失くしていた。このサイズの木材を削るには、最適だったのだが。

「でも随分と切れるじゃない」
「こいつも一応宗近の系譜らしいからな。奈良で買った」
「えっ」

 驚いていた。まあ、伝説的な刀工の末裔が接木用の小刀打ってたら驚くか‥‥‥。

「三条宗近って山城国(京都)じゃないの!?」
「驚く所そこか! いいじゃねえか弟子が大和(奈良)で作刀したって!」

 たしかに五箇伝的に引っかかるけどな! 俺も当時店の人に訊いた覚えがある。

 ‥‥‥などと世間話をしている内に目釘材の加工の目処がついたので、会話を打ち切って次の工程に移ることにする。
 先細りに加工した目釘材を目釘穴に挿入し、軽く目釘抜で打ち込んで固定、両端を切断する‥‥‥のだが。

「‥‥‥なあ」
「‥‥‥何よ」
「なんで途中で引っかかるんだ」

 挿し込んだ目釘材は、何故か目釘穴にきっちりと収まらなかった。まさかというか、これって普通に。

「‥‥‥目釘穴、ズレ過ぎじゃ」
「あんたの加工が悪いの!」
「いやいやいや、明らかに刀身の目釘穴の縁で引っかかってるぞこれ」
「穴にあわせて臨機応変に対応するのが筋なのよ! 自分の技能不足を私に転嫁しないでくれる!?」

 そんなに怒られても。
 というか、流石に目釘穴から刀身の鋼が見えるのはまずくないか? とりあえず、試しに目釘抜で軽く打ち込んでみる。

「ちょっ、無理矢理入れないで!? 引っかかってる、引っかかってるから!!」

 打ち込むと、一応は入っていく‥‥‥のだが。

「抜いてー! 痛い痛い! 痛くないけど精神的に痛い! 中にすっごい響いてる!!」
「‥‥‥もう抜くから安心しろ」

 引き抜いた目釘を見てみると、見事に柄頭側がささくれている。前から使っていた目釘を見ると、やはり刀身が食い込んだ痕―――刀を振ると、多かれ少なかれ遠心力で刀身が目釘に食い込む―――のある方向が、やや抉れたような形状になっていた。

「つまり打ち込む側は柄の穴にぴたりと合わせ、内部では刀身が安定するように、中間部分の厚みを調整する必要があるのか‥‥‥」
「ううっ、あんな強引に打ち込むなんて‥‥‥広がっちゃったらどうするのよ‥‥‥」

 思った以上に難物だった。めそめそ泣いてる御刀様はとりあえず放置し、俺は対策を考える。刀身がぐらつかないよう、ぴたりと合わせなくてはならないのだが‥‥‥。

「とりあえず、ささくれを目安に削ってみるしかないか‥‥‥」
「広がってないわよね? 前の目釘、ちゃんと合うよね‥‥‥?」

 やすりも用意した方がよさそうだ。しかし竹で目釘を作った前所有者は凄いな。俺もいきなり竹でやるとか言い出さなくて良かった。
 ささくれを削り落として断面がやや半月状になるようにする。さらに刀身で引っかからないよう、前の目釘を参考に角度を調整する。折れやすそうな形状だが、入らなくては仕方ない。その辺は後で調整しよう。

「‥‥‥よし、とりあえず出来たな。試してみるか」
「うっ‥‥うっ‥‥‥」

 まだ泣いてた。

「いやいや、いい加減落ち着けって」
「だって、あんたがあんな無理矢理‥‥‥。もっと優しくしてくれると思ったのに‥‥‥」
「加減が分からなかったんだよ‥‥‥」

 なんだろう、凄くいたたまれない気分になる。こいつが俺の妄想だとすると、この反応は俺の罪悪感の表れなのだろうが‥‥‥。

「わかった、わかったから。ちゃんと丁寧に扱うから、とりあえず目釘試させてくれ」
「‥‥‥なによ、あんたっていっつもそう! そうやって自分の都合ばっかりで、私のことなんて考えてくれないじゃない!!」
「うるせえ味噌汁ぶっかけるぞ」
「うわぁーん!」

 凄い勢いで泣いたぁーっ!

 ‥‥‥いや、たしかに味噌汁は無かったな。ある意味折るより酷いな。

「ああもうわかったから! また今度下緒とか買ってきてやるから!」
「下緒じゃやだ! 刀掛買って!」
「なんだと!?」
「買ってー! もうプチプチで包まれて箱に入れっぱなしは嫌なのー!!」
「くっ‥‥‥」

 まあ、実は俺もちょっと欲しいと思ってたから、この機会に手に入れることは構わないか‥‥‥。

「分かった。買ってやるから泣き止んでくれ」
「ほんとに‥‥‥?」
「武士に二言は無い」

 今時口にする機会の無い言葉だが、ことこいつに限っては、この一言は絶大な威力を発揮する。

「わかった。約束だからね! 嘘ついたら十文字腹だからね!」
「わかったわかった。今度こそ切ってやるよ」

 しかし十文字腹とは、よほど怒っていたとみえる。いつもは一文字腹なんだけどな。
 とにかく気を取り直し、俺は先ほど削ったばかりの目釘を取り出した。我ながら中々丁寧な仕事である。

「さて。じゃあ入れるぞ」
「うん、来て‥‥‥」

 ゆっくりと目釘材を挿入する。上手い所引っかからずに奥まで入った。すくなくとも目釘穴は綺麗に埋まっていると思うが‥‥‥。

「どうだ?」
「うーん、ちょっと刀身が遊んでる感じがする」
「だよなあ‥‥‥」

 指で鍔を軽く弾くと、かちゃかちゃと音がする。元々金具に歪みがあるのかもしれないが、それにしてもちょっと鳴りすぎである。前の目釘のときより酷い。
 目釘材を抜かずに軽く振ってみるが、わずかに茎が動いている感触がする。

「この状態で試斬したら、柄割れるんじゃないか」
「試さないでね?」
「やらん」

 とはいえ、これはまだ手で挿入した段階である。

「打ってもいいか?」
「優しく、ね」
「了解」

 刀を床に置き、目釘材の尻を打つ。コッ、コッ、と鈍い音がして、目釘材が一ミリほど深く入った。

「‥‥‥どうだ?」
「ん、これくらいなら‥‥‥」

 これ以上御刀様の機嫌を損ねない内に、次の工程に移ることにする。飛び出した両側を切り落とす。前に購入しておいた細工鋸の出番である。
 柄巻に触れないよう注意を払いながら切断すると、綺麗な切断面が現れた。流石にメイドインジャパンの鋸は高性能である。というかやはり。

「刃物は日本に限るな」
「‥‥‥ふふっ」

 あ、ちょっと機嫌直った。

 ともあれ一応目釘も形になったので、もう一度刀を抜いて振ってみる。まだ鍔はかちゃかちゃ鳴っているが、先ほどに比べると若干遊びは少なくなった気がする。茎が動く感触も無い。
 うーん、これなら前の目釘のほうがよかったかなあ。

