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[25730] 【完結・改訂完了】リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~(×史上最強の弟子ケンイチ)
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:55
はじめまして、あるいはこんにちは、それともこんばんわでしょうか?
とらハ掲示板で先日一応完結した「Sweet songs and Desperate fights」と、現在執筆中の「魔法少女リリカルなのはReds」をやっているやみなべです。一応、チラ裏にももう一つあるのですが、そちらは諸事情により放置状態なので、今回は気にしない方向で……。

気を取り直しまして、この小説は「魔法少女リリカルなのはStrikers」と「史上最強の弟子ケンイチ」のクロスオーバー小説になります。
以前「Sweet songs and Desperate fights」でも予告した通り、一応あちらを完結出来たので調子に乗って手をつけて見ることにしました。まあ、それほどちゃんとしたプロットがあるわけでもないので、いつ更新が滞るかわかったものじゃありませんけどね。
そうなった場合には絶賛更新遅滞中の「Reds」同様、気長にお待ちください。

もちろん、やるからには完結を目指しますので応援していただければ幸いです。
ちなみに、基本的にリリなのStsの原作準拠で進める事になるでしょう。場合によっては、「vivid」にまで食い込む可能性も無きにしも非ずといったところですか……。
とはいえ、それは今のところ絵に描いた餅でしかありませんね。とりあえず、Stsが始まる少し前あたりでクロスすることになると思います。その方が話の流れ的に都合がいいので。

それと、さすがにハーレムにする気はありませんが、「Sweet songs and Desperate fights」と違って数名にフラグを立てたりする可能性があります。また、独自設定や独自解釈、ご都合主義が多分に入っておりますのでご了承ください。なので、上記の要素が駄目な方はご注意頂いた方がよろしいでしょう。

あと、詳しい設定などは追々作中で出していく予定ですが、この作品における兼一は一応「達人級」扱いです。
そうでないと魔導師の相手なんてできそうにないので、仕方がないと言えば仕方ないですし、中途半端なところで修業を受けられなくなるのも変な感じだったものですから。最強には・・・・・・ならないように気をつけます。
一応兼一以外の出演も考えていないわけではありませんが、その辺は割とまだ検討中なので、皆さんの声によっては出演が決定する一押しになるキャラクターもいるでしょう。また、数名オリキャラも出しますが、色々と拙い事だらけかと思いますので予めご承知ください。


それでは、架空の事象である「魔法」と非現実的なレベルの「武術」を交差させるという、キチガイと酔狂以外のなにものでもない本作ですが、それでも付き合って下さる寛容な方はぜひとも感想やご意見をお願いします。



初投稿:2011/1/31

完 結:2012/7/11

*2012/3/29……39話での感想を拝見させていただき、遅ればせながらようやく決心がつきまして、部分的にオリキャラ「コルト」の台詞や彼にまつわる地の文を書き直させていただきました。軽く手直しした程度なのでそれで大きく様変わりするとも思えませんし、下手をすると「なお酷い」と感じる方もおられるかもしれません。もし「前の方がまだマシ」と思われる様でしたら、さらに戻すことも検討するつもりです。また、じっくり時間をかけて直した訳でもないので、一応話の大筋や彼の動きそのものはほとんど変化していません。なので、別に改めて読み直す程の事もない事をお伝えしておきます。

*2013/7/16 ……およそ一年振りの生存報告がてら、本作の大幅書き直しをいたしました。具体的には長くご指摘いただいていたオリキャラ「コルト」の処遇です。この度、彼の存在を全面的に削除して、ストーリーを書き直しました。これに伴い、大筋は変わりませんが大分内容が変わったお話がいくつかあります。また、コルト関連以外でもいくつか書き直した部分もございますので、ご報告いたします。



[25730] BATTLE 0「翼は散りて」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:16

ある満月の綺麗な夜。
今一つの命の灯が産まれ、同時に一つの命の灯が消えようとしていた。

古めかしい木造建築の診療所、その奥から元気な産声が響く。
それは、新たなにこの世に生まれ出でた命の躍動そのもの。
真円を描く白銀の月も、瞬く星々も一様にその命の誕生を祝福しているかのようだ。

診療所の正面玄関には「岬越寺接骨院」の看板が掛かっている。
しかしこの診療所、接骨院とは名ばかり。いや、接骨院である事は事実なのだが、ここを営む医者が接骨医などとは到底言えない。
何しろこの診療所唯一の医師は、整形外科はもちろん、外科に内科、小児科、耳鼻咽喉科、果ては心臓から脳に至るまで、あらゆる症例に対応できる万能全身科医なのだ。その中にはもちろん、産婦人科も含まれる。
なんでも「輪廻を引き裂き摂理を歪め、熱力学第二法則に真っ向から戦いを挑む人術…それが医術」をモットーにしているとか。彼の手にかかれば、死んでも生き返るとまで言われている。
ただし、血を見ると性格が変わるので、医療の世界では非常に恐れられているのだが……。

その診療所の待合室には、数人の男女が詰めている。
年齢は様々だが、先ほどまでは誰もが落ち着かずにウロウロしたり貧乏ゆすりをしていた。
もし彼らの素性を知る者がこの場にいれば、その予想外の一面に驚愕を隠せなかっただろう。
だが幸いなことに、この場には本当に身内しかいない。

そして、先の産声が上がると同時に皆が一斉に顔をあげ、続いて喜びに満ちた表情を浮かべる。
特に、先ほどから簡素な椅子に腰かけていた青年の表情の変化は著しい。
先ほどまでは焦燥と不安一色だったにもかかわらず、今は涙を浮かべて笑っているのだから。
事情を知らないものでも即座に理解するだろう。彼…白浜兼一こそが、この産声の主の父親であることに。

やがて診察室の戸が開き、その中から一人の中年男性が姿を現す。
名を岬越寺秋雨。この診療所を営み、産声の主を取り上げた医者だ。
同時に、その赤子の父親である兼一の師でもある。ただし、医術ではなく武術のという注釈がつくが。
ともあれ、普段は冷静沈着を絵にかいたような彼も、さすがに弟子の子どもが生まれる場に居合わせた感慨はひとしおらしい。普段浮かべている微笑はその顔にはない。

「岬越寺師匠!?」
「ああ、聞いての通り生まれたよ。いたって健康な男の子だ。
 兼一くん、美羽が待っている。行ってあげたまえ」
「はい!!」

そう言うや否や、兼一は駆け足で診察室の奥へと向かっていく。
愛する妻と、その間に生まれた初めての子ども。
まさしく二人の愛の結晶であるその子の顔を見るのを、今日まで一日千秋の思いで待ち続けたのだ。
もう、コンマ一秒でも待つ事は出来なかったのだろう。

そんな兼一の後を追おうと、同じく待合室で待っていた面々も動き出す。
ある者は鼻の下を擦りながら目尻に兼一同様涙を浮かべ、ある者は全身で喜びを表現し、ある者は無表情を装いつつ気が急いている様子を隠しきれず、ある者はこの一大イベントを記録しようとカメラを手に、ある者は泰然とした態度でゆっくりと歩を進める。
皆、兼一やその妻にとって秋雨同様家族に等しい人たちであり、同時に今日まで教え導いてくれたあらゆる意味での人生の師達だった。
しかし、そんな彼らの前に秋雨は立ちふさがる。

「……おい、秋雨。んなとこに突っ立ってないで、早く中に入ろうぜ」
「そうよ! アパチャイ、早く兼一と美羽の赤ちゃんを見たいよ!
 二人の子どもなんだから、きっときっと天使みたいに可愛いよ!!」
「そうね。二人の邪魔をしちゃいけないってのはわかるけど、二人の幸せ一杯の様子をこのファインダーに納めるのはおいちゃんの義務と言ってもいいね。
まだまだ子どもだと思ってた二人が結婚して、今子どもまで生まれて、本当に感慨深いね」

逆鬼とアパチャイ、そして剣星の三人は無粋にも行く手を阻む秋雨に憮然としながらそう言い募る。
だが長く共に歩み、弟子を育て、背中を預け合い、切磋琢磨してきた友の言葉を聞いても秋雨は動かない。
そこで、特に付き合いの長いしぐれと長老が秋雨の異変に気付いた。

「…………? 秋雨、なんでそんな悲しい顔を…してる?」
「秋雨君、一体どうしたと言うんじゃ」
「申し訳ありません長老。ですが今は…今だけは!
 彼ら家族三人、水入らず共に居させてやっていただきたい!!」

秋雨は、まるで血を吐くかのように苦悩に満ちた声で語り、土下座でもしそうな勢いで首を垂れる。
そのただならぬ気配に、他の面々の表情がこわばった。
理解したのだ、秋雨をこれほどまでに追い詰める何かが、診察室の奥で起ころうとしている事に。



BATTLE 0「翼は散りて」



診察室の奥、喜び勇んで備え付けられたベッドに駆け寄る兼一。
そこに身体を預けていたのは、彼にとって最愛の女性。
長く伸びた金糸の様な髪と澄んだ湖を思わせる蒼い瞳は、何度見ても彼の心を捉えて離さない。

朝、顔を合わせる度に、言葉をかわす度に彼は目の前の女性を「美しい」と思った。
それは、世界中に存在するどんな美にも勝るものだと確信して疑った事はない。
しかし、今日それが過ちであったことに気付いた。
なぜならば、今まさに出産という大仕事をやり遂げた妻の姿は、過去のどんな時よりも輝いていたから。
自分がこれまでどれだけ不当な評価を彼女に与えていたのか、彼はそれを噛みしめる。

彼女の両手は豊かな胸の下で組まれ、その上には白い布が乗っている。
それは丸みを帯び、何かを包んでいた。その中身がなんであるかなど、考えるまでもない。
子を抱くその姿はまるで女神の様に神々しく、子に向けられる微笑みは無上の慈愛に満ちていた。

その様に、思わず兼一は足を止めて言葉を失う。
そんな彼に対し、妻は兼一が来たことにようやく気付いた様で顔を挙げる。

「あ、兼一さん」

視線を我が子から離し、彼女は兼一に微笑みかける。
その顔は本当にこれ以上ないほどに幸せそうで、そんな顔を向けてもらえる事を兼一は誇らしく思った。
兼一は溢れそうになる涙を必死にこらえ、同時に膝が笑っていることに気付く。
今まで幾度となくボロボロになってきたが、これほど立ち続けることに苦労した事はない。
ほんの僅かでも気を緩めると、即座に座り込んでしまいそうだった。
そうして、ようやく兼一は震える口を動かし苦労しながら言葉を発する。

「美羽…さん。その子が、僕たちの……」
「はい。私と、兼一さんの赤ちゃんですわ。こっちに来て、早く顔を見てあげてくださいな。
 そして、顔を見せてあげてくださいまし。この子のお父さんの顔を」

兼一はまるで何か見えない力に誘われるように、おぼつかない足取りでベッドの脇に移動する。
たった5mにも満たない距離でありながら、辿り着くまでに何秒かかったか知れない。
夢遊病患者の様な歩みで辿り着いた兼一は、怖々とした様子で白く清潔な布の隙間を覗き込む。
そこにいたのは、疑うべくもなく人間の赤子。それ以外いる筈もないと分かっていながら、その顔を見るまで兼一は実感がわいていなかったのかもしれない。何しろ顔を見たその瞬間、彼の顔は涙と鼻水でグシャグシャになってしまったのだから。

泣いた事は幾度となくある。悲しい涙も、悔しい涙も、そして嬉しい涙も。数え出したらキリがない。
だが、これほどまでに心が洗われるような気持ちで泣いたのは初めてだった。

「あらあら、お父さんがそんな泣き虫じゃみっともないですわよ。この子に笑われてしまいますわ」

そう言って妻…白浜美羽は細い指を口元に添えて上品に笑う。
御産の憔悴からだろうか、血色は優れず額には玉の汗が浮かんでいる。
しかしそれでも、優しさに満ちた瞳と溢れんばかりの至福を宿す声音が彼女の微笑みを輝かせていた。

「あ、あの…す、すみません……」

その顔を正視できず、思わず頭をかきながら赤面して眼を逸らしてしまう兼一。
そんな彼に対し美羽は「冗談ですわ」と口にして、その手に抱く我が子を兼一に差し出す。
兼一は差し出されるままにその小さな命を抱き上げる。
手に伝わる重みは、思っていたよりもずっと………………重かった。今までに持った何よりも。

数百キロに届くであろう巨岩ですら持ち上げる兼一の腕力の前では、3キロ前後の赤子などシャボン玉も同然だろう。
にもかかわらず、彼はその腕に抱いた嬰児の重さに膝を屈しそうになる。

だが、膝を屈することは許されない。
これから先、この子が一人で生きていけるようになるその日まで、彼はこの重さを背負って生きて行く。
例えどれほど重くても、押しつぶされそうになっても、膝を屈することも投げ出すことも許されない。
この子の父親として、一人の男として、彼女の夫として。
この小さな命を守るためならば、命を捨てることもいとわないと覚悟するのなら。
故に、兼一は総身の力と不退転の覚悟を以って我が子を抱き上げる。

「小さくて、暖かくて、柔らかい。なんだか、ガラス細工を持ってるみたいです」
「そうですわね。私も、秋雨さんに手渡していただいた時、同じことを思いましたわ」
「…………でも、重い」

重々しく、万感の籠ったその呟きを聞いて、美羽は彼の妻でよかったと思う。
物理的な重量ではなく、命の重さ、大切な存在の重さを実感できる彼と一緒になれた事を。

「……はい。命の重さ、百も承知しているつもりでしたが、自分がどれだけ無知だったか思い知りましたわ」

活人拳を志し、技を磨き、身体を鍛え、いくつもの死線を越えてきた二人。
しかし知らなかった。命とは、こんなにも重いものなのだと言う事を。
同時に、美羽は自身の瞼が急速に重くなっていくことを自覚する。

(ああ、もう何ですわね。アレだけ鍛えてきたのだから、もう少しはもつかと思いましたのに……)

四肢に力が入らない。先ほどまでは辛うじて支えられた我が子の重さも、今となっては支えきれないだろう。
強烈な睡魔が意識に靄をかけていく。
少しでも気を緩めれば、そのまま意識は奈落の底に落ちてしまいそうだった。

(でも、もう少し。もう少しだけ、私に時間をくださいな)

眠るにはまだ早い。まだ眠りたくはない。この、人生最良の時間を終わらせたくはなかった。
だから美羽は、小さく荒い息をつきながらも意識を繋ぎとめる。出来る限り、兼一に悟られないように。

「兼一さん、その子の名前なんですけど……」
「分かっています。この子の名前は……………………『翔』、白浜翔。それで、良いんですよね?」
「……………………………………はい」

それは、兼一と美羽にとって因縁深い相手の名前。
二人がまだ未熟であった頃に立ちはだかった強大な敵にして、二人の命を救った恩人。
美羽同様、空を翔ける翼を持ちながら籠の外へ羽ばたく事を許されなかった男。
男の子であったなら、その男と同じ名前をつける。それが、二人が良く話し合って決めた結論だった。

「この子には、翔が見る事の出来なかった自由な空を飛んでほしいんです。
 そして、彼の様に誰かの為に身を呈して戦えるような、そんな強い人になってほしいのですわ」

それが、美羽がその名に託した願い。兼一にも異論はなかった。
叶翔の事は今でも好いているとは言い難いだろう。だが、大切な人の命の恩人への恩義と、何より筋を通したその生き様に対する敬意の念は些かも揺らがない。

しかしここにきてようやく、兼一は美羽の異変に気付く。
血色の悪さは出産を終えた反動だと思っていた。玉のような汗は疲労から来るものだと。
だが、そのことに兼一は強烈な違和感を覚える。
本当にこれは、ただ御産の憔悴から来る症状なのかと。

「美羽…さん?」
(ああ、気付いてしまわれたのですね)

美羽は兼一の表情の変化を見てとり、彼が何を悟ったかを理解する。
本当は、ギリギリまで隠し通したかったのだが、それはかなわなかった。

「ちょっと待っていてください! いま、岬越寺師匠を……!!」
「それには及びませんわ」

大急ぎで秋雨を呼びに行こうとする兼一に対し、美羽は彼の袖を掴んで引きとめ首を振る。
その力はあまりにも弱々しく、諦観した美羽の表情を見て兼一は愕然とした。
自身が抱いた違和感が単なる勘違いでない事を、無言のうちに肯定されてしまったから。

達人といえど、所詮は人間。重篤な病や致命的な怪我をすれば当然死ぬ。
美羽の体は、誰に気付かれることもなく重い病に冒されていたのだ。
余命は残りおよそ半年。だが、御産は母体に多大な負担をかける。
如何に内臓を含めた全身を鍛えぬいたとしても、負担が大きいことに変わりはない。
出産自体は成功しても、その負担に母体が耐えきれない可能性は十分想定される事態だった。

「もう、私には時間がありませんの」
「な、何を言ってるんですか!? 岬越寺師匠と馬師父なら……!!」
「人は、神にはなれません。どれだけ技術が進み、その技術を極めても限界はあります。
 命数を使いきってしまえば、もう……」

美羽の言わんとする事はわかる、それこそ理解したくない事まで。
彼女の顔色が悪いのは単なる憔悴や疲労ではなく、生命力そのものが底をつこうとしているから。
よく耳を澄ませば、不自然なまでに息が荒い事にも気付く。

「前々から、秋雨さんには言われていたんですの。死ぬかもしれないと」
「そ、そんな!? 僕はそんな事一言も!!」
「誰にも言わないようにお願いしましたから」
「なんでそんな事を!?」

美羽の告白に、兼一は先ほどまでとは違う涙を浮かべて声を張り上げる。
それは、やり場のない怒りと悲しみに満ちた慟哭だった。
だがそれは、美羽や秋雨に対するものではない。
今まさに最愛の妻を奪おうとする運命と、二人にそんな気遣いをさせてしまった自分に対するもの。
それが、どれだけ無意味な事か理解しても、兼一はその感情を抑えることができなかった。

そもそも、美羽と秋雨が病のことに気付いたのは、子どもを身籠ってからの定期検診の中での事。
その時すでに、美羽を侵す病魔は取り返しのつかないところまで進行していた。
恐らく、ここで中絶しても次の子どもを望む事は出来ない。
幸いだったのは、その病が胎内で育つ子に感染するような類の物ではなかった事。
故に、美羽は命と引き換えに産み落とす事を選択したのだ。最愛の男との、ただ一人の愛の結晶を。

「産んでも産まなくても、結果は変わらないと言われましたの。早いか遅いか、それも半年程度の差だと。
 それならいっそ、その時が来るまで心配させたくなかったものですから」

だから、誰にも言わないよう懇願した。最愛の夫でありパートナーである、兼一にさえも。
それが兼一に対する最初で最後の裏切りと知っていながら、それでも彼女はそれを望んだ。
せめてその時が来るまで、自分が愛した人たちの顔を悲しみで曇らせたくなかったから。

しかし、それが自分のエゴでしかなかった事を美羽は理解する。
片手で我が子を抱いたまま、もう片方の手で自分の手を握りながら涙する兼一を見て。

「僕は………僕はあなたを守るって誓ったのに! やっとあなたを守れるくらい強くなったのに………それなのに、こんな時にあなたに何もしてあげられない!!
 アイツとの誓いも、あなたとの約束も、みんな…みんな破ってしまう!!!」

悔しかった、やっと美羽を守れるくらいに強くなったのに、むざむざ彼女を死なせてしまう事が。
折角この世に生を受けた我が子に、碌に母との思い出を作らせてやれない弱い父(自分)が。
だが、そんな兼一に対し、美羽は優しく手を重ねて首を振る。

「いいえ。それは……それは違いますわ、兼一さん。私、最近になってようやく気付きましたの。
 以前はあなたが私の庇護を離れる事をさびしく思ったこともありましたが…………本当は逆で、私があなたに守られていたんですわ」
「……………え?」
「私はずっと、あなたに守っていただいていましたわ。
いつ闇に堕ちるとも知れなかった私の心を、あなたのその…優しくて強い心が」

逃れられない死を宣告されて以来、美羽は人知れず不安と恐怖に耐えてきた。
命をかけて戦う事には慣れていたが、ヒタヒタと忍び寄る死の影は彼女をして恐怖させる。
それに今日まで耐えて来られたのは、傍に兼一がいてくれたから。
彼の優しさに、温かさに、強い心に励まされたからに他ならない。
そして気付いた。初めて会ったあの時から、その心を守られてきたことに。

「ですから、あなたは約束を破ってなどいませんわ。
誓いは、もう十分に果たしたと、きっと翔もわかってくれる筈ですもの」

それは、確かに美羽にとっての真実なのかもしれない。
だがそれが、兼一にとって何の気休めにもならない事は承知していた。
それが真実だとしても、彼はきっとずっと自分を責めて後悔し続けるのだろう。
そんな彼だからこそ、美羽は彼に惹かれたのだ。その、無上の優しさに。
しかし、それでも美羽は今日この日まで自分を支えてくれた兼一に、感謝の気持ちを伝えたかった。
伝えずに死ぬ事だけは、したくなかったから。

「ありがとうございますわ、兼一さん。私の事を愛してくれて、守ってくれて。
 あなたに出会えて、私の人生は本当に豊かになりましたわ。武術と梁山泊しなかった私にお友達が出来て、一緒に楽しい時間を過ごして、たくさん………本当にたくさんの事がありました。
 その全てが、私の大切な宝物。みんな、兼一さんがくれたもの。
 そして…………ごめんなさい。あなたからもらった物を何も返せず、あなたと翔を置いて逝く私を許してくださいまし」

最後の時には何を伝えればいいか、ずっと美羽は迷ってきた。
だが、いざその時が来てみれば、スラスラと伝えたい事が口から溢れてくる。
むしろ、いくら伝えても伝え足りないからこそ、残り少ない時間がもどかしい。

出来るなら、このまま一晩中思いの丈を紡ぎ続けたかった。
それができない事を、美羽は心の底から呪う。
いや、本当に呪っているのはそんな事ではなくて、最愛の夫と息子から引き離され、やっと得た宝物を失うことそれ自体。
『死にたくない』と、『もっと生きたい』と、『愛おしい人たちと過ごしたい』と、魂の底から願う。
しかし、それが叶わないことを、指一本動かすことにすら苦労する体が知らせていた。

今にも溢れそうになる涙をこらえ、美羽は我が子を見つめる。
翔はスヤスヤと寝息をたて、自身の母に何が起ころうとしているかまだ知らない。
何も伝えられず、碌に愛情を注ぐこともできなかった事を心のうちで詫びながらも、美羽はその穏やかな寝顔に魅入られる。こうして我が子の顔を見ているだけで、あらゆる束縛から解放されたようだった。

兼一は最早、美羽に対して何も口にできない。
漏れるのは嗚咽ばかりで、言葉を発する余裕などどこにもなかった。
そんな彼に対し、美羽はいくつかの願いを託す。

「兼一さん。最後のお願いを、してもよろしいですか?」

美羽の言葉に、兼一はしばしの間をおいてから頷く。
その様子を見て美羽は静かに微笑み、その願いを口にする。
兼一はただ一語一句逃さないように、決して忘れないようにその言葉に耳を傾けた。

そしてすべての願いを伝え終えた後、二人の家族、梁山泊の面々が診療室に入ってくる。
秋雨から事情を聴いたのだろう、皆の眼には涙が浮かんでいた。
自分の為に泣いてくれる家族に対し、美羽は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
特に、祖父に対してはその気持ちが強い。屈強な祖父の眼にも、透明な雫が浮かんでいたから。

そんな彼らに対し、美羽は精いっぱいの感謝と謝罪の言葉を伝える。
そうして美羽は、愛すべき家族達に囲まれ安らかな微笑みと共に…………………その短い生涯に幕を閉じた。



  *  *  *  *  *



数日後の梁山泊。
重い曇に包まれたその日、白浜美羽の葬儀がしめやかに行われようとしていた。

高校・大学時代の学友はあまり多くなく、参列者の多くは新白連合のメンバーたち。
あるいは、武術を通して出会ったライバルがその大半を占めている。
中には警察や中国の武侠組織の重鎮などもいたが、その数もやはり多くはない。
同時にそれらの事実は、ある意味彼女の特殊な生い立ちを象徴しているようでもあった。
だが、彼らの眼には一様に涙が浮かび、故人がどれほどまでに皆に愛されていたかは一目瞭然だろう。

やがて葬儀も終わり、ほとんどの参列者が家路についた頃。
梁山泊の道場で、喪主を務めた兼一は友人たちと向かい合っていた。

「新島、折り入って一つ頼みたい事がある」
「どうした、相棒。藪から棒によ」

スヤスヤと眠る我が子を抱く兼一の対面に座るのは、兼一無二の悪友「新島春男」。
その周りには、新白連合最初期のメンバーや黎明期を支えた幹部たちが勢揃いしている。
また、少し離れた所には兼一の妹のほのかと、彼女の交際相手である「谷本夏」の姿もあった。

「実は……………………………連合を抜けようと思う」
「な、なに言ってんですか隊長!?」
「そうですよ! 連合は総督と隊長がいてこそじゃないですか!!」
「奥方を亡くして悲しいのはわかるが、思いとどまるんじゃあ隊長!!」

元は新島が作ったまやかしの団体でしかなかった新白連合。
はじめは煩わしくも思っていた兼一だったが、いつの間にか見捨てる事の出来ない掛け替えのない仲間になっていた。自分の発言に対し、必死に引き留めようとする水沼や上岡、旗持ちの松井を兼一は優しい目で見つめる。
いや、引きとめようとしているのは彼らだけではない。ラグナレクとの抗争を乗り越えて連合に吸収された白鳥達元キサラ隊の面々も、共に兼一を引き留めようとしてくれている。
隊長達はさすがに騒ぎ立てこそしないが、それでもその眼には憂いの色が濃い。
こんなにも自分を思ってくれる友人たちに、兼一は重く沈んだ心が僅かに軽くなる事を自覚した。

だがそれでも、これはもう決めた事なのだ。
そう口にしようとしたところで、新島が騒ぐ彼らを制する。

「静かにしろ手下ども!」

新島の一喝により、ざわついた場の雰囲気が静寂を取り戻す。
元は単なる小悪党でしかなかった筈の男だが、今や組織のトップとしての貫録を身につけていた。

大学時代にジークフリートの出資や株取引によって得た資金を基に、連合を武術団体として起業して早数年。
新島の頭脳と統制され忠誠心厚い部下達、そして各隊長の秀でた武術の腕前。
これらの歯車が絶妙にかみ合い、瞬く間のうちに日本の武術界に連合の影響力は広がって行った。
今や、世界にも連合の名は浸透しつつある。洋の東西、裏表を問わず。

二十歳を超えたあたりから、チラホラと達人の領域に至る者も出てきた。
そうして新白連合は、世界的に名の通った達人を幾人も擁する一大武術組織へと成長しつつある。

「理由を聞かせてもらおうか、兼一。俺はおめぇに、組織のナンバー2としてふさわしいだけの物を提供してきたつもりだ。おめぇだって、まんざらじゃなかったように思えてたんだがな」
「…………そうだな。正直言ってしまうと、連合としての活動も充実していたのは本当だ。
 互いに武を競って磨き合い、時に笑い、時に共に戦った。みんな、掛け替えのない仲間だと思っているよ」
「そこで金とか地位とか権力が出ねぇのがおめぇらしいが、なら何が不満なんだ?」

実際、新島から支払われる給与は下手なベンチャー企業の社長より多い。
そこに加えて、表沙汰にできない警察などからの依頼仕事をこなせば、さらに特別手当が出る。
おかげで、梁山泊の経営はここ数年かなり余裕が出て来ているほどだ。

兼一は金銭には興味の薄い人間だが、決してその価値を軽視して良わけではない。
生きていくためには金がいる、その事を正しく理解している。
だから貰えるものはしっかりもらうし、それを梁山泊の運営に充てたり、自分自身の趣味などの為にも使う。
ただ、元よりあまり欲の強い方ではないので、余った金銭は匿名で慈善団体に寄付している辺りがこの男らしいが。

…………話が逸れた。
要は、今の兼一に新白連合に対して特に不満らしい不満はないと言う事だ。
だからこそ、新島をはじめ連合の面々は首をかしげざるを得ない。

「不満とかじゃないんだ。ただ、武の世界から少し離れようと思ってね。
 その為には、連合にいたままじゃダメなんだ」
「お兄ちゃん!? いきなり何言ってるんだじょ!
 あんなに頑張って、大好きだって言ってた武術をやめるの!?」

それまで静観していたほのかが、ついに声を張り上げる。
まさかこの兄が、武を捨てるなどと言うとは思ってもみなかったのだろう。
それは誰もが同じ気持ちで、皆信じられないと言わんばかりに目を見開いている。
今日まで兼一がどれほど真摯に武に打ち込んできたか、それを知るからこそ。
しかしそこで、夏は何かを確かめるようにゆっくりと口を開く。

「それは、その手元にあるものの為か?」
「さすがだね、谷本君。でも正確には、美羽さんとの約束なんだ。
 武の道を行くかどうかは、この子…翔自身に決めさせるって」
「それはどういうことなんだ~い、兼一君?」

兼一の言葉に隊長陣の一人、ボクサー「武田一基」が問いかける。
その問いに対し、兼一は美羽が逝った夜の事を思い出しながら言葉を紡ぐ。

「僕は、武術と出会えてよかったと思っています。武術を通して、沢山のかけがえのない宝物を得たから。
 武術は、僕にとって無二の恩人とも言える存在です。出来るなら、翔にもその素晴らしさを知ってほしい。
 それに僕も武術家のはしくれですからね。息子に後を継いでほしい、自分の全てを伝えたいと言う気持ちはあります」
「それならなんでなんだい、ボーヤ。息子に武術をやらせたいっていうのと矛盾するじゃないか」
「でも、同時に僕たちは知っています。武術は辛く苦しく、危険なものである事を。
 僕も美羽さんも一人の親として、翔には平穏な人生を歩んでほしいんですよ。平凡で、ありきたりで、特別なものなんて何もない人生。それはきっと、そう悪くないものだと思うんです」

テコンドーの使い手「南条キサラ」の言葉に、今度は父として答える兼一。
それは、父親として当然の願いだろう。どこの世界に、息子に苦難の道を歩ませたがる親がいる。
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言うし、優しくするだけが優しさとは限らない。
あるいは中国の諺にも、「摩擦なくして宝石を磨けないように、試練なくして人は完成しない」とある。

確かにその通りだろう。
だが、だからと言って達人へ至る道程は「険しい」などと言う生易しいものではない。
ならば、我が子に平凡な人生を望む事は、何も間違っていない筈だ。
武術は素晴らしいが、武術を修めねば幸せになれないわけではないのだから。

「父としては我が子の平穏を望み、武術家としては継承を望む。
 これは、子を持つ武術家が誰しも抱く葛藤でしょうね~、ラ~ラララ~♪」
「たしかに、風林寺がそれを望んだのも無理はない、か」

ジークフリートこと「九弦院響」とフレイヤこと「久賀舘要」は、兼一達の思いに共感を示す。
武術家といえど人の親。何より、兼一と美羽の二人は特に情に厚い。
そんな二人が、我が子の平穏を望むのは必然と言えただろう。
そして、トールこと「千秋佑馬」が兼一の言葉の意味を総括する。

「なるほどのぅ、つまり我が子を武から遠ざける為に、自ら武を離れると?」
「はい。翔に普通の人生を歩むチャンスを与える事、それが美羽さんの最期の願いなんです」
「っ! おい兼一、まさかお前……!」

そこで、柔道家「宇喜田孝造」が兼一の言葉の裏にある意味を悟る。
さすがに驚きを隠せない宇喜多に対し、兼一はいたって平静のまま答えた。

「たぶん、あなたが思った通りですよ宇喜多さん。
納骨が終わり次第、僕は梁山泊を離れて実家に戻るつもりです」
「その事は、あのジイサンたちは知ってるのか?」
「ああ、美羽さんが逝ったあと、長老たちと話し合って決めた事だ」

新島の問いかけに、兼一はその時のことを思い返す。
美羽の臨終を秋雨が告げ、兼一を含め皆はその胸の内の悲しみをそれぞれの方法で発散した。
ある者は酒を浴びるように飲み、ある者は部屋に引き籠もって泣き、ある者は夜空を見上げて家族の冥福を祈り、ある者は自身の不甲斐なさを悔いた。

そうして悲しみに暮れた後、兼一の呼びかけで梁山泊の豪傑達が道場に集ったのだ。
そこで兼一は、今新島達に言ったこととほぼ同じ内容のことを告げた。

「決意は堅いのかい、兼一くん」
「ごめんなさい、岬越寺師匠」
「私に謝られてもね……皆はどうだい?」
「へっ! やめてぇってんならやめさせればいいじゃねぇかよ! 俺の知ったことか!」
「…………………僕も、それでいいと思…う」
「そうね、確かにここにいたら美羽の遺言は果たせないしね」
「アパチャイ、むつかしい事は良くわかんないけど、兼一と翔が戻ってきたら一杯一杯歓迎するよ!
 だから、兼一は気にしないでいくといいと思うよ!」

皆、形は違えど兼一と美羽の意思を尊重してくれた。
長老は黙って何も言わないが、兼一の眼には彼の覇気が衰えたように見える。
まるで、唐突に何十歳も年をとってしまったかのようだ。

そのまま、兼一は長老の言葉を待つ。
酷かもしれないが、それでもここは言葉として聞かねばならない時だから。
そうして待つこと十数分。やがて、長老はその重い口を開いた。

「孫娘の最期の願いじゃ、聞かんわけにはいかぬて」

重い重いため息と共に、長老はそう言って兼一が翔とともに梁山泊を離れることを承諾した。
武術の世界に置いて、兼一はすでに「梁山泊の弟子」ではなく「梁山泊の一員」として見られている。
それはつまり、彼が師達の技の全てを継承したことを意味する認識であり、師達もそれを否定しない。
未だその技の深さは師に及ばないが、教えられることは全て教えたから。
もし、まだ残っている物があるとすれば、それは武器術である香坂流と無敵超人が誇る超技百八つくらいか。

「それに、別に武をやめるわけじゃありませんよ。
これからも練磨を怠る気はありませんし、翔が寝付いた後にでもご指導賜りたいと思っています。
いつか、翔が自分自身の意思で武の道を選んだ時、腕が鈍っていたら美羽さんにあわせる顔がありませんから」

そう言って、兼一は苦笑を浮かべる。
平穏か武か、それを選ぶのは翔自身でなくてはならない。それが美羽の願い。
そして翔が武を選んだその時は、自分自身の手で鍛える事を兼一は決めていた。
だからこそ、兼一はここで師達が思いもよらない事を口にする。

「長老、一つよろしいでしょうか?」
「? なんじゃ、兼ちゃん」
「僕に超技百八つ、その全てを伝授していただきたいんです」

兼一は座布団から降り、畳の床に額を擦り合わせて土下座する。
その言葉に、さしもの梁山泊の豪傑達もおどろきの表情をあらわにした。

兼一も長老の教えは受けているが、百八つあるとされるその秘技の全てを学んだわけではない。
それどころか、その全容を把握しているかさえ怪しいだろう。

無敵超人は弟子をとらないことで有名な達人だ。
修業をつけ、技を授ける事はある。だが、正式な弟子は取らない。
兼一や美羽もまた「教えを受けた」だけであり、正しい意味での「弟子」ではなかった。
そんな彼に、兼一はその全ての技の伝授を乞うたのだ。
それはつまり、正式に弟子に取ってほしいと願ったことを意味する。

長老は兼一の申し出に押し黙り、鋭い眼光が兼一を射る。
並々ならぬ気当たりが発せられ、知らず兼一の額に汗が浮かぶ。
それを見た秋雨は、とりなすように二人の間に入った。

「理由くらいは聞いてはいかがでしょう、長老」
「そうね、兼ちゃんに限っていい加減な気持ちで言うとも思えんしね」
「…………………良かろう。では白浜兼一、御主はなぜわしの超技百八つ、その全てを求める」
「一武術家として己を極める為…………………と言うのもあります」
「それだけではない、と言う事じゃな?」
「はい。翔が武人となる事を選んだその時、僕は僕や美羽さんが愛した梁山泊の全てを、この子に伝えたいんです。
 美羽さんが何を見て育ったのか、どんな技を使う人に武を学んだのかを。
美羽さんとの思い出がないこの子に、その代わりとなる物を授けてあげたいんです」

全ては、我が子が選ぶかもしれない未来の為に。
それが、兼一が超技百八つの伝授を求めた理由。
自分の為ではなく大切な人の為に、それは実に彼らしい理由だった。

「もし拒否した時、御主はどうするつもりじゃ、白浜兼一よ?」
「その時は、戦ってでも盗みます」
「わしと戦って、無事で済むと思うておるのか?」

その瞬間、長老の気当たりがさらに強まった。
『侮るなよ小僧』と、無言のうちに激怒されたかのような錯覚を覚えるほどの気当たり。
よほどの達人でも呑まれ、心がくじけてしまいそうな重圧と根源的な恐怖。
しかしそれでも、兼一の覚悟は揺るがない。

「長老、あなたは一つ勘違いをしていらっしゃいます。
 梁山泊に入門して以来、僕はずっと自分より強い相手とばかり戦ってきました。
 どれだけ力の差があっても、僕は一度だって負けるつもりで戦った事はありません!!」

長老の気当たりを、兼一もまた真っ向から受け止める。
彼の言う通り、未だ兼一では長老には敵わないだろう。
美羽との結婚にしたところで、アレはかなり例外的な事例だ。
その武の全てを晒した無敵超人を相手にするには、兼一はまだ若く未熟過ぎる。
だが、そんな事で兼一の意思はくじけない。

両者が睨み合う事しばし。
気の弱い者なら、それだけで死んでしまいかねないほどの気当たりの応酬。
先に気当たりを引っ込めたのは、長老の方だった。

「………………………良かろう。ただし、わしの修業は厳しいぞい。
 それが、翔に気付かれないようにするとなれば尚更じゃ」
「元より、覚悟の上です」

兼一の意思と覚悟に思うところがあったのだろう。
長老は溜息と共に、頭を振って兼一の申し出を了承した。
あるいは、どこまでも真摯で邪念の無い兼一の思いに折れたのかもしれない。
そんな彼に対し、兼一はただ深々と頭を下げる。
信条か流儀か。どちらにせよ、これまで貫いてきた自身のあり方を曲げてまで己の我儘を認めてくれた、義理の祖父に。

こうしたやり取りが行われた後、兼一と長老は二人で縁側に座っていた。
互いの手には御猪口があり、静かに二人は酒を酌み交わす。
そこで、夜空を見上げていた長老がポツリと漏らした。

「兼ちゃんや。わしはな、別に神様や仏様をそれほど真面目に信じ取るわけではないが、今回ばかりは彼らを呪ったぞい。こんな老い先短い老人ではなく、なぜまだ若く、子を産んだばかりの孫娘を殺すのかとな」

それは、兼一もまた抱いた怒りだった。
どうしてよりにもよって美羽だったのか。
子の成長を見届けられない母親、母の思い出を持たない子。
どちらも、あまりにも悲し過ぎるではないかと。

「じゃが、今はほんの少しだけ………感謝しておるよ。
 お主の様な若者と孫娘を引き合わせ、この老いぼれに最後の役目を与えてくれたんじゃからな。
 それならまぁ、神や仏とやらもそれほど捨てたものではないのじゃろうて」
「長老……」
「わしの全てを、お主に託す。翔がどの道を選ぶとしてもな。
 誰に伝えるも、どう使うかもお主の思う様にするがよい」

これが、数日前に長老と兼一との間で行われたやり取りである。
こんな話を聞かされては、連合の面々に異論などある筈もなし。

「ジーク」
「はい、我が麗しの魔王よ」
「兼一の脱会の手続きだ。明日の朝までに書類をまとめろ」
「………承知いたしました」
「わるいな、新島」
「へっ、別におめぇがいなくなっても連合はもう盤石よ。
 これで俺様の独裁だからな、かえって清々するぜ」

それだけ言って、新島は兼一に背を向けて歩み出す。
その背を追って、一人また一人と連合員達が立ち上がる。
その中には、兼一にとって戦友とも言うべき隊長達も含まれていた。

「ま、こっちのことは気にせず子育て頑張りたまえ、兼一君」
「そういうこった。おめぇの分まで俺達で何とかしてやっからよ」
「何言ってんだい宇喜多、アンタが一番心配なんだよ。なぁ、ボーヤ」
「その子の前で武の練磨はできんのだろう。なら、必要な時は声をかけてくれ。
 うちの道場でよければ、いつでも貸すさ」
「おしぃのぉ、お主の息子を弟子にして実戦相撲を極めさせようかと思うとったんだがなぁ」

口々にそう言って、隊長達も梁山泊を後にする。
兼一は知っていた。新島主導で梁山泊の豪傑達が兼一にそうしたように、あるいは闇における「一なる継承者」と同じように、隊長たち全員の武を一人の弟子に伝える計画がある事を。

しかしそれも、兼一の離脱で白紙になるか、再考されることになるだろう。
特に、全てを伝える弟子の最有力候補が翔であったから。
その事を申し訳なく思いつつ、友人たちの配慮を嬉しく思う兼一だった。

「お兄ちゃん、ほのかは武術とか全然関係ないから、いつでも頼ってくれていいじょ」
「ああ、ありがとな」
「子育てにかまけて腕を鈍らせねぇ様に気をつけな。
 梁山泊を離れようが連合を抜けようが、てめぇを狙ってる奴は掃いて捨てるほどいるんだからよ。
 てめぇは俺が殺すんだ。その事を忘れんな」

そうして、ほのかと夏も去っていく。
夏の不器用な配慮に、兼一は苦笑しつつもよい友人を得たことを噛みしめる。

場所は移って新島の車。
一人で運転し家路を辿る彼は、誰も聞いていないこの状況でやっとその本心を吐露した。

「まったく、俺様も丸くなったもんだぜ。
 折角の手駒を、みすみす手放すんだからな」

自身の甘さに呆れかえるとばかりに、新島は肩を竦めてため息をつく。
兼一と関わって、彼も変わった。その変化を、彼もそう嫌っていはいない。

「まあ…………しゃーねーか。
 あんな奴でも、俺様の唯一の悪友(親友)だからな」



  *  *  *  *  *



それから4年の月日が流れた。
兼一は一人の幼児に急かされながら、買い物袋を手に駅前のアーケードを歩いている。

「父様、はやくはやくぅ!」
「ああ、分かってるよ翔」

それはだれの目にも微笑ましい、仲の良い親子の姿。
翔と呼ばれた幼児は跳ねるように歩き、兼一はその様子に穏やかに目を細める。

美羽が死んでからいくらかの時が流れ、翔もだいぶ大きくなった。
美羽の願いどおり、今のところ翔は武とは無縁の生活を送っている。
自宅に武にまつわるものはなく、テレビで武術関連の番組を見る事はほとんどない。
自然、翔は武に対して無知なままにスクスクと大きくなった。
兼一が密かに、翔が寝静まったあと技を練磨していることも、彼はもちろん知らない。

翔にとって父はどこにでもいる普通の、ただし理想を体現したかのような良き父だった。
写真や父とその友人たちの話の中でしか、翔は母を知らない。
母がいないことには寂しさがあるが、それも決して大きくはなかった。
祖父母と共に生活し、また叔母や叔父、父と母の古い友人達が訪ねてかまってくれることも理由の一つだろう。
時折母と共に歩く子どもをうらやましそうに目で追う事はあっても、我儘を言って兼一を困らせる事はなかった。
父が今は亡き母の分まで、惜しみなく愛情を注いでくれていることを何処かで理解していたからかもしれない。

何より、翔は父が大好きだった。
約束は必ず守り、その場しのぎの安易な言葉を使わず、決して嘘を言ったりはしない父。
優しく、いつでも柔和な笑顔を浮かべ、何があろうと自分を受け止めてくれる父。
時には厳しく叱りつけられることもあるが、翔にもわかる様に言葉を選んで伝えようと努力してくれる父。
幼いながらに、翔は父に憧れた。大きくなったら父の様な大人になりたいと、漠然と翔は思う。

そんな感情が、兼一の周りを飛び跳ねるようにして歩く翔から見てとれる。
別に久しぶりの父の外出とかそういうわけではなく、極々日常的な買い物に過ぎない。
それでも翔は、こうして父と一緒にいられるだけで幸せだった。

「ねぇ父様、新しいご本はもう書けたの?」
「ん? ああ、出来たよ。今朝出版社……本屋さんに送ったんだ」
「へぇ、僕も読んでみたいなぁ」
「う~ん……翔には、まだちょっと早いかもしれないねぇ」

そんな会話をしつつ、兼一はにこやかに首を傾げる。
実際、兼一の執筆する本は幼児の翔にはまだ難しい。
何しろ主なテーマが「イジメ」だ。これはハードルが高い。

ただ、執筆活動は梁山泊を離れてから始めたわけではない。
実際、美羽が存命中にも執筆活動は細々とやっており、いくつかの小さな賞を取ったこともある。
だが、本格的に執筆に集中するようになったきっかけが、美羽の死だったと言うだけの話。

とはいえ、その頃と今で兼一の執筆内容は若干変化している。
その一つが、当時メインテーマの一つだった「武術」を取り上げなくなった事。
翔の周りから武術の気配を取り除くにあたり、兼一は武術をテーマにした執筆をしなくなったのだ。

それでも、武門に入る前の実体験を基にした兼一の小説はそれなりに売れている。
幼い頃からの夢だった直木賞こそ受賞していないが、今や知る人ぞ知る若手小説家として活動中だ。
まあ、さすがにまだこれ一本で食っていけるほどの収入にはならないが……。
しかし、別段これが本業と言うわけでもない。

今のところ、本業は連合を抜けた後に再就職したチェーンの園芸店だ。
駅前の小さな店だが、親切な接客と豊富な専門知識、そして取り揃えていない品でも数日のうちにとり寄せられる手早さが好評を博している。
なんでも高校時代の友人、泉が大手のメーカーに就職したおかげでそのコネもあり何かと恩恵を受けているらしい。また、利用者や主婦層の間では「軍手と作業着の似合う店員」としてちょっとばかし有名だったりする。

だが、武術とは無縁の生活を送るだけなら夏を頼ればよさそうなものと思わなくもない。
何しろ彼の表の顔は、大企業『谷本コンツェルン』の総帥。
しかも今やお飾りなどではなく、実際に辣腕を振るう経営者だ。
そのコネを頼ればもっと収入の良い仕事、高いポストに付く事も出来そうなものだが……。

しかし、実際の世の中とはそううまくはいかないもの。
まず、彼の性格を考えると素直に兼一を援助するとは考えにくい。
もちろんあれで情に厚い所があるので非情に徹し見捨てるとは考えにくいが、むしろ問題となるのは彼の裏の立場。表向きは大企業の総帥だが、その裏には闇の一影九拳が一人『拳豪鬼神』の一番弟子としての顔がある。
如何に武術界を離れたとしても、活人拳の象徴たる梁山泊の一番弟子である兼一が夏の下に付くのは、色々問題があった。それをわかっていたからこそ、この4年夏は一切の援助を兼一にしていないのだ。

とはいえ、それでも兼一の手には職がありとりあえず食うに困る事もない。翔も元気にスクスクと成長している。
決して楽とは言えないが、父子家庭としてはおよそ順風満帆と言っていい生活を、現在の兼一達は送っていた。
未だに美羽を失った喪失感は大きく、胸に空いた空洞は小さくなる様子はない。
だがそれでも、人は生きていける。ましてや、支えねばならない家庭があれば尚更だ。
美羽が残した忘れ形見である翔を立派な大人に育てる、それが今の兼一の生きる指針。
同時に、彼の成長を見守る事こそが今の生甲斐と言っていい。

そんな事を再確認しながら歩く兼一と、そんな事はつゆ知らず父との時間を楽しむ翔。
そこでふっと視線を挙げると、電器店のショーウインドウにいくつかのテレビが陳列されていることに気付く。
それ自体は何てことはないが、問題なのは映し出されている内容だった。

兼一は思わず足を止め、その内容に耳を傾ける。
そこから流れているのは、昨日行われた新白連合も出資している総合格闘技、その王者決定戦後に行われた勝者へのインタビューだった。

『8度目のタイトル防衛おめでとうございます、水沼さん。
 総合格闘家としてデビューして以来無敗、いまや国民的ヒーローですね!』
『いえ、僕なんてまだまだですよ』
『おお、まだまだ向上心は衰えませんか! それが強さの秘密なんですね』

そこに映っていたのは、兼一にとってもなじみ深い人物。
かつては兼一同様いじめられ子だった水沼は、いまや連合を代表する格闘家として活躍している。
『表側の』と言う注釈こそ付くが、内閣総理大臣に匹敵する有名人だ。

幹部クラスは達人ばかり、表の世界ではその武を披露するのは憚られる。
その為、結果的に水沼達平隊員たちが表側での主力となった。
実際、水沼以外にも何人もの連合メンバーが格闘技の第一線で活躍している。

『では、この喜びを今どなたに一番伝えたいですか? やはり、先日生まれたお子さんでしょうか?』
『そうですね、正直「一番」と言うのは決められませんよ。
妻と娘もそうですが、恩師をはじめ伝えたい人は大勢いますから』
『恩師と言えば、先日二十番目の支部を開設した「鬼幽会」、その会長アラン須菱さんですね』
『はい、アラン先生の教えがあったからこそ、今の僕があります』
『ほぉ、たとえばどんな教えが心に残っているのでしょう?』
『そうですね……「強くなる方法なんて簡単だ、どんなに殴られても蹴られても、絶対に倒れなければいい」。
 この教えがあったからこそ、どんな窮地でも立ち上がり、戦えるんだと思います』
『そうですかぁ! では、やはり一番喜びを伝えたいのは恩師、と言うことになりますか?』

水沼の言葉に感動したのか、それとも単なるパフォーマンスか。
どちらにせよ、ショーマンシップに溢れた反応を返してくれる。
だが、最後の質問に水沼は僅かに押し黙り、ゆっくりと噛みしめるように慎重に返答した。

『………………いえ、それでも敢えて一人に絞るのなら、別の人です』
『おや、それはどなたですか?』
『その人は訳あって名前を出す事を望んでいません。なので、名前は秘密にさせてください。
 ですが、あの人と出会えたからこそ、今の僕がいるんです。今日にいたるまで、僕は何度も道を誤りかけてきました。でもその度に、あの人の存在が僕を正しい道に引き戻してくれました。
 あの人が、本当の勇気と強さを教えてくれたんです!!』
「どうしたの、父様?」

そこまで見たところで、翔が兼一の裾をやんわりと引っ張る。
兼一の意識はテレビから引き戻され、優しく翔に微笑みかけた。

「ん? ああ、ごめんよ翔。
ほら、うちのテレビもだいぶ古くなってきたし、新しいのに買い替えようかと思ってさ」
「ダメだよ! まだあのテレビ使えるもん! 物は大切にしなくちゃダメって教えてくれたのは父様だよ!!」
「そうだったね、ゴメンゴメン」

翔のちょっと背伸びをしたツッコミに、兼一は「してやられた」とばかりに頬をかく。
そうして二人は電器店を後にする。
いくらか歩いたところで、兼一は前を行く翔に話しかけた。

「そう言えば、そろそろお昼だね。どこかで食べて行こうか?」
「じゃあ僕、ハンバーグがいい!!」
「ははは、翔はホントハンバーグが好きだなぁ。じゃあ、いつものお店にしようか」
「うん♪」

子どもらしい元気な返事に、兼一は自身の幸せを噛みしめる。
美羽を失った時はもう笑えないと思った。涙が枯れる事はなく、枯れても血が代わりに流れると思ったものだ。
しかし、人は時間をおけば笑えるようになる。枯れない涙など存在しない。
失った空白はそのままに、それでも生きていけるのが人間と言う生き物だから。

同時に、兼一は口には出さず、心のうちで水沼の成功を讃えていた。
自身と違い、大切な物を失うことなく日々を生きる友を少しうらやましく思いながらも。

(違うよ、水沼君。僕は何もしちゃいない、君が今日ここまで来られたのは君自身の克己と努力の賜物だ。
 もし僕が何かしたとしたも、そんな物はきっかけに過ぎないさ)

もう何年も会っていない友人に向けて、兼一はそう心中で語りかける。
兼一の決意を聞いて以来、水沼をはじめとした連合の一般メンバーは彼の前に立った事はない。
武田達幹部クラスだと、表の世界では名が売れていないおかげで、武を披露しなければ翔の前に出られる。
しかし、彼らは表の世界で名が売れてしまった。故に、翔の前に姿を見せないようにしたのだ。
その為、兼一は幹部クラスとは時折会っているが、新島とも全く会っていない。

それでも、かつての友人たちが壮健であるという知らせは兼一にとっても喜ばしい。
新島も、今では世界的企業に成長した新白連合の代表取締役としてメディアを賑わしている。
隊長達も、風の噂では武術の世界でその名を轟かせているとか。
それらのことを思い返せば、自然と兼一の足取りは軽くなる。
翔はえらく上機嫌な父を不思議に思いながらも、そのまま兼一との外出を楽しむのだった。



買い物と食事を済ませ、二人は人通りの少ない路地を歩いて家路につく。
ただし、翔が今している事はあまりほめられたものではないだろう。
なぜなら翔は、肌着の下から何かを取り出し、それを夕日に当てながら眺めているのだから。

人通りが少ないとはいえ、歩道と呼べるものはない路地だ。
多少の余所見は誰でもする事だが、やはり推奨される類のことではない。
故に、兼一がやんわりとそんな翔を注意したのは当然のことだった。

「翔…ちゃんと前を見て歩きなさい。余所見をしてると危ないよ」
「あ…はい。ごめんなさい、父様」

父の注意に翔は素直に頷き、いそいそと取りだして眺めていた物をしまう。
それは、冷たい輝きを放つ虹色の立方体。
その頂点の一角には華奢な紐が結えられ、翔の首からペンダントの様にして下げられていた。

兼一がそのまま翔の手を差し伸べると、翔は満面の笑顔を浮かべながら父の下へと小走りに駆けてくる。
そこでふっと、兼一は唐突に翔の首から下げられている物の事を思い返し首をひねった。

(それにしても、アレっていったい何なんだろう?
 ガラス……のようには見えないし、だからって宝石とも違うんだよねぇ。
 長老は『御守りじゃ』とか言ってたけど……)

そう、アレは翔が生まれてすぐに義理の祖父でもある長老から翔に送られた御守り。
由来を含め、一切の説明を為されずに半ば押し付けられたそれが結局何なのか、兼一も未だに知らない。
ただ、渡されたその時に『翔に肌身離さず持たせなさい』と厳命されただけだ。

長老の秘密主義は今に始まったことではないが、御守り程度にそれを発揮するのは少々不可解でもある。
何よりも、四年以上の時間が経った今でも何も教えてくれないとなると、兼一でなくとも何かいわくつきの品ではないかと勘繰りたくなるというものだろう。
まぁそれはそれとして、兼一はさしあたってのささやかな問題へと頭を切り替える。

(やれやれ、またか……)

見える範囲内にこれと言って異常はない。
時折擦れ違う人々からすれば、普段となんら変わらない穏やかな日常の一ページだろう。
だが、兼一の「鋭敏」程度では収まらない感覚は、確かにそれを捉えていた。

(ひい、ふう、みい……4人か。中々丁寧に気配を断ってるとは思うけど、まだまだ甘い。
準達人級ってところかな)

あちらとしては、慎重に気配を断ち、入念に姿を隠しているつもりなのだろう。
実際、翔を含め道行く人々は誰ひとりとして気付いていない。
しかし、それは所詮一般人レベルの話。
曲がりなりにも「達人」の域に至った兼一からすれば、この程度は隠れていないも同然だ。
隠行の粗さから見ても、実力はそれほど高くはあるまい。

もちろん、『何十年も武を磨き続けた強者が一瞬の油断で弱者に敗れる』のが武の世界。
それを時にその眼で見、あるいは直接経験してきた兼一は格下相手でも侮る事はしない。
侮る事はしないが、その代わりに少々気が滅入る。

(アレから結構経つって言うのに、よくもまぁ……)

翔に気付かれない様に、こっそりと溜め息をつく。
武の世界、その第一線から身を退いて早数年。
かつてはひっきりなしに挑んできた挑戦者やら刺客やらも、兼一自身が表舞台から姿を消し、また悪友や戦友たちが方々に手をまわしてくれたおかげで最近は大分ナリを潜めて来た。

その事は純粋に友人たちに感謝なのだが、やはり全てを抑えきる事は出来ないらしい。
もういい加減に、昔話や過去の遺物扱いされていても良さそうなものだが、未だにこうして忘れた頃にこの手の輩が現れる。元来争い事を好まない兼一からすれば、気が滅入るのも無理はないというものだろう。

まぁ、それでも隠遁当初に比べれば格段に減ったのはまぎれもない事実。
なにしろ、最後に襲われたのはもう3ヶ月も前になる。
この調子で行けば、いつかは完全に刺客の影が消える日も来るかもしれない……ただ、経験上あまり期待しない方がよさそうなのが、一番の問題なのだが。

(っとと、いけないいけない。
 先の事を気に病んでも仕方がない。とりあえず、この状況はどうしたものか……)

相手が4人とはいえ、準達人級が何人いた所で油断さえしなければ物の数ではない。
だから、問題なのは「すぐ傍に翔がいる」というこの状況だ。

武の第一線から離れたとはいえ、技の練魔までは怠っていない。
故に、撃退するだけでいいなら、準達人級が4人位なら秒もかけずに沈められる自信がある。
幸いあちらも不意打ちする気満々の様だし、正面から堂々と名乗りあった上で対峙してやる義理もない。
だが、それで万が一にも翔にその場を目撃されては事だ。
できるなら、兼一はまだ翔に己が武術家である事を知られたくない。

(かと言って、まさか「ちょっと用事があるからここで待ってなさい」とは言えないしなぁ)

幾らここは人通りが少ないとはいえ、まだ5歳にもなっていない我が子を道端に数秒間でも放置するのは別の意味で不安だ。それに「何をしていたのか」を聞かれても困る。
0.1%でもバレる可能性を潰す為には、やはり家に帰ってから闘うのが望ましい。

なぜなら、家に帰りついてさえしまえば、「トイレに行く」など適当な、それでいて納得させやすい理由をつけて翔の傍を離れられる。また、同居している母が翔を見てくれるので、事故などの心配もいらない。
なにより、これなら決して翔の眼の届かない所で撃退できるし、事実過去の襲撃者の大半はこの形でなんとかしてきた。

(できれば、彼らには空気を読んでほしいんだけど……不意打ちする気満々じゃ望みは薄いか)

あとは、気当たりで牽制しながら時間を稼ぐ手もあるにはある。
しかし、それで気圧された相手が自棄になっては裏目もいい所。
なにより、誰に似たのか翔は妙に勘のいい所がある。
武術の「武」の字も知らない子どもにそれで気付かれるとも思えないが、迂闊な事は避けるべきだろう。
となると、あとは運を天に任せるか。あるいは……

(徒に時間を費やせば不測の事態が起こるかもしれないし、ここはやっぱり……)

『孫子』曰く「兵は拙速を尊ぶ」。
作戦を練るのに時間をかけるよりも、少々まずい策でも素早く行動することが肝要。
とはいえ、迂闊な事をすべきではないと考えた傍からこんな決断をするあたり、この男もすっかり朱に交わって赤くなったものだ。
それはそれとして、決断した兼一は翔を呼び止め、その傍らに腰を下ろすと西の空の一点を指差す。

「見てごらん、翔。ほら、あそこに飛行機」
「え、飛行機!? どこどこ!」

空を見上げ、キョロキョロと夢中で飛行機を探す翔。
その瞬間、翔のすぐ傍らに腰をおろしていた兼一の姿が掻き消える。
一陣の風となり、兼一はバラバラに隠れていた筈の4人の顎を突きで“ほぼ同時”に打ち抜いた。
何が起こったかわからぬ内に意識を寸断された4人は、表情一つ変えぬまま糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。要した時間は、先の確信に違わず僅か1秒にも満たない、べらぼうなまでの早業であった。

だが、4人を一瞬のうちに沈めながらも、兼一は彼らが地面に倒れ伏していく様を見届けることなく踵を返す。
確実に沈めたと言う確信があるが故なのだろうが、それだけではない。

今の所、翔はまだ空を見上げたままで、父の消失に気付いた様子はなさそうだ。
いや、ちょうど今まさに翔は兼一がいた筈の場所を向こうとしている。
偶然か、あるいは何かに気付いたのかは定かではないが。
いずれにせよ、このままでは翔が兼一の不在に気付いてしまう。

とはいえ、翔との距離は少々離れているが、この程度兼一にとってはないに等しい。
少し急ぐだけで、翔が兼一の不在に気付く前に元いた場所に舞い戻る事が出来るだろう。
しかし、内心でホッと息をついた瞬間、兼一の背筋に悪寒が走る。

(っ! これは―――――――――――――殺気!!)

そう。それは、かつて幾度となくその身を刺し、不本意ながら慣れ親しんでしまった感覚。
翔の下へと向かう足を止めることなく、兼一は反射的に殺気の出所へと視線を向けようとした瞬間、視界の端で何かが光った。
たったそれだけで、兼一はなにが起こったのかを理解する。

(狙撃か!)

そう判断した理由は、はっきり言ってしまえば勘だ。
いくらなんでも、視界の端で何かが光った程度では情報が足りない。
だが、兼一とて銃で撃たれた経験は一度や二度ではないし、実際に狙撃された経験もある。
武術家とはいえ、闘う相手は同じ武術家ばかりとは限らないからだ。
傭兵や暗殺者から命を狙われた…もっと限定してしまえば、狙撃された経験が、全ての過程をすっ飛ばしてこの結論を導き出したのだろう。

光と殺気の出所を視界の端で確認した所、500mほど隔てた高層ビルの中腹辺りにスナイパーライフル…より正確には、その上部に取り付けられたレンズの反射光が見えた。
おそらく、そこが狙撃地点と見て間違いない。
射程が1~2kmにも及ぶスナイパーライフルを用いている割には近い様に思えるが、それは違う。
スナイパーライフルの弾速は秒速900~1000m。これは、1km以上離れた所から撃てば、着弾までに一秒以上かかると言う事だ。しかし、この距離ならコンマ5秒以内に着弾する。
より遠くから撃つよりも、より速く着弾する方が当たる可能性が高いと、この狙撃手は踏んだのだろう。

実際、たった500m程度の距離で撃つ直前まで兼一に気取らせなかった時点で、相当な腕の持ち主であろうことは間違いない。それこそ、隠行や狙撃に関して言えば高位の達人と遜色ないレベルだ。
また、今思えば、あの準達人級の4人は狙撃手の殺気に気付かせないようにするための囮でもあったのだろう。
とはいえ、彼らは全力で隠れていたようなので、本人達はなにも知らない自覚無き囮であった可能性が高いが。

その上、相当に兼一達の行動を研究し尽くした上での狙い澄ました一射だったらしい。
狙撃地点である高層ビルの位置は、兼一達の進行方向の真逆。
つまり、歩いている間中ビルは死角である真後ろにあった事になる。
これでは、本当に殺気を感じ取る以外に事前に察知する術はない。
だからこそ、囮を用意したのだろう。

しかし、もしそれだけであったなら今の兼一であれば充分に対処できた。
距離が近く、弾速が早いとはいえ殺気を感知してから到達までコンマ5秒の猶予がある。
それだけあれば充分に回避は可能。
だがそれはあくまでも、放たれた凶弾が兼一へと向かっていたならばの話だ。

「翔―――――――――――っ!!!」

膨大な経験と磨きぬかれた直感によって弾きだされた弾丸の予測進路の先は、兼一ではなく翔。
故に兼一は、それが危険とわかっていても我が子を守るために自ら射線上へと向かっていかなければならない。
やり口としては武人らしからぬものだが、相手が暗殺者や傭兵ならむしろ当然と言えるだろう。
となると、何者かに金銭で雇われたと見るべきだが……不本意ながら、思い当たる節が多過ぎる。
絞り込むのは不可能だ。

なにより、今はそんな考察よりも翔を守る事が最優先。
しかし、タイミング的にはギリギリなんとか間に合うかどうか、と言った所。
それはつまり、兼一自身には弾丸に対処する余裕が与えられないであろうことを意味する。
おそらく…いや、間違いなくそれを目的として仕組んだのだろう。
その際に、翔が巻き添えになったとしても構わない、位の考えで。

あるいは、翔の身体がもう少し出来あがっていて、あとほんの少しでも頑丈であったなら。
そうであれば、多少手荒でももっと確実で二人とも安全な対処もできたかもしれない。
だが、厳然たる事実として翔は未だ脆弱な幼子なのだ。できる事は限られる。
兼一は疾走から水平の跳躍へと切り替え、なんとか翔を射線から外そうと、その小さな背へ向けて懸命に腕を伸ばす。

(せめて、翔だけでも……!)

強く押す必要はない。軽く押す、それだけで翔は凶弾の射線上から外れる。
むしろ、強く押してはならない。そんな事をすれば、逆に翔の身が危険だから。
故に、兼一に取れる対処はこれ一つしかなかった。
代わりに凶弾を受ける事になっても、翔が無事ならば本望。

(届けぇ!!)

ゆっくりと流れる時間の中、兼一は徐々に自分の右手と凶弾が翔に近づいて行く様を認識する。
だが、どんな運命の悪戯か…その手と凶弾が翔に触れる直前、翔の胸元から虹色の光が生じた。

「っ!!!」

光は瞬く間の内に膨張し、二人を呑み込んでいく。
兼一は右手が翔に触れたと感じたその瞬間、視界が…五感の全てが意識もろとも白く塗り潰された。
残されたのは、弾丸により虚しく穿たれた灰色の壁と、僅かに滴る紅い雫。

そうして、白浜兼一と翔の親子は世界から消えた。
二人がその場にいたことを示す、僅かな証拠だけを残して。






あとがき

まず、全国の美羽ファンのみなさんにお詫びを。
いきなり美羽を殺してしまいました!? 「美羽以外とくっついてもいいんじゃないか」と思いつつ、「兼一のお相手は美羽以外いないよなぁ」とも思っているので、結局はこんな形に。
何と言うか………準ハッピーエンド? とりあえず、これなら他の誰かとフラグが立ってくっついたとしても合法ですよね? だって、結婚相手はもう他界してるんですし、あとは本人の心の問題なわけですし。
「めぞん一刻」の響子さんだって最終的には再婚してますしね。再婚ならどこにも角が立ちません、たぶん。

あと、兼一は一応かなりレベルの高い達人と言う扱いです。どの程度かは敢えて明言しませんけど。
リリなのとクロスさせるなら、最低でも達人じゃないと話になりませんしね。

また、改定に伴い転移の仕方もちょいと修正。
自分自身、前のにはやっぱりちょっと無理があるとは思っていましたので、きっかけは事故から人為的なものに変更しました。ちなみに、兼一を撃った相手は狙撃や隠行と言った点において達人級の力量の持ち主です。
まぁ、狙撃メインな時点で正面きっての決闘するタイプじゃないんですけどね。

最後に、個人的には水沼は結構好きなキャラクターなので、割といい扱いになってます。たぶん、彼が一番等身大に近いんですよね。DofD初戦の彼は輝いていたと思います。アランのアレも好きですし。



[25730] BATTLE 1「陸士108部隊」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:17

次元世界の中心地、第一管理世界ミッドチルダ。
通称「海」とも呼ばれる次元航行部隊を統べる「本局」と並び称される、各世界の地上部隊を統べる「地上本部」が置かれた世界である。

それは、地球とは様々な面で異なる文化と制度の根付く地。
魔法技術の有無、質量兵器の扱いと認識、科学力のひらき、地球では架空の存在とされる異種族や魔法生物etc…。
挙げ出せばキリがないほどに存在する違い。

とはいえ、違う事ばかりというわけでもない。
世界が違い、歩んできた歴史が違い、文化と制度が違い、築き上げてきた物が違っても、共通するモノもまた存在する。そう、たとえば……人が住む地で陽が昇り、また沈みゆくのは変わらないように。あるいは、多種多様な労働を以って日々の糧を得て、大半の人々がささやかな幸せに感謝して眠りにつく事も、だ。
そして、この日も当然の様に夜明けとともに地平線から日が昇ろうとしている。

だがこの日、首都クラナガンからほど近い西部の市街地では、些細ながらも少々普段と違う出来事が起ころうとしていた。
寒くも暑くもない、誰もが一年で最も過ごしやすいと思うであろう時期のある夜明け。
早朝のジョギングを日課とする壮年の男性が、いつものように軽い運動に汗を流していた時。
彼はその道すがら、普段であれば見かけない“何か”を発見した。

「ん? なんだ、ありゃ?」

口を突いた疑問の声は、彼の視線の数十m先にある塊に向けられたもの。
ただし、それ自体は別段珍しいものではなく、彼に限らず誰もが普段からよく目にする“人間”という生き物のシルエットだ。彼も、それは遠目に見てすぐに判断することができた。

当然、そんな事に対して疑問の声を漏らしたわけではない。
はじめは酔っ払いが道端で寝ているのか、あるいは場違いなホームレスかと思った。
だが、様子が違う事にもすぐに気付く。
なぜならその影の傍らには、遠目からでもわかる鮮やかな血溜りが見て取れる。

「おいおい……いったい何事だよ、こりゃあ? お前さん、大丈夫か!?」

それは一般常識としての正義感からか、あるいは緊急事態に対する反射的な行動か、それとも長年に渡って染み着いた彼の職業意識がそうさせたのか。いずれにせよ、彼は思わずペースを上げ、大急ぎで人影へと駆けよる。
当然、近づくにつれ人影の様子が明瞭になっていく。

どうやら、出血自体は既に止まっているようで、僅かな血溜りが範囲を広げる様子はない。
また、思いの外出血量は多くなかったようで、血溜り自体も決して大きくはない事に男は安堵する。
早朝からいきなり人死の現場に立ち会うなど、幸先と縁起、そして後味が悪いにもほどがあるというものだろう。

(…………聖王さまに感謝、ってところなのかねぇ、こりゃ……)

あまり信心深くはない彼だが、こういう時は不信心者らしく都合よく彼が奉じる存在に感謝する。
“聖王”という、かつて実在した偉大な王様に。

とはいえ、状況は相変わらず不明な点だらけ。
とりあえず、差し迫ったより詳しい状況を知るために影の傍らに膝をつく。
同時に、血溜りの原因を知る事となる。

「こいつは……銃創か」

傷の位置は右の前腕、その丁度中ほど。
完全に腕を貫通しているらしく、反対側には同様の傷痕。
やはり血は止まっている様だが、そのままと言うわけにもいかない。

已む無く、首にかけていたタオルをきつく巻いてやる。
気休め程度だが、ないよりはマシだろう。

「さて、とりあえずは医者…だよな」

職業柄、彼は一般人よりかは医学的知識を持っている。あるいは、救急救命の知識というべきだろうか?
だが、それでもやはり診察・処置、どちらにおいても本職の医者には遠く及ばないのだ。
見たところ腕の銃創以外に怪我らしい怪我はない。
強いて言うなら肌や服、あるいは髪などがボロボロ半歩手前の状態になっている位だろう。
しかし、やはり医者ではない彼に「無事」と断定することはできない。
この場には医者や治療器具どころか、簡単な応急手当てができる程度の道具さえもない以上、突然容体が急変したりすれば事だ。
故に、彼は懐から常に持ち歩いている携帯端末を取り出し、慣れた手つきで自身の職場に連絡を取る。

「おう、俺だ! 朝っぱらからわりぃが、アシを用意してくれ。
 ああ、緊急事態だ! 道端に怪我して血を流してる野郎がいる。近くの病院まで距離もあるし、うちに運んじまったほうが事情を聞くにしても手間がなくて良いだろ。
あん? うちの専門は密売捜査だぁ? んなこたぁてめぇみたいな若造に言われなくてもわぁってんだよ!! 俺が何年この仕事やってると思ってんだ小僧!! いいからさっさとアシをよこせばいいだ、バァロウ!! 地獄の無限書庫に送られたくなけりゃさっさとしやがれ!!」

男は携帯端末に向けて散々怒鳴り散らし、受け手を怖れおののかせて通信を切った。
『地獄の無限書庫』、その職務のあまりの過酷さから、毎年必ず数十人単位で入院患者が出る部署である。
下手な前線部隊とは比べ物にならないそのハードワークは、陸海を問わずに有名だ。
よほど酔狂な者か、あるいは自殺志願者、それか相当に有能な人物でない限り志願しないとされる。
そんなところに送られると聞けば、大抵の人間は「勘弁してください」と泣きつくだろう。

「ったく、最近のわけぇ奴らは頭が堅ぇくせに根性がなくていけねぇや。
にしても、銃創たぁ物騒だが……銃声なんてすりゃとうの昔に通報されてるよな。
だってのに、こいつはどうしてこんな所で倒れてんだ?
つーか、よく鍛えてあるな。よく見りゃ結構わけぇし」

一通りの連絡が終わったところで、男は再度倒れ伏す人影に視線を向ける。
年のころは二十歳前後。眼は閉じられているが、人のよさそうな顔をした黒髪で中肉中背の青年だ。
だが、処置の為に破いた長袖から露わになった腕はかなり鍛えこまれている事が一目でうかがえる。
まあ、実際には鍛えこまれているなどというレベルではないのだが……。

しかしそこで、男はあることに気付く。
まるでうずくまる様に四肢を曲げている青年の懐に、もう一つの人影があることに。

「こっちのちっこいのは………………………弟、か?」

そこにいたのは、彼と同じ色の髪を持ち顔立ちもどこか似たところのある、4・5歳ほどの幼児。
外見から推測した青年の年齢から、まだ子持ちではないと判断したのだろう。
少々年の離れた兄弟、それが壮年の男が見て取った二人の関係だった。
まあ、彼は母に似て童顔なので、そう勘違いしてしまったのも仕方がない。
とそこで、突如青年が身じろぎしたかと思うと、無事な左手で頭を抑えながらゆっくりと身を起こす。

【っ……こ、ここは、いったい……】
「お、気付いたか。大丈夫か、兄ちゃん?」
【あなたは……そうだ、翔!】

男は青年を落ち着けるように、深みのある声音で語りかける。
だがそれが伝わった様子もなく、青年は懐に抱えた子どもに視線を落とした。
すると、はっきりと分かる程に顔を青ざめさせ、男の腕を握ると何事かをまくしたて始める。

【お願いします! この子を、この子を助けてください!!
 御礼なら何でもします!! だから、だからこの子を!!!】
「お、おいおい、落ち着けって。俺は怪しいもんじゃね。
今傷の手当てができる場所に運んでやるから、大人しくしてろって。
そこの坊主が心配なのもわかるが、お前さんだって銃で撃たれたんだぞ」

男はなんとか狼狽する青年をなだめようとするが、やはりそれが伝わった様子はない。
それどころか、そもそも青年の発している言葉が男には理解できなかった。
どうやら、男の知る言語ではないらしい。
にもかかわらず、男は青年のイントネーションに言葉にできない懐かしさを覚える。

(言葉が通じねぇって事は、もしかすると………もしかすんのか?
 だが、それにしたってなぁんか聞き覚えがあるんだよなぁ、この発音。はて、どこだったか?)

首をひねるが答えは出ない。そうしている間にも青年は延々と何かをまくしたてているが、男としても言葉が理解できないのでは困り果てるばかりだ。
ただ、それでも伝わってくる物はある。青年の仕草と表情から、どうやら彼の懐で眠り続ける幼子の事を必死に訴えているらしいことは、なんとなく理解することができた。

(よほど、この坊主の事が大切みてぇだな。テメェの傷は完全に無視…つーか、こりゃ気付いてもいねぇな。
へっ……若ぇのに、良い根性してんじゃねぇか)

それは、彼もまた二児の父親であるからこそ理解できたことなのかもしれない。
例え身内だとしても、傷の痛みを忘れる程の取り乱しようは尋常ではないだろう。
つまりそれは、青年がどれだけ懐の幼子を思っているかの証左。
不謹慎とは思いつつ、青年への好感が胸の奥から湧き上がり、口元に笑みが浮かぶ。
故に、彼はそんな青年を少しでも安心させようと、通じない言葉に精一杯の思いを乗せて紡いだ。

「安心しろ、その坊主は俺が責任を持って保護する。もちろんアンタもだ。
 最高の治療を受けさせて、必ず元気に、傷一つ付けずにアンタへ返す事を約束する。
 いや、これも何かの縁だ、アンタと一緒に身の安全と今後の生活は俺が保証する。
 この俺の名と首にかけてな。だから、アンタも今はゆっくり休みな。
それにアレだ、そうじゃねぇと死んだカミさんがこぇしよ」

最後は若干冗談めかしたが、男なりに有りっ丈の想いと誠意を込めて紡いだ言葉だった。
その真摯な気持ちが通じたのか、青年は瞳のうちに安堵の光を宿し再度気を失った。

「さて、ノリで結構言っちまったが、まあしゃーねぇわな。
……っと、ギンガの奴にも連絡しとかねぇと。場合によっちゃ、しばらくうちで預かることになるんだからよ」

そして、彼は再度取り出した携帯端末で自宅と連絡を取る。
連絡を受けた愛娘の片割れは大層驚いていたようだが、彼の語った可能性に快く頷いたのだった。

その後、駆けつけた緊急車両に青年と幼児を乗せ、彼は一足早い出勤を果たす。
こうして、兼一と翔の父子は無事保護された。
壮年の男性、「ゲンヤ・ナカジマ」が部隊長を務める「陸士108部隊」へと。



BATTLE 1「陸士108部隊」



兼一達がゲンヤに保護されておよそ一時間後。ようやく兼一の意識が戻ろうとしていた。
たかがあの程度の負傷でこれだけの時間兼一が意識を失うなど、本来であればありえない。
しかし、慣れない事態が思いのほか身体に負担をかけていたのか、あるいはあの光に呑まれた影響か。
これだけの時間、彼は意識を失っていたのである。

そして、兼一が目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
だが兼一はそんな些事に構うことなく、彼にとって最も大切な存在の安否を確かめるべく視線を巡らせる。

(翔…翔はどこに!?)

軽く視線を巡らした限りでは翔の存在は確認できない。気配もまた同様だった。
彼ほどの達人となれば、今いる部屋の内部にいる者の気配くらいはどれだけうまく隠しても見逃すことはない。
ましてや相手は幼児、気配の隠し方すら知らない相手だ。それも自分の息子。
兼一に限って、翔の気配を見逃すことなどあり得ない。
それはつまり、この場に翔がいないことを証明していた。

故に、兼一の焦りは助長される。
とはいえ、兼一はそれを即座に深く呑み込み冷静な思考力を取り戻す。
優れた静の武術家である彼にとって、感情を呑み込む事は最早条件反射の域にあるのだから。

元より、ここが見覚えのない場所である事は気付いていた。単に、それの優先順位が低かっただけに過ぎない。
翔の安否を確かめる為には、まずここがどこで、どんな構造をしており、翔がどこにいるのかを知らねばならないと、彼は焦る気持ちを抑えながら思考を巡らせる。

兼一は特別頭が切れるわけではないが、だからと言って頭が悪いわけでもない。
そこそこの知性と、踏んだ場数の多さが彼にその判断を下させた。

とはいえ、なんの情報源もない状態でそれらの情報を得ることは不可能。
そこで、彼は手近なところにいた白衣の男性…恐らくは彼を治療したであろう人物に問うた。

「すみません、僕と同じ髪色の4・5歳位の男の子の事を知りませんか?
 僕と一緒にいた筈なんですが、見当たらないんです」

兼一はできる限り丁寧に男性に尋ねる。
状況から判断し、自分達をこの場所に収容したのは彼かその関係者に他ならない。
敵、という可能性もなくはないが、治療を施されている事実がその可能性の低さを証明している。

何より兼一の敵であるのなら、あまりにも無防備過ぎると言わざるを得ない。
兼一の事を知っているのなら、せめて達人級の者を数名配備し、なおかつ全身に拘束を施し、その上で厚さがメートル級の鉄板やコンクリートで封鎖した牢獄に放りこんでいる筈だ。
達人、それも梁山泊に名を連ねるほどの達人となれば、その程度は最低条件。
それをしていない時点で、彼やその関係者を敵と判断するのは早計と、兼一は理解していた。

【ああ、気付きましたか。とりあえず落ち着いてください。いま、先生を呼びますから】
(え? この人は、いったい何を……こんな言葉、聞いたことがない。ここは、日本じゃないの?)

しかし、兼一の言葉は一向に彼に伝わった様子がない。
いくら話しかけても芳しい答えは返ってこず、それどころか彼の言葉がそもそも兼一には理解できない。
兼一はこれまで、多種多様な人種と戦い、様々な土地に行った事がある。
にもかかわらず、その経験のどれを引き出しても、こんな言葉を使った者はいない。

まだ知らぬ言語を使う相手、というのはいるから別にそれ自体は大きな問題ではないだろう。
だが、それが日本で使われているというのが異常だ。
兼一達は、あの襲撃があるまで日本にいたのだから。
日本で使われる標準的な言語は、当然日本語である。にもかかわらず、その日本語が通じないという事実が、兼一の頭を混乱させる。
いくら感情を深く呑み込み、冷静な思考を心がけても、出ない答えは当然でない。
なぜなら、それは大前提が違い、そもそも彼の想定している事態から大きく逸脱しているのだから。
それは、当然と言えば当然のことだった。

しかしそこで、兼一にとっての救いの女神が現れる。
混乱する兼一を余所に、白衣を着た男は手に持った通信機と思しき道具を取り出す。
だがそれを起動する直前、兼一の視界の端にある扉がスライドし、非常に若い朗らかな女性が姿を現す。

【どうですか、あの人は目を覚ましました?】
【ああ、先生ちょうどいいところに。たった今お呼びしようと思っていたところなんですよ】
【あら、それならいいタイミングだったみたいですね】
【そうですね。ただ私は魔導師じゃありませんし、言葉が通じなくて困ってたんですよ】
【まあ、それは仕方ありませんよね。それじゃあ、ここからは私に任せてください】
【お願いします。後ろで見学して、勉強させていいただきますよ】
【はいは~い♪】

その人物は、大きめのリング状のピアスをつけ、ショートボブにした薄い色の金髪が特徴的な、白衣を着こんだほんわかとした女性だった。明らかに目の前の男性より若いのだが、彼女を見た男性の敬意に満ちた反応からして、彼の上役に位置する人物なのだろう。兼一は僅かに呆気にとられながらも、頭の片隅でそう考えていた。
その女性は軽やかな足取りで、それこそ実に機嫌が良さそうな笑顔のまま兼一の前に立ち、口を開く。
そこから紡がれたのは、先ほどまでの聞き慣れぬ言語ではなく、彼にとってとてもなじみ深い……日本語だった。

「気がつかれたんですね。御身体は大丈夫ですか? “白浜兼一”さん」
「え? ぼ、僕の事を知ってるんですか!?」
「ああ、ええっと……ごめんなさい」
「へ? えと、何がでしょうか?」

突然謝られたことに驚き、明らかに困惑する兼一。彼からすれば、いったいなぜいきなりこんな美人に謝られなければならないのか、皆目見当がつかずに困ってしまうのも当然だろう。
しかし、謝るからには当然それ相応の理由があるわけで……。

「実は、手荷物から身分を証明できる物を拝見させていただいたんです。
 あ、こちらですね、お返しします。と、一応中身を確認してください、足りない物とかはありませんか?」
「あ、ああ、そういう事でしたか。それでしたらお気になさらないでください。
 どこの誰とも知れないと、あなた方としても困るでしょうし……」
「はい、まぁそうなんですけどね。ですけど、それでもやはり勝手に手荷物を検めるのは失礼でしょう?
 事後承諾って言うのは悪趣味ですけど、許していただけると幸いです」

金髪の女性は、困ったようにそう付け足した。
だが、実際問題として運び込まれた人物が何者かわからないのは非常に困る。
もし犯罪者や指名手配犯の類だとしたら、警察に通報もしなければならないのだから。
あるいは、手荷物の中に危険物がないか確認しないわけにもいかない。
いくら怪我人とはいえ、無条件に受け入れるわけにはいかないのである。

兼一もそのあたりは承知しているので、手荷物の中身を確認し、無くなった物がない事が分かると笑ってそれを許す。怒る様な事ではないし、何より相手の立場を鑑みれば当然の対処なのだから、怒る方が筋違いである。
とはいえ、兼一としてはそんな事よりも大事なことがある。
言葉が通じる相手がいるのなら、聞かねばならないことがあるのだから。

「すみません、僕と一緒に男の子が運び込まれませんでしたか?
 4・5歳位の、黒髪の男の子なんですけど……」
「ああ、あの子でしたら今は検査室で精密検査の最中ですよ。
 怪我らしい怪我はありませんでしたけど、念の為に」
「あ、そうでしたか。ありがとう、ございます」

女性のその言葉に、兼一の顔にようやく安堵に緩む。
相手が如何に医者っぽい恰好をしているとはいえ、分からないことが多い状況で相手の言葉を真に受けるのは少々問題がある。しかし、根っからのお人好しである兼一は、基本的に他人を疑う事をしない。
故に、彼は目の前の女性の言葉を疑うことなく信じていた。
まあ、実際に本当のことなのだから特に問題はないのだが……。

「心配でしたら、一緒にいらっしゃいますか? ご案内しますけど……」
「是非お願いします!!」
「ふふ、分かりました。でもその前に……」
「え? な、なんでしょうか?」

兼一にとって、女性の申し出は渡りに船だった。当然、迷うことなく兼一はその申し出を受ける。
だがそこで、女性は立てた人差し指を兼一の口元にやり、優しい笑顔を浮かべながらやんわりと待ったをかける。
兼一としては早く翔の安否をその目で確認したいし、気持ちが逸ってしまう。
故に、彼は失念していた。翔を庇って銃撃を受けたのだという事を。

「あなたの包帯を取り換えさせてください。怪我らしい怪我は腕だけでしたけど、銃弾が貫通してたんですよ。
一応治療はしましたけど、そろそろ新しいのに交換した方がいいでしょう」
「あ、そ、そうでした、よね?」

そこに来て、兼一はようやく自分の状態を冷静に確認する。
女性はああ言ったが、右腕以外にも頭や頬を始め、所々に包帯やガーゼが当てられている。
恐らく、意識を失った際に擦り剥いたり頭を打ったりしていたのだろう。

ただ、当然ながら右腕は念入りに包帯でグルグル巻きにされており、塗り薬か何かの匂いが鼻をついた。
節々に僅かな痛みを憶え、特に腕にはやや強い痛みが残っている。
まあ、この程度の痛みは彼にとって慣れた物なので、さして気にならなかったのだろうが。

「もしかして、僕の治療も?」
「ええ、私がさせてもらいました。どこか違和感はありませんか?
 一通り治療しましたし、お薬も塗ったので大丈夫だと思うんですが……」
「御蔭さまで、少し痛みが残っている以外は特に。動きの方も……問題ありません」
「そうですか、よかった♪
 治癒をかけたんですけど、考えられないくらいに治りが良くて逆に心配だったんですよ♪」

感覚を確かめるように右手を開いたり閉じたりする兼一の言葉を、女性は我がことのように喜んでくれる。
これでは傍から見ると、治した方と治してもらった方、立場が逆に見えてしまうのではないかというくらいに。

同時に、兼一はそこで引っかかるものを感じた。
しかし、まだ目覚めたばかりで覚醒しきっていないのか、単純にそれほど優先順位が高くないと思ったのか、ひとまずその事はスルーする。

「では、ちょっと見せてもらいますね」
「あ、はい。お願いします」
「は~い♪ あ、そんな緊張しなくていいですからよ、すぐに終わりますからね」

そうして、一端先ほどまで寝ていたベッド近くの診察台へと移動する兼一と金髪の女性。
よく見れば相手の若さが際立つ。兼一よりいくらか年下で、恐らくは二十代前半だろう。
これでは、医師としては明らかに新人とかそのあたりの筈。
にもかかわらず、先ほどの男性は彼女の診察を後ろで真剣に見つめている。
まるで、「勉強させてもらっている」かのように。まあ、実際そうなのだが。
その事を不思議に思う兼一だが、それだけ有能な女性なのだろうという事で納得する。

「フンフン、いい感じですね。傷もほとんど消えてますし、これなら入院の必要もないかしら?」
(………………あれ? 銃弾が貫通してたんだよね? いくらなんでも、傷がそんなに早くなくなるかな?
 そりゃ内功は練りに練ってるから治りは早いけど、いくらなんでも早すぎるような……)

そのことには疑問を覚えつつ、兼一は腕を這う細く冷たい指のむず痒い感触に耐える。
昔の彼であれば、恐らくは真っ赤に赤面していたであろうそれも、今となってはそれほど動揺しない。
何しろ、彼とて曲がりなりにも既婚者だ。いちいち、この程度のことで動揺する程ウブではない。

「それにしても、本当に治りがいいですねぇ……こんなに効きの良い人は、私もはじめてですよ。
 筋肉の発達の仕方もすごいですし、鍛えてるんですか?」
「えっと…………少し」
(明らかに「少し」じゃないけど………患者さんのプライバシーに無闇に踏み込めないわよね。
 今日初めて診た相手とじゃ、信頼関係も何もないし……)

兼一は知らない事だが、この女医も長年の経験と勘の持ち主だ。医師として、あるいは騎士として。
そんな彼女の眼から見ても、兼一の身体の出来は尋常なものではないのは明らか。
撫でるように優しく触れた指先に伝わってくる感触は、しなやかで弾力に富んでいる。
今まで様々な人体に触れ、診てきたが、過去例をみないほどの、至高の肉体がそこにあった。

故に、兼一の言葉があまり正しくないこともすぐに理解できる。
ただ、兼一の声音からあまり詮索されたくないという様子を感じ取ったらしく、それ以上の深入りはしないが。
とはいえ、それでも一応一つ聞いておくべき事がある。

「あの、ちょっと別の質問、いいですか?」
「え?」
「どうしてまた、銃で撃たれたりなんて?」
「あぁ……………………家に帰る途中、突然撃たれまして……」

詳しく話せない理由があるとはいえ、兼一は内心で女医に対し平身低頭する。
これで納得してくれるとも思えないが、そうとしか答えようがない。

とそこで、兼一はそういえば相手の名前すら知らなかった事を思い出した。
タイミングを逃した感じもするが、話題を変える意味でも都合が良い。
なので、処置を終え正面から向き合ったところで、兼一は思いきってきりだして見る。

「あの、そう言えば先生のお名前は?」
「え? あ、そう言えばまだ名乗ってませんでしたっけ。
ごめんなさい、私ばっかり白浜さんの御名前を知っているのは、あんまり気分は良くないですよね?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「では、改めまして……私はこちらに研修に来ている『八神シャマル』と申します。
 よろしくお願いしますね、白浜兼一さん」
「あ、はい。よろしくお願いします、八神先生」
「いいですよ、シャマルで。
私、家族と同じ職場にいる事が結構あるんで、姓だとごっちゃになっちゃいますから」

かしこまってシャマルの事を八神先生と呼ぶ兼一に対し、シャマルは苦笑しながら軽く訂正を求めた。
実際、彼女の事を知る人たちは彼女を「シャマル先生」と呼ぶ。
彼女はその立場と経歴上、同じ「八神」の姓を名乗る家族と共に仕事をすることが多いのだ。

「あの、それなら『シャマル先生』で、いいですか?」
「はい♪ それでお願いしますね。さて、処置も終わりましたし、あの子の所に行きましょうか」
「はい、お願いします」
「た・だ・し! 今日は大事を取って右腕は使っちゃダメですよ。
 大分良くなったとはいえ、今は安静にしておいてください」

正直、兼一としてはこの程度の傷ならもう大丈夫だと思う。
だが、三角巾まで差し出され「これで吊っておいてください」と言われては突っぱねるのも気が引ける。
何しろ、相手は純度100パーセントの善意で言ってくれているのだ。
世話になった身としては、これは拒否できるものではない。
なので、兼一は大人しくシャマルの言う事に従うのであった。

「それじゃ、今度こそ行きましょうか♪」

そうして、兼一はシャマルに先導されながら医務室を後にする。
ただ医務室を出る間際、兼一はあることに思考を巡らせた。

(ハーフ、なのかな? 「八神」は日本人の名前だし。
 だとすると、最初に話した人は留学か研修を受けにきた外国の人?
 それなら、一応筋は通るよね。じゃあ、シャマル先生はあの人の指導医ってところかな)

なんとなく、シャマルと先ほどの男性の立場をそう類推する兼一。
シャマルは自分が「研修に来た」といった。「受けにきた」ではなく。
それはつまり、研修を「する側」という事なのだろう。
つまり、先ほどの男性に日本語が通じなかったのも、単に海外から来てまだ不慣れなだけ。
兼一は、そう判断したのだ。

その後、兼一はシャマルに案内されて検査中の翔の様子を見て、その安全を確認することができた。
とはいえ、翔の検査はもう少しかかるらしく、その間シャマルは兼一の話し相手を買って出る。
兼一としては状況を把握するためにも有り難いと思う、実際いま兼一達が置かれている状況はわからないことだらけ。如何に優れた静の武術家といえど、動揺もあれば不安もあるのだから……。

「それにしても白浜さん、本当にあの子のことを心配してらっしゃったんですね。
 あの子、翔君…でしたっけ? 彼の顔を見たときの白浜さん、ホントに泣きそうでしたよ」
「あ、あははは、みっともないところをお見せしてしまいまして……」
「いえ、別にからかってるわけじゃないんですよ。アレだけ誰かのことを思えるって、とても素敵な事じゃないですか。私にも、いるんですよ。とても、とても大切な女の子が。
 あの子に何かあったらって考えると、地面がなくなって真っ逆さまに落ちるみたいに……不安になるんです。
 だから、白浜さんの気持ちも少し…………………分かります」

二人は手近なベンチに座り、紙コップに入ったコーヒーを飲みながら他愛もない話をする。
笑うのを抑えるように語るシャマルに対し、兼一は恥ずかしそうに頭をかきながら応じていた。
彼としては、翔のことを心配するのは当然にしても、それを初対面の相手に見られたのが恥ずかしいのだろう。

しかし、シャマルとしては兼一の様子は好ましかった。
アレほど誰かを想い、自分の事よりもその相手のことを優先する在り方は、本当に好感が持てる。
また、一児の父として、一人の自立した大人としての自分を持つ兼一の雰囲気は、シャマルにとっても心地よい。
それは、まだ彼女の主やその友人達が持たない、成熟した空気だから。

「あの、シャマル先生」
「はい?」
「僕だけ名前で呼ぶのも変な感じですし、僕の事も兼一で結構ですから」
「ああ、そうですか? それなら遠慮なく、『兼一さん』と」
「ええ、それでお願いします」

二人は笑顔を浮かべ、中庭の見える窓から外の景色を見る。
兼一は心配の種が一応は無くなったことでリラックスし、シャマルもちょっとした休憩時間に身体を休めていた。
とそこへ、シャマルの方へ誰かが通って来て何事かを話しかける。
その人物の恰好はシャマル達の様な白衣ではなく、軍や警察の制服に似た印象があった。
だがその内容は、再び兼一には理解できない言語によって行われる。

【シャマル先生、部隊長がお呼びです。そちらの方もご一緒にと】
【ええ、分かりました。できるならもうちょっと落ち着いてからゆっくり事情を説明して、それからの方がいいと思ったんだけど……】
(また知らない言葉だ。なにを……話してるんだろう?
 ここでは、日本語が標準じゃないのかな?)

形の良い指を細い顎に当て、思案するシャマルの様子を見ながら兼一は首をひねる。
シャマルが日本語を話したことでここが日本に違いないと確信していた兼一だが、その確信が揺らぐ。
まるで、彼女がたまたま日本語を話せているかのような気がしてならないのだ。
しかし、そうしている間にも二人の会話は続いていく。

【申し訳ありません。部隊長には、そうお伝えしましょうか?
 シャマル先生の判断でしたら、部隊長も任せてくださると思いますけど】
【……………………………いえ、ナカジマ三佐もお忙しいでしょうし、あまりのんびりもしていられないでしょう? 道すがら説明することにしますね。三佐には、「少し遅くなります」と伝えてください】
【承知しました。では、自分はこれで!】

その人物はシャマルに向けて敬礼すると、そのまま何処かへと駆けて行く。
本来であれば足など使わずに通信でも使うところなのだが、すでに兼一のおおよその事情に察しがついているが故に、そう言った手段は控えるように厳命されているのだ。
彼の様な立場の人間が近くにいる時は、あまり刺激の強いものは使わない方がいいだろうという配慮である。

「あの、兼一さん。申し訳ないんですけど、こちらの代表の方がお会いしたいと仰っていまして、お付き合いくださいますか?」
「あ、はい、それはいいんですけど………さっきから使われてる言葉は、いったい?」
「やっぱり、そうなんですね。そのことも含めて、道すがら説明しますから、ついてきてください」

そうして、シャマルは再度兼一を先導しながら歩き出す。
その中で、兼一は思いもしなかった事態になっている事を知るのだった。



  *  *  *  *  *



目的地への道程でシャマルから聞かされた話は、非常識な事には大概慣れたつもりだった兼一をして、混乱の崖から叩き落とすに足りるものだった。
それはそうだろう。何しろそれは、今まで見たことも聞いたこともない世界の話だったのだから。
とはいえ、混乱や驚愕することにかけては慣れっこの兼一だけに、割とリカバリーも早い。
何が言いたいかというと、「そういう事もあるだろう」と諦めてしまえるのだ。

「異世界……ですか?」
「はい、ここは第一管理世界ミッドチルダ、その首都クラナガンの西部近郊を管轄する陸士108部隊の敷地内にある病院なんです。警察病院、みたいなものですね
あなた達二人は、今朝ここからほど近い市街の道路で倒れているところを発見され、こちらに搬送されました。
その際、未知の病原菌などがないか検査し、その上で殺菌・消毒させてもらっています」
「もしかして、翔が受けていた検査が……」
「はい、それも含めて、ということになります。管理外世界には、こちらには存在しない菌やウイルスがいる場合があるので、バイオハザードを防ぐために必要だったものですから」
「あ、いえ。詳しいところは良く分かりませんけど、それは…別に……」

シャマルはできる限り丁寧に、なおかつ噛み砕いて兼一達の身に起こった事態を説明してくれる。
普通に考えれば眉唾なそれも、シャマルの真摯な態度と提示されたいくつかの証拠により、否定することはできなかった。何より「異世界」という言葉を持ち出せば、説明できることが多すぎる。
現代の地球の科学では不可能な筈の、SFとしか思えない空中に浮かぶモニター。どこかの小説の中にしか存在しない筈の、蒼天に浮かぶ二つの月。なにより、彼をしてありえないとしか思えない、もうほとんど消えてしまった銃創。
どれもこれも、地球以外の場所であることやその技術を用いているとなれば、説明はつく。
単に、「地球ではありえないから」というものに過ぎないが。

「でも、だとしたらなぜ、僕たちはこの世界に?」
「おそらく、これが原因です」

兼一の問いに対し、シャマルは白衣のポケットから小さな透明なビニール袋を取り出す。
その中に入っていたのは、砕け散った虹色の破片。
だがそれは、兼一にとってよく見慣れたものだった。
なぜならそれは、翔が片時も離すことなく持ち続けた、長老から与えられたお守りだから。

「それ、は……」
「これは、あなた方が発見された場所で回収した物です。おそらく、これが原因でしょう。
解析してみたところ、通称『虹の渡り橋』と呼ばれるロスト・ロギアであることが判明しましたから。
まあ、実際にはロスト・ロギアというほど大層なものではないんですけど……一応区分としてはそうなります」
「虹の、渡り橋? ロスト・ロギアって……」
「まず、ロスト・ロギアから説明しますね。
噛み砕いて言うと、滅んだ文明の遺産です。ただし、高度に発達し過ぎた、という注釈がつきますけど」
「発達し過ぎた…ですか?」

シャマルの言葉に、兼一としては首をひねるしかない。
別に高度に発達した技術を有した文明が滅ぶ事自体は何てことではない。
形ある物は崩れ、生ある者は死ぬ。それは文明とて例外ではない。
これは自然の摂理であり、どうやっても覆らない定律だ。
だがシャマルの言葉は、まるで発達し過ぎたが故に滅んだと受け取れる。
そして、それはそのものズバリだった。

「発達し過ぎた技術や文化は、時に人の手に余ってしまうんです。御しくれなくなる、と言ってもいいですね。
 技術や文化を使うのではなく、使われてしまう。その結果歯止めが効かなくなり、後は…分かりますよね?」

それは、武術にも言える事。「何かの為の力」を求めた者が、いつしか「力の為」に動くようになる。
その先にあるのは修羅道。そして、果てにある物は「破滅」だ。
ブレーキの壊れた暴走列車の如く、いずれはレールを外れて奈落の底へ真っ逆さま。つまりはそういう事だろう。

「文明は滅んでも、その遺産は今も残っています。
滅んだ世界の遺産ですからね、危険な物も多いんです。それらを回収・管理、時に封印しているのが私たち『時空管理局』、ということになりますね」
「時空管理局?」
「言ってしまえば、警察みたいなものですよ。
いえ、兼一さんの感覚ですと、国連とその軍隊といった方がいいのかしら?
広い次元世界の治安を守り、各世界を崩壊させないように時に仲立ちになり、時に戦力を行使する。
そういう存在です。もちろんそれだけじゃないんですけど、細かく説明すると長くなりますから……」

それでも、なんとなくのところはわかる。
まさにシャマルの言った通り、国連とその軍隊。治安維持と各世界の存続の為に存在する組織。
本質はどうあれ、その建前と末端部分の人間はそういうことになっている。
もちろんきれいごとで済む事ばかりではあるまいが、それでもこうして曲がりなりにも世界を維持できている功績は評価に値するだろう。

世界を管理すると聞くと傲慢にも聞こえるが、その実態もなにも知らない兼一に口を挟めることではない。
ただ、そうなってくると一つ気になる事があった。

「ロスト・ロギアを回収するって言いましたよね。それって、危険な物は問答無用で?」
「……………難しいところですね。正当な所有者がいない物ならそれでいいんですけど、場所や相手によっては、それだと角が立つ場合があります。私たちから見れば危険極まりない物でも、その世界の人にとってはとても大事だったり、本当に必要な物だったりすることもありますから。
 そういった場合には、引き渡しの交渉をして、ダメな場合にはこちらから局員を派遣して監視する、という形をとっています。基本的に、管理世界の間ではそういう条約が結ばれてますからね。
 管理外世界の場合、持ち出せない時はやはり局員を派遣して監視、有事の際には動く事になります」

この方法の場合、どうしても手遅れになりかねないリスクが付きまとう。
しかし、曲がりなりにも世界の管理を謳うのなら、あまり強硬な手段に出てばかりはいられない。
それでは、各世界からの支持を失ってしまうからだ。
それでは本当に一大事の時に、各世界と連携して共同で事態に当たる事が出来ない。
多少のリスクには目をつぶっても、各世界が協調するための触媒としての地位は保たねばならないのだから。

「管理外世界、というのは?」
「その名の通り、管理局の管理を受けていない世界です。もうちょっと詳しくするなら、ロスト・ロギアの扱いをはじめとしたその他諸々の条約に批准していない世界、ということになりますね。
 まあ、国連に加盟している国とそうでない国、くらいの感覚でいいですよ」
「僕のいた世界は、当然……」
「管理外世界です。今のところ、地球はまだこちらの世界の技術水準に追いついてませんから、『条約に批准するも何もない』というのが実情ですけどね。
 こちらから技術提供することもできますが、それは地球の文化や文明を悪戯に乱すだけ。それでは地球が地球である個性が失われてしまいます。なにより、管理局の存在を世界レベルで突然知れば、混乱は必至です。
 そんな事になれば、最悪地球内部で第三次世界大戦が起こりかねませんよ」
「そう、ですよね。急な変化は、きっと受け入れられないでしょうから」
「はい。管理局もそのあたりは慎重でして、こちらの存在に気付く事が出来たら存在を明かす、というスタンスでいます。条約の批准とかそういう難しい話は、すべてその後にくる問題ですよ」

もしかしたら、過去にそう言った事があり、その手痛い教訓があってそのスタンスをとっているのかもしれない。
ただ兼一としては、シャマルの言う様に悪戯に地球の文化が乱されないのなら、管理外世界という扱いでいいと思う。彼もまた、「武術」という文化を現代に残す、ある種の伝統技能の継承者なのだから。
いや、いっそ「文化人」と言ってしまってもいいかもしれない。こと、武術という文化において彼ほどの人物はそういないのだ。何しろ文化人とは「文化的教養を身に付けた者」を指す。
武術もまた一つの文化。なら、言いすぎという事もあるまい。

かつて、鎖国していた日本が開国した折、西洋の文化が一気に流れ込みそれに染め上げられたように、管理世界の技術や文化に染め上げられ、彼の愛する武術が霞んで行くのは忍びなかった。
新しい物を取り入れ進歩するのはいい事だが、古き良き物を残すのも、その世界に生を受けた者の務めだから。
ならばゆっくりと、身の丈に合った速度で追い付き、いずれ管理世界と呼ばれる世界達と肩を並べればいい。
技術や文明のレベルでは劣っても、地球には地球にしかない素晴らしい文化があるのだから。

(第一、無理に管理局の一員にならなきゃならない理由も、特に思いつかないしね)
「また、管理世界と管理外世界を分ける顕著な特徴として、魔法の存在があります」
「魔法、ですか。SFなんだかファンタジーなんだか、よくわからない世界観ですね。
 あ、もしかして僕の腕の具合がいいのって、そのおかげですか?」
「はい、まぁ…………………………あの、さっきから思ってたんですけど、兼一さん、あまり驚かないんですね。
 普通、こういう話をされたら驚くか疑うかしませんか? 管理局でも、兼一さんみたいな人に対してどうやって信じてもらえるかを、マニュアルで懇切丁寧に指導してるんですよ」
「えっと、こういう時はとりあえず『聞くだけ聞いてから』ということにしてるんです。
 別に、命にかかわる危険な所に放り込まれるわけじゃありませんしね」
「は、はぁ……」

兼一の言葉に、シャマルは若干呆れ気味だ。
だが、別に魔法が存在するからといって今すぐ命の危機があるわけではない。
若い時分、連日の様に命を狙われ、当たり前のように命懸けの修業をしていた彼からすれば、「命懸けの状況に放り込まれない」だけ気楽なものだ。
『魔法が存在します』と『命を狙われています』であれば、当然後者の方が受ける衝撃と問題は大きい。
何しろ、常識の崩壊と命の危機、どちらが深刻かと問われれば後者だからだ。
生きてこそ常識も意味がある。しょっちゅう命の危機だった兼一にとって、今更多少の常識の崩壊などたいした問題ではない。

(だって、僕の常識なんてもうとっくの昔に散々壊された後だしねぇ……)

どこかうつろな目で、兼一は内心でそう呟く。
実際、一般人でしかなかった彼の常識は、武術の世界にどっぷりつかったことで崩壊済み。
一度壊れた物がもう一度壊されても、一度目ほどの衝撃はない。
単に、それだけの話である。

「と、とりあえず、これがこちらの世界の大雑把な概要です」
「シャマル先生以外の人の言葉は全く聞き覚えがなかったんですけど、やっと合点が行きました。
 あれ? でも、なんでシャマル先生は日本語を?」
「あ、私以前地球…というか日本で暮らしてたんですよ。その際に読み書き会話は一通り。
 兼一さんの荷物から多分日本人だろうなぁと思ってそう報告したので、とりあえず私が担当に」
「そうだったんですか。とすると、運が良かったんですね、僕たち。異世界に飛ばされて、そこでこっちの事を知っている人に出会えたんですから。でも、どうして日本に?」
「色々と、ありまして……」

兼一の問いに、シャマルはただ困った笑みを浮かべるだけだ。
彼女とその家族、そして主の事情を説明するとなると少々面倒と言わざるを得ない。
兼一としても無理に聞きだす気はないし、そんなリアクションを取られては聞きづらい。
何より「また僕余計なこと聞いちゃった!?」と、自分の悪癖を後悔している真っ最中だったりする。

「話を戻しますけど、兼一さん達をこちらに飛ばした『虹の渡り橋』ですが、アレはこちらの世界で古代ベルカと呼ばれる時代に、権力者の避難用に造られた道具なんです。虹は唐突に現れて、唐突に消えて、またどこかに現れる。その虹同士を繋げて人を送り届ける橋だから『虹の渡り橋』と呼ばれています。
 発動条件は単純、持ち主の危機。これに呼応して設定された土地の中からランダムに選択して瞬間移動する、というものです。どれだけ消耗していても発動するように、アレ自体に魔力をため込む機能があるんですよ。まあ、一回使ったらそれっきりの、使い捨てですけど」
「そう、なんですか……あれ? なら、なんで一応、なんですか?」
「危険性は皆無、技術的にも再現は不可能ではないので、ロスト・ロギアと呼ぶほどの物じゃないんですよ。ただ、造られた時代とその背景から、一応はそういう扱いになる、というだけですね」
(でも、なんでそんな物を長老は持ってたんだろう? 相変わらず……………謎な人だ)

由来を話したがらなかったのは、その本当の由来を知っていたからか。
それとも、本当に由来を知らなかったからなのか。それすら判然としない。
シャマルにも「それをどこで?」と聞かれたが、兼一としては正直に「親戚から御守りとしてもらいました」としか答えられなかった。

そうしているうちに、兼一とシャマルは目的地に着く。
機能性を優先した扉には『部隊長室』という札が掛かっているが、生憎兼一には読めない。

「えっと、ここですか?」
「はい、ここです。あまり緊張しなくていいですよ、ナカジマ三等陸佐は気さくな方ですから」
「そ、そうですか。
 ん? ナカジマって、もしかして……」
「ええ、ナカジマ三佐のご先祖様は地球出身らしいんですよ。
でも、だいぶ昔のことらしくて、あの人も日本語は話せませんね」
「それなら、言葉はどうしましょう? シャマル先生が通訳を?」
「まぁ、似たようなものですね。魔法の中には思念通話、あるいは念話と呼ばれる意思疎通の魔法があります。
 これは本来魔力の無い相手には使えないんですけど……」
「もしかして、僕って魔力があるんですか? 魔法の才能があったりするんですか!?」

シャマルの言葉に、ちょいとばかり心が揺さぶられる兼一。
こと、際立った才能はおろかそこそこの才能すらない彼にとって、少なからぬ興味をひかれる話である。
武術に関する才能は全くなかったが、「もしかしたら魔法の才能が少しはあるのかな」と思えば、心が動くというもの。
だがまぁ、現実はそんなに甘くないわけで……。

「えっとあの、才能以前、と言いましょうか……」
「へ? ………すみません、いっそのこときっぱり言ってもらった方が傷は浅く済むと思うんで、お願いします」
「…………………分かりました。はっきり言ってしまうと、ないんですよ」
「魔力が、ですか?」
「というよりも、魔力の要であるリンカーコアが」
「…………………………」
「…………………………」

それはもう、魔力云々という事ではなく、そもそも魔力を操るための機能が“根本的”にないという事。
これは確かに、「才能以前」の問題である。アレだ、人間の武術を魚が憶えたいというようなものだ。
手も足もないのに、それ以前に陸に上がることさえできないのに、どうやって何を覚えろと? つまりは、そういう次元である。

「えっと、兼一さん?」
「いいんです、分かってましたから。ちょっと、身の程知らずな夢を見ただけですんで……」
「は、はぁ……」
(でも、さすがに………スタートラインにさえ立てないとは思わなかった……)

才能の無さは当の昔に諦めがついていたつもりだったが、さすがにこれはショックだった。
努力して覆そうにも、その努力さえできないのだから。
まあ、彼の人生はすでに武に捧げられているので、浮気をする気はなかったのだから、たした問題ではないだろう。
これはアレだ、単にちょっと魔が差したに過ぎない。

「でも、そうなるとやっぱりシャマル先生が通訳を?」
「えっとですね、先ほど言いかけたんですけど、念話や思念通話は本来魔力がなければ使えません。
 ですが、そもそもリンカーコアの無い人でも魔力は多少なり帯びているんです。魔力素は大抵の場所に量はともかくありますからね。なら、それが身体の中に呼吸と一緒に摂取されるのは必然なんですよ。ただ、リンカーコアがないからそれらをため込むことも、任意に運用することもできないだけです。
 魔導師の場合、その体内を駆け廻る魔力に意図的に干渉するように念話を使えば、リンカーコアを持たない人相手でも念話を送る事自体は可能となります。でも、結局使っている言語が違えば意思の疎通はできません。
それだと、私か他の日本語の分かる人がいないと会話もままならないでしょう?
 それじゃ不便じゃないですか。ですが、このデバイス…えっと、機械を使っていただけば、そこまで不自由はしない筈です」
「えっと、難しい事は良くわかりませんが…つまりこれは、僕にも使えるんですね?」
「むしろ、兼一さんにしか使えませんね。あなた用に調整してあるので、他の人だとうまく機能しないんですよ」

そう言って、シャマルが差し出したのは、補聴器に似た機械。
補聴器よりはやや大きいが、概ねそんな感じの形状をしている。
それを受け取った兼一だが、使い方はさっぱりなので首を傾げるよりほかない。
そんな彼に対し、シャマルは丁寧に説明していく。

「形状からもわかる通り、これは耳に付けて使うものです。
 それ自体にある程度魔力を充填する機能がありまして、あなたの代わりに念話を行う触媒になるわけですね」
「機械に、出来るんですか?」
「デバイスといって、魔法の補助などをする道具があるんですよ。まあ、実際にはデバイスというと機械類全般をこちらでは指すんですけど……とにかくデバイスでも念話は可能です、魔力がありますからね。
 そして、重要なのはここからです。今話した摂取され全身を駆け廻る魔力は、脳に到達するとその影響を受けます。この機械には、その魔力からそこに介在する思念を読み取る機能があるんです。まあ、脳波を読んでいるのと大差ありませんね。脳内の生体電流を読むより確実なんで、この方式が取られているわけですけど」
「は、はぁ……なんというか、すごいんですね」
「限度はありますけどね。そもそも念話自体が、応用することで自分の思考を言語に変換する前に直接相手とやりとりすることが出来るんです。やってる事はそれと同じなんですよ。
まあ、読み取ると言っても、言語化するくらいに表面に現れた思念でないと読み込めないので、読心なんて真似もできません。近くにいる人の体内を駆け廻る魔力から相手の大雑把な思考の方向性を読み取り、それをそのまま装着者に送り込むんです。自分の思念を送る場合ですと、さっき話した魔導士がリンカーコアを持たない人に念話を送るのと同じ原理ですね」

これは、地球にもいるHGSと呼ばれる人物たちに見られる能力の一つ、「テレパス」でも行う事ができる。
こちらの場合はある程度のレベルが必要だが、これが使えると相手が言葉の通じない動物とでも意思の疎通が可能となるらしい。兼一も一応は裏の世界にかかわる者。そう言った情報は少なからず耳にしていたので、割とすんなりと納得することができた。

「ただ技術的な問題から、よほど近くにいる人としか会話できませんし、特殊な設備なしだと電話越しとかでは使えなかったりするので、色々不便なところは多いんですけど……」

とはいえ、兼一達の様に何らかの事故でこちら側に来てしまった言葉の通じない人間に対し、この機械は重宝されている。
シャマルがいた分、今回はまだマシな部類だが、もしまったくその言語を知られていない世界の住人だと、事情を説明するだけで難儀する。そう言った場合において、この道具は非常に重要な役割を果たすのだ。
まあ、「大雑把な思念を読み取る」という性質上、やはり実際の口頭での会話に比べれば何かと至らない部分も多いのだが……それでもないよりはましである。
いや、これでは文字が読めないし、やはり不便な事はまだまだ多いが……会話をする分には問題ない。
管理局的には、長居するのならこれを使いながらこちらの言語を覚えてもらえるとありがたい、といったところだろうか。

「はぁ~、便利なものがあるんですねぇ……」
「そうですね、昔は色々苦労したそうですけど、最近はホントに便利になったと昔を知る人は言ってましたよ」

たとえば、ここの部隊長を務めるオッサンとか、あるいは彼女の主の親友の親とかその友人である。
まあ、下手なことを言うと某眼鏡の提督が般若になるので、『昔』とかは絶対に本人の前ではいえないのだが。
十代後半の子どもを持つ身としては、そろそろ自分の年齢が気になるお年頃なのである。
具体的には皺とか肌の張りとかその辺が……アンチエイジングは大切ですというお話。

「えっと、こうでいいんですか?」
「はい。ここが電源になっているので、これでスイッチが入ります。それでは、行きましょうか」

そうして、シャマルは部隊長室の扉をノックする。
すると、中からは無意味なまでに気風の良い声で「入んな」と促された。
扉越しの為か、あるいは距離的な問題か、機械は機能しておらず、兼一には何を言っているかはわからない。
ただ、声の質と調子から「江戸っ子っぽい」という印象を受ける。

とはいえ、相手は一部隊の長。
兼一としては助けてもらった恩もあるだけに、失礼のない様にと考えるとどうしても緊張してしまう。
どれだけ強くなったところで、結局彼の小市民的気質はあまり変わらないのである。

そして、シャマルに促されるまま兼一は部隊長室に足を踏み入れた。
しかし、一歩踏み入れて見た光景は、ちょっとばかし兼一の予想を外れていたが……。

「おう、来たか。そんなところで固くなってねぇで、こっち来てすわんな」
「は、はぁ……」
「言ったでしょ、気さくな人だって」

一部隊の部隊長となると、それなりに偉そうだったりなんだったりしそうなものだ。
鋭利な雰囲気だったり、重厚な存在感だったり、形は違えどもそんな物があると思っていた。
だが、兼一の視線の先にいるゲンヤにそんな雰囲気はない。
いい意味で、本当にどこにでもいるオジサンの様な印象が強い。

しかし、その飾らない自然体な様子からかもし出る雰囲気には、どこか隙がない。
よい年の取り方をしたのだろう。
積み上げた経験が、経て来た年月が、人間的な深さと厚みとなって彼を支えている。

兼一とシャマルはゲンヤの言葉に従い、彼の向かいのソファに腰掛けた。
兼一は普段のくせから深く腰掛ける事はせず、いつでも動ける程度に軽く腰掛ける。
ただし、ゲンヤは思いきり深く身体をソファに預けているが……この部屋の主としては当然だろう。

「さて、とりあえずは自己紹介と行くか。俺がこの部隊の部隊長、ゲンヤ・ナカジマだ」
「あの、白浜兼一です。この度は助けていただいて、本当にありがとうございます」
「なに、気にすんな。ああして見つけたのも何かの縁ってもんだ。
 それに、あんな必死なツラしてる奴を見捨てたとあっちゃあ、そいつはもう人間とは呼べねぇよ」
「シャマル先生。もしかして、僕達を見つけてくれたのは……」
「ええ、ナカジマ三佐ですよ」
(そうだ、どこかで見た顔だと思ったら、あの時の……)

夢のようにぼんやりとした記憶だが、兼一には確かにゲンヤの顔に見覚えがあった。
それはゲンヤに発見された時、必死に何かを訴えかけていた時の記憶。
あの時の事はあまり鮮明に覚えていないが、それでも自分に向けて真摯に何かを語りかけてくれるゲンヤの表情を、兼一は僅かなりともおぼえていた。

「しかし、あの坊主もお前さんも、怪我が酷くなくて何よりだ。
 お前さん達にとってはいきなりわけのわからん場所に放り込まれたことになるわけだが、それだけでも不幸中の幸いだな」
「それを言ったら、あなたに見つけていただいた事こそが幸いですよ。
あなたのおかげで、翔にあれだけちゃんとした検査をしていただけたんですから」
「だから気にすんなっての。
こちとらこれが仕事だ、こっちの市民じゃねぇとはいえ、民間人を守るのが俺らの仕事なんだからよ」
(もしかして、照れてる?)

兼一がそう思ったのも無理はない。
兼一が深々と頭を下げると、ゲンヤは顔を僅かに赤くしながらそっぽを向いて頬をかいている。
その所作は、兼一の師匠が照れた時のそれに非常によく似ていた。

「で、お前さんの事を聞かせてもらえるか?
 こっちに来る前に何があったのか、お前さんの職業、その他諸々な。
 仕事だからよ、一応お前さんがどんな人間か知っておかなきゃならん。
 もちろん、黙秘権はあるから言いたくない事は黙ってくれていい。ただ、少しでも恩を感じてくれてるんなら、虚偽はやめてもらいたいがな」
「そんな事をするつもりはありません。恩を仇で返したとなれば、あの子にあわせる顔がありませんから」
「ほぉ、よほどあの坊主が大事みてぇだな」
「ええ、大切な……………………一人息子ですから。あの子が誇れるような、そんな親でありたいんですよ。
 下らない、見栄だとしても。それでも僕は、あの子の範でありたいんです」
「………………………………………ちょっと待て。いま息子って言ったか?」
「ええ、言いましたけど?」
「えっと兼一さん、翔君はあなたのお子さん……なんですか?」
「はい。正真正銘、翔は僕の息子です。それがどうしかしましたか?」
「…………………………………なぁにぃ――――――――――――――――――――――――――!?」
「………………………………ウソォ―――――――――――――――――――――――!?」
「うわ!? ど、どうしたんですか二人とも!?」

まあ、無理もあるまい。兼一の外見年齢は二十歳前後。翔は4・5歳。
外見から判断するに、兼一が10代半ばの頃の子どもと映る。
それはいくら就業年齢の低いミッドとはいえ、まずない事態である。
実際、シャマルの主などあと2年で成人を迎えるというのに浮いた話一つない。
いや、それは彼女の親友たちも同じなのだが……。
そこで、いち早く衝撃から復帰したゲンヤがいぶかしむように尋ねる。

「おめぇ、いくつだ?」
「え? 28ですけど?」
「その外見でか?」
「まあ、母は童顔でしたから……」

それにしても、10近く若く見られる事はそうない。
兼一の童顔がどれほどの物か、お分かりいただけるだろう。
とはいえ、それならより一層ゲンヤは兼一がアレほど翔のことに必死だった理由が理解出来た。
兄弟の繋がりは確かに強い。しかし、それ以上に親が子を思う気持ちは強いのだ。
ゲンヤもまた父として、その事をよく理解していた。

「……………なるほどな、身を呈してガキを守る。確かに親としちゃあ当然だ」
「ゲンヤさんも、お子さんが?」
「ああ、娘が二人な。男手ひとつで育てちまったせいか、二人揃って管理局の魔導師だ。
 一人は捜査官、もう一人は災害救助。世間的にはご立派なんだろうが、俺としちゃあ、もう少し穏やかな生き方をしてほしかったんだがなぁ……」
「ああ、分かります。親としては、子どもには平穏に生きてほしいですよねぇ」
「分かるか? ほんとによぉ、こっちの気も知らねぇであいつらときたら……」
「親の心子知らず、とはよく言ったものですよね。まあ、今思えば僕も何かと心配をかけたんでしょうけど」
「はは、ちげぇねぇや! そうやって、親の苦労は引き継がれていくってわけだな」
(ああ、本当に父親なのね、兼一さん)

ゲンヤと兼一の父親談議を傍から見て、その噛み合いっぷりに納得するシャマル。
確かにこれは、父として子を思う者同士でないと成立しにくいだろう。
そのまま二人が父親談議を続けて行くと…………というか、父親として先輩のゲンヤの愚痴に兼一が頷き、あるいは父としての心得や苦労などを忠告して兼一が参考にするといったやり取りが続くこと十数分。

本来は多忙である筈の部隊長であるゲンヤに、早々時間があるわけもなく。
突如なった呼び出し音に続いて空中にモニターが開き、何事かのやり取りがなされた。
相手がモニターであったため、兼一にはゲンヤの言っていることしかわからなかった。だが、おおよその内容としては捜査に関して彼の指示を仰いでいた物と思われる。
そのやり取りが終わると、ゲンヤは居住いを正して兼一に向き合う。

「ったく、時間が経つのははぇえな。わりぃがこれから用事があってよ、手短に済まさせてもらう」
「ええ、こちらこそ長居してしまってすみません」
「客が気を使うもんじゃねぇよ、といいてぇところだが、今回は甘えさせてもらうわ。
 とりあえず、当面の事だがお前さん達が元の世界に戻る事自体はそう難しくない。
 手続きやなんやら含めて早くて一週間、長くても一週間半ってところか。もちろんその際には、こっちでの事を秘密にしてもらうって意味で守秘義務が課されることになるが、それは問題ねぇか?」
「はい。たぶん、話しても世間の方の人は信じてくれないでしょうしね」
「だな。それが普通の反応だろう。
で、地球は俺や八神んとこの例もある様に、割と管理局に関係者が多い。
 移動自体は難しくねぇし、確かどっかの街に協力者もいた筈だよな?」

そう言って、シャマルに確認するようにゲンヤは問いかける。
その問いに対し、シャマルは彼女にとっても故郷に等しい地のことを思い出しながら答えた。

「はい、はやてちゃんのお友達が土地を提供してくれているので、転送用のポートもあります。
 他の管理外世界へ行くより、よほど楽だと思いますよ」
「つーわけだ、早けりゃ一週間後には返してやれる。
お前さんもあの坊主も、向こうに残してきてる奴がいるだろ。カミさんとかよ」
「…………そう、ですね」

ゲンヤの言葉に、兼一は思わず返答に窮する。
ゲンヤに悪意がない事は明らかだが、兼一にとっては今でもその話題は心を苛む。
翔に母はいない、兼一に妻はいない。もう、ずいぶんと前に亡くなってしまったから。
誰かを恨むようなことではない、兼一は恨めるような気質でもない。
ただただ失ってしまった事を悲しみ、喪に服し、母のいない翔に寂しい思いをさせないようにする。
この四年間、兼一はそうしてきたのだから。

だが、同じ妻を亡くした者として、ゲンヤには兼一がなぜ一瞬詰まったのかが理解できた。
故に、彼は少々バツが悪そうにしながら話題を変えようとする。

「おめぇ、もしかして……………いや、忘れてくれ。変なこと言っちまったな」
「あ、いえ。お気になさらないでください」
「まあ、なんだ………子育てに関しちゃ俺は先輩って事になるからよ、話くらいなら聞いてやれる。カミさんの事も、な。似た者同士、今度酒でも飲みながら愚痴り合うのも悪くねぇさ。
 幸いかどうかはしらねぇが、最低でも時間は一週間あるんだからよ」
「………………………………………はい。お付き合いさせていただきます」
「おう。俺んとこは二人とも娘でそれも未成年、二人とも妙なところで堅いと来た。
 ったく、俺があいつら位の頃は酒なんてジュース感覚だったってのによ。
部隊の連中とかだと上下関係だとか色々ありやがるし、他の部隊だとそれはそれでな。
ちょうど、気兼ねなく飲める奴が欲しかった所だ」

シャマルに二人の間で言葉にしない何があったのかさっぱりだが、二人には詳しく話す必要はなかった。
互いに大切な人を亡くし、それでもその人が残した大切な子どもの為に懸命に生きる者同士。
多くを語る必要など、元からなかったのかもしれない。
そうして、ゲンヤは今度こそ本題に入る。

「ただ、一つ問題があってな」
「地球に行くのに、そんなに問題はなかった筈じゃありませんでしたか?」
「いや、それがな。ついさっき入った情報なんだがよ、どうも向こうへの航路が荒れてるらしい」
「期間は、どれくらいですか?」
「観測班の話だと、ざっと見積もって一月から二月だとよ」
「そんなに規模は大きくないですね。ですけど、よりによってこのタイミングですか……」
「あの、いったい何の話なんですか?」

ゲンヤとシャマルの間では一定の理解があるようだが、兼一には事情が全く分からない。
航路だの荒れてるだの言われても、いったい何の話をしているのか皆目見当がつかないのだ。
無理もない。彼は次元間移動がどういうものなのか、まるで知識がないのだから。

「ああ、なんつーかだな……どう説明したらわかりやすいんだ?」
「そうですねぇ…………兼一さん、次元間移動するには大きく分けて二つの方法があるんです」
「二つ、ですか?」
「ええ。一つは魔導士が使う転移魔法での次元間転移、もう一つが『次元航行船』を用いての移動です。
 一応優れた魔導師なら自分以外の人を連れて転移できますけど、やっぱりポピュラーなのは次元航行船を使う場合ですね。時間はかかりますが、断然安全ですから」
「さっき言っていたポートというのは?」
「こちらは次元間転移をする際の目印みたいなものですね。管理外世界には滅多に次元航行船がいきませんから、管理外世界に行くには転移魔法を使うのが主流なんですけど」

となれば、兼一達の出身地である「第97管理外世界」への移動手段も主に転移魔法を使うことになる。
実際、シャマルや彼女の関係者達が地球と管理局との間を移動する際、そのほとんどは転移魔法だ。
そうでないと、あまりに時間がかかり過ぎる。
次元航行船で移動するのは、提督として大勢の部下を抱えるクロノくらいのものだろう。

「ただ、この転移魔法はかなり繊細で、ちょっとした揺らぎがあってもかなり危険なんです」
「もしかして、その揺らぎが?」
「ああ、地球との間に発生してる真っ最中だ。
 アレだな、大時化の海とか、大地震の最中の道路とか、噴火中の火山の上を飛ぶ空路とか、そんな感じだ」
「そ、それはまた危ない……」

さすがの達人とは言え、火山はヤバい。大時化の海や地震くらいなら気にしないかもしれないが、火山の噴火に巻き込まれれば命はない……………と思う。
なにぶん、魔導師とは違った意味で常識の通じない人種なので、断言は難しい。
だが、とりあえず危険な事は理解できたのだった。

「移動は、出来ないんですか?」
「優れた魔導師なら自分にシールドなりバリアなりはって無理矢理移動できますけど、他人にかけながらとなると…………かなり危険ですね」
「次元航行艦なら多少無理をすれば出来なくはねぇが、んなところに好き好んで突っ込む馬鹿はいねぇ。
 海…次元航行部隊の船がそっちへ行くなら便乗できなくないが……」
「そっちの船は言ってしまえば戦艦ですからね。よほどのことがない限り民間人を乗せてくれませんよ。
 機密とか色々ありますし、何よりそっちに行く船が今あるかどうか……」
「まあ、なんだ、おめぇさん達にはわりぃんだが、航路が落ち着くまで待ってもらうがの無難だろうな」
(……………………さすがに、無理は言えないよねぇ。ただでさえお世話になってるんだし)

さすがに、兼一としてもこれでは無理に「元の世界に帰せ」とは言えない。
ゲンヤもシャマルも、二人とも心底申し訳なさそうにしているのだ。
何より、翔の身の安全を考えるのならあまり危ない真似は出来ない。

「………………それなら、仕方ありませんね。大人しく待つことにします」
「わりぃな。その間お前さん達の面倒はうちでしっかり見るからよ、勘弁してくれ」
「いえ、そこまでお世話になるわけには!?」
「だけどよ、お前こっちの文字分からねぇだろ? 言葉だってそいつがねぇと通じねぇし」
「う”……」
「土地勘もねぇ、コネもねぇ、そいでもってこっちの常識もねぇと来た。どうするつもりだ?」
「ナカジマ三佐、あまり虐めちゃ可哀そうですよ」
「っと、そう言うつもりじゃなかったんだが……要はだ、こっちとしてもお前さん達を路頭に迷わせるわけにはいかねぇんだ。ここは大人しく、こっちに保護されてくれ。ついでに、こっちの観光でもしてけってこった」

実際、ゲンヤの言う通りだろう。
帰るまでの間自分たちの面倒くらい自分で見たいのが兼一の本音だが、それすらままならないのが現実。
彼が今いる場所は、まさしくそういうところなのだから。
兼一一人なら山に籠るなりなんなりできるが、それに翔を突き合わせるわけにはいかない。
というか、この世界の食糧すら知らないのだから、彼でも山籠りができるかどうか……。

「それでしたら、こちらで雇っていただけませんか?
 体力には自信がありますし、雑務とか用務とかの身体を使った仕事なら少しはお役にたてると思います。
 僕の世界では『働かざる者食うべからず』という言葉もありますし、ただお世話になるだけというわけにはいきません」
「だがよ……」

兼一の申し出は正直言ってゲンヤとしても有り難い。
管理局は万年人手不足。それは陸士部隊も同じこと。
はっきり言って、事務仕事だってばかにならないほどの量が溜まっている。
雑務や用務に回す人出を少しでも削減できるなら、それに越したことはないのだ。

「…………お前さんはどう思う?」
「そうですね、傷の方はもうほとんど大丈夫ですし、特に問題はないと思いますよ」
「…………ちっ、わぁったよ。しゃーねーな、そういう事なら存分にこき使ってやるから、覚悟しとけよ」
「はい!」

一度はシャマルに兼一の状態を尋ねたゲンヤだが、彼女から返ってきたのは事実上のGoサイン。
こうなってしまっては、ゲンヤとしても拒む理由が見当たらない。

「あ、ちなみに住むところは俺の家だからな。
 どの道お前さん達には身元引受人が必要だし、拾ったのも何かの縁だろう」
「えっと、同じ所に住まなきゃダメなんですか? 正直、そこまでお世話になるのは心苦しいというか……」
「身元引受人の眼の届くところに置くのが原則だ、諦めな」
「………はい。でも、娘さんがいるんでしょ?」
「下の方は家を出て隊の寮暮らしだがな。つーか、既婚者のくせに手ぇ出す気か?」

ゲンヤの問いに、兼一は全身全霊で首を横に振る。
美羽が死んで四年経つが、今のところ彼に再婚とかそういう意思はない。
翔の為にはその可能性も考慮した方がいいのかもしれないとは思うのだが、どうにもふんぎりがつかないのだ。
それが美羽への裏切りになるのではないかという思いもあるが、何より彼の眼はいまだに美羽以外の女性には向けられないから。

「それなら問題ねぇだろ。俺としても家に野郎がいた方が落ち着くってなもんだ」

こうして、兼一はしばらくの間陸士108部隊の臨時用務員兼ナカジマ家の居候となるのだった。
これからのおよそ一ヶ月から二ヶ月の間に起こる出来事が、彼の人生を大きく変えることになることを、まだ誰も知らない。






あとがき

とりあえず、第一種接近遭遇はこれにておしまいです。
この話からもわかる通り、当面はSts本編には絡みません。
しばらくの間はゲンヤの下で、不慣れな管理世界の日常に生きることになるのです。
当然、バトルの類も当分先になりますね。

ちなみに、まだ六課はまだ設立すらされてません。
ざっと、半年から一年ほど先の話ですね。その間に何があるのかは、追々という事で。
シャマルがなぜいたのかは、まあ彼女がその頃たまたま108の連中に研修をしに来ていたというだけです。
受けに来たのではなく、彼女が教える側ですけどね。
当然、研修が終わったらさっさと元いた場所に帰ります。なので、兼一との付き合いはそれほど深くはなりません、今はまだ。
まあ、一応兼一の身体を検査したからには、彼の肉体の異常性をシャマルとゲンヤも知ったことでしょうけど。

それと、普通に考えていきなりミッドに飛ばされたら言葉なんて通じませんよね。
一応、DofDでの兼一の様子を見るに、なんか言葉の壁を超越してしまっている姿がありましたが、さすがにアレ(魂語?)だけだと細やかな意思の疎通は難しいでしょう。アレでまっとうなコミュニケーションが取れるのは、SEENA嬢くらいなものですって。
そこで、私なりに突如飛ばされてきた人と意思疎通を図る方法を考えてみました。
そもそも、ああいう次元世界の迷子がそこそこいるなら、それに対する対策も考えておかなきゃならないわけですからね。

まあ、アレ自体はとらハをやっていたら、テレパシーのあんな使い方が出てきたので、これをなんとか応用できないかと思ってでっち上げた次第です。ほとんど独自解釈と独自設定ですけどね。
ただ、魔力素は空気中にある程度あるものらしいので、呼吸してれば多少は入ってくるでしょう。それに魔導師でない人の思念も僅かに乗っかり、それを拾い上げて増幅するのがあの機械の機能です。その増幅した思念を、装着者や近くいる人に電波みたく送信するわけですね。
とはいえ、範囲が狭いので使い勝手は悪いし、電話などの通信だと拾えないので使えませんし、大雑把な思念しか拾えないので口頭で話した方がずっと効率的なんですけど………それができない人がいるから、ああいう物が必要なわけです。

最後に、感想板の方で「達人級なら防御魔法を打ち抜く事も、バインドを力づくで破壊することも難しくないだろうし、兼一の耐久力なら生半可な魔法には耐えきれる」といった様な趣旨の書き込みがありました。
ですが、実際のところ各防御魔法やバインドの強度と達人の攻撃力がどの程度なのかが分からないことには、明言することは誰にもできないでしょう。同様に、非殺傷設定の魔法攻撃を受けた場合、魔力値にダメージを受けるそうで、魔力が枯渇すると意識を失うこともあるとの事です。なので、肉体的な頑健さがどの程度魔力ダメージに対する耐久力に影響するかにもよるでしょうが、魔力の枯渇による気絶は充分あり得る事態の筈です。非殺傷設定を使わなかったとしても、Stsでなのはの砲撃には空港とかゆりかごで「壁抜き」ができるだけの威力がありました。達人でも銃弾を受ければ傷は負うようなので、こんな物を受ければ充分危険でしょう。
以上の事柄は、先の感想に対する別の視点からの可能性の提示にすぎません。ですが、実際のところなんて、原作者さん同士に話し合ってもらわない限りはわからないんですから、我々が何を言っても結論は出ないでしょう。結局は「こうかもしれない」という想像でしかないわけですし、それは人によって違うのであり、書き手の解釈次第で扱いは変わるものです。極端な話、達人が魔導師を蹂躙しても、逆に魔導士が達人を蹂躙してもいいわけですからね。なぜならそれは「絶対にあり得ないとは言い切れない可能性」があるからです。
皆さまがそれぞれに持つイメージや持論はおありでしょうが、この手の相対的な話は水掛け論にしかならない上に、そもそも誰にもはっきりした事はわからないんですから、以後控えていただけるとありがたいと思います。
この作品は、私一個人の独断と偏見によるイメージと解釈によって成り立っている事を、改めてご了承ください。



[25730] BATTLE 2「新たな家族」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:17

兼一への大まかな事情説明と地球に帰還するまでの流れを話し終えたゲンヤは、先の言葉の通り用事の為に部隊長室を後にした。
兼一とシャマルも、いつまでも部隊長室に陣取っている意味もない。
とりあえず兼一は翔の様子が気になり、再び検査室に戻ることにした。

何しろ、兼一と違って翔はまだ幼い子ども。その上、今自分が置かれている状況への知識もない。
それがどれほど不安なことかは、想像に難くないだろう。
数々の苦難を乗り越え、屈強な精神の持ち主である兼一ですら、自身の立ち位置を理解した今でも不安な気持ちはあるのだから。
せめて、翔が目覚めた時に傍にいてやりたいと思ったのは、父として至極自然な思いだ。

シャマルはどうしたのかと言えば、彼女には兼一を案内するという重大な役目がある。
普通に考えて、この施設の構造に詳しくない兼一を放ったらかしにしておくわけにもいかない。
なにしろ、文字さえ読めない彼の場合、充分過ぎるほど迷子になる可能性があるのだから。

そうして、場面はゲンヤの「用事」とやらが終わった後。
彼が再び部隊長室に戻ってきたその時に移る。

部屋の主が帰還を果たすと、それを待ち望んでいたかのようなタイミングで一人の男性局員が入室してきた。
彼の手にはそれほど厚くないファイルがあり、その内容をゲンヤに報告する。

「検査結果は以上です。とりあえず、今回保護された白浜親子に未知の病原菌などの類は確認されませんでした」
「そうか、ご苦労だったな。
ま、97管理外世界は『危険指定』されてるようなとこでもねぇし、当然と言えば当然なんだがよ」
「はい。危険な動植物や自然現象をはじめ、奇怪なウイルスや病原菌の類も観測されていません。
 極普通で、他の世界同様常に火種を抱えた、魔法技術を持たないだけの世界ですからね」
「らしいな。俺も行った事はねぇんだが……」

部下からの報告に、ゲンヤはこれといった感慨もなさそうに応じる。
兼一が地球出身ということで、既に九割方そういった危険がない事は分かっていた。
今回の報告は、その残りの一割を埋める為の物で、予想通りの結果だったのだから、彼の反応も当然だ。

しかし、この結果が分かりきっていたとはいえ、彼の立場上その手の検査を全て「不要」と断じる事は出来ない。
もし万が一にでも、管理局にもデータの無い病の原因となる「何か」を持ちこまれれば、大惨事に発展する可能性があったのだから、「ない」とほぼ確定している危険でも気を緩めることはできなかった。
その意味でいえば、ゲンヤはようやく最後の一線を超えて肩の力を抜く事ができたとも言えるだろう。

なにしろ医学とは、データの蓄積が要となる学問である。
それがどれほど些細な病で、抗生物質ひとつで容易く完治する様な病であったとしても、未知の病にはどうやっても対処できない。なぜなら、どんな抗生物質なら効果があるのかすらわからないからこその「未知」なのだから。
どれほど進んだ技術を有する管理局とはいえ、こればかりはどうにもならない。

「さて…となると、後はアイツらの帰還の手続きだが……『揺らぎ』が治まるまで時間もあるし、書類の方はそう急ぐこともないか。もう下がっていいぞ」
「はい」

ゲンヤの指示にキビキビとした敬礼で応え、そのまま部隊長室から退室しようと踵を返す。
だがドアノブに手を駆けたところで、唐突に彼は足を止めゲンヤに向き直った。

「…………………………………部隊長、少々よろしいでしょうか?」
「あ? どうかしたのか?」
「実は、検査結果で少々気になることが……」

まだ少し悩んでいるような様子はうかがえるが、どこか神妙な面持ちの彼の言葉にゲンヤは首を傾げる。
若いが、それなりに能力のある事務員である彼がこうも迷うとは、その「気になる検査結果」とは何なのか。
知らず知らずのうちにゲンヤも興味を持ったのか、ひどく真剣な表情で彼に報告を促す。

「これは二人の健康状態に関するデータなのですが、こちらをご覧ください」
「……いや、見ろって言われてもよ。
医者でもねぇ俺にこんな専門的なモン見せられても、何が何やらわかんねぇぞ?」
「失礼しました。この数値は血中の赤血球の数なのですが、これが一般的な数値、こちらはあの親子の物になります」

そう言って彼は別の資料を持ち出し、二つの資料を並べてゲンヤの前に置いて件の数値を指差す。
ゲンヤはそれを軽く眺め、続いて目頭を揉み解し、再度その数値に目を向け「ひい、ふう、みい、よ…」と桁を数え出した。

「…………………………………………多いな。それも、軽く桁一つ以上」
「ええ。お分かりでしょうが、これは尋常な数値ではありません。
 翔君は通常よりやや高いという程度ですが、兼一氏の場合は常人の数十倍です」
「検査ミス、ってことじゃねぇのか? こっちの方にあるのってよ、一応上限みたいなもんだろ?」
「はい。現在の医学と人体工学では赤血球の数はここまでとされています。
 一流アスリートや登山家、あるいは高々度を飛行する魔導師やパイロット、果ては違法研究の結果生まれた特異な体質の人間に至るまで。彼らでさえ、こんなバカげた数値が出る事はあり得ないというのが定説です。
我々も、正直検査ミスかと思って何度も検査し直したのですが……」
「結果は変わらず、か」

彼の言葉を引き継ぐようにして、ゲンヤは小さく呟いた。
おそらく、検査機器の故障という事でもないのだろう。それならその可能性を既に指摘している筈だ。
ゲンヤの顔には先ほど以上の厳しさが浮かび、報告に来た男は額に汗を浮かべながら緊張している。

場合によっては、専門機関に送ってより精密な検査をするべきかもしれない。
これが産まれ持っての先天的な体質なのか、それとも何らかの原因があっての後天的体質なのか。
前者であるならそれはそれで問題だが、後者でもそれは変わらない。
原因が何かにもよるが、それが世界観転移の影響だとすれば大事になりかねないのだから。
自身が保護した人物が思わぬ謎を秘めていた事に、さしものゲンヤもその心中は穏やかではいられない。

「……他のデータはどうなんだ?」
「肉体のポテンシャル、という意味でいえば翔君は全体的に高めな数値です。
しかし、それでも常識の範囲内から出る事はありません」
「それは、兼一は違う、ってことでいいんだな?」
「はい。骨密度や肺活量をはじめ、ほぼ全ての器官で常識外れの数値が出ています。
 また、筋肉の発達の仕方も異常としか表現のしようがありません。検査官も、『いったいどんな鍛え方をすればこんな体が作れるのか』、と……」

翔は確かに風林寺の血筋だが、そもそも達人レベルの身体能力とは後天的な鍛錬によって培われる。
兼一や秋雨の肉体がその好例だが、それは他の面々にも言える事。
得意分野の違いは肉体の性質に依存するだろうし、スタートラインも人によって異なるだろう。
だがそれでも、どれほど素質と才能に恵まれた者であろうと、はじめから達人レベルの肉体的スペックを秘めているわけではないのだ。
長い時間をかけ、壮絶を極める修業の果てに、彼らはその身を限界のさらに先の領域に届かせるのだから。
故に、この時点で翔が「身体能力が高め」という評価でしかないのも、ある意味で当然と言える。
無論、そんな事はゲンヤ達のあずかり知らぬ事だが……。

「本人は園芸店勤務で、副業として小説を書いてるつってたんだがな」
「あまり、鵜呑みにすべきではないかと……」

ゲンヤの言葉に、彼は少々苦しそうにそう諫言した。
彼は兼一と話した事があるわけではないが、それでもこうして人の言葉を疑うのはいい気分がしないのだろう。
根が善良なのもあるだろうが、突然こんな訳の分からない事態に巻き込まれた者への同情もあるかもしれない。

いずれにせよ、一局員としては無視できないデータが今ここにあるのが現実だ。
そうである以上、彼個人の気持ちはともかくとして、兼一の事を単なる「一般人」と考えるべきではない。
もしかすると、なんらかの「裏の顔」を持つ危険な人物かもしれないのだから。

「何らかのレアスキルの影響、って事はないのか?」
「リンカーコア自体がありませんし、他のどんな検査をしてもそう言った物は……上に報告なさいますか?」

彼の言葉は、質問という形を取った確認だ。
普通に考えれば、こんな怪しい人物をただ保護しておくだけにとどめておくべきではない。
最低でも「こんな人物を保護した」と、このデータを添付して報告すべきだ。
本来であれば、彼の言ったように上に報告するところだろう。
しかし、ここでゲンヤはその義務を敢えて怠る事を選んだ。

「いや、必要ねぇだろ」
「……よろしいのですか? 人為的に生み出された人間という可能性も捨てきれませんよ」
「それはねぇと思うがな」

通常では考えられない数値なのだから、何らかの方法で人為的に生み出されたと彼が考えたのはそう間違った推理ではない。だがそれを、ゲンヤは特に考慮することなく否定する。
無論、ゲンヤとて考えなしに否定したわけではない。
むしろ、彼以上に確固とした確信があって否定しているのだ。

「確かにそれならある程度筋は通る。だが、そもそもそんな人間を作る意味って何だ?
 管理世界なら人造魔導師を作った方がいいに決まってるし、管理外世界なら余計意味がない。
 考えてもみろ、魔法も使えない人間が近代兵器に単独で挑んで勝てるか? いや、勝てねぇとはいわねぇが、どっちが有利かなんて考えるまでもねぇだろ。遺伝子やらなんやらをいじる技術を持つ文明なら、その質量兵器のレベルも相当な筈だろ?」
「それは、確かに……」

そう、ゲンヤの言う通り、どれほど肉体的に優れた人間を作ってもあまり意味がない。
管理世界なら優れた魔力資質を持った人間を作るだろうし、管理外世界ならそもそもそんな人間を作る意味がない。なぜなら、肉体的にいくら優れていても、それより遥かに強力な兵器や技術が存在するのだから。
言ってしまえば、コストに対するリターンがあまりに小さいのだ。
故に、ゲンヤはそんな人間を作る意味がないと断言できた。

しかし、ゲンヤ達は知らない。
人間の肉体、その限界点は彼らが常識と考えるそこよりもはるか先にある事を。
その肉体の性能を完全以上に引き出す技術が、魔法にも劣らないほど深く強力な物である事を。
ゲンヤがその深淵を知るのは、これよりまだずいぶんと先のことだった。

「確かにとんでもねぇデータだが、それ以上じゃねぇ。
 魔法的にヤバいデータなら話は別だが、結局は肉体的なスペックが高いってだけだ。
 それなら、わざわざ上に報告するまでもねぇだろ」
「それは…そうですが」

本当ならそれだけで済ますべきではない。
もし兼一が人造生命なら、最低限その背景を問い質すべきかもしれない。
だが、ゲンヤはできればそれはしたくなかった。翔の事を話す兼一の姿は、心から我が子を思う父親のそれであり、言葉にできない強い共感をゲンヤは覚えていたのだから。
そんな彼らの今とこれからを乱しかねない報告を、ゲンヤはしたくなかったのだ。

「いいから、この話はこれで終わりだ。
データは残しておいた方がいいだろうが、この情報を部隊の内外を問わず漏らす事は禁じる。
たとえ部隊内の奴でもな。以上だ、もう行け」
「ハッ!」

ゲンヤに促され、彼はデータの入ったファイルだけ置いて今度こそ部隊長室を後にする。
もちろんこの後、兼一にかかわった者の中で唯一の部隊の部外者であるシャマルにも同様の口止めをした。
こうして、兼一の身体の秘密が外部に漏れる事はなく、白浜親子は平穏な日常にしばし身を置く事となる。



BATTLE 2「新たな家族」



ゲンヤが一通りその日の業務を処理し終えたのは、もう日が沈んでからだいぶ経った後のことだった。
出来れば早めに白浜親子を自宅に招き、少しでも落ち着く環境に移してやりたかったのが彼の本音。
今日会ったばかりの他人の家ではリラックスなどできる筈もないが、それでも隊舎よりかは幾分ましだろう。
だが、彼の立場上やることは山ほどあり、大急ぎで処理したにもかかわらずこんな時間になってしまったのだ。

「わりぃな、遅くなっちまった」
「あ、いえ、お気になさらないでください。隊の皆さんにもよくしてもらいましたし、シャマル先生からもこちらの世界の事を色々聞けたので……」

ゲンヤの謝罪に、兼一はにこやかに笑いながら吊ったままの右腕に変わって左腕を振る。
実際、ゲンヤの仕事が終わるまでの間はほとんどこちらの世界の事を知ることに費やされた。
1・2ヶ月の間とはいえ、その間はこちらで生活するのだ。
その為に必要な基礎知識を少しでも得ておきたい兼一としては、十分以上に充実した時間だったことだろう。
そうして、ゲンヤは兼一の言葉に肩を竦めると、彼のすぐ横に立つシャマルにも頭を下げる。

「そう言ってもらえると救われるな。
おめぇさんも悪かったな、あのチビダヌキが家で待ってるだろうに、長々とまかせちまってよ」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。それに、私も兼一さんや翔君と話せて楽しかったですよ。ね?」
「……う、うん」

シャマルは兼一を挟んで反対側に立つ翔の顔を覗き込み笑いかける。
兼一達がゲンヤと別れた後、1時間ほどして翔は眼を覚ました。
突然見知らぬ場所に放り込まれ、当初は目に涙を浮かべて不安そうにしていた翔。
しかし、幸い兼一がすぐそばにいたこともあり、それほど大きく不安に駆られる事はなかった。
とりあえず父がいる、それだけでも彼は安心できたのだろう。

その後は一緒にいたシャマルにかまってもらっており、ほんの半日程度のふれあいだが、それなりにシャマルには懐いていた。
おそらく、シャマルが持つ穏やかで優しい空気が翔の警戒心を解きほぐしたのだろう。
ところが、今はなぜか兼一の陰に隠れるようにして、父の服の裾にしがみついている。

「ああ、この坊主はどうしたんだ?」
「あ、あははは…ほら、翔。さっき話しただろ、この人がこれからお世話になるゲンヤさんだよ」
「う、ぅぅぅうぅ………」
「なぁ、もしかしてこいつは……」
「いわゆる、人見知りですね。
正確には違うのかもしれませんが、初めて会う人を怖がってるという意味では同じだと思います」

そう、翔が兼一の陰に隠れているのは、単にゲンヤの事が怖いからだ。
特別厳つい顔をしているわけではないとはいえ、それでも相手は見知らぬ男性。
それも、突然それまでと違った環境に放り込まれたのだから、翔が過敏に反応するのも無理はない。
実際、最初のうちはシャマルも頭を撫でようとしただけで泣かれたのだから。

とはいえ、これからしばらくは一緒に暮らす以上、出来れば早めになれてほしいというのがゲンヤの本音。
非常に弱った様子のゲンヤはしばし頭をかいて宙を見上げていたが、そこで唐突に懐からある物を取り出す。

「まあ、なんだ。……………………………ほれ、飴でも食うか?」
((物で釣るんですか?))

ゲンヤのあまりに短絡的な結論に、思わず内心でツッコム兼一とシャマル。
確かに翔は子どもだが、いくらなんでもこれでは釣られまい。
そして、その予想は大当たりなわけで……

「……やっぱダメか?」
「まあ、時間はありますから、追々ゆっくり慣れてもらってはどうですか?」
「ま、それが妥当なところか。
 とりあえず車回してくるから少し待っててくれ、アンタも駅まで送るぞ」
「すみません、お世話になります」

制服から着替えた私服のポケットから鍵を取り出すゲンヤ。
どうやら、シャマルも送って行くつもりらしく、彼女もその厚意に甘えることにしたらしい。
そうして、ゲンヤは再度その場を離れ車を取りに行く。

「そう言えば、シャマル先生はこちらの所属じゃないんですよね?」
「ええ。私は本局の医務局所属なので、明日からはそちらに戻ることになりますね」
「そうですか。では、これでお別れになりますか」
「はい、名残惜しいんですけど、そうなります」
「………シャマルせんせい、もう会えないの?」

兼一とシャマルの会話を聞き、翔はとても残念で寂しそうな声音でそう尋ねる。
はじめこそ怖がったが、今となっては翔にシャマルへの抵抗感はない。
むしろ、生来の人懐っこさからか、これで会えなくなると聞いて不安そうに瞳が揺れている。
それだけシャマルに対して良い印象を持ち、彼女と過ごす時間が楽しかったのだろう。
そんな翔を見て、シャマルとしても一抹の寂しさを覚えた。

「ぁ……そうだ! 日本に戻る時は本局を経由することになると思うので、その時にでも会いにきてくれるとうれしいかな。翔君、その時には私特製のお茶とお菓子でおもてなしするから、楽しみにしててね」
「え? いいの、シャマルせんせい」
「ええ、もちろん。それに、私にとっても日本は故郷みたいなものだし、里帰りした時には時々会ったりできたら素敵じゃない?」
「うん♪」

それは、普通に考えれば単なる社交辞令とかその類に過ぎないものだろう。
しかし、この時に限ればシャマルとしては割と本気だった。
短い時間とは言え、一度は面倒を見た患者だ。
やはり思い入れはあるし、出来ればこれが縁の切れ目となってほしくない。

「すみません、シャマル先生」
「いえいえ、翔君の言う通りこれで『お別れ』というのはやっぱりさびしいじゃないですか。
 別に、私達の場合日本に戻ってもあっちゃいけないわけじゃないんですから、それくらいの気持ちでいいんだと思いますよ」

兼一としても、シャマルの言葉にはおおむね同意している。
遠い異郷の地で出会った子の縁が、これからも続いていくのならそれに勝るものはない。
だが、それがまさか「たまに会う」程度以上の付き合いになるとは思わない三人だった。

そして、間もなく三人はゲンヤの車に乗ってそれぞれの目的に向かう。
シャマルは途中の駅で降り、家族の待つ自宅へと帰って行く。
その際、再度また会う事を翔と約束する二人の姿を、兼一やゲンヤはとても穏やかな眼差しで見つめていた。



  *   *   *   *   *



その後、車に揺られる事しばし。
車の後部座席に乗り込んだ兼一と翔は、運転席に座るゲンヤとあれやこれやと話していた。
内容としては、今向かっているナカジマ家での大まかな決まり事やシャマルとどんな話をしていたかなどだ。

まあ、実際に話していたのは兼一とゲンヤで、翔は二人の会話に首を傾げながら、時折おっかなびっくりの様子でミラー越しにゲンヤの様子をうかがっていたというのが正しいが。
そうしているうちに、気付けば目的地であるナカジマ家に到着した。

車を車庫に入れ、ゲンヤに連れられて玄関へと向かう兼一と翔。
そこで、ふっとこれまでの街並みを含めた感想が兼一の口から漏れる。

「何て言うか、あまり僕たちのいた世界と変わらないんですね。もっとこう車道が何層にも分かれて立体的だったり、人がびゅんびゅん空を飛んだりしてると思ってたんですけど……」
「そりゃSF小説の読み過ぎだな」
「げ、ゲンヤさん……」
「冗談だって。ま、結局人間が住んでるところだからな。
どんだけ技術が発展しても、やることには限度があるってことなんじゃねぇか?
 クラナガンの中心部でも、建物の高さはともかく、基本的なところはそう変わらねぇぞ」
「そういうものですか」

兼一としては突然そのSFとファンタジーが融合した世界に放り込まれた様なものなので、ついついそんな想像をしてしまう。
しかし実際にそこに住むゲンヤとしては、兼一の想像には苦笑を洩らさずにはいられない。

「そういうもんだ。第一、飛行魔法は確かにあるが、その辺を自由にしちまうと交通ルールの取り決めや取り締まりが大変なんだよ。
 そもそもだな、一般道の事故だって根絶できてねぇんだ。空まで取り締まるなんて手に余るっつうの」

確かに、二次元的な地上の交通事故ですら頻度はともかく絶えない以上、ここに加えて縦横に加えて「高さ」まで存在する空の警戒までするとなれば、その労力は計り知れない。
飛べる人間はいるし、飛ぶための道具も存在するが、だからと言って飛べばいいというわけでもないのだろう。
飛べた方が何かと便利なようだが、それによる弊害が確かに存在するのだから。

とそこで、兼一は自身の上着の裾が軽く引っ張られていることに気付く。
そんな事をするのは、翔をおいてほかにいない。
彼は兼一を見上げながら、小さいが少し興奮した様な声で父に語りかける。

「父様、なんだかいい匂いがするよ」
「ん? ああ、そうだね。この匂いは……………お味噌汁?」
「ああ、ギンガの奴が飯作ってるんだろ」
「確か、娘さんでしたよね」
「ああ、姉の方になる。
一応所属は俺の部隊なんだが、今日は一日暇をやってお前らの部屋の準備をさせてたんだよ」

普通なら、これから世話になる家の娘がその部隊内にいるなら早め顔見せをしているところだろう。
それをしなかったのは、ひとえにその人物がその場にいなかったからに他ならない。
108所属と聞いてはじめはいぶかしんだ兼一も、最後まで聞けば納得したらしい。
とはいえ、今度は別の疑問が浮かんでくる。

「こちらにもあるんですか、和食?」
「あるぜ。つーか、俺の先祖がそっち出身なのは話しただろ。
 俺の親父が酔狂な奴でよ、『和食がないのは世界の損失だ』とか言い出して脱サラして定食屋をはじめやがってな。それから一時期和食ブームが起きて、今でもそこそこ和食を出す店があるんだわ」

考えてみれば当然の話で、元は地球は日本出身のナカジマ家で和食が食べられているのは当たり前だ。
材料さえ揃えられれば、かつてこの地にやってきたゲンヤの先祖がその味を求めたのは必然と言える。
まあ、さすがにそれで飲食店を始め、いつの間にやらこの世界に浸透したというのは驚くばかりだが。

「ず、ずいぶんとアグレッシブというか、バイタリティのあるお父さんだったんですね」
「まぁな。ただよ、『日本男児たる者、寿司くらい握って和菓子も作れるようになれ』なんて無茶言いやがるもんだから、結局家業は継がずに局に入ったわけなんだが……」
「あ、あははは……」

なんとなく、「家業を継がない」発言をした際に親子で殴り合いを始めた様子を想像してしまし、乾いた笑みを浮かべる兼一。
そんな兼一を余所に、育ちざかりまっただ中の翔の腹が威勢よく食事を求めて可愛らしい唸り声を上げた。

「父様、おなか減った……」
「っと、玄関の前でグダグダやってる場合じゃねぇな。
 わりぃな坊主、すぐに飯を食わせてやるからよ」
「う、うん………」

父と親しそうに話している事が功を奏したのか、少しばかり翔もゲンヤに慣れてきたらしい。
あるいは彼なりに、目の前の人物が自分達の庇護者である事を感じていたのだろうか。
どちらにせよ、とりあえずはゲンヤの目を見て小さく受け答えをする程度にはなってきた。
翔とてもう乳飲み子ではないし、そもそも人懐っこい気質だ。これくらいの年齢になれば、相手が初対面であっても、慣れるのにそう時間をかけはしないのだろう。
そうして、ゲンヤは玄関の鍵を開けて二人を自宅へと招き入れる。

「ようこそ、って事になるのかね、この場合は。
 ここがしばらくの間お前らの家になる。ま、自分の家だと思って気兼ねなくくつろいでくれや」
「何から何まですみません、お世話になります」
「なります」
「おう………っと、話してるうちにきやがったな」

自身の背後に続く廊下の方へ視線を向け、そんな事を呟くゲンヤ。
耳を澄ませば、奥の方から「パタパタ」とスリッパでフローリングの上を早足で駆けてくる音が聞こえる。
その律動は軽快そのもので、音の主の体重の軽さとキビキビとした挙動が見てとれるようだ。
とはいえ、これを兼一が聞くと別の意味合いが絡んでくる。

(ウエイトは軽いけど、リズムがいい。身体の動かし方をよく知ってる。
 音の間隔からして歩幅があのくらいだから、身長は僕とそう変わらないかな?)

普通、足音を聞いただけでここまでわかるだろうか?
確かに格闘技に置いて相手の身長や体重は重要な要素だし、足運びから相手の力量を知ることもできるのかもしれない。が、足音からそれらを判断できるとは……。
まさか足音の主も、会ってもいない相手に身長と体重を把握されているとは思うまい。
特に、体重をほぼ正確に看破されていると知ったら、はてさてどんな反応を見せるのやら。
女性に体重を聞くのは、年齢を聞く事に匹敵するか、それ以上のタブーだというのに。

そして廊下の奥から現れたのは、紫紺のエプロンで手を拭くうら若き乙女。
白のロングスカートを身につけ、髪は腰まである蒼い長髪を大きめのリボンで結えている。
少女の名を「ギンガ・ナカジマ」。
十人いれば十人がゲンヤと親子である事を疑うほど、父に全く似ていない娘である。
そしてそれは、何も外見に限った話ではない。

「父さん、おかえりなさい」
「おう、今帰ったぜ。んで、こっちが今朝話した奴らな。
 兼一、それに翔。これが娘のギンガだ」
「もう、そんな紹介の仕方ないでしょ! すみません、父さんってどうも大雑把で……」
「あ、いえ、お気になさらず」

途轍もなく細部をはしょり、極めて大雑把に双方の間に立って紹介するゲンヤ。
ただ、それがあまりにあまりなので、ギンガは片手で頭を押さえつつ注意している。
ゲンヤが良くも悪くもおおらかなのに対し、彼女は割と生真面目な気質らしい。

「そう言うんなら自己紹介くらい自分でやりゃあいいだろうが」
「はじめからそのつもりです。その前に父さんが勝手に話を始めただけでしょう、まったく。
……コホン。では、改めて娘のギンガ・ナカジマです。陸士108所属、階級は陸曹、魔導師ランクは陸戦Aランク「高めの身長がコンプレックスの、恋人いない歴=年齢の寂しい花の16歳」…………父さん、言い残す事はある?」

自己紹介に割って入り、勝手に言いたい放題言って茶々を入れるゲンヤに青筋を浮かべて拳を握るギンガ。
幻聴か、空気が「ミシミシ」言うほどの怒気がギンガから放たれている。
だが、ゲンヤとしては慣れた物で、それでもなおギンガをからかう事をやめよとはしない。

「まったく、俺はおめぇたちの事を心配して言ってやってんだぞ。俺だってもう年なんだ、早いとこ娘の晴れ姿を見たいところだってぇのに、お前らときたら浮いた噂一つねぇときた」
「私はまだ16よ、別にそんなカツカツする事じゃないでしょ」
「そう言ってるうちに二十歳になり、三十路になり、ゆくゆくは……時間が経つのははぇえぞぉ」
「天国の母さん? ちょっと父さんをそっちに送ろうかと思うんですけど、別にいいですよね?」
「あ、あの、とりあえず落ち着いてください! お父さんを撲殺するのはさすがに不味いですよ!?」
「ギンガさんやめてぇ―――――――!?」

二人を置いてけぼりにし、勝手にヒートアップするギンガとからかうゲンヤ。
ギンガの髪が「怒髪天を突く」的に逆立ち始めたのを見て、兼一はかなりビビった様子ながらもギンガを止めようと努力する。具体的には、やめるように声を駆け、抱えるようにしてギンガの左腕にしがみついていた。
反対側の右腕には、いつの間にか翔がぶら下がっている。どうやら、彼も必死にギンガの暴走を止めようとしているらしい。

本来、兼一のパワーなら16の少女の拳を止める位訳はない。
しかし、如何せん事前情報でギンガが魔導師である事を兼一は知っていた。
故に、大事をとっていつでも全力で止められるように身体全体を使っているのだ。
何しろ、兼一は魔法に対して全くの無知。魔法を使われた場合、自分で止められるかの判断ができないのだから。
ただここで、兼一はその手で触れたギンガの腕の感触に僅かな違和感を覚えた。

(……………? なんか、妙に固いというか、ゴツゴツしているというか……しなやかでいい筋肉なんだけど、変なものが混じってる? この子、昔大怪我でもしたのかな?
 ボルトとかワイヤーっぽい感触もするし、そう言うので固定しているとすれば一応納得はいくんだけど…………………いや、やっぱりしっくりこない。それに、仮にそうだとしても古傷がある風でもないんだよね。
まあ、それも進んだ技術のおかげって考えれば辻褄はあう………のかな?)

はっきり言ってしまえば、それは人体を熟知した兼一にとっても未知の感触だった。
それっぽい物は挙げられるのだが、具体的「これ」という物が思い浮かばない。
そもそも、挙げだしたらキリがないほどに違和感が次々と浮かんでくるのだ。
根っからのお人好しであるが故に敢えて考えないようにしているが、「本当にこれは人の腕なのか」そんな疑問に発展しそうになっていた。まさか、それが正解だとは思いもせずに。

まあ、それはさておき……やはり初対面の相手に腕だけとはいえ抱きつくものではない。
何が言いたいかというと、あまりその手の事に免疫のないギンガには少々刺激が強すぎたらしい。

「わひゃあ!? な、なななななな何をするんですか!?」
「へ? あ、すみません…………って、翔!?」
「あ~~~~~……」

思い切り赤面して硬直しながら叫ぶギンガに対し、兼一は少し驚きながらもその手を離す。
しかし、兼一と違って離すのが僅かに遅れた翔は、ギンガが反射的に腕を振り回したものだからあえなく宙を舞う破目に陥った。何しろ体が小さく体重も軽い翔だ、それはもう軽々と宙を飛んでいる。
ギンガは自身の失態に気付き、その口からは声ならぬ声が漏れる。

「っ!?」
「ヤベェ!?」

声を挙げたのはゲンヤ。彼の視線の先には、今まさに振りほどかれた翔が壁にぶつからんとしている。
普通ならこのまま壁に激突し、程度の差はあるが怪我を負うことになるだろう。

だが……それは、投げられたのが翔以外ならの話だ。
翔はまるでネコか鳥の様に宙で身をひるがえすと、さも当然の様に壁に四肢をつく。
そのまま重力にひかれ、彼は無事床の上に着地を決めた。
それを見て、ゲンヤとギンガが思わず安堵の吐息を洩らしたのは当然だろう。

「よ、よかったぁ……」
「ったく、何やってんだ。
ぶつからなかったから良かったものの、こんなガキに怪我させそうになってんじゃねぇよ」
「うぅ、面目次第もありません。ごめんなさい、兼一さん翔君」
「あ、いえ、そもそも僕達があんなことしたのが原因ですから。ところで翔、怪我はないかい」
「うん!」

兼一は翔の下に駆けより、一応怪我がないかを確認する。
完璧な着地を決めた以上、怪我はしていない筈だが念の為だ。
同時に、兼一は内心で今のギンガの動きを考察する。

(それにしても、あんな滅茶苦茶なやり方が軽々と人を投げるなんて……。
 翔は軽いからあの細腕じゃ無理とまでは言わないけど、それにしたって……アレが、魔法の力?
 もしそうなら、かなりやりづらい)

今の一連の事象を見て、兼一が抱いた感想がこれだ。
力任せに人を投げることは可能だが、それは決して容易なことではない。
如何に体重の軽い翔とは言え、それでも4歳という年齢相応の体重はある。
これを片手で理を無視して適当に投げるとなると、それなり以上の筋力が必要だ。
細腕と称して良いギンガの腕でそれが不可能とは言わないが、それでもかなり無理のある動作だろう。

その無理を無理でなくすものがあるとすれば、それは魔法の力以外にあり得ない。
少なくとも、兼一はその判断に疑いを持ってはいない。
先ほど感じた正体のつかめない違和感より、よほどこちらの方が結び付けやすいというのもあった。
何しろ、治療の為に人工物を使用するのは理解できても、人体を強化するためにそれらを埋め込むなどという発想は、そもそも彼には存在しないが故に。
兼一に言わせれば、そんな事をしなくても「鍛えれば充分強くなれる」のだから。

いや、今兼一が問題としているのはそこではない。
強い人間というのは、雰囲気や立ち振る舞いなどにそう言ったものが滲みでる。
魔導師でもそれは変わらないのだが、一つ兼一にはどうしても看破できない要素が存在する。
そう、魔導師ではない兼一には魔力の大きさはわからず、魔法によって強化された身体能力がどの程度の物なのかが判別できないのだ。
元となる身体能力や技量は分かっても、そこに上乗せされる魔法の力は読めない。
実際に戦うとすれば、相手の力が読み切れないのはさぞかしやり難いだろう。

と、兼一がそんな事を考えていることに気付く事もなく、ギンガは再度深々とお詫びの意を示していた。
ついでに、相変わらずゲンヤはそんなギンガに茶々を入れているが……。

「本当にすみません。えと、その……こう言った事は不慣れなもので……」
「男と付き合った事はおろか、手を繋いだこともねぇからこんなことで慌てんだよ。
 精進がたらねぇぞ精進が、俺ぁ情けなくて泣けてくらぁ!」
「ああもう、外野は黙っててください!!」

わざとらしく手の甲で目元をぬぐうゲンヤと、それに「いい加減にしろ」とばかりに怒るギンガ。
なんのかんの言いつつ、仲のいい親子なのだろう。
兼一としては若干苦笑を浮かべつつ、そんな事を思う光景だった。

「にしても、ずいぶんと身軽だなこの坊主は」
「ああ、そう言えば」
「あ、あははは……」

ゲンヤとギンガは先の翔の身のこなしを思い返し、感心したようにそんな感想を述べる。
それに対し、兼一としては笑ってごまかすより他はない。
どうやら、翔は兼一よりも風林寺の血を濃く受け継いでいるらしく、その身体能力は高い。
それこそ、大抵のスポーツで大成できる資質があるだろう事を、誰よりも兼一が知っていた。
同時にそれは、武術においても例外ではない。翔ならば、普通にやっていてもそれなりの腕になるだろう事を、父としての身内贔屓ではなく、客観的な武術家としての視点で兼一は理解しているのだ。
だからこそ、そのことにあまり触れたくないが故に笑ってごまかす。

とはいえ、そんな兼一の想いを知る筈もない翔は、今の空中遊泳がツボにはまったらしい。
いそいそとギンガに駆けより、普通に考えればだいぶ無茶で危なっかしい事を求めていた。

「あの! 今のもう一回してください!」
「え? ああ、いや、アレはちょっと危ないから…他の事にしない?」
「ええ~……」
「ほら、怪我しないかってお父さんも心配すると思うし…ね?」

酷く残念そうな声を漏らす翔に対し、ギンガは膝を折って翔の眼の高さに合わせながら諭す。
今はたまたまうまく着地できたが次も上手くいくとは限らない、というのがギンガの見解だ。
確かに、普通の子どもがあんな着地を決められる事はまずあり得ないだろう。
それなら、ギンガが困った様子でそう言い聞かせるのは当然といえた。
そして、兼一としてはギンガの言葉にはおおむね同意。
彼女と違って、危ないからではなく翔の身体能力をあまり露見したくないからだが。

「翔、ギンガさんを困らせるんじゃない。あまり我儘を言ってると、嫌われちゃうかもしれないよ」
「……はぁい」
「いえ、我儘だなんて…そんなことは全然ないから、気にしなくていいよ。
 ただね、ちょっと危ないから別の事をして遊ぼうか?」
「……いいの?」
「うん! 危なくないなら、いくらでも遊んであげる♪
 だけどね、君が怪我をしたらお父さんもそうだけど、私やそこのおじさんだって悲しいから、それだけはわかってくれるかな?」

翔の翠の瞳を覗き込み、その頭を優しく撫でながらギンガはゆっくりと言い聞かせる。
妹がいたことで年少者の扱いを心得ているのだろう。
それは傍から見ると、年の離れた姉弟か従姉弟の様にも見えた。

「おい、誰がおじさんだ」
「父さん以外にいるわけないでしょ。十代半ばの娘がいる時点で十分おじさんです。
 むしろ、その年と外見で『おじさん』扱いしてもらえるだけ喜んでください。
 見る人が見たら『おじいさん』にだって見えるんですから」

どうも、今日のギンガはだいぶ棘があるらしい。
まあ、アレだけからかわれれば棘の一つや二つ出てくるというものだろう。

「ほれ、いつまでも玄関でくっちゃべってても仕方ねぇだろ。
 早く入って飯にしようや、そこの坊主も腹をすかしてるみてぇだしよ」
「あ、うん。でも父さん、『坊主』はないんじゃないの?」
「別にいいだろ、なぁ?」
「まあ、別にいいんじゃないでしょうか?」

翔の呼び方についてギンガは苦言を呈するが、兼一も翔もあまり気にした様子はない。
何しろ、逆鬼は翔の事を『坊主』どころか『チビ』と呼んでいる。
これに比べれば、ゲンヤの呼び方くらいはあまり気にならないだろう。

「なら問題ねぇな。そら、さっさとはいんな」
「はい、お世話になります」
「おじゃましま~す」
「ったく、ちげぇだろ。しばらくここで暮らすんならな」
「え、でもそれは……」
「ここを自分の家だと思ってくださると、私達もうれしいですから」

並び立って白浜親子に微笑みかけるナカジマ親子。
そんな二人に、兼一は心から感謝の念を覚える。故郷を離れ、異郷の地で土台となる物を何も持たない自分達に対し、この家と自分達を土台と思ってほしいと言ってくれる、この親子の優しさに。
翔は喜びをかみしめるように僅かにうつむいた父を見上げ、不思議そうに首を傾げる。

「父様?」
「翔、家に帰ったら、何て言うんだっけ?」
「………………ただいま」
「そうだね。ただいま、ゲンヤさんギンガさん」
「「はい(ああ)、お帰り」」

こうして、兼一と翔は異郷の地ミッドチルダにおける『我が家』とも呼ぶべき場所に一歩を踏み出した。



おまけ

ナカジマ家の居間にある楕円形の食卓で遅めの夕食をとる四人。
メニューは兼一と翔の事を慮った純和食。見知らぬ異郷の地に来たばかりの二人に配慮し、少しでも落ち着けるようにとギンガが腕をふるったのだ。
白浜家や美羽のそれとは僅かに違う味付けながら、その慣れ親しんだ和の味に白浜親子は舌鼓を打つ。
際立って旨いというわけではないが、充分「美味しい」と言える味だ。
ただ、一つ気になる事がある。それは……

「他の料理もおいしいですけど、お味噌汁は本当においしいですね。これもギンガさんが?」
「はい。和食は母に習って、その母はおじいさんから習ったそうですよ」
「へぇ、オフクロの味って言う奴ですね」
「まあ、そんなところですね。翔君はどう? 美味しいかな?」
「うん♪ それに、なんだか父様の作ってくれるお味噌汁に似てて、とっても美味しい!」
「そっか、喜んでもらえてよかった」

兼一と翔の反応に気をよくしたのか、ギンガの顔には溢れんばかりの笑顔が咲き乱れている。
料理をはじめとした家事は元々好きだが、やはりこうして褒めて喜んでもらえればうれしいものだ。

「でも兼一さんもお料理が得意なんですか?」
「得意って言うほどものでもありませんけどね。
 ただ、この子に母の味を教えてあげたくて、僕なりに色々試してるんです」

それは、母を知らぬ翔への兼一の愛情そのもの。
美羽と共に台所に立った記憶を掘り返し、かつて食べた味を思い出しながら、少しでも美羽の味に近づけようとこの四年間研究し続けた料理。
未だ完璧に再現できたとは言い難いが、それでもだいぶ近づけたという自負が兼一にはある。

「でも、ちょっとショックかな。
あの味を出すのに僕も結構苦労したんだけど、ギンガさんもその味が出せるなんて……」
「いやいや、そんな大したもんじゃねぇぞ。こいつの得意ジャンルが何か教えてやろうか?」
「ちょ、父さん!?」
「へ? 和食じゃないんですか?」
「確かに和食は得意だが、一番の得意分野は違う。
 こいつな、大雑把かつ大量に作れる料理の方が味は良くなるんだよ。
 カレーとか鍋物の方が得意なんだわ。ま、一番はベーキングパウダーを山ほど使った菓子なんだがよ」
(そう言えば、ギンガさんのお皿って、物凄い山盛りだよね……)

そう、あえて気にしないことにしていたが、兼一の向かいに座るギンガのさらにはうず高く積み上げられた白米の山がある。他にも、どこの大食い選手権かと言わんばかりの量の料理が、彼女の前には並んでいるのだ。
あの細い体のどこに、これだけの質量が入るのか、兼一は心底不思議だった。
というか、一瞬「これが魔法の力なのか」と愕然としたのは秘密である。

「うぅ、べ、別にいいじゃない。ちゃんとおいしいんだし……」
「そりゃあな。味に文句はねぇし、作った分はちゃんとおめぇやスバルが消費するんだからとやかくはいわねぇよ。食費に関しちゃ、クイントが生きてた頃からあきらめてるしな。
 だがよ、料理の得意分野までアイツに似ることたないだろ」
「子が親に似るのは当然です。文句があるなら、父さんも教えるべきだったんじゃないですか?」
「ちっ、親父に反発して料理なんて手をつけなかったからなぁ……」

どうやら、ギンガの料理スキルは母の影響を色濃く受け継いでいるらしい。
それにこの話からすると、ゲンヤの亡き妻であるクイントも相当な大食いだったようだ。

(ギンガさん、見た目だけじゃなくて食事に関してもお母さん似なんだね)

棚の上の写真立てにある、ギンガとよく似た女性の写真を見て兼一はそんな事を内心で呟く。
ギンガからはゲンヤの遺伝子をまるで感じないが、母クイントの遺伝子が大勢を占めているらしい。
まあ、それも彼女の出生からすれば当然なのだが、こればっかりは兼一のあずかり知らぬところである。

「あの、ところで兼一さん」
「はい、なんですかギンガさん」
「私の方が年下なわけですし、もうちょっと気軽に話してください」
「でも、それは……」
「正直に言ってしまうと、年上の方に敬語を使われるのって変に緊張しちゃうんですよ。
 ですから、お願いできませんか?」

相手は家主の娘、兼一としては敬語を使うのが当然なのだが、ギンガはそう思っていないらしい。
実際に、兼一にそう頼んでいる今もどこか困ったような笑顔を浮かべている。
礼儀の事を考えるならやはり敬語を使うべきと兼一は考えるが、当人がそれを望んでいないのなら話は別だ。
少々悩んだ兼一だったが、最終的にはギンガの申し出を受けることにする。

「それじゃあ、『ギンガちゃん』って事でいいかな?」
「ちゃ、『ちゃん』ですか!?」
「おかしいかな?」
「あ、いえ、全然そんな事はないんですけど……」

恐らく、そういう呼び方に慣れていないのだろう。
動揺を露わにするギンガの顔は、慣れない呼び方への恥ずかしさから赤面している。
兼一としては年下の女性は大抵「ちゃん」付けなので抵抗はないが、ギンガはそうではなかったらしい。
まあ、16にもなって目上の人間から「ちゃん」付けで呼ばれるのは、確かに恥ずかしいだろう。
実際、ギンガは兼一に聞こえないように内心で「そんな子どもじゃないのに」とぼやいている。
そんなギンガの反応を見て兼一は首を傾げ、ゲンヤは笑いを押し殺すのに苦労していた。
とそこで、それまで不思議そうに父とギンガの顔を交互に見ていた翔が、恐る恐るギンガに話しかける。

「あの、ギンガさん?」
「ん? どうかしたの、翔君」
「その、えっと……………『お姉さん』って、呼んでもいい?」
「え?」

それはとても控えめで、今にも消え入りそうな小さな願いの言葉。
翔は一人っ子で、母も知らない。身近な女性と言えば、一緒に暮らしている祖母位なもの。
叔母や父の友人の女性たちと会う機会はあるにはあるが、一時でも一緒に暮らした経験などある筈もなし。
故に、彼にとってギンガは祖母をのぞけば一番身近な所にいる女性ということになる。
たとえ、それが短い期間だったとしても。

それでも、しばし共に暮らすその相手との距離を少しでも縮めたいと、子どもながらに思った結論がこれだったのだろう。呼び名というのは、それぞれの精神的な距離を現すと言ってもいいから。
そして、不安そうに上目づかいで自身を見つめる翔の眼を見たギンガの心はというと……。

(か、可愛い!? なに、この可愛い生き物は!!
 涙で潤む翠のつぶらな瞳の上目づかい、あどけない表情、澄んだ高い声、どれもこれも破壊力あり過ぎよ!?)

童子というのは、ただそれだけで周りの大人の庇護欲をそそる魔性の生き物だ。
翔にその自覚は一片もないが、その邪気のなさがかえってギンガの心を揺さぶっている。
元々面倒見がよい世話焼き気質のギンガだ、こんな眼と声で求められてどうして拒否できようか。
そして、あまりの衝撃にプルプルと震えていたギンガだったが、ついに辛抱堪らんとばかりに翔を抱きしめた。
その様は、そのまま頬ずりを始めるどころではなく、傍から見ると今にもさらっていきそうな印象さえ受ける。

「あぅ!? お、お姉さん?」
「ダメよ、お姉さん…何て呼ばせない」
「ぁ、その…ごめんなさい」

突然抱きしめられたことに驚きながらも、ギンガの顔をゆっくりと見上げる翔。
そんな彼に対し、ギンガはその呼び方を許さない。当然、翔は目に見えて落ち込む。
しかし、ギンガの言葉にはまだ続きがあった。

「『お姉さん』だなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、もっと気軽に『ギン姉』って呼んでいいのよ。
 むしろ呼んで! いえ、呼びなさい翔君!! 私の事は、遠慮なくお姉ちゃんと思っていいんだから!!!」
「ああ……わりぃな。なんか知らんが、変なスイッチが入っちまったらしい。
一発はたいて正気に戻すなり止めるなりした方がいいか?」

娘の知られざる一面を垣間見たのか、ゲンヤはどこか悪い夢でも見ているかのような面持ちだ。
母親に似て世話好きだし、何より妹であるスバルを母亡きあとは半ば母親代わりで育てたギンガだが…まさかここまで錯乱するとは思わなかったらしい。
まあ、弟と妹では違うのかもしれないが、翔の何かが最近は燻り気味だったギンガの世話焼きの気質に火をつけたようだ。それこそ、山火事級の。
そんなギンガと翔の様子を見ていた兼一は、僅かに苦笑を浮かべながらもその反応は好意的だった。

「あ、いえ。翔も満更ではない様ですから、このままで…いいと思います」

兼一の言う様に、ギンガに抱きすくめられる翔は少し苦しそうにしているが、同時にどこか嬉しそうでもある。
如何にあまりさびしい思いはしてこなかったとはいえ、翔は母のいない一人っ子。その事実が変わる事はない。
恐らく、「寂しい」というほどではなくとも、そう言った家族が欲しいという潜在的な願望があったのだろう。

「ね、ダメかな?」
「く、くるしい……」
「あっ…ご、ゴメンね!?」

翔の言葉に大急ぎで抱きしめる手を緩めるギンガ。
そのまま一端身体を離そうとするが、それはかなわない。
なぜなら、今度は反対に翔がギンガの事を抱きしめていたのだから。

「翔…君?」
「良い…の? その……………………『ギン姉さま』って、呼んで?」
「…………バカね、当たり前でしょ。ねぇ、『翔』」
「…………………………………うん♪」

俯き不安そうに尋ねる翔に対し、ギンガは再度の抱擁を以て応える。
先ほどの様な強さはなく、優しく、暖かで穏やかな抱擁。
気がつけば、ギンガの左手はゆっくりと翔の頭にのせられ、愛おしそうにその頭を撫でていた。

「ギン姉さま」
「なに、翔?」
「あったかくて、いい匂いがする」
「そう? 私もね、あったかいよ」
「やれやれ…仲良き事は美しき哉、ってか?」
「そうですね」

こんな感じで、白浜親子の異世界での初めての夜は更けて行く。
明日からの日々に何が起こるのか、それを各々は漠然と楽しみにしながら。






あとがき

正直に言ってしまうと、予定に比べて全然進んでいません。
ホントは、ある程度ミッドでの日常風景にまで触れるつもりだったんですけどね。
この分だと、ちゃんとした形で状況が動くまでにあと1・2話かかることになるかもしれません。
というわけで、しばらくの間はほのぼのベースの日常のお話になるでしょう。

ところで、ゲンヤは少しだけ兼一の一面に近づいてきています。
とはいえ、魔法主体で人体の限界には疎い彼らでは、今のところはこんな認識でしょう。
翔は、今のところは割とスペックが高いだけの子どもに過ぎませんけどね。

まあ、逆に兼一は兼一でギンガの体に違和感を覚えてますけどね。
ただ、彼にはその手の知識がまるでないので、違和感が確信に発展しませんが……。
早い話、「なんか変だなぁ」と思いつつ、上手く説明できないので管理世界の進んだ技術による物と自己完結してしまうのが簡単だったんですよ。あながち間違ってませんしね。

最後に、シャマルはここで一端退場し、代わりにギンガが翔の姉的ポジションに。
これにどんな意味があるのかは、まあ追々という事で。
ただ、彼女の料理スキルに関しては、姉妹揃ってあの大食ですからね。きっと、得意分野もそれに見合ったものなんじゃないかなぁ、と思っての捏造設定ですけど。

それでは、早めに更新できるよう鋭意努力いたしますので、今後ともお付き合いくだされば幸いです。



[25730] BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:18

兼一と翔の白浜親子が第一管理世界ミッドチルダに迷い込んでから早数日。
まだまだ不慣れなことも多いが、いくらかの時間を駆けたことで多少は今の生活にも慣れてきた。
未だ文字が読めないことによる不都合はあるが、いくつかの看板などは文字ではなく『絵』や『記号』として認識することで、ある程度はそれがなにを意味しているのかが分かるようになってきている。

また、ギンガやゲンヤをはじめとした108の隊員たちから読み書きも教わっている真っ最中。
本の虫である兼一にとって、この世界の書籍は宝の山だ。
何しろ、文字どおりの意味で見たこともないような本が山の様にある。
半ば活字中毒でもある兼一にとっては、むしろ読めないという状況こそが苦痛。
ならば、彼が割と真剣に読み書きを学んでいるのも当然だろう。

翔の場合、さすがにナカジマ親子や兼一が働きに出ている間、家に一人きりにするわけにもいかない。
必然的に、翔は108内にある託児施設で厄介になっていた。
どうやら、子どもらしい純粋さから、早々に友人もできているらしい。
まあ、一番彼が一緒にいる事を好むのは、『姉さま』と慕うギンガなのだが……。

ちなみに、なんでそんな施設があるのかというと、これは必要に迫られてのものだ。
なにしろ、108には家庭を持った局員、あるいは片親の局員というのも当然いる。
それだけではなく、その職種の関係から夜勤や泊りがけになる場合も多い。
その為、隊舎内にそういった施設が有った方が都合がいいとして、大抵の陸士部隊にはその手の施設が存在する。

さて、これはそんな感じに異郷での生活に慣れ始めた兼一達が送る日常風景である。



BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」



早朝、この家の家主であるゲンヤ・ナカジマは日課のランニングから帰ってきた。
玄関で扉を開けると、途端に食欲をそそるいい匂いが彼の鼻孔を刺激する。

「ったく、これじゃどっちが世話してんだかわかんねぇな」

そうぼやいたゲンヤは、苦笑を浮かべつつ首から下げたタオルで汗を拭きながら居間へと足を進める。
そうして居間についてみれば、そこには彼が予想した通りの光景が広がっていた。

「あ、おはようございます、ゲンヤさん」
「おう、おはようさん。朝からわりぃな、兼一」
「いえ、お世話になってるんですからこれくらいは。もうすぐできますから、着替えてきてくださいね」

台所にいたのは、包帯が外れた代わりにエプロンをつけ、フライパン片手に朝食の支度をする兼一。
兼一達親子がナカジマ家で厄介になるようになってからの数日の間に、すっかりなじんでしまった光景だ。
はじめのうちはギンガが「遠慮せずに寛いでください」と言ってくれた。
だが、兼一としては何から何まで世話になってばかりもいられない。
一悶着ありはしたが、最終的には当番制で家事を分担することで落ち着いたのだ。

「あいよ。ところで、翔とギンガはどうした?」
「ああ、二人なら今はまだ寝てると思いますよ。昨日、ギンガちゃんは遅くなるから先に寝てるように言っておいたのに、結局帰ってくるまで眼をこすって起きてましたからね」
「ククク……ギンガも口では『早く寝なさい』だの言ってるが、なんだかんだで喜んでたみたいだし、説得力なんてありゃしねぇわな。しっかし、初めて一緒のベッドで寝た男が翔か。我が娘ながら……色気がねぇなぁ」

『やれやれ』とばかりに呆れた様子で溜息をつくゲンヤ。
彼の言う通り、今翔はギンガの部屋で彼女と一緒に寝ている。
元の世界ではずっと兼一と一緒に寝ていた翔だが、こちらに来てからは父と姉の間を交互に行き来していた。
ほんの数日の間に、すっかり仲の良い姉弟になってしまったものだと、男親二人は感心するばかりだ。

「おめぇさんとしちゃ、ちょいとさびしいんじゃねぇか?」
「どうでしょうね。でも、翔が幸せそうならそれでいいですよ」
「はっ、まさしく教科書通りの答えだな。
他の奴が言ったなら単なるごまかしだが、おめぇの場合は本気でそう思ってるんだから、たいしたもんだ」

ゲンヤの言葉に、兼一は困ったように頭をかく。
以前ほど自分にべったりではない息子に対し一抹の寂しさがないわけではないが、それでも昨今の翔は良く笑う。
いや、以前からよく笑う子どもだったのだが、以前以上にいい笑顔で笑う様になった気がしていた。

普通、全く知らぬ異郷の地にいきなり放り込まれれば、そんな反応を示す筈がない。
生来順応性が高いのだろうが、ゲンヤや人の良い108の隊員たちとの触れ合い、何よりギンガの存在が大きく影響しているのだろう。
とはいえ、それを無条件に喜んでもいられないのだが……。

「ん? どうした、神妙な顔してよ」
「いえ、翔が幸せそうなのは本当にいい事なんですが……それも、あまり長くはないんですよね。
 そう思うと、ちょっと……」
「ああ、あと一ヶ月半もすりゃあっちに帰れるんだもんな。そうなりゃ、当然会う機会も減るか。
 俺らは八神んとこと違って、向こうにはもうほとんど縁なんぞ無いからな」

そう、この幸せな一時も決して長くはない。
悲劇的な意味ではなく、本来であれば好ましい変化の結果として。
兼一達が元の世界に戻れるようになるまで、そう長い時間は必要としない。
この地で過ごす時間は刻一刻と減って行く。
それはつまり、あの仮初の姉弟の関係の終焉が近づいていることも意味する。
それが兼一としては、心配といえば心配だった。

「翔は………きっと悲しむと思います」
「そりゃ、ギンガも同じだろうぜ。アイツは嘘が下手だからな、ああして翔を猫かわいがりしてんのは紛れもない本心だろうよ。どこまで表に出すかまでは分からんが、どうせ見てないところで泣くんだろうな」
「そこまで翔の事を思ってくれるのは、親冥利に尽きるんですけどね」
「だな」

兼一の言葉に、ゲンヤも静かに同意する。
どんな形であれ、我が子との別れをそこまで惜しんでもらえるのはやはり嬉しい。
嬉しいが、それに勝るとも劣らないほどに悲しくもある。
特に、その別れに傷つくであろう我が子を思えば尚更だ。

兼一としても、ギンガはこの地での「可愛い妹」と思う相手。
できるなら、彼女の今後の行く末も見守りたい気持ちはあった。
ギンガもまた、兼一の事は「優しい兄」として見ている節がある。
それだけに、一個人としても兼一はこの地を離れることに寂寥感を抱いてしまう。
とそこで、どこか悩む様な素振りを見せていたゲンヤが、唐突にある提案を口にした。

「……なぁ、どうせならいっそのことこっちで暮らす気はねぇか?」
「え?」
「いやな、俺としてもおめぇの事は気にいってるし、最近は飲む酒が旨くてな。
それに、お前からすれば迷惑かも知れんが、俺にとっても翔は可愛くてよ。こっちは女所帯だっただけに、ちっとばかし『息子』ってのにはあこがれてたんだわ。
折角できたダチと息子がいなくなるのは、やっぱ寂しいもんだからよ」
「……………」
「生活の事なら気にすんな。このままこの家に住んでもらってかまわねぇし、おめぇさんは周りからの評判も良い。知ってるか? 『読み書きの関係で至らないところはあるが、よく働いてくれる』って評判なんだぜ。
 読み書きにしても熱心だからな、そっちもそうかからずになんとかなるだろ。
 それなら、こっちで暮らしていくこともできると思うんだが…どうだ?」

ゲンヤの申し出は兼一にとって少々意外なものだったが、同時に嬉しくもある。
兼一自身、この地とこの家での暮らしには徐々にだが愛着を覚えつつあった。
この地で暮らしていくというのも、悪くない未来予想図だと思う。

「ですが、そうなると仕事の方が。今の僕は『短期就労』のアルバイトみたいなものですし……」
「ああ、そっちは問題ねぇぞ。このままウチで正規雇用すりゃいいだけだからな」
「え? 仮にも公的機関なんですから、試験とかあるんじゃないんですか?
 いくら読み書きをおぼえても、こっちの世界の試験をパスするのはちょっと……」
「まぁ、難しいだろうな。だがよ、実はおめぇらみたいなやつの支援制度の一環でな、能力ありと認められれば試験そのものは多少ゆるくなる。こちとら人手不足だからな、借りられるなら猫の手でも借りてぇところさ。
 そんなわけで、使えそうな奴には多少の融通は利くようになってる。
 どうだ、悪くねぇ話だと思うんだがな」

その提案は、確かに非常に魅力的だ。
もし仮に、兼一が元の世界にあまり未練がないのなら喜んでその申し出を受けたかもしれない。
しかし、現実には兼一には帰るべき家が有り、待ってくれている人たちがいる。
何より、あの地は亡き妻との思い出の地。一時離れるだけならともかく、余所の土地に永住するとなると気が引けるのだ。

「有り難いお話ですけれど……」
「ま、そうだろうな」

兼一は申し訳なさそうに頭を垂れるが、ゲンヤはあまり気にした素振りを見せない。
恐らく、彼もこの返事は予想していたのだろう。

一人の親として、二人はできれば我が子に悲しんでほしくはない。
だが、こればっかりはどうにもならないだろう。
兼一達には帰るべき世界とそこでの生活が有り、ゲンヤ達にはいるべき世界とここでの生活がある。
どちらも捨てることはできない以上、どちらかがどちらかの世界に移住することはできない。
少なくとも、今はまだ両者には故郷を離れてまでどちらかの土地に住むほどの理由がないのだから。

「いや、それで今生の別れになるとも限らねぇし、あんまり思い詰めることもねぇか。
 とりあえず、近いうちに観光がてら買い物にでも行って来い。思い出づくりってのも、悪くはねぇさ」
「…………はい」
「んじゃ、俺は着替えついでにギンガと翔を起こしてくるわ。飯の方は、頼んだぜ」
「ええ、お願いします」

そうして、今度こそゲンヤは居間を後にして自室へと戻って行った。
自室に戻ったゲンヤは、そのまま出勤のための準備を整えてから、先の言葉通りギンガの部屋の前に立つ。
親子とは言え、親しき仲にも礼儀あり。特に年頃の娘を持つ身としては、色々気を使っているのだろう。
ゲンヤはゆっくりと、大きくなりすぎない程度の強さでその扉をノックする。

「ギンガ、起きてるか? そろそろ飯ができる、坊主を連れて早めに降りてこいよ」
「うん、もう少ししたら降りるから先に行ってて」

ゲンヤの言葉にはちゃんと返事が返され、ギンガがすでに起きていたらしい。
ただ、その声音は静かながらとても穏やかだ。
中で何がどうなっているのかはゲンヤにはあずかり知らぬ事だが、その声はどこか微笑ましい。

「おう。遅くなりすぎねぇ様に降りてこいよ」
「うん」

二度寝しそうな寝ぼけた声でもないことから、ゲンヤはそのままギンガの私室を離れた。
ところでこの時、そのギンガの部屋の中がどうなっていたのかというと……

(できれば、もう少し見てたかったんだけど…また今度、かな?)

ギンガはベッドの上で軽く上体を起こしながら、傍らでスヤスヤと寝息を立てる翔の髪を優しく梳く。
指に触れる柔らかな黒髪の感触は心地よく、無垢な寝顔はまさしく天使の様。
翔の小さな手はギンガの寝巻を握り、ついさっきまで彼女に抱きつくようにして寝ていたことが伺える。
ギンガもそれが嫌ではないのだろう。翔の寝顔を見つめる眼差しは慈愛に満ちている。
窓からカーテンの隙間を縫って差し込む朝日、外から届く小鳥のさえずりさえも含めて、それは一枚の絵画の様な光景だった。

「っと、いつまでもこうしてられないよね。翔…起きて、朝だよ」
「……んん、ギン姉さま?」
「おはよう、今日もいい天気だよ。早く着替えて、朝ごはんにしようか」
「むにゃ………ふぁい」

寝ぼけ眼を擦りながら起き上る翔、それを見て微笑みを抑え切れないギンガ。
こうして、今日もまたナカジマ家の一日が始まるのだった。



  *  *  *  *  *



場所は変わって、108の隊舎。
今日も今日とて、兼一は荷運びや清掃などの雑事に精を出していた。

「白浜さん、すいません。これもお願いできますか?」
「お~い、頼んでた倉庫の整理終わったかぁ?」
「白浜ぁ、玄関に荷物が届いてるからよ、後で運ぶの手伝ってくれぇ」
「悪ぃ白浜! 急いでこいつを運んでくれ!! もう締め切りまで時間がねぇんだよぉ!?」
「あ、分かりました。今行きますんで、少し待っててください」

山積みの段ボールを手に隊舎の外を歩いていた兼一に対し、四方八方からそんな声がかけられる。
それらに対し兼一は、嫌な顔一つせずに実に良い笑顔で答えていく。
文字が読めない為に色々と不都合もあるが、生来の人柄の良さからだろう。
周りからすれば、良くも悪くも頼みごとをしやすい相手というのが、兼一へ認識だった。
そして、そんな兼一を窓に肘をついて見下ろす人影がいる。

「お~お~、あいつは今日も元気にやってんなぁ……」
「父さん、行儀が悪いですよ」
「堅てぇこと言うなって。面倒見てる奴の様子を気にするのは、身元引受人の義務みてぇなもんなんだからよ」
「なら、見守りながら仕事をしてください。さあ、次はこの書類ですよ」
「へぇへぇ」

ちょこまかと動く兼一を面白そうに見ていたゲンヤに向け、ギンガは押し付けるようにして書類を渡す。
ゲンヤはそれをややうんざりした様子で受け取り、気だるげに目を通していく。
全く以って不真面目な態度だが、仮にも一部隊の長。
どれだけやる気がなさそうに見えても、やる事はしっかりやるのだ…………と思う。

仮にも長い間この部隊の長を務めてきたのだから、能力があるのは間違いない。
だが如何せん隙あらばサボり、理由をつけては楽をしようとしているので、イマイチ信用ならないのだ。
そんな父を見て、ギンガはこれ見よがしに溜息をつく。

「……………………はぁ」
「なぁ、そんな恨めしそうな目で見ながらため息つくの、やめぇねか?」
「やめてほしいなら、もっとしっかりやってください」
「んなこと言われてもなぁ…俺は昔からこのスタイルでやってんだ、今さらどうにもなんねぇよ」
「ホント、今更だけど母さんの苦労が偲ばれるわ。
 時々、『上に行こうと思えば行ける人なのに』って愚痴ってた母さんの気持ちがよく分かるもの」
「あいつ、んなこと言ってやがったのか?」
「ええ、多分スバルも憶えてると思いますよ」

ギンガの言葉に、ゲンヤはどこかバツが悪そうにして目をそむける。
どうも、本人には色々と心当たりが多すぎるらしい。
ただ、軍人の場合「有能な怠け者」というのは前線指揮官に向いているとされる。
理由としては、怠け者であるが故に部下の力を有効に活用し、どうすれば自分と部隊が楽…即ち効率的に成果を上げられるかを考え、実行できるからだ。
そして、ゲンヤはまさにその典型だった。

「母さんから聞いたことがあるんですけど…昔、上官を殴って降格されたことがあるんですよね?」
「ああ、そういやそんな事もあったなぁ……いけ好かない野郎でよ、ついカッとなってやっちまった。
特に後悔も反省もしてねぇけどな」
「対立してた味方の部隊を勝手に囮にしたこともあるって聞きましたけど?」
「結果的に上手くいったんだから、別にいいじゃねぇか。被害も最小に抑えられたんだぜ?」
「独断専行して、令状も出ていないのに動くなんてしょっちゅうだったんですよね?」
「あの頃は俺も若くてよ、色々やんちゃしたもんだ」
「昇進するのが嫌で、適当なところで当たり障りのない失態をわざとしてるという噂は?」
「人間、分相応ってものがある。俺にはこのくらいがちょうどいいんだよ」

ギンガが挙げた全てを否定することなく、むしろ笑って肯定する不良中年と頭を抱える生真面目少女。
本人はまるで後悔していないようだが、彼の周りの人間はそうではない。
なにしろ、これまでの実績を考えれば将官級とまではいかなくても、本来なら一佐位の地位についていてもおかしくないのだ。その事を惜しむ人間は、決して少なくはない。
それどころか、彼の気さくかつ飾らない性格もあって、特に同僚や部下からは彼が上に行くことを望む声は多い。

とはいえ、性格や素行にやや難が有るのも事実。
故に、能力が有る為に上層部からはそれなりに信任され、同時にこんな性格の為に煙たがられている、というのが現状でもある。
その上、その人柄もあってやたらと多方面に対して顔が効く。おかげで、あまりぞんざいにもできない。
上層部からすれば、実に扱いにくい人材だろう。これで無能ならまだいいのだが、そうでないから始末が悪い。
実際の権力的には微々たるものというのが、まぁ救いと言えば救いなのかもしれない。

「地上本部で幕僚会議の議員になりたいとか思わないんですか?」
「めんどくせぇ」
「めんどくさいって……」
「キツネとタヌキの化かし合いにも、真黒な腹の探り合いにも興味はねぇよ。
 俺はな、自分の分くらいは弁えてるつもりだ。組織を動かすだの変革するだのなんてのは、出来る奴とやりたい奴がやればいいんだよ。もしそれが俺にとっても賛同できるもんなら、手伝いくらいはするがな」
「自分でやろうとは思わないの?」
「昔なら違ったかもしれねぇが、もう俺みてぇなロートルはお呼びじゃねぇって。
 これからの時代は若ぇ奴らが動かして、俺らはそれを後押ししてやりゃあいんだよ」

そう言って、ゲンヤはギンガが淹れたお茶に口をつける。
実際、彼にはもう時代を動かそうという野心も意思もないのだろう。
そんな野心を持ち続けるには、彼は年をとり過ぎていた。
だがそれは、必ずしも新たな時代のうねりに無関係でいようという事とは違う。

「それは、たとえば八神二佐ですか?」
「ああ、そういやアイツも近々自分の部隊を持つんだったな。
 未だ二十歳にもなってねぇくせに、何を生き急いでいやがんだか」

かつての教え子の事を思い返し、ゲンヤは溜め息交じりに呟く。
彼女は地上部隊の現状に不満を抱え、それを自分の手でなんとかしたいと思っている。
その感情自体はゲンヤも理解と共感を示す。何しろ、それらは地上部隊が長い間抱えてきた問題だ。
縄張り意識が強いのも、初動が遅いのももちろん理由はあるが、放置していい事でもない。
実際にそれで迷惑をこうむるのは、彼らが守るべき市民たちなのだから。

ただ、少々それを急ぎ過ぎているきらいがあるのが、ゲンヤにとっては気がかりだった。
組織に若い風を吹かす事は、それだけで意味が有る。
それによって組織の在り方がよりよい方向に進むなら、万々歳といったところだろう。
しかし、急いては事を仕損じる。若さ故に成果を急ぎ過ぎる彼女が、ゲンヤは少々心配なのだ。

「そういや、八神の奴からおめぇを貸してくれって頼まれてたんだっけか」
「私、ですか?」
「ああ、どうもスバルの奴も候補らしいんだが、即戦力としておめぇが欲しんだとよ。今目星をつけてる連中だと、エース級とペーペーしかいねぇから、その間を埋める奴が欲しいとか言ってやがったな」
「それは、確かにアンバランスですね」
「だろ? 経験豊富な人材と新米が混在するのは当然だが、そのどちらかしかいねぇってのは問題だ。
 その間を埋める中堅が欲しいってのも、納得のいく話ではある」

実際問題として、エース級はほぼ管理職としての働きも求められる。
即ち、新人と管理職しかいない部隊になることが予想されるのだ。
それは確かに、些か為らずバランスを欠いた人員構成だろう。

「ハラオウンとこのお嬢も出向するらしいが、おめぇはどうしたい?」
「…………それは、フェイトさんがいるなら行きたいとは思いますけど……大丈夫なんですか?」
「俺自身としちゃあやぶさかじゃねぇが、難しいな。保有魔導師の制限に引っ掛かる。
 なんでまたあんだけの人材をかき集めたのか知らんが、新人を入れたら余裕はないだろうな。
 ゴリ押ししようと思えばできねぇ事もねぇだろうが、余計目をつけられる事くらいわかってんだろうに……」

そう、ゲンヤの手元にある情報だけでも、その部隊は生半可ではない戦力を有している。
それこそ、並みの部隊とは比較にならない大戦力を、だ。
新人組は当然戦力としては大したことはないが、問題はエース級を複数人抱えている事。
そんな部隊など、戦技教導隊を始め数えるほどしかないのだから。

「ま、わざわざんなこと言ってきたからには、何かしら裏技なり取引なりのあてがあるんだろ。
 一応、可能性として考慮はしておけ」
「はぁ……」

上層部とのそう言った意味でのやり合いは、未だ下士官でしかないギンガには雲の上の話だ。
正直、いったいどんな暗闘が繰り広げられているのか、とてもではないが想像できない。
とそこで、部隊長室の扉をノックする音が室内に響く。

「おう、入んな」
「失礼します」
「あ、兼一さん。どうしたんですか?」
「ああ、これをゲンヤさんに届けてくれって頼まれたんだ」
「ん、そうか。わりぃな」
「いえいえ」

そんな事を言う兼一の腕は、大小合わせて三つの段ボールが抱えられている。
パッと見ただけでもかなりの重量が有りそうだが、兼一はそれらを軽々と支えていた。

(前から不思議だったんだけど、あの細腕の割に力が強いのよね、兼一さんって)

特に力を入れている様子もない兼一を見て、ギンガは自分の事を棚上げにして内心で呟く。
無理もない話だが、彼女はまだ兼一の首から上と手くらいしか見たことがない。
何しろ、兼一は普段から意識して長袖や丈の長いパンツを身につけている。

高校時代はただの細腕にしか見えなかったが、修業が進んで行くうちにその異常性が浮き彫りになって行った。
何と言っても、ただの1mgたりとも無駄のない様に絞り込まれた筋肉である。
服越しでは細く見えても、遮るものなしでその身体を見れば、どんな素人でもその凄まじさを理解するだろう。
故に、あまり周りを刺激しない為に、兼一は夏であろうと長袖を着る様にしてきたのだ。
翔の場合だと、兼一の裸を見慣れている為にそれが標準だと思っている節が有るわけだが……。

「んじゃ、キリも良いし少し休むか。ギンガ、兼一の分の茶も頼む」
「はい、兼一さんは座って待っててください、いまお茶菓子もお持ちしますから」
「あ、すみません」

そうして、ギンガは新しい茶を入れる為に一端その場を後にする。
残された兼一は、ゲンヤに促されるままにソファに座り、ゲンヤもその対面に腰を下ろす。

「しっかし、ずいぶんと早ぇじゃねぇか。ついさっきまで、下でうろちょろしてたのによ」
「あはは、仕事の関係で力仕事は慣れてるんですよ」
「まぁ、お前さんに頼んでんのはそっちが主だけどよ……」

兼一の言葉にうなずきこそするが、ゲンヤは若干言葉を濁す
何しろ、つい先ほどまで眼も回りそうなほどに忙しかったのに、ほんの数分の間にそれらを片づけてしまったのだ。まぁ、兼一の肉体のスペックを僅かなりとも知るゲンヤからすると、一応納得できない事はないのだが。

(にしても、ありゃ鍛えてどうこうってレベルのもんじゃねぇだろうに。つくづくよくわかんねぇ奴だぜ)

外見的には、良くも悪くもあまり気の強くない、人の良い好青年そのもの。
また、特別体格に恵まれているわけでもなく、人より秀でた物が有るとは到底思えない。
語学の勉強にしたところで、熱意はあってもあまり要領がいいわけではないのだ。
様々な意味で平凡かつ善良、それがこの数日の間にゲンヤが抱いた兼一への認識だった。
まぁ、早い話が第一印象がそのままとも言えるのだが。

「いや、実際助かってんだからとやかく言う事でもねぇか…くぅ~」

そう呟きながら上方に向けて腕を伸ばし、続いて首を左右にゴキゴキと鳴らすゲンヤ。
さらには肩を回し、ソファに身体を預けて背を逸らし始めた。

「肩、凝ってるんですか?」
「まぁな。一応運動はするようにしてるんだが、事務仕事が多くてよぉ。
 その上俺も良い年だ、肩だけじゃなくて腰や膝にも色々来ててな」

言いながら、ゲンヤは自身の膝や腰を慣れた手つきでもみ始めた。
よく見れば、部隊長室のいたるところに健康グッズの様なものが置かれている。
やはり、寄る年波には勝てないのだろう。
一つ一つの仕草が、彼が生きてきてこれまでの年月を感じさせる。

「ゲンヤさん、ちょっと良いですか?」
「ん、どうした?」
「いえ、少しマッサージでもと」
「おお、わりいな」

少し思案していた兼一はおもむろに立ち上がり、ゲンヤの背後に回ってその肩に手を置く。
ゲンヤも兼一の意図を聞いてからは肩の力を抜き、その手の感触に身をゆだねる。

「ああ、だいぶ凝ってますね」
「だろぉ? こう見えても気苦労が絶えなくてなぁ。ほれ、責任者は責任をとるためにいるんだからよ、覚悟はあっても何かあるんじゃねぇかと戦々恐々なわけだ」
「それだけ、でもないんですよね?」
「まぁなぁ。気がかりなんざ数えるのも馬鹿らしいっての。
家じゃギンガにも多少は気をつかわにゃならんし、スバルの奴が無茶してねぇかも心配だからなぁ」
「あはは、ご苦労様です。ここ、どうですか?」
「そこそこ。ああ、いい感じだわ」

はじめは軽く肩を揉み、そこから段々と首や背中を揉みほぐしていく。
『岩の様な』というほどではないが、それでもだいぶ硬い。
仕事と年齢、この二つのおかげですっかり凝り固まってしまっているらしい。
しかも、実際に触ってみてそれだけではないことに兼一は気付く。

「ゲンヤさん、ちょっとソファに横になってくれませんか?」
「ん? どうかしたのか?」

そう聞きながらも、ゲンヤは言われるままにソファの上でうつぶせになる。
兼一はゲンヤの首に指を触れると、そのまま頸椎に沿ってゆっくりと腰へと指を下ろしていく。
その感触にむず痒いものを感じながら、兼一が「ええっと……」と呟く声を聞くゲンヤ。
そのまま今度は足の裏や腰回りを軽く押し、何事かを確かめる兼一。
そうして一通り確認し終えた兼一は、ゲンヤに向かって軽い問診を始めた。

「腎臓と胃が荒れてますね。それに、骨盤も少し歪んでますし……」
「分かるのか?」
「整体と指圧のマネ事ですけどね。他にも針灸と気功、漢方も少しかじってます」
「よくわからんが、妙な技術持ってんだな」
「あははは……まぁ、昔ちょっと……」

実際には、真似ごとどころではないくらい本格的な知識と技術を兼一は持っている。
武術家は、何も人間の壊し方だけを知っていればいいわけではない。
かつて剣星も言ったように「弟子のメンテナンスも師の務め」なのだ。
即ち、弟子を整備するための知識と技術も必要となる。
特に内功をさせる場合、漢方を利用することもある以上、そう言った知識は必修と言っても良いだろう。
それでなくても、自分自身の身体をどう作り維持していくかは、武術家の大きな命題の一つなのだ。

「そんなわけですから、ちょっと矯正しますね」
「は? 矯正って、なにを……ぐがっ!?」
「えっと、首はこれで良し。次に腰を……」
「ま、待て、お前何を……!?」
「骨盤の歪みが全身に影響しているので、組み直そうかと思いまして」
「それならそうと先に言え! つーか、こんなに痛ぇもんなのか!?」
「ああ、これは僕に整体を教えてくれた人の独自の方法でして、痛い分効果覿面なんですよ」
「痛くない様にはならねぇのか?」
「それもできますけど、この方が早く良くなるんです……よ!!」
「ぎっ!?」

『ビキ』とか『ゴキ』とかいう音と共に、小さくゲンヤの悲鳴が漏れる。
未だかつて経験したことのない種類の痛みに、段々としゃべることもできなくなるゲンヤ。
そこで、部屋から漏れた悲鳴を聞き咎めたのか、ギンガが慌てた様子で戻ってきた。

「と、父さん! 一体どうしたの!?」
「ぎ、ギンガ………こいつを止め…おがっ!?」
「ああ、ギンガちゃん。ちょっと、ゲンヤさんの治療をね」
「治療、ですか? なんだか、父さんが死にかけてる様にも見えるんですけど」
「やだなぁ、ギンガちゃん。これくらいじゃ人は死なないよ?」
「は、はぁ……」

あまりの痛みにぴくぴくと痙攣するゲンヤを見ながら、ギンガの顔が引きつる。
兼一はそう言うが、とてもそうは見えない。
何しろ、凄まじい音がするとともにゲンヤの身体が撥ねる様にして悶えているのだから。
とはいえ、よくわからない雰囲気にのまれたのか、ギンガもその場から動けない。
そうしているうちに整体の方は終わったのか、続いて兼一の指がゲンヤの足の裏を捉える。

「あの、今度は何を?」
「人間の体はいたるところが繋がっててね、たとえばここを押すと……」
「ホァタ!?」

兼一が親指の付け根あたりを押すと、奇怪な叫び声と共にゲンヤの身体がエビ反りに撥ねる。
しかし、兼一の指圧はまだまだ終わらない。

「他にも、ここを押すと……」
「あ~たたたたたたたたたたた!!!」
「で、こっちだと……」
「ヒィ―――――――――ハァ――――――――――!?」
「あの、これって後どれくらいで終わるんですか?」
「え? そうだねぇ、あと………………………20分もすれば終わるよ」
「ぎぃやぁあぁぁぁあぁぁぁあっぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!」

その後、20分に渡ってゲンヤが地獄の苦しみを味わったのは言うまでもないだろう。
ただし、この苦行を終えた後の彼が、二十年は若返ったかのような気持ちで職務に当たったのもまた事実である。



*  *  *  *  *



ゲンヤへの(苦痛を伴う)善意の御奉仕を終えた兼一は、ゲンヤやギンガと共に食堂で食事をとっていた。
ギンガの隣には翔の姿もあり、皆で地球にはないミッド料理特有の味付けと調理に舌鼓を打つ。
食事の時間くらいは一緒に過ごしてやりたいと思う親も多いようで、108の託児施設では割と昼食の時間は施設を離れ、親と一緒に食事をとることが多いらしい。

しかし、ここで一つ疑問を提起したい。
普通、こんなところの食堂というのは機能性重視で、はっきり言って華やかさなどかけらもないだろう。
よくて清潔といったところだろうが、108の食堂は違う。
なぜならここの食堂は、妙に…………花の香気で満ちているのだから。

「なんつーか、見事なまでに『花園』になっちまったよなぁ、うちの隊舎もよ」
「そうですかね?」
「兼一さんが来る前は小さな花壇が有る位だったんですけど、いつの間にかエリアが広がっちゃいましたから。
 テーブルの上に花瓶が有るなんて、ちょっと前なら絶対にあり得ませんでしたし」

そう、食堂を包む香気の原因は、摘みたてほやほやで新鮮な花々にある。
ちなみに、どれもここ数日の間に兼一がアレコレと世話をした花たち。
兼一とて伊達に園芸店に勤務していない。今までは水やり以外には碌に手入れをする人もいなかった植物たちに、適切な処置を施した結果、物の見事に元気いっぱいに咲き乱れたのだ。
おかげで、食堂に限らず隊舎全体が花々で彩られ、その香気によるリラクゼーション効果から仕事の効率まで上がっているとか何とか……。

「いやぁ、知らない草花ばっかりで戸惑ったけど、やればできるものなんですねぇ」

とは兼一の弁。まあ、世界と品種は違っても同じ植物。
基本的な部分はそう変わらないのかもしれないが、それにしても劇的なまでの変化だった。

「そう言えば、施設に預けられている子達と一緒に世話してるんでしたっけ?」
「翔も一緒に、だよね?」
「うん!」

兼一に話を振られた翔は、喜色満面の様子で頷く。
父に似たのか、それともその影響なのか、翔もまた草花の世話には積極的だ。
何しろ、ナカジマ家でその日あった事を話す翔の話題のほとんどが、その日世話をした草花の様子なのだから。

「ああ、ゲンヤさん。できれば、肥料を補充してもらえませんか?
 植え替えとかしてたら、そろそろ心許なくなってきたので……」
「おう。予算にも余裕はあるし、まぁ大丈夫だろ」
「すみません」
「他に必要なものが有るなら言ってみな。大丈夫そうならなんとかするからよ」

肥料とてタダではない。何より、108は植物園でもなければ学校でもない。
あまり花壇などに予算は避けないが、外観が良くなるのならそれに越したことがないのも事実。
周囲からの評判も良くなるし、働く局員たちの意欲も上がる。
どうせなら綺麗な環境で働きたいというのは、当然の思いだろう。
故に、ゲンヤとしてもあまりその方面に予算を裂く事を渋る気はないのだった。
とそこで、少し思案顔だったギンガがおもむろに兼一に顔を向ける。

「あの、兼一さん」
「ん? どうしたのギンガちゃん?」
「よければなんですけど、今度ちょっと園芸の事とか教えてもらえませんか?」
「それは良いけど…どうかしたの?」
「あはは…うちにも花壇が有るじゃないですか」
「ああ、あれ」
「ええ、あの荒れ放題になってるアレです」

ナカジマ家はマンションなどではなく一戸建て。
それも、家長が一部隊の部隊長だけあって広さもそれなりだ。
当然の様に花壇や庭もあるのだが、正直言ってあまり整備されているとは言い難い。
ゲンヤは元より、ギンガもスバルもその方面には疎かったのだ。

「母さんはかなり入れ込んでいたようですけど、私達はあんまりちゃんとやらなかったので……。
 でも、やっぱり綺麗にしておいた方が気持ちいいですし、母さんも喜ぶと思いますから」
「…………なるほど。分かった、そう言う事なら手伝わせてもらうよ」
「僕も~!」
「うん。ありがとね、翔」

兼一に続き元気よく名乗りを上げる翔に対し、ギンガはその頭を優しく撫でる。
翔は翔でその感触が心地よいのか、目を瞑って身をゆだねていた。
そうして食事を再開する一同だが、翔の食事に対する姿勢にギンガからの待ったが入る。

「翔、ちゃんとピーマンも食べなさい。食べるまでデザートはお預けだからね」
「はぅ!? う~~~~、ピーマンなんて食べなくても大丈夫だもん。髭のおじさまも言ってたもん……」
(岬越寺師匠、翔に何を教えてるんですか……)

実に子どもらしい好き嫌いをする翔だが、その主張の源泉に対し兼一は思わず内心でツッコム。
師のピーマン嫌いは知っていたが、まさか息子にそんな事を吹き込んでいたとは……。
とはいえ、そんな兼一の内心などナカジマ親子が知る由もないわけで。

「誰のことかは知らないけど、好き嫌いせずに食べないと大きくなれないよ」
「おめぇはむしろ食い過ぎだがな。クイントもそうだが、そのカロリーをどこに使ってんだ?」
(まぁ、確かに行き先の一部は良く育ってるから分かるけど、それにしたってなぁ……)

実際、ギンガは女性としては身長が高いしスタイルも良い。
出る所ははっきりと出て、引っ込むところはよく引っ込んでいる。
その上本人は捜査官であると同時に、武装局員資格も持つ戦闘魔導師。
摂取したカロリーを使う場はいくらでもあるが、それにしても摂取し過ぎというのが外野の見解だ。
普通に考えて、彼女のプロポーションを維持するには明らかに過剰な摂取の筈。
本来なら、よく実った果実や優美な曲線を描く下半身はともかく、キュッとくびれたウエストなどは無残になっていなければおかしい。
にもかかわらず、彼女の腹や太もも、二の腕に余計な肉がつく素振りはまるでない。
いくら食べても太らない、世の女性達にとって実にうらやましい体質であろう。

とはいえ、本人も一応自身の大食には自覚が有るらしい。
当然、一人の女としての羞恥心も……。

「ぜ、前衛組はカロリー消費が激しいから、これくらい必要なんです!」
(局に入る前から食う量は半端じゃなかったんだがな)
「何か思った、父さん?」
「いや、何も考えてねぇぞ」

最近妙なところで勘が鋭くなってきた娘に対し、ゲンヤは素知らぬ顔でとぼけてみせる。
いくら勘が冴えたところで、年の甲にはかなわないということだろう。

「とにかく、翔も大きくなりたかったらちゃんと食べる事。
 好き嫌いばっかりしてると……大きくなれないんだから」
「ギン姉さま、なんで父様を見たの?」
「え? な、何でもないよ。
別に、翔のお父さんが兼一さんだから、将来はどうなのかなぁなんて思ってないからね」
(ギンガちゃん、嘘が下手なのは別に良いんだけど……傷つくよ)

自身の身長に多少のコンプレックスが有る兼一としては、悪気がないにしても心が痛い。
ギンガの年齢を考えれば、この先身長で追い越される可能性も無きにしも非ず。
さすがに、それはなかなかに悲しい未来予想図だった。

「翔は、背が高い人と低い人、どっちになりたい?」
「う~んと……ギン姉さまはどっちの人が好きなの?」
「え!? わ、私!?」

子どもとは、時にその無垢さ故に突拍子もない事を口にする。
今がまさにそれで、ギンガからすれば藪蛇としか言いようが有るまい。
何しろ、彼女としては答えは決まっているのだが、それを兼一の前で言うのはやや憚られる。
とはいえ、翔に対して嘘はつきたくないし、適当な言葉ではぐらかすのも気が引けた。
何しろ、まっすぐに自身を見つめる澄んだ瞳に対しそんな事をするのは、非常に気が咎めるのだから。
故に、ギンガは少なからぬ葛藤の末に、正直に自身の本心を明かすことにした。

「そのぉ………できれば……私より背が低い人は…ちょっと………………。
 ヒールを履いたくらいで追い付いちゃうのも………ね」

後ろめたそうに兼一から視線を逸らしながらギンガはそう答える。
まあ、自分の身長の高さに若干のコンプレックスを抱くギンガからすれば、背の低い相手はできれば避けたいだろう。
何しろ、並んで歩いた日には自分の身長の高さが浮き彫りになってしまうのだから。
また、女性としてはおしゃれも楽しみたいし、ヒールを履いたくらいで覆されてしまうような身長差もできれば避けたい。
一格闘家として考えれば身長が高い事はありがたいが、女性として考えるとその限りではない。
全く以って、実に複雑な乙女心なのである。

それに、兼一が身長が低い事を気にしているのはなんとなくわかっていたし、そんな彼の前で「背の低い人は嫌い」とも受け取れる発言をするのは気が咎めた。
別段兼一に対しそう言う意味で特別な感情はない。同様に、兼一にそんな感情を向けられているとは全く思っていないし、それは事実だ。
だがそれでも、やはり同居している相手を傷つけるようなことは言いたくないだろう。
それが嫌っている相手なら話は別だが、生憎ギンガは別に兼一の事を嫌っているわけではない。

それでもはっきりと自分の基準を口にしたのは、可愛い弟分への誠意だった。
もちろん、その弟分は姉の葛藤など知る由もないが……。

「ふ~ん。女の人って、みんなそうなの?」
「みんなかどうかは分からないけど……」

『一般的には、身長が高い人の方がもてる』とはあえて言わないギンガ。
なぜなら、既に兼一が精神的にショックを受けているのが分かったからだ。
既婚者とは言え、身長がコンプレックスの兼一にとってこの話題は一種の鬼門。
身長の低さを嘆き、落ち込み、暗い影を背負ってしまうのは無理からぬこと。
小声で「そうだよねぇ、やっぱりチビはカッコ悪いよねぇ……。僕なんて、僕なんてどうせチビで弱そうなモヤシなのさぁ……」といじけているのを、彼女の鋭敏な聴覚は捉えていた。
男はいくつになっても、結婚しても、子どもがいても、やはりカッコつけたい生き物なのだ。
これ以上打ちのめすのは、さすがに憐れというものだろう。

翔はさらにギンガに邪気のない、だが少々酷な質問をしようと口を開きかける。
だが、それより早く食堂内に設置されたテレビからとあるニュースが流れてきた。

【次のニュースです。数日前から、郊外の岩壁などが何者かによって破壊されています。時間帯は深夜と思われ、近くを通りかかった住民からは奇妙な物音や唸り声を聞いたという証言が寄せられています。今のところ特に被害は出ておりませんが、管理局は質量兵器の試験運用の可能性もあるとみて、捜査を進めています】
「? どうしたの、ギン姉さま?」
「あ、今のニュースがちょっと気になってね」

翔から視線を外し、少々厳しい目で画面を見つめていたギンガに恐る恐る問いかける翔。
そんな翔に対し、ギンガは少しはっとした様子で向き直り、優しい笑顔を浮かべて首を振る。
直接面と向かっての対話なら支給された機械のおかげで相手の意図を理解できるが、画面越しだとそれはかなわない。未だこちらの言語を理解していない翔や兼一には、画面から流れるニュースの内容は分からないのだ。
精々、映像を見てその内容を類推するくらいしかできない。

「父さん、これって一応うちの管轄よね。どう、何か進展はあった?」
「いや、今のところはなにも進んでねぇ。
目撃者を当たろうにも、音を聞いた時点で気味が悪くて逃げる奴がほとんどだしな。興味を持って近づいた不用心な奴もいるにはいるが、壊れた岩や徹底的にブチ壊された廃車なんかを発見しただけだ。
これと言ってめぼしい情報は何にもねぇ」
「質量兵器が使われた痕跡は?」
「それもねぇな。火薬や化学製品の反応はなし、同じように魔法の反応もだ。
いったいどこの誰が、何人で、何を使って、何をしていたのか。どれ一つとっても手掛かりがねぇ」
「厄介な案件よね。
もしどこかの犯罪組織が、危険な質量兵器を持ちこんだかもしれないと考えると、ゾッとするわ」
「まったくだ。不法投棄された車を壊したり、岩壁や岩を砕くくらいなら何てことはねぇが、それが最終的にどこに行きつくのかが分からんことには、誰も安心できやしねぇ……って、どうした兼一?」
「どうしたの父様? なんだか、汗がいっぱい出てるよ?」
「兼一さん、どこか具合でも悪いんですか?」
「え!? あ、いや、何でもないですよ!! た、ただ怖いこともあるもんだなぁって!?
 あ、アハハハハハハハハハハハ!!!」
「「「?」」」

ギンガとゲンヤは神妙な顔つきで話をしていたが、それを聞いていた兼一の額に無数の汗が浮かんでいる。
それを不思議に思う三人だったが、兼一はどこか挙動不審な様子で笑ってごまかす。

「まぁなんにせよ、質量兵器が関わってる可能性は否定しきれねぇし、そうでなくても何かしらのあぶねぇ連中が関わってたら事だ。場合によっちゃ、おめぇにも動いてもらうことになるぞ」
「わかってます。私だって108の人間だもの、この街の安全を守る責務がありますから。
 その時は、母さん仕込みのシューティングアーツで頑張ります。ね、部隊長」
「あんま、おめぇらがでなきゃいけねぇ事態にはなってほしくないんだがな」

意気込むギンガに対し、ゲンヤは天を仰いでそれが杞憂に終わる事を願う。
部隊長としては予想しなければならない事態だが、できれば娘をそんな危ない場所に送りたくないのが人情だ。

「あ、そうだ。父さん、兼一さん、それに翔。
 私、この前の報告書を仕上げたいから、今日もちょっと帰りが遅くなるから先に寝てて」
「あんま根を詰めるんじゃねぇぞ」
「大丈夫です。体は頑丈だし、今日中には終わらせますから」
「ギン姉さま、今日も遅いの?」
「翔、あまりギンガちゃんを困らせちゃいけないよ」
「あはは、気にしないでください兼一さん。それと、ごめんね翔。でもね、これが終わったら少しお休みが取れるから、そうしたらみんなで一緒にお買い物にでも出かけようか?」
「え? 本当!?」
「うん、本当♪
 それにね、翔や兼一さんにスバル達の事も紹介したいんだ。だから、今はちょっとだけ我慢してくれるかな?」
「……………………約束、だよ?」
「うん、約束」

そうして、翔とギンガは笑いながら指切りをする。
どうやら、ゲンヤの先祖が「約束をする時にはこうする」と伝えたものらしい。
そんな二人の様子を、ゲンヤと兼一だけでなく、周りで食事をとっている他の局員たちも微笑ましそうに見つめていた。
ただし、中には「チクショウ! 俺は今、猛烈に子どもになりたいぞぉ―――っ!!」「相手は子ども、相手は子ども、相手は子ども………………でも羨ましい!!!」「なんでだ、なんであそこにいるのは俺じゃないんだぁ!!!」「ああ! 今すぐあの指をしゃぶりたい!!」「どうか俺を踏んでください、ナカジマ陸曹!!」などなど、色々とアレな男どもの魂の叫びが轟いているが……後できっかり、彼らがゲンヤから仕事という名目で書類の海に沈められたのは言うまでもない。



  *  *  *  *  *



同日、夜のナカジマ家。
今日も今日とて帰りの遅いギンガなわけだが、やはり翔はなんとかギンガを出迎えようと頑張っている。
とはいえ、そこはやはり幼児。夜の9時を回ったあたりから目はウトウトし出し、頭も前後左右に揺れ始めていた。兼一が「これは、そろそろ限界かなぁ」と思ったのは当然だろう。

「翔、そろそろお風呂に入ろうか」
「むにゃ、ギン姉さまがまだ帰ってきてないよぉ……」
「でも、翔も今日は汗をかいただろ?
 ばっちぃままより、綺麗になってから迎えてあげた方がギンガちゃんも喜ぶと思うよ」
「………………入る」
「じゃあ、ゲンヤさん。お風呂いただきますね」
「おう、ゆっくりしてきな」

居間のソファに身体を預けるゲンヤに対し、兼一はそう言い残して翔と共に風呂場へ向かう。
既に風呂から上がったゲンヤは、新聞を広げて酒を飲みながらくつろいでいた。
そうして、翔と兼一の姿が見えなくなると、小さく独り言を零す。

「ま、風呂ってのは案外体力使うからな。
あの様子じゃ、風呂からあがったらそのまま夢の世界へ一直線、ってところかね」

実際、兼一もそのつもりで翔を風呂に誘ったのだろう。
子どもに夜更かしは良くないし、出来れば早めに寝てほしい。
翔としてはギンガを待ちたいだろうが、一日くらいはこれで良い筈だ。

ゲンヤはそのまま、先ほどまで兼一と一緒に飲んでいた酒を再度煽った。
今朝言った通り、普段から飲み慣れた筈の酒の味が、このところ特に旨いと感じる。
それが一緒に飲む相手がいるからなのか、それともどこかで憧れていた息子の様な存在が出来た故なのか、あるいはその子をネコ可愛がりし笑顔の絶えない娘が嬉しいのか、それともその全ての結果か。
いずれにしろ、今日もまた酒を飲むゲンヤの顔には知らず知らずのうちに笑みが浮かび、酒量が増えるのだった。

それから十数分後。
だいぶ酔いも回ってきたところで、玄関の戸が開く音がゲンヤの耳を打つ。
ゲンヤは酒を飲む手を止め、玄関の方にややトロンとした視線を向ける。
やがて今の扉が開き、そこから予想通りの人物が姿を現した。

「ただいまぁ~」
「おう、遅かったな。報告書の方は終わったのか?」
「うん、なんとか。ちょっと資料をまとめるのに手間取ったけどね」
「ま、それなら何よりだ。飯はどうする?」
「あははは、待ちきれなくって食べちゃった」
「んなこったろうと思ったよ」

十数年と一緒に暮らしてきた娘だ。その程度の事はおおよその想像がついていたのだろう。
はぐらかす様に笑うギンガに対し、ゲンヤは特に驚いた様子は見せない。
とはいえ、それだけで終わらないのがこの娘でもあるわけで……。

「じゃあ、飯はいらねぇか?」
「ううん、そろそろ夜食が欲しい時間かなぁって……」
「だろうな。なら、さっさと着替えてこい」
「はぁい。あ、その前にちょっと汗を流してくるから、温めておいてくれる?」
「あいよ。ほどほどにな」
「うん」

そうして、ギンガはそのまま自室へと向かう。
ゲンヤは一端酒の入ったコップを置き、立ち上がって冷めてしまった料理を温め始める。
そのままぼんやりと時間を過ごすこと数分。
酔いが回ってややぼんやりしていた脳裏に、ふっとある可能性がよぎった。

「……………………………待てよ。汗を流すって、今から練習する気か?
 いや、だが汗を流すっつっても色々解釈の仕方が有るわけでだな」

と、よく分からない独り言を洩らすゲンヤ。
しかしここで、ついに彼の思考がある答えを導き出した。

「……………………こりゃ、ちょいとヤベェか?」

ゲンヤがそんな事を呟いた時。
ナカジマ家の脱衣所では、ギンガが機嫌良く鼻歌など歌いながら服を脱いでいた。

「フン~~~~♪ フフ~~~~~~♪」

うら若き乙女であるギンガは、当然のように綺麗好きだし風呂やシャワーも好きだ。
我ながら自身の魔導士としてのスタイルなどは汗臭いと思わなくもないが、それはそれこれはこれ。
何より、疲れた体を癒す魂の洗濯を好まない生き物がいる筈もなし。

白のブラウスを脱げば、可愛らしいレースで飾られた薄い蒼のブラに優しく包まれた平均以上に育ったバストが姿を現す。
続いて紺色のロングスカートを下ろすと、ブラと同色のショーツに彩られた引き締まったヒップが顔を出した。
白い白磁の肌と彼女の蒼く長い髪は互いに引き立て合い、高い身長とメリハリの利いた肢体はモデル顔負けだ。

そのままギンガは愛用のリボンを解き、下着に手をかけた。
ブラのフロントホックを外して肩と腕を抜くにつれ、豊かな胸が健康的に弾む。
今度はショーツをゆっくりと下ろすと、優美な曲線を描く尻が悩ましげに揺れた。

取り払うごと晒されるその肌の白さは、いっそ扇情的とさえ言える。
脱いだ衣服や下着を籠の中に丁寧に納めて行くと、ギンガの目に見慣れた服が飛び込んできた。

「あ、翔が入ってるんだ」

彼女の視線の先には、可愛い弟分愛用のパジャマとバスタオル。
よく見れば、風呂場のすりガラス越しに先客の存在が伺える。

ただ、彼女も疲れていたのだろう。
疲労で鈍った脳は、もう一つの気付くべき存在を見落としてしまった。
そう、翔のパジャマとバスタオルの影にある、もう一組の大人用のそれに。

やがて支度の整ったギンガは、薄手のタオル一枚で身体の前を簡単に隠すと、風呂場の扉に手をかける。
その瞬間、風呂場からどこか切羽詰まった声が彼女の耳を打つ。

「あ、ちょ、待……!!」

しかし時すでに遅し。扉にかけた手にはすでに脳からの信号が届いており、今更引っ込みはつかない。
何が言いたいかというと、声が届いた時にはギンガの手は戸を開け始めていたのだ。
そして、無情にも決して越えてはならない境界線は破られた。

「「ぁ……………………………」」

呟きは、男女双方からのもの。
ギンガは扉を開けた状態のまま正面にいる人物を見て硬直し、ギンガの正面にいる人物…兼一は今まさに風呂から出ようと片足を挙げた姿勢で固まっている。
翔はそんな二人の間で、実に不思議そうに父と姉の姿を交互に見て首を傾げていた。

同時に、あまりのショックにギンガの手から力が抜け、最後の防衛ラインが「パサッ」と音を立てて地に落ちる。
具体的には、身体の正面を辛うじて隠していたタオルが床に落下したのだ。
当然、その結果何がどうなるかといえば……。

(ああ、ギンガちゃん手結構着やせするんだ。大きいとは思ってたけど、思ってたよりずいぶん大きい。
それに、腰は細いし脚は長いしモデルみたいだなぁ……………………って、そうじゃないだろ!?)

丸見えである。正面に限れば、文字通り遮るものなく上から下まで全部。
既婚者とはいえ兼一も健全な男。また、突発的な事態に思考が付いていかないのだろう。
妙なところで冷静になり、上から下までしっかりじっくり観察してしまった。

ギンガはギンガで、事態を呑み込む事が出来ずに頭の中は混乱の極み。
ただそれでも、自身の全てが見られたこと。同様に、兼一や翔のあれやこれやが全て見えている事は明白。
やがて、段々と思考力が戻るにつれ、その顔が羞恥でリンゴの様に赤く染まっていく。
小ぶりの口は左右に引っ張られ、目尻には涙が浮かび、ようやく小さく声が漏れ始めた。

「き……」
「ギンガちゃん、ちょっと落ち着いて! 話せばわか……」
「きぃやぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!!!!!!」

そうして、ギンガは脱兎の勢いで脱衣所から自室へと駆けだした。ちなみに、これで尻も丸見えである。
うら若き乙女、それも男と手を繋いだこともない正真正銘の男女関係初心者。
そんな彼女が全てを見られ、同様に男の全てを見てしまえば、錯乱するのは必然だった。

兼一は思わず右手を挙げるが、それは行き場もなくただただ虚しく空中に停滞する。
相手は逃げてしまったし、一体どうしたらいいのか兼一にも判断がつかなかったのだ。

「父様?」
「事故…………だよね?」
「?」

一応、兼一とてギンガが近づいている事には気付いていた。
ただ、風呂場という環境から僅かに気を緩めてしまったのが運のつき。
ギンガに殺意や敵意がなく、それどころかどこかぼんやりしていたせいもあって、接近していることに気付いたのはギリギリになってからだった。

お互いにとって、実に不幸な事故である。
誰の目にも明らかだが、だからと言ってそれがいかほどの救いになろうか。
既婚者であり、ある程度は女体を見慣れている兼一はまあともかくとして、ギンガが受けたショックは計り知れない、色々な意味で。

「ないとは思うけど……明日殺されないかな、僕?」

なにぶん、乙女の一糸纏わぬ姿を上から下までくっきりはっきり見てしまったのだ。
この時ばかりは、兼一も修行によって培われた自身の良すぎる視力を呪う。
湯気越しとは言え、本当に何から何まで全て見て脳裏に焼き付いた訳で……。
明日以降の事を思うと、これからの居候生活に一抹の不安を覚える兼一だった。



  *  *  *  *  *



その深夜、ミッドチルダ西部の市街地。
中心地から外れているとはいえ、深夜でも人通りは少なからずある。
街灯もあり、夜間でも不安を覚えない程度の明るさは確保されていた。

だが、道行く人々は気付かない。
その市街地を、高速で駆け抜ける一つの黒い影があることに。
その影は、さながら俊敏な一迅の風の様に人や建物の間をすり抜けて行く。
ある時は建物の屋根や壁を蹴って空中に身を躍らせ、ある時は路面を蹴って獣のように。

その速度もまた尋常ではないが、問題なのは、人間のすぐ横を通りながら誰も気づかない事だ。
それはつまり、常に人々の死角をついて動き、感覚の隙間を縫っているという事。
空中に身を躍らせている時も、人々のすぐ横を駆け抜けて行く時も、誰一人としてその影に気付かないのはそう言う事。しかしそんな高度な事、そう簡単にできることではない。
如何に夜間で人が少ないとはいえ、たまたま通りがかる人すべてがどこを見ているかを把握しているのだから、非常識としか言いようがない。それも、こんな車にも勝る速度で、だ。

その影は、やがて郊外の森林地帯へと到達する。
だが、それでもなお影の速度は緩まない。
それどころか、森に入ったことで一層その速度は増しているようにさえ思える。

やがて、目当ての場所にたどり着いたのか、影はその歩みをとめた。
そこで、月明かりを受けてようやく影の姿が晒される。
そこにいたのは、一見すると極普通のどこにでもいそうな青年。
しかしその実、こと身体能力にかけては世界の常識から大きく逸脱した男…白浜兼一だった。

「さて、今日はいつもより奥まで来たけど、ここまでくれば大丈夫かな?」

そうして兼一は、手近なところにあった自身の背丈以上ある大岩を片手で握った。
そうして『フン』と小さく声を漏らすと、その岩が徐々に大地から浮き上がる。
兼一の握った岩の表面には僅かにひびが入り、それが兼一の仕業であることを物語っていた。
片腕で、自身の背丈以上の御岩を持ち上げる。普通に考えれば、魔法を使わなければ絶対にあり得ない光景。
しかしそれを、兼一は一切の小細工抜きの己が筋力のみで実現する。

「てりゃ!」

さらに、それを勢いよく上方に向かって投げ上げるとともに、兼一自身も何気ない仕草で軽く地面を蹴る。
すると、兼一の体はまるで弾丸の様な勢いで天へと昇って行く。
やがて大岩に追いつくと、彼の四肢が姿を消す。

「ちょわ!」

そんな掛け声と共に、大岩が爆砕した。
後に残ったのは、まるでみぞれの様に落下する礫の雨あられ。
着地した兼一は何げない動作でその手を「パンパン」と払う。
つまり、今の一瞬であの大岩を粉々に砕いたのだ。それも素の拳で。
普通なら、岩を素手で殴れば血の一滴くらいでそうなものだが、兼一にその様子はない。

「ふぅ、やっぱり少し鈍ってるな。
 師匠たちなら、今ので礫どころか砂塵に変えられるだろうし。
 地球に戻るまでの一ヶ月から二ヶ月、腕が鈍らないようにしないと」

これで鈍っているというのだから信じ難い話だが、兼一本人は本気でそう思っているのだから仕方ない。
事実、兼一の基準からすればこれでもまだ本調子ではないのだ。

「とはいえ、あんまり派手にやってると怪しまれるし……困ったなぁ。
 まさか、ニュースになってるなんて……」

そう、今巷を騒がしているあの事件は、全て兼一が起こしたもの。
管理局は質量兵器か魔法の試用運転と思っていたようだが、実際には武術の鍛錬だったのである。
それはまぁ、火薬やら魔法やらの反応が出ないのも当然だろう。

とはいえ、兼一としてはまさかここまでの騒ぎになるとは思っていなかっただけに、少々悩む。
武の鍛錬を怠るわけにはいかないが、だからと言ってあまり派手にやるわけにはいかない。
ゲンヤ達に迷惑をかけるし、地球に帰るまでは穏便に済ませたいのだ。

「さすがに、不法投棄されてる廃車を持ってきちゃったのは不味かったかなぁ?」

論点が微妙にずれている気もしないでもないが、それが達人クオリティと言えばそれまでの話。
既に常人の域から逸脱してしまっているだけに、考え方もずれているのだ。もうこれは仕方がない。

「まあ、悩んでてもしょうがないよね。
 とりあえず、走り込から始めようかな。えっと、手ごろな岩は……あったあった。
 さあ、街を軽く十周位回ってくるとしよう」

先ほどよりも二回りは大きい岩を担ぎ、兼一は再度目にもとまらぬ速度で疾駆する。
こうして今夜も、人知れず兼一の鍛錬が開始されたのだった。






あとがき

というわけで、とりあえず日常風景でした。
こんな感じで、昼は108でお勤め、夜は翔達が寝静まってからこっそり鍛錬、というのが兼一の日常です。
ただ、地球だったら梁山泊に行けばいいのですが、ミッドには場所もなければ彼に適していて使える設備もありません。なので、仕方なくこんな事をしなければならないわけで……。
半ば、変な都市伝説と化しているかもしれませんね、彼が修行した場は。

ちなみに、ギンガとの風呂場での遭遇は色々アレな部分もありますが、ツッコミはソフトにしていただけるとありがたいですね。だってやりたかったんだもん!!
まあ、兼一が風呂場に突入するのでは面白味がないのでこんな形になったわけですけどね。
しかしこれで、ギンガも多少は兼一の体の秘密に近づいたかなぁと。
まあ、それも裸体を見られたというインパクトの前には霞みそうですが。

それにしても、心残りだったのはもう少しギンガの脱衣シーンをエロくしたかった事ですね。
ある意味で後悔はしてますが、正しい意味では反省も後悔もしておりません。
余談ですが、個人的なイメージとしては「らんま2/1」の男版乱馬とあかねが風呂場で初対面する時のイメージです。

最後に、次回は一応本文中でもあったようにギンガとの買い物を予定。
こんなことがあった後でそんな事が出来るのかは甚だ疑問ではありますが、一応そのつもりです。
そこで、多分ギンガやゲンヤ以外の人も出てくるでしょう。
では、間に合えば次週の更新で。間に合えばですけどね。



[25730] BATTLE 4「星を継ぐ者達」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:18

第97管理外世界、現地惑星名称「地球」。そのとある島国「イギリス」の片田舎。
大きな町からはやや離れているが、車を出せばそれなりの時間で着く程度の場所にある邸宅
そこで、その場にあまり似つかわしくない格好の人物が、バラの世話に勤しんでいた。

「フン~~♪ フフン~~♪ よしよし、今年もいい出来になりそうだねぇ。
 はやてやクロ介のとこにも送ってやんなきゃいけないし、元気に咲けよお前ら」

バラの剪定をしながら上機嫌な鼻歌交じりで顔を挙げたのは、「闊達」という言葉の具現の様な女性。
ただ、その格好は胸元に大きめの赤いリボンでアクセントをつけた白いブラウスと黒のミニスカートという、明らかに庭仕事をする格好からはかけ離れているが……。

しかし、問題はそれだけにとどまらない。
その場には彼女以外誰もいないが為に見咎める者はいないが、女性の頭にはネコのそれに酷似した耳が、腰からは細く長い尻尾が顔を出している。
それも、到底作り物には見えない。何しろ、女性の機嫌の良さを現す様に耳はピクピクと動き、尻尾もまたゆらゆらとしなやかに揺れているのだから。
作り物と考えるには、その躍動感はあまりにも生々し過ぎた。

とそこへ、邸宅からこれまた若い女性の声がかけられる。
ただしその女性の姿は、髪の長さや纏う雰囲気、胸元のリボンの色以外は尽くバラの世話をする女性と鏡合わせでもしたかのようにそっくりだった。

「ロッテ~、お茶が入ったからそろそろ休憩にしなよぉ~!」
「あいよぉ~アリア~、今いく~!」

邸宅からかけられた声に、首から下げたタオルで汗をぬぐいながら返事をするネコ耳女。
切り落とした枝葉を集めてゴミ袋に入れると、その雰囲気に違わぬ軽快な足取りで邸宅へと向かう。
テラスに辿り着いた女性は行儀悪く手摺に上り、目をネコの様に輝かせながら尻尾を忙しなく振って問いかける。

「で、今日のお茶とお菓子はなに?」
「カモミールとスコーン…ってつまみ食いしない!
 さっさと手を洗ってきなさいよ、誰も取りやしないんだから」
「いやぁ、お父様はそうかもしれないけど、アリアがねぇ……」
「ロッテと一緒にしないでよ」
「ほら、そこは双子だからさぁ……あたしらって元がネコだし、隙あらば食べられちゃいそうかなぁって」
「はいはい。なら、お父様が来ても戻ってこないようならそうさせてもらうわ」
「げっ、ヤブヘビ!?」

自身よりやや長い髪と胸元に蒼いリボンを付けた女性の言葉に一瞬うめき、大急ぎで邸宅の中へと駆けて行く「ロッテ」。
その間に、「アリア」と呼ばれた女性はテラスで手際よく茶会の準備を整えて行く。
そうしているうちに、一度邸宅に消えたロッテが一人の老人の手を引いて戻ってきた。

「お~いアリア、お父様もきたし冷める前に始めるとしようよ」
「ちょっと落ち着きなさいよ、ロッテ。子どもじゃないんだから、お父様の手をそんなに引っ張るんじゃないの」
「へ~へ~」

アリアの言葉にそっぽを向いて気のない返事を返すロッテ。
アリアはそれには特に取り合わず、少し睨んだだけで済ませる。
長い付き合いなだけに、これ以上何を言っても効果がないと分かっているのだろう。
そんな二人に眼鏡越しに優しい視線を向けていた老人が、ゆっくりと口を開いた。

「良い香りだな、今年の葉もいい出来の様だ。リーゼも、そうしていないで席につきなさい」
「「はい」」

老人の言葉に、二人はやけに素直に頷いてそれぞれの席につく。
ショートヘアの方が「リーゼロッテ」で、ロングヘアの方が「リーゼアリア」。
二人纏めて呼ぶ時には「リーゼ」と呼ぶのが通例だ。

二人はかしましく他愛のない話で盛り上がり、そんな二人を老人はただただ穏やかに見守っている。
だがそこで、唐突に老人の雰囲気が変わった。
初めは「緊張」、続いてそれが「驚き」から「喜び」へと推移していく。

そんな老人の変化にリーゼ達も気付いたのだろう。
二人は顔をそろえて老人の顔を覗き込んだ。

「「お父様?」」
「リーゼ、すまないがカップとお茶請けをもう一人分頼むよ。どうやら、懐かしいお客の様だ」
「って、まさか?」
「まさかも何も、こんな前触れもなく唐突に来るのはあの人位でしょ?」
「だよねぇ……」

二人は「やれやれ」といった様子で立ち上がり、それぞれカップと菓子を取りにテラスを後にした。
残された老人は、まだ見えない客が来るであろう方向に目をやり、懐かしさに目を細める。

「相も変わらず…ふらっとやってくるのだな、お前は」

本来、誰の耳にも届かない小さな独白に過ぎない呟き。
しかし、なんとなく老人にはそれがこれから来る客人に届いているような気がしていた。
なにぶん、あまり常識という物が適用されない相手だ。多少の理不尽はこの客の前では理不尽とはならない。

そうして待つ事少々。老人の言葉通り、庭の端に一つの影が姿を現した。
それはとても巨大で、同時に立派なバラの生垣にはそぐわない着流し姿の老人。
金の髪は長く腰まで届き、髭や眉も長く伸びて老人の顔を隠していた。
だが、その影にある瞳の奥には、未だ衰える事を知らぬ輝きを宿している。
その老人は迷うことなくテラスまでやってくると、旧友に向けて朗らかに手を挙げた。

「久しいのう、グレアム」
「ああ……本当に。久しぶりだな、隼人」

「隼人」という老人のあいさつに、「グレアム」と呼ばれた老人も古い時代を懐古するように返事を返す。
だがそこで、髭をさする隼人の目が僅かに光ったのをグレアムは気付く。その光の意味も含めて。

「しかし……不思議なもんじゃ。一度は袂を分かったわしらが、またこうして旧交を温めておるんじゃからの」
「……そうだな。クライドの事があって以来、私の心は闇の書…夜天の書に囚われていた。
 憑き物が落ちるまでの十と一年…もう二度と、お前とこうして会う事はないと思っていたのだが……」

闇の書、あるいは夜天の書とはグレアムに取って色々な意味で特別な名。
その存在へのあり方で二人の考え方は相容れず、それ故に一度は袂を分かったのだ。
だが、ある事件を機に二人の関係は修復された。
アレから数年経ったが、今思い返してもよくもう一度こんな関係に落ち着いたものだと、当の本人達が感心する。

「それにしてもお主、また痩せたのではないか? それでは娘達も心配しよう」
「お前と一緒にしてくれるな。私は一つ特殊な技能を持っているだけの、ただの老人だ。
 年を取れば、当然老いる。いくら年を食っても衰える事を知らない、お前の様な怪物とは違うさ」
「言うてくれるのう。
その特殊技能がけったい極まりないというのに、単なる武術家でしかないわしを怪物扱いか?」
「お前が『単なる武術家』なら、世界中の武を志す者は皆『半端者』だろうさ。なあ、『無敵超人』?」
「ホ~ホッホッホッホッホ…はて、なんのことかのう?」

グレアムの問いかけを、笑ってはぐらかす梁山泊長老『風林寺隼人』。
二人がそんなやり取りをしている間に、リーゼ達が戻ってきた。

「げぇ……やっぱりあんただったのか、妖怪ジジイ」
「ロッテ、お客にそんな事言わない。例え事実でも」
「相変わらず酷い言い草じゃのう……」

あからさまに嫌そうな顔をするリーゼに対し、長老はわざとらしく袖を濡らす。
長老の性格をある程度知っているのだろう。リーゼも特にそれに対しては反応を示さない。
長老は長老で効果なしと見るやさっさと演技を切り上げ、ちゃっかり椅子に腰かけて豊かな髭を撫でながら過ぎ去りし日々に思いにふける。

「それにしても懐かしいのう。昔は、時折そっちでもちょこっとだけ大暴れしたもんじゃて」
「あれのどこが『ちょこっと』なんだっての……」
「わしも年を取った。もう昔の様に、若さにまかせたやんちゃもできんわい」
「よく言うわ。無茶・無理・無謀が大好物の変人のくせに……」

回想に浸る長老に対し、ロッテもアリアも小声で悪態をつきまくる。
昔、まだグレアムと共に現役で前線に出ていた頃、何度この老人の破天荒に振り回されたことか。
思い出すだけで頭が痛くなる思いなのだろう。
確かに助けにはなったが、それ以上に尻ぬぐいや後始末に苦労した思い出の方が圧倒的に多いのだ。

「悲しいのう。それではまるで、わしが迷惑の権化のようではないか」
「「違うとでも思ってんのか!!」」
「はて、どうだったかのう? 最近、物忘れが激しくてなぁ」
「「こ、このジジィ……!」」
「はぁ……それで、今日はどうしたんだ?」
「ほ? 苦楽を共にした旧友を訪ねるのがそんなにおかしいかのう?」
「そうは言わんが……お前の事だ、鵜呑みにはできん」

どうやら、グレアムは長老の事をよく知っているらしく、その眼は明らかに長老の様子をいぶかしんでいる。
恐らく、リーゼ達が言う様に昔は散々な目にあわされたのだろう。
まあ、言葉の割に忌避感の類がないところを見るに、別に疎んでいるわけでもない様だが……。
そんなグレアムの様子に長老も観念したようで、早々に腹を割って話を始めた。

「ふむ……………………………………実は、『アレ』が動いたようでのう」
「「え!?」」
「……そうか。アレが……虹の渡り橋が、な」

長老が虹の渡り橋、翔の持っていたあのペンダントを入手した経路は簡単だ。
昔、グレアムと次元世界でやんちゃしていた頃にちょろまかしたのである。
その時は単なる興味本位だったが、それを自身の血族に与える日が来るとはその時は思いもよらなかっただろう。

だが、翔にいつ危険が降りかかるとも限らない。その時に常に兼一がいるとも限らない。
そうである以上、もしもの時の保険は必要だった。
また、その危険がどの程度か分からない以上、逃げるなら可能な限り遠くまで逃げるのが最良。
その意味で、あれは実に理にかなっていたと言える。
しかしそれでも、やはりアレが起動することがない事を長老は祈っていた。

「作動しないに越したことはなかったんじゃが、それしか考えられん」
「今持っているのは…確か孫、だったか?」
「曾孫じゃ。恐らく兼ちゃん……あの子の父親も一緒じゃろう」
「なるほど。それで、私か」
「うむ。すまんが、わしにはお主以外にあちらとのつながりがない。なんとかならんかのう?」

長老の問いかけに対し、僅かな時間黙考する。
だが、答えは思いの外すぐに出た。

「……わかった。私も局を離れて長いが…………やれるだけのことはやってみよう」
「すまんな」
「構わんさ。昔は散々世話になった、借りの一つでも返しておかんと死ぬに死ねんよ」

珍しくしおらしい事を言う長老に、肩を竦めて見せるグレアム。
こうして彼は、リーゼに指示して今も繋がりのあるかつての部下や同僚達と連絡を取るのだった。
その中に梁山泊と完全に無縁とは言えない者がいる事を、彼も知らない。



BATTLE 4「星を継ぐ者達」



兼一は悩んでいた。それはもう、心の底から悩んでいた。
ただしそれは武術的な話とか、あるいは子育て的なことなどではない。
ただ、ある意味でそれらに匹敵するほど重要な話。
それは……

(ええい、いっそのこと亡心波衝撃で記憶を消すか? ギンガちゃんも『忘れてください』って言ってたし、多分それが一番いい。
 でも、もしまた何かの拍子でこの話題に触れることが有った時に『何それ?』とか『忘れた』とか言える筈もない……………………………………僕は、僕はどうすればいいんだぁ!!!!)

無敵超人が誇る百八つの必殺技の一つ『亡心波衝撃』。
実に信じ難い話だが、この技はある程度任意で相手の記憶を消去することのできる技である。
記憶が飛ぶなど格闘技の世界では珍しいことではないが、それを自由自在に行えるというのだから……とりあえず、脳に障害が出ないかが非常に心配な技だ。

長老からほぼ全ての技を伝授された兼一は、無論この超技も使える。
技の祖である長老ほど細かくやれるわけでもないが、それでも可能不可能で言えば充分可能だ。
そう……可能なのだが、はたして使っていい物かどうかが大問題なのである。
ただ、ここで「見られた側の記憶を消して、見た事実を消去する」という発想に至らないのが、根っからのお人好しのお人好したる所以だろう。

「いやよ、さすがにちょっと思い詰め過ぎじゃねぇか?」
「人として………………」
「はぁ、こりゃ重症だわ」

そんな兼一をなんとか立ち直らせようとするゲンヤだが、どうにもうまくいかない。
誠実で生真面目な兼一の気質上仕方ないとはいえ、傍から見ても気の毒な位に気に病んでいるのだ。
別に誰のせいとも言えない事はゲンヤも承知しているし、兼一がギンガに対してそう言う意味での下心が微塵もないことも理解しているからこそ、彼としても兼一には早く立ち直ってほしい。
まあ、もしギンガに対して僅かでも下心のある者が見たとしたら、逆に追い詰めて社会的・精神的に抹殺しようとしていたかもしれないが……。

「おじさま、なんで父様元気ないの? もう一度ギン姉さまとお風呂に入ったら元気になる?」
「やめとけ、絶対に逆効果だ。それも二人とも」

ギンガにしたところで、この数日兼一を見ては羞恥心から顔を真っ赤にして逃げ出している。
それはまあ、年頃の娘が事故とは言え異性に一糸纏わぬ姿を見られたとなれば仕方がない。
それも、ギンガはあの年としては少々行き過ぎなまでに潔癖で初心だ。
兼一としても、さすがにあの時の事を思い出すと赤面するのを抑え切れない。
そのため、双方顔を合わせる度にあの時の事を思い出し、色々とギクシャクしてしまうのだ。

翔もその事は心配しているのだが、子どもであるが故か、その辺の機微がまるで分かっていない。
結果、彼の出す案はかなり問題ばかりの上、絶対に逆効果にしかならなさそうなものが多いのである。

(とはいえ、いつまでもこのままってわけにはいかねぇんだよなぁ……。
 一緒に風呂に入るのはやり過ぎにしても、時間を作って蟠りを解いてもらわねぇと……正直、飯食ってても全然落ち着けやしねぇ)

職場や家の中でもアレコレ理由をつければ距離を取ることはできるが、食事の場となるとそうはいかない。
ナカジマ家では、可能な限り全員で食事をするというのが基本方針。
兼一もギンガもその辺には律義で、よほど帰りが遅い時以外はちゃんと一緒に食事を取っている。
ただし、当然会話もなければお互いに目を合わそうともしない。兼一は罪悪感から、ギンガは羞恥心から。
無理もないとはいえ、それでは残る二人がたまったものではない。

「しかし、どうしたもんかねぇ、これは……………………………………ん? 待てよ、確か明日は…おい、坊主」
「なに、おじさま?」
「明日、兼一と一緒にこの時間この場所に行け。
と、これ財布な。ある分は自由に使えって伝えといてくれ」
「うん。でも、ここで何するの?」
「好きなようにすりゃいい、一種の気分転換だ。
 ただまぁ、多分アイツらと会うだろうけどよ」
「?」
「ま、その辺は明日のお楽しみって事にしとけ」

ゲンヤの意図が良く分からず首を傾げる翔に、とりあえず必要な事を伝えて行くゲンヤ。
白浜親子とナカジマ親子の間にあまり時間はない。
なら、多少強引でも事態を動かさないと話にならないと踏んだのだろう。
そうして兼一と翔は、翌日訳もわからぬままゲンヤに指示された場所へと向かうのだった。



  *  *  *  *  *



そして翌日。
よく晴れたこの日、兼一と翔はゲンヤに指示された通りにとある駅でレールウェイから降りた。

「それにしても、ゲンヤさんも突然だなぁ。
 いきなり『休みをやるから観光でもしてこい』って追い出されちゃったし……」
「父様はお出かけするの、イヤ?」

困った様に溜息をつく父に向け、翔はどこか不安そうにおずおずと尋ねてくる。
どうやら溜め息の意味を勘違いさせてしまったらしい。
そのことに気付いた兼一は翔の目線に合わせるように膝をつき、柔らかい笑みと共にゆっくりと語りかける。

「いや、そんな事はないよ。ただ、本当に唐突だなぁって思ってね。
 予定も下調べも全然してないから、どうしたものかなぁって困ってただけだから」
「そうなの?」
「そうそう」

実際、土地勘も何もない兼一にとっては、いきなり街中に放り込まれても困ってしまう。
何しろ、どこに何があるかすらわからないのだから、当然と言えば当然だ。
だが改札を出たところで、思わぬ(しかしゲンヤの思惑通りの)人物とバッタリでくわすこととなる。

「け、兼一さん!? それに、翔!?」
「え? ギンガちゃん?」
「あ、ギン姉さま!」

駅の改札を出てすぐのところの柱に身を預けて文庫本を読んでいたのは、余所行きの恰好をしたギンガ。
ナカジマ家で過ごす時の私服に比べればやや気合の入った、ただし決してそこまで入れ込んでいるわけではない格好だ。例えるなら、恋人とのデートとかではなく、親しい友人と遊びにでも出かけに行くかのような。
まぁそれはさておき、兼一としてもやはりこの遭遇には驚いたわけで……。

「えっと、こんなところで会うなんて、奇遇…………なのかな?
 確か、今日は非番で妹さんに会うんじゃ……」
「そ、そうです。一応ここで…その、待ち合わせを……」

互いに先日の事があるだけに、この程度の会話でさえどこか手探り気味だ。
兼一は困ったように頭をかきながら視線を忙しなく泳がせている。
普段ならギンガは兼一の顔を見た時点で逃げだしているのだが、さすがにいつまでもそれではまずいと思ったのか、あるいは単に思いもかけぬ出会いに逃げるタイミングを逸したのか。
どちらにせよ、ギンガはギンガで嫌でもあの日の事を思い出してしまい、羞恥と緊張で顔を赤く染めながら俯き、組まれた手を落ち着かなさそうにモジモジさせている。
そんな二人に挟まれている翔も、よく分からないなりに居心地の悪さを感じているようで、不安そうな顔で二人の顔を交互に見比べていた。
周囲を行きかう人々も、「何をやっているんだ?」とばかりに僅かに奇異の混じった視線を送っている。

とそこで、三人にとってある意味では救いとなる声がかけられた。
その声は喜色に溢れ、同時に「売るほど元気が有り余っている」と言わんばかりの活力に満ちている。
ついでに言うと、こう言っては何だが…………やや、バカっぽかったりもした。

「あ! お~い、ギン姉~~~!!」
「だぁーもう!! 恥ずかしいからこんな往来で大声出すんじゃないって言ってんでしょうが、このバカ!!」

そんな頭に花畑でも咲き乱れていそうな声に対し、どこかキツメな印象のある声が待ったをかけている。
イメージ的には勝手に進んで行く牛と、それをなんとか引きとめようと手綱を引きながらも逆に引きずられる牛飼いと言ったところか。

やがて人の流れを掻き分けて姿を現したのは、ギンガよりやや年下に見える少女二人。
片や、ギンガとよく似た顔立ちと溌溂とした雰囲気が印象的な、青いショートヘアの少女。
片や、切れ長で釣り上がった強気そうな目が印象的な、橙色の髪をツインテールにした少女。
どちらも、ギンガにとっては良く見知った親しい間柄の二人。
ただし、兼一や翔にとっては紛う事なき初対面の人物である。

(あれ? でも、あっちのギンガちゃん似の子はどこかで見覚えがある様な……)

ギンガに似ているからと言えばそれまでかもしれないが、それだけではない物を兼一は感じた。
だが同時に、見れば見るほどにギンガとよく似ている。
それこそ、細胞レベルで瓜二つなのではないかと思うほどに……。
とはいえ、さすがに兼一に「細胞一つ一つの声が聞こえる」と言う長老クラスの眼力はないので、単にそんな印象を持ったというだけに過ぎないが。
しかしそこで、ようやく兼一と翔の姿を発見した青髪の少女の顔が驚愕に歪む。

「あ……」
『あ?』
「義兄と甥っ子出来てたぁ――――――――――――――!?」
「んなわけあるか、バカスバル!!」
「あ痛ぁ!?」

いきなりわけのわからない事を絶叫する少女…スバルの頭にチョップを入れる橙色の髪の少女。
絶叫からツッコミまでの時間は刹那に満たない。まさに、打てば響くと言ったところだろう。
日頃、どれだけこの少女がツッコミ慣れているのか、それをうかがわせるには十分なやり取りだった。
いいコンビと褒めても、きっと本人は喜ばないだろうが……。

「前に会った時から半年も経ってないのに子どもができるわけないでしょうが! しかもこんな大きいの!!
 そもそも、結婚したんならまず真っ先にアンタに知らせてるでしょ!!
って言うか、ツッコミ所が多すぎてツッコミ切れないのよ!!」
「うぅ、酷いよぉティアァ~……ただの冗談なのにぃ」
「うっさい! ただでさえ恥ずかしい真似してるのに、恥の上塗りしてんじゃないわよ!!」
「はぁ……いきなり飛ばしてるわね、二人とも」

スバルの言葉に激昂するティアと呼ばれた少女。
ギンガはそんな二人に苦笑を浮かべながらも、優しげな瞳で見つめている。
まあ、このやり取りに慣れていない兼一や翔としては、若干事の流れについていけずに茫然としているが。

そんな二人の様子にギンガも気付いたのだろう。
とりあえずこのままと言うわけにもいかないので、一度スバル達の方へと向かい二人の肩を抱いて紹介する。

「えっと、兼一さんや翔は初対面になりますよね。この子は妹の……」
「ぁ、スバル・ナカジマです。はじめまして」
「で、こっちがスバルの親友兼相棒の……」
「親友と言うのはちょっと反論したいところですけど、一応“不本意”ながらこのバカとコンビを組まされてるティアナ・ランスターです」

二人揃って一度は敬礼しかけ、すぐにやめて会釈に切り替える。
TPO的に敬礼は不味いと思ったのだろう。ティアナはあからさまに「不本意」の部分を強調しているが……。

しかし、その表情がどこか照れた様子なものだから、その言葉にもあまり説得力がない。
兼一からも、「キサラさんと同じで素直になれない子なんだろうなぁ」と思われている。
まあ、実際には全く以って大正解なのだが……。
ただ、スバルとしてはティアナのそんな素っ気ない態度が寂しいらしく……。

「え~、酷いよティア~~~」
「うっさい! アンタみたいなのと組まされてるこっちの身にもなれっての!!」

肩に抱きついてしなだれかかるスバルに対し、心底鬱陶しそうに押し返そうとするティアナ。
周りの人々は、何やら微笑ましいものでも見るように笑いをこらえながら通り過ぎて行く。
だが、ギンガ的にはこのやり取りにも慣れた物なのだろう。
なにやらじゃれ合っている二人を余所に、さっさと話を進めて行く。

「で、スバルにはメールとかで話したと思うけど、こちらが今うちで保護してる白浜兼一さんと、お子さんの翔」
「えっと、よろしく」
「よろしくお願いします!」

ギンガの紹介に兼一は軽く会釈をし、翔は元気よく挨拶をする。
そんな二人に、スバルとティアナはじゃれ合いを続けながら応じた。

「ふぉうも、おふぁなひふぁひんふぇいからひいてまふ」
「その、私も一応このバカ経由で少しは……。
ちなみに今のを通訳すると、『どうも、お話はギン姉から聞いてます』と言っています」
「ふぃあ~、ふぉろふぉろふぁなひてよぉ……」

ついでに言うと、今のは「ティア~、そろそろ離してよぉ」と言っている。
なんでこうもスバルの呂律が回っていないのかと言えば、単純に口を左右に思い切り引っ張られているためだ。
それも地味に痛いらしく、スバルの目尻には一滴の涙が浮かんでいたりする。
まぁ、兼一などは「よく伸びるなぁ」と何やら見当違いな感心の仕方をしているが……。

「ところでギンガさん」
「どうしたの、ティアナ?」
「もしかして、今日はそちらの二人の観光案内か何かですか? それなら、私達は席を外しますけど……」
「え? あ、いや、それが…その……」

ティアナの問いに、答えあぐねている様子で困ったような表情を浮かべるギンガ。
事実を事実として口にするのは容易いが、それはそれで白浜親子に対して少々失礼な気がしたのだ。
さすがに、本人達を前に「この人たちは今日は全然関係ない」とは言い辛い。
だが、ここでそんなギンガを見かねたのか、兼一が助け船を出してやる。

「あはは、そんなのじゃないよ。
 たまたまこの駅で降りたらギンガちゃんがいてね、だから一緒になったのは本当に偶然さ。
 ティアナちゃん達こそ、僕たちに遠慮しないで遊んでくるといいよ」
「はぁ、そうなんですか?」

兼一の言葉を聞いて納得はしたようだが、一応確認の意味もあるのだろう。
ギンガに視線を送って、言葉にせずにそれが事実なのか問いかける。
ギンガはそれに控えめな首肯で返し、ティアナも兼一の言葉が事実である事を了解した。

「それじゃ、お邪魔してもなんだし、僕たちはこれで。行こうか、翔」
「うん! ギン姉さま、また後でね」

翔の手を引き、その場を後にしようとする兼一。
ギンガは色々思うところがあるようでその表情は少々複雑だが、同時にどこか安心したかのように息をつく。
やはり、こうして顔を合わせると先日の事を思い出して肩に力が入ってしまうらしい。
ティアナはそんなギンガをいぶかしみながらも、あまり詮索するのもどうかと思って口を噤む。

しかしここに、そう言う意味での空気読み機能がない天然娘がいた事を、ギンガはすっかり忘れていた。
彼女は持ち前の強引さと生来の天真爛漫さを前面に押し出し、特に深く考えもせずに兼一達を引き留める。

「え~、それなら一緒に行きましょうよぉ~」
「ちょ、スバル!?」
(はぁ、またスバルの我儘が始まった……)

ギンガはスバルの発言に驚き、ティアナはなんとなくこんなことになる気がしていたのだろう。
彼女の心には、深い深い諦観が芽生えていた。
どうせ、ここから先何を言ったところでスバルが意見を変えることはなく、この方針をごり押しするであろうことが目に見えていたのだ。

「え? でも、折角家族・友達と水入らずなのに邪魔はできないよ。会うのだって久しぶりなんでしょ?」
「そ、そうよ! スバル、兼一さんをあんまり困らせるちゃダメでしょ!」
「だってぇ~…ギン姉から聞いててどんな人か気になってたし、次また会えるかもわからないんだよ?」
「そ、それはそうだけど…気を使わせちゃ悪いし……」

スバルの言い分も、まあそれなりに筋は通っている。
スバルに兼一達の事を伝えたのは他ならぬギンガだし、当然彼女の興味を引く様な事を知らせたのもギンガだ。
その上、ギンガもスバルも決して暇人ではない。それどころか、スバルはその所属から意外と多忙。
実際、兼一達がいる間にもう一度会う機会があるかと言うと、非常に可能性は低い。
何しろ、スバルとギンガがこうして会う事自体、かなり久しぶりなのだから。

「翔もギン姉と一緒の方がいいよね?」
「えっと…………………うん!」
「ほらぁ~」
(それにしても、少しは人の話を聞きなさいよね)

ギンガの言葉など聞こえていないかのように………もしかしたら本当に聞こえていないかもしれないが。
とにかく勝手に話を進め、いつの間にか翔の同意まで得てしまうスバル。
そんな彼女のある意味いつもの行動に、呆れると同時に内心でツッコミを入れるティアナ。
ただし、言っても無駄なのは分かり切っているので、無駄な労力を使わないように口には出さない。
その間にも、ギンガは兼一に助けを求めるように問いかける。

「そ、その……どうしましょう?」
「ああ…………どうしようか?」

兼一としても「どうしたものやら」と言う感じらしいので、明確な答えは返ってこない。
ただ、その顔には苦笑いが浮かび、なんとなくこの後の流れをあきらめてしまっている感がある。
恐らく、もうこのままスバルの強引な流れに押し流されるのみだと分かっているのだろう。
強引な人間に押し切られるという経験においては、兼一も相当なものなのだから。
そんな皆の様子を見て、ティアナはこんな事を思う。

(私も、ホントに少しはアイツの異様な我儘を見習った方がいいかもしれないわね。
 そうじゃないとストッパーが……)

実際、こうなったスバルを止められる人間に未だティアナは会ったことがない。
家族ですら止められないのに、コンビとは言え他人でしかない自分に何ができるのか、と思わないでもないが。
だが、今後も当面はこのコンビが続く以上、職場では自分以外にスバルのストッパー役がいないのも事実。
そう考えると、少しは見習う必要があるかもしれないと、かなり真剣に思うティアナだった。



  *  *  *  *  *



その後、結局はなんだかんだでティアナの予想通りに事は運んだ。
つまり、スバルの我儘が押し切られる形になったわけである。

とはいえ、スバルとて別に「気遣い」とか「遠慮」とか言う言葉が彼女の辞書に載っていないわけではない。著しくそのページが開かれる回数は低そうだが……。
しかし、ないわけではない以上少しはそれらが陽の目を見る時もある。
そう、たとえば今日がその数少ないその時だった。

「翔はどこか行きたいところって、ある?」
「?」

一応は年少者の希望を聞くスバルだが、翔からはこれと言って返事は返ってこない。
当然と言えば当然だ。何しろ、翔には今いる場所に何があるかの知識が根本的に欠けている。
子どもらしく「遊園地」とか「動物園」とか言うこともできるだろうが、明らかにそう言うものがありそうな雰囲気ではない。それくらいの事は幼児である翔にもわかった。
我儘を言うこともできるのだが、性格的なものか、それともやはり初対面の相手もいるからか、そういう思い切った事は言えないらしい。
そして、それは翔の父親である兼一にも似たようなことが言えるわけで……。

「それじゃあ、兼一さんは何かありますか?」
「そう言われても、ね。ここにどんなお店があるのかもさっぱりだし、何より特に欲しい物もないから」

元々あまり押しが強くない上に、そう言う意味での欲求も人並み以下の兼一だ。
彼としては衣食住と本と植物が揃い、そして家族や友人がいればとりあえずそれで十分なのである。
それ以上は全て、兼一にとっては程度の差はあっても「贅沢」の範疇に入るらしい。
赤貧がデフォルトの梁山泊で過ごした結果、そんな感覚が身についているのだ。

「だから、みんなの行きたいところで良いよ。
 観光って意味で考えれば、それで十分な気もするしね。翔はどう?」
「うん! やっぱりみんなが楽しいところがいい!!」
「なら、とりあえず私達のオススメって事で良いですか?」
「うん、それでお願いしようかな。よろしくね、スバルちゃん」
「はい♪」

そこまで言われてしまっては、つまらない思いをさせるわけにはいかない。
むしろやる気になったスバルは、それはもう意気揚々と皆をひきつれて歩き出す。
その後ろを歩きながら、ギンガは深々と兼一に頭を下げる。

「どうもすみません、なんだか無理に引きとめちゃって……」
「あはは、気にしないで。僕たちとしてもどこに行けばいいか困ってたところだから。
 むしろ、お邪魔じゃなかったかなっていう方が、ね」
「いえ、そんな事は全然……」
(何と言うか、妙に余所余所しいというか、ギクシャクした感じね。ま、私がとやかく口を出す事じゃないけど)

何やら不毛な謝罪の応酬をしている年長者二人を横目に、そんな事を思うティアナ。
ティアナ的にはそれほど兼一や翔に興味があるわけではないが、全くないというわけでもない。
だからか、酷く客観的な第三者として二人の様子のおかしさを感じていた。
おそらく、良くも悪くも能天気なスバルは全く気付いていまい。
というか、気付いていたらああも強引に引っ張ってきたりはしないのだろうが……。
まあ、それはそれとして……。

「………?」
(別に子ども嫌いってわけじゃないんだけど、この澄んだ目で見られるのってなんか苦手なのよねぇ……)

兼一と手をつないで歩いていた翔とたまたま目が合い、思わず目を逸らして手に持ったジュースに口をつける。
別に何か後ろめたい物があるわけではないのだが、どうにも居心地の悪さを感じてしまうのだ。
それが、無垢故に全てを映し出す鏡の様な瞳が、相棒や周囲に劣等感を抱く「自分」を強く意識させるからだとは、ティアナ自身気付いていない。

「よ~し、じゃあとりあえずあっちで服でも見てこよっか!
 一緒に翔のコーディネイトもしたいしね!」
「こーでねぇと?」
「コーディネイト。えっとね…つまり、かっこいい服とかかわいい服を選んであげるって事。
 折角そんなオシャレなペンダントつけてるんだしさ」

そう言ってスバルが見やるのは、先ほどから時折「リーン、リーン」と涼やかな音色を奏でる鳥籠を模したペンダント。それは、翔の名の由来ともなった兼一のかつてのライバルの遺品…を模した物だ。
オリジナルは遺族とも言うべき彼の師に返したが、思う所あって兼一は良く似た品を長年持ち続けてきた。
それを、以前の「お守り」がなくなり寂しそうにしていた翔に譲ったと言う次第。
本来はピアスなのだが、さすがに5歳にも満たない翔にはまだ早いと思い、今はペンダントとして持たせている。

「それで、翔はどんなのがいい?」
「?」

スバルの言葉に、首を傾げる翔。どうやら、まだあまりオシャレなどには興味がない様だ。
兼一自身、あまりオシャレに気を使う方でないのもあるだろう。
なので、とりあえず彼的に無難と思った答えを口にする。

「…………じゃあ、父様みたいなのがいい」
「そっか、翔はホントに兼一さんが好きなんだねぇ」
「スゥ姉さまは、ゲンヤおじさまのこと好きじゃないの?」
「え? 父さんもギン姉も、みんな大好きに決まってるよ!」

良くも悪くも子どもっぽいところがあるからか、どうやら翔とも上手く波長があっているらしい。
というか、はじめは呼び名に悩んでいたようだが、いつの間にか翔の中でスバルの事は「スゥ姉さま」ということで落ち着いた様だ。ついでに言うと、ティアナの事は「ティア姉さま」と呼んでいたりする。
ティアナはティアナでこの呼び方がツボにはまったらしく、密かに頬を染めていたのは本人だけの秘密だ。
スバル同様、兄はいても弟妹がいなかったことも無関係ではあるまい。

「それじゃ、一緒に兼一さんの服も選んじゃおっか?」
「うん!」
「って、僕もかい?」
「当たり前ですよぉ。だって兼一さんが着てるの、父さんのポロシャツとチノパンでしょ?
 兼一さん、父さんよりも若いんですから、もっと着飾っていいと思いますよ。ねぇ、ティアもそう思うよね?」
「私に話を振らないでよ。…………………………まぁ、もう少し何かないかな、とは思いますけど」
「そ、そうかなぁ?」

スバルに同意を求められ、一応はティアナも控えめにそれに同意する。
まあ、こう言っては何だが、今の兼一の恰好は実に「おっさんくさい」のだ。
まだ三十路にもなっていないのにこれはどうか、と思う程度には。
兼一としては服を貸してもらえるだけでありがたいので、贅沢や文句を言う気はなかったし、そもそも二人が言うほどとは思っていなかった。
しかし、ここまで言われてしまっては、少しは気にしないとまずいかもという気もしてくる。

そうして、五人はとりあえず兼一と翔の服飾の充実から図ることにするのだった。



  *  *  *  *  *



数時間後。
とある公園で、いくつかの買い物袋を手に疲れた様子の兼一がベンチに腰掛けていた。

まぁ、その理由は詳しく語るまでもあるまい。
総じて、女性の買い物というのは男にとっては長く退屈で疲れるもの。
いくら自分の服を選んでくれているとはいえ、時間経過と共にテンションが上がって行く女性陣においてきぼりを食ってしまえばそんな感じになってしまう。何しろ、はじめはあまりやる気のなかったティアナまで、最終的にはノリノリになっていたのだから。
翔はまだ純粋に楽しんでいたようだが、兼一としてはやはり「疲れた」という気持ちが強い。
体力に自信はあっても、これは精神的な疲労だ。それも、今まで経験してきたのとはベクトルが異なる。
いくら兼一でも、こればっかりはどうにもならない。
いやまぁ、何軒も梯子をして体力的な消耗も割とバカにならないのだが……。

ちなみに、途中でスケボーによく似た道具を使った遊びにも挑戦したのだが、物の見事に兼一がすっ転んだことをここに追記する。
彼に言わせれば、「スケボーの修業は積んでいない」ということらしい。
凡人の凡人たる所以である。まあ、その実転んだ時にちゃんと受け身を取っていたりしたので、あながち全く他の事に反映されていないわけではない様だが。

とりあえず、今は昼食を挟んでの買い物が一段落ついたところで一息入れている所。
兼一が荷物番をし、女性陣はそれぞれ飲み物や近くの露店などから軽食や菓子類を買いに行っている。

「美羽さんとデートしたことがないわけじゃないけど………………………………………女の子と買い物するのって、こんなに疲れたっけ?」

と、思わず空を仰ぎながらそんな事をぼやく兼一。
あの頃は今よりも色々な意味で若かったし、なにより兼一自身もはしゃいでいた面がある。
長年の思い人との逢引なのだから当然なのだが、多分そのあたりが影響しているのだろう。
ついつい口から「アレが若さかぁ」という呟きが零れ、続いてそんな自分に苦笑いが浮かぶ。
とそこへ、アイスを買いに行っていたスバルが一足早く戻ってきた。

「兼一さ~ん!」
「あ、お帰り」
「はい! これ兼一さんの分ですから、どうぞ!」
「うん、ありが…とう?」

スバルは器用に五人分のアイスを両手で持ち、その内の一つを兼一に差し出す。
兼一はそれを、どこか歯切れが悪く尻すぼみな礼と共に受け取る。
まぁ、それも無理もない。なにしろ、今彼の目の前にはちょっと信じ難い光景が広がっているのだから。

「やっぱりここのアイスは素敵だぁ♪」
「ねぇ、スバルちゃん」
「うまうま♪ ほへ? なんですか?」

兼一の呼びかけに、ベンチに座って自分の分のアイスにかぶりつきながら応じるスバル。
その顔はまさに至福そのもので、尻尾があればちぎれるほど振っているんじゃないかと思える。
だが、今兼一が問題にしたいのはそこではない。

「いや、ずいぶん高く積み上げたんだなぁって思って……」
「えへへ、スペシャルアイスの十五段盛りです!!」
「そ、そう……」

スバルの言葉通り、それは十五のアイスが神懸かり的なバランスで積み上げられている。
もはやそれは、匠とか職人の業としか思えない。まぁ、はっきり言って正気の沙汰ではないのだが。
しかし、積み上げる方が積み上げる方なら、それを頼む方も頭がどうかしている。
普通、アイスをこんなうず高く積みあげるよう注文するだろうか。
まったくもって、色々な意味で常識からは程遠い光景だ…兼一には言われたくないだろうが。
まぁ実際、道行く人々は確実に二度見し、その後は思いっきり引き攣った表情を浮かべ、何も見なかったと言わんばかりに目を逸らして離れて行くのだから相当なものだろう。
正直に言ってしまえば、そんなキチガイ沙汰としか言いようのない積み方をしたアイスへ喜色満面にかぶりつくスバルには兼一も若干引いている。

「そう言えば兼一さん」
「ん、なんだい?」
「ミウって、誰ですか?」
「あ、もしかして聞こえてた?」
「えへへ、私耳と目は結構いいんですよ」
(そう言う問題かなぁ……?)

割と距離があった筈だし、小さく零しただけの呟きを聞きとるとは、ただ「耳がいい」というレベルの問題ではない。
もちろん、兼一ならその程度の事は容易なので、あまりスバルの事を「非常識」という権利はないのだが……。

とはいえ、どうやら何かスバルの興味を強く引いてしまったらしい。
スバルは邪気のない、まるで無垢な子どもの様な瞳で兼一の答えを待っている。

「ええっと………僕が結婚してるのは聞いてる?」
「はい。あ、じゃあ……」
「うん。まあ、そう言う事」

美羽が死んで数年が経ち、気持ちの整理はだいぶついている。
思い出すことで寂しさや悲しみと言った感情も蘇ってくるが、あの当時の様な身を切る様なそれではない。
その変化をどう受け止めればいいかとなると複雑な心境になる兼一だが、感情を長持ちさせることが難しいのも事実。良い感情でも悪い感情でも、何かを強く思い続けるのは大変なのだ。
故に、この変化は別段誰かから非難される類のものではない。

まあ、それはそれとして。
どうやら、スバルの何かに触れてしまったようで、彼女はさらに目を輝かせながら質問を重ねて行く。
当然、一切の悪意なしに。

「へぇ~、あのあの、どんな人だったんですか?」
「え? そ、そうだね、何て言ったらいいのかな……優しくて面倒見が良くて、綺麗で頭もよくて、ちょっとずれたところはあったけど……」
「やっぱり翔と似てるんですか?」
「それは……」
「翔って可愛いですから、きっとお母さんも美人だったんでしょうね!
それに私、ずっと弟とか妹が欲しいなぁって思ってたんですけど、いきなり弟が出来たみたいなんですよ。
たぶん、ギン姉も同じだと思うんですけど……」
(外見だけじゃなくて、中身も似てるんだなぁ、この二人って。
 人の話を聞かないでドンドンしゃべるとことか、ホントにそっくり……)

もしこの場にティアナがいれば、恐らく彼女は全面的に兼一の感想に同意しただろう。
何しろ、ギンガと初めて会った時にティアナも似たような感想を抱いたのだ。
興味を持った事例を前に『質問→返答を待たずに再質問・意見』と言うトーキングモードに入ってしまうのは、ナカジマ姉妹の共通した性質である。
だが、兼一が抱いた感想は、実のところそれだけではない。

「ああ、翔みたいな子が弟だったらいいんだけどなぁ……」
「ねぇ、スバルちゃん」
「? なんですか?」
「あ、いや、ギンガちゃんと話す時も時々思うんだけど、二人ともなんだかじっと相手の目を見て話すんだね」
「それって、普通じゃないですか?」
「まあ、そうなんだけど……二人の場合、全然目を離そうとしないからさ」

確かにスバルの言う通り、相手の目を見て話すのは基本中の基本だろう。
しかし、この二人の場合やや趣が異なる。
相手の目を見るのは普通だが、そこからほとんど目を離さないとなると話は別だ。
話の流れ的にどこかに視線を移したりすることはままあるのだが、スバルやギンガの場合それが極端に少ない。
全くないわけではないのだが、普通の人に比べて圧倒的に頻度が低いのも事実。
兼一が感じたのは、その事への違和感だった。

「えっと、実はこれって母さんに教わった事なんです」
「お母さんに?」
「はい。心から相手の事を知りたい時、相手に自分の事を知ってほしい時は、その人の目を見なさい。その人の目の奥にあるものを見ようとしなさい、きっとその人がなにを思っているのか分かるからって」

懐かしむ様に母の言葉を思い返すスバル。その表情は懐かしさだけでなく、抑え切れない寂しさと、同時に褪せることのない母への思慕が含まれていた。
だが、兼一はそんなスバルに気付いた様子はない。
当然だ。何しろ彼は今、スバルとギンガの母「クイント・ナカジマ」の言葉に感銘を受けていたのだから。

(…………………………すごいな。それって、流水制空圏の極意じゃないか)

そう、それは彼の無敵超人の秘技の一つ、静の極みの技「流水制空圏」の極意に通じる言葉。
クイント・ナカジマがどの程度この在り方を武術的に意識していたかは、本人が故人となってしまっているが故に定かではない。もしかしたら、単にコミュニケーションのコツとして伝えただけかもしれない。
しかしそれでも、相手の眼の光からその心を知ろうとする姿勢に、兼一は深い感銘を受け「一度会ってゆっくり話してみたかったな」と思う。
とそこへ、飲み物を買いに行っていたティアナも戻ってきた。

「あ、ティアやっほ~!」
「うっさいって言ってんでしょ、スバル! まったく、恥ずかしい……」
「あはは、御苦労さま。ティアナちゃん」
「どうも。それと、これ」

兼一の労いに、どこか素っ気なく返すティアナ。
まぁ、元々あまり愛想の良い方ではないので、知り合ったばかりの相手にはこんなものだろう。
兼一は兼一で、口下手ではないにしてもあまり話上手ではない。

あるいはスバルの様な強引さがあれば話は別なのだが、この二人の場合だとどうしても会話が続かないのだ。
というか、そもそも会話にならない。
話題がないのだから当然なのだが、お節介なスバルはなんとかアレコレ奮戦するも……。

(うぅ~、空気が重いよぉ~)

あまり役に立っていなかったりする。
場を盛り上げようと兼一やティアナに話を振るのだが、それが長続きしない。
いや、兼一やティアナはちゃんとスバルの話に応じている。
ただ、それが一対一から先に発展しないのだ。
兼一はまだスバルに協力的なのでまだしも、ティアナはやはりあまり乗り気ではないのだった。

しかし、ティアナとて別に兼一に全く関心がないわけではない。もちろん、特別強い関心もないが。
まぁ、相方がこれだけ頑張っているのだから、少しは協力しようという気にもなる。
別段、ティアナは冷血でも冷徹でもないのだから。

「ほらほら、ティアも兼一さんに聞きたい事とかないの? 奥さんの話とか……」
「はぁ……アンタはデリカシーがなさすぎなのよ」
「あ、あはは、でも聞きたい事があれば聞いてくれていいよ。答えられることなら答えるし」
「………………………そう言う事なら、ちょっと聞いても良いですか?」
「あ、うん。なにかな?」
「翔と兼一さんって、なんか歩き方変ですよね? アレはどうしてですか?」
「あ、そう言えば私もそれちょっと気になってた。
 二人とも、なんかすごく緊張してるみたいに左右同じ方の手と足が出てるんだよね」
(…………う~ん、よく見てるなぁ)

思っていたよりも観察力のある二人に、兼一は内心で感心する。
普通、なんとなく見ているだけでは違和感は覚えてもあまり気付かないだろう。
それに気付くという事は、二人が本当に周りの様子に気を配っていることを意味する。
そして、この辺はギンガも同じだ。しばらく前に、同様の質問をギンガからもされている。

(だけど、あんまりはっきりとは言えないよね。
『難波歩き』って言ってもわからないだろうし、武術の事はあんまり話したくないし……)

先ほどは答えられることなら答えると言ったが、正直これは答えられない範囲なのである。
何しろ、「難波歩き」は古武術身体操法の一環。
迂闊に口にして、万が一にも翔の耳に入ったりするのは避けたい。

「えっと…別に緊張してるとかじゃないよ。僕の場合、普段からこれだし。
 翔は………………多分、僕を見てていつの間にか身についちゃったんじゃないかな?」
「癖、って事ですか?」
「うん、別に意識してそういう風に歩いてるわけじゃないから」

とりあえず、嘘は言っていない。以前は普通の歩き方だったが、修業しているうちにこれで定着してしまった。
実際、この方が何かと便利というか都合のいい事も多い。
難波歩きとは、身体を必要以上にひねらない歩き方であり、スタミナの消費を抑え、姿勢を安定させ、瞬発力を出せるなど、ロスや負担の少ない優れた歩行技術である。
どれだけ上手く隠していても、僅かに漏れてしまうこう言った「武の残り香」までは隠しきれない。
翔の場合、兼一の事を見ているうちにこの歩き方を憶えてしまったのだろう。

だがそこで、三人の視界の端に少々不穏なものが映る。
それはどうやら、やや柄の悪い五人組の男達が、その外見通り人の迷惑を考えずに道幅いっぱいに歩く姿。
それ自体はまぁ、やや眉をひそめるだけでことさら何かを言うほどのものではない。
確かに迷惑だとは思うが、それだけだ。別段、特に実害もないのだから。
ただし、これが実害に結び付くとなれば話は別で……往々にしてそういう事は起こり得る。

「ああ? おい、邪魔だジジイ、さっさとどけ!!」
「ひ、ひぃ!?」

たまたま前を通ったリヤカーを引く老人に向け、男達の一人が蹴りを見舞う。
当然、突然蹴られた老人は為す術もなく体勢を崩して転倒する。
清掃員か何かで、足が悪いのだろう。確かに歩みは遅かったが、そんなものは非難されることではない。
何が言いたいかといえば、男達のそれは良識というものからかけ離れた暴力に他ならないという事だ。

当然と言えば当然の話、誰もがそれに非難がましい視線を向ける。
ただし、それも長続きはしない。
誰だって面倒事や痛い思いは御免被りたい。非難の視線を向けても、男達に一睨みすれば目を逸らしてしまう。
しかし、中にはその程度では恐れ入らない人間というものがいる。
たとえば、ここにも。

「少しいいかな?」

横手から何気ない動作で歩み寄った兼一は、やはり無造作に彼らに声をかける。
ティアナやスバルは兼一が動くとは思っていなかったのだろう。
兼一が立ったことで機先を制され、結果的にベンチの前で中腰の姿勢のままになっている。
そして、男達は兼一の実に不機嫌そうに顔を向けた。
恐らく、誰もが自分達を恐れて見て見ぬふりをすると思っていたのだろう。

「あん?」
「君達、お爺さんを蹴るとは何事だい? 敬老の精神という言葉を知らないの?」
「はぁ? おいおい、俺らはチンタラ歩いてるから脇にどかしただけだぜ?」
「道幅いっぱいに歩かず、少しよければ済んだだろう」
「俺たちゃいーんだよ、強いからな。道に限らねえだろ? 弱い奴が強い奴に譲る、当たり前のルールだろうが」
「そ、俺らは強いんだから弱い奴は大人しくしてりゃぁいーんだよ。
そうすりゃ俺らも余計な事をしないで済むんだからよぉ」
「ちげぇねぇ! それなら万事平和に済むってもんだ!!」

男達は自分達のセリフに気をよくしたのか、下品な笑い声を上げた。
兼一の後ろでは先ほど蹴られた老人が「もう良いんじゃ、早くお前さんもこっちへ」と裾を引っ張っている。
だが兼一は動かない。なぜならば……

「兼一さん、勇気あるんだねぇ……他の人たちなんて見て見ぬふりなのに……」
「いや、それは違うんじゃない?」
「え? なんで、ティア?」
「よく見なさい、兼一さんの足」
「足? …………………ぁ」
「震えてるでしょ? あれ、勢いで出たはいいけど、怖くて動けなくなってるだけよ」
「あっちゃぁ……」

そう、兼一は動かないのではなく………………………動けないのだ。
あまりの横暴ぶりに老人をかばったのは良いが、男達の飛ばすガンにビビって膝が笑っている。
はじめは感心したティアナやスバルも、今ではちょっと落胆気味だ。

とはいえ、勢いだろうとなんだろうと老人をかばったのはたいしたものだと思う。
実際、それまで二人は兼一の事を「人は良いけど気が弱そうなお兄さん」と思っていたのだから。
その評価をやや上に修正される位の姿は見せてもらえた。
ただ、やはりこれでビビってしまっているのを見ると、その修正された評価を再修正したくなるのだが……。
まぁ、さすがにこれは「それはそれこれはこれ」である。
そして、当の兼一自身はというと……非常に困っていた。

(不味いなぁ、勢いで出てきちゃったけど、この後どうしよう。
 いっそ思いっきりヤバい感じの人なら逆に平気なんだけど、中途半端に柄が悪いもんだから昔のトラウマが……。それに、殴って撃退するわけにもいかないし、睨み倒しもなぁ……)

下手な事をすると翔に余計な事を気付かれてしまうかもしれないし、それは避けたい。
というか、あまり必要以上に他人を威圧するのは趣味ではないのだ。

そもそも、兼一としてはこれ位に柄の悪い相手が一番苦手なのである。
軍人とか殺し屋クラスになればかえって肝が据わるのだが、精々チンピラに毛が生えた程度なため覚悟が決まらない。客観的に見て、今の自分が酷く情けないことが分かるだけに、一層物悲しくなるのだ。

「いいから、さっさとどけよ兄ちゃん。なんなら、俺達がどかしてやっても良いんだぞ」

ドスの利いた男の声に、兼一は全身が震えだすのを自覚する。
別段この程度の相手は戦力的に怖くもなんともないのだが、幼少期から植え付けられた苦手意識とトラウマがそれを許さない。頭では恐ろしくないと分かっているのだが、感情と記憶が理性を振り回す。
そうして、男達は兼一の煮え切らない態度に業を煮やし、ついに彼の襟首を掴んだ。

「腰抜けが、調子に乗るからこういうことになるんだよ。うぜぇからさっさと失せろや!!」
(いっそのこと、このまま一発殴られちゃった方が楽かもなぁ……)

男が拳を振りかぶる様子を見て、頭の片隅でそんな事を思う兼一。
拳は大振りで無駄だらけ、当然酷く遅く褒める所を探す方が苦労するレベルだ。
この程度、掴んで止めるにしても勢いを利用して投げるにしても容易い。

問題なのは、身体が思うように動いてくれない事。
あまりにも脅威が低すぎるせいで、身体も反射的な迎撃に出てくれない。
ならばと、一発殴られることで自分自身に「活」を入れようと考えたのも、ある意味では自然だっただろう。
まぁ、この程度の一撃で彼に「活」が入るのかというと、甚だ疑問なのだが……。
だが、いざ兼一に男の拳が届きそうになったところで、それに待ったをかける人物が乱入してきた。

「何をしてるんですか、あなた達!!」
「あん?」

今まさに兼一の頬に突き刺さろうとした拳は、鋭い制止の声により押しとどめられた。
思わず拳を止めた男は、ますます不機嫌な表情になって声の主を探す。
そこにいたのは、なかなかに珍奇な格好の少女。
何しろ右手で幼児の手を握り、左手には大小さまざまなビニール袋が下げられているのだから。

「…………………………………なんだお前? その年で子連れか? 最近のガキは進んでんなぁ……」
「ち、違います!!! この子は今あなたが殴ろうとしている人のお子さんであって、私の子どもとかじゃありませんから!!! 失礼なこと言わないでください!!!」

さすがに子持ちと思われるのは心外だったらしく、顔を真っ赤にして否定するギンガ。
まあ、仮に翔と親子だったと仮定すると、12・3歳で産んだことになるので、それは頑として否定するだろう。

「と、とにかく! 早く兼一さんを離して、そちらのおじいさんに謝罪してください!!」
「はぁ? ねーちゃん、度胸は買うがな、ちゃんとルールを守らなきゃだめだぜ?」
「ルールというのなら、あなた方がやろうとしている事は立派な傷害、犯罪です!」
「ちげぇな。弱いくせに強い奴にたてつくから怪我をする、ただそれだけのことだろ?
 火事の中に飛び込んで火傷するのは当然、車の前に飛び出せば怪我をするのも当然。それと同じだろうが。
 弱い奴は弱い奴らしく、大人しく逃げ回ってればいいんだよ。ったく、物分かりが悪くて嫌になるぜ」
「物分かりが悪いというなら、それはあなたたちの方でしょう。
どんなに弱くても、理不尽に反抗する権利は誰にでもあるんですから」
「へぇ。で、どうするってんだ? 言っとくが、俺らはみんなCランクの魔導師だぜ。
ま、ねーちゃんが優しく接待してくれるってんなら、穏便に済ませてやっても良いけどよ」
「ギャハハハ、そいつぁいいや!」
「おいおい、こんなションベンクセェガキは俺の趣味じゃねぇぜ。
ま、どうしてもってんなら色々教えてやってもいいけどよ、クックック……」

男達はその眼に好色そうな光を宿し、口々に下品な笑い声をあげながら舌なめずりする。
傍から見ても、実に不愉快な光景だ。
年端のいかない少女にいったい何をさせる気なのか。

だが、これこそが男達の自信の根拠。
魔法技術が広く認められているこの世界において、魔法は個人の能力としてはかなり上位におかれる代物だ。
もちろん魔力を持つ者の全てが魔導師…当たり前の様に魔法を操るわけではないが、それでもそのことに変化はない。
Cランクとなると、魔導士としては極々平均的な能力に過ぎない。しかし、平均という事は大半の魔導士が大体このくらいの力量なのだ。中には突出した能力を持つ者もいるが、そんな人物と出会う事自体が稀。
基本的にこのくらいのランクがあれば、魔導士として舐められる事はない。
当然、もし暴力沙汰になってもそうそう容易くやられることもないだろう。
それが5人で徒党を組んでいるとなれば、確かに気が大きくなるのもいたしかない。

しかし、今回は少々相手が悪かった。
どうも、ギンガはギンガでだいぶ不機嫌らしい。
一応丁寧な口調は保っているが、その言葉の端々に棘が含まれている。

「御託は良いですから、早く兼一さんを離しなさい」
「んだと、この女ぁ!!」

どうやら、伝家の宝刀とも言える脅し文句に全く臆した様子を見せないことが気に障ったらしく、男の一人がギンガに掴みかかる。
普段なら兼一が止めるなりなんなりするだろう。自分の事ならともかく、周りの人間…特に女子どもを傷つけようとする場に居合わせて、それを黙認するような男ではない。

だが、この時の兼一は敢えて動かない。なぜならそれは、動く必要性と意味を全く感じなかったからだ。
むしろ、余計な手出しは返って邪魔になるとさえ判断している。
そして兼一の予想通り、乱暴にギンガの髪に伸ばされたその手は、虚しく空を切った。

「……は?」
「…………………」

軽く身を引いて男の手から逃れたギンガは、そのまま拳を突き出し横から男の顎に当てる。
完全に、誰が見ても一目瞭然な形での力量差の証明。
もしギンガが振り抜いていれば、男は顎を打たれ、その場に崩れ落ちていたことだろう。

「言ってませんでしたが、私も一応魔導師です。まだAランクに過ぎない未熟者ですけど」
「え、Aだと!?」
「一応言っておくと、そっちの二人は次のBランク試験を受ける予定です」

そう言ってギンガが視線を向けるのは、いつの間にかベンチを離れ男達の背後に回ったティアナとスバル。
二人の手にはデバイスこそないが、いつでも攻撃できる体勢であることに変化はない。
ティアナの周囲には5つの橙色の魔力弾が滞空し、スバルの腕には環状魔法陣が展開され男達を威圧している。
Aランク魔導士一人と、限りなくBランクに近いであろうCランク魔導士が二人。
やっとこCランクでしかない男達では、到底太刀打ちできない戦力差だ。

だが、男達にも男達なりの矜持がある。相手が格上だからと言って、こんな子どもを相手に尻尾を巻いて逃げだしましたでは、この先業界で笑い者にされてしまう。
それだけは、絶対に避けなければならない。

「ざ、ざけんじゃねぇぞ。ここまで馬鹿にされて『はい、そうですか』って引きさがれるかよ!!!」

それまで兼一の胸倉を掴んでいた男…おそらく彼らのリーダー格だろう。
男はなけなしの勇気を奮い立たせ、ギンガに向かって飛びかかる。
ギンガは即座に迎撃しようと突きを放つ。
しかし、二人の拳がすれ違おうとしたこの瞬間、男の体が僅かに硬直した。

(な、なんなんだよ、この寒気はよぉ!?)

言葉にできない、過去に経験したことのない種類の怖気に男の体が一瞬強張った。
男は気付かない。それが、自分がたった今まで掴んでいた男が発する威圧感に飲まれたせいだとは。
だが、そうしている合間にもギンガの拳は伸びてくる。その結果は、当然……

「うごっ!?」
「え?」

そのままギンガの拳は吸い込まれるようにして男の顔に突き刺さり、鼻骨の折れる音が鈍く響く。
ギンガも、まさかここまで無防備に受けるとは思わなかったのだろう。
カウンター気味に放った突きなので、相手の拳を避ける自信も意思もあった。
だから、相手の拳を避けられたのは問題ではない。いや、さすがにここまで力が乗っていないというのは予想外だが……。
とはいえ、何よりも驚いたのはまた別の事。
まさか防御はおろか、拳を受ける際にそれに耐えようとする素振りすらしないとは思わなかったのだ。

そして、耐えようとすることすらできなかったという事は、つまり限りなく不意打ちに近い形で受けたという事。
どれほど鍛えこまれた鋼の如き筋肉であろうと、力が抜けてしまえば唯の肉の塊。
それと同じで、覚悟していない状態で頭部に突き刺さった一撃は、容易く意識を刈りとることができる。
その結果、男は先の一撃で無様にも気絶してしまった。

「あ、兄貴ぃ!」
「ちっ、退くぞ野郎ども!!」
「おぼえてやがれ~!」
「ま、待ってくれ~……」
(う~ん、まさしくって感じの人達だなぁ……)

頭が潰れてしまえば、まあこんなものだろう。
まるでクモの子でも散らす様に配下の男達は散り散りに逃げて行く。
まぁ、それでもなんとかリーダー格の男をちゃんと連れて行ったのはほめてやるべきか。

とりあえず、何はともあれ柄の悪い連中を撃退できたのだからよしとすべきだろう。
ギンガもそう結論したようで、若干襟の乱れた兼一に駆けよって話しかける。

「大丈夫ですか兼一さん!」
「あはは、怪我はないから安心していいよ、ギンガちゃん」
「そうですか、よかった……」

そう言って、心の底から安堵の表情を浮かべるギンガ。
どうやら、彼女も兼一の事を「頼りない所がある」と思っているらしく、翔とは違った意味で庇護の対象と見ているようだ。まあ、「頼りない所がある」のは事実なので、兼一がその事を知っても苦笑を浮かべるだけだろうが……。
とはいえ、今の一件がいい具合に作用したのだろう。
それまで二人の間にあったギクシャクした様子は薄れ、だいぶ元に戻ったような印象だ。

そして、男達に蹴られた老人を介抱した四人は、再び先ほどのベンチに座りなおして軽い食事を取る。
その間、兼一が自分の情けなさを恥じたり、それをギンガ達が慰めたりしたのだが、まあ余談であろう。
ただこの時、翔のギンガを見る瞳に、少しばかり普段と異なる輝きがあったことに、まだ誰も気づいていはいない。

とそこで、ギンガが何かを思い出したかのように手を打ち、ビニール袋の一つをあさりだした。
やがて目当てのものが見つかったようで、何やら長方形の髪で出来た物体……雑誌を取りだしスバルに差し出す。

「ほら、スバル」
「これがどしたの、ギン姉?」
「表紙、見てみなさい」

言われるがままにギンガから雑誌を受け取り、表紙に目を向けるスバル。
ティアナや兼一、そして翔も横から覗き込むようにしてその表紙を見る。
そこに印刷されていたのは、ティアナやギンガにとっては見慣れた人物の写真が映っていた。
それは、スバルにとって憧れであり目標であり、今の道を行く決心をさせた理想の人物。その人物の名は……

「あ、なのはさん!!」
「うん、独占インタビューだって。今日発売だから、まだ見てないでしょ?」
「うん♪ ありがと、ギン姉!!」

文字通り、子どもの様にはしゃいで喜ぶスバル。
そんなスバルに、ティアナはどこか呆れの混じった視線を向け、ギンガは喜ぶ妹に優しい視線を向ける。
スバルがどれだけこの人物に憧れているかを知る二人にとっては予想通りの反応であるのだが、それでも今にも飛び跳ねそうなほど喜ぶスバルを見るとついつい口元がゆるんでしまう。
しかし、そんなスバルの事情をまったく知らない翔はというと、よく分からないがとにかく喜んでいるスバルに便乗して一緒になって笑っている。
ただ、兼一だけは4人とはやや違う反応を見せていた。

「…………………………………………」

じ~っと、それこそ穴が空くのではないかというほどの視線で雑誌の表紙を見つめる兼一。
その目はどこか信じられない物を見るようであり、まるで夢が現実になったかの様にいぶかしんでいる。
そしてついに、兼一がその重い思い口を開いた。

「まさか、なのはって………………………なのはちゃん?」

口から小さく漏れたのは、他人にはよく意味の分からない確認するような呟き。
だが、その口調そのものは真剣そのもので、よく分からないなりの重みがある。
でもって、その事に真っ先に反応したのはスバルだった。

「あの、兼一さん…なのはさんの事知ってるんですか?」
「そう言えば、兼一さんと同じ地球出身なんですよね」
「うん、八神二佐の幼馴染で親友って言ってたし、その筈よ」

ティアナとギンガも、スバルに続いて口々にそんな事を言う。
ティアナはあまりこの人物の事を知らないが、ギンガは多少縁がある。
かつて、彼女の親友に助けられたこともあるし、父であるゲンヤが別の親友と親交があるのだ。
ギンガ自身の直接的な面識は皆無に等しいが、それでも多少なりとも話は聞いていた。

「地球…………………やっぱり。
えっと、ちょっと聞きたいんだけど、この人のファミリーネームって『高町』?」
「はい、そうですよ。高町なのは教導官。戦技教導隊所属のエースオブエースで……」
「って、どうしたんですか兼一さん。そんな鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔して……」
「どうしたの、父様?」

兼一の質問に答えつつ、軽く件の人物のプロフィールを話すスバル。
しかし、聞けば聞くほどに兼一の顔が驚愕に歪んで行く。
そのことに首を傾げるギンガだが、その答えはすぐに兼一自身からもたらされた。

「はぁ~……………あのなのはちゃんがねぇ」
「あの、やっぱりお知合いなんですか?」
「え? あ、うん。一応ね」
「ほ、ホントなんですか!? いつ、どこで、どんなお知合いなんですか!? 微に行って細を穿つ説明をお願いします!!」
「落ち着きなさいよ、このバカ!!」

ギンガの問いにまだ困惑しながら首肯する兼一だが、それにスバルが思い切り食いつく。
ついでに、あまりにテンションが上がって詰め寄るスバルの首根っこを掴んで引き戻しつつ、頭にゲンコツを降らせて落ち着かせるティアナ。実に慣れた手際である。

「何て言うか、彼女のお姉さんが僕の妹の親友で……その縁でね」
「そ、そうなんですか……」
「まぁ、僕自身はなのはちゃんとそこまで親しくしてたわけじゃないんだけどね。
 お兄さんとかお姉さんとは色々あって親しくしてたし、お父さんにも昔はお世話になったよ。
 と言っても、この何年かは疎遠だったけど……」

正確には、翔が産まれて美羽が死ぬまでは高町家とはかなり親しくしていた。
武とはあまり関係のない母「桃子」や末娘の「なのは」とは少し話をしたことがある程度だが、他の面々は違う。

何しろ彼らは、兼一同様武を極めんとする武人。
兼一が武の世界から離れるまでは、新白連合の仲間たち同様、共に切磋琢磨し技を競い合った仲だ。
高町家の道場に出稽古に行くこともあったし、その逆も然り。
兼一自身少なからず高町士郎の教えを受け、恭也や美由希も梁山泊で武を学んだのだから。
そして、兼一と美羽の結婚式には高町家の面々も参列し、兼一や美羽も恭也と忍の結婚式には参列している。
とりあえず、それくらいには親しくしていた間柄である。

「はぁ、不思議なこともあるものなんですねぇ……」
「そうだね。初めて会った頃はあんなにちっちゃかったのに、桃子さんに似てホントに美人になったなぁ、なのはちゃん」

ギンガの溜め息交じりの言葉に、兼一も全面的に同意する。
まさか、こんな異郷の地で旧友の妹の成長した姿を拝むことになるとは思ってもみなかったのだから。
しみじみと時の経過を噛みしめ、感慨にふけるのも当然だ。
だが、同時に兼一はその胸の内で長年の疑問に答えを出していた。

(でも、これでやっと納得がいった。あれは、いつ頃からだったか……いつの間にかなのはちゃんが『戦士』の雰囲気を纏う様になったのは、そう言うことだったのか。
 それにしても、あの子に憧れてその背を追いかける人がいるなんて、時間が経ったことを実感するなぁ)

そのことに微笑ましさを覚えながら、兼一は青い空を見上げる。
長く会っていない友人の妹に向け、胸の内で「がんばれ」とエールを送りながら。
その後、昔のなのはの様子をスバルに根掘り葉掘り聞かれて兼一も感慨にふけるどころではなくなるのだが、まあそれも含めていい思い出というものだろう。

しかし、兼一達は気付いていない。
まさかこの日の出来事が一つのきっかけとなり、彼らの関係が変化せざるを得ない日が来ることを。
それも、それが決して遠くないことなど知る由もない。



  *  *  *  *  *



薄暗い部屋の中を、『ガンガンガン!』という何かを蹴る音が何度も何度も響き渡る。
そんな中、耳に不快感を残す音と共に、狂った様な怒声を上げる男の声が発せられた。

「チクショウ、あのアマァ……よくも、よくも恥かかせやがったな! 
この俺にあんな、あんな……クソォ!!」
「ああ…物に当たるのは結構ですけど、壊さないでくださいよ。それ、結構高かったんですから」
「うるせぇ!」

呆れ交じりの静かな声に宥められるも、男の怒気が薄れる様子はない。
だが、それでも声のした方を向いた事で一端デスクを蹴る脚が止まる。
その期に、静かな声がもう一度男を落ち着けようと声を掛けてきた。

「大体、相手は子どもだったんでしょ? あんまムキになりなさんなって」
「うるせぇっつってんだ!! あんなガキに舐められたまんまじゃ、俺のメンツにかかわるんだよ!
 余計な事言わねぇで、テメェはテメェの仕事をしろ!」
「了解了解、仕事は仕事だ、もらった金の分は働きますとも」
「口でならなんとでも言えるだろうが、具体的にどうする気だ?」
「ま、全く付け入る隙のない奴なんて早々いませんて。例えば……こんなのは如何?」

肩を竦めた静かな声が提案すると、男の顔に陰惨な笑みが浮かぶ。

「…………へ、へへ、そいつは良いや。あのガキには、しっかり礼をしねぇとなぁ……」
(まぁ、なんつーか……アレだ、ご愁傷様。
こっちも仕事なんでね、悪く思わねぇでくれよ…ってのは無理な相談かね、やっぱり)

此度の依頼対象である少女に表面的に詫びつつ、デスクに視線を向ける。
とりあえず、依頼主の八つ当たりでボロボロになったデスクを買い替えるのは決まりの様だった。






あとがき

はい、ようやっと話が進みそうな予感………と言ったところですね。
今回で、ケンイチとリリなのの両世界がどんな位置づけになっているかは分かったと思います。
まあ、わざわざ別世界とか並行世界とかしなきゃいけないほど離れていませんし、ならという事でこんな形に。
ついでに、もったいないので前作「Sweet songs and Desperate fights」の設定をほぼ流用しました。
だいたい兼一と恭也、ほのかと美由希の関係はあの通りです。士郎が生きていたり、実は美由希から先の年齢を一歳繰り下げ調整していたりするのですが、この方がいいかなと思い多少強引でもこの形にした次第です。
なので、概ね兼一と恭也が出会った時にも「Sweet songs and Desperate fights」の様な事があったと思ってください。

さて、つぎこそいよいよ荒事の予感……ですが、実際に荒事になるかというと…微妙。
次で最後の準備を終えて、その次でようやく、かもしれません。
中々話が進まず申し訳ないのですが、今のうちにやりたい事がいっぱいあるのです。
申し訳ありませんがご容赦いただき、今後もお付き合いくだされば幸いです。



[25730] BATTLE 5「不協和音」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:19

事の発端は、もう本当に、純粋なまでに巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。
それとも、もっと分かりやすくするのなら、「運が悪かった」と言った方がいいだろうか。
あるいは、身も蓋もない言い方になるが、結局人間は「血には逆らえない」と考えることもできる。

スバルやティアナを交えて白浜親子とギンガがミッドの街を観光してから3日。
その日、たまたま普段より早く仕事を終えたギンガは、ゲンヤや兼一より一足早く職場を後にした。

もちろん、折角早く帰れるのだから託児施設に預けている翔をそのままにしておく道理はない。
ギンガ自身、残り時間が限られている弟分との時間を大切にしたい思いもある。
故に、年の離れた仲の良い姉弟よろしく、二人は手を繋いで帰宅した。

「ただいま」
「ただいまぁ~!」

真っ先に帰宅したのだから家に誰がいる筈もない事はわかっているが、それでも二人はしっかりと帰宅のあいさつをする。
もしかするとそれは、家そのものに帰ってきたことを告げているのかもしれないし、単に習慣か気分の問題でしかないのかもしれないが……。

「じゃあ、着替えて居間に集合、って事で良い?」
「うん! 僕、お菓子の準備とかしておくね」
「御夕飯もあるんだから、あんまり食べ過ぎない様にね」
「? ギン姉さまはすごく食べてると思うんだけど……」
「わ、私はいいの!! この後ちょっと身体を動かすんだから!」

弟分の思わぬツッコミに、慌てた様子で自身の正当性を主張するギンガ。
翔に悪意も邪気もないのはわかっているのだが、それがかえって心と耳に痛い。

「そうなの?」
「そうなの!」

首を傾げる翔に対し、ギンガはやや語気を強めて押し通す。
そうしてギンガは私室に、翔は兼一と共に割り当てられた部屋に向かった。
基本的に着替えなんてものは、男は早く女は時間がかかる。先ほどのは、それを見越しての翔の進言であった。

やがて、予想通りに一足早く居間に戻った翔はテーブルの上に適当に菓子類を出していく。
短い付き合いだが、姉の方向性もわかっているので、どれもこれも量は多い。

「う~ん、これで足りるかなぁ? でも、ギン姉さまだとあっという間になくなりそう……」

そこに積み上げられたのは、これからちょっとしたパーティでも開くのではないかという量の菓子の山。
普通、これだけあれば十数人レベルで飲み食いできそうだが、この程度で足りるか翔は疑問に思う。
何しろ、相手はあのギンガだ。この程度の量、瞬く間のうちに胃袋におさめかねない。

少なくとも、翔は特にその想像に疑問を抱いてはいない。
もしこの場にギンガがいれば、図星をつかれながらも必死になって否定しただろう。
基本的に色気よりも食い気が先立つ彼女にも、そう言う意味での恥じらいだって少しはある、少しは。

そして、翔が姉の食欲とのバランスについて悩むこと数分。
ようやくギンガも居間へと降りてきた。ただし、その格好が普段の室内着とは異なっている。
それはオシャレなどとは無縁の、動きやすさのみを追求した機能的な衣服。
寄り端的に表現するなら、ジャージとTシャツである。普段見慣れないギンガのその格好に、翔は首を傾げた。

「? ギン姉さま、なに、その格好?」
「え? ああ、これね。折角早く帰ってこれたから、食べる前にちょっと型打ちでもしようかと思って……」
「かたうち?」
「う~ん、何て言ったらいいのかな……翔の世界にも、格闘技とかってあるよね?」

翔に対しどう説明しようかと僅かに悩んだギンガだが、まずはそんな事から聞いてみた。
何しろ、人間の歴史とは闘争の歴史でもある。形は様々なれど、人は周囲と争い競うことで発展してきた。
その多種多様な種類のある闘争の中でも、最も原始的なものの一つが格闘……殴り合いである。
およそ、この文化のない文明という物は存在しない。

ギンガは地球にどんな格闘技があるかは知らないが、それでも存在しない事はないと確信している。
故に、とりあえずそのあたりの外堀から埋めて見ることにしたのだ。
翔とていくら兼一が武から遠ざけているとは言え、完全無欠の無知ではない。
拳の握り方すら知らないとはいえ、有名どころの名前くらいは知っている。

「うん。空手とかボクシングとか……」
「実は、私もそう言うのをやっててね。
『ストライクアーツ』の亜流で、『シューティングアーツ』って言うんだけど……これはその練習」
「ふ~ん」

分かっているのか分かっていないのか、どこか気のない返事を返す翔。
まあ、幼児の彼からすれば、亜流だの何だのと言われても困るだろう。
だが、全く興味がないわけでもないらしく……。

「それって、スゥ姉さまもやってるの?」
「うん。私は母さんから教わって、それをスバルにね」
「他の人も?」
「あ~……ミッドの人がやってるのはほとんどストライクアーツね。こっちはミッドでは一番競技人口の多い…やってる人が一番多い格闘技だから。
シューティングアーツは使う道具が特殊で、やってる人はほとんどいないかな」

翔にもわかる様に言葉を選びながら、ゆっくりと噛み砕いてギンガは説明していく。
そしてその言葉通り、ギンガは自分と同じ「シューティングアーツ」を使う格闘技者を数えるほどしか知らない。
なにしろ、ローラーブーツ型デバイスを使う事を前提とした異色のスタイルである。
確かに機動力に優れるのだが、その分姿勢制御などの面で難易度の高い技術だ。
あまり好んでこれを習得しようとする者はいない。

ギンガの言葉通り、ミッドで格闘技をやるものは八割方ストライクアーツを学ぶ。
まぁ、そもそもストライクアーツ自体が広義的に「打撃による徒手格闘術」の総称なのだから、かなり大雑把だ。
とりあえずは、「総合格闘技」ということで認識しておくのが無難だろう。

「この前の怖いおじさん達をやっつけたのがそうなの?」
「うん、一応ね」

どうやら、あの時の一件から少しばかり興味を持っていたのだろう。
翔の眼には、僅かに好奇心から来る光が宿っていた。

「へぇ~……あの時のギン姉さま、ホントにカッコよかったなぁ……」
「あ、あはは……本当は、あんまり無闇に使うのはよくないんだけどね」

地球においても、空手の黒帯持ちやプロライセンスを持つボクサーの拳は凶器と同義と考えていい。
それはミッドでも大差はなく、優れた格闘型の魔導師が一般人に拳を振うのは御法度だ。
ましてやそれが、正規の管理局員、それも武装隊資格持ちとなれば尚更。
前回のそれは正当防衛やらなんやらで言い訳できるが、やはりあまり褒められたものではないのも事実だ。

そうして、ギンガは一端庭に出てストレッチを済ますと、足を肩幅に開いて深くスタンスを取った。
翔は翔で、縁側に座ってそんなギンガの様子を興味深そうに見ている。
ギンガはそのまま基本的な構えを取り、はじめはゆっくりと一つ一つの動作を確認していく。
段々と一つ一つの動作は速さと鋭さを増していき、素手のそれとは思えない風斬り音を響かせる。

翔はその音やどんどん激しくなっていく動きに首を竦め、目を閉じることもあった。
だが、時間経過と共に次第にそんな反応もなくなっていく。

そして、いつ頃からだろう。
その澄んだ眼は、ギンガの脚先から始まり、腰や背中、そして肩から腕へのスムーズな連動を確かに捉えていた。
常人、それも武術の初心者では考えられない事だが、遠目とは言え翔は確かにギンガの一つ一つの動作を認識しているのだ。
如何に魔法で強化していないとはいえ、それでもギンガの蹴りや突きの速度は充分早い。
それこそ、同年代の中ではトップクラスと言っていいだろう。少なくともミッドにおいては。
当然その一連の動きを『把握』するとなると、生半可なことではない。
しかし、もしここに翔の血筋について知る者がいれば、そのことに「納得」はしても「驚き」はしないだろうが。

とそこで、唐突にギンガの動きが止まった。
深く息をつき呼吸を整えたギンガは、おもむろに翔の方を見る。
顎に指をやって何かを思案する様に黙り込むこと数秒、ギンガは少し迷いながら尋ねてみた。

「……翔も、少しやってみる?」

ギンガの問いには、特別な考えなど欠片もなかった。
単に、翔がやけに熱心に見ているのに気付き、これからの話題と思い出の一つにでもと思っての提案に過ぎない。

後はまぁ、僅かな好奇心がなかったと言えば、ウソになるだろう。
もし筋が良さそうなら、少しばかり本格的に教えても良いかもしれない、くらいには思っていた。
なにしろ、ギンガは別に翔が自分の動きを正確に見てとっていたことには気付いていなかったのだ。
だが、それが大きな勘違いだったことに、ギンガもすぐに気付く事になる。

(でも、兼一さんには後で勝手に教えた事を謝っておかないと)



後から考えれば、ある意味でこの瞬間こそが、翔にとっても、ギンガにとっても運命の分かれ道だった。
もしこの言葉を翔にかけなければ、あるいは翔が頷かなければ、きっと彼らはそれまで通りでいられただろう。

しかしそれでも、この場この瞬間、二人は確かに自分自身の意思で選択した。
例え分岐点にいるという自覚がなかったとしても、それでも二人は選んだのだ。
これからの自分達の未来を。

そう、この一言で選択はなされた。
未来に待つものなど何も知らない無邪気な一言で。

「うん!!」



BATTLE 5「不協和音」



そしてその日の晩。
ナカジマ家の夕食後の団欒は、ある些細な出来事によって一変した。

【パンッ!!!】

響いたのは、鋭く澄んだ何かを叩く音。
その音の出所は幼い、まだあどけなさを残す幼児の頬と、それを打った父の掌。

ほんの少し前まであった、いつも通りの団欒、普段と変わらぬ日常、他愛のない話題と笑い声。
その全てが、この一音で脆くも崩れ去った。

翔は生まれて初めて父に叩かれた頬に手を添え、信じられないものを見る様な目で父を見る。
その眼には涙の気配すらない。だが、痛くなかったわけではない。
むしろ、痛いというのであれば今すぐにでも泣きだしたいくらいに痛かった。
それでも涙が出て来ないのは、ひとえにたった今父が自分の頬を打ったという事実に現実感がないからに他ならない。何しろ、兼一が自分を叩くなど、翔は夢にも見たことがないのだから。

当の兼一自身は、今までに見たことがないほど…それこそ別人の様な厳しい表情を浮かべている。
少なくとも翔をはじめ、その場に居合わせたギンガやゲンヤは兼一のこんな表情を見たことがない。
それどころか、兼一がこんな表情を見せる事自体に驚愕を隠せない。
当然、理想の父であろうとして、事実そう在ってきた兼一が息子を叩くなど、理解の外と言っても良い。
だが、もしこの場に本当の意味で兼一をよく知る者がいれば、彼らとは逆の反応を示しただろうが……。
あるいは、兼一がその瞳の奥に言葉にできない感情の揺らぎを見たかもしれない。
しかし、幸か不幸かそのことに気付けるほど、兼一を理解している者はここにはいなかった。

しばしの静寂。傍観者であるゲンヤとギンガの二人はあまりのことに微動だにできず、翔はジワリと浸透してくる痛みに今起こったことが現実である事をようやく認識し始めていた。
唯一この場で正常な思考力を保っているであろう兼一は、ひたすらに無言を貫く。
そうして、兼一をのぞいて真っ先に再起動を果たしたのはギンガだった。

「兼一さん! いきなりなにを!!」

ギンガは憤慨を隠すことなく、非難がましい視線と声を兼一に向ける。
だが、兼一はギンガの方に一瞥すらくれることなく、ただただ黙って翔の事を見下ろしていた。
まるで、ギンガと話すことなど何もないと暗に示しているかのように。

「身体の動かし方だけとはいえ、なんの話も通さず翔にシューティングアーツを教えたのは謝ります。
でも、だからこそ翔は悪くありません! 翔はただ、兼一さんに見てほしかっただけで……!」

今起こった出来事に思考が追い付き、ショックのあまり震え目に涙を浮かべる翔を抱き寄せ、ギンガは彼を弁護するように言い募る。
事の発端は、夕方にギンガから習った拳の握り方や突きの打ち方を翔が兼一に見せた事。
それは本当に極々基礎的で、ギンガの言う通り「身体の動かし方」以上のものではない。

正直、ギンガ自身保護者である兼一に話を通さずに…というのはどうかと思わないでもなかった。
だからこそ、あの時は数秒躊躇ったのだ。
しかし、やるのは所詮「さわり」とも言うべき軽い運動の範疇。
故に、彼女が降した「後でちゃんと謝れば大丈夫だろう」と言う判断は、不適切と言う程の物ではない。

だから翔やギンガの感覚では、その日あった出来事の報告くらいでしかなかった。
実際、普通の家庭であれば「そう言う事があった」という程度で終わる。
精々が、「じゃあ明日も頑張りなさい」で済む話だろう。
場合によっては衝突する事もあるだろうし、最終的な結論が「今日限り」となる事もありうる。
だとしても、その結論へと至る第一歩は父から子への平手などではない筈だ。
だが、教わったのが翔であり、見せられたのが兼一であったことが事態を複雑にしていた。

「……………」
「たった一日、ほんのさわりしか教えてませんが、それでもわかりました。翔には…………才能があります。
 トップファイターになれるかは分かりません。でも、元の世界に戻ってもちゃんと格闘技を習えば、きっと一角の格闘技者になれます!」

どれだけ言い募っても自分の方を見ようともしない兼一に、それでもなおギンガは言葉を重ねる。
それは翔の才能を惜しむだけでなく、父である兼一に翔の才能を知ってほしいから。
どうせなら最も身近な父に理解し応援してあげて欲しいと思うのは、至極当たり前の感情だろう。

なにより、ほんの数時間教えただけだが、それでも「スバル」という教え子を持ったギンガにはわかった。
翔に優れた「格闘」の才能があることを。一指導者として、一格闘技者として、その才能を埋もれさせることを「もったいない」と思う気持ちは当然のものだ。
しかしそれ以上に、可愛い弟の類稀な才能にギンガは魅せられていた。
できれば自分自身の手でこの才能を開花させてやりたいと、そう思わされるほどの才能を、翔は備えている。

だが、それはギンガの立場と翔の置かれている状況から叶わない。
遠からず離れ離れになる以上、これがどうやっても覆らないのはわかりきっている。
だからこそ、兼一に翔の才能を理解してもらい、その後押しをしてほしかった。
自分では磨いてやれない才能だが、それでも見出した才能が花開くのは喜ばしい。
ましてやそれが、大切で愛おしい弟分となれば尚更だ。
故にギンガは、有りっ丈の想いと言葉でもって兼一を説得する。

「私が教えたことなんて、拳の握り方と構えの取り方、後は少し動きを修正しただけ……。
 そんな基本とすら言えない様な基本を教えただけで、翔は爪先から始まった全身の力を拳に乗せて打つ事が出来ました! 一回教えただけの事を、まるで乾いた砂の様に吸収したんですよ!」

ギンガの言葉は熱を帯び、いっそ叫びに近いほどの力が籠って行く。
必然翔を抱く力も強まり、彼女がどれだけ翔の才能に衝撃を受けたかを如実に物語っている。
しかしそこで、唐突にギンガの語調が弱まった。

「……………………いえ、違いますね。きっと、全身の力を使う打撃の打ち方も、もっと効率の良い身体の動かした方も、翔は……はじめから知っていたんだと思います。私はただ、それに気付くきっかけをあげただけ。
 この年頃なら腕力と体格が全ての筈なのに、この子はそのずっと先に……はじめからいたんです。気の遠くなる様な反復と経験から得る筈の物を、最初から……。
 それは……本当に凄いことです。でも、だからこそ! 力の使い方を、力を使う心を、ちゃんと教えてあげなきゃいけません。翔に限ってそんな事はないと思いたい。だけど、力は……時に人の人生を狂わせるから……」

尻すぼみになって行く言葉。だがその一言一言には、言葉にできない想いが宿っている。
まるで彼女自身が、力に人生を狂わせられる恐ろしさを知っているかのように、その危うさを恐れているように。
それはただ魔法という特別な力を持っているからと考えるには、あまりに重い言葉。
それを現すかのように、翔を抱くギンガの方はよほど注意せねば気付かないほど僅かに…震えていた。

ギンガは言いたい事は言いきったのか、肩で息をしながら兼一を睨みつける。
翔はその腕の中で震え、涙を零しながら小さく嗚咽を漏らす。
ギンガの姿は、まるで我が子を守らんと立ちはだかる野生動物を彷彿とさせた。
そうして、長い沈黙の果てにゆっくりと兼一は口を開く。

「ギンガちゃんの言いたい事はわかった」
「なら……!!」
「だけど、僕から言う事は一つだよ。翔に…………武術は必要ない」
「っ……………!?」

その言葉に、ギンガの顔が激情に染まる。
これだけ言葉を尽くしても、これだけ想いを込めてもなお、頑として翔が格闘技を学ぶことを認めない兼一が許せなかったのだ。折角の才能、このまま潰してしまうなど愚の骨頂。
それも我が子の才能となれば、それを育てようとするのが親として当然の姿ではあるまいか。

いや、格闘技を学ぶ事を認めないと言うのなら、それも一つの考えだろう。
だが、せめてその理由を言うべきだというのに、兼一はそれ以上口を開こうとしないのだ。
これではギンガが納得できないのも当然だし、誰も納得させられない。
当然、十人中十人がギンガの恐らくは正当かつ当然な正論を支持するだろう。

ただ、ギンガは気付いていただろうか?
ギンガが「格闘技」と表現した部分を、兼一は敢えて「武術」と表現していたことに……。

「兼一、おめぇ……」
「父、様……?」

兼一が黙り込んだ事で重さを増した空気の中、二人の声が微かに響く。
それでも兼一は口を開こうとはしないし、ギンガの視線に込められた険は増すばかりだ。

擦れ違いと言う意味で言えば、先日の風呂での騒動の時もそうだった。
しかし、あの時は単にギクシャクしていただけだが、今回はまるで違う。
双方の意見が真っ向からぶつかりあい、どちらも妥協の意思を示さない。

いや、妥協の意を示さないのは兼一だけで、ギンガには多少譲歩の意思はある。
ただそれは、あくまでも「翔に格闘技を学ぶ機会を与え、その意思を尊重する」事が大前提。
兼一の主張は、そもそもその大前提を否定している。
だからこそ、二人の主張が折り合う事などあり得ない。

そうして二人が無言のうちに対峙する事しばし。
やがて、断固として説明を要求するギンガの視線に根負けしたのか、兼一は堅く閉ざした口を再度開いた。

「……聞こえなかったのかな? なら、もう一度言うよ。
 翔に武術は必要ない。だからもう金輪際、武術を翔に教えないで、翔の見ている前で拳を握らないで。
 この子はただ静かに、平穏に暮らせばいい。武術は……不要だよ」

今なおギンガの事を見ることなく、兼一は感情の消えうせた平坦な声でそう告げる。
それは明確な拒絶と否定、そして頑迷な意思を感じさせるには十分だった。充分過ぎた。
百万言を費やしたところで、兼一が認めることなどあり得ないことを皆に理解させるには。

「どうして……そこまで!!」
「言ったでしょ? 翔には必要ないからだよ。力なんて持つから、余計な争いが起こるんだ」
「確かにそうかもしれません。力が全てなんて言う気もありません。でもこの前みたいに、静かに暮らしたい人に暴力をふるう人もいます。自分の身を守って、周りの人を守るためには、力だって必要じゃありませんか!!」
「そんな人たちからみんなを守るのが、君たちじゃないの? なら、君達がちゃんと守ればそれでいい」
「それは…そうですけど!!」

平行線、という言葉がこれほどふさわしい状況もそうあるまい。
ようやく、兼一が口にした「理由」は正論ではある。だが、現実性に欠けていることも明らかだ。
確かにギンガ達管理局員やそれに類する治安維持組織の本分は、無辜の人々を守ることにある。
しかし、現実に全ての人々を守れているかと問われれば、残念ながら否だ。
それを管理局員の両親を持ち、自身もまた局で働くギンガは悔しいながらも知っている。
そして、それはどこの世界でも大差はない。だからこそ折角の才能を、せめて身を守れるくらいには育てるべきだと主張するのだ。翔の事を大切に、彼に健やかかつ平穏に生きてほしいと思うから。

「そう言う事だから翔。もうこんな事はしないって、約束できるね?」
「待ってください! まだ話は……」
「悪いけどギンガちゃん、きっとこれ以上話しても進展はないよ。君だって、気付いてるんでしょ?
 それに、今僕は翔に話してるんだ。君やゲンヤさんにはお世話になって、本当に感謝してる。
 だけど、僕と翔の間に割って入る権利が、君にあるの?」

なんとか反論しようとするギンガだが、兼一の言葉には口を噤まざるを得ない。
兼一の言う通り、いくら家族の様に振舞ってみたところで、結局彼らの関係は他人に他ならない。
権利というのであれば、確かに口出しする権利などありはしないのだ。
だが、ギンガが口を噤んだのはそれが理由というわけではない。
普段の兼一からは到底考えられない様なこの冷たい言葉が、ギンガをたじろがせ、その勢いを殺したのだ。
そこで、震えるほど拳を握って俯き、今にも唇をかみちぎりそうなギンガを見かねてゲンヤが口を挟む。

「ああ…ちょいといいか、兼一?」
「なんですか?」
「いやな、一応聞いておこうと思ってよ。もし坊主がおめぇの言う事を聞かなかったら、その時はどうするんだ?」

それは、ある意味当然の疑問だった。
翔は確かに兼一の息子だが、同時に独立した一個人なのだ。当然、どう生きるのか選択する権利がある。
まだ一人で生きていくための知性も判断力もないが、人権としてそれは保障されている。
ゲンヤが持ち出したのは、つまりはそういう話。
兼一が主張するのは自由だが、それを受け入れるかどうかも翔の自由。
こういう持って行き方をすれば、兼一も少しは妥協するだろうと考えたのだ。
だがその考えは、甘かったと言わざるを得ない。

「どうもこうもありませんよ。翔は武術をやめる、それ以外にありません」
「いや、だからよ……」
「『もし』とか、『たら・れば』の話をする気はありません。
 翔が僕の言う事を聞かずに武術を続けるという選択肢、そんな物は『はじめからない』んです。
 誰が何と言おうと、翔自身がどう思っているかも、関係…ありませんから」
「お、おいおい!? おめぇ、それはいくらなんでもよぉ!!」

兼一のあまりに頑迷過ぎるその言葉に、さしものゲンヤも狼狽を露わにする。
まさか、『あの』兼一がここまで頑なに、それこそ翔の意思すら無視してこんなことを言うとは思わなかったのだ。これではまるで、翔が「物扱い」ではあるまいか。

「いいね、翔?」
「でも父様! 僕……」
「いいから、君は僕の言う通りにすればいいんだ」

ギンガの胸に抱かれ、少しは落ち着きを取り戻した翔は兼一に何か言おうとする。
だがそれも、聞いたこともない様な父の強く押し付けるような言葉に潰された。
幼児でしかない翔に、そこまで強く父に反発する意思力などある筈もなし。
それが、ほんの少し前まで誰よりも好き、尊敬していた父となれば尚更だろう。
むしろ、翔からすれば父が突然別人になったかのような錯覚すらしている筈だ。

「さあ、もう遅い。今日は寝るよ」
「ぁ、父様!」

兼一は翔の意見など聞く必要もないとばかりに翔の腕を引き、ギンガから引き離した。
そのままギンガの事を一瞥する事もなく、翔を連れて居間を後にしようとする。
しかし、それを引きとめる声と腕がすぐに兼一へと伸ばされた。

「待ってください! まだ話は……!」
「もう、話す事はないよ」
「あなたにはなくても私にはあります! 私の言う事を否定するならそれでもいいですよ! あなたの言う通り他人でしかありませんし、私は翔でもありません!
 でも、翔の気持ちを聞きもしないで勝手に自分の考えを押し付けて、あなたは何様のつもりなんですか!!!」
「この子の父親、それ以上の理由なんているの?」
「だから、父親だからってそこまで勝手に決める権利があるっていうんですか!!」
「子どもは親の言う事を聞いていればいいんだよ。この子にはまだ、何が正しくて何が間違っているのか、その判断の基準さえ碌にないんだから」
「そうかもしれませんけど……!!」

最早、二人の軋轢はどうしようもないところまで来ている。
ギンガは怒りで顔を赤くし、兼一は感情のうかがえない無表情を貫く。
対象的な表情、対象的な主張。一から十まで何もかもが正反対であるが故に、その断裂が浮き彫りになっている。
だがここで、翔は兼一に腕を引かれながらも精いっぱいその場に踏みとどまろうと、足に力を込めた。

「翔? どういうつもり?」
「父様…僕今日、本当に楽しかったよ」
「なんの話を……?」
「ギン姉さまに教えてもらって、上手にできると気持ちよくて、褒めてもらえるのが嬉しくて……父様にも見てほしかったんだ。ギン姉さまに教えてもらった事を、褒めてほしかったんだよ」
「他の事ならいくらでもほめてあげるよ。だけど、武術はダメだ」
「それでも、すごく…すごく楽しかった。明日も、明後日も、毎日やりたいって思ったんだ!
 それって、いけない事なの? 父様を困らせる、悪い事なの?」
「…………………………………………ああ、そうだよ」

翔の幼いながらも必死な問いかけに、兼一はまるで絞り出す様にして答える。
それは、やはりどこまでも頑なな言葉。
その言葉を受けて、翔の中の未熟な天秤が揺れる。
大好きな父の言葉と、この世界で得た姉やおじが自分の為に言ってくれた言葉、そして今日初めて知った気持ちを天秤にかけているのだろう。
これまでは何よりも重かった父の言葉。今日までなら迷うこともなく、それこそ天秤にかけることもなく翔は素直に従っていた筈だ。
それに対し「天秤にかけて揺れている」時点で、もしかしたら翔の中で答えは出ていたのかもしれない。

「父様の言う事を聞かなきゃいけないって、分かってるよ」
「そうだね。翔は、いい子だから」
「父様の言う事だから、きっと正しいんだって思うよ」
「なら、僕の言う事をちゃんと聞いてくれるね」
「………………………………………でも僕は、ギン姉さまが教えてくれたことを、格闘技をやりたい!!!
 戻ったらギン姉さまが教えてくれたことはできなくなるけど、それでも…別の物でもいいから続けたいよ!!
 続けてればギン姉さまと繋がってられるし、いつか父様を守れるようになれるかもしれない!!
 だから、僕……!!」

それは、幼い子どもなりの精いっぱいの主張。同時に、生まれて初めての父への反抗。
ギンガは自分の思いをはっきり口にした翔を褒める様に、その肩に手を置く。
ゲンヤもまた、まさかここまで言えるとは思っていなかっただけに、その表情は驚きに満ちていた。
普通、この年頃の子どもがこんなことを口にするなど、まずあり得ない。
よほど、普段から兼一が翔の自主性を重んじ、しっかりと教育してきたのだろう。
まあ、今回はそれが裏目に出たのだろう……………表面的には。

「翔はまだ小さいから分からないだろうけど……」
「翔自身がやりたいって言っているのに、それでも否定するんですか、この…分からず屋!!」

なおも翔に言葉をかけようとする兼一に、ギンガの怒声がかぶさる。
ギンガは翔の腕から兼一の手を引き剥がし、改めて翔を抱き寄せた。
その目は確かな敵意に満ち、到底家族や知人友人に向けられるものではない。

とはいえ、これでは泥沼なのは誰の目にも明らか。
そこで場の最年長者として、ゲンヤが溜め息交じりに口を挟んだ。

「なぁ、もう遅ぇし、続きはまた今度にしようや。
 坊主もそろそろ寝かせてやりてぇだろ? おめぇらもちったぁ頭を冷やせ、な?」
「……………………うん」
「……………………わかりました」
「おし。翔はこの様子だし、とりあえず今日はギンガと寝る、いいな?」
「…………はい」

ゲンヤの言葉とあらば、さすがに兼一も無碍にできないのか。
だが、先ほどは明らかにゲンヤの言葉も退けていたのに、今度はやけにあっさりと引きさがったことに肩透かしを食らった。
今の兼一が相手では、この程度の事でさえ通すのは難しいと思っていたのだろう。

「それじゃ、僕はこれで……おやすみなさい」
「おう。明日も早ぇから、寝坊しない様にな。
ギンガ、坊主。お前らもさっさと寝な」
「うん」
「はい」

そうして、ゲンヤに促されるままその場は解散と相成った。
折角先日の問題が片付いたというのに、今度は先のそれとは比べ物にならないほど大きく重い問題が勃発して、ゲンヤは深々と溜息をつく。

「はぁ~…………ったく、どうなんだよ、これから」



  *  *  *  *  *



そんな事があって以来、ナカジマ家には未だかつてない重い空気が満ちることとなった。
正確には、兼一と他の面々との間に目に見えない境界線がはっきりと引かれたのである。
中でも、特に兼一とギンガの間に張られたそれは、一種の断絶と言ってもいいほどだ。

何しろ、朝顔を合わせた段階でギンガはことさら兼一を無視。
それどころか、一日通して二人が言葉をかわす機会など絶無に等しい。
まぁ、それでも敵意やら怒気やらを相手にぶつけているのはギンガだけで、兼一自身はそれほど目立って何かをしている様子はないが……。
一応二人とも職務は滞りなく処理しているので、それが救いといえば救いだろう。

しかしこれは、先日の風呂場騒動とはまるで勝手が違う。
あの時はゲンヤや翔からすれば「困ったなぁ」くらいだったのだが、これはそんな生易しいものではない。
はっきり言って、居心地の悪いことこの上ないのである。
気の弱い者なら、ギンガの放つ気配に丸一日晒されれば、胃に穴が空くのではないかと思うほどなのだから。

ゲンヤとしても今回ばかりは心情的にギンガ寄りなので、兼一にかける言葉がない。
客観的に見ても、あの時の兼一の主張は独善的に過ぎたと彼も思う。
いや、だからこそ若干の違和感を彼だけは覚えているのだが……。
そして問題の中心人物である翔はというと……

「じゃあ、軽く走ってストレッチをしたら昨日のおさらいをして、蹴り方の練習をしてみようか」
「うん!」

あの晩の言葉通り、ギンガの下で格闘の基礎を教わっていた。
あの言葉は彼なりに覚悟があったようで、アレ以来翔はほぼ毎日ギンガから続きを習っている。
当然兼一がそれを許す筈がないので、必然的に彼が兼一と過ごす時間は激減した。
つまり、翔は意識的か無意識的にかはともかく、兼一を避けているという事。

それこそ、以前ならギンガと兼一の部屋を行ったり来たりだったのが、今ではギンガの部屋に行ったきり。
もう何日も兼一の部屋には戻らず、言いつけを破っている後ろめたさからほとんど会話もできていない。
一応兼一自身は翔から話しかければちゃんと受け答えするのだが、翔がなかなか踏み出せないのである。
結果的に、翔は日々を格闘技の練習に打ち込むことで、父と疎遠になった寂しさを紛らわしている状態だ。

全く以って、非常に困った状態である。
そして、このことに最も頭を悩ましているのが、家長であり兼一達の身元引受人であるゲンヤだ。

(俺やギンガだけならともかく、坊主ともあれじゃあさすがにヤベェだろ。
 早けりゃ後1週間で向こうに戻るってのに、親子で家庭内別居するような状態のままにしておくわけにもいかねぇし……)

とはいえ、悩んでみたところで答えなど早々出る筈もなし。
翔が格闘技から手を引けば一応は解決するのだが、そこで翔自身の意思を無視してしまっては意味がない。
そもそも、それでは『臭い物に蓋』をしただけで、根本的な解決にはならないのだから。

そんな感じでゲンヤもまた頭を悩ましていたある日の深夜。
扉を控えめにノックする音が、自室で本を読んでいたゲンヤの耳を打った。

【だれだ?】
「あの、僕です」
【兼一か。どうした……あ、いや、とりあえず中に入れ】
「はい」

短期間とはいえ、簡単な受け答えくらいは覚えることができる。
扉越しでは例の装置が働かないが、たどたどしいミッド語でゲンヤに来訪を告げる兼一。
ゲンヤはある意味予想外の客に少し慌て、とりあえず彼を部屋へと招き入れた。

兼一はそれに従い、ゆっくりと静かにゲンヤの部屋に入る。
その手には、ある意味で彼にはあまり似つかわしくない物が握られていた。

「どうした、酒なんか持ってきてよ?」
「ちょっとお話したい事があったんですけど、お酒でもあった方がいいかと思って……」
「……そうかい」

ゲンヤはそんな兼一の言葉を「酒でもなければできない話」と受け取った。
それはつまり、腹を割って本心から話すという事だ。
今の状況下にあって、その内容など悩む必要はない。
なら、ゲンヤがそれを拒む理由などある筈もないわけで……。

そうして、ゲンヤの私室で男二人グラスを傾け合う。
ゲンヤはことさら兼一を急かすことはせず、兼一が口を開くまでただただ黙ってそれを待つ。
その間に兼一が持ち込んだ酒の残量は減って行き、気付いた時には半分を切っていた。

それだけならまあ、それほど問題ではないのだが、問題なのは酒の種類。
何しろ、兼一が持ち込んだのはかなり度数の高い蒸留酒。
それを二人揃ってロックで飲んでいるのだから、酔いなど回って当然だ。
つまり何が言いたいかというと、いい加減兼一の頭もぼんやりしてきたところなわけで、そろそろ口が軽くなってくる頃合いだった。

「その……………………………………………………………ごめんなさい」

第一声は、兼一の謝罪から始まった。
ゲンヤとしては謝られる憶えは多々あるのだが、はてさていったいどれを指しているのやら、と言ったところだろう。

「いきなり謝られてもなぁ……何に対してだ?」
「色々ありますけど……こんな空気にしてしまって……」
「ま、確かに居心地はよくねぇ……つーか最悪だな、どうしてくれんだよ、あ?」
「すびばせん……」

ゲンヤの歯に衣着せぬ言葉に、兼一は涙目になって深々と謝る。
自覚はあったのだが、さすがにこうもはっきり言われるとつらい。
まあ、それもこれも自業自得でしかないのだが……。

「で?」
「え?」
「謝るからには、自分に非があるって思ってんだろ?
 だからこそ聞くが、なんであんなこと言った? 正直、おめぇとの付き合いはまだ短いが、らしくねぇとしか思えねぇ。ギンガは頭に血が昇って気付いてねぇみてぇだがよ」

心情的にはやはりギンガ寄りのゲンヤだが、同時に長い年月をかけて培われた客観的な部分がその違和感を見抜いていた。
兼一の事を深く理解したと自惚れる気はないが、それでもあまりにあの時の兼一はらしくなかった。
その程度のことが分かるくらいには、目の前の男の事を知っているという自負がゲンヤにもある。
兼一はそんなゲンヤの言葉に小さくため息をつき、ポツポツ話し始めた。

「ギンガちゃんが言っていたことは………正しいと思います。
 僕自身、翔の父親って立場じゃなかったら、きっと同じことを言っていたと思いますから」
「……………」
「でも、ギンガちゃんはこうも言ってましたよね?
 翔には才能があるって…………わかってるんですよ、そんな事は」
「なに?」
「翔には才能がある、それこそ『逸材』とか『神童』と呼んでいいだけの才能が」

そう、そんな事は知っていた。ギンガよりも早く深く、恐らくこの世界のだれよりも。
知っていて、それを埋もれたままにしておきたかった。それが、他ならぬ兼一の本心。

「そうとわかってるんなら……」
「確かに、子の才能を伸ばしてやるのは親の務めでしょう。
 でも、才能に縛られて生きなきゃいけないなんて………おかしいじゃないですか」
「……………………」
「才能があるからそれをするんですか? 僕は、違うと思います。
 才能なんて、実はそれほど重要じゃないんですよ。本当に大切なのは、それを志す意思と理由……そして覚悟。
 纏めて言っちゃうなら、『信念』なんだと思います。才能がある人が大成するとは限りません。でも、僕の知る限り、大成した人はみんな何かしらの信念を持っていました」
「今の坊主には、その信念がない。だから、格闘技をやるのに反対したって事か?」
「……はい」

兼一がアレほどまでに頑なに、聞く耳持たずの姿勢だったのは、それが理由。
この程度で諦めるようならば、はじめから格闘技など学ぶべきではないと考えたからだ。
まだ小学校にも通っていない幼児にすることではないと承知しているが、それでも兼一はそれが必要だと判断した。他ならぬ、翔の才能を知っているからこそ。

「信念たって、んな強ぇもん持って格闘技やってる奴なんて、そう多くねぇぞ。ましてやあの年じゃ……」
「わかってます。もし、翔に欠片も才能がなければそれでよかったのかもしれません。
 でも、あの子には才能があるんですよ。信念なんてなくても、ある程度のところまで行けてしまう才能が」

それこそが、兼一の不安の正体。
並みの才能、あるいは自身の様に欠片も才能がなければ、きっと純粋に応援できた。
普通にやっている分には、きっとそれほど危険なことにはならないから。
しかし、翔の才能は普通にやっていても充分過ぎるほどに危険なのだ。
それを兼一は、親バカとか身内贔屓などではなく、客観的な武術家の視点で確信している。

「武術は、中途半端に覚えるのが一番危険なんです。
 普通はよほどのことをしなければ『殻』を破ることはできません。でも、あの子にはそれができる。
 いっそ危ういほど簡単にそれが出来てしまえるだけの才能があるから、翔には他の人より選択肢が少ない。
 翔にあるのは『極める』か『遠ざかる』か、この二択しかないんですよ。
 そして、信念なくして極めることはできません。だから、僕は……」
「必死になって、あんならしくねぇ真似までして遠ざけようとしたってわけか……」

ようやく合点が行ったとばかりに、ゲンヤは全身の力を抜く。
兼一が何か間違った考えを持っていると思った時は、殴ってでもそれを正そうと思っていた。
だが実際に聞いた兼一の本心は、ゲンヤをして納得させるには十分すぎるほどの重さと正当性がある。
ゲンヤには兼一の言う「極める」だの「殻」だのの意味は正確にはわからない。
兼一がどのレベルを指して「中途半端」と言っているかも。

しかし、兼一は心から翔を思い、その将来を案じている。それだけで十分だった。
ただ、一つだけゲンヤは兼一の言う「極める」という言葉に繋がる情報を持っていた。

「一つ聞かせてくれ」
「?」
「もしかしておめぇも、その『極めた』人間なのか?」
「どうして……そう思われたんですか?」
「一つはおめぇの言葉の重さと熱の籠り様だ。
ありゃあ、それがどれだけ険しい道なのか知ってなきゃ出せねぇだろ?
 もう一つは、おめぇの体だ」
「もしかして……」
「悪ぃとは思ったんだが、最初の検査の時にな。健康状態やらなんやらを調べてたら、いろいろ出て来たぜ。
 筋肉の発達の仕方は異常、内臓器官はどれもこれも常軌を逸した数値を出す、これだけ揃えばな」
「確かに、僕が健康診断なんて受けたらそうなりますよね……」

ゲンヤの言葉を聞き、得心の言った兼一は小さく苦笑を洩らす。
考えてみれば、自分達の様な人間が健康診断など受ければ、そんな結果が出るのは目に見えている。
何しろ、自分達は肉体のスペックという意味では現代科学の常識を根底から覆す存在なのだから。
どうやら、それは遥かに進んだ技術を持つこの世界であっても変わらないらしい。

「ゲンヤさんには、全てをお話しします。聞いて、もらえますか?」
「おう、口は堅ぇから安心しとけ」
「……はい」

頼もしいゲンヤの言葉に、兼一はこの巡り合わせに感謝し、その喜びをかみしめた。
そうして兼一は語りだす。自身の身体の秘密、どんな人生を送ってきたのか、亡き妻との約束。
無論、ゲンヤの常識からそれらの話はあまりに飛びぬけ過ぎていたし、彼なりにその辺は適当な解釈をした。
恐らく、彼の中での達人の位置づけは未だ魔導師には及ばないだろう。
さすがに、その辺りは実際に目の当たりにしないことには難しい。

しかし、普段ならあまりそう言った事を兼一が簡単に話すとは考えにくい。
それはもしかしたら、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
翔がギンガから武の基礎を学んだと知った時、兼一の胸の奥には小さな、だが確かな喜びがあった。
それを押し殺し、翔の思いを潰し、我が子を思ってくれる人の気持ちを踏みにじった罪悪感。
兼一はずっと、その罪悪感に苛まれてきたのだ。
それでも慣れない嘘をつき続けたのは、ひとえに亡き妻との誓いと我が子の為。

全てを語り終えた時、ゲンヤの顔に浮かんだのは複雑な表情だった。
何しろ、ある意味そもそもの原因は娘にあると見ることもできるわけで……。

「なんつーか、悪かったな。ギンガが余計なことしちまったみたいでよ……」
「あ、いえ。むしろ、ギンガちゃんにはいくらお礼を言っても言い足りないくらいですよ」
「だがよ……」
「子どもの才能を見出して、買ってもらって、子どもの為に本気で怒ってくれる。それって、親からしたらやっぱりすごくうれしいじゃないですか。『ああ、この子はこんなに恵まれてるんだ』って思うと……」
「ま、気持ちは分かるがな……」

そう、兼一にギンガへの悪感情など微塵もない。
彼女にひどい言葉を口にした罪悪感はあれど、恨み事など……。
むしろ、どれだけ感謝の言葉を口にしてもこの思いを伝えきれないほどに、兼一はギンガに感謝していた。

「それに、血は争えないって、事なのかもしれません」
「?」
「どれだけ遠ざけてみたところで、翔は武に関わらざるを得ないじゃないかって、そう思うんです。
 あの子の才が、出自が、そして僕という存在が、それを許さない。
 それならいっそ、あの子が運命に抗えるようにその為の力と技、そして心を授けるのが、僕の役目なのかもしれません……げふっ!?」

遠い目をしてそんな事を語る兼一だが、その時兼一の背中を力強い掌が思い切り叩く。
ダメージなど皆無だが、酒を口に運んだところだったので若干むせた。
そんな彼に向け、ゲンヤは励ます様に叱咤する。

「おめぇが逃げてどうすんだよ。今の今まであの坊主が武術と無縁でいられたのは、おめぇがしっかり守ってきたからだろうが。なら、おめぇが諦めるんじゃねぇよ。
 確かにいずれは、アイツはそれを選ぶかもしれねぇ。だがそれは、別におめぇの力不足とか運命のせいなんかじゃ断じてねぇだろ。おめぇはちゃんと、敵からも運命からもアイツを守ってきたじゃねぇか。
 アイツがそれを選ぶとすりゃぁ、他ならねぇアイツ自身の意思なんだからよ。
 そん時は、自分の生き方を自分で決められる奴に育てた事を…………ちゃんと誇れ」
「……………ありがとう、ございます」

礼を口する兼一の目尻には涙が浮かび、ゲンヤの言葉を噛みしめた。
尊敬する人は? と聞かれれば、兼一はいくらでも名を挙げることができる。
それは自身を導いてくれた師たちであり、共に切磋琢磨した友人達。
だがこの日、兼一は新たに尊敬できる人を得た。武とは無関係に、人として尊敬できる相手を。

「ところで、ギンガには話さねぇのか?」
「今は、まだ。正直、ゲンヤさんに話すのも結構悩んだんですよ?
 それに、出来ればギンガちゃんには翔の味方でいてほしいですから」
「ま、無理もねぇか。こんな話を聞かされちゃ、頑固なアイツも折れるだろうしなぁ……。
 そうなると、確かに坊主が不憫だわ」
「ええ。でも、いつか翔が本当に武の道を行く覚悟を持ったその時には……必ずギンガちゃんに謝りに来ますよ。御礼と一緒に」
「そうしてくれるとありがてぇな。いつまでも仲違いされたまんまじゃ、こっちも寝覚めがわりぃ」

兼一の言に一理ありと見たゲンヤは、基本的に兼一の方針でいくことを了承する。
いつになるかは分からないが、出来ればその時が早めに来てほしいと願った。
彼には兼一の言う「信念」がどれ程のものかわからないが、それでも翔の武へかける思いは本物だと思う。
だから本当に、ここから先の事は時間の問題なのだろうと。

しかし、さすがの二人も思いもしなかっただろう。
まさか「いつか来る」であろうその時が、二人が想像しているよりずっと早く来るなど。



おまけ

「あ、それとですね、ゲンヤさん」
「ん? どうかしたのか?」
「実は…ほら、郊外で岩とか車とかが壊されてる事件があったじゃないですか」
「ああ、アレな。さっぱり何の進展もねぇんだが、それがどうした……………って、まさか」

兼一の言葉にグラスを傾けながら答えるゲンヤだが、その顔が見る間に引きつっていく。
まあ、無理もあるまい。
つい先ほど聞いた話が事実なら、あの事件と結び付けることはそう難しくない。

「ええ。あれやったの、実は僕でして……」
「マジか?」
「言ったでしょ? 達人なんて呼ばれてる人間を常識に当て嵌めちゃいけないって」
「いや、だがよぉ……」
「さすがに腕を鈍らせるわけにはいかないんで、ちょっと修業を……」
(あれで、ちょっとか?)

