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[25034] 【完結】毎度有難うございます。総合商社パンドラ剣装部です!【ガテン系 近未来発掘ファンタジー】
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/04/10 01:41
 ジリリリリリリリリリン、と電話のベルが事務所に響く。
 いつの時代も電話の呼び出し音の癇に障る感じは変わらない。
 出て欲しいなら、もっと耳障りのいい音にしたらどうなんだと思わないでもない。

 「はい。お電話有難うございます。パンドラ剣装部です…って、あれ、社長すか?」

 ガチャっと受話器を上げると、電話先からは見知ったよく響くアルトの声がした。

 『あ、タケちゃん?悪いんだけど、今からトラックで現場来てくれる?ちょっと部材足りなそうでさぁ』
 「またっすか。先月もそんなこと言ってませんでしたっけ?」
 『いーじゃん。ウチとタケちゃんの仲じゃーん』
 「いや、意味わかんないし」
 『いーから来てよー。来てくんないと来月の納品分他社に回しちゃうかもー』
 「わかりましたよ。今、現場どこなんですか?」
 『だからタケちゃん好きー。ええっと、DRK0034地区の第5層』
 「はいはい・・・ってそこ公共じゃなかったですっけ?」
 『1時間以内に来てねー』
 「いや、流石に無理・・・って、社長!うわ、電話切りやがった」

 ツーツーと言う音を立てる受話器に俺が悪態をついていると、隣の席の同僚が同情染みた表情を浮かべて曖昧に笑う。
 何だって俺の客はジコチューな奴が多いのだろう。俺がそう考えて溜息をついてると、同僚がぽつりと呟いた。
 
 「客は営業に似るっていうけどな」
 「うるせー」

 

第一話 (有)鈴木攻務店

  
 大急ぎでトラックに荷物を積んだ俺は、高速を飛ばしてDRK0034地区の、採掘場入り口にジャスト1時間後にたどり着いた。
 
 「あ、材料屋のパンドラです」
 「はいはい。ここ、認証して貰えますか?」
 
 門衛のおっちゃんがタブレット型PCを出してきたので、俺は社員証をそこにかざす。ピと音がして、おっちゃんがどうぞーと言って俺のトラックを見送ってくれた。
 俺はそのままトラックを直進させ、搬送用の大型エレベーターに乗り入れる。
 車から降りて「第五層」のボタンを押すと、俺はゆっくりと地階に降ろされて行った。

 パンドラは武装系商社の中では一応トップ企業だ。客先は中小から大手までのゼネコンと幅広く、営業が受け持つ客層もまた幅広い。
 俺に電話を掛けてきたのは鈴木攻務店の鈴木社長。女手一つで会社を切り盛りする敏腕社長だが、やや性格に難がある。
 まぁ、うちの社長含めて、社長なんてやってる人間は、どこか性格がおかしいものであるが。

 「お、来た来た。悪いな、タケちゃん」
 
 トラックを止めて現場事務所に顔を出すと、図面を広げたテーブルの周りに、数人の男女が集まって何事かを話していた。
 ゼネコン(ゼネラル・コントラクター;総合請負業)の仕事の幅は矢鱈と広い。目的物の採掘から地層の調査、判定、神話考証や分類などと多岐にわたる。おまけに常に危険と隣り合わせの現場では一瞬の油断が死を招く。
 こんなご時世であるから、発掘関係の従事者は多いが、殉職率もハンパないので給料もそれなりにもらえる。どうにも未だ一攫千金のイメージが強い業界である。

 鈴木レイコ社長はウチの上得意の一人で、俺の売り上げの30%くらいはこの人で成り立っている。肩口でばっさりと切り揃えられた黒髪の美人で、年は確か26。俺の一つ上だ。ちなみに巨乳。俺の推定ではEかF。作業着の胸が、今日もいい感じに盛り上がっている。
 俺は胸を見ていることがばれないように、でもしっかり見てから、声を張り上げて挨拶した。現場では大きな声が大事である。

 「ちわー。どうすか、新しい現場は・・・ってか、ここ公共ですよね」
 「そうそう。色々厳しいんだわ」
 「よく落札出来ましたね」
 「あぁ、たまたま担当者がウチのよく知ってる奴でさ」
 「滅茶苦茶談合じゃないですか」
 
 そんな微笑ましい(?)会話をしている間でも、後ろではプロジェクターで映し出された映像を、所員が真剣に検討している。

 「地層はどうですか?」
 「うーん、難しいね。まだ大したもんは出てきてないけど、北欧3、インド4、南米1、他2ってとこかな」
 「うわぁ。絵に書いたような複合神話層ですね」
 「そんなだからお役所が手出すんだけどさ。持ってきたもん見るから、ちょっと見せてよ」
 「はいはい」

 俺は社長を伴ってトラックまで戻っていき、どでかい鉄の扉を開く。

 「何、持ってきた?」
 「ええっと、銃弾2000ダースに短銃20、装剣が100ですね。装剣は、ちょっと面白いやつを3つだけ持ってきました」
 「へー。新作?」
 「えぇ。この前、旧ドイツ地区で神剣フラガラッハが出たでしょ?」
 「あぁ、状態がいいって奴?」
 「そうそう。あれのレプリカをGE社が今度出すんですけど、それの試作が会社に回ってきたんで、持ってきました」
 「ほほう」
 「社長、ケルト系好きでしょ?」
 「分かってるねぇ、タケちゃんは」

 俺はトラックの荷台から1.8メートルのどでかい黒いケースを取り出して地面に降ろした。厳重な封を外してケースを開くと、鈴木社長が興味津々と言った感じで覗き込んで来る。

 「おおー。格好いいねー」
 「でしょ?」
 「換装して見ていい?」
 「どうぞ」

 言うなりケースの中から装剣を取り出した社長はそれをびゅんびゅんと2、3度宙で振るう。銀色の金属をベースに作られた片刃の刀身は、どこか航空機のような先鋭されたデザインである。

 「換装」

 社長がキーワード(起動語)を口にすると、フラガラッハレプリカver.4.0の刀身が淡く光る。次いで社長の全身が光に覆われ、次の瞬間には、社長の豊満な肉体を、銀色の鎧が包み込んでいた。

 「へー。軽いじゃん」

 社長の作業着は、神理学的置換作用によって、煌く銀色の鎧に取って代わられていた。原理はよく分からん。神理学は専攻じゃなかったんで。

 装剣の換装は現場に入るものには必ず義務付けられている。現場の危険度によってその等級はことなるが、この現場の様な難易度の高そうな現場には少なくとも2級以上の装備が必要となるだろう。装剣を持たずに現場に入っているところを見つかったら出入り禁止になっても文句は言えない。
 裸でサバンナを闊歩するようなもので、使用者の安全管理が問われるからである。

 社長の足の先から膝までは銀色のブーツに覆われ、指先から肘までが同じく金属の篭手に覆われている。
 胸元はばっくりと開いて白い胸の谷間を見せつけ、スカート上に広がった鎧とブーツの隙間の白い肌がまた目にまぶしい。
 ガテン系の職業とは言え、力仕事は人工筋肉が神力学的補ってくれるので、ムキムキマッチョはかえって少ない。寧ろ、女性は美しく魅力的でなくてはいけないので、かえって美容には気を遣うと聞いている。俺の知ってる現場の人の中にはモデル並の美人が何人もいる。鈴木社長もその一人である。

 ところで、どうしても神通値は男性よりも女性が高いので、装剣での武装が必須な発掘現場では女性の比率が高くなる。神様も美人にはエコヒイキするというわけだ。
 そして、神力学的作用により女性的魅力と防御力が相関関係にある女性の装備では、どうしても露出度が高くなりがちである。
 我々にとってはとてつもない眼福であるが。ごちそうさまです。

 「でしょ。並の使い手だと神力学的恩寵より装甲の強度が勝って動きにくいですけど、社長なら取り回しも問題ないでしょ?」
 「うん、ぜんぜん違和感無いね。人工筋肉(サイバーマッスル)の反応も全然いい。これ、市場に出回ったらうちに500くらい下ろしてよ」
 「毎度です」
 
 鈴木社長はいいものには相応の金を払うタイプの経営者である。そうすることで、営業が優先的に出来のいい新作を持ってくることを知っているのだ。
 誰でも高く買ってくれる人のところに、いいものを真っ先に持っていくに決まっているのである。

 「丁度いいや。今新規の発掘箇所にデモンが湧き出て作業が止まってたんだよね。タケちゃん、息抜きにちょっと暴れていきなよ」
 「ええー。今日はいいっすよ。仕事放っぽりだして着ちゃったし」
 「いいから、行こうよ。ウチ、タケちゃんと狩りするの好きなんだ」

 そう言ってびゅんと剣を振るう鈴木社長。
 その振動でぷるるっと巨乳が揺れる。一緒に狩りをするってことは、あのチチ揺れを間近で鑑賞できるってことで。
 神力学的効果によってポロリも期待できるわけで。

 「お供します」
 「よろしい」

 本当は作業員以外がデモンが湧き出た現場に立ち入るなどご法度もいいとこだが、社長はよく俺とデモン狩りに行きたがる。
 神話的埋設物を採掘するときには、デモンと呼ばれる種々の攻撃性擬似生物に作業を邪魔されることが常であり、現場作業員にはだから、一定レベル以上の戦闘能力が要求される。
 俺は助手席に積んでる使い慣れた装剣を換装すると、社長の後に続いて現場の奥に入る。よく鍛えられた形のいい尻が左右に揺れているのが実に眼福である。
 まぁこうして遊んで帰った俺のデスクには、たまった書類が雪崩をおこしているわけであるが。

 神話的埋設物の恩恵がお茶の間から最先端のテクノロジーまで浸透して早百年。旧日本地区に構える総合商社に勤めるタケちゃんこと武村トモキという俺の日常は、大体こんな感じで続くのである。



[25034] 第二話 アルバイト
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:49
 サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ、という様な歌詞の歌が20世紀にはあったらしい。20世紀映像資料マニアの俺は、CM(コマーシャル放送のことを言う。20世紀には大衆向けの放送局というものが存在し、企業のコマーシャル放送を『番組』と呼ばれる企画映像の合間に放送することで収益を得ていた)でそれを見たことがあった。

 どの面下げてそんなことが言えるのかと俺は作詞家を問い詰めたい。これが気楽な職業なら本当にどんなによかったことか。
 まぁ、何が言いたいのかと言うと現在夜中の12時10分。
 鈴木社長のところではしゃいで帰ってきたら、仕事がさっぱり終わらなかったわけで…。
 フロアには流石に俺しかいない。
 確認してないが、もう全社挙げてもガードマンくらいしか残ってないだろう。
 明日が土曜で本当によかった。バイトがあるけど。

 欠伸をしながら伸びをしていると、不意に携帯がけたたましく鳴り出した。おいおい、流石に今日は店じまいだぞ、と思いながら携帯を開くと、そこには明日お世話になる予定のバイト先の社長の名前が。 
 なんだ、こんな時間に?
 よもや明日のバイトが中止になったのだろうか。
 嬉しいような財布の中身が乏しいような気持ちで、俺は電話に出るのだった。

 「どうしました?」
 『あ、武村?』

 自分で電話しといて確認するのもどうかと思うが、まぁ、確かに俺は武村トモキだ。電話の向こうからは40くらいのおっさんの声の様なものが聞こえるが、真実その通りの声である。社長が皆鈴木社長の様な美人で巨乳な姉ちゃんばかりではない。現実は非情である。

 「明日のバイトの件ですか?」
 『バイト?なんだっけ?』

 おい。

 『まぁいいや。お前今どこ?家?』
 「会社ですよ。真面目な企業戦士なんで」
 『嘘付け、ボケ。またぞろ鈴木の巨乳娘のところで鼻の下でも伸ばしてたんだろうが』
 
 エスパーかあんたは。

 『まぁ、いいや。いいから今すぐ新銀座まで来いよ。今出ろ、ほら出ろ、何してる』
 「いや、わけわかりませんよ。今どこにいるんです?」
 『キャバクラ』
 「電話切っていいですか?」

 死ね。本当に死ね。人がやっとこさ仕事終わらせてる間貴様はキャバクラででれでれしてたのか?まぁ、それは社長の勝手だが、流石にこの時間から飲みに繰り出す元気は無い。明日も朝が早いのである。

 『今テーブルついてるシェリーちゃんって娘、お前好みの巨乳ちゃんだけど?え?そう?うわぁ、Gカップだってよ。肌白ー、ぷるぷるー』
 「新銀座のどこでしたっけ?」
 
 男は本当に悲しい生き物である。
 
 

第二話 アルバイト



 「お早うっす」
 「おー、タケちゃん。うわ、どうしたの?」

 翌日、バイト先に現れた俺に、研究主任の江藤さんが目を丸くした。いつも元気なタケちゃんが、げっそりとした目に隈状態でよれよれのスーツ来て現れたからである。

 「朝まで飲んで、寝てないんす」
 「えー、困るよ。モニターなんだからしっかり体調整えて来てくれないと」
 「お宅の社長にキャバクラ3件梯子させられたんですけど?」
 「さぁ、仕事だ、仕事。ほら、タケちゃんシャワー浴びておいで」

 スルーかよ、と突っ込む元気もなく、ぼふ、という音がして俺の顔面に柔らかなタオルがぶつけられた。それは、昨日の姉ちゃんのおっぱいくらいには確かにやわらかかった。


 * * *


 「はい、息整えてー。吸ってー。吐いてー」
 
 俺は江藤さんこと、低身長眼鏡三つ編みといういまどき貴重な白衣女性の指示の元、深呼吸を繰り返した。
 シャワーを浴びて上半身裸の俺に照れのひとつも見せない江藤さんは生粋の研究者だが、俺は隠れ巨乳ではないかと見ている。
 いつもしっかり襟元を正したスーツを着て、しかもその上から白衣を羽織っているせいで確信までは至っていない。あと、多分眼鏡を外したらけっこう美人だ。
 
 「じゃあ、いいよ。換装して見て」
 「換装」

 俺が起動語を呟くと、右手に持っていた装剣が鈍く光を発した。
 すると神理的置換作用が働き、俺の身体が紅い甲虫の殻のような鎧で覆われる。

 「海老?」
 「まぁ、イメージは」
 「海幸彦の釣り針でしたっけ?元になったのは」
 「そそ。海幸彦(ホデリ)は火明命(ホデリ)とも書くわ。海の神でありながら、火の神でもあるわけね。コノハナノタクヤヒメが火の中で産み落とした子の一人よ」
 「なんで海老?しかも火通してあるし」
 「さぁ?意匠設計の子に聞いてくれる?で、どう?動きやすさとか」
 「えーっと・・・」

 これが俺のバイトであった。装剣の新作のモニター。つまりはここは大手装剣メーカー「カグヅチ」の極東研究所であるわけだ。金がもらえる上に最新の装剣の知識を得られるので、営業の人間としては一石二鳥である。どの現場も、より性能の良い装剣を常に欲しているからだ。
 
 「人工筋肉の反応は悪くないっすね。ただ、他を大きく突き放すレスポンスってほどでもないっす。やっぱり装甲が厚い分動きにくいし」
 「うーん。相変わらず率直ねぇ」
 「それが仕事なんで。そっちはどうです?」
 「うーんとね。数字はそこそこいいわ。神通値はタケちゃんの平常値通りだし、神力の通りもいい。防御力の数値はプラ45よ」
 「そりゃすごい」
 「その代わり精密動作性がマイ28」
 「作業員にはきついですね」
 「だよねー」

 率直に言って駄作である。まぁ仕方ない。成功は多くの失敗の上に成り立つものだから。

 「あと10分くらいデータ取ったら上がっていいわよ」
 「うーい」

 助かった。
 正直眠くて仕方がなかったのである。
 江藤さんがかわいい眼鏡女子じゃなかったら確実に寝ていた。

 「おい、武村、いる?」

 その時、スーツ姿の元凶が乱暴に扉を開けて現れやがった。
 若い頃は発掘の前線にいたという社長は確かにガタイがよく、顔立ちもどこか気品があるので女にモテるとよく自慢される。嘘か本当かは知らない。キャバクラでモテるのは金があるからだろうし。

 「お。いたいた。お前これ終わったら社長室寄れよ。いいな?」
 「ちょ、え?」

 ばたん、と扉が閉じられる。
 江藤さんはモニターを見て俺の目を見ない振りをする。
 あの・・・。

 「俺、上がっていいんすよね?」

 俺の呟きに、江藤さんは曖昧に笑った。


 
 「眠いです」
 「知らん。五月蝿い」

 よれよれのスーツに着替え直して社長室に行くと、巨大装剣メーカー、カグヅチ現CEO石川レイモンドがふかふかの椅子にふんぞり返ってそう言った。
 朝少し寝たのか。はたまた別の理由か。妙につやつやした肌をしていやがる。
 石川社長の祖父は、初めて装剣の商品化に成功したとある企業の研究チームの一人で、後に資本金1000万ほどの小さな製造メーカー、カグヅチを立ち上げた。
 それがいまや年商500兆円とも言われる超巨大メーカーにまでなったわけだ。旧世紀で言えば、国が2、3個買える金額である。
 それだけ、発掘関係のビジネスが巨万の富を生み出しているわけであるが。

 「お前、いつまであの会社にいるつもりだ?」
 「はぁ」

 社長の要件は分かっていた。だからここには来たくなかったのだ。個人的には社長は好きだし、キャバクラに付き合うのも嫌いじゃないし、女の趣味も近いので話も合うわけだが、それとその話は別である。

 「俺の会社に来い。お前ならすぐに取締役にしてやる」
 「興味ありません」
 「おい。ちょっとは悩め。カグヅチの取締役って言ったら、年収5000万越えだぞ?お前の好きな装剣にだっていくらでも触れるぞ?」
 「プラモデルに喜ぶ子どもですか、俺は!」
 「パンドラとは言え、商社の一部門のトップセールスで終わらせとくにはお前は惜しい。悪いことは言わんから、こっちに来い」
 「今の仕事が好きなんですよ」
 「はぁ…。まぁいい。一度や二度で口説けるとは思っていない」
 
 いや、もう10回くらい口説かれてるけど?

 「昼飯でも食いに行くか?奢ってやるぞ」
 「いや、うち帰って寝ます」
 「そうか。最近見つけたんだが、2丁目の角に、ウェイトレスに胸元が際どい制服着せる店があってな。そこのアヤちゃんって子が推定Fカップの膨らみの持ち主で…」
 「そう言えば腹が減って死にそうなんです。ほら行きましょう。すぐ行きましょう」

 俺が早口にそう言うと、社長はにやりと笑って、行くか、と立ち上がった。
 俺は、この人が嫌いではない。



[25034] 第三話 匣崎総帥
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:48
 その日、珍しく現場からの呼び出しを受けなかった俺の仕事は順調に終わろうとしていた。なんと現在午後6時半。
 この段階ですでに終りが見えているのである。
 あとは、この書類に部長の判子をもらうだけ。
 どうせ部長はめくら判である。

 「部長、これお願いしまっす」
 「はぁい」

 うちの部の部長は女性だ。その名も斑鳩クララと言う。だが初めて会う人は皆彼女のことを少女だと言ってはばからないであろう。
 身長135、体重秘密、スリーサイズ?なにそれ?おいしいの?といった合法ロリぼでぃを誇る我らが部長様は、そのご尊顔も愛らしく、にぱっといった笑顔が似合う。口調もどこか舌足らずで、一緒に営業に行くと飴をもらえる始末である。
 その手の趣味の奴には堪えきれない一品であろう。ごめん。そっちに俺いないんだ。
 これで36歳だというのだから世も末である。

 「武村くん、今失礼なこと考えなかったー?」
 「まったくもって気のせいです。ほら、しゃきしゃき判子押してください」
 「しゃきしゃき?」

 部長がそう言って小首を傾げると長い黒髪がふわさっと揺れた。髪を伸ばさないとバランスがとれないらしい。
 ともかく、これで俺は解放される。
 今日の俺の仕事終了の福音を告げる判子がぽん、という音を立てる前に、しかしデスクの電話がぷるるるるるる、とけたたましく鳴った。
 
 「内線?誰かしらぁ?」

 部長はがちゃっと電話を取ると、大きな受話器を小さな両手を使って苦労して耳に当てる。誰だこの幼女採用した面接官は。
 電話の先の人物に、笑顔ではい、はいと答えながら部長はこくりこくりと頷く。やがて1分ほど話した後、部長はお疲れ様です、と電話を切った。

 「ささ、部長。電話終わったなら、判子を」

 俺がそう言ってずい、と書類を突き出すと、部長はそれを受け取ってひらりと取り上げた。

 「これじっくり読むから、武村くんはお仕事しててくれるー?」

 おい。お前いつもめくら判だろうが。ときどき漢字の読み方が分からなくて俺たちに聞いてくるだろうが。まじめに誰だこいつ採用したの。
 
 「社長が呼んでるからー。今すぐ社長室に来いってー」
 「は?」
 
 俺を開放するはずの白い紙が、部長の手の中でふわふわと踊った。
 

 第三話 匣崎総帥



 「剣装営業部 主任 武村トモキただいま参りました」
 「うむ」

 でかい部屋である。
 それもそのはず。
 128階という階高を誇る我がパンドラ本社ビルの最上階は、ワンフロア丸ごと社長室なのだ。とてつもなくどでかいガラス張りの部屋の中にひとつだけぽつんと置かれた社長のデスクという絵はシュール以外の何物でもない。
 たぶんこれ、遠まわしの嫌がらせだと思う。

 「それで、何の御用ですか。匣崎社長」

 俺はたった一つのデスクに肘を突いて座る妙齢の女性にそう声を掛けた。この女性こそが世界最大資本を誇るパンドラグループの現総帥にして、総合商社パンドラのCEO。
 本来であれば俺の様なヒラ社員が会うことなど年始の社長訓示くらいだろうという財界の怪物の一人。
 アヤコ代表取締役であった。

 「…ひとつだけ言っておく」

 低い、不機嫌な声で社長はそう言った。流石に世界経済の一角を似合う人物の迫力は違う。カグヅチの石川社長もそうだが、有無を言わせぬカリスマのようなものを感じる。
 俺が思わずごくりと唾を飲み込むと、社長はすっと俺の目を睨むように射抜いた。

 「二人きりの時にはアヤ姉と呼べと何度言ったら分かる!他人行儀は止めろ!べ、別に傷ついてるわけじゃないからなっ」
 「普通逆じゃね?」
 「うるさいな」

 そう言って社長ことアヤ姉は胸の前で腕を組んで椅子にふんぞり返る。ちなみに鈴木社長が巨乳ならアヤ姉は魔乳である。
 両腕によって持ち上げられたその双球が、スーツ越しにも俺に存在感を見せ付ける。そもそも俺のおっぱい属性はこの人によって与えられたのだから仕方ない。10歳くらいですでにDカップあったことを、幼馴染の俺は知っているのである。

 「まぁいいや。アヤ姉、何の用?俺今日は早く帰って寝たいんだけど」
 「ふん。べ、別に大した用事ではない」
 「あ、そ。じゃあ」
 「おい!帰るな。そこに座れ」

 俺はしぶしぶアヤ姉が指差した応接セットに腰掛ける。アヤ姉もまた、デスクから立って俺の前に座る。
 しかしすごい身体だ。
 身長172。体重は秘密。スリーサイズは上から98、56、88と言うモデルもびっくりの引き締まった27歳。これで剣の腕も俺と互角と言うのだからパーフェクト人間と言うのは存在するものである。あ、情報元は企業秘密で。
 長い黒髪をポニーテールにしてまとめた切れ長の目をした怜悧な美女は、俺の前にどっかり座り、揺れる乳でひとしきり俺の目を楽しませてから口を開いた。

 「貴様、一昨日。またカグヅチにバイトに行ってきたらしいな?」
 「え?まぁ」

 まぁ会社員として褒められたことではないが、一年も前からあそこでバイトしてることをアヤ姉は知ってるのだから、今更である。
 何を言いたいのかいぶかしがる俺に、アヤ姉は暑いのかやや頬を赤くする。

 「その、また石川社長にスカウトされたのだろう?カグヅチに来い、と」
 「え?あぁ、まぁ。何で知ってんの?」
 「石川から電話があった。武村を寄越せって」

 あの親父…。

 「その、あのな。その…何て答えたのかな、て思って…」

 そのまま俯いてしまう匣崎パンドラグループ総帥。俺ははぁ、と溜息をついて、ぐったりとふかふかの椅子にもたれた。

 「謹んでお受けしますと、答えた」
 「うそ!」
 「うそ」
 「タケちゃん!」

 そのまま物凄い勢いで立ち上がるアヤ姉。やべ、流石に怒られる、とか思っていると、怒声の代わりにひく、ひくとしゃくりあげる音が聞こえてきた。

 「そ、そういう、そういうことは、ひくっ、いっちゃ、ひく、だめだよぉ、ひっく…」
 「ごめん!ごめんなさい!俺が悪かった!だから泣き止もうね。もう27だからね!アヤ姉、ほら~。タケちゃんだよー。どこにも行かないよー」
 「タケちゃんが、タケちゃんがいじわる言うからー」
 「ごめん!本当ごめんなさい!まさか泣くとは思わなかったんだよ」
 「だって、ひっく、だってタケちゃんがぁ」
 「悪かった、どこにも行かないから。ね?泣き止んで?ね?」
 「本当?本当にどこにも行かない?」
 「行かない行かない。路頭に迷う」
 「本当の本当の本当に?」
 「本当の本当の本当に」
 
 ブラックスーツでばしっと決めた年上のキャリアウーマンが、目に一杯涙をためて上目遣いに俺の顔色をうかがう様は確かにぐっとくるものがある。あるのだがしかし。
 (めんどくさ…)

 俺はアヤ姉には間違っても聞こえない様に、心の中でそう呟いた。

 アヤ姉は昔からそうだった。姉御肌で男勝りでしっかり者で、でもいつも背伸びして影で頑張っていた。本当は弱虫で泣き虫なのに。
 5年前、匣崎の親父さんが死んで突然任されたCEO。巨大コンツェルンをこれを機に解体しようと動く政府や、少しでも美味い肉を切り取ろうとするハゲタカの様な世界中の企業と、若干22歳の小娘が渡り合わなくてはならなかった。
 
 「ありがとう…」

 ひとしきり泣いて落ち着いたアヤ姉が椅子に座り直すと、俺も安堵の溜息をついてぼふっと椅子に倒れこむ。
 匣崎アヤコは優秀だった。今も厳然と世界最大の企業体としてパンドラが存在することが何よりの証拠だ。この5年、心休まる暇もなかったに違いない。俺の様なアホのお調子者が、必要なこともあるのだろう。

 「…すまん。いつも、その、苦労をかける」
 「いいよ。アヤ姉を守るって、親父さんと約束したからな」

 折角の切れ長の目を赤く晴らした幼馴染が「馬鹿…」と言って俯くのを見ながら、さっき心の中で面倒くさいと言ったのを、やはり心の中で謝ったのだった。



[25034] 第四話 神話的埋設物
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/01 23:36
 「ここ。この層と次の層の境を見てください。うっすらと赤茶けて見えるでしょう?これはヒンドゥ神話系の地層の特徴で、非常にわかりやすい。だから、地層を見極める時にはまずこの赤茶けた層があるかどうかを真っ先に確認します。そうすることでまず最初の絞込みが出来る」
 「はぁ…」

 平日の発掘現場。だが、俺は配送の為にここに来たわけではない。そもそもこのご時世、基本的に私用車を持つことは恐ろしく金がかかる。今は20世紀の様に膨大なエネルギーを燃焼しながら、個人が好き勝手に移動できる時代ではないのだ。

 完全なる多次元神理コンピューティングによって管理された在庫や受発注、あるいはラプラス理論的な受発注予知によって、本来物資の配送に漏れがあることなどあり得ない。
 だが時たま鈴木社長の様な神通値の高い人間の考えることはシステムの予知の上を行くから性質が悪い。

 まぁいい。それより俺こと武村トモキが、こうして作業事務所の一室に陣取り、スーツを来た数人の男女に神話的埋設物考証学―俗に言う埋神学(まいしんがく)の授業を即興でやっているのは、どちらにせよ俺本来の業務ではない。

 自慢ではないが、会社に帰れば山の様な書類が俺を歓待してくれるのである。とっととおさらばして俺の終業時間を一秒でも縮めたい気持ちで一杯である。

 俺が内心そう思いながらもにこにこしながら映し出された地層の立体映像を指しながら教鞭を振るっていると、受講者の一人がはい、と手を上げた。
 大学出立ての化粧ばっかり気合入ったすっかりスーツに着られたそのねーちゃんは、俺がどうぞと言うと立ち上がって、舌足らずの口調で質問をのたまった。

 「ヒンドゥ神話って何ですかぁ?」

 俺、もう帰っていいですか?



第四話 神話的埋設物



 「おい、お疲れ」
 「あー、お疲れっす」

 俺が休憩室でぐったりしてると、現場所長が缶コーヒーを奢ってくれた。40絡みのしぶいおっさんは、じぶんもプシとプルタブを空けると俺の隣に腰掛けた。

 「タケちゃんも大変だなぁ。事業主さまのお守とは」
 「まぁ、これも仕事っすよー」

 給料出ないけどな!
 パンドラは超巨大コングロマリット企業であり、俺が従事する超末端の剣装部を初めとする、多岐にわたる事業部門を持つ。
 その数多ある顔の一つが発掘事業主。
 つまり、発掘会社が発掘するための開発資金を提供する会社で、デベロッパーなどと呼ばれる。彼らも当然ボランティアでそんなことやってるわけではなく、そこから得られた神話的埋設物を研究したり、転売したりして事業利益を得るのである。
 
 ちなみにパンドラには巨大研究機関が別会社として存在し、ここで得られた発掘物は無条件でそこが買い取ることになる。グループ内でぐるぐる金が回るわけだ。
 本来のデベロッパーは如何に高く発掘物を売り捌くかを考えてなくてはいけないので、当然社員の埋神学の造詣も軒並み深い。
 それがうちのパンドラとなると、値段つけるのも調べるのも買い取るのも身内だから、こんな厚化粧しか取り得の無い新卒を現場に寄越したりするのである。

 もう、本当勘弁して欲しい。
 ということで、事業主説明会を開いても一向に要領を得ないことを知っているうちのグループは、現場所長とも顔見知りで、かつ装剣が使えるので現場に入れて、かつ埋神学にも精通しているという都合のいい人間―つまり俺を、現場に派遣したのであった。

 おい部長。たまには断ったらどうなんだ。「わかりましたー、武村くんいってらっしゃーい」とか言って見送ってんじゃない。俺の仕事あんたがやってくれるのか?
 あー。愚問でしたね。すみません。

 まぁ実際、神話的埋設物に関わる作業は専門性が高い。正直、素人が現場来て独学できる内容ではないのだ。
 
 まず地層の分析から始まり、コンピュータで埋設物のラプラス的事前予知を掛ける。これを前予知と言い、情報が少ないのでまだ精度は粗い。だが大体の工程はこれで立つので、前予知に沿って発掘作業を進める。

 神話的埋設物が発生する理屈については諸説あるがここでは割愛する。分かっているのは、それらが兎に角地面に埋まっていると言う現実である。
 工事はほとんどがAIを備えた作業機械によって行われるが、その際に湧き出てくるデモンには人の神通値が付与された装剣しか通用しないので、その掃討は人間が行わなくてはならない。

 だがいつ出てくるかもしれないデモンの為に、大量の人員を常に抱えておくのでは予算がいくらあっても採算が合わない。だから必然的に人にしか出来ないもうひとつの作業、考証を行う現場作業員が、それらの掃討も担当することになる。
  
 作業員は高給取りだがそれだけの専門知識と、そして戦闘能力が求められる。加えて殉職率は未だに圧倒的であるのだ。 
 陰では人類最後の3K職と言われている。
 
 さて作業が進み埋設物が発掘されるとごとにそれを考証し、ラプラスの予知をやり直す。これを追予知と言い、ここからが発掘業者の腕の見せ所となる。

 ところで埋設物は大抵の場合粉々に粉砕されているケースが多い。
 パズルのピースの様に発掘されるそれを、作業者はひとつひとつ慎重に発掘し、ラベリングし、組み合わせ、予知との適合性を元に本来の姿を見出そうとする。

 工芸品や武具などは本来の材質と石化状態と半々であるが、これは割合本来の形の予想が付きやすい。
 問題は神そのものが埋まっているケースである。
 埋設神は100%石化状態で発掘される。だからもともとこれは石像であると主張する学派もあるが、俺はこれを支持していない。
 それも大抵は小指の先とか、歯とか、どこかの肉片とかという形で出てくるものだから、そこから予知で再現を試みてもほとんどの場合失敗するケースが相次ぐ。

 そこを何とか辛抱強く、時には大胆な想像力を働かせて再現を試みるのである。神とかいう奴らは三面六臂とか当たり前にいるので、事態をさらに複雑にする。

 この工程を如何にスピーディに、そして正確に行うかで、発掘物の精度、価値、そして発掘後の研究効率が全然違ってくるのである。
 駄目な現場はぐだぐだになって時間ばかりかかるのに仕様も無いものばかり掘ることになるし、いい現場は予知もどんどん精度を上げていくので、加速度的に成果が上がっていく。
 何事も最後にものを言うのは、丁寧で誠実な仕事と、人の直観力である。

 「タケちゃん、デベの方行けばいいんじゃないの?」

 所長が俺にそう言うので、俺は曖昧な笑みを返した。
 パンドラのデベロッパー部門、「パンドラデベロップメント」という会社は、パンドラのデベとか、デベの方のパンドラとか呼ばれる。
 総じて前述した人材不足に悩む会社である。と言うか他グループで使えない人間の受け皿であるのだが、これを他のデベロッパーが聞いたら血の涙を流して恨まれると思う。
 本来デベロッパーは過酷なエリートの職業なのである。

 「柄じゃないんですよ」
 「まぁ、そうかもな。おっと悪い。考証検討会あるからそろそろ事務所戻るわ」
 「俺もそろそろ会社戻ります」
 「おう。お疲れ。今日はありがとうな」

 そう言って所長は俺に頭を下げていく。
 その様に少しばかり魂が報われた気がする。
 優しいのはいつも他社の人間ばかりなのは、いつの時代も変わらぬ真理だと思う。


* * *


 「おわった…」

 会社に戻ると、薄情な部長はとっくに姿を消していた。今頃お気に入りの舞台でも見に行っているのであろう。
 エンターテイメントが肥大化した昨今、どんな分野でもライブ性があるものが持て囃される。
 ライブ感たっぷりの俺の現実を何とかして欲しいものであるが。

 その時、プルルルルルと俺の携帯が鳴った。
 メールの着信である。
 発信者は石川社長。
 とてつもなく嫌な予感がする。

 『今、キャバクラ。すぐ来れる?(。-ω-。)ノ☆・゚:*:゚ 』

 いい親父が顔文字なんぞ使うな、大体なんだその妙に凝った顔文字はとか思いながら、俺は即効そのメールを削除した。

 すると、プルルルルと再びメールが着信する。
 発信者は石川社長。
 問答無用で削除しようとすると添付ファイルがある。
 何だ?
 表示するとそれは…、アップで撮影された巨乳の谷間の写真だった。

 『キャサリンのおっぱいだぞ(о´∀`о)ノ 』

 とりあえず写真を保存してメールを削除する。
 さすがに今日は疲れた。
 いい加減帰って寝たい。
 そう毎度毎度おっぱいに釣られると思ったら大間違いである。
  
 すると三度携帯がプルルルルと鳴る。
 いい加減にしろよという気持ち半分。写真に期待する気持ち半分で携帯を見ると、発信者はアヤ姉だった。

 『肉じゃが作りすぎたから食べに来る?べ、別にタケちゃんの為に作ったんじゃないからなっ』

 ピ、ピ、ピッ、ピッ、ピッ。
 メッセージを送信しました。

 『今から行きます』

 言っておくが俺が釣られたのは肉じゃがだ。おっぱいに釣られたわけではない。



[25034] 第五話 希望という名の少女(前編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:47

 「タケちゃ――武村主任。あの文様は何だ?」
 「え?あぁ、オルメカ文明の祭器、みたいですね。あるいはマヤ系の地層から出てきたから、オルメカの何かを参考にして復元したのかもしれません」
 「ふぅん。あっちの盾みたいのは?」
 「お。アテナ神のイージスの盾ですね。ヴァージョン12.0まで出てる超人気商品ですが、色んなメーカーが次のヴァージョンをこぞって開発してます。イージスの盾はそれでも、現在の予想復元率が実験室レベルで20%切ってますから、まだまだいいのが出る可能性はありますよね」
 「へー。タケちゃ、ごほん。武村主任は博識だな」
 「恐れ入ります」

 ブラックスーツをびしっと着こなした絶世の美女を案内しながら、俺は研究棟の廊下を進む。月に一度の総帥視察とあって、目に付く所に彼らの研究成果が所狭しと置かれている。
 ここは巨大企業グループパンドラの花形部署でもある神話的埋設物研究会社、その名も「パンドラ埋設神話総合研究所」、通称パン研旧日本本社研究棟である。

 世界中で発掘された神話的埋設物は、デベロッパーや政府によりこうした研究会社に調査依頼されるか、あるいは販売されることになる。
 手切れの良さを重視する民間デベは売っぱらって終りにすることが多いし、逆に公関係の仕事だと共同研究を持ちかけられることが多いらしい。実際には政府お抱えの大学の先生がこの研究所に出向してくることになる。
 
 今や電球一つから政府の要人警護システム、果ては最先端の医療技術に至るまで、神話系埋設物に由来する技術の恩恵を受けていないものはない。であるからこそ、神話的埋設物の研究、及び技術開発が、今世の中でもっとも金になるホットな産業なのである。
 
 パンドラは研究から商品開発、販売、流通までを一手に管理する巨大な商圏を押さえており、俺が所属する武装系商社のパンドラなどその末端に過ぎない。だから本来俺の様なヒラ社員が、こうしてグループの総帥様を連れて歩いているなど言語道断なわけであるが、俺ことタケちゃんの便利貧乏さがここでも発揮されるわけである。

 まず現CEO、匣崎アヤコ総帥は神話的埋設物に関する造詣があまり深くない。これはもともと総帥がグループを継ぐ気などさらさらなかったことに起因する。
 前CEO、つまり総帥――アヤ姉の親父さんが急死したのは、彼女が穀物生産に関わる研究をやりたくて旧北米地区の大学院に進学した矢先だった。