「金具の緩みは同じくらいじゃない?」
「だがこっちは真新しい木材だ。縮みや圧力による変形があるんじゃないか?」
「夏にはむしろ膨らんだり? あまり神経質にならなくてもいいと思うけど。前の目釘は少し痛んでるだろうし」
「材質的には竹の方が目釘向きなんだけどな。劣化分差し引いたら難しい所か」

 もう一度軽く振って、鞘に納める。新しく作った目釘を抜いて、切断面を小刀で削る。角を取って両端が丸みを帯びるように削れば出来上がりである。

「あんたって、そこそこ器用よね‥‥‥」
「大工仕事、刃物研ぎ、魚の解体に畑仕事と、田舎生活の必要技能はそれなりに習得している」
「仕事しろ」
「おまえの声が聞こえなくなったらな」

 これはこれで結構便利なんだけどな。如何せん病気だからなあ。
 とりあえず御刀様の追求は受け流して、新しい目釘を嵌めてみる。やはり小刀で削ると、鋸で切りっぱなしとは色合が微妙に変わって、印象が変わる。先ほどは雑な印象だったが、これなら及第点だろう。

「色が白くて少し違和感があるが、まあこんなもんだろ」
「ん、ご苦労様」
「いやいや。ところで古い目釘どうするよ」
「一応取っておいたら? 折れた時困るし」

 折れるような使い方をする予定はなかったが、捨てるのも惜しい。お言葉どおり刀の手入れ具と一緒にしまっておく事にしよう。

「と、その前に一応合わせてみるか。もう一回目釘抜くぞー」

 トントンと強く叩いて目釘を外し、古い目釘を嵌めてみる。改めて比べてみると、やはり新しい目釘はきつい。やっぱり前の目釘が緩んでいた‥‥‥というか、

「‥‥‥ねえ」
「‥‥‥なんだ」

 一瞬沈黙し、御刀様は叫んだ。

「やっぱり、 広 が っ て る じ ゃ な い ! ! 」
「ですよねー!」

 うん、まあ明らかに以前より深く入るようになってるしね‥‥‥。

「しかし作業手順上、目釘を新調したら多少は広がるのが普通じゃないのかこれ!?」
「うるさい! あんたが最初強引に打ち込もうとした時に広がったに決まってるでしょうが!? あの時速やかに目釘の調整してたら、こんなことにはならなかったのよ!!」
「うぐぅ‥‥‥」

 返す言葉も無かった。うぐぅの音しか出ない。

「だから私の言うことちゃんと聞かないから! こんなことになるのよ! 今度からちゃんと私の言うことに耳を傾けなさいよわかった!?」
「はい‥‥‥」
「そもそも最初に会った時からあんたは‥‥‥」













 ―――こうして、俺の初めての目釘製作は微妙な結果に終わってしまった。

 この後しばらくの間御刀様の怒りは収まらず、三日三晩脳内で説教され続ける羽目になる。

 こんなグダグダな毎日だが、俺は何とか今日も生きている―――












あとがき

 年の瀬の押し迫る今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 私は前回投稿した翌日、しみじみ思いました。

「この作品、笑い所はどこだよ‥‥‥」

 ともあれ第二話、投稿させていただきます。
 今回は刀を触ったことの無い方には些か状況が想像しがたい気がしたので、ヒロイン分増し増しを心がけました。
 ご感想、お待ちしております。

追伸
 なお、作者は極一般的な北海道民のため、作中で使用した岡山弁が正確かどうか保証できません。
 詳しい方が居られましたら、ご指摘いただけると幸いです。



[24778] 第三話
Name: ハイント◆069a6d0f ID:a5c8329c
Date: 2012/05/19 10:04
 しゅるり、と衣擦れの音がする。
 八畳ほどの和室の中、ぱさりと衣服が床に落ちて音を立てる。
 家人の出払ったある夜のことである。俺と御刀様は、一線を越えようとしていた。

「……まさか、おまえとこんな日が来るとは思わなかったな」
「そう? 私はいつかこうなるって、確信してたけど」

 それは一体どういうことだ。

「なんでそう思ったんだ。そんな素振りは見せなかったはずだが」
「ま、あんたなんだかんだ言っても変態だし? これくらいはやるんじゃないか、ってね」

 否定できなかった。現実にこうしている以上、反論は何の意味も持たない。ここで言い訳を重ねるのは、男らしくないだろう。
 俺は服に手をかける。上等な生地の滑らかな肌触りに、思わずにやけそうになる頬を押さえる。

「なにニヤついてるのよ。いやらしい」
「言うな。俺としても、色々と思うところがあるんだよ」
「……ふーん」

 いつもは高飛車な御刀様だが、今日は随分と大人しかった。彼女も緊張しているのだろうか?
 だとしたら可愛い所もあるもんだ……そんな感慨が胸の内から湧いてくる。

「それにしても、久しぶりだから上手くできるか分からんな……」
「私としては、むしろあんたが経験あるってことが意外よ」
「おまえは俺を何だと思ってるんだ」

 軽口を叩きつつも、手の動きは止めない。
 こういうことをするのは数年ぶりなので、少々不安だったが……手はスムーズに動いてくれる。俺も案外捨てたものではないな。

「これでどうだ?」
「ふーん、意外と様になってるじゃない。……結構格好良いわよ」
「……そうか」

 褒められると面映いな……御刀様も、なんかいつもより盛り上がってないか。
 気恥ずかしさに、俺は御刀様を手に取った。

「準備はいいか?」
「ん、私はいつでもいいわよ」
「じゃあ、いくぞ」

 そして、俺は、御刀様を腰にあてがい、力を込めて―――

























 ―――“差した”






















「おお! やっぱり紋付袴には脇差だな!!」
「ああ……! もう何年ぶりかしら、こうして腰に差されるの。やっぱり刀に生まれたからには、主人の腰にあるのが喜びってものよね……!」

 というわけで! 今回はコスプレだヒャッホーゥ!!!











 たぶん病気な、俺と刀の物語

 第三話「帯刀の作法」





「いやー、しかし紋付着るのなんか成人式以来で、少し緊張しちまったよ」
「そういう割に、迷い無く帯も袴も締めてたけど?」
「……フフ。昔取った杵柄、ってやつかな」
「その笑い方やめなさい」

 ……素で注意されると流石に凹むんだが。

 とはいえ、俺のキモい笑い方も、御刀様の機嫌を損ねるには至らなかったようだ。すぐに鼻歌を歌い出す。鼻とか無いのに。

「ふんふんふーん、うちの主人は素浪人~」
「待て! 無一文ではない!」

 失礼極まりなかった。

「じゃあ部屋住み浪人~。語呂悪い~」
「実家暮らしの何がいけないというんだ……!」

 一応これでも惣領である。……ん? 長男って部屋住みって言うのか?