一応達人の世界について漠然とした話は聞いたが、まさかここまでとは思っていなかったのだろう。
ゲンヤはまさに「空いた口がふさがらない」という状態で茫然としている。

「あの、やっぱり僕って逮捕されるんでしょうか?」
「あ? ああ、いや、その心配はいらねぇ。質量兵器を使ったとか、やったのがどこぞの犯罪組織ってんなら話は別だが、それは単に『尻尾をつかんだ』って意味でしかねぇからよ。
 別に、殴って岩を砕いて罰せられる法はねぇ。公共物とか私有地の代物でもねぇしな。廃車のことにしたところで……そこまで目くじらを立てる事じゃねぇって」
「すみません、御迷惑をおかけして」
「ま、この件に関しちゃ素直に謝罪を受け取っとくか。こちとらヤベェ事件に繋がるんじゃないかって気が気でなかったんだからな。それくらいは迷惑料のうちだ。
 とりあえず、捜査の方は適当になんとかしとくから、おめぇはもう少し控えめに頼むぜ」
「はい」

とまあ、こんな感じで、兼一の深夜の鍛錬は一応ゲンヤによって黙認されることとなった。
どうせ遠からず治まり、その内皆の記憶から消えて行く。
なら、別に事を荒立てる必要もないというゲンヤの判断だった。






あとがき

今回はいつもに比べればやや短めですね。おかげで早く更新できましたが……。
まあ、それでも思っていたより長くなったんですけど。
実際、書き始めるまではもう少しまで話を進めないと量が物足りないかも、と思ってましたし。

それにしても、やっぱりと申しましょうか、案の定荒事には発展しませんでした。
ただ、これで一応やりたい事は一通りやり尽くしたので、やっと荒事に入れます。
どんな内容になるかは、まあ次の更新をお待ちください。



[25730] BATTLE 6「雛鳥の想い」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:19

兼一とギンガが派手にやり合ってから早数日。
アレ以後、翔は自分自身の意思と言葉で、ギンガに再度教えを乞うた。
ギンガとしてもそれに否はなく、時間の許す限り翔に格闘技の手解きをしている。

実際、ギンガが仕事に行く前と帰って来てからの朝晩、二人が家の外で一緒に過ごす時間は激増していた。
当然、それに反比例する形で翔が父と過ごす時間は激減し、一日に数度顔を合わせれば良い方。
そのことに翔は一抹の寂しさを感じつつ、練習にのめり込むことでそれを紛らわしている。
ギンガとしても時間経過とともに冷静さを取り戻しつつある分、親子の時間を削ってしまっていることには罪悪感があった。もちろん、翔の意思を無視する兼一への反感は依然として根強いが……。

とはいえ、さすがに二人とも兼一の存在と視線は気になるらしい。
どちらからともなく、家を離れて近場の公園で練習するようになったのは必然だろう。

そして時は早朝。
まだ大半の人々が惰眠を貪っているこの時間帯に、公園には大小一組の影があった。

「ほら、気を緩めない! ちゃんと受けないと怪我するわよ!!」
「う、うん!!」
「違う! もっと脇を締めて、腰は落として!!
 脇が開いてたら力が入らないし、腰が浮いてると踏ん張りが効かないでしょ!!」
「くぅっ!?」

小柄な影に鋭い叱咤を飛ばすのは、大きな影の主であるギンガ。
ギンガが次々と繰り出す(加減した)突きや蹴りを、小さな影…翔は必死になって受け止める。
まだ格闘技を始めて間もない翔にとって、いくら手加減しているとはいえギンガの放つそれらは充分過ぎるほどに速く重い。とてもではないが、回避する余裕などない。見えてはいても身体が追い付かないのだ。
まぁ、見えているだけで十分すぎるほど優秀というのが、ギンガの見解なのだが……。

ただ、ギンガはギンガで翔の今のレベルを正確に把握しているのだろう。
怪我をさせない程度の威力で、辛うじて回避できない速度と威力で打っている。
つまりこれは、翔に防御の基礎と重要性を叩きこむ事を目的としているのだろう。

いや、回避できるものなら回避しても一向に構わないのだが、今の翔にそんな余力はない。
なので、一応回避は回避で別メニューが組まれていたりする。

とはいえ、なかなかにやっている事とかけられる言葉はスパルタだ。
幼児に要求するには、少々どころではないくらいに高度過ぎる。
だがそれは、それができるだけの才能と能力があると、ギンガが評価している裏返しでもあった。

そうしている間にもギンガの突きが翔の顔に迫る。
翔はそれを前に大きくかざした左手で払う。だが、払う力が弱かったのだろう。
僅かに軌道が逸れただけで、その拳は翔の眼前で寸止めされる。

「弱い!! 払うならもっとしっかり払いなさい! 中途半端にやっても意味がないわ!
 最小の力で捌くのはもっと後、今は相手を近づけないようにしなさい。
翔はまだ初心者なんだから、まずは正しい動作を身につけることを大切にする事。良い?」
「はぁい」

拳を引きながらそう指摘するギンガに対し、翔はどこか消沈した様子で頷く。
本当にはじめの頃は諸手を挙げて褒められたものだが、日が経つにつれ褒められる事は減って行き、今ではこうして注意され、叱られてばかりだ。そのことに、多少なりともショックを感じているのだろう。
まぁ、普通はそういうものなのだが、生憎何もかもが初体験の翔にその手の免疫がある筈もない。
あまり叱られ慣れていないので、どうしてもショックを受けてしまうのだ。
だが、ギンガはそんな翔の心の動きもちゃんと掴んでいるようで、励ます様にその背を軽く叩く。

「でも、最初に比べればずっと様になってきてる。私が思ってたよりも早く、ね」
「ほ、ホント!?」
「ホントホント」

ギンガに褒められ、それまで沈んでいた表情から笑顔が一気に花開く。
この気持ちの切り換りの早さなどは、実に子どもらしい。

「じゃあ、次の技を教えてくれる?」
「それはダメ」
「えぇ~」
「言ったでしょ、まずは基礎からだって。翔は確かに覚えがいいけど、それでもまだまだなんだから」
「でも、もうずっと守り方しか教えてくれてない……」

新技…特に攻撃技をせがむが、あっさりと否定されて不貞腐れたように口を尖らせて呟く翔。
初日などは拳の握り方や突き方を教えてもらい、その癖になりそうな爽快感に魅せられた。
しかし、あとは蹴りの基礎を少し教わっただけで、このところはずっと防御の練習や心構えなどの訓示ばかり。
散々防御の重要性を説かれてはいるが、翔はまだ子どもに過ぎない。
中途半端な攻撃は身を滅ぼすと教えられても、やはり派手で気持ちのいい攻撃の仕方を教えてほしいのだろう。

まあ、その辺りはギンガも上手くやっていると言える。
偶にミット打ちを織り込んだり、「上手にできたら攻撃技を教えてあげる」と上手く餌をちらつかせているのだ。
当然翔はそれにまんまと引っ掛かり、今日も今日とてみっちり防御の基礎を仕込まれている。

「言ってるでしょ、防御を疎かにしないの。
防御がしっかりしてれば、勝てない相手にも負けない事はできるんだから」
「むぅ、何度も聞いたよぉ……。格闘技の基本は身を守ることで、負けないことが大切なんでしょ?」

腕組をしながら人差し指を立てて言い聞かせるギンガ。
最早耳にタコができるほどに聞かされた言葉なので、翔もスラスラと答えて行く。

ちなみに、もしこの場に若い男がいれば歓声の一つでも上がっただろう。
何しろ、胸の下で組まれたギンガの腕に、その豊かな胸が乗っかっているのだから……。
翔はそれをほぼ真下から見上げているにも関わらず、それがどれだけ幸運な眺めかわかっていない。
まあ、邪な目で見ていたらギンガの鉄拳制裁を喰らうのだろうが……。

「そういう事。じゃ、今度はゆっくりと型の確認をしてみようか」
「はぁい……」
「それが終わったらミット打ちをしようかと思うんだけど……いい加減にやってると時間切れになっちゃうかも……」
「早くやろ、ギン姉さま!!!」
「はいはい」

ギンガの提示した餌に見事に食いつき、やる気満々の顔で「防御の型」の確認を始める翔。
そんな弟分の反応にギンガは苦笑を浮かべつつ、翔の動きの誤差や粗を修正していく。
そして、内心では今後の指導方針について思案していた。

(短期間で教えられることなんて限度があるし、翔には悪いけど、最後までこのままかな?
 突きと蹴りの基本は教えたし、後は防御を詰めて行って時間切れ…だと思うしね)

最初に攻撃のさわりを教え、以後は徹底して防御と心構え。
これがギンガの実体験から来る子ども相手の指導方針。
何しろ、子どもというのはとにかく飽きっぽい上にせっかちだ。
地味な防御や退屈な心構えの話などいきなりされても、食いつきは良くない。
ならばという事で、はじめに攻撃の型を少し教え、後はそれを餌にして釣り上げる。
やや汚いと言えないこともないが、子どもの心理を逆手に取った上手いやり方だろう。

「やっ! はぁっ!!」
(まあ、攻撃にしても防御にしても、ホントに基礎的な事しか教えられなかったのはちょっと寂しいけど……こればっかりは、仕方ないよね)

日を追うごとに様になって行く翔の型を見ながら、ギンガは少し寂しそうに嘆息する。
翔はシューティングアーツを教わっているつもりなのだろうが、実を言うと微妙な所だ。
基礎的な技一つとっても流派の特色は出るが、そのさらに基礎の基礎しかしていないのが今の翔である。
それは例えばインパクトの瞬間までリラックスすることであったり、拳や手首を痛めないように前腕と手の甲を水平にすることであったりなど……本当に基礎中の基礎。
正直、特色も要訣もあったものではないという段階だ。

少しでもシューティングアーツの色を濃くしたいという欲求がないわけではないが、時間的に難しいし、それが自分のエゴである事もギンガは承知している。
下手な事を教えて半端な状態で別れるより、今できることを形にしてやるのが自身の務めと理解しているのだ。
とはいえ、ギンガが目下一番頭を悩ましているのは別の事である。

(問題はやっぱり………………………兼一さんなのよね)

そう、翔自身は格闘技を続けることに乗り気だが、それは兼一の理解と応援があって初めて可能となる。
何しろ、収入源はおろか自己責任能力すらない翔一人では、どこかの道場に通うことすらできないのだから。
翔が今後も格闘技を続けて行くためには、どうしても兼一の説得が必須なのだ。

(でも、あの様子だといくら言っても聞いてくれそうにないし……やっぱりまずは、どうしてあんなに格闘技をやることに反対なのか聞かなきゃ話しにならないのよね。
 だけど、あの時は私も頭に血が昇ってかなり色々言っちゃったし、今更どんな顔をして聞けば……)

日を置いたことでギンガも冷静な思考能力が戻ってきたのはいいのだが、それが一層彼女を悩ませる。
まずは相手の事情を聴かなければならないと結論してはいるのだが、如何せん空気が重すぎて聞けやしない。
その原因の一端が自分にあるだけに、なおのことだろう。
はっきり言って、どう切り出していいのかが最初の関門なのである。また、聞いたところで答えてくれるかどうか……悩みは尽きない。

(いっそ、頭に血が昇っているうちに聞けばよかったのかなぁ?
 でも、あのままだとまた言い争いになっただろうし………って、過ぎた事を考えても仕方ないか。
もう頭は冷えちゃったんだもん、今更あの時の熱は取り戻せないわ)

あれこれ考えてはいるが、浮かんではすぐに首を振って否定していい案が浮かんでこない。
頭に血が昇っていては泥沼と思ってしばらく距離を取っていたのだが、裏目に出た気がしてならないギンガ。
まぁ、あのまま突っ込んで行っても予想した通りの結果になりそうなので、やはり詮無い事なのだが……。

(それに、今思い返すとあの時の兼一さんは明らかに変だった。
 とてもじゃないけど、兼一さんってあんなこと言うタイプじゃない筈なのよね。何て言うか、多少無理をしてでも『理想の父親』であろうとしてる所があるし、翔のそのイメージを崩さないように心を砕いてる。
 なのに、あの時だけは違った。たぶん、そこに理由があるんじゃないかな?)

あの時は冷静さを欠いていて気付かなかったが、ギンガは兼一の違和感に気付き始めている。
伊達に一つ屋根の下で過ごしていない。全てとは言わないまでも、少しは相手の事を理解している自負もある。
ゲンヤほどではないが、捜査官としてのギンガにもそれ相応の洞察力があるのだ。
そして、これまで見てきた兼一とあの時の彼を比べると、違和感が際立つ。
ギンガはそこに、翔が格闘技をやることに反対する理由があると見ていた。
そうしてギンガは今後の保護者対応に没頭するが、やがて裾を引っ張る感触に意識を引きもどされる。

「どうしたの、ギン姉さま?」
「え? あ、ごめんね、ちょっと考え事してたんだ……。
 じゃあ、そろそろミット打ちをやって、整理体操をしたら軽くジョギングしながら帰ろうか」
「うん………でも、ギン姉さま大丈夫? 疲れてない?」
「もう、大丈夫に決まってるでしょ」

心配そうに首を傾げる翔に対し、ギンガはその頭を撫でる。
感情の変化には鋭いが、その把握の仕方がどうにもずれているのが翔らしい。
鋭いのやら鈍いのやらよく分からない子だと、ギンガは改めて内心で苦笑するのであった。



BATTLE 6「雛鳥の想い」



やがて、すっかり朝の日課となった練習を終えた二人は、本当の姉弟のように手を繋ぎながら帰路につく。
朝の澄んだ空気と程良い疲労感が心地いい。爽やかな風が火照った体を撫で、小鳥の囀りが微かに響く。
それら全てが重くなった心を僅かに軽くし、頭痛の種を少しの間だけ忘れさせてくれる。
この時間がもう少し続く様にやや歩調を緩めながら、ギンガは風に揺れる長い髪を軽く押さえながら呟いた。

「……良い風ね、今日もいい日になりそう」
「ん! 明日も明後日もいい天気だと良いね」
「全く雨が降らないって言うのも、それはそれで困るけど……」
「え~……」

翔の子どもらしい不満に思わず苦笑する。
ギンガと違って、翔はまだ雨が降らない事からくる弊害をわかっていない。実に単純明快に、「晴れれば外で遊べる」「雨なら部屋でじっとしていなければならない」くらいにしか考えていないのだろう。
だが、別にそれでなにが悪い訳でもないのだ。むしろ、そんな翔がギンガには可愛くて仕方がない。

「でも、やっぱり天気が良いに越した事はないかな。
 洗濯物もよく乾くし、何より気持ちいいもんね」
「うん!」

他愛のない会話に興じながら視線を交わせば、自然両者の顔には笑顔が浮かぶ。
何の変哲もない、極々ありふれた…だからこそなににも代え難い穏やかな一時。

同時にそれは限られた、最早そう長くは残されてはいない時間。
脳裏にこびりつくその現実が、知らず知らずのうちに繋いだ手を握るギンガの手に力を籠らせる。
少しでも、一分一秒でもいいから少しでも長く、この掛け替えのない時間が続く様に。

(そう…いつまでも、続かないのよね)
「姉さま?」

どうやら、内心の寂しさが僅かに漏れ出てしまったらしい。
しかしギンガはそれを即座に押し殺し、極自然な仕草で首を傾げる。

「ん? どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
「そう。ちょっとゆっくりし過ぎちゃったし、少し急ごうか」
「ん」

少し心配そうに見上げて来る翔に微笑みかけながら、翔の手を引いて微かにペースを上げる。
とそこで、反対側から帽子を被った男性が歩いてくる事に気付く。
歩道を歩いているとはいえ、決して道幅が広い訳ではない。
二人が並んで歩きながら擦れ違うとなると、すこしスペースが足りないか。

順調に双方の距離が縮まってくると、ギンガは翔の方へと身を寄せ、擦れ違うのに十分なスペースを確保する。
通行人もそれに気付いたのか、軽く会釈しつつ擦れ違う。

「失礼」
「ぁ、こちらこ……」

そこまで言いかけた所で、真一文字に銀光が閃く。
何気ない日常のやり取りに乗じ、微かな気の緩みを突いた一閃。
常に周囲を警戒し続けられる人間などいない。必ず、いつかどこかで警戒が途切れるは必定。
ましてやそれがプライベートの、それも迷いなく「幸福だ」と断言できる時間ならば尚更だ。

故にそんな虚を突いた先の一閃に対処するなど、未だ若く未熟なギンガにできる筈も無い。
しかし実際には、確信と共に振り抜いた腕へ伝わった手応えはあまりに軽かった。
手にしたナイフを弄びながら、その人物は驚いた様に古ぼけた帽子の下からギンガを見やる。

「おやおや、勘のいいお嬢さんだ。確実に不意をついたと思ったんだがなぁ……」

些か緊張感に欠ける口調で、まるで運悪く小石にでも躓いたことを嘆くかのようなぼやきを漏らす。
だが、今のギンガにそれに頓着する余裕はない。荒れ狂う鼓動と呼吸をなだめながら、必死に頭を巡らせる。

まず、状況を整理する為に先ほど起こった出来事を反芻。
ギンガの背筋を微かな悪寒が駆け抜けたのと、翔がギンガの手を引いたのと、果たしてどちらが先だったのか。
気付いた時には、丁度一歩分ギンガは男から距離を取っていた。
そしてその一歩が、辛くもギンガを救ったのだ。

迷いなく描かれた弧の軌跡は、本来ならギンガの身体を深々と抉っていただろう。
だが、一歩距離を取ったことで肩を掠めるにとどまった。
結果、ギンガが負ったダメージは引っかき傷程度の軽傷。
僅かに血が滲んでいるようだが、動かす分には全く支障はない。

「後ろに隠れて、離れちゃダメよ。良いわね?」
「ぅ、うん……」

不安そうに裾を掴む翔を背後に庇いながら、ギンガは臨戦態勢を取る。
今の所男に追撃の気配はないが、油断はできない。
白昼堂々不意打ちを仕掛けて来るような相手だ、何をしてくるかわかったものではないだろう。
伏兵の可能性も考慮し、周囲を警戒しながらギンガは思案を巡らせる。

(正直、襲われる覚えはない……とは言えないのよね)

職業柄、その手の人間から恨まれたり疎まれたりしているのは自覚している。
ここまで直接的な手段に訴えて来る相手と言うのは昨今珍しいが、だからと言って気を緩めてしまったのは「不覚」の一言だ。
せめて、これ以上の失態は演じまいと注意深く相手を観察する。

(帽子のせいで顔が見えないけど、声に聞き覚えはない。とすると、依頼の可能性が高いかな?)

さすがに、どこの誰からの依頼によるものかは特定できないが。
そもそも、声だけでは本当に直接的に関わった事がないかどうかすらも怪しい。

「一体どういうつもり? いくらまだ人が少ないとはいえ、こんな明るいうちに仕掛けて来るなんて……。
 ましてや、ここはカメラの視界内なのよ」

少しでも情報を得ようと、引き続き警戒しつつ慎重に問いを投げかける。
背後関係など、どうせ答えないと割り切っての問いだ。

ギンガとて、別に無条件に路上で気を緩める程無防備ではない。
全ての道路や路地などを隙間なく網羅…とはいかないが、ミッドではある程度人通りの多い道にはカメラの眼が光っている。その範囲内で何か異変や異常があれば、即座に付近の警防署の知る所となるシステムだ。

四六時中警戒し続ける事が現実的ではない以上、これを活用しない手はない。
その為、ギンガは可能な限りカメラの視界に入り続ける様に行動することを心がけている。
そうすることで余計なトラブルを避け、この様な手合いを牽制する効果を期待できるから。

しかし、今回はその見込みが裏目に出た。いや、むしろそれを逆手に取られたと言うべきか。
だがそれは、同時に多大なリスクを負う事も意味する。
カメラの視界内で事に及べば、物の数分としないうちに近くの警防署やその詰所から局員が急行するだろう。
そうなれば、後は死にもの狂いで逃げ回る事になる。逃げきれるかどうかは…あまり分の良い賭けとは言えない。

そこまで考えた所で、ギンガは違和感に気付く。
この男とてそれがわかっていない筈がない。
なのにどうして、失敗したのに焦る様子も逃げる様子も見せないのか。
このまま留まれば、そんなのは捕まえてくださいと言っている様なものなのに……。
そんなギンガの疑問を察した訳でもないだろうが、男は器用に肩を竦めながら告げた。

「カメラか…なるほど、確かに厄介だ。
しかし、何事にも抜け道と言うのはある物でね。それに、もう仕込みは済んでいるんだな、これが」
「何を言って……っ!?」

不自然に言葉が途切れ、途端にギンガはその場で崩れ落ちる。
まず感じたのは指先などの末端部の痺れ、それが瞬く間の内に全身に広がり、身体かの自由を奪ったのだ。

「姉さま! どうしたの、ねぇ! 姉さま!!」
「やれやれ、ようやく効いてきたか。一応即効性だったはずだが……どういう身体をしているんだい?」
(そうか。これは、毒……!)

声帯も麻痺したのか、口をパクパクさせるだけで音にならない。
また、魔力も思うようならない所からすると、源であるリンカーコアにも作用しているようだ。

恐らく、凶器のナイフにかなり強力な毒が塗られていたのだろう。
フィールド系魔法を使えば、毒をはじめとした大概の人体に有害な物質からは身を守れる。
だが、直接体内に毒物を混入された場合はその限りではない。
魔導師は魔法に傾倒しがちで、この手の搦め手や近代の兵器は好まない場合が多いのだが、この男はその限りではないと言う事か。

(翔…逃げ……)

なんとか翔だけでも逃がそうと声帯を動かそうとするが、掠れた声はとても聞き取れるレベルにはなかった。
むしろそれは助けを求めているようにも見えたのか、翔は倒れたギンガの傍から離れようとしない。

続いて必死に腕を持ち上げ、翔を突き放そうとする。
しかしそれも、やはりあまりに弱々しく目的を達するには至らない。

「いや……驚いた、まだ動けるのか。これは、急いだ方がよさそうだ」

声の方を見上げれば、帽子の下から覗いた目は純粋な驚きに見開かれていた。
一体どんな毒を使ったのか、逆に不安になる反応だ。

だが、そんなギンガの胸中とは無関係に声の主はナイフを逆手に持ちかえる。
普通なら自分にトドメを刺す気かと考える所だろう。
しかし、ギンガの頭に真っ先に浮かんだのは、次は翔が狙われるのではないかと言う恐怖だった。

だが、どちらも違う。
男は距離を詰める事はせず、逆手に持ったナイフを高く持ち上げ……一息に振り下ろし、甲高い音を立ててナイフを深々とアスファルトの地面に突き刺した。
その瞬間、突き立てられたナイフを中心に薄桃色の正方形の魔法陣が光を放つ。

(これは、転送魔法! 不味い、この人は……)
「こんなデバイスなんでね。大抵誤解されるんだが、得意魔法は御覧の通りさ。
 ああ、魔力光についてのコメントならいらないよ。似合わないってのは重々承知さ」

転送魔法を使われれば、追跡の困難さは跳ね上がる。
男が白昼堂々、それもカメラの視界内で事に及んだのは、追跡を撒く自信があったからだ。
もちろん、転送魔法と言えど追跡が完全に不可能と言う訳ではない。
転送した場所から転送先を割り出す事も可能だ。しかし、それにはどうしても時間がかかる。
その時間だけで、男にとっては充分と言う事か。

「恨むな…とは言わんが、まぁ諦めてくれ。こっちも仕事でね。
 依頼されたのはお嬢さんだけで、そっちの坊やは違うんだが……この際だ、一緒に来てもらおう。悪いね」
(くっ……)



  *  *  *  *  *



翔とギンガが公園で何者かに襲撃、拉致された。
ナカジマ家にて二人の帰りを待つ男親二人にその報せが届いたのは、朝食の準備も終わろうかと言う頃合いだった。

「ん~……ま、こんなものかな」

大小様々な弁当箱に具材を詰めていき、最後の盛り付けを終えたところで最終チェック。
彩り、栄養バランス共に申し分なし。もちろん味付けにも手抜かりはない。
特に、山菜を中心に十品目以上の食材が入った炊き込みご飯は、我ながら中々に秀逸だと思う自慢の一品だ。
冷めても美味しくいただけるし、実を解した梅干しも混ぜ込んでいるので、防腐という意味でもバッチリ。
そんな満足のいく出来に、知らず口元に笑みが浮かぶ彼は、すっかり主婦ならぬ主夫である。

一応隊舎には食堂があるし、価格設定も味と量の割には手ごろだ。
弁当を作る時間のない時などはそちらも利用しているが、それでもやはりこうして作ってしまった方がコストは低く済む。また、朝晩のメニューを考えてよりバランスのいい内容にできるので、そう言う意味でも都合が良い。

エプロンを外しながら時間を確認すれば、まだ出勤時間までは幾分余裕がある。
しかし、それにしても気がかりな事が一つ。

「それにしても、二人とも遅いなぁ」
「だな。いい加減戻ってきても良い頃の筈なんだが……寄り道にしたってなぁ」

思わず漏れた呟きに、読んでいた新聞を閉じながらゲンヤが応じた。
半ば日課となっている公園での練習は、二人とも黙認している。
兼一としては翔の意思が堅い事を確認した以上、とりあえず口を挟む気はない。
ギンガの指導方針もそう悪いものではないのだから、口出しする理由がないのだ。

それに、武に手をつけているのはこちらにいる間だけ。
元の世界に戻れば教える人間もいなくなる以上、やがて自然消滅するだろう。
もししなかったその時には、折を見て改めて翔の意思を確認するつもりでいるが……それは先の話だ。
兼一も鬼ではない。この地で得た姉との思い出になるのなら、その間黙認するくらいの寛容さはある。

ただ、それはそれとして今日は帰りが遅い。
汗を流し、着替えてから食事をとる事を考えると、リミットまでそうない。
だというのに、何の連絡もないと言うのは少々気にかかる。

「あの生真面目なギンガちゃんに限って、無断遅刻を良しとするとも思えませんし……」
「ああ、アイツはその辺律義だからな。それこそ死にもの狂いで急いで戻ってくるなり、連絡を入れるなりする筈だぜ。坊主がいるとなりゃあ尚更な。とすると、何してんだ、あいつ?」

あまりにギンガらしからぬこの事態に、男親二人は揃って首を傾げる。
表面的にはギンガと意見を対立させている兼一だが、本音を言えば別にギンガにこれと言って他意はない。
息子の才能を買い、鍛え、息子の為に怒ってくれたギンガをどうして嫌えよう。
できれば今すぐ本心を明かしてしまいたいが、今はまだその時ではない事を兼一自身が良く知っている。

だからこそ、騙している罪悪感もあって兼一はこっそりとギンガの事も気にかけていた。
故に、今兼一は翔と同じくらいギンガの事も心配している。

だが、二人が異変に気付くのはあまりに遅すぎたと言わざるを得ない。
なぜなら、既に事は起こってしまった後。普段通りの朝。いつもと変わらぬ日常。なんの変哲もない食卓。
ナカジマ家のこんな平穏が打ち砕かれた事を知らせたのは、一本の通信だった。

「俺だ。どうした、こんな朝っぱらから」
【朝早く申し訳ありません! ですが部隊長、至急隊舎にお越しください!】
「……………緊急事態、か。いったい何がどうしたってんだ?」

それまでの一家の家長の顔から、一部隊の長の顔へと即座に切り替えるゲンヤ。
そんなゲンヤに対し、通信担当の局員は画面越しに一瞬兼一へと視線を向ける。
何かを迷う表情を見せた彼は、用件を告げることなくこう言った。

【……今、ヘリを向かわせていますので、詳細はそちらで】
「…………」

その反応だけで、ゲンヤにとってはある意味充分だった。
兼一には聞かせられない内容、あるいは兼一に関わる重大な話なのだろう。
前者はともかく後者は兼一にも聞く権利がある筈だが、事と次第によっては迂闊に知らせるわけにはいかない。
大きく彼に関わるからこそ、慎重に時と場所を選ばなければならない場合があるのだから。
通信越しでは件の装置は作動しないが、どんな種類にせよ今はまだ兼一に聞かせたくない内容なのだろう。

聞かせるか否か、聞かせるとしてそのタイミングはどうするのか。
その辺りの判断を仰ぐ為にもこの局員はゲンヤに一端兼一から離れてもらうべきと考えたのだ。
だがゲンヤは、それを承知した上でその先を促した。

「良いから話せ、どの道ヘリが着くまで時間があるだろ。
 緊急事態だってんなら尚のこと時間が惜しい、こいつは命令だ」
【…………………了解。では、ご報告申し上げます。
先ほど、帰宅途中と思われるギンガ・ナカジマ陸曹が、何者かに攻撃される映像を公園付近のカメラが捉えました。犯人はナイフを所持し、帽子を被っていたため顔はわかりませんが、身長は170cm後半から180cm程度。詳細は不明ですが、陸曹は突然その場に倒れ込み……】
「遠回しな言い方すんじゃねぇ! つまり、何が言いたい」

通信担当局員はできる限り細やかに報告しようとするが、ゲンヤはそれを遮って結論を求める。
しかしそれは、きっと既に分かっていたからなのだろう。
この後に、いったいどんな報告がなされるのか。
そして、その予想は現実のものとなる。

【映像には、転送魔法と思われる魔法の発動が記録されておりました。おそらく……入念に準備した上での計画的な犯行でしょう。急ぎ付近の詰所から局員が応援に向かいましたが、陸曹の姿は既になく…誘拐ないし拉致されたものと見て間違いありません! 現在、解析班を転送先追跡のために向かわせています。また、映像に4・5才程の子どもも一緒でしたので……】
「ったく、やっぱりそういう事かよ……!」

報告を受け、ゲンヤは苛立たしげに頭を叩く。
考え得る限り最悪の事態であり、一番当たってほしくない予想が当たってしまった事を示している。
兼一は通信越しでは件の装置が作動せず、やっと覚え始めた拙いミッド語では複雑な会話を理解することはできない。故に、事態がわからず困惑するしかないが、よくないことになっている事だけはわかった。

「救難信号は?」
【転送されるまでの僅かな時間のみ観測できましたが、ジャミングが酷いのか、あるいは発信器を破壊されたのか……いずれにせよ、以降観測できておりません】
「……分かった、ヘリが着き次第隊舎に向かう。
その間に、おめぇらは周辺の詰所からも人を出して捜査に当たれ!」
【了解。ですが………白浜さんは、いかがなさるおつもりですか?】
「てめぇのガキが誘拐されたかもしれねぇんだ、知らせねぇわけにはいかねぇよ。
 可能性としちゃあ、俺らの専門からすると密売組織の報復の線が濃い。いずれ何かしらの要求が出されるかもしれねぇが、その時は真っ先に俺に通せ、いいな!!」
【ハッ!!】

そう指示を与え、通信を切ったゲンヤはそのまま兼一に向き直った。
その顔には焦燥と申し訳なさが浮かび、兼一の不安をますます煽る。

「……わりぃ」
「なにが、あったんですか?」
「坊主とギンガの行方がわからん。直前に緊急の救援信号が出て、車に連れ込まれるところも目撃されてる」
「誘拐、ですか?」
「ああ。狙いはおそらくギンガ、坊主はおまけだろう。すまねぇな、こっちのゴタゴタに巻き込んじまってよ」

兼一に力のない謝罪をし、深々と頭を下げるゲンヤ。
しかし、兼一はゲンヤに対して恨み言を言う気はない。
誘拐したのはゲンヤでもないし、そうなるように仕組んだわけでもない。
責任の所在は明らかに誘拐犯達にあるのであって、ゲンヤを非難するのはお門違いだ。
兼一は、その事をよく分かっていた。分かっているからこそ、ゲンヤを責めるようなことはしない。

そもそも、誰を責めたところで事態は好転しないのだ。
なら、考えるべきはそんな事ではない。

「営利目的なら身代金の要求がある筈ですけど……」
「ありえなくはねぇが、その線は薄いな。
この手際からして、恐らくは入念に準備をして決行した筈だ。時間帯から考えてもな。
なら、はじめから狙いはギンガって事になる。この場合、営利目的にしちゃあリスクとリターンが釣り合わねぇ。Aランク魔導師なんぞ狙うより、もっとやりやすい相手がいくらでもいるんだからな」
「確かに……魔法の事は詳しくありませんけど、ギンガちゃんは結構優秀な魔導師なんですよね」
「ああ。上には上がいるが、魔導師としちゃあそれなりのもんだろう。他に考えられるのは高位魔導師を売る人身売買だが、これも可能性は低い。そっちは大抵子ども狙いだからな、大人を狙うのは不自然だ。
 女って事で狙われた可能性もあるが、それならやっぱり高位魔導師を狙う理由にならねぇ。
 考えられるのは密売組織からの報復か、あるいは私怨……」

ギンガは若く美しい、つまり身体目的という可能性は捨てきれない。しかしそれならやはり、リスクとリターンが釣り合わないのだ。確かに捕らえることができれば金になるだろうが、その為に負う危険は大きすぎる。
営利目的や人身売買にも同じことが言える以上、その可能性は低いというのがゲンヤの見解。
残された可能性としては、何らかの報復……そこから波及しての犯罪者の釈放要求などが考えられる。
ギンガはAランクの高位魔導師だし、部隊長の娘。その程度の人質的価値はある。

「でも、これが私怨になると厄介ですね」
「ああ、要求なんぞ何もねぇってのが最悪だな。ギンガを殺すことが目的なら、時間制限がついちまう」

そう、一番まずいのはそのパターン。要求を出してくれればいいが、それがないと打つ手がない。
ギンガに手を出される前に居所を掴めればいいが、そうでないと……。
とそこで、ヘリのローター音が二人の耳を打った。

「っと、来たみてぇだな。……どうする?」
「行きます。ここでじっとしてなんていられませんから」
「よし、なら急げ……って、それはどういうつもりだ?」

そう言ってゲンヤは表に出ようとするが、その前に背を向けて膝をつく。
まるで、おぶされとでも言っているかのように。

「いいから乗ってください。この辺りにヘリが着陸できる場所もありませんし、ロープとかで乗るんでしょう?
 それじゃ時間がかかります」
「なら、どうするってんだ?」
「僕が飛び乗ります」
「は? おい、いきなりなにを……うおっ!?」

いつまでも乗ろうとしないゲンヤに痺れを切らし、兼一は彼の身体を脇に抱えて急いで庭に出る。
もちろん施錠は忘れない。上を見上げれば、案の定ヘリの姿。
そのハッチが空いていることを確認した兼一は、思い切り姿勢を低くし……

「行きますよ、舌を噛まないでください!!」
「ま、待て! 何する気…おわぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁ!?」

跳躍した。ゲンヤは今まで体験したこともない景色の流れに叫び声を上げる。
だが、兼一はそんな物は軽く無視し、ハッチの前に到着するとヘリの機体を鷲掴みにして滑り込む。
中に入れば、誰もが信じられないものを見るような眼で兼一を見ているが、取り合っている時間も惜しい。
兼一は急いで操縦席へ向かうが、丁度ロープの用意をしていた隊員は知らず知らずのうちに呟いた。

「こ、この高さのヘリに飛び乗るって……………………………人間か、お前?」
「諸般の事情で、足腰には自信がありますから」
「そ、そう言う問題か?」
「そう言う問題にしておいてください!」

続く問いを断ちきる勢いで断言しながら、兼一は操縦席への扉を開け放つ。
そして、有無を言わせぬ強い語調で今の最優先事項を口にした。

「早く隊舎へ、急いで!!」
「お、おう!!」

兼一の剣幕に押され、パイロットは操縦桿を傾けて隊舎へと向かう。
ただし、ヘリが隊舎方面へ向けて動き出すのを確認した所で、兼一はおもむろにハッチの方へと進んでいくではないか。
それに気付いたゲンヤは、慌てた様子で兼一を後ろから羽交い絞めにして止めようとする。

「待て待て! お前、何を……」
「情けない話ですけれど、隊舎にいても僕にできる事はありません。
 なら―――――――――――――探しに行きます」
「さ、探しに行くって、お前。そりゃいくらなんでも無理……」
「無理が通れば道理が引っ込みます!」

異様な圧力と共に眼から怪光線を放ちながら発せられた一言に、呆気にとられるゲンヤ。
自然、羽交い絞めにする力も弱まり、気付いた時にはゲンヤの拘束から逃れた兼一は、風の吹きこむハッチに手をかけていた。

しかし、そうは言っても、やはり発見できる可能性は皆無に近い。
当てもなく動きまわった所で、早々都合いく筈がない。
手掛かりの一つでも掴めれば万々歳と言ったところだろう。
無論、兼一とてそんな事は承知の上だ。承知の上で、何もせずにいるよりはマシと判断したのである。

「それに、捜索の基本は足…違いますか?」
「いやまぁ、そりゃそうだがよぉ」
「隊舎の設備なら通信越しでもこの装置が機能した筈でしたね。何かわかったら教えてください。
 僕の方でも、手掛かりが掴めたら知らせます」
「―――――――ったく、しょうがねぇなぁ! わぁったよ、好きなようにしやがれ!
 段々、お前ならホントに見つけかねない気がして来たぜ」
「な、何言ってんですか部隊長! ちゃんとこのバカ止めてくださいよ!」
「そうですよ! 白浜も、なにハッチから身を乗り出してんだ、この高さから落ちたら死ぬぞ!」
「まぁ、待て。おめぇだって今のを見ただろ。こいつにんな常識は通じねぇらしいぞ」
「で、ですが……」
「まぁ、気持ちは分かる。だが、詳しい話は後でしてやるから、今は納得しとけ」

部下達の進言の正しさを認めるが、ゲンヤにはもう兼一を止める意思はなかった。
故に、彼はただ兼一の背を押す。

「おら、いつまでんなとこにいねぇで、さっさと行け!」
「ありがとうございます。それじゃ!」

一言礼を言って、まるで一階の窓から飛び出すかのような気軽さで、兼一はハッチの外へと身を躍らせる。
ゲンヤを除く108の隊員達は兼一が地面に激突し、無残な姿になる未来を幻視したのだろう。
ある者は目を逸らし、またある者は引き留めようと腕を伸ばし、中には悲鳴じみた声を上げる者までいた。

「わ、バカ! ああ!?」
「なに考えてんだ、お前はぁ!?」

だがその予想は覆され、兼一は音を立てる事なく何とも軽やかに地面に降り立つ。
それをハッチから身を乗り出して確認したゲンヤは、自身が身受けした存在の非常識さを思い知った。
知識としては知っていたし、先ほど実際のその非常識さの一端を体験したが、やはり傍から見ると驚きもひとしおだ。
取り乱さずに済んだのは、曲がりなりにも白浜兼一の正体を知っていたからに他ならない。

とはいえ、やはり目の間で起こった出来事には深々とため息をつきたくなる。
しかし、その衝動をなんとか抑え込み、ゲンヤは今にも走り出そうとする兼一の背に向けて声を張り上げる。

「いいか、何か見つけたら必ず報告しろよ、わかったな!」
「はい!!」

着地した兼一は短くそれだけ答え、目にもとまらぬ速さで走りだす。
瞬時に颶風の如き速度を叩きだした事で、間もなく兼一の姿はゲンヤの視界から消えた。

「…………………………もしかしなくても、とんでもねぇ拾いもんをしちまったのかもな、俺は」
「は? 部隊長、何か?」
「いや、なんでもねぇ。おら、こっちも急ぐぞ!」
『ハ…ハッ!!』

知らず知らずのうちに漏れた呟きは、ヘリのローター音にかき消され、傍にいた部下の耳には届かなかったらしい。誰もが、説明を求める様な視線をゲンヤに向けている。
だが、ゲンヤはそれには答えず、未だ目の前で起こった現実を持て余している部下達を勝機に戻す為に叱咤するのだった。

その間にも兼一は人々の間をすり抜け、ビルの壁を蹴り、凄まじい速度で市街地を疾走する。
ただただ強く、一つの事を願いながら。

(翔、ギンガちゃん…………どうか無事で!)



  *  *  *  *  *



その頃、翔とギンガはどことも知れない廃ビルに連れ込まれていた。
ただし、人数構成が襲撃を受けた時とはいささか異なる。
先頭を歩くナイフ型デバイスを使った帽子の男の他に、もう二人。
見るからに粗野にして野卑な印象を見る者に与える二人組の男が、ギンガ達の後ろについている。

そんな三人に前後を挟まれつつ、翔は不安と恐怖に押しつぶされそうになりながらもギンガにしがみつく事で自制し、ギンガは毅然とした態度と強い意志を秘めた瞳で誘拐犯達を睨む。
とそこで、ギンガの視線に気づいたのか、先頭を歩く男が帽子を抑えながら軽く振りむいた。

「怖いな。折角の美人さんが台無しだよ、お嬢さん。
 そんな目で睨まれたら腰が抜けてしまいそうだ」
「白々しい。そんな事、微塵も思ってない癖に……」
「いやいや、そんな事はないさ。残念ながら、私は荒事向きではなくてね。
 闘えば、十中八九どころか確実に君が勝つだろう。そんな相手に睨まれるのは肝が冷える」

声音には余裕と自信が宿り、それが本音を隠すヴェールとなっている。
おかげで、ギンガには男の言っている事がどこまで本当なのか判断できない。
まぁ、この状況ではどちらでもいいのかもしれないが。

「おら、黙ってキリキリ歩け。てめぇもだ、運び屋。余計な事口走んじゃねぇぞ」
「ここまで来て余計な事も何もないと思うんだが……っとと、はいはい、黙りますとも」
「ちっ、はなっからそうしてりゃいいんだ。
さあ、さっさとその部屋に入りな。もうじき兄貴が来るからよ、ククク……」
「押さないでください。そんな事をしなくても歩きますよ」
「ああ、それが利口だな。何せあんたは、か弱い女の子様なんだからよ」
「ははっ、ちげぇねぇや!」

後ろの男達に小突かれるようにして、二人は小汚い一室に入る。
一面に小さな小窓があるだけの、他の面は堅いコンクリートがむき出しになった部屋。
おそらく使われなくなって久しいのだろう。チラホラとゴミやガラクタはあるが、それ以上のものはない。

「ギン姉さま……」
「大丈夫だよ、翔。私が、お姉ちゃんがちゃんと守るから。何があっても、翔を守る。だから、安心して……」
「へっ、偽物とはいえお綺麗な姉弟愛だねぇ」
「全くだ。いったい、何をどうやって守るのかぜひ教えてほしいもんだ。
 魔法も使えない、今の非力なアンタにさ」
「くっ……!」

嘲りを多分に含んだ男の言葉に、ギンガの口からは口惜しげな呻きが漏れる。
襲撃時に受けた毒の影響は、実を言えばほとんど消えている。
即効性がある半面、持続力に乏しいのか。今となっては手足に僅かな痺れを残すのみだ。
ただ、今ギンガの手首には厳つい手錠の様な腕輪が嵌められており、これが彼女の魔法を封じていた。

魔法が普及するという事は、当然それを犯罪に使う者も出て来る。
魔導師相手に通常の手錠や牢が意味を為す筈もなく、必然的に対魔導師用の道具が開発された。
その内の一つがこれ。魔力を抑えるリミッターや負荷をかける魔導士養成ギプスの類と似て非なる物、封印装具。
早い話が、魔力を全面的に抑え込んでしまう代物だ。こんなものでもなければ、魔導師を安心して拘束しておくことなどできはしない。
そして、その手の道具が外部に流出しないかといえば、否である。
ギンガに使われているのは、その中でもいくらか古い世代の魔力封印装置だった。

(旧式とは言え、性能は管理局でも採用されてた本物。AAA以上ならともかく、私じゃ……)

とてもではないが、力づくでの破壊は不可能。
少なくともこれを壊すには、外部からの助力が不可欠なのだ。
この手の道具を使うことに慣れているギンガは、その事をよく知っていた。
どういった伝手で手に入れたか知らないが、厄介な物を持ち出されてしまったと言わざるを得ない。

ちなみに、ギンガは常時「浮遊」の魔法を展開している。
これは諸般の事情により、彼女の体重が見た目よりずっと重いからなのだが……。
魔力が封じられた今はそれが使えないが、彼女の中にはその代わりとなる力があるのだ。
本人としては不本意極まりないのだが、今はその力で代用し、体重を適正なそれに調整している。
ただ、嫌悪している力をこう言う時は便利だと思う反面、都合のいい様に使っている自分がすこし嫌だった。

「さて、それじゃこれで依頼は完了、と言う事でよろしいかな」
「ん? ああ、そうだな。だがいいのか、最後まで見て行かなくてよ。
 なんなら、アンタも楽しんでいけばいいじゃねぇか。
 まだガキだがツラは悪くねぇし、折角良い身体してるんだ。アンタもどうよ」

下種には結局下種な考え方しかできない。
男達の舐める様な視線がギンガの身体を舐る度、ギンガは嫌悪感に体を振るわせる。
理解したくもないのに、ギンガを見て何を考えているかがわかってしまう。そんな視線だ。

「そういやそうだな、その筋で売ればいい値で売れそうだよなぁ」
「折角のお誘いですが、この後予定がありましてね。それと、報酬の件ですが……」
「ああ、後で口座の方に振り込んでおくよ」
「毎度、今後とも御贔屓に。それでは、私はこれで」

それだけ言い残し、帽子の男は最後にギンガ達に軽く会釈だけ残して立ち去って行った。
残されたのはギンガと翔、そして見るからにチンピラそのものの男が二人だけ。

「ったく、得体のしれねぇ野郎だ。なに考えてやがるんだかわかりゃしねぇ」
「確かにな。だが、腕が良いのは確かだし、余計な事に深入りしないってのはある意味世渡り上手って事だぜ」
「けっ! だから信用できねぇんだっつーの」
「ああ、それと」
「「おわっ!?」」

もういなくなったと思っての陰口だったのだが、当の本人がひょっこり顔を出したものだから仰天する二人。
しかし、帽子の男の方はそれを気にした素振りも見せず、さも今思い出したと言わんばかりの口調で注意を勧告する。

「あまり長居すると管理局に尻尾を掴まれるかもしれないので、気をつけてくださいね。念の為」
「あ、ああ」
「それでは、またのご利用お待ちしておりますっと」
「……い、いねぇか?」
「ああ、今度こそ行ったみてぇだ」
「心臓に悪い野郎だぜ、クソ!」
「そいつには同感だ」

帽子の男が今度こそ出て行ったことを確認し、軽く吐息を洩らす二人。
よほどあの男の事が苦手なのか、悪態をつく声にも忌避感が強く滲んでいる。
とそこで、気分を変えるためか、男達は揃ってギンガに抱きかかえられる翔へと視線を向けた。

「で、それはそうとして、このチビはどうするんだ? 予定じゃ、女の方だけだった筈だよな」
「さぁて、どうするのかねぇ。ま、さすがに即魚の餌って事はないと思うが……」
「約束が違うわ! 大人しくしていれば翔は解放する、そう言った筈よ!!」
「そうだったか? なあ、お前覚えてるか?」
「いや、さっぱり……アンタの聞き間違いじゃねぇの?」
「……………卑怯者」

口々にそんな事をのたまう男達。悪意と嘲笑に満ちた言葉に不快そうに吐き捨てるギンガ。
彼女は翔を守る様にその胸に抱き、男達に背を向ける。
少しでも男達の野卑な視線から翔を守るために。幼い翔に人の汚い一面を見せないように。
今のギンガにできる、それが精一杯の反抗だった。

「どうも。だが実際、兄貴からはガキの扱いについて何も言われてねぇし、適当に売っちまえばいいだろ」
「ま、呪うんなら自分の迂闊さを呪うんだな。あの陰険で執念深い兄貴を怒らせちまった事をよ」
「全くだ。よりにもよって公衆の面前でアレだからな、なだめるのも一苦労だったぜ。
 ところで、まさか覚えてねぇって事はねぇだろうな」
「…………………」

男の問いに、ギンガは返事を返さない。
言葉をかわしたくもないというのもあるが、本当に覚えていないのだ。
彼女からすれば、あの日の出来事は即刻記憶から抹消した出来事。
実のところ、ギンガはあの時の記憶を24時間も保ってはいない。
それほどまでにあの時の出来事と男達の存在は、ギンガにとってどうでもよかったのだ。

「だが、俺らとしてもさすがに同情するぜ。兄貴は嫌がる女を無理矢理にってのが趣味だからな」
「それも、ちょうどアンタくらいの奴を汚すのが大好きだしよ。ホント、良い趣味してるぜ」

頼んでもいないのに、勝手にこの後の展開を話し始める男達。
その言葉を聞き、さしものギンガも顔を青ざめる。
ギンガの恐怖を煽って楽しむという意味では、それは実に効果的だった。

ただの苦痛にならいくらでも耐えられる。
歯を食いしばり、口を閉ざし、相手が望む反応など一切示さない覚悟がギンガにはあった。
しかし、それとこれは話が別だ。
ギンガとて女、それもまだ少女だ。男を知らず、恋も碌にしていない。
その手の事に多少なりとも幻想を持っている。
そんな彼女にとって、無理矢理散らされるというのは最悪の未来像だろう。それも、こんな下種どもに。



そのまま、しばし時が過ぎた。
やがて、いやにわざとらしい鷹揚な歩き方で一人の男が側近らしき二人組をひきつれ、やや遅れて幾人かの取り巻きと思しき男達が部屋に入ってくる。
まるで「自分は大物です」と主張するかのようなその歩き方は、状況が違えばいっそ笑いを誘っただろう。
それほどまでに様にならず、滑稽な姿だった。
男はギンガの目の前まで歩み寄ると、長く伸びた蒼い髪を力任せに引きよせる。

「ぁっ!?」

引き寄せられた勢いで翔はギンガの懐から滑り落ち、堅い床に身を投げ出す。
その際に頭を打ったのか、額からは血の筋が流れていた。
だが、翔はそんな自分の状態にも気付かないようで、切羽詰まった声でギンガを呼ぶ。

「姉さま!?」
「よぉ、この前は世話になったな。今日はその礼をしようと思って招待したんだが、気に入ってもらえたか?」

ギンガの頭を引き寄せ、顔の前で舌なめずりをする男。
しかし、これほど近くで見てもなお、ギンガには男の事が思い出せなかった。
ただ、こんなことを仕出かすに相応しい碌でなしの顔をしている。

「ああ、折角の人生の一大イベントだ。ちゃんと撮影して、後で家族の下に届けてやるよ。
 ま、お前らが家に帰る日が来るかどうかは、この先のお前の頑張り次第だがな」

いったい何がおかしいのか、
男とその取り巻きたちは下卑た笑い声をあげている。
この後に何が待ち受けているのか、その手の事に経験の乏しいギンガにもわかる。
あの汚らしい手で衣服を剥ぎ取られ、弟分の身の安全を盾に奪われるのだろう。
その後は、きっといい様に嬲られて奴隷扱いか、あるいは殺されるかだ。
どちらにせよ、このままではギンガが家に再び帰る日は来ない。恐らくは、翔も。

(発信器を壊されたのが痛い。せめて、せめて場所だけでも知らせることができれば……)

あるいは、転送の際の残留魔力を辿って転送先は割り出せるかもしれない。
だが念の入った事に、そこから更に車で20分以上をかけて移動させられたのがこの廃ビルだ。
転送先の割り出しだけでは、この場所を特定することは難しいだろう。

「さぁて、今日までさんざん待たされたんだ。そろそろ、お楽しみの時間としようや。
精々泣き叫んでくれよ、その方が燃えるってもんだからな。楽しみ方を教えるのは、その後だ」

そう言って、男の手がギンガの胸元に伸びその服に触れる。
当然それは「脱がす」などという優しいものではない。
男は服を鷲掴みにすると、それを乱暴に引きちぎった。

「…………」
「ほぉ、ガキかと思ったらなかなかいい体してんじゃねぇか。こりゃあ、思ってたより楽しめるか?」

悲鳴や拒絶の声、あるいは助けを求める行為は男を喜ばせるだけ。
それを知っているギンガは、漏れそうになる声を必死にこらえ、なんとか男を押し返そうと腕を突っ張る。

本来、ギンガの腕力なら魔法などなくても男を跳ねのけることなど容易い。
ただそれは、男も魔法を使わない、純粋な筋力を比べた時の話。
魔法を使えないギンガに対し、男は身体能力を強化した上でギンガを襲っているのだ。
これではギンガの細腕に、男を押し返すことなどできる筈がない。自分自身に禁じた、封じた力を使わない限り。

「おい、面倒だから手足を押さえつけておけ」
「うす」

男はそのままギンガを床に押し倒し、手下に命じてその手脚を拘束した。
ギンガの顔は羞恥と怒りで赤く染まり、四肢と胴体をよじってなんとか逃れようともがく。

しかし、数と力の振りはいかんともしがたく、それがかえって男の劣情を昂ぶらせる。
男の眼には弾む胸と揺れる尻、そして悩ましげにくねるくびれた腰は、誘っているように見えたのだろう。
実際、ハリのある白い肌も、朱の指した整った顔立ちも、手入れの行き届いた髪も、その全てが状況が状況なら芸術的な美しさだった筈だ。

だが、その美しさを汚す歪んだ悦びに浸った男は、ギンガの衣服をわざと細かく引き千切っていく。
まるで、そうすることでギンガの恐怖と絶望を煽る様に。

「いいねぇ、やっぱり女を犯す時はこうでなくっちゃ。ま、これで泣き叫んでくれりゃ言う事なしなんだが……そこは我慢するか。俺は寛容だからな。それに、気が強い女も嫌いじゃねぇ。その生意気で綺麗なツラが涙に濡れて、トロトロに蕩ける所を想像するだけで…ゾクゾクする。
 それより格好と下着がいただけねぇな。贅沢は言わねぇが、もちっと色気のある格好をする事を勧めるぜ。
 その方が、俺としてもやる気が出るってもんだ。次はその辺に気を使うんだな」

情欲…あるいは淫欲に染まった眼で舌なめずりをする男を、ギンガは嫌悪と侮蔑の視線で睨む。
胸の奥には恐怖や絶望が渦巻いているが、気丈にもそれらを男に悟らせないように隠しているのだ。
こんな男に弱味を見せるなど、ギンガにとっては決して許容できるものではない。

「ククク、悔しいか? 怖いか? それともはじめては好きなあの人に、とでも思ってんのか?
 だが残念。お前の始めてもこれからも、全部俺のもんさ。
それでこそ、あの日俺が受けた屈辱を思い知らせてやれるってもんだ」
「臆病者!」
「あん?」
「女一人組み伏すことも大勢でなきゃできないなんて、腰抜け以外の何者でもないわ!
 プライドがあるのなら、少しは一人で何とかしてみようと思ったらどう!」

挑発などこの状況下では逆効果かもしれないが、それでも言ってやらずにはいられなかった。
今のギンガに男達に抗う術はない。できる事があるとすれば、それはこうして口で言い負かすことくらい。
だがそれも、男が開き直ったことで水泡に帰す。

「なら、その腰抜けに犯されるお前はそれ以下ってわけだ。
 こちとらお前と違って経験豊富でな、そんな安い挑発になんざのらねぇよ。隙をついて逃げようって腹なんだろうが、今までにも似た様な事をした奴はいるんでね。臆病だろうがなんだろうが、やる事は変わらねぇよ」
「くっ……」
「ただ、別に頭にこねぇわけじゃねぇ。態度によっちゃぁ優しくしてやってもよかったんだが、決まりだ。
 徹底的に女としてのお前を踏みにじってやるよ。ま、とりあえずは躾から始め……」
「やめろ!」

悦に入った表情でべらべらしゃべる男は、「躾」と称して拳を振り上げる。
だが、その言葉と行動を制するように幼い子どもの声が挟まれた。
同時に、小さな影が男目掛けて突っ込んでくる。

「姉さまから…離れろぉ!!」
「あ? ガキが調子に乗ってんじゃねぇ、よ!」
「ぐぇっ!?」
「翔!!!」

無謀にも頭から突っ込んで行った翔に、男の無造作な蹴りが突き刺さる。
魔力による強化もなく、特別強く蹴ったわけでもない。
それでも翔の体はボールの様に撥ね、コンクリートの床に転がった。
ギンガはなんとか翔に駆け寄ろうと身をよじるが、四肢を抑えられてはそれもかなわない。

また、あり過ぎる体重差を考えれば一撃で沈んだのは疑いようもない。
男達は誰もがそれを確信し、翔の無謀に嘲笑を浴びせる。
だがここで、翔は皆の予想を裏切った。

「わぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」
「ちっ、まだ動けたのか!!」

起き上がった翔は再度男に向かって突っ込む。
しかし、いくら格闘技を学んだとは言え絶対的に時間が足りない。
結局は初心者に過ぎない翔では、容易く男の乱雑な蹴りの餌食になるのは必定。
できる事があるとすれば、それは……

「このガキ、生意気に受け止めやがった……」
「ハァハァ、ハァ………」
「翔、あなた……」

それは、この数日ギンガが徹底的に仕込んだ防御の型。
翔はギンガから教わったそれを忠実に実行し、ギリギリのところで男の蹴りを防いでいたのだ。

その事実に、ギンガは状況も忘れて涙を浮かべる。
自分が教えた事をこうまで素直に順守し、実際にそれで成果を出して見せられたのだ。
一指導者として、これが嬉しくない筈がなかった。

だが、それも結局は気休めに過ぎない。
いくら防御できたとしても、それを無視できる威力があればいい。
幼い翔には、その威力に耐えられるだけの身体がないのだから。

「鬱陶しい、良いからガキはガキらしく地べたを這いつくばってろ!!!」
「げほっ!?」

男は堅く握りしめた拳で翔の横っ面を殴り、翔の体は壁際まで吹っ飛ぶ。
その時、遠くからまるで獣の咆哮の様な声がギンガ達の耳に届いた。
しかし、それを気にする余裕など今のギンガにはない。

「やめて! 相手は子どもなのよ!!」
「知ったことか! 調子に乗ったこのガキの自業自得だろうが!!」

ギンガはなんとか翔への暴行をやめさせようとするが意味を為さない。
壁際に転がった翔の体は痙攣しているかのように震え、立ち上がる気配はなかった。

むしろ、ギンガはそれでいいと思う。これ以上立てば、下手をすると大けがをするかもしれない。
今の一撃は単に力任せに殴っただけで、見た目は派手だが打点も振りも甘い。
アレなら、少し血を流すだけで済む筈だ。
だから、これ以上翔に立ってくれるなと心の中で懇願する。
口に出さなかったのは、そうすることで翔の意識を引きもどすことを恐れたから。
しかしそんなギンガの思いも空しく、翔は再度立ち上がろうとする。

「ダメ、翔! もう立っちゃダメ! お願いだから、そのままで……」
「い、イヤだ!」
「翔?」
「僕は、姉さまを守りたい! 姉さまが虐められてるところなんて見たくない!!
 それに、父様が言ってたんだ。大切な人の為に一歩踏み出せる人になれって……だから、逃げない!!」

それは、彼なりの不退転の覚悟と意思を携えての言葉。
翔は足元をふらつかせながらも、愚直なまでにギンガから教わった構えを実践する。
辛くない筈がない、痛くない筈がない。本当なら今にも泣き出してしまいたかった。
だがそれでも、涙を堪え、嗚咽を抑え、折れそうになる膝を叱咤し、挫けそうになる心を奮い立たせる。
もしその姿を兼一の友人達が見れば、等しく苦笑交じりに「その痩せ我慢は父親にそっくりだ」と評しただろう。

構えは専守防衛。攻める事を捨て、ただただ守ることに全身全霊を注ぐ。
その構えのまま、すり足で少しずつギンガへとにじり寄って行く翔。
誰に教わったわけでもなく、本能的に今はこれが最善と彼は感じ取っていた。
攻めることは無意味、急いで駆け寄っても拙い構えが崩れるだけと、彼は理解していたのだ。

しかし、その不撓不屈の闘志はかえって男達の気に障った。
身の程知らずにも自分達に挑む姿が、あまりにも度し難いものに感じたのだ。

「ガキが…調子に乗りやがって!!」
「あぐっ!?」

男は苛立ちを露わに翔の髪を掴み、勢いよく床にたたきつけた。
翔の口内には血の味が充満し、鼻からは赤い雫が止めどなく溢れる。
だが、それでもなお翔の眼の輝きは衰えない。力では負けても心は負けないと言わんばかりに、子どもとは思えない強い眼差しで男を睨む。

「いいか、覚えとけクソガキ!! 世の中はな、強い奴が正しいんだよ! 勝った奴が正しいんだよ!! 逆にはぜってぇにならねぇ!! 弱い奴らは強い奴の言いなりになって、媚売ってればいいんだよ!!
 お前みたいに正しい事が通ると思ってるゴミを見てると、虫唾が走るんだよ!!」

まくしたてながら翔の背中に蹴りを入れようと足を振り上げる男。
如何に雑な蹴りであっても、体重を乗せれば幼児の体ではアバラが折れ、内臓に重大なダメージを与えかねない。
それどころか、下手をすると背骨を折り、一生に渡る障害を負う可能性もある。
しかし、そんな暴挙を………ギンガが許す筈もない。

「やめて――――――――――――――!!!」

ギンガは叫ぶとともに、四肢を抑える男達を振り払う。
そのまま翔の上に覆いかぶさり、蹴りを無防備な背中で受け止めた。

「くぅっ……!」
「ね、姉さま?」
「どいつもこいつも……お前ら、しっかり押さえとけつったろうが!!!」
「す、すんません……」

つくづく思い通りにならない状況に、男はまるで癇癪を起した子どものように喚き散らす。
だが、ギンガを抑えつけていた男達は謝罪しつつも内心で首をひねっていた。
確かに翔の姿に目を奪われ、ギンガへ向けていた意識が薄れていたのは事実だ。
しかし、それでも先ほどまでは容易に抑え込めていた筈のギンガを、ああも簡単に逃すとは思えなかったのだ。
当然、ギンガの瞳がそれまでの翠から別の色に変化した瞬間を見た者はいない。
そんなやり取りがなされている間も、男の足は別の意思を持っているかのようにギンガの背を蹴り続けていた。

「だい、じょうぶ? 翔?」
「だめ、ダメだよ姉さま! 折角逃げられたんだから早く!!」
「バカ、ね。翔を置いて、逃げられるわけ、ないじゃない……」

次々と背を蹴られる痛みに耐えながら、ギンガは翔を安心させようと優しい微笑みを向ける。
こんなにも小さく儚い身体で、必死になって自分を助けようとした翔。
自分が教えた基礎とも言えない基礎を愚直に守り、確実に勝てないと分かっている相手に向かって行った教え子。
自分の体の事を知らないとはいえ、それでもそんな無茶をした弟を叱りつけたい気持ちはある。
だがそれ以上に、そこまで自分を慕ってくれているという事実に、ギンガは言葉にできない愛おしさを覚える。

翔の為なら、今まさに背を襲う痛みにもいくらでも耐えられる気がした。
それどころか、この子の為なら命すらも惜しくないと思える。
ギンガは翔がこれ以上傷つけられない様、傷つかない様、優しく…強く自分の懐に包み込む。
翔が決して外からの攻撃にさらされないように、翔が決して外に出て行かないように。
その身を殻として、あるいは檻として、幼い雛鳥を守ろうとしているのだ。
そして、そのことにギンガは確かな誇らしさを感じていた。大切な弟を守れる事への誇りを。
故に今この時だけは、頑丈な身体に造られた自身の出生に感謝してもよかった。
こんな体でも……こんな体だからこそ、その身一つでも大切な弟を守ることができるのだから。

胸を満たす思いが顔に出ていたのだろうか。翔の顔は一瞬泣きそうに歪み、それを隠す様に俯く。
幼くとも翔は「男」。女には見せたくない顔がある。
そんな翔に向け、ギンガは今できる精いっぱいの労いの言葉をかけ、万感の思いを込めて頭を撫でた。

「痛いのに、辛いのに……がんばった、ね。カッコよかったよ、翔」
「…………………………カッコよくなんか、ないよ。僕…僕、姉さまを守れてなんか……」
「そんなこと、ない。翔はちゃんと、私を守ってくれた、よ。私が言うんだから、間違い、ない」

事実、ギンガは翔が自分を守ってくれたと思っている。
翔の乱入がなければ、今頃彼女の処女はあの男に奪われていた筈だ。
抗う事が出来なかったわけじゃない。しかしそれは、同時にギンガにとって最大の禁忌でもある。
禁忌を犯すか、あるいは処女を奪われるか。あの状況では、その二択しかなかった。
どちらに転んでも、ギンガにとっては苦く辛い結末にしかなるまい。

処女を奪われれば「女」としての自分を損なわれ、禁忌を犯せば「人間」としての自分が損なわれる。
少なくとも、ギンガにとってその二択はそういうものだ。
だが翔は、そのどちらでもない結末を与えてくれた。
身を呈して「女」と「人間」、その両方を守ってくれたのだから。

しかし、翔はそれでもギンガを守ろうとその懐から外に出ようともがく。
気持ちはありがたい。守ろうとしてくれることは純粋に嬉しい。
だがそれでも、翔を傷つけさせたくはないが故にギンガは決して翔を離さない。
やがて、俯いたままの翔の口から嗚咽が漏れ始めた。

「泣かない、で。ちゃんと、私が守るから……」
「………………………………………………………………悔しい」
「え?」
「悔しいよ、僕じゃ姉さまを守れない。弱い僕は、父様や姉さまに守ってもらってばっかりで……」
「翔……」

ギンガはそこで、自身の言葉が的外れであることに気がついた。
翔は、不安や恐怖で泣いているのではない。この子はただ自分の弱さが、弱い自分が嫌で泣いているのだ。
そうして、翔はその思いの丈をそのままの形で叫ぶ。

「強く…強くなりたい!! 勝てなくてもいい、でも負けたくない!! ただ、正しいと思った事をできるくらい!!! 守ってくれるみんなを守れるくらい!!! 強く、なりたい!!!!」

それまで翔は、ただ漠然と「強くなるってどう言う事なんだろう」くらいにしか思って来なかった。
しかしこの時、初めて翔は心の底から願い、望んだ。力が欲しいと、強くなりたいと。
理不尽な暴力に抗う為に、大切な人を守る為に、心の底から。
男が言ったような「強いから正しい」という現実を拒否し、「信じた正しさを貫く強さ」を求めた。

(ああ、この子はなんて不器用で…………純粋なんだろう。
こんな怖い眼にあって、こんな痛い思いをして、それでもこの子は「力」じゃなくて「強さ」を求めてる。
我を通す為の「力」じゃなくて、不条理に負けない「強さ」を。
 なんて愚直で……優しい子。なら、それを守るのが…………大人の役目。そうだよね、母さん)

痛みが強くなるにつれ、身体の力が抜けていくのを自覚していたギンガだったが、その身体に新たに力が漲る。
なんとしても、なにがあっても翔を守らなければならない。それはいっそ、使命感にも似た感情だった。
翔を守る為ならば、禁を犯すことすらいとわない。そう思わせるだけの物が、ギンガの胸の内を満たしている。

(…………………………使えば、きっとここから逃げられる。
 使わないって、人として生きるって誓った。人として育ててくれた母さんと父さん、そしてスバルに。
 でも……………………………ごめんなさい。今の私には、もっと大切なものが出来ちゃった。
 大嫌いだったこんな「力」でも、この子の為に使えるなら…きっと、私は誇ることができるから!!)

意を決して、長い間封じ続けてきた力のスイッチを入れようとするギンガ。
さっきは咄嗟だった為に一瞬だったが、今は意識して完全な形で発動する。

それによって何が起こるかは、ギンガ自身が一番知っていた。
これまで築いてきた自分、「人間」としての自分。
それを壊してしまうかもしれない恐怖はあるが、それに勝る物を得たのだから。
仮に自身の秘密を知られて翔に恐れられても、それでも悔いはない。

覚悟を決めたギンガは、禁を破る為に静かに目を閉じる。
次の瞬間、封じ続けてきた力と共に閉じた眼を開く………その寸前。
ギンガ達が連れ込まれた廃ビルの壁が、大きく鳴動する。
そしてそれに重なる様に、ギンガを蹴る男の背後、窓際の壁が爆発した。

「な、何だ! 何が起こった!?」
「わかりません、いきなり窓際の壁が吹っ飛びましたぁ!」
「どっかの鉄砲玉の特攻か!?」

誰もが混乱する中、埃とも煙ともつかない靄が掛かる。
今しがたギンガを蹴っていた男も、訳のわからない事態に慌て、あっさりとギンガに背を向けた。
顔を挙げたギンガの眼に飛び込んできたのは、靄のカーテン越しに映る中肉中背の黒い影。
その影の主はゆっくりと靄を払って姿を現し、混乱する男達を無視して、この場には不釣り合いなほどのひどく穏やかな声でこう言った。

「遅れてごめん。助けにきたよ、翔、ギンガちゃん」






あとがき

まずはですねぇ……………………………ごめんなさい。
荒事になるとか言っておきながら、ある意味で何とも微妙な終わり方になってしまいました。
まあ、ちょうど区切りが良かったのでここでいったん区切ったんですけどね。
これ以上となると、正直文章量がすごいことになりそうだったのです。
とりあえず、今回は翔の変化の回。次で救援に来た人の話です。誰かは丸分かりですが。



[25730] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:20

ギンガ達のいる廃ビルで異変が起きる瞬間から、いくらか時を遡る。
丁度通勤ラッシュに当たる時間帯であり、まさに最も人通りの多くなる頃合いだ。
そんな時間帯の市街地を、地味な帽子を被った一人の男が人ごみに溶け込むようにして歩いていた。

「やれやれ…仕事とはいえ、前途豊かな若者の未来を閉ざすような仕事は、心苦しいねぇ……」

相も変わらず、本音なのかどうか判然としない口調で、誰にともなく呟く。
ギンガ達が連れ込まれた廃ビルを出た後、男は用意してあった車で市街地に戻ると、車を乗り捨てて人ごみに紛れたのだ。

元々、車自体は依頼主から拝借したもので、依頼後の移動手段の用意も条件の内。
故に、乗り捨てたと言っても、後で依頼主の関係者が回収する手筈になっているので、特に問題はない。
別に転送をはじめとした何らかの魔法で移動してもよいのだろうが、それだと魔力発動の痕跡で足が付く可能性があった。それを用心しての移動手段の確保である。

とはいえ、市街地に入り、こうして人ごみに紛れてしまえば見つかる可能性は極めて低い。
念のために車内で着替えも済ませたので、服装は手掛かりにならない。
あとは、こっそりとこの地を離れ、ほとぼりが冷めるまで近づかなければそれでおしまい。

「まぁ、済んだ事を思い返しても仕方がない。
 だが、それはそれとして…………これはどうしたものか」

そう言って男が懐から取り出したのは、一枚の紺色のハンカチ。
それを丁寧に開くと、中から出て来たのは鳥籠を模した小物。
その存在に気付いたのは、迂闊な事に車内で着替えをしていた時。
着替えている最中に、聞きなれない音がしている事に気付いて発見した物だ。

「確か……あの坊やがこんな物を持っていたか。
 ふむ、悪い事をしてしまったな」

転送先からさらに廃ビルに移動する際、まだ毒の抜けきらないギンガと抵抗する翔を車に運び込む為に抱きかかえたので、その時に引っかかってしまったのだろう。
決して他人様に誇れるような生き方をしていないと自覚している男だが、さすがに子どもの持ち物…それも、見た所小さいがかなりいい物だ。そんな物を、知らなかったとはいえ結果として盗んでしまったのは気が引けるのだろうか。

「戻って返す…と言うわけにもいかんし、かと言って捨てたり売ったりするのも気が引ける。
 はてさて、どうしたものやら……」

とはいえ、持ち続けていればこれが決定的な証拠になりかねない。
なので、出来れば早々に処分してしまいたいのが男の本音だった。

しかし、時すでに遅し。
小物一つと油断し、決断が遅れたのが運の尽き。
あるいは、プロにあるまじきミスをしてしまったのが、そもそもの分岐点だったのか。

いずれにしろ、このタイミングでそれを出してしまったのは最悪だった。
ハンカチを開いた際の振動で僅かに生じた、「リーン」という微かながらも澄んだ音色。

だが、それで男を「迂闊」と責めるのは酷という物かもしれない。
なにしろ、本来であれば朝の喧噪に呑まれ、誰の耳にも届かず消える音色だった筈はずなのだから。
そんな物にまで気を配るなど、さすがに気にし過ぎと言う物かもしれない。

だが、それは――――――――届いてしまった。
偶然か必然か。我が子と同居人を探して偶々市街地を疾走していた、一人の怪物に。



「っ!? 今の音は!」

微かに、本当に微かに耳が拾った馴染んだ音色。
危うく聞き逃してしまいそうなそれを、しかし兼一は聞き逃すことなく捉えていた。

時にビルとビルの間を飛び越え、時に車や電車を追い越し、時に人の死角をついて動いていたのが嘘のように停止すると、兼一はビルの柵の上に立って耳を澄ませる。
だが、再度あの音色が響く事はない。

一瞬、兼一の脳裏に勘違いの可能性がよぎるが、直にそれを否定する。
裏付けもなく、ようやく見つけた手掛かりの可能性を放棄することはできない。
なにより、十数年慣れ親しみ耳になじんだあの音色を、聞き間違える筈がないのだ。

「なら、後は手当たり次第だ!」

音の出所を特定できないのなら、後は直接探すしかない。
幸い、大雑把な方向くらいは絞る事が出来る。

兼一は柵から飛び降りると、誰に気付かれる事もなく人ごみの中に入り込む。
そのまま人込みをかき分けるのではなく、道行く人々の感覚の隙間を縫って動く。
常に通行人の死角をつき、存在感を薄くしながら彼らの身体を一瞬のうちに調べ上げていく。

(違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う)

そうして地道に調べ上げていく事、早数十人。
さしもの兼一にも焦りが生じ始めた所で、一つの違和感に気付く。
それは巧妙に擬態された、だが一般人とは異なる気配の持ち主の存在。

(まさか!)

兼一はそれまでの地道な捜索を辞め、その人物に狙いを絞った。
気付かれないよう細心の注意を払い、同時に迅速に接近し、その人物の懐を調べる。

(ん、いまなにか……)
「見つけた!」
「は? なに…を!?」

奇妙な感覚がしたかと思うと同時に耳元で告げられた一言。
それに反応し、その呟きの主を確認しようとした所で、男は形容しがたい体験をした。

あらぬ方向に加わるG、流れる風景、左脇に回された何者かの腕。そして、悪魔に背筋を撫でられたかのような……悪寒。
しかし、その意味を理解する事も、頭の中で思案する間もなく、先に感じた全てはなくなっていた。

ただし、風景は一変している。
先ほどまで人ごみの中にいた筈なのに、今はやけに見晴らしの良いビルの屋上。
吹き荒ぶ風は心地良いを通り越して、乱暴に身体を叩いてくる。
明らかに地上10階を優に超えるその場所に、気付けば見知らぬ男と向き合う形で立っていた。

(なっ!?)

ここにきて、ようやく男の頭は状況の異常さを理解した。
何もかもわからないことだらけだが、三つ確かな事がある。
一つ、自分は今、尋常ならざる事態に直面しているのだと言う現実。
一つ、それを為したのが、視線の先にたたずむ何ら目を引く物がないのに目を離せない、矛盾した一人の男であろうということ。
そして、何故か未だに頭の上に行儀よく乗っていた帽子が、たった今ビル風によって吹き飛ばされたと言う事だ。

「火急の用件だったもので、強引な形になってしまったのは謝罪します。
 ですが、一つ確認させてください。あなたはこれを、どこで手に入れたんですか?」

丁寧な、いっそ下手に出ていると言っていい口調で、視線の先の男…兼一は問いかける。
その手にあるのは、今しがた男の懐から抜きとったハンカチ…より正確には、その上に乗せられた鳥籠を模した小物。

男は反射的に自身の懐を確認しそうになるのを、有りっ丈の自制心で抑える。
今まさに目の前にあるものが懐にある筈もないし、そもそも懐に感じていた異物感がない。
つまり、アレは間違いなくつい先ほどまで彼の懐にあった代物に相違ないと言う事だ。

(なに者だ、この男。魔導師…と言う感じではないが)
「……たいしたものですね。この状況でその自制心、感服します」

実際、男の自制心はたいしたものだ。
反射的に懐を確認しそうになるのを抑えた事もそうだが、兼一の問いかけに無言のまま「質問の意味がわからない」と言う表情と仕草を違和感なくやってのけた点は、見事の一言だろう。

だが、同時にその自制心が意味を為さない事を、両者は理解していた。
温厚で荒事を好まない兼一だが、我が子と同居人の危地とあってはその限りではない。
一度の問いかけで答えが得られないとなれば、実力行使も止むを得ない。
その判断を降す事に、些かの迷いもありはしない。
そして、その変化を男は鋭敏に感じ取っていた。

(っ! 何者かは分からんが、この男は………危険だ!)

裏社会で生きていく上で、男が最も重宝しているものは何か。
それは転送魔法をはじめとした逃げ足でもなければ、物事に深入りしないスタンスでもなく、目の前にある存在の危険度を察知する能力。

自分より強いのか弱いのか。強いとして、その程度は如何ほどなのか。
ほとんど差がないのか。それとも、上手くすれば勝ちを狙えるのか。はたまた、手も足も出ない程の差があるのか。
彼我の戦力差を見極め、適切に対処できる事が、男の考える自身の一番の長所であり、これこそが長年に渡って裏社会で生き残る事が出来た理由だ。

しかし今、かつてない異常事態…正確には、異常な存在が目の前にいる。
なぜなら、男にとって白浜兼一と言う存在との邂逅は、理解不能な未知との遭遇に他ならなかったのだから。

(わからない。なんなんだこの男は? 私より強いのか弱いのか……いや、それ以前に、どういう相手なのかすら判別できないというのは、初めての経験だ)

今まで経験した事もない、全く以って何一つ測る事の出来ない存在との遭遇。
だが、男の中での混乱は思いの外、小さかった。
わからない、と言う事はある意味最も危険な事だと本能的に理解していたからだ。
どう対処して良いかわからないのなら、今できる最大限の対処をすべき。
それが、男が下した決断だった。

男は迷うことなくナイフ型のデバイスを展開すると、それを高々と振り上げる。
そして勢いよくそれを振り下ろし、コンクリートの地面に深々と突き立てた。

「何者かは知らんが、そう簡単に行くと思わん事だ!」

輝きながら広がる、薄桃色の転送系魔法陣。
やがてその輝きが収まって行くにつれ、異形が姿を現す。

【ガルルルルル!】

見た目の第一印象は虎。鮮やかな黒と黄の縞模様、逞しい四肢で大地を踏みしめて唸りを上げる姿は、猛獣の名に相応しい威風堂々とした物だ。
ただし、この虎の場合はその範疇には収まらない。
まず、明らかにサイズが違う。虎本来のサイズより倍以上も大きい。

これだけでも十分大問題なのだが、真の問題はその背中から飛び出しているもの。
それは『翼』。しかも、その大きさたるや虎の前兆に匹敵するほど。
そんなものが、前足の付け根あたりから生えているのだ。

「どうかね。こいつは私が呼べる中でも一番の大物だ。
 私自身の戦闘能力は低いが、こいつだけでもおつりがくると言うものさ」

自身が呼び出せる中で最も強力な召喚獣を召喚した事で、精神的に余裕が出て来たのだろう。
男の表情からは、先ほどまであった警戒が僅かに薄れている。
こんな街中で召喚獣を呼びだすのは色々な意味で危険だが、急ぎ兼一を処理して逃げれば問題ない。
そう言った計算をした上での余裕なのだろう。

実際、男の余裕はそう間違ったものではない。
一般的な虎に倍する体躯と言うだけで、充分過ぎる程に危険なのだ。
魔力の有無を問わず、生物として本能的な恐怖を感じて当たり前。
ましてや、その身体から迸らんばかりの魔力が溢れているとなれば、よほどの魔導師であっても覚悟せねばなるまい。
ただし、当の兼一はと言えば……

(窮奇(きゅうき)…とでも呼べばいいのかな?
中国の魔獣と次元世界で出会うなんて、なんだかシュールな気もするけど)

と、実にどうでもいい事を考えていた。
ちなみに窮奇とは、古代中国の西方で暴虐の限りを尽くしたと伝えられる、四凶と呼ばれる四体の魔獣の一角である。厳密には違うのかもしれないが、虎の身体に鳥の翼、より正確には猛禽の翼を生やしたその姿をしているからには、こう呼ぶのはそう間違っていないだろう。

イヤ、呼び方などどうでもいい。
普通、こんな頭に超が付いてもおかしくない程の大型の猛獣を前にすれば、恐怖で身体が竦むか、あるいは錯乱してもおかしくない。
そう言う意味では、どうでもいい事を考えていると言うのも、ある種の錯乱と言えるか。

ただし、それが白浜兼一の場合はその限りではない。
そもそも彼に「普通」を求めるのが間違っている。あるいはこれが普段の彼であれば、取り乱すなり恐怖に震えるなりしただろう。
男も兼一の不動をその様に捉えたのか、威勢よく窮奇をけしかける。

「すまんね。可哀そうな気もするが、あまり時間もないんだ。運がなかったと思って、諦めてくれたまえ。
さあ、行け!」
【グオオオオオオオ!!】
「うん、怖い。鋭い牙、逞しい四肢と爪…っていうか、何もかも怖い。
正直に言えば、逃げ出すどころか足が震えて身動き一つ取れなくなりそうなくらいに怖いよ」

男の指示と共に、兼一目掛けて真っ直ぐ飛びかかってくる窮奇。
それに対し、兼一は内なる恐怖を素直に吐露しながら軽く一歩前に出る。

確かに兼一は窮奇の存在に恐怖している。
しかし、彼の精神は、息子と同居人の危地を前に、既にある一線を越えていた。
この域に達した彼は、あらゆる恐怖を克服する勇気を発揮するのだ。
刃物への恐れはそのままに、銃火器への怖れもそのままに、猛獣への畏れもそのままに。
無論、それが目前の化生であろうと例外ではない。

「でも、僕も…………………怖いとか言っていられる状況じゃないんだ」

そして、窮奇の鼻っ面に向けて右手を差し出しながら、その煌々と輝く瞳を直視する。
その瞬間、窮奇は己が一体何に挑もうとしていたのかを、本能的に理解した。

確かに男の目の前の相手の力を察知する能力は優れているのかもしれない。
白浜兼一と言う、様々な意味で特殊な存在を「理解不能」と感じ取り、それを「危険」と判断した事が、その能力を裏付けている。
だがその能力は、野生の中に身を置く獣のそれには届かなかったようだ。
男には理解できなかった物を、窮奇は理解したのである。
これは決して、例え戯れにでも噛みついてはいけない「何か」であると。

「なっ……」

知らぬうちに、男の口からは驚愕の声が漏れる。
それも当然。乗り気ではないとはいえ、兼一が多少の抵抗はしても、最終的には窮奇の餌食になると男は疑っていなかった。
ところが蓋をあけて見れば、窮奇は兼一のすぐ手前で「伏せ」の体勢。

そんな窮奇の頭を、兼一は穏やかな手つきで撫でる。
すぐ目の前にいなければ気付かない程小刻みに震えるその姿に、憐れみと申し訳なさを感じながら。

「ありがとう。正直、気が引けたんだけど、君の方から退いてくれて本当に良かった」
【きゅ、きゅ~ん……】
「そして、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだけど……君が何もしないのなら、僕も何もしない。
 だから、安心してくれると良いな」

言葉が通じる筈もないのだが、強い思いの籠った言ノ葉を理解したのか、窮奇の目から怯えの色が失せて行く。
人間、案外強い思いを以って臨めば、言葉は通じなくても思いは伝わるものらしい。
『魂語』とでも呼べばいいだろうか。

「さて」
「な、何をしたんだ! あ、アイツを闘いもせずに何て!?」
「動物は敏感、と言う事ですよ。ところで……」
「……」
「先ほどの質問の答えを、教えていただけませんか?」

男も、ことここに至って徐々に理解し始めていた。
全く以って訳がわからないが、自身に向かって歩みよってくるこの一見平凡そうな男は、絶対に関わってはいけない種類の何かなのだと。
その脅威が全く実感できない事、それが何よりも恐ろしいと男は感じている。
だがそれでも、男はプロとして精一杯の虚勢を張ってみせた。

「知らない、と言ったら?」
「無理は言いません。でも……」
「でも?」
「どうしても聞いてほしいと仰るなら、聞いて差し上げない事もありませんよ?」

どこまでも柔和で、穏やかな声音によって語りかけて来る。
ただし、それはあくまでも言葉だけの話。
近づくにつれ、いつの間にか眼から放たれていた怪光線が突き刺さり、のしかかる様な圧迫感が総身を包む。
『要請』と言う形をとってこそいるが、その実体は有無を言わせぬ『強制』。
これを前に、男に与えられた選択肢はあまりにも少なかった。

(わりぃ、旦那。こりゃ、逆らえるような相手じゃないわ)

男とて、まがりなりにもプロだ。
正直、相応にプライドもあるし、洗い浚い吐いてしまう事に抵抗がない訳ではない。
口の堅さもまた、この業界でやって行くために必要な条件の一つ。
実際、生半可な拷問にかけられたくらいでは口をわらない程度の覚悟はあるつもりだ。

だが、今回は本当に相手が悪い。
プライドやプロ意識と、目の前の謎の生命体の不興を買う事に対するデメリット。
両者を天秤にかけた結果、男の針はあっさりと保身へと傾いた。

(そりゃね、依頼主の事をあっさりはいたなんて知られたら干される事請け合いなんだけどさ……)

この相手に捕まった時点で、そういう方面での先の心配をする事自体、無意味に違いない。
ならせめて、少しでも良い落とし所に持っていく方に労力を割くべきだ。
それが、『足洗って、田舎で畑でも耕すかなぁ』と若干現実逃避しつつ、男の出した結論だった。

そうして語られる、依頼内容に関する情報の数々。
聞けば、翔はついでで攫われただけらしい。そう言う意味では、幾らか緊急性は下がったと言える。
しかし、問題なのはギンガの方だった。

「まぁ、私が言うのもなんだが、あまり時間をかけない方がいいと思うよ。
 彼女は貞操観念も強そうだったしね。正直、女の尊厳は保障しかねる」

男よりもたらされた、依頼主の取り巻きたちの様子についての情報は、兼一の脳裏に最悪の未来像を紡がせる。
我が子を実の弟のように慈しみ、その才と意思を守る為に真剣に怒ってくれた、年の離れた友人。
そのギンガが、心ない理不尽な暴力により、汚されようとしている。
それは兼一にとっても、到底許容できない、許し難い暴挙だった。
沸々と煮えたぎる怒り。脳髄が灼熱し、その怒りの全て犯人達にぶつけてやりたい欲求に駆られる。
そのどうしようもない様な衝動が、兼一に声ならぬ咆哮を上げさせた。

「――――――――――――――――――――――っ!!!!」

大地を震わせ、大気を揺るがす気当たりの発散。
もしこの場に見ず知らずの第三者がいれば、兼一が得体のしれない何かに取り憑かれたかのように映っただろう。
まあ、そんな人間がいれば、先の気当たりの開放で腰を抜かすなり気絶するなりしていただろうが……。

だが、兼一が怒りに飲まれたのかといえば……否だ。
身を焦がす怒りを深く深く呑み込み、感情の見えない無表情で「静」の気を練り上げる。

「お、お~い?」
「どこのだれか知らないけど……人の息子と友人に手を出した事、ちょっとだけ後悔してもらおうか」
(あっちゃ~、こりゃホントに終わったな)

意識が飛びそうになる程の威圧感の中、男は依頼主達に胸中で黙祷を捧げる。



手に入れた情報を伝えるため、与えられた通信端末でゲンヤの個人端末を呼びだす。
本来、兼一が使っている翻訳機は通信越しには使えないが、それ用の機器があればある程度融通は利く。
幸い108にはその危機があるので、通信越しでもなんとかなる。

とはいえ、正直あちらも忙しい筈なのでそう簡単にはつながらないのでは、と思っていた。
しかし、そんな予想に反し、一度目のコール音の最中に繋がったのは兼一にとっても割と驚きだった。

「どうした! 何か手掛かりが……」
「二人の居場所がわかりました。偶々見つけた相手が、どうやら二人を拉致した犯人だったようで」
「マジか?」
「はい、マジです」

まさかいきなり二人の居所が分かるとは思っていなかったのか、ゲンヤの表情はなんとも形容しがたい物になっている。それはゲンヤの背後に映る会議室と思しき場所に詰めた隊員達も同じらしい。
吉報が飛び込みにわかに活気づくのだが、徐々に難しい顔になる物がちらほら。

純粋に喜びたいのは山々なのだが、まさかこんな一足飛びに事が運ぶとは思っていなかったのだろう。
なにより、自分達がようやく転送先からさらに移動先を割り出そうとしている中での、この情報。
喜ぶべきだし、実際に喜んではいるのだが、捜査のプロとしてなんとも微妙な気持ちになってしまうのはどうにもならなかったようだ。

「ま、まぁいい。で、場所は?」
「僕のいる場所から、南西に約10キロ行った先の廃ビルだそうです」
「情報元は?」
「一応拘束はしてあります。どこかの管理局の出張所にでも置いてくればいいですか?」
「おう、それで問題ねぇ。近くの出張所を指示するから、そこに運んでくれや」
「はい」

締め落としておいた方が安全なのだろうが、それだとこれ以上情報を引き出す事が出来ない。
それはそれで困るし、相手には最早抵抗の意思がないのは明白。
なので、手荒な事はせず「馬家 縛札衣(ばけ ばくさつい)」という、相手の着衣を利用して身動きを取れなくする技で捕縛したのだ。
女性相手には少々使用が憚れる技なのだが、相手が男だったのはありがたい。

「さて……んじゃ、行くぜ野郎ども!!」
『ハッ!!』

居場所さえ判明してしまえば話は早い。
あとはただ、現地に赴き然るべき対処をするのみ。
ゲンヤの背後が慌ただしい雰囲気に包まれ、誰もが全速力で廊下を駆け巡る。
ゲンヤもまた陣頭指揮に当たる為に会議室を後にしようとするが、その前に兼一の移る画面へと視線を戻す。

「で、お前はどうすんだ?」
「え?」
「てめぇのことだ。どうせ、止めたって聞かねぇんだろ?」
「……………ごめんなさい。
突入班が向かうにしても、十分や二十分じゃ無理でしょう。
その間に手遅れにならないとも限りません。でも、僕なら五分以内に着けます!」

そう、ここから先は時間との勝負。
翔やギンガに何かある前にたどり着き、迅速に犯人達を制圧しなければならない。
制圧するだけならなんとでもなるだろうが、問題なのは時間。
突入班はいつでも動けるように準備していたが、それでも隊舎を出るまでに多少なりとも時間はかかる。
その上ヘリは全員を輸送するだけの数はなく、どうしても陸路を通らねばならない。
緊急車両として望み得る限り最速で現場に急行する事はできるが、それでも時間はかかるだろう。

だが、兼一一人なら今すぐにでも向かう事が出来る。
それも、道路や交通状況などに左右されず、目的地までの最短距離を突っ走って。
更に言えば、現在地においても兼一の方が近いと来た。
ここまで条件が揃っている以上、兼一がいかない理由がない。

「だろうと思ったぜ。まぁ今更、車以上の速度で走ったって驚きゃしねぇよ。
だが、無理はするな。ヤバそうならこっちの到着を待て、いいな」
「…………善処します」
「ったく……ホントに、しょーのねー野郎だ」
「ごめんなさい。お叱りは、後で必ず!」
「ああ、俺の説教は長ぇぞ!」

ゲンヤの声を背に、兼一は再度コンクリートジャングルを疾駆する。
ただし、今度は当てもなく動き回るのではない。
確たる目的地を以って、今の彼に出せる最大速度で。

(翔、ギンガちゃん! 今、助けに行くよ!!)

この日、この瞬間、あの男達の運命は決した。
眠れる獅子……いや、爪も牙も持たない不思議小動物を彼らは目覚めさせてしまったのだ。
かつて第97管理外世界「地球」において「梁山泊、史上最強の弟子」「一人多国籍軍」と謳われた武人を。



BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」



件の男を出張所において行く瞬間を除き、止まる事も、緩める事もなく一定の速度を維持していた兼一は、ある6階建ての雑居ビルの前で唐突に足を止めた。

108へと通信した際に兼一がいた地点からは、凡そ十キロは離れた場所である。
しかし、先ほどゲンヤに宣言した通り、兼一はかなりの距離があった筈のここまで、五分とかかる事なく辿り着いたのだ。それはつまり、時速に換算すれば120キロ以上を叩き出したという事。
ちなみに、地上最速の生き物であるチーターですら瞬間時速は110キロ。
それ以上の速度を長距離に渡って維持したのだから、悪夢に等しい非常識である。
それも、これでも道に迷わない様に、人を撥ねないように少し慎重に走ったというのだから……。

だが、今この場にその事を突っ込む常識人はいない。
何より、兼一自身そんな些事にかまけているほど暇ではなかった。

「さて……ここの筈だけど」

見上げるのは、なんの変哲もない廃ビル。かつて新白連合がアジトにしていたような、そんな建物だ。
あの男から聞き出した情報によれば、ここで間違いない筈だ。
人の影はなく、その気配もない。しかし兼一は確かに感じ取っていた。
その奥から、いくつも人の気配がする事を。

しかし、相手は幼い翔と武術家としては未熟なギンガ。
とてもではないが、気配から察知することは難しい。
なんとなく近い気配は感じるのだが、それなりに数がいるようで断定できない。
相手方に達人でも含まれていれば、その強大な気の波動でより多くの事が分かる事もあるのだが……。

「確かあの人の話だと……あそこか」

あの男の証言が正しければ、ギンガと翔が連れ込まれた部屋は丁度兼一の視線の先。
何はともあれ、確認しない事には始まらないと結論付ける。

「正面から行ってもいいけど、二人の安全を考えるなら……」

正面から行けば、咄嗟に二人を人質に取られるかもしれない。
それでも救出する自信はあるが、より万全を期すべきだろう
一応居所が分かっているのだから、そこに強襲を掛けるのも一つの手だ。
相手の裏もかけるし、上手くすれば即座に二人を奪還できる可能性がある。
恐らく、現状ではよりベターと言える策だろう。
まだ二人とも無事だとしても、それが十秒後もそうである保証はないのだから。
ならば、可及的速やかに二人を救出せねばならない。

兼一はビルの壁際に立ち、大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出す。
そのまま彼は深くしゃがみこみ、眼を見開いて跳躍した。

「とう!!!」

土の地面は陥没し、兼一の身体が天高く舞い上がる。
5階のガラスのない窓の前まで来たところで、覚えのある二つの気配を捉える。

「そこか!」

そのまま兼一は右腕をつきだし、その縁を掴んだ。
五指はコンクリートの壁に深々と食い込み、片手一本で姿勢を維持する。
兼一は、残った左手で人が出入りをするにはやや小さい窓の縁に殴りかかろうとする。
だがその直前、兼一の耳が廃ビル内で交わされる言葉を拾い上げた。

「痛いのに、辛いのに……がんばった、ね。カッコよかったよ、翔」
「…………………………カッコよくなんか、ないよ。僕…僕、姉さまを守れてなんか……」
「そんな事、ない。翔はちゃんと、私を守ってくれた、よ。私が言うんだから、間違い、ない」

聞こえてきたのは、何かを蹴る音と苦痛を堪えるギンガ、そして今にも泣き出しそうな翔の声。
続く、苦悶に歪みながらも優しくかけられるギンガの声音は、まるで翔を褒め、あやしているように思えた。

正直、得られた情報はささやかな物。
わかった事と言えば、翔がギンガを守ろうとして…それが叶わなかったのだろうという事くらい。
兼一は急いで二人の下に向かおうと拳を振りかぶるが、それを翔の言葉が縫いとめた。

「泣かない、で。ちゃんと、私が守るから……」
「………………………………………………………………悔しい」
「え?」
「悔しいよ、僕じゃ姉さまを守れない。弱い僕は、父様や姉さまに守ってもらってばっかりで……」
「翔……」

涙ながらに訴えられるのは、弱い自分への怒り。大切な人を守れない事への悔しさ。
理不尽な暴力をふるう相手に向けたものではなく、それを撥ね退けられない自分に翔は憤っていた。
その感覚、感情には兼一も覚えがある。かつては兼一も、不条理な世の中で、弱い自分を嫌っていた。
だからだろう、なんとなく…この先翔が何を口にするのか分かる気がする。
そしてその言葉を、自分は決して聞き逃してはならないのだと……。

「強く…強くなりたい!! 勝てなくてもいい、でも負けたくない!! ただ、正しいと思った事をできるくらい!!! 守ってくれるみんなを守れるくらい!!! 強く、なりたい!!!!」
(ああ、君も選んだんだね……翔)

翔の精一杯の魂の叫びに、兼一は天を仰ぐ。
いつか来るかもしれないと思って覚悟していたその時。それは、兼一が思っていたよりもずっと早かった。
それを望んでいたのか、それともそんな日が来ない事を願っていたのか。
それは、兼一自身にすらわからない。ある一面ではこれから息子に降りかかる数々の苦難を嘆き、別の一面では息子がこれほどの想いを持ってくれた事を喜んでいる。
何よりその言葉は、兼一にとっても懐かしい、遥か昔を想起させる言葉だった。

(そう言えば、岬越寺師匠が言っていたっけ。血は水よりも濃い、しぐれさんも……どこか亡くなったお父さんに似て行くって。馬師父も言っていた。どれだけ隠したところで、子は親に似るものだと。
それにしても、僕自身が師匠達に言った言葉を、翔が口にするなんて……)

兼一の肩が震える。眼には一滴の涙が浮かび、拳は強く強く握りしめられた。
まるで若き日に立ち戻ったかのような心の脈動を、兼一は噛みしめている。

「大丈夫だよ、翔。君にその信念があるのなら、強くなれる。誰よりも、何よりも。
 どんな理不尽にも、不条理にも負けない。大切なものを守れる強い人に…必ず」

最早心に一片の迷いもない。つい先ほどまでは息子の前で武を振う事に僅かな躊躇があったが、それは消えた。
元よりこの拳は、大切な人を守る為に鍛え上げた活人の拳。
ならば、我が子と友人を助ける為に使う事を、どうして躊躇う必要がある。
何より、その小さな胸に強い想いを宿した翔に、何を隠す事があろうか。

「美羽さん、ごめんなさい。やっぱりあの子は……僕たちの子だ。
 親の思惑も、宿命も関係なく、自分自身の意思であの子はこの道に踏み込んだ。
 結局僕はあの子を武から遠ざけられなかった。そして、今この拳をあの子に晒します。
でも………許して、くれますよね? あなたもきっと、同じ気持ちだろうから」

美羽との約束を破ったとは思わない。他ならぬ翔自身が、理不尽と戦う道を選んだのだから。
ならそれは、今際の際に美羽が残した「自分の意思で武門に入るかを選ばせる」という言葉に反しない。
なにより、美羽もきっと同じ気持ちだろうという確信が兼一にはあった。

故に、兼一は一切の迷いなく、憂いなく、今度こそその拳を振り抜いた。

「しっ!!」

無数の突きが窓の縁を打つと、まるで爆発したかのように吹き飛ぶ。
一瞬のうちに小さかった窓の縁は力づくで拡張され、一面の壁が跡形もなくなった。

兼一は振り子の要領で部屋の中に入ると、破壊の余波でたちこめる靄を払いながら進む。
そして、目当ての人物たちの姿を発見したところで、努めて穏やかな声音で安心させるようにこう言った。

「遅れてごめん。助けにきたよ、翔、ギンガちゃん」

混乱して浮足立つ男達を無視して、兼一は二人の下へ歩み寄る。
ギンガの服は所々が無残にも引き裂かれ、白い肩や長く蒼い髪の隙間からのぞくうなじ、そして鎖骨が露わになっていた。動きやすさを優先した下着も白日の下にさらされ、無意識のうちに腕で隠された胸元と共に扇情的な光景を演出している。

どうやら最悪の事態は回避できたようだが、そんなものは気休めにもならない。
ギンガが心身に受けた痛み。それを考えるだけで、兼一の怒りはなお一層燃え上がる。

同時に、兼一は急いでそこから目を逸らし、着ていたジャケットを脱いでギンガにかけた。
うら若い乙女がそう肌を晒すものではないと、どこか古臭い考えが脳裏をよぎっているらしい。
ギンガはまだ目の前に立つ人物の存在が信じられないようで、目を瞬かせながら兼一を見上げている。

「兼一…さん? そんな、どうしてここに……」
「父様? 本当に、父様なの?」
「ああ、そうだよ。だけど二人とも、よく…頑張ったね。えらいよ」

ギンガ同様信じられないという眼差しで兼一を見る翔に対し、兼一は右手で優しく頭をなでてやった。
残った左手もギンガの頭に回され、絹糸の様に柔らかく光沢を帯びた髪を撫でる。
どちらも特に意識したものではなく、無意識のうちに。

その感触が、二人に目の前の人物が現実である事を実感させる。
二人はそこでようやく強張っていた身体を緩める事が出来た。

そんなギンガと翔を見る兼一の目は細められ、安堵と申し訳なさに染まる。
安堵は翔とギンガに重篤な怪我がない事に対するもの。
申し訳なさは、それでも決して無傷とは言えない二人に対する自身の不甲斐なさから。
特にギンガは翔を身を呈して守ってくれたのだろう。背中は汚れ、所々から血が滲んでいる。
その上衣服を剥ぎ取られている所から、強姦寸前だった事は明らかだ。

もっと早く助けに来ていれば、そもそも誘拐などさせなければ、こんな事にはならなかったのに。
そう思うと、兼一の胸のうちはギンガと翔への申し訳なさで一杯で、今にも張り裂けそうだった。
故に兼一は、ギンガに向けた言葉に有りっ丈の感謝と謝罪を込める。

「ありがとう、ギンガちゃん」
「え?」
「翔を、守ってくれたんでしょ? 本当は僕が守らなきゃいけないのに、代わりに守ってくれて。
翔がいまこうしていられるのは、君のおかげだ。本当に…ありがとう」
「そ、そんな! 違うんです、そもそも翔は私に巻き込まれただけで……!!」
「でも、それは君の責任じゃない。責任は君達を誘拐した彼らにある。だからやっぱり…ありがとう。
 そして、ゴメン! 君に、取り返しのつかない傷を負わせるところだった!!」

心底悲しそうに、悔しそうに、兼一はギンガに頭を下げる。
大切な人を守る為にこの拳はあるというのに、危うくその大切な人に一生ものの傷を負わせる寸前だったのだ。
運よく辛うじて間にあったが、それは本当に運が良かったからにすぎない。
もしほんの少しでも何かが違っていたら、兼一がたどり着いた時には手遅れになっていたかもしれない。

そう思うと、兼一の背筋が凍る。
会ってまだ一ヶ月程度だが、それでもギンガもまた兼一にとって守るべき人なのだ。

深く深く悔いる兼一の表情に、ギンガの目が惹き付けられた。
自分の為にこれほどまでに心を痛めてくれる人がいる。
つい今朝方まで対立していた筈の自分の身をこれほどまでに案じてくれる人がいる。
それはなんと、素晴らしくも喜ばしい現実だろうか。

気付けば、それまで心身に重く圧し掛かっていた恐怖と絶望は霧散し、代わりに言葉にできない温もりに包まれた。
それは本当に心地よく、今にも涙が出そうなほどの安心感をギンガに与えてくれる。
その現実に、不謹慎と分かっていながらも心が暖かくなる自分を自覚していた。
そうして兼一はギンガから一端眼を離し、今度はギンガの懐から顔を出した翔の眼を見る。

「翔」
「ぁ……」
「ギンガちゃんを、守ろうとしたの?」
「……う、うん。でも、全然ダメで……僕が、僕が弱いから……」

あの時の事を思い出し、翔の瞳からボロボロと涙がこぼれる。
そんな翔に対し、兼一は目線を合わせて問いかけた。

「そうか……なら、後悔しているかい? 弱いのに立ち向かった事を……」
「…………」

返事は返ってこない。代わりに翔は、全力で首を左右に振った。
後悔はないと、守ろうとした事は間違っていないと、そう言外に主張するように。
その答えはわかっていたのだろう。兼一は小さく微笑み、さらに翔に問いかける。
まるで自分自身の気持ちを、はっきりと翔に自覚させるように。

「なら、痛かったから泣いているの? それとも、怖かったから?」
「…………」

思いの丈は言葉にならず、ただただ首を横に振って否定する翔。
痛かったのも、怖かったのも本当だ。不安でたまらず、怖くて仕方がなくて、痛くて痛くて泣きだしたかったのは間違いない。だが、今その頬を濡らす熱い雫の理由は別にある。

「じゃあ、なんで泣いているんだい?」
「………………………悔しかったから。ギン姉さまに守ってもらってばっかりで、何もできないのが嫌だった!
 でも、守りたいのに僕には何にも出来なくて、戦おうとしても簡単に負けちゃって…………それが、悔しい!!」

嗚咽交じりの声で、翔は喉から絞り出す様にして言葉を紡ぐ。
泣いているのは、自分自身の弱さが情けなくて、悔しいから。
想いはあるのに、それを貫く強さがない事が堪らなく悔しい。

「あの人たち、『強いから正しい』って言ってた……そんなのってないよ!
 だったら僕は、間違ってる事を間違ってるって、正しい事を正しいって言えるようになりたい!!
 正しいって思った事をやれる大人になりたい!! 正しい事をできる強さが欲しい!!」
「僕に、反対されても?」
「…………………………………うん!」

兼一の問いかけに、翔は決然として頷く。例えどれだけ反対されても、もう退けない。
知ってしまったから、弱いままではいたくないと願う自分を。

「…………………わかった」
「父様?」
「兼一さん?」
「そこで見ているんだ。これが、僕が君たちに見せてあげられる、答えだよ」

そう言って、兼一は二人に背を向ける。
それは見限ったとかそういう事ではなく、二人を守る為に。
大切な人を背負い、兼一は強い眼差しで男達を睨む。
そんな兼一に向けて、「兄貴」と呼ばれていた男がドスのきいた声をかける。

「てめぇ、確かあの時の腰抜けじゃねぇか。見た所、魔法も使えないゴミだろ?
驚かせやがって、いったいどうやってあんな所から入ったかしらねぇが、覚悟はできてるんだろうな!!」
「……君たちこそ、覚悟はできてるんだろうね。生憎今の僕は、心っ底……アッタマにきてるんだ!!
 活人拳的にとは言え…………物理的に地獄に落ちてもらうよ!!」
「訳わかんねぇ事言いやがって……うるせぇんだよ、このチビが!!」

珍しく大声を張り上げた兼一に向けて、真横に立っていた男がナイフを手に襲いかかった。
男達は兼一の身体が血に染まる姿を想像し、翔とギンガは兼一に「危ない」と叫ぼうとする。
だが、二人の声帯が音を発するより早く、襲いかかった男に異変が起こった。
兼一が鋭く男の方を睨んだその瞬間、男の体が硬直し、その口から奇怪な叫び声が漏れる。

「ぁ…ぃ、ひぎぃあぁあぁぁぁあぁぁぁ!!!」

仰け反りながら叫ぶとともに、ナイフは手から離れ床に転がる。
そのまま男は仰向けに倒れ、身体をピクピクと痙攣させながら失神した。
その様を見て、ギンガは内心で驚愕を露わにする。

(睨んだだけで……人が倒れた!?)

それは今まで見た事も聞いた事もない事象だった。
どんな魔法を使ったところで、一切触れる事なく相手を倒す事など不可能。
にもかかわらず、兼一はただ相手を睨んだだけで指一本動かす事なく敵を制圧したのだ。
その信じ難い現象をなんとか理屈で説明しようと思索を巡らせるギンガだが、あらゆる可能性が浮かんでは消えて行く。

(魔法……ううん、違う!! 魔法が起動した素振りはないし、そもそも兼一さんに魔力はない。
 なら、希少技能? それとも何かのロスト・ロギア? あるいは武器? だけど、それらしいものは……)

混乱し思考がまとまらないギンガ同様、男達も今目の前で起こった事に混乱している。
その答えを求め、兄貴と呼ばれた男は兼一に向って怒鳴り散らした。

「て、てめぇ! い、今いったい何しやがった!!」
「今見た通り、ただ睨んだだけだよ。あるいは、気当たりと言おうか?」
『気当…たり?』
「気迫や気合、あるいは殺気とも呼ばれるそれをぶつけて威圧したり、フェイントをかける事だよ。
本来動物は、本能的に敵の殺気を感じる能力があるからね。限界を超える気当たりに晒されると、人でも動物でも耐えられずに気を失う事があるんだ。
まあ、実を言うとこの技は苦手なんだけどね。昔から、どうにも殺気とは縁が薄くて……」

さも何でもない事の様に、兼一は彼らの質問に答える。
しかし、彼らには到底信じられなかった。
ただ睨むだけで相手を倒すなど、そんな手品や催眠術の様な真似ができるものかという常識があるのだ。

「ふ、ふざけんじゃねぇ、んなハッタリにビビると思うんじゃねぇぞ!!!
 どうせ手品か何かだ! 野郎ども、やっちまえ! 武器持って大勢でやりゃぁなんとでもなる!!」
『お、おう!!』

そうして、刃物や銃器で武装した男達が大挙して兼一に襲いかかる。
数は十数人。この数に一度に襲いかかられれば、兼一など為す術もなく殺されてしまう。
そう考えたギンガは、切羽詰まった声で兼一の名を呼ぶ。

「兼一さん!!!」
「大丈夫だよ、ギンガちゃん。それに君達も人の話はちゃんと聞くべきだ。今僕は頭にきてると言った筈だよ。
普段の僕なら睨み倒しや捕縛術で穏便に済ませるけど、そんな優しさは期待するな!!」
「死にやがれ!!」

眼から怪光線を発しながら宣言した兼一の側頭部目掛け、男の一人が持った鈍器が薙ぎ払われる。
直撃すればよくて頭蓋骨陥没か頸椎骨折、最悪その場で絶命するだろう。
男も兼一を殺すつもりで振り抜き、その死を確信した。

(人間トマトの一丁上がり!)
「しゃらくさい!!」
「……は?」

鈍器が触れる直前、男の視界から兼一が姿を消した。
振り抜かれた鈍器は虚しく空振りし、勢い余って体勢が崩れた男の目は驚きに見開かられる。
確実に当たる筈の一撃は空を切り、目を離していなかったにもかかわらず見失ったのだ。
男の思考が一瞬停滞したのも無理はない。

しかし茫然とした男の肩を、何者かが背後から掴む。
そして、勢いよく…………………………投げた。

「どっせい!!!」
「う、うわぁぁぁあ!?」
「ぎゃあぁあぁぁぁ!?」
「な、何が起こってるんだぁ!?」
「ひぃぃぃぃ!?」

次々と投げられては、驚愕の叫びと共に宙を舞う男達。
兼一の動きを捉える事が出来る者はおらず、当然投げられている本人達は自分がどういう状況なのか理解できていない。それどころか、優れた格闘技者であるギンガですら、何が起こっているのか理解が追い付かない。
わかるのは、黒い影が男達の間を駆け巡り、その度に人が宙を舞う怪奇現象が起こっているという現実のみ。

やがて、襲いかかった男たち全員が投げ飛ばされたところで、唐突に静かになった。
いや、静かになったというのは正しくない。確かに叫び声はなくなったが、その代わり痛みに呻く声が響く。
まるで、地獄の底で苦しむ亡者の様な声が。

「な、何が起こったの? 兼一さんは?」

ギンガは翔の体を抱きしめながら目を凝らし、先ほどまで兼一が立っていたところを凝視する。
そこで目にしたのは、あまりにも歪で気味の悪いリング。
最初の位置で仁王立ちする兼一の周りには、絡み合った男達が円を描いて倒れているのだ。
その中心で兼一は、まるで地獄の裁判官の様にこう宣言した。

「岬越寺、無限轟車輪!!」

岬越寺流、「無限轟車輪」。複数の敵の手足を互いの手足を利用して極め、関節を極められた状態の敵が連なってできる輪を作る対多人数向けの技。
その異様極まる光景に、ギンガは思わず息をのむ。
なにしろ、それはまさに地獄絵図。痛みに呻き、助けを求める姿は自業自得とは言え憐れみを誘う。
だが、彼らの上司はそんな男達に向けて無体な言葉を吐く。

「て、てめぇら何してやがる! くっついて遊んでねぇでさっさと立て!!」
「い、痛い―――――!? は、早く俺の腕を離してくれ―――――――!」
「重、い……早くどけ! い、息がぁくるしい~!?」
「む、無理です! 誰かの身体が邪魔で身動きがとれませ~ん!! あいだだだだ!!」
「んな、バカな……」

部下達の相次ぐ悲鳴に、いよいよ顔を青くする男。
遊びなどではなく、本当に身動きが取れない事がわかったのだ。
そんな男に向け、兼一は静かに教えてやる。

「無駄だよ」
「な、なに!?」
「互いの関節と体重で極めてあるからね、自力での脱出は不可能だ」

そう、無限轟車輪の真の恐ろしさはそこにある。
技をかけられた人間の体重がお互いの関節を極め合う構造になっているため、外から誰かに外してもらう他に逃れる術はない。
これほど多人数の制圧と仕置きに向いた技もそうはないだろう。
何しろ、意識がなくなるわけでもなく、ずっと痛みに耐えなければならないのだから。

しかし、ミッドチルダにあってこの手の関節技や投げ技はあまり主流ではない。
特に魔導師の場合、バリアジャケットという防護服のおかげでその手の攻撃は効果が薄いのだ。
その為、ストライクアーツやシューティングアーツも基本は打撃系。
『関節を極める』という聞き慣れない言葉に、男は混乱していた。

「関節を極めるだぁ……なんだ、そりゃあ!? そんな技、ストライクアーツにはねぇぞ!!
 それとも、そこの女のシューティングアーツとか言うのの技か!!」
(違う、あんな技シューティングアーツにもメジャーな格闘技のどれにもない。
 それに今、岬越寺流って……まさか、兼一さん……)

男もそれなりにギンガの事を調べているようで、シューティングアーツにある技と思おうとしたらしい。
だが、それは明らかに的外れである事を他ならぬギンガが知っていた。
故に、ギンガはある可能性に思い当たり、信じられないと思いつつ兼一の方を見る。
そして当の兼一は、まるでその過ちを訂正するように叫んだ。

「違う、これは…柔術だ!!!」
「じゅう、じゅつ?」
「柔術とは、僕の故郷地球は日本で開発された投げや関節技を得意とする実戦武術!
 その歴史は長く、戦場で発展したその技術は対武器戦や多対一こそがむしろ本領!!
 数と武器に慢心した彼らを取り押さえるくらい―――――――容易い!!」
(兼一さんが、格闘技を?
 あんなに、翔が格闘技をやるのを反対してたのに……ううん、もし『だからこそ』だとしたら!?
 なら、兼一さんが言う『答え』って……)

ギンガの眼には、どこか兼一が水を得た魚の様に映る。
まるで、今まで無理に抑えつけていた物を解き放ったかのように。
だとすれば、これこそが兼一の本来の姿なのではないか。
そしてそれを晒したという事は、抑える必要が、理由がなくなったという事で……。

「翔、ギンガちゃん」
「「は、はい!」」
「よく見ておくんだ、本物の武術というものを」
(やっぱりそうだ! これが翔への兼一さんの答え。
 反対するなら、見せない。実際、翔は今までそんな事知らなかった。それを見せたのなら……)

答えは一つ。認めたという事だ、翔が武を学ぶ事を。
だからこそ、これまで隠してきた本当の自分を見せようとしているのだろう。
だがそれは、あまりにも……

(無茶よ! 今までの人たちは魔導師じゃなかった、それなら条件は対等。魔法が使えない兼一さんでも勝てる。
 だけど、あとの五人はみんな魔導師。魔導師のバリアやフィールドに生半可な攻撃じゃ意味がない!!)

魔導師であると同時に、自身も格闘技者であるからこそギンガにはわかる。
生身の拳では、魔導師を守るバリアやシールド、フィールドを破る事は出来ない。
それは投げや関節にしたところで同じ事。投げても地面にぶつかる衝撃を防御魔法が殺し、関節を取ろうにもバリアジャケットがそれを防ぐ。
兼一がどの程度の打撃を持っているかは定かではないが、それでも勝ち目など皆無。
冷静に、客観的に見てそれは疑いようのない事実なのだ。
少なくとも、ミッドにいる格闘技者のレベルでは。

しかし、兼一はミッドの人間ではない。
地球という全く別の文化と文明、そして歴史を持つ世界の出身者。
そこで身に付けた独自の技術と、鍛え抜かれた肉体のレベルを未だギンガは知らない。
人間の肉体の限界は確かに存在するが、それはギンガが考えるそれの遥か先にあるのだから。
その、今まで知らなかったもう一つの現実を、今からギンガは目にする事になる。

「へ、へへ、確かに驚いたが、そこまでだ。
 思い知らせてやるよ、魔導士とそうでないゴミの違いってやつをよ!!」
「まともに戦っちゃダメ、逃げて兼一さん!! 逃げて、父さん達を!!」

男のうちの一人が一歩前に出てバリアジャケットを展開したのを見て、ギンガは声を張り上げる。
相手の事は覚えていないが、実力はおそらくCランク。
とてもではないが生身の人間が叶う相手ではない。せめて強力な質量兵器でもあれば話は別だが、兼一は無手で防具もない。これで魔導師相手に挑むなど、兼一がいくら強くても自殺行為に他ならないだろう。
そう判断し確信したからこそ、ギンガはいったん引いて救援を求めるべきと考えた。
だが、それに返ってきた答えは……

「逃げろ? 君達を置いて? そんな事、できるわけないじゃないか」
「でも、そうじゃないと兼一さんが!!」
「なにより、もうずいぶん昔に……逃げるのはやめてしまったからね」

それは、兼一の古い誓いの一つ。
あらゆる苦難から逃げてきた彼は、ある日を境にそれをやめた。
もう逃げないと誓った、大切な人を守る力を身につけるまで。
そして、その力を手にした今、最早逃げる理由などどこにもありはしないのだから。

「それにゲンヤさんたちならもうこっちに向かってるよ。僕が一人で先に来ただけで、ね」
「なら、せめてみんなが来るまで……!」
「訳のわからん事をごちゃごちゃと、良いから死ね!!」

兼一とギンガのやり取りに痺れを切らした男は、手に持った斧型のデバイスを振り下ろす。
ギンガと翔は思わず兼一から目を逸らそうとする。
まさか殺傷設定ではあるまいが、それでもただで済む筈がない。
最悪、無残な姿を目の当たりにする事になる。
幼い翔にそれを見せる事が忍びなくて、ギンガは翔の目をふさごうとした。

だが、その手が途中で止まる。
なぜなら逸らそうとした視界の端で、兼一が無事な姿を視認したのだから。

「雑だけど、威力と速度は目を見張るものがある。これが魔法の恩恵なのかな?」
「ちぃ! 上手く避けやがったな! だが、まぐれが続くと思うなよ!!」

紙一重のところで回避した兼一に対し、男は次々と斧を振う。
しかし、兼一はその悉くを薄皮一枚のところで回避する。
まるで、全ての攻撃がどのような軌道を描くか完全に見切っているかのように。

だが、そんな事はあり得ない。
身体強化の結果、人間の限界を超える速度と威力を実現した男の斧を回避するなど、生身で出来る筈がないのだから。それも、一連の攻撃を全てミリ単位で回避するなど、自殺行為に他ならない。
ほんの僅かでも判断を誤れば、その瞬間に叩き潰される。
承知の上でそれを続けるなど、命知らずの極みだ。

とはいえ、それでも現実は変わらない。
どれだけ頭で否定したところで、事実として兼一は斧を自分の体に触れさせていないのだ。
掠るだけでも大怪我必至の連撃を、兼一は最小限の動作で回避する。
ただし、その口からはこんな声が漏れているが……。

「って、余裕見せてる場合じゃなかった!? 刃物怖い! 刃物怖い!! 
もう! 知らないかもしれないけど、斬られるのってすっごく痛いんだぞぉ!!!」
「良いからさっさと斬られやがれ!!」
「ええい、それは御免被る!!!」

何とも緊張感に欠けるやり取りである。
動作としてはこれ以上ないほど洗練されているのだが、如何せん兼一の表情と言動が問題だ。
明らかに動揺し、その口からは弱音が濁流の様に溢れだしている。
おかげで、ギンガですら一瞬これが「まぐれ」なのではないかと思ってしまう。

(でも、まぐれであんな事できる筈がない。なら、完全に見切ってるって言うの?
 だとしたら、いったいどんな動体視力と反射神経?
 いえ、それ以上に、その目についてこられるなんて、どんな鍛え方をしたら……!?)

疑問が後から後からギンガの頭の中を埋め尽くす。
その内、どれ一つとってもギンガには答えが出せないが、目の前で起こっている現実が全て。

本来、達人の域に達した武人がこの程度の技量の持ち主が振るう武器に動揺するなどおかしな話だろう。
だが、良くも悪くも人はそう簡単には変わらない。それは兼一にも言える真理。
要は、どれほど強くなっても抜本的に「刃物への恐怖」が払拭される事はなかったのだ。怖い物は怖いのである。

数年前なら、まだここまでそれを表に出す事はなかっただろう。
慣れもあって取り繕うのは上手くなり、表面的にはそう見えなくなりはした。
が、数年に及ぶブランクがこの状態を招いている。
武術同様、覚悟などもまた湯に同じ、熱し続けねばすぐに水に変える。それと同じ事だ。
しかし、幸か不幸かそんな事情は露知らず、いつまでも兼一を仕留められない男に痺れを切らしたのか、兄貴と呼ばれた男の怒声が飛ぶ。

「いつまで遊んでんだ、その野郎をさっさと殺せ!!」
「は、はい!!」

状況が分かっていないのだろうか。
さっきから男は全力で兼一を攻撃している。これ以上など望むべくもない。
ならその時点で、信じられるかどうかはともかく、兼一の実力を認めなければならないのだ。
一人ではとらえきれない相手、最低でもこの認識は欠かせない。
にもかかわらず、それを解さないあの男は苛立ちを募らせる。

当然、そこから先も男の斧が兼一を捉える事はない。
だがそこで、ついにそれまで守勢に回っていた兼一が動く。

「せい!!」
「っ!?」

斧を空振りした瞬間の隙をついて、正拳を打ちこむ兼一。
しかし会心の一撃である筈のその拳は、男の意識を刈りとる事が出来なかった。
それどころか、男の体に触れてすらいない。

男の斧が防いだのか? 否、空振りした斧が間に合う筈がない。
ならば防いだのは別の物。兼一の拳が打ったのは、彼のデバイスが咄嗟にはったシールドだった。

(くぅっ、硬い! これが、魔法なのか!?)
「は、はは! いくらかわせても、さすがにシールドまでは壊せねぇってか?
 こいつはいいや、ならこっちはやりたい放題だ!!」
「そうだ、嬲り殺しにしろぉ!!!」

兼一の拳では自分にダメージを与えられない。
その事実に気をよくしたのか、男は嬉々としたサディスティックな表情で兼一に襲いかかった。
周りの男達も男をはやし立て、「殺せ」だの「死ね」だのと連呼している。

「父様ぁ――――――――――!!」
(こんなの、もう見ていられない!! あの力を使って……え?)

見かねたギンガは、今度こそ自身の中にある封を解こう立ち上がりかけた。
だが、そこで攻撃を回避し続ける兼一と目が合う。
その眼が無言のうちに語りかけてくる、『手出し無用』と。

(兼一さん? でも、それじゃいつか……)

攻撃が兼一を捉え、その命を絶つ。
ギンガはその結末を疑っていないが、兼一の視線にはその確信を覆す何かがあった。
ギンガは無意識のうちに浮きかけた腰を下ろし、ただただ父の窮地に涙を浮かべる翔を抱きしめる。
そして、知らず知らずのうちに口ではこう言っていた。

「大丈夫、翔のお父さんは大丈夫だよ」
「姉さま?」
「あの人は、翔を泣かせたりなんか絶対しない人だから……」

何を根拠にそんな事を言っているのか、それはギンガにもわからない。
しかし、それでも根拠のない確信がギンガの胸を埋め尽くす。
兼一は絶対に大丈夫という、根拠のない、だが確固とした確信が。
いや、ギンガとて兼一とタイプは違えど、戦う術を身につけ戦いの中に身を置く人種。
その勘が、無意識のうちに兼一から漏れる力を感じ取っていたのかもしれない

そこで、それまで自身の拳の握り具合を確認していた兼一が再度動く。
それも、今度は単発ではなく、息をつかせぬ連撃で。

「ア~パ~!!」
「バカが! 魔法も使えねぇ拳じゃ何万発打ったってなぁ!!」
「ア~パパパパパパパパパパパパ!!!!!」

男の声など聞こえぬとばかりに、兼一は殴って殴って殴りまくる。
ムエタイのトイ(パンチ)の連打、「マ・トロン」。
兼一のそれともなれば、その一打一打を視認する事は困難を極める。

しかし、男は兼一の攻撃は効かないと疑わず、防御魔法を展開したまま斧を振う。
兼一は振るわれる斧をかいくぐり、尚も突きを放ち続ける。
ただ愚直に、ただまっすぐに。一発では無理でも、いずれは盾を破ると疑わず。
一念岩をも通すと言わんばかりに。男はそれを鼻で笑うが、兼一の拳はその速度を上げる。

そう、速度が「上がっている」のだ。
徐々に、だが確実に。その速度が、そして威力も。
そうして、ついにその時は訪れた。

「イ~ヤバダバ…ドゥ~~~~!!!」
「な、バカなぁ!?」

その言葉と共に、男のシールドに無数のヒビが入っていく。
そうなってしまえば、結末は見えていた。
兼一の拳はさらに速度を挙げ、必然的にヒビも広がる。
やがて、限界に達したシールドはガラスが割れるような音を立てて砕け散った。

「ふっふっ…ふぅ~」
「こ、この化け物!?」

兼一はシールドが破れた時点でいったん手を止め、大きく息をつく。
男は驚愕のあまりに兼一を化け物扱いしているが、兼一は聞く耳持たない。
ただ自身の拳を見つめ、何事かをぼそぼそと呟いている。
とそこで、一度はショックでたじろいでいた男が、引きつった声でこんな事を言った。

「は…はっ! まさか俺のシールドを破るとは恐れ入った! だがな、一回破るのにアレだけやったのはいいが…ほれ、シールドなんぞまたはればいい! お前がやったのは無駄骨だったわけだ!!」

男は再度自身の前にシールドをはり、兼一を嘲笑う。
確かにそうだろう。一度破りはしたが、それにかける時間と労力が多すぎる。
もう一度同じ事を繰り返している間に、男の斧が兼一を捉えればそれで終わり。
まあそれも、「もう一度同じ事を繰り返す」とすればの話だが……。

兼一は無言のまま、ゆっくりと男のシールドの前に立つと足を開いて腰を落とす。
そして、兼一が軽くその場で飛び上がると、その右足が男の視界から消えうせた。

「イェィ!!」
「は?」

気合一閃。気付いた時には、兼一の足は天高く掲げられ、振り抜かれた後だった。
兼一はそのまま重力に引かれ、静かに着地する。
では、その軌道上にあったであろうシールドはどうなったかというと……。

「んな、バカな……」
(ウソ……でしょ? だって、たったアレだけで………シールドを、真っ二つに!?)

そう、男が絶対の自信をもって展開したシールドは、まるで鋭利な刃物に断ち切られたかのように両断されていたのだ。とても、生身の人間の蹴りでそれがなされたとは信じられない。
男もギンガも、そのあまりに非常識な結果に、狐に化かされたかのような顔をする。

技の名を「馬家 破鎧脚(ばけ はがいきゃく)」。
兜をも真っ二つにする程の鋭い飛び蹴り。この技の前では、兜もシールドも大差はない。
どちらも硬く、持ち主の身を守る防具という点では同じなのだから。
そして兼一は、蹴った感触を確認するように足の具合を確かめてから口を開く。

「うん、これ位の硬さか。大体加減もわかったし、これなら大丈夫そうかな?」
「か、加減だと? てめぇ、いったい何を!?」
「実を言うとね、僕は………というか、僕たちは普段から加減して人を殴る癖をつけてるんだ。
 相手の実力に合わせてね。僕達が一般人を本気で殴ったら…………死んじゃうから」
「……は? 死ぬ、だと?」
「それはほら、活人拳が人を殺しちゃ笑い話にもならないしね。
はじめは君に合わせて殴ってたんだけど、思いの他さっきの魔法が硬くてさ」

顔をひきつらせる男に対し、兼一はまるで世間話でもするかのように話す。
実際、兼一が本気で殴ったら人は死ぬ。それくらいの威力が彼の拳にはあるのだ。

というか、一般人相手なら高校時代でも余裕だっただろう。
まあ、だからこそ今の兼一が本気で殴るとシャレにならないのだが……。

「いやぁ、正直戸惑ったよ。あんまり強く殴ったら、下手すると勢い余って殺しちゃうでしょ?
 だから、少しずつ力を込めて打って、あの魔法の硬さを確認してたんだ。
 でも、これで大体わかったから安心していいよ。シールドを壊して、だけど君が死なないように殴るから」

いっそ、朗らかなまでの笑顔でそんな事を言う兼一。
そう、先ほどの連打も、今の破鎧脚も、全てはその確認作業に過ぎない。
なにぶん、シールドを殴った事などないので、色々と勝手がわからなかったのだ。
しかし、それもこれで大体の硬さは把握した。
確かにただの突きでは壊すのに難儀するが、強めに殴ればなんとでもなる。それが兼一の結論。

「さあ、歯を食いしばって……悪いけど、死なない程度の加減以外をする気はないよ」
「ふ、ふざけんじゃねぇ――――――――――!!」
「気持ちはわからないでもないけど、幾らなんでも雑過ぎる!」

男の渾身の一撃を半身になって避けた兼一は、カウンター気味の一撃を男の鳩尾に放つ。
はられていたシールドは砕かれ、そのまま兼一の拳が男の意識を刈りとる……筈だった。

「っ!?」
「ハァハァ…し、シールドを破ったくらいでいい気になるなよ!!
 俺らにはな、まだこのバリアジャケットがある!! そして、こいつで終わりだ!!!」
「? これは……」

男が叫ぶと同時に、兼一の体に紫色の帯の様なものが絡みつく。
身体を動かそうにも思うように動けず、その帯が動きを阻害しているのは明らかだった。
しかもそれは見た目に反して頑丈で、薄っぺらい帯でありながら妙に頑丈。
おかげで、兼一は拳を相手の鳩尾に突きだした姿勢のまま、一切の動きを封じられている。

「教えてやるよ。そいつはバインドって言ってな、てめぇみたいになうぜぇ奴を捕まえとくには、もってこいの魔法だ!!」
(こんなものまであるのか、本当にすごいな魔法って)
「いくらてめぇがすばしっこくても、こうなったら一巻の終わりだろう! 今度こそ、死にやがれ!!」

危機に陥ってる事もそっちのけで感心する兼一。
だが、足が封じられては逃げられない。腕を封じられては捌く事も、攻撃する事もできない。
男はそんな兼一の脳天に向け、ゴツイ斧を振り下ろしてくる。

その様を見て、翔の顔が悲痛に歪む。
しかし、ギンガは違った。彼女の眼には、どこか確信に満ちた光がある。
兼一なら大丈夫、彼はこの程度で死にはしないと、彼女の何かが訴えていた。
その感情に戸惑いつつも、ギンガの眼の奥の光は変わらない。
兼一はそんなギンガの眼の光を眼の端で捉え、密かに苦笑する。

(そこまで信じてもらっちゃったら…………カッコ悪いところは見せられないよね!)

平均より小柄な兼一は、自分より大きな者と戦う事が多かった。
当然、その対策、とりわけ力で勝る大男に捕まった時の対処法は師父より徹底的に叩きこまれている。
状況はそれとさして変わらない。拳は敵のバリアジャケット越しであっても敵に触れている。
腕と足は動かない。だが肩も腰も、肘も膝もまだ動く。なら、兼一にとってはそれで十分だった。

兼一はそのまま深く息を吸い、床を強く踏む。
それと共に兼一の腰が、肩が、全身がその場で勢いよく捻りこまれる。そして……

「…………フン!!」
「ごふっ!?」

その一声と共に、男の体はバリアジャケットもろとも吹き飛ばされた。
たった一撃、それも拳を押し当てた状態から。
拳を振うという、速度と威力を生みだす為の動作もなしに、それだけで兼一はバリアジャケットの守りを打ち破ったのだ。

中国拳法の技の一つ、寸勁(すんけい)。
至近距離からのわずかな動作で高い威力を出す発勁の技法であり、呼吸法や重心移動、打突力、意識のコントロールなどを用い最小の動作で最大の威力を出す技だ。
兼一の足元は、その震脚の強さを証明するようにクレーター上に大きく凹み、心なしか廃ビル自体が揺れている。

男の体はそのまま放物線を描く途中で天井に激突、重々しい衝突音と共に床に落下した。
その意識は、天井に激突するより前に絶たれている。

無論、死んではいない。
先の突きを阻まれた感触から、兼一はバリアジャケットの強度を推し量っていた。
全く情報がなければ無理だが、先ほどシールドを破った時の経験を参考にしている。
どちらも魔力によって作られた守り。ならば、力加減を間違える様なヘマはあり得ない。

また、男の意識が絶たれたからか、それとも寸剄の余波か。
気付けば兼一の身体を拘束していたバインドは砕け散り、その身の自由を取り戻す。
まあ、折角自由になったので、念の為に男の脈拍や瞳孔を調べ、状態の確認だけはしているようだが……。

「うん、生きてる生きてる。
でも、バリアジャケット越しの加減はこんなものか……それじゃ、次は君たちの番だね」

そうして、一人目を片づけた兼一は残る四人に向き直る。
兼一の表情は穏やかだが、それを額面通りに受け取る者はいなかった。
というか、表情はともかく目の輝きが恐ろし過ぎる。

当然男達の体は強張るが、それでも退く事はない。
それは矜持とか意地とかではなく、単に男達が普通の人間を見下していただけ。
魔法を使える自分達は選ばれた人間で、その他はゴミと見下してきたから。
そうであるが故に、男達は退くに退けなくなっていた。

「ぜ、全員でかかれ! 所詮は生身だ! 一発でもあたりゃこっちの勝ちだろうが!!」
「やるしかねぇ……」
「……ち、チクショウ!!」
「うおおお!!!」

男達は各々自分の得物を持ち、半ば自棄になって兼一に踊りかかる。
しかし、リーダーは動かない。あくまでも自分は安全圏に身を置き、決して危険に身を晒さない気なのだろう。
そんな男の指示に従わなければならない彼らに、兼一はむしろ同情していた。

だが、それでも兼一がやる事は変わらない。
男の一人は長杖の周囲に6発の魔力弾を形成し、それを兼一目掛けて飛ばす。

(迂闊に受けるのは危険……かな? 打撃なら大抵の物に耐えられる自信があるけど、魔法が相手だとどうなのかわからない。頑丈さなんて関係なしに触れただけで昏倒する、何て効果があったら目も当てられないしね)

兼一はそう判断し、拳で迎撃する事なく回避する。
傍から見れば、それは兼一の身体を魔力弾がすりぬけたようにさえ映っただろう。
それほどまでに一つ一つの動作は小さく、だが目にも映らぬ速度で兼一はそれを為したのだ。

しかし、背筋を駆け巡る悪寒に反応し、兼一はその身を瞬時に屈める。
危ういところで兼一の後頭部の上を何かが通り過ぎ、顔を起した兼一はその何かを確認した。

「って、追尾機能なんてあるの!?」

まさかそんな事までできるとは思っていなかったのだろう。
兼一の顔は驚きに歪み、同時に非常に困ったとばかりに眉をしかめる。
なにしろ、これではいくら回避しても意味がない。
打ち落とすまでいつまでも襲われるのはさすがに鬱陶しいし、やり辛い。
とはいえ、下手に触るわけにもいかないわけで……そこで兼一の視線が足元に注がれる。

(これは……使えるかな?)

兼一の足元にある物、それは先の寸剄でクレーター上にひび割れたコンクリートの床。
その破片の一つを、飛来する魔力弾に向かって蹴り飛ばした。
正面衝突した破片と魔力弾は相殺し合い、空中に小さな煙の塊を生む。

「うん、これならいける!」
「やらせるかよ!!」

対処法を見出して気をよくする兼一だが、その背後から男の一人が槍を突きだす。
おそらく、魔力弾は初めから囮で、避けている隙を突く策だったのだろう。

しかし、兼一からすれば不意打ちをするには気配の消し方が雑だった。
背後からの一刺しを、兼一は脇腹を引っ込めて回避。
そのまま腹の横にある槍を掴むと、槍ごと男の体を軽々と持ち上げる。

「な、なんだこりゃあ!? その細腕のどこにそんなパワーがぁ!?」
「量じゃなくて質だよ。秘密の鍛え方でね、僕の体は細いんじゃない!
 ただの1mgも無駄のない様に絞り込んであるんだ!!!」

驚愕する男に向けてそう言いながら、兼一は残った魔力弾が飛来する様子を捉えていた。
そうして兼一は、槍ごと持ち上げた男を振い、魔力弾への盾代わりにする。
その結果、残った5発の魔力弾は、全て男のバリアジャケットによって阻まれた。
同時に、遠心力に負けて男の手が槍から離れるが、兼一はその襟首を掴む。

「バリアジャケットがあるんだぞ、どうやって!?」
「さっき殴ってわかったけど、そのバリアジャケットって言うのは水に似てるね。
 強く打つと硬くなるけど、軽く触る分にはほとんど抵抗がない。衝撃とかの危険に対応するようにできてるのかな? まあ、そうじゃないと君達もバリアジャケット越しに物に触れないしね。そして、それが幾重もの層になって君達を守ってる。だけど、それなら今みたいに優しく掴んであげれば問題ないのさ。さあ、行くよ!!」
「行くって、なにを……」
「ぬりゃ、人手裏剣!!」
「って、ぎゃああぁあぁあぁぁぁぁぁ!?」

襟首を掴まれた男は、そのままさながら手裏剣の様にして兼一に投げられる。
超技百八つの一つ、「人手裏剣」。その名の通り、人間を手裏剣のように投げつける力技だ。

兼一の飛び道具にされた男は、そのまま二人の仲間の下へ空中を側転しているかのように向かっていく。
もちろん、本人の意思とは無関係に。
仲間達もあまりにも無体な仲間の扱いに慄き、思わず一歩後ずさる。
それが功を奏し、男達はなんとか仲間に轢かれる事は免れた。
ただし、武器にされた男はそのまま壁に頭からめり込み、ピクリとも動かない。
その光景に仲間達は青ざめるが、その隙を兼一が見逃す筈もなし。

「隙あり。ダメだよ、敵から目を離しちゃ」
「げぇ!?」

いつの間にか長杖を持った男に接敵していた兼一は、両手でその袖と襟を掴む。
そして、自分の腰を相手の腰の下に入れて浮かせた後、袖を引っ張り肩越しから投げに入る。
柔道にもある技の一つ、「背負い投げ」だ。

「バカが! バリアジャケットがある以上、床にぶつけられたって……」
「それは単に、勢いの問題だろ? なら、バリアジャケットが意味を為さないくらいの勢いをつければ良い!」
「は? う、うわぁぁぁ!!」

袖を引く力が突如強まり、凄まじい速度で男の体が床目掛けて落とされる。
その速度は通常の投げとは比較にならず、男の眼には映る世界が全てモンスターマシンにでも乗っているかのように流れて行く。当然、そんな状態で魔法を行使する余裕などある筈がない。
そうして、まるで台風のような凄まじい風斬り音に続き、床を揺るがす衝撃と大音量が部屋を満たす。

無防備な男の背が叩きつけられた床は盛大に陥没し、その衝撃の大きさを物語っている。
碌に受け身の訓練もした事のない男はその衝撃をもろに受け、バリアジャケットですらその衝撃の前には意味を為さなかった。男は痛みに呻く事すらできず、白目をむいて気絶する。

「まったく、受け身ぐらい取らないと危ないよ?」

仮に受け身の訓練をしていても、あんな速度で落とされては受け身など取れる筈もないのだが……。
溜息をつきながら服についた埃を払う兼一だが、誰もその事には突っ込まない。
なにしろ、いま彼にツッコミを入れられる人間がいないのだから、当然と言えば当然だ。

まあ、それはともかく。
兼一は最後に残った一人の方を向くが、その一人はいっそ憐れみを誘うほどに震えていた。
何しろ、完全に生身の人間に魔導師三人が一撃も入れられずに撃沈したのである。
魔法を使えるという思い上がりを消し去るには、充分過ぎるほどの現実だ。
ここにきて男は、ようやく自分が怒らせてはならないものを怒らせていた事に気付く。

「た、頼む…見逃してくれ……」
「何言ってやがる!! お前は死んでもそいつを殺せばいいんだよ!!」
「い、イヤだ! 俺は死にたくない!! 頼む、もうあんた達には関わらないと誓う!
 だから、だから見逃してくれ!! これからは大人しく、真面目に生きる! だから……!!!」
「…………」

震えながら命乞いをする男に、リーダーは無理難題を押し付けるが、最早意味を為さない。
今の彼には、リーダーの怒りを買う恐怖より兼一と対峙する方が遥かに恐ろしいのだ。
兼一としても、さすがにこうまで命乞いをされては叩きのめす気にはなれない。

元々、骨の髄どころか魂の芯に至るまで甘い男だ。
いくら彼らに抑え切れない憤りを覚えていたとしても、弱い者いじめをする気など毛頭ない。
故に、兼一はそんな男に対し、念を押す様に問いかける。

「もう、静かに暮らしている人達を傷つけないと誓うかい?」
「ち、誓う! 聖王に誓う!!」
「その魔法の力を暴力には使わない?」
「も、もちろんだ!! 心を改めて、これからは社会の為に使う!!」
「……………………約束だよ」

溜め息交じりに兼一はそう言って男に背を向ける。
普通に考えればこんな男の言などどこまで信用できるかわかったものではない。
だが、それでもそれを本心から信じてしまうのが白浜兼一なのだ。
男に向けられた兼一の背中は無防備そのもので、男の言葉を全く疑っていないのはだれの目にも明らか。
もし第三者が見れば「愚か者」か「お人好し大王」とでも評しただろう。
そして、この手の男の言はまあ大抵信用できるものではない。

(バカが! こんな手にのりやがって! ゴミのくせに調子に乗るからだ!!)

さっきまで命乞いをしていた男は、自身のデバイスである片手杖の先端に魔力刃を出力した。
そのまま兼一の背中に向かって、その刃の先端を突きたてようとする。
ギンガや翔は寸前に男の挙動に気付き、声を上げようとするが間に合わない。
刃があと5センチで兼一の腹を貫くというところで……突如兼一が振り向く。
兼一は流れるような動作で魔力刃の軌道を逸らし、そこで男と目があった。

「んな!? てめぇ、気付いてやがったのか!?」
「え? あ、いや…………実はなんとなく」
「なんとなくだぁ!? そんなもんで……」

兼一の言に嘘はない。彼は本当に男の言葉を信じ、男が襲いかかってくるとは微塵も思っていなかった。
そう、心身ともに隙だらけだったのは紛れもない事実である。
にもかかわらず今の不意打ちに反応できたのは、彼が修めた「制空圏」の賜物。
自身の間合いに気を張る事は、兼一にとって無意識下で行われる習性に等しい。
だからこそ、間合いに侵入してきた魔力刃に身体が勝手に反応したのだ。

「よく分からないけど…………残念だ」
「ま、待ってくれ! 今のは魔が差しただけで……」

兼一は男の首手を回し、首相撲の体勢に入る。
男はなんとか弁明しようとするが、さすがにこうなってはその言葉も虚しい。
同時に、シールドないしバリアを展開しようとするが、それも間に合わない。
兼一はそのまま軽く床を蹴り、男の顔面に向かって「カウ・ロイ」を放つ。

「ぶはっ!?」

バリアジャケットを破るには十分な威力を持って放たれた膝が、無防備な男の顔面を潰す。
こうして兄貴と呼ばれていた男の手下たちは、一人残らず撃沈した。
ならば、残すはあと一人。この騒動の主犯であり、ただ一人安全地帯から好き勝手言っていたあの男だ。

「さあ、あとは君だけだ」
「な、何なんだよ…何なんだよ、お前はぁ!? こ、この化け物!!」
「まあ、僕があまり常識の通用しない人間というのは自覚してるし、そう言われても仕方ないとは思うんだけど…………やっぱり、傷つくなぁ」

男の心ない一言に、兼一は割と傷ついているようでその面持ちは暗い。
確かにこの領域を目指して修練を積んできたわけだが、いざその領域に踏み込んでこう言われると、何か色々と物悲しくなってくる。
とはいえ、消沈していても仕方がない。
兼一はゆっくりと顔を挙げ、男の問いに答える。

「何者なのかと聞かれれば、君達が誘拐した男の子の父親で、君が暴行しようとした女の子の家の居候だよ」
「そ、そんな事を聞いてんじゃねぇ! 碌に武器も持たねぇ、魔法も使えないくせに、なんでこんな事ができるんだよ! こんな事ができるお前は、いったい何なんだよ!!」
「なら、こう答えようか。梁山泊、『一人多国籍軍』白浜兼一」

男の問いに対し、兼一は自身にとってもひどく懐かしいその名を名乗る。
呼ばれなくなって久しい名だが、久方ぶりに口にすると不思議な気分になった。
かつては一生かかっても辿り着けないような気がしたその領域に、今の兼一はいる。
その事が、何とも言えない感慨を兼一にもたらす。

「まぁ、武術界を離れて久しいし、今の僕に梁山泊を名乗る資格があるかは議論の余地があるけど……一応は一番弟子だったわけだし、あまり気にしないでもらえると助かるかな」
「梁…山泊? てめぇ、いったい何を言ってやがる……」

まあ、男からすれば「梁山泊」だの「一人多国籍軍」だのと言われても、意味がさっぱりわからないだろう。
そもそも、地球においてもその名を知る者は非常に少ない。
しかし、その筋ならこの名を聞いただけで逃げだす者すらいるのだが……。

とはいえ、相手の反応も当然というのが兼一の認識。
故に、兼一はその事には特に言及しない。
ただし、先ほど男が口にした言葉に引っかかるものがあったので、それを再確認していた。

「そう言えば、ちょっと聞き捨てならない事を言っていたね。確か…武器を持っていないとか?」
「そ、それがなんだってんだ!」

実際、兼一の手には武器らしい武器はない。
一度男の手下の一人を武器代わりにしたが、それだけだ。
それ以外では、兼一の手に武器の影も形もなかった。
だがそれは、単なる見解の相違でしかない。

「持ってるよ、何よりも強い武器をね」
「な、なんだと?」
「この拳と信念が僕の武器。そしてこの拳は、師から授かった僕の道標!
 これに勝る武器なんて、この世のどこにもありはしない!!」

拳を強く握りしめ、兼一はそう宣言する。誇り高く、決然と。
それは男に向けた物というよりも、遍く世界に向けた物の様だった。

「君たちは武器と魔法に頼り過ぎだ。武器は拳や脚同様、身体の一部でなければならない。魔法も同じだよ。道具に頼っていては道具の主にはなれない。まず、自分の主にならなければ……まあ、これは師匠の受け売りなんだけど」

そう締めて、兼一は苦笑を洩らす。
技では影くらい踏めるかもしれないが、心は未だ敬愛する師達の足元にも届かないと思う。
だからこそ、こうして師の言葉を引用すると、自分の未熟さを実感する思いだった。

「すかした事言いやがって……俺は魔導師なんだよ!
 選ばれた人間なんだ! 魔法も使えないお前ら凡人とは違う!!」

選民思想に凝り固まった男は、まるで駄々を捏ねるかのように首を振って兼一に斬りかかる。
手に持つのは西洋剣型のデバイス。その太刀筋は心を乱していても中々に鋭い。
それは魔法による身体能力の強化から来る、速度や威力とは別次元の話。
早いか遅いか、強いか弱いかではなく、単純に男の太刀筋が鋭いか否かだ。

「良い太刀筋だ。君の言う通り、僕よりよほど才能がある!」
「ぜああぁあっぁあぁあぁあぁああぁぁぁぁ!!!」
「でも、努力と年季が違う!!」

僅かでも見切りが狂えば、それが死に直結するほどにギリギリの回避。
傍から見れば命知らずとしか思えないそれを、兼一は顔色一つ変えずに実行する。
久しぶりの実戦ではじめは相変わらずの刃物への恐怖が残っていたが、魔法という未知の力と戦う緊張感が実戦の勘を少しずつ取り戻させてくれた。それに伴いようやく肝も座り、今の兼一に刃物への過剰な恐怖心はない。

まあ、その気になれば手刀で鍔迫り合いもできるのだが、さすがにしない。
できないのではなく、しない。難無く回避し、いつでも攻撃出来る程の技量の開きがあるのだから。

引き換え、一見すると後一歩で捉えられるというところで捉える事が出来ない現実に男の焦りが助長されていく。
焦りは心を乱し、心の乱れは技の乱れに直結する。
そんな乱れた剣を止める事など、兼一にとっては造作もなかった。

「ハッ!!」
「お、俺の剣を止めただと!?」

頭を真っ二つにしようと振り抜かれる刃を、兼一は寸分の狂いもなく左右の掌で挟んで止めた。
魔法という力を振う男にとっても、それはあまりにも非常識極まりない現実。
その事を証明するように、傍観者であるギンガや翔も目の前の現実に理解が追い付かず、その目を見開いている。

だが、如何に信じ難くともそれは紛れもない現実であり、兼一が行った神業の名を『真剣白羽取り』という。
日本では非常に有名な技だが、同時に実戦で使用するのは限りなく不可能に近い技。
当然だ、頭上へと振り抜かれる刃は早く、その軌道を見切るだけでも至難の技。
ましてやそれを両の掌で抑えるなど、奇跡的なタイミングと尋常ならざる膂力がなければ不可能。

何しろ、タイミングは早くても遅くてもダメ。
僅かでも手元が狂えば自分自身が斬られ、万が一タイミングが合っても、刃を抑える力が弱ければ致命傷だ。
危険極まりないこんな技が、技術的にも精神的にも実戦で使える筈がない。
そんなマネをするくらいなら、素直に避けてしまった方が遥かにマシだろう。
だが兼一は、それを当たり前の様に実行したのだ。
いや、むしろ「真剣白羽取り」は決着への第一歩に過ぎなかった。

「ひ、ひぃ!? は、離せ! 離しやがれ、この化け物!!!」
「チィィィィィィィ……」

剣を抑える兼一の手を振り解こうと男はもがくが、万力の様な力で固定された剣は微動だにしない。
その間にも、兼一は男の罵声を無視しそのまま片手をずらし一気に力を込める。
すると、テコの原理もあって剣は澄んだ音を立ててへし折られた。
しかし、兼一のターンはまだ終わらない。
剣をへし折ると同時に放たれた前蹴りと廻し蹴りの中間の蹴りが、見事な弧を描いて男の脇腹に突き刺さる。

「チェストォ!!!」

兼一の蹴りは深々と男の腹を抉り、男は苦悶の声すら上げる事なく沈んだ。
その名も『白刃折り三日月蹴り(しらはおりみかづきげり)』。
常軌を逸した動体視力と反射神経、そしてそれに対応できる身体能力があるからこそできる芸当だろう。

そうして兼一はようやくギンガと翔の方を向き直る。
その表情は先ほどまでの武人のそれではなく、彼らが良く知る優しい父親の顔。
一瞬父が別人になったかのような錯覚に囚われる事もあった翔だが、その顔を見てそれが間違いであった事に安堵する。父は父、それは何があろうと変わらないのだから。

ギンガの場合だと、兼一の事が気になるのは確かだが、同時に自分自身の事もなんとかせねばならない。
大急ぎで乱れ破かれた衣服をできる限り整え、兼一のジャケットを羽織って少しでも体裁を整える。
幸い若干サイズが大きいので、破かれた胸元もジャケットを引っ張る事で何とか隠せた。
まあ、ジャケットは豊かな胸に押し上げられ、辛うじて隠しているというのが実情だが。
客観的に見ると、裸Yシャツにも似た様相を呈しており、中々にエロい。
ギンガとしてもそれは恥ずかしいのだが、今の状況ではどうにもならないので努めて考えないようにする。
そんな二人に向け、兼一は穏やかな表情で話しかけた。

「お待たせ。さあ、帰ろうか」
「ぁ……は、はい」
「…………………ぅん」

それは、まるで夕方に公園で遊ぶ子どもに帰宅を促す親の様な何気ない声。
先ほどまでの一歩間違えば命が危うい戦いを終えた後とは思えないその言葉。
二人はそのあまりの空気の差についていけず、ただただ間の抜けた返事を返す。

まあ、兼一の後ろが割と死屍累々なのも無関係ではあるまい。
一応はどんなに酷くても半殺し(レア)が精々なので、死屍累々と言う表現は正しくないのだが……。

とはいえ、達人の中でもまだ常識的な感性を保っている兼一には、二人の気持ちは理解できる。
故に、そんな二人に兼一は「無理もない」と言わんばかりの苦笑を浮かべ、二人に手を差し伸べた。
翔とギンガはその手を取り立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったのだろう。
いくら力を入れても立ち上がる事ができない。
それを見てとった兼一は一端ギンガから手を引き、翔を背中に担ぐ。

「しっかり掴まってるんだよ。いいね、翔」
「………はい」
「良い子だ」

兼一の言葉に控えめな返事を返す翔に、兼一は笑顔を向ける。
たった数日見ていないだけで、翔はそれがひどく懐かしいものに感じた。
これまで、これほど長く兼一の笑顔を見ない日はなかったのだろう。
翔にとっての兼一は、日に何度も自分に笑顔を見せてくれる人だったから。

「それじゃ、次はギンガちゃんだね」
「あ、えと、私は大丈夫ですから……まず、翔を病院に」

ギンガとしてはやはり弟分の容体が気になるようで、兼一の申し出にちょっと慌てた様子で首を振る。
見る限り大丈夫そうだが、医者ではない自分には分からない何かがあるとも限らない。
年上の男に抱き抱えられる事への照れや恥じらいももちろんあるのだが、それ以上にその事が心配だった。
ただし、兼一に言わせると翔もそうだが十分ギンガの事も心配なわけで……。

「医者が必要なのはギンガちゃんも同じだよ。遠慮しないで、これでも力はあるから」
「そ、それはわかってますけど……」
「それじゃ、失礼するよ」
「あの、まだ『お願いします』なんて言ってないんですけど!?」
「でもね、女の子をこんなところに放置できるわけないでしょ。
 こう言う時くらい、甘えても良いんだよ」
「ぅ…………………………………わかり、ました」

こうも困ったような表情で言われては、ギンガもさすがに拒絶はできなかった。
子ども扱いされている気もするが、事実として年下なのであまり文句も言えない。
それに、確かにこんなところに長居はしたくないだろう。
厚意を受け取る理由はあっても、拒む理由はない。
となれば、最終的にギンガが折れたのは必然だった。

「それじゃ、改めて……」
「え? ま、待ってください! そんな運び方するなんて聞いてませんよ!?」

ギンガの許可を得た兼一は、彼女の背中と膝の裏に手を回す。
その感触に驚き、慌てた様子で抗議するギンガだが時すでに遅し。

まあ、まだ事態の急変から来る動揺が抜けていなかったのだろう。
翔を背負っている以上、ギンガの運び方などこれくらいしかないのだが、ギンガは気付いていなかったらしい。
そうして、兼一は軽い掛け声と共に立ち上がった。

「よっと!」
「ひゃん!?」

可愛らしい声と共に、ギンガは兼一の腕の中に抱きかかえられる。俗に言う「お姫様抱っこ」と呼ばれる体勢で。
幼い頃にゲンヤにされて以来のその体勢に、ギンガは顔を朱に染める。
背中と膝の裏に回された腕の感触は思っていたよりも力強く、しかし決して痛くない。
ギンガの事を慮って、色々と力加減を考えてくれているのだろう。

考えてみれば、背中の傷を無理に応急処置しようとしなかったのも似たような理由の筈だ。
ギンガとしても医者でもない男に肌をあまり見せたくない。
それも、背中の傷を見せるには一度上着を託し上げるなり脱がなければならないのだから。
それはまあ、中々に勇気のいる行為だ。
その辺の心情も考慮し、兼一が敢えて応急処置を申し出なかった事にギンガは気付く。

(まったく、変なところで男らしいって言うか、気が効くんだから……)

その心配りは純粋に嬉しく、ついその優しさに甘えたくなってしまう。
気付けば、いつの間にか兼一の胸に頭と体を預け、リラックスしている自分がいる。
その感触は思っていたよりもたくましく、それでいて嫌ではない。
むしろ、肩の力が抜けて行く安心感があった。

ギンガは上目遣いでこっそりと兼一の顔を見上げる。
その顔は精悍で、前を真っ直ぐ見つめる眼差しに以前感じた「頼りなさ」は微塵もない。
「頼りない」と感じたのは自分の眼力が未熟であったからだと、ギンガは今更ながら実感していた。

(いいな、こういうのも……………って、そうじゃなくて!!)

心のうちで自分でも意図のよく分からない呟きが漏れ、必死になって首を振るギンガ。
そんな彼女を不思議そうな眼で見る兼一だが、背負った翔が兼一に話しかけてきた事でギンガから視線を逸らす。

「…………ねぇ、父様。今のって……」
「詳しい事は、ゲンヤさんに無事を知らせてからにしようか。
 ギンガちゃんも聞きたい事があるだろうし、僕も話さなきゃいけない事が沢山ある。
 まずは落ち着いてから、ね?」
「うん……」
(翔、ナイス!)

密かに、いいタイミングで兼一の視線を逸らしてくれた翔を褒めるギンガ。
なんでそんなに慌てているのかは、本人もよく分かっていない。

さすがに二人を連れたまま地上5階から飛び降りる気はないようで、良すぎるほどに風通しの良くなった窓ではなく、ギンガ達が使った階段へと続く入口に向かう。
ギンガも翔も消耗しているだろうし、できる限り穏やかな方法で運んでやりたかったのだ。
彼の師達と違って、こう言うところは実に常識的である。
そもそも、非常事態でない限りあんな非常識な入り方は兼一もしない。

しかし、ハッピーエンドとするにはまだ早かった。
二人を抱えた兼一が入り口をくぐろうとしたところで、ビル全体が大きく鳴動する。

「っ!? 何が!?」
「兼一さん、後ろ!!」
「父様、あの人なにか持ってる!!」

ギンガと翔が兼一の背後の異変に気付き、その方向を指し示す。
兼一が示された方向を向くと、先ほど「人手裏剣」で壁に叩きつけられた男がおぼつかない足取りで立っていた。

「な、舐めやがって……死ね、どいつもこいつも死んじまえ!!!」

男の手にあるのは、何かのスイッチと思しき小型の機械。
男の表情と言動は明らかに錯乱しており、明らかに正気ではない。
そして、兼一は足元を揺るがす振動から、概ね何が起こっているかを看破する。

「この振動、まさか…………爆弾!?」
「ヒヒヒ! 魔導士である俺達が、こんなゴミに負けるわけねぇ!!
 みんな死んじまえば、こいつも死んじまえば、負けにはならねぇ!!!」
「何て事を……」

頭の打ちどころでも悪かったのか、それとも信じられない現実からか。
どちらにせよ、正気を失い錯乱した男の暴挙により、一転して絶体絶命の危地に変わった。
男もすでに限界だったのだろう。それだけ言うと、糸の切れた人形のように倒れ伏す。

(どうする、脱出は難しくない。壊した壁から直接飛び降りればなんとでもなる。
 だけど、そうなると……)
「父様! 倒れてる人たちを助けないと!!」
「下ろしてください! 急げばみんな助かるかもしれません!!」
「二人とも……」

ついさっきまで自分達を暴行していた男達をも助けようと声を張り上げる翔とギンガ。
愚かしいまでの優しさを発揮する二人だが、それは兼一と同じ思考。
兼一とて、彼らを見捨てる気など毛頭なかったのだから。

しかし、この状況下で全員助けるなど奇跡に等しい。
この高さから常人が落ちればただでは済まない以上、外に放りだすわけにもいかない。
かと言って、全員を抱えて飛び降りるのも不可能だ。
兼一が着地の衝撃に耐えられないとかではなく、単純に人数が多すぎて全員を抱える事ができない。

ギンガが動けても、それは大差ないだろう。
どの道、ギンガはまだろくに動けない。そんな状態では、むしろ自殺行為だ。

「父様!」
「兼一さん! 私なら大丈夫ですから、はやく!」

ギンガはそう言うが、兼一の腕から抜けだそうとするその力はあまりに弱々しい。
気持ちに身体がついてこないのだろう。
これでは、無駄死にするのは明らかだ。そんな事を、兼一が認める筈もなし。
兼一はギンガを抱く力を強め、二人に向かってこう言った。

「ダメだ、二人はこのまま僕に掴まってて」
「そんな!?」
「見捨てるって言うんですか!!」
「大丈夫」
「「え?」」
「誰も死なせやしないさ。だってこの拳は………………活人拳だからね」
((かつじん、けん?))

二人にそう力強く笑いかけ、兼一は深く大きく息を吸って……ゆっくりと吐く。
自身の制空圏を強く意識し、その領域に気を満たす。
続いてそれを薄皮一枚まで絞り込み、強く濃い気を張る。

(イメージは、激流の中に沈む滑らかな岩。
 岩は恐れない、岩は揺るがない。ただ前から来る流れを後ろに向かって流すのみ)

そこでギンガは、兼一の様子が先ほどまでと明らかに異なる事に気付く。
戦っている時の力強い雰囲気とも違う、普段の優しげな空気とも違う。
ピンと張りつめていながら、息苦しさを感じない。
まるで、強く大きな何かに包み込まれた様な感触。
その根源が兼一にある気がしたギンガは、思わず兼一の顔を見上げていた。

(なんて、澄んだ目。深くて、静かで、まるで深い湖の底みたいな……全てを包み込むような、そんな瞳)

自分が置かれている状況も忘れて、ギンガは兼一のその眼に魅入られる。
目を離す事ができず、まるで魂を呑み込まれてしまったかのような錯覚さえ覚えていた。
同時に、ギンガの瞳にはそれまでと別種の静かな熱が籠るが、本人もその事には気付いていない。

その間にも、廃ビルの崩壊は始まっている。
揺れは一度収まり、その代わりに床や壁、天井が大きく軋む。
しかし、それでもなお兼一の心にはさざ波一つ起こらない。
そうして崩落が始まるその瞬間、兼一は小さく呟いた。

「流水…制空圏」

最初に起こったのは床の崩壊。
今まさに兼一達が立っている床が崩れ出す。
だが、兼一は事前にわかっていたかのように、ゆっくりとした足取りでその場から離れた。
結果、床が崩落した時には兼一はその場を離れた後。

背後で起こった床の崩落に翔は顔を青くするが、ギンガはそれすら気にならない。
なんとなく、今の兼一なら散歩でもするような感覚で、この危地を切りぬけてしまう気がしていたのだ。

続いて、無限轟車輪で身動きの取れない男達の頭上に、真横の壁が倒れてくる。
翔はその事に気付き、声ならぬ声が漏れた。

「大丈夫。言ったよね、誰も死なせないって」

そう言って兼一が強く深く床を踏むと、床の表面を亀裂が走る。
その亀裂はまるで意思でも持っているかのように壁へと向かっていく。
やがて亀裂は壁に激突し、その衝撃で壁の倒れる向きが変わり男達は事なきを得た。

そのまま壁が、柱が、床が、天井が、連鎖的に崩壊して兼一達や男達を襲う。
だがその悉くを、兼一は何げない動作で対処していく。

例えば、倒れてくる柱を半歩下がって回避する。
直後、降ってくる瓦礫を偶々落ちていた瓦礫を蹴り上げて弾く。さらに、弾かれた瓦礫が別の瓦礫をビリヤードの如く弾いていく。
あるいは、蹴りの風圧で男達を危険物から逃がす。
続いて、穿たれた床の穴から落ちる壁を斜面代わりにし、次の床にぶつかる直前に下の階に下りる。

数えだしたらキリがないそれらを、兼一は特に忙しなく動くわけでもなく、緩慢な動作で為していた。
まるで、周囲で起こる全ての事象の流れを掌握しているかのように。

これぞ無敵超人の秘技の中にあるとされる、静の極みの技「流水制空圏」。その第一段階。
体の表面薄皮一枚分に気を張り、相動きを流れで読み取り軌道を予測、最小限の動きで攻撃をかわす。
動きの予測によって初動を早め、回避の動作を最小限に抑える事で、最高効率の動きを可能にしているのだ。

気付けば、兼一達は一階まで降りてきていた。
兼一はもちろん、ギンガも翔もその間は無傷。
まるで散歩でもするかのような気安さで、兼一はこの崩落の中を無傷で動いているのだ。
まあ、さすがに男達までは完全に無傷とはいかないが、それでも重傷を負った者はいない。
それだけでも、十分すぎるほどに奇跡的だった。
だが、まだ最大の難関が残っている。

「父様、上!!」

翔の声を聞き、兼一の視線が頭上に注がれる。
それは、この廃ビルの天井。
まだほとんど穴らしい穴も開いていないそれが落ちてくれば、全員まとめてぺしゃんこだ。

「ギンガちゃん。片手を離すから、しっかりつかまってて」
「…………はい」

兼一はギンガの背中を支えていた手を離し、その拳を握りこむ。
ギンガは兼一の首に手を回し、強く強くその身体にしがみついた。
迫りくる天井に向かって跳躍し、兼一はその拳を振り抜く。

「へあっ!!」

兼一のアッパー気味の拳は天井に深々と突き刺さり、全体にキメの細かいヒビが入る。
しかし、そこまで。天井は依然健在で、ヒビだらけながら尚も崩落を続けていた。
このままでは、圧死という結末が現実のものとなる。

では、兼一は失敗したのかというと…………否だ。
一撃目は単なる仕込み。下手に一撃で破壊してしまうと、瓦礫が大きく危険と判断したのだ。
絶妙な力加減の一撃目で全体に満遍なくヒビを入れ、続く第二撃で細かく砕く。
元より、兼一はそのつもりでいた。

そして、最後の一撃は兼一が持つ中でも最大の威力のある一撃。
白浜兼一は、巨大な基礎の塊というべき武術家。その基礎の中でも、最も充実しているのが脚と腰。
その力をダイレクトに使う技は、蹴り技に他ならない。

兼一は大地に根を張る巨木の如き安定感で床を踏む。
そのまま片足を振り上げ、持てる全ての力を以ってヒビだらけの天井を蹴り上げた。

「うおおおおおおおおおお…らぁっ!!!」

ヒビだらけの天井は砕け散り、細かい瓦礫となって降り注ぐ。
兼一はギンガや翔を慮り、その全てをあの手この手で払い、落とし、二人に触れさせない。

男達の中には生き埋めになる者もいるだろう。
だが、瓦礫のサイズが小さい分、大怪我を負う事もない。
後でゆっくり、時間をかけて掘り起こせば済む話だ。

全ての瓦礫が落ち切った時、兼一は瓦礫の山と化した廃ビルの上に立っていた。
その視界の端には、ようやく到着した108の車両が映っている。
兼一は翔を背負い、ギンガを抱えたまま小さく零した。

「これは……ゲンヤさんにどやされるかな?」

周りの惨状を見れば、小言の一つもあるだろう。
そもそも、勝手に動いてしまったのだから。
しかしそれでも、兼一の心は晴れやかだった。
何はともあれ、大切な家族を二人とも守れたのだから。

こうして、朝から続く一連の騒動は終結した。






あとがき

はぁ、ようやく荒事が終わりました。
にしても、今作初のバトルシーンなわけですが、まさかこんなに長くなるとは……。
書く前は前回と合わせて一話で納めるつもりだったのですが、何を考えていたのかとツッコミたくなりますね。

ちなみに、兼一の異名が「一人多国籍軍」なのは、個人的にあの名称が好きだからです。
だって、色々な意味で達人になった兼一をよく表していると思うんですよ。
正直、原作で一回しか出てきていないのが残念なくらいで……。
言ったのが筑波じゃなかったら、もうちょっと出る頻度は増えたのだろうか?
まぁ、他に良さそうな名称が浮かばなかったのもありますけど。

それにしても、なっつんと宇宙人の使いやすさは半端じゃありませんね。
前作でも二人を便利に使いすぎたと反省したのですが、それでもつい使ってしまうんですよ。

さて、次回はギンガや翔への事情説明です。
まぁ、できるだけシンプルにしたいものですね。



[25730] BATTLE 8「断崖への一歩」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:20

ゲンヤを筆頭とする108の面々が、現場に到着した時……全ては終わった後だった。
廃ビルは跡形もなく倒壊し、残されたのは瓦礫の山と崩壊に伴って生じた粉塵、そして行く手を阻む野次馬ども。
なんとかヤジ馬どもを押し退け、今は隊員総出で瓦礫の山に生き埋めになった暴漢どもを発掘してる真っ最中。
ただし、現場責任者でもあるゲンヤだけは、翔を背負いギンガを抱えた兼一に青筋を浮かべて詰め寄っている。

「ったく、てめぇはよぉ……」
「あ、あははは…す、すみません、ゲンヤさん」
「謝ってすむと思ってるその態度が気に入らねぇが、まぁいい。
何はともあれ、お前のおかげでギンガも坊主も無事だったわけだしな。だが……」
「だが?」
「とりあえず一発殴らせろ!!」

襟首を掴み、大きく振りかぶったゲンヤの拳が兼一の顔面に突き刺さる。
兼一なら、避ける事は容易い。しかし、散々心配をかけた手前、これくらいは甘んじて受け入れたのだ。
とはいえ、ゲンヤ達側の事情を知らないギンガや翔としては、それにやや非難がましい視線を向けざるを得ない。

「父さん!」
「おじさま!」
「いいんだよ、二人とも。本当にごめんなさい、ゲンヤさん。色々心配かけちゃって……」
「全くだ。確かに許可したのは俺だが、この有様見て俺らがどれだけ肝を冷やしたと思ってやがる」

ゲンヤの愚痴を聞き、さすがに翔とギンガも口を噤む。
よくよく考えてみれば当然の話だが、そんな事があっては誰でも気が気ではいられない。
すっかり眼前で繰り広げられた光景に圧倒されて忘れてたが、ギンガや翔にしたところで最初は兼一の身を案じて大変だったのだ。
それを思えば、ゲンヤのこの反応は至極当然の物と納得してしまう。

「しっかし、こんなことならおめぇが実際どの程度強いか知っておくべきだったな。
 武術の達人、って事しか聞いてなかったが……これほどか」
「父さんは、知ってたの?」
「話には聞いてた…が、まさかここまでやれるとは思ってなかった。
 魔導師五人を無傷で制圧して、その上ビルを一棟粉砕かよ」

あの日、兼一から彼がどういう人種なのかゲンヤは聞かされていた。
だが、実際に武を振るう姿を見せたわけでもなかったので、どこか現実感が薄かったのだろう。
兼一の話を信じてはいても、目の前の惨状ほどの事が出来るとは思っていなかったのだ。
まあ、兼一としてはその認識に少々訂正を加えたいところだが……。

「あのぉ、ビルを壊したのは僕じゃないんですけど……」
「たいしてかわんねぇだろ。ビルの崩壊に巻き込まれて、どうしておめぇらは無傷なんだよ」
「瓦礫とか全部避けたので……」
「だから、避けられねぇだろうが、普通はよ」

さも当然の様にそんな事をのたまう兼一に、ゲンヤは呆れかえった様子で天を仰ぐ。
確かに兼一の言う通りなのだろう。実際、全て避けてしまえば傷は負わない。
しかし現実問題として、雨あられと降り注ぐ瓦礫を回避するなど机上の空論だ。
その絵空事を現実に実行してしまったのは実に信じ難いが、証拠となる人物が目の前にいる。
これでは信じないわけにはいかないのだが、やはり信じられないという複雑な心境の表れだ。

「その上、魔導師を生身で無血制圧かよ。魔導師連中からしたら悪夢だな」
「そうですかね?」

兼一からすれば、魔法も武術も等しく「人の力」である。
魔法と言ったところで、操るのは人、その力の源となる魔力も体内のリンカーコアからもたらされる物。
ならば、武術との間にそれほど大きな差はないと思っているのかもしれない。

「まあ、その事はいい。おめぇとしちゃ、あまり騒がれたくないんだろ?」
「ええ。できれば、この件で僕の名前を出さないで頂けると……」

兼一は別に有名になりたいわけでも、英雄になりたいわけでもない。
彼にとっての正義を貫ければそれでよく、「ヒーローになる」という言葉も一つの表現方法でしかない。
それに伴う名声も社会的地位も、兼一には微塵も執着がないのだから。

「わかった、なら適当に誤魔化しておく。幸い野次馬やマスコミ連中が来る前に現場を抑えられたからな。
 犯人連中の口さえ封じておけば、情報の方はなんとでもなる」
「あの、余り手荒な事は……」

何やら物騒な事を口にするゲンヤに、兼一は恐る恐ると言った様子で制止しようとする。
確かに自分の事は秘密にしてほしいが、それでひどい事をされるのも気が引けるのだ。
いくら強いとは言っても、荒事を好まない気質の彼らしい反応だろう。
そんな兼一の反応に、ゲンヤは「心外だ」とばかりに溜息をついて答える。

「何想像してやがるんだ? 仮にも俺らは公務員だぞ、拷問やら脅しなんてするわきゃねぇだろ。
 誠心誠意、話し合いで黙ってもらうだけだ」

だが、兼一としてはその「誠心誠意話し合う」というのがどこか意味深に聞こえた。
なにぶん裏世界にもどっぷり漬かっていた(誤字に非ず)経験があるだけに、その裏に何かあるのではないかと思ってしまうのだ。

「ま、そんなことしなくても、勝手に黙っててくれそうだがな」
「え? なんでですか?」
「真顔で聞くか? 言ったろ、『魔導師にとっては悪夢だ』ってよ。連中からしたら、直接目の当たりにしても信じられねぇ現実のはずだ。俺だって、今以って信じられねぇ気持ちがあるんだぜ。
 それなら、こっちから何も言わなくても必死に口を噤んでくれそうだ」
「はぁ、そんなものですか」
「とりあえず、発掘とか諸々の後始末はこっちでやるから、おめぇはギンガと坊主を連れて休め」

話はこれでおしまい、とばかりにゲンヤは二人を抱えた兼一に後方の車へ向かうよう指示する。
兼一に疲労した様子は見受けられないが、翔とギンガはその限りではない。
兼一としても二人を休ませることには賛成だ。
しかし、生き埋めになった者達を瓦礫の山から引きずり出すとなると、兼一の手を借りた方が効率はいいだろう。
兼一もそう考え、思った事をそのまま口にした。

「じゃあ、僕も彼らを掘り起こすのを手伝いますよ」
「いらん」
「でも……」
「ちったぁアイツらにも仕事させてやれ。おめぇが一人でカタをつけちまったもんだから、不完全燃焼も良いところなんだよ。それにこっちにもメンツってもんがある、なんもかんも頼り切っちまったら立つ瀬がねぇ」

考えてみれば当然の話で、108の面々にも色々とプライドやらなんやらがあるのだろう。
今回、ほとんど役に立てなかった上に、民間人に頼りきりでは沽券にかかわる。
その辺りの機微がわからないのは、「他人の逆鱗に触れる天才」である兼一らしい。
なにしろ、発掘作業をしている局員たちは、等しく兼一に向けて「余計な事をするな」「俺達の仕事を取るな」とばかりに睨みつけている。
もしこの場にいたのがゲンヤだけではなかったら、今頃怒鳴られるなりなんなりしていただろう。
もしかしたら、反撃覚悟で殴りかかる者もいたかもしれない。

とはいえ、ゲンヤにそう言われても兼一にはその辺りが良く分かっていないのだが……。
まあ、良く分からないなりにゲンヤの言うことに従うことにしたらしい。

「はぁ、良く分かりませんが…わかりました」
「なら良し。ほれ、さっさと向こうで休め」
「はい…………所でゲンヤさん」
「なんだ、まだなんかあるのか?」

頷いたは良いが、その場を動こうとしない兼一にゲンヤは首を傾げた。
兼一の声はどこか申し訳なさそうで、続いて聞かされた言葉にゲンヤはこれまでと違った意味で開いた口がふさがらなくなる。

「すみません……………膝が笑って動けないんです!! あそこまで肩を貸してもらえませんか!」
「………………………………………………………………は?」

兼一の言っている意味がわからず、間の抜けた表情で間の抜けた声を漏らすゲンヤ。
それはなにもゲンヤに限った話ではなく、背負われた翔も、お姫様抱っこされているギンガも同じ。
先ほどまで勇壮に戦い、崩壊するビルから無傷で生還した男の言とは到底思えない。
だが、どれだけ信じられなくても現実は覆らないのだ。

「ゲンヤさん達が来たらなんか緊張の糸が緩んで、さっきから脚に力は入らないんですよぉ!!」

どこか涙目の兼一の言葉通り、良く見ればその膝はガクガクと震えている。
それはもう、生まれたての小鹿の様に。
まあ、もしこの場に翔やギンガがいなければ、いっそ見ている方が気の毒に思うくらいに震えていただろう。
そんな、これでもまだマシな方であることを、当然ゲンヤ達が知る筈もなし。
なので、思わずゲンヤがこう呟いてしまったのも無理はない。

「なんつーか、しまらねぇ野郎だな、おめぇは」

その後、見た目に反してやたらと重い兼一を運ぶのに四苦八苦したり、ギンガと翔の視線がどこか冷たかったり、その事に兼一が酷く傷ついたのだが、所詮は余談に過ぎない。



BATTLE 8「断崖への一歩」



場所は変わって108の隊舎の一室。
犯人達の発掘を終えた後、いくらかの隊員を残して兼一達はこちらに移動していた。
先ほどギンガと翔の治療も終え、兼一と一緒にこの部屋を宛がわれたのだ。

本来はゲンヤも聞きたいところだったろうが、彼はこの隊の最高責任者。
まだまだやらなければならない事は多く、席を外さざるを得なかったのだ。
そうして、ゆっくりと兼一は翔とギンガに問いかける。

「さて……………色々聞きたい事はあると思うけど、まず何から話そうか?」
「「……………」」

兼一の問いに、ギンガと翔は困惑に満ちた沈黙を以て応える。
聞きたい事がないわけがなく、特別聞きづらい雰囲気があるわけでもない。
単純に、まず何から聞けばいいのかがわからないのだ。
それほどまでに二人の頭の中はいまだ整理されておらず、とっかかりそのものがない状態だった。
そして、兼一にしてもその程度の事は承知しているだけに、苦笑しながら助け船を出す。

「……何て言われても、かえって困らせちゃうだけだよね」
「その…………はい。正直、何を聞けばいいのか。どんな事を質問しても、本質から外れそうで……」
「翔も、同じかな?」
「……うん。だから、全部…最初から教えて、父様の事」

兼一の問いかけに、翔は沈黙の末にそう求めた。
何を聞けばいいのかわからない。なら、白浜兼一という存在を一から十まで話してもらうより他はない。
幼い翔なりに出した答えが、それだった。

「そうだね、本当に最初の最初から話し始めるのも手ではあるんだけど……」
「翔には悪いですけど、遠慮させてください。
正直、ただでさえ混乱してるので、上手く整理できそうにありませんから」

実際、それはあまりに非効率的に過ぎるし、何よりも煩雑に過ぎる。
こういった事情説明というのは、要点をまとめ簡潔に済ませるべきだ。
そうでないと話の趣旨がずれたり、筋が曲がったりする恐れがある。
何より、過分な情報は受け手達の頭をかえって混乱させてしまうものだから。
そうして、ギンガが最終的に絞り出した問いは、あの時男達が口にしたのと同じものだった。

「ですから、これだけ教えてください。兼一さん、あなたは……何者なんですか?」

それは、問いというには酷く要領を得ない、あまりにも大雑把過ぎる内容だろう。
本来ならば、もっとポイントを絞った問いをすべきだとギンガも思う。
だがこれこそが、おそらくはギンガ達の胸に渦巻く疑問を一つに集約した問いだから。

「……達人」
「「え?」」
「若輩だけど、一応世間では『達人級(マスタークラス)』何て呼ばれてる人間だよ」

達人、それは辞書的な意味で言えば「奥義に達した」者を指す言葉。
大仰であり、あまり気易く使っていいような言葉ではない。
『極めた』という言葉は、そう簡単に口にできるほど安い領域ではないのだから。

年若いギンガにしたところで、その程度の事は知っている。
そして、つい先ほど見たあの光景は、確かにその言葉に対する信憑性を感じさせるには十分すぎた。
一切の魔法を使わず、身体能力と技術のみで魔導師を制圧する。
確かにそれは、『極めた』者だからできる神業なのかもしれない。

「それが、兼一さんだと?」
「まぁ、一口に達人なんて言っても、本当に技を極めた達人は極僅かだけどね。
 達人級とはいえ、ほとんどの人はその領域には至ってないし。
だから極めた云々じゃなくて、ある一定以上の水準に達した武術家の階層、と思った方が良いかな」

実際、同じ達人同士でもその実力はピンキリだ。
下位の達人と上位の達人との間には、天と地ほどの力の差がある。
なにしろ、兼一の師匠が相手では、並みの達人が束になってかかっても足止め以上の事は出来ない。
もし傷の一つでも負わせられれば、それこそ奇跡に等しい偉業と言えるのだから。

「その人たちなら、魔導士が相手でも渡り合える、と?」
「そうだね、今日戦った感じだと出来ない事はないと思うよ。
 上位の魔導師って人がどれ位強いかわからないから断言はできないけど、達人なら充分に渡り合えると思う」

兼一がゲンヤから聞いた話では、今日戦った魔導士たちは決して弱い部類ではない。
特別強いわけでもないが、それでも平均的な力の持ち主達。
なら、兼一の大まかな見立てでは、ほぼ並みの達人でも互角に戦えるレベルだと踏んでいる。

とはいえ、今まで常識の世界に生きてきた翔にはイマイチその達人という存在がわかりにくい。
技を極めた、という事はその筋におけるトップクラスの使い手。
故に、こんな勘違いをしてしまうのも致し方ないだろう。

「ねぇ、父様。それじゃあ、おっきな大会で優勝しちゃうような人も達人なの?」
(もしそうなら、地球はとんでもない格闘家の巣窟…って事になるのよね)

翔の疑問に、内心でギンガは怖れ慄く。
一魔導士として考えれば、それはあまりにも恐ろし過ぎる想像だ。

そして大会という事は、ある程度出場者のレベルは纏まっている筈。
中には群を抜いて強い規格外もいるだろうが、それこそ希少。
兼一の話から想像するに、その規格外こそが「本当の達人」だと思ったのだろう。
それはつまり、各流派で大会が開ける程の数の達人がウヨウヨしているということになるのだから。
まあ、実際には全然そんな事はないのだが……。

「いや、表の大会に出てくる人に達人はまずいないよ。
あの人たちの場合だと、チャンピオンクラスで妙手レベルと思っていい」
「妙手、ですか?」
「そう、これも達人と同じ武術における一種の段階だね。
段階は大きく分けて三つ、弟子、妙手、そして達人。
目安としては、だいたいプロの一流格闘家で妙手と弟子の間くらいかな」

かつて、妙手になるかならないかくらいの頃の兼一といい勝負をできたボクサーのジャブを、岬越寺秋雨は「一流プロボクサー並みのジャブ」と評した。
そこから推測するに、チャンピオンクラスでようやくそこそこの妙手。
はっきり言って、達人には程遠い。

しかし、だからこそかえってギンガに与えた衝撃はある意味大きい。
一般で一流と称される格闘家ですら、ようやく二つ目の階層に辿り着けるかどうか。
だとすれば、達人という領域は一体どれほどの高みにあるのだろうか。
よほど全体のレベルが低く、達人級で他の世界における一流レベルという可能性もなくはない。
だが、直接目にした兼一の力量はそんなレベルに収まるものではなかった。
なら答えは一つ。一般社会には出られない程に突き抜けた実力者であるという事だ。

「表の大会、って言いましたよね。まさか……」
「うん、ギンガちゃんの考えている通りだと思うよ。
 表の世界で僕の事を知ってる人はほとんどいない。だけど、裏の世界ならそれなりに名は通ってるんだ。
 まぁ、この辺りは僕の師匠達の七光りみたいなものだけど」
「それは、どういう?」
「僕の師匠達はね、誰も彼もがその道を極めた真の達人なんだ。
 僕はその弟子、おかげで色々噂に尾ひれがついちゃってるんだけど……」

謙遜半分事実半分、と言ったところだろうか。
梁山泊の面々は紛れもない真の達人揃い、あのメンツから教わるなど一国の王でも不可能とされる。
そんな達人達に鍛えられた弟子なら強くて当然、という認識が広まっているのも事実だ。
しかし、兼一自身も不本意ながら割と色々派手にやってきた身である。
七光りがないとは言わないが、彼自身の功績によっても名は広まっているのだ。
しかしここで、ギンガは小さな引っかかりを覚える。

「あの、師匠達って……まるで先生が沢山いるように聞こえるんですけど……兼一さんがやってるのって、ジュウジュツなんですよね」
「ああ、柔術“も”やってるんだ」
「「も?」」
「えっと、『柔術』の他に『空手』『ムエタイ』『中国拳法』……これは細かく挙げだすときりがないからこの括りにしておくとして、他に『対武器戦』と長老の『超技』も習ったから…………………6人?」
「「6人!?」」
「ああ…うん、やっぱりそういう反応するよね。もう慣れたけど」

兼一的には慣れ親しんだリアクションだが、二人からすれば「なんじゃそりゃ」と言いたくなるのも当然。
一つの武術を修めるだけでも大変なのは、実際にシューティングアーツをやっているギンガは良く知っている。
超技百八つとやらはよくわからないし、対武器戦は除外するとしても四種の武術。
普通に考えて、あまりにも非常識過ぎる。

「メインが、ジュウジュツなんですか?」
「う~ん、特にメインとかはないよ。全部同時進行で叩き込まれたから」
「そ、そうですか……」

叩きこんだ方もどうかしているが、叩きこまれた方もどうかしている。
同時進行という事は、全てをほぼ同じレベルで修得しているのだろう。
その上で達人。ならば、達人レベルの技量でない流派は一つもないのは明らかなのだから。

「ど、どんな人なの、父様の先生って?」
「何言ってるんだい、翔もよく知ってる人たちだよ」

翔の問いかけにそう答える兼一。
翔からすればそんな無茶苦茶な事をする人の顔が見てみたいという気持ちだった。
しかし、実際には過去幾度となく面識を持っていたりする。

「ほら、曾祖父さんのお家は覚えてるだろ?」
「うん、あの……古いお家だよね」

若干間が空いたのは、まあ言わずもがなだろう。
幼い翔からしても、あの家のボロさ加減は並みではない。

「そうそう、あそこが梁山泊。スポーツ化した現代武術に馴染めない豪傑や技を極めた達人が集う場所さ」
「ええ!?」

しょっちゅうというほどではないにしても、幼い頃から何度も遊びに行った曾祖父の家。
年始の席などには父の友人達も集い、盛大に宴会などをしていたのは翔もよく覚えているが、あの人たちが達人。
あまりにも身近な人たちがそうであるという事実に、翔の理解はなかなか追いつかない。

「じゃ、じゃあ曾祖父さまも、父様の先生なの?」
「ああ、あの人こそが梁山泊最長老、風林寺隼人。武の世界では『無敵超人』とまで称された、我流の達人だよ」
「ちょっと待ってください、我流って…まさか独学なんですか!!」
「確か、特定の武術を学んだ事はないって言ってたかな?」
「それで、達人なんですか?」
「稀にいるんだよ、独学で極めてしまう天才が、ね」

実際、兼一の友人の中にもそんな人物がいる。
特定の師に付かず武を極めた者、そもそも既存のどの武術とも違う独自の武術を編み出した者。
当然と言えば当然ながら、彼らは等しく才能豊かだった。
兼一と違って、『兼一と違って』。大事なことなので二回書きました。

「逆鬼師匠から空手、岬越寺師匠から柔術、馬師父から中国拳法、アパチャイさんからムエタイ、しぐれさんから対武器戦、そして長老の超技百八つ。あの人たちの教えを受けられたのは、僕の人生の中でも最大の幸運だよ」

過去を懐かしみ、遠い目をする兼一の表情にはどこか神聖なものがある。
兼一にとって彼らは家族、共に生活をした間柄であり教えを受けた恩人。

だが、それだけではない。
彼らは白浜兼一という武術家の、『親』そのものなのだから。育て導き守り慈しんでくれた、正真正銘の。
若い頃は数多の無茶無理無謀に頭を抱えたものだが…………もちろん、今でも文句の一つは言ってやりたいと思っている。しかし、それ以上にあの人たちの弟子になれて良かったと思っているのだ。
彼らの弟子でなければ、今の兼一はここにはいないだろうから。

「…………………なら、兼一さん。あなたが翔を格闘技から遠ざけようとしたのはなぜなんですか?」
「ギン姉さま?」
「あなたの顔を見れば、あなたが格闘技をどれだけ愛しているのかわかります。
 そんなあなたが、なぜ翔が格闘技をやることあんなに……」
「あんなに反対したのか、かい?」

兼一の問いかけに、ギンガは無言でうなずく。
今までは兼一が平和主義者であり、戦いに通じる可能性があるから反対していると思っていた。
しかし、兼一は優れた武術家。その事実を知った今だからこそ、その真意が良く分からない。
武術家だからこそ息子が武術をやることに反対していた、それはわかった。
だが問題なのはその理由、その根幹にある想いがまだギンガにはわからない。

達人になる為にどれほどの才が必要なのか、兼一以外に達人を知らないギンガにはわからない。
しかし、翔ほどの才能があれば決して不可能ではないのではないかとギンガは思う。
それも、兼一という優れた武術家の教えを受けることができれば。

近しい人が自分の後を追ってくれる、それは基本的に喜ぶべきことの筈。
ギンガ自身、妹であるスバルがシューティングアーツを本格的に始めた時は嬉しかった。
だからこそ、なぜ兼一がアレほどまでに頑なに否定したのかがわからない。

「前にも言いましたが、翔には才能があります。あなた以外に達人を知らない私には、翔が達人になれるかどうかはわかりませんが、一角の人物に成れるという確信は今も変わりません。
 まあ、今更ながら本当は釈迦に説法だった事を痛感したわけですけど……」
「…………………」
「でも、だからこそわからないんです。これだけの才能を持つ翔に、なぜあなたは自分の技を教えなかったんですか? なぜ、翔が格闘技をやる事をあんなに反対したんですか?
 …………………………………翔の才能は、達人になるには足らないんですか?」

自問自答の末に、ギンガが行きついた答えはこれだった。
兼一が翔に武術を教えたがらない理由があるとすれば、才能が乏しいから。白浜兼一という人物の背景を知らないギンガには、そうとしか予想のしようがなかったのだ。
だが、それはそれでやはり疑問が残る。翔は紛れもない天才。これほどの才能ですら足りないとなれば、どれほどの才能が必要となるのか。そして、その頂に立つ兼一はどれほどの才能の持ち主だったのかと。
まあ、実際には思い切り着眼点が間違っているのだが……これは才能ではなく、心の問題なのだから。
そして今となっては、兼一にそれを隠す理由はない。

「いや、ギンガちゃんの見る目は間違いないよ。僕から見ても、翔は本当に筋がいい。
 翔に才能がないとすれば、ほとんどの人は凡人さ」

その言葉に、翔とギンガの顔がほころぶ。
これほどの武術家に才能を認められ、手放しにほめられるとなれば相当だ。
兼一の身内贔屓や親バカと言う可能性もなくはないが、兼一は基本的に翔には割と厳しい。
優しいし甘いところも多々あるが、区別するところはしっかり区別している。
意味もなく甘やかしたりすることはない。
それを知っているからこそ、兼一の言葉が掛け値なしの事実である事が分かる。
しかし、だからこそ……

「でも、それならなんで……」

ギンガの予想が外れていたことの証明となる。
才能が足りないわけではない。だとすれば、最早ギンガに予想できる範囲に兼一の真意はないことになる。
兼一もまた、その真意をゆっくりと語り始めた。

「確かに才能はあるよ。ただ、達人に成れるかと聞かれれば……わからない」
「え?」
「翔ほどの才能があっても、達人に成れる可能性は決して高くない。
仮に無限の努力と壮絶を極める修業をしたとしても、僕と同じ所まで来られるかどうか……」

兼一の言葉に、ギンガは息をのんだ。
努力するのは当然だが、そこまでやって成れるかどうかわからない。
今更ながら、兼一がどれほど果てしない高みにいるのか思い知らされる。
まだ才能やらなんやらをよく分かっていない翔ですら、思わずゴクリと喉を鳴らすほどの何かがそこにはあった。

「当然、才能にかまけて努力を怠れば達人になんてなれはしない。
 十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人、なんて言葉もある。相応の練磨がなければ、いずれは凡人になるだろうね」
「そして、あなたがしようとしていたのは翔を凡人にする様な育て方だった……」

別に、ギンガに悪意があっての言葉ではない。
単純に、兼一の言を受け入れればそういうことになるというだけの話。
誰がどう見ても、兼一のして来た事は翔の才能を埋もれさせる愚行に他ならない。

「ような、って言うのは違うよ。紛れもなく、僕は翔を凡人にしようとしていたからね」
「父…様?」
「なんでそんな事を!? 兼一さんほどの格闘家が、なんで!!」

兼一の予想外の告白に、翔は顔色を失い、ギンガは声を荒げる。
どこの世界に、我が子の才能を踏み躙ろうとする親がいるだろうか。
ましてや、その道の先輩であり極みに達した達人。
それが同じ道を歩める才能を潰えさせようとするなど……。
まさか、翔の才能を恐れたというわけでもあるまいに。
そしてその答えは、兼一のどこか悲しみを宿した瞳と共に語られた。

「…………美羽さん、お母さんとの約束なんだ」
「え?」
「母様との…約束?」
「美羽さんは、僕にとって憧れだった。辛い修業の日々を耐え抜けたのも、いつかあの人を守れるくらいの武術家になりたかったから」
「まさか、奥さんも?」
「うん、風を斬る羽の様な軽やかで鋭い身のこなしから、『風斬り羽』と謳われた達人だった」
(そう言えば、兼一さんの先生の一人で翔の曽祖父さんは『風林寺』で、兼一さんとは姓が違う。
 兼一さんが婿養子に入っていたり、翔のお祖父さんの代で別の姓に変わってたりする可能性もあるけど、そうじゃなかったのなら、『風林寺』というのは翔のお母さんの旧姓の可能性もあるのよね)

兼一のインパクトが強くてつい失念していたが、生きているかはともかくとして翔にも当然母親はいる。
その母親が達人ではないとは言い切れない以上、その可能性は当然あってしかるべきものだ。

「『翔が武門に入るかは、翔自身に選ばせてほしい』それが美羽さんの遺言だった」
「でも僕、父様にちゃんと格闘技をやりたいって……」

兼一に翔はそう言うが、兼一は眼を閉じて首を振る。
美羽の言わんとしていた事は、そんな表面的な話ではない。
二人が知らない武の道を行く恐ろしさ、危険性。
いまから兼一はその一端を口にする。

「いいかい、翔。武術というのはね、中途半端に覚えるのが一番危険なんだ」
「中途、半端?」
「そう。君ほどの才能があれば、普通にやっていてもある程度のレベルには届くと思う。親バカかもしれないけど、君にはそれだけの才能と努力できる真摯さがある。
 だけど、かえってそれが危険なんだ。力に飲まれ、修羅道に囚われ、闇に堕ちる危険が。中途半端に身に付けた武が、君自身の身と心を滅ぼしてしまうかもしれない」
「兼一さん達は、それを恐れたんですか?」
「…………うん。翔の才能は、軽率な程簡単に殻を破れてしまう可能性がある。蛹から出たばかりの蝶、卵から出たばかりの雛、みんなその時が一番危ないのと同じだよ。
それに、武術は辛く苦しく、恐ろしい物。僕も美羽さんも武門に入った事は後悔していない。むしろ僕にとっては、武はかけがえのない恩人だよ。武人として、後を継いでほしいという思いは当然ある。
 でも同時に、親として翔には平穏に生きてほしいと思う。そんな危ない生き方をせず、穏やかに。
 多分美羽さんも、同じ気持ちだったんだと思うよ」

二人の知らない最果てを知る兼一。その言葉だからこそ、二人は何も口にできない。
兼一はひとえに、我が子の未来を案じ、幸福を願ってくれていたのだ。
武の道を行くことの恐ろしさを知るからこそ、翔の才能の危うさを知るからこそ。

「才能がある人なんていくらでもいる。でも、才能がある人が大成するとは限らない。
 だけど大成した人は皆何かしらの信念を持っている。武術において真に重要なのは、才能ではなく信念。
 その信念なくして武の道を歩めば、才能があるからこそ君はきっと後悔する。
 信念は柱。その柱なくして歩めば、いずれ道を踏み外してしまうから……」

それが兼一の危惧。ただでさえ翔は風林寺と暗鶚、二つの血統を継ぐ者。
その宿命は、いつ彼を闇の底へ誘うかわからない。
かつて母である美羽が闇に落ちかけた時の様に、祖父である砕牙が闇に落ちたように。
だからこそ、その誘いに抗うことが出来る意思、信念を持たなくば武門に入るべきではない。
そうして兼一は、父ではなく武人の顔で重々しく問いかける。

「翔、あの時の……強くなりたいという言葉とその想いに偽りはないね」
「……………」

翔は答えない。あの時の言葉に嘘はないし、心からの希求だった。
紛れもない本気、本心からの渇望。ギンガを助ける為に傷つく事を微塵も恐れはしなかった。
恐ろしかったのは守れない事、自分の大切な人が傷つけられようとするその時に何もできない事だ。
しかし、その想いが兼一の求める水準に達しているかといえば、翔にもわからない。

「答え、られないのかい?」
「…………………嘘じゃない、と思う。でも、わからないんだ。
 僕のこの気持ちが、本当に父様の言ってる『信念』なのか……」
「そうか」

虚勢を張って「信念はある」と言い張る事も出来ただろう。
だがそれでも、翔はそれをしなかった。そんなその場しのぎの嘘は、簡単にばれる気がしたから。
仮にバレなくても、いずれは自分自身の身を滅ぼす。それを父の真剣な目が教えてくれる。
ならどうして、そんな安っぽい嘘がつけようか。
気がつけば、ありのままの本心を語っていた。そんな翔に対する兼一の答えは……

「なら、僕はもう反対しないよ。君が思う様にするといい。
 武を学びたいというのなら、出来る限り応援……」
「待ってよ、父様! だって僕、信念って言うのがあるかどうかだって……」
「翔……兼一さんがこう言ってくれたんだから、きっと翔の胸にあるのは……」

兼一が武を学ぶことを認めた。なら、翔の中に信念の光を見たということだろう。
そう解釈したギンガは、翔を励まそうとそんな事を口にしかける。
だが、当の兼一はそのギンガの言葉を一蹴した。

「バカ言っちゃいけないよ、ギンガちゃん。
翔のそれは、とても信念なんて呼べるほど大層なものじゃないさ」
「え? で、でもそれならなんで!?」
「いいかい、ギンガちゃん。なんのかんの言っても翔はまだ4歳の子どもだよ?
 今の翔にあるのは、子どもの意地がいいところさ」
「な、なら、なんで……」
「簡単な話だよ。梁山泊に入門したばかりの頃の僕にも、覚悟や信念と呼べるほどの物はなかった」

実際、入門したばかりの頃の兼一の目的は単に絡んでくる不良の撃退であり、ひいては自身の身の安全に過ぎなかった。美羽へのあこがれはあったし、ああなりたいという思いもあった事は事実。
しかし、師達の前で吐露したあの思いですら、辛うじて信念と呼べる程度の物。
強固なものかと問われれば、正直兼一ですら言葉を濁す。

「でもね、僕自身の最初の想い、それが僕の信念の芯なんだ。
アレから色々な事があった。沢山修業して何度も戦って、次第に『想い』が本物の『信念』や『覚悟』へと昇華していったんだ。
 修業はね、何も力を鍛えて技を磨くだけのものじゃない。心を鍛え、想いを磨き、信念へと昇華し覚悟を培うものでもある。いまは子どもの意地でも、あとはそれを育てるだけさ」

はじめから確固たる信念を持つことなどできやしない。
力や技、勇気や心と同じく、信念や覚悟も修行と戦いを経て鍛えて行くものなのだから。

「あの言葉に偽りがないのなら、迷いがないのならそれで十分さ。
 極める為には信念が必要だけど、その種はすでに君の胸にある。
 その種を、しっかりと正しく育てるんだ。いいね、翔」
「…………………………………うん!」

父の言葉に、翔は力強く頷き返す。
今はまだ儚くも幼いこの想いを、誰にも恥じる事なき信念へと育てて行く事を誓う。
誰よりも尊敬する父と、精一杯の愛情を残してくれた母に。

そうして、兼一は翔からギンガへと視線を移す。
密かに翔と兼一のやり取りに感動していたギンガは、まさか自分の方を向くとは思わず僅かに動揺していた。

「さて、ギンガちゃん」
「え? あ、は、はい!」
「不肖の息子だけど、これからもよろしく指導をお願いします」
「はい…………………………って、私がですか!?」

兼一があまりにも平然と言うものだから、思わずうなずくギンガ。
しかし、すぐにその違和感に気付き驚きも露わに目を見開いている。
とはいえ、兼一はそんなギンガを余所に深々と頭を下げた。

「うん。この前はあんなこと言ったのに身勝手だとは思うけど……」
「そ、そうじゃなくてですね! 兼一さんが教えるんじゃないんですか!?」
「でも、翔の師匠はギンガちゃんでしょ? さすがに友人の弟子を横取りするなんて悪趣味な事はしないよ」
「ですから、そういう事じゃなくてですね! ……そもそも、兼一さんの真意も知らずに勝手な事を言っていた私にそんな権利も資格も……」

ギンガとしては、兼一がどんな思いで反対していたのかも知らずに勝手な事を言っていた自分が恥ずかしくてならない。当然、そんな自分に今後も翔の指導を続けて行く資格などないと確信している。
何より、自分よりもはるかに武術家として優れた人物がいて、その人はずっといつか翔が武門に入ることを楽しみにしていたに違いない。はっきり言って、横取りというのであれば自分自身だとギンガは思う。
勝手な思い込みでひどい事を口にし、敵視し、反発し…挙句の果てに未熟な腕で余計な事を教えてしまった。
今となっては、なんと浅はかだったのかと自己嫌悪の極致に陥りそうな気持ちだ。
せめてここは潔く身を引くのが、翔の為と思って疑っていないのだから。
しかし、兼一はそれこそ勘違いだとギンガを諭す。

「その事をギンガちゃんが負い目に思う事はないよ。ギンガちゃんの言っていた事は正論だし、僕のやった事は翔の才能を踏み躙る最低の行為だったんだから。それも、今までわかっていて翔の才能を育てる努力を怠った、今更だけど…僕はいい親とは言えないね。
 僕の方こそ、ギンガちゃんにお礼を言わなきゃいけない。ありがとう、この子の才能を見出してくれて、この子に武術を教えてくれて。なにより君は翔の想いをちゃんと汲んでくれた。
本当に…何とお礼を言って、どう謝ったらいいのか……」
「でも、私なんかが教えるよりも……!」
「そう卑下することはないよ。こっそり見させてもらったけど、ギンガちゃんの教え方は的確だった。
さすがはスバルちゃんの師匠だと思う。武人としてなら僕の方が先輩なんだろうけど、指導者としてなら君の方が先輩だ。恥ずかしながら、この年になっても弟子の一人も取った事がないからね」

実際、ギンガと違って兼一の指導者としての力量は未知数。
優れた指導者かもしれないし、あまり良い指導者とは言えないかもしれない。
その点、ギンガはスバルを育てた実績があるし、兼一の眼から見ても良い指導者だと思う。
本人に未熟な点があり、指導者としてもまだまだ至らないところは多々あると思うが、兼一に人の事を言う権利はない。

「翔の才能を見出して、それを育て始めたのはギンガちゃんなんだ。ずっと放置し続けてきた僕に、口出しをする権利も、文句を言う資格もない。ああ、でも、あと少しで僕たちは地球に戻るんだよね。
 そうなるとギンガちゃんとも離れ離れか……それは翔が可哀そうだし、いっそこっちに移り住むことも考えた方がいいのかな? それなら、翔もずっとギンガちゃんの指導を受けられる筈だし……」
「で、ですから、なんでそんな事になるんですか!? 私みたいな未熟者に教わらなくても、兼一さんって言う達人から教わった方が言いに決まってます!
 …………………………それに、私じゃ翔を達人にしてあげられる自信がありません。だって、わたし自身がそこにいないんですから」
「そんな事はないよ。さっきも言ったけど、重要なのは信念と覚悟。それさえあれば、極端な話師匠がいなくても達人になる事は出来るんだ。もちろん、それは生半可なことじゃないけどね。
 それに、ギンガちゃんはまだ若いし成長期だ。これから成長していけば、ギンガちゃん自身が達人級の腕前になることだってあり得る。そういう師弟の形も、僕はありだと思うよ」

あくまでも、兼一は翔の師はギンガであるとして譲ろうとしない。
確かに最初に教え始めたのはギンガだし、ギンガこそが正当な翔の師と言えるだろう。少なくとも今のところは。
しかし、ギンガからすればより優れた人物に教えを受けた方が、断然翔の為になると思う。
自分では兼一や美羽の危惧したような結果になりかねない。それならいっそ、兼一が指導した方が遥かに翔の為になる。

何より、兼一の話を聞いて後ろめたさがあったのだ。
兼一はずっと翔がこの道を選ぶ日を待っていた。
選ぶかどうかわからない、選ばないならそれでもいいと思っていただろう。
だが、いつか選んだその日には自分自身の手で育ててやりたいと思っていたに違いない。

にも関わらず、知らなかったとはいえギンガは翔を横取りした。
兼一からすれば、鳶に油揚げをさらわれたような気持だった筈。
そんな自分の無自覚の非礼に、ギンガは正直穴があったら入りたい気持ちなのだ。

「兼一さんは、翔に教えたくないんですか?」
「……………そうは、言わないけど……」
「それなら、やっぱり兼一さんが教えるべきです。兼一さんに学んだ方が翔の為になりますし、兼一さんもずっとその日を待っていたんでしょう? なら、それがあるべき姿なんですよ」
「いや、それは違う。本当に武術をやろうとしている人の前には必ず師が現れるものさ。ギンガちゃんが翔と出会って、武を教えることになったのは必然だったんだと思う。だから、翔の師はやっぱり僕じゃない」
「そんな事……」

兼一は兼一で、翔に今まで教えようとしなかったことに後ろめたさがある。
また、翔の為に本気で怒り、その才能を買ってくれたギンガ以上の資格が自分にあるとは思えないのだ。
教えたくないと言えば嘘になるし、本音を言えば自分の全てを伝えたいと思う。
しかし、そんな事を言う資格は、当の昔になくしたのだと。

とはいえ、こんな調子ではいつまでたっても平行線だ。
だがそこで、唐突に三人が貸し与えられた部屋のドアが開く。
その向こうから姿を現したのは、ある意味救世主とも言える第三者。

「あ? なにやってんだ、お前ら?」
「父さん」
「ゲンヤさん」
「おじさま」

仕事に一区切りがつき、様子を見に来たゲンヤだった。
また何やらもめている兼一とギンガ、その周りでオロオロしている翔を見て呆れている。
事情は良く分からないが、アレで二人とも妙な所で頑固だ。
その事を知っているだけに、とりあえずは双方の主張を聞くだけ聞いてみることにするのだった。



  *  *  *  *  *



その晩のナカジマ家。
少々久方ぶりの重苦しさのない食卓を終え、翔が寝静まった頃。
ギンガは特に理由もないまま庭先に出て夜空を見上げていた。

(なんだか、変なことになってきちゃったなぁ……)

兼一とギンガ、どちらが翔の指導をするかという討論は結局答えが出なかった。
どちらにもそれなりに理があるのだが、正直感情的な意見が多すぎるというのがゲンヤの感想。
感情的に自分がふさわしいと主張するのではなく、負い目やら引け目から相手の方がふさわしいという変な主張の応酬が何とも厄介である。
しかも、どちらも真剣に翔の事を考えての結果だから始末に負えない。

ギンガからすれば、兼一に学ぶのが本来あるべき姿。兼一の方が師に相応しい力量を備えていると考え、今までがありえてはならないイレギュラーだったと思っている。
兼一の場合だと、最初に翔を指導したギンガこそが師、指導者として欠陥があるわけでもないなら、この巡り合いもまた必然だったという考え。何より、今まで何も教えて来なかった自分には資格はないと本気で思っている。
そこで、最終的にゲンヤが出した解決案が……

(翔自身に決めさせるのは、考えてみれば……っというか、まず真っ先に考えるべきところよね)

すっかり失念していたのだが、翔自身の想いを聞くのをすっかり忘れていたのだ。
お互い、翔は必ず相手の下で学ぶことを希望する筈だと信じて疑っていなかったのだろう。
とはいえ、その原点に回帰した末に出た答えというのがまた難儀だったりする。

(翔自身、答えを出せなかったのよねぇ……まあ、当然と言えば当然なのかもしれないけど)

そう、結局翔にも答えは出せなかった。
姉と慕うギンガから学んだシューティングアーツには当然思い入れがある。
かと言って、父が母と共に練磨してきた技の数々に興味がないと言えば嘘になるだろう。
いっそのこと二人から、と思わなくもなかっただろうが、それはギンガから固辞した。

正直、兼一とギンガでは格闘家としてのレベルに差があり過ぎるのだ。
複数の師がつく場合、出来るなら師同士のレベルは均一かそれに近い方が良いに決まっている。
師同士の間で大きく差があれば、必然的に翔の中に歪みが生じるだろう。
一つの技は異様にレベルが高いのに、もう一方のレベルはそこそこ。
これが翔の成長に良い影響を与えるとは到底思えない。

(どうせ習うんなら、やっぱり技術が上の人に習った方が良いに決まってるわ。
 私じゃ、兼一さんの足元にも及ばない。単純な戦力じゃわからないけど、格闘家としての格が違いすぎるもの)

これらが、ギンガが兼一と二人で翔の指導をすることを拒んだ理由である。
まあ、それだけが理由というわけでもないのだが……。
とそこで、ギンガは暗い夜の闇の中でゆっくりと、むしろゆっくり過ぎる動作で動く人影を発見した。

「…………………兼一さん?」
「あ、ギンガちゃん。どうしたの? 明日も早いんだから、もう寝た方がいいよ」
「その、なんだか眠れなくて……」
「う~ん、今日あんなことがあったし、無理もないのかな?」
「練習、ですか?」

そう言えば、夜な夜なこっそり郊外で練習していたのをついさっきギンガは聞いた。
翔をはじめ、周りの人間に気付かれないように注意していたらしいが、もうその必要がないからこうして庭先でやっているのだろう。

実際、兼一のやっているものは見慣れない動きではあるが、それは紛れもない武の動き。
ゆっくりゆっくりと行われる一連の動作は、翔のやるそれよりもはるかに遅い。
むしろ、この遅さを維持する方が困難な程に。
にもかかわらず、速度は一定を保たれ、指先の動き一つとっても淀みがなくブレもない。
『美しい』と、兼一の動きを見てギンガは素直にそう思った。
ただし、この一言を聞くまでは……だが。

「うん、僕は覚えが悪くてね、少し怠けるとすぐに劣化しちゃうから」

正直、この一言に『何をバカな』『悪い冗談だ』とギンガは思う。
兼一の行う動作は、一つ一つが流麗で無駄がない。
地球の武術に無知なギンガだが、それでも「まるで教本の様な動作だ」と思う。
侮蔑を込めた教科書通りとは違う、それ自体が一つの理想形といえる動き。
そんな事が出来る人間が、どうして『覚えが悪い』というのか。どうして、『劣化』などするだろう。
ギンガには、そんな様子が微塵も想像できない。

廃ビルの時と違い、今のギンガの精神状態は平常そのもの。
だからこそ、改めて思い知る。
自分と兼一との間にある、隔絶した技量の差を。

(これが、達人。一つの技術を極めた人の動き。いったい、私との間にどれだけの差があるの?
 いったい、何十年かければ、私はこの人と同じ事が出来るようになるの?
 まるで…想像がつかない。遠過ぎて、綺麗過ぎて、手が届く自分が想像できない)
「………ちゃ…」

それはかつて、兼一自身が師達に抱いたものと同じ感情だ。
圧倒的すぎる差の前に、嫉妬や羨望すら生まれない。
あるのはただ、完成され研ぎ澄まされた技術への感嘆の念のみ。
だが、ギンガの心の中には、それらとは別の何かが芽生えていた。

(なのに、なんでだろう? 完璧すぎるほどに完璧なのに、どこか近い物を感じる。ううん、『近い』というのとも違う。これは…『親しみ』? よく、わからない。鋭いのに、どこか鈍臭い様な……)
「…ン…ちゃん」

鈍臭いというと語弊があるが、上手い表現の仕方がみつからないギンガ。
人を魅了し、視線を離させない何かがあるのは間違ない。
にもかかわらず、兼一の動作には全く別種の『何か』も混在している。
しかしその答えが出る事はなく、ギンガの意識は外部からの声によって引き戻された。

「お~い、ギンガちゃん」
「ひゃうあ!?」

突然目の前に現れた兼一の顔に、素っ頓狂な声を挙げてのけぞるギンガ。
その腕は無意識のうちにファイティングポーズを取り、いつでも兼一の事を殴れる体勢だ。
まあ、心の片隅では『何をやっても当たらないだろうな』という諦観が宿っているが。

「えと、驚かせちゃったかな?
 気配は消してない筈なんだけど…なんだかボーッとしてたみたいだし、大丈夫?」
「だ、大丈夫です! 大丈夫過ぎて大丈夫じゃないくらい大丈夫です!!」
「言ってる意味は良く分からないけど、大丈夫だって言うなら……」
(ああもう! 何をそんなに慌ててるのよ、私!! ただちょっと近くで顔を見ただけなのに!!)

内心の動揺を必死に抑えながら、ギンガは慌てた様子で手を振って『気にするな』と意思表示する。
さすがに、兼一の演舞に魅入られていたとは恥ずかしくて言えない。
何が恥ずかしいのか、その理由さえ本人は良く分かっていないが。

まあ、大丈夫というなら兼一とて聞きはしない。
兼一は確かに人の逆鱗に触れる天才だが、いい加減年を重ねて多少はマシになっている、多少は。

「じゃあ、何か悩み事?」
「え?」
「いや、なんか庭に出てきた時もどこかぼんやりしてた様子だし、どうしたのかなって?
 ほら、これでも三十路近いおじさんだからさ、話を聞くくらいはできるよ」

そう、少しおどけた様子で兼一は笑いかける。
一回り年上の貫録か、あるいは余裕か。いずれにしろ、悩み慌てた自分がバカの様にギンガは感じる。
だからだろうか、思わず口をついたのは先ほどの悩みとは別の話題だった。

「その…兼一さんはすごいなって」
「え? 僕が?」
「はい。だって、あんなに色々翔の事を考えて、奥さんとの約束もしっかり守って、本当にすごいですよ」
「そ、そうかな?」

ギンガの言葉に、兼一はどこか困った様子で頭をかく。
本当に、何がすごいのかさっぱり分かっていないのだろう。
凄い事を凄いと思っていない事、それが一番ギンガはスゴイと思う。

(これが、この人にとっては当たり前なんだ。翔の事を大事に思うのも、奥さんとの約束を守るのも、全部当たり前。翔に隠し続けるのは大変だった筈なのに、それを大変だなんて全く思ってない。
 ……………………格闘家だけじゃなくて、そもそも人として全然及ばないなぁ)
「えっと、ギンガちゃん?」
「あ、すみません。でも、本当にすごい事だと思うんです。私なんて、兼一さんと違って全然翔の事を考えてなくて、翔が格闘技をすることがどれだけ危ないかなんて……」

全く、想像もしなかった。
役者が違うからといえばそれまでだが、それだけでは割り切れないものをギンガは感じている。
翔の眩い才能に目が眩んでいた事は否めない。それだけ翔の才能は素晴らしく、輝きに満ちている。
だがそれでも、指導者としてそれに目を奪われるだけではいけなかったのだ。
その先にあるものを、待ちうけるものを、もっと考えるべきだった。
兼一の真意を知り、ギンガはそんな自分の浅薄さを恥じる。
ただし、これが兼一になると別の意見になるわけだが。

「そんな、大層なものじゃないよ。結局、僕のしていた事は親のエゴなんだから」
「え、エゴって、そんなことは……」
「いや、エゴ以外の何物でもないよ。親の勝手な都合で武から遠ざけて、武を学ぶことに反対する。知らないならまだしも、才能がある事を知っててこれだ。その上、武門に入るのなら僕が教える、なんて意気込んで。
 邪魔をしておいていざとなれば…本当に身勝手だ。正直、恥ずかしいよ」

誰にとは兼一も言わない。しかしなんとなく、それが兼一にとって大切な人に向けられている気がして、ギンガの胸が僅かに傷んだ。
見方によっては、兼一の言も正しくはある。子どもの意思を尊重していると言えるが、その機会を設けようとしていなかったのならその限りではないのだから。

「あの、私が言うのもどうかとは思うんですけど、この話…もうやめにしませんか?
 翔は、多分私の事も兼一さんの事も悪くは思っていないと思います。あの子は、そういう子です。
それに、結局翔自身が私達の事をどう思うかが重要なのであって、私達が私達をどう思うかはそれほど重要じゃないと思いますから」
「そうだね。確かに……ギンガちゃんの言う通りだ。何を言ったところで、それも翔への押し付けでしかないもんね。思う事は簡単にはやめられないけど、口にするのだけでもやめた方がいいかな」
「はい。そうじゃないと、あの子色々気を揉みそうですから」
「ふふ、確かにね」

恐らく、ギンガや兼一がまたこの話題であれこれ悩んでいることに気付けば、翔はきっと悲しい顔をする。
それは二人にとっても本意ではないし、お互いに言いあっていても意味のない事柄。
ならせめて、翔の前だけでもこの話題は慎むべきということで二人は合意した。

「でも、やっぱりギンガちゃんはしっかりしてるよ。僕の若い頃とは大違いだ」
「そ、そんな!? 私なんて、全然……」
「そんな事はないさ。こうしてしっかり社会に貢献して、周りの事を気にかけてる。
 あの頃の僕なんて自分のことで手一杯で、周りを気にする余裕なんてほとんどなかったのに……」

実際、ギンガくらいの頃の兼一は、日々の地獄の修業とラグナレクやYOMIとの戦いの真っ最中。
正直、自分が生き残る為の力をつけるだけで精一杯だった時期だ。
一応周りの事は彼なりに気にしていただろうし、守りたい人、共に闘う仲間もいた。
だがそれでも、やはり今のギンガほどしっかりとしてはいなかったように思う。本人の主観だが。
そもそもそんな余裕が存在しない生活だったといえば、全く以ってその通りなので、あながち間違ってもいない。

「私だって、それほど余裕があるわけじゃありませんよ」
「……そうなの?」
「当たり前じゃないですか。兼一さんがどう思ってるか知りませんけど、私なんて高々16の小娘ですよ。
 明日のことだって良く分からなくて悩んで、この先の目標に届くかどうかわからなくて悩んで、妹に追いつかれやしないかと悩んで、最近は壁にぶつかって悩んでます。
今は対人関係も追加されて、本当に悩んでばっかりです」

生来の面倒見の良い性格のせいで実年齢より大人に見られがちなギンガだが、やはり中身は十代半ばを過ぎたばかりの少女。
それなりに悩みも多く、その悩みに答えが出せない事も当然多い。

どうしても漏れてしまう溜息をつきながら、ギンガは横目で兼一を見る。
その視線に兼一が気付かない筈もないのだが、特に気にした素振りも見せない。
どうやら、単に視線を向けただけと思ったのだろう。
十年やそこらでは、相手の視線から意図を察することができるほどの器用さは身に付かなかったらしい。

「ああ、なんとなくわかるなぁ。僕も若い頃は色々悩んだものだよ、逆鬼師匠も『青春は悩む為にある』何て言ってたけど、確かにその通りだったなぁ……」
「なんか、気楽ですね」
「過ぎ去った青春の日々、って奴だからね。
昔さんざん悩んだから、今悩んでいる人たちが微笑ましく思えるようになるのさ」

この辺りは単純に年の功という奴だろう。
まあ、実際問題として恐ろしく密度の濃い十代後半だっただけに、ギンガの悩む姿は微笑ましい限りなのだ。
ただし、兼一が悩んでいたのは主に恋愛と明日の命だったので、だいぶ毛色は違うが。

「十代の兼一さんか……きっと、今の私よりずっと先を行ってたんでしょうね」
(ごめん、ギンガちゃん。実はそんな大層なものじゃないよ?)

ギンガは今の兼一しか知らないので、かなり幻想が混在している。
兼一としてはその夢を壊していい物か、割と真剣に悩む。
あの頃の兼一と言えば、刃物を相手にしては怯え、決闘を前にしては慄き、修業がきつくて逃げていた。
正直言って、出来ればギンガや翔には見せたくない姿も多いだけに、乾いた笑みしか浮かばない。

(でも、見る限り今のギンガちゃんも……)

それまでと違い、一武人としての視点でギンガを見る兼一。
武術家としては当然未熟も良いところだが、年齢を考えればそれは当然。
むしろ、この年齢という事を考慮すると……

(試して、みようかな?)

兼一の中にちょっとした悪戯心が芽生える。
目にもとまらぬ速度で兼一がギンガのリボンに手を伸ばす。
常人ならば何が起こったかわからぬうちに、リボンを奪われるだろう。
だが、その手は無造作に振るわれたギンガの手によって払われた。

「っ!?」
「お見事。完全に不意を突いたのに、良く気付いたね」
「え? あ、いや、その…気付いたというか、これは偶然で……」

自分自身で何をしたのか分かっていないのか、しどろもどろになるギンガ。
彼女からすれば、反射的に腕が上がり気付けば兼一の手を払っていたというのが本音だ。

「その、すみません」
「いや、謝るのはこっちだよ。いきなり変な事をしようとしてごめんね」
「いえ、それはいいんですけど、なぜこんなことを?」
「……ちょっとした確認、かな?」
「確認、ですか?」

兼一の意図がわからずに首を傾げるギンガ。
そんなギンガに対し、兼一はどこまでも優しい笑顔で答える。
まるで、目をかけていた妹の成長を喜ぶかのように。

「うん。今偶然って言ったけど、そんな事はない。今のは、れっきとしたギンガちゃんの実力だよ。
だけどその年で、それも師のいない状態で良くここまで来たものだ」
「あの、話が見えないんですけど」
「ああ、ごめんごめん。確認って言うのは、ギンガちゃんのタイプの事。
まぁ、多分そうだとは思っていたんだけど、やっぱりギンガちゃんは静のタイプだったかぁ」
「静の、タイプですか?」

聞き慣れない言葉に、ギンガの目に困惑の色が浮かぶ。
なんの前振りもなく「静のタイプ」などと言われても、ギンガからすればサッパリなのだ。

「武術家……というか、戦う人って言うのは、二つのタイプに分類できるんだ。感情を爆発させてリミッターを外して戦う動のタイプと、心を静めて冷静さを武器に戦う静のタイプの二つにね」
「私が、その静のタイプって事ですか?」
「おぼえがあるんじゃないかな? ある日を境に、あるいは何かのきっかけで、戦意や心が昂ぶってもそれに引きずられることが減った筈だ。同時に、自分の間合いが感覚的にわかる様になったと思うんだけど……」
「ぁ……」

ギンガなりに覚えがあるのだろう。心当たりがあるらしく、「そう言えば」などと呟いている。
おそらく、あまり自身の変化を気にしていなかったのだろう。
言われなければ気付かない、それくらいの感覚だった様だ。

「まぁ、二つのタイプに優劣はないし、師弟でばらばらでも特に問題はないんだけどね。もちろん同じタイプなら自分自身を参考に指導できるメリットがあるけど、タイプの違いが刺激になって成長を促す場合も多いし。
つまり、要はその人のスタイルに一本筋が通ったと思ってくれれば良いよ。ただ……」
「ただ?」
「二つのタイプ、どちらになるかを選べても、いつ選ぶかは本人にも決められない。僕もそうだった。気付いた時には自分のタイプを決めていた、何て人も少なくないんだ。ギンガちゃんも武術家だし、覚えておくといいよ」
「……」

もし、クイントが存命であれば、あるいはギンガの節目となる時まで生きていれば何かしらのアドバイスをくれたかもしれない。だが残念ながら、既にクイントは故人。
ギンガがどちらのタイプになるか選択した時、彼女はすでにいなかった。
おかげで、ギンガは本人も知らぬうちに知らぬまま静のタイプとなっていたのだろう。

「でも、だからこそ大したものだと思う」
「え?」
「僕が緊湊に至ったのも16の頃だったけど、師匠達にみっちり鍛えられたおかげだからね。
 長く師にもつかず、半ば独学でやっていたのにここまでこれた、本当に見事だ」
「そ、そんな……」

手放しの兼一の称賛に、ギンガは顔を真っ赤にして照れる。
確かにギンガが師である母を失って久しいが、陸士訓練校に入ってからは軍隊式の訓練に明け暮れた。
師がいなかったのは事実だが、だからと言って独学だったかといえば微妙というのが本人の感想。
正直、ここまで褒められていいものだろうかと、かえって恐縮してしまう。
とそこで、兼一の言葉にまた良く分からない単語があることに気付く。

「あの、緊湊って言うのは?」
「ああ、『先に開展を求め、後に緊湊に至る』って言う言葉があってね、早い話が武術の段階の事だよ。
 基礎を固める第一段階が開展、緊湊は第二段階、タイプが分かれるのはこの段階に至ってからなんだ。
 さっきギンガちゃんは伸び悩んでるって言ってたけど、決して引け目に思う事じゃないさ。僕の友人の中には、もっと後になって緊湊に至った人もいるけど、今では高名な達人として名を馳せてる。少なくとも、遅いって事はないさ」

実際、現在裏ボクシング界に絶対王者として君臨する兼一の旧友『武田一基』は、18の時点で未だ緊湊には至っていなかった。
それを基準に考えれば、ギンガのそれは充分に早い部類に入ると考える事も出来る。
この先の本人の努力次第だが、決して遅いという事はないのだ。

そして兼一の言葉が、少々の伸び悩みを感じていたギンガの肩を僅かに軽くしてくれた。
焦る事はない。これほどの腕前を持つ兼一ですら、16の頃にはこのくらいのレベルだった。
なら自分も、決して不可能ではないと思える。単純かもしれないが、それだけでギンガの心は軽くなったのだ。
まあ、兼一は17になる頃には曲がりなりにも妙手クラスだったし、ギンガとの間には天と地ほどの才能の差があるので、あまりあてにはならない。
ギンガ自身、未だ妙手レベルには程遠いというのが現状でもある。

「一つ、聞いても良いですか?」
「? どうぞ」
「私が達人と戦ったとして、勝てると思いますか?」
「……どうだろう。僕はギンガちゃんの正確な実力を知らないし、正直魔導師は見ただけだと判断にしにくいんだよね。武術だけなら見るだけでもある程度はわかるけど、魔法はさっぱりだから」

それは、紛れもない兼一の本音。
はっきり言って、魔導師の力量は測りにくいことこの上ない。
立ち振る舞いや筋肉の突き方、重心の配分、それらを総合して実力を判断することはできる。
だが、魔導師の場合魔法というこれだけでは見切れない能力がある為、一概には断定できない。
事実、今日戦ったあの五人の魔導師も、初見での判断より遥かに強かった。
魔導士という未知の存在を警戒していなければ、もっと苦戦した事は想像に難くない程に。

「ただ、今日の感じだと武術家が魔導士と戦う為には達人であることが最低ラインだと思う。
 技というよりも、単純に妙手クラスの力だと防御魔法を破るのは難しそうだからね」
「やっぱり、兼一さん達でも技より力、なんですか?」
「基本的にはね。多少例外はあるけど、やっぱり何はともあれ力だよ。
 どれだけ優れた技が持っていても蟻じゃ象にはかなわない。魔導士と武術家の関係はそのものだね」

一部例外「技十にして力は要らず」と謳われた櫛灘流なら別だろうが、あの流派は特殊過ぎる。
基本的に、戦いとは『一胆、二力、三功夫』。技に威力を持たせる力なくば、どれほど優れた技も宝の持ち腐れ。
特に、魔導士と戦う場合にはその点が顕著である事を兼一は確信していた。

「なら、武術家としての私は、どの程度のレベルなんですか?」
「ギンガちゃん? そうだねぇ……弟子の上位辺りが妥当かな」
(やっぱり。わかってはいたけど、この人にはまだまだ遠く及ばない…か)

わかってはいた事だ。プロの一流格闘家ですら、やっと妙手。
ギンガとて正規の訓練は受けているので、紛れもない戦いのプロ。
しかし、では一流かと問われれば、本人は首を縦には振らない。
ギンガは、自分よりもっと優れた技術と力を持つ魔導師をたくさん知っている。
だからこそ、そんな自惚れはできなかったし、兼一の言葉を聞いてもそれほど落胆はしなかった。
だがそこで、唐突に兼一が何かを思いつく。

「そうだ、そう言えばまだちゃんと御礼をしていなかったっけ」
「え? 御礼、ですか?」
「うん。翔を守ってくれた事、翔に武術をするきっかけを作ってくれた事、翔に武術を教えてくれた事。
 その他諸々の、御礼だよ。まだ、何もしてなかったよね」
「でも、それは……」

ギンガからすれば、御礼などもらえる筈がない。
礼を言いたいのはギンガ自身だし、むしろそれに謝罪もくっつけたいところなのだ。
とはいえ、先ほど自分からああ言った手前そんな事は言いにくい。
そうこうしている間にも、兼一は勝手に話を進めて行く。

「色々考えたんだけど、僕にできる事はあまり多くない。
 だから、少しだけ後押しをしようかなって思うんだ」
「あと、押しですか?」
「うん。ギンガちゃん、その木の前に立ってくれるかな?」
「はぁ……」

ギンガは兼一に指示されるまま、そこそこに背の高い木の前に立つ。
兼一は木のすぐ横に立ち、その幹に手を添えた。

「一番得意な構えを取って、それから心を静めるんだ」
「あの…なにを?」
「いいからいいから」

珍しく強引な兼一に押し切られる形で、とりあえずギンガは構えを取り深呼吸をして心を落ち着けた。
その間にも、兼一は細やかな指示を飛ばしてくる。

「まだ乱れがあるね。心の波を消し、静かな湖面の様にするんだ。
 波のない水は鏡に似ている。周りも自分も、そして敵すらもそこに映し出す筈だよ」
(心の波を、消す。ああ、この感じ…時々、調子がいい時になるあの感じだ)

兼一の声が遠ざかり、周りの全てが静寂に包まれたかのような錯覚を覚える。
にもかかわらず、兼一の声はそれでもはっきりとギンガの耳から心へと沁み渡って行く。
まるで、乾いた砂が水を吸い取るかのように。

「自分を一滴の雫にするんだ。湖面に堕ちた雫は波紋を生み、均等に周囲に広がって行く。
 真の集中は一点に絞るものじゃない。波紋の様に、意識を一点から周りに広げて行くんだ」
(意識を散らすんじゃなくて……広げる)

感覚と思考がクリアになり、今までにないほどに周りの状況が感じ取れる。
風にそよぐ芝、兼一をはじめとした周囲の生き物の息遣い、家の明かり。
それらの全てが、まるで俯瞰でもしているかのような感覚で頭の中へ浸透する。

(本当に…見事だ。筋がいいとは思っていたけど、ここまでとは……。
 師と環境次第では、本当に化ける…いや、それこそちょっとしたきっかけ一つでも……)

一つ助言するごとに、ギンガの周りの空気が澄んで行くことが分かる。
おそらく、既に土台はできていたのだろう。ただ、ギンガにはその土台の適切な使い方がわからなかった。
その使い方を軽く教えただけでこれだ。その呑み込みの早さに、兼一もまた舌を巻く。
今ギンガがしている事が出来るようになるまでに、自身がどれだけ時間がかかったか、と思いかけてやめた。
元々、比較対象にするには不適切過ぎると思いいたったらしい。

「さて、今からこの木の葉を散らすよ。その場から動かず、手の届く範囲に入った物だけ捕まえるんだ。
 もちろん、範囲に入っていない物には手を出しちゃいけないし、手を伸ばす回数は両手で一回ずつ。
 目標は、片手につき十枚ずつってところかな」
「…………はい」

舞い散る木の葉程度なら、普段のギンガでも難無く全てつかめるだろう。
しかし、それがその場から動かず、手の届く範囲に来た物のみを見極めて手を伸ばすとなれば話は別。
不規則な軌道を描く木の葉は、腕を伸ばす風圧だけでも揺れ動く。
それさえも計算に入れなければならないのだから、その難易度は格段に上がるだろう。
今までのギンガであれば、おそらく無理だった。だがこの時は……

「それじゃあ、行くよ」

そう言って、兼一の掌底が木を揺らす。
木の葉が散り、風に乗ってギンガの周囲を舞う。
それら全ての動きを皮膚感覚で感じ取りながら、ギンガは焦ることなくその軌道を読む。

(あそこまではとどく。でも、普通に突きだしても一度に取れる葉の枚数は多くない)

ギンガの腕がピクリと動くが、それ以上には動かない。
そんなギンガの様子を、兼一はどこか嬉しそうに見つめている。

(そう、焦る事はない。ゆっくりと、今の自分にできる事を見極めた上で考えるんだ)
(なら、ちょっと軌道を変えて、この角度から……)

ただバカ正直に腕を伸ばすのではなく、その軌道一つ一つを計算してギンガは両腕を伸ばす。
両の手には数枚の木の葉が吸い込まれるように握られ、引きもどす間にもそれは増える。
気付いた時には、兼一が目標として出した十枚に届いていた。

「……………できた」
「うん、その感覚を大事にね。それが、制空圏の感覚だ」
「制空圏、ですか?」
「緊湊に至る事で自然と見えてくる、自分の間合いの事だよ。前からわかってはいたと思うんだけど、これでその感覚が少し強くなったんじゃないかな?
 熟練してくれば、間合いに入った物を反射的に打ち落とせるようになる便利な技だ。それも、死角から来ようがお構いなしにね」

兼一の言葉に、ギンガは思わず自分の掌を見つめ、それから自身の制空圏を意識する。
これまではどこかぼんやりとして曖昧だった境界が、今でははっきりと掴むことができた。
今までかみ合いきっていなかったピース、それを兼一がしっかりとはめ込んでくれたかのように。
静の武術家であるギンガは、元より自身の間合いは分かっていた。しかし、それを「制空圏」という技術として身につけてはいなかったのだが、それを身につけるきっかけを兼一が作ったのだ。

「良ければある程度形になるまで教えようかと思うんだけど……」
「い、良いんですか!?」
「言ったでしょ、御礼だよ。ギンガちゃんなら一週間もあれば、ある程度形になる筈だ」
「でも、一週間じゃ兼一さん達が帰る日を過ぎちゃいますよ」
「なに、乗りかかった船だし、これまでお世話になったお礼だよ。
多少遅くなる位、今更たいした問題じゃないさ」

あるいは、長老ならもっと短期間のうちに形にできるだろう。
だが、生憎兼一は指導者としては新米。余裕を以って、一週間と言ったのだ。
もし兼一の見立てが正しければ、それこそ一週間とたたずに朝宮龍斗と戦った時以上の完成度へと持っていけるだろう。それだけの潜在能力を、すでにギンガは備えている。

「もちろん、迷惑じゃなければだけど……」
「迷惑だなんて、とんでもない! こちらこそ、是非お願いします!!」

兼一の手を取り、熱心に懇願するギンガ。
はじめはやや呆気にとられていた兼一だったが、ギンガに喜んでもらえたようで彼自身ほっとする。
兼一からギンガに送れるお礼など、言葉以外にはこれくらいしかないのだから。

(制空圏って、確かあの時兼一さんが言っていた『流水制空圏』って言うのと無関係じゃない筈。
 たぶん、この技の上位に位置する技。それなら……)

むしろ、自分から頭を下げてでも教わりたい技だ。あの時ギンガが受けた衝撃は、それだけのもの。
技の原理も極意もさっぱりつかめなかったが、あの時の光景は忘れられない。
無論、たった一週間やそこらであの技を会得できると思うほど、ギンガも愚かではない。
だからこそ、気付けばギンガの口からこんな言葉があふれていた。

「あの、もしご迷惑じゃなければなんですけど……」
「?」
「こっちにいる間だけでいいんです。私を、鍛えてもらえませんか」
「え?」

ギンガの言葉の意味、如何に鈍い兼一でもそれくらいはわかる。
制空圏に限らず、武術家として鍛えてほしい、それがギンガの願い。
ただ、不躾な願いとも承知しているだけに、その顔を俯かせてどこか申し訳なさそうにしているが。

「勝手なお願いだってことはわかってます。門下生でもない私に技を教えていただけるだけで、本来は満足しなきゃいけない所だってことも。でも……!」
「いや…それは、別にかまわないけど……」
「本当ですか!?」

喜びにあふれた顔つきで、ギンガは俯かせていた顔を挙げて兼一を見つめる。
花開かんばかりの笑顔に、むしろ兼一の方が御礼を言いたくなってしまう。
実際、兼一からすれば技を教える事も鍛えることもやぶさかではない。
友人であり恩人である少女の願い、どうして断る事が出来ようか。
だがその前に、一つだけ聞いておかなければならない事があった。

「でも、僕はシューティングアーツの事は良く分からないし、変な鍛え方をするのはまずいんじゃ?」
「…………さっき、伸び悩んでるって言いましたよね」
「あ、うん」
「今の私は、母さんに全然及びません。でも、いつかは追いついて、母さんが教えてくれたシューティングアーツを、もっと高みに引き上げたい。それが、昔からの夢の一つなんです」

星空を見上げながら、ギンガは幼い頃の夢を語る。
母を亡くして以来、ギンガはずっとそれを目標の一つにして来た。
全ての教えを受ける事は出来なかったが、それでも母に追いつきたい。
追いついて、いつか母が至れなかった高みに手を伸ばし、この技術を高めたい。
そう思って努力してきて、壁にぶつかり、今その壁を破るとっかかりを見つけた。

「今までのやり方が悪かったとは思いません。でも、母さんの後を追っているだけじゃダメなんじゃないかって、最近思う様になったんです。私と母さんは別の人間で、私は母さんにはなれない。
 なら、私は私のやり方で上を目指すべきなんじゃないかって」
「それが、僕に教わるって事?」
「全く別の流派の教えを取り入れることで、見えてくる物もきっとあると思うんです」

決然と、強い意志を宿した瞳でギンガは兼一を見る。
その瞳は、兼一にとってもどこか懐かしい輝きを宿していた。

(良い目をしている。自分の道を定めて、進んで行く覚悟を持った眼。
 一番近いのは、トールさんかな? こんな眼をされちゃ、断れないよね)

兼一の心を動かすには、充分過ぎるその輝き。
ただ鍛えるだけなら別にかまわないと思っていた兼一も、考えを改める。
鍛えるなどと生ぬるい事は言わない。例え短い時間でも、ギンガが次のステップに進む為の土台を築く。
その為に必要な全てを叩きこむ事こそが、自身の務めである事を兼一は悟った。

「僕は弟子も持った事がない未熟者だけど、それでもいいなら…喜んで」
「はい! よろしく、お願います!」

兼一がギンガに手を差し出すと、ギンガもまた強くその手を握り返す。
かつて美羽は言った「本当に武術をしたい人の前には師が現れる」と。
自分がギンガの師に相応しいかは分からないが、これこそがそうなのだろうと兼一は思う。



ちなみに、この数日後ゲンヤはギンガに「後悔しているか」と問うた。
それに対するギンガの返答は……

「後悔してるに決まってるじゃないですか!?」

だったという。まあ、当然と言えば当然なわけだが。
ついでに言うと、ギンガが兼一の教えを受ける様になった事により、なし崩し的に翔も兼一の指導下に入ったのだった。一応平和的にカタも突いたので、めでたしめでたしと言えなくもないだろう。






あとがき

とりあえず、これで翔はギンガの教え子から兼一の下へ移ることとなりました。
ついでと言うかなんというか、ギンガも一緒にくっついてきちゃいましたけどね。
今のところ、ギンガ自身の武術家としてのレベルは「制空圏は把握していても制空圏の戦い方そのものは修めていない緊湊」と言った感じ。レベル的にはボリスと初めてやりあった頃の兼一くらいです。
まあ、そこに魔導士としての能力も付与されるので、そこそこの達人が相手でも渡り合えるんですけどね。

ちなみに、今回のタイトルである「断崖」は、梁山泊の指導方針が由来。
ギンガにしても翔にしても、兼一の指導下に入る以上、それはつまり崖からの転落も同義なのですよ。

さて、次回はいよいよ梁山泊…というか地球に帰還、の予定。
仮の師弟であるギンガと兼一がどうなるかは、その展開次第だったりしますね。



[25730] BATTLE 9「地獄巡り 入門編」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:21

白浜親子がミッドチルダに流れ着いて早一ヶ月半。
色々あれやこれやと問題が起きはしたが、それらもなんとか無事終息した。
その代償に当事者三人の人生が大きく変わったが、それが良かったのか悪かったのかはまだ誰にもわからない。
それは、各々が長い時間をかけて答えを出していくことなのだから。

しかし、一つだけ確定している事がある。
ギンガと翔、この二人がこの日より後悔のどん底に叩き落とされるという現実だけは間違いない。

そして、早朝。
前日の事もあって、とりあえずは暇を与えられたギンガと兼一の特訓が開始されようとしている。
当然、二人が暇なら翔も家にいるわけで、ギンガと翔はこれより行われる訓練に心を躍らせていた。
知らない事は果たして幸せなのか、それとも不幸なのか……。
とりあえず二人が庭先に出ると、そこには何かの準備をする兼一の姿があった。

「あ、おはよう二人とも。今日は良く眠れたかい?」
「ぅ、うん……」
「あの、兼一さん…………………大丈夫、なんですか?」
「父様、ちゃんと寝れた?」

そう、兼一の眼の下にはこれでもかとばかりに隈が浮かんでいる。
翔は「眠れたのか」と問うたが、どこからどう見てもちゃんと寝れたようには見えない。
もしや……ではなく、間違いなく徹夜したに違いない。
そんな二人に向けて、兼一はどこかテンションのおかしな笑顔を浮かべている。

「いやぁ、自分で修業するならともかく人に修業をつけるなんてほとんど初めてだからさ!!
 あれもこれもと考えてたら夜が明けちゃったんだよね!!
 でも安心して! 日の出辺りで『降りてきた』から!!」
「は、はぁ……」

まるで遠足や運動会を楽しみにする子どもの様である。俗に言うナチュラルハイという奴なのだろう。
本の虫であり、梁山泊に入門するまでは読書をしているうちに徹夜するどころか昼夜逆転することなどざらだった兼一だが、二人の修業メニューを考えているうちに変なテンションで夜を明かしてしまったらしい。
身近な人に初めて指導をする、その嬉しさを知るギンガには兼一に対する共感がないわけではないが、あまりにも様子がアレなので、内心では割と引いていたりする。
というか、『降りてきた』というメニューは本当に安心していいのだろうか。

「えっと、それで練習メニューの方は?」
「もちろんバッチリさ!! 今日は初日だし、昨日あんなことがあったばっかりだからね。軽く流す程度にしたよ! ちゃんと…………殺さないようにして組んであるからね!!」
「そうですか……………って、今ものすごく物騒な事を言いませんでした!?」

極自然にこぼれた兼一の言葉にうなずきかけるギンガだったが、寸での所で待ったをかける。
無理もない。『軽く』という部分には正直落胆しないでもなかったのだが、そこに『殺さないように』などと付け加えられては無視できない。
明らかに前後で矛盾しているというのもあるが、何をどうしたら特訓で死の危険が伴うのか。
だが、それこそが兼一にとっての日常であったりするわけで……。

「え? どの辺が?」
「ですから、『殺さないように』ってあたりです!!」
「あ、そこ? いやぁ、誰かを鍛えるのなんてほとんど初めての経験だし、加減もよく分からないからさ。
今僕がやってる修業のノリでやったら殺しちゃうかもしれないし、その辺はちゃんと加減を……」
(じょ、冗談よね、冗談)

ギンガは努めて兼一の言葉を好意的に解釈しようと努め、その単語を心の内で繰り返す。
しかし生憎と、兼一の言っていることは冗談でもなければ嘘でもない。
ギンガが考える『軽く流す』と、兼一の考える『軽く流す』では、天地ほどの差がある。
そのことを、まだギンガも翔も知らない。

「父様、僕はどうすればいいの?」
「ああ、今日は基礎体力づくりがてら、今の二人の身体能力を見ようと思ってるんだ。
だから、基本的な内容自体は同じだよ。程度が違うだけで」
「ふ~ん……」
「まあ、なんだ。とりあえず二人は…………………覚悟だけはしとこうか♪」

翔の質問に答えながら、兼一は実に“いい笑顔”を浮かべている。
それはこの後、二人にとって不吉の象徴となる、本当に“良い笑顔”だった。



BATTLE 9「地獄巡り 入門編」



「じゃあ、まずはギンガちゃんはこれをつけて」
「これって、確か魔力封じの手錠……ですよね?」

ギンガに手渡されたのは、前日にギンガに付けられた物と違って最新型の魔力封じ。
おそらく、ゲンヤあたりに頼んで貸してもらったのだろう。
まあ、大体この使い道は想像がつく。

「うん。僕は魔力の鍛え方も魔法の事もさっぱりわからないから、鍛えるのは身体の方だけになるでしょ。
 それなら、魔法で身体能力を強化した状態で鍛えるよりも、純粋に素の状態で鍛えた方がいいかなって。
 魔法を使いながら鍛えても良いんだろうけど、素人が下手な事をしない方がいいしね」
「まぁ、そうですね」

強化系の魔法を使いながら鍛えれば、魔力量の増強や魔法の練度を挙げることに繋がるかもしれない。
しかし、実際問題としてその方面に関してはずぶの素人が思いつきでそんな事をすべきではないのだ。
余計な事をすると、本当に身体を壊す恐れがある。
少なくとも、兼一が魔法や魔導師についてもう少し詳しくなってからでないと、その訓練法はすべきではあるまい。

「さて、手始めに軽く走ろうか……」
「ねぇ、父様。走るのは好きだけど…………………………何それ?」

そう言って翔が指し示したのは、兼一の背後にある岩の塊。
しかも唯の岩ではない。酷く大雑把に人間の形を象った石像。
四肢があり頭もある、だが顔や細部の造形は全くなされていない。
芸術的な価値は皆無、素人から見てもそれは明らかな代物である。

「ああ、これね。これは僕が良く使っている修業道具をマネて作った物でね、その名も『投げられ地蔵』!」
「な、投げられ……?」
「これ、父様が作ったの?」
「ははは、やっぱり岬越寺師匠みたいに上手くはいかないねぇ。
 人型にするだけでも山ほど失敗しちゃったよ!」

その奇妙奇天烈摩訶不思議な名前に呻くギンガだが、白浜親子は特に気にした素振りも見せない。
だが、兼一の背後にある劣化版投げられ地蔵のさらに後ろには、いくつもの失敗作の残骸が詰まれている。
仮にも人型の物体が山積みにされている光景は、正直中々に気味の悪い物があった。
ギンガとしては頭の痛くなるものがあるが、とりあえず今は無理にでも視界から外す。
重要なのは、それをいったい何にどう使うのかという事なのだから。

「それで、それをどうするんですか?」
「担ぐんだよ」
「…………えっと、誰が?」
「ギンガちゃんが」
「いつ?」
「今から」
「担いで走れと?」
「うん」

ギンガの問いに、兼一は迷いなく頷く。
再度ギンガは兼一の背後に立つ、彼とほぼ同じ背丈の投げられ地蔵を見て顔を青くする。

今のギンガは一切の魔法による強化ができない少女。
格闘家らしく体は鍛えているし、元の体質的にも筋力は優れている。
だが、正直数十キロはあるであろうこんな物を担いで走るとなるとただ事ではない。
出来ないとは言わないが、一キロ休まずに走り続けるだけでも大変だ。

「翔はこっちの小さい方ね」
「って、翔にもやらせるんですか!?」
「え?」

『何当たり前のこと言ってるの?』と言わんばかりの顔でギンガを見る兼一。
そんな反応を見て、非常識なのは自分の様な錯覚を覚えるギンガ。
しかし、必死に頭を振ってその錯覚を振り捨て、ギンガは兼一に詰め寄る。

「何考えてるんですか!! 翔はまだ子どもなんですよ!
 まだ身体もできてない時期に無理な事をしたら身体を壊すじゃないですか!!!」
「大丈夫、だから壊れそうで壊れないラインを見極めてやって行くから」
「いったい何がどう大丈夫だっていうんですか、それのどこが!!」

まさか、こんな常識の通じない相手だとは思っていなかったのだろう。
ギンガは珍しく声を張り上げ、頭が痛そうに兼一に文句を言う。
だが、そんなギンガの剣幕などどこ吹く風と言った様子で、兼一はまるで取り合わない。
いや、取り合わないというのは正しくないか。一応は『ああ、そう言えばそういう反応が普通なんだよね』的な顔をしているので、全く思うところがないわけではないようだ。

「まあまあ、落ち着いてギンガちゃん。とりあえずだまされたと思って、ね?」
「~~~~~~~…わかりました。訓練をつけてくださいと言ったのは私ですし、訓練が終わってから考えることにします。翔も、無理し過ぎない様にね」
(……………それって、少しくらいなら無理しても良いってことなのかな?)

カエルの子はカエル、ではないが、ギンガの配慮も空しく割と命知らずな事を考える翔。
しかし、ギンガはすぐに思い知ることになる。訓練が終わってから考えるなどという自身の判断は悠長にも程があった事を。訓練が終わるまでなど待つ事はない、始まってすぐにだまされていたことに気付くのだから。

「じゃ、早速行こうか…………………………隊舎まで」
「待って待って待って待って待って、ちょっと待って――――――――――――!!
 隊舎までって、ここから何キロあると思ってるんですか!?」
「父様、ここから歩いて行くの?」

はっきり言って、隊舎までこんな荷物を担いで歩いて行くなどある種の拷問だ。
決して遠いわけではないが、それでもそこそこの距離はある。
断言しよう、行くだけでも体力を使い果たしかねないと。
とはいえ、ギンガも翔も勘違いをしている。兼一は一言も、『歩いて』などとは言っていない。それどころか……

「何を言ってるんだい、さっき言っただろ? 『走る』んだよ」
「「……………………マジ?」」
「マジ」
「でも、これは幾らなんでも……」
「いいかい、ギンガちゃん。
武術家の真価はどれだけ打ち、打たれか。そして、どれだけ走ったかだよ」
「ま、まぁ、言わんとする事はわかるつもりですが」
「そう、よかった。それじゃ、行ってみようか。
あ、ちなみにペースが落ちてきたら……電気ショックだからね」
(そう言えば、翔にも何か付けてると思ったら、そんな物を……)

ギンガと翔では重りに差があっても同じペースになる筈がない。
だが、そんなもの兼一には関係ない。
目と耳と気配できっちりしっかり二人を監視し、僅かなペースの遅れも許さないだろう。
その上、ギンガの手錠や翔に付けさせた腕環にはそんな底意地の悪い機能が付いている。
これでは、ペースを落とすことなど出来る筈もなし。

「さあ、逝くよ。修行の開始だ!!!!」
「「字がちが…はぅあっ!?」」

叫ぶと同時に、二人へ電気ショックを送るボタンを押す兼一。
二人は堪らず全力で走りだし、住宅街の中へと消えて行った。



  *  *  *  *  *



その後も、兼一の特訓という名の拷問は続く。
ようやく隊舎についたかと思えば、『じゃあそろそろ帰ろう』と碌に休む間もなくまた走らされ、当然ながらペースが落ちれば『遅い!! そんな調子じゃ日が暮れても今日の分の修行が終わらないよ!!』と叱られながらの電気ショック。挙句の果てに、それをギンガは十往復、翔は二往復ときた。
はっきり言って、これのどこが練習なのかと早速疑いたくなる。
だが、実はまだまだこれは序章に過ぎなかった。

「何と言っても、武術の基本は足と腰。というわけで、そのままの姿勢でとりあえず……二時間いってみようか」
「に、二時間ですか!?」
「翔はホントに素人だし…………良いって言ったら終わりにしていいよ」
(それはつまり、様子を見ながらって事よね……そっちの方がよっぽどきついと思うんだけど……)

手の甲を上に向けた状態で失敗した投げられ地蔵の頭部と思しき石の塊を握り、膝を九十度に曲げた状態で「馬歩」をするギンガ。翔の場合は握っている石の大きさが違うが、それ以外ではやっていることには大差がない。
しかしそれでも、まだ幼い翔には十分すぎるほどにきつい。
何しろ、その口から洩れる声はすでに言葉になっていないのだから。

「ムキィ――――――――――――――!!!」
「ははは、そうそうその調子」
「むきゅ~~~……」
「はい、腕を下げない!!」
「あいた!?」

徐々に腕が下がってくる翔の先ほどと同様に電撃による「喝」が入る。
一応出力を加減しているようだが、やはり中々にショックは強いらしく、翔はすでに涙目だ。
で、ギンガもまあ状態としては大差ないわけで……。

「ふぐぐっぐぐ……お、おもぃ」
「そりゃ重くなきゃ筋トレにならないからねぇ……」
「さ、さっきから思ってたんですけど、これのどこが軽いんですか!?」
「え? 軽いよ、重りが」
(…………この先どれだけ重くするつもりなの、この人は!?)

今頃になって、ようやくギンガは気付いた。
兼一が最初に言っていた『軽く流す』というのは、特訓の量や質ではなく、単純に使用する重りの重さに過ぎなかったということに。
まあ、実際には練習の質量ともに兼一からすれば充分『軽い』のだが。

「う~ん、でもやっぱり道具がないのが問題だなぁ……ゲンヤさんに頼んで『発電鼠』とか作ってもらえないかな? あ、それならいっそ、『おぶり仁王』とか『しめあげ地蔵』も欲しいかも」
(何を言っているのかよく分からないけど…………絶対碌なことじゃないわ!!)

悲しいかな、兼一に師程の道具作成能力はない。
もし彼にその十分の一の能力でもあれば、ギンガの修業内容はさらに過酷になっていただろう。
…………そういう意味では、まだギンガは幸運だったのかもしれない。

「良し、とりあえず丸太を組んでスルメ踊りの土台を作ろう。
それに制空圏の特訓用に杭も使いたいし、一石二鳥だよね」
「あの、現在進行形で筋肉が悲鳴をあげている私達の前で、不吉な計画を立てるのはやめてくれませんか?」
「ゆ、指がちぎれるぅ~!」
「大丈夫、そう言ってちぎれた人はいないよ、翔。だって、僕もちぎれなかった」
((そういう問題!?))
「そういう問題だよ。とりあえず、限界だと思ってから五分はいけるね、経験的に」

イヤな方面に経験豊富な兼一である、人体の限界など体で理解している。
その兼一の経験が、二人を限界ギリギリまで追い込んで行く。
ちなみに、さりげなく心を読まれているのだが、今の二人にそれに突っ込む余裕はない。
何しろ、馬歩に続いてこれまたハードそうなメニューが待っているのだから。

「じゃあ次。脚を使わないで登ろうか……ロープを」
「例によって、またこの石像も一緒ですか?」
「あ、やっぱりもっと重い方が良かった?
 それとも、滑りやすい物の方が良かったかな? ロープってざらついてるから結構登りやすいんだよね」
「父様、たぶんギン姉さまが言いたいのはそんな事じゃないと思う……」

ベランダから垂らされた二本のロープを前で、二人は自分の足に括りつけられた地蔵に辟易する。
何しろ、この調子だと夢にもこの顔なしの地蔵が出てきそうで怖い。
だがそんな怖い想像も、続く兼一の言葉で頭の中から消滅した。

「ちなみに、ノルマのクリアが遅れた方にはペナルティを課すから、あしからず」
「……………翔、無理しないでゆっくりやっていいのよ」
「ギン姉さまこそ、怪我してるんだから無理しちゃダメだよ」

既に一杯一杯だというのに、これに加えてペナルティなど課されてはたまらない。
その点で想いを同じくする二人は、なんとか相手を出し抜こうと“一見”するといい笑顔で説得し合う。
はっきりいって、少し前までの中の良さなど軽く消し飛んでいる。
生存本能のなせる技とは言え、実に悲しい現実がそこにはあった。

「ほらほら、よ~い…ドン!」
「「くかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」
「うんうん、やっぱり競わせると違うなぁ」

とまあ、一から十までこんな調子である。
そうして数時間後、体力づくりという名目の地獄が終わった時、一つの命も燃え尽きようとしていた。

「さて、技の稽古はこのメニューが終わって立っていられるようになってからかな、じゃないと死んじゃうし。
まあ、今夜は良く寝て疲れを残さない様にね」
「翔――――――――――――!! 傷は深いわよ、ガッカリしなさい!!」
「も…ダメ……」

汗まみれの泥まみれになり、真っ白になって横たわる翔。
文字通り、その命は風前の灯だ。まあ、ギンガもいい感じで錯乱しているらしいが。
ギンガとて決して余裕があるわけではないのだが、そこはそれ先達としてのプライドだろう。
本当は立っているのもきつい状態でも、震える膝を奮い立たせている。

「それじゃ、ギンガちゃんは少し休んだら技の稽古に入ろう。
 思っていたより基礎体力があって驚いたけど、嬉しい誤算って奴だね」
「は、はぁ……(まだやらせる気なの?)」

はっきり言って、今ギンガが立っていられるのは体力的な余裕によるものではない。
というか、体力などとうの昔に使い果たし、今は意地とプライドで立っているような状態だ。
正直、次の修業などやらされても最後まで立っていられる自信がまるでない。
まあそれでも、少しでも休むことができれば幾分かましだろうと思う。
しかし、その予想すら早々に裏切られるのだが……。

「はい、休憩終わり」
「早っ!? 十秒経ってないですよ!?」
「少しって言ったでしょ?」
(少し過ぎる……)

小首を傾げる兼一に、ギンガは内心の戦慄を隠せない。
ここまで一切休みなしでトレーニングをこなし、ようやくめぐって来た休みも早々に終了。
今日中に自分の体が壊れる予感を、ギンガは今まさにひしひしと感じていた。
特訓の内容と量もそうだが、何よりその詰め込み具合が常軌を逸しているのだから。

ギンガとて基礎を疎かにしていたわけではないし、実際彼女の基礎体力は同年代の中でも非常に高い。
ただ、この場合は相手が悪い。例えるなら、ギンガの基礎はビルをはじめとする高層建築の基礎工事なのに対し、兼一が求めるのは『城』だ。戦を前提にし、高く広い範囲に渡って作り上げるその建造物の基礎ともなれば、高層建築の比ではない。

「だけど、ここまで身体が出来てるなら一安心だ。手始めに、受け身の練習から行こう………千本ほど」
「う、受け身って!? ミッドではほとんど投げ技なんてないんですよ!」
「でも、覚えておいて損はないと思うよ。ついでに投げ技の基礎も教えるつもりだしね」
「な、投げもですか?」
「うん。ダメージを与えるのは難しいかもしれないけど、体勢を崩す技術だけでも有用だからね。
というわけで、早速行くよ」
「せ、せめて心の準備だけでもさせてくださ――――――――――――い!!!」
「ハッハッハ、何を言ってるんだい。実戦でそんな物をしてる暇なんてある訳ないじゃないか」

問答無用、そんな四字熟語が頭をよぎる余地もなく、ギンガの体が宙を舞う。
本来兼一は女性は殴らない主義だが、これは投げているだけなので問題ない…………らしい。
そうして、永遠とも思える千本受け身を終えた時のギンガはというと。

「お~い、生きてる、ギンガちゃん?」
「……………………」

返事がない、まるで屍の様だ。いや、実際問題としてその生気の無さは屍に等しい。
生きてる証拠として身体が痙攣しているが、本来悠長に「生きてるか」などと聞く場面ではない。
だが、兼一の感覚は徹底的にずれていた。それはもう、絶望的なまでに。

「ダメだよ、こんなところで寝たら風邪ひくじゃないか」
「             」

本当は「そういう問題じゃないでしょ」と突っ込みたいギンガ。しかし残念ながら今の彼女にそんな余力はない。
慣れない受け身をいきなりこれだけやらされたのだ、まあ無理もないというか当然の結末だろう。

「師父秘伝の漢方があれば一発なんだけどなあぁ」
(一発って、一発であの世逝きとかじゃないですよね?)
「こんな時に実感する、師匠の偉大さ」

さすがに、師程の技能はない上に、そもそもミッドでは材料がそろわない。
兼一は改めて、自分がどれほど恵まれた環境にいたのかを実感していた。
まあ、それはともかくとして。さしあたって問題なのはギンガをどうするかだが……。

「しょうがない…………ほっ!」
「ぶはっ!」

手っ取り早く、バケツに汲んだ水をぶっかける兼一。
朦朧とした意識も覚醒したらしく、若干むせながら起き上るギンガ。

「ま、まだやるんですか?」
「むしろ、これからが本番だよ。投げの練習をするなら、やっぱり疲れてる時が一番だからね」
「あの、それはどういう……」
「一部の例外をのぞいて投げは技3の力7でやる物なんだけど、はじめのうちはやっぱり腕力でやりがちなんだ。
 なら、もうほとんど力が出せない状態にしてからの方が、変な癖をつけずに済むでしょ?」

確かに、ギンガの腕力なら多少無理をすれば相手を投げる事は出来る。
だがそれは、決して理にかなったやり方ではない。
そもそも力を抜こうとしても、人間無意識のうちに力が入ってしまう物。
ならば、その力が上手く出せない状態にしてしまった方がいい練習になるのだ。

(つまり、この状態も全部計算づくって事なのね……)

ただキツイ特訓をさせて疲弊させたわけではなく、その後に繋がるメニューの組み方。
指導者としては初心者というが、ギンガの目から見ても兼一の組み方は非常に繊細かつ先を見通している。
徹夜して考えたというのは、伊達ではないらしい。
まあ、その内容がとんでもなくぶっとんでいるのは、この際なので目をつぶる事にしよう。
そうして、ギンガの前に道着によく似た服を着せられた劣化版投げられ地蔵が置かれる。

「まずは注意事項。投げはマットなどの柔らかい床以外で使うのは非常に危険なんだ。上手く受け身を取らないと頭を打って死んじゃうかもしれないからね。魔導師ならバリアジャケットがあるから、よほどのことがない限り大丈夫だと思うけど、使う際には気をつける様に。それはわかるね?」
「まぁ……身体で理解させられましたから」

つい先ほど、散々投げられて幾度となく危うく頭を打ちかけただけに、その声に滲んだ影は濃い。
断言しよう、視界が回る度に命の危険を感じたし、受け身を取った直後は生きた心地がしなかった。

「いいかい、投げ技でまず意識しなければならないのは、重心だ」
「人間の重心って言うと……おへその下あたりですよね」
「そう。身体の中心であり、質量の中心の事だね。極端な話、頭と足を押さえて……」

解説しながら、兼一は投げられ地蔵の頭に手を、足に右の足の裏を添える。
そして、そのまま勢いよく…………払った。

「崩してやれば人間は倒れるんだよ」

へその下あたりを中心に、投げられ地蔵が扇風機の如く回転する。
特に力を入れた素振りもなく為された光景に、ギンガは思わず息をのむ。
確かに魔導師相手に投げでダメージは狙いにくい。兼一ほどの実力があれば話は別だが、ギンガが一朝一夕で身に付けた投げが決定打になるとは思えない。
だが、バリアジャケットなどの恩恵により投げへの警戒が薄い分、技をかける事自体は可能だろう。
そして、ダメージを与えられなくてもこうして体勢を崩すだけで決定打を狙いやすくなるのは明白。
兼一の言う通り、覚えておいて損はない。その事を、ギンガは思い知る。

「とはいえ、人間は丸太や地蔵じゃないからこんな簡単にはいかない。大なり小なり体勢は動くし、重心の位置もずれる。他にも、一方に引けばそれに抵抗しようとしてねばるだろうね、当然。この辺りは生き物としての反射の問題で、訓練してなくてもする事だから」
「となると、簡単には投げられませんよね」
「そうだね。だから、投げには必ずフェイントが入るんだ。というよりも、フェイントを入れずに投げるのは至難の業だよ、出来ない事もないけど」

例えば相当に腕力や体格に差のある場合だが、ギンガは体格的にも筋力的にもそこまで図抜けているわけではない。平均的な女性の身長よりはかなり高いし、生来の体質や魔導士としてのスタイル的に筋力には優れている。
しかし、だからと言って他の追随を許さない程でもない。
そんなわけで、その話自体はあまり意味がないのである。

「ここで問題。引いても押しても相手がねばる場合、そんな時はどうしたらいいと思う?」
「フェイントを入れても耐えられるとなると……覆いかぶさる様にして一緒に倒れて、関節技に持ち込むとかですか?」
「うん、それも手だね。ただ、関節技や寝技は極めてる間に他の敵に襲われる可能性もあるから、そういう風な使い方だと多対一には向かないけど」
「なら、相手を殴って……ってそれじゃ違いますよね」

第二案を口にしかけ、すぐにそれをやめるギンガ。
それでは投げ技ではないし、兼一の問いに対する答えにはならないと思ったらしい。
たしかに、それが柔道ならそうだろう。
だが、今兼一が教えているのは柔道ではなく柔術なのである。

「いや、それも正解だよ」
「だけど、柔術って投げ技なんですよね?」
「そうだけど、当て身とかの打撃系の技もあるしね。柔術の場合、当て身は相手の意識を逸らしたり体勢を崩したりするための布石がメインだから……まあ、そっちは追々。
でも、これにはもう一つ正解があるんだ。それはね……」

言いながら、兼一はギンガの前に右腕を差し出す。
ギンガは首を傾げながらも、なんとなくその腕を握った。
兼一がその場で軽く膝を折って前傾姿勢を取りながら前に一歩踏み出しつつ体勢を低くする。
そして、その体勢のまま一気に立ち上がると、その瞬間……

「こう!」
「っ!?」

ギンガの身体が、軽々と持ち上げられた。
兼一の腕力ならギンガ一人を持ち上げる事は容易いし、その事はもうギンガも承知している。
だが、今の兼一はそれほど力を込めたようには感じられなかった。

「これって……」
「さっき重心の話をしたけど、これがもう一つの答え。相手の重心の下に入りこむんだ」
「重心の、下に?」
「うん。ほら、荷物を持ち上げる時も下から持ち上げた方が楽でしょ、それと同じようなものさ」

解説しながら、ギンガを下ろす兼一。
前後左右ならば脚を踏ん張り耐える事が出来るが、上に向かっては不可能。
ある意味、これこそが一番抵抗の少ない投げ方なのである。

「というわけで、その点を意識しながら……投げの練習をしてみようか。
 重心を意識しながら、腰を密着させる事。いいね?」
「は、はい!」

その非常に新鮮な技術に、ギンガの眼の色が変わる。
投げ技の存在を知らなかったわけではない。ただ、あまりにも主流からは程遠く、これまで学ぶ機会もその使い手と戦う機会もなかった。魔法を使えない一般局員の間ではそれなりに浸透しているのだが、ギンガの様な魔導師にはほとんど効果がない為だ。
しかし、こうして学んでみるとなかなかに興味深く勉強になる事も多い。
必倒の一撃につなげる布石としてなら、充分以上に有効な技である事を実感する。

ちなみに、この練習の後、ギンガは本当に腕が上がらなくなってしまい、夕食は兼一が作ることになるのだった。
まあ、それはギンガの投げ方がまだ効率が悪いということの証明でもあるので、要特訓と言ったところだろう。
そうして、ようやくその日最後の修業にようやく行きついたのだった。

「じゃあ、今日の仕上げに入ろうか」
(よ、ようやく……)

兼一の言葉に、思わず涙が溢れそうになるギンガ。
今まで彼女も自分なりの鍛錬と、武装隊の軍隊式特訓を受けてきた。
当然相応に厳しく辛いものだったが、その認識を今日根底から覆されたのだ。
そう、世の中には比較にならない程無茶な特訓をさせたがる変人がいるのだから。

「その様子だと、いい具合に四肢の力が抜けたみたいだね」
「というよりも、手足に全く力が入らないんですけど……」
「うん、それは実にいい事だね」
(ダメだ、何を言っても好意的にしか解釈してくれない)

暗に『手足が碌に動かないのに、これ以上何をさせるのか』と問うたのだが、柳に風とばかりに受け流される。というよりも、兼一的には全然予定どおりだったりするのだろう。
ギンガの精神はあきらめの境地に達し、もう何度ついたかわからない溜息と共に問う。

「ふぅ……それで、これから何をすればいいんですか?」
「そんなに難しい事じゃないよ」
「なんですか、その石……………って、ああ、アレの破片ですか」

そう言ってギンガが視線を向けたのは、製作に失敗した投げられ地蔵の山。
大方、アレらを作る時に出た破片か何かなのだろう。

「そうそう。やる事は簡単、今からこれを投げるから、制空圏の中に入った物だけを払い落す、簡単でしょ?」
(まあ、確かにやる事自体は簡単だし、今の腕の力でもできなくはないと思うけど……)

たしかに、出来なくはない。出来なくはないが、恐らくほとんど無理だろう。
何しろ、どれほどの量を投げ込んでくるかは分からない。その上、昨日今日身に付けたばかりの技術で、それら全てをたたき落とせる筈がない。故に、兼一の言う「簡単」というのは間違いもいいところだ。
確かにやる内容そのものはシンプルだが、出来るかどうかでいえばまだまだ困難だろう事は間違いない。

「参考までに、投げる威力は…………これくらいだから、ね!!」

兼一は軽く振りかぶり、その手に持った石を投げる。
投げられた石はとんでもない速度で空を飛び、瞬く間のうちに夕焼けに消えて一つの星となった。
もし壁にぶつかれば、壁を貫通してしまうだろう速度である。
それを見たギンガの顔が、今日一番の青ざめ方を見せた。

「……………………」
「あ、安心して。全部が全部あのくらいじゃないから」

その言葉に、盛大な安堵のため息が漏れるギンガ。
あんな物を今の魔法が使えない状態の自分が食らえば、それだけで死んでしまいかねない。
それを考えれば、兼一の言葉は天の恵みにも等しいだろう。
まあ、その致死性の投石をしている本人が言っているのだから、それもおかしな話なのだが。
ただし、この話にはまだ続きがあった。

「そうだね、大体全体の……………………七割くらい」
「…………………殺す気ですか!?」
「そんなことないよぉ」

ギンガの魂の叫びに、兼一は手と首を振って否定する。
なんというか、仕草が師匠に似てきている気がしないでもない。ギンガは知らない事だが。
とはいえ、ギンガとしてはそんな無茶な事をさせられては身が持たないどころか命が危ない。
シャレではなくマジで。

「ほらほら、怒らない怒らない」
「別に怒ってはいませんよ」
「そう? なら早速……」
「そうじゃなくて! その練習の趣旨を教えてください!!」
「ああ、それなら『最小限の力で攻撃を捌く』特訓だよ。
 今の状態だとほとんど防御もできないでしょ。だから、制空圏に入ってきた物だけを、弾ける物は弾いて無理な物は上手く捌く。これはそういう修業さ」

兼一もかつてやった制空圏の修業。それを下地にして考えた修業がこれだった。
あの時とは状況を始め何もかもが違うし、元より長老程無茶をする気もない。
まあ、そんな事露知らぬギンガからすれば、充分過ぎるほどに無茶な内容なのだが。

「そ、それはわかりましたが、いくらなんでも無茶過ぎませんか!!」
「そういわれてもねぇ……制空圏は精神状態が重要な技だからさ。どんな状況でも心を乱さず、明鏡止水の境地を維持する精神力を養うには、多少の無茶が不可欠なんだよ」
「むぅ……」
「なに、要は当たらなければいいだけさ。視覚に頼らず、自分の感覚を信じるんだ」
「………………………わかり、ました」

兼一の言葉に確かな何かを感じたのだろう。
不平不満はありそうではあるが、それを口にせずに首を縦に振るギンガ。
ただし、この修業の最中朦朧とする意識の中、ギンガは幾度となく「もうダメ――――――――!!」「いっそ殺してください!!」などなど、無数の絶叫をすることになるのだが、今の彼女は知る由もない。



  *  *  *  *  *



その晩。
限界まで酷使した身体は激烈なまでに休息を欲し、翔とギンガは夕食の間に眠りの世界へと旅立った。
そんな二人をベッドへと運んだ父親二人は、今縁側で杯を傾け合っていた。

「しっかし、あのギンガをあそこまで追いつめるたぁなぁ、どんな無茶しやがったんだ?」
「アハハハハハハハ……」

一応無茶をしていた自覚はあるらしく、兼一の乾いた笑い声が夜空に消えて行く。
思っていた以上にギンガの身体はしっかりしていたので、ついつい力が入ってしまったのは秘密である。

「まあ、それはギンガが自分で決めた事だし、俺がとやかく言う物でもねぇか。
ところでよ、あの有様で明日から大丈夫なのか?」
「それなら問題ありませんよ。鍼を打って、しっかりマッサージもしましたから、明日に疲れが残る事もありません。まあ、出来れば漢方も使いたかったんですけど、こればっかりは……」
「ってぇと何か。てめぇ、ギンガの身体を隅々まで撫でて揉んだわけか?」
「ちょっ!? なんでそんな事になるんですか!?」

確かにそんな表現もできるかもしれないが、知らない人が聞けば確実に誤解される表現方法だ。
ジトッとしたゲンヤの目に兼一は狼狽を露わにし、慌てふためいて弁明する。
弟子のメンテナンスは師の仕事、と言ってはたして納得してくれるだろうか。
などと兼一が悩んでいると、堪え切れない様子でゲンヤが噴き出した。

「クックックックッ……」
「げ、ゲンヤさん…まさか!?」
「わりぃわりぃ、おめぇがあまりにも期待通りの反応をしやがるもんだからよ」
「うぅ、人が悪いですよぉ」

兼一に邪なものがない事は承知していたのだろう。
その上でからかっていたらしいゲンヤの悪戯に、兼一は涙目で落ち込む。
というか、実はまだゲンヤの悪戯は終わっていなかったりするのだが……。

「ま、それはそれとして…………………………ギンガの感触はどうだった?」
「なっ!?」
「親の俺が言うのもなんだが、結構いい身体してただろ?
 おめぇだってまだ若ぇ男だ。それに反応しちまったって俺は何もいわねぇよ。
 だからほれ、洗いざらい正直にげろっちまいな……」

邪悪な笑みを浮かべて詰め寄るゲンヤのおかげで、その時の記憶がよみがえる。
疲れを残さず、より強い身体になる様行ったマッサージ。上腕や前腕、腰や首、脹脛や太股、果ては腹や尻まで。師の一人の様な邪心を封じ無心で行ったとはいえ、その感触は確かに記憶に残っているのだ。
極力思い出さぬようにしていた記憶がよみがえったことで、兼一の顔がドンドン紅潮していく。
如何に子持ちで既婚者とはいえ、十代の少女の張りのある肌や肉付きの良い身体の感触の刺激は決して弱くはないのだから。

「な、なななな何を言ってるんですかぁ!?」
「なにって、ギンガの身体の事だろ?」
「父親としてそれでいいんですか!!」
「別に何かおかしなことした訳でもねぇだろ。俺はただ、ギンガの体に触った感想を聞いてるだけだぜ?」

底意地の悪いニヤニヤ笑いを続けるゲンヤ。
兼一とてまだ二十代の若い男、その男の部分はまだ決して枯れたわけではない。
理性に寄らぬ本能の部分が反応してしまうのも、こればっかりは仕方がないだろう。元々スケベでもあるわけだし……まあ、男など基本的にそんなものだが。
とはいえ、生来の潔癖さもある上に亡き妻一筋のこの男、そのどうしようもない部分でも許せないらしい。
ついには頭を抱えて唸り出すものだから、ゲンヤもいい加減手を緩めることにしてくれたらしい。

「~~~~~~」
「ったく、おめぇはホントにからかいがいがあるよなぁ」
「僕をからかって楽しいんですか?」
「ああ、中々ツボにはまる楽しさだな」
「~~~~~~~~~~~~」
「クックックック、だからそういうところが楽しいって言ってんだよ」

なんだかよく分からない形相で歯ぎしりをする兼一を、おかしくてたまらないと笑うゲンヤ。
そこで唐突に、兼一の顔が真剣な物に変わる。

「ゲンヤさん、一つだけ聞いても良いですか?」
「あん?」
「ギンガちゃんって、以前身体を壊したり、内臓の機能が悪かったりします?」
「…………………………なんでぇ、藪から棒に」

何かを押し殺すかのような僅かな沈黙と、一瞬浮かんだ苦渋に満ちた表情。
それだけで、兼一にはゲンヤが何かを隠していることが分かった。
普通ならそれに気付いた段階で口を噤むものだが、『聞き難い事をあっさり聞いてしまう』のが兼一である。

「以前から思ってたんですが、ギンガちゃんの身体ってちょっと不自然な所があるんですよね。
 何て言うか、筋肉や骨の感触が変ですし、他にもいくつか気になる所が……」
(そういや、こいつはある意味人体の専門家だったか。
医者と違って、治すんじゃなくて作るのと壊すのが専門だが……)

考えてみれば当然の話で、この男がその事に気付かない筈がない。
むしろ、なぜ今まで触れて来なかったかの方が不思議なくらいだろう。
あるいは、今日ちゃんと触るまで気付かなかったのか……。

「いつ、気付いた?」
「違和感を持ったのは初めて会った時からです」
「じゃあ、なんで今まで聞かなかった…………いや、なんで今聞いた?」

今まで聞かなかった理由など聞くまでもない。
単純に、何かしら複雑な理由があるのだろうと慮ったのだろう。
あるいは、自分と相手の関係において重要な問題ではないと考えていたのかもしれない。
他にも理由は考えられるが、それほどゲンヤが気にかけることではない。
故に、聞くべきは今頃になってその事に触れたその真意だ。

「仮とはいえ指導することになりましたし、教え子の体の状態を把握するのは師の務めでしょう?
 それに、身体に爆弾があるのにそれを知らずにいるのはさすがに不味いですから……」
「ま、正論だわな」

兼一の答えは、まさしく非の打ちどころのない正論。
例えば内臓の働きを補助する機会を埋め込んでいたり、例えば過去に大きな怪我をしていたり。
数え上げればキリがないそれらの可能性があった場合、指導の仕方にも相応の配慮を要する。
それは指導者としては至極当然の配慮だ。

ただ、ギンガの秘密はそれらとは別の次元にあるものであり、だからこそ迂闊に口にするわけにはいかない。
少なくとも、ギンガ自身が口にするまで自身が口にすべきではないとゲンヤは考えている。

「とりあえず、おめぇが考えてるみたいな事はねぇ。
 大怪我だの大病だのはしてねぇし、身体がどっか悪いわけでもねぇ。それは保障する」
「……ですが、全身にそれがあるのはさすがに変ですよ。あれじゃまるで身体に機械が埋め込んであるんじゃなくて、機械と身体を……「それ以上は言うな!」……ゲンヤさん?」
「わりぃ、年甲斐もなく熱くなっちまったな。すまねぇんだが、この話は終わりにしようや。その内、ギンガから話すかも知れねぇ。それまでは…………待っててくれねぇか?」

危うく兼一は逆鱗に触れそうになるが、その前にゲンヤがストップをかける。
今そこに触れられれば、自分は冷静でいられない。その確信がゲンヤにはあった。

「……わかりました。ゲンヤさんがそう言うなら、信じて待つことにします」
「恩に着る」

ゲンヤがそこまで言うのなら、兼一とて深くは追求しない。
元から善意の塊の様な男だ、相手が嫌がる話を無理にする様な悪趣味な性格はしていない。
まあ、無意識的に相手の最も触れてほしくない所に触れてしまいがちではあるが……。

「そういや、昨日貸してやったアレはどうだった?」
「ああ、勉強になりました。確か、ゲンヤさんの奥さんの若い頃の……」
「おう、クイントの奴の記録映像だ」

実は昨夜、兼一はゲンヤに頼んでシューティングアーツの資料を貸してもらったのだ。
ギンガのスタイルはシューティングアーツ。そのギンガの指導をするのなら、やはりシューティングアーツへの理解は欠かせない。というわけで、そんな兼一に対し、ゲンヤはギンガの師であり今の彼女より上の使い手である亡き妻の記録映像を貸したのである。

「おめぇの眼から見て、アイツの動きはどうだった?」
「見事、の一言ですね。まさか魔法全盛のこの世界で、あそこまで武を磨き抜いた人がいたとは……もし存命だったなら、今頃達人級になっていても不思議はないと思いました」
「……………そうか。そう言ってもらえりゃ、アイツも嬉しいだろうよ」

兼一の嘘偽りのない賛辞に、ゲンヤは杯を傾けながら寂しげに微笑む。
ゲンヤの亡き妻、クイントが所属していた隊は管理局の中でも少々異色の部隊だった。
何しろ、その隊長が昔堅気の騎士である。
なんでも、若い頃に海の方に一時出向した際、本物の武人に出会ったとか何とか……。
そのため、その気質は武人と言っても差し支えない物で、生きていれば兼一とも馬があったのではないかと思う。
その影響だろうか、隊全体にもそう言った空気と気質が浸透していた。クイントもその例には漏れない。

「特に、魔法と武術の融合の完成度は素晴らしかったと思います。
 魔法だからできる事を武術に無理なく取り入れていましたから……いえ、アレは魔法に武術を取り入れたと言った方がいいのかな? とにかく、互いの長所を自然にまとめあげていましたよ。
ただ、その分やっぱり魔法が使えない人には向かない技術でもありますね」
「そうなのか?」
「はい。攻撃や防御、歩法に至るまで、魔法の使用を前提とした技が多いものですから…魔法が使えないと使えない技も多いですね」

考えてみれば当然の話で、魔法と武術を融合させた技術である以上、使い手は魔法を使える事が大前提。
魔法を使えないものがこの技術を習得しても、全てを身につける事は出来ない。
そういう意味で言えば、ある意味使い手を選ぶ技術とも言えるだろう。

「歩法なんかだと、魔法による身体能力の強化や足場を作れる事を前提にした技がそうです。
他にも、防御魔法や射撃系の攻撃魔法と併用する技もありますよね?」
「まあ、確かにそういうのは魔導師じゃねぇとつかねぇよな」
「後は……」

兼一の言葉にうなずくゲンヤだが、そんな彼を余所に兼一は顎に指を置いて何やら考え込む。
その様子をいぶかしむように、ゲンヤは首を傾げて問う。

「どうした?」
「あ、いえ。魔法を使えなくても使えない事はないんですが……魔法が使えないと非常に使いにくそうな技がありまして……」
「なんだ、そいつは?」
「…………………………………アンチェイン・ナックル」

『アンチェイン・ナックル』。それは、クイントが得意とした打撃技。
静止状態から加速と炸裂点を調整する撃ち方であり、これを極めればシールドもバインドも意味を為さなくなるという、文字通りの繋がれぬ拳。
その威力と効果は、達人である兼一をして感嘆せしめるに足るものであった。ただ……

「似たような打ち方なら僕もできます。ですが、アレは酷く使いどころが難しいですね」
「どういうこった?」
「打ち方にもよるんでしょうが、僕が見た全威力を炸裂する打ち方だと、タメとモーションが大きい様に思います。威力は素晴らしいんですが、技が出るまでの隙が大きいんですよ。外した場合もピンチになりますし」
「そういや、ありゃ確かインパクトに向けて加速していく打ち方だったか」

故に、加速の途中は無防備そのもの。
通常の突きの場合、そこまで細やかな速度の調整はしない。
確かに拳は振り抜くまでに加速していくが、その加速の度合いは決して一定ではないのだ。
そんな悠長に加速していく打ち方では、いくらでも隙を突ける…というのが兼一の見解だった。

「はい。正直、非常に繊細な身体操法ですね。ですが、その分使いどころが難しい。僕達が同じ技を使うとしたら、よほど決定的な隙を見せてくれた時位でしょうか。それ以外だと自殺行為ですし」
「魔導師の場合は、違うって事か?」
「ええ。魔導師の場合ですと、遠距離まで打撃の威力を飛ばせますからね。
隙を突かれない程度の距離から撃つ事が出来ますし、シールドやバリアもある。
そう言った『魔導士としての長所』があって、初めて実戦で運用できる技術なんだと思います」

本来、拳による打撃などというものは直撃しなければ意味がない。
ところが、魔導師の場合は直撃しなくてもダメージを狙える。拳に魔力を乗せ、それを飛ばすことで。
それができて初めて、あの技を実戦で使う事が出来る。
距離を置いた状態でもなければ、とてもではないが技を放つ前に潰されてしまうから。

「やろうと思えばできるか?」
「出来なくはないと思いますけど……やっぱり一苦労ですね。
まあ、そもそも修得までに長い時間が必要ですけど。
残念ながら、一度見た技を短期間のうちに盗む、なんてできないので」
(出来そうな気がする、ってのは秘密にしとくか)

ゲンヤの感想は間違いではない。弟子もそうだが、達人もまた隙あらば進歩する人種。
中には、一度見た技を短期間のうちに会得することができる者もいる。
とはいえ、生憎兼一はそこまで器用な武術家ではない。
彼は一つの技を覚えるのにも膨大な時間を要する。
なにしろ、『魂が磨り減る程の練磨』こそが兼一にとっての修業なのだから。

「そんなもんかい」
「あ、そうだ。実はちょっとお願いがありまして、ギンガちゃんの修行用にこんな道具を用意してほしんですよ。出来ませんかね? あ、これ大体のイメージです」
「ん、どれどれ…………出来なくはねぇと思うが、こんなもん何に使うんだ?」
「まあ、その辺りはその時のお楽しみということで……」
「まぁいいが、それなら俺のポケットマネーで出すぜ。さすがに隊舎の予算は使えねぇし」
「良いんですか?」
「問題ねぇよ。知り合いの技術部の連中に格安で作らせるし」

ゲンヤの言葉に、内心で『会った事もない技術部のみなさん、ごめんなさい』と謝罪する兼一。
この後、兼一の求める無茶な修業器具の要請に、幾度となく彼らは振り回されたりしなかったり。

そうして、夜は更け残り少ないミッドでの時間が過ぎて行く。
兼一と翔が地球に帰るまで、あと少し。






あとがき

まずは謝罪を、前回大ウソついてすいませんでした。
当初の予定に反し、修業パートが思いのほか長くなったため梁山泊行きはまた次回になりました。
最初はタイトルまでの所で済ませる気だったのですが、書いているうちにこれでは物足りないと思い、思い切ってここまで膨らませました。
多分、当初の予定である『軽く触れる』というのは、次回になるでしょうね。
というか、そうでもないといくらなんでも味気なさすぎますし。
やっぱり、ケンイチに修業シーンは欠かせませんから。

とはいえ、今回初めてとなる『指導者としての兼一』になったわけですが、非常に困りました。
『兼一は教えられる側』というイメージを払拭できず、どうしても書いていて変な感じになってしまいそうなんですよね。正直、上手くやれたのか不安でなりません。

あと、アンチェイン・ナックルについては私の独断と偏見です。
作中の描写とノーヴェやメガーヌの発言から、「なんかそんな気がする」と思ってのものです。
突っ込みどころは多々あるかと存じますが、なるべくソフトにしていただけると救われます。



[25730] BATTLE 10「古巣への帰還」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:21

光陰矢の如し、時が経つのは早いという喩である。
一週間という時間は過ごすには短く、本気で一つの物事に取り組むとなればさらに短い。
ましてやそれが、割と命懸けだったりすると尚の事。

「あ、熱っ! 熱いですよ兼一さん!? ちょっと火を弱めて――――――――!!!」
「あれ? 火加減を間違ったかな?」
「そんな悠長なこと言ってないで早く―――――――!!」

現在進行形で火炙りにされているギンガの叫びに、兼一は呑気に首をかしげる。
普通火炙りにされるという状況その物がありえない。それも、武術の修業でそんな事をするなど……。
だが、現実としてギンガは木製の鉄棒の中心に脚を括られ、その直下で兼一が火を焚いている。
常識的に見れば明らかな拷問なのだが、これもまた、兼一がかつて通った道なのだ。

「前々から言おうと思ってましたけど……こんなの殺人未遂じゃないですか!?」
「まったく、人聞きの悪い事を言わないでよ…………と言いたいところだけど、それは同感かなぁ」
「だったら!?」
「でも、修業って言うのはそういうものだよ?」
(だ、ダメだこりゃ……)

どこか黄昏た様子で微笑む兼一を見て、ギンガの胸の内を色濃い諦観が埋め尽くす。
とはいえ、それでもギンガの動きは一瞬たりとも止まらない。
当然だ、この修業…その名も『スルメ踊り(名前を付ければ良いというものではない)』は腹が火傷をする前に背を向け、背が火傷を負う前に腹向けることで腹筋と背筋を鍛える修行法。それも、本人の意思とは無関係に。
なにしろ、文字通り火で焼かれるような熱さが背と腹を襲うのだ。
そんな事になれば、誰だって死にもの狂いで限界以上に腹筋と背筋を酷使するだろう。
この修業を考えた人物は、間違いなく真正のドSである。
ついでに、そんなギンガと同時進行でもう一つの絶叫が蒼天に響く。

「うあ―――――――――――――!? もうダメだ――――――――!!」
「こらこら、舌を噛むから基礎トレ中は叫ぶものじゃないよ、翔」

息子の絶叫を軽く流しながら、珍妙な機械の中で走る息子に声をかける兼一。
その形態はネズミが運動不足解消に転がすアレその物。
商品名(笑)を「発電鼠(はつでんちゅう)改 マグナボルト」というのだが、これまた兼一がかつてお世話になった修業道具である。ゲンヤに無理を言って、「電気代節約になるから」と作ってもらったのだ。
うん、とりあえず翔やギンガにとっては笑い事ではない。

「これまで散々お世話になったんだから、せめて少しくらいは恩返しをしたいじゃないか」
「そ、それは僕も思うけど……!?」
「うん、いい心がけだね。御褒美にもう十分追加しよう」

息子の言葉に感動したかのように涙を拭いながら、兼一は発電鼠に備え付けられたタイマーを回す。
翔としては今すぐにでも逃げ出したいところなのだが、この修業道具、決して逃げられないようにフタが閉まる仕組みなのだ。これの名称が「改」な訳がここにある。
まあ、翔としてはそれどころではないわけで……。

「変な事言うんじゃなかった――――――!?」

『口は災いのもと』とは言うが、それにしてもあんまりである。
そして、隊舎の中庭で繰り広げられるそんな地獄絵図を眺めていたゲンヤは一言。

「いや、そりゃもう褒美じゃなくて罰ゲームだろ」

と、心底呆れかえった様子でツッコミを入れていた。
ただし、当の本人は4階にある部隊長室窓から階下を眺めている状態なので、誰の耳にも届いていない。
かと思いきや、兼一の耳にはしっかりはっきり届いていたりする。

「イヤだなぁ、ゲンヤさん。これは子の成長を願う親心ですよ」
「スパルタが裸足で逃げ出すような親心だな、オイ」

もういい加減兼一の非常識さには慣れたらしく、先の呟きを聞かれていたことには特に驚かない。
その程度の事に驚いていては、この男と付き合っていられないと達観しているのだ。

とはいえ、彼としてもできれば隊舎の中庭でこんな内外にとって傍迷惑な特訓は勘弁してもらいたい。
何しろここのところ、近隣住民から悲鳴と断末魔が聞こえるとして苦情が後を絶たないのだ。
それどころか、隊舎内で拷問でもしているのではないかと噂される始末。
あながち否定しきれないだけに、ゲンヤとしても大いに対処に困って胃の痛い思いをしている真っ最中。
だが、それももう直終わりとなると一抹の寂しさが……。

(いや、そんなもんは欠片もねぇけどな。正直、これっきりと思うと小躍りしてぇところだし)

まあ、それだけ大変だったということである。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日…ひたすらに周辺住民に頭を下げたのは、今後永遠に残るであろうゲンヤの悪夢だった。

ところで、この地獄絵図に対して他の隊員たちはどうしているのか。
仮にも同僚であり、影で親衛隊があったりなかったりするギンガがこんな眼にあっているというのに。
その上、割とマスコット的存在になりつつある翔まで、だ。
誰か一人くらい助けに入ってもよさそうなものである。だというのに……。

「漢泣きしながら敬礼してないで助けてくださいよ!!!」
「磨り減る――――! 僕たちの中で何かが擦り減る―――――――――!!」
『いやだって、俺達まで巻き込まれたくないし』

早い話が、物の見事に見捨てられているわけだ。
当初こそ助けに入ろうとした者もいたが、そんな物は連日続く常軌を逸した特訓に慄いて途絶えてしまった。
当然、ギンガの様に兼一に教えを乞おうとする強者がいる筈もなく。
その結果、この地獄絵図はとりあえず黙認する方向でまとまってしまっているのだ。

「「薄情者――――――――――!!」」



BATTLE 10「古巣への帰還」



最早日課と化した地獄の修業。
とはいえ、幼い翔と職を持つギンガを一日中鍛えるのはさすがに無理がある。
兼一も学生時代は学業と修業を両立していた物だ。

そんなわけで、基本的に修業は朝と昼、そして夕方から夜にかけてに限定される。
まあ、そんな生活もいよいよ終わりを迎えようとしているわけだが。

「お呼びですか、ゲンヤさん」
「来たか、開いてるから入んな」
「失礼します」

昼の休憩時間を利用しての修業を終え、仕事に復帰してすぐにゲンヤに呼び出された兼一。
実を言うと、兼一自身その要件にはおおよその予想が出来ていた。
しかし、さすがにいきなり本題に入る事はないらしく。二・三の雑談の後に、ギンガの事に話が向かう。

「それで、実際のところどうなんだ?」
「どう、というと?」
「毎日アレだけ絞ってんだ、成果の方はどうなのかと思ってよ」
「そうですね……並みの相手なら楽にあしらえるくらいにはなったでしょう。
 相手の陣地を占領する戦い方、相手の動きの流れの読み方は一通り仕込みましたから」

元々ギンガは筋もよく、一歩を踏みこむ勇気もある。
土台を固め直し、ほんの僅かに後押しするだけで見る間に兼一の教えを吸収していった。
緊湊へと至った武術家の戦いは、殴り合いというよりも陣取り合戦や詰将棋に近くなる。
ギンガはその戦い方を、この短期間のうちに完全ではないにしろ身につけて行った。
まあ、兼一としてはもう少し教えてやりたい事があるのだが……。

「ただ、流水制空圏はまだ無理にしても、出来れば観の眼をもっと磨いておきたいところですね」
「観の眼?」
「高度な戦いで重要になる見方で、部分ではなく全体を見渡すことです。
 人間が見る事の出来る最大範囲を視野角というんですが、普段はその中心の一部分しか意識していません。
 その意識していない外側を見て、相手を塊として捉えるのが観の目なんです。
 これを磨く事で、相手の攻撃の気配を感じ取って予知することができるようになります」
「もしかしてよ、アンチェイン・ナックルが使いにくいとか言ってたのは……」
「ええ、よく観の眼を磨いた武術家なら予知は難しくないでしょう」

何しろ、アンチェイン・ナックルはモーションの大きな技である。
脚先から下半身、下半身から上半身へとつながる一連の動きは、優れた武術家なら予知は容易い。
予知してしまえば拳を振り抜く前に潰す事も、射程や有効範囲から逃れる事も出来る。
それ故に、魔法を併用せずに使うアンチェイン・ナックルは使いどころが難しいのだ。

「でも、もしあと半年…いえ、三ヶ月だけでも教えることができれば……」
「どうするってんだ?」
「高度な戦いが先読みの仕合である以上、読まれない攻撃、読めても対処できない技が開発されるのは必然だと思いませんか?」
「なるほどなぁ…当然お前さんにも、そういう技があると」
「ええ。例えば、超近接状態からの技であったり、限りなくノーモーションに近い状態からの技だったり、まぁ色々ありますよ。もう少し時間があれば、とっておきを教えてあげられたんですけどね」
(こいつのとっておきかよ、どんな技なのやら……ん?)

兼一のとっておき、そう聞いて興味があるやら空恐ろしいやらで苦笑いを浮かべるゲンヤ。
下手をすると、受けたら跡形も残らずに消滅してしまうような気すらしてしまう。
さすがにそんな事はない……と思う。長老なら一般人を蒸発させるくらいできそうだが。
とはいえ、アレがまさに必殺の突きである事は紛れもない事実。
緊湊以前の武術家が放っても、一般人が受ければ本当に命にかかわりかねない突きなのだから。
だが同時に、ふとある疑問が胸の内で湧いた。

「なぁ、そいつを今教えるわけにはいかねぇのか?」
「あ~、教える事自体は出来ますけど、まだギンガちゃんには早いですね」
「使いこなせねぇって事か?」
「それもありますね。基本的にあの手は高度な技なので、相応の実力がないと……」

まぁ、当然と言えば当然の話だ。
基本的には、簡単な技から始まり徐々に高度な技を習得していくのが自然な流れ。
いきなり力量に見合わない高度な技を授けられても、当然それを使いこなすことなどできはしない。
しかし、兼一のとっておきの場合それだけが理由というわけでもなかったりする。

「だけど、今考えてた技はちょっと特殊でして……」
「特殊?」
「ええ。アレは空手・中国拳法・ムエタイ・柔術の全身運動の要訣の上に成り立った技なものですから。
四種の武術の基本を着実におさえて初めて使えるので、今のギンガちゃんだと教えても使えませんよ」

無理もない話だが、ギンガが兼一の下で修行するようになってまだ一週間程度。
その程度でそれら四種の武術の要訣を完全に身につけるなど不可能だ。
兼一独自の技であるそれを会得するには、当時の彼と同じだけの基礎力を要する。
だが、もし習得することができれば、密着状態からノーモーションで最大パワー・スピードでの突きを放つことができるようになるだろう。それは、ギンガの今後を考えれば強力な武器となる事は明らか。
兼一としても、出来れば初めての教え子であるギンガにそれを教えてやりたいのは山々だ。

しかし、それが叶わない事も承知している。
何しろ、今日で兼一がギンガの修業を付けるようになってちょうど一週間なのだから。

「そうかい、やっぱ一週間はみじけぇわな」
「ですね」
「とはいえ、お前さんもこれ以上残るわけにはいかねぇしな」
「はい。せめて家族や友人達に無事くらいは知らせたいですし、向こうでの仕事もありますから」
「それが終わったらいつでも来い、と言いてぇ所だがそれも難しいしな。
 基本的に管理外世界の人間はこっちにこれねぇし、俺らも相応の理由もなしにそっちには行けねぇ。
 例えば、そっち出身でこっちで働いてたり、あるいはそっちに親戚でもいるんなら話は別だがよ」

中には、ほとんどそちらの世界と接点がないにもかかわらず管理外世界に住んでいる管理局員もいるにはいる。
だが、そんな物は本当に例外中の例外だ。
その人物達が海所属の次元航行艦の乗組員で、管理外世界に行くことが多いからできた事でもある。
陸に所属し、職務上管理外世界に行くことなどほとんどないギンガは気軽にでむくことはできないのだから。

「まあ、例外がないわけじゃねぇがな。例えば、こっちに移住して職を持つとかよ」
「魅力的なお話なんですけどね……」

ゲンヤの言葉に、兼一は苦笑を浮かべて言葉を濁す。
魅力的と感じているのは間違いなく本心だ。翔はやはりギンガといる事を喜んでいるし、兼一自身ギンガを指導する日々に充実感を覚えている。
故に、ミッドチルダに移住してしまうのも一つの未来だろう。

しかし、地球もまた兼一にとって多くの大切なものがある。
思い出深き故郷であり、師や家族・多くの友人が住まう世界。
なにより、今は亡き最愛の妻が眠る土地。一時的に離れるだけならともかく、長く離れるとなるとなれば……。

「ま、気持ちは分かるつもりだからな。無理は言わねぇよ」
「すみません、御恩にほとんど報いる事も出来ず……」
「そっちは気にすんな。短かったが、中々に騒がしくて楽しめた。礼を言いたいのはこっちの方なんだからよ」

頭を下げる兼一に、ゲンヤは笑ってその必要はないと言う。
実際、白浜親子が来てからの日々はゲンヤにとっても善き時間だった。
これで終わってしまうのかと思えば、深い寂寥が胸に去来する程度には。
まあ、ギンガの修行が始まってからは少々胃の痛い思いもしたが、それも一種のスパイスと考えれば悪くなかった………………と思う。

「ほれ、向こう行きの書類だ。明日、こいつを持って本局に行きゃ帰れる。
 念の為、ギンガも一緒に行かせるから道に迷う事もねぇだろ」
「すみません、何から何までお世話になって……」
「そう思うんなら、今夜は最後まで付き合え。朝まで飲み明かそうや」
「あ、あはは……お手柔らかにお願いします」

こうして、ミッドチルダでの最期の一日は過ぎて行く。
この世界に来て得た物、明日には失うことになるであろう物への悲しみを紛らわすため、兼一もまた普段以上に酒を飲んだ事は言うまでもない。



  *  *  *  *  *



そして、明くる日。
これまで世話になった108の面々への挨拶を済ませた白浜親子は、ギンガと共に本局のポートへと向かった。
一応身元引受人の役目ということで、ギンガは兼一達がしっかりと家に帰るまでに見送ることになっている。
本来はゲンヤの役目なのだが、管理職である彼はあまり隊を離れるわけにはいかない。
という名目を使い、ギンガを送り出したのだった。
しかし、当のギンガは現在進行形で二人の付き添いをした事を若干後悔していたりする。

「あの、二人とも。できれば、その…あまり物珍しそうにしないでもらえると……」
「「おぉ~~」」
(は、恥ずかしい……)

ギンガの声など右から左。
全く聞こえた様子もなく、御上りさんよろしくSFな本局をキョロキョロと歩く白浜親子。
周囲からはヒソヒソと何かを囁き合う声が聞こえたり、あるいはクスクスと小さく笑う声が耳に届く。
兼一や翔はそれどころではない様子なので気付いていないが、ギンガとしてはとにかく恥ずかしくてたまらない。
だが、そんなギンガの羞恥を余所に、二人は田舎者丸出しではしゃぎまくる。

「父様! あそこになんかすっごい長いエレベーターが!!」
「それより上を見てみなよ、翔! ここ、十階近くぶちぬきの吹き抜けになってるよ!
 いやぁ、やることが派手だなぁ……」
「すご~い、窓の外に宇宙船がいっぱ~い」
「いやいや、むしろ宇宙とも違うこの景色がすごいね」
(仕方がない、仕方がない事はわかってるの。でも! もうちょっと落ち着いてください、特に兼一さん! あなた仮にも静の武術家でしょうが!!
 まさか、これも修行? この羞恥に耐えるのも修行なの!? ……………………って、そんなわけないじゃない!! むしろ、修業だったらどれだけよかったことか……)

修業を通り越して苦行に近い今の状況に、どこか悟りを開いたみたいに虚ろな表情を浮かべるギンガ。
ギンガとしては、ただただ一刻も早くこの羞恥プレイから解放される事を願うのみ。
しかし無情にも、手続きやらなんやらが遅れたことで、この筆舌に尽くしがたい羞恥プレイは軽く後一時間続くのだった。南無参。



そうして、やっとこさポートを通って三人は目的地である地球は日本に降り立つ。
その際、無意味この上ない苦行から解放されたギンガの表情は、最早言葉にできるものではなかった。
あえて言葉にするのなら、まるで「天国の門」でも開いたかの様な晴れやかさだったと言ったところか。
だが、結局最後までそんなギンガの様子に気付かなかった白浜親子は、思いの外あっさりした次元間転移に拍子抜けした様子を露わにする。

「何と言うか、こう……ありがたみがないね」
「うん。景色が線みたいになったり、いろんな色がチカチカすると思ってたのに……」
「二人とも、テレビとか小説の見過ぎです!」
「「え~~~」」

二人の色々とアレな文句に、ギンガは頭痛を押さえる様にしながらツッコミを入れる。
しかし、二人から帰ってきたのは実に子どもっぽい不平不満。
翔はまだしも、兼一までそれなことにギンガは心底頭が痛くなってきた。

「だって姉さま、世界から世界へ移動するって言ったらもっとこう……」
「そうそう。今まで感じた事もない感覚に襲われて、いっそ生まれ変わった様な感覚になるものじゃないの?」
(こ、この人たちは~~~~~~~~~~~)

その場にうずくまりたくなる衝動を抑え、深く深くため息をつくギンガ。
その後ろ姿からは、仕事に疲れたお父さんにも哀愁が漂っている。

「もういいです、ご期待に添えないで済みませんでした! ですから、早く行きましょう。
 兼一さん達のお宅は、ここからまだあるんでしたっけ?」
「そうだね、ここが海鳴なら電車で少し行ったところかな」

ギンガの問いに、兼一も気を取り直した様子で答える。今三人がいるのは、湖畔のコテージと思われる場所。
海鳴にはいくつかの転送ポートが設置されているが、これはその内の一つだ。
ここから駅に出て、その上で兼一達の家の最寄り駅に出ることになる。

まだ昼前ではあるが、やはりあまりのんびりしているわけにはいかない。
今まで一月半に渡って行方不明だったのだ、大事件に発展していても不思議ではないのだ。
その辺は地球在住の元管理局員やら現役管理局員が骨を折ってくれたそうだが、それでも帰るなら早めにした方がいい事に変わりはない。

とは言え、ギンガとしても初めての地球には中々興味を引かれるらしい。
今まで来た事がないとはいえ、それでも父方の故郷。魔法文明はないが、文化レベルはそこそこと聞いている。
だが、思っていたよりもミッドと変わらないと言うのが彼女の受けた印象だった。

「でも、海があって山があって、街にはビルや車が数えられない程。
 こうして見ると、ミッドの郊外と差なんてないですよね。月の数が違う位でしょうか?」
「ああ、それは僕も思った。まあ、だからこそ僕達もそんなに混乱しないで向こうに馴染めたんだろうけど」

実際問題として、まるで風景やらなんやらが違ったなら、兼一としてもそのギャップにもっと戸惑っただろう。
しかし幸いなことに、ミッドの郊外と日本の街並みにそう大きな差はなかった。
ギンガの言う通り、空に浮かぶ月が一つなのか二つなのか、その程度の違いくらいしかない。
深く良く見ればもっと違いはあるのだろうが、それでも一見した表面的な情報としてはそんな物。
おかげで、思いの外混乱することもなく、少し離れた地に来た位の感覚で済ませられたのだ。

「というか、月の事がないと普通に街を歩いている限りは別の世界って気がしないんだよねぇ」
「うん。あの機械のおかげでお話もできたし」
(そっか。そう言えば、普段はそう魔法に触れる事もないし、考えてみればそうなのよね)

二人の話を聞き、ギンガはようやく納得した。
二人が次元間転移に何かを求めたのは、自分達が確かに別の世界に行っていた実感を欲してなのだ。
中心街にでも行かなければ技術力の差をそれほど感じることもないし、他の面も似たようなもの。
精々電話をしても繋がらない位。これでは実感がわき難いのも当然だった。
まあ、そうと理解してもあの恥ずかしい反応や頭の痛くなる期待は勘弁してほしいのだが。

「さ、それじゃそろそろ行こうか。
早く父さんたちにも無事を知らせてあげたいしね」
「うん♪」

兼一が声をかけると、翔は満面の笑顔でそれに答える。
一ヶ月半に及ぶ異世界での時間は新鮮で楽しく、充実した時間だった。
だがそれでも、物心ついた時から一緒に生活していた祖父母と会えない寂しさは確かにある。
その点でいえば、翔の反応は至極当然のものだろう。

ただ、その笑顔にギンガは言葉にできない寂しさを覚える。
今まであまり実感の湧かなかった二人との別れが近い事を、ここにきて強く実感しているのだろう。

まあ、兼一としては本音を言うと折角海鳴に来たのだから、昔の知り合いに挨拶もしたい。
しかし、やはり順序として家族や師達に安否を伝える方が先だろうとも思い、今回は断念する。
とそこで、唐突に兼一はギンガにも顔を向ける。

「それに師匠達にも、ね。ギンガちゃんの事を紹介したいし」
「え? わ、私ですか?」
「当たり前だよ。短い間とはいえ、それでもギンガちゃんは僕の初めての弟子だからね。
 やっぱり、ちゃんと紹介したいじゃないか」
「えっと、その…恐縮です」
「ははは、そんなに固くならないで。ちょっと…………とても変わってるけど、気のいい人たちだから」
「そこ、言い直す意味あったんですか?」

ギンガのツッコミに、兼一はただただ笑って誤魔化す。
だが、ギンガもまたその顔は笑っている。『初めての弟子』厳密に言えば時を同じくして教えを受けた翔もその筈なのだが、兼一は敢えてそこでギンガを名指しした。
兼一にそう言ってもらえたことが、ギンガもまた嬉しかったのだろう。

尊敬し慕う武人に弟子と認めてもらえた、それが堪らなく嬉しい。
辛く苦しい修業だった。当たり前の様に後悔もしたが、それでも決して間違っていたとは思わない。
途轍もなく過激ではあるが、兼一がギンガや翔の事を心から思っている事を感じ取っていたのだろう。

しかし、二人の間に芽生えつつあるそんな師弟愛も、帰路の途中でさしかかった兼一の職場を前にしたところで雲散霧消することとなる。
何しろ、そこで彼らが目にしたのは、あまりにも予想外の現実だったのだから。

「え? 父さん? うちの会社の親会社がどうかしたの?」
「兼一さん、しっかりしてください! 『父さん』じゃなくて『倒産』です!」

実家の最寄駅に降り立ち、アーケードを通る中で自身が務める園芸店の前を通りがかった兼一達一同。
そこで目にしたのは、シャッターが下り、一枚の張り紙がなされた店舗。
そこには書かれていた内容を要約すると、『大量の負債を抱えて会社が倒産したので閉店します。ご愛顧ありがとうございました』というものだった。一店舗としては繁盛していたが、所詮はチェーン店。元締めである会社が潰れてしまえば共倒れなのである。

兼一は認めたくないようで虚ろな目をしているが、現実は変わらない。
おそらく、元から会社自体が業績不振だったのだろう。兼一達がこの世界を離れておよそ一ヶ月半。
一つの会社が潰れてしまうには十分な時間だった。

「姉さま、『とうさん』って何?」
「ああ、その……」

翔の問いに、ギンガはどう答えた物か思い悩む。
どんな言葉で翔に伝えればいいのか悩んでいるのもあるが、あまりにも痛々しい様子の兼一が最大の原因。
下手な事を言うと、ただでさえ真っ白になっている兼一が砂になって崩れてしまいかねない。
そこでギンガは、持っている限りの語彙を駆使してオブラートに包みながら翔に事実を伝える。
だがその努力も虚しく、子どもらしい無邪気さで翔は言いきった。それはもう、バッサリと。

「つまり、父様はお仕事がなくなっちゃったってこと?」
「はぅっ!?」
「兼一さん、しっかりしてください兼一さ―――――――ん!!」

『無職』、その単語が兼一の頭の中と頭上をリズムに乗って回り続ける。
家庭を支える責務を負った父親、それが職を失うと言う事は家計を維持するために必要な収入を失うと言う事。
今の時代、収入なくして生活は成り立たない。即ち、若干ニュアンスは違うが、家庭崩壊の危機である!!
まあ、兼一達は実家暮らしなので、兼一の父の収入に頼る事も出来るのだが……。
しかしさすがにそれは、色々と父親の威厳的に問題ありまくりなのである。

「無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職無職。
 脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り脛齧り。
 無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能無能。
 父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格父親失格」
「暗黒面に落ちちゃダメ―――――――!!」
「父様―――――――!! 戻ってきて―――――――――――!!!」

蹲り、地面に「の」の字を書きながらブツブツと何かを呟く兼一。
その背中には目に見えるほどの暗黒のオーラが立ち登り、周囲を陰鬱とした空気で支配していく。
そうして、アーケードの一角に暗黒空間が形成されてから十数分後。

「ご、ごめんごめん、取り乱しちゃったみたいだねぇ」
「と、父様? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。うん、何も問題なし!」
(すみません、全然大丈夫そうに見えないんですけど……)

取り乱したも何も、現在進行形でそのショックから立ち直れていないのは明白。
誰の目にも明らかな空元気なのだが、あまりにも痛々しくて触れることができない。

しかし、この場で打ちひしがれていても何も変わらないのも事実。
気を取り直して…とはいかないが、とりあえず現実を忘れることで前に進む力を取り戻す兼一。
全く以って、一点の曇りもなく後ろ向きである。

その後、今にもくじけそうな自分を誤魔化しながら帰宅した兼一とその他二名。
一ヶ月ぶりの我が家に帰宅してみると、管理局の工作の手際の良さに感嘆することとなる。
何しろ、あの家族愛の権化である父が……

「おお、ようやく帰ったか兼一、翔。まったく、長い旅行だったじゃないか」

と、これと言って心配した様子もなく出迎えたのだから。
どうやら、長期休暇を取って旅行に行ったということになっているらしい。
普通なら唐突過ぎて怪しまれそうなものだが、若い頃は梁山泊に住んでいた兼一である。
この程度の唐突さなどで、今更家族のだれも反応はしない。

ところで、若い頃の兼一は気付かなかったが、この元次という男。
子ども達の前では取り繕っているが、真正の親バカであり家族想いを通り越した家族狂い。
そんな父が一ヶ月半も留守にしてこの反応を見せたのだ。
それだけ、管理局の工作が上手くいったという事なのだろう。ただし……

「私も休みが合えば行きたかったのだが、どうしても会社の連中が許さなくてな。
 奴らめ、覚えておれ。子々孫々、末代まで祟ってくれるわぁ――――――――――――!!!」

魂の底からの呪詛。その言葉を聞き、ギンガや翔は顔をひきつらせて慄いた物だ。
しかし、兼一の場合となると若干反応が異なる。

(よかった、これでこそお父さんだ)

という、的外れというかなんというか、とにかく色々問題ありな安心の仕方をしている。
ちなみに、その後元次の会社の幹部職員の何名かが、原因不明の体調不良により退職、その後転落人生を歩むことになるのだが、兼一がその原因を知る筈もなし。知らないったら知らないのだ!!



