自分には一つ、秘密がある。
物心ついたころにはもうあった秘密だ。
誰にも気づかれたことはない。
親ですら知らない。
いや、知られてはならない。
自分には――――――――人の心の声が聞こえるのだ。
そんな自分を俺は異常者だと思っている。
俺、一ノ瀬希(イチノセ ノゾミ)は物心ついたときにはもう他人の心の声が聞こえていた。
たぶん、覚えていないだけで生まれたときから聞こえていたのだと思う。
聞こえる範囲は耳で聞き取れる範囲よりもはるかに広く、その上一人一人が何を言っているのかはっきりをわかってしまう。効果範囲にいれば十人だろうが百人だろうが関係ない。
聖徳太子もびっくりだ。
おかげで聞きたくもないような恨み辛みの呪詛の声まで拾ってしまう。純粋無垢であるはずの幼児期なのにおもいっきり心の闇をぶつけられてしまった。
教育に悪いったらない。
しかし、それでも俺の心が壊れてしまわなかったのはひとえに両親の深い愛情のおかげだろう。
うちの両親は大変仲睦まじく、とてもとても大切に、愛情をこめて俺を育ててくれた。その心を生まれた時からダイレクトに受け止めてきたおかげで、無遠慮にぶつかってくる心の闇に精神を侵されずに済んだのだ。
それでも、自衛のためか同年代の子供たちと比べて精神年齢がかなり高くなってしまった。
まったく、可愛げがない。
両親はそんな俺も変わらず猫かわいがりしてくれる。
はっきり言って親バカだと思うがそこは気にしないでおこう。俺もなんだかんだで両親のことが大好きなわけだし。
そんな両親にですら俺は心の声が聞こえることを話したことはない。
理由はいろいろあるが一番大きいのは怖かったからだろう。
この能力が他の人にはないことは既に気付いていた。
そして、人間が自分と大きく異なるものを嫌悪し、排除しようとすることも、今まで聞いてきた声から知っている。なので、秘密を話してもし両親に嫌われてしまったらと思うと怖くて仕方がなかった。
もちろん、両親に限ってそんなことはないだろうという思いもあった。
それでも万が一……と、思うと話す決心がつかなかった。
結局今まで秘密を打ち明けたことなんて一度もない。
これからも、よほどのことがない限りだれにもこの秘密は打ち明けないだろう。
自分を捨ててまでやりたいことでも見つからない限り。
物心がついたころになると俺はこの能力を制御するための訓練を始めた。
別に人の心の声が聞こえる状態なんて普通で、特に何もしなくても生活するのに困らなかったがそれでも無遠慮にぶつかってくる呪詛の声はウザくて仕方がなかった。
幸い、精神年齢が大人並みになった俺にとっては積み木や玩具で遊ぶなんて何の魅力も感じられなかったので時間ならたくさんある。
そんなわけで一日中この能力の制御の訓練をしまくった。
傍から見ればただボケっとしているだけにしか見えなかっただろうが両親は全く気にしなかった。というか両親は俺が何をしようとすべて『希君かわいい~』といって喜んでくれる。
……そんな甘やかしていいのだろうかと心配になってきた。俺だからよかったもののほかの子供なら間違いなくわがままで自己中心的な子供になったんじゃないだろうか。兄弟が生まれたら俺がしっかりしてきちんと育てなければ。
話がそれてしまったので元に戻すが、そんなこんなで訓練は滞りなく行われていった。
訓練のおかげかもともとそうなるようになっていたのか知らないが拍子抜けするくらい簡単にオンオフの切り替えができるようになった。
その上いろいろ試行錯誤をしているうちに様々な使い方ができることが分かった。
気にしない様にしているがマジで異常だ。何者なのだろう、俺って?