「いや、そもそも惣領が浪人っておかしいからね?」
「……それもそうか」

 今の時代、例え長男であっても大抵は就職活動が必須である。惣領……親の領地をそのまま相続して食っていける人間など、どれほど居るか。
 というか、徳川殿や前田様の直系でさえ職に付いている時代である。木っ端役人の子孫である俺が楽できるわけが無い。

「それと長男も相続前は部屋住みだから。一応」
「そうなのか。時代小説なんかだと、次男三男にしか言わない印象があったが」
「部屋住みっていうのは、そのまんま部屋に住んでる人のことだからねー。家主以外は部屋住みよ」

 知らんかった。こういう時の御刀様の知識はどこから出てくるのだろう。俺が覚えていないだけで、何時か本で読んだりしたことがあったのだろうか。

「しかしなんだ、こうして腰にあると、こうなんだ、クルものがあるな……!」
「うちの主人は語彙が貧弱~」
「どうしてうちの脇差は盛り上がりに水を差すのだろうか」
「話の腰を折ったりね」
「合わせて腰に差すってか。やかましいわ」

 あんまり上手くなかった。そしてなんかキャラ変わってないですか御刀様。

「それはあれね。やっぱり脇差は腰にあるのが自然だから? 私もこれが自然な姿? みたいな?」
「その今時のギャルっぽい口調が自然な姿だと……?」
「いやその、口調はまあアレよ。その、アレよ」
「おいどうした婆。語彙が俺に劣らず酷いことになってるぞ」
「ババアって言わないでよ!?」

 切れた。刀だけに切れやすいんですね、わかります。

「……いやまあ落ち着こう。なんかお互いに残念なことになってる」
「……そうね。私も大人気なかったわ」
「まったくだ。俺は初体験なんだから、経験者のお前がリードするべきだろう」
「えっ? ……いやその、えっ?」
「何故キョドる。まさか初体験とか言わないだろうな」
「い、いえそんなことはないけど……そういう言い方されると、その、ねぇ……」
「………」

 ……どうしようこの空気。

 困った俺は、とりあえず姿見に向き直った。ちなみに今俺が居る場所は一階の和室である。畳敷きで、奥には仏壇やら神棚やら床の間がある。
 さて、改めて自分の姿を見てみよう。黒い染め抜き五つ紋の長着(ながぎ)に仙台平(せんだいひら)……いや、正確には米沢平だった気がするが、とにかく縞柄の袴を十文字に結び、足元は白足袋。
 羽織は脱いでいる―――紐の位置が低く柄に引っかかるため、御刀様が嫌がったのだ―――ものの、和服の第一礼装である。

「うん、いいんじゃないかな」
「もう少しお腹周りが太い方が映えるんだけどね」
「サラシを巻くと動きにくくてなあ。おまえの感触も感じにくいし」
「……うん、まあ、そういうことなら」

 照れたような空気が伝わってくる。なんだこの御刀様。しおらしいぞ。

 降って湧いたようなデレ期に戦慄する俺だったが、再度気を取り直し、立ち姿を変化させてみる。左向き四十五度の姿勢。

「この角度だと、脇差って目立たないな」
「特に私は拵えが黒いからね。長着の黒に紛れるのよ」

 あ、立ち直った。

「いや、それにしてもこんなに目立たないもんなんだな。お前刃渡り一尺二寸強で、全長五十センチは軽く越えてるだろうに」
「栗形の位置と帯の幅がぽいんと、よ。あなたが思っているより、柄頭が高い位置に来てるでしょう?」
「ああ、たしかに」

 抜刀の仕草をしてみろ、と言われた時、普通の人なら左腰に手を当てるだろう。
 俺は模擬刀で居合の真似事をしたことがあるのでそこには当てないが、それでも臍くらいの高さに右手を持っていくことに違いは無い。
 だがしかし、御刀様の柄頭は鳩尾の高さにある。

「脇差って短いから、柄頭が上を向くように差さないと安定しないのよ。それに本来は大刀が外に来るしね」
「あー、鍔同士が接触したら抜きにくいからな」
「そういうこと」

 なるほど。それに刃渡りの短い脇差であれば、抜刀の角度が水平でなくても十分に抜けるだろう。
 だがしかし、この位置は……。

「ちょっと失礼」
「? どうしたの背中丸めて。お腹痛いの?」
「違う」

 背中を丸めるようにして下を向く。すると、

「なあ、肋骨に鍔が当たるんだが」
「そういうもんよ」
「……そうか」

 痛いというか、いずい(ごろごろとした違和感がある)。
 なんというか、普段椅子に腰掛けてるような感じで猫背になると、鍔が肋骨にぐりぐり当たる。
 試しついでに、地面の物を拾う要領で前屈してみる。

「ちょっ、何やってるの!?」
「いや、ちょっと実験を」
「やめなさい! 抜けちゃうわよ!?」

 あっ。

 危なかった。前傾姿勢での刀の脱落は刀剣事故の原因の最たるものであり、ある意味目釘の破損よりも恐ろしい……そんな基本的なことを忘れていた。
 ちなみに何が危ないかというと、鞘走りする刀を反射的に掴み、親指を落とす人がたまに居るのだ。
 万が一脱落した場合は、そのまま床に落としてしまうのが最善である。……脇差の場合は、完全に抜け落ちて切っ先から足に倒れてくるかもしれないが。

「うっかりしてた……教えてくれてありがとう」
「もう、あれだけ教えたのに、まだまだ刀を扱う気構えが出来てないなんて」

 いや本当に感謝している。今回は完全に俺の油断だった。浮かれすぎてた。

「というか、袴着けてその体勢とかそもそもあり得ないじゃない。腰板入ってるのに」
「物を拾うときは垂直に腰を下ろす。それくらい知ってるけどな……試してみたかったんだよ、帯刀時の自由度と稼動範囲を」
「まあ、戦に備えるその心意気は認めるけどね」

 ……いや、そんな立派なものじゃないんだが。そもそも脇差は戦場用じゃないだろう……。

 ちなみに御刀様の重ね(かさね 刀身の厚さのこと)は、元重ね(もとがさね 鍔元部分の厚さのこと)でおよそ4.5ミリ。とても戦場用ではない。

「なによー。脇差だって立派な戦闘用なんだからねーっ」
「一尺六寸未満は斬るに至らずって、誰かが言ってなかったか?」
「刺せばいいじゃない!」

 いや、そうなんだけどさ。

 ちなみに補足しておくと、刃渡りが一尺六寸に満たない場合、引き斬りの距離が稼げなくて致命傷を負わせられない、という経験則らしい。
 実際に刀を振ってみると分かるが、真剣というのは思ったよりもリーチが短い。少なくとも俺と御刀様(刃渡り37.5センチ)の場合、斬り付けるより蹴りの方が体感のリーチが長かったりする。実際は上体がスウェーしてるか突っ込んでるかの差だろうけど。

「ま、おまえが血に濡れることは当分無いだろ。多分」
「うーん……。まあ、私も今更人を斬るのはちょっと、ねえ。あなたが罪人になるのも嫌だし……“罪人にならない方”は、もっと嫌だし」
「……ま、大丈夫だろ」
「うん……」