  *  *  *  *  *



その後、ギンガの事を追求されたり暴走した父が出前の山を頼もうとしたのだが、それは母のフライパンの一撃で阻止された。
兼一や翔としては突如元次が力なく崩れ落ちるのはなれた光景なのだが、ギンガはその限りではない。
慌てふためくギンガだが、柔和な笑みを浮かべて「問題ない」と言い切る母さおりの迫力に気圧されてしまった。
そうして今現在、ギンガはそれはもうボロイ門の前に兼一達と共に立っている。

「えっと、兼一さん。ここが?」
「うん、ここが…そうだよ」
(まあ、確かに雰囲気はすごいけど)
「さあ、行こうか」

軽く一歩踏み出し、その門に指を添える兼一。
すると、まるで砲弾でも受けたかのように年季の入った門扉が跳ね開けられた。
だがその内心では、兼一の心はあまり穏やかとは言えなかったりする。

(うぅ、年甲斐もなく緊張するなぁ。考えてみると、教え子を紹介するって言うのもなんか恥ずかしいし)

かつて、若き日に初めてこの門をくぐった時にも似た緊張。
それを今、兼一は全身で感じていた。
ただ異世界で得た友人であり教え子である少女の事を紹介し、翔が武門に入る事を選んだことを報告する。
本当に、ただそれだけの事。にもかかわらず、兼一はがちがちに緊張している。
とそこで、兼一が進む方向が母屋からずれた。

「あれ? 父様、母屋はこっちだよ?」
「いや、こっちでいいんだよ、翔。多分、あの人たちは今道場の方にいるから」
「「?」」

兼一の言葉に、ギンガと翔は揃って首をかしげる。
普通、人がいるとすれば道場ではなく母屋だろう。
それはこちらの文化に疎いギンガにもわかる。にもかかわらず、兼一は迷うことなく道場へと足を進めた。

二人にはまだわからない事だが、達人という人種はただそこにいるだけで強大な気の波動を放つ。
並みの者には感じ取れないそれだが、兼一もまた達人。
よく知った気の波動がある一点に集中している事を感じ取るのは容易い。
その彼の感覚が教えてくれる、師達は今、母屋ではなく道場に集結している事を。

そして道場の戸を開けば、兼一の言葉通り、六人の師達が揃っていた。
皆一様に表情が引きしめられているが、逆鬼などはその顔にどこか憔悴の跡が見える。
恐らく、今日のこの日まで兼一と翔の安否を案じ続けていたのだろう。彼がそういう人物である事を兼一は良く知っているし、二人の身を案じていたのは何も逆鬼だけではない事も理解している。
ただ、彼はそう言った事を隠すのが苦手なので、一際わかりやすいだけ。
何しろ、今はかつての自称フィアンセだったジェニファーと結婚してアメリカ在住だ。
こうして梁山泊にいるだけでも、彼が相当に兼一達の事を案じていたことを裏付けるには十分すぎる。
その事に笑みがこぼれそうになるのを必死に抑え、兼一は大きく息を吸い、万感の思いを込めて言葉を発した。

「ただ今戻りました、師匠方」

包拳礼を取り、頭を垂れる兼一。そんな兼一に習い、ギンガと翔もどこか戸惑い気味に包拳礼を取った。
そんな三人…いや、兼一に向け六人の中心に立つ長老が重々しく口を開く。

「長い…留守じゃったのう、兼ちゃんや」
「はい。ですが、ようやく帰ってくる事が出来ました」

それは、何もこの一ヶ月半の事を指してではない。二人が言っているのは、もっと別の事。
四年という長きに渡って、兼一は梁山泊を離れていた。その事を指しているのだ。
本来なら、此度の兼一の訪問が梁山泊へ戻ると言う事と結び付けるのは難しい。
何しろ、長老たちはミッドチルダで兼一達に何があったのか知らないのだから。
しかし彼らにはわかった。兼一の纏う雰囲気が、その気配が以前の物と違うことに。

「へへ、ったく四年も待たせやがってよぉ」
「なんね逆鬼どん、嬉しくて泣いてるね?」
「そういう君も、しっかり涙が浮かんでいるようだがね、剣星」
「それを言ったら秋雨…も」
「アパパ、お帰りよ兼一!!」

師達は一様に兼一の帰還を喜び、各々目尻に涙を浮かべている。
そこにきてようやく、ギンガと翔も気付いた。彼らが差しているのが、なんなのかを。

「翔は、選んだのじゃな?」
「はい。ほら、翔」
「は、はい!」

兼一に手を引かれ、翔は師達の前に立つ。
その表情からは緊張がありあり伺える。
そんな翔を、六人は厳しい目で見つめ、やがて相好を崩した。

「ふ、やはりなる様になったようですな」
「まあ、おいちゃんは翔なら必ずそうすると信じてたね」
「アパパパ、ハラキリー、スキヤキー」
「ふ、ふん! 別に俺はこのガキがどうしようが知ったこっちゃねぇがな」
「つん…でれ~!」
「ちげーよ!!」

『心配などしていなかった』と、師達は揃って口にする。
両親を武人に持つ、その血のなせる技などではない。
翔は兼一の背を見て育った。その事実が、遅かれ早かれ翔を武の世界に誘うと考えていたのだ。
宿命でもなく運命でもなく、いずれ自分から選ぶと。

「ふむ、ではしぐれや」
「お…っけー」

長老が何かを指示すると、一端しぐれはどこかへ引っ込み、少しして戻ってきた。
そしてその手には、正方形のあまり厚みのない箱がある。
彼女はそれを兼一の前に差し出し、兼一もまたそれを受け取った。

「四年前の預かり物、ようやく返す事が出来た様だね、兼一くん」
「はは、思ってたよりも短かったですけど…………こうして持つと、長かったなって思いますね」
「あの、兼一さん。それは?」
「これかい、これはね……」

ギンガの問いに対し、兼一は箱のふたを開けることで答える。
そこに納められていたのは、どこか着古された様子の道着とよく手入れのされた手甲や鎖帷子。
それらに向けられる兼一の瞳は懐かしさに溢れており、思い入れの深い品であることが分かる。

「ここを離れる時に、預けておいたんだ。僕がもう一度武人に戻るその時まで、ね」
「懐かしいね。アレから四年、この日をどんなに待ち望んだ事かね。
ところで兼ちゃん、その子は誰ね? 名前とスリーサイズも教えるね!!」
「師父、お願いですからカメラを構えるのはやめてください」
「ひっ!?」

言ってる傍から息を荒くしてギンガにカメラを向ける剣星。
ギンガは本能的な危険と恐怖を察知し、自分の体を抱きしめる。

「弟子の教え子にセクハラするなんて、恥ずかしくないんですか?」
「何を言うね! おいちゃん、シャッターを切る時は死ぬほど真剣ね!
 三千大千世界のどこにも恥じ入る物など微塵もないね!!」

意味もなく堂々と言い切る牽制に兼一も溜息しか出ない。
こう言う人だとわかってはいたし、人としても武人としても剣星の事は尊敬している。
エロ友達としてもそれなりに共感を覚えないではないが、その節操のなさにはあきれて言葉も出なかった。
当のギンガはと言えば、どこか涙目になりながらジリジリと後退っている。
よく分からないなりに、女性としての直感が危機を告げているのだろう。
そして、そのギンガの直感は大いに正しい。

「む? でも兼ちゃんの教え子という事はおいちゃんにとっても弟子同然!!
 なら、おいちゃんの事も敬って……………こんなポーズとるね!!」

どっかのグラビアみたいにあからさまなまでに胸を強調するポーズ。
それを取るよう要求する剣星の目は怪しく光、どこからどう見てもエロ親父丸出しである。
しかしそこで、ギンガにとっての救世主が現れた。

「少しは恥じ…ろ」
「ああ、カメラが―――――――!!」

見るに見かねたしぐれの一閃により、ガラクタへと変貌するカメラ。
剣星は掛け替えのない相棒の死に、心の底から悲しみ涙をこぼす。
普通なら涙を誘いそうなほどの悲しいオーラが出ているのだが、直前にやっていたことがやっていた事なので、誰も同情はしない。
だがそこにきてようやく兼一の先の言葉を咀嚼し終えた逆鬼が、声を大にして叫ぶ。

「って、なに――――――――――――――!! 兼一の弟子だと――――――――――――!!!」
「で、弟子じゃありませんよ! 色々お世話になったんで、ちょっと修業を付けただけで……」
「そ、そうですよ! そんな、兼一さんの弟子だなんて怖れ多い……!」
「でも、兼一に修業を付けてもらったんだ…ろ?」
「え? あ、はい、それは…まぁ」
「修業つけたんならそれはもう弟子よ!」
「全くだぜ。しっかし、あの兼一が弟子かぁ……」
「時が経つのは早いものですな、長老」
「うむうむ、全くじゃ」
「弟子の成長に、おいちゃんちょっと感動ね」
「あ、あぅ~」

すっかり兼一の弟子として認識され、恥ずかしくて俯くギンガ。
そう思ってもらえるのは嬉しいし、実際そうだったらどれだけ誇らしいかとギンガも思う。
しかし本音では、本当に自分は兼一の弟子にふさわしいのだろうかと悩む。
何より、今日から先教えを受ける事かなわない以上、最早師弟も何もないではないかと。

「ですから、彼女はギンガちゃんと言いまして、向こうの……ええっと~」
「ああ、隠さんでも大丈夫じゃぞ、兼ちゃん。魔法の事ならわしらもしっとる」
「え!?」
「やっぱり知ってたんですね。あのロストロギアの事もありますし、まさかとは思ってましたけど……」

さあ、ギンガの事をどう説明しようかと悩む兼一だが、その必要はないと長老は言う。
兼一はなんとなく予想していたが、その言葉にギンガは驚きを露わにしていた。

「とは言っても、知っていたのは長老をのぞけば私と剣星だけなのだがね」
「あ、じゃあ逆鬼師匠やアパチャイさん、それにしぐれさんも知らなかったんですか?」
「アパパ、兼一達がいなくなった日にジジイに聞いたよ。自爆管理局とか……」
「時空管理局だっつうの。自爆してどうすんだ」
「あぱ?」
「ま、伊達に年は食ってないね」
「魔法の事とかジジイの武勇伝とか色々聞いた…ぞ」
(まあ、長老の事だから驚きはしないけど、何をやらかしたんだろうなぁ……)

どうせ「ほんのちょっと大暴れ」とか言って、散々管理局の人たちを振り回したに違いない。
その予想を、兼一は全く疑ってはいなかった。
というか、長老が絡んでいる時点でそれ以外の事など想像できない。
兼一としては、ただただ関係者一同に心のうちで謝罪するだけである。

その後、いつまでも立ちっぱなしもアレなので、と座布団に座って件のロストロギアを手に入れた経緯などを聞いたりした。当然その度に、慣れていないギンガや翔が百面相したのは言うまでもない。
だがひとしきり話も終わった所で、唐突に逆鬼が兼一に話を振った。今一番デリケートな部分の。

「でもよぉ、兼一。おめぇこれからどうするつもりなんだ?」
「どうするって、何がですか逆鬼師匠?」
「おめぇ………………………仕事なくしたんだろ?」
「はぅっ!?」
「ん、兼一、リストラされたの…か?」
「違うよ、御食事券だよ」
「それもちげぇえ」

この場合は『御食事券』ではなく『汚職事件』である。
まあ、どちらにしても間違っていることには変わりないのだが。
別に兼一は仕事を首になったわけではなく、単に仕事そのものが消滅してしまっただけなのだから。
しかし、今の兼一にそんな師匠達の面白おかしいボケに突っ込む余力はない。

「どうせどうせ僕なんて……」
「兼一さんしっかりしてくださ――――――――――――い!!」
「やれやれ、これではどちらが弟子かわからんね。
 兼一君、君も弟子を持つ身ならもう少ししっかりしなさい。さもないと」
「さもないと、なんですか岬越寺師匠?」
「ふっ、傷心の弟子に我らがしてやることなど一つ!!!」
「っ!? 大丈夫です!! 元気になりました、たった今!!」

この後のオチが分かっているだけに、兼一はすぐさま立ち上がって元気さをアピールする。
この人たちの事だ、どうせ死んだ方がマシな辛い特訓をさせようとか考えているのだろう。

「そう言えば僕他に行く所があったんでした!!
 あ、それと翔とギンガちゃんはゆっくりくつろいでるといいよ。師匠達はくれぐれも二人におかしなことをしない様に、特に岬越寺師匠と馬師父!! それじゃ!!!」
「やれやれ、行ってしもうたのう」
「おわなくてよいのですか、長老」
「兼ちゃんとてもう子どもではない、曲がりなりにも一人前と認めた武人じゃ。
 過干渉は、むしろわしらの恥じゃろうて」
「左様ですな」

仮にも一度は一人前と認めたのだ。
その後であれこれ口を出すのは、自分達の基準に不備があったと認めるような物、という事なのだろう。

「それにしても、兼ちゃんも何を焦っているのかね?
 武人に戻った今、その気になれば引く手数多なのにね」
「まったく…だ」
「あの、それってどういう……」
「ああん?」
「す、すみません! 何でもありません! ですから命だけは!?」
「いや、別に怒ってるわけじゃねぇんだけどよ」

生来の強面のせいか、僅かに眉をしかめるだけでも逆鬼は恐ろしく怖い。
強面には慣れているつもりのギンガでも、思わず慄いてしまうほどに。
逆鬼は若干その事に傷ついている様子だが、さらに翔が追い打ちをかける。

「そうだよ、姉さま。傷のおじさま顔は鬼みたいだけど、ホントは優しいんだよ」
「……………………………………」

可愛がっていた筈の弟子の息子にそう言われ、煤ける逆鬼。
どうやら、翔にまでそんな事を言われて相当ショックだったらしい。
見た目に反して(失礼)精細な心の持ち主である。
おじさんという単語にも傷ついたが、それにもまして「鬼」の一言になお傷ついていた。
普段なら、「お兄さんと呼ぶように」と訂正する愛嬌があるのだが、今の彼にはそんな余裕すらない。

「アパパ、何してるよ逆鬼? 逆鬼が鬼みたいなのは昔からよ、気にすることないよ」
「てめぇ、それで慰めてるつもりか!?」
「まあ、逆鬼どんの顔が鬼みたいなのは今更どうにもならないからどうでもいいとして」
「おい!!」
「実際、兼一君がその気になれば鳳凰会の幹部にだってなれるし、新白連合に再就職もできるだろうね」
「あの、鳳凰会とか新白連合というのは……?」
「この世界の武術組織じゃよ。昔から兼ちゃんとは色々つながりがあっての。
 じゃが、どうにも兼ちゃんはその選択肢を避けているようじゃが」
「大方、昔断ったり離れてしまった手前、今更という気がしているのでしょう」

実に律義な話だが、事実兼一はあまり鳳凰武侠連盟や新白連合を頼りたくないと思っている。
鳳凰武侠連盟は師父である剣星がその最高責任者、昔当然の様に幹部の誘いがあった。とはいえ、その頃は新白に所属していて断っているので、余り都合よく「あの時の話お受けします」とは言いにくい。
同様に、一度は離れてしまった新白に出戻るのも気が引ける。
どちらもあまり気にはしないだろうが、その辺は兼一の心情の問題だ。

「はぁ……」
「ところで、ギンガ君と言ったね」
「あ、はい」
「君は兼一君の弟子になってどれくらいになるのかね?」
「いえ、別に正規な弟子というわけではないんですが……ざっと一週間ほど」

一応は秋雨の言葉を訂正しようとするギンガだが、彼の視線を受けてとりあえず教えを受けた期間を白状する。
別に脅されたりしたわけではないのだが、なんとなく言わなければならない気になってしまったのだ。

「ふむ、そんなものか……………諸君、一つ提案があるのだが」
「みなまで言う必要はないね、秋雨どん。おいちゃんたち全員、同じ気持ちね」
「へへ、弟子の弟子にちょっかい出すっつうのは武術家的にちょいとどうかと思わないでもねぇが……ちょっとくらいはいいよな?」
「う…ん。僕もどれくらいなのか気にな…る」
「アパチャイもよ!!」
「あの、なんの話を?」

勝手に盛り上がる梁山泊の面々。
その様子に言い知れない嫌な予感を感じ、ギンガは恐る恐ると言った様子で近くにいた長老に尋ねる。
返ってきたのは、やはり彼ら同様に楽しそうな様子の長老の笑顔だけ。
しかしそこには、かつて見た兼一の“いい笑顔”と同種にしてそれ以上の不吉な気配が見え隠れしている。

「なに、兼ちゃんの弟子育成能力がどんなものか気になってのう。
 弟子の事が気になる師匠心じゃて」
「止められているのは私と剣星だけですからな、他の皆がやれば問題ありません」
「ですから、何を……」
「ふ。何、軽い腕試しさ」
「ちょうどよい、隣にかつて兼ちゃんに修業を付けたあるお方が来ておられる。行ってみるとよい!」
「はぁ……」

もしこの場に兼一がいたなら、何を置いてもギンガを連れて逃げていたに違いない。
だが残念なことに、既に兼一はこの場を離れた後。
そうしてギンガは、決して開けてはならない扉…もとい襖をあけてしまった。
そして、襖を開けた瞬間世にも奇妙な光景がギンガの目に飛び込んだ。

「我流ぅ~~~~~~~~~、エェェェェェェェェェェェェェェェェックス!!」
「なに、これ?」

そこにいたのは、つい先ほどまでギンガのすぐそばにいた筈の長老。
それも、よく分からないお面とベルト付きでさらに意味不明なポーズをとっている。
敢えて言うなら、昔子どもの頃に見た特撮ヒーローの様な……。

「アパー、久しぶりに我流Xが来てくれたよ!!」
「相変わらずおめぇは気付かねぇのな」
「なんのことよ?」
「いや、別にいいけどよ。飛ばしてんなぁ、ジジイの奴」
「くれぐれも壊さんといてねぇ」
「だからいったい何なんですか、これは!?」
「こら、余所見をする…な。死ぬ…ぞ」

必死に答えを求めるギンガだが、答えが来る前に巨大な影が迫る。
気付いた時には、巨大な拳が目前にまで迫っていた。

「え……って、きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「彼は正義のヒーロー我流X、かつて兼一君に修業を付けた事もある御仁だよ。
 まぁなんだ、手加減はしているが容赦はしないので、気をつけて戦う様に……………死ぬ気で!!」
「どう見ても長老さんじゃないですか!!」
「違う、わしは我流Xじゃ!!! 長老たっての願いにより、お主の腕試しを請け負った!!
ついでに翔、お主の腕も見てしんぜよう!!!」
「「ギィヤァッァァアァァァァァァァァアァ!?」」

二人は悟った。今まで兼一がやっていた修業は、全然まだまだ軽かったのだと言う事を。



  *  *  *  *  *



場所は変わって、新白連合本社。
周りのスーツ姿の社員たちからは明らかに浮いたラフな格好で、兼一はそこを数年ぶりに訪れていた。
まあ当然ながら、そんな明らかに場違いな人物はエントランスで止められるわけで。

「お待ちください、当社にどのような御用向きでしょうか」
「ああ、新島の奴に会いたいんですけど」
「それは、総督ということでしょうか?」
「うん、その新島で間違いありませんよ」

高校時代から一貫して、新島の肩書は総督のまま。
この規模に発展してしまえば代表取締役や社長、あるいは会長とでも名乗ればいい物を。
そう思わないでもない兼一だが、結局新島は今でも「総督」のままである。

とはいえ、いきなりやってきて「トップに会わせろ」など、本来は不躾もいいところ。
兼一を止めた警備員と思しき男は若干眉をしかめながら、それでも丁寧な対応を崩さない。
相変わらず、部下の教育はしっかりしているらしい。

「アポは取っておられるのでしょうか?」
「いえ、特にそういうのは……」
「申し訳ございませんが、アポを取って後日改めてお越しください。
 正式な手続きをしていただければ、総督もお時間を作って……」
「隊長? まさか、白浜隊長ですか!!」

警備員がそこまで言ったところで、突如横合いから別の声が飛び込んでくる。
エントランスにいる者たち全員がそちらに視線を向けると、そこには黒髪に眼鏡のガタイのいい男が立っていた。
その姿を見て、エントランスが騒然となる。

当然だ。その人物は、今や世界的に日本国総理大臣にも匹敵する知名度があるとされる格闘家。
同時に、兼一にとってもなじみ深い人物。
背を預けて共に戦った事は決して多くはないが、共に青春を過ごした掛け替えのない友の一人。

「水沼さ…」
「水沼君、水沼君じゃないか!?」
「ああ、やっぱり白浜隊長なんですね! お久しぶりです!!」

驚きに目を見張る警備員。国民的ヒーローであり、新白連合を代表する格闘家となった彼は、新白内にあって羨望と憧憬の対象だ。この警備員もその例にもれず、彼のファンなのだろう。
いや、それは警備員に限らず、エントランスにいるほぼ全員に言えることか。
だが、その憧れの対象である筈の水沼が、周りの人々と同種の眼差しで兼一を見ている。
その事実にこそ、周囲の人々は驚きを隠せない。

「四年ぶり、になるんだよね」
「本当に、お懐かしい。ですが、本社にいらしたと言う事は、もしや……」

二人は固い握手を交わし、水沼の眼には大粒の涙が浮かんでいた。
水沼は兼一が新白を離れた理由を知っている。それはつまり、兼一が再びここを訪れた意味も知ると言う事。
彼もまた、この日を一日千秋の思いで待ち望んでいたのだろう。

「まあ、そういうことでね。新島の奴に会いたいんだけど……」
「ですから、正式な手続きを取っていただかないことには……」
「わかりました! 今すぐ総督にお繋ぎします!!」
「み、水沼さん!」
「いいんだ、この人の訪問を総督が断るなんてありえない。むしろ、通さなかった事を総督は怒るだろう」
「で、ですが……」
「責任は僕がとる。とにかく、総督に伝えてくれ、白浜さんが来た、と」
「は、はい」

新白の幹部であり、国民的英雄である水沼にそこまで言われては否とは言えない。
警備員は渋々と言った様子でその場を離れ、受付の内線を通して言われた通りに総督秘書に伝える。
そんな彼の姿を、水沼はどこか申し訳なさそうに一瞥した。
無理を言った事は彼も承知しているのだろう。だが、それだけの無理が必要な場面であると彼は疑っていない。
そうして水沼は、再度兼一に視線を向けた。

「本当に、お久しぶりです。隊長」
「うん。だけど水沼君も威厳が出てきたね。何と言うか、四年の間に置いてきぼりにされた気分だよ」
「そんな、僕なんてまだまだあなたの足元にも及びません」
「謙遜することはないさ。活躍は、テレビでよく見させてもらってるよ。
 高校時代の友人がこんなに有名人になって、僕も鼻が高いんだから」
「恐縮です。ですが、謙遜なんかじゃありませんよ。今も昔も、あなたは僕の目標なんですから」

水沼の言葉に、兼一は照れ臭そうに頭をかく。
そう言ってくれるのは嬉しくもあり、彼の目標として相応しくあらねばと思うと緊張もしてしまう。
しかし、こうして懐かしき旧友に会えた事は、本当にうれしくてたまらない。
そんな兼一の感情が彼の表情からは見え隠れしている。

そうして一頻り再会を喜んだ後、兼一の来訪を知った新島は水沼の予想通り彼を総督室へと案内させた。
水沼はまだ仕事があるのでその場を離れ秘書の一人に案内されたのだが、道中、兼一の来訪を知ったかつての友人達がひっきりなしに現れる物だから中々前に進めない。
ちなみに、その度に「し~んぱぁく!」と未だに使われている例の挨拶をされたりもしたが……まさか、ここまで継続する事なろうとは。
おかげで兼一が総督室に辿り着いたのは、本社を訪れてから一時間も経ってからだった。

「失礼します、総督。白浜様をお連れしました」
「通せ」
「はい」
(まったく、すっかり偉そうなしゃべり方が板についてきたな、アイツ)

重厚な扉の奥から返される、その偉そうな声に兼一は内心で呆れため息をつく。
今や世界的大企業の代表となったのだから、偉そうなのも当然なのかもしれない。
だが、兼一にとっての新島は今も昔もあの頃のまま「宇宙人の皮を被った悪魔」である。
正直、らしくもないし、分不相応に感じてしまう。

しかし、そんな兼一の内心とは裏腹に、秘書の女性は確かな尊敬を新島に抱いているようだ。
一人の人間に対する見方は、人によって異なる。その好例だろう。
そんな事を考えているうちに、ゆっくりと総督室の扉が開かれた。

そこは、世界的大企業の代表にふさわしい部屋。
毛の長い細やかな装飾が施された絨毯は嫌味になる事もなく、むしろ格調の高さを部屋にもたらす。
また、備え付けられた机や書棚は品良く贅を凝らされていた。
一面ガラスをバックに、新島は机に向かって書類を決裁していたらしい。
だが、兼一が入室すると同時に立ちあがり、ゆっくりと兼一の下へと歩み寄る。
そして、彼が最初に口にしたのは、昔と変わらぬ気易い挨拶だった。

「よう、相棒。景気はどうだ?」
「まあまあだよ」

『久しぶり』も『よく来たな』もない。再会を喜ぶでもなく、別離の時間に想いを馳せるでもない。
ましてや、最後に会ったあの日を懐かしむ事もない。
しかしそれこそが、昔と変わらぬこの気易い態度こそが自分達には相応しいと、兼一も思う。
短く、あまりに素っ気ないそのやり取りに、二人の四年間に渡る時間に募った思いが凝縮しているのだから。

「へっ、そうかい。そっちに座りな、所でコーヒーと紅茶、どっちにする?」
「日本茶で頼む。一月ばかり日本を離れてたからな、日本の味が恋しいんだ」
「ケケケッ、玉露と番茶があるが、どっちにする」
「番茶、高いのは苦手なんだ」
「ったく、相変わらずの貧乏性かよ」

やがて先ほどの秘書が兼一に番茶を、新島に良く分からない飲料物と思しき物を配り退出する。
互いに一口飲んだところで、ようやく二人は本題に入った。

「で、わざわざ来たって事は、連合に戻ることにしたのか?」
「いや、今のところその気はないんだけど……」
「ほぉう、会社が潰れたのに余裕じゃねぇか」
「……よく知ってるじゃないか」
「今の時代、情報を制する者が世界を制する。昔から言ってんだろうが」

得意顔でそういう新島の姿は、もう三十路が近いにもかかわらず昔と変わらないように兼一には思えた。
実際にはそんな事はないのだろうが、やはり兼一にとっての新島は「大企業の代表」ではなく、こずるい策士というイメージなのだろう。
新島自身その事は否定しないし、新島の抱く兼一への印象も昔とそう変わらない。

「にしても、相変わらず律義な野郎だ。一度離れたんだから、のこのこ帰ってこれないとでも思ってんだろ?」
「……悪いか」
「別に。だが、そんな事を気にしてんのはお前だけだって話だよ」
「……みんなは、どうしてる?」
「ジークはロンドンとウィーン、後チベットを行ったり来たり。他の連中は基本的に日本だが、武田の奴は割と海外に行く事も多いし、キサラと宇喜田も韓国にいる事が多いな。日本にいっぱなしなのは、フレイヤとトール、それにオーディン達くらいなもんだ。谷本は、言わずもがなだろ?」
「ああ、ほのかと一緒に各国を回ってるんだろ?」

兼一が武の世界を離れて数年の間に、周囲の人間関係もいくらか変化した。
例えば夏とほのかの結婚がそうだし、キサラと宇喜多の事実婚もそうだ。
後者の場合はキサラの性格が災いしてまだ正式に結婚したわけではないが、同棲している以上似た様なものである。まあ、あの二人では、正式に結婚するのは子どもが出来てからになるだろう。

「他に、スパルタカス達はヨーロッパ、猫娘や郭たちは中国、辻と山本のとこのガキは日本だな。
 元YOMIの連中はほとんど情報がねぇが、そう簡単に死ぬような連中でもねぇ。なんだかんだで元気にやってるだろ。後は、高町の連中は兄貴は嫁さんとドイツ、妹は香港警防で母親と一緒だな。他に聞きたい奴はいるか?」
「いや、大丈夫だ。みんなが元気そうなら、それでいいさ」
「で、こっちからも一つ聞きたいんだがよ」
「なんだ? お前が僕に聞きたいなんて珍しいな」

基本的に、新島の情報網は兼一からの情報提供を必要としない。
情報は新島から兼一への一方通行が通例だ。全くないわけではないのだが、非常に稀有なことである。
だがそれも、続く新島の発言で頭から吹っ飛んだ。

「いや、魔法とSFの世界の感想はどうだった?」
「……………………………相変わらず、底知れん男だな、お前は。
師匠たちだけならともかく、この事をギンガちゃんが知ったら卒倒するんじゃないか?」
「昔も言ったろ、情報なんざどこから漏れるかわかんねぇんだよ。
 例えば、高町のとこのチビとその友人数名が管理局に所属してるとか、梁山泊のジジイの古い知り合いが管理局の元お偉いさんとかな」
「どうやって調べた?」
「いいこと教えてやる、日本にも管理局員が何人か住んでるんだぜぇ、ウヒャヒャヒャヒャ!!」

どうやったかは知らないが、その人物たちから情報を抜きとったのだろう。
やり方は聞かない。聞いてもわからないし、わかりたくもない。
だいたい、こいつの情報端末の中身は意味不明の図柄で占められ、解読は不可能なのだ。
本当に地球外生命体だとしても、最早驚きはしないだろう。

「そいじゃ改めて聞こう、今日の用件は?」
「報告だよ、翔が武門に入ったからな。これからは僕が修業を付けることになるだろう」
「わかっちゃいたが、思いの外早かったな。それで?」
「昔お前が計画していたアレは、まだ有効か?」
「おめぇが離れて一回白紙になって、それからは動いてねぇ。
 第一、あの当時は誰も弟子は取ってなくて、弟子の最有力候補がお前んとこのガキだっただけだからな」
「ま、それもそうか」

実際、四年前の段階ではまだ誰も正式な弟子を持った仲間はいなかった。
それは兼一も例外ではないし、となれば相応しいも何もあった物ではない。
だが、その中にあって兼一と美羽の間に子どもが生まれることが分かった。
故に、新白連合メンバーの中で最初の弟子は翔で間違いないと思われたからこそ、人となりも何もない時点で彼はあの計画の候補に挙がっていたのだ。
まあ、二人の子どもである以上資質及び精神的に不満なしと、誰もが判断したのもあるが。

「今は?」
「トールとフレイヤは当然弟子を取ってる。それなりにまとまった数をな」

それは聞かずともわかっていた。トールは元から実戦相撲を広める事を目的としていたのだから、彼が弟子を取るのは必然だろう。むしろ、四年前の時点で弟子を取っていなかったのが驚きと言えば驚きなのだ。
フレイヤもまた、一門の後継者。彼女には弟子を取り、門派の未来を次代に繋ぐ責務がある。

「他の連中も一人二人は弟子を取ってるな。弟子がいねぇのはジーク位なもんだ」
「まあ、ジークさんのカウンターは特殊だからな」
「だな。弟子を取ろうとした事はあったが、結局ダメで今に至るってところだ。
でだ。わかってるとは思うが、そいつら全員が候補だぜ。おめぇのガキがその座を勝ち取るには、全員を蹴落として、アイツらに認められるしかねぇ」

あの当時は弟子の候補が一人しかいなかった。しかし今は違う。
隊長達は各々弟子を取り、自身の技を後進に伝えている。その事自体は驚く事ではない。武術とは伝統であり学問である。他者に伝え、次代に残さねば意味がない。自身が培った技術を、磨き上げたノウハウを伝え残していくのが武術家の責務。
だが、弟子を取った者が増えれば、その分競争率が高くなるのは必然。
蹴落とす云々はともかくとして、翔が彼ら全員に認められなければならないのは当然だし、元からそういう話にはなっていた。あくまでも翔は当時の最有力候補にして唯一の候補だった、それだけの話でしかない。

「しかし意外だな、おめぇはそういう名誉とかに興味がねぇと思ったんだが、ちったぁ俗世の欲に目覚めたか?」
「別にそういうわけじゃない。ただ……我が子により多くを、と望むのは親としては当然だろ?」
「なるほど。そういや、さっき言ってたギンガってのは、おめぇの弟子か?
 ならそいつも候補って事になるんだが……」
「向こうでお世話になった人の娘さんだよ。少し修業は付けたけど、別に弟子ってわけじゃ……」
「の割には、嬉しそうな顔してるじゃねぇか?」
「え?」

新島の指摘に、思わず兼一の手が頬に伸びる。
恐る恐る触れて見れば、新島の言う通り確かに自身の頬がつり上がっていることが分かった。
それはまさに笑み、無意識のうちに、気付かぬうちに、ギンガの事を話す時の兼一は笑っていたのだ。

「今のおめぇ、弟子の事を話すあいつらにそっくりだぜ」
「…………」
「なんのかんの言っても、認めてんじゃねぇのか? 弟子としてよ」
「ギンガちゃんはもう他の武術の虜だよ。彼女は空手家でもムエタイ家でも柔術家でも中国拳法家でもない。
 そんな彼女を、僕の弟子だと言う事が出来るわけないだろ」
「複数の師に付く奴もいれば、一つの武術を学んだ上で別の武術の師に付く奴もいる。
 結局師弟何て言うのは、本人達が相手をどう思ってるかだろ?」

新島の言っている事は、恐らく正論だろう。
確かにギンガはどれだけ兼一に学んでも、空手家にもムエタイ家にも柔術家にも中国拳法家にもなれない。
しかし、それと師弟としての絆や関係はまた別の話だ。
兼一が師としてギンガを慈しみ、ギンガが弟子として兼一を敬愛するのなら、それは間違いなく師弟だろう。
だが、そうだとしても……

「仮にそうだとしても、意味はないよ。おそらく、僕と彼女がこの先ほとんど会う事はない。むしろ、これが今生の別れになる可能性だってあるんだ。師弟も何も……」
「らしくねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「なに?」
「無理だから、不可能だから、そんな理由であきらめるようなら今のてめぇはいねぇだろうが。
 才能の欠片もないてめぇが達人になるなんざ、それこそ不可能だったはずなんだからよ。
 おめぇが達人になれたのは才能があったからじゃねぇ。無様に死ぬほど努力して、惨めったらしく諦めなかったからだろ。だからこそ、道理が引っ込んで不可能が現実になった。
そのおめぇが、なにを下らねぇ可能性の話なんぞしてやがる」
「新島……」
「こうと決めたら道理も何も無視してきたんだ、今更利口ぶるなよ兼一。おめぇができる事なんざ、今も昔もバカみたいにあがく事だけだろうが」

断定するように、突きつける様に新島は言葉を紡ぐ。
美羽ですら、高校に入ってからの一念発起する直前までの兼一しか知らない。
本当の負け犬だった頃の、人生の負け組だった兼一を最もよく知るのは紛れもなくこの男。
ある意味、誰よりも白浜兼一という男を知るのがこの悪友なのだ。
弱かったころの兼一も、強くなろうと必死だったころの兼一も、等しく知る友。
その言葉は、確かに白浜兼一という男の真実を表していた。

「………………………………まったく、言いたい放題言ってくれるな」
「今更遠慮する様な仲でもねぇだろうが」
「昔からの間違いだ。元から、遠慮なんかするような生き物じゃないだろうが、お前」
「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」

兼一の毒舌に気をよくしたのか、新島は心底愉快そうに笑う。
それにつられて、兼一の顔にも僅かに笑みが浮かぶ。
翔にも見せた事がない、ギンガも知らない新島という悪友にだけ向けられる複雑な笑み。
なんでこんな男と関わってしまったんだろうと言う諦観と、よりにもよってこんな奴が友人かという後悔、そして…………………僅かな感謝の混じった複雑な笑みがそこにはあった。

「つくづく口の上手い奴だ、その内政治家にでもなる事をお勧めするよ」
「ケケケ、それも悪くねぇな。五年後当たりに出馬して見るか?」
「お前には『絶対』投票しないから安心しろ。お前みたいなのが議員になったら、国政が乱れる。
 まあ、今の意見は一応参考にさせてもらうよ」

そこまで言って、兼一はゆっくりと立ち上がる。本来、新島は多忙を極める多国籍企業の代表だ。
こうして兼一と話す時間すら惜しい筈なのに、それを僅かたりとも表に出そうとしない。
しかし兼一とてその事に気付かない程バカではないのだ。
これ以上邪魔をしては悪いと考え、席を立ったのだろう。

「まぁ待て、最後に一つだけ言っておくことがある」
「良いだろう、最後に一つだけ聞いてやる」
「曲がりなりにも隊長全員が復帰したし、そろそろ頃合いだ。
 再来年四月辺りを目途に選考会を開く。
それまでの一年と数ヶ月、精々あのガキを鍛えておけ。
誰が選ばれるにしろ、おめぇの席もある。好きな時に戻ってこい」
「いま、二つ言ったぞ」
「昔馴染みだ、大目に見ろって」
「……………………………わかったよ」

今更口で新島に勝てるとは思わない。
これ以上何を言っても言い包められるだけと悟った兼一は、溜め息をついて矛を収めた。

「それじゃあな、新島。次会うまで、恨まれ過ぎて殺されるなよ」
「バカ言ってんじゃねぇよ、俺様は自分の身を守ることにかけては特A級の達人級だぜ」
「そうだった。お前は世界が滅んでも生き残る、ゴキブリ以上にしぶとい奴だったよな」

二人の間に、仰々しい別れのあいさつなど不要。
ただ、互いに思ったまま好き勝手言って別れるくらいがちょうどいい。
そういう友情の形もある。そして、十年以上の付き合いでそれも悪くないと二人は思っていた。
決して、今際の際になっても絶対にそれを素直に認める事はないのだろうが……。



   *  *  *  *  *



夕方。梁山泊に戻った兼一を出迎えたのは、半死人となったギンガと翔。
すっかり忘れていたが、あの師匠達が弟子の弟子に興味を示さない筈がない。
大方、腕試しとか称して徹底的に追い込んだのだろう、長老辺りが。

そんな兼一の予想は大当たりなのだが、最早後の祭り。
せめて、梁山泊を出る前に気付いてほしいと思うギンガ達だったが、今更そんな事を言う気力は残っていない。
とりあえず、秋雨のメンテナンスと剣星の秘伝の漢方があるので、明日は無事に起き上がるだろう。
その後、夕食を取り床についたのだが、思いの外ギンガの回復は早かった。

夜半、唐突に眼の覚めたギンガは、与えられた部屋から抜けだし庭に出る。
身体の節々がまだ痛いが、初めに比べれば雲泥の差だ。
兼一の師である二人の技術に、さしものギンガも感嘆する。
次元世界最先端の技術と治癒魔法を使っても、こうまで早く身体が動くようになるだろうか。
兼一は「師としては自分はまだ未熟」と言ったが、それを肯定せざるを得ない。

「兼一さんや翔と過ごすのも今日まで、か」

見上げた夜空に星は少なく、この場所が都心からほど近い立地である事を知らしめる。
ギンガの呟きの通り、明日ギンガは今日つかった転送ポートを使ってミッドに戻るだろう。
よほどの異常事態が起こらない限り、この予定が狂う事はない。
おそらく、この先滅多に会う事は出来ないだろう。むしろ、今生の別れになる可能性も捨てきれない。

「まあ、それがあるべき状態って考えれば、そうなんだけど…ね」

そう、それこそが正しい状態。
管理世界の人間であるギンガと、管理外世界の人間である翔と兼一。
魔導師であるギンガと、魔導師ではない二人。
本来接点などなく、関わることなどなかった筈の三人なのだから。

「でも、やっぱりちょっと………………さびしいかな」
「なにが…だ?」
「っ!?」

かけられることなどないと思っていた慮外の声に、ギンガの身体に緊張が走る。
すぐさま声の出所に顔を向けると、屋根の上に刀を抱えて座るしぐれの姿があった。

「って、あなたは確か、香坂先生?」
「しぐれちゃんと…呼べ」

ギンガの言葉に、僅かな訂正を求めるしぐれ。
無表情かつ独特のテンポの言葉に若干戸惑うギンガだが、仮にも教えを乞うた人の師。
よほどの無茶や理不尽でもない限り、素直に従わねば礼を失する。
失するのだが、さすがにこれは……。

「え、えぇっと…それはちょっと……」
「しぐれでもいい…ぞっと」
「は、はい。それじゃあ、しぐれさんで」
「ん。ところで、そんなところで何をしてい…る?」
「えと、それはむしろ私が聞きたいんですけど……」
「僕は…お前た話がしたかっ…た」
「え?」

思わぬ言葉に、ギンガは思わず呆気にとられる。
正直、この年齢不詳の絶世の美女が自分にいったいなんの話があるのか見当もつかない。
この一ヶ月半の兼一や翔のことかもしれないが、その話は食事中に大方済ませてある。
ならば、今更いったい自分に何を聞きたいのか。それがギンガにはわからなかった。

「そんな所にいたんじゃ、話しにくいだ…ろ? こっちに来…い」
「は、はぁ……」

むしろ、屋根の上の方が話しにくい気がするのだが、なんとなく断れずにギンガも屋根に上る。
しぐれは登ってきたギンガに対し、自分の横の瓦を叩く。ここに座れ、という事なのだろう。
ギンガはそれに従い、しぐれのすぐ横に腰を下ろす。
そのまましぐれに習ってギンガは夜空を見上げるが、少し空が近くなっただけで星の数に変化はない。

そうして二人は、特に何を話すでもなく黙りこむ。
ギンガとしては会話の糸口は見つけられないし、そもそも何を話していいかわからない。
しぐれには何か話があるようだが、一向に口を開く様子も見られなかった。
そんな少々ギンガにとって居心地の悪い時間が数分経過した所で、おもむろにしぐれが話しだした。

「昔、偶に兼一と美羽はここで色々大事な話をしてい…た」
「え? 大事な話、ですか?」
「大事な話…だ。将来の事とか、今直面してる問題の事とか、本当に…色々」
「はぁ……」

しぐれの言葉に、ギンガは気のない返事を返す。
兼一にとっての、亡き妻との思い出の場所。ここがそうである事はわかった。

だが、それと自分と何の関係があるのか。
そう思うと、ギンガの胸に僅かな痛みと苛立ちに似た感情が湧く。
しかし、ギンガにはその正体がまだよく分からない。
そこで、しぐれの話がいきなり急展開を見せる。

「お前、兼一の事が好きなの…か?」
「ぶっ!? い、いきなりなにを言いますか! そんなことあるわけないじゃないですか! そりゃ憧れみたいなものはありますけどそれはあくまでもその道の先輩に対するものであって断じて不純なものではなくてですね! 純粋な尊敬と憧れを持ってるだけです! いえもちろん嫌いということではないのですけれどかと言って好きというと少々語弊があると言いますかそもそもこの場合好きという言葉がどんな感情で何を指しているかについてまず議論すべきと考えるわけです如何でしょうか!!」

いきなり振られた話題に噴出した後、ギンガはワンブレスで言い切る。
いやまったく、たいした肺活量だ。
そうしてゼェハァと息を切らすギンガを相変わらずの無表情で見ていたしぐれが再度口を開く。

「違うの…か?」
「違います!! あ、いえ、違うと言うのやっぱり語弊があるんですけど…だぁ、それはもういいんです!!
 ……って、しぐれさん?」
「………………………………ん?」
(この人、こんな顔で笑うんだ……)

ギンガが見たのは、同性である自分ですら見とれてしまうような綺麗な笑みを浮かべるしぐれ。
先ほどまでの無表情からは考えられない、女性らしい優しい笑顔。
燦然と輝くような華やかさではないが、一度見れば決して目を離せない様な静かな美しさ。
いつか、自分もこんな顔で笑えるようになりたいと、素直にそう思わせる笑顔がそこにはあった。

「あ、いえ、なんで笑ってるのかなって……」
「ああ、お前が昔のアイツらみたいだったから…な」
「そう、なんですか?」
「う…ん。美羽の奴も兼一の事に触れられる度にしょっちゅう慌てて誤魔化して…た」
「うぅ……」
「それに、兼一も美羽に憧れて武術を始めた様なものだ…し。そういうところも似てると思…う」
(兼一さんが憧れた、か。写真は見せてもらったけど、本当に綺麗な人だったな。どんな風に笑う人で、どんな風に話す人で、どんな風に戦う人なのか、何が好きで、何が得意だったのかすら知らないけど…………………………いいなぁ。…………………って、え!? いいなって何が? 私、いったい……)

ぽつりと浮かんだ自身の心の呟きに、思わず内心で慌てふためくギンガ。
その呟きの意味がわからず、心を埋め尽くす言い知れない感情に戸惑う。
そんなギンガを、しぐれは相変わらずの優しい笑顔で見つめていた。

「好きなら好きって、ちゃんと言った方がいい…ぞ」
「で、ですから!?」
「僕たちと違って、お前はまだ負けたわけじゃないし…な」
「だから負けるも何も…………って、どういう事ですか、それ?」
「しゃべりすぎたか…な?」
(もしかして、この人“も”兼一さんの事が……)

その言葉の裏に隠された僅かな寂しさに、ギンガの中の何かが揺り動く。
同時に、しぐれの失言に注意が向いたことで、ギンガは自身が内心で「も」と呟いたことにも気付かない。

「アイツ、アレで結構モテるから…な。モーションをかけるなら、早めにした方がいい…ぞ」
「そ、そういうしぐれさんはどうなんですか!?
 師匠で一緒に住んでて、その上そんな綺麗なあなたなら、兼一さんだって……」

なんでこんな、励ますような、後押しする様な事を言っているのか。ギンガにもそれはわからない。
ただ、それを口にする度に、心の中で何かが軋みをあげる。
違う、そうじゃない。本当に言いたいのはそんな事じゃなくて。
そんな声が、心の底から聞こえてくるのを、ギンガは必死になって無視した。
だが、それに続いてしぐれが口にしたのはギンガの予想を超える一言。

「僕はもう負けて…る」
「え?」
「僕たちは兼一と美羽が一緒だったころを知って…る。だから、勝てないと思ってしま…った。
 勝負するも何も、それ以前にもう負けてるん…だ。美羽には勝てない、それが僕たちの共通認識…だから」

ギンガとしぐれの相違点。それはまだ美羽が生きていた頃を知っているか否か。
ギンガは知らない。ギンガが兼一と出会ったのは、もうずっと前に美羽が死んだ後だから。
しかし、しぐれは知っている。美羽と兼一がどうやって近づき、どうやって結ばれ、どれだけ互いを想い合っていたか。それを知っているからこそ、しぐれは兼一に対して動く気がない。
彼女の中では兼一と美羽はセットで、その間に入っていくができるなど思いもよらないから。
そしてそれは、何もしぐれに限った話ではない。

「馬の娘も…そう。アイツですら、二人の間に入れないと思い知ってい…る。
 だから、この四年兼一にモーションをかけてな…い」
「…………」

諦めたのではなく、負けた。勝てないという現実を知ってしまった。
だから、彼女らは兼一に対しそういうアクションに出ない。
彼女らは、白浜兼一争奪戦において美羽に負けたのだから。
しかしここに、一人の例外がいる。

「でも、お前は違…う。美羽との事を知らな…い。
 お前が知っているのは、今の兼一だけ…だ。だから、まだ戦え…る。
 なのに、戦いもせず諦めるのは後で後悔するぞ…っと」

ギンガは違う。ギンガは美羽と兼一がどれだけ思い合っていたか知らない。
それを無知と呼べば確かにそうだろう。だが、そうだからこそ彼女は戦う事が出来る。
なのに戦わないのは、しぐれから見ればもったいないとさえ映ったのだろう。
白浜兼一争奪戦はすでに終わった。しかしそれは、あくまでも「第一次」の話。
しぐれ達は第一において戦死してしまった、精神的に。
だからないと思っていた「第二次」に参加することはできないが、ギンガは参戦できる。

「で、ですが、それは…その……」
「まぁ、好きかどうかは置いておくとし…て」
「……………」

しぐれとしても、あまり無理にごり押しする気はないのだろう。
ただ、ギンガとしてはこれだけ言いたい放題言っておいてここで手を引かれると、かえって困ってしまうのだが。

「お前に兼一の傍にいてほしいと言うのは、本心だ…ぞ」
「? それは、どういう……」
「今日お前達を見てて思…った。お前は、良い弟子…だ」
「え?」
「良い師匠は弟子を育て、良い弟子は師匠を育て…る。武術はそういうもの…だ」

『良い弟子』それはなにも覚えがいいとかそういうことではないと、ギンガは直感的に感じ取る。
なんとなくだが、この人たちはそういう物とは違うところを重視しているような気がしたのだ。

「今日見た兼一は、良い目をしてい…た。前よりも、強い光が宿る良い目…を。
 きっと、お前のおかげでアイツも成長したんだ…ろ」
「そんな…私なんて」
「卑下する…な。それは師匠を卑下するのと同じだ…ぞ」
「っ……」
「僕たちはアイツをずっと見てき…た。今のアイツの目は、美羽がいた頃のそれに…近い。
 まあ、同じってわけでもないんだけど…な」
「それで、私にどうしろと?」

あまり要領を得ないしぐれの話に、ギンガは答えを求める様に彼女の瞳を見つめる。
その変化とやらを見抜く眼力も、変化する以前の兼一の事もよく知らないギンガだ。
しぐれの言う兼一の変化は、ギンガにはわからない。
だから彼女にできたのは、こうしてはっきりと言葉でその意を問う事だけ。

「ああしろこうしろ、って言う気はな…い。
ただ、折角見つけた自分の聖地を、心から慕える師匠から離れるのは、勿体無いって言うだけの話…だ」
「…………………」
「そう睨む…な。要はお前がどうしたいか…だ」

それだけ言って、しぐれは音も立てずに屋根から飛び降りる。
その行方をギンガは追おうとするが、屋根の下をのぞきこんだときすでにそこにしぐれの姿はなかった。
いくら探してもしぐれの影も形も見つけられず、ギンガは屋根の上で仰向けになって呟く。

「どうしたいか…なんて、私にもわかりませんよ、そんなの」

出たのは、普段の彼女らしからぬ弱々しい言葉。
それだけ、彼女も悩み迷っているという事なのだろう。
出来るなら、叶うなら今後も兼一の下で多くを学びたい。それに偽りはない。

だが、兼一や翔にはこちらでの生活と交友関係がある。
正直、兼一が今すぐにでも一大武術組織の幹部になれると言うのは驚いた。
それらを全て捨てろなどと言える筈もない。しかし、ギンガに指導するためにミッドチルダに移住してもらうと言う事は、そういう事だ。

かと言って、逆にギンガがこちらに移住することも難しい。ギンガにもあちらでの生活があり、交友関係があり、仕事がある。どれも、そう簡単に捨てられるものではないのだ。
兼一がこちらのでの自分を捨てられないように、ギンガもあちらのでの自分を捨てられない。
これでは、『どうした』もなにもあった物ではない。

ギンガにできる事は、こうしてただ夜空を見上げて流れに身を任せる事だけ。
それ以外に、いったいどうしろと言うのだろうか。

その後、ギンガは当初の予定通りミッドへと帰って行った。当然、一人で。
それが正しいのか、それとも間違っているのか。
それは、当人であるギンガにもわからなかった。
ただ彼女の瞳の奥深くには、言葉にできない寂寥と迷いが渦巻くだけ。






あとがき

というわけで、一端ギンガと白浜親子は御別れでござい!!
この後この師弟関係がどうなるのかは、次をお待ちください。
本当はそこまでやってしまうつもりだったのですが、例によって例の如く長くなってしまったのでここで切りました。ハハハ、完結までどれだけかかる事やら……。

そう言えば、リリなのシリーズってA’s以降は次回予告で「Drive ignition」とか「Take off」とか言ってましたよね。さしずめこのシリーズだと……………「Go to Hell」? うわ、シャレにならねぇ……。

あと、最後に報告を。
さすがに一週間に一本は仕事と並行しているときつい物があるので、今後は基本的に二週間に一本のペースで行こうと思います。もちろん早く書き上がれば週一かそれ以上で出すでしょうが。
別にわざわざ書く事でもないのでしょうが、最低限の礼儀ですよね、この辺は。



[25730] BATTLE 11「旅立ち」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:22

白浜親子が地球に戻ってからしばし。
あるべき日常を取り戻したギンガは、今日も今日とて職務に励んでいた。

「……………………………ふぅ、報告書と資料はこれで良し、と」

小さく呟きながらディスプレイを閉じ、ギンガは天を仰ぐ。
そこにあるのは、なんの変哲もない見慣れた無機質な白い天井と電灯のみ。
当然ながら、そこにギンガの求める物はない。そもそも何を求めているのか、それすら判然としないのだが……。

(翔と兼一さん、今頃どうしてるのかな?)

別段、白浜親子がいなくなった所で何が変わったわけでもない。
より正確には、「かつての日常に戻った」と表現すべきだろう。

隊舎の中を歩いても、あの「お人好し」の代名詞の様な男の姿を見かける事はない。
家に帰った所で、ちょこまかと動きまわる幼い少年の気配は残滓すら残っていない。
休憩時間の恒例となった、常軌を逸した基礎訓練を課される事もない。

それこそがあるべき日常、そんな事はギンガとて理解している。
だがそれでも、身の周りが急に静かになった事への戸惑いは隠せない。
耳を澄ませば、可愛い弟分の自分を呼ぶ声が聞こえる様な気がした。
振り返れば、忙しそうに隊舎の中を駆け回る彼の後ろ姿が見える気がした。
いくら耳を澄ませ目を凝らした所で、それらが現実になる事はないと分かっている筈なのに……。

いや、そんな事は当たり前だと、ギンガとて百も承知だ。
承知しているにもかかわらず、気付くと彼らの影を探す自分がいる。

(要は…………寂しい、って事なのよね)

あの親子がいた一ヶ月半は、近年稀に見るほど騒がしく慌ただしい日々だった。
僅かな期間に起こった、大小さまざまなトラブルや事件。
たいして長くもないギンガの人生だが、その中でもあそこまでそれらが立て続けに起こった事はない。
最後の一週間など、特に濃密かつ刺激的な時間だった。刺激があり過ぎて、軽く心臓発作が起こりそうなほどに。

だが振り返ってみれば、つい口元がゆるんでしまうほどに充実した時間だったのだ。
この先の長い人生でも、恐らくはもうないのではないかと思うほどに色々な意味で充実した時間。
最早会う事かなわないだろう可愛い弟分と、尊敬するその父親。
二人の事だから、自分が心配する必要もなく元気にやっている確信がある。

「……はぁ」

しかし、感情と理性は別物だ。
それらを思い、つい溜め息が漏れてしまうのも致し方ないというものだろう。
だが、そこで唐突にギンガの背後から声がかけられる。

「二十八回目」
「え? ぁ……」

その声に振りかえると、そこには大きな影が立っていた。
電灯が逆光になり、影となって顔が良く見えない。
そのせいだろうか、一瞬その顔がいる筈のない人物のように見えた。
しかしすぐに目も慣れ、その顔が良く見知った…だが彼女が無意識のうちに探しているのとは違う顔であることが分かる。

「父さん、いたんですか?」
「いたんだよ、随分前からな。ったく、仮にも現役の武装隊員が簡単に背を取られてんじゃねぇよ。
 兼一の奴に知られたら大目玉を食うか、それともメニューが何倍になるか……」
「…………」
(はぁ、ホントに重症だな…こりゃ)

父が発した一言により、ギンガはまたも物思いにふける。
そんな娘を見て、ゲンヤは心配すればいいのか呆れれば良いのか心中複雑だ。
ゲンヤなどからすれば、ギンガがこの場にいない者達、特にそのうちの一人に向ける感情は一つしかないと思う。
にもかかわらず、当の本人であるギンガはその可能性に全く思いいたっていない様子だ。
今までその手の感情とほぼ無縁だったせいもあるのだろうが、あまりにも鈍い娘には正直呆れるしかない。

直接その感情を言葉にしてつきつけてやることは簡単だろう。
だが、果たしてそれで事が好転するかというと何とも言えない。
男女の仲、特に色だの恋だのはちょっとした刺激がどんな化学変化を見せるかわかった物ではないのだから。
そんなわけで、ゲンヤとしても已む無く話題はそこから反れて行くことになる。

「ところで、大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「練習メニューだよ。六法全書みたいなやつを残して行っただろ、アイツ」

そう言って顎で示す先にあるのは、文字通りとんでもないぶ厚さを持った紙の束。
ミッドを離れる直前、兼一が夜通しかけてまとめた向こう数ヶ月分の練習メニューである。
練習の内容、その趣旨、注意事項、ウォーミングアップとクールダウンについて、日々の食事、その他諸々。
細やかな、それこそ気にし過ぎと思えるような配慮が隅々まで行き渡った代物だ。その上、それが何冊も。
最後の一冊に至っては、年単位でのトレーニング計画まで。
自分が指導できなくても、仮に一人で鍛錬するとしても、着実に強くなれるように組まれた計画。
今はそれが、ギンガが先を目指す上での道標であった。

「あの量だと、休憩時間一杯まで使わんことには一日分が終わらねぇだろ」
「大丈夫ですよ、毎日の量はちゃんとこなせてますから」

父の言葉に、ギンガは笑って答える。しかし実際には、ギンガは一日分をしっかりこなしているわけではない。
とはいえ、それはサボっているのとも異なる。
むしろその逆、記述されている量より多めにこなしている位だ。

あのメニューは、あくまでも「兼一がいない事」を前提として組まれた物。
つまり、安全面を考えていくらか余裕を持って組まれているのだ、少なくとも兼一的には。
普通人なら十分すぎるほどにハードワークなのだが、一時でも兼一の下で学んだギンガにはそれがわかった。
兼一が指導していた時は、アレ以上の質と量を課されていたのだから。

(まあ、兼一さんに知られたら怒られるかもしれないけど……)

何しろ、ゲンヤはもちろん兼一もギンガが指示以上の鍛錬を積んでいる事は知らない。
指示以上の事をすれば故障に繋がるかもしれないし、あるいはどこかで歪みを生む可能性もある。
その場合、最終的にはギンガ・ナカジマという武術家の完成を阻むことになるだろう。

それを考えれば、ある意味指示に従っていないギンガを兼一は怒るかもしれない。
実際、あのメニューの中で兼一は過度の鍛錬を何度も戒めていた。
だがそれでも、ギンガはいまのやり方を変える気はない。

(……………これ位やらないと、多分…追いつけないから)

リスクは承知の上、その覚悟は既にある。
彼に追いつく事、それこそが何にも勝る恩返し。
これだけやっても追い付くのがいつになるかわからないのだから、これくらいは当然。

次に会うのがいつになるのか、次に会う日が来るのかすら定かではない。
しかし、その時には驚かせてやりたいとギンガは思う。
『これだけ強くなりました』と、そう胸を張って伝えたいから。

「そう言えばどうだったんですか? 本局から呼び出しなんて珍しいですけど……」
「ん? おお、その事か」

気を取り直す様にギンガは話題を変え、ゲンヤはそれに苦笑いを浮かべる。
今朝方、突然ゲンヤに対し本局から呼び出しがあったのだ。
一応地上本部を通した上での正式な呼び出しだったのだが、その理由も目的もゲンヤは知らされていなかった。

だが、それでも命令は命令である。
管理局員には上司や上層部からの命令に従う義務が当然あるし、ゲンヤとて早々突っぱねられるものではない。
故に、朝からゲンヤは隊を離れ本局に行っていたのだが、いつの間にか帰ってきていたというわけだ。

「用件っつうのが、まぁなんつーか……アレだ、新しい奴が来るからウチで引き取って教育しろとよ」
「この時期にですか? 新しい局員の配属にしても微妙ですよ」
「だな。あと2ヶ月もすりゃ配置転換の時期、訓練校や士官学校上がりのヒヨッコ共の配属もだ。
 ならそれに合わせれば良いじゃねぇかとは俺も思ったんだが……」

ゲンヤはどこか困ったように、あるいは呆れたように頭をかく。
普通、新しく配属されるにしても、あるいは配置変えになるにしてもこんな微妙な時期にはやらない。
あと少しすれば、世間も就職や入学・進級で沸き立つ。地球で言うところの『新年度』である。
にもかかわらず、僅かに時期をずらしての配置など滅多にある物ではない。
あるとすれば、よほど問題があって前の職場を追い出されたか、よほど優秀で即戦力として迎えられたかだろう。
だが、ゲンヤの発言から新しく管理局に入った物であることが分かる以上、考えられるとすれば……

「高ランク魔導師、なんですか?」

そう、よほど優秀かつ強力な魔導師で、即戦力として期待されていうならまだ納得できる。
管理局は例年人手不足に悩まされ、優れた戦闘能力を持つ魔導師は特に手が足りないのだから。
まあそれでも、よほど強力な魔導師ですらこんな微妙な時期に配属されたりはしないのだが……。
しかし、実を言うとそれすらも外れだったりする。

「いや、それがな、そもそも魔導師ですらねぇ」
「は?」

思ってもみない父の言葉に、思わずギンガは間の抜けた返事を返す。
魔導師以外でそう言った事がないわけではない。
例えば、企業などからヘッドハントされた優秀な人材などならない話ではない。
だが、それにしてもこの微妙な時期にそれをする理由としては魔導師意外というのは考えづらいのだ。
そして、続く説明もまたギンガを納得させるに十分とは言い難かった。

「上の方にコネがある奴らしくてな、特例として試験を受けてギリギリ合格、そのまま配属って具合らしい」
(まぁ、管理局はその辺の融通は利く方だし、上にコネがあればそれくらいの事はできそうだけど……)

可能不可能でいえば可能だろう。しかし、そこまでする意味と意図がわからない。
これでは、周りの心証を悪くしたり上にいらない借りを作ったりすることになる。
そんな事をするくらいなら、大人しく2ヶ月後を待った方が良い。

「まあ、正式な配属は2ヶ月後、例の八神の部隊なんだが…まだ稼働はしてねぇだろ?
 そこで、それまでの間ウチで預かって諸々教え込めとさ」

早い話が、一種の研修という事なのだろう。
前の経歴はわからないが、管理局員としては明らかな新人。
それを新しい部署に放り込むに当たり、108でちょっと揉んでおこうというのだ。
まあ、本局所属の人間を地上部隊に預ける理由がさっぱりわからないのだが……。

「確かにウチは八神二佐とも交流がありますけど、それにしたって……」
「まぁな。とりあえず来るのは明日からだ、それで何かしらわかるだろうよ」

どうやら、ゲンヤにもまだあまり詳しい情報は与えられていないようだ。
彼は肩を竦め、「はいはい、どうぞお好きなように」と言わんばかりの投げ槍な態度を取った。

しかし、翌日二人は知ることになる。
新しく二ヶ月だけ配属される仲間は、二人の思いもしない理由で配属された事を。



BATTLE 11「旅立ち」



時は遡って、白浜親子が地球に戻って間もないある日の事。
早々に居を梁山泊に移した兼一と翔は、師匠連に見守られながら今日も今日とて修業に励んでいた。

「いたたたたたたたたたたたたたた!!!」
「ほらほら、もうちょっともうちょっと♪ あと少しで120度回るよ…………………首が」
「く、首がぁ~~!! 首の骨が折れるぅ――――――――――!!」

亡き妻の忘れ形見であり、最愛の息子である翔の頭を両の掌でしっかり押さえ、回ってはいけない位回そうとする兼一。その胴体はしっかりと固定され、身体を回して負荷を軽減することすらできない。
このままだと、翔の首は真後ろを向き、頸椎をおかしくしてしまいそうだ。
だが、そんな家庭内超暴力も、梁山泊ではその限りではない。

「アパパパパ、ガンバよ翔! 真後ろまで回るようになれば合格よ!」
「そんな人いないと思う!!」
「大丈夫だよ、翔。僕の古い友人は16歳のころには180度、今では360度回るから」
「う…ん。柔らかいよね…彼」
「それもう柔らかいとかって問題じゃないよ――――――――――――――――――――――――――っ!!」

これまで全く知らなかった身近な人たちの非常識な常識に、翔は魂の底から叫ぶ。
しかし、当然ながらそれが彼らの心に届く筈もなく。
翔が叫んでいる間も、兼一はしっかり力を弱めることなくその首をねじり続ける。
というか、万力の様な力で首をねじられているにもかかわらずこれだけ叫ぶとは、翔もいい具合に順応してきている証拠だ。本人としては全く嬉しくないだろうが。

「ふむ、兼一ちゃんの修業も中々の物じゃな。のう、秋雨君」
「全くですな。柔軟性は筋力に並ぶ武術家の命、骨もしなり筋肉や腱も柔らかい子どものうちに柔軟な肉体に仕立て上げれば、それは後の翔のよい武器となるでしょう」
「うむ。関節の稼働域が広がれば、それだけ出来る事も増える、これは必然にして極自然なことじゃ」
「鍔鳴りもそうだったし…な」

基本的に人間の関節の稼働域は決まっている。だが、達人ともなってくるとのその常識は通用しない。
首が異常に回る者、肘があり得ない方向まで曲がる者、種類は様々だがそう言った人物は確かに存在する。
身体の柔らかい子どものうちからそれらを仕込んで行けば、いずれは彼らに匹敵する柔軟性を得ることも不可能ではない。しかも、これは攻撃以外にも有用なのだ。

「それに、関節が良く動けばそれだけ壊される心配も減るね。
 搬欄でも、兼ちゃんの友達が相手だと首を折るのは一苦労ね」
「へへへ。ま、そういうこった。おう兼一、体がやわらかくて損はしねぇんだ、行けるとこまで逝っちまえ」
「もちろんですよ、逆鬼師匠。さあ翔、これも大事な息子にして弟子である君が壊れないようにっていう親心だ」
「むしろ父様に壊されるぅ~~~~~!」

ちなみに搬欄(はんらん)とは、中国四大武術とも称される太極拳の一手。
この技は頭を両手で上下から挟み、そのまま捻り倒し首を折る。
兼一の古い友人の一人、ジークフリートの柔軟な首を以ってすれば回避も防御もすることなくこの技を無効にできるだろう。もちろん、相応の使い手が使えばその限りではないが。
しかし実際問題として、このレベルの柔軟な関節群を身につけられれば、様々な関節技や関節破壊の技への予防策となる。そんなわけで、この以上な柔軟は何も首に限った話ではない。

本来、一定の方向にしか曲がらない筈の肘や膝。
それを、本来曲がってはいけない方向に曲げようと力を込める兼一。
翔はただただ、首を絞められる鶏の様に悲鳴を上げるのみ。

「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!!
 肘も膝もそんな方になんて曲がらないから!?」
「曲がらないだろうねぇ…………今は」
「昔も今もこの先も変わらないってば!!!」
「大丈夫、人間は慣れる。慣れてしまえば曲がるから」
「曲がるわけないってば―――――――――――――――っ!!!」

そうして、その後も常軌を逸した柔軟体操の名を借りた拷問は続く。
時に背骨を限界以上に反らし、時に肩や股関節が外れるギリギリのところまで開く。

気付いた時には、翔はまるで全身が軟体動物の様にぐにゃぐにゃになっていた。
より厳密には、四肢に力が入らず敷物の様になっていると言うべきか。
しかし、それですら梁山泊的には序の口だったりする。

「立てるかい、翔?」
「…………………………………」

返事はない、まるで屍の様だ。おお、翔よ。死んでしまうとは情けない。
とはいえ、それならそれでやり様があると言うのが梁山泊式。例えば……

「う~ん、立てないのなら仕方ないよね」
(よ、よかった。ようやく少し休め……)
「師父~、例の薬をおねがしま~す」
「ほい、死人も目覚める秘薬ね。こいつでさっさと修業再開ね」
「いやぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああぁぁ!?」

こうして、今日もまた蒼穹に翔の絶叫が木霊するのだった。
臨死程度では、その日の修業が中断することなどない。梁山泊とはそういう場所なのだ。

そんなイカレタ梁山泊だが、この日は中々に珍しい人物が訪れることになる。
しかしこの時、その事をまだ誰も気づいてはいない。
特に一番の当事者である逆鬼は、誰が近くに来ているかも知らずに酒など飲みながら長老に話しかけていた。

「だがよぉジジイ。別に兼一のやり方に口出す気はねぇが、俺らも一緒にやらねぇで良いのか?」
「ふむ」
「はっきり言っちまえば、兼一はまだまだ師匠としちゃ未熟だぜ」

そんな事は、長老を始め師匠連全員が承知している事。
兼一は確かに彼ら全員が認めた武人だ。だが、兼一が師匠として未熟な事とそれはまた別の問題。
兼一が初めての弟子を取ってからまだそう日も経っていない。
誰しもはじめのうちは未熟なもの、はじめから何でも上手くできる人間はいない。
特にそれが、人を教え導くという難題ならなおの事。
故に、逆鬼の言葉は単なる事実の確認に過ぎない。

「まぁ、兼ちゃんもよく頑張っているんだけど、こればっかりは致し方ないね」
「そんなことないよ! 最初の頃のアパチャイよりマシよ!!」
「まぁ、アパチャイくんと違って殺してはいないからねぇ……」
「比較対象が間違って…る」

さすがに、手加減できずに弟子を殺してしまうのは論外。
それも、それが修業のきつさが原因なのではなく、組手の最中に強く殴り過ぎてとなれば尚更だ。
指導者としては超一流だったかもしれないが、少なくともあの時点でのアパチャイはそれ以前の問題を抱えていたのである。まあ、それも早い段階で解決されたのだから、あまり蒸し返すような事でもないが。

「ホッホッホ、逆鬼君は相変わらず心配性じゃのう」
「ば、ばーろう、んなんじゃねぇ!!」
「しかし、逆鬼の心配ももっともではありますな」
「そうね、兼ちゃんの事だから殺してしまう事はないと思うけど、それ以外の失敗なら十分可能性はあるね」

兼一は確かに、かつてのアパチャイの様な問題は抱えていない。
だが、だからと言って何の問題もない完全無欠の指導者というわけでもないのだ。
そもそも兼一には、誰かを指導すると言う経験が絶対的に不足している。
そうである以上、いつ何時思わぬ事態が発生しないとも限らない。
そういう意味で考えれば、彼らの心配は最もである。まあ、同時に彼らでもそれは同じことなのだが。

「でもそれは、僕たちにも言えるこ…と」
「うむ、世に絶対はない。仮にわしらがやった所で、絶対に翔が達人となる保証はないからのう」

そう、確かに彼らは指導者として紛れもない超一流。
白浜兼一という、才能の欠片もない男を達人へと仕立て上げた事でもそれは証明されている。

しかし、だからと言って彼らが弟子に取った者が全員達人になれるとは限らない。
兼一は慣れた、だが兼一より遥かに才能で勝るものが慣れない事もあるだろう。武術とはそういうものだ。
それこそ、途中で死んだり道を誤ったりしてしまう可能性がある事は、彼らにも否定はできないのだから。

「でもアパチャイ、兼一と翔なら大丈夫だと思うよ。
 アパチャイも最初は下手だったけど、少しずつなんとかなる様になったよ。だから大丈夫よ!」
「そうね。今が未熟でも、この先も未熟とは限らんね」
「う…ん。兼一が成長すればいいだ…け」
「志場っちの例もある。弟子によって師が武術家、あるいは人間的に成長することは良くある事だ。
 我等はただ、弟子と孫弟子の成長を見守るのみではないかね、逆鬼君」
「ま、そりゃそうなんだけどよぉ……」

その強面と荒っぽい口調のせいで誤解されがちだが、逆鬼は基本的に面倒見がよい兄貴肌だ。
可愛い弟子とその一人息子、その行く末を心配する思いは人一倍強い。
まあ、二人を思う気持ちでいえば、師匠達の間に優劣などないのだが。

「わしらが口出しすれば、確かに一時的には良い方向へと向かうじゃろう。
じゃがそれは、回り回って最終的に兼一君の成長を阻害することになる。
それは、逆鬼君とて望んではおるまい?」
「まぁなぁ……」

長老の言には、逆鬼も納得しているのだろう。
しかし、二人を心配する気持ちはそれとはまた別の問題だ。
口出しはすべきではない。少なくとも、兼一の方から助言を求めない限りは。
そうとわかってはいるのだが、それでも逆鬼の顔が浮かないのも事実。

「弟子を信じるのも、師の務めだよ逆鬼君」
「心配なら心配といえば良いね、男のツンデレなんて全然萌えんね」
「逆鬼の過保護は、死んでも治ら…ない」
「ア~パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ♪」
「てめぇら、好き勝手言いやがって……」
「アパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ♪」
「つーかアパチャイ、てめぇは笑い過ぎだ!!!」

すっかり爆笑モードに入ったアパチャイの胸倉を捕まえようとする逆鬼。
だが、逆鬼とアパチャイはほぼ同域の達人。
そう簡単に胸倉を掴ませてくれる筈もなく、その手は虚しく空を切った。

「ちっ、酒が切れちまった。酒買ってくるついでにパチンコにでも行ってくらぁ」

この場では形勢不利と悟り、逆鬼は一時撤退しほとぼりが冷めるのを待つことにする。
しかし、逆鬼がそうして立ち上がろうとしたところで、底冷えのする殺気が彼の背後に生じた。

本来生半可な殺気など、逆鬼からすればそよ風に等しい。
むしろ、どんな殺気であっても彼を同時させることは難しいだろう。
だが、この殺気だけは別。
世界でただ一つ、この殺気だけは逆鬼にとっても逆らえない絶対的なものなのだ。

「ふ~ん、いつまでたっても帰ってこないと思ったら、そうやって遊んでたんだぁ~、至~緒~」
「……………どっから湧いた、ジェニー」
「うふふ、一ヶ月ぶりに会った最愛のワイフに対する言葉がそれ?
 電話の一つも寄越さない旦那様のハート(心臓)に、ついつい鉛玉をぶち込みたくなっちゃうわぁ♪」

不自然なまでに上機嫌な声、それに反して凍てつく空気。
そして背中に押し付けられる冷たく硬い鉄の感触。
間違いなく、銃口を背中に押し付けているのだ。

「日本にゃ銃刀法ってもんがあるんだけどよ、知ってるかジェニー」
「ええ、もちろん知ってるわよ♪ でも、銃は家族。そんな大切な家族を置いて行けるわけないじゃない♪
 まぁ、どこかの誰かさんみたいに薄情な人はそうじゃないみたいだけどぉ♪」

実ににこやかに、いっそ気味が悪い程に「♪」が言葉の端々に乱舞している。
口調は優しげなのだが、その裏は隠しようもない程の刺々しさでいっぱいだ。
この2週間、一切連絡しなかった事を相当に根に持っている様だ。
基本逆鬼にベタ惚れのジェニーだが、今ではすっかり尻に敷いているらしい。

「あれ、ジェニーさん? 来てたんですか?」
「ハイ、久しぶりね兼一、それに翔も」
「あ!? 助けて、ジェニーおば「ん?」…お姉さま、お久しぶりです」
「よろしい。礼儀正しい子は好きよ、翔」

助けを求めるあまり危うく禁断の一言を言いかけてしまう翔だったが、般若の如き微笑みを見て即座に訂正する。
あのまま言ってしまっていたら、今頃胴体に風穴が空いていたに違いない。

「ああ、でもやっぱり子どもはいいわぁ、至緒もそう思うでしょ?」
「こめかみに銃口を押し付けてまで何が聞きてぇんだよ」
「やぁねぇ、そんなの女の口から言わせないでよね♪」
「とりあえずだ、ゴリゴリと銃口を耳の穴に押し込むのはやめろ」

どこからどう見ても、誰が見ても間違いようのない脅迫である。
相手が逆鬼でなければ、今頃無条件降伏するに違いない様な状況だ。
如何に逆鬼が銃弾すら回避できるとは言え、相手が同じく達人、しかも零距離ともなればそれも難しい。
そして、逆鬼であっても銃弾が脳天に直撃すればただでは済まない。
まあ、逆鬼が珍しく脂汗を流しているのはそれとはまた違うものが原因なのだが。

「さ、名残惜しいけど一ヶ月もお邪魔しちゃったんですもの、そろそろ帰りましょうか、ねぇ至緒?」
「いや、待てジェニー! 俺はまだこっちでやることが……」
「は?」
「……わかりました……」

逆鬼至緒、ケンカ百段の異名を持つ空手家にしてあまりにも強過ぎるが故に空手界を追放された猛者。
しかしてその実態は、すっかり尻に敷かれた恐妻家であった。



  *  *  *  *  *



その日の深夜。
日中の修業の疲労から、既に翔は泥の様に眠っている。
地球に帰還してからというもの、漢方の秘薬や怪しげな医術により翔の修業の苛烈さはエスカレートする一方。
何しろ、例え死にかけてもすぐさま蘇生、動けなくなっても動ける状態にされてしまうのだから。
おかげで、日を追うごとに兼一の指導には遠慮というか容赦がなくなってきている。

翔としては、命の危機を感じると同時にあれこれ考えている余裕さえない有様だ。
しかし、翔を指導している兼一は話が別。
むしろ、彼の場合はアレコレ考え、やらねばならない事が山の様にあったりする。
この日も翔が寝静まった後、深夜遅くまで剣星の部屋に入り浸っていた。

「ん、それじゃ今日のところはここまでね。
 今日やったのを明後日もう一度調合して、今度はそれを翔にのませるからそのつもりでね」
「ありがとうございます、師父」

白いものが混じる口髭をさすりながらそう言う師に対し、兼一は深々と頭を下げる。
そんな二人の前には、すり鉢や急須、あるいは徳利や鍼などが置かれ、その周りには素人目にはよく分からない乾燥した何かが無数に並べられていた。

「確か、明日は秋雨どんの所で整体をやるんだったかね?」
「はい。まだまだ、覚えなければならない事がありますから」
「うんうん、その意気ね。薬も整体も、他の何にしてもちゃんとした知識と技術がないと危ないからね。
 この先、当面の間は翔の肉体改造に重きを置く予定なのなら尚更ね」

向上心旺盛な弟子を喜んでいるらしく、上機嫌な様子で剣星は頷く。
兼一が夜遅くまで剣星の下で学んでいた物、それは武術ではなく鍼灸や漢方の技術と知識。
今はまだ師に遠く及ばず、薬の大半は師である剣星に調合してもらっている。

だが、いつまでもそれではいけない。
いずれは自分一人でもそれが出来るようにならねばならない、そうでなければ翔の師として胸を張れないから。
それは何も漢方薬に限った話ではなく、翔の身体をメンテナンスする為の整体などの医術にも言える事。
少なくとも兼一はそう考え、こうして毎晩毎晩剣星や秋雨の部屋を訪れ、教えを乞うているのだ。

また、今の兼一の翔に対する指導方針にもそれらは深く影響する。
どれほど優れた才があったとしても、翔は所詮4歳の子ども。
あまり筋肉を付けるのは好ましくないし、だからと言って技の修業を重視するにも早い。

そこで出した答えが、日中の異常な柔軟をはじめとする基礎のさらに土台固め。
基礎工事をする土壌、その土壌そのものを充実させる時期ととらえているのである。
具体的には、優れた柔軟性の獲得や基礎体力の向上、あるいは筋肉の質を変えるといった内容だ。
中でも漢方などが深く影響するのが、筋肉の質を変えること。

そう、筋肉の質を変えるのだ、筋肉を付けるのではなく。
早い段階で馬家十二筋法や岬越寺流秘密の鍛え方から特に筋肉の質を変える点を抽出しそれを施すことで、無理に筋肉をつけずに瞬発力と持久力を兼ね備えた筋肉に作り替えようと言うのである。
はっきり言って、それは机上の空論にも等しい未知の領域。秋雨ですら、筋トレなどをする中で徐々に作り替えて行ったのである。質のみを変えるなどそう簡単にできることではない。

しかし、今の翔を相手に行うにはこれが精いっぱいなのも事実。
そして、筋トレをあまり用いずにこれをやるとなると、どうしても漢方などの比率が大きくなる。
だからこそ、兼一は大急ぎで二人の技術を身につける必要があった。
とそこで、扉を軽くノックする音が二人の耳に入る。

「すまん剣星、少々兼一君に話があるのだが良いかね」
「大丈夫ね、秋雨どん。こっちもちょうど終わった所ね」

剣星が答えると、秋雨は静かに扉を開ける。
彼が軽く兼一を手招きすると、兼一も何も言わずに立ち上がり扉の前に立つ。

「どうかなさったんですか、岬越寺師匠」
「ふむ、長老が君に話があるそうだ。ああ、剣星も来てくれ、これより梁山泊豪傑会議を開く」
「こんな遅くにかね?」

そう言いつつ剣星も立ち上がり、三人は連れ立って道場へ向かう。
翔が寝静まるのを待ったためなのだろうが、それにしても遅すぎる。
おそらく、それ以外にも何かしら理由があるのだろう。

そうして道場に付くと、そこにはジェニーに連行された逆鬼を除く師匠達が勢ぞろいしていた。
上座に長老、両脇を固める様に剣星と秋雨が腰をおろし、さらに手前にはアパチャイとしぐれが座っている。
兼一は長老と正対する場所に置かれた座布団に腰をおろし、最初の一言を待った。

「遅くにすまんのう、兼ちゃんや」
「あ、いえ、それは別に」
「実はのう、一つ兼ちゃんに聞いておかねばならんことがあるのじゃ」
「はぁ……」

長老たちが唐突なのは今に始まった事ではない。
というよりも、大抵の場合この人たちは唐突で突飛なのだ。
今更この程度の事に動じていては、梁山泊ではやって行くことなど不可能。
とは言え、未だに兼一には彼らが何を考えているのか完全に把握できてはいないので、続く言葉を待つことしかできない。

「白浜兼一よ。お主この一月、いったい何を思い悩んでおる」
「え? べ、別にそんな事は……」
「隠しても無駄じゃ。わしらが、お主の変化に気付かんとでも思うておるのか?」
「う”……」
「みなもそうじゃろう?」

痛いところをつかれたのか、兼一は言葉に詰まり、そんな兼一に構うことなく長老は皆に意見を求めた。
当然、残る師匠たちから帰ってきた答えは……

「兼一君自身の問題故、敢えて口出しは控えてきましたが……」
「そうね。兼ちゃんも子どもじゃないんだし、自分で何とかすると思ってたんだけどね」
「そんなに、わかりやすかったですか?」
「アパパパパパ、あんなにしょっちゅう溜息ついてたら否でもわかるよ!」
「しか…も、毎晩毎晩『あー』とか『う~』とか唸っててうるさ…い。安眠妨害も良いところ…だ」

元来、嘘も隠し事も下手な性質である。
本人は表に出さないようにしていたらしいが、周りからすれば丸分かりだったようだ。
そうして、兼一もようやく白状する気になったらしい。

「そりゃまぁ、悩みはありますよ。今までの貯蓄があるとは言え、今の僕は絶賛求職中ですし」
「本当にそれだけかね?」
「何をおっしゃりたいんですか、師父」
「いやね、仕事が欲しいだけならなんとでもなるね。新白連合、鳳凰武侠連盟、あるいは他の武術組織でも兼ちゃんなら間違いなく雇ってくれるね。でも、兼ちゃんはそうとわかっていてどこにも所属しようとしていないね」
「それは……」

実際問題として、梁山泊の一番弟子である兼一は武術界においては引く手数多だ。
彼を欲する組織は星の数ほどあるし、かなり良い条件を提示している所も少なくない。
あるいは、どこから聞きつけたのか、兼一が梁山泊に戻ったと知って弟子入り志願する者もいる。
その悉くを兼一は断っているのだ。これで何かないと思う方が不可能という者もの。

「まあ、それは別にかまわんよ。兼一君なりに考えあってのことだろう」
「…………」
「職がない、確かにそれは死活問題だが、いざとなれば君の場合なんとでもなる。少なくとも、今はそこまで切羽詰まっていまい。にもかかわらず、君の表情は浮かない。
 ならばそれは、その事とはまた別の事という事だ」

秋雨への返答はない。それはつまり、兼一がその言葉を認めたと言う事だ。
元々、梁山泊の中でも特に頭の切れる人物である。
その秋雨を相手に、下手な嘘をついた所で無意味なのは明らかなのだから。

「あぱ? 何をそんなに隠すよ兼一。ギンガが心配なら心配って言えば良いよ。
 ヤンデレは逆鬼だけで充分よ」
「ヤンデレじゃなくてツンデレね、アパチャイ。ヤンデレなのはむしろ彼女の方ね」
「そもそも、別にツンデレとはそういうものでもないのだがね」
「確か、普段はツンツンして気のない素振りをしているが、単にそれは素直になれずに天の邪鬼に接する事じゃったかのう?」
(なんで岬越寺師匠や長老までそんな事を知ってるんだろう……)

剣星のみならず、この二人までそんな言葉を知っていることに若干頭が痛い兼一。
まあ、実際兼一はツンデレとは言えないので間違ってはいないのだが……。

「心配なのじゃろう、ギンちゃんの事が」
(ギンちゃんって……)
「隠す…な。隠していても話が進まな…い」
「しぐれさんまで………………」
「いい…か、兼一。師が弟子を心配するのは当然…だ、何も恥じる事は…ない。
 僕たちだって昔はたくさん心配した…し、初めての弟子なら尚更…だ」

それは確かにそうなのだろうと兼一も思う。
かつてトラウマ克服の為にしぐれと裏社会科見学に行った時も、秋雨や逆鬼は心配するあまり徹夜していた。
アパチャイに至っては、兼一を守る為に死の縁から舞い戻ってきたことさえある。
師が弟子の身を案じ、守ろうとするのは極々当たり前のこと。
兼一はそれを、師達の言葉や態度から誰よりもよく知っている。
故に、兼一もいよいよ観念してその心の内を明かすことにした。

「…………………そりゃ、心配ですよ。だって、ギンガちゃんがしてるのはああいう仕事なんですよ?
 怪我していないかとか、しっかり三食食べているかとか、ちゃんと寝ているかとか、身体を壊していないかとか、悪い男に引っかかっていないかとか…………………ああ! 考えだしたら余計不安になってきた!?」
「親バ…カ?」
「親バカね」
「紛れもない親バカだねぇ」
「アパパパパパパ♪」

段々…というか、早々に仕事とあまり関係ない方向に突っ走りだす兼一。
食事や睡眠、体調はまだしも、「悪い男」などが入ってくるあたりすっかりお父さん状態だ。
事実、こちらの世界に戻ってからの一ヶ月、あちらの様子がわからない兼一には心配以外の言葉が出て来ない。
人知れず呟いた回数は、軽く万に届くかもしれない。
何しろ、夢に出てうなされるほど心配しているのだから相当なものだ。

「兼ちゃんや、少し落ち着きなさい」
「で、ですけどねぇ! 全然さっぱり音信不通なんですよ!?」
「そりゃ向こうとは電話もつながっとらんしのう」
「これで心配するなって言う方が無理でしょ! 無理だと思いませんか? 無理に決まってるじゃないですか!?」
「正真正銘の親バカじゃな」

師達の言葉など全く聞こえていないのだろう。
いくら「親バカ」と連呼されても、兼一は気付くことなく身悶えする。
まあ、初めての弟子が可愛くて可愛くて目に入れても痛くないのだろうと思えば、彼らにも理解はできる。
そう、出来るのだ。だからこそ……

「そんなに心配なのなら、君はいつまでこんな所で燻っているのかね、兼一君」
「え、岬越寺師匠?」
「まったくね、いくら心配したって別に何も変わらんね。
 変える為にする事は一つ、一歩を踏み出すことね」
「馬師父」
「そんなに気になるなら、会いに行けばいいだ…ろ」
「しぐれさん」
「そうよ! アパチャイなんて、兼一守る為に死神さんの所からだって帰って来たよ!」
「アパチャイさんまで……」

師達の言わんとする事はわかる。兼一とて、今日まで何度ギンガの様子を見に行きたいと思ったことか。
だが、ギンガがいるのは地球上のどこの国でもない。
地球上のどこかなら会いに行く事も出来るが、別の世界とあってはそれもかなわない。
兼一には、別の世界に渡る術もコネもないのだから。
まあ、それは単に「兼一にはない」と言うだけに過ぎないとも言えるのだが。

「でも僕には、向こうに行く方法が……」
「何を言うとるんじゃ? わしの知り合いに関係者がおると言ったじゃろうに」
「そ、それはそうですけど……」
「いったい、何をそんなに躊躇っておる」
「……」

長老の言う通り、兼一は躊躇っていた。
ギンガの事はもちろん心配だ、出来るなら最後までその成長を見届けたいと思う。
それは師としての義務感よりも、彼女の成長を見ていたいと言う気持ちから。

しかし、それこそが問題なのだ。
ギンガの成長を見たいと思う。叶うなら、自分の手でその成長を促し、教え導いてやりたい。
ミッドに行くことで、その気持ちのタガが外れてしまいそうな事を兼一は恐れる。
それだけ強い思いを抱かせるほど、ギンガは良い教え子だったから。

「……………そうですね、確かにためらっているんだと思います。
だって、最後まで見届けたいって、思っちゃいそうなんですよ」
「それの何が不味いというんだい?」
「ギンガちゃんがいるのは地球じゃありません。そんな気楽に行き来できる場所でもありません。
 一度行ったらそう簡単には帰ってこれませんし、最後まで見届けたいと思ったら…尚更。
 僕は、ここを離れたくないんです。だって、ここは……」

兼一にとって、最も大切な彼女が眠る世界だから。
一時的にこの地を離れるのならそこまで抵抗はない。
だが、ギンガを最後まで見届けるとなれば一年や二年では済むまい。
そうなれば、長くこの世界から離れることになる。

それが、兼一を躊躇わせた。
確かに梁山泊への愛着はあるし、大切な友人や仲間がこの世界には多くいるだろう。
しかし、彼らはみな生きている。会おうと思えば会えるのだ、時間はかかっても。
それは師達にも、梁山泊という場所にも言える事。

ただ、もういない人はそうはいかない。
美羽が眠るのはこの世界、仮に遺影や位牌を持って行った所でその事実は変わらない。
亡き妻を一人残し、この世界から長く離れる。兼一が異世界に渡ると言う事はそういう事だ。
それに、その場合翔もそれに同行すると言う事になる。
翔を美羽の眠るこの世界から引き離す、それが兼一にはどこか裏切りの様に思えた。
だからどうしても、兼一はギンガに会いに行く事を躊躇ってしまう。

「美羽は、自分の為に兼ちゃんがここに縛られる事を望まんと思うがね」
「それは……」

死者は黙して語らない。あるいは美羽が生きていれば兼一の背を押したかもしれないが、さもありなん。
美羽が死んでいるからこそ兼一はこの世界にとどまることにこだわっているのだから、生きていたらと仮定すればとどまる理由も消失する。故に、そもそもそんな仮定こそが無意味なのだ。
だがそこで、しぐれが全く別の視点を兼一に提示する。

「兼一、お前は一つ大事な事を忘れて…る」
「え?」
「ギンガは仮であってもお前の…弟子。なら、中途半端に終わったら師匠であるお前の恥…だ。
 ひいては、それはお前に全てを授けた僕たちと各門派の…恥」
「う……」
「そうよ! アパチャイ恥ずかしいのは嫌よ!!」
「うぅ……」

考えてみれば確かにその通りで、ギンガが中途半端になれば、中途半端な弟子しか育てられなかったというレッテルが兼一にはられることになる。さらに視野を広げれば、そんな武術家にしか育てられなかったというレッテルが各師匠とその門派にも貼られてしまうのだ。武術家にとって、それは大きな恥であり汚名。
自分一人ならまだしも、師達の顔にまでは泥を塗れない。こう言われてしまうと、兼一としても大弱りだった。

「それはですね、皆さんの仰りたい事もわかりますが……」
「まぁまぁ、皆の衆。そこまでにしてやりなさい、兼ちゃんとて悩んで出した結論じゃ」
「長老……」
「そうじゃの、わしから言いたい事は一つ…………………………………………………責任を持って死ぬか大成するまでしっかり面倒見てこんかい!!! ちゅうことじゃな」
「ええ―――――――――――――――――――――――――――――!?」

それは結局、みんなが言っている事と同じということではないだろうか。
むしろ、「面倒見てこい」と思いっきり命令している分性質が悪い気もする。

「あの、長老。そこに僕の意思や希望は?」
「は? そんなもんありゃせんよ」
「やっぱし……」

ある程度予想がついていたとはいえ、こうまではっきり言われてしまうと涙が出てくる。
どうせ何を言ったところで、聞くような人ではない事は百も承知な分余計に。
しかしそこで、長老はおもむろに真剣なまなざしで兼一を見つめる。

「よいか兼ちゃん、確かにこの件に関して兼ちゃんの意思も希望も入り込む余地はない!」
「改めて断言しないでくださいよ」
「じゃがのう、ギンちゃんに教えを授けたのはお主の自身の意思じゃろ?」

その言葉に、それまで俯き肩を震わせていた兼一がピタリと止まる。
ゆっくりとあげられる顔には、どこか驚いたような表情が浮かんでいた。

「だったら……いや、だからこそ…最後まで見届けてやりなさい」

教えを授けたのは兼一自身の意思、それは紛れもない事実。
教えを授けたことに後悔はない。ギンガは、自分にはもったいないほどの教え子だとも思う。
だからこそ、長老は兼一に見届けてこいと言う。

「それに、新しい環境に身を置く事で得るものもあるじゃろう」
「人間何はともあれ慣れが怖いからね」
「確かに、魔法は兼一君にとっても未知の力。良い修業になりますな」
「その上、師匠として成長もでき…る。一石二鳥だ…ね」
「アパパパパ、四の五の言わずとっとと行くよ!」
(まったく、この人たちは……)

師達の言葉に、兼一は思わず内心で苦笑を洩らす。
恐らく、この場にいない逆鬼がいたら「一回りでかくなって帰ってこい」くらいは言ったことだろう。
兼一とて分かっている、彼らは自分が向こうに行くための大義名分を作ろうとしてくれていることくらい。

行きたいか行きたくないかでいえば、無論行きたいに決まっている。
しかし、兼一にはこの場を離れられない理由があった。
だがそれも、師の命令とあっては、兼一も逆らう事は出来ない。
そう、これは仕方のない事なのだ。故に、大人しく従う事こそが、師達への何よりの感謝の印となるだろう。

「…………わかりました。師匠達の命令とあっては、仕方ありませんね」

溜息一つ突いてそう言った兼一の顔は晴れやかだった。
同時に、それを見つめる5対の眼差しもまた、満足気だったのは言うまでもない。



その翌日。
一人美羽の墓前に立った兼一は、自身のこれからについて報告する。

「ごめんなさい、美羽さん。帰ってきてすぐなのに、またしばらくここを離れることになりました。
 次戻ってくるのはまだいつになるかわかりませんけど、次の命日には必ず戻ります。
 それまで、待っていてください」

静かに、穏やかな口調で兼一は噛みしめるように告げる。
美羽は怒るだろうか、それとも呆れるだろうか、あるいは寂しがるだろうか。
なんとなく一番最後であり、そのどれでもない様な気がする。
美羽はあれで寂しがり屋な部分があったし、嫉妬深い面もあった。
だが、この時はそのどれでもない顔を見せてくれている様な気がする。

「翔の事は心配しないで。必ず、一人前の武人に育てて見せるから。
命を賭けて大切な人を守れる、そんな強い男に。
翔を連れて行くのは、それで許してもらえますか?」

当然ながら返事はない。しかし構うことなく、兼一は墓石に語りかける。
まるで、そうすることで胸の中の気持ちにはっきりとした形を持たせよる様に。

「それから、次来る時には…………………弟子を、紹介することになると思います。
 僕なんかにはもったいない、本当にいい子なんですよ」

亡き妻の面影を思い返しながら、兼一は死者と語らう。
返ってくる言葉はないにもかかわらず、兼一には美羽が笑っているような気がした。
『楽しみに待っていますですわ』と、そんな言葉と共に。
そうして、兼一は最後に新たな誓いを口にする。

「だから、もしもの時は命を捨てて二人を守ります。
弟子を先に死なせるわけにはいきませんし、それが僕達がずっと見てきた人たちの姿だから。
…………………………それじゃあ、また」

そう言って、兼一は墓石に背を向ける。
まるでその背を押す様に、一陣の風が追い風となって兼一を押しだした。

「さて、まずはイギリスに行って長老の知り合いって人に会わないと。
 正式に向こうでやっていくためにはやっぱり職も必要だし、これ以上ゲンヤさんを頼るのも悪いもんね。
 就職くらい、自力で何とかしないと格好がつかないし」

優しく背を押す風を受けながら天を仰ぐ。その顔には、以前あった迷いはすでにない。
既に一歩は踏み出した。ならば、後はその果てまで突き進んで行くだけなのだから。




おまけ

イギリス某所。
その片田舎に構えられた、日本の住宅事情からすれば充分「豪邸」の部類に入る邸宅。
あまり客人の多くない静かなその場所を、白浜親子は訪れていた。

「父様、ここがそうなの?」
「う~ん、長老に教えてもらった住所だとここで間違いないんだけど……」

小さな紙切れを手に、兼一は梁山泊とは比べ物にならない程手入れの行きとどいた庭を前に棒立ちしていた。
正直、長老の古い友人とやらがこんな真っ当な所に住んでいる事が以外でならない。
あの長老の友人だ、中国の山奥で仙人をやってたり、忘れ去られた古城で吸血鬼でもやっていたりするんじゃないかと思ったのだが……。何しろ、あの櫛灘美雲もいい具合に妖怪じみている。あり得ないとは到底言えない。

にもかかわらず、ふたを開けてみれば拍子抜けするほどまともな邸宅に辿り着いたのだ。
兼一でなくとも、本当にここであっているのか不審に思うだろう。というか、翔も同じような認識らしい。

(まぁ、ここで突っ立ってても意味ないし、行くだけ行ってみるか。
 とりあえず、警戒だけはしておこう。長老の友達の家だ、罠があったりいきなり襲われたりしても不思議はないし。そもそも実は幽霊屋敷だったとしてもおかしくないもんなぁ……)

住人が聞けば、確実に「アレと一緒にするな!!」と激怒しそうな事を胸中で呟く兼一。
だが無理もない。過去、長老の無茶に散々振り回された経験上、そう言った警戒心を抱くのは当然なのだ。
むしろ、警戒せずに踏み込む事こそ無謀と言えるだろう。

そうして、兼一と翔が一歩踏み出そうとした時。
二人の機先を制するように、庭の先の邸宅から一人の老人が出てきた。
老人はピンと背筋を伸ばし、ゆっくりとした足取りで兼一達の方へと歩を進める。
翔もそれに気付き、兼一の服の裾を軽く引いて父に尋ねた。

「父様、あの人が曾お爺様のお友達?」
「たぶん、そうだと思うんだけど……」

外見的な年齢から考えても、長老の友人と言うのは納得がいく。
後ろへ撫でつけられた髪には大半が白くなり、立派に蓄えられた口髭や顎鬚も同様だ。
長い年月を生きた者特有の静かで落ち着いた、それでいて重厚な空気。
如何に達人とは言え、若い兼一では決して持ち得ないものをその老人は極自然と身にまとっている。
ただ、問題なのは……

(本当にあの人が長老の友達? あんな、常識的そうな人が? 
…………………………………………………いやいや、あり得ないでしょ)

身にまとう雰囲気が、あまりにも常識的すぎる。
あの長老の友人なのだから、どうせ相当にはっちゃけた人だと思っていたのに……。
兼一はその予想を全く疑っていなかったし、それは今も変わらない。
だからこそ、歩み寄ってくる人物が人違いなのではないかと思う。

とはいえ、幼く未熟な翔は気付かないあるものに、兼一は気付いていた。
その老人が、老いてなお揺るがぬ優れた戦士としての風格。
柔和な瞳の奥に潜む、幾度となく死線を越えた者だけが持つ光。
肉体の衰えの兆候は兼一とて見逃しはしないが、それとは別の所でこの老人が常人でない事を感じ取る。
そして、ついに兼一が抱いていた予想は当人によって否定された。

「遠路遥々、よく来てくれた。君達が、隼人の言っていた子たちだね」
「では、やはりあなたが……」
「ああ、私がギル・グレアムだ。話は隼人から聞いている、自慢話がほとんどだがね。
会えて光栄だ、『一人多国籍軍』殿」

老人、ギル・グレアムはそう言って兼一に握手を求めた。
何気ない仕草、無造作な動作にもかかわらず、それらは兼一をして目を見張らされるに足る。
兼一が感じ取ったように、この老人は外見通りの好々爺ではない。
醸し出される空気通り、本質的に善人であるのだろう。

しかし、その奥底に未だ牙を隠し持っている。
衰え、錆びていようとも、それでも決して軽んじることのできない牙を。
それも、力だけに頼った愚直な戦士ではなく、怜悧な頭脳を併せ持つ曲者。
その瞳を見て、兼一の眼力がそれらを見抜く。
だからこそ、兼一は彼が長老の友人であることに納得し、自然とその手を握り返す。

「こちらこそ覚えていただいて光栄です、グレアムさん。
 すでにご存じの様ですが、白浜兼一と申します。この子は息子の」
「始めまして、白浜翔です」

長老の友人と言うことには納得したが、その分下手に握手などしては不意打ちくらいは平然としかねない。
兼一とてその事は承知している。だが、それでも礼には礼を持って返さねばならない。
不意打ち覚悟で握手に応じた兼一だったが、返ってきたのは予想外のものだった。

「ふっ」
「なにか?」
「いや、あの隼人の弟子と聞いていたのだが、想像とだいぶ違うものでね」
「………………………………長老、何て言ってました?」
「『昔のわしによう似とる』と言っていたよ。てっきり、奴そっくりの非常識の権化かと思っていたのだが………君は、アイツに似ず常識的なようだ。正直………………………安心したよ」
(ああ、この人もか……)

その哀愁漂う、というか溢れんばかりの哀愁に兼一の目が遠くなる。
悟ったのだ。この老人もまた、かつての自分同様長老に散々振り回された被害者である事を。

(長老、アンタこんな人にまで何してんですか!?)
「さあ、いつまでもこんな所にいないで中に入りなさい。娘達も待っている。
 君達がアレと違って常識的と知れば、二人も喜ぶだろう。『アレみたいなのが来るのか』と鬱になっていたのでね、早く安心させてやりたい」
(すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいません!!!)

長老が彼らに何を仕出かしたのかは知らないが、兼一はその胸中で全力を持って謝り倒す。
何しろ、グレアムが遠くを見つめる表情には年齢以上の疲労が浮かび、どんなのが来るのかと相当に気を揉んでいたことが伺えるからだ。それだけ心配される様な事を、長老がして来たということだろう。
そうなると、弟子の身としては謝り倒すより他はない。

そうして、グレアムに先導されて二人は梁山泊の母屋にも匹敵する邸宅に到着する。
ただし、その綺麗さはとんでもなくボロイ梁山泊の比ではないが。

「リーゼ、お客だよ。思った通り、隼人の所の子たちだ」
「「お邪魔します」」

玄関へと通され、二人は軽く会釈しながら入る。
中も外観同様手入れが行き届き、綺麗に整えられていた。
しかし玄関に一歩踏み入れたその瞬間、兼一の表情に僅かな緊張が走る。

「グレアムさん」
「何かな?」
「…………………………あなた、やっぱり長老の友達ですね」
「ほう、と言うと?」
「不意打ちは勘弁してくださ……」

言いきるより早く、兼一の頭上から二つの影が落ちてくる。
特に驚いた様子も見せず、兼一はただ「遅かったか」と内心で溜息をつく。

気配を殺し、隙を窺っている視線が2対あることには気付いていた。
恐らくだが、向こうも気付かれていることに気付いているだろう事も。
だから、無用な戦いは避けようと思ったのだが、間に合わなかったらしい。

(気の殺し方が巧い。隙を見せればこっちが危ない!)

まず間違いなくグレアムの関係者であろう二人が兼一に到達するまでのコンマ数秒。
その間に、兼一は相手の戦力を気配と目の端で捉えた身のこなしから推測する。
キサラに通じるものがある、どこか猫を思わせるしなやかで軽い体捌き。
野生動物にも似た荒々しさがありながら、同時に歴戦の戦巧者特有の鋭利さを併せ持つ独特の気。

それら一つ一つが、相手の実力が侮れないものである事を知らせてくれる。
間違いなく、個々の戦闘能力はギンガとは比べ物にならない。
一人でもそれだけの戦力を持つ相手、それが二人。それも、非の打ちどころのない連携がなされている。
片や接近戦を得てとし、片や遠距離戦を得手とするのだろう。
それぞれがそれぞれにとって得意な間合いを取り、互いに相手を邪魔せず、むしろサポートし合える位置取り。
それだけでも、相手の力量が生半可なものでないことは明らか。

不意打ちを仕掛ける二人の方を向くまでの僅かな時間で、兼一はそれらを看破していた。
そして、二人のうちの一人。接近戦を得手とするであろう方は、着地すると同時に兼一に突きを放つ。

恐らくは貫手、刃物の様に鋭い爪が兼一の眉間に迫る。
だが兼一は微動だにせず、構えすら取らない。
その薄皮に触れた所で、まるで不可視の壁に阻まれたかのように爪が止まる。
続いて放たれたのは、攻撃でも戦意でもなく、静かな疑問だった。

「…………………………………………なんで、応戦しようとしないんだい?」
「あなたと戦う理由が僕にはありません」
「いきなり攻撃されたのに?」
「不意打ちはいきなりやるものですよ」
「あたしが振り抜いていたら、アンタ死んでたかもしれないよ」
「そう簡単に死ぬようなやわな鍛え方はしていません」
「こっちはそれも承知の上でやってるんだ。殺せるだけの一撃のつもりなんだけど?」
「でも、あなたは止めたでしょう?」

険しい顔で問いかけるショートヘアの女に対し、兼一は笑顔すら浮かべながら応じる。
まるで、そうすることが分かっていたかのように。
まあ、微妙に震えながら言っても説得力に欠けるのだが……。

しかし実際問題として、もし女がその突きを振り抜いていれば兼一とて無事ではなかった筈だ。
兼一には正確に感知する術がないが、女の爪の先には高濃度に圧縮された魔力の刃がある。
如何に異常なまでの耐久力を誇る兼一とは言え、これを受ければどうなったことか……。

達人は確かに常軌を逸している。しかし決して不死身でも無敵でもない。
相応の威力さえあれば、斬れば血を流すし銃弾は身体を貫通する。
先の一撃には、兼一の頭蓋貫けるだけの威力があった。
魔力を感知する術を持たない兼一だが、彼の研ぎ澄まされた武人の勘はそれを知らせている。
その上、彼女の背後に同じ顔立ちの髪の長い女性が構える何かからも相応の危険を感じていた。

だが、それでもなお兼一は構えない、応戦しない。
今は、兼一にとって戦うべき場ではないのだから。

しばし流れる沈黙。
それを最初に破ったのは、やや離れた所に立つ髪の長い女性だった。

「もう良いでしょ、ロッテ」
「…………わかったよ、アリア」

髪の長い女性はゆっくりと構えを解き、見えない何かも霧散する。
兼一の眉間に爪を突きたてていた女性も、その一言で矛を収めた。
緊張し、押し黙っていた翔も、馬の雰囲気が変わったことに気付き息を吐く。

「ふぅ、腕を見るつもりだったんだけどねぇ……」
「満足、していただけましたか?」
「満足なんかしちゃいないさ。でも、毒気を抜かれちまったよ」

アリアとロッテは互いに肩を竦め、呆れたように溜息をつく。
こうまで真っ正直に交戦の意思を放棄されては、彼女達としても矛を収めるより他はない。
元々、兼一の腕前を知る為に仕組んだ事なのに、その思惑自体をへし折られてしまったのだから。
だが、それでもわかった事がある。

「だから言ったろう。隼人が認めた男だ、試すまでもないと」
「まあ、そりゃそうなんだけどさぁ」
「でもまさか、防御すらしようとしないとは思いませんでした」
「確かに、意外と言えば意外だったが……おかげで良いものが見れたよ。
 戦わずして制する、まさに武の本懐だ。リーゼ達が止まることを見越していたのだから、充分さ」

そう、腕など見るまでもない。一切の武を振るうことなく、彼らに認めさせたのだ、その力量を。
人間と言うのは、わかっていても危険が迫ればつい体が反応する。それは生き物として当然の物。
それを抑えることは生半可なことではない。それが出来ただけでも、兼一の力量を示すには十分すぎる。
これ以上、何を試す必要もない。まあ、試しても兼一が応じないと言うのもあるが。

「すまない。我々としても、君の実力が気になった物でね」
「まあ、お気持ちは分かるつもりです。
ですが、こう言う戯れは師匠達だけで充分ですから、これからはやめてください」
「心しておこう。私達も、君を敵には回したくない」

こうして、兼一はかつての時空管理局の重鎮「ギル・グレアム」と面会の席を持つこととなる。
そこでグレアムは一つの条件を出し、その対価として兼一の要望をかなえることを約束したのだった。






あとがき

はい、そんなわけで白浜親子は再度次元世界に向かいます。
今度は事故ではなく、自分自身の意思で。
まあ、108に配属になった微妙な時期の新しい局員が誰かは言うまでもありませんよね。

しかし、なんでまた6課の方に行くことになってしまっているのかは、次の話で。
原因はグレアム、まあこれで何も言わなくてもわかりますけどね。
なので、次でギンガとの再会をやって、その次から6課に合流の予定です。

とりあえず、次でギンガは正式な兼一の弟子へとクラスチェンジ。
これまで以上に容赦のない修業が待っています。
そんなわけで、次回BATTLE 12は「地獄巡り 内弟子編」。
ギンガ、ようこそ地獄の一丁目へ。今までいたのは地獄の入口でしかなかったのですよ。
ところで、この場合「Go to Hell」と「Fall in Hell」。どっちの方がいいと思います?



P.S
最後の方を少々追加しました。
本当は次の話の冒頭部分にするつもりだったのですが、急遽変更してこちらの末尾に移しました。
思いの外長くなった上に、書いているうちにタイトルの後の所も冒頭っぽくなってしまったのが原因ですね。
この調子だと、次の「内弟子編」が比率的にとてもそう呼べないものになりそうだったのです。
まあ、なくても良いと言えばなくても全く問題ない部分なんですけどね。
基本、やりたいものは全部放り込む方針なものですから……。



[25730] BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:22

ゲンヤが唐突に本局に呼び出された翌日。
妙な立場にあるらしい新しい局員とやら迎えに転送ポートに出向いたゲンヤは、そこであり得ない人物たちとの再会を果たしていた。

「……おい、こりゃどういうこった……?」
「お久しぶりです、ゲンヤさん」
「ゲンヤおじ様!!」

驚愕するゲンヤに対し、兼一は礼儀正しく一礼し、翔は喜び勇んでその胸に飛び込む。
ゲンヤは茫然としたまま翔の突進を受け止め、僅かによろめきながらもそれに耐える。
心なしか、体重に比してその突進の威力が強くなっている気がしないでもない。

しかし、その程度の衝撃では彼を現実に引き戻すには至らなかった。
無理もない。もう会う事かなわぬと思っていた二人と、こんなに早く再会することになろうとは。
それも、今度は上司と部下として。さしものゲンヤも、その胸中は混乱の渦だ。

「……………」
「どうしたの、ゲンヤおじ様?」
「まぁ、驚かれるのも当然ですよね」
「……わかってんなら、明確な説明をしてほしいんだけどよ」
「もちろんですよ。ただ、ちょっと長くなりますから、隊舎に行きながらということで」
「わぁったよ。おら、さっさと行くぞ」

ようやくいつもの調子が戻ってきたのか、ゲンヤは普段の荒っぽい口調で二人を先導する。
わからないことだらけではあるが、一つだけ確かな事があった。
それは、もう一度二人に会えた事への喜びであり、今度はその関係が長く続く事への期待。
同時に、この所意気消沈していたギンガも元気を取り戻すだろうと思うと、自然足取りも軽くなる。
まあ、兼一が戻ってきたことであの頭と胃の痛い日々が戻ってくるのかと思うと、少々目の前が暗くもなるが。

とりあえず、移動用にのってきた車に二人を乗せ、ゲンヤは道すがら話を聞きながら隊舎へと向かう。
その中で聞かされたのは、梁山泊での師匠達との会話と管理局の採用試験を受けるにあたっての勉強地獄の思い出。そして、兼一に対し色々と便宜を図ってくれた人物のとことも。

「グレアムっつうと、あのギル・グレアムか? 昔は執務官長も務めた」
「へぇ、グレアムさんってそんなに偉い人だったんですか」
「優しいおじいちゃんだったよ?」
「ま、局を離れて十年近いからな。すっかりご隠居って事か?」

ギル・グレアムと言えば、管理局では知らぬ者のいない超大物だ。
訓練校や士官学校でも、必ず一度は歴史の講義の中で名が出るほどの。
それこそ、彼の三提督に次ぐ知名度を誇る管理局員の一人と言っていい。

故あって十年ほど前に希望退職したが、それでもその知名度は未だゆるぎない。
まあ、ゲンヤは少々事情があって、彼がなぜ退職したのか、その本当の理由を知っているが。

「どうでしょう? でも、ただものじゃないとは思ってましたけど……すごい人だったんですねぇ」
「おめぇにそこまで言わせるって事は、隠居してもなお健在か。
 ギル・グレアムとその双子の使い魔っていや、かつては最強のチームとまで言われてたからな」
「ゲンヤおじ様、使い魔って何?」
「聞いてねぇのか?」
「はい。まあ、なんだか珍しい気配をした人たちだなとは思いましたけど……猫っぽいと言うか」
(気配で使い魔と人間の違いを識別できんのかよ、こいつは……)

ちなみに使い魔とは、魔導師が作成し使役する魔法生命体の事だ。
主からの魔力供給を受けて生き、自身も魔法を使って主を助け、ベルカ式では守護獣とも呼ばれる存在。
一応外見に元となった動物の面影、耳や尻尾などを残すのだが、それ以外で識別するのは難しいとされる。
にもかかわらず、兼一は気配だけでそれを見分けられるのだからとんでもない話だ。

「で、おめぇの師匠の一人がそいつの知り合いと?」
「はい、管理局に所属するようになる前からの付き合いだと」
「顔がひれぇのも大概にしとけよな。ギンガから聞いたぞ、おめぇその筋じゃ超有名人の大物らしいじゃねぇか」
「有名なのは師匠達の七光りですって。連合の事にしても離れてだいぶ経ちますし、アレって元々は単なる学生の集まりですよ?」
「言っとくけどな、十年ちょいで大企業に成長する様な集まりを『単なる』とは呼ばねぇよ。
 ましてや、達人なんて生き物の卵が複数いたとなりゃ尚更だ。
 にしても、こっちの言葉を覚えたんだな。前はたどたどしく日常会話するのが精一杯だったのによ」
「あ、あはは……リーゼさん達に叩きこまれましたから」
「ぅぅぅうぅ……」

兼一の修業も非常識にきついのだが、リーゼ達のミッド語講座もかなり厳しかった。
と言うか、兼一のそれとは別種の地獄である。
ミッド語で延々と何かをまくしたてるなどまだ序の口。書きとりをした回数は億を越え、一問間違う度に膨大な量のペナルティを課される。あるいは、ミッド語以外を口にしようものなら罵詈雑言と共に暴力まで振るわれる始末、もちろん兼一に対しては魔力で強化した上で。挙句の果てに、寝る時は怪しげな機械を頭に付け、洗脳にも等しい睡眠学習までさせられた。
それを管理局員採用試験までの半月の間、昼夜問わず行われたのだ。
肉体ではなく脳を酷使するその苦行は、翔に別種のトラウマを植え付けた程である。

「まあ、どんな事をやったのかは聞かねぇよ」
「聞いてくれないの?」
「聞くと俺が不幸になる気がするからな、死んでも聞かねぇ」

翔としては色々ぶちまけたいものがあるのだが、ゲンヤは断固として聞こうとしない。
例えつぶらな瞳を潤ませようが、それでも聞かないと言ったら聞かないのだ。

「にしても、なんでまたおめぇが八神んとこに行くことになってんだよ」
「えっと、試験のこととか色々と便宜を図ってもらう対価と言うことで……」
「…………………………なるほど」

ギル・グレアムは新設される機動六課の部隊長、八神はやてに負い目がある。
仮にもはやての師匠であるゲンヤは、その負い目が何であるか知っているが故に納得した。
はやては別にグレアムを恨む気などさらさらないのだが、本人の気が済まないのだろう。

「機動六課が主に担当するロストロギアには、ガジェットって言う機械兵器が付きまとうらしくて……」
「そいつは俺も聞いてる。AMFを発生させる奴だったか?」
「はい、そう聞いています。確か、AMFって言うのの中にいると魔法が使えなくなるんですよね?」
「厳密に言うとまた違うんだろうが、その認識でいいだろ。八神とかアイツのダチ連中ならなんとかなるだろうが、それでも魔導師の天敵であることには変わらねぇからな。
 それなら確かに、おめぇを置こうとするのも納得がいく。おめぇには関係ねぇもんな、AMFなんてよ」

そう、AMFは魔導師にとって天敵となるフィールド魔法だ。
それも、それを自立式の機械兵器が使えるとなると性質が悪いと言ったらない。
魔導師はAMFの影響で魔法が思う様に使えず、機械兵器でしかないガジェットには何の影響もないのだから。

しかし、兼一にそんな事は関係ない。何しろ、兼一にはそもそも魔力がないのだ。
これでは魔法の使用を阻害するも何もあったものではない。
魔導師の天敵と言えるAMFだが、その最大の天敵の一つが達人なのである。

「だがよ、そうなるとギンガへの指導はどうなるんだ?
 おめぇ、アイツを弟子にする為に来たんだろ?」
「ああ、機動六課が解散したらゲンヤさんの所に行ける様に掛け合ってくれているんですよ」
「ふ~ん」

別にゲンヤ自身はそれほどグレアムに対して反感などはない。同時にそれほど好意的でもないが。
ただ、はやての為にそこまで骨を折ることには感心するだけだ。

「それに、もしかするとギンガちゃんも6課に引き抜かれることになるかもしれないって言ってましたし」
「まあ、そんな話は来てるがよ。それだと魔導師の保有ランクの制限に引っ掛かるだろ?」
「そこは出向とか派遣とか、そういう網の目を抜く方法を使うって言ってましたよ。
 あとは、地上本部と何らかの取引をするとか……」
「ま、元は執務官のトップだった野郎だからな。抜け道、裏技に詳しくて当然か」

考えてみれば当然の話で、執務官には法務関係の広範な知識が求められる。
そうである以上、当然抜け道抜け穴には恐ろしく詳しい。
ましてや、かつては管理局の上層部に籍を置いた執務官達の頂点となればなおさらである。
局を離れて長いとはいえ、その影響力や発言力はバカにならない。
今まではあまり目立った動きを見せなかったが、ここぞとばかりに持てる力の全てを注いでいるのだろう。

(まぁ、ギンガ的にも悪い話じゃねぇし、兼一に付いていけるとなればアイツも二つ返事だろ。
 局員としても武術家としても、何より個人としてアイツにとっちゃ良い環境だ。
 …………………………………ヤベェな、反対する理由が見当たらねぇじゃねぇか)

まだ確定ではないとはいえ、ほぼその未来は決定していると言っていいだろう。
ゲンヤとしても、特に反対する理由も意思もない。
ただ、戦力を集め過ぎて地上部隊からのやっかみは多そうなのが、心配と言えば心配なのだが……。

同時に、それにはやてが気付かない筈もない。ギンガや兼一の事を抜きにしても、既に過剰な戦力をかき集めているのはゲンヤも知っている。
つまり、それだけの戦力が必要な何かの為と言う事だ。
恐らく、これまであまり表だってはやてを支援していなかったグレアムが動いている事も無関係ではあるまい。

(下手に野郎が手を貸すと、アイツの立場がますます苦しくなるって事はあっちもわかってる筈だ。
 だからこそ、これまで表はハラオウンやらロウランやらに任せて、裏方に徹してたわけだしな)

グレアムが局を離れた理由は、そこそこの地位やキャリア、あるいは人脈を持っていれば知る事はそう難しくない。その理由のせいで、グレアムがあまり手を出すと悪い風評が立ちやすい。
その上、はやて自身本人の責任ではないにもかかわらず、その経歴や背景から悪意に晒され安い。
故に、そのリスクを負ってまで手をまわしているだけの何かが、6課設立の背後にはあるのだろう。

「グレアムさんも、よほどその八神さんに償いたいんでしょうね」
「おめぇ、知ってるのか?」
「あぁ………………………その、つい…聞いちゃいまして……」
「ったく、聞き難い事を意識しねぇで聞くのはおめぇの悪い癖だぞ。
 相手によっちゃ、その内ひでぇ目にあう……遅かったか?」
「グレアムさんはそうでもなかったんですけど、リーゼさん達が……」

相手の逆鱗に触れる天才は、十年程度では錆びつかないと見える。
多少成長はしたようだが、その本質はそう簡単には変わらない。
そんな兼一にゲンヤは盛大な溜息をつき、兼一はリーゼ達の折檻を思い出し顔をひきつらせるのだった。



BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」



場所は108の隊舎、その一室。
新しく配属された局員の紹介と言うことで、一部の隊員をのぞいたほとんどの隊員がこの部屋に集められていた。
ただし、その紹介の仕方は酷くぞんざいだったが。

「つーわけで、頼んでもいねぇのに出戻ってきやがったから精々こき使ってやれ、以上」
「あの…ゲンヤさん、もちょっとこう……何かないんですか?」
「あん? おめぇだって雑用押し付けられる事は承知の上で戻ってきたんだろうが、何か文句でもあんのか?」
「いや、それは別に良いんですけど……」
(良いのかよ……!)

こき使われる事も雑用を押し付けられる事も問題なしとする答えに、一同揃って心のうちでツッコミを入れる。
彼らとしても雑務全般を請け負ってくれる相手がいる事は純粋にありがたいのだが、それでいいのかと思わないでもない。特に、白浜兼一と言う男が優れた武人である事を少なからず知るが故に、そんなことに貴重な時間と労力を使っていいのだろうかと思う。

何しろ、ある意味これはとんでもないレベルでの「能力」や「技術」と言う名の資源の無駄遣いだ。
次元世界全体を見渡しても非常に希少かつ高度な技術を修めているのに、雑務ではそれは全く活かされない。
武装隊員として戦闘に参加すれば非常に心強いし、あるいは教官として武装隊員たちの育成に携われば間違いなく重宝されるだろう。にもかかわらず、兼一がやるのは雑務。
これでは宝の持ち腐れも良い所だ。まぁ、誰も好き好んで兼一の指導を受けたいとは思わないのだが……。
とはいえ、せめて自身の技を磨く事に時間を費やす方が、遥かに有意義だろうと誰もが思うのも事実。
だからこそ、みなは小声でその是非を話し合っている。

「おいおい、生身で魔導師ぼこれる奴に雑用なんて押し付けていいのか?」
「ですよねぇ、まだ解体工事とか土木工事の現場に行った方がマシでしょう」
「とりあえず、重機の経費が浮くわね。環境にも優しいし、ある意味適所?」
「ビルの崩落に巻き込まれても傷一つ負わない人だからなぁ……どれだけこき使っても死なないのは間違いないか」
「ああ、あの人がスタミナ切れをおこす所とかマジ想像出来ねぇわ」
「まぁ、だからこそこんな所で雑用してていいのかって感じなんだが」
「だったらほら、やっぱ道場でも開いた方がいいじゃないですかね?
 あの人の事を知ったら入門希望者が殺到しますよ」
「いや、そりゃ駄目だろ」
「なんでですか、先輩」
「考えてもみろ。もしそんなことになったら……………………いつか死者が出るぞ」
「ああ、そうですよねぇ……」
『うんうん』

あまりにもイヤ過ぎる、しかし非常に現実味のある想像に皆は腕を組んで頷く。
何しろ、ギンガへの指導を間近で見てきた彼らだ。
いつか修業の最中に誰か殺してしまうんではないかと言う予想は、あまりにも現実的すぎる。

「そう考えると、うちで雑用しててくれた方がマシだなぁ……」
「確かに、それが一番平和かもしれん」
「なぁ、お前はどう思……お~い、どうしたギンガ?」
「…………………………………………」
「ダメだこりゃ、完全に停止してやがる」

驚きのあまり思考が停止してしまったギンガは、それはもう間の抜けた表情をしている。
目は皿の様に見開かれ、口はだらしなく半開き。はっきり言って、これではどんな美少女でも魅力消失である。

「んじゃ解散。ほれ、さっさと仕事に戻れ野郎ども、給料さっぴくぞぉ~」

話は終わりとばかりに手を打って解散を指示するゲンヤ。
だいぶ投げやりと言うか適当な態度なのだが、そこはそれそんなゲンヤには慣れっこの部下たちである。
それぞれがやる気も敬意もなさそうに「う~い」と返事をしながら散り散りになっていく。
というか、中にはだいぶ問題のあるメンツもいたりする。

「うわ、横暴だ!?」
「早く行け! 俺今月財布がヤバいんだよ!!」
「部隊長~、私たち野郎じゃないんですけどぉ~」
「揚げ足とってんじゃねぇよ、小娘どもが」
「うわぁ……それ差別発言ですよ!」
「ピーピー文句言ってねぇで早く動け!!」
『キャー♪』
「ったく」

公的組織、それも上下関係が非常にはっきりしている組織にあっては色々問題のあり過ぎる態度だ。
だが、良くも悪くも上司と部下の距離が驚くほど近いのがこの隊の特徴なのだろう。
ただ、中にはそれで済ませてはいけないものもあるが。

「すみませ~ん部隊長、ギンガ陸曹が叩いても触っても動かないんですが……」
「ん? ああ、ほっとけほっとけ。どの道兼一と話させるつもりだったからな、丁度いい。
 つーか、触ってた奴は給料なしな」
『え~!? 身内贔屓~!』
「後でギンガに殴られるのとどっちが良い?」
『喜んで返上いたしますです、ハイ!』

どこを触っていたのか、そしてその感触がどうだったのかは非常に気になる所だ。
まぁ、全員揃って平身低頭して給料返上を受諾したのでどこを触っていたかのおおよその想像はできるが。
一つ言えるのは、後でその事に気付いたギンガに確実に制裁されるだろうと言う事だ。
ちなみに、触っていたメンツの中には女も含まれていたりする。どうも、あの発育の秘密が酷く気になるようだ。

「さて、俺は行くから後は勝手にやれ」
「あ、そうだ。ゲンヤさん、これ」
「なんだこりゃ?」
「僕が昔使ってた修業道具の設計図です。一応、投げられ地蔵とか生薬は送ってもらえる事になってるんですけど、この手の道具はもうほとんどリサイクルして残ってないんで作ってもらえません?」

どうも、グレアムを通して必要なものは後々送ってもらう手筈になっているらしい。
だが、さすがに昔使っていた道具のいくつかはもう残っていないので不可能。
というわけで、秋雨が大事に保管していた設計図を使って、こちらで再現してもらうことにしたようだ。
ただし、それとて無論タダではない。ゲンヤとしては、予算の事もあるのであまり簡単にうなずくわけにはいかないのだが……。

「電気代浮きますよ。他にも、マッサージチェアになるものもありますから」
「……ま、かわいい娘のためならしゃーねーな」
「はい、お願いします」

ヒソヒソと耳打ちする兼一と、それを聞いて二つ返事で了承するゲンヤ。
買収完了、と言ったところだろうか。

「まあ、それはそれとして……」
「?」
「押し倒すんなら人目につかない所でやれよ」
「やりませんよ!!」
「いいか、兼一。この場合は『やる』か『やらない』かじゃねぇ。『出来る』か『出来ねぇ』かだ」
「なんでしょう、いま猛烈に目から汗が出てくるんですけど……」

優しく肩に手を置きそんな事を諭すゲンヤと涙をぬぐう兼一。
武術を始めて間もない頃の兼一が抱いた不安、それに対して逆鬼は言った『人生にゃ出来るも出来ねーもねぇ!! あるのは…“やるかやらないか”だ!!』と。
不安を消し飛ばしてくれた力強い師の言葉。しかし今、それと間逆の言葉を否定できない自分がいる。
何しろこの場合、兼一がそれをするか否かは問題ではない。問題なのはそれが出来ると言う事実のみ。
兼一なら容易くギンガを押し倒す事が出来てしまうからこそ、『人目につくな』と言う言葉が出るのだ。
それが分かるからこそ、兼一両目からは滂沱の如く涙があふれ出る。

「いつまでも泣いてんじゃねぇって、色々話す事があんだろうが」
「うぅ~、わかりました」
「おう、じゃ俺は行くから終わったら部屋に来い」

言うだけ言って、ゲンヤは兼一に背を向けてその場を離れる。
隊員のほとんどが入れてしまう部屋には、今や涙目の兼一とフリーズしたままのギンガだけが残されていた。
とはいえ、兼一としてもいつまでもこうして突っ立ったままではいられない。
ギンガが再起動する兆しもない以上、とりあえずは起こす所から始めるのが妥当だろう。

「ギンガちゃん、ちょっといいかな?」
「…………」
「お~いってば」
「…………」
「ねぇ、そろそろ起きてよぉ。一人で喋ってるのってなんか変な感じだしさ」
「…………」

どれだけ呼び掛けても一向に返事はない。
一応肩をゆすったり目の前で掌をひらひらさせているのだが、表情にも変化は見られない。
どうやら、相当本格的に思考がフリーズしているようだ。
さて困った、とばかりに首をひねる兼一の脳裏によく分からない閃きが生まれる。

(こんな時は斜め45度にチョップだっけ? いやいや、それは古いテレビの直し方……)

まあ、もし本当にそんな事をすると、意識を再起動どころか強制終了させかねないわけで……。
悩みに悩む兼一はが、特に意味もなく真正面で首をかしげつつギンガの瞳を覗き込んでいると、その視界の隅で何かを捉え咄嗟に首を引く。
それは、生物界でも指折りの嫌われ者である黒くて光沢があって、その上飛べる小憎らしいあんちくしょう、通称G。そのGが薄い羽を使って飛びながら、丁度兼一とギンガの顔の間を通った瞬間!

「…い、いやぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁあぁ!!!???」

ギンガは唐突に堅く堅く左拳を握りしめ、叫びながら渾身の力で振り抜く。
如何に腕が立つとは言え、ギンガは華も恥じらう乙女……は関係ないとしても、その感性は一般的な女性と大差ない。虫自体は好きでも嫌いでもないが、これとか毛虫はダメ。見ただけで怖気が走る位に。
故に、その拳には見事なまでの殺意と魔力が乗り、直撃すれば常人の頭など一撃で木っ端微塵間違いなしだ。

当然、直撃を受けたGは跡形もなく消滅。
ただ、その拳はGを消し飛ばしてもなお止まる事はなく、そのまままっすぐに兼一の顔面目掛けて突き進む。

「おっと!」

軽く首を傾け、紙一重のところをギンガの左拳が通り抜ける。
しかし、勢い余ったギンガは体勢を崩し、前のめりに倒れ込もうとしていた。

(あ、ヤバ……!?)

そんな自分の状態をギンガは何処か他人事のように感じながらも、咄嗟の事に思うように身体が動いてくれない。
このままだと目前の相手にぶつかることになるし、仮に倒れこんでくるギンガを避けてくれたとしても、それだと今度はぶつかる対象が床になるだけの事。
ギンガはやがて訪れる衝撃に耐えるかのように、反射的に硬く目をつぶった。

「よっと……」
「きゃん!? って、え?」

だが、覚悟していた衝撃が訪れることはない。
それどころか、『ぽすっ』と軽い音を立てると同時に、その両肩を優しい感触が包みこむ。
また、前のめりになり前へ突き出される形になった頭は、床とは違う弾力に富んだ感触に支えられていた。

その事を不思議に思いつつ、ギンガはゆっくりとその場でゆっくりとまぶたを開く。
薄く開いた目にまず飛び込んできたのは見慣れた陸士制服、丁度階級証もありその階級は「二等陸士」。
どうやら肩に頭を預ける形になっているらしく、視界の端では自身の肩を武骨な手が支えているのが見えた。
同時に、いつの間にか突き出した拳からは力が失われ、しなだれかかる様にその肩にかけられている事に気付く。

(…………え? え?? えぇ!? な、なにコレ!? 何がどうなってるの!?)

客観的に見れば抱き合っているとしか思えない体勢だ。
そのことを理解したギンガの頭は、かつてない混乱の坩堝と化す。

しかしそれとは裏腹に、鼻孔をくすぐる匂いは懐かしさと安心感でギンガの胸中を満たしてくれる。
頭の中はしっちゃかめっちゃか、それに反して身体は勝手に肺一杯にその匂いを吸いこんでいた。
気付けば、身体からは力が抜け、近過ぎて顔も見えない相手に無防備に身体を預けている。

「大丈夫? ギンガちゃん」
「あ、え…う、その、えと……」

兼一からの呼びかけに、ギンガはしどろもどろになりながらなんとか答えようとするも上手く言葉にならない。
相変わらず頭は混乱し、脈絡のある文章すら作れていない始末。
何しろ、耳に馴染んだこの声がだれのものであるかすら、今のギンガには理解できていない。

だが、完全に思考停止状態に陥っていながらも、身体は勝手に動く。
のろのろと緩慢な動作で両足が床を踏み、身体をおこし、ギンガはゆっくりと相手の身体から離れていく。
顔が、手が相手から離れる直前、言葉にできない名残惜しさを感じながら。
そうして、恐る恐るほとんど身長の変わらない相手の顔を上目づかいに確認して、そこでようやくギンガはそれが誰なのかを理解した。

「…………………………………………兼一、さん?」
「あ、うん」

まるで白昼夢でも見ているかのように頼りない小声で確認するギンガ。
しかし兼一がそれに首肯すると、途端にギンガはペタペタとその顔や頬、肩や胸を触り始めた。

「あの…ギンガちゃん?」
「ア、アハハハ! ちょ、ちょっと最近練習のし過ぎかな?」
「いや、あのね……」
「あ、それとも寝不足? そう言えばここのところ夜中まで練習してたし……やだなぁもう、こんな幻見るなんて。今日は早めに寝た方がいいのかなぁ?」
「お~い……」

どうやら、「白昼夢でも見ているかのような」ではなく、これが白昼夢だと思っている……いや思いこもうとしているらしい。
ただ、本人も徐々に現実と言うものを認識し出しているのか、その笑い方は空虚極まりないが。
とはいえ、そんな現実逃避も当然長くは続かないわけで。
無理矢理な笑顔を浮かべる頬はヒクヒクとひきつり始め、ゆっくりと持ち上げられた右手が自身の頬をつねる。

「……………………痛い」
「……大丈夫?」
「…………………………兼一さん、ですよね?」
「う、うん、そうだね」
(痛いと言う事は…つまりこれは夢でも幻でもなくて……………現実?)

その考えに至った所で、ギンガの顔が途端に青ざめていく。
理由はわからない。だがとにかく、どうしようもない失態を演じてしまった事だけはわかった。
しかも、よりにもよって兼一の前で。

「あ」
「あ?」
「ああああああああのあのあの、その、今日はお日柄もよく」
「外、曇りだけど?」
「………………………………」
「………………………………」

控えめな兼一のツッコミにより、再度重い沈黙が降りてくる。
ギンガの眼には動揺がありありと見て取れ、今にも泣き出しそうな涙目になっていた。

そして、それを見て動揺したのがそれまでギンガの様子を不思議そうに見ていた兼一である。
何が原因かは分かっていないが、とにかく自分のせいでギンガが泣きそうになっているのは間違いない。
となれば、兼一としてはとにもかくにもまずはギンガに落ち着いてもらうのが先決だ。
泣かすのは本意ではないし、第一それではいつまでたっても話が進まないのだから。

「ぎ、ギンガちゃん」
「はひ!?」
「と、とりあえず落ち着こうか!? ね! ほら、深呼吸深呼吸! 吸ってー」
「すぅ~」
「吐いて~」
「はぁ~」
「吸って」
「すぅ~」

そうやって深呼吸をすること数度。
何を思ったのか、唐突に兼一はこんな事を言い出すのだった。

「吐いて~」
「はぁ~」
「そこで止める」
「っ!」

吸って止めさせるのはあるが、吐いた状態で止めさせると言うのはいったいどんな拷問なのか。
肺の中はほぼ空っぽ、そんな状態で息を止めればあっという間に酸欠だ。
しかし、一端は息を止めかけたギンガもすぐにその事に気付く。

「って何やらせるんですか!?」
「あ、あははははは、つい出来心で」

とはいえ、一応ツッコミを入れられるくらいには落ち着いたのも事実。
ここにきてようやく、ギンガに事情を説明することができるようになったのだった。



  *  *  *  *  *



そんなやり取りがあってしばし。
ゲンヤにしたのとおおむね同じような説明をした兼一は、それまでと違う真剣なまなざしでギンガに問いかける。

「どうかな? よければ、君を僕の弟子にしたいと思う」
「兼一さんの、弟子に?」
「うん。以前の様に少し技を授けて鍛えるのとは違う。
僕の持つ全ての技を、秘伝もノウハウも余すことなく。そしていずれは……」
「いずれは?」
「少なくとも、僕がいる所までは連れて行く事を約束する。必ずね」

力強く、確たる意思と覚悟を持って兼一は断言した。
兼一のいる領域、達人の世界まで必ず連れて行ってみせると。

ギンガからすれば、それは願ってもない申し出だろう。
だが同時に、僅かなためらいも産まれていた。

「聞いても、良いですか?」
「ん?」
「それは、あの人たちにそう言われたからなんですか?
兼一さんの師匠達に、中途半端な事はするなって言われたから……」

兼一の話を聞く限り、兼一自身はこちらの世界に来てまでギンガを弟子にする意思は薄かったように聞こえる。
自分を弟子にと考えてくれている事を疑うわけではないが、自分はそこまでして弟子にするほどの価値があるのかを疑ってしまう。それは、自身の出生や魔導士である事も無関係ではない。
兼一の様にその身一つで戦うわけではない自分が、彼の正式な弟子となる資格があるのか、そんな自分を本当に彼は弟子として望んでくれるのか。それが、ギンガの中で不安となって渦巻いている。

「確かに、最後のひと押しは師匠達だった」
(……やっぱり)
「でもね、僕も武術家の端くれだよ。この拳にも、師匠達から教わった技にも誇りがある。
 その誇りは、認めてもいない相手に譲れるほど、安くはないつもりさ」

その言葉に、ギンガの顔が赤面する。
兼一がどれ程師を慕い、師から学んだ技を磨き、その数々を誇りとして来たのか。それは、過去の彼を知らないギンガには当然わからない。だがそれでも、兼一が師の教えを、授かった技の数々を、共に過ごした時間を軽んじていないことくらいはわかる。
師の事を語る兼一の言葉の端々には揺らぐ事なき敬意と信頼が宿り、その技の一つ一つを宝物の様に扱っていたのだから。そんな彼が、それを軽んじる様なマネをするなどあり得ないのに。

だからこそ、ギンガは自分の浅はかな言葉を恥じた。
わかっているのに、わかっているにもかかわらず愚かな事を聞いてしまった自分を恥じる。
同時に、そこまで自分を高く買ってくれている事に対する、言葉にできない歓喜が身体を埋め尽くす。

「私は……」
「…………」

先ほどとは別種の涙を浮かべ、歓喜に総身を震わせるギンガ。
そんな彼女を優しい眼差しで見つめながら、兼一はただ静かに手を差し伸べる。
とるかとらないかは自由、好きな道を選べと無言のうちに語っていた。

しかし、ここまでされてその手を取らずにいられるほど、ギンガも無欲ではない。
彼女も一人の格闘家。ならば、道の最果てを目指す意思はある。
ゴクリと生唾を飲み込むと、ギンガは神聖な誓いを立てるかのようにゆっくりとその手を取った。

「御指導、よろしくお願いします。師匠」

自然と口から出たのは、それまでの様な親しみのある名前ではなかった。
有りっ丈の敬意と信頼を込めて、ギンガは兼一を「師匠」と呼ぶ。
兼一は「必ず自分のいる所まで連れて行く」と約束したが、同時にギンガも言葉にはせずに誓っていたのだ。
『いつか必ず、あなたの所まで行きつく』と。次に名前を呼ぶ時は、その誓いを果たした時。それまで「兼一さん」という呼び名は、胸の内に封印することを。
ただ、そんなギンガの気を知ってか知らずか……

「いやぁ……」
(て、照れてる……)

思いの外甘美な「師匠」という響きに、頬を赤くして照れていた。
とはいえ、あまりそんなだらしのない顔など見せる物ではない。
弟子の前と言う事を思い出し、緩んだ頬を引き締めると、ギンガの手を強く握り返しながら満面の笑みを浮かべて宣言した。まるで、世界に対してその事実をお披露目でするかのように、誇らしく。

「ギンガちゃん…いや、これからは『ギンガ』と呼ぶべきかな。
ギンガ、これから君を正式な弟子…………一番弟子とする!」
「一番、弟子……」

その単語を静かに、だが感慨深く反芻するギンガ。
先に弟子になったと言うのであれば翔だが、「一番弟子」には弟子の中で最も優れた者と言う意味もある。
その意味でいえば、確かにその称号はギンガにこそふさわしいだろう。

ただし、ギンガはまだ知らない。
正式な弟子になると言う事は、すなわち「内弟子」になる事と同義。
内弟子、それは師と寝食をともにしあらゆる武術の秘伝とノウハウを伝える制度。
文字通り、24時間徹底的に鍛えることを可能にする。
噛み砕いて言うと、「人生の為の武術が、武術の人生になる」「武術でたまった疲れを武術で癒し、武術あっての自分と言う事を思い知らせる、武術の武術による武術の為の生活」という非常に光栄な制度らしい。
よく分からないうちに、自分がその制度を適用されている事にギンガはまだ気付いていない。
まあ、遅かれ早かれ嫌と言うほど思い知るわけだが。

「いやぁ、それにしても安心したよ」
「もしかして、弟子にならないかと思ったんですか?」
「あはは、ここまで来たは良いけどそうなったら悲しいしねぇ……」

実際、ここまで来ておいて弟子にならなかったらどうしよう、という不安はあった。
何しろ、半ば勢いでここまで来てしまったのもある。
だが、兼一が本当に安心したのはこの事ではない。

「だけど、何が安心したって、ギンガに死の覚悟がある事だね」
「え? 死?」
「うんうん、自分の死に場所は自分で決めてこその武人だもんね。
いやぁ、目をかけていた子の成長っていうのは嬉しいものだなぁ」
「死に場所って……」

不穏かつ不吉な単語の連続に、それまで誇らしさでいっぱいだったギンガの表情が恐怖と不安で曇る。
にもかかわらず、兼一の表情は我が子の成長を喜ぶ親の様なのだから始末が悪い。

「さあ、これからがいよいよ本物の修業だね」
「は? 本物って……じゃあ、今までのは?」
「う~ん、なんというか……」
「なんというか?」
「これからやる事と比べた場合…………今までのは軽く体をほぐす運動?」
(あ、アレが運動レベルって……)
「まあ、とりあえず今までのは天国だから、ギンガは…………覚悟だけしといてね♪」
「ぎゃぴぃ……」

目から放たれる怪光線、不吉権化としか表現のしようのない良い笑顔。
ギンガは悟る、今日が自分の命日だと。



  *  *  *  *  *



夕刻。通常業務を終え帰宅したギンガを待っていたのは、先の言葉を裏付けるような地獄。
兼一の言葉通り、今までのそれが天国に思えるようなそれを、一部抜粋するとしよう。

「あの、なんですかこれ?」
「え? 見てわからないかな? 僕の古い友人が使ってたのを参考にしたんだけど」
「ギプス、ですよね」
「うん、間違いなくギプスだよ」

兼一がギンガに差し出しているのは、やたらと強力そうなスプリングがいくつも付けられた謎のギプス。
しかも、関節の動きを邪魔しない場所には鉄の塊まで取り付けられており、その重量たるや半端ではない。
用途は言われずともわかるのだが、正直信じたくなく気持ちでギンガの胸はいっぱいだった。

「これをどうしろと?」
「もちろん付けるんだよ。そうだね、とりあえずお風呂と寝る時以外はつけておこうか」
(つまり、これで四六時中鍛えるつもりなわけね)
「さらに今回は、上半身バージョンに加えて下半身バージョンもサービス! やったね、得したね♪」
「むしろ損した気分です」

まるで通販のような文句に、ギンガの身体から力が抜ける。
だが、実は今回のお得情報はまだ終わっていないのだった。

「ん? もしかしてこれじゃ足りない? まったく、ギンガは商売上手なんだから」
「相変わらず、言葉は通じるのに話が全く通じませんね…いえ、さらに拍車がかかった様な……。
ほんと、どんな耳の構造をしてるんですか」
「仕方がない。そういう事ならとっておきだ! さらにさらに、おぶり仁王(鉄製)としがみ仁王(やはり鉄製)まで無料でご奉仕しちゃおうじゃないか! アハハハ♪」
「もういや……」

どうも、早々に心が折れかけているらしい。
無論この後、ギプスに鉄製の重りのフルコースで基礎トレーニングを行ったのは言うまでもない。
しかし、この程度はまだまだ序の口だったりするわけで……。

「技の修業も大事だけど、何を置いてもまずは基本を身につけなきゃね」
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ…………………そ、そうですね」
「というわけで、まずは正拳突きを一万回ほどやってみよう」
「いち、ま……?」
「あ、もちろん雑になったらその度に千回ずつ追加ね」

あまりの数に顔をひきつらせるギンガだが、それも無理はない。
一万回もやれば、それだけで腕が棒になって動かなくなること請け合いだ。

「あ、それが終わったら今度はテッ・ラーンも一万回ね。
 変に筋トレするより、こうやった方が必要な筋肉だけつくし」
「理屈は分かるんですけど、この数はどうにかならないんですか?」
「え? もっと増やす? やっぱり、初日だからって減らし過ぎかな?」
(だめだ、色々な意味でダメだ、この人。言葉は通じてるのに、その意味が通じない)

いっそ、全く言葉が通じなければまだ救いもあると言うのに。
なまじ、同じ言葉を使いながら全く意思の疎通ができていないからこそ心が擦り減る。
そうして、その日の修業もいよいよ大詰めにさしかかり、そこには未だかつてない地獄が待っていた。

「避けるんだ!」
「げふぁ!?」

目にもとまらぬ速度の膝蹴りがギンガの顎を打ち、首がちぎれるんじゃないかと錯覚する。
しかし、辛うじて意識を繋ぎとめたギンガを、更なる追撃が襲う。

「避けるんだってば!!」
「あべし!?」

辛うじて立っている状態のギンガの鳩尾を、鋭い前蹴りが貫く。
ギンガの身体は見事なまでのくの字に折れ曲がり、せり上がってくる嘔吐感に必死で耐える。
だがそうしている合間にも、兼一の手が休まる事はない。

「ぬぁ~んで避けないんだ!!!」
「ひでぶ!?」

トドメとばかりに振り下ろされた拳鎚が、ギンガの後頭部を打つ。
結果、ギンガは顔面を地面にめり込ませて意識を絶った。

「いや、そりゃ避けないんじゃなくて早過ぎて避けらんねぇだけだろ」
「徹底的に追い込んでこそ組手になる、って言うのが父様の方針だから」
「あ~、なんだっけ? 達人の世界へ真っ逆さま、途中で死ぬ事はあっても習得しない事はない、だったか?
 まあ、確かにありゃ何時か死にそうだが……」
「うん、父様も昔はそうだったって……」
「なら、しゃーねーのか」

地面に突っ伏した体勢のまま痙攣するギンガを見つつ、縁側で茶を飲むゲンヤと翔。
全然全く何もしょうがなくはないのだが、ゲンヤはもうそれ以上何も言う気はないらしい。

「お~い、そんなところで寝てると風邪ひくよぉ~。
 というか、起きないと死んじゃうぞぉ~」

そんな事を言いつつ、兼一は足を高く掲げ振り下ろす。
直撃すれば、間違いなく頭がトマト的に潰れることになるだろう。
しかしそれを、気絶したと思っていたギンガは寸での所で地面を転がって回避する。

「って殺す気ですか!?」
「何を言っているんだい? 実戦で倒れたままじゃホントに死んじゃうよ」
(こ、この人はぁ~~~~~!!!)

確かに、実戦で倒れたままなのは殺してくださいと言っている様なものだろう。
だがそれにしても、ここまでやる事もないのではあるまいか。

「というか、今まで組手なんて全然やってなかったのに何でいきなり!?」
「実は僕、女性は絶対に殴らないと誓っててね」
「……む」

女性は殴らない、それは兼一が昔から貫き通している主義の一つ。
ただ、ギンガとしては女と言うことで軽んじられている様な気がしてあまり面白くはない。
女と男の体の構造は確かに違うし、筋力や体格で男が勝っている場合が多い事も否定はしない。
しかし、「女だから」という理由で手を抜かれるのはギンガとしても不本意極まりないのも事実だった。
だが、兼一の主義はそんな底の浅い性差別とは次元が違う事をすぐに知ることになる。

「そういう性差別はどうかと思うんですけど……」
「いやいや、別に差別してるわけじゃないよ。単に、僕が絶対に女性は殴らないって決めてるだけだしね。
 女性が戦うのも、他の人が女性と戦って殴るのも否定はしないさ」
「…………………絶対に殴らないんですか? 相手が強くても」
「例え殺されるとしても、だよ。まあ、柔術もあるからそう簡単に殺されるつもりはないけど」

ここまで言われてしまっては、さすがにギンガとしても文句は言えない。
女性だからという理由で兼一は「手を抜いている」わけではなく、「殴らずに勝つ」というルールを自身に課しているだけなのだ。それこそ、命をかけて。
そこまで筋金が入っているのなら、それもまた立派な信念。
ギンガであっても、文句を言える筋はない。
しかしその代わり、少々気になる事がある。

「じゃあ、実戦はダメでも組手は良いんですか?」

実際、今までの修業でギンガは兼一に殴られた事がない。
受け身は取った事もあるし、打撃技の指導を受けた事もある。
だが、一度として組手やミット打ちなどはしてこなかった。
それを不思議に思った事は数多いが、それがここにきて唐突に組手が入ったのが不思議と言えば不思議だったのだろう。

「う~ん、確かに組手で手を出さないのは失礼だね。でも……」
「でも?」
「そもそも弟子は人間じゃないからねぇ! 女性は殴らないも何もないよ!!」

『ハ~ッハッハッハッハ』と笑いながら、目から怪光線を発する兼一。
思いもしないその言葉に、ギンガは開いた口がふさがらない。
突然組手が始まったのは、自分のレベルが上がったからというわけではなく、正式な弟子になったから。
そして、正式な弟子は人間に非ず、人権はなく性別もない。
故に、いくら殴っても兼一の主義には抵触しないと言う理屈だ……無茶苦茶にも程がある。

「そんなわけで、続きを始めるよ」
「い、いやぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁ!?」

確実に言えることがあるとすればそれは一つ。
もし死ぬことなく一月この修業に耐えることができた時、ギンガは今とは比べ物にならない程にタフになっているだろう。何しろ、毎日このノリで殴られていれば、嫌でも頑丈になると言うもの。
そう、かつて兼一が散々アパチャイに半殺しにされた様に。
それが幸か不幸かは、本人にしかわからない。



  *  *  *  *  *



その日の夜。
10時を回り、半死半生の体で何とか生き残ったギンガ。
食事ものどを通らない様な疲労から、早めに自室に戻ったギンガは泥の様に眠っていた…………かに思われた。
だがその実、ギンガはいつの間にか庭に出ている自分に気付く。

「あれ、こんな所でなにしてるんだっけ、私?」

四肢は過剰な鍛錬により力が入らず、箸や茶碗を持つことにさえ難儀する有様。
明日の事を考えるのなら、さっさと眠って回復に努めるべきだ。
一応兼一からは、あやしげかつ毒々しい飲料を飲まされているが、この調子だと明日の朝起きれるかどうかさえ分からないと言うのが、ギンガの感想だった。
それだけ、しばらくぶりに受けた修業、それも正式な弟子としての修業はきつかった。
特に、最後の組手は何度死ぬと思った事か……。

「はぁ、早く寝なきゃ……」

そう呟き、ギンガは家の中に入ろうとする。
しかしその脚が縁側に向けられると同時に、ギンガの身体は唐突に止まった。

「…………………………………まあ、少しくらい今日のおさらいでもしておこうかな?」

何を思ったのか、兼一が打ち込んだマットの付けられた杭に向かって歩いて行く。
ちなみに、つい最近試験に合格した兼一に、さすがに住処を探す時間的余裕はなかった。
その為、白浜親子はちゃっかりナカジマ家に転がりこんでいる。
まあ、弟子を育てるという観点でもその方が都合が良いので、もしかしたら狙っていたのかもしれないが。
それはともかく、杭の前に立ったギンガはおもむろに杭を蹴りだした。

「杭の向こうに目標があると思って、腰と瞬発力で………蹴る!!!」

ズドン、と言う重い打撃音が木霊する。
ローキックの基礎はギンガとて承知していた。だが、基礎と言うのはえてして疎かになりやすい。
それなりに技が身に付き強くなってきた頃は特に。

兼一は堅くその事を戒め、耳にたこができるほど基礎を繰り返して説いてきた。
今日教わった事、兼一が口を酸っぱくして言い聞かせてきた事を反芻しながら、ギンガは杭を蹴る。
今更と思うような基礎、それを何度も何度も飽きることなく繰り返して。
時に足を止め、ゆっくりと理想とする動きをなぞりながら。
そして、それは何も蹴りだけに限った話ではない。

「肘と肘が背中越しに紐で繋がっているように……」

凄まじい風斬り音と共に左拳が突きだされ、反対に右腕が後ろに引かれる。
それは愚直なまでに基礎に忠実な、正拳突きだった。

「突き手と引き手は、同時に達する」

その後も、ギンガは黙々と基本技の反復を続けた。
もしこの光景を翔が見ていたら、ギンガと一緒になって打ち込みをしていただろう。
だが、翔は兼一から『9時就寝』を堅く言い聞かされている。
まだ幼いからこそ、この時期に夜更かしなどしてはいけないと言う配慮だった。
しかしその代わりに、静かに鍛錬に励む自身を優しく見つめる視線がある事に、ギンガは気付かない。

「………………………………」

雲の隙間からさす月光。
それを受けてベランダに浮き上がったのは、手摺に身を預ける様にして眼下を眺める兼一の姿。
その隣には、グラスを二つ持ったゲンヤも姿を現す。

「まったく、アレだけやってまだやるたぁな」
「…………そうですね」

ゲンヤが差し出すグラスを受け取り、兼一はその中身を煽る。
父親二人は酒を飲みながらも、ギンガから目を離す事はない。
声はかけず、ただただ静かに見守るその姿は、どこか静謐な雰囲気を帯びていた。

「いいのか、口を出さなくて」
「危ない事をしてたら出しますけど、今は必要ありませんよ。
 弟子の自主性は、ちゃんと大切にしないと」
「………………そうかよ」

兼一の答えに、ゲンヤは小さく笑みをこぼす。
二人は無言のまま、ギンガの事を見守りつつ酒を飲み続けるのだった。
弟子であり娘でもある少女の未来を祝福するように。

そしてこれより2ヶ月の時が流れ、二人は新たな場所・新たな仲間と共に戦いに身を投じることとなる。
そこに何が待ち受けているのかは、虚空に浮かぶ双月にもわからない。






あとがき

はい、と言うわけで「第一章」と言うべき部分はこれで終わりです。
一応次からは少々時間が飛び、Sts本編に突入です。
原作と違い、ギンガもはじめから六課に放り込むことになりますけどね。
その辺は、裏技や取引と言う名のご都合主義で誤魔化されてくださると幸いです。

ところで、ふと浮かんだ妄想があるんですが、今の私に書く余力がないのが悔やまれます。
基本的には当SSと同じ、「史上最強の弟子ケンイチ」と「リリなのSts」のクロスなのですが、主人公が違います。話が原作の十年後という設定上仕方ないとは言え、こちらでは「彼」が出てこないフラストレーションが起因しているのでしょう。いくら何でも、さすがに寿命的に……ねぇ?
概要だけまとめてしまうと、「寿命で死にかけていたところを何故かなのはの使い魔になることで延命した闘忠丸」をメインにした話です、「何故」かは置いておきましょう。ただ、本来使い魔になると「人格の異なる別個の存在」になるそうなのですが、あの闘忠丸ですからね。そんな常識は軽く無視してくれそうです。
基本魔法の使用はなし。素手と武器のみ、かつ人間形態はほとんどとらない……どんな話になるんでしょうね、これ? まぁとりあえず、そんなカオスなものが頭をよぎっているわけです。
実は、闘忠丸を誰かの使い魔にして延命、と言うのはこちらで使おうかとも考えたのですが一応やめました。この先少なからず新たなオリキャラも出す予定ですし、収拾がつかなくなりそうなので。
とりあえずですね、「もし『面白そう』と思う酔狂な方がいるなら、どなたか書いてくれないかな」と他力本願に考えることにしています。もし本当にいるのなら、是非お願いしたいんですけどねぇ……。

って、Redsの方でも似たような事書きましたし、最近の私は困難ばっかりですね。
雑念と浮気が多過ぎるから執筆が遅れているのはわかっているのですが……これが中々。
特に今回は少々難産だったので、色々心配だったりしています。上手くやれていたらいいのですが、どうかな?
ちなみに、出すオリキャラは最大で二人、最小で一人です。正直、この一人が問題で、いなくても話は進められるのですが、キャラ的にも話的にも「こんなのを書きたいなぁ」という存在なものですから……。
まあ、なるようにしかならないと思いますし、もう少し考えて出すかどうかを決めようと思います。

あと、あまり遅くならないうちに次を出したいとは思いますが、どうなるかわからないので気長にお待ちください。それでは、今回はこれにて。



[25730] BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:24

新暦0075年3月。ミッドチルダ中央区画、湾岸地区。
古代遺失物管理部「機動六課」本部隊舎。
相応の広さを持つそれを一望できる場所に、二つの人影が並んで立っていた。

片や、低めの背と短い栗色の髪が特徴的な二十歳になるかならないかの少女。
ただし、身体は小さいながらも二等陸佐の地位と総合SSランクを有する魔導騎士。
片や、白衣とショートボブにした薄い金髪が目を引く女医。
ただし、見た目は二十歳そこそこながらも実は千年以上昔から存在する夜天の書の守護騎士の一角。

はっきり言って、色々な意味で一筋縄ではいかない二人組である。
迂闊に手を出せば、それこそ生まれてきた事を後悔させられることは間違いないだろう。
そんな二人なのだが、今はその経歴に似合わぬ人懐っこい笑顔を浮かべて談笑していた。

「なんや、こーして隊舎見てると『いよいよやなー』って気になるなー」
「そうですね、はやてちゃん……いえ、八神部隊長♪」
「あはは♪」

金髪の女医、シャマルの言葉に呼びかけられた少女、はやても笑顔で返す。
その様子は、髪や瞳の色を無視すれば仲の良い姉妹のようにも見える。
事実、二人は血のつながりこそないが十年に渡って家族として過ごしてきた。姉妹と言う表現もあながち間違いではない。まあ、実際にははやてが「母」で、シャマルやその同胞たちは「子ども」に近いのだろうが。

「良い場所があってよかったですねぇ」
「交通の便がちょう良くないけど、ヘリの出入りはしやすいし、機動六課にはちょうどええ隊舎や」
「なんとなく海鳴に雰囲気も似てますしね」
「あはは、そういえばそーや」

懐かしき故郷の事を思い出したのか、はやての顔に僅かな郷愁が浮かぶ。
故郷を離れて早数年、時折里帰りはしているものの郷愁の念は如何ともしがたい。
特に、今も故郷で暮らす親友たちや、良くしてくれた人たちの事を思うとなおさら……。
だが、はやては軽く頭を振って胸の内の寂しさを振り払う。

(会おうと思えばいつでも…ちゅうわけにはいかへんにしても、会えないわけやない。
 昔を振り返るのは、もっと後の話。今はただ前に進む、それだけや)
「どうかしましたか、はやてちゃん?」
「ん? 何でもあらへんよ。
ただ、やっぱ自分の隊を持つっちゅうと感慨深いものがあるから、ちょうセンチになっとったみたいや」
「それなら良いんですけど、ここの所最後の詰めで忙しかったですし疲れてるんじゃ……」
「大丈夫やて。背はあんまり伸びてくれへんかったけど、体力には自信ありや。
 まあ、さすがになのはちゃんとかフェイトちゃんと比較されても困るわけやけど……。
 それに…………………………………大変なのは、これからや」
「そう、ですね」

それまでとうってかわって神妙な面持ちになる二人。
年相応だった柔和な表情から、責任ある立場に相応しい厳しくも覚悟を秘めた顔へ。
その変化は、はやての年齢とその外見から彼女の能力を疑う者であっても、その認識を改めさせるに十分なもの。
年相応の少女らしさ、年不相応ながらも地位に見合った姿勢と能力。
はやては、その両方を兼ね備えている。そこに無理がないかは、本人にすらわからないが。

「自分の隊を持つのがゴールやない、これでやっとスタートや。
 私の命への恩返しと、夢の舞台の…な。
手伝って応援してくれて、期待してくれてる人たちの為にも、きっちりしっかり…やってかんと」
「はい」

今日まで沢山の人たちに支えてもらい、助けてもらってきた。
たぶんこれからも、相変わらずたくさんの人たちのお世話になって迷惑をかけるだろう。
だがもう、ただ庇護されるだけの子どもではない。それだけの年齢になり、それだけの立場を得た。
だから始めよう、今までもらってきた物の返済を。これが、その為の第一歩。

「しかしほんま、ナカジマ三佐には足向けて寝られへんなぁ。
 スバルだけやなくてギンガまで借りてもうたし……」
「ですねぇ……まあ、その分地上本部からの風当たりはより一層強まっちゃうでしょうけど……」
「やり辛くなるのは否めへんけど、風当たりは今に始まった事でもなし。
そこは部隊長としての腕の見せどころやね」

明らかに異常としか言いようのない程に充実した戦力。
それだけのものが必要だったのだし、これでも充分かは定かではないが、今望み得る最大限を揃えたと思う。
いずれ来るであろうその反動は無視できないが、それを時に抑え時にかわすのも責任者の手腕。
それに、どのみち“アレ”が実現してしまえばそれどころではなくなる。
だからこそ、はやては敢えてに無理を押し通す方法を選んだのだ。

「それにしても、実際問題として魔導師ランクの保有制限はどうやったんですか?
 現状、ギンガ抜きでも一杯一杯の筈ですよ」
「あれ、シャマルにはまだ教え取らんかったっけ?」
「はい。しばらく前、夜中に『閃いたぁ!』って叫んでたのは知ってますけど……」

正直、あの時は悩み過ぎて熱暴走でも起こしたのではないかと心配した。
それほどまでに、あの時のはやては「魔導師ランクの保有制限」に頭を抱えていたのだ。

「それで、結局どうやって解決したんです?」
「クフフフ……そうかそうか、そんなに気になるんやったら教えたげな可哀そうやなぁ」
(まさか、かなり不味い手段に訴えたんじゃ……)
「って、そんな不安そうな顔せんでも大丈夫やて。
 ちょう強引な論法やけど、裏技っちゅう程でもないし」
「そ、そうなんですか? 信じていいのね、はやてちゃん!?」
「何をそんなに心配しとるのか、逆に気になってくるんやけど……まぁええわ。
 えっとな、今後レリックがクラナガンに密輸される可能性もあるわけやし、陸士108をはじめ、いくつかの部隊とは連携していく事になっとるやん」
「はい。って言っても、協力してくれそうな部隊は限られますけど」
「うん、まぁそこも頭の痛い所なんやけど……とりあえず、それは置いておくとして。
 幾ら連携してるっちゅうても、早々まめに連絡やら打ち合わせやらできるわけやないやろ。かといって、部隊ごとに意向やら方針やらが違う以上、勝手にこっちで判断する訳にもいかん場合がある。
なんで、その辺を伝えて調整する、監視兼折衝役の人員っちゅう口実で……」
「ギンガを派遣してもらう訳ですね。まぁ、そう言う事がない訳ではないでしょうけど……でも、部隊の戦力下がる様な人は普通出しませんよね」
「うん。せやけど、別にそれをしたらあかんってきまっとる訳でもない。
まぁ、単に普通はせぇへんからなんやけどね」

だが、今回はその辺りを逆に利用したと言うわけだ。
なるほど、はやての言う通り確かにかなり強引な論法である。
実際、これでも叩かれる可能性は充分にあるが、それは元より覚悟の上と言う事か。

「それはそうと、ギンガとセットで108から来る…えっと……」
「白浜兼一二等陸士ですか?」
「そうそう。その二等陸士やけど、確かグレアムおじさんの斡旋なんやったっけ?」
「そうらしいですね」
「で、シャマルの元患者さん」
「はい、108に研修に行った時にちょっと……まあ、あの人がそのまま局員になったのは驚きましたけど……」
「ふ~ん」

シャマルの話を聞きながら、はやては手元の資料に目を向ける。
それは、彼女や六課上層部がスカウトした面々以外の履歴書。
そこには当然兼一の事も書かれているのだが、あまり多くは書かれていない。

「なになに? 大学在学中、高校時代の友達と『財団法人 新白連合』を企業。大学卒業と同時に結婚し、24歳で第一子を設けるも奥さんと死別。これを機に退社し、チェーン展開しとった園芸店に転職…ただし、最近倒産して失業。その後グレアムおじさんの推薦で試験を受けて、辛うじて合格。六課に来るまでは、研修を兼ねて108で雑務をこなすっと。なんちゅうか、割と波乱万丈やねぇ……人のこと言えへんけど」

軽く目を通す限り、妻と死別するまではおよそ順風満帆と言っていい人生だ。
また、新白連合の名ははやても知っている。彼女がまだ地球にいた頃からチラホラ名前は聞いていたからだ。
しかし、彼女は知らない。新白連合の本質も、白浜兼一の本質も。
所詮は紙面上に書かれた端的な情報の羅列に過ぎないのだから当然と言えば当然だが。

「もっとる資格は、普通自動車免許と空手の黒帯。せやけど段位はなし……って、なんやこれ?」
「他に柔術と中国拳法とムエタイもやってるみたいですね」
「節操無いなぁ……」

あまりにも手広いその経歴に、思わずそんな言葉が漏れる。
無理もない話だが、一般的に見てこれほどあれこれ手を出していては「趣味」や「運動」の範囲にしか見えない。
特に、わかりやすい形での「段位」などがないとなおさら。

「その上、格闘技を始めたのも高校生になってから、それ以前の運動歴も特になしっと……これは、あんまり期待できそうにないなぁ」
(…………………確かに、どんな事でも始めるのが早いに越したことはないわ。
 兼一さんが遅すぎるとは言わないけど、それでも決して早い部類じゃない。
 だから、はやてちゃんがそう考えるのも当然…………なんだけど……)

ほんの僅かながら、兼一の身体をじかに見たことがあるからこそシャマルの中には強い疑念が生じていた。
はやての考えもわかる。だが、実物を見たことのあるシャマルでは見解が違うのもまた必然。
それは別にはやてに見る目がないとかいう話ではなく、実物を見たかどうかの差。
もしシャマルがはやてと同じ立場なら、恐らくは同じように考えていただろう。

「まあ、さすがに恭也さんみたいな人を期待するのがまちがっとるんやけど」
(いまのうちに言った方がいいのかしら? でも、確信があるわけでもないし……)

それにどの道、近いうちに顔を合わせることになる。
ならば、兼一の真実についてはその時に確認すればいい。
今いたずらに確証のない話をしても、害悪にしかならないのだから。
シャマルはそう判断し、今はまだ一つの可能性を胸の内にしまいこむのだった。



BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」



新しい年度を間近に控えた3月某日。
その日兼一は、普段とは比べ物にならない程に神妙な面持ちで愛弟子と向き合っていた。

「ギンガ、君を弟子にとってもう2ヶ月になるね」
「そうですね、もうそんなになるんですよね………………………生きてて良かった。ほんっとうに良かった」

師の言葉に同意するものの、思わずポロリとこぼれた本音。
その呟きに込められた感情は計り知れず、生への喜びと感謝、そして2ヶ月に渡る地獄に対する恐怖が滲んでいる。

光陰矢の如しとは言うが、確かにあっという間の2ヶ月だった。
何しろ、毎日毎日限界を越えて死にそうな所まで追いつめられてきたのだ。
はっきり言って、余計な事を考えている余裕はなく、気付けば2ヶ月経っていたと言うのが本音だろう。

逃げようと考えたことなど一度や二度ではない。
この2ヶ月は、地獄の修業の日々であると同時に、地獄からどうやって逃げるかを模索する日々でもあった。
ただ、同居している上に職場まで同じとなると逃げるに逃げられない。
仮に逃げようとしても見つかってしまい、当然の如く捕まりさらに修業が厳しくなったほど。
ちなみに、この逃走劇自体も足腰の鍛錬のうちだった事をギンガは知らない。

「ははは、修業って言うのはそういうものだよ。でも、この2ヶ月良く生き延びたね。
正直、このペースでやってたら死んじゃうんじゃないかなぁと思ったものだけど」
「ちょっ!?」
「何てね。冗談冗談♪」
「………………………………………シャレになってませんよ、師匠」

連日休みなく行われた殺人的な修業の日々。
いったい何度死を覚悟したか知れない。いったい何度今は亡き母の影を見たか知れない。
正直、とてもではないが師の言葉は冗談に聞こえないのだ。
故に、ギンガの顔が思い切りひきつって目が虚ろなのも無理はないだろう。

「まあ、それはそれとして、来週には機動六課に出向することになるわけだけど……僕と翔は一足先に向こうに合流するのは聞いてるね」
「はい。私はまだ引き継ぎとかが残ってますけど、師匠は違いますもんね」
「うん。それに僕は一応後方勤務だし、色々準備もしなきゃいけないから。
 というわけで、来週まで直接指導はできない。そこで、今ここでこれまでの修業の仕上げをしたいと思う」

一応修業メニューは渡しておくつもりだが、それでも直接見てやれないのは事実。
師としてそれは申し訳なくもあるが、こればかりは仕方がない。
兼一とて、今は組織の一員。よほどのことがない限りその意向に反するわけにはいかないのだから。

「仕上げ、ですか」
「そう。この2ヶ月、教えられる限りの事は教えてきたつもりだ。
いくつかの極意と秘伝もすでに授けた。でも、ギンガにはまだ使えないものもある。
だけど、修業に完全に修めると言う事はないにしても、ある程度修めれば結果は自ずと付いてくるもの。
 今から始めるのは、君の中に築いてきたものに一つ実を結ばせる、そんな修業さ」
「…………………」
「同時に、どれだけ練習で上手く出来ても、実戦で使えなければ意味がない。
 今日まで教えてきた全てを振り絞るつもりでいなさい、いいね」
「はい、師匠!!」

言わば、これは一つの節目。
この2ヶ月の間にギンガに授けた教え、ギンガのうちに築き上げた膨大な蓄積。
それらに一つの形を与え、ギンガを一段階上の領域に引き上げる為の修業。
既に必要なものは全て詰め込んだ。しかし、今はまだバラバラなそれらを反応させ、結晶化させる。
これから始めるのは、その為の方法の一つ。

以前、まだ兼一と翔が梁山泊にいた時のこと。
師匠達に呼び出された兼一は、彼らからこんな事を問われた事がある。

「兼ちゃんや。お主、いったいどんな方法で弟子を育てていくつもりじゃ」
「と言うと?」
「難しく考える事はないね。単純に、どうやって武術を伝えていくのかと思っただけね」
「ただ兼一君も知っての通り、古来より肉親に武術を伝えるのは想像以上に難しい。情が邪魔をするからね」

血の繋がった者同士の情は深い。相手を愛していないならともかく、愛しているからこそ時にその情が枷となる。
それが必要と分かっていても、本当の意味で相手を追い詰めることはなかなかできない。
故に、ある者は姿を変え、ある者は実戦の中で学ばせてきた。

だが、兼一はとりわけ情が深い。いっそ甘いと言っても良い。
その甘さが彼の強さの一端である事は師達も否定しないが、その甘さが武術の伝承の妨げになる日がいつか来る。
相手が肉親であるかどうかなど兼一にはあまり関係ない。恐らく彼なら、血の繋がらない弟子でも我が子同然に慈しみ愛するだろう。
だからこそ、彼らは早い段階で問うたのだ。
どうやって、その情を抑えて武を伝えていくのかを。

「………………僕なりに、考えはあります。
 僕がどうしようもなく甘いと言う事はもう分かってますし、その辺は諦めてもいます。
 長老の様に、力を抑えた上で一切の情を捨てて戦うなんて僕にはできませんしね」
「ふむ、それではどうするつもりなのじゃ?」
「それは……」

兼一は語る。長年に渡り、胸の内に温めてきた自分の考えを。
今更生来の甘さをなんとかすることはできない。
故に、師達のマネをしても上手くいくとははじめから考えてはいない。
ならば、自分だからこそできる自分らしいやり方を考え続けてきたのだ。
そして全てを語った兼一に、長老以下梁山泊の面々は呵々と笑う。

「なるほどのう。確かにそれは、実に兼ちゃんらしい」
「うんうん、自分の事をよく分かってる兼ちゃんだからこその発想ね」
「全くですな。他の者では無理でしょうが、兼一君ならば……」
「う…ん。兼一もだいぶ、僕たちみたいになってきた…ね」
「アパパパ♪ 殺さないようにガンバよ、兼一」

長老の0.0002%組手には及ばずとも、兼一の考えたそれもかなり無茶なことには変わらない。
アパチャイの言葉通り、下手をすると本当に殺しかねないだろう。
その時の事を思い出したのか、兼一の表情に苦笑ともつかない微妙な笑みが浮かぶ。

「あの、どうかしたんですか?」
「ああ、ゴメンゴメン。師匠に似る事を喜ぶべきか悲しむべきかちょっと悩んでね。
それじゃあ早速修業を始めたいんだけど、その前にひとつお願いがあるんだ」
「はぁ…………なんでしょう?」
「うん、実はね…………………………………死なないでくれ!!」
「いったい何をするつもりなんですか!?」

今まで散々無茶な修業をさせられてきたが、兼一がこんな事を言うのは初めてだ。
むしろ普段は「死んじゃうぞぉ」と笑いながら脅してくるのだが、「死ぬな」と懇願された事はない。
だからこそ、これから始まる得体の知れない何かに、ギンガは途方もない不安を覚える。

「やるのは組手だよ。ただ、自分で言うのもなんだけど、組手とは名ばかりだからねぇ……。
 本当に死にかねないから十分に気をつけた方がいい」
(か、帰りたい……)
「長老命名、その名も……」

これが、今後幾度となくギンガと翔が武術の上達の節目節目に行うことになる地獄の第一回目。
やる度に生死の境をさまようことになったのは言うまでもない。
とりあえず、生きて六課に行けるかどうか、それが問題だろう。

「の~ん」
「ギン姉さま、早く逃げて~!?」
「じぇ、じぇろにも~~~~~~~!?」

ギンガの未来に、幸あれ。



  *  *  *  *  *



十数分後。
過去最大最悪の地獄をなんとか生き残ったギンガは…………………隊舎の中庭で物言わぬ屍と化していた。

「…………………………」
「まぁ、かなり危ないところだったけどギリギリ合格かな。
 特に、ローラーブーツの使い方が良かったね。そこはシューティングアーツならではの特徴だから、これからも精進を怠らない様に。じゃあ、ちょっと早いけど今日はここまでにしよう」
「……………………」
「うん、お疲れ様。風邪を引かない様にちゃんと汗をふくんだよ」
(ああ、死ぬわね、これは……)

フェードアウトしていく意識の中で、ギンガは自らの死期を悟る。
まあ、一度や二度死んだくらいなら、いつもの秘薬で引き戻されるので問題はないのだろう。
むしろ、そう簡単に死なせてくれない事をこそ嘆くべきか……。

とりあえず、兼一は微動だにしないギンガを担ぎベンチに横たわらせる。
そうしてタオルや薬を取りに行こうとするが、そこで4階の窓からゲンヤが顔を出した。

「かぁ~、ホンットに容赦なくやったなぁ。
しかし、ちょうど終わったところか。おう、兼一。ちょっと来てくれ!」
「あ、はい。今行きます。翔! 悪いけど、ギンガにタオルと薬を」
「うん!」

翔にそう言い残し、兼一は衣服を整えて隊舎の中に戻っていく。
その間に、翔はタオルと徳利に入った秘薬を手にギンガの下へ駆けよる。

「ギン姉さま、生きてる?」
「…………………………………………………………………死んでる」

辛うじて返ってきた消え入りそうな返事。
ただしそれは、ギンガの口から出た物ではなく、その口からこぼれたエクトプラズムの呟き。
いよいよもって、本当に死にかけている。

「とりあえず、ホラ! 飲んで飲んで、そうすればすぐに元気になるから!!」
「いっそ、このまま天に召されてしまいたい。ほら、空から綺麗な光が……」
「わぁ――――――――――!? だめ、逝っちゃダメ――――――――!!」

あまりにも不吉な事を呟くギンガの目は、既に焦点が合わずどこも見ていない。
それはいい加減この流れにも慣れた翔をして焦らせるには十分すぎる。
彼は大急ぎで持ってきた徳利をギンガの口に押し当て、流し込むようにして飲ませていく。
そして、辛うじて返ってきたギンガは先の事を思い返すとどうにも釈然としない。

「というか、なんであんな状態であそこまで強いの? アレで力を落としてるって、なんの冗談?
技は鈍らないし、攻撃は正確。むしろ、いつも以上にキレがあったような気すら……」
「そこは…ほら。父様だから」
「なんでかしら、物凄く説得力がないのに納得してしまう私がいる」

それはつまり、達人と言う名の理不尽にも慣れたと言う事なのだろう。
2ヶ月、人が順応するには十分な時間だ。それも、日々命懸けで余計な事を考えている余裕すらなければ尚更。
いや、アレだけのダメージからこうも早くリカバリーしている辺り、彼女も大概そちら側に染まってきている。

「そういえば、翔の方は今日の分は終わったの?」
「あ、あははは、実はまだ半分くらい……」

頭をかきながら、翔はどこか乾いた笑みを浮かべている。
練習をさぼるような子ではない。大方、ギンガの事が気になって様子を見ているうちに応援に熱が入り、自分の修業が手に付かなくなってしまったのだろう。父親に似て優しい子だから。

「もう、しょうがないんだから。ほら、見ててあげるからやってみなさい」
「でも、姉さまもお仕事あるんでしょ?」
「大丈夫。異動も近いし、急ぎの仕事はもうほとんどないから。
 それに、弟弟子の面倒をみるのも姉弟子の務めよ。
 まあ、翔がこんな未熟者に見てほしくないって言うなら退散するけど」
「ち、違うよ! 全然そんなんじゃ、姉さまも疲れてるだろうし、えっと、その……」

悪戯っぽく小首をかしげるギンガの言葉を真に受けた翔は、それはもう慌てふためいて弁明する。
翔の性格から、他人、とりわけ特に懐いている相手を邪険にすることなどあり得ない。
そんな事はギンガとて先刻承知している。
ただ、翔はこういった少々意地の悪い問いかけには耐性がなく、それで慌てて困る所が可愛くて仕方がないのだ。

(直さないと翔に嫌われちゃうかも……って言うのはわかってるんだけどなぁ。これが中々……)

癖になってやめられない。
涙目になり、叱られた子犬の様にシュンとなっている姿を見ていると無性に思い切り抱きしめてやりたくなる。
人の言う事を真に受ける純朴さ、それを受けてコロコロと変わる表情、どれをとっても犯罪的に愛らしい。
思わず緩みそうになる頬の筋肉を引き締めるのに、毎度毎度苦労する。

(………っと、鼻血でてないかしら?)
「どうしたの? 姉さま」
「な、何でもないわよ、何でも」

ショタコンの気はないつもりだったが、翔をからかっているとおかしな性癖に目覚めそうで困るギンガ。
そんなギンガを翔はどこまでも純粋な瞳で見てくるものだから、ギンガとしては後ろめたい気がしないでもない。
なので、こう言う時はとりあえず誤魔化してしまうに限る。

「そう? ……………っわぷ!?」
「ほ~ら、やるなら早くやっちゃいなさい。そうでないと……」
「そうでないと?」
「このまま抱っこして隊舎に連れてっちゃうわよ♪」
「うぅ、それは恥ずかしいよぉ」

さすがにその図は翔の幼い羞恥心にも引っかかるようで、顔を赤くして俯いている。
ただ、その仕草がますますギンガをイケナイ方向に駆り立てるものだから困った物だ。

「私は別にそれでも良いんだけどね。
 あ、そうだ。なら、終わったら一緒にシャワーでも浴びようか。うん、それがいい。そうしましょ」
「え!?」
「イヤなの? なら、代わりに翔に抱かせようか? 投げられ地蔵を」
「姉さま、なんか父様達に似てきた」
「う!?」

師の事は尊敬しているが、さすがにまだああはなりたくない、と言うのがギンガの本音。
というか、投げられ地蔵を抱かせると言うのはつまるところ、石を抱かせると言う事だ。
それは、紛れもない拷問ではあるまいか。

「ま、まあいいわ。で、まずは何から?」
「えっと、熊歩を五千歩と正拳突きを千本。あと……」
(相変わらず、子どもにやらせる量じゃないわよねぇ……まあ、私のやってる内容も同じようなものだけど)

そうして、ギンガと翔の108での残り少ない時間は相変わらずの修業に費やされていく。
まあ、場所が変わるだけでやる事自体はそう変わらないのだろうが。



  *  *  *  *  *



場所は変わって108の応接室前。
兼一を呼び出したゲンヤは、そこまで連れてきた所で軽く親指でその扉を指しながら言った。

「おめぇに客だ。本局からだとよ」
「はぁ……僕にですか?」

正直、わざわざ兼一を訪ねてくる理由が全く思い当たらない。
兼一の管理局関連の交友関係は、今のところほぼ108に限定されている。
一応なのはとグレアムも該当しない事はないが、それとて繋がり自体は決して強くはない。
階級は二等陸士、年齢は二十九間近。こんなパッとしない兼一に会いたがる人間などまずいないのも事実だが。

「おう。ま、俺はあんま知らねぇが、八神の関係者らしい」
「ああ、なのはちゃんの友達で六課の部隊長になる子ですよね…って、上官に『子』もないですけど」
「良いんじゃねぇか。階級と経歴はともかく、実際に19のチビダヌキ、ガキだガキ」
「そんなこと言えるのは、たぶんゲンヤさん位だと思いますよ」

根が小市民な兼一としては、やはり『二等陸佐』という地位には腰の引けるものがある。
なにしろ、階級的には上から七番目。下から二番目の兼一からすれば雲の上も同然だ。
ゲンヤの様に、上下に階級を気にしないなど早々できるものではない。

「おめぇ、そう言うのに興味ねぇくせに気にするんだよな」
「だって、偉い人とかって緊張するじゃないですか」
「緊張ねぇ……アイツにそんな大層なもん持つ必要ねぇぞ」

というか、ゲンヤとしては兼一がそう言ったことで緊張するのが似合うのか似合わないのか判断に困る。
達人と言う領域にいる事を考えると冗談にしか聞こえないが、それが兼一だと恐ろしく納得してしまう。

(ほんっとうに、武術以外の事は普通なんだよなぁ、こいつ。時々、達人だってことも忘れちまいそうだ)
「どうかしましたか?」
「いんや。ほれ、良いからさっさと入れ」
「そうですね、あんまり待たせるのは失礼ですし」
「じゃ、俺は仕事に戻るぜ。終わったら声をかけてくれ」
「はい」

そうしてゲンヤは兼一を残してその場を後にする。どうやら、中の人物に紹介はしてくれないらしい。
兼一は慣れない緊張感にジットリと汗をかき、大きく深呼吸をする。
アポもなしに一大企業に乗り込み、トップに会わせろと言った男と同一人物とは思えない。
まあ、相手がアレで、場所が古巣だったからできた事なのだが。
とりあえず、兼一はゆっくりと扉をノックする。

「はい」
「遅くなって申し訳ありません、白浜兼一二等陸士です」
「ああ、お待ちしていました。どうぞ」
「失礼します」

扉を開けると、そこは落ち着いた丁度で統一された部屋だった。
まあ、植物には詳しいが、インテリアなどにはとんと疎い兼一には高いのか安いのかも定かではないが。
ただ、その部屋の中央に据えられたソファ、そこに腰をかけた人物は少々異質だった。

まずは若い。兼一よりも何歳か若く、地球なら社会人3年目以内の若者だ。
さらに鮮やかな長い緑の髪が目を引き、その上純白のスーツを着ていてそれが妙に似合っている。
水商売系の様な印象がなくもないのだが、手に取ったカップをテーブルに下ろす所作には滲み出るような優雅さがあった。恐らく、特別意識してのものではなく、これは彼にとって当たり前のことなのだろう。
街を歩けば、当たり前のように女性から熱い視線を集めそうな美男子だ。
はっきり言って、こんな応接室にいるのは場違いも甚だしい……筈なのに、馴染んでいるのだから不思議だ。
そんな事を考えているうちに青年は立ち上がり、兼一に向けてさわやかな笑顔を向ける。

「はじめまして。本局査察部、ヴェロッサ・アコース査察官です」
「…あ、失礼しました。陸士108部隊、白浜兼一二等陸士であります」

制服ではない為、当然階級証もなく正確な階級はわからない。
だが、なんとなく本局と聞いて自分より階級は上だろうと思い敬語になる兼一。
組織とは縦社会。基本的には地位と階級が物を言う。目上は敬って当然だが、これが基本だ。
年下であっても、階級が上ならそのように対応しなければならないのだから。

「はは、あまり堅くならないでください。
あなたの方が年上ですし、今日は堅い話をしに来たわけでもありませんしね」
「はぁ……」
「とりあえず、立ち話もなんですから座ってはいかがですか」
「すみません、失礼します」

ヴェロッサに促されるまま、彼の対面に腰を下ろす兼一。
落ち着きようからして、これではどちらが年上かわかった物ではない。

「あの、僕に話があるとうかがってきたのですが」
「ええ。といっても、半ば個人的な事なんですけどね」
「?」

首こそ傾げないが、意味がわからず不思議そうな顔をする兼一。
そんな兼一の反応を見て僅かに苦笑を洩らしたヴェロッサだったが、途端にその表情を真剣なものに変える。
それは、先ほどまでの人当たりの良い青年とは別種の顔。

「不躾ではありますが、少々あなたの事を調べさせてもらいました」
「と、言いますと?」
「さすがに地球でのあなたの事を正確に調べることはできませんでしたが、こちらに来てからの事は調べられました。自慢できるような事じゃありませんけど、粗探しは僕の得意分野なもので」
「…………」
「正直、驚きました。まさか、その身一つで魔導士と真っ向勝負できる人間がいるとは……」

そう言いながらヴェロッサは困ったような表情を浮かべる。
現場を見ていないが故に信じられない思いもあるのだろう。
特に、目の前の凡庸な男がそれを為したとなれば尚更。

「ああ、安心してください。別に、このことを広めようとかそういうつもりはありません。ただ……」
「ただ?」
「あなたが異動する部隊、機動六課の部隊長は僕の知己でして」
「ええ、ゲンヤさん…ナカジマ三佐からもうかがっています」
「彼女は…何と言うか、僕にとって妹みたいな子でしてね。
はやてはちょっと危なっかしいと言うか、自分を省みない所があるものですから、僕らとしては心配で心配で」

そう語るヴェロッサの表情には、偽りのない感情が浮かんでいる。
兼一にはその表情に、ほのかのことを心配する夏がだぶって見えた。

「僕にも妹がいますから、お気持ちはわかります。
こちらの気持ちなんて全く気付いてくれませんからね、妹って言うのは」
「全くです」

兼一の言葉に、ヴェロッサは大仰にうなずいて見せる。
その顔には苦笑が浮かび、心底困っていることがうかがえた。

「このまま愚痴を並べるのも楽しいんですけど、もうしわけありませんが話を戻させていただきます」
「あ、はい」
「まあ、早い話が妹分へのお節介なんですよ。
 はやて達が直接スカウトした人はまあ良いとして、そうでない人はちょっと調べておこうかと思いましてね。
 なにしろ、あの子をよく思っていない人が少なからずいるものですから」

つまり、ヴェロッサが危惧しているのははやてをよく思っていない誰かが、その足を引っ張る為に息のかかった者を送り込んでいないかと言う事だ。
新白連合の様な新興の組織はまだ一枚岩を維持していられる。規模が大きくなるにつれ一枚岩ではいられなくなりつつあるが、それでも長い付き合いの上層部は今でも一枚岩だ。

しかし、管理局の様に巨大で長く存在する組織はそうはいかない。
様々な人の思惑や思想、理念や正義、あるいは利権などが絡み複雑な構図を生む。
当然、中には対立関係や足の引っ張り合いも起こる。
はやては前と先ばかり見て足元や後ろが疎かになりがちだからこそ、こうしてヴェロッサが骨を折っているのだ。

「まあ、グレアム提督の推薦を受けたあなたを疑う必要は本来ないんですけどね。
 ですが、逆にそれが気になったので少し調べさせていただいた次第です。本来、管理局や魔法と何の接点もないあなたを、地球に帰ってしまえばそれっきりの筈のあなたを、どうして提督は推薦したのか。
 それは、当然の疑問ではありませんか?」

確かに、ヴェロッサの言う事はもっともだ。
表面的にみた白浜兼一と言う男の素性に、わざわざグレアムが推薦し、六課にねじ込む理由が見当たらないのだから。

「そうして調べているうちに、あなたがこちらで保護されている間の事件に行きあたりました。
 地上本部や本局は気付いていない様ですがね。僕も、こうして調べてみなければ見逃していたでしょう。
 でも、調べているうちに昔はやてや友人から聞いた話を思い出しましてね。地球には、生身で魔導士とケンカできるようなレベルの戦闘能力を身に付けようとしている人たちがいると」

おそらく、はやてが言っていたのは恭也や美由希の事なのだろう。
はやて達が魔法と出会った頃は、まだ恭也達も修行中の身。
まだ、魔導士と真っ向勝負ができるような段階にはいなかった。
だが、いずれはそのレベルに至る事を士郎辺りから聞いていたのかもしれない。

「白浜さん、恐らくはあなたもそんな人の一人なんじゃありませんか?」
「ええ、その通りですよ」
「………………」

ヴェロッサの問いに、兼一は極々自然な動作で頷く。
それに対しヴェロッサは、少々の間の抜けた顔で茫然としている。
その様子を不思議に思った兼一は、少々控えめにその訳を問う。

「どうか、しましたか?」
「あ、いえ。こんなにあっさりうなずかれると、拍子抜けしてしまって」
「いえ、別に隠していると言うわけでもありませんしね。
言いふらすような事でもないので聞かれなければ言いませんけど」
「そう、ですか」
「それに……」
「それに?」
「八神二佐の話していた人達は、多分僕の知り合いですしね」
「…………」
「高町一尉とは少々縁がありまして。八神二佐が話しておられたのは、恐らく高町一尉の御家族でしょう」

さすがに、この展開は想像していなかったのか、ヴェロッサは固まって動かない。
時間的な問題もあって地球での事はあまり調べられなかったが、まさかなのはの知り合いとは思わなかったのだろう。

(この事をはやては………………知らないんだろうなぁ、きっと)

今のはやては事務作業で忙殺されている。
はっきり言って、兼一の様な末端部分の事にまで気を回す余裕はない。
というか、そもそも兼一と面識があるかさえ定かではないのだ。
面識がない場合、本当に気付かない可能性すらある。

そうなると気付く可能性があるのはなのはだが、アレはアレでやることが多い。
一部隊ともなれば人員も相応にいるし、さすがに全員の顔と名前をチェックしきれているとは思えない。
ならば、兼一の存在に気付いていない可能性はかなり高いだろう。

(教えておいても良いけど…………………………黙ってた方が面白いかな?)

この辺りはゲンヤとも意見が一致しているらしい。
実際、兼一もゲンヤからは「面白いから気付かれるまで黙ってろ」と言われている。
ただヴェロッサの場合、後々この事がばれた場合はやてから「なんでだまっとったんやぁ!!」とお叱りを受け、教育係の様な存在のシャッハからキツーイお仕置きを受けることになるのだろうが。

「コホン。まあ、本人に肯定していただけたなら問題ありませんね」
「お話と言うのはこれで終わりですか?」
「あ、いえ、実はもう一つありまして」
「はぁ……」
「あなたが本当にそういう人間であるのなら、お渡ししておきたいものがあります」

ヴェロッサはそう言うと、自身のスーツの懐を探り始める。
取り出したのは、一枚のカード。どうやら局員IDらしい。

「今後は、こちらのIDを使ってください」
「?」
「大雑把に言ってしまうと、今のあなたを正規の戦闘要員として作戦行動に組み込むことはできません。
 魔法は使えず、質量兵器も使わない。その上、局で正規の訓練を受けたわけでもなく、当然武装局員の資格を持っているわけでもありませんからね」

一口に管理局員と言っても、その役職や専門分野は個々で異なる。
そして当たり前の話だが、戦闘と言う危険な行為に参加するにはそれ相応の能力が必要だ。
個人としての能力、集団として動く際の能力、場合によっては指揮官としての能力や作戦立案の能力なども求められるだろう。
管理局員なら大凡誰もが一定の訓練は受けているし、有事には後方勤務の人間も武器をとる。
だが、実際に無限書庫の司書や医務局の人間などの基本的に非戦闘員である彼らが武器をとる事はまずない。
当然だ、彼らと武装局員とでは訓練の内容からして違う。
戦場と言う過酷な場所で、専門家以外を投入することなど非常識の極み。
そして兼一は、今のところその「戦闘の専門家」として扱われてはいない。

では、それらをどうやって証明するか。
直接実力を示すと言うのも手だが、一般的には資格や免許と言った物がそれを証明する。
そう言った資格は、「形」として「これだけの能力がある」という証明なのだ。
だいたい、一々実力を示していくのではあまりにも時間がかかり過ぎる。
しかし、生憎と兼一はそう言った形のある何かを一つも持っていない。
当然、彼を知らない人間からすれば、いくら「武術の達人です」と言ったところで信用できるものではない。
もしそんな兼一を作戦行動に組み込み、それが明かるみになれば、確実に問題になる。

かつて高町なのはは一般人にして九歳と言う年齢でロストロギアにかかわる事件の解決に尽力した。
だが、それは例外中の例外だ。
彼女が優れた魔導士としての能力を持っている事が証明され、子どもの手を借りなければならないような状況にあり、なおかつ局内で確かな立場を確保しているリンディ・ハラオウンだからそれが出来た。

だが、ただでさえ実験部隊の機動六課、その上はやては色々と微妙な立場にある。
そして、兼一が使うのは魔法と言うこの世界において最も信頼される力ではなく、眉唾扱いされること間違いなしの純粋に己が肉体のみを頼みとした力と技術。
魔法は使えず、武器も持たず、武装局員としての資格もない。
そんな人間を戦場に積極的に出せば、これ幸いとばかりにはやては袋叩きにあう。
故に彼女は、何があろうと兼一を戦闘要員として数えるわけにはいかない。
しかし、それだと今度は白浜兼一と言う駒を遊ばせることになり、それはそれで無駄の極み。

「ですが、不幸中の幸いにもあなたはこちらで保護されている間に、一つの事件の解決に尽力しました。
 というか、事実上一人で解決してしまった。それも、Cランクの魔導師複数を相手に」
「ああ、つまり、それをとっかかりにしたんですか」
「ええ、戦闘行為への参加、その承認をねじ込みました。
 扱いとしては、過去の実績を鑑みて陸戦B相当としています」
(無茶な事してるなぁ……新島ほどじゃないけど)

普通、資格だの何だのはそう簡単にどうこうなるものではない。
なにしろ、あの高町なのはとフェイト・T・ハラオウンですら、訓練校での短期プログラムを終えるのに3カ月を要した。兼一がこちらの世界に移ってからまだ2ヶ月、正規の手順を踏んでいては到底間に合わない。
かと言って、彼は優れた魔導師でもないので、それを盾にごり押しもできないと来た。
魔法全盛のこの世界では、純粋な武術家の扱いはまだまだ低い。
何しろ、基本的に武術だけでは魔法に勝てない以上、いくら優れた武術家でもあまり信用されないのだ。
だからこそ、こう言った権力任せの力技に出るしかなかったわけで……。

「グレアム提督も、はじめからそのつもりだったのでしょうね。
 おかげで、なんとか異動前にIDカードが間にあいました」
「じゃあ、今日はこれを届けに?」
「それと、一応の最終確認です。あなたが本当に、あの件を解決したのかを」

これまでの調査で、ほとんど裏は取れていた。
だが、それでも確認しないわけにはいかなかったのだろう。
アレを、本当にこの一見普通そうな男が為したのかを。

「もちろん、あなたが戦いを望まれないのであれば、こちらは突き返していただいて……」

『結構です』とヴェロッサが最後まで言い切るより前に、兼一はその手から新たなIDカードを受け取る。
元より、グレアムの元を尋ねた時点でこの話は了承済みだ。
なにより、この根っからのお人好しが自分一人戦いから逃げるなどと言う事が出来る筈がない。
特に、その戦闘要員のほとんどが女子どもばかりの場所ともなれば尚更に。

「戦うのは……正直あまり好きじゃありませんけど、高町一尉には縁もありますし、何より僕だけ戦いから逃げるなんてできません。この拳は、大切な人を守る為に、正しいと信じた道を貫くために鍛えてきたんですから。
こちらは、有り難く頂戴させていただきます」
「…………………………ありがとうございます。はやて達の事、よろしくお願いします」
「微力ながら、お力添えさせていただきます」

力強く頷く兼一に対し、ヴェロッサは深々と頭を下げる。
もしかすると、兼一と話す前にゲンヤやグレアムとも話をしていたのかもしれない。
そうでなければ、達人と言うものをあまり知らない彼がここまで兼一を信用することなどなかろう。
彼からすれば、まだまだ武器も魔法も使わずそれだけの力を身に付けられることは信じ難いのだから。



数時間後、ミッドチルダ北部、旧ベルカ自治領、聖王教会「大聖堂」。
個人的な役目を終えたヴェロッサは、その一室にて一人の女性に会っていた。

「どうだった、ロッサ?」
「うん、快く引き受けてもらえたよ。グレアム提督からは武術の達人としか聞いてなかったし、クロノ君たちからもあまりその辺りの事は聞いてなかったから、もっと気難しい人かと思ってたけどね」
「そう、それは良かった」

かつて僅かに小耳にはさんだ「達人」と呼ばれる人種。
まさかその力を借りる日が来るとは思っていなかっただけに、力を貸してくれるか不安だった。
「武術を極めた者」「人の限界を越えた者」そんな風に聞かされていただけに、もっと難航することすら予想していたのだろう。

その点でいえば、快く引き受けてもらえたのは僥倖だった。
魔導師にとって天敵と言えるAMFも、純粋な身体能力と武術のみで戦う相手には意味を為さない。
もし本当に、魔導師と真っ向から戦えるだけの戦力を持つのなら、この件においてこれほど頼りになる味方はいないのだから。

「ただ……」
「ただ?」
「良くも悪くも普通の人だったね。
 普通過ぎて、本当に技を極めた人なのか今でも信じられないよ」
「あらあら」
「でも、アレが擬態だとしたら恐ろしくもある。
きっと、彼がその気になったら僕は敵に襲われたことすら気付かずに殺されそうだ」

査察官として数々の現場を見てきた、様々な人間を見てきた。
故に、人を見る目、違和感を見つけ出す観察力や洞察力には自信もある。
だが、今日会った相手はその目を容易くだまして見せた。
自信が揺らぐとともに、世界の広さを実感できた日だったのは間違いない。

「カリムやシャッハは教会をあんまり離れられないし、クロノ君は忙しい。僕もどちらかと言えば裏方だ。
 六課は若い子たちばかりで、あまり年長者もいないから援護を期待出来ないんだよね、もどかしい事に」
「そうね。でも、これで少しはバランスがとれるんじゃないかしら」
「だね。いくら能力的に優れていても、はやても高町一尉やテスタロッサ・ハラオウン執務官も二十歳未満。
 精神的な幼さ、未成熟さはどうしようもない。そんな所も含めて公私両面でサポートしてもらいたいかな」
「本当に」
「ついでに、今度会う時ははやて達の苦労話で盛り上がれたら尚よしだね。
このネタでぶっちゃけられる相手は少ないから」
「ロッサ、あまり変な事を言っていると、はやてに叱られるわよ」
「それは困る。ただでさえカリムとシャッハには頭が上がらないのに、はやてまでってなったら僕はいいとこなしじゃないか」



  *  *  *  *  *



翌日。
ギンガより一足早く六課へと移った兼一は、翔と共に直属の上司に挨拶していた。

「はじめまして、バックヤードで隊員寮の寮母を務めますアイナ・トラインです。
 よろしくお願いしますね、白浜兼一さん、それに翔君」
「はい。こちらこそ、よろしくお願います」
「よろしくおねがいます」
「はい、良く出来ました。元気な挨拶は大事ですからね」

兼一に続き頭を下げる翔を、アイナは優しく褒める。
如何に戦闘への参加資格をねじ込んだとはいえ、兼一の扱いは基本的に後方勤務だ。
元々戦闘要員として採用されたわけではないし、資格は所詮後付けに過ぎない。
あくまでも兼一の扱いは、「戦闘への参加を承認された事務系局員」でしかないのである。

「一応、私が寮全体の管理責任者ではあるんですが、この広さでしょ?
 なので、寮を女子棟と男子棟に分けて、白浜さんには男子棟の管理をお願いします」
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
「はい。それに、やっぱり同じ男性が管理した方が、皆さんも落ち着くでしょうしね」

実際、一つの寮として繋がっているとはいえ、男子棟と女子棟に分けられている以上は別物とみていい。
男子棟で暮らす面々としても、どうせなら管理人は同性の方が気は楽だろう。

「こちらが手順書になりますので目を通しておいてください。
 主な仕事は、プライベート空間以外の寮内の清掃と備品や消耗品の管理と補充、それに補修。
 あと、食事は調理の方々がやってくれますけど、洗濯物は部屋の前に出していただいてまとめて、ですね。
 そうそう、一応白浜さんには隊舎の方の管理も一部やってもらいますし、花壇の手入れもお願いします」
「はは、やることいっぱいですね」

まあ、兼一としても家事全般は決して嫌いではない。
美羽の手伝いもしていたし、むしろ家事全般は得意な部類だ。
少なくとも、武術よりは適性があると思う。

「まあ、当面は寮に移ってくる人たちの荷運びと荷解きのお手伝いがメインですけどね。
 早い人はもう部屋に入って、オフシフトでは思い思いに過ごしてますよ」
「ああ、基本的には二人部屋なんですね」
「ええ、士官の方には個室が用意されてますけど、八神部隊長は御家族で一緒ですし、高町隊長とハラオウン隊長も古いお友達と言うことで同室ですから、あまり意味がないですね」

寮の見取り図とにらめっこをする兼一に対し、アイナは苦笑交じりに実情を話す。
上層部は特に身内ばかりなので、そういう傾向になってしまったのだろう。

「1階は共有スペースで、2階から個別の部屋になります。白浜さんは2階階段のすぐ前のお部屋です」
(ふ~ん、スバルちゃんとティアナちゃんが同室。ギンガは…………ルシエさんか、どんな人なんだろ?)
「白浜さんはお子さんと一緒ですけど、モンディアル三等陸士と同室です。
まだ十歳との事ですから、色々と面倒を見てあげてください」
(う~ん、こっちにもだいぶ慣れたつもりだけど、さすがに十歳で働いてるって言うのは慣れないなぁ……まぁ、美羽さんを含めて、幼少期から本物の戦いに身を投じている人はいる所にはいるわけだけど……)

子どもと思って侮ってはいけない、それは兼一自身身に染みて良く知ること。
彼の師の中にもそう言った人物はいる。年齢は必ずしも絶対ではない。
特に、武術の世界では何十年も鍛えた強者が一瞬の油断で弱者に負けることなど珍しくもないのだから。

「さて、大雑把な所はこんなところですね。今日のところは白浜さん自身の荷解きと、寮の作りや雰囲気に慣れるようにしてください。本格的な管理の仕事は明日からですから、わからない事があったら聞いて、何かあったら逐一報告してくださいね」
「はい。あ、モンディアル君はいつ頃来るかわかりますか?」
「ああ、今朝方シグナム副隊長が迎えに行かれましたから、お昼には」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ」

そうして兼一は翔の手を握って自室へと向かう。
少々年季の入った様子ではあるが、あまり悪い印象は受けない。
恐らく、アイナがあらかじめ手入れをしてくれていたのだろう。
これから一年を過ごすことになる自室の前に付くと、既に送っておいた荷物が届けられていた。

「さて、それじゃあモンディアル君が来る前に荷解きをしておこうか」
「うん。早くしないときちゃうかもね」
「そうだねぇ」

正直、二人の眼前にある荷物の量は半端ではない。
何しろ、元々兼一はかなりの本好き。かなり量は減らしたとはいえ、それでも持ち込んだ量はかなりの物。
その上、修行用の道具の一部もあるのだからその量は推して知るべし。
翔の言う通り、早くしないと同居人が到着してしまう。
まだ同居人の荷物は届いていないが、早くしないと廊下の一部を封鎖する形になってしまいかねない。
とそこへ、丁度隣の部屋の扉が開かれ、そこから背の高い黒髪の男が姿を現す。

「お、その部屋に来たって事は、おめぇがこっちの寮監か?」
「っ!?」
「まったく、この子は……。あ、失礼しました、白浜兼一と言います、こっちは息子の翔。
仰る通り、男子棟の管理を任されることになりました。えっと、あなたは?」

翔は突然のことに兼一の陰に隠れ、そんな息子に兼一は困ったような表情を浮かべながらも律義に答えていく。
良く見れば、相手が着ているのは陸士制服とは違う作業服の様なもの。
背は兼一よりだいぶ高く、目は若干タレ気味でその声からは闊達さがあふれている。

「おお、悪ぃ悪ぃ。ヘリパイロットをやってる、ヴァイスだ。お隣さん同士、仲良くしようや」
「ええ、よろしくお願いします」
「堅ぇなぁ、見たところ年もかわんねぇだろうに、もっと気楽にしてくれていいぜ。
 つーかここは女所帯だからよ、男同士上手くやってきてぇんだわ」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「おう! っと、荷解きか。なんなら手伝うぜ?」
「あ……………じゃあ、少しだけお願いしても良いですか?」
「おう! 坊主、おめぇはそっちの軽いの持て。俺がこっち持つからよ」

折角の好意を無碍にするのも躊躇われ、兼一は控えめにヴァイスの申し出を了承する。
それに対し、ヴァイスは人好きのする笑顔を浮かべ、早々に荷運びに入っていく。
ただ、翔がいまだに兼一の後ろに隠れたままなことに気付き、手を止めて問いかけた。

「あ? どうした、坊主?」
「坊主じゃないもん」

ゲンヤからも坊主扱いの翔だが、さすがに初対面の相手にこれでは文句の一つもあるらしい。
その表情はどこかふてくされ気味なのだが、ヴァイスは全くそんな事は気にしない。

「じゃあ、しっかりあいさつしな。そうしたら名前で呼んでやるよ」
「むぅ………………………………白浜翔です、はじめまして」
「おう、はじめまして。そら、さっさとやるぞ、翔」
「う、うん」

不承不承といった様子であいさつする翔と、快活にそれに返すヴァイス。
逆鬼とはタイプこそ違えど、兄貴肌の人物なのだろう。翔もそのペースに流され気味だ。
そんな二人のやり取りを兼一は荷運びをしながら密かに笑いつつ見守っていた。



そうして三人がかりで荷解きをする事しばし。
一通りの荷物を運び終えたところで、兼一はそのお礼にとヴァイスをお茶に誘おうとするのだが……

「いやぁ、どうせなら酒の方がいいな。どうよ、これから一杯……」
「あの、ヴァイス君? それはちょっと……」
「良いじゃねぇか。おめぇだっていける口なんだろ?」
「いや、でもさすがに昼間からって言うのは、それに……怖い人が見てるよ」
「は?」
「ほほう、それはおもしろいな。ぜひ私も混ぜてくれ」

突如背後からかけられた言葉に、石像の如く硬直するヴァイス。
油の切れたブリキの玩具の様にぎこちない動きで背後を振り向くと、そこにいたのは般若。
ではなく、ピンク色の髪をポニーテイルにした、凛とした女性。
美人は美人であるのだが、どちらかと言えば「かっこいい」という言葉がよく似あう。

「し、シグナム姐さん…戻ってたんスか?」
「丁度今な」
「そ、そいつはお早いお帰りで……」
「ああ。と、そちらの御仁とは自己紹介がまだだったな。
 ライトニング分隊副隊長のシグナム二等空尉だ」
「あ、白浜兼一二等陸士です。よろしくお願いします」
「あまり顔を合わせる機会もないかもしれんが、こちらこそよろしく頼む」

キビキビとした動作、毅然とした態度。
一見すると美女と美少女の中間の様な女性だが、そこに弱さや儚さはない。
むしろ、研ぎ澄まされた刃の様なその雰囲気は、『武人』と言う言葉が良く似合う。

かと言って、抜き身の刃の様な危うさも恐ろしさもない。
他の者なら緊張してしまいそうだが、兼一としてはむしろ安心感すら覚える空気だ。

(この人、かなりできる。肩の筋肉からすると、多分剣……あと弓も使うのかな?)
(ふむ。良く澄んだ、穏やかな眼だ。見覚えがない所からするとスカウト組ではないようだな。
しかし、今一瞬鋭い輝きを見た気がしたが……………いや、気のせいか。
 だが、それにしてはこう……)

一瞬何かに気付きかけるシグナム。
しかし、歴戦の騎士である彼女の眼を持ってすら兼一の本質を見抜く事は出来なかった。
だが同時に、無意識のうちにそれで済ませてはならないことにも気付いている。
過去、初見で兼一を強者と見抜けた者は皆無に近い。
そう考えれば、違和感を拭えずにいるだけでも彼女の慧眼の鋭さがわかると言うものだろう。

「ん? その子は……あなたの子か?」
「あ、はい。息子の翔です」
「そうか。エリオ、お前の方が年上なのだ、面倒を見てやれ」

そう言ってシグナムが軽く後ろを向くと、そこには赤毛の少年が緊張した面持ちで立っていた。

「は、はい!」
「さて、ヴァイス。私の記憶が確かなら、お前はまだ勤務中の筈ではなかったか?」
「そ、そうっスかねぇ? 気のせいじゃないっスか?」
「ふむ。では、外でお前の事を探していたアルトも何か勘違いしていたと言うことか?」
「あ、アハハハ、アルトの奴は粗忽っスからねぇ」
「なるほど、確かにそれはあるな。何しろ、7歳まで自分の事を男と思っていた奴だ」
「でしょう?」
「…………………………………」
「…………………………………さいなら!!」
「逃がすか!! 正式稼働前からサボりとはいい度胸だ! その腐った根性、この場で叩き直してやる!!!」

脱兎のごとく逃げ出すヴァイス、鬼の形相でそれを追いかけるシグナム。
置いてきぼりにされた面々は、とりあえず今見た事をなかったことにすることで意見の一致を見ていた。

「えっと、もしかして君がモンディアル三士?」
「あ、はい。私服で申し訳ありません、エリオ・モンディアル三等陸士であります!」
「いや、私服なのは僕も同じだし気にしないで。
男子棟の施設管理を担当する白浜兼一二等陸士です。同室らしいから、これからよろしく」
「はい、よろしくお願いします!!」

かしこまって敬礼であいさつし合う二人。特に、エリオはガチガチに緊張している。
六課が初所属と聞いているので気持ちはわからないでもないが、エリオの力の入りようは微笑ましい限りだ。
まあ、いつまでもこれでは身体が休まらない。
兼一としては、せめて自室でくらいはリラックスしてもらいたいと言うのが本音だ。
その上、彼は前線に立つフォワードメンバー。休む時はしっかり休まないと、身体がもたない。
弟子ではないので、彼の人権はちゃんと尊重しないと。

「そんなに緊張しないで、階級だって一つしか違わないんだから」
「い、いえ。白浜二士は僕よりずっと年上でもありますし」
「と言ってもね、この年で二士の下っ端だよ。階級なんてすぐに追い抜いて、あっと言う間に上官さ」
「で、ですが……」
(う~ん、やっぱり大人が相手だと緊張しちゃうものなのかなぁ。
 それなら、ここは……)

エリオの事は兼一もまだよく知らないが、気持ちはわからないでもない。
初めての職場、期待と不安で内心複雑でしかないのだろう。
特に、周りはほとんど年上………と言うか大人ばかり。
失礼にならない様に、足を引っ張らないようにと堅くなっているのが手に取るように分かる。

しかし、それならそれで発想を変えれば良い。
兼一はエリオの前で勢いよく手を合わせ、頭を下げると口早に告げる。

「ごめん。ちょっと用事があってね、悪いんだけど少しの間翔の相手をしててくれる?」
「え? ……ええ!?」
「ごめん、すぐ戻るから。あ、荷物は後で手伝うからしばらくそのままでいいよ。それじゃ!!」
「ちょ、白浜二士!?」

エリオはなんとか兼一を引きとめようと、無意識のうちに持ち上げた右手で兼一の服の裾を掴もうとする。
だがそれより早く足早に兼一がその場を離れたことで、その手は虚しく宙に浮かんだままとなった。

たっぷり一分かけ、ようやく諦めたエリオはゆっくりと腕を下ろし背後を振り向く。
そこには、扉から隠れる様にして、つぶらな瞳でエリオの様子をうかがう翔の姿。

(……ど、どうしよう…………)

いったいどうすればいいのか途方に暮れ、エリオは思わず天を仰ぐ。
まあ、そこには天井しかないのだが……。



  *  *  *  *  *



場所は変わって六課の敷地内。
翔をエリオに押し付けてきた兼一は…………特に行くあてもなく散歩していた。

(う~ん、子ども同士打ち解けてくれると、少しはエリオ君も肩の力が抜けると思うんだけど…………上手くいくかなぁ? でも、僕が一緒にいても返って緊張させちゃうだろうし、難しいなぁ)

兼一とて、別に無責任にエリオと翔を放り出してきたわけではない。
これでもエリオの事を慮り、これからの共同生活が上手く行くよう配慮しているのだ。
まあ、あまりそういった方面でも器用ではない兼一なので、上手くいくかは定かではないが。
とそこで、兼一は少々この場には不釣り合いな人物と遭遇することになる。

(え? 子ども?)

そう、子どもである。それも、エリオよりなお小さい。
恐らく、翔とそう年も変わらない。6歳か7歳か、まあその辺りだろう赤毛の少女。
そんな少女が陸士制服を身にまとい、年に似合わぬ堂々たる態度で闊歩している様はいっそシュールですらある。
如何に戦いの場においては、幼いからと言って油断は禁物とは言え、これはさすがに……。

少女の方でも兼一の事に気付いたらしく、一瞬目を丸くした後足早に兼一の下へ歩み寄ってきた。
そして、兼一の眼前で止まった少女は、鋭い目つきで下から兼一の事を睨んでくる。
少々困惑した兼一だったが、とりあえず当たり障りのない所から話題を振ることにしてみた。
ただし、それは思いっきり地雷だったわけだが。

「えっと…………君みたいな“小さな子”がこんなところでどうしたの?」
「……………(ピキッ)」
「う~ん、もしかして道に迷ったのかな? お母さんはどこかわかる?」
「……………………………………(ビキ!)」
「あれ? でもそれって陸士の制服だよね…………………………コスプレ?」
「…………………………………………………………(ビキビキ!!)」

話せば話すほど、言葉を重ねるほどに少女の顔に浮かぶ無数の青筋。
頬はヒクヒクと痙攣し、全身から放たれる殺気は龍も裸足で逃げ出すほど。

しかし、空気読み機能の欠如した兼一は気付かない。
それどころか、あやす様にして頭に手を乗せ撫でるものだから、少女の怒りはさらに鰻登り。
怒髪天を突くと言う言葉があるが、今の彼女なら天を引き裂くことすらできそうだ。

「むぅ、しょうがない。隊舎の方へ行って迷子の放送をかけてもらおう」
「………………………………………………………………………………(ブチッ!!!)」

そうして、兼一は少女の手を握り隊舎の方へ連れて行こうとしたところで、ついに堪忍袋の緒が切れる。
まあ、彼女にしては良く我慢した方だろう……。
普段の彼女なら、早々に怒鳴り散らしていた筈だが、兼一が意味もなくたたみかけるものだから不必要なまでに怒りが蓄積してしまったらしい。

「あれ? どうしたの? 大丈夫だよ、すぐにお母さんも見つかるからね」
「ああ、ありがとよ。だけどよ、悪ぃんだけどさ、その前にちょっとこっち向いてくれねぇか?」
「へ?」

兼一が視線を下にずらすと、目に飛び込んできたのは美少女と言って差し支えない少女の実に良い笑顔。
ただし、その顔に無数の青筋が浮かんでいなければの話だが。

「……アイゼン」
《ja》
「えっと…………そのハンマーは、なに?」
「あたしは優しいからな、選ばせてやる。
液状化するまで磨り潰されるのとハンバーグになるの、どっちがいい?」
「ええっと、意味が良く分からないんだけど……どっちも遠慮するのは?」
「そうか、両方だな」

待機形態を解除したアイゼンを手に、底冷えのする笑顔を振りまく赤いおさげが特徴の少女。
本来なら実に愛らしい筈のその容姿に反し、背後には鬼神の姿を幻視する。

同時に、ここにきてようやく兼一の恐怖センサーが警鐘を鳴らした。
当然、最大警戒レベルの。まあ、思いっきり色々と手遅れなわけだが。
そうしている間にも、見る見るうちに少女の手にあるハンマーは巨大化していく。

「いやぁ、さすがにそれは…………………死ぬんじゃないかなぁ?」
「安心しろ…………死んだらまた殺してやる」

最早説得は叶わない。というか、当に説得の機会など逸してしまっている。
ようやくその事に気付いた兼一は、大急ぎで背を向けた。
これは逃避ではない、戦略的撤退なのだから!!

だが、初動の差は如何ともしがたい。
既に攻撃態勢にある少女と、今から逃げに入る兼一。
どちらが有利なのかは、論ずるまでもない。

「あの、一ついいかな?」
「いいぜ、辞世の句くらいは聞いてやる。一秒で忘れるけどな」
「それじゃ意味がない気が、まぁそれはともかく………“ちっちゃい”のにすごいんだね」

ダウト。この期に及んで尚の禁句。今まさに兼一は、自らの死刑執行書にサインした。
最早ここまで来ると、弁解の余地すらない。
白浜兼一、「人の逆鱗に触れる天才」に衰えの兆しはないのだった。

「よし―――――――――――――――殺す!!」
「わぁ!? 待った待った、ちょっとタイム!?」
「死ぃねぇぇえぇぇぇぇぇぇえぇぇぇ!!!」
(すみません、美羽さん。今からそっちに逝くかもしれません)

怒りにまかせ、勢いよく振り下ろされる巨大な鉄槌。
如何に頑丈さに定評のある兼一とは言え、さすがにこれでは一巻の終わりか。
そう思われたその瞬間、二色の光の帯が少女に絡みつきその動きを止める。

「ヴィータちゃんストップ!! それはさすがにやり過ぎ!!」
「やめるです、ヴィータちゃん!! 稼働前から殺人事件は不味過ぎです!!」
「離せ! 離してくれ、シャマル、リイン!! こいつだけは、後生だからこいつだけは殺させろ!!!」

もがくヴィータとそれを必死に止める二人の女性。
と言っても、片方は女性と言うにはあまりにも小さいが。
しかし、見た目に反してそのバインドは強力らしく、ヴィータは拘束を振りほどけない。
とりあえず命の危機は去ったのだが、兼一は場違いにもこんな事を思っていた。

(へぇ、こっちには妖精までいたんだぁ……)

明らかに論点がずれているのだが、それに突っ込む余裕のある者はここにはいない。
ちなみにこの後、兼一はしばらくの間ヴィータに邪険にされるのだが、自業自得と言うものだろう。



そうしてヴィータが沈静化するまでしばし。
二人の説得でようやく怒りを治めたヴィータだが、それはもう険しい目で睨んでくる。
当然口など聞いてくれる筈もなく、兼一は無言の圧力にさらされるのだった。
なものだから、迂闊に「ああ、死ぬかと思った」などと口走ることすらできはしない。

まぁ、それはともかく。
そんな状態なので、とりあえずは兼一と唯一面識のあるシャマルが場を取り持つ形となった。

「えっと………お久しぶりですね、兼一さん」
「はい、その節は御世話になりました、シャマル先生」

シャマルにはこちらの世界に来たばかりのころに世話になった恩があるだけに、兼一は深々と頭を下げる。
そして、それを見て面白くないのがヴィータだ。
なにしろ、自分は思いっきり子ども扱いされたのに、シャマルには礼儀正しい対応。
外見のせいと言ってしまえばそれまでかもしれないが、それで納得できれば苦労はない。

「それでですね、この子は私の家族のヴィータちゃんで、こっちがリインちゃんです」
「はいです! リインフォースⅡ空曹長です、よろしくですよ!!」
「…………………………………上官!?」
「ま、まぁ、小さいですけどそうなんですよ」

ただでさえリインは小さい上に、外見年齢も十歳そこそこ。
それでこの地位なのだから、初見の相手は大抵驚く。
シャマルとしてもそのリアクションには慣れたものらしいが、苦笑を浮かべつつその事実を肯定している。

「あの、一つ聞いても良いですか?」
「なんですか?」
「リインフォースⅡ空曹長は……」
「あ、フルネームだと長いので、リインと呼んでくださいです」
「じゃあ、リイン曹長」
「はいです。なんですか、兼一さん」
「曹長は…………………妖精か何かなんですか?」

ミッドで暮らすようになってはや2ヶ月。
だが、未だにこんな生き物は兼一も見たことがない。
大概の非常識に離れたつもりの兼一でも、これはさすがに眼を疑う光景だったらしい。

「あははは、兼一さんは面白い事を言うんですねぇ……」
「いや、割と普通のリアクションだと思うぞ」
「ですよねぇ……」
「何か言ったですか、二人とも?」
「いんや」
「何でもないから続けて」
「はぁ、そうですか。ではですね、リインについてちょっとだけ教えてあげるです。
 女の子の秘密なんですから、他の人には秘密ですよぉ」

若干背伸びをしている感じで、リインはそのまま説明に入る。
自身が管理局でも数少ない「ユニゾンデバイス」と言う存在であること。
他者と融合し、その能力を飛躍的に向上させる能力を持つことなど。
そうして一通りの事を話し終えたところで、今度はヴィータへと話が移る。

「で、ですね。こっちのヴィータちゃんなんですけど……」
「シャマル先生の妹さんですか?」
「ま、まぁ、そんな感じなんですけど…………」
「ヴィータちゃんもれっきとした管理局員です。それも三等空尉、兼一さんやリインよりずっと上ですよぉ」
「え?」

リインの話を聞き、思いっきりいぶかしんだ表情を浮かべる兼一。
ヴィータの外見上無理もない話だが、さすがにその驚きは相当なもの。
リインの場合は返ってその小ささが説得力を持たせているが、どこからどう見ても小学校低学年にしか見えないヴィータだと何かの冗談としか思えないのだ。
しかしそれも、続くシャマルの同意によって信じざるを得なくなる。

「いえ、勘違いしたのも無理はないと思うんですけど……本当なんです」
「そうだ、敬えこのバカ! あたしは大人だ!」
「でも、どう見ても子ど………すみません」

再度禁句を口にしかける兼一だが、ヴィータの鬼の形相の前に口を閉ざす。
実に賢明な判断だ。もしもう一度口にしていれば、今度こそミンチかペーストになっていたに違いない。

「そ、それでですね、リインちゃんはロングアーチ、ヴィータちゃんはスターズの副隊長ですからあまり会わないかもしれませんけど、私は医務室に詰めてますので、何かあったら来てくださいね」
「あははは……まぁ、あまりお世話にならないに越したことはありませんけど」
「確かに、それはそうですね」
「おい、シャマル。あたしはもう行くぞ」
「あ、はーい。リインちゃんは?」
「私もまだお仕事があるので戻るです」
「なら、私も戻ろうかしら」

仕事が残っているのは同じなのか、少し口元に指を当てて考えるシャマル。
兼一としても無理に引き留める気はないし、結果的にいい時間つぶしになった。
丁度いいので、そろそろ戻って様子でも見ようと思っていた所だ。

「それじゃ、兼一さん失礼します。
 それと、怪我や病気じゃなくても偶にお茶でも飲みに来てくださいね」
「あ、はい。それではまたいずれ……」
「にしてもよ、茶ぐらいはまともに淹れられる様になれよな。
 せっかくもらった道具がもったいねぇぞ」
「ヴィータちゃん、抹茶は『淹れる』じゃなくて『点てる』って言うんですよ」
「し、知ってるっつうのそれくらい!!」

そんなかけ合いをしつつその場を後にする1/2八神家であった。



  *  *  *  *  *



寮の自室に戻ると、そこに広がっていたのは期待以上の光景。
何があったのかまでは定かではない。
だが、備え付けられたベッドに横になって昼寝をする翔と、その翔と兄弟の様にして並んで眠るエリオ。

翔はエリオの服をやんわりと掴み、エリオはそんな翔を抱きかかえる様に手を頭に回している。
それだけで、事細かな説明など不要な気がした。

「やれやれ、そんな恰好で寝てると風邪をひくよ」

そんな二人を起こさない様に、優しく毛布をかけてやる兼一。
どんな夢を見ているかは分からないが、二人の表情から良い夢を見ているのだろうと思う。

「さて、今のうちに荷解きの続きでもするかな」

ただし、二人を起こさない様に静かに。
その条件の下、運び込んだ大量の段ボールの山に挑んで行く兼一なのであった。
何しろ、さっさとやらないといつまでたっても片付かない。


そうして自分と翔の分の荷物を片付け終えたところで、昼寝をしていた二人は目を覚ました。
その後は残ったエリオの荷物を三人がかりで片づけたのだが、はじめのうちエリオは一人でやろうとしていた事を追記する。
そして、一通りの片づけを終え快適な居住空間の構築に成功した三人は、なぜか一緒に風呂に入っていた。

「ほらほら、エリオ君は僕の前、翔はその前ね」
「え? え? え?」
「は~い」

翔と打ち融けこそしたが、まだ兼一にはどこか緊張気味のエリオ。
だが、そんなエリオを余所に話を進めていく白浜親子。
エリオからすれば、気付けば風呂場に連行されていたという気分なのだろう。

「えっと、これでどうするんですか?」
「それはほら、定番の流しっこ。
 終わったら今度はエリオ君が僕の背中で、翔がエリオ君の背中ね」

どうやら、あまりこう言ったことの経験がないらしく、困惑気味のエリオ。
しかし、続く翔の発言でその顔は途端に赤面することになる。

「うん。兄さまの背中洗う~」
「そっか、エリオ君はお兄ちゃんか」
「お、お兄ちゃん!?」

まだ、親元で何も知らずに普通に暮らしていた頃。
一人っ子ならだれもが一度は考えるであろう「兄弟が欲しい」という願望を、エリオも当然の様に持っていた。
だが、日常の崩壊と共に知った真実、以降そんな事を考えた事はない。
そんな余裕がそもそもなかったし、余裕が出てきてからはどうやって育て親とも言える人の力になるかばかり考えてきたのだ。それに、今更自分に兄弟などできはしないと諦めてもいた。

しかし、今日出会った自分同様育て親の力になりたいと願うもう一人の少女。
ある意味、彼女とエリオは「きょうだい」の様な間柄だろう。
もちろん、兄なのか姉なのかを論ずることに意味はないし、強いて言うなら双子に近いのだろうが。
だがまさか、こんな形で、忘れた頃になって自分が「兄」と呼ばれる日がこようとは。
知らぬうちに口角の緩む自分がいることに、エリオは気付いていない。

(そ、そっか。翔は年下だし、お兄ちゃん…か)

それは、思っていた以上に甘美な響きで、気付けばいつの間にか兼一の背中を流していた。
どうやら、舞い上がっているうちに向きが変わってしまっていたらしい。
しかし、背中に感じる年下の同居人が背中を洗う感触は……イヤじゃない。

同時に、眼の前に広がる思っていたよりも遥かに逞しい背中に、ずっと前に失った物を幻視する。
思い出す度に痛みしか伴わなかった記憶だった筈なのに、今はそれもない。
それどころか、驚くほど心は静かで穏やか。あるのは、何も知らず幸せだったころと同じ気持ちだけ。

(そう言えば、昔は父さんの背中を流したりしたこともあったんだよね。
 それが『僕』の記憶なのか、それとも『僕の元になった僕』の記憶なのかは分からないけど。
 でも………………………何だろう。胸が、あったかい)

そうして、機動六課での最初の夜は更けていく。
これから始まる弟分とその父との共同生活に、エリオは胸を弾ませていた。
その心に、初めて会った時の緊張はすでにない。

それを証明するように、その晩三人は同じベッドで眠った。
まるで、本当の親子の様に。身近に感じるその温もりに、かつて失った安心感に、エリオが知らず知らずのうちに涙していた事を、彼が寝付くまで起きていた兼一だけが知っている。






あとがき

はい、新章突入ですがまだなのは達は出てきません。
ちょろっとはやてが出てきただけですね。たぶん、なのはやフェイトは次あたりです。

それと、兼一が修業の仕上げに行った修業。これはまだ秘密。
ですが、ちょっとヒントも出しましたし、割と気付く人は多いかも。
兼一が弟子をとったとしたら、必ずその甘さがネックになるのは間違いありません。
そして、武術の伝承においてその情が時に妨げになる以上、それをどうにかする必要があります。
その前提のもと考えて出した、かなり無茶な修業法です。

あと、実はエリオとの風呂で「御家族は?」という地雷を兼一に踏ませるつもりだったのですが……………………さすがに空気読めなさすぎるのでやめました。その代わりがヴィータとのくだりですね。
いくら「相手の心の中心直接攻撃」が得意技とは言え、エリオ相手にこのタイミングでそれは不味い。

さて、次からはいよいよ六課本格始動。
なのははどのタイミングで兼一の存在に気付くのやら……上手くやれるようにしたいものです。



[25730] BATTLE 14「機動六課」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:25

白浜親子が機動六課の寮に入って一週間。
今日ついに、遺失物管理部機動六課は正式稼働の日を迎える。
……のだが、寮の施設管理が仕事の兼一からすれば、関係あるのかないのか微妙なところだが……。
何しろ、正式稼働する前とした後で、特別仕事内容が変化するわけでもないのだから。

ただし、だからと言って一日の流れが全然全く変わらないと言うわけでもない。
例えばそう、正式稼働に合わせて遅れて異動してきた弟子の指導とか……。

「清々しい気持ちのいい朝だ、空気もおいしい。そうは思わないかい、翔、ギンガ」
「ゼーハー…ゼーハー……そ、そうですね。
このマスクさえなければ、爽やかな空気を肺一杯に吸い込めるんですけど……」
「父様~、このマスクとっちゃダメ?」

早朝恒例となった、地蔵を担いでのジョギングの名を借りた全力疾走。
ギンガに至っては優に十キロを超える距離を走らされた結果、二人はすでに息も絶え絶えの有様。
その上、頭に酸素が回り切っていないのか、二人の頭は揃って朦朧としている始末。
にもかかわらず、返ってきた答えは無情の一言に尽きる。

「ダメ。これも修行だ、頑張ろう」
((どうしてこの人【父様】は平気なんだろう?))

二人が心中でそんな事を呟くのも無理はない。
なにしろ兼一は、巨大な仁王像を背負った上でギンガを軽く十周以上は周回遅れにしている。
まあ、十を越えたあたりでギンガも数えるのをやめてしまったので、正確な数は不明だが。

それはともかく、それだけ走ったくせにその息が切れる様子はない。
それどころか、額に僅かに汗を浮かべるだけで疲れた素振りも見られない。
もしこの場に誰かいても、兼一の事しか見ていなければ軽い運動をした程度にしか思わないだろう。
兼一に限れば、本当に文字通り「爽やかな朝」としか表現のしようがないほどなのだから。

「と、確かギンガはこれからホールに集まるんだったよね」
「あ、はい。八神部隊長が挨拶をすると聞いてますけど……」
「そっか、時間もそうないし初日から遅刻は不味いね。
翔は柔軟、ギンガは硬功夫の後に少し歩いて終わりにしよう」
(絶対少しじゃないのよね、この人の場合。早くしないと、本当に遅刻しちゃう……)

兼一に正式に弟子入りして早二ヶ月。いい加減、その傾向と言うかパターンはわかってきた。
一言で表すのなら、万事全てにおいて「限界ギリギリ」なのである。
兼一自身、過去の経験から人体の限界を知りつくしている上に、幸か不幸か、ギンガの身体は常人以上に頑強だ。
普通ならとっくに壊れていてもおかしくない特訓も、ギンガなら耐えられてしまう。
才能と素質に恵まれていると言うのも、こうなってくると考えものだろう。

まあ、それはともかく。
「まとも」の対極とも言える修業を乗り越えてきた兼一がさせる事が、常識的である筈もなし。
翔は例によって例の如く、兼一発案の下108で製作された柔軟器具で各関節をありえない方向に曲げられている真っ最中。そして、ギンガの場合はと言うと……

(くぅ、ただでさえ重いのに…こう揺らされたら……!)
「ほらほら、身体がぶれてるよ。膝を使って上下左右の揺れをちゃんと吸収する」
「は、はい!」

小型の地蔵を抱えた兼一を肩に乗せ、中腰のままゆっくりゆっくりと進んで行く。
それも、ギンガの足の下には鈍い銀色を放つ小振りの球体。それが左右の足に一つずつで計二つ。
よくもまぁ、こんな物の上に乗っていられる物だ。
それも、足の裏で器用に転がしながら進んでいるのだから、相当なものだろう。
その間兼一はと言うと、ギンガの上で地蔵でお手玉をしている真っ最中。

肩の上でそんな事をされれば、普通は盛大に上半身が揺れそうなものだが、ギンガのそれは恐ろしく小さい。
柔らかく全身、特に膝を使うことでクッションとし、振動を逃がしているのだ。
そうすることで、耐震工事を施された建築物の如く、身体の揺れを最小限にとどめている。

(うん、だいぶ揺れなくなってきた。
 これなら、ローラーブーツを使ってもそんなに重心はぶれないだろうし、そこそこの相手にはいけそうかな)

重心が安定すれば、それだけ大地…即ち足場を捉える力が増す。
それは転じて、震脚によって得た力を蹴りや突きに乗せやすくなることを意味する。
また、バランスを崩す事も減って行くだろう。

特にギンガの場合、ローラーブーツを使う性質上、普通に立っているよりバランス面で難がある。
その辺りを懸念して課した訓練だったが、予定よりも修業の進みが早い。
そんな弟子の成長に、声には出さず喜ぶ兼一。

この二ヶ月、教えられる限りの事は教えてきたつもりだ。
それが今、こうして形になってきているのだから嬉しくない筈がない。



その後、朝のメニューを終えたギンガは汗を流し身支度を整えるべく一端自室に戻る。
白浜親子もそれに倣い自室に戻ると、そこには顔を洗い終えたばかりの同居人の姿があった。

「あ、起きてたんだ。おはようエリオ君」
「おはよう、兄さま!」

首にタオルをかけ、寝間着姿で出迎えるエリオ。
そんな彼に、翔は駆け足で駆け寄るとおもむろに飛びついた。

「っと。おはよう、翔! それに、兼一さんも」

抱きついてきた小さな体を受け止め、ゆっくりとおろしながら挨拶を返す。
初めて会った時の堅さはすでになく、好意的な視線を向けている。

「今日も走ってきたんですか?」
「うん、隊舎の周りをちょっとね」
「起こしてくれれば僕も行くのに……」
「ごめんごめん」

少し不貞腐れた様な表情を浮かべるエリオに対し、兼一は苦笑しながら軽く頭を下げる。
過去の事もあってかどこか遠慮しがちで「甘える」事が苦手なエリオだが、兼一にはこうした表情を見せるようになってきていた。
それというのも、眼の前で父に甘える翔の姿に無意識のうちに触発された影響だろう。
彼とてまだ十歳。どんな過去を持っていようと、まだ子どもであることに違いはない。
甘えられる大人、と言う存在がいるに越したことはない。

「じゃあ、明日は兄さまも走る?」
「え、いいん…でしょうか?」
(う~ん、まあそれくらいなら大丈夫かな)

慣れていないエリオだと、兼一達のノリにはついていけない可能性が高い。
しかしそれも、走るだけならペースと距離を調整してやればなんとでもなる。
別に、何か後ろ暗い事をやっているわけでもないのだから。

そうして、正式な保護者のあずかり知らぬ所でエリオは禁断の世界に片足をつっこんだのだった。



BATTLE 14「機動六課」



涙にぬれるつぶらな瞳、不安そうな幼い表情。
どちらも、一目見れば誰もが罪悪感から挫けてしまいそうな幼子の武器。
それを無自覚ながらも巧みに使い、翔はエリオを上目遣いに見上げていた。

「行っちゃうの、兄さま?」
「うっ!?」

そのあまりの攻撃力に、エリオの決心が揺らぐ。
それはさながら、鋭い槍で心臓を貫かれたかの如き衝撃。
同時に内心では「そういえば昔、フェイトさんが帰る時に泣きそうになってたらフェイトさんまで泣きそうになってたけど、それってこういうことだったのか」とかつての自分に重ねていたりしたのだが、それは余談だろう。

「ほら翔、エリオ君もこれから仕事なんだから無理を言わない」
「……はぁい」

兼一に注意され、ションボリとうなだれる翔。
それにますます心を揺さぶられ、心中穏やかではいられないエリオだが、兼一の言う通りこれから仕事。
まさか、初日からサボるわけにはいかないし、そもそも生真面目な彼に「サボる」と言う発想自体がない。
故に、断腸の思いで翔の眼を振り切ろうとするが…………出来ずに口からはこんな言葉が漏れていた。

「えっと…………ほら、戻ったら遊ぼう、ね?」
「でも、兄さま明日もお仕事あるんでしょ?」
「少しくらいなら大丈夫だよ。あ、あんまり遅くまではダメだけど……」
「うん♪」

一度は遠慮がちに尋ねた翔だったが、結局は満面の笑顔を浮かべる。
それに釣られてエリオも笑い、その手は自然と翔の柔らかな黒髪を撫でていた。

「ごめんね、エリオ君。いつも翔の我儘に付き合わせちゃって……」
「あ、そんな事は全然」

苦笑を浮かべながら謝る兼一に対し、エリオは嫌な顔一つ浮かべずに首を振る。
彼にとっても、今までにあまり経験のないこの交流は新鮮で心地よい物なのだろう。
そうして今度こそ、エリオは二人に背を向けて隊舎へと駆けだした。

「それじゃ、行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
「うん! 行ってらっしゃい兄さま!」

翔は大げさなまでの身ぶりで手を振り、妙に似合うエプロン姿で箒を片手に兼一も小さく手を振っていた。
徐々に小さくなっていくその背を見送った二人は、そのまま玄関先の掃除を始める。

とはいえ、エリオが出て行ったことからも分かる通り、今は丁度出勤時間。
寮からは次々と人が現れ、皆一様に隊舎へと向かって出て行く。まぁ、当然と言えば当然だが。
兼一と翔はそんな面々を送り出していくわけだが、そこで見知った顔がやってきた。

「あ、ヴァイス君、おはよう」
「オッス、朝から精が出るじゃねぇか」

上着を肩にかけ、ネクタイを結びながら出てきたのは隣部屋の住人。
階級ではだいぶ彼の方が上なのだが、年が近い事や彼の人となりもあってすっかり打ち解けている。
ただし、それはあくまでも兼一との関係に限った話。相手が翔になると……

「ようチビ助、相変わらず親父にべったりだよなぁ、お前」

ヴァイスの言葉に一瞬表情を凍らせる翔。
だがそれも、返される翔の言葉でヴァイスもまた凍りつく。

「おはようございます、ヴァイス“おじさま”」
「………………」

頬ひきつらせ、眉を震わせるヴァイス。
深く深く息をつき、彼は翔の頭に両手を伸ばしてこう言った。

「良し。『お兄さん』だっつってんだろうが、このガキ!! 俺はまだ二十代だ!!」
「あいだだだだだだだ!!?? や、やめてよ“おじさま”」
「お兄さんだ―――――――――――!!!」
「仲いいよねぇ、二人とも」

両手を握りこみ、翔のこめかみに当てがって強くグリグリと押し込むヴァイスとそれに苦悶の声を挙げる翔。
しかし、全く懲りていないようで尚も「おじさま」と言っているが。
そんな二人を、兼一はとても微笑ましそうに見守るのであった。



  *  *  *  *  *



その後、隊舎に出勤していく寮の面々を見送った兼一と翔は、玄関前の掃除を終え、今は花壇の花に水やりをしている。
今頃は、隊舎で部隊長の挨拶でも行われているか、あるいはもう終わってそれぞれの部署に異動しているかもしれない。余談だが、なのははだいぶ先に出てしまったらしく、鉢合わせすることはなかった。

なぜ兼一がそれに出席していないかと言えば、単純にやる事があるからだ。
部隊長の挨拶は確かに重要だが、何も全隊員が出なければいかないわけではない。
というか、全員が一ヶ所に集まっては業務に支障をきたす。
なので、前線メンバーを除くほぼすべての部署で何人かは通常業務を続けており、兼一はその一人という事だ。
で、彼は今何を考えているかと言うと……。

「う~ん、やっぱりどうせなら一年通して何かしら咲いている方がいいよね。
 こっちの花の事はまだ良く分からないし、何を植えるかちゃんと調べて計画を立てないと」

などと言う事を、ぼんやりとホースで水をまきながら考えている。
前の職の事もあり、六課内の花壇はほぼ全て兼一の担当。そういう意味では責任重大なのだ。
その間翔は何をしているかと言えば、ジョウロを手にちょこまか動きながら水やりに参加している。

父の影響もあってか土いじり草いじりを好む翔、あまりにも好き過ぎて人間を相手にする様に話しかけるほどだ。
翔の様子を見るに何やら返事の様なものも返ってきているようだが、気のせいだろう。
アパチャイじゃあるまいに、動物ではなく植物と話せるとは思えない。
しかしそこで、突然翔が立ちあがり驚いた様子で兼一の背後を指差す。

「父様! なに、あれなに?」
「ん?」

翔が示すものを確認すべく振り返ると、そこには妙なものがあった。
先ほどまでは海といくつかの六角形が組み合わされた浮島があっただけの場所。
だが今そこには、対岸と同じような近代的なビル群が出現している。
もちろん、兼一にそれがなんであるかなどわからない。

「お~、なんだろうね、あれ?」
「父様にもわからない?」
「う~ん、こっちの技術はすごいからねぇ。アレも魔法なのかな?」
「ふえ~、魔法ってすごいんだねぇ」
「凄いねぇ(でも、なんかリアリティにかけると言うか……立体映像って奴なのかな?
 あれ、でも確か、ティアナちゃんが幻術って言う魔法を使うって言ってたし、そっちかな?
まあ、どっちでもいっか)」

どうも、兼一の中では良く分からないすごい技術は全てとりあえず「魔法」と考える事にされているらしい。
まあ、魔法だろうが科学技術だろうが、どちらでもいいと言えばいいのだが。
それよりも、兼一的にはもっと重要な事がある。

「う~ん、良く分からないけど、今度使わせてもらいたいねぇ、アレ」
「何に使うの?」
「修業」
「あぅ…………えっと、どんなことするの?」
「聞きたい?」
「いい!!」

首をかしげながら問う父に対し、翔は全身全霊を持って首を振る。
どうせ聞いたところで今不幸になるだけ。何を言った所でいずれは訪れる結末なら、今だけでも心安らかに。
翔の中の動物的本能が、その救い難い事実を告げていた。
とそこで、兼一の望遠鏡も真っ青な双眸が何かを捉える。

「あ、ギンガだ」
「え、姉さま!? 父様、どこに姉さまがいるの!!」
「ほらあそこ、あの街の方に向かってる橋の上。
 ああ、スバルちゃんにティアナちゃん、エリオ君も一緒だね」
「う~ん、どこ? 全然見えない」
「まだまだ修行が足りないねぇ」
(そういう問題なのかな?)
「そういう問題なんだよ」
「っ!?」
「あ、そういう顔してたからそうじゃないかなぁと思ったけど正解みたいだね」
(そ、そっか、別に心を読めるわけじゃないんだ)
「読めないよ、全然」
(読めない、よね?)

段々本当はどちらなのかわからなくなってきた。
しかし兼一は、悩み困っている息子に悪戯っぽい笑みを向けながら、少々考える。

(う~ん、ちょっと見に行ってみようかな?
 さすがにビルが邪魔でここからだと良く見えないし)

あの様子からすると、あそこで訓練をするのは明白。
ならば師として、弟子の様子を確認しておきたい所。

また、聞くところによれば、フォワード達の指導は“あの”なのはがやると聞いている。
友人兼ライバルの妹であり、知り合って十年になる少女。
最後に会ったのは四年以上前だし、その成長も含めて気になる所だ。

(雑誌で見たけど、ホントに美人になってたもんなぁなのはちゃん。
まぁ、桃子さん似って事を考えると順当と言う気もするけど……)

また、なのははギリギリまで寮には入らなかったので、忙しかった事もあってまだ会っていない
ゲンヤからは『面白そうだ、気付くまで黙っとけ』と言われてるが、さすがにそれはどうか……。
だがそこで、何気なく視線を横に向けると何ともデコボコな二人組を発見した。

(アレって、確かシグナム二尉とヴィータ三尉。あんな所でなにしてるんだろう?)

兼一達がいる所よりもいくらか高い場所、そこにはスターズとライトニングの両副隊長の姿。
部下の様子を見に来ているのは状況的に間違いないが、あそこからでも街の中の様子は見えない筈。

「う~ん……よし、ちょっと見に行ってみよう」
「どうしたの、父様?」
「翔、背中に乗って。ちょっと………跳ぶよ」
「あ、うん。でも、どこにいくの? あのビルの上?」
「それも良いけど、もしかしたらもっと見やすい場所があるかもね」
「?」

翔の問いに意味深な答えを返す兼一の表情は、どこか楽しげだ。
翔は良く分からないまま父の背中にしがみつく。
経験上、全力でしがみついていないと振り落とされてしまう事を知っているのだ。
そして先の宣言通り、翔がしっかりと抱きついたのを確認した後…………兼一は跳ねた。



場所は変わって、機動六課訓練場前の高台。
空中に投影したモニターを見ながら、シグナムとヴィータは新人たちを見守っていた。

「あーもう、そうじゃねぇって!! そこはもっと……!!」
「落ち着けヴィータ、ここで叫んでも聞こえはしない」
「でもよぉ……だぁ、まぁた危なっかしい事しやがって! もうちょいでいいから周りをよく見ろ!!」

まるでスポーツ中継…それも贔屓にしているチームの試合でも見ているかのように画面に向かって叫ぶヴィータ。彼女からすれば、新人たちの動きは危なっかしくて心臓がいくつあっても足りないのだろう。
外見こそこんなだが、年齢的には間違いなく六課最高齢に位置する一人だ。
もしかすると、孫を見守るおばあちゃん的な気持ちになってしまうのかもしれない。
そんな意外な一面を見せる同胞と対照的に冷静なシグナムは、溜め息交じりにこれ以上の進言の無駄を悟る。

「はぁ……言うだけ無駄か」
「あんだよ。べ、べつにあたしはアイツらが心配なんじゃなくて……」
「お前、墓穴を掘っている事に気付いているか?」
「な、何が良いてぇんだよ!!」

自覚があるのか、顔を真っ赤にしてシグナムに食ってかかるヴィータ。
どれほど年月を積み重ねても、彼女の直情径行や外見通りの子どもっぽさは変わらない。
長い付き合いのシグナムとしては、ヴィータのそういうところには安心感すら覚える。

「気付いていないならいい。良くも悪くもそれでこそお前だ」
「勝手に一人で納得すんなよな……って、バカ! ガジェット相手にウイングロードはヤベェ!!」
「見事に突っ込んだな。怪我はないようだが」
「ふぅ……あ~、心臓に悪ぃ」

ウイングロードから振り落とされ、ビルの窓に突っ込んだスバルの無事を確認して安堵のため息をつくヴィータ。
どれだけ悪態をついて否定しようとしたところで、これでは説得力などある筈もない。

「まぁ、お前の言う通りヨチヨチ歩きのヒヨッコだからな、仕方あるまい。
それに、アイツらを一人前にするのがお前たちの仕事だろ?」
「そりゃそうだけどよ」
「それに、危なくなればお前に高町、テスタロッサ、あとはまぁ……私もいる。
 仮に怪我をしてもシャマルが治す。そう簡単に、壊れさせはせんさ」
「……」
「それでも不安なら、ギンガもいる。
同じ陸戦のアイツなら、時に空に行かねばならん私達よりフォローには向いているだろうよ」
「まぁな」

陸戦Aという肩書は伊達ではないのだろう。
あるいは、二人は直接的にギンガの実力を知り、それが信頼に足るものとわかっているのかもしれない。
いずれにせよ、ヴィータもギンガの事についてはある程度信頼していることがうかがえる。

「っと、終わったようだな。お前の評価は?」
「辛うじて及第。はじめてにしちゃー良く対処したんじゃねぇか。
 ま、実戦でこんな手間取ってたらアウトだけど、これでやり方はわかっただろ。
 次からは今の半分で終わらせてもらわねぇと」
「厳しいな。ティアナなど、AAの技術まで使ったと言うのに」
「らしくねぇこと言うなよ。敵がそんな事考慮してくれるかっつーの」
「だな」

ヴィータの言に、苦笑交じりにうなずくシグナム。
だがそこで、二人は全く同時にふっと背後を振り向く。

「む?」
「あん?」
「あ、すみません。僕達もちょっと同席させていただいて良いですか?」
「てめぇは……」
「ああ、確かにバックヤードの」
「白浜兼一二等陸士です。シグナム二尉、ヴィータ三尉」

彼我の距離はおよそ5m。突然振り返った二人に対し、兼一は翔を乗せたまま敬礼する。
それに対し、二人も敬礼を返す。ただし、先日の事もあってヴィータは非常に不承不承とだが。
そんなヴィータの様子をいぶかしみながらも、シグナムは兼一にその訳を問う。

「一ついいか? 単なる興味なのだが、バックヤードなのになぜ?」
「あ、ご存じないですか? 僕、ここに来る前は陸士108にいたので」
「なるほど。ならちょうどいい、今しがた新人たちの番が終わった所だ。
 ギンガが目当てなのなら、もうじき始まるだろう」
「……………………………………ま、見たいってんなら見りゃいいじゃねぇか」
「すみません」
「ありがとうございます!」
「お、おう」

不機嫌そうではあるが、さすがに無碍に断るのも気が引けたのか、承諾するヴィータ。
彼女としても、純真無垢な翔の瞳があっては突っぱねるのは難しかったらしい。

そうして、シグナムとヴィータは再度兼一から視線を逸らしモニターを見る。
だがその瞬間、二人はある事に気付く。

(…………………………待てっ! これは、どういう事だ!?)
(おいおい、こんなに近づかれるまで気付かなかったってのか、あたし達が?
 なのはやフェイトでも、後ろからくりゃ近接の間合いに入る前に気付くのに……)

二人の背筋を冷たい汗が伝う。
二人も歴戦の騎士だ。背後から声もかけられずにある程度の距離まで近づかれれば、嫌でも気付く。
にもかかわらず、二人が「絶対に気付く」距離より遥かに深く彼は踏み込んだ。
あまりにも希薄な違和感。まるではじめからそこにいたかのような、あるいはいて当たり前の様な空気。

「ほら、翔。これなら見えるだろ?」
「うん! 姉さま達の顔もよく見えるね!」

驚愕と戦慄に固まる二人を尻目に、兼一は翔を下ろし二人でモニターを見る。
その横顔は、相変わらず「のほほん」としたもので、守護騎士二人の領域を大きく侵犯した者には到底見えなかった。



*  *  *  *  *



時を同じくして訓練場のビルの屋上。
機動六課、スターズ分隊分隊長を務める栗色の髪をサイドポニーにした白い制服を着る「高町なのは」は、モニター越しに自身の部下であり教え子である新人たちにアレコレとアドバイスをしている。
その数歩後ろで彼女同様新人たちの訓練を見ていたギンガは、新人たちの訓練の様子から、自分なりにガジェットと言う機械兵器への対策を練っていた。

「さて、それじゃ4人は一度こっちに戻って。次は……ギンガ、やってみようか」
「はい!」

新人4人の訓練が終われば、次にギンガの番が回ってくるのは極自然な流れ。
それまでなのはの後ろで軽く身体を解していたギンガは、待ってましたとばかりに威勢の良い返事を返す。
どうやら、4人の悪戦苦闘する姿が刺激となり、身体がうずうずして仕方がなかったらしい。
そんな様子が微笑ましいのか、なのはは薄らと頬笑みを浮かべている。

ただ、実際に現場に出る時の事を考えれば、いずれはギンガも交えての訓練を取り入れて行こうとはなのはも考えている。
しかしそれも、ある程度4人での連携が形になってからの話。
新人たちとギンガとの間に実力差がある以上、突出した戦力に引き摺られることで生じるかもしれない歪みを懸念しての事だ。
だが、ギンガが新人たちと入れ替わりに下に降りようとしたところで、そのなのはから爆弾が投げ込まれる。

「私とね」
「はい! ……………………はい?」

言っている意味がわからないとばかりに、なのはの方を振り向くギンガ。
いま、この不屈のエースオブエース様は一体何とのたまわれたのか。
ギンガは停止寸前の思考回路を再起動させ、順を追ってここまでの流れを思い返す。

(①スバル達の訓練が一段落ついた→②次は私の番→③その相手はガジェットじゃなくてなのはさん。
 ………………………なじぇ?)

①と②まではいい、極々自然な流れだ。
が、②から③へと至る流れと理屈がわからない。というか、幾らなんでも突飛過ぎる。
何がどうしてどうなれば、いきなり雲上人ともいうべきなのはとタイマンを張らなければならないのだ。
ぶっちゃけ、血迷っているとしか思えない。

(確か、なのはさんの元のランクがS+。で、リミッターで2.5ランクダウンしてる筈だから、実質AA相当。
 そりゃ、ランクの上では一つしか違わないといえばそうだけど……平和な訓練の筈が、何故か一転大ピ―――――――――――ンチ!?)

スバル達のそれを見る限り、当然と言えば当然だが、なのはの訓練は兼一のそれと違って実に常識的。
その事実を前に、言ってしまえば若干気の抜けていたギンガだっただけに、振れ幅の大きさから今や割とテンパリ気味。

なにしろ、リミッターが掛かり、ランクを落としているとはいえ、それでも相手はAAランク。
元のランクに至ってはS+。管理局全体でも5%に届かないとされる超エリート。
19歳とは言え、その力は決して軽んじられるものではない。
『不屈のエース』の二つ名は伊達ではないのだ。
幾ら出力が落ちているとはいえ、技巧面だけでも相手はギンガのはるか上を行くのだから。

「あ、あのぉ、理由をお聞きしても?」
「ん? 何かわからない所とかあった?」
「いえ、だって…私達が主に戦う事になるのが、あのAMFを発生させるガジェット…なんですよね?」
「うん、そうだよ」
「で、この訓練はそのガジェットとそれに付随するAMF環境下での戦い方を身につけるための物、で間違いありませんよね」
「そうだね。ガジェットは動きも速いし攻撃も鋭い。
なによりAMF環境下だと、普段通りの戦い方じゃ通用しないから」
「それはわかるんですが……なんでまた、いきなりなのはさんと模擬戦を?」

そう。普通この流れなら、ギンガもスバル達同様、対ガジェットの模擬戦訓練をする筈だ。
実力差や人数の差を鑑みて、ガジェットの動きのレベルや設定状況を変える事はあるだろう。
しかし、基本は同じ訓練をするのではないだろうか。
そして、ここまで来てようやくなのはもギンガの疑問…というか、胸中での混乱を理解してくれたらしい。

「ああ、なるほどね。
理由は二つ。一つは、ギンガの事だからもう大体ガジェットとの戦い方はイメージできてるんじゃないかなぁって思うからなんだけど、どう?」
「それは、まぁ……」

なのはの言う通り、確かにギンガは既に概ねガジェットとどのように戦えばいいかはイメージできている。
それと言うのも、スバル達の模擬戦を見る事が出来たのが大きい。
ガジェットの動きや主な攻撃の種類とそのパターンを見られた事もそうだが、なによりギンガとほぼ同じスタイルのスバルの闘いを見る事が出来た。
おかげで、どういった攻撃が有効で、逆にどんな行動に注意しなければならないかが概ねわかった。
スバルとは別のアプローチによる対策もいくつか講じる事が出来たし、あとはそれを直にAMFの厄介さを感じながら試していけばいい。
そう言う意味で言えば、確かにスバル達ほどの緊急性はないのかもしれない。

「もちろん、対ガジェットの訓練はやって行くけどね。
いくら対策が練れてるって言っても、実際に試さずに実戦でっていうのは危ないし」
「はぁ…それなら、理由の二つ目と言うのは?」
「……間違いなく、ガジェットには黒幕がいる」
「……」
「猟犬がいる以上、その後ろに狩人がいるんだから当然なんだけどね。ただ、今のところその狩人についてはまだ何もわかってないのが実情。その目的はおろか、人物像すらも。
 だから、場合によっては狩人自身が前に出てくる可能性も捨てきれない。そうなれば当然、衝突することもある」

ここまで聞けば、ギンガもなのはの言わんとする事がわかって来た。
つまり、ギンガにやらせようとしているのはその狩人が前に出て来た時を想定しての訓練。
より正確には、ガジェットの様な雑兵ではなく、AMF環境下で強敵を相手取って闘う為の訓練と言う事だ。
狩人の詳細が分からない以上、具体的な対策は練れない。しかし、自身と同等以上の相手と直面した際の闘いも想定しておくべきだ。

ただ、これはまだスバル達には早すぎる。
雑兵と言うべきガジェット相手に四苦八苦している段階では、それどころではない。
だが、ギンガならいきなりこの訓練に入っても大丈夫だろうと、なのははそう判断したのだ。
もしなのは達が即座にフォローに入れない状況でその事態が発生した際、新人達に変わって狩人を抑える役割を期待して。

「なるほど、訓練の目的は理解しました。
 それじゃ、なのはさんとの模擬戦と言っても、やっぱりAMFは……」
「うん、当然あり。そうだな、大体……フィールドの8割くらいはAMF環境下って設定でいくつもり。
 高度の制限はどうする? ビルよりは低めにしておいた方が良い?」
「大丈夫です。その辺り、私とスバルは融通の利く方ですから」
「そうだね。とはいえ、あんまり高くにはいかない様にするけど。
 じゃあシャーリー、この設定でお願い」
「は~い♪」

なのはの指示を受け、眼鏡の少女シャーリーこと「シャリオ・フィニーノ」は手元のコンソールを操作して訓練場の設定をいじり始める。
視線を下方に転じれば、どうやらちょうど新人達が戻ってきたようだ。

「とりあえず、模擬戦はあの子達の訓練の評価と課題を伝えてからだから、少し待っててくれる?」
「はい」

一度の模擬戦で割とヘトヘトの様子の4人だったが、なのはを前にして気が引き締まったのか。
なのはから今の模擬戦の評価を聞く顔は、真剣そのもの。
そんな4人を少し離れた所から眺めながら、ギンガは胸中に灯った熱の存在を自覚していた。

(さすがに勝てるとは思わない。でも、これは…………いい機会かもしれない)

白浜兼一と言う名の規格外に師事して、早二ヶ月。
基本、訓練相手は師を除けばランクが下か、あるいはほとんど変わらない同僚達だった。
別に彼らとの訓練に不満があった訳ではないし、遥か格上との手合わせと言う意味では、兼一相手に嫌という程繰り返してきた。

しかし、今度の相手は格上とは言っても、師とは全く種別の異なる射砲撃を得意とする生粋のミッド式魔導師。
先ほどは突然の事態にテンパったが、誰もが認める「エース」を相手に今の自分がどこまで通用するのか、興味がないと言えば嘘になる。
この二ヶ月の成果を試すには、望外の相手と言えるだろう。
ギンガも武人の端くれ、これで熱くならない訳がない。

(とりあえず、ギプスとマスクを外すのは必須ね。こんな物をつけたまま戦える相手じゃない)

相手は遥か格上、とてもではないが勝ち負けを論ずることのできる様な相手ではない。
例えそれが、大幅に力を制限されている今であっても。
だがそれでも、「やってみなければわからない」のが勝負事。

兼一も口を酸っぱくして言っていたではないか。
『力が強さではない様に、強者が勝者になるとは限らない』
『何十年も鍛え続けた強者が、ほんの一瞬の油断で弱者に倒される事があるのが武の世界』
実戦ならばまだしも、模擬戦なら万が一を狙いに行かない道理はないのだから。
とそこへ、なのはの話が終わったのか、スバルがひょっこり横合いから顔を出してきた。

「なんか、大変な事になっちゃったね」
「そうね。でも折角の機会だし、出来る限りの事はするつもりよ」
「うん、頑張ってね。でもギン姉……」
「どうしたの?」
「そんなマスク付けてて大丈夫なの? 風邪ひいてるならまた今度の方が」

そう言ってスバルが指し示すのは、ギンガの口元と鼻を覆う白い布。病人の証、あのマスクである。
スバルとしては今日は見学とかのつもりだったのだろうが、そうではないとなれば話は別。
病人に訓練、それも模擬戦などもってのほかだ。
そして、彼女の意見に同調する者も当然いるわけで……。

「そうですよ。私、ヒーリングもできますし、今日はゆっくり休んだ方が……」
「きゅく~」

そう言って一歩前に出るのは、鮮やかなピンク色の髪が印象的な子どもの竜を連れた少女。
少女の名を「キャロ・ル・ルシエ」、竜の名を「フリードリヒ」と言う。
アルザスという土地に住まう、竜召喚と言うスキルを保有する「ル・ルシエ」の少女。
それも、あまりに竜の加護を受け過ぎて里を追われたという程の。
だがギンガは、心配そうに見つめる面々に苦笑を浮かべながら手を振る。

「ありがとう。でも大丈夫。別に風邪とか病気ってわけじゃないから。これはね……」
「もしかしてそれ、やっぱり訓練?」

説明しようとするギンガにかぶさるように発言したのは、先ほどから興味深そうに見ていたなのは。
おそらく、彼女にはそれがどういう意図によるものかもすでにわかっているのだろう。
ただ、それがわかる者ばかりと言うわけではなく。

「それ、どういう事なんですか、なのはさん?」
「ああ、うん。結構簡単な理屈なんだけどね、マスクをつけてると息が籠るでしょ。
それってつまり、吸うにしても吐くにしても空気の流れが抑えられてってことになるよね」
「はい……って、ああ」
「うん、そういうこと。呼吸しづらいのに動きまわれば、当然消耗も激しい。
 だけど、それに慣れて行けば体力もつくし肺活量も上がる、とまぁこう言うことだね」
『へぇ~』

ティアナ以下、なのはの簡単な説明でギンガがマスクをしているわけを理解する。
普通に生活している分には気にならないが、激しく動けばその負荷はかなりの物。
実際ギンガも、兼一からは実戦時以外はとるなと厳命されている。
二ヶ月も続ければ、そろそろ効果が表れ始めている頃だろう。

なのはが容易くその意図と目的を看破できた事自体は、驚くに値しない。
なにしろ、彼女の役職は「戦技教導官」。つまり、戦闘方面の指導者だ。
それもまっさらな新人を育てることではなく、より高いレベルの技術を身に付けさせることが役目。
必然、その教導内容には訓練校のそれより遥かに高度で複雑な物も含まれる。
時には他者が行う、ないし行わせる訓練から学んだり、取り入れたりする事もあるだろう。
そうなってくると、当然なにを目的とした訓練なのか分析する機会も多い。
むしろこれは、彼女にとって癖や習慣にも等しい。
そんな彼女だからこそ、一目であのマスクが何を意図してのものか看破できたのだ。

「どうする、付けてやる?」
「まさか、さすがにそこまで無謀じゃありませんよ」
「そっか。それにしても、よく見ると随分厚いよね、それ。
 そこまでくると、普通に息するのも大変でしょ」
『え?』

顎に指を添えつつしげしげと観察するなのはの言葉に、新人達一同そろって声を挙げた。
マスクをつけている意図はわかったが、なのはの「厚い」という言葉の意味を図りかねているのだ。
見る限り、普通のマスクにしか見えないのに。

「あ、あはは、さすがなのはさんですね」
「そりゃみんなの教官だからね、これ位に気付けないと失格だよ」
「ねぇ、ギン姉、それってどういうこと?」
「ん? ほら、スバル」

不思議そうに尋ねてくる妹に対し、ギンガはおもむろに取り払ったマスクを渡す。
それを受け取ったスバルと、周りに集まる新人たちはしげしげと件のマスクを見つめる。
そして、すぐにスバルは気付いた。

「うわぁ、分厚い」
「ほ、本当に……普通の三…ううん、五倍はありますよ、これ。キメも細かいし」
「あの、ギンガさん。さすがにこんなに分厚いと相当に」
「うん、物凄く辛い」
「というかこれ、内側湿ってる気がするんですが……」
「きゅくる~……」
「ああ、少し水を含ませてるから」
『ええ!?』

今度は、ギンガを除く全員が驚愕の声を漏らす。
なのはですら、厚さには気付いても水の事には気付かなかった。
厚さだけならまだいいが、水も含ませてあるとなれば話が別。
それも当然の話で、ミッドのマスクはその技術力もあってごく薄だが、それでも五倍となれば相当な物。
その上水など含ませれば、最早それは拷問にも等しい息苦しさではないか。

「ちょ、ギンガ! それはさすがに……」
「あ、いえ。私も無茶だなぁとは思うんですけど、訓練の時も極力つけて置く様にと言うのが師匠からの命令でして……それに、慣れてくれば、まあそれなりに」
(師匠? ギンガの師匠って、お母さんだよね。その遺言って事?
 でも、このノリはまるであの人たちのような……)

そう、こう言う無茶な事をやらせる連中になのはは心当たりがある。
一般的な常識や理論を笑って無視し、非常識を常識とする頭のいかれた連中に。
自分の家族も同類と考えるとなんだか悲しくなるが……。

「ギン姉、さすがにそれは……」
「無茶、だよね?」
「うん」
「ギンガさん、これをつけて訓練って、それはちょっと……死にますよ?」
(実際、これで組手やると死にかけるんだけどね)

何しろ、ただでさえ組手中は徹底的に打ちのめされる。
その上これでは、さすがのギンガでも堪えるのは当然だ。
むしろ、今日までよくぞ生き残ったものだろう。

「あ、ちょっと待ってください、後もう一つ」
「え? ギン姉、まだなにかあるの?」

スバルの疑問に答えず、ギンガは唐突に上着を脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは、あまりにも前時代的としか言えない代物。

『ぎ、ギプス?』
(はぁ、何を服の下に着込んでいるのかと思えば、ますますノリがあの人たちみたいだよねぇ……何考えてるんだろ?)

唖然とする新人たちと、呆れてものも言えないなのは。
まぁ、長袖の上着で隠れているにもかかわらず気付いていたあたり当たり、さすがとしか言いようがない。

とはいえ、これではますますあの連中と同じではないか。
その訓練の有効性は認めるが、このノリで他の訓練もしているとなれば、注意が必要かもしれない。
このやり方は、一歩間違えば故障どころでは済まないのだから。

そもそも、ティアナ達の手前敢えて口にはしなかったが、あのマスクにはスタミナ強化以外の目的もある事になのはは気付いていた。あのマスクに隠されたもう一つの狙い、それは「動きの最適化」。
動きに無駄が多ければ、必然的に消費する体力も増える。逆に言えば、無駄が少なければ動ける時間が増すのだ。
ただでさえ息切れを起こしやすいあのマスクをつけて動くには、スタミナの強化だけでは足りない。
動きの無駄を減らし、スタミナを長持ちさせる工夫が必要となる。

おそらく、平然と動けるようになる頃には、スタミナの強化と共に動きの最適化も進んでいる事だろう。
その上、スタミナがギリギリになっても動きが雑になる事もなくなる筈だ。
ギンガの段階ならそろそろそれに着手しても良い頃だとなのはも思う。
しかし、まだティアナ達には早い。彼女達は、もうしばらくは動きの基礎を固めるべきだ。
そう考えたからこそ、なのははこの目的にはあえて触れなかった。なにしろ……

(やっぱり危険なのは確かなんだよねぇ……ちゃんと見てくれる人がいるなら良いんだけど)

確かにギンガはそろそろこの段階に至っても良い頃だ。
ただし、これにはいくらかのリスクを伴う。よほどこまめに動きをチェックし直していかないと、無駄をなくすどころかおかしな癖をつけてしまいかねないのだから。
その意味では、正直独力でやっているとしたらやめさせた方がいいかもしれないとさえ思う。
まあそれは、この模擬戦での動きを見て判断すればいいと結論するなのはだった。

「さて、もう準備はいい?」
「はい、もう他に付けてる物もありませんので」
「うん。それじゃ、行こうか」

ギンガの返事に対し、なのはもバリアジャケットを展開。
一足先に屋上の床を蹴って空に向かって飛翔すると、ギンガもその後を追ってビルを降りるのだった。



[25730] BATTLE 15「エースの疑念」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:26

ギンガからすれば唐突な、だがなのはにとっては予定通りの展開で模擬戦をする事になった二人
それを事前に知りうる立場にいた面々は、それぞれに今を過ごしている。
例えば、最新型のヘリに乗って地上本部に向かう部隊長と執務官とか。

(さ~て、そろそろなのはちゃんとギンガがドンパチやっとる頃かなぁ?)
「う~~~~」
(まぁ、リミッター付きとはいえ、ギンガがなのはちゃんに勝つのは無理やろうし、どこまで食い下がれるかが肝やね。ちゅうか、一撃でも入れられたら万々歳やな)
「う”~~~~~!」
(ただなぁ、なのはちゃんのテンションが上がり過ぎると、それすら……いや、まだ初回やし、その辺はさすがのなのはちゃんも花を持たせはせんにしても自嘲するか、うん)
「う”~~~~~~~う”~~~~~~~~!!」
(…………はぁ。できれば気付かないふりをしてたかったんやけど、やっぱりそうもいかへんかぁ……ちゅうか、いい加減鬱陶しい)
「う”~~~~~~~~~う”~~~~~~~~~う”~~~~~~~~~!!!」
「なぁ、フェイトちゃん。さっきから何を頭抱えてうなっとるん?」

十年来の幼馴染兼親友である金髪美少女執務官「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」の尋常ならざる様子に若干引き気味になりながら、機動六課部隊長の「八神はやて」は溜め息交じりに尋ねる。
正直、心優しく『基本』冷静で内気でありながら子煩悩と言っても良い一面を持つこの友人が、こんな様子なのは初めて見る。

そして、当のフェイトはと言うと、よくぞ聞いてくれましたとばかりにはやてに向き直った。
さらに雷光の速度で手が伸び、襟首を掴んで高速で振り回す。
ただし、その形の良い唇から放たれた言葉は、著しく理解不能だったが。

「ねえ!! はやてはなんでだと思う!?」
「……………………………いやぁ、せめて主語を入れてもらわん事には何とも……」
「だから! あの事だよ!!」
「せやから、どの事を言うとるん?」
「なんでわかってくれないの!?」
「まず、わからせようとする努力をしてほしいんやけど……」
「はやての意地悪……」

一向に答えを返してくれない(本人主観)はやてに、ついにフェイトは眼をうるませてうなだれる。
もし一切の音声をオフにしていれば、はやてが何かフェイトを傷つけるような事を言ったようにも見えるだろう。
実際には、彼女は全く何も言っていないのだが。
ちなみに、そんな美しき執務官の理不尽な涙に心を動かされてしまう純真無垢な妖精も同情していたりするのは、さて誰にとっての幸運で誰にとっての不幸なのか……。

「ああ!? 泣かないでくださいフェイトさん!? もう、はやてちゃん!!」
「え? これ、私が悪いん?」

あまりに理不尽な展開に、ただただ呆然とするしかないはやて。
普段なら友人のボケにはしっかりツッコミを入れるのだが、その余地すらない。
振り回されるより振り回す方が好きなはやてだが、終始ペースが乱されっぱなしである。
まあ、これでは無理もないが…しかし、純粋無垢な妖精にはこれで何かが伝わるらしい。

「もう! フェイトさんがこんなに取り乱すことなんて、エリオやキャロの事に決まってるじゃないですか!!」
「あ、ああ、なるほど。言われてみれば、確かにそやね」

確かに、納得はいった。フェイトがこれほどまでに取り乱す(暴走する)ことなど、彼女が保護者を務めるあの二人の事以外にないだろう。
だが! 正直、あの状態でそれをくみ取れと言うのは無理難題にも程があるのではないか。
納得はいったが、非常に釈然としないものを抱くはやてであった。
しかし、そんなはやてを余所にフェイトはリインの小さな手を握り締めて感涙にむせぶ。

「リインだけだよ、私の事をわかってくれるのは!!
 なのはも、眼を白黒させるだけど『なに? え、なに?』って言うだけで……」
「むぅ、なのはさんまでそうなんですか? 友達甲斐のない人達です!
 折角フェイトさんが悩みを打ち明けていると言うのに、そんなことでは友達失格なのです!!」
(いやぁ、多分それが普通の反応と思うんやけど……なのはちゃんも、苦労してはるんやなぁ)

基本、フェイトは優秀な執務官で通っている。
それは間違いではないのだが、彼女もまだ19の乙女。公私両面において悩む事、躓く事は多い。
昔とった杵柄と言うべきか、妙な所でやせ我慢をするというか心を隠す所がフェイトにはある。
そんな彼女が包み隠さず胸の内を打ち明けてくれるのは、リインの言う通り自分たちや家族くらいのものだろう。
確かにその事は嬉しく思うのだが、これはいくらなんでも……と思わずにはいられないのは罪ではない。

「で、結局エリオとキャロがどないしたん? エリオがキャロにセクハラして気まずくなってるとか?」
「何を言ってるですか、はやてちゃん! 今問題なのはエリオの事で、キャロは関係ないです!!」
「そうだよ! それに、エリオがそんなことするわけないでしょ、はやちぇ!! ……噛んじゃった」
「あ、あぁ、その…なんや、あんま気にせんでええと思うで?
 せやから、体育座りして『の』の字書くのやめへん?」
「だって、だって……大事な所で……」
(カオスや……全く話が進まへん)

この年になって噛んだ事がよほどショックなのか、一転して鬱になるフェイト。
過去初めてと言っていいこのアップダウンの激しさに、はやてもついていけなくなってくる。
エリオやキャロの事に関しては暴走がちなのは知っていたが、まさかこれほどとは……。
長い付き合いのはやてとしても、戦慄を隠せない。

その後、必死の説得によりなんとか持ち直したフェイトから、ゆっくりと順序立てて事情を聴く。
そうして、なんでこんなに時間がかかるのかと思うほどの時間をかけて聞きだしたその内容は……

「つまり、フェイトちゃんより同室の人の前の方がリラックスしてるのに嫉妬しとると」
「べ、別に嫉妬とかそういうのじゃなくて……」
(アレが嫉妬やなかったらなんやっちゅうねん)

とは、思っていても口に出さないのが優しさと言うものだろう。
はやてはちゃんと空気を読む事が出来るのだ。
下手に茶化しても、話が進まない事だし。

「で、具体的には?」
「あのね、エリオって私にも敬語でしょ? 甘えてくれる事もほとんどないし……」
「その人には敬語つかっとらんの?」
「そういうわけじゃないみたいなんだけど……」
「敬語やけど、砕けてるちゅうことかな? シャマル…とは違うにしても」
「う、うん。ニュアンスはそんな感じ」

一口に敬語と言っても、そこに込められた感情や言葉遣いで印象は変わる。
敬う気がなければ慇懃無礼に、尊敬していれば堅くもなり、気を許していれば親しさが滲む。
フェイトに対しては二番目で、その男…兼一に対しては三番目なのだろう。
フェイトからしてみれば……

「つまり……この泥棒猫が! っちゅう気分?」
「う~~~、なんで? どうして? 私の何がいけなかったの? あの人にあって私にない物は何?
 どうすれば、どうすればいいの? リニス~、母さ~ん、アリシア~……うぅ~」
(愛が重いなぁ……)

惜しみない愛情を注ぐことができる、それは紛れもないフェイトの美徳。
だが、ここまで来るとそれが重いのではなかろうか。
しかもこの愛、ただ重いだけではないときた。

「それにそれに、一緒にお風呂も入ってるし!」
(あれ?)
「その上、一緒の布団で寝てたりするんだよ!?」
(あれれ?)
「川の字なんてずるい! 私だってまだやったことないのに!!!」
(………………………突っ込んだらアカン! 突っ込んだらアカン! これは罠や)

フェイトが寮に入ったのは昨日の深夜の筈だ。
その間にどうやってそこまで調べ上げたのか、考えるだけでも恐ろしい。

「ま、まぁ、同性やし子はかすがいっちゅうからな。
 白浜二士は子持ちやし、その子が上手く仲立ちになったんとちゃう?」
「子どもがいるとそんなに違うものですか?」
「うん、リインが産まれた時もそんな感じやったで」

とりあえず話題を逸らす意味もあって、適当な事を並べるはやて。
パッと思い浮かんだ事なので、実際にどうなのかは知らない。
少なくとも、リインの事で八神家一同の絆がさらに強まったのは事実なので、嘘は言っていないだろう。

「はやて」
「え?」
「それはつまり、その子をさらえと?」

唐突にとんでもない事を口走るフェイト。その眼は当然と言うのもおかしいが、据わっている。
あまりにもテンパリ過ぎて、普段の冷静な思考など彼方に消え去っているらしい。

「誘拐は犯罪やで、釈迦に説法の筈やけど」
「じゃあ、私が子どもを作れば!」
「え? まあ、そうなったらおめでたいし、エリオやキャロも一緒に喜んで絆も強くなるかも……。
 せやけどフェイトちゃん、相手おるん?」
「いないけど、そこは気合と根性で!!」
「そ、そういう問題とちゃうんやないかなぁ……一人で出来るもんやないし」
「大丈夫! 想像妊娠って言葉もあるし!! がんばってなの……」
「それ以上は割と危険やからやめような、フェイトちゃん」

かなり危ない事を口走りかける親友の口を、最高のタイミングで閉ざすはやて。
その気があるのではないかと疑われて早十年。
本人達は頑なに否定していたが、実は本当なのではなかろうか。
それくらい、二人の仲の良さは際立っている。
これでは、某フェレットがなのはにアプローチを仕掛けないのは、「フェイトに遠慮しているからだ」と言う噂の信憑性が五割増しだ。

「え!? 想像すれば赤ちゃんができるんですか、はやてちゃん!?
 もしや、リインが産まれたのも!?」
「いや、想像はあくまでも想像でリアルにはならんよ、リイン。ついでに、当然ながら私を含め、シャマルもシグナムもヴィータも、そしてザフィーラも出産経験はない事を断言しとく。
ちゅうか…………ボケ倒すのもええ加減にしぃや!! ボケに対してツッコミの数が足らんねん!!」

ちゃぶ台でもあればひっくり返しそうな勢いで怒鳴るはやて。
ボケに対する突っ込みは彼女も好む所、むしろドンと来いだが、さすがにこれは手に余る。
腕の良し悪しよりも、絶対的に手が足りない。

「そう言えばヴァイスは白浜二士達のとなり部屋だよね。どうなの、何かしらない!?」
「は? ああ、概ね八神部隊長の言った通りみたいっすよ」
「やっぱり、想像妊娠じゃ子どもはできないんですか」
「いや、そっちじゃなくて。チビ助が坊主を懐柔して、そこに滑り込んだ感じって事っすよ」
「と言う事は、下手するとキャロまで寝とられる!?」
「寝とられるって、ちょフェイトちゃん?」
「ズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよ」
「フェイトさん、可哀そうです」
「ウン、カワイソウヤネ、色々ナ意味デ。はぁ、気にせんとちゃきちゃき行こう」
「そっすね」

どうも、今のフェイトに何を言っても馬の耳に念仏らしい。
その事を悟ったはやてとヴァイスは、これ以上関わる事をやめる。ただし……

(とりあえず、白浜二士にはコツかなんか伝授してもらう事にしよ。
 せやけどなぁ、エリオ達はフェイトちゃんの事を尊敬しとるからこうなわけで……)

おそらく、伝授してもらったところで難しいだろう。
たぶん、兼一とフェイトのどちらが好きかとで言えば、二人とも間違いなくフェイトなのだ。
ただ、フェイトが彼女の望む位置には……………たぶん、ずっとたどり着けないだろう。
何しろ、二人にとってフェイトは恩人であり目標であり、いつか力になってあげたい人。
片や、兼一はいいとこ近所の親切なお兄さんかおじさん。これでは扱いに違いが出て当然だ。
全く以って、ままならないものである。

「ん? どなしたんやリイン?」
「あ、いえ。白浜二士で思い出したですが、な~んか見覚えがある様な気がするです」
「ふ~ん、同じ日本出身やし、そのせいとちゃう?」
「そうなのでしょうか?」

まだ釈然としないものがあるのか、リインの顔は浮かない。
その答えを知る人がいるとすれば、ミッドチルダにおいてはなのはしかいないだろう。



BATTLE 15「エースの疑念」



場所は戻って機動六課訓練場。
ビル群の狭間に対峙する二人。

片や、左腕に篭手とさえ呼べない様なゴッツイナックルを装備し、足にはローラーブーツを履いたギンガ。
片や、同じく左手に赤い宝玉を備えた十年来の愛杖「レイジングハート」を手にしたなのは。
ただし、ギンガは地上からなのはを見上げ、なのはは空中よりギンガを見下ろす形。
同時にこの図式は、両者の精神的な立ち位置、実力差をも表していた。

彼我の距離はおよそ二十メートル。
射撃型ならないも同然の距離だが、白兵戦に長ける者からすると少々距離がある。
そんな距離で二人は向き合っていた。

「それじゃ、早速模擬戦を始めようと思うんだけど、準備はいい?」
「はい、大丈夫です」

なのはの問いに威勢よく答えながら、ギンガはリボルバーナックルやローラーブーツの具合を確認する。
疑うべくもなく、見上げる相手は遥か格上。ならは、初撃から全力で行くべきだ。
彼女の師はそう言った事が苦手だが、ギンガはそれほどではない。

「それじゃ、最終確認。模擬戦とはいえ、今回はあくまでも手合わせって事で、制限時間は多めの30分。
 ギブアップか気絶、あるいは戦闘不能とみなしたら終了。問題ない?」
「はい」
「うん。じゃ、元気に頑張って行ってみよう。期待してるよ、ギンガ」

上から目線による、強者からの物言い。
しかし、それも当然。相手は入局十年のベテランであり、空戦S+の猛者であり、エース揃いの教導隊の教導官。
ギンガとは、何から何まで比べる事すらおこがましい実力者なのだ。
能力限定が掛けられているといっても、差が多少縮まる事はあれ覆る事はないのだから。

(それにしても、これがAMFか。思ってたより、ずっと魔力が練りにくい。
 スバル達が苦戦したのも、これなら納得ね)

フィールド全体の8割ともなれば、もうほとんどどこにいてもAMFに晒されると考えて良い。
事実、スタート位置からしてAMFの影響下にあるときた。

(これだと、攻撃も防御もかなり削がれちゃうな。
なにより、ウィングロードのコントロールは慎重に行かないと)

実質初めてとなるAMF環境下で、ギンガは普段との違いを入念にチェックする。
脳裏によみがえるのは、先ほどの模擬戦でスバルが見せたウィングロードの大暴れ。
気を抜いていつもの調子で使えば、ギンガもスバルの二の舞を演じる可能性は大いにある。

同様に、それは基本となる攻撃や防御においても同じ事が言えるだろう。
攻撃力と防御力、双方の低下は常に念頭に置いておかなければ、致命的なミスを犯しかねない。
そんなギンガの様子を、なのははどこか楽しそうに眺めている。

(ふふ、考えてる考えてる。さて、ギンガはどうやって対処するつもりかな?)
(これだと、私の射撃魔法はほとんど使い物にならないと思っておいた方が良いかな。
 ガジェット相手ならまだしも、相手があのなのはさんじゃね……)

ギンガは白兵戦に特化している。射撃系が全くできないわけではないが、打撃に比べれば貧弱の一言。
砲撃系などの高威力の魔法がないわけではないが、その射程は短い。スタイルこそ珍しいが、割と正当な近代ベルカ式を使う彼女やスバルは「遠距離まで威力を保たせる」事に向いていないのだ。

対して、相手は唯でさえ格上だと言うのに、その上射砲撃のエキスパート。
元より拙い射撃系がさらに弱体化したとなれば、牽制にすらならないかもしれない。
となれば、こちらはあまり当てにしない方が無難だろう。
だがその半面……

(その分、要になるのは技巧と基礎力。
 この二ヶ月の成果を試すって意味では、都合が良い!!)
(良い目だ。スバル達とは一味違う所、見せてもらうよギンガ)

そうして、両者の正面にモニターが浮かび上がり、カウントダウンの画面が映し出される。
これがゼロになったら開始、と言うことだろう。
ギンガはその時に備えて構えをとり、なのははゆっくりとレイジングハートをギンガに向けて突きつける。

「「……………」」

そのまま無言で向き合う二人。
その間にも、モニター上のカウントは刻一刻と減って行き、やがてその数は5を切った。

4、ギンガが緊張した面持ちで深く腰を落とすのに対し、ギンガは泰然とした様子で、いっそ微笑みすら浮かべながら微動だにしない。

3、大きく吐き切った息を改めて吸い込み、口を閉ざす。なのはの様子に変化はない。

2、身体を前傾姿勢にし、前足親指の付け根に体重を乗せる。

1、見つめるは眼前に立つ相手だけ。それ以外の全てを排除。

0、その瞬間………………………ギンガの姿が消えた。

「レイジングハート!」
《Round Shield》

動じることなくなのはは右手を掲げ、自身の正面にシールドを展開。
コンマ数秒遅れて、重々しい打撃音と共に右腕に確かな手応えが生じた。
同時に、両者は声に出すことなく、ギンガの放った一撃、あるいはそれを防いだなのはの魔法への感想を呟く。

(重い)
(堅い!!)

なのはは思いの外、重かったギンガの初撃を余裕交じりの軽い驚きと共に称賛し、ギンガはなのはの想像以上の堅さに焦りを覚える。
やるからには勝つつもりで臨んだ模擬戦だったが、リミッターにAMFと二重の制限を受けてなおのこの堅さ。
備え付けられたスピナーが唸りを上げて回転するリボルバーナックルを、なのはは揺らぐことなく止めている。
また、堅さもそうだが厄介な点がもう一つ……。

((それに、速い!))

火花が散る勢いで拳とシールドをぶつけ合う二人の思考がシンクロする。
ギンガとしては、格上相手に後手に回ってもジリ貧になるだけと見切りを付けて仕掛けた速攻。
これで決まるなどと虫のいい事は考えていなかったが、顔色を変える位はできるのではと期待していた。

だが、蓋をあけて見ればそれすら叶わない現実。
時間としては一瞬だが、なのはからすれば充分余裕をもって対処したのだろう。
それが可能な程、なのはの魔法の発動速度は速い。
堅い上に速いと来れば、これを抜くのは生半可なことではない。
しかし、顔色を変えるには至らなかったが、それでもギンガの初撃はなのはの中の認識を改めさせるには十分だった。

(思っていたよりもずっと踏み込みが速くて鋭い。相当に足腰を練り上げてる。
 危うく見失いかける所だったよ)

あんな『乗り物』に乗っているだけあると言えばそうだが、それだけではない。
同じスタイルのスバルを基準にある程度上に想定していたギンガの踏み込みだったが、実際には予想を大きく上回って来た。
それだけ、ギンガの足腰が良く練られていると言う事だ。

(それに……)

良く目を凝らさなければ気付かないほど小さいが、ギンガの拳はなのはのシールドにヒビを入れている。
リミッター付きとはいえ、堅さに定評のあるなのはのシールドにヒビを入れるとはたいしたものだ。
このままぶつかり続ければ、いずれは先にシールドが限界を迎えるだろう事は明白。

実力差を理解した上で先手を封じるべく仕掛けて来たギンガの健気さは評価するが、ここで手を拱いているのはなのはの流儀ではない。
ならば、次の手を打つのは当然のこと。

「アクセル!」
「っ!?」

なのはがレイジングハートを保持する左腕を一振りすると、彼女の周囲に桜色の光弾が計八つ出現する。
それを認識すると同時に、ギンガはシールドの粉砕を諦め大きく後方に飛ぶ。

「シュート!!」

それを追って、八つのシューターがギンガ目掛けて飛翔する。
ギンガは急ぎウィングロードを発動させ、慎重にコントロールしながらその上を疾走。
瞬く間の内に彼我の距離は広がり、縦横無尽に紫色の帯状魔法陣が張り巡らされていく。

「くっ! やっぱり、振りきれないか……」

案の定…と言うべきか、シューターの速度はギンガの機動力を上回る。
方向転換やビルなどの遮蔽物を利用して振り切ろうとするが、一発たりとも欠けることなくシューターはギンガを追いたてて来る。

ギンガはその場で軽く飛び上がり、身体を捻ると同時に3つの光弾を蹴り払う。
軽く蹴ったとはいえ、重量のあるローラーブーツはそれ自体が凶器として十分成立する。
三発の光弾はその場でかき消され、残るは五発。
ウィングロードの上に着地したギンガは、今度はバックする形でローラーブーツを走らせながら受け止める。

「トライシールド!」

なのはが使った円形の盾とは異なる、回転する三角形の盾が残る光弾を受け止める。
光弾は次々に着弾するも、盾を破るには至らない。
しかし、防ぎきった筈のギンガの表情に余裕や安堵の色は見られなかった。

(やっぱり、シールドの構成も甘くなってる。
 今は防げたけど質と量、どちらかが増えれば防ぎきれない……!)

シールドを使って攻撃を止めたと言う行動は同じだが、その意味が大きく異なる事をギンガは理解していた。
なのは余裕を持って防いでいたのに対し、ギンガにはそれがない。この段階で既に汗が滲んでいる。

本来、前衛であるギンガのシールドとて充分以上に堅いのだが、AMFの影響下ではその強度が激減していた。
AMFに晒されているのはなのはも同じなのに、この違い。
影響下での闘いに不慣れと言う事もあるのだろうが、なにより技量の差が大きいのだろう。

とはいえ、そう悪い方に考えてばかりいても仕方ない。
分が悪い事はハナから承知の上だったのだ。ならば、それを踏まえた上で闘うしかない。
故に、ギンガは頭を切り替えなのはの姿を探す。
追撃は今のところないが、次の瞬間に来ても不思議はない。
出来れば、その前に位置を掴んで距離を詰めておきたい。

「なのはさんは?」

なのはを探すと同時に狙いを絞らせない様、ウィングロードで移動しながら周囲に視線を向ける。
少しは時間がかかるかと思ったが、なのはの姿は直に見つかった。

「ま、仕方ないって言うのはわかってるんだけどね……」

それでも、やはり悔しいと思ってしまうのはどうにもならない。
なにしろ、なのはは開始位置から動いてすらいなかったのだ。
自身の周囲に先ほどの倍となる十六発のシューターを展開し、ギンガが来るのを待っている。

ならばとばかりに、ギンガはウィングロードをなのはの頭上へと伸ばし、直角に等しい角度で曲げる。
そうして有利な立ち位置を占めたギンガは、ウイングロードを滑走しほぼ真上からなのはに迫る。

「はぁぁっ!!」
「…………」

しかし、なのはの周囲に展開されたシューターは飾りではない。
なのは目掛けて移動を開始すると同時に、次々にシューターから光弾が放たれる。
ギンガはそれをシールドで防ぐが、十発受けた所でシールドが砕けてしまう。
あとは可能な限り小さな動作で回避し、それが無理な時は前に突き出した右拳で払い、打ち落とす。
その間、リボルバーナックルを備えた左拳は腰だめに構えられ、今か今かと放たれる時を待っている。

「ぐっ!?」

だが、さすがになのはの攻撃を回避と右腕だけで防ごうと言うのは無理があったのか。
肩と脇腹に一発ずつ被弾してしまうが、それでもギンガの速度は衰えない。
それどころか、進めば進む程にその速度は増していく。

(強引にでも突破する気だね。だけど……)

そしてついに弾幕を突破し、ギンガはなのはを間合いに捉えた。
同時に、ウィングロードそれ自体を踏み砕かんばかりの勢いの震脚。
それによって得られた力を増幅させるべく腰と背筋が緻密に連動し、凶悪なまでの力が鉄拳に注ぎ込まれていく。

(打撃系の真髄は一つ、出力も射程も防御も強さも関係ない! 相手の急所に正確な一撃、ただそれだけ!!)
(そう簡単にはいかないよ)

頭頂部目掛けて振り下ろされる鉄槌の如き拳。
それをなのははレイジングハートでいなすも、即座に切り返し右拳から放たれた二撃目が顎を狙う。
しかし、あと少しで届くと言う所で、掌大のシールドによって阻まれてしまう。

「うん。やっぱり、左に比べて右が軽い」

そう。基本ギンガの拳打は、重さと堅さを兼ね備えたリボルバーナックルに覆われた左拳がメイン。
左拳と比べて、素の状態に近い右拳はどうしても軽い。
それを理解した上でギンガの狙いを見切っていたからこそ、左をいなし右を止める事を選択したのだ。
なのははそのままバインドでギンガの四肢を拘束し、近接砲の構え。
見る見るうちにギンガの目の前が桜色の輝きで染められていくが、ギンガは焦ってはいなかった。

「ひゅ………せいっ!!」

その場で重心を落とし、右足でウィングロードを踏み込むと一息に左足を振り抜く。
すると、左足を拘束していたバインドは引きちぎられ、なのはの鼻先を鋭い前蹴りが通り過ぎる。
蹴りの軌道上にあった発射直前の魔力は蹴りあげられ、二人の頭上で爆散。

その間にギンガは残るバインドを破り、再度なのはへの接敵を試みる。
だが、今度はなのはの方から間合いを取り、追撃を掛けようとするギンガを牽制すべく魔力弾が両者の間を飛び交う。
機先を制されたギンガは追うに追えず、自身もまた距離を取り仕切り直しを図る。

しかし、それは同時にギンガがなのはを開始位置から動かす事に成功した事も意味していた。
そんなギンガを、なのはは一滴の冷や汗と共に見やる。

(びっくりしたぁ。足腰をよく練っているとは思ったけど、まさかここまでとは……)

バインドで拘束した時点で詰み、とまではいかないにしても、一発大きいのを入れられると踏んでいただけに、驚きもひとしおだ。
最初の踏み込みでギンガの足腰への評価を上方に修正した筈だが、それでも見込みが甘かったらしい。
あのバインドを一発で引きちぎるとは、ギンガの足腰の強さは目を見張るものがある。
それも、いまは身体強化が上手く作用しないAMFの影響下。すなわち、素の身体能力の影響が大きい。
一体、どれだけ身体を虐め抜いて来たのやら。

(なんて言うか、どこかの誰かさん達を思い出すなぁ……)

ギンガが何をした所で確実に対処できるだけの距離を取った所で一息つき、なのははギンガへの認識を改める。
どうやらギンガは、なのはの予想を大きく上回るレベルで成長しているようだ。
気を抜いていると、手痛いしっぺ返しを食うかもしれない。
故に、なのはは気を引き締め直し、同時にギアを数段上げることを決める。
正直、なのは自身「最初なのにやり過ぎかも」と思わないでもないが、今のギンガにはこれ位で丁度良いとの判断だ。そうして、それまでとは別種の鋭い眼差しをギンガへと向ける。
そんななのはに対し、当のギンガはと言うと……

(近い様に見えて、やっぱり遠い。今にも届きそうなのに、あと少しが凄く遠く感じる。
 …………………まずは一撃。一つずつ丁寧に行こう)

後一歩と言う所まで行けているのは、ひとえになのはが格上として受けて立ってくれているからである事を、ギンガは正しく理解している。
だからこそ、挑戦者らしく一つ一つを丹念に積み上げ、まずこの拳をとどかせる事を念頭に置く。
クリーンヒットとか倒すとかは二の次、できる事を丁寧にやるのみだ。

ただ、それは少し遅かったかもしれない。
なのはの周囲には、先ほどと同じ十六発のシューター。
だが、放たれる威圧感が違う。それどころか、場の空気そのものが一変している。

先ほどまではなかった、刺す様な緊張感で満たされていく。
嫌が応にも、ギンガは状況が変わった事を理解せざるを得なかった。



  *  *  *  *  *



一部始終をビルの屋上でモニター越しに見ていた面々は、詰めていた息を吐く。
開始当初からここまで、新人達にとっては息つく暇もない攻防だった。
知らず知らずのうちに手に汗握り、息をすることすら忘れてしまう程に。
そうして、ようやく余裕が戻ってきた所で……スバルがはじけた。

「凄い! 凄いよ、ギン姉!! ねぇ、ティア~♪」
「だぁもぅうっさい上に暑苦しいのよ、このバカ!!」

歓喜のあまり飛び上がり、そのまま相棒に抱きつくスバルとなんとか引き剥がそうとするティアナ。
そんな二人を少しばかり羨ましそうに見て、続いて隣に立つパートナーと視線が合い慌てて逸らすエリオとキャロ。
ただ、数歩下がって見ていたシャーリーはそんな二人を、「ムフフフ、初々しいんだからもぉ」と微笑ましそうにしている。
とそこで、気を取り直す様にエリオとキャロが先ほど見せたギンガの技量を絶賛する。

「でも、ホントすごいですよね!
 あのなのはさんと闘ってるのに、一歩も引いてませんよナカジマ陸曹」
「本当に、なのはさんのシューターってあんなの速いのに、どんどん前に出て行って……」
「えへへ~♪」

最愛の姉であり尊敬する師を褒められる事が我がことの様に嬉しいらしく、口元がだらしなく緩むスバル。
そんな自分にティアナが視線を送っている事に気付いたのか、スバルのティアナを抱きしめる手に力が籠る。
ただし、向けていたのは「呆れ」の感情と視線だが、スバルは気付かない。
また、これ以上締めつけられてはかなわんと、ティアナはスバルの顔を押し返す。

しかし、スバルはスバルでそんな事は気にすることなくティアナに話しかける。
ティアナが素っ気ないのは今に始まった事ではない以上、この程度でめげるスバルではない。

「ねぇねぇ、ティアもそう思うよね!!」
「はいはい、そうね。わかったから、だきつくなっつーの!」
「いいじゃーん、減るもんじゃないし~」
「まぁ、ね。防御に限らず「え、無視!?」何て言うか…流れるような動きは本当にすごいと思うわよ」
「でしょ~♪」
「だから! べたべたするなって言ってんでしょうが!!」

一度は発言をスルーされた事にショックを受けるスバルだったが、顔を逸らしながらも同意するティアナに満面の笑顔を向ける。全く以って、子どもの様に表情がコロコロと変わる少女だ。
だがそこで、ティアナの表情に怪訝そうな色が浮かぶ。

「でも、何て言うか……」
「どうかしたんですか、ランスター二士?」
「きゅくる?」
「ん? いや、ギンガさんの戦い方がね、少し変わったかなって。余裕があるって言うか……」

キャロからの問いに、ティアナは自分自身でその意味を吟味する様に慎重に返事を返す。
実際『そんな気がする』と言うだけで、なにがどう変わったのかは上手く言葉にできないのだ。
ただ、ギンガのスタイルはスバルのそれとほぼ同じ。
違いがあるとすれば、技量や利き腕の問題から来る左右の違い程度。
故に、ギンガとスバルのスタイルは『鏡映し』と言っていい物だ。

そして、スバルとティアナは陸士訓練校時代からのコンビ。
およそ、身内を除けばティアナほどスバルの動きを熟知している者はいない。
そんなティアナだからこそ、ギンガの変化…その一端に気付きかけているのかもしれない。

「そうなんですか」
「まぁ、なんとなくなんだけど。あんたはどう、スバル」
「え、そうかなぁ? そりゃ、蹴りとか突きとか前より全然鋭くなってるなぁとは思うけど」
「そう。じゃ、私の勘違いか……」

しかし、当のスバルにエリオからの問いを振ってみると、返ってきた答えは「消極的なNo」。
ギンガの身内であり教え子であるスバルにそう返されては、ティアナとしても自身の思い違いと判断せざるを得ない。

「あ、でも……」
「ん?」
「なにか、気付いた事があるんですか?」
「いや、気のせいかもしれないんだけど、今なのはさんが下がった時、ギン姉の拳が開いてた気がして……」
(格闘型、それも打撃系のギンガさんが拳を? そんな筈が……)

事実、シューティングアーツやその元となったストライクアーツは打撃を主とした技術体系だ。
そもそもストライクアーツ自体、広義において「打撃による徒手格闘技術」の総称なのである。
故に、投げや関節、あるいは締めと言った類の技はない。
つまり、ギンガが戦闘中…それも相手が目の前にいる状態で拳を解くなどある筈がないのだ。
なにしろそれは、闘う意思を放棄するのと同義なのだから。

(いや、掌打狙いだったとすれば別に不思議じゃないか。
 リボルバーナックルは拳で使ってこその武装だけど、右腕だったらその限りじゃないんだし)

開いていたのが左右どちらだったのかスバルに確認しようか迷ったが、ティアナは僅かに首を振ってその疑問を捨てる。
確認するまでもない。拳を解いたとすれば、それはリボルバーナックルを装備していない右拳以外にあり得ない。

それよりも、再開した戦闘に意識を向けなければ。
空戦型と陸戦型の違いはあれ、おなじセンターガードであり射砲撃を得手とするなのはの戦いから学べるものは数知れない。

そう結論し、ティアナは胸中に湧いた違和感を消し去った。
その意味を彼女達が知るのは、後ほんの少しだけ後の事。



  *  *  *  *  *



再会した模擬戦は、先ほどまでとその様相を一変させていた。
序盤は割とギンガに自由にさせていたなのはだったが、今は違う。

飛び交う魔力弾がギンガの進路を妨害し、機先を制し、思うように動けない。
そのくせ、少しでも隙を見せれば容赦なく突いてくる。
後手に回るまいと思っていても、先手を打たれてしまっているのが現状だ。
自然、ギンガは防戦一方になり、なのはを間合いに捉えるどころか、接近すらできずにいた。

「ほら、そうやって逃げててもはじまらないよ!」

ビル群よりやや上に陣取り、視野を確保した上で誘導弾を操作するなのはからの指摘。
全く以ってぐうの音も出ない程の正論だが、実際問題逃げ回るだけで精一杯。
一瞬でも足を止めれば誘導弾に包囲され、逃げ場すら潰されてしまうのが目に見えている。

そうなれば、後は敗北まで一直線。
為す術もなく、彼我の力量差を見せつける形で叩き潰されるのがオチだ。
それがわかっているからこそ、ギンガはウィングロードの上を死にもの狂いで逃げ回る。
無策のままなのはへ突っ込んで行ったところで、誘導弾やバインドで妨害され、その間に距離を取られてしまうだけだろう。とてもではないが、先ほどまでのように近づかせてくれるとは思えない。

(かと言って、このままでもジリ貧か……)

背後から追い立てて来るだけでなく、前後左右、さらには上下から迫る光弾。
徐々にだが、着実に追い詰められているのが分かる。
遠からず、詰将棋の如く逃げ道すら潰されてしまう未来がありありと想像できた。

(やっぱり、どこかで賭けに出ないとダメかな)

できれば、状況を変えるための糸口を見つけたいところだったが、なのはそれすら許してくれそうにない。
今でも十分加減してくれているのだろう。泰然とした様子で空にたたずむその姿には、貫禄と同時にまだまだ余裕を感じさせる。それでも楽々ギンガを追い詰めているのだから、底が知れない。
正直、リミッターによりランクの差がほとんどなくなった事で、『もしかしたら』と思っていた部分があったのだが、どうやら甘過ぎたらしい。

(とは言えその前に、まずこっちをなんとかしないと!)

最低一度は博打を打たないと、状況を変える事は出来ない。
だがそれ以前に、まずは迫りくる誘導弾の数々への対処が先決だ。

(心を乱さないで。このくらいなら、まだ心を沈めれば対処できる。
 明鏡止水よ。落ち着いて流れを読んで……間合いに入ったものだけを打ち落とす!)

散々叩き込まれた事を胸の内で反芻し、ギンガは移動する速度を緩めることなく、大きく息をついて肩の力を抜く。
心のさざなみを抑えるよう努め、今では確かに感じ取る事の出来る己の領域に気を張り巡らせる。
そして間もなく、その領域へ次々と誘導弾が侵犯を開始した。

そうしている間にも誘導弾が迫るが、ギンガの瞳に動揺はない。
一見するとゆったりとした動きで両腕が流れ、飛来する誘導弾その悉くを捌き、いなし、打ち落としていく。

(へぇ……)

もう何度目になるかわからないその光景を、なのはは改めて感嘆を宿した眼で見据える。
正直、ギンガがこの引き出しを持っていた事は驚いた。
しかも、よもやこれほどのレベルでものにしているとは……その完成度には、良い意味で期待を裏切られた。

そう。一見簡単そうに見えるが、これを為すのにどれほど高度な技術を要するかを、なのはは正しく理解している。だからこそ抱いた感嘆の念だ。
同時に、実はこっそり聞いていた新人4人の会話を思い返す。

(ギンガの動きの変化に気付いてくるあたり、さすがにティアナは目のつけどころがいい。
 まだあの子たちには見えてないみたいだけど、今はギンガの制空圏がはっきり見える。
 ギンガのレベルならできても不思議はないけど、独学かな? それとも……)

誰かから学んだか。別に、管理局内に制空圏の使い手がいないわけではないし、その可能性も充分あるだろう。
なのは自身、生来の優れた空間把握能力とたゆまぬ努力により、自身の間合い程度は正確に把握している。
制空圏の戦い方を身に付けるとなると話は別だが、どこからどこまでが自分の領域(制空圏)なのかを掌握する位は、優れた戦闘魔導師なら造作もない。
武術家にしても戦闘魔導師にしても、突き詰めればどちらも同じ「戦闘技術者」。
相互に共通する技術というのは、決して皆無ではない。

エースとして様々な戦場に立ち、教導官として数多くの人材を育成してきた彼女にはわかる。
ギンガが、かなり高いレベルでそれを修めている事が。
あるいは、一目でわからせるほどの「仕上がり」と言うべきか。

(まだまだ動きに無駄が多いけど、筋がいい。
 新人たち同様、先が楽しみな素材だ。ねぇ、レイジングハート?)
《そうですね。昔のあなた達を思い出します》
(昔の私達…か。なら尚のこと、私の様にはさせたくないな。
 そのために、私はここにいるんだから)

自分はなぜこの場にいるのか、その意味を再確認するなのは。
彼女も入局十年になる中堅だ。その間、様々な経験をして来た。
先達の務めの一つ、それは自身と同じ轍を踏ませないこと。

それをもう一度深く戒め、なのははギンガに視線を戻す。
すると、一先ず誘導弾への対処を終えたギンガは、残りが接近する前になのは目掛けて拳を突き出していた。

「リボルバー……シュート!!」

一声と共に、ナックルスピナーの回転により生じた衝撃波が飛ばされた。
ただし、なのはは特に慌てる事も動じる事もなく、近くの誘導弾を一つ操作してこれを相殺する。
だが、その際に生じた音と風により、一瞬ギンガの姿を見失う。

(なるほど、狙いは目くらまし。なら次は……)

間合いを詰めに来る筈。なのははいつでもシールドを展開できるよう準備すると共に、誘導弾の大半を引き戻し始める。
しかし、誘導弾が集まり切るより速く、ギンガは動き出していた。

「……靠撃!」

中国拳法の一手、靠撃(こうげき)。
肩や背面部で突進し、大勢の敵を押し払うときや鍵の掛かった扉をこじ開けるときなどに使われる技だ。
今回の場合、ギンガはかき集められた誘導弾を大勢の敵に見立て、同時に自身の前面にバリアを展開。
強引とも言える力技による接敵を図ったのだ。

さすがのなのはも、まさかここまでの直球で来るとは思わなかったのか、その顔に僅かな驚きの色が浮かぶ。
だが、それも一瞬の事。即座に誘導弾を操作し、ギンガ目掛けて十数発の光弾が殺到する。

されど、堅さと勢いを兼ね備えた突進を前に、その悉くが弾き飛ばされていく。
なのははシールドを展開してこれを受け止めるも、勢いに押されて僅かに後退する。
同時にシールドが押し込まれ、ギンガとなのはの距離がさらに詰まる。

そこで、右肩を前にする形で突進してきたギンガの動きが止まった。
しかしそれは、なのはのシールドに抑えられたからではない。
そも、徹底的に足腰を鍛え直されているギンガの突進を止めるのは、リミッター付きのなのはでも容易ではない。
故にこれは、次の一手へのつなぎ。

リボルバーナックルで魔力を高め、拳の全面に硬質のフィールドを生成。
同時に、ギンガはその場で震脚を効かせると、身体の捻転を利用し左拳を繰り出す。

「はぁぁぁぁぁっ!!」
(巧い!)

充分に気迫と力の乗った一撃を、なのはは手放しで称賛する。
巧妙に身体を陰にすることで死角を作り、次なる一手をギリギリまで隠していたのだ。

しかも、使ったのはフィールドごと衝撃を撃ち込む打撃魔法「ナックルバンカー」。
本来は、対象の近接攻撃へのカウンター使用で、刃物等の鋭い攻撃を受け止める事ができ、受け止めると同時に対象の武器や攻撃部位にダメージを与えると言う代物。
瞬時の判断と攻撃が必要となる、難易度の高い技だ。

今回はそれを、シールド破壊のために使うつもりなのだろう。
充分に体重の乗った重い一撃と、その上に被さる硬質フィールド。
これなら、なのはのシールドさえも粉砕できるだろう。

(さっきと同じ堅さなら、ね)

元より、ギンガが何か企んでいる事は想定の内。
故に、このシールドの堅さは最初に使ったそれを大きく上回る。
そのため、ギンガ渾身の一撃ですら大きくヒビを入れるにとどまった。

だが、ヒビが入ったのは事実。
シールドの突破まであと少し。ならば、後は押し切ればいい。

「まだまだぁ!」

初撃は防がれた。だが、続いて振り抜かれた左の肘が追い打ちを掛ける。
さらに右肘の打ち下ろしへと続き、トドメの下から打ち上げた左肘がシールドを完全に粉砕した。
そこへ……

「へぁっ!!!」

上方から充分な勢いをつけた右の手刀が振り下ろされた。
『ティー・ソーク・トロン』から始まり、『ティー・ソーク・ボーン』『ティー・ソーク・ラーン』とムエタイの多彩な肘打ちを経て、最後にトドメの一撃へと繋げるのが、兼一が得意とするコンビネーションの一つ。
本来は最後に空手の「拳槌打ち」を放つのだが、今回の場合タイミングの関係から、重く強力な左が使えなかったため、右の「手刀」に切り替えた形だ。

とはいえ、これでようやく厚く硬い壁を突破した。
そして、ついにギンガの手刀がなのはを捉える……かと思われた。

「良い攻撃だね。でも、軽い右じゃ決定打にはならないよ」

まだなのはの手元に残っていた誘導弾の一つが、二人の間に割って入る。
左に比べて重さに欠ける右では、衝突と同時に誘導弾が炸裂すれば衝撃で手刀の軌道が逸れてしまう。

当然、生じた隙を逃す理由はない。
その隙をついて砲撃を放てば、直撃は確実。
それでこの模擬戦は終了となる。

なのははその未来に確信を持っていた。
だが、いざ手刀と誘導弾が接触する直前、なのはの背筋を何かが駆け抜ける。
咄嗟になのはがその場から半歩退くのと、ギンガが小さく呟くのは同時だった。

「劣化、相剥斬り」

手刀一閃。同時に、なのはの確信は裏切られた。
接触と同時に炸裂するよう設定していた筈の誘導弾が、真っ二つにされていたのである。
まるで、鋭利な刃物で切り裂かれたかのように。

中国拳法に『硬功夫』と言う練功がある。
基礎の一環だが、肉体を鋼の如く鍛え上げるそれは、長ずれば完全な素手で瓶を切る事すら可能。
とはいえ、今のギンガの硬功夫などたかが知れている。
毎日砂袋を叩いているとはいえ、一朝一夕でその域に至れる訳ではない。

しかしそれも、魔力による強化を施せばその限りではない。
魔力で強化し、魔力を圧縮して放った一撃はかなりのもの。
それは、先の一撃が証明している。

だが、なのはが寸前に半歩下がっていた事で、折角の鋭利な一撃も空を斬ってしまった。
僅かな隙もなのはが相手では命取り。即座に防御体勢を取ろうとするが、そこで気付く。
何故かはわからないが、なのはの反応が鈍いことに。

(理由はわからないけど、これは好機! 畳みかけるなら今しかない!)

理由は不明だが、なのはの表情が驚愕に染まり、動きが鈍っている事は確かだ。
ギンガはこの機を逃すことなく、右の手刀を一閃、二閃、三閃。
次々に放たれる速さと鋭さを兼ね備えた連撃だが、その全てがレイジングハートの柄で阻まれる。

動きが鈍っているとはいえ、やはり一撃入れるのは容易くない。
むしろ、驚きを露わにしながらも的確に対処してくるあたり、さすがと言うべきだろう。

(でも、それなら!)

しかし、なにも硬功夫を積んだのは右だけではない。
その事を証明するように、強く握りこんだ左拳が重々しい音と共になのはのシールドを殴りつけ、その身体が僅かに浮き上がり、鉄壁の守りに隙が生じた。
その隙目掛けて、ギンガは右の貫手を放とうとする。

だがそこへ、横合いから新たな光弾が飛来した。
ギンガは即座に刺突を薙ぎ払いに切り替え、それを斬り落とす。

確かにギンガの右は軽い。故に、彼女の戦い方は最終的に左の大砲頼みになる面があり、単調なところがあった。
ギンガとてそれはわかってはいたし、右も鍛えてはいた。
しかし、どうやっても左ほどの重さは得られないと諦めていたのも事実。
だがそれも、別種の武器なら話は別だったのである。
そこで兼一はギンガの右腕の『重さ』ではなく『鋭さ』を磨き、鈍器ではなく刃物にした。

これにより、ギンガの闘いの幅は大きく広がった。
確かな手数の多さと鋭さを両立した右と、相変わらず一撃必倒の威力を宿す左。
今やその両方が本命であり、必要とあらば牽制や防御もする。
その上、左右のバランスが取れたことで左自体の威力も上がった。

ただ、それでもなおギンガはなのはを攻めきれずにいる。
未だ、驚愕から完全に復帰し切れていないにもかかわらず…だ。

(相剥斬りって………なんで?)

彼女はこの名に覚えがあった。昔、もう何年も会っていない家族の友人が使っていた技。
それをなぜ、彼とは無関係の筈がギンガが使うのか……なのはの疑問も当然だろう。

とはいえ、なのはとていつまでもそんな疑問に拘泥している程未熟ではない。
疑問は疑問のまま頭の隅に追いやり、今自らすべき事へと切り替える。

「せぁっ!」

鋭くも速い貫手が放たれるが、なのははそれをレイジングハートで払う。
続いて石突に相当する部位でギンガの胴を打ち、距離を取ろうとする。
しかしそこで、なのはの左腕が何かに引っ張られた。

「取った!」

払って逸らした筈の右の貫手が、なのはの袖を掴んでいたのである。
単純な筋力では幾らなのはでもギンガが相手では分が悪い。
ギンガは万力の如き力でなのはの袖を引き、続いて自分の腰を相手の腰の下に入れて浮かせたる。
そして、袖を引っ張り肩越しから投げる。柔道や柔術における「背負い投げ」の形だ。

(ギンガが、投げ!?)

なのはの視界が回転し、天地がひっくり返る。
打撃系専門とばかり思っていたギンガの予想外の反撃に、なのはの対処が一瞬遅れた。
とはいえ、それなりに高度を取っていたのが幸いと言うべきか。
地面との接触までには幾分かの余裕がある。
なのはは動じることなく制動を掛け、体勢を立て直す。
しかしそこへ、落下の勢いと渾身の力を乗せた拳が迫りくる。

「ぜりゃぁあぁぁぁぁっ!!」

タイミングとしては申し分なし。
なのはは体勢を立て直したばかりであり、対してギンガは狙い澄ましての一撃。
ここまでお膳立てが整えば……

「まさか、ただ投げられただけだと思ってた? いくよ、ストライク……」
(しまった!?)

そこに来てようやく気付いた、なのはの手元で輝く、桜色の光の塊の存在に。
狙いは近接砲撃。あまりにも勢いが付き過ぎて、今からでは何をするにも間に合わない。

「スマッシャー!!」

咄嗟に防御態勢を取り、同時にシールドを展開し衝撃に備える。
だが、シールドは迫りくる桜色の光の奔流を僅かに受け止めるも、間もなく瓦解。
濁流の如き勢いをそのままに、ギンガの身体を弾き飛ばす。

あまりの衝撃に木っ端の如く飛ばされながら、ギンガは地上へと落下していく。
このまま激突すれば、大怪我を負いかねない。
なのははそうなる前にギンガを支えようと、ホールディングネットを発動させようとする。

しかし、そうなる前にギンガは自力で体勢を立て直し、アスファルトの地面に着地。
肩で息をしながらも、その瞳には未だ戦意が煌々と灯っている。
直撃したにもかかわらず、あそこから復帰するギンガのタフさと体幹バランスはたいしたものだ。
おそらく、どちらも相当に鍛えてきているのだろう。
それに……

(まさか、ギンガが投げ技を使うとはね。こっちじゃまずお目にかからないのに。
 しかも流れの組み立てもしっかりしてるし、ちょっと驚かされたかな)

口にこそ出さないが、なのはは心中でギンガの見せた戦い方に感心する。
投げは強力な技の一種だが、魔導師相手にはあまり効果が望めず、その為ミッドなどの次元世界では廃れ気味だ。
それを無理なく取り入れ、上手く活用している点は純粋に称賛する。
そして、だからこそこの手札を切る事を決めた。

「正直、用意はしてたけど使うつもりはなかったんだけどなぁ……」

ギンガから大きく距離を取りつつ、なのははその魔法を発動させる。
思いの外ギンガが粘ると言うのもある。が、これに対しどう対処するかの興味の方が強い。
後ではやてに「やり過ぎや!」と叱られそうな気もするが、今はこちらの方がなのはにとって重要だ。

「色々聞きたい事はあるけど…………今はこっちがさきだし、後でお話聞かせてもらうよ」

なのはが言葉を区切ると共に、周囲に散乱した瓦礫の周りに環状魔法陣が展開される。
それも、一つや二つではない。数えるのが馬鹿らしくなるほどの数だ。

というか、一体いつの間にこれほどの瓦礫が出来ていたのだろう。
主戦場は空中で、ほとんどビルの壁などは壊さなかった筈なのに……。
そこでギンガは理解する。なのはの「用意していた」というのは、この瓦礫の事。
彼女は闘っている間、密かに誘導弾でビルの壁を壊し、これらの瓦礫を準備していたのだ。

「でも、それをなにに……」
「AMF対策の一つ。魔力が消されるのなら、『発生した効果』の方をぶつければ良い。
 例えば……小石とか?」
「あの~、どう見ても小石とかってサイズじゃないんですが……」

次々に天高く浮き上がって行く瓦礫の数々を見送って、ようやくなのはの狙いがわかった。
つまり、物質…この場合は瓦礫を加速させて、高速で打ち出そうと言うのだろう。
確かにこれなら、魔法の効果が切れても加速された物質の速度と重量で、大抵の障害は粉砕できる。
ただそうなると、当然ギンガに取れる対処法も限られてくる訳で……。

(とてもじゃないけど、迎撃したりできる様な代物じゃないわよね。
 となると、あとは…………アレしかないか。まだ不安定で、あんまりあてにできないんだけど、背に腹は代えられない。それに、もしもやれる事をやりきらずに負けたなんて知れたら……)

危機的状況でありながら、その想像には思わず背筋に怖気が走る。
場違いと他者なら言うかもしれないが、彼女にとってはむしろそちらの方が死活問題。

なにしろ、あの師匠の事だ。
弟子が負けたと知れば、鍛え方が足りなかったと更なる無茶を課す姿が容易に想像できる。
唯でさえ一杯一杯なのに、これ以上激しくなったら体が持たない。

いや、さすがに今回は相手が相手だ。
負けたとしても仕方ない…あまり仕方なくはないのかもしれないが、それでも一応納得してくれる筈。
だが、出し惜しみをして負けたとなれば、その限りではないかもしれない。
だからこそ……

「いくよ、スターダスト…フォール!!」
(やるしかない!!!)

プライドとかそういうかっこいい物ではなく、純粋に明日の命の為に。
ならば、持てる全てを費やさねば。
一瞬、悲痛なまでの覚悟の表情を浮かべたギンガだったが、斟酌することなく無数の瓦礫が降り注いだ。

轟音と共に、濛々と立ち込める砂煙。
さすがにちょっとやり過ぎたかと心配になったなのはだが、その懸念はすぐに意味のないものとなる。
なぜなら、一陣の風と共に砂煙が吹き払われると、そこには…………無傷で立つギンガの姿があったからだ。

(すり……抜けた? ううん、いくらなんでもギンガにそんなスキルはない筈。
 だとしたら、アレを全部避けきった? 一つも被弾しないどころか、打ち落としもせずに?)

ギンガの両腕はダラリと下げられ、防御や迎撃をした素振りは見受けられない。
つまりそれは、ギンガが降り注ぐ瓦礫の全てを余すことなく回避したと言う事になる。
不可能……とは言わない。言わないが、限りなく難しいと言わざるを得ないのも事実だ。

とそこで、なのはの中に一つの疑念が生じた。
その疑念を確かめるべく、なのはは再度自身の周囲にシューターを展開。
数はそれまでと同じ十六。ただし、その中身が異なる。
充分な魔力を与えられ、一つ一つに神経を張り巡らせるかのように意識を割いている。

故に、速度・精度友に先ほどまでの比ではない。
誘導弾に追われていた時のギンガでは、間違いなく対処しきれない筈だ。
しかし、もしかしたら今のギンガなら……それを確かめるべく、なのはは命令を降す。

「シュ――――――――――――ト!!」

瓦礫の雨に続いて迫りくるは、先ほどまでの比ではない速度で飛翔する光弾の数々。
だが、ギンガは大きく息をつき、迫りくる光弾ではなくなのはの目を見る。
そして、ユラリと僅かに身体が揺れた瞬間……確実にギンガを捉えていた筈の光弾が、まるで幻のようにすり抜けた。

(そうか! 完全に身切って、薄皮一枚の所で交わしてるんだ!)

言うは易し、やるは難し。複雑な軌道を描きつつ、あらゆる角度から高速で迫るなのはの誘導弾。
これらを完全に見切るなど早々できる事ではないし、その上薄皮一枚で避けるなど正気の沙汰ではない。
一手読み違えれば、あるいは僅かに動きが淀んでも一巻の終わり。
微かな隙を逃すことなく、無数の誘導弾が殺到してくる未来をありありと思い描ける筈だ。
だが、ギンガはそんな現実に怖気づく様子を微塵も見せない。
それどころか、縦横無尽に飛び回る光弾の群れの中を、ギンガは悠々とした歩調で歩んでいる。

(よかったぁ、上手くいった。いつも入れるとは限らないのよねぇ、これ…って、しまった!?)

上手く使えた事に安堵のため息をついた瞬間、技の掛りが浅くなり数発の光弾が掠めて行く。
ギンガは、兼一と出会った段階で既に緊奏のレベルにいた。
しかし、ギンガほどの才を持ってしても、僅か二ヶ月足らずで流水制空圏を会得することは叶わなかったのだ。

使えるのは精々第一段階「相手の流れに合わせる」までで、それも技の掛りは浅い。
その上、ほんの少しの感情の高ぶりや揺れでその状態は容易く崩れ、そもそも確実に使えるとも限らない。
全く以って、実に不安定でまだまだ修行の必要な技なのだ。

そんな、さながら鼓動の様に揺れる不安定な流水制空圏を、ギンガは辛うじて維持している。
時折浅くなり、いくつか光弾がかすめて行くが、なんとか最小限の被害にとどめる。

(聞きたい事が、また一つ増えちゃったな……)

ここに来て、なのはの疑念は確信に変わった。
名前は思い出せない。だが、彼女は確かにあの技を知っている。
兄や父から静の者特有の技の存在は聞かされたことがあった。
なによりこの技の祖、あるいは伝授された人物に彼女は会っている。

だからこそわかる。あれは、とても独力で修得できるようなものではない。
少なくとも、今のギンガが自力で開発し習得することなど不可能だ。
ならば、誰かに教えを乞わねばならない。

とはいえ、ギンガとこれを教えられる者との間に、本来接点などある筈がないのだが……。
しかし、間違いない。どういった縁があったかは分からないが、ギンガは彼ら…あるいはその一人にこの技を教わったのだ。そうでなければ、つじつまが合わない。



そして同じ頃、そんな姉の勇士を見て、スバルのテンションは最高潮に達していた。

「スゴイスゴイ!! ねぇ、すごいよねティア~!!」
「………………………」

天井知らずに大喜びする相棒を余所に、ティアナはモニターに移る光景に唖然とする。
いったい、何をどうすればあそこまで見事な体捌きができるのか。
知らず知らずのうちに拳は堅く握られ、悔しそうに口が堅く閉ざされる。

少なくとも、今のティアナには同じ様なマネは絶対にできない。
ギンガが自身より格上である事は承知していたが、それでも悔しさは紛れなかった。

「どうやったら、こんな……」
「「…………」」

エリオとキャロの年少組も、モニターに映し出される光景を信じ難い面持ちで見入っていた。



その間にも、ギンガは徐々になのはとの間合いを詰めて行く。
故に、なのはは更に状況の難易度を上げに掛かる。
操る誘導弾の回転を上げ、容赦なくギンガ目掛けて飛ばす。

しかし、ギンガはそれでも動じない。それどころか、瞳には僅かな揺らぎもない。
ただ無心で、さながら激流の中に沈む岩の如く、迫りくる全てを受け流す。
だが……

(やっぱり、まだ完全じゃないみたいだね)

徐々にだが、それまで無表情だったギンガの顔に、焦りの色が浮かび始めている。
彼女も気付いたのだろう。少しずつ、けれども着実に袋小路へと誘導されている事に。
あるいはそれは、単に読み合いにおいてなのはに一日の長があると言うだけかもしれない。

それでも、このまま手を拱いていれば結果は当然の帰結へと行きついて終わりだ。
ならば後は、被弾覚悟の強行突破に出るより他はない。

覚悟を決めたギンガは、自身の前面にシールドを張り、光弾飛び交う渦中を突っ切って行く。
回転が上がっている分、被弾する数は一発や二発では収まらない。
次々と身体を重い衝撃が叩き、その度にギンガの身体が揺れる。
それでも、ギンガは歯を食いしばってそれに耐え、ついに光弾の渦を突破した。
後はもう、目と鼻の先にいるなのはに向かって拳を叩きこむだけ。

(左拳、入る!)
(まだまだ)

なのだが、当然それを予想していないなのはではない。
なのはの眼と鼻の先にまでギンガの拳が迫ったその瞬間、展開されたシールドによって拳が止まった。
と同時に、シールドから桜色に輝く鎖状のバインドが伸びてくる。

「これは……捕縛盾(バインディングシールド)!?」
「まぁ、当然そう来るだろうと思ってたからね。
 惜しかったけど、ここでチェックメイトだよ」

腕から身体へと蛇のように伸びたチェーンバインドが、ギンガの身体を締め上げる。
先ほどのように引きちぎろうとするが、今度はびくともしない。

「それなりに本気で準備しておいたからね、簡単には壊れないよ。
 ディバイ―――――――――ン……」

レイジングハートの先端に、先の近接砲撃の比ではない輝きが生じる。
『エースオブエース』高町なのはの十八番。
砲撃魔導師としての彼女の代名詞とも言うべき魔法が、今ギンガに向けて放たれる。

「バスタ――――――――――!!!」

桜色の光で視界が塗りつぶされ、瞬く間の内に呑み込まれていく。
その時ギンガの脳裏をよぎったのは、この二ヶ月の地獄の日々。
ある時は天高く蹴りあげられ、またある時は遥か後方まで殴り飛ばされ、またある時は地面に深々と投げ落とされた。一体何度死ぬかと思った事か、数える気にもならないし、そもそも思い出したくもない。
しかし、とりあえずあれに比べれば……

(うん、こっちの方がまだマシ…かな?)