 そのまま会社の経営権を売っ払い、株主として配当だけもらっておくという選択肢もあったに違いない。だがアヤ姉は親父さんが大事にしていた会社が、見知らぬ誰かの良くまみれの指でばらばらに解体されていくのが耐え切れなかった。

 アヤ姉は大学を止め、帰国し、そして門外漢だった神話的埋設物について猛勉強したのである。その熱意と知識欲は驚愕に値する。そのアヤ姉に助言を請われて色々教えていたのが、当時旧日本地区のしがない大学で埋神学を専攻していた俺だったと言うわけである。
 だからアヤ姉にとって神話的埋設物に関しては俺が先生のようなもので、今でも色々聞いてくる。それともう一つ、アヤ姉がここに俺を連れてくる理由が存在する。



第五話 希望という名の少女(前編)



 「おおー、トモキ。何だ、来るなら連絡くらいしろ」
 「あ、二階堂のおっちゃん、久しぶり」

 ダミ声が廊下を響かせながら俺を呼び止める。俺は旧知のその人にひらひらと手を振った。
 がはははと豪快に笑うこの人の名は二階堂セイタ。伸び放題のぼさぼさの髪にまばらで不潔な無精ひげ。鷲鼻に丸眼鏡をちょこんと乗せたどてっぱらの、どこからどう見ても恥ずかしくないおっさんである。
 これで白衣着て社員証ぶら下げてなかったら今すぐガードマンにしょっ引いてもらうところだ。

 「ん?あぁ、アヤちゃんも一緒か。相変わらず仲いいなぁお前ら」
 「い、いえ!そそそ、そんなことは…」
 「総帥。二階堂特別技術顧問の仰る相変わらずは、俺たちが幼稚園だかの頃の事だと思いますよ」
 
 そう。俺とアヤ姉をちっちゃい頃から知るこのおっさんにとって俺たちは小さな餓鬼のままなのだ。アヤ姉と違ってその後もここに入り浸っていた俺にいたっては、おっさんにとっては子供の様なものかもしれない。
 俺の親父はこのおっちゃんの元同僚で、飲み仲間で喧嘩友達だった。だから今でもこうして仲がいいわけだが、小さい頃のアヤ姉にとっては怖いおじさんだったらしく未だ苦手意識がある。それが、俺を連れてくる理由のもう一つである。
 所長という人は別に存在するが、実質的にこの研究所を仕切ってるのはこのおっさんだ。ただ役職が付くのをいやがって、特別技術顧問だとか言う偉いのかそうでないのか良くわからん肩書きがついている。
 
 「また徹夜?」
 「ん?まぁな。2、3日ってとこか。この間掘り出されてきたギリシア系地層からほぼ完全な状態の筐体が見つかったんだが、これがうんともすんとも言わない。神話測定法にも全然反応せんし、いやぁ弱った弱った」
 「うれしそうだな、おっちゃん」

 ぼりぼりと頭の後ろを掻くおっちゃん。この人は昔から無理難題に立ち向かうのが大好きな人だった。だから俺の親父なんかと気があったんだろうが。

 「あれ?うわっ。おっちゃん、それ何?」

 俺はおっちゃんがその手に無造作に持っていた二本の装剣を見て目を丸くする。おっちゃんはその俺の反応を見て、やっと気付いたかとでもいう風ににやりと笑った。

 「ふふん。トモキでも見たこと無いだろ?そりゃあそうだ。出来立てほやほやの新作だからな」
 「何でそんなもんおっちゃんが持ってるんだよ」
 「基本設計は俺がやったから」
 「相変わらず何でもやってんなぁ」
 「あの、それは…?」

 遠慮がちに訊ねる、一応このグループの総帥さまに向かって、おっちゃんはえへんと胸を張って、手に持つ二本の美しい装剣の説明をし始めた。おっちゃん。あんたの給料払ってるのその人だから。

 「恐らくはハルパーだと思われる発掘物を俺が基本設計し、意匠にデザインさせてメーカーで上げてもらった装剣だ」
 「へー。ハルパーは知名度の割りに出てないから、これという装剣はまだないんだよな。それが成功したらパンドラがハルパーのver.1を作ることになるのか」
 
 ハルパーとはギリシャ神話の半神半人の英雄ペルセウスが、蛇髪の邪神メドゥーサの首を刈る為にアテナ神から与えられた武器の名である。
 装剣は神話的技術で作られた武装のことだから、別段元となる発掘物が剣である必要は無い。だが武器系の発掘物のほうが愛称がいいのと、また人気も高いので自然と武器系発掘物由来の装剣が多い。
 以前俺がモニターした海幸彦(ホデリ)の針の様に、武器かどうか微妙なものから装剣を作る試みもあるが、成功したという話はあまり聞かない。

 「へー、手に持ってみていい?」
 「いいけど、換装はするなよ。まだ試運転してないんだからな」
 「総帥もどうぞ。お手に取ってみてください」
 「う、うん」
 「トモキ。俺の前でもその気持ち悪い敬語で通すのか?」
 「誰が聞いてるか分からないだろ?」
 「ふん」
 
 おっちゃんが鼻を鳴らし、アヤ姉がハルパーを手に取った瞬間。
 研究所の中ではあるまじき轟音が轟き、俺は思わず手に持った剣を取り落としそうになった。

 「何だ!」
 
 おっちゃんがダミ声で怒鳴り散らす。 
 爆発は以外に近いところで怒っていた。
 目と鼻の先。確かあそこは・・・。

 「おっちゃんの研究室じゃねぇか!」

 俺が指摘すると、おっちゃんは「うーん」と頭を掻いた。

 「今日はそんな危険な実験はやっとらんかったと思ったがなぁ」
 
 やってる時もあるのか。そうか。そうですか。
 正直アヤ姉の前でそこのところを問い詰めたかったが今は事故の原因究明が先である。
 そう思って俺たちが事故現場に足早に向かおうとすると、研究室からは白衣の人間が何人か這うように転がるようにして出てきた。

 「おい!お前らどうした!」
 「あ!親方!」

 誰が親方だ、誰が。
 おっちゃんは研究員に親方と呼ばれている。それ絶対研究者の呼ばれ方と違う。

 「早く逃げてください!あ、あの筐体、筐体から!」
 「ああん?あの箱がどうした?」
 「筐体から、デモンが!」

 ばん、と音を立ててコンクリの壁が破壊される。
 開いた穴からは黒い足がにょきりと延びていた。影の様なその黒さには見覚えがある。俺たちがデモンと呼ぶ、神話的埋設物のガーディアン。

 「馬鹿な!?神域以外でデモンが湧くってのか!」

 確かに現場以外でデモンが湧いたなんて話は初めて聞いた。そしてそれは非常にまずい事態だ。奇跡的にまだ怪我人は出ていないようだが、こんなのが外に出たらえらい騒ぎになるに違いない。

 「おっちゃん、剣、使っていいな?」
 「トモキ…」
 「私も付き合おう」
 「アヤちゃんまで!」

 そう言ってアヤ姉まですうっと剣を抜刀した。水のように美しい流れるような刀身だった。

 「止めても無駄?」
 「無駄だな。時間の無駄だ」

 はぁ、と俺は大げさに一つ溜息をついた。

 「いくぜ、アヤ姉」
 「ちょ、急に名前呼ぶの反則!…ふん。いいだろう。換装」
 「換装」

 起動語によって俺とアヤ姉の体が金色の光に包まれる。
 黒い影は、壁をこじ開けるようにして俺たちの前にその巨体を曝そうとしていた。



[25034] 第六話 希望という名の少女(後編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:47
 アヤ姉の身体を包んでいた光が消え去り、ティタン殺しの剣ハルパーの剣装がその全容を見せる。
 隙なく着こなされていたブラックスーツは神理学的置換作用によって、銀色に輝く真新しい鎧へと変貌していた。

 因みに、意匠の設計者が打ち込める装剣のデザインはあくまで剣の段階でのそれにすぎない。
 換装後にどういう外観を持つかは、神理理論が密接に絡んでくるので、出来上がるまでどういう外観になるかはわからない。
 もちろんある程度の予想はラプラス型の多次元神理コンピューティングによって可能ではある。
 だが多くの場合、換装の結果はやはり神のみぞ知るなのだ。

 だから、これから俺がいう言葉は設計者と言うより神に向けられた言葉と思ってもらって構わない。俺は神に対して心から賛美とともにこの言葉を送りたいと思う。
グッジョブ、と。



 第六話 希望という名の少女(後編)



 ハルパーの鎧はどうやら神話のペガサスやペルセウスに意匠的インスピレーションを得ているらしい。
 肘から手の甲までを覆う手甲や、白く形のいいアヤ姉の足指の魅力を十分に引き立てるサンダルのような脚半にも、翼を模した飾りが設えられている。
 そしてなによりその胸部装甲。
 アヤ姉のGカップの魔乳を覆うその装甲は、ちょうど乙女が恥らうような感じで、一対の翼が両側から乳房を包み込んでいた。
 しかしその翼の大きさが、アヤ姉にはいささか申し訳過ぎる。
背甲から伸びてきているらしいその一対の翼は、本当にアヤ姉の女性の手くらいの大きさしかないわけであるが、アヤ姉の魔乳を侮ってはいけない。
 とてもではないが、自分の手で覆いきれる大きさではないのである。

 翼によって持ち上げられる格好になった双球は無防備で、それでいてどこまでも続くほどに深い谷間を惜しみなく見せつけ、その頂だけを隠された乳房の輪郭は丸見えで、裸よりもエロいと言えるかもしれない。
 翼が支えるだけのその柔からかなミルクタンクはほんの少しの動きにも敏感に反応してふるると揺れる。
 思わず拝みたくなるほどの荘厳さである。
 そのまま視線を下に移せば、白い腹部はその美しいラインを存分に鑑賞させるわ、銀のチェーンで結わえられただけの布の前掛けが足元までたなびいてその向こう側にあるであろう女性の神秘に思いを馳せさせるわで、どこの踊り子ですか。どこに行ったら次見れますか、と言った具合の完璧な調和を見せている。
 普段はポニーテールに結わえられた長い黒髪が、アップに纏められ、これまた翼を設えた髪飾りで止められているのもポイントが高い。
 神様、アンタすげーよ。 

「ふむ」

 そう言ってアヤ姉は、自分のその魅力的な肢体を包む銀の鎧を見まわし、その場でくるりと回って見せた。
 
 「な!?」

 俺はまだ侮っていたらしい。神理学的効果というものを。つまり神様の趣味という奴を。
 くるりと背を向けたアヤ姉の背にはやはり翼を模した背甲があり、丸見えのうなじやほっそりとした丸い肩が情欲を掻き立ててくるわけであるがそれより何より。
 アヤ姉の安産型のよく鍛えられたヒップ。
 それは布製のTバックによって持ち上げられていた。白い布は銀のチェーンを引っ張るようにしてその豊かな丸みを強調している。
 これは、つまり…。
 ふんどしというわけか。
 侮りがたし、神理学的恩寵。
 こんな格好で激しく運動したら、色々と危ういものがぽろりしてしまうではないか。
 俺は密かに、絶対鈴木社長にもこの鎧を卸そうと心に決めた。

 「気に入った。動きやすいし、追随性もいい。それでいて神力の通りがいいせいか、神力で守られている感じがすごく分かる。これは久しぶりのヒットだな。どうだ、タケ――」
 
 そこで初めて、アヤ姉は俺の血走った視線に気付いたのであった。

 「ちょっ。馬鹿!やらしい目で見ないでよっ」
 「これはまた。立派になったなぁ、アヤちゃん」 
 「二階堂博士までっ」

 これを見せられて、男に見るなと言う方が無理である。俺を初め、二階堂のおっちゃんとその部下達はそろって前かがみにならざるを得ないくらいである。
 っていうか鎧に当たって痛い。

 え?俺の鎧がどうなってるかって?いたって普通の軽鎧だけど何か?男の格好に興味が無いのは、俺も神様も同じである。

 「さて…」

 ようやく気持ちと何かが落ち着いた頃には、研究室の壁を完全にぶち抜いて、黒いデモンがその全体像を俺に見せていた。
 
 うーん。何だろう、これは。
 普通デモンはその発掘現場の神話層に似つかわしい存在として現れる。仏教系であれば邪鬼の様な姿で出るし、ヒンドゥー系であれば蛇が多い。
 ギリシャ系の発掘物であるはずの件の筐体から出てきたこれは、だからギリシャ系の何かだと思うのだが、はて…?
 
 それは俺とアヤ姉に醜悪な姿を悠然と見せていた。その身体の基本は6メートルもありそうな巨大な狗であるのだが、黒い毛に覆われたその体のあちこちから眼や牙や指などが生え出して、メインの首の眼孔の中にもいくつかの眼が犇き、口の中にも二つの下が延びだしていた。

 キメラ、だと言われればそれまでであるが、この禍々しい感じはそれだけでは形容しきれない。
 まるでこれは、災いそのものの様な。

 『ぐぅううおおおおおおおお!」

 その時突然。
 ソレが大口を開けて俺たちに踊りかかってきた。

 「おっちゃん!下がってくれ!」
 「分かった。とりあえず警備を呼んでくる!」

 そう言っておっちゃんと部下達が廊下を走り去るのを横目で見ながら、俺は装剣を正眼に構える。
 
 「疾っ!」

 先手はアヤ姉だった。
 豊かな乳房がこぼれだしそうに震えるのも構わず、流麗な無駄の無い動作から発揮された斬撃がソレの肩口をすれ違い様に切り裂く。

 『ぐぅぅぅぅぅぅぅぅるるるるるるるる!』
 
 黒い霧のようなものを傷口から撒き散らしながら、警戒するように距離を置こうとするソレ。
 しかしその後ろ足を、こっそりと近寄った俺の一撃が切りつける。

 『ぎぃぃあああああああああああおおおおおおおん!』

 「姑息だな、相変わらず」
 「頭使ってるって言ってくれる?」

 アヤ姉が呆れたようにそう言うが、真剣勝負卑怯も何も無い。現場では所員が生き残ることが第一である。
 
 「流石に一匹じゃ大したこと無いな」
 「油断するな。悪い癖だ」
 「へいへい」
 
 俺たちはソレを取り囲むように少しづつその黒い身体を削っていく。だが、揺れる乳とか震える尻とか躍動する太ももとかを鑑賞する余裕すら俺にはある。

 「腕を上げたな、タケちゃん」
 「まぁ、ね」

 たまに現場に出てるから、とは口が裂けても言えないが。
 ここでは鈴木社長に感謝と言ったところだろうか。

 「そろそろ、か?」
 「たぶん」

 次が最後の一撃か、とお互いに渾身の神力を剣に込めていた時、二回りは小さくなったそれがソレが、突如爆砕するように弾けとんだ。

 「やばっ。瘴気か。あ、アヤ姉!」

 「ほらな。油断するからこうなるっ」

 ソレの身体は黒い霧となって猛スピードで俺たちに迫ってくる。瘴気と呼ばれる人体にとっての猛毒だ。
 あれを吸えば肺から爛れて死ぬしかない。

 「アドミニストレイター権限により”パンドラボックス”にアクセス。IDは”アヤコ”。圧縮ファイル”六面結界”の解凍、即時実行を命ずる」

 アヤ姉が早口でパンドラのスーパーコンピューターを呼び出す。アヤ姉の社長権限と、装剣で増幅された女性特有の出鱈目な神力があって始めて可能な高速呪法ダウンロード。俺が権限持ってても絶対出来ないと断言できる。

 「”六面結界”!」

 間一髪。
 俺とアヤ姉とが光の壁によって外界から隔離される。瘴気はその壁を境に内側に侵入することは出来ない。

 「なんつー再現率。さすがはアヤ姉…」
 「いいから、もっとこっちに来い。結界に触れるのは人体にあまりよくない」

 そう言ってアヤ姉と密着できたのは、確かに役得であった。

 やがて数分で霧は跡形も無く消えた。
 施設内の自動浄化装置が働き、瘴気を無害化したのである。

 「これが…そうか?」
 「どうやらそうらしいけど…?」

 霧が消えた後、そこには一つの大きな筐体が横たわっていた。箱からデモンが出てきたのではなく、箱を包むようにデモンが存在していたらしい。

 「迂闊に触るなよ」
 「わかって―――」

 アヤ姉の言葉に答えようとした時、なんとひとりでに箱の蓋が持ち上がった。
 
 「なんだとっ!」
 「げ、どうしよう?閉じる?」

 俺たちがあたふたとしている間に蓋はすっかり開いてしまい、中から何かがのろのろと起き上がった。
 すわデモンか、と俺たちが装剣を握る手に力を込めると、予想に反し、中から出てきたのは無害と思える存在だった。
 つまり、長い銀髪で裸の肌を覆う、10歳くらいに見える美少女であったのだ。

 「こ、これは、ど、どういう…」

 「わからない…」

 すがりつくように俺の腕をとるアヤ姉。あ、おっぱい気持ちいい、じゃなくて、神話的埋設物から人が出て来るだと?いや、神理学的置換作用なのか?
 少女は寝ぼけた様子でもなく、大きなぱっちりとした眼で俺とアヤ姉を見ている。澄んだ群青の色をしていた。

 「き、君は…?」

 何人かは分からないので共通語で話しかけてみる。
 その言葉の意味を解したのかどうなのか。
 少女は自分を指し、そして短くその名を答えた。

 「…エルピス…」

 それは、希望という意味の言葉である。



[25034] 第七話 武村家へようこそ!(前編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:47
 翌日。
 手早く仕事を終わらせた俺はパン研を訪れていた。
 時刻は夜8時。
 当然の様に煌々と灯がともった研究所に溜息を吐くと、俺は気持ちに急かされるままに、研究所内に足を踏み入れた。

 「おお。来たか」

 研究室ではおっちゃんが昨日と同じ白衣姿で一人の少女に向き合っていた。これは同じ白衣を何着ももっているとかいうことでは断じてない。
 昨日とまったく同じ格好をしてここにいるということだ。

 「風呂くらい入ったら?」
 「入ったわい」

 心外な、とでも言うようにおっちゃんが肩をいからせる。
 風呂入って同じ服着てたら世話無いわ。

 「アヤ姉は?」
 「朝顔を出したがな。流石に忙しいらしい」

 それはそうだろう。アヤ姉は世界最大企業の一角、パンドラグループのトップである。それも財界やら政界やらから虎視眈々とその失脚を狙われ続ける新参者に過ぎない。
 懸念事項は山ほどあり、日々その処理に忙殺される。
 そして、目の前に新たな、そして巨大な懸案事項が一つ。

 「エルピス…」

 俺の呟きに、銀髪の少女はこくりと頷いた。

 

 第七話 武村家へようこそ!(前編)


 
 「髪を少しだけもらってDNA鑑定にかけたが、現生人類のどの段階とも似ていない。それどころか、700万年遡っても、彼女と同じ塩基配列の人類は多分存在しないぞ」
 「人間じゃない、のか?」
 「それが、物理的にも神理的にも完全に人間なのさ。我々と同じに呼吸し、飯を食い、成長し老いて死ぬ。ただ、まるで何も無いところから造られたみたいに、進化の痕跡のないDNAを持っているというだけだ」
 「神理的辻褄合せってことなの?」
 「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。はっきり言ってお手上げだな。彼女が話す言語は唯一自分の名前らしき言葉だけ」
 「エルピス…か」

 俺がもう一度その言葉を呟くと、少女は俺の方を振り返ってこっくりと頷いた。どうやら自分の名前が呼ばれていることは分かるらしい。
 流石に裸のままでは不憫と、スタッフが急遽買ってきた膝までの白いスカートとレースで飾られたブラウスは、彼女のどこか神秘的な雰囲気に良く似合っている。
 愛らしい美少女だ。
 表情と言う表情が、まったくないのが残念ではあるが。

 俺は思わず少女の頭に手を置くと、その銀の髪を撫でてみた。
 意外にも、少女は気持ちよさそうに眼を細め、されるがままになっている。

 「おい。埋設物に気軽に触れるなよ?」
 「埋設物かどうか、分かんないでしょ?」

 二階堂のおっちゃんが見咎めたように言った言葉に、俺は肩を竦めて見せた。

 「完全に人間なんだろ?危険はないっしょ」
 「まぁ、多分な。しかし、しっかり懐かれたな、トモキ」
 「子どもには好かれるんだよ、昔から」
 「女に、の間違いだろ?」

 と、ニヤニヤしながら言う眼鏡のおっさん。何を言う。人聞きの悪い。

 「まぁ何にしろ、俺が調べて分からんのだから誰が調べてもわからんだろう。アヤちゃんはこの子を当分の間秘匿することに決定した。世間には公表せず、パンドラで身元を預かる」
 「秘匿ったって、どうすんの?まさか、ここで育てんの?」

 俺は少女のやわらかい髪を撫でながら大げさにそう言ってやった。こんなおっさんと一緒に暮らしていたら、教育上悪すぎる。

 「それこそまさかだ。スタッフが順番に家につれて帰るという案もあったんだがな」
 「犬猫じゃないんだからさ」
 「そう。それに、皆帰りが遅いからなぁ」
 
 それはそうだろう。かと言って俺もアヤ姉も帰りは遅い。下手したら午前様の時もある。とても子ども一人養える環境ではない。
 
 「と、言うことでだ。トモキ。俺と匣崎代表は一致した、一つの論理的帰結に達した。もうこれ以上ないと言うくらい理想的な案だ」

 ぶるっと俺の背中が震える。何今の寒気?滅茶苦茶嫌な予感しかしないんだけど?
 そして俺の予感は的中する。こんなときだけ俺の直感は、多次元コンピューティングのラプラス予知並である。

 「この子、お前のとこで面倒みろ」

 おっちゃんの言葉に、俺は心底から絶句した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 
 次の日は土曜日。俺はバイトをキャンセルして東京タウンのはずれ、いまだ緑がうっそうと残るジャングルみたいな所に来ていた。
 目の前にあるのは無駄にでかい家だ。初心者は遭難すること間違いなしのうっそうとした林を抜けた向こうには、近所の子どもからお化け屋敷認定間違いなしのでかい洋館が聳えている。
 内装も期待を裏切らない旧世紀前半ばりばりのレトロ趣味だ。
 この家の主の懐古趣味にも困ったものである。
 ここに来るのは半年振りか?もっとか?よく覚えていない。
 あまり来たい所ではないので、自然足が遠のくのである。
 
 「久しぶりだが、相変わらず大きな家だな」

 俺の隣には珍しく私服姿のアヤ姉がいた。タートルネックのセーターにタイトなスカートを白いロングコートで包んだその姿は、俺の着衣萌え魂に火をつける素晴らしい格好だ。
 セーターというのがいい。セーターというのが。
 盛り上がる二つの膨らみが一層強調されて目の保養になるからである。
 
 訪問者は俺とアヤ姉だけではない。
 俺の手をしっかりと握って、とてとて付いて来る、小さな銀髪の少女も一緒である。
 余所行きの白いワンピースに身を包んだその姿は、さながら森の妖精といった風情である。 

 「エルピス…。大丈夫か?もう少しだからな」

 俺がそう言うと、少女はこっくりと頷いた。

 ピンポーン

 『はーい。どちら様でしょうか?』

 旧世紀から変わらないレトロなベルを鳴らすと、インターフォンから妙に丁寧な女の声が聞こえる。
 相変わらずか。
 俺は溜息とついてからインターフォンに向かって言葉を発した。
 
 「俺だよ。開けてくれ」
 『あら、お兄様ですか?どうされたんです。一年ぶりでございますねぇ』

 どうやら一年ぶりだったらしい。思ったよりも家を空けていたようだ。

 「いろいろあってな。通信じゃ話しにくいから直接来た。いいからとっとと開けろ」
 『ご事情は分かりかねますが、ひとまず分かりましたわ』

 突然の訪問で留守だったらどうするのかって?
 大丈夫。この家の住人が家を出ることは隕石でも降ってこない限りはあり得ない。
 …ひょっとしたら降ってきてもないかもしれない。
 恐ろしいほどのものぐさ人間たちなのである。

 がちゃ、と門が開いて、俺たちは林の中をひたすら歩かされる。今時自動歩道もない石畳の上を、しかも全然手入れされていないために木々が張り出し放題の中を進まなくていけない。
 俺はエルピスの手を握る力を強める。エルピスもしっかりと握り返してきた。しゃべらないし、表情が乏しいので何を考えているのかは分からないが、遭難されるわけにはいかない。

 やがてようやく俺たちは洋館の前にたどり着いた。
 そこには頭にカチューシャを付け、白いフリルとアクセントにした黒のエプロンドレスを着た女が、妙に綺麗な姿勢で一礼していた。
 人は多分あれをメイド服と呼ぶのだろう。
 ふわりと広がったスカート。
 きゅっと絞られた細い腰。
 そして大きな胸を強調する胸元が開いたデザイン。
 それでいて首からはネクタイが下がっているので、それは当然胸の谷間に落ち込むことになる。
 そしてカチューシャが乗っかるのはぱっちりとした青い目に、豪奢な絹糸のような金髪に白い美形の子顔である。
 これでもかと言うくらいに萌要素を搭載した様なこの女の姿に、俺としたことが全然萌えない。
 それもそのはずである。
 この明らかにコンセプトを間違えたメイドの格好をした頭の可愛そうな女。恥ずかしながらこの女こそ、俺の実の妹、武村クリスなのである。

 「は?」

 クリスは俺を見るなり、そう言って絶句した。そしてアヤ姉とエルピスを交互に見た後、もう一度俺を見て、そしてふるふると震えだした。
 
 「クリス…?」

 俺が眉をしかめて妹を呼ぶと、クリスはそのまま突然に洋館の中に引き返し、そしてキンキンと耳にやかましいそのでかい声で喧伝するように叫びながら走るのだった。

 「お、お父様!お兄様が!お兄様がついにアヤコ様と子どもをお作りになりましたーーーーー!」 
 「ちょっ、ククククククク、クリスちゃん!違う!それは違うぞ!」
 「…馬鹿妹が」

 俺は思わず頭を抱えて頭痛に耐える。
 あり得ない勘違いにアヤ姉は口をぱくぱくと開けたり閉めたりしている。
 ただ俺の手を握るエルピスだけが、きょとんとした顔で首を傾げていた。



[25034] 第八話 武村家へようこそ!(後編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:46
 「ほう…。なるほどな」

 おっさんが、さっきから遠慮も呵責も無い目で俺たちを見ている。
 馬鹿妹の誤解を解き(もちろんまったく解けなかった。もうお兄さんは色々諦めました)、何とか客間まで侵入することが出来た俺たちを待っていたのは、無駄に立派な髪を蓄えたおっさんだった。
 白髪が混じり始めた金髪を手櫛で後ろに梳いただけの気取らない風貌は、気に入らないが決まっていてむかつく。
 大きく張った肩に高い身長は、ただの開襟シャツを着ているだけなのにこのおっさんをワイルドに見せるし、鋭い眼光が妙に知的に見えるから不思議だ。
 認めたくはないがこの男こそ俺の父親。
 その名を武村レイモンドと言う。
 何もしゃべらなければ、旧世紀のハリウッド映画俳優の様な風貌であるが。

 「いい乳に育ったな。アヤコさん」
 「な…!?」
 
 突然の親父の言葉に絶句するアヤ姉。
 おい、何を感心してると思ったら、エルピスじゃなくてそっちかよ、と言う突っ込みを入れる気力も湧かない。
 この男こそ俺の父親。
 俺とちっとも似ていない、気に入らないおっさんである。



 第8話 武村家へようこそ!(後編)



 「お茶を、どうぞ」
 「あ、ありがとうクリスちゃん」

 アヤ姉がそう言って給仕をする妹に礼を言う。その様子が妙に様になっていて呆れる。この妹は本格的に頭がおかしいと思う。
 「私、自分の進む道を見つけましたわ」と言って、13の時にメイド服の着用を始めたこの妹は、だからそれから5年もの間、ひたすら我が家のメイドをやっている。
 わからない。6つも年が離れてるせいか、お兄さんにはお前がさっぱりわからないよ。

 「どうですか、お兄様、この衣裳は?」
 「ひとつ聞いておくが、何でお前のメイド服はいつも露出度がそんなに高いんだ?」

 具体的にはおっぱい出しすぎである。

 「あぁ、そんなことですか。決まってますわ。お父様とお兄様が女性の乳房に異常な執着を持っておいででしょう?ですから胸部の露出は武村家のメイドとして当然のことなのです」

 そう言ってむき出しの白い谷間に手をあてて、にっこりと笑うクリス。
 横からアヤ姉がじと目で俺を見ている。
 違うよ!妹とかぜんっぜん萌えねぇよっ!
 この頭のイタイ子がメイドってもんをカン違いしてるだけだよっ。

 クリスは旧世紀の映像資料を参考にメイドというものを解釈している節がある。そう言えばいつか俺に「お兄様の資料を拝見させていただきました。大変参考になりました」と赤い顔して言っていたような…。
 俺の資料って、まさかあの、ベッドの下に隠していたアレじゃないよね?
 え?これってひょっとして俺のせい?
 
 エルピスはと言えば興味深そうに陶器のカップから立ち上る湯気を見つめている。
 うーん。研究所では紙コップにインスタントコーヒーだったからなぁ。
 つくづく教育によくない場所だった。

 「話は大体分かった。しかし、トモキ、お前、いつもこんなに美人で巨乳に育ったアヤコさんと一緒にいるのか?羨ましい。羨ましすぎるぞ。もういいからお前、とっとと帰れ」
 「巨…、えっと、その…」

 ほら、アヤ姉が困ってもじもじしてるじゃねぇか。女性の前で巨乳とか言ってんじゃない。照れて真っ赤にあってるじゃないか。
 っていうか可愛いなぁ。あとおっぱい大きいなぁ、って違う。そういうことじゃなかった。 
 
 「いつも一緒にいるわけじゃねぇよっ!あと恐ろしく認めたくないことだが、帰るも何もここは俺の生家だ!」
 「ふふん。マンションに住みつきちっとも顔を出さないドラ息子がよく言う。お前もクリスを見習って私の研究を手伝ったらどうなんだ?」
 
 そう。今年18になるはずの俺の馬鹿妹はすっかり親父に洗脳されて、メイド兼このおっさんの助手という色気のない職業に色気満点の格好で青春を費やしているのである。
 美人で胸がでかく気立てもよく、惜しくも頭がかわいそうなことを隠せば世の哀れな男どもならいくらでもどうにでも出来る女であると言うのに、心底残念な奴である。

 「まぁいい。本題に入っていいか?」
 「まぁ、いいだろう。うちでその子を養うと言う話だね、アヤコさん」
 「え、えぇ。武村博士のお手元であれば安心してお任せできると。勿論養育費用に関してはパンドラが十分なものをお支払いします」
 「そんな気遣いは無用だよ、お嬢さん。私がアヤコさんからお金をせびる狭量な老人に見えるかね」
 「い、いえ。その、お気分を害されたのであれば申し訳ありませんっ」
 「いやいや、そういうわけではない」

 仮にも世界に名だたるパンドラグループ総帥たるアヤ姉が、へりくだった態度を取るのには理由がある。
 パン研の二階堂のおっちゃんは人並み外れた才能を持ちながら、誰かと競うとか、権力を得るとか、そう言ったことにまったく興味を持たない残念な天才だが、おっちゃんと同期のこの男は言ってみればおっちゃんの真逆である。

 「私としてもその子はとても興味深い。主に将来がとても楽しみだと言う意味で。見てみろ、トモキ。この子はかなりの美人に育つぞ」
 「お前、一回死ねよ」

 前言撤回。残念な人間と言う意味ではまったく一緒だった。

 「エルピス。君はどうだ?ここで暮らすのに異存は無いかな?」
 
 親父はエルピスの目を正面から見つめてそう言った。エルピスはその言葉に小首を傾げる。

 「エルピス。この言葉ではどうだ?」

 親父が共通語ではない別の言語でエルピスに話し掛けた。俺も少しはかじっている。ギリシア語のようだがそれにもエルピスは反応しない。

 「ではこれでは?これはどうだろう?これでは?」
 「おい、親父…」
 「これならどうだろう?」
 「あんたが博識なのは分かったからいい加減に…」

 矢継ぎ早にいくつかの言語で話し掛ける親父をどなりつけようとした俺に、しかしエルピスはぴくりと反応して、何とその名前以外の言葉を始めて口にした。

 「*********、******?」
 「え、エルピス!」

 俺が驚いて思わずその名を呼ぶと、エルピスはちょこんと首を傾げる。別に喋れないと言った覚えはない。そんな具合にきょとんとしている。

 「なるほど。**********、*********?こんな感じかな?」
 「!? *******、********、************」
 「*****、***************」
 「**********、***********」
 「うんうん。気にするな。私は天才だからな」
 「おい、親父。俺たちにも分かる様に通訳しろよ」
 「ん?この子が『何故あなたがその言葉を?』と言うから、『驚くには値しない。君の美しさに比べたら少しもね』と返した」
 「…で、エルピスは何て?」
 「『ごめんなさい。今度は何て言われたか分からない』と」

 言葉が通じて話が通じないというのは、エルピスにとって初めての体験に違いない。

 「ふん。二階堂の奴め。初めからこれを狙っていたな。私が神語理論の研究でやっていることを、あいつだけは正確に理解しているからな」
 「どういうことでしょうか?」

 アヤ姉が不思議そうに首を傾げるのを見て、親父がにっこりと笑う。
 なるほどね。俺にもようやく二階堂のおっちゃんの考えが読めた。

 「神話的埋設物を利用したアーティファクトを起動するあらゆるプログラムは、神語と呼ばれる超言語に翻訳することで始めて機能する。超言語とは、あらゆる言語の原型たる言語、という神理学上の仮想言語だ。神話段階によってその形が様々に違うから、旧来はそれを一つの統一したプログラムに統合する作業など不可能だと言われていたのだよ。この、私以外にはね」

 そう言って親父がにやりと笑う。そうなのだ。悔しいがこの男は希代の天才だ。二階堂のおっちゃんがハード面の天才なら、この男はソフト面のそれ。
 現在稼動するすべての神話的アーティファクト、つまり世界に存在するほとんどあらゆる工業品は、この男の発明なくしてはあり得ない。
 毎年数兆円とも言われる特許料をその懐に収めるこの男に逆らえば、最悪特許使用停止を命じられる可能性もある。
 だからパンドラの様な企業は決してこの男に逆らうことは出来ないのだ。

 「その理論を応用して、エルピスに複数の神話段階の言葉を試した。ちょうどギリシアと北欧に、ほんの少し西アジアが混じったくらいの複層神話言語だな。統一神語を作り出した私からしたら、まだまだ優しい部類だ」

 とんでもないことを言ってのける男である。あの僅かな間にエルピスにそれらを試し、あれだけのやりとりで神話層を特定したというのか。
 だから嫌いなんだ。この親父は。親父は…昔から何でも出来すぎる。

 「それは、まぁいいとして。エルピス、どうだ?ここで暮らしてみるか?」

 とわざわざ共通語で言ってから、親父はエルピスの言葉でそれを尋ねた。すると彼女は数瞬考えた後、首を横に振った。

 「何故?…ほう。うんうん。なるほど。ははぁ…」
 「ははぁじゃねぇよ。エルピスは何て?」
 「私にはまったく理解できん心境ではあるが、トモキ。この子はお前と離れたくないそうだ」
 「はぁ?」
 
 俺が驚いてエルピスに視線を向けると、無表情の少女が心なしか上目遣いで俺の目を見つめている。

 「私としても大変不本意ではあるが、この子の意向と言うなら仕方ない。トモキ、この子はお前が預かれ」
 「いやいやいや。俺も仕事とかあるから。一日家で一人にはしておけないし、託児所に預けるわけにもいかないし」
 「それには及ばん。クリス」
 「はい、お父様」
 「お前、しばらくトモキのところでこの子のお世話をしなさい」
 「まぁ!私がお兄様の落し種を?」
 「違うし、その妙に生々しい言い方を止めろ!親父も、勝手に決めるな!勝手に」
 「何だお前。自分でつれてきた小さな女の子を放り出す気か?お前が7歳の時に犬を拾ってきた時、最後まできちんと面倒を見るようにあれだけ言っただろう?」
 「エルピスは犬じゃねぇ!」
 「尚更だ。可愛い女の子を忙しいからとかそんな理由で感知外に遠ざけるか。はっ。誰だこいつ。絶対俺の息子じゃないな。こんな卑劣感を身内に持った覚えは無い」
 「て、てめーな…」
 「でも、お父様はどうされるのです?私がいなくなってはお父様のお世話をするものがいなくなりますが?」

 クリスがそう言って唇に指をあてて小首を傾げる。奴曰く、殿方の心を癒す仕草を研究しているとのことだ。こんな奴と暮らすとか胃に穴が開きそうなんだが。

 「心配無用だ。私もしばらく家を空けることにする」
 「はぁ?どんな風の吹き回しだ?」

 三度の飯より研究が好き。用がある?はぁ?てめーが来いよ、というどんな相手にも上から目線ばりばりの親父が外出?
 俺が首をひねっていると、いつの間にかエルピスが俺の服の袖をきゅっとつまんでいた。

 「どうした?」

 何も言わない。それに無表情。なのにどこかその目は、捨てられた子犬を連想させた。

 「ということだからクリス。早速支度を始めなさい。アヤコさんもそれでいいかね?」
 「え、えぇ。その…タケちゃんさえ良ければですが…」

 俺さえ良ければね。はいはい。俺さえよければいいんでしょうが。
 
 「はぁ…いいよ。クリス。あんまり荷物を持ち込むなよ」
 「本当ですか!まぁ、良かった。新しいご奉仕のバリエーションを研究したいと思ってたところなんです!」

 いいよ、現状維持で。寧ろ後退しろ。その無駄な向上心は何なんだ。

 「良かったな。小さなお嬢さん」

 親父がまた不思議な言葉で何事かを呟くと、エルピスは目を丸くして、そして俺を見た。

 「ま。ここに来て俺は知らんっていうわけにも行かないしな。これからよろしくな、エルピス」

 俺はそう言って彼女の頭を撫でてやる。
 無表情な少女は、気持ちがよさそうに目を細めた。

 「善は急げだな。クリス。私の荷造りも頼む。一ヶ月ほど家を空けるからその準備もな」
 「一ヶ月?どこに行くつもりだよ、親父」
 「ん?あぁその子のこととか、色々なことを討議したい。二階堂は現場主義だから討論には向かん。やはり私が対当にものを話せる人間はこの世に一人しかしないということだ」
 「母さんに会いに行くのか」
 
 なるほど合点が言った。この男が唯一頭が上がらない存在こそ俺の母親武村トーコ。研究人間の親父がべたぼれして結婚してもらったと言う親父の上を行く傲岸不遜人間である。

 「そう言えばおば様の姿が見えないな。今どちらにいらっしゃるのだ?」

 アヤ姉が俺にそう尋ねる。うーん。言っていいものかどうなのか。…びっくりしないだろうか。
 俺はアヤ姉の言葉にとりあえず人差し指を上に向けた。
 
 「ん?二階?じゃないよな。すると…、あぁ、飛行機の中か」
 「違う違う。もっと上」
 「は?上ってタケちゃん…、どういうこと?」

 アヤ姉がいぶかしげに眉を寄せると、親父がそこから先を引き継いだ。

 「我が細君は今、月の宇宙ステーションで神理理論が月面上でも組み立て得るか、その場合どのような影響を受けるかと言う政府のプロジェクトに参加していてね」

 参加というか仕切っているらしい。っていうか政府に金出させたの母さんだし。ちなみに親父が学会の裏の顔役だとすると、母さんは面の大御所である。
 二人揃って人に迷惑をかけることを厭わない、非常に迷惑な夫婦なのだ。

 「つ、月?」
 「そうだ。だから通信も出来ないし、往復するだけでも時間がかかって仕方ない。だがトーコさんに会うためだ。多少の労力は仕方あるまい」

 俺も4年くらい会ってないと思う。クリス産んだのも日本じゃなかったしな。

 「月とか、一般人が行けるものなんですか」
 「大丈夫。金にモノを言わせる」

 そうですか。所詮この世は金ですか。ありがとうございました。
 ぽかんと口を開けるアヤ姉に、親父は場を仕切るように、楽しそうに声を張り上げた。

 「さぁ、久しぶりに面白くなるな」

 それ、俺にとって、ちっとも面白そうでないのは気のせいか?