とりあえず当初の目的だったオンオフ切り替えが自然にできるようになったので一旦訓練を止めることにした。
ちょうどそのころには幼稚園に入学する時期で、今までみたいに日がな一日ぼーっとしているわけにもいかなくなったのだ。感覚的に自転車とか泳ぎ方と同じでやめてもできなくなるってことはなさそうだし。
しかし、いざ訓練を止めると暇でしょうがなかった。
今まで本当にそれしかやってこなかったのだから無理もない。
精神年齢が高すぎるせいでほかの園児たちとは話が合わないし。
別に孤立しているわけではないのだが自然と一人っきりになってしまうことが多くなってしまう。俺的には困るようなことは何もないのだがこのままでは幼稚園の先生が気にするだろうと思ったので解決策として本を読むことにした。
これならば一人でいても問題ない。ついでに暇もつぶせるだろうと考えたのだ。
この選択が自分の人生に大きく関わるとはこの時はまだ思ってもみなかった
はまった。
それも大はまりだ。
今までいろいろな思考を読み取ってきたがそのほとんどがまとまりがなく、しっちゃかめっちゃかだったのに対し、本は理路整然としていて実に面白い。
今まで聞こえていたが意味まではわからないといった単語の意味が本の知識でわかるようになる。
それが知識欲を刺激しどんどんと様々な本を読ませていった。
すぐに幼稚園に置いてある本などすべて読み切ってしまい、近場の図書館にも手をつけ始めた。ジャンルは問わず様々な本を読みまくった。児童書から始まり、雑誌、小説、辞典、教育書、芸術本、スポーツ本など活字があれば何でもよかった。立派な活字中毒者だ。
なるべく多くの書籍を読むために速読まで覚えたのだからかなりのものだろう。
その上一度読んだ本の内容はすべて覚えているし、使える知識は有効に使う。
おかげで幼稚園を卒業するころには精神年齢がさらに上がり、知識量も相当なものとなっていた。成長が追い付いていないのはもう体だけになってしまった。
こんなところにも異常な点が出てくるなんて。
しかしどう見ても異常なこの状況にですら両親は動じなかった。
むしろ、『希君は天才だっ!』とか言い出して歓喜したほどだ。
……どう考えても一日中図書館に入り浸ってその上帰り際には限度いっぱいまで本を借りて帰り、すぐに読み切ってしまうのは天才と言わずに異常だというべきだろう。
外国の医学書とか持って帰ったこともあるし。
この人たちの愛は心が読める俺でも測りきれん。
そう思っていた両親なのだから当然のように俺を私立の学校に通わせようとした。
俺としては公立でもよかったのだが。どちらにしろ今の俺のレベルに釣り合うとは思えなかったし。
それでも、両親の期待にこたえるのも親孝行かなと思ったので受けることにした。
入学試験は予想通り簡単ですんなり合格することができた。
合格自体は特にうれしいことではなかったが両親が喜んでくれたのでよかった。
こうして異常者たる俺は聖祥大学付属小学校に入学することとなった。
特に学校生活に対して期待はしていなかったのだがこの学校は予想以上に面白いところだ。
まず、大学の付属学校だけあって図書館が充実している。
これはとてもうれしい。
近場の図書館にはない本がたくさんある。というかもう近場の図書館の本はすべて読破してしまいそうなのだ。
……小さいとはいえ二年ちょっとで読破できるとは。
これだから異常者は困る。
もう一つの面白い点はクラスメイトだ。
いや、こっちは全くと言っていいほど期待していなかったのだがうれしい誤算だ。
と、言っても仲のいい友達ができたというわけではない。最低限のコミュニケーションはとっているが基本一人でいるからな。
面白いというのは見ていて面白いという意味だ。皆感受性が豊かでそこまで廃れた奴もいないからな。
特に目立っていて気になっているのが二人ほどいる。
一人目はアリサ・バニングス。
両親は実業家のお嬢様でかなり気が強い。
それでいて成績優秀でテストでも常に満点をとっている。いわゆる天才少女というやつだ。
しかし、その気の強さが災いしてなかなか友達ができずにいる。
心の中ではさみしいと思っていても言葉にはできないようだ。見た目金髪美少女というのも周りから声をかけるのにハードルが高いらしい。
俺から声をかけるつもりは今のところないがそのうち友達もできるだろう。
次に眼についた人物は月村すずか。
資産家の娘で家にはメイドまでいるらしい。
こちらは引っ込み思案の性格だが運動神経は抜群だ。
こちらも特に仲のいい友達が居るわけではないようだがこれは彼女自身が進んで人から距離をとっているからだ。それは彼女の秘密が原因らしい。彼女は夜の一族と呼ばれるいわゆる吸血鬼らしい。
実に興味深い話だ。ぜひ一度詳しく調べてみたいが下手に首を突っ込んで火傷したら嫌なので今のところ自重している。家の規模も大きいしな。
なぜ俺がこんなことを知っているのかというと、それは二人の心を読んだからだ。というかこの学校の人間の心はほぼすべて覗いてしまっている。
休み時間とかならいいがさすがに授業中まで本を読んでいるわけにもいかないし、授業自体は俺にとって価値がないものなので暇なのだ。
だから授業中は幼稚園時代に辞めていた能力訓練を再開している。能力使っていたところで授業自体も聞くことができるので万事問題はない。
まぁ、勝手に人の心を暇つぶしなんかで読むなんて自分でも趣味が悪いと思うけどな。