桜色の光の奔流に押し流され、消えかけた意識が浮上する。
あの地獄に比べれば、こんなのはまだ優しい部類だ。
意識が光に呑まれて途絶えるなんて、なんと穏やか事だろう。

そう思うと、知らず知らずのうちに四肢に残された力が微かに脈打つ。
まだ動ける、まだ闘える、まだできる事があると、全身が訴えている。
幸か不幸か、限界の先に行く事に慣れ始めつつある体が、ここで倒れる事を良しとしない。

砲撃によってか、あるいは役目を終えたからか、身体を拘束していたバインドは既になかった。
故に、ギンガは最後の力を振り絞って地面を蹴る。

「だぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!」

桜色の光が消え、代わりに視界になのはの姿を捉えた。
もうほとんど力の残っていない左腕を引き絞り、勢いに任せて振り抜く。

とはいえ、その一撃あまりにも弱々しい。
大砲の如きそれは見る影もない。
当然、シールドを張るまでもなくあっさりと防がれてしまった。

だがそれでいい。これが当然の帰結。
元より狙いは…………左拳ではないのだから。

「え?」
「やっと…届いた」

左拳にコンマ一秒遅れて伸びて来た右拳が、弱々しくも確かになのはの肩を打った。
空手には、現代スポーツへと変貌する際に失伝した多くの口伝がある。
そのうちの一つが、「夫婦手(めおとで)」。両の手をつかず離れず同時に動かす身体運用法。
前の手は攻撃もすれば防御もし、敵の手を受け流し突き込む。さらに後の手も攻撃もすれば防御もする。つまり万が一の保険であり、敵にとっては思わぬ伏兵となる手法。
それが今、ようやくなのはを捉えたのだ。

たかが一撃、されど一撃。
ギンガに取ってみれば、何度も「届かない」と思った拳がついに届いたのだ。
満足のいく結果かどうかは本人のみぞ知る事だが、一矢報いた事には満足したのだろう。

それを示す様に、ギンガの身体からは力が抜け崩れ落ちる。
なのはは慌ててそれを抱きとめると、小さく呟いた。

「はぁ……一撃、もらっちゃったかぁ」

最後の方は多少本気になったが、全体でみれば終始なのはの横綱相撲と言える内容だった。
しかし、当人からしてみればまた抱く感想が異なってくる。

「これは、私もうかうかしてられないかなぁ」

ギンガの奮戦は、なのはの予想を大きく上回るものだった。
まさかここまで粘り、あまつさえ一撃入れられるとは思っていなかったというのが本音だ。
ましてや、ギンガが見せたいくつかの技。アレらに関しては、予想外にも程がある。
一体どこで、どんな奇縁があったのか知らないが、なのはは彼らの関与を確信していた。

「ちょっと休んだら、色々お話聞かせてもらうからね。
 でも、まずは……お疲れ様」

抱きかかえたギンガの背を軽く叩きつつ、なのははギンガを労う。
と同時に、これから直面するかもしれない頭が痛くなる様な現実に、苦笑を浮かべるのであった。



[25730] BATTLE 16「5年越しの再会」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:55

機動六課訓練場前の高台に並ぶ、大小4つの影。
彼らは四者四様の面持ちで、模擬戦の決着を見届けた。

序盤はほんの小手調べ。開始位置から一歩も動くことなく、なのははギンガをあしらって見せた。
だが、ギンガも意地を見せる。あの手この手を駆使して挑み、ついにはなのはをその場から動かす事に成功したのだ。
そうしてギンガの実力が明らかになるにつれ、なのはも合わせる様に徐々にギアを上げて行く。
とはいえ、終始なのはがエースの貫録を見せつける形で進んだ事に変わりはない。

結局、ギンガがなのはに与えたダメージは皆無に等しい。
最後の最後で一矢報いた形ではあったが、ダメージとしては微々たるものだろう。
そこでギンガは力尽きたのか、すぐ目の前のなのはにしなだれかかる様にその身を預けている。

こんな形で決着した模擬戦の一部始終を見ていた4人だったが、皆が一様に口を閉ざし、一言も言葉を発さない。
ある者は模擬戦の内容を吟味し、またある者は初っ端からやらかしてくれた(一応の)上司に頭を抱え、更にある者は初めての弟子と過ごしたこの2ヶ月を思い返していた。
やがて、重苦しくはないにしろ、些かの緊張感を孕んだ空気を破る様にシグナムが口を開く。

「……ふむ。正直、嬉しい誤算…と言うべきか。よもや、ギンガがあそこまでやるとはな」
「まぁな、なのはの奴も終盤は少し本気だったみてぇだし、よく食い下がった…つーか、一撃入れたとは思うけどよぉ」

詰めていた息を入れ替える様に、深い呼吸と共にシグナムは率直に感想を述べた。
ヴィータもそれ自体には異論はないようで、やや引っかかりこそあるが、シグナムの意見に同意する。
とはいえ、シグナムもその辺りが気になった様で、僅かにいぶかしむ様な視線をヴィータへと向ける。

「どうした、ギンガになにか思う所でもあるのか?」
「いや、ギンガには特にねぇよ。むしろ、よくやったって言ってもいい位だと思うし。
ただ、なのはのバカがな……」
「そうか? あれはやむを得ない部分だと思うが?」
「どこがだよ! 今回はあくまでも様子見って事になってたじゃねぇか!
 それなのにあのバカ、いきなり飛ばし過ぎだっつーの!!」

実際、今回は新人達を含めて初回の訓練という事で、諸々の確認がてらの様子見という意味合いが強かった。
概ね全員の能力は事前に把握しているが、それでもAMF環境下やガジェット相手となると勝手が違ってくる。
その辺りの差異にどう対応してくるかなどを見極めるのが、今回の訓練の主な目的だった。
だというのに、なのはは当初の予定を変更し、ギンガ相手にもっと先でやる予定だった「追い込む」系の戦い方をした。
部隊長であるはやてからも「初回くらいは程々にな」と念を押されていたのにもかかわらず、だ。

口調こそ荒っぽいが、根は優しく世話焼きなヴィータとしては色々と頭が痛いのだろう。
ただ、そんなヴィータに対しシグナムはまた意見が違うようだが。

「だが、それほど当初の目的を逸脱していたとは思えんが?」
「あのな、何を見てたらそういう風に思えるんだよ!
 物質加速は使うは、バインドに嵌めての砲撃までやるは、明らかにやり過ぎだろ!?」
「しっかり見ていたからこその感想だ。ギンガの実力が予想以上だったのは、お前も同じだろう?」
「それは、まぁ……」

シグナムの言う通り、ギンガの実力が予想以上だったのはヴィータも同じ。
だからこその「良くやったと言ってもいい」発言だ。
どちらかと言えば褒めたりするのが苦手なヴィータに、本人がいないとはいえいきなりこれを言わせるのだから、ギンガの実力がどれだけ予想を裏切ったかわかると言うものだろう。

「ならば尚の事、早急に実力の程を確かめねばならん。
 予想以上にギンガがあてになるとなれば、こちらの動き方も変わってくることだしな。
 その意味で言えば、高町の判断もそう悪くはあるまい」
「……」

納得できるがしたくない、と言わんばかりの表情でそっぽを向くヴィータ。
彼女としては、それを踏まえても尚「幾らなんでもやり過ぎだ」という思いが強いのだろう。
そんな家族に、シグナムは「やれやれ」とばかりに肩を竦めて苦笑を浮かべる。
だが、そんな二人とは対照的に、未だ無言の兼一の表情は浮かない。

(まぁ、今の段階ならこんなものかな)

胸中で漏らした弟子の闘いぶりに対する感想は、彼の人柄からすれば素っ気ないにもほどがあるものだった。
とはいえ、そこに失望や敗北に対する憤りなどといった負の感情はないし、もちろん関心が薄い訳でもない。
ただ、より大きな感情が頭の大半を占めているために、反応が薄くなってしまっているだけだ。

そもそも、なのはの噂は兼一の耳にもいくらか届いているし、ギンガからもその逸話の一部は語られた。
故に、正確な実力はわからないにしても、今のギンガの及ぶ相手ではない事は明白。
元よりこの模擬戦は、勝つ為ではなくどこまで通じるかを試す闘いとしての色合いが濃かった。

その中で兼一が特に注目していたのは、やはり一番弟子たるギンガの闘いぶり。
彼女を弟子にとって早二ヶ月。組手の相手はそのほとんどを兼一が勤め、文字通り間近でその成長を促し、見守って来た。しかしだからこそ、一歩離れてギンガの闘いを見る機会というのは多くなかった。
特に、ギンガや翔の前で己が武を初めて露見して以来、これと言ったトラブルもなく平穏そのもの。

もちろん、時に陸士108の隊員相手の模擬戦で外野に回ってのチェックもして来たが、そもそも108の中でギンガを大きく上回る実力者となると、兼一しかいない。
そのため、外野に回ってチェックすると言っても、常に同格以下の隊員達との戦いしか見る事が出来なかった。

だが、今回は違う。
今回ギンガが挑んだのは、兼一同様ギンガにとっては遥か格上の実力を持つなのはだ。
今まで自分との組手の記録映像でしか見られなかった、「格上」に挑むギンガの姿を見る貴重な機会。
同等の実力の持ち主との闘いの中でしかわからない事もあれば、格上との闘いの中でしかわからない事もある。
そこで、この機に色々と確かめておきたいと思っていた点をこと細かにチェックしての感想が「こんなもの」。
それはつまり、概ね今のギンガは兼一の予想・想定通りに成長していると言う事だ。

とはいえ、だからといって愛弟子の闘いぶりに思う事がなにもないと言う訳ではない。
むしろ兼一としては、格上相手に終始臆すことなく挑み、怯むことなく前へ前へと踏み込んで言ったギンガには、言葉にならない想いを抱いたほどだ。
ただ、それ以上に思う。果たして自分は……

「ギンガは良くやった。でも、僕はどうだったろう」

誰の耳にも届かない、すぐ隣に立つ翔ですら聞こえない程に小さな、蚊の鳴くような声で兼一は呟く。
その瞳にあるのは………深い深い底知れぬ悔恨。
かつて友は言った、「キミの負けが恩師たちにとってどれだけ重いかを知るべきだ」と。
今かつてない程、その意味が良く分かる。
なぜなら、今彼の胸を埋め尽くすその思いはあまりにも苦し過ぎた。

(ギンガは良くやった。今できる限りの事を、精一杯にやり切った。
だけど、僕は……………………怠りはしなかっただろうか。やるべき事、課すべき事、教えるべき事……僕は本当に、あの時間の中で出来る全てをやり切ったんだろうか。もっと鍛え、伝える時間はあったんじゃ……)

顔は俯き、握りしめられた拳と片が小刻みに震えていた。
歴史に「たら・れば」はない事は承知しているし、万全などこの世に存在しない事もわかっている。
だが、それでも思わずにはいられない、悔やまずにはいられない。
伝えておくべき事が、もっと教えられることがあったのではないか、と。
そうしていれば、勝てはしないまでも、ギンガが肩を震わす事はなかったのではないだろうか。

兼一を除き、この場のだれも気付いていないかもしれないが、ギンガの肩は僅かに震えている。
決して長い付き合いではないが、それでも濃密な時間を共に過ごしてきたのだ。
だからこそわかる。今弟子が肩を振るわせる、その訳が。

どんな戦いであれ、今の勝負は門派の威信と師の名誉を背負った一戦。
誰かに師事し、特定の流派を学ぶということは、背負ったものに恥じぬ戦いを常に求められるのだ。

無論、勝ち目のない勝負である事はわかっていた。
故に、負けた事はやむを得ないし、まずは一撃入れることを目標に置く事も間違ってはいない。
だが問題なのは、ギンガが一瞬とはいえそれで満足してしまった事。
それこそが、ギンガが今肩を震わせている理由だ。

目標という物は、無闇に高く設定すればいいというものではない。
己が分をわきまえずに設定された目標は、妄想も同じ。
しかし同時に、設定した目標に達した事に満足してしまえば、それ以上の発展もない。
己が為した成果に納得はしてもいいが、満足してはならない。
満たされる事なく先を目指してこそ、発展があり、進歩があり、成長がある。
その飽くなき、貪欲とも言い換えてもいい向上心の先にあるのが達人の世界。
だがギンガは、なのはに一撃入れた瞬間に満足してしまった。その先を望む事を忘れてしまった。
故にそこで緊張の糸が切れ、今こうしてなのはに支えられている。

そんな自分の心の動きをギンガも理解しているのだろう。
だからこそ、彼女は今「満足」してしまった自分を恥じている。
どの道模擬戦はあそこで終了していたろうが、それでもこの様な無様を晒すべきではなかった、と。
この様な無様を晒す事は、師の顔に泥を塗り、門派の誇りを貶めるも同然。
あるいは、そうとすら思っているのではないだろうか。
それほどまでにギンガは生真面目で義理堅く、深く師を敬愛している良い弟子だ。

だからこそ、悔しくて悔しくてたまらないのだろう。
自身の不甲斐なさが許せず、満足してしまった心の弱さを恥じている。
師は心の重要性を繰り返し説いた。そんな師の期待に応えられなかった事が、申し訳なくて仕方がない。
ましてやギンガは兼一と母、二人分の誇りを背負う身。だからこそ、その思いも人一倍強いのだろう。
そんなギンガの心の動きすら、兼一には手に取るように分かる。
そして、我が子に等しい弟子のそんな姿を見て、平静でいられる師(親)など……いる筈もなし。

(違う。恥じるべきは、悔いるべきは、謝るべきは君じゃない。
僕こそが、謝罪しなければならないんだ。君の心を傷つけてしまった、僕こそが……)

伏せられた顔は歪み、兼一は砕かんばかりの力で歯を食いしばる。
もっとしてやれることがあったのではないか。もっと弟子の事を考えてやるべきだったのではないか。
そうすれば、少なくともこうして愛弟子が己を恥じる様な事にはならなかったかもしれないのに。
教えている時は、不安はあったが同時に「これなら」という思いがあった。
だが今は「もっとああしていれば」「もっとこうしていれば」「もっと…もっと……」そんな思いが後から後から溢れて止まらない。意味はなく、既に手遅れな慙愧の念だと分かっていても…否、わかっているからこそ。

数えきれない程のものを教え与えてくれた恩師と、それを託すに足る可愛い愛弟子。
合わせる顔がないとはこの事だろう。自身の怠慢が弟子の心を傷つけてしまったのだから。
少なくとも、師匠達はこのような不手際をする事はなかったというのに。

心を千々に引き裂く程の感情の荒波が兼一を苛む。
それは今のギンガを思ってのものであり、同時に過去師達に与えていた重さを理解したからこそ。

親にならなければ、真に親の気持ちなどわからない事をこの数年で兼一は知っていた。
同様に、師とならなければ真に師の気持ちを理解することなどできない。
弟子が心身のいずれか、あるいは両方に傷を負う。
それが師にとってどれだけ重く、心を責め苛むか、兼一はそれを痛感している。
ましてやそれが、敗戦とは違う箇所に起因するとなれば尚の事。

しかし、どれほど悔い謝罪した所ですでに遅い。
ゆるぎない現実として、ギンガは己が心を恥じ傷ついている。
悔いるなら、申し訳なく思うならすべき事は別にある。
そう、かつて師達が兼一にしてくれたように。だからこそ、兼一はもう一度呟いた。

「ごめんよ、ギンガ」
「父様?」

今度の声は翔にまで届いたのか、姉弟子のずっと下から見上げていた我が子が首を傾げる。
その手は堅く兼一のズボンの裾を掴み、不安そうな面持ちだ。

翔が見ている事に気付いた兼一は、即座に体裁を取り繕い平静を装う。
相変わらず嘘は下手だが、(本意とは到底言えない)豊富な人生経験のおかげで取り繕う事は上手くなった。
翔の前であまりみっともない姿は見せられないと言うのもあるが、それだけではない。
それというのも、梁山泊を立つ前夜に秋雨からとある訓戒を聞かされていたのだ。

「兼一君。今更言うまでもない事だが、感情を深く呑み込んでこその静の武術家だ。
 心の綻びは技の乱れに繋がり、時には死に直結する。いついかなる時も、それを忘れてはいけない」
「はい。心得ています、岬越寺師匠」
「うむ。だが、これからの君は尚一層その事を心がけねばならない」
「それは、どういうことでしょう?」

過去、いったいどれほど聞かされたかわからない静の者の心得。
別にそれを聞かされる事自体はいいのだが、この念の入れようは尋常ではない。
その事に疑問を持つ兼一に対し、秋雨はゆっくりとその訳を語った。

「息子とは言え君も既に弟子を持つ身、即ち師だ。それも、これから新たな弟子を取ろうとしている。
 いいかね。師は、何があろうと弟子の前で揺れてはいけない。どれほど心が乱れ、いかなる感情の奔流が胸の内で渦巻き脳を焼こうと、決してそれを表に出してはいけない。少なくとも、弟子の前では。
 その訳は、わかるね?」
「………………弟子を、不安にさせてしまうからですか?」
「そうだ。師が動揺すれば、弟子の不安を煽ることになる。
弟子にとって、師は大地にも等しい。決して揺らがず、確固として支えてくれる地盤であらねばならない。
そんな師が揺れれば、弟子に与える影響は計り知れないだろう。無闇にそんな事をすべきではない。
この事を、良く心しておきたまえ」

だからこそ、翔やギンガの前で心を乱してはならない。
もしそんな所を見せれば、ギンガをさらに追い詰めてしまうことになるのは明白。それは翔が相手でも変わらない。幼い翔では、ついはずみでその事をしゃべってしまうかもしれないから。

故に、師は弟子に対して「弱さ」を見せるべきではない。
それでは弟子の心を苛んでしまう。弟子が傷ついている時となれば、逆効果そのもの。
もっと別の、弟子を心の重みを払拭する姿をこそ示さねばならない。
兼一は、師達の姿からそれをしっかりと学んできたではないか。

「僕は、ギンガに対して甘すぎたのかもしれない。初めての弟子だからって、少し慎重になり過ぎたみたいだ。
 バカだよね。逆鬼師匠やアパチャイさんは、こんな事で二の足を踏んだりしなかったのに」
「え?」
「何より、身を持って知っていたじゃないか。経験上、あと二段階修業のレベルを引き上げることも不可能じゃない事を。地獄の深さは倍になるけど……………まぁ、修業なんてそんな物!!」
「ぇ?」
「そう、傷心の弟子に師である僕がしてあげられる事は一つ!! 更なる修業だけだ!!」
「…………」

震える拳を強く握りしめ、兼一は決意も新たに小さく宣言した。
だが、父が口にするその内容に翔は顔を蒼くする。
無理もない。早い話が、心の傷を別の「何か」で塗りつぶそうと言うのだから。
そりゃまぁ、まともなわけがないだろう。

とはいえ、難しい所は幼い翔にわかる筈もない。
故に、翔の頭をよぎった思考は大凡以下の通りだ。
今、この人はなんと言ったのだろう? 修業のレベルを二段階引き上げる? 地獄の深さが倍? 言葉の意味はよくわからないけど、きっと凄い事だ。そんな事になったら姉さまの命が……!?
とまぁ、こんなところだろう。
しかし、実際に震えながら絞り出す様にして出て来た言葉はこれだけだった。

「そ、そんなことしたら、死んじゃうんじゃ……」
「死ぬ気でやればなんでもできる!! 不可能なんて言葉はないんだから!!」
(きっとできない!? だって、その前に死んじゃうもん!!!)

細められた父の目からうっすらと放たれる怪光線に晒され、翔の震えはピークに達した。
翔のあずかり知らぬ事ではあるが、兼一とてなんの根拠もなくそんな事を言っているのではない。
何しろ、そこは遠い昔に兼一が通り過ぎた場所。故に人体の限界など、いまさら試したり確認したりするまでもない。それらは全て、才能の欠片もない自分自身で検証済みなのだから。
もちろん、そんな事など露知らぬ翔は、父を止められるとも思っていないので姉の冥福を祈るのみ。

そうしている間にも兼一は何かを決めたらしく、再度翔を背中に乗せる。
同時に、兼一が何か言っているのを聞いていぶかしんだヴィータとシグナムが、白浜親子の方に顔を向けた。

「ったく。おい、さっきから何叫んで……」
「待てヴィータ! この男、先ほどまでと気配が……と言うか様子がおかしい!」

そこまで言った所で、突如兼一の姿が消える。
常人では、何が起こったかすらわからない程の速度での移動。
だが、歴戦の騎士である二人にはその姿を目で追う事が出来た。
反射どころの域ではないレベルで発動した身体強化の恩恵である。

「……………………………飛んだぞ、アイツ」
「いったい、何者なのだ? いや、いまはそれどころではないか…追うぞ!」
「お、おう!!」

一早く気を取り直したシグナムはそう言って飛び立つ。
続いて、その後を追う様に大急ぎでヴィータも空に身を躍らせた。

なんとか魔法の発動が間に合い、追う事の出来た影の行く先。
それは彼女達の戦友と部下達が集う、訓練場の方向だった。



BATTLE 16「5年越しの再会」



場所は変わって訓練場。
兼一達が訓練場へ向けて動き出したのからやや遅れて、なのははギンガを支えながら思案する。

(さて、ギンガには聞きたい事もあるし、早めにその辺りははっきりさせたいんだけど…ここは、落ち着いてお話できるような場所じゃないよね?)

なにしろ、訓練場の様相たるや惨憺たるもの。
幾ら陸戦シミュレーターによって構築された仮想物とは言え、それでも腰を据えて話す様な有様ではない。
イスとテーブルにティーセットなどと贅沢は言わないが、せめて気持ちが切り替えられる程度には落ち着いた場所が欲しい。
かと言って、あまり先送りにしていると、よくない事が起こりそうな予感を絶賛受信中。

経験的に、あの手の連中が関わってくると碌な事にならない。
もし、どうしても関わらなければならないのなら、少しでもダメージを減らす為にも時間が惜しい。
その辺りを吟味し、なのはは早々に「とりあえずみんながいるビルの屋上で我慢しよう」という結論で手を打つ事にする。

当然、時間が惜しいのでギンガを支えたままでの移動だ。
と思っていた矢先、それまで僅かに肩を震わせながら俯いていたギンガが、ゆっくりとなのはの方を押し返してきた。

「? ギンガ?」
「あの、ありがとうございました。もう……大丈夫ですから」
(あんまり、大丈夫そうには見えないんだけど……)

未だ俯いたまま顔を上げようとしないギンガに、なのはの中で徐々に懸念が積み上がって行く。
ギンガは最善を尽くしたと言っていいが、常に最適な行動を選択できていたかと言えば…否だ。
それを悔いているのかとも思うが、直に否定する。
常に最適な行動をとり続けることなど、土台無理な話。
ましてやそれが、自分一人だけで成立する物ならともかく、それを邪魔する敵までいるのなら尚更だ。
それがわからないギンガではあるまい。

となると、敗戦によるショックが思い浮かぶ。
だが、その線も薄い。いや、当然あるにはあるだろうが、この結果が当然の物であることは、ギンガも理解している筈だ。
そもそも、なのはは未だ大いに余力を残している。
これだけの力量差があり、それを理解しているにも関わらず、ギンガの憔悴は濃い。
おそらく、そう言ったものとは別の何かがギンガの心を苛んでいるのだろう。

なのはとしては、正直いまのギンガをあまりほったらかしにはしたくない。
出来るなら、傍について様子を見たいのが本音だ。

(でも、下手に踏み込まない方がよさそうでもあるし……)

心というのはデリケートかつ複雑な物だ。
ちょっとした刺激で思わぬ反応を起こすこともざらだし、人によってその種類もマチマチ。
故に、なのははここで強引にでもギンガを伴って飛んでいくかしばし悩む。

ただでさえ、ギンガが使ったいくつかの技術については問い質さないにはいかない。
全部が全部ではないが、いくつかはなのはにとっても見覚えがあったから。

世間で「闇の書事件」と呼ばれる一件が終結して以降、彼女は父や兄の勧めもあって家族の鍛錬を見学することが多くなった。件の事件を通して近接型への理解と知識を得て、対策を立てる必要性を肌で感じたためだ。
そんな折兄とその友人がなのはの実家で手合わせをする機会もあり、後学の為にと彼女も時間が許す限りは同席したものだ。優れた技術を持つ者同士の手合わせを見ておいて損はない、と言うことだろう。

長い間記憶の奥底にしまわれていた、薄れてしまった記憶に刻まれた技の数々。
ギンガが使った技の中には、その中で使われた技と酷似した物がある。
また、兄や姉にいくつかの教えを授けた兄の友人の師匠が見せてくれた技もあった。
これでは、気にするなという方が無理がある。
とはいえ、それにかまけてギンガの心を軽視するのもよろしくない訳で……。

そんな具合に悩むなのはだが、答えは思いの外すぐに出た。
今のギンガの様子だと余計な時間を食う可能性がある。
また、曲がりなりにも勝者が敗者に手を差し伸べ過ぎるのもよくない。
わかり切っていた結果とはいえ、それでもギンガからすればみじめな気持になるかもしれない。
そこでなのはは時間を掛けず、かつギンガの心にも配慮した方法を選択した。
なにしろこの部隊には、そういうことに長けた隊員がいる。

『キャロ? 悪いんだけど、ギンガをそっちに転送してくれる?』
『了解であります! なのはさんもご一緒しますか?』
『そうだねぇ…………じゃあ、お願いしようかな?』
『はい!!』

キャロは召喚士、つまり転送魔法のエキスパートだ。
年齢に比してまだまだ経験不足で足りない物は多いが、それでも専門家であることに違いはない。
折角だし、直接キャロの召喚魔法を体験してみるのも悪くない、という考えがあるのだろう。

やがてギンガとなのはの足元にもピンク色の魔法陣が出現する。
光は優しく二人を包み込み、徐々に光はその輝きを増す。
召喚士の肩書に恥じることなく、キャロの行使する召喚魔法が淀みなく作用している証左だろう。

(うん、座標の指定から転送までの所要時間も悪くない。
 実戦で使う事を考えるともう少し早くしたいところだけど……夜天の書には転送魔法もあったはずだし、はやてちゃんに手伝ってもらうのも良いかな?)

間もなく二人はその場から姿を消し、スバル達の待つ元いたビルの屋上に転移されることになる。
ただし、丁度それと擦れ違いになる形でとある親子連れがその場に姿を現し……

「え、なんで!?」
「父様、ギン姉さま達が消えちゃった!?」

等というやり取りをしながら、途方に暮れることになる。
なのははもちろんキャロにも一切落ち度のない事だが、あまりにも間が悪過ぎたとしか言いようがない。
そんなわけでその後しばしの間その親子は、ギンガ達の行方を求めて当てもない捜索に着手するのだった。
ついでに、右往左往する二人の様子を上空で眺めていた騎士二人は、当初の驚きもどこへやら「何やってんだ、こいつら?」とばかりに呆れていたとかいないとか。



  *  *  *  *  *



まぁ、そんな些事はどうでもいいとして。
場所を移したなのは達に、シャーリーを含む新人たちが駆け寄ってくる。

まずスバルとティアナが、続いてエリオとキャロは出会ったばかりでギンガとの付き合いなどないに等しいが、それでもギンガの事を気にかけているのは容易に知れる。
実際、スバル達に遠慮して遠巻きにではあるが、しっかりと様子を見ているわけで。

ただ、いつまでもそれではこの先の訓練や任務に支障をきたす。
この辺りは、出来る限り早く打ち解けてもらわなければ困る。
なので、なのはは丁度良いとばかりにもう一つ役目を振る事にした。

「キャロ、連続しちゃって悪いんだけど、そのままギンガの治療をお願い」
「あ、はい。でも、なのはさんでも……」
「まぁ、あんまり得意じゃないけど、全くできないわけでもないんだけどね」

昔の手痛い経験もあり、最低限の応急レベルの治癒魔法くらいならなのはも心得がある。
自分が怪我をした時もそうだが、仲間が怪我をした時に手も足も出ないのでは最悪の事態もありうる。
いつ何時でも、即座に医療班が駆け付けられるとは限らない。
本格的とは到底言えない携帯式の医療キットと専門家の足元にも及ばない知識と技術。
全てを備えることは無理でも、出来る物だけは揃えなければ。
それが、生死を分けることをなのはは身を持って知ったから……。
故に、十年来の親友にして魔法の師である金髪の少年司書長から治癒魔法の手ほどきも受けている。

ただ、今は自分が出しゃばるべきではないと言うのがなのはの考え。
そもそも、なのはは治癒魔法をそれほど得手としていない。そう言う考えもあっての人選なわけだ。

そんな言外の意図をキャロも察したのか、それ以上問う事はせずにギンガに治癒魔法を掛けに行く。
欠けて行くキャロの背中を見送りつつ、なのはは少し距離を取ってギンガと新人達の様子を見る。
どうやらギンガ本人も、妹以下年下の仲間達に心配をかけないよう努めて明るくふるまっているようだ。
ただし、それが空元気である事もなのはにはわかっているのだが。

(できるなら、もう少しそっとしておいてあげたいんだけどね……)

ギンガの表情を見れば、まだ完全に立ち直っていない事は見てとれる。
しかしなのはとしても、早めに確認しておかなければならない事があるのだ。
何の接点もない筈のギンガと彼ら。にもかかわらず、ギンガが使った技。
六課の戦技教導官として、スターズ分隊分隊長として、なにより「高町なのは」個人として。
どうしても、見過ごせない事がある。

「でも、本当にすごい試合だったよ! 前に見た時より、ギン姉も全然キレが良くなってたし!
 ティアもそう思うよね!!」
「まぁ、ね。正直、少しは追いつけたかなって思ってのに、また差を付けられた気持ちですし」
「そう、ありがとう。
でもね、スバルもティアナも前よりずっと腕を上げてるじゃない。私も負けてられないよ」
「ぁ、その……」
「なんでティアが照れてるの~?」
「うっさい!!」

二人の励ましに、はにかみながら返すギンガ。
だが、気遣いを無駄にしまいと浮かべる笑みはどこか寂しい。
それに気付いているのか、さらにエリオやキャロまで参加してくる。

「あの、ナカジマ陸曹。もしよろしければ、今度型を見てくださいませんか?」
「でも私、槍は専門外よ?」
「あ、いえ、そうなのかもしれないんですけど……でも、格闘家の方からの御意見も聞きたいんです。
 僕もナカジマ陸曹と同じベルカ式ですし、今日の模擬戦は駆け引きとかも凄く参考になりましたから!」
「あの、私もすごく勉強になりました!
 って、みなさんに教えてもらわなかったら、全然わからないくらいすごかったんですけど……」
「ふふふ、そっか。参考になったのなら良かった、ありがとね、二人とも」

ギンガの謝意に、顔を赤くして照れる年少組。
口にした言葉に偽りはないとはいえ、自分達の気遣いなど容易く見透かれてしまったのが気恥ずかしいらしい。
しかし、どうやら早速良好な関係を築けているらしい面々に、なのはは微笑ましさすら覚える。
同時に、一生懸命あれこれと励ましの言葉をかけるスバル達には申し訳なく思いながらも、彼女は動いた。

「あぁ、ちょっとごめんね」
「なのは、さん?」

ほどほどの距離まで歩み寄り声をかけるなのはと、それに首をかしげるスバル。
そんな彼女をやんわりと無言のまま手で制し、なのははギンガの瞳を見つめる。

「ギンガ、いくつか聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

その言葉を聞き、まずギンガが思った事は「やはり」だった。
なのはは彼女の師の事を知っている。どの程度の知り合いかまではあまり詳しく知らないが、師となのははあまり深い関係ではない事だけは聞いていた。関係が深かったのは、あくまでも彼女の兄や姉との間だからと。

とはいえ、それでもなのはは彼と関係があったことに変わりはない。
なら、自身の戦いを見て何か感じるものがあったとしても不思議はないだろう。
故に、今更無理に隠そうとしても意味がないし、そもそも隠す理由がない以上拒む筈もなく。

「はい、大丈夫です」
「うん、ありがとう。
それで早速なんだけど、なんて言うか……あんまり見かけない技を使ってたよね、投げ技とか」
「あ、それ私も思いました。スバルもそうですけど、ギンガさん前はあんな技使ってませんでしたよね」
「そうなんですか、ナカジマ二士?」
「きゅくる?」

なのはの問いかけで、以前(少なくとも2ヶ月以上前に)ギンガが相棒と組手をしていた時の事を思い出すティアナ。
キャロとフリードはそれに便乗し、引き合いに出されたスバルに話を振る。
それに対し、スバルもどこか考え込んでいる様子で言葉を選ぶ。

「あ~……うん。シューティングアーツは打撃系だし…っていうか、今の格闘型の主流がそうなんだけど、魔法が使えるとああいう技ってまず使わないんだよねぇ」
「スタイルを変えたって言うことでしょうか?」
「う~ん……」

エリオの発言に対し、スバルは釈然としない様子で首をかしげる。
そもそもシューティングアーツに投げ技がない事を考えると、これを「スタイルの変更」で済ませていい物か。

(スバルやティアナも知らなかったってことは、覚えたのは本当に最近って事だよね。
 修得できたこと自体は不思議じゃないけど、付け焼刃だと普通は組み立てとかに綻びがでる。
 なのに、そんな短期間で違和感なく取り入れられてた。
とすると、ちゃんとした人からかなりのスパルタで仕込まれた筈……)

ギンガが陸戦Aを取ったのは最近の話ではない。つまり、Aランクになった後に一連の技を身に付けた事になる。
既にAクラスの格闘戦技を持っていたギンガに対し、全く別系統のスキルである投げなどを仕込むとなれば逆に大変だ。修得自体はできるだろう。だが、既にある程度形になっている中に別の物を入れるとなれば話が別。

誰しもどうせ使うなら使い慣れた道具や技を使う。
それが今まで使っていた物より練度と使いこんだ時間で劣るとなれば尚更。
しかし、ギンガは特に偏りも見せずにシューティングアーツにない技もバランス良く使って見せた。
つまり、それだけ密度の濃い練習をし、他の技に引けを取らないレベルで身に付けていると言う事だ。

(別に、独学じゃ絶対に無理、何て言う気はないけど……)

可能性としては高くない。
仮に独学だったとしても、十中八九教本となる物はあった筈だ。
一指導者として、もし教本頼りならその参考にした教本には大いに興味がある。
まあ、そういった人物と人種に心当たりは多いにあるし、十中八九こちらだとは思っているが……。

(たぶんあの人たち関連なんだろうけど……でも、どういう縁があれば知りあえるのか、全然想像がつかないよ。
ただでさえ地球で管理局と関わることなんてまずないし、武術家ってなるとなおさら……)

自分のことは一先ず棚上げにし、内心で「いやいやあり得ない…でもなぁ」と首を捻るなのは。
まあ、その気持ちは無理もない。幼い頃に一発芸的に見せてもらった「相剥斬り」を使った事を考えるとしぐれが真っ先に浮かぶが、あまりにも接点がなさすぎる。
それは「あの人種」全般に言えることで、例外は彼女の家族くらいだ。
まさかその縁で、という事はあるまい。それなら必ず、なのは自身が仲立ちとなっている筈だ。

思い当たる節はないでもないが、可能性としてはやはり薄い。
そんな二つの思考に挟まれ、半ば思考の袋小路に陥るなのは。
いや、答えはほぼわかっているも同然なのだが、途中の式がさっぱり理解できない為に頭が納得してくれないだけなのだろう。
同時に、それを自覚もしているなのはは、素直にギンガに聞いてみる事にする。

「ねぇ、ギンガ。投げもそうだけど、『劣化 相剥斬り』だっけ? あれ、どこで覚えたの?」
「あ、ああ…実は、2ヶ月ほど前からある人に師事していまし、て……」
「え、そうだったの!? それなら言ってくれればよかったのに……って、どしたのギン姉?」

なのはの問いに対し、尻すぼみに弱々しくなるギンガの返答。
当初は驚きを露わにしたスバルも、その変化に気付き不思議そうに首をかしげる。
良く見れば、ギンガの顔はあっという間に蒼白になり、肩と頬が痙攣しているかのように引くついていた。
ギンガと一名を除き、全員がその引きつった表情に疑問符を浮かべる。

しかし、ギンガを除いたもう一人。
なのはだけは、ギンガの様子が変わるのとほぼ同時に振りむく。そこには……

「あ、久しぶりなのはちゃん」

実ににこやかに片手を上げて挨拶をする、凡そ十歳は年の離れた兄の友人(つまりは知人)の姿があった。
その姿を一目見るや、なのはの顔は即座に驚愕に染まり奇声を上げる。

「にゃぁぁぁっぁぁぁあぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

新人組とシャーリーは奇声にビクリと肩を震わせ、反射的になのはへと視線を移す。
そこには、昔の口癖と共に驚異の速度でバック走をするなのはの姿。
後先考えない後退の末、壁へと強かに背中をぶつけしばし意味もなく脚を動かす。
やがてようやくその無駄を悟ったのか、今度は力なく床に腰を落とした。

その姿は、世間における「エースオブエース」の姿からはあまりにかけ離れているだろう。
実際、それなりの付き合いがあるシャーリーですら信じられない物を見るような眼でなのはを見ていた。
だが本人はそれどころではないらしく、視線の先の人物を震える指でさし、虚しく口を開閉させている。

「いやぁ、いきなり消えるから探しちゃったよぉ」
「…………………」
「でも、しばらく見ない間にすっかり大きくなったねぇ。
 それに、見違えるほど立派になって……あの小さかったなのはちゃんがって思うとちょっと感動しちゃったよ」

本当に感動しているのか、手にしたハンカチで目元をぬぐう兼一。
しかし、当のなのはからは一向に言葉らしい言葉は返ってこない。

「できればもう少し再会を喜びたいところなんだけど…ごめんね、先にうちの弟子に話があるんだ。
 積もる話はあるけど、ちょっと待っててくれないかな?」
「な、なななななななななななななな」
「父様、驚き過ぎて聞いてないみたいに見えるんだけど、気のせい?」
「え? ……………………………ま、いっか」
(いいのかなぁ?)

幽霊でも見たかのように挙動不審に陥るなのはは、当然兼一の話など碌に聞いちゃいない。
多少気が緩んでいたとはいえ、気付かぬ間に背中に立たれた驚きはもちろんある。
だがそれ以上に、あまりにも予期せぬ人物の登場に頭が混乱しているのだ。
確かに、この手の人種の存在は頭に浮かべていたが、同時に否定もしていたせいだろう。
何より彼女の認識における「白浜兼一」は、非常識の権化達の中における希少な常識人。
その彼がこんな心臓に悪い登場をした事も一因に挙げられる。

しかし、兼一がギンガに向けて一歩を踏み出すのとほぼ同時に、この場に案内してきた二人もその場に降り立った。
どうやら、ギンガ達を見失った後に二人に行方を聞いたらしい。

「おい、なのは。こいつお前の知り合いなんだろ?」
「いきなりですまんが、簡単に説明を……」
「なんで兼一さんがこんな所にいるんですかぁ!!!!」

二人の問いかけを塗り潰す形で、ようやくなのはの口から大音量で根本的な問いが発せられた。
とは言え、全く事態が呑み込めないエリオとキャロ、及びシャーリーからすれば、疑問符が溢れて止まらない状況だ。嘆かわしい事に、それに答えられるなのはとギンガは形と意味は違えど慄き、兼一はなのはのリアクションにビックリして答えてくれる様子がない。
なので、彼女達は仕方なく自分たちで手持ちの情報を突き合わせるしかないのだった。

「ええっと、あの方はどなたなんでしょうか?」
「あ、そっか。ルシエさんは寮が違いますし、初めて会うんですよね」
「? モンディアル三士はご存じなんですか?」
「えっと、男子棟の管理をしてる白浜二等陸士です」
「エリオが知ってるのは……同じ男子棟だからわかるけど、なら肩に乗ってる子はわかる?
 なんか、さっきからこっちにすんごい笑顔で手を振ってる気がするんだけど……」
「あぁ、お子さんの翔です。僕兼一さんと同室なんで、色々とお世話になってて……」
(なるほど、だからあんなにフレンドリーなんだ。
ってもしかして、フェイトさんの様子がおかしかったのって、あの人のせい?)

とりあえず、白浜親子に対する情報の少ない三人はヒソヒソとそんなやり取りをする。
ただ、エリオの表情には他の面々に対するものとは一線を画す好意の色が見られた。
フェイトに対するもの程ではないだろうが、今朝会った時の上司の様子の原因を推測するシャーリー。
同時にその手が止まる事はなく、手元の端末を操作し兼一の情報を引っ張りだす。

「……とあったあった。白浜兼一二等陸士、元はロストロギアの発動に巻き込まれてミッドに飛ばされた管理外世界出身者。一度は故郷である『第97管理外世界』に帰還するも…ああ、なのはさん達と同じ世界出身なんだ。
で、2か月前に管理局に就職。保護及び就職後の配属先は陸士108部隊、か。
じゃあ、もしかしてスバルとティアナも知り合い?」
「あ、はい」
「少し前に、ギンガさんに紹介してもらいましたので」
「そう言えば……」
「ナカジマ陸曹も陸士108部隊出身なんですよね」
「そういう事だね、部隊長はスバルのお父さんだし」
「「へぇ~」」

意外に狭い世間というものに、しきり感心するエリオとキャロ。
まぁこの辺は、ほとんどが身内や知り合いで構成されている六課の性質の様なものだろうが。

「で、年齢が…………………29歳!?」
「ず、ずいぶんとお若いんですね……」
「きゅく~……」

そして、最後に出てきた情報にシャーリーはあからさまに驚き、キャロは微妙な表情を浮かべる。
もちろん、若いと言うのは年齢ではなくその外見の事。
まあ無理もあるまい。あの外見で三十路手前というのだから、少々信じ難い若々しさだ。
親譲りの童顔もあるのだが、同時に兼一は延年益寿の心得もある。
中国拳法でも、高等な秘伝には必ず“長寿の秘訣”に繋がる練功がある以上、彼がそれを修めているのは必然だ。
とはいえ、そんな事露知らぬティアナやスバルも、その辺の感想は同じなのだが。

「まあ、それが普通の感想よね」
「うん、私も聞いた時はちょっと驚いたし……どうみても二十歳前後だよねぇ」
(((何て言うか、リンディ【統括官・さん】みたい……)))

残る三人の場合、老けない生き物と聞いてまず思い浮かぶのがこの人物だ。
まぁ、兼一の延年益寿がどの程度かは時間を置かねばわからないが、某提督には及ばないかもしれない。
だが、実をいうとその某提督ですらまだ序の口。
何しろ地球には、喜寿(77)を軽く越えていながらも二十代の艶を保つ妖怪染みた生物がいる。
もちろん、それらの事は当然皆のあずかり知らぬ事ではあるが。

「そう言えば、兼一さんとなのはさんって知り合いなのよね。すっかり忘れてたけど」
「そうなの?」
「はい、そんな事を以前言ってました」
「えっと……なのはさんのお兄さんの友達、だったっけ?」
「そういう話だったわよね、確か」

以前会った時に聞いた、兼一の意外な交友関係を思い出すティアナとスバル。
それにシャーリー以下、各々「へぇ~」という表情を浮かべる。
しかし、それがシグナムとヴィータになると話が別だ。

「なのはの兄貴って事は、恭也さんのダチかよ」
「確かに、それならあの身体能力も合点がいく。まぁそうだろうとは思っていたが、やはりマスタークラスか」

やや離れた所で5人の話に聞き耳を立てていた二人は、その内容にようやく得心がいったと頷き合う。
自身の間合いに平然と踏み込まれたことに始まり、ここにたどり着くまでに見せつけられた異常な身体能力。
それも、一切魔力の発動を感じさせずにだ。
普通ならあり得ないそれも、相手がそういう生き物なら納得がいくと言うもの。
海鳴に住み、御神の剣士というそちら側の知己を持っている彼女らだからこそ、それを割とすんなりと受け止められた。だが、その意味がわからない面々にもその声は届き、代表してシャーリーがその訳を問う。

「あのぉ、副隊長達は一体何に納得してるんでしょうか?」
「む。ああ、そうか。お前達は知らないか」
「まぁ、しゃーねーよな。普通に管理世界にいたんじゃ、まずお目にかかれない人種だしよ」
「あの、ですから何なんですか?」

勝手に納得され、完全に話に付いていけていない一同を代表し、ティアナが具体的な説明を求める。
とはいえ、聞いた所で理解できるかどうか……というのが、二人の心境だ。
しかし、だからと言って無関係でいられる状況でもなく、とりあえず話すだけ話してみるべきだろう。

「恐らく奴は、地球において『達人』と呼ばれる人間だ」
「『達人』、ですか?」
「意味はそのまんま、技を極めたっつーとんでもねぇ連中だ」
『は、はぁ……』

まぁ、こんな大雑把な説明で納得しろというのも無理な話だ。
シグナムとヴィータももちろんその事はわかっているのだが、口で説明して納得させるのも大変なのである。
なので、後で直接見せてやった方が手っ取り早いと思っているらしい。
だがそこで、突然雷に打たれた様にスバルの体が硬直し、続いて周囲を見回しながらボソリと呟く。

「…………そう言えば兼一さん、どこから来たの?」
「は? アンタ何言ってんのよ、そんなの階段を…上って……」
「でもティア、向こうに階段はないよ」

スバルの言う通り、兼一が現れた先に階段はない。あるのはビルの縁だけ。
兼一が魔法を使えない事はティアナもよく知っているし、今見ても相変わらず魔力の欠片もない。
だと言うのに、いったいどうやって表れたのか。その訳は、シグナムの口から語られた。

「先に言っておくが、私はあまり冗談は得意ではない。自慢にならんが、ユーモアのセンスにも乏しい。
もちろん意味のない嘘もつかんし、目が悪いわけでもない」
『?』
「その上で聞け。奴は……………………………ビルの壁を駆け上がった」
『はい!?』

その、あまりに非常識な、いっそ軽いホラー的な言葉に異口同音に素っ頓狂な声が上がる。
冷静さが売りのティアナですら…いや、だからこそ相貌を崩して「空いた口が塞がらない」とばかりに大口を開けて唖然としている有様だ。
そこへ、割と早めに復帰したキャロは、その言葉を自分なりに解釈する。
まあ、本当は解釈の必要すらないのだが。

「えっと、それはつまり…ロッククライミングの要領で……」
「ちげぇよ、それなら『よじ登る』だろうが。そうじゃなくて、正真正銘壁を駆け上がったんだよ、アイツ」

つまりその言葉を信じるのなら、地面に対して限りなく水平に近い角度で壁面に二本の脚だけを付けて走って登った、という事なのだろう。
実に信じ難い内容だが、シグナムとヴィータの表情に冗談や嘘の色は見られない。
その言葉通り、紛れもなく見た事実をそのまま口にしているらしい。

「ま、信じられねぇのも当然だけどよ」
「だが、それができるのが達人なのだ。
 詳しい所は、本人から直接聞くなり見せてもらうなりしろ。口で説明して納得できるものでもない」
「とりあえず、今ある常識は早めに捨てとけ。一々驚いてると疲れる上に身がもたねぇぞ」

どうも、実際にその経験があるらしく、ヴィータの声音には疲労の色が濃い。
とはいえ、表面的な兼一の情報しか知らないスバル達からすれば、兼一がそんな大層な存在なのか疑わしく思うのも無理はない。何しろ彼は、外見的にはどう見てもどこにでもいそうな普通の気弱そうな青年なのだから。
なにしろ、実際にチンピラの恫喝に足が震えている所も見たわけで……。

まあ、そんな外野の様子はあまり気にせず、兼一はギンガの前に立つ。
皆の話はなのはの耳にも届いているようだし、どうしてここにいるのかの前段階部分については知ってもらえたはずだ。
なら、先にギンガとの話に入ってしまっても問題あるまい。

「ギンガ」
「し、師匠……」

外野からは、スバルの「え!? 師匠ってどういう事!?」という声が聞こえてくるが、今のギンガに答える余裕はない。
一度はスバル達の手前押し殺した感情が顔を出し、兼一から顔を逸らす。
負けた自分が、どんな顔を向ければ良いのかわからず、師の顔を…その眼を直視できずにいた。

「……とりあえず身体の具合を見よう。どこかに異常があったら大変だ、見せてごらん」
「…………………はい」

師の言葉に従い、言われるがままに傷を見せるギンガ。
さすがに人目のある所で服を脱がせるわけにはいかないので、服の上から丁寧に触診していく。
はじめは腕や足などの末端、やがて徐々に胴や背中などの体幹へと。
兼一の手が腹や背中に触れた瞬間、僅かにギンガの身体がピクリと反応した。

しかしすぐに身体から力は抜け、優しく触れるその手のぬくもりに身を任せる。
ギンガも年頃の娘。もし相手が他人だったなら気恥ずかしい思いもしただろうが、兼一に邪念がない事は誰よりも彼女が良く知っていた。
その間ギンガは無言を貫き、兼一も特に声はかけない。
周りの面々も、どこか声をかけづらいその雰囲気に飲まれ口を閉ざす。
重い沈黙がしばし流れ、触診が終わった所でようやく兼一がその沈黙を破った。

「ふむ、脱臼に骨折、肉離れや拳を痛めた様子は見られないね。その他、靭帯と内臓にも異状なし、と。
 なのはちゃんの噂は色々聞いてたからちょっと心配してたんだけど、これなら一安心か」

五体満足でこれと言った大きな怪我のない弟子の状態に満足げにうなずく兼一。
目下最大の懸案事項の一つが解消され、その顔には僅かに安堵の色があった。

「何はともあれ、無事で何よりだ」
「…………………………………無事じゃ、ありませんよ」

弟子に向き直りその無事を喜ぶ師に対し、ギンガは俯きながら絞り出す様にして言葉を紡ぐ。
確かに身体は無事だったかもしれない。だが、心は違う。
体を鍛え、技を磨くと共に、心もまた強くなっていると思っていた。
にもかかわらず晒してしまった、心の弱さ。その事実と認識がヤバいとなって、ギンガの心に深々と突き刺さる。

師と亡き母の期待に応えられなかった。大切な弟妹に情けない姿を見せてしまった。
それが本当に、なんと言って詫びればいいかわからない程に申し訳ない。

本当は、まず真っ先に謝りたかった。
しかし、謝りたい事が胸の中で膨れ上がり、ギンガ自身で整理できていない。
故にギンガは、何から口にすればいいのかすらわからず、こんなことしか言えなかった。

「確かに、無事とは言えないか。心に大きな傷が付いているね、さぞかし疼くだろう」
「……師匠」
「うん?」
「私は、あなたの弟子にふさわしいんでしょうか? 武術に専心しない上に、こんな「やめなさい。その先を言ったら、さすがに怒るよ」…………ごめんなさい、軽率でした」

僅かに震える唇から洩れる言葉を、珍しく怒気を帯びた声音で制する兼一。
余人にはギンガが何を言おうとしていたのかは定かではない。
だが、その先を察した兼一に与えた戸惑いは小さくはなかった。

自分に相応しいとか相応しくないとか、そう言う視点で兼一はギンガを見た事はない。
強いて言うなら、師達から授かった物を託すに足る「心の持ち主」かどうかという視点があるだけ。
そもそも、兼一がギンガを弟子にと望んだのは、ある意味ギンガの人柄に惚れ込んだからだ。

だからこそ、兼一はそれ以上何かを口にする事を許さない。
自分を卑下し、蔑ろにするような言葉を弟子が口にすることは兼一にとっても悲しかった。
一度の敗北や心の緩みで弟子を見限るなどもってのほか。
その程度の事で変わる程、兼一のギンガへの評価と信頼は低くない。
愛弟子が生きて無事でいてくれる、兼一にとって今はそれで充分なのだから。

同時に弟子を思うからこそ、兼一は敢えて優しい言葉をかけようとはしない。
敗者に対する同情は虚しく、安易な慰めの言葉はかえって心を傷つける事がある。
それを知っているからこそ、無理な慰めはしない。
迂闊な言葉は、むしろ弟子を惨めにさせるだけだから。

「顔を上げなさい、そこには何もない。ただ、心の重みが増すだけだよ」
「でも、私は……」

師に、合わせる顔がない。
確かに「エースオブエース」に一撃入れるのは大きな成果だった。
だが、一瞬とはいえそれに満足してしまった事で、自信が揺らいでしまっているのだろう。
アレだけの鍛錬を経てもなお、最後の最後で心が緩み、満足してしまった。
そんな自分が、果たして武の深淵へと至る道を歩み切り、この背に追いつける日が来るのだろうか。
師の教えは疑っていない、ただそれに応え切れなかった自分を恥じている。
いっそ難儀な程に生真面目で責任感の強い性格ゆえの弊害だろう。

「ギンガ、君はこの勝負で何かを怠ったのかい?
 例えば…そう、力や技を出し惜しみしたり、負けても良いと手を抜いたのかな?」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!!」

真剣に、本気でいま持てる全てを注ぎこんで戦ったことに間違いはなかった。
模擬戦ということもあり、大きな危険と隣り合わせの実戦程の危機感はなかったかもしれない。
だがそれでも、師と相手に対してそんな無礼な真似をできるギンガではない。

手を抜いて、ないし手加減して勝つのはいい。それをして勝てるだけの力の差があるのなら。そう、丁度今回のなのはのように。
しかし手を抜いて負けるなど、自身の修業に全力を傾注してくれる師に対しても、戦ってくれたなのはに対しても失礼極まりない。
だからこそギンガは、思わず声を上げて否定したのだ。
ここでそんなものを持ち出すほど、彼女は堕ちてはいない。

「やり残しがないなら良いさ。武人が持てる全てを出しつくした戦いに難癖をつけるほど、無粋じゃないよ」

ギンガはあの時点における功夫と精神状態で、持てる全てを絞りつくし勝つ努力をした。
だからこそ、充分信頼に応えてくれたと兼一は思う。
心が緩んだと思うのなら、次はそんな事のない様にすればいい。

信じることと結果は別の問題。
結果が期待した通りにならなかったからと言って、それは決して裏切りではない。
もし裏切りがあるとすれば、それは為すべき努力を怠る事である事を彼は知っている。
ギンガは為すべき事を為した末に、未熟を晒したに過ぎない。
故にギンガへの失望はなく、むしろそれを恥じる事の出来る彼女を弟子にできて良かったとさえ思う。

そんな兼一の真意を汲み取ったのか、緩慢な動作ながらギンガは面を上げる。
期待に応えられなかった自分に、尚も変わらぬ期待と信頼を寄せてくれる師。
そんな彼に、これ以上情けない姿は見せられない。

「やっと顔を上げたね。おっと、まだ下げちゃいけないよ。
辛いだろうけど、自分自身から目を逸らしちゃいけない」
「どういう、意味ですか?」
「向き合う相手の瞳に映るのは自分の姿だ。同じように、他人は自分を映す鏡。
 もし、誰かを見るのが辛いと思うのなら、それは今の自分を見るのが辛いのと同じだよ。だけど、辛い時にこそ見つめなければいけない。眼を逸らせば見ずに済むけど、それじゃあ敗北感に屈した負け犬だ」

負けっぱなしの半生を送っていた兼一だからこそ、誰よりもその事をよく知っている。
敗北感は、言わば彼に取って親しい友人の様なもの。彼の半生は敗北に塗れ、まさしく負け犬そのものだった。
だからこそ、ここで眼を背けてはいけない。背け続けた結果こそが、ある時までの彼自身だったのだから。

「いいかい? 自責に、敗北感に、心の傷に打ち勝つ事。敵に勝つ前に、まずはそこからだ。
真の敵は、いついかなる時も歩みを止めそうな弱い自分であることを肝に銘じなさい」

徐々に、ギンガの眼に力強い輝きが戻り始める。
師に合わせる顔がないという気持ちは変わらない。だがそれ以上に、師をこれ以上失望させたくはなかった。
まだ自分を信じてくれる師に、自分ができることは少ない。
なら、今できる精一杯でその信頼に応えてこその一番弟子だ。
故に、ギンガは必死に心を奮い立たせ、決然と面を上げて兼一の瞳を直視する。

「もしこれが実戦だったのなら、ギンガはトドメを刺されて死んでいた。そうなれば、当然“次”もなかっただろうね。でもギンガ、君は死んだのかい?」
「……いえ」
「そう、ギンガは生きている。勝敗はどうあれ、これが全てだ。
武術家にとって真の敗北とは『死』。でも生きていれば、いつか雪辱を晴らす機会もあるだろう。
今はその時の為に、自分の弱さを、足りない物を知りなさい」

確かに最後の最後、ギンガの心は「満足」して緩んだ。
それは厳然たる事実であり、受け入れねばならない現実でもある。

しかし同時に、ギンガが生きているのもまた事実なのだ。
模擬戦だから当然? 確かにそうだが、再戦の機会がある以上これはまだ終わりではない。
終わっていないのなら、顔を上げて前に進まなければならない。
そうでなければ、本当に終わってしまうのだから。

悔いるのも反省するのも次の糧となるが、それで下を向いていては仕方がない。
むしろ、下を向いていては自責と後悔で心が折れてしまう。
辛く苦しい時にこそ、顔を上げて前を見なければならない事を兼一は知っている。
俯いてしまった結果と、顔を上げた結果、その両方を知っているのだから。

「そして、この敗北でまだまだ修業が足りない事はギンガもよく分かった筈だ。
 それを教えてくれた相手に感謝し、今度はその手で御礼をしなさい」
「…………はい。次こそは、クリーンヒットを入れて見せます! それで、いいんですよね…師匠」
「うん、その意気でいこう」

決然とした面持ちで答えるギンガに、兼一は弟子の肩に手を置いてにこやかに笑いかける。
まぁ、これで素直に終わっていればよかったのだが……兼一の肩から降りた翔が、必死の身振り手振りでギンガに危機を知らせるも、悲しい事にギンガはその事に気付かない。

「さしあたっては……」
「はい! どんな修業も恐れません」
「え? あ、そう? それならもっとゴージャスかつデンジャラスに……」

不用意な発言と共に、師の顔に浮かぶ不吉ないい笑顔と目から放たれる怪光線。
即座に命の危機を察したギンガは、平身低頭して許しを乞う。

「すみません、恐れるかもしれません、割と早めに」
「ハハハ、何てね。冗談冗談。
だけど、その意気に免じてここは一つ限界を超えるために……」
「じ、地獄の様な修業をしようと?」

ゴージャスかつデンジャラスというのは冗談らしいが、それでも頬が引きつるギンガ。
今までは「限界ギリギリ」だったが、今後は「限界を超える」と聞いて慄くのも無理はない。
この男に限って、誇張などではない事をギンガは身を持って知っているのだから。
まぁ、修業時代の兼一など「常態」として限界を越え、さらなる危険に「無茶を承知」で放り込まれていたのだから、それに比べれば今のギンガの状況はよほどマシとは言える。
つまりギンガにとっては最悪に近い現状も、兼一からすればまだまだ上があるわけだ。だからこそ、笑って弟子を追い詰めることができるのだろうが。
しかし、兼一から返ってきた言葉は思いの外優しかった、のかもしれない。

「いやいや、そんな事は考えてないよ」
(……ほっ。そうよね、今までが地獄みたいなものだったわけだし、これ以上なんて……)
「地獄の修業をするだけさ」
「えええええええええええええ!? もっとひどいじゃないですか!!」
「え、そう? 地獄の底じゃないだけマシだと思うんだけど……」
(比較対象がイヤ過ぎる……)

心底引いた表情で呻くギンガ。
確かに、「地獄の底」に比べれば「ただの地獄」の方がましかもしれない。

だがそれは、あくまでも比較した場合の話。9と10を比較すれば、確かに10の方が大きいと言うだけだ。
だからと言って、9なら問題ないと言うことでは断じてない。

「なに、人間いつかは慣れるさ。傷心の痛みを忘れるには辛い修業が一番だよ」
「もし、慣れなかったら?」
「……………………………………埋められるならどこがいい?」
「埋めるな! というか、慣れなかったら死ぬんですか!?」
「修業なんてそんなものさ。まぁ、どうしても嫌なら無理にとは言わないけど……」
(逃げたい、本音を言えばすぐにでも逃げたい! 逃げられる気はしないけど。
でも、この人の事だからホントにイヤと言えばやらせない可能性もあるし……………だけど、それでいいの?)

理由や形はどうあれ、これでも弟子を思って言ってくれていることくらいはわかっている。
過激で過酷で過剰な修業ではあるが、それでも師を疑った事はないし、今も疑ってはいない。

(逃げ出したとして、私は…………戻ってこれる?)

一度逃げて、もう一度この場所に戻ってこれる自信は…………ない。
たった一度でも逃げ出せば、心が折れて、もう二度と戻れない気がするのだ。
帰ってこれるだけの、折れた心を戻せるだけの強さがあるかわからない。
だからこそ、ギンガの出す答えは決まっていたのかもしれない。

「…………………やります。強く、なれるのなら」

ギンガの答えに、兼一は一層笑みを深める。
昔の彼であれば、一目散に逃げ出していた事だろう。
自分と違って逃げることなく受けて立つ弟子。それが嬉しくて仕方がないと見える。

ただ、果たして「逃げ出さない者」と「何度逃げ出しても戻ってくる者」。
このどちらの方がより心が強いのか、それはわからないが。

そうして、話を終えた兼一はようやくなのはの方へと顔を向ける。
その頃にはなのはも精神を立て直し、真正面から兼一を見据えていた。

「ああ、何と言いますか…………お、お久しぶりです、兼一さん。
それと、その子はもしかして……」
「ああ、そう言えばちゃんと会うのは初めてなんだよね。翔、ごあいさつ」
「う、うん。は、はじめまして、白浜翔です!」

少し戸惑い気味ながら、元気よく頭を下げて挨拶する翔。
なのはは、そんな翔を優しげに、同時にどこか寂しげに見つめる。
彼女も気付いたのだ、その瞳の色が、母親譲りのものである事に。
そう言った端的に見える母親の面影が、懐かしくも悲しいのだろう。
とはいえ、相手がしっかりあいさつしたのにそれに返さないのは礼を失する訳で。

「うん、はじめまして、高町なのはです。兼一さんには、昔から良くしてもらってるんだ。よろしくね、翔」
「は、はい!」

なのはが差し伸べた手を、翔は少しばかり恐々とした様子で握り返す。
ただ、どうにもなのはを見る翔の様子は少々緊張し過ぎている。
それが、気になると言えば気になるなのは。

「ねぇ、なんか妙にかしこまってる気がするんですけど…どうしたの?」
「あ、あの! ギン姉さまとスゥ姉さま……」
「ギン姉…はギンガの事だろうけど、スゥ姉って…もしかしてスバル?」
「あ、はい! 二人からお話は聞いてます、凄い魔導師だって!」
「そうそう、色々聞いたよ。凄い有名人じゃないか、なのはちゃん」
「あ、あははは、そう言われると…照れますね。ギンガもスバルも、どんな事話したの?」
「その、なのはさんに助けてもらった事とか、管理局のエースオブエースって事とかですけど……」
「べ、別に誇張したりはしてませんよ?」
「まぁ、いいけど……」

どうやら、そこまで「凄い」と意識されるのは気恥ずかしいらしく、少々顔を赤らめるなのは。
だが、そんななのはの気も知らず、翔は相変わらずキラキラと憧憬の眼差しを向けていた。
分野は違えど、それでも相手は一つの分野で万人から優れた人物と評価された存在だ。
子どもらしく、素直に「凄いなぁ」と思うのも当然だろう。

とはいえ、なのはとしてはやはりその視線は困るらしい。
助けを求める様に兼一に視線を向けると、彼もそれに苦笑しつつ話を逸らす。
それくらいには空気を読めるようになったのだ。

「でも、本当に久しぶりだね、なのはちゃん。ますます桃子さん似の美人になって、ご両親も鼻が高いだろう。
 まぁその分、周りが放っておかなくて心配かもしれないけど」
「あ、ありがとうございます。でも、べ、別にそんな事は……」
「そう? ところで、士郎さんや桃子さんは元気?」
「は、はい。あんまり実家には帰ってないんですけど、相変わらず新婚気分みたいです」
「そっかぁ、相変わらずなんだねぇ。でも、ちゃんと帰らないとダメだよ、みんな心配してるだろうし」
「き、気をつけます」
「ところで、お店の方は?」
「その、繁盛してますよ。確か前に『後継者がいない~』って、お母さんが愚痴ってましたけど」
「二代目候補だったなのはちゃんが、今や戦技教導官だもんねぇ」
「話が弾んでる…のかな?」
「というか、なんかなのはさんがやけに落ち着きがないんだけど……」

何か苦手意識でもあるのか、なのはの表情は引きつり気味で歯切れも悪い。なんと言うか「借りて来た猫」の様だ。
動揺から抜けだしきれていないと言うのもありうるので、あまり気にする程の事でもないが、一応理由はある。
ただし、スバルやティアナ的にはもっと別の事の方が気になるのだった。

「それになのはさん、なんか普通の女の子みたいに見えない?」
「アンタも、そう思う?」
「うん……」

憧れの人の思ってもみない姿に困惑するスバル。ティアナもそれは大差ない。
無理もないのかもしれないが、彼女達が持つなのはへのイメージには多分に誇張された部分がある。
局の内外で流れる噂などは、本来のなのはから独り歩きしている部分があるので、仕方がないと言えばそれまでだが。ただそのせいで、どうにも「素に近いなのはの姿」に驚きを隠せずにいるらしい。

しかし、どれほど祭り上げられた所で、高町なのはも一人の人間に過ぎない以上そういう面はあって当然だ。
欠点や短所、弱さを持たない人間などおらず、なのはとて例外ではない。
だが、その事に二人はまだ気付いていないのかもしれない。
あるいは、わかっていても先入観ともいうべきイメージ(偶像)がそれを阻むのか。
とはいえ、そんな二人を余所に話は進んで行く。

「そういえば、5年ぶり……って事はないよね、確か」
「あ、はい。その……美羽さんのお葬式には出られませんでしたから」

これが、なのはの歯切れの悪さの原因。早い話が、顔を合わせずらいのである。
5年前となれば、学校と掛け持ちとは言え管理局での仕事もバリバリこなしていた頃。
中には数日帰れない事もあり、丁度それがぶつかったのが美羽の葬儀の日だったのだ。

魔法と出会うよりもさらに前。
本当に普通の、無力な子どもだった頃からほのかをはじめ、兼一や美羽には世話になった。
特に美羽には手製の和菓子をふるまってもらい、かなり可愛がってもらったりしたものだ。
強く美しく、賢く気立ても良くて優しかった完璧超人の美羽は、なのはにとって憧れの女性の一人。
仕方がなかったとはいえ、そんな相手の葬儀に出られなかったのは、本当に心苦しかったのだろう。

兄達に弔辞を託しはしたが、性格的にそれでよしと出来る筈もなく。
なんとか時間を見つけて墓参りをし、位牌に線香を上げる位はできた。
だが互いに仕事を持つ者同士、時間が合わず、兼一は後からなのはが尋ねた事を母から聞いたのだ。
それ以前も、管理局の仕事が多くなるにつれて兼一達と合う機会は減っていた。
実質的な空白の時間は、やはり5年では済むまい。

「中々お墓参りもできず、こうして直接お悔やみの言葉をも伝えられなくて、本当に申し訳なくて……」
「いや、気にしないで。そうして悼んでくれるだけでも、きっと美羽さんは喜んでくれるよ。
 むしろ、妹みたいに可愛がってたなのはちゃんがそんな悲しい顔をしてたら、美羽さんも悲しむ」
「そう言ってくださると、少しだけ救われます」

兼一の言葉に、なのはは僅かに安堵する。
別に、彼の性格を考えれば何か厳しい事を言われるとは思っていないが、それでもこう言ってもらえると心が軽くなる。実際、中々墓参りもできない事は心苦しい限りだったのだ。
まあそれはそれとして、なのはとしては一つどうしても気になる事がある。

「所で兼一さん、ロストロギアに巻き込まれたってシャーリーが言ってましたけど、ホントなんですか?」
「あ~、うん、まぁ」
「なんでまたそんな物に……」

彼女も大概ではあるが、普通は管理外世界で早々魔法やロストロギアに関わるものではない。
それも、全く魔力の欠片もない兼一がとなれば尚更だ。
その意味で、なのはの疑問も当然のものだろう。

「いやぁ、実はね」
「実は?」
「あれ、長老がお守りとして翔にあげたものでさ」
「長老さんだと、普通に納得してしまえるのが凄いですね」
「だよねぇ……」

詳しい事情など一切関係なく、問答無用の説得力があるのだから凄まじい話だ。
実際、二人揃って呆れるやら感心するやら微妙な表情だ。
その後もグレアム元提督と友人だと言う話が出たのだが、驚きこそすれすんなりと受け止めるなのは。
これもまた、ある意味長老の人徳のなせる技だろう。

とはいえ、このままだと周りが置いてけぼり。
一応、一連のやり取りでそれなりに知らない仲ではない事はわかるが、それだけに過ぎない。
そこで、いい加減痺れを切らして一念発起したヴィータが動く。

「あのよ、旧交を温めてるとこ悪ぃんだが、そろそろ紹介してくれねぇか?」
「あ、ごめんね、ヴィータちゃん」
「いいからよ、あっちで混乱してる連中に事情を説明してくれ。
あたしらもたいしてわかっちゃいねぇが、多少想像がつくだけまだマシだからいいけどよ。
アイツらはそうじゃねぇだろ」

何しろ、スバル達は兼一となのはの兄が友人ということくらいしか知らない。
ましてや、達人やらギンガの師匠発言やらわからない事が多過ぎる。
ヴィータとシグナムは、まだ高町家の事や達人の事を知っているだけにマシだが、それでもわからないことだらけ。早く色々説明して欲しい事に変わりはない。

「えっと、もう分かってるかもしれないけど、こちら私のお兄ちゃんの友達の『白浜兼一』さん。
 世間では達人なんて呼ばれてる人…でいいんですよね?」

なのは自身、別にそこまで武術の世界に詳しいわけではない。
家庭の事情からそれなりに知識と理解はあるが、所詮はその程度。
なので、正確にいつ頃から兼一が達人級入りしたのかは良く分かっていない。
多分そうなんだろうと言うのはわかっているが、念の為の確認である。

「うん、まぁ一応はね」
「あの、さっきから疑問だったんですけど、何なんですか、達人って?」

疑問を口にしたのはティアナだ。
さっきから何度か出た言葉だが、ちゃんとした説明はまだ貰っていないのだから当然だろう。

「何、って聞かれると逆に困っちゃうんだけど……武術を極めた人、かな?」
「いや、ですからそれだけだと……」
「つまり、具体的にどんな事が出来るのかを知りたいのだろう?」
「その……はい」

所謂「何が疑問かすらよく分かっていない」状態のティアナの言葉を、わかりやすい形に直すシグナム。
これでもだいぶ曖昧だが、それでも一定の方向性は示された。
ならば、ある程度具体的な事を説明することもできるだろう。

「具体的に………………銃弾を避けるとか、車並の速度で走るとか、そういうの?」
『へ?』
「あとは、片手で車を持ち上げるとか、銃口を指でつまんで潰すとかもできますよね?」
「まぁ、それくらいなら」
『できるんですか!?』

あまりにも非常識な事柄に対し、驚愕を露わにする新人組とシャーリー。
シグナムやヴィータ、それに兼一を師に持つギンガなどは「そういう反応するよな」という顔をしていた。

「あの、兼一さんからは全く魔力を感じないんですけど……」
「確か、ギン姉から聞いた話だと、兼一さんはリンカーコアもないって……」
「まあ、別に不思議じゃないよ。兼一さんは武術家であって魔導師じゃないんだから、魔力がなくてもねぇ」
「達人って言う人は魔力なしでそういう事が出来るって事ですか!?」
「チビッコ、アンタもやっぱりそういう風に聞こえた?」
「それ以外にどう解釈すればいいんでしょう?」
「まあ、そうよね」

新人たちは、各々全く未知の概念である「達人」という存在に呆気にとられる。
まぁ、初めて知った達人が兼一だった事もあるのだろう。
正直、どれだけ言葉を重ねられても信じ難い思いが強い。
どこからどう見ても、白浜兼一という男にそんな様子は欠片も見受けられないのだから。

「そういや、なのは」
「なに、ヴィータちゃん」
「こいつ、なんの達人なんだ? 槍か? それとも刀か?」

無理もないのかもしれないが、ヴィータ達の知る達人は高町家の関係者だけである。
故に、真っ先に思い浮かんだのが武器使いでも仕方がないだろう。

「ううん。というか、兼一さんは武器系じゃないし」
「まぁ、そうじゃなきゃギンガが弟子なのはおかしいよな。って事は、晶さんと同じ格闘系か。
で、何やってるんだ、お前?」
「ええっと、空手と柔術とムエタイと中国拳法を嗜んでます」
「……………………で、どれがメインなんだ?」
「あ、いえ、一応全部なんですよね、これが」
「……………………………………………マジなのか?」
「うん。信じられないのはわかるんだけど、本当」

胡乱気なヴィータの問いに、なのはは苦笑いを浮かべながら首肯する。
普通に考えれば、確かに疑いたくなるような事実だ。
しかし、幾ら疑った所で事実は変わらない。
実際問題として、白浜兼一がそれらの達人である事は事実なのだから。

「でも、こうして考えてみると、ギンガは幸せだよねぇ」
「高町、それはどう言う事だ?」
「えっとですね、今言った通り兼一さんはいくつもの武術の達人です」
「まあ、確かにその時点で破格だとは思うが……」

シグナム達は知らないし、なのはも詳しくは知らないが、兼一の師は誰も彼もが真の達人ばかり。
その豪華さは、「これだけの達人に一度に教わるなど、一国の王ですら不可能」と言われる程。
逆に言えば、それだけの面々から教わった兼一から教われると言うのも、それに匹敵する幸運という事も出来る。

「でも、それだけじゃないんですよね」
「……というと?」
「シグナムさん、新白連合って知ってます?」
「海鳴にいた頃に名前くらいは聞いた事があるが、それがどうした?」
「兼一さん、元はそこの一員なんです」
「「なに!?」」

多少なり新白連合の名は知っていたらしく、シグナムとヴィータの驚きは大きい。
管理外世界の一企業の事など他の面々にはわからないだろうが、5年前はまだ八神家一同も海鳴にいた。
故に、丁度名が広まり始めたその存在を知っていてもおかしくはない。
あの当時からそれなりに世を賑せていた企業の人間。武術とは一見関係なさそうだが、驚きがある事に違いはない。まぁ、やはりこの点に関してもなのはは詳しくないので、「一員」という事くらいしか知らないわけだが。
つまり、早い話がなのはの持つ武術界の知識は非常に中途半端なのだ。仕方のない事ではあるけれど。

「美羽さんが亡くなってスグにやめたって、お兄ちゃんに聞きましたから」
「でもよ、なんで達人がんな企業に属してたんだ? もっと他にいい場所があるだろ」
「待て、ヴィータ。確か、新白連合は格闘団体か何かではなかったか?」
「あん? そうだっけか?」
「うむ、私もうろ覚えなのだが……」
「ええ、そうですよ。一応連合は武術関係の組織ですから」

シグナムの曖昧な記憶を補強する兼一。
ただし、あまり事を大きくしたくないのか、ナンバー2であったことなどは口にしない。
奥ゆかしいと言うよりは、単に尻ごみしているだけだろうが。

(なるほどな、そういう事なら達人が所属していたのもうなずける。
 武術系の組織という事なら、十中八九幹部クラスか。しかし、だとすると……)
「けどよ、それとギンガと何の関係があるんだ?」
「いや。というか、そもそもなぜやめたのだ? やめていなければ、地位や権力、それに金銭…は武人の貴殿からすれば興味が薄いかも知れんが、やめる理由にはなるまい。
 何か、袂を分かつような事でもあったのか?」
「いえ、そんな事は別に。ちょっとした、一身上の都合です」
(……まぁ、あまり詮索することでもないか)

兼一の言葉と表情から、あまり話したくないというニュアンスをくみ取ったのか。
この点に関しては、シグナムもそれ以上の詮索はしない。

「しかし、達人級の武を修めた貴殿であれば、各方面から引く手数多だったのでは?」
「まあ、分不相応ながら」
「それなのにわざわざ局の二等陸士に身をやつしてまでギンガを弟子に、か。
 なるほど、確かにギンガは幸せ者だ」

シグナムは兼一の言から、あらゆる勧誘を蹴ってギンガを弟子にするべく局入りしたと判断し、微笑を浮かべる。
概ねその判断に間違いはないので、兼一も特に何も言わない。
あらゆる世俗の栄誉と富を振り払い、異界の組織の下っ端になってまで弟子にと望まれたのだ。
それは確かに、幸せ者と言えるだろう。

「ところで、恭也の友だったのだろう? 勝率はどれくらいだったのだ」
「5年前まででしたら五分くらいですかね。妻が逝ってからは、手合わせはしていませんけど……」
(なぁ、シグナム)
(何だ?)
(どうも話を聞いてるとよ、5年前からその方面と離れた様な感じなんだけど、どう思う?)
(確かにその様だが、詮索するだけ野暮というものだろう)
(まあ、後ろ暗い事があるわけでもねぇならそうだろうけどよ)

念話で密談する二人だが、シグナムはあまりこの事を突っ込む気はない。
別に犯罪でもないのなら無理に聞く気はない。
ヴィータもそれに気付いたらしく、それ以上問いかけることはしなかった。

「恭也と互角、か。それほどの武人とは露知らず、失礼した。
 今までお会いできなかったのは残念だが……」
「あの、シグナムさん?」
「なんだ、高町」
「あのですね、多分会った事ありますよ、前に」
「なに?」
「そうなのか?」
「うん。兼一さん、お兄ちゃんと忍さんの結婚式にも出てくれたし」

てっきりこれまで会った事がないと思っていたらしいが、よくよく考えてみればこれは当然だろう。
兼一と恭也達がそれなりに親しくしていた以上、結婚式に招待されても不思議はない。
なら、その場でシグナム達と会っていた可能性はあって当然だ。
なのはもその証拠を探すべく、デジタル化した写真を引っ張りだし検索する。

「ええと…………あった! これこれ」
「うん? どこだよ?」
「ほら、ここ」

呼びだされたのは、結婚式の中で撮影されたと思しき写真。
ここに映っていれば、間違いなく一度は顔を合わせていた証明になる。
なのはが示すそれには、複数の人物が映っている。そして、その一人は……

「ふむ、確かにいるな。しかし、なぜ今の今まで忘れていたのか……」

過去に会った事があるにもかかわらず、全く記憶にとどめていなかった事をいぶかしむシグナム。
だがそれも、ヴィータの言葉によって得心へと変わる。

「あ? そんなの………………周りが濃すぎるからだろ」

ヴィータが示すのは、兼一の周りに映る面々。
そこには、個性の塊としか言いようのない連中の姿。
早い話、兼一の師匠達の姿がくっきりと映っていたのである。

「こんな連中と一緒にいたんだ、そりゃ覚えてねぇだろ。地味だし」
「はぐっ!?」
「む、そうだな、思い出してきたぞ。あの日、やけに目立つ上に凄まじい気を放つ連中がいたな。
 すっかりそちらに目がいっていたせいで、気付かなかったのか」
「ぐふぁ!?」

正直な、そうであるが故に無慈悲な言葉の数々。
誰とは言わないが、その言葉に多大な精神的ダメージを受けている男が一人いた。

「け、兼一さ―――――――――ん! どうしたんですか―――――――――――!?」
「し、師匠――――――――――――!? しっかりしてくださ―――――――い!!」
「父様―――――――――――!?」
「いいんだ、いいんだ。どうせ僕は地味だよ、没個性だよ、弱そうですよ~だ」

灰色の床に体を横たえ、コンクリートの床にグリグリと指を押し当てる兼一。
さりげなく指がめり込んでいるのだが、彼の放つ鬱なオーラがそれを覆い隠す。
仕方がない事とは言え、さすがに師匠達に個性ではかなわない。

その後、すっかり凹んでしまった兼一を励ますのにいくばくかの時間を要するのだった。
もちろんその間、新人組などがすっかり置いてけぼりを食ったのは、言うまでもない。






あとがき

はぁ、ようやくなのはとご対面でございます。
ただ実をいうと、ここでやりたい事の半分ちょいくらいしかできていない不思議。全部入れるとなるとかなり長くなりそうですし、そもそも収まり切らない可能性があるのでここで一端区切りました。
なので、次回はこの続きになります。つまり、はじめの事件とかはまだもうしばらく先になりますね。
実際、まだなのは達にとって兼一の実力は未知数ですし、次に進む為に踏まなければならない段階も残っていますから。
とはいえ、つくづく話が進まない。端折っていい部分でもないので仕方ないと言えばそうなんですけどね。
まあ、気長にお付き合いくだされば幸いです。
あと、残念だったのはあんまり兼一に良い事を言わせられなかった事ですかね。それどころか、大分苦しい展開かもと、ちょっと反省。もう少し良い事を言わせるなり、上手い展開に持って行けられればよかったんですけど……。

ちなみに、ヴィータが恭也とかに対して「さん」付けなのは、サウンドステージを聞く限りではすずかとかには敬語を使ってますし、ならおかしくもないのではないかと思ったからですね。
あと、タイトルが「5年」なのは作中内での年度が変わったからです。六課に来る前は年中だった翔も、今や年長。次の年には初等部1年になりますからね。



[25730] BATTLE 17「それぞれの事情」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:27

機動六課が正式に稼働した日の晩。
その食堂にて、八神家一同はその日あった出来事について報告し合っていた。
その中には当然、この日になって発覚した一人の達人の事も含まれている。

「はぁ……まさか、達人級がおったとは。
AMFの事を考えるとありがたいんやけど、頼もしいやら空恐ろしいやら……」

微妙な表情で乾いた笑みを浮かべるはやて。
彼女としても、魔法の世界においても非常識なあの存在と再び関わるとは思っていなかったのだろう。
だがその瞬間、その脳裏に意味もなく迷案が閃いた。

「そや、折角やからリインも鍛えてもらうか?」
「い、イヤです! そんな事したらリインは死んでしまうです!
 はやてちゃん、リインのフィジカルの弱さを甘く見ないでください!!」

唐突に投げかけられた問いに、顔を青ざめて震えるリイン。
はやても冗談で言ったのだろうが、本人としてはあまりにもシャレにならないらしい。
そんな二人のやり取りを聞く守護騎士一同の顔には、何とも言えない表情が浮かんでいた。

「威張って言う事かよ」
「まぁ、事実ではあるがな」
「適性がないどころじゃありませんもんねぇ」
「……魔法がなければ、ネズミにすら勝てんからな」

実際、リインのフィジカルの弱さは尋常ではない。
身体のサイズの関係上仕方ないとはいえ、彼女は魔法が使えなければ文字通り無力な小人。
適性がないと分かっていても、あまりにも貧弱すぎるのも考えもの、というレベルなのだ。
だからこそ、AMFが絡んでくるこの案件では皆はリインの身が心配だったりする。

「けど、案外いいかもな。いつもバッグで運んでもらってると、祝福の風の名が泣くぞ」
「うむ。物は試しだ、自分の限界を知るのは良い事だぞ」
「それに失敗を恐れていては進歩もない。まぁ、十中八九失敗するだろうが」
「みんな厳し過ぎなのですよぉ!? シャマルゥ~!」
「よしよし、もう泣かないでリインちゃん。みんなもね、リインちゃんの事が心配で言ってるんだから」
「「「シャマルはリインに甘い」」」

泣きつくリインを優しく胸を課すシャマルだが、そんな彼女に咎める様な視線が向けられる。
末っ子が甘やかされるのは良くある事だが、少々それが過ぎると言いたいらしい。
まぁ、これも末っ子の事を思っての事なのだが。

「せやけど、白浜二士はシャマルの患者さんやったんやろ。その時に気づかへんかったん?」
「ぁ、その…確かにすごい身体だなぁとは思いましたし、疑ってはいたんですが……」

まさかそんな偶然が早々あるとも思えず、確信が持てなかったのだろう。
眼を泳がせ、どこかバツが悪そうなシャマル。
だが、そんなシャマルにヴィータが助け船を出す。

「いや、無理もねぇって。実際、あたしとシグナムもすっかり騙されたからな」
「二人の目を欺くなんて、とんでもない話やな」
「しかも本人、騙す気も欺く気もなしに素でアレだしよ。負け惜しみじゃねぇけど、普通気づかねぇって。
だってアイツ…………パッと見、全っ然強そうに見えねぇぞ」
『まぁ、確かに……』

ヴィータのあまりに直球で本人には聞かせられない一言に、誰もが言葉を濁しながらも同意する。
正直、達人と知った今でも信じられない思いが強い。
何しろ、パッと見の第一印象と「達人」という単語は、あまりにも不釣り合いだ。
もしかすると、だからこそグレアムやゲンヤは事前にその事を教えていなかったのかもしれない。
言ってもどうせ信じないだろう、という考えもあながち間違いではないのだから。
ちなみにこの瞬間、兼一がくしゃみをしたらしいが、その因果関係は不明である。

(とりあえず、ロッサはシスターシャッハにしばいてもらうとして……)

自信満々、意気揚々と「任せておけ」と断言した兄貴分は見過ごすわけにはいかない。
彼の調査能力に絶対の信頼を置いているからこそ、「わざと報告しなかった」と確信しているのだ。
しかもその予想が大当たりである以上、折檻されても文句は言えないヴェロッサである。
まあ、それはそれとして……。

「にしても、なのはちゃんの知り合いやったとはなぁ。
でもまぁ、それならリインが見覚えがあったんも納得やけど」
「おめぇ、良く覚えてたよな。周りにいたの、こんな濃い連中だぞ」

そう言ってヴィータが呼び出したのは、なのはから借りた結婚式の時の写真。
そこに映るのは、褐色の肌の巨人や凄まじい強面の大男、金髪と髭が特徴的な筋骨隆々の老人など。
正直、あまりにも個性的すぎて近くにいる凡庸な男の事など目に映らない。
仮に映っても、決して記憶に残らないこと請け合いだ。

「えっへん、リインの記憶力を甘く見てはいけないのです!」
「といっても、見覚えがあっただけで確信はなかったのだろう」
「ま、まぁそうですけど……」

ちっこい上にペッタンコなうす~い胸を張って威張るリインだったが、ザフィーラの突っ込みですぐにションボリする。良くも悪くも、この感情の起伏は実に子どもっぽい。まぁ、口にしたら本人は怒るのだろうが。
だがそれはそれとして、部隊長であるはやてとしては確認しておかなければならない事がある。

「ところで、結局この人はどういう扱いにするつもりなん?」
「はやての許可さえありゃ、戦闘要員として作戦に組み込むつもりなんだけどさ、どうする?」
「かまへんよ。達人っちゅうだけでも、実力は保障されとる。
相手がガジェットなら、ある意味最高の人材やしな。
 その上、Cランク魔導師5人を無血制圧の実績もあるし、実力もギンガ以上のお墨付き。
文句のつけようがないやん」
「そっか、ならなのは達にも教えてやんねぇとな」

ある意味予想通り、あっさりと許可を出すはやて。
彼女も、なのは程ではないが達人という人種への知識はある。
何しろ家族であるシグナムなどは、割と頻繁に恭也と手合わせをしていたのだ。
手合わせの話を聞いたり、時には直接見学したりした事もあった。
おかげで、勝手にある程度の理解を得るに至ったのである。

「せやけど……」
『?』
「なのはちゃん、教導の方はどうするつもりなんやろ。こと、フィジカル面についてあっちはプロどころの話やないで。やっぱり、ある程度お願いするんかな? ギンガの事も気になるし」
「ああ、その事か。ギンガは、日中はなのはの戦技教導と折半、それ以外はアイツが担当するってよ。
 ま、実際には臨機応変に調整するらしいけど、なのはの手を借りるのは決定だな」
「まぁ、白浜二士は魔法資質そのものがないわけやし、その辺が妥当かもしれへんね」

ギンガは純粋な格闘家ではなく、あくまでも魔法を駆使する格闘系魔導師だ。
ならば、魔法の指導を受けて損はない。
そして、兼一にその点を教える事ができない以上、出来る相手に頼むのは必然だ。
兼一自身、師匠をかけ持ちしていた経歴から、自分に教えられない事を頼むのに抵抗は少ない。

「せやけど、時間はそれだけで大丈夫なんやろか?」
「本人も学生時代、日中は学校、それ以外を修業に当ててたから問題ないってよ。
 108にいた時も、日中は仕事だったから訓練は基本朝・夕・晩だったらしいし」
「ふ~ん。新人達は? やっぱり、専門家にお任せするん?」

ギンガに関しては、兼一となのはがそれで良しとしているのなら口を出す気はなかった。
生憎、はやては兼一やなのはの様なその筋の人ではない。

とはいえ、新人達とギンガでは色々と事情が異なる。
まず根本的な問題として、彼らは兼一の弟子ではない。
達人的に、弟子以外を鍛える事がどういう位置づけになるのかイマイチわからないのだ。
また、ライトニングに限れば保護者の反応も気になる。

(達人の訓練っちゅうのが具体的にどんなんかはようわからへんけど、下手したらフェイトちゃん…………発狂するんちゃうかな?)

達人とは、人知を越えた肉体とそれを完璧にコントロールする技術を持つ生き物。
そんな人間の指導が、生半可ではない事くらいは想像がつく。何をするかまでは想像できないが。

なにしろそこは、到底合理的とは言えない道筋の果てに至る領域。
一般的には、『適度な練習』と『適度な休養』を推奨されるが、そんな限度を守っていては達人にはなれない。

鍛えれば鍛えるほど肉体は強靭になり、磨けば磨くほど技は冴える。
限度を知らないある種の『信仰』を貫いた者達こそが達人。
五体どころか五臓六腑に至るまでが、極限をも超越する愚直かつ狂信的な鍛錬の結晶なのだ。

とりあえず、そんな連中が課す鍛錬をさせて、あの心配性の子煩悩が正気でいられるだろうか。
気になると言えば、それが一番に気になるはやてだが、既に話は先に進みかけていたりする。

「実はエリオが、知らずに訓練に参加しようとしてたらしいんだけどさ」
「知らないとはいえ、早まった事をするですね、エリオも」

兼一の本質を知らない段階での希望だったのだから仕方がないとは思う。
しかし、やはり覚悟もなく飛び込もうとしたのは無謀としか言えないだろう。
なにより、その訓練内容によっては金色の保護者が大変な事になってしまうかもしれない。
とはいえ、幸いな事にその心配は今のところは杞憂に終わる。

「ちゅうことは、エリオは確定として……他の子達も?」
「ううん、エリオを含めて当分その予定はなしって事になった」
「え、そうなん? てっきり専門家を頼るかと思ってたんやけど」
「いや、それがよぉ……下手すると殺しちまうかもしれねぇし、もう少し頑丈になってからって事で話が纏まった」
「そ、そらまた……」

どの程度マジで言っているのかは分からないが、あながち嘘とも思えないだけに反応に困る。
その事に思い切り顔をひきつらせるはやてだが、実を言うとこれでもまだマシな部類なのだ。
中には、「三日で殺してしまうかもしれない」と期限まで付ける連中もいるのだから。

まぁ、一応兼一は5歳の息子も鍛えているし、手加減を知らないタイプでもない。
なので、そこまで心配しなくてもいいのだろうが、念の為の安全策だろう。
あるいは単なる方便で、しばらくギンガの修業の様子を見てから決めるつもりなのかもしれない。
もしくは、新人達自身にそれがどういうものなのか見せるのが狙いなのか。

「ま、さしあたっての問題は明日だな」
「明日? 明日何かあるですか、ヴィータちゃん?」
「いや、大した事じゃねぇんだけどよ。
アイツの実力とか戦い方とかまだよくわかんねぇし、それだと作戦に入れづらいだろ?」
「まぁ、Aランク以上っちゅうことしかわかってへんしね」
「そんなわけだから、軽く模擬戦をやって確認しておこうって事になったんだわ」
「まぁ、それはええんやけど…………何でシグナム不機嫌なん?
 こういう時、一番楽しみにしそうやのに」

確かにヴィータの言う通り、口頭や資料だけの情報では少々心許ない。
背中を預けて戦う以上、実際に戦う姿を見ておくにこした事はないだろう。
どんな戦い方をして、どんな傾向があるのか、それらを知らないままなのは不味い。
下手をすると、互いに足を引っ張り合う事にもなりかねないのだから。
別に全力を出し切る必要はないが、最低限見ておきたい事があるのだ。

まあ、それなら訓練用のガジェットでもいいのだが、武術とはそもそも対人戦の技術。
なら、やはりやる相手は人間である方が望ましいし、その方が多彩な技を披露できる。
どうせなら新人達に高度な技術を見せてやりたいなのはの親心もあって、模擬戦と相成ったわけだ。

なので、それ自体は別にいい。
ただ、なぜにこういう時に一番ウキウキしていそうな決闘趣味のシグナムが、ブスッと不貞腐れているのかがわからないのだ。しかも、どこかそれだけではない違和感がある。

「シグナム、なんで拗ねてるですか? 何かイヤな事でもあったですか?
 そう言えば、さっきからなんだか上の空の様な……」

思い返して見ると、最初のころ以来シグナムは一切会話に参加していない。
何を考えているのかは定かではないが、とにかくだいぶ様子がおかしい。

「別に、拗ねているわけでも不機嫌なわけでもない。私はいたっていつも通りだ。ああ、何も変わらないとも」
「「?」」
「気にしなくていいぞ、はやて・リイン」

当事者としてその事情を知っているヴィータは、どこか呆れの混じったため息をつく。
同時に、その事情の元凶たるザフィーラは、少々居心地が悪そうだ。
理由のわからないはやてとリイン、それにシャマルは揃ってらしくないシグナムの様子に首を傾げている。
ヴィータは一つため息をつくと、その訳を話し出した。



BATTLE 17「それぞれの事情」



場面は戻って、機動六課訓練場。
一通りの事情やらなんやらを確認し終えた所で、ヴィータは密かになのはに念話を送っていた。

(なぁ、なのは)
(なにヴィータちゃん?)
(アイツが達人で、お前の知り合いなのはわかった。
 ついでに、正直信じられねぇような事情でここにいるのも、納得はしていねぇけど理解はした)
(まぁ、気持ちは分かるけどね。だけど、あの人達に関しては諦めちゃった方が早いよ)

それはそれでどうなのかと思わなくもないが、今は丁重に横に置いておくヴィータ。
外見は子どもでも、そういう大人な対応ができる大人の女なのだ、自己申告的には。
なにより、個人的にもっと気になる事があるわけで……。

(だけどよアイツ、さっきギンガに「地獄の修業をさせる」とか言ってたけど、何させる気か確認しなくていいのか?)
(…………)
(恭也さん達を見てても、達人の修業が半端じゃねぇってのはあたしにも多少はわかる。
 それだけのもんが必要な道なんだろうけどよ……大丈夫なのか?」
(大丈夫って?)

心配そうに、同時に何かを手探りで確認するかの様に言葉を選びながら話すヴィータ。
彼女は知っているのだ。なのはの教導における基本方針。過去の手痛い教訓に基づくそれを。

(だから、ギンガの事だよ! あんま無茶して、その…………昔のお前みたいになるのもアレだろ。
 お前、そういうの絶対許さないじゃねぇか。なのに、今回は普通にスルーしてるし……)
(ああ、その事)
(ああって、おい!?)

予想に反し、あまりにも素っ気ないなのはの反応に思わず語調を荒げるヴィータ。
彼女の知るなのはなら、本来決して見過ごさない筈の事だから。
だが、そんな十年来の友人に対し、なのはは静かに万感の思いを込めて礼を口にする。

(ありがとね、ヴィータちゃん)
(な、何がだよ……)
(ギンガの事もそうだけど、私とかみんなの事も心配してくれてるんでしょ? ヴィータちゃん優しいから)
(そ、そんなんじゃなくてだな!!)
(でもね、大丈夫だよ。そりゃ、兼一さんが「地獄の修業をさせる」って言うんなら、相当無茶な事をさせるんだと思う。もしかすると、命の危険がある位の事はするかもね)
(おいおい……)
(だけど、こと武術に関して兼一さんはエキスパートだからね。
私が口出しできる事じゃないし、ギンガが兼一さんの後を追うのならこれが一番なんだよ)
(まあ、そりゃそうだろうけどよぉ……)

確かに、達人を目指すのなら直接達人に学ぶ以上の事はない。
本人が覚悟の上でやっているのなら、ヴィータ達にギンガの邪魔をする権利はないだろう。

(何より……)
(何より?)

なのはとて、そこまで詳しく兼一や達人の課す修業を知っているわけではない。
もしかしたら、本来彼女には到底受け入れられない様な修業をさせる可能性もある。
しかしそれでも、なのはは兼一を止めるつもりも、滅多な事でその指導方針に口出しする気もない。

(兼一さん、優しいから。だから、大丈夫だよ)
(それ、理由になってねぇんじゃねぇか?)
(かもね。実際、もし同じ内容でも一人でやってたり、他の人がやらせてるのなら止めるかもしれない。
 今の私には、まだとてもじゃないけど怖くてやらせられないし)
(アイツならいいのかよ)
(良いか悪いかって言うより、大丈夫だと思えるんだよね)

どこか、何かを懐かしむ様な表情でなのはは語る。
その訳を、その根拠を。数年前に聞いたある質問に対する答えを。

(あの怪我が治った後、偶々家に来てた兼一さんに聞いた事があるんだ。
あんな無茶な事をして大丈夫なんですか? いつか大怪我して、武術ができなくなっちゃうかもしれないのに、どうしてこんな危ない事を続けるんですかって)

それはもしかしたら、かつての自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。
兼一となのはでは色々異なるし、単純に比べられる事ではないが、危なく無茶な事をしていた事に変わりはなかった。必要だった事とは言え、魔法と出会って間もなく何度も無茶を重ね、その後も……。

その結果の生死の彷徨う大怪我を負い、一度は飛ぶ事はおろか歩く事さえ絶望視されもした。
そんな思いを誰にもさせない為に、同じ轍を踏ませない為の教導がなのはの方針だ。
だから自分以上の結末になりかねない、日常的に無茶を重ねる男に問うたのだろう。

(何て答えたんだ、アイツ?)
(全然大丈夫じゃないって。臨死体験の連続で生きた心地がしないって泣いてた。
 実際、結構何度も脱走してたみたいだしね)
(おっかねぇとかって問題じゃねぇな、そりゃ……)

思わず顔が引きつるヴィータと、愉快げに笑みを零すなのは。
はじめから達人の人間などいる筈がないし、兼一にも修業時代があったのはヴィータも理屈では分かっている。
だが、今まさに弟子にその手の無茶をさせようとしている男が逃げ出す程の何かというのは、正直背筋がうすら寒くなるものがあった。いったい、どれほど危険に満ちた恐怖体験だったのやら。

(でも、疑った事はないって)
(あ?)
(どれだけきつくて無茶で、死にそうになる…っていうか、いっそ死んだ方がマシな様な修業でも、師匠さん達を疑った事はないんだって。あの人達の教えはまっすぐで、いつも見守ってくれている。命懸けで導いてくれているからって。凄く誇らしそうに言ってたのを、良く覚えてる)
(…………)
(そんな人達に鍛えられた兼一さんだから、ギンガはきっと大丈夫だよ。
 それこそ、死んでもギンガを守る…くらいのことは平然とする人だから)

揺るぎない、確固とした師への信頼。それが正しかった事を証明する様に、兼一は達人の域に至った。
確かに無茶でどうしようもなく危険な修業だが、大丈夫なのだ。
ちゃんと、それを見守り正しく管理する師がいるのなら。

そしてなのはは、兼一にそれができると信じている。
信じさせてくれるだけの物を、信じるに足る物を、かつてその瞳の奥に見たのだから。

(…………はぁ、わぁったよ。お前がそこまで言うんなら、あたしも信じてやらぁ)
(ありがと。でもまぁ、危ない事に変わりはないから、フィジカルトレーニングに協力してもらうのは、みんながもう少し丈夫になってからにするけどね)
(…………そうしとけ)

ここまで無垢な信頼を見せられては言うだけ無駄と悟ったらしく、溜め息交じりのヴィータ。
完全に兼一の事を信用できる筈もないが、なのはの顔を立てようと言うのだろう。
もしもの時には、なのはと部下を守るためにグラーフアイゼンの頑固な汚れにする気は満々なのだろうが。

で、それはともかくとして。
予想外にも程がある兼一の素性を知って、スバル達が平静でいられる筈もなく……。
まだ白浜兼一という男との繋がりが薄いキャロやシャーリーはマシな部類だが、それでも「魔導師に匹敵する」という突飛かつこれまでの価値観をひっくり返す事実には、俄かに信じたいものがあるのも当然だろう。
なので、スバルがギンガにその真偽を問うたのも無理からぬ事だった。

「ね、ねぇギン姉」
「何が聞きたいかは分かるつもりだけど…なにスバル?」
「Cランク魔導師五人を完封したって言うの、本当なの?」
「というか、弟子入りして2ヶ月、未だに触れる事も出来てないんだけどね、私」

スバルの問いに、ギンガは若干凹みながら答えた。
すると、ただでさえ引きつり気味だったスバルの顔は、最早形容しがたいなにかになっている。
それは他の面々も同様で、スバルの後ろでこっそり話し合っているのだった。

「ギンガさんでもダメって、つまり……」
「単純に考えれば陸戦A以上の戦力、って事になるよね」
「モンディアル三士は同室なんですよね。ご存知でした?」
「ぶんぶんぶんぶんぶんぶん!! し、知りません! 全然全く、初めて知りました!!」

まさか、そんなとんでもない人物だったとは露知らず、朝の鍛錬に参加しようとしていたエリオは、首を激しく左右に振って否定する。
若いとはいえ、エリオは「魔導師」ではなく「騎士」志望。
彼自身槍術の心得があるからこそ、畑は違えども先達に対しては相応の敬意を払わなければならないと教わった。
兼一の人柄と翔の懐っこさもあって、すっかり気安く接する様になってしまっていたが、そこまで突出した武の持ち主だったとは。

だがこの白浜兼一という男、単に優れた武を持つだけの達人ではなかったりする。
しかしそうと知らない面々の間では、こんなやりとりがなされていく。

「でも、副隊長達が知らなかったって事は、あんまり有名じゃないって事じゃないの?」
「あ、そう言えばそうですよね。そんなに凄い人なら、副隊長達が知っててもよさそうですし……」
「でもさ、キャロ。じゃ、有名な人ってどれくらいなのかな?」

あまりにも恐ろし過ぎるシャーリーの言葉を聞き、瞬間的に青ざめる新人達。
なのはがそうである様に、管理世界では優れた魔導師は非常に有名だ。なのは達の場合、その容姿もあって意図的に管理局が宣伝しているのもあるが、優れた術者は相応に有名な場合が多い。

故に、皆がそう勘違いしてしまったのも無理はないだろう。
で、兼一であまり名が知れていないのだとすると、名が広まっている者とはどれだけの怪物なのか。
という話になってしまうのは、ある意味必然なのかもしれない。

「Aランク魔導師を封殺できる様な人で無名って……そんなの、悪夢以外の何物でもないじゃない。
 それじゃ私達が今までやってきた事は、いったいなんだったって言うのよ」

小さく、誰にも聞こえない声量でありながら、溢れんばかりの感情が宿った声でティアナは呟く。
凡人を自認する彼女からすれば、それはまさしく悪夢。
取り得など、射撃魔法とサポート用の幻術位なものとは本人の弁。
彼女にとってそれは、あまりにも心許ない武器だった。
それでも腐らず、一日たりとも欠かす事なく磨き続けた魔法を生身で凌駕する化け物がいる。

相手が自分達と同じ、個人が扱う中では次元世界全体で特に評価される力、魔法を使うなら諦めもつくかもしれない。同じ土俵に立っているのなら、あとは単純な優劣の問題。
それが才能なのか努力なのか、それとも相性なのかは千差万別だが。
もしくは、強力な質量兵器を用いているなら納得もできるだろう。

だが、目の前に立つ男は魔法も兵器も用いず、その身一つで魔導師を圧倒すると言う。
魔法の力を信じてそれを磨き続けた彼女にとっては、この事実はあまりにも受け入れがたい。
身体+魔法+技術の魔導師に対して、身体+技術のみの武術家。優劣など、火を見るより明らか…な筈だった。
にも関わらず、兼一は魔法という絶対的な筈の不利を覆す。

そんな兼一ですら無名だとすると、高名な達人とはどれほどのものなのか。
とはいえ、実の所兼一は割と有名人だったりするのだ、その筋では。

「いやまぁティアナの言う通り、有名じゃないのは確かなんだけど…あくまでも一般社会での話だよ、それ」
「あの、ナカジマ陸曹」
「それは、どういう事なんでしょうか?」
「どうもね、師匠達の身体能力は向こうでも常識外れ過ぎて、世間的にはあんまり知られてないらしいの。
 そうじゃなかったら、師匠が園芸店に就職するのなんてまず無理だしね」

ギンガの言う通り、もし兼一の素性が広く知れ渡っていたら彼の希望は叶えられなかっただろう。
仮に就職できても、希望通りの部署に行けたとは到底思えない。
なにせ、達人と言う存在をあんな所に配属するなど、人的資源の無駄遣いにも程があるのだから。

「へぇ、そうなんだぁ…じゃあ、他の所だと有名だったりするの?」
「うん、鳳凰武侠連盟ってところから幹部にならないかって話もあったらしいし」
「ふ~ん」

地球の武術事情に詳しくないスバルでは、まぁこんなところだろう。
とりあえず、かなりの好条件を出してでも求めた人材、と言う事はわかるのだが……。
そんなスバルの反応を見て、もう少し情報が欲しいと思うギンガ。
彼女自身、今まで色々必死で聞きそびれていた事があるので、丁度いい機会だった。
実を言うと、他にも理由はあるのだが。

「実際どうだったんですか、師匠?」
「え?」
「ですから、鳳凰武侠連盟からはどんな条件を出されたのかな、と。
 新白連合ではナンバー2だったのは聞いてますけど」
「「なに!?」」
『ウソ!?』

副隊長たちを始め、その場のほぼ全員が驚愕の声を上げる。
幹部クラスなのは予想していたが、まさかナンバー2だったとは。
世界的にも有数の企業のナンバー2。まさか、それほどの好条件を蹴ってこんな所にいるとは、ある意味それが一番の驚きだ。本来なら、今頃相当羽振りの良い生活もできていただろうに。
誰しも、給料日を待ち遠しく思う日々を好んで過ごそうとは思わない。
そんな風にあまりにも皆が驚くものだから、兼一はしどろもどろになっておかしな言い訳を並べ出す。

「え、えっと、連合については、学生時代に悪友が組織したもので、単にそれだけだから……」
(((((((いや、それだけって事はない)))))))

まだ十歳になったばかりのエリオやキャロでもわかる。
規模が小さかったうちはともかく、大きくなっていけばそれだけでナンバー2の地位は確保できない。
確実に、それだけの地位に相応しい何かがあったのは間違いないのだ。

「それで、鳳凰会の方だけど……」
『フンフン』
「確か、日本に支部を出すからそこの支部長にならないか、って話はあったかな」
『おぉ!』

鳳凰武侠連盟が具体的にどの程度の規模の組織なのかは皆にはわからないが、「支部長に抜擢」と聞いて感嘆の声を漏らす面々。だが、実を言うと出された条件はこの程度ではない。
というか、この条件自体が『日本進出に伴い、そのエリア全体の統括を任せたい』というものだったりする。
しかも、他に出された条件はさらにとんでもなく、最高責任者の娘との結婚話や最高幹部への勧誘もあったのだ。
つまり、もし結婚話が現実になっていれば確実に最高幹部、場合によっては最高責任者の伴侶になっていてもおかしくない。それを言わないのは、自慢話をしない奥ゆかしい性格…と言うよりも、ヘタレな性分のせいだが。

と、兼一が皆にアレこれ色々と説明している間、その陰であるやり取りがなされていた。
やり取りをしているのは、ギンガと翔の姉弟弟子コンビ。
二人は兼一が話し始めるのと同時にアイコンタクトを取り、ゆっくりギンガは兼一の右斜め後ろ、翔は左斜め後ろへ。そして配置に付くと、一切の言葉のやり取りもなく二人は一斉に動いた。

「「隙ありぃ!!」」

挟み打ちに近い形で襲い掛かる弟子二人。
ギンガは隙だらけの師の背中側から脇腹へ渾身の左。
対して、翔は勢いよく跳び上がり父の延髄に蹴りを見舞う。

『っ!?』

兼一に向き合う形で話を聞いていた面々は、突然の二人の行動に声が出ない。
だが、そんな皆の様子は一切気にせず、ギンガと翔は“今度こそ”クリーンヒット、最低でも掠る位はできるのではと“期待”する。しかし……

((とった!!))
「残念、そこじゃない」
『え! すり抜けた!?』

二人の会心同時攻撃は、何事もなかったかの様に兼一の身体をすり抜ける。
ヴィータとシグナム、そしてなのはを除く面々は信じ難い光景に驚きを露わにし、特にティアナのそれは大きかった。

「まさか、幻術!?」
「いやぁ、そんな大層なもんじゃねぇだろ」
「ああ、単に高速かつ最小限の動作で避けたからそう見えるだけだ」
(良く見えるなぁ、二人とも)

歴戦の騎士だけあり、さすがにしっかり兼一の動きを捉えている二人に、密かに感嘆のため息を漏らすなのは。彼女とて全く見えていなかったわけではないが、辛うじて影が見えた程度。
素の状態では到底目が追い付かないし、自己強化に関してはベルカの騎士には及ばないが、本来ならもう少しはっきり見えた筈だ。

ただそれも、魔法の発動が「間に合えば」の話。
キャリアの差もあって、さすがに魔法発動速度では二人に及ばない事がこの差を生んだ。

しかし、そうしている間にも事態は動く。
更なる追撃に出ようとギンガは右の回し蹴り、翔は蹴りの勢いを利用した反転し肘打ちを放つ。
だが時すでに遅かった。

「二人とも、精進が足りない…よ!!」

ダメ出しするや否や、後出しにも関わらず遥かに早く届いた豪速の中段蹴りがギンガを打った。
身体は「く」の字に折れ曲がり、そのままビルの外まで吹っ飛ばされる。

つづいて、軸足でコンクリートの床を踏み、同じ方の手を上方へ突き出す。
所謂、中国拳法における「天王托塔(てんのうたくとう)」である。
真下から突き上げられた掌打の衝撃は防御もろとも翔の身体を貫通し、小さな体は宙を舞う。

「「ぁぁっぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!?」
「ああ、ギン姉!?」
「翔――――――――――!?」

特に二人と繋がりの強い、スバルとエリオが悲鳴を上げる。
このままだとギンガは地面まで転落、翔も頭からコンクリートの床に激突するだろう。
そんな事になれば、どちらもただでは済まない。かと言って、今から動いたのでは翔はともかくギンガの救助は間に合わないだろう。そういう意味では、ギンガは絶望的と言えた。
ただしそれも、このまま落ちるのだとすればの話だが。

「翔、受け身!」
「たああ……!!」

兼一の指示が飛ぶと同時に、それまで無防備に頭から真っ逆さまだった翔は空中で身軽に体勢を変える。
そうして、最終的には後ろ受け身を取り最悪の事態は免れた。さらに……

「ギンガはチンクチ、衝撃に備えろ!!」
「兼一さん、何を!?」
「待って、スバル。あれ」
「え?」

スバルは「チンクチ」の意味など知らないが、衝撃に備えろなど、何もするなに等しい指示だ。
この急場でそんな指示を飛ばす兼一に、一端は食ってかかろうとするスバル。
だが、続いてなのはが指し示した方向に思わず視線を向ける。

そこには、勢い余って隣のビルの窓を突き破るギンガの姿。
おそらく、ギンガを蹴り飛ばすその瞬間からこうするつもりだったのだろう。
そうでなければ、都合よくビルの窓に突っ込む事などありえまい。

また、チンクチとは筋肉と関節を締めて堅くする剛体法の事。
元より窓に蹴り込むつもりだったからこそ、あんな指示を飛ばしたのである。

とはいえ、スバルからすればそれでも開いた口が塞がらずにいた。
明確な意図があっての反撃と指示なのはわかったが、それでも正確に窓に蹴り込む技量が凄まじい。
それは他の面々も思う事だが、そうして唖然としている間にギンガが窓際まで出てくる。
そこには、強かに打ちつけた背中を摩り、蹴られた腹を抑えながらも元気なギンガの姿。
彼女も、大概タフになったものである。

「あいたたた…勘弁してくださいよ、師匠。危うく落ちる所だったじゃありませんか」
「大丈夫だよ、落ちない様に蹴り込んだんだから」
「それはそうですが…万が一という事もあるでしょうに。弟子が落ちたらどうするつもりだったのやら……」
「まぁ、手元…ならぬ足元が狂って落ちたとしたら、それはそれだしね」
「だぁもぉ、あなたはそうやってすぐ弟子の命を蔑ろにして!!」

もし、もし本当に転落しようものなら…あの兼一の事だ、ビルから飛び降りてでも助けた事だろう。
その点において、本当に危なくなれば助けてくれると言う事は疑っていない。
が、逆に言うと本当に危なくならない限り助けてくれないのも疑ってはいないギンガだった。

しかし、この点に関して何を幾ら言っても改善が見られないのも事実。
とりあえず元いたビルに戻るべく、深々と溜息をついたギンガはウイングロードを展開する。
で、戻ってきたギンガには当然ながらある質問が待っていた。

「でもギン姉、なんでいきなり不意打ちなんか……」
「え? 不意打ちはいきなりやるものよ、スバル」
「あ、いえ、多分スバルが言いたいのはそういう事じゃなくて……」
「なんで不意打ちなんかしたのか、って事じゃないんでしょうか?」
「ああ、そのこと」

スバルの言いたい事を要約したキャロの言葉を受けて、ギンガは問いかける様に兼一を見た。
それに対し、兼一はただ無言でうなずき了承の意を伝える。

「実はね、ちょっと師匠と賭けをしてて」
「賭け、ですか?」

あまり兼一やギンガのイメージにそぐわないその単語に、首をかしげるエリオ。
実際、実直で生真面目な兼一と「賭け」という単語はあまり結び付かないだろう。
まあ、それはギンガに対しても言える事だが。
ただそれも、時と場合と内容による。

「うん。どんな形でも、もし一本とる事が出来たら『とっておき』を一つ教えてくれる、って約束でね」
「え、でもそれって……」
「まぁ、実際この二ヶ月一度も成功してないんだけどね……はぁ」

今のやり取りを見てもわかる通り、成功する可能性は恐ろしく低い。
完全に不意を突いた筈なのにアレなのだから、それは誰の目にも明らかな事実。
それを口にしようとして言いづらいのか口ごもるエリオだが、苦笑するギンガも承知の上なのだろう。

しかし、これが兼一とギンガや翔の間で交わされた約束である。
二人がかりだろうが寝込みだろうが関係なく、一撃入れる、ないし掠る事ができれば合格。
その際には、一つ「とっておきの技」を教える事になっているのだ。
まぁ、普通に考えれば到底不可能な事ではあるのだが、可能性がないわけではない…らしい。

「一応ね、師匠が言うにはちゃんと隙があるらしいんだけど……」

そう言う賭けを持ちかけているのなら、恐らくは意図的に作った隙でもあるのだろう。
まぁ、この様子だとギンガにはまださっぱりわからないのだろうが。
と、そこまで言った所でギンガの瞳がギラリと光る。

「隙ありぃ!」
「甘い甘い」

どうやらまだ諦めていなかったらしく、今度は振り向き様に突きの連打を放つギンガ。
だがそれも、その悉くを左手で捌かれ失敗。
その間に、空いた右腕から放たれるなんの変哲もない正拳。
寸止めではあってもその拳圧は尋常ではなく、ギンガの体が宙に浮く。

(拳圧で、人が浮く!?)

改めて思い知らされる非常識に呻くギンガだが、すぐにそんな余裕はなくなる。
いつの間にか襟を取られ、気付いた時には既に投げられていた。
最早半ば以上思考は追いついていないが、染み着いた反射が身体を動かす。

(そうだ、受け身!)

辛うじて受け身を取るが、それでもその衝撃は凄まじく身体が動かない。
つまり、結局今回も徒労に終わったわけだ。
で、この有様を見ると先ほどの言葉の信憑性は薄まるばかり。

目まぐるしく変わる状況に感情が飽和状態に陥っているのだろう。
ギンガの事を気遣う余裕もなく、新人達は唖然とした面持ちで傍観していた。
とそこで、思わずと言った様子でスバルの口から問いが漏れる。

「ホントにあるんですか、隙」
「あるよ」

スバルの問いに当たり前の様に即答する兼一。
ただ皆からすれば、自然体かつ隙だらけで立ってるようにしか見えないわけで。

「でも、どう見たって無造作に立っているようにしか……」
「ん~、そうでもないと思うよ」

思った事をそのまま口にしていたティアナへ不意にかけられたコメント。
弾かれた様にティアナが振り向くと、そこにいたのはどこか苦笑気味の表情を浮かべたなのは。
知らず知らずの内に、ティアナはその意味を問い返していた。

「どういうことですか?」
「例えばだけど、いつ攻撃されても対応できるように心もち半身、裾に隠して微かに肘や膝も曲げてるよ。
ほら、一見棒立ちに見えるけど、良~く見れば僅かに重心が下がってるでしょ」
(わかる、スバル?)
(い、言われてみればそんな気も…する様な、しない様な……)
(当てになんないわね)
(そんなこと言われたって~……)

なのはにわかってスバルやティアナにわからない理由、それは言うまでもなく技量…観察眼の差。
如何に兼一と同じ格闘型のスバルや司令塔役のティアナとは言え、兼一やなのはからすればまだまだ尻に殻のついたヒヨッコに過ぎない。
なのは達には容易にわかっても、ティアナ達には未だ困難な課題と言わざるを得ないのだろう。

無論、ギンガもそこまでは気付いていた。
気づいてはいたが、あくまでもそこまで。
さりげなく体勢を整えている事はわかったが、どこに隙があるかまでは分からない。
故に、ヤマを張って一か八かに賭けたのだが、結果は予想通りのものだったと言うわけだ。
とそこで、今度はどこか肩を落とした様子の年少組二人が、傍らに立つ二人の副隊長に恐る恐る確認する。

「あの、シグナム副隊長達はやっぱり……」
「わかりますか? その……」
「どこに隙があったのか、か?」
「「はい」」
「まぁな。ヴィータもわかっているだろう」
「うん? ああ、てっきり誘ってんのかと思ったけどな。右の膝裏の辺りとか」
「あと狙いやすかったのは、右肩だな」

案の定、スラスラと隙の在り処を上げて行く二人。
ただ、弟子に合わせてわざと用意した分少々二人の眼にはあからさまに映ったらしく、逆に警戒されていた様だが。とはいえ、そんな事さっぱりわからない新人達は、必死になってその隙を見出そうとするもかなわない。

「そうなんですか!? 僕には全然……」
「わかる、ティア?」
「わからないわよ、悪かったわね」
「わ、わかるんですか、副隊長?」
「きゅくる~?」
「まぁ、おめぇらにはちときついかもしれねぇけどな」
「その隙を見抜くだけの眼力と、一撃入れる技量があれば合格、とこういう事なのだろう?」
「あ、はい。そう言う事ですね」

隙があるとは言え、それでもギンガの技量でそこをつくのは至難の技。
また、下手に一撃入れさせても弟子に己の腕を過信させてしまう事になる。
己の技量への過信は非常に危険。
なので、もし見抜いて攻撃してきた時にもしっかり反撃する予定なのは秘密である。
もちろん、褒美にちゃんと新技は伝授するつもりだが。

その後、とりあえずは第一回目の訓練と先の模擬戦について、兼一も交えて考察し解説し問題点や課題を指摘した後。
なんやかんやと色々一段落した所で、ある話題に話が移った。

「そういえば、結局こいつってどんなもんなんだ?」
「どんなもんってどういう事、ヴィータちゃん?」
「だからよ、達人つっても色々だろ。
あたしらが会ったばっかの頃と海鳴を出る直前の頃の恭也さん達じゃ全然違うわけだし」
「ああ、まぁそうだよね」

概ねヴィータが何を言いたいのか理解したなのはは、「なるほど」とばかりに頷く。
だが、そのやり取りに引っかかりを覚えたスバルが手を上げた。

「あの、それってどういう事でしょう?
 なんだか、達人の中でもすごく違いとかがある様に聞こえたんですけど」
「いや、実際その通りだ。一口に達人と言ってもピンキリでな、下位ならお前達でも勝ち目はあるが、上位になれば陸戦でAAA以上のベルカ式使いとも渡り合うぞ」
『AAA!?』

AAAともなれば、管理局で5%に満たないと言われる超エリート。
そんな相手と渡り合えるとなれば、新人達が改めて驚愕するのも無理はない。
陸戦Aであるギンガをあしらう姿を見てある程度理解したつもりだったが、AAA以上との間にある隔絶した差を思えば実感が薄いのも当然だった。

「なにせ、シグナムをかなり追いつめる奴が知り合いにいたからな」
「ああ。最後に手合わせをしてからもう数年経つ。
あれからさらに腕を上げているだろう事を考えると、また勝てるとは限らんな」

古代ベルカ式の使い手にして、ニアSランクのシグナムをしてここまで言わせる怪物が存在すると言う事実。
もう何度目になるかわからないが、新人達は立ち眩みの様な感覚を覚える。

「で、結局こいつどんなもんなんだ? 恭也さんと互角だったのって、5年も前の話なんだろ?」
「今も互角と考えれば我らでも勝てるかわからんという事になるが、その認識で構わんか?」
「えっとぉ…どうなの、ギンガ」
「って、私ですか!?」
「だって私も5年ぶりだし、ちゃんと兼一さんが戦う所なんてそれ以上に見てないんだよ。
 多分、今の兼一さんを一番知ってるのはギンガだから」

実際、なのはにも兼一の厳密な実よくはわからない。
強いと言う事は過去の情報などから推測できるのだが、明確な判断ができないのだ。
それは兼一の「実力より遥かに弱そうに見える」という性質も原因の一つ。
なのはとしても判断に困るので、ギンガに尋ねたのは当然だった。ただ……

「そんなの私にだってわかりませんよ。
 師匠が本気とか全力を出してる所なんて、一度も見た事がないんですから」
「まぁ、それもそうか」

何しろ、ギンガと兼一の間にある差自体が半端ではない。
寝込みを襲っても一撃掠らせる事すらできない程の実力差。
これでは、日々の組手でその実力の片鱗を垣間見る事すらできまい。
同様に、なのは達との間にも実力差があるので基準点を設けられないのだ。

「兼一さんとしてはどうですか?」
「う~ん、どうなんだろう。僕が知ってるのって、108の中だけだから」
「地上部隊でなのはさん達クラスなんてまずいませんし、やっぱり比較できませんよね」

ギンガの言う通り、地上部隊に高ランク魔導師は少ない。
高ランク魔導師のほとんどは海、本局に流れてしまう。
そのため、この2ヶ月で兼一はなのは達クラスの魔導士と戦った事がない。
故に、やはり彼自身にもはっきりした事は言えないのだった。

「となると、やっぱり直接やってみるのが手っ取り早いよなぁ」
「うん。それに、スバル達もまだ完全には信じられないだろうし、見てもらうのが一番なんだけど……」

その性格に反し、あまり好戦的ではないヴィータの呟きになのはも同意する。
この先戦力として数えるなら、ある程度の実力は知っておきたいし、スバル達新人組にも理解してもらう必要があるだろう。そうでなくても、達人という存在を知る事には意味がある。

ただ問題なのは、誰が相手をするかという点。なのはが言葉を濁していた原因もこれに尽きる。
新人達では相手にならないのは、ギンガと兼一の実力差から明白。
同時に、ギンガをぶつけてみた所であまり意味がないし、どうせならもう一段先を知りたい所。

ギンガよりも強い、どこまでギンガを封殺できてしまうのか。
それだけでもいいと言われればいいが、出来れば力の底とはいかなくても、何かしらの基準点がほしい所。
とはいえ、それが「ギンガを封殺できる」だけというのも…正直、もう少し事実をはっきりさせたいのである。
そこで、初め以降しばし沈黙を保っていたシグナムが、何かを抑えているかの様な声音で口を開く。

「ふむ、となると相手は私か。武器を持たない者とやるのは気が乗らんが…高町やヴィータより適任だろう。
他に適任者がいないのでは仕方がない。いや、本当に気が乗らんのだが……」
(バレバレな嘘つくなよな、口角がひくついてんじゃねぇか)

付き合いの長いヴィータにはわかる。
素っ気ない態度を取ろうとしているが、本心ではシグナムがさっきからウキウキしっぱなしである事が。
好戦的というかバトルマニア気質な決闘趣味の彼女からすると、兼一との模擬戦と言うのは酷く心躍るイベントであるらしい。あの恭也と渡り合った程の武人、無手かどうかなど些細なものだ。
これほど期待いっぱい夢いっぱい、遠足前日の子ども状態のシグナムなど早々お目にかかれないだろう。
具体的には、ライバルのフェイトや剣友のシスターシャッハとやる時並みである。

だが、言っている事は間違っていない。
実力や技を見るのなら中・遠距離型のなのはは論外。そして、遠近両用のヴィータと近・中距離型のシグナムなら、やはりシグナムの方が相手としては相応しかろう。
ただし、そんなシグナムの期待とやる気をなのはは華麗にスルーしてのけた。

「ヴィータちゃん、ザフィーラいる? ちょっと兼一さんの組手の相手してほしいんだけど」
「む、待て高町。だから私がやると……」
(なんのかんの言って、結局やる気満々じゃねぇか)

二つ名に恥じず闘志をメラメラ燃やすシグナムを無視し、八神家の番犬とカードを組もうとするなのは。
その真意はわからないが、とりあえず慌てた様子でなのはに待ったをかけるシグナムと、それを見て呆れるヴィータ。素っ気ない態度など既に遥か彼方、折角の面白そうな相手を逃してたまるかという様子が丸分かりだ。

しかしこれもまた、そこそこ兼一の事を知っているなのはに考えあっての事。
とはいえ、ここでシグナムと向き合うと押しきられてしまいそうなので、決して目を合わせない様にする。

「(兼一さんの主義を知られると後々大変だし、ここは丁重に聞こえないふり聞こえないふり)
で、今どこにいるかわかる?」
「ああ、アイツなら今日は日が暮れるまで外だぞ」
「え、そうなの? でもザフィーラって、あんまり外に用事とかない筈じゃなかったっけ?」

管理局内ではあえて役職を持たず、六課隊舎の留守役や隊員達の護衛が彼の役目。
にもかかわらず六課隊舎を開けると言うのは、その役目から外れるのではないか。
寡黙ながら責任感が強い彼の事なので、何かしら理由があるのだろうがその理由が思いつかないなのは。
そんな彼女に、ヴィータは少々肩を竦めながら答える。

「ほら、海鳴にいた頃からやってたアレだよアレ」
「アレ? ……ああ、アレ。まだやってたんだ」
「あれで意外と重宝するからなぁ」

ヴィータに言われ、ようやく何か思いいたったなのは。
だが、以降「アレ」としか言われないのでは何を指しているのか周りには全く分からない。
なので、仕方なくティアナが場を代表してその意味を問う。

「あの…何なんですか、そのあれって……」
「いやよ、なんつーか…近場の野良犬どもをシメに行ったんだわ」
『はい?』

ヴィータから返ってきたあまりにも肩透かしな事実、思わず間抜けな声で聞き返してしまう面々。
ザフィーラが犬、正確には狼の姿をしているのは彼女らも知っている。
しかし、だからと言って縄張り争いをしに行ってどうすると言うのだろう。
それではまごう事なきボス犬ではないか。
だが、一応ちゃんとした理由があるのだ、それもかなりしっかりとした。

「私達は『野良犬ネットワーク』って呼んでるんだけど、これが意外とバカにできないんだよねぇ」
「なぁ。野良犬なんざどこにでもいるけどよ、だからこそ思いもしねぇ情報が手に入ったりするしな」
「そうそう」
「そ、そういうものですか……」
「「そういうものなんだよ」」

名前こそバカバカしいが、その有用性は海鳴で実証済み。
基本、野良犬なんてどんな街でも数の程度はともかくいる。
そして、一々野良犬の動向など誰も気にしない。
しかし、もしその野良犬とコンタクトを取り、意思疎通ができたら。
下手に脚で調べ、人間に尋ねるより遥かに有用な情報が得られる可能性が高いのだ。
実際、海鳴にいた時は様々な事件をこの情報網から密かに解決に導いていたりする。
名前と中身がアホらしいからと言って、決して軽んじてはいけないのだ。

とはいえ、いない上にそんな理由があるのでは無理に返ってきてもらうわけにもいかない。
そうなれば、必然選択肢は一つ。

「それじゃ、仕方ないから明日お願いしようかな」
「だから、私がやるとさっきから言っているではないか!!」
「まだ言ってたのかよ、シグナム」

すっかり忘れていたが、しぶとく主張を続けるシグナム。
その根気は見事だが、彼女の願いがかなえられる事はないだろう。
何しろ、白浜兼一という男はある主義の持ち主。
それがある限り、彼女が本当に望む展開になる事はない。
その事を知っているからこそなのははシグナムを除外しているのだが、ここで張本人が余計な事を言ってくれやがった。

「あの、すみません。そのザフィーラさんって言う人の事は良く分かりませんけど…実は僕、女性は決して殴らない主義なんです」
(なんで余計な事言うんですか、兼一さ―――ん!!!)

折角知られないまま話を進め様としたなのはの努力空しく、全てを台無しにする兼一。
一応、兼一のこの主義は組手では例外扱いとなる。だが、それは決して組手なら殴ってもよいと言う事ではない。実際、美由希との組手でも極力殴らないよう配慮していた。その上、美由希に限らず兼一以上の実力者である美羽とやる時でもやり辛そうにしていたのだから筋金入りだ。
しかも、今度やるのは組手など練習ではなく、どちらかと言えば試合に近い。となれば、当然兼一の「女性は殴らない主義」は避けて通れないだろう。

で、このシグナムは「自分は女である前に騎士だ」と豪語するタイプのお方。
この手のタイプを相手に「女性は殴らない主義」などと言えば、確実に「侮辱」ととる。

「ふざけるな!!!」
(ああ、やっぱり……)

二つ名の通り烈火の如く怒るシグナムと、話がこじれた事を確信するなのは。
こうなると分かっていたからこそ、なんとか知られずにこの場をやり過ごしたかったのだ。

「貴殿は私を侮辱する気か!! この身は女である前に騎士、主の剣!
 私は侮辱には剣を以て応えるぞ! 貴殿も、女は戦うなという口か? 答えろ!!」
「あ、いえ、確かに僕は女性は殴らない主義ですけど、別に侮辱とかそういう事は……」
「それが侮辱でなくてなんだ!!」
「おいおい、どーすんだよ、あれ……」

案の定ヒートアップするシグナムにヴィータは呆れ、なのはは頭を抱える。
どうするのかなど、むしろ聞きたいのはなのはの方だった。
しかしここで、空気を読まないスバルが絶妙な言葉を挟んでくれる。

「あれ? なら、なんで兼一さんはギン姉を蹴ったんですか? 殴らないけど蹴りはありって事?」
「む、そう言えば…どういう事だ?」
「え? そんなの当たり前じゃないですか。弟子は人間じゃないですから」
『…………』

さも当然とばかりに断言する兼一に、一瞬場が凍結する。
改めて自分の境遇にガックリと肩を落とすギンガだが、この瞬間こそが好機。
一応「弟子は人間じゃない」思想を知っているなのはは、この瞬間を逃さなかった。

「あのですね、シグナムさん。兼一さんは別に、女は戦うなとか言う人じゃないんですよ」
「確かにギンガを弟子にとった以上そうなのだろうが、女だから殴らんなど侮辱ではないか!」
「う~ん、確かにシグナムさんからしたらそうなんでしょうけど……」

実際シグナムの言い分にも理があるだけに、はてさてどう説明したものか。
兼一が女を殴らない主義なのは知っているものの、だからと言って詳しく説明できるわけでもないだけに困る。
そんななのはに助け船を出したのは、意外にもその原因である兼一自身だった。

「あの、御怒りはごもっともだと思います。
ですが、なんと言われても僕は女性であるあなたを殴る事はできません」
「まだ言うか!」
「落ち着けってシグナム。とりあえず話だけは聞いてみようぜ」
「……良いだろう」

さすがに一端間を置いただけに、そうそう以前ほど燃えあがれないシグナム。
燃えきれない部分がヴィータの言の正しさを理解していたからこそ、その提案を渋々ながら承諾する。

「ほれ、続き話して見ろよ」
「ありがとうございます。えっとですね、シグナム二尉は先ほど『女である前に騎士』と仰いましたが、あなたが『女性』である事に変わりはありません。『騎士』である事と『女性』である事、どちらもあなたの一面を示す事実なんですし」
「確かに、構造的に女である以上それを否定するのはおかしな話だろう。
だが、だからと言って手を抜かれるなど承服できん」
「手を抜く気なんてありませんよ」
「なに?」

一見、前後で矛盾する様にも聞こえる兼一の言葉に、シグナムの眉が歪む。
それは他の面々にも言える事で、自然と兼一へと視線が集中した。
その中で兼一は、臆す事なく自身の本心を吐露する。

「あなたにも騎士としての矜持、ルールがあるでしょう、それと同じです。
 僕は女性を殴らないと決めました、だから殴らないだけです。幸い、柔術には殴らずに戦う技があります。ですから、もし戦う時はそれらを駆使して『全力』でお相手します。できれば戦いたくないですけど」
「……相手が自分より強くてもか?」
「はい」
「殺す気だったとしてもか?」
「実際、昔危うく殺されかけた事もありましたねぇ」
「武器を持っていたとしても、それでも殴らないと?」
「はい、それが不殺に並ぶ僕の信念の一つですから」

いっそ晴れやかな表情と言葉。
そんなものを見せられては、シグナムとしても怒りを静めないわけにはいかない。
兼一が言った様に、シグナムにも騎士としての矜持が、自らに課した掟がある。
それは他者からすれば無価値なものだろう。けれど、自分はそう生き戦うと決めた。
誰かに押し付けたりするものではないが、シグナムはそれを命をかけて遵守する。
彼らにとって、各々の信念にはそれだけの価値があるのだ。

「僕は小心な男です。女性を殴れば罪悪感から心が鈍り、ひいては力と技を鈍らせるでしょう。
 戦場で生死を分けるのはまず心。だからこそ僕は『全力で戦うため』に、女性は殴らないんです」
「……詭弁だな」
「かもしれません。でも、やっぱり僕はあなたを殴りたくありませんよ」

自分自身、困った性分だと思わないでもない。だからこそ、ついつい肩を竦めてしまう。
しかし、それでも後悔はない。女性は殴らない、その信念が間違っているとは思わないから。

ただ、名指しで殴りたくないと言われた事はやはりシグナム的にはお気に召さないらしい。
だが、そこに今まで程の勢いと熱はなく、むしろそれまでとは別の感情が混じっていた。

「…………真顔で軟弱な事を言うな、バカ者が!」
「え、ひどっ!?」
「だが、この件に関してはもう何も言わん、好きにしろ。
己の矜持に従っているのは私も同じだ。なら、人の主義に文句は言えん」
「えっと、それじゃ模擬戦は……」
「なしだ、気勢を削がれては仕方ない」
「そ、そうですか。まぁ、僕としては万が一にも傷つける心配がなくなってよかったですけど。
 女性をキズモノにしたら男として……」
「貴殿は、いったい私をなんだと思っている!」
「女性を女性として扱わないで、どうしろって言うんですか!?」
(シグナムさんが言いたいのは、そう言う事じゃないんだろうなぁ……)

何か勘違いしているらしい兼一に、胸中で呆れるなのは。
ここまで話がかみ合わないと、見ている側としてはいっそ面白く思えてしまう。
ただ、兼一としてはシグナムとの模擬戦が流れた事が重要なので、怒られてもよく分かっていない様だが。
しかし心なしか、散々女扱いされた事でシグナムの様子もおかしい様に思える。
本人も多少自覚はあるのか、本調子に戻そうと深々と息を吐いた。

「まったく、女である事を否定はせんが、とうの昔にそんな物は捨てていると言うのに、何故今更こんな扱いを……。騎士として、そして人として正しければそれでいいではないか。
いいか、貴殿の強情さに免じて見逃すが、それを忘れるな」
「はぁ…でも、何も捨てなくても。僕の師匠には女性もいますけど、別に捨ててはいませんでしたよ、意識は薄かったですけど。シグナム二尉、折角お綺麗なんですし、オシャレとかなさらないんですか?」
「衣服に関しては主…部隊長が揃えてくださるもので満足している」
「つーか、自分で買う事なんてねぇよな。ジャージとか以外は」
「別にかまわんだろう」

本人はあまり服飾やアクセサリーなどのオシャレには興味がないらしく、基本自分で選んで購入する事はない。
実際、シグナムの服は大半がはやてチョイス。他は、ほとんどシャマルかリインの選んだものだ。
本人は選ぶ気がなく、普段着る服も割と適当で頻繁にチェックが入っている。
仮に購入するとしても、全て機能性重視。まさに色気の欠片もない。

ちなみに、手持ちの大半は彼女をより「カッコよく」見せるものが多い。
他の物もあるのだが、彼女は決して着ようとしてないのだ。
シグナムは美人系だし、別にそれが間違っているわけでもないのだが……。
八神家では密かにその辺も問題になっていたりするのだが、この十年進展はない。

「かわいい服とかもですか? フリルとかのついた」
「想像するだにおぞましい。着る者が着れば引き立つだろうが、私に似合うわけなかろう。
そんな物はヴィータかリインにでも着せれば良い」
「そうですかね? シグナム二尉すごくかわいいですし、お化粧もすればもっと似合うと思うんですけど」
「ぶっ! き、貴殿、眼と頭は確かか!?」

未だかつて、「かわいい」などと評された事がないだけに動揺も激しいシグナム。
そもそも、彼女を知る者のほとんどが「優れた騎士」として接するものだから、女性扱い自体に慣れていない。
この容姿なので女性扱いを全くされないわけではないが、大抵の場合彼女を形容する言葉として「カッコイイ」「凛々しい」などの言葉が並ぶ。
これらの事からもわかる通り、シグナムはとことんなまでに「かわいい女の子」という扱いに免疫がない。
いっそ、千年を超える夜天の書とその守護騎士の歴史においても、前代未聞と言っても良い経験である。

しかし思い出してほしい。
兼一の年齢は三十路一歩手前。対して、シグナムは設定年齢上はなのは達とどっこい。
兼一からすれば、十歳も年下の十代の女の子として映るのだ。
それはまぁ、「かわいい」という単語が出ても不思議はあるまい。
良くも悪くも真っ直ぐな男なので、尚の事その言葉はストレートに突き刺さったわけだ。

「え~…でも、実際華の乙女なわけですし」
「お、乙女!?」
「色々おしゃれするのも良いと思いますよ。かわいい系だってきっと似合いますし」
「わ、私は女である前に騎士なのであって……」
「別に、女性と騎士はぶつからないでしょう。
シグナム二尉は『優れた騎士』なんでしょうけど、同時に『かわいい女の子』でもあるんですから」
「ええい、もういい! 私は失礼する!!」

不慣れなワードのラッシュに、いったいどう反応していいかわからず戦略的撤退を選択するシグナム。
だが、兼一には一体何がいけなかったかわからない。
確かに、美人に美人、カッコイイ人にカッコイイ、可愛い女の子に可愛いというのは何もおかしな事ではないだろう。程度の差はあれ誰でもやっている事だし、それは正当な評価というものだ。
そもそも、兼一からすれば実直過ぎる女の子への助言以上の感情はないわけだが。

ただ、今回は相手が悪かった。
その辺の機微がわからない事が、この男が級友に『冴えないバカ』と称された原因の一つだろう。
そして、邪念や下心がなかったからこそ、シグナムとして対応に困ったわけだ。
邪念や下心があれば、心おきなくレヴァンティンを振るえただろうに。
とはいえ、やっぱりその辺がわからない兼一はすぐ隣にいたギンガに尋ねる。

「あっ、ちょ…行っちゃった。僕、何かまずい事言ったのかな? どう思う、ギンガ?」
「知りません!」

なぜ怒鳴られたのか、亡き妻一本道の兼一にわかる筈もなく、ただただアホ面のままポカーンと口を開けている。
反対に怒鳴ったギンガはというと、シグナムが無頓着すぎた事が原因とは言え、自分でもアレほどほめちぎられた事はないから、などと言えないわけで……色々引っ込みが付かなくなってしまった。

とにもかくにも、これで兼一とザフィーラのカードが決定したのだ。
ちなみにこのカード、何もスタイルや兼一の主義を慮っただけのものではない。
隊長陣は魔導師保有制限の関係からリミッターを付けており、はやては4ランクダウンのAランク。隊長陣はだいたい2ランクダウンであり、なのはとフェイトも2.5ランクダウンのAA。S-のシグナムとAAA+のヴィータも、確実にAA以下。その関係で、AAのザフィーラは事実上現機動六課最高位の一角。
しかも、元からそのランクだった者とランクが落ちた者。無理に力を落とせば齟齬が生じる事を思えば、本調子に近い方が戦いやすいのは言うまでもない。何より、制限を受けている者と戦うとなれば兼一も戦いづらい。その挙句に相手が「女性」となれば、尚の事模擬戦の趣旨から外れてしまう。
そんな理由もあってのカードだったのだが、結局説明する機会を逸したなのははどこか寂しげだった。



[25730] BATTLE 18「勢揃い」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:54

管理局執務官にして機動六課ライトニング分隊分隊長、「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」は思う。
『今日はなんだかみんなの様子がおかしい』と。
もちろん、知り合いが全員様子がおかしいと言うわけではないのだが、それでも変な者が多かったのも事実。

例えば、十年来の親友にして同室の高町なのは。
朝眼を覚ますと、すでに起きていた彼女の心は燃え盛っていた。

「ふふふふ……負けませんよぉ、兼一さん。
 私だって戦技教導官の端くれ。教導のプロとして、あなたに後れは取りません!」

白浜兼一の事は昨日の夜聞いていたし、どんな人種かも聞き及んでいる。
どうやら、一指導者として並々ならぬ対抗心を燃やしているらしい。

聞く所によると、彼の師は無茶・無理・無謀の三拍子が大好きな変人との事。
で、その弟子である白浜兼一も、かなりその色に染め上げられているのだとか。

よりによってそんな相手に対抗心を燃やす事もないのにと思うのだが、既にテンションが全力全開なものだから声もかけづらい。下手な事を言うと、何が起こるかわかったものではないと直感が告げている。
とりあえず、自身が保護責任者を務める二人だけは何としても守ろうと決意するフェイト。
スバルとティアナに関しては、二人を守るので精一杯なので一言「頑張れ」とエールを送る事しかできないが。



他にも、長年の目標の一人でありライバル、同時に自身の副官でもあるシグナム。
出勤の準備を整え廊下に出ると、いつもの凛とした空気はどこへやら。
忙しなく、落ち着きなく廊下を行ったり来たりするその姿は、普段と違ってどこか頼りない。
トレードマークの一つであるポニーテイルも、心なしかしんなりしている。
しかし、いぶかしんでしばし観察していると、さらにすごい事になっていく。

「……ぬああぁぁぁぁぁぁっぁぁあっぁぁぁぁぁぁ!!??」

唐突に叫び出したかと思うと、頭をグシャグシャとかき回すシグナム。
だが、始まるのが突然なら止まるのも突然。
なんの脈絡もなく停止すると、今度は慌てた様子で窓ガラスを鏡代わりに髪をセットし直す。

また、いきなり自分の身体を見直したかと思うと身繕いを始める。
それどころか、先ほど同様窓ガラスを鏡代わりに自分の顔をつねったり引っ張ったり。
挙句の果てに、何やら笑顔の練習までし出す始末。

正直、十年の付き合いになるフェイトでも初めてお目にかかるシグナムがそこにはいた。
あるいはシグナムのこんな姿、はやてや守護騎士たちですら知らないかもしれない。
そんな事を考えつつ茫然としていると、ようやくシグナムが彼女の存在に気付き駆け寄ってきた。

「む、丁度いい所にいた、テスタロッサ!」
「は、はい、どうしましたシグナム!」
「不躾な事は承知しているが、忌憚のない意見を聞かせてくれ。
 こんな事、主はやて達には聞けないのだ」

はやて達にも聞けない事、と聞いてフェイトの頭が即座に覚醒する。
良く見れば、シグナムの顔には隠しようもない程の緊張と焦燥が滲んでいるではないか。
あのシグナムにこんな表情をさせるほどの何か、フェイトの総身に緊張が走る。

生真面目で実直なシグナムは、はやてを心配させないために大抵の事は自分で何とかしようとする。
同様に、守護騎士筆頭として家族達に情けない姿を見せまいと努力してきた事は彼女も知っていた。
それはフェイト達に対しても同じようなものなのだが、そんな体面をかなぐり捨てる話なのだろう。
友として、好敵手として、上司として、彼女の相談に真摯に応えるべくフェイトは覚悟を決めた。
そして、大真面目な顔のシグナムの口から放たれた言葉は、フェイトの思考を混乱の坩堝に叩き落とす。

「私は…………………………………………かわいいのか?」
「……はい?」

あまりにもフェイトの持つシグナムのイメージからかけ離れたその問いに、間の抜けた声が漏れる。
現実に思考が追い付かず、それどころかまだ自分は夢を見ているのではないかと思う。
それほどまでに、たった今シグナムが口にした問いと戸惑いの破壊力は絶大だった。

「す、すまん! 愚かな事を聞いた。
 こんな言葉、本来私とは最も縁遠い…いや、そもそも縁のない単語なことは承知している。
 おそらく、アレも何かの間違いか気の迷いだったのだろう。
 だが、念のため第三者の意見を聞いておきたくてだな……」
「は、はぁ……シグナムが、かわいい…ですか?」
「う、うむ。実は昨日、とある男に言われたのだ。
自慢するわけではないが、これまで『カッコイイ』や『綺麗』の類の言葉は飽きるほど聞かされた。
だから、正直その手の文句を聞いてもなんとも思わん。
しかし、こんな事を言われたのは初めてでな。自分では判断がつかんのだ」

実際、シグナムにはなのは達に負けず劣らずファンが多い。
凛々しく、気高く、質実剛健にして忠義に厚い才色兼備の騎士。
厳しさと優しさを併せ持つ人格者であり、いついかなる時も毅然とした態度を示す彼女は、女性局員の憧れの的だったりする。なので、シグナムとなら禁断の世界に突入する事も厭わないと豪語する者は多い。

その為高嶺の花扱いされる事も多いが、同じくらい言い寄る男(ついでに女)も多い。
この十年、この手の輩が後を絶たなかった事もあり、すっかりその手の文句には耐性がついていた。

しかし、昨日投げかけられた言葉はそれまでのどれとも違う。
褒め言葉という意味では同じだが、ベクトルが違うのだ。
『綺麗』と見惚れるのではなく、『カッコイイ』と恍惚に浸るのでもない。
それは、上記二つにも引けを取らない褒め言葉にして、第三の方向性。

かわいいには『愛らしい』という意味も含まれる。
そんな事を、まるで年下の女の子を褒めるように言われたのだ。
身長が高く、剣腕に優れ、『烈火の将』と讃えられる高潔な精神の持ち主が。
自分とは無縁と思っていた単語を投げかけられたことに対する衝撃は、予想以上に大きかった。
何しろその方向性には免疫がない。それも、邪念も下心もない純粋な言葉だ。

好いた惚れたはともかくとして、それでもシグナムのメンタルは紛れもない女性。
自分にそんな面があるのかと思うと、どうしても気になってしまう。
数々の奇行も、全てはこれに起因していた。

「で、ど…どうなのだ?」
「ええっとぉ……」

シグナムが可愛いか否か。その答えを、フェイトも上手く言葉にできない。
彼女は紛れもない美人だし、スタイルも抜群、顔の造形にも非の打ちどころがないだろう。
また、その在り方はある意味理想の男性像、白馬の王子様に近いかもしれない。
男装の麗人、男物の格好をさせれば間違いなくそういう状態になる。

だが、彼女が問うているのはそんな事ではない。
だからこそフェイトとしても判断に困るのだが、困っているうちに勝手にシグナムは首を振りだした。

「いや、皆まで言うな。答えなど聞くまでもなかったのだ。
そう、これは気の迷い! 慣れない単語の幻聴を聞いて、気が動転していただけにすぎん。
忘れてくれ、忘れろ、忘れるんだぞ!! とにかく、お前は何も聞かなかったし見なかった。それが全てだ!」
「は、はい……」

あまりの迫力に押し切られ、結局答えらしい答えを返すことなく機械的に首を縦に振るフェイト。
それに満足したのか、あるいはフェイトの返事を聞く余裕すらないのか、シグナムは足早にその場を後にする。
昨日はあまり実感がなかったようだが、一晩明けてその意味が沁み渡り、気が動転しているらしい。
そんなシグナムの後ろ姿を見ながら、ようやく冷静さを取り戻してきたフェイトの口からある単語が零れた。

「今のシグナム、ちょっと……かわいかったかも」
「のあっ!?」

まるでバナナの皮でも踏んだかのように、盛大にこけるシグナム。
どうやら、今の呟きが聞こえてしまったらしい。



そして、隊舎の外に出るとそこには、一種異様な光景が広がっていた。
立ち並ぶ樹木から放たれるのは、なにやら不気味な鈍い輝き。
一つや二つではない。それが並木にそって無数に点在している事を、フェイトの眼が捉えた。

(なんだろ、あれ?)

輝きの位置は決して高くない。凡そ地上1mから1m50㎝にまばらに点在している。
不思議に思って近づいてみれば、すぐにその正体は明らかになった。
ただ、明らかになってもその意味と意図はさっぱりだったが。

「…………………釘と…人形、かな?」

鈍い輝きの出所にあったのは、木の幹に打ちつけられた人形と釘。
人形の胸、人間なら心臓に相当する場所を貫通する形で、釘が刺さっている。
だが、いくつか見渡して見ると、刺さっている所が異なるものもある様で、中には額のあたりをぶちぬかれている個体もある。まぁどちらにせよ、人間だったらかなりスプラッタな状態だ。

また、その人形も一般的にはあまり目にするプラスチックや布製ではなく、材料は藁。
文字通りの「藁人形」という奴だ。
そこでフェイトは、その存在に既視感と似ているようで違う何かを覚え、記憶の糸をたどりだす。

(あれ? そう言えば昔、いつだったかアリサからこんな感じの話を聞いた事があるような……。
 確か、時期は夏場の夜。怪談……だっけ?)

そう、それはなのはやはやて同様十年来の親友が話してくれたお話。
アリサとはやてが企画した怪談大会で聞いた事がある。
あの時は日本文化への理解がまだ乏しく、完全に理解できなかったおかげでそれほど怖くはなかった。
ただその後懇切丁寧に説明され、しばしの間怖くて夜中トイレに行けなくなったのだ。
なので、その度に自身の使い魔や義兄、あるいは義母、後の義姉にトイレに同伴してもらったのは親友たちにも言っていない絶対の秘密である。まぁ、そのおかげで完全に忘れた筈の今でも思い出せてしまったのだが。

「うぅ、イヤな事思いだしちゃった……」

恥ずかしい過去という名の黒歴史を思い出し、微妙に凹むフェイト。
アレからずいぶん経つが、それでも皆には知られたくない過去である。
特に、自分が保護責任者を務める二人には。そんな情けない過去を知られれば、二人を失望させてしまう。
今のフェイトにとっては、怪談などよりそちらの方が怖い。むしろ、次元震や世界の崩壊よりも。
とそこで、やや離れた所からフェイトの耳に恐らくは釘を「カーン、コーン」と打つ音が聞こえてくる。

「な、なに!?」

明るい時間帯なので別に怖くはないが、それでも不気味なことに変わりはない。
できるなら無視したいが、隊の敷地内で起こった異変を無視できるほど彼女は器用ではなかった。
何が起こっても大丈夫なように警戒しながら恐る恐る音の出所に近づいて行くと、やがて音もはっきりしてくる。
そうして聞こえてきたのは、妙に振動していながらも明るい子どもの声。

「いっか~い、にか~い、さんか~い」
「きゅうか~い、じゅっか~い、じゅういっか~い、じゅうにか~い」
「きゅく~」
「……やっぱり一回たりない」
(あれ、これってまた別の怪談のネタじゃなかったっけ?
 って言うかこの声、この鳴き声…まさか!?)

徐々に昔の事を思い出して来たらしく、内心冷静な突っ込みを入れるフェイト。
その一因、聞こえてきた声に聞き覚えがあったのも無関係ではあるまい。

「なにやってるの? エリオ、キャロ」
「「あ、フェイトさん!」」
「?」

木陰から顔をのぞかせてみれば、そこには案の定の顔ぶれ(若干一名除く)。
エリオとキャロは突然現れた意外な人物に目を見開き、心当たりのない翔は「誰?」とばかりに不思議そうに首をかしげている。

フェイトにとっても、当然ながら相手は見ず知らずの子ども。
故に、「誰?」という気持ちは同じだ。だがその仕草と表情に、そんな疑問などどうでもよくなる様な、胸を掻き毟られる感覚を覚える。

(か、可愛い……!)

キメの細かい滑らかな白い肌、風に揺れる艶やかな黒髪、陽光を受け輝く無垢な蒼い瞳。
その全てが愛らしく、思考がマヒしどうしていいのかわからなくなる。

(抱きしめたいなぁ、ほっぺたプニプニしたいなぁ……つ、連れてっちゃダメ…だよね?)

湧き上がるのは、このままお持ち帰りしてしまいたい衝動。
しかし、そんな少々危ない衝動は一先ず置いておくとして……。
翔にエリオがフェイトの事を紹介している間、キャロがフェイトの質問に答えてくれた。

「えっとですね、ナカジマ陸曹とまた無事に生きて会えるようにって言うおまじないです」
「おまじない? (そう言えば、ギンガの練習がもっとハードになるってなのはが言ってたけど、だから?
そんな願掛けをするのもどうかと思うけど、そもそもこれは確かおまじないじゃなくて……)」

フェイトも詳しく知っているわけではないが、それでも僅かに憶えがある。
彼女の記憶が正しければ、これはおまじないとは真逆の代物ではなかったか。
だが、これを安全祈願のおまじないと信じて疑わない子ども達。

「その呪い……もとい、おまじない誰が教えてくれたの? はやて?」

ここで彼女の名前が出る辺り、はやてがどんな扱いになっているか分かると言うものだろう。
しかし、エリオはフェイトの問いに首を横に振り、その情報源を明らかにする。

「いえ、『おひゃくどまいり』は翔が教えてくれたんです!」
「うん、アパのおじ様としぐれ姉さまに教えてもらったの! 百個作ると大丈夫って言ってた!」

教えてくれた人をよほど信じているのだろう、エヘンと胸を張って満面の笑顔で教えてくれる翔。
ただ、所詮は子ども。どうやら、しぐれ達が教えた内容から、さらに若干ずれてきているらしい。
もちろんそんな事、アパチャイ達を知らないフェイトが知る筈もないが。

(丑の刻参りを百って……善意しかなくても呪われそう)

とりあえず、彼女としても早めに直した方が良いと思う。
だが、翔をはじめ、エリオやキャロまで心の底からこれがギンガの為になると信じてやっている事がそのキラキラした瞳から伺える。甘いフェイトには、彼らに残酷な真実を告げる事は出来なかった。

「えっと、それ実はね……」
「「「?」」」
「……ううん、何でもない、頑張って」
「「「はい!」」」
(ホントは頑張っちゃダメなんだけど……ギンガ、大丈夫かな?)

彼女がそんな事を思ったその時、やや離れた場所でギンガの「大丈夫なわけありませんよ!」という絶叫が響いたかは、定かではない。ついでに、ギンガの食器類の尽くが縦に割れると言う怪奇現象との因果も不明だ。

しかし一つだけ言える事がある。
それは、後にフェイトはこの時これを止めなかった事を激しく後悔するだろう事。
詳しい過程と経緯は省くが、やがてこの呪いは元の形からは明らかに間違った形である「願いがかなうおまじない」として、時空管理局全体に広まるのだった。



BATTLE 18「勢揃い」



場所は変わって訓練場。
そこにはすでに、この日行われる兼一とザフィーラの模擬戦の準備が整っていた。

シチュエーションは前日同様、高層ビルの並び立つ「市街地」。
恐らく、少しでも公平を期すためのセッティングなのだろう。何しろ、ザフィーラと違って兼一に飛行はできない。兼一自身の要望により一切のハンデなしとされた為、その差を埋めやすくする処置だ。大方、飛べないにしても兼一の身体能力ならビルの壁を利用して、相手が空中にいてもある程度戦えると考えたのだろう。

兼一に伝えられた集合時間は、早朝訓練を終え朝食を取ったその後と伝えられていた。
それまではギンガの修業や自身のウォーミングアップに当て、食事を済ませておくようにとの事。

今頃は皆食事を取っているか、食後の僅かな休憩時間を満喫している所だろう。
故に、今現在この訓練場は無人…………の筈だった。

だが実際には違う。皆より一足早く、早々に訓練場…より正確には陸戦用空間シミュレータの使用許可をもらった白浜親子とギンガがいた。
その理由は簡単。前日の約束通り、ギンガにさらにきつい修業を課すためである。
今まで以上の修業をするには、食後の休憩時間さえも惜しい。幸い、食後間もなくハードな運動をした程度で具合が悪くなる様な鍛え方などしていないのだ。

「きぃぃぃいぃぃ重いぃぃぃ!!」
「ほら、あと一往復。急いで急いで。みんなが集まるまで時間がないよ。
 ただでさえ修業時間がキツキツなんだから」
「だったら重り減らしてくださいよ!!」
「それじゃ修業にならないじゃないか」

優に高さ十階を超えるビルの屋上の縁で胡坐をかいて弟子を見守る兼一。
しかし、屋上のどこを見渡してもギンガの姿はない。
いるのは、呑気に食後の茶を飲む兼一とビルの縁から下をのぞき込み「アワアワ」と震える翔だけ。

それもその筈。何しろのギンガの声は、丁度兼一の真下から聞こえてくる。
より正確には、ビルの壁面からと言うべきだろう。

そこにいたのは、ヤモリの如くビルの壁面にへばりつくギンガ。
それも、その背中には等身大の地蔵が、両腕には黒光りする仁王しがみついてた。
挙句の果てに、脚からは鉄球までぶら下がっている始末。

「う、腕が、指が……というか上半身がいい加減限界です!!」
「限界に挑んでこその修業さ。ああ、わかってると思うけど、くれぐれも脚は使っちゃいけないよ」
「縛っといて何言ってんですか!! というか、パンパンで元から動きませんよ!!」

ギンガの言葉通り、その脚は荒縄でぐるぐる巻きにされ動かない。
つまり、今彼女は両腕だけを頼りにビルを上っているのだ。

元来、ビルの壁面の凹凸などたかが知れている。
それをよじ登るとなれば、生半可ではない指と腕の力を要するだろう。
その上脚が使えず重りまで付いているのだから、最早拷問の域だ。

「弱音を吐いてる暇があったら早く上る。凹凸は少ないけど、滝じゃないだけマシじゃないか」
(滝なら下が水だから死ぬ可能性は低いけど、その分……)

水の質量と落下エネルギーが加わるので、実に甲乙つけがたい。
まぁ、ギンガの場合いざとなれば魔法を使えば死ぬ事はないので、兼一の言う通り滝じゃないだけまだマシだろう。とはいえ、だからと言って今の修業が軽いと思える筈もないし、実際軽いわけでもない。

「っと、30秒経ったね。翔、それとって」
「う、うん」
「ほら、いくよ」
「いくって、まさか!?」
「はい、避ける!」
「きゃ――――――――!?」

頭上から降ってくるのは、頭ほどの大きさの石。
それがギンガの頭めがけて降ってくる。

大慌てでギンガは片手を離し、身体を揺すってそれを避けた。
だがそれで終わらず、次々とギンガを追い掛けるようにして石が降ってくる。
絶え間なく降ってくる石に対し、一度は離した手で壁を掴み、今度は逆の手を離して避けた。
左右の手で壁を掴んでは離しを繰り返し、その全てをやり過ごす。

「よし、良く避けたね。さ、次はまた30秒後だよ」
「むきぃぃぃぃぃぃ!!」

早く登らなければまた石が降ってくる。
その危機感に突き動かされ、半ば自棄にでもなった様に壁を這い上がるギンガ。
努力の甲斐あり、その後三回の落石を経て、見事生きてビルの壁を登り切った。

「ハァハァハァハァハァ……」
「よし、良く生きて帰った」
(よ、ようやく終わ……)
「じゃ、今度は下りようか」
「まだやるんですか!?」
「だって、まだあと一往復って言ったでしょ?」
「確かに、確かに言いましたけど……」

すでに限界を迎えているのか、両腕がプルプルと震えて力が入らない。
それは何も腕に限った話ではなく、僧帽筋や広背筋など背筋全般に言える事。
腕や肩の運動には背筋が密接に関与しているので、当然の結果だ。

しかし、この状態で下りなど自殺行為にも等しい。
それがわかっているからこそ躊躇いを見せる弟子に対し、兼一は一つ別の条件を提示する。

「しょうがないなぁ。じゃあ、下りを免除する代わりに」
「どうするんですか! これ以外なら何でも……」
「海に」
「下ります」

兼一が一言「海」と言った瞬間、最後まで聞かずに返答するギンガ。
湾岸地区という立地上、機動六課は海に面した区画にある。その為、やろうと思えばいつでも海に出られるわけだが、今の彼女は正直海など見たくもないらしい。
故に、そのままビルの縁に手をかけそのまま今来た道、ならぬ壁を下り始めた。
ちなみに、海に出られなかった兼一は少し寂しそうだった…かもしれない。

「良い修業になるんだけどなぁ…海」
(まさか、海に沈めたんじゃないよね?)
「何か言ったかい、翔?」
「ウウン、何モ言ッテナイヨ」

不思議そうな顔で覗き込む父に、翔は首を振る。
早朝はエリオ達と一緒に件の「おまじない」をしていたので一緒にいなかったが、ギンガの様子から今まで以上にハードな事をやったのは間違いない。何をやったかは想像できないが。
とそこへ、呆れの感情を露わにヴィータが、その後ろには苦笑気味のなのはの姿もある。

「あ、おはようございますヴィータ三尉。それになのはちゃんもおはよう」
「おう」
「どうも、おはようございます兼一さん、翔もね」
「うん、おはようございます!」
「つーか、あたしには敬語でなのははタメなのな」
「あ、そう言えば……直した方がいいかな?」
「いえ、別にいいですよ。兼一さんに敬語で話されるのも変な気分ですから。
 それを言ったら、ヴィータちゃんだって敬語使わないでしょ?」
「お前相手に敬語なんて気色悪ぃ。ま、時と場所くらいはわきまえるけどな。
 ここならうるさく言う奴はいねぇだろうけど、外だと気にする奴もいるからそこだけは気をつけろよ」
「ま、そう言う事で」
「はい」

要は、メリハリをつけろと言う事なのだろう。
六課はほとんど身内所帯なので、その辺は緩い。
だが外ではその限りではない以上、変に目をつけられない為にもそう言う事が必要なのだ。

「(それにして、何度見てもちっちゃい人だなぁ。とてもじゃないけど尉官には見えないよ)あたっ!?
 な、何するんですか!?」
「てめぇ、またあたしの事『小さい』とか思っただろ」
「え? ああ、その……もしかして、考えるのも禁止?」
「あ・た・り・ま・え・だ! だいたいお前、学習能力ってもんがねぇのか? それともあれか、ところてんみたいにドンドン押し出されるのか?」

眼は口ほどに物を言うと言われる。
今まで散々そういう目で見られてきたヴィータには、相手の視線からそう言った事を考えている事がわかるのだ。
そして、このネタはヴィータにとって最大のコンプレックスの一つ。
迸る怒りのオーラは天を突かんばかりに立ち登り、兼一をして後退りさせるには十分だった。

「ち、ちらっと思っただけです…よ?」
「自信ねぇんじゃねぇか!!」
「だ、だって、背だって翔とあんまり変わらないじゃないですか…ってしまった!?」

最早言葉は不要とばかりにグラーフアイゼンを振りかぶり、兼一の頭に殴りかかるヴィータ。
兼一としても、不用意に相手のコンプレックスを刺激してしまった負い目から、甘んじて制裁を受ける。
都合30発にも及ぶ執拗なまでの天誅。
その末に、さすがの兼一も頭から白い湯気を上げながら、無数のたんこぶを作って突っ伏した。

「ハァハァハァ……何か言いたい事はあるか?」
「ありません」

常人なら、とっくに脳漿をぶちまけているだけの攻撃を受けながら尚意識があるのは驚嘆以外の何物でもない。
というか、そもそもたんこぶ程度で済む筈がないのだが。
事実としてたんこぶだけで済んでいる兼一に、なのはは呆れとも感心ともつかない呟きを洩らす。

(相変わらず、頑丈な人だなぁ……)

本来、その一言で済ませていい問題では断じてない。
のだが、その事に突っ込んでくれる良識人はいなかった。

「にしても、何やらせてんだよおめぇ」
「? 見ての通り、ビルを登ったり降りたりしてるだけですけど?」
「そう言うと普通に聞こえるけどよ、やってる内容は絶対普通じゃねぇぞ。
 つーか、何だよあの地蔵とか」
「子泣き地蔵としがみ仁王アイアンです」
「子泣きって、おい……」
「僕も昔使ってた修業道具なんですけどね。ホントは金下駄とかプラチナブーツとかを使わせてあげたいんですけど、うちの財政事情だと……」
(無駄に金がかかりそうだな、それ)

今更ながら、闇との格差を思い知る兼一。多少懐が豊かになっても、さすがにあんな真似はできない。
比重としては鉄や石よりも重いので効果的なのだが、如何せん先立つ物がないのではどうにもならなかった。
だがそこで、何かを思いついた様に兼一がなのはを見る。

「ねぇ、なのはちゃん」
「いえ、さすがにそれは予算的に……うちは特殊ですけど、無尽蔵じゃないんで」
「そっかぁ……」

凄く、凄く残念そうな兼一。
とはいえ、さすがに備品として金製の下駄やプラチナ製のブーツなど用意できる筈もない。
なんというか、アナログな癖に費用がかかり過ぎるのだ。
如何に六課が特殊とはいえ、申請した所で決して受理されない事は目に見えている。

「それにしても、登りだけじゃなくても下りもですか……」
「まぁね。手っ取り早く強くなりたいなら、蹴りを突き並みに器用にするか、突きを蹴り並みに強くするかだし。
それに階段とか坂もそうだけど、実は上るより下る方がキツイから。
 折角良い修業になるのに上りだけって、なんか損した気分でしょ?」
((そうか【なぁ】?))

兼一からすれば損した気分なのかもしれないが、それは一般論ではない。
むしろ、下りまである方が損した気分になるだろうと二人は思う。

「そう言えば朝は見かけませんでしたけど、何してたんですか?」
「ああ、ちょっと海にね」
「アレか? 砂浜を走るとかそういうのか?」

海と聞いて思い出す練習の定番、それは砂浜を走る事だろう。
そう思い至ったヴィータは、内心で「結構普通だな」と思う。
だが、この連中に限って普通の事などやらせるわけがない。

「いえ、走ったのは海の中ですよ、腰まで浸かって」
「は?」
「ほら、水の抵抗って結構便利じゃないですか。
 波で不安定になりますし、足場も悪いですから足腰の鍛錬にはもってこいなんですよねぇ。
 バランスを崩さない様に砂を掴まなきゃいけないから、死ぬほど足の指も鍛えられますし」
(壁上りと言い、地味にきつい事やらせんなぁこいつ)

元来の性格に加え、師の薫陶が行きわたっているのだろう。
秋雨もそうだったが、意気込めば意気込む程地味な訓練をねちっこくやらせるのが兼一の傾向である。
水の抵抗があっては思うように動けない上に、波の影響や足場の悪さもあっては猶の事。
ギンガは水中でも突きや蹴りの鋭さを維持する技術を持っているが、それでも相当難儀した筈だ。
そもそも、アレは一々全ての動きに練り込めるような性質のものではない。
故に、なのはが昔の事を忘れてこんな勘違いをしてしまったのも無理はなかっただろう。

「海の中をスロージョグですか、なるほど。
(もうちょっと基礎体力がついてきたらみんなにもやらせてあげようかな?)」
「へ? なに、スロージョグって?」
「え? だって、水の中ですしやっぱりゆっくりとしか……まさか!」
「おい、どうしたなのは」

『スロージョグ? 何それ、美味しいの?』的な反応を示す兼一。
なのははそんな兼一の様子を見て思い違いにいち早く気付き、怖れ慄く。
ただし、達人と言う人種への耐性の低いヴィータはいぶかしむ様な表情を浮かべる事しかできず、なんとなく予想のついた翔は深々と溜息をついていた。

「兼一さん、まさかとは思いますけどペースを落としたりは……?」
「え? そんなことしたら修業にならないじゃないか」
「やっぱり……」
「おい、どういう事だよ」
「兼一さんの走り込ってね、少しでもスピードを緩めると鞭で叩かれるんだ、馬みたいに」
「……………………………マジかよ」

ヴィータも想像がついたのだろう。
本当に鞭を打たれたのかは定かではないが、似たような方法で一切の緩みを許さなかったに違いない事が。

そして、翔は理解した。
何故先ほど、「海」と言う単語が出た時点でギンガが大人しく壁を下りて行ったのかを。
一見すると壁上りの方がハードだが、兼一の足腰を重視する傾向は性癖の領域だ。
恐らく、その内容も走り込みだけでは済むまい。
ただでさえ脚に力が入らない状態だったのだ、下手をすると今度こそ海に帰っていたかもしれない。
それはまぁ、ギンガでなくても回れ右をするだろう。
だからこそ、ヴィータが内心でこう呻いたのも仕方がない。

(限度ってもんを知らねぇのか、こいつは)

ギンガとて、兼一に弟子入りする前は水の中での訓練も積んできた。
そのギンガでさえあの有様となってしまうような訓練。
普通に考えれば、度が過ぎているどころの話ではない。

本音を言えば今すぐにでもとめた方がいいとヴィータは思う。
しかし、一度信じると言ってしまった手前、さすがに昨日の今日で翻すわけにもいかない。
少なくとも、ギンガもなのはもまだ兼一を信じているのだから。
とそんなヴィータの内心を余所に、なのはは視界の端で何かを捉えそちらに顔を向けていた。

「あ、みんな来たみたいだね。じゃ、兼一さん」
「うん。ギンガも降りたみたいだし、上るまでちょっと待ってもらえる?」
「大丈夫ですよ。まだ時間まで少しありますから」
「ごめんね」

やってくるのは、部隊長であるはやてやライトニング分隊分隊長のフェイトを始め、兼一とも共に戦う事になるであろうフォワードメンバー達。他にもシャマルやリイン、なぜかヴァイスなどの姿もある。
どうやら観客と言うか野次馬と言うか、そう言う感じらしい。
とそこで、まだちゃんとした形での面識を持った事のなかったはやてが話しかける。

「どうも挨拶が遅れまして、機動六課部隊長の八神はやてです。はじめまして…やないんですよね、確か」
「あ、いえ、こちらこそ。白浜兼一二等陸士です」
「ええですよ、別に敬語やなくても。白浜さんの方が年上なんですし」
「いや、さすがにそう言うわけには……」
「そですか?」

なのはとは昔の付き合いがあるので抵抗はないが、さすがにほぼ初対面に近い上司にタメ口をきく度胸は兼一にはない。まぁ、この先親しくなれば話は別かもしれないが。
とそこで、こっそり背後に回った翔が兼一目掛けて飛びかかろうと膝を曲げる。
おそらく、昨日に引き続きまた不意打ちを仕掛けようとしているのだろう。
だが、いざ飛び上がろうとしたその瞬間……

「へぶっ!?」

突然、その場ですっ転んだ。

「あの~、お子さんがいきなり転んでもうたみたいですけど……」
「ああ、気にしないでください」
「でも…ええんですか?」
「はい」

翔の方を全く見向きもしない兼一に対し、いぶかしむ様な視線を向けるはやて。
だが兼一は、それに怯んだ様子もなく、あくまでもにこやかな笑みを崩さない。
まるで、背後で起こった出来事は全て想定の範囲内と言わんばかりに。
そしてその間にも、慌てて顔を上げた翔は急いで立ち上がろうと床に手をついた。

「あたっ!? うわっ!? あれっ!?」
「翔、いま八神部隊長と話してるから、ちょ~っと大人しくしてなさい」

起き上がろうとするその度に転び続ける翔。
幾ら慌てているにしても、こうも転ぶのは明らかにおかしい。

(まさか、兼一さん……)

何故か立ちあがる事が出来ない、翔。その理由を、なのはは薄々理解し始める。
素の動体視力では視認できないが、大方目にも映らぬ超高速足払いで翔を平伏せさせ続けているのだろう。
とはいえ、なのははそれを積極的に確認しようとはしない。
するまでもない気もするし…何より、しても頭が痛くなるだけとわかっているからだ。

ただ、どうやらなのはだけでなくはやても気付き始めたらしい。
なのはは肩にのしかかる重さを努めて無視しながら、十年来の親友に精一杯のアドバイスを送る。

「はやてちゃん、気になるって気持ちは分かるけど確認はしない方が良いよ」
「っちゅうことは、なのはちゃん。これってやっぱり……」
「多分そう。でも、もう一度言うけど、確認はしない方が良いよ、精神衛生上」
「…………さ、さよか」

繰り返し、それも重々しく諭されては、はやても敢えて確認しようと言う気にはならなかったらしい。
額から冷や汗を流しつつ、兼一の後ろで転び続ける翔を見守る。

「っと、何を話してましたっけ」
「ええです。お話はまた今度で……」
「そうですか?」

首を傾げる兼一に対し、はやては若干声を上擦らせながら言葉を絞り出す。
正直、こんな状況では落ち着いて会話などできやしない。

そうこうするうちに、ようやく兼一は翔の方へと顔を向ける。
だがその頃には、翔は四つん這いになって肩で荒い息をついていた。

「さて翔、まだやるかい?」
「な、なんのこれしきぃ!!」
「おお、良いガッツだ。よし、そのガッツに免じてひとつ活人拳ならではの技を見せてあげよう。よっと」

軽い、実に軽い掛け声とともに兼一の両腕が縦横無尽に流れた。
その間も兼一の脚は止まることなく進み、気付いた時には翔のすぐ横を通り過ぎた後。
しかしこの時、既に全ては終わった後だった。

「な、なにこれ!?」
「馬家 縛札衣」

『馬家 縛札衣(ばけ ばくさつい)』。相手の着衣を剥ぎ、これを利用して身動きを取れなくさせる捕縛の技。
服を用いて無傷で制す活人拳の極みの一つでもあるが……あまり女性には使えない技でもある。
実際、師父剣星と違い兼一はこれを女性に使った事はない。
本当は捕縛と言う事を考えると対女性向きの技なのだが、その性質上セクハラ野郎の烙印を押されてしまう。
妻子有る身として、その烙印はなんとしてでも避けねばならない。特に、美羽にこの技を女性に使った事を知られれば、確実に白い目で見られるのだから当然だ。美羽亡き今でも、弟子や息子にそんな目で見られたくはない。
だが、師父の神経の図太さを密かに尊敬してしまうのは男の性か……。

とはいえ、基本的に身動きを封じられてしまえば勝負あり。
抜けだすまでの間が僅かなものであろうと、その間は無防備な状態を晒すことになる。
そうなれば、煮るなり焼くなり思うがまま。
それを理解しているからこそ、縛られた翔も大人しくしている。

「良いかい、武術と服には密接な関係がある。中国拳法には袖を取る型が多くあるし、柔道は和服を基本として作られている。また、ローマの格闘技は公平を期すために全裸で行われた。
 つまり、服を用いて無傷で制す…この技も活人拳極みの技の一つと言えるね、覚えておきなさい」

今の翔は上着で両腕を、ズボンで両足を縛られている。
その為、身につけているのは上下の肌着のみ。早い話、下半身は下着のみだ。

しかし、ここまではいい。
問題なのは、そんな二人の後ろで雷にでも打たれたかのような衝撃に身を振るわせる、チビタヌキの存在だ。

(にしても敵の服を剥ぐって、またけったいな技を……っ!?)

当初は呆れた様ななんとも言えない視線を向けていたはやてだったが、その視線の種類が瞬く間の内に変わる。
徐々に兼一へと向けられる視線は熱を帯びて行き、今度は兼一がはやての方をいぶかしむ様に振り返った。

「あの、どうかしましたか?
「兼一さん」
「はい」
「先生と呼ばせてください!!」
「なんで!?」

眼を爛々と輝かせ、熱い口調で懇願するはやて。
その源泉はわからないが、熱意だけは本物と分かる。
ただし、その熱の方向性は明らかにおかしな方向を向いているようだが。

「いや、ナカジマ三佐が私の師匠ですんで、それやったら先生かなぁと」
「いえ、聞いているのはそんな事じゃなくて、なんでそんな風に呼ぶのかと……」
「なんでってそら……………………今の技が大きなお友達の夢やからや!!」
「はいぃ!?」

はやての言っている意味がさっぱりわからず、困惑一色の兼一。
そんな彼に、はやてはちょっと背伸びをしながら耳元に口を寄せヒソヒソと小声で話しかける。

「いや、ここだけの話、自慢やないんやけど私…ちょう胸にはうるさくてな」
(もしかして、そっちの趣味の人なのかな?)
「あ、くれぐれも勘違いせんといてほしいんやけど、別にレズとちゃうで。至ってノーマルや。
ただ、ちょう胸も好きなだけの、普通の女の子やから」

本人が言うのだからそうなのかもしれないが、イマイチ信憑性に欠ける。
というか、諸々の発言内容を考えると信じられた物ではない。
そもそもはやては、弱冠19歳にして二佐の地位にある六課一の超エリート。
にもかかわらずその正体がこれとは……。
108にいた時の前情報だと、地位や能力を鼻にかけない気さくな人物と聞いた。
だが、これはフランクとかそういう問題ではないだろう。

「せやけどな、最近……」
「最近?」
「一つの事に拘るっちゅうのも狭量かなぁと」
「つまり、どういうことでしょう?」
「つまり、そろそろ新しい世界に挑戦してみようかとおもっとった所だったんや!!
 そのタイミングでこの出会い! これは、世界が私に新しい世界の扉を開けと囁いとるに違いない!!
 そう、これは運命や!!」

世界に吠える様に力説するはやて。一瞬、その力強さに『そうかもしれない』と思わされた事を不覚に思う兼一。
同時に、きっと彼女はこの技を教えた師父、剣星と自分以上の友達になれる。
根拠も理由もなく、ただ確固たる確信だけが兼一の胸に芽生えていた。
とはいえ、それとこれとはまた別の問題で……

「でもお断りします」
「なんやて!?」
「いえ、そんな悪用する気満々の人に教えるわけには……」
「悪用とちゃう! 新しい世界への扉を開く、これは世界への挑戦や!!
 女に会っては服を剥ぎ、男に会っては服を剥ぐ。まぁ、剥いだ後は胸部マッサージしたり観察したりと色々やけど……とにかく、これはロマンなんや!
 兼一さんなら、この熱い胸の高鳴りをわかってくれると信じてます!」
「わかる様なわからない様な、若干心ひかれる部分がある気もしないでもありませんが…………いくら力説してもダメな物はダメです」

兼一の言葉にはやては打ちひしがれ、その背後からは喝采が上がる。
別に、はやてとて無差別にそんな事をするとは考えにくい。
実際、今の趣味である胸部マッサージにしても、見知った仲の相手にしかしていない。

しかし、何事も何がきっかけになるはかわからないもの。
もしかすると、これがきっかけとなって取れてはいけないタガが取れてしまうかもしれないのだ。
それはまぁ、皆が兼一の英断を称賛するのも当然だろう。
そもそも、兼一からするとそんな事より気になる事がある。

(なんだろ、さっきから視線を感じる。殺気、じゃないんだけど…妙なプレッシャーが)

何と言うかこう、おどろおどろしいと言うか、ドロドロしていると言うか、強い感情を感じる兼一。
だが、結局のところそれだけ。特にこれと言って危機意識は煽られないからこそ、かえって困ってしまう。
ちなみに、そんな事を思っている間にも、定期的に岩を蹴落としているのだから見上げたものだ。
いかなる時も、弟子の修業に手は抜かないらしい。更に言えば、ちゃんと翔の拘束も解いてやっている。
まぁそれはそれとして、視線の主はと言うと……

「うぅ~、うぅ~、うぅ~……」
「なにやってるの、フェイトちゃん?」
「し、しーっ! 静かにしてなのは、気付かれちゃうよ!!」
(どうして気付かれないと思えるんだろう?)

なのはの背中に隠れ、兼一に対しどこか怨みがましい視線を送りながら小声で叫ぶフェイト。
テンパルと冷静な思考力はなりを潜め、周りが見えなくなるのは昔からの悪癖だ。
だからまぁ、いい加減平常時とのギャップをなんとかして欲しいとは思うが、いつもの事と思えばいつもの事。
ただ、周りから向けられる「何やってんだこの人」的な白い目にも気付かないのはどうだろうと思うなのは。
執務官試験と言う超のつく難関試験をクリアしたエリートなのに、どうしてこう身内の事になると暴走してしまうのだろうか。海の若手トップエース、金の閃光の二つ名が泣いている。

「あの人、なのはの古い知り合い…なんだよね?」
「あ、うん。そうだけど……」
「なのはは、どこにもいかないよね? エリオみたいに、あの人に乗り換えたりしないよね?」
「えっと、何を言ってるのかよく分からないんだけど……」
「キャロも籠絡されそうだし、なのはまでとられたら私、私……」
「籠絡って……」

まるで、捨てられそうな子犬の様な瞳でなのはを見上げるフェイト。
保護欲をかきたてられなくもないが、それ以上に意味不明な言動に首をかしげたくなってくる。
と、そんな不毛なやり取りをしているうちに、件の二人、エリオとキャロが笑顔で兼一の下に駆けて行く。
その様子を見て、フェイトから迸る陰鬱な情念が5割増した。

「「兼一さん!」」
「兄さまにキャロ姉さま!」

駆けて来る二人に気付き、翔もまた嬉しそうに二人を呼ぶ。
どうも、一人っ子だった事と幼さのせいもあるのか、翔の中では優しくしてくれる年長者は、ほぼ無条件に「姉さま」か「兄さま」と言う呼び名になるらしい。ただし、十代半ばまで限定で。
さっきまでのお子様お断りなやり取りなど即座に脳のゴミ箱に捨て去り、兼一は二人に笑顔を向ける。

「ああ、二人とも。朝はありがとうね、翔の面倒見てもらっちゃって」
「あ、いえ、そんな全然」
「私達も、早朝の訓練が始まる時にアイナさんにお願いしちゃいましたから」
「それに、僕達も楽しかったですし。ね、キャロ?」
「うん!」

どうやら、朝翔が二人と一緒にいたのは兼一から頼まれてのことだったらしい。
修業の段階が上がった事で、さらに起床時間が早まったのは良いが、さすがに5歳の子どもに早起きさせ過ぎるのも発育上よくない。そんな考えもあり、起きて食事をするまでの間翔の面倒を頼んでいたのだろう。
同時に、兼一は二人の昨日までとの変化に気付く。

「あれ? 二人とも、昨日まで丁寧語で話してなかったっけ?」
「あ、その…翔と一緒にいたらなんだか不思議と話が弾んで」
「気付いたらこんな感じで…やっぱり直した方がいいでしょうか?」
「同い年でパートナーなんでしょ? なら、別に気にしなくていいんじゃないかな?
 仲が良いに越した事はないと思うよ」
「そう、ですよね!」
「フェイトさんも『なるべく仲良くして欲しい』って言ってましたし……」

どうやらエリオと兼一の時と同じように、翔がいい具合に橋渡しになったおかげの様だ。
別に狙ったわけではなかったのだが、結果的に良い方向に行って兼一の顔にも笑顔が浮かぶ。
だが、それを見て心中穏やかではいられない人もいるわけで。

「いいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいなぁ~!!!」
「フェイトちゃん、そんなに気になるなら、どうやって打ち解けたか直接聞いてみたら?」
「で、でも……」
「でも?」
「どう聞いたらいいかわからないし、話した事もない人だから……恥ずかしくて」
(その羞恥心を別の所にも持ってほしいっていうのは贅沢なのかな?)

正直、客観的にみると今のフェイトの方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが。
昔に比べれば内気な所も治ってきたが、それでも根本的な所はまだの様だ。

さらに重さの増した視線はさすがに居心地が悪く、思わず兼一は肩を振るわせる。
そんな兼一に、妙に立ち直りの早いはやてが気分を切り替えて問いかけた。

「どうかしはったんですか、先生?」
「ですから、技を教える気はありませんから先生はやめてください。
ただ、なんかこう…肩に何かがのしかかってくるような情念を感じて……」
「あぁ、あんま気にせんほうが良いと思いますよ」
「何か知ってるんですか?」
「まぁなんちゅうか…………疲れますからスルーするのが一番ですって」
「はぁ……」

何か釈然としないものを感じつつも、原因はわかってもいまいち理由がわからない兼一はうなずくしかない。
フェイトとも事実上の初対面。あんな怨みがましい目で見られる理由が、兼一にはさっぱりわからないのだ。
まぁ、当然と言えば当然ではあるのだが。

しかも、それとは別にもう一つ妙な視線を感じる。
チラチラと、まるでこちらの様子をうかがうかのような落ち着きのない視線。

「まぁ、そっちは良いとして……シグナム二尉はどうしたんですか?」
「むしろ、理由を聞きたいのはこっちなんやけど……昨日から様子がおかしいし、模擬戦ができなかっただけやなさそうなんですよね」

集合場所に集まってからと言うもの、挙動不審のシグナム。
兼一の方を横目でチラチラと見ては、難しい顔をして唸っている。
かと思うと、唐突に髪を梳いたり自分の顔をぺたぺたと触りだす。はっきり言って、この十年一度も見た事のないシグナムがそこにはいた。
シグナムが守護騎士筆頭としての権威を乱用し、ヴィータに口封じをしているのでその原因ははやても知らない。

「昨日、何かあったんですか?」
「う~ん……女性は殴らないって言ったのがそんなに気に障ったんでしょうか?」
「いや、あれはそう言う感じやないですね。もっとこう別の……」
「まるで、自分のキャラクターを再確認しようとしてるような感じですね」

はやての言葉を引き継ぐ形で、横合いからシャマルが口を出す。
長い付き合いのシャマルとしても、あんなシグナムは初めて見る。

「何て言うか、はやてちゃんと一緒に暮らし始めた時みたいなんですよね。戸惑ってるって言うか」
「普段とギャップがあって、なんだか今日のシグナムは可愛いです!」
「ああ、言われてみれば確かに」
「まさか十年を過ぎて新たな発見があるとはなぁ、家族っちゅうのは深いもんや」

リインの発言を受けて、何か得心が言った様子のシャマルとはやて。
常に凛とし可憐などの言葉とは無縁、と思っていたシグナムだが、今の戸惑う様は可愛いの一言である。
実際隊舎の中を歩いていても、そのどこか物憂げな表情に振り向いた男女は数知れない。
しかし、ああ言うタイプに慣れており、なおかつあの手の人種を数多く知る兼一からすればそうは思わないわけで……。

「そうですかね? いつも通りの方が可愛らしい方だと思うんですけど」
『は?』
「あの、どうかしました?」
「すいません、兼一さん。もしかして昨日、シグナムに同じこと言いました?」
「? 同じ事?」
「せやから、可愛いとかそういうの」
「はぁ、言いましたけど?」
「なんでまた?」
「え? だって、シグナム二尉って部隊長やなのはちゃん達と同じくらいですよね?
 女の子なんですから、そりゃ可愛くて当然じゃありませんか?」

その言葉を聞き、はやて達の目が点になった。
続いて三人は、吹き出しそうになる自分を必死に抑え込む。

「ぷ、ぷぷ…お、女の子、シグナムが女の子……!」
「た、確かに、確かにそうなのかもしれませんけど……くく、く」
「あははははは! お、おなかが痛いですぅ!?」

あまりに自分達が持つイメージからかけ離れたその言葉に、笑いがこみあげてくるのを止められない。
兼一の台詞を聞いた瞬間、セーラー服やブレザー、あるいはワンピース等々、可愛らしい装いに身を包んだシグナムの姿が脳裏をよぎる。似合わないとは言わない、だがあまりにもイメージから外れている。
特にイメージ上のシグナムが、戸惑ったり羞恥から顔を赤らめていたりするものだから、破壊力はさらに増す。
ちなみに、シグナムは今精神的にそれどころではないので気付いていない。

「せ、せやったら兼一さん、例えばメイド服とかゴスロリとか、似合うと思います?」
「え? ああ、似合いそうですよねぇ」

笑いをこらえながらの問いに、兼一は至極真面目な顔で応える。
はやてを始め、シャマルやリインも笑ってこそいるがおおむねその意見には賛成だ。
普段の彼女なら絶対に着ないだろうし、イメージもあって着せようと思わなかったのが今になって惜しいと思う。
ただ、その理由は些かならず不純だったが。

(なんで、なんで今まで思いつかなかったんや! こんな、こんなおもろそうな事!!
 あの技と良いシグナムの事と良い、この人もしや天然のネタの宝庫!?)
(み、見たい、物凄く見たいわ! きっと凄く嫌がるだろうけど、だからこそ見てみたい!!)
(お、お腹がよじれるですぅ!)
(何を悶えてるんだろう、三人とも?)

シグナムに続いて挙動不審な三人に、兼一はどこか冷めた視線を送っている。
だが、この時の彼はまだ知らない。
自分の不用意な発言が、シグナムに「羞恥」と言う名の苦行を課すことになろうとは。

「はぁ~、久しぶりに思いっきり笑ったわぁ……」
「何か笑うような事ありましたか?」
「ああ、気にせんといてください。兼一さんがそうやから、これは意味があるんで」
「?」

はやての言っている意味がわからず、首をかしげる兼一。
とそこで、それまでエリオやキャロとじゃれていた翔がこれまで一言も発さぬティアナ達に気付く。

「どうしたの? ティア姉さま、スゥ姉さま」
「あ、いやその、うん……」
「ねぇ翔、ギン姉っていつもこんな調子なの?」

二人が立つのは、ビルの縁。つまり、その眼下には今まさに壁をよじ登るギンガの姿。
その額には滝のような汗が浮かび、「なんてことやらせてんだこの人は」という顔をしている。

「ん~、今日はいつもよりきついよ」
「そ、そう……」
「朝といい今といい、良くこんな……」
「うん! 時々死にそうになるけど、お薬使えばすぐ元気♪」
「「どんな薬!?」」

薬と聞き、何かヤバい物を連想する二人。
まぁ無理もないだろう。一連の訓練を見ると、「死にそう」と言うのが冗談に聞こえない。
ならば、死にそうな状態から復活できる薬とは、いったいどんなヤバい物なのか。
下手をすると、末端価格云千万とか云億とかそういう領域に達する非合法なものと言う気がして来る二人。
そんな二人に、兼一は手を振ってその嫌な可能性をにこやかに否定する。

「いやいや、自然由来の昔ながらの薬だよ。もちろんちゃんと合法」

とんでもない匂いを放ち、死人も生き返ると言う秘伝の漢方だが。
果たして、原材料さえ怪しいそれは本当に合法なのだろうか。
しかしそこで、ティアナの発言になのはが食いつく。

「ねぇティアナ」
「なんでしょう?」
「朝といいって、もしかして朝の訓練見たの?」
「あ、その、ちょっと早く目が覚めたので、外に出たら偶々……」

見てしまった、という事なのだろう。
その時の事を思い出したのか、ティアナの顔が引きつり蒼白になる。
何しろその内容ときたら……

「ぞわぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁ!?」
「遅い! カンナツノザヤウミウシにも置いてかれるぞ!!」
「あいた!?」

一喝されるや否や、尋常ではない衝撃がギンガの額を打つ。
やったのはデコピン、だがやる人間が達人級だとその程度ですらシャレにならない威力を持つ。

ただ、兼一の下に弟子入りして早二ヶ月。
もういい加減この手のやり取りにも慣れてきた余裕からか、思わずギンガは突っ込んだ。

「ってかなんですか、カンナツノザヤウミウシって!?」
「無駄口叩く前にいいから走る! ヤマトホシヒトデの方が幾らか俊敏だぞ!!」
「ヒトデ以下!? って、はぅあ!?」

追いうちをかける様にもう一発デコピン。
並々ならぬその衝撃に脳が揺れ視界が歪むも、それでもギンガのペースは落ちない。
これもまた、まさしく慣れの成果であろう。

そんな、傍から見るとリアクションに困るやり取りを繰り返す師弟。
だがちょうどこの時、遠方からそれを見る人影がある。

早朝、気持ちのいい朝にもかかわらず、前日の事もあってどこか心に雲の掛っていたティアナはなんとなく表に出ていた。特に理由もなく海辺に出ると、そこには今はあまり会いたくない人物の姿。
しかし、そんな事を思う間もなく、真っ先に思ったのはこの一言だった。

(んな無茶な……)

腰まで海に浸かった状態で、水を掻き分けての全力疾走。
後先など考えない。今出せる最高速度のまま、ギンガは汗と共に白い飛沫を撒き散らして突き進む。
その背中には兼一を担ぎ、あまつさえ胴体からは一本の鎖が海中に伸びている。
海面に反射してその先に何があるかは分からない。はてさて、鉄球を引いていた事に気付かなかったのは、幸運なのか不運なのか……。

その後朝の訓練が始まるまでの間、しばしギンガの修業を見学する。
だが、その間見た光景は、どれもこれも常軌を逸していた。

「じゃ、その状態で蹴り百本いってみよう」

百本と聞けば穏やかな数字に聞こえる。しかし実際には違う。
というか、問題なのはギンガが身を置くその「状態」。
何しろ彼女は、今まさに腰まで砂に埋められている状態なのだから。

「ど、どうしろってんですか!?」
「え? だから、蹴りあげるんだってば」

さも当然、とばかりにのたまう兼一。その手には、蹴り上げた砂を埋め直す為のスコップまである。
しかし、重い砂に腰まで埋まった状態でそんなことできるわけがない、と普通は思いそうなものだが。
如何にアンチェインナックルを修めているとはいえ、水と砂では質量が違いすぎる。
砂中にあっては、そもそも足を持ち上げる事自体一苦労。
これでは、「はじめは脱力して途中はゆっくり、インパクトに向けて加速」も何もあったものではない。
ましてや、魔法を封じて身体能力のみでやれなど正気を疑う。

とはいえ、幾ら文句を言っても撤回する様な男ではない。
その事をよく知るギンガは、どこか絶望的な顔つきのまま言われた通り蹴りを放つ。

「くっ、重い!」

日頃の鍛錬の賜物か、思いの外脚の上がるギンガ。
日夜ひたすら足腰を鍛えに鍛えているのは伊達ではないらしい。
ただし、その隣では……

「ぬりゃ!!」

いつの間にか自分も砂の中に入り、平然と砂を蹴り上げる師の姿。
しかも、一蹴りで巻き上げられる砂の量が尋常ではない。
たった一回で兼一の半身を埋めていた砂は吹き飛ばされてしまった。

「とまぁ、こんな具合に一蹴りで出られるようになったら合格かな」
(何十年後の話ですか、それは……)

ギンガにしてもティアナにしても、それを見た瞬間に自信等木っ端微塵に消滅してしまったのは言うまでもない。
で、それが終われば今度はどこからか調達してきた小舟に乗り込む。
兼一の手にはなぜか丸っこい岩が二つ。それを船の中に積み上げ……

「じゃ、これに乗って」
「はぁ、とと……」

ただでさえ揺れる船、その上さらにバランスの悪い丸っこい岩に乗っているのだ。
普通に立つだけでもかなりのバランス感覚と、岩を掴みコントロールする足腰及び体幹の力を要する。

「で、これでどうするんですか、師匠?」
「その状態で型打ちを一通り千いってみようか」
「この状態でですか!?」
「慣れてきたら海中ね」

こんなバランスの悪い状態で型打ちなど、最早曲芸の領域だろう。
しかも、いずれは海の中で同じ事をやると言う。
今のままでもバランスが悪いと言うのに、水に濡れて滑りやすくなればさらに姿勢を維持するのが難しくなる。

「いいかい、ギンガ。戦いって言うのは、時と場所を選ばない。
 いつか、水の中みたいに足場の悪い所でも戦わなきゃならない時が来るかもしれない。
 足場に関係なく十全な力を発揮できるようにする、これはその修業だよ」

何を意図しているのかはわかった。
ギンガの戦闘スタイル上バランス感覚は最重要項目の一つだし、改めて足腰を鍛え直そうと言う腹なのだろう。

「………………」
「あ、ちなみに、もし落ちたら隊舎十周だから。もちろん海中を」
「もうヤダ、この人……」
「なんの話だい?」
「今まさに後悔してるって話です!!」

そんなわけで、更なる発展を遂げる前に壊れてしまう気しかしないギンガだった。
しかし、そんな師弟の様子を遠目に見ていたティアナの心は暗い。

「これが、あの人たちの日常だって言うの?」

思わず口を突いたのは、劣等感に満ちた呟き。
今日まで必死になって努力してきた。才能豊かで優秀な相棒に追い縋り、自身の夢を叶える為に。
特別な才能や突出した魔力がなくともやっていける、兄と自分の魔法は無力じゃない。
そう信じ、一日たりとも休むことなく努力してきたはずなのに、その努力が無意味に思えるような事をする二人。
自分がして来たことなど、努力でも何でもないのだと言われた気がした。

ヴィータは言った、「達人とは神童と呼ばれる程の才能が無限の努力の果てに辿り着けるかどうかの領域だ」と。
天賦の才能があってそれでは、才能のない者がいくら努力した所でその領域には届かないのではないだろうか。
そもそも、才能のある者だけが挑める領域というのがあるのかもしれない。
そんな、今まで必死に否定し続けてきた事柄が、イヤでも脳裏をよぎった。

(違う! 私の努力にはちゃんと意味がある! 練習は、努力は絶対に裏切らない!
 そうじゃなかったら、私は……)

なのはの問いに、普段は押し殺している不安が顔をのぞかせる。
それを辛うじて抑え込み、なんとか外面を整えるティアナ。
なのははそんなティアナを少々心配そうに見やる。

だが、その事を深く考える前に、いつの間にか壁を登り切っていたギンガがようやく合流を果たした。
コンクリートの床に手を突き、肩を上下させて荒い息を突くギンガ。
そして、ようやく役者がそろった所でなのはが口を開く。

「さて、みんな集まった所で簡単に模擬戦のルール説明をしますね」
「あ、ちょっと待ってなのはちゃん」
「ありゃ? ど、どうかしました、兼一さん?」

始まって早々に話の腰を折られ、微妙にこけるなのは。
しかし兼一の方を見てみると、そこには非常に怪訝そうな表情を浮かべている。

「相手のザフィーラさんがまだ来てないみたいなんだけど……」

きょろきょろとあたりを見回し、首を傾げる兼一。
なのはの性格上、人が集まり切っていないのに話を進めるとは考えにくい。
だが、ザフィーラと思しき人物の影が見当たらないのも事実。
まだ面識はないが、なのはが兼一の主義を慮って組んだカードなら、確実に成人男性かそれに近い年だろう。
見た所、ヴァイス以外にもそれくらいの年齢の男性はいるが、誰も彼も観戦気分の野次馬。
これから自分が戦うと言う、ある種の緊張感や気の高ぶりはなく、気組を練っている様子もない。
そんな兼一に、なのはは一瞬「何を言ってるんだろう」と不思議そうな顔をし、続いてその理由を理解した。

「あ、そっか、そういうことか」
「えっと、何がそう言う事なの?」
「いえ、ザフィーラならもういますよ、そこに」
「へ?」

なのはが示す先にいるのは、やけに体格のいい青と白の毛並みが見事な狼。
赤い瞳は力強い光を宿し、その額には翠の宝石が輝き、口元からは立派な牙が生えていた。
てっきり人間だと思っていたのだろう、少し驚いた様子で手を打つ兼一。
早い話が、伝えた情報が足りなかった為に起きた認識の齟齬である。
リーゼ達の事もあってこの手の存在の事はもう知っているし、腕が立つ者もいる事は承知の上。
どんな相手なのかやや不安だった兼一も、実物を見て少し安心する。

「ああ、使い魔の方だったんですね」
「まぁ、確かにそんなものなんですが…厳密に言うと……」
「守護獣だ」
「え! ザフィーラって、しゃべれたの!?」
「び、びっくりしたぁ……」
「きゅく~」

どうも、ザフィーラはしゃべれないと勝手に思い込んでいたお子様二人。
元来寡黙であまり口数の多くないザフィーラなので、仕方ないと言えばそうだが……。
フェイトの使い魔、アルフは良くしゃべるのに何故二人は気付かなかったのやら。

「すみません、ご挨拶が遅れて。白浜兼一です」
「ヴォルケンリッター、盾の守護獣ザフィーラだ」
「よろしくお願いします、ザフィーラさん」
「敬称と丁寧語は不要だ。気易く読んでくれて構わん」
「そうですか?」
「どうも座りが悪くてな。守護獣や使い魔にそんな話し方をするのは一般的ではない」
「まぁ、エリオ君やキャロちゃんもそうみたいですね」
「特に階級なども持っていない。畏まる理由もないのだ、普通に話してくれれば有り難い」
(そう言えば、リーゼさん達もそんな事を言ってたような……)

思い返して見ると、リーゼ達からも基本敬称や丁寧語はいらないと言われた気がする。
ただ、グレアムの使い魔であり見た目に反しかなりの年月を生きている事や、外見が妙齢の女性という事もあり結局兼一から敬称や丁寧語は抜けなかったが。

「その、この辺りは性分みたいなものなので……」
「まぁ、今すぐとは言わん。ゆっくり慣れてくれ」
「ありがとうございます。僕の事は兼一で構いませんので」
「そうさせてもらおう」

何か共感するものでもあったのか、交えた言葉は少ないながらザフィーラの口元に笑みが浮かぶ。
ザフィーラにはシグナムの様なバトルマニアの気はない。
ただ彼は、恐らくヴォルケンリッター内で最も肉体の鍛錬に重きを置いた者。
十年前、肝心な所で仲間を守れなかった事を悔い、日夜その身を強く鍛えてきた。

そんな彼にとって、ある意味この一戦は僥倖だったのだろう。
達人相手に、今の自分の力と技がどこまで通用するのか、それを知ることができるから。

(さすがに、達人相手に技で勝ると自惚れる気はないがな)

純粋な身体能力で敵う筈もないが、その差は自己強化で補う事ができる。
己が肉体を統制することに特化する達人相手に、繊細な技術では及ばないだろう。
しかし、そこは今日までの戦闘経験の蓄積と、魔法というアドバンテージを駆使すればいい。
なにしろ、夜天の書の歴史は優に千年を超えるのだから。まぁ、千年以上の間常に稼働し続けていたわけでもないので、実際には千年の蓄積と言うわけではない。ただし、それでもその実働時間は長く、また活動時間の大半を蒐集に伴う戦闘に当ててきた以上、その蓄積は生半可な物ではないだろう。
もちろん勝敗はやってみなければわからないが、差を埋め得るだけの物はある。
むしろ、決定的なアドバンテージが“二つ”ある事を考慮するなら……。

「それじゃ、今度こそ内容を確認しますね。飛行有り、その他バインドやケージなど諸々の魔法も有りで、寸止めは無しの制限時間15分の一本勝負、いいですか?」
「ああ」
「うん」

最終確認をするなのはに対し、二人はそれぞれ言葉少なに同意する。
元より、前日のうちになのはから通達されていた事だ。
それに、兼一の力量を測る上でもできる限り実戦に近い方が良いに決まっている。
故に、ザフィーラへの制限がほとんどないのは必然だった。

「それと二人とも、くれぐれも、くれぐれも怪我のない様に。
 二人だとホントにシャレにならないんで」
「わかってるよ、なのはちゃん」
「そう何度も念を押すな」
「なら、いいんですけどね……」

とはいえ、なのはが必要以上に念を押すのも当然の事。
そもそも一武術家でしかない兼一には非殺傷設定などないし、ベルカ系の攻撃は魔力ダメージ以外に物理ダメージも伴いやすい。つまり、どちらも相手に怪我を負わせる可能性の高いスタイル。
一応二人ともその辺は配慮する筈だが、万が一という事もあるだろう。
兼一とザフィーラの実力がどの程度の拮抗するか、あるいは差があるかわからないなら万全を期す必要がある。
だからこそ試合時間を短めに設定し、二人がヒートアップし過ぎる前に終わらせられるように配慮したのだ。
まぁ、こんな物は気休めかもしれないが……限界ギリギリまでやると危険なので、この辺りが妥当だろう。

「あと、魔力を持たない人に魔力ダメージは決定的だし、ザフィーラは魔力ダメージは少なめでお願い。
 幸い、兼一さんは確かすごくタフだったはずだから」
「了解した」

およそ、これが唯一と言っていいザフィーラにかけられた制限。
魔力を持たない兼一にとって、最弱クラスの魔力ダメージでも決定打になり得る。
魔力ダメージによる昏倒とは、魔力値の枯渇と身体的衝撃による一種のショック状態だ。生身で戦いぬいてきた兼一にとって、生半可な身体的ダメージでは意識を手放すことなどあるまい。
ただ、これが魔力値の枯渇となるとその限りではないだろう。
この模擬戦の最大目的を考えれば、些細な一撃で気絶されては本末転倒だ。
その意味において、なのはがこの制限だけは残したのも当然である。
同時に、彼女もまた達人という人種を甘く見ている証左でもあるが。

「あ、それならお構いなく」
「はい?」
「それは、どういう事だ?」
「いえ、魔力ダメージに関しても特に制限はなくて良いかなぁと」
「でも、兼一さんリンカーコアすらないんですよね。そんな状態で魔力ダメージを受けたら……」
「まぁ、その心配ももっともだとは思うんだけどね。とりあえず、論より証拠かな。ギンガ」

なのはの危惧に同意しつつも、相変わらずそんな物は必要ないという態度の兼一。
彼はそのまま弟子を呼び、続いて自身の頬を指差す。
それだけでギンガは師の意図を理解し、いつの間にかリボルバーナックルを装着した拳を構える。

「これは、賭けの対象外ですよね?」
「別にカウントしても良いけど?」
「いりません。自力で入れなければ意味がありませんから」
「うん、それでこそだ」
「それじゃ、いきますよ」
「って、ギン姉何を!?」
「リボルバー…シュート!」

構えた拳から、兼一の頬目掛けてナックルスピナーの回転によって生じた衝撃波が飛ぶ。
それはまっすぐ兼一目掛け奔り、その顔に突き刺さった。

『ああ!?』

一様に上がる驚きの声。誰もが「模擬戦の前に何やってんだ!?」と思った事だろう。
実際、衝撃波の直撃をもろに受けた兼一の頭がその威力を物語るように傾き…………すぐに元の位置に戻された。

『え!?』
「いやぁ、何度受けても結構効くなぁ」
「な、なんで……」
「魔力ダメージによる昏倒や気絶って言っても、結局は一種のショック状態でしょ?
 覚悟して歯を食いしばれば、ある程度は意識を繋ぎとめられるよ」

考えてみれば、兼一からすると意識が飛ぶ経験など数えきれない。
どんな種類のダメージであれ、彼にとってその感覚は馴染み深い物。
だからこそ、飛びそうになる意識を繋ぎとめ、引きずり戻す技術にも長ける。
まぁ、元も子もない事を言ってしまうと単なる根性論なのだが……。

「嘘でしょ……?」
「まぁ、鍛え方が違うから」

なんとなく、その一言だけで全て納得してしまえるのだから恐ろしい。
いや、修業時代の美羽でも成人男性が一時間は指一本動かせないような電撃を受けて平然と立ち上がっていた。その事を考えると、マスタークラスなら常人を10人ショック死させ得るような電撃でも耐えきるだろうが。
その範疇と考えれば、納得できなくもなく……。

「何度か試してみたけど、とりあえずよほどの大技じゃない限りは大丈夫だと思うよ。
 いちいち意識が飛びそうになるからちょっと大変だけど」
(そう言う問題か!?)

六課内ではそれなりに耐性がある方のなのはですら、内心の叫びを抑えるので精一杯。
まさか、ここまで常識の通じない相手だったとは……常識の枠が可哀そうとはよく言った物である。
何はともあれ、これで最後に課せられていたザフィーラへの制限も解除される事だろう。
その意味では、余計な加減をする必要がなくなった分やりやすくなった、のかもしれない。






あとがき

どうもすみません。ホントはここでザフィーラ戦をやってしまうつもりだったのに、やりたい事が後から後から出てきてしまい、結局模擬戦手前で終了。
次こそ、次こそ本当にザフィーラ戦です。
兼一には色々と不利な要素があるのですが、その一つである魔力ダメージについてはこんな理由で解消。まぁ、作中でも書いたとおりに根性論ですけどね。
でも、彼らならその根性論でなんとかできてしまいそうだから凄まじい。
残るザフィーラのアドバンテージである飛行にしても、逆鬼や長老の事を考えると……。
まだまだ達人の世界は深いと言う事ですねぇ、どんだけ深いんだか。



[25730] BATTLE 19「守護の拳」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:28

改めて思い知った達人と言う人種の人外ぶりに頭痛を憶え、頭に手をやるなのは。
他の面々はそんなものではないのだが、割と耐性がある分だけこれでも被害は軽微な方なのだが。
というか、一々この程度の事で思考を停止させていては身が持たない事をよく知っているのだ。

故に立ち直りも早く、彼女の思考はすでにこの先の事に向けられていた。
なにより、いい加減時間も押しているので話を進めたいところ。

「そ、それじゃそろそろ始めようと思いますけど、いいですか二人とも?」
「あ、うん」
「かまわん」

返事をするや否や、二人は申し合わせたわけでもないながら、揃ってビルの縁へと足を運ぶ。
同時に、ザフィーラの蒼い身体を淡い光が包んだ。
すると、光の幕越しに見えるその輪郭が緩んでいく。
歩きながらも輪郭は緩やかに溶けて行き、徐々に別の輪郭へと変化する。

前後に長かった体は縮み、反対に翔の身長ほどだった体高が急激に伸び、瞬く間に兼一の身長を越えた。
気付けば横幅と厚みも増しており、ただ高いだけではない、がっちりとした体躯が見てとれる。
やがて輪郭の変化が落ち着くと、それに伴い身体を包む光も霧散していく。

光が消えれば、そこには白髪と褐色の肌が眩しい、全身を無駄のない野生動物の様な筋肉で覆った偉丈夫が姿を現す。纏う衣服に袖はなく、代わりに丈の長い功夫服に似た蒼い衣装。鍛え抜かれた四肢には白銀の防具、白髪からは蒼い獣の耳がのぞき、切れ長の赤い瞳には強い意思の光が宿っている。

『はぁ~……』

あまり使い魔や守護獣の変身する姿を見た事のない面々(主に翔など)は、その変化に感嘆の声を漏らす。
だが、当のザフィーラはあまり気にした素振りも見せない。
既に思考が目前に迫る戦闘に向けられているのだろう。
その顔には適度な緊張感と、静かな闘争心が秘められている。
ビルの床を蹴ると、その屈強な身体は重力に反し浮き上がり、慣れた様子で空を滑るように飛んでいく。

対して兼一は、飛び立ったザフィーラの行く先を眼で追いながら、自らもビルの縁に脚をかける。
眼下に広がる遠い地面を視界に納めながら軽く息を吐くと、その背に声がかけられた。

「あの…師匠!」
「どうしたんだいギンガ、そんなに緊張して。これから戦うのは君じゃないのに」

どこか緊張で張りつめた声音の愛弟子に、おどけた様子で応じる兼一。
その顔には余裕があり、確かな自信に溢れていた。

「その……頑張ってください。ご武運を」
「父様、頑張って!」
「うん、行ってくるよ」

今の彼にとって、まさに最愛とも言える二人からの激励。
それに柔和な笑みで応え、兼一は何もない空中に一歩を踏み出す。

ザフィーラと違い、重力に従い落下を開始する比較的小柄な体。
そのまま落ちても受け身を取る自信はあるが、戦う前からあまり心配させる物ではない。
そんな配慮からか、流れる景色を見ながら兼一はすぐ後ろにある壁を蹴る。

すると、その反動で景色の流れは縦から斜めに変化した、垂直落下から斜め前方へ。
しかしすぐに目の前に向かいのビルの壁が迫り、身体を反転させながら同じ要領で壁を蹴る。
それを幾度か繰り返し、ジグザグに二つのビルの間を跳ねて行く。

耳を澄ませば、頭上からは僅かなどよめきが届く。
それに微かに苦笑を浮かべながら、気付けばすでに地面は眼の前。
危なげなく着地すると、兼一は心の赴くままにコンクリートジャングルの中を歩きだした。



BATTLE 19「守護の拳」



曲がり角を曲がれば、ビルの屋上からは死角。
当然ながら先ほどまで感じていた視線も感じなくなる。
音のない静かな路地を歩きながらもなんの気配もしない所からすると、サーチャーの類も後を追いかけて来てはいないらしい。常人では気付かないだろうが、達人級の鋭敏な感覚なら間違いない。

そうして路地を歩きながら、兼一は入念に自身の装備をチェックする。
白い道着の襟を整え、厚手の布で作られた黒い帯を締め直し、紐状のバンテージを慣れた仕草で巻いて行く。最早目を閉じていてもできるほどに染み着いた一連の動作は、どこまでも穏やかで淀みがない。
歩く度に僅かに愛用の鎖帷子が擦れる冷たく静かな音は、どこか心地よくすらある。
最後に師から賜った手甲を身に付け、準備は完了。

どれもこれも、長年愛用した品。
空手と柔術の道着、ムエタイのバンテージ、カンフーパンツ、しぐれのおさがりである鎖帷子、そして風林寺家謹製の手甲。まさに、梁山泊の一番弟子にふさわしい装いだ。
青春を共に戦い、血と汗を吸い、幾多の苦難を乗り越えてきた。
汚れや傷の一つ一つ、その全てが修業と戦いの証であり、大切な宝物だ。
こうして袖を通して戦いに臨もうとすると、若かりし日々を思い出す。

(……………………………………やめよう。わざわざ戦う前に鬱になる必要はないし)

思いだしそうになって、首を振ってやめた。
何が悲しくて、わざわざ戦う前にナーバスにならなければならないのか。

とはいえ、普通なら戦いを前にした意気込み等が顔に浮かぶものだが、兼一にその様子はない。
ビルを跳び下りた時同様、その顔に浮かんでいるのは柔和な笑みだけ。
だがそこで、兼一は一切表情を変えずに深々と溜息をついた。

「はぁ~……」

表情に変化はない、雰囲気もまた同様だ。
しかしそうであるにもかかわらず、その溜息が酷く重く聞こえるのは気のせいだろうか。
一端立ち止まり、キョロキョロとその場から周囲の様子を確認。
誰もおらず、追い掛けてくる何かもない事を確かめる。
そして兼一はゆっくりと右手を鳩尾に添えると、再度深々と溜息をついた。

「はぁ~……………………………………胃が重い」

口からこぼれたのは、先ほどとはうって変わって弱々しい呟き。
その顔にはすでに先ほどまでの余裕の表れの様な柔和な笑みはなく、むしろ顔を蒼くして憂鬱そうですらある。

「ううう、やっぱり駄目だ。緊張して気持ち悪くなってきた……」

まるで吐き気を堪える様に、左手を口元に添えた。
いい加減そっちの世界にもどっぷり漬かり、勇気をコントロールする術も心得てはいる。

が、それとこれとはまた別の問題。
勇気を奮い立たせ、必要以上に恐怖に震える事はない。
しかし、だからと言って別に緊張しないわけではないのだ。

場数を踏んで慣れてはいるし、いざ戦いが始まってしまえば平気なのだが、問題はそれまでの間。
どうにも、ジリジリと戦いが始まるまでの待ち時間は慣れない。
何と言うか、緊張で胃がキリキリと痛むような思いなのである。
脚が竦み、体が震え、怖気づいていた頃に比べれば格段に進歩しているのだが……それでも、きっと今の彼はなんというか……些か情けない顔をしているに違いない。

「こんな所、ギンガや翔には絶対見せられないや……」

先ほどまでの柔和な笑みも頼もしい返事も、全ては弟子達を失望させないために必死に取り繕った成果。
はっきり言ってしまえばザフィーラが変身するあたり、いやそれ以前から心のうちではガタプル状態だったのだ。

武術に身を捧げて十数年。
一番上達した事の一つは、間違いなく外面を整える技術である。実に情けない話だが。

(二人とも、僕の事を誇りに思ってくれてるみたいだし、ガッカリさせられないんだよねぇ……)

自業自得…と言うのもおかしな話だが、兼一は二人の前では理想的な武術家としてふるまうよう努力してきた。
その中には、当然修業中の態度なども含まれる。
まぁ、実は細々と情けない所を見せているのだが、それは横に置いておく。
とにかくその結果として、二人は兼一が心技体に優れた武術家と信じて疑っていない。別に間違っているわけでもないので、詐欺と言うわけではないだろう。

時折、過去を含めた本当の自分を明かせればどんなに楽か、とは思わなくもない。
ただその辺りは、いくつになっても変わらない男の子の意地である。
大切な弟子達の前では……そんな、下らないと言えば実に下らない見栄。
だが、わかっていても捨てられないのがバカな男の性でもある。

「ええい、いっそホントのところを正直に白状するか!?
 でもなんて? 実は良く修業がきつくて逃げたとか、戦う度に怖気づいてたと言えと?
 言えるわけないじゃないか、そんなこと~~~~~~!!」

誰もいない事をいいことに、久しぶりに情けないほど取り乱して叫ぶ兼一。
まぁそんなわけで、実はあまり自分の過去を二人に話していない。
正確には、“過去の自分”をあまり話していないのだ。
恥ずかしいエピソードやカッコ悪いエピソード、あるいは情けない話には事欠かないだけに、できれば二人には知られたくない。他人からすれば何をそんなに嫌がるのかと思わなくもないが、親戚からされる「小さい頃は良くおねしょしたよね」的な話と同域の恥ずかしさを感じていると思えば理解しやすいだろう。

「どーすんの? どーすんのよ!? じぇろにも~!?」

見事なまでの八つ当たりで、手近な街灯や壁への破壊活動を始める兼一。
ただ、このしばらく後に彼は後悔する。
いっそのこと、全部赤裸々にカミングアウトしとけばよかったと。



  *  *  *  *  *



路地裏で兼一がそんな事をしているとは露知らず、観戦者達は開戦の時を待つ。
ただし、別に静かに待っている必要もその理由もないわけで……。

「せやけど、こうして改めて実物を見ると、意外と華奢やなぁ」
「なにがですか、はやてちゃん?」
「いや、兼一さんがな、思ってたよりも細かったなぁと……」

形の良い顎に指を当て、思い返す様にして語るはやて。
実際、彼女の手元にあった資料には一般的な証明写真しか添付されていなかった。故に、実物はもっとこう、如何にもな筋骨隆々な姿を想像していただけに、少々肩透かしを食らったような印象なのだ。

「恭也さんもそう変わらない様に思うですけど?」
「うん、まぁそれはそうなんやけど……でもほら、元々の身長も頭一つ分位ちゃうし。
 そもそも恭也さんは武器で、兼一さんは拳や。せやから、単純比較するのもどうかなぁと」
「まぁ、確かにそうですね」

どちらにしても筋力が重要な要素であることには変わらない。
だが、概ね格闘系の試合には体重による「階級」と言うものが存在する、柔道然り、ボクシング然りだ。
相撲にはないが、その代わりに正式な入門には厳しい体重及び身長の規定がある。
体格が良ければ体重が重くなるのは当然であり、体格が良い程備える事の出来る筋肉の量、一撃の重さが増すのも道理。体重による階級と言うのは、より試合の公平性を高めるために開発されたルール。つまり、一般的に見れば些細に思える体重差でも、格闘の世界においては大きな差が出ることの証左でもある。

それに対し、剣道やフェンシングなどにはそういったものがない。
剣道と剣術だとまた話が変わってくるのだが、とにかく武器の世界においては格闘の世界ほど体格や体重の差に神経質ではない事が伺える。
そんな違いを考慮すれば、兼一と恭也の体格を比較するのは適切とは言い難い。
そもそも、はやての言う通り元々の身長にだいぶ差があるのだ。

「まぁ、達人なんやからどうせ滅法強いんやろうし、技で捌いてまうんやろうけど……」
「けど?」
「ザフィーラと兼一さん、かなり体格差があるやん。
腕回りとか胸板とかもザフィーラの方が一回り以上逞しい位やし、やっぱりその辺は分が悪そうやなぁと」
「あぁ、確かにそうですねぇ……」

はやてが言う通り、二人の体格は階級に置き換えると一つ二つの差では済まない。
達人に一般常識が当てはまらない事ははやても承知しているが、どうしても長年に渡って染み着いた常識がある。
はっきり言って、恵まれた体格によるパワーやタフネス、四肢の長さから来るリーチの差は拭えないと思う。
その上、パワーやタフネスは魔法でかなり底上げできるし、ザフィーラにも少ないながら遠距離系の魔法がある。
小柄な分、小回りや敏捷性では兼一の方が有利かもしれないが、やはり全体的に分が悪そうに見えてしまうのだ。

「フェイトさんはどう思いますですか?」
「え? そうだね、私も概ねはやてに賛成かな。
 見た感じ、白浜陸士はパワーより速さ重視みたいに見えるし。ただ……」
「「ただ?」」
「上腕とか首とか、ちょっとシャレにならない発達の仕方をしているように見えるのが気になって……」

確かに、一見した限り細身の兼一はスピード重視に鍛えているように見える。
しかしフェイトの言う通り、僅かにのぞく首筋やバンテージと道着の間に垣間見える上腕が尋常ではない。

ついさっきまでの動揺はどこへやらと言った様子だが、普段はどれだけダメに見えてもそこはそれ経験豊富な執務官である。如何に動揺していたとしても、戦いの空気に触れればスイッチが切り替わるのは当然。
余計な事は頭の隅に追いやり、目前の事態に集中して先ほどまでの情けない姿などおくびにも出さない。
戦いの場に会って、迷いや余計な思考は命取りである事を彼女達は良く知っている。
実際に戦うのは自分ではないが、それでもこの空気だけでスイッチを切り替えるには十分。
彼女達はプロフェッショナル、この程度のコントロールさえできない程未熟ではない。
これはシグナムにも言える事で、先ほどまで挙動不審の生きた見本だった彼女も、既に本来の……騎士の顔を取り戻していた。

「まぁ、白浜陸士が細身なのは事実だからね。
やっぱり技とスピードの陸士と、力と魔法のザフィーラの勝負になるんじゃないかな?」

実際にはそう単純な話ではない事はフェイトもわかっている。
ただ、今彼女の手元にある情報だけを見ると、このように判断するしかない。
何しろ、ザフィーラと違って身体能力の水増しなどできない以上、外見からの予測を裏切る可能性は低い。

だがこれは、あくまでも「低い」と言うだけの話。
この場には、兼一の身体の秘密を知る者がいる。
フェイト達の会話が聞こえたのか、その内の一人はとてつもなく怪訝そうな表情を浮かべていた。

「…………」
「どうかしたの、ギンガ? なんていうか、凄い顔してるけど……」
「あ、いえ…今、ものすごく信じられない単語が聴こえた気がして……。
 すみません、フェイトさん。今、師匠の事を『細い』って言いました?」
「あ、うん、言ったけど?」
「実際細いやん、兼一さん」
「ですです」
「あ~、まぁ確かに『細く』はあるんですけど……」
「「「?」」」

何かに悩むかのように、腕を組んでウンウン唸るギンガ。
その周りでは、妙に顔を蒼くした新人達がプルプルと震えている。

「どないしたん、みんな?」
「顔色が悪いみたいですけど、風邪なら早く休んだ方が良いですよ?」
「どうしたの、エリオとキャロまで!? 風邪、風邪なの!? ちょっと待って、今薬を……」

普段と違う部下達の様子に、心配そうにしているはやてとリイン。
その後ろでは、すっかり子煩悩モードに戻ってしまったフェイトが、懐から無数の顆粒剤や錠剤、あるいは湿布や包帯から絆創膏まで引っ張り出している。正直、いったいあの服のどこにそんなに隠していたのか不思議なくらいだ。彼女の両脇には医療道具の小さな山が出来ており、冨山の薬売りでもやれそうなレベルである。

「あ~、大丈夫だよ、フェイトちゃん。別に、風邪とかじゃないから」
「そ、そうなの? でも、念のためシャマル先生に見てもらって、それに検査とかレントゲンとかも……」
「少し落ち着けって、どうしておめぇはそう極端なんだ」
「で、でもヴィータ、風邪はこじらせたら命にかかわるんだよ!?」
「良いから落ち着けっての。顔色が悪いのは、単に昨日の事を思い出しただけなんだしよ」

頭痛を抑える様に頭に手をやりながら、溜め息をつくヴィータ。
これだけ言われても安心できないのか、相変わらずフェイトはオロオロワタワタしているが、それ以上は誰も取り合わない。
これ以上言葉を重ねても意味はなく、ちゃんと事実を事実として告げるしかないと経験からわかっているのだ。

「昨日? 昨日何があったですか?」
「言わなかったっけか? 確認がてらちょっとあいつにガジェットと模擬戦やらせてみたんだよ」
「ああ、そう言えばそんな事言うてたなぁ。せやけど、瞬殺やったって言うとらんかった?」

昨日シグナムが走り去った後、今後主に戦う事になるガジェットとの模擬戦が行われた。
敵性兵器とはいえ、模擬戦に使っているのはあくまでも訓練用のレプリカ。
仮に攻撃を受けても大怪我にはつながらないよう調整してあるし、すぐに準備できるので兼一の都合さえよければその場でできる。そんなわけで、ザフィーラとの組手に先駆けてその場でちゃっちゃとやったわけだ。

ただまぁはやての言う通り、これと言って見せ場らしい見せ場もなく撃破してしまった。
別にそれ自体は驚くに値しない。と言うか予想通り過ぎる。

「うん、二十体位相手をしてもらったんだけど、5分もかからなかったかなぁ」
「まぁ、それ自体は予想通りやな」

形式としてはスバル達の様な追跡戦ではなく、兼一に全ガジェットが向かってくる方式。
数がそれほど多くないのは、あまり増やしても意味がないから。
何しろ、ある程度の距離を置いて兼一の周囲を取り囲んだとしても、そこに並べる数には限度がある。
また、その後ろに並んだ所で、攻撃できるのは味方の背中だけ。
その上から攻撃すればいいかもしれないが、それもいずれは限度が訪れる。
まさかドームの様に、とにかく大きく広がり際限なく積み重なるわけにもいかない。

早い話、あまり数を増やしても、攻撃に参加できない分は単純に「あまり」でしかないのだ。
一機潰されれば、「あまり」がその穴を埋めるだけ。兼一からしてみると、潰し損ねても潰しても状況はあまり変わらない。相変わらず、攻撃してくる数は一定のままなのだから。

延々続ければ兼一のスタミナや集中力等の持続力が分かるが、それには恐ろしく時間がかかることが見込まれる。
さすがにそう言った事は別の機会を設けた方が良いし、肝心の新人達の底上げの時間を圧迫するのも問題だ。
兼一とガジェットの模擬戦は、あくまでもなのは達の予想の裏付け以上の意味はない。
そんな諸々の事情もあり、二十体程度で落ちついたのだが……問題なのはその撃破の仕方だった。

「何ていうか、アレだね。千切っては投げ、千切っては投げって感じかな?」
「んな、紙細工やないんやから」
「そう思うでしょ? でもね……」
「実際問題、ガジェットの攻撃はかすりもしねぇし、反対にアイツの攻撃は面白い様に当たってたんだよなぁ。
 それも貫手が装甲を貫通するわ、側面叩いたら反対側が吹っ飛ぶわ、蹴ったら真っ二つにされるわだぜ。
 そりゃこいつらが蒼くなるのも当然だって」

自分達がアレだけてこずったガジェットを、まるでおもちゃの様に壊す生身の技の数々。
なのは達から説明は受けていたし、ギンガを軽くあしらう所も見ていたが、それでも顔色をなくすには十分すぎる光景だった。
昨日は戻ったのが遅かった為にその映像まではチェックしていなかったはやてだが、それを聞いて頬が引きつるのを自覚する。

「挙句の果てに、殴られたやつは空の彼方に消えるとか、どういうパワーしてんだっつうの」
「師匠、ああ見えてちょっとシャレにならないパワーがありますからね。
確か、戦車もひっくり返せるって言ってたような……」
「戦車が何トンあると思ってんねん……」

正直、『オイオイ』としか言いようのない非常識さである。
戦車ともなれば、その重量は優に50トンを超えるのだ。
はっきり言って、いったいどれ程のパワーがあればそんな物をひっくり返せるのか甚だ疑問である。

だがまぁ、確かにそれなら「細い」と言う言葉は不適切の極みかもしれない。
同時にそれは、パワーではザフィーラが有利という見解を思い切り覆されたと言う事でもあるわけだが。

とはいえ、別に単純な力や速さで勝負は決まる物ではない。
それこそ、力や速さだけでなく技を含めて勝っていても、負けるかもしれないのが勝負の世界。
なら、表面的な情報ではなく、組手の過程と結果をこそ見守るべきなのだろう。

「でもほんとなんですか? とてもあの細腕のそんなパワーがある様には見ないですよ?」
「師匠、瞬発力と持久力を兼ね備えた中間筋肉に全身を造り変えてますし、漢方で内臓まで鍛え上げてますから……」
「そう言えば108で検査した時のデータだと、骨密度や赤血球の数も常人の数十倍、細身だけど体重は80キロオーバーだったかしら?」
「血の一滴、骨の髄まで改造人間かい!?」
「摂理に反するのも大概にしてほしいですねぇ……」

ギンガとシャマルのコメントに、ツッコミを入れるはやてと呆れるリイン。
まぁ、実際問題として何で出来てるのか心底不思議な身体の持ち主ではあるのだが……。

しかし、まずい事にこの場には「改造人間」や「摂理に反する」と言う言葉に、過敏に反応する者達がいる。
それは特異な生まれを同じくするフェイトやエリオであり、その身に重い秘密を持つスバル。
自分達の失言とも言えない様な失言に気付き、はやてとリインは慌てて口を閉ざす。

だが、時すでに遅し。余人では気付かないほど僅かに三人の身体は強張り、口は硬く引きしめられていた。
なのはやティアナもそんな親友たちの様子の変化に気付き、どこか気遣わしげな視線を向ける。
彼女達は知っているのだ、三人がそんな反応を示すその理由を。
できるなら今すぐにでも声をかけてやりたいが、あまり人前で口にするような話題でもない。
迂闊に口にできないからこそ、事情を知る面々も口を開く事が出来ずにいる。

(しもた~!! 何か、何か話題を変えんと!?)

はやてもまた三人の事情を知るだけに、自身の失言を激しく悔いる。
彼女は氏素性などで人を判断しない。だからこそ、三人の秘密についてもいい意味で過剰に意識してはいないのだが、今回はそれが仇になった。
場の空気が見る間に重くなっていく中、なんとか話を逸らそうと話題を探す。
そんな中、翔だけは突然重苦しくなった周りの様子を不思議そうに眺めている。

「? 姉さま、みんなどうしたの?」
「ああ、えっと~、ちょっとその……」

就学年齢にも達していない様な子どもに空気を読めと言う方が無理難題だが、だからと言って詳しく説明するわけにもいかず困るギンガ。
助けを求める様に周りに視線を送るが、誰も援護してはくれない。
正直、誰一人としてそんな余裕も機転も聞かない状態なのだ。

しかし、そこではやては発見した。
眼をやるのは空中に展開されたモニターの一つ。
そこに映るのは、ザフィーラにやや遅れ、丁度都合よく指定されたエリア到着した兼一の姿。

「お、おお! 兼一さんも到着したみたいやし、そろそろ始まるかなぁ?」

テンパっているからか、用意された原稿を読む様に棒読みのはやて。
しかし、場の空気を変えたいのはこの場に入る全員の総意。
多少の苦しさは感じつつも、はやてに乗っかってまずはリインとギンガが話題を変えに掛かる。

「ああ、ホントですねぇ! ほらほら、翔も見てください、お父さんが映ってるですよ!」
「え? どこどこ? どこにいるの、父様?」
「ほら、右から二番目の……」
「あ、父様だぁ!」
(よかった、翔が子どもでホントに良かった……)

お子様なだけあり、あっさり話を逸らされてくれる翔。
それに便乗する形で、他の面々も動き出した。

「え、エリオ君? 兼一さんの試合が始まるし、その……」
「ぁ……うん。大丈夫だよ、キャロ。ちゃんと…応援しないとね」
「う、うん♪」
「ほら、フェイトちゃんもそんな顔してるとエリオとキャロが心配するよ」
「お前も今は隊長なのだ、あまり情けない顔をするな」
「そう、ですね。すみません、シグナム。なのはも、ありがとう」
「ふん」
「にゃははは……」
「ったく、らしくもなく凹んでんじゃないわよ。いい加減しゃんとしなさいよね、ヴィータ副隊長が見てるわよ」
「スバル、なんなら気合入れてやろうか? うっかり手元が狂っちまうかもしれねぇけどよ」
「あ、いえ、もう大丈夫です! ですから、グラーフアイゼンを振りかぶるのはやめてください!!」

重苦しさはまだ残っているが、なんとか話題を逸らすことには成功した一同。
それぞれに胸の奥に複雑な感情を仕舞い込み、空中モニターに視線を移す。

そこには、無言で二人は向かい合う二人の姿。
勝負を前に語り合う言葉はなく、語るなら拳で語れと言ったところか。
距離は幾分開いており、双方ともに初手で仕留めるにかかるのは難しい。
ある程度間合いを詰めてからが本番か。

勝負を目前にした緊張感が上手く作用したのだろう。
二人の様子をギンガと翔は食い入るように、なのは以下隊長陣は静かに、新人達は画面越しに伝わる緊張感から息苦しそうにモニターを見つめている。
そこで、サーチャーや録画装置などの管理を担当しているシャーリーが口を開いた。

「なのはさん、そろそろ始めないんですか?」

それは、本当に何気ない一言。
両者が向かい合い臨戦態勢に入っているにもかかわらず、一向に開始を宣言しないなのはへの疑問。
だがそれに返ってきたのは、なのはではなくシグナムからの言葉だった。

「違う」
「え?」
「既に、始まっている」

モニターから目を離さずシグナムは語る。
戦いとは何も「よーいドン」で行われるとは限らない。実戦経験が豊富な者同士であればなおの事だ。
向かいあった瞬間、あるいは戦う事が決まったその時、既に戦いは始まっている。
それを豊富な実戦経験を持つ隊長達は理解し、感じ取っていた。

いや、それはギンガにも言える事だろう。隊長達ほどではないにしても、彼女も局員としてのキャリアはそれなりのものであり、高い実力の持ち主たちだ。
新人達もまた前途有望な面々。経験でこそ劣るが、感じ取る物はあった。
息苦しい程に張りつめた空気と、当事者でもないのにのしかかる重々しいプレッシャーを。
とはいえ、新人達にはその原因まではわからないのだが……。

「些細なきっかけ一つで爆発する火薬庫、と言うのが妥当な表現か」
「実際、いつ均衡が崩れても不思議じゃねぇからな」
「ああ。互いに隙を探り、手を読み、流れを掌握しようと腐心している。
 一見静かだが、その実恐ろしく複雑に入り組んだ攻防だ」

新人達には見えていないものが、シグナムやヴィータには見えているのだろう。
それはなのはやフェイトにも言える事で、四人の眼は僅かな変化も見落とさんとばかりに見開かれている。

「なのは、どれぐらい見える?」
「ざっと数えて…………90、ううん100は超えてると思う。フェイトちゃんは?」
「私もそれくらいだと思う。
同時にこれだけの攻防を処理するなんて、さすがと言うかなんというか……本当に常識を無視してるよ」
「ホントに」

彼女達も十年のキャリアを持つ超一流の戦闘魔導師。
動きを先読みし、行われている駆け引きを見抜くくらい訳はない。
兼一がマルチタスクを習得しているのかは知らないが、修得していても容易に処理できる情報量ではないのだ。
正直、なのは達でも本当に自分が全て読み取れているのか自身を持てない程なのだから。
が、生憎とこの場にいる全員にそんな高度な真似ができるわけではない。

「? さっきからいったい何の話を……」
「ん? なんだ、見えないのかギンガ?」
「あの、そもそもなんの話をしてるのかさっぱりなんですが……」
「ふむ……」

どうやら、新人達だけではなくギンガにもこちらまでは見えていないらしい。
シグナムは顎に指をやって僅かに思案すると、慎重に表現を選びながら説明する。

「噛み砕いて言ってしまえば、互いに攻守の軌道を先読みし、牽制し合っているのだ。
 お前達もやっている事だろう?」
「そう言えば、良く師匠が言ってました。武術は極めるほどに陣取り合戦に近くなっていくと。
 でも、『見える』とか『見えない』って言うのは一体どういう……」
「どうって言われても、ねぇ?」
「そのままの意味で、『こうきたらこうしよう』って言うのが見えるだけだよ?」

さも当たり前の様に言うなのはとフェイトだが、幾ら目を凝らしてもギンガには全く見えない。
同様に、新人達もわからないなりになんとかそれを見つけようとするも、首をかしげるばかり。
さすがにこれは、新人達にはまだハードルが高すぎると言うものだろう。
未だ「緊奏」の域にも至っていない身では、技撃軌道を視認するなど身の程知らずですらあるのだから。
とはいえそれも、新人達より数段先にいるギンガだけは話が別だが。

「ギンガは心を静めてみろ。そうだな…………………高町と戦った時に使ったあの技の要領だ」
「流水制空圏、ですか?」
「そう言う名の技なのか? まぁ名前は何でもいいが、とにかくやってみろ」
「はい」

シグナムのアドバイスに従い、ギンガは肩の力を抜き意識を集中していく。
呼気と共に深く心を静め、『見の眼』ではなく『観の眼』で全体を掌握する。
やがて、徐々にギンガの眼にはそれまで見えていなかった何かが、ぼんやりと浮かび上がり始めた。
まだまだうっすらと頼りないそれだが、しかし確かにその眼に二人の描く攻防を映し出す。
ギンガはそれに身震いし、それを見てとったシグナムは僅かに笑みを浮かべながら問うた。

「(たいしたものだ。この程度のアドバイスで技撃軌道を見るとは。それだけ、奴によく仕込まれていると言う事か)それで、どうだ?」
「これが、皆さんの…師匠達の世界……。
でも、100って……とてもそんな数がある様には見えませんよ」
「そりゃ単純におめぇの読みが粗ぇだけだ」
「そう言う事だ、まだまだ精進が足らんな」

実際、ヴィータやシグナムの言う通りなのだろう。なのは達には見えて、未熟なギンガには見えない。
それが今の彼女らとの間にある力量の差であり、ギンガには半分も見抜けない攻防を密かに繰り広げていた二人との差でもある。己が歩む道の果てしなさを実感すると共に、少しでも追い縋ろうと目前の戦いに意識を集中する。

(私に見えるのは、たぶん精々五分の一程度。だけど……それで『満足』なんてするつもりはないわ)

昨日の模擬戦の事を思い出したのか、モニターを見つめるギンガの視線にさらに熱が籠る。
そんなギンガの様子を、少し離れた所で見る隊長陣の表情はどこか微笑ましい。

「にゃははは、頑張ってるねぇ」
「良い傾向じゃねぇか。並の奴なら、ここで心が折れたり妥協したりする所だぜ」
「いきなりこんな物を見ちゃったら…ね。でも、ギンガならその心配はいらないかな?」
「そやね。その辺りは、さすがに達人の弟子ってところやな」
「だが、惜しくもある」
『え?』

なのは達がそれぞれ好意的なコメントを口にする中、全く別種の内容を口にしたシグナムに、一同の視線が集まる。
その表情はどこか厳しく、まるでギンガに何か足りない物があるとでもいう様に。

「あの、シグナムさん。それってどういう……」
「なにか、ギンガに不満でもあるんか?」
「いえ、別にそう言う訳ではありません。むしろ、ギンガは恵まれている部類に入るでしょう。
良き師に、良き後輩。目標もいれば、後を追う者もいます。
しかし、ギンガには一つ、決定的に欠けている物があるのです」
「な、なんなんですか、欠けてる物って?」
「好敵手…いや、この場合はライバルと言った方が良いか。
対等に競い合う相手がいれば、さらに成長することも可能だろうと思ってな」
「ああ、昔のなのはとフェイトみたいにか?」
「そんな所だ」
「確かに……私となのはも、何かに付けて競い合ったものですけど……」

風林寺隼人曰く「武術家は、自分の命を本気で狙う者が出来て一人前」。
さすがにそれは行き過ぎにしても、やはり競い合えるライバル(好敵手)と言うのはいいものだ。
多くの物に恵まれているギンガだが、彼女にはそれがない。
自身の限界を超え、殻を破るきっかけとなる競争相手の存在。
そんな存在と出会えれば、ギンガはきっとさらに化けることだろうに。

なのはも自分自身の道程を思い返し、シグナムの言の正しさを認める。
彼女もまた、競う相手がいたからこそここまで来れた事は認める所だ。
そんななのは達を見て来たシグナムが、今のギンガを「惜しい」と思うのも無理はないと納得した。

だがなのはは、とりあえずそんな思考をいったん脇に寄せ、やや肩を落としている新人達へと意識を向ける。
確かにシグナムの言う事は一理あるが、こればっかりは外野がどうこうできる事ではない。
ライバルとの出会いは、師との出会いと同様に本人の「縁」による物だ。
候補を紹介することはできるだろうが、その相手と本当に「良きライバル」に慣れるかは本人次第なのだから。
なので、今は先にやや消沈気味の新人達のフォローを優先する。

「スバル、ティアナ、エリオ、キャロ」
「「「「は、はい!」」」」
「みんなにはまだ何を言ってるかわからないかもしれないけど、大丈夫。
焦らなくても、もう少し強くなれば段々わかってくるよ。だから今は、とにかく一瞬も見落とさないようによく見る事。見る事も、大事な練習であり経験だからね、これも勉強だよ」

なのはの言葉は、恐らく非の打ちどころのない正論だ。
しかし、誰も彼もがその正論を疑うことなく信じて進めるわけではない。
むしろ大抵の場合において、誰もが一度は「本当にできるのか」と疑い、焦り、不安にかられる。
だが、なのはにはそんな経験がほとんどない。魔法や戦技の習得において、大きな壁にぶつかり躓いた経験が絶対的に少ないから。

無論、彼女とて一度も挫折を味わったことがないわけではない。
いや、挫折と言うのであれば人一倍大きな挫折を経験している。
それでもこの時なのはは、教え子の一人がその胸の内に「本当にできるようになるのだろうか」という恐れを抱えている事に、気付く事が出来なかった。



  *  *  *  *  *



観戦者達の間でそんなやり取りがなされている間も、兼一とザフィーラの睨み合いは続く。
別に二人とて、好き好んでにらみ合いを続けているわけではない。
しかし、今の二人はそうする事しかできなかった。
それというのも……

(長老の言う通り、やっぱり魔導師の相手はやり辛いなぁ。
 格闘型でも僕よりだいぶ制空圏が広いんだもの。これじゃ迂闊に近づけないや)
(まったく、本当にこれが丸腰の男の制空圏か? 下手な格闘型の魔導師よりよほど巨大ではないか。
こちらの方が広いが、私では外からの牽制は効果が薄い。踏み入るとなれば、こちらも相応の覚悟がいるな)

ザフィーラの制空圏は兼一のそれより優に二回り以上大きい。その為、間合いに入れば一方的に攻撃にさらされることになる。その利点を活かし、間合いに入れば距離を置きながら攻め立て様とザフィーラが牽制している為に、兼一は迂闊に踏み込めない。
逆に、ザフィーラの本分は肉弾戦、元より遠距離攻撃で仕留めるのは難しい。かと言って下手に達人の間合いに踏み込むのは危険。その為、出来るなら外からの牽制で隙を作りたいのだが、兼一がそれを丁寧に潰し隙を見せないので彼も下手に動けない。
つまり、間合いの利がザフィーラにある為に兼一は迂闊に踏み込めず、思う様に隙を作れない為にザフィーラもまた攻めあぐねている、と言う状態なのだ。

とはいえ、いつまでもそれでは千日手となってしまう。
先に動いた方が負ける、と言う状態ではないにしても、互いに出方をうかがっているからこその硬直状態。
それを崩したのは………………………意外にも兼一だった。

(虎穴に入らずん場虎児を得ず、ってところかな。
間合いに差がある以上、消極的になってたら主導権を持って行かれる。
弟子と息子が見てるんだ。時には、多少強引に行く事も必要か)
(空気が変わったな、来るか?)

ムエタイ基本の型である竦めた肩が特徴的なタンガード・ムエイを解き、別の構えを取る。
しかもそれだけでは飽き足らず、さらにはジリジリとにじり寄り間合いを詰め始めたのだ。
それを画面越しに見てとった弟子が、小さく驚きの声を漏らした。

「……珍しい」
「どうしたの、ギン姉?」
「師匠が、天地上下の構えを取るなんて……」

それは空手の型の一つ。片手を天に、もう片手を地に向ける威圧・殲滅の構え。
ギンガの言う通り、攻守で言えば「防御」に重点を置く傾向が強い兼一にしては珍しい構えだ。
だがそれは、何も兼一のスタイルや性格的な部分だけでなく、この選択に対しても言えることだった。

「見た所、典型的な攻めの構えの様だな」
「来ないなら自分から踏み込むという意思表示……ううん、どちらかと言えば挑発でしょうか?
同じ踏み込むにしても、定石ならここは守りを固める所なんですし……」
「実際、この状況はザフィーラからすると願ったりかなったりだからな…餌としては魅力的だろう」
「だよなぁ。自分の間合いに捉えるまでは徹底的に守り抜いて、そこから…ってのが普通だろ。
 それをしねぇって事は、多少の被弾は覚悟の上…むしろ、間合いに飛び込ませようって考えかもな」
「あるいは、ザフィーラを揺さぶるのが狙いかもしれませんよ。明らかに誘ってますし」
「ふむ、可能性としてはありうるか……」

兼一の変化を見てとり、なのはを除く隊長陣はそれぞれその意図を考察する。
なにしろ、兼一が防御ではなく攻めの構えを取った意味は大きい。
ザフィーラとしてはどうやって兼一に隙を作らせるかが悩み所だっただけに、守りを固められるよりこちらの方が都合は良い。隙も作りやすいし、そうすれば一気に間合いを詰め本命で畳みかけることもできる。

しかし、同時にそれが兼一の狙いである事にも気付いているのだろう。
兼一の耐久力の高さは先ほどのパフォーマンスで周知の事実。
おそらく、「隙あり」と見てザフィーラが直接攻撃に出る事を待っているのだろう。
守りを固めて追い掛けても、ザフィーラはひたすら距離を取ればいいのだ。そう、丁度「逃げ水」の様に。
だが、六課内では割と兼一をよく知る方のなのはとしては、それだけだとどこか釈然としない。

(でも、そういうのって兼一さんのイメージじゃないんだけどなぁ……)

なのはとて、兼一とそれほど深い付き合いがあるわけではない。
故に、兼一らしくないと思ってもそれは単に自分が知らない一面、と考える事ができる事は承知している。
しかし、それでも彼女の感性は中々それを受け入れられないでいた。
とそこで、スバルは小声で隣に立つ相棒に話しかける。

「ねぇティア」
「なによ」
「今兼一さん、サーチャーの方見なかった?」
「はぁ? 幾ら兼一さんが強くても、この状況で余所見なんてしないでしょ。
 私には見えないけど、隊長達が言うには今とんでもない駆け引きしてる最中なんでしょ、あの人」
「うん、私もそう思うんだけど……」
「エリオとキャロは?」
「あ、いえ……」
「私も特には……」
「でしょ。だいたい、今は脇道に逸れてる場合じゃないでしょうが。
アンタが逸れるのは自由だけど、私達まで巻き込まないでよね」
「う、うん、ごめん」

一見邪険に扱っているようではあるが、その実「余計なこと考えてないでよく見ろ」という忠告だ。
スバルもそれに同意し、口を閉ざしてモニターに視線を送る。
だが、なのは達はティアナ達とは違う感想を持っていた。
一瞬の出来事で新人の中ではスバル以外気付かなかったようだが、隊長達は見逃していない。

(ああ、そう言う事なんだ)
「ふっ、愛されてるなギンガ」
「は? それは、どういう事でしょう?」
「おい、シグナム」
「わかっている。余計な事を言う様な野暮はせんさ」
「あの、フェイトさん?」
「ああ…ごめんね。私の口からはちょっと……」
(つまり、ギンガや翔に少しでも色々な戦いを見せてあげたい親心、か)

兼一が、敢えて彼にしては珍しい戦法を選んだ最大の理由。それはこの一点に尽きるのだろう。
敢えて強引に突き進むのも、ザフィーラに揺さぶりをかけるのも目的の内ではある筈だ。
兵法などの苦手な兼一だが、数多の経験から身についたものは存在する。
が、最大の目的はやはり弟子達に「見せる」ため。
そんな純粋な弟子への愛情が根幹にあるのだ、それを他者が洩らすのは野暮と言うものだろう。

とはいえ、まだギンガも翔もその事には気付いていない。
隊長達はただただ静かに微笑み、口にするのはささやかな助言のみ。

「良く視ろ、刹那も眼を離すな、我等から言えるのはそれだけだ。
 そして、それこそが今お前が師の想いと信頼に応えられる唯一の事と知れ」
「はぁ……」

そんなやり取りをするうちに、気付けばあと半歩でザフィーラの制空圏と言う所まで迫っていた。
同時に、それまでのスリ足から、小さくとも大きな意味を持つ一歩を踏み出す。
だが、兼一の足が地に着くその直前……

(十中八九誘いだが……良いだろう。その策もろとも、打ち砕いてくれる!!)

先にザフィーラが仕掛ける、放つのは数少ない遠距離仕様の『烈鋼牙』。
本来は射撃系などの魔法に対するカウンターに用いるものだが、単体でも使用は可能だ。
左右の拳に一発ずつ宿る白い魔力光の輝き。その内、右拳で突きを放つと共に宿る光を飛ばす。

狙いは兼一が降ろそうとしている足の直下。
初撃で相手のリズムを崩し、あわよくば脚にダメージを与える。
続いて、左拳に残した二撃目で体を崩し、その隙をついて間合いを詰めて渾身の蹴りを放つ連携。
それがザフィーラの構想だったわけだが、予定というのは頭の中では完璧なもの。
しかし、それをいざ現実にしようとすると思うようにはいかない。

「っ!?」

驚き僅かに息をのんだのは兼一…………ではなく、ザフィーラの方。
ゴンッと言う音と共に魔力弾が着弾したが、そこに兼一の脚はない。
それどころか、兼一の身体自体が着弾地点より一歩以上後ろにある。

(誘いとわかってはいたが、まさか進むと見せかけて下がるか!?)

柔術ならではの、重心を錯覚させる膝使いによるフェイントである。
さすがにそれは予想外だったが、ザフィーラとて歴戦の勇。
即座に左拳に宿した烈鋼牙の狙いを変更、後退した兼一自身に向けて放つ。

(こんな苦し紛れでは足止めにもならんだろう……だが、そうそう思い通りにはさせん!!)

ザフィーラが狙いを変えるまでの刹那、その間に兼一は好機とばかりに力強く大地を蹴っていた。
正面から衝突しようとする兼一と烈鋼牙。
それに対し兼一は腕をコロの原理で回転させ、烈鋼牙のベクトルを逸らす。

太極拳特有の優れた身法「化剄」である。それにより軌道を変化させ、速度を緩めることなく回避。
そのまま一気にザフィーラを間合いに捉えようとするが、それには及ばない。
なぜなら、烈鋼牙を回避した時既に、ザフィーラが兼一の目前にまで迫っていたのだから。

(速い!)

おそらく烈鋼牙で視界を制限し、死角を縫う形で接近したのだ。
通常ならここで一撃は覚悟しなければならないだろう。
だが、兼一とて伊達に達人ではない。
彼の鋭敏な危機感知能力は、魔力弾の影から迫る危機に警鐘を鳴らしてくれていた。

「おおおおおお!!」
「シッ!」

目前にまで迫るザフィーラの突きを回避しながら反転し背後を取る。
回転の勢いを利用して放つのはムエタイの「ソーク・クラブ(回転肘打ち)」。
しかしそれは、ザフィーラが前方に身を投げ出した事で空振り終わった。

だが両者ともにその程度では立ち止まらない。
ザフィーラは着地と同時に右足を軸に切り返し、兼一もまた再度ザフィーラへと疾駆する。

「ちぇすとぉ!!」
「ぜりゃあ!!」

接敵し、互いに放つのは息も突かせぬ突きの連打。
同時にそれは、並の者の眼には影さえ映らぬほどの高速の拳。
その悉くを時に捌き、時に受け、あるいはいなし、または弾く。
兼一は化剄や回し受けを駆使し、ザフィーラは受け止めるバリアと弾いて逸らすシールドを使いわける。
繰り出される拳撃は一瞬のうちに数十を超え、中には……

「がぁっ!?」

フックに近い一撃を下段に払い、払った手の鶴頭がそのままザフィーラの鳩尾に突き刺さる。
『弧突き』と呼ばれる、空手の基本的な返し技だ。

バリアジャケット越しとは言え、急所である鳩尾への強烈な一撃にザフィーラの息が詰まる。
その隙を逃さず畳みかけようとする兼一だが、ザフィーラも負けてはいない。
渾身の力でアスファルトを踏み砕かれた事で、狙いがずれた兼一の回し蹴りが空を切った。
そこへ、全身の捻転を使った裏拳が迫る。

「へあ!!」
「くっ!?」

首を打つ衝撃を、歯を食いしばって堪える。
普通なら首が折れてしまいかねない一撃だが、兼一の首を折るには至らなかった。
強靭かつしなやかに鍛え上げられた首の筋肉が、衝撃を吸収したのだ。
とはいえ、さすがに魔力ダメージの影響は皆無ではなく、一瞬意識が遠のきかける。
だが、それを繋ぎとめ彼はその場に踏みとどまった。

そこへザフィーラが追撃を仕掛けるも、即座に立て直した兼一もまた反撃にでる。
豪速の鉄拳が空中で交差し、互いの頬に突き刺さった。

しかし、口元から血をにじませながらも二人は止まらない。
強烈な踏み込みが大地を揺るがせ、基本に忠実な何の変哲もない中段蹴りを繰り出す。
そうして真正面から衝突した蹴りは、周囲に爆音を轟かせた。

稀に鉄壁にも等しい守りが抜かれる事もあるが、二人の手を緩めるには至らない。
しかも、兼一の拳圧とザフィーラの魔力の余波が周囲を徹底的に破壊し尽くす始末。
知らない者がその光景を目の当たりにすれば、突然の嵐か、戦争でも始まったのかと錯覚しかねないだろう。

いや、例え知っていたとしても、二人の動きをほとんど追えない者ならそう思うに違いない。
なにしろ、丁度新人達がそんな感じなのだから。

「ティア! 今二人の立ち位置が入れ替わってなかった!?」
「そんな事より、道路が爆発したわよ!?」
「あ、あは、あははは……アスファルトが宙を舞ってるよ、フリード……」
「いったいなにがどうなってるんですか!?」
「ザフィーラが魔力弾を目くらましに接近して攻撃したんだけど、陸士は回避しながら反撃。
 それをさらにザフィーラが避けた時にすれ違ったから、それで入れ替わって見えたんだね。
 で、二人がもう一度間合いを詰めて突きの応酬を始めた余波で、周りが吹き飛んでるんだけど……わかる?」
((((さっぱりわかりません!))))

悲鳴じみたエリオの問いに、できる限り噛み砕いて解説するフェイト。
ただし、何が起こっているか説明されても眼が追い付かないのだから理解などできる筈もなし。

そうしている間にも二人は縦横無尽に動き回り、その攻防は拡大の一途をたどる。
隊長達はその恐ろしく高度なやり取りに感嘆し、ギンガは二人の動きを追い掛けようとするだけで精一杯。
息をすることすら忘れ、死にもの狂いで追ってもなお追いきれない。
が、辛うじて何かが見えるからこそ、その意識はより一層モニターへと集中していく。
正直、今のギンガの耳には新人達の声すら届いていなかった。

とそこで、拮抗していたかに見えた攻防に変化が起こる。
顔面へと迫る拳を兼一が左腕で弾く。すると、ザフィーラはそのまま身体ごとぶつかり、弾かれた腕を兼一の首に絡める。そうして兼一の動きを封じ、身長差を活かした強烈な頭突きへとつなげたのだ。

「取った!」
「いいえ、取られたのはあなたの方だ!」
「ぬ……」

柔術家にとって、この程度は取られた内に入らない。
頭突きよりわずかに先んじ、体を入れ替えザフィーラに背を向ける。
そして器用な事に、自身の手は使わず、首に掛かったザフィーラの腕を軸に投げへと持って行く。

「せい!!」
「なんの!!」

突然の浮遊感にも動じず、兼一の首にかけていた腕を離し地面に落とす前に投げから脱出するザフィーラ。
彼は宙で反転すると、着地と同時に大地を蹴って再度兼一に迫る。

しかも、今度は突きではなく熊手打ちの様に五指を立てていた。
その指の先端には僅かな輝きが宿り、ただの熊手ではない事は自明。
目前に迫る脅威を前に、兼一もまた打って出る。

「迎門鉄臂ぃ!!」

アッパー気味の突きと膝蹴りが、迫りくるザフィーラを迎撃する。
心意六合拳の一手。突き上げと膝蹴りを同時に行う技「迎門鉄臂(げいもんてっぴ)」。
だが、当のザフィーラはその直前で強引に停止。止まる為に踏み込んだ足はアスファルトを砕き、薄皮一枚の所を兼一の拳と膝が通り過ぎて行く。
そしてザフィーラは、僅かに距離のあいたその場で腕を振り下ろす。
兼一は反射的に頭上で両腕を交差させ防ごうとするも……

(これは…マズイ!?)

背筋を走る怖気。右腕の軌跡を追う様に爪状の魔力が前方の空間を薙ぎ払う。
描かれたのは、下手な刃物とは比べ物にならない程鋭利な五条の斬閃。
アスファルトの地面には深々と五本の爪痕が刻まれ、その威力を物語っている。
しかし、ザフィーラの油断なくその先を見据えていた。

「仕留めるには至らずとも、手傷くらいはと期待していたのだがな」
「いえ、素晴らしくも恐ろしい威力です。まともに受けたらと思うとゾッとしますよ」
「そうか。ならば次こそ、この爪牙で捉えて見せよう。
(まったく、なんという反応速度だ。あそこで手を変えやり過ごすとは。あまつさえ……)」

右の熊手自体は止められても、それに付随する魔力による爪撃までは防げない。
そう判断した兼一は、咄嗟に防御ではなく身を屈めることによる回避を選択した。
しかも、それだけでは飽き足らず……

(なんと言う凄まじい柔軟性と脚力か。よもや、あの体勢からこれほどの蹴りを……)

ザフィーラのコメカミから、僅かに赤い雫が滴り落ちる。
前屈に近い形で身を屈めた体勢のまま、左足を軸に右足を大きく振り上げた踵による蹴り。
そんな無理のある体勢で、これほどの威力を持たせるなど尋常ではない。
まさか、防御を力づくで破ってくるとは……。

だが、何も驚いているのは彼だけではない。
それまで呼吸も忘れて注視していたギンガは、身体に溜め込んでいた息を大きく吐き出し呟く。

「す、すごい……と言うか、速すぎて全然参考にならない……」
「厳密に言うと、速いって言うのとはちょっと違うんだよねぇ……いや、確かに普通に速いんだけど」
「え?」
「ま、速度“だけ”ならフェイト隊長の方が速いしな」
「でも今見た感じだと、実際やるとなれば翻弄する…ってわけにはいかないよ、きっと」

思わずこぼれた言葉に、なのはとヴィータ、そしてフェイトが口々に着眼点が違うと言う。
その上、フェイトの方が早いのにそのスピードで翻弄するのは難しいと言われても意味がわからない。
なにしろ、高速機動および高速戦闘に特化しているフェイトの基本戦術は、そのスピードで翻弄することにある。
最高速度で拮抗しているならともかく、上回る相手を翻弄できない理由がわからないのだ。
だから、ティアナがその理由を問うたのも当然の話。

「フェイトさんの方が速いんですよね、それなら……」
「いや、ここで重要なのは速度ではなく極限まで無駄をそぎ落としたその身のこなしだ。
最高速度の不利を最短最小の動作で埋め、互角のタイムに持ち込む。
達人と言う連中は、そう言う事ができるほど洗練された技術の持ち主だ」

実際にはそこに洞察力や判断力、あるいは勘などの様々な要素も絡んでくる。
追跡戦等ならともかく、真っ向から打ち合う限り一方的に出遅れると言う事はない。

「でも、フェイトさんだって一線級の魔導師ですし……!」
「ああ、気を悪くせんといてな。エリオやキャロにとってフェイトちゃんは大切な人やし、そう思うのも当然や。
でも、シグナムも別にフェイトちゃんの動きが粗いって言いたいわけじゃないんよ。
 ただなんちゅうか、ミッド式にしてもベルカ式にしても、兼一さん達に比べればやれることが多い。
それは長所なんやけど、必ずしもそれだけとは限らんのよ」
「はぁ……」
「そうだね。私達はできる事が多い、それはつまり戦術の幅が広いって事でもあるんだけど、白浜二士はその幅が私達に比べればどうしても限定されるんだ」

何しろ、距離の離れた敵に対して兼一はまず手の届く距離まで近づくしかない。
フェイト達なら複数の選択肢がある状況でも、兼一には「一つしかない」ないし「限られている」状況と言うのは存外多い。そして、多様な選択肢の中から、その状況において最適なものを選択するのが魔導師の戦いであり、限られた選択肢を最大限に活かすのが武術家の戦い方だ。

「でもね、限定されているからこそ、一つ一つの技術の深度が恐ろしく深い。
 器用貧乏じゃないけど、色々できる分あの人たちに比べれば突き詰め切れてないのは否めないんだ。
 まぁ、そこは戦術の幅の広さと相殺なわけだけど……」

フェイトの言う通り、「技術の深さ」においては達人に一日の長があるだろう。
だがそれは「浅く広く」か「狭く深く」か、と言うだけに過ぎない。どちらが優れているかではなく、単にそういう「方向性」と言うだけの話。
「静」と「動」、どちらの属性が優れているかなど論ずるに値しないのと同じだ。ただ、敢えて言うならば浅く広い方が色々できる分「便利」だし、武装局員に求められる能力としてはこちらの方が優先順位は高いだろうが。
というか、そもそも彼女らの技術は別に浅いわけではないので、「広くて深い」魔導師と「狭いが極端に深い」達人、と言うのが正しい。さすがに達人ほど一つ一つを掘り下げられてはいないと言うだけなのだから。
ただそれも、人によりけりではあるのだが……。
とそこで、モニターに映るザフィーラが苦笑を浮かべる。

「それにしても、どうやらこの拳もそう捨てたものではようだな。十年の鍛錬は、とりあえず実を結んだか」
「謙遜はよしてください。直接拳を交えて確信しました、あなたの技は達人の域にある。
何より……重い、とても重い拳でした。こんな重い拳を受けたのは、本当に久しぶりです」
「そうか…そうか」

その言葉に、噛みしめる様に呟くザフィーラの口元に笑みが浮かぶ。
最後の夜天の王、八神はやてと出会って十年。
この十年、ザフィーラはひたすらにその技を、牙を磨き続けてきた。
全ては優しい主と仲間達を守る為、先に逝った同胞から託された願いの為。
使命でも役割でもなく『自身がそうしたい』と想ったが故に、『守る為の拳』に恥じぬ大切なものを守り抜く力を欲した。

また、最初から完成された戦士であった守護騎士達には「未熟な時期」がない。
同時に、歴代の主達の大半は彼らに自由な時間を許さず、蒐集と戦闘に時間のほとんどを費やしてきた。
故に、はやてと出会うまで研鑽に本腰を入れた経験は皆無に近く、だからこそ日々の研鑽は新鮮かつ充実した時間だった。

そうして十年間、休むことなく地道に練り上げた力と技。
それはついに、目指した域に届いたのだ。
多様性に富んだ技術を持つ半面、若いなのは達が未だ届かぬ域に。

「世事は要らん…と言いたいところだが、いかんな。どうやら、そこまで無欲ではないらしい。
その賛辞、有り難く頂戴するとしよう。勝利と共にな」
「ハハ、それはできませんね。弟子が見ているんですから、花は持たせてもらいますよ」
「それはこちらの台詞だ。主の御前、無様は晒せん」

緊迫した空気の中、二人はまるで親しい友人の様に笑みを浮かべる。
胸中に抱くのは、言葉にできぬ共感。自分も相手も、宿すのは守る為の拳。
二人はそれを言葉ではなく拳を通して理解した。そして、理解したその事実が嬉しくてたまらない。
純粋に称賛し、尊敬できる相手との邂逅と勝負を、二人は心から喜んでいた。

「いっそ拳だけで打ちあうのも爽快だろう…だが、この身は拳士ではなく守護の獣。そんな私が力を、技を、魔導を封じるのは貴殿に対して無礼だろう。故に、出し惜しみはせぬ! 行くぞ!!」
(さっきまでの魔法とは違う? だとしたら、どこだ、どこから?)

先ほどまでの魔法と違い、ザフィーラに目立った変化はない。
ただ彼の足元に、澄んだ白色のベルカ式魔法陣が浮かぶだけ。
魔法を発動しようとしているのか、それとも既に発動しているのか。
どちらかは分からないが、その時に備え………それは間もなく来た。

「『鋼の軛』!!」
(来る。場所は……下!!)

ザフィーラが叫ぶと同時に天高く跳躍する。
すると、先ほどまで兼一がいた場所からザフィーラの魔力光と同色の棘が飛び出した。
それも一本や二本ではない。数えるのも億劫になる様な数の棘が地面から霜柱の様に突きだし、大地を針の山へと変えて行く。

それも、その長さたるや短い物でも十メートルを超える。
警戒し思い切り跳躍していなければ、今頃兼一は串刺しになっていた事だろう。

(危ない危ない。どんな魔法かわからないけど、触るのはやめた方が良さそうかな?)

特に根拠があるわけではないが、外したと言うのに出しっぱなしにしている所が気にかかる。
丁度いい足場や遮蔽物になるだけに、それを残している事が不可解なのだ。
なにより、アレに触れるのは彼の「弱者の勘」が忌避していた。

そうしている間に、兼一は手近なビルの壁面に着地。
壁を掴みザフィーラに視線を向けるが、足元に微細な振動を感じ、すぐにまた跳躍した。
すると、ビルの壁面にまたしても棘が生える。

(場所はお構いなし、か。これじゃ、おちおち立ち止まることもできない。
 まいったなぁ…空中戦は苦手なんだけど……)

とにかく一瞬たりとも足を止めることなく、ビルの間を飛び跳ね続ける兼一。
さすがにむざむざやられるほど鈍重ではないが、状況が良くないのは明らか。

現実的にも比喩的にも、彼は翼を持つ鳥ではない。正直、空は彼の居場所ではないのだ。
陸に打ち上げられた鮫、海に沈んだ鷹、空に放り出された獅子に何ができる。
幸い兼一は獣ではなく、空中戦に対応した技もある。故にやってやれない事はないだろう。

だが、本分と言う意味ならやはり地に足を付けた状態が本領。
だと言うのに、眼下には足の踏み場もないほど突き出た棘の数々。
ザフィーラも多少無理をしているのか、視界の端に捉えた時は僅かに息を切らしているように見えた。
しかし、そんな事は気休めにもならない。演技かもしれないし、すぐに回復する程度の疲労かもしれないのだ。
その上、着地するとすぐに棘が飛び出してくるし、長さが長さなので半端な回避ができない。それも……

(誘導…されてるよね)

罠…と言うよりもフィールド設定の一環だろう。
自分にとって有利で相手にとってやり辛い条件に持ち込む、兵法の基本中の基本。
ザフィーラに空戦能力があるのは初めからわかっていた事。つまり、この場は彼の領域なのだ。
出来ればすぐにでも地面に降りたいところだが、この有様では。

その上、じきにビルの壁も棘で埋め尽くされるやもしれない。
となれば選択肢は二つ、場所を変えるか棘にあえて触れるか。

触れずに済むなら未知の代物に触れるのは避けたいところなので、場所を変えるのが妥当。
しかし、それは相手も百も承知だろう。
となると対抗策を練っている筈なので、嫌でも触らなければならなくなる。

だが、そんな兼一の覚悟は杞憂に終わる。
棘の出現が治まり、今度はその表面に無数のヒビが走っていく。
もちろん兼一は触れていないので、これは相手の意図によるもの。
そこで、兼一の脳裏にいやな想像がよぎる。

(あ~、これってもしかして、ガラスみたいに……)

砕いて撒き散らそうとか、そういう話なのかと推測する。
そして、その想像は兼一が何度目かになる跳躍をした時に的中するのだった。

「テオラァァァアァ!!」

ザフィーラの一声と共に、無数の破片が舞い散り渦を巻く。それは白刃の竜巻。
前から、下から、上から、横から。縦横無尽に鋭い破片が襲い掛かる。

「っ!」

それらを回し受けの要領で前方から迫る破片を払う。
人の腕から生じたとは思えない、突風とも呼べる風が巻き起こった。
すると、数メートル先の破片すらも払い散らしていく。

しかし、それが全方向からとなると話は別。
人間の腕が二本である以上、防ぎきれないものが出てしまうのは致し方ない。
と、普通なら考える。ダメージを覚悟し、それを最小限にして耐える。それが常識的な見解だ。
だが、その定律に収まらない存在こそが達人。

(焦るな、思い出せ! 今まで身を置いて、見てきた戦いの数々を。打開するヒントは必ずある!)

この方法では防ぎきれないと見切りをつけ、別の方法を模索する。
脳裏には過去十数年分の戦いの記憶が駆け巡り…………やがて、それを見つけた。

(あれは……あった!)

幸いなことに、必要な物は自身のすぐ後ろに迫ってきている。
背後に迫るもの、それは剥き出しになっているコンクリートの壁。
兼一はそこに背を預ける事で、死角を減らすと同時に背後からの破片の飛来を封じたのだ。

本来、それだけでは再度鋼の軛が出現すれば危ういだろう。しかし、兼一に限ってはその心配は不要。
秘密は、中国拳法にある「聴剄(ちょうけい)」という技法。元来これは、肌から伝わる微細な振動で相手の動きを先読みする技法なのだが、兼一レベルになるとそれでは済まない。
肌で聴くのは風の流れと大地の声。人が、物が動けば空気が動き、動いた空気は風となる。あるいは人が歩き、地の底で何かが蠢けば大地は揺れる。そこから動きを予知し、鋼の軛を回避できるからこその手段。

背に伝わるのは、冷たく堅いコンクリートの感触。そこに不自然な振動はない。
背後の心配がなくなっただけでも遥かにやりやすくなる。
兼一は身体の前面だけに迫る軛の欠片を捌きつつ、更なる一手を打つ。

「ぬりゃぁ!!!」

蹴撃一閃。渾身の力で振り抜いた右足の延長上、そこには信じ難い光景が広がっている。
先ほどまで軛の破片を帯びて荒れ狂っていた風は、既にない。
無残にも蹴り裂かれ、その先には無機質なビル群が姿を現している。
それはさながら、海を割ったモーゼの如き所業。

真の達人ともなれば、蹴りでプールの水を蹴り割ることすら可能。
ましてや白浜兼一と言う武術家の真骨頂は足と腰。
その脚力を以ってすれば、人工的に起こされた一時的な竜巻を蹴り割ることも不可能ではない。

とはいえ、一時的に蹴り裂いた所で相手は所詮風。それも、尋常ならざる速度で動くそれだ。
瞬く間に…とはいかずとも、やがて蹴り裂かれた個所は埋まり、元のあるべき姿を取り戻す。

しかし、僅かな時間でも兼一にとっては充分。
彼はその間に竜巻からの安全圏である屋上に退避する。
が、そうは問屋が卸さない。

「やっぱり、そう来るよね……」

ビルの壁面を駆け上がりつつ呟くと、足元から異音が漏れる。
現れるのは先ほどまでと同じ白い棘。
だが、その時既に兼一の脚はビルの壁を離れている。
跳躍し屋上を目指すが、頭上より裂帛の気迫が叩きつけられた。

「おおおおお!!」

振り仰げば、そこには白刃の竜巻を突き破ってきたザフィーラの姿。
その周囲には、計五本の鋼の軛が滞空していた。
ザフィーラが振り上げていた右腕を振り下ろすと、号令に従い五本の光の棘が兼一目掛けて襲い掛かる。

(止むを得ないか!)

覚悟を決めた兼一は、飛来する鋼の軛のうちの一本を両腕で捉える。
幸いにも、単純に触れているだけならばそれほど影響はないらしい。

兼一は掴んだ鋼の軛勢いを利用して身体を捻る。
回転しながら、残る四本を捕まえた鋼の軛で薙ぎ払った。
そして、今度はお返しとばかりに不要になった光の棘をザフィーラへと投げ返す。

「ぜりゃぁぁぁ!!」
「ぬん!!」

真っ直ぐにザフィーラへと突き進む鋼の軛だが、空戦を得手とするザフィーラなら難なく回避できるだろう。
だがザフィーラはそれをせず、自身の前方にシールドを張った上で強烈な蹴りを放つ。

真っ向から蹴りと鋼の軛が衝突し、軍配は蹴りに上がった。
投げ返された鋼の軛はやすやすと砕かれ、あまつさえその勢いには微塵の衰えも見えない。

迂闊な防御は命取りとなる事は誰の目にも明らか。
しかし回避しようにも、そこは鳥ならぬ身では自由などない空中。
観客達もクリーンヒットを確信したそれを、兼一は真っ向勝負で受け止める。

「秘技…真拳白浜捕りぃ!!!」
「無駄だ! その程度で止まりはせん!!」

蹴り足を両手で挟みこもうとする兼一だが、強固なシールドがそれを阻む。
踏ん張りが利かない為に全力とは言い難いが、それでも万力に等しい力をかけている。
それでもなお、ひび割れるような音を立てながらも「盾の守護獣」のシールドは屈さない。

なんとか蹴りの直撃は防げたが、それでもこのまま地面に叩き付けられればただでは済むまい。
また、掌を覆うバンテージがシールドとの摩擦により焦げる匂いが鼻につく。
だが、兼一の本当の狙いはここからだった。

「しっ!!」

両手で蹴りを防ぎつつ己を捨てて流れに身を任せる。
太極拳の極意の一つ、「捨己従人」。日本の古武術では流水などとも呼ばれる、相手の力に逆らわない事で活路を見出す技法である。これを応用し、兼一は丹田を中心に後方へ回転。
同時に神業的な流れの誘導により蹴りの軌道は外され、兼一の真上を通過する。

しかし、それだけでは終わらない。
回転の勢いを利用し、そのままザフィーラの頭部を蹴りつけた。だが……

(防がれた……この人、やっぱり守りが上手い。でも!)

それを辛うじて手甲でガードするザフィーラ。
兼一はそんな事お構いなしに足を振り抜き、ガードその物を蹴り潰す。

「ふんっ!!」
「ぬぉ!?」

腕と言うクッション越しでも、放ったのが兼一ならその威力は尋常ではない。
一瞬朦朧とする意識、揺れる視界。
しかし、クッションを挟んだ蹴りで沈んでいては「盾の守護獣」は名乗れない。
蹴り飛ばされながらも体勢を立て直し、展開した魔法陣を蹴って切り返す。

「じぇあ!!」

放たれたのは、熊手打ちからの五本の爪撃。
兼一はその側面に捻りきった拳を入れ、一気に捻り上げの筋肉のパンプと螺旋の力で最小にして最速の払いを行う。刀を持った敵と戦う為編み出された、古流空手真髄の技の一つ「白刃流し」。
本来は払うと同時に攻撃する技なのだが、さすがに間合いの差は大きく拳が届かない。
また、爪撃の鋭さも並々ならぬものがあり、兼一自身は無傷だが道着とバンテージの一部が飛散する。

だが、ザフィーラの攻め手はまだ尽きていない。
片手分の爪撃は防がれた。しかし、彼にはもう一本腕がある。

(直接じゃ届かない。それなら……!!)

振るわれる腕と共に迫りくる五本の爪撃。
とはいえ、危険なのはあくまで爪撃。熊手そのものは通常のそれと大差ない。
それを見抜いた兼一は、辛うじて手の届いたザフィーラの腕を抑え、それを支えとして利用し引き寄せる。
そして、もう片方の手で渾身の突きを放った。

(狙いは……頭か!?)
(あ……これはダメだ!)

急遽頭を守るべくバリアを展開するザフィーラ。
ザフィーラの守りは堅く、万全のそれは兼一でも破壊するのに難儀する。
だが、この様な構成の粗い即席のバリアなら破ることも可能。
そう予想したザフィーラは来る衝撃に備え覚悟を決め、同時に、自由な右腕から出力した魔力刃を横薙ぎに払う。
しかし、その衝撃は来ない。それどころか……

(あの土壇場で、拳を引いただと!?)

バリアを目前にした所で兼一は拳を引き、代わりに膝でザフィーラの横っ腹を蹴る。
絶妙なタイミングのフェイントに反応が遅れ、その身体は大きく弾き飛ばされた。
横薙ぎに払われた魔力刃はと言えば、兼一の手甲に防がれその身には届かずに終わる。

ここまでの攻防で高度が下がっていたのだろう。
二人は鋼の軛の消え去った地面に着地する。
気付けばすでに荒れ狂う竜巻は消えていた。

とはいえ、バリアジャケットを纏うザフィーラは無傷だが、兼一の体には幾本かの破片が刺さっている。
兼一はそれらを振り落とし、先の攻防を述懐した。

(手甲越しとは言え……今のは効いた。
まぁ、この程度で済んで幸運と言えば幸運か。正直、この手甲がなかったら危なかったし。
 そこは純粋に長老に感謝だね…………だけどホント、何で出来てるんだろ、この手甲)

身体の奥に宿った重さに耐えながら、チラリと横目で自身の両腕を覆う手甲を見やる。
そこには、鋭利な魔力刃を受け止めたにしては無傷に等しい手甲。
かつては達人の斬撃すら受け止めた、若かりし日の一影九拳が長、一影も使った手甲だ。とんでもない業物だとは思っていたし、敵からそう指摘された事も数多ある。が、今日ほどその事を強く意識した事はない。

無理矢理流れを変えた為、危うく遅れかけた防御。
辛うじて間に合うも、捌く事もいなす事も出来ず、これはさすがに…と思ったのだが。
まさか、ほぼ無傷で耐えきるとは。前々から思ってはいたが、甚だ材質が気になる代物である。
そして、兼一がそんな事を考えているのと時を同じくして、ザフィーラもまた思索を巡らしていた。

(一見すれば繊細に流れを変えたようにも見えるが、アレにはどこか無理があった。
 そうでなければあの膝、碌に防御もせずに受けてこの程度のダメージで済む筈がない。だが……)

その理由が、ザフィーラにはわからない。
しかし、それも無理からぬこと。先ほど兼一が使おうとしたのは、普段彼が使う技とは一線を画す技。
技の名は、「ルーシー・ハーン(仙者飛撃)」。飛び上がり片方の手で相手の攻撃の抑制に加えてそれを支えとして利用し、もう片方の手で突きを入れる、その応用である。

これだけならば特に問題はないのだが、問題なのはこの技の種別。
それは「空手」でも「柔術」でも「中国拳法」でも「超技百八つ」でもない。
敢えて言うなら「ムエタイ」だが、「ムエタイ」であって「ムエタイ」ではない技。
その区分は「ムエボーラン」や「パフユッ」と呼ばれる「古式ムエタイ」に属するもの。

元々、ムエタイは白兵戦用に創られた実戦武術。
時代を重ね一国の国技へと昇華されたが、元をただせば殺傷のみを目的とした殺人拳。
兼一なら上手く加減し「殺人ムエタイ」を「活人ムエタイ」とする事も可能だろう。

だが、彼の弟子達はそうはいかない。未熟な彼らが使えば、強力な技であるが故に相手の命を脅かす。
かつて兼一も、師より「今の君には必要ない」と伝授を許されない時期があった。
それと同様に「今はまだ見せるべきではない」と考え、故に拳を引いたのだ。
全ては、弟子の成長と未来を案じればこそ……。

そして、戦いは最終局面を迎える。
恐らく時間も残り少ない。
折角の血沸き肉躍る相手との勝負だ。どうせなら、「引き分け」などと言う灰色で終わらせたくはない。
言葉にせずとも、相手がそう思っている事が二人にはわかっていた。

「……そろそろ、ですね」
「ああ、決着を付けるとしよう」

張り詰める空気。両者は互いに威嚇するように気当たりをぶつけ合い、その余波が大気を振るわせた。
モニター越しでも伝わるその息苦しさに、皆が固唾をのんで見守り、額に汗をにじませる。
そして、先に動いたのはザフィーラだった。

「いざ!!」

その一声と共に、腕を折りたたみ肩から突進をかけるザフィーラ。
仕掛けるは、全面にシールドを展開してのシールドダッシュ。
一見粗雑にして短絡的。だが、その速度、体躯、重量から繰り出される突撃は交通事故に等しい。
元来小柄な兼一にとっては、この様な体格差を活かした攻撃は特に厄介である。

また、全身全霊を注いで構築されたシールドは鉄壁を誇り、その速度も相まってあらゆる障害を弾くだろう。
攻撃、あるいは防御するならそれごと圧倒的な圧力の下に撥ね、蹂躙し、轢き潰す。
一見荒っぽく見えるが、単純であるからこそ強力、厄介極まりない。

故に兼一に許される選択肢は非常に限定される。
その中で兼一が選択したのは…………回避だった。

(ここに来て選択を誤ったか、白浜!)

回避先は空。大地を蹴って跳び上がった兼一を見て、一瞬ザフィーラは胸中でそうこぼす。
ザフィーラが飛べないならともかく、飛べる敵を相手にわざわざ飛び上がるなど愚策中の愚策。
それも、先ほどまでの様に足場となるビルに飛び移っていないなら尚更だ。
しかし、だからこそザフィーラはそんな考えを即座に首を振って否定する。

(いや、奴に限ってそれはない。ならば、何かしらの考えがあるのだろう)

今までの攻防で、そんな初歩的なミスを犯すような相手ではない事を痛いほど理解している。
ならば、確かな勝算があった上での選択なのだろう。
それが何かまではザフィーラにも読めないが……

(見せてみろ、受けて立とうではないか!!)

慎重になって足踏みする気はない。それどころか、突進の軌道を無理矢理変えて兼一を追う。
有りっ丈の魔力を拳に乗せ、渾身の一撃を期する

だがそこで、ザフィーラは信じ難い光景を眼にした。
思うように動く事も出来ない空中で、後は落下するしかない筈の兼一が、突如ザフィーラ目掛けて蹴りかかってきたのだ。

その名も「空中三角飛び(くうちゅうさんかくとび)」。
宙を蹴って恣意的に攻撃の軌道を転換する、達人だからこそ可能とする非常識極まりない技である。
とはいえ、所詮は宙を蹴って跳んでいるだけ。
さすがに飛行魔法ほどの自由度はなく、だからこそ「ここぞ」と言う時の為のとっておきだ。
しかし、ザフィーラもまた今更受けに回ってはならぬと覚悟し、かまわず渾身の一撃を繰り出した。

「「ぜりゃあ!!」」

拳と蹴りが交錯する。
重い拳はガードを崩すもその身には届かず、鋭い蹴りはバリアジャケットと薄皮を裂くに留まった。
だが、だからこそ二人ともまだ戦える。

今にも衣服同士が触れそうな距離で、既に二人は次なる一手を講じていた。
蒼き狼は擦れ違い様に顎に肘、鳩尾に膝を放つ。
しかしそれを、一人多国籍軍は相手の首と胴体に回した手を引き寄せる事で対処する。

「ごふっ!」

密着する事で打点を殺し、肘や膝に力が乗りきる前に敢えて受ける。
そうする事でダメージを最小限にとどめたのだ。
そして同時に、ここからが兼一の狙いでもある。

(これは投げ、関節……いや、締め技か!?)

左腕をザフィーラの首に回しながら右腕を掴み、その右腕で相手の脇を取って抱え込む。
回した左腕の関節で頸動脈を絞め、落としにかかる。
それは惚れ惚れするほどに完璧な締め。普通なら、どうやっても脱出しえない形。
しかし、それも相手が魔法を駆使するとなると話が別だ。

(見事な締め技だ。正確にして完璧、これはどうあがいても抜けられん。
 だが、締め技の欠点…それは効果が出るまでに時間を要する事だ!)

四肢の抵抗を封じた以上、相手が“武術家”なら兼一の勝利は確定だろう。
しかし、ザフィーラの本分は武術家ではない。また、仮に四肢を封じた所で彼の全てを封じたわけではない。

手も足も出ずとも、魔法は使える。それを使おうとする意識と源となる魔力さえ残っているのなら。
だいぶ消耗しているがガス欠と言うわけではなく、ザフィーラの意識が落ちるまでまだ余地がある。
右腕に魔力を集め、掌を兼一に向けた。あとは、ここから放つだけ。

魔力ダメージを受けても兼一は意識を繋ぎとめられるが、それは「耐えられる」と言うだけの話。
僅かに意識が飛びかける事はどうにもならず、一瞬技のかかりが甘くなるだろう。

(緩むのは一瞬に過ぎまい。だが、私ならその間に……)

抜けだせる。と、そこまで考えた所で異変に気づく。
それまで落下により下から上に流れていた周りの景色、その方向が変わった。
頭上から響く、裂帛の気合と共に。

「ぬりゃあああああああああ!!」
「こ、これ…は……」

旋回する景色、遠心力に従い下半身へと追いやられる血液。
自身に何が起こっているか理解する間もなく、ザフィーラの意識は闇に落ちた。



  *  *  *  *  *



気付くと、視界は青と白で埋め尽くされていた。

「………………っは!?」

弾かれたように身を起こし、状況を理解しようと辺りを見回すザフィーラ。
そこへ、耳に馴染んだ幼い少女の声が入り込み。

「おぉ、目ぇ覚めたか?」
「ヴィー…タ。私は……」

声のした方へ首を回せば、そこには陸士制服を纏った赤毛の少女。
彼女はどこか気遣わしげに、同時に「ふむ」と値踏み…と言うよりも様子を見る眼でザフィーラを見ている。
とそこで、ザフィーラも直前の記憶を思い出し、何が起こったのかを理解した。

「そうか、私は負けたのか」
「ああ…まぁそういうこった」

『いい勝負だった』とは言わない。敗者への慰めなど虚しく、相手を惨めにさせるだけだから。
しかし、そうなると今度はなんと声をかけたものかわからなくなる。
どこか気不味い沈黙が二人の間に降り、ヴィータは所在なさげに視線を逸らす。
はやて達を呼ぼうか迷うが、なんとなくそんな気にはならずにいた所で、ザフィーラが口を開いた。

「……悔しいな」
「あ?」
「やはり、負けると言うのは悔しいものだ」

自身の掌を見つめながら、どこか寂しげに、悲しげに呟く。
敗因を上げるとなればいろいろ浮かぶが、詮無い事だ。何を言った所で負け惜しみにしかならない。
ただ、全力を賭した勝負に敗れた、今はその事実とこの感情が全てだった。
だが、もし一つはっきりさせたい事があるとすれば……

「それが、どうやって負けたかわからんとなると…尚更な」
「憶えてねぇのか?」
「締め技を受けた、そこまでは憶えている。だが……」

そこから先の記憶がない。締め技から脱出する為の算段はついていたし、それをしくじったとも思えない。
おそらく、予想外の何かしらの手段で脱出を阻止され、締め落とされたのだろうとは思う。
その手段が、ザフィーラには思いだせないしわからなかった。

もしかしたら実は脱出し、その後の攻防で敗れたのかもしれない。
格闘の世界では記憶が飛ぶなど珍しくもないし、頭を打たれて記憶が飛んだ可能性もあるが……。
そしてその答えは、新たに歩み寄ってきた人物からもたらされた。

「暗外旋風締め、というそうだ」
「それが、私が敗れた技か」
「ああ。急速な回転を加え、強いGでブラックアウト状態にしてからコンマ一秒で締め落とす技らしい」
「ったく、空戦魔導師は高速からの急旋回なんかもやるし、バリアジャケット自体にそういうのを防止するフィールドが含まれてるんだぜ。それを振り切るなんて、どんな非常識だよ」
「まったくだ。効果が出るまでに時間を要するという弱点を克服した、恐ろしくも見事な技だ」

それを聞き、ザフィーラの胸のうちに何かが落ちた。
もしかしたらそれは、実感だったのかもしれない。
状況や前後の記憶から推測した現実に、ようやく実感が伴ったのだろう。

「主は?」
「今は高町達とあちらで話しておられる」
「リインもな。最初はおめぇのそばにいるって聞かなかったんだけどよ、シャマルがうまく誘導してくれた」
「そうか、シャマルには感謝しなくてはな。今は………………主に顔向けできん」

はやての事だ、恐らくは健闘を労い励ましてくれた事だろう。
それは純粋に嬉しくはあるのだが、できるならそれは後に回したい。
敗戦のショックで泣けるほど若くはないが、それでも沈み込む気持ちまではどうにもならない。
彼の矜持として、そんな姿は見せたくなかった。

「それで戦ってみてどうだった、白浜は?」
「たった今負けた男にそれを聞くか?」
「なんだ、優しく慰めてほしかったのか?」
「バカを言え。子どもでもあるまいに……」
「ああ、私もそう言うのは柄ではない」

珍しく軽口をたたき合う、守護騎士における堅物二枚看板。
まぁ、これがシグナムなりの気の使い方なのだろう。
とはいえ、別に先の話題への興味が全くないと言えば嘘になるが。

「で、どうだった?」
「……強いな」
「「……」」
「だが、ただ強いのではなく、なんと言うべきか……上手く底を測れん男だった」

言葉を選びながら、拳を交えた瞬間の事を思い返す。
予想通りに強く、予想外の強さ。それが、実際に拳を交えたザフィーラの感想だった。

「そうだな……タイプ的には、高町に近いものがあるように感じた」
「なのはと同じタイプか。って事は……」
「ああ、極限の真剣勝負か……」
「守る誰かがいてこそ本領を発揮する、か」

それが、実際に拳を交えたザフィーラの感想だった。
そして、それが意味する所は……

「つまり、やつはまだ全力ではなかった、と言う事だな」
「恐らくな。本気ではあったのだろうが、全てを出しつくしていたとは思えん」

だからこそ、どうにも力の底が計りにくい。
本人は今出せる力を出しつくしていたつもりかもしれない。
だが、それでもなお出しきれていない力が秘められていたようにザフィーラは感じていた。

「なにしろ、拳を交える度に技は鋭さを増し、危うくなるほどに一打の重みが増した。
 追い詰められてからが、奴の本領なのだろうよ」
「スロースターター、だというのか?」
「おいおい、達人のくせにまだんな致命的な弱点抱えてんのかよ」
「ああ、実に信じ難い話だが、アレだけの腕を持ちながら奴は初手から全力を出す事が苦手らしい……」

普通ならそんな弱点を抱えていればいつか一撃必殺の技を持った敵に殺されそうなものである。
しかし兼一は、卓越した守りの巧さでその弱点を補う。
エンジンに火がつくまでの間、いかなる必殺技をも凌ぎ切ることで弱点を克服したのだ。
あまりにも変則的ではあるが、これこそが兼一が彼なりに出した解。

「ところで……」
「あ? どうしたよ」
「アレは、何をやっているのだ?」

ザフィーラが示す方向、そこには兼一の姿。
その向かいには、ギンガや新人達の姿がある。

「ああ、気当たりの体験だとよ」
「? どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。お前が気絶している間に、ギンガが白浜の弟子になった時の話が出てな。
 そこで気当たりで人を倒したと言う事を聞き……」
「突拍子がなさ過ぎて信じられねぇから、じゃあ試しにやってみようってなったんだよ」

なんとなくだが、言いだしたのはティアナではないかと予想するザフィーラ。
彼らの知る範囲の達人にそんなマネが出来た人物はいないが、出来ても不思議はないとも思う。
そんな事を考えている間に、突如視線の先で動きがあった。

「梁!!」

見れば、道着を脱ぎ上半身をはだける兼一。
露わになった上半身は、上腕同様異常なまでに発達している。

「山!!!」

腰付近に両手を持っていき「かめは○波」的に構えている。
そして、続く光景は色々常軌を逸していた。

「波!!!!」
『わきゃぁぁあぁぁぁぁぁ!?』

諸手で放つ熊手打ち、それと共に大気が破裂し『ドッパァン』と言う音が轟く。
それを受けて吹っ飛ぶティアナやスバル、エリオにキャロ。
もちろん、兼一自身は4人に指一本触れていない。

何ともまぁ、非常識と言う言葉を使う気すら失せる光景である。
周りを見れば、何をしているのかと不思議そうにしていた見物人(主にヴァイスやリインなど)が、「なんじゃこりゃぁ!?」「か○はめ波ですぅ!?」と叫び、いい感じに場は阿鼻叫喚と化していた。
それを見て、どこか苦悶に満ちた表情を浮かべるヴィータとシグナム。

「おい、なんか出たぞ……」
「達人の技は、ついに『波』をも可能にしたか……」
「い、いや、落ち着け。おそらく、拳圧の風と気当たりだろう」

まぁ、どちらにせよ人が吹っ飛んでいる事に違いはないが。
無敵超人が誇る超技百八つの一つ、必殺技ならぬ否殺技「梁山波(りょうざんぱ)」。
拳圧によって生じた突風と気当たりによって、遠く離れた多数の敵を圧倒する技。
指一本触れていないので、精々転倒程度の怪我しかしない優れモノである。
気当たりを受け流す訓練をした者には通じないが、そうでない相手には非常に有効な技だ。

ちなみに、何故「睨み倒し」ではなく「梁山波」なのかと言うと、睨み倒しで制圧するのは色々とショックが大きそうと言う配慮である。あまり差がある様には思えないが。
で、それをやった張本人はと言うと。
なにやらどこか満足げに微笑みを浮かべ、感心したようにしきりにうなずいている。

「いやぁ、成長したね。修業を始めた頃に比べたら見違えたよ」
「ど、どうも」

兼一の視線の先にいるのは、なんとか踏みとどまったと言う様子のギンガ。
膝が笑ってはいるが、倒れる事もしゃがみこむこともない。

「じゃあ、次はもうちょっと強くいってみよう……」
「え、ちょ…待っ!?」

どうやら、アレでもまだ加減していたらしい。
ギンガとしては今でも一杯一杯なので、なんとか師を止めようと声を上げる。

ただし、当然そんな事を聞いてくれる相手ではない。
必然的に、ギンガは限界を迎えるその時まで、何度も何度も激烈な気当たりに晒される破目になるのであった。



[25730] BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:29

カーテンの隙間から刺し込む陽光。
それを受けて、布に包まった小さな固まりが動く。

「んに…? ふわぁ~」

目を覚ますと、そこにはだいぶ見慣れてきた二段ベッドの二段目の底があった。
もぞもぞとベッドから抜けだし、なにとはなしに時計を確認する。

白浜翔の朝は早い。
というか、基本的に老人と子どもの朝は大概早い。

だが、翔に割り当てられたベッドには、寝る時まで傍にいてくれた人物の姿はない。
大方、気配を消してこっそり抜け出したのだろう。
一抹の寂しさもないと言えば嘘になるが、いい加減慣れた。

周りからは「子どもの内はしっかり寝ておきなさい」と言われてもいる。
しかし、その手の事を言われる度に、翔は「ム~ッ」と剥れるのだが。
そのため、目下彼の一番の願いは「早く大きくなりたい」だったりする。

そんな彼が朝起きて最初にする事は、顔を洗う事でも着替える事でもない。ましてや鍛錬などもってのほか。
翔は壁際にある日当たりの良い棚の前に立ち、一枚の写真立てに手を合わせて呟く。

「おはようございます、母様」

会った事もない、想い出すらない母への挨拶。
別に父からそうする様に言われたわけではない。
ただ、父がしている所を見てマネするうちに身についた習慣だった。
だがそれでも、これこそが母を知らない翔にとって、唯一と言っていい母との時間なのかもしれない。
まぁ、まだ幼い彼にそんな自覚があるのかは定かではないが。

その後、二段ベッドの上に眠るエリオを起こし、身支度を整えた二人はエントランスへと移る。
特別なもののない、当たり前になりつつ朝だ。
二人はそのまま一端玄関を出ると、それぞれジョウロを持って水を汲みに行く。

機動六課は託児所でもなければ保育園でもないし、当然福祉施設でもない。
そのため、本来一般の子どもでしかない翔がいるのは色々と問題がある。
だが、さすがに就学年齢にも達していない子どもを親元から話すのは忍びない。と言う事で、部隊長のはやてが「どうせ一人しかいないから」と、いくつかの条件の下で大目に見てくれているのだ。

とはいえ、日中は仕事があってあまりかまってはいられないし、そうなると翔の行き場がない。
そこで兼一が考えたのが、翔にもその仕事を手伝わせることだった。
まぁそうは言っても、そう難しい事をさせているわけではない。
それは花壇への水やりであり、雑草取りであり、そう言った極々簡単な仕事。

気付けば翔が担当する花壇が決まり、そこに水やりをするのが朝の日課となっていた。
エリオが一緒なのは、朝の訓練までまだ時間もあって弟分が心配だからだろう。

「じゃ、こっちは僕がやるから翔はそっちね」
「はーい♪」

というか、いつの間にかエリオの花壇まで決まっていたりするのは何故なのか。
まぁ、本人が割と楽しんでいるようなので問題はないのだが。
そこへ、二人にやや遅れてスバルにティアナ、さらにキャロとフリードが玄関から出てくる。

「あ、二人ともやってるねぇ~」
「ん? なんだ、アンタ達今朝もやってたの。毎朝毎朝よくやるわねぇ、訓練だってあるってのに」
「おはようエリオ君、翔も」
「「おはようございます」」

エリオはもちろんだが、翔もまたティアナ達とは別に修業しているのはすでに周知の事実。
それもその内容たるや、5歳時にさせるものとは思えないような代物だ。
ティアナが呆れるのも無理からぬことだろう。
アレだけハードにやっていて、なおかつ朝早くから花壇の手入れをしているのだから。

「きゅくる~」
「むふ~、フリードもおはよ~!」
「すっかり仲良しだねぇ」
「下手するとアンタ達より親密なんじゃないの?」
「「あ、あははは……」」

キャロの傍を離れ、翔の頭に抱きつくフリード。翔もそれが嫌ではないらしく、上機嫌に受け止めている。
普通、子どもは動物などに遠慮なくぶつかり過ぎて敬遠されがちになりそうなものなのだが、翔にその様子はない。それが功を奏したようで、フリードは割と翔の頭の上にいる事が多い。居心地が良いのだろうか?
なにはともあれ、両者の仲の良さはパートナーであるキャロから見ても羨ましくなるほどである。

一頻りじゃれ合って満足したのか、翔の頭に乗ってくつろぐフリード。
翔はフリードを落とさないようバランスを取る。

「そう言えば翔、ギン姉は?」

屈んで視線を合わせながら尋ねると、翔は海の方を指さす。
チラリとエリオの方を見れば、そこにあるのは曖昧な苦笑い。
それから一同が翔の指差す方向に視線を向けると、丁度いいタイミングで遥か彼方より切実な叫びが……

「うきゃぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!?」
「さっきあっちから悲鳴が聞こえたよ」
「うん、今聞こえた」

場を満すのは『ああ、またか』と言う諦観。
もうこのパターンにも慣れてきた所だ、一々取り乱していては時間がもったいない。
なので、とりあえずギンガの冥福だけは祈っておく。別に死んだわけではないのだが。
とそこで、揃って合掌する面々をいぶかしむ様子もなく、気さくな挨拶がかけられた。

「よぉ、今日も元気か新人ども」
「あ、ヴァイス陸曹」
『おはようございます』
「おう、おはようさん。チビ竜とチビ助もな」

言いながら、少々乱暴に翔の肩を叩く。
が、面白くないのは「チビ」と呼ばれた翔である。

「きゅく~」
「うん、ヴァイスおじさ……」
「お兄さんだ」
「おじ……」
「お兄さんだ」
「お……」
「お兄さん、だよな?」

いっそ大人げない程に言い募るヴァイス。
まぁ、二十代でおじさん呼ばわりされたくないのはわかるが、正直これはどうか。
とそこで、一連のやり取りを見ていたエリオが疑問を口にする。

「そういえば、ヴァイス陸曹っておいくつなんですか?」
「あん? ああ、二十……」

そこまで言った所で、突然黙りこむヴァイス。
何やら思案するようにぶつぶつと呟いていたかと思うと、殊更に爽やかな笑顔を浮かべてこう言った。

「永遠の18歳だ!!」

わざとらしく白い歯を輝かせ、サムズアップするアホが一人。
付き合いの良いスバルはそれに曖昧な笑みを浮かべるが、その相方はそこまで優しくない。
極寒にも等しい白い目で見やり、冷酷な言葉を紡ぐ。

「なに痛い事言ってるんですか?」
「く、冗談のわからねぇ奴め……」
「冗談にしてももっと何かないんですか?」
「チクショウ! 見るな、そんな目で俺を見るな!!」
「だったら言わなきゃいいじゃないですか」
「ああ、たった今激しく後悔してる所だよ!!」

軽い冗談で言ったつもりの一言で、まさかここまで軽蔑されるとは思っていなかったのだろう。
不可視の刃と化した視線から逃れる様に、ティアナに背を向けるヴァイス。
しかし、そんなやり取りも長くは続かない。

「え? ヴァイス陸曹って18歳なんですか!?」
「なのはさん達より若かったんですね。あ、いえ、別に老けてるとかそういう事じゃなくて……」
「ふぇ~」
「きゅく~」
「いや、そんなマジに取られても困るんだけどよ」
「どうするんですか? いたいけな子どもをだまして……」
「お、俺だってこんな真面目に信じるとは思わなかったんだって!?」
「そんなつもりじゃなかった、犯罪者の常套句ですよね。恥ずかしくないんですか?」
「お前俺になんか恨みでもあんのか!?」

まぁ、ここまでネチネチとやってくれれば、それはそれである意味付き合いが良いと言えるかもしれない。
ティアナとて、別段ヴァイスに思う所があるわけではなく、単に先の冗談に付き合っているだけだ。
少々悪乗りしている感は否めないが……。

とはいえ、当のヴァイスからするとちょっとした冗談であまりイジメてほしくはない。
なんとか話を逸らそうと忙しなく視線を動かし、彼は花壇の一角に目をとめた。

「ん? チビ助、そういやそいつ少しは大きくなったのか?」

そう言ってヴァイスが指差したのは、周りに比べて著しく成長の遅い芽。
他はどんどん伸びているのに、それだけが「ポツン」と取り残されている。

「ユキダルマキング?」
「そうそう、そいつ」
「ん~ん、全然おっきくならないの」

父からは、「僕は手を出さないから、小まめに手入れをしてあげなさい」「それと毎日必ず様子を報告する事」と言われていた。どんな意図があるかまでは分からないが、翔はその言葉に従い甲斐甲斐しく世話をしている。
しかしその甲斐もなく、ユキダルマキング(地球産洋ランの一種)に目立った変化は見られない。
そのため、正直少しばかり「他のと植え替えた方が良いんじゃないかな?」と思いだしている今日この頃である。
まぁ、子どもと言うものは大概せっかちなので、仕方がないと言えば仕方がないのだが。

ただ、これは兼一なりの情操教育と心の修業を兼ねたものなのだが、その意図に気付いた者は今のところいない。
だからだろう、思わずこんな言葉が零れてしまったのは。

「どこの世界にもいるのかもね、いくら手をかけても思う様に成長しない奴って……」
「え? ティア、何か言った?」

間近にいたスバルでも聞き取れない程に微かな呟き。
その内容を確認しようとするも、ティアナはそれに答えることなく足を進めていた。

「別に。ほら、早くいかないと遅刻するわよ」
「う、うん!」

どこか引っかかるものを感じつつも、ティアナの後を追うスバル。
普段とどこか様子の違う二人にエリオとキャロは首を傾げるが、時間が差し迫っているのも事実。
とりあえずスバル同様、疑問はいったん棚上げにして頭の片隅へと追いやることとなる。

「ほれ、おめぇらも早く行きな。
なのはさんやフェイトさんは滅多に怒らねぇけど、ヴィータ副隊長やシグナム姐さんにばれたら怖ぇぞぉ」
「はい! 行こ、エリオ君」
「うん。じゃあ翔、行ってくるね」
「ん、いってらっしゃ~い!」
「んじゃ、俺はのんびり行くとしますかね」

元気よく手を振りながら皆の背を見送る翔と彼に手を振り返すエリオとキャロ、それにスバル。
そんな彼らの姿を、エントランスの掃除をしているアイナが微笑ましそうに見守っていた。



BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」



場所は変わって食堂。
時刻は七時を回り、今がまさに書き入れ時。
早朝の訓練を終えたフォワード陣をはじめとする職員達で賑わっている。
その中には無論、白浜親子も含まれていた。

「いやぁ、それにしてもみんな……………………………良く食べるよねぇ」
「おお~~~♪」

苦笑いを浮かべる父と、瞳を輝かせながら目を見張る子。
そんな親子の視線の先には、うず高く盛られたピラフの山。
明らかに十人前を超える量を誇るその山が、合わせて三つ。
今から大食い大会か宴会でも開くのかと思うような光景だが、それは違う。

なんと、この山一つで一人分なのである。
ではそれを貪っているのは、力士の様な巨漢なのかと言えば、これまた違う。
それどころか、この山を切り崩しせっせと胃に修めているのは小柄な少年と細身の美少女姉妹だった。

「え~そうかな~、これ位普通だよね?」
「はい、いつも僕はこれ位ですけど?」

揃って首を傾げるスバルとエリオ。二人からすればそうなのかもしれないが、断じて「普通」ではない。
そんな事は周囲から向けられる視線からわかりそうなものだが、どうやら気付いていないらしい。
なにしろ、指摘されてもなお二人の食のペースに衰えがみられない。実に『ガツガツ』と言う表現がよく似合う。

まぁあれだ、まだまだ二人揃って色気より食い気なのだろう。
十歳のエリオは仕方ないが、自分の相棒はいい加減その辺りを自覚すべきだとティアナは思う。

「アンタねぇ…頭は花畑でも見た目は良いんだから、少しは体裁ってものを考えなさいよ。
 いつまでも『残念美人』のままでいいと思ってんの?」
「? とりあえず、なんか酷い事を言われたのはわかった」
「はぁ~、まったく……」

残念美人、それは訓練校時代から影で囁かれてきた別称だ。
顔よし、スタイルよし、気立てよし、成績よしと、意外な事におよそ欠点らしい欠点のないスバル。
その為彼女に好意を寄せる男は決して少なくなかったのだが、未だかつて告白に踏み切った者はいなかった。

無理もない。外見と中身は良いのだが、如何せん問題なのはその食欲。
どれだけ彼女に熱を入れた男でも、彼女の食事風景を見ればその淡い気持ちを断念してしまう。
早い話が夢とか幻想とかが纏めて瓦解し、ドン引きしてしまうのである。
丁度、今まさに何とも言えない表情のキャロの様に。

「み、みなさんすごく……いえ、かなり召し上がりますよね」
「別に食べるな、何て言わないけど、少しはギンガさんを見習いなさいよね」

前衛組のカロリー消費が激しい事はティアナも承知しているので、別にそこまで無体な事を言う気はない。
スバルとは数年の付き合いになるが、腹部などの肉付きに変化がない所を見ると、一応摂取と消費のバランスは取れているらしい。
とはいえ、もう子どもではないのだからあまりがっつくものではないとも思う。
食べるにしても、せめて今も楚々とした所作で食べるギンガを見習ってほしい。

(そう言えばギンガさん、何か前より綺麗になったと言うか……)

以前から美人ではあったのだが、それに磨きがかかったように思う。
化粧や服飾に変化があったわけではないが、些細な表情や仕草にそれを感じていた。
例えばそう、静々とおしとやかに食事を口へ運ぶ様子などは、以前よりも洗練されている。
それはまるで、誰かに見られている事を強く意識している様な……。
まぁだからと言って、相変わらず人並み外れて食べていることに変わりはないのだが。
ただ、それと同域の食事量の人間からすると、見え方もまた違ってくる。

「そう言えばギン姉、最近あんまり食べないよね?」
「ああ、うん。そうね、ちょっと減ってるかも……」
「「それでですか!?」」

大声と、一気に立ち上がった反動で倒れた椅子がけたたましい音を立てる。
その様子に、周囲からは「なんだ、なんだ?」と奇異の視線が集中した。
冷静さを取り戻した二人は顔を真っ赤にしながら椅子を戻し、そこに座り直す。

だがやはり、ティアナやキャロからすると二人の食事量に大差はないように見える。
しかし、当の本人達からすると差を感じるらしい。

「具合でも悪いんですか? ちゃんと食べないと身体が持ちませんよ?
 特にギンガさんは兼一さんの……」
「具合…というか、体調は悪くないわ。むしろ、良いぐらいだと思う。
 食欲もあるんだけど、以前ほど食べようって気にならないのよね」

以前であれば「物足りない」と思ったであろう食事量。
だが、今はそれで充分満腹になるし、普段の生活や訓練でも特に不都合は感じない。
それどころか、ここ数カ月は非常に体調が良い位だった。その事に関して、思い当たる節があるとすれば……

「一応師匠からは軽い食事制限はされてるけど……」
「え? そうなの?」
「うん。って言っても、栄養バランスの指示がある位よ。
 アレは食べるなとか間食禁止とか、あとは食べ過ぎるなって言うのもないし」
「そう言えば、兼一さんもスバル達と違って食べる量は私やキャロより少し多い位ですよね」

言って、ティアナは兼一や翔の前に並ぶさらに目を移す。
その言葉通り、成人男性としてはやや多め位な程度。

ティアナやキャロ自身、普段の訓練の事もあって割と健啖家だ。
少なくとも、一般人よりは良く食べる。ただ、ギンガ達とは比べ物にならないだけで。

「そうだね。まぁ、僕は割と燃費が良いから」
「そうなんですか?」
「中国拳法だと、内功って言って内臓を鍛える修業は当たり前だしね」
「それって、もしかしてギンガさんもなんですか?」
「うん、後は翔もね」

つまり、ギンガの食事量の変化は修業の成果の一端と言う事なのだろう。
今はまだそれほど顕著ではないが、時間が立てばより燃費が良くなり、必要な摂取量も減るかもしれない。
ただし、当の本人はそんな事までは知らなかったようで……

「い、いつの間に……もしかして、あの薬とかも?」
「それもあるけど、ゲンヤさんの所にいた時は僕が食事担当だったでしょ?」
「まぁ、確かにほとんど師匠任せでしたけど……」

厳密に言うと、兼一が「これからは僕が食事を担当します」と宣言し、すっかり台所を占拠してしまったのだ。
とはいえ、ゲンヤやギンガからすると、忙しい身の上なので有り難くこそあれ、文句を言う理由もなかったのだが。

「中国じゃ『医食同源』なんて言葉もある位だし、身体作りの基本はまず食事と生活習慣。修業は三番目さ。
 まずはそこからしっかりしないと、どんな修業も意味がないよ。むしろ、身体を壊す原因になりかねないし。
 いや、いっそ食事や生活習慣も含めて修業と言うべきかな?」
『はぁ……』

そもそも「医食同源」とは、病気を治療するのも日常の食事をするのも、共に生命を養い健康を保つために欠く事が出来ないもので、源は同じだと言う考えの事を指す。
また、その考えから生まれたのが漢方薬の材料を使った薬膳である。
兼一が提供してきた食事も似た様なもので、薬よりもこちらに重きを置いている位だった。
ちなみに、こっそり調理担当の面々と話を付け、六課の食事も染め上げているのは上層部だけの秘密である。

「まぁとりあえず……病気とかのせいじゃないならいいんじゃない?」
「だね」

医食同源やらなんやらは良く分からないが、健康に問題がないのなら別に良いだろう。
詳しい事は兼一ほどの知識を持たないスバル達にはわからないし、口出ししても仕方がない。
別名、「諦めの境地」。達人と関わっていくためには必須のスキルだが、早くも彼女達は身に付けたようだ。
とそこで、それまで黙っていた翔が兼一の裾を引っ張る。

「ねぇ父様、『いんたーみどるちゃんぴおんしっぷ』ってなに?」
「え?」
「ほら、あれ」

言って指差したのは、食堂に備え付けられたTV。流されているのは朝のニュース番組だ。
ニュースを介した宣伝なのか、何やら熱い口調で「インターミドルの参加申請も来月に迫っており……」だの「今年も白熱した戦いが……」だのと語り合っている。
他にやるものがないのかと思わなくもないが、陰鬱なニュースが多いよりはましだろう。

とはいえ、まだミッドに来て日の浅い兼一にはいったい何の話題なのかよく分からない。
しかし、ミッド暮らし…というか、管理世界出身者たちからするとそうではなかった。

「ああ。もう4月も終わりだし、そんな時期なのよね」
「だねぇ、訓練でバタバタしててすっかり忘れてた♪」

月日が経つのは早いと、若いくせに年よりくさい事を言うスターズコンビ。
まぁ、それだけ密度の濃い時間だったと言う事でもあるのだろうが……。

「私はないんですけど、みなさんは出た事あるんですか?」
「えっと、僕もないかな」
「私はあるけど、スバルとティアナはなかったわよね?」
「うん。私はそもそも魔法を覚えてすぐに訓練校に入っちゃったし」
「訓練校はああいう空気がありますし、その後は災害担当でしたから……」

訓練校の生徒が出場禁止な理由は単純明快、訓練生を出すとメンツにかかわるからだ。
大会と言う開かれた場に出ると言う事は、管理局の看板を背負い、同時に局員の質を示すと言う事になる。
そのため、あまり情けない結果など出されては色々問題が生じてしまう。
例えば犯罪者に舐められて抑止力としての効果が薄まったり、あるいは市民に要らぬ不安を植え付けてしまったりだ。そんなわけで管理局自体は特に出場に制限を設けていないが、それなりに実力と実績がある者でなければ出場できないという風潮がある。
当然、未熟以前の訓練生たちの間では、自分達が出ては不味いという空気が醸成されていた。

まぁ、それなら訓練校を出て、力量に自信がある者なら出てしまえばいい。
とはいえ、犯罪や事件に休日も平日もない以上、大会当日が休日とは限らない。
そのため、配属される部署によっては大会のスケジュールに合わせられない者も多い。
ティアナとスバルに出場経験がないのは、そんな諸々の事情からである。

しかしこうも置いてきぼりにされると、白浜親子としては途方に暮れるしかない。
だがそこで、近くのテーブルで聞き耳を立てていた通称「メカオタ眼鏡」こと、シャーリーが唐突に顔を出す。

「お答えしましょう!!」
「わっ、びっくりした!? どうしたんですか、いきなり大声出して?」
「どうしたの、シャーリーさん?」
「ふっふっふ、迷える子羊を放置していたら、この眼鏡が廃るってなもんですよ。
 その疑問、六課の解説役であるこのシャリオ・フィニーノがズバッと解決しちゃいましょう!!」
「はぁ……」

珍しく出番を捥ぎ取った事が嬉しいのか、テンションがおかしいシャーリー。
というか、いつ解説役などに収まったのだろう。眼鏡キャラだからだろうか?

「インターミドルと言うのはですね、『DSAA(ディメンション・スポーツ・アクティビティ・アソシエイション)公式魔法戦競技会』の事です。
 出場可能年齢、10歳~19歳。個人計測ライフポイントを使用し、限りなく実戦に近いスタイルで行う魔法戦競技。選考会から始まって、『ノービスクラス』『エリートクラス』を経て地区代表を決め、さらに『都市本戦』『都市選抜』、そして『世界代表戦』が行われます。ここまで行って優勝すれば、文句なしの『次元世界最強の10代男子・女子』でしょうね」
「はぁ、さすがというかなんというか…スケールの大きい話ですねぇ」

正直、地球という惑星の極東は日本と言う小さな島国で育った兼一には、あまりにも話が大きすぎて実感がわき難い。精々が、インターハイを全管理世界規模でやってる、位の認識だ。
まぁ、別に間違ってはいないのだが。

「ああ、その、わざわざ説明してもらってちゃってありがとう」
「どういたしまして。それで、もう質問はありませんか? ないようでしたら、私はこれで!」
「? もう行っちゃうの?」
「ふっふっふ、いい翔? 解説が終わったら潔く去る、それが解説役の美学!!」
「ふ~ん」

良く分からないが、何やら変なこだわりがあるらしい。
兼一にもさっぱり理解はできなかったが、颯爽と去っていくシャーリーはどこか生き生きとしている。
たぶん、新島の『悪の美学』と似た様なものなのだろう。

「そう言えば師匠って、そういう大会とか出た事あるんですか?」
「え? あるよ」
「へぇ~…ってあるんですか!?」
「う、うん」

予想以上のギンガの驚き具合に、どこかおずおずとした様子の兼一。
なんだか今日は驚いてばっかりである。
まぁそんな日もあるのだろうが、そこへ騒ぎを聞き付けたヴィータがやってきた。

「ったく、何騒いでんだおめぇらは。別に食事中に話をすんのは良いけどよ、少しは場所を考えろ」
『すみません』

一部の隙もない正論に、兼一をはじめしょんぼりと謝罪する面々。
とはいえ、先ほどの話題に関して、ヴィータもまた全く興味がないわけではない。

「まぁそれはそれとして、なんか面白い話してたよな。白浜がどうとか」
「兼一さんがインターミドルみたいな大会に出た事があると聞いて、その……」
「ああ、みなまで言うな。気持ちは大体分かる。
 しっかし、おめぇみたいのが出て大丈夫だったのかよ?」

どこか言いにくそうにしているティアナの言葉を先取りする形で共感を示すヴィータ。
実際問題として、こんな人外が出ては真っ当な大会なら確実に台無しになってしまう。
兼一とて初めから強かったわけではないにしても、そう言う領域を目指す者と普通の格闘技者では、やはり毛色が違いすぎるのも事実なのだから。
しかし、そこは同類を集めてしまえばクリアできる問題でもある。

「いや、むしろ問題だったのは運営側と言いますか、場外と言いますか……」
「は?」
「ま、まぁインターミドルって言うのと似た様なものですよ。
 二十歳未満の武術家のみで行われる、実戦武術家の登竜門的大会でしたから」

今思えば、後にも先にも兼一が出場した大会などこれだけだった。
ただなんと言うか、あまり大きな声で言えない大会だったのも事実。
まさか、「毎年何名か死者が出る」とか、「優勝者には(裏社会限定の)世界的栄光が与えられる」とかなんて言える筈もなく……

「一応武器の使用はありで、最大五人まで出られるチーム戦でしたね。
 大会って言う括りだと、出場した事のある大会はそれ位ですけど」

『リングで戦った経験』と言う所まで範囲を広げるなら、地下格闘場も含まれるだろう。
ただ、あれは賭け試合と言うあまり褒められたものではないので、あまり公言できるものではない。
特に今の兼一は管理局員、つまり一種の公務員である。
そんな人間が賭け試合に出ていたと言うのは色々と問題なので、口を噤んでおくのが吉だ。

「チーム戦ねぇ…で、結果はどうだったんだ? やっぱり余裕で優勝か?」
「いえ、全然余裕なんてありませんでしたけど……一応は」
「ま、順当な所だろうな」
(むしろ、死んでてもおかしくなかったんだよね、僕)

実際、あの大会中に何度命の危機に晒された事やら。
1回戦もそうだったが、特に2回戦と決勝がヤバかった。
その上、三度に及ぶ命懸けの戦いを僅か二日の間に行うという強行軍。
ついでに言うなら、試合以外の場でも色々ヤバかったりした。
はっきり言って、インターミドルの平和さがうらやまし過ぎる、そんな大会だったのである。

「っと、そろそろ時間もヤべぇな。あたしはもう行くけど、あんまりのんびりしてんなよ」
『あ、はい!』

そうして結局、あまり詳しい事を離す事もなくその場は解散と相成った。
エリオやスバル、それにギンガ辺りは非常に話の続きが気になる様だったが、兼一としては話したものかどうか悩む。色々と、デリケートな部分もあるだけに。



  *  *  *  *  *



燦々と照りつける太陽の下で行われるそれは、ある意味で実に対照的な光景だった。
地面に付き立つ二本の柱。それに向けて、大小二つの影が突きや蹴りを打ちこんでいる。

「せいっ!!」
「せい!」

片や怪獣の行進を思わせる「ゴォンッ!」という重厚な打撃音。
片や聴き手にも清々しさを覚えさせる「パシン」という軽快な打撃音。

「フンッ!!」
「たぁ!」

片や、巨大な鉄骨を撓ませる非常識なまでに重い蹴り。
片や、ごくごく一般的な巻藁を僅かに揺らす軽い蹴り。

「エイッ!!」
「やぁ!」

とはいえ、機動六課に所属する者たちからすれば、それは最早見慣れた光景。
父が子に自身の持つ技術を教えると言う、微笑ましいと言って差し支えない場面である。
ただまぁ、父親のやっている事がやっている事なので、これを見て微笑む事の出来る者は少ないだろうが。

「ハッ!!」
「は!」

本来この時間、兼一は通常の業務をこなしていなければならない。
だが、彼を戦力として数える以上、相応の訓練時間の保証は半ば以上部隊の義務。
というわけで、この時間帯は兼一もまた自身の稽古に集中できる時間なのだ。

ちなみに一番弟子はというと、兼一ではカバーしきれない部分を教わりに行っている。
しかし、兼一の弟子は一人ではないのだ。
故に自身も稽古をする傍ら、もう一人の弟子である息子への指導も怠らない。

「ほら、そんなに突き手の肩を出さない! そんなに出すと、捕られて投げられてしまうよ!」
「う、うん!」
「金的には常に注意を払う! どれだけ鍛えていても、そこに受けたら一巻の終わりだ!」
「はい!」

父からの指摘に威勢良く返事を返す息子。
その顔は実に生き生きとしており、この時間がどれだけ充実しているかを如実に物語っていた。

「精が出るな、白浜」
「あ、ワン君!」
「翔、ちゃんと名前で呼びなさい。失礼だよ」

ザフィーラの外見上仕方のない事かもしれないが、人語によるコミュニケーションのできる相手にそれはどうか。
なにより、翔とザフィーラでは色々と年季が違う。
親しくするのは良いが、あまり馴れ馴れしい態度でも礼を失するだろうという配慮であった。

「あ、はい……」
「あまり気にするな。まぁ、確かにその呼び名は勘弁してもらいたいところではあるが」
「どうもすいません。ところで、こちらには何が御用でも?」
「なに、単なる見回りだ。心地よい響きが聞こえてな、少し寄ってみたに過ぎん」
「そうでしたか。どうです、ザフィーラさんもご一緒に」
「ふむ……」

望外の提案に思案にふけるザフィーラ。
折角の親子の時間を邪魔しては悪いと思うのだが、同時にその提案には心惹かれるものがある。
実際、この三人で並んで巻藁を突くと言うのは、決して珍しい光景ではない。
あの模擬戦以来打ち溶けたらしく、翔を抜きにしてもこの二人で意見をぶつけ合う事は多い。
ザフィーラは優れた使い手からの意見を聴けるし、兼一も優れた魔法の使い手からの意見を聴ける。
どちらにとっても非常に有益かつ有意義な関係が、自然と出来上がっていた。

「そうだな…折角だ、好意に甘えさせてもらおう」
「そうですか。それじゃ……」

言って、今度はザフィーラの分の巻藁(鉄骨)を取りに行こうとする兼一。
だが、そんな兼一にザフィーラが待ったをかける。

「いや、道具の用意くらい自分でやる。お前達はそのまま続けてくれ」
「え、でも……」
「まったく、どうもお前は人が好過ぎるな。少しは他人にやらせる事を覚えてはどうだ?」
「あ、あははは、どうもそう言うのは苦手で……」
「まぁ、それがお前の美徳と言えば美徳なのだろうがな」

その性格も相まって、兼一は他人に指示を出すのを苦手としている。
修業ならばある程度メリハリがつくのだが、そこから一歩外れると中々上手くいかない。
なんというか、「自分がやればいいのだから」とつい考えてしまうのだ。

「そう言えば、先ほど向こうの様子も見てきたが、また無茶な事をさせているな」
「そうですかね?」

人型になって鉄骨を運ぶザフィーラと、相変わらず巻藁を突く兼一。
翔は大人同士の難しい会話には入っていけないながら、巻藁を突きながらその話を聞く。

「まったく、目隠しをした状態で誘導弾を避け続けろとは、どう考えても無茶だろう」

制空圏か、あるいは空気の流れを肌で感じる修業なのか。
いずれにしろ、無茶であることは事実。
なのは達の能力を信用しているにしても、それは変わらない。
ただし、兼一からするとこの程度の無茶は序の口だったりするわけで。

「でも、僕が若い頃は光の入らない地下室に三日ほど監禁されましたけど?」
「む……」
「常にあらゆる方向から攻撃されるように機械が仕組まれてましたし、師匠達もしょっちゅう『食事だぞ~』って嘘言って襲って来たりしたものですが……」
「それは犯罪だ」

溜め息交じりに頭を抑えるザフィーラ。
いい加減慣れたつもりだったが、兼一の師匠達の無茶さ加減は兼一を一回り以上上回るのだ。
とそこへ、何やら軽い足取りで誰かがやってくるのを二人は感じ取った。

「誰か来るな。これは……」
「ああ、エリオ君ですね」

まだ視界にも収めていないと言うのに、いったいどれだけ鋭敏な感覚をしているのやら。
で、待つこと数秒。先の兼一の予告通り、やってきたのはエリオだった。

「兼一さん、ちょっと良いですか?」
「やぁ、どうしたんだい、そんなに急いで」
「その、ちょっと兼一さんに相談したい事がありまして」

少々気恥ずかしげにしながらも、自身のデバイスであるストラーダを抱えるエリオ。
その様子からして、内容はおおよそ見当がつく。
ただ、なぜそこで自分なのかが疑問を覚える兼一であった。

「それってやっぱり、槍術の事?」
「あ、はい!」
「でもそれなら、シグナムさんかヴィータ副隊長に聞いた方がよくないかな?」
「いえ、そのシグナム副隊長から少し違う視点の人にも聞いてもたらどうか、と」
「ああ、そういうこと」

確かにシグナムの言う通り、兼一とシグナム達では視点がだいぶ異なる。
徒手格闘術の歴史とは、ある意味如何にして武器を制するかの歴史でもあるのだから。

「そう言う事なら……そうだなぁ、これは僕の師匠の受け売りなんだけど」
「はい」
「武器の一つの究極は武器を己の身体の一部にする事、更なる至高は己と武器が一つになる境地。
まぁ、噛み砕いて言うと『武器に頼り過ぎちゃいけない』って事かな」
「武器を身体の一部にすると言うのはシグナム副隊長からも『基本にして究極だ』って聞きましたけど、頼り過ぎちゃいけないって言うのは……?」
「武器は強力な力だよ。実際、武器を持った人と武器を持たない人なら、基本的に武器を持った人の方が有利だし。武器使いの間でも、素手の武術を軽視する風潮はあるしね」
「はぁ……」

兼一の言わんとしている事がなんとなくわかりかけてくる。
武器使いが武器を使うのは当たり前にしても、武器があるから強いと言う考えになってはいけない。
そういう、心構えについて説いているのだろう。

「でもね、それはある意味武器に依存しているとも言えるんだ。それだと心に隙が生まれてしまう。
武器があると言う自信が過信に、過信が慢心に変わる。これで勝てると思うかい?」
「いえ」
「そうだね。師匠が常々言っていたよ、武器の主になる前にまず自分の主になれって。これは魔法にも言える事だと僕は思う。だから、まずは自分の主になる為に、自分の事を知ることから始めると良い」

それはつまり、未だエリオはその段階にいると言う事。より実践的な技術よりも、まずそこから。
わかっているつもりだったが、エリオは自分自身の未熟を改めて痛感させられる。

「とはいえ、あまり心構えばっかりでもアレだね。
こんな事はシグナムさん達も口を酸っぱくして言ってるだろうし……」
「いえ、その……」
「エリオ君って結構刺突や突進を多用するよね。
 無手の場合なんかはリーチで劣る分どうやって懐に入るかが問題なんだけど、相手が勝手に突っ込んで来てくれるのは有り難いかな。カウンターも取りやすくなるし。
 かと言って、まだ身体の出来てないエリオ君が長柄の武器を振り回すと体が流れやすい」
「はい」
「それなら、その流れを上手く利用することも考えた方が良い。
 力の流し方を身に付ければ、だいぶやりやすくなると思うよ。
 そうだね、具体的には……」

そのまま軽く講釈を始める兼一。
彼自身は武器使いではない。だが、対武器戦の為に武器に関する知識も深く、様々な武器使いと戦った経験がある。それらを利用し、有効と思われる具体的な訓練や注意点を並べているのだ。

実際、長柄の武器は長大な間合いを持って敵を制するのが常道。
今のエリオは体格の小ささと持ち前のスピードもあって、高速の刺突や突進に傾倒しがちである。
それがいけないと断じるわけではないにしても、もう少し薙ぎや払いも用いた方が良いのは事実。
少し機転の効く者なら、狙い球を決めてカウンターを合わせに来る程度は普通にやるだろう。
できるなら、神妙そうな面持ちで自分のアドバイスを聞く少年が命を落とすような事態は、来てほしくない。

「あの、ありがとうございました。その、凄く参考になりました」
「どういたしまして。また何かあったら遠慮なく聞いてくれていいからね。
 僕にできる範囲なら、幾らでも手伝うから」
「はい! ありがとうございます!」

エリオのレベルに合わせてまだあまり高度な事は教えていないが、それでも充足感がえられたのだろう。
来た当初の沈んだ様子はなくなってきている。
だからだろうか、エリオは何かを振り払う様に尋ねてきた。

「あの、兼一さん!」
「ん、どうしたのそんなに緊張して?」
「その僕は…………強く、なれますか?」
「え?」
「大切な人が、いるんです。たくさん心配をかけて、たくさん優しくしてもらって……今の僕がいるのは、その人のおかげなんです。だから今度は、僕がその人を助けられるようになりたくて。
 いえ、その人だけじゃなくて……」

『周りにいる、大切な人達を守れるように強くなりたい』と、エリオは噛みしめる様にして語る。
同時に、『でも今の僕は自分の身を守れるかどうかすらわからない程弱いから』という思いが、その眼の奥に見て取れた。
強くなりたいと言う思い、だけど弱い自分と言う現実。その板挟みに合い、彼は今揺れているのだろう。
そんな悩める若人に対し、兼一が見せた反応は……

「ぷ、ぷくくく…ご、ごめん、ね…ちょっと、笑いが……」
「わ、笑わなくたっていいじゃないですか! そりゃ、身の程知らずだと思いますけど……」

必死に笑いを堪える兼一と、それを見てあからさまに落ち込むエリオ。
だが兼一が笑っているのは、別にエリオの願いが達成不可能と思うからではない。

「いや、ごめんごめん。ほら、そんなに怒らないで……」
「怒ってませんよ……」
「だからごめんね。何ていうか、ちょっと懐かしくてさ」
「え? 懐かしい、ですか?」
「うん。僕もね、若い頃にずいぶん悩んだものだよ」

それは嘘偽りのない、白浜兼一の本心。
彼からすれば、先のエリオの告白は酷く懐かしいものだ。
良く似た事を、かつて兼一も師に相談した事があった。
あの時逆鬼は爆笑したが、今ならその気持ちが分かる。

「誰かを守るっていうのは、とても難しい事だ。
 大切な人を守るのもそうだけど、それで自分が死んだら意味がない。それは、自分の死を大切な人に背負わせるって言う事だからね。守ると口にするからには、自分の事もちゃんと守らないといけないんだ」
「僕は、なれるでしょうか。大切な人を守って、自分も守れるように」

歩んできた道のりの遠さを感じさせる、しみじみとした懐古。
それがどれだけ長く、困難で、険しい道のりだったのかはエリオにもわからない。
だが、兼一がそうであると言うのなら、自分もそうで在りたいと思う。
だからこそ尋ねた『なれるだろうか』と言う問いに、兼一はこう答えた。

「さあ?」
「さ、さあって!? ちょっと、真面目に答えてくださいよ!」
「でもねぇ、こういうのはやり続ければできるようになる、って言うものでもないし」
「そ、それは……」
「例え一生を捧げてもできないかもしれない。これはそういう道だよ」

冷徹かもしれないが、兼一の言っている事は紛れもない事実だ。
強く願えば願いがかなうとは限らない。諦めなければ夢が実現するかもわからない。
しかし……

「やってできるかは分からないけど、やらなければ可能性はゼロだ。
 未来のことなんてわからないし、才能は成功を約束してはくれないよ。
逆に言えばその夢が、願いがかなわないとも言いきれないんだけどね」
「……」
「エリオ君、君は大切な人を守れる自分になりたいんだろう?
 それは、できると思うからやるのかい?」

ある意味それは、本質であり根幹を突いた指摘だったかもしれない。
できるからやるのか、それはつまりできないのならやらないと言う事。
エリオの願いがそういう類のものなのかと問われれば……

「…………違います! できるとかできないとかじゃなくて、ただ…力になりたいんです。
 僕じゃたいして力になれないかもしれないけど、それでも……!!」
「なら、それでいいじゃないか」
「え?」
「この世に『できる』も『できない』もないよ。正しくは、『出来た』と『出来なかった』だ。
 そして、それをはっきりさせる方法は一つ。やって…やり切る、それだけ」

それは、白浜兼一と言う男の生き様そのものだったのかもしれない。
本来、「できる」「できない」で言えば、彼は大抵の物事において「できない」側の人間だ。
にもかかわらず、彼はやって…やり切り、その果てに達人へと至った。
才能は成功を約束してはくれないが、非才は失敗の決定打にはならない。
それを、白浜兼一と言う男は誰よりもよく知っていた。

「できるかどうか、兼一さんにもわからないんですよね」
「うん」
「できないかどうかも、わからないんですよね」
「そうだね。それを決めていいのは、多分…本当に努力した人だけなんじゃないかな」
「……………………酷いですよ兼一さん。そんな事言われちゃったら、やるしかないじゃないですか」

どこか憑き物が落ちた様に、晴れ晴れとしたと言うよりも肩の力が抜けた様子のエリオ。
それは諦めたと言うよりも、できるかできないかで悩んでいる自分がバカバカしくなったから。
兼一の言う通り、幾ら悩んだ所で答えなど出ない。
この命題に関しては、答えとは出すものではなく作るもの。
頭の中で思考していては決して形にならないそれは、まず一歩を踏み出すことが肝要。
その果てに振り返った道程こそが、彼の求める答えなのだから。
逆鬼の様に上手くやれたかは分からないが、少しでもエリオの重荷を軽く出来た事に兼一もまた安堵するのであった。



  *  *  *  *  *



時刻は三時過ぎ。場所は怪我人病人でも来ない限り、基本的には割と暇な医務室。
まぁ、医務室が盛況と言うのも、それはそれで不景気な話なのだが。
そんなわけでこの部屋の主の立場からすると、暇を持て余すと言うのはとりあえず平和の証拠だったりする。

が、だからと言って暇で暇で仕方ないと言うのも困りものだ。
暇だからと言って部屋を空けるわけにはいかず、かと言ってTVを見て食っちゃ寝していると言うのも、なんと言うか体裁が悪い。
速い話、持て余すほどに暇な癖に、その暇を消化する方法がほとんどないのだ。
そう、普段であれば。

室内を満たすのは、弛緩とはまた違うどこか穏やかな空気。
シャカシャカと言う小気味よい撹拌音をBGMに、2名の男女が何故かある畳に正座して座っている。

そして、一人の男が竹製の泡だて器(正式には茶筅)で黒塗りの陶器の椀の中身をかき回す。
間もなくそれを終えた男は、どこか恭しい所作でその椀を差し出した。
受け取った女性は無言のままそれに口を付け、一口含んで喉を鳴らして一言。

「はぁ~、和みますねぇ」
「そうですねぇ」

さながら縁側で日向ぼっこするネコの如く、目を細めて和む二人。
その空気は、まるで集会所に集うご老人の様。
ちなみに、男性の傍らでは一人の幼児が文字通りネコのように丸くなって昼寝の真っ最中。

「すみませんシャマル先生、お布団お借りしちゃって」
「いえいえ、子どもは食べて寝て遊ぶのが仕事ですから。
 私こそ、すっかりごちそうになっちゃって。っと、結構なお手前でした」
「お粗末さまです」

椀を下ろし、丁寧に頭を下げるシャマルと返礼する兼一。
基本的に両者とものほほんとした穏やかな気性な為、実にそう言った所作が良く似合う。

「でも、ちょっと驚きました」
「何がですか?」
「兼一さん、武術だけじゃなくてお茶の心得もおありなんですもの」
「あははは、師匠の一人がお茶も嗜んでいまして、その影響ですよ」

お茶と言っても、別に日本茶や紅茶の事ではない。
二人が飲んでいるのは抹茶、つまりこれは一応茶道の形式に則ったお茶会なのだ。
まぁ、参加者は僅か二名だが。
ちなみに、兼一は割と本格的にお茶の修業をさせられた事もあるのだが、余談である。
さらに余談だが、茶道の心得の事を「茶気」と呼んだりする。

「ですけど、よく茶器なんてお持ちでしたね。今時、一般家庭で持ってる所なんてほとんどありませんよ」
「以前から興味はあったんですが、その事を桃子さんが覚えていらして、古い一式をいただいたんです。
でも、忙しくてなかなか……」
「そうでしたか。ですが、桃子さんからいただいた茶器で僕がお茶を点てると言うのも、なんだか不思議な縁を感じますねぇ」
「ほんとうに……」

この二人の間だけ、時間の流れ方が違う。
何と言うか、ひどくゆっくりしているのだ。時計の秒針が刻む「チッチッチ」と言う音ですら、どこかこの雰囲気を強めるアクセントと化している程に。

「あの、兼一さん?」
「はい?」
「もしご迷惑じゃなければ、お時間がある時にでもお茶を教えていただけませんか?
 折角の道具を眠らせておくのも、可哀そうですし」
「まぁ、僕でよければ……」
「お願いしますね、“先生”」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

冗談めかすシャマルに対し、困ったような表情を浮かべながらも笑顔の兼一。
まぁ先生は言いすぎにしても、そう言われて悪い気はしないのだろう。

「でも、やっぱり正式にやるとなるとだいぶ違うんですよね?」
「ええ、今日のは略式なんてものじゃありませんでしたから。
まぁ僕としては、あまり肩肘張らずに楽しむ事が一番だと思うんですけど……」

とそこで、密室である筈の医務室に風が吹き抜ける。
二人は揃ってそちらに顔を向けると、そこにはどこか具合の悪そうな女性局員に肩を貸すギンガの姿。
ただ心なしか、僅かにギンガの目つきと声音に険が籠っている気がするのだが……。

「何やってるんですか師匠、シャマル先生も」
「ええと、お茶…かな?」
「そんな事は見ればわかります!」
「そ、そう……」

ギンガが不機嫌なのはわかるのだが、その原因がわからない。
もしかすると、本人もよく分かっていないかもしれない。
言えるのは、その妙な迫力に兼一が気圧されていると言う事だけ。
しかし、いつまでもそんな問答をしていては埒が明かない。

「それでギンガ、いったいどうしたの?」
「あ、ちょっとアルトが気分が悪いそうで……」
「ぁぅ~」
「あらあら……悪いんだけど、ベッドに運んでもらえる?」
「はい」

ギンガに頼んでアルトを運んでもらい、シャマルはその間に診察の準備を始める。
また、診察となると服を肌蹴たりすることもあるので、さっさと医務室から出ていく兼一。
だが、気持ちよく寝ている所を起こすのも忍びなく、翔は相変わらずスヤスヤと医務室で昼寝中。
そんなわけで、父としてそのまま医務室を後にするわけにもいかず、兼一は医務室の壁に背を預けた。
すると、アルトをベッドに運んだギンガもそれに倣う。

そのまま沈黙が流れること数秒。
別に空気が重いわけではないが、なんとはなしに兼一は口を開く。

「大丈夫かな、アルトちゃん。見た感じ、少し顔色が悪かったけど……」
「大丈夫じゃないでしょうか? 部隊設立後のドタバタも落ち着いてきて、少し気が緩んだのかもしれませんし」
「ああ、なるほど……」

機動六課が正式に稼働し始めて、そろそろ一月が経とうとしている。
稼働後間もなくはあれやこれやと事務組も非常にバタバタしていたが、それもようやく一段落ついてきた。
大方、一息ついた事でそれまでの疲れが噴出したのだろう。
落ち着くまでの間は割と残業なども多かったようなので、無理もない。

「となると、しばらくはチラホラと体調を崩す人も出てくるかもね」
「ええ。グリフィス補佐官も体調管理に気を配る様に仰ってましたから、あまりそうはならないと良いんですけど」
「みんな若いから、ついつい無茶をしちゃうのかもね」
「そう、ですね。私も、アルトの事があるまではあまり気にしてませんでしたから」

季節の節目や一仕事終えて気の緩んだ時などは、体の免疫が低下しやすい。
若手や若者が多くを占めるこの部隊では、そういう類の気配りができる者はあまり多くない。
そういう意味では、「若さに頼った油断」アルトが体調を崩した一番の原因はこれかもしれない。

「まぁ、そう言うのも含めて若さなんだけど……ああ、でもそういう事なら……」
「?」

何か思う所でもあるのか、天井を仰いで思案する兼一。
この、ある意味非常にアンバランスな部隊において、兼一はどちらかと言えばベテランの部類に入る。
それは別に局員としてと言う事ではなく、人生の、あるいは社会人としてのベテランと言うこと。
兼一自身まだベテランなどと言える様な年齢ではないが、それでも部隊内では割と年長者。
ならば、年少者達に対する気配りもまた彼の仕事と言える。

と、そうこうしているうちに診察が終わったのか、医務室の戸が開く。
そこからシャマルが顔を出し、診察が終わったので入って良い旨を伝えた。
二人が再度医務室に入って眼にしたのは、ベッドに軽く横になって休むアルトの姿。
兼一はあまり面識はないが、それでも時折顔を合わせる同僚。
その健康状態が気にならないと言えば嘘になる。

「どうでした、シャマル先生」
「ちょっと疲れが出ただけですから、大事はありませんよ。
 ただ、今日はゆっくり休んでおいた方が良いと思いますけど」

その言葉を聞き、一安心という様子の師弟。
ただ、そこで兼一はおもむろにポケットを漁り小瓶を引っ張り出した。

「あぁ、有った有った」
「なんですか、それ?」
「師匠、それはまさか……」
「うん、今朝使った漢方の余り。
 シャマル先生、折角ですし使ってみます?」

誰に、とは言うまでもない。
今この場でそういうものが必要な人間は一人しかいないのだから。
ちなみにこの薬、秘伝の調合法で作られた薬で、ギンガも度々お世話になっている(曰く付きの)代物である。
まぁ、兼一やギンガが身を持って効果と安全性を証明しているので、使用に問題はないだろうが。

「一応、死人も蘇る、なんて言われてるものなんですけど」
「あぁ、良いですね!」

その提案に、「パンッ!」と手を打って賛同するシャマル。
市販の薬や栄養ドリンクでもよいのだろうが、兼一の漢方の薬効はその比ではない。
ならば、その力を借りられると言うのはありがたい限りだった。
ただ、それを飲む側としてはそう思えるとは限らない。

「ちょ、待ってください! なんだか勝手に話が進んでますけど…それって確か、ギンガさんが動かなくなった時にダバダバ飲ませてる奴ですよね!?」
「え? あ、うん。そうだけど?」
「そうだけど? じゃありませんよ!」

ギンガが倒れる度に怪しい薬を飲まされ復活している、というのは既に六課内では有名な話だ。
はっきり言って、そんな不審極まる薬など御免被りたいと皆が思っている。
噂に尾ひれがついているのは否めないが、それでなくても怪しい事に変わりはない。
事実兼一自身、原材料を聞かれると頻繁に「知らない方が良いよ」といって黙秘するのだ。
これでは、噂が悪化していくのも当然の話である。

「と、とにかくですね! 私はもう大丈夫ですからこれで失礼しま―――す!!!」

大急ぎで身を起こし、中々の速度で医務室を脱出するアルト。
何がどう大丈夫なのかは定かではないが、脱兎の如く逃走できるのなら問題はあるまい。

「逃げられちゃった」
「逃げられちゃいましたね」
(良かったねアルト。できるなら私も逃げ出したい……)

どこか寂しそうな様子の兼一とシャマル。
そんな二人にうすら寒いものを感じながらも、ギンガは同僚の脱出を喜ぶ。
何しろ、自分の場合は逃げようとしても確実に捕まってしまうのだから。
ならせめて、同僚の脱走成功くらいは喜びたい。
が、二人の不穏な会話は終わらない。

「ところでシャマル先生、今こんな薬を調合している所なんですが……試してみませんか?」
「これは……なるほど。これを使えばみんな病気知らずで万々歳ですね」
「でしょう?」
「ですね」
「「ふっふっふっふっふ……」」
(みんな逃げて、すっごい逃げて!!)

