意識が鉛のように重く、底なしの沼に沈むように際限なく沈んでいく。ただ、頭の後ろのほうに…ゆっくりとどこまでも沈んでいるような感覚はある。
全身が重たく、けだるい。腰から後ろに引っ張られているようだ。
前後上下もわからない。体のどこも触れていない。服を着ているという感覚すらない。
この感覚に覚えがある。
「空乃昴」が死んだ時だ。
あの時は眠るのとは違う……決定的な「終わり」を感じた時間だった。
落ちていく、戻れない、無くした、忘れられる、あらゆる喪失感が精神を蝕んだ時間。
「リナ・シエル」は今、同じ時間を果てしない闇の中で味わっている。
(死んだのか……ボクは?)
またなのか。いや、そうであってたまるか。
まだ、まだ死ねない。死にたく無い。あがけるものならあがきたい……!
必死に目覚めようとするが、目が開けられない。いや、そもそも瞼を閉じているのか開けているのかすらわからない。
目の前にはどこまでも深い闇があるだけだ。それは壁なのか? 無限に広がっている空間なのか? それすらも判然としないが、ただ闇がある、とだけわかる。
必死に覚醒しようと無言で叫び続けていると……不意に、闇の一部が晴れた。
(……っ?)
光? いや、違う。眩しさなどはない。ただ、脳裏に走るイメージだ。
最初は闇の霧の中に、朧月のようにぼんやりと映るだけだったけど……時が経つにつれ、まるで焦点が合っていくように映像を結実していく。
ボクはアークエンジェルの通路を進んでいる。視界は上下にぶれ、息遣いも感じる。かなりの速度で走っているようだ。
どこの通路だったか。ぼんやりとした頭で記憶を探るが、もうだいぶ長い時間をアークエンジェルで過ごしたから、それはすぐにわかった。
確か、後部艦橋に続く通路だ。しかし、後部艦橋に向かって走った記憶なんてない。じゃあ、これはただの夢?
〔侵入したザフト兵は後部艦橋、第2区画14番通路を逃走中〕
「案内ありがとう……マカリ、もうすぐ」
自分の位置を教えてくれる艦内放送に対して、嘲り混じりに呟いてから、自分を迎えに来てくれた青年に声をかける。
その青年――マカリというらしい――は、苦笑混じりに答える。振り返らないせいで、その顔は見えない。
「……まるで、俺が迎えに来てもらったみたいだな」
マカリ。変わった名前だ。どの国の人物名ともとれない。少なくともアークエンジェルのクルーにはそんなのはいなかった。
じゃあ誰だ。振り向け。そう思ったが、首は動かない。視界は勝手に左右に振られ、見て欲しい方向を見てくれない。やっぱりこれは夢なんだ。
ただ、その声もどこかで聞いたことがある。いつだったか。録音機かビデオ越しに聞いたことがあったような。思い出せない。
映画の観客にでもなった気分で、その映像をぼんやりと眺める。とはいえどこかに座っているのでもなく、ただ意識が漂っているだけ。
後部艦橋に詰めていたクルーが曲がり角から顔を出して、手にしている拳銃で撃ってくる。
(……!!)
反射的にリナは眼を閉じようとしたが、瞼は無かった。映像が咄嗟に跳躍して、物陰に隠れたようだ。
自分並み……いや、それ以上の反応速度だった。さっきのクルーは、ドアを開けたのとほぼ同時に撃っていた。狙いも正確だった。
それを超反応で横っ飛び、銃弾の雨をやり過ごした。リナは微かに驚いた。自分の記憶では、こんなに自分の体が動いたことはない。夢補正というやつか。
ハッチの手前のちょっとした柱の陰に隠れて、銃声と跳弾の音が止むのを待って、頭上でバンバンと銃声が鳴った。マカリが撃ったのだろうか。
うあ、とうめき声。当てた? 死んだのか? それもマカリの顔を見れないのと同じように、リナには確認する術はない。
「行くぞ」
「……うん」
ちらっと視界がマカリに移った。しかしマカリの頭が映ったのは左後ろ下斜めからという、ほとんど人相がわからない角度。はがゆい。
後部艦橋のハッチに入らず、手前で曲がった。風の音がごうごうと響いてくる。風は感じられないが、穴が開いているのか。
開いた穴に腹を押し付けるようにしている、MSのハッチが見えた。腹部だけでは、機種はわかりづらい。だけど、ジンではないということはわかる。シグーかな?
知ってるシグーは白色をしているのだけれど、これは青色をしている。搭乗者の趣味なんだろうけど……青い機体に乗る人といえば、百戦錬磨の軍人で髭を生やしてて、巨星を名乗ると相場が決まってるのだ。
でもリナの想像は外れ、昇降用のウィンチに脚を掛けるのはマカリだった。緑服。なんだ、一般兵ではないか。
そのマカリが振り向き、こちらに手を差し伸べる。その手をとり、一緒に昇る――
(はっ……!?)