 多分、おそらく。
 暗黙の了解の内に交わされる安心のための会話。微妙に居心地の悪い雰囲気に、俺は話題を転換することにした。

「そういやおまえ、さっきから俺のこと『あなた』って呼んでね?」
「ちょっ、いきなりここでその話題出すの!?」
「いや、指摘するタイミングをさっき外したからな」
「くっ。いつものあな……あんたなら、適当にスルーしたはずなのに」

 たしかにいつもの俺なら、御刀様の言動に逐一突っ込みいれたりはしないだろう。
 彼女が俺の幻覚であるからには、その言動の根本原因は自分にある。それが分かっているからこそ、俺は一々指摘したりしない。内心で分析するだけだ。

 “俺が言わせている”

 その自覚こそが、俺を正気に引き止める唯一の楔なのだ。
 とはいえ、女の子の浮かれた声――耳から聞こえるわけではないが――を聞いて、全く動じずに居られるほど枯れてはいない。むしろ枯れてるとか悲しすぎる。童貞なのに。

「さっきからおまえ上機嫌すぎるからなあ。突っ込みたくもなるわ」
「それはその……」

 御刀様が言いよどむとは珍しい。照れ隠しで誤魔化すことはあれど、打てば響くような返答を返してくれるのが、彼女の人格……刀格?だったはずなのだが。
 とりあえず、好奇心のままに先を促す。

「どうした? おまえがそこまで上機嫌になるのも珍しいから、後学のためにも理由を知っておきたいんだが」
「それは、あん……あなたが私の喜ぶようなことをしてくれるから」

 ………。
 ストレートにデレた……だと……。

「いつもは私のこと適当にあしらって、優しい言葉も掛けてくれないくせに……いきなり『腰に差したい』なんて言ってくるんだもの」

 さっきから気になってたが、御刀様的にそれってどういうニュアンスなんだ?
 ……いや、そんなことより。

「私も凄く嬉しかったけど、あなたも凄く喜んでくれて……ああ、やっぱりこの人が私の主人なんだ、って思うと」
「やめてくれ!」

 思わず叫んでいた。叫ばざるを得なかった。
 驚いたようにこちらを見上げる御刀様――いやそんな映像は見えていない。そんな雰囲気がしただけだ、多分――に、俺は感情を殺した声で語りかけた。

「それ以上言ったら、俺は腹を切る」
「そんなに!? そんなに嫌だったの!?」

 所謂“罪人にならない方”である。

「あるいは、切っ先咥えて地面に伏す」
「そんな女の子みたいな!」
「俺は今、俺自身の脳髄を直接にぶち抜きたい気分なんだよ!」

 “俺が言わせている”

 魔法の言葉である。俺を正気に保ってくれる、魔法の言葉である。
 だがしかし……真実は、時に、というか大抵の場合、むしろほぼ確実に、幻想よりも残酷なのだ。

「くそ、なんで俺はまだ正気で居るんだ……」
「正気、なの……?」

 それは言わない約束だろう!?



















 などというハプニングがありつつも、気を取り直した俺たちは、コスプレ会を続行する。
 わいのわいの言いながらポーズを決めたり御刀様を抜いたり納めたりしている内に、なんとなく物足りないものを感じ、俺はふと声に出していた。

「なあ、せっかくだから大刀も差してみたいんだが……」
「駄目」

 即答だった。

「大方例の似非刀でしょ? 嫌よ。私、あんなのと一緒に差されたくない」
「……おまえ、本当に模擬刀嫌いだよな」
「刀の形してるくせに切れないとか、腹立たしいもの」
「最初は親しげに話しかけてたくせに……」

 そうなのだ。この御刀様、当初拵えを見て勘違いしたのか、模擬刀相手に先輩風を吹かせていたのである。
 刀の精霊とか付喪神とかそういう存在の癖に、さらに言うなら俺の妄想の癖に、玉鋼のオーラとか感じ取れないのだろうか。あるいは俺がドジっ子萌えなだけか。
 ちなみに以前そのことを聞くと、
「……拵え“だけ”は立派だもの」
 という返事が返ってきたものだ。

「拵えが立派だからいいだろー? 竹光みたいなもんだと思ってさ」
「竹光は軽いからいいのよ。腰に負担も少ないし。でもアレは駄目。切れないくせに重いとかありえない」
「本身よりは若干軽いと思うんだがなあ……」

 まあ、言わんとすることは分からんでもない。
 武器になりきれず、装身具にもなりきれず……詰まるところ単なる模造品だ、あれは。
 刀が“実用品”であった時代。それは身分証明であり、護身用であり、戦場用であり、あるいはもっと単純に、“道具”だった。
 そういう道具としての刀……人々から“使う”ために欲され、求められた時代の形骸。それが彼女にとっては、合金製の模擬刀なのだろう。

 ……寂しい話だな。

 ふと、自分自身の境遇を重ね合わせていたことに気付き、俺は息を吐いた。
 この感情は、不遜というものだろう。

「……どうしたの?」
「いや。……まあ、そこまで言うなら無理には言わんよ。せっかく今日はおまえもいい気分で居るんだしな」
「……その言い方は卑怯だと思う」

 むくれる(あくまで、あくまで雰囲気である)御刀様の頭……柄頭を撫で、俺は軽く笑った。

「まあ、いずれ本身の大刀を買うさ。その時まで二本差しはお預けって事で」
「……む」

 おや、微妙な空気。

「どうした?」
「いや、……でも……まさか」

 なにやらうんうん唸っている。一体どうしたのだろうか。
 不審に思った俺は、御刀様の頭……柄頭を軽く叩いた。

「おい、どうしたんだ」
「あうっ、ちょっと、あんまり叩かないでよ。馬鹿になったらどうする気?」
「脳みそねえだろ、おまえ」

 そもそも、柄頭は居合や古流柔術などでは当身にも使う。日本刀の拵えの中でも強度の高い部分だ。
 ……そもそも毎週の手入れの度に、柄頭をたたいて刀身を納めているはずなのだが。

「言いたいことがあるなら言ってくれ。俺はどういうわけか、おまえの内心を読めないんだ」

 逆は出来るのにな。

「……そうね。単刀直入に聞く方が、お互いのダメージが少なくてすむかも」
「おー、言え言え」
「じゃあ聞くけど。あなた、私以外の日本刀にも欲情できるの?」



































「……は?」
「だから、私以外の日本刀にも、欲情できるの、って聞いてるの」
「お前は何を言っているんだ」

 いや、マジで何を言っているんだ。俺は至って冷静に答える。

「日本刀に欲情するとかねえよ」
「えっ」
「えっ」
「……質問の仕方が悪かった? 私以外の日本刀も、私みたいな目で見られるの、ってことなんだけど」
「いや、そりゃ日本刀は日本刀だろう」
「いやだから、私のことは純粋な日本刀として見てないでしょ?」
「……ん?」