二人からすれば、心から皆の健康を心配しての相談なのだろう。
だが、到底そうと感じられないのはいかなる魔法によるものなのか。
ギンガが涙目になりながら胸中で叫ぶのも、無理からぬことだろう。



  *  *  *  *  *



その日の業務を終え寮へ戻る道中。
翔は一足早く仕事を終えたギンガに預け、兼一は偶々一緒になったなのはやヴィータと歩いていた。
このメンツが揃っての話題と言えば、当然その日の訓練や今後の予定などが中心。
だが、別にそれ以外のことに話が及ばないわけではない。例えば……

「そういやなのは」
「なに?」
「最近ユーノのとこいけてねぇんだろ、大丈夫なのかアイツ?」

最近あまり会う機会のない、幼馴染の話とか。
とはいえ、そもそも兼一にはその「ユーノ」とやらの情報がさっぱりない。
なので、少々不思議そうにしながら黙って話を聞く。

「うん。一応アルフにも気にかけてくれるようお願いしてあるしね」
「つってもよ、アイツだって家の手伝いもあるだろ。さすがにユーノの事までは面倒見切れねぇんじゃねぇか?」
「でも、他に頼めそうな人なんていないし……」
「まぁ、あたしらん中で一番ユーノと接点が多いのはアイツだけどよ」
「あ、それとアルフからは毎日ユーノ君の様子とか教えてもらってるから、何かあったらすぐわかるし」
「んな事までしてたのか、お前ら」
「だってユーノ君、ほっとくとすぐに家の事とか手を抜いちゃうんだよ。
 ご飯だってビタミン剤とか栄養ドリンクで済ませちゃうし、部屋は物置兼寝る所、位にしか考えてないんだもん」
「アイツ、基本的にマメな癖に自分の事となると不精だからな」

ここまで聞けば、どうやら共通の知り合いの生活状況に関わる話をしている事はわかる。
また、なのはの口ぶりなどを考えると、かなり親しい間柄でもあるらしい。
それこそ、単なる「友人」以上の物がある様な……。
そう思っていた所で、意外に気配りの出来るヴィータが兼一に向き直る。

「っと、わりぃな。内輪ネタになっちまって」
「あ、いえ、それは良いんですけど……どなたなんですか、そのユーノさんって」
「あ、兼一さんは会ったことないんですよね」
「名前はユーノ・スクライア。無限書庫の司書長やってる、なのはの魔法の師匠だな」
「へぇ~、司書長って事はかなり偉いんですか?」

生憎、局に入って日の浅い兼一に無限書庫に関する知識はない。
本局では「名物」の一つにも数えられる施設なのだが、これは仕方ないだろう。

「まぁな。つーかクロノ提督とかは別にしても、あたしらの中で一番出世したんじゃねぇか?
 無限書庫の司書長は、実質提督クラスだしよ」

はやてですら、今年に入ってようやく一部隊の部隊長。
ユーノはそのだいぶ前から一つの部署の長を任されている。無限書庫の重要性と規模を考えれば、まぁその位の地位はあってしかるべきだろう。ただ、ユーノの年齢や無限書庫自体が活用され出してあまり年月を経ていない事、前線ではなく後方における資料探しが主な仕事と言う事もあり、やや軽んじられやすい部分はあるが。

「へぇ、凄い人なんだ」
「はい、ユーノ君はホントにすごいですよ。私にはちょっと、あんな真似はできませんし」
「まぁ、今のところアイツの代わりになる奴はいねぇな。
あたしやなのはなんて、探せば幾らでも代わりはいるけどよ」

兼一の呟きに対し、なのはは我が事のように嬉しそうにユーノの事を話す。
基本的に負けず嫌いのヴィータもまた、その点に関しては素直に認める所。
実際、なのは達ほどの能力を有する戦闘魔導師は希少だが、結局は希少と言うだけで他にいないわけではない。
仮になのはやヴィータが欠けたとしても、その穴を埋める事自体は不可能ではないのだ。

だが、ユーノ・スクライアは違う。
ただでさえ高い地位の人間の穴を埋めるのは大変だと言うのに、その人物の能力自体が非常に優れているとなると話は別。こと、無限書庫と言う施設において、ユーノほどの能力を発揮できる者はいない。
何しろ、彼が風邪をひくと無限書庫の機能が30%低下し、「管理局が風邪をひく」という冗談が生まれるほどなのだから、その能力の高さと重要性は推して知るべし。

また、なのはがユーノの事を話す時の様子は、明らかに普段と異なる。
傍から見ると、それはまるで……

「もしかして、なのはちゃんその人のこと好き?」
「え? やだな兼一さん、当たり前じゃないですか。ユーノ君は大事な幼馴染で親友ですよ」
「あ、いや、そう言う事じゃなくて……あれ?」

意図したとおりに伝わらず、困惑する兼一。
その横では、「ああ、またか」と言わんばかりに頭を抱えるヴィータ。
彼女は痛む頭を抑えながら、兼一の腕を引っ張る。

「おい、白浜ちょっとこっち来い!」
「え? あ、はい」
「なのははそこにいろよ。いいな、絶対聞くんじゃねぇぞ!」
「? う、うん」

ヴィータの行動の意味がわからず首を傾げるなのは。
そんななのはは無視し、ヴィータは小声で話す。

「用件はわかるな?」
「まぁ、なんとなくは。なのはちゃん……というか、そのユーノさんとの事ですよね?」

さすがに、この状況で勘違いできるほど兼一も鈍くはない。
というか、これで勘違いできる者がいるとすれば唐変木にも程がある。

「ああ。おめぇも思った通り、なのははユーノの奴に気がある。自覚の有無はともかくな。
 ユーノの奴もまんざらじゃねぇ…つーか、告白こそしてねぇがアイツはちゃんと自分の気持ちを自覚してる。まぁ、そんかわし昔色々あったせいで抑え込んじまってるんだが……」
(あれぇ? なんか、似たような話をどこかで聞いた様な……)

そりゃ憶えがあって当然である。何しろそれは、丁度高校時代の兼一と美羽の関係なのだ。
美羽を好いてはいてもその事をはっきりと口にできずにいた兼一と、無自覚な好意を兼一に抱いていた美羽。
兼一の部分をユーノに、美羽の部分をなのはに置き換えればそのまま二人の関係の説明になる。

「ちなみにそれは、みんな知ってるんですか?」
「なげぇ付き合いの奴はみんな知ってる。両想いなのに気付いてないのは本人達だけだ」
「それは、また……」

つまり、周囲から見ればバレバレな程にお互いに思い合っていながら、本人達はきれいさっぱり気付いていないと言う事だ。二人揃って、あまりにも鈍すぎる。
まぁ、兼一もあまり人の事を言えた義理ではないのだが、それでも頬が引きつるのは抑えようがない。

「つーか、暇さえありゃ実家にも顔をださねぇでユーノの部屋に入り浸ってるのにあり得ねぇだろ、普通」
「そうなんですか?」
「ユーノの奴は、アレで不精者だからな。いや、それも少し違うか?
なんつーか、昔から他人の事ばっか優先する奴でよ。自分の事はぜ~んぶ後回しにして、結果的に何も手をつけられなくなっちまうんだ。
そんな訳でよ、忙しくてほとんど無限書庫と司書長室に缶詰なせいもあるが、放っておくとアイツの部屋あっという間に埃塗れだし、服を洗濯もしねぇで使いまわす、挙句の果てに飯も滅茶苦茶適当に済ませるぞ。
いざとなれば点滴でいいや、とか思ってる節もあるからな」

そこまで行くと逆に凄いが、健康的で文化的な生活とは到底言えない。
生活環境と言う意味では、ユーノ・スクライアのそれはとっくに破綻していなければおかしいのだ。
それが曲がりなりにも保たれているのは、ひとえになのはのおかげである。

「それをなのはが休日の度に掃除して、洗濯物を畳み、日持ちするもんやら弁当やらを作ってやってるんだ。
 アイツに聞けば食器や書籍の在り処どころか、下着や季節ものの在り処もわかるぞ」
「マジですか?」
「マジなんだよ、これが。それどころか、最近じゃ司書長室にまで手を出してるらしいしな。
 はっきり言って、ユーノの生活はなのはがいなくなったら成立しねぇ」

何しろ、家主以上にその空間を熟知しているのだから、生半可なことではない。
そして、逆に言うとなのはからユーノの世話を取ると、ほとんど何も残らなかったりする。

「なのはちゃん、趣味ってあるんですか?」
「ユーノ、後は訓練(砲撃)だな。それ以外なら夜まで爆睡だ」
(ワーカーホリックのお父さんじゃないんだから…いいのかな? 二十歳前の女の子がそんな有様で……)

いやまぁ、恋と仕事に生きていると言えばそれはそれで充実していなくもないが……。
というか、趣味の欄に個人名をかける時点で色々おかしい。
だがここで、突如ヴィータの肩が激しく震え出し、背後から怒りのオーラが立ち登る。

「そこまでやっておきながらアイツときたら! ユーノの事を突っ込むと……………『え? ユーノ君は友達だよ?』だぞ!! どこの世界にんな甲斐甲斐しく通い妻やる友達がいるんだよ!!!
 ユーノはユーノで、なのはが『親切』で世話してると思ってんだぞ!!
 鈍いにもほどがあんだろうが!! 頭おかしいだろ、絶対!!!」
「ヴィータ副隊長、シー! 声、声大きすぎますから!?」

ついにブチ切れて気炎を上げ怒鳴り散らすヴィータと、それを必死になだめる兼一。
当のなのははと言えば、ポケーッとした顔で「何話してるんだろう?」と思っている。

「ハァハァハァ、ハァ…悪ぃ、つい熱くなっちまった」
「いえ、お気持ちはわからないでもありませんから……」
「もう何年もこんな具合で、あたしらももどかしい……つーか、いい加減頭きてなんとかくっつけようとしてるんだが……」

皆まで言わずともわかる。大方、二人揃って尽くスルーしているのだろう。
本人達に悪気がないとはいえ、周りの努力を嘲笑うかの如く受け流されては腹も立つ…を通り越して無力感でいっぱいだ。
あのフェイトですら「早くくっついちゃえばいいのに」と溜息をつくほどである。

「でだ、ちょっと第三者の意見を聞きてぇんだけどよ」
「まぁ、それは構いませんが。その前に、ユーノさんはどうして自分の気持ちを抑え込んじゃってるんですか?
 彼が自分の気持ちに素直になるだけでもだいぶ変わると思うんですけど……」
「正論だが……聞き難い事をズバッと聞くよな、おめぇ。
 普通、聞くにしてももう少し遠回しに聞くだろ」
(うぅ、どうして僕って奴は……!?)

心のウィークポイントを的確に突いてしまうのか。
ヴィータも関わりのある事らしく、その肩は震えている。
本人としては怒りを爆発させたいところなのだが、アドバイスを求めたのは他ならぬ自分。
ならば、どれだけ頭にきても怒鳴るわけにはいかない。

「まぁいい、理由の一つは今みたいな状態が長く続き過ぎちまって変に安定しちまったからだ」
「ああ、今の関係を壊したくないっていうアレですね」
「おう。もう一つ、つーかこっちが一番厄介なんだが……」

あまり、気安く話していいような話題ではない。
少なくとも、今はまだ過去を暴きたてるほど切羽詰まっていないのだから。

「確かおめぇ、道場の一人娘と結婚したんだろ?
 だったら何かねぇのかよ、道場の娘と結婚する秘伝の技とか」
「ないですよ、そんなの……」

言いつつ、眼が泳ぐ兼一。
かつて兼一もまた、田中勤に似た様な事を聞いたものである。
あの時の彼と同じ立場になって、ようやく何とアホな事を聞いたのだろうと思ったらしい。
とそこへ、突如廊下の曲がり角から何かが飛び出した。

「あ」
「え?」
「ん?」

三者三様の呟きが口から漏れ、飛び出した何かを視界に修める。
それもそのはず、それだけそこに現れたのは意外な人物だったのだから。

「お前達は!?」
「ってシグナム、さん?」
「えっと、どうしたんですかそんなに慌てて……」

そう、「ドドドドド!」と言うけたたましい音を立てて走るのは、ライトニング分隊副隊長のシグナム。
普段ならば「廊下を走るな!」と真っ先に注意するタイプの筈の彼女が、なぜか今は全力疾走の真っ最中。
高い位置で結わえたポニーテールは激しく揺れ、その顔には明らかな焦燥が浮かんでいる。
だがそんな事よりもまず目についたのは、ある意味において中々にショッキングなその姿。

「つーか、なんつーかっこしてんだよおめぇ」
「言うな! と言うか見るな!!」

呆れ返ったヴィータの指摘に、シグナムは自分の体を抱きしめながら背を向ける。
無理もない。何しろ今の彼女は普段着ている茶色の陸士制服でもなければ、主より賜った騎士甲冑でもないのだから。

むしろ、そう言った真面目な格好とは真逆。
今彼女の上半身を包むのは……………………………何故か体操着。ついでに平仮名で「やがみ しぐなむ」の名札付き。
しかもややサイズが小さめらしく、豊かな胸は窮屈そうに体操着を押し上げ、代わりにチラチラとへそが見える。
なんというか、非常に眼のやり場に困る格好だ。

「これにはやむにやまれぬ事情があってだな……」
「どういう事情があればんなエロいかっこする事になんだよ」
「ヴィ、ヴィータちゃん…たぶん、私達の知らない深い理由があるんだよ、きっと」
「くっ、今はその優しさですら痛い……!」

屈辱と羞恥に顔を赤くするシグナムを不憫に思ったのか、なんとかとりなそうとするなのは。
ただし、ヴィータの視線はどこまで言っても冷たく、後一歩で軽蔑の域に達しようとしていた。
そんな視線に耐えられなくなったのか、唐突にシグナムは兼一を睨む。

「……ええい、元はと言えば白浜! 全てお前のせいなのだぞ!!」
「って僕ですか!?」

思わぬ形の飛び火に、驚愕を露わにする兼一。
彼からすれば、シグナムの格好と自分に何の因果関係があるのかさっぱりなのだ。
まぁ、普通この状況でその因果関係を見抜けと言う方が無理難題なのだが。

「お前があの時余計な事を言わなければ……!」
「あの、あの時ってどの時でしょう?」
「む!? そ、それは……だな。い、以前、私の事を、その……」
「?」

よほど言い辛い事なのか、珍しく指先をゴニョゴニョと弄りながら口ごもるシグナム。
その顔は先ほどよりもさらに赤くなり、今にも湯気が出そうな有様だ。

「だから……か、かわ…かわ……」
(川?)
「……お、女の口からそんな事を言わせるな! 察しろ!!」

『んな無茶な』とは思っても言えない兼一。
はっきり言うと上半身体操着、下半身タイトスカートというチグハグな格好で睨まれても全然恐ろしくない。
が、顔を真っ赤にして瞳を潤ませている姿を見ると、思わず口を噤んでしまうのだ。
しかしそこで、真の元凶が現れた。

「ふっふっふ、いけない子やなぁ。まだ試着の最中に逃げ出すやなんて……烈火の将の名が泣くでぇ」
「ひっ!?」
(シグナムがこんな反応するってどんだけだよ……)

何かのトラウマでも植え付けられたのか、ガクガクと震えだす。
まぁ、シグナムにこんな事を出来る人間は限られているし、そもそも先の口調から誰が犯人かは推理するまでもない。

「お、お許しを、主はやて!」
「許すも何も、別に怒っとるわけやないし。さあ、そろそろ覚悟を決めるんやなぁ」
「というか、なにやってるのはやてちゃん?」
「おお、ヴィータになのはちゃんやんか! シグナムを捕まえてくれたんか?」
「いや、つかまえたっつーか、まぁそういう事になるのか?」
「離せ! 離してくれヴィータ!! 後生だ、頼む~!!!」

実際、なんとか逃げ出そうとするシグナムの脚を掴んでいるのはヴィータだ。
ナリこそこんなだが、六課でも指折りのパワーの持ち主。この程度は造作もない。
いや、シグナムが錯乱して魔法を使えなくなっているからでもあるのだが。

「というか、八神部隊長。その手に持っているのはいったい……」
「ん? 見ての通り……………ブルマや!」
「いや、それは見ればわかるんですけど」

右手に持つそれを指摘され、はやてはビロ~ンと伸ばして掲げて見せた。
だがそんなのは言われなくてもわかる。今問題にしたいのは、その用途だ。
何故に機動六課部隊長ともあろう人物が、ブルマ片手に部下を追跡していたのか。
全く以って意味不明に過ぎる状況である。

「いやぁ、ちょうシグナムに穿いてもらおうかと思ってな」
「シグナムさんに?」
「そ、それはまた何と言いますか……」
「滅茶苦茶犯罪っぽいよな」

想像してみてほしい。出る所はとても出て、引っ込む所はとても引っ込んでいる。そんなメリハリの利いたワガママボディの彼女が体操着とブルマを身に纏う。
何と言うか、どこぞの水商売系のお店を連想してしまう格好である。
理由も意図も定かではないが、それはシグナムが嫌がるのも無理はない。

「恥じらいに染まる凛々しい顔立ち、はち切れんばかりに引っ張られる小さめの体操着とブルマ…………それがええねん!!」
「「「はぁ……」」」

何やら力強く断言するはやてだが、三人は全く共感できない。
その後ろでは、怯えた小動物の様な顔でシグナムが震えている。

「でも、なんでまたいきなり……」
「ほら、兼一さんがシグナムの事『可愛い』って言うたやろ?」
「はい、まぁ……」
「せやからこうして、シグナムの新しい魅力を模索してみることにしたんや!!」
「ですが、よりにもよってなんでこんなニッチな方向に走るのですか!!」

ようやく少し気力を取り戻したのか、涙目になって反論するシグナム。
百歩譲って新しい魅力を探るのは良いとしても、幾らなんでもこれは勘弁してほしいだろう。
特に彼女の様な堅物なら尚更。まぁ、だからこそはやてはこれを選んだのだろうが。

「ええ~、でも男の人はこういうの好きやろ?」
「え”!? あ、その…え~っと……」

いきなり話を振られ、返答に窮する兼一。
まごう事なき「イロモノ」だとは思う。だが、この格好に惹かれるものが全くないかと言えば……否だ。
既婚者であり子持ちである身とはいえ、彼もまだ二十代の男。
正直、この色々パッツンパッツンなシグナムにはついつい視線が向いてしまう。
これにさらに地球ではほぼ絶滅したと言っても良いブルマを+されるとなると……。

しかしそこで気付く。
先ほどから突き刺さる、非常に冷めた視線に。

「「…………」」
(ま、マズイ!? なんかすごい白い目で見られてる!!)

きっと、「あ、この人(こいつ)こういうのが好きなんだなぁ~」と思われているのだろう。
本能の部分で否定できない所はあるが、大人として、一児の父として、嘘でも否定しなければならない場面がある。そして、今の状況こそがそれだった。

「や、やだなぁ……僕、こういうのはちょっと……」
『へぇ~~~』
(うぅ、全然信じてくれてない……)

生来の嘘の下手さが仇となり、全く信用を勝ち取れない兼一。
ちなみにこの数日後、どこからか漏れたこの一件を聞きつけたギンガが『ブ、ブルマが良いんですか?』と、少し顔を赤らめながらモジモジと上目遣いで訪ねてきたのは、全くの余談である。

「でもほら、はやてちゃん。シグナムさんも嫌がってるし……」
「せめてさ、廊下とか人目のある所はやめた方が良いと思うぜ」
「むぅ、しゃーないな」

さて、これはいったいどちらの意見に従ったのやら。
もし前者を考慮していなかった場合、また同じような目にシグナムは合うのだろうが。
これは余談だが、はやての自室にはいつの間にか自分が着る分以外の良く分からない衣装が急増しているのだが、その用途は全くの不明である。

「すまんな高町、ヴィータ、恩に着る。白浜は見損なったが」
「はい、生まれてきてごめんなさい……」
「ええやないのシグナム。男の人やったらこんなん当然やで♪」
「はやてちゃんが言うと……」
「ああ、なんか生々しいよな」
「そういえば、近々スク水とバニーさんの衣装が来るんやけど、なのはちゃんやヴィータも着てみるか? 」
「「すみません、勘弁してください」」

二人揃って即詫びをいれる。どちらの衣装にしても、あまりにも恥ずかし過ぎる。
ヴィータならスク水でも違和感はなさそうだが、彼女のプライドが許さないのだろう。

「ん~、でも勿体無いなぁ……。兼一さんもちょう赤くなっとったし、好感触やったんやけど」
「む……」
「アレなら、男の人の何かにヒビを入れる位できそうやったのになぁ」
「(ピクッ)」
(ふふ~ん、まんざら興味がないわけでもなさそうやなぁ♪
 上手くすれば、案外ノリノリになるかもしれへんで、これは)

実際、先ほどからチラチラとシグナムの視線がブルマに向いている。
少しは自分の女としての魅力を磨く事に意識が向きだした証拠だろう。
はやての場合、かなりおかしな方向に持って行こうとしているようだが。
一応家族の魅力を引き出してやりたいと言う善意もあるだけに、中々に始末に負えない。とりあえず、「兼一さんに感謝やなぁ」と思いつつ、「次は何を着せたろうかなぁ」とほくそ笑むはやてであった。



  *  *  *  *  *



その日の深夜。
外周りで帰りの遅くなったフェイトが寮に戻ると、当然ながらほとんどの明かりは消えていた。
だがつまりそれは、僅かに明かりが灯っている事を意味する。
例えば、共有スペースであるエントランスとか。

「あれ? まだ誰かいるのかな?」

自動ドアをくぐりながら、不思議そうに呟くフェイト。
役職柄外周りが多いため、フェイトは帰りが遅くなることも多い。
皆が寝静まった頃に戻る事もあり、その頃になるとエントランスも最小限の明かりしかない。

しかし今日は違った。
基本的にはうすらぼんやりとした明かりしかないのだが、ある一点にはっきりとした明かりがある。
出入り口から見えるのは後ろ姿だけだが、誰かが卓上ライトを持ちこんでいるらしい。
エントランスに微かに響くのは『カリカリカリ』と言う断続的な音。
その人物は椅子に腰かけた状態で、黙々とテーブルに向かっている。

何をしているのかは定かではないし、まさかこの場所で不審者と言う事もあるまい。
だが、状況と明るさなどからイヤでも不気味さを感じてしまう。
フェイトは一つ深呼吸をし、意を決してその人物に声をかけようとする。
しかし、フェイトが声をかけるより先にその人物がフェイトに気付いた。

「? ハラオウン隊長?」
「って、白浜二士?」

振り向いたのは、フェイトからすると色々と対応に困る人物。
自分がいくら望んでも届かない場所にあっさりと居場所を確保し、命よりも大切な二人を誑かす(本人主観)男。
あまりにもうらやまし過ぎて、影でハンカチを噛んだ事数知れず。
だが本当は、エリオやキャロの事を色々気にかけてもらっているので、実はかなり感謝もしている相手だった。

「こんな時間に何をなさってるんですか?」
「いや、ちょっと勉強を……」
(勉強? って、なんの?)

相手は武術家なので、修業とかなら納得できるのだが……。
まだミッド語に不自由な部分があるかもしれないので、もしかしたら語学の勉強かもしれない。
あるいは、何かの資格でも取ろうとしているのか。
まぁいずれにせよ、夜中まで勉強していると聞けば好感が湧く。同時に、その内容に対する興味も。

「いったいなんの……」

好奇心を抑えられず、相手に対する諸々の蟠りや複雑な感情も、いまだけは棚上げする。
そして本人に了解を取った上で、横から使っている教材をのぞき見れば……。

「これって魔法の初級教本…ですか?」
「ええ、まぁ。お恥ずかしながら……」

兼一が読んでいたのは、フェイトもずいぶん昔に使った事のある魔法初心者用の教材。
当時とでは内容にやや違いはあるが、根幹はそれほど変わらないのでタイトルを見ずとも一目でわかった。

それを見てフェイトの胸に湧き上がったのは懐かしさと疑問。
懐かしさは、極短期間でその内容を修めた事を褒めてくれた家庭教師との思い出がよみがえったから。
疑問は、リンカーコアすらない兼一がなんでまたこんなものを読んでいるかわからなかったから。

なのはから本好きと聞いていたし、単なる好奇心からかもしれない。
だがそれにしては、辞書まで用意して思い切り熟読する気満々。
はっきり言って、興味や好奇心だけとは考えにくい。

「でも、なんでまたこんなものを?」
「その……やっぱり、なのはちゃんに頼りっ切りってわけにもいきませんので……」

フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは一を聞いて十を知ることのできる、非常に聡明な女性だ。
彼女はどこか気恥ずかしそうに言う兼一の僅かな言葉から、その意図を正確に推察する。

「もしかして、ギンガの指導の為に?」
「魔法に無知なのは……この際しょうがないと思うんです。今までそんなもの全然知りませんでしたし、僕自身全く使えませんから。たぶん、あまり詳しく知らなくても恥にはならないとも思います。
 どんな魔法があって、戦う時にどう対処すればいいか、それだけ知ってればいいわけですしね。
 でも、僕はギンガの師です。あの子を鍛え、導く責任があります。魔法の事が良く分からないからと言って、そっちの方を丸投げ……って言うのも無責任じゃないですか」
「それで、ですか? でも……」
「仰りたい事はわかっているつもりです。生まれつき目の見えない人に色が理解できない様に、魔法を使えない僕がいくら勉強しても本当の意味でそれを理解する事はできないでしょう。きっと、それほど上手く指導もしてあげられないんだと思います。
 でもだからと言って、見て見ぬふりは……できません」

六課にいるうちはなのはがいるから良いとしても、六課を離れれば必然なのはとも別れる。
ギンガならば限度と節度を守って魔法を磨くのだろうが、「使えないから」と言って放置してはいけないと兼一は思う。
全くの門外漢なのでどこまで力になれるかは分からないが、それでもできる限りのことはしてやりたいのが親心。
その為には、基礎的な所から正しい知識と理解を身に付けなければならない。
この調子ではいつになるかわかったものではないが、基礎の大切さは魔法も武術も変わらないのだ。
ならば、一見遠回りに思えても一番の初歩から学んでいかなければならない。

(この本も辞書も、あちこち擦り切れてる。
 白浜二士は魔法に出会ってまだ半年も経ってない筈なのに……)

とても数ヶ月使っただけとは思えないそのくたびれ具合に、フェイトは思わず圧倒される。
進度は御世辞にも早いとは言えないが、いったいどれほど繰り返しページをめくり、読み込んできたのだろう。
魔導の天才であるフェイトなら短期間で理解できる事でも、魔法の使えない兼一には困難を極める。
そもそも「魔法を使う」と言う感覚そのものを持たない彼には、本質的に理解できないかもしれない。
魔法は理数系に近いとも言われるし、どちらかと言えば文系の兼一にはなおのことハードルが高い。

だが兼一は、その差をなんとか埋めようと必死にその内容を頭に叩きこんで来たのだ。
もしかしたら、教本の内容を一語一句寸分違わず暗唱できるかもしれない。
手垢で汚れ、もう何年も使いこまれたかのような教本を見ると、そんな事を思わずにはいられなかった。

(なのはやギンガが、尊敬するわけだよね……)

苦手な分野と言うのは、誰しも敬遠したがるものだ。
フェイト自身、海鳴時代には国語の勉強に四苦八苦しただけに少しは理解できる。
兼一からすれば、魔法と言うのは対処するならともかく勉強の対象としては最悪の相性と言っていい筈。
その難度たるや、フェイトが国語に悪戦苦闘していた時の比ではない。

ならば、その大の苦手分野にここまで真摯に向き合えると言うのは、それだけで尊敬に値する。
それも、その動機はたった一人の弟子の為。
これを無駄な努力と嘲笑う人がいるとすれば、それはまごう事なき人でなしだ。
そしてフェイトは、頑張った人はそれだけ報われてほしいと思うし、その力になりたいと思う。
だからだろう。気付いた時には、フェイトは思わずある申し出をしていた。

「あの、もしよかったらなんですけど……少し教えて差し上げましょうか?」
「え? い、いいんですか? でも、ハラオウン隊長はお忙しいでしょうし……」
「は、はい。ですから、あまり時間は取れないかもしれませんけど、それでもよろしければ……」
「………」

思わぬフェイトの進言に、言葉を失う兼一。
さすがに、今まで教本だけを頼りにやってきた、と言うわけではない。
108にいた時は同僚達にも多々相談したし、それどころか恥を忍んで弟子であるギンガにも質問した。
今では、ギンガのみならず新人達やヴァイス、なのはを頼ることもある。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。無知は罪ではないが、知ろうと努力しない事は罪である。
可愛い弟子の力になれるのなら、多少の恥など何程の物か。

とはいえ、それは結局のところ「わからない事を聞く」と言う事。
基本的には自力での学習であり、教師の様に勉強を見てもらうと言うのとは違う。
さすがに仕事があり忙しい人達ばかりなので、そこまでしてもらうのは悪いと思った。
だからこそ今日まで兼一は自力で学び、どうしてもわからない時だけ人を頼ったのだ。

しかし、フェイトが勉強を見てくれると言うのであれば、それは大きな意味を持つ。
あまり長い時間は付き合えないかもしれないが、それでも教本の内容をよりわかりやすく噛み砕いて教えてもらえれば、理解の速度は格段に速まるだろう。
ある意味、教師の仕事は理解しやすい様に作られた教材の内容を、より理解しやすく解説し、学習の速度を速めることにある。
期間限定でも、僅かな時間でも、そうしてもらえるならどれほど助かる事か。

確かにその申し出はうれしい。
だが、ただでさえ忙しいフェイトにそんな雑事を頼むなど……。

「いえ、やっぱりダメですよ」
「え? わ、私じゃいけませんか?」

兼一のメリットを考えれば否はないと思っていただけに、フェイトはあからさまに動揺する。
『なにか嫌われる様な事でもしただろうか』と思い、ないとは言い切れない自分に気付き凹む。

「あ、いえ、別にハラオウン隊長に不満があるとかじゃなくてですね」
「そ、そうなんですか? でも、それなら……」
「ですが、ハラオウン隊長はお忙しいですし、こんな瑣末な事で時間を割いていただくわけにはいきません。
 これは結局僕の問題ですし、御手を煩わせる様な事では……」

そこまで言った所でフェイトの眉間にしわが生まれ、目に険が籠る。
なるほど、一瞬勘違いしたが兼一の言わんとする事はわかった。
教わる自分の事ではなく、教える相手の事を慮ってくれたのだろう。
その配慮は嬉しいのだが、今口にした言葉は聞き捨てならない。

「瑣末なんて事はありません! 教え子の為に必死に勉強してるんでしょう? なら、もっと胸を張ってください! 遠慮なんてしないでください!」
「え? え? え?」
「陸士の想いと努力はとても立派だと思います。私はそのお手伝いをしたいと思ったんです。
 迷惑だったり邪魔だったりするのならともかく、そうじゃないなら素直に受け取ってください」
「で、ですが……」
「どうしても遠慮するんですか? それなら……」

一呼吸置きへその下、丹田に力を込める。
そして、とっておきの一言を口にした。

「いつもエリオやキャロがお世話になっている御礼、ならどうですか?
 本来、二人の面倒をみるのは陸士の仕事ではありませんし、お給料にもつながりません。
つまり善意のボランティアです。私が勉強をお手伝いするのと同じなんですから、これでイーブンです」
「そ、そういう問題なんですか?」
「む、強情ですね。なら……私の相談に乗ってください」
「相談?」
「えっと…その……どうやってエリオ達と打ち溶けたのか、とか。
 二人とも、どこか私に対して硬い所がありますし……」

顔を真っ赤にして俯きながら恥じらうフェイト。
本当はここまで言うつもりはなかったのだが、勢い余ってついうっかり非常に気になっていた事を聞いてしまったのだ。
そんなフェイトの様子を呆然と眺めていた兼一だったが、溜め息を一つつくと観念したように諸手を上げた。

「わかりました。僕はハラオウン隊長の相談に乗って、ハラオウン隊長は僕の勉強を見てくださる。
そういう取引、なんですね?」
「そ、そうです! わ、わかればいいんです、わかれば!!」

慌てた様子でまくしたてるフェイトに、苦笑を洩らす兼一。
よくよく考えてみれば、あまり頑固に断るとフェイトの顔が立たない。
上司を立てるという観点で考えれば、適当な所で受けるべきだったのだ。

「それと、私の事はフェイトでいいです。相談相手に他人行儀にされるのは嫌ですから」
「わかりました。でも、それなら僕の事も兼一でお願いしますよ、フェイト隊長。
 相談相手とはいえ上司なんですから、これ位は良いですよね?」
「ま、まぁ仕方がありませんね。では、今後はよろしくお願いします、兼一さん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。
 一応とはいえ一児の父ですから、少しは御力になれると思いますよ」

そこまで言った所で二人の眼が合い、それぞれ小さく笑いを零す。
その後はもう遅いと言う事もあり、軽く今後の打ち合わせを行い、主に夜に相談と勉強を行う事で合意し、解散となった。ついでに、兼一にはフェイトからいくらかの宿題も出されたが。

まぁ、そんな感じで今日も今日とて何事もなし。
今の所、機動六課は概ね平和なのであった。






あとがき

はい、ちょっと久しぶりの日常編でございました。
まぁ、小ネタの寄せ集めみたいなものですけど。正直、やりたい事が多くて絞るのに苦労した話でしたね。
本編中で入れる場所がなかったのですが、兼一がエントランスで勉強していたのは、お子様二人を起こさないようにと言う配慮です。
とりあえず、これでおおむね兼一は六課のほぼ全員と交流を持ちました。

さて、次回はいよいよ事件発生です。
と言っても、基本的には消化試合みたいなものですが、一応ひねりの様なものは加える予定。



[25730] BATTLE 21「初陣」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:53

薄汚れた廃墟を思わせる、至る所に経年劣化によるヒビの走るビル群。
しかしそこに人気がないと言うわけではなく、同時に静けさとも無縁だった。
なぜならその一角で、今日もまた機動六課が誇る戦技教導官『高町なのは』の下、期待の新人達は今日も今日とてハードな訓練に明け暮れているのだから。

舞い上がる砂塵、飛び交う魔力弾、響き渡る衝突音と交わされる声。
立て続けに起こるそれらが、行われている訓練の激しさを物語っている。

そして、キャロのサポートを受けたエリオの渾身の一撃と共に、一際大きな音と煙が発生した。
エリオが煙から弾き飛ばされながらも、体勢を立て直し近場のビルに着地する。

「うわぁぁぁぁあ……くぅ!?」
「エリオ!!」
「外した?」

エリオの身を案じるスバルと、先の一撃が不発に終わったのではと危惧するティアナ。
今彼らがしている訓練は、5分間なのはの攻撃を捌き切るか、あるいはその間に一撃入れるまで何度でも繰り返される。既にボロボロのあり様の新人達としては、5分間もなのはの攻撃をしのぎ切る自信は皆無。ならば何としてでも一撃入れるしかないのだが、何度も繰り返せばそれだけ体力を消耗し一撃入れる可能性は下がる一方。
彼らとしては、1回で何としてでもクリアするより他はなく、これが不発に終わればかなり不味い事態であろう。

成功か、失敗か。今できる中では会心の一撃だったが、上手くいったかは分からない。
新人達四人は煙が晴れるのを息をのんで待ち、やがて風と共にこれと言った傷のないなのはが姿を現す。
その光景に一瞬落胆を覚える新人達。
だが、なのはの顔に浮かぶのは微笑み、彼女は自身の愛機レイジングハートと共に頷き合う。

《Misson complete》
「お見事、ミッションコンプリート」

告げられた結果は合格。
しかし、やはりなのはにはこれと言って傷らしきものはない。
直接打ち込んだエリオですら合格と言う結果を信じられず、思わず聞き返していた。

「本当ですか!?」
「ほら、ちゃんとバリアを抜いて、ジャケットまで通ったよ」

そう言ってなのはが指差すのは、左わきの当たり。
確かにそこにはうっすらとだが汚れの様なものがあり、彼女の言葉が偽りでない事を教えてくれる。
皆はようやく合格と言う事実に実感がわいたのか、各々の顔に喜色が浮かぶ。

「じゃ、今朝はここまで。一端集合しよ」
「「「「はい!」」」」

なのはは地上に降り、バリアジャケットを解除した。
指示に従い新人達が自身の周りに集合するのを待ち、なのはは彼らに優しく言葉をかける。

「さて、みんなもチーム戦にだいぶ慣れてきたね」
「「「「ありがとうございます!」」」」
「ティアナの指揮も筋が通ってきたね。指揮官訓練、受けてみる?」
「い、いやぁあの…戦闘訓練だけで一杯一杯です」

上司の提案に、少々引き気味になりながらも遠慮するティアナ。
そんな相棒の様子に、スバルは苦笑気味の声を漏らす。
とそこで、キャロの足元にいたフリードがきょろきょろと首を動かしていた。

「きゅくる?」
「え? フリード、どうしたの?」
「なんか、焦げ臭い様な?」

フリードに続き、エリオもその異変に気付く。
皆がその出所を探す中、それを見つけたのはティアナだった。

「あぁ!? スバル、アンタのローラー!」
「え? わ、わぁ、やばぁ!?」

言われてみれば、スバルの足元からは僅かな黒煙となにかの回路がショートする様な音。
スバルは大急ぎでローラを脱ぎ、それを抱え上げる。

「あちゃ~…しまったぁ、無茶させちゃったぁ」
「オーバーヒートかな? 後でメンテスタッフに見てもらおう」
「はい」
「ティアナのアンカーガンも結構厳しい?」
「ぁ、はい。だましだましです……」

実際、先ほども弾詰まりの様な事が起きていたし、あまりいい状態とは言えないだろう。
二人の表情は明らかに気落ちしており、色々と不安がある様子が伺えた。
なのはもまた思う所があるのか、上を向いて思案にふけている。

「そう言えばギンガさんも、パーツの損耗が激しくてそろそろ新調した方が良いかもって言ってましたっけ……」
「あ、ギン姉も?」
「ま、ギンガさんは…っていうか、兼一さんはかなり無茶させてるみたいだし、当然と言えば当然だけどね」

一応スバルも二人のところに押しかけて、ギンガと共に整備をし、意見を交わす事は多い。
が、やはりその辺りの事情に関しては、やはり同室のキャロの方が詳しいらしい。
まぁ、夜遅くまでギンガが整備のために起きている所を見ているのだから、当たり前かもしれないが。
とそこで、それまで何か考えていたなのはが意を決したように皆の顔を見る。

「みんな、訓練にも慣れてきたし、そろそろ実戦用の新デバイスに切り替えかなぁ……」
「新…」
「デバイス…?」
「うん。スバルとギンガのは少し手間取ってたんだけど、最近ようやく完成したからね。
 近々とは思ってたんだけど……」

自作のデバイスも限界にきているようだし、タイミングとしては丁度いいという事なのだろう。
どのみち、今のデバイスでは彼らの力を最大限に引き出せているとは言い難いのだから。

「まぁ、そういうわけだから、後でちょっと時間を貰うよ。
 そうそう、ギンガにも連絡しておかなきゃいけないんだけど……」
「ああああああああ~」
「あ、ギン姉また飛んでる……」
「今は…無理そうだね」

視線の先はとあるビルの屋上。
また危なっかしい所でやっているようだが、どうせ怪我らしい怪我などさせないのだろう。

「あの調子だと、ちょっと今は無理そうかな?」
「ですね……」
「しょうがない、ギンガには後で知らせるって事で」
「「「「……はい」」」」



BATTLE 21「初陣」



三人にはとりあえず先に戻る旨を伝え、六課隊舎に戻る道中。
なのはと新人達は軽い雑談に興じていた。

「そういえば、スバルとエリオは良く兼一さんに話を聞きに行ってるんだよね?」
「あ、はい」
「色々と教えてもらっています」
「お兄ちゃんともよく試合してたし、対武器戦の経験も豊富だからねぇ」

実際、ギンガと同じスタイルのスバルはもちろん、エリオとしても兼一からのアドバイスはためになる事が多い。
技術的な話から心構え、あるいは思想的な話など。これまでの一ヶ月少々の間に交わされた話題は多岐に渡る。
それこそ、戦いや武術とはまったく関係のない雑談まで。
しかし、当然そうではない人間もいるわけで……。

「そう言えば、キャロとティアはあんまりそういう話ししてないの?」
「えっと、私はその……」
「しょうがないでしょ。使うデバイスが銃型って言っても、やっぱり普通の銃とじゃ勝手が違うし。
 かと言って、兼一さんに魔法の事を聞いても仕方ないんだから」

対魔法戦ならいざ知らず、魔法そのものを兼一に聞いても意味がないと言えば確かにそうだ。
何しろ単純な知識量だけを問うたとしても、兼一のそれは新人達に遠く及ばない。
それはキャロも似た様なもので、魔法によるサポートがメインの彼女からすると、兼一にいったい何を聞けばいいのかさっぱり、と言う部分があるのだろう。

「私も、普通のお話とかはしますけど、あんまりそう言ったお話は……」
「まぁ、それはそうなのかな」
(……案外、そうでもないと思うんだけどね)

エリオの呟きに、なのはは声には出さずに思う。
確かにエリオやスバルと比べると、ティアナやキャロが兼一から学ぶ事は多くないかもしれない。
だが、いずれは二人も自身の属性を選ぶ時が来る。そうなれば、静の極みに近い所にいる兼一の助言は大きな意味を持つ筈だ。場合によっては、直接兼一に預けるのも一案だと思う。
それでなくても、一人の戦闘技能者としてのキャリアと技能が次元違いなのだから、畑違いでも学ぶ事は多い。

なので、いっそのこと兼一に学びに行くように指示する事も考えないわけではない。
が、今のところは「希望者が自発的に聞きに行く」という形を取っている。
それというのも、基礎を固め直している段階であまり先の事ばかり気にし過ぎるのもよくない。
実際兼一には、助言を求められても基礎的な部分の話に重きを置くよう頼んである。

まぁ、いずれは本格的に新人達の面倒も見てもらう時が来るだろう。
しかしその時になっても、恐らく全員纏めて預けると言う事は滅多にない筈だ。
なにしろ兼一の教え方は、あまり一度に大勢の面倒をみると言う事に向かない。
なのはの家族や梁山泊を見てもわかるが、彼らのやり方は一人の武を徹底的に掘り下げると言う物。
教える人数を絞り、完全管理かそれに近い状態の下で行うのが望ましい類である。
さすがに全員纏めて面倒を見てもらうのは、色々な意味で上手くないだろう。
と、そんな事を考えていると、なのはの眼に何やら珍妙な光景が飛び込んできた。

「あれって……」
「ザフィーラ、ですよね?」
「うん、どうかしたのかな?」

スバルとティアナの問いに、なのはも首をかしげる。
眼に映るのは、自分達目掛けて駆けてくるザフィーラ。
何か急ぎの用でもあるのかと思ったが、すぐにそれを否定する。
なにせ、もし急ぎの用があるのなら、念話で伝えれば済むだけだ。

だがそこで、ある事に気付く。ザフィーラの青い毛並みの中からはみ出す黒い何か。
ザフィーラに黒い毛などなかった筈だが、と首をかしげていると、ザフィーラはなのは達のすぐ目の前で停止した。そして、その黒い何かが唐突に動くと、そこにあったのは満面の笑顔を振りまく幼い人の顔。

『って、翔?』
「おかえり~♪」

どうやら、ザフィーラの背中にしがみついてここまで運んでもらったらしい。
まだ小さい翔だからできる事だし、大型の動物に乗って走りまわると言うのは一種の夢だろう。
事実、エリオやキャロなどは少しばかり羨ましそうにしていたり……。

「でも、なんでまたザフィーラの背中に?」
「乗せてくれたの~」
「まぁ、何だ。ああもせがまれると断りづらくてな……」

寡黙ではあるが人の良い彼らしく、翔の頼みを断り切れなかったらしい。
元々子どもに好かれる性質でもあるので、ある意味当然の結果かもしれないが。
しかしこの分だと、いずれ彼は翔の乗り物にされてしまうのではなかろうか。

そんななのはの危惧は正しかったのか、その後もザフィーラに跨ってみなと移動する翔。
ザフィーラもすっかり乗り物に徹してしまったらしく、その後積極的に会話に参加してくる事はない。

「それじゃ、父様と姉さまはまだ終わらないの?」
「うん」
「先に戻ってご飯食べててって」
「そっかぁ……」

エリオやキャロの言葉に、少し残念そうにションボリする翔。
彼としては父や姉と一緒に食べたかったのだろう。
特にギンガは普段忙しくしているので、最近はあまり翔にかまってやれていない。
我儘を言って困らせる事が滅多にない翔ではあるが、別に寂しいという感情がないわけではないのだ。

「翔はどうする? 先に私達と食べる?」

そんな翔の気持ちは分かるが、かと言って一人待たせるのも忍びない。
だが、自分達も色々予定があるので一緒に待つのも難しいだけに、スバルとしてはこういうしかない。
そんなスバルの問いに、翔は少し悩んだ後こう答えた。

「う~…待つ!」
「……そっか」

敢えて意思確認はせず、少し寂しげな笑みを浮かべながら翔の頭を撫でるスバル。
翔の顔を見れば、彼が前言を撤回する気がない事はわかる。
やはり、彼にとっては父や姉の存在は特別なのだろう。
自分がそうではない事には少し寂しい気はするが、こればかりは仕方がない、そんな笑みだった。

「えっと、そう言う事だからザフィーラ……」
「わかっている。こちらは任せてお前達は気にせず先に行け」
「ごめんね」
「気にするな。これも守護の獣の務めだ」
(あれ? そんな役目ってあったっけ?)

ザフィーラの言に首をかしげながらも、とりあえずは感謝しておくなのは。
そのまま彼らは分かれ、翔を乗せたザフィーラは訓練場に、なのは達は隊舎へと向かった。
その後、なのは達は出掛けるフェイトとはやてに出会うのだが、それはまた別の話。



  *  *  *  *  *



それからしばらく経った機動六課隊舎の一室。
新型デバイス支給の為に集められた新人組およびギンガ…………そして何故か兼一。
皆は一様に最新技術の粋を結集して作られた真新しいデバイスに目を輝かせている。

そんな面々を尻目に、開発にも参加したリインとシャーリーは意気揚々と喋りまくっている。
曰く、これらは六課の前線メンバーとメカニックスタッフの技術と経験の粋を集めた最新型。
曰く、部隊の目的に合わせると共に、皆の個性に合わせた文句なしに最高の機体。
曰く、ただの武器や道具と思わず大切に、だが性能の限界まで使いきってほしい。
曰く、すぐにでも使えるが、何段階かの出力リミッターがかけられている等だ。
そのまま話は隊長達自身にもかけられている出力リミッターや、スバルやギンガと言ったちょっとした特殊例にも話が及んでいた。

「ぁ、スバルとギンガさんの方は、リボルバーナックルとのシンクロ機能も上手く設定できてます」
「っ! ホントですか!」
「持ち運びが楽になる様に、収納と瞬間装着の機能も付けときましたよ」
「あ、ありがとうございます!」

リボルバーナックルは重い上に色々かさばるので、携帯性と言う点では非常に不便だった。
しかし今回、その辺りが改善されたと聞いて互いに微笑みあう仲良し姉妹。
シャーリーとしても、その笑顔を見ると苦労した甲斐があったと言わんばかりに喜んでいる。
ただ、これまでは静観していたが、兼一としてはなのはにどうしても聞いておきたい事があった。

「ねぇ、なのはちゃん」
「はい?」
「やっぱり…僕もこれ、持たなくちゃダメ?」

そう言って眼の高さまで持ち上げたのは、一見すると普通のアナログ腕時計。
だがその実、これまた時空管理局の最新技術が惜しげもなく注ぎ込まれた逸品である。

愛用のバッジを使っていないのは、色々と思い入れのある物に手を入れたくなかったからだ。
ただその代わりといってはなんだが、文字盤が兼一のトレードマークでもある例のバッジと同じ柄をしているあたり、中々に芸が細かいと言えよう。
まあ、それはともかくとして、兼一からの問いに対するなのはの答えは決まっている。

「ダメです」
「どうしても?」
「どうしても! です」
「う~ん……」
「やっぱり、気が乗りませんか?」

困惑気味に問いかけられるも、兼一は腕を組んで唸るばかり。
確かにこういうものがあると便利なのは事実なのだが、あまりそういうものに頼りきりになるのもどうか。
なにより、防具が万全過ぎると心に隙が生まれそうで怖い。少々お調子者な面があるのは本人も自覚する所なだけに、その辺りが心配だったりする。

「でも、さすがに現場に出るのに帷子と手甲だけ、ってわけにはいきませんよ。体は帷子が守ってくれてるとは言え、さすがに直撃を受けたら危ないですし、頭なんて防具すらないじゃないですか」
「う”……」

一つ一つが日本刀と同じ製法で作られた鎖帷子とはいえ、次元世界水準の兵器の直撃は不味い。
実際、かつてしぐれの鎖帷子も弾けた事があるし、直撃しても絶対安全とは言い切れない。
当たらなければいい話ではあるが、絶対に当たらないと断言できる根拠もない。
特に兼一の場合、誰かを庇って被弾することなど大いにありうる。
その意味で言えば、なのはの危惧は至極当然の物なだけに、兼一としても反論の余地がないのだ。

「なにより、私達には部下の命を守る努力と、必要と思われる装備を持たせる義務があります。
 幸い、技術部の方で兼一さん向きの装備を開発してる事ですし……」
「それが、これ?」
「はいです! AMFをはじめとした対魔力結合不可状況装備の一つ、バッテリー式の防護服です!」
「と言っても、これ自体は別に防護服を生成するわけじゃありません。あくまでも、装備者の周りに身を守る為の疑似フィールドを展開するためのものです。
 でも、これならとりあえず動きを阻害される心配もありませんから、兼一さんに向いてると思うんですよ」

なのはの言葉が示す通り、兼一があまり防護服の類を必要以上に付けたがらない理由の一つがこれだ。
ガチガチに固めれば確かに身の安全は保たれるかもしれないが、その分動きの邪魔になる。
そう言うのは兼一としても好ましくないのだが、これならとりあえずその問題は解消される。
となると、兼一としてはますます断り辛くなるわけで……。

「確かにまだいくつか課題もあって、その解決に必要なデータの蓄積が不十分な関係からまだ正式採用はされてません。でも、バッテリーの耐用時間はまずまずですし、強度も実用レベルには問題ありませんから」

なんでも、なのは達とコネのある技術部の人間が手掛けてくれたそうなのだが、正式採用には間に合いそうにないのだと言う。管理局自体の腰の重さもあって、中々本腰を入れてくれないのも原因だとか。
魔導技術全盛の時代だけに、そこから外れた技術にはまだあまり目を向けてくれないらしい。

かと言って、折角実用レベルにある物を持たせないとなると、それはそれで周りから叩かれてしまうのが今の彼女らの立場。
その上、兼一も今は一局員である以上、上の命令には従わねばならない。ましてやそれが、理不尽とか横暴とか言う類の命令でないのなら尚更だ。
いや、兼一に持たせればデータの蓄積にも丁度いいと言うのは否定しないが……。

(まぁ、場合によっては外しちゃえばいいわけだし……)
(どのみち、命令したとしても強制力なんてたかが知れてるんだよね。
 兼一さんの事だから、どうせ『いざとなったら外しちゃえ』とか思ってるに決まってるし。
なら、せめて普段持ち歩くくらいはしてもらわないと……)

実を言えば、なのはも兼一が戦闘時にこれを常に使用することにそれほど期待はしていない。
生真面目で義理がたい兼一の事だから、基本的には自分達の顔を立てて指示には従ってくれるだろう。
しかし、その義理から逸脱した状況が発生すれば話は別。例えば、彼の武人としての誇りや在り方が優先される状況が発生すれば、彼はきっとこれを外す。
なのはとしては、その可能性は決して低くないと思うからこそ頭が痛く、思わず重いため息が漏れてしまうわけだ。

だが同時に、それを絶対にさせない方法と言うのも思いつかない。
まさか、無理に外そうとしない様にトラップを仕込む、なんてわけにもいかないのだから。
そんな感じでそれぞれ色々と思う所はあるわけだが、兼一とていい年をした大人。
さすがに十近くも年下の少女を相手に意地を張り続けるのも大人気なく、相手が自分の身の安全を考えてくれている以上、その顔を立てないというのも格好がつかない。

それになのは達には悪いが、要はこの防護服とやらがその性能を発揮しない様に立ちまわればいいのだ。
先ほど当たらないと断言はできないと言ったが、当たらないよう努力する事はできる。
盾を持っていたとしても、使わなければ本人からすればないのと同じ。
それも、その盾がほとんど動きを阻害しないとなれば、お荷物にすらならないのだから。

「うん。まぁ、仕方ないよね」

その言葉を聞き、シャーリーとリイン、そしてなのはが深々と安堵の息を漏らしたのも当然であろう。
ただ、折角説得が成功したと言う傍から早速新たな問題が浮上するあたり、今日は厄日か何かだろう。

「ぁ、このアラートって!」
「一級警戒態勢!?」

それまで沈黙していたモニター群は、突如として赤い画面に切り替わる。
同時に室内もまた赤い光に染まり、けたたましい警報音が鳴り響いた。
その意味するところはつまり、機動六課設立初となる出動命令である。



  *  *  *  *  *



場所は変わって現場へと向かうヘリの中。向かう先は山岳地帯を移動中のリニアレール。
副隊長二人は交代部隊と共に出動中の為今回の作戦行動には参加せず、外周りをしていたフェイトは現場での合流となる為ヘリには同乗していない。
それでも新デバイス受領の場にいたメンバーのうち、シャーリーを除いた全員が乗っているのだからそれなりの人数ではあるが。

窓を除けば眼下には深い緑、すぐ横にはまだ雪の残った山々。
いよいよ現場が近づいてきた証拠であり、なのははこれからの動きを確認する。

「それじゃ、最終確認。今のところ重要貨物室までは到達してないみたいだけど、多分それも時間の問題。ここからは時間との勝負になる。あんまりゆっくりはしていられないよ」
「それに今入った情報ですと空から飛行型、崖の上や麓にもガジェットが集まってきているようです」
「うん、空は私とフェイト隊長で抑える。その間に、みんなはリニアレールの前後に乗り移って両側からガジェットを排除しつつ、中央に向かい七両目重要貨物室の目標を確保。
スターズの二人にはリイン、ライトニングの二人には兼一さんがついてください」
「うん」
「はいです!」
「あの、私達は?」
「ギンガは崖の上に集まってきているガジェットをお願い。
 私とフェイト隊長も空が終わり次第支援に入るから、無理はしないでね」
「了解」

初陣となるスターズやライトニングだけでやらせるのにはやはり不安があるし、この辺りが無難な所だろう。
ギンガは経験も豊富だし、元より遊撃扱いだ。こういう役割が本来の立ち位置と言える。
そうして一通りの指示を出し終えたなのはは、そのまま操縦席へ向かった。

「ヴァイス君!」
「ウッス! なのはさん、お願いします」

皆まで言わずともわかるとばかりに、手早くメインハッチを解放するヴァイス。
なのははメインハッチへと向かうと、最後に皆を振り返って声をかける。

「じゃ、出てくるけど、みんなも頑張ってズバッとやっつけちゃお」
『はい!』

威勢良く返事をする新人達。だがその中にあってただ一人、キャロはどこか沈んだ面持ちでいる。
その事に気付いたなのはは、キャロへと歩み寄りその頬にそっと触れた。

「キャロ。大丈夫、そんなに緊張しなくても」
「ぁ」
「離れてても通信で繋がってる。一人じゃないから…ピンチの時は助け合えるし。
キャロの魔法は、みんなを守ってあげられる優しくて強い力なんだから。ね?」

僅かに頬を紅潮させながら、なのはの言葉に耳を傾けるキャロ。
しかしそれでも不安を払拭しきれないのか、その顔はどこか頼りない。
なのはもそんなキャロの心を少しでも軽くしてやりたいのだが、考え込む時間も惜しい。
そこでふと、なのはは兼一へと話を振った。

「兼一さんからは、何かありませんか? なんかこう…勇気の出る一言とか」
「え? そうだなぁ……まぁ、人間いつかは……」
「はい?」
「いや、何でもない。忘れて」

『人間いつかは死ぬわけだし』と言おうと思って、すんでの所でやめた。
昔美羽に言われた事だが、全然全く勇気が出なかった事を思い出したからだろう。
ただ、その代わりと言ってはなんだが、キャロの頭に手を乗せこう言った。

「う~ん、キャロちゃんがなにでそんなに悩んでいるか僕は知らないけど……まぁアレだね。難しいことは、とりあえず―――――――――――――ぶっ壊してから考えよう!」
『え、ええ!?』

『良いのかそれで』と言わんばかりの反応。
ただそれを聞いたなのはは「ああ、こう言う所もそっちの色に染まっちゃったんだ」と思い、溜息しか出ない。
なんというか、どこぞの死神や鬼の様な台詞である。まったく、いったい誰に似たのやら。

「で、でも!」
「ほら、そんなに肩肘張らないで。良いんだよ、失敗しちゃっても」
「え?」

失敗しても良い、それは今までどこに行っても言われた事のない言葉だった。
それもそうだ。普通、失敗などしないに越した事はないし、キャロの場合その失敗が高くつく事が多い。
だから、『失敗してはいけない』『ちゃんとやらなくちゃいけない』『そうじゃないと、また居場所を無くしてしまう』そんな恐怖が、彼女の中にはあった。
そしてその恐れが、キャロの身体を固くしている原因でもある。

しかし、そうして身体を強張らせるキャロの姿は、兼一には痛ましく映った。
まだ十歳でしかない子どもが、ここまで思い詰めると言うのは見ていて辛い。
子どもと言うのは、もっと気楽に、無条件に希望を持っていられる大切な時代なのに。

「誰でもはじめから上手くやれるわけがないし、なんのかんの言ってもまだ二人は子どもだ。
何かやっちゃったとしても、その時は頼っていいんだよ。その為に、大人(僕達)がいるんだから」
「……ぁ」
「エリオ君もそうだけど、二人はちょっと頑張り過ぎだよ。肩の力を抜いて、気楽に行こう。
 もしもの時は、ちゃんと守るから。ね?」

微笑みかける兼一と、少し気の抜けた様な表情のキャロ。
そんな二人の様子を見て、なのははキャリアの差と言うものを痛感する。
戦士としてではなく、一人の人間としてのキャリアの差。
未だ二十歳にも満たない彼女ではどうやっても持ち合わせようのない、「大人の余裕」が少々眩しかった。

「それじゃ兼一さん、後はお願いします」
「うん。なのはちゃんも、気をつけてね」

兼一に掛かると、エースオブエースですら子ども扱いだ。
まぁ、実際になのはが子どものころから知っているわけだし、彼にとっては今でも『かわいい女の子』という認識が残っているのも当然なのだろうが。
その事に苦笑しながらも、最近は子ども扱いする人もいない為にどこか新鮮な気がしてくる。
それを意識すると、エースや隊長としての重責が少しだけ軽くなった気がした。

「……はい。スターズ1、行きます!」

そうしてなのはは大空へと身を躍らせ、バリアジャケットを身に纏う。
やがてフェイトと合流すると、二人は息の合ったコンビネーションで次々と空のガジェット群を撃破。
空には、桜色と金色の線が幾本も刻まれ、次々と爆発と言う名の花火を咲かせていく。

その後、残されたメンツで細かな打ち合わせへと移る。
と言っても、先ほどなのはが行っていた事の確認がほとんどだったが。

「というわけで、スターズかライトニング。先に到達した方がレリックを確保。ちょっとした競争ですね。
それと私は管制を担当するですから、あまりスターズのサポートはできないかもしれませんが、大丈夫ですか?」
「「はい!」」
「良いお返事です! それと、ギンガは私達が降りた後、持ち場に移動してください。
ではみんな、いつもの練習通りに頑張るですよ!」
『はい!』

そうしている間にもヘリは移動を続け、やがて降下ポイントへと到着する。
そして降下の準備が整ったところで、ヴァイスの檄が飛んだ。

「さぁて新人ども、隊長さん達が空を抑えてくれてるおかげで、安全無事に降下ポイントに到着だ。
 準備は良いか!」
「「はい!」」
「スターズ3、スバル・ナカジマ」
「スターズ4、ティアナ・ランスター」
「「行きます!!」」

先に降下を開始したのは前部を担当する事になったスターズとリイン。
二人は臆することなくリニアレールへと飛び降り、着地するまでの間にバリアジャケットを展開する。
リインも空を滑る様にしてその後を追う。
後部へと到着すれば、次はライトニングの番だ。

「次、ライトニング! チビども、気ぃつけてな」
「「はい!」」

ヴァイスの叱咤に、威勢よく返す二人。
だがその実、キャロの顔はまだどこか浮かない。
なのはや兼一の励ましは確かに心に響いた。しかし、何年もかけて培われた物はそう簡単には変わらないのだろう。
その背中を兼一はどこか心配そうに見つめていたが、そこでエリオが手を差し伸べた。

「一緒に降りようか」
「ぇ…………うん!」
「ライトニング3、エリオ・モンディアル!」
「ライトニング4、キャロ・ル・ルシエとフリードリヒ!」
「きゅく」
「「行きます!!」」

二人は手を取り合い、揃って空に身を躍らせた。
それを見送った兼一もまた、リニアレールに降下すべくハッチの縁に足をかける。

「じゃ、僕も行くとしようか」
「兼一!」
「え、なに?」
「しっかり面倒見てやれよ」
「うん、ヴァイス君もありがとね」
「おう、行って来い!」

そうして、兼一もまたハッチから一歩踏み出し落下を開始する。
落下の間にエリオとキャロはバリアジャケットを展開、同時に浮遊の魔法を使い落下速度を調整する。
飛行と違い、物体を浮かせるのは比較的容易な魔法だ。
が、そんな二人の傍を何かがとんでもない速度で通り過ぎた。

「キャロ、今のってもしかして!?」
「兼一さん!?」

ちゃんと目視できたわけではないが、一瞬視界の端を通り過ぎた感じだとまず間違いない。
そういえば、兼一はパラシュートも付けていなかったし、魔法などもってのほか。
如何に達人とは言え、あの速度で墜落すれば不味いのではないか。

しかし、今更二人にできる事はない。
やがて『ドゴーン』というかなり重々しい衝突音が響くと、眼下には穴のあいたリニアレールの屋根。
二人は有るかもしれない可能性に一瞬顔を青くする。
だが、先ほど支給されたバッテリー式防護服を使用していれば大丈夫な筈。
それを希望に二人は着地し、すぐさま兼一が空けた穴を覗き込む。

「兼一さーん!」
「大丈夫ですかー!」

リニアレールの内部で反響する二人の呼びかけ。
しかし返事が返ってくる事はなく、二人が意を決して飛び込もうとしたところで、穴の縁を掴む手が現れた。

「あいたたた、失敗失敗」
「け、兼一さん……」
「よかった、無事だったんですね」
「ごめんね、心配させちゃって。でも、受け身は取ったから大丈夫だよ」

そういう問題なのだろうか、とは思わないでもないが二人ともそんな事に突っ込む余力はない。
普通、あの高さから落下して無事なのも異常だが、衣服にこれと言って傷がないのも異常だ。
というか、それ以前の問題として……

「って、なんで制服のままなんですか!?」
「さっきバッテリー式防護服の端末もらいましたよね!? あれ、どうしたんですか!!」
「え? ………………あ、忘れてた」

こう言った物を使う習慣がそもそもない為か、どうやらすっかり失念していたらしい。
『なのはちゃんに怒られる』と、慌てた様子で右腕に撒いた腕時計を弄っているが、一向に起動する様子はない。
それを見かねたのか、エリオがどこか疲れた様子で教えてくれる。

「あの、別にスイッチとか入れなくても、命令すれば勝手にやってくれますよ」
「え、そうなの!? そう言えばみんなのデバイスもそうだよね、便利だなぁ……」
「あ、あの…本当に急いだ方が良いと思うんですけど……」
「あ、そうだね。えっと、それじゃ『ジャケット・オン』…でいいのかな?」

やはり使い慣れてないせいで、どうにもおっかなびっくりな様子の兼一。
なんとも締まらない話だが、それでも支給された端末は起動し兼一の身体を光が包む。
光が消え去った頃には、その衣装はいつぞや身に付けていた道着や手甲に変わっていた。
どうやら、なのは達の方で瞬間装着の設定もしてくれていたらしい。
ちなみに、この間にリインによるバリアジャケットの解説がされていたのだが、エリオ達はすっかり聞き逃してしまった。

というか、そもそも今はそんな事を気にかけていられるような状況ではない。
兼一が這い出してくるのと前後して、エリオ達の背後で異音が響く。
振り向いた時には、隣の車両の屋根を突き破ったガジェットⅠ型が攻撃態勢に入っていた。
そして、機体正面に配置された黄色いセンサー状の射撃装置から光線が放たれようとした時、二人のすぐそばを一陣の風が吹き抜ける。

「ひゅっ!」

軽い跳躍と共にガジェットの頭上を取ると、突き手を逆の手で支えながら打ち下ろす。
中国拳法の一手、「撃襠捶(げきとうすい)」。
その一撃は深々とガジェットの装甲に突き刺さり、着弾箇所周辺を見るも無残に破壊した。

兼一は手応えから仕留めた事を確信すると、即座に飛び退く。
すると、間もなく配線や基板がショートし、ガジェットは爆砕した。

だがまだそれで終わる筈もなく、何機ものガジェットが這い出て来る。
一人で全て撃破することなど容易いし、実際先ほど中に落ちてしまった一両目にいたガジェットはあらかた兼一が撃破していた。

しかし、それでは二人の成長に繋がらない。
あくまでも兼一はほどほどに、二人が危なくなった時にはフォローするのが役目。
ならば、二人にもしっかりやってもらわなければならない。

「二人とも切り替えて! まだ来るよ!」
「あ、はい!」
「フリード!」
「きゅくー!」

エリオはストラードを持ち直し、キャロはフリードに目配せする。
二人の体勢が整った事を感じ取った兼一は、一気にガジェットとの間合いを詰めた。

「吽っ!!」

一声と共に、兼一の剛腕が横薙ぎに振るわれ、上腕の部分全体で打撃を与える。
『腕刀』と呼ばれる技により弾き飛ばされたガジェット達は、リニアレールの外へと放り出された。

「フリード、ブラストフレア!」
「きゅく!」
「いくよ、ストラーダ!」

フリードから放たれた炎弾がガジェットを炎に包む。
また、エリオはソニックムーブで宙に放り出されたガジェットにとりつく、その場でストラーダを数閃。
エリオが再度リニアレールに飛び移ると、数か所を輪切りにされたガジェット数機が爆発した。

「ダメだよ、二人とも。ここはもう戦場、一瞬の油断が命取りになるんだから」
「……はい」
「ごめんなさい」
「…きゅくる」

やんわりと注意する兼一に対し、二人と一匹はしょんぼりとうなだれる。
そんな子ども達に苦笑を浮かべながら、兼一は二人の背を軽く押す。

「わかってくれたのならもういいよ。
さ、まだまだ敵は多い。気負わずに行こう」
「「は、はい!」」



  *  *  *  *  *



時を同じくして、リニアレール前部。
こちらも、とりあえずは順調に事を運んでいた。

「スバル、そっちは?」
「こっちは大体オッケー。
 さすがに新型だよね、アレだけやっつけたのに全然余裕」
「あんま浮かれてると、足元すくわれるわよ」
「ぁ、ごめん」

目標に向けて車両の前部から進攻を続けるスバルとティアナ。
さすがにこれまでの訓練データをもとに調整されただけあり、ぶっつけ本番で使っても違和感がない。
それどころかかつてない程に調子が良い。

「でも、エリオとキャロは大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ、何かあっても兼一さんがいるんだし」
「うん、そうだよね」
(それに、いざとなればあの人一人でも蹴りをつけられるんだから……)

まぁ、スバルの心配もわからないでもない。
自分達はこれまでにも戦場ではないとはいえ、災害現場と言う危険な現場でやってきた経験がある。
しかし二人の場合、こういった危険な現場と言うのは初めての経験だ。
ヘリの中でのキャロの様子もおかしかったし、気負いや緊張で普段通り動けるかは心配だ。

だがそれも、白浜兼一と言う自分達とは比べ物にならない戦闘能力を持つ人間がいるのでは意味がない。
むしろ、自分達は余計なことなど考えずに、自分達の心配をするべきである事もわかっていたが。

「ほら、車両の停止はリイン曹長がやってくれてるんだから、その邪魔をさせないのが私達の仕事。
 一端合流して、一体ずつ打ち洩らさない様に潰していくわよ」
「うん!」

そうしてリインが陣取る車両の手前で合流する二人。
とそこで、車両を揺らすかのような振動と共に、まるで重機が何かを破壊するかのような音が響いてきた。

「ティア、今のってもしかして……」
「あっちも派手にやってるわね。ここまで聞こえるってなにやってんのかしら?」
「じゃあやっぱり、今のって兼一さん?」
「それ以外にここまで派手な音がする原因、思いつく?」
「つかない」
「でしょ。ならそう言う事よ」

実際、スバルとティアナが知る限り、エリオやキャロにこれほど派手な振動と音を生みだす様な魔法はない筈だ。
となると、残る候補は兼一以外にはなのはとフェイト、そしてギンガ。
ギンガはともかく、なのはとフェイトならここまで振動や音が伝わってくる魔法も持っているだろう。
しかし、それを今の状況で使うとは考えにくい。正確には、使う程の状況ではないと言う意味だが。

故に、消去法から言って兼一以外には考えられないという結論に至る訳だ。
どんな技を使ったのか知らないが、よほど派手な大立ち回りでもしているのだろうか。

「でも、確か兼一さんってエリオとキャロのサポートの筈じゃ」
「そう言う事になってる筈だけど……」

まさかとは思うが、あまりにも危なっかしくて見ていられなくなり、全部兼一一人で片づける方向に方針を変更したのだろうか。
そんな想像が一瞬脳裏をよぎるが、ティアナは直に否定する。
もしそうならとうの昔に制圧が終了していなければおかしいし、そもそもティアナ達の出る幕すらなくなっている筈だ。
今こうしてガジェット達が立ちはだかってくる以上、兼一はちゃんと役割をわきまえて行動しているのだろう。
なにより……

「普段あれだけギンガさんに無茶させてるんだし、さすがにそこまではやらないでしょ」
「ああ、確かにねぇ~。今の状況より、ギン姉の修業の方がよっぽどだもん」
「そういうこと。ほら、無駄口叩いてないでいくわよ」
「う、うん。ごめんね、ありがとうティア」
「……なによ、藪から棒に」
「いっつもさあたし、ティアにフォローしてもらってばっかりだから。
 ティアが一緒じゃなかったら、きっとあたしはここにいなかったと思うし。
 だから、いつも助けてもらってばっかりでごめんね、それで…………ありがとう。あたし、ティアに敢えてホントに良かった」
「な…な……」

その言葉を聞いた途端、ティアナの顔が瞬く間に紅潮する。
スバルが恥ずかしげもなくそういう事を言える奴だとよく知っているティアナだが、時折不意をつかれるから心臓に悪い。ティアナは必死にスバルから赤くなった顔を隠し、なんとか平常心を取り戻そうと躍起になる。

(あ~も~! こいつはホントに、どうしてこう……!!)

こうやってスバルに不意打ちを食らうと、なぜか無性に腹立たしくなる。
だが、同時にスバルには感謝もしていた。

正直、ティアナには六課の面々が眩しい時がある。
目も眩まんばかりの輝きを放つ隊長達、既に自分と同格の力を持つ年少者、日に日に力を蓄えて行く先輩。そして、比較することすらバカバカしく思える怪物的な生き物。
彼らの存在が、ティアナに己の身の程を痛烈なまでにつきつけて来る。

しかし、スバルがこうしてあけっぴろげな好意と信頼を示してくれるからこそ、そんな自分を必要以上に卑下しないでいられるのだ。『自分は自分』『今まで通り、努力していくだけ』なのだと、思い出させてくれる。
とはいえ、感謝の気持ちを真っ直ぐに伝えられるほどティアナは素直ではない。
結局、思っている事とは裏腹に、ついついぶっきらぼうな事しか言えないのだった。

「ほら、バカなこと言ってないでさっさと行くわよ!!」
「う、うん!」
(……ありがと。私も、アンタがいるから今の自分でいられるんだと思うし…正直、救われてる)
「え、ティア、何か言った?」
「別に何でもないわよ!」
「そう?」

ティアナに怒鳴られるのは慣れっこのスバルなので、この程度ではびくともしない。
だがそこへ、突然通信が入った。

『スターズ1、ライトニング1、制空権獲得』
『ガジェットⅡ型、散開開始。追撃サポートに入ります』
『ライトニングF、8両目突入………………エンカウント、新型です!!』
「「え!?」」

本部からの通信に、二人は揃って驚きと不安の入り混じった声を漏らす。
兼一がいるとはいえ、全く性能がわからない相手と戦うからには通常以上の危険が付きまとう。
しかし、今の二人にできるのは、ただ仲間の無事を願う事だけだった。



  *  *  *  *  *



場面は戻ってリニアレール後部。
エリオとキャロの前には、新型のガジェットと思われる球形の比較的大型な機体。

それまで二人の後ろを守る形でガジェットの相手をしていた兼一も、二人を庇うべく前に出ようとする。
だがそれは、エリオとキャロの緊張の混じった声音で遮られた。

「あの、私達にやらせてください!」
「我儘だってわかってます。でも、守ってもらってばっかりじゃなくて、自分たちでやりたいんです!」

二人の切実な願いに、一瞬ためらいがちな表情を浮かべる兼一。
基本的な部分はⅠ型と同じだろうが、詳細な性能は不明。
正直、二人の安全を考えるならここは兼一が相手をすべきだ。

しかし、それが過保護だと言われれば否定できる材料もない。
ここは戦場、立つ者は望むと望まざるとにかかわらず相応のリスクを背負う。
そして、二人はそのリスクを背負う覚悟で六課に来たのだろうし、今もそのつもりで言っているのだろう。
その点で言えば、過保護も過ぎれば二人の覚悟を蔑ろにする事になる。
かと言って、子どもを危険な目に合わせるのはどうかと言う倫理観もあるわけで……。

そこで兼一は、師達なら何と言うかを思い浮かべる。
まぁ、この時点で明らかに思い浮かべる相手を甚だ間違っているのだが。

(岬越寺師匠なら『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすものだよ』って言うだろうなぁ。馬師父なら『中国のことわざでは「摩擦なく宝石を磨く事が出来ない様に、試練なしに人は完成しない」と言うね』って言うんだろうし。逆鬼師匠やアパチャイさんは考えるまでもないとして、しぐれさんなら『なせば…なる』とか意味もなく自信たっぷりに言いそうだ。長老はどうせ『成り行き任せ大作戦じゃ!!』って言うな、うん)

つまり、要約してしまうと「とりあえずやらせちゃえ」と言う事なのだろう。
問題が起きた時はまぁ、その時に何とかすればいいや。
結局、そういう結論に至ったらしい。

「よし。がんばって、二人とも」
「きゅく!」
「あ、フリードもね」
「「はい!」」
「きゅく~」

兼一が二人の後ろに下がると、タイミングをはかっていたわけでもないだろうが、ガジェットはベルト状の腕を伸ばす。
二人はそれを跳び退いて回避、キャロは着地と同時にフリードに指示を飛ばす。

「フリード、ブラストフレア!」
「きゅくー」
「ファイア!!」

吐き出された炎弾は、真っ直ぐにガジェットの腕目掛けて飛んでいく。
しかし威力が足りないのか、それは容易く弾き返され斜め後ろの壁面に着弾し、黒煙を上げる。
その間にエリオは、自身の魔力変換資質により帯電させたストラーダで本体に斬りかかった。

「てやああぁぁぁぁぁ!!」

だがそれも、分厚い装甲に阻まれ通らない。
兼一は二人の背後で残ったガジェットを撃破しながら、その様子を見守っている。
しかし、ガジェットから強度のAMFが展開された。

AMFの効果により、魔法の大半を封じられた二人。
エリオは大型のガジェットを相手に圧倒的な不利に力比べに持ち込まれ、魔法を封じられてはキャロは支援もできない。

(これは、ちょっと不味いかな? そろそろ、代わった方が……)

正直、この様子ではそろそろ危ないと兼一でも思う。
実際問題として、魔法を封じられてしまえば二人は普通の子どもと大差がない。
二人とも訓練の甲斐あって年の割には腕も立つが、それではあの大型のガジェットの相手は苦しい。
故に、もうこれ以上は危険、選手交代が望ましいと考え兼一が一歩踏み出そうとしたところで、キャロがエリオにおずおずと声をかける。

「あ、あの!」
「くぅ……大丈夫! 任せて!!」
(そう…だね。任せると言ったのは僕だ。なら、信じないと。
 今手を出せば、二人の覚悟を踏み躙ってしまう。
 弟子云々はともかく、子どもの闘いに大人がしゃしゃり出るものじゃないか)

今はまだ二人とも戦える。
いざとなれば二人の救出も不可能ではない以上、まだ手を出すべき時ではない。
兼一は踏み出しかけた足を引き、再度二人に背を向けガジェット達と向かい合う。

「ぜりゃあ!」

突きが、蹴りが、次々とガジェットへと突き刺さり、鋼鉄の機体が砕かれていく。
背後からはエリオの苦悶の声と、キャロの息をのむ音が聞こえてくる。
いても立ってもいられない自分をなんとか抑え、兼一は目の前のガジェットだけを相手取っていた。

しかし、やがて背後から無理矢理何かをこじ開けるような音がした所で、兼一は時間切れを悟る。
そこには、大型ガジェットの腕につかまったエリオの姿。
良く頑張ったが、力及ばなかったのだろう。
その小さな体は宙に投げ出されるが、兼一なら抱きとめ再度リニアレールに戻る位は容易い。

(よく、頑張ったよ、エリオ君。後は僕が……)

だが、そこで兼一は思いもよらぬ物を見た。
なんと、投げ出されたエリオを助けようと、キャロもまたリニアレールから飛んだのだ。
まさか比較的おとなしいキャロがそこまで思いきった行動に出るとは思わず、反応が僅かに遅れる。
そして、AMFの影響で魔法を封じられている今のキャロに、再度リニアレールに戻る事は不可能だ。

「いけない!」

なんとかキャロはエリオを抱きしめることには成功した。
だが物理法則に基づき、放物線を描いて落下を開始する二人。
兼一はそんな二人の後を追い、自身もまたリニアレールから飛び降りる。

崖を駆け降りながら二人を追う兼一。
かなりの高さの為、まだ二人が地面と激突するまでには間がある。
兼一の脚力なら、追いついた上で崖を蹴って二人をキャッチ、空中三角飛びでも使って崖に戻れば済む。
そう言う計算を立てていたのだが、通信機から聞こえてくるなのはの言葉はその意表をついた。

「発生源から離れれば、AMFも弱くなる。使えるよ、フルパフォーマンスの魔法が!」
「え? それってもしかし、て……」

自分がやってる事は、単なる取り越し苦労なのか。
そんな危惧が兼一の胸の内で芽生えた時、それは現実の物となる。

キャロを中心として、二人の周りをピンク色の光の球体が発生。
それと共に落下速度が落ち、二人は空中に浮遊する。
やがてその球体を、まるで卵の殻か繭を破る様にして巨大な何かが姿を現す。
それは、サイズこそ大違いだが、全体的なシルエットとしては良く見慣れたもので……。

「これ、フリード!?」

そう、そこにいたのは雄々しい雄叫びを上げる翼長10メートル以上に及ぶ堂々たる白銀の飛竜の姿。
まさかフリードがこんな姿になるとは思っておらず、その威容に僅かに圧倒される。
が、気付けば兼一はものの見事に二人と一匹を追い越し、崖下目掛けて疾走を続けていた。

「って、兼一さん!」
「何してるんですか!?」

二人を助けようとしたのだが、全く以っていらぬお節介だったらしい。
なにしろ二人はフリードの背に乗り、優雅な空の散歩状態。
兼一はとりあえずそれに安堵し、いよいよ地面が近づいてきた所で方向転換する。

「おぉっとと……」
「「…………」」

『逆さ白頭鳥(さかさひよどり)』を用い、非常識にも垂直の壁を駆け上がっていく兼一。
いつぞや、副隊長達が兼一が垂直の壁を駆け上がった事を思い出し、二人は顔をひきつらせる。

「まぁ、二人とも無事で何より。
 危ないと思ったんだけど、早とちりだったみたいだね」
「あ、はい」
「すみません、心配させちゃって」
「いや、それは良いんだけど……どうする?」
「「え?」」
「まだ、続けるかい?」
「「…………………………はい!!」」

追いついた所で交わされる意思確認。
だが、そんな事をする必要はなかったらしい。
二人の眼には、まだ諦めの色はない。
ならば、見守ると言った以上好きなようにやらせてやるべきだろう。

兼一は二人に先行する形でリニアレールへ追いつき、軽やかな動作で屋根に降り立つ。
眼下にはそれを追いかけるフリードの姿。
目の前には、大型のガジェットが屋根を突き破って姿を現しているが、それには手を出さない。
あくまでもアレを仕留めるのはエリオとキャロなのだから。

とはいえ、二人がやりきるまでの間、兼一とて遊んでいるつもりはない。
大型以外にも、まだのこったガジェットはそれなりにいる。
しかもそいつらときたら、フリードとその背にいる二人に狙いを定めているではないか。
これはさすがに見過ごすわけにはいかない。

「折角子どもたちが頑張っているんだ。
 そこに水を差すと言うなら、ちょっと手加減してあげられないなぁ」

一見すると朗らかな笑顔、だがその実何やら得体の知れない気配を放つ兼一。
その後の結末は、最早語るまでもないだろう……。



そうして、危ういながらも大型ガジェットを撃破したライトニングの二人。
しかし喜びもつかぬ間、難敵を倒して一安心した所で、ようやく周りを見る余裕ができてビックリ。
なにしろ、周囲には破壊し尽くされたガジェットの残骸で埋め尽くされているのだから。

「これってもしかして、兼一さんが?」
「キャロ、ガジェットの反応は……?」
「えっと……もうない、かな?」
「い、いつの間に……」

兼一の戦闘能力はある程度知っているつもりだったが、さすがの早技に驚きを隠せない。
自分達が大型と戦っているそう長くない時間の間に、これだけの数を撃滅していたのだから。

「あ、そっちも終わったみたいだね」
「これってやっぱり、兼一さんが?」
「うん、まあね。でも、リニアレールを壊さないように加減するのは難しいなぁ」
「これで加減、ですか?」
(やっぱり怪物だ、この人……)

今更かもしれないが、そのあまりの非常識さを再認識する。
五体を用いた直接攻撃しか攻撃手段がないと言うのにこれだけの早技ができるのだから、まぁ普通ではない。
しかも、本人としてはこれでも加減していると言うのだから……。

「ところで二人とも、目の前の敵に集中するのは良いけど、少し周りを疎かにし過ぎ。
 今回は僕がいたけど、場合によっては背中を狙われていたかもしれないんだから、気をつけないと」
「「はい……」」

『僕は怒ってるんだよ』とばかりに腰に手をやって説教する兼一。
確かにサポートするのが兼一の役目だったが、それを当てにして戦っているようでは危なっかしくて仕方がない。
二人の成長の為にも、言うべき事は言っておかなければならないのだ。

「それとエリオ君、あのおっきいのを相手に力比べに持ち込まれたのはいただけない。
 君はまだ身体が出来てないんだから、狭い場所でももっと動きまわって攪乱しないとね」
「はい……」
「キャロちゃんはキャロちゃんで、もっとズバッと物を言った方が良い。
 君達はパートナー、対等の関係だ。相手の事を慮るのはいい事だけど、それで尻込みしてちゃいけないよ」
「はい……」

その後も次々と二人の問題点を指摘していく。
二人としても、反論の余地がないだけにうなだれて反省するしかない。

「まぁ、まだまだ言いたい事はあるけど、とにかく二人はまだまだだって事」
「「はい……」
「……………………………………でも、よく頑張ったね。エライよ、二人とも」

そう言って、兼一は腰にやっていた手を二人の頭に移す。
そのまま優しく、労いの想いを込めて撫でてやる。
二人は一瞬呆気にとられ、それからくすぐったそうにそれに身をゆだねた。

「「えへへ♪」」
「きゅくる~♪」

一頻り撫でてやったところで、二人の頭から手を離す。
二人はどこか名残惜しげだが、気恥ずかしくて口には出せない。
その代わり、エリオの口を突いたのはこんな言葉だった。

「あの、ギンガさんの方はまだ終わってないみたいですけど…いいんですか、手伝わなくて?」
「ああ…そうだね。気にならないと言ったらうそになるけど、弟子のケンカに師匠は出ないのがルールだから」
「そういうものなんですか」
「うん、そういうものなんだ」

別に覗く分には問題ないので、正直いくかどうかは悩みどころだ。
しかし、だからと言ってこちらを投げ出すわけにはいかない。
一応敵性兵器は全機撃破した筈だが、不測の事態と言うのはいつでもおこり得る。
子ども達を残していくわけにもいかないので、せめてスターズと合流してからとなるだろう。

そんな理由もあってスターズと合流すべく、重要貨物室に向かおうとする一向。
だがそこで、突如兼一がその足を止めた。

「どうかしたんですか、兼一さん?」
「きゅく?」
「あ、いや、何でもないよ。どうやら、気のせいだったみたいだ」
「「「?」」」
(いま、誰かに見られている気がしたんだけど……気のせいだったのかな?)

気配は探っているが、特にこれと言って不穏な気配はない。
もしかしたら、山の動物からの視線か何かだったかもしれない。
そう思う事にして、兼一はスターズとの合流を優先することにするのだった。






あとがき

とりあえず、今回は珍しく進行重視です。なので、少しばっかし拙速っぽいのが心配ですね。
流れ自体もほとんど原作どおりですし、そういう意味では面白みのない回だったかも。

言い訳させてもらうと、正直ここで兼一が派手に暴れても色々な意味で仕方ないんですよね。
そりゃそれが一番楽なんですけど、その場合新人達の経験になりませんし。
なので、結局今回の兼一は引率の親御さん的な立ち位置になり、あまり絡む事ができませんでした。

その代わりと言ってはなんですが、次回はこの話の裏です。
つまり、別行動を取っていたギンガの話ですね。
こちらはちょっとちがう展開を考えているので、ある意味こちらがメイン。
早めに出せるよう頑張ろうと思います。

まぁ実を言うと、一番心配なのは兼一に持たせたバッテリー式の防護服なんですけど。
管理局のシステム的に持たせないと問題になるでしょうし、ただでさえ叩きどころ満載の六課。
そんな些細な事で叩かれるのは御免被りたいでしょうから、これ位は普通かなと。
それにあれですよ、結局は兼一があってもなくても同じなように立ちまわり、役立つ場面では何かしらの理由をつけてとっちゃえばいいんです。
あのアイテムは結局のところ「対外的にちゃんと安全には気を配ってる事をアピールする為の小道具」ですしね。



[25730] BATTLE 22「エンブレム」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:52

そこは、いずことも知れぬ閉ざされた一室。
照明は暗く、調度こそ整っているが、それがかえって無機質な印象を与える、そんな部屋。

常人ならば居心地の悪さすら感じそうなものなのだが、その主はそうと感じてはいない。
まぁ、その人物の趣味を反映して作られているのだから、それは当然なのだろう。
しかしその事実こそが、この部屋の主が『普通』から逸脱している事を証明するわけだが。

そんな部屋の主。紫紺の髪の白衣の男は、中空の大型モニターを注視している。
モニターに映っているのは、山岳地帯を走る列車とそれに取りつく機械群。中には崖上や崖下、あるいは空からも迫っている。
だが、その人物の視線を独占するのはそんな木偶どもではなく、それらを撃破する少年少女達。
その瞳は、まるで新しいおもちゃを手にした子どもの様だ。
だがそこで、唐突にモニターの一角に女性の顔が映し出された。

「このままでは彼女達に確保されてしまいますが、いかがいたしましょう。増援を送りますか?」
「ふむ…やめておこう。レリックは惜しいが……」

そこまで言ったところで、唐突にその人物は口を噤み、顎に指をやって思案に入る。
視線の先には、密林の中で機械兵器を次々破壊していく青い長髪の少女。

「いや、やはり頼めるかい」
「では、3機種合わせて百機ほど……」
「余興でそこまでやる必要はないさ。出すのは2機だけで良い」
「ですが、それでは……」

意味がないのではないか。
実際、映像を見る限り1機や2機増やした所で意味があるとは思えない。
何しろ、列車で戦っている面々ですら、一度に十数機の機械兵器を相手にしてもものともしていないのだ。

「ああ、だからその代わりに“アレ”を出そう。
 余興とは言え手を抜いては失礼だ。より楽しんでもらえるよう、少しくらいアクセントが欲しいじゃないか」
「よろしいのですか?」
「ヒントは出してあるし、他に何か気付いたとしてもタカが知れている。
研究の副産物とはいえ、アレも所詮はおもちゃだ。
おもちゃはおもちゃらしく、子ども達の遊び相手になるのが分相応だよ」
「承知しました。それならば目標は……」
「ああ、片方は彼女に、もう片方は一応レリックに設定しておいてくれ。まぁ、どのみちリニアレールには彼がいる。大人の相手は、おもちゃには荷が勝ち過ぎるからね。正直、レリックの方は物のついでさ」
「承知いたしました」

伝えるべき事を伝えると、恭しい一礼と共に女性の映ったモニターが閉ざされる。
続いて、部屋の主は別の誰かへの回線を開いた。

「私だ。面白そうな出しものが始まるのだが、そちらを切り上げて君もどうかね?
 連日おもちゃと遊んでばかりで、そろそろ飽きてきた頃だと思うのだが」

通信先の人物は、男の提案に諸手を上げて賛意を示す。
その声音は喜色に富み、新たな刺激への渇望を感じさせた。

そのまま2・3言葉を交わし、大急ぎで部屋に向かうと応えてその人物は通信を切る。
男はそんな相手の反応に「やれやれ」とばかりに肩をすくめながら、再度モニターへと視線を移す。

「それにしても、この案件は実にすばらしい。
生きて動いているプロジェクトFの残滓、タイプゼロ、そして…………………………達人級(マスタークラス)とその弟子、か。
滅多にいない希少種にお目にかかれるとは、私も運が良い。
どれもこれも、私の研究にとって興味深い素材ばかりだ」

達人、それは管理世界ではまずめぐり合う事のない人種。
一般人はおろか、時空管理局内部でも知る物の少ない規格外の生き物。
何故この男がその存在を知っているのか、その理由は思いの外単純だった。

「それも彼は、かつて数多の次元犯罪者を怖れ慄かせた悪夢、あの『無敵超人』の縁者。
 できれば現在の彼の詳細なデータが欲しいが……今は諦めるしかないのが口惜しいな。
 データを取るには、こちらも準備不足と言わざるを得ない」

その声音には言うほどの無念は感じられず、むしろその事も含めて諸手を挙げて歓迎している雰囲気すらあった。
なにしろ、その表情は先ほどまでと変わらぬ余裕と喜びに満ち満ちている。

だが、これでこの男がなぜ『達人』を知るのかが判明した。
『無敵超人』風林寺隼人はかつて、執務官長も務めたギル・グレアムと行動を共にしていた時期がある。
彼の尽力もありその存在を知る者はあまり多くないが、情報を完全に統制する事は出来なかった。
特に、裏社会におけるネットワーク内では、その存在は今なお語り継がれている。
長い時間を経て、大抵の者は眉唾物の都市伝説の類と思っているだろう。
しかし、中にはその真偽を確かめた者もいた。その全てが真相に辿り着いたわけではないが、中には辿り着いた者もいる。例えば、この男の様に。

「まぁ、今のところは彼女達のデータをとれる事で満足するとしよう。
 だが、おまけくらいは期待しても罰は当たらないかな?」



BATTLE 22「エンブレム」



リニアレールが走る山岳地帯の崖上。
通常であれば深い緑に覆われ、山鳥のさえずりや草木が風に揺れる音が心に染入る筈の場所。
しかし、今その場を埋め尽くすのは、未だ火花を撒き散らし、所々で小規模な爆発を起こす徹底的に破壊し尽くされた機械群。
そんな破壊の痕跡が散らばる場所だが、まだ何も終わっていない。

「ちぇす!!」

気合の籠った声と共に、ガジェットⅠ型の単眼を鋭い貫手が貫通した。
内部からはバチバチと回路がショートする音が漏れ、爆発が近い事をわかる。
青い長髪の少女、ギンガはそれが爆発するより前に近場にいたガジェット目掛けて投げつける。

2機のガジェットは鈍い音を立てて衝突し、折よく投げつけられた方は爆発。
それに巻き込まれてもう1機も連鎖的に爆発し沈黙した。

また、ギンガは同時に真横から迫っていたガジェットの触手を逆に掴む。
それを思い切り引っ張り、擦れ違いざまに拳で一撃。
さらに背後から迫っていた光線を、身体を傾ける事で回避。
その結果、回避した光線はギンガがたった今殴りつけたガジェットに命中し、そのボディーに風穴を開けた。
そして……

「ブリッツキャリバー!」
《Load cartridge》

新たに得た相棒「ブリッツキャリバー」はギンガの意図を汲み取り、カートリッジを撃発させる。
迸る魔力を拳に集中させ、左拳を覆うリボルバーナックルが唸りを上げた。
そのままギンガはその場で反転、右横より迫っていたガジェットに振り向きざまの裏拳を叩きこむ。

ガジェットの装甲は重い一撃によりひしゃげ、黒煙を吹いて活動を停止。
しかしその間に周囲を包囲され、今はまさに敵陣真っ只中。
ガジェット達はこの好機を逃すことなく、幾条もの光線を放つ。
ギンガはそれを左手の前に展開した「トライシールド」で防ぎ、その間にブリッツキャリバーが動いた。

「っ!」
《Wing Road》

足元から伸びた光の帯に乗り、ローラーブーツ型デバイスであるブリッツキャリバーは疾走する。
垂直にも等しい急勾配を駆け上がり、ガジェットの包囲網から脱出。
その際置き土産とばかりに放ったリボルバーシュートがガジェットの1機を撃破。

続いてウイングロードを蹴ったギンガは空中に身を躍らせ、高々と足を振り上げながら落下。
落下の勢いを利用し、そのまま一気にガジェットへと「踵落とし」を放つ。

「いやぁぁぁあぁ!!」

本人の自重と鍛え抜かれた脚力に加え、ただでさえ重いブリッツキャリバーに重力による加速。
これらの要素が合わさったその一撃は尋常な威力ではなく、それなりの大きさがあるガジェットを見事に蹴り潰すことに成功する。

そのままギンガは立ち上がりざまにガジェットを両手で挟み、真正面から「カウ・ロイ」へとつなげた。
強烈な膝により機能を停止したガジェットだが、ギンガはそれに目もくれずに払いのけ、その先にいる敵へ狙いを定める。

「ハッ!!」

一際深い踏み込みと同時に、左肘を外腕部へ捻る様にしながら突き上げた。
八極拳の代表的な肘技「裡門頂肘」である。

だが、機械仕掛けのガジェットといえどやられっぱなしでいるとは限らない。
ガジェット達は近づくのは危険と判断したのか、各々その赤いコード状の触手をギンガへと伸ばす。
触手を絡め、動きを封じてからと言う考えなのだろう。
しかしその瞬間、ギンガの右腕が再度閃いた。

手刀の一閃により切り刻まれる赤い触手。
ギンガはそれに構うことなく間合いを詰め、返す刀でガジェットを切り上げる。

「へあっ!」

猫手に曲げた手刀の反対側を利用した「背刀打ち」を受け、ガジェットが面白い様に弾き飛ばされる。
同時に、硬く握りしめられた左拳がガジェット達を殴りつけ、瞬く間に薙ぎ払われていく。

そうしてなのは達の期待通り、危なげなくガジェットⅠ型の群れを撃破したギンガ。
残存する敵がない事を確認した彼女は、ようやく肩から力を抜いた。

「ふぅ~……さすがに、こう数が多いと疲れるわね」

とは言う物の、その表情に浮かんだ疲労の色は微々たるもの。
ティアナの様な魔力その物で攻撃するタイプに比べ、ギンガのように自身の肉体を強化することをメインとするタイプは、まだAMFの影響が薄く済む。
なにより、如何に厄介なAMFを発生させるとはいえ、連日の訓練で行動パターンも対処法も身体に染み着いている。
故に、今やギンガにとってガジェットなど、雑魚や雑兵の類でしかない。
気を引き締め、油断さえしなければ不覚を取る事などまずないだろう。

だが、口からこぼれた言葉もまた、あながち間違いという訳でもない。
ただし、肉体的な疲労でなく精神的な疲労という意味だが。

なにしろ、同じ形、同じ性能、同じ戦術。それが延々と続くのだ。
黙々とこなすルーチンワークも決して嫌いではないが…いい加減、辟易してきたというのが本音である。
なのは達と違い、ギンガには纏めて一網打尽にする類の攻撃手段がない。
そのため、一体一体潰していかなければならず、それが精神的な疲労を助長させているのだ。

とはいえ、これでこの辺り一帯のガジェットはあらかた処分できた筈である。
すなわち、この緊張感だけは持続させなければならない作業からも解放されたと言う事。
ならば、次にどう行動すべきかをギンガは思案し始める。

「さて、これから……どうしようかしら?」
《加勢にはいかれないのですか?》
「う~ん、リニアレールは師匠がいるから行っても無駄だろうし、その点はフェイトさん達でも同じでしょうねぇ……」

行ったところで、足手まといになるのが関の山。
如何に雑魚同然のガジェットとは言え、兼一がいる以上ギンガが役に立つ可能性は薄い。
かと言って上空を見上げれば、どうやらこちらよりも遥かに数が多いらしく、今もなお分隊長二人は盛大に無数のガジェットを爆散している真っ最中。
というより、桜色と金色の光が複雑な軌道を描いて縦横無尽に空を翔けるその姿は、ある種の『舞い』の様だ。
ただ、「華麗」や「優美」といった感想を抱くより前に、ギンガの脳裏をよぎったのは別の表現だった。

(なんていうか、本当に…………仲が良いなぁ)

動きを見るだけでも、そんな印象を抱いてしまう。
それだけ二人の連携が完成されていると言う事なのかもしれないが、むしろアレは「二人きりの世界」の様にさえ見えてしまう。
一応は空戦にも対応可能な魔法を持つギンガだが、実力的にあそこに入って行っても意味があるとは思えない。
同時に、空気的にも入っていけない気もするのだが。
だが、そんなギンガの沈黙をどうとらえたのか、新たな相棒はあくまでも生真面目な提案をしてくる。

《判断がつかないのでしたら、上官に判断を仰ぐのもよろしいのでは?》

ブリッツキャリバーからの進言は実に模範的だ。
まぁ別に間違っているわけではないのだが、なにやら微笑ましいものを感じてしまう。
なるほど、確かにこれは生まれたばかりだ、と。

「そうね。でも、こんな事で手を煩わせたくないかな?」

新人ならいざ知らず、そこそこ経験を積んだのならある程度は自分で判断しないと。
そういう能力もあると思ってくれたからこそ、部隊長は自分を遊撃要員にしてくれたのだと思う。
ならば、その信頼にこたえたい。

まぁどちらにせよ、なのはやフェイトを除けば自分は一番の高台にいる。
ならば、一端降りて様子を見てから判断しても良いだろう。
そう考えた所で、突如ブリッツキャリバーが警報を伝えた。

《マスター!》
「っ!?」

ブリッツキャリバーが警報を発するのとほぼ同時に、ギンガはある一点に向けて視線を向け、構えを取る。
理由はわからない。ただ、戦闘後間もない事もあって研ぎ澄まされた感覚が、何かを掴んだのだ。

(あれは……なに?)

森の奥から姿を現したのは、人のシルエットをした別の何か。
腕もある、足もある、胴体もあればやけに細長いが頭の様な物もある。
肌の露出はなく、代わりにその全身は銀と薄い青の金属製の装甲で覆われている。
まるで、ガジェットの装甲を鎧として人間に装着させたかのようだ。

また、眼がある筈の部分には黄色のカメラが一つ、背中からは赤いコードが触手の様に伸びている。
これらもまた、ガジェットと非常に酷似していると言えるだろう。

そのため、基本的な形は人間のそれなのだが、人間味と言うべきものがない。
しかし万が一にも人間の可能性も捨てきれない。
故にギンガは、小さくブリッツキャリバーに問うた。

「ブリッツキャリバー」
《解析終了。生命反応なし、またAMFの発生を感知。ガジェットと同様の機械兵器と思われます》
「そう」

相棒からの返事に、ギンガは小さくうなずく。
ガジェットには航空型もいるし、新型のガジェットと言うのであれば、今まさに師が一緒にいるライトニングも遭遇したという報告が来たばかり。ならば、さらに新型がいても別に不思議はない。

そして、だからこそ油断は禁物。
相手は一切の情報がない新型機。それも、これまでのガジェットとは明らかに趣が異なる。
ただでさえ性能がわからない上、第六感が警鐘を鳴らすこの趣の違いが何を意味するのかもわからない。
充分な警戒の下、細心の注意を払って対処すべきだ。
そうギンガが判断した矢先、それは動いた。

「――――――――」
「っ!?」

唐突に、一見すると何の前触れもないかのように動いたそれが放ったのは、一足飛びからの膝蹴り。
ギンガはそれを寸での所で回避し、敵機の行方を眼で追う。

(今のって、まさか……)

嫌な既視感が頭の中を席巻する。
先の一撃には、なんと言うか……嫌と言うほど見覚えがあった。
それはもう、夢に出るのではないかと言うほど記憶に刻みつけられた動きだ。

しかし、一度や二度なら単なる偶然と言う可能性もある。
それよりも、今ので確信した事の方が重要だ。

「……近接、格闘型」

通常のガジェットなら、あそこはまず先制として光線を放つ。
あるいは触手による牽制でもしてくるところだろう。
だが今回の相手は、そのどちらでもなく直接的な打撃を仕掛けてきた。

同時に納得する。
なるほど、確かにそれなら他のガジェットとは趣が異なって当然だ。
打撃を仕掛けるのなら、当然四肢のある…つまり、人間の形を模した方が効率的。
人外の形をした上で、それに相応しい打撃による戦闘法をプログラミングするという方法もあるが、あまり最適とは言えない。
一々そんなものを開発するくらいなら、既存の格闘技とそれを使う為の人間型の機会を作った方が遥かにマシ。
何しろ格闘技とは、長い年月の中で淘汰され、研磨された技術の結晶なのだから。

「格闘型の魔導師に、格闘型の機械兵器をぶつける…か。どこのだれか知らないけど、良い趣味してるわ」

ギンガはこの場にいない誰かに向け、彼女にしては珍しく皮肉気に小さく呟く。
その間に敵はどこか泰然とした態度でゆっくりとギンガの方へ振り向く。
その様は洗練されていながらも、第一印象と違いどこか人間臭い。
まるで実在する人間の情報をデータ化し、それを植え付けたかのように。

(って、あったっけ、そういう技術)

ギンガの脳裏に、とある違法研究の概要が浮かぶ。
彼女とも全くの無縁とは言えないあの技術は、そう言えば記憶を転写する事によって死者を蘇生しようという試みだった筈。その技術を用いれば、もしかしたら人間が持つ技術を機械に植え付けることもできるかもしれない。

しかし、今のギンガにはあまり悠長にその可能性について思考する余裕はなかった。
何しろその可能性が正しいのなら、相手は確かな技術を持つ格闘技者も同然。
先の一撃から推察するに、その技量はかなり高い。
ならば、油断などしている猶予はない。

「―――――――」
(来た!?)

今度は出会い頭の不意打ちなどではないが、駆け寄る様にして間合いを詰めて来る。
ギンガは一瞬どう対処するか悩み、すぐに腹をくくった。
自身の脳裏をよぎったある可能性が、本当に正しいのかどうかを確かめる為に。

「セイッ!」

相手に合わせる様にギンガも間合いを詰め、なんの変哲もない突きを放つ。
敵はそれを取り、そのまま身体を腕に沿って回転させ背後を回ると、首筋へと肘打ち。
ギンガの回避は間に合わず、吸い込まれるようにして肘が突き刺さった。

「――――――」

だが、その手応えがおかしい事に相手は気付いただろうか。
いや、気付いていようがいまいが同じ事。
ギンガの体は背後の敵へと預けられ、その瞬間大地が震えた。

「甘い!!」

強烈な震脚と共に、強烈な発剄が叩きこまれる。
八極拳の一手、「貼山靠(てんざんこう)」。
肩で体当たりし内部の勁と外部の打撃を同時に与える技だ。

ギンガは肘が突き刺さるその瞬間、首筋に小さなバリアを展開。
それにより直撃を防ぎ、逃れようのない密着状態へと持ち込んだのだ。とはいえ……

(くぅ…さすがにこれだけ密着すると、AMFの影響も大きい)

確かにバリアで粗方は防いだが、その衝撃の全てを殺しきるには足りなかったと見える。
密かに苦悶の表情を浮かべつつ、ギンガは大きく弾き飛ばされた敵に追撃をかけに行く。
しかしその敵は、軽く地面で一転すると即座に立ちあがり構えを取った。

(手応えがいまいちだと思ったら……コレのオリジナルになった人、やっぱり相当できる)

恐らく、寸での所で跳躍し威力を減殺したのだろう。
そんな相手の技量と、それを再現する機体の性能には正直舌を巻く。

だが、それほどの技量を持つ人物のデータが入った相手が悠長な戦いなど許す筈もなし。
ギンガが尚一層の警戒心を抱くのに対し、敵は更なる苛烈な攻撃に打って出る。

展開した制空圏を、強引に押しつぶそうとするかのような猛攻。
次々と放たれる突きが、蹴りが、肘が、膝がギンガの制空圏を犯していく。
幸い辛うじて直撃こそ防いでいるが、気付けば防ぐ両手に痺れを感じていた。

(強くて速くて、それに重い。何より動きに無駄がない。強敵ね、これは)

跳躍から叩きこまれる肘を十字受けで防ぎながら、ギンガは心が湧き立つのを自覚する。
強い相手と戦いたいと言うのは武術家の本能だ。
ギンガもその例に漏れず、劣勢でありながらもどこかでそれを喜んでいた。
同時に、敵のスタイルについても確信を得る。

「やっぱり…………ムエタイ使い」

幾度も攻撃を間近で見て、心を澄まし観察する事で得た確信。
道理で見覚えがある筈だ。何しろそれは、彼女も学ぶ武術。
どうして管理世界で跋扈する機械兵器に、管理外世界の武術家のデータが使われているかは分からない。
いや、達人と言う極みの存在を考えれば不思議ではないのだが……。

(とりあえず、達人級と言うほどの腕じゃないのは幸運ね。
正直、この性能に達人のデータが使われてたら勝てる気がしない)

まぁ、達人のデータなど早々手に入れられるようなものではないが……。
その意味で言えば、まだこのくらいの腕の持ち主ならやり様があるのかもしれない。
ただその代わりに、気になる事がある。

(だけどこのムエタイ、師匠が教えてくれるそれとはどこか異質。
 どれもこれも、本当に相手の命を刈りとる必殺の技ばかり。いったい、これは……)

いくら考えても答えは出ない。なぜならそれは、未だ彼女の知らぬものなのだから。
だがその間にも、敵の猛攻は続く。
ある時は脳天を肘が叩き割りに、またある時は膝が顎をかちあげに。
師の教え通り、防御に重点を置くギンガだが、その守りも次第に苦しくなってきている。
一撃一撃の威力の重さは凄まじく、気を抜けば容易く防御をぶち抜かれてしまいそうだ。

しかしギンガとて、一方的にやられているつもりもない。
必殺の技の連続な分、どうしても繋ぎと速度に甘さが出る。
手数を多くすれば威力が薄れ、威力が上がれば手数が落ちるのは道理。
ギンガは意を決し、その繋ぎ目に割りこむべく動いた。

「ふぅ~……」

取るのは、八卦掌は「托槍掌(たくそうしょう)」の構え。
左手で顔を守り、右手を仰向けにして喉元へ突き出す。
敵はかまわず空いている顔の右側面へと肘を放った。

それを見越したギンガは、構えを逆に取る事で右手で顔を守る。
同時に突きだされた左手が敵の顎を打ち、さらに流れる様な連続技へと繋がっていく。

顎から金的、回りこんで後頭部へ手刀、脇腹に肘。
そして、最後に背中へと渾身の双掌打。

「はっ!」

手数を重視した分、どうしても威力は落ちる。
恐らく、これでは頑丈な装甲に決定打は入れられまい。
急所は狙っているが、機械兵器に急所もへったくれもないのだから。

だがそれでも、相手の流れを止める事は出来た。
ならばここからは、自分の流れで進めていく。

「腕、もらった!!」

人体の構造を模しているのなら、当然関節の形も同様の筈だ。
あまり稼働域を広げ過ぎると、今度は強度が落ちる可能性があった。
そう考えたギンガは、体勢の崩れた敵の右腕を取り、躊躇なくその腕を極める。

あと少し力を加えれば、人間ならば関節が外れるだろう。
手応えからして、これ以上は稼働域を外れる事も確信した。
機械相手に躊躇う理由もなく、ギンガはそのまま腕を破壊しに掛かる。

「――――――――」
「っ!? が、ぁ……!」

敵は関節を取られた状態で器用に身体を回転させ、鋼の踵がギンガの側頭部を打つ。
揺れる視界と共に一瞬力が緩み、その間に脱出を許してしまう。

「やっぱり、そう簡単にはいかないか……」

たたらを踏みながら、なんとか体勢を立て直すギンガ。
しかしその間に、敵もまた容赦なく追撃を仕掛けて来る。

目前まで迫る敵を突き離そうと、ギンガは苦し紛れに蹴りを放つ。
だが、逆にそれを取られ、そのまま側面に回り込みながら首を狙った肘打ちが入る。

「かはっ!?」

首筋からは「ミシミシ」という危険な音が響き、ギンガの顔が苦悶に歪む。
しかし―――――――折れない。
強くしなやかに鍛え上げられた首が、危うい所で命を繋いだのだ。
なにより、なのはとの模擬戦より激しさを増した修業は伊達ではない。

「こんな…ことでぇ!!」
「―――――――!?」

ギンガは首へと突き刺さった腕を反射的に掴む。
自分の指を相手の掌に引っ掛け、捻りながらやや持ち上げる事でバランスを崩し、梃子の原理で投げる。
柔術の中でも合気道に区分される技「四方投げ」だ。
ガジェットは咄嗟に近場の樹木へと触手を伸ばし体勢を保持しようとするが、その動きはどこか鈍い。

その様子を眼の端で捉えながら、ギンガは敵を地面へと強烈に叩きつける。
ギンガはそのままトドメを刺すべく、真上から両肘落としを放った。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、リニアレール中央車両の重要貨物室。
先頭車両からガジェットを破壊しながら進み、新型の足止めを受けたライトニングの二人より一足早く目的地に到着したスバルとティアナ。
予定通りレリックを確保した二人だったが、ここで一つの問題が浮上した。

「ねぇティア?」
「ん?」
「そう言えばこれ、この後どうすればいいんだろ?」
「リニアレールはまだ動いてるし、途中下車…ってわけにもいかないしね」

普通こんな襲撃を受ければ、安全装置が働いて緊急停車するのが普通。
しかし今回の場合、リニアレールはガジェットの干渉を受けた事で、黒煙を上げながらも止まることなく走り続けている。
いくら新型のバリアジャケットがあるとはいえ、高速で走っている車両からの飛び降り(ましてや外は断崖絶壁)というのは気持ちのいいものではない。

特に、まだよくわかっていない部分の多いレリック。
下手に衝撃を与えれば、最悪誘爆もありうる。
当然、そうなれば爆心地間近の二人に、命の保証などある訳がない。
二人も揃ってその結末が思い浮かんだのか、若干青くなりながら顔を見合わせる。

「とりあえず、慎重に行きましょ。
 レリックは私が預かるから、アンタは警戒と対処をお願い」
「う、うん! 頑張る!」
「ま、そんなに固くなる必要もないとは思うけどね。
 多分、そろそろリイン曹長が……」

といった傍から、それまで常一定の速度で走り続けていたリニアレールが減速を始めた。
恐らく、車両の停止を担当していたリインが、ガジェットからコントロールを奪ったのだろう。

二人は視線を交わし、無言のうちに互いの意図を伝えあう。
ティアナは片腕でレリックのケースを保持し、空いた手にワンハンドモードのクロスミラージュを構える。
そんなティアナに先行する形で、スバルは重要貨物室の出入り口から顔をのぞかせ、周囲にガジェットの姿がないか確認。
安全を確認できた所で、ティアナにハンドサインで続く様に合図を送る。

一応、重要貨物室に至るまでにすべてのガジェットは破壊してきたつもりだ。
とはいえ、見落としがないとは限らない。
あるいは、後半部分の車両から増援が来るかもしれない以上、警戒は怠れない。
レリックを奪われるのもそうだが、衝撃を与えて暴走も言語道断。
故に、緊張感や警戒心という意味で言えば、重要貨物室に至るまでの数倍に相当するだろう。

そうしている間にも、順調にリニアレールの速度は落ちて行く。
やがて、完全に停車した事を告げる様に僅かな振動が車両を揺らした。
と同時に、二人の元に念話による指示が送られてきた。

『二人とも、ご苦労様です。
もう少ししたらヴァイス陸曹のヘリが降りて来るので、外に出て待っていてください』
「了解しました」

リインからの指示を受け、二人は手近な扉へと向かう。
隊長達やギンガの事が気にならない訳ではないが、どちらも二人よりも優れた実力の持ち主。心配はいらない筈だ、と自らに言い聞かせる。
なにより、今自分達がすべきはレリックの輸送だ。
必要なら、その時には何かしらの指示が来る筈である。

などと考えながら扉に手を掛けるが、押しても引いてもびくともしない。
元々車両のドアというのは簡単に開閉できるようなものではないが、どうやら枠が歪んでしまっているらしい。
車両内の戦闘も終了した事だし、できればあまり手荒な事はしたくなかったのだが……仕方がない。

「やっぱり開かないか、スバル」
「オッケ~♪」

わざわざ「何をするか」など言うまでもない。
ティアナの意図を理解したスバルは、今度は力まかせに扉をこじ開ける。
さすがにスバルのパワーの前では枠の歪みなど関係ない様で、軋む様な耳触りの悪い音を立てながら、扉は開け放たれた。

見れば、既にヴァイスのヘリが少々広めの空間を空けて二人の真向かいで滞空している。
空では未だ戦闘が続いているようだが、その数もまばら。ケリが付くまでそうはかからないだろう。
とそこへ、ヘリのローター音とは似ても似つかない重々しい空気を叩く音を響かせながら、巨大な何かがウイングロードの上を移動する二人に降りかかる日差しを遮った。

「「え?」」
「ティアさーん!」
「スバルさん!」

耳に馴染んだ幼い少年少女の声。
二人が揃ってそちらを見上げると、そこには普段の何十倍というサイズにまで巨大化したフリード。
その上には、手綱を握り鞍に跨ったキャロと精一杯手を振るエリオ、そしてフリードの背に仁王立ちする兼一がいた。

「って、これもしかして……」
「あの、チビ竜!?」

管理世界にあっても珍しい竜だが、これほどのサイズなど尚更お目にかかる機会がない。
驚き唖然とする二人に、キャロは首を傾げ、気持ちが分かるエリオと兼一は苦笑を浮かべている。
ついさっきまであった緊迫した空気は既になく、和気藹々とした雰囲気が場を満たし始めていた。

故に、その場にいた誰もが気付く事が出来なかった
“それ”が全翼機のような形状をた航空型ガジェット、Ⅱ型に乗って崖下の森林から迫っている事に。

『っ!?』

真下からウイングロードを掠める様に垂直に上昇していくⅡ型。
リインを含め、全員が咄嗟にその行く先を目で追う。

しかし、真に重要なのはそちらではない。
重要なのは、ウイングロードと擦れ違うその瞬間、ガジェットⅡ型の背を蹴って“それ”はウイングロードの上に降り立った事。

スバルとティアナ、二人の間に着地したそれは、間髪いれずにスバルの延髄とティアナの喉元目掛けて鋭い手刀を放つ。
どちらも、当たれば致命的な威力と速さ、そして正確さを兼ね備えた一撃。
やや遅れてそれに気付いたエリオとキャロは何事か声を上げえようとするが間に合わず、スバルとティアナも脳からの指示が追い付かない。

知らず、二人の中では時間の流れが引き延ばされ、恐ろしくゆったりとした速度で手刀が迫る。
だが、見えているし避けようとしているのに、それ以上に身体の動きが、反応が遅い。
絶望的な現実が、徐々に二人の運命を呑み込んでいく。
そして、ついに“それ”の手刀が二人の命を刈り取らんとした瞬間、手首から先が跡形もなく消失した。

『えっ!?』
「―――――――――っ!」

覆しようがないように思われた現実が、まるで夢幻であったかのように消滅した。
なにが起こったか理解できず、新人達とリインの声が重なる。

同時に、異変を悟った“それ”は大きくその場から飛び退き、リニアレールの上に着地。
しかし、その背後には……

「みんな、残心って知ってるかな?
終わったと思ったけど、実は終わってない。実戦では良くあることだから、注意しようね」

ほんの一瞬前まで巨大化したフリードの背にいた筈の、兼一の姿。
兼一自身は普段通りの穏やかな口調だが、かえってそれが状況の異質さに拍車をかける。

なにしろ、彼の目の前にはたった今スバルとティアナを襲った人型の機械兵器。
装甲の配色や全体から受ける印象がガジェット酷似していることから、同系列である事は間違いない。
これこそが、スバルとティアナを襲撃した物の正体だ。

そして、何故『必死』と思われた二人が無事なのか、何故手首から先が無くなりショートしているのか。
その理由もまた明白だった。
なぜなら、兼一の右手には失われたそれに二つの手が当たり前のように握られているのだから。

とはいえ、理由がわかったからと言って状況を理解できたとは言い難い。
実際、兼一に助けられたのはわかるが、一体何をどうしたのかはさっぱりなのだから。
ただ、そんなティアナ達の混乱を余所に、兼一は再度距離を取ったそれに向かって話しかける。
その手に握っていた二つの手を、握り潰しながら。

「さて、少し気になる事があるんだ。出来れば教えてほしいんだけど…君、言葉は……」
「―――――――――――」
「しゃべれそうにないね」

真半身になり、両腕を前後に大きく広げた様な構えを取る。
恐らく、手が残っていれば掌を上に向けていた事だろう。
その構えが、より一層兼一の中の疑問を濃くしていく。

(この構え、やっぱり……)

スバルとティアナを襲った瞬間から予想はしていたが、これで確信は得られた。
しかし、何をしようとしているかは分かるが、何故それをしているのかがわからない。
人型を模している以上、格闘技を使わせるのは別に不思議なことではないだろう。

ロボット工学などの事はさっぱりな兼一だが、人の形をした物に人の技を使わせるのは自然な事だと思う。だからそれはいいのだが、何故“これ”が選ばれたのだろう。
それに……気になる事がもう一つ。

(なぜ、あんな物が刻まれているんだ?)

兼一の疑問が胸部に刻まれた物に向けられたのと前後して、それは身体ごと回転させながら、勢いをつけた腕を振りおろしてくる。
本来は掌か手刀で行う技なのだが、肝心の手は兼一が奪ってしまった。
その為、代わりに上腕で代用しているのだろう。

とはいえ、身体を利用し腕の振り自体大きいため、威力・速度友になかなかの物。
例えばスバルが闘った場合、例え万全の状態でも些か分が悪い。
だが、それはあくまでも相手が「白浜兼一」でなかった場合の話。

「まだまだ、動きに無駄が多過ぎる」
「兼一さんっ!?」

腕をだらりと下げ、戦意の欠片も見せない兼一に誰かの悲鳴じみた声が上がる。
それは果たして、スバルだったか、それともエリオだろうか。あるいは、新人達にリインを含めた全員だったかもしれない。

しかし、時すでに遅し。今からでは、どんな言葉も行動も間に合わない。
敵の上腕による打ち下ろしが兼一に当たると思われた瞬間――――――それは見えない壁に衝突したかの様に、大きく弾き返された。

『え?』
「―――――――――――っ!!!」
「うん、良い攻めだ。知らない拳筋だけど、実に筋が良い。
 元になった人が誰かは分からないけど、良い拳士だったみたいだね」

体勢を立て直し、続けざまに間断なく攻め続ける。
だが、そのどれ一つとっても兼一に触れる事さえできない。
打ち下ろされ、振り抜かれ、薙ぎ払われる。
全ての攻撃が、兼一の制空圏に触れると同時に映像を巻き戻す様に、出だしの位置にまで弾き返されてしまう。それも見た所、相手にはダメージらしいダメージがない。本当に、『元の位置』まで『戻している』だけの様だ。

良く見れば、だらりと下げられた腕が、時折霞んでいる。
恐らく、凄まじい速度で迎撃し、また同じ位置に戻しているのだろう。
構えている敵に対し、一切構えない…それどころか脱力した体勢。
明らかに不利な状態にもかかわらず、当たり前のようにこれだけの芸当をやってのける。

一体、どれだけスピードに差があるのだろう。
一体、どれほどの技量があれば出来るのだろう。
あまりにも圧倒的な差は、心が折れても不思議ではない程に絶望的。

だが、相手は心無き機械。
故に、怯む事もなく、恐れる事もなく、ただただ愚直に挑みかかる。
意味がないと言う、敵わないという事すらわからないまま。

「―――――――――――っ」

間合いを広く取った攻撃から一転し、距離を詰め懐に入って脇腹への肘打ち。
そんな変化をつけた攻撃ですら、当たり前のように身体ごと元の位置に戻されてしまう。

「はてさて、君の胸の“それ”と使う技は“彼”を思い出させるけど、拳筋は明らかに別人。
 どういう事なのかな、これは?」

遠近織り交ぜた多彩な攻撃を適当にあしらいながら、兼一は誰にも聞こえない声で小さく呟く。
相手に言語機能がない以上、答えが返ってくる事がないのは百も承知。
故に、これは自分の中で渦巻く疑問と推測を整理する為の独白だ。

それというのも、何かが頭の片隅に引っかかるから。
あと少しで思い出せそうなのだが、その少しが遠い。
もどかしく感じるが、こういう物はえてして後からひょっこり思い出す事がある物だ。
そう結論し、兼一はとりあえずその疑問を後回しにする事にする。

なにしろ、打ち合っていたのは、そうしていれば何か思い出すかと思ったからだ。
その兆候がないとなれば、これ以上付き合う理由はない。
適当に戦力を削ぎ、新人達の練習台にするという案も頭をよぎったが、とりあえずは却下。
今は疲労しているし、精神的な動揺も抜けきっていない。
こんな状況でやっても、あまり身にはならないだろう。

「ふんっ!」

放ったのは、なんの変哲もない崩拳。
速度とて、目にも止まらないと言うほどではない。
普段兼一が放つそれに比べれば、雲泥の差どころではないだろう。
何しろ、キャロやリインでもはっきり見て取れる程、その突きは緩やかだった。

にもかかわらず、あらゆる防御が間にあわず、腹部へと拳が吸い込まれていく。
そして、拳と装甲が接触した瞬間、僅かにその身体を振るわせて、それはその場に崩れ落ちた。

一体何が起こったのか、その闘いを見守っていた全員が内心で首を傾げる。
拳は確かに当たった。だが、速度は緩やかで、それほど威力があったようにも見えない。
撃たれた側の外見にも、これといった変化は無し。
それどころか、打たれた箇所に凹み一つない程だ。

しかしその実、効果は劇的だった。
外見上は確かに無傷かもしれない。だが、内部は違う。
拳が当たった腹部を中心に、装甲内の駆動系や基盤が悉く粉砕されていたのだ。
戦闘用の機械兵器とは言え、精密機器の塊である事に変わりはない。これでは機能停止も当然だ。

とはいえ、本来なら何もここまで手の込んだ事をする必要はなかったし、もっと楽に機能停止に追い込む事も出来た。
そもそも兼一ならば、突きや蹴りで全身を粉々にすることも、手刀で細切れにすることも用意だろう。
それらをしなかったのは、幾ら機械兵器とは言え、人の形をした物をあまり大々的に壊したくなかったからだ。
まぁ、ここまで内部を破壊しつくしていれば、たいした差はない気もするのだが。

(我ながら、どうかと思わないでもないんだけど……性分だしね)

彼是30年近くかけて培った性格だ、今更そう簡単には変わらない。
兼一は内心で苦笑しつつ、動かなくなった戦利品を担ぎあげる。
気になる事もあるし、詳しく調べてもらえれば何かわかるかもしれないと期待して。
そうして、未だ混乱から抜けきっていない様子の子ども達の下へと戻るのだった。



  *  *  *  *  *



仰向けに倒れた敵に向けた、トドメとしての両肘落とし。
だがそれがもう少しで届くと言う時、ギンガの視界で何かが閃いた。

「っ!?」

脳が思考するより早く、反射神経が勝手にギンガの身体を動かす。
勢いに乗った状態で、今更全身レベルでの回避は不可能。
しかし咄嗟に、ギンガは右の肘を引っ込め半身になって何かを回避した。
視界の端で捉えたそれは、ガジェットの攻撃手段として最もオーソドックスなそれ。

(光線!? このタイミングで!!)

これまで使ってこなかった事で警戒心が薄れてしまっていた攻撃。
さらに制空圏を磨くべく行われた修業の成果である研ぎ澄まされた感覚がなければ、今頃腹部に風穴があいていたかもしれない。
だがそんな事を考える間もなく、続いて脇腹に重い衝撃が走る。

「か…はっ!?」

衝撃の正体は、地面に背を預けた状態で放たれた蹴り。
反射的に避けた事で生まれた隙を狙い、狙い澄ました一撃が突き刺さったのだ。
しかし、相手に植え付けられたデータのレベルにしては威力が低い。
右肘は今更戻せないが、左肘はいまだ健在。
多少狙いはずれたが、ギンガはそのまま敵の真上から残る左肘を叩きつける。

「はぁっ!!!」

ダメージを無視した一撃は、見事ガジェットの右肩に打ちぬき破壊した。
本命が胴体だった事を思えば、満足のいく結果とは言い難い。
だがそれでも、相手に対して即座の回復が不能なダメージを与えられた事は大きい。
何より、ギンガもまたこの敵の欠点と言うべきものに気付いていた。

「そう。あなた、データの同期が上手くいっていないのね」

戦っているうちに感じていた違和感。
触手や光線と言った、ガジェットが本来持っている機構を使う時に感じた齟齬。

考えてみれば当然の話で、アレが実在する人間のデータを植え付けられたのなら、不自然が生じても何ら不思議はない。何しろ、普通の人間に触手などないし、光線だって撃てない。
データの元となった人物が魔導師ならいざ知らず、使う武術の事を考えると管理外世界の人間の可能性が高いだろう。また、ムエタイ自体がそういうものを使う事を前提とした技術ではないのだ。
故に、植え付けられたデータとは別に、触手や光線を使う為のプログラムを入れたと考えるべきだ。
となれば、そこにズレが生じるのはむしろ必然。

その為、触手や光線を使おうとすると僅かに動きが鈍る。
だからこそ、よほどの時以外にはそれらを使わず、格闘技のみを使用していたのだろう。
ならば話は簡単だ。要は、触手や光線を使う様に追い込み、それを使う際の隙を見逃さなければいい。

「まぁ、言うほど簡単じゃないんだろうけど……」

言うは易し、やるは難し。欠点はわかったが、それを突くとなると中々にキツイ。
そもそも、この機体に植え付けられたデータ自体が、かなりの腕の持ち主のデータ。
それを追いこもうと言うのだ、やはり生半可なことではない。

とはいえ、そんな弱音を吐いていると後が怖い。
ただでさえ限界ギリギリだと言うのに、これ以上修業がきつくなっては身体が持たないのだから。

「ちょっと無茶するかもしれないけど、付き合ってくれる? ブリッツキャリバー」
《もちろんです》
「よし、じゃ行ってみよう!」

その一言共に、ブリッツキャリバーが唸りを上げ一気に加速する。
敵もそれ応じる形で間合いを詰め、両者の拳が交錯。

互いの拳を頬を掠める形で回避するも、ガジェットの腕がギンガの首に回される。
そのまま首相撲の形に持ち込まれ、ガジェットは膝蹴りを放つ。

だが所詮は片腕。ホールドが甘く、ギンガは自ら前倒しになる事でこれをやり過ごす。
さらに身を屈めた体勢を利用し、残った足を取った。
ギンガは一気に身体を起こし、足をすくい上げる投げ「朽ち木倒し」へと持って行く。
しかし、取ったと思った足がそこで加速した。

「――――――――」
《上からもです、マスター!》
「っ!?」

見れば、空振りに終わった筈の脚が自分の膝を踏み台にし、取った筈の膝が顎目掛けて迫っていた。
その上、首相撲を外された腕もまた、肘を後頭部へと振り下ろしている。

(手を離して防御…ダメ、間に合わない!)

決定的に出遅れ、今からではどんな防御も間に合わない。
だがそこで、染み着いた動作が無意識のうちにギンガの身体を動かした。

ギンガは敢えて回避も防御もせず、前のめりに身体を投げだす。
その結果肘と膝の着弾地点がずれ、肘が背中を、膝はギンガの胸を打った。

辛うじて急所を外したが、それでも強烈な挟み打ち。
肺の中の空気が纏めて吐き出され、改めて吸い込む事が出来ない。
しかし、ギンガはそれでもなお歯を食いしばり、さらにさらに身体を前に出す。
同時に膝を踏み台にした足を取り、ついにそれが届いた。

「―――――――!」

敵の胸部に叩きこんだのは頭突き。
心意六合拳の技、「烏牛擺頭(うぎゅうはいとう)」。
そのまま一気に取った膝関節も持って行きたかったが、そちらは振り払われて断念する。

代わりに相手の肩と股間を掴み上げ、自分の肩まで乗せ「肩車」へと持ち込んだ。
それが外せないと判断すると、ガジェットは触手を伸ばす。
瞬く間の内に絡みついた触手がしめあげるが、ギンガが頭から地面に落とす方が早い。

「やああぁぁぁあぁぁ!!」

重厚な落下音と共に、ガジェットの頭部が地面に叩きつけられる。
その結果とったのは、先ほど四方投げにより投げられた時と同じ体勢。
ムエタイは立ち技であり、こうなれば使ってくるかなり限定される。

何より、機械はある一定パターンに沿って動くもの。
自身で思考するのではなく、与えられたプログラムによって動くからこそ生じるそれ。
ならば、同じ状態に持ち込めば同じ方法でその状況を打開しにかかる可能性が高い。
そして、そんなギンガの予想は的中する。

(来る!)

首筋に走る怖気。それに従いギンガは右掌にシールドを展開。
それに刹那遅れ、光線はシールドに弾かれ四散した。
しかし、その一瞬の隙をついて身体を跳ね上げ起き上がるガジェット。

だがギンガはそれに動じることなく、起き上がったばかりのガジェットの腹部に拳を押し当てる。
気付いた時には、ガジェットの体はバインドによって拘束されていた。
AMFを用いれば脱出は難しくないだろう。しかし、要はその前にケリを付けてしまえばいいだけの事。
間もなくギンガの左腕の周りに幾条もの環状魔法陣が展開され、その拳が淡い光を放つ。

「悔しいけど、今の私じゃコレ一発であなたを倒す事はできない。
 だから、ちょっと小細工させてもらわよ!!」
「―――――――――――」
「ちぇりゃあ!!」

押しあてていた右拳を引き、代わりに淡い光を放つ左拳が繰り出される。
放つのは基本に忠実な惚れ惚れするような「正拳突き」。
それがガジェットの腹部に突き刺さると、青の魔力光が迸る。

淡い青の光の奔流はガジェットの胴体を呑み込み、跡形もなく消し飛した。
上下にちぎれたガジェットは、力なく地面にその身を横たえる。
僅かな時間痙攣するかのように四肢を蠢かせ、間もなく活動を停止。
それを確認した所で、ようやくギンガは深々と息をつき身体を後方へ倒す。

「はぁ~……なんとか、勝てたぁ」

天を仰ぎ、大の字になって地面に身体を預けるギンガ。
その顔には色濃い疲労が滲み、いつの間にかボロボロになっていたバリアジャケットが戦いの激しさを物語る。

《お疲れ様です》
「こっちこそ御苦労さま。初陣でいきなり無茶やらせちゃってごめんね」
《いえ、私はあなたの道具。あなたの思う様に使ってくだされば本望です》
「…………そっか。だけと、ちょっと違うかな。あなたは道具じゃなくて、もう私の一部。
この腕や足と同じね。だからやっぱり、ありがと」
《身体の一部に礼を言う事こそナンセンスでは?》
「そんな事ないわ。この腕もこの脚も、そしてあなたも…私の信頼通りに動いてくれた。
 だから私は勝てたんだし、最後まで付いてきてくれた事にはどれだけ感謝してもし足りない。
 私はまだまだ未熟で上手く使ってあげられないけど、だからこそそういう気持ちを大切にしたいの」
《良く分かりませんが…………今後も期待に添いたいと思います》
「ええ、私ももっとあなたを上手く使えるよう、頑張らないと……」

今回の勝利が、自分だけの実力によるものだとは思わない。
間違いなく、道具…この相棒に救われた面は大きいだろう。
それも含めて実力の内と言えばそうかもしれないが、もっともっとこの相棒の力を引き出してやりたいと思う。そうすれば、自分達はもっと良いコンビに慣れる筈だから。
同時に、ギンガはたったいま倒したばかりの敵に目を向ける。

(できれば、本物のあなたと戦ってみたかったかな。
 でも、その時はきっと……)

負けていたのは、自分だったのではないかと思う。
戦ってみて強く感じたが、一拳士としての格は相手の方が上だ。
少なくとも、一人のムエタイ家や武術家として比べたなら。
魔法を使えば話は別だが、あまりその仮定をする気にはならない。

勝てたのは、本当に単純に相手が機械だったから。
データをなぞる事しかできない機械で、結局は模倣の域を出なかったことが敗因。
全ての技の伝承が模倣から始まるとはいえ、その先に行かねばいつまでたっても猿真似のまま。
丁度今回の敵がそう。工夫し、発展させる事がなかったから勝てた。
本来は持っていない筈の武器や道具とのすり合わせが上手くいかなかったからこその結末。

(どこの誰のデータかは知らないけど、今回は命拾いしたってところかな……)

敵の攻撃は、まさしく一撃必殺の連続だった。
一瞬でも気を抜けば命がなかった事を思うと、本当にそうだったと思う。

「って、こんな所で休んでる場合じゃなかった! みんなは!?」

達成感をひとしきり味わった所で、ギンガは大慌てで起き上がる。
疲労と痛みでだるい身体に鞭を打ち、駆け足で森を抜ければ目の前には断崖絶壁。
崖下を見下ろせば、そこには黒い煙を上げて停車しているリニアレールの姿。
至る所に破損とガジェットの残骸が見受けられるが、辛うじて原形はとどめている。
そんなリニアレールからヘリへと続くウイングロードの上には、既にレリックと思しきケースを持った妹とその親友。
ウイングロードの脇には、少し見ない間にとてもとても大きくなったフリードに跨ったライトニングの姿も見える。そのすぐ近くには、何かを担いだ師の姿。どうやらこちらの方も、案の定無事らしい。

一ヶ所にかたまっていた4人だったが、やがてヘリへと移動を始める。
師もそれについて行く様子なので、ギンガも合流すべくウイングロードを展開。
リニアレールへと伸ばしたウイングロードを通って崖を下るその直前、トドメの一撃で抉られた腹部の上、胸部に刻まれたそれに目を向けた。

(そういえばコレ、文字みたいだけどなんて書いてあるのかしら?)

兼一に学んでいるとはいえ、ギンガはあまり日本語には明るくない。
故に、彼女がガジェット達の胸に刻まれたその文字の意味を理解できなかったのは仕方がないだろう。

しかし、もしそれをなのはやフェイトなど地球で暮らしていた面々が見ていたなら、その意味を解説してくれていただろうが、なぜそんなものが書かれているのか首を傾げた筈だ。
故に、その文字の意味を真に理解できる者は六課に一人だけ。
そして、そこにはこう書かれていた。

「炎」と「月」と。



  *  *  *  *  *



場所は再度いずことも知れぬ部屋へと移る。
そこで事の顛末を見届けた白衣の男は、予想通りの結末に肩を竦めていた。

「0型、二機共撃破を確認しました」
「やれやれ、スポンサーの依頼で作ってはみたが、やはりこんなものか」
「使用されたデータは確実に今の彼女達を上回っていた筈ですが……」

通信越しの女性は、どこか釈然としない様子で呟く。
データ上はあの機体の方が優れていた筈。にもかかわらず、結果は敗北。
それが納得いかないとばかりに。しかし、白衣の男はそれに首を振る。

「ふむ、私に言わせれば善戦した方だと思うよ。
如何に優れたデータを入れ、優れた性能を持たせた所でアレが単なる機械の限界さ。
元来、あの技術は人間が人間と戦うために編み出された物。
人の形を取り繕ったところで、所詮鉄の塊が人になる事はできない。
生命ならではの輝きなくば、それを真に活かす事はできないという証拠さ。
そういう意味では、アレは君達の価値を裏付ける結果とも言えるかもしれないね」
「なるほど……」

女性は白衣の男の言葉に感銘を受けたかのように、深くうなずく。
自分達はただの道具や機械ではない。偉大なる父の作品である、それを証明する材料の一つ。
今回の事を、そう言うものだと受け止めているのだろう。

「だから私は彼らに言った筈なのだがな。
 所詮は機械、人に近づく事はできても人にはなれないと」
「確か、かつて海で武を振るった彼の人物を再現できれば世界の安定につながる筈、と言う事でしたか」
「気持ちはわからないでもないのだがね。確かに再現できればこの上ない。
 しかし、あの御仁に遥かに劣るアレらのデータですらあの有様だ。仮にあの御仁のデータが手に入ったとしても、万分の…イヤ、億分の一でも再現できれば奇跡だろう」
「研究の過程で得たノウハウと、なんとか手に入れたデータがあっても思うような成果が出ませんでしたから」
「ああ。つまりは、私の言った事を裏付けるだけに終わったと言う事さ。
 まぁ、そんな事とは無関係にあのデータには興味があったので別にかまわんがね。
 ただ、弱点を補うためにああいった道具を装備させろとは、全く以って彼らには機微を察する感性と美学がなくて困る」

白衣の男としては、アレらにああ言った武装を付けるのは本意ではなかった。
スポンサーの意向なので、仕方なく付けただけに過ぎない。
今のところは、スポンサーにそれなりに配慮しなければならないから。
しかし、それにしてもアレは無粋に過ぎると思う。

「アレがなければ、もう少しやれたかもしれんと言うのに。君はどう思うかね?」
「え? なんですか?」
「まったく、あなたはもう少し人の話を聞きなさい」
「あははは…………ごめんなさい!」
「…………ふぅ」

白衣の男が話を振ったのは、やけに高い所に腰かけ足をぶらぶらさせる人影。
彼はどこか憎めない仕草で手を合わせ謝るが、女性は溜息をつくばかりでそれ以上言及はしない。

「いやいや、かまわないよ。それより、彼女はどうだい。君の眼鏡にかなうかな?」
「そんな! そんなこと言ったらあの人に失礼ですよ!!」
「では、気に入ったかい?」
「はい! だから、今から行っちゃダメですか?」
「ふむ……今はやめておこう。
 今日は、彼女らの事を知れただけでよしてしてくれないかな?」
「はぁ~い……」
「安心したまえ。いずれ、近いうちにあわせてあげるよ」
「ホントですか! 約束ですよ」
「ああ、約束だ。それまではすまないが、当分はあのおもちゃで我慢してくれたまえ」

そう言って、白衣の男が視線を向けるのは先ほどギンガが戦ったガジェットの同型機。
あまり気乗りしないで作ったものだが、あの子の遊び相手としてはそれなりだった。
だがそれも、最近は少々苦しくなってきている。
その意味でも、あの子にはそろそろ新しい遊び相手が欲しいところだ。

「ギンガ・ナカジマさん、かぁ。こっちに来て友達になってくれないかなぁ?」
「なれるさ。君たちなら、きっといい友達にね。
 そう、命をかけて磨き合う、そんな関係に。
 フフフ………アハハハハハハハハハ!!」






あとがき

なにやら、オリキャラやらオリジナル兵器やらのオンパレードでございます。
オリキャラの本格的な出番はもう少し先ですが、ある意味徐々に人間関係が複雑化していく予定です。

オリジナルの兵器ですが、名称は面倒なんで0型に。
まぁ、他のガジェットとは開発コンセプトが違うので、通常のナンバリングとは別と言う感じです。
というか、ガジェットと言う呼び名も型番も、前部管理局が勝手に付けたものなんですけどね、元々は。
「炎」とかに関しては、次回で補足じゃないですけど触れることにしますので、それまでお待ちください。
まぁあれですよ、長老が暴れてた時点でそれに目を付ける人はいて当然なんですよね。
ちなみに、ああいうのを思いついたのはForceのほうで出てきたラプターが根幹です。あのマッドサイエンティストなら、これ位作ってしまいそうだなぁと。



[25730] BATTLE 23「武の世界」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:52

初出動から数時間後の機動六課。
先の戦闘の資料を提出し終えたフォワード陣は隊舎の一角、とある会議室に集められていた。

そこに居並ぶ部隊長であるはやてとその副官とも言うべきリイン、さらに各分隊長及び副隊長。
他にも医務官のシャマルや無官のザフィーラ、そして白浜兼一の姿もある。
錚々たる面々の表情は一様に厳しく、新人達は緊張の色を隠せない。

そしてその議題は、もちろん先の戦闘で現れた2種類の新型機。
球形の大型ガジェットと戦ったライトニング、格闘技を用いる人型ガジェットと戦ったギンガ。
彼らはそれぞれまとめた資料を読み上げ仲間達に注意を促す。

大型機はAMFの強度及び領域がそれまでの物より強力で、その形状から砲撃が通りにくい事。
人型機はAMFの領域こそ狭いがその分強度が高く、またかなり高い技術を持つ人物のデータを用いていると思われる事など。
終始手を組んで静かに聞いていたはやては、4名が報告を終えた所で重々しく口を開く。

「つまり大型機…とりあえず最初に確認されたタイプを『Ⅰ型』、飛行型を『Ⅱ型』と呼称しとる事やし、その例に倣って暫定的に『Ⅲ型』とでも呼ぶとして……」
『……』
「こいつは基本的に今までと同じやり方で対処できる、っちゅうことでええか? エリオ、キャロ」
「あ、はい!」
「攻撃と防御も、基本的な所はこれまでのガジェットと変わりませんでしたから」

光線や触手を使った攻撃、守りを装甲とAMFに頼っている所などは既存のガジェットと同じ。
違いがあるとすれば砲撃が効き難い事、そして大型化した分全体的な性能が上昇している位。
確かにそれならば、基本的な対処の仕方はこれまでとあまり変わらない。
やる事の規模と出力こそ上がるが、同時にそれだけでしかないとも言える。
それが、実際にⅢ型と戦った二人の意見だった。

「高町教導官の意見は?」
「私も二人と同意見です。ただ、データを見てもかなり頑丈な事が伺えるので、今のフォワード陣だと倒すのは手間ですね。Ⅰ型ならもう単独でも対処できますが、Ⅲ型は最低二人以上のチームで対処するのが望ましいかと」

実際、フリードさえいればキャロでもⅠ型数機程度なら大過なく対処できるだろう。
だからと言って、単独行動はまだ早いので絶対させるつもりはないが。
そもそも、成長してきたとはいえ4人ともまだまだ穴だらけ、と言うのが上層部の判断。
その穴を埋めるためにも、単独でやり合うのはよろしくない。

「まぁ、今も不測の事態に備えて基本単独行動はなしやから、その辺は問題ないな。
 とりあえず4人は常に集団行動を心がけて、もし単独で敵と遭遇した時は至急近くの仲間と合流や、ええな?」
『はい!』

遭遇するのがⅠ型でも、基本的にその方針は変わらない。
弱くても数が多ければ新人達では危ういし、前回の様にⅢ型が突然現れる事もある。
何があっても大丈夫なようにする為のチーム、ならばそれを徹底するのは当然だ。
強いて変更する点を上げるなら、今後は採取したデータから再現したⅢ型との模擬戦もやっていく事位だろう。

「さて、そうなってくると問題なんは……」
「あの人型機…ですね」
「うん。アレばっかりは今までと勝手がちゃうし、一層慎重にやってかんと……フェイト執務官、現状で何かわかった事は?」
「白浜陸士が比較的損傷の少ない機体を確保してくれたので、それを現在フィニーノ一士が解析にあたっています。ですが、詳細を解析するにはもう少し時間がかかりそうです」
「さよか……。せやったらしばらくは報告が上がるのを待つとして、とりあえずいつまでも『人型』っちゅうわけにもいかんし、なんや呼称が必要やな」
「んなの、ⅠⅡⅢと来たんだからⅣで良いんじゃねぇの?」
「う~ん、ちょう他と開発コンセプトがちゃう感じやし、別扱いしたいところなんやけど」
「なら、0型とかで良いんじゃねぇか。あんまこだわる様な事でもねぇし……」
「まぁ、その辺が妥当やね。とりあえず、暫定的にこのタイプは0型と呼称して、ギンガ陸曹が闘ったのを0-1型、白浜二士が戦った方を0-2型とでも呼んどこか」

事実、趣がだいぶ異なる上に植え付けられたデータによって戦い方も大きく異なるあの機体。
はやての言う通り、通常とは別の区分けにした方が良いと言うのは皆も同意する所だ。
とはいえ、ヴィータの言う通りあまりこだわる様な事でもなし。
わかりやすく通常の番号の流れから外し、ついでにもし他のタイプも出て来るようであれば、さらに『0-○』とでもナンバリングしていけばいい。
あるいはさらに何かわかった時には、もっと別の呼称を考えれば良いだけの事。
実際、このすぐ後にアレらの機体には六課独自の暗号名がつけられることになる。
とそこで、報告を終えた後黙りこんでいたギンガが口を開いた。

「あの、よろしいでしょうか?」
「ん? なんか気付いた事があったら気にせんと言ってええで」
「ありがとうございます。師匠…白浜二士にお聞きしたい事がありまして……」

ここは一応公式の場と言う事で、『師匠』という呼び名を控えるギンガ。
まぁ、その辺りはみんなやっている使いわけなので別にいい。
そもそも、問題とすべきなのはギンガが兼一に何を聞こうとしているかだ。

「私が戦ったアレは、確かにムエタイを使っていました。
 でも、私があなたから学ぶそれとはどこか異質で……あれはいったい、何だったんですか?」

それまで兼一とギンガの間を行き来していた皆の視線が、兼一へと集中する。
これまで一言も発さなかった兼一だが、ここにきて深くため息をつく。
戦闘記録の映像を見たその瞬間、兼一はアレが何なのかを理解した。正確には、アレが何をやっているのかを。
まだギンガに教えるには早いと思う。だが今後アレらと戦っていくことになるのなら、出し惜しみは弟子の命にかかわりかねないだろう。
となれば、速いとか遅いとか言っていられる状況ではない。
そうして兼一は、再度深いため息をついてから重い口を開いた。

「アレは……………………古式ムエタイだよ」



BATTLE 23「武の世界」



『古式…ムエタイ?』

兼一の一言に、隊長達も含めて皆一様に首をかしげた。
地球で暮らしていた面々なら、ムエタイという名前くらいなら聞いた事がある。
だが、古式ムエタイという名称に聞き覚えのある者はいない。
いや、なんとなくの想像はつくが、それだけでしかないとも言える。

「ギン姉、知ってる?」
「……」

隣に立つスバルからの問いに、ギンガは無言のまま首を振って否定する。
白浜兼一と言う武術家の弟子になってしばらく経つが、今まで一度も聞いた事のない名称だ。

「古式ムエタイと言うのは『ムエボーラン』や『パフユッ』とも呼ばれる、言わばムエタイの原型だよ。
 そもそもムエタイは白兵戦用に作られた実戦武術だからね、その原型ともなれば当然……」

強力な技も数多く存在する、ということだ。
しかし、だとすれば一つ疑問が浮かぶ。

「あの、そんなにすごい技がたくさんあるんだったら、なんで今までギンガさんに教えなかったんですか?」
「……」

疑問を率直にぶつけてきたのはティアナ。
まぁ、彼女の疑問も最も。強力な技を学べば、それだけギンガも強くなれる。
武装局員の任務には危険がつきものだし、腕を上げればそれだけ生存確率も上がるだろう。
だと言うのに、それをしないと言うのはおかしいと考えるのが当然だ。

もちろん、兼一とていずれは教えるつもりだった。だが、今はその時ではない。
とそこで、それまで狼形態のまま座っていたザフィーラが口を開いた。

「教えるには時期尚早だった、と言う事だろう。
映像を見る限り恐ろしく殺傷性が高く、急所への攻撃どころか致命傷狙いの技が多い。
あんなもの、下手に人に当てれば死ぬぞ」
『っ!?』

その言葉に息をのむフォワード陣。
強力な技とは、つまりそれだけ効率的に人体を破壊できると言う事。
使い手の腕が悪ければ、最悪の『事故』の可能性も必然大きくなる。
まぁ、もしその使い手と教える側の人間がそう言う道を進もうとしているなら、話は別なのだが。

「ザフィーラさんの言う通り。今でこそムエタイは一国の国技へと昇華されているけど、その原型である古式ムエタイは殺傷のみを目的とした殺人拳。下手に当てれば死んでしまうし、上手く当てれば殺す事ができる、そういう技なんだ。
ギンガ、僕は君を弟子に取った時、まず何を教えた?」
「……武術は、人を活かしてこそ。人を守り、活かす。そこに武術の真髄はあると」
「そう。武術は本来、弱者が強者から身を守る為に編み出された護身の業、活人拳こそが武術の原点だ。
 だからこそ、あの技は今のギンガには必要ない。そう思ったから、敢えて教えてこなかったんだ」

今のギンガの腕では、敵を『殺してしまう』かもしれないから。
一般的なミッド式の使い手と違い、肉弾による直接攻撃を行うギンガにはその可能性がある。
だがそこで、エリオは気付く。果たして兼一は、この技を使う事が出来るのか否かと言う問題に。

「あの、兼一さんはこの技を……」
「使えるよ、一応ね。僕もムエタイ家の端くれ、嗜みとして失伝しない様に教わったんだ。
 でも、使った事はあまりないかな。教わったのもそれなりに腕を磨いてからだったし……何より」

文字通り必殺の技の宝庫であるだけに、使いどころが難しかった。
下手に当てれば死んでしまう、それが枷となり兼一ですらほとんどこの技を使った事がない。
それほどまでに、古式ムエタイの技は危険なのだ。

「じゃあ、これからもギンガさんには教えないんですか?」
「いつかは教えようと思う。でも、それはいまじゃない」

控えめなキャロの問いに、兼一は意識的に毅然とした態度をとって答える。
この際だ、自分の意思と方針ははっきりと示しておいた方が良いと考えたから。

「当面は古式ムエタイ以外…そもそもムエタイ自体ですら、ギンガにはまだまだ学ばなければならない事がたくさんあるんだ。それらを修めてからでも遅いと言う事はないよ、僕もそうだった」

物事には順序と言うものがあり、簡単なものから複雑なものへと進んで行くのが正しい流れ。
その意味で言えば、強力な技は後から学ぶというのは当然の事。
殺人拳の者の様に、殺すことを前提として技を磨いているわけではない以上、それがあるべき流れなのだ。
とりあえずその説明で納得がいったのか、それ以上のこの件に関する質問の声は上がらない。
代わりに、ザフィーラから別の質問がぶつけられた。

「白浜」
「はい」
「お前の弟子の育成方針はわかったが…0-2型、あれについては何かわかるか。
 0-1型が古式ムエタイとやらを使っていた以上、地球ゆかりの武術を使う可能性があると思うのだが?
 見た所、お前やギンガと似た様な技を使っているように思える」

兼一はザフィーラの問いに一瞬複雑そうな表情を浮かべるが、直にそれを消す。
そして、思い出す様に画面の一つを指差した。

「ええ、これは八極拳と劈掛拳ですね」
「……なんだ、それは?」
「あっ、思い出した! 八極拳は私もやってるけど、確か接近戦に特化し過ぎるから他の武術と合わせて学んで補完するって……」
「そう、その良く一緒に学ぶ武術の一つが劈掛拳。遠心力を利用した鞭の様な鋭さと重さの打撃が特徴の武術だ。『放長撃遠』の言葉が示す通り、遠い間合いでの戦いを得意としていて、曲線的な歩法を使い相手の側面や後ろに回り込むのも得意だね。
 劈掛拳は他にも蟷螂拳を学ぶこともあるけど、この人は八極拳みたいだ」
「では、使い手と戦った事は?」
「…………あります」

その問いに、兼一は少しだけためらいがちに答える。
それに何か気付いたかのように眉を僅かに動かすザフィーラだが、追求する様な事はしない。
その代わり、彼は視線を兼一からはやてへと移し……

「それで、こちらへの対策はいかがなさるおつもりですか、我が主?」
「……ま、よう知っとる人がいるんやから、その人に任せるんが筋やろ。
そんな訳で、対策はお願いしてもええですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「高町教導官は?」
「私も問題ありません。
できれば、白浜二士の訓練はもう少し後にしたかったんですけど、仕方ないですね。
白浜二士と資料を纏めて、早いうちに動こうと思います」
「ん、じゃあそれでお願いするわ」

肩を竦めながら二人に問うと、両者ともに了承の意を示す。
なのはとしては、もう少しみんなが頑丈になってからにしたかったがそうも言っていられない。
ギンガですらやっと倒せたくらいの相手だ、新人たちだと非常に危険。
早いうちに対策を講じて行かなければならない。

「他にはないか? ないんやったらもう暗くなっとるし、これで解散にしたいんやけど……」

実際、窓の外は夜の帳が下りている。
戦闘後なのでゆっくり休ませてやりたかったが、新型機が出たとあっては早いうちに周知した方が良い。そう言う事で、こうしてやや遅くまで残ってもらった。
しかしそれが終わったのなら、明日に響かない様はやく休ませてやるのも部隊長の務め。
とそこで、それまでずっと聴き手に回っていたシャマルが手を上げる。

「あ、ちょっと良いですか?」
「なんや、シャマル?」
「ギンガ、今回の戦闘で怪我しちゃってるじゃないですか。
 大事はありませんでしたけど、それほど軽くもないので……」
「ちょう休ませたい、っちゅうことか。どないやろ、お二人としては?」

確かに、新人達は怪我らしい怪我もなく、問題なのは疲労だけ。
連日の訓練で体力も増し、回復魔法もあるから後に響く事はあるまい。

だが、ギンガの場合はかなりの苦戦を強いられただけあって、肉体へのダメージも相応。
医者であり皆の体調管理が仕事のシャマルとしては、完治までとはいかなくても、少しちゃんとした休みを取らせてやりたい所。
それでなくても、彼女は新人たち以上のハードメニューをこなしているのだ。
なにしろギンガの場合、師がアレなので心配し過ぎると言う事はないだろう。

「私は良いと思いますよ。怪我が悪化しても大変だし、兼一さんはどうです?」

なのはは過去の苦い経験があるだけに、シャマルの提案に異を唱えるつもりはない。
自分の事ならいくらでも無茶できてしまうとは言え、過去の事はちゃんと懲りている。
ましてやそれが他人の事なら、彼女はちゃんと常識的な判断と言うものができるのだ。

ミッドの医療技術はとんでもないし、魔法も併用すれば治りも早い。
傷自体もそれほど深くはないので、数日のうちにほぼ完治させる事が出来るだろう。
治癒をかけっぱなしにしておけば、一日もあれば完治とはいかなくても復帰できる筈。
なら、その間くらい休ませても良いと思う。それだけの働きをしたのだから。
まぁ、実際には報告書等もあるので、午前はデスクワークにあて、午後に休ませるのが妥当か。

ただ、そこで問題になってくるのが無茶の権化の存在。
アレの事だ、このくらい傷の内に入らないとまた無茶をさせる可能性がある。
そんなアレをどう説得するか隊長達は考えを巡らしていたのだが、出てきた答えは意外なものだった。

「そうですね、僕も良いと思いますよ」
『え”!?』

皆の口から揃って発せられる『信じられない』と言わんばかりの声と注がれる視線。
それだけ、皆にとってこの返事は意外なものだった。
しかし、それは本人からすると非常に不本意なもので……

「…………………なんですか、その『え”』っていうのは?」
「ああ、いや…なんちゅうかその……」
「な、何でもないですよ、何でも! ねぇ、フェイトちゃん!!」
「う、うん! 全然全く、他意なんて微塵もありませんよ!!」
(ま、いつもいつもアレだからなぁ……)
(信じろ、と言うのが無茶な話だとなぜ思わん?)

明らかに動揺する部隊長と分隊長、口には出さないが失礼な事を考える副隊長。
まぁ、ヴィータの考える通り、普段の行いからの正当な反応なのだから仕方がない。
新人達も一様に夢かどうか確認する様に自分の頬をつねっていることからも、それが伺える。

「あの、兼一さん。念の為に言いますけど、ギンガを休ませるんですよ?
 休ませるって言うのはですね、修業とかしないでゆっくりと……」
「いや、そんな事言われなくてもわかってますよ」
「十分とか一時間とかじゃ、全然休んだことにはならないですよ?」
「ま、まぁ確かに『ちょっと』と言って似た様な事はしてますけど……今回はちゃんと休ませますから」
「わかっているとは思うが、修業していないからと言って重り付けて生活させるのは休むとは言わん。それはわかっているか?」
「あの、僕をなんだと思ってるんですか?」
「「…………」」

拷問と書いて修業と読む地獄からの使者、とは思っていても言わないシャマルとリイン、そしてザフィーラ。
だが、三人の考えもあながち間違ってはいない。過去兼一は、休みを与えられた際に修業こそしなかったが、ダンベルを腕に括りつけられた事がある。
それと同じ事をしないとは言えないのだ、三人は知らない事だが。
しかし、兼一の返事に誰が一番驚いたかと言えば、それは愛弟子のギンガに他ならない。

「あ、あの…ホントにお休みなんですか?
 だ、だって弟子入りして今日まで休みなんて一日も……」
(うわぁ、なかったんだぁ……)

と、同情的な視線を向ける一同。
あの地獄の修業を毎日、それも3カ月以上休みなしで。
それはもう、いつ死んでもおかしくないのではないだろうか。

「実を言うとね、あのレベルの修業を休みなくやらせるのは無茶だなぁとは思ってたんだ。
 だからその内ガス欠になるだろうし、そこで休みをあげるつもりだったんだけど、意外と保っちゃうからタイミングを外しちゃってさ」
「は?」
「だからまぁ、今日まで良く頑張ったし、そのご褒美って事で」

それはつまり、無茶とわかった上で無茶をさせてみたら、予想外にも耐えてしまうので限界が来るまで続けてみたら今日になってしまったと、そう言う事なのだろう。
あまりにもあまりな現実に、立ちくらみを覚えるギンガ。
耐えられた事は純粋に喜ぶべきだが、耐えられたからこそ休みがなかったと思うと複雑だ。

「ま、何はともあれ明日はゆっくりと休んで、羽を伸ばすと良いよ」
「あ、ありがとうございます……」
「ゆっくり休んで怪我を治して、そしたらまた修行だ。
 手強い相手もいる様だし、ますます気合が入るよね。
 それなのに怪我なんてしてたら、むしろ大変なことになっちゃうよ」
(治りたくない……)

今この時ほど、ギンガは切実にそう思った事はない。
この口ぶりだと、さらに修業がきつくなるのは明らかなのだから。
しかしまぁ、何はともあれ明日一日、ギンガに休みを与えられる事が、これで決定したのであった。



そうしてフォワード陣が退出した後。
会議室に残された隊長陣とシャマルにザフィーラ、そして兼一。
彼らは先ほどまで以上に険しい表情で、先の戦闘映像を見つめている。
そして、唐突にシグナムが口を開いた。

「何か隠しているな、白浜」
「…………わかりますか?」
「お前は取り繕うのは上手いようだが、反面嘘が下手だ。
八極拳と劈掛拳の使い手と戦った事があるかと問われた時、嘘をついただろう。
 いや、嘘とも言えんのかも知れんが、それでも全てを語らなかったな」

ザフィーラの問いに対して答えるまでの、一瞬のタイムラグ。
その際に垣間見えた、ただ戦った事があるだけとは思えない複雑な何か。
それにシグナムは目ざとく気付いていた。いや、気付いていたと言うのなら、それは……

「おそらく、ギンガも気付いていたな。気付いていた上で敢えて聞かなかったのだろう。
 信じて師を待つ、良い弟子を持ったものだ」

口の端を持ち上げ、僅かに笑うシグナム。
それに対し兼一は、頭をかきながら照れるばかり。
とはいえ、それで誤魔化されてくれる相手でもない。
兼一としても、子ども達の前では話すべきか迷ったがこの面々には話しておくべきだと思う。
だが兼一がその事に触れるより前に、なのはがどこか躊躇いがちに口を開いた。

「ちょっと、良いかな?」
「どないしたん、なのはちゃん?」
「実は少し気になる事があるんだ」

気になる事、と聞いて一声に全員の注目がなのはに集まる。
当のなのははどこか自信なさげに、同時に記憶の糸をたどるような表情。
しかし彼女は意を決し、画面上の一点。0-1型と名付けられたそれの胸部を指差す。

「これ……」
「漢字、だよね」
「『炎』か。確かにその字に相応しい激しい攻めの姿勢だ。
 だが、問題なのはそこではなく……」
「なんでガジェットに漢字が書かれてるのか、だよな」

なのはの示すそれを見て、各々呟きを漏らすフェイトにシグナム、そしてヴィータ。
実は、フォワード陣には「調査中」と言う事で秘した情報がある。
それは、回収した0-1型と0-2型の胸部に刻まれていた紋章について。

別に教えてもよかったのだが、教えたからと言って特に意味があるとは思えない。
また、0-1型の『炎』と違い0-2型に書かれた『月』という漢字との関連性は不明。
なので、『炎』が実は何を意味するかもよく分かっていない。
なら、何かわかってから教えた方が良いとの判断だ。
ただ、『月』に関してこれと言って思う所のないなのはだが、『炎』の方には他にも気付いた事があった。

「これね、ちょっと見覚えがあるんだ……」
「ホントなの、なのは!?」
「マジかよ! どこだ、どこでだ!!」

何かの手がかりかと思い、なのはに詰め寄るフェイトとヴィータ。
だがなのはの表情は浮かないもので、本当は話すべきかすら迷っている事が伺える。

「その……………………………お兄ちゃんの部屋」
『は?』
「だから、お兄ちゃんの部屋なの! 昔、ああいうのがあったなぁって!」

なのはの告白を聞き、皆一様に肩透かしを食らった様な表情を浮かべている。
無理もない。確かに使っている技は地球の物だが、恭也との関連性が見えてこない。
なのはも知っているのはそれだけなので、それ以上言える事はないのだ。
言える事があるとすれば、それは……

「お兄ちゃんが持ってたメダルみたいなものがあって、それとよく似てるなぁって……」
「それって、字体がって事ですか?」
「うろ覚えなんだけど、字体も似てると思う」
「『も』ということは、この縁取りみたいなのも?」
「はい」

リインとシャマルの問いに、なのはは自信なさそうにうなずく。
文字が描かれているのは左胸。その周りには、まるで炎を象徴するかのような縁取り。
そのデザインが、かつて兄の部屋で目にしたそれと酷似している様に思う。

とはいえ、なにぶんずいぶん古い記憶の話だ。
なのはとしても『そんな気がする』だけで、確固とした自信があるわけではない。
折角の手がかりかと思ったが、これではないも同然だ。
一応恭也と連絡を取っておくべきかと思った所で、おもむろに兼一が口を開く。

「あ、そっか。恭也君はコーキンと戦った事があるんだっけ……」
「ぇ…あの、兼一さんも知っとるんですか?」
「はい、僕も持ってますし」
『はい!?』
『なに!?』

兼一の言葉に色めきたつ面々。
恭也と連絡を取るべきかと思った所で、同じものを持つ人物がもう一人。
ならば、わざわざそんな手間をかける必要もない。

「せやったら、アレが何なのかも……」
「知ってますよ。とても、よく」

どこか遠い目をしながら、兼一は噛みしめるようにして言葉を紡ぐ。
それは、兼一にとって懐かしき青春の記憶の一つを象徴するもの。

「古式ムエタイを使って、炎のエンブレム、それにあの拳筋。
 間違いなく、0-1型に使われているのは『ティーラウィット・コーキン』のデータです」
「知り合い……とは違うようだな。とすれば…ライバルか?」
「ええ。修業時代から何度も拳を交えた、ライバルの一人ですよ」

シグナムの問いに、兼一は確信を持って答える。
忘れる筈がない、間違える筈がない。かつて、一度自分を殺したあの拳筋を。

「獅王神…ナラシンハとも呼ばれたムエタイ使い。
 一影九拳が一人、拳帝肘皇アーガード・ジャム・サイの一番弟子にして後継者です」
「なんなんだよ、その…一影九拳っつうのは?」

ヴィータの問いに対し、さてどこから説明したものかと迷う兼一。
闇の事を話すとなると、かなり話が長くなる。
だが、そこで首を振った。どうせだ、いっそちゃんとした知ってもらった方が良い。
どの程度あの組織が関与しているかは分からないが、もしもの時の為に。

「一影九拳の話をするには、まず『闇』について話さなければなりませんね」
『…………』

この場合、沈黙は了承の意。
兼一もそれを理解し、静かに自身の知る事を語り始めた。

「闇の詳しい成立ちについては僕にもわかりません。ただ、今の形になったのは第二次大戦後とされ、多くの達人が戦争で亡くなり、文化としての武術の失伝を防ぐべく創られたと聞きます」
「それだけ聞くと、一種の文化保護団体って感じですよね」
「ええ、あながちそれも間違ってはいません。ただ、普通の保護団体と大きく違う点がありました。
 それが……」

兼一はシャマルの問いに答えてから、一端そこで言葉を止め大きく息を吸う。
それからゆっくりと、闇の本質を紡いでいく。

「彼らは殺法を重視していたと言う事です」
「殺法だと? つまり、闇とはその名が示す通り……」
「はい。彼らは武におけるもっとも重要な資質を『非情』と唱え、如何に効率的に敵を破壊するか…活人という原点ではなく、武の果てを追求してきた存在です。その為ならば、殺人すら厭いません」
「ただ技を磨き、伝承するだけならば問題はないのだがな。
 いや、確かに使わぬ技術は錆朽ちて行くのみか。
その意味で言えば当然なのだろうが……」

過去の経歴もあるだけに、あまり人の事を言えないと思うのか、シグナムの語気はあまり強くない。
とはいえ、技の探究のための殺人と言うのは認めたくはなかった。

兼一としても、殺法の伝承そのものを否定する気はない。
殺法とて武術の一側面だし、追求していけば如何に効率的に敵を破壊するかに行きつくのもわかる。
だがそれも、使い手次第。使う者によっては、殺法でも人を活かす事ができる。
事実、兼一は殺法を多く含む古式ムエタイも伝承しているが、それを活人拳として振るう。

「つーかよ、そんな連中ほったらかにしてていいのかよ?」
「闇は政財界とのパイプも太く、政治的影響力や資金力が凄いんですよ。
 死者が出ても明るみに出ることなく各国は黙認、文字通りの闇です。
 まぁ、今はさすがに以前ほどの影響力はありませんけど」
「そうなんですか?」
「十数年前にちょっと色々ありまして、以前に比べれば幾らか勢力は衰えてますね」

ヴィータとリインの問いに答えながら、それでも完全にその影響力が消えたわけではない事も含ませた。
それは正しく伝わったようで、皆は難しい顔をしている。
それだけ強大な組織なら、確かに完全に潰えさせるのは難しい。
信奉者も未だ多いので、こればかりは仕方がないのだが。

「とりあえずその事は置いておきましょう。
 重要なのはこの後です。闇はその性質上、二つの派閥に分かれます。
 それが徒手空拳を旨とする『無手組』と、武器戦闘を旨とする『武器組』です」
「もしかしてその二つって、仲悪いん?」
「…はい。同じ闇ではあるんですが、思想の違いから基本的に疎遠ですね。利害が一致すれば共闘しますし、中には相手方にパイプを持つ人もいる様ですけど」
「ふ~ん、派閥争いっちゅうのはどこでもあるんやなぁ……」
「ですね。まぁそれはともかく、その無手組の最高幹部、それが『一影九拳』です」

そんな組織の最高幹部となれば、当然組織内に置いて最も優れた使い手の集まりと言う事。
出なければ周りが認めない。
何しろ、武術家同士の間における権威とは、即ち本人の実力のみが物を言う。
その事を、皆は言われずとも理解していた。
何しろ、程度の差はあれ武装隊などにもそういう空気と言うか風潮は確かに存在する。

「それで、この機体のデータの元になったのが、その内の一人のお弟子さんなんですか?」
「ええ、間違いありません。
 一影九拳は一人に一つその人を象徴するエンブレムを持ち、それを弟子にも持たせます。
 そして、アーガードさんとコーキンのエンブレムが……」
「炎、なんですね。でも、なんでお兄ちゃんと兼一さんがそれを持ってるんですか?」
「彼らはこれを時に決闘状として、時に敗北の証として相手に渡すんだ。
 次戦う時、相手を殺してそのエンブレムを奪い返すと言う誓いを込めて」

何ともまぁ、物騒極まりない誓いもあったものである。
何しろそれを持っている間、半永久的に命を狙われ続けると言う事なのだから。
とそこで、フェイトがちょっとした興味からある事を尋ねる。

「ちなみに兼一さん、そのエンブレムっていくつ持ってるんですか?
 一影九拳っていう人達が一人ずつ弟子を持ってたら、軽く十はある筈ですけど」
「………………………………まぁ、半分以上は」

どこか黄昏た様子で肩を落とす兼一と、彼に痛ましい視線を向ける面々。
そんなおっかない連中の弟子の半分以上に命を狙われるなんて……。
それはなんというか、あまりにも酷い。
ちょっとした好奇心で聞いてしまった事を後悔しながら、言葉が見つからないフェイトはなんとか話題を転じに掛かる。

「で、でもそれなら兼一さんはほとんどの一影九拳とその関係者を知ってるんですよね」
「え? まぁ、一応ほぼ全員と面識はありますけど……」
「だ、だったらこの『月』の人もわかりますか?」
「あぁ~、一応『月』のエンブレムの人も知ってますけど……」

そこまで言って、途端に歯切れが悪くなる。
無理もない話だが、知っているどころの間柄ではないのだ。
何しろ、師匠は自分の師父の実の兄、弟子は親友にして妹の旦那。
これではなんというかその……非常に言いにくい。
だが、別にそれだけが理由と言うわけではないのだ。

「じゃあ、この人の事も知ってるんですね!」
「それが……知らないんですよ」
「え? 知らないん、ですか? でも、面識があるって……」
「確かによく知ってます。『月』のエンブレムの一影九拳『拳豪鬼神』も、そのYOMIも」
『YOMI?』
「あ、YOMIというのは無手組の弟子育成機関で、一種の下部組織ですね。
 一影九拳の弟子が幹部を務めてるんですけど」
「はぁ……でも、だったら知ってるんじゃないんですか?」
「はい。でも、この機体のデータの元になったのはその人じゃありません。
 確かに彼も八極拳と劈掛拳を使いますが、拳筋が違うんですよ」

そう、0-2型の使う拳筋は兼一も見た事がない。
彼の拳筋を兼一が見間違う筈がない、なのでアレは彼ではないのだ。
だと言うのに、『月』のエンブレムを付けているのが腑に落ちなかった。
兼一としてもそれが悩み所だったのだが、リインやシャマルの問いにより思考が横道にそれる。

「というか、どうやってそんな所の人達のデータを手に入れたんですかね?」
「違うわ、リインちゃん。むしろ気になるのは、どうして弟子のデータなのかよ。
 普通、どうせならより強い人のデータを欲しがるはずなのに……」

言われてみれば確かにその通りで、これを作った者は何故一影九拳のデータを入れなかったのか。
手に入らなかったというのはわかる。だが、それならなぜYOMIのデータは手に入ったのだろう。
その違いはいったい何なのか、闇に関する知識の乏しい六課の面々にはわからない。
だがそこで、兼一は昔聞いたある事を思い出していた。

(そういえば、昔闇は研究機関と協力して積極的にYOMIのデータを取ってたって聞いた事がある。
 きっとこのデータはその時取ったもの。それなら、コーキンのデータが古いのも頷ける)

実際、画面に映し出されている0-1型…コーキンのデータを入れた機体の技は甘い。
恐らく、兼一と出会った頃とそう大差ない頃のデータだろう。
まぁ、そうでなければ応用力に欠ける機械とは言え、ギンガがあの程度の傷で済む筈がない。
その事を正直に皆に話すと、シグナムがある疑問を示す。

「だとすれば奇妙だな」
「え? あの、どういう事ですか?」
「YOMIのデータを取っていたのはわかった。恐らく、これらを作った者はどういう手段かは分からんが、それを入手したのだろう。研究機関の人間に紛れ込んだのか、あるいは機関員を買収したのか、それとも闇と結託していたのかはわからんがな。
 だが、だからこそ疑問なのだ。どうしてこいつを作った奴は、もっと後のデータを入れなかった?」

その方が性能が良いのは言うまでもない。
機体が再現しきれないからという可能性もあるが、そもそもこのデータでも再現しきれているとは言い難いのだ。その可能性はあまり高くない。
だとすれば可能性は一つ、入れなかったのではなく入れられなかった。
そもそもデータが手に入らなくなったのではないか。

「白浜、闇の勢力が衰えたのは十数年前と言ったな」
「はい」
「このデータの元となった男、コーキンとやらのデータはそれより前か後か?」
「たぶん、同じくらいの頃だと思いますけど……」
「なら、辻褄が合いますね。
その頃を境に影響力が薄れてしまって、満足のいくデータ収集ができなくなったんでしょう」
「そやね。同時に、それなら闇と結託してた可能性は消える。
 多分、どこかの研究機関を利用して、そこで必要なデータを取るのを誤魔化してたんやな」

フェイトやはやても合点がいくとばかりに静かにうなずく。
人一人のこれほど詳細なデータ採取は、今の地球の技術ではできない。
取るとなれば、管理世界の機材が必要。とはいえ、そんな物を使えばきっとばれる。

しかし、木を隠すなら森の中。
通常のデータ採取にかこつければ、上手く誤魔化す事ができるかもしれない。
そして、研究機関が離れてしまった為に隠れ蓑がなくなったからこそ、この時期までのデータしか入れられなかったのだろう。

そして、兼一はその推測を聞いた事である事を思い出す。
あの時期にあった、一つの出来事を。

「そう言えば、あの頃YOMIの交代劇がありました。
 前任者の事は良く知りませんけど、確か同じ中国拳法使いと聞いた事があります」

それはつまり、0-2型にはその前任者のデータが使われているのだろう。
丁度久遠の落日や勢力が衰える前後だった事もあるし、彼やその師がそう言う事に協力的とは考え難い。
故に、これらを作った者の手元には前任者のデータまでしかなかったのだ。

「なるほどな。確かにそれなら知らねぇのも当然か」
「ですね」

何しろ、兼一自身は面識どころか名前も知らない相手。
すっかりその存在を忘れていても無理はない。

ただ、これでいくつかわかった事がある。
アレらの機体に使われているデータはYOMIと呼ばれた面々の物。それも、ある一時期までの。
その数は恐らく最低十、兼一の話では一影九拳の弟子以外にも弟子がいるそうなので、数はもっと多いだろう。
その全てに対策を練るのは現実的ではないが、最も厄介と思われる十人分の対策ならまだ何とか。

「ちゅうわけで、申し訳ないんやけど兼一さんにはその対策をお願いできますか?
 なのはちゃんとヴィータはサポートをお願いな」
「「「はい(おう)」」」

三人の了承の返事を聞き、機嫌良く微笑むはやて。
とそこで、リインがある疑問を呈する。

「というか、なんで兼一さんはそんなに闇の事に詳しいんですか?」

その瞬間、場の空気が凍りついた。
ついつい流してしまっていたが、兼一の闇の事情への精通具合は尋常ではない。
聞けば元々かなり強大な組織であり、多少勢力が衰えても充分危険なそれ。
にもかかわらず、兼一はやけにその情報に詳しい。
それを疑問に思うのはある意味当然。
なのははなんとなく事情がわかっていそうな素振りだが、やはり詳しくない。

「そもそも、なんでそんなにYOMIの人と戦ってたのですか?」
「う~ん、それが梁山泊は活人拳の象徴みたいな所でして」
『ふむふむ』
「そんな所が最強を名乗って、それも武術界全体がそれを認めてたものですから、闇の殺人拳こそが最強と言う事を証明する為に、ある時抗争に発展したんですよ」
「でも、それでしたら兼一さんのお師匠さんだけの問題じゃありません?」

リインに続き、シャマルも問う。
確かに、それだけなら問題は師匠達同士の話。
だが、それだけで済まないから世の中は大変なのだ。

「それが、闇が掲げる大義名分である伝承において、弟子は非常に重要な意味を持ちます。
 技を究めるだけでなく、それを受け継ぐ弟子を育成できる事もまた優れた武術家の証ですから」
「つまり、自分で師を破り、弟子に敵の弟子を倒させる事で最強を証明すると言う事か」
「はい。それで、梁山泊の弟子は僕だけでしたから……」

狙いが、兼一一人に集中したと言うわけだ。
その事情を理解した皆は、うなだれる兼一に同情の視線を向ける。
何が悲しくて、そんな裏世界の大組織に命を狙われねばならないのか。

とはいえ、このままだと場の空気がよろしくない。
そこで、ザフィーラは苦しいと自覚しながらも唐突に話題を変える。
本来、こういうのは彼の役目ではない筈だが……。

「ところで白浜、お前が戦ったYOMIとやらは、一影九拳になったのか?」
「え? あ、ああ、風の噂で何人か代替わりしたという話は聞きましたよ。
全員ではないらしいですけど」

何しろ、一影九拳は武術家として最強クラスの実力者たち。
以下にその弟子たちとは言え、そう簡単には跡目を継げるものではない。

「そうか」
「はい」

悲しい事に、普段寡黙な人物がやってもこういう事はあまり話が続かないらしい。
そこで会話は途切れ、「さてどうしたものか」と言う空気が流れる。
まぁ、空気を変える事は出来たのでいいのだが……とそこで、唐突にはやてが動く。
彼女は兼一のすぐそばにやってくると、こう切り出した。

「なぁ兼一さん、実は前々から聞いてみたかったんやけど……」
「はい?」
「ヤールギュレシの達人ておるん?」
「よ、良く知ってますね、そんなの……」
「で、おるんですか?」
「いえ、今のところ聴いた事はないですけど……」
「そですか」

兼一の返答に、どこかしょんぼりした様子のはやて。
他の面々はなにを言ってるのかわからないらしく、シグナムですら小首をかしげていた。
そんな中、リインははやての目の前へと飛んでいき尋ねる。

「はやてちゃんはやてちゃん、ヤールギュレシってなんですか?」
「ん? ほうほう、聴きたいかリイン?」

リインの質問に、はやてはどこか邪悪な笑みを浮かべる。
兼一とリインを除く面々は悟った、「セクハラする気だ」と。

「ヤールギュレシっちゅうのはな、トルコの国技とされる650年を越える歴史を持つ伝統格闘技や」
「へぇ、すごいんですねぇ。でも、はやてちゃんなんでそんなに詳しいですか?」
「ふふふ、人間好きなものには詳しくなるんよ」
「好きなんですか? ヤールギュレシ」
「見るのも大好きやけど、ホンマはやるのも大好きや!!
 ただ、格闘技は相手がおらんと意味ない。
せやけど、周りに誰もやってくれそうな人がおらんかったから、結局今まで秘密になってたんや」
「それは、とてもかなしいですねぇ……」
「うんうん、リインはええ子やなぁ」
「それで、どんな格闘技なんですか?」
「ん? それはな……」

待ってましたとばかりに瞳を輝かせるはやて。
リインは無垢な瞳で見つめているが、他は違う。
リインの為にも止めるべきだと思うのだが、止めようとして止まる相手ではない。
それを理解し達観した、諦めの色が見て取れる。

「ぶっちゃけてまうと……トルコ式オイルレスリングや!!!」
「オイル…レスリング?」
「知らん、オイルレスリング? 深夜番組とかで、全身に油を塗りたくった二人がぐんつぼぐれつ……」

実際には、別にそんな卑猥なものではなく、れっきとした伝統格闘技なのだが……。
何故かはやてが言うと、恐ろしく生々しくもエロく聞こえるのはなぜか。
はやての語るヤールギュレシ像に顔を赤くし震えるリインと、それがつぼにはまったのかドンドン表現がエスカレートするはやて。はっきり言って、トルコという国そのものに切腹すべき悪行である。
いやまぁ、日本でテレビに映るそれは、ほとんど深夜帯やお笑い路線でしか使われないので、ある意味仕方がないのかもしれないが……。

その後も執拗に、それこそリインが耳をふさいで「イヤーイヤー!!」と叫んでも、念話を使って卑猥な表現を駆使し続けるはやて。その顔は実に生き生きとしている。
やがてリインは、頭から湯気を上げながらゆでダコ状態になって思考停止した。
そこまでいたいけな彼女を追いやった張本人はと言えば、「いやいや、リインもウブなお子様やなぁ」と爽やかに汗をぬぐう。正直、やってる事は言葉のセクハラ以外の何物でもなかったが。

何しろ、この場にはその手の事に免疫のない者も多い。
つまり、なのはとかフェイトもそれが耳に入ってしまい、「うわぁ」と真っ赤になって頭を揺らしている。はやて的には『大成功』と言う気分なのだろうが。

一武人として、兼一ははやてに怒るべきなのかもしれない。
だが、もうここまで来るとそんな気も失せて来る。
それは他の面々も似た様なものらしくは、ただただ深いため息をつく。
というか、兼一としては他に気になる事があるのだ。
なので、とりあえず手近な所にいたシグナムに声をかける。

「あの、シグナムさん」
「言っておくが、ヤールギュレシとやらならやらんぞ」
「やられても困ります」
「そうか。で、なんだ?」

とりあえずお互いに一安心し、話しを戻す。
見れば、兼一の表情は今日見せた中で一番真剣なものとなっていた。

「身体能力のデータを取るとかって言うのは理解できるんですけど、技術とか拳筋はそれでコピーできるようなものじゃありません。
 でも、あの機体はそれをしていました。なら、人の記憶とかそういうのを移す技術があるんですか?」
「…………」

至極当然なその疑問に、シグナムは沈黙を貫く。
それは何よりも明確な肯定の証なのだが、やはりそれだけで済ませられるものではない。
彼は武人、自分のものではないとはいえ、データを取れば技を再現できてしまうと言うその事実に、何か思う所があるのかもしれない。

ならばちゃんと説明してやるのが仲間だとは思うが、シグナムにはためらいがある。
それは、彼女の視界の端にある長い金髪の女性の存在。
フェイトはそれまで赤面していた筈の顔を、うってかわって蒼白に変えている。
他の面々もどこかその表情には緊張が潜み、場の空気は硬い。
はやてとリインですら、先ほどまでのじゃれ合いをやめてこちらを注視している。
それに気付いていないとは思えないのだが、兼一は相変わらずシグナムを見つめていた。

「どうなんですか?」
「……プロジェクトFと言うものを知っているか?」
『っ!?』

いつまでも隠し通せるものではないと観念し、その名を告げるシグナム。
その瞬間、場は騒然とし皆が息をのむ。
シグナムの眼には、兼一の斜め後ろ、死角となる場所で肩を震わせるフェイトとそれを支えるなのはの姿が映っている。
同時に、そのなのはからシグナムへと念話が飛ぶ。

『シグナムさん!?』
『わかっている、余計な事は言わん。だが、完全に黙秘と言うわけにもいかんだろう』
『……それは、そうですけど』

どの道、その存在と概要を眼にすることはできる。
隠した所で、兼一がその気なら知られてしまう。
そもそも、本当に問題なのはそこではないのだ。

「それで、知っているのか?」
「……いえ」
「そうか、ならばちょうどいい機会なのかも知れんな。
 プロジェクトFと言うのは、率直に言ってしまえば『記憶転写型クローン』を作り出す研究だ」
「記憶の転写、ですか?」
「ああ。クローン技術自体は地球にもあるだろう? だがクローンはクローン、本人ではない。
当然だな。同じ遺伝子でも、生みだされた命はまっさら、その人物が持っているものを持っていないのだから」

何を、などと問う必要はない。
これまでの話の流れから、それを予想できないほど兼一はバカではない。
と言うより、人一倍本を読み、その中にはSFの類も多かった兼一には、ある意味すぐに思いいたった。
いつだったか、同じような話を読んだ事がある。

「だから、ですか?」
「そうだ、だからだ。生み出されたクローンにオリジナルとなった人物の記憶を転写すれば、全く同じ人物を生みだせる、つまり死者を蘇らせられる。なにしろ肉体の設計図である遺伝子も、人格を形作る記憶も同じなのだから。そう考えた者がいて、それを研究し、実行した。そういう話だ」

結果は、言うまでもない。
そんな都合よくいくのなら、もっと世界的に普及している筈だ。
成功はしたが倫理的問題から禁止されているか、未だコストが高過ぎて普及に至らない可能性もある。
だが、兼一にはそうは思えない。

「人造魔導師同様、れっきとした違法研究だ。バレれば豚箱行きでも、縋る人間はいる。
 っと、人造魔導師は知っているか?
 外科的な処置・調整によって強力な魔力や魔法行使能力を持たせる技術だ。まぁ、こちらも成功率が高くない上に倫理的な問題から禁忌とされているがな」
「はぁ……」

地球から来たばかりの人間としては、あまり実感がわかないかもしれないとシグナムは思う。
しかし、こちらでやっていくためには必要な知識だ。
違法研究とは言え、それに手を伸ばす者がいないわけではないから。

「話しが逸れたな。
とにかく大切な者を失い、その喪失に耐えられず、儚い希望に縋る者達がいると言う事だ。
他はダメでも、自分の時は上手くいくかもしれない、そんな可能性に縋る気持ちは分かるがな……」

シグナムもまた、かつてかけがえのない同胞を失った。
彼女はその結末を嘆いてはいなかったのかもしれないが、それでも悲しむ主を見て感じたのだ。
失われた物を求める人達と同じ気持ちを。

「これを用いれば、あの機体の様なことも可能かもしれん。
 まぁ、やる者は良くも悪くも相当頭と心のネジが飛んでいると思うがな」

他者の記憶を保存し、それを転写する。
確かにその技術があれば、機械兵器にその記憶を転写する事でこの様な結果を生み出せる可能性はあるだろう。
人間の記憶を構成するのは、言葉や知識を司る「意味記憶」、運動の慣れなどを司る「手続記憶」、想い出を司る「エピソード記憶」の三種。
記憶喪失の人間が言葉をしゃべれなくなる事はないし、歩けなくなる事もない。
意味記憶や手続記憶を失えば話は別だし、そういう実例もあるが、一般的な記憶喪失とはエピソード記憶の喪失を意味する。

話しが逸れた。
三種の記憶のうち、機械兵器に武術を使わせるのに必要なのは手続記憶のみ。
それだけを抽出すればいいわけだが、言うほど簡単ではない。
記憶が三種ある事はわかっているが、どうやって分ければいいかが問題。
それ以前に、人の記憶をそうやって者のように扱う精神構造がまず普通ではないのだ。
シグナムの言う通り、実現した者はその技術を開発できた頭脳の飛びぬけ具合において常軌を逸し、記憶を物の様に捉える精神構造も常軌を逸している。

「そう言う事が出来て、やりそうな研究者には私も心当たりがある。
 と言っても、そいつに関しては他に詳しい奴がいるが……」
「はぁ……」
「一つ聞くが、闇人とやらがこの事を知った場合、その相手をどうすると思う?」
「…………」

管理局的には、彼の人物を死なせるわけにはいかない。
捕まえて、然るべき手続きを経て、受けるべき罰を受けさせるのが理想。
その意味において、闇人による殺害と言うのは避けたい可能性だ。

「人によるとは思いますが……あまり興味を持たないかもしれませんよ?」
「そうなのか? 私としては、自身とその技術や伝統への冒涜と考えるかと思ったのだが……」
「そう考える人もいるでしょうが、あまり多くはないんじゃないですかね。
 実際、コーキンのデータを使ってもアレですよ」

所詮は薄汚い鉄屑。血肉の通わない玩具に真の武術を再現することなど不可能。
その現実が証明されただけに過ぎず、むしろ嘲笑の種にしかならない可能性がある。
無論、それは不快に思わないと言う事ではないので、首謀者に然るべき罰を与える可能性は拭えない。
その場合、まず標的となるのは作った技術者ではなくそれを指示した誰かだろうが。

(問題なのは、首謀者と実行者が同一である可能性が高い事だが、気を揉んでも仕方がないか……)

とにかく、闇がその事に気付くことなく、仮に気付いても手が伸びる前に捕縛する。
別に今とて手を抜いているわけではないので、やり方も姿勢も変えるわけではない。
そういう意味で言えば、もどかしくもあり安心もしたと言ったところか。

やがて、いくつかの確認事項を終えて最後に残った面々も解散する。
そのまま隊舎に戻る者、最後に一仕事していく者など、種類は色々。
その中で、兼一とフェイトは隊舎に戻る派だった。

二人は別に申し合わせたわけでもなく、単に帰り道が同じと言うだけで道中を同じくする。
その途中、フェイトはずっと抱き続けていた疑問をぶつけた。

「ぁ、あの!」
「はい?」
「兼一さんは、さっきの話を聞いてどう思いましたか?」
「さっきの話と言うと……」
「プロジェクトFの…ことです」

プロジェクトF、それはフェイトにとって大きな重い意味を持つ単語。
それは、決して彼女と切り離す事が出来ないもの。なぜなら彼女の名は……。

よく見ればフェイトの体は震え、その手は真っ白になる程硬く握りしめられている。
詳しい事情を知らない兼一でも、何かしら因縁がある事はうかがえた。
何しろ今の彼女は、まるで雨に打たれる捨てられた子犬の様だから。

(兼一さんは奥さんを亡くしてる。だったら……)

あの可能性に縋りたくなるのではないだろうか。
他は失敗でも、自分の時は上手くいくかもしれないと言う可能性に。
失われた物を取り戻したいと言う気持ちなら、フェイトも知っている。
彼女もまた、大切な人…母を失った事があるから。

だが、あの技術と深い因縁のあるフェイトはそれを望んだ事はない。
あったかもしれないが、明確に意識した事はなかった。
それと因縁深い自分だからこそ、そんな物は望んではならないと固く禁じてきたから。

(望んでしまうのは、きっと仕方がない。でも……!)

他人が望む事を否定できるほど、フェイトは偉くない。
しかし、きっとそれを望む人、望んでいる人と自分達は相容れないだろうと思う。
生みだされた側と、生みだそうとする側は。

同時に兼一の答え次第で、フェイト達との関係に一つのラインが引かれる。
線の内側に入れるか、入れないか。それが決まるのだ。
その技術を求めるか、あるいはその技術によって生まれた者を認められない人は線の外側。
フェイトが何をするでもなく、その人の方から離れていく。それを彼女は良く知っていた。

この十年何度も繰り返し、実際これが境界となり離れた人がいるから。
親しいと思っていた人が、考えの違いや自分の素性を知った事から冷たい視線を向ける。
その恐ろしさを、辛さをフェイトは誰よりもよく知っていた。
エリオは兼一を親しい年上以上に慕っている、それこそ実の父親の様に。
だからこそ、そんな思いを幼い被保護者にさせたくはない。

ギンガの事もあるし、その可能性は低いと思う。
しかし、ギンガがまだ話していないと言う可能性もある。
まだ聞いていなかった事を、いま何よりも深く後悔していた。
だがもし、答えがYesであるのなら……

(この人は、ここにいるべきじゃない……)

その可能性を考えると、心が冷たく閉ざされていく事を自覚する。
いつか、自分だけではなくエリオやスバル……何よりギンガを深く傷つけるだろう。
ギンガが兼一に対し、深い親愛の情を抱いている事には、フェイトもなんとなく気付いていた。
それが恋愛感情なのかまでは、そもそも恋愛をした事がない彼女には判断がつかないが。

それでも、それだけ強く純粋な思いを抱くギンガの心に、傷を負わせる存在は許すわけにはいかない。
自分はこの部隊における、そういう生まれの者達の最年長者。
ならば、自分が皆を守らなければならないと思えばこそ。

「どう、なんですか?」

躊躇いがちに、表情が凍りつくのを隠す様に俯きながらフェイトは再度問う。
返事はない。いくら待てども返事がない。
時間の感覚があやふやで、一分経ったのか一時間経ったのかすらわからない。
もしかしたら十秒経っていないのかもしれないが、それでもそれは永遠に等しかった。
そうして、スカートを握る手が離され愛機に向かって伸びそうになった所で、兼一が口を開く。

「叶うなら、もう一度美羽さんと会いたいと、そう思います」
(あぁ、やっぱりこの人も…そうなんだ)

仕方がない事なのだとは思う。
その愛を否定する事はできない。だが、その果てに生みだされた者はそれに同調できない。
彼の眼にはきっと、その悲願の果ての「失敗作」としか映らないから。

結論を出すには性急かもしれない。それはフェイトとてわかっている。
だがそれでも、大切な家族を傷つける者を、その可能性をフェイトは許せない、放置できない。
信じて裏切られる、その辛さを苦しさを誰よりもよく知っているから。
この十年、その現実と共にあり、時にはこの真実ゆえに傷ついて来た彼女だからこそ。

ならば、やる事ははっきりしている。
しかし、そう思った所で兼一の顔に一抹の寂しさがよぎった。

「でも、きっとそれは望んじゃいけない事なんですよね」
「ぇ?」
「失敗したら、望んだ方も望まれた方も不幸です。望んだ側は大切な人だったからこそその違いに絶望するでしょうし、望まれた側はどうやっても望まれた人にはなれない事に苦しむでしょう。
だって、もうその人は望まれた人とは別の人だから」

それは、実際にフェイトにとっても身に覚えのある事実。
母は姉を望んだ。しかし、自分はどうやっても姉にはなれなかった。
姿形は同じでも、性格が、利き手が、能力があまりにも違いすぎたから。
母はそれに絶望し、自分を人形として見限った。
その事を自分は知らなかったが、どう努力しても姉にはなれなかった事はわかる。
兼一の言う事は、まさしくフェイト自身の身に降りかかった現実そのもの。

「僕は、あまり頭の良い方じゃないんで偉そうなことは言えませんけど、それくらいはわかるつもりです。なにより僕は……武人ですから。例え確実に成功するとしても、それは望んじゃいけないんです」
「どういう…事ですか」
「僕は何度も命を賭けて戦いました。信念の為、守らなきゃいけない人の為、色々な物の為に。
 でも、もし死んでも生き返れるとしたら……命をかける意味って、何なんでしょうね?」

そう語る兼一の表情は深い悲しみに染まっている。
本当は望みたい、だが望めない。
そんな感情の板挟みにあい、それでも望めない事を彼はわかっていた。

「命は一つ、だからこそ計る事の出来ない重さと価値があるんじゃないでしょうか。
 もし生き返れるとしたら、それは生き返る為に必要なコストこそが命の重さであり価値になります。
 じゃあ、そんな命を賭けたとして、意味は……あるんでしょうか?」

意味はあるだろう、そのコストの分だけ。
しかし、そこに以前ほどの重みがあるとは、兼一にはどうしても思えない。
そして、そんな重さのない命を賭けて、何がなせるのだろうか。

医術によって死の淵から引き戻すのとは違う。
それは死と言う一つの断絶の後、それをなかった事にしてしまうと言う事。
すなわち、「何のために死んだのか」という意味が失われるのだ。

「美羽さんは命と引き換えに翔をこの世界に産み落としました。
 それなのに、その命の価値を蔑ろにすることなんて、僕にはできません」

奴は、己が命を盾に美羽の命をこの世に繋ぎとめた。
美羽は命を対価に我が子をこの世に残した、彼女の母もだ。
彼らの死があったからこそ、為し得た成果、未来がある。
命を引き換えにしたその大業。それを軽視する事は、兼一にはできない。
何度も命を賭けて戦ってきた彼だからこそ、その意味を損なう事を許すわけにはいかない。

「できるなら翔を一目美羽さんと合わせてあげたいんですけどね。
 でもそんな事をしたら、きっと愛想を尽かされちゃいますから……」
「ぅ…ぁ……」

上手く開いてくれない口を、声を為してくれない声帯を、フェイトはもどかしく思う。
言わなければならない事があり、謝らなければならない事がある筈なのに。
勝手な思い込みをしてしまった事、試す様な事をしてしまった事。
何より、今までの誰とも違う、悲しい笑顔を浮かべながら確固たる意思を持ってそう語る彼に、言いたい事がある筈なのに。

「僕は僕が武人である限り、美羽さんが武人であったからこそ、それを望む事はできません。
 それに、僕は活人の拳士です。死んでも生き返れるなんて思ってしまったら、この拳と鍛えてくれた師匠達はいったい何だったんだ、と言う事になってしまいますよ」
「……なら、その技術で生まれた命を、あなたはどう思うんですか?」

本当は、そんな事が言いたかったわけではない。
だが、気付けばこの言葉が口をついていた。

兼一の意思には胸を打たれた。
その意思は気高く、何よりも尊いと思う。
きっと何を捨ててでも願いたい望みを、彼は自分と愛する人の生き方の為に否定する。
それはたぶん、言葉にするほど簡単なことではない筈だ。
その程度の事、その横顔を見ればわかる。

もしかしたら、だからこそ聴きたかったのかもしれない。
それほどまでに命に対して潔癖な彼だからこそ、そんな技術によって生み出された命をどう思うか。

「人の命を弄ぶような研究を、僕は肯定する事はできません。
 でも、だからと言ってその研究によって生まれた命を否定したくはありません。
 人は、生まれを選べません。富裕層に生まれた人、貧困層に生まれた人、戦地で生まれた人、平和な土地で生まれた人、色々な人がいて、これもその内の一つじゃないですか?
 なら、その人にだって普通に生きて幸せになる権利があると思います」
「……」
「その研究を否定すると言う事はその存在、ひいてはそれによって生まれた命も否定するって考えることもできるかもしれません。でも、命を弄ぶ研究を否定しておいて、それによって生まれた尊い一つの命を否定したら、それこそ矛盾しませんか?」

おそらく、どちらも理論としては成り立ち、同時に隙があるのだろう。
なら、結局はどちらが正しいかではなく、自分ならどう考えるかだ。
兼一はそこで後者を選び、研究は否定しておいて命は肯定すると言う方を選んだ。
いい所取りの、酷く我儘で身勝手かもしれない考え。
それでも、白浜兼一がお人好したる由縁がここにある。
活人の道とは、見方によってはどうしようもなく我儘な道ある事を、彼は知っていたから。

全てを聞き終えたフェイトの顔に浮かぶのは微笑み。
気負いはなく、当然無理もない柔らかな笑顔。目尻に浮かぶ涙すら、それを引き立てる。
見る者を魅了し、兼一でも一瞬目を離せない輝きが宿っていた。

「……そう、ですね。私も、そう思います」
「そうですか。ところで、結局これってなんの質問だったんですか?」
「それは…………………………秘密です♪」

一度は正直に答えようと思って、フェイトは兼一の口元に指をやり軽く触れてはぐらかす。
先ほどやきもきさせた仕返しであり、ちょっとした意地悪だ。

「え…ええ!? ちょ、ずるくないですか?」
「女なんて、男性からしたらズルイ生き物ですよ。逆もそうらしいって、私も今日知りましたけど。
 でも兼一さんは、とっくにご存知かと思ってました」

気付けば静流の様な微笑みは、いつの間にかいたずらっぽい笑顔へ変わっていた。
何年経っても相変わらず心の機微と言うものに疎い兼一には、その笑顔の意味がわからない。
相手を困らせてみたい、そんな幼い好意が。

「頑張って考えてみてくださいね。あってたら、その時は教えてあげますよ」
(え? それって意味がないんじゃ……)

はじめのうちは家族の事でやきもちを焼いた。
だがその努力する姿に、全てを包み込むようで、同時に分け隔てのない優しさにいつしか好感を持つようになった十も年上の相手。いまは、つい数時間前までとは違う感情が、ほんの少しだけ芽生えつつある。

それが何なのか、フェイトにはまだわからない。
しかし、胸の内に芽生えた温かさは…………どこか心地よかった。

長い金糸の髪を翻し、フェイトは兼一を置き去りにするように歩みを早める。
自身の背を追い、足早に駆けて来る足音に微笑みを浮かべながら。



  *  *  *  *  *



一夜明けて、昼過ぎのミッドチルダのとある駅前。
そこにはベンチに腰掛け、息を整える長い青髪の少女の姿。

ギンガは降って湧いた一日限りの休みに、隊舎からほど近い繁華街へとやって来ていた。
まぁそれでも、割と町から外れたとこにある六課なので、かなりの距離があるのだが。
とはいえ、本人としては外出するつもりではなかったのだ。
だが、寮の自室に突然シャマルが押し掛け……

「どうせ暇だから訓練しようとか考えてるんでしょ。
 それじゃ折角のお休みが意味ないわ。
というわけで、今から外に遊びに行って来てなさい♪」

と言う次第で、あれよあれよという間に寮から追い出されてしまったのだ。
それも、監視役とばかりに翔まで付けて。
折角の休みだし満喫するのは悪くない。それも、可愛い弟分との時間ともなれば尚更だ。

ただ、3ヶ月に及ぶ修業漬けの毎日により、身体を動かさないと落ち着かない自分がいるのも確か。
なるほど、これではシャマルに追い出されるのも無理はない。
ギンガもなんとなく自覚しているので、シャマルの読みには舌を巻く。
しかし、そのお付きである筈の翔の姿が見えない。
それもその筈。何しろ今彼は、姉弟子より大事な任務を仰せつかっている。

「さ、さすがに、ここまで走ってくるのはきつい…かな?」

ようやく息が整いしゃべれるようになったのか、ギンガは喘ぐように天を仰ぎながら呟く。
六課からここまで、普通なら乗り物を使う様な距離がある。
だがギンガは、その全てを己が脚のみで踏破した。翔を担いで。
日頃の鍛錬の成果だが、きつい物はきつい。

というか、なんでそんな事をする羽目になったかと言えば、原因は翔にある。
子どもとは無邪気な物で、だからこそ余計な事を言ってしまう。
それも、父親がアレだ。引き継がなくてもいい物まで引き継いでいるのかもしれない。
なにしろ六課を出立する際、偶々居合わせたリインが見送ってくれたのだが……。
そんな彼女に向けて翔は一言。

「なんだか、リインさんのしゃべり方って○ラちゃんみた~い」

あの瞬間、リインの背中に落雷を見た気がする。
本来彼女は凍結資質持ちの筈だが、それでも確かに雷鳴が聞こえた。
地球にいた時間などたかが知れているギンガには翔の言った「タ○ちゃん」の意味はわからない。
しかし、それを聞いた時のリインは肩を震わせ……。

「言ったですね。言ってはいけない事を言ってしまったですねぇ―――――――――――――!!」

と激怒。それにビビったギンガは、翔を抱きかかえて一目散に逃走。
翔はなにが楽しいのか「キャハハハハハ♪」とご機嫌に笑っていたが……。
もしかすると翔は、父の「相手の逆鱗に触れる才能」を引き継いだのかもしれない。

「それは…………まずいわね」

正直、弟分の将来が心配だ。
あの才能は、あまり社会生活に役立たない。それどころか、マイナスになりかねないのだ。
よくもあんなものを抱えて、師は真っ当な社会生活を送れたと思う。
聞けば友人も多いようだし、どんな魔法のおかげやら……。
というか、ギンガとしては他にも色々心配な事が翔には多い。

「そういえばあの子、どこまで行ってるのかしら?」

そう言って、ギンガは疲労の残る体に鞭打って立ち上がる。
まったく、これではなんのための休みかわからない。

とはいえ、師から預かった子ども。それに何かあっては申し訳が立たない。
以前の事もあるし、念には念を入れた方が良いだろう。
息を切らす自分に、「飲み物買ってくる!」と気を使って駆けだしたのを見送ったのが不味かったのだろうか。

「変な所で不器用だし、道に迷ってないと良いんだけど……」

何と言うか、翔は肉体的なスペックが異常に高い半面、翔はかなり不器用な所がある。
あるいは、どこか抜けていると言うか天然と言うか、率直にドジと言うべきか。
それも、最近はそれに拍車がかかっている気がする。

体を動かすセンスは抜群なのだが、他がてんでダメ。
掃除をしようとするとむしろ散らかるし、割と頻繁に皿を割るなど当たり前。
天真爛漫にはしゃぐことも多いが、それはそれであぶなっかしい。
なにしろ、勢い余って植え込みに突っ込む事もあるくらいなのだから。

本来あの子ならそんなドジは踏まない筈だが、幼い段階で武術漬けの毎日になった反動かもしれない。
何というか、武術に関わっていない時は基本的にぼ~っとしている事が増えた。

「ホント、大丈夫かしら、あの子……」

冷や汗を流しながら、ギンガは足早に翔の姿を探す。
以前はあまりなかったが、最近になって増えた事を思うとあの可能性の信憑性は増すばかり。
とすると、迷子になったと言う可能性も……

「凄く、ありうるわね……」

ちなみに、ギンガがそんな事を考えていたその時。
翔が何をしていたかと言えば……

「あ、見つけた!」

どうすればこれだけ時間がかかるのか定かではないが、ようやく発見した自販機の前。
翔は頼まれた物を探し、それを発見。
背伸びしながら小銭を入れようとする。だがその瞬間、喜劇は起こった。

「え? あ~~~~……そっちじゃないのに~~~~~」

人の波に飲まれ、目的地から流されてしまう翔。
彼が姉と合流するのには、さらに長い時間を要するのだった。
つまり、ギンガの想定はまだまだ甘かったと言う事。

で、そんな感じにいずことも知れぬ地へ流された翔を必死に探すギンガ。
探し始めること数分。彼女は今、非常に面倒くさい足止めを食っていた。

「ねぇねぇ、君ヒマ?」
「一人じゃつまんないでしょ? 俺達が優しくエスコートしたげるからさぁ、一緒においでよ~!」
「そーそー、向こうに車とめてあるからさ、もっと楽しい所で遊ぼうぜ!」
(あーもー、この忙しい時に!!)

腕を掴まれ、馴れ馴れしく肩へと延びる手を払いながら苛立つギンガ。
速く翔を探さなければならないのに、そう言う時に限って入るお邪魔虫が三匹。
はっきり言って、今のギンガは彼らをボロ雑巾にしてしまいたい程苛立っている。
が、武装局員がそれをやるのは不味いと言う事がわかる程度には理性が残っているのは幸運か不運か。
とりあえず、そのせいで踏ん切りがつかないので、余計にいら立っているのは間違いない。

とはいえ、未だ実力行使に踏み切るには足らない。
已む無く、ギンガはやんわりと、だが言葉尻に棘をふんだんに含ませながら拒絶の意を表す。
が、無神経な男たちには通用しない。

「すみません、連れを探しているものですから」
「いーじゃんいーじゃん、そんなの気にしないでさ~!」
「あ、その子も女の子? もしかして君と同じくらい美人?」
「なら俺達も頑張っちゃおっかなぁ~!」

お世辞にもあまり品性が良いとは言えな男たちの反応に、ただひたすらに辟易するギンガ。
何より不快なのが、服越しとは言え触れる男たちの手の感触。
下心がにじみ出ているのか、ただ触れているだけで怖気が走る。
その上、払っても払っても懲りずに延ばされてくるのだから鬱陶しい。

正直、実力行使とはいかずとも、いい加減力づくで振り払いたくなってくる。
一応何度か忠告はした。ならば、怪我をしない範囲は自己責任。
そう決断したギンガが体に力を込める瞬間、何者かがの襟を引っ張った。

「ほらほら、女の子が嫌がってるんだからやめときなよ、君達。
 そんなんじゃかえって印象を悪くするってどうしてわからないかなぁ?
 女の子はデリケートなんだから、優しく礼を守って接さないとダメだよ~ん」

片手に付き一人ずつ、計二人の男の襟が後ろから引かれる。
いや、引かれるどころの話ではない。

「う、うわぁ―――――――!?」
「は、離せこの野郎!!」

男たちの脚は地面から一瞬浮きあがり、続いて即座に落下。
運動不足なのか咄嗟の事に反応できず、無様に尻もちをつく。

だが、問題はそこではない。
魔力の発動を感じなかったことからすると、襟を掴んだ人物は、素の腕力で人間二人を持ちあげたのだ。
一瞬の事ではあったが、それが単に首を絞めない為の配慮である事にギンガは気付いている。

振り向けば、そこにはギンガよりだいぶ背の高い、180cmを越える男の影。
しかしその顔立ち静観ながらはどこか幼さを残しており、年がそう変わらない事も伺える。
彼はギンガに軽くウィンクすると、残る一人に向き直った。

「それで、君はどうする?」
「ひっ…!?」

別に、少年が何かをしたわけではない。
だが、男はその眼を見た瞬間小さく呻き、一目散に逃げ出した。
残る尻もちをついた二人もそれに倣い、ほうほうの体で逃げる。
少年はそれに肩を竦め、一瞥もくれることなく言った。

「やれやれ、この辺りの人はマナーがなってないのかな?
 女の子は大事にしなさいって教わったとおもうんだけど」
「あの、ありがとうございます」
「いやいや、可愛い女の子にいいところを見せたかっただけだよ。
 ま、そんな必要もなかったみたいだけど……」

言った瞬間、一瞬細まる少年の眼。
それが、一瞬冷たく光った気がしてギンガの身体が強張る。
しかし少年はそんな事を気にした素振りもなく、どこまでも爽やかかつ朗らかに話す。

「それで、急いでるみたいだったけどいいの?」
「そうだ、翔! すみません、ちょっと人を探してるので、これで失礼します!」
「うん、それは良いんだけど……もしかしてあの子がそう?」

そう言って少年が指し示した先には、手を振って駆けよってくる翔の姿。
どこか服装がくたびれた様子だが、怪我らしい怪我はない事に安堵するギンガ。
少年は、「うんうん、見つかってよかったね」とにこやかに頷いている。
ただ目の前まで来た所で、翔の背中に誰かの腕がぶつかりバランスが崩れた。

「あ!?」
「って、翔!」

傾く小さな体と、なんとか支えようと伸ばされる手。
だが咄嗟の事にギンガの手は間に合わず、翔の体は地面と激突……する事はなかった。
寸での所で風の様に差し出された逞しい腕により、抱え上げられる翔。
少年は翔を眼の高さまで持ち上げ、にこやかに注意する。

「ほら、ちゃんと気をつけないとダメだよ、僕」
「………………ふぁい」

驚いているのか、翔はどこか間の抜けた返事を返す。
ギンガもはじめは呆然とし、続いて現実を認識。
慌てた様子で少年へと向き直り、深々と頭を下げた。

「す、すみません! 一度ならず二度までお世話になってしまって……ほら、翔も」
「う、うん。お兄さん、ありがとう」
「アハハハ、だから気にしなくていいってば。困った時はお互い様さ♪」

翔をギンガに返しながら、手を振って応える少年。
とそこで、唐突に目つきが変わる。
それを見てとったギンガは一瞬警戒し、少年の動きを注視する。そして……

「じゃ、探し人も見つかった事だし、今からお茶しない?」
「って、ここにきてナンパですか!?」
「え? だって、元からそのつもりでこの辺ウロウロしてたし」

すぐに肩透かしを食う破目になるのだった。
しかも、ツッコミを入れても開き直ってあっけらかんとする始末。
何と言うか、良くも悪くも暖簾に腕押しと言う言葉がよく似合う。

とはいえ、ギンガとしても恩人である少年の誘いは中々無碍にできない。
それも、よく見れば相手はかなりの美系。ちゃんと礼節も守っているし、爽やかな所は好印象。
正直、あまり悪い気はしないと言うのがホントのところ。
実際、外からも視線を感じるし、少年に熱い視線を向ける女性もいる事が伺える。
だが、ギンガの反応は明瞭な謝絶だった。

「折角のお話ですけど、ごめんなさい」
「ありゃ?」
「そ、それにですね、この子…………………うちの子なんです!!」
「はえ?」

そう言ってギンガが少年に向けて押し出す様にして掲げるのは、それまで抱いていた翔。
翔はなにが起こっているのかよく分からないらしく、キョトンとした顔で首をかしげる。

にしても、もう少し表現の仕方はなかったのか。
これだとまるで、『この子は私の子です』と言っているようにも受け取れる。
いや、ナンパを断る口実と考えれば狙っているのかもしれないが、それはそれでどうなのだろう。

普通ならもう少し粘るなり、ツッコミを入れるなりする所。
しかし、少年から返ってきた答えもまたさっぱりしたものだった。

「そっか、それじゃ仕方ないね」
「そ、そうです! 残念ながら仕方ないんです!」

最早自分でも何を言ってるかよく分かってないらしいギンガ。
ちなみに、翔はぬいぐるみの如く力を抜いて宙ぶらりんのまま。
そんな翔の頭を軽くなでると、少年はあっさりと引き下がり背を向ける。

「じゃ、またいずれ。ね、僕」

それだけ言って、少年は去って行った。
ギンガは翔を下ろし、先の言葉を反芻する。

「あれ? もしかして、また会おうって事だったのかな?」
「ん」

なにが「ん」なのかよく分からないが、翔も同じ印象を受けたらしい。
だが、名前も知らずにどうやってまた会うのやら……。

とはいえ、考えても仕方がない。
二人は気を取り直し、手を繋いで繁華街へと繰り出していくのだった。

視点は移り、意外とあっさり引き下がった少年の方。
彼は適当に繁華街をぶらつき、あまり人気のない一角に辿り着く。
そこには、古ぼけたコートにフードを被った小柄な人影。
彼はその人影に近づき声をかけた。

「や、元気にしてたかい?」

少年の声を聞き、小さな人影…無表情な少女が振り向く。
だが、かえってきたのはそんな少女には不釣り合いな威勢のいい声だった。

「って、あ! お前、またでやがったな!!」
「酷いなぁ、そんな虫みたいに」

もちろん、声の主はフードの少女ではない。
声の主はそのフードの影から顔を出す、赤い髪の小人。
少年は小人の言葉に苦笑を浮かべている。
そんな少年へ向け、ようやく少女は口を開いた。

「何…してるの?」
「いや、ちょっと行きずりの女の子とお茶しようと思ったんだけど、ふられちゃった♪」

特に残念そうな素振りも見せず、肩を竦める少年。
そんな彼を見て、小人は溜め息交じりに呟く。

「相変わらず軽いよなぁ、お前。ホントにアイツらの仲間か?」
「ホントに酷いなぁ、僕は単に今を楽しんでるだけなのに……そう言えば、ゼストさんは?」
「今は、別行動中」
「そっか、じゃあ今から遊びに行かない?」

脈絡も何もない唐突な申し出。
小人的には、せめてもう少し話しを連続させてほしいところだ。
だが、少女はその意味が理解できないのか、首をかしげて問う。

「どうして?」
「どうしてって、それは……」

少女の問いに、少年は腕を組んで思案する。
理由、理由と何度か呟き、ようやく思い至ったのか景気よく手を叩く。

「久しぶりに会った友達との友情を深めようと思って」
「それだけ?」
「それだけ」
「つーか、お前とルールーの間に友情なんかあんのかよ!」
「まぁまぁ、それを確認するためにも行こうよ。アギトにもおごるからさ」
「え、ホントか! って、んなもんじゃあたしは釣られねぇからな!!」
「わかってるってば」
「でも、私……」
「ほらほら、根を詰め過ぎてもよくないよ。遊ぶ時はパァッと遊ぶ。
短い人生、花の命はさらに短い。明日死ぬかもしれない命なら、今を楽しまなきゃ!」

そう言って、少年はやや強引に少女の手を引く。
しかし、少女としては気がかりが他にもある。
と言うか、その気がかりと言うのはこの少年の事でもあるのだが。

「もしかして、また勝手に研究所から抜けだしたの? ドクターに怒られるよ?」
「気にしなーい気にしなーい! さあ、今日は夜通し遊び通そうか、ルー!」
「って、ルールーに夜更かしさせんな!! 旦那に言い付けるぞ!!」
「ごめんごめん。じゃ、夜通し遊び通すつもりで!」
「何が違うんだよ!!」

そうして、大中小の三人組はミッドの繁華街へと繰り出していく。
ちなみに、この後も大と小のコンビは細々と漫才を繰り広げるのだが……それは余談である。






あとがき

フェイトとのフラグが立った………のかな?
ギンガ一人じゃさみしいと言う事でしたし、手始めはこんな所。まぁ、これも微妙な感じですけど。

それと、翔の基本路線は武術と園芸以外ポンコツで。
美羽や兼一みたいに家事はできません。そんなことしたらしぐれやアパチャイみたいな事になります。
そういう感じのキャラにしていきたいですね。

さて、次回はいよいよ海鳴出張編。
とりあえず、ケンイチからのキャラを何人か出す予定です。



[25730] BATTLE 24「帰郷」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:34

唐突だが、遺失物管理部機動六課と言う部隊は異常だ。それも色々な意味で。
まず上げられるのがその人材の豊富さ。総合とは言えSSランクを有する部隊長『八神はやて』以下、上層部はオーバーSかニアSランク。シャマルやザフィーラ、あるいはリインもまたAA+からA+と高ランク。それで言えばギンガもAランクであり、他の隊員達にした所で、若手揃いではあるが軒並み未来のエリート候補。その上、あまり知る者はいないが『達人』などと言う常軌を逸した生き物まで擁しているときた。
次にその年齢層、はっきり言ってこの部隊は若すぎる。部隊長及び分隊長ですら二十歳前で、中心メンバーのほとんどが十代。二十代でそこそこ、三十代となればチラホラいる程度。それ以上の年齢の者はいない。中堅なしの若手のみで運営される部隊、それが機動六課だ。まぁ、実際には上層部などには入局十年以上のキャリアがあるので、『若者』ではあっても『若手』ばかりとは言えないのかもしれないが。
最後に、その後ろ盾の厚さ。筆頭にフェイトの義兄でもある本局次元航行部隊提督『クロノ・ハラオウン』、同じくフェイトの義母『リンディ・ハラオウン』統括官。さらに、聖王教会の騎士にして管理局の理事官も務める『カリム・グラシア』。また、表立ってこそいないが『伝説』と称される三提督まで一枚噛んでいると来た。

ただ、そんな背景があるからこそ無視できないものがある。
例えば、後ろ盾になってくれている聖王教会からの依頼とか。

「えっと、確か異世界でのロストロギア関連の任務で出張なんだよね?」
「はい。聖王教会からの依頼らしいですよ」
「でもさ、管理局と聖王教会ってところが深く関わってるのはわかったけど、それって政教分離的にどうなの?」
「そんなこと私に聞かれましても……」
「まぁ、こっちにはこっちの事情があるのかな? よくわかんないけど。
でも、やっぱり危ないかもしれないんだよね」
「はい。確定ではありませんけど、危険はあるかもしれません」

屋上ヘリポート。集合場所に指定されたそこで、一足先に来ていた師弟は困り果てていた。
その原因は別に危険な任務に臆しているとかそういう事ではない。問題なのは、二人の足元。

「連れて行っちゃ、まずいよね?」
「そりゃまずいですよ」
「…………………………」

敢えて視線を逸らす為に上を向いていた二人だが、チラリと足元を見やる。
そこには、父のズボンと姉のワンピースの裾をガッチリとつかむ小さな手。
その身を包むのはシャツとパーカー、それに短パン。
特に凝っていたり高そうだったりするものではないが、年相応で可愛らしいのでそれはいい。
ちなみに、兼一はジーンズを履いている以外はほぼ翔とお揃い、ギンガは落ち着いた青地のワンピースである。

閑話休題。
問題なのは、普段は純真無垢なつぶらな瞳が、今日は強い決意を湛えた瞳で見上げていること。
それもほんの僅かどころではない怒気が籠っている。

「翔、僕とギンガはこれからお仕事でお出かけしなきゃいけないんだけど……」
「やだ! 僕も行く!!」
「で、でもね、もしかしたら危ない事があるかもしれないし、翔はお留守番してた方が……」
「や~~~だ~~~!! 行くったら行くったら行くの―――――――――――――――――――!!!」
「「はぁ~……」」

さっきから何度繰り返したかわからない堂々巡りの問答に、いい加減疲れたため息をつく二人。
基本的に聞きわけの言い翔だが、所詮は幼児。いつでも大人しく言う事を聞くとは限らない。

それも今回は間が悪かった。
今日兼一は街に買い出しに出かける予定でおり、それに翔もついて行く筈だったのである。
だがそれが、唐突に持ちこまれた派遣任務でお流れ。
短い時間とは言え、久々の父との外出に心躍らせていた翔に与えた衝撃は思いのほか大きかった。
見ての通り、すっかりへそを曲げて珍しく駄々っ子モードに突入している。
しかも、両親に似たのか変な所で意思が強いと来た。一度頑固になると梃子でも動かない。

先ほどから方々手を尽くして説得しているのだが、「一緒に行く」「絶対に手を離さない」の一点張りで、妥協の余地はなし。これがもっとのっぴきならない緊急事態とかなら、二人も無理矢理にでも翔を引き離しただろう。
しかし、あいにく今回はそういう雰囲気ではない。
危険はあくまでも「あるかも知れない」レベル。わからない事が多過ぎて強く出られないのだ。
もしかすると、翔もその辺りを感じ取っているからこその我儘なのかもしれない。

「―――――――っ! ―――――――っ!」
「困ったねぇ……」
「困りましたねぇ……」

声ならぬ声による抗議の嵐。翔はポカポカと父と姉を叩き、『怒ってるんだぞ』とアピール。
まぁ、傍から見れば実に微笑ましくもかわいらしい光景なのだが、本人達は本当に困り果てている。

「あ、ギン姉! 兼一さん!」
「あれ、二人とも早いですね…って、何してるんですか?」
「ぁ、スバル、ティアナ…………………これは、その」

私服姿で現れたティアナとスバル。
二人は兼一達の姿を発見するや、早速怪訝な面持ちになる。
無理もない。保護者二人は揃って弱り果て、翔が頬を膨らませているのだから。

「翔が、一緒に行くって聞かなくて……」
「え? でもそれって……」
「いくらなんでも……」

無理だろう、と言うのは言葉にするまでもないが、二人は翔の眼を見て悟る。
相手は子ども、理屈が通れば世話はない。
特にティアナの場合、スバルの驚異的な我儘に振り回されてきただけに理解は速かった。
そこへ、続々と集合する前線メンバー達。

「スバルさん、ティアさん! 遅くなりました」
「大丈夫だよ、まだ時間あるし。っていうか……」
「今、かなり厄介な問題が発生中なのよね」
「はい? ぁ、兼一さんとギンガさんもいらっしゃったんですね…って、なんで翔が?」

ティアナの溜め息交じりの言葉に首をかしげるも、その後ろの三人に気付くキャロ。
見送りにしては様子がおかしい事に彼女も気付いたのだろう。
とはいえ、兼一達としても改めて事情を説明する気になれない。
ただただ曖昧な苦笑いを浮かべ、誤魔化す様に乾いた笑い声を洩らすだけ。

見れば、エリオ達の後ろにははやてにヴィータ、シグナムやシャマル、それにリインの姿もある。それどころかなのはとフェイトまで。
つまりこれは、今回出動する面々が勢ぞろいしてしまった事を意味する。
ちなみに、ザフィーラは番犬らしくお留守番だが。

そして、当然ながら集まった面々は一様に様子がおかしい翔の事を気にかける。
若干一名、幼い愛らしさに胸を打たれ悶絶している人物がいるが、それはどうでもいい。
そうこうしているうちに年長組も翔の件は決着を見たらしい。
子どもの相手に長じるフェイトが奮闘したのかもしれない。
とりあえずなのはとフェイトに呼ばれ、新人達はヘリの前に集合。
そして、皆を乗せたヘリは機動六課を飛び立ったのだった。



BATTLE 24「帰郷」



転送ポートを経由し、移動することしばし。
任務先の異世界……というか、隊長達にとってはもろに故郷である地球、それも日本、さらには海鳴市。
作為があるとしか思えないそこに、機動六課前線メンバーは降り立った。
ちなみに、はやて及び副隊長とシャマルはよる所があるので別行動。

視界に映るのは、ミッドとほとんど変わらない風景。空は青く、太陽も一つ、山と水と自然の匂いもそっくり。
フリードはこの環境が気に入ったのか、上機嫌に皆の上を跳び回っている。
すぐそばには湖とコテージ。できればのどかな空気を楽しみたいところなのだが、そういうわけにもいかない。
特に、大きくなった通称「ちっちゃい上司」、まぁそれでも小さいのだが…彼女は特に。

「ひゃ、ひゃめるです、ひょ~~~!!」
「キャハハハハ♪」
「あ、そこは引っ張っちゃダメです!! そんなことしてもリインの体は伸びません~!」
「リインさん……」
「すっかり、遊ばれてるね」

助けるでもなく、微妙な表情でつぶやくキャロとエリオ。
その視線の先には、髪の毛やらほっぺたやらを引っ張られて涙目のリイン。
犯人はだれか……など考えるまでもなく、一緒に付いてきた翔である。
大きくなったリインが面白いのか、もっと大きくなれとばかりに引っ張りまくっている。
とそこで、意図しない翔の手がリインの背中や首筋、わきの下を撫でた。

「ひゃん!?」
「? っ! コチョコチョコチョコチョコチョコチョ!」
「っ、きゃははははははははははははは!! た、助けてください―――――!?」
「まぁ、見てる分には微笑ましいわよね」
「リイン曹長的には、多分それどころじゃないんだろうけど」
「わかってるなら助けるです――――――!!」

傍から見れば、十歳くらいの女の子が五歳ほどの男の子の面倒を見ているようにも見える。
まぁ、実際には一方的におもちゃにされているわけだが。
助けなければとはティアナとスバルも、と言うか全員が思っているのだが、誰も手を出さない。
なんと言うか…………………………割と面白い。

「でも、よかったんでしょうか。翔を連れてきちゃって……」
「ま、まぁ、ここは危険な世界ってわけじゃないし、ロストロギアにさえ近づけなければ……」
「それはそうですけど……あんまり我儘を聞くのもよくないですし……」
(なんだかギンガ、最近言う事が所帯じみてきたなぁ)

遊ぶ翔と遊ばれるリインを横目に、ギンガとフェイトは困惑顔でヒソヒソ話。
別に翔は「行くな」と言っていたのではなく「連れて行け」と主張していただけ。
行き先の治安はよく分かっているし、危険があるとすればあくまでもロストロギア。
ならそこから離しておけば問題ないと言う事で、はやての一存で許可したのだ。
翔も地球出身だし、少しくらい里帰りさせてやりたいと思ったのかもしれない。
その気持ちは分かるし、兼一には「今日は親として翔を守る事を優先」との指示も出された。

一応対外的には、休暇で里帰りをしていた白浜親子と偶々出張先がぶつかった、ことになっている。
なので特に問題はないのだろうが、ギンガとしては翔の教育的にどうかと言う思いが強い。
なんというか、考え方がだいぶ母親っぽくなっている気がしないでもない。

ところで、その親は何をしているのか。
探して見ると、街の方を向いて何やら難しい顔をしている。

「どうしたんですか、兼一さん?」
「あ、なのはちゃん。いや、恭也君と美由希ちゃんが帰ってるのかなぁって」
「へ? お兄ちゃんとお姉ちゃんがですか?」

突然何を言い出すのか、と言わばかりに怪訝な顔をするなのは。
同時に、聞き捨てならない単語に反応する新人達+1。
ここがなのは達の故郷と言う話は道中聞いていたが、それでもどこか実感が薄かったのかもしれない。

「なんでそんな事を?
 お兄ちゃんは忍さんとドイツですし、お姉ちゃんも香港ですからあんまり帰ってこれないと思いますけど」
「うん。でも間違いなく、達人級が3人以上。もしかしたら4人いるかもしれないんだよね」
『達人級が4人!?』

新人及びギンガが揃って声を上げる。
だが、無理もない。何しろこれは、彼らにとって非常に衝撃の大きい情報だ。
比較的弱い者でも、生身のまま魔導士と真っ向勝負できる怪物が4人以上。兼一の話では自分達でも勝てるらしいが、それでも生身の人間としては異常な戦力だ。

なのはの家族にもいると聞いているが、わかっていても驚きを禁じ得ない。
というか、知っている達人が兼一しかいないので、ついそれを基準にしてしまうのだから仕方がないだろう。
まぁあのメンツの場合、別にそれを基準に考えても間違いではないが。

「そんな人が4人もいるなら、私たちいらないんじゃ……」
「で、でもスバルさん! 兼一さんは封印処理とかできませんし」

確かにいらないかもしれないが、エリオの言う通り適切に処理するなら魔導師の方が向いているのは間違いない。
まぁ、放っておいても勝手に解決しそうと言う現実に変化はないが。
いや、この街には超能力者とか霊能力者もいる。達人には無理でも、彼らなら対処できるかもしれない。
というか、忍者に吸血鬼に人狼、はてはロボットや妖怪までいる。むしろ、対処できない事態と言う物の方が少ないくらいだろうが。

「っていうか、なんでいることが分かるんですか?」
「え? 気」
「き?」
「うん。途轍もない、だけど覚えのある気の波動が感じられるから、多分」
「……キャロ、なんか感じる?」
「全然わかりません」

試しにキャロに話を振るティアナだが、返ってきた答えはやはり否。
魔導師や魔導騎士が使う魔力感知の様なものなのかもしれないが、さっぱりわからない。
というか、そもそも「気」と言う概念になじみがないのだから当然か。
で、悩む新人達とは別に、高町家の家族構成を知るフェイトとリインがその4人の内訳を考える。

「士郎さんに、恭也さんと美由希さんで3人。でも後は……」
「美沙斗さんもいるかもしれないですね」
「あぁ、確かに」
「あの、どなたなんですか、その人?」
「御神美沙斗さん、なのはの叔母さんだよ。美由希さんは同じ職場で働いてるから、一緒に帰ってきてるのかも」
「だとしたら、世界で4人しかいない御神の剣士勢揃いです♪」

ギンガの問いに、とりあえずさわり程度に答える。
正直、高町家は高町家で色々家庭事情が複雑なので、話し出すと割と長く、その上重い。
実は御神流は元々暗殺を生業としており、それが原因で4人を残して他の御神の剣士は皆爆弾テロで亡くなってるとか、実はなのはと美由希の関係は姉妹ではなく従姉妹とか、美沙斗が美由希の実の母親で幼い美由希を兄であるなのはの父に預けて復讐の旅に出たとか。そんな話はさすがにできない、プライベートにもかかわるし。

「そう言えばギンガさんは来た事あるんですよね?」
「前に一度師匠達を送ってきた時にね。って言っても、海鳴は通っただけよ。
 まぁ、あの時は達人がそんな何人もいる街とは思わなかったけど……」
「兼一さんが住んでた所って近いの?」
「近くもなく、遠くもなくってところかしら。電車でいくつか先だし」
「へぇ~」

とは、ナカジマ姉妹とティアナの会話。
スバルなどとしては一度見に行ってみたいと思わなくもないのだろう。
まぁ、若干怖いもの見たさ、お化け屋敷や絶叫系のアトラクションに乗る心境なのだが。

「でも、今日はお仕事だしね。さすがに梁山泊に寄っていく訳には……って車?」

と、遠方から響く車の駆動音の方へ視線を向ける兼一。
皆もやや遅れてそれに気付き、等しくそちらを見た。
さりげなくスバルとティアナが「自動車」が存在している事実に感心しているが、さすがに失礼である。
いったい彼女達は、文化レベルBというものをどの程度のものと思っていたのやら。
まさか、石器時代を想像していたわけではあるまいに。

まぁそれはともかく、やってきた車はなのは達の手前に停車。
勢いよく扉を開くと、陽光を凝縮した様な明るい金髪をショートにした闊達そうな美人が飛び出してきた。

「なのは! フェイト!」
「アリサちゃん」
「アリサ」
「なによもう、ご無沙汰だったじゃない」
「にゃはは、ごめんごめん」
「色々、忙しくて」
「私だって忙しいわよ、なんたって大学生なんだから」
「アリサさん、こんにちはです!」
「リイン、久しぶり!」
「はいです!」

どうやら「アリサ」と呼ばれた女性となのは達は知り合いらしく、和気藹々と旧交を温める。
その姿はどこにでもいる普通の少女のそれで、あまりそう言った姿、イメージのないティアナやスバルなどはどこか茫然とそれを眺めていた。
また、エリオやキャロも知らない人物らしく、誰なのか聞きたそうにしながら踏ん切りがつかないでいる。
それに気付いたフェイトは、皆に向かってアリサの紹介を始めた。

「紹介するね。私となのは、はやての友達で幼馴染」
「アリサ・バニングスです、よろし……」
「や、アリサちゃん久しぶり」

フォワード陣の後ろから、にこやかにあいさつする兼一。
その瞬間、それまで親友との再会に満面の笑顔を浮かべていたアリサの顔が歪んだ。

「…………………げぇ」
(うわ、凄く嫌そうな顔……)

満場一致で看破されるアリサの心。
まぁ、仕方がない。実際、本当に疑いようもない位にげんなりした顔をしているのだから。
むしろ、これを見て「再会を喜んでいる」と思った人は、眼科が脳外科に行った方が良い。

「話しは聞いてたけど…アレ、ホントだったんだ」
「あ、アリサちゃん……」
「アリサ、アリサは兼一さんの事知ってるの?」
「あ~、一応ね。ほら、私とすずかの家ってああいう所でしょ。その関係でね」
「ああ」

月村家とバニングス家は頭に『蝶』…ではなく『超』のつくお金持ち。
その成功や発展を妬んでの脅迫及び誘拐など、その手の実力行使に晒されることも多かった。
一応ボディーガードや警備員を雇ったりはしていたが、それでは手に負えない時もある。

そう言う時に頼りになります、梁山泊。
と言うわけで、望むと望まざるとにかかわらず、アリサは兼一ともかかわることになった。
その際に何があったのかは知らないが、アリサの中では兼一も梁山泊の師匠達と同じ「変人」判定がついているらしい。

ただ、他の面々はそんな事情などもちろん知らない。
なので、一同を代表しギンガが問うた。

「リイン曹長、その『すずか』さんというのは……」
「アリサさんと同じ、はやてちゃん達の親友です!
 お二人とも御実家がお金持ちですから、昔からいろいろ大変だったみたいですよ」
『へぇ~』
「ちなみに、なのはさんのお兄さんとすずかさんのお姉さんは結婚してるので、なのはさんにとっては親戚でもあるわけですね」
「なんというか、すごいですね」

とは、事情を聞いたティアナの弁。
実際、高町家と月村家の繋がりは一際深いと言っていいだろう。

ちなみに、先ほどからずっと影の薄い翔だが、少し離れたところでフリードと一緒に湖覗き込んだり、周囲の森を探索したりしている。
どうやら、翔やフリードには大人組みの話はあまり面白くなかったらしい。

とまぁ、外野がそんな他愛もないことをしていたその時。
アリサは深々と溜息をつき、兼一に向けてこう言った。

「まぁ、なんか今更な感じになりましたけど……お久しぶりです」
「そうだね。なのはちゃんと会った時も思ったけど、アリサちゃんも益々美人になって。
 なんていうか、月日の流れを感じるなぁ。僕も年を取るわけだよ」
「言うほどの年齢じゃないじゃないでしょ」
「まぁ、そうなんだけど、気分的に」

親しいと言えるほどの関係ではないのか、どこか素っ気ないアリサの対応。
いや、彼女がこういう態度を取るのには別の訳がある。

「とりあえず、一ついいですか?」
「え?」
「あの宇宙人、いい加減なんとかしてくれません?」
「ああ、アレ?」
「そう、アレ」
(アレ? って言うか宇宙人?)

固有名詞を徹底的に排除した会話に、首をかしげる一応。
なのはだけは意味がわかっているのだが、苦笑いを浮かべるだけ。
二人の話題となっているナマモノの実態を知るだけに、そういう表情しか浮かんでこないのだ。

「そんな事言われてもねぇ…僕ももう連合から離れてるし」
「アレの親友でしょ! なんとかしてよ、あのバカ!」
「え? 親友って誰が?」
「あなた以外にいないじゃない! 友達の言う事なら少しは……」
「友達? 友達じゃないよぉ~、アレは悪友。
ついでに言うと、アイツは人間じゃないから誰が何を言っても心を入れ替えるなんてありえないしね」
(どこのだれか知らないけど、酷い言われよう……)

会った事もない宇宙人(仮)の、あまりの扱いの酷さに同情を禁じ得ない面々。
しかしすぐに思い直す。このお人好し大王にここまで言わせるような相手だ、もしや自業自得なのではないかと。

「あの、さっきから宇宙人と言ってますけど、どんな人なんですか?」

聴くのはティアナで、聞かれたのはなのは。
こっそりと耳打ちされ、なのははなんと答えたものかと微妙な表情。
とはいえ、外見的特徴くらいなら簡単だ。

「耳がこんなとんがってて、眼はつりあがってるかな? で、おかっぱ頭で頭から触覚が生えてて、舌の先が二股にわれてるんだけど……」

次々と列挙されていく宇宙人(仮)の特徴。
それを聞いて、皆は思った。アリサと兼一の評価が、実に妥当なものである事を。
少なくとも、外見的特徴はだいぶ人間離れしている。

「情報歪めていい様に利用しようとするし」
「うん、それ昔から」
「文句言っても口八丁で丸めこむし」
「それも昔から」
「挙句の果てに、人の事を道具か何かとしか思ってないのよ!」
「初めて会った頃からそうだったなぁ」
「………………………よくあんなのの友達やってられますね」
「うん、僕もそう思う。
実際、縁なら何度も切ろうとしたよ……だけど、アイツが自分の駒を手放すわけないじゃないか」
「確かに……」

苦虫を万単位で噛み潰したような表情の二人。
あの宇宙人に苦杯や煮え湯を飲まされた事数知れず。
性格は最悪だが、これで無能ならよかった。しかし性質の悪い事に、あの男は世が世なら歴史に名を残したかもしれない程に有能な策士。
おかげで、今日までどれだけの迷惑を被ってきた事か……。
そんな二人の話を聞き、フェイトがその人物像を総括する。

「それってつまり、悪魔みたいな人って事?」
「みたいって言うか、完全に『悪魔』よ、アレは」
「最低最悪にして卑怯千万。性根がひん曲がっている上に、骨と魂の芯まで腐った男。疫病神と貧乏神と死神が泣きながら裸足で逃げ出す大害虫。宇宙人の皮を被った悪魔、それが奴だよ。間違いない」
『そこまで言いますか!?』
「いいかい、みんなもくれぐれもかかわっちゃいけない。
関わったら最後、いい様に利用された揚句に骨までしゃぶりつくされるから」

なんだかよく分からないが、下手な…どころか大抵の犯罪者より関わってはいけない相手らしい事はわかった。
というか、考えてみると名前すら聞いていないのだが……二人曰く「知ったら不幸になる」との事。
名前を聞くだけで呪われるとか、いったいどれほどの災厄なのやら。
もしかして、地球が管理外なのは達人を始めそんな人外がいるからなのではないか。
皆の脳裏に、そんな嫌な可能性が頭をよぎるのであった。



  *  *  *  *  *



その後、とりあえずアリサと別れた一向。
チームを4つに分け、それぞれバラバラに市街を探索。
副隊長は後で合流し、リインはスターズと行動しながら中距離探査。
後は各所にサーチャーとセンサーを設置し、結果を待つと言う方針だ。

まぁ、こういう探しものは足と数が基本。
数は人数が限られているので、そこはサーチャーとセンサーをばらまいて補う。

で、チーム分けとなれば当然分隊ごとに分けることになる。
スターズ、ライトニング、全体統括のロングアーチ、そしてその他。
本来、兼一はギンガと一緒に、その他として単独でセンサーやサーチャーの散布に当たるべきなのだが、今回は翔が一緒なのでそちらにつきっきり。
そんなわけで、現在白浜親子は合流してきたはやてやシャマルと先のコテージにいた。

「すみません、八神部隊長。翔の我儘を聞いてもらっちゃって」
「ええですって。翔も偶には日本の空気を吸いたいやろうし」
「それに、折角のお父さんとのお出かけを潰しちゃったんですもの、これ位の穴埋めは良いじゃないですか。ね、翔?」
「んふふ~♪」

管制や通信などに精を出す傍ら、そんな雑談をする大人たち。
翔はシャマルに頭を撫でてもらいながら、気持ち良さそうに猫の様に目を細めている。

「みなさん、ちょっと翔を甘やかし過ぎですよ……」
「まぁまぁ、ええやないですか。可愛いんやし」
「そうですよ。翔は良い子ですし、偶には我儘を言ったっていいじゃないですか。ねぇ~」
「うん!」
「はぁ~、まったくもぅ……」

その年齢もあり、翔は今や機動六課の2大マスコットの一角。
親として息子が愛されているのは嬉しい限りだが、甘やかしてばかりは良くない。
そうは思うのだが、あまり聞き入れてもらえないのが現状だったりする。

「ほら翔も、二人ともお仕事中なんだからあんまり邪魔しない。こっちにおいで」
「ぶぅ~」

溜め息交じりの兼一と、それではつまらないとばかりに口をとがらせる翔。
はやてとシャマルとしてはそんな微笑ましい光景がおかしくて仕方がないらしく、クツクツと笑いを堪えていた。
『別に気にしない』とも言おうと思ったのだが、それを言うとまた兼一が渋い顔をするのが目に見えている。
なので、とりあえずここは兼一の顔を立てて何も言わずにいたのだが……。

「じゃあ、何するの?」
「折角湖がある事だし泳ぐ……にはちょっと冷たいか」

泳げない事はないだろうが、急な出張だったのでそんな準備はない。
あとやれる事があるとすれば、修業か森の中を散策する位。
とそこまで考えた所で、ある事を思い出して手を叩く。

「そうだ。もし聞こえる範囲にいれば……」
『?』

言うと、兼一は森の方を向く。
その行動の意味がわからず、揃って首をかしげる三人。
だが、頭に疑問符を浮かべる三人を無視し、兼一は大きくも小さくもない声で森へと呼び掛けた。

「お~い、もし近くにいるなら出てきてくれないかな?」
「誰に話してるんでしょう?」
「ここって確か、アリサちゃん家の土地の筈やけど……」

だとすると、コテージを含めたこの辺りの管理をしている人を呼んだのかもしれない。
何しろ、この湖とコテージを中心とした森の大半がバニングス家の土地。
充分に広いその敷地を管理する人間がいても不思議ではない。
また、兼一は以前からアリサとも顔見知りだからその可能性はある。
が、それにしては些かならず親し過ぎる呼びかけの様な……。

そのまま、待つこと数分。
皆が兼一の言葉の意味を測りかねていると、森の方から『ガサガサ』という何かを掻き分ける音。
全員が揃ってそちらを向くと、そこからのっそりと巨大な黄色と黒の縞々の巨体が……。

「って、トラ――――――――――――!?」
「なんで! なんで日本の森の中からトラが出て来んねん!?」
「そもそも日本にトラっていましたっけ!?」
「そら動物園とかならおるやろうけど、野生のトラなんているわけないやん!!」

そもそも、日本はトラの生息地ではない。
なのではやてが言う通り、日本に『野生』のトラがいる等あり得ないのだ。
いるとすれば、それは動物園から逃げ出して野生化した場合くらいか。

本来トラなどものともしない戦力を持つ二人だが、さすがにインパクトが大きかったらしい。
面白い位に慌てふためき、ワーワーギャーギャーと叫ぶばかり。
がそこで、翔がトラに向かってトテトテと駆けて行くのを発見。

「あかん、翔!!」
「こっち、早くこっちに!!」
「わぁ~、おっきい~」
「そんな悠長なこと言うとる場合かぁ~~!?」

危機感の欠片もない翔の反応に、全身全霊の突っ込みを入れるはやて。
しかし、そんなものでネコ科の大型肉食獣が止まる筈もなし。
優に体重300キロは超えていそうなトラは、口を開きながらゆっくりと翔に顔を近づけ……。

「シャマル!」
「はい! クラールヴィント!」

今まさに翔の頭にかぶりつこうとするトラを止めるべく、デバイスを起動する二人。
だが幼い子どもを守ろうとするそれは、その親の手によって阻まれた。

「あの、二人とも。気持ちはわかりますけど、物騒な事はやめましょうよ」
「止めないでください、兼一さん! というか、なんでそんな平然としてるんですか!!」
「そです! このままやと、翔がトラの餌食に……!」

デバイスを持つ手をやんわりと掴まれた二人。
どこまでも必死な表情の二人に対し、兼一は苦笑を浮かべている。
二人の懸念は最もなのだが、事情を知る身としてはそんな表情しか浮かばないのだ。

「ああ、その辺は大丈夫ですよ」
「何を根拠に……」
「だって、ほら」

兼一が指し示す先にあるもの。
それは、二人が全く予想もしなかった光景だった。

「キャハハハハハハハハ♪ くすぐったいよ~」
「ゴロゴロガオ~ン♪」
「「う、うっそ~ん……」」

べろべろと翔の顔をなめまくるトラと、それを笑って受け止める翔。
幾ら子どもでも、あの巨体を恐れない胆力は凄まじい。
まぁ翔の場合、逆鬼の強面で耐性があるので、この程度はなにほどの物でもない…のかもしれない。
ではなく、どこからどう見てもトラに間違いないあの生き物が、何故にまるで猫の様な仕草なのか。

「ど、どういう事ですか?」
「いやまぁ、驚くのも無理はないですけどね」
「あれ、トラですよね?」
「はい、名前はメーオ。師匠のペットなんですよ」
「ペット!?」
「トラをですか!?」

苦笑しながら事実を告げてみれば、案の定目を白黒させる二人。
生き物としての危険性で言えば、竜であり火を吐くフリードの方がよっぽど危険な気もするが、アレは普段の状態が状態だ。
外見的には、やはりトラ…メーオの方が危険に見える。
それを考えれば、目の前の事実を中々受け止められないのも無理はない。

「トラをペットにするなんて、さすが兼一さんのお師匠さんや……」
「どういう意味なのか凄く聞きたいですけど……いいです。
まぁ、本人は未だに猫と思ってるみたいですけどね」
「トラと猫って……普通、間違えませんよ?」
「すずかちゃんとこのにゃんこの中にトラがまじっとったら、絶対気付くで」
「でも、ほんとなんですよ。メーオって名前も、タイ語で『猫』って意味ですし」

つまり、トラと猫を同列に扱っているとかではなく、完全に猫として認識していると言う事だ。
一応他の師匠達はトラと認識した上で猫と同列に扱っていたので、あまり差がないと言えばそんな気もするが。
とはいえ、さすがにその感覚のズレには頭を抱える二人。

「でも、あのトラが兼一さんのお師匠さんのペットなら、なんでこんな所に……?」
「以前は梁山泊で飼ってたんですけど、あの大きさですからね。
 さすがに庭で飼うのは無理があったので、丁度仕事で知り合ったアリサちゃんの御両親に頼んで……」

場所を貸してもらったと言う事だ。
敷地の外には囲いもあるし、メーオには厳重に囲いから出ない様に言ってある。
幸いメーオは利口なトラなので、言い付けは守っているらしく騒動にはなっていない。
まぁ、そうでなければとっくの昔に動物園に送られるか射殺されているだろうが。
ちなみに、食費と食料の調達はちゃんと梁山泊持ちである。

「しかしまぁ、これでようやく納得がいったわ」
「何がですか?」
「アリサちゃん、兼一さんの顔見てものすんごい嫌そうな顔しとったらしいやん」
「……あぁ、それはまぁ、無理もないですよね」

幾ら土地があろうと、トラなど押し付けられては嫌な顔の一つもするのは仕方がない。
翔とのやり取りを見る限り、かなり懐っこい様だが……それはたいした救いにはなるまい。

この日、はやては心の底からアリサに同情し、同時に不安を覚えた。
いつか自分も、アリサが被ったのと同等かそれ以上の何かに見舞われるのではないか、と。



  *  *  *  *  *



ちなみにその頃、なのはの両親が経営する喫茶翠屋。
任務とは言え、久しぶりの里帰り。
折角なので家族に元気な姿を見せたいし、自分も元気な姿を見たいと思うのは人情。
顔を見せるついでにお土産でもと、スバルとティアナ及びリインを伴って、なのはは翠屋の扉をくぐった。

「おかーさん、ただいまぁ!」
「なのはぁ、おかえり!」

扉を開くと、間もなく駆け寄ってくるなのはと同じ長い栗色の髪をしたエプロン姿の女性。
パッと見の年齢は、高く見積もって二十代後半。
しかし、今現在目前で繰り広げられているなのはとの様子を見るに、この人が彼女の母親らしい。
あまりの若々しさに、新人二人は空いた口が塞がらない。

(お母さん、若っ!?)
(ほんとだ……)
「桃子さん、お久しぶりです♪」
「リインちゃん、久しぶりぃ!」

そんな二人を尻目に、リインもまた久しぶりのなのはの母親「桃子」との再会を喜んでいる。
その間にも、ぞくぞくと店の奥から姿を荒らす人々。

一人は背の高い黒髪の男性、こちらも若い。
さらにその後ろには、長い黒髪を三つ編みにした眼鏡美人、こちらはさらに若い。

「おぉ、なのは。帰ってきたな!」
「おかえり、なのは」
「お父さん、お姉ちゃん」
「「あ……」」

憧れであり、目標であり、身近にいても雲の上の様な人の家族と、そんな人たちに見せる素の表情。
その様子にどこか圧倒された様子の二人。
ただただ呆然とする事しかできない二人だが、なのはは気付いた様子もなく紹介する。

「あ、この子たち私の生徒」
「ああ、こんにちは。いらっしゃい」

なのはの紹介に、どこか感慨深そうな表情を浮かべるその父。
スバルは緊張の為か、声を上ずらせながら返事をする。

「は、はい!」
「こんにちは」

スバルと違い、辛うじて平静を装うティアナ。
だが、スバル同様その眼はチラチラとなのはの家族へと向けられている。

「でも、お姉ちゃん帰ってたんだ」
「まぁね。大きな仕事が一段落したから、母さんに『しばらく休んでこい』って追い出されちゃった」
「あはは、そっかぁ」
(お母さんに追い出された?)
(のに、なんでお店のお手伝い?)

いまいちなのはの姉の言っている意味がわからず、首を傾げる二人。
事情を知らない二人からすると、彼女の言は前後で矛盾しているように聞こえる。
が、当の家族一同は特にそれに違和感がないようなので、尚の事首をひねるばかりだ。

「じゃあ、美沙斗さんは?」
「まだ香港だけど、もう少ししたら帰ってくるよ」
「そっかぁ、となると今回は会えそうにないかな。じゃあ、お兄ちゃんは帰ってる?」
「? ううん。帰ってくるって話は聞いてないけど……どうしたの?」
「あ、ちょっと気になって」

そう言って、笑って誤魔化すなのは。
兼一の感覚が正しければ、この街にはあと一人か二人は達人がいる筈。
まぁ、他にも当てがないわけではないので、他の人たちだろうと結論したのだ。
例えば、さざなみ寮の住人や元住人達とか。

と、そこでなのは思い出す。
翔の面倒もあるし、出張中に私用の為だけに動くわけにはいかない。
なので、もし翠屋に寄る事があったらよろしく言っておいてほしいと頼まれていたのだ。

「あのね、ちょっといいかな……」
「あ、そうだ。なのは、こっち!」
「にゃにゃ!?」

が、それを言おうとしたところで突然姉に腕を引かれる。
身体能力では天地の開きがあるので、なのはにそれに抗う術はない。

「ど、どうしたの!?」
「ちょっとね、今日は珍しいお客さんが来てるんだ。
 折角だし、なのはも挨拶していきなよ」
「へ? …………………あ!」

連れて行かれたのは、奥まったテーブル席。
見れば、そこにはなぜ今まで気付かなかったのか不思議なほどの存在感を放つ大小の二人組がいた。

そこでなのはは理解する。
兼一の感覚が正しかった事と、彼が感じた気の波動の正体を。



  *  *  *  *  *



で、場所は戻って湖畔のコテージ。
少々早めではあるが、そろそろ日も陰り始め夕食時だ。
現地協力者…この場合、なのは達の幼馴染兼親友であるアリサとすずかになるが、彼女らが差し入れをしてくれた。コテージの倉庫に入っていたバーベキューセットを引っ張りだし、調理に掛かるはやてと兼一。

諸般の事情により、シャマルと翔は見学。
意味合いは違えど、この二人が調理に関わるのは非常に危険だ。
同列に扱われ、シャマルが不機嫌になったのはどうでもいい事だが。

ちなみに、すずかはそれほど兼一……というか梁山泊や新白連合への抵抗感が強くはないのか、アリサと違い中々友好的な再会を果たした事を追記する。
さらに言うと、メーオはすずかから肉のおすそ分けを貰い、頭を撫でてもらって機嫌良く森の中へと帰って行った。特殊な血筋の彼女からすると、達人たち同様メーオは猫と同列なのだろうか。

まぁ、それはいい。ここまでなら特に問題もなく時間が過ぎて行っていた。
しかし、市街に探索兼センサーやサーチャーの設置に出ていた面々が戻ってきた所で状況は一変。
より正確には、やや遅れてやってきた自称「お姉ちゃんズ」、なのはの義姉「美由希」とフェイトの義姉「エイミィ」、おまけでフェイトの使い魔…改め、ハラオウン家の使い魔「アルフ」の到着と共にだ。

運転席からエイミィ、助手席からは美由希と彼女に抱えられたアルフ。
そして、何故かその後ろから姿を現したのは……

「やぁ、アパチャイだよ!!」
『デカッ!?』

2mを優に超える褐色の肌の巨人。
通常なら威圧感満載の体躯なのだが、その顔には愛嬌のある人なつっこい笑顔。
とはいえ、やはり外見が外見だけに、一瞬ビクリと身体を震わせた面々。
だが、そんな皆を余所にアパチャイへと駆けよる二人がいた。

「って、アパチャイさん! どうしてここに……」
「あ、アパのおじ様、ひさしぶりぃ~」
「アパ! ギンガと翔も久しぶりよ!!」
「ん? 確かこいつ、恭也さんの結婚式の写真に写ってた……」
「ギンガ、彼はもしや……」
「あ、はい。師匠のムエタイの師匠のアパチャイ・ホパチャイさんです」

副隊長達の質問への答えに、皆が「あぁ」と思いだしたように手を打つ。
そう言えば、以前確認のために見せてもらった写真に写っていた。
兼一と違い、見た目からしてキャラが濃いので忘れたくても忘れられない。
と、そこでアパチャイの視線がある一点で止まった。

「あ、なのはも久しぶりよぉ!!」
「うん、ホント久しぶりぃ!」

なのはへと駆けよるアパチャイと、それに満面の笑顔を返すなのは。
だが、次の瞬間皆の目が点になった。

何しろ、なのはを抱き上げたと思ったら、そのままポンポンと何mも真上に放り投げてはキャッチ。
それを何度も繰り返し、なのはも特に抵抗せずに為すがままだ。

「ええっと、良い人…みたいだね」
「そ、そうみたいね」

なのはを尊敬する新人達としては、中々ショッキングな光景だ。
思わず顔をひきつらせ、そんなコメントをしてしまうのも無理はない。
そこではたと気付く。折角の師との再会だと言うのに、兼一はどうしたのだろうかと。

「そういえば、兼一さんは?」
「あれ、さっきまでそこに……」

気になったエリオとキャロが周囲を見渡すと、すぐに兼一の姿は発見できた。
ただし、ちょっとおかしな状態で。

「うきょー! 女の子がいっぱいねぇ!!!」
「やめてください、師父! アンタ突撃して何する気ですか!?」
「そんなの決まってるね! そこに山(胸)が、谷(尻)がある。
 なら、やることなんて四千年前から一つしかないね!」
「元とは言え鳳凰武侠連盟の最高責任者でしょ!
梁山泊と中国拳法の品位をどれだけ下げれば気が済むんですか!?」
「ふっ、真に価値のある物の為には何物も恐れない、それが漢の生き様というものね!
 それがわからないとは、兼ちゃんもまだまだね」
「それっぽい事言っててもやろうとしてる事はセクハラでしょうが!!」

帽子を被った髭の小柄な男に掴みかかり、なんとか抑え込もうとする兼一。
見た目からは想像もできない筋力を持つ兼一が相手となれば、振り払う事は不可能に近い。
仮にできても、生半可なことではない筈なのだが……。

「邪魔ね――――――――!!」
「ああ、もう! ホントこのオッサンはエロが絡むと!!」

なんと、体格で一回り以上小柄な男は兼一の妨害などものともせずに突き進む。
とはいえ、兼一は弟子や子ども達を守る役目を自らに課している。
たとえそれがセクハラであろうとも、と言うかセクハラなど以ての外だ。
ならば、やる事は決まっている。

「アパチャイさん! 美由希ちゃん!」
「あぱ!」
「はい!」

兼一の求めに応じ、小柄な男…剣星へと駆けより取り押さえに掛かる二人。
そうして、達人三人がかりでようやく剣星の侵攻は止まった。
地面に組伏された剣星は、未練がましそうに指をワキワキさせながら、まるでこの世の終わりの様に涙する。

「な、なんで邪魔するね―――――――――!?
 そこに、そこにパラダイスがあると言うのにね!!」
「「邪魔するに決まってるでしょうが!!」」
「アパパパパパパ♪」

こうして兼一は、師や旧友との再会を喜ぶ間もなく疲れ果てることになったわけで。
ちなみに他の面々が唖然としていた中、アリサは冷ややかな目でこの師弟を見ていたのだが……これではそう見られても仕方がない。

その後、剣星は美由希が常時携帯している鋼糸でグルグル巻きにされ拘束。
だが全く懲りていないようで、隙あらば抜け出そうと虎視眈々。
しかし、さすがに兼一と美由希の二人がかりで監視されていてはそれも難しいらしい。
一応、今のところは大人しくしている。

初対面となる面々は努めてそれを意識の外へと追いやり、とりあえず初対面同士で自己紹介。
それにはもちろんアパチャイや剣星も含まれる。

「やぁ、アパチャイだよ!」
「アパチャイさん、それもうやりましたから」
「あぱ?」

そもそも、これでは碌に自己紹介にすらなっていない。
とは言えアパチャイにこれ以上を期待しても仕方なく、代わりに兼一が紹介する。

「えっと、こちら僕のムエタイの師匠のアパチャイ・ホパチャイさん」
「よろしくよ!」

返って来た反応はどこか呆気にとられた様な少々まばらな拍手。
アパチャイはそれを気にした様子もなく、にこにこと満面の笑顔を浮かべている。

「で、こっちの変態が中国拳法の師父で……」
「何を言うね、兼ちゃん! エロは生命の象徴ね! おいちゃんはただ魂の咆哮に正直なだけね!!」
「……聴いての通り、趣味はセクハラと盗撮だから、みんなくれぐれも注意するように」
『は、はぁ……』

その紹介の仕方もどうかとは思うのだが、一面の事実だけにどうしようもない。
だがまぁ、場の男女比率を考えれば当然。それも、その美人度たるや尋常ではないのだから。
ただ、相手は曲がりなりにも師。そんな事を言っていると……

「兼ちゃん、おいちゃんは悲しいね。あの頃は師弟を越えた友情があった筈なのに、昔の兼ちゃんはどこに行ってしまったね。あの日、胸に宿し共有したと思った情熱、それを兼ちゃんは忘れてしまったね」

涙ながらに過去を振り返り嘆く剣星。
言っている意味はわからないが、きっととても大切な何かがあったのだろう。
その姿は周囲の同情を引くには十分で、それまで冷ややかだった視線が僅かに緩む。
まぁ、実際にはそんな上等なものではないのだが。

「そう! あの日、共にしぐれどんの罠をくぐり抜け! その先に待つ美羽の」
「ワー! ワー!! ワー!!!」

語りの途中、突如大声を上げる兼一。
それにかき消され、その続きは皆の耳には届かなかった。

「父様?」
「どうしたんですか、師匠?」
「な、なんでもないよ! 師父、ちょっとこっちへ!」

剣星の肩に腕を回し、少々強引に連行する。
もちろん、息子と弟子への愛想笑いは忘れない。
皆、いったい何をしているのかと首を傾げる中、兼一は剣星に詰め寄る。

「いったいどういうつもりですか?」
「いや、兼ちゃんの昔の武勇伝を聞かせてあげようかと思ってね。
 師と共に数々の苦難を退ける、まさに美談ね」
「あ、あなたって人は……!」

確かに、字面だけ追えば美談に見える。
しかし、その実態を知る当の本人としては、隠蔽したい恥部だ。
それもこの場には弟子や息子など、自分を尊敬してくれている人が多数。
知られれば、彼らから軽蔑のまなざしを向けられる事は必至だ。
ならば、する事は一つ。

「要求はなんです?」

声をひそめ、ぼそぼそと剣星の耳に小声で話しかける。
剣星はそれに対し、長い眉毛に隠れた目を光らせた。

「なぁに、ちょっとおいちゃんの行動の自由を保障してくれればそれでいいね。
 安心するね、ギンちゃんには何もしないと誓うね」
「僕に、みんなを売れと?」
「別に怪我をさせるわけじゃないね。それに、弟子と息子の尊敬と比べれば安いものね」

確かに、言ってしまえば所詮はセクハラ。
昔の若さ故の過ちを知られる事に比べれば、何程の物か。
だが、このお人好しがどんな理由であろうと仲間を売る筈がない。
それも、皆を実の子どもや妹の様に思っているのなら尚更。

「師父、僕の信念は信じた正義を貫く事。この拳は、大切な人達を守る為の拳です」
「それは、交渉決裂と言う事かね?」
「弟子はいずれ師を越えるものですよ」
「よく言ったね! なら、おいちゃんを越えてみるが良いね、我が(ウォー)弟子(ディーズ)!!」
「積年の恨み、今こそ!!」

そうして、突如始まる無駄にレベルの高い師弟喧嘩。
蹴りが湖を割り、拳が地を穿ち、激しい動きが突風を生む。
外野からすると突然脈絡もなく始まったそれを見て、ヴィータが一言。

「いきなり何始めてんだ、アイツら?」
「しかし、さすがは白浜の師だ。勉強になる」
「いやまぁ、そりゃそうなんだろうけどよ……」

シグナムの言は正しいのだが、それで済ませていいのだろうか。
正直、状況の変化に付いていけない。
それは他の面々にも言える事で、大半が呆然とそれを見やっていた。

しかしそこで、師弟のしょうもない骨肉の争いに変化が生じた。
元より、如何に達人の世界に至ったとはいえ、兼一と剣星では武の世界に浸って来た時間が違う。
故に、拳を交えれば兼一の方が分が悪いのは自明の理。

それを証明する様に、徐々に徐々に防戦一方へと追い詰められていく兼一。
やがて、兼一の堅牢な防御を突破し、剣星の右掌打が兼一の身体を跳ね上げた。
向かう先は、醜い姉弟喧嘩を繰り広げる二人に背を向け、翔やフリードと戯れる身長2mを超す褐色の巨人。
吹っ飛ばしてからその事に気付いたのか、剣星は思わずばつの悪そうな声を漏らす。

「ぁ、こりゃちょっとミスったね……兼ちゃん、許すね」
「アッパァ!」
「ぶほっ!?」

振り向きざまに放たれた蹴りが、兼一の身体を今度は高々と斜め上空に蹴り飛ばす。
まるで小石の様に吹っ飛んでいく兼一に気付き、皆の視線がそちらに移る。

「あぱ!? アパチャイ、今なに蹴ったよ!?」
「な、何やってんですかアパチャイさん!」
「癖よ!」
「おい、今のかなりヤベェ角度で入ったぞ」
「師匠~~~~!?」

何が悪かったかと言えば、ただひたすらに運が悪かった。そうとしか言いようがない。
もし吹っ飛ばされた先が他の誰か、せめて美由希相ならこうはならなかっただろう。
だが、相手はアパチャイ。幼い頃から命懸けの裏ムエタイのリングで戦い続け、全力攻撃が条件反射の域に達した彼だからこそのこの結果。

その間にも兼一の体は美しい放物線を描いてコテージに激突、同時に爆砕。
辛うじて半壊にとどめたが、閑静なコテージは見るも無残な有様と相成った。

「け、兼一さん!!」
「も、もしかして死んじゃったんじゃ……」

あまりの激突の勢いとその結果に、顔を青くして震えるライトニングの二人。
バリアジャケットがあったとしても、あの一撃を受けては命が危ない。
幾ら以上に頑丈な兼一とは言え、あの威力を無防備な状態で危険極まる角度で受けては……。
二人だけでなく、その場にいるほぼ全員がそう思っていた。

「いや、兼ちゃんならこの程度で死にはしないね」
「ですね。それにアパチャイさん、ギリギリのところで手加減しましたし」
『ホントですか!?』

剣星と美由希の言葉に、食いつくように反応する面々。
そんな皆をなだめるように、剣星が言葉を重ねる。

「そうね。昔のアパチャイならともかく、今のアパチャイは手加減を覚えてるね」
「そうよ! アパチャイ、ちゃんとテッカメンしたよ!」
「手加減ですよ、アパチャイさん」

美由希のツッコミに、みんなは思った。『覚えてないじゃん!?』と。
まぁそれでも、昔はホントに比喩ではなく「手加減」と言う言葉そのものを知らなかったので、それに比べれば遥かにマシなのだが。

「それに、他の人ならいざ知らず、兼ちゃんの耐久力なら……」
「あいちちち……いやぁ、さすがに効くなぁ」
『ホントに生きてた!?』
「つーか、全然ピンシャンしてんぞ、アイツ」

剣星の言う通り、瓦礫と化したコテージから平然と出て来る兼一。
そう簡単に死ぬタマではないとわかってはいたが、それでもあまりの無傷っぷりにヴィータは頭を抱えている。
その後ろでは、アリサが『だから関わりたくないのよ、この連中とは』と言わんばかりに深々と溜め息をついたとか。

「え~っと、一応診ておいた方がいいですよね」
「あの様子やといらへん気もするけど……お願いな」
「はい」

なんとなく無意味と予想しつつ、上体を診察するべく兼一へと駆け寄るシャマル。
その結果は、アパチャイの絶妙な手加減もあって骨折などの重傷は特になし。
というか、コテージを粉砕したくせに打ち身や擦り傷すらない。
ここまで完全に無傷だと、かえって気味が悪い位だ。

とはいえ、怪我がない事を喜ぶならともかく、嘆くのもおかしな話。
六課一同、色々と思う所はありつつもそっと胸に秘め、食事を再開。
はじめのうちは微妙な空気が流れたが、次第にそれもなくなり、皆くつろぎながら思い思いに時を過ごす。
その中には、アパチャイと大食い競争をするエリオの姿もあった。

「兼一さんがあんまり食べないからこっちの人達もそうかと思ったけど……」
「アパチャイさん、エリオ君達に負けず劣らず召し上がられる方なんですね」

本当にちゃんと噛んでいるかさえ怪しいその速度に、若干引き気味のティアナとキャロ。
その足元では、フリードがおこぼれの肉を嬉しそうに貪っている。

やがて空腹を満たしたらしいエリオ。
その食事量は、アパチャイの分と合わせると優に30人前を越える。
が、エリオが満腹になっても、アパチャイは紙皿を手に食事を取りに行く。
それに唖然としたキャロは、思わず尋ねていた。

「ま、まだ食べるんですか?」
「あぱ? 違うよ、これはみんなの分よ」
「みんなって……」

言って、辺りを見回すが概ね皆食事を終え雑談に入っている。
では、アパチャイの言うみんなとは誰かと言うと……

「ピーヒョロロロ~♪」

野菜や肉の山盛りになった紙皿を手に、指笛を鳴らすアパチャイ。
新人四人がそれに首をかしげていると、森の方からガサガサと言う物音。
そして、徐々に彼らは姿を現しアパチャイの下へと集って行く。

『わぁ……』
「ほら、みんなも食べるよ」

集まってきたのは、大小さまざまな動物たち。
小さいものはリスやネズミに小鳥、大きなものはネコやイヌまで。
それぞれが喧嘩をする事もなく、アパチャイの手や紙皿から好みの食事に口を付けている。

「キャロも、こういうことできるんじゃないの?」
「できますけど、でも……」
「でも?」
「何て言うか、凄いなぁって」
「ふ~ん……」

ティアナの問いに、キャロは驚きを露わに答える。
上手く言葉にはできないが、アパチャイのそれは自分とはどこか違うように感じていた。
召喚魔導師にとって、鳥獣使役は割と当たり前のスキルだ。
当然彼女もできるのだが、アパチャイは魔導師ではない。だからこその、「凄い」なのだろう。

「あの、触っても良いですか?」
「……良いって言ってるよ。優しくしてあげれば大丈夫よ」
「あ、はい」

どうやらアパチャイは、すっかりエリオの心も掴んだらしい。
見れば、キャロも混ぜてほしそうにしていた。
ティアナはそんなキャロの背を軽く押してやる。

「って、あれ? そう言えばスバルは?」

視点は変わって剣星。
相変わらず兼一と美由希の二人がかりで監視されているが、特に気にした風はない。
はやての料理に舌鼓を打ちつつ、一番弟子の近況に耳を傾けていた。

「じゃあ、兼ちゃんは闇が何か関わっているかもしれないと考えているのかね?」
「はい、あまり可能性は高くないと思うんですけど」
「まぁ、連中の性質を考えると確かにそうね」
「美由希ちゃんは、最近の闇については?」
「いえ、特に目立った動きはないと思いますけど……」

仕事柄、裏社会とのつながりの深い美由希だが、彼女も特に思い当たる節はないらしい。
まぁ、闇が絡んで来ないならそれに越した事はないのだが。

「話は変わりますけど、どうして師父がこちらに?」
「ん? ちょっと生薬の買い付けにね。そのついでに、翠屋に寄ってみたら丁度なのはちゃんが来てね。
 聞けば、兼ちゃん達も来てると言うじゃないかね」
「でも、普段は岬越寺師匠と一緒ですよね?」
「秋雨どんは所用で出てるね。確か、知り合いから美術品の修復を頼まれたとか」
「なるほど」
「ちなみに、長老は東にぶらっと、しぐれどんは刀狩りの真っ最中ね」
「ああ、そうでしたか。それなら……」

無理に戻らないで正解だったかもしれない。
何しろ、無理に戻っても誰もいないのだから。
とそこへ、それまで遠巻きに様子をうかがっていた人影がはやてやってくる。

「どもです、兼一さん。お話の邪魔をしてもうてすみません」
「いえ、それは別に……」
「ところで、そちらが兼一さんの先生なんですよね?」
「あ、はい」
「おいちゃんに何か用かね?」
「はい。馬先生に、折り入ってお願いが」

とても、とても真剣な表情で剣星と向き合うはやて。
その眼には不退転の決意の光を宿し、その「お願い」に何かある事が伺えた。

「ほう、お願いかね? 可愛い女の子のお願いなら何でも聞いちゃうね」
「ありがとうございます。実は……」
「実は?」
「……………………弟子にしてください!!」
「「はい?」」

突然の申し出に、呆気にとられる兼一と美由希。
はやてが格闘技を覚える事自体は別にいい。
向いていなスキルではあるが、趣味あるいは運動の一環としてやるのはありだろう。
だが、この男に教わると言う事はその域を遥かに超える。
それがわからないはやてではない筈だからこそ、二人は首をかしげているのだ。

「先ほどのお手並み、感服しました! 私も自分の技には自信がありました、ですがそれが井の中の蛙やと思い知ったんです! 是非、弟子に!!」
「ねぇ、はやてちゃん?」
「なんですか、美由希さん?」
「えっと、なんの話?」

相手が剣星なので、はじめは武術の話かと思った。
しかし、それだと前後の言葉に違和感がある。
はやてが自信を持つと言った「技」、それと武術はまず重ならない筈。
相手がシャマルなら、まだ鍼灸や漢方の技術で教えを乞おうとするのはわかる。
では、はやてが教わりたいと言う技とはいったい……。

「それは……………………この手や!」
「「て?」」
「そう! さっき兼一さん達に捕まった時の、指の一見大胆ながら滑らかかつ繊細な指捌き!
 乳揉み道の者として、あれはまさに理想的やった……」

しみじみと、まるで尊いものでも回想するように語るはやて。
二人には何を言っているか全くわからないが、どうやら相当感銘を受けたらしい。

「ほほう、おいちゃんの手技の深さが分かるとは、お嬢ちゃんも相当やるようね」
「いえいえ、まだまだ至らない所ばかりの若輩者です。それを、今日思い知りました」
「そんな事はないね。自分の未熟さを知る、それだけでも充分大したものね」

何か通じる者でもあるのか、二人の間には早速親しい友人の様な空気が生まれている。
本人達からすれば、偉大な先達と将来有望な後輩と言ったところなのかもしれないが。

「あれ? 部隊長、何してるんですか?」
「おお、スバル! ええ所に来た!」
「え?」
「確か、ギンちゃんの妹の……」
「あ、はい! スバル・ナカジマです」
「先生、実はこのスバルも、中々ええものを持ってまして……」
「ほほぅ、確かに将来が楽しみね」

言いつつ、剣星が視線を向けるのはスバルの胸部。
いやまぁ、ギンガの妹なら将来有望なのは確かだが。
しかし、今はやてが言っているのはその事ではない。
もちろん、その事に全く触れていないわけではないが。

「いえ、確かにそっちの成長も期待しとるんですが……スバルも日頃から技を磨いてるんですわ」
「おお! ちなみに、誰で練習してるのかね?」
「ティアです! 今はまだみなさんほどじゃないですけど、いつかきっと追いつくって信じてるんです!
というか、私が育てて見せます!!」
「いやぁ、その使命感はようわかるわ。私も昔は、みんなの健全なバストアップに貢献しようと頑張ったもんや」
「うんうん、美しい友情ね」

目の端に涙を浮かべ、それをぬぐいながら感動する剣星。
ちなみにこの瞬間なのはとフェイト、さらにアリサ、ついでにティアナが「んなわけあるか!!」と誰もいない空間に突っ込みを入れたのだが、この会話との因果関係は不明である。

「ふふふ、エロに性別も年齢も関係ないということね。
もっとエロくなれば世界は平和になると思うけど、君達はどう思うね?」
「いや、全く。世界はもっとエロくあるべきです。エロなくして人類の繁栄はないんやから」
「はい! 胸を揉むくらい軽いスキンシップですよね!」
「うんうん、師弟と言わず、君達とは良い友になれそうね」
「「光栄です!」」

互いに手を握り合い、友情を確認す三二人。
その後もエロ談議に花を咲かせ、「胸だけに拘るのは狭量でしょうか?」「胸、お尻、太股、みんないいものね。優劣を付けるなど女体への冒涜ね」「ふ、深いですね……」「実は、最近はコスプレに凝ってるんですが……」「いいですよね、コスプレ」「うん、それならチャイナドレスは外せないね」等々。余人からすればかなりどうでもいい事で盛り上がっている。

「ふっ、その若さでその見識、おいちゃんの若い頃を思い出すね。
 兼ちゃんには期待してたんだけど、こっちの後継者にはなってくれなくて残念に思ったものね。
 でも、こんな所で若い後を継ぐ子に出会えるとは、今日は素晴らしい日ね」
「ありがとうございます、先生!」
「私は、まだまだお二人には全然及びませんけど…これからもがんばります!」
「うん、その意気ね。それに、スバルちゃんも自信を持つね。スバルちゃんは技が粗いけど将来性は抜群、はやてちゃんも熟練の域に入ろうとしているね。
だけど、それに慢心せず日々の練磨を怠らないことね。エロは、一日にしてならずね!!」
「「へへぇ!!」」
((え? 今、いい事言ったの!?))

全く理解できない三人のやり取りに、すっかり置いてけぼりを食う兼一と美由希であった。
とりあえず、ここに子ども達がいなかったのが不幸中の幸いだろう。



そうして交流会を兼ねた夕食も終わりに近づいた頃。
腹も程良く満たされ、さて食後の一服でもと思った所で、中々に面白いイベントが発生した。
何しろ、茂みからそれぞれ刃物や銃器で武装した黒服の集団現れ、瞬く間の内に当たりを囲んだのだから。

「手を上げろ! 抵抗しやがったらぶっ放すぞ、ガキども!!」

威嚇射撃として上空に向けて一発。
とはいえ、この場にいるメンツのほとんどが荒事の専門家。
すずかやアリサなど、そちらの方面が不得手な者もいるが、彼女らは彼女らでこういう状況には慣れっこだ。
何しろ、割と誘拐や脅迫などの犯罪に晒されることも多い家だっただけに。

故に、取り乱したり恐怖に震えたりする者はいない。
その代わりに、皆は一様に警戒心や敵意を黒服達に向けている。
ただその中にあって、例外が少々。
例えば、たった今やってきた剣星だったり、アパチャイだったり。

「おら、オッサン。手を上げろってのが聴こえねぇのか!」
「ほっほっ。そんな豆鉄砲向けられてもねぇ……とりあえず落ち着くね」
「アパパパ♪」
「笑ってんじゃねぇよ、木偶の坊! 頭悪そうなツラしやがって!! 頭だけじゃなくて目も悪いのか!!」
「……今の、ちょっと傷ついたよ。アパチャイ、頭悪くなんかないよーだ。
むつかしい日本語だってとっても上手になったんだから」

心ない一言にショックを受け、いじけて地面に「の」の字を書きだすアパチャイ。
はっきり言って、銃を前にしているにしては異常なまでの緊張感のなさである。
まぁ、このメンツでは仕方ないと言えば仕方ないのだが。

「主、ここは我らが……」
「あかんよ、シグナム。管理外世界、それも現地の人間相手に魔法は御法度や」

相手が魔導師やロストロギアならともかく、どんな理由があろうと現地の人間に魔法は不味い。
幸い、こちらには達人が複数。なら、特に被害を出さずに鎮圧することも不可能ではない筈。
それならば今はやてがすべきは部下達の制止であり、魔法を使わない事を徹底する事だ。
もちろん、フリードには姿を隠してもらう事も忘れない。

(みんな、絶対に手ぇ出したらあかんよ。ええな?)
『……はい』
(せやけど、この人達の狙いは……)

突然トラックで乗り付け、瞬く間の内に周囲を囲った黒服。
暴力には通じているようだが、軍人や警察の様に訓練が行き届いているようには見えない。
真っ先に狙いとして浮かぶのは、そういう連中に狙われやすいすずかやアリサなのだが……。

「ようやく見つけたぞ! 化け物女!」

品なく怒鳴るのは壮年の強面。
その銃口で示すのは…………………美由希だった。

「誰が化け物ですか!!」
「ほほぅ、重火器で武装したうちの連中50人を無傷で叩き潰した奴が化け物じゃねぇとぬかすか?」
「う…そ、それはまぁ…その……」

まぁ確かに、それだけやれば充分化け物の部類だ。
美由希としては反論したいところかもしれないが、説得力はあまりない。

とはいえ、あまり美由希の深い事情を知らないティアナなどとしては、なぜ目の敵にされているか不思議な所。
少なくとも、彼女の眼には美由希は温厚な女性くらいにしか映らないのだから。

「あの、美由希さんって……」
「ああ、美由希さん、私達と似たような仕事してるから」
「そうなんですか?」
「うん。こっちの世界の武装警察というか、なんと言うか……そう言う所の所属なんだ」
「じゃあ、アレって……」
「たぶん、その関係で怨みを買ったとかそういう事だと思う」

戸惑いがちに問いかけるティアナに、できるだけ噛み砕いて説明するフェイト。
彼女もあまり深く知っているわけではないが、実力主義で、かなり過激な組織とは聞いている。

「てめぇに組織を潰された恨み、晴らさせてもらうぞ!
 なにしろ、今日はこの前の倍の100人! 銃に爆弾もたんまりある!
それも、てめぇの周りには守らなきゃいけねぇ奴らもいるときた。
幾ら化け物みたいな女でも、これならさすがに勝ち目はねぇだろ!!」
(え? 100人って……それだけ?)
(アイツ、自殺願望でもあるのかしら?)

すずかとアリサの二人は、男が提示した今の状況に目を丸くする。
はっきり言って、このメンツにケンカを売るには戦力不足も甚だしい。
なのは達魔導師組を除いても達人が四人。それも、うち二人は正真正銘の梁山泊の豪傑だ。
これをなんとかするなら、最低でもその百倍の戦力は必要なのではないだろうか。
そもそも、この戦力では美由希一人すら殺せるか怪しい所。
なので、美由希が思わずこんな事を呟いたのも仕方がない。

「う~ん、100人かぁ…………今日の御礼参りはちょっとしょぼいかなぁ?」
『これでしょぼいんですか!?』

あまりにも場馴れした、その上とんでもない発言に驚く新人達。
それを見たすずかとアリサは「ああ、まだ耐性ができてないんだ」と憐れむ。
この人種と付き合うには、この程度では驚いていられない事を、あの子たちはまだ理解していないのだ。

「アパ、ならアパチャイがやるよ!」
「アパチャイだとやり過ぎるかもしれないし、おいちゃんがやっても良いね」
「良いですよ。これは私の問題ですし、ちゃんと私が始末をつけますから」
「なら、じゃんけんで決めるよ!」
『よ、余裕だ……』
「てめぇら、状況わかってんのか!!!」

普通に考えれば状況が分かっていないとしか思えないやり取り。
だが、それもこのメンツなら許される。
むしろ、こうなってくると怒鳴り散らす男が哀れでならない。
どれだけすごんでみたところで、男の結末など既に決定しているのだから。
とそこで、辺りを囲む黒服の中の一人がある事に気付いた。

「アパチャイ? まさか、裏ムエタイ界の死神! アパチャイ・ホパチャイか!?」
「なにぃ!? なら、あっちは馬剣星!?」
「ふざけんな!? 梁山泊がいるなんて聞いてねぇぞ!!」
「逃げろぉ!! 物理的に地獄に落とされちまうぞ!!!」

まるで、クモの子を散らす様に逃げまどう黒服達。
彼らはあっという間にその場を離脱し、残されたのは先ほどの壮年の男とガタイの良い長身の黒服一人。
実に見事な撤退であった。

「………………………………………」

いっそ涙を誘う位唖然とした表情で固まる男。
まさか、絶対の自信を持って集めた部下が、戦いもせずにいなくなるとは……。

「あの連中、裏の世界じゃ超のつく有名人だしね。当然っちゃあ当然よ」
「うん。梁山泊って言ったら、基本的にどの組織でも接触禁止が原則だもんね」
「触れたら大爆発…っていうか、関わった瞬間に壊滅決定だしね」
(うわぁ……)

六課も何かと異常な部隊だが、そう言う事を聞かされるとそうでもない気がしてくるから不思議だ。
あの男は犯罪者なのだろうが、それでもこの状況と巡り合わせには同情してしまう。

そんな何とも言葉をかけづらい空気の中、男に声がかけられる。
だがそれは、男のすぐ横合いから。

「所詮屑の下に集まるのは屑か。まぁ、この理論で行けば、俺もその屑の一人なわけだが」
「っ! そうだ、まだお前がいた! ここは退くぞ、一端退いて今度こそ!」
「黙れ、最早貴様に用などないわ」
「は? おぶっ!?」

残された黒服は、裏拳で男の顔を殴り飛ばされる。男の体は面白いように数度バウンドして停止。
一撃で意識を刈りとられたのか、その身体はピクリとも動かない。

「香港警防小隊長『高町美由希』殿とお見受けする」
「確かに私は高町美由希ですけど」
「我が名は黄伯雲、東方で十指に入ると謳われた武器使いとお会いできて光栄だ」

言って、男は手に持っていた長物の布を剥ぐ。
そこから出てきたのは、長い柄の先端に歪曲した刃と言う形状の見事な大刀。

「薙刀…いえ、関刀ですか」
「然り。彼の関羽も用いた青龍偃月刀だ。用件は、おわかりだろう」
「ええ、まぁ。こういう仕事ですからね。
兼一さんも剣星さんも、それにアパチャイさんも手は出さないでください」
「話しが速くて助かる。私が求めるは、貴殿との尋常の勝負。
 梁山泊の首にも興味はあるが、此度の目的はあくまでも貴殿だ。
 恨みはないが、その首を頂戴したい」

宣言すると同時に、強烈な気当たりが叩きつけられる。
腕を上げる為、名を上げる為に強者を求める武人は多い。
特に武器の世界はいつでも首の取り合い。中でも、香港警防で活躍する美由希の首は大人気だ。

「なるほど、気を隠すのがお上手ですね。
 それと、さっきの発言は訂正します。達人級がいるのなら、今日の御礼参りはかなり気合が入ってますね」
「ああ、そういえば御礼参りだったな、これは。危うく忘れる所だった」

苦笑するように、黄と名乗った男の肩がふるえる。
元々、御礼参り自体はそれほど興味がないのだろう。
強者を探していた所に丁度いい話があって参加した、その程度と言ったところか。

そうして、大刀を構えた男は深く腰を落とす。
かまえはやや下段、下からの斬り上げを狙っているように見える。

「ずいぶんとまた、真っ正直な構えを……」
「小細工は好かん。乾坤一擲、初撃に全てをかけるのが我が流儀なれば」

それだけ、自分の力量に自信があると言う事なのだろう。
駆け引きを蔑ろにしているのではなく、あらゆる駆け引きを叩き潰す、その意気の表れだ。
だが美由希はその愚直さに、真っ正直さに好感を覚えた。

初撃を流し、その隙をつく自信はある。
相手の武器は大型だけに、渾身の一撃の後には隙が生じるだろう。
その点、美由希の武器は小回りが利く。その隙をつくのにはうってつけだ。しかし……

「さすがに、それは野暮かな……」
「む?」
「なら私も、受けて立ちましょう」

美由希が腰の後ろに手をやると、「パチン」という音が鳴る。
同時に、彼女の足元に二本の何かがスカートの中から落下。
見れば、それは黒塗りの二本の小太刀。
恐らく、常に肌身離さず携帯する為、そこに隠していたのだろう。

美由希は小太刀を抜き、腰だめに構えて深く腰を落とす。
狙いは突き。だがその構えは、男の構えとどこか似た印象を見る者に与える。

「まさか、真っ向から受けてもらえるとはな。………………かたじけない」
「あなたみたいな人、嫌いじゃありませんから。
 それに、妹や友人の教え子やお弟子さんもいますからね。
 真の武器の技でも、見せてあげようかなぁと」

本来なら、秘技や奥義をひけらかすようなまねはすべきではない。
しかし、この技は別だ。この技を会得できたのは、兼一と出会えたからこそ。
彼が紹介してくれたある人物との出会い、それがあったからこそ習得できた業。
生みの両親も、育ての父も習得できなかった奥義の極み。
その恩義に報いるべく、彼の弟子にこれを見せることに迷いはない。

「ギンガ、翔。それにみんな、君達は運が良い」
「師匠?」
「父様?」
「アレが、真の武器使いの技だ。よく見て、学びなさい」

それは最早技ではない。
『武器を身体の一部』とし、さらに『武器と一つ』となる事で至れる境地。
世界を見渡しても、使える者など数えるほどしかいない。そんな技を見る事ができるのだ。
いったいそれをどれだけ理解しているかは分からないが、それでもギンガ達は目に全神経を集中する。
そして美由希と黄、二人の間を一陣の風が吹き抜いたその瞬間、二人は動いた。

「おおおおおおおおおお!!」
「……………!」

交錯する影。
黄の右下からの斬り上げは、あまりの鋭さにより発生した鎌鼬で延長線上に斬閃を刻む。
おそらく、たとえ風圧でも充分な殺傷力を秘めている筈だ。

それに引き換え、美由希がはなった突きは静かだった。
強く風を裂いた印象はない。気付けばそこにあり、いったいいつ動いたのか判然としない程。
ただ一瞬、手に持つ刀と彼女が同化して見えたのは錯覚か、それとも……。

いずれにせよ、決着はすでに付いている。
大気を割る斬撃と、それとは対照的なあまりにも静かな刺突。
その激突が生みだした結果は、実に顕著だった。

「うっ……ぐはぁ!!」
「…………ふぅ」

刃の中ほどから真っ二つに折られた青龍偃月刀の先端が宙を回る。
また、黄の胴には血の滲む箇所が一つ。鋭利な刃物で刺され、貫かれた傷だ。
その割には出血が少ないように見えるが、普通に考えれば十分すぎる致命傷の筈。だと言うのに……

「武器を折られ、身体を貫かれた。生きてはいても、続ける気には……なれんな」

胴を貫かれながら、黄は致命傷を負ったとは思えない動作で立ち上がる。
彼はそのまま美由希に背を向け、傷を抑えて一歩を踏み出した。

「腕を磨き直して出直すとしよう。失礼する」

敗者にかける言葉はない。
美由希も、もちろん観戦していた面々も何も言わない。
そうして、黄の姿が見えなくなった所で、ようやくキャロが口を開いた。

「あの、あの人治療しなくて大丈夫なんでしょうか?」
「ああ、その心配はないね。ちゃんと、隙間を縫ってたからね」
「隙間、ですか?」
「そうね。体幹部分は確かに内臓や血管、神経がいっぱいで切られたら致命傷ね。
 でも、美由希ちゃんくらいならそれらを避けて通すことも可能ね」

あの一瞬で行われた超絶技巧に、空いた口が塞がらない。
シグナムですら、その精緻を極めた技術に戦慄を覚える。
果たして、自分にそんなまねができるのか。できるとして、あの速度で可能なのか。
正直、自信はない。こと、繊細な技術においては後塵を拝するしかないと自覚しているのだ。

「じゃあ、あの技は……」
「小太刀二刀御神流斬式・奥義の極み『閃』。他流では、『心刃合錬斬』なんて呼んだりもするね。
 武器に頼るのではなく身体の一部とし、さらに武器と一つになる、そう言う技」

美由希の言葉から、かつてシグナムや兼一から聞かされた口伝を思い出すエリオ。
心構えの一種と思っていたそれを体現する技と、それを会得した剣士。
兼一が「武器の極みの技」と言ったその真の意味を、ようやく彼は理解した。

力も速さも超えた境地の太刀筋、それが閃。
同時に、心刃合錬斬とは刀と己を一つにして斬りかかる剣身一体の剣技である。
武器使いとして、剣士として最終的に行きつく先は同じと言う事なのか。
名称こそ違うが、この二つはその本質を同じくする。

義父「士郎」や実母「美沙斗」ですらたどり着けなかった境地。
故に至るには独学で会得するしかないと思っていたその技を、恭也と美由希はしぐれから学んでいた。

「それにしても、結構余裕だった?」
「まさか。正直、ちょっとヒヤッとしましたよ」

逆に言えば、それだけの実力差があったとも言えるのかもしれないが。
何しろ、結局は「ヒヤッとした」だけとも言えるのだから。

「そりゃしぐれさんなら余裕だったかもしれませんけど、さすがにしぐれさんには及ばな……っ!?」

そこまで言いかけた所で、美由希がある事に気付く。
強敵との戦いに集中するあまり、つい失念してしまったその存在。
先ほどまで意識を失って転がっていた筈の男は起き上がり、こちらに向けて何かを投げた。
その正体は……

「爆弾!」

導火線を切る……いや、そんな単純な構造ではないだろう。大体、導火線自体が見当たらないのだ。
あまり強い刺激を与えても、その場で爆発しないとは言い切れない。
魔導師勢にしても、場所が制約となり一瞬躊躇してしまっていた。

「みんな、伏せて!!」
「兼ちゃん!」
「はい!!」

兼一の指示に従い、咄嗟に伏せる面々。
同時に、兼一は師に向けて蹴りを放ち、剣星の身体が爆弾めがけて飛ぶ。
彼はそれを優しく掴み、続いて全力で空高く投擲した。

直後に起こる爆発。
かなりの火力を有していたらしいそれは、かなり高い位置にあってもかなりの余波を生む。
幸い、辛うじて怪我人こそ出る事はなかったが、それでも舞い上がった土埃などで皆汚れだらけのあり様。

まぁ、そんなものは結局風呂にでも入れば解決する事だ。
だから、問題だったのは……

「みんな、大丈夫かよ!」
「僕達は、なんとか」
「翔も大丈夫です」

キャロの上に覆いかぶさる様にして守ったエリオと、同様に翔を守ったギンガが答える。
しかし、突如アパチャイの顔が強張る。
その視線の先には、先の爆発の余波を受けたと思しき小鳥の姿。

「……おろろろろろろろろろ!!!!」
『ビクッ!?』
「やばだばどぅ―――――――――――!!!」

叫ぶと同時にいずこかへと跳躍するアパチャイ。
その姿は瞬く間に見えなくなり、皆はその豹変ぶりに唖然としていた。

「あいや~」
「怒らせてはならないものを怒らせてしまいましたねぇ」
「そう言えばさっきの人は………逃げたみたいですね」
「無駄なのにね」
「「ですね」」

本来、美由希が片を付けるべき事なのかもしれないが、最早彼女に出番はない。
今日、御礼参りにやってきた連中は、逃げた者も含めて壊滅することになるだろう。
なぜなら、彼らは「死神」を怒らせてしまったのだから。
アレに目を付けられれば、たとえ地球の裏、次元世界の果てに逃げても追ってくるだろう。

とりあえず、巻き添えを食った哀れな小鳥を治療し、アパチャイの帰りを待つ。
数秒後、この世のものとは思えぬ悲鳴が上がるのだった。



  *  *  *  *  *



場所は変わって海鳴市内のスーパー銭湯。
先の爆発のおかげで汚れに汚れた事もあり、風呂に入ってさっぱりしようと言うのは自然な流れ。
ただ、あのコテージには風呂はなく、さすがに湖で水浴びという季節でもない。
何より、そんな事をしているとどこぞのエロ親父が何をするかわかったものではないだろう。

一応まだ任務中ではあるが、サーチャーからの連絡を待つのはどこにいても同じ。
デバイスさえ持っていればいいわけだし、同時にデバイスさえあればすぐに戦闘態勢に入れる。
なので、別に銭湯に行っても何も問題はない。

まぁ、問題があったとすれば、あのナリのヴィータが「大人」と主張するくらいか。
どうも、どっからどう見てもエリオやキャロより年下と言う自覚は薄いらしい。
その点、アルフはよく開き直っていると言える、潔い事だ。

ああ、あと些細な問題がもう一つ。
キャロやフェイトを始め、揃いもそろってエリオと翔を女湯に誘う事。

「ほら、注意書きに『女湯への男児入浴は、11歳以下のお子様のみでお願いします』って。エリオ君、十歳」
「ぃ…ええ!? でも、キャロ…その、ええっと……」
「折角だし、エリオも一緒に入ろうよ。エリオと一緒のお風呂は久しぶりだし」
「フェイトさんまで!?」

他の面々の反応も似た様なもの。
まぁ、エリオの事を『男』として認識していないからこそだが。
その点において、エリオと翔は同列と言えるかもしれない。
なにしろ、翔は翔でギンガに誘われているのだから。
ただ、その影でこそこそと女湯へ向かう変態が一人。

「二人だけじゃ心配だし、おいちゃんも一緒に行ってあげるかね」
「師父はこっちです!」
「ああ~、兼ちゃんのいけずぅ~」
「まったく、弟子の弟子に色目を使わないでください!」
「別にギンちゃんが目当てなわけじゃないね! おいちゃんはただ、この世の桃源郷に挑むだけね!」
「どちらにせよ性質が悪い事に変わりはありません!」
「じゃ、じゃあ、僕は兼一さん達と入りますから! それじゃ!」
「あ、僕も~」

まるでどころか、文字通り逃げ出す様にして兼一の後を追うエリオとそれに付いて行く翔。
ギンガはどこか寂しそうにそれを見送り、フェイトは怨みがましい視線を兼一達の背に送るのだった。

しかし、その時は誰も気づかなかった。
男湯へと潜入する、桃色の髪をした小さな影の存在に。



「さて、それじゃまずは軽く身体を洗おうか。特に僕たちは泥だらけだし」
「「は~い」」
「……はい」

元気よくお返事するお子様二人と、どこかガックリと消沈した様子のエリオの声。
無理もない。ようやくキャロとフェイトの「お願い」攻撃を振り切ったと思ったら、今度はキャロの方が突撃してきたのだから。

「じゃ、エリオ君が僕の前でその前に翔。キャロちゃんは僕の背中をお願い」
「「「はい」」」

ちなみにこの布陣、キャロの存在に狼狽しまくりのエリオに配慮しての物。
この段階で既に真っ赤になっていると言うのに、キャロに洗わせたりキャロを洗ったりしたら確実にオーバーヒートする。せめて、少しでも落ち着かせる為に前後を男で固めたと言うわけである。

「ところで…………………師父はくれぐれも普通にお風呂に入ってくださいね」
「………………………なんのことかね?」
「今日は子ども達もいるんですよ! あまり恥ずかしい真似はしないでください! もう遅い気もしますけど……」
「そうね、もう手遅れね! だから、後は突っ走るだけね!」
「開き直らないでください!! アパチャイさん、これちゃんと見張っといてくださいね」
「アパ! アパチャイに任せれば万事休すよ!」
「万事オーケーでお願いします、心の底から」

人はいれども頼りになる者のなんと少ない事か……この状況を一言で言い表すなら「孤立無援」。
ある意味、今兼一は何よりも過酷な戦場にいるのかもしれない。



   *  *  *  *  *



ところ変わって女湯。

「うははは、なんちゅかもう…………堪らんなぁ~」
「はやて、とりあえずその笑いやめなさい、おっさん臭いわよ」
「む、失敬やなアリサちゃん。花の19歳に向かって」
「だから、どっからどう見ても19の女が浮かべる笑いじゃないでしょうが。
 私達はアンタのそれには慣れてるから良いけど、あの子たちが見たら引くわよ」

アリサの言う通り、はやての表情はまるで下卑たオッサンの様。
正直、女性が……それも二十歳前の乙女の表情では断じてない。
彼女を尊敬しているスバル…は微妙だが、ティアナが見たら色々とショックが大きいだろう。

いや、仮にこの笑みをやめたとしても、この手がある限り同じ事か。
何しろ、アリサに注意されている間も間断なく、まるで別の意思を持っているかの様に動き続けているのだから。

「ぁ、ん…ちょ、はやてちゃん」
「ふぁ、こんな…ところで……んぅ」
「ほほぅ、それは場所を改めればええちゅうことか? そう言う事なんか?」

なのはとフェイト、二人の反応に気をよくしたのか、さらに激しさを増すはやての指先。
外野ではスバルが「おお! さすが部隊長!!」と感動し、それを後ろから見ていたティアナは「いっそ殺してでもこいつを止めるべきか」悩んでいる。
つまり、アリサの危惧は既に意味をなくしていたのだ。

「なぁ、いい加減止めた方がよくねぇか?」
「なら止めてくれ。私はもう諦めた」
「安心してええで、あとでシグナムとヴィータもちゃぁんと揉んだるからなぁ!」
「「ああ~……」」

はやての事は従者として慕っているし、家族として愛してもいる。
が、本当にこればかりは頭が痛い二人。

「はやてちゃん、楽しそう……」
「最近は忙しくてあんまりセクハラ出来てませんから、ストレスがたまってたんでしょうね」
「なぁ、シャマル。かなりヤバい事言ってるって自覚あるか?」
「あら、別にあれくらいいいじゃないの。アルフもやってもらったら?」
「遠慮しとく。つーか、トップがセクハラ上司で大丈夫なのか、機動六課?」
「はやてちゃんのはセクハラじゃないよ。女の子同士の、楽しいスキンシップ、ですよねシャマルさん」
「はい♪」
「そりゃ本人は楽しいだろうけどさ……」

シャマルとすずかの会話に、呆れて溜息しか出ない。
とりあえず、今被害を被っているなのはとフェイトはそれほど楽しそうには見えない。
で、そんな若い衆を見守りながら、それを横目に身体を洗う年長者二人はと言うと……。

「いやぁ、みんな若いねぇ」
「エイミィ、一応私たちまだ二十代だよ」
「でも、カレルとリエラの友達からしたら、私はもうおばさんだけどねぇ……」
「それは、同い年の私もおばさんって事?」

確かにエイミィの言う通りなのかもしれないが、未婚の二十代でおばさんはきつい。
少なくとも、三十路を越えるまではその呼称はご遠慮願いたい美由希。

「そんな事言うなら、美由希ちゃんも結婚すればいいじゃん」
「……エイミィ、誰も彼もが相手がいるわけじゃないんだよ?
 エイミィとかほのかの方が珍しいんだから。それに、私だって別に遅いわけじゃないし」
「でも、最近同級生で結婚する人が多いんだよね」
「お願い、言わないで。結構焦ってるんだから」
「ははは、ごめんごめん」

エイミィに悪気はないのだろうが、それでもとんと相手ができない美由希へのダメージは大きい。
間違いなく美人なのだが、その家事能力の低さと戦闘能力の高さが原因なのだろうか。

「まぁ、なのはちゃんはなのはちゃんでリーチが掛かったまま、一向に上がれないわけだけど……どっちが先になるのかなぁ?」
「うぅ、なのはには負けたくないなぁ…でも、なのはにはユーノ君がいるし……」
「というか、下手するとリーチで終わっちゃうかもだよ。本人、リーチが掛かってる事に気付いてないし」
「……それはそれで、ちょっと心配」
「可愛い妹には、ちゃんと幸せになってほしいもんねぇ」
「ホントに。お姉ちゃんを心配させるのもほどほどにしてほしいよ」
「全く」

仕事一辺倒で、どうにも色恋に疎い妹達。
その上、二人揃ってシスコンの兄がいる。恋愛や結婚となると、人一倍障害が大きいのだ。
なのはは相手がいるだけマシだが、フェイトには本当に頑張ってほしいと思う。

ちなみにこの二人、もちろん兼一とフェイトが夜な夜な勉強会を開いている事など知らない。
まぁ、別に後ろ暗い事はしていないので、知られたからどうという事でもないだろうが。

とそこで、唐突に背後を振り返る美由希。
そこにいたのは兼一が弟子取った少女の姿。

「たしか、ギンガだよね。兼一さんのお弟子さんの」
「あ、はい」
「ふ~ん」

まじまじと、上から下までギンガの身体を観察する美由希。
その視線に若干の居心地の悪さを感じるギンガだが、美由希の顔に浮かぶ笑みに戸惑いも覚える。

「あの、なにか?」
「ああ、ごめんね。何ていうか………兼一さんらしい鍛え方をしてるなぁって」
「え?」
「相当念入りに、しつこい位基礎をやってきたでしょ」
「わ、わかるんですか!?」
「まぁ、身体つきとか身のこなしとか見ればそれなりにね」

服越しだとさすがにわかりにくいが、これだけはっきり見えれば彼女には一目瞭然。
なにより、兼一の修業風景を知る彼女としては、彼がやりそうな事もいくらか想像がつく。

「まだ弟子を取る気はないつもりなんだけど、あれを見ちゃうとちょっと羨ましくなっちゃうかなぁ」
「あれ?」
「兼一さんがギンガを見る目がさ、凄く優しいんだよね。
 なんていうか、大事な宝物を見るみたいに。よっぽどギンガが大切なんだと思うよ」
「そ、そうですか……///」

美由希の発言に、顔を赤くして恥じらうギンガ。
兼一が自身に向ける愛情が、あくまでも師弟愛であり親子の情のそれに近い事はわかっている。
それでも嬉しいと感じるのは確かだ。まぁ、僅かにそれ以外の物がないことに不満を感じないでもないが。
そのまま二・三言葉を交わし、ギンガは湯船の方へと向かう。
それと行き違う形で、トテトテと駆け寄ってきたのはリイン。

「あ、美由希さん、エイミィさん」
「おお、リイン。ほら、こっち来なよ。頭洗ってあげるから」
「むぅ! エイミィさん、もうリインは子どもじゃないんですよ! 頭くらい自分で洗えますぅ!」
「あははは、まぁ良いじゃん。久しぶりに洗わせてよ、リインの髪ってきれいだからさ」
「そ、そうですか?」
「そうそう」
「じゃ、じゃあしょうがないですね。特別に洗わせてあげるのです!」
(エイミィの口が上手いのか、それともリインがちょろいのか……)

恐らく両方なのだろうが。
だが、エイミィの膝にちょこんと座ったところで、リインがある事に気付く。

「美由希さん、何してるですか?」
「ん? ちょっとね、用心しておこうかなと」
「用心、ですか?」

美由希の手元には、これでもかとばかりに石鹸やシャンプーを溶かした混合液。
彼女はそれを念入りにかき混ぜ、さらに石鹸を塊で、シャンプーをボトルで投入していく。
最早、水に石鹸やシャンプーが溶けているのか、あるいはせっけんとシャンプーの混合液を水で割っているのか判別がつかないレベルだ。

「うん。たぶん、そろそろ……」

そこまで言ったところで、突然浴場内に響き渡る「パンッ」と言う小気味よい音。
瞬間、美由希は混合液の入った桶を掴み、渾身の力でその中身をぶちまけた。
狙いは男湯と女湯の境界となる壁の上。
僅かな隙間のあるそこへ、針に糸を通す正確さで混合液が飛んだ。
混合液は何かと衝突し、続いて壁の向こうから落下音が響く。そして……

「ぎゃぁぁぁぁぁっぁぁあぁっぁぁぁぁ!?
 眼が、眼がぁぁぁぁぁあっぁぁぁっぁ~~~~~~!?」
「え? 今のって……」
「馬、先生ですね」
「馬さんがいる時にお風呂に入るなら気をつけないとね、いつ覗かれるかわかったもんじゃないし」



  *  *  *  *  *



そんな感じで、色々とすったもんだはあった物のとりあえず風呂から上がった面々。
結局翔とエリオはあの後女湯に入ったようだが、翔は特に気にすることなく、エリオも気恥ずかしそうにしながらもなんとか無事帰還。
翔は疲れたのか、今は兼一の背中でスヤスヤと夢の中だ。

そして、丁度その時ケリュケイオンとクラールヴィントにサーチャーからの反応が入った。
場所は河川敷。
シャマルとリイン、それにはやてがティアナの幻術で姿を隠しながら、結界及び管制と探査を担当。
白浜親子と現地住民一同を除き現場に急行しようとしたのだが……

「アパチャイ、軽くいってぶっ壊してこようか?」
「いいですから。というか、高い物なので壊しちゃダメです」
「ほら、早くいくと良いね。アパチャイはちゃんと抑えとくからね」
『は、はぁ……』

促されるまま、ロストロギアを追って移動を始める六課の面々。
翔を背負った兼一は、他の面々と共に先のコテージへと戻る。

「ま、何はともあれ兼ちゃんもギンちゃんも、それに翔も元気そうで何よりね」
「はい。長老や岬越寺師匠、しぐれさんにもよろしく伝えてください」

その道中、皆の数歩後ろを歩きながら言葉を交わす師弟。
話の内容は機動六課での出来事や、梁山泊の近況など。
だがそこで、唐突に剣星は話題を転じる。

「兼ちゃん。ちゃんと、あの子たちを支えてあげるね」
「え?」
「特にあのちっちゃい子二人は、親の愛情に飢えているように見えたね。
 兼ちゃんはあの子たちの親にはなれないかもしれないけど、それでも親代わりにはなれるね。
 あのフェイトちゃんと言う子が母親代わりなら、向こうでの父親代わりは兼ちゃんの仕事ね。
 幸い、二人とも兼ちゃんの事が好きみたいだしね」

先ほど、風呂の前に身体を洗いあった時キャロは言った。「こうしてると、なんだか兼一さんお父さんみたいですね」と。キャロがその能力の高さから一族を放逐された事は兼一も知っている。
色々言いたい事はあるが、その場にいない者に何を言っても仕方がない。
エリオの事情はまだ詳しく知らないが、彼も本局の施設で育ったとか。
剣星の言う通り、確かに二人は親の愛に飢えているだろう。
その全てを補ってやれるとは思わないし、フェイトほどの事が出来るとは思わない。
それでも、剣星の言う通りできる限り支えてやりたいと思う。

(そう言えばエリオ君、『師父』って言葉をちょっと気にしてたような……)

師父とは、つまり『師匠』同じ意味の言葉。
だが、その字面からは「師匠」以外に「父」という意味も含まれる。
以前その事を話した時、エリオが少々興味を引かれた様子だったのを思い出す。

「他にも癖や事情のありそうな子が多かったし、中々面白そうな所みたいね」
「まぁ、確かに」
「特に、ティアナちゃん。あの子は要注意ね」
「……」
「ちょっと、危うい所があるね」

それは、兼一もわかっていた事だ。
普段はあまり目立たないが、ティアナには密かに危うい所がある。
彼女は克己心が強い。それは良い事なのだが、それがかえって自分を追い詰めている節がある。
それが転じて、ただ力だけを求める様になってはしまわないか。
兼一としては、それが心配の種の一つ。

「わかっている…つもりです」
「ならいいね。兼ちゃんは兼ちゃんが良いと思うようにすればいいね。
まぁ、ティアナちゃんは特別な才能はなさそうだけど、その分兼ちゃんと気が合うかもね。
 あ、でも兼ちゃんよりずっと筋は良さそうだし、そうでもないのかね?」
「どうでしょう?」

兼一としては、ティアナには若干避けられている気がしないでもない。
その理由がさっぱりなので、彼としては首をひねるしかないのだが。

「……」
「空気が変わったね。この様子だと、あっちも終わったようだし、そろそろお別れかね」
「そうみたいですね。今度はちゃんと休暇を取って帰ってきますよ」
「ギンちゃんや翔の成長と、土産話を楽しみにさせてもらうね」
「はい、必ず」

こうして、再会と出会いに満ちた機動六課の出張任務は終わりを告げた。
この日の再会と出会いが、各々の心にどのような影響を与えたのか。
それとも何の影響も与えなかったのか、それはまだだれにもわからない。






あとがき

相も変わらずどうにも短くまとめられません。
切ろうと思えば切れるのですが、なんかおさまりが悪いので切りたくないんですよね。
とりあえず、戦闘シーンやら風呂場のシーンはひたすらシンプルに。
今回のメインは戦闘じゃありませんし、風呂場は色々な人がやった分どうにもアイディアが……。

さて、次回は今のうちにやっておきたい日常編。その後、前半の山場の入り口アグスタですね。
あらかじめ言っておくと、ティアナをめぐって兼一となのはがバトル、って事にだけはなりません。
鍵を握るのは兼一……と言うよりも、アイツですね、アイツ。うん。



[25730] BATTLE 25「前夜」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:34

森林地帯へと設定された機動六課訓練場。
緑に溢れた視覚に優しいその場所で、今日も今日とて一人の少女の絶叫がこだまする。

「あああああああ! 滑るぅ~~~!!!」

ギンガが握っているのは投げられ地蔵の脚。
両手に一体ずつ地蔵を掴み、それを大きく旋回させる。
物が物なので尋常ではない風切り音がするのだが、妙に光沢があるのは気のせいか。
しかし、そんな事を気にする余裕など与えられる筈もなく、ギンガに向けて叱責が飛ぶ。

「ほら、握りが甘くなってる! ちゃんと掴んでないと……」
「あぁっ!? すっぽ抜けた!?」

ギンガの右手から離れ、水平に飛ぶ投げられ地蔵。
重量にして数十キロを超えるそれだ、もし人に当たれば大惨事。
そして、その飛ぶ先には先ほどギンガを叱責した師の姿。

「ほら、こういう事になる」

目前まで迫った投げられ地蔵の頭を鷲掴みにし、ゆっくりと地面に下ろす兼一。
それを見て、ほっと一息つくギンガ。心配するまでもない相手とわかっていても、感情は別だ。

「………はぁ。あの、ごめんなさい」
「うん、一応みんなと離れたところでやってるけど、少し危ないからね」
(少し、じゃないよね、どう考えても)
「しっかり掴んで、絶対に離さない事。当然、僕がいない時もこれは無し。いいね?」
「……はい」

師からの厳しい言葉に、若干うなだれるギンガ。
兼一がいればすっぽ抜けてもリカバリーが効くが、いない者には何もできない。
効果的な修業ではあるのだが、危ない物は危ないので、ちゃんと師の監視下でやるのが望ましいのだ。

「じゃ、続きだ。ほら」
「っと!」

兼一は一端地面に下ろした投げられ地蔵を弟子へと投げ、ギンガはその足を掴んで再度旋回を開始する。
ギンガの額には弾の汗が浮かび、両腕はその負荷からプルプルと震えていた。
そろそろ限界が近いのだろうが、常に限界を越えてこその梁山泊式。

ギンガの格闘スタイルは、足技より手技を主体とする。
特に、突きにおいて重要となるのは腕もそうだが背中の筋肉。
これはその両方を鍛える為の修業。

とはいえ、下半身は武術家の基礎中の基礎なのでもちろん徹底的に鍛えている。
が、弟子の長所を伸ばすのも当然。

「それにしても師匠!」
「ん? どうかした?」
「なんで油なんて塗ってるんですか!!」
「だって、その方が修業になるし」
「た、確かにきついんですけど……」
「ほら、無駄口叩かない!」
「は、はい!」

そう、投げられ地蔵に妙な光沢がある理由、それは油が塗られているから。
先日、はやてより「ヤーレギュレシ」というトルコのオイルレスリングの話題が出た。
その際思い出した事なのだが、アレは全身に油を塗りたくるその性質上、非常に摩擦係数が小さい。
レスリングと言うだけあり投げ技も多いのだが、摩擦が小さい状態での投げ技には尋常ではない力がいる。
なら、普段の修業でもその点を利用すればいい修業になると考えた結果がこれだった。
ギンガの様子を見るに、とりあえず今のところは功を奏しているらしい。

(さて、これが終わったら地蔵を担いで坂上り。それから……ああ、サンポススンデサガレバジゴクもいいな。
 折角、岬越寺師匠に送ってもらったのを組んでくれたんだし)

ギンガの修業を見守りつつ、この後の修業メニューを思い返す。
らしいと言えばらしい話だが、その八割は基礎。
もちろん、坂上りとサンポススンデサガレバジゴクの際には脚にたっぷりと油を塗るつもりでいる。
そうなると、滑る足元を掴む為に足の指が鍛えられるし、踏ん張る為に足全体に負荷がかかると言う次第だ。
どうも味をしめたらしく、最近の兼一のマイブームは油らしい。
ちなみに、嬉々として組んだのはシャーリーの仕業である。

(それにしても、中々上手くいかないなぁ……)

最近、ある技に関する上達が見られない弟子の現状に悩む。
人に何かを教えると言うのは、存外難しい物。
人一倍苦労して技を覚えてきた分、基本的に兼一はどこかで躓いても適切なアドバイスができる方だ。
しかし、それでも兼一の指導歴の浅さは埋めきれない。
元々要領も悪く、あまり器用ではないのだ。

その上、その技と言うのが『流水制空圏』なのだから無理もないだろう。
無敵超人が誇る百八つの超技の一つ、修得が困難なのは必然。
とりわけ、兼一もあの技を習得したのは死闘の中での事。
原理も極意も理解し、言葉で説明できるとしても叩きこむのは難しい。

制空圏を薄皮一枚まで絞り、相手の動きを流れで読む、それが流水制空圏。
だが、それではまだ不完全。
流水制空圏の完成形は、目の光から相手の心を読み、相手を自分の流れに乗せてしまう事にある。
今のギンガは第2段階「相手の動きと一つになる」まではできるのだが、中々その神髄たる第3段階へと至れない。それが、目下のところ兼一の最大の悩みである。
とそこで、少々離れたところから火柱が上がった。

「ああ、シグナムさんもやってるなぁ……」
「みんな、死んでませんかね?」
「まぁ、その辺は大丈夫でしょ。仮にシグナムさんが手加減があんまり得意じゃなかったとしても、非殺傷設定があるわけだしね」

新人達が個別スキルに入ったのと時を同じくして、並行して実戦に近い訓練も積むことが決定。
最近では、六課上層部との模擬戦の機会が増えている。もちろん、ギンガとて例外ではない。
で、今日の担当はシグナムだったと言う事。
普段あまり訓練に参加できない事を少々気にしていたのか、最近のシグナムは生き生きしてきた。
なので、ギンガとしてはむしろやり過ぎないかどうかが心配になってくる今日この頃である。

「大丈夫だよ。ギンガもまたやってもらうから」
「あ、あははは……師匠との修業だけで精一杯なんですけど……」
(ま、あの技の修業の時は、より一層追い詰めてもらうつもりだけど)
「何か、言いました?」
「いや、何でもないよ」

別に兼一一人でも教えられるのだが、その技を教えるにはシグナムなどの協力があった方が良い。
実際、兼一自身も技を教わったのとは別の師にその稽古をつけてもらっていた。

「そう言えば、突然みんなとの組手が増えましたけど、アレってなんなんですか?」
「まぁ、みんな投げ技とか関節技の経験がないからね。ちょっと経験を積ませようって話になってさ」
「はぁ……」

恐らく、ギンガも薄々その意図には気付いている筈だ。
以前戦った、中国拳法やムエタイを使う自律行動する人型機械兵器。
皆との組手が、その対策の一環である事に。

ギンガは兼一より空手と柔術、中国拳法にムエタイを習っている。
一人でYOMI四人分の武術をカバーできるので、対策訓練の相手にはもってこい。
兼一だと力の差があり過ぎるので、実力が近い者とやる方が訓練になると言う考えもある。
ギンガ自身、いつも兼一ばかりではなく、別の誰かを相手に技を試すのは良い練習になるのだ。
もちろん他の武術に関しても対策は練っているが、不慣れな投げや関節、締めへの対策が急務。
そう考えてのギンガとの組手である。
ちなみに兼一も参加しているのだが、みんなからはちょっと恐れられていたりするとかしないとか。

「さて、そろそろ次の修業に移ろうか」
「はい!」
「うん。じゃ、まずは……」



BATTLE 25「前夜」



時刻は昼過ぎ。
昼食を終え、書類仕事にも一段落ついたギンガは師を探して寮を彷徨っていた。

目的はもちろん、修業を付けてもらう為。
ギンガ自身、流水制空圏を完全な物にしたいという焦りがないわけではないのだ。
思うようにいかない事へ、師の期待に応えられない不甲斐なさへの、そう言った様々な物がないまぜになった焦りが。

「おっかしいなぁ……師匠、どこにいるんだろう?」

いくら探せど姿は見えず。
兼一がいそうな所はだいたい見当がついているのだが、全てを見て回っても見つからない。
同様に、大抵は兼一と一緒にいる翔の姿もだ。

「もしかして……どこかに出かけてる?」

外出の場合には連絡が入る筈だが、急ぎの用の場合はそれが行き届かない事もある。
いくら探しても見つからないのなら、その可能性が高いだろう。
とはいえ、いくら急ぎでも上司への報告くらいはしている筈。
そんなわけで、寮を出て部隊の総元締めに直接聴きに行こうとする。
が、丁度寮を出たギンガの前に現れる思わぬ障害。

「あら、ギンガ、いい所に!」
「え? アイナさん?」

そこにいたのは、両手に大荷物を抱えた寮長のアイナ・トライン。
あまり普段一緒にいる事がないので忘れがちだが、そう言えば彼女も兼一の上司の筈。
それを思い出したギンガだが、それを聞く前にその荷物を押し付けられた。

「丁度よかったわ。これ、お願いね」
「へ? なにを…って、洗濯物…ですか?」
「ええ。今日は天気が良いからよく渇いたわ」

額に浮かんだ爽やかな汗をぬぐう。
六課は前線に出る者こそあまり多くないが、それでも一部隊。人数はそれなりの物。
そのほとんどが寮住まいなので、必然的に洗濯物の量も相当な物になる。

で、それを洗って干すのはバックヤード陣の仕事だ。
何しろ、個別にやるより纏めてやってしまった方が水道代、洗剤代、時間、全てにおいて効率的。
というわけで、別にアイナが洗濯物を手渡ししてくる事自体は不思議でもなんでもない。
時間がある時、今回の様にたまたまた洗濯物を取り込んだ所へ通りがかった時にはよくある事だ。
なので、それは良いのだが……

「あのこれ、私のじゃないですよね?」

そう。今ギンガの手元にあるのは、どう見てもギンガの物ではない。
というか、間違いなく男物。つまり、スバルやティアナ、キャロの分ですらない。
同じ女子寮の分を渡されるのならわかるのだが、何故男子寮の分を……

「ええ。それ、兼一さんと翔、それにエリオ君の分よ」
「ああ、そうでしたか。道理で小さいのも混ざってると思ったら……って師匠のですか!?」

さらっと渡された情報に、一瞬普通に頷くが、ギンガの表情は訳を理解した途端に驚きに染まる。
別に兼一の洗濯物が珍しいわけではない。が、大なり小なり気になる男の物となれば話が別。
108にいる間は、ギンガが年頃と言う事もあり別々に洗濯していたので触れる危機はなかったのだが、まさかこんな所でいきなりそれを受け取ることになろうとは……。

「で、でもそんな! いきなり渡されても…その、困ります!」
「ごめんなさいね。でも、今ちょっとたてこんでて……お願い!
 部屋の前にカゴごと置いててくれれば良いから!」
「あ、ちょっと……」

引きとめる間もなく、そそくさとその場を後にするアイナ。
確かに、男が女子寮に入るのには山ほど制限が掛かっているが、その逆は特にない。
なので、別にギンガが男子寮に入って兼一達の部屋の前にこれを置いてくる事は簡単だ。

そう、簡単な筈。なのに、ギンガはカゴに入った洗濯物に目を落とし途方に暮れる。
やる事はわかっている、その為の手順など考えるまでもない。
にもかかわらず、頭が働いてくれずに呆然と立ち尽くす。

とはいえ、いつまでもそうしてはいられない。
何より、ギンガの僅かに残った冷静な部分が彼女を動かす。

「と、とりあえず、部屋の前においてくればいいのよね。そう、それだけ。それだけ……」

誰に言い聞かせるでもなく、そんな事をぶつぶつと呟くギンガ。
彼女はどこか頼りない足取りで男子寮へと入り、目的の部屋を目指す。
日中と言う事もあり、当然ながら寮内に人影はない。

よく手入れのされた白い壁が陽光を照り返し、床を踏む靴音が朗々と響いていた。
どこか現実感のないその状況に、ぼんやりと思考力がマヒしていく。

気付けば兼一達の部屋の前。
ギンガは軽くその扉に手をかけ、特に意味もなくドアノブを回してみる。

「……やっぱり、開かない…か」

何故そんな事をしたのか、それはギンガ自身にもわからない。
開かないと言う事実を残念に思ったのか、それとも安堵したのかすら。
ギンガはその場で小さくため息をつく。

「まったく、何やってるのかな、私」

呆れたように天井を仰ぎ、肩の力を抜く。
自分で自分の事がよく分からないが、どうも調子がおかしい事はわかった。
今思い返せば、ここに来るまでやけに心臓が早く脈打っていた気がする。
何に緊張していたのか、何を期待していたのか。本当にわからないことだらけだった。

ギンガはなんとはなしに廊下に人がいない事を確認。
続いて視線を落とし、抱えたカゴを見る。
どうやら、一番上にあるのが兼一の分らしい。

「少しくらい……いいよね?」

何が少しなのか、何が良いのか。それを考える能力は今のギンガにはない。
ただ、吸い込まれるように顔を近づけ……軽く埋めた。
そのままゆっくりと息を吸い……

「あれ? ギンガ、こんな所でなにしているの?」
「ひゃい!?」

込もうとしたところで、誰もいない筈の真横から声が掛かった。
ギンガは反射的に顔を話し、カゴを廊下に叩きつけるようにして下ろす。
僅かに惜しむ気持ちが胸の奥に芽生えるが、無意識のうちに押し殺すことで忘れ去る。
これは、まだ自覚してはいけない感情だから。

とはいえ、その顔は真っ赤に染まり、肩は小刻みに震え動揺を露わにしている。
声がした方へ顔を向ければ、そこにいたのは本来あり得ない筈の人物。

「な、なのはさん?」
「うん」
「こ、ここここここれは、そそそその…ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁなんと言いますか……」
「もしかして、ギンガもアイナさんに何か頼まれた?」
「そ、そうです! そうなんです!! せ、洗濯物を頼まれまして!!」
「そ、そう?」
「そうなんです!!!」

その問いに、これぞ天の救いとばかりに食いつき必死に主張するギンガ。
なのははそんならしくないギンガに呆然とし、ポカーンと間抜け面を晒している。

「私もね、みんなへの手紙を頼まれちゃって……」

基本的に、六課職員への手紙は隊舎にまとめて送られてくる。
まぁ手紙と言っても、このご時世なので知人からと言うものはほぼ皆無。
大半がダイレクトメールだったり、保険会社やカード会社からの明細の類だ。

(何ていうかアイナさん、肝が据わってるなぁ……)

正直、あの『高町なのは』に雑用を押し付けられるその図太さは凄まじい。
大抵の者は尻込みしてしまうだろうに、アイナにそんな様子はない。
暇そうにしていれば部隊長だろうが神だろうが使う、彼女はそんな女性らしい。

「でもここにいるって事は、それ兼一さんの洗濯物?」
(ここはスルーしてくださいよ! いつもは師匠並みかそれ以上に鈍いのに!?)

テンパっているからか、割と失礼な事を考えてしまう。もちろん自覚はない。
しかし、色恋沙汰にはとんと疎いなのはだが、どういうわけか今日に限って妙な所で目ざといのはどういう事なのだろう。

「そういえばさっきのギンガ、やけに洗濯物に顔が近かったような……」
「っ!?」
「ううん、むしろ……」
(ああ~、詮索しないで! 思いだそうとしないでください~!!)

というか、そもそも綺麗さっぱり忘れて以降一切気にしないでほしい。
そんな切実なギンガの願いだが、どうやらそれは聞き入れてもらえなかったようだ。
なのはは詳細を思い返し、そこでようやくその意味を理解した。実に鈍い。

「ぁ、もしかして………そう言う事?」
「ど…どういう事でしょう? 私にはさっぱりなんのことやら……」
(眼がものすごい泳いで汗びっしょりなのに、それで誤魔化してるつもりなのかな?)