[25034] 第九話 メイドと黒歴史と恐喝と
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:46
 冬の早朝。
 時刻は5時30分。
 けたたましい目覚ましの音で俺は叩き起こされた。
 
 飛び起きて枕元を見ると、そこには異様に目玉がぎょろついた、時計を抱える兎を模した目覚まし時計があり、爆音を轟かせている。
 
 『お早う!起きやがれ寝ぼすけ野郎!さっさと布団から出て、十秒以内に支度を済ませろ!』

 どこの軍隊だ、どこの。
 俺は不機嫌極まりない動作で、叩き壊さんばかりの勢いをつけて、そのむかつく目覚まし時計の頭を思い切りはたいた。

 『残念!そのスイッチはダミーだ!本当のスイッチがどこか、その足りない脳みそをたまには使ってみたらどうだ!』

 うるせー!何で朝から器物に馬鹿にされなくちゃいけないんだ。
 俺は目覚まし時計を掴み上げると裏を覗いたり、頭にもうひとつスイッチがないか見たりしてみたがそれらしいものはない。

 『お早う!起きやがれ寝ぼすけ野郎!さっさと布団から出て、十秒以内に支度を済ませろ!』
 「うるせー!もう起きてんだろうが!とっとと止まりやが―――」
 「目玉でございますわ、お兄様」
 「は?」

 俺が突然の声の方を振り返ると、そこには朝からかんっぺきなメイド服姿をした妹の姿があった。およそ早朝とは思えぬくらいに、長い金糸の髪は滑らかに棚引き、青い大きな瞳が慎ましやかに伏せられている。
 そして、あいも変わらずの大きな柔乳の谷間が、ふるふるとむき出しになっていた。
 妹でなければ是が非でもフラグを立てたいところであるが、あいにく俺にそんな属性は無い。
 第一―――。

 「その目玉を思い切り指で突くのでございます。眼底を叩き破らん勢いで」
 
 そもそも頭が可愛そうな女に欲情する趣味は俺にはない。
 言われた通り、目玉に痛烈な目つきを叩き込むと、『この卑劣漢の外道めが!』と最後に罵倒してから目覚ましはようやく止まった。
 どこのメーカーだ。こんな不快な目覚まし時計を作ったのは。

 「私の手製でございます」
 「おまえかよ!大体、昨日寝る時はこんなものなかったぞ!」
 「当然でございます。先ほどこっそり置かせていただきました」
 「なんでだよ!普通に起こせよ!」
 「武村家の殿方は皆様寝起きが悪すぎます。すっきり起きて頂くための私なりの気遣いでございます」
 「いらないいらない。そんな気遣いいらないから」
 「左様でございますか…。あと私が考え付くのは、朝から身も心もすっきりしていただく身体を使ったご奉仕くらいしか…」
 「お前の頭の中はどうなってるんだ!」
 「『ちょ、朝からなにしてるの?』『ふふふ。クリスにすべてお任せください。この猛り狂った立派なご子息を、すぐに静めてご覧に―――』」
 「言わんでいいわ!」


 第九話 メイドと黒歴史と恐喝と

 
 俺ははぁはぁと肩で息をしながらクリスに怒鳴りつける。なんで朝から全力で突っ込みを入れなくてはいかんのだ。

 「もう朝食は出来てございます。エルピス様などは既にナプキンまでつけて席についてらっしゃいます。お兄様もお早くお越しください」
 「その前にクリス、一つ言っていいか?」
 「何でしょう?」
 「朝の5時半は早すぎるわ!俺は9時に会社に行けばいい上に、会社はここから5分で着くんだよ!」
 「何事も早め早めの行動を心掛けくださいませ」
 
 もうだめだ。この妹に何を言っても通用しない。俺は溜息をつきながらクリスに続いて居間の方へ歩いていく。
 
 「本日はイギリス風でご用意してみました。お兄様の食指が動けばいいのですが」
 「ふぅん」

 旧英国風の朝食か。よく分からんがパン食に揚げた魚とかだろうか。

 「こちらでございます」
 「知ってる知ってる」

 ここは俺の家だ。

 ガチャと扉を開けて居間に入る。
 すると味気もそっけもなかったテーブルに白いクロスが掛けられ、燭台に蝋燭が灯され、銀食器が所狭しとならんでいる。
 うん。俺言ったよな?あんまり荷物持ち込むなって言ったよな?
 
 「お兄様は私に言っても無駄という事をそろそろ学習してもよい頃かと」

 確信犯かよ!
 何で朝からこんなに疲れなくちゃいけないんだ…。

 ともあれ朝飯をしっかり食べられるのは嬉しくもある。
 俺は椅子を引いて腰掛けながら、前に座るエルピスに「おはよう」と挨拶して。
 そして硬直を余儀なくされたのだった。

 「え、エルピス…?」

 銀髪の美少女はきょとんとしながら俺に首を傾げて見せる。その様は何とも愛らしくはあるのだが、それよりも異常な光景が先立って俺に平静な思考をさせない。
 何だこのゴスロリ衣裳は…。
 エルピスはふんだんにフリルをあしらった黒い豪奢なドレスの中に埋没していた。エルピス本人よりも衣裳のボリュームの方が大きいのでどうしてもそう言う表現になる。
 例えるなら毛刈り前の羊みたいな。
 ごってりしたカチューシャにごってりしたドレスにごってりしたブーツにごってりしたロンググローブ。おい。色々突っ込みたいが少なくともブーツはいらねーだろ、ブーツは。
 我が家は土禁だぞ。

 「イギリス風と申し上げましたでしょ?」
 
 エルピスがかよ!
 おかしいだろ!

 「お兄様の食指が動けばいいのですが…」

 動かねー!
 動いてたまるか!

 「まぁ。どうか冷めないうちにお召し上がりくださいませ」
 「…いただきます」

 俺はげっそりした気持ちで朝食を頂くことにした。


 「ところでお兄様」

 朝飯は普通に焼き魚と味噌汁と白ご飯だった。お前この銀食器は何に使うつもりだったんだ?
 という今更な突っ込みごと朝飯をもぐもぐ飲み込んでいると、クリスが俺に話し掛けた。

 「何だ?」
 「このおうち、いささか殿方の一人暮らしには広すぎる気がするのですが?」

 やはり来たかその突込みが・・・。
 因みにこの家は3LDKで一人暮らしの俺には確かに広すぎるわけだが、どうしてこんな部屋に一人で住んでるかは禁則事項です。

 「朝から家捜ししました所、どうにも女性物のコートやらバッグやら化粧道具などを発見しまして、もしやお兄様に女装のご趣味が、とも思いましたが、極め付けにぎっしり写真が入ったアルバムなども出て参りまして…」

 いやいやいやいやいや!
 
 「お前、朝から人の家で何やってるんだ!」
 「流石にアルバムに『二人の愛のメモリー』というタイトルはベタを通り越して薄ら寒いと存じますが…」
 「やめろー!」
 
 いいじゃないか。別にいいじゃないか。

 「いい加減別れた女に未練たらたらなのもどうかと思いますが」

 てめー、知ってて人の傷を抉ってきやがったな!
 俺が彼女と付き合っていたのは半年前までだ。
 上手く行っていた。上手く行っていたはずだった。趣味も合ったし会話も弾むようだったし、二人は相性ぴったりだったはずなのだ。
 
 なのに、突然の手紙。
 消えた彼女。
 捜さないでください、という走り書き。

 だからこれは未練では断じて無い。ただ、彼女が消えたことを上手く理解できて無いだけだ。

 「人はそれを駄目男と呼ぶのでございます」

 ほっとけ!あと心を読むんじゃない!

 ピンポーン

 その時、インターホンの音が室内に鳴り響く。
 時刻は未だ6時を少し回ったくらい。
 こんな非常識な時間に一体誰が…?
 朝帰りで家に帰るのが面倒になった石川社長という線が最有力ではあるが…。

 「はて?どなたでございましょう?」
 「おい。当然の様に玄関に出ようとするな」
 
 お前の格好見たら知り合いでも家間違えたと思うわ。
 俺は気だるい身体を立ち上がらせて、玄関に向かう。
 
 「はーい?」

 鍵を開けて扉を開く。
 そこに立っていた人物を見て、俺は完全に思考を停止させた。

 日本民族らしい美しい黒髪は絹の様に滑らかで、雪の様に白い肌は今は少し紅潮している。黒いロングコートは、彼女の豊満な体つきをなぞるようにして浮き立たせる。
 
 「ユキ…」
 「帰ってきちゃった」

 苦笑しながら舌を出す女性は今際ユキ。
 半年前に俺の前から消えた、儚い雪の様な女性だった。

 「おやおやおやおやおやぁ…?」

 帰ってきてくれたのは本当に嬉しい。嬉しいがしかし。
 今日このタイミングというのはなかった。

 「これはこれは申し訳ありません。いささか複雑な場面に居合わせたようで」

 ちっとも申し訳なくなさそうなにやつき顔で現れたクリスに、俺の硬直した顔がぴくぴくと動きを取り戻した。

 「…どちら様?」

 突然あらわれたクリスにユキが些か不機嫌そうに形のいい弓なりの眉を顰める。
 やはり好きだと自覚する。
 指の一本一本まで。
 髪の毛の一房に至るまで俺はユキを愛していた。

 「妹だよ。気にしないでくれ。寒かっただろう。上がる?」
 「いもうと…?」

 俺の言葉に今度は怪訝そうに眉を顰め、そしてクリスの足の先から頭の先までを見上げるユキ。
 うん、ごめん。気持ちは分かるけど、本当に妹なんだ、それ。

 「左様でございます。『肉隷奴』と書いて『いもうと』とお読みください」
 「おい!」
 「か、変わった妹さんね…」

 ユキは引きつった笑顔で微笑んだ。お願いだからせめて昨日うちを尋ねて欲しかった。そしたら絶対にクリスを家に上げなかったのだが。

 「まぁ、上がってよ。立ち話もなんだし…」
 「お待ちください、お兄様」
 
 何なんだお前は。いい加減にしたらどうなんだ。
 せっかく。せっかくユキが。

 「お兄様にはもっと聞かなくてはいけないことがあるのではないですか?」
 「…何を言ってるんだ、クリス」
 「例えば、なぜ今になって戻ってきたのか、とか。こんな朝早い時間に何故来たのか、とか。そしてこうもタイミングが良過ぎるのはどうしてなのか、とかでございますね」
 「それは、俺は仕事があるから。仕事の前に会いに来てくれた…?」
 「後でもよろしいでしょう?事前に電話をしてもよろしいかと」
 「クリス、お前、何を…」
 「トモくん」

 俺の言葉をユキが遮った。昔そうしてくれたのと同じに俺の名を呼んで。相変わらずの笑顔を俺に向けて…。
 いや違う。何かが違う。それは注意深く見なくては分からないほどの小さな変化。しかしそうと気付いてしまえば決して見逃すことなどできぬ決定的な変化。
 そこにあるのは、俺が見たこともない表情だった。
 美しく、可憐で、儚げなのに…。

 「エルピスを返して貰いたいの。もし返してもらえないと、ちょっと強引にお願いしないといけなくなるわ」

 ぞっとするほど悪意に満ちた笑顔だった。



[25034] 第十話 男はその時うろたえる
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2011/01/18 21:45
 ユキが何を言っているのか分からない。
 彼女は優しい女性だった。
 いつも誰かに気を遣っていて、それは一層もどかしいくらいで。
 美人で頭がいいのに、俺がいないと何もできないって、そう思わせる女性だった。

 「ねぇ、トモくん。エルピスはどこ?」
 
 そう言って困ったように微笑むユキが何を言っているのか、俺にはだからちっとも分からない。
 ただぼうっとして、何かを喋らないといけないと思いながら、何も喋らずにうろたえることしかできない。
 そんな俺を見て、クリスが盛大に溜息をついた。

 「はぁ。情け無い。それが武村家の殿方の姿ですか。いや、待てよ。お父様もあれでお母様の前ではまったくの役立たずでございますし、意外とこれこそ武村の男の業というものかもしれませんねぇ」
 「妹さん。悪いけど、邪魔はしないでくれるかしら?」
 「承服しかねますねぇ」

 ユキが相変わらずの困ったような笑顔でそう言うと、クリスは挑発的に鼻を鳴らして豪快に笑ってみせる。
 
 「…と、言ったらどうされます?後ろにいらっしゃる怖いお友達に何をさせます?」

 クリスにそう言われて俺は初めて気付いた。ユキの後ろには、プロレスラーのような体格をした二人の男が、その身を窮屈なブラックスーツとサングラスに包み込み、両腕を組んでことの成り行きを睨みつけていた。
 クリスの発言を聞いて、ユキの笑顔がその邪悪さを増す。見たくない。こんな顔をしたユキを、俺は知りたくない。

 「そうね。言うことを聞いてもらえるように、彼らのやり方でやってもらえるように頼むかもしれないわ。そしたら、妹さんはどうするの?」
 「承服しかねますねぇ」

 完全に相手を挑発する口調で、クリスはそう言ってにたりと笑った。


 
 第十話 男はそのときうろたえる



 「エル、アール。残念だけど、プランBでお願い」

 ユキが後ろの二人の向かってそう言うと、ずずいと二人が前に出てくる。

 「お願いだから手荒な真似はさせないで。ね?トモくん?」

 そう言った彼女の表情は立ち塞がる二人の屈強な男に隠れて見えなくなる。俺は少しだけほっとした自分に気付く。

 「で、お兄様はいつまで呆けているつもりですか?」

 だが、そんな俺に、クリスが冷たい視線を向けた。
 まるで路傍の石を見るような、いや、それよりもずっと低温の視線。

 「お兄様は、どうしたいのですか?」

 俺はユキを好きだった。好きだったんだよ。
 
 「お兄様は…」

 その時、男のうちの一人がクリスのメイド服の胸倉を掴む。胸倉といっても奴の胸は何にも覆われていないので、ほとんど胸を掴むような感じである。
 その衝撃にぷるんと巨乳が弾む。

 「この衣裳、そこそこお値段が張るのです。まことに申し上げにくいのですが、とっととその薄汚い手を離していただけますか?」

 こんな状況でも焦り一つ見せずに、クリスは逆に男を挑発してみせる。それでも表情一つ変えずに、男は力任せに腕を振り切った。
 びりりっと音を立てて、クリスのメイド服が胸元から千切れ飛ぶ。
 意外にも白いブラジャーに包まれた豊乳が弾みながらその輪郭を顕にした。
 クリスはそれでも男の方を見ていない。ずっと俺の方を見ていた。そして、その目は今ほんの少しだけおかしそうに細められていた。
 
 「…むかつくよなぁ」

 俺の声である。俺は知らず知らずの間にクリスの服を引きちぎった男の腕を掴んでいた。

 「本当にむかつく。お前に踊らされてるみたいで、腹たって仕方ない」
 
 そう言って俺はクリスを見る。わが意を得たりといった感じで悠然と微笑む俺の妹。
 お前、服の前を隠すくらいのことはしたらどうなんだ。

 「それで、お前の期待通りのことをしちまう、俺がまたむかつくんだよなぁ」
 
 俺は、男の腕を握りつぶさんばかりに力を込めた。

 「誰の妹の乳さわっとんじゃ、こらぁ!!!」

 俺の渾身の拳が男の右頬に炸裂する。
 大きく仰け反って後方の壁に叩きつけられる男。
 どこの誰だか知らないが。
 状況はさっぱりわからんが。
 見知らぬ男に妹の乳さわられて、だまってる奴がいたらそいつは男じゃねぇ。
 
 「もう一度さわりやがったらその腕きり飛ばすぞ!」

 ファイティングポーズを構え、俺は二人の男の前に立ち塞がった。

 「そう。トモくんは私の敵になるのね」

 ぞっとする声がしたのはその直後だった。

 「換装」

 いつの間にか、ユキは一本の装剣を抜いていた。彼女にぴったりの真っ白い雪の様な美しい刀身。彼女の身体が光に包まれ、神話的置換作用によってその身が神に愛されるべき鎧に変換される。

 俺は陶然となってその様を見ていた。

 まるでお姫様の様な雪のティアラを頭に頂き、氷のような結晶のデザインが随所に見られるその装剣は本当にユキに似合っている。
 丸い肩や鎖骨の白い肌のラインが目にまぶしく、首から提げられた、やはり氷の結晶をあしらったネックレスが、氷の胸当てに持ち上げられるようにむき出しになった白い豊かな胸の谷間の上で弾んでいる。
 外気にさらされた腹部は、すっきりとした縦長の臍のラインを扇情的に見せ、腰回りのややごってりとしたスカートの様な氷の鎧は、微妙に透けて見えて奥の秘密を喚起する。

 氷の女王。
 そんな言葉が、彼女にぴったりとあいそうだった。
 白い氷のブーツを鳴らして、ユキは悠然と一歩前に進む。

 「換装」「換装」

 ユキの後ろで二人の男も装剣を換装する。
 無骨な鎧で包まれた男達が、俺を威圧するように剣を構えた。

 「ねぇ、これが最後だと思って。トモくん、エルピスを返して」
 「ユキ…」

 彼女が装剣を使えるなんて、俺は勿論知らなかった。
 たった三ヶ月の付き合い。
 それでも俺は彼女のすべてをしっているつもりだった。

 ユキが困った笑顔で俺を見る。
 クリスが冷たい視線で俺を見る。
 そして、俺はユキの氷の鎧に反射して、廊下の影から心配そうに俺を見るエルピスの姿に気付いた。
 なんでそんな、心配そうな顔をしてるんだ、エルピス。
 そうか、そんな顔をさせてるのは、俺か。

 「ユキ…」

 俺はたぶん今日初めてまっすぐにユキの目を見た。
 微笑む彼女。
 魂を捕らえて離さない花の様に魅力的な笑顔。
 
 だがそれは、いまや邪悪に歪んでいた。

 「エルピスは渡さない」

 俺ははっきりと、そう言って彼女を拒絶した。
 
 「よくぞ言いました!」
 
 次の瞬間、クリスが俺の首根っこを掴んで引き摺るようにして廊下を駆け始める。

 「お、おい!クリス!」
 「問答は後ほど。エルピス様。こちらへ」

 仕方なくクリスに続いて部屋内に逃げ込む俺たち。エルピスはクリスに手を引かれて走る。
 すぐ後ろを。
 しかしユキたちが追いかけてくる。

 「あちらから下に降りてください」
 
 そう言ってクリスが指差したのはうちのベランダだった。

 「っておい!ここ、五階だぞ!」
 「大丈夫です。こんなこともあろうかと、昨日のうちに脱出ポートを造っておきました」
 「人のマンションを勝手に改造するんじゃない!」
 「お早く。ここは私が食い止めさせていただきます」

 クリスがスカートを翻すと、そのすらりと伸びる右足に、ベルトで括られて黒い装剣が現れた。
 びゅんと言う音を立てて、クリスは装剣で宙を薙ぐ。

 「クリス」
 「すぐに行きます」

 静かに追いすがるユキたちをまっすぐに見据えるクリス。
 俺はそんな妹を見て、エルピスを抱きかかえるとベランダに躍り出た。

 「本当に、すぐ来いよ!クリス!」
 「無論です。下に彼を待たせてあります」
 「彼?」

 疑問を持つ暇も無い。俺は確かにベランダの手すりの上に設えられた、長いトンネルの様な脱出ポートの中に、エルピスを抱えたまま飛び込んだ。

 「換装」

 すぐ後ろから、そう呟くクリスの声が聞こえた。


 
 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ちょっとしたジェットコースターの気分。このまま地面に激突したら流石に即死だという恐怖を必死で押さえながらエルピスを抱きしめていると、きゅっとエルピスも俺を抱き返してくる。
 さすがの彼女も怖いらしい。

 「うおっ!」

 終点は意外にも柔らかなマットの上だった。 
 ぼふっという軟着陸の音を立てて、俺とエルピスはワンバウンドする。
 いや、ちがう。これはシートだ。
 俺たちはオープンカーのシートの上に着陸したらしい。

 『お久しぶりでございます。坊ちゃま』
 「お前、セバスチャンか!」

 旧世紀趣味丸出しの赤いオープンタイプのスポーツカーに向けて話し掛ける俺という男は、他人から見たら奇異に見えるかもしれないが、俺に話し掛けたのがこの車であるから仕方ない。
 正確には車ではない。車の端末を通して俺に話し掛けたのは母さんがプログラムした武村家のオペレーティングプログラム。つまり我が家のデジタル執事ことセバスチャンである。
 世間非公開の神話的技術がふんだんに使用されたまったくもって迷惑な天才の力作がここにあった。
 エルピスが俺の脇の辺りからひょこりと顔を出す。
 しゃべる車に興味津々のようだった。

 『そちらがエルピス様でございますね。ずいぶん個性的な衣裳をまとっていらっしゃいますが…』
 「アホ妹の趣味だ。空気読め。しかしお前、どうしてここに?」
 『事情はお嬢様にうかがっております』
 「そうかそうか。知らないのは俺だけか。まぁいい。あいつは何だって?」
 『それは、ご自分でお聞きになるのがよろしいかと』
 「へ?」

 直後、ひゅーーーーーという落下音がして。
 空から降ってきた女が車の助手席に降り立った。

 「セバスチャン!車を発進させなさい!お兄様、ハンドルを!」
 「クリス!」

 当然というべきか。
 5階の高さから降り立ったのはクリスだった。
 頭には金髪に映える黒い小さなシルクハット。
 腕と脚には黒曜石を切り出して造ったようなごついガントレットとブーツ。
 だが他に身に着けているものといえば、ぴったりと首から胸の上半分を覆う黒い革鎧と、Tバックのビキニパンツのみ。
 特に胸部の鎧は丸く突き上げた下乳が丸見えと言う仕様で、下から覗けばいろいろとよからぬものが見えてしまいそうだった。

 「流石に甘くはない。すぐに追って参ります」
 「どこへ行く?」
 「ソレは逃げながら考えればよろしい」

 俺がアクセルを踏み込み車が発進したのと、空からさらに三つの影が落下してきたのはほぼ同時だった。
 
 「危ないところでしたわ。お兄様、装剣はお持ちではないのでしょう?」
 「個人の私的な装剣の携帯は条例違反だからな」

 俺はそう言うとジト目でクリスを見る。しかしクリスは涼しい顔で「条例など気にしてメイドはやっておられません」と言って鼻を鳴らした。
 早朝の道路は空いている。というよりこの時代、わざわざ価格も税金も高額の自家用車で移動しようという奇特な人間などほとんどいないと言っていいだろう。
 
 「とにかく車を走らせてください。話はそれからです」
 「わかった」

 俺はアクセルを踏み込む。踏み込んで初めて、俺は自分がパジャマ姿であることを思い出したのである。 



[25034] 第十一話 紐解かれる愛の物語(偽)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/01/18 21:45
 ぷるるるるるる ぷるるるるるる ぷるるるるるる

 その旧世紀風の古風な着信音は、3回鳴ってから持ち主を呼び出した。
 
 『はい』
 「あ、ごめん。アヤ姉。起きてた?」
 『もう会社だ』
 
 さすがはアヤ姉。まだ始業まで一時間以上ありますけど?

 「誠に恐縮ですが、お兄様に爪の垢を煎じては頂けませんでしょうか?」
 「余計なことは言わなくていい」
 『ん?クリスちゃんも一緒か?それよりこの電話、外からだな。こんな時間にどうした?エルピス絡みか?』

 アヤ姉の声が怪訝そうに顰められる。さすが総帥。いい勘してるぜ。

 「…まぁそうなんだけど。アヤ姉。悪いけど何も言わずに装剣何本か貸してくれない?会社の俺のストレージを開放してくれるだけでもいい」
 『…どういうことだ』
 「詳しいことは言えない」

 そう。言えない。これを言えばアヤ姉をこのわけのわからない事態に巻き込むことになる。…まぁ他にもいえないことは色々とあるが。
 
 「お兄様。アヤコ様にはお話しするべきです。事はパンドラにも関わることなのですから」
 
 助手席に座るクリスは、換装を解いて引きちぎられたままになっている胸元を押さえながらそう主張した。
 確かに現状エルピスはパンドラの所有物である。その引渡しを求める連中が出てきた以上、これは会社に通すべき話だ。事が公になれば、エルピスを俺に預ける決断をしたアヤ姉にも責任が問われかねない。
 だが…。
 俺が言い辛そうに顔を顰めていると、クリスがすべてお任せあれ、とでも言うように女神の様に微笑んだ。

 「たかが昔の女の一人や二人、アヤコ様にばれてもいいではないですか。女は芸のこやしと申すそうでございます。昔の女のことを話すのも男の器量でございます」
 「ぶはっ」
 
 キキキキキィ!
 思わずハンドルを切り損ねたのをセバスチャンがフォローしてくれて事なきを得た。
 おい、クリス、てめー。
 
 『武村主任…』

 あるぇ?アヤ姉?二人だけの時はタケちゃんって呼ぶ約束じゃなかったっけ?

 『今すぐ社長室に来い』

 ガチャ

 問答無用で切られました。



 第十一話 紐解かれる愛の物語(偽)



 「話は大体分かった」

 社長室。
 パンドラビル最上階のだだ広い部屋に俺たちは通されていた。
 セバスチャンだけは駐車場でお留守番。
 応接セットを挟み、クリスは隣に座るエルピスを時々横目で見ながら、正面に座るブラックスーツの美女に事の次第を話した。
 俺?
 何故か脇の方で床に正座させられてますけど、何か?

 「しかし一体何者だ?エルピスを『返せ』と押しかけた奴らは?」
 「いや、だからそれはね――」
 「黙れ」
 
 物凄い眼光で俺を睨むアヤ姉。どうやら俺には発言権はないらしい。
 
 「まぁ察しはついてございますが、こうまで動きが早いとは思いませんでした。お父様が有名すぎるのも考え物でございますね」
 「と、言うと。私が昨日武村家へ伺ったことを?」
 「突き止めたのでございましょう。アヤコ様がそうされる相手として事前にマークしていた可能性もございます」

 …正直言って俺にはまだ信じられない。俺を置いていったはずのユキが帰ってきて、そうかと思えばエルピスを返せと言い出して、そしてそれは親父とアヤ姉を事前にマークしてたからだと言う。
 そんなはずはないんだ。
 ユキは普通の女の子のはずなんだ。

 「政府…か?」
 「アヤコ様は察しがよろしいようで」

 アヤ姉がぽろりと出したとんでもない発言にクリスがさらりと答える。
 
 「政府?政府って、あの政府?」
 「他に政府があったら教えてくれ」

 今の時代、政府といったら一つしかない。つまりは世界政府。
 国家が解体された今世紀、唯一残った行政機関である。

 「何でここで政府なんて名前が出てくるんだ?」
 「はぁ…。それに引き換えお兄様は本当にちゃらんぽらんのトーヘンボクでございますねぇ」
 「おい。ぽこぽこ悪口言うんじゃない」
 「ふん。権力と言う奴に未練たらたらの亡霊達が、またぞろ何か企んでいるんだろう?これまでと同じだ。私が彼らに屈することは無い」
 「それってどういう…?」
 
 俺はさらに疑問を尋ねようと膝を持ち上げて身を乗り出した。すると突如飛来した閉じた扇子が、俺の膝を強かに打ちつけた。
  
 「痛ぇっ!」
 「おい。誰が立ち上がっていいと言った」

 すみません。本当、すみません。自分調子乗ってました。
 絶対零度の視線を向けるアヤ姉に俺はヒラ謝りするしかなかった。
 俺が一番傷心のはずなんだが、こうまで立場が弱いのは何で何だろう。

 「さて…」

 アヤ姉はそう言って扇子を開くと、それを項垂れる俺に突きつけてから低い声でのたまった。

 「事情は概ね理解した。そちらの方は私から手を尽くそう。で、だ。武村主任」

 ごくり、と俺は生唾を飲み込んだ。
 やばい。
 これはかなりやばい。
 アヤ姉がここまで怒るのはいつ以来だ?
 高校の時、ベッドの下に隠していた旧世紀資料を発見された時以来か?
 大学を勝手に辞めたときだってここまでは怒られなかったような…。

 「その女について洗いざらい喋ってもらおうか?」

 俺の人生、今日ここで終わるかもしれません。


◆ ◆ ◆


 「初めてアイツと会ったのは、そうだな。去年の今頃だったかもしれない。俺は主任になったばかりで、仕事も大分落ち着いてきて、少しだけど余裕も出てきた頃だった」
 「御託はいいのでとっとと話しやがってください」

 ずい、と身を乗り出してくるクリス。なんの対策もとられていない胸元から白いおっぱい見えてますけど?何か桜色のも見えてるけど?
 何が哀しくて実の妹に恋バナせんといかんのだ。

 「同僚の牧村が、合コンするのにどうしても数が合わないからって、急遽俺が呼ばれた。あんまり乗り気じゃなかったけど、牧村には仕事代わってもらったか何かで借りもあったし、合コンなんて大学の時以来だしまぁいいかって思って参加することにしたんだ」
 「ほう、牧村ねぇ」
 
 アヤ姉がジャケットから出した手帳に何やら書きつけている。ごめん、牧村。お前死んだかも。

 「そう言えば雪が降っていた。すごい寒い日で、一次会は居酒屋だった」

 そこでユキに出会った。初めて会って、可愛い子だなとは思った。おっぱい大きいなぁともそりゃあ思った。大体女にあったら最初におっぱい見るタイプだからな、俺は。 
 
 「なんだかんだで二次会に行こうって話になって、カラオケに行って、アイツが旧世紀のバラードを歌いだしたんだ」
 
 俺は旧世紀映像マニアだから知っているが、そんな歌、よく知ってるね、と、そうだ。俺が話し掛けたんだ。
 ラストクリスマス。
 たしかそんなタイトルの、旧北米圏の歌だった。
 
 「失恋の歌だった。彼女は彼氏と別れたばかりだと言って少し泣いてて、俺はそれは酒のせいだろうと思った。そのまま少し話して、二次会も終わって。
 そうだ。彼女が少し飲み直そうって言い出したんで、近くのホテルのラウンジに行って…」

 ぴしり。
 アヤ姉が握る扇子にひびが入った。
 表情をうかがうと、いまだ絶対零度の無表情で俺をじっと見ている。
 エルピスが話がつまらないのかうとうと寝てしまった。
 クリスは…、にやにやと俺を見ていた。
 何か分からんが、すごいむかつくんだが。

 「そのまま泊まった。その、一緒に夜をすごして」

 どん!
 という音が突如響いた。
 それがアヤ姉がテーブルを蹴り上げた音だと気付いたのは、蹴り上げられたテーブルが床に落ちて爆砕してからだった。
 その音に、エルピスがはっと目を覚ます。

 「ほう…」

 怖い。
 怖いなどというものではない。
 今まで現場で対峙したどんなデモンよりも怖い。

 ゆらりと、アヤ姉は立ち上がった。
 その身に何か緑色のオーラっぽいものが見える。
 この人、換装もしてないのに神力具現化してない?
 何この異様な気?

 「これが女の悋気というものでございます」

 そう言ったクリスは、エルピスを抱いてさっさと部屋の端まで避難していた。
 おおい!

 「貴様。そうか貴様。女がいたのか」
 「え、えぇ。まぁ…」
 「それを私に黙っていたのだな?」
 「え、えぇ。まぁ…」

 彼女が出来たら社長に報告するようにって、社内規定にあったかな?多分ないと思うんですが。
 
 「私が…!私が27年間守り通してきたというのに…!貴様はッ!貴様はッ!」
 
 え?守り通すって、その、何を…?

 「そこに直れ。タケちゃんを殺して私も死ぬ!」

 いや、何でだ!

 「お、落ち着けアヤ姉!落ち着いて考えろ!」
 「ひっ、ひっく。だって、だってタケちゃんがぁ…!タケちゃんがぁ…!えぐっ、ひっく、えぐっ」
 
 そして泣き始めたよ。
 めんどくせーーーーーーーーー。

 もう帰りたい。
 明日からちゃんと早起きするからもう今日は帰してくれないかな?

 「あのな、アヤ姉」

 俺が立ち上がってアヤ姉に歩み寄ろうとしたその時だった。
 けたたましい音を立てて、社長室の窓ガラスが破砕したのは。

 「何だ!」

 俺が慌てて振り返ると、一機のヘリが轟音を立てながら、室内に機銃を向けたまま滞空している。

 「ここまでやるか!」
 「あ。アヤコ様。あれ。あの女でございますよ」
 「ほう…」

 クリス、テメー、絶対楽しんでるだろ!
 アヤ姉にクリスが示したとおり、ヘリの上には換装したままの氷の女王が、神力をもってすらりと立っていた。
 ヘリの風圧をものともせずに涼しい顔をしているが、外気にさらされた白い胸はそうもいかずふるふると震えていて大変に目の保養に――。
 パン! 

 「うぶっ!」
 「タケちゃんは、見なくていい」

 即座にアヤ姉の平手が俺の視界を閉ざした。地味に痛い。
 
 「さぁ、トモくん。エルピスを帰して頂戴」
 「貴様こそ。タケちゃんを帰して貰うぞ」

 さっきまでの涙はなんだったのか。
 いまだ頬を濡らしたままアヤ姉がゆらりと歩を進める。
 ヘリに対峙するアヤ姉のその右手には、一振りの装剣が握られていた。
 



[25034] 第十二話 女神達の交歓
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/01/21 08:07
 「換装」

 アヤ姉が起動語を呟きながら剣を眼前に翳す。神理学的置換作用がアヤ姉の豊かな身体を窮屈そうに覆い隠すブラックスーツから開放する。
 神理学とはつまり神憑り―すなわち神が関わる事象に関する物理学を無視した現象を扱う学問体系のことである。専攻ではないので詳しい説明は出来ないが、神が関わる場合においてすべての物理演算は役に立たない。
 予知、と言われる神理演算が必要となるのである。

 神力学とは神力、つまり神が関わる際にどこからか発生するこの宇宙に見かけ上存在しないはずの力を神理演算する為の学問である。
 神は巫女を好む。
 多くの文化人類学的資料で舞踏する女性が儀礼上大きな意味を持つことは偶然ではない。神力の素養、即ち神通値が総じて女性に高くなりがちなのも頷ける。
 
 女性が神理学的恩寵、身も蓋もなく言えば補正を受ける為には女性的な魅力が不可欠となる。何度も言うが、女性が纏う装剣の露出度が基本的に高いのは製作者の意図ではない。
 神の御心という奴である。

 アヤ姉を包んでいた光が霧散する。
 この姿のアヤ姉は久しぶりに見る。
 
 パンドラ総帥の為に作られたワン・メイク(一点物)。アヤ姉の為だけに調整された量産品とは桁違いのレスポンス。そして彼女の魅力を最大限に引き出す神の造形美。

 それは燃え上がる炎を髣髴とさせる。
 アヤ姉の全身を紅い宝玉をあしらった金の細かい蛇が縦横無尽に走っているのだ。
 さながら金の螺旋模様。
 アヤ姉の白い肌が金糸と紅玉が作り出す炎を思わせる丁寧な細工によって際立たされている。

 敢えて言おう。
 ほとんど裸であると。
 
 ぶっちゃけボディペイントみたいなもんで、ジャラジャラついた金細工はアヤ姉の身体のラインを螺旋状に強調する役割しか持たない。
 一応各部の大事な所は紅玉で隠されているが、そのままずばりの位置にあるので逆に卑猥である。
 それでも全体の神秘染みた感じが不思議とある種の気品を感じさせるから不思議だ。
 
 おっぱい?まるで捧げ持つみたいに螺旋状の金糸に持ち上げられて、紅玉を頂いた頂点以外ほとんど丸見えですが何か?
 お尻?だから秘密の花園以外ぷりんと露出していますが何か?
 ふともも?螺旋状に絡んだ金の糸が食い込んで滅茶苦茶扇情的ですが何か?

 俺は改めて思った。
 神ってすごい。

 黒い髪も燃え立つ炎の様に天に向かって結い上げられ、紅い宝玉をあしらった髪留めによって纏められている。
 これこそパンドラグループ総帥の為の衣裳。
 パンドラが秘匿する一点限りの芸術品。

 「レーヴァテイン」

 アヤ姉が剣を一振りすると、炎が燃え立ち、赤い光が白い肌に差した。

 
 第十二話 女神達の交歓



 ヘリが、機銃を一斉照射することはなかった。目的がエルピスである以上彼女を傷つけるような真似はしたくないのだろう。
 火力にものをいわせることが出来ないなら、個別の白兵戦での制圧が常道だが?