 あ、ああ、そういうことか。

「つまりなんだ、お前が聞きたいのは、他の日本刀を見たときに、お前みたいな変な人格を妄想したりしないか、ってことか」
「そう! それが聞きたいのよ」
「大丈夫だと思うぞ?」

 うん、多分大丈夫、だと思う。なにしろこいつが姿を見せたのは、中々に特殊な状況だった。イヤボーンとは言わないが、結構その手の展開にありがちな状況ではあったのだ。

「今更二人目や三人目を妄想する理由は無いじゃないか」
「……そうだといいんだけど」

 御刀様は半信半疑のご様子。そんなに信用が無いんだろうか。

「……まあ、いいかな。初めては貰ったし、大刀無しだと決まらないし……」
「なにブツブツ言ってる」
「ううん、なんでも」
「さよか」

 ともあれ今は、このコスプレを楽しむことにしよう。御刀様と一緒に。

「よーし、じゃあ記念撮影いっとくか!」
「あ、良いわね! 私がちゃんと写る角度で撮ってよ!」























 ちなみにその後、デジカメを取りにいこうと二階に上がった俺が、ドアノブに御刀様の柄頭をぶつけ、こっぴどく叱られる羽目になるのは―――


 ―――まあ、お約束ということだろうな。














後書き
 えらく間が空いてしまいました。以前読んでくださっていた方には言い訳のしようもありません。
 なんでこんな長く書かなかったかというと、二話を書き上げた後、リアルでの刀剣愛が燃え上がりすぎまして、燃え尽きてしまったのが原因です。
 欲求不満が溜まっていないと、妄想は湧かない……至極当たり前のことを痛感しました。

補足
 ちなみに抜刀術についてですが、長い刀の抜刀は「水平」も「垂直」も存在します。
 作中で「水平」と言っているのは、主人公の知識の問題です。



[24778] 第四話
Name: ハイント◆069a6d0f ID:a5c8329c
Date: 2012/06/14 02:42
「ただいま」
「おかえりー。外、どうだった?」
「路面が凍って足場が悪いな」
「ふーん。私は見たこと無いけど、地面って凍るのね。雪じゃなくて」

 冬もそろそろ本番を迎える12月のことである。家に帰った俺を出……てはいないが迎えてくれたのは、御刀様のそんな言葉だった。
 何分北海道で生まれ育った俺にはこの冬の寒さはごく当たり前の出来事なのだが、御刀様は瀬戸内生まれである。登録証の発行元が香川県教育委員会であることといい、どうもあまり郷里を離れたこともないらしい。

「今度外に出てみるか? 庭くらいなら出れるぞ」
「うーん……でも万が一結露すると困るし……」

 そう言ってうんうん唸りだす御刀様。本当は外にも出たいのだろうに、難儀な刀だ。
 もっとも法律上あまり外へ持ち出すわけにもいかないので、『出せ』と積極的に言われても困るのだが……こうして俺の部屋で安穏としているのは、彼女にとって不本意なのではないだろうか。

「まあ、冬が駄目なら春になったら出してやるよ。わざと雑草を育てて試し切りしてもいい」
「良くないわよ!?」

 抗議する御刀様の文句を聞き流し、俺は鞄からビニール袋を取り出した。
 本日の戦利品――真鯛(刺身用)である。

「……え、どうしたの、それ」
「今日は親も居ないことだし、たまには自分で夕飯を作ろうと思ってな。買ってきたんだ」
「一尾丸ごと?」
「魚ってのは切られてりゃ切られてるほど高くなるんだぞ? スーパーの水産部門の利益は加工賃が結構大きいんだから」

 しかし良い買い物だった。刺身用真鯛丸魚が980円である。平日にもかかわらずこの値段とは、一体何を考えているのか。案外仕入れ担当が失敗したのかもしれん。

「刺身用半身が580円、四半身が358円に258円でアラが100円ってところか。売れ残りの始末を考えると胸が痛むな……」
「あんたが何を言ってるのか知らないけど、それ、あんた一人で食べるの?」
「お前が食うわけにもいかんだろう」
「いや、そりゃ私は食べられないけど。鯛の一尾を丸ごとって」
「なに、大丈夫だ。おかずはこれだけだから」
「えっ」

 縁起物として有名な鯛だが、これは食材としても普通に優秀で、煮て良し焼いて良し刺身に良し汁物にして良しである。

「アラは汁物にして、半身は刺身、もう半身は茶漬けにしてしまおう」
「偏ってるわね……」
「俺の作れる料理がそれくらいだからなあ」

 とまあ、そんな感じで今回は日常編である。














「……いや、元からこれ日常モノでしょ?」

「言ってはいかんことを!」













 たぶん病気な、俺と刀の物語

 第四話「鯛茶漬けと日本酒」




「……ふぅ」

 出刃と柳刃を研ぎ上げて、俺は一息入れた。研ぎ上がった包丁を軽く拭いて調理台に置き、砥石の後始末をする。
 買ってから数年経つ俺の水砥石は、未だに凹む気配も無い。相応に気を使って研いでいる証拠だった。

「やはり包丁は和包丁だな。牛刀ならまだしも、万能包丁とか使う気が起きん」
「あんた、刀だけじゃなかったのね……変態」
「俺のどこが変態だというんだ!?」
「主に頭」

 酷い言い様だった。そもそも俺がおかしいのは主に御刀様の声が聞こえることであり、俺がおかしくなかったら、そもそも彼女は人格として存在し得ないというのに……。

「くそ、俺の精神を侵食する怪物め! 誰のお陰で存在できてると思ってる!」
「いや、私の本体は実体として存在するからね?」

 たしかにその通りだが、見たいというからわざわざ台所に持ってきてやった俺に対して、相変わらず酷い扱いである。
 妙に不機嫌な御刀様がブツブツ言っているのをいい加減聞き流すことにして、俺は改めて鯛を冷蔵庫から取り出した。

「やっぱり良い鯛だな」
「魚もイケル口だったなんて……」
「……待て、その物言いには悪意を感じる」

 べっつにー? などとほざき始める御刀様を睨みつけ、俺は包丁を手に取った。日本人なら魚がイケル口なのは普通のことだ。多分。
 出刃包丁を手に、何気なく真鯛の頭を落とそうとして……ここで俺は手を止めた。

「いや、鯛茶なら鱗を落とすべきか」

 スーパーのビニール袋を持ってくる。この中に鯛を入れて、出刃包丁の刃でガリガリと鱗を削り落とすと、鯛の皮に見事な網目模様が浮かび上がる。
 この作業、刺身を作る場合は必ずしも必須ではない。皮付きの刺身なら別だが、そもそも鱗を残した方が皮が剥ぎ易いのだ……などという薀蓄はさておき、俺はやかんを火にかけた。

「お湯が沸くまで時間もあるし、少し話し相手になってくれ」
「ふーん、包丁とでも語り合えば?」
「自分から台所に来ておいて、なんで包丁に嫉妬してるんだよお前は……」
「ししし嫉妬じゃないわよ!」
「ツンデレ乙」
「ツンデレじゃにゃいわよ!!」

 ……はて、今こいつはどこを噛んだのだろう。
 などという俺の疑問はいつものことだが、御刀様は噛んだのが恥ずかしかったのか、数秒沈黙した。
 人間なら深呼吸でもしているだろう短い沈黙が降りて、御刀様は再度口を開く。

「ふ、ふんっ、あんたがそこまで言うなら、私も付き合ってあげなくも無いわよ!」
「あ、お湯沸いた」
「ちょっとぉぉおおおおおおおお!!??」

 お湯が沸いたので、俺は次の工程に移る。
 鱗を取った鯛をザルに放り込み、そこにやかんでお湯を掛けると、熱によって身が収縮して鯛が反る。そこに水道水をかけて冷ますと、今度はひっくり返して裏面にお湯を掛ける。
 再び水道水を掛けて冷やすと、そこには一回り小さくなった鯛の姿が!