そんなわけで今は思っていたよりも退屈せずに過ごせている。
月日は流れ小学二年生の春休みになった。
この三年間は特に変わった出来事も起きずにのんびりと過ごしていた。
相変わらず友達はいなかったがいじめられているわけでもないので良しとしよう。
そう言えばバニングスと月村はに友達なっていたな。もう一人、高町とかいうやつがきっかけで。まぁ、仲がいいのはいいことだ。
そんなことより、最近一つ問題ができた。
図書室の本をまたすべて読み切ってしまいそうなのだ。
俺にとって由々しき事態だ。
最近はまた読むスピードが上がってきたので下手したらあと一週間持たないかもしれない。……仕方がないから新しい図書館でも探すか。
確か学校の近くにも一つあったはずだ。せっかくだからいろいろと廻ってみよう。それで、蔵書量と借りれる数を調べて新しい拠点を見つければいい。できれば未読の本が多いところがあればいいんだが。
そうと決めた俺は早速海鳴市の図書館にきた。
しかし未読の本の数はやはり少なく、おそらくここも一カ月もしたらすべての本を読み切ってしまうだろう。
少しがっかりしたが仕方がない。ある程度予測はしていた事だ。
早く次の所を探すことにしよう。
そう思って図書館を出ようとしたところでふと、車椅子の少女が目にとまった。
どうやら手を伸ばして上のほうにある本をとろうとしているが届かないようだ。
別に放っておいてもよかったのだが俺は図書館ではマナーよく過ごすことを心がけている。
大事な場所だからな。ちょっとだけ手伝ってやることにしよう。
能力も今は切っているので何を取りたいのか分からなかったが、わざわざ能力を使う必要もないのでとりあえず声をかけてみた。
「どれが取りたいんだ?」
少女は急に声をかけられたことで一瞬驚いていたが、俺の質問の意図を察したのかすぐに返事をしてくれた。
「その上のほうにある料理の本です」
「これか?」
「その隣のやつを」
指示された本をとった俺はそれを渡すためはじめて少女のほうを向いた。
親切にされたのがうれしかったのか少女の顔はにこにこと笑っていた。
「おおきに」
少女はお礼を言って本を受け取ろうと手を出してくる。
しかし、俺はその手に答えることができなかった。
その瞬間から、俺のすべては変わってしまった。
少女の顔を見たとたん、雷に打たれたような衝撃が走った。
体が熱くなるのが分かり、心臓がバクバク鳴っている。
それでいて少女から目が離せない。
そんな生まれて初めて起きた自身の異常に、俺は軽く混乱してしまった。
これはなんだ? 今までにこんな状態に陥ったことはない。
自分にいったい何が起きているんだ。
「……? あの?」
少女にもう一度声をかけてもらった事でようやくまだ本を渡してないことに気付き、慌てて渡した。
まだ体の異変は治らない。
しかし、いやな気分ではない。
「おおきに。手が届かんくてこまっとったんよ」
「あ、あぁ。気にしなくていい」
少女がにこにこと話しかけてくれるが、今は体の異常が気になってそれどころではない。
状況から考えて原因は眼の前の彼女にあるのではないかと思う。それでも、彼女から離れたいとはかけらも思えなかった。
本当にどうしちゃったんだ?
「ここにはまだ居る予定か?」
「へ? あ、うん。そうやけど」
突然の質問に少女はポカンとしている。
「なら少し待っていてくれ」
そう言って俺は少女を置いてそのまま医学の本が置いてあるコーナーまで一直線に向かった。
原因を分からないままにしておくことはできない。何かの病気だったら大変だからな。
それでも、少女の姿が見えなくなるとなんだか悲しくなるのである程度の量の本を持つとすぐに少女の所に戻っていった。
その持っている本の量と中身に少女は驚いていたが気にせずに読みだす。
少女を待たすのはなぜか嫌だったので過去最高速度の速読で読み進めた。
ん、何故だろう? 両親以外の他人を気にしたのは初めてだ。
そんな疑問が頭をかすめたが、気にせず読み進めると五分もたたずすべての本を読み終えることができた。
が、今の症状に関する内容は乗っていなかった。
ならばと、次は心理学の本を持ち出す。なんだか心に関係がある気がしたのだ。
しかしそれにも納得のいくものは見つからなかった。
「あの……どうしたん?」
突然の奇行に面食らっていた少女だったが恐る恐る声をかけてきた。
そこでようやく自分がへんてこなことをしていると気付き、一気に顔が赤くなる。
何してんだ俺は。こんなことしたら変に思われるに決まっているのに。
恥ずかしい。
……あれ? 変に思われて恥ずかしいだなんて初めてだな。普段は他人にどう思われようが気にしないのに。
冷静に考えられていないのか?
……ん、冷静でない?
そこまで思ってからやっと現在の状況に合致するだろう一つの可能性に気付いた。
「悪い、もう一回だけ」
そう断りを入れてからあるコーナーまで来た。
そこでやっと自分の状況に会う症例を見つけることができた。
あぁ、これだったのか。
思いつかないわけだ。
まさか自分に起きるなんて、まったく考えもしなかった。
俺はもう一度少女のもとまでもどり、理解できた気持ちを伝える。
「悪い、待たせた。ちょっと分からないことがあって」
あるコーナーとは恋愛小説コーナー。
「どうやら俺は君に一目惚れしたらしい」
俺は生まれて初めての恋をした。