 やはりというべきか。
 大型ヘリから飛来するいくつかの影。
 剣装で武装した屈強な男達が数人、命綱もつけずに窓ガラスが割れた社長室内に飛び込んできた。

 「タケちゃん。私の引き出しの一番上を開けろ」

 俺は言われるままにどでかい社長机の一番上の引き出しを開けた。そこにはごてごてに包装されたでかい箱が入っていた。

 「…これは?」
 「た、たまたま持ってたんだ。装剣。それ、あ、あげるから、その…使って」

 俺は包装をびりびりと開ける。するとひらりと何かが足元に落ちた。メッセージカード?

 『誕生日おめでとう タケちゃん』

 …。

 
 「ち、違うから。違うからなっ」

 何が何とどう違うのだろうか?
 
 「う、うん。わかった」

 俺は釈然としないものを感じながら尚も包装を開けていく。現れたのは群青に輝く海の様な装剣だった。

 「ど、どこのメーカーの奴?見たことないけど…」
 「ええっと、どこだったっけな。ははは、覚えてないな」

 これ絶対ワン・メイクだろ!
 これ一本で億クラスの金がかかるぞ!

 「…換装」

 俺は恐る恐るその一言を呟いた。
 俺の身体が、完全に俺のためにカスタマイズされたと思しき圧倒的な神通を感じる蒼い軽鎧に包まれる。
 どうでもいいけど、俺の身体情報をどこで手に入れたのだろうか?
 動きやすさ、レスポンス、動作性能、そして恐らく攻撃力と防御力のどの性能を持ってしても、これまで扱ったどの装剣とも別格と分かる。
 金を積めばここまでのものが出来るのである。

 「炎と水というわけね。妬けるわ」

 ふうわりと、ユキがヘリから室内へと降り立った。
 その周りを、即座に換装済みのひぃふぅみぃ…6人の兵士が固める。
 明らかな多勢に無勢。
 エルピスを守るクリスを戦力から外せば、その戦力比7対2である。

 「警備を呼んである。5分持ちこたえればいい」

 アヤ姉が俺の耳にぼそりと呟く。
 5分か。最上階が災いしたなぁ。
 さて、持たせられるかどうか。

 ユキは相変わらずどこか困ったような笑顔で俺に向かって微笑んでいる。いや、その目はもう俺など見ていないようだった。

 「私は氷。すべてを凍らせる凍てつく剣。いくわよ、魔剣アルマス」

 ユキがまるで気負いを感じさせぬ構えから、社長室の床を蹴った。

 「ダイレクト・コネクト。IDアヤコでパンドラボックスにログイン。これより、最高責任者権限によってパンドラボックスと常時接続状態に入る」

 出たな裏技。社内でのみ使用可能なダイレクト・コネクト状態。これでアヤ姉は機密を含め、パンドラが持つあらゆる呪法を使うことが出来―――。

 「ジャミングシステム”ヤタノカガミ”稼動」
 「何!コネクトが、強制的に断ち切られるだと!」

 ジャギンと音を立て、ユキの氷の刃をアヤ姉の炎の剣が受け止める。
 よく分からんが、どうやらパンドラボックスとの通信を切られたらしい。
 一体どんな技術なのか検討もつかないが、これはまずい。 

 「アヤ姉!」
 
 俺が装剣を引っ提げて飛び込もうとすると、兵士のうちの二人が立ち塞がる。
 
 「どけ!」

 俺は袈裟切りに一人を叩ききろうとするが敵もさるもの。装剣の一撃を受け止めて後方に受け流す。

 「ちっ」

 流石にプロか。腕はどうやら俺の方に分があるが、二人相手ではそう簡単に通れそうにはない。呪法の裏技が使えないとなると、本格的に警備待ちに徹するか。

 俺がそんなことを考えている間に、ユキとアヤ姉の攻防は始まっていた。

 二人の剣は対極的だった。
 アヤ姉は俺とともに剣を習ったがその性質は俺とはまるで違う。
 その実は炎。すなわち剛の剣。
 問答無用で叩き切る、力の剣がアヤ姉の剣である。

 質実とした圧倒的な力の奔流がアヤ姉の剣に宿り、一合ごとに乳が揺れたり尻が弾んだりして本当にご馳走様です。
 魔乳の人にあんな衣裳着せるとか本当に駄目。
 気が散って仕方ないです。
 とは言えユキの実力もかなりのものであった。

 これはかなりの大ショックであるが、ユキの装剣の技術は達人級。
 一緒にスケートに行ったときのあの頼りないへっぴり腰は完全な演技だったと嫌でも分かる運動能力である。
 …死にたい。

 とは言えである。
 俺が大好きだったユキの隠れエロボディは大いに健在であった。
 氷の皿のような胸当てに持ち上げられた胸がぷるぷる震えるのも素晴らしいが、シースルーの鎧越しに見えそうで見えない大事な部分のエロチシズムがまた興をそそって――

 「どこ見てる!馬鹿!」

 戦闘中だと言うのにアヤ姉から檄が飛んだ。結構余裕はあるようだ。

 俺と言えば、こんなことを考えてる間にも二人と切り結び、二人を牽制している。
 今、背後に二人回ったな。
 囲まれると、あまりよくないことになりそうだ。

 そう思った俺は瞬時に姿勢を落とし、瞬間彼らの視界から消える。
 はっと彼らが視線を移した瞬間。
 兵士達のうちの二人の顔面に何かの破片が激突した。

 「ぐはっ」

 それは床であった。 
 コンクリートごと刳り貫いた厚さ20センチの社長室の床を思い切り投げつけてやったのだ。
 オフィスビルでありながら最上階の社長室の仕様がマンションに酷似していることを俺は知っていたのである。

 「ひ、卑怯な」

 うるさい、馬鹿め。真剣勝負、それも多勢に無勢で卑怯も何もないだろう?現場では生き残ることが第一。

 怯んだ敵に踊りかかった俺は剣を振り上げながら脚を払ったり、剣を振りかぶったまま踵落とし決めたり、剣を構えてやっぱり剣で切り払ったりやりたい放題しながら敵を蹴散らしていく。

 「相変わらず姑息な剣でございますねぇ」
 「うるせー」

 見れば呆れたような顔のクリスもまた換装し、後ろ手にエルピスを守りながら兵士の一人を牽制している。
 兵士もまたクリスを攻めあぐねているようだ。
 それもそのはず。
 クリスもまた、俺とアヤ姉とともに剣を習った一人であるのだから。

 「よくもタケちゃんの心と身体を弄んだなっ!」

 アヤ姉はそんな雄たけびを上げながらユキと切り結ぶ。
 ごめん。恥ずかしいからそういうのやめてくれないかな?

 「ふふふ。弄んだなんてひどい。普通にお付き合いさせて貰ってただけよ?」
 「政府の狗がよく言う!何の目的でタケちゃんに近付いた!」
 「愛し合っていたから。それじゃあ駄目かな?」
 「駄目にきまってるだろぉがぁぁぁぁぁ!」

 あ、駄目なんですか。俺としたらその理由に一票入れたいんですが。

 「正直。目的はあったけど、武村家から横槍が入って結局達成できなかったわ。いいところで追い出されちゃった」

 きこえないきこえないきこえないきこえない…。
 俺には何にも聞こえない。

 「あ。横槍入れたの私でございます」

 お前かぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 「あら、そうだったのね。今となってはどうでもいいけれど。武村家から圧力がかかったから、さしたる成果もなかった私は呆気なくトモくんの管轄から外れた。今となってみれば、上はもっと辛抱強くトモくんに張り付いておくべきだったね」

 ごめん。全然聞こえない。何も聞こえない。はっきり言って聞こえない。

 「それ以上、タケちゃんを冒涜するな!」

 ぶわっという神理的擬音がして、アヤ姉の纏う神力が目に見えて増大する。
 アヤ姉が放った憤怒の一撃が、逆袈裟にユキの胸元を捉える。

 「くっ」
 
 派手な音を立ててユキの胸部装甲が破砕した。
 砕け散る氷の破片を撒き散らしながら、形のいいおわん形のEカップがぽろりとまろび出る。
 
 …あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた。
 ユキはそのまま暴かれた胸を隠すこともせずにぷるぷるさせながらアヤ姉の追撃を捌いて後ろに下がった。
 二人の女神の勝負は、どうやらアヤ姉に軍配が上がるようだ。
 
 そして――。

 「勝負あったな?」
 「あら、勝ち名乗りを上げるには早いんじゃない?」

 にやりと笑うアヤ姉に不遜な口調で言い返すユキ。
 その時。
  
 ぽん、と音がして社長室に続くエレベーターが最上階に到達したことを教えた。

 「5分だ」

 ふっと一度剣を振るうと、剣が纏っていた炎が消える。
 俺たちは無事に5分持ちこたえたようだ。
 このまま続けててもあるいは撃退できたかもしれないが、まぁ余裕があるのはいいことである。
 俺の精神的余裕はもうゼロに近いしな!
 ユキはどうするだろう。
 もう一度俺に懇願するだろうか。
 色仕掛けされると、今の俺はちょっとやばいかもしれない。

 「ふっ、ふふふふふっ。あはははははははは」

 しかし、予想に反してユキは突然笑い始めた。あくまで上品に。だが明らかにアヤ姉を馬鹿にしたような哄笑。

 「何がおかしい!」
 「ごめんなさい。でもね」

 ばん、と社長室の扉が開く。
 警備が辿りついたのだろうと振り返った俺とアヤ姉は、しかしその光景を見て凍りついた。

 「ば…かな……」

 扉を開けて入ってきたのはパンドラの警備員ではなかった。
 なんと装剣で武装した、見慣れぬ十数人の兵士達であったのだ。



[25034] 第十三話 空を飛ぶならマイカーで
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/01/23 17:47
 うちのエレベーターはでかい。
 何せ128階もあるから、一番でかいエレベーターは乗用車くらいならすっぽり納まるくらいの大きさがある。
 そして今それが完全に災いした。
 でかいエレベーターは、十数人もの敵兵士達を引き上げてしまったのだから。

 「待っていたのはあなたちじゃない。私だったの」

 そう言ってユキは悪戯っぽく笑う。八重歯が小悪魔染みて可愛らしいが、その意図はぞっとするほど恐ろしい。

 「制圧に思ったより時間がかかっちゃったみたいね。もう、危うく苛められるとこだったじゃない」

 そう言って現れた兵士達に笑いかけるユキ。
 兵士達は俺とアヤ姉、そしてクリスを取り囲み、剣の切っ先を突きつけた。

 「じゃあ、もう一度だけ言うね。トモくん」

 ユキはそう言って、困ったように微笑んだ。

 「エルピスを返してくれる?」

 それは邪笑と呼ぶのに相応しい。



 第十三話 空を飛ぶならマイカーで


 
 「最初から、言おうと思ってたんだけど…」

 俺はからからに乾いた喉からやっとのことで声を絞り出す。ほんの少しでも応対を間違えば、エルピス以外の全員が殺されてもおかしくはない。
 俺は敢えて軽口でユキに話し掛ける。

 「エルピスは俺たちが見つけたんだ。返すも何もない」
 「違うよ、トモくん。あなたたちが見つけたのは”箱”だけ。エルピスを発掘したのは私たちなの」
 「神理学的置換作用か…」

 その可能性は考えていた。
 即ちどこかに存在したエルピスを、”箱”が召喚したのではないかという可能性だ。
 しかしユキは今エルピスを発掘したと言った。だとすれば、やはりエルピスは神話的埋設物なのか?

 当の本人たるエルピスは突きつけられた刃にも怯えることなくただいつもの無表情で切っ先を見ている。
 もともと政府の機関にいたとしたらその間。
 エルピスは何をされていたのだろう?
 そしてもしもこのまま連れ去られたら、エルピスは何をされるのか?

 ふと気が付くとエルピスと俺の視線が交錯する。
 無垢な瞳。
 小さな手。
 華奢な身体に拙い動作。
 
 どんな理由があろうと、エルピスが何者だろうと、現に幼いこの子どもを不幸にする権利が誰かにあるだろうか?

 「返せないな、ユキ」
 「へぇ?」

 ユキがおかしそうに目を細める。
 俺の返事など最初から関係ない。
 そんな温度のない瞳で俺を見る。

 「悪いけどな。俺は大人なんだよ。子どもを守れないで、何の大人だ。この子は俺が預かっている俺の子だ。お前らに、渡すわけにはいかない」
 「タケちゃん…」
 「よくぞ言いました!それでこそ私のお兄様です!」

 俺の言葉を賞賛するクリスだが状況は最悪である。完全に応対を間違ったと自分でも自覚できる。さて、この戦力差でどこまでやれるか。
 ユキは口元に冷笑を浮かべたまま、「そう」と呟いた。

 「じゃあ、死んでくれる?」

 俺が何を言われたのか分からないまま一瞬ほうけているその隙に、ユキが剣を振り上げた。

 「タケちゃ――」

 ぷるるるる ぷるるるる ぷるるるる 

 アヤ姉の悲鳴を、場違いな携帯電話の音が遮る。

 「はい、クリスでございます」

 お、お前はどんだけ空気が読めないんだ。よくこんな状況で電話に出れるな、おい!
 とは言え助かった。
 俺はまだ心のどこかで、ユキが俺に直接危害を加えることを信じられていなかったらしい。ユキはクリスのあまりの非常識に、思わず俺を切り殺すはずだった剣を止めて硬直していた。
 いや、違う。
 その表情に、初めて焦りの色が浮かんでいた。

 「そんな…。ジャミング下で電話が通じるはずが…」
 「はいはい。左様ですか。いえいえ。ご苦労様でございます。はい。わかりました。お待ちしております」

 ピっと携帯端末を切るクリス。
 悪魔染みた黒い水着の様な鎧から見事な丸みの下乳を震わせる妹は、やはりにこりと悪魔染みて笑った。

 「アヤコ様!パンドラボックスにアクセスを!」
 「IDアヤコでパンドラボックスにログイン。最高責任者権限で凍結呪法、”ニーズヘッグ”の解凍即時実行を命ずる!」
 「いけない…」

 突然、社長室の床から電撃が迸る。
 紫電をまとったそれは蛇の様にくねり、正確にアヤ姉の敵に向かって分裂した!

 雷電が炸裂する轟音がして。
 俺たちを取り囲んでいた兵士達を一人残らず弾き飛ばした!

 いや、一人。
 ユキだけは神力にあかせて、迫り来る電撃の蛇を切り払う。しかしその衝撃を殺しきることは出来ず、大きく後ろに飛び下がる。
 むき出しの乳がよく揺れるよく揺れる。
 ユキは呻く味方兵士達を見回すと、口の中で小さく舌打ちした。

 「…どういうこと?」

 初めてユキの上を行けたらしいことに俺は安堵する。しかしそうは言われても、俺にも何が起きているのかさっぱりわかりません。

 ぽん、とその時、場違いにエレベーターが到着を知らせる。今度はなんだといぶかしんでいると次の瞬間、轟音が轟き―

 「はぁ!?」
  
 ドアごと壁が破壊された。
 
 「今度はなんなんだよ!」

 またぞろユキの伏兵か、と思いきや、瓦礫をかき分けて突っ込んできたのはどこかで見たことのある赤いスポーツカー。

 『お待たせしました、皆様』
 「セバスチャン!」

 キキィッとブレーキをかけて室内で止まるセバスチャン。早く乗れとばかりに勢いよくドアが開いた。
 
 「お兄様、アヤコ様、お早く」

 そう叫びながらクリスがエルピスを抱きかかえて後部座席に飛び乗る。
 俺はアヤ姉と一瞬顔を見合わせ、そして迷うことなくスポーツカーに乗り込んだ。

 『ジャミングの解除に時間がかかりまして申し訳ありません』

 ってお前がやったのかよ!
 流石に天才プログラマーである母さんが汲み上げた人工知能だけのことはある。ちょっと外には出せない神話的オーバーテクノロジーがふんだんに使われてるって話だしなぁ。

 「で、どこに行く?」
 
 俺はハンドルを握ってそう尋ねる。
 もちろん俺はエレベーターを降りてからの話をしたつもりだ。
 その後どこに逃げるかという話を。

 『こちらです』

 そう言ってセバスチャンは勝手に車を操作して――
 ヘリが滞空するビルの外へと躍り出た。

 「ちょっ、おまっ、はぁ!?」

 勢いよく飛び出すスポーツカー。
 ヘリが驚いた様にこちらに機銃を向ける。

 『邪魔です』

 ピ、と一瞬フロントライトが光ったと思うと。
 ヘリが突然爆砕した。

 「はぁ!?」

 一体何が起きているのかさっぱりわからん。一体いつから俺の平凡なサラリーマン人生は、アクション映画路線に移行したんだ?
 
 「4話ほど前でございます」
 「うるさい」

 訳の分からないことを言うクリスをたしなめる俺を尻目に、スポーツカーはぐんぐんと開口部に向かって前進する。
 あ、パラシュートで落下するヘリの操縦士が見えるよーって、ここが何階か分かってるのか、セバスチャン?

 『お嬢様。緊急性を要する事態の性格上、禁則事項の第二条6項の適用を申請します』
 「了解しました。同条同項の適用を許可します」

 とか何とか言っている間に車はついに開口部に達して、しかも少しもスピードを緩めることなく遮蔽物のない空にその車体を踊りだした。

 「ちょっ、おい!禁則事項の何とかって何だ!」
 「ひっ」

 俺が悲鳴に近い絶叫を上げ、アヤ姉が実際に悲鳴を上げる。エルピスは相変わらずの無表情だが、あ、俺の手をきゅっと握っているので怖いは怖いらしい。
 装剣を突きつけられても無反応だったエルピスをここまで怖がらせるとは…。

 「第二条6項でございますね。『限定条件下における飛行の許可』でございます」
 「ひ?」
 「飛行?」

 放物線を描いて宙を舞う車体がやがて慣性にしたがって自由落下を始めようとしたその瞬間。セバスチャンの人工音声が朗々と響いた。

 『ID、GT01UM-D00X999。スーパーオブザーバー権限により、凍結呪法「イカロス」及び「ヴァジュラ」並びに「イージス」の即時解凍処理に入ります』

 バン、と派手な音がして、車体の両側にデモンと同じ擬似物質で作られた一対の白鳥のような翼が広がる。
 車体は揚力得て、そして落下を止めた。

 『では皆様。シートベルトをしっかりとお締めください。それでは快適な空の旅を』
 「はいぃぃぃぃ―――――」

 俺の悲鳴を音速で置き去りにして。
 赤い車体が空の彼方に消えていくのを、ユキはどんな表情で見送っただろうか?

 教訓。
 武村家へ喧嘩を売っても損するだけなので、止めておいた方が吉。

 なお、抱きついてきた裸同然のアヤ姉の身体が、極上の柔らかさだったことだけ追記しておく。



[25034] 第十四話 ラストクリスマス(前編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/01/29 10:41
 
 「…ってことがあったんすよ」
 「へー」

 久しぶりにスーツを着込んだ俺は、パイプ机に出されたお茶を啜りながら、作業着の胸元を大きく膨らませたモデル並の美女と話し込んで人心地ついていた。
 営業職の唯一の利点。
 それはサボっていても誰にもばれないし文句を言われないことにある。

 真昼間の発掘現場。
 鈴木攻務店社長兼当現場総合所長でもある俺のお得意様は、俺の話に興味深く聞き入っていた。
 
 「それで一週間も連絡がつかなかったわけだ」
 「そうそう。いやぁ、参りましたよ。仕事に復帰したら携帯に不在着信が200件くらい入ってて」
 「そのうちの50件くらいはウチだけどなっ」
 「本当すみません」

 俺は頭を下げるふりをして、社長の巨乳を盗み見たのだった。
 うん、今日もいい乳だ。

 エルピスを連れてとりあえず武村家へ逃げ込んだ俺たちは、ほとぼりが冷めるまで静かに潜伏することにした。
 武村家にいる間は安全だというクリスの言葉に従うことにしたのである。
 俺は知らなかったが、武村家は電子の要塞と呼ばれているらしい。
 天才ハッカーである母親が作った完全な防御システムに守られたセバスチャンが、邸内にふんだんに仕掛けられたオーバーテクノロジーを縦横無尽に使用できる為、物理的にも電子的にも神理的にも攻略は不可能とのこと。
 一体俺の実家は何なんだ。

 まぁおかげさまでこの1週間、俺はアヤ姉の手料理を食べることが出来るという恩恵にあやかっている。
 ちなみにメニューは、1日目、カレー。二日目、肉じゃが。三日目、カレー。四日目、ハンバーグ。五日目、カレー。六日目、カr…。
 気にするな。
 ただ、少々料理のレパートリーが少ないだけだ。もうすぐ三十路だが、まだ若いのでこれからに期待である。
 まぁ、少ないレパートリーと言えど、何故かすべて俺の好物なので俺的には問題ない。

 しかしパンドラ総帥が病気療養を理由に無期限の休暇をとるという報せは業界を少なからず震撼させたようだ。
 しかも事前の会見もなし。療養先も秘密にして、であれば尚のこと。
 いらぬ憶測も報道された。
 中には現総帥を快く思わない政府による陰謀説となどという報道もあって笑えなかった。

 ちなみに俺の休暇願いは携帯端末からメールで部長に送っておいた。
 流石に慌てて電話がかかってきたが、着信拒否にしたので問題ない。

 まぁさっき出社したら滅茶苦茶怒られたけどね。
 俺にロリ属性はないので、部長に涙目で怒られても痛くも痒くも萌えもしないので問題ない。

 「でも、もう出てきてもいいわけ?ほとぼりって奴は冷めたの?」
 「それが分からないんっすよ。一応母親から学会経由で政府に圧力は掛かってるはずなんすけど、相変わらず監視がついてるし…」
 「うそ。今も監視されてんの?」
 「途中で撒いてきました」
 
 本当は朝一でここに来たかったが、これに一番時間がかかって昼になった。ちなみに石川社長からも大量の不在着信やメールがあったが、大半がキャバクラへのお誘いだったので放っとくことにする。
 バイト行けないって電話したとき、一応しばらく連絡つきませんって社長に言っといてって頼んだのだが…。
 あのおっさんに記憶力を求めてもしかたないか…。

 「あと、こんな話をウチにしてもいいの?どこに持ち込んでも高値で買ってくれそうだぜぇ?」

 鈴木社長がそう言っていたずらっぽく笑う。
 そんな社長に、俺は嘆息した後、力なく笑った。
 
 「こんな漫画みたいな話、信じてくれる報道機関があればの話でしょ?」


 
 第十四話 ラストクリスマス(前編)
 


 「困ったことがあったらウチのとこ来いよ?あと、エロい妹も今度紹介しろ」
 「本当に困ったらそうしますよ。あと、妹は絶対つれてこねー」

 俺は社長に頭を下げて現場を後にした。 
 顧客のアフターフォローは営業の基本である。
 実は俺がここに来るまで滅茶苦茶怒り狂っていたが、クレームも転じて販促へと繋げるのが真の営業というものだ。
 今月分の納品は最初に済ませた。
 出会い頭に不機嫌な社長から一割もまけさせられたのはご愛嬌である。
 会社に帰ったら始末書ものだが…。どうしよう…。

 ピピッ、と音がして俺の端末が着信を告げる。
 やはり来たか。
 そういう思いで俺は端末の画面を見る。
 そこにはこの一年、いくらかけても不通だったはずのアドレスから、短くひとことメッセージが届いていた。
 
 『今夜10時、いつか星を見た丘で』

 俺は端末を閉じ、車に乗り込むとエンジンをかける。
 さて、どうしたものか。
 
 「本当のこと言ったら、心配するよなぁ」

 俺はアヤ姉と妹に何といいわけするかを考えながら、とにかくたまりにたまった書類を片付けるべく、会社にむかってアクセルを踏んだ。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 旧東京市郊外。
 俺の実家からそう遠くない場所に作られた森林公園。
 作ったのはどこかの企業だと思ったが正確には覚えていない。

 国家がなくなった現在、企業は互いが互いに課した社会福祉義務に則って、市民に対し定められた利益の還元を行わなくてはならない。
 この公園も、そうした事業の一環であったと思う。

 俺が幼い時、よく遊びに来た公園だった。
 そして、二人が初めてデートした日。
 一緒に星を見た場所だった。
 …ちなみにその後寒空の中、興奮しきった若い二人は車の中で色々全年齢板では表現不可能なことをしたようなしてないような。

 「トモくん、来てくれたんだ」

 その時、俺の耳に心地よく響く声がした。
 LEDでライトアップされた鬱蒼と木々が茂る公園の中。
 彼女はまるで幻想の国の妖精の様に、白いコートを着てベンチにちょこんと座っていた。まるで時間が巻き戻ったようだ。
 ほんの一年前。
 俺がとても幸福だったあの頃に時間が戻ったようだった。

 すっと綺麗な姿勢でユキが立ち上がった。
 考えてみれば彼女の名前は今際ユキ。
 「今はユキ」とも読める。
 明日は、あるいは昨日は違う名前かもしれないそんな符号。
 彼女の素性を現す意味があったのかもしれない。

 長い、艶のある黒髪が、寒空の中、風に吹かれてふわりと舞い上がった。

 「もう一度聞くから答えを聞かせて。エルピスを返してほしい。もし返してくれるなら…」

 俺の方へ近付きながらユキははらりとコートを脱いだ。
 コートの下には何も着てない…などということはなく、可愛らしい白いワンピースを身に着けていた。
 彼女によく似合う、綿毛の様に柔らかそうな生地で出来ていた。

 「私はまた、あなたの元に戻れる。あなたを昔みたいに愛せるわ」

 そう言ってユキは俺のすぐ目の前で立ち止まってにこりと笑った。素敵な笑顔。澄んだ泉の様な。まるで捧げるように己の体を抱きしめるユキ。
 二つのふくらみが、服の上から持ち上げられてその量感を俺に訴える。
 ちっともいやらしくないのに、男の心を虜にするその仕草。
 それさえも、きっと計算されたものだったのだろう。

 「ユキがいなくなって、何かの拍子にあの歌について調べたことがある」

 俺が不意にそう言葉を発したから、ユキは不思議そうに小首を傾げた。
 俺の気を引く為だけだったのかもしれない彼女の歌。
 ユキはもう、覚えてもいないだろうか。

 「ラストクリスマス、っていう歌だったよな。『去年のクリスマス 君に僕の心をあげた でもその翌日には もういらないって 今年は 涙を流さないために 僕の心をあげるのは誰か特別の人に』」

 俺がそう歌い上げると、ユキはその笑顔を一層深める。
 そこにあるのは無垢と愛らしさ。
 そして、紛れも無い邪悪。

 「それがトモくんの答え?」
 「あぁ」

 ざわり、とユキを取り巻く空気が変わる。
 威圧が俺を圧迫し、空気さえも心細そうに震える。
 木々がざわめき、星々さえも瞬きを自粛し。
 あらゆる命が息を止めて、ユキが剣を抜く瞬間を見ていた。

 「残念ね。あなたをもう一度愛せると思ったのに…」
 「俺も残念さ」

 言いながら、俺も装剣を抜く。
 俺たちを数十の気配が取り囲むのを感じる。
 別に構わない。
 元から一対一など望むべくも無い。

 「別に二日に一度カレーでも俺はいい。不器用で、男を虜になんか全然出来なくて。何かあったらびーびー泣いたっていい。
 守ってやるって、約束したからな」

 そして彼女が俺を選ばなくてもいい。
 彼女にはもっと相応しい男がいるのだろう。

 「本当に、残念」

 ユキが困ったように微笑を浮かべた瞬間。
 俺を目掛けて数十の刃が降りかかった。

 「換装」

 俺の身体を光が包む。
 蒼い海の様な鎧が置換される。
 ワンメイクのこの鎧。アヤ姉がくれたこの鎧を着ている限り、俺は負ける気がしない。

 ガキキキキキキキキン!

 俺に襲い掛かったすべての刃が弾かれた。
 刺客たちは大きく距離を取るべく離れる。
 
 ここまで、何だ主人公無双展開かよ、とそう思った君。
 君は心底甘いといわざるを得ない。
 だいたい俺と同じくらいに…。

 刃は悉く弾かれた。
 だがそれは俺によってではない。
 俺が剣を1ミリも動かす暇もないままに、刺客の剣は物陰から現れた二つの人影によって迎撃されたのである。

 一人は赤い剣持つ金糸に彩られた女。ぶっちゃけ神力なかったら寒くて戦闘どころではない露出度である。白い乳がぶるんぶるん揺れたり、むき出しのお尻がきゅっと引き締まっていたり、アップに纏められた髪と白いうなじが絶妙のコントラストを見せていたりしていつまででも見ていたい絶世の美女。
 何故か涙目で俺を見ているのが玉に瑕だが。

 一人は黒い剣持つ水着と見まごう下乳丸出しの衣裳を来た女。揺れる乳はあとほんの少しアップダウンにとんだ動きをすれば、衣裳がすっぽ抜けて色々大事なものが見えてしまうのではないだろうか。黒いTバックの革鎧もポイントが高い。
 ベッドの下の20世紀資料を発見した時の様な得意げでかつ俺を馬鹿にした笑顔をしているのがむかつくが…。

 「よく仰いましたお兄様。ここであの女を選んだら、お兄様の首とかアレとかを切り飛ばさなくてはいけなくなる所でした。よかったよかった」
 「何で棒読みなんだ、お前は?」
 「ひぐっ、たけ、ひっ、たけちゃん、ひぐ、びーーーー」
 「何で、アヤ姉は泣いてんの?」
 「だって、タケちゃんが、ひぐっ、タケちゃんがあの女のとこにっ、ひっく、いっちゃうかと、いっちゃうかとおもってぇっ、えぐっ」
 「いったいいつから聞いてたんだ?」
 「はて?いつからと申されましても。あぁ、ところで、お兄様の音痴は相変わらず聞くに堪えませんねぇ」
 「ほとんど初めからじゃねぇか!」
 
 どうも俺は滅茶苦茶信用がないという事は分かった。
 二人の達人は、どういう手段でか俺とユキとの密会を知りえて、一足先にここの潜伏していたらしい。

 「…一つ聞いておく。クリス。何故ここだと分かった?」
 「愚問ですわ、お兄様。お兄様のデートの記録はす・べ・て、映像資料として残してあります。中々にXXXな内容に富んでおりますが、今度お送りしますか?」
 「お、お、おおおおおおお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 「興味深いな。是非私にも送ってくれ」
 「わかりました。アヤコお姉様」
 「送らんでいいわ!」

 何が哀しくて自分の情事を人に見られなくてはならんのだ!
 本当に、旧世紀映像資料の女優さんや男優さんを尊敬します。

 「さて…」

 クリスはそう言ってまっすぐに俺を見る。
 いや、俺の向こうにいるユキを見る。

 「特別に、手出しはしないで差し上げます。ご自分の過去とくらい、ご自分で決着をつけていらっしゃいませ」
 「負けたら、承知しないんだからねっ」

 クリスに続いて、涙目でそういうアヤ姉。何この可愛い生き物?

 「…分かった」

 俺は短くそう言うと、装剣を担いでユキのほうへ向き直る。
 アヤ姉とクリスは、装剣を構えて周囲の兵達を牽制した。

 「決着をつけよう」
 
 思い出に。恋心に。どっちつかずの俺の想いに。

 「換装」

 俺の言葉に、ユキはしかし小さく起動後を呟いただけだった。
 ひらり、と雪が一片舞い落ちて、溶けて流れて消えていった。



[25034] 第十五話 ラストクリスマス(後編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/01/31 22:17
 「雪、ね」

 ひらりひらりと舞い落ち始めた雪片を見て、ユキがそう呟いた。
 季節はもう12月。
 東京地区でユキが降るのは珍しいがないことではない。

 白い、正に雪のようなティアラを頂いたユキは、ふわりとしたシースルー気味の氷のドレスを身に纏い、氷の長剣を俺に向ける。
 パンドラ本社でのアヤ姉とユキの戦い。
 あの時、おそらくユキは本気を出していなかった。
 それでもその腕はアヤ姉と互角以上だったと思っていい。

 LEDの光が反射してきらきらと輝くユキ。
 それは俺の思い出そのものと言っていいくらいに、美しく、透明で、そして現実離れしていた。

 分かっている。
 思い出は思い出だ。
 二度と帰ってこない時間を、人は思い出と呼ぶのだ。



 第十五話 ラストクリスマス(後編)



 先に動いたのはユキだ。
 その切っ先は鋭く、一瞬で俺のふところにもぐりこむほどのスピードで迫ってきた。
 俺は辛うじてその一撃を装剣で弾く。

 甲高い音を立てて逸らされた切っ先が、次の瞬間には俺の首筋を狙っていた。
 俺はすんででそれを仰け反ってかわす。

 やはり早い。

 アヤ姉との戦いの時は、後手に回っていたから分かりにくかったが、こうして先手を取られてみればその速度はアヤ姉を凌いでいる。
 その上一撃一撃が重い。
 俺の力では弾くのが精一杯だ。

 勿論腕力は男の俺の方があるだろう。
 だが、神理下での戦いは、身体能力だけでは始まらない。

 一般に劇場型運動法則(運動の第四法則)と学校で習う、神理下での理不尽が遺憾なく発揮されている。
 神は劇的な展開を好む。
 だから派手な衣裳や、露出度の高い女性を好むのである。

 普通、運動法則は→a=k(→F/m)で現され、加速度は質量mに反比例する。
 何をいいたいかと言えば、物理現象化では質量が大きいほど慣性が大きくなる。だからハンマー投げの選手は巨大な慣性をぐるぐる制御しながらハンマーを投げるのだ。
 だが神理下ではそんな法則は恣意的に無視されるので、女性の力とは思えぬ大質量の打撃が、恐るべき速度で繰り出される。

 ぶっちゃけて言えば、手も足も出ないのである。 
 
 剣の腕に差があれば、それでも何とかなる。
 相手の攻撃をかわしてこちらの攻撃を当てれば、いかに攻撃力に差があろうといつかは勝てるからだ。
 だがユキの技術はアヤ姉並。
 本気で俺には勝ち目が無い。
 まぁ、正攻法で攻めればの話だが。

 神理は必ずしも味方をするばかりではない。
 神は悲劇をも好むのである。

 「よし、やるか」

 正直元とは言え自分の彼女にこんな真似をするのは気が引ける。
 本当に気が引ける。
 本当の本当に気が引ける。
 だが、まぁ仕方ない。
 仕方ないったら仕方ない。
 
 俺は仕方なく、これからやることをなるのだ。

 「逃げてばかりで、私に勝てるの?トモくん?」

 ユキが氷の剣を逆袈裟に繰り出す。
 俺はその切っ先に鎧を傷つけられながらもなんとか回避し、そして装剣を持たない逆の手で、ユキの腰周りを覆う氷の防具を掴んだ。

 「へ?」

 俺がそれほど力を加えたとも思えないのに、氷の鎧はべりりと剥がれる。
 神力が俺の所業を補助したのである。
 思わず退くユキ。

 鎧の一部を剥ぎ取られ、白いふとももが露になっていた。

 「な、なんで?」

 ユキが驚愕の声を漏らす。
 装剣の神的加護による防御力がユキを守っているはずなのだからその驚愕は当たり前だ。
 だがそれは、神理学の基本概念、「保存則の恣意性」を誤解して解釈しているに過ぎない。
 ここでいう恣意性とは、ある程度意のままになるという意味であるが、それは使用者、つまり人間のことを指しているのではない。
 あくまでそれは神の意思である。
 そして、神は劇的な展開を好む。

 「うりゃっ」

 俺は蒼い装剣を袈裟切りに振るう。
 その鋭い一撃がユキの胸部装甲に僅かに届く。
 しかしとてもそれを貫くには至らない…はずであるが。

 「えぇっ?」

 バキンと音がしてユキの胸部装甲が破壊される。
 形のいい白い大きな乳が、ぽろりとまろび出て俺と神とを喜ばせる。

 「なんでなの?」

 ユキが困惑する。
 一体神理的加護はどこにいったのか?
 答えはどこにも行っていない。
 今もそこにあるのである。
 ただし、マイナスに働いているだけで。

 俺はその調子で次々とユキの装甲を剥がしていく。
 スカートをほとんど破壊して際どいところを見えそうにしたり。
 おっぱいを完全に丸見えにしたり。
 ほっそりとした丸い肩を丸見えにしたり。
 
 仕方なくだ。
 仕方なくやっているのだ。

 そうこうする内にユキはほとんど裸同然だ。
 女性的魅力が上がっているユキは反比例して神力を上昇させているが、流石の彼女も乳とか尻とかふとももとか丸出しで、あと色々全年齢板ではかけない部分も見えそうになりながら平常な気持ちで戦うことは出来ない。
 羞恥にその肌がピンク色に染まっているのが分かる。
 露出狂でもなければ、公衆の面前で服を剥ぎ取られていくのは堪えるだろう。
 
 「こ、こんなこと…。こんなことを…」

 ユキがわなわなと震えながらそう呟く。
 さっきまでの余裕顔はどこへやら。
 悔しさと羞恥をない交ぜにした彼女の感情は確かに揺らいでいた。

 「トモくんが、こんなことするなんて…」

 ぐさっ。
 うわぁーい。
 きっつーい。

 正直きつい。痛過ぎる。男としての何かが終わりそうだ。
 目に涙まで溜めて恨めしそうに俺を見るユキ。

 裸同然の格好まで追い込まれ、片手で胸を隠し、もう一つの手も装剣を持ちながら大事な場所を隠している。
 何故ユキがここまでの羞恥を感じるのか?
 考えてみれば、さっきまでもっと恥ずかしいといっても過言ではない格好をしていたではないか?
 そう思われる諸兄もいるかもしれない。

 だが、これこそ神理の奥深さ。
 何度も言うが、神は劇的な展開を好むのである。

 女性が換装後の露出の激しい格好に羞恥心を感じにくいのも神理の働きであれば、鎧を剥かれた途端羞恥心を感じ始めるのも神の御心。
 恥ずかしがらない女になんて、萌えないしね。

 「ひどい…」

 消え入りそうな声でそう言うユキは、ついにその場にうずくまってしまう。顔だけはこちらを見せて、涙目で俺を見上げる。
 ぶっちゃけかなりやばい。
 ここまで男の劣情をそそる格好があるだろうか?
 ユキには尋常ではない神力が集中しているが、その加護が悉くマイナスに働いているのでもう戦闘は不可能だ。
 目的は達したわけだが、どうもここで踏みとどまれない俺がいる。
 あの白いおっぱいとか、すらっとした生足とか、ぷりっとしたお尻とか。
 俺の理性が崩壊し始める。 