挙句にチワワの如く、あるいは油の切れたロボットの様に震えているのだから。絶対に何かあるのは間違いない。
それこそ、“あの”なのはですら勘づくほどに今のギンガは挙動不審なのだ。

そして、幾ら鈍くてもなのはとて年頃の乙女。
正直、色恋沙汰には疎くとも人並みに興味はある。

「へぇ~、ギンガが兼一さんをねぇ~」
「で、ですから何の事ですか!? わ、私は別に師匠の事なんて……」
「何とも思ってない?」
「も、もちろん武術家として、弟子として尊敬してます!」
「それだけ?」
「………………」

なのはには珍しい、ニヤニヤとした笑み。
その眼は好奇心に満ち溢れ、ただで返してくれるとは思えない。
だが、ギンガとて手札はある。直接の面識はないが、なのはにもそういう相手がいる事は知っているのだ。

「と、所でなのはさん。スクライア司書長とは最近どうなんですか?」
「え? そうだねぇ、様子を身に行けないからちょっと心配かな?
 アルフが時々見てくれてるけど、ちゃんとした物食べてるかとか、部屋の掃除はしてるかなとか。
 でも、ギンガってユーノ君と知り合いだったっけ?」
「あ、いえ。ちょっと小耳に挟んだ事がありまして。やっぱり、会えないとさびしいですか?」
「まぁね。だって十年来の友達だもん」

ギンガが言葉の裏に隠した意図を軽く笑ってスルーするなのは。
起死回生の一手の筈が、完全に空振りに終わって肩を落とすギンガ。
今ならわかる。なぜフェイト達が頭を抱えているのか、その心境が。
まったく、幾ら大切な友達でもそんな甲斐甲斐しく心配する等普通ではない。
それは間違いなく、友情ではなく愛情レベルな事はギンガでもわかる。
自分の事には気付かないのに、人の事には気付く。全く以って迷惑千万である。

「でも、相手が兼一さんとなると……………………大変だよ?」
「え?」
「知ってる? 最近、シャマル先生と一緒によくお茶会してるんだよ」
「そ、それは…一応」
「それに、少し前から夜中フェイトちゃんに勉強見てもらってるみたいだし」
「そうなんですか!?」
「二人とも満更じゃないかも…っていうのは、はやてちゃん情報だけどね」

思ってもみない情報に、狼狽を露わに顔を青ざめる。
シャマルの事は知っていたが、まさかフェイトまでとは……。
それも、はやての言う事が正しければ……それを思うと心中穏やかではいられない。

二人ともとても魅力的な女性だ。
はっきり言って、特技が「殴り合い」という自分とは比べ物にならない、と本人は思っている。
正直、兼一と並んだところを想像すると「釣り合いが取れない」と失礼な事を思う自分もいるが、人の趣味など千差万別。同性愛やデブ専等の事を考えれば、遥かに万人に理解されやすいだろう。
なにしろ、「釣り合いが取れない」と言うのであれば、翔の母である美羽からしてそうなのだから。
なら、充分にあり得るであろう可能性である。少なくとも、ギンガにはそう思えた。

(わぁ……結構あてずっぽうだったんだけど、もしかして当たり?
 だとしたら……みんな私の事をみくびり過ぎなの! 鈍い鈍いって、私そんなに鈍くないもん!)

コロコロと顔色を変えるギンガを興味深そうに見つめながら、友人たちへの不満を漏らす。
とはいえ、「あてずっぽう」な時点で充分過ぎるほど鈍い事に、本人は気付いていない。

「シグナムさんも兼一さんの前だとちょっと様子がおかしい時があるし……大変だね」
「うぅ、べ、別にそういうわけじゃ……」
(まぁ、あんまりイジメちゃかわいそうか。
 人の恋路にちょっかいかけるのも気が引けるし、ちゃんと見守ってあげないとね)

つまりそれは、野次馬根性丸出しで観察を続けると言うのと同義である。
もちろん、当の本人は善意の行為と疑ってはいない。
まぁ、基本的に他人の色恋など楽しみの種でしかないので、仕方がないと言えば仕方がないが。

「だけど、それでなくても前途多難だからねぇ」
「はい?」
「こっちにはね『結婚は人生の墓場』なんて言葉があるんだ。
 それで言うと、兼一さんはもうお墓の中。そこから引っ張り出すのは大変だよ」

亡き妻への想いを大事にするのは尊い。
美羽を知るなのはとしても、そのままでいてほしいと言う思いがないわけではなかった。

だが客観的に見て、それが正しいのかどうか、それはわからない。
新たな伴侶を得るのも一つの未来だろうし、たった一人を想い続けるのも正しい筈だ。
若いなのはにはわからない、あるいは幾ら年を取ってもわからないかもしれない。
これは、そういう命題なのだから。

「まぁ、私からは『がんばれ』としか言えないよ。もし、フェイトちゃんやシャマル先生、シグナムさんもそうだったとしても、言える事はそれだけ。どっちが良いかわからない私には、手も口も出せないから」
「…………」

なのはの言葉に、ギンガは沈黙をもって答えるしかない。
なにしろ、何が正しいかなどギンガにもわからないのだから。



  *  *  *  *  *



で、本人のあずかり知らぬ所で話題の人となった兼一は、どこで何をしているのか。
それは、先日出張任務があって行けなかった街への買い出し。
あのドタバタで忘れかけていたのだが、ふと思い出したので急遽行動に移した次第。

そんなわけで、以前の約束を守る意味で翔も一緒。
なのだが、今日はそこにさらに一名追加されている。

「へぇ、部隊長の誕生日ってもうすぐなんですか?」
「はい。なので、そろそろ見繕っておこうかなと」
「そうでしたか。じゃあ、僕も何か用意した方が良いですかね」
「あ、きっとはやてちゃんも喜んでくれますよ」
「でも、どうにも昔からそういうセンスがなくて……手伝ってもらえませんか?」
「そうですねぇ………まぁ、アドバイスくらいでしたら」
「お願いします、シャマル先生」

元々おっとりとした気性の持ち主同士、和やかな雰囲気で歩く三人。
翔は兼一に手を引かれ、ご機嫌な様子で満面の笑みを浮かべている。

「でも、ごめんなさい」
「え?」
「ほら、あのお茶会……」
「ああ……」

シャマルの言葉に、少々困った様子の兼一。
本来はシャマルに軽く茶道の手解きをしていただけのそれが、いつの間にか話が広まり、気付けばかなりの大所帯になりつつある。
どうも良い気分転換になると言う事で、男女を問わずに人気が出てきてしまったのだ。

今回の買い出しも、その材料をそろえる意味合いがある。
本来管理外世界の物品などあまりない筈だが、ミッドには多種多様な人種が入り乱れる関係から、様々な世界の品も揃う。場所さえ把握していれば、およそここで揃えられないものはない。
少なくとも、「管理」と言う単語がつく世界の物なら。
何しろ、ミッドには和風の居酒屋まであるのだ。

「まぁ、ああいう文化が浸透してくれるのは良い事だと思いますよ」
「それはそうなんでしょうけど……」
「それに、やっぱり大勢いた方が楽しいですしね」
(私としては、静かに二人でって言うのもよかったんだけど……)

そんなシャマルの呟きに、兼一が気付く様子はない。
ちょっとした思い付きから始まったお茶会だったのだが、茶を点てる兼一の姿と空気はどこか静謐な印象を見る者に与え、シャマルはそんな時間が気に入っていた。
兼一の言う通り、大勢の方が楽しいと言うのは基本的に賛成だ。
だが、人が多くなるとあの空気が維持されない。
シャマルとしては、それはそれで惜しむ気持ちがある。

「シャマル先生、どうしたの?」
「え? ぁ、何でもないのよ。心配してくれてありがとう」

そんなシャマルの様子に気付いたのか、翔が心配そうに見上げて来ていた。
シャマルはそんな彼の頭を撫でながら、優しく笑いかけてやる。
すると、翔は父の手を離し、その小さな両手でシャマルの手を優しく包む。

特に、何か意味があっての行為ではないだろう。
単に、シャマルが少しでも元気になるならと思っただけ。
人の温もりは、ただそれだけで人の心を穏やかにする作用がある。

「ありがとう、もう大丈夫よ」
「ホントに?」
「ええ、本当。翔のおかげで、とっても元気になっちゃった♪」
「うん♪」

だが、それでも翔がシャマルの手を離す事はない。
彼は片手でシャマルと手をつないだまま、改めて空いた手で父と手を繋ぎ歩き始める。
丁度、翔を間に二人が並んで歩く形で。
シャマルはその状態に若干顔を赤くしながら、少しだけ嬉しそうにほほ笑む。
すると、それを見ていた翔もつられて笑い、二人は顔を見合わせて笑顔を向け合う。

そして、二人のやり取りを微笑ましそうに見守る兼一。
はじめは自分の我儘、弟子の為に異世界へと渡る事に躊躇いがあった。
しかし、今はそれでよかったと思える。
確かに、それまであった人間関係をほぼ白紙にする事になり、翔にはさびしい思いをさせたかもしれない。
だが、新しい人間関係を築き、その人達が翔の心を満たしてくれている。
その事に安堵し、感謝し、同時に嬉しく思う。

とそこで、シャマルの肩がすぐ傍をすれ違う女性と僅かに触れる。
見れば、それは実に仲睦まじい様子の老夫婦。シャマルと老女は軽く会釈をしてそのまま離れていく。
しかし、この喧騒の中では決して聞こえない筈のやり取りを、なぜかシャマルの耳は拾っていた。

「仲のよさそうなご家族でしたね、お爺さん」
「ああ、若い頃を思い出すな」
(え? 家族って、家族って……そう言う事!?)

空いた片手で緩みそうになる頬を必死に抑える。
つまり、あの二人はシャマルを翔の親と勘違いしたのだ。
設定年齢的には21歳のシャマルなので、それには少々言いたい事がある。
が、別の視点でものを見ると、彼らはシャマルと兼一を夫婦と思ったと言う事だ。

(わー♪ わー♪ 私と兼一さんが、その……夫婦?
 周りから見ると、そういう風に見えるのかしら?)

思い返して見ると、今日は一向に誰からも声を掛けられない。
大抵、繁華街などを歩いていると言い寄ってくる男の一人や二人はいる筈なのだが……。
偶然かも知れないが、もしかすると他の者達もそう勘違いしたからちょっかいをかけないのかもしれない。
それは、なんと言うか……………………悪い気はしなかった。

「どうしたのかな? シャマル先生」
「さあ?」

ちなみに、白浜親子がシャマルの緩みまくった顔を不思議そうに見ていた事に、彼女は最後まで気付かなかった。
それが幸運なのか、それとも不運なのか。それはきっと、誰にもわからない。



やがて、三人はミッドでも話題の大型デパートへと入る。
もちろん、地球などと言う辺境独特の品物がこんな所にある筈がない。
故に、ここは兼一目当てのものではなく、シャマルのお目当てを求めて。
とはいえ、それも微妙に違うと言うか……

「ドレスですか?」
「はい。次の任務が、とあるホテルで行われるオークションの人員警護と会場警備で。
 ああいうところは中に入るとなるとドレスコードが厳しいですから、そのために」

まぁ、確かにオークション会場内で制服やバリアジャケット姿なら浮く。
警備や警護をするのなら、そこに溶け込める服装が望ましいだろう。
兼一自身、そういう仕事の経験もあるだけにその辺りは理解できる。
実際、彼もその際にはタキシードや燕尾服等の礼服に身を包んだ。もちろん貸衣装だったが。

さらに言うと、結局ボロボロにしてお店の人に大層怒られ、ケチってはいけないと学習した。
なので、今は一応ちゃんと仕事用に持っている。

「でも、みんなエリートなんですし、そう言うの位持っていそうですけど?」
「まぁ、持ってはいますよ。でも……」
「でも?」
「折角ですし、新しいのでビシッと決めたいじゃないですか!!」
「はぁ……」

それでなくとも、三人とも身長はともかく他の部分は未だ成長中。
いや、はやては割と微妙なのだが、折角誕生日が近いのだ。
プレゼントも兼ねて、ちょっと奮発してやりたいとかそういう事なのだろう。

「それで、どんな配置なんですか?」
「新人達とギンガが会場周辺で、隊長さん達が会場内の警備ですね。
 で、私が管制を、副隊長とリインにザフィーラがさらに外を担当します。
 兼一さんには……」
「あの子たちですね」
「はい」

兼一は会場に残り、不測の事態に備えて新人達やギンガのサポート。
まぁ、これまでとそう変わらない布陣と言ったところか。
ただ、仮にも兼一はちゃんとした警備の仕事の経験がある。
その立場から言わせてもらうと……

「でも、なのはちゃん達に警備ですか?」
「ああ……」

そこを突っ込むと、あからさまにシャマルが顔を逸らせる。
どうやら、その辺りの事は彼女もわかっていたらしい。

「はっきり言って、不向きにも程がありません?」
「そ、それは……」
「いえ、部隊長は良いですよ。総責任者が安々と出張るのも問題ですし。
 だけど、なのはちゃんやフェイト隊長が会場内の警備なんてしたら……」

警備なのだから、基本的に受け身。攻められない限りは自分からは何もできないだろう。
一応外を守る面々もいるし、まず内部に入られる事はない。
が、万が一の事があるかもしれないからこその会場内警備。
その万が一が起きた時どうなるか。

「あの二人だと、会場ふっ飛ばしちゃいません?」

そう。あの二人に会場の警備をさせると言うのは、戦車か戦闘機を配備するのと同義。
一発でも砲撃を放とうものなら、確実に全て台無しになってしまう。
誘導弾と言う手もあるが、人でごった返す会場内ではやり辛いことこの上ない。
なにより、限定された空間ではなのはとフェイトの能力が活かせない。
あの二人は、広々とした空間で火力、あるいは機動力を存分に奮えてこそ活きるのだ。
その程度の事は、兼一でもわかる。

「そ、そうなんですけど……」
「どうせなら外は二人に任せて、副隊長達を中にした方がよくありません?」
「うぅ~」

シグナムやヴィータの場合、使う武器が武器なのでまだ向いている。
接近戦では、基本的に銃よりナイフが優れているのと同じだ。
大砲を部屋の中で使う等愚の骨頂、小回りの効く剣やハンマーの方が良いに決まっている。

シャマルとしては、これを口実に隊長達におめかしさせてやりたかったのだろう。
どうせ、もし防衛ラインが突破されそうになったら、その時は隊長達も外に出て来る。
元より、彼女とて二人が会場警備に向いていない事は承知の上だ。
とはいえ、正論で来られては強く出られない。

その上、改めて兼一が上に具申してはどうにもならなかった。
こうしてシャマルの思惑も虚しく、当日の配置場所の変更は決定される事となる。



  *  *  *  *  *



場面は戻って機動六課。
兼一は早速先ほどのやり取りを通信ではやてに報告。
配置の変更を具申すると、はやてもそれを了承した。

で、もう少ししたら戻る事を伝えた後。
今部隊長室には、はやての他に大小二つの影。

「ちゅうわけで、今度の任務ではシグナムとヴィータに会場警備を任せることになったから、二人ともそのつもりでな」
「はい」
「おう」
「それでなんやけど、二人って確かああいう所に入れる衣装とかもっとらんかったやんか。
 その辺、どうするつもりなん?」

なにしろ、守護騎士たちには少々込み入った過去がある。
そのおかげか、まずそう言った場に招かれる事はなかった。
なので、二人には格式ばった場に来て行く礼服の類…この場合はドレスなどは持っていない。
まぁ、二人ともそう言った物にあまり興味がないのもあるかもしれないが。

「そうだなぁ…そう言う事ならシャマルにでも見繕ってもらって、早いとこ揃えなきゃいけねぇかな?」
「別に貸衣装でかまわんだろう。いざとなれば結局騎士甲冑になるのだ、わざわざ余計な出費をするまでもない」
「ああ、それもそうか。あってもどうせ着やしねぇし」

予想通りと言うべきか、案の定手軽に済ませようとする二人。
確かに、絶対になくてはならないと言うわけでもないし、貸衣装でも特に問題はない。
だが、それでは満足できない人物がここに一人。

「はぁ…まぁ、そうなるとは思うとったけどな……」
「いかがなさいました、主?」
「どうしたんだよ、はやて」
「全く、二人とも素材はええんやからちゃんとおめかしせなあかんで、勿体無い」
「ですが、オークションまであまり日もありません」
「そうだぜ。今から買いに行けるほど暇もねぇしよ」

何しろ二人とも副隊長だ。当然ながらそれに見合った仕事量がある。
つまり、忙しくてそんな物を買いに行く余裕などないのだ。
まぁ、シャマルにでも頼んで買ってきてもらえばいいだけの話ではあるので、決して無理ではないだろう。
しかし、はやてはそんな必要はないと言う。

「その辺は心配いらんで。こんなこともあろうかと!!」

突然机の下をガサガサと探り始めるはやて。
それを見た二人は、言いしれない不安が忍び寄る足音を聞いた。

「なぁ、シグナム」
「なんだ?」
「あたしさ、すっげぇヤな予感すんだけど……気のせいかな? つーか、気のせいであってほしいんだけど」
「奇遇だな、私も丁度逃げようかと思っていた所だ」
「逃げるか?」
「そうするとしよう」

逃げない者は確かに勇気があるだろう、だが時には逃げる事にこそ勇気が必要だ。
大切なのは、今はどちらを選ぶべきなのか見極める事。
逃げれば良いと言うものではない。逃げなければいいと言うものでもない。
逃げるべき時と逃げるべきではない時を見極め、それを実行する勇気を持つ者。
それが真の戦士であり騎士、本物の勇者なのだ。

そして、二人は歴戦の騎士にして勇者。
誇りに囚われ、その境界を見誤る事はしない。逃げるべき時に逃げる、それは恥などではないのだから。
故に、今は逃げるべき時と判断した以上、二人の行動は早かった。
何かを探すはやてに背を向け、一目散に扉へと向かう。だが!

「これは……結界か!」

誰が張った物か、そんな事は考えるまでもない。
二人が逃げる事を考慮し、あらかじめ展開していたに違いない。
考えてみれば、二人が動いているのにあくまでも探し物を続けている時点で気付くべきだったのだ。
逃げようとしているのに追わないと言う事は、逃げられない自信があると言う事。

しかし、それ以上に特筆すべきは二人に気付かせずに結界を展開したその手際。
頭の隅で主の成長を喜びたい気持ちはある。だが、今はそれどころではない。

「どけ、シグナム! 一気にぶちぬく、グラーフアイゼン!!」
《Jawohl》

素早くデバイスを展開し、思い切り振りかぶるヴィータ。
しかし、結界に阻まれ、強行突破を決断し、デバイスを展開、そして実行に移す。
そこに至るまでの一秒程度の僅かなタイムラグ。それが明暗を分けた。

「あかんなぁ……副隊長ともあろう二人が、隊の施設を壊すんは問題やで」
「う、動けねぇ…バインドかよ!」
「く、全ては主の掌の上だったと言う事か……」

何かを振ると言う動作には、どうしても避けられない停止の瞬間がある。
体を捻り、それを元に戻そうとするその瞬間。人間の体は、一瞬だが停止する。

はやてはその瞬間を見極めバインドをかけた。
如何にヴィータが優れたパワーの持ち主でも、この体勢では思うように力が出せない。
結界の破壊に気を取られ、はやてが探し物の最中である事に油断した結果だ。
いや、そうなるように仕組んだはやてが上手だったと言う事か。

「安心しぃ、今回は別に変な物を着せよう言うんやないから」
「お言葉ですが………………信じられません」
「今までシグナムにやらせてた事考えろよ! 信用なんかできるか!!」
「悲しいわぁ……家族は信頼し合うもんやで」
「この状況で主が何をお考えになるか、それがわかっていますから。
 むしろ、主ならそうなさると“信じる”からこそです」

はやての言葉は信じていない。だが、はやてが何をするかは信じている。
これもまた、一つの信頼の形だろう。

「でもなぁ、今回はいつもと違って公共の場に出るんや。
 さすがに、そこでけったいな物は着せられへんて」
「む……」
「確かに、そう言えばそうだよな」

言われてみれば、確かにその通りだ。
オークションともなれば、当然の衆目の目に晒される。
普段は身内の間でのみだから問題はなかったが、それが多くの人の目に晒されるとなれば話は別。
おかしな格好をさせれば、六課の評判を落とすだけでは済まなくなる。

そんな事になれば、地上本部からの風当たりが強くなるだけでは済まない。
付け入る隙を与えることになるかもしれないし、本局からの覚えも悪くなる。
また、後ろ盾になってくれた人達にも迷惑がかかるだろう。
最悪、六課の運営そのものに多大な支障を生むかもしれない。それがわからないはやてではなかった。

「申し訳ありませんでした、主はやて。御無礼をお許しください」
「ごめん、はやてもちゃんと考えてくれてたんだよな。
 あたしらじゃ上手く選べそうにないし、はやてに任せて良いか?」
「うん、任された! ちゃ~んと二人に似合うのをコーディネイトしたるからなぁ~」
「まぁ、あまりきわどい物でさえなければ……」
「大丈夫やて。その辺は穏やかなもんやから」

そうして、二人は大人しくはやてが提供してくれる衣装を着る覚悟を決める。
が、二人はわかっていなかった。
確かにはやてとて時と場合くらいはわきまえる。

しかし、今はそのわきまえるべき時でも場合でもない。
それはあくまでもオークション当日。
いまはまだ、充分遊んでいい時なのだから。



故に、この結果はある意味必然だった。
二人ははやてが渡した衣装を受け取り、それに着替える。
その結果に、二人は自分達の見通しの甘さを心底呪った。

「主、これは……」
「え? ドレスやで、れっきとした」

何かを抑え、同時に絞り出す様にして問うシグナム。
はやてはしてやったりと言う顔で笑いを堪えながら、同時に会心の悪戯が成功したことに満足している。
なにしろ、いまシグナムの身を包んでいるのは、あまり一般的なドレスとは言い難い。
まぁ、確かに注文通りきわどくはないのだが……。

「これは確か、メイド服と言うものではありませんでしたか?」
「うん、ノエルさんやファリンさんが着とったのとはちょうデザインがちゃうけどな」

そう、今シグナムが着ているのは一般的に「メイド服」と呼ばれる衣装。
頭にはレースのついたカチューシャを付け、真っ白のエプロンに袖の長い黒のワンピース。
救いがあるとすれば、なんちゃってではなくかなり本格的な仕様な事くらいか。

「ドレス…ではなかったのですか?」

正直、最近散々着せ替え人形にされた影響からか、シグナムの中で意識改革の様なものが起こりつつある。
とはいえ、別にそれは前向きな物ではない、むしろどちらかと言えば後ろ向きだろう。
体操服とかレオタードとかスク水とか、そういう恥ずかしい格好をさせられる位なら、普通に可愛い格好、女性らしさを強調した格好の方が遥かにマシ、そういう風に思う様になっただけ。

だが、その甲斐あってかドレスと聞いて若干興味を引かれるようになったのも事実。
なのに、ふたを開けてみればこの有様だ。もうコスプレは勘弁してほしいのに、またコスプレ。
シグナムが受けた精神的ダメージは、思いの外大きかった。

「え? でも、これもドレスやで」
「メイド服がですか?」
「うん。それ…エプロン“ドレス”」
「あ”あ”~~~~~!」

それは盲点とばかりに、頭を抱えて唸るシグナム。
彼女がメイド服を着ると、その怜悧な美貌と刀剣の如き鋭い雰囲気もあって、「できるメイドさん」に見える。
そんな彼女が頭を抱えて唸る姿は、中々に面白い。
で、今の衣装に忸怩たる思いがあるのはなにもシグナムだけではない。

「それでさ、はやて。なんだよこのヒラヒラ」
「? 騎士甲冑もそんなもんやろ?」
「いや、いつもより十割増しじゃん……」

確かにヴィータの騎士甲冑も似た様なものかもしれないが、これには機能性の欠片もない。
典型的なゴスロリ、それも黒。普段とは比べ物にならないフリル全開の衣装は、見る者からすれば可愛らしく映るだろう。しかし、来ている本人としては動き辛い上に慣れない色合いもあって、気恥ずかしさが先に立つ。

まさか、こんな恰好で人前に出ろと言うのか。
それを思うと、ヴィータも途轍もなく気が重くなるのを自覚する。
正直、その小さな胸の中は羞恥心に任せて暴れ回りたい衝動で一杯だ。

「じゃ、早速なのはちゃんとフェイトちゃんに感想を……」
「ちょっと待て、はやて! なんでよりによってなのはなんだよ!!」
「お許しください、主! テスタロッサだけは……!!」

ヴィータとシグナムにとっては、家族を除けば特に繋がりの深い二人だ。
きっと二人の事だから温かい言葉をかけてくれるだろう。
いや、もしかしたら本心から似合っていると言うかもしれない。
だが、二人にとってはそんな物は何の救いにもならないのだ。
むしろ、逆にみじめな気持になるとしか思えない。

「う~ん、それなら…ヴァイス君とかスバル達とか…………」
「「…………」」

それはそれで嫌なのか、揃って顔を青ざめさせる二人。
はやてはそんな二人の百面相が楽しくて仕方ないらしく、零れんばかりの笑顔。

まぁ、このネタでいじる機会はまだあるだろうし、今日のところはこの辺りでやめることにする。
そう、はやてはそのつもりだった。
しかしその瞬間、突然部隊長室の扉が開く。

「すみません、部隊長。ただ今戻りました…………あれ?」
「っ!? し、白浜!?」

驚きの声はシグナムの物。
そう言えば、戻ったら今度の任務の事で話したいから顔を出すように言っておいたことを思い出す。

だが、驚いたのは兼一も同じ。
別にシグナムやヴィータがいるのはいい。
しかし、何故この二人がこんな恰好をしているのか理解が及ばないのだ。

「ええっと……」

なんとも言えない沈黙が場を満たす。
いや、ヴィータはまだいい方か。彼女の場合、単に溜め息交じりに「間の悪い奴」と呆れているだけ。
はやてははやてで、思わぬ闖入者に驚きこそしたが新たなファクターの登場にワクワクした眼をしている。

問題なのはシグナムだ。
いったいどんな表情をすればいいのかすら判然とせず、魚の様に口をパクパクさせるだけ。
てっきりヴィータやはやてなどは羞恥を露わに爆発するかと思っていたのだが、その様子がない。
むしろ、そのせいでこの後に何が起こるか予想が付けられないのだ。

そして、そんな場の空気を理解していないのか、シグナムの恰好をマジマジと見ていた兼一が口を開く。
状況は良く分からないが、あまり見ない格好をしているならそれに関するコメントをすべき、と。
そんな、彼なりに必死に気を使っての事だった。

「あぁ……とてもよく似合ってらっしゃると思いますよ」
「む…そ、そうか」
((あれ?))

思わぬシグナムのしおらしい反応に、肩透かしを食らう二人。
いつものシグナムなら、強気な態度で「世事は要らん」とか「そんな事はない」と否定しそうな物なのだが。
だが、兼一の方は相変わらずその事がよく分かっていないらしく、的外れにもとってつけたようにヴィータの恰好を褒める。

「あ、ヴィータ副隊長も可愛らしいですよ」
「あ、ああ。ありがとよ」

シグナムの様子がおかしいせいか、ヴィータも調子が狂う。
本当に、今日のシグナムはいったいどうしたと言うのか。

「でも、どうしたんですか、その格好?」
「や、やはりおかしいか? まぁ、私の様な武骨な者にこんな恰好をしても違和感しかないのは当然だが……」
(……ちょっと残念そうに見えるんは、気のせい?)

顔を逸らしながら、どこか気弱げにつぶやくシグナム。
十年来の家族だが、はやてですら見た事のない表情。
あのシグナムが、質実剛健にして謹厳実直を絵に描いた様なシグナムがだ。

「まぁ、ちょっと見ない服だったので物珍しかったのは本当ですけど……結構違和感がない気もしますよ」

何と言うかこう、先ほどシャマルと次の任務に付いて話しただけに、オークション会場で働くメイドさんとしてイメージしてみると、そう違和感は覚えない。
むしろ、てきぱきと仕事をこなし、有事の際には陣頭に立って出席者を守る。
そんな華やかでありながらもカッコイイメイドさんが浮かぶ。

「な、なるほど。お前は嘘が下手だからな、そのお前が言うのなら悪くないのかもしれん」
「シグナム、本気かよ?」

いやまぁ、確かにそれはそれでありかもしれないとはヴィータも思う。
元々はやての従者の様な事もしているし、参加者ではなく主催者側に紛れ込む事で有益な事もあるかもしれない。
だが、あのシグナムがそれを本気にすると言うのが信じ難い。
それははやてにしても同じ事。
弄って遊ぶ為のチョイスだったのが、まさかこんなことになろうとは……。

「ま、まぁ一つの案だ。まだオークションまで時間もある、じっくり考えれば良い。
 さぁ、行くぞヴィータ。まだまだ仕事は山積みだ、そろそろ戻らねばな」
「おいおい! せめて着替えてから……」

そうして、シグナムはヴィータを引きずる様にして部隊長室を後にする。
その表情が、若干上機嫌そうに見えたのは、何かの錯覚か。
いずれにしろ、これがいわゆる「塞翁が馬」と言う奴なのだろう。



  *  *  *  *  *



時は移ろい夕刻。
本日の業務も一段落し、そろそろオフシフト。
後は手持ちの書類の決裁を貰うだけと言うところで、ギンガは目当てではない部屋の前で歩みを止めていた。

見上げると、そこには「医務室」の札。
別にギンガはこの部屋に用などない。
用などないのだが……

「ぁ…兼一さん」
「大丈夫、力を抜いて。痛くなんてないよ、すぐに良くなる」
「は、はい……ふぁ!」
「どうかな?」
「そ、その……気持ち、良いです」

とか聞こえてきて、どうして素通りできようか。
漏れ聞こえて来る声音には嫌と言うほど覚えがある。
尊敬する師と上司。兼一とフェイトの声だ。
しかも、兼一の声は落ち着いているのに対し、フェイトの声は違う。
何と言うか、妙に艶っぽいと言うか熱っぽいと言うか……恥じらいの中にも恍惚とした響きがある。
正直、同性であってもつい頬を赤らめてしまう、そんな色気があった。

「で、でも…ちょっと、怖いです。だって、そんな…長くて、太くて……」
「もしかして、こういうのは初めて?」
「あ、当たり前じゃないですか…んぅ!?」
「あ、ああああああの二人、こ、こんな所で何を!?」

あまりに予想外の事態に、碌に頭が回らない。
というか、何が『長く』て、どう『太い』と言うのか。
あまつさえ『初めて』と来た。だがしかし、まさかまだ日のあるうちから隊舎の一室でそんな事……。
そこでふと思い出す。日中、なのはから聞いたあの話を。

『少し前から夜中フェイトちゃんに勉強見てもらってるみたいだし』
『満更じゃないかも…っていうのは、はやてちゃん情報だけどね』
「まさか……まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか、そう言う事なの!!!」

何が『まさか』で、何が『そういう事』なのかよく理解できないながら、際限なく妄想が暴走する。
医務室、夜の帳がおりようとする時間帯、最近親密度を増した二人。
さらに、医務室から漏れ聞こえる怪しくもアダルトなやり取り。

それらの情報が、益々ギンガの冷静さを削り落していく。
だがそこで、すっかりテンパったギンガにさらに追い打ちがかかる。

「へぇ、そうやるんですねぇ~」
「しゃ、シャマル先生! そこは……!?」
「いいのよ、フェイトちゃん。緊張しないで、ね?」

興味津々と言った様子のシャマルの声と、怪しい会話。
二人がかりでフェイトに何かしている、それは間違いない。では、それは……?

(さ、三人でいったい何を……!?)

手に持っていた書類が床に「バサリ」と落ちた事など気付かない、気付く余裕がない。
今のギンガには、境界線の様に立ちはだかる医務室の扉と、その奥から漏れ聞こえる声と物音が全て。
最早、普段の冷静さも状況判断能力も見る影もない。
あるのはただ、これを捨て置く事などできないと言う胸の奥に湧いた黒い炎のうずきだけ。
が、そこへ偶々通りが掛かる4…いや、5つの影。

「あれ? ギン姉、そんな所でなにしてるの?」
「す、スバル! それに……」

そこにいたのは、仲良く連れ立って歩く新人四人組。
四人は四人とも、普段と様子の違うギンガに怪訝そうな視線を向けている。

同時に、ギンガは気付く。
この奥で為されている何か、それは子ども達には聞かせてはならない。

「エリオ、キャロ!! 耳閉じて、聞いちゃダメ!!」
「え……」
「あの、ギンガさん?」
「良いから、二人にはまだ早いから!!!」
「「は、はい!!」」

何が何やらよく分からないながら、ギンガの指示に従い掌で耳をふさぐ二人。
そこで、いよいよもって様子のおかしいギンガにティアナが問う。

「あの、ほんとにどうしたんですか? なんだか、汗びっしょりですし具合でも悪いんじゃ……」
「そ、それは……」
「それに、いきなりチビッコ達に耳を塞ぐように言ったりして、何かあるんですか?」
「あ、あわわわわわ……」
「ギンガさん?」
「ギン姉?」

このままでは二人も医務室の変事に気付いてしまう、それは不味い。
何が不味いのかよく分からないが、とにかく不味いと言う事だけは悟る。
スバルはともかくティアナは鋭い。あと少し近づけば気付くかもしれない。
それは、きっと良くない事だ。

(どうする? 今からでも追い返す? でも、そんなことしたら……)

逆に怪しまれる。
ならば、みんなを連れてこの場を離れるのか。全て聞かなかった事にして。

(そんなこと、できるわけないじゃない!!)

追い返すこともできない。聞かなかったふりなど以ての外。
それなら、最早ギンガに許された選択肢は一つ。
もし、もし本当に妄想通りだとしたら気不味いことこの上ない。
だが、最早それ以外に手がないのだ。

(そう、もうこれしかない。これしかないから、仕方がないの!!)

ギンガはそんな言い訳と、胸を焦がす炎を後押しに医務室の扉に手をかける。
そして思い切り息を吸い、扉を砕かんばかりの勢いで開け放った。

「な、何やってるんですか、こんな所で!!」

顔を羞恥で真っ赤にしながら怒鳴るギンガ。
しかし、そこで目にしたのは全く予想外の光景。

ベッドにうつ伏せになったフェイトと、その傍らに立つ兼一とシャマル。
フェイトの背にはワイシャツの上から真っ白のタオルがかけられ、兼一の手には鈍い光を放つ長い金属の棒。
そして、シャマルはバインダーに挟んだ紙にペンで何かを書きこんでいた。

「ど、どうしたの、ギンガ?」

眼を白黒させ、びっくりした様子の兼一。
それはフェイトやシャマルも同様で、先ほどまであった筈の怪しい雰囲気など微塵もない。

「…………………………あれ?」

ギンガの顔からは赤みが急速に消え失せ、漏れたのは間の抜けた声。
扉の前で硬直するギンガを余所に、隙間からなかを覗き込むスバルにエリオ、そしてキャロ。

「あ、シャマル先生に兼一さん」
「って、フェイトさんまで」
「あの、何をなさってるんですか?」

皆の質問に、兼一は一端手元に視線をやる。
そして、答えた。

「なにって……………………針」



その後、しばし事の次第を説明する。
どうも連日の遅くまでの捜査でフェイトが疲れている様子だった。
それに気付いたシャマルが、そう言えば兼一は鍼灸や指圧等の心得がある事を思い出す。
栄養ドリンクの類もあるにはあるが、あまりそれに頼り過ぎるのもどうか。
出来るなら、人体が持つ回復力を引き出した方が良いに決まっている。
シャマル自身そちらの方面にも関心があったので、勉強も兼ねて兼一に頼んだと言う次第だ。

「あの、マッサージはまだ分かるんですけど、針を刺したり火のついたのなんて乗せたりして大丈夫なんですか?」
「あ、うん。特に痛かったり熱かったりはなかったかな。むしろ、気持ちよかった位だし」

ティアナの質問に、フェイトは身体の具合を確かめながら答える。
まぁ、さすがに針としてはかなり『長く』て『太い』部類なので、最初は気後れした。
だが実際には、痛いどころか気持ちよすぎて眠りそうになった位だ。
その上、身体の調子もずっと良くなっている。東洋の神秘、恐るべしと言ったところだろう。

「鍼灸って言うのはそういうものだよ。痛みが引き、力が漲る。馬師父直伝の技さ」
『へぇ~』
「私もいい勉強になりました」

感嘆の声を漏らす子ども達と、満足げにうなずくシャマル。
その傍ら、一人早とちりで暴走したギンガは気恥ずかしそうに小さくなっている。
何を勘違いしたかは言っていない、何しろ恥ずかし過ぎる。

(あ~も~、私のバカバカバカ……うぅ)

数分前の自分をぶん殴って言ってやりたい、もっと冷静になれと。
よくよく考えれば、医務室でそんないかがわしい事をするなど、まずあり得ない。
その上3人とか、いったい何を勘違いしていたのだろう。
なにより、なのはも言っていたではないか。今の兼一は、相手を女性として見る事はあっても異性、つまりそう言うものの対象として見る事がないと。

「で、ギンガはどうしたの?」
『さあ?』

というか、兼一の針や灸、それにマッサージならギンガも受けた事がある。
整体では途轍もなく痛い事をする場合もあるが、不必要に痛がらせる事はしない。
むしろ、基本的にはリラックスできるよう心地よい力加減を心がけている。
身を持ってそれを知っているのに、この有様。
穴があれば入りたい気分だ。自分で掘った墓穴ならあるが、それはさすがに……。

とりあえず、兼一をはじめみんなはその事を理解していない。
救いと言えば、それだけが救いだった。



  *  *  *  *  *



同日夜半、人の気配などない廃棄都市区画の一角。
その一部が、ある時唐突に崩壊した。
同時に、そこから粉塵を突き破る様にして飛び出て来る人影。

「がはっ!?」

壁に叩きつけられると同時に、苦悶の声が漏れた。
それを追う形で屈強な人影が現れ、叩きつけられた人物を叱責するでもなく睨む。

「……」
「わかってますよ。ここ一番で大振りになるのは悪い癖だって言うんでしょ」

膝に手をやる事で身体を支えながら立ち上がる少年。
そんな彼の言葉に、男は無言のまま首肯する事で肯定した。
元々寡黙な人物なのか、厳めしい顔は微動だにしない。

「おー、おー、良くやるよなぁ、毎回毎回。なぁ、ルールー」
「うん。怪我しないか、少し…心配」
「その心配は無用だろう。怪我をさせん程度には加減している」
「マジ? アレで加減してんの旦那?」
「ああ」

そんな二人を見守る紫の髪の少女と赤い髪の小人、そしてどこか厭世的な雰囲気を纏う男。
三人は眼下で繰り広げられる、鍛錬と言うには激し過ぎるそれを見ていた。
だが、そこで唐突に男はその場で背後を振りかえる。
見れば、そこには短い青い髪をした中性的な背の高い女性の姿。

「あまり背後から忍び寄るな。反射的に体が動くかもしれんぞ」
「ご自分の身体の反射を御せない程未熟ではないでしょう、騎士ゼスト」
「さてな。それで、アレの迎えか?」
「はい。どうやら、丁度良い頃合いの様ですね」

言うと、女はそのまま宙に身を躍らせ落下する。
やがて二人の前に降り立つと、彼女はその片割れ…屈強な男に恭しく頭を垂れた。

「愚弟への御指導、ありがとうございます。ドクターに変わり、御礼申し上げます」
「あ、やっほートーレ!」
「やっほーではない。お前も頭くらい下げんか」
「は~い。ありがとうございました、先生」

トーレと呼ばれた女は少年の頭を掴むと、強引に頭を下げさせる。
しかし、それでも少年はどこか軽い調子のまま。
トーレはそんな少年に呆れた様子でため息をつく。

「まったく、この方はお前など容易く殺せる実力をお持ちなのだぞ。だと言うのに……」
「別にいいじゃない、こうしてちゃんと生きてるんだしね」
「はぁ……愚弟の御無礼、どうかご容赦を」

頭を抱えるトーレに向け、男は気にしてはいないとばかりに首を振る。
見た目は厳めしいが、別段そこまで礼儀にうるさくもなく、些細な事は気にしないようだ。

「それでは、今宵はこれで失礼いたします。何か伝言は?」
「……契約が果たされるなら、それ以上に求めるものはない」
「もちろん、契約は必ず守ります。それが、取引ですから」

男と彼女らの間に交わされた契約。
その一つの対価として、彼は少年に教えを授けてきた。
別にそれだけが理由と言うわけではないが、対価としてそう決まっている。
彼は少年に教えを授け、トーレ達はその代わりに……それが契約だ。

「では」
「……」

必要な確認を終え、その場を後にするトーレと少年。
そこで、少年はトーレに向けて問いかける。

「そう言えばさ、トーレ。機動六課ってのは、今度あのホテルで任務なんだよね?」
「そうらしいな。だからなんだ?」
「僕も行っちゃダメ?」
「お前は……少しは自重しろ」
「ええ~、どうせその内顔見せするんだしさ、別にいいでしょ~」
「なら、そう言う事はドクターに聞け。私が決められる事ではない」

どうせ、自分が言ったところで聞くような奴ではない。
ならと言う事で、自分達の生みの親に全てを押し付ける。
これを割と好きに行動させているのは彼だ。なら、その責任を取ってもらうのが筋だろう。

そうして、少年とトーレは男の視界から姿を消した。
転移魔法を使ったのだろう。気配を探っても、その残滓があるだけ。

正直、彼らの後を付けてアジトへの潜入を企てた事がないわけではない。
まぁそれも、転移魔法を用いた移動をされてはかなわなかったが。
上で見守っていた少女達に聞けば、わかるかもしれない。

しかし、彼は別にその事に固執する気はない。後を追えない事も惜しんではいない。
どうせ、あの件に関する黒幕は彼ではないのだ。
データをかすめ取ったのは彼の手の者だし、彼自身それに興味はあっただろう。
だが、別にそんな物が欲しければくれてやっても良いと言うのが彼の考えであり、他の連中も同様だった。
実際、そのデータを用いた兵器の出来などあの程度。一々腹を立てるのも馬鹿らしいと言うのが総意だ。

ただ、あの少年の事はなんとも複雑な心境になるが。
だが、もし殺すならあの男にその情報をリークした黒幕だ。
黒幕に近づくには、あの男の協力は欠かせない。
それを交渉材料に、彼は自らの命をチップに交渉し、勝ちとった。
好意等持てないが、その胆力だけは評価に値するだろう。

なにより、再会の日も近い。
その機会を与えてくれるであろうことには、感謝しても良いと思う。



「師匠?」
「あ、なんでもないよ。さ、次は五行拳をいってみよう」
「はい!」

突然天を仰いだ師をいぶかしむギンガだが、すぐに普段の様子を取り戻したようで疑問を棚上げにした。
そのまま形意拳の基本とも言える5種類の単式拳『五行拳』の稽古に入る。
学び始めて僅か数ヶ月とは思えないその練度に、兼一は心中で嬉しく思う。
だが同時に、先ほど感じた何かを反芻する。

(これは……………覚悟を決めておいた方が良いかな?)

当の本人である兼一ですら判然としないが、なぜかそう思わせるなにか。
覚悟を決め、命をかけて戦う事等過去幾度もあった。
故に、別にその事にとりわけ感慨の様なものはない。
恐怖もある、緊張もある。だが、それらは同時に慣れ親しんだものでもあったから。
強いて言うなら、ようやく「戻ってきた」という実感がわいたと言う事か。

しかし、そこで眼前で鍛錬に励む弟子に視線を移す。
自分の教えを素直に守り、愚直なまでに心身を磨く可愛い一番弟子。
命をかけて戦うと言う事は、覚悟を決めると言う事は、死ぬかもしれないと言う事。

自分より強い者など、兼一はたくさん知っている。
故に、百戦百勝とはそう簡単にいかない事も承知の上。
負ければ死ぬかもしれない、負けるつもりで戦う気など更々ないが、その可能性は確かにある。

なら、生きていられるうちに教えられる限りの事を教えるべきだ。
技だけではない、心も含めて。

「よし、それじゃ今日は……」






あとがき

今回は割と早めに投稿できました。
ほのぼのとした日常と、ラストでちょっと次回への示唆。というか、これだと兼一の死亡フラグっぽい。
前回の戦闘では無双しましたが、次はそうはいきません。色々と波乱が起こる事になります。

ところで、やっぱりどう考えてもなのはとフェイトに会場内の警備なんて向きませんよね。
個人的には、シグナム達と配置が逆だと思うのですよ。
シグナム達だって決して得意ではないでしょうけど、なのはたちなんて全然能力を活かせないんじゃないでしょうか。少なくともあの二人よりずっとマシだと思うのです。
とはいえ、具体的な配置の理由などは明言されていませんし、もしかしたら作戦上なのは達が会場内の警備をしなければならない理由があるのかもしれませんけど。
ですが、それがわからない以上、今回はあくまでも個人的な考えに基づき、配置を変えさせていただきました。
賛否両論あるかと思いますが、『正解』を出せる物でもなさそうですし、『こいつはそんな考えなんだなぁ』位に思ってくださると幸いです。



[25730] BATTLE 26「天賦と凡庸」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:51

ティアナ・ランスターには夢がある。
それは、今は亡き唯一の肉親であり、彼女の誇りであった兄の夢。
借りものかもしれないが、それでも何としてでもかなえなければならない夢。

彼女の兄はとても優秀な人で、執務官志望の『エリート』と言って差し支えない一等空尉だった。
だがティアナが十歳の頃、逃走する違法魔導師の追跡中に交戦し殉職。
享年は21歳。あまりにも早く、若過ぎる死だった。

幸い遺族年金を残してくれたので、ティアナ一人が慎ましく生きる分には問題ない。
少なくとも、ティアナが大人になるまで生活には困らないだろう。
しかし、ティアナはそんな物より兄に帰ってきてほしかった。

あるいは、それだけならティアナは兄の死を悼みながらも、別の人生を生きていたかもしれない。
きっかけになったのは、兄の上司の言葉。
彼は言った、『犯人を追いつめながらも取り逃がすなんて、首都航空隊の魔導士としてあるまじき失態だ。たとえ死んでも取り押さえるべきだった』と、あるいは直接的に『任務を失敗する様な役立たずは……』など。
その意図が奈辺にあるとしても、十歳の少女に与えた影響は大きく、傷は深かった。

そして彼女は決意した、証明する事を。
兄の魔法は弱くない、この魔法で兄の夢をかなえる、兄は決して役立たずなどではなかったと。
それこそが、残された自分にできる…否、自分だけにできる事なのだと信じて。



だが、最近になってその気持ちが揺れている。
今更兄の夢を引き継ぐことをためらっているわけではない。
原因は、自分自身。

将来を嘱望された天才と、若手たちの憧れであるエリートと、歴戦の勇士たちが集う部隊。
そこに招かれた事は、純粋に光栄で自分の力を認めてもらえた喜びがあった。

しかし、その中に身を置く程に実感する現実。
任務はそれなりに上手くやれているが、特筆すべき点はない。
日々の訓練でも、周りの仲間たちほどの成長は感じられない。

同時に、知れば知るほどに理解せざるを得ない差。
隊長格は軒並みオーバーS。副隊長でもニアSランク。
他の隊員達も、前線から管制まで未来のエリート揃い。
僅か十歳にしてBランクを取った少年と、レアな技能を持つ少女。
危なっかしくはあっても潜在能力と可能性の塊の相棒。
その中にあって、凡人は自分だけ。

それを悔しくは思うが、そんな事は関係ないと言い聞かせてきた。
立ち止まるわけにはいかない。
兄の魔法は、決して弱くないと証明する為に。

だが、アレを見るとどうしても揺れてしまう。
魔力の欠片もなく、何かしらのレアスキルを持つでもなく、その身一つで隊長達と対等な力を誇る彼。
肉体とそれを運用する技術と言う、誰でも修得可能なそれを極めた男。
魔法より遥かに劣る筈の力で、魔法を凌駕する怪物の存在。
ある意味、一つの究極とも言えるそれ。
いったいどれほどの才があれば、そんな事が可能になるのか皆目見当もつかない。

同時に、そんな彼に認められた、常に自分達の数歩先を行く良き先輩。
自分が足踏みしている中、メキメキと力を付けていくその姿に……惨めさを覚えた。
彼女がそれに見合うだけの努力をしている事は知っている。
恐らく、自分より……それどころか六課のだれよりも努力しているのは疑いようもない。

だからこそ、ティアナは揺れるのだろう。
努力すれば、才能の差等覆せると信じて必死で頑張ってきた。
なのに、そんな自分より遥かに努力している、比べ物にならない才能の持ち主。
才能で劣り、努力で劣る。なら、自分はどうすればいいのか。

同じくらい努力する? そんな事は当たり前だ。才能で劣るのなら、努力で補うしかない。
しかし、どれだけ努力しても、努力している上に才能がある人にはかなわないのではないか。
そんな弱気が、彼女の心の中でジワジワと勢力を強めていく。

極めつけが、彼の子どもだ。
見てしまったのだ、僅か五歳にしてその才能の片鱗を。
若干五歳という年齢でありながら、まるで風を斬る羽の如く軽やかに宙を舞う幼子。
天才と凡人、生まれながらにして決められた地位を、選ばれた者とそうでない者の差を嫌でも実感させられた。
アレは、はじめからそこへと至る事を定められた存在なのだと。
凡人では、いくら望めど辿り着く事はないと突き付けられた様な気がした。

それを必死に否定し、努力すればなんとかなると言い聞かせる。
だが、一度鎌首をもたげた疑念は中々払拭できない。

しかし、あるいはだからこそ、彼女は気付いていなかった。
焦りにより狭まった視野が、彼女に真実を写さない。
仮に写しても、今の彼女にそれを理解し、信じる余裕はすでになくなっていた。

この部隊にあってただ一人の凡人である筈の自分。
だが、そんな自分と比べてもなお劣る無才の存在を。
その存在そのものが、文字通り彼女の信じる道の果ての具現だとは露ほども知らずに……。



BATTLE 26「天賦と凡庸」



ホテル・アグスタ、骨董美術品オークション。
その会場警備と人員警護、それが今回の機動六課の任務。

取引許可の出ているロストロギアも複数出品されるため、それらに反応してガジェットが集まってくるかもしれない。また、この手の大型オークションは密輸取引の隠れ蓑にされる事もある。
そんな諸々の事情が絡み合い、今回機動六課が警備に呼ばれたのだ。

ヘリでの移動の道中になされた説明を要約するなら、そんなところだろう。
またその中で、これまでの捜査からガジェット・ドローンの製作者にしてレリックの収集者として、違法研究で広域指名手配されている次元犯罪者「ジェイル・スカリエッティ」が浮かび上がった事。
その捜査は執務官であり、六課の捜査担当のフェイト主に担当し、捜査官でもあるギンガがその補佐について進めていくことが確認された。

配置は先日変更された通り、はやてと副隊長二人が会場内の警備。
シャマルが前線の管制を担当し、残りは隊長二人の指示の下に会場周辺の警備に当たっている。
で、その部隊長のお伴の二人だが……

「ま、こんなもんか」

赤を基調としたドレスを身に纏い、普段は三つ編みにしている髪を解いているヴィータに特に気負った様子はない。
むしろ、先日のごてごてしたゴスロリに比べれば遥かに穏やかなその格好に安堵すらしているらしい。
若干子どもっぽいドレスな事に不満があるようだが、まだマシと思っているのだろう。
客観的に見れば、「お人形」の様で可愛らしい限りなのだが。

「むぅ、やはり慣れんな。なんというか………………色々心許ない。
 これなら、あのメイド服とやらの方がまだ……」
「いや、アレはさすがにやめとけって……」

そんなヴィータに対し、髪を下ろし、生地が薄く肩や胸元の露出したアダルトなマゼンタのイブニングドレスで着飾ったシグナムは、やけに落ち着きがない。
まぁ確かに、布の面積と厚さはメイド服とは比べ物にならないので、気持ちは分からなくもないが。
とはいえ、これがパーティならともかく、オークション会場にメイドがいても浮くだけだ。
一応お客にまぎれる為にドレスを着ているのだから、それでは本末転倒である。

「いやいや、シグナムも似合おうとるよ」
「そ、そうでしょうか?」
「そんなん周りの反応を見れば一目瞭然やん」

そんなシグナムを励ますのは、こちらも二人同様に瀟洒な白のドレスを着たはやて。
セットされた髪と薄い化粧、さらには透明のストールやクロスのピアスが見る者に普段と異なる印象を与える。

周囲に目を配れば、礼服姿の男性たちからの熱い視線が無数。
はやてやヴィータにももちろん向けられているのだが、その中心はやはりシグナムだ。
彼女としては慣れない服装と空気、何よりその視線に居心地の悪さを感じてしまう。
だが、はやては逆に自慢の家族への正当な評価に満足げだ。
ただ、やはり女三人だけでこんな場にいるものではないとも思ってしまう。

「とはいえ、エスコート役の一人もなしやと、ジロジロ見られてちょう落ち着かんなぁ。
 やっぱり、兼一さんも会場内の警備に回すべきやったかも……」
「しょうがねぇだろ。アイツ、フォワード達の保護者自認してるし」
「まぁ、私ら三人……ちゅうか、シグナムとヴィータだけでも会場内の警備には十分やからええんやけどね。
 むしろ、これ以上は過剰戦力やし」

実際、たいして広くもない会場内の警備に戦力を集中し過ぎるのも問題だ。
広域型のはやては除外するとしても、シグナムとヴィータ、この二人だけでも会場内の警備に割く戦力としてはおつりがくる。

元より、理想はホテルへ入れずに外で食い止める事。
ギンガや新人達だけでなく、能力リミッターがあるとは言え、高位魔導師のなのはやフェイトが控えている。
さらに、魔法や武器を使わずに戦える兼一と言う隠し札がいる以上、滅多な事で突破されはしないだろう。
そんな万が一に備える意味としては、この辺りが妥当な線だ。

「ご安心ください、主はやて。我らがいる限り、主に不埒な輩は近づけません」
「あたしらがしっかりガードすっから、大船に乗ったつもりでいろよ」
「そやね。エスコート役はおらんけど、私には頼りになる騎士様がおったんやった。
 せやったら、二人ともよろしくな♪」
「おう!」
「僭越ながら、お供させていただきます」

シグナムははやてが差し出した手を恭しく取る。
彼女はその手を引き、衆目を集めながらも会場へと入っていった。



  *  *  *  *  *



で、先ほど話題になっていた兼一だが……彼はいま愛弟子をひきつれ、制服姿でホテル内を歩いていた。
別に物珍しいからではない。いや、確かに一流ホテルらしく、内装は落ち着いているが贅を凝らしているので、見る所は多々あるのだが、別にそれは目的ではない。

事前に渡された見取り図から得た内部構造への理解を、実際にホテル内をチェックする事で補強するためだ。
避難経路、攻めるならどこから攻めるか、どこに死角がありどんな遮蔽物があるか、あるいは高い視点からの周囲の立地の観察など、やれる事は多々ある。
制服を着ているのも、『警備をしている』とアピールすることによる参加者へ安心感を与える立派な仕事だ。

「警備はかなり厳重みたいですね」
「まぁ、オークションって言ったら参加者は基本各界のセレブだから。
 その人達に何かあったら大変だ、警備に力が籠るのも当然だよ」
「そうですね」

実際、もし何かあればホテルの評判と沽券にかかわる。
襲われるかもしれない事が事前に分かっているなら、それ相応の準備はして当然。
その一環が六課への依頼だが、それに満足せずに万全を期そうとした事が伺える。

「それで、師匠は今回も?」
「いつもと同じさ。弟子の喧嘩に師匠は出ない、それが武人のルールだよ」
「あれが喧嘩、ですか?」

正直、ギンガとしてはアレを喧嘩と呼ぶその神経が未だに信じられずにいる。
確かに彼女達が身を置く戦いは、一度に複数の敵を相手取るのも当たり前、これといったルールもない。
端的に情報を羅列すれば、確かに喧嘩と大差ないとも言える。
しかし、一歩間違えば命が危うい戦場を喧嘩と呼ぶのはどうか……。

「いやいや、喧嘩をバカにしちゃいけないよ。
 アレだって、時と場合によっては命をかける事もあるんだ。
 何しろ、僕も昔は喧嘩で殺されそうになった事もあるし」
「え…ええ!?」

別に、ギンガは喧嘩で殺されそうになった事を驚いているわけではない。
なにしろ、ルールのない路上だからこその危険性があるのは事実。
その為、喧嘩だからと言って安易に考えてはいけない事はギンガにも理解できる。

故に、彼女が驚いたのはもっと別の事。
この「温厚篤実」を絵に描いた様な師が、路上で喧嘩などしていた事が信じられない。
むしろ、喧嘩などで拳を振るうものではないと、決してそんな事はした事がないと思いこんでいた。

「ああ、ギンガは真面目だから路上での喧嘩なんてした事はなかったかな?」
「は、はぁ……」
「アレはアレで中々深いものだよ。ああいう場所だからこそ身につけられるものもある。
 喧嘩を推奨するわけじゃないけど、そういうのも経験かもしれないね」

決闘には決闘の、戦場には戦場の、路上には路上の味がある。
そのため、案外路上での喧嘩の経験が生きて来る場面と言うのもあるだろう。

しかし、管理局員であるギンガに路上での喧嘩など御法度なので、多分その経験を積む事は出来ない。
それを、兼一は少しばかり惜しむ。
何事も経験だ。兼一自身、根柢の部分には若かりし頃の路上での喧嘩の日々が確かに根付いている。
師の中には「ケンカ100段」などと言う異名を持つ人もいるし、存外喧嘩と言うのはバカにできないのだ。

「でも、師匠が…喧嘩……」

戸惑い気味に呟く弟子に苦笑しながらも、兼一はホテル内のチェックは続ける。
そんな師弟が交差路へ差し掛かったとこで、横手から声が掛かった。

「ああ、お久しぶりです、先生」
「「え?」」

二人が揃って振り向くと、そこには緑色の長髪と白いスーツが目立つ美男子と、質素ながら身なりの良い蜂蜜色の長めの髪を首の後ろで括った柔和な顔立ちの美青年。
声をかけてきたのは緑の髪の男らしく、こちらに軽く手を振りながら歩み寄ってくる。
そのやや後ろにいる青年は、どこか困惑気味な表情だ。
だが、兼一にはその男に見覚えがあった。

「あ! 確か、アコース査察官」
「ええ、覚えていただけて光栄です」
「は、はい……」

覚えていたと言うか、同性の側からしてもこんな美男子を忘れるのは難しい。
特に、初めて会った時に彼と交わした会話の内容が内容であり、彼の愚痴には共感を覚えたから。

「ですが……なんですか、その『先生』というのは?」
「いえ、六課でのご活躍は伺っていますから。
優れた技術や深い知識を持つ方には、それ相応の敬意を払うのが当然でしょう?」

一応は本心なのだろうが、どこか捉えどころのない雰囲気がヴェロッサにはある。
そのせいで、兼一としてもその言葉をどう受け取っていいか判断が付けにくい。
確かに兼一は武術界においてそれなりに権威のある身だが、やはりこういう扱いは慣れない。

特に、ここ数年は武術界から離れていただけに、その勇名もかすれ気味だ。
先日出張で地球に行った際、師や古い友人と違い彼はほぼ眼中に入っていなかったことからもそれがわかる。

「あの、アコース査察官? そちらの方は……」
「ああ、失礼しました、ユーノ先生。こちら、機動六課所属の……」

背後の青年に紹介するように、その間に立つヴェロッサ。
兼一とギンガは改めて青年へと目をやり、その容貌を失礼にならない程度に観察する。
色白で線が細く、骨太さなどとは無縁の顔立ち。どこかのんびりとした穏やかな物腰は、見る人によっては安心感を与えるかもしれない。身体は華奢で、荒事とは無縁に映る。
オークションの参加者か、そんなところだろう。

「白浜兼一二等陸士です」
「ギンガ・ナカジマ陸曹であります!」
「あ、どうも。ユーノ・スクライアです。今日は出品物の鑑定と解説をさせていただく事になっています」

その名を聞き、兼一とギンガはそろって顔を見合わせる。
なぜならそれは、二人にもこれまでに幾度か耳にした事のある名前だから。

「でも、その年で陸曹ですか。優秀なんですね」
「あ、ありがとうございます。
あの、失礼かもしれませんが、もしかして無限書庫の司書長のユーノ・スクライアさんでしょうか?」
「若輩の身に過分な肩書だとは思うけど、一応……」

その肩書に見合わず、やけに腰の低いユーノ。
この若さにして一部門の長、それならもう少し居丈高でも許される筈なのだが……彼にそんな様子は微塵もない。
どれだけ低く見積もってもゲンヤやはやてと同格か、それ以上の地位がある重要人物。
にもかかわらず、彼からすれば下っ端の筈の二人にもこれだ。
確か「局員待遇の民間学者」の様な立場の筈だが、それでもこれは腰が低い。

「何が一応なものですか。ユーノ先生は無限書庫を実動可能なレベルにまで築き上げた最大の功労者じゃありませんか。局の内外でもその功績は認められているんです、もっと胸を張ってくださいよ」
「ど、どうもそう言うのは苦手で……」

ヴェロッサの言う通り、管理局内におけるユーノの評価は高い。
彼が現れるまで、物置同然だった巨大データベースを今の形にしたのが彼だ。
無限書庫の効率的運用により、一体どれだけの恩恵があった事か。
それを鑑みれば、むしろ今でも彼への評価は低いと言わざるを得ない。

しかし、本人からするとそれは自分の身に余ると感じるらしいが。
とはいえ、どこか似た様な部分のある兼一は謙遜するユーノに共感を覚えた。
本人が認識する自分からかけ離れて、皆が抱く偶像の大きさを重荷に感じる。
それは、かつて悪友がねじ曲げた情報を流布され苦労した経験のある兼一だからこそ、わかる感覚だったかもしれない。

「でも、管理局から警備の人員が来るとは聞いていましたが、まさか機動六課だったとは……」
「おや? ユーノ先生はご存知ではありませんでしたか」
(((あ、この人わかってて黙ってたな……)))

どこか愉快そうなヴェロッサの表情に、その事を看破する三人。
きっと、彼は全てわかった上でどちらにもその事を教えていなかったのだろう。
兼一達も主要な参列者の情報は聞き及んでいる。だが、その中にユーノの名はなかった。
まぁ確かに、絶対に必要な情報と言うわけではないし、そもそも彼は正確には参列者ではない。
それに、彼は戦闘能力こそ高くはないが優れた結界魔導師でもある。
なら、別に警護対象としての順位はそれほど高くないのだろうが……関係者の多い六課に教えなかったり、六課の事を教えなかったのは、皆の驚く顔が見たかったからだろう事は想像に難くない。

「でも、と言う事はなのはやフェイトも?」
「はい。それに、八神部隊長や守護騎士のみなさんもいらっしゃってます。
 部隊長と副隊長達はもう会場に入っていますが、他のみなさんはホテルの中かその周辺です。
お会いになられますか?」

かなり上の立場の相手に若干緊張しながら、ギンガは申し出る。
なにしろ、六課内でなのはとユーノが事実上の恋人同士なのは周知の事実。
知らぬは本人ばかりなり、と言うのが実情だ。

任務中ではあるが、少し会うくらいはかまわないだろう。
それに、最近は新人達のへの教導で忙しく、なのはは全くユーノと会えていない。
これ位は、普段忙しくしている上司への部下の密かなる配慮の範疇だ。だが……

「ああ…いや、みんな忙しいだろうし邪魔しちゃ悪いから」
「え? でも……」
「まぁ、もし時間があればオークションの後に会えるかもしれないしね」

苦笑気味に、ユーノはギンガの申し出を謝絶する。
確かに、もしかすればオークションの後に会えるかもしれない。
その可能性は決して低くはないが、絶対ではないのだ。
それこそ、もしかしたらどちらかが急いでこの場を離れなければならなくなることもありうる。
なら、会える時に会っておくべきな筈なのに……。

そんなユーノにギンガは僅かに表情を曇らせ、ヴェロッサは困ったように溜息をつく。
恐らく、彼もタイミングを見計らってそうするつもりだったのだろう。
だが、これではそのたくらみも上手くいくかどうか。
しかし、そんな中にあって一人兼一が動いた。

「スクライア司書長、ちょっと良いですか?」
「え?」
「ギンガ、君はアコース査察官を頼む」
「え? ちょ、師匠! どちらに!?」
「すぐ済むから、ちょっとだけ」

困惑するユーノの手を取り、物影へと引っ張っていく兼一。
ギンガは訳が分からず引きとめようとするが、兼一はそのままそそくさと行ってしまう。

「……さて、それじゃちょっとそこで話しでもしようか」
「は、はぁ……」

ヴェロッサは何かを理解したのか、一つ頷いてギンガの肩に手を回す。
ギンガがそれを寸での所で軽く避けると、彼は小さく「残念」と零す。
だが、顔には言葉と違いそんな様子はない。恐らく、彼なりの処世術かポーズの様な物なのだろう。
ギンガはそう理解することにして、とりあえず師が戻るまで適当に時間を潰すことにした。

そして、兼一に引っ張られていったユーノは、相変わらず訳がわからない様子だ。
なのはのメールから、古い知り合いに会ったこと、それが兼一である事は知っている。
しかし、結局それだけであり、これと言って関連もつながりもない兼一が自分に何か用なのかわからないのだ。

「あの、何かご用でしょうか?」
「ああ、いきなりすみません。でも、すぐ済みますから」

ユーノにあまり時間はないかもしれないが、それでも次いつ会えるかわからない。
ならば、今のうちに兼一はユーノと話さなければならなかった。
何しろ、先日の任務で再会した友人からの頼みごともある。
なのはとユーノ、二人の関係に力を貸してほしいと頼まれたから。
何ができるかは分からないが、友人の頼み。なら、できる限りの事はする、それが白浜兼一という男だ。

「スクライア司書長」
「あ、ユーノで良いですよ。正式には僕は局員じゃありませんし」
「ああ、ならユーノ君で」
「はい、それでお願いします」

ユーノにこれといった階級はなく、あるのは役職だけ。
正規の局員でないとなれば、まぁこれ位は良いだろう。
それに、これから話す事は局員とかそういうのとは別の話。
少しでも心に届かせる為に必要なら、尚更だ。

「君は、なのはちゃんの事をどう思ってるの?」
「え?」

いきなりの質問に、ユーノは訳がわからないといった表情。
実際、兼一自身もう少しうまい聞き方はないかと思う。
だが時間もないし、彼は元から遠回しな話は得意ではないのだ。

「なのはの事、ですか?」
「うん。十歳の頃からの幼馴染で、魔法の先生なんでしょ。
 それで、君は彼女をどんな風に見てるのかなって」
「はぁ…そうですね……恩人で、大事な友達…でしょうか?」

それだけ、とは敢えて聞かない。
まだ言葉の続きがありそうだし、彼がよくそういう風に言っていると言う事は聞いていた。

「あとは、エース・オブ・エースとかそういうのは置いておくとしても……………なのはにはいつまでも、元気に空を飛んでほしいかなって」

そこに秘められるのは、深い深い後悔と悲しみ、そして重すぎる自責の念。
一瞬たりとも離すことなくユーノの瞳を見る兼一は、その眼の奥からそれらの感情を見てとった。
真に流水制空圏を会得した者は、時に相手の心の深いところまでも覗き見てしまう。
今回は意図して深く覗こうとしたのだ、これ位はわかって当然。

「なのはには、他のどんな場所よりも……青い空がよく似合いますから」

噛みしめるように、吐き出すように語るユーノの口は、そこで閉ざされた。
なのはをそこへと誘うきっかけを作ったのは自分。同時に、彼女に落ちる危険を作ったのも自分。
兼一は彼らの深い事情など知らない。故に、そんな彼の気持ちまでは読み切れない。
わかるのは、彼が酷く自分の事を責めている事と、様々な感情の絡みあいから気後れしている事だ。

だからこそ、兼一は「やっぱり」と思う。
ユーノと言葉を交わし始めて間もなく感じていた、ある感覚。
それが間違っていなかったという確信を、今の僅かな言葉から得ていた。

「何ていうか…………………君は、昔の僕とどこか似ているよ」
「え?」

兼一はかつて、大切な人のすぐそばに居ながら彼女を守る事が出来なかった。
幸い、最終的に彼女を取り戻す事は出来たが、守れなかったことへの自責の念は今でもよく覚えている。
不甲斐ない自分を殴る事にこの拳を使った時、それを止めてくれたのは悪友だった。『殴りたいなら数万回でも俺様が殴ってやる。だが、お前の拳はそんなくだらねぇことに使う為に鍛えたんじゃねぇだろーが』と。
あの時、その言葉にどれほど救われたかわからない。決して言葉にはしないが、確かにあの悪友に救われた。

兼一はユーノの詳しい事情など知らない。
だがそれでも、ユーノがかつての自分と酷似した自責を背負っている事はわかる。
違いがあるとすれば、兼一は既にそれに決着をつけ、ユーノは決着をつけられていない事。

(きっと彼は……守れなかった事を悔いている。同時に、守る力がない事も)

ユーノの事情を知らない様に、その詳しい能力も兼一は知らない。
しかし、兼一の洞察力はユーノの瞳からそれすらも読み取った。
守りたいと思いながらも、守る為に必要な力が不足していることへの悔しさを。
自分より遥かに強い女性に恋し、その人を守りたいと願いながらもかなわない自分への憤りを。
そんな所が、益々かつての自分と似ていると思う。

「ユーノ君、覚えておくと良い。
どれだけ強くしなやかで、綺麗な翼を持つ鳥にとっても…………空は決して味方じゃない」
「え?」
「むしろ、空という場所そのものが敵なんだ。羽を休める事も、気を抜く事も許されない。
 些細なきっかけで地に落ち命を落とすかもしれない、そんな場所。
 常に心を張りつめなければいけない、それが空だ。鳥たちはそんな場所を飛んでいる」

飛ぶ事をやめてしまえば、羽ばたく力が弱れば、地面に向かって真っ逆さまに落ちるのみ。
どれほど優美に飛んでみたところで、その現実は変わらない。
忘れがちだが、空は決して空を飛ぶ者を祝福しているわけではないのだ。

「僕には空を飛ぶ翼はなかった。でもね、そんな僕にもできる事はあったんだ。落ちそうになる心を支え、多くの危険にさらされる命の盾になる。弱くても、それくらいはできるんだよ。
強いから必要ないとか、弱いから守れないなんていうのはただの思い込みだ」
「あの……」
「特に君はまだ若い。頭の良い君には難しいかもしれないけど、時には後先考えずにバカになるのも良いものだよ。僕の師匠は『若いうちの無謀は買ってでもせよ』なんて言ってたけど、若いうちはそれくらいが丁度いい」

諦めるにはまだ早い。直接会って、兼一は確信した。
これほどなのはを大事に思う彼なら、きっとできる。
自分の弱さを知りながら、それでもなお諦めきれていないのなら充分だから。

「あなたは、僕に何をさせたいんですか?」
「…………君が君の夢をかなえる事、かな?」
「師匠! そろそろ……」
「ああ、今いくよ」

弟子の呼ぶ声に応え、兼一はユーノに背を向ける。
きっと、今のユーノの心中は酷く揺れている筈だ。
今のやり方こそが、自分にできる最善だと納得させた心が。

別に、そのやり方ではいけないと言うわけではない。
もし、ユーノが本当に心の底から納得していたのなら何も言う事はなかった。
だが、兼一は確かに見たのだ。その瞳の奥に燻ぶるものを。

あくまでも兼一はそれを拾い上げ、その為に必要と思う物を提示しただけだ。
それにどう向き合うかは、ユーノが決める事。
ただできれば、彼には夢をかなえてほしいと思う。
もう自分には、その夢をかなえる事は出来ないから。



  *  *  *  *  *



それからしばらくして。
ホテル屋上で周辺に感知魔法を展開していたシャマルが、真っ先に異変に気付く。

「クラールヴィントのセンサーに反応。みんな、来たわよ!」

念話や通信を通し、六課部隊員たちに詳細な情報を伝達する。
ロングアーチからの情報も合わせれば、集まってきているのはガジェットⅠ型とⅢ型の混成。
今のところ、0型の機影は見当たらない。

「前線各員へ、状況は広域防御戦です。
ロングアーチ1の総合管制と合わせて、わたし、シャマルが現場指揮を行います」

今ある情報と状況の中から、シャマルは指揮系統を再度明確にしていく。
元より守護騎士の参謀役であり、隊長達からの信任の厚い彼女だ。
今更文句や不満を抱く者はおらず、みな黙ってその言葉に耳を傾ける。
とそこで、シャマルの背後の扉が勢いよく開かれた。

「シャマル先生」
「すみません、遅くなりました!」
「兼一さん、ギンガ。大丈夫、今からそれぞれの配置を指示するから、その通りに」
「「はい」」

とはいえ、恐らく基本この位置で待機し、状況に応じて動く事になるだろう
ギンガは元々遊撃だし、兼一も皆のフォローが主な役目という意味では似た様な物。
全体を見渡せ、どこに移動するにも丁度いい中央で待機するのははじめから決めていた事だ。

「なのはちゃんとフェイトちゃんはザフィーラと迎撃に。
 スターズF及びライトニングFはホテル前に防衛ラインを設置。三人の撃ち洩らしへの対処を。
そちらの指揮はティアナ、お願いできる?」
『はい! シャマル先生、私も状況を見たいんです。前線のモニターもらえませんか?』
「了解、クロスミラージュに直結するわ。クラールヴィント、お願いね」
《ja》

シャマルの仕事は全体の指揮だ。
その為、各戦場にはそれぞれに指揮官を立てるのが望ましい。
直接戦場に立ち、状況を把握できる者に分けて言った方が効率的なのは言うまでもない。

「ギンガ達は待機。ガジェットは正面に集中してるけど、ちょっとあからさま過ぎるわ。
もしかしたら別方向からも来るかもしれない、0型の姿がないのも気になる。あなた達はそれに備えて」
「はい!」

見ればなのはとフェイト、それにザフィーラが飛び立って行くのが見える。
大半は三人が処理するだろうが、それでも打ち洩らしがないとは限らない。
それに対処するための新人たちであり、更なる不測の事態が起こった時にそれに対処する役目を負うのがギンガだ。

「兼一さんは臨機応変に……」
「わかっています。危なそうな所へフォローに入ればいいんですよね、お節介にならない程度に」
「お願いします」

兼一としては、弟子や子ども達の戦いに干渉する気はない。
だが、放任と放置が同義ではないのも事実。
そこを見極め、必要な時に必要な手助けを行うのが大人の役目だ。
ただ、果たしてそんな悠長な事を言っていられるかどうか……。

(…………………………嫌な感じがする。これは、ちょっと何かあるかもしれないな)

具体的に何がどうというわけではないが、無数の死闘を経て研ぎ澄まされた兼一の直感が告げている。
杞憂に終わればいいが、そうでないなら相応の覚悟がいるかもしれない。そう思わせる何か。

兼一は眼を閉じ、深く呼吸しながら気組を練る。
何が起きても対処できるように、少しでも早く全力を出せるように。
なにしろ、スロースターターは彼の致命的な欠点の一つだ。それが大きく影響しないとも限らない。
なら、少しでもその時間を減らす努力をすべきだから。
そんな師の姿を見て、ギンガはそれに倣う様に瞑目し、その時が来るのを待つのだった。



  *  *  *  *  *



その頃、ホテル・アグスタから程良く離れた森の中。
少し遠くへ眼をやれば桃色と金色、そして白色の光が閃き、続いていくつもの爆煙が上がっているのが見える。
そんな場所で、一組の親子にも見える二人組が宙に浮かぶモニターで誰かと話していた。

「ごきげんよう、騎士ゼスト、ルーテシア」
「ごきげんよう」
「なんの用だ?」

感情を感じさせないルーテシアと呼ばれた少女と、不快感を隠そうともしないゼストと呼ばれた男。
だが、モニター越しに話す白衣の男、機動六課が追うジェイル・スカリエッティは平然としたままだ。

「冷たいね。近くで状況を見ているんだろう?
 あのホテルにレリックはなさそうなんだが、実験材料として興味深い骨董が一つあるんだ。
少し協力してはくれないかね? 君たちなら、実に造作もない事なんだが」
「断る。レリックが絡まぬ限り、互いに不可侵を守ると決めた筈だ。
なにより、お前には我等を使わずとも……」
「確かに、あの子たちならできるだろう。だが、さすがに今はまだ早い。
 時期的にも、準備的にもね。その点、ルーテシアなら姿を見られる心配はない。
もちろん、相応の謝礼も出すし、何より危険な目には合わせないと約束する。頼まれてはくれないかな?」

ゼストの説得は早々にあきらめ、ルーテシアの懐柔に掛かる。
彼女は僅かに黙考し、それを承諾した。

「いいよ」
「優しいな、ありがとう。今度ぜひ、お茶とお菓子でも御馳走させてくれ。
 君のデバイス、アスクレピオスに私が欲しい物のデータは送ったよ」
「うん。じゃ、ごきげんよう、ドクター」
「ああ、ごきげんよう。吉報を待っている」

スカリエッティはそこで通信を切ろうとするが、そうはならなかった。
なぜなら二人の背後、森の奥からゆっくりと誰かが姿を現したから。
ゼストとルーテシアは一瞬警戒を露わに振り向くが、その人物が誰かを認識して警戒を解く。

「……………………………アノニマート?」
「や! それ、僕にも手伝わせてよ、ルー」

出てきたのは、以前ギンガと翔の前に姿を現したカジュアルな服装の長身の青年。
スカリエッティは青年の姿を見るや、少々あきれたように呟いた。

「まったく、姿が見えないと思えば、いつの間にそんな所に」
「あ、ごめんなさい、先生。勝手に出てきちゃって」

咎められたと思ったのか、青年は慌てた様子で手を合わせて頭を下げる。
だが、その声音には申し訳なさこそあるが、後ろめたさはない。
悪気がないとは言え、無断で出てきた事を悪いとは思っているのだろう。
だが、ルーテシアへの協力の申し出を取り下げる気はない事も伺える。

「いや、それは構わんよ。それで、行きたいのかい?」
「はい、是非! もう我慢できなくって、早く会いたくて仕方ないんですよ!」
「……………………………………………仕方がないな、好きにするといい」
「やった! ありがとうございます、先生!」

しばしその眼を見つめていたスカリエッティだが、最後は頭を振ってそれを了承した。
だが、さすがに無条件でとはいかない。
本来、ここで姿を見せるのは予定外の事なのだから。

「ただし」
「はい?」
「あくまでも今回の目的はお使いだ。それが終わり次第、すぐに帰ってくる事。もちろん、あまり夢中になってもいけないよ。それと、直接姿を見せるなら君一人では心配だ。
誰か……そうだな、セインにでも同行してもらおうか」
「あ、それなら大丈夫ですよ。ね、先生」
「ん? ああ、なるほど。あなたもご一緒でしたか」

彼の視線の先には、気によりかかる一人の男。
スカリエッティはそれを見て、アノニマートと呼ばれた少年の言葉を理解する。
なるほど、確かにこれなら誰かに同行してもらう必要はあるまい。
何より、おかげで必要以上に手札を晒さずに済む。

「相変わらず、あれには甘いのだな」
「彼は特別だよ。他の娘たちと違って、あの子は私の下にいるだけでは完成しない。
 そんなあの子を必要以上に繋ぎとめても、むしろ逆効果だ。なにより、契約の事もあるからね」
「お前が、良くそれを受け入れたものだ」
「人としてのあらゆる英知の結晶、それがあの子だ。そして、娘たちとは別の形の私の作品。
 その完成の為なら、この程度は惜しくもない」

スカリエッティの言葉をどの程度信じたかは分からないが、それ以上はゼストも何も言わない。
そんな二人を気にした素振りもなく、アノニマートの顔は喜色に満ちていた。

「ああ、やっと会えるんだ。うぅ~!」
「やれやれ。それで、会いに行くと言ってもどうするつもりか、プランはあるのかい?
 さすがに、あの三人を相手に真っ正直に行っても素直に通してもらえるとは思えないが。
何より、最後の最後には彼もいる」
「ええ、それは……」

スカリエッティの問いに、アノニマートは表情を改める。
彼なりに考えたその方法に若干の修正を加え、スカリエッティはそれを了承した。
同時に、ルーテシアによって召喚された小さな虫たちがガジェット目掛けて飛んでいく。
ここで、戦況に大きな変化が訪れる事となる。



  *  *  *  *  *



ホテル周辺の森林地帯。
ガジェット達を迎撃するその最前線で、今まさに敵を蹴散らしていたなのは、フェイト、ザフィーラの三人。
だが、シャマルやロングアーチからもたらされた巨大な召喚魔法が使用されていると言う報。
それから間もなく、三人も異変に気付く事となる。

「バルディッシュ!」
《Haken Saber》
「はぁっ!!」

大鎌型の魔力刃を出力したバルディッシュを大きく振りかぶり、フェイトは勢いよく振り抜く。
魔力刃はバルディッシュから切り離され、回転しながらガジェット達へと向かう。
本来ならAMFの影響を無視し、容易く鋼鉄の装甲を切り裂く一閃。
しかしそれは、瞬間的に出力を増したAMFと、Ⅲ型の頑強なアームによって弾かれた。

「え?」

それまでのガジェットには見られなかった的確な対処。
驚きに目を見開くフェイトだが、その隙にガジェットから散発的な光線が発射された。
それを回避しつつ、フェイトはプラズマランサーを放ち一端距離を取る。

同時に、なのはが上空から放つ誘導弾も、ガジェット達はのらりくらりと回避するようになっていた。
そんななのはの下へ、上空へと飛び上がったフェイトが合流する。

「動きが変わった?」
「今までのガジェットとは全然違う。多分これが……」

先ほど反応のあった召喚魔法の主の魔法の効果。
これまでは単に「処理」の対象でしかなかったガジェット達。
だがここまで動きが変わったのなら話は別。
今の二人は、ガジェットを気を引き締めて当たるべき「敵」と認識した。

そこへ、二人の下へ届く念話。
その主は、別の場所でガジェットを迎撃していたザフィーラからのもの。

『どうする、誰かラインまで下がるか?』

敵に召喚士がいるとなれば、新人達のところへ回りこまれる恐れがあった。
あそこには新人達の他にもギンガ、さらには兼一も控えている。
そういう意味ではフォローは手厚いし、戻るべきか否か、そこをはっきりさせるためだ。

「…………なのはは一端戻って。もし必要なら私も戻る」
「そうだね。兼一さんもいるし、大丈夫だとは思うけど……」
「うん。もし向こうが兼一さんの事をわかった上で策を練っているなら、油断はできない」

なのはだけで足りないなら、その時は六課最速のフェイトも向かう。
彼女なら、いざとなれば短時間でラインまで戻ることが可能だから。

『では急げ! ここは我々が抑える!』
「うん。二人とも、気をつけて!」

重厚なザフィーラの声に背を押され、なのははホテルへと引き返そうと踵を返す。
しかしその瞬間、並び立つなのはとフェイトの周囲を何かが覆い、閉鎖した。

「フェイトちゃん、これって!?」
「結界。それも、かなり頑丈な……!」

周囲の気配が変わった瞬間、二人は即座に看破した。
自分達を覆う結界の強度が、彼女達をしてそれなりに本腰を入れねば砕けない代物である事を。

同時に、一瞬動きが止まった二人の視界の端を黒い二つの影が通り過ぎる。
二人は咄嗟にそれに反応し、考える間もなく反射的に愛機を掲げた。
次に感じたのは、愛機を握る手へと伝わる強烈な衝撃。

「「くぁっ!?」」

意表を突かれた事で踏ん張りが効かない。
二人は真上から受けた衝撃により、真っ逆さまに森へと落下していく。
辛うじて地面に叩きつけられる前に体勢を立て直した二人が自分達を攻撃した影へと眼を向けると、そこには重力に引かれて落ちて来る二人の人間の姿。

「女子どもと思えば、存外良い反応をするじゃないか」
「ああ。所詮魔法など児戯に同じと思っていたが、なかなかどうして……」

普通の人間なら大怪我必至の高度からの墜落。
にもかかわらず、二人は動じた様子もなくなのは達への評価を改める。
そのまま二人は難なく着地を決め、なのは達へと向き直った。

見れば、先ほどまで彼女達を覆っていた結界は確かにその規模を小さくしている。
これでは、たとえ飛び上がってもたいした高度は取れない。
高度を稼ぐには、いったんこの結界そのものを破壊せねばならないだろう。

「こんな所まで来て小娘の相手。正直、気が乗らなかったのだがな」
「全くだ。しかし、エース・オブ・エースの呼び名は伊達ではないということらしい」
「なのは、この人達……」

対峙した瞬間に感じたのは、あるべき物が感じられないという違和感。
しかし、それがないのなら答えは一つ。
あの高さから平然と着地し、いまなお隙が見いだせない。
身近にいる同じ存在がいるせいか、二人の脳裏には同じ可能性が導き出されていた。

「……最悪だね。本当に、なんでこんな所に……」

二人も達人がいて、その相手をせねばならないのか。
限定された空間での達人との戦いなど、最悪以外の何物でもない。
身体能力なら引けは取らないだろう。だが、こと戦技の深さに関しては比較するのもバカバカしい。

見れば、相手はどちらも徒手空拳。戦うなら近接は避け、可能な限り距離を取るべき相手だ。
にもかかわらず、結界によって阻まれそれは叶わない。
かと言って、結界を破壊しようとする瞬間の隙を見逃してくれる筈もなかろう。
見た所二人とも魔力はなさそうだし、別のだれかか、何らかの道具を用いて結界を維持している筈。
戦いながらそれを見つけ出すとなれば、それはそれで手間がかかる。
万全の状態ならいざ知らず、能力リミッターがあるこの状況では……。

「異変はロングアーチも気付いてる筈だけど……」
「ザフィーラに新人達の支援は……望めないね」

何しろ、いまだこの周囲には多数のガジェット達が蠢いている。
なら、その対応に当たる事ができるのはザフィーラだけ。
そして、彼はその場を放棄して新人達の下へ向かう事は出来ない。
彼が防波堤となり敵を減らさなければ、全ての敵が新人達の下へ雪崩込んでしまう。
防衛地点となるホテルの真ん前で、全ての敵を迎え撃つリスクを負う事は出来ない。

故に、二人がすべきことは一つ。一刻も早くこの場を離れる事。
可能なら、目の前の危険な敵を排除した上で。

「やるしかないね」
「うん。多少強引でも、押し通らないと」

相手が達人となれば、最悪力尽くでリミッターを外すことも視野に入れなければならない。
また、お互いが相当な負傷を負う事も。

「私が盾になる。フェイトちゃんはなんとか結界の破壊を」
「…………………………わかった。けど、あまり無茶はしないで」
「しないで済むなら、したくないんだけどね……」

本来は中・後衛のなのはだが、それも時と場合による。
最優先事項は結界の破壊。倒すにしても離脱するにしても、全てはそれからだ。

相手がそんな隙を与えてくれないのなら、隙を作るしかない。
その為には、防御性能の高いなのはが盾となり、速度に長けるフェイトが結界を破壊する以外にないのだ。
フェイトもそれがわかっているからこそ、異論を挟む事はしない。たとえ、どれだけ心が苦しくても。
そうして二人は覚悟を決め、それぞれに愛機を構えた。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、ホテル屋上。
全体の指揮を担い周囲に探知の魔法を展開するシャマルと、ホテルの正面に立ち敵と同じ召喚魔導師であるキャロが異変に気付いたのはほぼ同時だった。

「来る!」
『遠隔召喚、来ます!』

二人が反応すると同時に、ホテルの正面と背面に発生する紫の魔法陣。
正面にはⅠ型とⅢ型の混成部隊。背面には、数こそ少ないが0型が五機。
正面は新人達に任せれば良いとはいえ、問題は背面のガジェット。
とはいえ、この状況もまた想定の範疇。

「ギンガ、お願い!」
「はい!」

詳細など口にするまでもない。
それまで待機していたギンガは、新人たちとは逆…ホテルの裏へと飛び降りる。
シャマルがそれを最後まで見届ける事はなく、その間に彼女はロングアーチとの通信に切り替えていた。

『シャーリー、状況は?』
『スターズ1及びライトニング1、結界に囚われ状況不明。
 ザフィーラがなんとか森林のガジェットは抑えていますが……』

さすがに数が多く、戦線を支えるので精一杯といったところか。
辛うじて一定ラインより先に敵は進ませていないが、それ以上は望めまい。むしろ、ここはさすがと言うべきか。

『リインちゃんはまだ?』
『ホテルへ戻ろうとしていますが、召喚されたと思われる銀色の虫に阻まれ……』
(今はまだ新人達もなんとか抑えてくれてる。
いざとなれば兼一さんがいるけど……その場合ギンガ達の方が手薄になっちゃう)

とりあえずガジェットの侵攻は抑えられているが、それもいつまで保つか。
なのは達の方も状況がわからない以上、最悪の展開も予想しなければならない。
ならその場合、兼一をどこに振り分けるべきか……前か、後ろか、それとも森か。
そんな決めあぐねるシャマルの下へ、ホテルの中から念話が入る。

『シャマル、あたしも出る! リインと白浜の野郎でホテルを守って、あたしがザフィーラの援護に行けば……』
『いや、部隊長としてそれは許可できん。ヴィータとシグナムは、このまま会場内の警備や』
『はやて!』
『抑えろ、ヴィータ。主の御命令だ』
『でもよ!』

確かに、ヴィータが加勢すればだいぶ外の状況は楽になるだろう。
だが、部隊長であるはやてはそれに待ったをかける。

『みんなが心配なんは私も同じや。せやけど、ここでヴィータが外れたら、どうやって中の人達を守るん?』
『状況から見て、派手に動き過ぎてる。陽動の可能性は捨てきれないわ』
『それは……』

ヴィータが会場内の警備から外れれば、会場内を守るのははやてとシグナムだけになる。
一応ホテルの方でも警備はつけているようだが、AMF環境下で戦える人材がどれだけいるか。
おそらく、実質的に戦力として数えられるのは六課のメンバーだけだ。

確かに会場内の警備にはあの三人がいれば十分だろうが、とにかくお客の数が多い。
ヴィータが離れれば、戦力ではなく数が足りなくなってしまう。

『そう言う事や。この際、ガジェットが何を狙ってるかなんてどうでもええねん。
 何か欲しいもんがあるなら、そんなもんくれてやればええ』
『はやて……』
『その代わり、お客の身の安全は何としてでも守る。これは絶対や』

はやては指揮官であり、六課の責任者だ。
彼女は時に部下に対して「死ね」と命じ、時に部下を切り捨てる非情な判断が求められる。
多数の民間人の安全と危険な現場に立つ部下達。比べる事等出来る筈もないが、決めなければならない。
それを物語る様に、はやての声には苦悩が滲んでいる。

『安心しぃ。最悪、私が出て纏めて薙ぎ払う。ま、ホンマに最後の手段やけど……』

ヴィータやシグナムが動けば会場内の警備が手薄になる。なら、選べる手段はこれだけだ
とはいえ、本来総責任者であるはやてが下手に動く事は出来ない。だから最後の手段。
それでも部隊長として褒められたものではないが、大切な部下を切り捨てる気などはやてにはない。

彼女は広域型。はやてがその気になれば、周囲のガジェットを纏めて破壊できる。
まぁその場合、魔力ダメージに設定しても新人達を巻き込んでしまう可能性があるが、それでも見捨てるよりはマシだ。

『…………………わかった』
『ごめんな』
『はやてが謝る事じゃねぇよ。はやてだって苦しいんだ、ならあたしだって我慢する』

上層部による協議はそこで決着がつき、シャマルは再度状況の把握に努めた。
耳を澄ませば、ホテルを挟んだ正面と裏から断続的に爆発音が聞こえて来る。
どうやら、両方とも今のところは問題なく対処できているらしい。

リインが戻るまでなんとかなれば、後は二人をそれぞれに正面と裏に配置すればいい。
隊長達やザフィーラの事は心配だが、あの三人の力量はシャマルもよく知る所。
きっと大丈夫と自らに言い聞かせ、そこでシャマルはふっと横へと視線を移す。
すると、そこにはギンガ達が戦うホテルの裏を向き、厳しい表情の兼一がいた。

「兼一さん?」
「……すみません、シャマル先生」
「え? って、どこへ!?」
「ギンガ達の方が気にかかります。僕も向こうへ」
「待……なにか、あるんですね?」

一瞬引きとめようとし、思い直す。
確かに兼一は甘い男だし、弟子であるギンガの事を心配しているのは本当だろう。
しかし、この状況で弟子の身だけを案じる男でもない。
彼にとっては、ギンガも新人達も、それどころか隊長達すら守るべき子ども達なのだ。

「すみません」
「……わかりました。行ってください、こっちはなんとかしますから」
「……」
「そんな顔しないでくださいよ。私は元々参謀役ですし、なんとかやりくりして見せますから」

やむを得ないとはいえ、申し訳なさそうな兼一の背を押す。
詳しい事はまだ分からないが、今は彼の思うようにさせるのが最善。
それを、彼女の勘が告げていたのかもしれない。

「……ありがとうございます」
「気をつけて、くださいね」
「わかってますよ」

シャマルを安心させるように微笑み、兼一はギンガ達の後を追って屋上から身を躍らせる。
だが、ホテルからの落下を開始したその時には、兼一の顔からは先ほどの微笑みは既に消え失せていた。

(この気配は、まさか……)

もしそうだとすれば、兼一も相応に覚悟を決めねばならない。
それだけ手強く、危険な、よく見知った相手の気配がする。
同時に、久しく忘れていた死闘の予感に肌が粟立ち、四肢が震える。

何故奴がここにいるのか、何故ガジェット達に加勢する様な事をするのか。
わからないことだらけだが、情報が少な過ぎて答えなど出る筈もない。
むしろ、今重要なのは……

(陽動か……)

気配を消していれば、もっと接近する事も出来た筈。
それどころか、自身の存在をアピールする様なこの気配。

策と言う物にも色々な種類があり、最も厄介な物の一つが『わかっていてもかからざるを得ない』策。
陽動だろうと当たりはついているのだが、兼一にはこれ以外の選択肢がない。
何しろ、今この場にいる戦力でアレの相手を出来るのは兼一だけなのだから。

故に、陽動を無視し本命を迎え撃つ事が出来ない。
一応、通信機越しに陽動であろうことは伝えるが、果たして……。



  *  *  *  *  *



場面は移り、兼一が向かったホテルの裏手とは逆側、ホテルの正面。
そこで防衛ラインを築き戦っていた新人達にも異変が起ころうとしていた。

以前と違い、飛躍的に動きの良くなったガジェット達。
新人達は苦戦を強いられ、思う様に攻撃が当たらない。
それどころか、攻撃が当たっても撃破に繋がらない場合すらある。
その事に誰よりも苛立ち、焦っているのがティアナだった。

「くっ……」

放った弾丸は尽く回避され、空を切るばかり。
アレほど練習したにもかかわらず、結果に繋がらない現実。
焦ってはいけないと分かっていながら、目に映るそれがさらに焦りを助長する。

ミサイルポッドを装備したⅠ型からミサイルが放たれ、それを叩き落とす。
しかし正面に意識を向け過ぎたのか、死角となる木の影からガジェットが姿を現した事に気付かない。
代わりに、それにいち早く気付いた小さな同僚から危険を知らせる声が飛んだ。

「ティアさん!」
「っ!」

ティアナはその場から大きく跳び退き、放たれた光線を回避。
着地と同時に、お返しとばかりに魔力弾を放つが、装甲に亀裂を入れるだけに留まり撃破には至らない。

(こんな、こんな筈じゃないのに……!)

回避に回った事も、撃破出来なかった事も。
全て、なのはの教えからは程遠い。なのはは言った「精密射撃型は、一々避けたり受けたりしてたら仕事にならない」と、「足を止めて視野を広く保つ」、それが射撃型の基本であると。

にもかかわらず、今の自分はどうか。
敵の接近に気付かず、回避に回り攻撃の手が途切れてしまった。
挙句の果てに、当てた筈の一撃は意味をなしていない。
あそこは、なのはなら確実に落としていた筈だ。
それどころか、そもそも受けに回る事もなかっただろうに。

『みんな、あまり無茶はしないで。
 とにかく、防衛ラインの維持を最優先に!』
「はい!」

はやる気持ちを見透かしたかのような、シャマルの指示。
彼女達の役割を考えれば、無理に全滅を狙う必要はなく、とにかくこの場を守り通す事が最優先。
スバルは素直に自分を戒めるが、ティアナはそうは思えなかった。

「守ってばかりじゃ行き詰まります! ちゃんと全機落とせますから!」

通信越しに、シャーリーから懸念の声が届いた。
だがその心配が、さらにティアナの苛立ちに拍車をかける。
その心配がまるで、自分にはできないと言われている様な気がしたから。

「毎日朝晩練習してるんです! この位……!!」

自分と相棒のツートップ、何度も繰り返し練習した連携で一気に仕留める。
しかし、クロスミラージュにカートリッジを装填し、続いてライトニングの二人を一端後ろに下がらせるべく指示を飛ばそうとしたその時、突如ガジェット達が後退を始めた。

「「え?」」
「ティア、これ……」
(どういうこと、なんでガジェットが……)

その意図がわからず、困惑を浮かべる四人。
可能性としては目的を達成した場合だが、未だ防衛ラインは割られていない。
なら、諦めたのか……。
そうティアナが考えた所で、ガジェット達の後ろから一人の青年が姿を現す。
先ほどルーテシア達と合流した、アノニマートだ。

「ああ、みんな御苦労さま。おっかないのは先生がなんとかしてくれるから、こっちは任せて、もう下がってくれていいよ」

アノニマートは手近なガジェットの装甲を労う様に一撫でし、後退するように指示する。
すると、ガジェット達は大人しくそれに従い森の中へと下がっていった。

「さて、と。ごめんね、なんかまだるっこしい手を使ってさ。
 できれば、あの人にはまだ顔を見られたくなくてね」

朗らかな笑顔を浮かべながら、アノニマートはティアナ達へと歩み寄る。
あの男に顔を見られれば、恐らく必ず自分の前に現れる筈だ。
それはそれで興味深かったのだが、それでは目当ての二人と話しができるか怪しくなる。
なので、こうしてこちらに来られない状況が出来あがるまで、姿を隠していたのだ。

しかし、アノニマートの事情等ティアナ達の知った事ではない。
どこのだれかは分からないが、明らかにガジェットやその黒幕との繋がりがあると思われる人物。
なら、ティアナ達がすべきことなど決まっている。
アノニマートの話など無視し、彼を確保する以外にない。

「手を上げなさい。あなたを重要参考人として連行します」
「ん~、それって任意?」
「大人しく来てもらえないなら、力尽くになるわ」
「へぇ……力尽く、ねぇ?」

クロスミラージュの銃口を向け、要求を突き付けるティアナ。
アノニマートはそれに不敵な微笑みを返す。
まるで、「できるものならどうぞ」と言わんばかりに。

ティアナもそれに気付いたのか、彼女の眉間に深い皺が刻まれる。
侮られている、その感覚への不快感が垣間見える表情だ。
だが、ティアナはなんとか平静を保ち、言葉を続ける。

「詳しい話は後で聞かせてもらうわ。あなたの言う『先生』が誰なのか、ガジェットとその後ろにいる誰かとのつながりも含めて、洗いざらいね」
「あれ? もしかして、まだ気付いてない?
 おっかしぃなぁ……確か、ヒントは出してた筈なんだけど……」
「あんなあからさまなプレート、ミスリードを狙ってる可能性もある。信用できるわけがないわ」
「ああ、なるほど。確かに……」

何が面白いのか、アノニマートはクツクツと笑いを零す。
フェイト達が抱いた当然の警戒を嘲笑う様に。

「あ~あ、だからあざと過ぎるって言ったのに…まぁ、いいや」
「それは、黒幕はジェイル・スカリエッティで間違いないって事かしら?」
「うん、そうだよ」
「なら、その調子で全部話してもらいたいものね」
「別にいいけど……」
「やっぱり大人しく捕まってはくれないか。行くわよ!」
「オッケー、相棒!!」
「「はい!!」」

拳を握りしめ、アノニマートの身体を青い魔力光が薄く覆った瞬間、その雰囲気が一変した。
四人はお互いにフォローし合える配置に付き、何が起こっても対処できるよう警戒レベルを上げる。
一瞬たりとも眼を離さない四人。だが……

「僕を捕まえられたら…ね!」

その一言共に、アノニマートの姿が視界から掻き消える。
感じたのは風。まるで、すぐ傍を突風が吹きぬけたかのような感触だけ。
しかし、ティアナとキャロの視線の先では、背後の木に叩きつけられる二人の姿が映し出されていた。
そして、一端は消えたかに見えたアノニマートが、気付けば先ほどと同じ場所に姿を現す。

「「がっ!?」」
「スバルさん、エリオ君!」
(スバルとエリオが、反応できなかった……!?)

前衛であり、タイプこそ違えど速度に長ける二人を容易く殴り飛ばしたのだ。
しかも、ポジションの関係上二人より離れた場所に立つティアナ達にも、その影を追えない速さで。
速い、あまりにも速すぎる。だが、決して対応できない程ではない。
相手がフェイトだったなら、何が起きたか理解する間もなく意識を刈りとられていたのは想像に難くない。それに比べれば、まだ……。

「へぇ~、良い勘してるねぇ。ちょっとビックリ」
「くぅ…行ける、エリオ?」
「は、はい!」
「キャロ、二人にブースト! 前衛が追いつけないと話にならない!」
「はい! ケリュケイオン、スピードブースト!」
《Boost up. Acceleration》

キャロの手元から発せられた光がスバルとエリオへと飛び、二人を包む。
アノニマートはそれを阻むことなく、ニコニコと笑みを浮かべながら傍観を決め込んでいる。
それを見てとったティアナは、忌々しそうにアノニマートを睨む。

「ずいぶん余裕じゃないの」
「え? 違うよぉ~。ただ、折角面白くなりそうなんだから、邪魔するのも野暮じゃない?」
「それが余裕だってのよ! それなら、思い切り後悔させてやろうじゃない!」
「いいね、楽しみにしてる」

何と言われても、アノニマートは態度を改める様子はない。
それどころか、ブーストが完了しても動く素振りすらない。その代わりに……

「ああ、そうだ。そう言えば自己紹介がまだだったっけ。
 自己紹介と挨拶は人間関係の基本だもんね。これを忘れちゃいけない、うんうん」

一人で腕を組み、勝手に納得する始末。
そのあまりに場違いな発言は、ある意味最高の挑発と言えるだろう。
何しろ、「お前達相手に警戒する必要すらない」と言っている様な物なのだから。
だが、アノニマートはその事を意識している様子もなく、相変わらずの緩い態度で名乗りを上げる。

「はじめまして、僕の名前はアノニマート。
 ナンバーズ『番外』、名無しのアノニマートだよ」
「ナン…バーズ?」
「あ、そっちはまだ知らないんだっけ。聞かなかった事にしてってのは、ダメ?」
「ふざけるのも大概にしなさいよ」
「やっぱり? う~ん…ま、いっか。多分、その内わかるだろうし。でも今は秘密♪」
「口が軽いついでに、なんの事なのか教えてくれないかしら?」
「え~……いいよ」
『いいのかよ!?』

少しでも情報を引き出そうと思っての言葉だったのだが、それほど期待していたわけではない。
にもかかわらず、返ってきたのはまさかの了承。

「おしゃべりは好きだからね。
良いかい? アノニマートって言うのは、とある国の言葉で『名無し』とか『無名』って意味なんだ。
 ナンバーズはその言葉通り、それぞれに数字関連の名前がつけられているんだけど、その中にあっての『名無し』、転じて『数字を持たない者』。だから僕は『番外』なんだ。
 まぁ、この辺りは僕がみんなとちょ~っと違うコンセプトなのもあるんだけどねぇ~」

『でも、あんまりこの名前好きじゃないんだ』と、聞いてもいない事までぺらぺらとまくしたてるアノニマート。
それに四人は僅かに唖然とするが、良くその中身を分析すると、重要な情報がほとんど含まれていないことが分かる。わかった事と言えば、スカリエッティの配下にナンバーズと呼ばれる者達が複数いる事だけだ。数も質も不明、ただ口が軽いだけの男ではない。
その後も、アノニマートはさして重要ではない情報を嬉々として喋りまくる。
やがてそれも一段落ついたのか、満足気に四人に問いかけてきた。

「どうかな、わかってもらえた?」
「ええ、アンタにはしっかり尋問するしかないって事がね!」
「おっと!」

最早付き合っていられないとばかりに放たれる魔力弾。
アノニマートは何気ない動作で首を傾けそれを回避するが、それは囮。
既に左右をスバルとエリオが挟んでいる。
二人は挟撃する形でアノニマートに迫り、そこでまたも敵の姿を見失った。

「え!?」
「そんな!?」
「アハハハ、中々良い攻めだ! うん、やっぱり筋が良い!」
「っ! そこ!!」

瞬間移動の様に背後に現れたアノニマートに、振り向き様に蹴りを放つスバル。
だがそれは難なく回避され、逆に蹴り足に手を添えて来る。
そのまま勢いをコントロールされ、ほとんど力を使わずに投げられた。

「きゃっ!?」
「スバルさん!」

エリオはスバルを助けるべくストラーダを手に突進するが、アノニマートはスバルに追い打ちをかける事なく跳躍。
続いてティアナの魔力弾とフリードの炎弾が迫るも、その隙間を掻い潜っていく。

「ここで殺しちゃうのは勿体無いね、君たちともいい友達になれそうだ。
 もっと修業して、強くなったら遊ぼうよ」
「ふざけるな!!」

幾ら攻め立てても余裕綽々のまま回避を続けるアノニマートに、怒りを露わにするティアナ。
四対一と言う状況にありながら、自分達を敵とすら見ていないその態度が許せなかった。
いや、本当に許せないのは、そのふざけた態度を崩すことすらできない自分自身か。

「エリオ、スバル!!」

ティアナの一声と共に、幻術魔法「フェイク・シルエット」により突如その数を増す二人。
十数人にまで増えた二人はアノニマートを囲むように周囲を動きまわる。

「へぇ……これが幻術かぁ、僕の目も騙すなんてやるねぇ」
「その余裕、いつまでも持つかしらね!」
「まぁ、どこかに本物がいるんだし、適当にやってればその内当たるでしょ」

その言葉通り、手当たり次第に手近な所にいる二人を時に殴り、時に蹴りを入れていく。
だが、当然ながらその悉くが偽物。しかし、アノニマートは特に悔しがる素振りもなく、むしろいつ当たりを引くかわからない状況を楽しんでいる。

ティアナを狙えば早いことくらいわかっているだろうに、それでも敢えて狙ってこない。
その事には腹が立つが、ティアナはなんとかそれを押し殺す。
今はやりたいようにやらせればいい、思い切り吠え面をかかせて、そこで溜飲を下げればいいのだから。

「ハズレ。これもハズレ、ああこっちもか。う~ん、中々当たらないなぁ」

突きや蹴りの激しさとは逆に、どこまでもアノニマートはゲーム感覚で呑気なまま。
しかし、彼は一つ勘違いをしている。
幻影を生み出すだけが幻術ではない。時には、幻で姿を覆い隠すのも幻術だ。

十人目となるスバルの鳩尾への拳。
またも幻影を引いた様で、手応えはなく打たれたスバルの姿が緩んでいく。
だが、その瞬間アノニマートの腕を何かが捉えた。

「って、あれ?」
「キャロ、今!」
「はい! 練鉄召喚、アルケミックチェーン!!」

突如として姿を露わしアノニマートを捕まえたスバルの呼び声と共に、その足元に魔法陣が出現する。
現れたのはピンク色の魔力光を帯びた鎖。それはまるで生きた蛇のように身を揺らし、やがてアノニマートの身体を幾重にも包み込んでいく。
なんとか左腕だけは拘束を免れたが、脚は雁字搦め、右腕もほとんどの自由を失っている。

「お、おお……」
「アサルトコンビネーション…行くよ、エリオ!」
「はい、スバルさん!」
《Explosion》
《Load cartridge》

それぞれにカートリッジを一発ずつロードし、魔力を迸らせる二人。
唸りを上げるリボルバーナックルと、帯電するストラーダによる同時攻撃だ。

「あっちゃ~、これはちょっとヤバいかも……」
「「うぅおおおおおおおおおおお!!」」
「なんで、ちょっとだけ本気で行こうかな?」
「「ストライク…ドライバー!!!」

あまりの威力に舞い上がる爆煙と粉塵。
離れた所にいるティアナとキャロでさえ生じた突風の煽りを受け、粉塵から目を守っている。
少なくとも、この四人の中では最大級の攻撃力をもつ連携だ。
たとえ倒せなかったとしても、相応のダメージは免れない。

「やった!」
「アルケミックチェーンの手応えは変わりません」

それはつまり、未だアノニマートはアルケミックチェーンに囚われたままと言う事。
なら、確実にかなりのダメージを入れた筈。
しかし、そんなティアナの予想は粉塵がはれると共に打ち消されることとなる。

「嘘……でしょ」
「エリオ君!」

粉塵が晴れ、姿を現したのはそこにいて然るべき三人。
だが、その状態が想像と異なる。
アノニマートは僅かに動くその右手がスバルの拳を受け止めている。
それだけではなく、唯一拘束を免れた左腕を目一杯に伸ばし、エリオの顎に掌底を入れていた。

「くぅ~、危ない危ない。
 いや~、効いた。二つの意味で両手が痺れたよ」
「あ、か……」

痺れを払う様にアノニマートは両手を振る。
同時に、顎への一撃で脳を揺らされたのか、その場で崩れ落ちるエリオ。
スバルも拳を引こうとするが、幾ら引いてもアノニマートの手は万力の如く掴んだ拳を離さない。

しかし、そんなこと以上にスバルを動揺させるのは先ほど間近で見た光景。
拳を止められたのはまだいい。チャンスにかまけ、決して防げない場所を打たなかった自分の失策だ。
問題なのは、ストラーダの捌き方とエリオへのカウンター。
何とこの男は、直撃の寸前に左腕を回転させていなし、そのままストラーダを道案内に滑らせるようにして掌打を叩きこんだのだ。
ほとんど身動きできない状態で、攻撃と防御の両方を完全に両立して見せた技量。
今の自分では到底届かない領域の技がスバルに与えた影響は、思いの外大きかった。

眼を見開き、身体を硬直させるスバル。
だがそこへ、ティアナからの指示が飛んだ。

「キャロ、エリオを転送して一緒に下がりなさい!」
「は、はい!」
「ここからは私とスバルのツートップで行く! 行けるわね、スバル!!」
「う、うん!」

ティアナの叱咤によって我に戻ったスバルが再度拳を引くと、今度はあっさりとそれは離された。
スバルがそのまま一端ティアナの傍に戻ると、代わりにアノニマートの足元に出現する蒼い光。
それは、近代ベルカ式を表す魔法陣だった。
バインド破壊をかけているのか、アルケミックチェーンに徐々に亀裂が入っていく。

「あ、ちょっと待ってね。僕、こういうのって苦手でさぁ、少し時間がかかるんだよねぇ。
 っていうか、身体強化以外はてんでなんだけど」
「どうするの、ティア?」
「待ってやる義理はないわ。今のうちに畳みかける!」

何しろあのスピードだ、受けに回ればジリ貧。
アルケミックチェーンで動きを制限されているなら、その間に叩くしかない。

「でも、正直……」

拳を当てる、その自信がない。それがスバルの本音だった。
エリオと連携してすらあの結果だ、彼女がそう考えてしまうのも無理はない。
そんな事はティアナとてわかっている。こと白兵戦技において、あの男は自分達の遥か上にいる。
勝機を見出すのなら遠距離攻撃だ。

「わかってる。砲撃の準備はしてるけど、まだ時間がかかるわ。私が言いたい事、わかるわね?」

なのはと違い、ティアナに抜き打ちで強力な砲撃を放つ出力はない。
しかし、発動に必要なチャージの時間さえあれば可能。
真っ正直に打って当たってくれる相手ではないだろうし、もう幻術を使ったトリックも効果は薄い。
だがそれでも、勝つ為の方策はこれしかない。

「大丈夫、ティアナらできるよ! あたし、信じてるから」
「うっさい! そんな事言ってる暇があるならさっさと行きなさい!」
「うん!」

相棒を信じ、スバルは再度アノニマートへ接敵する。
鎖はまだアノニマートの身体をなんとか拘束しているが、油断はできない。
この敵なら、この状態から攻撃してきても不思議ではないのだ。
そして、そんなスバルの予感を裏付ける様に、アノニマートは全身に力を入れる。

「すぅ……………………………フン!!」

一喝と共に、砕け散るアルケミックチェーン。
ある程度ヒビさえ入ってしまえば、あとは力尽く。
本人の言を信じるなら身体強化を最も得手としているようだが、それでも馬鹿げているとしか言えないパワーだ。

しかし、スバルの後ろには守るべき仲間が、信じる相棒がいる。
なら、ここで引き下がる事などする筈もない。

「うおりゃああああぁぁぁ!!!」
「ヒュ~♪ 友達を信じて挑む、良いねぇ~、友情だねぇ~。うん、ちょっと羨ましいぞ♪」

スバルの猛攻を両手で危なげなく捌きながら、口笛を吹く。
侮られていることへの怒りはあるが、それだけの実力差がある事もわかっていた。
スバルは怒りを糧に回転を上げ、息もつかせぬよう攻め立てる。

大技は狙わない、そんな隙を見せれば一巻の終わりだ。
とにかく手数を増やし、一秒でも長く食い下がる。

「あ~、でも砲撃とかはちょっと勘弁かなぁ。あれ、受け流すのがしんどいんだよねぇ。
 というわけで、意気込んでるとこ悪いんだけど、狙いは外させてもらうよ」

言うや否や、スバルに背を向けティアナへと向かうアノニマート。
確かに、わざわざ砲撃をチャージしている敵を放置する事はない。
むしろ、タメの時間は狙い時でもある以上、これは常套手段だ。
当然、スバルもマッハキャリバーを走らせその後を追う。だが……

「素直なのは美徳だけどさ……ダメだよ、こんなに手に引っかかっちゃ!」
「ごふっ!?」

それまで一直線にティアナに向かっていたアノニマートは突如転身し、擦れ違い様に膝蹴りを叩きこむ。
自分自身の機動力を逆手に取られた一撃に、たたらを踏みながら息を詰まらせるスバル。
そこへ、側転宙返りをしながらスバルの足を取り、さらには鳩尾に膝を当て、そのまま回転しながら首を極めてエビ反りに持っていく。

「さて、こんな密着距離で、どうやって砲撃を撃つつもりなのかな?
 まぁ友達ごとって言うのも、それはそれで良いかもしれないけど……」
「くっ……」

口ではなんと言おうと、訓練校に入って以来の相棒、親友だ。
スバルは眼で必死に「撃て」と訴えているが、逆の立場でスバルにできる筈がない様に、ティアナにスバルごと敵を撃つ事など出来ない。

「この体勢なら、窒息させるのも首の骨を折るのも簡単だけど……」
「スバル! スバルから離れなさい! 本当に撃つわよ!!」
「いいや、君は撃てないよ」

ティアナの目の前には、既に大きく膨張した魔力の塊がある。
その気になれば、すぐにでも砲撃は可能だ。
しかし、幾ら脅してもアノニマートが動じる様子はない。
彼にもわかっているのだ、ティアナが決して撃てる筈がない事が。

「まぁ、ちょっと待ってなよ。もうすぐ落ちるからさ」
「……」

何とかアノニマートの高速から逃れようともがくスバルだが、徐々にその力が弱くなっていく。
首にまわされた腕で頸動脈を圧迫され、意識が薄れつつあるのだろう。
やがて先の言葉通り、間もなくスバルの身体からは完全に力が抜け落ちた。
そして、アノニマートはスバルを解放して立ちあがる。

「はい、おしまい。ああ、安心していいよ。意識がなくなっただけで、まだ殺しちゃいない。
 さっきも言ったと思うけど、いま殺すには勿体無い子達ばかりだからね」
「そう………なら、こいつもくれてやるわ! ファントム…ブレイザ―――――――――!!!」

放たれるのは、通常の魔力弾とは比べ物にならないサイズの橙色の魔力の塊。
それは真っ直ぐにアノニマート目掛けて突き進み、進路上にある全てを呑み込み炸裂した。

「あ、当たった……」
「へぇ、結構威力あるんだぁ。避けておいて正解だったかな?」
「っ!? アンタ、いつ……」
「え? やっぱり危ないから、大急ぎで避けただけだよぉ~」

声のする方を見れば、いつの間にかティアナの傍らに立つアノニマートの姿。
彼は服に付いた汚れを落としながら、当たり前の様に答える。
ティアナは弾かれたように飛び退く。
だが、アノニマートがそれを追う様子はない。
それどころか、ティアナを見る彼の眼にあったのは憐憫の情。

「もうやめなよ」
「なんですって? 好き勝手やって、何を……!」
「君の友達は、みんな実に筋がいい。だけど、君は違う。悪い事は言わない、もうやめた方が良いよ。
だって君――――――――――――――――――――――――――才能ないし」

最後の一言共に、クロスミラージュを構えるティアナの肩がビクリと震える。
それは今、彼女が最も聞きたくない言葉だ。

「別に、戦場に立つなって言ってるんじゃないんだ。ただ、それぞれ分相応ってものがある、わかるでしょ?
 いずれ、君の友達は君を置いて遥か先へと進んでいく。でも、君はいつかついていけなくなる。
 君達の部隊の戦いも、もっと激しさを増す筈だ。だから……」

紡がれるアノニマートの言葉に、ティアナは息をするのも忘れて硬直していた。
クロスミラージュを持つ手が小刻みに震え、胸の奥で形容しがたい熱が芽生える。
しかし、どうしてかそれを表に出す事が出来ない。
だがそこで、ティアナの背後から幼い声が飛ぶ。

「ティアさん、避けて!」
「っ!」
「お?」

ティアナはその声に弾かれた様に真横に飛び、先ほどまでティアナがいた場所を巨大な炎が通り過ぎる。
振り返れば、そこには本来の姿を取り戻したフリード。

「キャロ、こんな所で!」
「でも、もうこれしかありません!」

本来、こんな場所でフリードの力を開放すべきではない。
フリードの力は強力な分、周りに与える影響と被害が大きいのだ。
なのは達ほどの精密なコントロールができるならともかく、今のキャロでは。
しかし、同時にキャロの言う通り、最早前衛は全滅。
こうなれば、フリードの力を開放すべきではないなどと言っていられない。

「あっちゃ~、これじゃ落ち着いて話もできやしない。
 才能があるっていうのも、時と場合かなぁ……」
「キャロ、下がって! こいつは……!」

アノニマートの意図を察し、キャロに指示を飛ばすティアナ。
だが時すでに遅く、気付いた時には既にアノニマートはフリードの目の前にいた。

「ちょっとごめんよ」
「きゃっ!?」

ここまで近づかれてしまえば、かえって巨体が仇となる。
焔を吐く事も出来ず、キャロが背にいる為に身を捩って振り落とす事も出来ない。
また、ティアナが支援しようにもフリードの巨体が陰になって姿を目視できなくては不可能だ。
ティアナは急ぎ場所を変えようとするが、その間にアノニマートはキャロとの距離を詰める。

「じゃ、おやすみ」
「ぁ……」

なんとか迎え撃とうとするキャロだが、元々フルバックの彼女に接近したアノニマートに対応できる力はない。
キャロが動こうとした瞬間を狙って間合いを詰め、アノニマートの掌打がキャロの意識を刈りとる。
それに伴い、フリードも普段の小さな姿へと戻ってしまった。
アノニマートは抱えていたキャロを地面に下ろし、再度話を続けるべくティアナへと歩み寄る。

「さて、どこまで話したっけ………ああ、そうそう。
 だから、足を引っ張る様になる前に異動した方が良いよってこと。君が、仲間を大切に思うのなら尚更ね」
「…………う」
「イカロスって知ってる? 鳥でもないのに空を飛ぼうとして、結局は落っこちて死んだ愚か者の事だよ。
 君はまさにそれだ。地を這う君が、いくら望んだところで、頑張った所で鳥にはなれない。それどころか、逆に死期を早める事になる」
「…………がう」
「世界は残酷だ、はじめからいるべき場所が決めれていて、それが覆る事はない。
 あったとしても、そんなのは……」
「……違う」
「ん?」
「違う違う違う違う!! 
私は、私はここでもやっていける! 一流の隊長達とだって、どんな危険な戦いだって!
 私の、ランスターの弾丸は、ちゃんと敵を撃ち抜ける!!!」

叫ぶと同時に、左右のクロスミラージュがカートリッジを二発ずつ、計四発ロードする。
それに伴い、彼女の足元には普段以上の輝きを放つミッド式の魔法陣が浮かび上がった。

「あれ? もしかして怒らせちゃった? あっちゃぁ……どうも経験が浅くて、そういう機微に疎いんだよなぁ、僕って。言い方が悪かったかもしれないや、ごめんね。傷つけるつもりはなかったんだ、ホントだよ」

本当に悪いと思っているのか、両手を合わせて頭を下げるアノニマート。
彼としては、本心からティアナに忠告したのだ。
この道を進めば命がない。なら、そうなる前に引き返せと。

(先生からも極力殺すなって言われてるし……弱い者いじめは流儀じゃないんだよなぁ……)

スカリエッティからの指示もあるし、何より技を叩きこんでくれた者の薫陶のおかげか。
彼は弱者との戦いを好まない、命を奪うとなれば尚更。
戦うべきは、殺すべきは、自身も命を賭けて戦うに足る強者だ。
殺害という結果は、彼なりの強大な敵への敬意の表し方。

今回の様に、つい将来性の高い相手の力を見定めたくて戦ってしまう事はあるが、その場合には先に期待して殺す事はしない。
そんな彼にとって、ティアナは正直興味の薄い相手。
命をかけて戦うほどの力もなく、将来的にそうなる可能性も低い。
捨て置いても問題のない路傍の石ころ、それが彼のティアナへの認識。
いっそひと思いにと言うのも、彼としてはあまり気乗りしない。

「ああ~、一応言っておくけど……あんまり無茶するもんじゃないよ?」
「だまれ!!」

時間経過と共に輝きを増す魔法陣。
やがて、ティアナの周囲には約15にも及ぶ高密度の魔力弾が形成される。
ティアナはクロスミラージュを構え直し、それらを解き放った。

「クロスファイアー…………………シュ―――――――――ト!!!」

一斉に解き放たれ、アノニマート目掛けて疾駆する魔力弾。
アノニマートはそれらを危なげなく回避していくが、ある時その眼が大きく見開かれた。

「あ、ヤバッ!」
「っ!」

アノニマートに続き、ティアナも異変に気付いた。
彼女が放った弾丸のうちの一発が、意図しない方向へと流れていく。
自身の制御能力を越えた魔力を使用した反動で、あまくなった弾丸の操作。
その行く先には……

「スバル!?」

地に伏し、動く様子のないかけがえのない相棒。
勢いのついた弾丸は最早引きもどせない。同様に、今から撃ち落とそうにもあの弾速と距離では無理だ。
ティアナの表情が悲痛に歪み、声ならぬ悲鳴が上がる。
だが、最悪の未来予想図が現実になる事はなかった。

「ほら、言わんこっちゃない。ダメだよ、友達を巻き込んじゃ」

スバルを救ったのは外でもない、敵である筈のアノニマート。
彼はその速力を発揮し魔力弾へと追いつき、なんとティアナの渾身の魔力弾を鷲掴みにしたのだ。

弾殻を壊さずに受け止める。真正古代ベルカの術者なら理論上可能とされる高難度技法。
高位の達人でも純粋な力加減で可能とするが、アノニマートにそこまでの技量はない。
彼の場合、自身の魔力で弾殻をコーティングした上で掴んでいる。
まぁそれでも、近代ベルカ式の使い手としては破格の技術だが。

「全く、折角の友達候補をこんな下らない事で壊されちゃたまらないよ。
 先生にも怒られるし、間に合わなかったらどうするつもりだったのやら。
 君、その辺わかってんの!」
「あ…ぁ……」

ここにきて、ようやく笑顔以外の表情…怒りを見せるアノニマート。
しかし、ティアナはそんなものは眼に入らない様子で、ただただ動揺を露わにしている。
よりにもよって、自分の手で仲間を撃ってしまった事が、よほどショックだったのだろう。
ましてや、自分が撃ちそうになった相棒を救ったのは敵なのだから。

「やれやれ、何て無様な……だから君みたいな人は戦場に立つべきじゃないって言ってるんだ。
 ほら、これ…返すよ」

放心状態のティアナへ向け、アノニマートは無造作に掴んだ魔力弾を投げ返す。
今のティアナにそれを避ける意思も、撃ち落とす気概もない。

この瞬間、確かに彼女の心は折れていた。
どんな状況であろうと敵を撃ち抜くランスターの弾丸が、守る為にある筈のこの力が仲間を撃ったと言う事実。
その現実が重くのしかかり、敵ではなく自分の行いによって心が折れている。

ティアナのそんな心情など斟酌することなく、魔力弾は無情にも着弾。
その身体はまるで命無き人形の様に弾き飛ばされ、地面を転がっていく。
だが、ボロボロになっても彼女の中に残った何かがその身体を突き動かす。
緩慢な動作で身体を起こすティアナだが、その姿がアノニマートの中に強い苛立ちを植え付ける。

「…………そうか、虫はひと思いにって言うのは、こういう感覚なのか」

自身の中に芽生えた苛立ちの意味を理解した瞬間、アノニマートの瞳から感情が消えうせる。
どこまでも冷たく、酷薄にして非情な眼差し。
あるのは、ただ明確なティアナへの殺意だけ。

「まぁ、そんなになっても立ち上がろうとする気概はたいしたものだよ。
 そんな相手に手を抜き続けるのも失礼なんだろうし、その意味ではきっちり殺すのが礼儀か……」

しかし、言うほどティアナを見るアノニマートの目に敬意の類がある様には見えない。
むしろ、その瞳に宿るのは鬱陶しい虫けらを見る様な侮蔑すら宿っている。

「でも、こっちとしては無様過ぎて見ていられないんだ。
 まぁ、苦しまないように優しく殺してあげるからさ、迷わず逝きなよ」

アノニマートはゆっくりと手を貫手の形へ変え、大きく引き絞る。
狙いは心臓、彼の貫手では胴体を貫通とはいかないが、それでも充分致命傷を狙える。
そして、大地を蹴ったアノニマートは一本の矢と化してティアナを貫きに行く。

だが、ティアナの胸へ貫手が刺さろうとした瞬間、その間に割って入る黒い影。
アノニマートの貫手はその影に阻まれ、硬質の何かによって防がれた。

「あれ?」
「ふぅ~、危ない……なんとか、間に合った」

現れた人影は、背後のティアナを一瞥して無事を確認すると、肩の力を抜く。
続いて、シールドで阻んだ貫手を押し返すと、ティアナを守る様にその場で深く腰を落とした。

「さて、可愛い妹とその友達を虐めたお礼は、しっかりさせてもらうわよ」






あとがき

さて、ついに前半の山場の入り口でございます
武術の世界とかオリキャラが絡んできた事で、色々と変化してますけどね。
まぁ、アグスタ自体はあくまでも入り口でしかないわけですけど。

とりあえず、次回の内にアノニマートの詳しい情報とか、ギンガや兼一の事も出したいですね。
とはいえ、アノニマートの事はもう考えるまでもなくだいたいどんな人かわかりそうですが。

そして、できれば次、最悪次の次でアグスタはケリの予定。あくまでも予定なので、どうなるかは不明ですが。
しかし、当方のティアナは今のところ徹底的に情けない事になってますね。
まぁ、その辺も追々挽回していくつもりですが……。とりあえず、昔の兼一に比べれば…ねぇ?

ちなみに、最近なんだか闘忠丸を書きたくて困ってます。
あとがきのおまけにでも書きたいんですが、実は何も決まっていないも同然。
というか、ケンイチから闘忠丸のみ出演で「リリなの」と絡ませるとすればどうすればいいのやら。
でもやりたいし、どないしよう……。



[25730] BATTLE 27「友」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:38

それは、ある月の綺麗な夜の事。
例によって例の如く、苛烈を通り越して壮絶とも言える修業により、ギンガは今日も限界の先にある風景を垣間見る羽目になった。正直、我ながら毎日よく生き伸びていると感心するほど、日々の修業は過酷だ。
とはいえ、その日のメニューはただ今を以ってようやく終了。
今日もまた何とか生き残れた事を、誰にともなく感謝する。

ただ、やはり体力的に限界を超えているのもまた事実。
終了を告げられると同時に、ギンガはその場で崩れる様に倒れ、仰向けになって身体を休める。
大の字になって荒い息をなんとか整えながら、夜空に浮かんだ満月に目を細める。
まるで、目を凝らすことでそこに求める答えを見出そうとするように。

だが当然、幾ら目を凝らした所で答えなど得られる筈も無し。
別に落胆した訳でもないが、知らず小さく溜め息をつく。
すると、修業道具を片付けていた師が目ざとくそれに気付いた。

「どうしたんだい、溜め息なんてついて。なにか、悩みごとでもあるのかな?」
「え? あ……」

指摘され、ギンガは手を口元にやって思わず赤面する。
そんな愛弟子の表情の変化が面白いのか、兼一は慈愛に満ちた目を向ける。

「いえ、あの…悩みという訳じゃ……」
「そう。じゃあ、何か気になる事でもある? なんだか、修業中も少し様子が変だったから気になってね」
「その…はい。実は……」
「あ、いや、無理に話さなくても良いんだよ…ただ、ほら。一応、立場的に…ね?」

ギンガがどこか言い難そうにしていると思ったのか、兼一は慌てた素振りを見せる。
どうやら、年頃の娘らしい悩みや疑問と勘違いしたようだ。
幾ら師弟の間柄とはいえ、兼一は男性でギンガは女性。
それも、ギンガは多感なお年頃である。師として弟子の事は心身ともに把握しておくべきだが、だからと言って踏み込むべきではない領域という物はある。
そういった可能性を考慮して、兼一なりに気を遣ったつもりなのだろう。

しかし、当のギンガからすればその気の遣い方は的外れも良い所だ。
時に他者の心の奥底まで見抜く眼力を発揮する癖に、普段はどうしてこう察しが悪いのだろう。
ギンガは別にそう言う理由で物憂げにしていた訳ではない。
ただ、こんな事を尋ねて良いのか、その事を悩んでいたのだ。

「いえ、別に師匠が考えている様な事じゃありませんよ。
 ただ、その……」
「?」
「ザフィーラが言っていたんです。師匠の拳は『重かった』って」

ギンガがザフィーラからそんな話を聞いたのは、つい先日行われた模擬戦の名を借りた二人の組手の後の事。

「技術や力だけじゃ、あんなにも芯には響かない。師匠の拳には、強い信念や誇りが乗っていた。
 ザフィーラがそう言っていたんです」
「ふ~ん、なるほどねぇ」

兼一の拳を受けるだけであれば、ギンガはほぼ毎日兼一の拳を体験している。
しかし、ギンガには兼一の拳にそう言ったものを感じた事がない。
より正確には、ギンガではまだ兼一の拳の奥にある物を感じる事が出来ない。
その理由は、あまりにも隔絶した技量の差であり、兼一の拳がギンガを指導する為に放たれる物だからだ。

勝負と修業の中で放つ拳では、当然その意味合いを含め、多くの物が違ってくる。
故に、ギンガにはザフィーラの言っていた事を具体的にイメージしにくい。
だが、弟子の身としては、師の事は少しでも多く知りたいと思う。

『信念』という意味であれば、ある程度分かっているつもりだ。
兼一が貫くのは『活人拳』、目指すものは『信じた正義を貫く強さ』。
全てを十全に理解できていると嘯くつもりはないが、それが師の信念である事は良く知っている。
では、兼一が拳に乗せる誇りとは……?

「……師匠、一つ聞いても良いですか」
「うん、何だい?」

しばしの逡巡の後、ギンガは師に対し胸中の疑問をぶつける事を決意する。
ただ、本当に聞いていいものかどうか自信がなく、その言葉尻はどこか弱い。

「もしかしたら、バカな質問なのかもしれないんですけど……」
「ギンガ」
「は、はい! ごめんなさい、やっぱりこんなこと聞くべきじゃ」
「いや、まだ内容すら聞いてないんだけど」
「あ……」

咄嗟に謝ってしまった自分の早とちりに、ギンガは先ほどとは別の意味で赤面する。
そんな弟子を兼一は微笑ましそうに見つめながら、優しく語りかける。

「何を聞きたいのかは分からないけど、僕に応えられる事なら気兼ねなく聞いてくれていいんだよ。
 君は僕の弟子で、僕は君の師だ。弟子の疑問に答えるのは、師として当たり前のこと。
 ましてや、君がそんなに悩んでいる事を軽く見たりする訳ないじゃないか。
 それとも、僕ってそういう風に見えるのかな?」
「い、いえ! そんな事……!」
「良かった。なら、遠慮せずに聞いてくれると嬉しいな」

一瞬表情の曇った兼一だったが、ギンガの返答を聞いて安堵したように微かに肩の力を抜く。
正直に言ってしまえば、兼一とて不安は多い。
ギンガは実質初めての弟子で、それも年頃の女の子だ。
肉体的、技術的な指導はもちろんだが、それ以上に精神的な部分には一層の配慮が必要。
故に、兼一は今のギンガの返事を聞くまで、内心では戦々恐々としていた。
とはいえ、鉄の自制心でそんな素振りはほとんど見せないし、ギンガも気付くことなく躊躇いがちに心中の疑問を吐露する。

「実は、その……師匠にとって誇りとは何なのかな、と」
「誇り?」
「はい。師匠の信念や流儀は何度も聞かせていただきましたけど、誇りについては……」

そう言えば、聞いた事がなかったように思う。
これほどの実力を持つ、心技体を恐ろしく高度な次元で兼ね備えた兼一が拳に宿す誇りとは、一体……。

「誇りか、誇りねぇ……」

ギンガの問いに、兼一は腕を組んで夜空を仰ぎながら熟考する。
別に、明確な答えを持っていない訳ではないし、言葉にできない様なあやふやな物でもない。
むしろ、言葉にするだけならば簡単だ。だが果たして、それでいいのだろうか。

想いという物は難しい。言葉にすることもそうだが、それを正確に伝えるとなるとなおさら。
言葉が多過ぎても少な過ぎても、想いは思うように相手に伝わらない。
言葉が多過ぎれば返って重さが薄れ、意図しない方向に曲解されるかもしれない。
逆に少な過ぎれば言わずもがなだ。

兼一はしばし熟考に熟考を重ね……自分なりの答えを言ノ葉に乗せる。
多少の気恥かしさと共に。

「僕は、誇りって言うのは『大切な物との繋がり』であり、それに対する『感謝』なんじゃないかと思う」
「繋がりと感謝…ですか」
「うん。大切に思える何かと出会う事が出来た、今も繋がっている。そして、自分を構成する掛け替えのない要素の一つとなってくれた事。それらに対する感謝の念。
 僕は、この人生に感謝しているよ。美羽さんに出会い、武術に出会い、師匠達に出会い、友と出会った。
 それら全てが僕の誇りであり、どれだけ感謝しても足りない宝物なんだ」

確かに兼一は美羽を失った。しかし、彼女と出会えた事への感謝の念はいささかも揺るがない。
それは、兼一が今も美羽との繋がりを実感しているから。
武術が兼一と美羽を繋げ、その繋がりが翔をこの世に産み落とした。
美羽の存在は、今も兼一の心と武、そして翔の中で生きている。そう信じているから。
そして、この出会いもまた……。

「それに、君もね」
「え、私ですか?」
「君は、僕には過ぎた良い弟子だ。正直、身と心が引き締まる思いだよ」
「そ、その……ありがとう、ございます」

優しく頭をなでられながら、ギンガは耳まで真っ赤にして俯いてしまう。
そんな愛弟子を見て、兼一は改めて誓う。『師としては未熟な身なれど、少しでもこの子に相応しくあろう』と。

もしあの時、兼一の拳をザフィーラが重いと思ったのなら、そこにギンガの存在は欠かせない。
兼一はその背に多くの物を背負い、拳にもまた多くの物が乗っている。
師と各門派の名誉を背負う身として、それらに泥を塗る様な事が許されない事は良く分かっていた。
だが、弟子を持つ身となった事で、教わる側からは見えないものが見える様になったと思う。

何より、師にとって弟子の存在が如何に重いのかを、真に理解する事が出来た。
修業時代、師匠達がどんな思いで弟子を見守り、成長を喜んでくれていたか。
弟子が敗北を喫した際には、どれほど自らを責め苛んだ事か。
何を思って、弟子を命懸けの決闘へと送り出したか。
それらが、いまになってようやくわかったのだ。

故に、兼一の拳に宿る誇りは以前よりなお一層重さを増している。
自分に多くの事を教え、気付かせてくれた弟子が誇りに思える、そんな師でありたいから。
まさに『良い師は弟子を育て、よい弟子は師を育てる』という奴だろう。
弟子に学ぶことの意味を、兼一はギンガという弟子を得た事で学んだのだ。

そして、一影九拳が一人「拳帝肘皇 アーガード・ジャム・サイ」はかつて兼一を「良い弟子」と評した。
もしあの時の自分が、今の自分にとってのギンガのように師に想われていたのなら、これほど嬉しい事はない。
だからこそ、自身もまたあの時の師のように、身命を賭して…それこそ「死んでも守る」と誓う。
彼女の存在を誇りに思い、この出会いに感謝すればこそ。

同時に、ギンガもまた言葉にはしないながらも、静かに誓いを立てる。
『この人の弟子でよかった』と、心から思うから。
自分の事を「誇りに思う」と言ってくれる師に対し、己もまた相応しくあろうと。
例え、この先なにがあろうとも……。



BATTLE 27「友」



場所はホテルの裏手。
すぐ目の前には手付かずの大自然、後方には機能性を重視した白亜の建造物がそびえたつ。

よく知る気に呼ばれ現れた兼一は、ホテルを囲む白亜の塀の上からギンガの闘いを見守っていた。
既にギンガは0型の弱点も攻略法も承知の上。
その格闘スキルは厄介だが、対策も叩きこまれている。
御蔭で早々に2機撃破したようだが、やはり元のデータがデータだ。
そう簡単にやらせてはくれないらしい。

「あっちはボリス、それにレイチェルさん……雷薙さんもか」

となれば、最も厄介なのは酔八仙拳を操る雷薙のデータが入った、エンブレムのない機体か。
何しろ、この短期間では主要なYOMIの対策をたたき込むので精一杯。
さすがに幹部級以外の対策までは手が回らなかった。
特に地躺拳独特の低空攻撃や、酔八仙拳の捉えどころのない動きはやり辛いだろう。

「手を出して、蹴散らすのは簡単だ。でも……」

弟子や子どもの戦いに、果たして手を出すべきかどうか。
武人としてなら手を出すのはお門違いなのだが、これが陽動なら話しが複雑になる。
ここは兼一が受け持ち、ギンガには敵の本命を対処させるべきではないか。
何しろ0型だけならまだしも、その後に控えるアレの相手は彼女には荷が勝ち過ぎる。
本命の方も対処できない可能性は捨てきれないが、そんな事を言い出すときりがない。
その辺りを悩む事も策のうちだとすれば、かなり嫌らしい策を練るものだ。

だが、策士ではない彼の読みはまだ甘かったのかもしれない。
恐らく、後に控えるそれが出てきてから策は動きだすと思っていた。
しかし、実際には既に策は動き始めていたのだ。

『きゃっ!?』

通信機越しに漏れてきたのは、反対側…ホテルの正面で防衛ラインを敷く新人達の一人、キャロの声。
モニターを出していないため正確な状況はわからないが、何かが起こったのは明白。
その事にはギンガも気付いたらしい。ギンガの動きが一瞬鈍り、対処できた一撃をもらってしまう。

(くっ!? 一体、向こうでなにが起こっているの?)

ギンガは「鋼」のエンブレムを持つ機体に双掌打を打ちつつ、内心で焦りを自覚する。
しかし、そこで再度向こう側の音声が二人の下へ届く。

『違う違う違う違う!! 
私は、私はここでもやっていける! 一流の隊長達とだって、どんな危険な戦いだって!
 私の、ランスターの弾丸は、ちゃんと敵を撃ち抜ける!!!』

聞こえてきたのはティアナの悲痛な叫び。
なにが起こっているかは相変わらず不明だが、ただならぬ雰囲気である事は伝わってくる。
だが、状況はギンガに悠長に思考を巡らせる時間を与えてはくれなかった。

『――――――』
「ひゅっ!」

三機それぞれから放たれる拳打を、ギンガは身を捩って回避。
その後も、三方を包囲されながらも器用に追撃を捌いていく。

幸い、0型は連携など考慮していないらしく、動き自体はてんでバラバラ。
まぁ、そうでなければさすがにここまで三対一で全てを捌き切るなど不可能だったろうが……。
とはいえ、だからと言って時間をかけて倒すのでは遅い。

(向こうの様子も気になる、悠長にはしていられない! 急がないと!!)

しかし、ギンガに一度に複数の相手を纏めて倒すことに向かない。
やるなら一機ずつ、手際良く潰していくべきだ。

ギンガは包囲する三機の中から「氷」の機体に狙いを絞り、チャンスを待つ。
エンブレムのない機体は捉え所がなく、「鋼」は動きが不必要に派手で逆にやり辛い。
その点「氷」は合理的で無駄がない分、動きに惑わされることが少ないという判断だ。

(……ここ!)
「―――――――――――――」
「はぁぁぁぁぁぁ!!!」

連携を度外視して好き勝手に動く三機の間隙を縫い、渾身の後ろ回し蹴りが「氷」を弾く。
ギンガはその後を追って畳みかけ、同様に残る二機もその後を追う。

ウィングロードを走り、ギンガの貫手が「氷」の肩へと伸びる。
敵はそれを腕で払うも、間もなく影から現れた左拳が払った腕を砕いた。

だが、機械である敵は動じた素振りも見せず、砕かれた腕で殴りかかってくる。
ギンガはそれを左手に展開したバリアで防御。
しかしそれは囮、無くなった腕で殴りかかった分詰められた間合い。
『氷』はそれを利用し、近距離からの頭突きへと持って行く。

「っ!?」

ギンガはそれを反射的に右掌で抑える事で受け止めた。
古流空手の口伝の一つに「夫婦手(めおとで)」と言う技法がある。両の手をつかず離れず同時に動かす手法で、前後の手がそれぞれ攻撃と防御の両方を担う技術だ。

そのままギンガは左手を右腕の肘に添え、思い切り押し上げる。
すると、密着距離でありながら片手分の面積に両手の力が乗り、「氷」の首が大きく揺らぐ。
『馬式 裡肘託塔(ばしき りちゅうたくとう)』という、馬剣星の隠し技の一つ。

ギンガはトドメを指そうと拳を振り上げるが、その動きが止まる。
見れば、いつの間にか残された敵の腕がギンガの襟を掴んでいた。

「しまっ……!?」

た、と言う前に、敵は器用に片腕でギンガを投げる。
危うく地面に叩き落とされそうになるが、片手だった分握りが甘い。

《Wing road》

ウィングロードを再度展開、ブリッツキャリバーを唸らせ振りほどきながら離脱。
その瞬間、ギンガの首筋が突如ざわめく。
咄嗟に喉元にシールドを展開し腕でガードすると、硬い衝突音が響いた。

そこにいたのは、斜め下から飛びかかり、両腕を交差し喉元を鋏の様に挟みこもうとする「鋼」。
防御が僅かに遅ければ、危うく首に多大なダメージを負っていた事だろう。

とはいえ、この距離は彼女としても望む所。
ギンガはその場でバインドを展開。この相手ならAMFもあって間もなく引き千切るだろう。
しかし、一瞬でも間があれば十分。

シールドを解除し、ガードした腕も解いて交差された敵の腕を取る。
そのまま背負い投げへと持って行くが地面まで距離がある以上、着地なり受け身は取られる筈だ。
その意味では、劇的な効果は期待できない。そう、これだけなら。

見れば、頭上には重力の力を借りたエンブレムを持たない機体の姿。
それはギンガ目掛けて空中からの落下を利用した足刀蹴りを放ってくる。
だが、丁度その間へ滑り込む様に投げられる「鋼」。
「空側踹腿(トンコン・ツーチュアイトゥイ)」と呼ばれるそれは今更方向転換もかなわず、吸い込まれるようにして「鋼」の背に突き刺さる。
結果的に、「鋼」はギンガではなく味方の攻撃によって半ばから真っ二つにされた。

「残り…2機!」

その内の一機も、今は標的を捉え損ねたことにより落下の最中。
戻ってくる前にもう一機を仕留められれば、だいぶ楽になる。

探す必要はない。
何しろ、既に「氷」は間近まで迫り攻撃態勢にある。
しかし、ギンガに言わせれば単独でここにいる事自体が失策。
やはり、人間ほど柔軟に物事を判断し技術を応用できないのは、この機体の決定的な弱点だ。

目前まで迫る重い突き。
ギンガはそれを敢えて避ける事も受けることもせず、棒立ちのまま。
だが、それがギンガのすぐ目の前まで来たところで異変が起こる。

異変の正体は「消失」。
脚場であったウィングロードが消え、両者は重力に引かれて落下を開始する。
0型にも多少の浮遊能力はあるようで、「氷」は落下速度を緩やかにしつつ体勢を立て直す。

しかし、その間にギンガはウィングロードを展開。
頭上を取り、ウィングロードから飛び降りて両の肘を落とす。

「いやぁ!!」

「飛翔猿臂落とし(ひしょうえんぴおとし)」。
本来は空中三角飛びを利用するのだが、代わりにウィングロードを用いた頭上からの両肘落とし。
さすがに全体重と重力による加速を用いた一撃は防ぎきれず、残された腕で防ぎながらも勢いよく地面へと落下する。

落下の衝撃により舞い上がる土埃。
土埃が晴れると、そこには見事なまでにひしゃげた「氷」の姿。
これで二機を撃破、残るは一機。

「次!」

残るは、先に落下したエンブレムを持たない機体。
ただ、アレは地面すれすれの低空攻撃を得手とする。
ここで気を抜けば、痛い目を見るだけでは済むまい。
そして、その事実を裏付けるように……

《警報、後ろです》

相棒からもたらされる警告。
ギンガが振り向き様に裏拳を放つと、手首を曲げた鶴頭の部分「酔盃手(すいはいしゅ)」がぶつかり合う。
両者は弾かれた様に一端距離を取るが、片足で立つ敵はユラユラと揺れてどこか頼りない。

だが、ギンガはそれを隙と見て攻めようとはしなかった。
これまでの戦いで、それが誘いでしかない事はすでにわかっている。

「時間が……ない」

ホテル正面からの通信はない。妨害されているのか、する余裕がないのかは分からない。
だからこそ、あまり悠長にもしていられないのだ。

多少無茶でも、ここは強引に押し進む。
覚悟を決めたギンガは、誘いと知りながら足取りのおぼつかないように見える敵へと向かう。

迫るギンガに、敵は軽く地面をけって跳躍。
ギンガの頭上を通り過ぎながら、空中で反転し後頭部に肘打ちを放つ。
『漢鐘離(かんしょうり)』という、酔八仙拳の技だ。

ギンガはそれをバリアだけで防御。
あまりの衝撃にバリアは砕け、回転により勢いのついた肘が首を襲う。
とはいえ、バリアを隔てた事で必倒の一撃には至らない。

なにより、元よりギンガはダメージなど覚悟の上。
その場で反転し、敵を正面に捉えたギンガはダメージと引き換えに溜めこんだ力を解放する。
全力で伸び上がったアッパー気味の拳が突き上げ、追い撃ちに敵の頭を抱え込み「カウ・ロイ(飛び膝蹴り)」で顔面を蹴り潰した。

そうして、ギンガは動かなくなったガジェットからゆっくりと膝を離す。
だが、まだ気を緩める訳にはいかない。
しばし敵が再度動き出さないか警戒を続け、その様子がない事を確認した所で、ようやく大きく息をついた。

「これで………終わり」

多少無茶をした分首にダメージを負ったが、それでも強く柔軟に鍛えられたおかげで覚悟したほどではない。
その事を純粋に師に感謝し、今度こそスバル達の下へ向かおうと振り向けば、そこには兼一の姿が。

「ぇ、師匠?」

何故ここに師がいるのか。訳が分からずギンガは頭に疑問符を浮かべる。
てっきり、とっくの昔にスバル達の援護に行っていると思っていたのに……。

だが、そんなギンガに兼一は褒める様に優しく微笑んだ後、すぐに表情を改め森の奥を睨む。
その表情は厳しく、尋常ならざる何かを感じさせた。
ギンガは聡い娘だ。明らかに普段と違うその雰囲気から、師がここに「いるしかない」事を看破する。

「なにか、いるんですね。それなら私も……」

スバル達の事はもちろん気にかかる。
しかし、果たして師だけを残してこの場を離れていいものか……。
僅かにそんな逡巡を見せる弟子に兼一は苦笑するが、すぐに表情を改めた。

「いや、大丈夫だよ。懐かしい友人が遠路遥々尋ねてきただけさ」
「え? 友達…師匠の?」
「ああ、しばらく会ってなかったけど、昔は何度も拳を交えた間柄だ」

嘘……ではないのだろう、とりあえずは。
その意味も理由もないし、特にこの男は取り繕うのは上手くても嘘が下手だ。
仮に嘘だとしても、つくならもう少しマシな嘘をつく筈。

とはいえ、ただの友人と言う事もありえない。
何しろ今は、紛れもない荒事の最中。
普通の友人なら時と場所を改めれば良いし、そもそも森の奥から来る理由がないのだ。

ならば、尚の事この場を離れるわけにはいかない。
自分がどの程度師の力になれるかわからないが、それでもいないよりはマシと信じたい。
ギンガは意を決しその場に残ろうとするが、兼一はギンガの肩に手を乗せ軽く引く。

「? 師匠……」
「スバルちゃん達が気になる、行ってあげなさい」
「でも!」

自分程度の実力で師の心配をするなどおこがましい事は承知の上。
だが、それで感情を納得させられれば世話はない。
そんなギンガに、兼一は首を横に振りホテルの正面を指差す。

「できれば、より高度な闘いを見せてあげたいんだけどね。
 だけど、向こうの風向きもよくないみたいだ」

故に、今はそんな悠長な事を言っていられる場合ではない。
速く行き、為すべき事を為すのが今のギンガの役目だから。

「弟子の闘いに師匠は出ない、弟子も師の闘いに出て行かない。
 それが武人のルールだ。そう、教えただろう?」
「…………」
「いきなさい」
「……………………………はい!」

兼一は尚も迷う弟子に苦笑しながら、軽くその背を押してやる。
それでようやくギンガも決心がつき、兼一に背を向けウィングロードを伸ばす。

できれば師の戦いを見届けたい。勉強になると言うだけではなく、もっと他の理由で。
だが、ギンガは状況が理解できないほど愚かではなかった。
ここにいてもできる事はないが、他ですべき事が残っている以上是非もない。
しかし、去り際にギンガは一瞬だけ振り向いて胸中で呟く。

(師匠……どうか、ご無事で)

何故そんな事を思ったのか、ギンガにもよく分からない。
並々ならぬ覚悟であの場に立つ師を見た瞬間、心の片隅に宿った重さ。
言いしれぬ不安を振り払う様に、ギンガは首を振って突き進む。
そして、その場に残った兼一は森に向かって呼びかけた。

「悪いね、時間を取らせて。僕の用はもう済んだ、そろそろ顔を見せてくれないか?」
「…………………ソーリー、話しを急かしてしまったか?」
「いや、そんな事はないよ」
「そうか、それを聞いて安心した。そして……久しいな、友よ。
ユーが武の世界に戻った事、嬉しく思う」
「ああ、ありがとう。久しぶりだね、イーサン」

兼一の呼びかけに応じ、森の奥深くから現れたのは、短い金髪のイーサンと呼ばれた屈強な大男。
左目にはうっすらと縦の傷跡があり、他にも所々に傷跡が見て取れる。
厳つい顔立ちと無数の傷跡のせいで、かなりの強面だ。
しかし、その割には纏う雰囲気は静かで、兼一を見る目も穏やかそのもの。
その瞳には、確かに古い友人との再会の喜びがあった。

「それで、あの少女がユーの弟子か?」
「ああ、自慢の一番弟子だよ」
「今の闘いぶりはミーも見た、良い弟子を持ったな。
素直で生真面目、同時に才気に溢れ、何よりも師を慕っている。
元は別のアーツ(技)を学んでいただろうに、一技一技からユーへの信頼が見て取れた」
「わかっているつもりだったけど、君にそう言ってもらえると…やっぱり嬉しいよ」

イーサンがギンガへの手放しの称賛を口にすると、すぐにこらえ切れなくなり破顔する兼一。
本人の言う通り、自慢の弟子を褒めてもらえた事が嬉しくて仕方がないのだろう。
二人の間に流れる空気は和やかで、本当に友との再会を喜びあっているように見えた。
とそこで、男は僅かな驚きを込めて話題を変える。

「だが、意外でもある」
「え?」
「てっきり、ユーはユーと同じくギフト(才能)に恵まれない者を好むと思っていたのだが……」
「まぁ、才能に恵まれない人への思い入れは人一倍だと思うけどね。
でも、才能と人格は別じゃないかな?」
「確かにな……」

白浜兼一は相手を才能で選ぶ様な男ではなく、人格…心のあり方を重視する。
幾度も拳を交え、個人的な交流もあるイーサンはその事をよく知っていた。
そういう意味では、才能のない者を選んで弟子に迎えるのだとしたら、それはそれで一種の選別。
自身の思い違いを理解したイーサンは、苦笑を浮かべて納得した。
そんな彼に向けて、今度は兼一が祝いの言葉を贈る。

「それと、御祝いが遅れてしまったね。
 今更かもしれないけど、一影九拳への就任…おめでとう」
「……やはり、知っていやがりましたか」
「風の噂でね。立場上諸手を上げて祝う、と言うわけにはいかないけど」
「ユーの立場はミーにも理解できる。気にしやがる事はない」

丁寧なのか口汚いのか、良く分からない言葉遣いのイーサン。
今は昔からの流れで日本語で話しているのだが、多少上達はしていても基本的な部分は相変わらずだ。

とはいえ、重要なのはそこではない。
重要なのは「一影九拳への就任」と言う言葉と、イーサンがそれを否定しなかった事実。
イーサン・スタンレイ、一影九拳が一人『拳を秘めたブラフマン』の異名を持つカラリパヤット使い『セロ・ラフマン』の一番弟子であり、いずれは『無』の称号と九拳の座を継ぐと目されたYOMI。
しかし、今は違う。彼は既にその座にあり、闇最強の十人の一角を担う者なのだ。

「まったく、なんだか浦島太郎の気分だ。数年の間に、すっかり置いて行かれた気がするよ」

呟き、兼一は与えられた端末を操作し道着を身につける。
しかし、肝心の防護フィールドを展開する時計を外し、投げ捨てた。

(……ごめんね、なのはちゃん)
「いいのか?」
「道具に頼れば心に隙が生まれる。君と戦うなら、その方がよほど危険だよ。
でも、わからないな。何故君がここにいる。闇は、ジェイル・スカリエッティと手を組んだのか?」
「その質問に対する答えは、ノー。ウィーは、ヒーとヒーの研究に興味がない」
「なら、なぜ?」
「これはミー個人の事情だ。この件に関わる者に、少々義理がある」
「義理? そうか、義理か」

どんな義理があるかは分からないが、実に彼らしい理由だと兼一は思う。
非情を旨とする闇にありながら、彼はどこか他の面々とは違った。
そんな彼だ、義理の為にこんな所までやってきたとしても納得できる。

「何より、ここにはユーがいる。
 そして、ミーとユーがこうして相対した以上する事は一つ」
「ああ」

頷き合い、それぞれに構えを取る二人。
兼一は肘をややまげて腕を前に突き出す防御の型『前羽の構え』。
対して、イーサンは胸の前で腕を交差させ、片足を大きく引いて体勢を落とす独特の構え。

張り詰める空気、ぶつかり合う気迫。
互いの気当たりの余波が木々を揺らし、近くの壁に亀裂を生む。
常人なら十秒と保たずに意識を失う程に強烈な圧力だが、さらに際限なくその密度を増していく。

「思えば、ミーは一度もユーに勝った事がなかったな」
「僕の記憶が正しければ、勝ったり負けたりだったと思うんだけどな」
「殺せなかった以上、それはミーの勝利ではない。
 だからこそ、今日こそは勝たせてもらう」
「生憎だけど、それはできないな。
 弟子と息子を路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」

言葉を交わす間も緩むことなく激しさを増す気当たりの衝突。
しかし、どれほど天井知らずに思えても、いずれは限界が訪れる。
高まり続けた圧力は臨界を迎え、ついに――――――――――爆ぜた。

「ぬん!!!」
「おお!!!」



  *  *  *  *  *



時を同じくして、ホテル正面の広々としたロータリー。
ガジェットの残骸が散乱し、三つの人影が倒れ伏す中、二人の男女が対峙していた。
片や溢れんばかりの笑みを湛えた空色の髪の青年。片や敵意全開で眉間にしわを寄せる青髪の少女。
そして青髪の少女の後ろには、信じられない者を見る様に眼を見開いた燈色の髪の少女の姿。

「なんで、ギンガさんが……」
「……」

ティアナの問いに、青髪の少女…ギンガは答えない。
より正確には、「答えられない」と言うべきか。

ギンガは理解しているのだ。
目の前にいる一見軽そうな男の実力が、決して侮って良いものではない事を。
それこそ、全身全霊で挑んでなお厳しい戦いになる事がありありと想像できるからこそ、僅かでも隙を見せるようなマネはできない。迂闊にそんな隙を見せれば、一瞬で殺される。
一撃受け止めただけで、ギンガにそれだけの警戒心を抱かせる程の物がアノニマートにはあった。
ただ、当のアノニマートと言えば、相も変わらず軽い調子のままだ。

「お~、なんて絶好のタイミング。危うい所で仲間の窮地に駆けつける、か。
いいねいいね~、正に王道! カッコイイ♪ うん、これは敵役の僕の好感度もウナギ登りだよ!」

何やらとてもいい笑顔でサムズアップするアノニマート。
それに対し、ギンガは最大限に警戒しつつも、つい胡散臭いという表情を浮かべてしまう。

(本当に、この人がみんなを?)

正直、早速先ほど抱いた「勝てるかわからない程の強敵」という認識が揺らぎだしている。
それほどまでにアノニマートの口調と態度は軽く、緊張感という物がない。
しっかり心を引き締めていないと、吊られて脱力してしまいそうだ。

「ね~、少しは言葉のキャッチボールしない?
もっとしゃべろうよ~。コミュニケーションコミュニケーション~。
僕一人喋ってバカみたいじゃん。寂しいよ~、泣いちゃうぞ~」

だが、アノニマートはそれでは不満らしく、身振り手振りで会話を求めて来る。
そんな相手の必死な様子に、ギンガは心の底からの感情を込めて呟く。

「あ~、なんというか……調子が狂うわね」
「酷っ!? 酷いよ~。僕、君と会うのをずっと楽しみにしてたんだよぉ~」
(そんなのはあなたの勝手でしょ)

とは思っても、絶対に口にはしない。
何しろ一度でもまともに答えればそれは相手の思うつぼ。
こういう手合いは、相手にすればどんどんペースに引き摺りこまれてしまう。
まだアノニマートがいじけながら何か言っているが、そんな事より今は優先すべき事がある。
出来れば今はあまり目の前の敵以外に僅かでも意識を裂きたくないのだが、これは今しかできない。

「ティアナ、よく聞いて。私が彼を足止めするから、その間にみんなを連れて下がって」
「そんな! 私はまだ……」
「お願い、あなたにしか頼めないの」

ギンガの言に思わず目を見開き、なけなしの自尊心でティアナは食い下がろうとする。
しかし、そんなティアナの言葉にかぶせる様に、ギンガは重ねて言い聞かせる。

正直に言ってしまえば、こんなものは方便だ。
今この状況では、ティアナの存在は足枷にしかならない。
態度こそ浮き上がりそうな程に軽いが、この敵を相手に他者を庇う余裕はないのが現実だろう。
意識のないスバル達を避難させてほしいのは確かだが、そもそもティアナの存在は助力たりえないのだ。

言葉の上ではギンガが囮となり、ティアナが仲間の身の安全を確保する重要な役割に聞こえる。
だが、ティアナは決して頭の悪い少女ではない。
ギンガの言い回しの本質を正確に理解し、それが事実である事も理解できるからこそ、彼女の表情は苦渋に歪む。

自分の力の及ばない実力を持つ二人。この場にあって足手まといにしかならない、そんな現実を覆せない自分。
それら全てが悔しくて、情けなくて、何もできない自分が許せない。
普段の彼女なら、それでも感情を抑え込んで与えられた役割を実行できたかもしれない。
あるいは、つい先ほどまでのティアナなら、暴走しアノニマートに挑んだだろう。

しかし、崩れかけた心はそのどちらも選ぶ事が出来ず、その事がなお一層彼女の心を苛む。
出来ればそんなティアナに声を掛けてやりたいが、ギンガにもそんな余裕はない。
だが、この場でただ一人、空気の読めない男だけは気の抜ける口調で茶々を入れて来る。

「お~い、二人だけで話さないでよぉ~、蚊帳の外はつまんないよぉ~」
「……いったい、何を話したいって言うの?」
「やぁ、やっとちゃんと返事をしてくれたね! とりあえず、ちょっと久しぶりギンガ・ナカジマさん♪」
「そう、私の事を知ってるのね……」
「あれ、覚えてない? まぁ、ナンパ男の一人や二人、印象に残ってなくても仕方ないか。
 じゃあ、改めて自己紹介。僕の名前はアノニマート、よろしくね♪」
「ナンパ……ぁっ!」
「思い出して、もらえたかな?」

しばらく前、翔と一緒に市街へ出かけた時に出会いナンパしてきた男だ。
その時の事を思い出し、ギンガの表情に苦い物が浮かぶ。

「さて、自己紹介も済んだ所で…ギンガさん」

口調からは先ほどまでの軽さが消え、目には鋭い光が宿る。
ギンガは咄嗟に前羽の構えを取り、いつなにが起こっても対処できるよう守りを固めた。
そして、アノニマートは握りこんだ右拳を勢い良くギンガへ向けて突き出し……

「一目惚れです! 結婚を前提にお付き合いしてください!!」

至極真面目な顔と口調で、とんでもなく阿呆なことを口走った。
ピリピリと張り詰めた空気は完全に弛緩し、風が虚しく両者の間を吹き抜ける。
ギンガのみならず、ティアナまでもが白い目をアノニマートに向けている。
そんな二人の様子にさすがにアノニマートもミスを悟ったのか、恐る恐るといった様子で口を開く。

「えっと、やっぱりいきなりプロポーズは急すぎたかな? …………な、なんなら友達からでも」
「いや、そう言う事じゃなくて……」

求婚から一転、本人なりに下手に出たつもりの態度に、ギンガ自身もうなんと返していいかわからない。
いきなり愛の告白をされても困ると言うのは確かだが、これはそれ以前の問題。
そもそも、空気を読めていないにも程がある。

「むむ、という事はつまりアレだね。『私、自分より弱い人って興味ないんです』な人と見た!?」

修業時の兼一とは違った意味で、言葉は通じているのに話が通じない。
というか、明らかにギンガとアノニマートとの間で何かが激しくずれている。

「よし、そう言う事なら話は早い。僕が勝ったら交換日記からお願いします!」
(意外と古風、なのかしら?)

すっかりペースを狂わされ、非常にどうでもいい事が頭をよぎる。
何と言うか、いまいちどこまで本気で言っているかわかりにくい。
全て本気の様でもあるし、同時にポーズの様にも思える。

一つ言えるのは、どうにもペースを狂わされっぱなしと言う現実だ。
静の武術家としてこれではいけないとわかりつつ、それでも掻き乱されてしまう。
だが、そんな正真正銘の雑念に動揺させられている場合ではない。
性格こそどうしようもないスチャラカだが、その構えは紛れもない一級品。

「ほらほら、時間も惜しいしそろそろ始めようよ。あっちはもう凄い事になってるしねぇ~」

言って、アノニマートが視線を向けるのはホテルの裏手。
ここからでは何も見えないが、つい先ほどから断続的に轟音が轟いている。
アノニマートの言う通り、あちらで師である兼一が何者かと激闘を繰り広げているのは間違いない。

(一体何者なの? 師匠とあそこまで渡り合えるなんて……)

兼一からは古い友と聞きはしたが、師と互角に渡り合っているであろうまだ見ぬ誰かに戦慄を覚える。
この場合、さすがは「師の旧友」と言うべきなのかもしれない。
しかしそれでも、ギンガは師が苦戦する様な相手が存在するなど想像できなかった。
もし例外がいるとすれば、それは梁山泊の豪傑達くらいだと。
それほどまでに、ギンガの中で白浜兼一という武人の存在は絶対的な物になっていた。
故に信じている。師は、今回も必ずや勝利をおさめると。
だと言うのに、何故この胸のうちに燻ぶる不安は一向に消えないのだろう。

(……いいえ。そんな事、ある訳ない。師匠に限って、そんな……)

胸中で頭を振り、嫌な想像を振り払う。
ザフィーラと闘った時でさえ、どこか余裕の様な兼一を師は秘めていた様に思う。
そんな師が、肉体と精神の屈強さは言うに及ばず、繊細な技術においては隊長達ですら一日の長を認める彼に限って、そんなことある訳がない。

しかし、そんなギンガの胸中の混沌など、アノニマートには関係のない話。
いい加減、睨み合いにも飽きて来たのか。静かに彼は大地を蹴った。

「さあ、いくよ!」
「くっ、ティアナ下がって!」

ギンガは即座に気持ちを切り替え、迎撃態勢を取る。
だが、開戦を告げる初撃は、ギンガの意表を突くものだった。

「えあっ!!」
「……っ!?」

走りだすと同時に前方へと跳躍。
前方宙返りをしながら回転の勢いを利用し、ギンガの脳天目掛けて蹴りが落ちて来る。

別段、初手から一撃必殺を狙ってこない訳ではない。
ギンガもそれを念頭に置き、どんな攻撃が着ても良い様に備えていたつもりだった。
しかし、それにしてもいきなり隙も大きい大技「胴廻し回転蹴り」を放ってくるのは予想外。

意表を突かれたギンガは思わず足を止めてしまうが、それでも咄嗟に両腕を頭上で交差させ「十字受け」の体勢を取る。
全ての力を受けに集中することで、強力な攻撃も防ぐことが可能となるこの技。
これにより、ギンガは辛うじて初撃を防ぎきった。だが……

(くっ、重い……!)

さすがに、蹴りの威力だけでなく全体重と回転の力も加わる「胴廻し回転蹴り」。
なんとか防御こそ間に合ったが、あまりの重さにギンガの表情が苦渋で歪む。

ここで防御を破られれば、蹴りは頭部を直撃。
それも、これだけの威力を伴った蹴りを受ければ、ダメージは甚大。
最悪、一撃で沈められてしまうかもしれない。

(でも、このままだと押し切られる…なら!!)

ギンガは即座に決断し、両腕の角度を傾ける事で蹴りの威力を受け流しにかかる。
それは見事に功を奏し、押し切るよりも前にいなされた蹴りがアスファルトで舗装された地面を粉砕した。
こうなれば、奇襲による危機は一転して好機となる。

無言のまま、ギンガはその場で左足を軸に身体を反転。
無防備な敵の背中を取ると、流れる様な動作でムエタイの回転肘打ち「ソーク・クラブ」を放つ。
初手から脳天を狙われた意趣返しのつもりはないが、狙いは敵の後頭部。

「おっとっと……」

しかしそれを、アノニマートは後頭部に両掌をやる事で防ぐ。
もし片手で受けていれば、防御を無視して痛烈な一撃を入れることもできただろう。
だが、両手をクッションにした事で、狙った成果は得られなかった。
それどころか、アノニマートは受けた肘を握り締める。

なにを狙っているかは分からないが、左腕を取られたのは事実。
確実に何かを仕掛けて来る。しかし、取られたという事実は、見方を変えればギンガが取ったとも言える。
特に、柔術を修めているギンガとなれば尚更……。

「させない!」
「おぉ?」

アノニマートが何事か仕掛けて来るより速く、掴まれた肘を逆に利用して体を崩す。
ギンガはそのままアノニマートを投げようとするが、肘を掴んでいた手が外れてしまう。

「ラッキ~! いやぁ、実は今ので手が痺れてたんだよねぇ~」
(どうだか!)

確かに、渾身のソーク・クラブを受けた以上、手に痺れが残っていても不思議はない。
それが結果的に握りを甘くし、投げを回避するに至ったと言うのは道理が通る。
しかしアノニマートのどこまでも軽く緩い態度では、到底信用できない。

とはいえ、投げを外された事で致命的な隙を晒してしまった。
ギンガは体裁もなにもかなぐり捨て、懸命に前へと向かって飛ぶ。
だが、それに僅かに先んじてアノニマートが動いた。

「フンッ!」

放つは、中国拳法は八極拳の一手「貼山靠(てんざんこう)」。
別名「鉄山靠」とも呼ばれる、肩で体当たりし内部の勁と外部の打撃を同時に与える技。
互いに背中合わせの状態から、向き直るのでは遅いと判断したのだろう。
背中を向けたままの状態でも放てる技を選択した事で、有効打を入れる事に成功した。

「かはっ!?」

あまりの衝撃に、肺の中が空になる。
弾き飛ばされたギンガは、アスファルトの上を無様に転がっていく。

しかし、それでもギンガは回転する視界の中でアノニマートの姿だけは注視し続ける。
日頃達人の手で徹底的に叩きのめされているおかげか、ギンガのダメージへの耐性は尋常ではない。

例え、どれだけ強力な一撃を受けても意識を繋ぎとめる。
そして、決して敵から目は逸らさない。
それを、骨の髄まで叩き込まれてきたのだから。

ギンガは転がりながらも地面に両腕をつき、制動を掛けると同時に身体を起こす。
前方に跳びかけていた事で、派手に弾き飛ばされこそしたが、ダメージは決定的なものではない事が幸いした。

顔を上げれば、丁度アノニマートがこちらを振り向き、再度地面を蹴って追撃を掛けようとしている。
倒れている相手への攻撃は、卑怯でも何でもない。
これは試合でもなければ、何かの大会のようなルールがある訳でもない。
倒れた相手への追撃は至極当然の行為であり、この場合は倒れたままでいる相手が悪いのだ。

言わば、倒れたままでいる事は「殺してください」と言っている様な物。
それをよく理解しているが故に、ギンガは乱れた呼吸のまま、急ぎ体勢を整えようとする。
だがそれよりも早く、アノニマートは一瞬のうちに彼我の距離を消し去った。

「なっ!?」
「ほら、隙ありだよ!!」

ギンガは反射的にアノニマートを追い払おうと貫手を放つ。
しかし、寸前で身体を横倒しにする事で回避されてしまう。

「よっと」

身体を横倒しにしたまま、器用にアノニマートの拳がギンガの顔面へと伸びる。
貫手を放ったばかりで、守りはがら空き。
そのまま吸い込まれるようにしてアノニマートの拳がギンガの頬に突き刺さる。

「へぇ……」

だが、徹底的に打ちのめされてきたギンガは、この程度では怯まない。
それどころか、打たれながらもその場から勢いよく立ちあがり、突き上げと膝蹴りを同時に放つ。
『迎門鉄臂(げいもんてっぴ)』心意六合拳の一手である。
密着状態に近い体勢であるが故に、防御も回避もまず困難なこの状況で放った返しの一撃。
しかしそれは、アノニマートがその場から出鱈目な速さで下がる事で、僅かに鼻先を掠めるだけに留まった。

「ひゅう、危ない危ない♪ 今のはちょっとヒヤッとしたよ。
いやぁ、僕の目に狂いはなかったね。打たれても怯まず打ち返すその気概、素敵だねぇ~。
 益々あなたの事が好きになっちゃいそうだよ」

拳の掠めた鼻先を嬉しそうに掻きながらも、アノニマートの余裕は崩れない。
ここに来て、ギンガもまた理解し、認めざるを得なかった。
いけすかない程に軽薄な男だが、なにより―――――――――――強い。
恐らく、現時点においては自分を上回る実力の持ち主だ。
なにより、この男は……

(速い。とにかく、べらぼうに速い)

ローラーブーツ型デバイスを使用するギンガと比較しても尚、この男は速い。
機動力には自信のあるギンガだったが、それでも単純な速力は相手の方が上だ。
正直、なけなしの自信が揺らぐ。
どうも、根底から揺るがした本人にその意識がないらしいのは、腹立たしい限りだが。

「あれ? どうしたの、また黙り込んじゃって?」
(でも、反応できない程じゃない)

幸いだったのは、その速度が決して対応できない程ではないと言う事。
達人の速度に慣れ親しんできた経験の賜物だ。
そうでなければ、とうの昔に沈んでいた事だろう。

だが、逆を言えばちゃんと打ち合う事が出来ると言う事。
師のように、そもそも触れることすらできないような相手ではない。
ならば、勝負を投げるには早い。
ただ、その為には気がかりが一つ。

「ん? ああ、もしかしてあの子達の事が気になるの?」

そう言ってアノニマートが視線を向けるのは、座り込んだティアナと未だに意識の戻る様子のない3人。
闘いにすらならないような相手ではないのは確かだ。
しかしそのためには、周囲に対して気を配るような余裕など保っていられない。
なんとか4人を安全圏へと逃がしたいが、この敵が相手では困難を極める。

「やれやれ、手合わせの最中に余所見って、ちょっと失礼じゃない? ぶっちゃけ、割と傷つくよ?」

肩を竦めるアノニマートだが、ギンガはそんな事は無視。
念話でティアナだけでも非難する様に伝えるが、どうにも反応が鈍い。
負傷というよりも、精神的な何かが原因のようだ。
ギンガには詳細などわかる筈もないが、一体この男はティアナになにを吹きこんだのか。

「ねぇ、ギンガさん。そんな所にいないで、こっちにおいでよ。友達に、なろう」

これまでと違う、万感を込めた、真摯な申し出。
それまでの軽さなど微塵もなく、誰が聞いても本気を疑わない声音だ。
これには、さすがのギンガも当惑を隠せない。

「いまの君じゃ、僕には勝てない。何故か、それは実力以前の問題だよ。
 簡単な話さ。今の君には、枷がある。それが君の実力を制限し、拳を鈍らせている。
 僕は………………それが許せない。あなたは、もっとのびのびと拳を振るうべきだ」
「あなた、何を言って……」
「わからない? それとも、考えない様にしてる?
 なら、僕がはっきり言ってあげる。例え相手を傷つけるとしても、事実を伝えなきゃならない時があるからね。
 それを恐れてためらっている様じゃ、真の友情は得られないんだから」

諭す様な声音で紡がれる言葉は、知らず知らずのうちにギンガの耳を傾けさせる。
軽い調子だったそれまでとのギャップによるものか、あるいはそこに芯に相手を思う心が籠っているからか。
いずれにせよ、ギンガをして無視できない響きがそこにはあった。

「君の枷、それは…………アレだよ」

アノニマートの指が指し示す先にある者。それは、ティアナの姿。

「武術…いや、闘争の世界は冷酷で残酷だ。弱い者、及ばない者は容赦なく切り捨てられていく。
 だけど、それも仕方がない事なんだよ。だって、そもそも戦うと言う事は他者を淘汰すると言う事なんだから。
勝った者は上へ、負けた者は下へ。それが世界の、そして人間の決めたルール。
だって言うのに、君はまだあんな敗者に固執してる。余裕もないのに外野の事を気にしてる。
それはもう優しさじゃない、甘さだ。活人拳の思想と同じ、唾棄すべき不純物だよ」
「なん、ですって?」
「非情の拳、空なる心こそが武の真髄。
優れた技とは、即ち効率的な人体の破壊。故にそれを鈍らせる情は枷にしかならない。
技を究め、最強へ至る道を阻害する邪魔物、それが情だ。
君も武人なら、頂へと手を伸ばすのなら、いつまでもそんな物に……」
「黙りなさい」

滔々と語るアノニマートの言葉に、ギンガの冷めた声が被さる。
そこには、一時でも相手の言葉に耳を傾けてしまった自分自身への怒りが込められていた。

「心のない力は只の暴力よ! 私は、そんなもの……認めない!
 これは守るための拳。『不殺』『護身』を貫く、『活かす』為の武。
 師匠が積み上げ、私が教わったのは、情なくして成り立たない『心の技』。
 私はこの技を、拳を、信念を誇りに思う。あの人の弟子である事が何より誇らしい!
それを、あなたなんかに否定される筋合いはないわ!!
あなたがなんと言おうと、私は絶対に仲間を、友達を見捨てたりしない!!!」

声高々に活人拳の理念を否定するアノニマートに、ギンガは声を大にして反論する。
弟子として、一活人拳の拳士として、アノニマートの言葉は容認できない。
誇りを、尊厳を貶められて黙っている事など、できるものか。
だが、そんなギンガにアノニマートが返したのは、盛大な哄笑だった。

「はは…はははははははは! アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「何がおかしいの!」
「いやいや、そんな怒らないでよ。ただ、ハハ…きっと君ならそう言うと思ってたってだけなんだからさ」
「?」
「いや~、クク…さすがは彼の一人多国籍軍のお弟子さんだ。言う事が違う。
 期待に違わないと言うか、想像以上に筋金入りというか……フフフ、活人拳してるねぇ~」

未だ笑いが堪え切れないのか、くもぐもった笑いを洩らす。
一つ言えるのは、先ほどまであった見下すような調子が消えうせている事。

「うん、そうだろうとは思ってたけど、やっぱり僕達はこの点において相容れないらしい。
 もしかしたらって期待してたんだけど……残念♪
 ま、仕方ないかなぁ~」
「随分とあっさりしてるのね」
「そりゃね。ギンガさんはあの人の弟子なわけだからさ、ある程度は予想してたよ。
 それに、同志にはなれなくても友達になる線はまだ残ってるし」
「は? いま、完全に決裂したでしょ」

そう、二人の思想は相容れず、それ故にギンガとアノニマートの道は決して交わる事はない。
それを、アノニマート自身がたった今認めた筈ではなかったか。
だというのに、当のアノニマートはあっけらかんとした様子で逆に聞き返す。

「え、なにが?」
「いや、だから……」
「闘う中で育まれる友情ってのもありだよねぇ~。
 うん、拳で語るってやつ? ちょっと憧れてたんだ♪」
「たった今、『情』を否定したあなたが友『情』を求めるって…矛盾してるとは思わないの?」
「……ありゃ?」

よほどギンガの指摘が意外だったのか、呆けた表情を浮かべるアノニマート。
彼はその場で腕を組み「うんうん」唸りながら悩み始め、そして……

「あ~……うん! 細かい事は気にしない!」

あっけらかんと、それまで悩んでいたのが嘘のように朗らかに言ってのけた。
正直、まさかここまで自分に都合の良い性格をしているとは思っていなかったらしい。
さすがのギンガも、状況を忘れて空いた口が塞がらない。

とりあえず、この相手にはもう何を言っても無駄らしい。
ギンガは痛む頭で見切りを付け、これ以上は付き合っていられないとばかりに構えを取る。

そんなギンガの意図を理解したのか、それとも気迫に呼応したのか。
いずれにせよ、アノニマートも途端に口を閉ざした。

場を包む、異様なまでの静寂。
遠雷の如く断続的に響く遠方の激闘の音とは、対照的でさえある。

機を伺うアノニマートに対し、ギンガはまず己が内面と向き合う。
乱れた心を静め、制空圏を整えて行く。
速度では相手が上だが、膂力はまだ不明瞭。ただし、決して圧倒的有利とはいくまい。
技術面でもそう。今まで使われた技は、ギンガもよく知るものばかりだったが、その多彩さは自分や師に通じるものがある。もっと引き出しが多いとすれば、厄介な事になるだろう。
総合的に判断すれば、やはりギンガの方が分が悪いと言わざるを得ない。

それに、まだティアナ達の問題が解決していない。
だが、そんなギンガの心の内を読んだかのように、アノニマートが口を開く。

「安心して良いよ。闘う意思のない人間をどうこうする気はないからね。
 弱点があれば突くのは当然だけど、だからと言って卑怯なマネはしないさ」

どこまで信用して良いかは定かではない。
しかし、ギンガは特に理由もなく信じても良いと思えた。
拳を交えたからこそわかる事がある。この男は、平然と人を傷つけ殺める事はできるが、決して外道ではない。

「さあ。いざ尋常に、勝負!」

動きだしたのは二人同時。
受けに回ってはならないと、ギンガはブリッツキャリバーを駆って、ウィングロードの上を縦横無尽に駆ける。
そんなギンガと一定の距離を保ちながら、アノニマートもまた仕掛ける為の隙を探っている。
そして、先に動いたのは……ギンガだった。

「はぁぁぁぁ!!」

速い相手には、懐に入って先手を封じよ。それが師の教え。
ウィングロードを疾走し、斜め上方から大胆に間合いを詰める。

それに対し、アノニマートは敢えて足を止めて迎え撃つ。
やがて、急速に二人の距離は縮まって行き、両者の制空圏が接触した。

「ちぇす!」
「ぜりゃあ!」

どっしりと大地に根を下ろしたアノニマートは、空手の「回し受け」を駆使してギンガの拳を一つ一つ丁寧に払っていく。
対するギンガも、払われた隙目掛けて襲い掛かるアノニマートの拳を着実に中国拳法の「化剄」で受け流す。

「ちっちっち……う~ん、やっぱりそう簡単にはいかないか。
 それに、結構手癖が悪いんだねぇ」
「それは! お互い様! でしょ!」
「確かにね~♪」

互いが互いに有効打を入れられず、かと言って崩す隙も見いだせない。
ギンガは動き周りながら角度を変えるも、アノニマートは右足を軸にその都度ギンガを視界にとらえて対応。
激しいながらも状況は膠着し始めるが、ギンガは己が顔のすぐ横を通り過ぎた拳の型が変化している事に気付いた。その形は、さながら鋏の様。

(これって、確か……!)

もしギンガの読みが正しければ、この拳を受けるのは危険だ。
唯でさえ手を変え品を変え、更には攻撃方向や角度さえも変えながらアノニマートに的を絞らせない様に闘っていると言うのに、更に状況が悪化してしまう。

「この指の形。まさか、鋏状打(サムダムシカ)……カラリパヤット!?」
「大・正・解!! さっすが、良い師に学んでるぅ♪
 そんなギンガさんには、こんな技をプレゼント!!」

それまで不動の体勢だったアノニマートが、ギンガの後ろ回し蹴りを跳躍によって回避。
続いて、「ドン!」と言う音と共にアノニマートが空中で跳ねた。
残されたのは、中空に浮かぶ青色のベルカ式魔法陣のみ。

「猛獣跳撃(スラガンハリマウ)!!」

視線を転じれば、そこにはさながら猛獣のように飛びかかってくるアノニマート。
瞬く間の間にその両手は首へと伸び、落下の勢いと自重を乗せて首を折りに掛かる。

(今度のは、確かプンチャック・シラット? 一体どれだけの武術を……)

知識の戸棚をあけながら、ギンガは首へと迫った手を両腕で防ぐ。
そのまま後ろに倒れ込み、同時に相手の腹を蹴りあげ、変則的な「巴投げ」に持ち込んだ。
だが、脚に伝わってきたのは、まるで分厚いゴムの塊を蹴ったかのような感触。
一応投げだけでなく蹴りでもダメージは狙っていたが、攻撃されながらだったため体勢が不十分。
これでは蹴りによるダメージは期待できない。あとは、投げによるダメージに期待するしかないが……。
投げ飛ばされたアノニマートは、器用に空中で身を捻ると危なげなく着地を決めていた。

(やっぱり……)

思った通り、これでは投げによるダメージもないだろう。
ようやく入れられた有効打と思ったが、中々思うようにはいかない。
ギンガは蹴りの勢いを利用して後転の要領で起き上がるも、相手の方が僅かに体勢を整えたのが速い。

「けへけへ……いやぁ、効いた効いた! 手くせだけじゃなくて足癖悪いんだからもぉ~」

言いながら、アノニマートは先ほどとはまた異なる形の拳で襲い掛かって来た。
動と静はここで逆転し、ギンガはアノニマートからの猛追に晒される事になる。
なんとか制空圏を築いて迎撃するが、徐々に徐々に押し込まれていく。

それにしても、人の事を言えた義理ではないが、それでもあまりの多彩さに圧倒される。
ここ最近、師からやたら色々な武術の情報を叩きこまれていなければ、対処しきれなかったかもしれない。

(あるいは、この事も師匠は予期していたのかしら?)

あながちあり得ないと言う事もなさそうだが、それでも今は感謝している余裕すらないのが実情。
もし、アノニマートが正しくカラリパヤットを習得しているとすれば……。

(『経穴(マルマン)を断たせてはいけない』か。
正直、あの時はマユツバと思ったけど、もし本当だとしたら……)

師によれば「経穴(マルマン)を突かれれば、最悪一撃で仕留められる事もある」とか。
幾ら師の教えとは言え、ツボを突かれただけでそこまでの影響があるとは信じられなかった。
しかし、いま身体でその真偽を確かめる気にはとてもなれない。
ならば、決して経穴(マルマン)を突かれない様に対処するしかない。

(ふぅ~……制空圏を絞り、相手の目を見る。攻撃の全てを、ただ後ろへと受け流す)
(ん? いま、当たったと思ったんだけど、すりぬけた? これって確か……)

制空圏の守りを抜いて放った拳。
今度こそ確実に捉えたと思ったそれは、虚しく空を切った。

僅かにいぶかしみながら、アノニマートは立て続けに突きを、蹴りを放つ。
だが、その悉くが薄皮一枚の所でギンガに届かない。
それどころか、間隙を縫ってギンガの突きや手刀が迫る。

「もしかして、今のが流水制空圏って奴かな?」
(流水制空圏の事まで知ってる!? この人、一体……)
「知ってはいたけど、体験するのと知ってるのはやっぱり大違いだ。
うん、確かに厄介な技だね。もしかしたら、僕もちょ~っと裏技を使わせてもらうことになるかもねん♪」
「っ!!」

言うや否や、アノニマートを中心とした空気が変質した。
軽い調子はそのままに、緩い空気もそのままに。
だがその奥で、確かに何かが決定的に変わった事をギンガは悟った。



  *  *  *  *  *



場所は戻ってホテルの裏手。
正面玄関と違い人の出入りも少ない場所だが、もちろんその作りに手抜きなどはない。
深い緑と近代的な建造物という相反する存在が調和するよう、緻密な計算により構成された空間。
その配慮は、普段一目に付かない場所にも及んでいる。

そんな高級ホテルの名に相応しい景観は今…………見るも無残な廃墟と化していた。

「ぬん!!」
「ちぇちぇちぇちぇすとぉぉお!!」

常人の眼には軌跡すら捕らえる事を許されない速度で動く二つの影。
唸りを上げて大地を砕く拳、大気を裂いて轟く蹴り。
一瞬の交錯の内に交わされる攻防は、優に40を超える。
同時にその一撃一撃は、並の魔導師を容易く絶命させる威力を備えていた。

強固な壁を紙細工の如く抉り、太くしなやかな木々を小枝の如く千切り飛ばす。
巻き込まれれば、その瞬間粉々になること間違いなしの破壊の嵐。

その嵐の中心に立つ二人。
兼一とイーサンはしかし、これほどの闘いを繰り広げてもなお無傷。

「……しまっ!?」

僅かに視界を横切った舗装された道の破片。
通常であればそれだけで終わる筈の出来事。
しかし、この域に達してしまえばたったそれだけの事が十分な隙となる。

一瞬だけ視界から消えたイーサンの姿。
相手は一影九拳にまで上り詰めた稀代の武人だ。
その隙を逃すことなくイーサンは接敵し、丸太の如き脚を振り上げる。

『マハーシヴァキック』。
柔軟性、瞬発力、脚力に秀でたカラリパヤットの蹴りは、ガードしても腕が砕ける程の威力を誇る。

コンマ一秒以下の反応の遅れが致命的。
既に回避も防御も間に合わないその状況で、兼一は諦めたかのように表情を緩めた。

「ひゅ……」
「ガァッ!」

舗装された大地を踏み砕きながら、兼一の身体に深々とイーサンの蹴りが突き刺さる。
その身体は天高く舞い上がり、放物線を描いて落下していく。

アレほどの一撃を、防御するどころか気を抜いて受ければ絶命は必至。
にもかかわらず、そのまま頭から地面に叩きつけられるかと思われた兼一は、その寸前に体勢を立て直して着地。
深く息をつくと、兼一は僅かに顔をしかめながら立ち上がる。

「あいちち…いや、今のは危なかった」
「相変わらずの、見事な流水。隠棲してもなお、武の練磨は怠りやがらなかったか」

どうやって絶命必死の一撃を受けて生存したのか、その秘密はイーサンの口にした「流水」と言う言葉。
日本の古武術の技法であり、太極拳の極意の一つ「捨己従人」同様、相手の力に逆らわないと言う事。
完全に己を捨て、脱力する事でイーサンの蹴りを受け流したのだ。
いや、それどころか……

「これでも梁山泊の一番弟子だよ。翔に伝える為とは別に、その名に相応しい武人であろうと僕なりに努力してきたつもりさ。でも、さすがは一影九拳。今のは入ると思ったんだけどな……」
「流水からのカウンターはユーの得意技でせう。
昔何度も痛い目を見た、プリケーション(警戒)するのは当然だ」

そう、イーサンに蹴りあげられる瞬間、兼一の体は一瞬大き「く」の字に折れ曲がった。
それを利用し、イーサンの脳天に頭突き放っていたのだ。
残念ながら、それを予期していたイーサンには防がれてしまったが。

「それは、その呼吸も含めてかい?」
「気付いていたか、さすがだな。流水制空圏にはヨーガの呼吸をもって対する、それがセオリー」

流水制空圏は目から相手の流れを知る技だが、その実全体から呼吸を読み取る技。
故に、ヨーガの呼吸によって呼吸を乱せば上手く作用しない。
だがそれも、兼一が未熟であった頃の話。

「侮るなよ、イーサン。昔ならいざ知らず、今の僕にそんな小細工は通用しない」

言って、兼一は深く心を静めていき、次第にその顔からは表情と言う物が消え失せる。
呼吸を乱すと言うのなら、その意図的に乱された呼吸も含めて呼んでしまえばいい。
兼一とて仮にも達人、そんな芸当も不可能ではない。

とはいえ、そんな事はイーサンとて承知の上。
彼は白浜兼一を好敵手として高く評価し、同時に一武人として尊敬してすらいる。
たとえ歩み道、胸に秘める思想は違えど、その思いには一片の疑問も曇りもない。

「侮ってなどいない。ミーはただ、最善を尽くしているだけだ。行くぞ、友よ!」
「っ!?」

イーサンは呟きと共に、深く息を吸う。
それを見てとり、兼一の警戒レベルが急上昇する。
彼自身も踏ん張り堪えるかのように深くスタンスをとった。
そして間もなく、ホテルアグスタに奇怪な声が響き渡る。

「……■■■■■■■■■■■■■■!!」
「くっ!?」

『真言秘儀(マントラタントラム)恐怖の真言(きょうふのマントラ)』。
人間に限らず、生き物は危険な物が発する音を恐れるよう作られている。
これは奇怪な発声により、脳を攻撃し恐怖心を揺さぶり起こす。
まともに聞いた者は錯乱状態に陥ってしまう、恐ろしい技だ。

しかしそれも、その恐怖を制することができる者には効果が薄い。
高位の達人相手には、目を見張るほどの効果は期待できないだろう。
もちろん、イーサンもそんな事は良く知っている。

「……しゃらくさい!!」

一声と共に、兼一は恐怖の真言を撥ね退ける。
だが、耐える為に一瞬でも動きが鈍れば、イーサンにとっては充分だった。

「くぁ!!」

撥ね退けるまでの一瞬の強張りを見逃さず、イーサンは肩を前面に押し出した『猪の型(ししのダデイブ)』で突撃する。
僅かに反応が遅れるも、辛うじて兼一はその突撃を受け止めた。
しかし、如何に兼一がその外見からは想像もつかない埒外の筋力を誇っているとしても、分が悪い。
体格と重量ではイーサンが勝っている上に、基本突撃技は重量が物を言う。
その上先手を取られたのだ、兼一といえどもその突撃を支え切る事は叶わない。
結果、兼一はイーサンに押し切られ、遥か後方…ホテルの壁へと叩きつけられた。

「ぐおっあ……」

とはいえ、兼一の耐久力の前では壁に叩きつけられた程度は屁でもない。
壁は木っ端微塵に粉砕されるも、兼一に与えたダメージは小さかった。だが……

(不味い! ホテルの中に……)

押し込まれてしまった、これは非常に良くない。
イーサンにホテルの利用者や従業員、あるいはオークション関係者を襲う意思はないだろう。
しかし、二人の闘いに巻き込まれる可能性が高まったのは事実。
そして、万が一にも巻き込まれればその人物の命はない。
この二人の闘いとは、つまりはそういうレベルなのだ。

故に兼一としては、できれば誰も巻き込まない様に屋外、それも人気のない裏手で戦い続けたかった。
何しろ誰かを守りながら戦える程、イーサンは生易しい相手ではないのだから。

ホテル内に突入した所で、ようやく兼一はイーサンの突撃を止める事に成功した。
だがその代償に、二人の周囲の調度品は跡形もなく砕け散り、足元の毛の長い絨毯は無残に引き裂かれてしまったが……。

(なんとか外に引っ張りださないと……正直、守りきれる自信はない)
「余裕だな、ミーを相手にしながら余所に気を回すか!!」

兼一の中に生じた僅かな弱気。
イーサンはそれを見逃さず、一気呵成に攻め立てる。

手の形は、人差し指を伸ばした一本貫手。
イーサンの武術はカラリパヤット、故に狙いは経穴。
左右の手から繰り出される怒涛の突きが、全身の経穴を狙って襲いかかる。

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」

それに対し兼一は、両腕をコロの様に回転させる「化剄」によって猛攻を受け流す。
だが、受け身になってはジリ貧。それを証明するように、徐々に兼一の方が押され出した。
やがて、イーサンの突きが兼一に突き刺さると思ったその瞬間。

「むっ!?」
「前掃腿(ぜんそうたい)!」

その場でしゃがみこみ、足払いをかける。
とはいえ、足払いとは名ばかり。下手をしなくても足の骨が砕ける様な一撃は、最早足払いではない。
しかし、イーサンはそれを見事に耐えきり、僅かにバランスを崩すだけにとどめていた。

だが、それでも一瞬とは言えイーサンの猛攻がやんだのも事実。
兼一は一気に飛び上がる様にして立ち上がり、拳による顎打ちと膝蹴りを同時に放つ。
中国拳法の一手、「鷂子栽肩(ようしさいけん)」だ。

しかしそれを、イーサンは驚異の柔軟性を発揮しのけぞる様にして回避。
カラリパヤットは油を用いた修業により、柔らかく強靭な肉体を養う、その成果。

狙い澄ました反撃をかわされ、勢い余って兼一は天井すれすれまで飛び上がってしまう。
結果、伸び切った身体がイーサンの前に完全に晒され、両の指が兼一の胴体に突き刺さった。
その瞬間、イーサンの眼が大きく驚愕に見開かれる。

「この感触……内臓上げ」

感じたのは違和感。あるべき物がある筈の場所に無い、その正体が空手秘伝の技「内臓上げ」。
特殊な呼吸法で重要な内蔵器官をあばらの中へ押し上げたのだ。

「だが、甘い。ミーが突いたのはユーの内臓ではない、経穴だ!」
「知ってるよ…はぁ!!」

兼一は腹にイーサンの指が刺さったまま、空中に浮いた状態で肘を振り下ろす。
古式ムエタイの技、『ガーンラバー・ラームマスーン・クワン・カン(爆ぜる斧を撃ち振る雷神)』。
イーサンは咄嗟に防御しようとするが、兼一の腹に刺さった指が抜けない。
チンクチによって腹筋を絞め、抜けなくしたのだ。

回避しようにも指が抜けず、間合いの外に逃れる事は不可能。
しかしそこでイーサンは、後ろではなく前に出た。

宙に浮いた兼一の体に密着し、その懐に入る。
ここまで近づかれては、ガーンラバー・ラームマスーン・クワン・カンの威力も殺されてしまう。
兼一の上腕を肩で受け止め、その際に腹筋が緩んだのかイーサンの指が抜けた。
彼は密着体勢のまま投げに入り、兼一の身体を天井に叩きつける。

「ぐぁ!?」

真上に放り投げられた兼一は天井を突き破って上階へ。
即座に体勢を立て直しつつ、経穴を突かれた事によって鈍った身体を戻すべく解穴。
それと前後してイーサンも天井を突き破って表れた。

「場所を移そう。ここでやるとホテル側に迷惑だ」

そんな兼一の言葉に、イーサンは無言のまま疾駆する。
兼一の発言から、彼が一端外に退避すると踏んだのだ。
実際、この状況下では兼一にとっての気がかりが多過ぎる。
その意味では妥当な判断だが、同時にイーサンにとっては狙い目。
背後に追い縋り、追撃をかけようと言うのだろう。
だが、そんなイーサンの思惑は外される。

「場所を移そうって、言っただろ?」

背を見せることなく、兼一は両腕をダラリと下げたままイーサンの方を向いている。
そして、その肩が僅かに動かされた瞬間。
兼一の姿が逆さになった。

「なに…これは!?」

否、逆さになったのは兼一ではなくイーサンの方。
イーサンは突然その場で飛び上がり、兼一をまたいで反対側に落下していく。
同時に、兼一は落下するイーサンに「ソーク・クラブ(回転肘打ち)」を放つ。
イーサンはそれを両腕を交差して受け止めた。

だがそこは踏ん張る事かなわない空中。
イーサンの身体はそのまま弾き飛ばされ、今度は逆に彼の方が壁を突き破って屋外へと放り出された。

兼一もその後を追い、崩壊した壁から外に出る。
するとそこには、既に体勢を立て直したイーサンの姿。
しかし、今度の彼は積極的に攻めてこようとはしない。

「真・呼吸投げ………マスターしていたか」
「腕を上げたのは君だけじゃない、ってことさ」

『真・呼吸投げ(しん・こきゅうなげ)』、それは岬越寺流柔術究極奥義の一つ。
気当たりによる反射を逆手にとり、相手の体を崩すように誘導し、指一本触れることなく相手を投げる技。
ただし、その為には敵に優れた危機回避能力が求められる為、相手が真の達人でなければ使えないと言う性質も併せ持つが……。

「そうだな、ユーも腕を上げている」

言って、イーサンが視線を送るのは兼一の右腕。
そこには、小刻みに震える右腕とそれを抑える左腕。

(何て奴だ、今の一瞬で経穴を断つなんて……)

いつやったかなど考えるまでもない。
真・呼吸投げを使う時に腕の違和感はなかった。
ならば、ソーク・クラブを放ったあの時にやられたのだ。

しかし、言うほど簡単ではない。
動く的、それも自らを攻撃してくる対象の経穴を断つなど……。

解穴の法は兼一も一通り修得しているので、それ自体は問題ではない。
片腕のハンデは大きいため、今まさに解穴した所だ。
問題なのは、そんな些細なことではなく……

(まいったな。まさか、ここまで……)

腕を上げていようとは。
相手は一影九拳、一筋縄ではいかない相手とは承知していた筈だ。
それでもなお、かつてのライバルの成長には兼一も驚嘆する。

わかってはいた。覚悟もしていた。
いつかツケを払う事も含めて、全てを承知の上で彼はこの生き方を選んだ。
だからこそ……

「負けるわけにはいかない、な」
「む?」
「行くよ、イーサン。僕の5年と君の5年、まだ測り切っていないだろう?」

吹っ切れたかのように、兼一は清々しい笑みを浮かべる。
元々、兼一はいつでも挑戦者だ。
少し強くなったからと言って、増長してしまうのは悪い癖と自らを戒める。

兼一の5年とイーサンの5年では、まるで種類が違う。
しかし、だからと言ってその質で劣っていたとは思わない。

「だぁぁあぁぁあぁ!!」

先ほどまでと違い、今度は兼一の方からうって出る。
初撃は中国拳法の「鷹抓把(ようそうは)」。
頭突き、肩、膝を同時に放つ突撃技で、真っ直ぐイーサンへと向かって行く。

対するイーサンは、それを半身になって回避。
兼一は即座に切り返し、空手の「山突き(やまづき)」を放つ。

「ぬぉっ!」
「まだまだぁ!!」

両の拳はイーサンによって受け止められるが、兼一は尚も前に出る。
イーサンも押し切られてなる物かと踏ん張ると、兼一はその瞬間狙って反転。
そのままイーサンを背負い、思い切り投げた。

「ぜりゃぁ!!」

主導権を渡すまいと、とにかく先手を打ち続ける。
空中で体勢を立て直すイーサンに対し、兼一も跳躍。
『ティーカオ(飛び膝蹴り)』を放つが、さすがにそう簡単にクリーンヒットはさせてもらえない。
受け止め、弾き、二人は少しの間を空けて着地する。

「どうだい。僕の5年も、中々馬鹿にできないだろう?」
「ふっ」

寡黙で、あまり表情を変える事のないイーサンにも笑みが浮かぶ。
かつての友が、時を経てもなおあの頃のまま立ちふさがる事を喜ぶように。

終わりが近い。
後は只、互いに全身全霊を費やした力と技、そして心をぶつけ合うのみ。

兼一の狙いは単純かつ純粋な突き。ただし、彼が最も信頼するあの突きだ。
最早何億回打ったかわからないそれに、必勝を期する。

対する、イーサンは一本指貫手。
どこを狙っているかまでは定かではないが、経穴を断っての一撃必殺が狙いだろう。

そして――――――――――――二人は真っ向から衝突した。

「さあ、決着を付けよう!!」
「See you again! 白浜!!」






あとがき

はい。そんなわけで、次回冒頭で兼一対イーサンは決着です。
というか、アレですね。達人戦はものすごく大変。
だって、私の妄想力では再現しきれる気がしないから……。
あとはイーサンの口調かな? 正直、色々悩みました。
とりあえず、「まぁ頑張ったんじゃないの?」と思っていただけたら幸いです。



[25730] BATTLE 28「無拍子」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:38

風が吹く。
たった二人の人間の手で破壊し尽くされ、廃墟と化した空間に一陣の風が吹き抜ける。
風は砂塵を舞い上げ、雲間から燦々と降り注ぐ陽光が一つの終わりを告げた。

数瞬前まで場を席巻していた破壊の嵐は過ぎ去り、痛い程の静寂に取って代わられる。
木々のざわめきが、落下する白亜の人工物の破片の立てる音がやけに大きい。

それまでの喧騒が夢か幻のようだ。
だが違う。つい先ほどまであった出来事は、全て現実。夢幻でも陽炎でもない。

それを証明するように、廃墟の中心には一つの塊が存在している。
否、遠目には塊に見えるそれは、肩がぶつかりそうなほどに密着した二人の人間だ。

片や、短い金の髪と全身を屈強な筋肉の鎧で覆った巨漢。
片や、そこから頭数個分は背の低い黒髪の青年。
つい先刻まで破壊の権化そのものだった二人は、うって変わって彫像の如く不動。

動かない。どれだけ待てども動かない。
まるで、そこだけ時の流れが止まってしまったかのように。
しかし、もしそれが動かないのではなく「動けない」のだとしたら……。

見れば、互いの拳がそれぞれの肉体に深々と突き刺さっている。
巨漢の拳は青年の胸に、青年の拳も巨漢の胸に。
ここまでの闘いを知る者がいたなら、貫き通していない事を不思議に思ったかもしれない。
それだけ、二人の闘いは壮絶だった。

長く、重く、静かな静寂のひと時。
だがそれも、やがて終わりの時が訪れる。

先に動いたのは――――――――――――――――――――――――――――巨漢の方だった。
重々しい物音と共に、イーサンはその場に膝を突く。

「ごっ……」

同時に、口からあふれ出る鮮血。
内臓に手酷い痛手を受けたのだろう。

イーサンは震える右手を口元にやり、数度咳き込む。
その度に指の隙間から血が滴るも、次第にその量が減っていく。
ダメージは深刻だが、命にかかわる程ではないようだ。

よく見ると、その人差し指には彼の物とは別の赤い命の水が付着している。
拳が突き刺さっていたと思われたが、実際には突きだされた人差し指だったようだ。

イーサンは静かに呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。
そして、未だ目の前に立ち続ける古き好敵手に告げた。

「この勝負――――――――――――――――ユーの敗北だ」

再び、砂塵を帯びた一陣の風が二人の間を駆け抜けた。
風は二人の健闘を讃える様に、慈しむ様に、優しくその身体を撫でていく。

青年、白浜兼一は答えない、動かない。
胸元から一条の血の筋を流しながら、彼の時は止まり続けている。

「ユーは強い。今日まで死闘の末に屠って来た強敵達と比較してもなお、抜きん出て。
 正直、ここまで追い込まれるとは思いやがりませんでした。だが……」

そこで、イーサンは言葉を切って一端瞑目する。
まるで、何かを惜しむ様に。

「長きに渡る隠棲が、ユーの成長を遅らせた」

それは、覆しようのない現実。
技の冴えは昔の比ではない。
その膂力は時を経てさらに凄味を増している。
心に至っては、むしろ圧倒されるものすらあった。

事実、末席とは言え一影九拳に名を連ねるに至った彼と、ここまで戦える者はそういない。
しかし、それでも兼一の拳は勝利に届かなかった。

兼一が武術界から離れた期間は、およそ5年。
それだけの長い時間、兼一は武侠の世界から離れて生きてきた。
もちろん兼一も武の練磨を怠りはしなかったが……

「ミーはその間もミッションを続け、実戦を重ねてきた。
 ユーが武の世界に戻って数ヶ月、5年のブランク(空白)を埋めるには足らなかったのでせう」

陳腐だが、一の実戦は百の鍛錬に勝る。即ち、実戦に勝る修業はない。
その実戦を積み重ね続けてきたイーサンと、そこから離れた兼一。
二人の間に差が生じるのは、ある意味必然だったのだろう。

ましてや、兼一は翔が生まれてからと言う物、常に彼に隠れて修業を積んできた。
故に時間は限られてしまうし、あまり修業を激しくし過ぎても翔に不信感を与えてしまう。
その結果が……これだった。

もちろん、その時間が無意味だったわけではない。
人として、親として、兼一にとってかけがえのない時間だった。
その日々が兼一の心に与えた影響はバカにできるものではない。

実際、イーサンの見立てではもっと余裕のある形で決着はつく筈だった。
にもかかわらず、これ程のダメージを受けている。
それはまさに、イーサンにとって良くも悪くも誤算だった。
だが、それでも厳然たる事実として、兼一は負けたのだ。

「惜しくはあった。しかし、今のユーでは一影九拳に及ばない。
 新参のミーにすら勝てないのでは、ゼイ(彼ら)を退ける事はインポッシブル(不可能)だろう。
無拍子でもなおミーを倒しきれなかった事が、それを証明している」

無拍子、それは『一人多国籍軍』白浜兼一だけに許された必殺の突き。
空手、中国拳法、ムエタイの突きの要訣を混ぜ、そして柔術の体捌きで放つ秘技だ。
四種の武術を身に付けた兼一だからこそ可能なそれは、密着状態からノーモーションで最大パワー・スピードでの突きを放つことを可能とする。
数多の死闘を制してきた、まさに兼一が最も信頼し、彼を象徴する技。

そして激突の瞬間、兼一は決死の覚悟でそれを放った。
イーサンもそれを察知し左腕で防御したが、そのガードをぶち破って無拍子は突き刺さったのだ。

いや、もし左腕でガードしていなければ、それこそ結果は変わっていたかもしれない。
ほんの僅かとはいえ防御された事で威力が、速度が落ちた。

その結果イーサンの突きが先に届き、兼一の心臓の経穴を断ったのだ。
刹那の差で心臓が止まり、故に必倒の一撃は必倒に至らなかった。
引き換えに、左腕を持って行かれてしまったが…相手が相手。「これ位は安い」とイーサンは思う。

しかし、心臓が止まっていながらも兼一は倒れない。
そんな彼の横を、イーサンは瞑目して通り抜ける。
闘いは決した、これ以上彼の身体を破壊するのは忍びないと言わんばかりに。
さて、それは敬意か、あるいは情けか、それとも……。

だがイーサンがその場を離れようとしたところで、やや離れた所から誰かが駆けて来る。
それは、翠と白を基調とした騎士甲冑に身を包むシャマルだった。

「兼一さん!」

シャマルの役割はロングアーチと連携しての全体の管制及び指揮。
何らかの方法で兼一の異変に気付いたのだろう。
ロータリーの方も気がかりではあるが、それでも差し迫った命の危機はこちらにある。

走り寄ろうとするシャマルだったが、イーサンの姿を発見しその足が止まった。
兼一へと向かうには、イーサンの傍を通り抜けねばならない。

しかし、イーサンは兼一を倒した張本人、安々と通らせてもらえる筈もなし。
そこで彼女は、足を止めた瞬間にその両手を一閃させた。

放たれたのは翠と蒼、二色の鋭角な宝石が二つずつ、計四つ。
四つの宝石はそれぞれが複雑な軌道を描きながら、イーサンめがけて殺到する。

「っ!?」
「流星錘…いや、ペンデュラムか。練度は悪くないが……」

相手は一影九拳、その全てを一息に片手で掴むことなど造作もない。
だが、元来シャマルは後方支援が主であり、直接的な戦闘能力には乏しい。
その事を誰よりも熟知しているのは、他ならぬシャマル自身。

相手は兼一を倒したかもしれない相手。
そんな相手に、自分が真っ向から挑んで勝てるとはハナから思っていない。
しかし、勝てなくとも出し抜く事はできる。

「クラールヴィント!!」
《ja》

シャマルの一声と共に、兼一の足元に翠のベルカ式魔法陣が出現。
瞬く間のうちに彼の身体は光に包まれていくが、その点に関してはシャマル自身もまた同様だ。
徐々に翠の光は光度を増していき、やがて二人の姿は跡形もなく消失した。

「良い判断をしやがります。ユーは、相変わらず仲間に恵まれているな」

追撃しようと思えばできない事もなかった。
消えるまでの一瞬でも、イーサンにとっては充分過ぎる時間だ。

だが、元よりイーサンにこれ以上兼一の身体を破壊する意思はなく、シャマルにも戦闘の意思はなかった。
潔く撤退する女の背を追って仕留める拳は、生憎と持ち合わせていないのだから。

「See you again.友よ」

言って、イーサンはその場から姿を消す。
目指すは、彼の教え子と兼一の弟子が立ち会っているであろうロータリー。
彼には、それを見届ける責務がる。



その時、ホテルアグスタの屋上。
イーサンから兼一を連れて離脱したシャマルは、まず兼一の容体を知って顔を悲痛に歪めていた。

無理もない。肉体的な損傷はまだしも、呼吸と心拍が止まっているのだ。
脳自体には酸素を蓄える能力がなく、呼吸が止まってから4~6分で低酸素による不可逆的な状態に陥るとされている。そのため、一刻も早く脳に酸素を送る必要があるのだ。

達人と言う埒外の生き物に、どの程度この常識が通用するかは不明。
だが、一刻を争う事に変わりはない。

そしてシャマルは医務官であり、守護騎士にあっては癒しと補助が本領。
故に、懸命に兼一の心肺蘇生処置を行っていた。

「AED(自動体外式除細動器)は効果なし。あとは、あとできる事は……!!」

教科書に忠実な人工呼吸と心臓マッサージを施しながら、シャマルは知識の引き出しを漁っていた。
ロングアーチには既にこの事態は伝え、至急の応援を求めてある。
応援に先んじて蘇生できたとしても、彼を設備の整った場所に搬送する必要があるからだ。

しかし、シャマルの表情の険しさはそれ以上の物を感じさせる。
正しい筈なのに、本当にこの処置で良いのか、そんな不安が脳裏をよぎっているのだ。
だが、シャマルにはこれ以外にできる事がない。
彼女は必死に不安を振り払いながら、今自分にできる最善を為す。

「ダメ! 死んじゃダメ、兼一さん! あなたは、こんな所で死んじゃいけない!!
 翔が、ギンガが、みんながあなたを待ってるんですよ!! だから、だから逝っちゃダメ!!」

唇を合わせて兼一の肺に息を吹き込み、続いて心臓マッサージへと移る。
同時に、目に涙を浮かべながらシャマルは必死に呼びかけるのだった。



BATTLE 28「無拍子」



ホテル正面のロータリーで交錯する、二つの光。
僅かに色合いの異なる青い光を放つ両者は、一所に留まる事なく縦横無尽に高速で動きまわる。
その軌跡は複雑に絡み合い、断続的に重い打撃音を響かせていた。

「ちぇあああああああ!!」
「……しっ!」

嵐の様な怒涛の突きを最小限の動きで回避し、ギンガはアノニマートのすぐ傍をすり抜ける。
擦れ違う形になった二人はその場で反転し、互いの肘が正面からぶつかり合う。

二人の力は一瞬拮抗するも、やがてギンガは押し切られ僅かに後退。
その隙を逃さず、アノニマートはギンガへと追撃をかける。
体勢を崩したギンガ目掛けて放たれる、息もつかせぬ突きの連打。
拳の嵐に呑まれれば、如何に頑健さを誇るギンガと言えどただでは済むまい。
ただしそれも、為す術もなく呑まれればの話。

「……」
「ちぇっ、またか」

必中と思われた突きの悉くを、ギンガはすり抜けるかのように回避する。
もう何度目になるかわからない、流水制空圏特有の動きを流れで読み、最小限の動きで行う回避。

しかし、回避ばかりがこの技の利点ではない。
最小限の動作によって回避したと言う事は、攻撃へ転じる際のロスも少ないと言う事。
アノニマートが次手を打つより先んじ、裏拳が放たれる。
だが、裏拳がアノニマートの横っ面に触れる寸前、驚異的な身体のしなりを見せてやり過ごした。
とはいえ、ギンガとてここで攻撃の手を休めるつもりはない。

「でぁっ!」

折角の好機を逃すまいと、畳みかける様にして鋭い手刀を振り下ろす。
彼の機動力ならば回避も可能だろうが、とにかく主導権を渡さない事が肝要だ。
回避ないし防御に回らせ続ければ、いずれは押し切る事も可能。
しかし、そんなギンガの想定をアノニマートは容易く覆す。

「なっ!?」

本来ならば一歩下がって回避するか、防御して受け止めるであろう場面。
だが、アノニマートはそのどちらも選択せず、あろうことか逆に一歩踏み込んできた。

距離を詰められた事で、ギンガの手刀はアノニマートの肩を打つに留まった。
打点を殺され、当たったのも手刀ではなく前腕部分。
これでは、狙ったダメージの半分も与えられないだろう。

避けるのではなく敢えて受ける。
ダメージを最小限になどと虫の良い事は望まず、受けたダメージ以上のダメージを狙う。
それがアノニマートの武術に対する在り方だった。

(もらった!!)

如何に流水制空圏とは言え、ここまで近づいてしまえばできる事は限られる。
ギンガの動きに、距離をさらに詰めるべきか、あるいは開けて仕切り直すべきか。
どちらかを決めかね、僅かな迷いが生じた。
その逡巡が、ギンガの流水制空圏を僅かな綻びを生む。
アノニマートはその綻びを見逃さず、至近距離からの膝蹴りを放つ。

「がはっ!?」

咄嗟に折り畳んだ腕で辛うじて蹴りを防ぐも、重い一撃は完全には受け切れない。
蹴りの衝撃が腕を貫き、ギンガの臓腑を打ちすえる。

息が詰まり、視界が歪む。幸い、骨は軋んだだけで折れてはいない。
だが、ギンガの身体が僅かに流れ、たたらを踏む。

その間にも、アノニマートは右拳をギンガの鳩尾の数センチ手前で構える。
そのまま強く深く踏み込むと、震脚を轟かせながら最小の動作から渾身の突きを放つ……

「り、リボルバー……シュート!」

寸前、ガードした右腕とは逆、リボルバーナックルを装着した左拳から牽制の衝撃波を放つ。
カートリッジを一発消費して放った衝撃波だが、元々射砲撃系の魔法を不得手とするギンガでは、その威力もたかが知れている。
アノニマートは衝撃波を左腕で防ぎつつ、構わず右拳を繰り出した。

しかし、思わぬ反撃に僅かに突きのタイミングが遅れた。
ギンガはその僅かな遅れの間に跳躍することで距離を取り、着地と同時に再度地面を蹴る。
一度開いたアノニマートとの間合いを詰め直し、勢いをそのままに肩から突撃を仕掛けたのだ。

それに対し、アノニマートは受けに回ることなく自らもまた前に出る。
互いに放つのは中国拳法で言う所の「靠撃(こうげき)」。
二人は正面から衝突するが、助走距離のあったギンガの方が有利。
競り負けたアノニマートだが、その身体が急激に地面へと引きずり倒される。

『靠撃(こうげき)』が当たる瞬間、ギンガは抜け目なくアノニマートの袖を取っていたのだ。
そのまま、引き摺り倒したアノニマート目掛けて、鉄槌の如き鋼の拳を振り下ろす。

しかしそれを、アノニマートは寸での所で回避。
ギンガの鉄拳は、虚しくアスファルトの地面を破砕した。
だがその一撃の余波が、二人のすぐ傍で黒煙を上げていたガジェットの残骸に、決定的な何かをもたらした。

「「あ……」」

異変に気付き、二人は揃って小さく声を漏らす。
見れば、エリオによって両断されていたガジェットの残骸は盛大に火花を上げていた。
それどころか、明らかに今にも爆発しそうな気配が満ち満ちている。

ギンガはこの事態を前に、一瞬逡巡する。
アノニマートを逃すかもしれないが、離脱するべきか。
それとも、このままアノニマートの動きを封じつつ攻撃を続け、諸共ガジェットの爆発に身を晒すか。
勇猛と蛮勇は違う。いたずらに自分の身を危険にさらせばいいと言うものではない事を、彼女は良く理解している。

その事を踏まえた上で、ギンガは小さく息を吐き――――――――――――――――覚悟を決める。
この敵は強い。ここで逃せば、次はいつチャンスが来るかわからない。
多少の無茶はやむを得ない、彼女はそう判断した。

だが、そこに至るまでの一瞬の躊躇が明暗を分ける。
僅かに動きが鈍った瞬間を見逃さず、アノニマートは自身の袖を取るギンガの右腕に四肢を絡める。

「しまっ!?」

そのまま全身を使ってギンガを投げ飛ばすと、アノニマート自身もまた急ぎその場から離脱する。
間もなくガジェットは二人の予想通り、爆発炎上。
しかし、寸前にアノニマートがギンガを投げ飛ばしつつ飛び退いた事で、辛くも二人はそれから逃れる事が出来た。
ただし、ギンガより僅かに離脱が遅れたアノニマートは、多少なりその爆風に身を晒す事になったが。

「あつっ、あっつ! って、ああ!? 一張羅がちょっと焦げた!」

にもかかわらず、当の本人は至って緊張感のない事に動揺している。
アノニマートにどんな意図があったにせよ、結果的に爆発から助けられる形になったギンガの胸中は色々な意味で複雑だ。
敵に助けられる事になったのもそうだが、なによりこの緊張感のなさは本当にどうにかしてほしい。

とはいえ、まがりなりにも助けられたことに変わりはない。
貸し借りで言えば借りを作った事になる以上、生真面目なギンガにはなかった事にして即再開…という事は出来なかった。
例えそれが、ギンガにとっては折角の好機を失う事になったのだとしても。

「……一応、感謝はしておくわ。千載一遇の好機を失った訳だけど」
「ん~、気にしなくていいよ~。
どちらにしても、ギンガさんをなんとかしなきゃ僕まで爆発に巻き込まれてたわけだしね~」

渋々と言った様子のギンガの礼を軽く流すアノニマート。
だがそこで、アノニマートは腕を組んで何事かぼそぼそと呟きだす。
今までわざとらしいぐらいに明瞭に話しかけて来た彼が、まるでひとり言のように。

「それにしても……いやはや、さすがの僕も無理心中は勘弁だよ。
 まぁ、女の子の盾になって死ぬって言うのも中々ロマンがあって憧れるんだけどね。
 ただ、さすがに二度ネタはどうかと思うんだ、実際。僕としても、僕は僕でありたいと思うわけで……」

何を言っているのかは余人にはよく分からないが、アノニマートなりに何か思う所があるらしい。
とそこで、アノニマートは汲んでいた腕を解くと、ギンガへと視線を向ける。

「でも………うん、思っていた以上にやり辛いね。
これで不完全だって言うんだから、さすがは静の極みの技。正直、これは困ったぞぉ~」

相変わらず、言ってる内容はどうにも胡散臭くて信用できない。
本当に困っているのかどうか、あるいは本当にやり辛いと思っているのか。その全てが疑わしい。
しかし、一応彼は彼なりに本気でそう思っているのだ。

流水制空圏の第一段階「相手の流れに合わせる」。
未だギンガはこの段階までしか修得していないが、それでも思うように攻撃が届かない。
基礎能力は全てにおいて、僅かではあるが確実にアノニマートが上回っている。
そのため、全体的にはアノニマートが優位に戦いを進めていると言っていいだろう。

だが、流水制空圏がその僅かな差を辛うじて埋めてきている。
ギンガの攻撃が地力の差で効果が薄い様に、アノニマートの攻撃も流水制空圏が厚く高い壁となって立ちはだかる。このまま続けても、下手をすると千日手になりかねない。

しかし、そう言う事ならばアノニマートにも考えがある。
あまりやりたくはないのだが、普通にやっていては埒が明かない。

「さっきはああ言ったけど、ホントは使うつもりはなかったんだよねぇ。
でも、前言撤回! ちょこっと裏技……いっちゃうよぉ~♪」

その言葉と共に、アノニマートの雰囲気が一変する。
これまでのどこか緩んだ雰囲気はなりを潜め、獰猛な気配にとって代わられた。
否、それどころではない。未だ気の感知には疎いギンガでもわかる、有無を言わさぬ禍々しい気の波動。
それが、アノニマートの内より溢れだしている。

ユラリと、凄絶な笑みを浮かべながらアノニマートはギンガへと一歩を踏み出す。
不穏な気配を感じ取ったギンガは、一切の油断なく、瞬き一つすら惜しんでアノニマートの一挙手一投足を中止する。
だが気付いた時には、アノニマートはギンガの眼前まで迫っていた。

「っ!?」
「キェイ!!」

首をへし折らんばかりのラリアットがギンガ目掛けて放たれる。
ギンガは辛うじて防御態勢を取るも、それまでの比ではないでたらめな怪力により、その身体は面白い様に後方へと薙ぎ払われてしまう。

ギンガは突然の変化に動転しながらも、辛うじてしっかりと両脚で着地を決める。
しかし、僅かな猶予も与えることなくアノニマートが追撃をかけてきた。
接近し、間合いに捉えると同時に放たれる「ティーカオ(飛び膝蹴り)」。
ガードもろとも押し潰され、ギンガの身体は白亜の壁に叩きこまれてしまう。

ギンガは壁から身を起こしながら、ナックルスピナーから発生した衝撃波を乗せ、真っ直ぐ直進してくるアノニマートへ向けて渾身の正拳突きを放つ。
だが、アノニマートはその一撃を脇腹に潜り込みながら回避。
懐に入ると共に、強力な廻し肘打ちを叩きこむ。

「ぐっ!?」

流水制空圏のおかげか、なんとか皮一枚掠める形で回避に成功するギンガ。
とはいえ、ここまで深く入り込まれたのはむしろ好都合。
ギンガはその場でアノニマートの首を抱え込み、首相撲の姿勢に持って行く。

密着状態からの「カウ・ロイ(膝蹴り)」。
この状態ではもはや逃れる術はないかと思われたそれは、強引な力技で破られた。

「熊手連破!!」

指の第一関節を折り曲げる熊手による連続攻撃。
密着状態で両腕を首にまわしていた為、ギンガにこれを防ぐ術はない。
鋼の五指が幾度もギンガの身体に突き刺さり、その顔を苦痛に歪めていく。

しかし、日頃の修業によりギンガの耐久力は格段に跳ね上がっている。
彼女はアノニマートの指が深々と突き刺さった瞬間を見計らい、その腕を両腕で抱え込む。
同時にバインドを展開、アノニマートの身体を徹底的に拘束した。

「えあっ!!」

その好機を逃すことなく、ギンガは踏み砕かんばかりの力を込めて大地を蹴ると、アノニマートの側頭部目掛けて渾身の回し蹴りを放つ。
片腕どころか全身を封じられ、今のアノニマートに防ぐ術も回避する術もない。

だがアノニマートはその悉くを引きちぎり、空いた左腕で制空圏を築く。
蹴りが制空圏に触れた瞬間、まるで拒絶されたかのようにあらぬ方向に弾かれた。
それどころか、指が突き刺さったままのギンガの身体を強引に持ち上げ、投擲する。

「おおおおおお!!」
「きゃっ!?」

ギンガの身体は面白いほど軽々と宙を舞い、やがてもんどりうって地を転がっていく。
さらにそこへ、跳躍と共に空中に展開した魔法陣を蹴り、アノニマートが両拳を突き出して降って来る。

「ディエゴティカダウンバースト!!」
(不味い、早く流水制空圏を……)

起き上がると同時に流水制空圏を築き直すギンガ。
しかし、全体重と落下の威力を乗せた拳の前に容易く破られた。

あまりの衝撃に弾き飛ばされるギンガだが、打たれ強さは師匠譲り。
深く重いダメージを受けたギンガは口腔から血を吐きながらも、倒れる事だけはしない。

アノニマートはそこで一端ギンガから距離を取り、彼女の様子を観察する。
ここまでの僅かな攻防でかなりのダメージを蓄積している事が伺えるが、まだ心を折るには至っていない。
その意思の強さは驚嘆に値するが、瞳に灯る闘志の炎には揺らぎが生じていた。
さすがに、頼みとする技を容易く破られた精神的動揺は小さくないらしい。

「へぇ、まだ倒れないんだ。タフだねぇ~」
(そんな…流水制空圏が、こんな簡単に……)

数撃は持ち堪える事が出来たが、完全に破られてしまったその事実にギンガの精神は大きく揺らぐ。
自らのそれが不完全である事は承知しているが、それでもだ。
先ほどまではなんとかついていけた敵の動きが、今はまるで付いていけなかった。
動きの速さ、一撃の重み、ここの技の精度、その全てがこれまでの比ではない。

「何が起きたかわからない、って顔してるね」
「なに、聞いたら教えてくれるのかしら?」

アノニマートの軽口に対し、ギンガは膝に手をつきながら身体を起こして問う。
答えなど期待してはいないが、それでも何らかの策を講じる時間が欲しい。
無策で挑むには、今感じた戦力差は絶望的すぎる。

「静動轟一、って聞いたことない?」

アノニマートの言葉に対し、ギンガは微かに眉をしかめる。
どうやら、その言葉に心当たりはない様だ。

「ふ~ん、ギンガさんなら知ってるかと思ったんだけど……もしかしてあの人、教えてない? まぁ、あの人が教えようとしないのもわからないではないんだけどねぇ~」

アノニマートからの問いかけに対し、ギンガは無言。
師がこの男の使う技を知っている事への驚きはないし、同様に技の存在を知らされなかった事への不信感もない。ギンガは兼一に全幅の信頼を寄せている。
彼があえて教えなかったのなら、知る必要がないか、まだ知るには早いと判断したのだろう。

実際、あの技はどこか危うい。
一瞬捉えたアノニマートの眼から、ギンガは直感的にその危険を感じ取っていたから。
だが、この一言はさすがに予想外だった。

「何しろこの技、白浜兼一の幼馴染を一時とはいえ壊した技だし」
「なんですって!?」
「だからね、この技は彼の幼馴染を実験台にして開発された技なんだよ。
 しかも、その幼馴染がこの技を使った相手が彼自身。
 あの人としては、色々嫌な思い出の多い技だろうからねぇ~。教えたがらないのも当然かなぁ~って」

あくまでもにこやかに、先ほどまでの凶悪な雰囲気が幻の様な調子でアノニマートは語る。
しかしその内容は不穏そのもの。
技をかけられた側が重傷を負う事は、強力な技ならあり得ない事ではない。
あるいは、強力すぎるが故に使用者にもリスクを強いる技もない事はないだろう。
だが、技をかけた側が「壊れる」など聞いた事がなかった。

「なんで、そんな危ない技を……下手をしたら、あなただって!」
「そこら辺は大丈夫~…とは言い切れないけど、用法・用量はちゃ~んと弁えてるよ~。
 朝宮龍斗とかのおかげで、その辺はもうだいぶ分かってるからね。
 長時間使わなければ、とりあえず問題はないんだよ~ん」

事実、朝宮龍斗・小頃音リミらの犠牲により静動轟一は一定の完成を見た。
『長時間使ってはならない』という、その条件は彼らを犠牲に見出されたもの。

その事実に、ギンガは不快感を顕わにする。
殺人拳など以ての外だが、これはそれ以上に性質が悪い。
弟子を犠牲にし、使う者に時限爆弾を持たせるような技など認められない。
少なくとも、彼女の師ならば絶対にそんな事はしない筈だ。
だからこそ、何故兼一がこの技の存在を教えなかったのか、その訳をギンガは理解する。
同時に、この技を使用するうえでの条件は、そのまま弱点の正体を明らかにしている事にも。

「それはつまり、限界が来るまで粘ればあなたは勝手に自滅するってことよね」
「うん、そうだよぉ~。でもぉ、僕にはあんまり当てはまらないかなぁ~?」
「どういう、意味?」
「ふふ~、そこから先は…ヒ・ミ・ツ♪ さあ、おしゃべりも良いけど……そろそろ続きといこう!!」

静動轟一の神髄とは、即ち"静"と"動"という相反する二つの気を同時に発動させ、凝縮した気を一気に解放することにある。
これにより、一時的に強力且つ正確無比な攻撃を繰り出す事を可能とするのだ。
だがそれは、「密閉された瓶の中で火薬を爆発させ続ける」と表現されるように心身への負担は凄まじいという弊害も併せ持つ。
数分で肉体は限界に達し、使いすぎれば再起不能や廃人化の恐れもある危険極まりない技、それが静動轟一。

それを“拳聖”緒方一神斎は使用時間に制限を設ける事で実用化した。
しかしそれでも、この技が「短期決戦」以外に使えないと言う事実に変化はない。

そこで発案された、第二のアプローチ。それが『密閉させた瓶の中で火薬を爆発させ続ける』のでは器が保たないと言うのなら、『爆発を要所要所に限定すれば良い』というもの。
例えば動き出す瞬間、初撃やトドメの瞬間など、“ここぞ”と言う時だけ使う。

そうする事で容れ物へのダメージを最小限にとどめ、使用時間を引き延ばしているのがアノニマートだ。
元より基本ポテンシャルでは二人を上回っているだけに、初速や初撃の威力を引き上げるだけでも十分と言うのもあるだろう。その分、本来のそれより全体的なポテンシャルの向上は望めないが、より安定して闘えるという強みがある。
故に、アノニマートの限界時間は本来のそれより幾分長い。

「えああああああああ!!」

大地を蹴って疾駆してくるアノニマートに、ギンガもまた前羽の構えで打って出る。
速い相手には懐に入って先手を封じる、それが兼一の教えだ。
その教えを忠実に守り、ギンガは怒涛の突きを掻き分けて距離を詰めていく。

アノニマートのオリジナルは貫手を好んだが、彼は違うらしい。
そして、今回放つのもまた巌の如き拳の乱打。
ギンガは初撃をなんとか受け止めるも、その後は良い様に貰ってしまう。

しかし、アノニマートの静動轟一は一瞬だけの物。
初撃さえ防げれば、よほどの隙を見せない限り残りの攻め手が直接致命打に繋がる可能性は低い。
それを二人は、直感的に理解していたのかもしれない。

(へぇ…守る所はしっかり守ってる。さすが彼の弟子、守りどころの見極めが上手いねぇ~)

伊達に、日々遥か格上に徹底的に叩きのめされてはいない。
絶対に、なんとしてでも守り抜かなければならない局面を察知することにかけては、既にかなりのレベルにある。この状況はその成果だった。

「せいっ!」
「おっと」

怒涛の連撃を掻い潜り、ギンガは左拳による昇打を一閃させる。
アノニマートはそれを仰け反る様にして飛び上がって回避し、間髪いれずに蹴りを放つ。
ギンガは辛うじてシールドでこれをいなすと、アノニマート目掛けてウィングロードを伸ばした。

如何にアノニマートと言えど、空中での自由度はギンガには及ばない。
故に、彼が空中にいる今こそが好機。
ウィングロードの上を疾走しつつ、全身を弓の如く引き絞り速さと鋭さ重視の貫手を構えた。

「貫手かい? いいね、あんまり使いたくないけど、別に僕も苦手な訳じゃないよ。
これは前の僕の得意技でさ、一つ比べて見ようじゃないか!」

そんなギンガに対し、アノニマートもまた貫手の構え。
両者は間もなくお互いを間合いに捉え、全く同じタイミングで貫手を放つ。

「シッ!!」
「へあっ!!」

ギンガとアノニマート、二人の貫手が空中で交錯する。
ただし、アノニマートが放ったのはギンガのそれとは似て非なる強烈な回転を伴った貫手。
鋭く空気を切り裂く貫手と、周囲の空気ごとねじ切らんばかりの貫手。
互いの貫手が擦れ合い……ギンガの貫手が大きく弾かれた。

「そんな……がっ!?」

『人越拳 ねじり貫手(じんえつけん ねじりぬきて)』。
人体を突き破るほどの威力を誇る、強い回転を加えた貫手。
まさに彼が言った通り、アノニマートのオリジナルが得意とした技だ。

強烈な回転によりギンガの貫手は弾かれ、導かれるようにギンガの身体に突き刺さる。
ギンガの身体は、僅かに赤い雫を撒き散らしながら後方に向けて吹き飛ばされていく。

「ん? 擦れたせいで威力が薄れちゃったか…惜しい♪」

手応えから仕留め切れていないと判断したのか、後を追おうとするアノニマート。
しかしそこへ、まき散らすかのようにリボルバーシュートが次々と放たれる。

「おっとっと……」

飛来する衝撃波の数々を、彼は危なげなく余裕を持って回避していく。
元々、決して連射性能の高い魔法ではない為、狙いも甘ければ威力も低い。
その上、今回はとにかく弾数を増やすことを優先した。
故に、カートリッジのロードすら惜しんだ結果、威力・射程ともに普段よりさらに下がっている。

気をつけなければならないのは、有効範囲の広さのみ。
それにした所で、威力が下がっているため万が一当たっても深刻な影響はないと言っていいだろう。

つまり、実質的にこの攻撃に「足止め」以上の意味はない。
逆に言えば、そんな手段に出なければならない程、今のギンガは追い詰められている。
運よく致命傷こそ受けなかったが、ねじり貫手によって被ったダメージは甚大。
今は、少しでも体勢を立て直し、回復に当てる時間が欲しかった。

だが、それがわからないアノニマートではないし、いつまでもそんな苦し紛れに付き合ってやる気ほどお人好しではない。
アノニマートは、カラリパヤットにおいて、『蛇の型(へびのダデイブ)』と呼ばれる両手の手刀を合わせた型で身体を小さくまとめ、突撃を仕掛ける。

衝撃波に晒される面積を小さくした事で、ダメージは最小限に。
しかも、この流れをさかのぼっていけば、そこにはギンガがいる。
アノニマートは流れを道標に、一気に間合いを詰めていく。

しかし、ギンガとてこんな苦し紛れがそう長く持つとは思っていない。
そもそも、アノニマートが選択したこの方法には一つの欠点がある。
威力は弱くとも、何発もの衝撃波に晒される関係上、どうしても視界が悪いのだ。
いる事はわかっていても、正確な距離が掴みづらい。

ギンガはそれを利用し、アノニマートに気取られないよう細心の注意を払いながら、自ら距離を詰める。
自暴自棄にも思える行動だが、それによりアノニマートの想定よりも二人の間合いは急速に詰まっていく。
そして、それを把握していたギンガは自らの制空圏に捉えた瞬間、最小限の動作で拳を繰り出す。

「むむ……そう来たか!」

自分より速い相手に威力重視の大振りは悪手。
動きは最小限に、回転を上げて手数を増やす。
それでようやく追い縋れるスピードの持ち主、それがアノニマートだ。

ギンガはその考えに基づき、貫手と拳を併用しながら連打を放つ。
先手を取った事で、守りに回っている今が好機。

だが、いったい何を思ったか。
ギンガの連打に対し、アノニマートは防御も回避も一切取らず、むしろより深く踏み込んできた。

「なっ……!?」

攻撃を受けても構わず敵陣深く踏み込んでくる敵に、一瞬圧倒される。
これまでの闘いから、こう言った泥臭く強引なやり方は好まないと思っていたからだ。
そんなギンガの一瞬の虚を突き、アノニマートの両手がギンガの襟を取った。
咄嗟にそれを振り払おうとするギンガだが、先んじてアノニマートがその身を捻る。

「がっ!?」

コマンドサンボの『セベェルニィ・スメルト(北の竜巻)』の技だ。
相手の襟を掴みそのまま身体を回転させ、引き倒しつつ締め上げる、単純だが確実な殺人技。
しかしそれが完全に決まるに、ギンガは反射的にバリアジャケットの上着を脱ぎ捨てて逃れる。
武術と衣類には密接な関係があり、衣服を利用した技は多い。
そう言った技への対処法の一つとして教え込まれていた動作のおかげで命拾いした。

「うんうん、良い執念だ。そうこなくっちゃね~」

あくまでも余裕の表情のアノニマートに、ギンガは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
なんとか致命打だけは防いでいるが、状況はジリ貧。
アノニマートの言う通り、一向に限界を迎える様子がないのが何よりも堪える。

とそこで、それまでニコニコと笑みを浮かべながらギンガを見ていたアノニマートが、突然弾かれた様に視線を転じた。
その様は隙だらけで、あまりにも無防備過ぎる。余裕があるとか、そういう次元の問題ではない。
毒気を抜かれたギンガは、いぶかしむ様にアノニマートの視線を追う。

視線の向かう先は、ホテル入口の屋根の上。
そこには短い金髪と筋骨隆々の肉体が特徴的な巨漢の姿があった。

「先生?」
「……」

アノニマートの問いかけに、先生と呼ばれた男、イーサンは無言のまま。
しかし、二人の間ではそれで充分だったらしく、アノニマートは僅かに肩を竦める。

「なんだ、いつの間にか静かになっていたと思ったら……もう終わってたんですね」
「っ!?」

その言葉の意味を、ギンガは即座に理解する。
兼一はホテルの裏手で誰か、彼の古い知り合いと闘うと言っていた。
耳を澄ませば、先ほどまで裏手から轟いていた轟音は既にない。
それが意味するものは決着。にもかかわらず兼一が姿を現さず、その相手だけが姿を現したとなれば、その結果はつまり……。

「なら、一人多国籍軍は死にましたか?」

必死に否定していたその単語を、アノニマートはなんの気なしに言葉に乗せる。
イーサンはそれに対し肯定も否定も返さず、ただ瞑目する事で返事とした。
よく見れば、彼の指先にはまだうっすらと赤い雫の跡が……。

それを認識した瞬間、ギンガの視界が歪む。頭の中がぐちゃぐちゃになり、考えがまとまらない。
それに反し、胸の奥から沸々と煮えたぎる何かが沸き上がってきた。
熱はやがて脳へと達し、脳髄の隅々まで灼熱させる。
歪んだ視界は赤く染まり、全身が小刻みに震え、吐いた息は火傷しそうな程に熱く、心臓が早鐘を打つ。

ギンガはその場で、僅かに残った理性を総動員し兼一との通信回線を開く。
しかし、幾ら呼びかけても返事は返ってこない。
とそこで、アノニマートの手元に一つのモニターが出現する。

「あ~、ホントに死んでますね~。うん、見事に死んでるや」

そこには、力なく倒れ伏す兼一と必死に心肺蘇生を行うシャマルの姿が映し出されている。
どこから撮っているのかは定かではないが、確かにそこには見間違いようのない現実があった。

「見た所、経穴を断って心臓を止めたってところか。
 とすると、解穴しない限り普通の心肺蘇生も意味はないかな~?
 残念、一度会ってみたい人だったんだけどな……」

その声音には、今までとは違う真摯な響きがあった。
アノニマートは本心から、兼一と会えなくなった事を惜しんでいる。
だが、今のギンガにそれを正しく認識する事は出来なかった。

わからない。わからないわからないわからないわからないわからない…わからない。
自分で自分がわからない。ただ、真っ赤に染まった視界の中でイーサンへと視線が釘付けになる。
眼を離せない。意識を離せない。別の何かを見る余裕も、考える余地も既にない。
認識できるのは、師を殺したと言う男への抑えようもない激情だけ。

静の武術家として、一時の激情に身を任せるなど愚かな事だ。
しかし、理性で感情の全てを抑え込むには未だギンガは若く、未熟過ぎた。

「あ…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

絶叫に続き、ギンガは涙を湛えた瞳のまま爆ぜる様にしてイーサンめがけて疾駆する。
既に、彼女の眼にアノニマートは映っていない。
あるのは只、大切な人の死への悲哀と、尊敬する師にして初めての焦がれる異性を殺した敵への憤怒、そして憎悪。

怒りに染まった心は自分自身すら焼き尽くさんばかりに燃え上がり、初めて芽生えた憎悪を御する術はない。
ギンガは生まれて初めて、その拳に「殺意」を乗せる。

「おおっとっと、ダメダメ。君の相手は僕でしょ?
 そりゃね、先生を殺されて怒るのはわかるけどさ」

肩をすくめながら、アノニマートはギンガの前に立ちふさがる。
だが、ギンガはそれに構うことなく強引にアノニマートを押し退けて突き進む。

「退きなさい!」
「いや、だからさぁ~」
「退け――――――――――――――!!」

突き出される拳に対し、ギンガは防御すらしない。
攻撃を喰らってもお構いなしに、ギンガはイーサンめがけて疾走する。
とはいえ、それをアノニマートが黙って見送る理由はない。
無防備な背中目掛け、攻撃を仕掛けようとした所で……突然、足を止めた。

「ま、いっか。師の仇を取ろうって言うのを邪魔するのも野暮だし、どうせ……」

今のギンガでは、天地が逆転した所でそんなことは不可能だ。
イーサンの様子にはどこか違和感がある。おそらく、何らかの深手を負っているのだろう。
しかし、そんな物は関係ない。
どれほどの深手を負っていた所で、ギンガが相手では殺されようがないと言うのが現実。
それだけの実力を持つが故の、一影九拳だ。

そして、無謀にもイーサンへと飛びかかったギンガはどうなったのか。
本来ならアノニマートの予想通り、イーサン相手にギンガに勝ち目などない。
一合と渡り合うことなく、瞬く間の内にその命を断たれる事だろう。

それがあるべき結末。
だが、イーサンからしてもギンガは今殺すには惜しい人材だ。
必要でもないのに弟子クラスの者を殺すのは彼の流儀ではないし、弟子の闘いに師が出るつもりもない。
彼には、ギンガに対しなんの恨みも敵意もないのだから。

故に、イーサンはその場で不動を貫き、指一本たりともギンガに対して動かさない。
ギンガの突きも蹴りも、あらゆる魔法が彼の身体をすり抜ける。

誰の目にも明らかな、圧倒的と言うのもバカバカしい程の力の差。
しかし、それでもギンガは止まらない。
力の差がある事など承知の上。否、そんなものは元より問題ではない。
勝てるか勝てないかではない。倒せるか倒せないかでもない。
大切な者を奪われて、黙り立ち止まることなど彼女には出来なかった。

「うあああああああああああああああああ!!!」

だが、精神論でどうにかなるほどその差は甘くもない。
如何にギンガが望んでも、どれほど捨て身で挑もうと、その拳がイーサンに届く事はないのだから。
そんなギンガに対し、イーサンは言葉にはせずに思う。

(師の為に命を捨てるか。良い弟子を持ったな、友よ)

感情に流されて戦う様は、確かに静の武術家としては愚かかもしれない。
しかし、それは想いの強さの裏返しでもある。
とはいえ、この状態が良い傾向であるとはイーサンも思わない。

「ストップ! 今のユーではミーに触れることすらできない。その程度のことすらわからない程未熟ではない筈だ。白浜の弟子よ」

ギンガの眼前に手をかざし、イーサンは彼女を諌める。
確かにギンガの心意気は買うが、所詮はそれだけ。
涙をこぼしながら拳を振るう子どもの相手と言うのは、正直気が乗らないと言うのが本音だ。
なにより、今のギンガの拳は彼のライバルのそれからは程遠い。

「師匠を手にかけたくせに、どの口で……!!」
「ユーは一体ヒーから何を学んだ? そんな無様な拳が、白浜兼一の教えか?
………………だとすれば、ミーはヒーを買い被っていやがったと言う事か、ラメント(残念)だ」

その瞬間、ギンガの身体は時を止めた。
それまで炎の様に猛り狂っていた様は一転し、道に迷った子どもの様に頼りないものに変わる。
足を止め、ギンガはゆっくりと自身の両手に視線を落とす。

無様と言われた、よりにもよって敵に。
それどころか、お前の師の教えはこんな物かと見下されたのだ、仇である筈の男に。

しかし、確かにその通りだと思う自分も存在する。
この拳は人を活かす為の拳。その拳が、今は殺意と憎悪に塗れている。
これが、無様でなくていったい何だと言うのか。
師の教えを貶め、拳を汚したのは他ならぬ自分自身。

「良いかい、本当に怒りに燃えた時にこそ心を鎮めるんだ。
 激情に飲まれれば、心の闇が開いてしまう。これを肝に銘じ、感情は深く秘めて闘いなさい」

反芻するのは師の教え。今のギンガは、到底その教えを守っているとは言い難い。
その事を、僅かに冷静さを取り戻したギンガは受け止めるしかなかった。

同時に、それが引き金となり見る見るうちに熱が冷めていく。
自分のしでかした事に、しようとしていた事に、愕然とするあまり。

(なにが「誇りに相応しい弟子であろう」なのかしらね。こんな、体たらくで……)

かつての誓いを思い出し、己が不明と愚行を恥じる。
思い出してしまったからには、もう激情に流される事は出来ない。
例え一時は激情に流され忘れてしまったとしても、あの時の誓いは本心からのもの。
『誇りに思う』、師はそう言ってくれた。その言葉と思い、そして誇りに相応しい自分であらねばならない。
そうでなければ、最早彼の弟子であるなど口にすることすらできなくなる。

ギンガは深く息をつき、激情を深く呑み込んでイーサンに対して背を向ける。
悔しいが、今の自分ではこの男に対して勝ち目がない。闘おうとするなら、それは単なる自殺も同然。

それに、この男に闘う意思はなく、動く意思もない事はすでにわかっている。
そうでなければ、とうの昔にギンガは殺されていた筈だ。
相手が遥か格上とはいえ、闘志無き者に向ける拳などギンガは教わらなかった。
もし動くのなら、その時はそれに合わせて動けばいい。
と言うより、本当にそれしかイーサンに対しては対応のしようがないのだ。

その事を、取り戻した冷静さと理性でギンガは正しく認識した。
今自分が闘うべきは、イーサンではなくアノニマートの方なのだと。
とはいえ、もう一度彼の顔を見ればまた激情に支配されてしまうかもしれない。
故に、決して顔を合わせない様に背を向けアノニマートへと向かう。
そんなギンガに向け、イーサンは小さく称賛の言葉を零す。

「エクセレント、さすがは白浜が見込んだ弟子だ」

その顔に浮かぶのは笑み。
友の見る目に曇りはなく、その弟子は確かに彼の教えを正しく受け止めている。
その事が、イーサンは我が事のように嬉しかった。



  *  *  *  *  *



「あ…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

遠方より響く、一人の少女の絶叫。
そこには悲哀が、憤怒が、憎悪が、虚無が、無数の激情が混ざり合っていた。
聞く者の胸を痛ませるその声を聞き、シャマルは思わず顔を上げる。

「っ! 今のって…まさか、ギンガ……?」

何が起こったのか、彼女に知る術はない。
だがそれでも、何かが起きている事は明白。
今すぐ支援に向かうべきなのかもしれないが、彼女の眼前には兼一が横たわっている。
それを見捨てて、この場を離れることなど……。
しかしその瞬間、シャマルはあり得ないものを見る。

「え、ウソ……」

心臓が、呼吸が止まっている者が動ける道理はない。
なのに、彼女の眼前で兼一の腕がゆっくりと上がっていく。
シャマルは信じ難い光景に硬直し、呼吸も忘れてその様を瞳に移す。
そして、その腕は高々と掲げられた所で、指先を立てて自らの胴体に突き立てられた。

「かはぁっ!」

同時に、呼吸と心拍が戻り、兼一は勢いよく新鮮な空気を肺に取り入れた。
兼一は勢いよく上半身を起こし、周囲の様子を確認する。

「け、兼一さん…生きて……」

感極まった様子で、眼に涙を浮かべながらシャマルは肩を震わせる。
まさか、自力で心肺蘇生をしてしまうとは思わなかったが、生きているのならとりあえずはよし。
しかし、そんな彼女に対し、つい先ほどまで死にかけていた兼一は、あっけらかんとのたまう。

「え? やだなぁ、シャマル先生。心臓が止まった位じゃ人は死にませんよ?」

『アハハハ』と笑いながら手を振る兼一と、その笑えない内容に顔の引きつるシャマル。
正直、「そこは死んでおくべきじゃ」と思わないでもないが、それはそれで死ぬのを望んでいるみたいなので言わない。
まあ、実際には兼一も内心では「あ~~~~~~~~~~~~、死ぬかと思った」くらいの事は思っているのだが。

「そうだ、ギンガ達は!」
「い、今はホテルの正面で……って、何するつもりですか!?」
「あの子たちが心配です、僕も行きます」
「ちょ、今の今まで心臓が止まってた人が何言ってるんですか!?」
「僕の師匠の中には、本当に死んでも生き返って僕を守ってくれた人がいます。
 僕はその人達の弟子で、ギンガの師です。心臓が止まった位で立ち止まるわけにはいかないんですよ」

言って、兼一はシャマルの制止を振り払って歩みを進める。
だが、さすがにその足取りは重く、普段の力強さは見る影もない。

「ああ、もう! 本当に困った人ばっかりなんだから!!」

シャマルは兼一の後を追い、彼に肩を貸す形でその身体を横から支える。
兼一は僅かに驚いた様子で眼を見開くが、すぐに小さく「ありがとうございます」と呟いて前を向いた。



  *  *  *  *  *



己の為すべき事、歩む道を再確認し、ギンガは己がいるべき戦場へと戻った。
そんな彼女を出迎えたアノニマートだったが、ギンガへ向ける視線が先ほどまでと僅かに異なる。
どこか興味深そうに、同時に強い警戒心を秘めた眼差しで。

「良かったの? 師匠の仇を取らなくてさ」
「いつか取るわ、必ず。でも、それはいまじゃない」
「まぁ、実際今のギンガさんじゃ無理だろうしね……」

とは言いつつ、アノニマートはギンガの言を意外だと思う。
てっきり、『師匠なら仇討ちなんて望まない』とでも言うと思っていたのだが……。

「そうね。情けないけど、確かにそれもある」
「それ“も”?」
「いま、もう一度あの人の顔を見れば、きっと…私はまた自分を抑えられなくなる。
 例えそれであの人を殺す事が出来たとしても、それは師匠の仇を討った事にはならないから」
「へぇ……じゃ、どうしたら仇討ちになるのかな? 後学の為に教えてほしいんだけど」
「私が師匠から教わったのは、技だけじゃない。それは心の在り様であり、歩んでいく道。つまり『活人拳』そのもの。師匠の仇を討つには、『活人拳』を貫かなければ意味がないのよ」
「なるほど、ねぇ……確かに、それは道理かもしれないや」

どこか晴れ晴れとした表情で語られるその内容に、アノニマートは納得する。
不殺を貫き、人を活かしてこその活人拳。
怒りや憎しみで仇を殺したとしても、それはあくまでも己が激情を発散する行為に過ぎない。
活人拳の拳士の仇を取ると言うのなら、なるほど、確かにその理念の元に勝利してこそだろう。

(それにしても…………雰囲気が、変わったかな?)

決然と言い放ったギンガに対し、アノニマートは同時にそんな印象を受けた。
具体的にどこが変わったとは言い辛いのだが、全体的に今までにない落ち着きの様な物がある。

(静動轟一もあとそう何度も使える訳じゃないし、早めにケリをつけた方がよさそうかな)

かつてのそれより幾分効率的な運用ができるようになったとはいえ、その負担が大きいのは事実。
瞬間的な発動に限定して入るが、負荷は着実に蓄積し続けている。
まだある程度は余裕を残しているつもりだが、それでも長引けばいずれ限界は来るのだ。
今のギンガには、油断ならないなにかがある以上、事は迅速に進めるべきだろう。
何より、そろそろミッション完了の時間も迫ってきている。

「悪いけど、こっちも時間がないんだ。早めに、終わりにしよう!!」

出し惜しみなし。静動轟一からの、全体重に突進力を乗せた順突き。
それはアノニマートの思い描く通りの軌跡を描き、真っ直ぐにギンガ目掛けて伸びていく。

パワー、スピード、技量、その全てにおいてアノニマートはギンガを上回っていた。
この一撃、ギンガには受け止めて耐え忍ぶのが限界。
先の闘いからそれを把握していたアノニマートの予想は……ここに覆る。

「っ!?」

風に揺れる柳の葉の如く、ギンガはアノニマートの一撃を緩やかな動作で回避する。
と同時に、ギンガはさりげない動作で一歩踏み込み、アノニマートの脛へと蹴りを放つ。

八極の一手「斧刃脚(ふじんきゃく)」。
予想外の事態にアノニマートはバランスを崩し、僅かにその上半身が揺らぐ。

アノニマートは蹴られた方と逆の脚で大地を蹴り、一端ギンガから距離を取ろうとする。
だが、そんな不十分な体勢からの移動ではいつもの速度は出ない。
ギンガはそれを読んでいるかのようにぴったりと張り付き、アノニマートの手を捉え、手首の関節を捩じって「小手返し」に持って行く。

アノニマートはその流れに逆らわず、敢えて自ら跳躍しギンガの手を振りほどきながら着地。
着地と同時に地を蹴り、手刀の構えで両腕を交差しギンガ目掛けて飛び込んでいく。

それも、寸での所で掻い潜られてしまい不発に終わる。
しかし、ここまではアノニマートの予定通り。彼は左足を軸に反転し、裏拳を放つ。
だがそこにはギンガの姿はなく、代わりにアノニマートの軸足が蹴り払われた。

放たれたのは、しゃがみこんで足払いを掛ける「前掃腿(ぜんそうたい)」。
ギンガはしゃがみこんだ姿勢から立ち上がりながら、左手の甲に右手を添える。
そして、そのまま立ち上がる勢いを利用して、両手による掌打を叩きこんだ。

「うぉっ!?」

狙い澄ましての一撃に、アノニマートの身体が大きく後方に飛ばされた。
危ういところでアノニマートは着地を決めるが、その眼には確かな警戒心が宿る。

(まいったね、どうも。
力を吸い取られる様に技をかけられるこの感じ…まさか、ここにきて流水制空圏完成、か)

ギンガはイーサンと対峙した時、怒りも憎しみも、全てを深く呑み込み見事に静の気を練った。
それまで出来なかった技が、些細なきっかけ一つで出来るようになると言うのは珍しい事ではない。
流水制空圏は静の極みの技。
元よりギンガの下地は充分、静の気をよく練る事でついにそこに至ったのだ。
即ち、『静動轟一』対『流水制空圏』。ここにきて、ようやくギンガはアノニマートに並んだのである。

流水制空圏を会得した者特有の、深く重い闘争心を宿した眼。
アノニマートはそれを、どこか複雑な思いで見る。
あれこそは、前の自分が敗れた眼だ。それを前に、これを乗り越える喜びに身を震わせる。

アノニマートはイーサンの教えを受けし者。
その中には無論、流水制空圏に対する術も含まれている。

「困ったなぁ……今回は顔見せのつもりだったのに。
 ギンガさんってば、そんな事言ってられる相手じゃなくなっちゃうんだもん」

言葉を紡ぎながらも、アノニマートは油断なく構えながらギンガとの間合いをゆっくりと詰める。
相手が真に流水制空圏を会得した者なら、迂闊に攻め込む事は出来ない。
慎重に、最大限の警戒心を持って当たるべきだ。

同時にそれは、今までのアノニマートにはなかった物。
いつでも余裕綽々で、相手を侮りがちな所は彼の欠点の一つだった。
しかし、一皮むけたのはなにもギンガだけではない。
アノニマートもまた、この闘いを通じて自らの欠点を克服していた。
ギンガの成長を目の当たりにした事で余計な余裕を捨て、引き換えに慎重さを得たのだから。

「そう、それがあなたの素顔なの」
「酷いな。少しだけキャラ作りしてる部分はあるけど、今までのも紛れもない本心だよ。
 君と友達になりたいっていうのなんて、心の底から本気なんだから。
 まぁ、前の僕と違う僕になろうと色々キャラ作りしてるのは事実なんだけどさ」

実際、アノニマートは口調や態度こそ意識的にああいう形に変えているが、内容そのものは紛れもない彼の本音だ。その口調や態度についても、普段の彼から大きくかけ離れているわけでもない。
ただ、ほんの僅かに意識して軽い調子を装っているだけの話。
だが、ギンガはアノニマートが漏らした意味深な一言に、僅かに眉間にしわを寄せる。

「前の、僕?」

情報が少なくて考察のしようがないが、それはとても重要な意味合いを持っているように感じた。
己が失言を自覚しているのか、アノニマートはいっそ性急なまでにこの話を終えに掛かる。

「つまらない私事の話だよ。あの人ならともかく、君が気にする様な事じゃないさ。そんな事より……」

アノニマートは静かに一歩分前に出た。
その意を察し、ギンガもまた前に出る。
互いに武人。事ここに至っては交わすべきは言葉ではなく、鍛え上げたその拳。
二人はその場で静かににらみ合い…自然、技撃軌道戦が展開される。

(右で突けば掴み取ってそのまま組み伏せ、左を出せば払って密着状態からの肘……)
(蹴りは軸足を刈りとって投げ、なら……!)

イーサンや兼一が見れば、その読みの粗さに微笑ましささえ覚えそうな拙い駆け引き。
だがそれでも、当事者二人は真剣そのもの。
先手の取り合いの中、先に活路を見出したのは……アノニマートだった。

静動轟一による獰猛な気配を撒き散らし、両手からの熊手のラッシュを放つ。
ギンガもまたそれにタイミングを合わせ、僅かに遅れて仕掛けた。

手数のアノニマートに対し、ギンガは反対に右手を前に、左手を大きく引いた必倒の一撃を構える。
死に手とした右手で熊手を防ぎ、左の重砲で仕留める腹積もり。

放たれる無数の熊手を、ギンガは最小限の動作と右手の防御で掻い潜る。
あまりの手数に全てをいなしきる事は叶わないが、決定的な物だけは防いでいく。
そして、左の重砲の間合いに捉えた所で、ギンガはその拳を躊躇うことなく振り抜いた。

「おおおおおおおおおおおお!!!」

防御する間もなく、アノニマートの胴体に突き刺さる鋼の拳。
アノニマートの身体は「く」の字に折れ曲がり、その口角からは血が滲む。
しかし、それでもアノニマートは倒れない。

「っ、どうして!」
「どんな一撃でもさ、覚悟を決めれば一発くらいは耐えられるってことだよ」

アノニマートの狙いは、ハナから連打による封殺ではない。
それはあくまでも囮であり、本命は捨て身になる事でギンガを捕まえる事にあった。
故に、ここからが本当の意味でのアノニマートのターン。

彼はギンガの両肩を抱え込み、身体を大きくのけぞらせて揺り戻す。
叩きつけるのは頭突き。ギンガは急ぎ距離を取ろうとするが逃れられない。
小さな血飛沫があがり、ギンガの頭からは赤い雫が滴り落ちる。

強烈な衝撃に眩暈を覚え、僅かにギンガの肩から力が抜けた。
その瞬間を見計らい、アノニマートはギンガの片足を踏み台に、もう一方の足で膝蹴りをすると同時に、両肘を後頭部へ叩き落す。
古式ムエタイの一手、「ハック・コー・エラワン(白神象の首折り)」。

仕留めるには十分すぎる威力を持った一撃。
その一撃を放ったアノニマートの手には、確かな手応えが……ない。

(まさか、今のを!?)

視線を転じると、そこにはたたらを踏む形で僅かに「ハック・コー・エラワン(白神象の首折り)」の間合いから逃れたギンガの姿。
気付けばその眼はアノニマートのしっかりと見据え、その奥の奥まで読み取らんと澄み渡っている。

アノニマートはその瞳を振り払わんと、宙に浮いた姿勢のまま前蹴りを出す。
ギンガはそれを僅かに斜め前に出る事で回避。
そこで放った右の貫手が、深々とアノニマートの腹部に突き刺さった。

だがそこへ、天高く振り上げられた逆足が叩き落とされ、重力の力を借りた踵落としが繰り出される。
ギンガは両腕を総動員して受け止めようとするが、右の貫手が戻せない。
腹筋を締めあげられ、右手が抜けなくなったのだ。

已む無く左腕とシールドで受け止めるが、あまりの威力にガードは崩され、踵落としが脳天を打つ。
断続的に打ちこまれた頭部への打撃により脳震盪が発生、意識が朦朧とする。

ダメージの限界を認め、アノニマートがトドメを指しに来た。
放つのは喉もとへの貫手。既に驕りはなく、確実に仕留める為の一手。
しかし、ギンガの足元がおぼつかなくなっていたことが幸いした。
グラリとよろめきながら、前のめりに倒れる事で僅かに狙いを外し、貫手は空振りに終わる。

その代わり、ギンガの身体はアノニマートの身体に預けられる形となった。
こうなっては、最早次なる攻撃を回避も防御もかなわない。
アノニマートは空振りに終わった貫手を引き戻し、今度こそをギンガを打ちとるべく拳を握る。
だがこの瞬間、はっきりしない意識の中で、ギンガの脳裏に幾度も繰り返された日常がよぎった。

(えっと…師匠は、何て言ってたんだっけ……)

この数ヶ月の間に教わった事は無数にある。
その中で、何度も何度も耳にタコができる程に繰り返し叩き込まれたのは、流水制空圏の極意などではなく……極々基本的な、四種の武術の要訣。
それらが脈絡もなく、なんの整理もされていない形で朦朧とした脳裏を駆け巡る。
やがて染み着いた動作が身体を動かし、ゆっくりとその動作を再現するべく動きだす。
ただし、四種の要訣を同時に。

一見矛盾する概念も、今のギンガの思考力では理解が及ばない。
彼女は入り混じり混沌とした記憶に突き動かされるまま、夫婦手に似た構えを取る。
肘を直角に曲げ、両の拳を前に出した独特の構え。
彼女はその姿勢のまま、忠実に四種の要訣を再現する。

――――――――――引き手と突き手は同時に動き

――――――――――脳のリミッターは外し、力は突き出す方向にだけ

――――――――――平行四辺形を潰す動きで体重を乗せ

――――――――――敵のさらに先に目標があると思って、敵を打ち抜く気で

―――――――――――――――――――――――――――――――――――打つ!!!!

「…………って、あれ?」

ギンガがはっきりと意識を取り戻した時、全ては終わっていた。
突き出された拳は、今まで打ったどれとも似て非なる型。

しかし、嫌な感じはしない。
それどころか、拳に残った僅かな手応えは今まで感じたどの瞬間よりも心地よい。
今までにない、最高の一撃を打てた。収まるべき場所に、ようやく何かが収まった様な、そんな感覚。
前後の記憶があやふやな中、それだけは確信している。

視線を転じれば、拳の延長線上には大の字になって微動だにしないアノニマートの姿。
ギンガはいつの間にこんなことになったのかわけがわからず、呆然と眼を白黒させる。
そして、唯一離れた所から事の次第を見守っていたイーサンは、感嘆を込めて呟いた。

「まさか、無拍子を仕込んでいたか……」

ギンガに自覚はないだろうが、彼女が今放ったのは紛れもなく“一人多国籍軍”白浜兼一の必殺技。
空手・中国拳法・ムエタイの突きの要訣を混ぜ、柔術の体捌きで放つ彼の完全オリジナル。
四種の武術を学び、その基本を着実に抑えた彼だけに許された秘技の筈。

だが、それもギンガだけは例外だ。何せ彼女は、その兼一に手解きを受けたのだから。
イーサンは知らぬ事だが、兼一はギンガに対し「どんな形でも一撃入れたらとっておきを教える」と言っていた。しかしその実、彼は着々と弟子の中に「とっておき」の為に必要な土台を築いていたのだ。
無拍子は膨大な基礎の上に成り立った技。
兼一はギンガに自身同様、膨大な基礎修業を課す事で、自らの秘伝の技もまた授けていたのである。

「ぐ…がはっ!? ……さ、さすがは一人多国籍軍の秘技。これは…きついなぁ」

痛む腹を抑え、笑う膝を支えながらなんとか膝立ちするアノニマート。
本来は一撃必倒の無拍子も、しかと認識して打つのと、そうでないのとでは大きく威力が異なる。
何しろ彼女のそれは、まだまだ荒削りでようやくその形を為したばかりなのだから。

「師匠の秘技? 今のが……」
「な、なんだ…知ってて、打ったわけじゃないのか。ハハ、なんかもう笑えて来た」

アノニマートはさらに膝に力を入れ、なんとか立ち上がろうとする。
しかし、口角からは血が零れ、幾ら力を入れても身体がいう事を聞いてくれない。

「やめなさい! その身体じゃもう!」
「それは、聞けないなぁ~。
この技で負けたりしたら、僕は前の僕から何も変わってないってことなんだからさぁ~」

アノニマートにどの様な拘りがあるのか、それはギンガにはわからない。
だが彼は、ここで倒れる事だけは絶対にできないと動かぬ身体に活を入れる。
ここで倒れれば、自分の存在価値が失われるとばかりに。

「使ったら、やっぱり先生に怒られるかなぁ? でも………………しょうがないか」
「あなた、なにを……」
「行くよ。本当のホントにとっておき、Iェ……【ピー!ピー!】」

アノニマートの声にかぶさる形で、彼の懐から電子音が響く。
一瞬アノニマートの体は硬直するが、すぐにそれを振り払い彼は再度何かをしようとする。
しかしそれより速く、イーサンが歩み寄りその肩に手を置いた。

「ミッションコンプリート、退くぞ」
「ま、まだ僕は…闘えますよ」
「その身体で何ができる。この敗北はユーの増長が招いた結末だ。
なにより、ユーのスキル(能力)はまだパーフェクト(完全)な仕上がりではない。
決着は、心おきなく闘えるようになってからにしやがりなさい」
「くっ……う~う~! はぁ……わかりました」

しばし不服そうに唸っていたアノニマートだったが、やがて観念したのかうなだれて承服した。
と同時に、イーサンはあらぬ方向へと視線を送り、僅かに笑みを浮かべる。

「格上相手にも不撓不屈のスピリット(精神)で挑み、勝利をもぎ取る様はユーを彷彿とさせやがったぞ。やはり、弟子は師に似るものらしい。なぁ、白浜」

最後の単語に、ギンガは思わずイーサンの視線を追って後方を見やる。
そこにはイーサンの語る通り、シャマルに付き添われた兼一の姿が。
その姿を見止めるや否や、ギンガの目一杯に涙が浮かぶ。生きていた、その事実だけで胸が一杯になる。

「師、匠……師匠!」

ギンガは疲労困憊な事も忘れ、一目散に兼一へと駆けていく。
そのままその胸に飛び込むと、泣きながらその身体にしがみつき、彼が生きている事を実感する。
兼一はそんなギンガの頭を優しく撫で、労う様に背を軽く叩く。
心配するなと、自分は確かに生きていると伝える様に。

「ごめんよ、心配かけちゃったね」
「…………」

ようやく紡がれたのは、いつもと変わらない優しい声音による謝罪。
ギンガは何も言葉にできず、ただただ無言で頷き返す。

とそこで、兼一の視線がある一点で止まる。
それに気付き僅かにいぶかしむギンガだが、師の表情からただならぬものを感じて言葉が紡げない。
代わりに、兼一は信じられないものを見るような面持ちのまま、ゆっくりと口を開く。

「君は……」
「なんだ、もうずいぶん昔の事で忘れているかと思えば、しっかり覚えてるんだ。
 お会いできて光栄ですよ、一人多国籍軍殿。それとも、この顔なら『虫』とでも呼んだ方が良かったかな?」

今までのどの時とも違った様子で、アノニマートは慇懃無礼に兼一に語りかける。
まるで、旧知の間柄であるかのような語り口。
だが同時に、イーサンのそれとは違い友好的とは言い難いものがある。
そんな彼に向け、兼一は厳かに問うた。

「君は………………誰だい?」
「「だぁっ!?」」

思わぬ問いかけに、ギンガとアノニマートが揃ってずっこける。
まさか、あれだけ引っ張っておいてそれはないだろう。
ギンガでさえそう思うのだが、事実として兼一はアノニマートの顔を凝視したままだ。
本当に、まるで彼に対して心当たりがない様に。

それはさすがにギンガもアノニマートが哀れと言うか、兼一に酷いという印象を持たざるを得ない。
当のアノニマートと言えば、こめかみを抑えながらどこか感情を抑えた口ぶりで言葉を紡ぐ。

「……ま、まぁ確かに昔の事ですけどね。
 でも、あなたにとって叶翔と言う人間は………その程度だったってことですか」
「え? 叶…翔?」

それは、彼の息子と同じ響きの名前。
息子に同じ名前を付ける様な相手を、本当にこのお人好しが忘れるだろうか。

「いや、叶翔の事を忘れることなんてありえないよ。
 恋敵にしてライバル、今思い出してもムカつく奴だけど、忘れることなんてありえない」

ならいったい、どうしてそんな相手と同じ名前を息子に付けたのか。
非常にその辺りが気になるギンガだが、口が挟める雰囲気ではない。
なにしろ、今まさにさらに込み入った話をしているのだから。

「なら、僕に『誰?』と聞く必要はないんじゃありません?」
「確かに、君は叶翔と顔立ちがよく似ている。でも、それだけだ。
 彼と君では、その眼から受ける印象はだいぶ違うよ」

そう言う兼一の瞳は、どこか優しい。
まるで、なにかに安堵する様な、そんな眼差しだ。

「はははは…なるほど、あなたは本当に聞いていた通りの人だ」
「一つ、聞かせてくれないか。君に、大切な人はいるかい?」
「ええ。愛する家族が、全部で13人。一人所用で空けてますけど、中々にぎやかで楽しいですよ。
 当面の目標は、友達を増やす事ですかね」
「そうか…よかった」

彼は叶翔ではない。どれほど似ていても、別の人間だ。
それを、兼一は眼の奥の光から理解していた。
叶翔の眼には壮絶な孤独が宿っていたが、彼には違うものが見て取れる。
家族の事を語る時、その眼には確かに親愛の情が宿っていた。

兼一にとっては、本当にそれで十分。
彼がどういう存在で、どう生まれたのかもどうでもいい。
いつぞや聞いたプロジェクトFとやらが関係しているのかもしれないが、それすら興味はない。
叶翔の血を継ぐ者がいて、彼は叶翔と別の道を歩いている。それだけで十分だから。
しかし、一つだけ確認しておきたい事はある。

「イーサン! 人越拳神は、あの人はこの事は?」
「知っている。いる事については何も言わない、誰にも言わせない。それがヒーのスタンスだ」

一影九拳が一人、「人越拳神」本郷晶は叶翔の師にして彼の親も同然であった人物。
その彼もまた、この少年を叶翔のコピーとしてではなく、一人の人間として見てくれている。
だからこそその心境もまた複雑なのだろうが、それでも存在を否定しないでくれる事が嬉しかった。

「だけど、知らなかったな。君と叶翔が親しかったなんて」
「いや、別段ヒーと親しくしていたわけではないでござるます」
「そうなのか?」
「だが、それでもミーとヒーは、道を同じくする同胞だった。少なくとも、ミーはそう思っている」

なるほど、それは君らしいと兼一は思う。
特別なつながりはないかもしれないが、それでも彼にとっては充分気にかけるに値する義理なのだろう。

「死なせるなよ?」
「オフコース(もちろん)」

兼一の言葉に、言われるまでもないとイーサンは応える。
とそこで、おもむろにイーサンが話題を変えた。

「しかし、そのしぶとさは相変わらずでせう。今回も、ミーの勝利とはいかなかったか。
まぁ、死の淵を乗り越えたファクター(要因)が弟子の窮地という辺りは、なんともユーらしい話しだが」
「何を言ってるんだい。一時とは言え心臓まで止められたんだ、紛れもない君の勝ちだろ」
「ユーは生きている。ならばこの勝負は、ドロー(流れ)だ」
「(ピキッ)…………………」
「(しら~)…………………」

意見が折り合わず、睨み合いを始める二人。見れば、眼からは何やらうっすらと怪光線が漏れ出している。
その間にも空気は加速度的に悪化していき、兼一の腕の中にいたギンガの顔が青ざめていく。

「し、ししょう?」
「どうしても譲らない気だね?」
「それが事実だ」

ゴゴゴゴゴゴ、と不穏な気配が満ちていく。見れば、兼一の額には青筋が浮かんでいるではないか。
正直、第三者であるギンガに言わせてもらうと「変な喧嘩」にしか映らない。
だがやがてそれは臨界に達し、ついに爆発した。

「よし………じゃあ今度こそ決着を付けようじゃないか!」
「望む所で候」
「わ――――――――――! 何する気ですか兼一さん!」
「離してください、シャマル先生! このわからず屋に、思い知らせてやらなきゃならないんです!」
「あなたさっきまで心臓止まってたんですよ、少しは自重してください!!」
「師匠、抑えて―――――――!!」

さっきまでのしんみりした雰囲気はどこへやら、一転していがみ合いを始める二人。
兼一はシャマルのバインドでグルグル巻きにされ、それでも抑えきれるか怪しいのでギンガも今度は掴みかかる様にして抑え込む。この程度で多少なりとも動きを制限されている辺り、本調子からは程遠いのは明らか。
そんな状態で無茶するなと、二人は必死に兼一を押しとどめる。

「怪我人が相手では興が乗らん。そろそろ退くぞ、アノニマート」
「は~い、先生。でも、逃がす気なさそうですよ、あの人たち」

動けないアノニマートを抱え、その場を離脱しようとするイーサン。
しかしアノニマートがさす先には、それぞれにデバイスを構える二人の女性。
なのはとフェイト、バリアジャケットは所々痛んでいるが、それでも二人はイーサン達に油断なくデバイスを向けて警告する。

「抵抗はやめてください、あなた達を確保します」
「その怪我で逃げるのは無理ですよ」
「ほぅ、あの二人を振り切りやがりましたか。だが……」

確かに手負いではあるが、こんな小娘に捕まる程ではない。
イーサンが静かに息を吸うと、それに気付いたアノニマートの顔色が変わる。

「わっ、先生ちょっと待って! 僕近い、すっごく近いですから!?」

慌てて重い両腕を動かし、懐から取り出した耳栓を入れた。
なのは達はいったいイーサンが何をする気なのかと警戒しながら、何が起きても対処できるよう一定の距離を開けて様子を見る。
まさかそれが、悪手であることなどとは気付かずに。
唯一この場でイーサンが何をするか理解した兼一は、警告を発する。

「みんな、耳をふさいで! 早く!!」
「真言秘儀……………■■■■■■■■■■!」
「この体調でどこまでやれるか…………あ”っ!!!」

イーサンの恐怖の真言(マントラ)に合わせる形で、兼一もまたその声帯から人間離れした声量を吐きだす。
恐怖の真言は、その性質上バリアジャケットをはじめとした防御魔法では防げない。
音響兵器と呼ぶには音量が小さく、ただの特殊な音波でしかないからだ。
対処法は三つ、耐えるか、アノニマートの様に耳をふさぐか、あるいはかき消すか。

兼一一人なら最初の一つでなんとでもなる。
しかし、この場にいる全員にそれが適応できるわけではない。
故に、兼一は有りっ丈の肺活量を用い渾身の一喝を放ったのだ。
それこそ音響兵器じみたその大音量は、イーサンの放った奇怪な音波の大半を塗りつぶす。
だが、さすがに全てとはいかない。僅かに残ったそれは皆の心身に小さくない影響を与え、一瞬身体が硬直する。

「なに、この音……?」
「か、身体が言う事を……!」

その隙を逃さず、アノニマートを抱えたイーサンはその場を離脱。
なのは達が心身を立て直し、追おうとした時にはすでに遅かった。

「フェイトちゃん!」
「ダメ、索敵範囲から抜けられた。これじゃ、もう……」

森の中に紛れてしまえば、イーサン達を追うのは至難を極めるだろう。
二人は無駄と知りつつ、何か手掛かりはないかと捜索に回ろうとする。
しかしその前に、二人の眼前で兼一が再び力なく崩れ落ちた。

『兼一さん!?』

つい先ほど心臓が動き出したばかりの所で、無茶をした反動だ。
恐怖の真言の大半を塗りつぶす大音量を発するには、兼一の体に蓄積したダメージは大き過ぎたのである。
それでなくても、ついさっきまで死にかけていた人間が平然と動いているのが異常なのだ。

二人は已む無く捜索を断念し、兼一を安心して休める場所に移送させる。
同様に、負傷した新人達とギンガを休ませ、代わりに彼女らが周囲の警戒に当たるのだった。



  *  *  *  *  *



ホテルアグスタより、それなりの距離を空けた森林地帯。
そこで機動六課から身を隠しながら、先の戦闘の一部始終を傍観していた三人。

本来なら、見つかる危険を減らすべく早々に退却すべきだろう。
その事を理解していながらも、彼らは闘いが終結した今もそこに留まっている。

理由は単純。彼らは、闘いを終えた二人が戻ってくるのを待っているのだ。
アギトはスカリエッティやナンバーズ達の事はあまり信用していない。その中にはアノニマートの事も含まれる。
それはゼストも同様なのだが、彼は一武人としてイーサンに対しては一定の敬意と信頼を抱いていた。

「戻ったか」

それまで静かに瞑目していたゼストが目を開け、ある一点に視線を送る。
アギトやルーテシアもそれに倣ってその方角を向くと、イーサンと彼に担がれたアノニマートが姿を露わした。

「やっほー。お待たせ、ルー」
「うん。おかえり、アノニマート」

普段と比べ、どこかアノニマートの声色には覇気が欠けている。
静動合一の反作用と無拍子のダメージのせいもあるだろう。実際、担がれているのはそれが原因だ。
立って歩けない事もないが、辛い事に変わりはない。
だが、それだけとは思えない何かをルーテシアは感じ取っていた。

「……どうか、した?」
「ははは、優しいなぁ、ルーは。
 大丈夫…って言いたいけど、正直…ちょっと凹み気味。
 はじめはそうでもなかったんだけどね、じわじわと効いてきた」

首を傾げて問うルーテシアに、アノニマートは空虚な笑顔で応じる。
それは、ルーテシアやアギトも初めて見る表情。
どんな時でも上機嫌、笑顔を崩す事のない彼が見せた弱さ。
そんな彼にアギトはいぶかしむ様な視線を向け、ルーテシアは僅かに表情を曇らせる。

「なんだよ、らしくねぇな。そんな情けないツラしやがって、調子が狂うだろ」
「酷いなぁ…僕だって人間だよ? 偶にはこういう時もあるさ」
「でも、本当にどうしたの?」
「うん。何ていうか…………………負けるのって、こんなに悔しんだなぁって」

天を仰ぎ、アノニマートは溜め息交じりに呟く。
修業を通して、イーサンやその配下の達人相手に叩きのめされた事は幾度もあった。
しかし、それと今回の敗北では全く意味が異なる。

これまで彼を打ちのめしてきたのは、年齢やキャリア…ありとあらゆる面で自身の上を行く存在。

だが、今回は違う。
ギンとアノニマートは同世代であり、同じようなステージにいる使い手。
そんな相手と闘って負けたのは、今回が初めてだった。

「僕ってさ、あんまり『勝ちたい』って思った事……ないんだよね」

実際、アノニマートにとって勝つ事が当たり前だった。
少なくとも自分と同じくらいの年代、レベルの相手と闘って今日まで彼は負けた事がない。
最高レベルの肉体、オリジナルから引き継いだ記憶と技術、一影九拳の一人が指導者と言う事実。
これだけ揃っていれば、敗北が稀な事態と言うのも当然だ。

故に、『勝利』と言うものに対する飢えがない。
『強さ』への渇望はあっても、勝利への執着が希薄だった。
それはいい意味で作用し、いつでも自然体で戦う事ができる彼の長所の一つ。だが……

「ああ、本当に…負けるのって……………悔しいなぁ」

今日、初めて彼は敗北を知った。
その味は想像していたよりも苦く、同時に沸々と心が煮えたぎる。
ああしていれば、こうしていれば、思い返す度に後悔ばかりが溢れてきて止まらない。

自分で思っていた程、あの二人との闘いには余裕など存在しなかったのだ。
イーサンは言った、「ユーは増長している。それは心の隙となり、致命的なミスにつながるだろう」と。
まさしく、彼の言った通りだった。

しかし、全てが手遅れ。結果は既に、アノニマートの敗北と言う形で出てしまっている。
今更何を言ったところで、何を思ったところでその結果は覆らない。
だからこそ、彼は生まれて初めて強く思う。

「勝ちたいな……今度こそ」

それは、とても不思議な感覚だった。
勝ちたい、小さく呟くだけで心が強く脈動し、身体がうずく。
今すぐにでも修業を始めたいと、今度は決して負けてなる物かと。
心と体が訴えているかのように。そしてその感覚は、今までにない充実感を与えてくれた。

そんなアノニマートに、イーサンはどこか温かな視線を向ける。
正式に弟子にとったわけではないとはいえ、義理あって教えを授けた相手だ。
それが一皮剥けた事実は、彼にとっても喜ばしい。

「上機嫌の所すまんが、管理局に見つかっては面倒だ。先にこの場を離れるぞ、行けるか?」
「ノープロブレム、動く分には問題ない」
「よし。アギト、ルーテシア、行くぞ」
「うん」
「おう!」

とはいえ、魔法を使えば局のセンサーに感知される恐れがあるので、飛行や転送魔法は使えない。
アノニマートは引き続きイーサンが担ぎ、ルーテシアはゼストが抱きかかえ、その肩にアギトも腰かける。

二人の巨漢は揃って大地を蹴り、森の奥深くへと突き進む。
やがてホテルの姿が見えなくなる程に距離をとった所で、二人はようやく足を止めて二人を下ろす。

「ルーテシア、治療を頼めるか?」
「うん」
「ごめんねぇ、ルーテシア」
「世話になる、サンキュー」

イーサンとアノニマート。二人の足元に紫の魔法陣が浮かび、その光が二人の身体を癒していく。
とそこで、ルーテシアの召喚獣であるインゼンクトを通して一部始終を見ていたアギトが、渋い顔でアノニマートに苦言を呈する。

「にしてもよ。お前、幾らなんでもアレは酷過ぎんじゃねぇか?」
「へ?」
「だから、局のオレンジ頭だよ。さすがにアレは、あたしでもちょっと可哀そうだと思っちまったし……」

アギトが言っているのは、アノニマートがティアナに言った。
『いくら望んだところで、頑張ったところで才能の差は覆らない』と。
あの時のティアナの悲壮な表情は、あまり局に良い印象を持っていないアギトですら、同情してしまう程に痛々しかった。

「そんな事言われてもねぇ…一応、心配して言ったんだよ?」
「いや、どっからどう見てもいじめてるようにしか見えねぇって」
「でもさ、アギト。才能の差って、そう簡単に覆ると思う?」
「う…それは……」

言い方はともかく、確かにアノニマートの言にも一理あるとはアギトも思う。
才能は絶対ではないが、これを覆すのは生半可なことではない。
ましてや、「努力する天才」に凡人が追い付くとなれば尚の事……。
何しろ、そう簡単に覆らないからこその「才能の壁」であり、天才と凡人の断絶なのだから。

「じゃあ、アレか? アイツは凡人だから、闘いの場になんか出ちゃいけねぇってことか?」
「そうは言わないよ。闘うかどうかは本人の意思だし、闘うなら差別する気はないし~。
 でもね、戦場だっていろいろあるんだ。わざわざこっちの領域に来る事もないでしょ。
 それはさぁ、ほら……命を無駄に散らすようなものだよ」
「むぅ~~~~……」

どこか釈然としないものを感じながらも、上手い反論が浮かばずアギトは黙りこむ。
不本意ながら、アギトもアノニマートとの付き合いはそれなりにある。
御蔭で、彼の人となりもそれなりに理解していた。

何と言うか、アノニマートはこれで割と優しい所がある。
ルーテシアにも色々配慮してるし、それはアギトやゼストに対しても同様だ。
ただ、それがどうにもズレていると言うか、なんと言うか……。

「結構優秀そうだし、見合った戦場で闘う分には良い線行くと思うんだ。
 無理し過ぎてる所にはちょっとイラッとしちゃったけど、一途に頑張ってる所は好きだしねぇ~」
(こいつ、ホント節操無いよな……)

基本、アノニマートは誰かを嫌う事が少ない。
と言うよりも、大抵の部分は「いい所」として無理矢理にでも解釈しようとしている節がある。

それは彼のオリジナルとなった人物の記憶によるところが大きい。
叶翔は壮絶な孤独の人生を生きた人物だ。もちろん彼の周りにも少なからず彼を理解し、あるいは慕い、あるいは包み込んでくれる人たちがいた。だが、その数は決して多くなかったのも事実。

アノニマートはそんな彼の記憶の一部を継承しているのだ。
だからこそ、彼はできる限り相手を好きになるよう努力する。
好いてもらう為には好きになる事が大切、と考えているからだ。
まぁ、別に間違ってはいないのだが、やっぱりどこかズレているのがこの男らしいとも言えるだろう。

ちなみに以前、非情を旨とする殺人拳のくせに敵まで好きになってどうする、と聞いた事がある。
その際、アノニマートはあっけらかんとこう言った。

「え? 敵だから好きになっちゃいけないなんて寂しいでしょ? 良いんじゃないかな、好きなら好きでさ。
 ま、殺る時にきっちりけじめをつければ問題ないよ」

敵だからと言って憎む理由はないし、好きになってはいけない道理もない。
だがそれは、相手がだれであろうと、どんな感情を抱いていようと、敵であれば殺すと言う事。
その辺り、非情な殺人拳の使い手らしいと言えるだろう。
故に、一見「矛盾」しているようにも思える在り様だが、アノニマートにとっては矛盾していない。

「だからね、人間やっぱり分相応が一番なんだよ。その方が、幸せになれる可能性も高いんだしさ」
「まぁ、そうなのかもしれねぇけどよぉ……」
「ま、分をわきまえない大馬鹿じゃなきゃ開けない扉って言うのがあるのも、確かなんだけどね」
「あ?」

アノニマートの小さな呟きを聞き逃さず、アギトは彼の顔を凝視する。
今口にしたその内容は、先ほどから言っている「分相応」とは真逆のものだった。

「それ、どういう事だよ?」
「うん。これは例外中の例外なんだけど、いるんだよ」
「だから、なにがだよ?」
「才能の差をひっくり返した、頭に『大』とか『超』のつくヴァカが」

頭をかきながら、そっぽを向きつつアノニマートは妙に凝った発音で答えた。
その答えがよほど意外だったのか、アギトは眼を大きく見開いてアノニマートを凝視する。

「なんだよ、それならあんなこと言う事ねぇじゃねぇか」
「でもねぇ、これはホントに究極クラスの例外なんだよ?
 それこそ60億~70億分の1くらいの」

その確率の低さに、アギトは空いた口が塞がらない。
だが実を言うと、これですら控えめな数字なのだ。
何しろこれは、あくまでも地球と言う一つの世界に限定した話。
もしこれを次元世界全体規模でみた場合、さらに確率は下がる。
なぜならアノニマートが知る限り、その例外は世界に一人しかいないのだから。

「そりゃね、諦めないで努力すれば可能性はあるよ。でもそれは、天文学的な数字なんだ。
 だからまぁ、ほぼ確実に失敗するんだよ。それが挫折するだけならいいさ、別に挑戦するのは自由だし。
 でも、こういう業界だからね。失敗は死に直結するし、やめとく方が利口だと思うよ」

アノニマートに言わせれば、リスクとの釣り合いが取れないのだ。
ほぼ確実に負ける賭けに、命をかけるなど正気の沙汰ではない。
そんな事をしなくても、普通に分相応に生きていれば幸せになれる。
幸せの定義は人それぞれだが、一般的な意味での幸福を得る可能性はこちらの方が遥かに高いのは事実。

自殺同然の賭けに出る愚者と、堅実に幸福になろうとする賢者。
これはそういう図式だ。そしてアノニマートとしては、極力賢者になる事をお勧めする。

だからティアナにもああいう物言いをした。彼女を深く傷つけたが、それでもアレは彼なりの配慮なのだ。
失敗し、命を落とすと分かっている賭けに出る事はない。
彼女なら、分相応に生きれば客観的には充分幸せと言える人生を送れるだろう。
わざわざそれを棒に振る必要もないのだ。
少なくとも、出会ったばかりの他人が無責任に賭けの方へ背中を押すよりかはマシだから。

「やめといた方が良いとは思うし、僕は誰に対してもそう言うよ。
 でも、最後に決めるのはやっぱり本人なんだよねぇ~。
 どうしても諦めきれなくて、ほぼ確実に失敗する賭けに出て扉を開くならそれも良いんじゃないかな?
 そしてもし億が一、兆が一の賭けに勝ったとしたら、僕はそんな人が……」

一番怖い、と。言葉にはせず、胸の中だけでアノニマートは呟く。
誰よりも険しく、苦難ばかりの道を踏破しきったとしたら、その人はきっとだれよりも強いから。
あの時は途中で遮られてしまったが、これがティアナに言いかけていた彼の本心の全てだった。
まぁ、下手な希望を持たせない様に、あまり多くを語る気もなかったので構わないのだが……。

そんなアノニマート達からやや離れたところでは、ゼストがイーサンへと話しかけている。
内容としては、やはり先ほど闘っていた兼一にまつわるもの。

「しかし、お前にここまでの深手を負わせる者がいるとはな……」

その声音には、隠しきれない驚嘆の念が浮かんでいる。
実際、イーサン相手にあそこまで戦える者などそうはいない。
その意味では、ゼストの驚きも当然と言えるだろう。
だが、そんなゼストにイーサンは静かに首を振る。

「ノー、アレでは不十分だ」
「なに?」
「ヒーは、もっと強くならねばならない。ミーに深手を負わせた程度で満足してはならないのでせう」

もし何かが違っていれば、兼一が武の世界から離れる事もなかっただろう。
そうであれば、彼とイーサンの実力は文字通り伯仲し、結果は逆だったかもしれない。
ゼストはてっきり、差の開いてしまったライバルに「早く追いついてこい」と言っているのかと思った。

しかし、どうもそういう感じではない。
いぶかしむゼストに対し、イーサンはゆっくりと隠された心中を吐露する。

「守る為には、力が必要だ。だが、今のヒーにはそれが不足していやがるのです」
「お前とここまで闘えれば、充分だと思うが?」
「並の相手なら、確かに。しかし、ヒーの息子のギフト(才能)がそれを許さない。
 今はまだそのバリュー(価値)を知られていないが、いつその時が来るか分からない」

かつての美羽がそうであったように、その資質が故に邪な思惑を抱く者に狙われる危険が翔にはある。
イーサンが危惧しているのはそれだ。生半可な相手なら今の兼一でも問題なく退けられるだろう。
だが、いつか拳魔邪神の様な実力者が現れたら。今の兼一では、恐らく守りきれない。

それを、彼なりに伝える為に、決着をつけるには時期早々と知っていながらイーサンは敢えて友の前に立った。
結果は予想以上だったが、それでも足りない。兼一は、もっともっと強くならなければならないのだ。
他ならぬ、彼と彼の息子の為に。

「お前の思惑はわかった。だが、それで殺してしまっては本末転倒ではないのか?
 蘇生したからよかったようなものの、失敗したらどうするつもりだ」
「ふっ、ヒーはミーのベスト(最高の)ライバルでござるますよ」
「……そうか」

つまり、あの程度で死ぬなどあり得ないと、そう言いたいのだろう。
まぁ、実際にはイーサンの立場の問題もある。
殺人拳である彼にとって、倒すと言う事は殺すと言う事。トドメを指さずに見逃すわけにはいかない。
かと言って、今の段階で兼一を殺すのは本意ではなかった。
どうせなら、兼一もまた頂に立った時に雌雄を決したい。

そこで、あんな回りくどい手段に出たのだろう。
一時とはいえ心臓を止めてしまえば、さすがに文句は出にくい。
何しろ、そこから蘇生するなど普通はあり得ないのだから。

しかし、それでもたいした信頼だと思うし、それに応えた相手もとんでもない。
だが、そんな二人がゼストは少々うらやましく思う。
敵対していながらも、この二人は確かな信頼によって結ばれている。

だが自分達はどうなのだろう。今の自分には、ここまで友を信じる事はできそうにない。
その事実が、彼の心を重くした。






あとがき

さあ、これにてアグスタ編は終了。
兼一が負けたのは、まぁある意味当然でしょうね。元々同格だった相手と、5年近くも実戦から離れた状態で闘えば、勝つ方が奇跡的ですって。なので、今の彼の位置づけは「限りなく一影九拳クラスに近いけど、後一歩及ばない」くらいです。魔法と言う今までにない環境で己を磨き、早いとこ追いつくべし、ってところでしょうか。
感覚的には、手加減できず力の流れを変えられなかった頃のアパチャイとかが一番近いかも。多分、兼一と出会う前の彼では、アーガード相手に相討つ事は出来なかったでしょうからね。厳密には、それとも若干違うんですが、わかりやすい例がないのでこの辺で勘弁してください。

で、イーサンがこっちにいるのは叶翔への義理があるからで、今回出張ってきたのは兼一に「今のままだと守れないぞ」と、彼の立場上可能なラインで警告する為でした。
なので、今後イーサンが積極的に表に出て来る事はありません。
まぁ、全く出番がないわけでもないんですけどね。

そして、次回からはいよいよSts前半の山場に突入。
アノニマートとかのせいで、原作以上に精神的に追い詰められているティアナはどうなるのか。
ついに悪魔降臨。ホント、どうしてくれましょうね、この悪魔。



[25730] BATTLE 29「悪魔、降臨す」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/17 21:15

ホテルアグスタでの一件が終結してから幾らかの時を置いて、機動六課隊舎前。
再度倒れた後、割とピンシャンした様子で意識を取り戻した兼一だが、シャマルの権限でそのまま設備の整った病院へ連行された。

本人は「もう大丈夫」と言って憚らなかったが、そんなものは一度心停止していた人間の戯言。
シャマルは一切聞く耳持たず、はやてからの命令もあって病院で検査を受けて帰ってきた所だ。

本当は一日入院を勧められたのだが、検査結果自体は多少の負傷はあっても健康そのもの。
医師達は一様に化け物でも見るような眼で兼一の事を見つつ、さすがに引きとめる事は出来なかった。
まぁ、兼一に言わせればこれでも充分調子を落としているのだが……。

(やっぱり動きが鈍いな。本調子まで半日ってところか……)

全身に重くのしかかる倦怠感。脳から神経、神経から筋肉への指令の伝達も平時よりコンマ数秒鈍い。
常人ならば長期入院が必要なレベルだろう。とはいえ、兼一の回復力なら半日あれば十分。
しかし、それもこれも全ては……。

(イーサンが上手くやってくれたから…か)

兼一は才能はあれだが、頭は悪い方ではない。
その上、相手は長い付き合いの友人でありライバルだ。
彼が何を想いあの場に立ち、完全な形でのトドメを指さなかったのか。
その理由を、兼一はしかと理解している。

何しろ他の誰かならいざ知らず、修業時代の兼一を知る者なら、心臓を止めた位で終わったとは思わない。
あの頃を知る彼が心臓を止めただけで良しとしたからには、必ず理由がある筈なのだ。

友人の心配りが嬉しくもあり、そんな気遣いをさせてしまった事が申し訳ない。
何より、そんな手心を加える余裕がある程についてしまった、ライバルとの力の差。
その現実が悔しくてたまらない。

同時に、彼には守らなければならない者達がいる。
臨死の中、彼を蘇生させた最後の一押しは可愛い愛弟子のただならぬ絶叫だった。

あの時の事を思い出すと、兼一は自らが背負っているものの重さと尊さを再認識する。
強くならなければならない。友の心遣いに応える為、自らの信念を貫く為、全てを授けてくれた師の想いに応える為、何よりも…………大切な者達を守る為に。
兼一に発破をかける事がイーサンの目的であった事を考えれば、それは見事に功を奏したと言えるだろう。
とそこへ、隊舎から大小二つの人影が姿を現した。

「うおっ! ホントに帰ってきやがった!?」

兼一の姿を発見するや、だいぶ失礼な事を言ってくる赤毛の少女。
だが、彼女の反応も無理はない。
普通、ついさっき死にかけた人間が、こんな短い時間で退院してくるなど性質の悪い冗談にしか思えないだろう。
一応連絡は受けていたようだが、半信半疑……と言うよりも、あり得ないと思っていた筈だ。

「あ、なのはちゃん、ヴィータ副隊長。ただいま戻りました」
「お、おう……つーか、身体は丈夫なのか? 心臓、止まってたんだろ?」
「ええ、また止まっちゃいました」
「また!?」

普通、心停止に「また」などと言う単語は付属しない。
そんな事を何度も繰り返してきたとしたら、この男は本当に人間なのか疑わしく思えて来る。
『実はこいつ、ゾンビとかフランケンシュタインとかの類じゃね?』的な眼で睨むヴィータ。
しかしそこへ、今度はなのはの方から更なる爆弾が投げ込まれた。

「でも、結構久しぶりなんじゃありませんか? 昔は修業中、お兄ちゃんたちと一緒に何度も臨死体験してたみたいですけど。まぁ、平然と歩いて帰ってくるあたり、兼一さんらしい気もしますが……」
「らしいのかよ!?」
「ほんとにねぇ。あんまりにも久しぶりだから、危うく川を渡る所だったよ」
(シャレになんねぇっての。つーか、んな軽く言うことか……)

まるで世間話でもするような気軽さに、ヴィータは頭を抱えてうずくまる。
なのはとの付き合いは長いが、まさかこんなずれた一面があったとは……。
いやまぁ、若干ずれた所のある奴とは思っていたのだけれども、まさかここまでとは思わなかった。

「やっぱり、適度に臨死にも慣れておかないと、かえって危ないよね」
(人としてどうなんだよ、それ……)
「幾ら心臓が止まった位じゃ死なないからって、少し油断してたかも」
「いや、そこは死んどけよ、人として……」
「何か言いました、副隊長?」
「いや、何でもねぇ。気にすんな」

もう一々リアクションするのも面倒になったのか、疲れ切った様子で手を振るヴィータ。
その小さな背中には哀愁が漂い、肩には重い重い疲労がのしかかっている。
だがその反面、なのはの兼一への信頼の深さ。その由縁を、ようやく理解したことも事実だ。

(にしても、まさか心臓が止まった状態でギンガのピンチに気付くとはなぁ。
 つくづくとんでもねぇ野郎だ……ってか、『死んでも』ってそういう意味かよ!)