リナはマカリの顔を見て、絶句してしまう。
いや、元から口は利けないのだけれど、一瞬思考が硬直する。それほどの衝撃だった。
「さあて、ザフト勢力圏内のアフリカといえば砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドだったな。奴と合流して、次のステージに行こうか、フィフス」
「……うん。楽しみ。ボクの機体はあるのかな?」
まるで友人とゲームでもしているかのような、気軽な口調で話すマカリと、視界の主。
フィフスと言った? じゃあこれは、あのザフトレッドの視界なのか? いや、それよりも、何よりも。
マカリ。その青年は――『俺』!?
- - - - - - -
「んっ、はぁ……っ」
息苦しい。体が芯から熱い。唇の間から苦悶の吐息を漏らす。
小さな体でもがいて、ぎゅ、と、自分の胸から下を覆っているシーツを掴んだ。邪魔だ、と、まるで親の仇の名でも呼ぶように歯の間からうめき、全力で引き剥がす。
でも重たい。なんだこのシーツは。いや、シーツが重たいんじゃない。お腹の上に何か乗ってる?
「んんっ……!!」
重たい! 潰れたらどうする!?
声にならない怒声を上げて、その重たいものを力づくで引き剥がす。
「んっ……うっ!」
「? うわぁ!?」
どたぁんっ!
その重たいものは悲鳴をあげて、後ろにひっくり返ったようだった。瞼を開けられないので、リナはそれが何なのかも確認せずにひっくり返してしまった。
寝ぼけていたせいもあり、無我夢中だったのだ。その悲鳴に聞き覚えがあるリナは、ばちっと千切れる音が鳴りそうなくらい強引に瞼を開けて、慌てて起き上がって悲鳴の主を確認する。
ベッドにぐったりと体をもたれさせている、若年士官候補生用の軍服を着た少年。サイ・アーガイル。
どろり。
彼が力無く背を預けるベッドには、赤黒い染み。同時に、床にも大量の紅がゆっくりと広がって――
リナは目を見開く。ボクが、ボクがやったのか!? そんなつもりは無かったんだ! 絶望に頭を抱え、くしゃ、と黒髪をかきむしる。
「いやあぁぁぁぁぁぁ!!!」
リナの悲鳴。火○スのオープニングが脳内で流れた。
ああ なんてことだ ! わたし は ひとり の つみ の ない しょうねん を ころしてしまった!
すぐに けいむか の ぐんじん が かけつける。
\
::::: \ リナの両腕に冷たい鉄の輪がはめられた
\::::: \
\::::: _ヽ __ _ 外界との連絡を断ち切る契約の印だ。
ヽ/, /_ ヽ/、 ヽ_
// /< __) l -,|__) > 「刑事さん・・・、ボク、どうして・・・
|| | < __)_ゝJ_)_> 殺しちゃったのかな・・・」
\ ||.| < ___)_(_)_ >
\| | <____ノ_(_)_ ) とめどなく大粒の涙がこぼれ落ち
ヾヽニニ/ー--'/ 震える彼女の掌を濡らした。
|_|_t_|_♀__|
9 ∂ 「その答えを見つけるのは、お前自身だ。」
6 ∂
(9_∂ リナは声をあげて泣いた。
もう一人のSEED、完!