 ちょっといけない趣味に目覚めそうだった俺は、しかし後ろからアヤ姉に思い切り頭を殴られて、ようやく正気に戻った。

 「何を…やっている?」

 恐ろしい神力がアヤ姉から立ち上っていた。
 鬼や…。
 劇場型運動理論。
 神は修羅場をもまた好む…。

 「こ、これは、その…。仕方なく、ね…」
 「この、女の敵め!」

 結局ユキたち政府の追手には勝利したが、一番大怪我をしたのは俺だったと言う。  
 どっとはらい。


 



 
 ジリリリリリリリリリン、と電話のベルが事務所に響く。
 いつの時代も電話の呼び出し音の癇に障る感じは変わらない。
 しかし、この日常を懐かしく思っている俺も存在した。

 平日の昼間。
 社内にはスーツ姿の同僚達がパソコンに向かっていたり、部長がドーナツを食べたりしていた。
 おい、そこのロリっ娘。真面目に仕事しろや。
 
 だが最近の俺は機嫌がいい。
 絶対に給料分働いてないと断言できる部長の怠慢にも目を瞑ろう。
 それというのも、俺の愛する平穏な日常がこうして返ってきたからである。

 「有難うございます。総合商社パンドラ剣装部です!」

 電話に出る俺の声も心なしか弾んでいる。
 朝がどんなにつらくても、夜が毎日遅くとも、やはり平穏に仕事が出来るこの時間が俺は好きだ。
 あれから1週間。
 武村からの圧力がようやく効いたらしく、政府からの追手の気配は鳴りを潜めた。
 あ、その内三日間は入院していました。
 蹴られた内臓が破裂寸前だったとか。
 どんだけ加減なしなんだよ、アヤ姉…。

 まぁ何はともあれ俺はこれから日常を享受するのである。
 家に帰るとかわいいエルピスが待っていることだし、張り切って仕事をしなくてはならない。

 『トモキ?丁度よかった』

 ぴし、と音を立てて、受話器を持ったまま俺が凍りつく。おかしいな。絶対に聞こえてはならない声が電話の向こうから聞こえたような気が…。
 
 『今すぐ出てきなさい。一緒に行く所があるの。あと5分で会社の前に車がつくから』

 こっちは仕事中なんだよ、とか、5分じゃエレベーターの待ち時間にもならない、などという理由は、この女には通用しない。
 出ろと言われれば出なければならないし、5分といわれれば5分なのだ。

 『わかったわね?トモキ』
 「はい…。母さん」

 ガチャ、と通話が切れる。
 俺はおいしそうにドーナツを頬張る部長に視線を向ける。
 偶然目があって、部長が怪訝そうに眉を顰めた。

 「どうしたの?武村くん?あー、私に見蕩れてたんでしょう」
  
 そんな粉砂糖口元につけてるロリっ娘なんぞに誰が見蕩れるか。
 俺の正義は常におっぱいだ。異論は認める。

 「急にお腹が痛くなったので早退します。では」
 「ほえ?」

 何を言われたのか分からないと言った風に小首を傾げる部長を尻目に、俺は全速力でフロアを飛び出し、階段を駆け下り始めた。

 「ええええええええええええええええええっ!」

 背後で部長の絶叫が聞こえた気がしたが気にしない。
 俺だって、命は惜しいのだ。
 
 「お早う。トモキ。早く乗りなさい」

 俺がぜーぜー言いながら階段を駆け下りると、そこには赤いスポーツカーを背に仁王立ちする金髪の美女の姿があった。
 長い髪を巻き髪にしてアップしたその女は、細い腰に手を当てて、傲慢ともいえる表情で俺を見る。
 黒いタイトなミニスカートから伸びる長い脚は粗い網目のストッキングによって強調され、黒いブラが透けて見える白いブラウスは上から三つほどのボタンが開けられて、深い胸の谷間を見せ付けている。胸のサイズが合わないのでボタンが閉まらないのだという。
 アヤ姉並の弾む魔乳の持ち主。
 どうみても外見年齢20台にしか見えないきつめの視線の怜悧な美女。
 俺の母親武村トーコであった。

 「お早う。母さん」

 俺は息を整えてやっとのことでそう言うとスポーツカーの運転席に乗り込む。
 母さんは助手席にふわりと飛び乗った。
 信じられない身軽さである。
 これで〇〇才とか絶対に詐欺だ。

 「何か言った?トモキ?」

 滅相もありません。
 え?何歳かって?
 うちの親父、武村レイモンドの年齢が55であるが、うちの母親は親父が大学院生の時の教授だった。
 これだけ言えば、分かるよね?
 うちの部長以上の年齢と外見の不一致である。
 
 「で、どこに行けばいいの?」

 俺が尋ねると、母さんは面白くもなさそうに言った。

 「世界政府の旧日本地区行政館」
 「は?」

 俺が聞き返すと、母さんは小さく可愛い欠伸をした。



[25034] 第十六話 悪魔は誰だ
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/02 21:38
 でかいビルだった。
 ビルにはやはりでかい看板が設えられていて、「世界政府 旧日本地区行政館」と書かれている。
 国家が解体された現在社会に唯一存在する権威。
 世界政府の門戸は硬く閉ざされていた。
 常に二人の門衛が奥のビルに続く道の前を警備し、すべての車両をチェックしている。門衛は腰に装剣を提げた、一目で手練とわかる使い手だ。
 鋭い眼光には一部の隙もないように思える。

 だがそれがどうしたといわんばかりに。
 つかつかつかとハイヒールを鳴らしながら母さんが歩いていく。
 門衛は一瞬その美しさに目を奪われたようだが、ぶんぶんと首を横に振って母さんの前に立ち塞がった。

 「レディ。失礼ですがお約束はおありですか?」

 丁寧な言葉の中にも威圧を込めて門衛は母さんにそう言った。まだ若い、だがガタイのいいあんちゃんだった。
 そんな門衛に、母さんはにこりと笑いかける。

 「『アバドン』」
 「は?はぁっ!?」

 突如、男の足元の地面の空間が歪曲し、門衛の男が腰の辺りまで飲み込まれる。呪法…だと思うが、どうしてこの人は換装してないのにこんな真似が出来るのか、誰か教えてください。

 「ほら、行くわよ、トモキ?何ぼっとしてんの」

 母さんに言われて俺は慌てて後を追った。
 ビルから次々に出てくる人間達が、やはり次々と地面に飲み込まれていく。
 みんな断末魔の悲鳴とか理不尽に対する絶叫を上げているが、母さんが歩くスピードは少しも変わらない。

 「でも、大丈夫なのか?通報されて、警備が来たら面倒なんじゃ…?」

 俺がとても5(ピー)台の尻とは思えぬタイトスカートを突き上げるぷりぷりのふくらみを追って歩きながらそう言うと、母さんは大丈夫よ、とのたまった。

 「事前にあらゆる電子機器を停止させておいたし、通信網からも分断した。第一、ここは今亜神域にしてあるから、外からは神理的にも絶縁されてるわ」

 おいおいおいおいおいおい。
 どこのテロリストだ、あんたは。

 換装なしで呪法なんておかしいと思ったが亜神域とは…。
 どうやったらそんなことができるんだ?

 電子機器を停止云々はまぁわからないでもない。
 母さんは神理コンピューティングの始祖とも言える人間であり、あらゆるプログラム言語に彼女の手が加わっている。
 どうやらその時点で何らかの細工がしてあるらしい。
 どんなセキュリティもファイアウォールも彼女の前ではざる同然。

 俺たちが日々享受している神理的アーティファクトの根幹には、この女性が仕掛けた爆弾が眠っているというわけだ。

 とか考えている間にも母さんはつかつかと颯爽と歩く。

 あちこちから悲鳴とか怒号の声とかが聞こえてくる。パニックになってるなぁ。
 急にパソコンが動かなくなり、通信がつながらず、警備員が全滅したのだ。
 人事だけど、とても同情します。

 やがて勝手知ったる他人の家にとでも言うように、淀みなくエレベーターの前にたどり着いた母さん。そのまま流れるような動きでボタンを押して、さっさと乗れと言うように俺を促した。

 「母さん、ここ来たことあるの?」
 「ないわ」
 「何でこんな的確に道がわかるの?」

 俺がそう言うと、母さんは、何だそんなこと、とでもいうように面白くなさそうに言った。

 「セバスチャンにテレパスでナビさせてるわ。別にどうってこはないでしょ」

 は?テレパス?
 それ以前になんで最高機密だろうこのビルの間取りを知ってんの?
 
 俺の疑問などどこ吹く風。
 チン、と音を立ててエレベーターが停止する。
 エレベーターが開くと物々しげに数人の警備員が群がってきて―――。

 「『アバドン』」

 床に沈んでオブジェと化した。
 合掌。


第16話 悪魔は誰だ
 
 
 バン、と蹴破るようにして扉を開ける、母さん。
 その拍子にパンツが見えたかもしれないが気にしないらしい。
 すらりと伸びた足が蹴りつけたその扉には、世界政府旧日本地区統括室と書かれたプレートが掛かっていて、さらにその足は、机に向かって可哀相にびっくりと目を見開く、神に愛されなさそうなバーコード禿のおっさんの姿があった。
 
 「ずいぶん高く喧嘩を売ったわね?」
 「だ、誰だ!」

 おっさんの机の上には室長と書かれた三角錐が置かれている。
 ということはこの駄目そうなおっさんこそが、世界政府の日本支部の、そのトップであるのだ。
 よく見ればよさそうなスーツを着ている。完全に着られているが。

 「武村家家長、武村トーコ。身内が迷惑かけられたお礼をしに来たわ」

 ん?今の台詞どっかおかしくないかって?いや、別に特におかしいところはない。
 家長というのは厳然たる事実なのだ。
 何故なら俺の父親は武村家へ婿養子に入った旧性レイモンド・ラッセル。癪に障るがラッセルの超言語と言えば小学校の教科書にも載っている。
 
 親父は飛び級で14歳で大学院で学んでいたとき、当時としては日陰者だった神話層の神語的解釈で熱弁を振るっていた神理博士、つまり若干16歳の超天才、武村トーコに一目ぼれしたのだと言う。
  
 この辺りは神理学者の間ではそれこそ神話的だ。
 
 同じ大学に神話的利器工学で一躍有名になる二階堂のおっちゃんや、「神話的埋設物の積極的活用の提唱」で教科書に載るウォーリー・ヴィンセント、後にパンドラグループを興すアヤ姉の親父さんである匣崎タケフミ、そしてラプラス的予知理論の提唱者で、量子予知力学者のフラッガーが居合わせたというのだから驚きである。

 「武村トーコ…?」

 おっちゃんが訝しげに眉をしかめる。
 そして値踏みするように母さんの全身を見て、ふん、と鼻を鳴らした。

 「何を言い出すかと言えば、言うに事欠いて武村トーコだと!馬鹿は休み休み言え。お前の様な小娘が武村トーコのはずがないだろう!」
 「…小娘?」

 やばい…。
 俺の隣で、母さんの額にびきりと青筋が走った。
 体感的には角が生えたようにさえ見える青白いオーラが立ち上っているようだ。
 まずい。やばい。やめろおっちゃん。それ以上言うんじゃない。命が惜しかったら黙れ。命が惜しくなくても黙れ。
 俺はあんたの自殺行為に巻き込まれたくねぇ!
 
 だが俺の願いも空しく―俺の願いは大抵空しいが―、おっちゃんは言ってはならない一言を豪快に口にしたのだった。

 「武村トーコは今年57になるババァだ!お前の様な小娘のわけが――」

 おっちゃんはそこまでしか言葉を紡ぎだす事ができなかった。
 いつの間に、そしてどこから現れたのか。全身黒尽くめの若い男が、突然に現れておっちゃんの口を後ろから塞いでいたのだ。

 「お呼びでしょうか?奥様」
 「セバスチャン、その男、不快だわ」

 セバスチャン?セバスチャンって今言わなかった?
 かなりの長身イケメンである執事服姿のその男は、深々と母さんに礼をしてから。
 何とおっちゃんの首根っこを掴んで後ろの壁にたたきつけた。

 「うげ、う、うぐぐ…」

 うめき声をあげるおっちゃん。
 細腕に見える片手で首を支えられてる為、かなり苦しそうだ。
 盗み見ると、母さんがその様を実に楽しそうに見ている。
 馬鹿!本当に馬鹿!この世で一番敵にまわしちゃいけない人を敵にしたら駄目でしょ!

 じたばたじたばたともがき苦しむ男を見て、俺はさすがにやばいと思って母さんに進言した。

 「か、母さん。その…その辺にしたらどう?死んじゃうよ?」
 
 実に控え目に。

 「死ねばいいんじゃない?」

 えええええええええええええええ。左様ですか。いやさすがにそれはちょっと…。

 「仕方ないわね。セバスチャン、その辺でいいわ」

 母さんがそう言うと、セバスチャンはおっちゃんの首根っこを掴んだまま、今度は仰向けに机に叩きつけた。
 首根っこは押さえたままなので、自然首は上を向き見上げる形になる。

 つかつかと歩み寄る母さんがおっちゃんに向かって腰を折ったので、おっちゃんの目の前には揺れる二つの果実が見えるはずであるが、とてもそれを堪能する気分ではないだろう。

 「やさしい息子に感謝するのね。いい?小野寺室長。寛大な私は選択肢をあげるわ。今後一切私たちに不干渉であること。エルピスは諦めなさい。私がもらう。あの小娘もね。もしそれが出来ないなら――」

 そう言って母さんは天を指差す。
 後ろからその様を見る俺にはすっきり背筋を伸ばした美しい姿勢が見えるだけだが、おっちゃんの目の動きでおっぱいが弾んでいるのがわかった。
 おっちゃん。こんな時まで男だな。

 ドン!
 俺がおっちゃんに同情を示した一瞬の後。
 おっちゃんが突っ伏す机の上。
 つまりおっちゃんの頭のすぐ隣に、炸裂するように何かが突き立った。
 
 見ればそれは槍である。
 天井をぶち破って降ってきたその槍は、真っ赤に焼けていたがやがて冷え、鈍色の神々しい姿を見せ付けた。

 「グングニルレプリカver.11。私の私費管理衛星に搭載した軍事用狙撃システム。見ての通りナノ単位の狙撃精度を誇る純然たる兵器よ。あなたの頭に当てることも出来た」

 ええっと意味がわかんないんだけど、要するにそれ宇宙から降ってきたってこと?
 亜神域同士を結んで量子予知的ショートカットを作ったのか?
 いや神理学的置換作用か。
 まぁこの際何でもいいや。
 
 にこりと、母さんが微笑を浮かべる雰囲気が伝わってきた。
 だが、おっちゃんはその天使のように愛らしいだろう笑顔にひぃっと悲鳴を上げる。
 見れば槍から黒い霧が染み出している。
 それはまるでデモンの様に、だんだんと実態を取り始めた。
 
 「グングニルは戦の始まりを象徴する神の武器。放置すればラグナロクと呼ばれる亜神域を自動で現出させ、向こう3ヶ月デモンを生成し続ける。人間だけが排除される、実にクリーンな兵器よ。ねぇ、どうする?」

 悪戯っぽく肩を揺する金髪の悪魔。
 おっちゃんは首根っこ押さえられたまま、助けてくれ、と呻いたのだった。



[25034] 第十七話 続・武村家へようこそ
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/06 10:21
 「家に寄るわ」

 混沌とした世界政府のビルを後にして、俺にそう告げた母さんに従い車を走らせる。わかってはいたが、俺に会社に復帰するという選択肢はないらしい。

 「しばらく家にいるの?」
 「いいえ。すぐ月に帰るわよ。折角だからあの人には月で手伝ってもらおうと思って置いてきたから、しばらく家を空けることになるわ」
 
 親父…。相変わらず母さんには弱いなぁ。
 まぁ母さんに強い人間がいるものなら是非お会いしたものだが。
 秘訣とか教えてください。

 「今、掃除させてるのよ。あ、クリスとエルピスもこっちに呼んであるからね」

 一言の相談もなしにそんなことが決まっているが俺は文句ひとつ言わない。何て言うか、もう慣れたよ。

 『奥様。クリス様から通信が入っております』

 突然、車が母さんに話しかける。
 つないで、と短く答える母さん。そう言えばさっきのイケメン執事のセバスチャンは何だったんだ?どっちかというとデモンに近い雰囲気を感じだけど、まさかね?

 『お掃除は大体終わりました。今お戻りになられればお茶をご用意できます』
 「わかったわ。あの子はどう?使える?」
 『それはもう。ただ、少しばかり堪え性がないですね。まぁそれは追々躾けていくとして。ふふふふふ』
 「そう。楽しみね。直に着くわ。ダージリンでお願い」
 『かしこまりました』

 ピ、と言って通信が切れる。
 何だろう。
 ものすごく嫌な予感がするんですが。
 何、妹のあの邪悪な微笑みは?
 俺はこの後、俺の嫌な予感が全面的に的中したことを知るのであった。



第十七話 続・武村家へようこそ



 そうこうする内に車は家にたどり着いた。
 車庫入れをセバスチャンに任せた俺たちは、無駄に長い門を抜けて、巨大な屋敷にたどり着く。

 「お帰りなさいませ。お母様。お兄様」
 「疲れたわ。何か甘いものをくれる?」
 「かしこまりました。スコーンを焼いてございますが、そちらでよろしいでしょうか?」
 「気が利くわね。ありがとう」

 すたすたと歩いていく母さんに従って俺は居間へと入っていく。
 ソファの上に、エルピスがちょこんと座っているのが見えた。
 豪奢な金髪の少女は、俺を見とめると、ソファを飛び降りてたたたたたっと駆けて来た。
 そのまま俺の脚にひしっとしがみつく。
 うわ、何この子かわいい。
 俺は思わずエルピスを抱き上げると、だっこして俺と向き合わせた。

 「何だ。寂しかったのか?」

 俺がそう聞くとエルピスはぶんぶんと首を横に振る。
 強がっちゃってまぁ…。
 最近俺を癒してくれるのはお前だけだよ、エルピス。
 
 「節操がないわね。そんな小さい子にまで手出してるの?ほどほどにしときなさいよ」
 「出してない出してない」

 俺は全力で否定する。母さん、あんた息子を何だと思ってるんだ。
 大体ほどほどならいいのか。
 
 「まぁいいわ。クリス。私の鞄を持ってきてくれる?」
 「承知いたしました」

 俺の弁解はどうやら受け入れられなかったようで、母さんはどうでもいいと言う風にクリスにそう命じた。
 おい。あんた自分の息子が性犯罪者でもいいのか?
 いや、俺は違うよ?違うけどもさ。

 「こちらでよろしいですか?」
 「ありがとう」
 
 程なくクリスが高そうな黒い鞄を持ってくる。それを受け取った母さんが、中から黒いチョーカーを取り出した。
 チョーカーの先には白い水晶が二つほど設えられている。
 だがその水晶、どう見ても唯の石ではない。
 存在するだけで並ならぬ神力を感じる。

 「クリス、お茶の用意を。トモキ、これをエルピスにつけてくれる?」
 「いいけど、これ、何?」

 俺の質問に母さんはにんまりと笑って答えた。

 「ファフニールハート。作るのに苦労したわ。作ったのは父さんだけど」
 「ファ、ファフニールってあの?」
  
 北欧神話に出てくる魔竜ファフニール。ニーベルンゲンの指輪でも有名なあのファフニールか。確か、その心臓を食べた主人公は…。
 ごくり、と俺はのどを鳴らしてエルピスを一旦床に下ろす。
 きょとんと首をかしげる彼女の金髪を書き上げると、母さんから受け取った黒いチョーカーをその首に回した。
 すると白い水晶が血のようなワインレッドに変わる。
 うおっと俺が気おされていると、その変化は静かに起こった。 

 「トモキ…?」

 俺と出会って二週間。親父と話した以外では聞いたことがなかったエルピスの声。しかもそれは俺にもわかる標準言語での発話であった。

 「エルピス、俺の言葉がわかるのか?」
 「うん、わかる。すごい…。これが人の子の利器…」

 うん、若干キャラが想像と違うけど、それはそれでよし。その美少女の外見に恥じぬ鈴を転がすような美しい声で、エルピスはためらいながらも確かに話していた。

 「では、お茶に致しましょうか?」

 クリスがそう言ってにっこりと笑った。


 
 「…ありがとう。…やっとトモキと話せた…」
 「いいえ、礼には及ばないわ。エルピス」

 テーブルに座りなおして、俺たちはお茶の用意を待っていた。
 いや、しかし驚いた。
 どういう原理になっているかは例によってまったくわからないが、エルピスの言葉が俺たちにわかるし、俺たちの言葉もエルピスにわかるらしい。
 舌ったらずな少女らしい口調でその言葉はどこかたどたどしい。もともと彼女がこういう口調なのかファフニールハートが完全ではないのか。
 だがその朴訥な感じがなんだか庇護欲を増進させ、俺の心の底の開けてはならない扉をむずむずさせる。
 トモキ。その扉は閉じておきなさい。

 「ありがとう…」
 「ん?」
 「ずっと…トモキにお礼を言いたかった…」

 エルピスがそう言って俺の服の裾をきゅっと掴んだ。
 相変わらずの無表情だが、どこか恥じらいを含んだその台詞に、不覚にもどきりとしてしまう俺だった。

 竜の心臓を食べた英雄は動物の言葉がわかるようになって危難をかわしたと言うが、俺、何か逆に追い込まれてない?
 
 「三日寝ないで作らせた甲斐があったわ」

 母さんがそう言って満足げに微笑む。
 親父…。こき使われてんな…。
 俺はコンマ1秒ほど、心の中で親父に深い同情をすると、視線をエルピスにうつす。
 何せこれまで身振り手振りでコミュニケーションをとってきたのである。
 話したいことが一杯ある。
 だがそこで、トントンと扉がノックされる。
 
 「どうぞ」と母さんがいると、クリスと、そしてもう一人の人影が盆を持って室内に入ってきた。
 見ればなかなかの巨にゅ、いや美人である。
 クリスと同じメイド服を着ているが、遜色ない巨にゅ、美しい女性であった。
 ばっくり開いた胸の谷間にネクタイが落ち込んでいるのがクリスと同じだが素晴らしい。
 張りのある、それでいてやわらかい乳は、アヤ姉には劣るがクリスを凌ぐのではないか。
 あの、もっと別のものをはさんで貰えませんかと思わず言いたくなる。
 新しいメイドなのかもしれない。
 俺は顔を確認しようと、ふと視線を上に上げて…。
 …ん?

 その顔をまじまじと見て、俺は表情を硬直させた。
 ほら、俺ってさ。
 胸から人を見る癖があるからさ。
 その人が長い黒髪をしていることに気づくのに時間がかかったのである。
 そして愛らしい唇や、小さな鼻や、パッチリした目をしていることに。

 「ユ、ユユユユユユユユユユユ、ユキぃぃぃぃぃぃッ?」
 「は、はい。お客様」

 今にもパンツが見えそうなミニスカメイド服で涙目になりながら、恥ずかしそうに頬を染める女性は確かに今際ユキ。 
 かつて俺が愛した恋人であった女性であった。
  
 「まだ、調きょ、ごほん。見習い中だから何かと粗相があるかもしれないけど、よろしくしてあげてね、トモキ」
 「か、かかかかかかかかかかかか、母さんッ!」
 「何?」

 何か問題でも?という風に小首をかしげる母さん。
 うん。どこからどこまでも問題だらけなんですけど!

 「ほら、彼女。前回の件で政府を首になってね。行く所ないって言うから母さんが雇ってあげたのよ。エルピスの世話をさせるのにクリスは置いておかないといけないじゃない?月で雑よ、研究の手伝いをする人材がほしくてね」
 
 今雑用って言ったよね?大体研究の手伝いにメイド服の着用は義務付けられてないよね?

 「そうよね。ユキさん?」
 「…奥様の仰るとおりです」

 ユキは屈辱に赤く染まった頬でぎこちない笑みを浮かべながら、お菓子とお茶を給仕していった。俺はそんなユキの姿を思わずまじまじと見る。おっぱいとかふとももとかお尻とかおっぱいとか。
 俺の視線が屈辱なのだろう。
 その表情がいっそうぎこちなくゆがむ。

 「あらら?ユキさんは嬉しくないのかしら?困ったわ。ユキさんの為になると思ってやったのに。弱ったわねぇ。ユキさんと”お話し合い”が必要かしらねぇ」

 お話し合いという言葉を聞いたユキの変化は劇的だった。
 びくり、とその身を震わせ、震えた拍子にむき出しの乳房がふるると揺れる。
 そしてなぜかスカートの裾(短いから自然それは股下のあたりになる)をぎゅっと握り締め、何かに耐えるようにもじもじと内股をこすり合わせる。
 そして、唯の羞恥とは違う、どこか艶香の漂う淫靡な朱色に、頬やむき出しの乳房が染まり、恥辱にどこか期待感が混じった表情で、切なげに母さんを見るユキ。
 え?
 何?何これ?
 なんだか知らんけど萌えるぞ、オイ!

 「滅相もありません。奥様。奥様に拾っていただいたご恩を、ユキは一生忘れません」
 「そう。良かったわ。じゃあ、あとでご褒美を上げないとね」

 びくりっと再び震えるユキ。
 その口が半開きに開かれ「あ…」と恍惚に震えた声が発される。
 ごめん。ここ、全年齢板なんだけど?

 この僅か一週間の間にユキに何が起こったのか。
 知りたいようで、まったく知りたくない。
 この世には開けてはならない扉がいくつもあるのである。
 
 その後、しばらく穏やかな(?)談笑をした後、母さんが席を立った。
 
 「エルピス、ちょっと私と洋服を見に行かない?クリスのお古だけど、あなたに会う服を見繕ってあげるわ」

 母さんの言葉に、エルピスがどうしよう、と言う風に俺を見たので頷いておいた。
 
 「うん…いいよ」

 そしてエルピスは母さんに連れ立って部屋を出て行った。

 小一時間後、俺とクリスはエルピスを連れて帰路に着いた。
 帰り際ユキが捨てられた子犬のような目で俺を見たが、俺は諦めろと心の中で言うしかなかった。
 ごめん。俺は無力だ。そっちでそれなりの幸せを見つけてくれ。

 洋服をいっぱいもらったエルピスは無表情なりに嬉しそうにしていた。
 だから俺はこの時点では何も知らなかったし、気づかなかったのである。
 俺がいない間の二人が、どんな言葉を交わしていたのかということを。



[25034] 第十八話 こうして男は馬鹿を見る
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/12 11:07
 しゃかしゃかしゃかしゃか。
 鏡を見ながら歯を磨く俺。
 あー、めんどくさい。
 何故人は朝起きなくちゃならないのか?
 昼からじゃ駄目なのか?
 どうせ俺夜遅いぜ?

 自慢じゃないが俺こと武村トモキ。
 滅法朝に弱い。
 鏡に映る俺は、まるで怒れる閻魔大王のようにぼさぼさで天を突く髪をして、物凄い不機嫌そうに鏡を見る俺を見ている。
 別に仕事は嫌いじゃない。
 仕事に行くのは一向構わん。
 だが朝は行けない。
 大体そんなに俺に来てほしいなら、仕事の方が俺のとこへ来たらどうなんだ(?)。

 俺がそんな益体もないことを考えてやさぐれていると、不意に洗面所の扉が開いた。
 
 「おはよ…」
 「ん?おお。ふぉふぁふぉお、ふぇふふぃす(おはよう、エルピス)」

 洗面所に入ってきたのはエルピスだった。
 パジャマ姿の銀髪の美少女は相も変わらずの無表情であるが、平たい胸元で光る二つの赤い石のおかげでこうして会話が出来るのはありがたい。
 俺の腰の高さくらいの身長しかないエルピスは、たたたっと俺に駆け寄ると、「ごはんできた」と短く告げた。

 クリスのお使いと言うわけだろう。あいつはいい加減、俺を5時半に起こすのを止めてくれないだろうか。無理ですか。そうですか。
 俺はがらがらがらとうがいをすると、「わかった、すぐ行く」と伝える。だがそれでもエルピスは戻ろうとしない。俺のパジャマのズボンの端をきゅっと握っている。

 「一緒にいく」

 ぐはっ。なんという破壊力。だって、ここからリビングなんて数メートルだぜ?一緒に行くったって数十秒間の話だぜ?
 そんな間だって離れたくない。
 そう言われてるようで思わず俺の目じりが下がる。

 「わかった。一緒に行こうな」
 
 俺がそう言うと、エルピスがこくんと頷く。
 手をつないで廊下を歩いていると、エルピスがふいに俺を見上げてこういった。

 「お仕事…がんばってね…」

 うん!パパお前の為にがんばるよ!
 俺はこの瞬間、世の父親たちの気持ちを唐突に理解した。
 この子の為なら、俺は文句のひとつも言わず、にこにこと仕事が出来るに違いない。
 どんな理不尽にもめげずにがんばれるであろう。 
 俺は不意に上機嫌になって朝食のテーブルについた。
 クリスが馬鹿を見る目で俺を見ているが、ちっとも怒りがわいてこない。

 こんなかわいい女の子にはげまされて、怒れる奴の気がしれないものである。



第十八話 こうして男は馬鹿を見る



 「っざけんじゃねぇぞ!出来ませんじゃねぇ。やれよ!」

 携帯端末に向かって怒声を響かせている男がいる。よほど腹に据えかねるらしく、周囲の同僚がドン引きするようなドスの聞いた声で怒鳴り散らしている。
 まぁ、俺なんだけどね。
 朝の思いは何だったのか。
 会社に来た俺はおおよそ信じられない報告を聞いて、仕入先のメーカーの担当者を怒鳴りつけていた。

 『はぁ。申し訳ありません。でも、出来ないものは出来ないので』
 「それはお宅の都合でしょうが!何で2ヶ月も前に依頼してた材料が明日入んないんだよ!」
 『はぁ。忘れてまして』
 「だからそれはそっちのミスだろ!ってか、俺2、3回確認したよねぇ?何あれ全部うそ?」
 『そうです』
 「そうですじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 何だお前は。
 ある種の天才か。
 俺の血圧を上げる天才か。

 「…もういいから。とにかく明日までに材料をつけろよ。お客さんが発掘入れないだろ?」
 『ですから、無理なものは無理です』

 …もういい。

 「知らんからな」
 『は?』

 ピッ。
 俺は端末を切ると、腹の底から深いため息をついた。
 
 どうして世の中にはこういう奴がいるのだろう。
 自分のミスを棚に上げて、澄ました顔で出来ませんとか、何なんだお前は。
 ミスすることはいい。
 まだ、まぁ許せる。人間だからな。
 奴が這いずり回ってでも材料を集めようとして、それでも集まりません。すみません、と言うなら俺が客先に土下座してもいい。
 だが、あいつのあの態度で俺がそこまでする義理はないし、客の発掘を遅らせるわけにも行かない。
 本当はだいっきらいだが、こういうやり方をするしかない。
 はぁ。へこむなぁ。
 こんなやり方しか出来ない自分にへこむわ。

 「珍しく荒れてんなぁ、武村」
 
 うるせー。
 俺はにやにやと俺を見る同僚を鬼の眼力で黙らせると、端末に向き合い再び通話を開始した。
 さっきまで電話していた俺の担当ではない。
 そのボスのボスのボスのボス。
 発掘系のトップメーカー、カグヅチのCEOに電話をかけたのだ。

 『…役員会議中だ。掛け直せ』
 「俺の担当を替えてください」

 石川社長はドスの聞いた声でそう言ったが、やはり怒りを含んだ俺の声を聞いて、ほんの少しだけ沈黙した。

 『…5分待て』
 「わかりました」

 一旦端末を切り、俺はカグヅチへ2ヶ月前に発注した伝票を準備しておく。すると僅か2分後、石川社長から電話が入った。

 『すまん。お前の担当が無能すぎて、話を聞いたが何を言っているのかわからん。状況を話してくれ』
 「役員会議中なんじゃないすか?」
 『構わん』
 
 社長がそういうので、俺は伝票片手に2ヶ月前に注文した商品が明日入らなくては困ることを伝える。
 担当者の態度などは特に話さない。
 そんなことを話さなくても、社長は俺がよほどのことがない限り、仕事のことを直接話はしないと知っているからである。

 『わかった。明日だな?何とかする。悪いが納品先と数量を俺にメールしてくれ』
 「社長に直接っすか?」
 『あぁ。悪いな』

 いやいやいや。
 超巨大メーカーの大社長が自分で発注業務やるってか。
 クレームは初期対応が最重要ではあるが、社長は自分の責任においてこの件を済ませるつもりらしい。
 俺は礼を言って通話を切った。
 
 翌日、「クサナギver.10」2000ケース、結界発生装置「岩戸」50機、簡易呪法結晶「勾玉」3万ダースが、滞りなく現場に納入された。
 すべて、俺の発注量より2割多く、サービスだと告げられた現場所長からお礼の電話が掛かってきた。
 僅か一日でこれだけの物量を揃えるとは…。
 さすがはカグヅチのCEOである。
 
 俺が社長の仕事に感心していると、受付から内線が入って呼び出された。

 「はい。剣装部武村っすけど?」
 『受付です。お客様がお見えです』

 はて?約束、あったかな?

 「お約束は特にないということなのですが、担当の引継ぎの件でということで、カグヅチの宮下様がお見えですが」

 仕事早すぎるよ。
 俺は苦笑しながら、俺の新しい担当者であるカグヅチ社員を、応接に通す様に受付に告げた。

 


 やられた…。
 俺は完全に石川社長の手腕に脱帽していた。
 さすがはカグヅチのCEOである。
 俺はそのことを再度痛感させられていた。

 「この度は大変ご迷惑をお掛け致しまして申し訳ありません。カグヅチ発掘営業部、特需営業課、営業課長の宮下です」

 そう言って、彼女は白く美しい指でそうっと名刺を差し出した。慌ててそれを受け取り自分も名刺を渡す。
 その際、当然二人の距離は近づき、そして俺は思わずごくり、と喉を鳴らした。
 
 何度も言うが、俺は人に会ったらまず胸から確認するタイプだ。
 
 宮下レイカ。
 名刺にそう記された彼女は、白いブラウスに黒いスーツと言う出で立ちで来社していて、よく女性の営業にあるような明け透けな色気を出しているわけでも、胸元を開いて女性をアピールしているでもない。
 しかし、しかしである。
 問題は白いブラウスだ。

 普通の人間がこれを身に着けても特にどうということはない。
 だが。
 こと魔乳に属する人間がこれを身に着けるとなると、話はまったく変わってくるのである。
 
 大きく張り詰めた二つの塊が、布地に完全に包まれながらもその豊潤さを見るものに伝える。うっすら透けて見えるような気がするブラのラインと色。
 大きすぎるふくらみに、ボタンは悲鳴を上げそうなくらい左右の布地にひっぱられていて、いつ張り裂けるかと期た――、不安で気が気でない。
 
 そしてその上に乗っかっている顔はと言えば、娼婦の様に淫靡…というわけではなく、あくまで清楚でかわいらしい、どちらかと言えば幼さを残した容貌。 
 しかし年齢はおそらくアヤ姉と同じくらいであり、子供の純真を内に秘めたまま大人となったような、そんな女性であった。

 俺のすすめた椅子に姿勢よく座る宮下さんは、そんなに姿勢よく胸を張ったら大きな胸が強調されることがわかっていないのだろうか?
 不安そうに眉を寄せ、「この度は本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げる宮下さん。
 
 「あ、いえ。顔を上げてください」

 と俺が言うと宮下さんは姿勢を戻し、その拍子に魔乳ぷるんと揺れた。
 すげー。
 アヤ姉並…。まったくの互角だ。

 「これからは私が誠心誠意、武村主任のお仕事のお手伝いをさせていただきます。どうか。これからもカグヅチをよろしくお願いいたします」
 
 そう言って再び頭を下げる宮下さん。
 今度はさっきほど深く下げてないが、すると逆に、ブラウスの隙間から禁断の胸の谷間が見えるではないか。
 っく。くそ。負けない。負けないよ。俺はおっぱいになんか屈しないよ!

 「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 気がつけば俺はいい声でそう言っていた。
 男って本当に駄目な生き物だと思った。




 「どうだ、宮下は?俺のとっておきだぞ?」
 「部下をエロい目で見るのは止めてください」
 「何言ってんだ。俺は俺の鑑賞に堪える社員を雇う為だけに面接に参加してるんだぞ」

 死ね。セクハラ発言過ぎるわ。

 その日の夕方。俺は石川社長に呼び出されて、近所の焼き鳥屋で酒を飲んでいた。
 社長はこういうとき、キャバクラに行こうとは言わない。
 時と場合を、しっかり把握した人間なのであるう。

 「実は親戚の娘でな。姪にあたる。とは言っても縁故でとったわけじゃない。優秀だから会社に入れたんだ。宮下は冗談抜きで有能な社員だ。これからはあんなことはないと思ってくれていい」
 「まぁ、あれは事故みたいな事っすからいいっすよ。結果的にものが間に合ったわけだし」
 「そう言ってくれると助かるな」

 社長はそう言ってくいっと酒を煽る。
 そのとき、ピピピピと社長の端末が鳴った。
  
 「ん?どうした。あぁ、いや、今武村と一緒だが。ん、いや、まぁいいが。場所はわかるか?」

 ピ、と社長が端末を切る。
 
 「どうしたんすか?」
 「ん?いやな」
 「こんにちわー」
 「へ?」

 がらがらがらっと扉を開けて、一人の女性が店内に入ってくる。
 それはスーツから、ハイネックのセーターに着替えた、宮下レイカの姿であった。
 窮屈なブラウスではなく、ゆったりとしたセーターの中の魔乳を想像して、俺は思わず生唾を、ってそうじゃなくて、なんで?