兼一が達人である事を知った時、なのははヴィータに『死んでも守るくらいは平然とする』と言った。
普通、この場合の『死んでも』とは命を捨てるという事を意味すると誰もが考える。百人に聞けば、百人が同意するだろう。実際、ヴィータ自身もそう考えていた。
しかし、兼一はそんな常識をはるかに超越し、文字通り『死んだ状態』からギンガを守るために動いたのだ。
あまりにも無茶苦茶で、色々と言ってやりたい気持ちはヴィータにもある。
だがこれなら確かに、かつてなのはが彼を無条件に信頼しているのもうなずける。

「あ、そうだ。なのはちゃん、ギンガがどこにいるかわかる? ちょっと話があるんだけど」
「え? ギンガなら、今は医務室でシャマル先生に診てもらってる筈ですけど……」
「妙に回復が早くてビビってたな、アイツ」
「そっか。じゃあ、丁度いいし薬も持って行こうかな。早めにメンテナンスもしてあげたいし」
(そういや、こいつが育ててんだもんな。そりゃ回復が早くて当然か……)

兼一は必要な道具を揃える為、隊舎から寮へと行き先を変更する。
その背中を、ヴィータはなんとも言い難い微妙な表情で見送るのだった。



BATTLE 29「悪魔、降臨す」



一通りの道具を揃えた兼一は、ギンガがいるらしい医務室へと足を運ぶ。
道中、フェイトやシグナムと遭遇し、ヴィータとよく似た眼差しで見られたのは御愛嬌。
二人はまだ兼一の状態が気になるのか、結局医務室まで付いてきてしまった。
で、医務室の扉を開けた兼一は開口一番……

「ギンガ、傷の具合はどうだい?」

まるで、お見舞いにでも来た第三者の様な口ぶり。
本来、今回の任務で一番ダメージが大きかった筈の人間がいうことではない。
実際、兼一の背後に立つフェイトとシグナムは「まず自分の心配をしろ」と言わんばかりの眼だ。

「え…し、師匠!? もう体は大丈夫なんですか!?」
「何言ってるんだい、ちょっと死にかけた位で大げさな……」
『充分大事です(だ)!!』

前後の4人からの一斉放火。
しかし兼一は動じた素振りもなく、スタスタとギンガのベッドへと移動する。

「とりあえず…………………………これを飲みなさい」
「…………なんか、凄い色と匂いですけど……何が入ってるんですか…?」
「昔の偉い人は言った、無知は時に救いだと」
「それ絶対嘘ですよね!?」

眼を逸らしながら、素知らぬ顔で下手な嘘をつく兼一。
益々その中身に不安を覚えたギンガはなんとか逃れようと暴れ出すが、そんな事は兼一が許さない。
彼は都合よく後ろに立っている人物に協力を仰ぐ。

「シグナムさん、ちょ~っと抑えててもらえます?」
「……まぁ、なんだ。諦めろ、ギンガ。
 ちゃんとお前の事を心配してくれての事だ、有り難く飲んでおけ」
「鼻をつまみながらいっても説得力がありませ………ゴボゴボッ!?」

シグナムに抑え込まれ、されるがままに薬を流しこまれるギンガ。
全てを飲み切った時、ギンガは悶え苦しむ事もなく沈黙していた。
代わりに、彼女の口から抜け出たエクトプラズムが悶え苦しんでいるように見えるのは……気のせいだろう。
その間に兼一は手早くギンガの身体を触診し、慣れた手つきでメンテナンスを施していく。
ちなみに、その後ろではシャマルやシグナム、それにフェイトがその手際を興味深そうに見ているのだった。

そうして一通りの処置を終えた所で、兼一は再度ギンガの隣に腰を下ろす。
なんとか復活したギンガも、神妙な空気に晒されて居住まいを正した。

「ギンガ。しばらくの間、君に謹慎を命じる。
 当然その間、一切の武も禁止だ。拳を作ってもいけない。いいね」
「っ!」

行動範囲は隊舎と寮の間のみ。職務においても一切の訓練は不可、自主練など以ての外。
それが、兼一が下したギンガへの罰則だった。

「ちょ、兼一さん!」

さすがにそれは厳し過ぎると、慌てて仲裁に入ろうとするフェイト。
ギンガは良く頑張った。格上の相手を退け、流水制空圏を完成させ、今まで出来なかった技も会得したのだ。
しかも、聞けばその技は兼一の必殺技と言うではないか。
それは、目覚ましいという言葉では到底足りないレベルの飛躍的な成長。
てっきりそれを褒めてやるのだと思っていただけに、フェイトの驚きは大きい。
だがそれを兼一は片手で制し、シグナムもまたフェイトの肩を抑える形で制止した。

「理由は、わかっているね?」
「…………はい」

兼一の問いかけに、ギンガは小さく弱々しい声音で頷いた。
そう、理由はわかっている。
なにしろそれは、イーサンにも言われた事だから。

「僕が君に教えたのは、活人拳。人を活かす為の拳だ。
『殺すな』『殺されるな』、常々そう教えてきたつもりだよ。
 なのに、憎しみに飲まれその拳に殺意を乗せるとは…………何事だ!!」

それまでの静かな口調から一転し、部屋全体を振るわせる一喝が皆の耳朶を打つ。
兼一らしからぬ強い語調と怒気に、フェイトは身体を竦ませる。
温厚篤実が服を着て歩いている様な兼一が発する叱責は、第三者のフェイトですら圧倒された。
ならば、じかにそれに晒されているギンガへの影響はいかほどのものだろう。

「あまつさえ、一影九拳に闘いを挑むなんて………僕を倒した男に、君が勝てる道理があるものか!
 相手がイーサンだったからよかった物の、僕と修業している君にはそれがわかっていた筈だろう!
 君のやった事は、無謀ですらない自殺も同然の愚行だ!!
 その事を肝に銘じ、自分自身をよく見つめ直しなさい、以上」

言って、兼一はパイプイスから立ち上がって医務室を後にする。
フェイトはギンガの言葉すら聞かずに立ち去る兼一の後を慌てて追い、シグナムも数歩遅れてついて行く。

残されたギンガは布団を握りしめ、僅かに頭を垂れ肩を震わせる。
ここまで怒られたのは、兼一の下に弟子入りして初めてだろう。
今回の事がギンガに与えたショックは思いの外大きいらしい。
そんなギンガの傍らに立つシャマルからは、その表情と心の内を見る事は出来なかった。



「兼一さん!」

兼一の後を追っていたフェイトは、駆け足でその背に追いつき兼一を呼び止めた。
彼の言わんとする事はフェイトにもわかる。だが、さすがにアレはきつく言い過ぎなのではないか。
優しいと同時に甘い所のあるフェイトには、どうしてもそう思えてならなかった。

「あの、お気持ちは分かるつもりです。でも、あれは幾らなんでも言いすぎじゃ……!」
「待て、テスタロッサ」

そんなフェイトに、シグナムが歩み寄りながら再度制止した。
フェイトはシグナムの方を振り向きながら、何故止めるのかと反駁しようとする。

「でも、シグナム!」
「白浜にも考えあっての事だろう。それを聞いてからでも遅くはあるまい」
「…………はい」

フェイトとしても、兼一が怒りにまかせて叱責したとは思わない。
ならば、確かに彼女の言う通りまずその意図が奈辺にあるかを確認すべきだ。
その事を反芻し、心を落ち着けてフェイトは再度兼一に言葉を投げかける。

「兼一さんのお怒りはごもっともだと思います。それに対する叱責と、罰があるのも当然でしょう。
 でも、ギンガが今回の任務で大きく成長したのも事実です。なら……」
「ええ。イーサンの助言があったとは言え、我を忘れるほどの感情を飲み込んで見事に静の気を練り、真の流水制空圏を会得したのは、たいしたものでしょう。
それどころか、無拍子まで見せてくれた事は……正直、師として感無量ですよ」
「だったら……!」

もっとその事を評価し、ちゃんと褒めてやるべきなのではないか。
一切褒める事もなく、ただ叱りつけて罰するべきではないと、フェイトは言外に語る。

「でも、ギンガが一時とは言え殺人拳に手を染めそうになった事は事実。
 どんな形であれ、ここで褒めるのはあの子の為になりません」

褒めてやりたい気持ちは兼一にも無論ある。
しかし、今のギンガに必要なのは彼女が犯しかけた過ちを正す事。
そう考えたからこそ兼一は敢えて褒めず、叱責するだけにとどめ……そして、時間を与えた。

「今は己を見つめ直し、心を整理する為の時間が必要でしょうから」

こう言われてしまっては、最早フェイトに言える事はない。
兼一の叱責は怒りからではなく、一から十まで弟子の事を想ってのもの。
つい身内には甘くなってしまいがちな所を多少なり自覚しているフェイトにとって、それはむしろ見習うべき点として映った。

「今夜は付き合うぞ。そうだな、ザフィーラも呼んで飲むとするか。
お前の弟子であり、我らの部下の成長を祝してな」
「いいですね」
「もちろん、お前の奢りだが」
「あははは……まぁ、仕方ありませんね」

シグナム達ほどの高給取りではない身には痛い出費だが、今はそんな事も気にならない。
同時に、フェイトはシグナムが最初から全てわかっていたのに対し、兼一の想いを測り切れていなかった未熟な自分を恥じた。人生と言う名のキャリアにおいて、彼女は二人に大きく劣る。
その事を強く実感し、エリートだのエースだのと持ち上げられた所で、所詮自分はまだ二十歳にも満たない小娘なのだと戒めるのだった。



  *  *  *  *  *



明くる日の早朝。
兼一は酒はあまり強くないが、アルコールを分解する肝臓は驚異的に強い。
おかげで、景気よく飲みまくり酔い潰れておきながら、二日酔いになる事もなく寮の中を歩いていた。
シグナムとザフィーラは程度の差はあれ二日酔いで苦しんでいるかもしれないが…彼には無縁の話だ。

前日言い渡した通り、当分はギンガの修業はない。
その間は集中的に翔を鍛えることになるので、その修業メニューを考える。
同時に、謹慎を解いた後にはギンガの修業も段階を上げ、今までより数倍増しにするつもりだが。
何しろ、叶翔の血を継ぎイーサンが鍛えている子だ。こちらも全力で掛からねばなるまい。

ただ、あまり弟子の事にばかり集中してもいられないのが現状だ。
今回の事で、自分自身もまた一から鍛え直す必要性を痛感したのだから。
まぁ、それはそれで昔を思い出して中々に充実しているとも言えるのだが。

ちなみに、今が早朝でなければ恐らく寮内は騒然としていた事だろう。
なにせこの男、現在進行形で天地逆転状態。
師に倣い、足の指の鍛錬とばかりに天井の僅かな凹凸を掴んで歩いているのだ。
さらにその両手には、それぞれ大サイズの投げられ地蔵。

誰も見ていないから良い様な物の、誰かに見つかればあっという間に騒ぎになる。
それどころか、下手をすると怪しげな怪談へと発展しかねない。
そんな自分の状態を自覚しているのかいないのか……。
とそこで、ふっと視線を移した窓の外に兼一は良く見知った人影を発見する。

「アレは……………………ティアナちゃん」

早朝訓練にしても早過ぎる時間にもかかわらず、出歩いているティアナ。
その様子に、兼一はどこか違和感を覚える。
元から危ういところのある子だけに、兼一は自身の中である種の懸念が肥大化しつつある事に気付いていた。

「…………ちょっと、追ってみるかな」

何をするつもりかは分からないが、気にかけておいた方がいいと判断し、兼一は開け放った窓からその後を追う。
一端気配を消せば、弟子クラスでしかないティアナに兼一の気配を感知する事は不可能。
一切怪しまれる事なく、付かず離れずの距離を保って尾行を続ける。

やがて、ティアナが向かったのは機動六課裏の林。
恐らく、そこで訓練を始めるつもりなのだろう。

別に、兼一としてもティアナに対しあまり過剰に口出しする気はない。
兼一とて若い頃から一人稽古は良くした物だし、努力する姿勢そのものは評価すべき点だから。

そうしてティアナは林の中ほどで足を止めると、周囲に十ほどの光球を浮遊させ、射撃の型の練習を始めた。
とりあえず、兼一はティアナの姿が辛うじて見える位の場所で木に背を預け、彼女の様子を見守ることにする。
どんな結論を出すにしても、まずは今のティアナの状態をよく見ておくべきと考えたのだ。
だが、結論を出すまでに要した時間は、思いの外短かった。

(悪くはない。昨日の闘いのダメージも、もうそれほど残ってはいないみたいだ)

ギンガに比べて、ティアナ達が受けたダメージはたいしたものではない。
おかげで、今のティアナの動き自体は普段のそれと大差ないだろう。
動きのキレも、昨日の敗北の悔しさからか、普段より鋭さを増している位だ。しかし……

「動き自体は悪くない。でも………良くないな」

一目見てわかった。今のティアナは、ただ「力」そのものを欲している。
その為に我武者羅に、何もかもをかなぐり捨てる勢いで打ちこんでいるのだ。

努力することの尊さを、誰よりも兼一はよく知っている。
だからこそ、今のティアナが良くない傾向にある事も理解していた。

故に、とてもではないが今のティアナは放置できない。
彼自身にも覚えがある。敗戦のショックもあって、今のティアナは非常に危うい状態だ。
兼一にもそんな時があったからこそ、手遅れになる前になんとかしたい。
できればなのはたちとも相談したかったが、正すのなら早いに越した事はないだろう。
時が経てば経つ程に自体は悪化していく。故に、兼一はとりあえず行動に移す事を選択した。

「朝から精が出るね、ティアナちゃん」
「兼一…さん」

頃合いを見計らい、兼一はティアナへと声をかける。
殊更気配を消していたわけではないし、それどころか少し前からティアナにも見える位置に立っていた。
それでもティアナは、今の今まで気付かなかった様子で僅かに驚きの表情を浮かべている。
ここからも、周りが見えない程に集中していた…と言うよりも、見る余裕をなくしている事が伺えた。

「見てたんですか?」
「少し前からね。でも、そろそろ切り上げた方がよくないかな。
 もうじき、なのはちゃんの訓練が始まるよ」
「ぁ、もうそんな時間。ありがとうございました、失礼します」

律義に頭を下げ、ティアナは駆け足でその場を後にしようとする。
そんなティアナに向け、兼一は彼なりに助言を投げかけた。

「頑張るのは良いけど、ちょっと根を詰め過ぎじゃないかな?
 もう少し、肩の力を抜いた方がいいと思うけど」
「あなたがそれを言いますか」
「まぁ、確かにね……」

実際なのはよりも、それどころか今のティアナよりも無茶な事をやらせているのが兼一だ。
ある意味、その助言を兼一が言うのはある意味身の程知らずと言えるだろう。
兼一もその辺りは自覚しているのか、ティアナの指摘に苦笑を浮かべている。

「でもね、我武者羅にやればいいってものでもないよ。
 一人で無茶してると怪我にもつながるし、動きのズレも意識し辛いからね。
 僕も昔は遅くまで一人で修業したりしたものだけど、いつも師匠が隠れて見てくれていたものさ」
「…………」
「あ、別に一人でやるなって言うわけじゃないよ。強い人は、一人稽古が上手いものだからね。
 とはいえ、やらなきゃ上手くならないんだから、それ自体は良いと思うし」
「結局、何が言いたいんですか?」

中々繊細な問題だけに、兼一も言葉を選ぶ。
それがかえって話を回りくどくしてしまい、ティアナをいら立たせている。
自分の欠点を理解しているからこそ、直球を避けようとしているのだが……上手くいかない。

「ええっと…そうだね。何て言ったらいいか……」
「無理な詰め込みは避けろと、昨日ヴァイス陸曹には言われました」
「……」
「でも、詰め込んで練習しないと、上手くなんないんです。みんなやギンガさんと違って、覚えが悪いですから」

そんな事は兼一の方がよく分かっている位だろう。何しろそれは、兼一自身もやっていた事だ。
生憎と、要領よく効率的に覚えられるほどの才能が彼にはなかった。
だからこそ、ひたすら繰り返し魂にまで武を沁み込ませる。それが白浜兼一の方法論。
ティアナの言っている事はそれとなんら変わらない。
故に、その点に関して兼一は頷くしかないのだが、それとは別に一つ訂正を入れる。

「そんな事は、ないと思うんだけどな。ティアナちゃんは……筋はそこそこ良いと思うし」
「慰め…のつもりなら結構です。自分が凡人な事くらい、自分でわかってますから」
「あ、いや、別にそんなつもりは……というか、君も大概自分を追いこむ天才だよね。
そりゃ、みんなが才能の塊みたいなのは事実だけど……あれ?」

もしかして僕、また不味い事言った? とばかりに兼一の顔が硬直させた。
なぜなら、ティアナは顔を俯かせ、僅かに垣間見える表情が強張っている。
梁山泊の師匠連同様、兼一はそう言った事は必要以上にストレートだ。

兼一の場合は言われ慣れている御蔭で最早劣等感を抱く事もないが、ティアナは違う。
わかってはいても、その事実は彼女の中の暗い部分を刺激する。

「ほ、ほら! さっき言った通り、才能が足りないならその分努力すればいんだしさ!
 だ、大丈夫! 覚えが悪くても、全然進歩しないって事はないよ!
 ちょっと周りに比べて成長が遅いだけで!!」

逆効果に次ぐ逆効果。
兼一としては必死に昔の自分を振り返って言っているのだが、あまりにストレートすぎてティアナの心に突き刺さる。そんな事は、今まで何度も自分自身に繰り返し言い聞かせてきた事だ。
そうして、何度も挫けそうになりながら、必死に綺麗な理想論を信じてきたが……現実はどうか。

仲間達と同じ事をしていては、追い縋っていく事は出来ない。ならばと人一倍努力してきたが、スバルはもちろんエリオやキャロにも置いて行かれそうな危機感が拭えなかった。
その挙句の……ミスショット。しかも、そのミスをカバーしたのは敵。
それも、自身とは比べ物にならない程の才能を、当たり前の様に振るう強者。

抗う事が出来なかった自分が惨めで、親友を撃ってしまった自分が情けなくて、ティアナの心を追い詰める。
その上、アノニマートの言った残酷な現実と、それを覆せなかった弱い自分。
今の彼女には、綺麗な理想論は己を苛む呪いでしかない。

「そ、それにさ!
 才能は自慢できなくても、ティアナちゃんは凄く努力できるっていう長所があるじゃないか!
 簡単な事だけど、中々できる事じゃないよ!」

そもそも、「才能が自慢できない」と言っている時点でどうなのか。
昔から言われ慣れてしまったせいか、どうもその言葉が与える影響を察する感性が鈍い。
というか「“そこそこ“筋が良い」とか「周りよりちょっと成長が遅いだけ」とか言われても、全然励まされないのだが……。

「な…にが………って言……ですか」
「え?」
「あなたみたいな天才に、何が分かるって言うんですか!!」

ついに我慢の限界に達し、ティアナは顔を上げて怒鳴った。
その眼は今にも泣き出しそうな程に潤み、硬く握りしめられた拳が震えている。

「生身のまま魔導師を蹴散らして、どんな無茶も平然とやってのける!
 あなたみたいな天才に、凡人の何が分かるっていうんですか!!
 努力すればとか、才能がなくてもとか……気安く言わないで!!!」

腕で溢れだしそうな涙を拭い、ティアナは兼一の肩にぶつかりそうになりながらその横を駆け抜ける。
実際、第三者から見れば兼一は才能の塊と映るだろう。その身一つで魔導士と真っ向から渡り合い、重火器で武装した敵を無手のまま制圧する。それが天才でなくて、いったいなんだと言うのか。

故に彼女が勘違いしてしまうのも当然の話。
兼一が本当は才能の欠片もないなどと、信じられる要素が全くないのだ。
仮に今ここで兼一が彼女を引きとめ、「自分は凡人だ」と語った所で信憑性など絶無。
では、兼一がティアナをそのまま素通りさせたのはそれがわかっていたからかと言うと…………違う。

「天才って…………………………………僕が?
 うわぁ、そんな事言われたのはじめてだ」

彼自身、その単語にどう反応していいのかわからず呆然とたたずんでいる。
なんのことはない。兼一は、生まれてはじめて言われたその単語に放心していたのだ。
たとえそれが盛大な勘違いでも、言われ慣れない単語が与えた影響は大きかったらしい。

「はっ!? そうだ、ぼうっとしてる場合じゃない! ティアナちゃん!」

やや遅れて本来の目的を思い出し、振り向いた時にはすでに手遅れ。
ティアナの姿は林のどこにもなく、兼一は見事に機を逸してしまったのだった。



  *  *  *  *  *



数日後の機動六課会議室。
意図しなかったとはいえ、結果的に兼一が大きくティアナを追い詰めてしまった日からしばし。
機動六課内のある会議室に、上層部及びシャーリーや兼一が集められていた。

「さて、みんなに集まってもらったんは外でもない。
 ちょう問題が発生してな、みんなの意見を聞かせてもらいたいんや」

切り出したのは、招集をかけた部隊長のはやて。
彼女は自らの胸の前で両手を組み、厳かに言葉を紡ぐ。

「一つ目は、ちょう厄介かつ繊細な問題でな。
 みんなも気付いとるかもしれへんけど……ティアナの事や」
『あぁ……』

隊長陣や兼一など、ほぼ全員が一様に溜息を洩らす。
程度の差はあれ、皆何かしら心当たりがあるのだろう。同時に、その問題の解決が酷く難しい事も。

「この件に関しては、私よりなのはちゃんの方がええやろ。お願いできるか?」
「うん。ホテルアグスタでの任務以来、ティアナの様子がおかしいのはみんな気付いていると思うの。
 ヴァイス君たちからも、ちょっとティアナの自主練習が行き過ぎてるんじゃないかって、心配する声がチラホラ上がってるんだ」

若い魔導師なら、強くなりたいと思うのは当然。
多少の無茶は、まぁだれもがしている事なのでとやかく言うことではない。
だが、ティアナのそれは以前から時々行き過ぎている部分があった。
それが最近、さらに拍車がかかってきている。

ティアナを無茶に駆り立てる、根源的な原因はすでに皆の知るところだ。
拍車をかけている原因も、前回の戦闘記録やデバイスに残ったデータなどを解析すれば一目瞭然。

「原因は、やはり焦りか」
「ですね。前から、ティアナはちょっと周りに色々引け目を感じていたみたいですし」

シグナムの呟きに、なのはは苦い表情で頷く。
以前はまだそれほどではなかったのだが、あの一件以来急激にその状態が進行している。

もちろん、なのはとて今までただ何もせず見ていたわけではない。
ティアナがそう言う思いを持っていたのは知っていたし、それをほぐす様に言葉を懸けてきたつもりだ。
しかし、今のところそれが功を奏しているとは到底思えない。
それどころか、最近はかえってティアナの心を頑なにしてしまっている気がする。
なのはもそれに気付き、今は極力そう言った言葉を控える様にしていた。

「多少の無茶は…私達がちゃんと監督してればいいかと思ってたんだけど、最近は本当にその範疇を越えてる。
 フェイトちゃんも外周りの帰り、深夜にティアナが練習してるのを見てるし」
「うん。正直、あれは頑張ってるって言うよりも鬼気迫ってるって感じが強いと思う」
「多少張りつめてるくらいならまだしも……不味いよな。
 切れた時が怖ぇし、それが任務中とかだったらと思うとゾッとする」
「だね」

嫌な想像に僅かに肩を震わせるヴィータと、それに同意するなのは。
引っ張り過ぎた糸はやがて限界に達し切れる。硬さは時に柔軟性を欠き、脆さに繋がる。
今のティアナは、そういう状態だ。

「良く話し合うにしても、ちゃんと準備が必要ですよね。人選にしても持っていき方にしても。
 下手な事をすると、余計に悪化させちゃいますし」

不安そうに語るシャマルの言葉に、兼一が僅かに居心地悪そうにする。
それは正に、数日前に彼がやってしまった大失敗そのもの。
早いうちに軌道修正すべきと思って声をかけたが、完全に裏目に出てしまった。

もちろんその事を兼一はなのは達に伝えたし、兼一の意図も皆は理解してくれた。
が、それでもやっぱり今の兼一は非常に肩身が狭いのである。
別に、シャマルとてあてこする為に言ったのではないが、結果的にこれはそういう状態だった。

「だとしたら、適任は誰なんでしょう?」
「ヴァイスはどうなのだ? あれは元とは言えティアナと同じ銃型のデバイスを使っていた。
狙撃手では畑が違うだろうが、まだ効果的かもしれん。
ティアナが才覚の差に悩んでいるのなら、その意味でも適任かと思うが……」
「ああ、それダメ。かなり早い段階でアイツも口を挟んだみたいだけど、撃沈しちまった。
 あの様子だと、もう一回チャレンジしても難しそうだな。
今じゃ、顔合わせても最低限のやり取りしかしねぇし」
「そうか……」

リインの問いにシグナムが応えるが、それもヴィータに否定されてしまう。
今の六課で一番彼女の心中を理解できそうな人物だったのだが、それが無理となると……。

「あの、なら私が……」
「いやぁ、フェイトちゃんやとむしろ逆効果やろ」
「はい」
「だな」
「ですね」
「そ、そうかな?」

控えめに手を上げるフェイトだが、それはあっという間に八神家一同からダメ出しを喰らってしまう。
彼女としては、優しく気をほぐす様にして話せばと言う考えがあったのだが……。
だがそれは、現状において認識が甘いと言わざるを得ない。

「ええか、フェイトちゃん。ティアナが思い詰めとる原因の一つは、才能や。
 で、フェイトちゃんもなのはちゃんも、はっきり言って才能が極彩色で額縁付きで呼吸してるようなもんなんやで? そんなフェイトちゃんが今のティアナに対応してみぃ、十中八九『同情』や『憐憫』で『可哀そうなティアナ』を『完全無欠なフェイトちゃん』が『助けてあげる』構図になってまうんや」
「わ、私はそんなつもりは……!」
「フェイトちゃんにその気がなくても、ティアナにはそう映る可能性が高いっちゅう話なんよ」

フェイトは確かに優しいが、今のティアナはその優しさを素直に受け止められる精神状態ではない。
鬱屈した感情に捻じ曲げられ、彼女を追い詰める一因にしかなるまい。
それはフェイトに限らず、他の面々でも同じ事。
だからこそ、彼女達は自分から動く事が出来ずにいるのだ。

上層部の中での適任は、間違いなく彼女と一番接点の多いなのは。
それでも、彼女の話に素直に耳を傾けるにはどんな形であれ、鬱屈したものをなんとかせねばならない。
まずそこをなんとかしない事には、ヴァイスの時同様言っても聞きはしないだろう。
どんな正論も励ましも、壁に阻まれ心に届かなければ意味がない。
故に、その壁を取り除く方法こそが目下最大の障害であり、本件最大の敵なのだ。

「となると、やっぱりもう一度兼一さんにお願いするしかないのかなぁ……」
「でも、兼一さんは一回失敗しちゃってるよ。逆効果なんじゃ……」
「うん。でも、やっぱり全く才能の欠片もない兼一さんが一番だと思うし」

なのはがフェイトの言葉にそう返した瞬間、場の空気が凍りついた。
なにか、今彼女は絶対にあり得ないことを口走らなかっただろうか。
同席しているシャーリー等は、とんでもないレベルで崩れきった顔を晒している。
だがそこで、いち早く石化から解放されたシグナムが得心がいったとばかりに頷く。

「まさかまさかとは思っていたが、やはり白浜に……………………才能はなかったか」
「たぶんそうなんじゃねぇかとは思ってたけど、やっぱりか」
「え!? お二人的には納得なんですか!?」

未だにその内容が信じられないようで、シャーリーはシグナムとヴィータの言葉に動揺を露わにする。
それはまぁ、高位魔導士と生身で真っ向勝負できるような人間に才能がないなんて、普通は信じられない。
ただし、ある程度才能を見抜く目を持っていれば、一応はそうでもないようだが。

「そんな気はしてたんだけど、でもあんなに強いし自信はなかったんだよね。はやては?」
「私も大体そんな感じや」
「私も正直、何かの冗談かと……」
「ふぇ~~~~~~、ですぅ」

守護騎士一同やフェイトなどは、相応の力量と経験があるだけに才覚を見抜く目を持っている。
はやてもまた上に立つ者として、人を見る目があったからこそだろう。
ただ、経験の浅いリインはそうではなかったようで、ポカ~ンと大口を開けているが。
ちなみになのはの場合は、眼は持っているのだがそれ以前に知識として知っていたのが大きい。

「あの、なのはさんはどうして……」
「私の場合は、子どもの頃にお父さんたちがそんな話をしてたから、ね」
「そんなに信じられませんかね? 師匠達からは口を揃えて『才能ない』って連呼されてたんですけど」
「むしろ、才能がないのにどうしてそこまで……」
「努力しましたから。まぁ、良い師と良い友、後は良いライバルがいたおかげですかね」

他に要因を上げるとしたら、兼一に努力する才能と強い心があったからか。
いずれにせよ、一般的な意味での才能の恩恵など一切ない。
それが、白浜兼一と言う武術家の有り様であり道程なのである。

「まぁ、それやったらやっぱり兼一さんにお願いするのが妥当かもしれへんね」
「でも僕、この前大失敗しちゃいましたよ?」
「それなんよねぇ……」

それさえなければ兼一に一任し、全員でバックアップすればいいだけの話だったのだが……。
今さらではあるが、あの失敗が痛い。
まさか、昔の兼一の時の様な無茶な策は使えないし……。
と言うかあの場合、失敗したらどうするのかと言う部分がすっぽり抜け落ちている。
さすがにそんな穴だらけな策は提案できないだろう。

「せやけど他に適任もおらんし、これで行くしかなさそうや。
 細部に関しては、また改めて詰めていくとして…………問題の二つ目、ええか?」

はやてが一同を見回すと、それぞれ頷き返す。
兼一としては不安いっぱいなのだが、はやての言う通り他に適任もいそうにない。
いい加減腹を括り、やれる限りの事をやるしかないのだろう。

「二つ目は……………………これや!!」

言って、はやてがデスクに叩きつけたのは、一枚の書類。
何やら色々ごちゃごちゃ書かれているが、そこに書かれている内容を大雑把に纏めるとこうなる。『先日の戦闘行為で発生した被害の修繕費用及び壊れた品々の賠償については、本局と地上本部はビタ一文も出さないから、ぜ~んぶそっちで持ってね♪』と。
本来この手の請求は、大体本局か地上本部の方から出してもらえる筈なのだが……というか、一々部隊レベルの予算から出していては、あっという間に破綻してしまう。

「はやてちゃん、これは……」
「なんや知らんが、本局も地上本部も、それどころか聖王教会まで素通りしてうち(六課)に請求が回ってきてなぁ……」

リインの問いに、暗い笑みを浮かべるはやて。
主だった所は森林部やロータリーの破壊に対する補償なのだが、問題なのはその他。
ホテルの裏手にて闘い、その最中にホテルに突入。その際に壊されまくった調度品の賠償額がシャレにならない。
高級ホテルだけあり、調度品の価格も相応にバカ高いのである。

「兼一さんが、それはもう景気よく壊しまくってくれたおかげでなぁ……」
「う”!?」
「いやいや、別に責めてるのと違うんよ? 相手は一影九拳っちゅう、最強クラスの武術家や。
 兼一さん自身危うく死ぬ所やったんやし、他のだれかやったらほんまに死んどったかもしれへん。
 それに比べれば大したことないし、お客やホテルのスタッフにも被害はなし。
 この程度で済んで万々歳やから、兼一さんを責めるのなんてお門違いに決まってるやん」
「はぅ!?」

言ってる内容は兼一を擁護するものなのだが、とてもそうは聞こえない。
はやての言葉が進むにつれ、兼一の身体がどんどん小さくなる。
やむを得なかったとは言え、事実は事実。
兼一達の闘いが多くの被害を与え、その請求が六課に来たのは覆しようもない。
本来は襲ってきた側に請求しろと言いたいが、大人しく払う筈もない様な連中だからああいう事をしたのであって……。そもそも、居所がわからないので請求の使用もないのだが。

ちなみに、なんで六課に直で請求が来たかと言うと、犯人は地上本部中将のヒゲダルマ。
本局嫌い、聖王教会嫌いの彼は、当然その息の掛った六課も嫌い。はやてなど特に。
そこで、お前達が許可を出した新部隊はこの体たらくだぞ、とアピールし付け入る隙を作る為、このような小細工を施したのである。もちろん、嫌がらせの意味が全くないとは言わない。

それはともかく、正直兼一の給料では到底補填できる額ではないのも事実。
さて、どうなるのやらと思ったところで、六課全体に放送が掛かった。

「ぴんぽんぱんぽ~ん。白浜陸士、白浜陸士。お客様がお見えです、至急一階受付までお越しください」
『お客?』

何やら妙な空気が蔓延しつつあった会議室だが、その放送と共に何かが緩む。
しばしの沈黙の後、はやては気分を切り替える様に息をついた。

「はぁ……なんやわからんけど、お呼びやで兼一さん」
「あ、はい。すみません、席を外させていただきいます」
「まぁ、話の内容はここまでやし、とりあえずみんなも解散っちゅうことで。
 ティアナに関しては兼一さん中心にみんなでサポートしつつ、各々よく注意するように。
 で、請求に関しては……………………まぁ、なんとかしてみるわ」

こうして会議は一端終了。
呼び出しを受けた兼一は、急ぎ会議室を後にして受付へと向かう。
他の皆はそれぞれ持ち場に戻り、各々の仕事に取り掛かる…筈なのだが、実際にはなぜか兼一の後に付いてくる。

「あの、どうしたんですか?」
「いや、お前の客というのがどんな奴なのかとな」
「あ、あははは……私も、ちょっと気になって」

振り返りながら問う兼一に、シグナムとシャマルがそんな答えを返す。
他の面々も想いは同じ様で、何やら曖昧な笑みを浮かべていた。
兼一はそんな皆に溜め息をつきつつ、気にしたら負けだとばかりに歩みを進める。

まぁ実際、兼一の客というのは気になるだろう。
彼自身、客の心当たりがない。こちらの世界で兼一と縁のある人物と言えば、まずは108の面々。
後はヴェロッサやユーノくらいか。しかし、彼らなら事前に連絡くらいはしてくるだろう。
事前の連絡もなしに突然にと言うと、兼一も首をかしげるばかりだ。

やがて、兼一は呼び出しを受けた受付に辿り着く。
そこには、なぜか集まっている新人たち及び翔とギンガ。
そして、兼一が姿を現した所でそれまで受け付け傍の椅子に腰かけていた人物が立ちあがった。

「よぅ、兼一! イーサンに負けたらしいじゃねぇか!」

開口一番、敗北の傷を抉ってきたのは人間離れした容姿の地球外野郎。
おかっぱに切りそろえられた黒髪とそこから覗く二本の触覚、異常に尖った長い耳、誰が見ても一目瞭然な悪人面。放つオーラは禍々しく、「ケケケケ」という声は悪魔の笑いの様だ。
それもその筈、何せこいつは宇宙人の皮を被った悪魔。人間の常識など通用する筈がない。
そんな悪友に向け、兼一は無言で歩み寄るや否や胸倉を掴んで問い質す。

「何を企んでる、宇宙人? お前の事だ、どうせ邪な事を考えているんだろう。
 僕はこの際置いておくとしても、ここの子達をお前の邪悪な策略に巻き込むな」
「ウヒャヒャヒャ! 久しぶりに会っていきなりそれか?」
「お前だって似たようなもんだろうが!!」

普段の兼一からは想像もつかない程に、乱暴なやり取り。
その場に居合わせた面々は、呆然とその様を見やるのみ。
ただ、この場には兼一の他にもう一人、このナマモノに憶えがあった。

「えっと、新島さん?」
「おぅ、高町の小娘じゃねぇか、久しぶりだな」
『なのはさんに小娘!?』

正直、エースオブエースの勇名が広く浸透しているこの世界にあって、彼女をそう呼べる者などほとんどいない。
しかし、この男はそんなものを気にする様な殊勝な性格ではなかった。

「あのガキが、しばらく見ねぇ間に偉くなったじゃねぇか」
「は、はぁ……どうも」
「なのはちゃん、アレ誰や?」
「なのはの知り合い?」

曖昧な会釈をするなのはに、幼馴染二人が横から小さく問いかける。
ヴィータなどは不快感を露わに新島を睨んでいるが、彼は全く恐れ入った様子を見せない。
まぁ、実際に彼の胆力はかなりの物なので、当然かもしれないが。

「おめぇ、なのはとどういう知り合いだよ」
「ま、お前らよりも古い付き合いとだけ言っておこうか、チビ助」
「んだと……!」
「抑えろ、ヴィータ」

新島の人を小バカにした態度に、ヴィータが青筋を浮かべて詰め寄ろうとする。
が、それを羽交い絞めにする事で制止するシグナム。
何と言うか、真面目に取り合うと損をする、そんな直感が働いたのかもしれない。
もしそうだとすれば、彼女の勘は大当たりと言えるだろう。
で、なのは達の方はと言えば……

「新島春男さん。兼一さんの……悪友? で、新白連合の総督さん」
「総督っちゅうことは……トップやんか!?」
「あ、あの人(?)が!?」

一応二人も全く知らなかったわけではないが、やはり実物はだいぶ違う。
話しや映像で見るより、実物は遥かに妖怪染みていた。
その感想はシグナム達も同じ様で、観察する様な眼で彼を見る。

「……………まぁいい。で、ホントに何し来た?」

そんなやり取りが後ろでされていたからか、何かを諦めたように新島の胸倉を離す。
実際、わからないことだらけだ。この男の事だからこんな所に現れたのも、今更驚きはしない。
だが、その目的がさっぱりだ。もちろん、ただ旧交を温める為だけにやってくるような奴ではない。
こいつの事だから、絶対何か企んでる。それも、他人を良い様に利用して。

新島への信頼の全てに懸けて、兼一はその推測を確信していた。
で、そんな兼一に対する、新島の答えがこれだ。

「あぁ? そんなの……………………………………………負けたお前を笑う為に決まってんだろうがぁ!!」

『ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!』『ヒャ――――――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!』『ケケケケケケケケケケケケケケ!!!』と、七転八倒する勢いで笑い転げる新島。
その笑い声は、ある意味黒板をひっかく音に匹敵する不快感を兼一にもたらした。
兼一は拳を握りしめ、ブルブルと肩を震わせる。
やがて、何かが限界に達したのか勢いよく顔を上げた。

「悶虐陣破壊地獄!!!」
「ぐぺっ!?」

一瞬の交錯。気付いた時には、新島の身体は生命活動に必要な最低・最小限の機能だけを残して、完全に破壊し尽くされていた。
余人には何が起こったかわからない、そんな早技。
一つ確かなのは、新島の全身が軟体動物の様にグニャグニャになっている事だけ。

「おいおい、死んじまったんじゃねぇか?」
「白浜、確かにこの男は不快だったが、幾らなんでもこれは……」

あまりに凄惨な有様に、さすがにヴィータとシグナムも正視できない。
それほどまでに、今の新島の状態は悲惨そのもの。
新人達等、最早完全に心と身体が固まってしまっている。

「け、兼一さん…幾らなんでもその技は……」
「なのは、知ってるの?」
「昔、兼一さんの先生が見せてくれたんだけど、確か……『人が死なない必殺技』って言って、死にはしないらしいんだけど……」
「いや、これはむしろ死んだ方がマシな技やろ…絶対」

その名も『悶虐陣破壊地獄(もんぎゃくじんはかいじごく)』。
『哲学する柔術家』岬越寺秋雨の人を殺さないための必殺技だ。投げ、当身、関節技を同時に仕掛ける繊細な技であると同時に、単に「死なないだけ」で他のあらゆる責め苦が実現された恐ろしい技である。

はっきり言おう、こんなものを人間に使ってはいけない。
まぁ、相手は人間ではないので、その意味では問題ないかもしれないが。
だがしかし、兼一はさらにここへ追い打ちをかける。

「ギンガ、投げられ地蔵! 翔は鎖!!」
「は、はい!」
「う、うん!」

それまで呆然としていた二人に指示を出し、続いて兼一はなのはの方を向き直る。
今の彼は持っていないが、なのはなら持っているかもしれない物を求めて。

「なのはちゃん、那美さんのお守りって今持ってる?」
「え? あ、はい」
「ちょっと貸して」

なのはからなんの変哲もないお守りを受け取った兼一は、それを動かない新島に押し当てる。
すると、あら不思議。新島の身体から煙が立ち上り、悶え苦しみ始めたではないか。
それを見たフェイトは、さすがに新島の事が心配になってなのはに問う。

「な、なのは、これって……」
「ああ。新島さん、教会とか神社に行くと具合が悪くなる体質で、仏具とか御守りも苦手らしいんだ」
「ほんまに魔物か、この人?」

そんなはやての呟きを余所に、兼一は投げられ地蔵を鎖で新島に徹底的に括りつけていく。
そして、もう生き物なんだか鎖の塊なんだか分からなくなった所で、渾身の力を持って……投げた。

「どっっっっっせい!!!」
『ええ――――――――――――――!?』

百キロを優に超えるその塊は、兼一の一投で天高く舞い上がっていく。
向かう先は海。それなりの距離があるが、兼一のパワーを以ってすれば造作もない。

鎖の塊は放物線を描いて落下を開始、やがて海面に盛大な音と水飛沫を立てて着水した。
当然、鉄と石の塊に人間が付属したかのようなそれに浮力などほとんどなく、瞬く間に海底へと沈んでいく。
で、それを為した人物は爽やかに汗を拭ってのたまった。

「ふぅ、悪魔は去った」
「ちょっと―――――――――――――!!」
「は、早く助けないと! あれじゃ死んじゃいますよ!?」
「何やってんですか、兼一さん!!」

ようやく意識を取り戻したキャロとスバル、そしてエリオは大慌てで兼一を非難する。
良識人たちからすれば、兼一のやった事は最早殺人も同然だ。
にも関わらず、それをやった本人は清々しい笑顔。
これで慌てるなと言う方が無理な話。

むしろ兼一としては、これでもやりたりない位だ。
なにしろあの男の事だから、どうせ……

「まっさか~、あの程度で死ぬならとっくの昔に殺してるよ?
 ちょっと時間稼ぎをするのが良いとこじゃないかな、あの程度じゃ」
「あ、あれだけやって……時間稼ぎ?」
「人間ですか、あの人……」
「というか、死んでないんですか?」
「ま、この逃亡の天才を殺すにゃ、ちょいと足りねぇな」
『へぇ~………って、いつの間に!?』

気がつけば新人達の背後に立っていたのは、先ほど海に沈められた筈の新島春男その人。
脱出してここまで来たとしたら、異常な早さである。
しかし、良く見るとそれにしては全然濡れていない。

「相変わらずの早技だな。いつの間に抜け出した」
「鎖で縛られるちょいと前にな。丁度いい所に身代わりがいたんで、そいつと入れ替わってもらった」
「身代わり……………まさか!?」

兼一が慌てて周囲を見渡すと、そこにはいるべき人がいない。
そう、ついさっきまでいたのに空気扱いだったザフィーラが、今度こそ影も形もないのだ。

「ザフィーラ――――――――――――!?」
「やべぇ、どうするよシグナム!?」
「急ぐぞ、まだ間に合うかもしれん! シャマルは治療の準備だ」
「わ、わかったわ!!」
「ザフィーラ、死んじゃダメですぅ!?」

こうして場はあっという間に騒然となり、新島の来訪は有耶無耶になる。
ちなみに、辛うじてザフィーラは救出されるも、しばらく彼は水を徹底的に嫌がるのだった。



 *  *  *  *  *


その後、機動六課のとある一室。
ドタバタ騒ぎこそあったが、とりあえずそちらも終結。
一応その場は解散され、今部屋には兼一と新島、あとはやてがいる。
なんではやてまでいるかと言えば、兼一が立ち会いを求めたから。

この男は性格こそあれだが、能力はある。
今の兼一達にはティアナの問題に対して明確な答えを出せていない。
つまり、この男の穢れきった頭脳に頼らなければならない程、彼らは追い詰められていると言う事だ。

「しかしお前、連合はどうした? トップが離れて大丈夫なのか?」
「問題ねぇ。俺様がいなくてもある程度回る様仕込んであるからな。
 よほどの事がねぇ限りはなんとかなる、それが組織ってもんだ」

まあ実際、規模の小さかった昔ならいざ知らず、規模を拡大した今新島がいなくてもある程度組織は回る。
そうでなければ、組織としてあまりにも脆過ぎるからだ。
もちろん新島でなければ対処できない事態はあるが、そんなものは極稀。
それさえなければ、とりあえずしばらくは問題ない。

「あの、横からスイマセン。そもそも、どうやってミッドまで来たんですか?
 普通、地球からこっちへの移動手段なんてないですよ?」
「あ? 地球在住の管理局関係者……つーか、ハラオウン家の連中と話をつけただけだが、それがどうした?」
「あ、相変わらず手回しの良い奴め……どうやって説得したのやら」

新島の手際の良さは今に始まった事ではないが、さすがに兼一も呆れるばかり。
はやてに至っては、まるでその方法が思いつかず頭を抱えてしまう。

「で、まさかお前一人で来たわけじゃないんだろ?」
「当たり前だろ。護衛も付けずにこんな所まで来るかよ。
 っと…そーか、そろそろあいつも呼んでやらなきゃな」

言って、新島は自らの懐から何かを取り出す。
それは、吹き込み口のついた鍵盤楽器。
小学校ではだれもが一度は演奏した事があるであろうその楽器の名は……………「ピアニカ」。

「へ? ピアニカ? また、懐かしいものを……」
「やっぱりあの人か。部隊長、言っても無駄でしょうが一応言っておきます…驚かないでください」
「は? それは、どういう……」
「聞け! 俺様の魂のピアニカを!!! ピィ~~~~ヒョロロロロ~♪」

朗々と響きわたるピアニカの音色。
音は空気の振動。例え密室であろうとも、窓や壁を伝って中の振動は外部にも伝わる。
即ち、中で奏でられた音色は外にも漏れていくと言う事



同時刻、練習場へ向かう途中の海辺。
練習場へと向かおうとしていた新人達は、そこであるものを発見した。

「……フリード?」
「どうしたの、キャロ?」
「フリードが、あれ何かなって……」

キャロが指差すのは、海面に浮き上がる僅かな気泡。
キャロの周りには新人達が集まり、眼を細めてその気泡を注視する。
とそこで、突如海が巨大な水柱が発生した。

「な、何これ、ティア~!?」
「知るわけないでしょ、このバカ!?」

突然の事態に、訳も分からず叫ぶ年長者二人。
もちろんそれは年少者二人も同じ事。
そんな四人の頭上には、打ち上げられた海水が豪雨の如く降り注ぐ。
何が起こったかわからず、その場で意味のない大声によるやり取りはしばし続く。
そして豪雨が止んだ時、彼らの眼に飛び込んできたのは……自分達の方へ飛んでくる、全身びしょ濡れの帽子をかぶった男の姿。

「呼んでいる、あのお方が呼んでいる~!! ラララ~~~~~♪」
『え?』
「デリカート(優雅)な海の歌声を聴くのに没頭してしまいました。
 今参りますぞ、我が麗しの魔王よ!!」

呆然とする濡れ鼠と化した四人と一匹は完全に眼中になく、男は訳の分からない事を叫びながら疾走する。
結局、最初から最後まで彼らには何が起こったのか全く分からないまま……。



場所は戻って兼一達の部屋。
そこは場所的には四階なのだが、新島の演奏が終わると同時にそれはあらわれた。

「プピ♪」
「で、それがどないしはったんです…「ジークフリート、総督のピアニカの音色に誘われ、プレスト(極めて速く)に参上いたしましたぁ!!」くわぁ――――――――――――――!?」

突如窓の外に現れた、全身海水塗れ、海藻やら魚介類やらを帯びた変人。
はやてが訳の分からない叫び声を上げたのも無理はない。
兼一とて、慣れていなければ似たような反応を示した事だろう。

「なんやなんや!? 舟幽霊でも召喚したんか!?」
「お待たせいたしました、我が親愛なる魔王よ」
「ふふふ、さすがに速いなジークフリート」
「って、こっちガン無視!?」

はやての事など、まるで背景の様にさらっと流す二人。
で、ジークは新島への挨拶を終えると、兼一の方を向き直り……

「兼一氏もお久しぶりでございます~! ラ~ラララ~♪」
「ジークさんもお変わりない様で」
「昔からこうなんですか!?」
「浮かぶ、浮かびますよ~! 兼一氏、あなたとの再会のメロディーが~!!」
「ええ、全然変わってません」

その場で突如作曲を始めるジークだが、慣れている兼一は全く動じない。
が、初めて出会うタイプの人種に、はやては既に許容量が限界だ。
いったい自分、この人にどう対応すればいいのか。
そもそも、全く見向きもされていないのだが……。

「質問してもええですか?」
「どうぞ」
「あの人、誰ですか?」
「僕の古い友人で、新白の幹部、『不死身の作曲家』の異名で知られる変則カウンターの達人、ジークフリートさんです。あ、本名は九弦院響って言うんですけど」
「は、はぁ……ご職業は?」
「武術家兼音楽家です。基本、作曲から楽器の演奏、歌や指揮まで何でもいける人でして……。
知りません? ウィーン交響楽団で最年少の指揮者になった日本人って、以前話題になったんですが……」
「あの人なんですか!?」

どうやらそのニュースははやても知っていたらしく、思わぬ有名人にかなりびっくりしている。
まぁ、そんな人がこんな変人とは思いもしなかったのだろうが。

「で、なんで海藻塗れ?」
「大方、ついさっきまで海の中にでもいたんでしょう」
「なんですか、それ?」
「あの人のやることに、一々理由を求めない方が良いですよ。どうせ僕達にはわかりませんから。
 昔は、脈絡もなくミサイルをかわしながら空から降ってきた事もありますし」
「は、はぁ……」
「まあ、理解し辛いかもしれませんが気のいい人ですから。ただ……」
「ただ?」
「作曲を妨害されると激怒するので、それだけは気をつけてください」

はやては兼一の助言を、刺激を与えれば爆発するニトログリセリンと解釈した。
まぁ、こと音楽にかけては正解そのものなのだが。
というか、いったいこの人の事はどう皆に説明したものか……。

「でも、本当に久しぶりですね、ジークさん」
「はい。私もこの日を一日千秋の思いで待ち望んでおりました。
 今私の胸は、デリチオーソ(甘美)なメロディーで満たされております!」

兼一の眼を見ながら話しつつ、その手は羽ペンを持ったまま休むことなく五線譜紙の上を走り続ける。
どうやら、今では音楽の脳と日常生活の脳が完全に切り離されているらしい。

「ところで、息子さんはどちらに?」
「翔なら、今は寮の方だと思いますけど……」
「後ほど会わせていただきたいのです、ラッラ~♪」
「はぁ、どうせだから弟子と一緒に紹介するつもりでしたし」
「おお~、ありがとうございます~♪ あれから五年、さぞかし大きくなっている事でしょう~♪」

そんな二人の会話を、はやては何とも微妙な表情で見ている。
正直、今の彼女には兼一の様に平然とこの人物と会話できる自信が全くない。

「実はな、今回はジークの方から行くって言いだしてよ」
「珍しいな。お前に同行する事はあっても、その逆は中々ないだろ」
「まぁな。ま、俺様自身用があったのは事実なんだが……」

つまり、今回の来訪はジークの用事に新島が乗っかる形で実現したと言う事。
普段は完全逆なだけに、これはとても珍しい。
となると、ジークの用事とはいったい……。

「つーか、こいつ最近暇さえあれば他の連中の所にも頻繁に顔を出してるんだわ」
「え?」
「兼一氏、ここからは私が説明しましょう……歌で!!」
「普通にお願いします」
「……はい。兼一氏もご存知の通り、来年には例の計画の選考会が開かれます。
ですが、私には弟子がおりません。
そこで、私は誰を推薦するか、それを決めるべく皆の弟子に会うことにしたのです」

ここまで聞いて、ようやく兼一もジークの意図を理解した。
彼は、現状唯一隊長陣の中で弟子をとっていない。
その理由は彼に弟子をとる気がないから…ではなく、誰も彼の教えに付いていけないから。

あの計画は、新白連合の全隊長共通の弟子を選出するもの。
それはつまり、ジークの弟子を選ぶという一面を持つ。
となれば、その条件には当然「ジークの教えに付いていける」事が含まれる。
故に、それを見極める為、ジークは各隊長達の間を渡り歩いてきたのだ。
そして、その最後の一人が遠く異世界に移った兼一とその弟子だった。

「なるほど」
「というわけで、しばらく滞在させていただきますが……よろしいですかぁ~♪」
「ち、近い! 近いです! ちゅうか、怖い!!
 ええです、いくらでもいてくれはってええですから!!」

滞在の許可を取るべく、はやてに詰め寄るジーク。
その異様な雰囲気に気圧され、はやてはあっという間に許可を出してしまう。

「ま、お前らにとっても悪い話じゃねぇ。
 長くはねぇが、その間ジークにガキ共を鍛えてもらうのもいいんじゃねぇか?
 技はともかく、経験を積むって意味じゃ良いと思うぜ」
「はぁ、それは確かに……」

それは何も、新人達だけに限った話ではない。
例えばシグナムやザフィーラなどにとっても、ジークとの組手の機会は得難いものだろう。
そういう意味では、彼らの滞在は六課にとっても旨味がある。

「お前にしては不気味に良心的だな。何を要求する気だ」
「そんな兼一さん、見た目は確かに悪魔みたいやけど、友達の好意なんやから……」
「こいつに限って善意だけなんてありえません。必ず裏があります。
 古い付き合いだからこそ、僕は裏があると信じてるんです」
(嫌な信頼や……)
「ま、実際その通りなんだがな。さすが相棒、よくわかってんじゃねぇか」
「昔散々利用されたからな。お前が何をする気かは読めないが、何か企んでいる事だけはわかる」
(なるほど、アリサちゃんが嫌がっとったんもようわかるわ)

以前帰郷した折、幼馴染が蛇蝎の如く毛嫌いしていた理由がなんとなくわかった。
確かにこれは、できればお近づきになりたくない人物である。

「まぁ、安心しろ。俺様も取引の鉄則は心得てる。
 見返りは貰うが、こっちもそれ相応のものは返すぜ。
 で、相棒。何か悩んでいる様子だが、ここは一つ俺様が策を授けてやろうじゃねぇか」
「くっ……お前のただれた策に頼らなければならないなんて……」
(そこまで悔しそうにせんでも……)

心底自分の不甲斐なさを悔いる様に、兼一は奥歯を噛みしめる。
とはいえ、今となっては新島を頼るほかないのも事実。
兼一はプライドをかなぐり捨て、已む無く新島に事情を説明した。

「なるほどなるほど。よし、策が練れたぞ」
「早いな」
「俺様の手に掛かればこの程度朝飯前よ。ま、念の為本人からも情報は収集しておくがな。
 だが、大筋は決まった」
「ほんまに、大丈夫なんですか?」
「一応こいつは、うちの師匠達からも『策士の才がある』何て言われてた奴ですから、多分……」
「任せとけ、お前らに策士の妙技って奴を見せてやるよ。
 なにせ、この人知を超えた驚異の生命体、新島大明神様が直々に知恵を授けてやるんだからな」

新島は自信に満ち溢れた顔でほくそ笑む。
その笑みやあまりにも邪悪で、安心感よりも不安が先に立つ。
しかし、任せた以上は信じるしかない。
たとえそれが、例によって例の如く無茶な策だったとしても。

「ま、お前らの言う通り確かに少々繊細な問題だ。
 面倒だが、いくつかステップを踏むことになる。まず第一のステップは……!!」

こうして新島立案の下、策は動きだした。



  *  *  *  *  *



翌日、練習場は一種異様な空気で包まれていた。
それもその筈、なにせその日になって突然スターズの二人にある指示が言い渡されたのだから。

「「模擬戦、ですか?」」
「う、うん」

言い渡した本人、なのはもどこか戸惑い気味。
何しろこれは、別に彼女が決定した事ではない。
その背後で暗躍する、宇宙人がやらせている事なのだから。

「えっと、なのはさんとですか?」
(さすがに、まだ時間が足りない。スバルとやってるあれも、まだなのはさん相手に使えるレベルじゃ……)

ティアナとスバルは、ここ数日なのは達に隠れて新しい連携などを試していた。
他にも技数を増やしたり、新しい戦術を組んだりなど、その内容は多岐にわたる。

が、さすがに始めてからの時間が短すぎた。
今の段階では、とても実戦や模擬戦で使えるレベルではない。
が、そんなティアナの想いを余所に、なのははスバルの問いを否定する。

「ううん、私じゃなくて……」
「俺様だ!」
「「え……」」

二人の眼前に立つのは、偉そうにふんぞり返る宇宙人。
今は実際に偉いのだが、そんな事は関係ない。

「俺様とお前らの二対一だ。安心しな、俺様は兼一と違って達人ってわけじゃねぇからよ」
「なんの冗談ですか?」

そのあまりにもあんまりな事実に、さすがにティアナも不機嫌を隠せない。
見た所兼一同様全く魔力を感じないし、本人曰く達人でもないときた。
その上で二対一。はっきり言って、自分達をなめているとしか思えない。
ティアナでなくても、なのはに非難がましい視線を送ってしまうだろう。

「ああ…何と言うか……」
「聞くところによると、お前はそのガキ共のリーダー役らしいじゃねぇか」
「……だから、なんですか?」
「有り難く思え。そんなお前に俺様御自ら教えを授けてやろうってんだ」

恩着せがましいにもほどがある上に、とんでもないレベルでの上から目線のもの言い。
ティアナの中の不快指数は、加速度的に上昇していく。

「そんな事、誰も……」
「あれ、もしかして逃げちゃうのかにゃ~? ま、自信がないならやめとけやめとけ。
 魔法だかなんだか知らねぇが、所詮はそんなもんって事だろ?
 どした、寒いのか? 震えてるぞ? 具合が悪いって便利な言い訳だと思わね?」

頼んでないと言おうとしたところで、畳みかける様にぶつけられる嘲りの連続。
『洗脳話術』。相手に反論する間も与えずに追いこむ、新島の十八番だ。
まぁ、正直もう少し穏便にできないのかとは切に思う。

「やって………やろうじゃないの!!!」
「てぃ、ティア?」
「なのはさん、やります。早く始めましょう」
「う、うん……」

明らかにティアナの眼が据わっている。
果たして、本当にこれで良いのか。なのはは激しく不安にかられるのだった。

「えっと、ルールは二つ。一つ、戦闘不能になるかギブアップしたら終了。もう一つが、新島さんにはサポーターとしてキャロが付くから」
「え、私ですか?」
「うん。さすがに二対一で、その上新島さんは魔法も使えないし、それじゃ不利過ぎるからね。
 ただ、キャロ自身は直接的に模擬戦には参加しないで、新島さんの指示に従って魔法を使うだけ。その回数も三回までの制限付き。問題ない?」
「「「はい」」」

もちろん、その中にフリードは含まれない。
あくまでも、キャロ自身が直接的にティアナ達に干渉できる魔法だけに限定される。
これでも十分すぎる位不利なのだが、新島にとってはそれで充分。むしろおつりがくる。

「じゃ、他に質問はない?」
「あの……」
「なに、エリオ?」
「模擬戦とは別なんですが、なんで兼一さん…………………あんなにボロボロなんですか?」

視線の先には、エリオが言った通りいい具合にボロボロになった兼一の姿。
昨日まではそんな事はなかった筈なのに、一晩でいったい何があったのか。
そもそも、昨日の晩は兼一が帰ってこなかったような……。

「実は……」
「実は?」
「一晩中ジークさんと組手をしててねぇ」
「え、ええ!? 一晩中ですか!?」
「うん。はじめはそんなつもりじゃなかったんだけど、気付いたら朝になっててさぁ」
(んな、無茶な……)

というのが、事の真相。
今の兼一に足りないのは、何はともあれ実戦。
それを補うに当たり、ジークフリートとの組手は最高の練習だった。
が、つい調子に乗り過ぎて、気付けば朝になっていたと言うのだから無茶が過ぎる。

「で、そのジークさんは?」
「今は向こうで翔の修業を見てくれてるわ。元から翔に会う為に来てたらしいし、丁度いいからって」

とは、ヒソヒソと情報を交換するナカジマ姉妹。
一晩中戦っておいて、兼一もそうだがあっちはあっちで元気なものだ。

「あ、それとティアナちゃん。念のために言っておくけど……」
「わかってますよ、ちゃんと手加減……」
「しない方が良いよ、マジで」
「……っ、大丈夫です!!」
「あ、ティア待って!」

兼一の心配を侮辱されたと取ったのか、ティアナは足早にその場を後にする。
その後ろ姿を、兼一は「やれやれ」と言った様子で見送った。

正直な話、新島相手に油断は禁物。どんな形であれ、あれはその油断を突いてくるだろう。
最終的には、釈迦の掌の猿状態で操られてしまうから。
そうして、ティアナ達が去った所でキャロが控えめに新島に尋ねる。

「あの、新島さん。私はなにをすれば……」
「え? いや、何もしなくていいぞ」
「ええ!?」

だが、かえってきたのはこんな答え。
まさかの返事に、キャロは眼を向いて驚く。

「元から、おめぇに何かさせるつもりなんてねぇのよ」
「そ、それはどういう……」
「ああ、なるほど。魔法を使えない新島さんに、魔法を使えるキャロが三回だけ手助けするって聞けば、そっちを警戒するのが当然や」
「ですね。新島さんの狙いは、ティアナ達の意識を自分から反らす事ですか」
「正解だ。ちったぁ策のなんたるかが分かる奴もいるみてぇだな」
「これでも夜天の王やからな」
「これでも夜天の騎士、その参謀ですから」

狡いと言えば狡いその策に、はやてとシャマルは呆れたように呟く。
しかしこの男、昔から落とし穴とか死んだフリとか、そう言う作戦が大好きなのだ。
なので、狡いと非難してもきっと気にしないだろう。

事実狡くはあるのだが、同時に効果的でもある。
特に、一連の挑発もあってまったくティアナは精神的罠に気付いていない。

だが、この二人でも気付いていない策の裏側にある狙い。
それは、魔法を使うと見せかけて一切使わず敗れた時のティアナに与える影響の度合い。
しかし、それはまだ語らない。物事には、順序と言う物があるのだから。

「その名も、Z(実は)・M(魔法なんて)・T(使わないんだな)作戦だぁ!」
『変な名前……』
「相変わらずネーミングセンスってものがないな、お前は。ゴロも悪いし」
「ほっとけ」

兼一の指摘に、珍しく不貞腐れた様に返す新島。
どうやら、この点だけは彼も多少なりと気にしていたらしい。



ちなみにその頃、翔とジークはなにをしていたのか。
場所は隊員寮前の広場。そこで二人は……………………盛大に回っていた。

「回るのです! もっとフリオーソ(熱狂的)に!! よりテンペストーソ(嵐の様に激しく)に!!! ラララ~♪」
「は、はい! 響先生!」

軸をぶらさず、ただ一点に立ったまま激しく回転する大小のコンビ。
それを見て、アイナは思った。『この子、このままで大丈夫なのだろうか』と。
確かに、激しく成長環境的に問題がありそうなのは、誰にも否定できないだろう。



……場面を戻そう。
新島も所定の位置へ移動し、兼一達は当初からいたそこでモニターを注視している。

「あの、師匠。今更かもしれませんが、新島さんに勝ち目ってあるんですか?」
「ん~……」

ようやく謹慎の解けたギンガの問いに、兼一は難しい顔で唸る。
はっきり言ってしまえば、兼一にはどうやって勝つかわからない。
だが、勝つかどうかと聞かれれば「必ず勝つ」と思う。

あの男が勝つと言った、ならそれは絶対だ。
ましてや負ける事など想像もできない。
なにしろ、このルールならダメージを受けなければ負ける事はないのだから。

「一つ言えるのは、二人の攻撃があいつに触れる事はないってことかな」
「え?」
「奴は逃亡最速の男だ。
逃げ足百メートル走、同障害物走、同フルマラソン。これらがあれば、全ての競技で確実に金を取るだろうね」
「そんなに…… 速いんですか?」
「速い。というか、僕は未だかつて逃げるあいつを捕まえられた事がない」
「師匠でも!?」

兼一のその一言に驚いたのは、何もギンガだけではない。
他の面々も一様に驚愕の表情を浮かべ、信じられない面持ちだ。

しかし、兼一のその予言は現実となる。
いや、兼一は殊更予言したつもりはない。ただ彼は、事実を事実のまま口にしたのだから。
それが、模擬戦開始のサイレンと共に証明される。

「クロスファイヤー……シュート!!」

初撃はティアナの誘導弾。
燈色の光球が、複雑な軌道を描いて新島に殺到する。

それに対し、新島は颯爽と背を向けてクラウチングスタートの体勢。
間もなく、彼の中で静かな号砲が上がった。

「Z・M・T作戦、Go!!」

宣言するや否や、とんでもない速度で新島が加速する。
迫る魔力弾の全てを振り切り、魔力弾に僅かに遅れて距離を詰めて来るスバルさえも置き去りに、残されたのは………濛々と立ち込める土埃のみ。
まさか最初から逃げに入るとは思っていなかったようで、僅かな時間呆然自失する二人。
が、すぐに我に返って叫んだ。

「って、偉そうなこと言っておいていきなり逃げ!?」
「つか早っ! なんなのあの人!?」
「や~い、のろま~! 百合百合コンビ~! ここまでおいで~!」
「……ああもう! とにかく追うわよ!!」
「お、おう!」

どうやら早速ペースを乱されたようで、二人は慌ててその後を追う。
この時点で、既に新島の術中に嵌っているとは思いもせずに……。

「あ~、早速新島のペースに巻き込まれてるなぁ……大丈夫かな、二人とも?」
「それにしても速すぎますよ……ホントに武術の経験ないんですか、あの人?」
「ないよ」

兼一の言う通り、確かにあの速度は常軌を逸している。
師の最高速度を知らないギンガだが、少なくとも自分よりは速い事を確信していた。
また、ヴィータやシグナムなどはもっと別の大きな疑問に頭を悩ませる。

「まぁ、どう見てもそういう経験のある奴の動きじゃねぇよな」
「と言うより、どう見ても非効率的な走り方だ。
なのに、なぜあの速度を出せる、維持できる……わからん。さっぱりわからん!」

その上バテる様子は全くなし。
あの『ダバダバダバダバ!』とか『ヒャ―――――ハハハハ!』とかいう奇怪な笑い声が、特殊な呼吸法とでも思っていないと納得できない。無理にそう思っても、納得できない……というか、したくないものがあるのだが。
本当に、徹頭徹尾訳の分からない男である。

「あれ? でも、なのは。段々、新島さんと二人の距離が縮んできてるよ」
「うん。さすがにあのペースを維持するのは難しいのかな?」
「いや、むしろ維持できてた方が不思議なんやけど……」

なのはも新島との面識はあるが、付き合いとなるとないに等しい。
ああいう生き物だとは聞いていたが、さすがに色々手持ちの情報には不足があるようだ。

「いや、あれは多分……」

しかし、新島をよく知る兼一にはその意味が分かる。
あれはペースが落ちているのではなく、敢えて落としているのだ。
何かの誘いか、あるいはもっと別の狙いがあるのか。そこまではさすがにわからないが。

「あ、スバルさんの手が!」
「捕まえた!!」

モニターには、今まさに新島の後ろ襟に手を伸ばすスバルの姿。
その手はしかと新島の襟を掴み、力の限り引き倒す……ところで、すっぽ抜けた。

「ポウッ!」
「ぇ、嘘!?」
「ヒャッハ―――――! 新島式脱皮術を甘く見るんじゃねぇ、小娘!!」

新島は理解不能の体捌きで掴まれた服を脱ぎ捨てている。
てっきり捉えたと思ったスバルは、予想外の事態に前のめりに倒れてしまった。
とそこへ、遥か後方より無数の魔力弾が飛来する。
距離があってさすがにまだ新島には追い付けないが、それで充分。

「スバル! こっちで追い込むから、アンタは先周り。行けるわね!」
「うん!」

ティアナの指示に従い、体勢を立て直したスバルは新島の進行方向とは別の方向へウイングロードを展開する。
相棒が示したのは、ここから斜めに数ブロック先の袋小路だ。
しかし、それすらも新島には読まれている。

「へっ、この様子だと俺様を罠にはめるつもりらしいが……」

まだまだ甘い。新島は既にこのフィールドの構造を把握している。
彼の脳裏に描き出された詳細な地図を見れば、ティアナの目論見は一目瞭然だった。

だが、敢えてここはその策に乗る。
ティアナに誘導されるまま、袋小路へと進む新島。
そして、ついに彼は三方を壁に覆われた路地に追い込まれた。

「もう逃げられませんよ!」
「ここでギブアップすれば、怪我をしなくて済みますが?」
「ケケケ、ちょいと気が早ぇんじゃねぇか? まだ俺様はピンピンしてるぜ」
「それなら!」

絶体絶命であるにもかかわらず、状況をわきまえずに挑発する新島に対し、ティアナは魔力弾を放つ。
回避不可能な光球の乱舞。だがそれも、逃亡最速の男を捉えるには至らない。

「なんのぉ! 新島式『無影八艘飛び(むえいはっそうとび)』!!」

新島は時にうねうねと体をくねらせ、時に異常な敏捷性で光球の乱舞を掻い潜る。
その上で、彼が逃げ込んだのは……スバルの背中。
目前には迫る魔力弾。すなわち、スバルを盾にするつもりなのだ。

「え、ちょっ!?」
「スバル、シールド!」
「う、うん!」
「ヒャハハハ! 俺様を捕まえようなんざ百年早いんだよぉ!」

スバルが魔力弾を受け止めてる間に、新島はあっという間にその場から姿を消す。
全く以って、呆れ果てるばかりの逃げ足の速さである。

その後も、三人のやり取りに大きな変化はない。
逃げる新島と追うスターズ。だが、幾ら追っても追いつけず、何度追い詰めてもその悉くが抜けられる。
また、徐々に新島の身体を包む衣装はその数を減らし、追う側をなんとも言えない気分にさせた。
いったい自分達はなにをしているのだろうと言う、物悲しい気分に。

「キャ――――! 変態が、変態が追ってくるよぉ~!」
「「誰が変態だ!!」」

それはまぁ、逃げる男の服を剥きながら追い掛けるとなれば、年頃の少女には少々酷だろう。
挙句の果てにこの言われようだ、無理もない。

しかし、そんな不毛な追いかけっこにもやがて終りの時がやってくる。
ただしそれは、鬼が獲物を捕まえるのとは別の形で。

突如なんの前触れもなく足を止める新島。
追っていた二人も自然足を止め、逃がさぬよう警戒する。
迂闊に飛び込めば逃がしてしまう、ここまでのやり取りで嫌と言うほど思い知らされた事だ。

「もう逃げないんですか?」
「散々百合だの何だのと言ってくれて……もう謝っても許さないわよ!!」
「べっつに~……」

睨みつけるティアナに対し、新島はあくまで息一つ切らさずに余裕の表情。
だが、そこで彼は硬く拳を握り、近場の壁に叩きつけた。

「準備が出来たからな。逃げる必要がねぇんだよ」
「なにを……」
「スバル、上!」
「っ!?」
「ほれほれ、早く逃げないと埋まっちまうぞ~」

上空から降ってくるのは、無数の瓦礫。
見れば、新島が殴った壁には亀裂があり、それは延々と二人の横に立つビルの上までつながっている。
そしてその先には、崩れ去ったビルの壁面。

「どうやら知らなかったみてぇだが、ここは昨日から兼一とジークの奴がやり合ったフィールドをそのまま利用してるんだよ。御蔭で、辺り一面破損だらけ。ちょいと仕込みをしてやれば、小さな衝撃一つでこの有様よ」

仕込み自体は事前に施したものではない。全て、たった今逃げながら仕込んだものだ。
恐るべき早技による即席トラップ。
それもこの量では、全てを蹴散らす事も出来ない。

「くっ、やられた……」
「ティア、そこから抜けられる!」

スバルが示したのは、僅かに残された罠の隙。
二人は急ぎ脱出するが、それすらも新島の掌の内の事。

「甘ぇな。罠を張る時は、わざと逃げ道を用意しておくものだぜ。そうすりゃ、選択の幅を狭められるからな。
 覚えておけ、ガキ共。あからさまな逃げ道は死路だ、ほれ」
「っ、これって……」

気軽に新島から投げ渡される、歪な楕円形の物体。
正体は『閃光弾』。バリアジャケットといえど光までは防げない。
眩い光が二人の視界を焼き尽くし、人間の最大の情報源である視覚を封じた。

「さて、見えない眼でどうやって逃げるんだ?」

二人に届いたのは新島の底意地の悪い声だけ。
だが、それだけでも見えぬ眼にはありありと新島の嘲笑が描き出されていた。

しかし、二人にそれに反発していられる時間はない。
先ほど新島が打ちつけた拳を引き金に起こった崩壊はまだ収まっておらず、連鎖的に二人の周囲が崩れていく。
雨霰と降り注ぐ瓦礫。どちらに逃げるかも定まらないその状況の中、二人は武骨な雨に呑み込まれていった。

「敗因は、俺様とフィールドへの警戒を怠った事だ。
 魔法をちらつかせればそっちに目が行くと思ったが、大当たりだったな」

思うがままに事が運び、上機嫌に哄笑を上げる新島。
だがそこで、一陣の風と共に濛々と立ち込めた粉塵が払われる。
するとそこには、ギリギリのところで瓦礫の雨から逃れたティアナの姿。

「ほう……」

ティアナの姿を認め、新島は僅かに感嘆の声を漏らす。
スバルが思い切り突き飛ばして逃がしたと言ったところか。
将を守る為に兵が盾となるのは当然の事。その意味では、スバルは見事役目を果たしたと言えるだろう。

「たいした献身だが、本人は生き埋めで戦線離脱。
さて、いったいお前はこの先どうするつもりだ?」
「っ……! やるわよ、スバルの為に勝たなきゃいけないのよ!」
「一か八かの突撃思考か。だが……」

歯ぎしりと共に、新島にクロスミラージュを突きつけるティアナ。
しかし彼女が引き金を引く前に、足元で何かが炸裂した。

「ああ、言い忘れてたが、さっきすれ違った時にカートリッジっつーのをあるだけ掏らせてもらったぜ。
 確か、あれには魔力が詰まってるんだろ?
俺に魔法は使えねぇから実感がわかねぇが、そんなもんが足元で大量に爆発したらどうなるのかねぇ」
「……」
「って、聞いてねぇか。お~い、終わったぞぉ~」

思いもしない、完全に無防備だった場所からの攻撃。
それは容易くティアナの意識を刈りとり、模擬戦を終結させた。

結果は無傷の新島と、良い様に踊らされた二人と言う惨憺たるもの。
見事なまでに、格の違いを見せつける結末だった。



  *  *  *  *  *



その日の深夜。
ティアナはまたも一人遅くまで自主練に励む。

ホテルアグスタに続き、先の模擬戦でも何もできずに負けた。
その悔しさを振り払う様に、ティアナはひたすら訓練に没頭する。
とそこへ、不躾な声が彼女の背に掛かった。

「よぉ、何やってんだ小娘」
「……」

新島の姿を認めるや、即座に顔を背けるティアナ。
良い様に踊らされたせいもあるが、それ以上にこの相手は好きになれない。

「無視か。ま、かまわねぇがな。
 しかし、話に聞いた通り良く頑張ってるようだが…強く願えば夢は叶うとか、諦めなければ才能の差も覆せるとか。お前、本気で信じてる口か?」
「だったら、なんですか……」
「いや、別に何を信じるもお前の自由だぜ…そう、信じるのはな。
 例えそれが、現実には実現不可能も同然の、文字通りの夢だとしてもな」
「……夢を、追い掛けたらいけないんですか!」
「言ったろ、『信じるのは自由』だってよ。幾ら俺様でも、そこまでは否定死ねぇさ。
まぁ、俺様がそんなものは嘘だと思ってるのも事実な訳だが
つーか、本気だとしたら『寝言は寝て言え』って思うけどな」

その言葉に、ティアナの表情が歪む。
新島はそれを見てとると、ティアナにはわからない様に僅かに口元を邪悪に歪め、さらに言い募る。
これが、第二のステップだから。

「そういや昔、とある達人が面白い事を言ってたって話を聞いたな。
 確か…………世の中には二種類の人間しかいない。それは、持つ者と持たざる者。
 持つ者は何事においても有利であり、持たざる者は涙を飲んでみじめに生きて行くしかない。
 その逆転なんてのは、バグの様なものなんだとよ。早い話、分をわきまえて志をいだけって事らしいぞ。
 ケケケケ、さすが達人。数限りない脱落者を見て来ただけあって、良い事を言うとおもわねぇか」
「…………」
「納得いかねぇ…いや、認めたくねぇって面だな。
だがな、どんなに努力しようと、必要なものが不足していればかなわない。それが現実だ。
 誰のせいでもなく、全ては足りないそいつの責任なんだよ。わかるか?」
「そんな事、今更……!」

言われなくてもわかってる。
だから、その足りない分を補うためにティアナは死にもの狂いで努力しているのだ。

「ふっ……話は変わるが、俺様は昔『人間分類学』ってもんを研究してた。こいつは言うなれば、人間は全て生まれ持った『分』によって決まるっつー考えだ。人の上に立つ人間、社会の最下層にへばりつく人間、そう言うのははじめから決まっていると俺様は信じて“きた”わけだ」
「…………」
「その分類上、お前は良いとこ『秀才』ってとこか。
がんばればそれなりに何でもやれるが、これはっつーもんがない。ま、所謂器用貧乏だな」
「……さ…」

それは、ティアナ自身もわかっている事。
努力すればある程度のところまではできる、しかしその先には至れない。
それが、今のティアナが置かれている状況だ。

「やめとけやめとけ、才能のない奴が必要以上に無理しても苦しいだけだぜ」
「う……い」
「今のお前は、なるべくしてなったもんだ。受け入れちまった方が楽だぞ」
「うる…い!」
「そう、安易な夢を見ても不幸になるだけだってな」
「うるさい!! うるさいうるさい、うるさい!!!
 あなたに…あなたに言われなくたって、そんな事……!!!」
「おお、怖っ……ま、気の済むまでやればいいさ。十中八九無駄に終わる努力をよ。
 ああ、そうそう。一応言っておくとな、コマとしての自分の役割を正しく認識した上で運用する。
それが優れたリーダーの第一歩だぜぇ~」

言うだけ言って、新島は足早にティアナの前から消える。
残されたのは、幼子の様に足元を見つめて涙を堪える少女だけ。

「私は、絶対に……諦めない! 諦めるもんですか! 絶対に、こんな所で……!!!」

語調に反し、そこに込められた感情には弱さが垣間見える。
追い詰められて追い詰められて、ティアナの心はすでに限界が近づきつつあった。
すべては、新島の思惑通りに……。



で、散々ティアナを追い詰めた新島はどうしたのか。
隊舎の前まで戻ると、そこには険しい顔つきで居並ぶ隊長陣と兼一の姿。
兼一は新島を発見すると、一気に駆け寄り感情のおもむくままに掴みかかった。

「にぃ~じぃ~まぁ~! おまい…そん…こん…ぶぁ…ぶぁかちんがぁ~!!」
「おいおい相棒、呂律が回ってないぞ。ちょっと落ち着けって。ほら、深呼吸深呼吸。
 一児の父が、鬼みたいな顔をするもんじゃねぇぞ」

新島はそれに動じた風もなく、軽い調子で兼一の肩を叩く。
兼一はなんとか怒りを抑え、どうにかこうにか呼吸を整えた。
そして、再度新島を怒鳴りつける。

「新島、貴様ぁ――――――――――――!! 余計に追い詰めてどうする――――――――!!
『俺に任せておけ』って自信満々に言うから信じて見れば、なんてことしてくれたんだ、この最低星人!!!」
「いやぁ、そんな褒めるなって。照れちまうじゃねぇか」
「褒めてる訳あるか―――――――――――!!! ああもう、お前の口車に乗った僕がバカだった!!」

それは他の面々も同じ事らしく、兼一が真っ先にヒートアップした事でなんとか自制が効いているが、一瞬兼一が遅れれば他のだれかが同じ事をしていただろう。
実際、それぞれの手には既にデバイスがあり、ビリビリと怒りの気配が伝わってくる。
もし答えを間違えれば、その瞬間新島の命はない。
にもかかわらず、新島は余裕に満ちた様子でこう言った。

「そう言うなって、これでも考えあっての事なんだからよ。
策はまだ始まったばかり、答えを急ぐもんじゃねぇぞ、兼一」
「お前、何を悠長に…………どういう意味だ、それ?」
「やれやれ。あんま策ってのは、声高に説明するもんじゃねぇんだがな」
「そこまで言うんなら、納得のいく説明をしてもらおうじゃねぇか」
「わかっているだろうが……内容によっては容赦せんぞ」

呆れたように肩を竦める新島に対し、ヴィータとシグナムがそれぞれ愛機を突きつける。
場合によっては、その場で攻撃すると言う意思の表れだ。
無理もない。どういう意図があるのか知らないが、可愛い部下の想いをああも踏み躙られては、腸も煮え繰り返ると言うものだろう。

「その前に良い事を教えてやる。一流の策士は人の心の動きを読むもんだ。
だが、超一流の策士は………その動きすらも操っちまうもんなんだぜ」
「貴様がそうだと?」
「奥ゆかしい俺様は敢えて『そうだ』とは言わん。が、全ては結果が教えてくれるだろうよ」

そうして彼は、己が策の全容を語る。
新島春男…最低最悪にして卑怯千万、骨の髄まで腐った上に、他人を自分の駒としか考えない宇宙人の皮を被った悪魔。疫病神をも裸足で逃げ出す大害虫…とはその一番の悪友の評。
だが、彼は同時にこうも評した。

「でも、心の底から残念なことに…アイツの人を操る能力だけは……本物だ」

その自らが評した悪友の真価を、兼一はそこで改めて知ることとなる。
全ては、この稀代の策士の掌の上なのだということを。






あとがき

はい、今回は凄く速く書けました。
何と言うか、久しぶりにとても楽しく書けたおかげですね。

しかし、大半の方は前回のあとがきで「悪魔」と書いたら、やっぱりなのはの方を連想したご様子。
すみません、悪魔は悪魔でも白さの欠片もない悪魔でした。
一応山場には突入しましたが、ここはまだ登りの半分位。次回で登り切って下れればと思います。

ちなみに、新島が最後にティアナを追い詰める為にかなりひどい事を言っていますが、一応それらは「俺様は信じて“きた”」が示す通り、過去形です。兼一の成長を見てきた事で、認識を改めています。
そこを、あえてわかり辛い形で言ってるだけですので、そこだけはご理解ください。



[25730] BATTLE 30「羽化の時」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:39

「アイツ、不器用だろ」

己が策を語るに当たり、まず新島が言い放ったのがこの一言だった。
しかしその場に集まった面々は、前後の脈絡も何もない唐突な切り出しについて行けず、首をひねるばかり。
果たして、それとこれと一体何の関係があると言うのか。いや、それ以前に……

「そーか? どっちかっつーと、スバルとかのほうが不器用だろ」
「うん。むしろ、ティアナは色々器用にこなせるタイプだと思うんだけど……」

とは、ヴィータとフェイトの弁。
他の面々にしても概ね似たような意見らしく、静かに首肯するばかり。
何しろ「大抵の事はそつなくこなせながらも、これはと言う物がない」。それこそがティアナが今ドツボにはまっている原因なわけで……。
だがそんな皆に対し、新島は呆れたように肩をすくめながら溜息をつく。

「全く、わかってねぇなぁ」
『むっ……』
「いいか、確かにあのガキは小器用な奴ではあるが、俺様が言ってるのはそんな小手先の事じゃねぇ。
 不器用っつーのは、アイツの生き方の話だ」

はじめは不快そうに眉をしかめたが、続く言葉に納得の意が露わになる。
確かに新島の言う通り、ティアナはあまり器用な生き方ができるタイプではない。

「ま、わかりきった話ではあるんだがな。
 いくら夢半ばで、それも殉職してなお貶められた肉親の為とは言え、その夢を継いであそこまで意地張ってるんだ。お世辞にも生き方が器用とは言えねぇって。ありゃ、ある意味谷本並だ」
「確かに彼も、妹さんとの約束を守って……」

兼一もまた、友にして義弟たる男の生き方とティアナのそれが被る事に難しい顔する。
他の皆もまた、ティアナの生き方が不器用である事は認めざるを得ない。
密かになのはを除く面々が「谷本って誰?」とは思っているが、話の腰を折るのもアレなので黙っている。
とそこで、はやてがある事に気付く……

「ってちょい待ちぃ! なんでそんな詳しくティアナの個人情報知っとんねん!?
 私、さすがにそこまでは話とらんで……まさか、兼一さんが?」

幾ら可愛い部下の為とは言え、本人の同意もなしに個人情報を必要以上に語る程はやても非常識ではない。
となると、他に新島に話しそうなのは兼一くらいだが……。
武術以外に関しては常識人な彼が、そんな事をする筈もなく。

「えぇ!? ぼ、僕じゃありませんよ! 新島、お前今度はなにをやった!
 ハッキングか、それともウイルスか! まさか…また誰か洗脳したんじゃないだろうな!!」
「おいおい、人聞きの悪い事言うなよ相棒。そんなに俺様が信じられねぇのか?」
「信じられるとでも思っているのか? 今日までの数々の悪行、忘れたとは言わせないぞ!」
「ふっ…俺様は、過去を振り返らない主義なのよ」

と、ニヒルな笑みを浮かべる新島。つまりそれは、数々の悪行とやらは否定しないと言うことか。
それはそれで大いに問題があるのだが…それにしても、真っ当に仲の良いなのは達には理解しがたい友情で結ばれた二人である。正直、傍で見ている面々の表情のなんと微妙な事か……。
この二人、どうして今日までこの仲が続いたのか甚だ不思議だ。

「まぁ、安心しろ。今回は本当に何もしてねぇ。
 そもそもだ、あんなもん見りゃわかるだろ」
『いやいやいや……』

『わからないはずないだろ』と言わんばかりの新島に、揃ってあり得ないとはかりに首を振る。
いったいどんな眼力があれば、見ただけで相手のバックボーンがわかるのか。

「話を戻すぞ。お前らも知っての通り、あのガキはどうしようもなく生き方が不器用だ。お前らは『才能の差への悩み』とか細かい枝葉の問題ばかり見ていやがるが、それこそが根本的な原因なんだよ」
「つまり、そこを治せば解決すると、貴様はそう言いたいのか?」
「できねぇと分かってる事を聞くなよな。治せるなら治すに越した事はねぇが、ありゃ無理だ。そんなこと、お前らの方がわかってるくらいだろ」

胡散臭げなシグナムの問いに、新島は「そんな事はやるだけ無駄」とさじを投げる。
まるでティアナが性質の悪い病気の様な言い草だが、さもありなん。
彼女のそれは、ある意味下手な病気よりもずっと性質が悪い。何しろ、その点にかけては手の施しようがなく、直接死に至るわけでもないので長い人生を通して付き合っていくしかないのだから。
まぁ、年齢と共に改善はするかもしれないので、そこに期待と言ったところか。
とそこで、いい加減話を進めたいなのはが問いを投げかける。

「じゃあ、具体的にどうするんですか?」
「結論を急ぐなって。問題を解決するには、まず原因を明らかにする必要がある」
「でも新島さんが言う通りだとすれば、ティアナの不器用さが原因なんですよね?」
「一言で不器用つっても色々だがな。ただ、その不器用の最たるものが克己心と責任感、そして気の強さだ」

克己心が強いが故に妥協を知らず、責任感が強いが故に投げ出さず、気が強いが故に奮い立つ。
その三点はティアナの長所でもあるのだが、今はそれが不味い方向に働いていると新島は語る。
克己心の強さに追い詰められ、責任感の強さに押し潰され、気の強さがどんな弱さも許せない。

「おそらく、アイツはこれまでほとんど弱音を吐いたりしてこなかったんじゃねぇか?」

その問いかけを否定できる者はこの場にはいない。
思えば、この場にいる誰もが一度たりともティアナの弱音や泣き言を聞いた事がなかった。
彼女が口にするのはいつでも負けん気に溢れた自分を奮い立たせる言葉。
それはつまり、頼られた事がないのも同然なのではなかろうか。
もしかしたら、スバルでさえも同じかもしれない。

「だがな、辛いなら辛い、苦しいなら苦しい。そうやって弱音を吐く事も必要だ。
 なのにアイツはそれをしてこなかった。アイツの中途半端な強さがそれを許さなかったんだろうよ。
 仮に漏らしても、そんなもんは氷山の一角。心ん中に溜めこんだもののほんの一部だ。
 溜め込むもんばかり増えて吐きださなきゃ、そりゃいつかは限界が来るってもんだろ?」
「まぁ、確かにな……」
「お前なんてしょっちゅう弱音を吐いて…それどころか良く脱走もしてたくらいだしな」
「そうそう…って、余計な事を!!」
「だが、だからこそお前はパンクしないで済んだんだろ?」
「む……まぁ、確かに……」

兼一も、新島の言う事に一理ある事を認めるしかない。
もしティアナがもっと弱ければ、素直に弱音を吐いていただろう。
あるいはもっと強ければ、弱さを認める強さを許容出来たかもしれない。
しかし、彼女はそのどちらでもなかった。

「抱えてるもんが大きくなりすぎて、今のあいつには冷静に周りを見る余裕がねぇ。助言を受け入れる余地がねぇ。どんな配慮も正論も、鬱屈したもんに捻じ曲げられて終わりなのはわかってんだろ?」
『……』

そう、だからこそ慎重に対応する必要があった。
同時に、早急に改善しなければさらに悪化する事もわかっていた。
その二律背反。急ぎたくとも急げず、ゆっくりでは間に合わない。
これでは、いったいどうすればいいと言うのか。

「お前らはアイツが抱えてるもんを少しでも吐き出させようとしてたらしいが、そんなもんはとっくに手遅れだ。
 いまさらそんな悠長なことやっても、吐きだしきる前に爆発するか、あるいは吐き出しきれなくて詰まっちまうだけだろうよ。ま、あの性格じゃ普段のままでもそう簡単に吐き出したりなんぞしねぇだろうがな。
 それこそ梁山泊の連中みたく、普段から弱音を吐くしかねぇ位に追い詰めれば話は別だろうが……」
「じゃあ、どうすりゃいいってんだ。今のままじゃ、遅かれ早かれ爆発するぞ」

新島の言は正しい。だが、新島がティアナに追い打ちをかけた事で、さらに悪化してしまった。
これも策の内らしいが、ではその策とはいったい何だと言うのか。
そう問うヴィータに、新島は禍々しい笑みを向ける。

「いいじゃねぇか、爆発させてやりゃぁ」
『はぁっ!?』

まさかの発言に、いっせいに鼻白む面々。
これは、どうやってティアナの爆発を回避するかと言う話だ。
なのに爆発させてしまっては、それこそ本末転倒甚だしい。

だが、もちろん新島とて無闇矢鱈と爆発すればいいとは思っていない。
今まさに再度怒りが再燃しそうになる面々に対し、新島はその機先を制して続きを語る。

「まぁ、そういきり立つなって。何もあのガキを潰そうってんじゃねぇんだ」
「どういう事なのか、説明してくれはるんでしょうね?」
「ケケケ。いいか、いまとなってはアイツの爆発は避けられねぇ。
 だが、爆発のタイミングをこっちで操作する事は出来る。例えば……」
「追い詰めて追い詰めて爆発のタイミングを早める、とかですか?」
「その通り」

新島の考えを正しく察したシャマルの答えに、新島は抑えきれない様子の笑みをこぼす。
つまり、新島の策とは「爆発を避ける」ものではなく、「爆発を前提にそれすらも利用する」ものと言う事。

しかしその為には、爆発を先送りするのはむしろ悪手。
先送りにすればするほど、任務などが入ってくる可能性が高まる。
となれば、最悪実戦の最中に爆発する事もあるだろうし、その場合利用することも難しい。
故に新島は爆発を早めようとしている。任務などが入ってくる前に、片をつけるために。

「今のあいつは限界まで膨らんだ風船も同じ、ちょっとした機会や刺激で破裂する。
戦場で爆発されたんじゃ危なっかしくてかなわねぇが、手元で爆発する分には対処の仕方はよりどりみどりだ。
 それも、爆発をコントロールして溜め込んだもん思い切りぶちまけさせてやれば、少しは話を聞く余裕もできるだろうよ」

それには、爆発の規模は大きければ大きいほどいい。
規模が大きい程、胸の内に溜めこんだものを洗いざらい、あますことなく吐き出せてしまえるから。
そうして一度空っぽにしてしまえば、ティアナにも話を聞く余裕が生まれるだろう。

「ま、その場合、爆発を受け止める適任は高町の小娘か」
「私、ですか?」
「確かに、なのはちゃんはティアナの直属の上司。スバル以外なら、一番吐き出しやすい相手よね」
「実際、ティアナの個人訓練も今はお前が受け持っているのだしな」
「……はい! ちゃんと、ティアナを受け止めてみせます!」

シャマルとシグナムの後押しを受け、なのはもまた覚悟を決める。
ティアナは大切な部下であり、可愛い教え子。その為なら、どんな事でもしてみせるとばかりに。
まぁ、若干誤解を受けそうな発言なのは御愛嬌だろう。
が、そこへ新島からさらに注文が入る。

「タイミングとしちゃ近々予定してる模擬戦が妥当だろ。精々……………ぶちのめしてやれ」
「はい! ……………って、ええ!? う、受け止めるんじゃないんですか!?」
「は? もちろん受け止めるぞ。その上でぶちのめせと言っている」
「な、なんでですか、それじゃ……!」
「模擬戦でなら言葉じゃなくて行動も伴う。当然それだけ効果も期待できるだろうよ。
 だが、そこでお前がやられちまうと、今度はあのガキが自分の実力を勘違いする。
 しっかり受け止めて、しっかりシメて躾をしてやるんだな」
(い、いいのかな……?)

確かに行動を伴った方が効果的だろうし、しかしそれで実力を勘違いするのは危険だ。
その意味では、新島の言っている事は正しいとは思うが……。
しかし、そんななのはを余所にはやてはある事に気付いていた。

(なるほどなぁ。だから、敢えて「悪役」になっとったわけか)

新島の策は理解したが、一点不可解な部分がある。
それは、新島一人が必要以上に悪役に徹している事。
ティアナを追い詰めるにしても、それなら全員で分担すればよかった。
そうすれば、個々に対する不満は分散化される。
これでは、全てが終わった後でもティアナをはじめとした新人達の新島への悪印象は完全には消えないだろう。

しかし、そうすることもまた新島の策の内だった。なのはの役目はティアナ達からの反感が残りやすい。
だが、そこでわかりやすい悪役としての新島がいて、その上一連の策も新島の立案となれば、全てが終わった後その矛先は新島に向きやすくなる筈だ。彼自身の性格や風貌も、その役目に一役買っている。
所詮、なんだかんだ言っても新島は一時だけの来訪者。全てが終わった後、部隊内に気まずい空気を残さない為には最適の人選であろう。

(役者が違う、か。敵わんなぁ……)

最初から最後まで新人達の心を操り切るその深慮遠謀に、はやてはただただ感嘆する。
見習いたいかと聞かれると困ってしまうが、頭が下がるのは事実。
それも、結果的に自分達の至らなさの尻拭いをさせるとなれば尚更。

ならばせめて、その策を完遂させるのが自分達の役目なのだろう。
こうして、機動六課上層部は一丸となってこの策を推し進めるのだった。



BATTLE 30「羽化の時」



新島の策を周知した後、あの場は解散となった。
だが、皆が立ち去った後もその場に残った影が二つ。
兼一と、その兼一に呼び止められた新島だった。

「お前の策は大体わかった。無茶ではあるが、効果的なのは認める。
 でも、一つだけ聞かせろ。お前、なんでティアナちゃんを引きこもうとしない?」
「……」
「いつものお前なら、ここは確実に手のうちに引き込む所だろう。いったい、どういうつもりだ?」

実際、普段の新島ならばあの手この手を使ってティアナを、あるいは「ティアナ達」を手に入れようとする筈だ。
新白連合自体、この男の話術や策略で多くの人材を吸収した側面がある。
今でものこの男は貪欲に人材を求めているし、ティアナを放置する理由がない。
特に、今のティアナは精神的に弱っていて幾らでも付け入る隙があるのだから。

その上、連合は魔法世界での基盤が不足している。この点でもティアナと言う人材の吸収は有益だろう。
まさか、この男に限って「弱っている所へ付け込む事は出来ない」などと甘い考えで避けたとも考えられない。

「安心しとけ、お前が考えてるような事はねぇからよ」
「なら、どういうつもりなのか、はっきり聞かせてもらおうか」
「簡単な話だ。今あのガキを引きいれるより、ここの連中に恩を売っておいた方が有益だからな。
 あのガキやその周りの連中位、いくらでもやり様はある」

ティアナを手駒にした場合、機動六課の上層部を敵に回す可能性がある。
そこまではいかなくても、あまり良くない印象を与える事は想像に難くない。
如何に有益な手駒が手に入るとは言え、それは正直旨くなかった。
早い話、リスクとリターンが釣り合わないのだ。

むしろこれから管理局と付き合っていくためには、彼女達に恩を売った方がいいとの判断である。
さすがに、上層部全員に洗脳を仕掛けるのはこの男にも無理があるのか。

「納得したか?」
「ああ。そしてお前の思惑通り、みんなはお前に感謝してる。ティアナちゃんだけでなく、六課全体がお前の策に嵌められているわけか」
「ウヒャヒャヒャ! 別に、教えてもかまわねぇぞ」

自信満々に言ってのける新島に、兼一は最早溜息しか出て来ない。
例え新島の思惑を知っても、それでも恩は恩である。
ここの子達は素直な良い子たちばかり、知った所で多少苦い顔はしても恩を感じることに変化はあるまい。
それがわかっているからこそ、新島の顔には揺らがぬ笑みが浮かんでいるのだ。

「そして、お前はこれを足掛かりにさらに上層部との繋がりを得るわけか」

今回の件で知恵を課す代わりに、新島がはやてに要求した報酬。
それは可能な限りの上層部、最低でも六課の後見人達との面会の機会を設ける事。
これ自体はたいした報酬ではないので、はやてはいぶかしみながらも了承した。
しかし、今回の件を解決した事は自ずと後見人達にも知られる筈。
そうなれば、新島への印象もよくなることは請け合いだ。つまり、早い話が一種の売名行為である。
ティアナの件を解決するという一石で二鳥も三鳥も狙っている辺り、実にこの男らしい。

「まぁ、別にいいけどな。お前がそういう奴なのは、今に始まった事じゃないし」
「そうそう、何事も諦めが肝心だぜ」
「お前が言うな!」
「ああ、そうそう。それと、模擬戦の時にはお前にもやってもらう事がある」
「相変わらず、人使いの荒い奴め……」
「そう言うなって。あのガキの成長の為だと思えば、安いもんだろ」

ティアナの成長の為、そう言われてしまえば兼一に否はない。
彼自身、悪意がなかったとは言えティアナを追い詰めてしまった事には罪悪感があるのだ。

「さっきはああ言ったが、吐き出しただけじゃ素直に話を受け止める事は難しそうだ。
 今のあいつに必要なのは、『成長の実感』だろうからな」

思う存分に吐き出せば、確かに少しは余裕ができるだろう。
だが、それだけでは足りない。ティアナには一度、自分自身の勘違いを払拭する必要がある。
その為にも、模擬戦と言う舞台は都合がいい。

「何事も節目ってのは不安定になるもんだ。その意味でも、あのガキはいっぺん肩の力を抜いた方がいい。
 上手くすりゃ、面白いもんが見れるかもしれねぇぜ」
(しばらく会わないうちに、益々得体が知れなくなってくるな、こいつ……)

兼一とて、ティアナが一つの節目を迎えようとしている事には気付いていた。
しかし、まさかそれすらも策のうちに盛り込んでいようとは。
この男はいったいどれほど先まで、どこまで奥を見通しているのやら……。
兼一は改めて、この悪友の底知れなさを認識するばかり。



  *  *  *  *  *



そうして新島の策は着々と進み、運命の時が来た。
午前の訓練の締めとなる2on1の模擬戦。
なのはを相手に、スターズの二人が挑む形だ。

その間手の空く事になるライトニングの二人とヴィータはやや離れたビルの上に陣取り観戦。
だが不自然な事に、先ほどから妙にヴィータに落ち着きがない。
しきりに時間を気にし、キョロキョロと周りに視線を配っている。

「ったく、アイツら何やってんだ……もうはじまっちまうぞ」
(どうしたんだろ、ヴィータ副隊長?)
(だれか、待ってるのかな?)

そんなヴィータの様子に二人も気付き、不思議そうに顔を見合わせる。
とそこへ、三人の背後にある鉄製の扉が開く音。

「遅せぇぞ! もう少しで始まっちまうとこだったじゃねぇか!」
「……ぅ、ごめん」

弾かれた様にヴィータは物音の方を向き、焦れた様子で怒鳴る。
エリオとキャロもそちらに視線を向けると、そこにはシュンとした様子のフェイトに肩に何かを担いでいる兼一。
そして、いつの間にか大きな顔をして六課に居座っている新島の姿。

「兼一さん……」
「それに新島さんまで……どうしたんですか?」

本来、今日の午前中に兼一達と合流する予定はなかった。
その上、どういった理由で居座っているかエリオ達は知らないが、訓練に直接的に関わる事のない筈の新島までいるのだ。ならば、二人の疑問も当然だろう。

ちなみに、兼一の肩に担がれている人物についてはスルー。
誰が担がれているかなど一目瞭然だし、最早半死人になっている程度では驚くに値しないからだ。
もちろん、床に下ろされたギンガの口からエクトプラズムが漏れているのも気にしない。

「ん、ちょっと用事があってね」
「そう怒んなって、まだ始まってねぇんだからよ」
「…………………ちっ」

並の者なら一歩後ずさってしまいそうな視線に晒されながらも、新島は余裕の態度を崩さない。
ヴィータもこれ以上の詰問や非難は無意味と悟り、不愉快そうに舌打ちするだけにとどめた。
ほんの数日の付き合いだが、この男の面の皮の厚さが常軌を逸している事を理解させられているからだ。

代わりに、ヴィータは魔力を帯びた一発の鉄球を空に向けて打ち上げる。
空中に展開されたモニターに映し出されたなのははそれに気付き、小さく首を縦に振り……

「それじゃ…………………はじめ!!」

模擬戦と策の開始を宣言した。
スターズの二人はその一声と共に動きだし、モニターを眺める新島はうすら笑いを浮かべている。

「始まったな」
「ああ……………だけどよ、ホントに大丈夫なんだろうな」
「任せとけって。俺様が練って、直々に動かした策だ……手落ちはねぇ。
 ほれ、こっちもそろそろ始めるぞ」

言って、新島はフェイトを一瞥する。
フェイトはそれに小さく首肯を返し、同時に足元に金色の魔法陣を出現した。
すると、瞬く間の内にエリオとキャロ、それにギンガの三人をケージが包みこむ。

「っ! フェイトさん!」
「な、何するんですか!?」

被保護者にして部下の二人は、突然のフェイトの行動に眼の色を変える。
何故、フェイトが突然自分達を拘束したのか、その理由がわからないから。

「ごめんね。でも、今はそこで成り行きを見守ってて」
「ケケケケ……ったく、ずいぶんと甘い女だ」
「……みんなに、手荒な事はしたくないですから」

揶揄する様な新島の口ぶりに、「ムッ」とした表情を浮かべつつ弁明するフェイト。
策が動けば、場合によっては子ども達がスターズを助けに向かう可能性がある。
そうなれば、最悪力づくで押さえつけることも考慮しなければならない。
フェイトとヴィータの二人なら、三人を同時に制圧することも可能だろう。

しかし、フェイトとしてはそんな事は出来ればしたくなかった。
故に、そうなる前に子ども達の動きを封じることにしたのだ。

(……………………フェイトの案、じゃなさそうね。とすると、あの人…なにを企んでるのかしら?)

動揺を露わにする年少者達を尻目に、ギンガはさりげなく新島を睨む。
一連の流れと会話から、黒幕が新島である事を察する事は難しくない。
が、その企みの内容までは無理だ。

わかる事があるとすれば、フェイトの発言からするに企みは模擬戦の方の筈と言う程度。
とそこで、ギンガは改めて師の横顔を覗き見る。
その表情は、やはり彼にしては珍しいどこか不機嫌そうなもの。
恐らく、兼一は新島の企みについてある程度以上知っているのだろう。

そこまで考えた所で、ギンガはそれ以上の推測を辞める。
代わりに、未だ動揺を隠せずにいる年少者二人の肩に手を置いた。

「二人とも、ちょっと落ち着いて。ね?」
「ギンガさん?」
「もしかして、何か知ってるんですか!」

敢えてボロボロのギンガを連れてきて、わざわざケージの中に一緒に閉じ込める。
そして、そのギンガが落ち着いた様子で二人をなだめようとしているのだ。
偶然で済ますにはでき過ぎと言うものだろう。
故に、二人はギンガも企みに加担しているのではと思ったのだろう。だが、返ってきた答えは……

「いいえ」
「なに……?」
「師匠達が何を考えているのか、私は知らない。
 でも、師匠達がスバルやティアナにとって不利益になるような事をするとは私には思えない。
 だから……………ただ信じるだけよ」

事実、ギンガは此度の策について触りすら知らされてはいない。
故に、正直全く不安がないと言えば嘘になるだろう。
しかし、ギンガの兼一に対する信頼はそんなチンケな不安を大きく上回る。

「二人とも、驚くのはわかるけどもう少し冷静にね。
 あなた達の知ってるフェイトさんは、そんなに不安になるような人なのかな?」
「「……」」

ギンガの問いに、二人は無言のまま首を横に振る。
そんな事はない。二人にとってフェイトは、この世のだれよりも信頼している人だから。

年長者としての威厳を見せるギンガに、兼一は僅かに照れくさそうに頬を掻く。
まったく、ここまで信じてもらえるとは、師匠冥利に尽きると言うものだろう。
フェイト達はそんな師弟に優しい笑みをこぼすのだが、そこへ無粋な声が割って入る。

「ま、お涙ちょうだいもいいが、あんま眼を逸らすなよ」
「てめぇ、少しは浸らせろよな」
「新島さん、色々台無しです……」

元も子もない新島の一言に、一転してすっかり意気消沈する二人。
だが、実際に新島の言う通りでもある。
モニターに視線を向ければ、そこにはティアナのクロスファイアを緩やかな機動で回避し続けるなのはの姿。
しかしその先には、ウィングロードを疾走するスバルが迫っている。

「クロスシフト…だな。コントロールは良いが、キレが悪ぃ。とすると……」
「うん……たぶん、そろそろ」

普段のそれと一見変わらぬ様に見える二人の連携だが、ヴィータとフェイトは違和感に気付いている。
ティアナ達は知らない事だが、あれだけ六課の敷地内でトレーニングしていたのだ。
調べようと思えば何をやっているのか知る事はそう難しくない。

特に今の六課には、そういった情報収集に異常に長ける悪魔もいる。
ティアナ達を策に嵌める以上、彼女らが何を考えているかなど真っ先に調べる事柄だ。
故にティアナ達が奥の手として用意したそれは、既に策に織り込み済み。

なのはは迫るスバルが幻影でないと見抜き誘導弾を放つ。
スバルはそれらを障壁を展開して強引にかいくぐるが、全てを防ぎきる事は出来ず、数発が障壁を抜いてその身体を掠めていく。だが、スバルは躊躇することなく尚突き進み、なのはに向けて拳を振り上げる。

「うりゃぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

それをなのははプロテクションで危なげなく防ぎ、さらには受け流してスバルを突き離す。
一端宙に放り出されたスバルだが、なんとかウィングロードに着地して事なきを得るも、そこへなのはの叱責が飛んだ。

「ダメだよ、スバル! そんな危ない機動!」
「すみません! でも、ちゃんと防ぎますから……!」

スバルの言い訳に、なのはは遠目からもわかる位に顔を曇らせた。
そんななのはの表情が、フェイトの心にさざなみを立てる。

(やっぱり、私がやった方がよかったんじゃ……)

正直、ことここに至っても、フェイトには一抹の不安がある。
新島の策を信用しているとかいないとかではなく、単純になのはが心配なのだ。

今回新島が立てた策は、正直なのはにとっても些か辛いものの筈。
なのはの方が適任と言うのはわかるが、それでも…と思ってしまう。

「あの、新島さん、やっぱり私が……」
「諦めの悪ぃ奴だな。何を今さら……」
「確かにそうかもしれません。でもなのは…部屋に戻ってからもずっとモニターに向かいっぱなしだし、訓練メニューを作ったり、ビデオでみんなの陣形をチェックしたり……今回の事だって、本当はすぐにでも無茶を止めに行きたいのをすごく我慢して……」

正直、それがティアナ達の為とは言え、あのなのはは見ていられなかった。
その上、今回のなのはの役割の一つを考えれば、今の彼女が断腸の想いでいる事は想像に難くない。
ティアナの事はもちろん心配だが、そんな親友の事もフェイトは気がかりでならないのだ。

「やめとけって、な?」

そんなフェイトの肩に手をやり、ヴィータは静かに諭す。
気持ちは分かる。だが、それはもう今更だ。
この機を逃すわけにはいかない以上、もうあとは流れに任せるより他はないのだから。
フェイトとてそれがわからないわけではない。これ以上は駄々であると理解し、彼女は僅かに唇を噛みながらモニターを見つめる。
そこには、スバルと鍔競り合うなのはと、彼女に向けて砲撃を構えるティアが映し出されていた。

「砲撃? ティアナが?」

それがよほど意外だったのか、ギンガは驚いた様に声を漏らす。
しかし、兼一達にはそれほど驚いた様子はない。
当然だ。これも含めて、彼らからすれば全てが予定調和の内なのだから。

「あっちのティアさんは…幻影!?」
「じゃあ、本物は……!」

その言葉通り、先ほどまでなのはに向けて照準を合わせていたティアナの姿が消失する。
代わりにオプティックハイドで隠れていたのか、ウィングロードの上を駆けるティアナが姿を現す。
本物のティアナは移動しながらカートリッジをロード、クロスミラージュの銃口から魔力刃を出力した。

(バリアを切り裂いて、フィールドを突きぬける!!)
「…………もう…いいですよね、新島さん」

スバルの拳を止め続けながら、僅かに顔を俯かせたなのはは小さく呟く。
そんななのはの呟きが聴こえたのか、一層笑みを深めた新島は言った。

「ああ、もう充分だろ。さぁ、ショーを始めるとするか」
(まったく、こいつは……)

兼一は悪友の邪悪な笑みに呆れながら、その手のうちでいくつかの小石を弄ぶ。
視線を転じれば、そこにはなのはの頭上を取ったティアナがウィングロードを蹴って降下を開始。
眼下のなのは目掛けて、燈色の刃を振り下ろす姿が。

「一撃必殺! でぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇ!!!」
「レイジング・ハート……モード・リリース」
《All right》

小さい、あまりにも小さな呟き。
だが同時に、全てを凍てつかせる極寒を孕んだ声。

続くティアナとなのはの接触と同時に衝撃と煙幕が巻き起こる。
兼一達の方にまで届く程の衝撃だが、兼一の拳圧で相殺され最終的に届いたのはそよ風程度。
ケージに守られた子ども達に至っては、それすらも届いていない。

「始まったな」

呟いたのは、いったい誰だったろう。兼一か、新島か、あるいはヴィータか。
いずれにせよ、身体を撫でる様にして吹いた風により煙幕が晴れていくことに変わりはない。
そして、ようやく煙の向こう側が見えてきた時、そこには……

「二人とも、自分が何をやってるか…ちゃんとわかってる?」

レイジング・ハートを待機形態に戻し、代わりに左手でスバルの拳を掴み、右手でティアナの魔力刃を掴むなのはの姿。
その顔は俯いており、表情はうかがい知る事は出来ない。
だが、見えずともわかる事がある。
事実、なのはの正面に立つスバルは、危険極まりない何かを前にした様に竦んでいた。

「頑張ってるのはわかるけど、これは……模擬戦なんだよ。喧嘩なんかじゃ………絶対にない」
「あ、ぁ……」
「ぇ……」

声音は冷静そのもの。しかし、その奥深くに秘められた激情を、スバルとティアナは確かに感じ取っている。
静かな……それでいて、魂の芯まで凍りつかせるような極寒の怒り。
その怒りに飲まれ、スバルとティアナは身動きが取れない。否、動くと言う考え自体が生じない。
この瞬間、なのはの怒りにふれた二人の心と体は凍て付いてた。

「練習の時だけ言う事を聞いてるフリで…本番でこんな危険な無茶をするんなら、練習の意味……ないじゃない」

そこで、ティアナの表情がより一層の強張りを見せ、その瞳が大きく揺らぐ。
刃を掴めば斬れるのが道理。魔力刃を掴んだなのは手からは、少なくない赤い血が滴っていた。

「ちゃんとさ…練習通りにやろうよ」

そんなティアナに気付いていながらも、なのはは淡々と言葉を紡ぐ。
演技など性に合わない。根がまっすぐ過ぎて、嘘等もあまり上手い方ではない。
故にこれは、今のなのはの本心そのもの。

ただ、その怒りはティアナに向けられているものとは若干違う。
確かに今日までティアナ達が隠れて続けてきた無茶への怒り、今やった危険な無茶への怒りは無論ある。
蓄積してきた怒りだけでも、確かにティアナ達を圧倒する位は容易い。

しかし、本当に怒っているのは別の事。
教え子たちにこんな事をさせてしまった自分自身の不甲斐なさ。
わかっていたのに、気付いていたのに、こうなる前になんとかしてやる事の出来なかった至らない自分。
もっと自分がしっかりしていれば、新島の策に頼ることなく、ティアナがここまで追いつめられる事もなく、彼女をちゃんと導く事が出来た筈なのに。
そんな自分自身への怒りが、なのはの心を凍らせていた。

「ねぇ…私の言ってる事、私の訓練……そんなに間違ってる?
 私が教えてきた事は…………『喧嘩』でしかなかったの?」

それは、むしろ自分自身に向けられた問いだったかもしれない。
ゆっくりとなのはは顔を上げ、どこか暗い瞳でティアナの眼を見る。
それが自分達に向けられていると疑わないティアナは気付かなかった。
なのはの怒りの矛先も、その瞳に宿る重い自責にも。

だが、確かにこれが最後の一押し。
限界ギリギリまで膨らんだ風船への、針の一刺しだ。

「っ!」
《Blade release》

なのはの声と視線に耐えられなくなったティアナは、魔力刃を消して後ろへ跳躍。
ウィングロードに着地してクロスミラージュを構えると同時に顔を上げたティアナの眼には、大粒の涙が浮かんでいた。

「あたしは! もう、誰も傷つけたくないから!! 無くしたくないから!!」

堰を切って溢れ出る感情と、感情の激流のままに紡がれる言葉。
これまでなんとか抑え込み、自分の中だけに秘めてきた想いの丈。
しかし、弱り、打ちのめされ、張りつめていた心に限界が訪れた。

「だから……………強くなりたいんです!!!」

向けられた銃口の前には、有りっ丈の魔力を掻き集めて作る砲弾。
現時点でのティアナが可能とする中で、最大威力の砲撃「ファントムブレイザー」。
だが、幾らなんでもこんなやり方でそれが通る筈もない。

しかし、ティアナには最早自分が何をしているかもわかっていなかった。
頭の片隅には「抑えなければ」という思いはあれど、一度解き放たれたそれは止まらない。
それまでの抑圧への反動であるかのように、身体さえもが感情のままに突き動かされて。
そして、そんなティアナになのはは人差し指を向ける。

「私は、あなたたちとは違う!! スバルやエリオみたいな才能も! キャロみたいなレアスキルも! 何も……何もない!! 少しくらい無茶でも、死ぬ気でやらなきゃ強くなんてなれないんです!!
 それの…それのいったい何が悪いって言うんですか!!!」
「少し…頭冷やそうか」

腕回りに出現した環状魔法陣と、さらにその周囲に生成される魔力弾。
だがその最中も、なのはのどこかが痛む。
魔力刃で斬れた手は無論痛いが、そこではない。
痛くて痛くてたまらないのに、それがどこなのかわからなかった。
しかし、一つだけ確かな事がある。

(ああ、私が…泣かせてるんだ)

どこか離れたところで、ティアナを泣かせているのが自分だと自覚する。
その涙を見るのが辛い。ティアナの一言一言がどこかに突き刺さって痛い。

(ごめんね……ごめんね、私のせいで)

大切な教え子を泣かせる自分が情けない。
できるなら今すぐにでも抱きしめてやりたいが、そんな事は自己満足に過ぎない事もわかっている。
ティアナの為にできる事は新島に指示された通り、彼女を叩きのめす事だけ。
そんな事しかしてやれない自分が、尚一層情けなくて死にたくなる。
だがそれでも、それがティアナの為になると言うのなら…せめてそれくらいは、やりとおさないと。

「クロスファイア……」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ファントムブレイ……!!」
「シュート」

ティアナの砲撃に一歩先んじ、なのはの魔力弾が一斉にティアナへと殺到する。
なのはの手を離れた心なき魔力弾は、無慈悲にティアナへと撃ち込まれた。

「ティア!!!」

一方的に蹂躙される相棒を案じ、スバルはティアナの下へと向かおうとする。
しかし、それより速くなのはのバインドがスバルを拘束。
身動きを封じられたスバルには、あとはただ事の成り行きを見守る事しかできない。

「じっとして、良く見てなさい」

憧れ、尊敬していた筈の相手の想いもしない一面。
なのはの指先はうっすらと晴れた煙の向こう、辛うじて立っているティアナに変わらず向けられていた。
やがてその指先に全ての魔力弾が収束され、先ほどより一層強力なそれとなる。
スバルはそんななのはを止めようと、必死に声を張り上げた。

「なのはさん!!」

そんな声も虚しく、無慈悲にそれは放たれた。
ティアナに向かって、真っ直ぐに。
最早、満身創痍のティアナに回避の術はない。それは、誰の目にも明らかだ。
だが、今まさにティアナ目掛けて桜色の魔力弾が着弾する寸前、ティアナの体が大きく後ろに向けて倒れていく。

「えっ!?」

スバルは今起こった出来事が信じられず、我が目を疑った。
しかし、どんなに疑っても現実は変わらない。
後ろ向きに倒れた事により、魔力弾は寸での所でティアナの真上を素通りしたのだ。

無論、スバルには何が起こったかわからない。
だが、とりあえずは相棒が危機を脱した事に安堵しそうになった所で、スバルは再度目を剥く。

「……」

そこには、無言のまま再度ティアナに狙いを定めるなのはの姿。
一撃ならず二撃。幸い二撃目は外れたが、今度はそれをやりなおすかのような追撃だ。
いくらなんでも、こんなことが許されていいはずがない。
いや、たとえ誰かが許したとしても、自分には認められない。
その瞬間、スバルの思考は白熱し、視界が赤一色に染まる。

「ぁ……」
「?」

スバルの異変に気付き、なのははティアナからスバルへと視線を転じる。
そこには全身から怒気を迸らせる、普段とはまるで雰囲気の一変したスバルがいた。

「うあああああああああああああああああああああああ!!!」
「っ!?」

叫ぶと同時に、スバルを縛るバインドが瞬く間に砕かれた。
仮にもなのははスバル達の教導官だ。どの程度の強度があれば拘束するに十分か、誰よりもよく知っている。
そのなのはが作ったバインドを、スバルは力づくで振りほどいた。
本来ならそれは、決してある筈のない出来事。

(リミッターが、外れてる……)

普段と違い、まるで獣の様に襲い掛かってくるスバルから一端距離を取りつつなのはは理解した。
武術家に限らず、闘争の中に身を置く者はいずれ二つのタイプに分類される。
『心を落ち着かせて闘争心を内に凝縮、冷静かつ計算ずくで戦う』「静」のタイプと『感情を爆発させ、精神と肉体のリミッターを外して本能的に戦う』「動」のタイプ。
その中にあって、スバルは動のタイプを選択したと言う事。ティアナを守る為に……。

「がああああああああああ!!!」
(やっぱり優しいね、スバル……)

魔力弾で迎撃しつつ、一定の距離を保つなのはは心中で思う。
自分の為ではなく、大切な誰かの為に自身のリミッターを外して見せたスバル。
目覚めたばかりでとても動の気を御しきれていないだろうに、それでもスバルはティアナを守る様になのはとティアナの間に立ち続ける。それが、彼女の本質を何よりもよくあらわしていた。

『動』のタイプは一つ間違えると精神のリミッターが外れっぱなしになり、人格が豹変して元に戻らなくなってしまう危険性を孕む。しかし、スバルにその心配は無用だろう。
半暴走とも言える状態にありながら、それでもなおティアナを守ろうとするスバルなら。

(さあ、ティアナ。ティアナはスバルにどう応えるの?)

愚直な突進を続けるスバルをいなしながら、なのははティアナに心中で問いかける。
これほど健気な相棒にティアナはどう応えるのだろう。
元々、罰は一撃目だけ。二撃目が空振りに終わる事は予想通りだった。
新島は「上手くやる」としか言っていなかったが、それくらいは想像できたから。

(速くしないと、先にスバルが落ちちゃうよ)

なのははスバルの気概を買い、一端ティアナを攻撃対象から外しスバルにのみ集中する。
当然、そうなればスバルはあっという間にジリ貧だ。
元々の地力に大きく差がある上に、ベテランのなのはからすれば半分暴走しているスバルの猪突猛進をあしらうことなど容易い。
どれほど突っ込んできても、絶妙な機動と誘導弾の操作でスバルを近づけない。
そして当のティアナは、のそのそとウィングロードの上で身体を起こし、二人の闘いをぼんやりと見つめていた。

「す…ばる?」

朦朧とする頭では思考が纏まらない。
連日連夜の無理な訓練で蓄積した疲労が、なのはの一撃で噴出したのだろう。

なぜか額に鈍痛がするが、その訳を考察する力すら今のティアナにはない。
彼女はただ、人が変わったように勇猛果敢に…いっそ無謀とも言える特攻を仕掛けるスバルを見ている。
その闘いはスバルの心中を現す様に、燃え上がる炎の様に激しく、爆発しているかのように強力だ。

「―――――――――――――――――っ!!!」

ついさっきまでのスバルとは何もかもがまるで違う。
闘い方だけでなく、力も、速さも、技のキレも、勘の鋭さも。

普段のティアナなら、そんな急成長を遂げた相棒への劣等感を感じていただろう。
だが、今の疲れ切った彼女にはそれを感じる余力すらない。
あるいは、それがかえって彼女の心を落ち着かせているのだろうか。

「ぁ……」

しかし、その間にも二人の闘いは続く。
いや、徐々にそれは闘いとは言えなくなってきていた。
無謀な特攻を続けるスバルと、洗練された戦術でその全てを受け流すなのは。
最終的に行きつく先は、目に見えていた。

スバルは雨霰と降り注ぐ魔力弾を強引に掻き分けていく。
当然ながら、とてもではないがスバルは無傷では済まない。
大半はシールドやバリアで防いでいるが、要所要所でなのはの一撃が通っている。
後一歩と言う所まで迫りながら、その一撃で動きが鈍った瞬間に距離を取られてしまうの繰り返し。
これでは、いつまでたってもスバルの拳はなのはに届かない。
それどころか、いずれは消耗し尽くす事は明白だ。

「守…らなきゃ……」

特に意識することなく漏れた呟き。
スバルは潜在能力と可能性は凄まじいが、まだまだ危なっかしくて放っておけない。
だから自分がサポートして、守ってやらないと。
それが、いつの間にか当たり前になったティアナの認識だった。

ティアナは重い身体をゆっくりと動かして立ち上がり、クロスミラージュを構える。
カートリッジをロードすることなく展開される、五発の魔力弾。
これでは到底スバルに迫る魔力弾の全てを防ぐ事は出来ない。

だが、それでも構わずティアナは魔力弾を放つ。
五発の魔力弾はまっすぐにスバルへと向かい、シールドを回り込んで迫る魔力弾を撃墜した。

その後も、スバルへと迫る魔力弾の中で、防ぎきれない物だけを選別してティアナは撃墜していく。
なのはもティアナの復帰に気付いたようで、再度ティアナを攻撃対象に入れる。
しかし自身に迫る光弾さえも、ティアナは足を止めて着実に堅実に撃ち落としていく。

特に複雑に思考を巡らしての事ではない。それ以前に、今のティアナにそれだけの思考力すら残されてはいない。
だが疲労により虚ろな筈の思考の片隅で、ティアナは思う。

(…………静か、だな)

轟音が轟く訓練場にありながら、自身の息遣いがやけに大きく聞こえる程の静寂。
その中でティアナは、自身の領域を感覚的に把握し掌握していた。

どこまでが自分の射程なのか。
いくつの魔力弾が、どのような軌道を描き、スバルに迫っているのか。
はっきりとしない思考とは対照的に、感覚が研ぎ澄まされ、どこまでも広がっていくかの様な不思議な感触。
それが、心を静める『静』のタイプ特有の感覚だとは知らないままに。



  *  *  *  *  *



「よ~しよし、ドンピシャだな」
「全く…冷や冷やさせてくれるな、お前は」
「良いじゃねぇか、上手くいったんだからよ」

新島は人差し指と親指で作った輪…「新島アイ」で再開された模擬戦を覗きながら愉快そうに笑う。
その隣に立つ兼一は、右手の親指に乗せた小石を捨てながら非難がましい視線を悪友に送っていた。

先ほど、なのはの二撃目からティアナを救ったのがこれだ。
親指の力で小石を弾き、ティアナの額を狙撃したのである。
まさしく、達人級の視力と指の力、そして精度があって初めて可能にする技術だ。

「ティアさん、凄い……」
「う、うん」

キャロとエリオは、そんな兼一達の会話に気付いた様子もなく、ただただ圧倒された様にモニターを注視する。
そこには怒涛の進撃を見せるスバルと、そんなスバルを完璧にサポートしつつ、自身もまたなのはへ攻撃するティアナの姿。

スバルの猛攻にも圧倒されたが、それ以上に今のティアナは凄まじい。
動きは流れるように滑らかで、一つ一つに無駄がない様に二人には映る。
だが、そんな二人に向けて新島は全く逆の事を言う。

「そうか? あれ位当然だろ?」
「な、何言ってるんですか! 今のティアさん、これまでと全然……!」
「そ、そうですよ!」
「いや、ムカつくが今回ばっかりはあたしも同感だ」
「「ヴィータ副隊長!?」」

まさかヴィータが新島に同意するとは思わず、驚きを露わにする二人。
しかし、ヴィータに意見を覆そうとする様子はない。
それも当然。なぜならアレこそが、ティアナ・ランスターの本来あるべき姿なのだから。

「別にティアナはなんも特別な事なんかしてねぇ。
 脚は止めて、視野は広く保つ…んでもって、相手に合わせて弾丸を選び、中長距離を制する。
 全部、なのはが嫌って程叩き込んできた事だ。今のティアナは、ただそれを忠実に実行してるだけなんだよ」
「でも、あんな状態で……」

あれほどまでに、洗練された動きが可能なのだろうか。
そんなエリオの疑問に対し、兼一は首を振って否定する。

「違うよ、エリオ君。むしろ、あんな状態だからこそなんだ」
「どういう事ですか、兼一さん?」
「人間、どんなにぼんやりとしていても歩き方を忘れたりはしないでしょ? それと同じでね、疲労とダメージで意識が朦朧としていても、何度も繰り返して染み着かせたものはなくならない。
 身体の動かし方、必要な思考の組み立て方。その全てを、ティアナちゃんは条件反射の域で身に付けてる。身に付けられるほどの、蓄積があったって事さ」

それを聞き、エリオとキャロは呆気にとられ、ギンガは若干顔を青ざめさせた。
武術を身体の芯にまで叩きこむと、意識がなくても条件反射的に闘う事がある。
今のティアナは丁度それに近い状態なのだが、どうやらギンガにも思い当たる節があるらしい。
何しろ彼女の師は、むしろ意識がない方が技のキレが増すと言う常軌を逸した武術家なのだから。

「ま、言っちまえばアレがあの小娘の本来の実力ってこった」
『実…力……』
「気負い過ぎてテンパって、必要以上肩に力が入っていれば、そりゃ実力を発揮できるわけがねぇわな。
 いいか、勘違いするなよ、ガキ共。アイツはたった今急激に強くなったんじゃねぇ。余計な力が抜けて、本来持ってるものを充分に引き出せるようになっただけだ」

その意味では、兼一とは違った意味で、ティアナは全力を出す事が苦手だったと言えるかもしれない。
兼一はその『甘い』とも言える性格から。ティアナは、自分自身を追い詰めてしまうあまりに。
だが逆を言えば、その足枷さえ外れてしまえば、ティアナはその本来の実力を発揮できる事になる。

そして、今彼らの眼前で繰り広げられる模擬戦がそれだ。
スバルの特攻をティアナがサポートし、同時になのはと中・長距離における主導権の奪い合いまでこなす。
少し前のティアナには到底出来なかったそれも、今ならできる。

いや、本来ならできるだけの力は既にあって、やっとそれを使いこなしているだけ。
そんな教え子を前に、なのはは微かに……………………笑っていた。

「なのは…嬉しそう」
「それは…そうでしょうね。指導者としては、冥利に尽きるとしか言いようがありませんから」

そう、まさに今のティアナのそれは指導者冥利に尽きると言うものだろう。
先ほど見せた付け焼刃の無茶とは違う。
丹念に、丁寧に…いっそ神経質な程緻密になのはがティアナの中に積み上げてきた訓練の成果。
それが今、一つの結晶となって姿を現したのだから。
例えまだまだ小さく、不完全であったとしても…それは指導者として、何にも勝る喜びだ。

ギンガと言う弟子を持つ身として、兼一にはなのはの歓喜が理解できた。
きっと今のなのはは、溢れだしそうになる涙を堪えるので必死に違いない。
同時に思う。かつて自分に多くの教えを授けてくれた師達も、同じ喜びを抱いていたのだろうかと。
とそこで、ギンガが一つの疑問を呈する。

「でも、なんでまたこんな危なっかしいやり方を? スバルとティアナが分かれ道にいたのは…これを見ればわかりますけど、もう少し穏便なやり方もあったんじゃ……」
「できれば、あたしらもそうしたかったんだけどな」
「え?」
「この前の一件以来、ティアナちゃんは『力』そのものを求めて無茶を続けてきた。僕も覚えがあるけど、これはとても危険な状態だ。そこでこの悪魔が……」

口八丁で皆をそそのかしたわけだ。
具体的には『いっそのこと余計なことに頭が回らなくなる位、徹底的に追い詰めちまえば、一周回って頭も冷えるだろうぜ』と。
まぁ、確かにその通りの状況になり、実際にティアナが『静』のタイプを選んだのは事実だが……。

それでも、できるならもうすこしゆっくりと時間をかけてやりたかったのが本音だ。
しかし、そうも言っていられない状況だったのも事実。
下手をすると、ティアナが修羅道に落ちていた可能性すらもあるのだから。
それを考えれば、何はともあれいい方向に転んでいる様なのだからよしとすべきだろう。

「まぁ、スバルちゃんの事は完全に予想外だったわけだが……」

ジロリと、兼一は咎めるような視線で新島を睨む。
なのは達だけでなく、この点に関しては兼一すらも聞いていない。
ティアナの事は確かに上手くいったが、逆にスバルが危険な事になっていたかもしれないのだ。

「そう睨むなって。あっちのガキはどこか自分を抑え込んでる節があったからな。
 ならいっそ、この機に乗じてそのタガを外してやろうと思ったわけよ」

本当に、この男の観察眼はどういうレベルに達しているのやら。
スバルが自分を抑え込んでいる訳を知るギンガは、その常軌を逸した眼力に戦慄を覚える。

「ま、まぁ、とりあえず二人とも一皮むけたのは事実ですし……」
「そう…ですね。そうじゃなかったらさすがに僕もどうしてたかわかりませんが……」

とりなす様に苦笑いを浮かべるフェイトだが、相変わらず兼一の新島への視線はひたすら白い。
が、当然ながら新島がこの程度で恐れ入る筈もなし。
最終的には兼一もその無駄を悟り、溜め息交じりにギンガへと話題を振る。

「でも、確かにフェイト隊長の言う通り、二人が殻を破ったのは事実だ。
 たぶん、二人はこれからさらに伸びる。ギンガも、うかうかしてると危ないよ」
「ぅ…は、はい」

さすがに、まだ二人との間にも差はあるが、安心ばかりもしていられない。
この数カ月でギンガは大きく成長した。それと同じ位、あるいはそれ以上の成長を二人がしないとは言い切れない以上、ギンガ自身もさらに腕を磨かなければと気合が入る。
しかし、それは同時にさらに地獄の深さが増す事も意味するだけに、色々と顔色が優れない。

「さて、俺様は行くぜ。そろそろ約束の時間なんでな」
「なんだ、最後まで見ていかねぇのかよ」
「見るまでもねぇ。それに、こっちに時間を割き過ぎちまってな、予定が押してんだ」

実際、本来は新島にも何らかの思惑、予定があってこちらに来た。
そうである以上、あまり六課の問題に時間を割き過ぎるわけにはいかない。
むしろ、これだけ時間をかける事自体予定外だった筈だ。
その意味で言えば、新島には最後まで見届ける時間的余裕がないとも言えるだろう。

「ま、この後の事は手筈通りにな。何かあった時は『アレ』使えば、まぁなんとかなるだろ。
 それでもダメな時には連絡してこい、連絡先は兼一とチビダヌキが知ってるからよ」

この場は離れるとしても、最後まで責任を持つのは策士としてのプライド故か。
というか、この男はいつの間にはやての愛称を知ったのやら……。

「あの……ありがとうございました!」

そう言って頭を下げるのはフェイト。
エリオやキャロ、それにギンガも彼女に倣って新島に対して頭を下げた。
兼一とヴィータも、渋々ではあるがそれぞれの形で謝意を表す。
そうして、新島がその場から姿を消すのと奇しくも同じタイミングで、スバルとティアナは惜しくも撃墜された。






あとがき

遅くなりました。遅くなったので、今回は久しぶりの2話同時更新です。
と言っても、単に量が増え過ぎて二つに分けただけですが……。

とりあえず、模擬戦の方はこれで終了です。
同時に、ティアナとスバルはそれぞれ一皮むけました。
スバルは言うまでもないでしょうが、ティアナは肩の力を少し抜く位で丁度いいと思うんですよ。
とは言え、ああいう性格なので器用にリラックスなんてできそうにありませんし、この頃なら尚更です。
そこで、徹底的に追い詰めて精神的にも肉体的に一杯一杯になった上で軽くブッ飛ばされれば、良い具合になるんじゃないかなぁと思っての展開でした。



[25730] BATTLE 31「嵐の後で」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:40

場所は機動六課隊舎前。
そこには一台の車が止められており、新島は悠然とした足取りで歩み寄る。

「お待ちしておりました、総督」
「おう、待たせたなジーク」

運転席の前に陣取っていたジークフリートは新島に深く頭を垂れる。
どうやら、新島だけでなく彼も今日を以って六課を離れる様だ。
とそこへ、隊舎より姿を現したはやてが新島を呼びとめる。

「あ、間に合った! 新島さん、ちょう待ってください!」
「ん、なんだチビダヌキ?」
「ども! 『ポン』と『ポコ』、語尾をどっちにするか、割と真剣に悩んでるチビダヌキです…って何言わせんねん!!」
「さすがです、はやてちゃん! 見事なノリツッコミです!」

新島の一言に、一端乗ってから鋭いツッコミを入れるはやて。
肩の上のリインは、そんなはやてに惜しみない喝采を送る。

「用件がそれだけなら行くぞ」
「ちょ、ちょう待ってくださいって! って、無視!? 待って、行かないで~!」

縋りつくはやてを無視し、どしどしと進んで行こうとする新島。
が、逃げ足はともかく筋力はたいした事のない男だ。
さすがにはやてが縋りついていては歩き辛いことこの上ない。
なので、仕方なく足を止めて話を聞いてやることにする。

「んで、なんの用だ。俺様は忙しいんだ、手短に話せ」
「そんなん、セッティングした私が一番知ってますって。
 まぁ、それはともかく。ティアナはアレでもう大丈夫なんですか?」
「まだ大丈夫ってわけじゃねぇが……俺様が関与する必要もねぇだろ。
 必要なもんは用意してある、後はアイツらだけでも何とかならぁな」

自身の策に絶対の自信があるのか、新島には不安の欠片も見受けられない。
はやてとしても、こうまで自信満々に言われてはどうしようもないだろう。

「で、ジークさんも行くんですか?」
「はい。総督のおわす地こそが私の居場所。
 このジークフリート、地獄の果てまでもお供する所存! ラッラ~♪」
「「はぁ……」」

ホントに、この守護騎士も真っ青な忠誠心はどこから来るのやら。
余人にはいまいち理解できないが、新島にはそれほどの人徳があるのだろうか。
正直、兼一ならまだ納得できるが、新島のどこが良いのか二人にはさっぱりである。

「そういや、どうだったんだ? アイツらはよ」
「二人とも中々筋がよろしかったですねぇ~。特に、翔は素晴らしい」
「なるほどな、さすがは美羽ちゃんの子どもってところか。親父に似なくて幸いだったな」
「そこまで言うですか……」

遠慮の欠片もない新島の評に、リインは兼一が哀れでならない。
兼一に才能がないと言うのはわかったし、確かに母の才能を受け継げたのは良かったと言えるだろう。
だがしかし、だからと言って「似なくてよかった」とは……。
なんというか、本人がいないとはいえもう少し言い方がないのだろうか。
まったく、本人がいないから良い様な物の……

「いや、兼一の奴がいても同じ事を言うぜ、俺様は」
(心を読まれたです!?)
(この人も、兼一さんに負けず劣らず人間離れしとるなぁ……)

驚愕するリインと呆れてものも言えないはやて。
しかしそんな二人を無視して、新島はこちらで手に入れた端末を兼一とつなげる。
そして、先の言葉を実行した。

「おう、兼一。ジークが言うには、おめぇのガキは中々筋が良いそうだぞ。
 よかったな、武術関係ではお前に『全く』似てなくて」
「「ホントに言った!?」」

文字通りの有言実行。
長い付き合いの悪友とは言え、歯に衣着せずここまではっきり言ってのけるとは。
だが、これにはさすがの兼一も気を悪くすることだろう。
と、そう思っていたのだが……

「お前なぁ、藪から棒に何を言い出すかと思えば……」
「なんだ、文句でもあるのか?」
「むしろ、僕に全く似てないからこそあんな回りくどい事をしてたんだぞ。その辺わかってるのか?」
「お、そう言えばそうだな」

兼一は特に気にした素振りもなく、むしろさもそれが当たり前の様に応対している。
どうやら、今更この程度の事は目くじらを立てるに値しないらしい。

その後もそれぞれ歯に衣着せぬ言い合いが続く。
はっきり言って、それははやて達にはできないやり取りだ。
相手の気持ちや心情を慮って言葉を選ぶのがはやて達の『普通』。
だが、兼一達の『普通』は言葉を選ばない事を指す。
全く以って、面白い程に逆の方向性だ。
知らない人間が二人のやり取りを聞けば、仲が悪いのではないかと思ってしまいそうなほどなのだから。

「迷惑をかけるな…なんて言うのは無駄だな。
 なら、せめて少しで良いから自重しろ。危険物として封印処理されても知らないからな」
「ケケケ、まぁ善処してやらん事もない。安心しろ」
「できるか!!」
「へっ。それじゃな、相棒。また近いうちに会うだろうが、それまでしぶとく生きてろよ」
「お前こそ、やり過ぎて駆除されるなよ」

そう締めくくり、通信を切る二人。
こうして長いようで短かった滞在期間を終え、新島とジークは六課を後にする。
たつ鳥が跡を濁したのか濁さなかったのか、いったいどちらだったのやら。

一つ言えるのは、新島の本領はこれから。
最初の面会相手と会うべく、二人ははやてが手配させたタクシーに乗り込むのだった。



BATTLE 31「嵐の後で」



ティアナ・ランスターが眼を覚ますと、その眼にまず飛び込んできたのは……真っ暗な闇だった。

「……ん」

ティアナは上体を起こし、周囲を確認する様に首を回す。
しかし、完全な闇の中にあっては何も見る事は出来ない。
結局、彼女はなにも見つける事が出来ず、その場で自身にかけられていたタオルケットと思しきものを握りしめる。

(やっぱり夢…じゃ、ないのよね)

言葉にせず反芻するのは、思い出せる範囲で最後の記憶。
模擬戦でスバルと共になのはと闘い、密かに習得した魔力刃で奇襲を仕掛けるも失敗。
その何かがなのはの怒りに触れ、自身が得意とする「クロスファイア」で叩きのめされた。
だが、気付いた時には人が変わったようになのはに挑むスバルがいて、心の赴くままに相棒を支援し、なのはと撃ち合った。

しかし、その時の自分にまるで実感がわかない。
確かに覚えているのに、まるで別人の様な錯覚に襲われる。
無理もない。ティアナ自身の認識として、あれは今の自分にできるレベルとは思えないのだから。
だが、僅かに残る感覚が、あれが確かに自分自身だったと教えてくれた。

(あれが、私……?)

本当に自分がやったのか疑わしい程に洗練された、銃撃の数々。
同時に、確かに自分がやったのだと確信する手応え。
まるで、一挙に階段を数段飛ばしで駆けあがったかのような感覚に……覚えるのは戸惑いばかり。
ティアナはただ、暗闇の中で判然としない靄の様なそれに困惑する。

しかしそこへ、軽く空気が抜けるかのような音が横手から届いた。
続いて、暗闇に慣れた目には痛いとすら感じる光が飛び込んでくる。

「ああ、起きてたんだ」

聞き覚えのある男の声。彼は手近な所にあったスイッチに触れ、部屋に明かりを灯す。
ティアナは一瞬腕で光を遮るが、次第に眼も光に慣れて来る。

腕をどけると、そこにいたのは少し前までのティアナには直視できなかった筈の相手。
だが、今はなぜか真っ直ぐ見る事の出来る男、兼一がいた。

「兼一、さん?」
「うん。ここがどこか、わかる?」
「……」

兼一の問いにより、ようやく再度周囲の確認を始めるティアナ。
そこは清潔感あふれる白い床が光を反射し、いくつかのベッドと素人には用途の良く分からない機材が並ぶ部屋。

「医務室…ですか? でも、それならシャマル先生が……」
「ああ、シャマル先生は休憩中。中々起きそうになかったし、3時間交代で様子を見ることにしたんだ」
「はぁ……」

まだどこか寝ぼけているのか、ティアナの返事には普段のキレがない。
兼一は、そんなティアナに右手に持つ缶コーヒーを手渡す。
どうやら、これを買いに行く為に部屋を開けていたらしい。

「ほら、これでも飲んで」
「ありがとう…ございます」
「うん。じゃ、僕はまた少し部屋の外にいるよ。そこに着替えがあるから、終わったら呼んで」
「え?」

頭に疑問符を浮かべるティアナだが、兼一はティアナを放ってさっさと部屋から出ていく。
しばし呆然とするティアナだが、やがて特に意味もなく視線を落とした。
その瞬間、ティアナの表情が僅かに強張る。
そこには、下着姿……とはいかないまでも、だいぶラフな格好の自分の体。
一応白無地のシャツを着て短パンを履いているが、ちょっと人前に出るには問題のある格好だ。

「…………………………………着替えよ」

とりあえず兼一に言われた通り手近な所にあった衣服を取り、ティアナは着替えを始める。
今までは気付かなかったが、どうやらだいぶ汗をかいたらしく肌に密着する布の感触が気持ち悪い。
なるほど、確かにこれは着替えた方が良いだろう。

しかも気の効いている事に、大きめのバスタオルまである始末。
ティアナは下着を含めて服を全て脱いでからタオルで汗をふき、用意された服に着替える。
全て自分の持ち物だが、さすがに兼一が部屋から持ってきたとは考えにくい。
スバルかギンガ…あるいはだれか女性局員にでも頼んで持ってきてもらったのだろう。
というか、そうでないとイヤ過ぎるのだが……。

そうして着替えを終えたティアナは、医務室の扉から顔を出す。
すると、扉のすぐ横には文庫本を読みながら壁に背を預ける兼一の姿。

「あの……」
「ああ、終わった?」
「…はい」
「じゃ、もう一度ベッドに横になって。少しほぐしておこう」

ティアナは兼一に言われるまま、再度医務室のベッドに横になる。
兼一は慣れた手つきでティアナの身体をほぐし、続いてやけに長い針を取りだす。
はじめは僅かにギョッとしたティアナだが、兼一は彼女が何か言う前に次々と針を刺す。

思わず緊張したティアナも、徐々に身体から力を抜いていく。
針を刺された所が痛みを伝える事はなく、それどころか何やら心地よささえ感じたのも一因だろう。

そして、その間兼一は無言。
ティアナも同様に無言を貫いたのだが、やがて沈黙に耐えきれなくなったのか口を開いた。

「私がして来た事って……なんだったんでしょう?」
「…………」

それは、小さな独白。
別に兼一に聞いてほしくて言っているのではない。敢えて言うなら、誰でもよかった。
偶々目を覚ました時に兼一がいたから、結果的に彼に向けて言っているにすぎない。
ただ今の彼女には、強がって弱音を抑え込む事が出来なかっただけ。

「強くなりたくて必死に努力して……でも、それだけじゃ全然足りなくて。
 だから、多少無茶でもって思ってたのに……」

今度は、それをなのはと…………自分自身に否定された。
確かに、なのはのクロスファイアを受けた後の自分の動きはまるで別人のように冴えていたと思う。

しかし同時に気付いてもいた。
その冴えていた動きの全てが、必要と思ってやった無茶とはなんの関係もない事に。
必要と思ってやった無茶はなのはの怒りを買い、これじゃダメだと思って見限った努力が無茶を上回った。

なのはに否定されただけなら、『天才に凡人の苦悩はわからない』と言えただろう。
だが、自分自身に否定されてしまえばそれもかなわない。

「私の夢、知ってますよね?」
「ああ、うん…まぁ……」

と言うより、知らない方がおかしい。
別にティアナはことさら自身の夢を声高に口にしている訳ではないが、六課では最早割と有名な話である。

「兄さんの夢、執務官になるって夢をかなえたくて。
 兄さんの魔法は、役立たずなんかじゃないって証明したかったんです。でも……」
「……」

何故かやけに心が落ち着いている今ならわかる。前回も今回も、自分は大切な相棒を危険にさらした。
本当はそんなつもりじゃなかったのに。大切な人の為に目指す夢の筈が、別の大切な人を危険にさらすなど……。
鬱憤を吐きだし、自身の可能性を再認識した事で生じた余裕が、ティアナにその事実を突きつける。

「何が正しいのか………わからなくなっちゃいました」

伏せられた目に、僅かに涙を浮かべながらティアナは漏らす。
兼一はそんなティアナの独白に対し、ゆっくりと口を開いた。

「そう…だね。確かに、難しい問題だ。でも、仲間を無闇に危険にさらすのは問題外なのは分かるよね?」
「……」
「それがわかっているなら十分だよ。それに、別にいいんじゃないかな? 多少無茶でもさ」

だが、その無茶がなんの意味もなさなかった。
それを知ってしまったティアナには、無茶の意味と価値がわからない。
『無茶でもいい』と兼一は言ったが、ではどうすればいいと言うのか。

「ティアナちゃん、君は少し欲張りすぎだよ」
「ぇ?」
「君はまだ何一つ完成していない未熟者、その自覚はある?」

優しい声音で、兼一は突き刺さるような言葉を紡ぐ。
そんな事は、言われなくてもわかっている。
技を極めた兼一や、圧倒的な才能を誇るなのは達からすれば、自分は何もかもが未熟だろう。
しかし、それを自覚しているからと言ってなんだと言うのか。

「いいかい? 未熟者が失敗するのは……当たり前なんだ」
「当たり、前?」
「そう。無茶一つとっても、君達には何をどう無茶していいかだってあやふやだ。
 時には、いっそ無意味とも言える様な事をして自滅してしまう事もある。
 でもね、だからこそ僕たちがいるんだよ」
「…………」
「君がいる場所は、かつて僕たちが通った場所だ。なら、君は知らなくても僕たちが知っている。
 そう言う時に無茶をするとして、いったいどんな無茶をすればいいのかを。
 君が無茶をして失敗しそうになるのなら、僕たちが止める。だから君は恐れず、躊躇わず、必要と思う事をしなさい。そして、そこから学ぶんだ。何事も経験、一見無意味な無茶の積み重ねが、君に境界を見極める力を養う筈だよ。『若いうちの無謀は買ってでもせよ』って言うのは僕の師匠の言葉だけど、僕はそういう意味も含んでると思ってる」

『まぁ、止めても聞かない時は、さすがに手荒な手段で止めるけどね。今回みたいに』と付け足す事も忘れない。
思えば、兼一に限らず何人もの人が自分を止めようとしてくれた筈だ。
なのに、自分は止まらなかった。誰の言葉にも耳を貸さず、ただ盲目に自分の考えを実行してきた。
無茶の良し悪しとは別に、それだけでも叱責には十分すぎる。
むしろ、無茶に関してだけでも「もっとやれ」というほうが、本来はどうかしているのだ。

「だから、これからも思う存分無茶するといい。フォローは僕たち大人の仕事だ。
 ああ、もちろん大前提を忘れちゃいけない。それはもう、無茶うんぬん以前の問題だしね」

つまり、その大前提を守る分においては幾らでも無茶をしろと言うことか。
なんというか、この男も結局は「梁山泊」と言うことらしい。

「ただ、できればその前に相談して欲しかったかな。なのはちゃん達との間に壁を感じるのは無理もないし、それをなんとかし切れなかったなのはちゃん達にも非はある。
だけど打ち明けていれば、きっと他の結果もあったと思うよ」

何故相談しなかったのかと聞かれれば、なのは達にはわからないと思い込んでいたからだ。
それを払拭できなかったのは確かになのは達の責任だろう。
しかし、今のティアナには最早そんな事は言えない。なぜなら……

「もう分かってるんでしょ? あの時、ティアナちゃんを動かしたのはなのはちゃんの教えだ」

そう。一見地味で、強くなっている実感の湧かなかった訓練の日々。
だがそれこそが、あの場において追い詰められたティアナを支えてくれた。

無茶を必要としない、堅実で正確で、確実な闘い方をなのはが仕込んでくれていたから。
その結果が、今までにない程の動きの冴えであり、あの善戦だった。
同時に、自分に更なる高みとその可能性を見せてくれた。
そのおかげか、少し前まで胸を焦がしていた焦燥が、今はなりを潜めている。
我ながら現金だと思うティアナだが、それが紛れもない事実だった。

「なのはちゃんが帰ってきたら、一度ゆっくり話してみると良い。
 君達は、ちょっとコミュニケーションが足りないよ」

それは、なのは自身もまた猛省している事だ。
彼女はこれまで、ここまで長期の教導を受け持った事がない。
つまり、長期的な教導のノウハウに乏しいと言う事だ。
短期的な教導なら、確かにひたすら詰め込み、とにかく打ちのめしてやる方が良いだろう。
しかし、長期的な教導はそれだけでは足りなかったということ。
故に今回の事は、ティアナだけでなくなのはにとっても痛い教訓となった。

「あの!」
「ん?」
「帰ってきたらって言うのは……」
「ああ、ティアナちゃんが寝ている間に緊急出動があってね。場所が海上だったから、隊長さん達は揃って出撃。
 他のみんなは、今は隊舎で待機してるよ。
相手が海の上じゃ、陸戦型の出る幕はないも同然みたいなものだしね」

思いもしないその内容に、ティアナは大きく目を見開く。
とはいえ、ある意味寝過ごしていてよかったと思う自分もいる。
まだ自分の心を整理し切れていない状態でその場にいたら、何を言ったかわかったものではない。
しかし、それはそれとして一つ確認しておきたい事がある。

「え………って、今何時ですか!?」
「え~、もうそろそろ日付が変わるかな?」
「そ、そんなに……」
「疲労の蓄積に睡眠不足、これだけ不摂生が続けば当然だよ。その点に関しては厳重注意だね」
「うっ……」
「というわけで、そんな悪い子はこれを飲みなさい」

取り出したるは、一際異臭を放つ毒々しい色の液体。
その瞬間、ティアナの顔が引きつった。
効果の程は承知しているが、それでも本能が忌避する。これは、決して人が飲んでいいものではないと。

「ぇ、まっ…!」
「問答無用!」
「実はやっぱり怒ってるんじゃないですか!?」
「そんな事はないよ。ちょっとムッとしてるだけ」
「それって同じ…がぼっ!?」

そうして、ティアナは再度深い深~い眠りにつく。
代わりに、次に目覚めた時にはだいぶ回復している事だろう。
だが、果たしてそれがどの程度救いになるのやら。



  *  *  *  *  *



ティアナが次に目覚めた時、真っ先に視界に飛び込んできたのは……蒼い瞳と黒い髪の幼子。
一瞬呆気にとられたティアナだが、なんとかその名を呼ぶ。

「…………………………………翔?」
「うん! おはよう、ティア姉さま」
「う、うん。おはよう……」
「ん! じゃ、行ってくるね!」
「って、行ってくるってどこに…行っちゃった」

ティアナが目覚めたのを確認すると、翔はさっさと相変わらずに軽やかな身のこなしで医務室から出ていく。
状況を飲み込めぬままのティアナだが、周囲を確認すると、既に夜は明けていた。
身体の具合をチェックすると、兼一の薬とメンテナンスのおかげか、妙に全身がすっきりとしている。

「おはよう、ティアナ」
「なのは…さん」

やがて、少々控えめに顔を出すなのは。
どうやら、翔はなのはを呼びに行っていたらしい。
その後姿を見せないことからすると、一応気を使っていると言うことか。

ただ、なのはもティアナもまず何を話していいのかわからず、お互いに黙りこむ。
とそこで、なのはは突然天井を仰ぐとこう言った。

「…………困ったな。色々考えてきてたのに、いざとなったら飛んじゃった」

実際、コミュニケーションの必要性は感じていても、何を話せばいいかがはっきりしない。
裏を返せば、それは今までどれだけそれが足りなかったかの証左でもある。
改めてその事を理解したなのはは、自身の未熟を恥じた。

「とりあえず私の考えとか、その辺からかな。ティアナの気持ちは、もう聞かせてもらったし……」
「……はい」

あの時の事を思い出して気恥ずかしくなったのか、ティアナはどこか居心地悪そうに小さくうなずく。
そんなティアナになのはは一つ頷くと、天井の一角に向けて声をかけた。

「そっちのみんなも、ちゃんと聞いておいてね」
(げっ……)

別室で事の様子を見ていた面々。
スバルにエリオ、キャロ、シャーリー、フェイト、ヴィータにシグナム、シャマル、そして白浜親子。
うち、年若いスバル達は揃ってバツの悪そうな表情を浮かべる。
ちなみに、覗き見の主犯はシャーリー。

「兼一さんの事だから、幾らでも無茶をしろ…みたいな事を言ったかもしれないけど、私としてはできればあんまり無茶はさせたくない、って言うのが本音かな?」
「……」
「私もね、昔は結構無茶もしたんだけど、それで…………ちょっと失敗しちゃったから」

あまり、自分の失敗談を話すのは楽しいものではないのだろう。
それはなのはも例外ではないのか、苦笑を浮かべながらもあまり詳細は語ろうとしない。

「その時、凄く後悔した。自分がすごい痛い思いをしたって言うのもあるし、そのせいで……もう飛べない、歩けないかもって言われたりもした。何より、周りのみんなにたくさん…凄くたくさん心配と迷惑をかけちゃったから……だから、私みたいな失敗をさせない。それが、私の大前提」

なのはは努めて明るくふるまうが、その言葉尻にはどこか暗い影が付きまとう。
今でも、彼女に取ってそれは小さくないトラウマなのだろう。

同時に、ティアナはなのはが「失敗」したと言う事実に、思いの外驚いている自分がいる事に逆に驚いていた。
高町なのはとて一人の人間、失敗をすることだってあると思っていた筈なのに……どうやら自分は、本当は全然そんな事は思いもしなかったらしい。その事に、他でもないティアナ自身が驚いていた。

「無茶をしても、命を賭けても譲れない場面って言うのはあるよ。
 あるいはそう言う時の為に、普段の練習から無茶をするって言うのもね。
 だけど、やっぱり無茶って言うのはどこかに歪みが出る。兼一さんの場合はその歪みを最小限にする為に、ああやって肉体改造とか、メンテナンスとかをしてる訳だけどね。
 でも、ティアナがやってたのはその歪みがどんどん蓄積していくやり方。そんな事を続ければ、いつか……」

自分の様になると、言外になのはは語る。
過去のなのはがいったいどんな失敗をしたか、ティアナは知らない。
それがどれほど彼女の人生に暗い影を落としているかなど、知る由もないだろう。
だがそれでも、声音に宿る重さから感じ取れるものはあった。

「無茶をするなとは言わない。ただ、もう少しティアナは自分を大事にしよう。
 お兄さんの夢をかなえたいって言う思いは尊し、ティアナが頑張ってるのは知ってる。
 でもね、それは……ティアナ以外にはかなえられないんだよ。ティアナが潰れちゃったら、誰にもかなえられなくなる。誰にも、お兄さんの無念は晴らせないんだから」

『夢よりティアナが大事』なのではなく、『夢とティアナは一蓮托生』なのだ。
夢をかなえられるのはティアナしかいない以上、彼女が潰れる事は許されない。
今更、ティアナに夢の優先順位を下げさせる事は出来ないのだとしても、それは知っておいてほしかった。

「それに、今回の事でわかったんじゃないかな?
 ティアナが自分の事をどう思っていようと、ちゃんと成長してる。どんなにゆっくりでも、はっきりとは実感できなくても、みんなと一緒に前に進んでるんだってこと。
 ………でも、あんまり成果が出てない様に感じて、苦しかったんだよね。その事は、本当に…ごめんね。
 私の教導が地味で、そのせいで……」
「そ、そんな……!」

確かに地味かもしれない。だが、その成果を感じる事が出来た。
だからわかる。単に自分一人が焦って、無茶をしてしまっただけの事。
本当は前に進んでいたのに、気付けなかった自分の責任だ。

「……ありがと」

首を振って必死に否定するティアナに対し、なのはは優しい笑顔で礼を言う。
そう言ってもらえると、少しだけ救われると。

それからも、なのははこれまでの事を取り戻すようにティアナと色々な話をした。
理想とするチームの形やティアナの射撃魔法の真価、これからの彼女に必要になるであろう力の準備。
いつ出動があるかわからない中で、まず今ある武器をより高めてやりたいと言うその思い。

自分の今だけでなく、ちゃんと「先」も見据えた上でのその計画に、ティアナは打ちのめされた。
自分が焦って手をつけた力は、いずれちゃんとした形で手にする筈のものだった事。
いずれ執務官を目指す以上、個人戦も多くなる。その時の為にクロスやロングでの闘い方の習得も、ちゃんとなのはは考えてくれていた。
全く…兼一の言う通り、もっと互いにコミュニケーションを取っていれば、そんな行き違いにはならなかったのに。

だがそれでも、こんなにも自分の事を心配して、未来を案じてくれている事が嬉しかった。
そんな優しい人に、心配をかけてしまった事が申し訳なかった。
様々な感情が入り混じり、ティアナはなのはに縋りつくようにして泣き出す。
弱々しい声音で、ただただ「ごめんなさい」と嗚咽しながら。



ティアナが落ち着くまでの間、なのははその背を優しく撫でながら待った。
そうして、徐々にティアナの嗚咽が治まってきた所で声をかける。

「ヒック……」
「……落ちついた?」
「………………はい」

なのはの問いに頷き返し、ティアナは顔を上げた。
泣き腫れた目は赤く、頬にはまだ涙の筋が残っている。
酷い顔と言えない事もないが、そこに以前の様な暗さはない。
むしろ、何もかもを吐きだしすっきりした心の内を現す様に、その瞳は晴れやかな光を宿している。
その事を確認したなのはは満足そうに小さくうなずき、こう言った。

「じゃあ……ティアナ、後でちゃんと兼一さんに謝っておこうか」
「え? 謝る…ですか?」
「そう。前兼一さんに、『凡人の何が分かるのか』って言ったんだって?」
「ぁ……」

確かに、今思えばあれはだいぶ失礼な発言だった。
話の内容はアレだったが、仮にも自分を心配してくれたと言うのに…それはない。
なのはの言う通り、一度ちゃんと謝罪すべきだろう。

「そう、ですね。失礼なこと言っちゃって、ちゃんと謝らないと……」
「あぁ~、まぁそれもあるんだけど……」
「?」
「さっき、ティアナ達を原石にたとえたでしょ?
 まだ凸凹だらけで本当の価値も輝きもわからないけど、磨けばドンドン光っていくって」
「はい」
「だけど、陶器ってあるよね。あれはさ、土から出来ているのに宝石にも匹敵する価値がある。
名工の技を惜しげもなく注ぎ込む事で実現する価値であり、美しさ」
「……まさか」

ティアナとて、ここまで言われてその意図に気付かないほど鈍くはない。
つまりなのはは、兼一がその陶器であると言いたいのだ。
元は何の変哲もない土くれ。その土くれを名工の技で昇華させた存在が、白浜兼一であると。

「信じられない?」
「でも、だって……」

よほど信じ難い事実らしく、ティアナはまるであり得ないものを見たかのような反応だ。
画面越しに様子をうかがっていた面々も、隊長達を除けば信じられないと言わんばかり。

「まぁ、今の兼一さんしか知らないと無理もないのかな。となると、やっぱりこれしかないか」
「なんですか、それ?」
「新島さんがね、もしティアナが今の話を信じなかったらって言ってくれたんだけど……」

なのはは自身の前に一つのモニターを展開し、それを操作して一つのデータファイルを呼び出す。
それは、新島とジークが六課を立つ前に残して行った置き土産。
もしティアナが信じなかった時はこれを使えと言っていた物だ。

「あの人が…ですか?」

一応新島が今回の件に深く関与し、その意図を知ったティアナだが、相変わらず反感は根強い。
理性で理解はしていても感情が納得してくれないのだ。
そういう風な立ち振る舞いをしたのだから当然だが、なのはとしては苦笑するしかない。

「まぁまぁ、とりあえず見るだけ見てみようよ」

そうして、なのはは件のファイル…映像データを再生させる。
それがまさか、あの様な内容だったとは露知らず。



  *  *  *  *  *



場所は移って、兼一達が居座る部屋。
なのはが立ちあげたものと同様の映像がこちらでも再生され、皆は固唾をのんで見守る。

「全くあいつ、いったい何を置いて行ったんだ?」
「え? 師匠も知らないんですか?」
「というか、初耳なんだけどね……」

言っている間に、モニターに何かが映し出される。
それは、兼一にとっては良くも悪くも見慣れたもの。

『し~んぱぁ~く!!』

最初に出てきたのは、どっかで見た事があるようなマークに似ている新白連合のマーク。
ずいぶんと手の凝った作りに、一同揃って意味もなく「ほぉ」と感心したような声を漏らす。
が、その中にあって、兼一だけは僅かに顔色を変えた。
まるで、何か良くないものを見つけてしまったかのように。

「父様、どうしたの?」

何故かわからないが、途方もなく嫌な予感がする。
今すぐ自分はこれを止めなければならない。
その直感に突き動かされ、兼一はシャーリーへと要請する。

「シャーリーちゃん、コレ止めて! 今すぐ!」
「え、でも……」
「いいから早く!!」
「は、はい!」
『?』

訳がわからないまま、兼一の剣幕に押されてシャーリーは一時中断の操作をする。
皆は兼一が何を焦っているのか不思議な様子で首を傾げるが、すぐに異変に気付いた。

「あ、あれ?」
「どうしたの、シャーリー」
「それが、操作を受け付けなくて……」

本来なら決してあり得ない事態に、困惑を露わにするシャーリー。
仮にも情報畑の人間である彼女が操作を失敗するとも思えない。
ならば、そこには何か理由がある。
とそこへ、この場にいないある人物からの通信が入った。

「ん、はやてから?」
「あ、ヴィータ。ちょうええか、なんや突然モニターが開いてこんなんが流れ出したんやけど」
「って、おいおい。これって……」
「こちらで流しているものと、同じ内容の様ですね」

はやてが示したモニターには、なのは達が見ているものと同じ新白連合のCM。
その後も、同じ映像が突然現れ消せないと言う報告が六課の各所からもたらされる。
つまり、六課全体で同じ映像を共有していると言う事だ。
普通に考えて、そんな事はあり得ない。
ましてや、それが全く消すことも止める事も出来ないとなると……

「まさかこれって、ウイルス!?」
(アイツ、まだそんなものを作ってたのか……)

思えば、学生時代から特製ウイルスを使って闇の情報を入手していた新島だ。
故に、ウイルスを使う事自体は驚くに値しない。

だが、ここは地球とは比べ物にならない技術を誇る次元世界。
その中にあって最高水準のセキュリティを誇るであろう管理局相手にウイルスを仕込むとは……。
いや、盲点とも言えるポジションにいた以上、仕込む事は出来るだろう。
しかし、仕込んだ所で瞬く間の内にセキュリティに引っかかって弾かれる筈なのに……。

「どうにか駆除できないの、シャーリー?」
「それが、ウイルスを仕込まれたんだろうとは思うんですけど…一向にそれらしきものが見つからないんです!」

フェイトの問いに、シャーリーは忙しなくキーを叩きながら悲鳴交じりの声で答える。
最も怪しい新島からもらった映像データを解析しても、それらしきものは見つからない。
已む無く探索範囲を広げてはいるのだが、やはり結果は同じ。
見つかりさえすればやりようもあるだろうが、これでは手の打ちようがない。

「局のセキュリティの眼を掻い潜るって……んなもん、超一流のハッカーレベルだぞ。マジで何者だ、アイツ?」
「しかもこちらに来て日も浅いだろうに、どこでそんな技術を……」
「ほ、本当にユニークなお友達ですね、兼一さん」
「すみません! あのバカがホントすみません!!」

口々に驚愕を露わにする守護騎士たちに、兼一は激しく頭を下げる。
管理外世界出身で、こちらに来て日の浅い人間にあっさりセキュリティを破られるなど、管理局の沽券に関わる事態だ。ウイルスの性質が特定の機能の隔離と強制起動だけだから良い物の…もし情報を抜きとったりする類のものだったらと思うとゾッとする。
いや、今の段階でもかなり不味い状況ではあるのだが……とりあえず六課内だけで完結している事態なので、もみ消す事が出来ない事もないのが不幸中の幸いか。

そうしている間に、モニターの方ではようやく新白に関するCMが終わる。
続いて浮かび上がったのは…兼一にとってある意味最悪の悪夢。

「ねぇ、エリオ君。あれって……ミッド語だよね?」
「う、うん。えっと……『新白連合プレゼンツ 新白連合創成秘話 史上最強の弟子ケンイチ 予告編』?」

いまいち意味のわからないテロップに、首をかしげる年少者達。
だが、それを見た兼一の顔色が、かなり危険なレベルで青ざめる。
むしろ、ここまで来ると蒼白と言ってもいいかもしれない。

「ま、まさか…新島、お前ぇ……」
「師匠?」
「父様?」

そんな師と父の様子に、弟子と息子はとても心配そうだ。
が、やがて二人もそれどころではなくなる。
なぜなら、テロップが消えると同時に映し出される映像が、あまりにも衝撃的だったから。

まず映し出されたのは、極々平凡な学ランに身を包んだ二人組。
片や見る者によっては、あるいは、もしかすると、万が一ではあるが、それなりには整っているように見えない事もない顔立ちの、一見しただけでもわかる位気弱そうな少年。
その少年が、見るからに性格が悪そうなおかっぱ頭の怪人…と言うか、どう見ても兼一が新島に絡まれている。

「これって、もしかして……」
「あ、あばばばばばば……」
【彼の名は白浜兼一、当時16歳。またの名を……………………フヌケの兼一、略して『フヌケン』!!】
「ふ……」
「フヌ、ケン?」

なんの脈絡もなく、唐突に刺しこまれるナレーション。
いったいその呼び名にどう反応していいのかわからず、静かに復唱するスバルとギンガ。

とりあえず、あれは兼一で間違いないらしい。
しかし、いったいなぜこの男が「フヌケン」などと言う不名誉極まりない呼ばれ方をしているのか。
その理由は、すぐに明らかになる。

【あのさぁ新島、そのフヌケンって言うのやめてくれない?】
【ぬぁにぃ~!? ぬぁんだと~!!】

兼一の当然の抗議に対し、新島の反応は不穏その物。
それまで背を向けて何やら端末を弄っていた新島は突然振りかえり、兼一に攻撃を始めた。

【があ!! だまれえぃ! フヌケンの分際でええ!! 黙りおろう!!】
『ああ!?』
【フヌケの兼一!! 略してフヌケン! これは貴様の本名!! 貴様の正式名称!! それを使って何が悪い!! 生まれながらの名が、いつまでも通用すると思うなよ、クズ!!】
「み、見ないで! お願い、見ないで――――――――――!!」

倒れた兼一に対し、尚も蹴りを見舞う新島。
その暴挙に皆が呆然とする中、兼一は必死にモニターを消そうとする。
だが、如何に達人とは言え、空中に投影された実体無きモニターは破壊できない。
その拳も蹴りも、虚しく空を切るばかり。その間にも、モニターでは兼一の過去が赤裸々に映し出されていく。

【お前のデータを読んでやる!! 有り難く聞きやがれ!!】
【ぐぬぬ……】

偉そうに、だがどこか小物っぽく兼一を足蹴にする新島。
兼一はなんとか這い出そうとしているが、その手脚は虚しく床の上を滑るだけ。
皆の知る兼一なら、それは決してあり得ない筈の事態。
しかしそれが、確かな映像として映し出されている。
そんな兼一を嘲笑う様に、新島ははっきりきっぱりと彼への客観的評価を叩き付けた。

【白浜兼一……成績、中の下! 運動神経、中の下! ルックス、中! 体格、中の下! ケンカ指数、下!! 根性、下の下!! があ!! 総合評価E-!! ランク、虫けら級だ!!】

断言すると同時に見舞われる素人丸出しの蹴り。
だが、それを受けた兼一は滑稽なほど無様に地を転がった。

【ぐわーっ!!】
「む、虫けら……」
「ひでぇ言われようだな、おい……」

シャマルはあまりの評価に空いた口が塞がらず、ヴィータはその散々な言われように顔をひきつらせる。
この二人、曲がりなりにも友人の筈ではなかったか。
しかし、今見る限りにおいて…これではいじめっ子といじめられっ子そのものではないか。

【君の成績は僕以下じゃ……】
【黙れ虫!】
【ケンカだって弱いだろ!?】
【黙れカトンボ!】
【運動なんて……】
【まだ言うか! ばかちんがーっ!!】
【っ!!】
【俺はなぁ…俺にはなぁ……俺には、強い者に媚び諂う能力があるんだよぉぉぉぅ!!】
(さ、最低だぁ―――――――――――――――――――――――っ!?)

あまりにも堂々と言う物だから感心しそうになるが、言ってる内容はクズである。
しかも本人、それを全く恥じる様子がない。

【フッ、負け犬に言ってもわかるまい…お前、入学早々に空手部に入ったそうだな?
 イジメ対策と言ったところだろうが、やめておけ……。
 どうせ続きやしない! そしてまた中学の時の様にいじめられるさ。そう、お前はフヌケンなのだから……。
 これまでも……そして、これからもな!】
「お、終わった…なにもかも……」

これまで築き上げてきた、父としての、師としての威厳。
それが、砂上の楼閣の様に崩れ去る音を聞いた兼一は力なく膝を折る。
その様が、何よりも雄弁に今の映像が真実である事を教えてくれた。

皆は今知った真実をどう消化していいかわからず、また打ちひしがれた兼一にどう声をかけていいかわからず、ただただ呆然と立ち尽くす。一応兼一に才能がない事を知っていた隊長達もそれは変わらない。才能がない事は知っていても、こんな過去までは知らなかったのだから。

そして、兼一に次いでショックが大きいのが翔とギンガの弟子コンビ。
二人は、父と師の知られざる過去に目を白黒させている。
だが、映像はそれだけでは終わらない。

場面は移り、映し出されているのはどこかの道場。
先ほども思ったが、角度からするとどうも盗撮臭い。
やけに情報が速いとは思っていたが、どうやらこっそり学校中に監視カメラを設置していたらしい。
これは、その内の一つの記録と言うことか。

で、そこには複数の白い道着を身に付けた男たちがおり、それぞれ思い思いに稽古している。
しかし、その中にあって一点おかしな部分があった。
道場の中央。頭に防具をつけた細身の少年が、一方的になぶられる姿。

【いいぞ~! ぶっころせ~!!】
【ま、まいりました!!】
【うらーっ!】
【ぎゃ!!】

ギブアップを宣言しているにもかかわらず、構うことなく繰り出される前蹴り。
周りからは嘲笑と揶揄が当たり前の様に飛び交い、誰もが一様に性根の腐った笑みを浮かべている。

【次俺ね】
【ヒッヒッ、新しい必殺技試してみろよ!!】
【うぅ……ゲホゲホ…ま、待ってください! 今日こそちゃんと基礎を……】
【やかましい!! てめえみてーなチビのもやしが空手やったって、ぜってえー強くなんねーんだよ!!
『そこをなんとか入れてくれ』って言うから、入部させてやったんだ。
サンドバッグ役くれーやってもらわにゃ~】
「酷い……」

その後も繰り広げられる、練習の名目の下に行われるリンチ。
あまりに一方的で理不尽なその仕打ちに、誰もが汚物を見るような表情を浮かべる。
この場にいる者のほとんどは闘いの場に身を置く者。エリオやキャロでさえ、年は若く共それなりの腕を持っている。

だからこそわかる。はじめは信じ難かったが、あの兼一に武術の心得はない。
本当にずぶの素人で、そんな相手を曲がりなりにも格闘技を修めた者達がいたぶって喜んでいる。
武道の精神からは遠くかけ離れたその光景は、あまりにも度し難い。

【小学生の頃からいじめられ続ける事、約9年。いじめっ子から身を守ろうと、一念発起して空手部に入ったはいいが、結局これまで通りのいじめの日々。そんなある日、フヌケの兼一に運命の時が訪れる!】
【いいかい、白浜くぅ~ん! 前から言おうと思ってたんだけどさぁ~…俺はおめーみてぇな奴が、空手をやる事自体気にいらねぇんだ! 武術ってのは強者の世界なんだよ!! おめーみてえな軟弱者に、遊びでやってられるとあったまくんだよ!!】

その道の者たちからすれば、見せかけだけの駄肉としか言いようのない身体を誇示する男が兼一の胸倉を掴む。
皆の知る兼一なら、容易く一蹴できそうな相手。だが、当兼一の顔には明らかな怯えが浮かんでいる。

【そこでお願いなんだけどさ~っ……今日限りで空手部をやめろ。さもないとぶっ殺す!
 男と男の約束だよ! …………………………なっ!!?】
「武道家…いや、男の風上にもおけん奴だな」

力を背景にした恫喝に、シグナムは吐き捨てる様に言う。
それはみなも同じ想いらしく、一人打ちひしがれている兼一を除けば、誰もが険しい表情でモニターを見ていた。
いや、それは何もこの場にいる者達だけではない。六課全体に流されているこの映像を見た誰もが、思いは同じ。
とはいえ、同時に兼一はこのまま押し切られてしまうのではないかとも思う。
なぜならモニターに移る兼一の顔は……はじめから戦う事を放棄している「負け犬」の顔だったから。

しかし、流されるままに巨漢の手を握ろうとした兼一の瞳に、突如別の光が宿った。
兼一は寸での所で手を引き、巨漢の手は空振りに終わる。

【おい、なんの真似だコラ!?】
【つ、つまり僕が強ければ……空手やってもいいって事だよね?】
『ほぉ……』

その言葉に、どこからともなく感嘆の声が漏れる。
あそこまで精神的に不利な状態にありながら、それを言える者は中々いない。
そこには確かに、今の兼一に通じる意思の強さが垣間見えた。

【こうして白浜少年は、同学年の中でも指折りの問題児と退部を賭けて闘う破目になったのでした。
 その結果は…………………………本編を買ってのお楽しみ】
『ええ!?』

と、それまでの雰囲気を台無しにするナレーション。
その内容に嘘偽りはないらしく、これまでの事が嘘のようにバッサリと映像は途切れた。
代わりに映し出されたのは、全二十巻にも及ぶ『史上最強の弟子ケンイチ』とやらの告知。
もちろんしっかり値段は請求されるらしく、かなり高い。
そして、未だにたったいま見せられた情報を受け止めきれないギンガは、恐る恐る師に真偽を問おうとする。

「あの、師匠。今のは……」
「おのれ、新島ぁ―――――――――――――!!
 一度ならず…二度までも――――――――――!!
 よりにもよって、よりにもよって翔とギンガになんて物を見せるんだ――――――――!!」

だがそれよりも早く、ようやく復帰した兼一が爆発した。
それはまぁ、最悪の黒歴史とも言うべき物を一番知られたくなかった息子と弟子に知られてしまったのだ。
温厚な兼一とは言え、激怒して当然というもの。
とそこで、ティアナ達の方を映していた別モニターでなのはが先の映像を懐かしむ。

「うわぁ、なっつかし~。あれ、昔兼一さんの結婚式で流した奴だ」
『結婚式でアレを流したの!?』

それは、いったいどんな羞恥プレイなのか。
結婚式という人生の晴れ舞台。にもかかわらず、最も付き合いの長い悪友から送られたのは、祝辞でもなければ祝儀でもなく……過去の恥部の暴露映像。しかも、ほとんどいいとこなし。

美羽は一応あの頃の兼一を知っていたとはいえ、列席者の中には知らない者も多かった。例えば高町家とか。
あまりにも、あまりにも性質の悪い贈り物である。
ビデオレターだとしても、もう少しソフトに出来なかったのだろうか。

「父様、いじめられてたの?」
「っ!? し、翔! あ、あれは…その……」

可愛らしく首を傾げ昔の事を尋ねて来る息子に、兼一はしどろもどろになりながらあとずさる。
そこで兼一は、ようやく周りから視線が集中している事に気付く。

「み、みんな!?」
『……』

みな、あまりにも意外過ぎるその過去になんと言葉をかけていいかわからず、沈黙を保つ。
その沈黙がかえって兼一には辛いのだが、どうしようもない。
中でも、兼一にとってダメージが大きかったのは翔とギンガに知られてしまった事。

二人の目標として、立派な武術家としての自分であろうとしてきた兼一にとって、此度の事はその全てが水泡に帰した事を意味する。
いずれはばれる事だったかもしれないが、それでももう少しと思わずにはいられない。

しかし、時すでに遅し、と言う奴だ。
兼一は見るからに意気消沈したように肩を落として、暗い声音で愛弟子に問う。

「失望、させちゃったかな?」
「そ、そんな事!」

兼一の問いに、ギンガは必死に否定する。
確かに驚いたし、信じられない者を見た思いは今も同じ。
だがそれでも、今の兼一に対する憧れや尊敬の念は変わらない。
それは他の面々も同じらしい。が、それはそれとして兼一へのダメージが大きい事に変わりはない。

「父様、大丈夫?」
「うん、まぁ…ね。フ、フフ…フフフフフフフフ……」
「師匠が、壊れた……」
「ごめん、ちょっと一人にさせて。う…………………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

さすがに限界に達したのか、兼一は大粒の涙をこぼしながら走りだす。
その先には壁があったのだが、兼一はそんな事意に介すことなく壁を突き破って走り去って行った。

「まぁ、しばらく一人にさせてやろう」
「だな」
「そうね……」

兼一の心中を慮り、とりあえずその方針を他の面々に徹底する守護騎士たち。
とそこで、フェイトがある事に気付いた。

「ちょっと待って! みんな、これ……」
『え?』

彼女が指差す先には、映像が終わり黒一緒にとなった筈のモニター。
確かに消えた筈のモニターに再度明かりが灯り、また別の映像が映し出される。
そして、そこにはこう書かれていた。

「『おまけ』?」
「なんていうか……」
「無駄に凝ってるよね」
「はい……」

フェイトが読み上げたその内容に、何とも微妙な表情を浮かべる新人組。
だが、その間にも映像は進み、映し出されたのは古ぼけた道場。
そこには異様な雰囲気を放つ人影が計六つ。
その全てと面識のある翔が、全員の名を口にした。

「曾祖父様に、ひげのおじ様? それに逆鬼おじ様にしぐれ姉さま」
「アパチャイさんに剣星さんまで。ギンガ、もしかしてこの人達って……」
「はい。みなさん、師匠の先生たちです」
「この人達が……」
「兼一さんの、先生」

フェイトの問いにギンガが答えると、エリオとスバルが噛みしめるようにその意味を反芻する。
ギンガと翔、それになのはを除けば、アパチャイと剣星以外はみな直接の面識はない。
それでも、白浜兼一と言う武術家を育て上げたその顔ぶれに、何か感じるものがあったのだろう。
と、突如画面の外から耳に馴染んだ声が飛び込んできた。

【新島、お前カメラなんかもっていったいどういうつもりだ?】
【なに、気にすんな。ちょいと、記録を残しておこうと思ってよ】

先ほどまでのいじめっ子といじめられっ子の関係とはまるで違う、対等の口ぶりによる会話。
どうやら、この頃には今と同じかそれに近い関係になっていたようだ。
しかし、いったいこの二人の間で何があり、どうやって友情が育まれ今日に至ったのか、全く想像がつかない。

【記録?】
【ああ、お前の師匠達に聞きたい事があってな。
 ったく、でたらめなスピードで強くなりやがって。
 一応こういうもんを残しとかねぇと、信じねぇ奴も出て来るだろうからな】
【? 何を言ってるんだ、お前?】
【だから気にすんなって、すぐに終わる。
 さて、唐突ですが………………………こいつに才能ってあります?」
【ないよ(ね)!!】
『ハモった!?』

脈絡も何もない突然の質問に対し、間髪いれずに帰ってきたのはそんな答え。
考えるまでもない。悩む必要もないと言わんばかりの即答が計六つ。

【ぐっ…相も変わらずの即答ですか】
【おや、兼一くん。何か不服でも?】
【いえ、別に……】
【まぁ、兼ちゃんが気にするのも仕方がないのかのう。
確かに、兼ちゃんの友達はみんな才能豊かじゃ…兼ちゃんと違って】
【ぐはっ!?】
【確かにね。みんな元の素材が良いんだろーね…うちと違って】
【げふっ!?】

ボソリと呟かれた一言が槍となり、兼一の胸に突き刺さる。
口ではもう諦めているという口ぶりではあったが、こうしてはっきり言われるとまだダメージがあるらしい。
まぁ、普通はそうだろう。

【確かに兼一の奴、才能だけは自慢できねーからなぁ】
【そう言う言い方…やめ。事実でも】
【そうよ! それに兼一はちゃんと、やられる才能と努力する才能だけは豊かよ!】
【ぐわー! 毎日毎日弟子の命を脅かしておいて、他に言う事はないのか、師匠ども――――――――っ!!】
【だがね、兼一君。武術家として、自分の弱点を正しく理解することは大切だよ。
 いいかい、『才能がまるでない』それが君の弱点だ】
(も、元も子もない事を……)

嘘……ではないのだろう。
弟子を増長させない為に言っていると言う可能性もあるにはあるが、どうもそういう雰囲気ではない。
奇妙な話だが、いっそ兼一に「才能がない」事を楽しんでいる気配さえある。

【そもそも、僕の人生をどん底に突き落としてる原因の八割はあなた方にあるってわかってるんですか!?】
【ふっ、武術とはそういう物だよ、兼一君】
【それにあれじゃな、わしの若い頃のどん底に比べればまだまだじゃて】
【がははは、ちげーねー! 俺なんかもっとどん底だったぜ!】
【アパチャイ、もっともっとどん底だったよ!!】
【ま、いずれもっと底まで落ちるんだから、今のうちに落としてやるのが師匠心と言うものね】
【う…ん。遅かれ…早かれ】
【な、なんの救いもない……】

先の「予告編」とやらとこの「おまけ」を見ては、最早理解せざるを得ない。
武術と出会う前の、才能の片鱗すら感じられない兼一の立ち振る舞い。
そして、師匠達からは太鼓判まで押されていた事実。
白浜兼一には、本当に…………才能がなかったのだ。

【だがね、兼一くん。全く才能のない君が、今日まで生き残れたのはなぜだい?】
【……】
【確かに兼一、おめぇには才能がねぇ。だが、代わりに強い信念があるだろうが】
【そうね。それに良き友、良きライバルがいる。なら、それで充分ね】
【ま、あれじゃな。兼ちゃんは才能は残念じゃが、それ以外は恵まれとるっちゅうことじゃ】
【う…ん。そう悲観する…な】
【アッパッパ~♪】

これを聞いて、皆の胸に去来した感情はいかなるものか。
才能の差を努力と信念、良き友や良きライバル、そして師と共に乗り越えてきた男の存在。

苦難に満ちた茨の道の果ては…………確かにある。
ならば、白浜兼一という前例がいるのなら…その最果てに挑むことは無意味ではない。
それを、この映像を見た全員は確かに共有していた。

同時に、なのはと共に医務室にいた筈のティアナが、気付けば姿を消している。
その事に、皆が気付くのはもう少し後のことだった。



  *  *  *  *  *



「ハッハッハッハッハッハ……」

走る。走る。走る。
新島の置き土産であるあの映像を見た後、弾かれた様に医務室を飛びだしたティアナは、ひたすら六課の敷地内をかけずり回る。
焦りのあまり暴走する自分を案じ、なんとか力になろうとしてくれた彼を探して。

(…………謝らなくちゃ)

自分は、なんと浅はかだったのだろう。
彼の力を、彼の技術を、彼の道程を…その全てを「天才」という不適切極まりない言葉で断じてしまった。
本当は誰よりも自分の気持ちを理解してくれていたのに。それこそ、自分自身以上に。
なのにその言葉に耳を傾けず、その優しさを踏み躙ってしまった。

今なら、なのはの言った事の意味が分かる。
あの時は綺麗事の様に思えた言葉は、全て彼がその人生で見出した真実だった。
それこそ、自分の様な小娘が語るそれとは比較にならない重さが籠った言葉だったのだ。

だから、謝らないと。
なのはに言われたからではなく、けじめをつけなければならないから。

「ハァハァ、ハァ…………いた」

そうしてたどり着いたのは、訓練場からもほど近い海辺。
ようやく見つけた兼一は、一人体育座の形で不貞寝していた。

「新島の奴め…悪友でも友達だと思ってたのに……。
 よりにもよって、翔やギンガまで見せることはないじゃないか……。
 というか、それならそうとはじめからそう言っておけよな、ホントにもぉ~……。
 ばらすにしても、もう少しやり方ってものがあるだろうが……」

この場にいない悪友に向けて、兼一はぶつくさと不毛な文句を言い続ける。
その背中は驚くほど小さく、あの暴露にどれだけ兼一が傷ついたかを物語っていた。

ただ不謹慎かもしれないが、その姿にティアナはどこか親しみの様な物を覚える。
『この人にも恥ずかしい過去の一つや二つあって、いろんなコンプレックスを抱えているんだ』と。
どこか遥か遠い、自分とは別種の生き物のようにさえ思っていた人のそんな一面が、ティアナの中にあった蟠りをまた一つ溶解させる。

「ふんだ、ふんだ……土台、僕なんかがあの子たちの前だけでも理想的な人間でいようって言うのが無理なんだって言いたんだろ? え~、え~、わるぅございました。どーせ打たれ強さしか取りえのない凡人ですよーだ。
 もういーよ、どーせ無駄な努力だったんだよ。でも、少しくらい見栄を張ったっていいじゃないか、三十路前でも男の子だもん。男はいくつになってもカッコつけたい生き物なんですよーだ。
むりむり、あーむり。もー生きていけない。きっと二人とも失望したよ……」

というか、もう完全にヘタレてしまって立ち直れなくなってはいないだろうか。
爽やかな朝だと言うのに、今の兼一の周りだけはひたすら暗い。
ついでに、とことんネガティブな独り言は、全て口から抜け出たエクトプラズムの呟きだ。

正直、声をかけづらいにもほどがある。
かけづらいにもほどがあるのだが、声をかけない事には始まらないのも事実。
これだけ近くまでくればティアナの存在に気付きそうなものだが、今の兼一にその様子はない。
となれば、あとはティアナの方から動くしかないだろう。

「あの、兼一さん?」
「やぁ、ティアナちゃん」

ティアナが声をかけると、兼一に代わってエクトプラズムが返事をする。
最早、今の彼には体を起こす気力すらないらしい。

「………………………あの時は、ごめんなさい!」
「? ……まぁ、そんな所に立ってないでこっちに来て座りなよ」

いまいちティアナの謝罪の意味がわかっていないらしく、首をかしげながら手招きをするエクトプラズム。
ティアナははじめ近寄りがたいものを感じていたようで、僅かにためらいを見せる。
しかし、それでは意味がないと自らを叱咤すると、意を決して兼一の隣に腰を下ろした。
そうして、ティアナは改めてポツポツと自らの心中を吐露する。
というか、だらしなく身を横たえた男とその隣に折り目正しく緊張した様子で座る少女と言うのは、少しばかりシュールだ。

「この間は、すみませんでした。わざわざ声をかけてくれたのに……」
「いやぁ、でもあれは僕の言い方も悪かったし、こっちこそごめんね。ホントは『気付いていないだけで、少しずつでもちゃんと成長してるんだよ』って、言いたかったんだけどさ……」
「兼一さんも、不安になったりしたんですか?」

エクトプラズムの言葉に、ティアナは控えめに尋ねる。
自分と同じ不安を、努力で才能の差を覆したこの男も感じていたのだろうか。
それとも脇道に逸れることなく、自己の練磨に邁進していたのだろうか。
というか、エクトプラズムで会話するとは、変なところで器用な男である。

「うん、僕は覚えが悪くてね。いつも全然進歩してないんじゃないかって、不安だったよ」
「……」
「確かに、才能のない人間が『才能がある上に努力してる人』に追いつくのは生半可な事じゃない。
 不安になるのも当然だし、足が止まりそうになるのも仕方がない。だけどね、追いつくには立ち止まってる時間なんてないんだ。ただでさえ差が開きやすいんだからさ。
 なら、とにかく鍛えるしかないんだよ。不安も何も、全部抱えたままね。目標は、悩む脳と修業の脳を切り離せるようになる事かな。これなら悩みながらでも修業出来るから結構便利だよ」
「は、はぁ……」

聞いているとマルチタスクの一種の様な気がしないでもないが、ずいぶんと器用な話である。
何しろそれは、思考だけでなく感情も分割すると言う事。
どれほど優れたマルチタスクの使い手でも、そこまではっきりと線引きできるものではない。

だが、確かに自分にはそういう物が必要かもしれないとティアナは思う。
不安にかられ、つい歩みを止めてしまいそうになる自分には。

「僕達の道は山登りじゃないからね、登り続ければいつか頂上に辿り着くとは限らない。
 だから、ティアナちゃんが言う様に多少無茶なやり方も必要だ」
「……」
「師匠達からも『命懸けと言う諸刃の剣を使わなければある一線を越えられない』って言われて、しょっちゅう無茶な修業をさせられたものさ。でも、そのおかげで今の僕がある」

そんな兼一だからこそ、ティアナが無茶する事を止めようとは思わない。
自分程ではないにしても、ティアナが壁を越えるには似た様な無茶が必要になるだろうから。

「だけどね、安易に自分の身を危険にさらす事は、決して勇気じゃない。
 それは無茶でも無謀でもなく、ただの『自棄』だ。それを履き違えちゃいけない」
「……わかります。もう、私一人の問題じゃないんですもんね」

ティアナの言葉に、兼一は静かにうなずく。
ティアナが自棄になって無茶をすれば、まずその巻き添えとなるのがスバルだ。
彼女は、たとえ何があろうとティアナの味方であり続けるだろう。
だからこそティアナを一人にはしないし、最後までティアナと運命を共にしようとする。

自分一人だけならまだいい。だが、それで誰かを巻き添えにするなどティアナには許容できない。
ましてやそれが、かけがえのない親友となれば尚更だ。

いや、スバルだけではない。
ティアナが自滅して悲しむ人は、きっと少なくない。
大切な人を失う悲しみを知るからこそ、それを誰にも味あわせたくないと思う。
なら、自分は決してこの命を軽んじてはいけないのだ。

(昔は、一人だった筈なのにな……)

それは、訓練校に入って間もない頃にはなかった荷だ。
あの頃の自分なら、幾らでも命を投げ出す事が出来ただろうに。

今となっては、そんな事は出来ない。
しかし、自分の事を想ってくれる人がいると言うのは…温かかった。

叶えたい夢がある。失いたくない温もりがある。
その為に強くなろうと、ティアナは志を新たにする。

「兼一さん」
「ん?」
「これからも、ご指導ご鞭撻…よろしくお願いします」

おもむろに立ち上がったティアナは、兼一に向かって深々と頭を下げる。
白浜兼一の存在は、数々の不安やコンプレックスに惑ってきたティアナにとって標だ。
歩む道は違えども、才なき身で、祝福されぬ身で、一つの究極へと至った存在。
それを知ったティアナの内に、最早「努力しても届かないのではないか」という不安はない。
努力する価値と意味を証明し、体現する存在を知ったのだから。






おまけ

「ところで、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「どうしてアレと友達でいるんですか?」
「ああ、アレ?」
「そうです、アレ」

二人の語るアレとはだれの事か、考えるまでもない。
散在ティアナを追い詰め、かつては兼一をイジメていたあの男。
いったい、どうして兼一はアレの友人などやっているのだろう。
それだけは、本当に心の底から理解できない。

「だってあの人、兼一さんの事いじめてたんですよ。
 仕返ししてやろうとか思わなかったんですか?」
「ん~……正直、縁を切ろうと思った事は数えきれないかな。
 連合も元々はアイツが勝手に作ったものだったし、しょっちゅう人を利用してくれたしね」
「だったらなんで……!」

これだけは譲れないとばかりに兼一に詰め寄るティアナ。
まぁ、ティアナがそう言う反応をするのも無理はない。
アレだけ好き勝手言われ、色々と酷い事も言われたのだ。
現状において、ティアナの新島への印象が最悪なのは仕方がない。
仮に、全てがティアナの為の演技だったと教えたとしても、根本的な反感は消えないだろう。

そんなティアナの気持ちも理解できるだけに、兼一は答えに窮する。
正直、兼一としてもどうしてあの男との友人関係が続いてきたのか不思議に思う。
新島が縁を切らせなかったというのも大きいが、それだけではない。
アレは確かに救いようのない男だが、太陰大極図が示す思想の通り、完全な悪一色と言うわけでもないのだ。
が、その辺りを言葉にするのも中々に難しい。
仮に、「あれで案外良い所もある」と言ってもティアナは信じないだろうし、兼一自身どこか空々しいものを感じる。故に、返せたのはなんともはっきりとしない内容だけ。

「あ~…………………何でだろうね。成り行き…だけじゃないけど、何て言ったらいいか……」
「大体あの人、何様のつもりなんですか。人を一方的な価値観で分類するとか……」
「ああ、人類分類学ね。まぁ、確かにあれはねぇ……ん? そう言えば……」

と、兼一は突然自身の懐を探り始め、一つの携帯端末を引っ張り出す。
怪訝そうなティアナを余所に、兼一は端末を操作するとそれをティアナに渡した。

「見て見ると良い。僕が握ってる、あいつの数少ない弱みだよ」
「え?」

新島の弱みと言う言葉に、よほど興味を引かれたのだろう。
ティアナは食い入るように端末の画面を注視し、その内容に眼を通す。
そうして数分。全てに目を通し終えたティアナは言った。

「……すみません、読めないんですけど」
「あ、ごめん」

そう言えば、内容はすべて日本語だった。
ティアナに日本語の文章を読解する知識などない。
と言うか、専門家や現地に住んだこともないのに管理外世界の言語に精通している方があり得ないのだ。
その意味では、これは兼一の不注意と言う奴だろう。
なので、端末を返してもらった兼一は、ティアナにもわかる通りその内容を音読してやる。

「ん、『前から言っておこうと思っていたが、お前には驚かされてばかりだ。
 今まで俺様は、人間には生まれ持った分ってもんがあると信じてきた。
 いじめられっ子はなるべくしていじめられっ子になる…人の上に立つ人間、人に顎で使われる人間、これらは全て生まれ持っての分によって決まると……』」

それは、いつぞや新島がティアナに語って聞かせた彼の持論。
ティアナにとっては到底受け入れられない思想であり、同時に抱き続けてきた不安を射抜くものでもあった。

だが、今となっては心が揺さぶられる事もない。
その階級を覆した人間が、今彼女の目の前にいるからだろうか。

しかし、そこでティアナは気付く。
白浜兼一と言う、隔たりを覆した男の存在を、新島はティアナ以上に知っている事に。
ならばなぜ、この男はこんな思想を持っているのだろうか。

「『だが、お前の存在がこの考えを大きく揺るがしてしまった。
 お前は俺様が研究している人類分類学上の虫けら人間に属する奴だった。
 しかしお前は今、カリスマ人間にまでその地位を高めようとしている。その呆れた努力と根性によってな』」

そう。ティアナが気付いた様に、新島もまたその格付けが絶対出ない事を兼一によって知ったのだ。
だが覆された持論を受け入れ、同時に興味を抱いた。
その革命は、兼一以外にも起こりうるのかと。

ならば、新島がティアナの件に手を貸したのは必然だったのかもしれない。
ティアナもまた、かつて兼一が起こしたような革命を目指す者。
彼にとっては、格好の観察対象だろうから。
何しろ新白連合自体、その為の実験場としての側面がある。

「『その時、俺様には一つの壮大な夢が浮かんだんだ……いつかお前を中心に武術の総合団体を旗揚げし、世の中の虫けら人間たちがどこまで変化できるのか、実験場にしようと……』とまぁ、こういう内容だね」
「じゃ、新白連合って……」
「野心とかがないわけじゃないだろうけど、根本はここなんだろうね。
 といっても、これを知ってるのは連合でも本当にごく一部だけど」

武田などの隊長達は…………知っていただろうか?
あえて話題に上げる必要もないと兼一も特に話した覚えがないので、もしかすると知らないかもしれない。

「でも、これのどこが弱みなんですか?」
「新島はね、死んでも自分の策を人にばらすような奴じゃないんだ。
 そのあいつが、どんな事情があったにせよこうして自分の策を漏らしたんだよ?
 アイツからすれば、一生ものの不覚だろうね」

他者からすればそのいったいどこが弱みなのか理解できないが、新島のプライドの問題なのだろう。
漏らしてしまった秘中の秘とも言える策。
その事実こそが策士としての彼にとっては弱みなのだ。

「なら、それを使って優位に立とうとか思わないんですか?」
「アイツと違って僕にはこれぐらいしか手札がないからね。いざという時の為にとってあるんだよ」

ティアナの問いに、兼一は微苦笑を浮かべながら答える。
だがティアナには、兼一がそのカードを切る気がないように思えた。

必要ないから……ではないだろう。
あの悪魔と付き合っていく以上、手札などいくらあっても足りはしない。
ではいったい、どんな理由で……。

(ホント、変な関係……)

ティアナには到底理解できないその形に、彼女は小さくため息をつく。
理解できないのは若さからか、それともそんなものとは無関係にこの二人の関係が奇怪なのか。
そのどちらなのかの判断すらできない程、ティアナには二人の関係が奇異に映るのだった。






あとがき

さて、連続投稿の2話目もこれでお終いです。
同時に、これにてStsも前半戦が終了、ようやく折り返しです。
まぁ、話数的には違うんでしょうが、気持ち的に。

しかし、兼一と新島の関係ってつくづく不思議。
はじめのうちはいじめっ子といじめられっ子、新白ができる前後は利用する者とされる者だった筈なのでしょうが、話しが進むにつれてそれだけでは収まらないものがあるんですよね。
他の面々は割とシンプルな関係なのですが、この二人の間にある物だけは良く分かりません。
なので、わからないものはわからないままが良い場合もある、という風に締めさせていただきました。

はてさて、次回は日常編をやって、それからいよいよヴィヴィオかな?
正直、ヴィヴィオをなのはの養子にせず、いっそ白浜家に放り込むと言う案もあるのですが……どうしよう?
それはそれでやるとしたらvivid編とかが面白いそうなんですけど、ヴィヴィオが大変そうなのが……。

とりあえず今回の話で悔いがあるとすれば、一番はジークですかね。
丁度いい出演理由もあったので出しましたが、やはり扱いが難しい。というか、描写が大変。
あのキャラを掴んで表現するのは至難の業ですね。
正直、完全に満足がいく形に出来なかったのは不完全燃焼だったかも……。

あとはシグナムの鉄拳制裁を扱いかねたので、理由をつけてカットした事かな?
前回でティアナは一応噛みついたので、二度やるのもどうかと思った結果でもありました。



[25730] BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:41

ホテル・アグスタでの任務から端を発した騒動が終結して数日。
宇宙人が襲来したり、そのお付きが兼一と派手に暴れたり、ティアナが暴走したり、でもスバルと一緒に一皮むけたり、それに触発されたギンガや年少組が奮起したり、黒歴史を白日のもとに晒された兼一が鬱になったりと色々あったが、とりあえず事なきを得たのも記憶に新しい。
アレからしばらくは兼一が凹みっぱなしだったのは……まぁ、余談だろう。

では、今の機動六課は通常体制に戻ったのか。
もう何の問題もなく、至って順風満帆なのかと言うと…………………案外、そうでもない。

「あれ、シャーリー?」
「ああ、リイン曹長」

ふわふわと浮かびながら廊下を移動していたちんまい上司は、訓練場を望む窓の辺りでシャーリーと出くわす。
彼女の手には情報端末と思しきものが握られ、リインは僅かに首をかしげる。

「お出かけですか?」
「あ、いえ、みんなセカンドモードでの訓練も始まりましたし、ちょっと様子を見ようと思って」

これから訓練場に向かう所、という事か。
本格的なデバイスのリミッターを外し、セカンドモードに重点を置いての訓練はまだ先だが、試運転がてら慣れるために使い始めた所だ。
新しいモードと言う事で、まだまだそれぞれに合わせての調整が必要らしい。

「そうですか。御苦労さまで……」
『きょわぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁあぁぁ!!』
「ぁ、悲鳴……」

遥か彼方、訓練場より響くどこか切迫した印象を受ける悲鳴が。
誰のものかなど考えるまでもない。なんでそんな事になっているかなど論ずるに値しない。
こんなもの、ここ数日で嫌という程聞きなれた日常のBGMも同然なのだから。

「なんか、最近多いですね」
「本当にです……」

回数が、と言うよりも種類が。
以前は一つ、多くて二つ程度だったのが、最近は多い時には五つか六つ。
早い話、新人四人も悲鳴を上げるような訓練に参加していると言う事だ。
以前はいくつかの武術への対策訓練だけだったのが、本格的に兼一が関与し出している事が原因である。
とはいえ今日は三つなので、まだ少ない方だが。

「兼一さんが例のアレの憂さ晴らしにきつくしてるって噂、どう思います?」
「ええっと……」

そんな物は根も葉もない噂なのだが、絶対にないと言いきれないと思ってしまうリイン。
なにしろ、あの時の兼一の凹みっぷりと言ったら……。
アレを知る身としては、もしかしたら本当かも知れないと思ってしまうのである、大変失礼な話だが。

「みんな、死んでないと良いのですが……」
「ま、まぁ、兼一さん優しいですし」
「ギンガは『修業では人が変わる』と言ってたですよ?」
「……」

一番弟子の経験に基づくコメントは……………とてもリアルだった。
幼い頃に虐待された人間は、子どもを持った時に同じように虐待に及ぶ事があるとか。
つまり、自分自身が身をもって経験した事を基準にしてしまうのが、人と言う生き物なのだろう。
その論理でいくと、なのは曰く同じような…あるいはそれ以上の修業をしていた兼一がアレくらいやってしまうのも、ある意味納得がいく様ないかない様な……。

「で、でもあの(怪しげな)薬もありますし!」
「それはむしろ、死ぬ事すらできないと言う事ですよ?」
「「……………………」」

あまりに悲しい現実に俯くシャーリーと、自分で言っておいて黙りこむリイン。
なんというか、それはあまりにも救いがなさすぎではないか。
が、それが現実なのである。

「……………成仏してね」
「……………成仏してくださいです」

やがて、二人は訓練場の方を向いて手を合わせる。
せめて安らかに、そんな事を想っていたのかもしれない。



BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」



四方八方から自身目掛けて襲い来る礫の雨霰。
それらを死にもの狂いで撃ち落としていたティアナだが、徐々に涙目になっていく。

無理もない。一つ一つは直径1cmもない小石だが、その破壊力は甚大。
何しろ、まともに受ければバリアジャケットを貫通する程だ。
当然、受けると大変痛い事は、幾度となく受けて真っ赤になったおでこが教えてくれる。
だが、そんな奮戦も長くは続かない。いくら耐えても終わらない苦行の果て、彼女の中で何かが切れた。

「ぐわぁぁぁぁぁ!? いっそ殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ほら、叫んでないで心を落ち着けなさい! 明鏡止水だ!!」
「そんな無茶な…うきゃ!?」

叫んでいる隙に、誘導弾の防御網を掻い潜った礫が額に突き刺さる。
いったいどんな威力が秘められていたのか、ティアナは直立したまま丹田を中心に後方宙返り。
気付いた時には、彼女の視界には青い空が広がっていた。

(ああ、なんでこんな事に……)

兼一の訓練が解禁になったと聞いた時は喜び勇んだのも今は昔。
今更なのはの訓練に不満があったわけではないが、それでも彼女と違って兼一は無茶推奨派。
更なるレベルアップの為それも必要な事はなのはも渋々認める所だし、何より兼一はある意味無茶のスペシャリスト。この間の様な失敗をしない為にも、彼の指導はありがたいと思っていた。

思っていた、過去形だ。
では、今はどう思っているのかと言うと……

(後悔してるに決まってるじゃいの!!)

はっきり言おう、無茶と言う物を甘く見ていた。
自分がやっていた事など、無茶の第一段階に過ぎなかったのだ。
真の無茶は、先に繋がる無謀は…………………地獄だった。
なんでギンガが時折脱走を計画していたのか、その意味をようやくティアナは理解する。
それどころか、今となっては率先してギンガに協力したい気持ちでいっぱいだ。

(兄さん、私も逃げちゃっていいかな?)

一瞬、空に死んだ兄の無駄に爽やかな笑顔を垣間見る。
その兄はこう言った…………「達人からは逃げられない。だから、一思いに死んでしまった方が楽になるぞ」と。
以前のティアナなら絶対に突っぱねただろう甘い(?)誘惑だが、今は無理。
正直、どんな形でもいいから楽になれるのならさっさと楽になりたい。
だが、この相手はそんな「死んで楽になる」何て事を許してくれるような相手ではない。

「さあ、寝てる暇はないよ!!」

叱咤と共に、黒い影に青い空が覆い隠される。
その正体はティアナの身の丈ほどもある巨石。
もう身動き一つできないと思っていたが、命の危機に本能が勝手に身体を動かし地を転がってそれを回避。
染み着いた動作に従い跳ねるように起き上がると、そこには全方位から襲い掛かる礫。

「ぬぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ!! もうどうにでもなれ――――――――――っ!!」
「ははは、その調子その調子。よし、ドンドン行こう」

やけっぱちになり、再度魔力弾を放つティアナ。
その周りでは兼一が手に小石を握り、至る所から親指で小石を弾いて飛ばしてくる。

たかが指で弾いただけと侮るなかれ。
バリアジャケット抜きで受ければ、頭がトマトになる事間違いなしの威力がある。
はっきり言って、下手なマグナム弾よりよほど恐ろしい。
ホント、たかが小石が致命傷クラスの速度で飛んでくるのはトラウマ物だ。
挙句の果てに、なんか兼一が何人もいる気がするのだが……。

(違う! アレは単に速過ぎて錯覚してるだけ! 断じて分身なんかじゃない!)

途轍もないスピードでしょっちゅう視界の中を出たり消えたりしているのだと、堅く信じるティアナ。
というか、そう思ってないと色々やってられないのだ。
魔法抜きの体術で分身とか、もう理解の外にも程があるのだろう。
だが、もし兼一にその辺りを可能かどうか聞けば……

「気当たりの扱いに長けた人ならできるよ。僕も一人か二人くらいならなんとか」

と言う答えが返ってきただろうが、ティアナにそれを聞く心の準備はまだできていない。
幻術魔法の使い手として、そこは譲れないのだ。いずれ譲る事になるとしても、今はまだ。

ちなみに中国拳法の一派、少林拳に「指弾」と言う技法がある。
これは指の力で弾を弾くと言う物なのだが、実を言うと兼一がやっている事とは微妙に違う。
兼一は手にいくつかの弾を握り、それを人差し指を曲げて作ったくぼみに乗せ、親指で弾いている。
このやり方は弾の再装填がしやすいのだが、実は本来の「指弾」とは別物なのだ。

本来の指弾は、人差し指と薬指で弾を挟み、中指を使いデコピンの要領で弾きと言う物。
これは中指の方が親指より長く、瞬間的な力に優れているからだとか。
まぁ早い話が、威力では劣るが連射のできる親指(マグナム)と、単発式だが威力で勝る中指(ライフル)と言ったところなのだろう。で、この場合はとにかく数が重要なので、親指を使っていると言う事だ。
以上、余談終了。



ところで、ティアナだけでなく他の面々にも視点を移そう。
まぁ、いまは兼一が組んだメニューの時間なので、どこも似たり寄ったりだが。

「うわぁぁぁぁっぁぁ! も、もうダメ―――――――!!」

『ドガン! ドガン!』と、周囲に響き渡る重い打撃音と共に、スバルが悲鳴を上げる。
その胴体と四肢から頑丈そうな革のベルトが背後へと伸び、巨大な鉄板へと繋がっていた。
どうやら、鉄板の方へ向けてベルトが強く引かれる構造らしい。
その状態で、スバルは前へ前へと進みながら正面にある板を殴る。
スバルの移動手段は主にマッハキャリバーなので、それに合わせて足元はベルトコンベア状態になっているが。
おかげで、思い切りマッハキャリバーを走らせてもそれに合わせて足元が回転し、ほとんど前に進めない。

突進力と突きの威力を上げる、そういう訓練器具なのだろう。
ただし、もちろんただの訓練器具ではない。
なにせ、スバルが引っ張られている鉄板からは「バチバチ!」とかなりヤバい音がしている。

「ほら、スバル! 少しずつ後ろに下がってきてるよ! もっと早く前にいかないと!」
「もう痺れるのはイヤ――――――――――――――――――――――っ!?」

なのはの叱咤に、スバルははっきりと涙を流してイヤイヤと首を振る。
それも当然。何しろこの訓練器具、突進力と突きの威力を上げる“だけ”のものではない。
同時に精神力もまた鍛えると言う、『梁山泊のドラえもん』こと岬越寺秋雨作の一度で3度おいしいお得な素敵発明なのである。
具体的には常に後ろから強く引かれ、少しでも全身を怠ると鉄板の電撃がカツを入れる仕組みなのだ。
しかも、その電力自体は使用者発電なので電気代は一切かからないスグレもの。

さらにさらに、これを受け続ければ必然的に電撃への耐性もつく。
魔力変換の中には電気もあるので、耐性があると大変便利なのだ。

「イヤなら早く進まないと」
「行けるんなら行ってますよ!? 心配してくれるなら止めてくれてもいいじゃないですか!
 私、ただでさえ電気苦手なのに!?」

体質的な諸事情から、スバルやギンガの体は大変電気を通しやすい。
それとこれにどんな因果関係があるかは不明だが、スバルは体が痺れるあの感覚がとても苦手なようだ。
ついでに言うと、これまた体質的な事情から沈みやすいのだが、泳ぎは苦手ではないらしい。不思議な事に。

「いや、私も止めたいのは山々なんだけど、スバルのそれってフェイトちゃんとかエリオ相手には凄い弱点でしょ? 今のうちに克服しておいた方がいいと思うんだ」
「なんのかんの言ってもやっぱりなのはさんって…兼一さんの同類ですよね!!」
「む、それはさすがに失礼なの。私はあそこまでじゃないもん。そんな失礼なこと言う子には……出力アーップ!」
「そう言う所が同類だって……あ、ダメ! ホント、ホントもう限界なんで…きゃあぁあぁぁぁ!?」
「頑張ってスバル。これも、可愛い教え子の為の愛の鞭なんだよ」

目尻に浮かぶ涙を拭いながら、なのははスバルに想いを告げる。
しかし、今まさに電撃を浴びているスバルには届かない。
まぁ、届いた所でなにがどうという事でもないのだが。
何しろ、現在進行形で愉快な叫び声を上げているのだから。

「ア”~ビバビバ!!」
「は~い、気を抜いちゃダメだよ。良く反省して、もう一回行ってみようか」
「お、お助け―――――――――――っ!?」

と叫んでみたところで、助けが入る筈もなし。
スバルの叫びは、虚しく蒼穹へと消えていくのであった。

「お~お~、あっちも飛ばしてんなぁ。なら、こっちも手を抜く訳にゃいかねぇか。
つーわけで、あたしもそろそろ始めてぇんだけどよ」
「っ!? だ、ダメ! ダメだよ、ヴィータ! そんな事しちゃダメ!」
「「ふぇ、フェイトさん……」」
「大丈夫だよ。二人は、ちゃんと守るから」
「あのなぁ……」

被保護者(エリオ&キャロ)を庇いながら、子を守る親犬の様に立ちふさがるフェイト。
そんなフェイトに、ヴィータはどこかうんざりした顔で頭をかく。
当の本人達も困り顔なのに、一人で勝手にクライマックスな雰囲気を醸し出す上官には頭が痛いのだろう。
子煩悩なのは知っているが、別に危害を加えようとしているわけではないのに。
いや、危害と言うか危険と言うか…そう言うのが全くないと言えば嘘になるのは否定しないが……。

「いい加減少し子離れしろってのに、これじゃ訓練になんねぇだろうが!」
「だ、だって二人ともまだ10歳の子供なんだよ!」
「その頃にはなのはと派手にドンパチやってたお前が言うか?」
「で、でもぉ~……」

ヴィータの正論に涙目になるフェイト。
彼女もわかってはいるのだ。ここで何をした所で、それは二人の為にならない事くらい。
しかし、理性では分かっていても心が拒否する。なにしろ……

「ヴィータの言ってる事はわかるよ」
「だったら……」
「でも…でも、“あんな”のまだ二人には早すぎるよ!!」

叫んで、フェイトが指し示したのはちょっと…だいぶ頭のいかれた訓練器具。
『どこの古代遺跡だ!』と言わんばかりに宙から吊り下げられる刃物の数々。
『ブン! ブン!』と風を裂きながら揺れるその合間を縫って光弾を発射するスフィアが設置されている。
以前の回避アクション訓練の発展なのは分かるが、いきなり飛躍し過ぎにも程があるだろう。
それに関してはヴィータも同感なのか、その表情には戸惑いが見て取れる。

「いや、あたしもそう思わねぇでもねぇんだが……」
「ほら! ほらぁ!」

畳みかける隙を見つけ、「それ見た事か」と言わんばかりのフェイト。
だが、意外にも敵は彼女の後ろにいた。

「あの、フェイトさん!」
「私達だって、いつまでも守られてばっかりじゃないんですから……」
(ガ―――――――――ンッ!?)
「あ、石化した」

キャロの一言と共に、「ブルー○ス、お前もか!?」な感じにフェイトの背後で雷鳴が轟く。
まさか、まさか守ろうとしていた二人にそんな事を言われるとは思わなかったのだろう。
フェイトはこの世の終わりとばかりに凍りつく。

「ふぇ、フェイトさん!?」
「ふ、ふふふふふふ…そうだよね、二人ももう10歳だもんね。
 思春期に入り始める頃だし、こんなのは鬱陶しいだけだよね。ごめんね、こんな重い女で……」
「し、しっかりしてください! べ、別に僕達、そんなつもりじゃ!」
「ったく、面倒臭ぇ奴だな……もういい。ほら、始めるぞ」
「「は、はい……」」

言ってもいない事で勝手に凹むフェイトを余所に、いい加減付き合うのが面倒臭くなったヴィータは二人を促す。
しかし、やや遅れてそれに気付いたフェイトは、錯乱しているのか妙な事を口走り始める。

「え、エリオが………キャロが大ピンチ……。二人を………二人を守らなきゃ……」

その手に現れるのは起動形態のバルディッシュ。
フェイトは震える手でその柄を掴み、虚ろな瞳でヴィータを見る。
その瞬間、ヴィータの背に壮絶な悪寒が走った。

「な、なんだぁ!?」
「……バルディッシュ!!!」
《s,sir?》
「おま、フェイト何を…っおわ!? いきなり何しやがる!?」

ヴィータの頭を傍らん勢いで振り下ろされるバルディッシュだが、寸で気付いたヴィータはなんとかそれを防ぐ。
本来、フェイトとヴィータなら体格では劣るもヴィータの方がパワーでは勝っている。
故にフェイトを押し返す位彼女なら可能な筈なのだが、幾ら力を込めてもそれができない。

いったいどこからこんなパワーがと不思議に思うヴィータだが、その顔が徐々に青くなる。
体勢的に下からフェイトの表情をうかがう形になったのだが、フェイトの顔は俯いていてよく見えない。
だが、それが逆に怖い。前髪で隠れた紅玉の瞳が、髪の毛の隙間からどんよりとした輝きを放つ。
僅かに垣間見える表情は虚ろで、どこか病的な笑みが浮かんでいた。

「フ、フフフフフフフフ……」
「おい、大丈夫か? 主に頭の方なんだけどよ」
「そうだよ、簡単な事なんだ。ここで…………ヴィータの息の根を止めちゃえばよかったんだよ」
「怖ぇ事を呟くな!!」
「ううん、それどころか世界に私達だけになっちゃえば……」
(うっわ…こいつ、もう色々ダメだ……)

そんな感じにヴィータがフェイトの人間性を諦めた所で、フェイトが動く。
ヴィータを、そして世界から自分達(範囲は不明)以外を排除する為に。

脈絡もなく繰り広げられる無駄に高度なバトル。
それを前に、エリオとキャロは途方に暮れていた。

「ど、どうしようエリオ君?」
「ど、どうしようって聞かれても……」

むしろ、どうしたらいいのか教えてほしいのは彼の方だったかもしれない。
とそこへ、皆の様子を見に来たらしいヴァイスが姿を現す。
その隣には……………………ジークが来て以来、良く回る様になった翔も一緒だ。
ついでに、ジークに貰ったオカリナを吹いているが……音が外れているので妙な事になっている。
というか、緊張感に欠けること甚だしい。

「おい、ありゃ一体どういう事だ?」
「「ヴァイス陸曹……」」
「ぷぴ~♪」
((気にしたら負け! 気にしたら負け!!))

精一杯の自制心を動員して翔が回っている事は見ていない事にし、二人はヴァイスに事のあらましを説明する。
話が進むにつれヴァイスの顔がなんとも言えないものになっていくのは…………当然だろう。
その間にも、上空ではフェイトとヴィータのバトルが規模を広げていく。
はじめはフェイトを抑え込むつもりだったヴィータにも、どうやら余裕はないらしい。
所々で「いい加減にしろ、この親バカ!?」「ああもう、面倒臭ぇ! ぶっ潰しちまえ!!」という具合に、本気で叩き潰しに行っている様な怒声が聴こえるのは気のせいにしておきたい。

「なんじゃそりゃ……」
「キレ~♪」
「翔、そんな呑気な……」
「私、今だけは翔が羨ましい」

飛び交う金と赤の光は確かに綺麗だが、それに感想を述べる気には3人はどうしてもなれない。
というか、いい加減ホントにこれはどうしたらいいのだろうか。

「いや、どうもしようがねぇだろ、ありゃ」
「でも……」
「じゃあ、聞くがよ。お前ら、アレ止められるか?」
「無理です」
「だろ?」

確かにヴァイスの言う通り、今更アレを止められるとは思わない。
フェイトの暴走は加速する一方だし、ヴィータはヴィータで当初の目的を忘れている気がチラホラ。
あんな所に飛び込んでも、巻き添えを食って5秒と経たずに撃墜されるのが落ちだろう。

「それなら、見てたらどうかな? 見るのも修業だって、父様言ってたし」
「「「…………………………じゃあ、その方向で」」」

最終的には翔の案が可決され、4人は特に手も口も出さずに二人のバトルを観戦する。
間違いなく勉強にはなったのだが、どこかエリオとキャロは尊敬する保護者の弾けっぷりに、なぜか虚しい気持ちになるのであった。

とまぁ、新人達はこんな具合にそれぞれ訓練に励んでいる。
では、4人よりも幾分先を行くギンガはどうしているのか。

以前より兼一にかかりっきりで指導を受けていたギンガだが、彼女は今、兼一以外との訓練に費やす時間が増えている。
とはいえ、内容そのものは兼一からの要請によるもの。
丁度いい具合に兼一の求める修業にうってつけの人がいたのだ。

「し、シグナム副隊長! ちょ、ちょっと待って!」
「実戦で待ったはないぞ、ギンガ!!」
「あたっ!?」

ギンガの頭に振り下ろされる、魔力によって構成された刃。
衝突と同時に魔力刃は粉々に砕け散るが、シグナムが構えると再度魔力刃が現れる。

ただし、衝突と同時に砕けた事からもわかる通り、その強度はガラス並みに脆い。
元々、シグナムはこの手の魔法が苦手だ。愛剣であるレヴァンティンに魔力を注ぎ、自身の身体能力を強化し、真っ向から斬りかかるのが基本スタイル。
その彼女に、本来なら魔力刃を出力してどうこうと言うのは向かない。
が、それが良い。

「そら、ちゃんと手で捌け! 実戦ならヒラキになっているぞ!」
「そ、そんな美味しそうなものにはなりたくありません!!」
「イヤなら捌け! 出来なくても捌け! とにかく捌け!」
「んな無茶なぁ――――――――っ!?」

次々と斬りかかられては、同じだけ粉々になるの繰り返し。
しかしもし真剣や頑丈な鈍器だったら、今頃ギンガは切り身か餅の様になっていただろう。

それこそが、脆い位の魔力刃がちょうどいいと言う理由だ。
同時に、その脆さが刃の危うさの代わりにもなる。
つまり、捌き切れずに砕けた時は、真剣なら斬られていたと言う事。

これはかつて兼一もやった、対武器戦の技の修業だ。
当時は蛍光灯を使ったが、アレは砕けると一々掃除が面倒。下手に取りこぼしがあると事故や怪我の元だ。
その点、魔力刃は一度砕ければ魔力に返って跡形も残らない。
掃除の手間が省け、破片で怪我をする心配もない優れ物なのである。

「で、でもなんでいきなり対武器戦? アノニマートの事を考えるなら……!」
「しゃべってる暇があるなら捌かんか!!」
「うきゃぁぁぁぁっぁあぁぁぁ!?」
「まぁ、ギンガの言う事も一理ある。だが、前回の事であちら側にも相応の人員がいる事がわかった。
 場合によっては、武器を使う者もいるだろう。とまぁ、そういうわけ……だ!」
「おぶ!?」

シグナムの刺突が入り、体がくの字に折れ曲がる。
しかし、確かにそれなら対武器戦も視野に入れた修業が必要だろう。

とはいえ、相手は歴戦の古代ベルカの騎士。幾らリミッター付きとは言え、それが情け容赦なく斬りかかってくるのだ。普通なら命がいくつあっても足りはしない。
そんな弱気がギンガの胸中に滲みだすと同時に、ふっと一つのイメージが脳裏をよぎった。
それは、先日辛うじて退ける事が出来た、自身と同等以上の力量を持つ男の軽薄過ぎる笑顔。

『え~、こんなこともできないの? こんなの簡単にできるのにねぇ~? ふっしぎ~。
 あ、ごっめ~ん。別にできないからってバカにする気はないんだ。 うん、ホントだよ?
 人それぞれペースってものがあるしね。僕は先に行くけど、自分のペースで頑張って♪ ファイト、オー!!』
(…………………………………ムカッ)

実際に本人からそんな事を言われた事がある訳ではないが、なんとなくナチュラルに見下された気がした。
そして、その腹立たしい事といったらない。
気付けば、ギンガの胸中では対抗心という名の炎が燃え上がり、弱気の影は払拭されていた。

「シグナム副隊長!!」
「む? なんだ、言っておくが緩くやったのでは修業にならんぞ」
「いえ、もっとじゃんじゃんお願いします!」
「良く分からんが……良い目になったな。よかろう!!」

何故突然ギンガの意欲が増したのかは、無論シグナムにはわからない。
だが、それでもギンガの眼に強い意志の光が灯っているのは確か。
これに答えねば、「烈火の将」の名が廃る。故に、自然、剣を振るうシグナムの腕にも力が籠っていく。

いみじくも、ギンガの心に火を灯したのは、かつてシグナムが「ギンガに足りない物」として挙げた存在によるもの。即ち、己の殻を破る棘、ライバルの存在である。
『負けたくない』『負けられない』、そう一人の武術家として思える相手に、ギンガは出会ったのだ。

先日の勝負、形の上では確かにギンガの勝利。
しかし、当のギンガにとっては決して納得のいく勝利ではなかった。
勝負を決めた一打を入れた実感は乏しく、どこか夢の中の出来事のよう。
また、アノニマートもまた何か奥の手を秘めている様子だった。

もしあの時それを使われていれば、負けていたのは自分だった。
その確信があるからこそ、修業へと臨む心にも熱が籠る。

(彼も今頃腕を磨いている筈。立ち止まっている時間なんて、ない!!)

この場にいないライバルを強く意識し、対抗心がメラメラと燃え上がる。
とはいえ、幾ら奮起した所で、やはり無茶な物は無茶な訳で。
御蔭で、実戦なら一日でかるく百回は死んでいるのではないかと思う程、ギンガは叩きのめされるのであった。



  *  *  *  *  *



「じゃ、午前はここまで。お昼を食べて事務仕事が終わったら、また訓練場に集合ね」
「「は、はい」」

なのはの指示に、戸惑いがちに答えるエリオとキャロ。
二人はチラチラと横に視線を向けながら、苦笑いを浮かべている。
なのはもその気持ちは分かるのか、曖昧な表情でそちらを見た。

『……………………』

屍の様に倒れ伏すティアナとスバル、それにギンガ……の他に、なぜかヴィータとフェイトもいた。
前者の三人は訓練で徹底的に叩きのめされたからだが、残る二人は違う。
勝手にヒートアップし周りが見えなくなっていた所で、それぞれの上司と副官に仲裁(制裁)されたのだ。

ただし、なのはの場合は砲撃で、シグナムの場合は直接斬りかかって。
不意打ちに等しいその一撃で、二人は見事撃沈したと言う次第である。
うむ、やはり「仲裁」というより「制裁」の方が正確だろう。
で、そんな5人を見て父を見上げて翔は言った。

「埋めるの?」
「埋めないよ、死んでないからね」
(死んでたまるか!)

とは思っていても、口に出して言える余力のない面々。
死んだら埋めるが梁山泊のデフォルトだが、すっかり翔もその基準を持ってしまったらしい。

「ん~、それじゃ元気が出るおまじない」

取り出したるは毎度おなじみ藁人形と五寸釘。
明らかにそれは「呪い」なのだが、未だに翔はこれがおまじないだと信じている。
訂正しないのではない、出来ないのだ。
純粋に相手を想っておまじないをしている子どもに、どうして「それは呪いだよ」と言えようか。
翔は手近な木へと駆け寄り、勢いよく五寸釘を……

「ああ、そうだ。その前にちょっと水を持ってきてあげようか」
「…………うん♪」
『ふぅ……』

父の頼みの通り、水を汲みに駆けていく翔。
一同はそこで安堵のため息をつく。訂正できないのなら話を逸らす、それが目下の対策である。
潔いまでの問題の先送りで、なんの解決にもならない方法だが。

「お前な、アレって呪いなんだろ? 早く教えてやれよ」
「じゃあ、ヴァイス君やってよ」
「やだ。つーか、そんなのは親の仕事だ」
「それはそうだけど……」

確かにヴァイスの言っている事はもっともだが、言い難い物は言い難い。
あのキラッキラとした眼で見られると、とても真実は言えないのだ。

「…………………………………なぁ、一つ聞いてもいいか?」

それまでとうって変わり、神妙そうな様子でヴァイスは兼一に問いを投げかける。

「え? ああ、文字の有無が文明に及ぼす影響について?」
「いや、そうじゃなくて……つーか、なんでそんな話になる?」

それまでの話題ともまるで違うそれがなぜ出て来るのか、溜め息交じりに斬って捨てるヴァイス。
生憎と、彼が聞きたいのはそんな小難しい話題に関する意見ではない。

「お前、武術の世界に入って長いんだよな」
「まぁ、それなりに。でも、十代の後半からだから遅い方だよ。
 はっ!? まさか、またあの話をほじくり返すの!?
 え~、え~、どうせ僕は凡人だもん。みんなみたいな才能なんてなかったよーだ」
「だぁもう! 一々話の腰を折るんじゃねぇ!!」

どうやらまだあの時の影響が抜けきっていないらしく、座り込んで「の」の字を書き始める兼一。
ヴァイスはいい加減痺れを切らし始めたらしく、兼一に掴みかからないように自制しながら怒鳴る。
掴みかからないのは当然。下手な事をすると、投げられるか組伏せられるか、あるいは関節を外されるか。
いずれにせよ、どうせ碌な事にならないと言うのが六課での共通認識だ。

「ったく、俺が聞きてぇのは…アレだ。
 お前、敵を殴れなくなった事って……あるか?」
「……」

兼一にだけ聞こえるように、小声で問いかける。
他人に話して楽しい話題でもないし、出来ればあまり聞いてほしくはない。
だが、同時にどうしても兼一に聞いておきたかった。
長く闘い続けてきたこの凡人は、自分と同じ葛藤に苛まれた事があるのだろうか。
あったとして、それをどう克服したのだろうか。

「……あるよ」
「っ!? なら、なんで今は闘える」
「師匠に……………………………かなり無茶させられて」
「そ、そうか……」

どこか虚ろに空を見上げる兼一に、若干引き気味のヴァイス。
この男をしてそこまで言わせる無茶とは、果たしていったい如何なるものか。
考えるだに恐ろしく、精神衛生上よろしくない。

「武術家は、技を極める程にその身を凶器へと変えていく。
この拳が相手を殺してしまうかもしれない、それが怖かった事が僕にもある。
ヴァイス君が言ってるのは、そう言う事でしょ?」
「……………まぁ、似たようなもんではあるな」

『闘えなくなった』ではなく、『敵を殴れなくなった』。
その問いの意味する事は、つまり「誰かを傷つける事への恐怖」だ。
兼一にも経験がある。だからこそ、ヴァイスの問いの奥にある意味が理解できる。
ヴァイスからは過去の事はあまり聞いていないが、彼もまた闘争の技術を収めている事には気付いていた。

「僕は早いうちに克服できたから深刻なトラウマにはならなかったけど……」
「俺は手遅れ…か。悪ぃな、変な事聞いちまった」
「……ぁ、これは僕の師匠達の方法論だけど」
「?」
「恐怖に打ち克つには恐怖、更なる恐怖でトラウマを拭い去れれば」
「ホントに無茶だな、オイ!?」

いくらなんでも、それはない。
確かに理屈はわからないでもないが、それは下手をすると精神が崩壊して廃人になるのではないか。
この自他共に認める凡人の壮絶な道程が、また一つ明らかになった瞬間だった。

(こいつ、よく生きてたな……)
「あ、翔がかえってきた」
「ぉ…おお。って、おいおい足元ふらついてんじゃねぇか」

バケツの取っ手を掴み、ふらふらと頼りない足取りで歩いてくる翔。
どうやら、許容量いっぱいまで入れてしまいバランスがうまく取れなくなってしまったらしい。
このままだと、何かの拍子に転びかねない。
と、大人たちが心配していたら……………早速それは起こった。

『あっ!?』

ズルッと、バランスを崩して倒れる翔。
当然、バケツはひっくり返り水がぶちまけられる。

しかも運の悪い事に、水は盛大に翔の方向へぶちまけられた。
その結果、翔は全身ずぶ濡れの濡れ鼠状態。
上手く倒れたおかげかけがはないらしく、特に泣き出しそうな様子でもない。
ただ、よほどこぼしてしまった事がショックらしく、打ちひしがれた様子でしょんぼりしている。

「まったく、ごめんねヴァイス君」
「ああ、さっさと行ってやんな」

『シッシッ』と手を振りながら、兼一を促すヴァイス。
兼一がゆっくりとした足取りで翔の元へ向かうと、翔はのろのろと立ち上がり所在なさげに顔を伏せる。
そんな翔の頭に手をやり、軽く撫でながら兼一が何やら話しかけているが、ヴァイスからは聞こえない。

(恐怖に打ち克つには恐怖、か。参考になったんだかならないんだか……)

天を仰ぎ、どうしたものかと困り果てる。
置いた銃に未練がないと言えば、嘘になるだろう。
出来るなら、また銃を取ってこの力を活かしたいと思う。

だが同時に、銃を握ると震えてしまう自分がいる。
銃を握る度にあの時の事が、人質に取られた妹の片眼を誤射してしまった時の事がフラッシュバックするのだ。
これでは、再び銃を取る事等出来ない。

(本当に、どうしたもんかねぇ……)



  *  *  *  *  *



時間は過ぎてお昼過ぎ。
書類仕事が一段落ついたスバルが、唐突にこんな事を尋ねてきた。

「え、翔の魔力資質?」
「うん。そう言えば、翔って魔法使えるの?」

見れば、スバルの後ろには興味津々な様子のエリオとキャロ。
どうやら、二人も弟分の資質には興味があるようだ。
それどころかティアナもまんざら興味がないわけではないらしく、素知らぬ顔で聞き耳を立てている。

「兼一さんはリンカーコアもないってのは聞いてたけど、そう言えば翔については聞いてなかったなぁって。
なのはさんとか八神部隊長みたいに突然変異的に凄い魔力を持ってる人もいるわけだし、どうなのかな?」
「一応、108にいるうちに検査はしたからわかるけど……」
「じゃ、どれくらい? やっぱり、なのはさん達並とか?」

ギンガの返答に、スバルが盛大に食いついてくる。
こと、武術に関しては既に才覚を現している翔だ。
もしかすると、魔法にも才能があるかもしれない。それが興味深いのだろう。
天は二物を与えずと言うが、実際にはそんなケチくさくはない。
むしろ、与える人には盛大に色々与える物なのだ。
だが、翔に関しては案外それほどではない。

「期待してる所悪いけど、それほどじゃないわよ。一応人並み程度にはあるけど、特別多いわけでもないし、どちらかと言えば普通よりやや少なめってところじゃないかしら?」
「でも、それなら普通に魔法を使う分には問題ないんですよね」
「まぁ、資質的には……」

キャロの確認に、どこか歯切れの悪いギンガ。
それをどう取ったのか、エリオが若干心配そうに尋ねて来る。

「あの、もしかして師父が反対してるとか?」

本格的に兼一が訓練メニュー作りに関わってきた所で、意を決してエリオは兼一の事をこう呼ぶようになった。
はじめは兼一も戸惑っていた様子だったが、エリオがそう呼びたいならと了承。
ちなみに、他の面々はまだ呼び方は変えていないが、キャロとティアナが若干怪しいとギンガは睨んでいる。
と、それはそれとして兼一のスタンスだったか。

「ああ、そっちは大丈夫。師匠は『翔に学ぶ意思があるならかまわない』って」

別に悪事の類でもないのだ、学びたいと言う意欲があるのなら反対する理由がない。
そもそも、学びたいと言う意欲がある事自体は褒めるべき事だろう。
武術家的に魔法を使うのはどうかと言うのがないのかどうかは若干疑問だが、兼一はその辺りにはおおらかだ。

というか、そもそもそんな事を言っていてはギンガを弟子にするわけがないのだが。
なにより、才能がある事を知りながら武術から遠ざけようとすると言う、ある意味人生を歪める様な事をしていた(と本人は思っている)兼一としては、これ以上息子の人生を歪めたくない。
可能な限り、あの子の意向を組んでやるのが兼一の方針だ。

「なら、教えても大丈夫って事だよね!」
「ま、まぁ……」

スバルの勢いに押されるまま、頷き返すギンガ。
それに気をよくしたスバルと年少組二人は、勢いよく立ちあがると早速行動に移った。

「よぉし! じゃ、善は急げだ!」
「「行きましょう、スバルさん!」」
「うん! ギン姉、そんなわけだから少し翔借りるね!」
「あ、うん」

それまで一応第三者的に傍観していたティアナも「やれやれ」と言った様子でその後を追う。
しかし、隠しているようだがその足取りは若干軽い。
なんだかんだで、彼女も楽しんでいるようだ。

それは別にいいのだが、ギンガには一つ懸念がある。
結局タイミングを逸して言えなかったが、追い掛けてでも教えてやった方が良いだろうか。
そんな事を考えていると、ちんまい上司が声をかけて来る。

「行っちゃったですね」
「あ、リイン曹長。お疲れ様です」
「はい、お疲れ様です。まぁ、スバル達が興味があるのはわかるですけどね」
「はぁ、まぁ確かに……」

確かに興味があると言うのもあるだろうが、可愛い弟分を構いたいと言うのも大きいだろう。
特に、魔法は兼一にはどうやっても手がつけられない分野だ。
なら、自分達が教えてやれると言う辺りも魅力的には違いない。
何しろそれは、かつてギンガも通った道なのだから。

「どうかしたですか? なんだか渋い顔をしてるですが」
「あ、いえ、これは……」
「ははぁ~ん、それはもしかして………………やきもちですね!!」
「はい?」

突拍子もない上司の指摘に、失礼な反応を返してしまう。
とはいえ、そこはアットホームな機動六課。
リインはそれを気にした素振りもなく、自身の推理を高らかに語る。

「ですから、弟分を取られる事へのやきもちですねと言ってるのです。
 ホントは自分が教えたいのに、みんなに取られるのが面白くないのです。
 ほらほら、早くいかないと翔の魔法の先生の座を取られてしまうですよ」

何がそんなに面白いのか、くすくすと笑いながらたきつけて来る妖精上司。
だが、それは的外れにも程がある。
別に、ギンガは今更翔に魔法を教える気なんて更々ないのだ。
しかし、それはそれとしてこのまま放っておくのはさすがにまずいかもしれない。
そう判断し、ギンガは少々重い動作で立ち上がった。

「………………そうですね。とりあえず、様子だけは見ておきます」
「おやおや~、そんな消極的で大丈夫ですか?
 うかうかしてると、大変な事になるですよぉ~」
(変な所で八神部隊長に似てきたなぁ……)

こういう、ちょっとしたイベントを煽って楽しむあたり、どことなくはやてを連想する。
というか、部屋を出てもこのちんまい上司は後を追ってくるのだが……。

「あの……」
「あ、私の事は御気になさらずです」
「絶対覗いて楽しむつもりですよね」
「そんな事はないですよ~」

バレバレな嘘だが、あえてそれ以上は突っ込まない。
むしろ、彼女が期待している様な事にはならない事を教えてやるべきだろうか。

とそこで、ギンガはある事を思い出す。
兼一は午後から隊舎を留守にしている。いや、兼一だけではない、はやてもだ。
急な呼び出しがあったとは聞いたが、詳しい事を聞いていなかった事を思い出したのである。
リインははやての副官兼秘書みたいなものだし、もしかしたら知っているかもしれない。

「そう言えば師匠と八神部隊長って、どこに呼ばれたんですか?」
「さあ? 私も聖王教会のシスター・シャッハから兼一さん込みで呼び出しを受けた、って位しか知りませんが」
「それはまた……」

おかしな組み合わせもあったものだ。
兼一とはやて、兼一と聖王教会、どれもかなり珍しい組み合わせである。
特に、兼一と聖王教会など接点はほぼないに等しい。
呼び出し先がわかれば少しは何かわかるかもと思ったが、むしろ謎が深まるばかりだ。

「っと、話しを逸らそうとしてもだめですよ! さあさあ、ギンガ的には今どんな気分ですか?
 微に行り細を穿った告白を要求するです!」
「いえ、別にそんなんじゃ……」

実際、そんなつもりで話題を変えたわけではないのだが。
だが同時に何かを言い淀むギンガに、リインは我が意を得たりとばかりに詰め寄ってくる。

「さあさあさあさあ!」
「し、強いて言うなら」
「強いて言うなら!?」
「心配、かなぁと」
「心配? 翔がですか?」
「いえ、むしろスバル達が…【チュド―――――――――――――――――――――――ン!!!!】」

と、そこまで言ったところで二人の鼓膜を強烈な爆音が叩く。
隊舎全体が揺れたのではないかと錯覚する振動が発生し、危うくバランスを崩しかける。
窓ガラスも盛大に揺れ、割れなかったのが不思議な位だ。

「な、何事です!? 空爆ですか、それともなのはさんですか!?」
「リイン曹長、それ割と失礼ですよ。でも………………遅かったか」

慌てふためくリインを余所に、音の出所をと思われる方角を向いて、ギンガは僅かに後悔する。
こうなると分かっていたのに対処が遅れてしまった。4人には、本当に申し訳ないと思う。

「ぎ、ギンガは今の原因が分かるですか?」
「ええ、まぁ。とりあえず、急ぎましょう」
「は、はいです!」

ギンガに促されるまま、リインはその後を追う。
その道中、ギンガは唐突にまるで関係ないと思われる話題を振ってきた。

「リイン曹長も、翔がアレで変に不器用なのは知ってますよね?」
「へ? ああ、はい。お皿を落として割ったり、苗木を植えたら曲がってるくらいは良くあるですね」
「ええ、掃除中に物を壊す位はざらです」
「むしろ余計に散らかる位ですからねぇ……」

運動神経と手先の器用さは別、と言うだけの話かもしれない。
とはいえ、それでも翔がかなり不器用な部類なのは事実だ。
一度、料理の手伝いをさせた事があるが、アレは悲惨だった。

後ではやてに話したら「シャマルの再来や!」と慄き、兼一は「昔のほのかを思い出すなぁ」と語ったほどに。
一見するとまるで父親の血を継いでいないように思える翔だが、実は武術以外は割と父方の血が濃い。
まぁ、家事全般に関しては父と言うよりも叔母似だが。

「でも、それとこれに何の関係が……」
「行けば分かります、行けば」

この先に待ちうける光景を想像し、暗澹たる気持ちになりながらもペースを上げるギンガ。
彼女の予想が正しければ、今頃翔は訳も分からずに呆然としている筈だ。

そして、彼女の予想は………大当たりだった。
眼前に広がるのは何かが爆発したかのような痕跡。
より具体的には、爆心地を中心にアスファルト以外の全てが吹っ飛ばされている。
クレーターが出来ていないのは幸いだが、考えてみればさすがにそこまでの出力はなかったかと思いなおす。

ただし、その周りには爆風によって弾き飛ばされた大小さまざまな物体が転がっている。
小さなものは木の葉や石、大きなものは…………人間まで。

「スバル、ティアナ! エリオにキャロまで! って、フリードも!? だ、大丈夫ですか!?」
『…………………………』

返事はない、屍の様だ。
確認した所まだ息はある、当然だが。
だが、どうやらそれなりにダメージを受けているらしく意識が飛んでいた。
大方、油断していた所に思いもかけぬ攻撃を受けたとかそんなところだろう。
攻撃した本人には、その自覚すらないだろうが。

で、その本人はと言うと。
案の定、何が起こったのか理解できていないのか、爆心地で呆然としていた。

「お~……」
「お~、じゃないの! まったく、あれほど私達の見てない所で魔法は使うなって言ったのに」
「あぅ~、ごめんなさい」
「まぁ、スバル達を止めなかった私にも責任があるから、あんまり強く言えないけど」

翔の頭を軽く小突き、反省を促すギンガ。
翔は良く分かっていないなりに反省したのか、しょんぼりと肩を落とす。

「って、じゃあやっぱりこれは翔がやったですか!?」
「やったと言うか、なんと言うか……」
「どういう事です?」

どうもギンガの反応を見る限り、翔がやった事に違いはないようだ。
同時に、それでは説明として不十分らしい事もわかる。
ホントに、いったい何が起こったと言うのか。

「さっき、リイン曹長も肯定しましたよね、翔が不器用なこと」
「はぁ、それは確かに」
「翔、いったいなんの魔法を使おうとしたの?」
「? 『ねんわ』って姉さま達は言ってた」
「はぁ、念話ですか……」

確かに、魔法の初歩としては妥当なところか。
と納得しかけ、リインは周囲の惨状を思い出す。

「って、なんで念話を使おうとしてこんな事になるですか!?」
「それが翔なんです」
「いや、だからどうして!」
「ですから、この子は……………不器用なんですよ」
「そういう次元の問題じゃないですよ!?」

不器用と言うのはわかったが、これはもう不器用がどうこうという問題ではない。
強力な魔法を使おうとして暴発させればこんな事にもなるだろうが、翔が使ったのは念話だ。
なんで念話と言う、ただ意思疎通するだけの魔法で、こんな惨状が引き起こされるのか。

「噛み砕いて言うと、翔は…………安全弁のない火炎放射機なんですよ」
「え”……」
「あるいは、歩く魔力爆弾と言った方がいいでしょうか」
「そ、それはつまり……」
「どんな魔法を使おうと関係なく、翔が魔力を使おうとすると…………………必ず爆発するんです」
「う~わ~……」

それは、なんと迷惑極まりない事だろうか。
なんでも、翔は魔力を「制御」する事が死ぬほど下手らしい。むしろ、そういう能力がないも同然とか。
そのため、どんなに簡単かつ少量の魔力で使用可能な魔法でも、最大出力で暴発する。いや、むしろ自爆する。
もちろん指向性などないので、彼を中心に全方位に爆発は広がるのだ。

結果、近くにいた人間は無条件に巻き添え。
いくら魔力量が人並みやや下とは言え、後先もへったくれもない最大出力での暴発の威力は割とシャレにならない。
ちゃんと防御すれば話は別だが、全く予想していなかった四人と一匹が撃沈したのは必然だろう。
ちなみに、これらはギンガが身をもって体験した事実でもある。

「ギンガも、教えようとしたですか?」
「はい。でも、もう諦めました。師匠が言うには、魔法に関する才能は師匠並みだとか。
 教えるには、梁山泊の豪傑並みの根気と指導力、そして無茶が必要だろうと。
 正直、今の私にはそれができる自信は“全く”ありません」
「ですよねぇ~」

はっきり言おう、ここまで才能がない人間も珍しい。
せめてどこぞの「ゼロ」の様に、少しでも自分から離れたところで爆発させられればまだ使いようもあるのに。
翔の場合、単なる魔力の暴発なので必ず「自分」が起点。これは絶対不変の定理だ。

「不幸中の幸いなのは、単なる魔力の暴発なので火事の心配がない事くらいですね」
「す、救いの欠片もないですね。って、ならなんで翔は無傷?」

そうだ、良く見れば爆心地まっただ中にいたくせに翔は完全に無傷。
怪我がないのは良い事だが、ここまで来ると理不尽に思えて来る。

「さあ?」
「さ、さあって……」
「調べてもらったんですが、さっぱりわからなくて」
「はぁ……」

どうも、ギンガには最早その辺りを深く考える気力がないように見える。
恐らくだが、解明しようとして散々爆発に巻き込まれたのだろう。
それはまぁ、誰だって「もういいや」と諦めたくもなる。

「と、とりあえずみんなを医務室に」
「そうですね。でも、もう少し放っておきましょう」
「え、でも……」

リインの視線の先には、倒れた皆を解放しようとうろちょろ動きまわる翔の姿。
まさか、彼一人にこれを全て押し付けると言うのか。
それは、罰にしてもさすがに酷過ぎるのではと思う。
だが、別にギンガとてそんな理由で放置しているわけではない。

「みんなが倒れているのは魔力ダメージと、爆風の余波による衝撃です。
 放っておけばその内眼を覚ましますし……」
「し、どうしたですか?」
「翔には絶望的に魔法を使う才能がありませんが、一つだけ特技があるんです」
「特技?」
「あの子、他人への魔力供給が得意なんですよ」
「はい?」

魔力を相手に供すると言うのは、それほど難しい技術ではない。
なので、この程度ではレアスキルとは到底呼べないだろう。
だが、これを積極的に使う場面は途轍もなく少ないのが現実だ。
何しろ、なのはも過去に数度しか使った事がない程、使用する機会のない技術である。

「普通、使い魔との間でもない限りは多少ロスがあります。でも、あの子のそれにはほとんどロスがありません。
 あの子にとって、魔力はあるだけ無駄と言ってもいいものですからね。自分じゃ使えない魔力を、他の使える人に使ってもらう。そう言う事だと思います」
「それはまぁ、理に適っていると言えなくもないですね」

翔は自分の意志では魔法が使えない。だから、使える人間に代わりに使ってもらう。
本人が自覚してやっているわけではないが、確かにそれが一番無駄がない。

「ついでに多少の回復促進効果もあるので、あのまま放っておけばみんなそのうちに何事もなかったように起きますよ」
「兼一さんはこの事を?」
「もちろん知ってます。だから、結構頻繁に訓練場に来させてるんですよ。
 まだ自分の意思で制御できてませんけど、あの子が意識を向けるとそちらに流れていくみたいですから」

調べてみた結果、一応自分の意思でのコントロールができるようになる可能性はあるらしい。
無意識でやっているのだから、自覚すれば案外すんなりできるようになるだろうとの事だ。
まぁ、当の本人としては何の利益にもならない能力だが。

「与えられるのではなく人に与える、どこの聖夜精神ですか」
「聖夜?」
「いえ、こっちの話です。でも、それなら魔導士としてのポジションだとフルバックあたりですか」
「狙われたら防御魔法の一つも使えませんけどね」
「う”」
「その上、持ってる技術は純格闘型……」
「恐ろしく扱いに困るですね。バリアジャケットくらいはデバイス任せでなんとかなるですが……」
「全部デバイス任せ……って、それもう魔導師じゃありませんしね」

つまり、魔力はあっても徹底的に魔導師に向かないと言う事か。
まぁ、わかりやすいと言えばわかりやすいのだが。

後年、必要に迫られた事もあり、努力の末になんとか一つだけ魔法を使えるようになるのだが、その数が増える事は生涯なかった。
その魔法にした所で、大成して以降は「やっぱり向いてない」と言う事で封印し、魔力の使い道は完全に他人への供給に絞るのだが。
つくづく、魔導士と言う生き方と縁のない親子である。



  *  *  *  *  *



場所は移って医務室。
医務室と言えば、普通は怪我をしたり具合が悪かったりしない限りはよりつく事のない、閑古鳥が鳴いているに越した事がない場所だ。

ただここ機動六課の場合、とある翠の医務官と黒髪の達人のおかげで、お茶会の場としての側面がある。
なので、怪我や病気でなくとも割と人が集まってくるのだが…………何故か今日は、そこに不気味な笑みを浮かべる不審者がいた。

「ふ、フフフフフフフフフフフフ……」

デスクに肘を乗せ、頬杖を突きながら「ニヘラッ」とだらしのない笑みを浮かべる白衣を着た薄い金髪の女性。
視線は窓の外に広がる蒼穹に向けられながら、その実なにものも写してはいない。
仮に唐突に気の狂った小鳥が窓にぶつかろうと、天文学的な確率で隕石が真っ直ぐ向かってこようと、彼女の笑みが崩れる事はないだろう。
つまり、それだけ自分の世界にどっぷりつかってしまっていると言う事だ。

(あの時は咄嗟だったから意識してなかったけど………………アレって、やっぱり…その、キス……よね、よね?)

はっきりとした言葉にして意識すると、その時の事が鮮明に思い出された。
それまでボーッと空を見上げていたシャマルは顔を真っ赤に染める。
ホテル・アグスタでの任務の折り、兼一は決闘に敗れ心肺停止状態に陥った。
その際、セオリー通りの蘇生処置を行い、その一環として人工呼吸をシャマル自らが行ったのだ。

別に、そこに何かやましい感情があったわけではない。
緊急事態であり、医務官であると同時に機動六課の仲間として、彼女は無心に救命処置を行った。
だが、人工呼吸をする以上は「マウス・トゥ・マウス」する事になる。
……つまり、あの時確かに二人の唇は合わせられたと言う事だ。

状況が状況だったので、当然甘い雰囲気も睦言の一つもありはしない。
それどころか、そもそも片方には意識自体がなかった。
これをキスとか接吻とか言う言葉にするのは憚られないでもないが、一応そういう見方も出来ない事もない。

(キス…そっか、キスかぁ……それも奪われたんじゃなくて、奪っちゃった?
 なんちゃって! なんちゃって!!)

顔を真っ赤にしながら、手をパタパタさせつつ「キャー! キャー!」言いながら照れるシャマル。
彼女とていい歳をした大人だ。別に、性的な事と全く縁がなかったわけではない。

だが、過去のそれらは全て一方的なものだった。
彼女は「守護騎士」と呼ばれる、とあるロストロギアとその所持者を守護する役目を負ったプログラムである。
過去に多くの主に仕えてきたし、優れた人格を持つ主もいれば、野心に燃える主などもいた。
そんな人達は比較的に彼女らを騎士として、あるいは優れた戦力として遇した方だろう。
しかしそれでも、その容姿から性的な事を求められた事はある。

主な対象は成人女性の姿のシャマルやシグナムだったが、女性の主にはザフィーラが求められた事もあった。
中にはあまり一般的とは言えない嗜好の持ち主もおり、例えば幼い容姿のヴィータを好む者、同性でなければという者もいたものだ。

だが、それはまだマシな部類だろう。
何しろ、守護騎士たちの人格を認めず、奴隷か道具同然に扱う者も少なくなかった。
そんな主達にとって、彼女らは単なる性欲の捌け口でしかなかったから。

故にシャマルにとって、性的な事と言うのは基本的には「一方的」なものだった。
ただ命ぜられるがままに行為を行う、それだけのもの。「自分から」や「自分の気持ち」などありない。
いや、自分から行った事がないわけではないだろうが、それとて「自分からしろ」と命ぜられただけの事。
そこに彼女の意思がなかった以上、やはり自分の意思で相手を想って口付けをするのとはまるで違う。

まぁ、より端的に言ってしまえば、彼女は性的な事に耐性はあっても、「男女」という関係における感情に関しては初心もいいところなのである。
この辺り、「可愛い」という単語で揺れてしまうシグナムも似た様な物なのかもしれない。

(考えてみれば、武術家なんて体をいじめるのが仕事みたいなものだし、その意味だとお医者さんとは相性が良い? それに、兼一さんって優しいし面倒見も良いし、家事もできるのよね………………………っ!? それ、なんて優良物件! 普段は優しく奥さんのサポートをしつつ良く子ども達の世話をして、いざとなれば身体を張って家族を守ってくれる旦那様……………………………い、良い! それ凄く良い!!
 そしてそして、傷ついた旦那様を優しく癒す美人でお医者さんな奥さん…………キャ―――ッ!!! 絵になる! なんだかすごく絵になるわ、それ!!)

なんだか思考がずれてきている気がしないでもないが、本人はとても楽しそうだ。
これまで、シャマル的には兼一は「良く一緒にお茶を飲む友人」くらいだった。
それが一度の口付けで、大いなる意識改革がなされてしまったらしい。
特に「された」のではなく「した」と言う辺りが重要らしく、彼女の眠れる積極性に火がついたようだ。

それだけでなく、エイミィや忍の結婚などに触発されていた部分もあるのだろう。
『恋に恋する』ではないが、まるで縁のなかった方面への憧れが思考を暴走させているのは否定できない。
まぁあれだ、経験不足と言うのは恐ろしい。一度走り出すと、遥か彼方まで突っ走ってしまう辺りが。

「確か、アノニマートって子は昔のライバルのクローンらしいけど、兼一さんは普通に受け入れてた。
 なら、私の事も受け入れてもらえる可能性は高い……こ、これは逃せない、絶対に逃せないわ!!
 あの人を逃したら、『結婚』って言葉とは永遠にサヨナラかもしれないもの!
 子どもを作れるかは分からないけど、そこは翔がいるから全然問題なし。私的にも翔なら全然オッケー、むしろばっちこい! 翔も、どうせなら家庭的で優しいお母さんの方が良いわよね?」

徐々にイタイ方向に暴走を始めるシャマル。
これではまるで、婚期を逃しそうで必死になっているかのようだ。
いや、「まるで」ではなく「そのまんま」か。
だが、シャマルを家庭的と言っていいのかどうか…外見的には否定しないが、スキル的にちょっと……。
しかし、今だれかがその点につっこんだ所で、シャマルの耳には入らないだろうが。

「ギンガは強敵だけど、そこは大人の魅力で………って、肉体年齢では兼一さんの方が年上だった!?
となると、強調すべきはむしろ若さ? 若さなの!? それだと、ギンガの方が有利!!」
「あれ? だけどシャマル先生って、十年経ってもあんまり変わりませんよね」
「あ、そう言えば。そうよね、ギンガは普通に年を取るけど私はおそらくずっとこのまま。少なくとも、十年で特に大きな変化はない。
なら、最終的には若さでも私の勝ち! これは大発見だわ! 行ける、これなら行ける!!」
「はぁ、何が行けるのかよくわかりませんが…良かったですね」
「ええ!! それに師弟関係な分、むしろ距離が近過ぎてそう言う関係に発展しない可能性も高いわ。他に怪しいのはシグナムとフェイトちゃんだけど……」
「ああ、そう言えばフェイトちゃん、夜中に兼一さんに勉強教えてるんですよね」
「くっ、フェイトちゃん…恐ろしい子! なんて抜け目のない。なのはちゃんと子ども達にしか興味がないふりをしておいて、着々と外堀を埋めているなんて!」
「いやぁ、あのフェイトちゃんに限ってそんな事はないと思うんですが……」
「シグナムはシグナムでギャップ萌えを狙ってコスプレに手を出してるし。
やっぱり時代は『萌え』なのね、思わぬところで見せる恥じらいにやられちゃうのね……強敵揃いだわ」
「都合の悪い話は無視ですか? というか、あれはシグナムさんも本意じゃないと思うんですけど。
どちらかと言えば、はやてちゃんの趣味の様な」
「こうなったら私も何かキャラ立てを考えないと。貧弱な個性は埋没してしまうわ。
ギャップ萌えは二番煎じになるし、ここは語尾かしら? それとも……」
「一見家庭的だけど実は料理が下手って言うのも、中々インパクトがありますよね」
「でも、シャマル先生負けない! 全ての障害を蹴落として…目指せ、純白のバージンロード!!」
「むしろ、血で真っ赤に染まりそうな気がするんですけど……」
「ふっ、優雅に湖を泳ぐ白鳥も水面下では必死に水をかいているものよ。
 最後に表に出る綺麗な結果の為には、努力を怠ってはいけないの」
「でも白鳥って、実は尾の部分から出る脂肪を羽根に塗って防水した上で、羽毛の間に空気をためて浮いてるらしいですよ」
「聞きたくない! そんな、夢を壊す豆知識聞きたくない!!」
「夢ですか?」
「リーチの掛ってるなのはちゃんにはわからないのよ! いつでも上がれる人の余裕なのよ!
 私なんて、肉体年齢は21歳だけど実は『ピ――』歳なんだから! もう後がないの!!」
「あ、シャマル先生って『ピ――』歳だったんですね。
って、闇の書時代の記憶って結構怪しいって聞きましたけど、わかるんですか?」
「うん、まぁその辺は割とノリで。あと、結構サバ読んでるんだけどね」
「そ、そうですか……」
「なのはちゃんも、もっと年を取ればわかるわ。そうやって年を気にしないでいられるのは若いうちだけ。
 アンチエイジングは大事なのよ。後になって後悔しても遅いんだから」
「ま、まぁ、お母さんやリンディさん、それにレティ提督は凄いですけどね……」
「なのはちゃんも、若さと遺伝に頼ってると危ないわよ……………って、なのはちゃん。いつからいたの?」
「わぁ、すっごい今更……」

あれだけの間がありながら、ようやっとなのはの存在に気付くシャマル。
よほど没頭していたのか、それとも単になんだかよくないものにかもされていたのか。
できるなら、先の暴走は一時の気の迷いと言う事にしておきたい。

「どうしたの?」
「いえ、偶々前を通りかかったらシャマル先生が盛り上がっていたみたいなので、どうしたのかなぁと」
「えっと………どこから聞いてた?」
「キャーキャー言って悶え始めた辺りからですけど」

つまり、ほぼはじめからと言う事だ。
シャマルは今更ながら自分が何を口走っていたか思いだし、先ほどまでとは違った意味で赤面する。

「私、何言ってた?」
「確か、前の任務の時に兼一さんとキスをしたとかどうとか」
「キャー! キャー! い、言わないで、お願い!!」
「もがっ!?」

ようやく正気に戻ったようで、慌ててなのはの口をふさぐ。
その上、心のうちで呟いていたと思っていた事は、しっかりはっきり口から漏れていたようだ。
冷静になった事で、あまりの恥ずかしさにシャマルは頭から湯気を上げ始める。
そんなシャマルに対し、「ミス朴念仁」ことなのはは口をふさがれながら……

(キスって、そんなに恥ずかしいのかなぁ?)

などと内心首を捻る。
考えてみれば、昔短期プログラムの中で人工呼吸のやり方は習ったが、実際にやった事はなかったか。
もちろん、公私の両方でキスの経験などもないので良く分からない。

「なのはちゃん」
「?」
「もし今聞いた事を誰かにしゃべったら……」

なのはの口をふさぎながら、シャマルは右手で何かを握る…もとい、握り潰すジェスチャーをして見せる。
その瞬間、なのはの顔が一気に青ざめた。

シャマルの手札の中には『旅の鏡』なるものがあるのだが、これ自体は一種の転移魔法だ。
空間を繋ぐ「鏡」により、離れた場所の物体を「取り寄せ」する魔法。
これだけなら特に問題はないのだが、問題なのはその応用法。
シャマルはこれを使い、標的のリンカーコアに直接接触してくる事が可能なのだ。
つまり、もししゃべったらリンカーコアを握り潰すと脅しているのである。

なのはは昔、それで大変酷い目にあった。
トラウマを刺激されて顔を青ざめ、油の切れたロボットの様にカクカクとした動作で頷くのも当然だろう。

(で、でもそこまで?)

試しに、自分自身で想像してみる。
まず思い浮かべるのは自分自身。続いて、とりあえずかなり適当な顔の様な物を。
徐々に近づいて行き触れ合う…………その寸前、適当だったはずの顔がユーノになっていた。

【ボッ!】

なのはは慌てて想像を中断するが、その顔は先ほどまでの青から赤へ。
想像の中にもかかわらず、ユーノの顔が目の前にある所を想像するだけでもう限界だ。
何が限界なのかわからないが、これ以上は許容量をオーバーすると言う確信だけがあった。
同時に、なのははシャマルの反応の一部を理解する。

(な、なるほど。確かに、これは恥ずかしい……かも)
「? どうしたの、なのはちゃん?」
「な、なんでもありません、何でも! ホントに何でもないんです!」
「そう? 具合が悪いなら診るけど」
「だ、大丈夫です! 失礼します!!」

シャマルから大急ぎで距離を取り、そそくさと医務室を後にするなのは。
なんだか、とても悪い事をしてしまった気がして仕方がない。

(はぁ、なんでユーノ君の事を考えちゃったかなぁ………ちょっと、頭冷やそう)

医務室を出て一息つきながら、そんな事を思う。
とそこで顔を上げると、そこにはなぜかシグナムとフェイトがいる。
それも、二人して何やら牽制し合うようにチラチラと相手の様子をうかがいながら。

「フェイトちゃん、それにシグナムさんまで」
「ぁ…な、なのは! 奇遇だね、こんな所で! ですよね、シグナム!」
「そ、そうだな! 本当に奇遇だな!」

明らかな挙動不審。
確かにこんな所でばったり出くわすのは奇遇なのには違いないが、それを強調し過ぎである。

「どうしたの、こんな所で?」
「あ、いや、その……」
「なにやら、妙な物音を聞いて、それで……」
「シグナム、シッ!」
「ハッ!? イヤ、なんでもない! 忘れてくれ」
(あぁ、二人も聞いてたんだ……)

まず間違いない。二人も、医務室の外からシャマルの暴走を聞いていたのだろう。
あれだけ大声でまくし立てていたのだ、外からでも十分に聞こえるに違いない。
おかげで、互いを必要以上に意識してしまっているのだろう。
もしかすると、兼一への認識にも影響を及ぼしているかもしれない。

(これは、いろいろ大変だなぁ……)

さて、それはいったい何に対する呟きか。
標的にされている兼一か、それとも競わなければならないギンガか。
あるいは、もっと広い範囲に対する呟きだったのかもしれないが……それはなのは自身にもよくわからない。

ちなみに、六課に戻った兼一は何故か余所余所しい三人と、妙に棘の感じる弟子についてなのはに相談したとか。
どうやらギンガもどこかで聞いていたらしい。



  *  *  *  *  *



ミッドチルダ北部ベルカ自治領内、聖王教会本部。
深い緑が生い茂る山々の中、都会とは比べ物にならない程に澄んだ空気に包まれた場所にそこはある。

そびえ立つは近代建築とは一線を画す長い歴史を感じさせる静謐な建造物。
道行く人々もまたその雰囲気に合わせてか、飾り気のない質素な服装に身を包んでいる。
その中に、街中であれば完全に浮いてしまう、しかしこの場だからこそ溶け込めるローブを身に纏った二人組がいた。

「ヘックシュン!」
「風邪ですか?」
「……いえ、誰か噂してるのかもしれません」
「アハハハ、それやったら二度ですよ」

むずむずする鼻をかむ兼一と、笑いながらやんわりとツッコミを入れるはやて。
ちなみに、彼の『哲学する柔術家』はくしゃみで噂をした個人を特定できる事を、彼女はまだ知らない。

「でも、初めてきましたけど凄いところですね」

おのぼりさんよろしく、壮観の一言に尽きる風景にキョロキョロと辺りを見回す兼一。
本局とは真逆のベクトルだが、これはこれで中々に見応えがある。
素人眼にはよくわからないが、建物一つ、石畳一枚とっても精緻に造りこまれており、美術品としての品格を感じさせた。秋雨辺りがいれば、目を輝かせていたかもしれない。

「でしょう? 観光地としても人気やし、ミッドの学校なら一度は社会科見学が組まれる所ですから」
「へぇ~」
「敷地内には教会の他に騎士団の本部に病院もありますし、別の所には聖王教会系列の学校とかもあるんですよ」
「もしかして、そこって魔法系ですか?」
「はい。初等教育を行う初等部が5年制、中等教育を行う中等部が3年制で設置されとって、更に上位の教育も2年おきに進学が可能。最終的には学士資格も取得可能…だったはずですよ。
 どないです、翔を通わせてみるのも面白いんやないですか?」
「いやぁ、確かに魔力資質はあるらしいですけど……」

『あれだけ才能がないのでは難しいだろう』と思う。
才能が全てではない事を体現している男とは言え、努力で全て解決できるものではない。
努力しなければ解決しないが、努力すれば必ず解決するわけでもないのだ。
恐らくは試験もあるだろうし、それまで一年を切っている。梁山泊の豪傑に匹敵する魔法方面の指導者にも心当たりがないし、入学可能なレベルに仕立て上げるのは非常に困難だ。

しかし運命とは皮肉なもので、これより数日後翔は少々特殊な生まれの幼馴染と出会う。
その幼馴染が件の学校に通う事になるので、翔本人もそれを機に頑張ってみる事を彼はまだ知らない。

「でも部隊長はわかりますけど、なんで僕まで呼ばれたんでしょう?」
「さあ? それは直接聴いてみんことには……」

二人揃って首をかしげていると、修道服に身を包んだ女性が駆けて来た。
女性ははやての前で立ち止まると、僅かに息を整えてからはやての手を取って心の底から安堵する。

「あぁ、騎士はやて! 良く、良く来てくださいました!」
「シスター・シャッハ、いったいどうしはったんですか?」

見れば、シャッハと呼ばれた女性の顔には濃い疲労と憔悴の色が見られる。
急な呼び出しとあって何かあると予想していたはやてだが、彼女のただならぬ様子から事態は相当に逼迫しているらしい。
居住まいを正すはやてに対し、少し落ち着いたシャッハは律義に深々と頭を下げる。

「急な呼び出し…誠に申し訳ございません。失礼とは存じましたが、火急の問題でして。
 謝罪の方は、改めて……」
「あ、いえ、シスター・シャッハにもカリムにもお世話になっとりますし、それはええんですが」
「ありがとうございます。それと、そちらが白浜陸士ですね。
騎士はやてや守護騎士のみなさん、それにロッサ…ああ、ヴェロッサからお噂はかねがね」
「ぁ、白浜兼一二等陸士です」
「聖王教会所属、シャッハ・ヌエラです。
こんな時でなければ、ぜひともお話を聞かせていただきたかったのですが、残念です。
慌ただしい限りで申し訳ないのですが、こちらへ。あまり、人の耳に入れていいものではありませんから」

どうやら自体は一刻を争うらしく、僅かに顔を見合わせた二人はシャッハに促され、聖王教会の奥へと通される。
教会の内部は外観にそぐわず荘厳で、じっくり見れば全体を見て回るだけでも数日費やしそうな程だ。
こんな時でなければゆっくりと見て回りたいと思う。
宗教や芸術にはあまり精通していない兼一でさえ、そう思わせるものがあった。

しかし、今はそれどころではない。兼一も余所見をする事なく二人に続きく。
その道中、人目がない事を念入りに確認してから、シャッハはようやく事のあらましを話してくれた。

「ことは、数日前に遡ります。
 騎士はやての計らいでセッティングされた、新島氏との会談の後です」
「「へ?」」

まさかの名前に、兼一とはやてからは揃って間の抜けた声が漏れる。
確かにはやては新島の求めに応じ、カリムやクロノと言った後見人達との会談の席をセッティングした。

とはいえ、皆それぞれに忙しい人達だ。そう簡単に時間を捻出できるものではない。
特に、それが急な申し入れとなれば尚更だ。会談の時間は一時間も取れず、精々が数十分程。
しかも、取れた時間帯によっては会談間のスパンが数分しかない事もあった。
実際、本局でカリムとの会談を終えた5分後に、リンディとの会談をこなしたのだ。

余談だが、本局での会談は新島の要望である。
あれは聖域に入ると具合の悪くなる体質なので、その辺りを考慮したのだろう。
その為、ただでさえきついスケジュールが余計きつくなったのは言うまでもない。

(せやけどクロノ君からは、なんやおかしな事があったとは聞いとらんかったんやけど……)

念の為、はじめに会談したクロノからはどんな事を話したかは聞いた。
だが、特に気になる事もなく、クロノ自身も中々興味深い会談だったと漏らしていた筈だ。
会談を設定した他の面々からも特に何も言われなかったので安心していたのだが、新島は何かやらかしたのだろうか。その嫌な想像に、はやてと兼一は揃って胃がシクシクと痛む思いに苛まれる。

「会談は他の用件の合間を縫って30分程、時間もないので私はカリムに先行して先方をうかがっていたのですが……」
「「……」」
「はじめは特に違和感もなく進みました。しかし、場を辞する段になってカリムは……」

それ以上は言葉にならないのか、シャッハは僅かに涙の滲んだ眼を伏せ口元を手で押さえる。
よほどその時にカリムについていなかった事を悔いているらしく、深い悔恨と悲壮が滲んでいた。
はやてはカリムの身に起こった何かに堪らない不安を覚え、兼一は悪友がしでかした悪事(決めつけ)に頭を抱える。

「……失礼。今のところ対外的には体調不良としていますが、真実は違います。
カリムの異変に気付いた私達が…………已む無く軟禁したのです。
 教会にいらっしゃるみなさんや、管理局の方々に見られるわけにはいかなかったものですから。
 この事は、今のところ近しい僅かな者しか知りません」

つまり、下手に知られれば教会の威信や信徒からの信頼に関わる事態になっていると言う事か。
シャッハの話では、カリムの異変に気付いた時点でヴェロッサが調査を開始。
なんとかカリムを元に戻す方法を探すべく、寝る間も惜しんで駆けずり回っているとか。
普段はサボる口実ばかり探している様な男だが、義姉の危機とあってはサボり魔の仮面を被ってはいられなかったらしい。

「あのロッサがとなると、相当切羽つまっとるっちゅう事か……くっ、私があんな事してへんかったら」
「いえ、騎士はやての責任ではありません。私やロッサも、気を抜いていたのです。
 あの時、私がカリムの元を離れていなければ……護衛の身でありながら」

揃って後悔する二人を余所に、だらだらと脂汗を流す兼一。
彼は、新島春男と言う男の正体を誰よりもよく知っている。
なのに、ティアナの事で頭がいっぱいで、あれが何かしでかす可能性を失念していた。

あれは、決して油断してはいけない宇宙人だと言うのに。
だれに責任があったかと言えば、半分以上はこの人だろう。

そうして、やがて三人は一つの重厚な木製の扉の前で止まる。
シャッハは涙を堪えながら、扉の取っ手に手をかけた。

「いま、カリムはこの部屋にいます。
 私の口からは、とてもではありませんが説明できません。
 なので、直接ご覧になってください」
「「………ゴクッ」」

唾液を嚥下する音が、酷く大きく聞こえた。
シャッハはゆっくりと扉を開き、その中の光景が露わになる。
そして、その先に待っていたのは……

「し~~~~~ン…ぱぁく!!」

右腕を胸の前で回転させ、続いて胸を叩き、最後に『ビシィッ』と前につきだすカリムの姿。
ちなみに脚は肩幅に開き、左手は腰の後ろ。まごう事なき、新白連合流の挨拶である。
さらにその後ろには、デカデカと連合の旗が掲げられていた。

その後も、ツボにはまったのか飽きる事なく「し~ん…ぱぁく!」と繰り返すカリム。
シャッハは見るに堪えないとばかりに視線を逸らし、兼一は唖然とし、はやては叫んだ。

「カリム――――――――――――――――――――――っ!!??
 い、いったいどないしたんや―――――――――――――――っ!?」
「あラ、はやて。し~ん…パぁく!」
「しんぱく…やなくて! な、なんでこんな事に!? ちゅうかなんやねん、その変な挨拶!」

姉同然の人の変わり果てた姿に、ワナワナと震えるはやて。
だが、カリムはそんな事など毛ほども気にする事なく、恍惚とした…だけどどこか虚ろな目で語る。

「はヤて、私は目覚メたのよ」
「ぇ?」
「あノ日…そウ! 新島総督に出会っタ記念すべきあの日! 私は天啓を得たノ!
 総督は滔々ト世界のあるベき姿を語り、私達の目指す先を示してクださったわ。
 そう、世界は新白連合を中心に回ルべきなのよ。そレこそが真の平和への道にナるでしょウ!
 コれぞまさに聖王さマの思し召しよ!!」
「んなアホなぁ――――――――――――――――――――――――っ!?
 しっかりしぃ、カリム! それは夢や! はよう悪夢から覚めなアカン!
 現実を、本当の自分を思い出すんや!!」

カリムの肩を掴み、ブンブンと揺さぶりながら正気に戻れと呼びかける。
それは天命に背く悪魔の誘いだ、そちら側は人の道からも外れた魔道だと。
しかし、どれだけ言葉を費やしてもはやての言葉は届かない。

「ちがウわ、はやて。今の私こソが本当の私、今まデの私が偽りだったのよ。
 コれから私は、新島総督と共に真の正道を歩ムの!」
「あ、アカン……こんなん、どないすればええんや……」

うちひしがれた様子で絨毯に跪き、絶望の底に叩き落とされる。
シャッハが何故ああまで憔悴していたのか、はやては今全てを理解した。
きっと彼女も、なんとかカリムを正気に戻そうとあらゆる努力をしたのだろう。
だがその全てが徒労に終わり、残ったのは虚ろな目のカリムだけ。
それは、確かにもう何をどうしていいかわからないだろう。

「なんで、なんでこんな事に……」
「あら、そチらはもしや白浜隊長でハ! ああ、いツかお会いしたいと思っていた生きた伝説、新白連合結成の立役者にお会い出来るなンて………………今日は、なんと素晴らしイ日なのでしょう」
「は、はぁ……あの、カリム・グラシアさん、ですよね?」
「まぁ、そんな他人行儀ナ……気軽にカリムとお呼ビください、白浜隊長」
「はぁ……」
「ソうそう、シャッハ。白浜隊長とハやてにお茶とお菓子をお持ちして。
 折角オいでくださったんですもの、誠心誠意おもテなししないと。
 ああ、そうダ。白浜隊長、もしよろしけれバ是非とも数々の武勇伝をお聞かせください。
キっと、我が家の子々孫々ニ至るまでの栄誉となるでしょう」
「新島の奴、カリムさんを洗脳したな? あの宇宙人め、何を考えてるんだ……」

恍惚とした表情で兼一との対面を喜ぶカリムを余所に、苦々しそうに呟く。
兼一は理解したのだ。カリム・グラシアの身に起こった悲劇の正体に。

「洗…脳? 洗脳とはどういう事ですか!?」
「兼一さん、何か知ってはるんですか!?」
「ブレイン・ウォッシュ、新島の得意技ですよ。アイツは長時間相手を理詰めにする事で、他人を意のままに動かす事が出来るんです。特に、一本筋の通ったいい人ほどよく効くみたいでして」
「では、カリムはそれで……」
「おそらく」

しかし、兼一が知る頃よりも格段にレベルアップしている。
まさか、僅か三十分足らずの間にここまで洗脳しきるとは。

それもカリムは教会の人間、即ち聖職者だ。
新島の天敵と言っても良い人種なのに、この洗脳の完成度と言ったら……。

「やはり、あなたをお呼びして正解でした。
お願いします! カリムを、カリムを助けてください!」
「私からもお願いします! お礼なら、お礼なら何でもしますから!!」
「えっと…その……」

まるで余命幾許もない家族の延命を請うかのように、兼一に縋りつく二人。
気持ちは分かる。兼一とて助けてやりたいとは思うし、自身の身内がこうなったら同じ事をするだろう。
故に、彼に拒む理由はない。それに、どうにかする手がなくもないのだから。

「……わかりました。全力を尽くします」
「「あ、ありがとうございます!!」」
「ですがその前に……カリムさん、新島の奴に何か頼まれたりしませんでしたか?
 できれば教えていただけると……」

そう、新島が洗脳したからには何かしらの指示があった筈だ。
洗脳を施した事は、遅かれ早かれ兼一に知られる。
そうなれば、いずれは対処されるだろう。
それを予想しない新島ではないし、ならその前に手を打っている筈だ。

「……申し訳ありまセん。総督カら、決して誰にも話してはいケないと」
「そうですか……」

申し訳なさそうに顔を伏せるカリムに、兼一もそれ以上追及はしない。
予想はしていたが、やはり予防線を張られていたか。

「あの、そんなあっさり引き下がってええんですか?」
「どの道、今のカリムさんは答えてくれませんよ」

はやての問いに、兼一は眼を伏せて首を振る。
洗脳による支配は完全だ。何をした所でカリムが答える事はあるまい。
なら、さっさと洗脳を解くだけだ。

「ですが、どうやって解くのですか?」
「まぁ、見ていてください。カリムさん」
「ハい?」
「忘…心……………波衝撃!!!」
「「ああ!?」」

名を呼ばれカリムが兼一の方を向いた瞬間、こめかみの辺りを両手で挟んで叩く。
強烈な振動に頭部が左右に激しく揺れ、続いてカリムの体は力なく倒れる。
絨毯に倒れ伏す直前、差し挟まれた兼一の腕がその身体を救いあげ、近くにあったソファにその体を横たえた。
一瞬の出来事に硬直していたはやてとシャッハだが、我に帰るや慌てた様子でカリムに駆けよる。

「カリム……カリム!」
「兼一さん、何を……!」
「これで大丈夫です」
「「え?」」
「カリムさんが洗脳されてから今までの記憶を、まとめて消しました。
 新島に何を指示されたかはわかりませんが、これで洗脳は解けた筈です」

『忘心波衝撃(ぼうしんはしょうげき)』、それは無敵超人が誇る百八つの必殺技の一つにして、ある程度任意に記憶を消去する超技。
兼一では長老ほどの繊細なコントロールはできないが、それでも一定範囲の記憶を消す位はできる。
今回の場合、洗脳を受けていた期間も短く、その影響を完全に取り除くためにその間の記憶の全てを消した。
結果論だが、その間の記憶がない事はむしろカリムにとっては救いだろう。

「ぁ、ありがとうございます。ありがとうございます!」
「私からもお礼を言わせてください。カリムの事、ありがとうございました」
「いえ、悪友のしでかした悪事ですから……本当に、あのバカがご迷惑をおかけしました」

シャッハとはやては感謝を現す為に、兼一は謝罪の為に頭を下げる。
その後、カリムが目を覚まし洗脳が解けている事を確認してから、兼一とはやてはその場を後にするのだった。



  *  *  *  *  *



カリム・グラシアが長い悪夢から解放されたのと同じ頃。
とある、人が立ち入る事のない山中の洞穴の奥深くに、外見からは想像もできない機械装置で構築された空間が広がっていた。

洞窟の奥に造られた「悪の秘密基地」的な立地に恥じず、明かりは暗く重々しい雰囲気が漂う。
左右の壁には管理局から目をつけられた数々のガジェットがずらりと並び、さらにその上にはポッドに入った人間が多数。
そんな通路を、いっそ場違いにも思える三人の少女が歩いている。

内訳は赤毛が二人に青髪が一人。
だが、お揃いのボディースーツの様な装いが、彼女らが一般人でない事を示している。

「ったく、いつまでこんな陰気な所にいなきゃなんねぇんだよ」
「そんな腐るなって、ノーヴェ。アノニマートの奴がしょっちゅう外に出てるのが羨ましいのはわかるけどさ」
「べ、別に羨ましいわけじゃねぇよ! ふざけんじゃねぇぞ、セイン!」
「っとと、わかったわかった。だからその拳をひっこめろよな。ウェンディも何か言ってくれよ」
「そうっスよ、ノーヴェ。それに、あたしらももうすぐ出られるんスから、もう少しの辛抱っスよ」
「ちぇっ……」

赤毛の一人、ノーヴェと呼ばれた少女を残る二人、青髪のセインと赤毛のウェンディの二人がかりでなだめる。
ノーヴェは渋々拳を引き、つまらなさそうに堅い床を一蹴りした。

「そういや、今日はアノニマートの奴見ねぇな」
「ああ、そう言えばそうっスね」
「どーせまた外だろ。いいよなぁ、アイツはしょっちゅう出られて」
「ドクターもウー姉達も、アイツには甘いっスからねぇ。
 ノーヴェが焼餅やくのもわからねぇでもないっスけど」
「なんか言ったか?」
「「べっつに~」」
「フンッ!」

不機嫌そうに鼻を鳴らし、そっぽを向くノーヴェ。
そんな姉妹を、二人はやれやれと言った様子で肩をすくめながら見やる。

ノーヴェがアノニマートに必要以上に食ってかかるのは、何も頻繁に外に出ているからだけではない。
彼は一応土産なども買ってくるし、それは姉妹たちにとっても数少ない娯楽だ。
故に問題なのはあの性格と、同じく格闘ベースに闘う身でありながら一度も勝てない事。

「あの野郎、次こそ負かしてやる!」
「その『次』は、いったいいつになるんスかねぇ……」
「次ったら次だ!」
「いいねぇ、楽しみしてるよぉ~」
「おう! 必ず吠え面かかせてや…る?」

唐突に、それまでと違う声が背後からかけられる。
同時に、胸部に発生した違和感。ノーヴェはゆっくりと視線を落とし、その正体を確認する。
そこには自身のまだあまり大きくない胸部を鷲掴みにし、「ふにふに」と揉みしだく手が……。

「て、てめぇ……」
「ん~、ちょっと物足りないなぁ……掌に収まるサイズって言うのも良いけど、いっそ溢れる位って言うのも捨てがたい」
「い、言いたい事はそれだけか、アノニマート?」

肩をプルプルと震わせながら、絞り出すように問うノーヴェ。
その両脇では、セインとウェンディがそそくさと距離を取る。巻き添えを食わないためだ。

「そうだね、無理に減らすのも非生産的だし…………頑張って育ちなよ、ノーヴェ♪」
「よし……死ねぇ!!!」

振り向き様に硬く握りしめた拳を振り抜いた。
しかし怒りの鉄拳は虚しく空を切る。
その後もアノニマートを追いながら「ブン! ブン!」と拳と蹴りを振り回す。
だが、その悉くが回避され、あまつさえ……

「おしぃ! もうちょい!
 いやぁ、前よりキレが良くなってるねぇ~」
「そのうぜぇプラカードを捨てろ、このお気楽極楽野郎!!」

【ビックリだぜぃ!】と書かれたプラカードを手に笑っているのだ。
それはまぁ、気の短いノーヴェでなくてもバカにされていると思って怒るだろう。
というか、確実にバカにしているとしか思えない。

「てめぇ、やっぱりバカにしてんだろ!」
「そんな事ないよぉ~、単にからかってるだけ」
「同じじゃねぇか!!」
「なんか、すっかりおなじみになってるっスね、これも」
「そうだなぁ……良く飽きないよな、アイツら」
「ホントっスねぇ」

通路の隅に移動し、傍観する二人は完全に他人事の様子でコメントする。
とはいえ、別に二人は実害がないから他人事なのではない。
この場合、単に諦めているだけだ。

なにを? アノニマートのセクハラをだ。
何しろ、ノーヴェの猛攻をよけながらちゃっかり二人の尻やら胸やらを撫でて来る。
元々近接戦型ではない二人には、この距離でアノニマートのスピードには対応できない。
できるとしたらノーヴェの他には3番の姉と7番に12番、後は経験豊富な小さい5番の姉くらいか。
ムキになるだけバカを見る。それがわかっているから二人ともスルーしているのだ。

「だぁ、いい加減観念して殴らせろ!!」
「う~ん、これもまた乗り越える試練なのだぁ! ってのはどう?
 フェイト…じゃなかった。ファイトだよ、ノーヴェ!」
「うっせぇ! そもそも、そこは『闘う』じゃなくて『考える』だろうが!!
 わざとらしいぼけも大概にしろ、このアホ!!」

ツッコミの理由は、相変わらずニコニコと笑い続けるアノニマートがいつの間にか持ち替えていた、【人は闘う葦である】と書かれたプラカード。
『フェイト』と『ファイト』を間違えたのと同じく、わかっていて間違えているのは疑うべくもない。
当然、ダメ押しとなる荷連続のおちょくりにより、さらにノーヴェはヒートアップするのだが…………アノニマートは一向に捕まらない。
とそこへ、奥から大小二つの人影が姿を現した。

「騒がしいぞ! いい加減にしろ、お前ら!」
「そうだな、ノーヴェも少し落ち着いたらどうだ」
「でもチンク姉、こいつが!」
「アノニマートもだ、あまりノーヴェをイジメてやるな」
「まだ続けるなら、私が相手になるぞ」
「……ちぇ~、わかったよトーレ」

背の高い方の女性、トーレの言葉に肩を竦めるアノニマート。
ノーヴェもそれで一応は諦めたのか、拳を納める。

「で、今度はなんだ。食事でも取られたか? それともイタズラか?」
「胸部触って物足りないって言われた」
「そうか。なぁ、アノニマート…………………一度死ぬか?」
「やだなぁチンク、一度死んだら終わりだよ?」
「それでも良いから死ぬかと聞いている。というか、覚悟は良いな」
「うん、チンクのを触らせてくれたら死んでも良い」
「なら……「やめろ、チンク。お前まで熱くなってどうする」……すまん」

トーレに諌められ、チンクと呼ばれた眼帯少女は懐から取り出しかけたナイフを戻す。
一時でも熱くなってしまった事を恥じているのか、ただでさえ小さい身体がなお小さくなっている。
ただし、アノニマートは全然懲りる様子がないが。

「まったく、お前らが暴れると被害が大きいと言うのに……」
「あ、もしかして色々小さいの気にしてた?
 大丈夫! 先生みたいな病的な嗜好の持ち主からはむしろ大人気だよ!」
「お・ま・え・は! まだ言うか!!」
「イヒャイ(イタイ)! イヒャイっへは(イタイってば)!」

【ドンマイ!】【でも、ロリっ子万歳】と書かれたプラカードを手に、余計な事を言うアノニマートの頬を、思い切り引っ張るトーレ。
その後ろでは、いよいよ本気で爆殺してやろうと、チンクがナイフを構えている。
しかし、こんな所でそれをされては他の者もただでは済まない。
トーレとチンク、アノニマートを除く三人は死にもの狂いでチンクを止めに掛かった。

「チンク姉ストップ! こんな狭いとこでそれは不味いって!」
「そ、そうっスよ! アノニマートは別にいいけど、あたしたちまで巻き添えになるっス!?」
「え~、どうせなら一緒に死のうよ~」
「ふざけんな!! ……あ、あたしは潜っちゃえばいいんだっけ」
「「一人で逃げるな!!」」

ズブズブと地面に沈んで逃げようとするセインの腰に、ノーヴェとウェンディの二人がタックルをかます。
これによりセインは通路に組伏せられたが、代わりにチンクが自由になる。

「死ねぇ―――――――っ!!」
「「「わぁ―――――――っ!?」」」
「IS発動、イノーメスカノン…ファイア」

今まさに大惨事が起こる寸前、冷めた声と共に投じられたナイフが極太の閃光に飲まれて消える。
閃光は壁に激突する手前でその直径を縮め、やがて消滅。壁には焼け跡一つ残ってはいない。
その閃光の出所に視線を向けると、そこには身の丈以上の巨大な砲を構えた栗色の髪の少女。

「はい、そこまで。やめてよね、家族喧嘩で死人が出るなんて笑い話にもならない」
「ディエチか、助かった……」
「さっすがディエチ、そんなクールな所に痺れる憧れ…あたっ!?」
「アノニマートも、みんなをからかうのはほどほどにね」
「ごめんねぇ~悪気はないんだよ」
「まったく……」

安堵のため息をつくトーレと、はしゃぐアノニマートの頭を長大な砲身で小突くディエチ。
普通なら回避される筈だが、少しは悪いと思っているのか。アノニマートも大人しくそれを甘んじて受けている。

「チンク姉も…って、言うまでもないよね」
「ああ、すまん。姉とした事が……どうも、こいつに言われると無性に腹が立ってな」
「アノニマートは人を怒らせるのが得意っスからねぇ……」
「酷いなぁ。別に、悪気がないのはホントだよ。
 おっきいのも良いけど、僕的には…「おっと、取り込み中だったかな」…って、先生?」

何か言おうとしたところで、皆の前にモニターが出現する。
そこには、紫髪の白衣の男…スカリエッティが映し出されていた。
彼は何やら興味深げに状況を尋ねると、愉快にそうに笑う。

「クックック…やれやれ、君達は仲が良いな。まぁ、良い事だが」
『はぁ……』
「ところでアノニマート、君に見てもらいたいものがあるのだが」
「え? なんです、面白いものですか?」
「ああ、君はきっと気に入るよ」

そう言って、スカリエッティはモニターにとある画像を出力する。
現れた画像には………………………頭にシャンプーハットをつけた裸のチンク。

「チンクたんwithシャンプーハット……特価500でどうだい?
 今ならチラリズムの極致、湯煙ガードバージョンも付けようじゃないか」
「買った―――――――――――――――――っ!!!」
『いい加減にしろ、この変態(ロリコン)!!!』
「あいた!? やめて、物を投げないで!」

近くにあった小石やら鉄材、あるいは靴などが一斉にアノニマート目掛けて投げられる。
その場にいる家族全員からの総攻撃に、さすがにアノニマートも手も足も出ない。
モニターの向こうでは、スカリエッティが「ハッハッハ、やはり君とは趣味が合うなぁ」と笑っている。

「な、何するのさ……」
「てめぇ、胸部はでかい方が良いみたいなこと言ってたのにそれか?」
「え? そう言うのも良いかもって言っただけだよ?
 僕的には、こう掌よりなお小さい位が……」
「うむ。愛でるもよし、育てるもよしと言う奴だ。
 あ、私は等しく愛しているから気を悪くしないでおくれよ」
「ああもう! ここにまともな男はいないのか!!」

つまり、先ほど言っていた「病的な嗜好」と言うのは当の本人の事を指していたらしい。
まぁ、アノニマートの言う事は割といい加減なので、どこまで信じられた物か怪しい限りだが。
とはいえ、それでもトーレに激しい頭痛を覚えさせるには十分らしい。
他の面々も、それは冷ややかな視線で二人を眺めているが、図太い二人は一切気にしない。
とそこへ、スカリエッティとよく似た髪色をした女性が現れた。

「あら、みんな勢揃いでどうしたの?」
「うちの変態共をいい加減抹殺しようか検討していた」
「そんな事は今更でしょ」
「……ウーノ、嫌な事を平然と言わないでくれ」

家族の長女、ウーノの言にいよいよもって頭を抱えるトーレ。
苦労人、そんなテロップが一瞬流れた気がした。

「そうだ、美味しいお菓子が手に入ったからルーテシアお嬢様をお呼びしようかと思うのだけど」
「今お嬢を連れて来るな、貞操が危ない」
「そう。あまり日持ちもしないし……それじゃセイン、ちょっとお使いをお願いね」
「おいーっす」
「くれぐれも尾行には気をつけろ。ドクターとこのバカを近づけるなよ」
「わかってるって!」

ウーノから包みを受け取り、再度地面に潜り始めるセイン。
トーレは一つため息をつくと、セインの後を追おうとするアノニマートを止める作業に入る。
その間に、非戦闘員のウーノは現在動ける最後の妹に回線を繋いだ。

「クアットロ? ちょっと今すぐ来て頂戴」
『え~、でもウーノ姉さま。私ちょっと忙しいんですけど~』
「良いから来なさい。ここがなくなるのに比べればマシでしょう」

繋がった先には、甘ったるい言葉遣いの眼鏡をかけた女性。
みなまで言うまでもないのか、多くを語る事なくクアットロは状況を理解する。

『ああ、またですか?』
「またよ」
『わかりました~。ところで、トーレ姉さまはどれくらいもちそうですか?』

その問いに、ウーノは激しい戦闘音の響く背後を振り返る。
そこは既にトーレを筆頭にした女性陣とアノニマートが激戦の真っ只中。
戦力差は如何ともしがたいが、アノニマートの背後ではスカリエッティが知恵を授けているので中々捕まらない。

「ええい! これだから頭の良い変態(バカ)と腕の立つバカ(変態)が組むと始末に負えん!!」
「精神的には…………限界は近いわね」
『了解で~す。出来る限り急ぎますわ』

通信が切れれば、あとウーノにできるのは待つ事だけ。
ところで、トーレの発言は割と問題だ。
アノニマートだけならともかく、スカリエッティにまであの言いよう。
だが、何しろ事実なので注意すべきか真剣に悩むウーノであった。






あとがき

ちょっと久しぶりの日常編です。
たぶんこれが今年最後の更新になるので、次は新年になるかと。
皆々様、今年も一年間お世話になりました。また来年も御贔屓にしてくだされば幸いです。

それとですね、当SSを書き始めて1月の終わりで一年になります。
今まではRedsの方でやっていたリクエスト企画ですが、あちらはただいま絶賛休止中なので見送りました。
代わりに、今回はこちらでやりたいと思います。
締め切りは…………………………「BATTLE 0」を投稿した1月31日で、感想板の方への書き込みでお願いします。

内容は一応当SSにまつわるもので、その範囲なら基本制限はありません。
なんでしたら、vivid編に先取り的な物でも結構です。
出来れば、大雑把なシチュエーションなどを記入していただけると書きやすいですね。
選び方につきましては、毎度の事ながら私の独断と偏見で選ばせていただきます。
場合によっては二つ以上選ぶ事もありますので、いくらでもどうぞ。

それでは、最後に……皆さま、少し早いですがよいお年を。



[25730] BATTLE 33「迷い子」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:50

蒼い空、白い雲、日を追うごとに高まる気温と肌を撫でる涼風。
絵に描いた様に爽やかな朝でありながら、訓練場は相も変わらずに―――――――――――――――暑苦しい。

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ……」
「う~ん、う~ん……」
「も、ダメ……」
「…………」

地面に倒れ伏し、身動き一つ取れない新人達。
機動六課が始動して既に三ヶ月が立とうとしているが、未だにあまりの運動量に体力が追い付かない。
訓練が終わる頃には、こうして精根尽き果てるのが日常だ。
まぁ、最近はだいぶ肉体改造も進んできているようで、回復も早まっているのだが。
はてさて、それは救いなのか、それともダメ押しなのか。いったいどちらなのやら……。

「はい、今朝の訓練と模擬戦も無事終了。お疲れ様」
『お、お疲れ様…です』
「と言いたいところなんだけど、ちょっと延長戦行ってみようか」
『え”……』

なのはの一言に、四人の声が引きつる。
これだけしごいておいて、まだ追い打ちをかけようと言うのか。
そんな四人を気にすることなく、なのはは笑顔のまま四人の後ろへ場を譲る。

「じゃ、お願いしますね」
「ぬぅん!」
『っ!?』

誰もいないと思っていた背後から返ってきた声に、四人は弾かれたように起き上がる。
そこには、両腕を腰のあたりで構えた兼一の姿。
即座に何が起こるのかを理解するが、今からでは退避も間に合わない。
已む無く、四人は大急ぎで衝撃に備え身構えた。

「梁山…波(気持ち弱め)!!!」
「うわぁぁあっぁぁぁぁぁ!!」
「きゃぁぁあぁぁぁ!!」

諸手による熊手打ちが放たれると同時に巻き起こる暴風。
あまりの拳圧で僅かに体が浮き、非常識な気当たりが意識を遠のかせた。

間もなく突風は止み、重力に従い浮いた体が落下する。
技の性質を考えれば、四人は為す術もなく崩れ落ちていた事だろう。
しかしその実、僅かにたたらを踏みながらもなんとか地面を踏みしめ立っていた。

「ほぉ……」
「わぁっ♪」
「うん」

それを確認し、ヴィータは感心したように吐息を洩らし、フェイトは口元で小さく拍手、なのはも満足気に頷く。
だが、まだ状況への理解が追い付かないティアナは突然の暴挙に抗議した。

「い、いきなり何するんですか!?」
「そ、そうですよぉ~! 幾らなんでも、こんなバテバテの時にしなくても良いじゃないですかぁ!?」
「気当たりで、心臓が止まるかと思った」
「わ、私も……」
「きゅくる~」

ティアナと共に涙目で抗議するスバルと、胸を抑え未だ早鐘を打つ心臓をなだめる年少者達。
しかし四人は気付かない。自分達が立っていられる事がどういうことか、そしてなのはやフェイト、ヴィータが向ける嬉しそうな視線の意味に。
その間にもなのはは両脇に立つ二人へ、確認の意味を込めて答えの分かっている問いを投げかける。

「どうかな、二人とも?」
「合格♪」
「ま、ギリギリだけどな」
「へ?」
「あの、それってどういう……」

とはいえ、いきなりそんな事を言われても何が何やらわからない。
スバルとキャロがその真意を問うと、答えは兼一の方から返ってきた。

「いや、実はね…今のが第二段階クリアの最後の見極めテストだったんだよ。
 はじめの頃のみんななら今ので気絶してた筈だけど…………成長したね」
「言われてみれば、確かに……」
「ま、あんだけ毎日絞ってんだ、これで問題あるようなら大変だっての。
 それこそ、丸一週間全部兼一メニューで行かなきゃなんねぇところだったからな」
(良かった、そんな事にならなくてホントに良かった!!)

エリオは兼一の言葉に納得し、ティアナは実現しなかった最悪の未来予想図に戦慄する。
ただでさえなのはのメニューはかなりきついのだが、兼一のメニューはその比ではない。
その上、兼一が張り切るとなのはもそれに触発されるので、こちらのメニューも輪をかけてきつくなる。
さらに、そんななのはに対し兼一も「これは負けていられない」と頑張る物だから、尚の事エスカレート。
この地獄のスパイラルが構築されつつあるだけに、ティアナの心の叫びはかなり切実だ。

「私も問題ないと思うし、兼一さんはどうですか?」
「うん、いいんじゃないかな」
「それじゃ、これにて第二段階終了」
「やった――――――っ!」
「生きてる! 私達生きてるよ、エリオ君!!」
「うん!」
「人間、意外となんとかなる物なのねぇ……」

なのはの宣言に対し、各々喜びを露わにする新人達。
そんな面々に、フェイトとヴィータから大まかな今後の予定を聞かされる。

「デバイスリミッターも一段解除するから、後でシャーリーのところに行ってきてね」
「明日からはセカンドモードを基本形にして訓練すっからな」
『はい!』
「え、明日?」
「ああ、訓練再開は明日からだ」

ヴィータの言葉に引っかかりを覚えたキャロの問いかけに、ヴィータはその内容を繰り返す。
四人は僅かな時間その意味を租借し、徐々に理解の色が浮かんでいく。
それを見計らい、なのは達ははっきりとした言葉でそれを告げる。

「今日は私達も隊舎で待機する予定だし」
「みんな、入隊日からず~っと訓練漬けだったしね」
「ま、そんなわけで」
「今日はみんな、一日お休みです。街にでも出かけて、遊んでくると良いよ」
『わぁい♪』

なのはの一言に目を輝かせ、歓声を上げる新人達一同。
しかしそこで、エリオがある事に気付く。

「あの、師父」
「ん?」
「ギンガさんは……」
「ああ、今日は隊舎で通常業務。
 さすがに、ギンガまで空けちゃうと手薄になっちゃうからね。
 そっちの休みはまた今度って事で」
「そうですか」
「まぁ、エリオ君たちは気にせず思い切り羽を伸ばしてくると良いよ。何しろ」

自分達だけ休みとなると気が引けるのか、エリオの表情には少々迷いが見える。
そんなエリオに対し、兼一は一端言葉を切った。
そしてやや間を置いてから、兼一は眼から怪光線を放ちながら地獄の片道切符を叩きつける。

「明日からはもっとゴージャスになるから、思い残すことのない様にね♪」
「ぎゃぴぃ……」
(これは、いっそのことこのまま逃げちゃった方が良いのかな?)
(逃げられると思う?)
(無理、ですよねぇ……)

というか、それ以前に管理局員である彼女達が逃走すれば、それは充分な処罰の対象だ。
まぁ、そんな処罰よりも兼一の特訓メニューの方が怖いと言うのは、わからないでもないが。
何はともあれ、こうして機動六課フォワード四名、晴れて一日の休暇と相成ったのであった。



BATTLE 33「迷い子」



その後、スターズはヴァイスから借りたバイクでツーリングに。
ライトニングは保護者に見送られて、シャーリー原案のプランで仲良くお出かけ。
で、残された面々はと言うと……

「むーっ、つまんないよーっ! 僕も行きたーい!」
「ダメだよ、翔。人の恋路を邪魔すると撲殺されちゃうんだから」
「えっ! 殺されちゃうの!?」
「そうだよ」
「なんだか微妙な覚え方してるね、シャーリー」

エリオとキャロが二人だけで出かけてしまったのがよほどつまらないのか、頬を膨らませる翔。
そんなお子様に対し、シャーリーはなんだか妙に生々しい言い回しを駆使して諌める。
別に間違っているわけではないのだが、正解とも言い難い。
まったく、いったい誰に教わったのやら……。

「で、フェイトちゃんも少し落ちついたら?」
「だってだって! 二人ともミッドの街は初めてなんだよ!
 道に迷っちゃうかもしれないし、良くないお店に入っちゃうかもしれないんだよ!!」
「いや、まぁ……」

確かに、絶対にあり得ないとは言い切れない可能性なのは認めよう。
しかし、だからと言って二人を見送ってからと言うもの、仕事も手に付かない程にオロオロと心配するのは行き過ぎだ。あり得ないわけではないが、可能性としては非常に低い。
それに、あの二人はそんじょそこらの大人よりよほど腕が立つ。
仮に何かあっても、ある程度は自力で解決できるだろう。
もし自力でなんとかできないようなら、その時はきっと頼ってくれると思うのだが。

「でもでも!」
「ああ……まぁほら、とにかく落ち着いて。どーどー……」
「あぅ、あぅ~……」

不安のあまり涙目になるフェイトの頭を、優しく撫でてやるなのは。
全く、これではどっちが子どもかわかったものではない。
そこへ、曲がり角を猛ダッシュで駆け抜けて来る赤い小さな影が。

「だぁーっ、やっベぇ遅刻する!」
「って、ヴィータちゃん?」
「おう、なのはか。悪ぃ、時間が押してるからまたあとでな!」
「? 行っちゃった。どうしたんだろ?」

自身の副官が何をあんなにも慌てているのかわからず、フェイトの事をなだめながら首をかしげる。
とそこで、折よく端末を手にシグナムが姿を現した。

「あ、シグナムさん。外周りですか?」
「うむ、108部隊と聖王教会にな。
ナカジマ三佐が合同捜査本部を立ち上げてくださることになって、その打ち合わせだ」
「もしかして、ヴィータちゃんも?」
「いや、ヴィータは向こうの魔導師の戦技指導だ。本人は『教官資格などとるものではない』とぼやいているが、あの様子だと満更ではないのだろう。ただ、急遽その前によるところが出来たとかで……」

あの慌てようと言うことか。
最悪、飛行許可を取れば間に合うだろうが……難しい。
何しろ、そんな瑣末事で飛行許可が出るかはかなり怪しいのだから。

「で、それはいったいどうした?」
「ああ、まぁ…いつものアレです」
「……なるほど、いつもの病気か」
「まぁ、そんな感じで……」

なのはのコメントは実に切れが悪いが、それでもシグナムには充分だったらしい。
呆れた様子でフェイトを見やり、やれやれとばかりに肩を竦めて頭を振っている。

「まったく、仕事とプライベートでの落差が激し過ぎるのがそれの欠点だな。
 いい加減良い年だ、そろそろなんとかならんものか……お前も苦労するだろう」
「にゃははは……えっと、捜査周りの事なんですよね。なんでしたら、起こします?」
「いや、準備はこちらの仕事だ。普段がどれだけポンコツでも、私はそれの副官だからな」

辛辣なコメントに、なのははただただ苦笑いを浮かべるばかり。
出来ればフォローしてやりたいところだが、出来ないのだから仕方がない。
なので、なのはは已む無く話題の転換を図るのだった。

「でも、ヴィータちゃん間に合うでしょうか」
「その点は大丈夫だろう。ある意味、六課最速が脚になってくれることになったからな」
(フェイトちゃん、じゃないとすると……)

六課最速と言うのなら、間違いなくフェイトだ。
が、そのフェイトはこの有様。これではとてもとても……。

しかしそうなると、シグナムが言う「ある意味」での六課最速とはいったい。
とそこまで考えた所で、なのははシグナムの言わんとする事を理解する。

「もしかして……」
「まぁ、そう言う事だ」

遅刻などと言う理由での飛行許可はおそらく出ない。他の魔法による移動もまた同様だろう。
ミッドにおいても、基本的な移動手段は徒歩か車や電車、あるいはヘリや飛行機と言った乗り物が主流。
原則、ミッドでも魔法の使用による移動は緊急時と面倒な手続きを経て許可を取得した場合を除き禁止なのだ。
この辺りには、ミッドの交通事情やら運転する側への配慮やらと、細々と理由があるのだがここでは割愛する。

では、魔法さえ使わなければいいのかと言うと………面倒なことにそうもいかない。
地球に限らず、ミッドにも「法定速度」と言うものがある。
たとえ魔法を使わなくても、車やバイクでその速度を越えれば立派なルール違反だ。

そう、ルール違反だが……要はバレなきゃいいのである。
魔法を使えば、残留魔力などを計測された場合ほぼ確実にヴィータへ辿り着いてしまうだろう。
何しろ、魔力光などからもわかる通り、魔力は個々によって僅かに質が異なる。
そのため、計測された魔力の質と言うのは指紋や虹彩と同域の証拠物件なのだ。

つまり、魔法を使えばバレるのは確実。だが、他の手段ならまだ可能性がある。
面さえ割れなければ、シラを切ることも不可能ではない…………………かもしれない。
非常に分の悪い賭けだが、使った道具を処分して証拠を隠滅したりすれば、あるいは……。

とはいえ、ブッチギリで法定速度を破ったとしても車やバイクではかなり厳しいのが現状。
普通に考えれば、トンデモ級の無理難題だろう。
しかし、生身においては問答無用で六課最速の生き物なら……不可能ではない。

「準備できてっか、兼一!」
「あ、はい、ヴィータ副隊長」

そうして、大急ぎで隊舎前のロータリーに出たヴィータ。
そこにはなのはが想像した通り、ヴィータを送り届けるべく準備していた兼一の姿。
だが、そこでヴィータの脚が止まる。
無理もない。何しろ彼女の眼に飛び込んできたのは……

「って、ママチャリかよ!!」
「ああ、すみません。いまこれしか空いてなくって。
 でも、これでも充分いけますんで乗ってください」
「……………だぁもう、しょうがねぇ!!」

どの道、最早兼一に縋るよりほかないのがヴィータの現状だ。
仕方なく、ヴィータは兼一の後ろに腰かけ、その身体にしがみつく。

「行きますよ! しっかりつかまってくださいね!」
「おう、とにかく急いでくれ!!」
「了解です!!」

上官からのGoサインを受け、兼一は眼から怪光線を放ちながら一気にペダルを踏み込む。
同時にチェーンが、歯車が唸りを上げ、タイヤの焦げる匂いが鼻を突く。
それを認識した時には、既に自転車はスポーツカーも真っ青な速度で疾走を始めていた。

「お、おわぁぁっぁぁあぁぁぁぁっぁぁ!?」
「まだまだ行きますよ――――――っ!!」
「ちょ、ちょ、まっ!?」

普段、空ではこれと同等か、あるいはそれ以上の速度でヴィータは飛んでいる。
しかし、その時と今では大きく異なる点があった。
まず高度。普段のヴィータは地上十数mから数百mの高さを飛んでいる。
対して、今は地上から1mと数十cm。普段より圧倒的に地面から近い分、体感速度は遥かに速い。
さらに、兼一が常識外れの勢いで漕いでいるものだから途方もなく揺れる。
増した体感速度、激しく揺れる車体。さらには限界以上の駆動を強いられた車体から漏れる「ギシギシ」「ミシミシ」と言う異音。これらが相まって、ヴィータの本能的な恐怖を叩き起していた。

「マ、ママチャリでドリフトすんな―――――っ!?」

ゴムの焦げる匂いと共に濛々と煙を上げながら、アスファルトの上を真横に滑って行くママチャリ。
ちなみに、その速度は既に時速200キロを軽くオーバーしている。
それを、呆然とした表情で見送る二人乗りの赤い単車が一台。

「ティア」
「なに?」
「……勝負、してみる?」
「絶っっっっっっっ対にイヤ!!!」

自転車、それもママチャリに負けると言うのは屈辱的だが、それも相手があれなら仕方がない。
むしろ、あんなのの後ろに乗っている上司の蛮勇に涙が溢れて止まらない二人であった。

「どりゃあぁあぁぁぁぁ!! ウルトラショートカットォ――――――っ!!」
「わっ! ばか、どこ突っ込む気だ!?」

道路から外れ、突如森の方へと突っ込むママチャリ。
もちろんこれはオフロード仕様などではないので、そんな所を走る様にはできていない。
いや、走れない事はないだろうが、この速度で突っ込むなど自殺行為以外の何物でもないだろう。
ただ、それ以前の問題として……

「直線距離を突っ走った方が早いに決まってますから!! って、あ……」
「あ、ってなんだよ! あ、って!!」
「すみません…………………………ブレーキが壊れました」

握れど握れど「スカッ! スカッ!」と手応えのないブレーキ。
どうやら、あまりの酷使により早速ワイヤーが切れてしまったようだ。

「遅れても良いから普通に行けばよかったよ、こんちくしょ――――――――っ!」

ちなみにその後、ブレーキは全て脚によって行われたのは言うまでもない。
ただ、刻一刻とママチャリの崩壊も進んで行ったので、目的地にたどり着いた時にはハンドルくらいしか残っていなかったのだが……。
しかしそれでも、なんとか時間通りに着きはしたから、当初の目的だけは達成したと言えるだろう。



  *  *  *  *  *



場所は移って、クラナガンの海の見えるとある公園。
シャーリーの「成功を祈るわ」という激励の意味もよくわからないまま、プランに沿って行動するエリオとキャロ。まぁ、とりあえず二人ともそれなりに楽しんでいるようなので問題はあるまい。
二人は休憩がてら、公園のベンチに腰掛けのんびりと昔話などしながら過ごしていた。

「はぁ、なんだかこんなにゆっくり過ごすのも、凄く久しぶり」
「うん。六課に来てからは、訓練と出動で忙しかったから」
「だね」

のんびりとした空気でよほど気が抜けたのか、まったりと身体の力を抜く二人。
年不相応な様相ではあるが、普段のしごきの反動と思えばそれも納得。
毎日毎日あれだけ絞られれば、たまの休日くらいこう陽だまりのネコのようになるのもいたしかたないだろう。

「でも、翔には少し悪いことしちゃったかも。
最後まで『一緒に行くーっ』って言ってたのに、結局置いてきちゃって」
「うん。それは、確かに……」

一応、シャーリーやギンガからは「気にせず行ってきなさい」とは言われたが、やはり気になってしまう。
身の回りで唯一の年下な事もあり、二人にとっては最早「弟」も同然だからかもしれない。
まぁ、あちらには構ってくれる人も多いので、それほど寂しい思いをする事もないだろうが。
ただ、それでも……

「今度は、三人で遊びに来ても良いかもしれないね」
「それ、すごくいいかも! 翔、きっとすごく喜ぶよ!
 あ、でも…私とエリオ君だけで翔の面倒をみるのは、ちょっと危ないかな?」
「ああ、それは確かに……」

何しろ、幾ら日夜厳しい訓練を積んでいるとはいえ、二人はまだ十歳。
二人で出掛けるだけならともかく、五歳の子どもも連れてとなると……。

「誰かに保護者って事で着いてきてもらえたら、大丈夫…かな?」
「うん。でも、忙しいのにそんなわがままを言うのも……」
「そうなんだよね」

もし他のだれかが聞いていたなら、その程度は気にする事ではないと言ってくれただろう。
しかし残念ながら、この場には年不相応に気を回し過ぎる二人にそれを言ってくれる大人はいない。
いるとすれば、二人と同じようにのんびりと過ごす家族連れか恋人同士。
あるいは、道行く女性に無節操に声を掛けまくるバカくらい。

「お嬢さ~ん! ちょっと僕とお茶しない?
 ……………あら、残念。じゃあ、またの機会で。
 っと、新しい出会いを発・見! そこの道行くお姉さ~ん♪」
「…………………………………………ねぇ、エリオ君。
 もしかしたら私の気のせいかもしれないんだけど」
「き、奇遇だね。僕も、ちょ~っとなんか見覚えのある人を見かけたような気が……」

どこか表情をひきつらせた二人は、油の切れたブリキ人形の様な挙動で声の方に眼を向ける。
するとそこには、軽いフットワークと無駄に冴えた体捌きでナンパをする空色の髪の青年が。

「ん? おお! 機動六課の子達じゃないか。やっほー、久しぶり! 元気してた?」

ようやくあちらもエリオとキャロの存在に気付いたのか、一瞬目を見張り、続いて親しげに手を振って歩み寄ってくる。
律義な二人はついそれに答えそうになるが、慌てて居住まいを正す。
何しろ相手は、以前自分達四人を軽くあしらった相手だ。
たとえどれだけフレンドリーでも、相手は立派な犯罪者。油断は禁物である。

「確か…アノニマート、さん」
「あ、覚えててくれたんだぁ。嬉しいなぁ、感激だなぁ♪」

よほど二人が名前と顔を覚えていた事が嬉しいのか、相貌を崩すアノニマート。
やがて二人のすぐ目の前にまでやってくると、キャロの隣のベンチの空きスペースを指差した。

「ここ、座っても良いかな?」
「え、あ、その……ど、どうしよう?」
「ぼ、僕に聞かれても……」

まさか、歩み寄ってくるだけでなく横に座ろうとするとまでは思わなかったのだろう。
なんと答えたものか、二人はオロオロとした様子で慌てている。
そんな二人をアノニマートは実に微笑ましそうに見やり、続いてちゃっかりキャロの隣に腰を下ろした。

「じゃ、ちょっと失礼して」
「ええ!?」
「まぁまぁ、気にしない気にしない。僕も今日はプライベートでね、ことを荒立てる気なんてないんだ。
それにさ、こんな所で会ったのも何かの縁だし、ちょっとお話ししようよ」
「「は、はぁ……」」

まるで親しい友人の様な振る舞いに、すっかりペースを狂わされた二人。
純朴な二人の困り顔がよほど楽しいのか、アノニマートは終始満面の笑みを湛えている。

(と、とりあえず、みなさんに知らせておいた方が良いよね?)
(う、うん。僕達だけじゃ、多分この人を捕まえられない。今はとにかく、時間を稼がないと……)

徐々に冷静さを取り戻してきたのか、二人は念話で今できる事を相談する。
キャロはアノニマートに気付かれないよう注意しながら、急ぎ全体通信の準備を進めていく。
同時に、エリオはアノニマートの意識を逸らすべく話題を振った。

「それなら……こんなところで何を?」
「え? 見てわかんない?」
「女の人に、手当たり次第に声をかけてる様に見えましたけど」
「うん、所謂ナンパだね。広い人間関係は大事だよ、心と人生を豊かにしてくれる」
「は、はぁ……」

アノニマートのあけすけな態度に対し、エリオは曖昧な表情。
ナンパに対しあまり良い印象がないのもあるが、何か裏があるのではないかと思ってしまうのだろう。

「あ、その顔……もしかしなくても、信じられない?」
「え、いえ、その……」
「まぁ、無理もないか。僕みたいなのが白昼堂々ナンパしてるなんて、自分でも笑えて来るし」
「そういえば、ギンガさんにも声をかけた事があるんですよね」
「まぁねぇ~。あ、もしかして偵察の為とか思ってる?
 それは穿ち過ぎだよぉ。あの時会ったのは本当に偶然なんだから。
 まぁ、興味があったのは否定しないけどねん♪」

その時の事を思い出したのか「クックック」と笑いを堪えるアノニマート。
挙動からはどうにも真意が読み取り辛く、本音と嘘の境界線が見えてこない。
それは二人の経験不足故か、それとも……。

「じゃ、今度はこっちの番。二人は…………………………デート?」
「「えぇっ!?」」
「あ、もしかして図星? ごめんごめん、それはお邪魔しちゃったね。
 お邪魔虫は引っ込むから、あとは二人でお幸せに…プププ」
「ちょっ! べ、別にそんなんじゃありません!」
「そ、そうですよ!」

からかう気満々の顔で二人を煽るアノニマート。
エリオもキャロもすっかり顔を真っ赤にし、大慌てでアノニマートを止めようとする。

「照れない照れない。良いじゃないか、僕はその辺寛容だよぉ。
 あ、ところでエリオ君…………………彼女の食器とか舐める時はばれない様にこっそりね♪」
「ぶはっ!?」
「え、食器? あの、それってどういう……」
「いやいや、恋する男の病気みたいなものだよ。
 好きな女の子の唾液がたっぷりついた品を、こうドキドキワクワクしながら舐めたりしゃぶったり……」
「わぁ―――――――――っ!! な、何言ってるんですか、あなたは!」
「え、エリオ君?」
「ち、違うよキャロ! 僕は別にそんな事……!!」
「ははは、隠す事はないよ。
男なんてどんなに取り繕ったところで、どいつもこいつも本質的にはサカリのついた変態なんだから」

その後も、いくつかの変態的行動を提示して二人をからかい倒す。
徐々にキャロの二人を見る目が冷たくなっていくのは、出来れば気のせいであってほしい。
特に、全く身に覚えのないエリオとしては冤罪もいいところだろうから。
まったく、自分の価値観をいたいけな子どもに押し付けないでほしい物である。

「ま、頑張ってね♪ 僕は君達を応援してるよ、第二次性徴前の交合万歳!」
「「交…合?」」
「あれ、知らない? 交合って言うのはね……」
「子どもに何を吹きこむ気だ、このド変態がぁ!!」
「オフゥ!?」

子どもに余計な性知識を吹き込もうとする変態の首が、大きく仰け反る。
二人が後ろを振り向くと、そこには背の高い青い髪の女性が一人。
彼女は、背後より般若のオーラを立ち上らせながらアノニマートの襟首を掴んだ。

「貴様、通信が繋がらないと思って探しに来てみれば……!」
「いや、トーレちょっとタンマ! っていうかさすがに延髄に膝はヤバいって、マジで死ぬから!!」
「良い機会だ、いっそ死んでしまえ! お前の様な色情狂の姿を見るだけで目が、声を聞くだけで耳が腐る。
いや、そもそも存在するだけで世界が腐る」
「おおう!? 家族へ向けたとは思えない暴言!? 愛がないよ、愛が!」
「ほぅ、ではお前には愛があると? いや、確かにあるのだろうな。年端もいかぬ子どもへの、歪んだ愛が!」
「ちょっと訂正、今週の僕のモットーは『揺り籠から揺り椅子』まで!
 乳児と高齢者には慈愛を、その他には劣情を! ロリも熟年もそれぞれいい物だ!!」
「先週は『ロリっ子万歳』、その前は『巨乳サイコー』だったが……貴様には節操と言うものがないのか!!」
「失礼な! 人様のものに“だけ”は手をつけた事はないよ!」
「自慢にならんわ!!」

未だ延髄への膝蹴りのダメージが抜けきっていないのか、トーレに良い様に踏まれまくるアノニマート。
二人はすっかりその光景に圧倒され、止めようなどとは露ほども思わない。
それどころか、なんとか足止めしなければならないと言うことすら失念している。
それほどまでに、一連のやり取りの衝撃は大きかった。

「はぁはぁ、少しは反省したか」
「………………………………良い♪ トーレ! いや、女王様! もっと踏んでください~」
「ええい、よるな変態!!」

本気で引いているトーレに対し、アノニマートは恍惚とした表情で縋りつく。
だが、そんな不毛なやり取りは始まるのも唐突なら終わるのも唐突だった。

「っと、冗談はこれ位にして」
「………待て、その冗談はどこからどこまでだ」
「いやいや、それは企業秘密だよ? まぁ、結構楽しかったしここまでにしとこうか」
「って、人を置いて勝手に行くな!」

そうして、二人はそんなやり取りを続けながらその場を去ろうとする。
しばし呆然としていたエリオとキャロだが、ギリギリのところで当初の目的を思い出す。
そう、皆が急行するまであと少しの筈。それまでの間、なんとかこの場にあの二人をトドメなければ。

「ちょ、ちょっと待ってください!」
「そ、そうですよ! まだ話は……!」
「いやぁ、出来ればもっとお話ししたいのは山々なんだけどね。
 でも、もう少しするとおっかない人達が来るんでしょ?」
「「っ!?」」
「今日はそう言うつもりで出てきたわけじゃないからね、ここは兵法三十六計逃げるに如かずなのさ!!
 さあ、行くよトーレ! 夕陽の向こうへ」
「今はまだ昼過ぎだ、バカ者が……」

どうやら、二人の考えはすでに読まれていたらしい。
アノニマートはトーレを伴い、足早に公園を後にする。

エリオとキャロも慌ててその後を追うが、路地を一つ曲がったところでその姿を見失ってしまった。
その後も辺りを捜索するも、二人の影も形も見つからない。
やがて、スバルとティアナに合流するのだが……

「すみません」
「見失っちゃいました」
「ま、まぁ、ほら、あんまり気にしないで」
「そうよ、相手が相手だしね。遭遇したのが私達でも大差なかったと思うし」

何しろあのギンガでさえ、完全な流水制空圏を会得した事でようやく対等に戦えたような相手だ。
現状エリオとキャロ、あるいはスバルとティアナだけで対処できるとは思えない。
キャリアの分もう少し足止め出来たかもしれないが、それでもだ。

「それより、ロングアーチと連携して……」
「ねぇ、ティア。ティアってば……」
「ああもう、なによスバル!」
「なんかさ、変な音聞こえなかった?」
「スバルさんもですか?」
「じゃあ、エリオも?」
「はい。ゴリッというか、ゴトッというか……」

スバルとエリオ、二人が視線を向けたのはとある路地裏。
二人は駆け足でその奥へと向かうと、そこにはなんの変哲もないマンホールが一つ。

しかし、その極々ありふれたマンホールに、異変が起きる。
重々しくその蓋が下から押し上げられ、姿を現したのは翔と同年代と思しき少女。
少女はマンホールからはい出した所で力尽きたのか、そのままアスファルトの上で倒れ伏した。

エリオとキャロ、それにスバルは急いでその少女へと駆け寄る。
ティアナは事態を報告すべく六課本部との通信回線を開き、現場状況の報告を始めた。

「スターズ4から、ロングアーチへ。
 アノニマートとその仲間と思しきトーレと呼ばれた女性を見失い、周辺を捜索中に身元不明の少女を発見。
 場所は3rdアベニューF23の路地裏。少女は意識不明、またレリックと思しきケースを所持しています」
「……本格的に不味いね。ごめん、みんな。悪いけど、今日のお休みは諦めて」
「いえ」
「大丈夫です!」
「救急の手配はこっちでする。みんなはその子とケースを保護。それと応急手当もお願い。
 あと、アノニマート達が戻ってくるかもしれないから注意して」
「「はい!」」

こうして、ようやく得たと思った休日は儚くも荒事によって塗りつぶされた。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、とあるビルの屋上。
トーレと共にエリオ達から雲隠れしたアノニマートは、そこで事のあらましを聞かされていた。

「ふ~ん、マテリアル…ねぇ」
「ああ、恐らくだがドクターの探しものでまず間違いない」
「確か、『聖王の器』だったっけ。それにルーも?」
「レリックも絡んでいる。お嬢も捜索に協力してくださることになった」
「オッケー、それなら僕も行くよ」

本人はあまり興味がないらしいが、ルーテシアが動くと聞いて重い腰を上げる。
そんな彼に対するトーレの視線は、どこまでも冷たい。
まぁ、先ほどまでのやり取りを考えれば無理もないが。

「わかっていると思うが、お嬢に手を出すなよ」
「いや、さすがにルーやアギトには出さないけどね」
「どうだかな」
「だって、さすがにそれは犯罪でしょ? って、いっけない、僕たち犯罪者だったっけ。アーッ、ハハハハー!」
「そう言う所が信用できんと言うのだ、お前は」

実に頭が痛そうにするトーレ。
日頃の苦労がしのばれる限りだ。

「ま、それは置いておくとして、僕はどうすればいいの?」
「私は念の為の保険だが、お前は好きにしろ」
「いいの? なら、好きにやっちゃうけど」
「だから、はじめからそう言っている。
ただ、あまりあれは使い過ぎるな。私達と違って、お前のそれは負荷が大きい」
「なんだかんだ言って、トーレって実は優しいよねぇ。そう言う所、結構好きだよ」
「無駄口を叩いてないで、行くならさっさと行け」
「はいは~い。じゃ、とりあえずルーと合流するところから始めようかな、それとも足止めかなぁ……」
「まったく……」

明確な行動方針さえも決めないまま、その場から姿を消すアノニマート。
それを溜め息交じりに見送り、トーレもまた敵の索敵範囲外から状況を把握できるポイントへと移るのだった。



   *  *  *  *  *


ヴィータを陸士108部隊に送り届けた後。
少々久しぶりとなる108の面々との旧交を温め、そろそろ帰路に付こうと表に出た兼一。
だが、そんな兼一を慌てた様子でゲンヤが呼びとめる。その内容は言わずもがな……

「レリックが?」
「ああ、街に出てたスバル達が見つけたらしい。いまは身元不明のガキの応急処置とブツの封印処理をして現場を確保しつつ、六課からの応援を待ちながら周辺を警戒してるみてぇだな」
「ヴィータ副隊長は?」

戦技指導の為に来たヴィータだったが、開始早々の緊急事態。
本来は海上での演習の予定だったが、最早それどころではない。
こういう時、ゲンヤは話しが分かるので有り難い。
彼はヴィータに対し、即座に応援に向かえるように手配してくれていた。

「八神んとこの嬢ちゃんにはもう許可は出してある。今頃、海上をかっ飛んでる筈だ。おめぇも急げ」
「はい!」
「車……はいらねぇな。経路は指示するからそれに従え、いいな?」
「いえ、方角だけ指示してもらえれば大丈夫です。真っ直ぐ行けばいいだけですから」
「?」

兼一の言葉に、眉をしかめるゲンヤ。
空を飛べない兼一では、どうやっても海が邪魔で直線距離を進む事は出来ない。
故に、どうしても海を迂回する形で移動しなければならない筈なのだが……。

「それで、方角は?」
「向こうだけどよ。まさか、泳いでいくつもりか?」
「泳ぎにも自信はありますけど…そんな悠長にはしていられませんから、もっと早い方法で行きます。
 まだあんまり長い距離は出来ないんですけど、向こう岸くらいまでならなんとか」
「って、お前まさか……」
「すみません、急ぎますので!!」

言って、兼一は大海原へとその身を投じる。
足から海面へと飛び込み着水する寸前、力強く水面を“踏んだ”。

「だっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「…………水の上まで走れんのかよ、おめぇは」

白い飛沫を上げながら海面を蹴り、瞬く間に小さくなっていく兼一の背中。
兼一の非常識にはだいぶ慣れたつもりのゲンヤだったが、まさか水面を走って移動できるとは……。
まぁ、これまでの数々の非常識を知る身としては、呆れこそすれ最早驚く気にもなれないようだが。
とはいえ、兼一とてさすがに海を走って渡ると言う荒技は決して簡単なものではない。

(っとと、やっぱりまだまだ長老みたいにはいかないか。どうもまだイマイチ力の加減が……)

兼一にこれを教えた長老ならば、海を走って国境さえも超えられるだろう。
だが、そもそも彼は液体と言う非常に不確かな足場の上を走っているのだ。
その上蹴るべき水面は波と共にユラユラと揺らめき、不規則にその流れを変えると来た。

舗装されたアスファルトや、ある程度の硬さのある地面とはまるで要領が違う。
地面を走るのと同じ感覚でいると、たちまち水中に沈んで行ってしまうだろう。というか、普通は沈む。
おかげで、まだ不慣れな所のある兼一としては、海を走って渡ると言うのは中々に神経を削る作業なのだ。
そうして彼なりに沈まないよう注意しながらある程度の距離を進んだところで、通信が入る。

「兼一さん、こちらロングアーチのアルトです…………わ、ホントに海の上走ってる」
「あ、アルトちゃん。ごめん、出来れば手短にお願い! これ、結構きつくて」
「は、はい! えっと、六課からの応援は間もなく現場に到着。ですがレリックのケースはもう一個あったようで、応援が到着し次第フォワード達は地下に潜ってレリックの捜索に当たる予定です。
レリックと女の子に関しては、安全が確認でき次第ヴァイス陸曹のヘリでシャマル先生とリィン曹長が護送します。ただ、シグナム副隊長も聖王教会から向かってくださっている様ですが、距離がありますので……」

到着には、些か時間がかかると言うことか。
隊長二人については、状況に合わせて臨機応変にといったところだろう。

「ギンガは?」
「ギンガさんは別ルートからの捜索です。
 まだ場所が特定できていませんし、現場付近でアノニマートの姿も確認されていますから」

近くに敵がいるのなら、レリックの事は相手も察知している可能性が高い。
そうなれば、ここから先は早い者勝ちの争奪戦だ。
相手側はわからないが、六課側はまだ目当ての品の場所を特定できていない。
そうである以上、一か所にかたまっているよりある程度バラけていた方が都合は良い。

理由はいくつかあるが、狭い地下道で大勢が固まっていてもかえって動きを阻害する可能性があるというのが一つ。なにしろガジェットだけならいざ知らず、素早いアノニマートが相手だと命取りになりかねないのだ。
もう一つが、バラけていればレリックを発見できた時にいずれかのグループが近くにいる可能性が高まるから。
その分グループあたりの戦力は低下するが、ギンガなら一対一でもアノニマートをある程度足止め出来るし、今の新人達ならチームでなら不可能ではないとの判断。
もし地下で遭遇しても2グループのいずれかが足止めし、もう片方が状況に合わせて救援か、あるいはレリックの捜索に当たればいい。

「そうか、彼が……」
「っ! ガジェットの反応を補足! 地下水路に数機ずつのグループで総数……20!
 また、海上方面にも12機単位が5グループです! スターズ1ライトニング1は海上の北西、スターズ2とリイン曹長が南西方面を制圧。兼一さんは地下のフォワード達の支援に向かってください!」
「了解!」

状況が動き出したのに合わせ、兼一も速度を上げる。
対岸はもうすぐそこだ。
海上よりよほど動きやすい陸地に上がってしまえば、障害物は多いがぐっと動きやすくなる。
ロングアーチからの誘導があれば、兼一の脚力なら極短時間のうちに合流できるだろう。

(そう言えば、手短にって言ったのに全然短くなかったなぁ……)






あとがき

明けましておめでとうございます。
新年第一回目の投稿、ようやくヴィヴィオの登場です。と言っても、台詞の一つもありませんがね。
ヴィヴィオに台詞がつくのは、多分次の次辺りでしょうね。
まぁそれも、予定通り次で今回の戦闘が終わればの話ですが。



[25730] BATTLE 34「I・S」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:50

空と地下、双方で繰り広げられる殲滅戦と争奪戦。
自体が刻一刻と混迷の度合いを深める中、更なる因子が動きを見せる。

管理局の魔力探知の網から逃れ、コンクリートジャングルにたたずむ大柄の黒い影が一つ。
目深にかぶったフードのせいで顔は見えないが、その筋の者なら一目でわかる程に研ぎ澄まされた佇まいだ。

だがその実、彼の心中は穏やかとは言い難い。
なにしろ、ツレの者との待ち合わせ場所に到着してみれば、影も形も見当たらないのだから。
それどころか、遥か遠方では盛大に戦闘が行われている始末。
挙句の果てに、その参加者達は彼にも見覚えのある面々と来た。

「あの幻影、ナンバーズ達も動いているのか。となると……」

見る限り、空で戦っている機動六課の面々は良くやっている。
かなりの数にのぼる敵性兵器と、未知の敵が仕掛ける幻影による撹乱。
それらに対し、敵を決して市街地に近付けず、広域攻撃が始まってからは一方的な戦況だ。

その手際には純粋に称賛の念を覚えるが、だからこそツレの事が気にかかる。
機動六課とガジェット、それにナンバーズが絡んでいる以上、「レリック」が関与している可能性は高い。
もしそれを持ちだされれば、幼い被保護者はこの件に踏み込んでしまうかもしれない。
普段なら自分が傍にいて諌めるなり、相手方を牽制するなりするのだが……。

「やはり、別行動などとるべきではなかったのだ……」

本人は『大丈夫』と言っていたし、先の事を考えてその自主性を尊重したが……。
やはり無理にでも傍にいるべきだったと、今更ながら後悔する。
とそこへ、遥か上空より小さな……リインフォースと大差ない背丈の小人が空気を裂きながら急降下してくる。

「旦那――――――――――――っ!!」
「アギトか、ルーテシア達はどうだった?」
「ダメだ、やっぱりアイツらに頼まれてレリックを探しに行ったみてぇだ」
「そうか……」

案の定と言えば案の定であり、出来ればそうであってほしくなかった現実。
ルーテシアも、せめて自分達と合流するまで待ってくれればよかった物を。
まぁその場合、高確率で出遅れてしまうのは間違いない。
その意味では、迅速に動くにはこうする以外になかったのはわかる。わかるが、それでもと思ってしまう。

「ったく、あんの変態医師めぇ~!!」
「文句を言っていても仕方がない、俺達も潜るぞ」
「ぉ、おう!」

旦那と呼んだ男に促され、アギトは慌ててその肩にしがみつく。
男はアギトが振り落とされない様に軽く支えながらビルの屋上の床を蹴り、その身をコンクリートジャングルに踊らせる。

魔力は極力使用しない。
この状況ではよほど目立つ事でもしない限り追手がかかる事もないだろう。
特に彼の場合、そもそもが「死んだ」事にはなっているが、念には念をだ。
彼自身の目的の為にも、ルーテシアとの合流を邪魔されない為にも、今は『急がば回れ』の時だから。

男はビルの壁面を一気に駆け降りながら、地下へと潜る為のマンホールを探す。
その過程で、チラリと空で繰り広げられる壮大な殲滅戦に眼がいく。
丁度そこから視線を眼下に戻そうとした時、マンホールを見つけるより先に……それと眼があった。

(あれは……)

眼が合ったと言っても、彼我の距離は未だ一キロ近くある。
普通なら互いの顔すら認識出来ない程の距離だ。『眼が合う』などと言う自体がそもそも起こり得ない。
しかしそれでも、彼には見えた。尋常ならざる速度で大地を移動する人影と、その顔が。
そして気付いていた、その人物もまた自分の方を見ていた事に。

そんな相方の変化に気付いたのだろう。
アギトは不思議そうにフードの中の厳めしい顔を覗き込んできた。

「旦那?」
「アギト、お前は先に行け」
「え、でも……」
「俺の事は気にするな、後から必ず追い付く」

逡巡するアギトに対し、安心させるように声音を意識しながら語りかける。
こう言ってはいるが、そう簡単にいくとは思っていない。
何しろ相手は、彼も一目置くあの男と互角に戦い、あの男もまた勝利してなお敬意を惜しまなかった武人だ。
立ち会うなら、自身もまた相応の覚悟がいる事を、彼は良く理解している。
だが、そんな内心はおくびにも出さず、男はアギトに対し不器用な言葉を紡いだ。

「それとも、俺が負けると思うか?」
「っ! そ、そんなことあるわけねぇだろ!
 旦那が…旦那が管理局のやせっぽち共なんかに負けるかよ!」

よほど男の強さを信頼しているのだろう。
アギトは即座に反論するが、それで逆に引っ込みがつかなくなった。
そう信じているからには、これ以上その身を案じる事などできる筈もない。
しかし、そんな男の考えがわからない程、アギトも馬鹿ではなかった。

「そう言う事だ。なら、何も迷う事はない」
「………旦那、そう言うのってすっげぇズルイと思う」
「すまんな」

憮然とするアギトに謝りながら、巌の様なゴツゴツとした手でその頭を軽く撫でる。
アギトは少し気恥ずかしそうに頬を染めるも、やがて男から距離を取った。

「……わかったよ。あたしはルールーの手助けをして、旦那は局の連中を適当にあしらってから合流。
 それで良いんだろ?」
「ああ、頼むぞ」
「任せろって! 何しろあたしは、烈火の剣精アギト様なんだからな!」
「そうだったな、いらん世話だった」
「おう! じゃ、後でな旦那!」

威勢良く啖呵を切り、アギトは男と別れルーテシアを追って地下へと潜る。
男は行き先を真下から横へと変え、ビルの合間を移動していく。

これだけの距離があれば振り切る事も出来たかもしれないが、問題なのは追いつかれた時。
あれと闘えばルーテシア達を庇う余裕は期待できない。
むしろ、近くで闘えば巻き添えにする恐れすらある。だからこそ、男はアギト達との別行動を選び、足止めを選択したのだが……胸を熱くする高揚があった事もまた、否定できない事実だった。
強者と手合わせしたい、それは武人が等しく持つ欲求だから。

(この身は既に死人、そんな事はわかっている……だが、この熱はまだ冷めてはいなかったか)

久しく感じて来なかった体を駆け巡る血の熱さ。
腕が疼き、得物を握る手が汗ばみ、口腔が乾き、粘性の高い唾を飲み込む。

しかし、悪くない。
それどころか、もしかしたら自分はずっとこの時を待っていたのではないかとさえ思う。
あの日、消えずに燻ぶり続けた命の火を燃やせる、そんな相手との邂逅を。

そうして、二人は対峙する。
片や、地球にあっては「一人多国籍軍」の異名で名を馳せた武人、白浜兼一。
片や、ミッドチルダにあっては希少な古代ベルカ式の使い手にして、地上部隊にあっては貴重なS+ランクの「ストライカー」、ゼスト・グランガイツ。

兼一は名乗りを上げ、相手に何事か問いかけようとするが抑え込まれる。
眼を見れば、相手が己を敵として認識し、何を言っても退きはしない事が一目瞭然だった。
聞きたい事があるのなら、腕づくで聞きだしてみろと、その眼が語っている。
兼一は説得をはじめとした諸々を諦め、心身ともに臨戦体制へと移行。
ゼストはそれに僅かに感謝し、自身もまた長年愛用したデバイスを振り上げる。
瞬く間に彼我の距離は詰まっていき、やがて両雄は互いを間合いに捉えた。

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」

ぶつかり合う、槍の柄と手刀。
衝撃と裂帛の気迫が大気を揺さぶり、名乗りも上げぬ決闘の開幕を告げた。



BATTLE 34「I・S(インヒューレント・スキル)」



場所は移って地下。
ロングアーチの誘導に従ってフォワードの4人が地下道を駆けたその先に待っていたのは、いくつもの石柱が並び立つ開けた空間。
恐らく、大雨の時などに都市の洪水を防ぐために設けられた、調圧水槽の一種だろう。

「すごい……」

漏れたのは、誰のものともしれない呟き。
巨大な物と言うのは、ただそれだけで人を魅了する力を持つ。
ましてやそれが、数えきれない程の数の石柱が整然と林立する、どこか荘厳な雰囲気を放っているとなれば尚更。
四人は僅かな時間、眼前に広がる光景に圧倒され足を止めたが、ティアナはいち早く気を取り直す。

「ほら、いつまでもぼーっとしてないの。手分けしてケースを探して、即封印。いいわね?」
「「「うん(はい)!」」」

ティアナの指示に従い、四人はそれぞれバラけてレリックの捜索に当たる。
おおよその目星は付いているとはいえ、縦横共に200mを優に超える巨大な建造物。
水の流れによってここまで来た事を考えれば、今も少しずつ動いている可能性だってある。
隅から隅まで探そうとすれば、それだけで大変な労力を必要だ。

その上、僅かな光源しかない為に薄暗い。
例えば柱の影にあったりすれば見落としてしまう可能性も高いだろう。
故に見落としのない様に注意深く探すとなると、当然その歩みは遅くならざるを得ない。

そうして無言のまま、たっぷりと十数分の時間が経過する。
急いで、しかし慎重に柱の陰などを丹念に調べながらの捜索は遅々として進まない。
これでは皆の胸に苛立ちと焦燥が芽生え始めたのも、無理はないだろう。
だが丁度その時、四方を壁に囲まれた空間ならではの反響を伴いながら、キャロの声が響き渡った。

「ありましたぁ!!」

その声を聞きつけ、キャロの下に集まる仲間達。
レリックを収めていると思われる黒色のケースは、水に濡れてはいるが傷一つない。
これなら、後は簡単な封印処理だけで問題ないだろう。

目的のブツの発見に、僅かに場の空気が緩まる。
しかしそこで、どこか緊張を孕んだ声音でティアナが先を急がせた。

「それじゃ、さっさと封印してズラかるわよ」
「ティア、なんかそれ悪役っぽい……」
「うっさい!」
「でも、どうかしたんですか、ティアさん?」
「ごめん、説明してる時間も惜しいの。できるだけ急いでくれる?」
「え、ぁ、はい」

エリオの問いに対し、ティアナはキャロに封印処理を急がせた。
その表情は硬く、ピリピリと当たりを警戒している。
そんな相棒をいぶかしみながら、スバルは再度ティアナに問いかけた。

「ティア?」
「……こう薄暗いと、何かあった時に対処し辛いでしょ、それだけ」
「そう?」
「そう。あと、ギンガさんに連絡入れておいて、エリオはロングアーチに」
「あ、はい」

もっともらしい事を言いながら、どこか無理矢理に話を切り上げるティアナ。
二人はとりあえず指示に従い、スバルはギンガに、エリオはロングアーチへとレリック発見の報を入れた。
それに対し、ロングアーチからは急ぎギンガと合流するようにとの指示が入り、ギンガからは今こちらへと向かっていると言う報告が返される。

「よし。ほら、私達もさっさと……っ!?」
「ティア、この音!」
「キャロ、上!!」
「ぇ、きゃ!?」

鋭く、コンクリート製の柱を幾度も蹴る音。
それは瞬く間に4人に接近し、四条の黒い光がキャロ目掛けて放たれる。

すぐ傍にいたエリオはキャロを抱きかかえて飛び、四条の黒い光弾を回避。
同時に、ティアナは気配を頼りに姿なき襲撃者目掛けて魔力弾を放つ。

「そこ!!」

放たれた数発の燈色の光弾。狙いは良かったが、襲撃者はそれらを危なげなく回避し、うち一つを弾いてそのまま床を転がるエリオとキャロに追撃をかける。
だがそこへ、スバルが真横から襲撃者を思い切り蹴り飛ばした。

「ぜりゃああぁぁぁぁぁぁ!!!」

重い打撃音と共に、何かが大きく弾き飛ばされる。
元々、先の魔力弾は相手へのダメージを狙ってのものではない。

あれは、敵のおおよその位置を絞り込む為の布石。
感覚的に「あの辺り」と目星を付ける事は出来たが、それだけでは心もとない。
そこで、適度にバラけさせた魔力弾を放って位置を絞り、そこへスバルが割り込んだと言う事だ。

「大丈夫、二人とも?」
「はい、なんとか」
「ありがとうございます。エリオ君も」
「うん」

スバルの背後では倒れていた二人が起き上がり、間もなくティアナも駆けよってきた。
四人は僅かに視線を交わして無事を確認すると、続いて姿なき襲撃者が蹴り飛ばされたであろう方向を見る。
光学迷彩か、それに類するものをかけていたのだろう。
そこには、徐々にその姿を露わにする人間大の、甲殻の鎧に身を包んだ生き物がいた。

「あれは……」

眼前に立つ、異形の存在に警戒心をあらわにする四人。
しかしそれは、思わず前方へと注意が傾き、背後がおろそかになるということ。
それを見透かしたかのように、背後より静かに忍び寄る人影がいた。

「……ぁっ!?」
「しまった……!」

最初にキャロ、続いてティアナが気付いて後ろを振り返る。
そこには先の奇襲で取りこぼしてしまったレリックと、それに手を伸ばす紫の髪の少女。
ティアナは反射的に引き金を引こうとするが、相手の容姿が目に移った瞬間それを自制してしまう。

キャロと同い年くらいと思しき背丈と、どこか人形の様に整った顔立ち。
だがそこには感情の様な物は見受けられず、人形という印象をより一層強くする。
そして少女は、ティアナの一瞬のためらいを見逃さなかった。

「邪魔」

その一言共に放たれる、紫の光の奔流。
二人は急ぎバリアを展開。押されながらもなんとか耐えきるが、同時にその背後でも異変が起こっていた。

光の奔流が放たれると同時に、魔力弾を伴って鎧に身を包んだそれが突っ込んでくる。
スバルとエリオはそれを迎え撃とうと身構えるが、その直前魔力弾がそれを追い越した。
ここで回避すれば、魔力弾は後ろの二人に向かってしまう。
スバルはそれを受け止めるべくシールドを展開、続いてエリオはそれを僅かに迂回する形で飛び出そうとする。
しかしその直前、突如放たれた魔力弾が炸裂した。

「なっ!?」
「これは、煙幕!」

エリオの言葉通り、二人のすぐ前には魔力弾の爆発と同時に酷い煙が発生。
鎧に身を包んだそれの姿を覆い隠してしまった。

そこから、計6発の魔力弾が煙幕を貫いて飛来するも、二人は即座にそれらを撃墜。
この程度の奇襲が成功する様な、生ぬるい訓練はしていない。
しかし敵もさる者。魔力弾の撃墜につかった僅かな時間を利用し、二人の頭上を飛び越える。

それは少女の前に着地すると、彼女を抱えて再度跳躍。その場からの離脱を図る。
もちろん、4人にそれをみすみす見逃す理由はない。
スバルとエリオは急ぎその後を追い、ティアナとキャロからも魔力弾が放たれた。

少女もまたそれらを迎撃しようと魔力弾を放つ。
だが奇怪な事に、真っ直ぐに二人の追撃者と二色の魔力弾へと向かった筈のそれは、何の結果も引き起こすことなく素通りしてしまう。それどころか、まるで陽炎のように揺らめき、消滅してしまった。

「え?」

一瞬、何が起こったかわからず硬直する少女。
その表情には、初めて「困惑」という感情が浮かんでいた。

とそこで、少女を抱えた鎧をまとったそれの脚が止まる。
当然だ。右手には槍を構えた赤毛の少年、左手には拳を突きつける鉢巻きを巻いた少女がいたのだから。

先の追撃してきた二人と放たれた魔力弾はティアナが作った幻術「フェイク・シルエット」。
本当の二人は、見つからない様にこっそり迂回して回り込んでいたという寸法である。

「ごめんね。だけどそれ、本当に危険なものなんだよ」
「僕達は管理局の者です。どうか、それを渡してください」

幼い少女に武器を突きつけるのが忍びないのだろう。
二人の声音にはどこか逡巡の様なものがあり、表情には苦い。
だが、そんな二人に少女は敵意に満ちた視線だけを返す。

「あんま乱暴な事はしたくないけど、仕方がないか。とりあえず拘束を……」

どこからどう見ても、協力的という言葉とは無縁の少女。
已む無く、ティアナとキャロの二人はバインドで拘束しようとするが、その時……

「スターレンゲホイル!!」

あらぬ方向より飛来する薄紫の光弾。
しかし、寸での所でそれに気付いたティアナは即座にそれを撃墜。
いったいどのような効果を狙った物かは定かではないが、とりあえず不発に終わった。

「ティア!」
「その子から目を離さないで!
 敵の狙いはその子の奪還の筈、ならその子とレリックの確保が最優先よ。良いわね!!」

一瞬浮き足立ち、少女への警戒が緩みそうになる相棒に指示を飛ばす。
僅かでも隙を見せれば、その間に少女自身が離脱してしまうかもしれないからだ。
スバルとエリオはその言葉に気を引き締め、少女に対する包囲を固め直す。

同時に、ティアナはキャロと共に先の光弾の射手を見つけようと視線を巡らせる。
そこで、キャロが暗闇の中に何かを発見した。

「ティアさん、あそこ!」
「…………アンタは」
「ヤッホー、助けに来たよ、ルー」
「大丈夫かルールー、ガリューも。
あたしたちに黙って勝手に行っちまって、あたしも旦那もすっげぇ心配したんだからな!」
「アギト、それにアノニマートまで。どうして?」
「ん? 丁度すぐそこでアギトと合流したから」
「ううん、そうじゃなくて……」

上手く質問の意図が伝わらなかったらしく、的外れな返事が返ってくる。
だが、ルーと呼ばれた少女が改めて問い返そうとする前に、アノニマートの視線が移された。

「それにしても………ずいぶん成長したみたいだね。
ルーを助けるついでに、あわよくばと思ってたんだけど……ちょっと予想外♪」

口元に指をやり、心底嬉しそうに微笑むアノニマート。
忘れる筈がない、見間違う筈もない。
些か前、四人が手痛い敗北を喫した男なのだから。

しかし、それだけではない。
アノニマートのすぐ横には、フワフワと宙に浮く一対の羽を生やしたリインフォースとほぼ同じサイズの小人。
アギトと呼ばれたその小人は、何やら苛立った様子でアノニマートの耳を引っ張っている。

「って、何余裕ぶっこいてんだ! ここからどーやってルール―を助けるんだよ!!
 姿まで見せちまって、何か考えがあるんだろうな!!」
「アハハハ♪ うん…………どうしようね? 予想以上にみんなが成長しててさ~。いやぁ、困った困った♪」
「ほんとに困ってんのか! つーか、困ってねぇでどうするか考えろよ!!」

あっけらかんと能天気に笑うアノニマートと、その襟首に掴みかかる小人。
一瞬「苦労してるなぁ」と同情してしまいそうになるが、それをなんとか振り払う四人。

「そうだねぇ~……じゃあ、こうしよう。
 ねぇ、君達。ルーを離してくれたら僕達は大人しく帰ろうと思うんだけど、どうかな?」
「それは、レリックは置いて行くって取っていい訳?」
「いやいや、もちろんレリックとルーはセットだよ、うん」

アノニマートの返答に対し、ティアナはあからさまに肩を竦めて溜息をつく。
元々見逃す気などなかったが、あまりにも一方的なその要求には呆れるしかない。
全く、こんなものはとても交渉と呼べるものではないだろうに。

「はぁ、そんな事だろうと思ってはいたけど、話にならないわね」
「あ~、やっぱりダメ?」
「って、お前まさかそんなのが通ると本気で思ってたのかよ!
 バカか? バカなんだな! お前、やっぱりバカなんだろ!!」
「そんなバカバカ言わないでよ、悲しくなるじゃないか」
「悲しいのはあたしだ!! あ~、なんでこんなのを一瞬でも信じまったんだぁ――――――――っ!!」

己の浅はかさを悔い、頭を抱えて唸る小人。
そんな小人に対し、アノニマートは軽く頭を撫でながら身の程知らずな台詞を口にする。

「ほらほら、そんなに怒らないで。すぐ熱くなるのはアギトの悪い癖いだよ。
 ここは冷静に、慎重にルーを助ける方法を模索しないと」
「う~! そうかもしれねぇけど、怒らせてる張本人にだけは言われたくねぇ!」
「まぁ、それはそれとして……交渉は決裂、って事で良いのかな?」
「あれが…交渉とでも言うつもり?」
「でも、悪い話じゃないと思うんだ。だって、それなら………………君達は無事に外に出られるわけだし」
「くっ……!」

傲慢な、成層圏レベルからの上から目線の物言い。
正直、非常に頭に来ているティアナだが……彼女はその怒りを深く呑み込む。
多少成長した所で、アノニマートとの力の差が逆転したと思いこめるほど、ティアナは楽天家ではない。
さすがに、管理局の人間が人質を使うわけにもいかず……。

「どうするの、ティア?」
「全員を確保…は、私達だけじゃさすがに欲張り過ぎね。
 任務はあくまでケースの確保よ。ケースは一応こっちにある以上、死守しながら撤退する」
「その間に、こっちに向かっているギン姉や兼一さん、ヴィータ副隊長にリイン曹長と合流できれば……」

その欲張りも可能になる筈。
この場合、一端少女を手放さねばならないだろう。
さすがに人一人を抱えたままでの離脱は困難だし、手元に置く事で危険が増す可能性もある。
とそこへ、件の面々からの通信が入った。

(よし。中々良いぞ、スバルにティアナ)
((ヴィータ副隊長))
(私もいるですよ)
(リイン曹長。お二人とも、今どちらに?)
(そこから南東に少し離れた所です。だいぶ近づいてますですが、まだもう少し時間がかかりそうですね)

つまり、合流するにはなんとかしばらく時間を稼がなければならないと言うことだ。
無論、自分達だけではかなり難しいだろうこともティアナにはわかっている。
叶うなら、すぐ近くに援軍がいると言う都合のいい状況だと助かるのだが……。

(そうですか………ギンガさんと兼一さんは?)
(兼一さんは地下に潜る前にその人達の仲間と思われる人物と遭遇して、今は戦闘中です。ギンガは……)
(私はあと少しで合流できるわ。だからみんな、なんとか持ちこたえて)
((((了解!))))

これで方針は決まった。ケースを死守しながら時間を稼ぎ、ギンガやヴィータ達と合流する。
それまではなんとしてでも時間を稼ぎ、ケースを死守しなければならない。

「さて、そろそろ時間切れだけど、どうする?」
「良いわ、この子は返す。でも、それが最大限の譲歩よ」
「ダメダメ、ちゃ~んとケースも付けてくれないと」
「二つともなんて欲張りすぎじゃないの? どっちか一つで諦めなさいよ」
「値切るねぇ。この状況でそれをする胆力はたいしたものだけど、残念ながら時間切れ。
 まずは、ルーから返してもらおうかな」

宣告した瞬間、アノニマートはルーテシア目掛けて一直線に疾駆する。
四人は同時にルーテシアを置いて飛び退き、一端大きく距離を取った。

無論、タダでルーテシアを解放するつもりもない。
置き土産とばかりにその四肢にはバインドによる拘束を施し、その上で腕力に優れるスバルがその手にあったケースを奪い取っていた。
スバルはそれをキャロに預け、三人がキャロを守る様に密集隊形を取る。

目的は時間稼ぎであり、ケースの死守。
バラバラになればまずケースが狙われるだろうし、同時に各個撃破の良い的にもなる。
それを警戒しての密集隊形だ。

「大丈夫か、ルールー。怪我とかねぇか?」
「うん、大丈夫。でも、これ……」
「そっか、待ってろ。すぐにあたしがぶっ壊してやっから」
「なら、あの子たちの相手は僕がすればいいってことかな? 
 あ、ガリューはルー達の傍にいてね。ルー達に何かあったらゼ…あの人に悪いし」

甲殻の鎧を纏ったそれ…ガリューは静かに首肯を返し、アギトとルーテシアを守れるように位置取りをする。
これで状況は事実上の1対4だが、それでもアノニマートの余裕は崩れない。
前回、一撃も入れさせることなく圧倒したのは事実。
確かにあちらも成長したようだが、それはアノニマートにも言える事。
『成長する』それが弟子クラスの本分、それ故の自信である。

「それにしても………ねぇ、ランスターさん」
「……」
「言った筈だよね、ここは君の居場所じゃないって。
 君は優秀だ、努力もしてるし覚えも悪くはないんだろう。だけど、やっぱりこっちでやっていくには足りない。
だから足手まといになる前に、ついて行けなくなる前に…分相応に生きるべきだって、僕は忠告した筈だよね。
未練があるのはわからないでもないけどさ、それは不毛だよ」
「うるさい! 黙ってれば言いたい放題……」
「そうです。あなたに、ティアさんの何が分かるって言うんですか!!」
「ティアさんの事、何も知らないくせに勝手なこと言わないで!!」

アノニマートの心ない言葉に、我が事の様に怒りを露わにする三人。
その瞳には仲間を侮辱された事への怒りが満ちている。
アノニマートはそんな三人の反応に好感を覚えるが、同時に気付く。
当の本人であるティアナが、全く反応を示さない事に。

しかも、俯いて表情が見えないと言うのとは違う。
彼女は毅然と顔を上げ、真っ直ぐにアノニマートを見据えている。
その眼に、以前の様な卑屈さ、不安、焦燥といった、諸々の感情の混沌はない。
三人は、そんなティアナの代わりとばかりにアノニマートを非難しているが、それすら彼女は気に留めていなかった。ただ黙って、平然と……いっそ泰然とした表情のまま、義憤に燃える三人をなだめる。

「ほら、別にあんた達が何か言われたわけじゃないんだから、私を置いて熱くならないでよね。恥ずかしい」
「で、でもティア……」
「良いから、ここは私に譲りなさいって」
「う、うん……」

当人であるティアナにそう言われては、三人も引き下がらざるを得ない。
スバルに続き、エリオとキャロも気勢を収め、一歩下がってティアナにその場を譲る。

「さて、とりあえず…………忠告には感謝するわ、って言っておいた方が良いのかしら?」
「あれ? 前みたいに怒らないの? ぶっちゃけ、刺されてもしょうがないなぁと思ってたんだけど」
「別に。アンタの言ってる事は……一応事実なわけだしね。一々そんな事で怒る程、子どもじゃないわよ」
「この前は激昂してたと思うんだけどなぁ……だけど、男子三日会わざれば刮目して見よって言葉もあるか」
「私は女だっての。まぁ、別に許した訳じゃないし、頭に来ないわけでもないわよ。
 ただ、ムキになって否定する様な事でもないって、考え方が変わっただけ。身近に、あんな人がいたんじゃね」

ずっと勘違いしていた、自分が目指す先に辿り着いた男の存在。
話しに聞いたその道程を思い出すと苦笑いしか浮かんでこない。
あれと同じ道を歩み、その先に辿り着けるかと聞かれれば………正直自信はない。
自信はないが、それでもその道を歩もうと思う。
無駄かもしれない、道半ばに果てるかもしれない。それでも、その先があるのだと知ってしまったから。

「そっか、知ったんだ。それなら、やっぱり君は」
「ええ、諦めるつもりなんて毛頭ない。残念ながら、コロコロと生き方を変えられるほど器用じゃないし、望みが薄いからって諦められるほど利口でもないのよ」
「バカだねぇ……分相応に生きれば、それなりに幸せになれるだろうに」
「他人に言われるとムカつくけど、大バカなのは否定しないわ。
もしかしたら、兄さんもそっちを望んでるのかもしれないけど…これは凡人で頭の悪い、私の精一杯の意地よ」
「いいや、それはもう意地じゃなくて…………信念って言うんだよ!!」

言葉を切ると同時に、アノニマートが疾駆する。
目指すは、たった今確固たる信念を表明した少女。
最早、視線の先の少女を「虫けら」と侮る事はしない。

知っている。彼に植え付けられた、元となった人物の記憶が知っている。
あの眼の奥に秘められた光を、大樹を想わせる覚悟を、あらゆる苦難を撥ね退けんばかりの意気を。
その姿が、記憶の中に残るどれだけボロボロになっても立ち上がった男と被る。
それが見間違いでないかどうか、それを明らかにするべくアノニマートはティアナを標的に絞った。
しかし…………………………そうは問屋がおろさない。

「スバル!」
「おう!!」

アノニマートが動くと同時に、ティアナへの進路を阻む形でスバルが前に出た。
コンクリートの床を削るかのように、マッハキャリバーが唸りを上げる。

スバルは右拳を引き絞り、アノニマートもまた貫手を構える。
間合いにとらえても、双方ともにスピードを緩めない。
最高速度を維持したまま、両者は同時に右腕を振り抜く。

「シッ!」
「ぜりゃぁあぁぁ!」

同時に放たれる鉄拳と貫手。
だが、同時に放たれながらも拳速がまるで違う。
スバルの拳が届くより遥かに早く、アノニマートの貫手がスバルへと迫る。

前回の闘いを経て、アノニマートは驕りを捨てた。
如何に力量で上回ろうと、そんなものは自身が思うより遥かに儚く覆されてしまう物なのだと知ったのだ。

故に、適当にあしらうなどと言う温い事はしない。
初手から、一撃で叩き伏せるつもりで打った。

狙いは喉。当たれば戦闘不能は必至、最悪致命傷にもなりかない鋭さだ。
しかし、それを目前にしてもなお、スバルは突進を止めない。

(捨て身…………良い覚悟だ!)

無論、アノニマートとてそれで手を緩めるようなマネはしない。
互いの力量差を考えれば、それくらいはしてきても不思議はないのだから。
だが、そんな予想をスバルは覆す。

あと数ミリで貫手が喉を貫くと言う所で、スバルの姿が掻き消える。
指先に残ったのは、僅かな手ごたえと微かな血糊。
また、空振りに終わった貫手と唯一残されたスバルの右腕が肘のあたりで絡みあっていた。

「おおおおおおおおおおおお!!」

裂帛の気合は、自身の右側面から。
目の端で捉えたのは、大きく腰を落としたスバルの姿。

元々、機動力の大半をマッハキャリバーに委ねているだけに、彼女の脚は走ると言う動作から解放されていた。
そのおかげで、移動しながら別の準備を行う余裕がある。
スバルはそれを利用し、アノニマートの眼前に迫った所で左足を大きく外へ踏み出した。
そうする事で、貫手をギリギリのところまで引き付けた上で僅かに進路を変え、致命の一撃を回避したのだ。
ギリギリまで引き付けた代償に、僅かに首筋に赤い線が刻まれているが、そんな物は些細な事。

スバルが踏み出した左足を力強く踏み込むと、マッハキャリバーがコンクリートの地面に深々と食い込む。
その反動を利用し、硬く握りしめた左拳を脇腹目掛けて拳を振り抜く。

迎撃しようにも、たった今貫手を振り抜いたばかりの右側面では、腕が邪魔をする。
その右腕で防御しようにも、スバルの右と絡み合っているがために咄嗟には動かせない。
防御も迎撃でもできないなか、スバルの左がアノニマートの肝臓目掛けて伸びて来る。
体勢的に回避もできない中、スバルは直撃を確信した。だが……

「……」

アノニマートは体を脱力させ、しなだれかかる様にスバルの方に倒れて来た。
その結果着弾地点がズレ、威力は半減。同時にスバルとアノニマートの体が密着する。
体勢としては、アノニマートの側面にスバルが、スバルの正面にアノニマートがいる形。
互いに手の出しようのない密着状態だが、アノニマートにはその状態から打てる技がある。

「いてて…今のはちょっと痛かったよ。これはそのお返し…さっ!!」

いつの間にかスバルの背には腕が回され、引き寄せられると同時に絶大な衝撃が正面から叩き込まれる。
八極拳の一手、「擠身靠(せいしんこう)」。
本来は相手の半身に回り込み、向こう側の脇腹を手で押さえて肩の内側で当たり、内部に打撃を与える暗勁の技。それをアノニマートは、側面ではなく正面から打ち込んだ。

「あぐっ……」

苦悶の声を漏らすスバル。しかし、互いに密着した状態のまま。
万全な状態ではなかったとはいえ、スバルは今の一撃に耐えてみせた。

(なんともまぁ……頑丈な)

アノニマートはその頑丈さに素直に感嘆する。
指導者の一人に兼一がいる事を考えれば、尋常ならざるタフさも納得がいくが、それでも大したものだろう。

しかし、あまり悠長に驚いてばかりもいられない。
気付けば、いつの間にかエリオが猛スピードで刺突を繰り出してきている。

「っとと!?」
「逃がすか!」

慌ててその場を飛び退くアノニマートだが、彼を追ってエリオもまた刺突の軌道を変える。
互いに斜め上に飛ぶが、体勢不十分のアノニマートと勢いを利用して飛んだエリオ。
さらにその後には、燈色の魔弾をひきつれている。
如何に速度に優れるアノニマートとはいえ、これでは分が悪い。
間もなく完全に追いつき、再度刺突を繰り出す。

「はぁっ!!」

眼前に迫る穂先とその後ろの魔力弾。だがそれらを、アノニマートは冷静に観察する。
当たれば必倒とはいかなくとも、ある程度のダメージは避けられない。
なら、当たらなければいいだけの話だ。

左拳でストラーダの横っ面を殴りつけ、僅かに軌道を逸らす。
そのまま行けば、空中で二人の身体が交錯することになるだろう。
それを見越したアノニマートは、擦れ違い様にムエタイの飛び膝蹴り「ティーカオ」を放つ。
だが、エリオが目の前まで迫った所で、彼の身体が突如後方に引かれた。

その正体はエリオの胴体に巻き付いたピンクの鎖。
キャロのアルケミックチェーンによって、エリオは危機から脱し、アノニマートの膝は空を切る。

そこへ、エリオが引きつれていた魔力弾が殺到。
膝が空振りに終わり、今の体勢では迎撃も間に合わない。
已む無く、アノニマートは体は小さくまとめ魔力弾の間の隙間に身体をねじ込む。

数発の魔弾が体を掠めるが、なんとかやりすぐことには成功した。
だがそこへさらに燈色の魔弾が飛来し、上からは火球が降り注ぐ。
その上、いつの間にかアノニマートの周りにはピンク色の鎖が展開され、彼を拘束するべく蠢いていた。

(やられたなぁ……今のは全部、この布陣を整えるための布石か)

前回と違い、エリオとスバルがとったのは同時攻撃ではなく、僅かにタイミングをずらしての波状攻撃。
まず頑丈なスバルが前に出て、危うくなった所でエリオが隙をつく。仮に一人が突破されても、もう片方がフォローに入る事で、この布陣を潰されるリスクを軽減したのだ。
もちろん二人が成長しているからこそ一時でも単独で戦える訳だが、御蔭でまんまと策に乗せられてしまった。

落下の間でも、魔力弾と火球、そして蠢く鎖に容赦などない。
次々と迫りくるそれらを撃ち落とすことも可能だが、それでは受け身に回ることになる。
それは、正直あまり望ましい状況とは言えない。

アノニマートは足元に展開した魔法陣を蹴り、布陣からの脱出もかねてエリオに迫る。
エリオに近づく程に、敵の攻撃の手は緩んで行く。
当然だ。あまり派手にやれば、エリオに流れ弾が行く可能性が高まるのだから。

勢いをそのままに飛び蹴りを放つが、そこへスバルが割って入る。
スバルはシールドで蹴りを受け止めると同時に、その威力に逆らわずに後方へ飛んだ。
見れば、エリオも既にその場を離脱し、安全圏へと退避している。

近くに二人はおらず、そうなれば後衛が攻撃の手を緩める理由もない。
再度放たれる弾幕を掻い潜り、先に後衛の二人を仕留めようと少々強引に前に出る。
だが、再度それを阻む形でスバルとエリオが前に立つ。
それも、またも僅かにタイミングをずらして。

前にいるスバルを突破しても、すぐにエリオに阻まれるだろう。
その間に、後衛はアノニマートから距離を取りまたも弾幕の雨霰か。

(なるほど、前よりもずっと連携がうまくなってる)

決して後衛にアノニマートを近づけさせず、同時に前衛は無理せず接敵と離脱を繰り返し、後衛の支援で離脱の時間を稼ぐ。これでは、前衛・後衛ともに思う様に崩せない。
しかし、それならそれでやり様はある。

(押してダメなら引いてみろってね)

そう、例えば向こうの方から誘い出すとか。
手を変える事を選択したアノニマートは、前進をやめて後ろに下がる。
その後を追ってエリオが前に出かけ、それを狙ってアノニマートが動こうとした瞬間、鋭い声が飛んだ。

「エリオ、深追いしないで!」

エリオは一瞬驚きの表情を浮かべ、すぐさま元いた位置まで引き返す。
後衛との距離を開け、孤立させた所で叩くつもりだったのだが、当てが外れた。
互いの力量差をよく理解した上で、功を焦らず、状況を読んだ上での判断だろう。

正直、4対1で戦っていると言うよりもチームと言う名の一つの生き物を相手にしている気分だ。
そして、その要は……

(ティアナ・ランスター……)

後方から全体を見渡して前衛に指示を出し、絶妙のタイミングで弾幕を入れているのは彼女の手腕。
だがそれは、少し前までのティアナにはできなかったこと。
結果を求め、成果を急いでいた頃にはなかった柔軟性が、今の彼女にはある。

(モンディアル君とルシエさんも成長してるし、ナカジマさんも拳筋が伸びやかになってる。
 だけどやっぱり、ランスターさんから以前はあった硬さが取れているのが一番の変化かな?)