「あいたたた……」
「ごめんごめん、重たかったからつい。大丈夫?」
小芝居をやめて、差し入れに注がれたグレープジュースの水溜りにしりもちをついたサイを助け起こす。
サイはリナに突き飛ばされ、ベッドに背中を打ったものの軽傷ですらなく、ただリナに突き飛ばされてびっくりして放心していただけだった。
リナもそれを知ってたから、小芝居の一つも出たのだけれど。もちろん警務科のクルーは来ていない。あと勝手に終わらせないでほしい。
目を覚ますと、そこはアークエンジェルの艦内の医務室だった。鼻先に鈍痛を感じて手をやると、ガーゼが貼られている。
そうだ、フィフスに顔面を蹴られたんだった。それを思い出すと、軽い憤りを覚え始める。
といっても、女の子の顔を蹴るなんてなんて奴だ。とか、顔に傷跡や痣が残ったらどうするんだ。とか、そんな見当違いな怒りだけれど。
それはともかく、
「心配してたのに、突き飛ばすなんてひどいじゃないですか」
「ははは……でもまさか、君がお見舞いに来てくれるなんて思わなかったよ」
艦内維持の任務もだいたい終わり、今は非番の時間をもらえたために、彼はボクが寝てる間にお見舞いに来てくれていたらしい。
二等兵なのに、よく非番をあてがわれたものだと思う。ボクが伍長の時なんて、課外訓練も山のようにあったり、新兵の風物詩「台風」も毎日繰り返されたぞ。
でもまぁおかげで、いつもは口にできない生の果物を食べられたんだけれど。戦闘中の傷病兵には、こうした希少な生の果実をお見舞いとしてもらえるのだ。
ちなみにサイがお腹に体重をかけてきていたのは、見舞いに来たときに、日ごろの任務で疲れて居眠りしてしまったからだそうだ。
サイが持ってきてくれた見舞い品――リンゴを食べながら、自分が気絶してしまってからの話を聞く。
「あれから、入り込んできたザフトの奴らはすぐに逃げていきました」
「逃げるって、取り付いていたMSでかい?」
「はい。まあ、ここはザフトの勢力圏内らしいですから……アテがあるんだと思います」
「そっか……確か、南アフリカのザフトといえば、砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドの縄張りだったね」
ぼんやりと覚えている夢の内容に思いを馳せながら、少し落ち込み気味に答える。
とんでもないところに降りたものだ。パイロット技能でいうならクルーゼほどではないにしても、指揮官として聞こえる名声はクルーゼが霞むほどだ。
優秀な指揮官というのは、天下無双の兵士より厄介だ。いくら実力があろうと、一兵士にできることなど限られている。
……それを、この『戦争の現実』に触れてよく分かった。たとえチートボディーを持っていようと、高性能機に乗っていようと、戦闘には勝てても戦争には勝てないのだ。
どうしても腕は二本で、目は二つで、脳は一つで、一人で補給と修理などできやしない。一騎当千、万夫不当なんて空想の世界の話なのだ。
サイは、気難しい顔で何事か考え始めたリナを横目で見ながら、リンゴの皮を剥いていく。
そのサイの考えていることは、やはりフレイであった。
(ちゃんとアラスカに着いたのかな、フレイは)
戦闘中の宇宙に放り出されて、流れ弾に当たっていないだろうか。索敵の人――トノムラ伍長にも聞いてみたのだが、
電磁乱流によってレーダーが使えず、シャッターも全て下ろしていたため確認はできなかったという。
あっさり自分のことを置いて帰ってしまったとはいえ、やはりフレイは親友だった。そして婚約者で恋人に限りなく近い相手だった。だから、彼女についてずっと心配していた。
せめて着いた先がわかって、連絡が取れればいいのに。はあ、とため息が自然と出てしまった。
しまったな、と思ってリナをちらりと見ると、やっぱりリナはサイのことを見ていた。
「……アーガイル君も、何か悩み事があるみたいだね」
「え、ええ。まあ」
サイはズバリ悩みがあることを当てられてしまい、躊躇気味に答えて視線を落とした。フレイのことを考えてた、なんて、なぜか言いたくない。
リナはフレイとサイの関係をよく知らないので、彼の悩みごとといえばなんだろう、と考え始めた。艦内での彼の目撃したときの様子を思い返してみる。
そういえばサイと最初に出会ったのは、ヘリオポリスでキラ君がアグニをぶっぱなした直後だったな。
「というか、君はキラ君の友達だったね――って、そういえばキラ君は!?」
「キラは、アークエンジェルが地上に降りてすぐに、ストライクと一緒に運び込まれましたよ。最初のうちは、だいぶ熱にうなされてましたけど……今は小康状態に落ち着きました」
「そっか……よかった」
よかった、とリナは安堵の吐息。そして、不覚だった。なんでさっきまでキラ君のことを忘れていたのか。
そりゃあ、キラ君とは単なる上官と部下でしかないし、アークエンジェルに乗り込んだのは成り行きにすぎないけどさ。
でもキラ君の成長振りを見てると、へぇー、ほわーっ、おぉーってなるんだ。
でもでも……上司が部下の心配をしたり、成長を喜ぶのは当然なわけで。そう、当然だ! キラ君がいなくなったら、生き残る自信が無い!
まったくもって他力本願な気がするけれど、実際そのとおりだ。スーパーコーディネイターな彼の力なくして、バルトフェルドの部隊を追い払えるわけがない!