 「いや、たまたま近くにいて来たいって言うから呼んでやった。営業同士、酒で親睦を深めるのも悪くはないだろう?こいつはかなり飲める口だ」
 「おじさ――、ごほん。社長。私の酒量はほどほどですわ」
 「ま。そういうことにしといてやろう」
 
 ほんの少し頬を膨らませて、宮下さんはするりと俺の隣の席に腰掛けた。
 
 「突然お邪魔してご迷惑でしたか?」

 宮下さんが遠慮がちに上目遣いでそういうのを、迷惑だ何て言える男が存在するとお思いか。

 「いや。ちょうど社長と二人じゃ色気がないなって思ってたとこですから」
 「ほお。いや、まぁ。まったく同感だがな。実はなレイカ。俺と武村は女の趣味がかなり似通っていてな。お前のようなでかい乳の女に目がないんだ」
 
 おい。おっさん。酒は言ってるからってやめろ。セクハラ慎め。あと俺も巻き込むな。
 すると宮下さんは「まぁ」と言って目を丸くして、しかし次の瞬間には微笑をたたえてこう言った。

 「でも良かった。武村さんに嫌われたのじゃないかと不安になっていたから」

 品のいい、甘い香りの香水が僅かに香る。

 子供のように純真だなどと、俺は完全にこの人を見誤っていた。酸いも甘いも味わって、清も濁も飲み込むような大人の女性。
 アルケイックな女神のように微笑む宮下さんに瞳を覗かれて、俺は少年のように鼓動を早くしたのだった。



[25034] 第十九話 エレクトリカルパレード(その1)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/14 00:55
 石川社長と宮下さんと楽しく歓談しながら酒を飲んだ後。
 俺たちは和やかな雰囲気のまま解散することとなった。
 社長がキャバクラに行きたがらないかとはらはらしたがそんなこともなく、逆に「武村の家はここから近いから、レイカ、泊めてもらったらどうだ?」などと、ニヤニヤしながら爆弾発言をして来やがった。
 俺がおたおたしていると、うっすらと頬を朱に染めながら、「私もいい年ですから、軽はずみなことは出来ませんわ」とふぅわりと微笑する宮下さん。大人である。
 
 「あと、5年若かったら…。なんてね」

 そう言って悪戯っぽく笑う宮下さん。
 思わずかーっと赤くなる俺。
 この人に比べたら俺なんて童貞少年と大差ないのかなぁと、そう思わせる、柄にもなくドキリさせられる笑顔でした。

 翌日。
 会社に出社するとメールが来ていた。
 送信者は…宮下レイカ。その字面を見るだけで、昨日の微笑が思い返される。
 内容は、当たり障りのないお礼のメールと…。
 
 『…ということで、「ヴァルハラ」に勤める友人から展示会のチケットを2枚いただきました。今度の土曜日の分です。私としても後学の為是非見に行きたいのですが、生憎趣味を同じくする同僚や友人に恵まれず、もしも武村様さえよろしかったら…』

 展示会の…お誘い?
 しかしまさかヴァルハラとは。
 
 ヴァルハラは、VRゲームメーカーのトップブランド。5年前に誕生し、以来世界のゲームシーンを席巻する、VR(ヴァーチャルリアリティー)ゲームを実現させた「4エンジェルス」の内の一人、マイケル・ディーゼルマンが指揮する超人気ブランドだ。
 その新作展示会はチケットが手に入る確率が、正規ルートでは宝くじも裸足で逃げ出す高倍率であり、転売業者が闇で商う金額など、高級ホテルのスイートルーム並の金額がつくとか何とか。
 俺は大学の時このブランドのゲームにはまり、展示会への応募もしたことがあるが、当然と言うべきか、一度もチケットが当たったことはない。
 そんなチャンスが、まさか夢を忘れた大人になって巡ってくるとは。

 それに。
 
 『展示会のチケットを2枚頂きました』

 これはつまり、宮下さんは俺と二人で展示会に行きたいと言うことであり、それはつまり。
 で、でででででデートという奴になるのではないでしょうか?
 何だろう。
 今更この年になって俺がこんなにうろたえるとは。
 やはり宮下さんのあの大人な雰囲気が、どうにも俺の調子を狂わせている気がする。
 あのアルカイックな微笑。
 大人な余裕を見せる穏やかな物腰。
 私服だと、あの魔乳は一体どんな表情を俺に見せるのだろうか。

 待て!
 危ない。
 危ないぞ、このパターンは。
 
 俺はこの前、ユキの件で痛い目にあったばかりだ。
 流石の俺にも学習能力というものがある。
 俺がおっぱいに流されて、ろくなことが起きた試しがない。
 
 俺は深呼吸をするともう一度メールを読み返す。
 そして心を落ち着けてから、冷静に、そして慎重にメールを返信したのだった。



 第十九話 エレクトリカルパレード(その1)


 
 「ごめんなさい!待ちました?」
 「ぜんっぜん、そんなことありません!」
 
 道路の向こうから手を振りながら走ってくる宮下さん。
 そんなに走ったら、おっぱいが揺れて俺の目が釘付けになるじゃないですか。
 
 一応展示場に招待されているからか。
 宮下さんはドレスアップして現れた。
 その艶姿の魅力を、俺の言葉では微塵も表現できないだろう。

 チャイナドレス風の赤いワンピースに黒い毛皮のコート。
 言ってしまえばそれはそれだけのものだ。

 だが、胸元がばっくりと開いたそのワンピースの赤の色合いは、ところどころに漂う雲のように黒が混じりいれられた夕焼けのような印象を見るものに与え、包み込む姿態の危うさを俺に訴えるようだ。
 ゆったりとしたようで、それでいて所々がぴったりと肌に吸い付くように作られたワンピースの胸元は布地を押し広げるようにふくらみ、二つの果実が互いを押しのけるように作り出すふっくらとした谷間が、今にも毀れ出てきそうである。
 それでいて腰周りはきゅっと絞られて胸のボリュームを強調させ、風にそよぐ様なフレアスカートからは、白い二本の生足がすらりと伸びる。 
 
 俺は自分の文章力のなさを今日ほど呪ったことはない。これでも俺が今目の当たりにした女神の美しさの千万分の一も表現できてはいないだろう。

 普段のスーツ姿とはまた違う、苛烈な色香を見せ付ける宮下さん。
 並みの美人がこれを着たところで、娼婦のような淫靡さを醸し出すのが関の山だろう。
 だが宮下さんがこの衣装をまとえば、そこには知性的なエロチシズムとでも言うべきものが色香を伴って漂う。
 
 「ごめんなさい。支度に時間がかかって…」
 「そんなことないですよ。時間ぴったりじゃないですか」
 「でもお客さんより遅れてくるなんて…。もっと早く来るつもりだったのに」

 そう言ってぺろっと少し舌を見せる宮下さん。

 「ちょっと気合、入れすぎちゃったかな」

 ぐはっ。
 やばいやばい。
 これやばい。
 年上のお姉さんが「失敗失敗」ってな感じで「てへ☆」と笑うその破壊力たるや。
 そんな仕草にもふるると揺れる魔乳と合わさってのダブルパンチ。
 俺が中学生時代なら、この笑顔だけで2時間はトイレから出てこれないであろう。
 理由は聞くな!

 「さ。中はいろっか。楽しみだね」

 そう言ってごく自然な動きで俺の腕を取る宮下さん。
 ごくごく自然に俺の腕に押し付けられるふくらみ。
 っていうか寧ろ膨らみに挟み込まれる俺の腕。
 すみません。
 ちょっとトイレ行って来ていいですか?

 
 「うおおお。すげー…」

 会場内に入って俺は思わず簡単の声を漏らした。
 そこは、俺のようなゲーム好きにはまさに天国と言える光景が広がっている。

 ところ狭し置かれる豪奢なVR用マシーン。 
 新作タイトルを宣伝する巨大バナーやスクリーン。
 ゲームキャラクターを模した格好をしてうろうろするコンパニオン達。
 そして、ゲーム雑誌でしか見たことがなかった天才ゲームデザイナー達が記者団の質問に答えるそのセレブリティ。
 
 これだ。
 これこそ俺が夢にまで見た理想郷だ。

 「ふふふ。楽しそうですね、武村さん」
 「あ、あぁ。ごめんなさい。俺一人で舞い上がっちゃって」

 俺は頭の後ろをかきながら宮下さんにわびた。
 こんな美人を侍らせておきながらどうかしている。
 だがエロスとホビーは別バラである。
 こればかりはオトコノコの本能と言うものだろう。

 「あ。見てみて。デビハンの新作だわ」
 「え?あ!本当だ!」

 俺は宮下さんが指差した先に思わず駆け寄る。

 「デビルハンター」
 
 ヴァルハラが誇る超ロングヒットタイトルである。
 魔神(デビル)と呼ばれる敵キャラを身に着けた武具で倒していくと言う手垢のついたアクションゲームでありながら、その操作性のガチさと、実際の身体能力や神通力によってキャラクターの強さが左右されると言う身も蓋もなさから、コアなゲーマーは勿論のこと、一般のユーザーからも幅広い支持を得続けている脅威のシリーズである。
 ゲームはやらないがデビハンはやる、という人も多い。
 
 デビハンでは魔神(デビル)を倒すとその素材と、変数である種族値が加算され、新たな武具を作る為に一定以上必要になる。
 ほぼ半年に一回新たな魔神が追加され、ユーザーを飽きさせない仕組みになっていた。

 ちなみに俺は、大学時代はさんざはまったが、仕事を始めてからは忙しくてやってない。
 だが動向だけは注目していた。
 今回は、確か種族がひとつ丸ごと追加されると言う超大型アップデートだったはず。
 追加される種族は確か。

 「『剣神族』ですね。従来の人型種族である『悪魔族』よりも更に剣戟に特化した種族だとか。どんなアクションをしてくるんでしょうね」

 俺の隣で宮下さんがそう言って微笑む。いいにおいがして大変に良いですが、ずいぶんお詳しいですね?
 
 「私も昔はまってたので」

 そう言ってにこりと笑う宮下さん。

 ゲームの趣味を共有できる女…だと!?
 どれだけ俺のポイントを稼ぐつもりなんだ。
 俺のライフはもうほとんど残ってないよ?

 俺が必死に宮下さんの攻撃に耐えていると(?)コンパニオンがにこにこしながらこう言ってきた。

 「良かったら体感されますか?」
 「い、いいんですか!」
 「え、えぇ。その為の展示会ですので」

 弱冠引き気味のお姉ちゃんに詰め寄る俺。
 
 「いいですね。やってみましょうよ、武村さん」

 そう言って俺の腕を取る宮下さん。
 腕を暖かく包み込むおっぱい。
 幸せだ。
 俺、こんなに幸せでいいのかな。

 「何て言うか…。俺ここで死んでもいいかも…」

 俺が思わずそう呟いたとき。
 背後から、黒い怨念に似たむき出しの刃の様な言葉が差し込まれてきた。

 「ほう。ならばここで死んでおくか?」

 …え?

 すらっとした美しい姿勢でその人は現れた。
 胸元が開いた絹のドレス姿で現れたその女性を俺はよく知っている。
 多分この人のことは俺が地上で一番良く知っていると言っても過言ではあるまい。
 この人の怒気の大きさもまた…。
 現れた美女に対して、宮下さんは礼儀をこめて一礼する。

 「お会いできて光栄です。匣崎CEO。私カグヅチの宮下と―」
 「悪いが女史。私は今、そこのわが社の社員と話している」
 「あら、お言葉ですが社長。今はプライベート。それに、武村さんは私がご招待したのですわ」
 「…ほお。成る程。いい度胸をしている」

 ぶわっと広がるアヤ姉の気。それを涼しい顔で受け止める宮下さん。彼女が一般人でよかった。少しでも神力を感じ取れる人間なら卒倒していてもおかしくない。
 現に俺は意識を持っていかれる寸前である。

 あぁ、神様。
 俺もうゲームもおっぱいもいりません。
 だから。
 もう家に帰していただけませんか?

 「武村主任。私か、この女か。いますぐどちらか選びたまえ!」

 家でクリスと遊んでいるはずのエルピスが、何故だか無性に恋しくなったのだった。



[25034] 第二十話 エレクトリカルパレード(その2)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/19 13:51
 「では、ゲームをしましょう」
 「はぁ?」

 さて状況を整理しよう。
 俺こと善良な一市民であるタケちゃんは、ふとしたことから仕入先の担当者と一緒に、まったく健全で向学心に溢れる動機によってゲームメーカーの展示会を視察することになった。土曜日にまで仕事なんて頭が下がるねっ。
 そこに現れたアヤ姉。なにやら全身から湯気のように怒気が立ち上っていることから推察するに、何かを決定的に勘違いしているようだ。 
 いけないいけない。
 昔からアヤ姉ったらお転婆だからなぁ。
 よーし。
 タケちゃんが今からその誤解を解いてあげ――
 
 「武村主任。今すぐその不快な独り言を止めろ」
 「イエッサー!」

 気がつけば俺はびしりと敬礼をしていた。
 場所が許せば土下座していたかもしれない。俺も慣れたものである。
 アヤ姉はふん、と鼻を鳴らすと小蝿を見るような目で俺を一瞥した後、宮下さんに向き合った。

 「で、どういうつもりだ?」
 「ですから、ゲームをしましょう。このデビハンは武村さんが昔から好きなゲームなんです」
 「だから、なんでそうなる?」
 
 宮下さんの大人の対応にどうにもペースが狂うらしい。アヤ姉が不機嫌にそう言うと、宮下さんは透明な笑みを浮かべて言葉を続けた。

 「だって、社長仰ったでしょう?あなたと私と、武村主任にどちらか選ぶようにって。でも、男の人って優柔不断だわ。だからゲームで決めればいいんじゃないかなって」
 「くだらん」
 「あら。自信がないの?」

 宮下さん。あんたどんだけ度胸あんの?いや、胸が大きいのはわかってましたけど。心臓が鉄筋で出来てんじゃないですか?
 だがこの人はこう見えても世界に冠する大企業、パンドラのCEOである。
 如何なアヤ姉と言えどこんな安っぽい挑発に乗るはずが――

 「くだらんと言っただけだ!やらんとは言ってない!」

 あったよ!
 ばりばり挑発に乗せられてるよ!
 宮下さんが何かしてやったりって感じで俺に向かって微笑んでいる。
 すみません。
 その人うちの社長なんですけど。

 宮下さんはしかし俺に向かって、声に出さず口の動きだけで「大丈夫」と言った。いや、グロスで艶やかな唇の動きがエ――、綺麗なのはわかったんですが、何が大丈夫なの?
 …そうか!
 言われて見ればそうである。
 デビハンはMOの要素があるVRアクションゲーム。
 協力してプレイすることはあっても、プレイヤー同士が競い合うようには出来ていない。
 どうやら宮下さんはゲームに誘うことによって、社長の悋気をうやむやにしようとしてくれているらしい。
 何て気が使える人なんだ!
 美人で巨乳で趣味に理解があって空気も読める。
 ちょっとこの人本気で優良物件なんじゃないの?

 「ふふふ。泥棒猫め。誰がタケちゃんに相応しいか、その身の敗北をもって証明してくれるわ!」

 あと、アヤ姉は意外と悪役台詞が似合います。
 


 第二十話 エレクトリカルパレード(その2)



 目を覚ますと、俺は草原に立っていた。
 風が膝丈ほどの緑の草をさわさわと鳴らしている。
 
 「久しぶりだと、慣れないな」
 
 俺はそうひとりごちて、自分の体を眺める。
 人間剣士を選択した俺の体は、初期装備のライトアーマーを着込み、ラウンドシールドと片手剣を腰に下げている以外、普段と外見的変化はあまりない。
 それは、これがヴァーチャルリアリティー空間であることをしばし忘れさせるほどのリアリティーである。

 神話的埋設物の恩恵をふんだんに使ったこのVRシステムは、当初から多くの人間を魅了した。本人の体はリクライニングシートでヘルメットをかぶっているだけで、その精神がファンタジーな冒険世界で活躍できるのである。俺のようなゲーマーにとって、それは夢が実現したに等しい。
 中には、旧世紀に流行った小説だかを引用して、意識が戻らなくなる危険性がうんたらかんたら言う輩もいたが、当然そんな問題は一度も起こらなかった。
 そういう小説によくある、ログアウトのボタンが見当たらないとか、黒幕が犯行声明をあげるとか、そんなのフィクションの中の話である。
 
 VRゲームはその後さまざまな分野で発展したが、ヴァルハラのデビハン程、多くのコアなファンを持つゲームを俺は他に知らない。俺をはじめ、多くの人間の熱狂がデビハンを支えてきたのである。
 
 「あら、武村さん。設定早いですね」
 「ほとんど何もいじらなかったですから」

 そうこうする内に背後から宮下さんの声が聞こえた。
 宮下さんはじゃらじゃらと装飾品がたくさんついた黒いビキニ水着のような格好をしている。
 ぶっちゃけかなりいい。
 魔乳の人にビキニとか着せたら本当に駄目です。
 今にもぽろりと行きそうなほど布地が小さいのに、背中には足首まで届きそうなマントを羽織っている。
 そしてよく見れば宮下さんの髪の毛は見事な金色に染まっていて、耳が気持ち尖っている。
 
 「エルフ魔導師にしました。アクション、あんまり得意じゃなくて」

 そう言ってえへってな感じで微苦笑する宮下さん。
 かわいすぎて持って帰りたいくらいです。

 「た、たたたたたたタケちゃん!」
 
 おおっと、忘れてた。
 めちゃくちゃてんぱった声に俺が振り返ると、そこにはビキニどころか薄布一枚を器用に使って胸を下から救い上げるようにして首の後ろから結わえただけの、もうぽろりどころかほとんど見えてると言っても過言ではない格好をしたアヤ姉の姿があった。
 下半身は足元まで長い布が伸びているが、あの後ろがTバックのヒモパンであることを俺は知っている。そしてすらりと伸びるふとももが、太陽のひかりを反射してむしゃぶりつきたいくらい素晴らしい。いつもの白い肌でなく、健康的に日焼けした今の肌の張りもなかなかいい。
 じゃなくて。

 「…アヤ姉。なんでダークエルフ舞姫なの?」
 「だって!よくわかんなくって!」

 よくわからないという理由でデビハン史上もっとも恥ずかしいといわれるコスチュームを選ぶとは…。さすがアヤ姉!ぐっジョブである!
 何せ布でメロン包んでぶら下げているに等しい状態である。
 ほんの少しの動きで揺れる揺れる。
 神域でも換装してるわけでもないこのVR空間では、女性は恥ずかしい格好をすれば普通に恥ずかしいのである。
 両手なんかじゃぜんっぜん隠せない巨乳をひっさげて真っ赤になって身をよじるアヤ姉。
 本当にご馳走様です。

 「た、タケちゃん、何とかして!」
 「いや、どうしろと!」

 どうにか出来てもぜったいしません。
 俺がそんな駄目な決意を固めてアヤ姉の胸をガン見してると、突如目の前にウインドゥが表示されて来てびびった!

 『ゲームは体験版モードです。戦闘デモを開始します』

 「お、いきなりか」
 「来ますね」
 「へ?えぇ?」

 アヤ姉が状況を飲み込めずにきょろきょろしていると、突然何もない空間にジジジと音を立てて、身の丈3メートルはありそうなデカイ鋼鉄の巨人が出現した。

 「おおおおお!すげー。これが新実装の!」
 「剣神族ですね」

 それは全身が鋼鉄で出来た巨人だった。動く鎧というのが正しいかもしれない。ただしその両腕には五本の指の代わりに分厚い刃が設えられている。
 全身武器の生物兵器。
 それが剣神族の触れ込みである。

 意識をフォーカスすると、ボティスと表示された。それが、どうやらこのデビルの名前であるようだ。

 「折角だから勝ちたいわね」
 「了解!」
 「え?これ、え?どうするの?ゲームなんでしょ?コントローラは?」
 
 アヤ姉。あんたは一体何時代の話をしてるんだ。
 混乱するアヤ姉を尻目に、ボティスはすさまじい速度で二本の両手を振り回して来た!

 「おお!」

 完全に俺の反応の意表を突いた!
 見たことのないアクションに俺はラウンドシールドを構えて何とか防御する。
 ガキンと音がしてそのまま大きく後ろに弾かれる。

 「タケちゃん!」
 「大丈夫!」

 アヤ姉が心配してそう叫ぶが、これはゲームの世界。別に痛みとかはないのだ。ただ盾を握っている手がびりびりと痺れている。
 さすが新実装。今までのデビルとはぜんぜん動きが違う。

 その時。
 天から雷が降ってきてボティスを貫いた。

 「宮下さん?」
 「呪文の詠唱、何とか覚えてました」

 そう言ってにこりと笑う宮下さん。
 このゲーム。
 魔導師は一言一句正確に、ながったらしい呪文を詠唱しないと魔法が発動しない。ちなみに魔法の威力は持って生まれた神通力に左右されるらしく男の魔導師はたいてい弱っちい。宮下さんの魔法の威力は中の上と言ったところか。

 やや黒くこげたボティスが、宮下さんに狙いを変える。俺は立ちふさがるように宮下さんの前に立ち、盾を構えた。

 「詠唱を!」
 「わかったわ」

 宮下さんに呪文の詠唱を促したのと、ボティスが再び剣を振るったのは同時だった。
 早い!
 だが二度目なら何とか対応できる。
 悪魔の様な剣戟を、俺は盾と剣とで何とか捌く。
 失敗した。
 騎士にすればよかった。
 小回りが聞くから片手剣が好きだが、これだけ剣戟が激しいと反撃の隙がない。
 
 だがそこに。

 「よくもタケちゃんを!」

 突っ込んでくる一陣の風があった。
 舞姫。
 全職業中もっとも移動速度の補正が早いその特色を差っぴいても、アヤ姉の動きは早すぎる。
 
 「神通値の補正か!」

 神通値をスキャンしてゲーム内のキャラクターに反映させると言うふざけたシステムを持つこのゲームでは、女性のほうが相対的に有利ではある。
 だが、ここまででたらめなスペックの人間はそうそういない。

 「うぉぉぉぉぉぉ!」
 
 腰から二本の剣を抜き去り、両手に持った鋼鉄の塊を易々と振るうアヤ姉。
 ぶるんぶるるんと乳が揺れたり尻が見えたりするのもかまわず、持ち前の剣技に裏打ちされた圧倒的な膂力でボティスに迫る。
 
 「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 
 一刀で相手の剣を弾き。
 一刀で脚を切りつけ。
 返す刃で胴を薙ぎ。
 袈裟がけの一撃が膝を裂く。

 流れるような一連の動きに、ボティスが思わず膝をついた。

 「終わりだ!」

 二つの剣を交差するように振るうアヤ姉。
 俺にかろうじて見えたのは、切り飛ばされて草むらに落ちたボティスの首だけであった。

 「す、すごいわね」
 「どんなチートだ…」

 アヤ姉はボティスを倒すと、俺に向かって走ってきて、怪我はない?大丈夫?痛いとこない?と甲斐甲斐しく世話を焼く。
 まぁずたぼろになったのはゲームバランスだけなので俺に怪我はない。この神力補正なんとかしないとやばくない?まぁアヤ姉みたいのは世界に百人もいないとは思うが。

 「私の負け、かな」
 「え?」

 宮下さんが小さく呟いた。
 小さく微笑みながら俺にウインクしてみせる。
 ドキ、と心臓が高鳴った。

 「さぁ。この辺でログアウトしよっか。システムウインドゥを呼び出して…」

 宮下さんに続いて俺もウインドゥを呼び出す。
 アヤ姉にも同じことをさせる。
 そしてウインドゥの一番下にはゲーム終了というコマンドが――

 「え?」
 「な、ない!?」

 ない。
 どこにもない!
 終了のコマンドがない!
 どういうことだ。
 新実装で仕様が変わったのか?

 俺と宮下さんが困惑していると(アヤ姉も何がなんだかわからないというレベルで言えば困惑していた)、突然空にでかいおっさんの顔が投影された。

 「ははははは!聞こえるか!このゲームは俺たちが占拠した!」

 そのまま高笑いをあげるおっさんの顔。
 おい。
 これなんてテンプレ?



[25034] 第二十一話 エレクトリカルパレード(その3)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/26 17:28
 初めに言っておく。以下読み飛ばし可。

 「我々人類解放戦線は神などという偽りの救いから人々を解放し人間が自らの技術と英知に拠って文明を作り上げる健全で平和な世界を作るべく日夜活動しているこの世界は科学者や資本家が神と呼ぶ得体の知れないモノの為にあるのではなく真実人類の為にあるのであり我々は便利さと快適さという魔物と戦って人の手にこの世界を取り戻さなくてはいけない今日この場で催されしイベントは娯楽が神などと言うものに侵食され人々を堕落させる麻薬と化したものであると私は確信する正しい人類の文明はこんな風に腐敗したりはしないのだ我々はこれを占拠し世界政府がこちらの要求を呑むまで断固として――」

 と言うようなことを、宙に浮かぶおっさんの顔が延々と繰り言のようにしゃべり続けた。そのすべてを聞いてはいられないし、おっさんの出番など少ないに越したことはないので、その主張は以下のように纏めさせてもらおう。

 ①神話的埋設物を使っちゃ駄目☆
 ②ゲームは人間の脳をスカスカにするよ☆
 ③けしからんゲーム会場を占拠してゲーム中の人間を神理的に隔離したよ☆
 ④人質の命が欲しかったら世界政府は神話的埋設物の使用を制限する条例を…

 「阿呆か」

 自分が如何に恥ずかしい格好をしているかも忘れて、アヤ姉が宙に浮かぶおっさんに向かって罵声を浴びせる。
 まぁ気持ちはわからんでもない。
 こういう連中って人類解放とか言いながらなんで人質盾にして要求通そうとするんだろう?
 あと何で世界政府にそんな権限があるだなどと夢想出来るのだろうか。
 そんな幻想は当の政府本人だってもう諦めているだろうに。

 神話的埋設物の発掘されなかった世界がどういう世界になるのか俺は知らない。だが、タラレバの話で現状を悲観する奴を、俺は好きではない。

 しかし彼らにとって非常に幸運なことがある。ここに経済界の怪物パンドラのCEOがいることだ。これは結構やばい。アヤ姉がどう思っていようと、パンドラという会社はCEOの救出を第一に政府に要求するだろう。パンドラが保有する実行部隊も動き出すかもしれない。俺やアヤ姉の身体が自由に動けば話は別だが、俺たちの身体はすやすやとリクライニングソファーでお休みになっている。そして覚醒するためのシークエンスはどっかの誰かさんの手に握られていると。

 「た、タケちゃん。私の体って…」

 アヤ姉が急にはっとして俺を見る。アヤ姉の心配はわかる。無防備な自分の体が危険な目に遭わないかという疑問だろう。危害が加えられないまでも、俺ならソファーで無防備に眠ってる魔乳の美女がいたら間違いなく襲い掛かる自信がある。
 だが…。

 「ハラスメント行為は強制的に覚醒シークエンスの開始を促します。これは完全に独立した機構なので彼らも掌握できていないはずです」

 宮下さんが宥めるようにそう言って、アヤ姉がほっと大きな胸をなでおろした。だが不安がないわけではない。たとえば癇癪を起こした犯人がいきなり鉄砲でずどんと撃ってきたら。
 それは覚醒シークエンスなど間に合わない一巻の終わりである。
 こんなところで旧世紀のSF作品の様なノリで、俺たちは命を試されようとしていた。


 
 第二十一話 エレクトリカルパレード(その3)



 あれから30分。おっさんはまだしゃべり続けている。いい加減にしてくれないだろうか。少しは有益な情報があるかもしれないと耳を傾け続けている俺に身にもなってはどうだろうか?

 「…ということで私が女神のように慕って初恋というにはあまりにも崇高な思いを抱いていた保母さんは神などというくだらんものを研究する男と結婚し私はその時彼女のような美しい女性が邪悪な思想の毒牙に…」

 かんっぜんに私怨じゃねぇかよ!
 しかも保育園時代の話かよ!いい加減大人になれよ!
 
 「タケちゃん。これ、いつまで聞いてないといけないんだろうな」
 「開放されるまで、でしょうか…?」

 それはいかにもぞっとしない。
 どうしよう。取り敢えずここから移動してみようか。
 他のフィールドって一応実装されてんのかな?
 
 「我々は断固としてそれら資本家の野心と悪癖に…ジジジジジジ…どうして…ジジジジジ…い…ジジジジジジ…」
 「なんだ?」

 俺たちのうんざりした思いが通じたのかどうか。
 おっさんは徐々に古い旧世紀のブラウン管テレビの様に揺らぎ始め、音声もまただんだんと遠のいていく。
 次第におっさんの影は薄れていき、代わりにおっさんの顔があった場所に少しづつ亀裂が走っていった。

 「空に…ヒビ?」
 「誰か、外部から進入しているのか…?」

 アヤ姉の推測が正しそうだ。
 空に浮かんだヒビからはにょきりと一本の腕が生えてきて、強引に電脳空間を押し広げると黒い執事服姿のイケメンが飛び出してきた。

 「って、セバスチャンか!」
 「お困りのようですね。おぼっちゃま」

 中空からの着地をものともせず、すたりと飛び降りたのはかつて亜神域の中で母さんが呼び出して見せた、我が家のデジタル執事の姿であった。

 「お、お前どうやって…」
 
 俺が驚きをもってセバスチャンを迎えると、アヤ姉と宮下さんはもっと驚いて口をあんぐりと開けていた。
 美人はそんな表情も色っぽくていいと思う。
 そんな美女たちに爽やかな笑顔を浮かべた後、セバスチャンは俺に向き直って質問に答えた。 

 「無理矢理入ってきました。しかしいささか無理が過ぎましたね」

 そう言うセバスチャンの体が時折ジジジと音を立ててかすれる。
 神理的ネットワークにはラプラス型のセキュリティホールが存在するから、そこを経由して入ってきたのだろうが、こうしている間にも異物としてセキュリティに攻撃されているに違いない。
 だがセバスチャンは苦しそうな顔ひとつ見せずに(当たり前だが)たんたんと話を続けた。

 「長くは持ちませんので単刀直入に申し上げます。現状は理解していらっしゃるとは思いますがあまり芳しくはありません。おぼっちゃまが神理的に隔絶されたのを感知した私が即座に走査しましたが、残念ながらこの施設は物理的に掌握されており、物理的障害を排除しませんと侵入は不可能です」
 「お前の力で俺たちを起こせないのか?」

 起きてしまえばこっちのものである。隙を見て逃げ出すくらいのことはできるだろう。
 しかし俺の問に、セバスチャンは残念そうに首を振った。

 「起床シークエンスは敵方に掌握されています。仮にも人間の健康状態に関わるデリケートな制御系である為無理矢理侵入したくはありません。ベストな方法は、内側から脱出していただく方法です」
 「内側?」
 「そうです。実はこうしてる間にも、この仮想空間内のある座標に事故時の強制起動シークエンスへのアクセスコンソールを設置しています。あ、今完了しました。システムの走査を掻い潜って作業をしている為、今この場所に設置できなかったことはご容赦を」
 「すげーな!そこに行けばここから出られるんだな?」
 「そうなります」

 流石はセバスチャン。頼りになる。

 「それで、その場所はどこなのですか?」

 半信半疑と言った表情で宮下さんがセバスチャンにたずねる。
 セバスチャンは一礼してから「しばしお待ちを…」と一度目を瞑った。

 「検索いたしました。その場所は座標で言えばX122Y344の地点です」
 「わかんねぇよ」
 「左様で。ではこのゲーム内の呼称に従いますと…」

 そう言って再度瞑目し、やや間を空けてからセバスチャンがその場所の名をのたまった。

 「剣神族の魔王城、その王の間ですね」 

 …。
 今、何て言った?

 「魔王城?」
 「魔王城」
 「魔王ってあの魔王?」
 「存じ上げませんが、恐らくその魔王かと」

 存じ上げねぇのになんでその魔王ってわかんだよ!

 「…つまりこういうことですか?武村さん」
 
 宮下さんが引きつった表情で俺に問うてくる。
 すみません、宮下さん。
 何が言いたいか分かるんで言わないでもらえます?

 「この世界から出る為には新実装の剣神族、誰も戦ったことがないその魔王を、倒さないといけないと?」
 
 残念ながらその通りかと思われます。

 「なんでそんなややこしい所に作ったんだよ!」
 「いや、障害となるだろう敵性キャラクターが一体しかいなかったのでやりやすいかと」
 
 そりゃあ一体しかないないだろうけども!
 そいつ現時点でこの世界最強だから!

 「取り敢えず装備を何とかしろ。アイアンソードじゃ絶対勝てない」 
 「分かりました。…はい。優先度の設定が高い順に、武具データをいくつかあなたがたのレジストリにコピーしました。ご確認ください」

 うわ。なにこのエクスカリバー99個って。夢も節操もねぇな、おい。
 だがまぁ…。

 「すごい…。レア武器が軒並み揃ってる…」

 宮下さんが驚嘆の声を漏らす。そう。これだけの装備があり、アヤ姉の神通値があれば、攻略はそれほど難しくないかもしれない。

 「では時間との勝負です。可及的に速やかに…ジジジ…おっと。私にも時間が来たようです」

 そういうセバスチャンの体に大きくノイズが走る。

 「わかった。取り敢えず急ぐとするわ。極力自力で何とかするけど、外から何とかできるようならしてくれよ」
 「わかり…ジジジジ…ま……ジジジ…プツン」
 「うおっ」

 言葉を言い切らないまま、セバスチャンが虚空に掻き消える。
 後に残された俺たちに、草原の風が冷たく染みるのであった。


 ◆◇◆◇◆


 「本当にこの格好じゃなきゃ駄目?」
 「駄目。ここから出たいんだろ?アヤ姉」
 「うぅ…」

 何やらキャラ崩壊しているアヤ姉が泣きそうな顔で俺を見ている。
 草原から手近な街に移動した俺たちは、取りあえずセバスチャンにもらった防具を身につけることにした。
 戦闘エリアでは防具を着替えることが出来ないからだ。

 アヤ姉に俺がすすめた防具はレア度12の舞姫の最強防具のひとつ、ベリーシリーズ。
 ちなみに俺的見た目度トップレベルの一品である。

 アヤ姉が恥ずかしそうにしゃがみこんで俺をねめ上げているのもポイント高い。
 ベリーシリーズは舞姫専用防具。胸を持ち上げて鼻血が出そうな丸みを強調する黒いブラから幾筋もの金のチェーンが垂れ下がり、腰から下は同じく黒のシースルーの腰布が、やはり金のチェーンをあしらわれて風にたなびいている。
 シースルーなのですらりと長い太もものラインが透けて見えるが、しかしはっきりと見えないところが裸よりもいやらしい。
 ひじから先は背中までを覆うやはりシースルー地の黒いヴェールで包まれていて、まじめに押し倒したくなるくらい色っぽい。
 うん。俺、ここにこれてよかった。ここで死んでも悔いはないかもしれない。
 
 「本当の本当の本当に駄目?」
 「駄目だったら」

 うーん。普段のアヤ姉の換装姿の方がよほどきわどい気がするが、換装中は神理的作用で高揚感が羞恥心を上回るからな。裸よりコスプレする方が恥ずかしいということもあるかもしれない。

 「おまたせしましたー」

 そこに、宮下さんが衣装を着替えて着替え部屋から出てきた。
 その姿を見て俺は思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 「どう、かな?」

 はにかむ様に微笑む宮下さん。
 いや、どうもなにも…マーヴェラスです!

 宮下さんが着ているのは魔導師の最強装備のひとつウィスダムシリーズ。
 ぶっちゃけ白いハイレグ水着一枚という男の夢のような装備である。
 ハイレグ水着とは言えその材質は鎧っぽい何かではあるが、胸の下半分に横向きにスリットが入っているため豊かな下乳が丸見えという恐ろしい仕様である。俺たち男性プレイヤーには下乳観賞用スリットと呼ばれている。
 またお臍のあたりもばっくり開いていて、形のいい縦長の亀裂が美しい。
 ちなみに肩口から指先までは白い鎧に包まれ、太もももの付け根辺りまで覆われた白いブーツはガーターベルトのようなものでハイレグと繋ぎあわされている。
 頭にちょこんと乗せられた小さめの帽子が、どことなく純真さを表現していて何とも…。
 エロイ。 
 ウィズダムがデビハンきってのエロ装備と言われるゆえんである。

 その場でくるりと回った宮下さんのお尻がきゅっと締まって俺を誘惑している。犯罪者になってもいいからむしゃぶりつきたくなるエロイ体である。
 
 「っく!何をしているタケちゃん!行くぞ!」
 「は?でもアヤ姉。装備…」
 「これを着ればいいんだろう、着れば!どうせ、男はタケちゃんしかいないし、その…。(ボソ)見たければ見ればいいじゃない」
 「え?何?」
 「さっさと行く!」
 「は、はい」

 そう言うとアヤ姉がすたすたと先を歩いていく。シースルーのスカートに透けてTバックのお尻がぷりぷりして見えて大変に目の保養になりますね。
 
 「じゃ、いこっか」
 「えぇ」

 俺は釈然としないながらも下ち…、宮下さんの言葉に従って歩き始めた。
 目標は魔王城。
 前人未到の剣神族の魔王打倒である。



[25034] 第二十二話 エレクトリカルパレード(その4)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/03/21 09:26
 デビルハンターというゲームについて少し話しておこう。
 デビハンはMO要素を持つVRゲームであり、複数のプレイヤーが協力してデビルと呼ばれる敵性キャラクターを倒すことが醍醐味だ。
 通常は最大4人のパーティーを組むが、魔王級と呼ばれるボス敵と戦う時には、同盟と呼ばれる組織を作り、最大30名のキャラクターで戦うことが出来る。

 魔王級とは、それぞれの魔神族の筆頭たる魔王と、数名の幹部達からなり、ソロプレイどころか4人パーティーでも早々歯が立たない。デビハンにおいてはその辺の雑魚キャラと魔王級の間には天と地ほど開きがあり、そして、魔王級の中でも魔王とその配下との間には厳然たる力の差がある。
 ゲーム故に繰り返し挑むことが出来るが、一度敗れたプレイヤーは拠点と呼ばれる宿のある街にまで戻される。

 今回の俺たちに、敗れた後再度魔王に挑む時間があるかはわからない。であれば最速で魔王城に乗り込み、魔王級を仕留め、魔王に挑むことが重要、ではある。
 それはそうなんだけど…。


―魔王城城門。

 「うおっ。これが剣神族の門衛かっ。全身金属で出来たこいつ自体が鉄の門みたいな敵だ!気をつけろ、アヤ姉。相当防御力高い――」
 「うりゃあああああああ!」
 「うわぁ。綺麗に真っ二つですね」
 「…」


―魔王城ホール。

 「でたなぞろぞろと。奥にいるのが恐らく魔王級の一柱だ。全身に炎を纏う灼熱の魔神だな。アヤ姉。俺たちで雑魚を押さえている間に、宮下さんに氷系の詠唱を――」
 「うりゃああああああああ!」
 「あ、さくっと斬り倒しましたよ。さくっと」
 「…」


―魔王城螺旋階段。

 「っく。この足場が悪いところに次の幹部が!脚の代わりに剣が生えたでかい百足とは恐れ入った!アヤ姉。ここは一旦体勢を整えて――」
 「うりゃああああああああ!」
 「…のた打ち回ってますね。百足」
 「…」


 「あのさ。アヤ姉」
 
 俺は獅子奮迅の活躍をするアヤ姉を呼び止める。
 確かにいい。
 アヤ姉が活躍するところにゆれる乳やふとももあり。
 それは確かにいい。
 だが。

 「どうした?早く先に進むぞ。一刻も早く身体の自由を取り戻さなければ」

 そう言ってすぐに先に進もうとするあや姉の剥き出しの肩を、俺はがしりと掴んで笑顔で言った。

 「自重しろ」
 「何を!?」

 びっくりするアヤ姉の後ろで、宮下さんが苦笑いしていた。
 マジ、チート自重。



第二十二話 エレクトリカルパレード(その4)



 デビハンのゲームバランスと俺のゲーマーとしての自負とかが崩壊寸前ではあるが、俺たちは何とか魔王城に辿り着いた。
 最初から最強装備の上に、神力が桁違いのアヤ姉のおかげで、この後無事にロールアウトしても絶対に超えられないだろう最短記録が出来たと思う。
 
 「行くぞ」
 「うん」

 ぎぎぎぎぎぎと音を立てて巨大な扉が開く。
 剣神族の魔王城。
 その魔王の間に、今回のアップデートの目玉とも言える大ボスが、玉座に座ってこちらを見ていた。
 でかい。
 獣神族の魔王には劣るが、それでもかなりの大きさだ。目測で20メートルはあるかもしれない。全身を青い金属鎧で覆い、八本の腕にそれぞれ大剣を握っている。
 明らかにこれまでの魔王級とは一線を画している。
 倒せるのか?
 初見でこの前人未到の魔王を?
 俺の背を、初めて悪寒が通り過ぎた。

 「アヤ姉、さすがにここは慎重に…」
 「うりゃあああああああ!」

 聞いちゃいねー!
 俺の言葉をその背に受けて、黒いヴェール腰に引き締まったTバックの尻を見せてアヤ姉が駆ける。
 両の手に握った一対の剣が、玉座から立ち上がる魔王の足を狙って切りつけられる。

 ギィン!