「いつも思うが、背骨の軟骨とか潰れてるのかなこれ」
「……ねえ、なんか今日冷たくない?」

 スルースキル発動。

 さて、次は三枚卸である。その前にまずは胸鰭(むなびれ)と腹鰭(はらびれ)を取ってしまう。別に付けたままでもいいのだが、ヌメリを洗うのが面倒なので取ることにした。
 次いで頭を落とす。今回は汁物に入れるので胸鰭からざっくりと落とす。この時胆嚢(たんのう)を傷つけると苦くなってしまうので、俺は内臓を傷つけないようぐるりと一周切れ込みを入れ、背骨を切断してから腹を割き、内臓と頭を一緒くたにして身から分離することにしている。
 それから腹鰭のあたりに包丁を入れ、食道と口との接続部分から内臓を切り離す。切り離した内臓は、先ほど鱗を落としたビニール袋の中に放り込んだ。流石に食えない。

「産卵期なら卵とか入ってることもあるんだがなあ。肝は……まあいいや」
「ねえってばぁ……」

 御刀様の悲しげな雰囲気が背中に伝わってくるが、スルー続行。
 というか、刃物を扱っているときに話しかけないで欲しい。正直。

 さて、包丁を一度洗って水を切ったら、次は身を三枚に卸す作業だ。
 といってもなんということはない。鯛の骨は頑丈で、ことこの段階においてはむしろ楽な部類である。
 卸した身は皿の上に乗せておいて、いよいよ鯛の難物、アラの加工に入る。

「樹脂製のまな板は刃が痛みそうで嫌なんだが……まあ、用意するのを忘れてたし仕方ないか」
「……私だったら、そのまな板に切り込むのは嫌ね、たしかに」

 御刀様はそう言うが、包丁と日本刀では扱い方が違う。そもそも包丁は自力で研げるので、刃が痛むくらいは大したことは無い。本焼き(全体が硬い鋼で出来ている包丁)だと下手すりゃ折れるかもしれないが、残念ながらうちの出刃は合わせ(硬い鋼と軟らかい鉄を合わせた構造の包丁)だ。
 まずは鯛の背骨をまな板の中央に据えて、出刃包丁を振り上げる。重さに任せて振り下ろすと、ダンッ、という音と共に刃の根元が背骨を切断する。

「……上手いもんね。片刃の出刃包丁だと、結構振り下ろしの角度が難しいでしょ?」
「流石に分かるのか」
「ふふん、私が何年刃物やってると思ってるのよ」

 思わずリアクションしてしまったが、御刀様のコメントは中々に的確だった。
 西洋の包丁と違い、出刃、柳刃包丁は片刃……つまり刃の角度が切断方向に対して均一ではない。これは包丁を寝かせて斜めや水平に切る際には便利だが、垂直方向に切断しようと思うと力をかける方向がズレてしまう。
 頭を『落とす』時などは親指で刃を支えるのであまり問題にならないが、この振り下ろし……『叩く』際には刃の角度がズレることがあり、中々素人には難しかった。

「『落とす』『卸す』『割く』『剥ぐ』『叩く』『割る』……様々な切り方ができる出刃包丁だが、結局は腕に頼らざるを得ないからな」
「癖がある方がかえって応用が利くものよ」

 たしかにそうかもしれなかった。素人でも扱いやすいように出来ている道具は、用途が決まっていて応用が利きにくいことが多い。閑話休題。

 刃物はさておき鯛である。背骨をブツブツと切断した後は頭を割るのだが、その前にまずは鰓(えら)を取ってしまうことにする。これは大して難しくも無い。鰓に包丁を突っ込んで切り離すだけだ。
 切り離した鰓は捨てる。その後はいよいよ兜割である。頭蓋骨の中心に包丁を当てて、包丁の切れ味に物を言わせて押し込んだ。

「……やっぱ上手くいかないなあ。上手い人は簡単に割るらしいんだが」
「研ぎが甘いんじゃないの?」
「研いだばかりなんだが。まな板が悪いのか?」

 食い込んだところで刃が止まったので仕方なく体重を掛けて押し切ることにする。
 何とか切り離すと、アラの加工はひとまず終了だ。

「とりあえずこれは鍋に入れておくか。出汁は……昆布でいいや」
「野菜は?」
「大根。あとネギ」
「本当に偏ってるわね……」
「やかましいわ鉄分100パーセントの分際で」
「多分炭素もちょっと混ざってると思うけど」

 というわけで、菜切り包丁で大根を薄く切って鍋に投入。ついでに長ネギも切っておく。
 塩を適量放り込んだら、後は頃合を見て火を消せばOKである。

「鯛汁はこれでいいとして、あとは刺身か。俺の柳刃が火を噴くぜ」
「焼きが戻るわよ」
「本当に噴いてたまるか」

 とりあえずは中骨部分を切り捨てる。骨抜きで抜いてもいいが、はっきり言って物凄く面倒くさい上に、力加減を誤ると身がボロボロになる。特に鯛の中骨はしつこく、多少身を犠牲にしても包丁で切り捨てた方がマシだった。
 それから柳刃で刺身を引いていく。白身の魚は身が固く、薄く作る必要があるが、この場合は角度を寝かせて切る。

「良し、完成だな」
「……全部お刺身にしちゃったけど、これでいいの?」
「茶漬けは刺身をご飯に乗せてぶっ掛けるんだよ。何の問題も無い」

 というわけで。















「いただきます」
「いただきます……って」

 俺の目の前には、綺麗に並べられた鯛の刺身、漆器の器に入った鯛のアラ汁、炊き立てのご飯と、彩りこそないが中々に豪勢な食事が並んでいる。
 一人暮らしでもない男の手料理としては、及第点といっていいだろう。もっともその豪勢さは、食材によるところが極めて大きいのだが。

「……ふぅ。捌いていて思ったが、やっぱり良い鯛だな。臭みがない」
「ねえ、これどういうことなの?」
「ん?」

 俺の向かいには、俺と同じメニューが並んでいる。そしてその向こうには、座布団に乗せられた御刀様の姿が!