「そ、そうなんだよ。ボクにはキラ君というパイロットが必要なだけだ!」
「な、なんですか、いきなり……」
自分に言い聞かせるような独り言に、サイはびっくりして心配そうな眼差しを向けた。
この人見た目はいいのに、中身は残念だな。そう言いたげな目だ。実際そう思っているに違いない。
「ムッ。なんだねその眼差しは。色眼鏡割るぞ」
「色眼鏡って、いつの時代の人ですかあなたは……それに、キラを便利屋みたいに扱うのは、やめてください」
友人をただの駒みたいに言われたのが心外のようで、反骨精神満々で睨んでくる。
それでもリナのためにリンゴを剥いている手は休めず、今しがた切ったリンゴをころんとお皿に転がした。根っから人が良い少年だ。
可愛いところがあるやつだなー、と思いながらもリナは細い片眉を上げて、ほぉう? と、いかにも悪たれ軍人を気取ってみた。
「上官を睨むとは良い度胸だなぁ、アーガイル二等兵。んぐんぐ」
「……リンゴ食べながら言われても……」
「お腹空いたからね。あ、シャキシャキしてて蜜が入ってて美味しい……」
ほわわん。ああ、新鮮なリンゴ久しぶりだなぁ。どうやって保管してたんだろ。
そういえばリンゴって塩水につけておけば腐りにくいって聞いたことあったような。味が落ちないだけだっけ。うろ覚え。
「リンゴの美味しさに日和らないでくださいよ」
「……ハッ」
いかんいかん。つい餌付けされそうになった。我に返って、こほん。咳払い。
「アーガイル二等兵。キラ君は自分から望んで軍人になったんだ。そして君も、ボクもそうだ。
……軍人っていうのは、知ってるとおり命令絶対遵守。そして個人の人格は否定され、ただ一つの駒として、ただ『勝つため』に利用される。それを忘れてほしくないな」
「でも! 俺達は生きてます。考えたり、悩んだりします! それを駒だなんて!」
ぴっ、と指を立てて彼の唇にあてる。サイは、それに対して思わず口を閉ざした。
「例え話だよ。大いに考え、悩めばいいさ。でも、軍人が、自分の考えに固執したり、命が惜しくなって命令に反対して動かなかったら、一体誰が戦うんだろうね?」
「それは……」
「アーガイル君が友達思いなのは、充分伝わったからさ……それをバカにする気は更々無いよ。軍人になっても友情を育めるって、そりゃあ難しいことで尊いことだよ?
あの子は、矢面に立って一番危険な目にあって……ザフトにいる友達と戦うことになって、色々と参ってると思うから、励ましてあげて、ね?」
ボクはキラ君にとって、ただの口うるさい上官みたいに映ってるかもしれないから、彼の友達分を補完してあげてほしいな。
それがキラ君の心の支えになるかもしれないから。彼の落ち込んでる顔は、見たくないから。
「そんな……改めて言われなくても、キラは、俺達の大事な友達です。」
「ありがとう」
にこ、と彼に微笑みを投げかける。うん、これなら心配なさそうだ。
キラ君自身も、ボクの見ていないところで友情を育てるのに頑張ってるだろうけど、ボクも何か彼のために何かフォローができればなぁって思う。
彼らの友情のケアって大事なのだ。このアークエンジェルに乗ってる理由だって、その友情がもとで成り立ってる。
あんまり友情を育てすぎると、軍務より友情を優先しそうで怖いけど。それでも、キラ君がボクと一緒に戦ってくれるように頑張るのだ!
うははは、ボクって外道。この先生きのこるためには止むを得ないのだ。……止むを得ないのだ。
そして、当のキラ君の姿を探す。居た。二つ隣だ。医務室はベッドの数が少ないから、やっぱり近くに寝ていた。
すとんとベッドから降りて、彼の傍に立って彼の顔色を見る。……生身で大気圏突入したとは思えないくらいに、安らかな寝顔だ。
「軍医の人に聞きました。コクピットの中は、すごい温度になってて……ナチュラルだったら、生きてはいられなかったって」
「そう、か。やっぱり……」
サイの言葉に、リナは表情を沈めた。
元々ナチュラルが乗るためのものだし、大気圏を突入するなんて想定外だっただろう。某白いガンダムさんみたいに、機体を冷却する機能でもあればまた別なんだろうけど。劇場版準拠。
理論上はフェイズシフトに守られて、機体は無事だとしても、中はそれはもう美味しい肉まんが蒸しあがる温度だったに違いない。
でも、こうして彼は無事だ。ちゃんと生きてた。温くなった濡れタオルをどけて、そっと彼の額を撫でる。
ふわふわと、胸の中に……何か温かいものが注がれていくような、気分。これって安心って気持ちなのかな、なんか違う、気がするけど。悪い気分じゃない。それでいい。今は。
(キラ君が、コーディネイターだったことで、色々助けられたけど……)
額を冷やしてた濡れタオルをもう一度、水道(艦内循環用水)で濡らして、よく絞り、また彼の頭に載せてあげる。
(今は、助かったことで……君がコーディネイターだったことに、感謝してるよ)
もう一度、安らかな寝顔に、自然と表情が緩む。無邪気な寝顔だなぁ……と、姉にでもなった気分で眺めていた。
サイはその傍で、不思議なものでも見るように、ただリナのすることを眺めているのだった。