 「くっ」
 
 アヤ姉の一撃が弾かれる。八本の剣の一本が、掬い上げるように繰り出されてその剣を弾いたのだ。
 
 「アヤ姉!」
 「大丈夫だ」
 
 その場でくるりと転がって、立て続けに繰り出される魔王の剣を避けるアヤ姉。
 援護の為に、俺はそのうちの一本に手にもつ片手剣で斬りつける。

 ギャイン!

 「うおっ」

 硬い。そして重い!
 何とかその剣を跳ね飛ばしはしたが、反動で俺の重心が後ろにもっていかれる。
 やば…。

 「雷光槌(サンダーアンカー)!」

 その時、光の鉄槌が魔王を劈く。
 宮下さんの魔法の一撃が、魔王の鋼鉄の身体を捉えたのだ。
 
 「ありがとう!助かった」
 「どうしたしまして」

 水着に切り込まれたスリットから覗く下乳を揺らしながらにこりと笑う宮下さん。その表情に、しかし余裕はあまりなさそうだ。

 「アヤ姉」
 「あぁ」

 俺はアヤ姉に駆け寄りながら声をかける。
 魔王は硬直状態から開放され、八本の腕を見せ付けるように優雅に動かし始めた。

 「俺があいつの剣戟を捌くからその隙に懐に入ってくれ」
 「いけるのか?」
 「盾があるから何とか。その代わり直ぐに仕留めてくれよ」
 「わかった」

 アヤ姉がそう言って二本の剣を構える。
 黒いブラからこぼれる褐色の巨乳をチラ見してから(素晴らしい)、俺は後ろの宮下さんに聞こえるように声を張り上げた。

 「突貫します!魔法の援護を!」
 「!?わかりました!」

 言うが早いか。
 俺は床を蹴って走り出した。
 
 俺の攻撃力で突破は無理だった。
 剣一本弾くのにあの体たらくでは懐に入ったところで役に立てるかどうかは分からない。
 であればアヤ姉の為に、何とか道を作るしかない。

 突っ走ってくる俺に向かって余裕の動作で剣を振るう魔王。
 その剣の一本に、突然青い光が打ち込まれる。

 「氷爆弾(フリーズボム)!」

 宮下さんの魔法の一撃が魔王の剣を凍りつかせる。
 突然のことにバランスを崩した魔王の剣の一つを、俺は重心を落として盾で弾く。

 ガン!

 反動でのけぞりたたらを踏む魔王。
 その脚の一本を俺の片手剣が浅く切りつける。

 だがそこは魔王。
 バランスを崩しながらも俺に向かって二本の剣が迫る。

 「ぐっ」
 
 ニ剣の一撃を盾で受ける俺。
 受けたというのは適切な表現ではないかもしれない。
 その威力を殺しきれず、後方に壁に叩きつけられた。

 「武村さん!」

 宮下さんの悲鳴が響く。
 と同時に。

 「キシャアアアアアアアアアアアアアアア!」
 
 金属に金属をこすり付けるような、不快な音で魔王が苦悶の悲鳴をあげた。
 瞬時に懐に入ったアヤ姉。その一撃が魔王の腕の一本を切り飛ばしていたのだ。

 「っく。宮下さん、呪文!」
 「重雷剣(サンダーボルトチャージ)!」

 既に詠唱に入っていたか。
 宮下さんの呪文が魔王を貫く。

 「キシャアアアアアアアアアアアアアアア!」
 
 ぼろぼろと青い鎧がはがれている魔王。
 よし、ここまでくればもう少し。
 この調子でアヤ姉が戦力を落として宮下さんが呪文を――。

 「きゃあ!」

 俺がそう考えた矢先だった。
 魔王の剣の一本が、宮下さんに向かって振り降ろされる。
 馬鹿な!魔王本体は硬直中なのに…。

 そう。魔王本体は魔法の直撃を受けて硬直中。宮下さんを捉えたのはアヤ姉が切り飛ばした魔王の腕だった。

 「宮下さん!」
 「あうっ!」

 可愛い悲鳴を上げて宮下さんが吹き飛ばされる。
 ゲームだから痛みはないが、巨大な剣に斬られる衝撃は慣れないとなかなかしんどいものだ。
 俺が駆け寄ろうとしたとき、魔王の腕から何かが飛び出してきた。

 「百足!?」

 そう、それは百足だった。
 魔王級の幹部よりは一回りほど小さいが、あれとそっくりの百足。
 それが、魔王の鋼鉄の腕から3匹ほどぞろぞろ這い出てきたのだ。

 「こいつ、百足の集合体か!」

 嫌なコンセプトの敵である。
 だがデビハンに置いて多肢モンスターはそれを一本一本切り落としていくのが王道の攻め方である。それを逆手に取ったいやらしい敵といえるかもしれない。

 「き、気持ち悪い!」

 宮下さんが白い肌を震わせながら大きく後ろに退く。
 それを追って百足が追いすがり、

 「っく。氷爆弾(フリーズボム)!」

 青い光が二匹の百足を凍りつかせた瞬間、その後ろから魔王本体が躍り出た。

 「しまっ――」

 魔法を使った魔導師の宮下さんに対抗手段はない。
 宮下さんが後ずさろうとすると、氷の魔法から逃れた百足の一匹が、宮下さんの剥き出しのふとももに巻き付いて動きを止めた。

 「うそ!」
 「宮下さん!」

 間に合わない。
 魔王の剣のうち実に三本が宮下さんに向かって繰り出される。
 走り寄ろうとする俺の動きを残りの剣がけん制する。
 
 「宮下さん!」

 正にその一撃が宮下さんを真っ二つにしようというその時。
 凄まじい速度と膂力でそれらを弾き飛ばした人がいた。
 
 「は、匣崎社長…」

 宮下さんが信じられないものを見る目でアヤ姉を見る。
 
 「まさか、社長に助けられるなんて…」

 そういうゲームですから。

 「ふん。私情にかられて目的を失うほど私は愚かではない。それに、お前がいないと、あれを倒すのに骨が折れそうだ」
 「匣崎社長…」

 褐色の乳を震わせながら野太い男前の笑みを浮かべるアヤ姉と、百足にその脚を絡め取られながら頬を染めてそれを見上げる宮下さん。
 おい。アヤ姉何か立てちゃいけないフラグ立ててない?
 …まぁいっか。
 
 「キシャアアアアアアアアアアアアア!?」

 その隙に!
 俺は魔王の後ろ脚を切りつける。
 バランスを崩した魔王はそのまま尻餅をつくように倒れこんだ。

 「アヤ姉!」
 「よし!さすが後ろから攻撃されたらタケちゃんの右に出るものはいないな!」

 もっと言い方はないのか。

 シャラシャラと金の鎖を鳴らしながら、褐色の肌の踊り子が舞い上がるように魔王を追い詰める。美しい。俺はその姿に瞬時見とれてしまってぶんぶんと首を振る。
 その後ろに、ぽうっと頬を赤くしてアヤ姉を見る宮下さんが見えた。
 あの、百足取った方がいいんじゃないですか?

 「これで終わりだ!」

 アヤ姉の二本の剣が、倒れて体勢を低くした魔王の首を射程に捉える。
 立ち上がろうとする魔王の腕を切り飛ばす俺。 
 百足が出てくるのも気にせずに、すぐに別の腕に踊りかかる。
 そして――。

 「キシャアアアアア――――!?」

 金属を破砕する音がして。
 魔王の首が胴と切り離されて地に落ちた。



 ◆◇◆◇◆



 「――――つまり、神話的埋設物とは一種のアジテーションでありか弱い人間であるわれわれの弱みに付け込む詐欺師の如きものであり、ぶべら!」

 俺たちが眠るVRシートを背に気持ちよく演説していた男の頭を後ろから蹴りつけてやると、まさか後ろから攻撃が来ると思っても見なかった男はもんどりうって床とキスをした。

 「き、貴様何で、いた!いたい。いたい!いた、いたたったたたたたたた」

 そのまま男の頭を俺とアヤ姉で踏みつける。
 こんな日に限ってアヤ姉はハイヒールである。
 凄くいいと思う。

 「あ、あの、お二人ともその辺にしては…」

 振り向くと赤いドレス姿の宮下さんがおろおろしながら周りを見回している。深く刻まれた胸のスリットから果実のような谷間が見える。さっきまでのヴァーチャルのおっぱいも良かったけど、やっぱり生のおっぱいはいいね。
 俺たちは依然武装した男達に囲まれている状態で、まぁ心配する宮下さんの気持ちも分かるが。
 
 「心配は要らん。私が無事であれば、いくらでも手の打ち様はある」
 
 バリバリバリバリバリン!
 その瞬間。
 ガラス張りの天井を破って数人の男達が落下してきた。
 換装した男達は手早くあっという間に武装集団を鎮圧すると、アヤ姉に向かって敬礼した。
 パンドラの私設機動部隊である。
 
 「ご苦労。手間をかけさせた」

 そう言って機動部隊に指示を出すアヤ姉。
 いや、確かに格好いいけどもね。
 その姿を憧れとも別の感情とも知れぬ表情でぽうっと見つめる、宮下さんの姿があった。




 翌週の月曜日。
 会社に出社するとメールが来ていた。
 送信者は…宮下レイカ。内容は、当たり障りのないお礼のメールと…。

 『あの、差し支えなければ教えていただきたいのですが、匣崎CEOは甘いものはお好きでしょうか。私こう見えても昔からお菓子作りが――』

 俺は枯れた笑顔で窓の外を見る。
 部長が朝からお菓子を貪る我が剣装部のどこかから、何故か百合の香りがした気がした。




[25034] 第二十三話 サバイバル×サバイバル(前編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:f8a6a3a6
Date: 2011/04/10 01:40
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大変恐縮ですが、装剣アーツ編は中断いたします。
何度も書き直したのですが、どうしても面白くならなかったので。
多くの方にご愛顧いただいたパンドラも、テーマに寿命が来ている様にも思えます。
パンドラ剣装部はこの2話で完結とすることにします。
最後まで、どうか本作をお楽しみいただければ幸いです。
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 今日も平和なパンドラ剣装部。
 昼日中からじゃんじゃん電話が鳴り響き、営業各員が対応に奮闘している。
 かく言う俺ことタケちゃんも、受話器を肩で挟みながらメールを打ちながら携帯で注文を出すと言う、ちょっとどうかと思うマルチタスクっぷりを発揮している。

 「武村くん。私ちょっとポテチ買って来るね」

 我が剣装部の部長がそうのたまって逃げ出そうとしたので、肩をむんずと掴んで書類を押し付けた。

 忙しい。
 本気で忙しい。
 多くの企業や政府にとって、年度末というのは鬼ほど忙しいものと相場が決まっている。
 いつの時代も売上とバランスシートは企業の業績に大きく影響を与えてくる。発掘現場も年度末に竣工を併せてくる所が多いので、各種の竣工関係書類やMSDS(製品安全データシート)の準備など、この時期の俺たちは部長の手も借りたいほど忙しい。

 「武村く~ん。私のハンコどこだっけ?」

 そのカールの袋の下だよっ!

 

 「ふぅ…」

 壮絶な午前中が終わり、俺は社食でコーヒーを啜っていた。
 政府や企業の発掘関連予算は毎年鰻上り。
 当業界は不況知らずの大盛況であるが、毎年どんどん忙しくなるのはどうにかしてほしい。
 神話的埋設物の扱いには相応の知識が必要となる為、新卒を戦力化するにも時間がかかるから、人手不足はなかなか解消されないわけだが、大きくなりすぎた会社にありがちな社員教育の画一化が、あまりいい結果を生んでいるとは言えない。

 「こんにちわ。少しよろしいですか?」

 不意に、綺麗だがどこか機械的な女性の声がした。
 俺が突っ伏すようにコーヒーに向かうテーブルの向かい。
 そこで微笑を浮かべているのは、うちの秘書課の制服を着た美女だった。

 「あぁ、確か社長のとこの…」
 「えぇ。貝原と申します」
 
 カールのかかった綺麗な髪を揺らしながら、座っても?というので向かいの椅子をすすめる。
 胸は78のBと言ったところか。
 ちなみに俺は美乳もいける。

 社食はがやがやと賑わっていて、どこか気品ある貝原女子にはあまり似合っているとは言えなかった。俺の周りには騒々しい系の美人が多いので、こういうおしとやかな人と接すると少しきょどってしまう自分がいたりする。
 さて、一体何の用件だ?
 秘書課の人間と俺の接点なんぞほとんどないわけであるが。
 ・・・どこぞでフラグが立ったのか?

 俺があるはずもない記憶を精一杯にたどっていると、貝原さんがにこやかな表情のままその愛らしい口を開いた。

 「本日の社長の予定ですが…」
 「は?」

 社長?社長ってうちの社長?

 「朝10時から赤坂で青年実業家とお見合い。午後一時から品川で政府関係者とお見合い。その後同品川で大手メーカー重役とお見合い。少々時間が空きますが、午後6時、六本木で某大手攻務店社長と…」
 「ぶーっ!」

 俺は思わず口に含んだコーヒーを噴出した。
 な、何をのたまってるんだこの秘書は。
 一介の社員に言うようなことか。
 っていうか、お見合い?
 あ、アヤ姉がお見合い?

 「上層部は痺れを切らしています。人気も実力もあり、果断な判断力すら併せ持つ社長は御しづらい存在なのです。名君が必ずしも喜ばれるわけではありません。しかしもちろん、社会やパンドラ自体にとって社長が最良の経営者であることは疑いようがありません」
 「…なるほど。爺さんたちは適当な婿を迎えて、会社経営の傀儡としたいわけだ?」
 「思ったよりもやや聡明で安心しました」

 あれ?この人何気に凄い失礼じゃない?

 「僭越ながら申し上げると、どこかの誰か様がもたもたしている為に社長が行きたくもないお見合いに狩り出され、我々秘書課が愚痴につき合わされると言う実害を蒙っております。お陰で先週からの秘書課の残業手当は鰻上り。会社にも地味に損害を与えつつあります」
 
 相変わらずの微笑。穏やかな物腰。やさしくどこか機械的な話し方。
 なのに。

 「私どもとしてはいい加減にしていただきたいのですが?」

 その言葉は物凄い険を込めて俺に突きつけられたのだった。
 

第二十三話 サバイバル×サバイバル(前編)


 「疲れた・・・」

 午後11時。
 俺はやっとのことで片付いた膨大な仕事に安堵の溜息を漏らしながら、しかし少しも晴れない内心のもやもやに辟易していた。

 アヤ姉がお見合いをしている。

 昼間に突きつけられたその事実が、どうにも俺を浮き足立たせている。
 だからどうだというのだ。
 アヤ姉にはアヤ姉に相応しい人がいる。
 そう決めて、アヤ姉を好きになるのは止めようと決めたのは俺自身だ。
 今更、アヤ姉の脚を引っ張ってどうする。

 その時、突然携帯がメールの着信を告げた。何気なく携帯の画面を見て苦笑する。
 アヤ姉からだった。タイミングがよすぎるよ。
 俺は本文を開いて、そして小首をかしげた後、内容を確かめる為にアヤ姉に電話をしたのだった。




 「おお。休日なのに悪いな」
 「いや、いいんだけどさ」

 翌日の土曜日。
 俺は小さなエルピスの手を引いてパンドラ研究所を訪れていた。
 二階堂のおっちゃんの要請で、エルピスが出てきた箱を調べる為である。
 おっちゃんはわざわざ俺たちを入り口で出迎えてくれた。

 あれ以来あの箱はうんともすんとも言わず、神話的アーティファクトとしての特性を何ひとつ示していない。
 これまでは他の研究にかかりきりで手が出せなかったが、ここに来て少し手が空いたので、是非ともエルピス立会いで調査をしてみたいとのことだった。

 「でも、本当にいいのか?エルピス」
 「うん・・・大丈夫・・・」

 幼いエルピスはそう言って俺の手をきゅっと握り返した。
 そう言えば、これまで気にもしてなかったが、この子の正体は一体何なのだろう。親父と母さんは何かを知っているようだが、俺は特段聞いていない。
 ま、いいか。

 エルピスがかわいいことにはかわらない。
 俺にロリのケはかけらもないが、かわいいということは取り敢えず正義であるのだ。

 「あ、来たな、タケちゃん」
 
 そう言ってソファから立ち上がったのはアヤ姉だった。
 オフ日である為か、今日は春色のシャツの上にジャケットを羽織ったラフな格好だ。
 大きく盛り上がった二つのふくらみにタケちゃんもご満悦である。
 この人にシャツを着せると、本当にご馳走様です。

 「代表。お休みの日までお疲れ様です」
 「た、武村主任もな。ご、ご苦労」
 「いい加減、その気もち悪い敬語はやめたらどうだ?」

 おっちゃんがあきれたようにそう言う。
 そうは言ってもこれはけじめである。
 俺が、俺に決めたのだ。

 「まぁいい。じゃあさっそく行こうか。部下たちが首を長くして待っている」

 そう言っておっちゃんが案内した研究室の一室では、件の箱が中央に安置されていた。
 どこにでもありそうな金属製の筐体。
 今は口を閉じているその箱から、しかしエルピスは出てきたのだ。

 「恐らく、空間移動系の神話的埋設物だとは思うんだがな」

 おっちゃんの言葉に俺は頷いた。
 ユキが言っていた政府云々のこともあるし、いくらなんでもエルピスがこの箱の中に入ったまま埋められていたということはあるまい。
 エルピスは政府の研究機関か何かから、この箱を通じて転送されてきたというのが自然である。

 箱にはさまざまな計器が取り付けられ、電気を流してみたり振動を与えてみたりして結果をモニタリングされているが、芳しい結果は出ていなそうだ。

 「それで、そのお嬢ちゃんなら何か分かるかとおもってな」

 おっちゃんはそう言ってエルピスに視線を向けた。
 エルピスは相変わらずの無表情である。

 「って言ってるけど、どうだ?エルピス」
 
 俺がそう話しかけると、エルピスはきょとんとした顔で俺を見上げる。

 「どう…って?」
 「ん?だから、その箱について何か分かるか?」
 「【ムネーモシュネー】を使いたいの?」
 「何?」
 「そ、それがこの箱の名前か?」

 突然エルピスから出てきた単語に俺とおっちゃんが反応する。ムネーモシュネー。俺の記憶が確かなら、それは確か、ギリシャ神話の原初の女神の一柱。
 名前をつけることをはじめたと言う「記憶」を神格化した神であるはず。
 そしてムネーモシュネーにはもうひとつ…。

 「トモキが望むなら…【ムネーモシュネー】を起動させる…ねぇ…トモキ。あなたの悩みと…望みは何…?」
 「な、何を言ってるんだ、エルピス・・・?」
 
 悩み、それに、望み…?
 エルピスの言葉に俺の脳がぐらりと揺れる。
 俺の望み。
 それは・・・。

 その時、ゆっくりと箱が開き始めた。
 誰が手をかけているわけでもないのに、突然に、ひとりでに。
 そしてその中からまばゆい光がきらめき始めた。

 「箱が・・・ひらいただと!」
 「何かやばい。タケちゃん!」

 アヤ姉が俺の肩に手をかける。暖かい彼女の温度が伝わる。
 俺の・・・望み?

 「そう…それがあなたの…」

 エルピスの声が聞こえた。
 彼女は、微笑を浮かべているように思えた。

 「トモキ!アヤちゃん!」

 最後に聞こえたのは焦りに焦った二階堂のおっちゃんの声で、そして―――それきり俺の意識は光に溶けた。






 「ん・・・んん」

 眩しい。
 誰だこんなに照明照らしてる奴は。

 あまりの眩しさに俺は目をこすりながら体を起こす。
 光で痛めた目は容易には光景を映し出さないが、それでも周囲がめちゃくちゃに明るいことは分かった。
 
 「んん・・・」

 すぐ隣で、女の声が聞こえた。
 よく知ったその声は、確かにアヤ姉の声だった。

 「アヤ姉、大丈夫?何が起きたんだ?」
 「大丈夫だ。それにしても眩しいな。やっと見えてきて・・・」

 俺もやっとのことで目を開く。
 まず視界に入ったのは青い空。白い雲。そして波が打ち返す輝く砂浜。そして・・・。
 そんな砂浜も裸足で逃げ出す神々しい裸身だった。

 「あ、ああああ、アヤ姉・・・」
 「た、たたたたったたたたたタケちゃん・・・」

 アヤ姉の視線がなぜか俺の下半身で硬直してとまっている。
 まぁ理由は分かる。
 何せ俺は理性では駄目とわかりながら、アヤ姉の全身を嘗め回すように見ているからな。
 当然起きてしまう反応というものがある。

 「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 アヤ姉が絶叫してその場に座り込んだ。
 俺もそれを合図にやっとのことでアヤ姉に背を向けた。
 
 視界に入るのはコバルトブルーの海。
 絶対に日本の海でないと断言できるどこまでも続く青。
 俺とアヤ姉はどこか南の島にいるようだった。
 なぜか一糸纏わぬ姿で。




最終話に続く
 
 
 
 



[25034] 最終話 サバイバル×サバイバル(後編)
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:f8a6a3a6
Date: 2011/04/10 01:41
 「・・・取り敢えず、こんなところでどうだろう」
 「ありがとう・・・。すまんな、取り乱して」

 あれから。
 半狂乱で泣きじゃくるアヤ姉を宥めながら、その辺に生えていたヤシの木の葉を編んで簡易的な服を作った。

 昔、地中海の無人島に置き去りにされた経験がこんなところで役に立つとは。
 人生なかなか分からないものである。

 作り方はこうである。
 
 ヤシの葉というのは真ん中に太く硬く発達した芯があり、芯を中心に左右に数十枚の細長い葉を生やしている。
 芯の半ばほどに切れ目を入れ、細長い葉を隣同士で編んでいき、最後に芯を切れめで半分に折り曲げて両端を結べば、簡易的なスカート、あるいは胸当ての出来上がりである。

 俺自身は上半身裸でスカートだけを履き、アヤ姉にはスカートと胸当てを作ってやった。
 あの葉っぱの裏ではおおきなおっぱいが重力に逆らって踊っている・・・そう想像するだけで、スカートの中で俺のマグナムが暴発しそうになるが、硬い葉のお陰でアヤ姉にはばれないようだ。
 こすれてとても痛くはあるが。
 早く静まれ。
 あ、今下乳が見えた。
 無理ですね。
 ぜんぜん静まる気配がありません。

 何せアヤ姉。
 胸と腰まわりは隠しているが、丸い肩もながくしなやかな脚もすべて丸出しという超超エロイ格好である。
 身に着けているのが緑色の葉っぱだけというのも非常にいい。
 カメラがあれば是非とも永久保存しておきたかった。

 「タケちゃん・・・どう思う?」
 
 下乳のこと・・・じゃないですよね。はい。

 「箱の実験と関係あるのかな?」
 「転送されたということだろうか?どこかの島に?」

 その可能性はあるだろう。
 そういえば最初に出てきたエルピスも服を身に着けていなかった。あるいは生身の人間だけを転送する装置なのかもしれない。  
 
 「ここは…どこなんだろう…」

 アヤ姉の言葉に、俺は海の方を見る。
 どこまでも続く海からは、ここが地球上のどこなのか想像することも出来そうになかった。


最終話 サバイバル×サバイバル(後編)
 
 
 「…よし!」
 「すごい!すごい!」

 汗だっらだらの俺が苦心して火を起こすと、アヤ姉が子供のようにぴょんぴょんと跳ねた。
 ・・・今の乳揺れで俺の苦労は報われました。

 のんびりもしておれず、俺は拾ってきた木の枝を裂いた木切れをどんどん火にくべて大きくしていく。
 これで薪にした木の枝をくべて行けば、まぁ火が消える心配はなさそうだ。

 日が暮れる前に火を起こせたのは行幸だった。
 猛獣の心配はなさそうだが、それでも用心するに越したことはない。

 ここがどんな場所かは分からないが、ざっと歩いた感じでは人が生活した痕跡はまったくない。
 小さな沢を見つけたので飲料水には苦労しなそうだし、その沢で魚も捕まえられた。
 人の事を知らないのか、鮎に似た小ぶりな魚はさしたる苦労もなく木の枝で突き捕ることができた。

 俺は火の確保が終わると、捕っていた魚に枝を通して突きたてた。
 
 「タケちゃんはなんでも出来るな…」

 てきぱきと作業する俺に感心したような視線を向けながら、アヤ姉がそう口に出す。

 「慣れてるだけだよ」
 「キャンプに?」
 「いや…サバイバル、かな。10歳のとき母親に修行と称して無人島に置き去りにされたことがあるんだ。本当に死ぬかと思った。親父がこっそり持たせてくれた『ザ・サバイバル』って本がなかったら本気で死んでた。地中海の島で魚が捕れたのかよかったんだ。一ヵ月後に母親が迎えに来て、親父に『ほら、ちゃんと生きてるじゃない。さすが私たちの子よ』と言ってニコニコしてたのを覚えてるよ。ちなみに親父はげっそりしてた」
 「そ、そうか…」
 
 俺のしぶとさと命汚さはそこで培われた気がする。
 どんな美麗字句を並べても、生き残れなければ意味はないのだ。

 「日が、暮れてきたな」

 やけに大きな太陽がゆっくりと水平線の向こうに沈んでいく。
 取り敢えずはあっちが西ということだ。
 ここが地球上のどこかであればの話だが。

 「救助は…来るかな?」

 アヤ姉と俺は焚き火を囲んで座る。
 いわゆるお姉さん座りをしたアヤ姉の秘密の花園は、ヤシの葉のスカートの裾から見えそうで見えない。
 凄くいいと思う。
 赤々とした光で照らし出されたその姿も、とても綺麗だった。

 「明日にでも来るだろう?アヤ姉は超VIPだからバイタルがモニタリングされてる。見つけられないって事はないよ。今夜だけの辛抱だ」
 「そっか…。明日には…」

 アヤ姉がそう言って俯く。
 俺は頭の片隅で首を擡げるいやな想像を振り払う為に敢えてアヤ姉にそう言った。
 ぱちぱちと焚き火で火が熾る。
 魚が焼けるのを待ってから、腹が減っただろうアヤ姉にそれを差し出した。


 

 「来ないな…救助」
 「うん…」

 次の日。
 幾らなんでも来るだろう救助が来なかった。
 何してるんだ。
 ここにいるのは世界的なVIPだぞ?

 俺たちは沢で交代で汗を流してから、流石に明日には来るはずの救助を待った。



 …一週間後。

 「どうなってる…?」

 俺は頭をかきむしりながらそう言った。
 一週間だぞ!
 確かにバイタルを終えてるはずなのに、それでもここを特定できないとしたらパンドラは飛んだ間抜けな企業だ。
 まさか上層部の奴らが敢えて・・・?
 そこまで考えて俺は首を横に振る。
 有り得ない。
 助けられる命を、しかも政敵のCEOの命を見殺したとすれば、奴らの首だって危うくなるのだ。そこまでおろかな手を使うなら、とっくに暗殺でも何でもしてるだろう。

 「タケちゃん。魚、出来たよ」
 「あ、うん。今行く」

 アヤ姉がそう言って俺を呼ぶ。
 砂浜に掘った穴に焼けた石を入れ、濡らしたヤシの葉で包んだ魚を閉じ込めたグランドオーブンで、いい香りが俺の鼻に漂う。
 アヤ姉もすっかりサバイバルに慣れたものだ。
 じゃなくて、いつまでこんな状況が続くのか。

 「タケちゃん、食べないの?」
 「あ、あぁ、食べる」

 そう言って上目遣いで俺を見てくるアヤ姉。簡易的な胸当てに守られただけの乳房の谷間が俺の理性を追い詰める。
 CEOの任を離れている為か、日増しに家庭的でかわいくなっていくアヤ姉は本当にやばい。
 夜とか、無防備に寝てる所見ると、まじめに押し倒したくなってしまう。

 今の所理性を総動員して自分を抑えているが、いつまで持つか自身がない。
 エルピスは言った。
 あなたの願いは何か、と。
 これは。
 
 「これが俺の願いなのか?」

 アヤ姉を不当に閉じ込め、自分勝手な共同生活を押し付けることが…?
 俺の視界の中で、アヤ姉はおいしそうに魚を頬張っていた。



 …二週間後。
 夜の焚き火をアヤ姉と囲み、海水を干して作るようになった塩を振った魚を、俺は苦々しい思いで食いしばっていた。

 こうなったら、もはや疑いようがない。
 これは、あの箱が何らかの力を使って俺とアヤ姉を外界から隔離していると考えるのがたぶん正解だ。
 そうでもなければ、こんなにも長い期間アヤ姉が見つからないはずがない。万一何らかの政治的理由でアヤ姉が黙殺されているとしても、うちの家族、母さんや妹なら、容易に俺を見つけるだろう。それでも俺たちが見つかっていない理由は…。

 「タケちゃん。最近、考え込むことが多いね…」

 アヤ姉が考えなさすぎじゃね?
 そう考えて俺は苦笑した。
 今目の前にいるアヤ姉は、CEOになる前の、強いけど、年頃の幼さを残した昔のアヤ姉にどんどん戻っている気がする。
 あの頃はまだ手の届く存在だった。
 旧アメリカ地区に留学すると言ったときも。
 帰ってきたらってそう思えるくらいには。

 「タケちゃん、私ね。こうなっちゃったから言うわけじゃないんだけど、ここ最近お見合いばかりしてたんだ。役員の老人たちが、そうしろってうるさくてね」
 
 知ってるよ、とは言わなかった。
 でも、驚いた顔も出来なかったからきっとアヤ姉には分かったに違いない。

 「嫌だった。もう少し、保留にしておいてほしかった」
 「保留にして、どうするつもりだったの?」

 自分でも驚くことに、俺は思わずそうつぶやいていた。
 何を言っているんだ、俺は。
 そんなことをアヤ姉に言って、一体どうなるっていうんだ?

 「どう…って…」

 赤い光に映し出されたアヤ姉はとても魅力的だ。
 その豊かな肢体が、陰影で凹凸を際立たせる。

 「それはね。それは…」

 アヤ姉が少しづつ俺に近寄ってくる。
 手を伸ばせば互いに触れられる距離まで。
 アヤ姉の息遣いが聞こえる。
 俺の息遣いも、多分…。

 「タケちゃん、私ね…」

 アヤ姉がそう言って俺の手に自分の手を乗せた。
 どくん。
 さっきからうるさい心臓が、一層激しく脈打った。

 「タケちゃんなら、いいんだよ?」

 がばっと、気がつけば、俺はアヤ姉の丸い肩を掴んで砂浜に押し倒していた。
 きゃっと短く悲鳴を上げるも、抵抗をしないアヤ姉。
 ずっと、ずっとほしかった。
 性に目覚めてから、ずっとアヤ姉がほしかった。

 でも、アヤ姉の親父さんは俺に言ったんだ。
 『守ってやってくれよ』
 そう言ったんだ。
 俺でアヤ姉を守れるか?
 アヤ姉に守られるんじゃなく、守ることが出来るか。

 「タケちゃん…」

 俺の胸の下に組み敷かれたアヤ姉が、小さなか細い声で言う。
 
 「やさしくして…」

 これが俺の願いかよ!

 「ごめん…!」

 俺は苦労してアヤ姉から体を離す。
 倒れた拍子に胸当てが外れて乳房がまろびでたアヤ姉から視線をはずすことも非常に精神力を要した。

 「どうして…」

 俺は俯く。
 目にしたら、きっとほしくなる。
 次は、きっととめられない。

 「どうしてよっ!」

 アヤ姉の言葉が俺に突き刺さる。
 俺の魂を揺さぶるように。
 そして。

 「どうしてよ…」

 脳髄に染み入るように。

 「アヤ姉、ごめん」
 「なんで謝んのよっ!」

 駆け寄ってきたアヤ姉が俺の胸板を拳で打つ。
 力は少しもこもっていない。
 こもっていたのは重たい気持ちだ。
 
 「どうして、私じゃ駄目なの…?」 
 「違う。違うんだ、アヤ姉」

 俺は卑怯なんだ。卑劣なんだ。自分で決めたことを自分で守れない、そんな男なんだ。

 「アヤ姉。軽蔑してくれていい。これは多分俺が願ったことなんだ」
 「どういう・・・?」
 「ここに来る前、パン研で、俺はエルピスにこう聞かれた。『トモキの願いは何?』。もしあれが、願いを叶える神話的埋設物なら辻褄が合う。かつてエルピスは政府から逃げること、庇護者となる人間を願い、箱がエルピスを俺たちの下へ導いた。最初からエルピスが俺に懐いていた事もそれなら分かる。俺は、エルピスの願いだったんだ」
 「願いを…叶える…?そんな漠然としたものが…」
 「そうでもなければ、俺とアヤ姉がこんなにも長い時間、誰にも見つけてもらえないなんてことないよ」
 「でも…なら…」
 
 アヤ姉が俺の胸に手をついたまま俺を見上げる。
 今だむき出しのままの乳房が、そっと俺の胸に押し付けられ、アヤ姉の両腕が俺の頭の後ろに回される。
 暖かくて、そして柔らかい。
 俺の耳のすぐそばで、アヤ姉の唇が囁いた。

 「タケちゃんの願いは、何?」

 俺の願い?俺の願いはなんだったんだろう。アヤ姉を独り占めにしたい?アヤ姉の体がほしい?心がほしい?
 どれも本当で、そして確信ではない。そんな気がする。
 
 「俺の、俺の願いは…」
 「私の願いはね…」

 アヤ姉の息が俺の耳をくすぐる。
 押し当てられた豊満な乳房を通じて、鐘楼の様に高鳴る二人の鼓動が交換される。

 「タケちゃんとずっといっしょにいたい…」

 アヤ姉の腕に力がこもる。
 何年かぶりに聞いた、アヤ姉の素直な気持ち。
 それが彼女の体温を通じて俺に流れ込んでくる。

 「でも、でもアヤ姉、俺は…」
 「ねぇ、タケちゃん。タケちゃんはよく言うよね。俺はアヤ姉に相応しくないって。そんなことないんだよ。タケちゃんがいたから、私はがんばれたんだ」
 「アヤ姉…」
 「お父さんが死んで、タケちゃんだけがそれまでと変わらず私のそばにいてくれた。タケちゃんがいたから、お父さんの遺志を継ごうと思った。タケちゃんに失望されないようにがんばらなきゃって思った」
 「・・・」
 「タケちゃん…」

 アヤ姉が俺の耳から唇を離す。
 腕の力を緩め、正面から俺を見る。

 澄んだ、綺麗な目だった。
 アヤ姉の目は、昔から少しも変わってない。
 昔と同じ、純粋な瞳。
 その瞳に涙が滲んでいる。

 「好きだよ…、愛してる」

 あぁ、俺はなんて馬鹿なんだろう。どうして気付かなかったんだろう。
 俺はこの人を誰にも渡したくないんだ。
 この人の事が好きなんだ。
 きっと何十年もずっと昔から。
 何で理由をつけて遠ざけたりしたんだろう。
 離れられっこないのに。
 俺たちはこんなにも、お互いを求めているのに。

 「俺も、好きだ」
 「タケちゃ……んんッ…!」
 
 柔らかくて、暖かい唇だった。
 俺はその唇を無骨に奪う。
 アヤ姉は再び腕に力を込めて俺を抱きしめ、俺はアヤ姉の唇を割って舌を入れる。

 渡せない。
 渡せるわけがない。
 この人を、他の誰かに渡せるか。

 たっぷり5分以上も続いたキス。
 
 俺が唇を話すと、アヤ姉の唇が名残惜しそうに突き出される。
 いとおしい。
 そんな気持ちに、こんなにも長い間気付かなかったなんて。

 「アヤ姉…」
 「いいよ、タケちゃん」

 俺はふたたびアヤ姉を砂浜に押し倒した。
 今度は出来るだけやさしく。でも気持ちばかりがはやってしまう。

 「私、タケちゃんのものになるんだね」

 覚悟をしよう。
 俺は昔アヤ姉の親父さんに約束したんだ。
 アヤ姉を守るって。
 覚悟をしよう。
 きっと彼女を守り続けることを覚悟しよう。

 「うん…。アヤ姉を、もらう」
 「うれしい…」

 頬を伝うアヤ姉の涙にそっと口付けし、俺はアヤ姉の乳房に手を添えた。
 夜は更け、やがて幸福な眠りが俺たちの意識を深い闇の奥に連れ去った。




 「…おい」

 むにゃ。アヤ姉、あと五分…。

 「おい!起きろ、おい!」

 アヤ姉、それはちょっと激しすぎる・・・。なんだ、昨日の仕返しか?少しいじめ過ぎたか。これだから初めてはウブでかわいい・・・

 「さっさと起きろ、ばかもん!」
 「うわぁ!」

 飛び起きた俺は、ごん!と頭を何かに打ち付けた。
 
 「ってー」
 「こっちの台詞だ、石頭め。すやすやと心地よさそうに眠りやがって」
 「あれ?二階堂のおっちゃん…?なんで?」
 「ここは俺の研究所で、仮眠室のベッドだ。何が疑問なんだ何が」
 「は?」

 確かにそこはどこかの一室だった。パン研・・・なのか?しかし、何故?
 あれは全部、夢・・・だったのか?