「いや、お前妖怪だし、お供え物くらい食えるだろう」
「妖怪じゃないわよ! それと私は、お供えされても食べられないから!」
「まあ、お前の分は後で俺が食うからいいじゃないか。気分だけでも浸っておけよ」

 こうしていると、御刀様と一緒に食事をしている気分になる。前から一度やってみたかったのだ。
 実際にこう、目を閉じてみると……なんとなく、御刀様が目の前に居るような気がしてくる。ぼんやりとした輪郭だが、そのシルエットは女の子の形をしていて……

「ちょっと、……何飲んでるの?」
「ん? 日本酒だが?」

 冬らしく熱燗である。北海道の住宅は暖房が効いているので冷でも別に構わないといえば構わないが、こういうのは気分が重要だ。外が寒ければ温かいものが飲みたくなるのが自明というもの。
 最近は暖房の効いた室内でアイスを食う輩が増えているらしいが、俺はそういうのは好きではない。

 ―――男なら、アイスは吹雪の中で食うものである。

「いや、その理屈はおかしい」
「何もおかしくない。スーパーの熱気で溶けかけたアイスが、吹雪の中で固さを増していく感触……一度やったらやめられなくなるぞ」
「……北国の人って……」

 微妙な顔をする……ような雰囲気の御刀様に、俺は首を傾げた。
 まあ元は温暖な土地の刀である。この浪漫がわからなくても仕方あるまい。

「って、ああそうか、お神酒を捧げてなかったな。お猪口で良いか?」
「いや、お構いなく。というか妖怪扱いなのか神様扱いなのかどっちなの?」

 御刀様はそんなことを言うが、日本では妖怪も神様も似たようなものだと思う。
 質問を聞き流して台所から持ってきたお猪口に酒を注ぎ、御刀様の前に置く……前に、俺のお猪口と軽く打ち合わせる。

「乾杯。ふ、女の子と酒を飲むのなんざ、成人式後の同窓会以来だな……」
「……ねえあんた本当に大丈夫? 私何本に見える?」
「一振り」

 などという会話を交わしつつ酒を酌み交わ……せはしないが、気分的には一緒に飲んでいるつもりになる。
 酔いも回ってくる頃、そろそろご飯も減ってきたので俺は刺身を茶碗に乗せた。用意していた急須にお湯を注ぎ、茶碗にお茶を注ぐ。

「……ん? 塩気が足りないな」
「醤油! 醤油忘れてるわよ! 本当に大丈夫!?」

 御刀様のナイスフォローに親指を立てて、俺は醤油を注いで味を調整した鯛茶漬けをかっ食らう。どうして茶漬けというものは、流し込むように食いたくなるのだろう。永谷園のせいか。

「昨今はテレビもめっきり見なくなったこの俺だが、若い頃の刷り込みってのは抜けないもんか。やはりテレビの洗脳力は侮れないな。思えばファシズムの台頭もメディアの発達と密接に関わっているそうだが、技術の進化が政治を動かし、歴史を作る力となるのはもはや自明。では近年のネット文化の発達は、一体歴史にどんな影響を与えていくのか……ところで歴史といえば関が原だが、お前は行ってないのか?」
「……えっ。何?」
「関が原だよ関が原。東軍と西軍の大戦だ」
「いきなりなんで話がそっちに飛んだのか分からないけど……私は戦場刀じゃないんだってば」
「そうなると留守番か。浪漫の無い話だな」
「どうしても聞きたければ、大刀でも買って聞けば? この前買うって言ってたじゃない」
「あー……そんなこと言ってたっけな」

 コスプレした時の話か。たしかに大刀は欲しいと思っていたし、貯金は一応……一応、15万くらいなら出せる。

「ネットオークションなら10万あれば買えるかなあ。ちょっと後で見てみるか」
「そうしたら? ……というか刀掛! 刀掛まだ買ってもらってない!」
「え?」
「ほら目釘! 目釘作ったときに約束したじゃない!」

 ……あー、そんなこと言ってたっけな。

「余計なこと思い出しやがって……」
「ちょ、何よその言い草!? 私の穴を広げた責任、取ってもらうんだからね!!」

 ふむ。中々味わいのある良いフレーズだ。

「もうちょっといやらしく言ってくれ」
「あんたもう酒飲むの止めなさい!」

 何故だ。

 とまあそんなやり取りをしている内に、既に俺の茶碗は空になってしまった。鯛茶漬け美味しゅうございました。
 続けて御刀様にお供えした分を食べなくてはいけないのだが。

「なあ御刀様」
「えっ。……それ私のこと?」
「ん?」

 口に出していったのは初めてだっただろうか。まあいいや。

「俺は自分の分を食い終わってしまったんで、御刀様の分を食いたいんだが」
「なんであんたがいきなりそんな呼び方をするようになったのか気になるんだけど……料理? 勝手に食べれば?」
「よし、じゃあ頼む」

 口を開ける。

「……え? どういうこと?」
「あーん」
「!? どういうことなの!?」

 二度見するお刀様。察しが悪いな。

「いやそういう問題じゃない! あんたそういうキャラじゃなかったでしょ!?」
「なんだよ。たまにはラブコメやろうぜ」
「いい年して何言ってるの!? そういうのは高校と同時に卒業するもんだって、前に言ってたじゃない!!」

 たしかにそんなことも前に言った記憶がある。だが生憎と、酒の力で理性の枷が外れた俺は、そんな良識には怯まない。
 身を乗り出し、御刀様の目を見つめて言う。

「アルコールが入って気付いたんだ……お前が俺にとっての癒し要員、つまりヒロインだって」
「そういうことは人間とやりなさい! 正気に戻って!」

 バシンッと頭をはたかれて、俺は浮かせていた腰を下ろした。

「落ち着いた?」
「……いや、今のはなんだ」
「え?」

 叩かれ……え?

 我が身に起こった怪奇現象に、すっかり酔いが冷めた俺である。
 たしかに最近は、以前よりこいつの存在感が増してきた感覚はあったが……なんだ今の。ポルターガイスト?
 叩かれた部分に手を当ててみるが、当然、そこに痕跡などあるはずも無い。全く不可解な現象だった。

「なんだこれ……ついに聴覚だけじゃなく触覚までハックされたのか?」
「え、なにそれ怖い」
「お前がやったことだろう!?」
「知らないわよ!?」

 御刀様には叩いた自覚は無いらしい。どういうことなんだ……?

 室内を見回すが、当然、俺以外に人間の姿は無い。ペットだって飼ってないし、ゴキブリだっているはずも無い。なにしろ冬の北海道だ。

「お前以外の霊体の仕業とかじゃないだろうな……」
「だ、大丈夫よ! もし悪い霊が来ても、相手が霊なら私が守ってあげられるから!」
「え、マジで?」

 五百年もの舐めないでよ! と胸を張る御刀様。胸……うん、多分張ってる。張って……。


「うわああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 “それ”を顕在意識上で明確に認識して、俺は思わず絶叫した。

「ひぃっ! なに!? どうしたの!?」

 御刀様は俺の叫びに驚いたのか、うろたえている。だがしかし考えてもみて欲しい。うろたえたいのは俺の方だ。

 ―――一体何をどうしたら、鋼と鉄と木と竹と鮫皮と糸で構成された物体が、胸を張ることが出来るというのだ!!

「くそ、どうして俺は気付いてしまったんだ、今まで見てみぬ振りをしてきたというのに!」

 頭を抱える。
 夜中に叫び声をあげてしまったことを、僅かに残った理性がちらりと後悔したが、そんな思考はすぐに恐慌によって押し流された。
 考えてもみて欲しい。彼女は俺の妄想である。妄想とはいえ日本刀であり、明確な実体を持った物体としてこの世に存在している。そしてそれがアニメ的美少女声で話すのは間違いなく俺の妄想からくる幻聴であり、俺の脳内に巣食う仮想の人格の発言なのだろう。それはまあいい。いわゆるイマジナリーフレンドとかいうやつだ。

 ―――だがしかし、それが聴覚のみならず、触覚、さらに視覚まで侵して来るとしたらどうなる?

 言うまでもない。俺の現実は妄想によって侵食され、二度と“正しい”現実を認識することは無い。何故なら妄想とは、大抵の場合において、現実よりも甘美で居心地の良いものだからだ。
 そうやって幻想に囚われ、二度と戻れなくなることを危惧していたからこそ、俺は今まで御刀様に対する認識を、酷く曖昧なものにするよう心がけてきたのだが……ここに来て、とうとうその前提が崩れつつある。
 その原因は、

「アルコールのせいか! 畜生! もう金輪際自宅で酒は飲まない!!」
「それはいい事だと思うけど、でも本当に大丈夫? なんか目の焦点あってないけど……」

 そう言って背中をさすってくれる御刀様はやさしいなあ。

 ……いい加減、俺も観念した方が良さそうだった。

「なあ、お前、今俺の背中さすってるか?」
「え? ……どうやって?」

 そう言って御刀様は首を……首を……傾げているが、俺の背中にははっきりとした手の感触があった。
 手のひらは女の子らしく小さく、体温が高いのか、さすられた場所がほのかに暖かい、そんな手だった。

「どうやってかは俺も知りたいが、しかしもう一度聞くぞ。さすってるか?」
「……さすってあげたいと、思っては、いる……けど」

 それを聞いた俺は、片手を背中に回した。さすっている手の感触に合わせ、虚空をそっと握る。

 手のひらに、確かな感触。

「―――捕まえた」
「あっ……」

 戸惑ったような声を上げた御刀様の手を、俺は指先で撫でさする。
 なるほど、実体のない幻影だ。少し力を入れれば、俺の指はあっさりと彼女の肌を突き抜け、この感触は失われてしまうだろうが……そうすることを躊躇うほどに、その感触は甘美だった。

「小さな手だな……」
「え、その、あれ……なんで? どうして?」

 躊躇う御刀様に、俺は優しく語りかけた。

「愛の奇跡ってことで、いいじゃないか……」
「あああ愛!? そ、そんな刀と人間で不健全な……!」

 いや、ある意味とてつもなく健全だと思う。

 とはいえ、俺も訳の分からない事態にいささか混乱気味である。臭い台詞を吐いてはみたものの、正直どう収拾をつけていいのか分からない。
 世のプレイボーイ共は、一体どうやってるんだろうか。ベッドイン……は流石に無理だ。湿気で刀身が錆びる。

「というかおまえ、俺の手の感触感じてるのか?」
「え、う、うん。なんだか分からないけど、なんだか分からない部位に感じてる」
「多分それは手だな。刀に手なんか無いから、感覚が追いつかなくて当然なんだろう」
「手……これが私の、手……?」

 戸惑う御刀様の手を、俺は体の前に引き寄せた。手の感触はあるが、その抵抗は驚くほど軽い。
 もう片方の手で虚空……腕のあるべき箇所をぺたぺたと触ってみる。

「……腕は無いんだな」
「う、で……? え、私、腕なんか持てるの?」
「手を実体化……いや、実体はないから感触化か? とにかくそういう風にできたんだから、腕も出来るんじゃねえの?」
「そ、そうなの……かな?」

 何を想像したのか、赤くなる御刀様。

 ……というイメージが、俺の脳内スクリーンに映し出される。
 諦めて認識を精査してみると、どうやら俺の見ている御刀様の映像は、視覚映像との重ねあわせではないようだった。あくまで脳内に、イメージ映像として漠然と浮かび上がるだけだ。
 少しばかり安心した俺だが、しかし冷静に考えると病状悪化した事実は覆せない。今後の課題とするべきだろう。

「まあ、なんでもいいや……とりあえずお前に供えた飯を食って、今日はさっさと寝ることにしよう。そうしよう」
「え、私の実体化の練習に付き合ってくれるんじゃないの?」
「はっきり言うが、嫌だ」

 なんで自分から積極的に病気の進行を早めなきゃいけないんだ。

 そんな俺の不満を理解したのか、御刀様は渋々引き下がる。基本的に御刀様は俺の社会復帰を応援しているため、こういう時は話が早かった。

「まあ、あんたが嫌なら仕方ないけど……一応私は、自分で練習しておくからね」
「それは好きにしてくれ。俺は関知しない」

 ……本来なら、脳内仮想人格の行動は掣肘しておいた方が良いらしい。この手の人格は意識せずとも脳のリソースを食っているという。勝手をさせると、主人格の精神に悪影響を及ぼしてくる可能性がある。
 しかし俺としては、御刀様の好きにさせてあげたかった。それは俺が彼女に曲がりなりにも命を救われたからでもあるし、なんだかんだでこの同居人を気に入っているからでもあるのだろう。

 だから、いつまで経っても治らないんだろうけどなあ……。

「……駄目なら駄目って言ってくれてもいいけど」
「いいや、武士に二言は無いよ」
「ごめんね、わがまま言って……」

 ……どうも前回コスプレして以来、御刀様との距離感が分かり難い。
 沈んだ空気を打ち切るように、俺は御刀様に言った。

「ああもう、そっちはそっちで好きにしてくれ! 俺は飯を食ったら皿洗って寝るから、先に部屋に戻ってろ!」
「え、ちょ、いきなり!?」

 御刀様を引っ掴んで部屋へと戻る。袋に入れてプチプチで包んでしまえば、後は大人しくなるだろう。
 刀掛をまだ買っていないことに、この時ばかりは感謝した。













 ―――かくして俺の病状は悪化の一途を辿っているが、それでも俺は生きている。

 社会復帰は遠けれど、賑やかな日々の物語。

 次回はもう少しばかり、賑やかになる予定に御座候―――


















後書き

 ついに擬人化ラブコメモードに突入しました。これでもうタイトル詐欺とは言わせない!

 しかしここまで長かったな……昔の私には構成力が無かったと、つくづく痛感してます。
 物語は先へ先へと進めなきゃいけないんですね。


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