 「俺、二週間も眠ってたの?」
 「は?馬鹿かお前は。そんなに寝こけてたらとっくに叩き起こしとるわ。・・・そうだな。小一時間くらいか?お前とアヤちゃんが突然倒れて、あわてて運ん・・・」
 「そうだ!アヤ姉は!アヤ姉はどこに・・・」
 「なんだお前急に・・・?アヤちゃんならとなりの仮眠室に・・・」
 「わかった」
 「おい、トモキ!」
 
 何だか体がだるい。
 何が起きたのかも分からない。
 ただ夢を見ただけだったのか?
 それとも・・・?

 「トモキ…」
 「エルピス・・・」

 廊下に出ると、そこには愛らしい少女がいて俺を見ていた。
 ずっと俺のことを待っていた。
 そんな感じだった。

 「エルピス・・・俺の願いは何だった?」
 「あの人を守りたいって・・・そう願ってた・・・」
 「そうか・・・。ありがとう」
 「ううん」

 俺はエルピスに礼を言うと、アヤ姉が眠るという仮眠室の前に立つ。
 中からは「なんでー」とか「きゃー」とか「た、タケちゃんは?」とか言って慌てる声が聞こえるのでまぁ向こうも起きたらしい。
 俺は扉の前で深呼吸する。
 こっちの世界でも、俺はきちんと言っておかなくてはならない。

 「トモキ・・・がんばって・・・」
 「おう」

 そう短く答えて俺は扉に手をかける。
 扉のノブは冷たく、俺を拒絶するように硬いが気にしない。
 俺はこれからもっととんでもない苦労をする覚悟でこの扉を潜るのだ。
 
 さて、ここまで俺の拙い物語を読んでくれた諸君。
 生憎とここから先は語れそうにない。
 あまりにも気恥ずかしく、そして個人的な物語になりそうだからだ。
 きっとそれは誰もが一生の中で通過する物語で、そして俺のそれは人より多少しんどいというだけで、本質的には何も変わらないのかもしれない。

 どうか願わくば、俺のそれにも、貴兄らの人生にも、人並みの幸があらんことを。






 「アヤ姉!好きだーーーーーー!」
 「こ、こんな人が大勢いるところで何を考えてるんだ、お前はっ!」





 
 『有難うございます。こちら総合商社パンドラ剣装部です』
 



 了








[25034] 100感想御礼!世界一遅いバレンタイン企画!「恋とカカオとCEO」
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/03/23 23:30
 私を乗せた車が警備員の敬礼に見送られて会社のゲートを潜る。運転席には誰も座ってはいない。すっかり普及した、ラプラス型コンピューティングによる完全無人の公共カーシェアリングシステムは、社会から自家用車という概念を駆逐しつつある。
 我が社でも数台の社用車を保有して入るが、実際に使用する者はごく限られている。
 ようやく上り始めた朝日がミラーに反射して目に染みる。
 後部座席に座る私は小さく欠伸をした。

 私は毎日7時半には出社する。
 こう見えて私の仕事は多岐に渡り、一度デスクに着けば秒単位で管理されたスケジュールが私を待っている。
 自分のペースを崩さずに仕事を薦める為には、余裕を持った時間管理がもっとも重要である。
 
 私は昔から早起きが苦にならない人間であるが、今朝は少し堪えた。
 昨日の夜なかなか寝付けず、今朝の起床時間も早かったからである。
 それでも、私なりに満足できるものが出来て本当によかった。私は知らず鞄の中身を意識する。べ、別にこれはそういうのではないが、せっかくあげるものならいいものをあげたいと思うのは人間なら共通の思いに違いない。

 「お早うございます」

 いつの間にか車が社内駐車場に着いたらしい。
 秘書がバタンと開いた扉の前で一礼している。

 「お早う」
 「お鞄、お持ちしますか?」
 「いや、今日はいい」

 私は車を出ると、最上階へと上がるエレベータに乗り込む。

 「本日のご予定は、先般から伺ってますとおり、午前中だけとなっております。午後のご予定はございませんわ」
 「そうだったな。ありがとう」

 もちろんそんなことは覚えていたが、何だかそんな風に言ってしまう私がいた。この秘書とはもう4年の付き合いで、2つ年下の愛嬌のある美人であるが、どうにも今の台詞に私をからかうようなニュアンスがあったように思えてならない。
 いや、それは私の気のせいだろう。
 職務に忠実な彼女がそんな風に私を揶揄するわけもない。
 だいたい、今日のことは、誰にも言ってはいないのだから彼女が知る由もないのである。

 「今日は一段とお綺麗でらっしゃいますね」
 「そうかな。いつもと変わらないつもりだが、まぁ、ありがとう」

 嘘である。
 今日の日の為に昨日はエステに行って今朝は用意していた勝負服を着て三十分かけてメイクしてきた。
 58万もした、さりげなく胸元を強調する黒いワンピースである。自分で言うのもなんだが、私は人より胸が大きい。それでいて肥満ということもないから、サイズが合う服を探すのも大変である。下着もかわいいのが少ないし、肩も凝るのでいいことはあまりない。
 
 「そういえば…」

 物凄いスピードで上階に上がるエレベータの中で秘書が今思い出した、とでも言うようにそう口を開いた。

 「今日はバレンタインデーでございますね」
 「そうか。気付かなかったよ」

 チン、と言ってエレベータが止まる。
 私が入るべき部屋の扉には、社長室と書かれたプレートが掛かっている。

 「それでは匣崎社長、今日も一日よろしくお願いいたします」

 こうして、いつもとまるで変わることのない、私匣崎アヤコの一日が始まったのである。



100感想御礼!世界一遅いバレンタイン企画! 「恋とカカオとCEO」



 「いない?」
 「えぇ。ついさっき出かけてしまいまして」

 午前中の業務を終え、特段焦ったり緊張したりすることもなく、私は5階の剣装部に武村主任を尋ねた。
 特に意味があるわけではない。
 日頃の業務をねぎらう意味を込めて、特別な意味など何もない昼食に誘おうとしただけだ。だが武村主任は営業職である。しかも、うちの会社でも数少ない、社用車を使いたがる類の営業だ。
 
 剣装部の部長―小学生にしか見えないがこれでも30代後半だという―によれば武村主任は営業で社外に出ているという。
 私は口の中で小さく舌打ちした。
 
 「行き先は分かるか?」
 「ええっと、わかりません」

 なんだと。自分の部下の営業先も把握してないのか?
 部長はてへ、とでも言うようにぺろりと舌を出した。そう言えば剣装部から上がってくる報告書やレポートは誤字や脱字が目立つ。
 役員の中には小学生が書いているんじゃないか、と揶揄する口の悪いものもいたが、そうか。本当に小学生が書いていたか。
 
 「…以後部下の行動は把握するように」
 「すみません」

 しゅん、と子犬の様に頭を下げる部長。おい、なんだこの私がいじめている様な雰囲気は?見れば部内の人間が皆痛ましいものを見る目で私たちを見ている。
 違うからな?私が悪いわけじゃないからな?

 「これをあげよう」

 そう言って私は試しにポケットの中の飴を部長にあげてみた。 
 すると彼女はぱあっと顔を輝かせて「ありがとうございます!」と元気よく飴を持って席に戻っていった。
 うんうん。元気があるのはいいことだ。それで…誰だあいつ採用したのは?


 
 私は数少ない社用車に乗り込み、自分の端末を開く。パスコードを入力し、「タケちゃん探索機能」と題されたアプリを開く。
 すると東京タウンの地図が表示され、ついでそこに赤い点が点灯した。
 武村主任のバイオデータを検知して捜索するアプリであり、製作に1,800万ほどかかった。大部分が口止め料だったような気がするが気にしない。
 このアプリによって、私は地下に居ようが結界内にいようが神域にいようが武村主任がどこにいるか知ることが出来る。
 上司が部下の居所を知りたがることは別におかしなことではない。  
 私は車を起動する。どこにいようと今日だけは逃がさ―もとい、私もたまたまその辺りに用があるような気がするので、ついでだから行ってみることにする。それだけだ。


 「うわ!社長、まじですか!おお!ありがとうございます!」

 武村主任の声が聞こえる。ちなみにこの社長とは私のことではない。喫茶店で武村主任の前に座る、乳のでかい女の事らしい。
 おい、誰だその女は?
 グラスを握る私の手に、思わず力が込められる。

 「いいっていいって。かえってごめんな、こんなことで呼び出して~」
 「いやいや、いいっすよ。今日のこの日は、女性に呼ばれたら俺はどこでも行きますよ」
 「調子いいよな、タケちゃんは~」

 まったくだ。何なんだその気安い会話は。
 女は作業着を着ていた。
 鈴木攻務店と刺繍されたその胸は大きく膨らみ、いかにもタケちゃ―武村主任の好みのように思える。
 どうやら仕事先のゼネコンの人間らしいが、その気安さがどうにも気に入らない。 
 可愛らしいピンクの包装の包みをもらって、武村主任がでれでれと笑っている。
 
 ピシリ。
 私が握るグラスにひびが入った。

 「お。やば。午後考証検討会だからうち、そろそろいくね~」
 「え?もうそんな時間すか?俺もそろそろ行きます。いやぁ、本当にありがとうございます」
 「いいのいいの。こんなことでタケちゃんに恩が売れれば安いものよ~」
 「そういうのは本人いない時に言ってもらってもいいですか?」
 
 そう言って立ち上がった女がふと私の姿をその目の端に捉えた。誰だか知らないが、意外に鋭い眼光である。だが、女はにやりと笑うと、声に出さずに唇を動かして見せた。

 「そうだ、タケちゃん」
 「何すか?」
 「これもあげよう」
 「え?ええええええええ!」

 真っ赤になるタケちゃん。
 にへら、と笑う作業着の女。
 ほっぺただった。確かにほっぺたではあるが…ちゅ、ちゅ、ちゅうしやがった!私のタケちゃんに!タケちゃんにちゅうだとぉ! 
  
 「ど、どどどうしたんすか、社長!」
 「挨拶だよ、挨拶。ハッピーバレンタイン♪」

 そう言って女は私に艶のある流し目を送って、店の外に消えていった。
 タケちゃんはしばし呆けていたが慌ててその後を追う。
 私が握るグラスの中身が、ぐつぐつと煮えたぎって溢れ出していた。

 「ちゃんと掴まえとかないととられちゃうぜ」

 女の唇は、私をそう言ってからかっていた。


 
 「私、何やってるんだろ」

 それから3物件ほど、私はタケちゃんの後を追って車を走らせた。最後の物件は深い山林の中にあり、私は木々に隠れてタケちゃんが出てくるのを待っている。
 タケちゃんはモテる。
 それは昔から知っていた。
 最近になって発覚したが、タケちゃんには入社してから彼女が居たらしい。彼の妹によれば、色々と経験もあるらしい。
 っていうか「証拠です」と言って映像データを送ってもらったのだが、あまりに過激な内容に2分ほどで視聴を断念した。心臓がばくばく言って死ぬかと思った。

 タケちゃんは格好よくて運動も出来て優秀で、剣術で私と張り合える唯一の男だった。
 いつもだらしなくてずぼらなのに、ここぞと言うところでいつも私を助けてくれた。
 お父様がなくなった時、一番に駆けつけてくれたのもタケちゃんだった。

 「何も心配しないでいい。俺がそばに居るよ」

 タケちゃんのその言葉は気休めだとばかり思っていた。それでも十分にうれしかった。
 なのにタケちゃんは本当に大学を辞めてしまい、私が知らない間にうちの会社に就職してしまった。
 私は泣きながらタケちゃんに復学するように迫った。私の為にタケちゃんの人生を捻じ曲げてしまったら、おじさんやおばさんにも申し訳が立たない。
 なのにタケちゃんは。
 泣きじゃくる私を見て困ったように笑いながらこう言ったのだ。

 「アヤ姉のこと、放っておけないからさ」

 なんで私が言ってほしい言葉をこんなに的確に言えるのだろう。
 私はタケちゃんの胸にすがりついて一晩中泣いた。

 「私のこと、どう思ってるんだろ」

 自分で口に出して、悲しくなって涙が流れた。
 タケちゃんにとっては私、手のかかる幼馴染程度のものなのかもしれない。
 世界に冠するパンドラのCEO。
 皆が私に期待を押し付ける中、タケちゃんだけは昔と変わらず接してくれる。
 その関係に変化を求めるのは――私のわがままだろうか?

 そんなことを考えながら、少しだけ泣きながら、私はいつの間にか寝入ってしまった。



 「う……ん…」
  
 私は身じろぎしながら車の中で目を覚ました。
 外を見ると、いつの間にか日が落ちていた。

 「うそっ」

 タケちゃんを待ってなくちゃいけなかったのに!
 見れば現場の灯も消えている。
 一体今何時なんだ!
 私が慌てて車のドアを開けようと動くと、何かはらりと足元に落ちた。

 「え?」

 それは男物のスーツの上着だった。
 私は落ちたそれを拾い上げて見る。
 その時になって初めて、私は後部座席から人の寝息が聞こえてくることに気付いた。

 「…あはは」

 そこには私のよく知る人が横になって眠っていた。
 純粋な子供のような寝顔に、私は思わず笑ってしまう。
 
 「タケちゃん…」

 本当に涙が出るほどこの人が好きなんだなぁって思った。
 この人が居てくれるだけで、こんなにも安心できる。
 何もしてないってタケちゃんは言うけど、でもね。
 タケちゃんがいてくれるから私、ちっとも似合ってなんかない社長の仕事をやっていけてるんだよ。

 「タケちゃん…」

 もう一度その名前を呟いて、そして軽くその肩を揺する。
 昔からタケちゃんは一度眠ったらなかなか起きない。
 心臓の鼓動がうるさい。
 車内は暗いのに、ほんの少しだけ開いたタケちゃんの唇が妙にくっきり見える。

 「ちゃんと掴まえとかないととられちゃうぜ」

 女の言葉が耳に響き。
 私は座席を倒してタケちゃんに顔を寄せた。



 「ふわぁあ」
 「ようやく起きたか」
 「うわっ。アヤ姉。うそ、今何時?」

 タケちゃんはがばっと起きると慌てて腕時計を見る。そして「あちゃあ」と一言呻くと、「会社帰らなきゃ」と言ってもう一度大きな欠伸をした。
 
 「あ、あのな。ここにはたまたま来てて、タケちゃんがいてびっくりして…」
 「う~んと、うん、わかってるよ。たまたまなんだろ?」
 「そ、そう。たまたま」
 「俺もたまたまアヤ姉を見つけたんだ。たまたま」

 そう言ってタケちゃんが苦笑する。本当はわかってるんだろうけど、タケちゃんはそんなこと言わない。まぁ流石に自分の生体データを採取されていることまでは知らないだろうが。

 「じゃあ。俺、行くわ」

 どくん、と心臓が高鳴る。
 何の為にここまでタケちゃんを追いかけてきたんだ。
 そう思うけど声が出ない。
 指先に力が入らない。
 私は気がつくと、当たり障りのない言葉をタケちゃんに掛けていた。

 「べ、別に。私を置いていってもよかったんだぞ」

 私がそんなかわいくない事を言うと、タケちゃんは困ったように笑って、そして言った。

 「アヤ姉のこと、放っておけないからさ」
 「…え?」

 あの時と同じように、タケちゃんは言う。この人はちっとも変わらない。いつも同じように、私に笑いかけてくれる。いつも、勇気をくれる。

 「これ、あげる」
 「え?」

 私は自分でもいやになるくらいぶっきらぼうに、鞄から包みを取り出してタケちゃんに渡した。
 日付が変わってようやく2時ころ寝入った私は、3時半に起きてこのチョコレートを作った。そんな自分の気持ちだけは、タケちゃんに伝えておきたい。

 「…ありがとう。すっげー、嬉しい」

 タケちゃんがそう言ってはにかみながら笑ってくれる。
 その笑顔で、今日の私、ううん、これまでの私が報われた気がした。

 



 「お早うございます。匣崎社長」
 「お早う」

 いつもの様に、私は出社する。秘書の女性が私を迎え、エレベータのボタンを押した。

 「昨日は社用車を御使用でらしたようですね。言ってくださればこちらでご用意致しましたのに」
 「いやいい。私用だったからな」
 
 秘書の言葉に短く答える。
 緊張したせいか、昨日はぐっすり眠ってしまった。今朝は私としたことがあやうく遅刻しそうになった。

 「進展はございましたか?」
 「は?」

 チン、と言ってエレベータが止まる。
 私が入るべき部屋の扉には、社長室と書かれたプレートが掛かっている。

 「それでは匣崎社長、今日も一日よろしくお願いいたします」

 元気に、礼儀正しくそう言う秘書に釈然としないものを感じながら、私は社長室の扉をくぐった。こうして、いつもとまるで変わることのない、私匣崎アヤコの一日が始まったのである。



[25034] 世界一遅いホワイトデー特別企画! 「合コンで、会いましょう」
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:f8a6a3a6
Date: 2011/03/18 23:19
すっと俺に紙片が回されてきた。
 何事かを走り書きしたメモ帳を、無表情にPCのディスプレイを見つめながらさりげなく俺に寄越したのは同僚の牧村である。
 数年来の悪友でもあるこいつは俺と女の趣味が近く、石川社長と女人談義に花を咲かすことも多い(最低)。
 要はおっぱい大好き人間であり、入社の動機もアヤ姉のおっぱいだったという筋金入りである。
なかなかいい目をしている。俺と年は同じだが、中退の俺のほうが2年ほど先輩にあたる。
 
 俺も、PCのディスプレイを一心に見ながらさっと紙片を受け取る。
 何故だか知らないが、俺の同僚たちは俺とのやりとりに限りアナクロな手段を要求する。
 いつどこでCEOが見ているか分からないと言うのがその理由らしいが、ばかばかしい。
 さすがのアヤ姉と言っても、俺の行動すべてをモニタリングしている筈ないじゃないか。

 …何か今突然、自分の甘すぎる見通しに背筋がぞくりとしたような気がしたが。

 まぁ気のせいだろう。
 俺は腕時計を見るふりをして、一瞬で紙片の内容を読み取った。

 『合コン 今夜7時半 新銀座発着場で待て』

 くしゃりと紙片を握り潰し、俺はそれを瞬時にシュレッダーにかける。

 「牧村、例の件だけど、打ち合わせの通りで」
 「わかった」

 たったそれだけの会話。それだけの会話だが、その後の俺と牧村の仕事のスピードは尋常ではなかった。
 何としても仕事を終わらせて駆けつける。
 タケちゃん、半年振りの合コンにわくわくである。



世界一遅いホワイトデー特別企画! 「合コンで、会いましょう」



 「へー、武村くんってそうなんだー。見えないー」
 「そうなんですよー。こいつこう見えて埋神学オタクでー」
 「おいおーい!牧村、オタクとか言うなよ。俺がネクラみたいじゃん」

 あはははははという酒の入った笑いが居酒屋に響き渡る。
 中身なんて微塵もない、軽いヘリウムみたいな会話だが、それがいい!
 それこそが合コンである。
 これだ。
 これを俺は求めていた。

 男性陣は俺と牧村、それに牧村の大学の後輩とか言う新人君に調達部の木原。ちなみに俺と牧村と木原の三人は年が同じで、影でパンドラの夜回り担当と呼ばれている。

 いやぁ、しかし今日の女性陣はレベルが高い。
 皆俺たちより二つか三つ上のお姉さまであるが、むんむんとした色気が実に下半身に響きます。

 女性側は現在二名。
 縦ロールの豪奢な髪と黒のワンピースの襟元から覗く豪奢な谷間が鼻血もののエミさんと、黒髪を肩口でばっさり切って、どうやらついでにスカートもばっさり切ったらしいマイクロミニのふとももまぶしいリリカさん。
 
 二人とも、結構な乳をしとるでー。
 もう二人は遅れてくると言うこと。
 俺と牧村と木原が馬鹿話をしている傍らで、新人君がお姉さまたちにいじられて顔を真っ赤にしている。
 いいぞ。今日のお前の役回りは正にそれだ。お前はかわいい男の子ポジションでいればいいんだ。
 お前は名を取れ。俺たちは実を取らせてもらう(?)。

 そのままぺらっぺらの厚みが1ミクロンもない会話を続ける俺たち。
 楽しい時間が流れる中、おまたせー、という景気のいい美人の声が響いた。

 「おおー」
 「待ってたよー」
 「もうー。アイカ、おっそーい」

 ごめんねー、と言って入ってきたのはイブニングドレスの美女だった。ふぁさっと書き上げた黒いストレートの髪からいい香りが漂ってくる。
 その拍子にぷるると胸が揺れるのもとってもいい。
 牧村!
 どうしたんだお前の今日の仕事振りは!
 完っ璧じゃないか。 
 どうしてこれで先月の営業数字が未達だったのか俺にはわからないよ!

 「この子が渋ってさー。連れてくるのに苦労しちゃったー」
 「こ、こら、アイカ。私はやっぱり帰る。こういうとこは向いてない…」
 
 そう言って入ってきた4人目の女性に俺は目を奪われる。
 まず目に入るのはその魔乳。
 黒いスーツに覆われていながら少しもその量感を隠すことが出来ない絶対の豊乳。
 弾力があり、それでいて柔和な包容力まで兼ね備えているに違いない至高の存在。
 黒い長髪を後ろでひとつに括ったその美女は、他の三人のお姉さまと比べてすら一線を画している。

 「いいからいいからー」
 「こらぁッ…って、ん?」

 本当に美人だと思います。
 ってかよく思います。
 だって、昔から見てるからねー。

 「…おい、こんなところで何をしている?」

 さっきまで恥ずかしげに頬を染めていた美女の表情が一瞬にして冷徹な女王のそれに変わる。
 俺は必死に彼女の死角に入ろうと身を縮めたが、俺の努力もむなしく彼女はあっさりと俺を発見した。
 牧村も木原も笑顔が凍りつき、顔面が蒼白である。
 事情が分からない後輩君だけがきょときょとしている。
 牧村。
 俺、お前の数字が上がらない理由が分かったよ。

 「何をしているんだと、聞いてるんだ。武村主任?」

 びくり、俺は震えながら涙目で彼女を見上げた。
 超巨大企業集合体パンドラグループ総帥。
 匣崎アヤコその人を。

 俺、死んだかな?



 ◆◇◆◇◆



 「だいたい、ひっく。たけちゃんは、ひっく、たけちゃんはなぁ…」
 「アヤ姉、大丈夫?飲みすぎじゃね?」
 「うるしゃい、誰のせいで飲みすぎたと…ひっく」

 3時間後。
 パワフルなお姉さま達のおかげで何と合コンはそのまま進行し、大学の頃からの友人と言う遅れてきた美人がアヤ姉を飲ませる飲ませる。
 牧村と木原も何かを吹っ切ったように騒ぎ出し、俺だけが一人胃の痛い思いをしたのだった。

 宴もたけなわ。
 じゃあそろそろ2次会に、という時になって、例のお姉さまが俺を手招きする。
 なんだ?と思ってのこのこ(主にむき出しの胸部に)吸い寄せられると、どっこいそこには呂律の回らないアヤ姉の姿が…!

 「じゃあ、よろしく」
 「は?」

 俺も楽しい二次会に…!

 そう思ったが次の瞬間にはアヤ姉が俺の腕をがっしりホールドしていた。
 あ、おっぱい当たって気持ちいい、じゃなくて!

 「アヤコが本気で妬いてるの、はじめて見たかも。キミのこと、本気なんだよ、その子」
 
 いやいや、それは腐れ縁という奴でしてね。

 「はぁ。アヤコも苦労してるわけだ。いいから、その子送ってってよ。くっちゃっていいからさ」
 「はいぃッ?」
 
 じゃあね~、と言ってお姉さまがひらひらと手を振って遠のいていく。
 牧原と木原が俺に最敬礼をして去っていく。
 おい、まてやこら。

 大人気の後輩君が浚われていくのを遠めに見ながら、俺は一人途方に暮れて、ため息を吐いたのだった。




 「ええっと、72階だっけ?」
 「ふえ?」
 「いや、ごめん、聞いた俺が馬鹿だった」

 すっかり出来上がったアヤ姉を苦労してマンションまで連れてきた俺は、三重のオートロックというふざけたセキュリティーを門衛のおっちゃんの顔パスで通ると、色々あられもないことになっているうちのCEOを、何とかエレベータに放り込んだのだった。

 「疲れた…」

 今日の本番は仕事が終わってからだぜ!と思って勇んでいた俺だが、別にこういう意味ではなかったと声を大にして言いたい!
 くそぉ。今頃その本能を開放された牧原と木原がやりたい放題やっているに違いない。
 畜生。
 俺を混ぜろよ、俺を。

 「たけちゃん…」
 「ん?どうしたの?」

 座り込んでふらふらしているアヤ姉に身をかがめて顔を寄せると、アヤ姉がにへらっとした笑みを浮かべる。

 「たけちゃんだぁ。たけちゃんがいるぅ~」
 「うわぁ…」

 完全にキャラ崩壊してんな、こりゃ。
 幼児退行甚だしい。
 っていうかアヤ姉は幼児の頃からしっかりしていたので、正確には退行とは言えないが。

 「たけちゃん、すき~」

 どき、と俺の心臓が跳ね上がる。
 そう言ったアヤ姉は嬉しそうに微笑む。
 白い肌には酒のせいで朱が差し、桃色に染まった肌が美しい。
 
 ブラウスの下に隠された豊満な肉体もさぞや美しいに違いない。

 微笑むアヤ姉の唇が妖艶に動いたように見え、それはまるで蟲惑的な艶花のように俺を誘う。

 「俺も…」

 俺が何かを言おうとしながらアヤ姉の唇にそっと自分のそれを近づけようとしたとき。

 チン。

 エレベータが72階にたどり着いたのだった。
 でも、止まれない。
 俺も酒が入っているからだろうか。
 いつもは抑えることが出来る気持ちが止まらない。

 「アヤ姉…」
 
 俺はそう言ってアヤ姉を抱きしめる。
 柔らかな体が俺の胸板と腕のなかにすっぽりと収まる。
 
 「タケちゃん…」

 エレベータの扉がゆっくり開くが構うものか。
 俺がアヤ姉のうなじにそっと唇を寄せたとき、う、といううめき声がアヤ姉から聞こえたのだった。

 「アヤ姉?」
 「ぎぼじばどぅい…」
 「へ?」
 「○×△×〇×××△…!」
 「はぁッ…!」

 何が起きたかは彼女の名誉の為に言わない。
 言わないけど。
 俺は一張羅を脱ぐことを余儀なくされたのだった。


 
 「ったく…」
 「すぅ…」

 ぐっすりと眠るアヤ姉。
 あれからすっかり気分がよくなったアヤ姉をベッドに寝かせて、俺は色々の後始末をしてからようやく椅子に腰掛けた。
 ちなみに俺は上半身裸である。アヤ姉も上はブラだけだ。
 黒、だった。
 ちょっと意外である。
 着ていたシャツは今、乾燥機で回っている。

 「昔から、無理しすぎなんだよ」

 よく出来た人だった。
 昔からそうだ。
 クラスでは学級委員や生徒会長に知らず知らずのうちになっていたり。
 リレーではアンカーやったり。
 成績も一番だったり。
 いつも、頑張りすぎなんだ。

 CEOを引き受けたときも、大変だって分かってたはずなのに、周囲の期待を裏切れないからと茨の道を裸足で歩む。
 だから見ろ。
 こんなに傷だらけじゃないか。
 アヤ姉は強い。
 でもそんなアヤ姉はいつも傷だらけだ。
 俺はそんなアヤ姉の傷を、いつも庇っていた。そのつもりだった。

 ふとアヤ姉を見ると、大きな胸が重力に逆らって規則正しく膨らむ。まぁこの光景を見れるのは役得ではある。
 でも、もう、いいのかもしれない。
 俺がいなくてもアヤ姉は立派にCEOをやれてる。
 老獪なおっさんどもを従えて、ハゲタカのような他企業を相手取って、だ。

 大学出たてのアヤ姉はもういない。
 ここにいるのは世界に冠たるパンドラグループ総帥だ。
 たった数年で、俺とはずいぶん水をあけられた様に思う。

 「たけちゃん…」

 俺がそう思っていると、アヤ姉が俺の名を呼んだ。
 てっきり目を覚ましたのかと慌てたが、どうやら寝言である。

 俺は苦笑すると、肌蹴られた布団をそっと掛けてやる。
 その拍子に、すっとアヤ姉の目が少しだけ開く。
 
 「あ、ごめん。起こしちゃったか」
 「たけちゃん?」
 「ん?うん…」
 「たけちゃんがいてくれて…よかった…」
 
 それだけ言うと、アヤ姉は再び目を閉じる。
 そしてすーすーと再び寝息を立て始めてしまった。

 「人の気も知らないでまぁ…」

 俺は思わず苦笑する。そして、アヤ姉の整った顔をそっと覗き込んだ。

 「ま。このくらいは許してもらえるだろ?

 そう言って、俺はそっとアヤ姉に顔を寄せた。


 
 ―――そして翌日。

 「えええええええええええええッ!!!!!!」
 「アヤ姉、うるさい」
 「な、なななななななな、なんで私の部屋にタケちゃんが!だ、だいたい、何でタケちゃん、裸なんだ!」
 「アヤ姉。ちょっと、そんなに動くと見えちゃうけど…」
 「見えるって…、え?な、なんで私も裸ぁ!」
 
 その後、慌てふためいて最後には泣き出したアヤ姉を宥めるのに、実に1時間を要したのだった。

 「ひっく、ひっく、だってタケちゃんがぁ…」
 「はいはい…」

 

 ―――翌週。

 「貴様ら、俺を置いてずいぶんお楽しみだったみたいじゃねぇか?」
 「あぁ、武村か」
 「なんだ」
 「おい。なんだその反応?」

 休憩室で牧原と木原を捕まえた俺は積年の恨みを晴らそうと詰め寄ろうとして、すっかり項垂れた二人を見つけることになる。

 「どうした?なんだ、持ち帰れなかったのか?」
 「持ち帰り…はは」
 「笑えるぜ。いいさ、笑うがいいさ」
 「意味が分からん」

 「あ。せんぱーい!」

 そう言って走ってきたのは牧原の後輩君だ。なんだかおどおどしたところがなくなり、心なしか肌が艶々としている。
 こいつ、こんな元気いっぱい少年だったか?

 「金曜はとっても楽しかったです!またいきましょうね!合コン!」
  
 そう言って少年は礼をして去って行った。
 なんだあれ?
 俺が怪訝そうに眉をしかめていると、牧原が力なく笑った。

 「あの後、お姉さんたち三人とあいつで朝までだってさ」
 「え?三人って、カ、カラオケとかだよな?」
 「ははは」

 力なく笑う木原。自身を失った様子の牧原。
 結局、俺は二人の為に合コンを設定してやる羽目になり、そして再びアヤ姉にこっぴどくしかられることになるが、それはまた別のお話。
 



[25034] wikiっぽい設定集
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:1a1c6446
Date: 2011/02/02 21:37
神話的埋設物

神話的埋設物(しんわてきまいせつぶつ)は、地中に埋蔵された状態で発見される資源(一説には文化財)である。人間の経済活動の中で、工業製品の原料やエネルギー資源として幅広く活用されている。


1.エネルギー資源としての神話的埋設物

18世紀後半に起こった産業革命により、蒸気機関という動力を得た人類は、大量の燃料の確保に関心を向けるようになる。当初、燃料には薪や木炭を当てていたが、森林破壊などの環境問題が深刻化してくると、石炭を利用するようになる。
石炭は比較的浅い場所に豊富に埋蔵されていたことから利用が進んだが、そのエネルギー効率の悪さから、別の資源が模索されていた。

19世紀後半、石油を新たなエネルギー資源とすることが各地で検討され、掘削技術が開発されより深い場所の掘削が行われるようになる。そして初めて、人類は地中に埋蔵される大量の埋設物に気づくことになる。

それらは刀剣や石像、銅鐸など、世界の神話に記述されるものとも取れる形状をして発見された為、神話的埋設物と呼ばれるようになった。当初はそれが古代の遺構であると考えられていたが、20世紀に入ってその真価が世界を震撼させることになる。
それが「産業の神話的革命」と呼ばれる産業構造の大幅な変容である。

1907年。旧ドイツ地区の人類学者、D・ヤコブセンは、神話的埋設物のレプリカを作成していた。(残念ながら現存していない。刀剣類の神話的埋設物であったと考えられる)
ヤコブセンが鋳型を取って構造を似せたレプリカを娘のアンがとても気に入り、アンはヤコブセンの目を盗んでレプリカで遊ぶようになる。
ヤコブセンがレプリカを抱きかかえるアンをたまたま目撃して叱りつけると、アンは驚いて階段から落下してしまった。
慌てて階段から下を見下ろしたヤコブセンが目撃したのは、何とレプリカを抱えたまま空中にふわふわと浮かぶアンの姿であった。

これが記録される中では最も古い、物理現象が無視された瞬間である(「アンの空中浮揚」)。

敬虔なキリスト教徒でもあったヤコブセンは、それを神の奇跡か、あるいは自分の娘が聖書に記述される様な超能力を持っているのではないかとも考えたが、やがて神話的埋設物のレプリカがある一定の条件によって物理現象を恣意的に無視することを発見した。

学会に発表された当初こそ一笑に付されたヤコブセンの発見は、しかし一年後には世界を揺るがす大発見となり、神話的埋設物の研究が推進された。
後に神理学と呼ばれる学問の魁と言えるそれら研究によって、神話的埋設物のレプリカから保存則を無視した一定のエネルギー(神力)が得られることがわかった。
人類はまず新たなエネルギー資源として、神話的埋設物を扱うようになる。



2.工学的利用

20世紀後半になると、ウォーリー・ヴィンセントが神話的埋設物を工業品として活用すべきだと宣言した。有名な「神話的埋設物の積極的活用の提唱」である。
ヴィンセントの弟子筋にあたる二階堂マコト(誠)を中心としたグループが、神話的埋設物のレプリカを作る際にある一定のルールに従い構造的なアレンジを加えることによって、設計者の意図する工業品と出来ることを発見した。
神話的アーティファクトの発見である。
これら研究は神話的利器工学と呼ばれ、神話的埋設物の恩恵が、市場を通して一般に流通する大きなきっかけとなった。

神話的埋設物が物理法則を無視する現象を研究する学問分野は神理学と呼ばれるようになり、さまざまな発見が相次いだ。
著名な発見としてはミハイル・ルドマンの「非対称性の原則」や凛趙明の「神話的埋設物の擬似物質生成」、レイモンド・ラッセルの「超言語」や武村トーコ(超子)の「神話層の神語的解釈」などがある。
また神力学から派生した量子予知力学の分野ではフラッガーとローダンの予知に関する有名な論争があり、いまだ決着が着いてない(「フラッガーの予知優位法則」「ローダンの超克的予知解釈」。)
いずれにせよ、量子予知力学の分野では神話的置換作用の発見によって多くの恩恵が得られることとなる。



3.デモンの問題

神話的埋設物が世界中の関心を集める中、しかしその発掘作業は困難を極めた。神話的埋設物が埋蔵された地域は、恣意的に物理法則が無視される領域(神域)となっている場合が多く、神域では後にデモンと呼ばれるようになる、神力が具現化したと考えられる擬似生命体が発生し、人間の殺害を目的として行動することがわかった。
つまり、デモンを排除しなければ発掘作業が出来ない。しかし、神話層と呼ばれる神話的埋設物の地層毎の発掘物の出土傾向の調査など、発掘には高度に専門的な知性も求められたことから、一時的な人足などに発掘を委託することが出来ず、デモンを駆逐できる研究者、あるいは高度な知識を備えた作業員が求められるようになる。
20世紀も終盤になると、攻務店と呼ばれる発掘の専門委託業者が現れ始める。彼らはデモンを駆逐する戦闘能力と神話層を考証する専門性を同時に兼ね備えており、神話的埋設物の発掘は彼らの存在なくしては考えられなくなる。
彼ら攻務店の為に開発されたのは装剣という神話的アーティファクトである。物理現象を無視するデモンを効率的に排除できる装備として爆発的に普及し、多くの専門メーカーを生み出した。


4.社会構造の変容とのかかわり

今世紀初頭の社会学者、O・ナルシスが「もしも神話的埋設物の利用法が確立されてなければ、我々は化石燃料に頼る酷く非効率で持続性のない生活を送るしか方法はなく、その偏在性によって長く戦争を続けていたかもしれない」と自著で述べるように、神話的埋設物が人類に与えた影響は計り知れない。
まず女性の社会進出が驚くべきスピードで実現したのは、人間が神力を内在する値(神通値)が、男性と比較できないほど女性に有利であったことが上げられる。
これによって女性が積極的に発掘現場の最先端作業に携わるようになり、男女の年収が逆転するようになる。
また、国家の解体にも神話的埋設物の利用が関係していると考えられ、前述のO・ナルシスは「神話的埋設物は、人類が空気と水の次に得た国家の管理を必要としない資源であった。何故ならそれは神の持ち物であったからである」と述べている。


関連項目

神話的埋設物考証学
擬似物質工学
擬似生物工学
極大統一場理論
神力学
量子予知力学 -ラプラス型 -オラクル型
神話利器工学
神話的発掘工学 -発掘神話学
神話層の神語的解釈
神話層の比較神話的解釈 -先神説 -後神説
神語学
神話的情報工学


この項目「神話的埋設物」は資源に関する書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。



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