動きだけではなく、思考においても今の彼女には以前の様な硬さがない。
しなやかで、柔軟に事態に対応するその様は、見事の一言だろう。

(まさか、ここまで化けるなんてね……)

この短期間にいったい何があったか知らないが、その目覚ましい進歩には驚きを隠せない。
技術的な向上もさることながら、それ以上にその硬から柔への心の変化が素晴らしい。
これでは、以前とはまるで別人だ。その上……

「おい、大丈夫なのか!」
「だ~いじょうぶ、大船に乗ったつもりでいなって」

いつの間にか、炎による囲いが出来てルーテシア達と分断されてしまっている。
恐らく、先ほどからのフリードによる支援自体が、この布石だったのだろう。

だが、正直有り難く思う部分もある。
個々の能力ならば、ルーテシアやガリューがそう簡単に遅れを取るとは思わない。

しかし、ティアナの戦術能力が想像以上に高かった。
ルーテシア達が加われば実質4対4だが、拙い連携では翻弄されてしまう可能性がある。
それならいっそ、単独で闘う方が他に気兼ねする必要がない分上手くやれるだろう。
少なくとも、誰かを守ったり庇ったりしながら闘うよりかは、遥かに。

「認識を改めるよ、『ティアナ』さん。君は……………危険だ」
「ぇ?」
「僕は君が怖い。ある意味、ギンガさんよりもね。
君は、僕が世界で一番怖いと思うタイプになりつつある」

アノニマートがそう口にした瞬間、空気が変わった。
『ギシリ』と、空気の質量が数倍になったかのように錯覚する。
重く、苦しく、そして冷たい。

今のアノニマートの眼には、ギンガに向けられたものと同種の光がある。
先ほどまで、アノニマートはティアナを姓で呼んでいたが、今は名で呼んだ。
それは、眼前の相手を「強敵」と認め、この場では見逃すなどと言う温い考えを捨てた事の証。

「だから、君と君が指揮する仲間にはもう……………手は抜かない」
「はん、上等よ! それならこっちも遠慮はしないわ!
 クロスファイアー………シュ―――――――――――――ト!!!」

言い返すと同時に、ティアナの周囲に展開されていた魔弾が一斉に放たれる。
それも、一度撃って終わりではない。
撃った後も弾は残り、次々に魔力弾が放たれていく。

その隙間を縫って突き進むアノニマートだが、そんな彼を阻む形で再度スバルが立ちはだかった。
が、アノニマートはあえてそれを無視し、大きく跳躍する事でスバルの頭上を飛び越える。
スバルの背後に控えていたエリオはその後を追い、真下からアノニマート目掛けてストラーダを突き上げた。

それに対し、アノニマートはストラーダの穂先を蹴る事で軌道を逸らそうとする。
しかし、振り抜いた蹴りは虚しく空を切った。
原因は単純明快。ティアナのフェイク・シルエットである。
予想外の展開と、思い切り振り抜いてしまったが故に今のアノニマートは隙だらけ。
そこへ、この好機を逃さないとばかりにエリオとスバルが躍りかかる。

「うわぁ、これはさすがにヤバいなぁ……」

魔法陣を展開し、足場代わりに蹴って回避するか。
否、その為には最低でも「魔法陣を展開」「跳躍」の2つのプロセスを踏まねばならない。
だが、それでは到底間に合わないだろう。
となれば、選べる選択肢は一つしかない。

「まさか、こいつを使う程に追い込まれるなんて……ホントに、君はおっかない」

最大級の敬意を込めて、アノニマートは呟く。
その瞬間、アノニマートの身体から赤い光が漏れたかと思うと、突如軌道を変え、ティアナ目掛けて一直線に飛ぶ。
結果、エリオとスバルの挟撃は失敗に終わる。

無論、それだけでティアナに辿り着ける訳ではない。
アノニマートは前面にシールドを展開し、次々に飛来する鎖と火球を防ぐ。
また彼の衣装は、元々スカリエッティが開発した特殊素材性の防護服でもある。
着地までに数発ほど掠めたが、この程度なら問題ない。

着地と同時にティアナ目掛けて疾駆する。
要がティアナである以上、彼女を仕留めればこの連携は機能しないからだ。

しかし、そこではたとアノニマートは気付く。
そう言えば、少し前からティアナからの攻撃がなくなってはいなかったかと。

幻術魔法は、何も幻影を生みだすだけの魔法ではない。
他にもいくつかの種類がある。例えばそう、姿を見えなくするとか。

「っ!? やられ……」

背筋に悪寒が走り背後を振り向くと、そこには燈色の光の刃。
アノニマートが危ういところでそれを回避すると、そこには徐々に姿を現すティアナがいた。
その周囲は未だ僅かに陽炎のように揺らめいているが、間違いない。
どこからかは定かではないが、途中でフェイク・シルエットと入れ替わり、自らは姿を消す魔法である「オプティック・ハイド」で隠れていたのだ。

正直、それには驚かされた。
だが、ここに来てティアナは使いどころを誤った。
同じ姿を消すにしても、白兵戦など挑むべきではなかったのだ。
純格闘型のアノニマートと、基本中・後衛型のティアナ。
奇襲が成功していたならいざ知らず、失敗してしまえば一転して自らを危機に陥れてしまうのだから。

「惜しかったね。だけど、それは悪手だよ!」
「そうね。でも、これを見てもそんな事言える?」

ダガーを振り抜いた左手とは逆側。
右手に握られているのは通常形態のクロスミラージュ。
しかしその銃口には、強い輝きを放つ燈色の光の塊。
しかも、周囲に浮かぶ魔力弾が収束し、さらにその輝きを増している。

「いぃ!?」
「こんだけ近けりゃ、幾らアンタでもよけられないでしょ!!」

元々、ティアナはダガーでアノニマートを倒す気などなかったのだ。
それはあくまでも体勢を崩す為の布石。
本命は、あくまでも得意の射撃魔法。それも、なのはから教わった応用法だ。

「いっけぇぇぇぇぇ!!」

しっかりとアノニマートに照準を合わせ、引き金を引く。
放たれるのは、砲撃と遜色ない程の威力を秘めた渾身の一撃だ。

(うわっちゃ~、こりゃ避けらんないぞ……)

視界を埋め尽くす燈色の輝きを前に、アノニマートは悟る。
やられるとは思わないが、それでもこの威力だ。かなりのダメージを覚悟しなければなるまい。
双方ともに直撃を確信したその瞬間、思いもしない横槍が入る。

まず感じたのは衝撃。ただし、魔力弾の直撃によるものではない。
真横から、まるで何かに弾き飛ばされる様なそれ。
同時に、アノニマートその正体を理解する。

「ガリュー!?」
「え!?」

思わぬ救援に、アノニマートとティアナはお互いに驚きの声を上げる。
ガリューはアノニマートにタックルする形で飛びつき、その身体の位置をずらした。
結果、ティアナの一撃はアノニマートに触れることなく、代わりにガリューの鎧の一部を吹き飛ばすに留まった。

とはいえ、あれだけの一撃だ。
直撃しなかったとはいえ、直に身を晒したガリューへのダメージは思いの外大きい。
アノニマートを助けた彼は、その場に膝をつきダメージの深刻さをうかがわせる。
良く見れば、その鎧の所々に焦げ目があった。恐らく、あの焔の壁を強引に突破してきたのだろう。

「まさか、君に助けられるとはね……」

守るつもりが守られた。そんな自分に苦笑する半面、悪くないという気にもなる。
アノニマートはガリューを担ぎあげるが、フォワード達は追撃をかけようと迫っていた。

とそこへ、炎の壁を突き破る形で薄紫の火球が次々と放たれる。
その余波が敵味方双方の身体を煽り、キャロの帽子やティアナの髪止めの片方が宙を舞う。

「おい、大丈夫か!」
「アギト?」
「おし、無事みてぇだな。一人で突っ走ってねぇで、ちょっと一回もどれ! わかったな!」
「ぁ、うん」

なんとなく圧倒されてしまい、大人しくアギトの指示に従いルーテシア達の方へと引き返す。
フォワード達も後を追おうとするが、ばら撒くかのように放たれる火球に足止めされてそれもかなわない。
その間に、ガリューを担いだアノニマートは背後を警戒しながら炎の壁を飛び越え、ルーテシアと合流する。

「ありがと、助かったよ。やっぱり、持つべきものは友達だねぇ」
「は? 友達って誰がだよ?」
「いや、そんな真顔で聞き返さないで。悲しくなるじゃん……ってか泣くよ?」

心の底から「なに寝言言ってんだこいつ?」とばかりに聞き返すアギトと、憐れみを誘う程に肩を落とすアノニマート。
ルーテシアは何も言わず、そんな彼を励ます様に背中を「ポンポン」と数度叩いてやる。

「大丈夫?」
「ガリューが助けてくれたから、ね。まぁ、アギトのおかげで心は重症だけど。でも、ガリューが……」
「うわ、結構派手にやられたな……」

アギトの言う通り、ガリューが負ったダメージはかなり大きい。
無理もない。防御も何も無視して、アノニマートを庇ったのだから。
これは、一度戦線から離脱させねばなるまい。

「まったく、何が『手は抜かない』だ。カッコ悪ぅ……」

どうやら悪癖と言うのは、そう簡単には治らないらしい。
驕りは捨てたつもりだったが、それでもまだどこかに「格下」という意識があったのだろう。
いや、あるいはそれこそ驕りなのかもしれない。
油断でも慢心でもなく、純粋にティアナ達の力量がアノニマートの予想を上回った結果だとしたら。
どちらにしても、アノニマートは自身の認識の甘さを反省する。その上で……

「ここは、一端退いた方が良いかもしれないね」
「お、おい!」
「ここで闘うのはちょっと分が悪いよ。場所を変えて仕切り直して、それからの方が良い。
 それにあの子たち、目的は時間稼ぎだ。なら、いつ援軍が来るともわからない。
 体勢を立て直さないと、ちょっときついよ……」

そこまで言いかけた所で、アノニマートとアギトの二人が天を振り仰ぐ。
とはいえ、二人が感知した者はそれぞれ別だが。

「魔力反応!?」
「この気配、ゼストさん…じゃないね。こりゃ、急いで場所を変えた方が良さそうだ。
 僕が殿になる、ルーとアギト、ガリューは急いで!」
「で、でもよぉ!」
「今日はいい所がほとんどないからさ、これ位カッコつけさせてよ。ほら、急ぎなって!」

そうしている間にも、気配はどんどん近付いきていた。
それに気付いているアギトもやがて折れ、ルーテシアを促してその場から離脱する。
アノニマートもそれに続いて離脱するが、それと前後して気配の主が姿を現した。

「みんな、大丈夫!」
「ギン姉!」
「はい、まぁなんとか……」
「割と綱渡りでしたけどね」
「ティアさん、あれバレたらなのはさんにまた怒られますよ」
「う…だ、大丈夫よ! 別に、そんな危ない無茶ってわけでもないし……」

とはいえあまり自信がないのか、ティアナの眼は若干泳いでいるが。
一頻り皆の無事を確認したギンガは安堵のため息をつき、そこで僅かに逡巡する。

アノニマート達を追うべきか、それともヴィータと合流して指示を仰ぐべきか。
だが、レリックの封印もせずに追うのはリスクが高い。
かと言ってヴィータ達の到着を待つか、封印処理をしてから追うのだと、最悪アノニマート達の行方が分からなくなる可能性がある。場合によっては、敵に罠を張る時間を与えてしまうかもしれない。
しばしの逡巡の後、ギンガは決断を下した。

「私はアノニマート達を追うわ。みんなは封印処理をした上でヴィータ副隊長達と合流して」
「でも、ギン姉! いくらなんでも一人でなんて……」
「だけど、誰かが追わないと。追うだけでもプレッシャーになって罠を張る余裕はなくなる筈よ。
 大丈夫、深追いはしないから」

ギンガの言う事にも一理ある。
放置する時間が長い程に不利になるし、場合によっては取り逃がすことになるだろう。
それを防ぐ為にも、誰か一人は追手をかけるべきだ。
暗い地下水道の中では、ジャミングをかければ人数の全容を把握するのは難しい。
何人で追っているかわからないように工夫すれば、あちらも迂闊なマネはできないだろうから。

「…………はい、お願いします」
「うん。それじゃ」

言って、ギンガは慌ただしくアノニマート達を追う。
しかし、彼女達は一つ失念していた。
人数の全容を把握し辛いのは、なにも相手側だけに限った話ではない事に。



  *  *  *  *  *



「……………………やられた。まさか、途中でわかれてたなんて……」

ギンガがアノニマート達を追って地上に出た時、そこにいたのはアノニマート唯一人だった。
それはつまり、どこかのタイミングでアノニマートがルーテシア達から離脱して単独行動を取ったと言う事。
人数が把握し辛い事が災いし、すっかり騙されてしまったと言うわけだ。

「それはこっちの台詞だよ。まさか、餌に掛かったのがギンガさん一人だけなんて。
 これなら、いっそルー達と一緒にいるべきだったかなぁ?」

アノニマートとしては、もっと大勢で追っているとばかり思っていただけに、当てが外れた気分だ。
だからこそ囮となり、ルーテシア達に掛かる追手を減らそうとしたのだが……。
まぁつまり、お互いにまんまと裏をかかれあったと言う事だ。
そう言う意味では、上手くバランスが取れてしまったとも言えるだろう。

「だけどそう言う割には、あまり残念そうじゃないのね」
「そうだね。正直に言うと、ある意味希望通りだし。
 思っていたよりも早く、この前の借りが返せそうだしさ。
 嬉しいよ、今度こそ………僕が勝つ」
「それはこっちの台詞よ。この前の事に納得してないのは私も同じなんだから」

あの時、決め技を放った瞬間の事をギンガはあまり覚えていない。
後から何が起こったかは知ったが、それでも釈然としないものがあるのも事実。
師の秘技を会得できた喜びとは別の所で、彼女もまたあの一戦には心残りがある。

「ははは、そいつは良いや。なら、今度こそじっくり、心ゆくまで武を競おうじゃないか」

口ではそう言いながらも、アノニマートの表情に笑みはなかった。
口元は引き締められ、眼差しは鋭く、その表には一切の油断も慢心もない。
その赤と青の虹彩異色の双眸からは、初手から全身全霊を持って叩き伏せる気概が見て取れる。

しかし、「心ゆくまで武を競う」というのなら、それこそギンガもまた望む所。
ついさきほど、スバル達がヴィータやリインと合流した旨を伝える通信があった。
ギンガからの報告で、ルーテシア達が別行動を取っている事を知った彼女らは、既にその後を追っている。
スバル達だけでは気を揉む所だが、ヴィータやリインがいるのなら心配はいるまい。
故に、今のギンガは自身の全てをこの一戦に集中させる事ができる。
だがそれは、逆を言えばアノニマートは全く逆の立場にいると言う事。

「と言いたいところなんだけどね。
 ルー達が気がかりだ。残念ながら、悠長に闘っている余裕はなさそうかな……」

アノニマートとしてもこれは折角の好機、気兼ねなく雌雄を決したいのが本音。
しかし、その為にルーテシア達を見捨てる事は出来ない。
ガリューが負傷している今、二人は自分の身は自分の力だけで守らなければならないのだ。
直接フォワード達と手合わせをしたアノニマートは、4対2では分が悪いと判断している。
ましてやそこに、さらに加勢が入れば尚の事。

「そう、あなた……思っていたよりもずっと仲間思いなのね。
 殺人拳の人は口ではなんと言っても、もっと冷たいと思っていたわ」

アノニマートの瞳の奥に『情』の光を見てとったギンガは、素直に感想を口にした。
『非情』を旨とする殺人拳の使い手が、『友』の為に待ちに待った勝負を後回しにする。
だが、思い返してみれば…イーサン・スタンレイもまた、友の為に心を砕いてはいなかったか。

彼らの様なタイプは少数派なのかもしれない。
しかしそれでも、『殺人拳』だからと偏見を持つべきではないのだろう。
ギンガは自らを戒めると同時に、友の為にリスクを追おうとする眼前のライバルに、初めて好感を抱いた。

「否定はしないよ。実際、そう言う人もいるからね。
 ただ僕の場合………………………ちょっと別のアプローチをしてみようと思ったんだ。
 別に宗旨替えをする訳じゃないけど、あの人たちとは違うやり方を……」
「…………それは、あなたにオリジナルの…叶翔の記憶があるから?」

新島による兼一の過去の一部が暴露された後、ギンガはアグスタで抱いた疑問を師にぶつけてみた。
一番弟子という立場にありながら、自分は師の事をあまりにも知らなさすぎる。
その手始めとして、「叶翔」と言う男の事を聞いた。
そこで兼一が語った事柄の一つに、彼の瞳の奥に「壮絶な孤独」を見たと言う事。
それが、アノニマートのあり方に深く影響を及ぼしている気がしてならない。

「そうだね。と言っても、引き継いだ記憶自体が穴だらけで、DofDのことだって良くは知らない。
 そんな僕が………いや、仮に記憶を完璧に引き継いでいたとしても、きっと僕はあの人にはなれないんだろうね。だけど、それでも僕はあの人の血を継いでいる。この血に、遺伝子に、記憶には誇りを感じているんだ。
そんな僕があの人にしてあげられる事があるとしたら、それはきっと…あの人の無念を晴らす事なんだろうね」
「それが、友達を作る事?」
「うん。まぁ、そういうこと」

別に、義務感に駆られているわけではない。
偶々自身のやりたい事と、彼の無念を晴らす事が合致したと言うだけの話。

「それともう一つ………あの人の夢、『最強』の名…かな? 正直、個人的にもその称号には心惹かれてるんだ」
「ダメよ、その称号は……梁山泊のもの。いずれは師匠に、そしていつかは私が貰うつもりなんだから」
「なら、無理矢理にでも奪うだけさ。っていうか、はじめからそのつもりだし」
「やれるものならやってみなさい!」

その言葉と共に、鋼で覆われた左拳を叩きつけるべく、一息に間合いを詰める。
無論、アノニマートとて受け身に回るつもりはない。
ギンガに刹那遅れ、アノニマートもまた打って出る。
放つのはムエタイの「カウ・ロイ」。
両者の拳と膝は真っ直ぐにお互いの顔面へと伸びていき、空中で激突した。

「くぅっ……」

拳と膝、互いに小細工抜きでぶつけ合うが、元より脚の力は腕の三倍。これでは拳の方が分が悪い。
必然、突きを放ったギンガは力負けし体が流れ、アノニマートはその隙を逃さない。

「猿臂落とし(えんぴおとし)!!」

全体重を乗せた両肘をギンガの脳天に打ち下ろす。
上半身は流れ、これでは前後左右どちらにも回避は不可能。
仮に防御しても、全体重を乗せたこの一撃。どんな防御も押し潰す自信がある。

入れば一打必倒もありうるそれ。
防御も回避も困難な状態……にもかかわらず、アノニマートは咄嗟に股を閉じ、足で股間を守る。

その瞬間、アノニマートの脛に重い衝撃が走った。
何が起こったかなど、見ずともわかる。
上半身は確かに流れた。しかし、ギンガの強靭な下半身は微動だにせず体勢を維持し、左右のどちらかまでは分からないが、金的目掛けて思い切り蹴りあげたのだ。
もし気付かなければ、逆にこの一撃でアノニマートの方が沈んでいただろう。
日夜、イーサンより「金的」への注意を組手を通して説かれていることが幸いした。

とはいえ、防いだと言ってもギンガの蹴りは強烈だ。
アノニマートの体は浮き上がり、僅かにできた着弾までの間を逃さず、ギンガは体勢を立て直す。
流れが上体を戻す勢いを利用し、「烏牛擺頭(うぎゅうはいとう)」の要領でどてっ腹に頭突きを叩きこむ。

「……っ! これは……」
「あいちち……脚癖が悪いなぁ、もう~」

確かに入ったにもかかわらず、手応えがない。
それどころか、アノニマートは体がくの字に折れ曲がった事を利用し、背中側からギンガの胴へと腕を回す。
そして、着地同時に一気に抱え上げ、逆回しをするように脳天から垂直に叩き落とした。
プロレスで言う所の「パイルドライバー(脳天杭打ち)」である。

通常のプロレスならば、リングの床は木の板がクッションとなる為よほどのことがない限りは大事には至らない。だが、これは試合でもなければリングの上でもない。
足元を固めるのは、堅固なコンクリート。
如何にバリアジャケットがあるとはいえ、充分過ぎるほどに致命的だ。

「…………ちぇりゃあああああああ!」
「おっと……さすがは一人多国籍軍の弟子。見事な受け身だ……」

両手でコンクリートの床を鷲掴みにし、両足を開いて旋回。
寸での所で離れたアノニマートだが、爪先が掠ったのだろう。
衣服の胸元がぱっくりと裂けていた。

ギンガが生きていた理由は単純明快。
兼一…遡っては梁山泊の指導方針が「守り」を重視する点にある。
兼一はかつて自身が師にされて来たように、毎日毎日ひたすらギンガを殴り、蹴り、投げてきた。
その結果、弟子入りから数ヶ月という短期間のうちに、ギンガの受け身の技術とタフネスは非常に高いレベルに至っていたのだ。
それが功を奏し、咄嗟に両手で頭を抱えこむようにして守っていたと言う次第。

両者は一端間合いを取り、それぞれに気を落ち着ける。
わかっていた事だが、お互いそう簡単には決定打を入れさせてはもらえない。
しかし、それとは別のところでギンガは驚きを隠せずにいた。

先ほど、手応えなく終わってしまった頭突き。その訳が理解できないからではない。
理解できるからこそ、彼女は驚いていた。

「さっきのはまさか………流水?」
「太極拳では『捨己従人』とも言うね。だけど、僕が使うのはそんなに意外かな?
 別に、活人拳だけの技ってわけでもないでしょ?」

確かに、アノニマートの言う事はもっともだ。
だが、ギンガが問題にしているのはそんな事ではない。

「そうね、あなたが使ったのが『ただの流水』なら驚きはしない。
 でもあれは、師匠の『流水頭撃』を意識していた」
「正解。殺人・活人を問わず、優れた技、優れた使い手を敬うのは当然だよ。
 今のは、僕なりの『一人多国籍軍』に対するリスペクトってところかな。
 とはいえ、理屈はシンプルだけどやってみると意外に難しいね。正直、攻撃技に転じる程に自分の身を捨てるのは、僕にはちょっと難しそうだ」

『流水頭撃』とは、太極拳極意の一つ『捨己従人』を利用し、敵の力に逆らわず完全に身を任せた結果、体がくの字に折れ曲がり敵の脳天に頭突きが入れるという、白浜兼一独自の技。
本来ならば、あのままギンガの背に頭突きを入れていたところだろう。
そうならなかったのは、頭突きを受けた際に、まだ体に僅かに強張りがあったから。
この技をよく知るイーサンに再現・指導を頼んではみたが、やはり完全にとはいかなかったと見える。

(だけど、まさかここまで腕を上げているとはね。
 この短期間でこの成長、やっぱり彼の弟子育成能力はかなり高い……)

元々の地力で言えば、アノニマートはギンガを幾らか上回っていた。
しかし、僅か数合の手合わせではあったが、それでも彼は彼我の力量差がかなり埋められていることに気付く。
ギンガと違い、連日連夜指導を受けているわけではないとはいえ、この進歩。
元の素材が良いと言うのもあるだろうが、兼一の弟子育成能力の高さのなせる技だろう。

だが、そうなってくると厄介だ。
普通に真っ向勝負をしていては、闘いが長引く可能性が高い。
ルーテシア達が気がかりなこの状況では、闘いを長引かせる訳にはいかないのだ。
そして、ギンガはそんなアノニマートの焦りを看破している。

「捨て身の特攻でもするつもり? それとも、また『静動轟一』?
 正直、あなたのそうやってすぐに自分を蔑ろにする闘い方が……私は嫌いよ」
「はは、手厳しいね。ま、そう何度も静動轟一を使いたくないのはこっちも同じ。
 体はともかく、心はそう簡単には治らないからね。
凶暴化して戻れなくなる、って言うのもできれば避けたい」

それは、アノニマートの嘘偽りのない本心。
静動轟一の真の恐ろしさは、肉体ではなく精神の崩壊だ。
肉体だけならば治療すれば治るかもしれない。治らなくとも、まだ何らかの形でやり直しがきく。
しかし精神が崩壊してしまえば最悪廃人、運よくそれを免れても人格が豹変するかもしれない。
武術家生命だけではなく、人格の危機が付きまとう技。それが静動轟一なのだ。
この前は調子に乗って使ったが、あの後イーサンと家族に大層怒られたものである。
アノニマートは深く反省し、滅多なことでは使わない事を誓っていた。

とはいえ、静動轟一なしでルーテシア達の下に向かうのは至難。
ギンガを倒すか、倒せないにしろ振り切らねば話にならない。
何しろ、最悪ルーテシアとアギトを抱えての撤退も視野に入れなければならないのだ。
敵の数は、少ないに越した事はないのだから。そうなってくると、アノニマートにもそう選択肢は多くはない。

(こっちもあんまり使うなって言われてるけど、そんな事言ってられる状況じゃないか……)

つい先ほどトーレに言われた事を反芻し、苦笑が浮かぶ。
心配してくれる家族には申し訳ないが、こうなってはやむを得ない。

(目の色が変わった? 何を考えているの……)
「先に謝っておくよ。うっかり殺しちゃったら、ごめんね。
 ここでその命を断つのは本意じゃないんだけど、正直……上手く加減できる自信はない」
「あなた、何を言って……………っ! そんな、なんでそれが……」

アノニマートの言葉をいぶかしむ様に眉を寄せたギンガだが、その顔色が一変する。
原因は彼の足元に出現した真紅のテンプレート。
見覚えのある、見覚えのあり過ぎるそれにギンガの思考が一時停止した。

「君ならわかるでしょ、だって君は…………僕達の同胞なんだから」
「あなた、まさか……」
「気を入れて、死んでも知らないよ。I・S(インヒューレント・スキル)……イグニッション・スキン、発動」

アノニマートが宣言すると同時に、ギンガは反射的に守りを固める。
全身の筋肉をしめあげ、右腕で首を、左腕で頭を守り、有りっ丈の魔力を展開したシールドに回す。
そして、なにかが破裂するような炸裂音がしたと思ったその時には……すぐ目の前にアノニマートの姿があった。

(そんな、幾らなんでも速すぎる……!?)

眼前の敵がどんな予想外の事をしても対処できるように、ギンガは最大級の警戒をしていた。
一挙手一投足、何一つ見逃さぬとばかりに注視していたにもかかわらず、容易く接近されたのだ。
以前であれば、辛うじてだがその挙動を目で追う事が出来た筈なのに。
しかし、いまいったいアノニマートはなにをしたのか、ギンガにはまるでわからない。

だがギンガがどれほど混乱していようと、アノニマートに彼女を慮り手心を加える理由はない。
アノニマートは二人の間に展開されたシールドに掌打を押し当てる。
その瞬間、再度なにかが破裂するような音が響いた。

「っ……!?」

シールドは容易く粉々に砕かれ、ギンガが体は水平に飛びビルの外に放り出される。
しかし、ギンガは即座にウィングロードを展開。
停止するまでに数メートルを要しはしたが、辛うじて踏みとどまった。

「……凄いね。シールド越しだったとは言え、今のは並の魔導師なら充分致命傷を狙えるくらいの威力があった筈なんだけど。それを受けて倒れもしないなんて、君の体は鉛か何かで出来ているのかな?
 って、君や僕の場合冗談にならないか」

そんなギンガにアノニマートは鋭い目つきのまま感嘆するが、ギンガとしてはそれどころではない。
確かに倒れはしなかった。だが、アノニマートが言うほど余裕があるわけではない。
むしろ、シールド越しでありながらたった一撃で膝に来ている。
得体のしれない先の一撃が、知らずギンガの肝を冷やしていた。

(意表をつかれたとはいえ、何て威力。
 もし防御に専念していなかった、一撃で沈んでいても不思議じゃない)

だが、逆を言えば防御に専念すれば耐えられない程ではないと言う事だ。
もし防御を固めてもなお、意識を刈りとられる様な一撃だったらと思うとゾッとする。
それは不幸中の幸いなのだが、代わりに決して無視できない疑問があった。

(打撃…じゃない。いえ、そもそもあの初速の速さはいったい……。
 師匠との組手に慣れていなかったら、近づかれたことにも気付かなかったかもしれない)

体に残る感触から、単純な打撃によるものではないことが分かる。
確かに衝撃は掌打が触れた箇所からだったが、まるで衝撃の質が違った。

そしてもう一つ無視できないのが、あまりにも急過ぎる加速。
走ると言う動作において、初速からトップスピードを出すなどあり得ない。
程度の差はあれ、徐々に加速しトップスピードに持って行くのが常識だ。
にもかかわらず、アノニマートはその常識を無視し、最初からトップスピードで接近してきた。
それこそが、ギンガが意表をつかれた最大の理由である。

「悪いけど、謎解きの時間をあげる気はないよ!」

だが、それ以上思考を巡らせる前に、再度アノニマートが仕掛けて来る。
しかし、今度は先ほどの様なでたらめな挙動ではなかった。
確かに速いが、先ほどの様な常識を無視した急加速ではない。

とはいえ、体の奥深くにダメージを負った状態では応戦も難しい。
なにより、防御を解いた瞬間に先の様な攻撃をされれば、それこそ耐えきれないだろう。
故に、今はとにかく守りを固めて耐え凌ぎ、攻撃への未練を捨て、敵の分析に神経を集中させる。
覚悟を決めたギンガは全身の筋肉をしめあげ、話木と内またを閉じた。

「三戦立ち(さんちんだち)か……まったく、良い判断をする!」
(「ピンチの時にこそ焦ってはいけない。
今までの教えを思い返し、できる事を一つ一つ実行する」、師匠から散々言われた事だもの)

師の教えを反芻し、どんな突きや蹴りが来ようともジッと耐え忍ぶ。
本音を言えば、ガードも解き全神経を分析に費やしたい所。
だが先の様な攻撃が来れば、回避できる確信がない以上ガードは解けない。

(さっきの接近と掌打の共通点は……)

打たれながらでは、やはり中々思考が纏まらない。
それどころか、打たれれば打たれる程に体にダメージが蓄積し、防御が崩れかける。
それを、ギンガは歯を食いしばって持ち直す。
この程度で値を上げていては、白浜兼一の弟子を名乗る資格はないとばかりに。

「良い悪あがきだ。でも、そろそろ終わりにさせてもらうよ!」

その言葉と共に、再度何かの爆ぜる音共に体に尋常ならざる衝撃が叩きつけられた。
今度は脇腹への蹴り。あまりの衝撃に体が浮き上がる。
しかも今度は一発では終わらず、続く頭上からの掌打からも同様の衝撃。

(ぁ、やば……)

一瞬遠のきかける意識を辛うじて引き戻す。
体はコンクリートの床に横たわっているが、まだ動く。
だがそこへ、倒れたギンガに追い打ちをかけるように踵が落ちてきた。

ギンガは恥も外聞もなく床を転がり、危ういところで難を逃れる。
しかし、トドメの筈の一撃はただ床に放射状のヒビを入れるだけに留まった。

(なんだろう、何かが引っかかる……)

トドメだと思って、特別な事はしなかったということか。
だが、それだけでは釈然としない物を感じる。
しかし、それ以上ギンガが分析を進める前に、アノニマートが追撃をかけて来た。

ギンガは起き上がると同時にウィングロードを展開し距離を取ろうとするが、アノニマートは攻撃の手を緩めない。
勢いと体重を乗せた中段突きが迫り、ギンガは両腕を交差してそれを防ぐ。
そして、これまた強烈ではあるが特別なことなど何もない通常の一撃。

僅かに体勢を崩したギンガは、またも良い様に突きと蹴りに晒される。
しばらく耐え凌げば、またも襲い掛かる慮外の衝撃。

ガードした腕を貫き脳を揺さぶる裏拳。
続いて襟を取られ、背負い投げで思い切り宙に放り出される。
そこで再度炸裂音と共に異常な加速で接近してくるアノニマート。

体勢を立て直すには時間が足らず、防御は間に合わない。
できる事は、ただ歯を食いしばってその時が来るのを待つだけ。
だが、トドメの筈の一撃はまたも強烈なだけの通常の膝。
おかげで、喉をせり上がる不快感をなんとか押し戻し、震える脚で着地に成功する。

(もしかして、これって……)

いったい何をしているのかはまだわからない。
しかし、朦朧とする意識の中でもわかった事がある。
どのみち、このまま守りに徹してもジリ貧。
ならばせめて一矢報いる為にも、予想を確信に変える為にも、ここは敢えて前に出る。

「はぁぁぁぁっ!」
「っと……」

基本技に重点を置く兼一の教えのおかげか、こんな状態でも力の乗った拳が出せる。
それまで受け身に回っていたギンガからの反撃に、驚いた様子でアノニマートは回避。
そのまま、ギンガは畳みかけるように遮二無二間合いを詰めて拳を振るう。

最早特別な技を使う余力はない。
ただ基本に忠実に、付け入る隙を与えない回転重視で打ち続ける。

「ハァ、ハッ……まさか、まだそんな余力があったなんてね……」

そこでふと気づく、アノニマートの息が異常なまでに荒れていることに。
それどころか、動きのキレが悪い。これと言って、大きなダメージなど負っていない筈なのに。
本来の彼なら、如何に我武者羅に打ちこんでいるとはいえ、カウンターの一つや二つ入れられそうな物なのだが。

とそこで、アノニマートの体勢が崩れた。
元々場所は廃棄都市区画であり、建物の状態もあまりよくはない。
劣化したコンクリートが、これまでの戦闘で脆くなり、そこが僅かに崩れたのだろう。
ギンガはその好機を見逃さず、右腕による「腕刀」でアノニマートの頭を薙ぎ払った。

(入る!)
「ったく、頭には使いたくないんだけどな……」

直撃を確信したギンガだが、気付けば薙いだはずの腕は弾き返されていた。
体とは逆方向に腕が流れた事で、肩に無理な力が加わり激痛が走る。
幸い脱臼はしていない様だが、これではしばらく右腕は使い物にならない。

ギンガは右肩を庇いながら、崩れかけた体勢を無理矢理戻す。
しかしそこへ、炸裂音と共に両腕で頭を守りながらアノニマートがつっこんできた。

二人は衝突し、そのまま背後のビルの一室へ。
部屋の中を粉塵が舞い、お互いの姿が視認できない。
そんな中、アノニマートは頭を押さえながら愚痴をこぼす。

「ああもう、頭がクラクラする。だから嫌だったんだよなぁ……」

ギンガは壁に背を預けながら立ち上がり、自身の中で何かが形を為していくのを実感する。
アノニマートが使っている何か、それがようやくわかった。

「反応装甲、とでも呼べばいいのかしら」
「…………」
「たぶん、体の一部分にエネルギーを集中、炸裂させる能力なんでしょ。
 移動時には足か背中辺りで炸裂させて推進力に、攻撃時には打撃箇所を炸裂させる事で威力を底上げする。
 これなら初速からマックススピードを出せるし、上手く使えば普通は無理な方向転換も可能だわ。
 防御はもっと簡単ね。本来の反応装甲と同じように、炸裂の衝撃で攻撃を弾き返せばいい。
 それなら攻撃、防御、移動と色々な場面で使えたことも納得がいく」

反応装甲、それは戦車などに使われる機構の一種。
本来は、鋼板の間に爆発性の物質を挟み、装甲が内部から爆発する力によって攻撃をはじき飛ばし防御するというもの。これを元に、攻撃や移動にも応用できるように調整したのがアノニマートのI・Sだ。
イグニッション・スキンとはよく言った物である。

「…………はぁ。ヤダヤダ、まさかこんな早くバレるなんて……」
「幾らなんでも使いすぎよ。そう何度も使われれば、嫌でもわかるわ」
「なるほど。奥の手は勿体ぶってこそか……あ~あ、これはまたみんなに叱られそうだ……」

あまりにも正しいその指摘には反論の余地はなく、代わりに苦笑が浮かぶ。
確かに、先を急ぐあまり連続して使い過ぎていたようだ。

また、ギンガは敢えて口にしなかったが、この能力は連続使用に向かないことにも気付いている。
エネルギーを集中・炸裂させる性質上、消耗が激しいのだろう。
そのため、連続使用はおそらく2回まで。
そうでなければ、もっと畳みかけるようにして使えばとっくにケリがついていてもおかしくない。
アノニマートが息を切らしていたのも、消耗の激しさが原因の一つだろう。

「確かに名推理だよ。だけど、少し遅かったね。
 それだけダメージを受けてたら、種がわかっても攻略は難しい」

そう、アノニマートの言う通りだ。
能力の概要はわかったし、「二度使った後はしばらくの間使えないと」言う弱点もわかった。
しかし、それがわかっても今のギンガにはこの状況を覆す余力がない。
既にエネルギーのチャージも終わっているだろうし、二回使わせてからチャージが終わる前に撃破。

正直、望みは薄い。
たとえ二回使わせたとしても、それでアノニマートがギンガより弱くなる訳ではない。
自力が拮抗していた状態に戻るだけだ。

「早くルー達の所に行きたい。だからこれで終わりにしようと思うんだけど……下がるなら今のうちだよ?」
「私が、それで諦めると思う?」
「いいや、君の先生も大層諦めの悪い人だったって聞いてるからね。
 立ち上がれる限り、君は立ちふさがるんだろう?」
「そういうこと!!」

空元気ではあるが、それでもギンガは残り少ない体力を総動員して構えを取る。
ここで心が折れては「白浜兼一の弟子」ではない。

「時間が惜しい、この一撃で……!」
「!!!」

アノニマートの気迫に呼応し、ギンガは決死の覚悟で前に出る。
だが、確かに前に出た筈なのに、アノニマートとの距離が縮まない。
それもそのはず。一度は前に出ると思わせたアノニマートは、背中から全速力で後ろに下がっていた。

「せいっ!!」

二人がつっこんできた時に半壊した壁を、背面部による突進技「靠撃(こうげき)」で完全に粉砕し、表に出る。
ギンガを叩き伏せるとばかりに放った気迫はブラフ、元より逃げの一手だったのだ。
『してやられた』とばかりに苦渋の表情を浮かべながらも、ギンガは大急ぎでウィングロードを伸ばしその後を追う。

「ここであれを使われたら……」

イグニッション・スキンは、攻撃や防御だけでなく移動にも使える能力。
もしこの場で使い加速されれば、今のギンガでは追いつけない。
そうなる前になんとか捉えようと、ブリッツキャリバーを唸らせる。
そうして、あと少しでアノニマートに手が掛かるという寸前……

「勝負は預けるよ。決着はまたいずれ、ね♪」

背でエネルギーを炸裂させ、一気に加速した。
惜しくも、後一歩と言う所でギンガの手は空を切る。
これではもう追いつく事は叶わないだろう。しかし、だからどうした。

「逃がすもんですか! こうなったら最短ルート!!」

ロングアーチにヴィータ達の位置を送ってもらい、方向転換。
ここから向かうには多少回り道をしなければならないが、そんな時こそ役に立つのがウィングロード。
遮蔽物を全て飛び越える形で展開し、ギンガは一直線に向かうのだった。



  *  *  *  *  *



場所は変わって廃棄都市区画の一角。
予期せずして遭遇した、屈強な体格の槍術使い。

目深に被ったフードのせいで顔はうかがい知れないが、ザフィーラと同等かそれ以上の技量の持ち主だ。
潤沢な魔力と精緻な技量を両立した、その槍撃は恐ろしくも素晴らしい。

「ちぇりゃぁぁ!!」
「ぬぅん!!」

股下から切り上げて来る槍の柄を、自身の右の手刀で弾く。
返す刀で手刀を横薙ぎに払うが、今度はそれを槍の柄でいなされる。

僅かにできた隙を見逃さず、槍の穂先が胴を薙ぐ。
だが、兼一の腕は二本、当然手刀も二つ。
いなされた方とは逆、左の手刀出受け止め、そのまま鍔迫り合いへと持ち込む。

どうやら膂力では兼一の方が勝っているらしく、徐々に押し返す。
そして、引き戻した右腕で敵の首を取り、一気に引き寄せ膝蹴りを放つ。

「カウ・ロイ!!」

しかしそれを、男は自ら前に出る事で打点を殺す。
密着距離ではお互いにできる事は少ないが、長柄の得物である槍よりも、この距離は徒手空拳の間合い。
兼一はさらに体を密着させ、渾身の寸勁(すんけい)を打ち込もうと地震を思わせる力強さで床を踏む。

だがその瞬間、二人の間に槍の柄が刺しこまれ、兼一の身体が押し返される。
拳は虚しく空を切り、再度間合いが開かれた。

こうなると、今度は長柄の武器の領分。
長さに物を言わせた広範囲の薙ぎ払いは、迂闊に踏み込めば命取り。
かと言って、先ほどの様に手刀出受け止めようにも、槍の先端には遠心力が加わる。
回転が上がれば上がる程に、それは困難になるだろう。
そして、今まさに兼一が置かれているのがそういう状況だった。

旋風と言うよりも、鎌鼬の大群が渦巻いているかのように次々と放たれる斬撃。
兼一をして回避に専念しなければならないそれは、まさに超一流の業だ。

とはいえ、徒手空拳の兼一からすれば間合いを詰めねば話にならない。
この距離では、兼一の拳も蹴りも決して届かないのだから。
ならば、選択肢などただ一つ。
危険を承知で、敢えて間合いの中に踏み込む。

意を決して、大きく踏み込む兼一。
本来なら、槍の柄により肋骨を砕かれることだろう。
だが、「一人多国籍軍」の異名は伊達ではない。
薙ぎ払いからの切り返し、一瞬にも満たないその隙を見逃さず、兼一は懐に潜り込む。

槍が戻ってくる前に、頭部に向かって当て身を一つ。
軽い一撃ではバリアジャケットは破れないが、僅かな間を稼ぐにはこれで充分。
その間に、組技に持ち込む為、蛇の如く背後へと回り込む。

しかし、兼一の狙いはあちらも読んでいたらしい。
丁度首に回されようとする腕目掛け、槍を突いてくる。
兼一は危ういところで腕を引くが、見れば槍は喉元寸前のところで止まっていた。
かなりの勢いで付いていたにもかかわらず、薄皮一枚で止めるとは並大抵のことではない。

とはいえ、これで一時でも腕が離れてしまった。
その隙を逃さず、男は兼一の腕を取って引きはがす。
だが、柔術を収める兼一にとってこれは決してマイナスではない。

「甘い!!」

腕を取られた状態は、柔術家にとって「取られた」とは言わない。
取られたのはむしろ逆に男の方。それを示す様に、気付いた時には男の天地は逆様になっていた。

瞬く間の内に二度三度と体が地面に叩きつけられる。
なんとか受け身を取りつつ、男は六度目の前に急ぎその手を離す。

(くっ、なんと言う男だ。まさか、あの一瞬に五度も投げられるとは……)
(反応が早い。やっぱり思った通り、この人は只者じゃない!)

互いに相手の力量を再確認し、仕切り直しとばかりに間合いを取る。
見れば、兼一の道着には所々槍が掠めたのだろう。
体は無傷だが、道着の一部に切れ目が入っていた。

「素晴らしい技術をお持ちですね。
 どなたかは存じませんが、さぞ名のある方とお見受けします。
 僕は『一人多国籍軍』白浜兼一。あなたは?」
「そう大層なものではない。一度は死に、再び土に還るまでの僅かな時間を生きているだけの、ただの死者だ。今更、名乗る名など持ち合わせてはいない」

兼一は怪訝そうな面持ちで、その一言を咀嚼する。
いったいどのような意味かは分からないが、その声音にはどこか深い悲しみが宿っていた。

(恨めしいな。この不安定な体では、存分に武を競うこともかなわんか……)

別に、実力が発揮できない事を悔いているのではない。
不安定なことも含めて、この場で発揮できる力が今の自身の実力と考えるからだ。

恨めしいのは、そう長くはない闘いの中で、既に体が悲鳴を上げている事。
今の彼にとって、自身と同等かそれ以上の力量の者との戦いは、大きな負担を伴う。
長引けば長引く程に彼の命数は減っていき、最後まで闘うことすら困難な現実が恨めしい。

それに、彼はまだこんな所で止まるわけにはいかないのだ。
今更死が恐ろしいわけではない。だが、決着をつけなければならない事がある。
それを果たすまでは、彼は止まるわけにはいかないのだ。

「あの…いえ、なんでもありません」
(心遣い、感謝する)

兼一も、彼の体調がおもわしくないことに気付いたのだろう。
しかし、そんな気遣いを相手が求めていないこともわかってしまった。
武人として、相手に体調を気遣われるなど恥辱でしかない。
それを察してくれた兼一に心のうちで感謝を述べる。

だがそこで、男の表情が凍りつく。
彼の視線の先、兼一の背後に広がる風景の一点。
広々とした道路で、管理局の魔導士と思われる面々に包囲されるルーテシアとアギト。

彼には果たさなければならない目的がある。
しかし、それと同じくらいに…あるいは、それ以上に大切な生にしがみつく理由である二人。

その二人が危地にある。
今すぐにでも救援に向かわなければならないが、眼前の敵はそう簡単に通してくれる程生易しくはない。
男は無茶を承知で、捨て身の勝負に出た。

「おおおおお!!!」
「っ!」

決死の気合と共に、男は突進と同時に刺突を放つ。
兼一はそれに対して腕をコロの原理で動かす「化剄」を用い、軌道を逸らす。

が、自身より二回り近く体格で勝る突進だ。
その上、相手は元より捨て身。
これを完全にはいなしきれず、兼一の体は大きく弾かれた。

しかし、兼一とてただで行かせるほど未熟ではない。
それ違いざまに、男の脇腹に肘を入れていた。
だが、それなりに痛手を被っておきながらも、男の勢いは緩まない。

「ぬぅ……すまんが、こちらにも事情がある。この勝負、預けるぞ!」

そう言い残し、男は瞬く間の内にルーテシア達の元に駆けつけるが、そこでヴィータ達も異変に気付く。
しかし、時すでに遅し。男の接近に気付き、迎撃しようとした時には男は槍を薙いだ後。
充分に力の乗った穂先から、魔力の刃が放たれ土煙を巻き上げる。

土煙が晴れた時、そこには男も、ルーテシアやアギトの姿も消えた後。
同じ頃、ギンガが追っていたアノニマートも突如ビル群に姿を消してしまった。

レリックの入っていたケースは奪われたが、幸いにもティアナ達の機転で中身は無事。
また、保護した少女を乗せたヘリが敵からの砲撃に見舞われたりもしたが、なのはが割って入った事で事なきを得た。
犯人の確保とはいかなかったが、レリックを確保し市街地にも大きな被害が出なかったのは、よしとすべきなのだろう。
こうして、久方ぶりの休日に発生した事件は終息した。






あとがき

どうも、ちょっとお久しぶりです。
なんとか1月中に更新出来て、何よりでした。
とりあえず、これで今回の一件は終わり。
辛うじて予告通りにできて一安心です。

さて、次回はまた日常編。ただし、いよいよというか、ようやくというかヴィヴィオが登場。
さぁて、翔とどうやって絡ませましょうかね。

ああ、あとアノニマートのI・Sの補足説明を。
基本的には本文中に書いた通りなのですが、実を言うとあまり使い勝手のいいものではありません。
それと言うのも、連続使用に対する回数制限の他にも弱点があるのです。
それが、体にかかる負荷の大きさ。
体表で炸裂させるために体に直接負荷がかかるので、使う本人は結構大変なのですよ。
特に頭や胴体に使えば、脳震盪や内臓へのダメージになる諸刃の剣です。本文中、アノニマートが「頭には使いたくない」と言っていたのはこれが理由。
アノニマートはだいぶ頑丈な部類ですが、それでもダメージを完全に無視することはでませんから。
スカリエッティが彼に格闘術を習得させたのは、なにも趣味や興味だけではなく、この能力を活かし同時にこの能力に耐える肉体を作り上げる為だったわけです。
ちなみに、「自爆」が得意な翔なら似たようなことができそうですが………できません。翔の自爆はそんな融通のきく類のものではありませんので。

さて、最後に一応今回の投稿を持ちましてリクエストの募集は終了とさせていただきます。
とりあえず、やっぱりvivid編のサワリでも書こうかなぁと思います。
まぁ、それがプロローグ的な物なのか、それとも別のものにするかはもう少し考えますが。
とりあえず、2月中には書きあげるつもりですので、少々お待ちください。



[25730] リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:43

注:連載一周年記念ということで、皆様からアイディアを募った今回の企画。
ふたを開けてみれば、やはりというかなんと言うか、一番私の琴線を刺激したのはvivid編の先取りでした。
というわけで、今回は話の都合上時間軸がズレ、vivid編が始まった頃となります。
話の整合性を始め、暫定的な部分も多くありますがその辺はご了承ください。
実際にvivid編に入った時は別の形になっているかもしれません。
それでは、これは基本的に本編と直接つながるとは限らない事を承知した上でお読みください。



  *  *  *  *  *



次元の海の中心世界「ミッドチルダ」。
都市型テロ「JS事件」の発生と解決からは、既に四年が経過して。
幼かった子ども達も成長し、大人達が勝ちとった穏やかな日々を生きている。

ある者は「強くなる」という母との約束を果たす為。
ある者は父に憧れ受け継いだ信念を貫く為。
競技選手(アスリート)として、あるいは武人として邁進する日々。
これは、そんな育ちゆく新たな世代の鮮烈(ヴィヴィッド)な物語。



走る。奔る。趨る。
寒い冬が明けて春になり、新年度を迎えて間もない今日この頃。
日を追うごとに暖かくなるそんな日の夜、街頭と月の光に照らされた暗いミッドの街を駆ける一つの影があった。

大人たちの帰宅時間と重なったらしく、既に7時を回っているが人通りは少なくない。
擦れ違う人々は、誰もが「何を急いでいるのだろう」と不思議そうにその影を視線で追う。

無理もない。如何にトレーニングウェアを着こんでいるとはいえ、これはジョギングやランニングの類ではない。
それは、誰の眼から見ても間違えようのない全力疾走。明らかに、スピード重視の短距離走のペース。
長く走る為ではなく、とにかく急ぐ。誰の眼から見ても、そうとしか思えない。

が、その影の後ろ姿を見て、すれ違った大人たちは眼をギョッと見開く。
何しろ、影の背中には異様な物体が担がれている。灰色の、どこかゴツゴツとした等身大の物体。
ミッドチルダではあまり馴染みがないが、「地蔵」と呼ばれるとある管理外世界の宗教的石像の一種である。

とはいえ、その管理外世界でもこうして地蔵を担いで走る人間などまずいない。
そもそも、石で出来ているために等身大ともなれば途方もなく重いのだ。
そんな物を担いで走れるだけでもとんでもないのに、この速度。
魔法を使っているなら話は別だが、もし純粋に身体能力だけだったらとしたらバカバカしい身体能力である。

しかし、彼らは知らない。
実はこれは「地蔵担ぎ」という技法で、重心を上に持って行く事で前に進む推進力に変えているのだ。
単純に担いで走るのでは恐ろしく大変だが、この技法を身に付けているため外見ほどではない。
まぁ、別にだからと言って楽々できる事でもないのだが。

と言ったところで、別にそれで地蔵を担いで走ることに対して、納得がいく訳ではない。
まさか、こんな時間に地蔵の配達などと言う事もないだろう。
そもそも、地蔵を配達すると言う状況がおかしい。

では、この人物はいったい何をしていて、何をそんなに急いでいるのか。
答えは簡単。単純な「走り込み」である。
特に目的地がある訳でもなければ、何か急ぎの用がある訳でもない。
純粋な基礎体力作りを目的としたトレーニングである。

が、普通こんな荷物を担いで、こんなペースで行うなどあり得ない。
実は魔法を使っていて、これ位はジョギングレベルと言うのなら話は別だろう。
しかし、彼は魔法など一切使っていない。だが、これこそが彼の日常だった。

(よし、今日はこっちに行ってみよう)

突如進路を変え、横道に逸れる。特に理由はない、単なる思いつきだ。
強いて理由を上げるなら、コースを変える事で新鮮な気持ちで走れるから、と言う程度。
人間何より慣れが怖い。走り込み一つとっても、慣れが過ぎれば惰性に変わりかねない。
と言うのは建前で、普段と違う風景が視界をよぎるのが楽しいからなのだが。

あとはまぁ、もう一つ理由がないわけではないが……こちらは多分に運の要素が強い。
『もしかしたら』とは思うが、あまり期待はしていない。
だが、今日の影はどうやら運が良かったようだ。

額には玉の汗が浮かび、激しいながらも一定のリズムを刻む呼吸。
そのペースが落ちる事はなく、ただひたすらに走り続ける。

ふっと気付くと、人通りの少ない広場に出た。
普段なら、特に気にすることもなく通り過ぎていたことだろう。

しかしこの時、影は唐突に足を止めた。軽く息を整えながら、広場の一角を見る。
そこには幾人かのガタイの良い男達が輪を描きたむろし、どこか険呑な雰囲気があった。
とはいえ、それだけなら大した問題ではない。

関わりたくなければ、見て見ぬふりをしてその場を後にすればいい。
だが、そうとわかっていながらも影は足を止めた。

輪そのものはどうでもいい、重要なのは輪の中心。
中心に立つ、長い碧銀の髪をツーテールにし、白を基調とした活動的な衣装を身に纏った少女。
目元はバイザーで隠れ、素顔はうかがい知れない。
しかしシャープな顎のライン、鼻や口もとの造形から、整った顔立ちである事はわかる。
その少女を発見し、影の口元が僅かに綻ぶ。

「…………いた」

一見すると、一人の少女に暴漢が迫っているようにも見える。
もしそうであったのなら、影は即座に少女を助けに入ったことだろう。

だが、影は動かない。
ただ静かに、そのあまり真っ当な雰囲気を感じさせない集団を見ている。
いや、正確には周囲の男達はほとんど見ていない。
見ているのは、凛とした佇まいの少女の事だけだ。

少女は影の事を知らない、それどころか影が自分の方を見ていることすら気づいてはいないだろう。
だが、影は以前から何度か少女の事を見かけたことがある。
コースを変えたのも、もしかしたら見かけるかもしれない可能性を期待してのことだ。
特に理由や目的はない。単に、少女の事が少し気になるから。

やがて、少女の周囲を囲む男達の中から、特に体格の良い男が進み出た。
男は少女から2mほどの距離で立ち止まると、構えを取って軽くステップを踏む。
少女もそれに倣い、軽く腰を落として構えを取る。

その他の男たちが手を出そうとする素振りはない。
所謂、路上試合と言う奴なのだろう。
あまり褒められたものではないが、影の瞳に非難や嫌悪の色はなかった。
双方合意の上での勝負なら、外野が口を出すなど無粋の極みなのだから。

じりじりと、徐々に間合いを詰めていく二人。
そして、先に動いたのは男の方だった。

「おらぁ!!」

体格差を利用した上からの打ち下ろし。
腕には環状魔法陣が展開され、体重と共にしっかりと魔力が乗っていた。

少女はそれを左でガードし、しっかりと大地を踏みしめる。
まさかこうもあっさりとガードされるとは思っていなかったのか、男の顔が驚愕に歪んだ。

(甘く見過ぎだ……)

男の反応に影は小さく呟く。
外見から非力とでも思ったのかもしれないが、それは浅はかと言うもの。
確かに少女は華奢だが、仮にもこれは魔法格闘戦。
単純な肉弾戦なら、確かに体格がものを言うだろう。

だが、魔法戦ではその限りではない。
どんなに華奢であったとしても、それは判断材料としては薄弱過ぎるのだ。

空いた右が男のボディーを打つ。
華奢な身体からは想像もできない豪腕に、男の体がくの字に折れ曲がる。
男はたまらずせき込みながら距離を取るが、少女に甘さはない。
見慣れない独特な歩法で一息に間合いを詰め、追撃をかける。

「ぐぉっ!?」

男は慌てて顔面をガードし、突撃からの掌打を防ぐ。
とはいえ、これで完全にペースは少女が握った。
全力で守りを固める男に対し、次々と重い打撃が繰り出される。
男の体はその度に揺れ、徐々に脚から力が抜けていく。

終始男を圧倒する少女。
しかし、遠目からその様を見る影には、少女の拳筋に優越感の様な物は感じられなかった。

(また、泣いてるんですか?)

日課の走り込みの最中、偶然見かけた路上試合。
初めて彼女を見かけた時……実のところ、それほど興味は湧かなかった。

拳筋は確かに清々しいまでに真っ直ぐで、その戦技は華麗で美しい。
だが、逆に言えばそれだけ。影は少女より遥かに流麗な拳を山ほど知っている。
どれだけ光る物が秘められていたとしても、半ば以上埋もれていては魅かれないのも当然だ。

故に、影が魅かれたのは少女の拳ではない。
魅かれたのは、偶々バイザーが飛んだ瞬間飛び込んできた、その瞳。
碧銀の髪の隙間から垣間見た虹彩異色の瞳は、幼馴染の活発な紅と翠とは違う静かな湖を想わせる蒼と紫。
そんな吸い込まれる様な瞳の奥に、影は見た。
やり場のない、行き場のない…強く、深く、悲しい光を。

あれ以来、どうしてもあの瞳が忘れられない。
今もきっと、バイザーの奥に隠された瞳は同じ光を宿しているのだろう。
何故かはわからないが、それが無性に心をかき乱す。

そういている間に、試合の決着はついていた。
案の定、結果は少女の勝ち。だが、勝利を噛みしめるその様にも、喜びの様な物はない。
周囲の男たちは少女の強さに恐れをなしたのか、新たな挑戦者はあらわれなかった。
代わりに、倒れた仲間を抱えてまばらに逃げていく。

声をかけるべきか、影は悩む。
変な所で優柔不断というか意気地なしなのは、どうも父親譲りらしい。
少女は肩を落とし、勝者らしからぬ様子でその場を後にする。
影には、その後を追う事が出来なかった。



リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」



第一管理世界「ミッドチルダ」某所。季節は春。まだ朝靄も残る早朝。
長い夜を終え、ようやく朝日が昇りカーテンの隙間から光が差し込む。
夜の間に冷えた空気はまだ冷たく、甘い眠りを誘惑する。

「……な…い」

鈴を鳴らすような玲瓏な声。真上からかけられたそれに、僅かに意識が覚醒した。
だが、蠱惑的な二度寝の誘惑に負け、頭まですっぽり布団を被る。

「…ったく。ほら、起………さい!」

澄んだ声に、不機嫌の色が追加される。
語調は僅かに強くなり、体を包む温かな結界(布団)に手が掛かった。
布団の中の物体はそれを敏感に察知し、抵抗するべく内側から布団を掴む。

「翔! もう朝よ!!」

上と下、真逆の方向に引っ張られる布団。
寝ぼけている癖に、妙にしっかりと掴まれた布団は中々はがれない。
無理矢理引っぺがすこともできるが、その場合布団が破れる恐れもある。
決して貧乏ではないが、余計な出費は抑えるに越した事はない。
特に、それが家計を預かる身としては……。

そこで布団を引く手が離され、重力に従い再度眠り子の上に戻る。
代わりに、楽園(布団)を奪おうとする侵略者は布団の上にまたがり、拳を握った。
そして……

「ほら、起きなさい!!」

それなりに強く、拳を真下に叩きつける。
だが、その拳が布団の中身を打つ事はなく、無駄に機敏な動きでそれは布団から飛び出した。

「ふぁ~…いきなり殴るなんて酷いよ~」

パジャマ姿で、大あくびをかきながら眠そうに眼元をこする。
どうやらまだ寝足りないらしく、起きたくせに頭は左右にグラグラと揺れ、眼はボンヤリと細められたまま。
突然殴ってきた下手人、長い青髪をリボンで結ったエプロン姿の女性は呆れたように返す。

「だって、これ位やらないと起きないでしょうが。
それに、そもそも翔がしっかり起きれば私だってこんなことしないわよ」
「うぅ~……」
「まったく、また遅くまで巻き藁を叩いてたんでしょ。あれだけ早く寝なさいって言ってるのに」
「ちゃ、ちゃんと寝てるもん」
「それなら自分でしっかり起きる。楽しいのはわかるけど、ほどほどにしなさいね。
さ、いつまでもそうしてないで着替えて顔を洗ってきなさい。
 もう師匠が下で待ってるんだから。それとも、今日はやめとく?」

不満そうに唸る翔と呼ばれた人物に、まるで母親の様な小言を重ねる。
元々面倒見の良い性質ではあったが、最近はすっかり母親じみてきた物だ。

「やる~」
「それなら急ぎなさい」
「ふぁ~い」

あくびと返事を一緒にしながら、のろのろと上着を脱ぐ。
その間に、エプロン姿の女性は部屋の襖を開け廊下に出る。
そうして襖を閉じる直前、翔は思い出したように言った。

「ぁ、おはよう姉さま」
「うん、おはよう翔」

翔の挨拶に、姉さまと呼ばれた女性…ギンガは笑顔で返して襖を閉めた。
こうして、白浜翔の朝が今日も始まる。



  *  *  *  *  *



白浜翔。ミッドチルダ在住の区立学校初等科4年生。
出身は別の世界なのだが、諸事情があって数年前から故郷を遠く離れてこの世界で暮らしている。
元は公務員だったのだが色々あって今は「半公務員(局員待遇の民間人)」な父と、ちゃんと「公務員」をやっている姉の三人暮らし。厳密には姉弟ではなく、姉はこの家の「内弟子」として住み込んでいるのだが、本物の家族同然なのでその分け方に意味はない。

「あ、来たね」
「おはよう、父様」
「うん、おはよう」

黒髪の、柔和な顔立ちと眼元の絆創膏がトレードマークの二十代前半くらいにしか見えない父「白浜兼一」。
既に門の前に出ていた彼の足元には、ロープの結えられた古タイヤが一つ。

ロープを翔の胴に括りつけ、兼一はタイヤの上に胡坐をかく。
その手にはなぜか鞭が握られているが、翔をはじめだれも気にしない。

「じゃ、朝食前にかる~く町内3周しとこうか」
「は~い」
「いってらっしゃい。人を撥ねちゃダメよ、翔」
「うん」

エプロン姿の姉(弟子)「ギンガ・ナカジマ」に見送られ、走りだす。
ただし、その速度はマラソンやジョギングなどとは次元が違う。
後先など知ったこっちゃねぇやとばかりの全力疾走。
その上、胴に括られたロープが伸び切った時、その先にある兼一の乗ったタイヤも動き出す。
比較的小柄とは言え、大人1人が乗ったタイヤを引いての全力疾走で町内3周。

はっきりいって、頭がイカれているとしか思えない。
だが、これこそが白浜家の日常なのだ。

「さあ、もっと早く!」
「う、うん!」
「もっともっと早く!!」

しかも、この上さらに要求されるスピード。
見る見るうちに速度を上げ、二人の背中が見えなくなっていく。
それを見送ったギンガは、朝食の準備をするべく家の中に戻る。

外観は、ミッドの住宅街では少々浮いた白い壁と黒に近い紺色の瓦がまぶしい日本家屋。
廊下は板張り、各部屋には畳が敷かれ、木の柱には中々趣深いものがある。
母屋は2階建てなのだが、その他に庭の半分を占有する平屋の道場
庭事態のスペースも広めにとられており、花壇や杭が目立つ。

こんな構造の為、その敷地面積はかなり広い。普通の一般住宅で3~4軒分と言ったところか。
なにしろ、門から母屋までが既に5mあるのだから、その広さはかなりのもの。
とはいえ、これでも兼一からすれば必要最低限抑えている。

だが本来兼一の貯蓄では、ローンを組んでもこんな家は難しい。
では、いったいどうやってこんな豪邸を建てたのか。

そもそもミッドに来たばかりの頃はギンガの実家に居候していたのだが、いつまでもそれではバツが悪い。
そこで家を買うことにはしたのだが、色々な条件を鑑みると手が出せない。
しかしある時、悪友が「仮にもウチのナンバー2がそれじゃ体裁が悪ぃだろ」と言って金を貸してくれた。
もちろん、「働いて返してもらうぜ」とは言っていたし、借金はちゃんと返済しているが。
その結果、借金まみれではあるがこんな豪邸に住めていると言う次第である。
まぁ、仲間内の逗留施設を兼ねてしまっているのは御愛嬌だろう。

少々長めの廊下を歩き、台所に戻ったギンガ。
だがそこで目にしたのは、僅かに分量の減った朝食。

「さてっと……あ!? まったく、見かけないと思ったら、またつまみ食いして」

腰に手をやり、少々鼻息を荒くするギンガ。
犯人がだれかは分かっている。この家の住人は家主の兼一と息子の翔、そして内弟子のギンガだけ…ではない。
人数は3人だが、その単位ではカウントされない存在がいるのだ。

「出てきなさい、闘忠丸!!」
「ぢゅっぢゅっぢゅ♪」

大声で怒鳴るギンガに対し、物影でほくそ笑むしっぽにリボンを結った灰色のネズミが一匹。
その手元には奪われた朝食が山と積まれ、頬もハムスターの様にパンパンに膨らんでいる。
まぁ、ネズミ一匹ではたいした量ではないが、それでもつまみ食いはつまみ食い。
家計と並び、台所を預かる身として見過ごすわけにはいかない。

「5秒待つわ。その間に出てきなさい。さもなくば……」

まともにやって捕まえられるとは、ギンガも思っていない。
何しろこの闘忠丸、ただのネズミではない。
まずネズミとは思えないほど賢く多才で、音楽や経済にも精通している。
それだけでなく戦闘能力も中々のもので、自身より10倍以上も大きいネコを倒してしまう程。
また武器の扱いにも長け、その槍捌きは達人と呼ばれる人物をして「見事」と称賛せしめた。
そんな、常軌を逸したスーパーネズミなのである。

なにしろ、普通ネズミの寿命は5年に満たないにもかかわらず、この闘忠丸は20年以上生きたのだ。
だが、さすがに闘忠丸もよる年波には勝てない。
ある時白浜親子が帰省した際、ついに寿命を迎えたのだが、その時奇跡が起こった。

翔は、その体内に魔力と言う力を操る為のリンカーコアと言う器官を持つ。
これは次元世界ではもはや常識として受け入れられている力であり、ギンガもまたこれを持っている。
とはいえ、幼かった翔にこれを思いのままに操る事は出来なかった。
だが、彼はその時この力を無意識のうちに死に行く闘忠丸に与え、使い魔として蘇生したのだ。
元々翔は無意識のうちに他者に魔力を流していたが、これはそれが上手く嵌った結果だろう。

使い魔とは、魔法を操る魔導士が作成し、使役する魔法生命体の総称。
動物が死亡する直前または直後に、人造魂魄を憑依させる事で作り出す。
しかし、肉体の命は繋ぐことができるが、生前とは人格の異なる別個の存在を生みだしているにすぎないのが実情だ。まぁ、少しは生前の記憶が残る可能性もあるが、結局はそれだけに過ぎない。

だが、だからこそ闘忠丸の存在は奇跡なのである。
闘忠丸の心身は、既にネズミの域ではなかった。
その強靭な精神は自己の変質を許さず、なんと元のままの自我を保持し続けているのだ。
まぁ、翔の魔導士としての能力の低さから、何かと不便は少なくないようだが。

とはいえ、彼なら最低限の魔力供給だけ受けて故郷に残る事も出来ただろう。
そうしなかったのは、仮にも命を繋いでもらった恩義からか、それとも……単にこちらの方が面白そうだったからだけかもしれない。

話が逸れた。
そんな闘忠丸をいぶり出すべく、ギンガは戸棚から何かを取りだす。

「これを撒くわよ」

ギンガが手に取ったのは、ハッカの噴霧器。ネズミをはじめ、動物は煙や刺激臭を嫌う。
人間にとってハッカを充満させるくらいではそれほど影響はないが、鼻の効く闘忠丸には刺激が強過ぎる。

「っ!?」

よほどショックを受けたのか、抱えた食べ物を落とす闘忠丸。
耐えられずに気絶する、と言う事はないにしても、家中にハッカの匂いが立ちこめていては気の休まる時がない。
人間的に言えば、常にうっすらとアンモニア臭が立ち込める中で生活しろと言うのと同義である。

「あるいは、あなたのコレクション全部処分しても良いのよ」
「……っ!!??」

闘忠丸は、ネズミのくせに物に執着する。
他人からすればガラクタばかりだが、彼にとっては大切な宝物。それを捨てられるなど……

「ぢゅ~」

観念したのか、隠れていた物影から姿を現す闘忠丸。
その手には拾い上げた食べ物が抱えられ、大人しくギンガに差し出す。
つまり、降参して謝るからそれだけが勘弁と言う意思表示だ。

「よし。まったく、闘忠丸の分だってちゃんとあるんだからそんなことしちゃダメよ」
「ぢゅ~……」

よほど深く反省しているのか、ギンガのお説教に俯く闘忠丸。
そんな姿を見せられては、いつまでも怒りは持続しない。ギンガは一つため息をつく。

「……ふぅ。ほら、これ。師匠と翔には秘密だからね」

そう言ってギンガが差し出したのは、闘忠丸から返された朝食の一部。
二人が帰ってくるまでの間、これで我慢しておけと言うことである。
闘忠丸はギンガの粋な計らいに喜び、飛びつくようにして貪るのだった。



  *  *  *  *  *



「そういえば翔、どうなの久しぶりの学校は?」

朝食の席、唐突に投げかけられた姉からの問い。
行儀よく口の中の物を租借、嚥下してから翔は答える。

「ん~……楽しいよぉ」
「そう」

弟のそんな答えに、軽く目をつぶるギンガ。
丸いちゃぶ台には所狭しと色とりどりの料理が置かれ、それを囲む様に3人は座っている。
誰の眼から見ても、紛うことなき家族団欒の風景だ。

「でも、ヴィヴィオちゃんと別々の学校になっちゃって寂しいんじゃないかい?
 あっちも色々忙しいみたいで、最近はあんまり会えてないんだろ?」
「うん。でも、よくメールで話すから全然寂しくないよ。
 あ、ただヴィヴィオはメールが長いのに返してくるのが早いからちょっと大変」
(別にあなたが返してる訳じゃないでしょうに……)

言葉にはせず、ギンガは胸中で呟く。
それもその筈。何しろ大抵の場合、翔は送る内容を闘忠丸に代わりに打ってもらっているのが実情だ。
それどころかメールの表示、電話のかけ方等々、機械関係全般で闘忠丸に依存している。
正直、色々将来が心配なのだが……今更つっこんでも仕方がない。
治る物なら治しているだろうし、結局治らずに今日に至ってしまっている背景を察してやるのが優しさだろう。

「だったら、St(ザンクト).ヒルデに行きたいとは思わないの? そうすれば、メールの手間は省けると思うけど?」
「あ、あははははは……」

父の問いに、笑ってごまかす翔。
理由は簡単。翔にSt.ヒルデ魔法学院に入れるだけの能力がないからだ。学力的にも、魔法的にも。
決して頭の回転が悪いわけではないが、翔はあまり勉強が得意ではない。むしろ、苦手と言っていいだろう。
頭より体を動かす方が得意だし、ずっと性に合うのだ。
昔は一緒の学校に通おうと勉強と魔法に精を出したりもしたが、あえなく試験に落ちた。
いま編入試験を受けても…というか、今ではあの頃以上にその方面には差が開いてしまったのではないだろうか。
何しろ翔は、その生活の大半をある物に捧げているのだから。

「全く、笑っても誤魔化されないわよ。
別に学年一位を取って学院に入れなんて言わないけど、勉強を疎かにしない事。いいわね」
「え、ええっと……ご、ごちそうさま! 行ってきまーす!」
「あ、こら、待ちなさい翔!! ……もう」

まるでお母さんの様なギンガの小言に、不利を悟って撤退を選択する翔。
とはいえ、食べるものはしっかり食べ、食器を片づけている辺りは躾が行き届いている。
また、その頭にはいつの間にか闘忠丸までのっていた。どうやら、今日は一緒に学校に行くつもりらしい。
まぁ、ネズミの闘忠丸はあまり目立たないので、大人しくしていれば大丈夫だろう。

「あの子はホントに……」
「まぁまぁ、無理にやらせても身にはならないよ」
「それはそうですけど……師匠は翔に甘いです。
勉強も武術も、身につけておくにこした事がないって意味では同じなんですから。
 あの武術に傾ける意欲を、もう少し勉強にも向けてくれたら……」

弟分の将来を案じ、ギンガは深々と溜息をつく。
この一家三人の共通点、それは「武術家」であると言う事。より正確には「師匠」である兼一を筆頭に、「一番弟子」にして「姉弟子」であるギンガと、「弟弟子」の翔という構成だ。
それも、兼一は故郷「第97管理外世界『地球』」にあって、かつては「史上最強の弟子」、現在は「一人多国籍軍」の異名で名を馳せ、魔法全盛の次元世界においてもその身一つで魔導士と対等以上に渡り合い、各方面から畏怖される正真正銘の達人である。
そんな人物の一人息子であり、二人しかいない弟子の片割れである翔。
当然、その人生は既に武に捧げられているし、本人も武の練磨は怠らない。
その結果、つい勉強などが疎かになってしまうのも無理からぬことだろう。
そして、そんな弟分をギンガが心配するのもわかるだけに、兼一としては苦笑しか浮かばない。

「翔だって別に勉強が嫌いなわけじゃないし、必要だと思えばもっと力を入れるさ」
「はぁ……そんな事は私だってわかってます。今だって、別に勉強を嫌がってる訳じゃありませんし……あんまり成果は出てませんけど」

実際、翔の学校の成績は良くて「中の下」。
学校を休みがちなこともあって、本人は一応頑張っているが中々伸び悩んでいる。
まぁ、「一応」がつく時点で色々とアレなのだが……。

「あぁ、ねぇギンガ。実は……」
「もしかして、またですか?」
「その……うん。ジークさんが、近いうちに時間が取れるから来ないかって」
「はぁ~……全くもう」

ジークとは、兼一の修業時代からの友人にして、新白連合と言う組織の幹部の一人だ。
兼一もまた所属していた組織であり、一度は離れたものの、いまは復帰している。
彼の肩書に「半公務員」と言うものがつくのはこのせいだ。以前、時空管理局と言う組織に勤めていた折、新白連合が次元世界に進出。渉外や折衝などの橋渡し役を務めると言う名目の下、所属を連合に戻され「局員待遇の民間人」と相成ったのである。本人の意向は無視して。
どうも、新白のトップであり兼一の悪友である「宇宙人の皮を被った悪魔」が何かしら手を回したようだ。
だが、それとこれに何の関係があるのかというと……。

「それはまぁ、翔はSSDの中心ですしね。皆さんお忙しい方ばかりですから、中々時間が取れないのもわかりますよ。でも、これじゃますます翔の出席日数が……」
「あ、あはははは……」

親子なだけあり、笑って誤魔化すやり口が実にそっくりである。
ちなみにSSD計画と言うのは、新白連合がかねてから計画していた一大プロジェクトだ。
新白連合に所属、ないし関係する達人達の武を一人の弟子に叩きこむ。
かつて、兼一が住みこんでいた道場「梁山泊」は史上最強と呼ばれ、梁山泊に住まう達人たち全員の弟子であった兼一もまた、「史上最強の弟子」と呼ばれていた。
それに倣ったのがこの計画であり、以前は暫定的に色々な呼び方をされていたが、正式に動き出すに当たり「S(史上)S(最強の)D(弟子)計画」と名付けられた訳だ。
ついでに、ネーミングセンスがなく、頭文字を取りたがるのは宇宙人の皮を被った悪魔の趣味である。

「笑い事じゃありません!」
「じゃあ、今回はやめておく?」
「それは……」

基本、新白の幹部は世界に散り散りになっており、中々スケジュールが合わない。
その上、次元世界とでは時差やらなんやらもあるので、向こうが休みでもこっちは学校などざらだ。
そのため、こうして思いっきり平日にもかかわらずお誘いが来ることも珍しくない。
この辺りが、翔が頻繁に学校を休む理由である。

ギンガとしては、できれば新学期早々学校を休ませたくはないし、しばらくは学業に集中させたい。
だが、次はいつスケジュールが合うかわからないし、それが幹部の中でも特に変わり者のジークなら猶の事。
折角の機会、行ける時に行っておくべきだろうし、翔もそちらを希望するだろう。

「わかりました。私も休みを取って一緒に行きます」
「ごめんね」
「謝らないでください。私が勝手について行って、勝手に修業の合間に勉強を教えるだけですから。
 まぁ、私自身ジーク先生に稽古をつけてもらえるのは勉強になりますし」
「そっか………ジークさんに、くれぐれもよろしく伝えておいて」
「はい。師匠も、私がいないからって仕事を滞らせないでくださいね」
「ははは、手厳しいなぁ……」

兼一がああいう立場になったことで、なし崩し的にギンガは兼一の秘書の様な役割を担う事が多くなった。
なにしろ、今や兼一は事実上新白における次元世界方面の統括役。
そう言うのは柄ではないと本人は思っているし、事実彼はそういう方面の能力にも全く恵まれていない。

が、そこは象徴としての役割と、実戦力としての役割さえこなしてくれれば良いと言うのが悪友「新島」の考え。
兼一が上にいても上手く回る様、その辺は色々と手を加えている。その一環がギンガな訳だ。
一応、ギンガの所属は古巣の108部隊ではあるが………いったい何をどうやったのやら。
まぁ、それでも仕事は決して少ないわけではないので、兼一は中々二人について行けないと言う次第。

とそこで、それまで呆れた様な様子だったギンガの表情が引き締まった。
彼女はしばらく何か悩んでいた様子で俯いていたが、意を決して兼一に向きなる。

「………………………師匠、ちょっと良いですか」
「?」
「実は、どうもこの近辺で格闘系の実力者に街頭試合を申し込んで叩きのめすという人が出没しているらしくて」

被害届は出ていないので事件にはなっていないが、そんな事がかなりの回数起こっているらしい。
とはいえ、別にギンガは兼一の事を心配して言っているわけではない。
むしろ、その程度の事をしているような相手に師が傷を負うことすら想像もしていない。

今のところ負けなしの様なのでそれなりの実力者なのだろうが、所詮はその程度。
超一流の武人を相手に、まぁ5秒持てば奇跡だろう。

「しかも、なんのつもりか古代ベルカ聖王戦争時代の王様の名前『覇王』イングヴァルトを名乗っている様で……」
「ふ~ん、最近の若い子にしては元気だねぇ」

師の呟きに「何を呑気な」と思いかけて頭を振る。
良く考えてみれば、この人も昔は不本意ながら路上での喧嘩に明け暮れていた時期があったのだ。
そんな彼からすれば、路上試合で相手を叩きのめし事件沙汰一歩手前になるくらいは可愛い物なのだろう。

「はぁ……とりあえず、そう言う人がいるみたいなので、一応翔には注意しておいたんですけど……」
「なるほど、確かにその方が良いね……相手の為に」
「はい、相手の為に」

何しろ、翔は生まれ持った類まれな才能に加え、5歳の頃から武術の英才教育を受けてきた。
その翔の技量は、身内の贔屓目を抜きにしても同年代の中ではトップクラス。
街の喧嘩自慢程度なら楽にあしらえるだろう。仮に、相手が想像以上の使い手だったとしても……まぁ、大抵の事は自力でなんとかできる。伊達に、地下格闘場やら道場破りやら…果ては裏社会科見学に明け暮れてはいない。

故に、問題なのは相手の方。
翔はあれでドジなので、うっかりやり過ぎてしまわないかが心配だ。

「ただ、昨日この話をしたら、あの子何か隠してるみたいなんですよね。
なんとか誤魔化そうとしてたみたいですけど、嘘が下手な子ですから……」
「ふ~ん、もしかしたらその『覇王』さんの事を何か知ってるのかもね」
「ですね」
「聞いてみるかい?」
「別に大丈夫でしょう。確かにちょっと問題ではありますけど、結局は子どもの喧嘩ですから」
「そうだね」

まぁ、多少のやり過ぎ程度は若さのなせる技だろう。
というのが、もう思い切り武の世界に浸かっている二人の見解だ。

「さて、まだ少し時間もあるし、出勤前に軽く組手でもしておこうか」
「はい。一手、ご指導お願いします」



  *  *  *  *  *



翔が家に帰ると、まだ父と姉は帰っていなかった。
とりあえず荷解きをし、出された宿題に取り掛かる。

元々、翔は決して勉強が嫌いなわけではない。
苦手なのは事実であり、そのため少々敬遠しがちなのは否定しないが。
だが、自分の成績が悪い事を自覚し、それをなんとかしなければとも思っている。
故に、今日こそは苦手克服の第一歩とばかりに真っ直ぐ机に向かったのだ。
しかし、その結果はと言うと……

「う~……」

早速壁にぶつかり、頭を抱えて悩み出す。
そのまま5分10分と宿題に悪戦苦闘し、30分が経過した所で翔はおもむろに立ち上がった。

「よし………………ちょっと気分転換」

人間、勉強などで息詰まると意味もなく掃除などを始める物だ。
そして、それこそが奈落の底への第一歩。

庭に出た翔は、まずジョウロに水を組んで壁際に造られた手製の棚に向かう。
そこには、綺麗に並べられた鉢植えの数々。
翔はそれらに水をやり、懐から鋏を取りだした。

「フ~ンフンフ~ン♪」

鼻歌など歌いながら、チョキチョキと鋏を動かし剪定していく。
翔は兼一と違い、それほど本を読む方ではない。
その代わり、園芸という趣味を父から受け継いでいた。
ただし、翔の場合は花壇よりも盆栽の方が好みに合うのだが。

やや枯れていると思わないでもないが、それでも彼にとっては立派な趣味である。
ただ…………これは正直どうかと思う。

「う~ん、銀八君もだいぶ葉の色が良くなってきたねぇ~…土を変えたおかげかなぁ♪
 あ、寸梢ちゃんはもうちょっと日当たりを良くした方が良い? うん、じゃそうしようね~。
っと、九重君。枝が変な方に伸びてるよ、早めに切っておこうか~」

盆栽一つ一つに名前を付け、まるで人間を相手にするかのような口ぶりでの独り言。
その上相当にリラックスしているらしく、口調だけでなく表情まで緩み切っているときた。
人様の趣味をどうこう言うのは褒められたものではないが…………はっきり言って、だいぶ怪しい。

とはいえ、手際が良いのは紛れもない事実。
まぁ、滑らかに鋏を動かしてこそいるものの、センスが良いかと言われると首をかしげざるを得ない。
好きこそものの上手なれとは言うが、好きだからと言って上手とは限らないのだ。

やがて一頻り剪定を終えると、今度はじっくりと枝の伸び具合をチェックする。
そこでまたさらに鋏を入れるのだが、そこに先ほどまでの切れはない。
一度鋏を入れては具合をチェックし、再度鋏を入れるの繰り返し。
そうしてたっぷり1時間かけて全ての盆栽の手入れを終えると、小さく呟いた。

「…………これでよし…なのかな?」

一応自分なりに良かれと思ってやったのだが、やればやる程に不安になる。
果たして、こんな具合で大丈夫なのだろうか。

しかし、一度切ってしまった物は戻せないと開き直り、とりあえず他の草木に水をやる作業に移る。
白浜家の庭はかなり広いが、水をやるだけならそう時間はかからない。
間もなく水をやり終えると、翔は僅かに考えこんでから……

「うん、まだ時間もあるし……ちょっと巻き藁でも突こうっと」

と結論する。もうこの頃には、すっかり宿題の事など忘れていた。
着替えを済ませ、庭の一角に突き立った杭の一つの前に立ち打ち込みを始める。
最初は一つ一つの動作を確認しながら、徐々にその速度を上げていく。
手始めに正拳突きを500に、前蹴りなど各種基本技を同数。
それが終わったら投げられ地蔵を出して投げの練習を行い、仮想敵を想い浮かべてのシャドウ。

当然、そんな事をやっていればあっという間に時間は過ぎていく。
空が暗くなっていくことも気にせず、鍛錬に没頭する翔。
彼の意識を引き戻したのは、帰宅を告げる姉の声だった。

「ただいまぁー!」
「あ、おかえり、姉さ…ま……」

姉を出迎えるべく門の前まで駆けて行きながら、ようやく翔は思い出す。
自分が、ほとんど宿題に手をつけていない事実に。
そんな弟の様子に気付いたようで、ギンガは眉を寄せながら問う。

「翔?」
「な、なんでもないよ! うん、全然!」
(またこの子は……自分がとんでもなく嘘が下手だって言う自覚はあるのかしら?)

たったそれだけのやり取りで、ギンガは翔の嘘を見破り真実に気付く。
となれば、彼女から言う事は一つ。

「翔、今日の宿題は?」

にっこりと、花開くような笑顔でギンガは尋ねる。
だがその瞬間、明らかに翔の表情が強張り息を飲んでいた。
翔はしどろもどろになりながら、なんとか誤魔化そうと頑張る。

「きょ、今日は……出なかったかな?」
「へぇ、そう」
「う、うん! そうなんだ!」
「……………………………………」

しばし流れる沈黙。
だが、やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、翔は自ら白状した。

「ご、ごめんなさい! 嘘ついてごめんなさい! ホントは出てる、出ててやろうとしたんだけど……!」
「どうせ、また盆栽いじりと修業にかまけて忘れたんでしょ」
「……はい」

物の見事に大当たり。
すっかり肩身の狭くなった翔は、小さくなってうなだれる。
そんな翔に向けて、ギンガは言い聞かせる様にして言葉を紡ぐ。

「私が言いたい事、わかるわね?」
「………………」
「修業も良いけど、先に宿題を終わらせてきちゃいなさい!!」
「は、はい―――――――っ!?」
「まったくもう……」

一目散に部屋へと戻っていく翔を見送りながら、深々と溜息をつく。
本当に、いったい誰に似たのやら……。



その後、兼一が戻る前にギンガの監視兼指導付きでなんとか必死で宿題を終わらせた翔。
兼一が戻ってからは朝の修業の続きとばかりにギンガと共に組手やら足腰の鍛錬に精を出し、夕食を終えてからは再度ギンガの指導のもと勉強。
で、なんとかギンガのスパルタ指導を乗り切った翔は、こっそり家を抜け出していた。

別に、街に出て悪さをする訳ではない。
いつも通り、一人稽古がてらの走り込みである。

「さて、今日はどっちに行こうかな」

特に目的地も決めず、先日同様地蔵を担いで猛スピードで走りだす。
もしかしたら、今日もあの碧銀の少女を見かけるかもしれないと少しばかり期待して。

だが、その日はいつもと少しばかり違った。
当てもなく適当に走っているうちに、何故かコインロッカーが並ぶ区画に出てしまう。
まぁ、適当に走っていたのだからそう言うこともあるのかもしれない。

だから、それは別にいい。
問題なのは、少しばかり息を切らした翔の前で倒れている少女。

「えっと、ど、どどどどうしよう!?
 警防署? それとも病院? でもでも、なんか訳ありっぽいし――――――っ!?」

思いも知らない場面に遭遇し、翔は慌てふためく。
いったい何があったのかさっぱりわからないが、とにかく意識がないのは間違いない。

何か見た感じわけありの様だし、彼の勘もそう言っている。
故に近くの交番か警防署、あるいは病院に連れていくべきかどうかさえ迷う。
そんな感じに困り果てていた翔だったが、ふっとある事に気付く。

(あれ、そう言えばこの人の髪……)

あの、たまに路上試合をしている所を見かける碧銀の少女と同じ色ではないか。
背丈などを見るに何歳か年下のようではあるが、その特徴的な髪の色は間違いない。

「………………………妹さん?」

などと、翔が思ったのも無理はないだろう。
それが、真実とは大きくかけ離れていることを、翔はまだ知らない。



ある意味、これこそが育ちゆく世代が紡ぐ、新たな物語の最初の一歩。
覇王の拳を受け継ぐ少女と、最強の弟子の名を背負う少年。
似て非なる道を行く、二人の始まりだった。





あとがき

はい、如何でしたでしょうか。
とりあえず、一応はvivid編第一話(予定)という事で書かせていただきました。
一応、今のところやるとすればこんな具合で第一話は出すつもりです。
まぁ、部分的に削除してる所はあるんですけどね。翔の容姿とか学校風景とか。
その辺は、実際に入ってからのお楽しみと言う事で。

ちなみに、翔とヴィヴィオの学校が違うのは、翔に魔法方面の資質はあっても才能がまるでないからです。
というか、基本翔は武術に才能が特化し、それ以外はからっきしという感じ。
勉強ダメ、家事ダメ、魔法ダメ、その他色々ダメという具合なのです。
武術以外に関しては、ある意味兼一以下と言えるかもしれませんね。まさに、天は二物を与えずの好例です。

とはいえ、これだけだとちょっとさびしいのでもう少し追加を。
さすがに、出てきたのが兼一とギンガと翔、後闘忠丸にアインハルトが少しだけでは………ねぇ?
そんなわけで、以下はおまけの番外編です。

P.S まだまだ色々試行段階なだけに、ちょこちょこ書き加えたり書き直したりしています。大筋に変化はありませんが、今後も頻繁に改定するかもしれませんのでご了承ください。



*  *  *  *  *



D(ディメンション)S(スポーツ)A(アクティビティ)A(アソシエイション)公式魔法戦競技会。
出場可能年齢、10歳~19歳。
個人計測ライフポイントを使用し、限りなく実践に近いスタイルで行われる魔法戦競技。
全管理世界から集まった若い魔導士たちが、魔法戦で覇を競う。
それが、インターミドル・チャンピオンシップである。

つい先日その地区選考会を終え、スーパーノービス戦が近々に迫るある日の事。
久しぶりに仕事が早く終わり、早めに帰宅したギンガ。

今日は折角時間が出来た事だし、たっぷりと翔の勉強やら修業やらを見てやれると思った矢先。
玄関を開け放ったその瞬間、黒煙が溢れだし、彼女の鼻孔を言葉にできない刺激臭が貫いた。

「くはぁ!?」

思わず奇声を上げ、鼻をつまむギンガ。
その目尻には涙が浮かび、肩を震わせ、荒々しく息をつく。

まるで、鼻に直接殺虫剤でも噴射されたかのように錯覚する程の刺激臭。
鼻の奥がツンと痛み、それどころか痛みは喉にまで広がっている。
あの一瞬でこれほどとは、いったいこの家で何が起こっていると言うのか。

「って、考えるまでもないわよね」

推理するまでもないとばかりに、早々に事態を把握するギンガ。
どうしてまたこんな唐突にと思わないでもないが……そんな事を言っても仕方がない。
なんというか、これはアレの病気みたいなものだから。



おまけ「ヘル・コック事件」



同時刻、ミッドチルダのとある公園。
エリートクラス行きのかかった大事な一戦を控えたチームナカジマの面々。
チームメイトとは言え、選手としては皆ライバル。
そのため最近は個別メニューが多く、一同に会する事はめっきり減っていた。
だが今日は、少々久しぶりに全員が揃っている。

「おし、全員揃ってるな」
「「「「はいっ!」」」」

コーチである赤毛の少女…「ノーヴェ・ナカジマ」の前に集合し、元気良く返事を返す子ども達。
みな、一様にその顔には気迫が満ちており、次の試合に向けて順調に準備が整ってきている事が伺える。
そんな可愛い教え子たちに、ノーヴェは再度注意を促した。

「いいか、お前ら。気持ちがはやるのはわかるが、週末にはスーパーノービス戦も控えてる。
充分に休息をとって、無理な練習なんてするんじゃねぇぞ。ここで怪我したり体調崩したりして見ろ、勝てる試合も勝てなくなる。そうなったら泣くに泣けねぇんだからな」
「もう、大丈夫だよ、ノーヴェ」
「そうそう」

ここ最近、耳にタコができるほど聞かされたその内容に、明るい金髪と赤と緑の虹彩異色が特徴的な「高町ヴィヴィオ」と、頭頂部で結ったリボンと八重歯が印象的な「リオ・ウェズリー」が「心配し過ぎ」と苦笑交じりに手を振る。
だがそんな二人を余所に、ノーヴェの言葉にビクリと肩を震わせる人物がいた事を、ノーヴェは見逃していない。

「アインハルト、お前まさかまた……」
「だ、大丈夫です。ちょ、ちょっと最近寝る時間が遅くなってるだけで……」

ノーヴェのジトッとした眼にいたたまれなくなったのか、しどろもどろになりながら弁明するのは碧銀の髪と青と紫の虹彩異色が目を引く「アインハルト・ストラトス」。
チーム内の年長者であり、一番の実力者ではあるのだが……どうにも真面目すぎる性分らしく、つい食事や睡眠より練習を優先させてしまう。

ある意味、ノーヴェにとって年少組以上に色々心配な教え子である。
本人は「ちょっと」と言っているが、この手の事柄に関してアインハルトの自己申告はあてにならない。
故に、ノーヴェはアインハルトの肩に鎮座する、猫型デバイス「アスティオン」…愛称ティオに真実を問う。

「どうなんだ、ティオ?」
「にゃー」
「あ、ちょ、ティオ!?」
「以前より二時間は遅くなってるだぁ!? それのどこがちょっとだ!」
「ひんっ!?」

案の定、ちょっととは到底言えないその削り方に、大声を上げるノーヴェ。
その怒声に思わず肩を竦め、その身を縮こまらせるアインハルト。
そんなアインハルトに対し、ノーヴェは一端気を落ち着けて心もち語調を押さえて語りかける。

「はぁ……あのなぁ、お前らのメニューはちゃんと負荷を考えて組んであるんだ。
 練習量を増やせばいいってもんじゃねぇし、最悪身体を壊すかもしれねぇ。
 いいか『壊れないように練習する』事は出来ても、壊れちまったもんをあっという間に治すなんて真似は出来ねぇんだ。わかってんのか?」
「はい、申し訳ありません」
「…………………まぁ、気持ちはわからねぇでもねぇ。
練習量を増やしたいっつーんなら、とりあえず相談しろ。できる限りなんとかなる様に考えるからよ」
「……は、はい!」

渋々と言った様子で妥協案を示すノーヴェに、アインハルトの表情が華やぐ。
が、そうと聞いて大人しく黙っているチームナカジマの面々ではない。

「え~、アインハルトさんだけズルイ~」
「それなら私達も~」
「もっと練習したいです~」
「ああもう! わぁったわぁった、まとめてなんとかしてやるよ! それで良いんだろ!」

しなだれかかる様に「私も私も」とおねだりする年少組。
ヴィヴィオやリオはもちろん、この中では大人しい方のキャンディー型のアクセサリーをつけた「コロナ・ティミル」も例外ではない。
性格こそ違えど、練習好きと言う意味では四人は似た者同士だ。
ちなみに、ヴィヴィオの頭の上では彼女の愛機、ウサギ型のぬいぐるみ姿の「セイクリッド・ハート」、愛称クリスがヴィヴィオ達のマネをしていたりする。

「「「えへへ~♪」」」
「すみません、お手数おかけします、ノーヴェさん」
「別に良いけどよ。お前らのコーチ役を引き受けた時から、概ね覚悟してたし。
 その代わり、これがほんとにギリギリだ。これ以上は体への負担がでか過ぎる、ちゃんと指示は守れよ」
「はい。それは、必ず」

念を押すノーヴェに対し、アインハルトは真摯な瞳で誓う。
アインハルトはつい練習を優先させてしまうが、それ以上に約束は守る。
その点に関してはノーヴェも疑っていないらしく、これ以上言い募る事はしない。
とそこで、唐突にノーヴェに誰かから通信が入った。

「わり、ちょっと待っててくれ」

四人に詫びながら、通信回線を開く。
すると、そこに映し出されたのは大家族ナカジマ家の長女であり、今は「内弟子」としてとあるお宅に下宿しているギンガ・ナカジマの姿。その後ろには何やら悲惨な有様の台所が広がっていた。
またギンガの顔色は妙に青く、体はワナワナと震えている。
明らかに、どこからどう見てもただ事ではない。

「よ、良かった。つ、繋がらなかったらどうしようかと……」
「ど、どうしたんだ? つーか大丈夫か、なにがあったってんだよ?」
「はぁ……じ、時間がないわ。か、簡潔に説明するから、よ、良く聞いて」
「お、おう!」

ノーヴェの問いに答えず、どこか鬼気迫る様子で荒い息をつきながら言葉を紡ぐギンガ。
その雰囲気に気圧されたのか、ノーヴェは思わず居住まいを正す。
それどころか、後ろで聞き耳を立てている四人もまた、何やら緊張した面持ちだ。

「はぁはぁ……し、翔が発作を起こしたわ。たぶん、い、今はそっちに向かってる。
 急いで逃げて、て、手遅れになる前…に……」
「「「っ!?」」」
「ギンガさん!?」
「だ、大丈夫ですか!? へ、返事をしてください!!」

弱々しくなる声音と共に、ついには崩れ落ちるようにモニターの範囲からギンガの姿が消えた。
リオとアインハルトは必死にギンガに呼びかけるが、返事は返ってこない。
どうやら、いまので残された力を使いはたしてしまったようだ。
二人はそこでさらに慌てふためくが、残る三人は微動だにしない。

「ど、どうしましょう、アインハルトさん!?」
「と、とりあえず翔さんのお宅に行ってみましょう!
 翔さんの発作と言うのも気になりますし……」
「ダメ、ダメですアインハルトさん!!」
「そうです、今言ったらギンガさんの二の舞です!!」
「え、あの……」
「ど、どうしたの、二人とも?」

急ぎ白浜邸に向かおうとする二人を、必死に引きとめるヴィヴィオとコロナ。
そんなチームメイトの意味不明な行動と、ただならぬ慌て様に目を白黒させる二人。
しかしそこで、絞り出す様にノーヴェが口を開く。

「そうか、お前らはまだ付き合いがみじけぇから知らなかったっけな」
「あの、ノーヴェさん?」
「いったい、なにを……」
「ちっ、説明してる時間も惜しい。ヴィヴィオ、コロナ!」
「うん!」
「わかってます」

二人には皆まで言わずとも伝わるのか、試合の時に勝るとも劣らない真剣な顔つきで頷く。
ノーヴェはこれなら心配いらないとばかりに深く頷き、指示を出す。

「よし、ヴィヴィオはアインハルトを、コロナはリオを連れて逃げろ。
 その間に、事情説明を頼む」
「ノーヴェは?」
「アイツを…………なんとか足止めする」
「そんな……」
「まぁ、仮にもコーチだからな。お前らを守るのも、あたしの仕事だ。
それに、なんだ………運が良ければ生き残れるって」

まるで、死地に飛び込む覚悟を決めた戦士の様な雰囲気を醸し出すノーヴェ。
いや、「まるで」ではない。正真正銘、これはそれに匹敵する覚悟を要するのだ。
だが、意味がわからず呆然とするリオとアインハルト。

「おら、急げ! 早くしねぇと来ちまうぞ!」
「……うん。アインハルトさん、こっちへ!」
「え、えぇ!?」
「リオも急いで!」
「な、なにがどうなってるの!?」
「ノーヴェ、死なないでね!」
「あぁ、おめぇらの試合を見届けずには死なねぇよ」

ノーヴェをその場に残し、それぞれ相方の手を引いて走りだす二人。
ノーヴェは静かにその後ろ姿を見送り、覚悟を決めてその時が来るのを待つ。
願わくば、子ども達が無事に逃げきれる事を祈って。

そして、逃げ出した4人はと言うと……。
自体がさっぱり呑み込めず為すがままに走っていたアインハルトとリオだったが、ようやく思考力が戻ってきた所で事態の本質を尋ねた。

「あのヴィヴィオさん、これはいったい……」
「そうだよ、三人ともなんかすんごい深刻そうな顔してどうしたのさ」
「それに、翔さんの発作というのはいったい? 翔さんは病気なんですか?」

あの翔が持病持ちと言うのは今まで聞いたことがなかった。
だが、この様子だと翔には何か持病があり、その発作がなにか危機的な事態を引き起こしていると言う事なのか。
しかし、病気と言うのなら逃げるよりも心配するべきだろうし、もし危険な病気だと言うのならそれこそ病院に連れていくべきではないか。
そんなアインハルトの考えは正しい。ただそれは、相手が翔でなければの話。

「病気……そうですね、確かに翔のあれは病気です」
「それなら早く病院に……」
「違うんです、アインハルトさん」
「え?」

苦々しそうなヴィヴィオの呟きに、「早く病院に連れて行くべきだ」と言おうとするアインハルト。
だが、そこに被せられるコロナからの否定の言葉。

「どういうことなの、コロナ?」
「二人も知ってる通り、翔はすごいガンバリ屋だよね」
「あ、うん」
「あの特訓を毎日、ですからね」

一応、二人も多少なりとも翔の修業風景は知っている。
正直、あれはもう「頑張る」とか言うレベルを超越しているし、よくあんなのを毎日やっていられると感心するやら呆れるやらと言う気持ちだ。
まぁ、あれを知っているからこそ無理を承知で頑張ろうとしてしまった部分もあるのだろうが。

「でもその代わり、翔ってある意味コンプレックスの塊でしょ?」
「まぁ、その……」
「なんと言いましょうか……」

確かに、ヴィヴィオの言うとおりである事は否定しない。
ただ、あまりそうはっきり言うのも可哀そうなので、言葉を濁しているが。

「不器用だし勉強は苦手だし魔法下手だし……数え上げたらキリがないですけど、武術以外はからっきしじゃないですか」
「ガンバリ屋で、それなのに苦手が多い……だからこそ、翔は時々唐突にその苦手を克服しようと奮起することがあるんです…発作的に」

そう、これがギンガが言った発作の意味である。
病気と言う意味での発作ではないが、限りなくそれに近い。
なんの前触れも脈絡もなく、ある日突然思い立つ。それが翔の「苦手克服発作」である。

「でも、それはとても良い事なのでは?」
「ですよね。苦手を克服しようとしてるんだから、むしろ応援した方が良いんじゃ……」
「二人とも、それは知らないから言えることだよ……」
「そりゃ、私達も前は応援しようとしたけど……」

全く危機感のない事を言う二人に対し、悲しそうに俯くコロナと天を仰ぐヴィヴィオ。
確かに、昔は二人もできる限り翔の力になろうとした。

が、その結果はあまりにも無情過ぎたのだ。
いつしか、翔を知る人たちは一様に彼の奮起を「発作」と称し、それが出たら一目散に逃げる事を選択するようになるほどに。
とその時、四人の下にノーヴェからの通信が届いた。

「ノーヴェ? 大丈夫なの!?」
「ヴィヴィオか、進路を変えろ! アイツ、何を勘違いしやがったか知らねぇが、練習場所を完全に間違えて向かってやがる。このままいくと、あと何十秒かで鉢合わせになるぞ!!」
「え、ええ!?」
「そ、そんな!?」

バカの厄介な所、それは何をしでかすかわからない所にある。
今回がまさにそれだ。ノーヴェがあえてあの場に残り足止めしようとしたにもかかわらず、そもそも目的地を間違えていた為にスルー。結果、真っ直ぐにヴィヴィオ達の方に向かう形になってしまった。

「コロナ、急いで方向転換を……!」
「ダメだよ、ヴィヴィオ。もう、手遅れっぽい」
「え? って、この匂いは……」

まだ幾分距離がある筈なのに、ここからでもわかる程に焦げ臭い。
やはり、最悪の事態はすぐ傍にまで迫っていたようだ。
もしこれが別の…例えば勉強とかの苦手克服であったのなら、まだ協力しただろう。

しかし、ことこれの場合は協力などできない。
そんな事をしたら最後、身の破滅に繋がると二人は身を以て知っているのだ。

「あ、みんなこんな所にいたんだ~」
「で、でた……」
「ど、どうしようヴィヴィオ!?」
「どうしようたって……」

ここまで近づかれては、最早逃げることなど不可能。
フィジカル面において、翔はチームナカジマの誰よりも優れている。
逃げた所で、たいして時間をかけることなく追いついてくることだろう。

「? ? ?」

学校は違えど、長い付き合いになる二人の引きつった様子に、疑問符を浮かべる翔。
二人としては、なんとか逃げる算段をつけたいところだが……こういう時に限って何も浮かばない。

とそこで、リオがようやくなんで友人たちがこんなテンパっているのか、その一端を理解する。
まぁ、そもそもこの匂いを嗅げばイヤでもわかるだろうが。

「ねぇ、もしかして翔って………料理下手?」
「……絶望的に」
「サバイバルとかは得意なんだけどね……」

そう、翔の不器用は料理においても例外ではない。
何しろその腕前は、八神はやてをして「シャマルの再来」と慄かせ、白浜兼一をして「ほのかそっくり」と諦めさせたほど。
味見をしてないわけではないのだろうが、本人はバカみたいに強靭な内臓の持ち主なので、割と平気。
そのせいで、結果的に被害が広がるのだから救いがない。

「クッキー焼いてみたんだけど、どうかな?
 疲れた時に甘いものって良いと思うんだけど」

確かに、発想は間違ってはいない。
間違っているのは、「自分で作る」と言う部分だ。
おそらく、頑張っているチームナカジマの皆の為を思って作ったのだろう。
こんな事は言いたくないが、有難迷惑この上ない。

しかし、あの期待に満ちた満面の笑顔にそれを言うのは気が退ける。
そのため、ゆっくりと歩み寄る翔に対し、ヴィヴィオとコロナは蛇に睨まれた蛙状態で硬直していた。

「あの、でもクッキーなら卵とお砂糖、それに小麦粉とかしか入っていない訳ですし……」
「そうそう、確かにちょっと…かなり焦げ臭いけど、食べられない事はないんじゃ」
「甘いよ、リオ」
「翔はね、どこにでもある様な日用品で全く新しい“劇物(なにか)”を創造しちゃうんだよ」

いったいどんな調合をすればそんな事が可能になるかは不明だが、なってしまうのだから仕方がない。
色々と疑問は尽きないが、とにかくそれが白浜翔と言う少年なのである。

やがて、4人のすぐ目の前に立つ翔。
その手には、手製のクッキーが入っていると思しき紙袋。
近づいてきてわかったが、単に焦げ臭いだけではない。
原因不明の刺激臭が鼻・口・目の粘膜を刺激し、言いようのない危機感を揺り起こしてくる。
ことここに至って、リオとアインハルトも理解した。
確かに、目の前のこれは人間が食べていいものではないと。

とはいえ、この笑顔の前では「食べない」という選択肢は取り辛い。
また、彼なりに頑張って苦手を克服しようとしたのだから、一応はその努力の成果を評価してやらねばなるまい。
つまり、誰か一人は犠牲にならなければもうこの場はおさまりがつかないのである。
だが、ヴィヴィオとコロナは前例を知るだけに「もうあんなのは嫌だ」とばかりに震え、リオもまた未知の恐怖に怯えている。

しかしそこで、アインハルトが動いた。
優しい彼女には、後輩を犠牲にすることも、目の前の少年を悲しませることもできないが故に。

「あ、ありがとうございます、翔さん。で、では、お一ついただきますね」
「「「あ、アインハルトさん!?」」」
「にゃーにゃー!!」
(ばたばた)←懸命に止めようとする健気さ
「はい、どうぞ召し上がってください♪」

無謀にも翔の差し出すクッキーに手を伸ばすアインハルトに対し、年少組を始めデバイス達も「早まるな」とばかりに引き留める。
だが、時すでに遅く。
一度伸ばした手はもう引っ込みがつかない。

アインハルトは震える手でクッキーを1枚手に取る。
見た感じ、だいぶ焦げ焦げでこの時点で既に地雷の匂いがするが……鼻孔を貫く匂いがさらにその直感を強める。
はっきり言おう、これはネズミ捕りに使われる毒餌レベルだ。
しかしそれでも、ここまできたら運を天に任せるより他はない。

「それでは………いただきます」

意を決してクッキー(?)を口の中に放り込む。
少々行儀が悪いが、これくらいは大目に見てほしい。
正直、一口で食べないとどうなるか自信がなかったのだ。

口に入れた瞬間、噛む以前に口内に充満する摩訶不思議な臭気。
焦げ臭く酸っぱい様な、それでいてどこか毒々しい甘ったるさがある。

これは、いつまでも口の中に入れておくのは危険だ。
本能がそう判断したのか、気付いた時には奥歯でそれを噛み砕いていた。
だがその瞬間……

(っ!? もがっ………こ、これは!?)

喉元から脳天に向けて、槍で貫かれたかのような衝撃。
形容しがたい、辛味とも違う痛みが口から全身に広がっていく。
あまりの衝撃に意識を失いかけ、同時にあまりの衝撃に意識を引き戻されるの繰り返し。

味? そんな物は一噛みした瞬間から感じない。
味がしないのか、それとも味覚の許容を越えているのかすらわからないが、ただ味とは異なる刺激だけがある。

アインハルトはその場で硬直し、震えながら顔を青から紫へと変えていく。
いっそのこと吐き出してしまおうかとも思うが、最早口がマヒして言う事を聞かない。
それは全身に言える事で、まるで神経系が破壊されたかのように体が固まっていた。

あるいは、倒れてしまえれば楽だったろう。
しかし、覗きこんでくる翔の期待を込めた瞳を前にしては、意地でも倒れるわけにはいかない。
アインハルトは感覚のない口を(恐らく)動かし、噛み砕いた“それ”を飲み下す。

言葉は出ない。最早、言葉を発すると言う機能は停止している。
故に、精一杯の虚勢を張って頬を動かし、翔に向かって微笑みかけた。
そんな健気なアインハルトに、ヴィヴィオ達は涙が止まらない。
とにかく今は、少しでも早くアインハルトを楽にしてやらねば。

「しょ、翔! そう言えば、飲み物買って来てくれない?
 ほら、クッキーばっかりだと喉乾くし」
((ヴィヴィオ、GJ!!))
「あ、そっか! そうだね、ちょっと買ってくる」

ヴィヴィオのファインプレーに、内心喝采を上げる二人。
すっかり乗せられた翔は、自販機を探してその場を後にする。

「行きましたよ、アインハルトさん」
「もう大丈夫です、お疲れさまでした」
(なでなで)←背中を摩ってやる優しさ
「にゃ~……」

皆からかけられる、その言葉が聴こえていたのかは定かではない。
だがアインハルトは、力尽きたかのように後ろ向きに倒れヴィヴィオに支えられてその場で横になった。
ティオは心配そうにアインハルトに頬摺りし、クリスはおろおろと言った様子で飛び回り、後輩たちはパタパタと風を送る。
そして、うっすらと目を開けてアインハルトは言った。

「よかった……」
「「「え?」」」
「翔さんを、悲しませずにすみました…から」
「「「アインハルトさ――――――ん!!」」」

力尽き、今度こそ本当に意識を手放すアインハルト。
みなはあふれる涙を拭いもせず、その雄姿を目に焼き付けたのだった。

ちなみに、この数日後行われたスーパーノービス戦において、チームナカジマの四人は無事勝利。
揃ってエリートクラスにコマを進めた……………のだが、正史では1R29秒KO勝利だったアインハルトは、この時はギリギリの判定勝ちだったとか。
その原因は………………………言うまでもないだろう。



[25730] BATTLE 35「ファースト・コンタクト」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:43

レリックと共に現れた少女の発見を契機に発生した事件から一夜明けて。
早朝訓練と朝食を終え、オフィスにて事務処理をすべく廊下を移動するティアナとスバル。
そこへ、だいぶ見慣れた小さな人影が猛スピードで向かってくる。

「あわわわ! ち、遅刻ですぅ~!?」
「ティア、あれって……」
「リイン曹長?」
「あ、二人ともおはようございますです」
「「おはようございます!」」

律義に立ち止まり軽い敬礼であいさつする上官に対し、ティアナとスバルもそれに倣う。
リインは僅かに乱れた髪を整えながら、二人との雑談に興じる。

「二人はこれからオフィスですか?」
「はい、昨日の報告書やらなんやら……」
「あと、今朝の模擬戦の反省レポートもですね」
「朝から頑張ってるですねぇ。そんな頑張り屋の二人には花丸を上げちゃいます♪」
「あはは、ありがとうございます」

可愛らしくも微笑ましい上官の仕草に、ついつい笑顔のこぼれるスバル。
だが、ティアナの表情はどこか怪訝そうだ。
どうすべきか迷ったティアナだったが、思い切って質問をぶつけてみる。

「ところでリイン曹長。だいぶ急いでおられた様ですが……」
「はっ!? そ、そうでした、油を売っている場合じゃなかったのでした!
 ごめんなさい二人とも、リインはこれで失礼します!」
「急ぎの会議か何かですか?」
「はい…………機動六課首脳会議です」



機動六課首脳会議。
その名が示す通り、機動六課における中心人物達が集合して行う会合である。

「ごめんなさい、遅くなりましたです~!?」
「遅ぇぞリイン、何やってんだ!」
「はぅ!? ごめんなさい、ヴィータちゃん……」
「まぁまぁヴィータちゃん、リインだって反省してるからそんなに怒らないであげなよ」
「そうだよ。ヴィータはリインのお姉さんなんだし」

ションボリとうなだれるリインを取りなす様に、なのはとフェイトがフォローを入れる。
ヴィータも勢いで言ってしまったが、元々そこまで強く言うつもりはなかったのだろう。
どこか気不味そうに視線を逸らしている。

とはいえ、一度言ってしまった手前中々引っ込みがつかないらしい。
そんなヴィータの心情を察してか、シグナムとはやてからも後押しが入る。

「まぁ、それはともかくとしても、このままではいつまでたっても始められんのは事実だな」
「ん、そういうことやから、リインもそろそろ席につこか?
 ヴィータかて、別にそんなおこってるわけないんやし…なぁ?」
「ま、まぁな……」
「はいです!」

お許しが出て、パァッと花開くように顔を綻ばせるリイン。
彼女がはやての隣の特注の席に座ると、ようやく会議が始まった。

「さて、まずはみんな昨日はお疲れさん。
 身元不明の女の子と二つのレリック、どっちも無事確保して、なおかつ市街地への被害も特になし。
 犯人の確保はできへんかったけど…まぁ、上々の結果やと思う。
 それもこれも、みんなが頑張ってくれたおかげや。ありがとな」

部隊長として、部下達の働きに労いの言葉をかけるはやて。
しかし、決して皆の表情は明るくはない。
確かに部下達は良くやってくれたし、これと言って奪われた物や被害もなかった。
だがそれでも、最後の最後で詰め切れなかった事に思う所があるのだろう。

「敵さんの方も、いよいよ本格的に動きがあった訳やけど……そっちに関しては、とりあえず報告書と解析データが上がってくるのを待つとしよ。フォワード達の方は?」
「一応みんな無事です。多少の打ち身や擦り傷などはありましたが、訓練と任務に支障はないと思います。なのはちゃんは?」
「私も同意見です。今朝の訓練でも、みんなバッチリ動けてましたから」
「さよか」

シャマルとなのは、新人達の体調の管理を主に受け持つ二人からのお墨付きに安堵する。
中々に激しい任務だっただけに、少々心配だったのだが何事もなくて何よりと言ったところだろう。
ただ、問題なのは……

「じゃ、ギンの方は? かなりやられたっちゅう話やったけど」
「そうですね。だいぶ痛めつけられていたようですが…薬を飲んで一晩休みましたし、まぁ大丈夫でしょう」
(本当かなぁ?)

この男の「大丈夫」は当てにならないので、参加者一同かなりいぶかしんでいる。
まぁ、大丈夫と言うからには一応動けはするのだろうが……。
実際、新人達も含めて兼一の指導の下、内功を練っている御蔭で回復も早くなっている。
仮にまだ引き摺っているとしても、遠からず全快する筈だ。

「それではやてちゃん、今日の議題は何なのですか?」
「うん、それに関しては……兼一さん、お願いします」
「はい」

リインから振られた話を、さらに兼一に放る。
元々、今回の会議は兼一の方からはやてに招集をかけてもらったのだ。

「今回の件であちらも相当な戦力を有していることがわかりました。
 そこで……………………かねてより温めていた、例の計画を実行に移そうかと」

兼一の言葉と共に、ザワリと場の空気が動く。
とそこで少々慌てた様子でフェイトが、続いてヴィータが立ち上がる。

「で、でも! 確かそれは、もう少し先の予定だった筈じゃ」
「ああ。正直、いまのあいつらじゃ体がもたねぇんじゃねぇか?
 急ぐのはわかるけどよ、それで潰れちまったら元も子もねぇぞ」

本来、あの計画はもう少し実力をつけてからの予定だった。
効果は絶大だが、なにしろリスクが高い。
いまの彼らでは、途中で死んでしまう恐れがある程に。

「はい。確かに、今のみんなにはすこ~し危ないかもしれません。
 特に、スバルちゃんとティアナちゃんの場合……場所が場所ですから」

そう言う兼一の顔にも、どこか苦渋の様なものが見て取れる。
この、六課一無茶な男にこんな顔をさせる内容なのだから、そのリスクは推して知るべし。

「そ、それじゃ……!」
「なので、念の為昨夜のうちに岬越寺師匠にお願いして計算してもらった所…………今のみんなでは早ければ三日と持たないことが判明しました」
「……それは、信頼できるものなのか?」
「岬越寺師匠のカオス統計学は怖いくらい良く当たりますからね。まず間違いありません」

シグナムからの問いに、揺るぎない確信を持って答える兼一。
今の皆では三日持たない。それでは送り出しても意味がないわけだが……それならそれでやりようもある。
今回の会議の目的は、それを提案する事なのだから。

「確かに、今のみんなではまず無理でしょう。ですが、それなら耐えられるように仕込めばいいだけの話です。
 どのみち例の計画は別にしても、取り急ぎ力をつけなければなりませんし」
「そうは言うけどよ、今だって割と限界ギリギリだぜ?」
「うん。確かに、これ以上ってなると……」
「しかし、今のままでは奴らと闘って無事で済む可能性は高くない。
生き延びるためには、多少リスクを負うのも已む無しなのではないか?」

兼一の案に、ヴィータとなのはは難色を示し、シグナムは消極的賛成。
フェイトの場合はこの時点で既に涙目だが、皆意図的に視界に入れない様にしている。

「それで、兼一さんとしては具体的にどうするつもりなんですか?」
「具体的にどのくらい修業の量を増やせばいいか、こちらも岬越寺師匠に計算してもらいました。
 その計算式と結果がこれです」

言って、モニターに出力したのはなんだかよくわからない数式の並んだ画像。
はっきり言って、この場にいる誰が見てもその内容は理解できない。

だが、それでも一つわかる事がある。
それは、その数式の果てに辿り着いた答え。

「危険は承知の上で…………四捨五入してざっと二倍ですね」
「物は試しだ、やってみるか」
「物は試しって、シグナム!?」
「どうすんだよ、なのは?」
(……………………………あの塗り潰されてる「衰弱死」って単語が、激しく気になるんだけど……)
「か、体が持たないんじゃ?」
「大丈夫です。持つか持たないかではありません、どんな手を使っても持たせますから」
(なんと言われてもやる気やな、この人……)
(みんな、ガンバですよ……)

こうして兼一の強硬意見により、日々の訓練が二倍増しになることが決定したのだった。



BATTLE 35「ファースト・コンタクト」



で、具体的に日々の訓練の何が二倍になったのか。
基礎体力作りか? それとも個人技か? あるいは連携か?
否、答えは…………………………模擬戦(組手)である。

「無天拳独流、陣掃慈恩烈波(じんそうじおんれっぱ)!!!」

「ぺぽっ!?」
「死ぬ、今度こそ死ぬ――――――――――……へぶっ!?」
「スバルさ――――ん!?」

周囲を囲んだ新人達だったが、圧倒的と言うのもバカらしい力で薙ぎ払われていく。
これではまるで、ゾウとアリの闘いだ。

なんとか一矢報いようと放った魔法は、さも当然の様に投げ返され、あるいは撃ち落とされる。
ならばと繰り出す打撃と槍撃も、その全てが衣服に触れることすらかなわず空を切るばかり。
反対に四人の体は面白い様に宙を舞い、一見するといたぶっているようにも見えるだろう。

がしかし、その辺りはちゃんと手加減している。
なので、確実にノックダウンしたと思われるスバルも、なんとか立ち上がり戦線に復帰できるわけだ。
まぁ、終わりたくても終わらせてくれない辺り、ある意味地獄かもしれないが。
しかし、実を言うと単に叩きのめしているだけではない。

「ほらそこ、脇が甘い」
「あたっ!?」
「踏み込みが深すぎる。迂闊に踏み込むのは命取りだと言った筈だよ!」
「は、はい!」

闘いながら、叩きのめしながら、動きのズレや甘さを修正しているのだ。
小突かれる程度の力で四肢の動きや姿勢のズレを矯正し、より良い形に整えていく。
それが、この組手の目的の一つだったりする。
まぁ、闘いながらそう言う事ができる辺り、つくづく人間離れしているが……。
とはいえ、形は違えども他でやっていることも似た様な物か。
むしろ、こと激しさにおいてこちらを上回る事はなさそうだが……。

「轟天……爆砕!!」
「って、無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!!
 こんなの捌くのも受けるのもできるわけないじゃないですか!?」
「泣き言言ってんじゃねぇ! ハンバーグになりなくなけりゃなんとかして見せろ!!
ギガント……シュラ―――――――――ク!!!」
「白刃流しでなんとかなるんですか、コレ―――――――――――――っ!?」

振り下ろされるビルの様に巨大な鉄槌に、涙目のギンガ。
なんとか抵抗しようと、先日修得した技を使おうとするが……意味があるとは到底思えない。

『白刃流し(しらはながし)』とは、刃の側面に捻りきった拳を入れ、一気に捻り上げの筋肉のパンプと螺旋の力で最小にして最速の払いと突きを瞬時に行うという、腕一本で防御と攻撃を一度可能とする古式空手の真髄の技の一つ。
しかし、対象がこれだけ巨大だと側面もへったくれもあったものではない。
案の定、鉄槌の下敷きになり地面にめり込むギンガ。そこへ、ヴィータからの叱責が飛ぶ。

「バカかお前は! 今までアイツから何を習ってやがった、状況に合わせて技を変えるんだよ!」
(それはわかりますが、あの状況でいったい何を使えば……)

言う事はもっともだが、ではどうすればいいと言うのか。
正味な話、あの巨大さでは手の打ちようがないと思うのだが……。

「受けてダメ、捌いてダメ…なら避けろ!
 何のために鍛えた足腰だ、突進技でも使えばそれなりに間合いを詰められんだろ!」
「で、でもあの範囲から抜けるのは……」
「いいんだよ、抜けられなくても。『抜けられるかも』って思わせるだけで意味があんだ。
 気迫で勝れば迷いがでる、迷いが出れば技が鈍る、そうすりゃこっちのもんだろうが。
いいか、闘いってのは心の駆け引きなんだよ!!」
「は、はい……」
「よし、じゃもう一回だ、行くぞ!!」
「まだ無理ですってば!?」

クレーターの中心で、ようやく立ち上がったばかりのギンガに再度振り下ろされる鉄槌。
無論、そんな状態で立った今言われた事が実行できる筈もなく………またも轢死体みたいなことになるギンガ。
まぁ、これはこれで打たれ強くなりそうなので、悪くないだろう。
ただ、ヴィータの次に控えている人物の場合、もはや撃たれ強くなるとかいう問題ではないのだが。

「ねぇ、ギンガ。次は私のザンバーなんだけど、いけそう?」
「……」

バカでかい魔力刃を出力したバルディッシュを、肩に担ぐようにして問いかけるフェイト。
しかし、当然と言うか仕方がないと言うか、ギンガからの返事はない。
一応兼一からは、返事の有無にかかわらず強行するよう言われているが……本当に良いのか、フェイトの方が不安になってくる有様だった。

そもそも、修業を倍にすると言ってどうして真っ先に模擬戦が倍になるのか。
これは………昔の人はあまり筋トレをはじめとした基礎的な体作りはあまりしなかったことに遡る。
その代わり、昔の武術家は組手をよく行った。
なぜなら組手を通して体作りを行えば、純粋にその技術に必要な体が出来上がるからだ。

また、どんな技術も実際に闘う中で使う以上に向上する事はなく、連携も然り。
身体と技術の双方の向上を図る上では、これが一番手っ取り早い。
無論、このやり方には常に故障の危険を伴うが……これまでの蓄積でみんなだいぶ頑丈になってきたことだし、このくらいは大丈夫だろう。仮に怪我をしても、ちゃんと治す手立てもあるからできる荒行だ。

そうして、幸いにも地獄特訓一日目から死者を出すこともなく、なんとか生き残った面々。
もう実戦以上に色々満身創痍だが、生きているのなら問題なしが梁山泊式である。

「よし、良く生き残ったね。それじゃ仕上げに、これを飲んどこうか」
「あの~師父? それ、なんだかすごく異様な匂いがするんですけど……」
「その漢方薬、何からできてるんですか?」
「知らない方が良いよ。さあ、グイッといってみよう」
「イヤ――――――――っ!? もうこのパターンはイヤ――――――――!!」
「抑えて、副隊長! フェイト隊長も!」
「ったく、バインドはあんま得意じゃねぇんだけどなぁ……」
「ごめんね、ごめんねみんな。これもみんなの為なんだよ……」

無論、このメンツを相手に逃げ出せる筈もなく、為す術もなく捕まり強制的に薬を流しこまれる。
あまりの不味さに悶絶し、うずくまるもそんな事は全く斟酌せずに話は進んでいく。

「はい。じゃ、今回はここまで」
「暑くなってきたからってそのままでいると風邪ひくからな、ちゃんと汗流して着替えろよ」
『あ、ありがとうございました~……』

口元を押さえ、よろよろとおぼつかない足取りでその場を後にする面々。
ヴィータとフェイトもそれに続くが、そこで兼一はある人物を呼び止めた。

「あ、ギンガはちょっと残ってくれるかな?」
「ぇ、はい」
「おいおい、あんだけやっといてまだ続ける気かよ? つくづくイカれてやがんな」
「すみません、少しだけですから」
(絶対少しじゃない)

全員が確信しているが、いつもの事なので誰も深くは追求しない。
するだけ無駄であり、ギンガ自身本当にイヤなら逃げるなりなんなりするだろう。
それをしないのだから、本人も覚悟の上と言う事だ。

「さ、もう少し詰めておこう」
「はい!」

深くスタンスを取る師に対し、ギンガは何故か構えを取らない。
その目的は一つ、先日判明したアノニマートの能力への対策。

「ふっ」

兼一の肩から先が消えたと思った時、並々ならぬ衝撃がギンガの胸を貫く。
体は大きく浮き上がり、重力に従い弧を描いて地面へと落下する。
だが、突きの勢いはそれだけでは消えず、数メートルに渡って転がっていく。

「まだ体が堅い! もっと緩めて!」
「は、はい!」

痛む身体に鞭打って、荒い息をつきながらも立ち上がる。
アノニマートと闘う上で、最も有効な対策は全ての攻撃を回避する事。
そうすれば、高い攻撃力を発揮するイグニッション・スキンも関係ない。

しかし、現実問題として同等以上の力量の持ち主の攻撃を全て回避し切るのは不可能に近い。
かといって、生半可な防御では上からでも叩き潰されてしまうのがあのスキルの厄介な所。

そこで兼一が出した結論が「受け止められないならば、受け流してしまえばいい」。
攻撃を受け流す「流水」や「捨己従人」と呼ばれる技術を身に付ければ、受けるダメージを削減できる。
また長じれば、「流水頭撃」の様にカウンターも可能となるだろう。

あの能力による防御は、咄嗟の事態には対応できない。
どこに攻撃が来るかを読み、受ける箇所に事前にエネルギーを集めなければならない性質の為だ。
その弱点を突く場合において、流水頭撃の様なカウンターはとても有効なのである。
その意味でも、ギンガにはこの技術の習得が急務であった。

ヴィータのパワーとフェイトのスピードによって徹底的に叩きのめさせていたのも、身体に余計な力が入らなくなる程に消耗させるのが目的の一つ。ちなみにもう一つの目的として、とにかく打たれ強くなれば多少まともに受けても闘えるようになると言う、一石二鳥の狙いもあったりするのだが。
とそこへ、小走りに駆けよってくる小さな人影が一つ。

「あ、姉さまだけズルイ~」
「翔? もう、またアイナさんの所を抜け出してきたの?」

普段、この時間は寮母のアイナの所に預けられているのだが、どうやらまたこっそり抜け出してきたらしい。
アイナも寮の仕事で忙しいため仕方がないとはいえ、良くも毎日毎日抜け出せるものだ。
この辺り、ギンガほどではないにしろ日々の修業の賜物であるかもしれない。

「う~、だって~……」
「ダメでしょ、翔がいなくなったらアイナさんだって心配するんだから」
「はぁい……」
「やれやれ、とりあえずアイナさんには僕から連絡しておくから、翔も少し一緒にやろうか。
 ギンガも、それならいいでしょ?」
「まぁ、仕方ありませんね」
「やった~♪」

日中は少々さびしい思いをさせてしまっているので、少し申し訳ない気持ちもある。
それだけに、兼一やギンガとしてもここで追い返すのは忍びないのだ。

「でも師匠、さすがに翔に私と同じ事は早いんじゃ……」
「大丈夫。翔、ギンガの反対側に来て」
「こっち?」
「そう、そこ」

さすがに、まだ五歳児でしかない翔にギンガと同じ内容はやらせられない。
実力も違えば身体の完成度も違うのだ。同じ内容をやらせるなど無謀以前の問題である。
しかし、さすがに全く別の内容を一度に見ると言うのは難しいのではなかろうか。
だが幸いにも、兼一は無敵超人の教えを受けた武人だ。

「じゃ、もう一度行こうか」
「さあ、来なさい」

二人に挟まれる形で立ち、ギンガには拳を構え、翔には手招きをする。
しかも、兼一の口からは一度に二つの言葉が発せられていた。
普通に考えれば何かの聞き間違い。だが、相手がこの男ならば紛れもない現実。

その秘密は、無敵超人が誇る108つの必殺技「二重身法」と「二重声法」の二つにある。
まず「二重身法(にじゅうしんほう)」とは、体の身中線を境に手足を左右完全に別の意志で統制する秘技。そして「二重声法(にじゅうせいほう)」とは、気道・声帯・横隔膜の全てを左右バラバラに動かす事で、一度に2つの言葉を喋ることを可能にすると言うものだ。
技の祖である無敵超人と違い、これを用いて静と動、相反する二種の気を同時に発動させることはできないが、この場で二人に同時に修業をつける分には問題ない。

ギンガに対しては強烈な打ち込みを行い、同時に翔の攻撃を捌きつつ新人達にやったように随時その体捌きに修正を入れていく。
だがその間も、兼一は修業とはまた別の事に思考を割いていた。

(いくらアイナさんがいるとは言え、やっぱり昼間寂しい思いをさせちゃうのは考えものか。
 とはいえみんなそれぞれ忙しいし、子守を頼める相手なんてそうそういないもんなぁ……)

時間があるとすれば正式な役職を持たないザフィーラなのだが…子ども一人の面倒をみるために彼を連日拘束すると言うのも無理がある。
訓練がある前線メンバーは論外だし、まさかその中に幼い翔を混ぜるわけにはいかない。
かと言って、ロングアーチをはじめ事務方は事務処理が次から次へと舞い込んでくるので、まず手が空く事はない。いま主に面倒を見てくれているバックヤードにしても、それぞれ忙しい合間を縫ってみてくれているのだ。これ以上を望む事は難しいだろう。

(誰か、年の近い友達でもいてくれればなぁ……)

とはいえ、ここは管理局の施設。
まさか、児童福祉施設の様に子どもを集めることなどできる筈もなく……。
はてさてどうした物かと悩む兼一だったが、唐突にその動きが止まる。

「師匠?」
「父様?」

突然構えを解いた師に、二人は揃って首をかしげる。
今回はここまでと言う可能性もなくはないが、幾らなんでも唐突過ぎる。

「これは………………………子どもの泣き声?」
「「え?」」

その呟きを確認するように、二人は揃って周囲の音に集中する。
が、子どもの泣き声はおろか人の話し声すらしない。
そもそも、管理局の施設であるこの場において、翔とエリオやキャロ以外に子どもなどいる筈がないのだ。
しかし、この男に限ってそんな聞き間違いをするだろうか……。

「あ、そう言えば……」
「どうしたの、姉さま?」
「確かなのはさんとシグナム副隊長が、聖王医療院にこの前保護した女の子の様子を見に行くとか……」

そんなような事を、今朝聞いた様な覚えがある。
もし師の聞き間違いでなかったとしたら、あの少女が来ているのかもしれない。
まぁ、それだけではなぜ泣いているのかがさっぱりわからないのだが。

「…………………ちょっと気になるし、確かめてみようか」
「でも、どこにいるか……」
「あっち」
「え?」
「いや、声が聞こえるから多分あっちだと思うんだけど」
(そうだった、この人はこういう人だった……)

改めて「達人」と言う人種の非常識さを思い返し、深く考える事を辞めるギンガ。
翔は翔でその話に興味があるのか、眼がキラキラ輝いている。
となれば、もうこの後どうするかなど考えるまでもない。

「とりあえず、行ってみようか」
「うん♪」
「ですね」



  *  *  *  *  *



そんでもって、場所は移って女子寮の一室。
なのはとフェイトが一緒に暮らしているその部屋では、今まさに雷鳴の如き泣き声が鳴り響いていた。

「うわぁぁぁぁぁっぁあぁぁぁっぁぁぁっぁぁあぁぁぁ!?
 ヤァダァ――――――――――――――――――――――!!
 行っちゃヤダァ――――――――――――――――――――――――――っ!!!」

泣き声の主は、何故かダボダボのシャツをはおり、眼を引く長く鮮やかな金髪の小さな…とても小さな女の子だ。背丈は翔より幾分低い位で、恐らくは年もそれほど違わないだろう。
その両目は瞼が硬く閉じられ、眼の端には一杯に涙の粒を浮かべている。

そんな童女が、なのはの脚に力一杯しがみつき、身も世もない感じに顔を歪めて大声で泣き喚いていた。
さしものなのはも泣く子には勝てないのか…それ以前に、子どものあやし方自体がよくわからないのだろう。ただただオロオロと動転するばかり。
それは周りにいる新人達も同様で、まるで経験のないこの状況に右往左往。
取り繕っても仕方ないのではっきり言おう、この場においてはこの4人『役立たず』以外の何者でもない。

「ああ、ほら…泣かない、泣かないで……」
「ほら、お姉ちゃん達と一緒に遊ぼう…ね?」

一応、なんとか宥め様とはしているようだが、まるで聞く耳持たない。
経験不足なのもあるだろうが、この場合は何より相手が悪いと言うべきか。
もしもう少し分別がつくか、あるいは他の面々に慣れていれば少しは違ったかもしれないだろうに。
とそこへ、何やら苦笑を浮かべるはやてとフェイトが現れた。

「ぁ、八神部隊長」
「エースオブエースにも、勝てへん相手はおるもんやね」
「フェイトちゃん、はやてちゃん……あの、助けて……」

未だかつて経験したことのない戦場に、なのははすっかり弱気になって助けを求めてくる。
そんな親友とは違い、どこか落ち着いた様子の二人が助け船を出す。

「スバル、キャロ。とりあえず落ちつこか、離れて休め」
「ぁ……」
「はい……」

はやての指示に従い、なのはと少女から数歩後ろに下がる二人。
入れ替わりに近づいたフェイトは、その途中で落ちていたウサギのぬいぐるみを拾い上げる。
そして、それを少女の眼の高さに持ち上げ……

「こんにちはぁ」
「ふぇ……」

いつもより幾分柔らかい声音で、ぬいぐるみを動かしながら話しかけた。
少女はそれに僅かに目を見開き、フェイトの方を注視する。

「この子は、あなたのお友達?」
「ヴィヴィオ、こちらフェイトさん。なのはさんの大事なお友達」
「ヴィヴィオ、どうしたの?」

意識がそちらに向いた事で、ヴィヴィオと呼ばれた少女が泣きやんだ。
フェイトが手に持ったウサギのぬいぐるみを右に左にゆっくり動かすと、ヴィヴィオは眼をパチパチさせながらその後を追っている。
機を逃さず教えたことが功を奏したのか、フェイトに対して警戒心は抱いていないらしい。
まぁ、単にウサギに意識が向いていて、フェイトの事など気にしていないだけかもしれないが。

(とりあえず、病院から連れて帰って来たんだけど、なんか…離れてくれないの)

ようやく人心地ついたことで、なのはにも余裕が出てきたのだろう。
念話で、これまでの大雑把な流れを説明する。
それがよほど微笑ましかったのだろう。
フェイトは微笑みながらヴィヴィオとなのはの顔を交互に見ている。

(ふふ、懐かれちゃったのかな……)
(それで、みんなに相手してもらおうと思ったんだけど……)
((((すみません))))

全員、為す術もなく撃沈したと言う次第らしい。
なのはとしては面倒見のいいティアナや、天真爛漫なスバル、年の近いエリオやキャロならばと期待していたようだが、早々上手くはいってくれなかった。

(エリオは翔の面倒もよく見てるし、大丈夫かと思ったんだけど……)
(そうだね。でも、翔ってあんまり泣いて困らせる事がないから、しょうがないよ)

武術を嗜んでいるせいか、それとも性格的な物が理由なのか、翔は我儘は言っても泣いて困らせる事は滅多にない。実際、同じ部屋に住んで数ヶ月になるエリオですら、翔が泣いている所などほとんど見たことがないのだ。
これでは、いきなり泣いている子どもをあてがわれてもどうにもならない。

(そっか、そうだよね……)
(まぁ、なんとかしてみるから、任せて)
(うん、お願い。正直、もうお手上げでどうしたらいいか……)
「ねぇ、ヴィヴィオはなのはさんと一緒にいたいの?」
「……うん」

その問いに対し、ヴィヴィオはなのはのスカートを掴む手に力を込めながら小さくうなずく。
見ると、その左右で色違いの大きな紅と翠の瞳には、再度不安そうな光が宿る。
どうやら、今の問いかけで現状を思い出してしまったらしい。

「でもなのはさん、大事な御用でお出かけしなきゃいけないのに、ヴィヴィオが我儘言うから困っちゃってるよ。この子も、ほら」
「うぁ…」

言いながら、器用にぬいぐるみの手を動かし、「困ってます」というポーズを取らせるフェイト。
そんなぬいぐるみの動きに、ヴィヴィオも何か感じるものがあったのだろう。
気持ちの揺れの様なものが表情に表れ始めていた。

「ヴィヴィオは、なのはさんを困らせたい訳じゃないんだよね」

その心の動きを正確に捉え、誘導していくフェイト。
外野からそれを見る四人は、ただただその手際に圧倒されていた。

(なんかフェイトさん、達人的オーラが……)
(フェイトさん、まだちっちゃい甥っ子さんと姪っ子さんがいますし)
(使い魔さんも育ててますし)
(ああ! さらにアンタらのちっちゃい頃も知ってるわけだしね)

ティアナの一言に、どこか小さくなる年少組。
その間にも、フェイトは着々とヴィヴィオの気持ちをコントロールする。
そうして聞き分けるまで後一歩と言う所で…………空気の読めないバカが台無しにしてしまう。

「だから、良い子で待って……」
「あ、みんな。今なんか、こっちの方で子どもの泣き声がしなかった?」

日当たりのいい部屋に、突如影が差したかと思うと大事な所でいない筈の人物の声が割って入る。
皆がその影の出所に視線を向けると、そこには窓に張り付く陸士制服を着た男の姿。
そのあからさまな不審者の姿を視界に収めた瞬間、ヴィヴィオの顔が盛大に歪んだ。

「っ!? ぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「け、兼一さんなんてところにいるんですか!!」
「折角ヴィヴィオが納得しかけてたのに!?」
「え、ええ!? もしかして、これって僕のせい!?」
『間違いなくあなたのせいです!!!』

事情が呑み込めないまま、皆の非難に晒される兼一。
だが、実際問題として事を振り出しに戻してしまったのは紛れもなくこの男の仕業。
そこに悪意がなかろうと、結果的にそうなってしまったのだから非難も当然だろう。
まったく、こんな事だから「冴えないバカ」と呼ばれるのだ。

「ああ、もう! 何やってるんですか師匠! あんな小さな子を泣かせて!」
「あ、いや、別に泣かせるつもりは……」
「結果的に泣かせてるんですから同じです! ほら、とにかく中に入って!」
「あ、はい、すみません」

ウィングロードを走って遅れてやってきた弟子に叱られ、すっかり小さくなる兼一。
言われるがまま、エリオ達によって開かれた窓から中に入る。

しかし、それを見てまたさらにヴィヴィオの泣き声が大きくなった。
どうやら、すっかり兼一の事を怖い人と認識してしまったらしい。
まぁ、初対面があれでは無理もない。

「あははは…………ええ所に来はったなぁ、兼一さん」
「ぶ、部隊長……もしかして、怒ってます?」
「ん~、そんなことあらへんよぉ。ただ、間の悪い人やなぁと思ってるだけやから」

そうは言うが、額には「怒りマーク」が浮いている気がしてならない。
すっかり気圧されてしまい、兼一の腰はだいぶ退けているのも当然だ。

「ま、とりあえず……翔をおいてとっとと出て行ってくれます?
 兼一さんがおると、いつまでたってもヴィヴィオが泣きやみそうにないし」
「ヴィヴィオ? ああ、あの子……」
「出て行って、くれますよね?」
「はい……」

はやての、怒りを湛えた笑みに押し切られ、背負った翔を下ろし部屋を後にする兼一。
一同、「哀れ」とか「間の悪い」とか同情する気持ちもないではないが、それ以上に「自業自得」と思ってなにもフォローはしてやらないのだった。

とはいえ、いつまでもそんなバカに付き合ってはいられない。
今はとにかく、なんとかして再度火がついた様に泣きだしたヴィヴィオを宥めなければ。

「ふぇ、フェイトちゃ~ん!」
「さ、さすがにこうなるとちょっと……」
「あ~…ギンガ、子守は得意な方か?」
「まぁその…スバルとか翔とかで多少は……」
「なら協力頼むわ。あの様子やと、フェイトちゃんでも手古摺りそうやし」
「……すみません。師匠、どうにも間の悪い人で……」
「悪い人やないんやけどなぁ……」

唯一の救いは、新人達と違ってそれなりに子守の経験があるギンガが参入したことか。
幾ら翔があまり泣いて困らせるタイプではないとはいえ、全く泣かない子と言うわけではない。
エリオよりもさらに親密で付き合いの長いギンガなら、そのあたりのノウハウもあるだろう。

フェイトもなんとか再度ヴィヴィオを宥め様と頑張っているが、効果が薄い。
ぬいぐるみで意識を逸らす方法も、続けてでは意味がない様だ。
他にもネタがあるようだが、それらもイマイチ効果が出ない。
やはり、機を逸してしまったのが痛いのだろう。

「でも、私にフェイトさん以上を期待されても……」

そう。多少は経験があるとは言え、見た所あのフェイトの手際には及ばない。
あそこに入って行ったところで、たいして役に立てるとは思えないのだ。
実際、その辺りに関してははやても同感らしい。

「まぁ、うちでフェイトちゃん以上ちゅうたら、後はアイナさん位やからなぁ」
「それなら……」
「せやけど、ギンガにあってフェイトちゃんにはないもんがある。それは」
「それは? ……ああ、そう言う事ですか」
「そう言うこっちゃ。まぁ、なんとか頼むわ。いい加減時間も押し取るし」

はやての言わんとする事を理解し、ギンガは首と腰を捻って自身の真後ろを見る。
そこには、ギンガの背に隠れ身を縮込めながら…だが恐る恐ると言った様子で、大きく青い双眸をチラチラとヴィヴィオの方へ向けていた。
興味はあるようだが、あのガン泣きに押されて出るに出られないらしい。
そんな弟分に苦笑しながら、ギンガは軽くその背を押して前に出させてやる。

「ほら、翔。そんな所に隠れてないで、ごあいさつ」
「ぅ、うん……」

ギンガにされるがまま、ヴィヴィオの方に押し出される翔。
それに気付いたフェイトは一端手を止め、ヴィヴィオから翔が見えるように一歩下がる。
結果、二人はなにも遮るものがない状態で、真正面から向き合う形になった。

「ビエェェエェェェェェェェェッェエェェェェェェ!!!」
「あぅ、ぁぅ~……」

とはいえ、ヴィヴィオは未だガン泣き状態なので、翔の事など全く見ちゃいない。
せめて気を逸らすきっかけになればと思ったのだが、どうやら失敗だったらしい。
それどころか泣き喚くヴィヴィオに誘発されたのか、翔の方まで涙目になっている。
これには現場一同、心の底から裏をかかれてしまった。

(そ、そう来たか――――――――――――――っ!?)

まさか翔がこんな変化球で泣きだすとは思わず、完全に虚を突かれる大人たち。
このままでは不味い。最悪、泣く子が二倍になってしまう。
それどころか、下手をすると相乗効果で本当に収拾がつかなくなってしまうかもしれない。

それだけは防がねばと、ギンガが慌てて翔を引き離そうと手を伸ばす。
だが、その決断は既に手遅れだった。

「ふ、ふぇ……うぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁっぁあぁぁぁ!!!」
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」

翔は間もなく限界を超え、ヴィヴィオ同様力一杯泣き始める。
まさかのダブルガン泣き。
こうなっては、まずどこから手をつければいいのやら……。

「ど、どうしましょう……」
「いや、どうしましょうったって……」
「僕達がどうにかできるとは、とても……」
「とりあえずエリオ、あんた翔だけでもなんとかならない?」

扉の方に整列している新人達は揃って耳を押さえながら、そんな事を言っている。
確かに、翔一人ならエリオでもなんとかなるかもしれない。
あるいはエリオ一人では無理でも、四人がかりなら可能性はある。
それだけの関係性は、築けていると思いたい。

しかし、今の翔はヴィヴィオに触発されて泣いている様な状態だ。
普通のやり方が適用できるかすら怪しいし、そんな応用力などこの四人にはない。
仮にあったとしても、六課においては兼一に次いで深い絆で結ばれたギンガが手を拱いているのだ。
兄貴分としては情けない限りだが、ギンガに無理な物がどうにかなるとは思えない。

「と、とりあえず……ギンガ、翔連れて離脱!」
「は、はい! ほら、なんで翔が泣くの……。
 大丈夫、何も怖いことなんてないんだから、ね?」
「ああああああああああああああああああああ!!」

翔を抱きかかえ、なだめながら移動しようとするギンガ。
とそこで、何かが彼女のバリアジャケットの裾を引っ張った。

「え?」
「ヴィヴィオ?」

ギンガが振り向くと、そこには涙目ながらギンガの裾を摘まんだヴィヴィオがいた。
今にも再び泣き出しそうな面持ちだが、どこか必死に涙を堪えているようにも見える。
ついさっきまでは頑として離れようとしなかったなのはから離れ、フェイトとウサギのぬいぐるみには眼もくれず、上目づかいに真っ直ぐギンガの方を……。
それには先ほどまで困り果てていたなのはも驚いているようだが、ギンガはすぐに自身の思い違いに気付く。

(違う、もしかして……)

ヴィヴィオの視線を追って行くと、微妙に自分とは違う方を見ていることが分かる。
彼女が見ているもの、それはギンガの腕の内でやや落ち着いた物の、未だ嗚咽する翔だった。
まさか振り切るわけにもいかず、どうした物かと戸惑うギンガ。
その上、ヴィヴィオは蚊の鳴くような声で尋ねて来る。

「泣い…てるの?」

どうも、ギンガの推測は大当たりだったらしい。
とそこへ、顎に手をやり思案顔のフェイトから念話が届く。

(ギンガ、ちょっと屈んでみてくれないかな?)
(あの、でも……)
(お願い)

正直、また二人揃って泣きだしてしまうのではないか。
そんな事を危惧するが、ギンガは意を決して膝を折った。
そして、ヴィヴィオから翔の顔がよく見える様に姿勢を変えてやる。

ヴィヴィオはおっかなびっくりの様子で近づき、恐る恐るその手を伸ばす。
その先は、涙目でグズる翔の頭。

「…………いいこ、いいこ」
「グズッ……ひっく……」

ゆっくりと、確かめるように翔の頭を撫でるヴィヴィオ。
はじめはびっくりした様子の翔だったが、徐々にその顔に落ち着きが戻ってくる。

どうやら、翔とは逆に目の前で別の子どもが泣いている事が上手く作用したらしい。
その瞳には、不安に耐えながらも相手を気遣う優しさが見え隠れしている。

(いや、それじゃ立場が逆なんじゃ……)

とは、傍観者達が等しく抱いた感想だが、それで事が落ち着くなら文句はない。
下手な事を言って、再度振り出しに戻るのだけは願い下げだ。

一先ずヴィヴィオが落ち着いた事で、ようやく解放されたなのははフェイトやはやてと共に聖王教会に向けて出立。
とりあえず、ヴィヴィオは翔とウサギのぬいぐるみがあれば落ち着く様なので、翔とセットにしてエリオとキャロ、ついでに保険としてギンガがつく事となった。
もちろんその間、「怖い人」と認定された兼一が近づく事はなかったことを明記する。

こんな具合に、機動六課最年少コンビのファースト・コンタクトは終了した。



  *  *  *  *  *



そうして、しばしの時が流れ。
はじめは不安そうにしながらも、翔の手前幼いなりに気丈にふるまうヴィヴィオ。
どうも、あの瞬間にヴィヴィオは翔を「面倒をみなければならない相手」と認識したようだ。
ヴィヴィオの年齢は定かではないが、六課にいる期間は断然翔の方が長い。
なのにそんな認識を持ってしまうとは、ヴィヴィオがしっかりしているのか、翔が情けないのか……つくづくおかしな所が父親似のお子様である。

いやまぁ、それでうまくいっているのなら別に良いのだが。
で、今は積み木やらお絵描きを経て、疲れて寝てしまった二人。
ヴィヴィオはウサギのぬいぐるみを抱きかかえるように寝息を立て、翔はそんなヴィヴィオの背中にくっついている。

「なんていうか、これじゃ翔が弟みたい……」
「この子は……つくづく弟属性なのね……」
「あ、あははは………ギンガさん、それシャレになりません」

なんというか、魂からして翔は末っ子属性なのだろう。
兼一も昔は美羽に手のかかる弟の様に思われていた時期があったが、それと似たようなものらしい。
とそこへ、締め出されていた兼一が恐る恐る顔をのぞかせる。

「あの~……僕、もう入っても大丈夫?」
「大丈夫ですよ。二人とも、良く寝ていますから」

その弟子の言葉に一安心し、気配を消してベッドに眠る二人の様子を見る。
息子や妹の事もあり、子どもの扱いにはそれなりに自信があったが、まさかこんなことになろうとは……。

「まったく、これに懲りたら今後は非常識な事は控えてくださいよ」
「ですね」
「ヴィヴィオ、また師父の事怖がっちゃうかもしれませんし」
「うぅ……反省してます」

よほど耳が痛いのか、弟子はおろか十歳の二人の言葉にまで恐縮する。
まぁ、今回ばかりは仕方がない。

「それにしても……ヴィヴィオちゃん、だっけ?
 よほど、なのはちゃんの事が好きなんだね」

兼一の手には、ヴィヴィオが描いたであろうなのはの絵。
なのはとの付き合いだってほんの数時間程度だろうに、よくもここまでその心を掴めたものだ。
笑みが抑えきれないと言った様子の兼一と、それに深く同意する三人。

この数時間、ずっと近くで見ていた三人は特にその思いが強い。
何しろ、起きている間中ヴィヴィオが口にする話題は八割方なのはのものだったのだから。

「でも、上手いもんだなぁ。良く特徴を捉えてる」
「師匠。もし翔を比較対象にしているのなら…それ、明らかに間違ってますからね」
「ああ、うん。さすがに…翔はね」

弟子からの指摘に対し、兼一の顔には苦笑いしか浮かばない。
何と言っても、ヴィヴィオと一緒に描いた翔の絵は、「どこの前衛芸術家が描いた物か」と疑いたくなるほどに難解なのだ。
はっきり言おう、どれが顔でどれが手足かすらわからない。
そもそもこれが人を描いた物なのか、あるいはもっと別の何かなのかすら判断がつかないのだ。

「不器用だよねぇ」
「不器用ですからねぇ」

生まれ持った身体能力を持て余しているからなのかもしれないが、それにしてもアレだ。
あまり否定的な事は言いたくないので直接的表現は避けるが、ここまでくるとある種の才能である。

「さて……」
「あの、もう行っちゃうんですか?」
「もう少しくらい……」
「息子とその友達の顔も見れた事だし、今はここまでにしておくよ。
翔はともかく、ヴィヴィオちゃんが起きたらまた泣かせちゃうかもしれないしね。
 今日のところは三人に任せるよ。翔に関しては、四人って言った方が良いのかもしれないけど」

人間、やはり第一印象は大事だ。
特に子どもの場合、一度抱いた印象は大きいだろう。
今回の場合、明らかに第一印象で失敗してしまったことだし、慎重に接した方が良さそうだ。

「ああ、それと…エリオ君」
「あ、はい」
「悩むのもほどほどにね。そんな怖い顔でいると、キャロちゃんが心配する」
「あ……」

確かめるように自分の頬に触れ、続いてキャロの方を見る。
そこには、控えめに兼一の言葉に首肯するパートナーの姿があった。

「ごめん、キャロ。ちょっと、気になる事があったから」
「………大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫だよ」

気遣わしげなキャロに、意識して表情を緩めるエリオ。
今深く考えても、なんの答えも出はしない。
それに、仮に彼が考える通りだったとしても、何も変わらないのだ。
もう、ヴィヴィオは機動六課の一員。なら、他の仲間達と同様に……守ればいい。
本当に、それだけのことなのだから。



  *  *  *  *  *



その日の深夜。
とうの昔に皆が寝静まった時間帯、寮から幾分離れたその場所で、一人稽古に励む男の姿があった。

「カハァ……」

吸った息を丹田深くまで巡らし、ゆっくりと吐き出す。
基本的な呼吸法の一つだが、だからこそ丹念に練り上げる。

額からは滝の様な汗が滲み、身体から発せられる熱気は陽炎の如く立ち上っている。
何時間こうしているのかは分からないが、もうだいぶ暑くなってきたというのにこれだ。
いったい、どれだけ体温が上昇しているのだろう。

「しっ!」

技の起こりをまるで感じさせない、恐ろしく静かな突きが放たれる。
しかし、拳の目の前にある蝋燭の火にはさざなみ一つ起こらない。
代わりに、10m以上も離れた場所で燃え盛る松明が掻き消えた。
果たして、どのような技術があればその様なマネができるのか。
常人には、到底理解の及ばない現象を当たり前の様に彼は起こしている。

「ゴォォォ……」

再度、丹田で練った気を丁寧に全身へ回していく。
何度も何度も、気を整え、巡らしては突くの繰り返し。

一つ一つの基礎技術の完成度を高める。
一見遠回りの様にも思えるが、今更付け焼刃で何かが変わる程未熟な腕ではない。
この領域に至ってしまうと、一周回って基礎を研ぎ澄ますことが一番の近道だからだ。

「フゥゥゥゥ……」

何度繰り返したかわからないそれを終え、最後にもう一度気を整える。
とそこで、男…兼一は背後に広がる林に視線を向けた。

「それで、いつまでそこでそうしているつもりだい?」
「すみません、ちょっと…出るタイミングを逸しちゃいまして」

そこから姿を現したのは、ドリンクとタオルを手にした愛弟子の姿。
どこか恐縮しながらもそれらを差し出すギンガに対し、兼一は軽く肩をすくめながらそれらを受け取る。

「別に、気にせず声をかければよかったのに。どうして出て来ないのかと思ったよ」
「……………」
「その上こんな夜更かしまでして。明日も早いんだ、もう寝なさい」

無言の弟子に向けて、嗜めるように兼一は言葉を重ねる。
どれもこれも、全ては弟子を慮ってのものばかり。
あるいは、手を止めたのも一向に出て来ない弟子を心配してかもしれない。
それがかえって、ギンガには心苦しかった。

「あの……!」
「うん?」
「ご自分の修業もあるんですから、無理はなさらないで日のあるうちもご自分の為に時間を使ってください。
 なのはさん達も見てくれていますし、少しくらい……」

意を決したように、顔を上げて懇願するギンガ。
確かに、兼一は基本的に日中はギンガや翔、あとはフォワード達の訓練に掛かりきりだ。
一応日のあるうちにも修業はしているが、ギンガ達に割く時間に比べれば微々たるもの。

故に、兼一が気兼ねなく自分の修業に割ける時間は、主に早朝や深夜など。
自分達の為に師が自らの修業の時間を削って指導してくれる。
それは何にも勝る喜びだが、同時に枷となってしまっている事が心苦しいのだろう。
本当なら、兼一もまた真に極みに至る為、自分の修業に集中したい筈なのだから。
だが、そんな健気な申し出をする一番弟子に、兼一は軽く額を小突くことで答える。

「あたっ!?」
「まったく、弟子が余計な気づかいをするものじゃない。
 ギンガに心配されなくても、自分の修業くらいちゃんとやってるよ。
 君が心配する様な事はなにもない、いいね?」
「……………ごめんなさい、出過ぎた事を言いました」

僅かに強めに言い聞かせる兼一に対し、ギンガは居住まいを正して頭を下げる。
そんな弟子を見て、兼一は胸中で自らの未熟を恥じた。

(はぁ……よりにもよって弟子に心配されるなんて、まだまだ未熟だな)

これからは、弟子に余計な気遣いをさせない様に注意しなければならない。
少しばかり、長年のライバルに敗北したことを焦っていたのだろう。
ギンガは聡い子だ。完全には理解しておらずとも、敏感にその辺りを察知していたのかもしれない。
しかし、それを言うと兼一もまた弟子の事で気にかかることがあった。

「ギンガ、まさかとは思うけど……復讐なんて考えてないだろうね」
「……」

ナカジマ家と、先の戦闘で姿を現した戦闘機人とやらには深い因縁がある。
多少なりとものその辺りの事は聞き及んでいるからこそ、兼一は危惧しているのだ。
確かギンガやスバルの母は、その事件を追った末に命を落としたと聞いたから。

「……大丈夫ですよ。確かに、戦闘機人事件は私達にとって重要な意味を持ちます。
 母さんの事も、完全に割り切れているかと言われれば……自信はありません」
「…………」
「でも、私はあなたの弟子です。師匠の弟子であることに、誇りを感じています。
 不肖の弟子かもしれませんが、それでも……師匠の名を汚す程、出来の悪い弟子ではないつもりですよ」

苦笑交じりに、どこか悪戯っ子の様な言い回しでギンガは語る。
望むのは『復讐』ではなく、今は亡き母に代わっての『決着』。
終わらせると言う意味では同じかもしれないが、そこに込める思いが違うと。
ちゃんと、言葉と行動で教えられた通りに。

(余計なお世話…だったかな?
 他ならぬ、僕がこの子を信じてやらないでどうするのやら……)
「あの、師匠?」
「そうだね。何せギンガは、僕の自慢の一番弟子なんだから」
「は、はい!」

その一言がよほどうれしかったのか、花開くように満面の笑顔を浮かべるギンガ。
兼一は受け取ったタオルで汗をふき、ドリンクで喉を潤すと再度稽古に戻る。

「さ、本当にもう寝なさい。まぁ、寝不足の状態でやるっていうのなら、敢えて止めはしないけど。
 でも、一応言っておくと明日は……通しで僕が担当だよ?」
「う”……………お、お先に失礼します」
「そうしなさい」

明かされた事実に、途端に青くなるギンガ。
何しろ、兼一はこと修業においては六課内で断トツで無茶な男だ。
それに一日丸々しごかれるとなれば、休めるうちに休んでおかなければ。

そうして、スゴスゴと隊舎に戻っていく弟子を見送り、再度兼一は気を整えるのだった。






あとがき

さ、ようやくヴィヴィオが登場! ……………と言っても、今回はほとんど泣いてばかりでしたが。
なんか、一向にヴィヴィオがまともに登場しないなぁ……。
まぁ、どういう訳か翔の事を泣きやませたりしてましたけど。

もうお分かりの通り、基本平時における翔は完全な弟属性です。
なんかもう、色々放っておけないオーラを撒き散らしているのです。

さて、とりあえず地上本部襲撃まではもうしばらく先。
最低でも、あと二話は別の事に使う予定です。
折角ヴィヴィオも出てきた事ですし、地上本部襲撃までにやっておきたい事があるものですから。
だって、地上本部襲撃後は日常編なんて最後まで入れられませんしね、今のうち今のうち。



[25730] BATTLE 36「お子様散策記」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:44

ヴィヴィオが機動六課、より正確にはなのはの所に身を寄せて早数日。
僅かな時間ではあるが、その間にいくつかの変化があった。その一つが、ヴィヴィオの処遇。

当面、ヴィヴィオは六課で面倒をみる。これは確定だ。
なにしろヴィヴィオは人造魔導師素体。その生まれを考えれば、幼い身の内にどんな潜在的な危険を内包しているかわからない以上、安易に「身元不明の子ども」として施設に預けるのは得策ではない。
またレリックを所持していた以上、此度の事件と無関係と考えるのは楽観が過ぎる。
周囲だけでなく、本人の身の安全も考えれば高い戦力を保有する六課で預かるのが適切なのだ。

とはいえ、だからと言ってそう簡単に事は進まない。
なにしろ機動六課は児童福祉施設などではないのだ。故に、子どもを預かる為に必要な設備も人員も機能もない。
そうである以上、本来なら身元不明の子どもを預かる事など出来る筈もなく……。
ただでさえ突っ込み所の多い六課だ、近く予定されている地上本部からの査察でこの点に言及されれば、場合によってはヴィヴィオは「然るべき施設」に送られてしまう。
それは、色々な意味でよろしくない。

だが同時に、裏を返せばこじつけでも一時凌ぎ何でもいいから「理由」さえあれば回避できる問題でもある。
どのみち、その生まれから身寄りなどある筈もない彼女だが、いつまでも宙ぶらりんのままではいられないと思っていた所だ。便宜的にしろ建前にしろ、理由をつけることは難しくない。
例えばそう、暫定的ではあるがヴィヴィオの保護者が六課にいると言うことにしてしまうとか……。



朝方、機動六課隊員寮内のとある一室。
その職務の関係から機動六課の朝は早く、中でも連日戦闘訓練に明け暮れる前線メンバーは特に早い。
当然、そんな教え子たちを指導する立場にあるなのはも同様だ。
また、フェイトも時間さえあれば訓練に参加しているので、朝から部屋を開ける事は良くある。

そうなると、必然的に掃除などをはじめとした雑事に割ける時間などないに等しい。
故に、六課ではバックヤードと称して、寮内の掃除や洗濯などを受け持つ人員が確保されている。
その一人「アイナ・トライン」は、今日も今日とて朝から主不在となった部屋の掃除に勤しんでいた。

そこで小さな音を立て、スライド式のドアが開く。
アイナが振り向くと、そこには小走りで部屋へ入ってくる小さな人影が。

「アイナさん、おはようございます」
「はい、おはようございます」

可愛らしくぺこりと頭を下げるヴィヴィオに対し、アイナも膝を折って目線に合わせながら返す。
その後ろからは、色々と事情のあるヴィヴィオの警護役を仰せつかった狼形態のザフィーラが付いてきている。

「顔はもう洗った?」
「うん!」
「じゃ、お着替えして、それからママ達のお迎えに行こうか?」
「うん!」

『ママ』と言っても、別に引き取り先が見つかったとかそう言うわけではない。
今のところは行き先もないし、六課で預かるのが無難である以上六課のだれかが書類上の保護者になるのが妥当。
そして現状、ヴィヴィオが最も懐いている相手はなのはだ。

そんな流れで、あれよあれよという間になのはが保護責任者となってヴィヴィオと一緒に暮らすようになり、同室のフェイトが後見人という事で監督することになった。
その中で、ヴィヴィオにもわかりやすいように「しばらくはなのはがヴィヴィオのママ」という具合の内容をスバルが口にした結果、すっかり二人の呼称が「なのはママ」と「フェイトママ」で定着してしまった次第である。

「さぁて、今日はなにを着ていこうか?」

ヴィヴィオの為に用意された箪笥を開け、今日来て行く服を物色するアイナ。
ただ、さすがに六課に来て数日では如何せん物が少ない。
何しろ、今着ている寝間着自体碌がなのはの私物のシャツで代用している様な有様だ。
それは他の物品も同様で、ほとんど調達できていないも同然。

いや、他の日用品、例えばコップやタオルなどはまだ支給品でなんとかなる。
しかし、服はさすがに中々代用できない。

だが、運よく六課には他にも子どもがいた。
二人は背丈もそれほど変わらないので、とりあえず一時凌ぎという事で翔の服をいくつか借りているのが現状。
とはいえ、いつまでもそればかりというわけにはいくまい。

(う~ん、これは早くヴィヴィオの服を買いそろえてあげないとダメかしら?
 フェイト隊長の御実家とかから子ども服を送ってもらえる事にはなってるけど……)

フェイトにはヴィヴィオとそれほど年の変わらない甥と姪がいる。
他にも何人かはお古のあてがあるようなので、今はそれを送ってもらう手筈だ。
しかし、出来るならヴィヴィオを連れて試着などしながら選んでやりたい。

それだけならアイナが連れていくと言う手もある。
だが、折角の初めての買い物ならなのはやフェイトと一緒に…せめてどちらか一人と一緒に出かけさせてやりたいと思う。しかし、二人とも中々休みが取れないので、中々に難しい問題だ。
そんな感じに買い出しの事や今日来て行く服の事でアイナがあれこれ悩んでいると、ザフィーラが扉の方へ視線を向けた。

「……そんな所で、なにをしている?」
「…………」

話しかけても返事はない。
ヴィヴィオを狙った誰かかもしれないと警戒したアイナは、手を止めてヴィヴィオの傍に移動する。
しかし、それにしてはザフィーラの様子には警戒が乏しい。
不思議に思うアイナを余所に、ザフィーラが扉の前に向かう。
すると、勢いよくスライドしその向こう側の人物の姿が露わになった。

「まったく、隠れていてもしょうがないだろう」
「ぁぅっ…ヴィヴィオ、いる?」
「いるぞ。だが、まだ着替えが終わっていない、中でもう少し待っていろ」
「うん……」
「なんだ、翔だったの……」

気が抜けた様子で、肩から力を抜くアイナ。
扉の向こうにいたのは、機動六課にいるもう一人の子どもである翔の姿。
どこかモジモジとした様子なのは、なんと言ってはいれば良いかわからず迷っていたからだろうか。

日本にいた頃は幼稚園などにも通っていた筈だし、同じ年頃の友達がいなかったわけではない筈だ。
しかし、ここ最近は周りにいるのは年上ばかり。
久しぶりの同世代相手に、色々と手探り状態なのかもしれない。
だが、そんな翔の気持ちなど斟酌せず、ヴィヴィオは元気いっぱいに声をかけるのだった。

「あ、翔もおはよう!」
「う、うん。おはよう、ヴィヴィオ」

翔の手を握り、ご機嫌な様子でブンブンと振り回すヴィヴィオ。
その勢いに圧倒されたのか、翔は眼を白黒させながら為すがままだ。

「ほーら、仲良しなのは良いけど、ヴィヴィオはこっちに来て着替えちゃいましょ。
 ごめんね翔、すこーし待っててくれる?」
「うん」

そうして、ヴィヴィオから解放された翔はザフィーラのすぐ傍に腰をおろして窓から外を見る。
眼に映る空は、今にも雨が降り出しそうな重い曇天。
天気予報でも、降水確率は高めという予報が流れている。だが……

「この様子では、今日は外には出られそうにないか」
「ん~ん、晴れるよ」
「なに?」

ザフィーラの言葉に、翔は控えめに首を振って否定する。
その無垢な視線は真っ直ぐ空を見上げており、彼もこの曇天を確かに見ているにもかかわらず、だ。
普通に考えれば子どもの言葉と聞き流す様な内容。
しかし、ザフィーラはそうはせず、真剣な面持ちで首肯した。

「……そうか、お前がそう言うのなら晴れるのだろう。ならば、今日も外で遊ぶとするか」
「ん」

そうして、翔はそのまま飽きることなく重い雲に閉ざされた空を見上げ続けるのだった。
まるで、雲に隠された太陽を透かし見ているかのように。



BATTLE 36「お子様散策記」



「はい、出来あがり」

元は翔の持ち物だった短パンとシャツに着替え、最後に藍色のリボンで髪を結えて完成。
ヴィヴィオは元々素材が良い上、子ども服は基本的に可愛く作られている。
おかげで、少々ボーイッシュな感じではあるが、充分に可愛らしい装いとなった。

「うん、可愛く出来たわね」
「えへへ♪」
「翔はどう思う?」
「ふぇ!?」

ボーッと外を見ていた所で唐突に話を振られ、間の抜けた声を漏らす翔。
慌てて視線を転じヴィヴィオを視界に収めるが、今度はなにを言えばいいのかわからずアワアワしている。
まぁ、五歳児に気の利いた事を言えと言う方が無理という物なのだろう。
特に翔は、ある一点を除けば色々な意味で器用とは言い難いのだから。

「えっと、えっと……」
(とりあえず、可愛いと言ってやれ。そうすればヴィヴィオも喜ぶ)
「う、うん。えっと……か、可愛い…と、思う」
「んふ~♪」

イマイチ煮え切らなかったが、とりあえずそれでもヴィヴィオ的には満足らしく、実に上機嫌だ。
ただ、言った本人は割と恥ずかしかったらしく、耳まで真っ赤にして俯いているが。

「じゃ、ママたち迎えにいこ!」
「え!? 待ってよ、待ってよ!」
「ほら、早く早く♪」
「ヴィヴィオ、待って~……」

ヴィヴィオは翔の手を取り、引き摺り様にして引っ張りながら廊下に出る。
どうも、すっかり主導権(イニシアチブ)はヴィヴィオが握っているらしい。
そんな二人の後を追いかけるべく、ザフィーラも外に出ようとするが、そこでアイナから待ったがかかる。

「あの、でも今日はこんなお天気ですし、中にいた方が……」
「いや、どうやら雨の心配はいらんようだ」
「でも今朝のニュースでは……もしかして、翔ですか?」
「ああ、あの子の勘は良く当たる」
「ですね。そう言う事なら、洗濯物も外に干しちゃいましょう」
「それが良いだろう」

どうやら、翔の勘の良さは六課内では公然の事実のようだ。
何しろ、過去に何度となく翔の勘は見事に的中している。
まぁ、主に天気予報に使われている辺り、激しく宝の持ち腐れな気がしないでもないが。
とはいえ、早々都合よくは使えないからこその勘なのだろう。

「では、行ってくる」
「はい、二人の事お願いしますね」
「任せておけ」

そうして、今度こそ二人を追って廊下に出るザフィーラ。
今のやり取りで少々距離が空いてしまった事だし、少しばかり歩調を速めながら。



ザフィーラが二人に追いついたのは、丁度寮の玄関のすぐ外。
いや、正確には二人が玄関のすぐ外でザフィーラを待っていたと言うのが正しいか。
その意味を正しく理解しているザフィーラは、無言のまま二人の前で伏せの体勢を取る。

「気をつけろ、落ちないようにな」
「「うん!」」

二人は元気良く返事をし、慣れた動作でザフィーラの背中にまたがる。
順番としては案の定と言えば案の定、ヴィヴィオが前で翔が後ろ。
ヴィヴィオはザフィーラの毛皮をしっかりと掴み、そんなヴィヴィオを後ろから翔が抱きしめている形だ。
色々と試した結果、これが一番バランスが良いのである。

「では、立つぞ。ヴィヴィオはしっかり掴まれ」
「は~い♪」
「よし。翔、ヴィヴィオを頼むぞ」
「う、うん、頑張る!」
「良い返事だ」

二人の体勢を確認し、ノソノソとややゆっくりとした速度で動きだすザフィーラ。
一歩踏み出すごとに、背中のヴィヴィオが揺れのは中々に心臓に悪い。
しかし、後ろから抱き締めている翔が支えてくれるおかげでそれも和らぐ。

基本ヴィヴィオに引っ張り回されている翔だが、やはり運動能力の開きは大きい。
子どもにしては強い力でしっかりとヴィヴィオを支え、自分とヴィヴィオ二人分のバランスを取っている。
この年にして日頃から武を磨き、その気になれば走っているザフィーラの上に立つこともできる彼からすれば、このくらいは朝飯前なのだろう。

(このペースなら、着く頃には丁度良い頃合いか)

あまり早く着き過ぎても、今度は訓練が終わるのを待たなければならない。
翔はまだしも、感性的には普通の子どもであるヴィヴィオにそれは退屈な時間だろう。
ならばこうして、朝の散歩がてらゆっくりと向かう方が良い。

ザフィーラがそんな事を考えている間、背中のお子様二人はぺちゃくちゃと他愛のないおしゃべりの真っ最中。
まぁ、主にヴィヴィオがしゃべってそれに翔が控えめに相槌を返すと言う形が基本だが。
それも、話題の大半はヴィヴィオの大好きなママの事である。

「でね、なのはママが今度のお休みにお洋服買いに行こうって!」
「へぇ~」
「ねぇ、翔も一緒に行こうよ!」
「ぇ!? ぼ、僕も? で、でも……」
「良いでしょ、ねぇ行こうよ!」
「えっと、その……じゃ、じゃあ…うん」
「やった―――――――――――!!」

ほぼヴィヴィオに押し切られる形で、一緒に出かけることになってしまった翔。
とはいえ、本人もまんざらではないだろう事は、はにかむ様な笑みからして間違いない。

「なのはママとぉ、翔と一緒にお出かけお出かけ、えへへ~♪
 あ、でもフェイトママも一緒だったらいいのになぁ」
「そ、それなら…ギン姉様も……」
「うん! それいい、すっごくいい!」
(明らかに一人、除外されているのだが…………無理もないか)

何しろ第一印象が最悪だったのだから、仕方がないと言えばそうなのだろう。
あれから数日、ヴィヴィオも概ね六課に慣れてきてくれてはいるが、例外が少なからずいる。
その一人を前にすると、活発なヴィヴィオも途端に物影に隠れてしまう。
翔の関係者だと言う事は良く分かっている筈なのだが、それでも怖いと思ってしまうらしい。
翔もなんとなくその辺りを察して兼一のことを話題に上げない…のではなく、単に何度も話題に上げて失敗した経験からである。
と、ようやく訓練場が見えてきた所で、見知った6つの人影が視界に入った。

「あ、ギン姉様たちだ」
「うん」
「どうやら、丁度訓練が終わった頃の様だな」

概ねザフィーラの予想通りのタイミングだったらしく、訓練場から戻ってくる面々。
ティアナ、スバル、エリオ、キャロの新人四人は仲良くおしゃべりに興じ、少し後ろでそんな四人を微笑ましそうに見守るギンガ。
実にそれぞれの立ち位置がはっきりと分かる光景だ。
そこで、あちら側でも翔達の存在に気付いたらしい。

「あ、あれってヴィヴィオ?」
「翔も一緒みたいだね」
「やれやれ、あっちのチビッココンビも仲良いわねぇ」
「良いじゃん、折角年も近いんだから」
「まぁね。少なくとも、なのはさんとか兼一さん的には一安心なのは確かだし」

何しろ、お互い丁度良い遊び相手だ。
預けている間、寂しい思いをさせることが少ないと言う意味では、二人の仲が良好なのは確かに有り難い。

「翔――――――! ヴィヴィオ――――――!」
「「は―――――――い!」」

ギンガが二人に向けて手を振ると、二人もそれに元気良く返事を返す。
だがそこへ、白く小さな物体が二人目掛けて勢いよく飛んできた。

「きゅく~♪」
「へぶっ!」

白い物体…フリードは真っ直ぐ翔に飛び付き、その顔にへばりつく。
普段なら、後はフリードと翔が軽くじゃれて終わり。
しかし、この状況だとちょっとした出来事が大事に発展する。

「もう、フリードってば…え?」

顔にひっついたフリードを引っぺがした所で、翔は異変に気付く。
その身体が、大きく傾いているのだ。フリードがぶつかった事で、僅かにバランスが崩れたのだろう
当然、そうなればヴィヴィオもまた一蓮托生。
翔とヴィヴィオは揃ってザフィーラの背からずり落ち、地面に向かって真っ逆さま。

『ああ!?』
「いかん!」

遠目で見ていたフォワード陣(一名除外)は揃って驚きの声を上げ、ザフィーラは急ぎ対処しようとするが間に合わない。
二人はそのまま為す術もなく地面へと落下し、当然の如く激突した。

「無事か、二人とも!」
『翔!』
『ヴィヴィオ!』

慌てた様子で振り向くザフィーラと駆けよってくる5人。
そこで彼らが目にしたのは、ある意味では少々予想と違った光景だった。
なにしろそこには、地面にうつ伏せになった翔と、その上に乗っかる形のヴィヴィオの姿。

「ふえ?」
「ぐえ…お、重ひ……」

ヴィヴィオは至って無傷のようで眼を丸くし、翔はその下で軽く目を回している。
どうやら、咄嗟に翔がヴィヴィオを庇ってこんな体勢になったらしい。
まぁ、本人としてはちゃんと支えてやりたかったのかもしれないが、子どもにはこの辺りが限界だろう。
むしろ、子どもながらによくやったと言うところか。

「大丈夫、翔?」
「うぇ~、早くお~り~て~……重いよぉ~、苦しいよぉ~」
「庇ったのは偉いけど、あんまり女の子相手に重いなんて言うもんじゃないわよ」
「あ、あはははは…まぁ、確かに。でも、翔くらいの子にそんなこといっても、ねぇ?」

ヴィヴィオを助け起こしながら、翔のコメントに微妙な表情を浮かべるスバルとティアナ。
翔は割と肉体的なダメージには強いし、普段の訓練の賜物か上手くヴィヴィオを庇っていた。
この様子なら当の本人も怪我はしていないだろう。
まぁ、微妙にデリカシーがないのは子ども故ということにしておこう。
血筋とかだったりすると、色々将来が不安になる。

「ほら、翔もいつまでもそうしてないで立ちなさい、男の子でしょ」
「う、うん」

顔を覗き込みながらも手は出さず、翔に立ちあがるよう促すギンガ。
翔がもぞもぞと立ち上がると、軽く汚れを落としてから抱き上げる。

「エリオ、ヴィヴィオは?」
「大丈夫、翔が守ってくれたから怪我ひとつないよ」
「そうか……む、キャロはどうした」
「あ、キャロだったら」

ヴィヴィオの様子から、続いてキャロの事を探し始めるザフィーラ。
それに対し、エリオは何とも微妙な表情でキャロの居場所を視線で指し示す。
それを追ってみると、そこにションボリとうなだれるフリードとその正面に仁王立ちするキャロの姿が。

「もう、ダメでしょフリード! 反省、めっ!」
「きゅくる~……」

ペットの不始末は飼い主の責任、同様に躾もまた飼い主の責任。
そんな感じにフリード相手にお説教を始めるキャロ。
フリードも悪いと思っているのか、地面につきそうな程に頭を垂れていた。
そこで、それまで状況の変化について行けずにぼんやりしていたヴィヴィオは、何かを探す様に周囲に視線を配り、それから手近なところにいたスバルに尋ねる。

「ママは?」
「え? ああ、なのはさんだったらもう少ししたら戻ってくるよ」
「そっか……」

どうやら、スバル達を見かけた段階でなのはもすぐ近くにいると思っていたらしい。
当てが外れ、少し残念そうなヴィヴィオ。
だがそこで、翔がおもむろにこんな事を尋ねてきた。

「ねぇねぇ! なのはさんが、ヴィヴィオのママ?」
「うん!」
「フェイトさんも、ヴィヴィオのママ」
「うん! 二人ともママ!」
「ある意味、それってすごい話よね」
「ヴィヴィオ、なんだかすごい無敵な感じです」
「いやぁ、それ言ったら翔も良い勝負だと思うけどね」
「ですよねぇ……」
「何しろ両親揃って達人なわけだし、フェイトさんとなのはさんにも劣らない組み合わせなのは確かね」

二人のやり取りを聞き、苦笑交じりにそんな事をぼそぼそと話しあう5人。
しかし、確かにことメンツの豪華さで言えば翔もヴィヴィオも良い勝負だ。
エース級魔導師二人がママのヴィヴィオと、両親が揃って達人の翔。まさしく甲乙つけがたい。
いや、非常識さで言えば歴然たる差があるのだが……。

とそこで、翔は自身の内に流れる血の片方。
父の血を確かに引いている事を、よくない意味で実証するのだった。

「じゃあ……………………………………パパは?」
「ぱ、ぱ?」
(な、なんでそう無意識に地雷踏むかなこの子は―――――――――――っ!?)

誰もが言ってはいけないと思って決して口にしなかったその一言。
それを何の躊躇もなく放り込んだ翔に、皆の心が一つになった。

翔の父『白浜兼一』最大の悪癖、それは無意識のうちに「人の心の中心に直接攻撃をかます」こと。
艶やかな黒髪を始め、色々な物と一緒にそれも翔は受け継いでしまっている。

本人に悪意はない。悪意はないが、これは決して触れてはいけない話題だ。
何しろデリケート過ぎる。今までは基本「ママ」の事しか頭になかったヴィヴィオだが、これで「パパ」の事も気にかけるようになるだろう。だが、その生まれを考えればヴィヴィオに血縁者がいる筈もなく、遺伝子上の繋がりのある人物はいるだろうが、喜ばしい結果になる可能性はあまり高くない。
だからこそ、みな敢えて触れずに来たと言うのに……。
その全ての努力が、翔の一言で見事に粉砕されてしまった。

「パパ、いない…ふぇ……」

途端に寂しく、そして悲しくなったのか。
ヴィヴィオはその左右色違いの瞳一杯に涙を浮かべる。
なんとかフォローしようにも、いったいどうすればいいのやら。

だれか、適当な人物をパパとしてでっちあげるか。
しかし、ならばそれは誰? 兼一……は論外。ヴィヴィオはまだ兼一に対して苦手意識がある。
エリオもまた同様だ。ただしこの場合、十歳の彼がパパなのは無理があると言う意味で。
もちろん翔も話にならない。となると、ザフィーラ……は種族が違うので除外。

あとはグリフィスやヴァイス辺りがいるが……なのはやフェイトがママという状況だと、どうしても役者不足な感が否めない。
そんな感じに皆が悩んでいる間にも、ヴィヴィオの臨界点まであと僅かに迫っている。
このままでは、初日以来のガン泣きが再び響き渡ることだろう。

「ど、どうしようティア!」
「どうしようたって……こんなのどうすればいいってのよ」
「エリオ君…頑張って! 子どもに見えるけど、実は二十歳って事にすれば!」
「ええ!? 幾らなんでも無茶でしょ、その設定!」
「なんだってこの子はこう……似なくていい所で師匠似なのかしら?」
「ギンガ、それは現実逃避ではないか?」
「だって、他にどうすればいいって言うんですか?」
「? みんな、どうしたの?」

慌てふためく面々に対し、自分が何をしてしまったか全く理解していない翔がうそぶく。
それに対し、皆の心がまたも一つになった。

(諸悪の根源が他人事みたいに何言ってるの!!)

五歳の子供に責任能力を問うのが間違いかもしれないが、それでも思わずにはいられない。
しかし、今はそんな事よりもヴィヴィオをなんとかする方が先だ。
だからと言って、打つ手もこれと言ってない八方塞がり状態。
だがそこへ、一条の光明が差し込んだ。

「ふふふふ、みんなお困りの様やね。ここは………みんなの頼れる部隊長、はやてちゃんにお任せや!!」
『え”?』

脈絡もなく、唐突にその場に出現したはやて。
皆は眼を点にし「え? なんでこの人ここにいるの? 暇なの?」という感じで見ている。
しかし、さすがにそれを正面切って言う事も出来ず……ただただ『ジト~ッ』とした目を向ける事しかできない。

「どないしたん、みんな? そんな、まるで何か変なもんでも湧いて出て来たかのような目してからに」
『いえ、別に……』

あまりにも鋭すぎるはやての指摘に、自然返答は素っ気ないものになる。
だが、はやてはそんな素っ気ない部下の返事の中から、何かを感じ取ったらしい。

「むむ、その眼は……『仕事ほっぽり出して何やってんだろ、この人』って目やな!!」
(鋭すぎる!?)
「ふふふ、部隊長の眼力舐めたらあかんで~。このくらい、部隊長の嗜みや!」
(んな、バカな……)
(そうなんですか、ギンガさん?)
(少なくとも、父さんにそんなマネは出来なかったと思うけど)
(ですよねぇ~)
「あ、ちなみにこれはちょっとした息抜きなんで、悪しからず。決してサボってなんかないで」
「朝から息抜きですか……」

正直、良いのかそれでと思わなくもないが、それ以上は突っ込まない。
悪びれた様子が一切ない…そもそも悪いとは全く思っていない様子なので、言うだけ無駄だろうと悟ったらしい。

「とりあえず………話は全部聞かせてもらったで。あ、『よっぽど暇なんだな。とりあえず、話しを聞く前に働けよ』ちゅうツッコミはノーサンキューやから」
『はぁ……』
「ともかくヴィヴィオ、ヴィヴィオはパパのこと覚えてるか?」
「…………ん~ん」

俯きがちに、小さく首を横に振るヴィヴィオ。
だが、そんな事はとうの昔にわかり切っていた事。
では、なぜはやてはわざわざそんな事を聞いたのか。
答えは簡単。はやてはこの返答を待っていたからに他ならない。
そうしてはやては懐に手を入れ、ゆっくりとヴィヴィオに言葉を紡いでいく。

「そうかそうか~、パパがおらんのはさびしいなぁ~。
 せやけど、寂しがることはないで。実は私な、ヴィヴィオのパパに心当たりがあんねん」
「ぇ……」
(ヴィヴィオの…パパ?)
(でも、そんな人いる筈が……)
(だけど部隊長、物すごく自信満々だよ)
(まぁ、泣かないでくれるならだれでも良いけどね、この際だし)
(そうね、翔には後できつく叱っておくにしても、泣かないでくれるならとりあえずは……)
「ええか、それは……この人や!!」

背後でぼそぼそと話しあう面々を余所に、はやては懐に突っ込んだ手を勢いよく引き抜く。
そして、手に持った何かをヴィヴィオの眼前につきつけた。

(主、それはスクライアの写真では?)
(うん。なのはちゃんがママなんやったら、パパはユーノ君以外あり得へんやろ)
(まぁ、確かにそれは……ですが、本人の了解は……)
(実はな、ザフィーラ。今まで黙っとったんやけど、私四文字熟語が好きやねん。
例えば『既成事実』とか、ええ言葉と思わへん?)
(はぁ……)
(ユーノ君もこの十年、色々苦労してきたからなぁ。そろそろ報われてもええ頃の筈や。
 言わばこれは、十年来の幼馴染からのご褒美っちゅうとこかな?)
(押し売り、の間違いではないかと)
(ん~、はやてちゃんからのご褒美にクーリングオフ制度ないなぁ、残念ながら)

ヴィヴィオに聞かれない様、念の為に念話でやり取りする二人。
それはつまるところ、ヴィヴィオをネタに二人の仲を進展させようとか言うアレなのだろう。
本人の了解? その手の権利ハナから認めてすらいませんということらしい。

「パパ?」
「せやで。ほら、髪の色とかもうそっくり。ちなみに、声もそっくりなんやで」
「この人が、ヴィヴィオのパパ」
「うんうん。ただな、パパはいまお仕事が忙しゅうて、中々会いにこれへんのよ。パパもきっと、今はヴィヴィオに会えへんのを寂しく思ってる筈や
 せやけど、いずれきっとママと一緒に暮らせるようになる。せやから、ヴィヴィオも今は我慢して、会えた時は一杯……………『パパ』って呼んであげるんやで~、クックックック……」

言ってる内容に反し、邪悪な笑みを浮かべるはやて。
『私、こういう親切(悪巧み・悪戯)大好きです』とその表情が何よりも雄弁に語っている。

そして、それを見ていた面々は等しく思った「あくどい、部隊長!」と。
ただし、これが十年来の付き合いになるなのはを除いた上層部になると「はやて(ちゃん)GJ!」ということになるのだが。
こうして、ヴィヴィオを中心に着々と二人の外堀は埋められていくのであった。
誰一人として、そんな事頼んでいないと言うのに……。



  *  *  *  *  *



その後、なのは達と合流し食堂へと移動した子ども達。
今は、揃ってそれぞれの保護者と一緒に朝食の準備の真っ最中。

「ママ~、はやくはやく~」
「今牛乳持ってくから、もう少し待っててね」

朝食の乗ったトレイをテーブルに置き、一足先に席についたヴィヴィオがなのはを急かす。
やや遅れて、自分とヴィヴィオ、それにフェイトの分の飲み物を持ったなのはも席につく。
そうして、三人そろったところで……。

「お待たせ。それじゃ……」
「「いただきます」」
「いっただきま~す! あむ! あむ! んふふふ♪」
「ああヴィヴィオ、そんなに急いじゃダメだよ。
 ほら、ゆっくりでいいからちゃんと噛んで」
「だって、お腹すいてたんだもん。あむ!」

挨拶するや否や、待ちわびたとばかりにたっぷりジャムを塗ったトーストにかじりつくヴィヴィオ。
フェイトは落ち着くよう言い聞かせるが、ヴィヴィオは構わずトーストや目玉焼きをほおばっていく。
そんなヴィヴィオに少しばかり慌てた様子のフェイト。
なのはは二人のやり取りに苦笑を浮かべながら、ヴィヴィオの頬についたジャムを指先でふき取り口に運ぶ。

「まぁまぁ、フェイトちゃんもヴィヴィオのことばっかりじゃなくて、自分の分を食べないと。
 早くしないと、食べる時間なくなっちゃうよ」
「そ、それはそうだけど……あ! ヴィヴィオ、そんな慌ててると服にお醤油が!?」

なのはの忠告も虚しく、結局ヴィヴィオの事が気になって自分の食事に手がつけられない。
そんな根っからの世話焼きな親友に「やれやれ」と思いつつ、ちゃっかり自分の分を咀嚼するなのは。
とはいえ、このままだと一向にフェイトの食事が進まない。そこで、なのははある事を閃いた。

「そうだ。ねぇ、ヴィヴィオ…このままだとフェイトママ、いつまでたっても食べられそうにないし、ヴィヴィオがあ~んってしてあげたらどうかな?」
「えぇ!?」

突然のなのはの提案に、眼を向いて驚きを露わにするフェイト。
なのはは至って真顔なので、それが果たしてからかう為なのか本気なのかは測りかねるが。

「で、でもなのは、こんな人がいっぱいいる所で……」
「じゃあ、やめとく?」
「フェイトママ……ヴィヴィオがあ~んってやるの、イヤ?」
「天地がひっくりかえって次元震が起きてもそれだけはあり得ないよ! むしろご褒美だし!
 ヴィヴィオにあ~んってしてもらえたら、私は、私はもう!!」

不安げなヴィヴィオに対し、フェイトは妙に血走った眼で「ハァハァ」言いながら力説する。
ともすると、だいぶ危ない人に見えてしまうのは秘密だ。
ただ、勢いに任せて行ってしまった以上、どんなに恥ずかしくてももう引っ込みは付かないわけで……。

「それじゃ…はい。フェイトママ、あ~ん!」
「あ、あ~ん……」
「美味しい?」
(い、生きててよかった……私の人生、一片の悔いなし!!
 もういつ死んでもいい! ううん、むしろ絶対死なないけどね、勿体無い!!)

プルプル震えながら、感動の涙を滝のように流すフェイト。
で、そんなフェイトの背後には、若干呆れた様子の新人達がいたりして。

「ねぇ、もしかしてフェイトさんって、昔からああな訳?」
「えっと、その……」
「フェイトさん、とても感激屋さんですから……」

ティアナの問いに、顔を赤くして俯く被保護者二人。
人としては間違いなく尊敬しているが、こういう時は少しばかり恥ずかしく思ってしまっても仕方がないだろう。

「あの調子だと、アンタ達の結婚式とかには生きた噴水になるんじゃない?」
「ティア、それ割とシャレになってないよ」
「け、結婚!? な、何言ってるんですかティアさん! べ、別に僕とキャロはそんなんじゃ……!」
「ん? 私は別にアンタとキャロが結婚するって言ったつもりはないけど?」
「え……」
「へぇ~、エリオってば…ふ~ん、そ~なんだ~」
(…………………………………嵌められた)

まんまと言葉のマジックに引っかかり、見事に墓穴を掘ってしまったエリオ。
はっきりとした恋愛感情を抱いているかはともかく、少なからず異性として意識しているのは明らか。
スバルを始め、周りからは「もうそんな事を意識する年かぁ」とか、「やっぱりエリオの本命はキャロかぁ」とばかりにニヤニヤとした視線が送られてくる。

概ね、その視線に込められた意味がわかるのだろう。
純朴な少年はさらに顔を真っ赤にして重い影を背負うのだった。
ただし、その相方の少女はというと……全然気にした素振りもなく平然としているが。

「はぁ、私とエリオ君がですか」
「あれ、キャロはあんまり乗り気じゃないの?」
(それはそれでエリオが哀れなんだけど……からかい過ぎたかしら?)

まさかここまで反応が薄いとは思わなかっただけに、若干の罪悪感が芽生える。
さすがに、こんな形での失恋というのは……悪乗りし過ぎたかもしれない。

「いえ、ただ…………大変だろうなぁって」
「「大変?」」
「あ、ル・ルシエ族にはいくつか掟がありまして」
「「ふんふん」」
「私にはフリードの他にもう一騎『ヴォルテール』って言う竜がいるんですが、アルザスでは『大地の守護神』として崇められる存在なんです。
そのヴォルテールの加護を受けた女性は『巫女』と呼ばれ、伴侶として一生を捧げなければなりません」
「「え”」」

なんだか、初っ端から重い話が飛び出した。
だがそれだと、そもそもキャロには結婚という選択肢そのものがないと言うことになる。
そりゃまぁ、宗教的に一生を信仰の対象に捧げ、生涯誰とも結婚しないと言うのはそれほど珍しい話ではないが。

「なので、巫女は生涯独身で過ごすのが基本なんです」
「ん? って事は、例外もあるって事?」
「はい。巫女を娶る方法は只一つ、ヴォルテール以上の加護を巫女に与える事です。
 つまりヴォルテールと一騎打ちをして倒し、実力で奪い取るって事ですね」
「「……」」

真竜相手に一騎打ちで撃破しろとか、それはいったいどんな無理ゲーだろうか。
あまりにも無茶なその条件に、二人とも空いた口が塞がらない。
しかし、確かにそれならル・ルシエの巫女が基本的に生涯独身なのも頷ける。
そりゃ真竜相手に一騎打ちして勝てる者など早々いないのだから、そう言うことにもなるだろう。

「ちなみに…負けたらどうなるの?」
「罰当たりな愚か者という烙印を押されて村八分にされますね。
もちろん、二度とその女性の前に出る事は許されません」

まぁ、信仰の対象から伴侶を奪い取ろうとしたのだから、そう言う扱いにもなるか。

「き、厳しいわね……」
「はい、鉄の掟なんです」

重々しく頷き返すキャロ。この様子だと、「もう部族から離れてる事だし」という論法も通用しそうにない。
部外者であるティアナやスバルにはよくわからないが、ル・ルシエ族的には相当重い掟の様だ。

だがそれなら、先ほど見せた反応にも納得がいく。
こんな掟があるのでは、妙に恋愛事への意識が薄いのも仕方がないか。

「一応聞くけど、キャロはエリオのことどう思ってるの?」
「? 大事な友達でパートナーですよ、これからもずっと良いコンビでいれたら素敵ですね」
「これからずっと?」
「はい、ずっと」
「いつまでも友達のまま?」
「いつまでも友達のままです」
(これって、遠回しに見込みがないって言ってるのかしら?)
(いやぁ、キャロだからねぇ……)

この天然娘の事なだけに、いまいち判別がつかない。
とりあえず言える事は……エリオは頑張ってヴォルテールを倒せるようになるしかないと言う事だ。
ただ、あまりにも現状は望みが薄過ぎて、エリオへ同情を禁じ得ないが。

((エリオ、なんていうか………………………頑張れ、超頑張れ))

もうほんと、それしかかける言葉が見つからない。

「あっちはどうしたんでしょうか?」
「どうしたんだろうねぇ?」

で、そんな感じにやや消沈気味の新人達の席を見て、首をかしげる師弟。
なんと言うか、隣り合っているなのは達の席とあまりにも対照的だ。

「ところで翔……苦手な物があるのは仕方ないけど、そうやって人に押し付けるのは感心しない」
「ピッ!?」
「翔~……あなたって子は性懲りもなく!」
「アイタタタタタタ!? ごめ、ごめんなさい姉さま――――――っ!
 もうしません、約束するからグリグリはや~め~て~……!?」

余所見をしている隙をつき、こっそり二人の皿にピーマンを移そうとしていた翔。
だが、ギンガはまだしも兼一相手にそんな手が通用する筈もなく、そしてギンガがそれを知って見逃してくれる筈もなし。『おしおき』とばかりにギンガは両の拳をこめかみに押し当てゴリゴリと捩じりこむ。
もちろん加減はしているのだが、翔が涙目になっている辺り決して緩くはないらしい。

「ご~め~ん~な~さ~い~!?」
「あ~あ~、翔もホンマに懲りんなぁ。
 ほれ、観念して食べ時。せやないと、兼一さんみたいにカッコよ……………強くなれへんでぇ」
「あの~、部隊長? その間が激しく気になるんですが……っていうか、明らかに切りましたよね?」

別に、はやてとて兼一の顔立ちが悪いと思ってはいない。
ただなんというか……周りに美系が多かったせいもあり、不必要に基準が高い。
その基準に照らし合わせると…やや見劣りしないでもないと思ったが故の言い直しである。

「気のせいです」
「でも……」
「気のせいったら気のせいです。なぁ、みんな?」
「はいです、リインはなにも聞いないです!」
「すまんな、白浜。騎士は主に従うものだ」
「あれだな、たとえ白でもはやてが黒って言えばそいつは黒だ」
「ごめんなさい、兼一さん」
「賛成多数に付き兼一さんの聞き間違いで決定! いやぁ、民主主義って素晴らしいなぁ」
「し、しどい……」



  *  *  *  *  *



朝の訓練と朝食を終えれば、しばらくは前線メンバーも事務仕事のお時間。
ただ、今日はどこか皆の様子が慌ただしい。

それもその筈、つい先ほどはやてと親交のあるヴェロッサ・アコース査察官より緊急連絡があった。
内容は、数日後に予定されていた地上本部からの査察が、急遽今日行われることになったと言うもの。
だが、普通に考えて査察なんてものの日程が早々変更になるとは思えないし、それがこんなに急など尚更だ。
恐らく、あちら側は元々この日程で行うつもりであり、所謂「抜き打ち」に近い形で行う為にわざと嘘の日程を伝えていたのだろう。

よほどこの査察で、近く行われる公開意見陳述会で本局を叩く材料を見つけたいらしい。
そもそも、本来機動六課は「地上部隊」とは言ってもその所属は本局。当然、その査察も本局がやるのが普通だ。
そこで敢えて地上本部が出張ってきたという事は、あからさまなまでに叩く気満々の粗探しに来たと言う事。
ヴェロッサのおかげで先んじて察知できたとは言え、急ぎ少しでも体裁を整えなければ。

いや、別に普段が悪いと言うわけではないのだが、それでもあまり外には見せられない物の一つや二つあるわけで……慌ただしくしているのはそれが理由である。

兼一の方は、とりあえず彼所有の怪しげなトレーニングマシン類は全てちょっと離れた倉庫に押し込んで、ハイ終わり。
今は空いた時間を利用し、一人息子に稽古をつけている所だ。

「さ、早く早く! 突きだけじゃなく、引きも意識するんだ!
 どんなに速くて重い突きも、戻りが遅ければそれっきり。コンビネーションには繋がらないぞ!」
「はい!」

当初の天気予報は大きく外れ、代わりに翔の勘がおおいに当たった快晴の下、「パンッ! パンッ!」という小気味よい音が庭に響く。
兼一の手にはやや大きめのミットが嵌められ、翔は構えられたミット目掛けて拳を、蹴りを放つ。
ただ単純に強く打つだけではなく、拳や蹴り足の引きを意識し、次に繋がるよう心掛けて。

「シッ! シッ!」
「まだまだ、もっと早く! そこで首を取って膝!」
「やぁっ!!」

間合いが近づいた所で、鳩尾に構えられたミットに渾身の「カウ・ロイ」。
とはいえ、一方的に打ち込むだけがミット打ちではない。
ミット打ちとは、避けるのも同時に練習するもの。
たとえば、こんな具合に……

「そこで避ける!」
「ヒュ…せりゃ!」

下から迫りくるミットに対し、僅かに身体を引く事で回避。
と同時に、体重が後ろ脚に乗ったのを利用し、兼一の顎の真下に構えられた逆のミットを思い切り蹴り上げる。

「よし、次!」

『スパンッ』と、軽いが鋭さを感じさせる蹴りに僅かに顔を綻ばせながら、兼一は脇腹にミットを置く。
それは、丁度人体の急所の一つである肝臓の真上。
それを見て取ると、翔は反射的に身体を回転させながら肘を入れる。
体重の軽さを補うべく回転を加えた一撃は、この時ばかりは「バンッ!!」という重い音を響かせた。

そして、今の翔には最早師であり父である兼一の構えるミットしか見えていない。
無心に、的確に人体の急所とされる箇所におかれたミットを打ち続ける。

「りゃあ!」
「うん、良い蹴りだ。だが……そこ!」

ムエタイのローキック「テッ・ラーン」が兼一の膝裏を捉え、その体勢を僅かに崩す。
だがそこへ、顔をガードしていた右腕に衝撃。
衝撃を受け、翔の身体が揺れた瞬間…気付くと、視界は黒いミットで覆われていた。

「攻撃した瞬間、この時は特に隙ができやすい。
 だから形としては防御していても、心に隙があるとこういうことになる。気をつけなさい」
「はい……」

父の注意に、翔はどこかしょんぼりした様子で頷き返す。
形としては確かに翔の「テッ・ラーン」はほぼ完璧と言えるだろう。
腰が入り、膝の裏を打ち、顔もちゃんとガードしていた。
しかし実の所、攻撃を意識するあまり僅かに最後のガードが甘い。

ケンカ百段の異名を持つ空手家「逆鬼至緒」曰く「殴ることなど誰にでもできる。空手の真髄は防御にある」。
それはなにも空手だけに限った話ではない。これはおよそ、全ての武術に対して言える真理。
少なくとも兼一はそう考え、何よりもまず防御の重要性を重視する。
だからこそ、翔や一番弟子であるギンガには重ねてこの点を言い聞かせてきた。

「覚えておくんだ。武術はあくまでも自衛の技、大切なのは『勝つ』事ではなく『負けない』こと。だから翔、僕は君に敢えて『勝て』とは言わない。ただ、誰が相手でも、なにが相手でも……『負けるな』。いいね?」

それはかつて、翔自身が涙ながらに叫んだ思い。

『勝てなくてもいい、でも負けたくない。
ただ、正しいと思った事をできるくらいに、守ってくれるみんなを守れるくらいに強くなりたい』

この子はもう、兼一が伝えたかったことの意味を知っている。
言葉でその意味を説明することはできずとも、漠然とした形でも、彼は理解しているのだ。
それこそが翔の初心。故に、何度も言い聞かせる。初心というのはえてして忘れやすい物。
だからこそ、決して忘れない様に、もし忘れても思い出せるように、深く刻みつける。

「さあ、続きを始めようか」
「はい!」

心機一転、再度ミット打ちを始める親子。
そして、そんな父と子の拳による交流を寮の一室から見下ろす影が二つ。

(まったく、また難しいことを要求しているな、奴は。
 あれは、5歳の子どもにするような話ではなかろうに)

影の片割れ、ザフィーラは僅かに聞こえた兼一の話にその様に思う。
確かに兼一らしい考え方だとは思うし、彼もまた共感を覚えたのは事実。
そう、自分達はなにも敵に対して『絶対』に『勝たなければならない』訳ではない。
重要なのは、兼一が言ったように『負けない』事。大切な人を、守ると決めた人を守り、自らも生き抜く。
それが大前提であり、その前には「勝つ」事など二の次だ。
必要なのは、敵を倒し勝つ為の「攻撃の技」ではなく、守り通す為の「防御の技」なのである。

翔が父同様活人の道を行くのなら、いつかは彼自身も悟る時が来るだろう。
だが、さすがに今から言い聞かせる様なものではないと思うのだが……。
ただザフィーラの傍らの影にとっては、そんな事はどうでも良いらしい。

「む~……」

ザフィーラに身体を預ける様にして窓から翔達の姿を見降ろしていたヴィヴィオは、頬を膨らませて不貞腐れている。
理由など考えるまでもない。数少ない…というか、日中はほぼ唯一に近い遊び相手である翔が、自分の事をほっぽり出して別の事にかまけているのが面白くないのだ。

「ぶ~……」
「怒ってやるな。翔にとっては、あれもお前と遊ぶことと同じくらい大事なことだ」
「だって~、つま~んな~い! つまんないったらつまんないったらつまんな―――――い!!」
「そう言うな。翔がああして修業に励むのも、ある意味ではお前の為なのだぞ」
「?」

ザフィーラの言葉に、ヴィヴィオは不思議そうに首をかしげる。
彼女からすれば、自分と遊ばずに怖い変な人(ヴィヴィオ主観)と遊ぶことのなにが自分の為なのかと思うのだろう。ましてやそれが、ああして時折痛い思いをするとなれば尚更……。

「ヴィヴィオ、翔はお前のなんだ?」
「? 翔は、ヴィヴィオの友達だよ」
「ならば、翔は大事か?」
「うん」
「そうだな、翔も同じ思いだろう。あれは、正しいと信じた事を貫く為…そして、大切な者を守る為に武門に入った。それはつまり、お前を守ると言う事でもある。ならば、少しくらいは許してやれ」
「む~……」

『少し難しかったかも知れんな』と、まだ納得のいかない様子のヴィヴィオに苦笑する。
叶うなら、翔がヴィヴィオの為に拳を振るう機会などあってほしくはないのだが……。
なぜならそれは、ヴィヴィオの身が危険にさらされると言う事でもある。
それも自分たち大人の手が、何らかの理由で届かない時に。正直、それはあまり楽しい未来図とは言えない。

(しかし、こうして見ると……つくづく恐ろしい天禀(てんびん)だ。白浜が危惧したというのも頷ける)

眼下で繰り広げられる、とても5歳の子どもを相手にしたものとは思えない修練のレベルに、さしものザフィーラも舌を巻く。
未だ身体が小さく、それに伴い体重が軽い為に一撃に乗せる重さが物足りないのは仕方ないだろう。

だが、一撃一撃の鋭さが尋常ではない。
兼一の弟子育成能力の高さは、ギンガの急激な成長を見ても明らか。
しかし、それだけでは説明できない物があると感じるほど、翔の技のキレは年齢に対して不相応だ。
あれが、武を学び始めて数ヶ月の子どもの動きだろうか。
なにより、翔の恐ろしい所は……

「あっ!? また翔のこと殴ったぁ! もう~!」

ミットを嵌めた兼一の一撃を受け、翔の身体がその場で大きく回転する。
ヴィヴィオには兼一が翔をいじめている様にでも見えているのか、大分憤慨している様子。

ただ、ザフィーラは全く別の点に着目している。
なにしろ、かなりいい形で一撃もらってしまった筈の翔は、半回転ほどすると停止。
何事もなかったかのようにミット打ちを再開しているのだから。

(さすがに、完全には受け流せてはいないようだが、あの動き……不死身の作曲家のものか)

あの動きを見ると、以前僅かな期間六課に逗留していた兼一の古い友人を思い出す。
円運動を特徴とする彼の秘技は、敵の攻撃を受け流す事を得手とする。
今翔がやって見せたのは、その極々初歩に相当する技術の筈。

確かにあの時、翔は彼からも手ほどきを受けていた。
だが、あの短期間で不完全な初歩とは言えそれを体得するとは……。
過去、誰ひとりとして付いて行く事の出来なかった彼の修業に付いて行き、曲がりなりにもその技を身に付ける。
それがどれほど凄い事なのか、きっとあの子は理解していないのだろう。

(まさしく、神童か……)

天賦の才を持つ者が「天才」なら、幼くしてその道のコツを知り得てしまった者を「神童」と呼ぶ。
この点から鑑みて、翔は「天才」で済ますには行き過ぎている。
恐らく、あの子には他の者にはわからない何かが見える、ないし感じ取れているのだろう。
それが何かまでは、今の所ザフィーラにもわからないが。

「はい、白浜ですけど。 え? あ、はい、わかりました。すぐ行きます。
 ごめん、翔。ちょっと隊舎に戻らなきゃならなくなったから」
「うん、いってらっしゃ~い」

どうやら何かの緊急通信が入ったらしく、修業と中断して隊舎へと戻っていく兼一。
それに手を振って見送る翔だが、兼一の姿が見えなくなると僅かに寂しそうに見えたのは気のせいではあるまい。
とはいえ、これで翔が戻ってくると思ったのか、ヴィヴィオの機嫌は良くなっているが……長続きはしなかった。

「ん! せい! やぁ!」
「ええ―――――――――――――! なんでそうなるの―――――――!」

意を決したように拳を握り、一人で型の稽古を始める翔。
当てが外れたヴィヴィオは、窓ガラスにへばりつくようにして抗議しているが、翔は全く気付かない。
この女心がわからない辺りも、どうにも血筋の様なものを感じさせる。

その後、我慢の限界に達したヴィヴィオが翔を引き摺って行くまで、彼は黙々と一人稽古に勤しむのだった。
ちなみに……

(あれは、将来頭の中が武術一辺倒で周りを苦労させるかも知れんな)

とは、そんな二人のやり取りを見守っていたザフィーラの感想である。



  *  *  *  *  *



しばし時を遡り、機動六課隊舎玄関。
やや緊張した面持ちで機動六課の長、八神はやてはある人物と向かい合っていた。

「機動六課部隊長、八神はやて二等陸佐です。お待ちしておりました」
「オーリス・ゲイズ三等陸佐です。よろしくお願いします」

査察にやってきたのは、見るからにお堅そうな眼鏡の女性とその随員が数名。
言葉にはせずとも、ビシバシと「重箱の隅まで突いてやるから楽しみにしていろ」という空気が伝わってくる。
地上本部からの風当たりが強いのは覚悟していたはやてだったが、ここまで敵意満点だとさすがに怯まざるを得ない。

「では、ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
「はい。時間もない事ですし、急がせていただきます」

わざとらしく眼鏡の位置を直し、言わなくていい事まで言ってくれる。
階級的にははやての方が上だが、ここにいるのは地上本部の総大将「レジアス・ゲイズ」中将の代理人と考えるべきだ。実の娘を送り込んでくる辺りに、「そう思え」と言う意図を感じる。
なら、階級などという安いプライドは捨て、下手に出ても良いからこれ以上印象を悪くしないよう努めるよう。

(まぁ、明らかに焼け石に水っちゅう感じやけど)

正味な話、はやてもそれで効果があるとは全っ然思っていない。
多分…というか間違いなく、彼女らがはやて達に向ける感情は不可逆だろう。
悪化する事はあっても、今より良くなる事はないに違いない。
まぁ、だからと言って公然と開き直れるほど、さすがにはやても図太くはないが。

そうして査察が始まったわけだが…………急場にしては六課の面々は良くやったと言えよう。
本当に見られて困る物などほとんどないが、出来れば見られたくない物なら少しはある。
それらを上手く隠し「私達、今日も誠心誠意仕事に励んでますよ」とアピール。
眼鏡が反射する室内灯の光には何か言葉にできないプレッシャーを感じるが……耐える。

「…………ところで、八神二佐。隊舎の掃除についてなのですが」
「ああ、みんな小まめに整理整頓してくれてますし、中々綺麗でしょ」
「ほう……これで?」

良いながら、オーリスはすぐ傍の窓枠を『ツーッ』と指でなぞり、指先に視線を落とす。
そこには、薄らとだが彼女の指先を白く覆う埃が付着していた。

「なるほど。あなたには、これは『掃除がされている』状態というわけですか」
(どこの小姑や、アンタ!? リアルでそんな事する人、初めて見てわ!?)

どう見てもいちゃもんをつけるためのこじつけなのだが、だからこそ厭味ったらしいと言ったらない。
明らかな挑発とわかっていても、はやてのコメカミには青筋が浮かんでしまう。
『クール、クールになるんや、私』と自らに言い聞かせ、なんとか体裁を整えるはやて。

しかし、この場にいる全員が全員、そんな内心を綺麗に隠し通せるほど器用ではない。
中には、完全には隠しきれずにオーリスに対し舌打ちや不満げな視線を向けてしまう者もいた。
それを目敏く確認すると、更なる追い打ちが掛けられる。

「ふん、上司が上司なら部下も部下という事ですね。
この有様では、部隊長だけでなく隊員の程度も知れると言う物でしょう」
(殴りたい、今無性にこの人を殴りたい……!)

オーリスのこの一言には、流石のはやても「カッチーン」ときた。
別に自分の事を悪く言うのは一向に構わない。
諸々の事を覚悟した上で局に入り、全て承知の上で上を目指すと決めたのだ。
やっかみも偏見も、全て呑み込む度量を持とうと心に誓っている。
故に、どんなに頭にきてもそれを表に出す様な事はしない。

だが、自分への評価や印象を部下達にまで波及されるとなれば話が別。
自分の過去と関係がある者も六課にはいるが、大半が無関係だ。
その人達を「“あの”八神はやての部下だから」と思われるのは心外の極みである。
そんな色眼鏡で見ず、本当の彼らを見ればわかる筈だ。彼らは皆、掛け値なしに優秀な人材だと言う事が。

(ダメですよ、はやてちゃん。ここで癇癪を起したりしたら……)
(やめてください、部隊長!)
(我慢、ここは我慢ですよ!)
(わかっとる、そんな目で見んでもわかっとるって。
 す~~~~、は~~~~~~……よし、もう大丈夫)

リインやグリフィスといったロングアーチの面々が視線に込めた思いを汲んで怒りを飲み込み、頭の中で数十回オーリスをぶん殴る情景を妄想する事で溜飲を下げたはやて。
そうして、彼女は満面の笑みでオーリスに向き合い……

「いえいえ、みんな私なんかには勿体無い子たちばかりです。
 ほんまに、私の隊ばっかり優遇してもろて申し訳ない限りですわ」
「む……」
(部隊長―――――――っ!? アンタ何言ってるんですか!?)
(ええやん、これ位。私は単に自分の部下を自慢しただけや)

確かにその通りではあるが、実質嫌味スレスレである。
何しろ、地上部隊は優秀な魔導師のほとんどを本局に取られてしまっているのが現状。
故に、はやては敢えて「魔導師」と限定しなかったが、捻くれた見方をすれば充分に嫌味として通じるだろう。
実際、ここまで人材を惜しげもなく投入している部隊などまずないのだから。

「まぁ、良いでしょう。では、次に……」

そうして、その後もはやてとオーリスは気の弱い者の胃に悪いこと甚だしい雰囲気をぶつけ合いながら、査察を続ける。
だがある所に至った瞬間、はやての顔色が一変した。

(アカン、ここは!?)
「どうかなさいましたか? 早く開けていただけませんか?」

その変化を目敏く見逃さず、追撃をかけるオーリス。
はやてはしどろもどろになりながら、なんとかこの場から移動しようと持ちかける。

「え、ええっと、ここは単なる倉庫でなにもありませんから…………………つ、次行きましょう、次!
 時間も押してますし、まだまだ見る所は沢山あります!」
「構いません。どうぞ開けてください」
「で、でもほんまに見る様な物はなにも……」
「でしたら、見られて困ることもないのでしょう?」
(うぅ~、しもた!? まさかこんな所まで見るやなんて、こんなことならいっその事海に沈めておくんやった……)

自分が優位に立った事を確信したのか、オーリスは不敵な笑みを浮かべている。
が、彼女は知らない。この先にあるのは、何もはやてだけにとって都合の悪いものではない事を。
ここは機動六課におけるパンドラの箱。明けてはならない災厄の部屋なのだから。

「後悔、しても知りませんよ?」
「構いません。時間が押していると仰ったのは二佐と記憶しておりますが?」
「はぁ~~~~~~、ホンマに知りませんからね」

渋々、はやてはその扉の鍵を開けて解放する。
そして、一歩踏み込んだオーリス達が見たのは…………ある意味、この世ならざる光景。

「こ、これは!?」

壁際には数えきれない程の、大小さまざまな地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵、地蔵。
整然と並んでいるにもかかわらず…いや、むしろそれが見る者を圧倒する一種異様な雰囲気を生み出している。

これらは全て、兼一が修行用に持ち込んだり送ってもらったりした「投げられ地蔵ぐれ~と」。
今朝方、大急ぎでこの部屋に押し込んだのだが……すべてが無意味だったと言うことらしい。

オーリスはあまりの光景に呆然とし、続いて部屋に入った随員達もはやての言葉の意味を理解する。
ここにあるのは六課や本局が不利になる要素などではない。
ただ単純に、見る者に強制的に後悔を強いる何かだ。と、思っていたのだが……

「な……」
(まぁ、そらこんなもん見たら正気でいられる筈が……)
「なんという豪快にして繊細な……彫り!!」
「え~~~~~……」

思っても見ないオーリスの発言に、他でもないはやての眼が点になる。
オーリスは大急ぎで地蔵群に歩み寄るや、しげしげとそれらを観察、感動に打ち震えるのだった。

「八神二佐!」
「は、はい!?」
「私は二佐の事を誤解しておりました。まさか、その若さでこの様なコレクションをお持ちだったとは……このオーリス、感服いたしました」
「はい?」

恭しく頭を下げるオーリスに、はやては間の抜けた顔で問い返す。

「あの…それはいったいどういう意味でしょうか?」
「おや? これは八神二佐のコレクションではないのですか?」
「ああ、いや、うちの隊員の私物…と言いますか……」

なんでも、聞くところによるとオーリスは美術品の鑑賞が趣味なのだとか。
一人美術館に赴き、閉館時間までじっくりたっぷり観賞するのが休日の過ごし方。
見た目に違わないというか、とてもらしい趣味と思ったのは秘密である。

で、なんやかんやと紆余曲折があり、どういう訳かこれらの所有者に会わせてほしいと頼まれた。
その結果、本来顔を合わせる筈のなかった兼一が呼び出された次第である。そして……

「無粋な申し出とは百も承知ですが、恥を忍んでお願いします。
 是非ともこちらの作品を、お一つ譲ってはいただけないでしょうか?」
「あ、いや……これは、その…師匠からの貰い物なんで、お譲りする訳には……」
「そこをなんとか!!」

そうして始まった、当初の目的からズレにズレまくった商談。
金に糸目はつけないと語るオーリスに、貰い物をさらに誰かに譲るのは気が引ける兼一。
双方譲らず、話しは平行線をつき進む。
だがさすがの兼一もオーリスの熱意に負けたのか、別案を提示した。

「あの、これらはお譲りできませんが、うちの師匠と直接交渉してはいかがでしょう?
 話くらいは通しますけど……」
「……わかりました。それでお願いします」

幸い、今の時間帯なら地球の日本でもそう非常識な時間ではない。
なのは達の関係もあって、地球への連絡手段もある。
兼一ははやてに話を通し、急ぎ梁山泊へと電話を繋ぐ。

「はい、オマエのコドモはアズカッタよ!」
「アパチャイさん、ですからその応対は間違ってますって……もういいです、岬越寺師匠います?」
「おーい、秋雨ー! 兼一から電話だよ――――!」

そうして待つ事しばし。

「やぁ兼一君、久しぶりだねぇ。いったいどうしたんだい?」
「実はですね、かくかくしかじか……という訳でして、とりあえず代わりますね。ゲイズ三佐、後はどうぞ」
「ありがとうございます」

兼一と交代し、秋雨との交渉を始めるオーリス。
彼女は暑く、熱く、アツク自らの情熱と投げられ地蔵から受けた感動を語る。
秋雨は静かに「ふむふむ」と聞いているが、いまいちなにを考えているかわからない。

ちなみに、兼一が去った後の隊員寮。
ヴィヴィオに引きずられるようにして部屋に戻った翔は、二人で仲良くアイナのお手伝いの真っ最中。
お日様の匂いのする洗濯物を、それぞれ丁寧に丁寧に畳んで行くのだが。

「できた? できたー!」

ザフィーラに確認を取り、アイナに報告するヴィヴィオ。
ベッドメイクをしていたアイナはそれを見て、にこやかに褒める。

「ああ、上手上手。ありがとね」
「えへへ♪」

ヴィヴィオも嬉しそうにそれに笑顔で返し、次なる洗濯物を手に取る。
で、もう片割れの翔はというと……。

「アイナさ~ん」
「ん?」
「できな~い……」
(な、なんて不器用な子……)

涙目になりながら、なぜかぐちゃぐちゃになった洗濯物を掲げる。
単に半分に折っていくだけなのに、どうしてこんな有様になるのやら。
つくづく、不器用な子である。

そうして場面は戻り、いまだ熱心なアピールを続けるオーリス。
そんな彼女の後ろでは、はやてがようやく安堵の息をついていた。

「ふぅ、とりあえずこれで大丈夫そうですね」
「ですね。あれだけ熱意をアピールすれば、多分大丈夫でしょう。
 岬越寺師匠、芸術は売り物じゃないって人ですけど、同時に芸術を真に理解している人にはポンと譲っちゃう人でもありますから……」
「というわけで、是非とも先生の作品を譲っていただきたいのです!」

と思っていたら、一頻り語り終える良い汗をかいたオーリス。
そんな彼女に返ってきた秋雨の返答は、皆の予想を大きく裏切るものだった。

「……………………………………え~~~~~~、やだ~~~~~~~」
『は?』
「ま、不味い!?」
「な、なにが不味いんですか、兼一さん?」
「岬越寺師匠の『え~、やだ~』が出た!!」

『え~、やだ~』一見すると子どもの様な口ぶりだが、岬越寺秋雨が一度これを言ったが最後、彼を説得するのは難攻不落の要塞に挑むのも同然。
なにしろ、かつて『漬物石』のために眼も眩む様な莫大な金銭を積まれても首を縦に振らず、それどころか一国の国家元首クラスの権力、もしくはどれほどの暴力を持ってしても彼の態度を変えることは不可能だった。
曰く、岬越寺秋雨が「え~、やだ~」モードに入った時の頑固さは……国士無双!!!
そしてそれを証明するように、オーリスが提示するどんな条件も秋雨はこの一言の下に拒絶する。

「お、お金でしたら幾らでも!」
「え~~~~、やだ~~~~~」
「それなら全管理世界へのフリーパスと次元航行船のセットはいかがですか!
 これさえあれば、どの世界に行くのも自由ですよ!」
「え~~~~~~~~~~~~、やだ~~~~~~~~~~~~~」
「も、もし譲っていただければ無料でどなたでも鑑賞できるよう取り計らいます!!
 ですから、どうかお願いします!」
「え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、やだ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

力づくと言う手段に出ない辺りは好感が持てるが、それでも決して首を縦に振らない秋雨。
見れば、オーリスはよほど秋雨の作品に感銘を受けたらしく、もうなんか涙目だ。
さすがにはやても、あそこまで必死になられると哀れに思えて来る。

「兼一さん、なんとかなりません?」
「いやぁ……僕が言った位で考えを覆す人じゃないですから」

一番弟子の兼一ならあるいはと思ったはやてだが、それは見通しが甘いと言うもの。
兼一の言う通り、それくらいで考えを覆すような生易しい相手ではないのだ。

そうして、二人の交渉は日が暮れるまで続き………………結局、最後はオーリスが根負けする形で決着。
ただし、本人はもう一度条件を整えて再挑戦する気の様だが。
なので、とりあえず梁山泊への連絡方法だけ教えてもらい、オーリス達は帰っていくのだった。

そして、その晩。
ようやく一山越えて少しは枕を高くして眠れると布団を被った所で、はやてはあることに気付く。

「…………………………あれ? そういえば査察は?」






あとがき

ふぅ、これでようやくちゃんとヴィヴィオが出せたかな?
そして、ヴィヴィオと翔の関係性は大体こんな感じ。概ね仲が良いのですが、第一印象の関係からヴィヴィオは兼一が苦手で、その兼一が翔を時々奪って行くのでより一層敬遠しがちなのでした。

あとは、秋雨の「え~、やだ~」が出せて楽しかったです。いつかやりたいネタでしたから。
さて、次はまだ地上本部襲撃ではなく、その前にもう一つ挟みます。内容はまだ秘密ですが、前回の伏線という程のものでもありませんが、それの回収です。大一番を前に、ちょっとした飛躍の時、みたいな感じで。

では、次はもう少し早く出せるようにしたいと思います。
一ヶ月近く更新しないなんて、最近では少なかったのになぁ……ちょっと反省。



[25730] BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/08/01 03:45

ある日の夕暮れ。
部隊長室に集ったはやてとフェイト、そしてなのは。
機動六課のトップに位置する三人は、揃って難しい顔を並べていた。

「今日、教会の方から最新の預言解釈が来た。
 やっぱり、公開意見陳述会が狙われる可能性が高いそうや」

公開意見陳述会、それは主要世界において1・2年に一度行われる会議。
発表された地上本部の運用方針に対する議論が行われ、その様子の公開は当該世界のみならず各世界で行われる。
地上本部が主体となる会議だが、本局からも多くの高官が列席する場だ。

確かに、管理局における陸と海の重鎮が多く集まる時という意味では、狙いどころだろう。
上手く行けば、管理局の中枢機能を大幅に麻痺させることも不可能ではない。
実際、公開意見陳述会にはレジアス・ゲイズ中将以下、地上本部の名立たる将帥の他、本局からも三提督をはじめとした提督級以上の上層部も多く参列するのだから。
もしこの面々が全てテロに斃れれば、管理局の機能は大幅に低下せざるを得ないだろう。

とはいえ、だからこそその警備も普段とは比べ物にならない。
ただでさえ地上本部の魔法防御は鉄壁であり、さらに多くの優秀な魔導師達が警備に参加する。

「もちろん、警備はいつもよりうんと厳重になる。機動六課も、各員でそれぞれ警備に当たってもらう。ホンマは、前線丸ごとで警備させてもらえたらええんやけど、建物の中に入れるんは私達三人だけになりそうや」
「まぁ、三人揃ってれば大抵の事はなんとかなるよ」
「前線メンバーも大丈夫、しっかり鍛えてきてる。副隊長達も、今までにない位に万全だしね」

重い口調のはやてに、フェイトとなのはは励ます様に言葉をかけた。
実際、六課は現状望める範囲では最高に近い状態でその日を迎えつつある。
不安があるとすれば、ヴィヴィオを保護して以降ほとんど動きを見せない戦闘機人達の情報が少ない事と、地上本部側があまりAMFを用いるガジェットの危険性を重要視していない事。

そして、未だその解釈に不明瞭な部分を残す件の預言。
聖王教会騎士団の騎士にして、時空管理局においては少将待遇であるカリム・グラシアが有する希少技能(レアスキル)『預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)』。
それは最短で半年、最長で数年先の未来を詩文形式で書き出した預言書の作成を行うと言うもの。
ミッドの衛星軌道上を回る二つの月の魔力が上手く揃わなければ発動できない為、ページの作成は年に一度のみ。
また、預言の中身は古代ベルカ語で書かれ、しかも解釈に寄っては意味が代わることもある難解な文章。
その上、世界に起こる事件をランダムに書きだすだけで、解釈ミスも含めれば的中率や実用性は『割とよく当たる占い』程度とされる。

とはいえ、大規模災害や大きな事件に関しての的中率は高く、管理局や教会からの信頼度は高い。
聖王教会や次元航行部隊のトップも有識者の予想情報の一つとして予言内容には眼を通している。
だが、実質的な地上本部のトップ、レジアス・ゲイズ中将はあまり好意的に見ていないのが問題。
その為地上本部自体は、「地上本部襲撃」という預言を基にした予想事態を信用せず、特別な体制を組む気がない。これが、はやて達の不安の一端でもあった。

何しろ、数年前から書き出されてきた今回の件にまつわるであろうある預言が現実になれば、大変なことになる。
そうさせない為の六課だが、やはりその内容というのが……

『古い結晶と無限の欲望が集い交わる地。
 死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る。
 死者たちが踊り、中つ方の塔は虚しく焼け落ち、それを先駆けに数多の海を守る法の船も砕け落ちる』

これだ。この預言が意味する所は、ロストロギアをきっかけに始まる、管理局地上本部の壊滅、そして管理局システムの崩壊。
現状、地上本部が何らかの形で壊滅したとして、それで管理局全体が崩壊するという事態まで発展するとは考えにくい。

しかし、だからと言って軽視できるような内容ではない。
はやて達がどこか重い空気を纏うのも、無理からぬことだろう。
それに、気が重くなる理由が新たに一つ。

「それではやてちゃん、兼一さんの事は?」
「その事やけど、やっぱりどうにも難しそうや。何度か警備の統括役に掛け合ってはみたんやけど『魔法はおろか、碌に武器も持たない者など話にならん』の一点張り。
 陳述会当日は、兼一さんはシャマルやザフィーラと一緒に留守番をしてもらうことになりそうや」
「そっか……」
「『信じられない』って言う地上本部側の気持ちもわからないでもないけど……かなり痛いね」
「まったく、ことAMF環境下では最高の戦力やっちゅうのに……あんの偏屈、ちぃとも話しを聞かへんねん!!」

よほど鬱憤が溜っているのか、歯軋りせんばかりに忌々しそうなはやて。
所詮、六課の所属は本局。地上本部と本局の間に軋轢がある中では、彼女の発言力などたかが知れている。
彼女が如何に声高に危険と兼一の有用性を説いた所で、地上本部のお歴々達はまるで聞く耳を持たない。
御蔭で、地上本部の建物内に入れる人員は大幅に制限され、挙句の果てに兼一に至っては事実上の締め出し。
その力の程を知る身から言わせてもらえば、戦力の無駄遣いの極みである。

「となると、やっぱり……」
「うん、みんなだいぶ頑丈になってきた。
最後の仕上げじゃないけど、追い込みをかけるなら今だと思う。はやてちゃん」
「大丈夫、こっちの準備ももう整ってるよ。手続きに根回し、その間の体制、みんな万端や」
「なら、早速……」

兼一が警備に出られない以上、残る戦力でなんとかするしかない。
ならば、来るべき日の為に戦力の底上げを図るべく、かねてより計画していた『アレ』を実行に移す時が来た。

「だ、大丈夫かな? 別に、そんな無理しなくても……」
「フェイトちゃん、ええ加減に覚悟決めぇな」
「そうだよ。確かに大分キツイけど……みんなが、元気に六課を卒業する為なんだから」
「う、うん。わかってる、みんなの為だもんね」

未だ不安げなフェイトに、はやてとなのはが揃って諭す。
確かに危険ではあるが、それを乗り越える力を養う為に無茶を承知で訓練のレベルを上げたのだ。
今のみんななら、きっと生き残ってくれる筈……たぶん。

「ほな、『死んだらそれまで、毒を食らわば皿まで』作戦(by兼一)、発動や!!」
「ねぇはやて、せめてその名前だけでもなんとかならない?」
(兼一さん、なんだかネーミングセンスまで長老さん達に似てきたなぁ……)

ついに動き出した、『一度闘い始めれば引き返す道は無し。だったら最後まで行っちまおう…ZE!』なこの作戦。
ちなみにこの瞬間、前線メンバーが揃って言いしれない悪寒に襲われた事と、この作戦の因果関係は不明である。
そう、不明と言ったら不明なのである!!



BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」



翌日、機動六課部隊長室。
朝の訓練を終え朝食を取るべく移動する途中、なのはより「食べ終わったら部隊長室に集合ね♪」との指示を受けた前線メンバー一同。
部屋に来てみれば、そこには六課上層部+兼一までが勢揃い。
…………………そのメンツに、激しく嫌な予感しかしないのはギンガの気のせいだろうか。

「研修、ですか?」
「うん。まぁ、名目的にはな」

ティアナの問いに、はやてはどこか含みのある言葉で返す。
みながそれぞれその意図を測りかね顔を見合わせていると、シグナムとヴィータが訳を教えてくれる。

「まぁなんだ、お前達もだいぶ丈夫になってきた事だし、そろそろ思い切って外で経験を積ませてやろうかと思ってな」
「ま、早い話が研修っつー名目での『出稽古』だ。
 局内の研修ならこの先も機会があるんだろうが、外ってなると中々ねぇだろ?
特に今回はかなり豪華だ。どうだ、嬉しいだろ」
『はぁ……』

確かに言わんとする事はわかるが、正直激しく不安だった。
その理由は、シグナムの言い回し。何故彼女は「強くなってきた」ではなく「丈夫になってきた」と言ったのか。
皆を増長させない為? 確かにそれもあるのだろうが……それだけではない気がして仕方がない。
そんな皆の不安を余所に、はやては引き出しから三通の封筒を取りだす。

「ほなら、これ。スバルとティアナ…それにエリオの分や」
「あれ? 私達だけなんですか?」
「あの、キャロやギンガさん達には……」
「ああ、それなんやけど……さすがに5人全員で払うっちゅうわけにもいかへんし、今回はとりあえず3人とギンガで行ってもらうことになってな」

確かに、一度に5人も六課を外れるのは運営面からも良くない。
それはわかるのだが、ならなぜギンガの分の封筒がないのだろうか。

「部隊長、それなら私はどちらに……?」
「ギンガは兼一さんと一緒に山籠りや。丸二週間、みっちり鍛えてもらってき」

ゴクリ、ギンガは師の方を向いてから生唾を飲む。
思えば、弟子入りして以降そこまで濃密に修業に時間を費やした事はなかった。
一日の全てを武術漬けとなれば、相当な激しさは覚悟せねばなるまい。

「し、師匠……やっぱり、きついですか?」
「うん、きついよ」

今までなら「地獄の様な」とか「死なないでくれ」とか、厳しさを物語る様な言い回しを使う事が多かった。
だが、今回はそれがない。未だかつて、ここまでシンプルかつストレートな表現はなかった。
それが返って、この後に待ちうける修業の壮絶さを嫌が応にも想像させる。
ギンガの顔色はたちまちのうちに青くなり、やがて……。

「……気分がすぐれないので早退します!」
「あ、ギン姉が逃げた!?」

脱兎の如く走り出し、そのままはやての後ろにある窓へ突入。
窓ガラスは盛大な音を立てて割れ、ギンガは隊舎の外へと逃げ出したのだ。
ただ、当然兼一がそれを黙って見過ごす筈も無し。

「やれやれ誰に似たのやら……逃がすかぁ!!」

目から怪光線を放ちつつ、ギンガの後を追って彼も窓から外へ。
そのままブリッツキャリバーで疾走するギンガに瞬く間の内に追いすがる。

「逃げ切ってみせます!」
「む、良い逃げ足だ! 成長したね、ギンガ。僕も嬉しいよ……だが、甘い!」
「な、なんのこれしき!」
「諦めが悪いよ、ギンガ!」
「諦めないことを教え込んだのはあなたでしょうが!」

とまぁ、そんな具合に師弟仲好く鬼ごっこを演じる二人。
日々の地獄の修業の成果か、いまやギンガの逃げ足も相当な物。
兼一が戯れ半分に追いかけているとはいえ、身を捻り、跳び、あるいはわざとウィングロードから落下し、辛うじて兼一の魔の手から逃げ回る。
そんな二人の様子を呆然とした様子で見送ったフォワード陣に対し、なのはから一言。

「じゃ、あっちの仲良し師弟は放っておくとして……」
((((え、スルー!?))))
「せやな。とりあえず、残りの三人も期間は二週間。
それぞれスペシャルな先生にお願いしとるから、たくさん揉んでもらうんやな」
「「「は、はい!!」」」
「で、キャロには悪いんやけど、その間は留守番っちゅうことになる」
「そう、ですか……」

やむを得ないとはいえ、やはり寂しさは拭えないのか少々気落ち気味のキャロ。
だが、彼女とて決して悠長にして至れる状況ではない。
さすがに兼一の知り合いの中に召喚士である彼女に指導できる人間はいないが、別に彼女用の特別メニューの当てがない訳ではないのだ。

「大丈夫だよ、キャロ。4人も六課を空けるんだもん、その間私達がみっちり鍛えてあげるから」
「え? ……あ”」

なのはの言葉を聞き、ようやく状況を理解する。
言われてみれば確かにその通り。普段は五人を相手に教導を行って来たのが、これから二週間はたった一人。
それはつまり、密度が五倍になるも同然。

実際、恐らく管理局内にあってもあのメンツに総掛かりで鍛えてもらえる等、早々ある事ではない。
確かに兼一はいないが、それでも常時なのはとヴィータに鍛えられ、時にはフェイトやシグナム、あるいはザフィーラなどが絡んでくる可能性もある。
これでは、出稽古や山籠りに行く4人を羨む暇などない。

「ほな、研修と山籠りは来週の頭からや。それぞれ、旅の準備を忘れずにな」
『はい!』
「それと、キャロは居残り組やからって気はぬかへんように。
兼一さんからも一つ課題が出るそうやし、気を引き締めなあかんで。注意一秒怪我一生や」
(それはちょっと違うんじゃ……)

はやてのおかしな忠告に、揃って苦笑いが浮かぶ。
言わんとする事はわからなくもないのだが……用法が間違っている。
そんな面々を余所に、はやてはこっそりと気付かれない様に溜息をついた。

(あと遺書も……とは言えへんよなぁ、やっぱし)

言うべきかどうか悩み続け、結局言えなかった言葉。
なにしろ、「あの」兼一と山籠りをすることになるギンガはもちろん、残る三人の行き先もそれぞれ危険性においては勝るとも劣らないだろう事は想像に難くない。
また、そんな状況に触発されたのか、なのはのテンションもかつてない程に高くなっている。
六課を出ようが残ろうが、六課始まって以来の危機という意味では同じ事。
果たして、それを知らないことが救いなのかどうか…はやてにも判断がつかない。

そうして部隊長室に集まった面々がその場を後にし、一人部屋に残されたはやては軽く嘆息する。

「まぁ、何はともあれ……無事を祈るしかあらへんなぁ」



  *  *  *  *  *  *



〈キャロ・ル・ルシエの場合〉

みなの旅立ちを明日に控えたある日のこと。
兼一とザフィーラに伴われた二人は…………何故か六課からほど近い大通りにやってきていた。

「あの、こんな所でなにを……」

全く以ってその意図がわからず、かえって不安を覚えるキャロ。
まさか「手当たり次第にこの場にいる人を殲滅しろ」とは言いださないだろう……と思いたい。
だが、こんな場所で出来ることなど相当限られるので、ホントにそれくらいやりそうに思えてきて怖い。

「大丈夫大丈夫、別に『道行く人で強そうな人を見つけて殴れ』何て言わないからさ」
「絶対心読んでますよね?」
「いやいや、これは昔僕もやらされた修業でね、当時は僕もそんな風に思ったってだけさ」
「はぁ……それじゃ、なにを?」
「うん、これはある技の修業なんだ」

ある技の修業、そう聞いてキャロも興味深げに耳を傾ける。
思えば、これまで兼一はエリオやスバルにいくつかの技を伝授し、体捌きの要訣を伝えたりはして来た。
あるいはティアナに、心構えや同じ静の者としてのアドバイスをしたこともある。

しかし、ことキャロに関してはあまり関わりが多くない。
キャロは武術的な要素が入り込み難いフルバックであり召喚士。
そんな彼女に、格闘戦一辺倒の兼一が一体どんな技を授けると言うのか。

「でも、私が兼一さんの技を教わっても……」
「そうだね。他のみんなならともかく、キャロちゃんがあの技を身につけてもあんまり意味はない。
 でも、この技の修業の中で養われる『ある力』は、キャロちゃんにとっても有効なんだよ」

兼一がそう言うのだからそうなのだろうが、それだけではなにを言っているのかさっぱりわからない。
キャロは頭に疑問符を浮かべながら首を傾げ、続きを待つ。

「まぁ、なにとはともあれ論より証拠。
 とりあえず………………ここを突っ切って次の交差点まで行ってみようか」
「はぁ……」
「あ、もちろん途中で人を殴ったりするのは無しだよ」
「しませんよ、そんな事!?」
「ははは、冗談冗談」

冗談で当然…というか、冗談でなければ困る。
まさか、管理局員が日中…は関係ないとして、一般市民に無差別暴行を働くなど、問題どころの話ではない。
というか、それはそれとしても人ごみの中を突っ切って行くと言うのは……。

「でもあの、それって皆さんの迷惑になるんじゃ……」
「まぁまぁ、とりあえずやってみる事だよ。
 じゃ、僕とザフィーラさんは先に行って待ってるから」

そう言って、キャロを置き去りにスタスタと人ごみの中に入っていく一人と一匹。
その間、無言のまま棒立ちになる少女が一人。
周りからは少々いぶかしげな視線が送られているが、今のキャロはそれどころではない。

理由としては、やはり一体これがなにを目的とした訓練なのか判然としないこと。
もう一つは、正直田舎暮らしが長く都会が苦手な身としては…こうして人ごみの中を歩く事に一抹の不安があるから。
白状してしまえば、本当に交差点までたどり着けるかさえ自信がなかったりする。

そんな不安を抱えながら、待つこと十数秒。
ようやく、待ちに待った合図が来た。

「さ、行ってみようか」

声はすれども姿は見えず。
『肺力狙音声(ハイパワーソニックボイス)』。
肺に特殊な振動をさせることで、音声を特定の人だけに聞こえるような超音波に変える超技百八つの一つ。ある程度の距離であれば、通信も念話も無しに密談ができる優れ物である。

普通なら驚愕ものの技術だが、今更この程度で驚いていても仕方がない。
慣れない人ごみに一瞬ためらいを見せるキャロだったが、心を奮い立たせて跳び込んでいく。

(よくわからないけど、とにかく周りの人の迷惑にならない様に……)

六課に来て得たフェイト直伝の回避術を総動員し、ちょこまか動いて人ごみの隙間を縫って行く。
幸い、身体が小さいおかげか、あるいは積み重ねた回避訓練の賜物か。
とりあえず誰とぶつかることもないのだが、代わりにドンドンあらぬ方向に流されていく。

「あ、あ!?」

軌道修正しようとするが、すればするほどドンドン別の方向に行ってしまう。

「ち、違うんです! 私が行きたいのはそっちじゃ!? あ~!?」

気付けば、入るつもりのない路地の方へ一直線。
これでは、目的地に着くどころか目的地自体を見失いかねない。
救いを求めるように手を伸ばすも、その手は虚しく空を切るばかり。
それどころか……

「おい、気をつけろ!」
「は、はい!?」
「イテッ!? 誰だ、足踏みがったのは!」
「ごめんなさい!?」

という具合に、流れに逆らおうとすればするほどに周囲からの叱責を貰ってしまう。
結果、なお一層人ごみの流れに押し流され、あらぬ方向へと向かってしまう。

そうして、キャロなりのやり方で人ごみを突破するのに約十分。
キャロがどこか憔悴した様子でようやくたどり着いた時、そこにはホッと安堵の息を漏らす兼一の姿。
申し訳ないやら怖い思いをしたやらで、キャロはどこか肩を落としている。

「ああ、よかった。正直、いい加減探しに行った方が良いかと思ったよ」
「ごめんなさい、ご心配おかけしました」

安心した様子の兼一に、さらに肩身が狭くなる。

「それで、今のは一体何だったんですか?」
「うん、とりあえずキャロちゃん……………………0点」
「ですよねぇ……」

兼一の採点に、案の定と言わんばかりにうなだれるキャロ。
どういう意図かは分からないが、十分も迷走した自分が合格の筈がなく……。
そう言う意味では予想通りなのだが、では一体どうすればよかったのか。

「とりあえず……どこで流されちゃったの?」
「その……入ったらいきなり……気付くと一つ目の路地まで流されちゃってて」
「な、なるほどねぇ」

つまり、人ごみに入るや否や、いきなり角度を45度以上変えてしまったと言うことか。
それにはさすがの兼一も苦笑いしか浮かんでこない。

「ん、気を取り直して……キャロちゃんは、どんなことに気をつけたのかな?」
「えっと、皆さんのご迷惑にならない様に、間を縫う様にして……」
「うん……悪くはないね。でも、正解とも違う。
 いいかい、正しくはこうやるんだ」

言って、今度は兼一が人ごみの中へと入っていく。
すると、あら不思議。
無理矢理突き進むではなく、かと言ってキャロのように流されるでもなく。
誰一人として兼一の存在に気付くことなく、悠々と言った様子で人ごみの中を軽やかに進んでいる。

「あ、あれっていったい……」
「感覚の隙間を縫って動いているのだ。常に通行人の死角を突き、存在そのものを薄くしてな」
「……」

ザフィーラの解説に、空いた口が塞がらないと言った様子のキャロ。
キャロが通行人の物理的な隙間を縫おうとしていたのに対し、兼一がやっているのは意識の隙間を縫う行為。
その為に言ったどんな能力がどう必要なのか、さっぱり見当がつかなかった。

「でも、それがいったいどう役に立つの?」
「あのやり方は、何も感覚の隙間を縫っているだけではない。周りの通行人がどこに意識を向け、次にどこへ行こうとしているかを読んでいるのだ。そうすることで、今ある隙間ではなく、この先にできる隙間を予測し、先読みして動いている」

キャロの場合、今ある隙間だけを縫って行こうとしたがために袋小路に陥り、結果的に行き当りばったりになって流されてしまった。だが兼一のやり方なら、そうならない為のルートを常に模索しているも同然。
それが、キャロと兼一の違いだった。

「つまり、他人の『意』を読む訓練という事だ」
「ねぇ、ザフィーラ、それってどういう……」
「わかりやすく言えば、敵がどこに意識を向けているかが分かれば、自ずと次に打つであろう手もより正確に予測できるようになる。あるいは、相手が意識を向けていない箇所へ動けば、隙をつく事もできるだろう。
特にお前は最後衛、支援の為に敵味方を問わずその『意』を見抜く能力は大きな力になる」

本来この修業は「孤塁抜き」という超技習得の為のもの。
例えば近接型のギンガやスバルであれば孤塁抜きを会得する意味もあるが、キャロの場合はそれほどではない。
しかし、『孤塁抜き』とはそもそも「相手がどこを意識しているか」を見抜く技術。

キャロの場合であれば、相手が意識していない方向へ回避していけば味方が救援に間に合う可能性が高まるし、後ろから支援する場合でも味方の意識の弱い場所に自分が注意を向ければ穴を減らすことに繋がる。
ある意味、最後衛であるキャロはティアナ以上に全体を俯瞰できるポジションにいるからこそ、そういった能力が必要になってくるのだ。
キャロのポジションでは指示を飛ばすにはやや遠いが、より効果的なサポートをする為に。

「な、なるほど……」
「白浜は明日には立つが、明日からは私が付き合う。
折角だ、外に出ている連中が驚くような成果を見せてやれ、できるか?」
「うん!」

こうして向こう二週間、キャロはいつもより密度を増した訓練にプラスして、連日街に出ることになるのだった。
当然、その度に人ごみに流されて半泣きになってしまうのだが……。





  *  *  *  *  *



そんな事があった明くる日。
機動六課を出立したスバル、ティアナ、エリオの出稽古組三人は、本局を経由し広義的な意味での目的地に到着した。
転移ポートを利用して辿り着いたのは、三人にとっても見覚えのある湖畔のコテージ。
そう、なのは達の幼馴染『アリサ』が提供してくれている転送ポートだ。

「さて、こっからエリオは別行動な訳だけど」
「大丈夫? 途中まで付いてこうか?」
「だ、大丈夫ですよ、子ども扱いしないでください」
「あ、いや……」
「子どもでしょ、アンタ」

エリオの不満にどんな顔をしたものやら困る二人。
子ども扱いするなと言われても、実際問題として子どもなのだからそれはどうか。

「ま、まぁあっちへはアリサさん達が送ってくれるみたいだし」
「そうね。むしろ、辿り着けるか心配って言えば私達か」

なにしろ、ミッドとこちらでは色々勝手が違うだろう。
エリオは比較的にここから近いらしいが、二人は色々乗り継いでいかなければならない。
交通機関はともかく、問題なのは慣れない土地であると言う事。
その意味では、人の心配をする前に自分達の心配をすべきと思いなおす。

「それじゃ、二週間後にまたここで」
「はい!」
「うん!」

そうして、エリオは一人アリサの下へと向かい、スバルとティアナはとりあえず駅を目指す。
各々、この後に待ちうける「何か」に、不安と期待をないまぜにしながら。



〈スバル・ナカジマの場合〉

「はぁ……やっと着いた~!」

燦々と降り注ぐ陽光に手を翳しながら、ここまでの長旅を想って伸びをする。
ゆっくり腕を下ろしていくと、肩にかけたボストンバッグが重い音を立てて落下した。

出来る限り手荷物は少なくしたが、なにぶんスバルも年頃の女の子。
化粧品やらなんやらで、バッグの中身はそれなりの重量だ。
まぁそれでも、他の同い年の少女の旅行に比べれば、遥かに量は少ないのだろうが。

「ん~、それにしても『ニホン』ってところとあんまり変わらないなぁ」

周りの風景を確認し、一人呟くスバル。
彼女の呟きが示す通り、ここは日本ではない。
エリオと別れた後、スバルとティアナは封筒に入っていた指示に従って電車を乗り継ぎ、成田空港なる場所に出た。そこで二人は、同封されていた旅券で別々の飛行機に乗り込み……今に至る。

「ってまぁ、それ言い出したらミッドの空港周辺とだってそんなに変わらないんだけど」

実際、海鳴でスバル達の認識からすると「ミッドの少し郊外」くらい。
なので、概ね外見的な発展具合で言えば、ミッドも地球もそれほど大差ない。
強いて言えば、東京やこちらの方が幾らか「せせこましい」と言うぐらいだろうか。

「え~っと、確かここで迎えの人と合流なんだよね?」

とは、ボストンバッグから取り出した封筒の中身を確認しながらの呟き。
若干手持無沙汰になり、近場の柱に寄りかかって待ち人を待つスバル。

「むぅ、どうしよう……」

晩夏に差し掛かろうと言う時期だが、まだまだ暑さがきつい。
別段暑いのが苦手というわけではないが、涼しい空港のターミナル内に戻ろうか悩む。
なにしろ、迎えがいつ来るかだってわからない。一応指示された便に乗ってきたので長く待たされることはないと思うが、この暑さの中じっと待つのもつらいわけで……。
だがそこへ、なんだか珍妙な三人組が現れた。

「ちっ、なんでこの俺がアイツの使いっパシリなんぞしなきゃならねぇんだ!
 行くならてめぇが行けっつーんだ!」
「しょーがないでしょ。あんなんでも上司だし…ま、昔世話になったのは事実だしね」
「今夜は金星が満ちる、吉兆だ。良い出会いがあるに違いない」
(相変わらず訳わかんねー奴……)

人相の悪い白髪の男と、その両脇には団子頭の女性と片目を眼帯で閉ざした巨漢。
見るからに一癖も二癖もありそうな一団は、真っ直ぐスバルの方へと向かってくる。
やがて三人はスバルの数歩手前で立ち止まり、『手に持った封筒』に目を通す。

(あれ、なんか見覚えがある様な……)
「ふん、どうやらこいつで間違いねぇらしいな。隙だらけな所は白浜の野郎にそっくりだ」
「え、嘘!?」

スバルは慌てて自身のポケットを確認するが、そこにはあるべき物がない。
確かに持ち歩いていた筈の封筒がなく、眼を凝らせば男が持つ封筒には見覚えのある筆跡と文字。
間違いない、あれは先ほどまで彼女が大切に持ち歩いていた封筒だ。
それを気付かないうちに…そもそも近づかれた事さえ分からない間に奪われていた。

「あの、あなた達は……」
「迎えだ、さっさと行くぞ」
「まだまだ修行が足りないわよ、お嬢ちゃん」

スバルが状況を飲み込むより前に、さっさと背を向ける二人。
しかし、ただ一人立ち止まったままの巨漢は思い切り左目を見開き言った。

「う、美しい……惚れた!?」
「なに!?」
「嘘!?」
「冗談だ」
「昔から言ってるがな、楊。お前の冗談は全くわからん」
(なんだかよくわからないけど……とりあえずわかった、この人達……達人だ。色々な意味で)

力量的にも、人間性的にも。
こうしてスバルは東洋の魔都、上海に降り立ったのである。



そして、結局名も告げられぬまま車に乗せられやってきたのは、他の建物とは様式の異なる建造物。
あれよあれよという間に中に通され、引き合わせられたのは大きな鈴の髪飾りが特徴的な、真っ赤なチャイナドレスを着た美女。
だがその美女は、スバルを一目見るや……

「え~、なんで兼一じゃないの~!」

と文句を言いだし、駄々っ子のように手足をばたつかせだした。
それに困ったのがスバルである。
連絡の行き違いがあったのかは定かではないが、とりあえず落ち着いてもらわないことには話が進まない。
しかしこの女性、全然人の話に聞く耳を持ってくれない。

「あ、いや、その…私に言われても……」
「兼一が来ると思って気合入れたのに、なんなのよこれ――――――!
 慰謝料払え! そして兼一を出しなさい!」
「そ、そんな無茶な!?」
「いい加減にしろ、馬一族!」

とそこへ、女性の背後に立って手刀を振り下ろす白髪の男。

「イタッ!? なにすんのよ、郭」
「手紙をよく見ろ。白浜の野郎からなのは事実だが、アイツが来るとは一文字も書いてねぇだろ」
「え~、そんなの知らないわよ~! 会いたい人に会いたい時に会う、これが馬家の家訓なんだからぁ~!
 いいから、四の五の言わずに兼一を出せ―――――!」
「いねぇんだからどうにもならねぇだろうが! つーかお前、アイツの事諦めたんだろ」
「それとこれとは話が別よ。会いたいと思ったから会う、そこに理屈なんていらないわ」
「いいこと言ったつもりかもしれねぇが、確実にダメ人間だぞ。
だが、改めて確信したぜ。やっぱり俺は、そんなお前たち一族が俺は大嫌いだ」

その後も、スバルそっちのけで言い争いを続ける二人。
話の端々から聞こえて来る内容を纏めると、どうもこの女性は以前あった「馬剣星」の娘の「馬蓮華」と言うらしい。で、案内してくれた三人は「三頭竜」という、蓮華直属の部下のようだ…この様子を見ていると信じられないが。

「悪いわね、しばらくほっておけば勝手に終わるから。はい、お茶」
「あ、どうもすみません」
「それで…お前は、白浜の弟子なのか? アイツが弟子を取ったと言う話は聞いたが」
「いえ、それは私の姉で……」
「そうよね。アイツの弟子って感じじゃないし」
(そんなはっきりわかるものなのかな?)

と思いつつ、二人の言い争いが終わるまでスバルからは兼一の近況を、二人からは昔の兼一の話などを教え合う。
どうやら、この二人も含めてかなり長い付き合いの友人らしい。
ただ、「友人」という単語が出た辺りで白髪の男が「んなんじゃねぇ!」と食ってかかってきたりもしたが。

そうして待つこと十数分。
説得された蓮華は、ようやく椅子に座ってスバルと向き合ってくれた、不満そうな顔のまま。

「で、え~と……」
「あ、スバルです、スバル・ナカジマ」
「蓮華よ。それで、兼一からはなんて言われてる訳?」
「えっと、兼一さんからは『動の極み』を学んできなさいと。
 それに、こっちは色々な達人がいるから参考になるよって言われました」
「ふ~ん。ま、確かにうちは大所帯だから、色んなタイプに会えるのは事実よね」

『動の極み』を学ぶだけであれば、梁山泊に行ってアパチャイなどから教わればいい。
あるいは、新白連合に行ってもいいだろう。

にもかかわらず、兼一があえてスバルを蓮華に預けたのは、彼女が所属する「鳳凰武侠連盟」が理由。
中国全土に十万人以上の門下生を抱え、未だ新白連合より多くの達人を擁するこの組織であれば、こと「観る」と言う点において連合とは比較にならない。
観ることもまた修行。特にスバルはそのスタイルが特殊なだけに、兼一とギンガの様に長期的に教えられるならともかく、短期的に特定の流派を教えると言うのは齟齬や歪みを生みかねない。
そこで、数々の中国拳法をその目に焼き付け、体験させる事で自分なりに取り込ませようと言うのだろう。
そして、もう一つ……

「魔法の事はパパから聞いてるし、その辺は上手くやるとして…………………………………よし、行くわよ」
「へ?」
「たった二週間なんでしょ? だったら時間が惜しいわ。
 私の修業はちょっと実戦的だけど……まぁ、なんとかなるでしょ。ならなきゃ死ぬだけだし」
「え、ちょ!?」
「丁度いい具合に、アイツの居所も突き止めた事だしね。ほら、行くわよ!」
「ど、どこにですか―――――――――――!?」

腕を掴まれ、引き摺られるようにして連行されるスバル。
その時彼女は見た。自分に向けて合掌する、三頭竜の姿を。

蓮華は言った。『自分の修業はちょっと実戦的だ』と
だがスバルはすぐに理解する。
蓮華の修業は全然全く『ちょっと』ではなく、むしろ『練習より実戦が多い』事に。



「ぐわぁぁぁぁぁぁあぁ!?」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

建物内部に響き渡る野太い悲鳴。
同時に轟く重厚な打撃音。
その中を蓮華は王者の如く堂々と歩き、スバルは恐れ慄きながらその後に続く。

「あ、あのぉ…蓮華さん? 穏便に…穏便に…ね?」
「あら、穏便じゃない。誰も死んでないんだから。でも、梁(リャン)には死んでもらわないと。元とは言えウチの郎党がマフィアのボスやってるなんて……門派の恥だもの」

なんだか訳もわからないうちに車に放り込まれ、郊外の屋敷に止まったかと思えば、あっという間にこの有様。
ここに至るまで、門番から中にいた手下や用心棒まで、誰も彼もが問答無用で叩きのめされていく。

中には武器を捨てて投降する者もいたが、蓮華は一瞥することもなくこれまた粉砕。
理由を問えば「アイツについた時点で同罪よ」との事。
いっそ、清々しいまでの暴君ぶりである。

(ふぇ~ん、誰か止めて~……!?)

自分で止めようとは思わない。それは止められないとわかりきっているから。
スバルでは蓮華の実力を測りきれないが、わかることが一つ。
今の自分では、天地がひっくりかえっても手も足も出ないと言う事。
彼女にできる事は一つ、少しでも怪我人が少なく、人死にが出ない事を祈るだけ。

「って、アンタもやりなさいよ」
「え、私も!?」
「当たり前でしょ。ほら、その辺の連中なんてあんたには丁度良い位なんだし」
「は、刃物と銃持ってますよ!?」
「そりゃ持ってるでしょ、マフィアなんだし」
「わ、私今魔法が!?」
「使えないのよね。よかったわね、より大きな危険に身を晒した物ほど上達する、武術ってそういうものよ」
(どんなポジティブシンキング!?)

そう、今のスバルは魔法が使えない。
基本、魔法の存在しない管理外世界で魔法の使用はご法度。
例外があるとすれば、ロストロギアや次元犯罪者などが関与してきた事件の場合と、メンドくさい許可を得ての現地での訓練。もちろん、現地でその場におけるトラブルに巻き込まれたからと言って、原則魔法は使えない。
そんな事をすれば、一体どんな処罰が下る事やら……。

「ほらほら、早くやらないと死ぬわよ」
「人殺し~!?」
「失礼ね、なるとしたらこれからよ」

その後、スバルは『修業』という名の下に、二週間絶えず実戦に放り込まれ続ける。
もちろん、彼女がこの出稽古の間中「死ぬほど後悔した」事は想像に難くない。
なにしろ、荒事の現場に行くまでもなく、蓮華の傍にいるだけで荒事の方から向かってくるのだから。



  *  *  *  *  *



〈ティアナ・ランスターの場合〉

成田空港でスバルと別れたティアナは今、年代物の大型バイクのサイドカーに揺られている。
飛行機に乗ること数時間、到着したのはアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区のJFK国際空港。

スバル同様、迎えを待っていた彼女の前に現れたのは、見るからにアウトローな風貌の素肌の上に革ジャンを着たサングラスをかけた大男。
その頬から鼻にかけて横断する一文字の傷があり、明らかにカタギではない。
空港に来ていた周りの利用者達も、はっきり分かる位にこの男の事を避けている。
それどころか、一部のこれまたカタギとは思えないメンツに至っては、この男の姿を見るや否や大急ぎで方向転換し逃げていく有様。

そんな状況には、もう心の底から嫌な予感しかしなかったが……彼女はこの男に心当たりがあった。
以前、新島が置き土産として残して行った映像データやなのはが見せてくれた彼女の兄の結婚式の写真。
そこには、確かにこの男が移っていたはず。
つまりこの男は、彼女の記憶違いでなければ兼一の師の一人ということになる。
ティアナがそんな事を考えてなんとか冷静になろうとしていると、男はサングラスをずらし、その奥に隠されていた巨獣の如き鋭い眼差しを向けて言った。

「おう、オメーが兼一の言ってたガキか?」

気圧されそうになりながらも、なんとか心を奮い立たせて頷くと、男は破顔しティアナの襟首を掴む。
まるで猫のように持ち上げられ、止めていた大型バイクのサイドカーに放り込まれた。

そうしてバイクを走らすことしばし。
気付けば、それまで通ってきた近代的な建物などとは一線を画す、少々小汚いアパートが立ち並ぶ区画に出た。
この男の住まいがこの辺りにあるのだとすれば……まぁイメージ通りではあるが、恐らくあまり治安のよくない地区なのだろう。
バイクに乗っている間だけでも、確実にその筋と思われる人間を十人以上見かけた。

なにがあってもいいように僅かに緊張するティアナ。
それに気付いたのか、男は野獣のような笑みを浮かべている。

「へへへ、どうした? こういう所は初めてか?」
「そう言うわけじゃありませんが……」
「まぁ気にすんな。どんなとこも住めば都だ、これはこれで退屈しなくていいんだぜ」
「はぁ……」

明らかに、この街で起こるトラブルを楽しんでいる。
ティアナには到底理解できない感情だが、この男はえらくそれを気に入ってるらしい。

到着したのは、他と大差ない古ぼけた作りの安アパート。
サイドカーを降り、しばしの住居となるそれを見上げるティアナ。
兼一の師であればおかしなことをされるとも思えないが……剣星の例もあるではないか。
『本当に大丈夫だろうか』と別の意味でも心配になる。

そんな、不安と不安と不安しかない中、ティアナの視界を何かがよぎった。
物取りか何かかと警戒する。
しかし、彼女がそちらの方を振り向くと、そこには意外な光景が広がっていた。

「ねぇ至緒! 空手教えてよ、空手!」
「俺も俺も!」
「至緒、私山突きできるようになったよ!」
「だぁもぉ、うっせーなガキ共!
 俺ぁこれから一仕事終えた後のビールちゃんの時間なんだよ! 後にしろ、あ・と!」

鬼のような風貌の男に群がる子ども達。
どうやらこの辺りに住む子ども達が、この男に武術を習いに来ているらしい。
人種は多様で、肌の色も顔立ちも千差万別。だが、一様に子ども達はこの男に懐いているようだ。
ただし、ねだられている当の本人は鬱陶しそうに手を払って追い返しているが。
しかしその反面、満更でもない様子が見て取れた。
一瞬でも警戒した自分がバカらしくなるティアナだったが、そこさらに大勢の人間が集まってくる。

「お? なんだ至緒、そんなガキ連れ込んで…嫁さんに殺されちまうぞ」
「え!? 至緒、あんたロリコンだったのかい? ああ、だからジェニーを選んだんだねぇ…納得だよ」
「んなわけあるか! こいつは俺の弟子に頼まれて仕方なく預かったんだよ!」
「ん? じゃあ、至緒の新しい弟子か! 全く至緒は、いつもいつも『弟子はとらねぇ主義だ』とか言ってガキ共突っぱねてる癖に……素直じゃねぇなぁ」
「どういう意味だ、このアル中共!」
(ど、どうやら見た目と違っていい人っぽいわね……)

見る限り、彼はこの街では大層な人気者らしい。
性別を問わず、年齢を問わず、人種を問わず様々な人が集まってくる。
その人達は誰もが彼に赤の他人には決して向けない様な笑顔を向け、からかったり冷やかしたりしているではないか。考えるまでもなく、これは彼の人柄による物なのだろう。

「そもそもだな、こいつは俺じゃなくてジェニーに習いに来てんだよ」
「オイオイ至緒、ただでさえ普段から仕事もしねぇで飲んだくれてるヒモのくせしやがって、弟子を鍛えるのまでカミさん任せか? 甲斐性がねぇにも程があんだろう」
「「「至緒の甲斐性なしぃ♪」」」
「んだとテメェら! 俺はチマチマ稼ぐなんて性にあわねぇんだよ!」
「それでギャンブルやってすってりゃ世話ないじゃないか。
 アンタ酒は強くてもギャンブルにゃ弱いんだから気をつけな。その内またジェニーに撃たれるよ」
「ぐっ、わぁってるっての……ちっ! オラ、行くぞガキ」

そう言って、不貞腐れたようにアパートの階段を上っていく。
ティアナが慌ててその後を追うと、後ろからは「あ、至緒が逃げたー!」とか「おーい至緒、くれぐれもそんな子どもに手を出すんじゃないよ」とか聞こえて来る。

「ジェニーが帰るまでまだある。適当に荷物置いて勝手に寛いでろ」
「は、はぁ……」

部屋の中は、もうこれ以上ない位にこの男らしい部屋だった。
数百キロはあろうかという重りのついたバーベルに、サンドバック、やけにボロイソファ、棚には酒の瓶が山ほど並んでいる。

「えっと、逆鬼至緒さん…ですよね? 兼一さんの空手の師匠の」
「あん? それがどうした?」
「あの、私はここでなにをすればいいんでしょうか?
 兼一さんからは、『銃の極み』と『捜査のノウハウ』を学んでくるようにと言われたんですが」

大雑把な概要くらいは聞いているが、実のところあまり詳しい話は聞いていない。
迎えが来るからその人に付いて行き、後はその人の指示に従ってこの二つを学んで来い。
わかっていることなどその位。ティアナが改めてなにをどうするのか尋ねるのも当然だ。
そんなティアナに対し、逆鬼はというと……

「知るか」
「えぇ!?」
「兼一に頼まれたのは俺じゃなくてジェニーだ。てめぇをどう鍛えるのかも、ジェニーが決めるこった。
 それともアレか? 空手でも習いたいのか?」
「いえ、そう言うわけでは……」
「なら俺が教えることなんぞねぇ。ああ、部屋の中のもんは適当に使っていいぞ。
 ただ、この辺はまだ治安が良くねぇからな。夜中に一人で出歩かねぇ方が良いぜ。
ま、何事も経験だ。それはそれでおもしれぇだろうがな」

その後、ソファに横になってビールを飲み昼寝を始める逆鬼。
ティアナは外に出るのも躊躇われ、已む無く魔力の運用効率を上げるイメージトレーニングに時間を費やすのだった。



それから数時間後。
日が傾き始めた頃、ようやくその人物は帰って来た。

「ただいまぁ、今帰ったわよぉ」
「おう、ようやくか。ほれ、ジェニー。こいつがそうだ」
「あ…ティアナ・ランスターです! これから二週間、よろしくお願いします!」
「ええ、ジャニファー・G・逆鬼よ、こちらこそよろしく」

あいさつを交わし、握手をする二人。
その後ろでは、逆鬼がやけに度数の高そうな酒瓶をラッパ飲みしている。

「で、兼一からはどの程度聞いてるの?」
「それが、あんまり……ジェニファーさんは……」
「ジェニーでいいわ、みんなそう呼ぶし」
「あ、はい。ジェニーさんは兼一さんからはなんと?」
「捜査関係の仕事を目指してる子を送るから、面倒を見てやってほしい…ってくらいね。
 まぁ、そっちに関しては明日から私に付いてもらえばいいわ。
 私なりのやり方になるけど、参考くらいにはなるでしょ。
捜査って言っても、基本はそう変わらないでしょうしね」
(そう言えば、FBIってところの捜査官をやってるんだったっけ?)

捜査のノウハウと言うのであれば、長く執務官を務めているフェイトからも教わっているし、同様に108で捜査官を務めていたギンガに同伴したりもして来た。
だが、その二人とジェニーの最大の違い。それが経験。

フェイトでさえ、入局してようやく十年。
しかし、その頃には既にジェニファーは数々の任務に従事し、今では多くの後進も育てている。
その辺りを見込んで、兼一はティアナを彼女に預けたのだろう。

「それじゃ、とりあえず……表に出ましょうか」
「え?」
「あなたの魔法、どんなものか見せてもらうわ」

動きやすい私服に着替えたジェニーに連れられ、開けた空き地に出る。
『今なら人目に付く事もないから』とゴリ押しされ、とりあえず手始めに直射弾・誘導弾・幻術・その他諸々、一通りの魔法を実演させられた。
で、それらを見たジェニーの感想はというと……。

「ふ~ん、話には聞いてたけど中々悪くないわね。でも、これなら……ああ、兼一がやらせたかったのってそういうことか……」

何やら一人で納得しているが、ティアナにはなんのことかさっぱりわからない。
だがそこで、唐突に顔を上げたジェニーはこんな提案をして来た。

「そうね…ねぇ、ティアナ。ちょっと勝負してみない?」
「勝負、ですか?」
「ええ、ルールは簡単。この空き缶を、そうね…………うん、あそこに置くから、合図と同時にそれをどっちが早く撃ち抜くかの勝負。簡単でしょ?」
「はぁ、それはいいですけど……」

別に、これと言ってティアナがそれを拒む理由はない。
しかし、一つ疑問がある。この勝負、あまりにも……………ティアナに有利過ぎるのだ。
空き缶の置き場所は、この場からは障害物が多過ぎて直接目視の出来ない所。
誘導弾を使えるティアナなら弾丸を迂回させて撃つことができるが、ジェニーの場合まず狙える箇所に移動する必要がある。どれだけ凄まじい技量を持っていようと、このハンデは大きい。
そう思って一応進言してみたのだが……ジェニーは柔らかい笑顔のまま全く動じない。

「大丈夫大丈夫。これでも、伊達に『銃の達人』なんて呼ばれてないわよ。
 それとも、万が一にも負ける事を考えてる?」
「……良いですよ、やりましょう!」
「若いって素敵♪ それじゃ、シンプルにこのコインが落ちたらって事で」

安い挑発だと言うのは理解しているが、それでも興味があった。
この人は、絶対に負けないと言う自信があってこの勝負を提案している。
ならば、これほど不利な条件でどう負かしてくれるのか、興味がわく。

ティアナはクロスミラージュを構え、いつでも撃てる体勢に。
ジェニーは右手でコインを構え、左右どちらの手にも銃は持っていない。
恐らく、コインが落ちてから抜き、撃つつもりなのだろう。
まぁ、どの道移動してからでないと撃てないのだから、大差はあるまい。

「それじゃ、行くわよ。準備は?」
「いつでも」

返事と同時に、暗く静かな夜の空気にコインを弾く硬質の音が響く。
ティアナはクロスミラージュを固く握り、息を整えその時を待つ。
相変わらずジェニーは不動。コインを弾いた右腕はダラリと下げられ、完全に脱力し切っていた。

その間にもコインは上昇を続け、やがて落下に転ずる。
ティアナはやけに大きく聞こえる鼓動の音を聞きながら、それらを知覚していた。
そして、ついにコインが地面と衝突する。

―――――キィィィィィン!

硬い衝突音。
ティアナはそれと同時に指先に力を込め、引き金を引く。

――――――――――ガォン!

ティアナが引き金を引くより刹那早く、彼女の横手から重々しい銃撃音が響いた。
いつでも撃てる体勢だったティアナにさえも先んじる早打ち。
それだけでも驚愕ものだが、真に驚くべきはそんなものではなかった。

ジェニーの位置からでは、どうやっても的を狙う事は出来ない。
拳銃は、一度放てば後はただただ真っ直ぐ飛んでいく事しかできない武器。
故に、視界の範囲外にある的や障害物に隠れた的にはどうやっても当てられないのが道理。

されど、それは所詮常人の枠内での話。
ここに立ちたるは銃という武器を知りつくし、その扱いを極めた真の達人。
最早彼女にとって銃は手足の延長、放たれる弾丸は自らの指先と同じく変幻自在に空を駆ける。
それを証明するように、ジェニーの放った弾丸は……正確にその的の中心を撃ち抜いていた。
無論、ティアナの誘導弾より遥かに早く。

「ウソ……」
「とまぁ、ざっとこんな所ね」

呆然とするティアナと対照的に、余裕綽々の様子で硝煙を吹く。
ティアナとて、何らかの方法で撃ち抜いてくるとは思っていた。
それが、自分より速いかもしれないとも。

しかし、それでもこれは予想外に過ぎる。
まさか、その場から一歩も動くことなく、成し遂げて見せるとは。

「あなたは筋も悪くないし、銃の真髄…その階(きざはし)くらいなら覚えられるかもしれないわね」
「でも、クロスミラージュはあくまでも銃の形をしてるだけで……」
「同じことよ。銃の形をした武器を持って、弾丸を撃つのならなにも違いはない。
 安心なさい。この私が教えるんですもの………中途半端なマネはしないから♪」

こうして、日中はジェニーに連れられて捜査のノウハウを学び、仕事が終われば徹底的に銃の扱いに関する指導。それを逆鬼が傍で面白そうに見学したり、時には空手の指導をねだる子ども達に彼が困り果てるのを逆に眺めたりの日々。
しかしもちろん、この二人がそれだけで終わらせてくれる筈もなく……。

「至~緒~♪ ちょ~っとお願いがあるんだけどぉ」
「へ、またいつものか?」
「うん、なんか上に圧力がかかってるみたいで許可が下りないのよねぇ」
「よっしゃ、んじゃ早速行くか。よしガキ、おめぇも来い」
「え? あの、行くって…どこに?」
「なぁに、特別に俺もてめぇの成長に手を貸してやろうと思ってな。
心配すんな。ちょっとした…………社会科見学だよ」

そうして、本人の了解を得る間もなく引きずり込まれる社会の裏側。

「こ、これのどこが社会科見学なんですか!?」
「あん、立派な社会科見学だろ。裏社会科見学…ってな。ガハハハハハ!」
「笑い事じゃありませ…キャッ」
「おいおい、ちゃんと頭下げてねぇと危ねぇぞ……流れ弾が」
「ぶっ殺せ――――――!」
「殺らなきゃ殺られるぞ! 気張れ、野郎ども!!」
(っていうか、なんでこの人はこの銃弾の雨の中で無傷?)

ティアナの頭の上を、無数に飛び交う銃弾の雨霰。
それらをまるでドッジボールの球の如く気安く避けては敵を殴り倒していく大怪獣。
それはまさに、悪夢の具現であった。

「な、なんでこんなことに!?」
「そりゃおめぇ、兼一の奴からも頼まれてたからな。
……つーか、『パンパン』うるせぇんだよ! 楽器叩く猿のおもちゃか、テメェらは!」
(む、無茶苦茶だぁ……)

延べ二百人はいたであろう麻薬密売組織の面々が、そのあまりの暴威の前に薙ぎ払われていく。

「オラオラオラオラオラ! ちったぁ根性見せやがれ、悪党ども!」
「て、テメェ、俺ら手を出してただで済むと思ってんのか!
 俺達のバックには、テメェなんぞとは比べ物にならねぇ大物が……」
「黙れよ。他人の力に縋ってねぇで、男ならテメェの脚で立ってみやがれ!」
「なっ……」
「その腐った根性、叩き直すまでもねぇ。徹底的に粉砕してやらぁ!!」

そうして、気付けばティアナの周りには辛うじて生きている悪党達が死屍累々。
ただし、何も粉砕されたのは悪党達の根性だけではない。

「あの、根性どころか建物まで粉砕されてるんですが……どうするんですか、生き埋めになった人達」
「ったく、骨のねぇ奴らかと思ったら、アジトまで骨がねぇと来やがった」
(そう言う問題じゃないでしょうに……)
「これでも控えめにしたんだがなぁ」
「これでですか!?」

『控えめ』という言葉を一度辞書で確認したいと思うティアナであった。



  *  *  *  *  *



〈エリオ・モンディアルの場合〉

スバルやティアナと別れた後、指示どおりにアリサと合流したエリオ。
なんでも、彼の行き先は海鳴からそれほど離れていないとの事で、彼女の車で送ってもらえるらしい。
がそこに何故かすずかが合流し、国守山を抜ける国道を通って移動中…それは起きた。

「っ! この私の前を走ろうなんていい度胸してんじゃないの!」
「いっけぇ、アリサちゃん!」
「え、ええ!?」

訳もわからぬままに公道でのレースが始まり、アリサは驚異のテクニックで相手車両をぶっちぎる。
ちなみにその間、後部座席に座るエリオは右に左に振り回され、これ以上なく酔ってしまったのだが……二人は全然気にした素振りもない。

「ふん、良かったのは威勢だけだったみたいね」
「ダメだよ、アリサちゃん。普通の人にあんまり高いレベル求めちゃ」
「何言ってんのよ、すずかだってノリノリだったくせに。
 ま、すずかと忍さんが手ずから改造した、この『地球に礼儀正しい電気自動車』があってこそだけど」
「あ、あの…そこは『地球にやさしい』なんじゃ…ウップ」
「そんなになってもツッコミを入れるなんて、良い根性してるわね。さすがなのはの教え子だわ」
「ホントに」

ちなみに余談だが、なんで「地球に礼儀正しい」かというと、作者が好きな小説にその様な文章があり感銘を受けたからである。



そうして、エチケット袋という名の親友を得たエリオは、ようやく目的地に到着。
車を降りた瞬間の彼が、まるで地獄から生還したかのように晴れ晴れとしていたのは秘密である。

「ここが……」
「そう、『久賀舘流杖術』の道場。兼一さんの古いお友達の道場だよ」
「良かったわね。この人、あの人の関係者の中じゃかなりまともに近い部類よ」

『純粋にまとも』ではない所に、彼の交友関係の偏りが垣間見えるコメントだ。
エリオを案内するという目的を終えた二人は、そのまま車で去っていく。
それを見送り、一度深呼吸してからエリオは道場の門を叩いた。

「あの、すみません! 白浜兼一さんの御紹介で来ました、エリオ・モンディアルと言います!
 どなたかおられませんか!」

道場の前に立ち、大きな声で呼びかける。しかし、道場の奥からは特に物音も人の気配もしない。
留守だろうかと不安になるが、そこへ思わぬ方向から足音が近づいてきた。

「早かったな、少々準備に手間取っていたんだ。待たせてしまってすまなかった」
「あ、あなたが道場主さんですか?」

エリオが声の方を振り向くと、そこには短く切った髪と褐色の肌、そして顔の傷が特徴的な『武人』という言葉がしっくりくる女性。

「この道場を任されている、久賀舘要だ。その筋では『フレイヤ』などとも呼ばれているがな。
好きなように呼んでくれ」
「エリオ・モンディアルです。兼一さんの紹介で伺いました」
「ああ、話は聞いている、歓迎しよう。まぁ、立ち話もなんだ、とりあえず上がると良い」
「はい、失礼します」

フレイヤの後を追い、道場ではなく屋敷の方に向かう。
その背中を負いながら、エリオは思う。
アリサは『かなりまともに近い部類』と言っていたが、むしろ会ってみた印象としては『凄くまともな人』だ。
アレはもしかすると、アリサなりの冗談か何かだったのではないだろうか。

そそうして居間へと通され、すすめられるままに座布団に腰を下ろす。
すると、バンダナを巻いた少女がお茶と菓子を出してくれた。
一息つき、互いに茶に口をつけた所でフレイヤから切り出す。

「白浜からは、やり方は私に任せると聞いている。
 聞くところによると、君は槍を使うそうだな」
「はい」
「『突かば槍、払えば薙刀、持たば太刀。杖はかくにも外れざりけり』の言葉が示す通り、杖術と槍術には繋がる部分がある。君にはこれから二週間、久賀舘流の修業を受けてもらう事になるだろう」
「……」
「それに、部下の中には槍を使う者もいる。そいつに槍術について習うのも良い。
 他にも、ここには色々な武器を使う奴がいる。稽古の相手には事欠かない筈だ」
「はい、よろしくお願いします! 誠心誠意、修業に励みます!」
「白浜がわざわざ送りつけてきたんだ、期待させてもらおう。
では、道場に案内する、ついてきなさい」

フレイヤは新白連合の中にあっても数少ない、直属の部下を持つ幹部である。
ほとんどの幹部が弟子は取っても部下は持たない中、彼女ともう一人だけが部下を抱える身だ。
それも彼女の下には基本『武器使い』が集まり、もう一人の方には『徒手空拳』が集まる。
その為、現在フレイヤの下には昔よりも多くの武器使いが彼女を慕って集まっていた。
ただし、その全員が……

『キャアアアアアア! 可愛い~~~♪』

二十歳半ばから三十路辺りまでの女性…それも美形揃いなのである。

(――――――――ビクッ!?)
「十歳ぐらい?」
「は、はい……」
「うわぁ、肌スベスベ! いいなぁ、若さよね!」
「ああ、丁度いいサイズ! 抱き枕に最適かも♪」
「や、やめて、抱き上げないでください~!?」
「あれ~、もしかして照れてますの? 可愛いですわねぇ」
「ハァハァ…フレイヤ様、この子貰っちゃっていいんですか?」
「ふむ…………いいんじゃないか?」
「良い訳ないですよ! あ、やめ、やめてください! なんでズボンに手をかけるんですか!?」
「え? いや、どんなものかなぁと」
「なにがどんなものなんですか――――――――――――!?」
「ヤバ、私鼻血でてない?」
「ムフフフ、中々いい素材じゃない。この子を自分好みに育てる……燃えるわね!」
『いや、全く』

六課も女所帯だったが、ここはその日ではない。
比率的には99.9%が女性。エリオを除けば、右を見ても左を見ても女ばかり。
しかも、誰も彼もがエリオを遥かに上回る技量の持ち主。
当然、セクハラなどされれば色々な意味でエリオに状況を打開することなど不可能。

こうして、エリオの女難に満ちた二週間が始まるのだった。

「キャロ、フェイトさん、助けて――――――――――!!」
「ああ! こんないい女に囲まれておいて他の女の名前を呼ぶなんて、イケナイ子ねぇ。そんな子には?」
『お仕置きだべぇ~』
「いやぁぁぁあぁっぁぁぁ!?」
「こんなに道場が活気づくのはいつ以来かな? 白浜には感謝しなければ」



  *  *  *  *  *



〈ギンガ・ナカジマの場合〉

場所は移ってミッドチルダ。
四方を険しい山岳に囲まれた山深い森の奥深く。
いっそ「樹海」と呼ぶべきだろうそこは、夏場であっても人が立ち入ることはない。
だが今そこに、二つの黒い影が降り立った。

「よし、だいぶ空気が濃くなってきたし、この辺りで良いかな?」

先に降り立った影…兼一は大きく息を吸い込みそんな事を言う。
そこへ、やや遅れて追いかけてきたギンガがウィングロードから降りて周囲に視線を配る。

「随分奥深くまで来ましたけど、なんでまたこんな所まで?」
「注意して息を吸ってごらん。何か普段と違うと思わないかい?」
「言われてみれば……」
「なんか、不思議な匂いがする」
「うん、そうだね」

兼一のものとも違う、ギンガのものとも違う子ども独特の高い声音。
声の主…翔は兼一の背中から降りると、言われた通りに注意して息を吸った。
二人も兼一が言った事をなんとなく理解したようなので、より詳しい説明に入る。

「これは植物の発散物質『フィトンチッド』がとても濃いからだ。これには肝機能の改善や自律神経の安定効果があるんだけど……まぁ早い話、こう言った場所で修業すると怪我の治りが早かったり強い集中力が得られたりするわけだ。昔から修業と言えば山籠りが定番なのは、そう言った効能があるからだね」
「なるほど」
「お~……」

まぁ、一番の目的は追い込んで逃げ場をなくすことなのだが。
なにしろ、翔はもとよりギンガですらここから兼一の案内なしで帰れるか自信がない。
兼一はまるでこの場所を知りつくしているかのように真っ直ぐ進んできたが、ギンガ一人であれば道中3回以上は遭難していた筈なのだから。

「でも師匠、よくこんな場所知ってましたね」
「いやぁ、以前から地図を見ていい場所がないか探してたんだよ。そしたらここを見つけてね。
さて、とりあえず修業の前にしばらく暮らす為の準備からだ。
 僕は寝床を作るから、二人は水汲みと薪集め…それから食料の調達に入ろう」
「はい」
「うん」

なにしろ食料を始め、普通なら野宿に必要なものは何一つとして持ってきていない。
最低限、緊急時の連絡の為に必要な機器と医療道具などは持ってきているが、それだけ。
予定では二週間はここで暮らすのだから、まずは最低限必要な環境作りからだ。

ちなみに、全くの余談だが……翔が二人に付いて六課を出る際、遊び相手がいなくなるせいかヴィヴィオは「ダメーっ! 行っちゃダメなのーっ!」と酷く抵抗していた。
あの様子だと、「帰ったら色々と後が大変だろなぁ」と思うギンガである。



「さて、探し始めたのは良いけど……………果たしてこれは食べられるのかしら?」

ギンガの手には、普段は全く見たこともない植物……というか、そもそもあまり詳しくない彼女には、違い自体が全然わからないのだが。
一応訓練校時代には野営の訓練もあるにはあったが………………それにした所で何が食べられて、何を食べてはいけないのかさっぱり。

一応兼一からは、『自分の食い扶持くらいは自分でなんとかしないとね。武人以前に生き物として』と言われている。
あの様子だと、幼い翔はまだ温情の余地があるだろうが……ギンガに対してはそれも期待できないだろう。

「とりあえず魚でもとって、それから果物を探そうかしら。下手に毒のある草なんて食べたら笑えないし……」
「姉さま! こっちこっち」
「ん? どうしたの、翔?」
「これ、食べられるよ」
「え?」

翔が指し示すのは、ギンガにはさっぱり他との違いがわからない草。
普段であれば「雑草」の一言で済ませてしまうそれなのだが、翔の眼には確信の光がある。

「あ、こっちも食べられる」

翔とて、決して山菜類に詳しい筈がない。
それが、住み始めて数ヶ月のミッドに自生する植物となれば尚更だ。
なのにこの子は、まるで迷いなくそれらを収穫し、時に「あ、これ毒だ」と言って避けていく。

「ねぇ、翔。どうしてわかるの?」
「え? だって、みんなが教えてくれるもん」
(みんなって誰!?)

ギンガは慌てて立ち上がり、最大級の警戒で持って当たりを探る。
しかし、これと言って怪しい気配など皆無。

当たり前だ。少なくとも、ここには翔とギンガと兼一以外には誰もいない。
だからこそ兼一はこの場所を選んだのだから。
だが、だとすればいったい誰が翔にこの事を教えたのだろう。
兼一が教えている筈もないし、ギンガなど以ての外。
では、「みんな」とはいったいどういう意味なのか。

(ここ、何かいちゃいけない物でもいるのかしら?)
「どうしたの、姉さま?」
「う、ううん、なんでもない」

とりあえず、ホントに大丈夫かどうか翔が食べる前に確認だけはしておこうと誓う。
だが、後ほど確認した上でギンガは思った…………「なんて便利な子」と。



その後、さしあたってしばらく住む為に必要な環境整備を終えた三人。
森の奥深くなのをいいことに……つまり、近所への迷惑を顧みる必要がない為に、基礎修業が行われた。
そして二人がへとへとになり、兼一的には「体が温まった」頃、いよいよ今回の山籠りの本題に入る。

「さてギンガ、ちょっと……無拍子をやって見せてくれないかな?」
「え? 無拍子を、ですか?」
「うん」

思えばこの技を習得して以降、特別『無拍子』に関する指導というのは受けて来なかった。
それもその筈。そもそも無拍子とは、武術家「白浜兼一」が操る四種の武術の要訣を集約した技。
難しい技なのは事実だが、分解した四種の要訣自体は複雑なものではない。
故にその威力、精度を決めるのは四種の要訣の練度と、それらをどれだけ自然に融合させられているか。
その為、無拍子の修業というのはすなわち四種の要訣の完成度を高める基礎修業に他ならない。
まぁ、単に完成度を見るだけと考えれば不思議なことではないのだろうが。

「では……」

手頃な太さの木を見繕い、腕を折り畳んだ独特の構えを取る。
そのまま、四種の要訣を意識し……放つ。

「破っ!」

重い打撃音と共に太い幹が揺れ、今にもへし折れそうなほどに軋みを上げる。
魔法による身体強化はしなかったが、それにしても凄まじい威力だ。
良く師の言う事を聞き、地道に基礎を練り上げてきた証左だろう。

(……よし!)

その確かな手応えに、ギンガは胸の内で拳を握る。
これまでにない…というほどではないが、会心の一打だったと彼女自身でも思う。
それだけの一撃であり、傍で見ていた翔も満面の笑顔で控えめに拍手している。
しかし、それを見た兼一の表情は明るいとは言い難いものだった。

「師匠?」
「うん、悪くない。大分形になってきた、だけど……」
「?」
「ギンガ、君の無拍子はまだ不完全だ」
「え……」

思ってもみなかったその一言に、ギンガの思考が真っ白になる。
確かに、師のそれに比べればまだまだ未熟だとは思う。
だがそれでも、一つの形にはなっていると自負していただけに、ショックは隠しきれない。

「あの、どこか良くない所があったんでしょうか! 仰っていただければ、必ず治して……!」
「いや、そう言う事じゃない。無拍子としての体裁は為している、今のままでも一つの技としてなら十分だと思う。ただ、それだけじゃまだ足りない物があるって言うだけの話だ」

師の言っていることの意味がわからず、ギンガは混乱する。
前半と後半で、言っている事が矛盾しているように思えて仕方がないのだ。

「ギンガ、無拍子の定義はなんだい?」
「えっと…空手・中国拳法・ムエタイの突きの要訣を混ぜ、柔術の体捌きで放つ技…です」
「うん。まぁ、早い話が『修得した武術の要訣を融合させた技』って事。
 そして、それはなにも順突きに限った話じゃない」

言って、今度は兼一が先ほどギンガが打った木の前に立つ。
ただし、ギンガとは逆向き…背中を向ける形で。

「その定義をよく理解し、修業を積めば……こういう事もできるようになる。
――――――――――――フンッ!」
「「あっ!!」」

基本は通常の無拍子と同じ。
違いがあるとすれば、体重移動の仕方。
本来は前に向かって平行四辺形を潰す様に体重を乗せるのだが、それを真逆の後ろへ。
同時に、空手における引き手を肘打ちに転用し、鋭い肘が木の幹を穿った。

ギンガの拳を受けても耐えきった幹だったが、その一撃で粉砕。
驚く二人を余所に、木は重々しい音を立てて倒れていく。

「とまぁ、こんな具合かな。無拍子はなにもただ真っ直ぐ打つだけの技じゃない。
 習熟してくれば、こうして発展・応用することもできる。
 さてギンガ、ここで君に一つ課題を出そう」
「はい!」
「これから二週間、今までの事と『無拍子の定義』を踏まえて、ギンガの無拍子に足りない物が何かを考え、それを補ってみなさい。もちろん通常の修業はするし、この件に関して僕からアドバイスすることもない、以上」
「え、ええ!? そんな……」

ギンガにとっては無茶ぶりにも等しいその指示に、さすがに心穏やかではいられない。
せめてもう少し何かないのかとヒントを求めるが、兼一は首を横に振るだけ。

「いいかいギンガ、武術には創意工夫が大切だ。何でも師に聞き、それを丸覚えするだけじゃ…技は発展しない。
だからここから先は、自分自身の技と拳に聞いてみなさい。
 一体何が足りないのか、どうすれば足りない物を補えるのか。答えは全部、君の中にある。
 なによりこの技は……ギンガ自身の手で完成させるしかないんだからね」
「……」

正直言ってしまえば、兼一には既にギンガが目指すべき完成形が見えている。
確かに、彼が教えてしまえば事はすぐに済むことだろう。
しかしそれでは意味がない。これは、ギンガ自身が自分の力で乗り越えなければならないのだから。

こうして二週間、ギンガは武術漬けの毎日の中、師より出された課題に苦悩するのだった。
もちろんその間、弟分の良く分からない能力のおかげでヒモジイ思いをせずに済んだ事を追記する。



  *  *  *  *  *



同じ頃、ミッドチルダ東部の森林地帯。
人里離れた場所にあるなんの変哲もない洞窟。
だがその奥に広がる異質な空間の最深部で、今まさに紫の髪の男女が険呑な話をしている。

「ナンバー7『セッテ』、ナンバー8『オットー』、ナンバー12『ディード』、三名とも基本ベースとIS動作はほぼ完成。ナンバー9『ノーヴェ』、ナンバー11『ウェンディ』の固有武装も同様です」
「ふむ、ドゥーエとチンクも既に任務中…と。順調だな」
「はい。アノニマートも、今頃はあの方の下で修業に励んでいる事でしょう」

ウーノからの報告に、スカリエッティはとりあえず満足そうにうなずいている。
とはいえ、所詮これは祭りの為の準備。
本命は『祭り』そのものなのだから、今の段階で喜んでいても仕方がないと言う事か。

「ああ、所で『あちら』の方はどうなっているかわかるかい?」
「今のところ音沙汰ありません。クアットロの仕込みですから、手落ちはないと思いますが……」
「あの子はまぁ、私のあまりよくない所が似過ぎてしまったからな」
「とはいえ、そう言う事ができる者も組織に必要なのは事実です」
「確かにね」

姉妹の大半は知らないようだが、あれでクアットロは中々に意地が悪い。
いや、意地が悪いと言うのとも違うのだろうが……ほとんどの姉妹が彼女の本質を理解していないのだろう。
実際クアットロ自身、自分の本質を明らかにしようとしていないのだから当然だろうが。
何しろ、彼女はチンクなどをどこか見下している風もあるわけで……まぁ、そんな彼女だからこそ任せられることもあるのだが。

「とりあえず……ドクター?」
「ああ、済まない。少しぼうっとしていたようだ」
「お疲れなのではありませんか。ここの所、あの子達に掛かりきりでしたから」
「なに、確かに健康体とは言えんが、心配する程でもないさ。
 ただ……うん。なぁ、ウーノ」
「はい」
「私を、愚かだと思うかい?」

唐突に語調を変えたスカリエッティに、ウーノの表情が固まる。

「生命操作技術の完成、その為の空間作り。確かにそれらは私の夢だ、例えそれが刷り込まれたものであったとしても、自分でかなえたい夢であることに代わりはない。
だが……同時に思うのだよ。それならなぜ、私はこんな博打を打つのかとね」

此度の作戦は、曲がりなりにも死者を最小限に抑えるように組んである。
しかし、単純に目的を達成するだけならもっと効率のいい手段があった筈だ。
その場合、多くの命が失われる可能性があるが…それこそ今更。

今まで、どれだけの命を犠牲にして来たことか。
無価値な命を有効に役立てただけ……なら、それこそ今回の作戦で出る犠牲もまた同じはずなのに。

「ドクター……」
「いや、すまない。おかしなことを言ったな、忘れてくれ」
「その様なお姿は、姉妹たちにはお見せにならないでください。あの子達が迷います」
「そうだな。選択の時は既に過ぎた、引き返すには私は既に手遅れだろう。こんな事は、今更だったな」

恐らくこの世界で唯一自分の本心を晒すことのできる相手に、スカリエッティは心から感謝する。
そして、もう一人。自身の身の回りにあって、ある意味別種の存在に託さねばならない物があった。

「ああ、それと」
「なにか?」
「アノニマートに一つ伝言を頼むよ。これは、恐らくあの子にしか頼めないだろうからね」
「承知いたしました」

ウーノが部屋から出ていき、残されたのはスカリエッティ唯一人。

「いよいよ祭りの時だ。勝つのは私か、それとも……ようやく答えが出る。これから打ち上げる大きな花火と共に、求め続けた答えが……ならばあとは、ただ終焉に向かって全力で走るだけか。
誰も彼も、私さえも…………その果てに出た答えだからこそ、意味があるのだから。
ああ、楽しみだなぁ。アハ…アハハハハハハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

洞穴内に狂喜を孕んだ哄笑が木霊する。
祭りの開幕まで、あと少し……。






あとがき

さてさて、いよいよ次からはクライマックスまで一直線。もうほのぼのが入る余地は最後までないでしょうね。
とりあえず、Stsが完結した後の事は…いくつか案があるんですがまだ決め切れていません。
やっぱり、最近手を出していないRedsの続きが優先かなぁ?
一応、三部に当たる空白期(予言編)であちらは完結にして、Stsはやらないつもりですし。
できれば、こっちのVivid編と並行してやれたら良いとは思いますが……。

あとは、中々手を出せずにいるアイディアの数々もどうしたものやら……。
今の所、この作品を完結させた後の執筆優先順位としては以下の通りですね。

①Reds第三部(空白期予言編)
②ここの翔を主人公に据えてのVivid編
③折角原作も最終回を迎えた事ですし、チラシの裏に放置しっぱなしのネギま×Fateを色々手直しして再挑戦
④ISとARMS(皆川亮二先生作)のクロス物
⑤HF後のイリヤをZeroに放り込みエミヤを召喚
⑥アリサとすずかがヴァイオリンとかやってるので、ポリフォニカとのクロス
⑦志貴を主人公に風の聖痕か禁書とクロス

こんなところかな? とはいえ、同時にやるとしても精々二つが私には限度でしょうし、①を完結させられれば③にも手が出せるのでしょうが……そうなると当然④以下には手が出せないわけで……。
ほんと、ネタを全部やり切るのはいつになる事やら。
どなたか、ネタは提供しますからどれかやってくれないかなぁ……いや、結構真面目に。

P.S 何故か上記の7つが「アンケート」と思われている様ですが、はっきりと申し上げると違います。アンケートではなく、これは「お願い」が正しいでしょう。「こういうアイディアがあるんだけど今の自分には①と②だけで精一杯。なのでいつになったら手がつけられるかわからない訳ですが、③はともかく④以下はこのまま消失させるのも惜しい。必要ならお手伝いしますし、アイディアの概要くらいなら差し上げますから、どなたか書いていただけませんか?」という感じです。誤解を招くような内容になってしまい、申し訳ございませんでした。改めて、もし少しでも「やってみようかな」と思ってくださる方がおられましたら、是非お願いします。

でもこれって、やっぱりマナー違反なのかな? ダメもとのお願いなので、ダメならダメで諦めも付くんですがそれだけが心配……。なので、もしあまりに不適切なようでしたら削除しようと思います。



[25730] BATTLE 38「祭囃子」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:45

公開意見陳述会を明日に控えた晩。
機動六課隊舎屋上のヘリポートには、既に離陸の準備を整えたJF704式ヘリコプターがブレードを回転させて待機している。
今回は先遣隊としてなのはとヴィータ、新人4人及びギンガが向かい、翌朝はやてとフェイト、そしてシグナムが合流する形だ。

最終確認を終え、続々とヘリポートに上がりヘリに搭乗していく先遣隊。
ただ、つい先日出稽古から帰還したメンバーは……………若干、荒んだ表情をしていないでもないが。
まぁ、人それぞれ色々あるわけで……なにしろ六課に帰ってからというもの、スバルとティアナは深夜になると「ネコ怖いネコ怖い」、あるいは「鬼が~鬼が~」と魘(うな)され、エリオは視界に女性がいるだけで警戒心をむき出しにする始末。実力の向上と引き換えに、余計なものも色々と植え付けられたのは想像に難くない。

まぁ、それはそれとして…なのはを除く6人と、訳あって六課に来ていた精密技術官のマリエルが足早にヘリに乗り込んでいく。
だが、最後になのはがヘリのタラップに足をかけた所で、おもむろに背後を振り向いた。
するとそこには、寮母のアイナに付き添われたヴィヴィオが不安そうな眼差しで「ママ」を見ている。

「……ママ」

口からこぼれるのは、その小さな胸の内を現す心細さに満ちた呟き。
心ある者なら、それを聞いて見て見ぬフリはできないであろう。

ただし、その右手にはウサギのヌイグルミを抱き、左手では「決して逃がさん」とばかりに翔の襟首をしっかり掴んでいるのだが……今更それを気にする者は六課にはいない。
翔が山籠りから帰ってからこっち、片時も離れようとせず、常に飼い犬のリードを引く様に襟を掴んでいる。
おかげでここ数日、翔に自由はないも同然。

なにしろ、今はほぼ毎晩ヴィヴィオと一緒になのはやフェイトと寝ている状態だ。
いや、二週間もの間ほったらかにした事への罪悪感があるのかもしれないが、無論翔とて逃げようとした事は一度や二度ではない。本来、翔とヴィヴィオの運動能力の差を考えれば脱出は容易の筈。
にもかかわらず、こっそり逃げようとしても絶妙なタイミングで腕が引かれ、襟が喉に食い込んで動きを封じられてしまって、今に至る。

実はこれ、その姿を見て誰かが「女王様と僕(しもべ)?」と呟いたのだが……誰一人として否定できなかったという裏話まであるのだ。この年にして既に女王様の貫録を身に付けつつあるのだから、末恐ろしい限りである。
大方、ここまで引き摺る様にして同行させたのだろう。アイナの色々な意味で複雑な表情からもそれは明らか。

「あれ? ヴィヴィオ……どうしたの? ここは危ないよ」
「ごめんなさいね、なのは隊長。どうしてもママのお見送りするんだって」
「うぅん、ダメだよヴィヴィオ。アイナさんに我儘言っちゃ」
「ごめんなさい……」

腰を下ろし、ヴィヴィオと同じ高さまで視点を下ろして注意する。
ヴィヴィオもわかってはいるのか、肩を落として眼を伏せた。
もちろん、翔を引き摺り回していることには欠片も罪悪感など抱いていないが。
そこへ、フェイトが若干苦笑を浮かべながらヴィヴィオの心中を察して言葉に変える。

「なのは、夜勤でお出かけは初めてだから…不安なんだよ、きっと」
「あぁ、そっか。なのはママ、今夜は外でお泊まりだけど、明日の夜にはちゃんと帰ってくるから」
「絶対?」
「絶対に絶対」

涙ぐむヴィヴィオを励ます様に、笑顔で約束する。
続いて、なのははヴィヴィオに小指を向けた。

「いい子で待ってたら、ヴィヴィオの好きなキャラメルミルク作ってあげるから」
「……うん」
「ママと約束ね」
「うん」

ヴィヴィオもそれに倣って小指を絡め、堅く結んで指切りを交わす。
気付けば、周囲にはそんな母娘を見守る人垣ができていた。
そして最後に、なのははヴィヴィオに襟首を掴まれている翔の頭に手を乗せる。

「それじゃ翔も、ヴィヴィオの事お願いね」
「ふぁい」

『いつもいつもごめんね』という雰囲気を匂わせる笑顔を向けるなのはと、幼くしてどこか諦めの境地を感じさせる返事を返す翔。
そうして今度こそなのは達はヘリに乗り込み、勢いよくヘリは飛び立っていく。
だがその時、ヘリポートに出る扉の影にいくつかの人影が……。

「あの、兼一さん……なにやってるんですか、そんな所で?」
「あ、ルキノちゃん。いや、その…なんて言ったらいいか……」

扉の影に隠れ、隙間からストーカーの様にこっそりとヘリポートの様子をうかがう兼一。
それを、はやてに用があって偶々通りがかったルキノが発見し、心底呆れた視線を送っている。
しかし、本当は彼もちゃんと出て行って弟子たちを見送りたかったのだ。
けれども……それができない理由がある。

「ほら、僕が出て行くとヴィヴィオちゃんが、ね……?」
「ああ。山籠りから帰って以来、前にも増して風当たり強いですもんね」

どうも、ヴィヴィオはすっかり兼一の事を「翔を連れて行くヤな人」と認識したらしい。
以前なら兼一を目にするとあからさまに避ける程度だったのだが、今では翔を抱きしめ睨みつけて来る。
その様はまるで「我が子を守ろうとする母ネコ」の様だとか。

「う~ん、どうしたら馴れてくれるのかな?」
「ヴィヴィオ、あんまり武術とかに関心ありませんし、難しいですよねぇ」

無理もない話だが、兼一達のやっている事はあまりヴィヴィオからの受けが良くない。
彼女からすれば「どうしてあんな痛い思いをするのだろう」と思うのだろうし、それが普通だ。
少なくとも、寂しがり屋で泣き虫なヴィヴィオは今の所武術などとは無縁なのだろう。
ただ、一応なのはの仕事などには関心があるようなので、この先の成長次第では理解を得られるかもしれないが。

「それにしても、兼一さんは私達と一緒に留守番ですか」
「うん。先方から『武器も碌に持たない、魔法も使えない素人なんているだけ邪魔だ』って」
(素人? 知らないって幸せだなぁ……)

兼一の実態を知る身としては、ただただ苦笑いしか浮かんでこない。
担当者を無知蒙昧とは言うまい。彼女とて、この実物を見なければ到底信じられないような存在なのだから。

「でも兼一さん魔力反応とかないですし、こっそり地上本部に言ってもきっとばれませんよね」
「え?」

軽い冗談のつもりで言ってみた言葉。
しかし、言われた側はまるで「目から鱗」とばかりに驚いている。
そして、誰よりもその反応に驚いたのは冗談を言った本人だった。

「あの、兼一さん?」
「…………その手があったか!?」
「ええ!? だ、ダメですよ、そんなの! そんなことしてバレたら後で大変ですよ!!」

まぁ、とりあえず怒られる程度では済まないだろう。
なにしろ、理由は何であれ立派な命令違反になる訳だからして……。

「じゃ、バレなければ……」
「ダメったらダメです」
「バレても記憶を消せばいいだけだし」
「そう言う問題じゃありませんから!」

その後も、未練がましくあれやこれやと何事かを言い募る兼一。
よほど弟子たちの事が心配なのだろう。ルキノが密かに「この人、結構過保護なんだ」と思ったのも無理はない。
そうして、フェイトがヴィヴィオの手を引き、そのヴィヴィオが翔の襟を掴んで引き摺ってくるまで、ルキノは地道に兼一の説得に当たるのだった。



BATTLE 38「祭囃子」



場所は移って、なのはとフェイトの自室。
そろそろお子様二人はおねむの時間である。

「はい、これでよし」

二人の支度を整えてやったフェイトだが、実を言うとその心中は割と複雑だ。
別になのはがいないからという訳ではなく、どちらかというと原因は翔なわけで……。

(う~ん、別に翔と一緒に寝るのが嫌な訳じゃないし、エリオが小さい頃には一緒に寝たこともあるけど……いいのかな、いつまでもそう言うのばっかりで)

別にその事に不満があるとかそういう訳ではないが、フェイトとて年頃の乙女。
正直、異性やら恋愛やらに全く興味がない訳ではない。
仕事が楽しくもやりがいがある為、この年まであまり色恋に関わる機会がなかっただけだ。

いや、本当はなかった訳ではなく、本人が無意識のうちにスルーしていただけなのだが。
なにしろこの容姿と性格だ。もし本人にその気があれば、選り取り見取りもいいところだったろう。
ただ、仕事の他にも友人や家族と一緒に過ごすだけで充分以上に幸せだったし、自身の出生の事もあってあまり積極的になれなかった。

だがそんなフェイトにも、ついに多少なりとも意識できる相手が出来た。
そのおかげで、ようやく「これはなのはの心配ばっかりしてる場合じゃないかも」と思えるようになった次第である。まぁ、ああして傍から野次馬してるのも、それはそれで楽しかったのは否定しないが……。

(いつの時代も、他人の色恋沙汰は一番の娯楽……って、さすがにそれは不味いよね)

このままだと、自分こそ気付いたら「おばあちゃん」になっているかもしれない。
それはさすがに、フェイトとしても背筋の寒くなる未来予想図だ。
子ども好きの彼女としても、恋をして、愛し合って、その人の子を産み育てると言うのには憧れるものがある。
いや、むしろその思いは人一倍強いかもしれない。
いつまでも、人の恋路を観察して面白がっている訳にはいかないだろう。

(むぅ……私もちょっと頑張った方が良いのかな?
 でも、何を頑張ればいいんだろ? 今度エイミィにでも聞いてみようかな?)
「どうしたの、フェイトママ?」
「あ、ううん、なんでもないよ」
「ふ~ん」

笑って誤魔化すと、少し不思議そうに首をかしげるもそれ以上は詮索しないヴィヴィオ。
ただしその腕の中には、まるで抱き枕の様に抱きしめられた翔がいる。
彼は一切の抵抗を見せず、完璧にヴィヴィオの為すがまま。実にはっきりとした力関係の現れである。
とそこへ、通信が入った事を知らせる電子アラームが鳴り響いた。

「あれ? 母さんからだ」

見れば、モニターに表示された発信元は既に良い年にもかかわらず、フェイトと姉妹と言っても通用するであろう若々しさを保つ母。
実母も大概だったが、養母も超一級の若作りである。
兼一によると、昔老婆と言っていい年齢で20そこそこの張りと艶を保った怪物もいたとか。
それに比べればまだまだなのだろうが……それでも時折、母達の若々しさに空恐ろしい物を覚える。

とまぁ、そんなどうでもいい感想は横に置くとして。
フェイトが通信回線を開くと、便乗する様に腕を後ろから翔の首に回して抱きしめるヴィヴィオも覗きこむ。
その様が、「なんかヌイグルミみたいだなぁ」と思ったのは秘密である。

「はぁい、元気だった♪」

回線を開いての第一声は、外見に違わない…だが、明らかに実年齢とはかけ離れた溌剌とした挨拶から。
映し出されたのは、昔の様に上げてこそいないが、長く豊かな翠の髪をリボンを使いうなじの辺りで結った美女。
始めた会った十年前からまるで変わらない、時空管理局本局総務統括官『リンディ・ハラオウン』その人である。

「うん。こんばんは、母さん」
「ヴィヴィオと翔も、こんばんは」
「ぁ、こんばんは」
(ペコリ)

身を乗り出してくるリンディに、それぞれ言葉や会釈であいさつする二人。
そんな二人に、「良くできました」とばかりに頭を撫でてやるフェイト。

「なにか、ありました?」
「うん、明日の陳述会の事なんだけどね……私も顔出そうかどうしようかなぁって」
「あぁ、大丈夫だと思いますよ。クロノも別の任務中ですし、本局の方もあまりいらっしゃらないとか」
「あぁ……そう? しばらくぶりに娘の顔も見たいし、ヴィヴィオと未来の旦那様にも会いたいんだけどぉ」

時間も時間だし、立場的には母娘であると同時に相手は上官でもある。念の為仕事関係の可能性も考慮して『外向け』の口調で尋ねるが……リンディは照れくさそうに私事全開の本音を明らかにした。
今では孫を持つ身だが、それでも娘の事が気にかかるのだろう。
無論、まだ直接会ったことのないお子様二人に会いたいと言うのも事実だが。
そんな母に、フェイトは苦笑いを浮かべて一応形だけは注意する。

「あの…母さん。私は警備任務ですし、ヴィヴィオ達は寮でお留守番ですから」
「あぁ…そっか、そうよねぇ。随分会ってないから寂しくて……」

別に、陳述会に出たからと言って、自分はともかくヴィヴィオ達に会える訳ではないと釘を刺す。
その前後に六課へよれば話は別だが、仮にも公務。それで寄り道などするのは、到底褒められたものではない。
言外にそう指摘され、リンディは先ほどとは違う意味で頬を染めた。

「それと、母さん」
「? どうかした?」
「さすがに『未来の旦那様』…は、気が早過ぎですよ」

まぁ、二人の仲の良さにそういう連想をするのもわからないでもないので、フェイトにも苦笑が浮かんでいる。
実際、はやてが胴元となって「誰と誰がくっつくか」に「一口1000」でトトカルチョが行われており、その中で一番人気なのがこの組み合わせだ。それはそれでどうかと思わないでもないが……。

ちなみに、なのはとユーノは決定的な癖に進行しないので完全に除外され、二番人気がグリフィスとルキノ。
更に、なぜかこの賭けには六課とは直接的な関係のないフェイトの義兄「クロノ」の妻である「エイミィ」まで一口噛んでいたりする混沌具合。

「あら、そう? ヴィヴィオはどう。翔の事、好き?」

リンディの問いに、ヴィヴィオは腕の中の翔を確認…といっても、見えたのは旋毛(つむじ)位だが。
それでも一応確認し、その上で満面の笑顔で答えた。

「? ……好き♪」
「ねぇ♪」
「いや、二人ともまだ五歳ですから」

まず間違いなく「Like」と「Love」の区別など付いていないだろう。
仮にこの時点で「将来結婚する」と言われても、本気にする者はいない。
そもそも客観的に見て、今のヴィヴィオにとって翔は異性などよりも「弟」が妥当な所。
ただフェイトとしては、「弟の物は姉の物、姉の物は姉の物」なんてジャイア○ズムを口走らない事を祈るばかりだ。なにしろ、今の二人の関係性ときたら「姉御と舎弟」みたいなのだから。

「もう、仕方ないわね。それじゃ話題を変えましょ」
「そうしてくれると助かります」
「あなたの方はどうなの? 白浜兼一さん、だったかしら? だいぶいい人の様だけど」
「ぶっ!? げほっ、げほっ!」

まさかの藪蛇に盛大にせき込むフェイト。
だがこの瞬間、ヴィヴィオの顔が途端に不機嫌なものに変わった。
おおかた、今度は翔だけでなくフェイトまで取られると思ったのだろう。

「な、何を言い出すんですか!」
「え~、だって~…夜中に密会してるって聞いたし、『絶対そう』とも言ってたのに~」
「あれは少し魔法の勉強を見てるだけで、やましい物は一切! ありませんから!」

『こんなことを報告するのはシャーリーだな』と、自身の副官でもあるメガネ少女に頭を抱える。
悪い娘ではないのだが……どうしてああいう事が好きなのか。
別に、今言ったようにやましい物はないが、覗かれていたかと思うと少し気分が悪い。
あれは、なんというか……ある意味自分達だけの時間とも言える訳で……結構気に入ってると言うのに。

「ふ~ん、残念……。ようやく可愛い愛娘にも春が来たかと思ったのに……」
「母さん、激しく大きなお世話ですよ、それ」
「ま。あのフェイトがそんなこと言うなんて、遅れて来た反抗期かしら?」
「ああもぅ……」

若干気にし始めた所を突かれ少しばかり眉を吊り上げて言うと、なんとも反応に困る返しをしてくる。
事実としてフェイトには反抗期などという物はなかったが、それでもこんな言われ方をすると力が抜けた。
本当に、いつまでたっても手玉に取られっぱなしだ。

「シャマルは結構はっきり意識してるし、シグナムも怪しいって聞いたから、エイミィと二人で応援をしようと思ってたんだけど……」
「やめてください、本当にやめてください!」

リンディだけでなくエイミィまで絡んでくるとなると、なによりもまず精神的にきつい。
二人の事だから純粋にフェイトを想って行動してくれるだろうが、同時に自分達も楽しむことは間違いない。
そうなれば、もうひたすらに自分だけが疲労を蓄積していくことになるのが目に見えている。
何しろそれは、昔クロノがいた立場という事なのだから。

「他にも、お弟子さんとの怪しい関係の噂とか……」
「それは……否定できない部分もないではありませんが、二人の名誉の為にも勘弁してあげてください」

確かに、あの二人が双方共に非常に深い師弟愛で繋がっていることに疑う余地など皆無。
正直、フェイトも怪しいと思った事は一度や二度ではない。
しかしそれでも、さすがにそれは二人に対して悪いと思う。

「それに、兼一さんは亡くなった奥さんの事を今でも想ってますから。その点は母さんだって同じでしょ?」
「む、それは…まぁ……………………難敵ね」
「そういうことです」

なにせ、一番兼一の心情を理解できるのは他ならぬリンディ自身だ。
彼女もまた、かつて失った最愛の夫に操を立て続けている身。
過去、少なくない男性がアプローチをかけてきたが、一貫してその態度を変えていない。
そんな彼女だからこそ、白浜兼一という男を「落とす」事の難しさがよく分かる。

とはいえ、娘やその友人に「諦めろ」という気にはなれず、かと言って自分を棚に上げて「若いのに思い出に殉ずるのは良くない」などと言える筈もなし。
娘やその友人を応援したい気持ちと、相手の胸の内を理解してしまえるが故に、リンディにできる事はなかった。



  *  *  *  *  *



一夜明けて、公開意見陳述会当日。
朝から六課は慌ただしく、はやてにフェイト、そしてシグナムは早々に出立。
残された面々は、いつ地上本部に動きがあっても良い様に緊張しながら待機している。
とは言っても、実際に襲撃されるとなれば大凡(おおよそ)の時間帯は予想がつく。

まず、列席者が出揃う開始直前まで動きはない。これは単に、攻撃するとしてもそれでは効果が薄いから。無論、会議が終わって解散した後など論外。
その限られた時間の中で最も攻撃される可能性が高いのが、終了間際の数時間。意表をついて日中という手もあるが、それとて予想の範疇。むしろそうしてくれれば、心身ともに疲弊が少ない状態で迎え撃てるので助かる位だ。相手もそれくらいは予想するだろうし、ならやはりこのタイミング以外にない。

来ないとわかっていても、任務上警戒を続けなければならないので、当然疲労がたまるし集中力もまた同様。
人間はいつまでも緊張を維持できる訳ではないのだから、結局はここが狙い目なのだ。

そして、過去に幾度か表沙汰にできない仕事を経験してきた兼一もまたそれは良く知る所。
ただ今回は、現場にいる事が出来ない。自分の弟子には確かな自信があるが、それと心配する感情は別物。
兼一は一人、六課の敷地内で空を見上げていた。

「白浜」
「あ、ザフィーラさん」
「会議が始まった。当面の間動きはないだろうが……時間の問題だろう」
「今更かもしれませんがあれって、確かなんですか?」

兼一がそう思うのも当然だ。六課内の一部以外には、今回の詳しい背景などは知らされていない。
そのため、兼一が知っているのは地上本部襲撃の可能性程度。
リスクの高さなどを鑑みれば、本当にそんな事が起こるのかやや懐疑的になるのも不思議ではない。

「虚報で終われば、それに越した事はない」
「まぁ、それはそうなんでしょうが……」

視線を落とすと、そこには微かに震える自分自身の手があった。

「どうした?」
「ちょっと……危ない予感がしまして」
「武人の勘か?」
「いえ、どちらかというと…………いじめられっ子の勘、ですかね」

兼一のコメントに、なんとも言い難い表情を浮かべるザフィーラ。
未だに、かつてこの男がいじめられっ子だったという事実には尋常ではない違和感を覚える。
しかし、事実は事実としても……

「まったく、わからん男だ。強者と弱者、相反する二つの勘を持っているのだからな」
「あ、あははは……」
「だが、信憑性は高いか。昔から、真に鋭いのは弱き者だからな」

本来、危険を予知する勘というのは「弱者」の能力だ。
弱いからこそ鋭敏に危険を察知し、弱いからこそ事前に危険を避ける。
なぜなら、弱い彼らはそうしなければ生き残ることができないのだから。
故に強者と弱者であれば、弱者の方がより鋭い勘を身に付けるというのも道理だろう。

「もしここが襲われるとして、狙いは……………………ヴィヴィオか」
「でしょうね」

というより、他に当てがない。
あまり面白い事実ではないが、それでも認めなければならない現実として、ヴィヴィオは人造魔導師。
何らかの目的のために生み出された彼女が、訳ありの品であるレリックを持って現れた。
ならば、レリックを狙う一団…スカリエッティ一味がヴィヴィオを狙うのも不思議なことではない。
さすがにその理由まではわからないが、当然想定して然るべき可能性だ。
だからこそ、普段からザフィーラが彼女の傍で護衛してきたのである。

「いずれは向き合わねばならん運命(さだめ)かも知れん。だがそれでも……」
「ええ、出来るならこのまま平穏に。仮にそれが無理でも……今はまだ早すぎますよ」
「ヴィヴィオがその運命に対し、なお揺らがぬ自己を確立するその時まで守るのが…我らの役目か」

現状、六課を守る双璧とも言える二人は、改めて守るべき者を再確認する。
未来はこれから先を生きる子ども達の物だ。
されど今を背負い、子ども達に未来を託すは大人達の責務。
ならば守らなければならない。託すべき未来と、それを受け取る子ども達を。



  *  *  *  *  *



日が傾き、斜陽により空が赤く染まった夕暮れ時。
ここまで、これといった異変も動きもなし。
となればやはり、予想した通り動きがあるとすればこれから。

「開始から四時間ちょっと、中の方もそろそろ終わりね」

地上本部前の担当エリアに立ち、腕時計で時間を確認するティアナ。
その周りには、スバル達の他にもヴィータやリインの姿もある。

「最後まで気を抜かずに、しっかりやろう」
「「はい!」」

これからが危ない時間だとわかっているからこそ、スバルは年少者達を励ます。
朝からの警備で少なからぬ疲労がたまっているが、それでもここからが正念場。
年長者として、二人の範にならねばといった様子だ。

「ふぅ……」
「そういえば、ギンガはどこですか?」
「ギンガさんなら、北エントランスに報告に言ってくれてます」
「ん、そうか」

エリオの答えに、口元に指をやって僅かに思案するヴィータ。
その表情には、微かな懸念の色が浮かんでいる。
そんな上官の様子を怪訝そうに見つめるフォワード四名。
しかしそこへ、ヴィータの肩に乗っていたリインがその耳元に顔を寄せて話しかける。
どうやら、リインも考えている事を考えていたようだ。

「ヴィータちゃん、何かあるとすればそろそろの筈ですから……」
「ああ、バラけてるってのはあんま良くねぇな。……よし、スバル」
「わかってます。ギン姉に連絡しておきますね」
「おう」
「お願いするです」

そうして、スバルはギンガに急ぎ合流する様に伝えるため、通信回線を開く。
だが、まだ誰も知らない。もう既に、それは手遅れだったのだと言う事を。



報告を終え、スバルからの連絡もあって合流を急ぐべくギンガが来た道を戻り始めたその時、異変が生じた。
最初に起こったのは、レーダーに突如現れた高エネルギー反応。
続いて、地上本部のメインコンピューターがクラッキングを受けていることが判明。
それにより、まず通信管制システムに異常が発生した。

地上本部側もこれに即時対応すべく、緊急防壁の展開や予備のサーチシステムの立ち上げなどの動きを見せる。
しかし、既に内部への侵入を果たしていた戦闘機人達により、通信関係や動力部が瞬く間に制圧ないし破壊。
動力部を破壊されたことで防壁の出力も低下し、酷い通信妨害で管理局側に混乱が生じた。

さらに遠隔召喚によって出現したガジェットⅠ・Ⅱ・Ⅲ型の混成部隊が本部ビルに取り付いて行く。
まだ生きているバリアに阻まれ何機かは爆散するも、それでもなお強引に突破。
やがて、発する高濃度のAMFがバリアを弱体化する。
そこへ長距離砲撃によって叩き込まれた麻痺性のガス弾により、混乱は一気に最高潮に。
AMFが内外の魔導師の能力を大幅に制限し、多くの局員が倒れていく。

なおかつ、危機に反応して各所の隔壁が降りロックされた事で内外を分断されてしまった。
地上本部が誇る鉄壁の守り、それが裏目に出た形だろう。
その結果、ガジェットに囲まれた地上本部は事実上の無力化。
外部からの救援も、二名の空戦型戦闘機人達に阻まれ近づく事が出来ずにいる。
現状、まだ動ける局員たちが辛うじて散発的な抵抗を見せている様な状態だ。

「これは、不味い……」

まさか、こんなにも鮮やかな手並みで切り崩されるとは思わなかった。
預言を真剣に検討し、注意を怠らなかった六課陣営とてそれは同じ。
どうやって容易く内部へ侵入されたかなど、不可解な点は数多い。

だが、今はそれよりもまず目の前の事態への対応だ。
次々と先手を打たれて完全に後手に回っているが、それでも何もしないよりマシ。

「とにかく、まずみんなと合流しないと」

バリアジャケットを展開し、ギンガは一人通路を疾走する。
緊急時の移動ルートは指示されている、目標合流地点は地下通路ロータリーホール。

内部警備と言っても、なのは達は内部施設…特に重要施設には入れない。
それが今回は幸いした。あちらも今は同じ場所を目指している筈、ならばそこに行けば必ず合流できる。
どの道、この状況で皆を探して彷徨うのは自殺行為に等しい。

「通信妨害が酷い。これじゃとても……」

何度か内外と通信を取ろうとするが、返ってくるのは耳障りな雑音だけ。
外にいればまだマシ…少なくとも、六課と連絡を取るくらいはできるかもしれない。
しかし、エントランスにいた為に内部に閉じ込められたギンガは、それすら出来ずにいる。
御蔭でギンガにわかるのは、極々端的な情報に留まっていた。

そうして地下通路を疾走するうち、ある程度開けた場所に出る。
その瞬間、ギンガの身に総毛立つ様な感覚が走った。

「っ!?」

本能の赴くまま、慣性を無視して飛び退く。
すると、刹那遅れて飛び退かねばギンガの脚があったであろう地点に突き立つ、3本のナイフ。
続いて、その周囲に黄色の円環が発生………爆発した。

「くぁっ……!」

ある程度距離を取ったとはいえ、決して十分とは言えなかったのだろう。
爆風に煽られ身体が浮き上がる。

空中で体勢を立て直し、着地と同時にブリッツキャリバーが床との間に火花を散らしながらスライドする。
だが、悠長に止まっている時間は与えてくれない。
爆煙の向こうから、その後も次々と放たれる投げナイフ。
ギンガはそれらを先の教訓から十分な距離を取って回避していく。

(一瞬見えたあの円環…間違いない、戦闘機人。方式はわからないけど爆破系の能力。それにこのナイフ……)

しかし、壁や天井まで駆使して回避しているが、時折ナイフが軌道を変えて襲ってくる。
おそらく、ある程度の遠隔操作が可能なのだろう。

叩き落とすことは容易だ。けれども、その瞬間に爆破されてはギンガとてただでは済まない。
あの爆破には、それだけの威力がある。
故にアノニマートのそれと違い、防御すらしてはいけない種別の能力。
そう言う意味では、“スバル”とよく似ているとも言えるだろう。

(とにかくまずは距離を詰める。あれだけの出力、接触距離では使えない筈!)

爆破というものには基本的に指向性がない。
常に全方位に、満遍なく爆発という現象の特性。
例えば筒に入れてやるとか、そういう別の要因を用意しない限りは……。
見た所、あのナイフから発生する爆発にそう言った要素は見受けられない。
ならば距離さえ詰めれば、下手に爆発させた場合術者自身も巻き添えを食う形になる。

「はぁあぁぁぁ!!」

ナイフの最初の軌道から推測し、爆煙を掻い潜る。
黒い煙の幕を抜ければ、そこには長い銀髪の右目に眼帯をつけた少女。

「判断が早い! さすがはあのバカが認めるだけはある…だが!」
「え? そんな!?」

最早充分爆破の影響圏内にまで詰めたと言うのに、それでも構わずナイフを投じる少女。
同時に、彼女は纏っていた灰色のコートを翻し、その小さな体を覆い隠す。
そして、再度ナイフに黄色の円環が発生し、ギンガは急ぎ距離を取ろうとするも……爆発の方が一歩先んじた。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

目の前を赤く染めながら広がる爆炎に飲まれるギンガ。
同じく、至近距離で爆破に晒された銀髪の少女…チンクだったが、受けたダメージは軽微だった。

「ふぅ……その戦術を、私が考えなかったとでも思うか?
 このシェルコートの防御性能は、ランブルデトネイターの直撃にも耐えられるよう設計されている。
 ならこうして、充分に引きつけてから使う事も不可能ではない」

元々、チンクのIS「ランブルデトネイター」は中距離戦用の能力だ。
一定時間手で触れた金属にエネルギーを付与し爆発物に変化させるこの能力は、その性質上近接戦では使い勝手が悪い。これを良く理解していたチンクは、その弱点を補うべく今日まで様々な工夫をして来た。
例えば、スローイングナイフ「スティンガー」自体にも改良を加えているし、このコートもその一つ。
強力な盾があれば、至近距離でもランブルデトネイターを使えるのだから。

「さて、直撃だった筈だが……まさか、あの程度で死にはすまいだろう」

爆炎が収まったのを見計らない、コートで煙を払いながらターゲットの安否確認に入る。
一応敵ではあるが、同時に最優先捕獲対象。
滅多な事では死なないと身を以て知っているとはいえ、アレの直撃を受けたのだ。
さすがに、無傷で済む筈がない。

ナイフを両手に構え、細心の注意を払って進む。
スティンガーは投げナイフだが、だからと言って直接的な斬り合いができない訳ではない。
チンク自身、必要と判断しその心得もある。仮に相手が動けたとしても、早々遅れを取るとは……。

「へぁ!!」
「くっ!」

死角となる右横手から煙を掻き分けて何かが迫る。
チンクは反射的にそれを右手で持ったナイフで防御。
だがそのナイフが……澄んだ音を立てて真っ二つにへし折れた。

「なに!?」

ナイフが折られたと認識した瞬間、体勢を横倒しにして回避行動に入る。
そこで目にしたのは、薄く蒼い魔力光を纏って水平に薙ぎ払われる手刀。
如何に魔力で保護しているとはいえ…よもや、抜き身のナイフを両断するとは……。
それも、振り抜かれたのはデバイスで守られた左ではなく、気休め程度にグローブをつけた右。
だが、そんな驚愕に浸っている時間も、長くはない。

「もう一つ!!」
「ぐっ!?」

右の手刀に続き、全身の捻転を使った左拳が叩き込まれる。
だが、シェルコートの守りは未だ健在。
チンクの小さな体は大きく弾かれたが、実質的なダメージはそれほどではない。

落下と同時に二度三度と床を転がるも、即座に置き上がるチンク。
見れば、そこには明らかに爆発を浴びたであろうことが分かる、かなりボロボロのギンガの姿。

「貴様、どうして……」
「無事なのかって? そんなの……………………鍛え方が違うわ!!」

訳がわからないと言わんばかりのチンクに、無闇に自信たっぷりに言い切るギンガ。
『そう言う問題か?』とは、誰よりもチンクが思う所だが……さもありなん。
確かに防御魔法を展開したりもしたが、一番の要因は「やられ慣れている」こと。
バリア越しにあの程度の爆発を浴びた位で意識が飛ぶほど、やわな鍛え方はされていない。

(とはいえ、ここで闘うのはちょっと分が悪いわね)

爆発物の使用において、最も効果を発揮するのは狭く密閉された空間だ。
発生する衝撃は拡散することなく押し込められ、その全てのエネルギーが襲い掛かる。
ここの場合、ある程度開けてはいるが……良い状況とは言えない。

ギンガには、相手が何度先ほどの様にギリギリまで引き付けてからの爆発を行えるかがわからないのだ。
一度や二度なら良い。その分だけ耐えきり、後はクロスレンジで押し切るだけの話だ。
しかし、その回数如何によっては先にギンガが限界を迎えるかもしれない。
距離を取ろうにも、そうすると今度は相手からの一方的な攻撃に晒される。
かと言って、一時的でも相手の能力の射程外にまで離脱できるほどの広さはない。

退ける物なら退いてしまいたい所だが、それはダメだ。
チンクの能力は危険すぎる。野放しにすれば、さらに本部内を破壊され混乱が増す。
また破壊された箇所の崩落など、二次被害による犠牲者が出る可能性もある。だから退けない。
少なくとも、自分の手で抑えていられるうちは……。

故に、ギンガが普段以上に慎重になるのは、ある意味当然のこと。
慎重になる事で長く足止め出来るようになるのなら、それに越した事はないのだから。
だがそれは、チンクの側からも言える。

(やはり、一人で捕獲するのは容易ではないか。
 アノニマートがいればまだやりようもあるのだろうが……)

あれは、同格以下の相手に対し複数で闘う事を良しとしない。
武人気質とでも言えばいいのか……とにかく、今ここにアノニマートを呼んでも手は出さないだろう。
仮にアノニマートにやらせてサポートに入ろうとしても…奴のことだ、どうせ拳を引いてしまうに違いない。

それがアノニマートの良い所でもあり、悪い所でもある。
その上、自由気ままというか……あれはあれで思うように動いてくれるタイプではない。
今も、どこぞで道草でも食っているのだろう。

(時間をかけてジワジワ削っていければいいが…その場合、あちらの救援が駆けつける可能性が高まる一方。
さて、どうしたものか……)

そもそも数の上において、スカリエッティ側の方が不利なのだ。
魔導師の天敵となるガジェットの数を揃えて誤魔化しているが、ある程度以上の戦力となると限られてくる。
その不利を覆す為に、こうして奇襲や電撃作戦に出ているのだ。
時間をかけると言う事は、その不利が再度表面化することを意味する。
それこそ、もし相手が数を揃えてくれば……チンク達に勝ち目は薄い。

(となると、やはりターゲットは一人に絞り込むのが肝要だな)

此度のターゲットは三人。されど、こうなってくると一度に三人バラバラに捕獲するのは至難の技。
あるいは標的を変え、より狙いやすい方に絞るべきかもしれないが……。

(その場合、敵は集団。それはそれでやり辛い……ならばここは、この一人に絞るとしよう)



  *  *  *  *  *



時を同じくして、地下通路の別区画。
なのは達と合流し預かっていたデバイスを渡すべく行動していた新人達の前にも、やはり敵が現れていた。

先行するスバルへの射撃に続く蹴撃。
それらを辛くも回避したスバルだったが、先の蹴撃は明らかに取りに来ていた。

「ノーヴェ~。一応言っておくっスけど、作業内容は捕獲対象三名、全部『生かしたまま』持って帰ること。
 忘れてないっスよね?」
「うるせぇよ、忘れてねぇ」

残る三人の周りに誘導弾と思われる光球を十数発配したであろう、身の丈以上のボードを持った赤毛の少女が注意する。
それに対し、ノーヴェと呼ばれたこれまた赤毛の…ただしスバルと瓜二つの顔立ちをした少女はつっけんどんに返した。

「大体、旧式とはいえタイプゼロがこの程度で潰れるかよ」
「ま、実際ノーヴェの蹴りをちゃ~んと避けてるっスもんね」
「……」

もう一人の赤毛…ウェンディがからかうように言うと、ノーヴェは不機嫌そうに眉を寄せる。
本人としては一撃で潰すつもりで打ったのに、その実空振りに終わった。
それが面白くないのだろう。

「戦闘…機人」
「せっいか~い♪ と・こ・ろ・で……そっちの青髪と赤毛のお二人さん。
 大人しく付いてきてくれると、私達としてはとっても大助かりなんスけどねぇ。
 ねぇ、タイプゼロとプロジェクトFの遺産?」
(こいつらの狙いは、スバルとエリオ?)
「ウェンディ!」
「別にいいじゃないっスか。その方が手間省けて楽できるっスよ」

いきなり降伏勧告をするウェンディに食ってかかるノーヴェだが、当のウェンディはどこ吹く風。
その態度の端々には余裕が見て取れ、仮に拒んだとしても確実に目的を達成できると言う自信が溢れている。

「それで、返答は? 大人しく付いてくれば、そっちのお仲間さん達が酷い目にあう事もないっスけど?
 場合によっちゃあ、死んだ方がマシ…な~んて事になるかもしれないっスよ」
「話にならないわね、誰が仲間を売るもんですか。そうでしょ、キャロ?」
「はい!」

スバルはやや離れているからか、手近な所にいるエリオを庇うように前に出る二人。
スバルとエリオは一瞬顔を伏せるも、すぐに決然とした表情で表を上げる。
そこには、仲間たちに対する確かな信頼があった。

「折角の申し出だけど……」
「きっぱりはっきり、お断りします!」
「ありゃりゃ……」
「おい、もういいな、ウェンディ」
「そうっスねぇ、交渉も決裂したし……」

『やれやれ』とばかりに肩を竦めるウェンディと、苛立ちを隠そうともしないノーヴェ。
だがそんな二人に、ティアナの口から暗い声音が漏れる。

「それに……」
「「ん?」」
「死んだ方がマシ…ですって?」
「あははは……わかってないねぇ。うん、ほんとわかってない……」
「良いですか、死んだ方がマシって言うのはあなた達にやられる事じゃなくて……」
「「「達人と関わることだ(です)!!!」」」

吠える三人。敢えて誰かは明記しないが、特に地獄を見た三人が涙を流しながら吠えた。
ちなみにノーヴェとウェンディ、それに取り残されたもう一人はなんとも言えない顔をしている。

「アンタ達にわかる! 『組手だ!』って言ってトラックを粉砕する様な拳が薄皮一枚の所を掠めて行くのよ!! その上、上手くできないとバカスカ大口径の銃弾ぶっ放す鬼女に追いかけられるし……いい加減にしろ、トリガーハッピー!!」
「なんだかわからないうちに四六時中刺客に狙われるようになって、来る日も来る日も命を狙われる日々……もういや、あんな修羅地獄!!」
「毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日抱き枕やオモチャ、果てはお風呂道具にされて……僕だって男だぁ! そのうちキレますよ、負けるけど!!」
「あ、あの~、エリオ君まで一体……」
「う~わ~、なぁんか良くわかんねぇっスけど……苦労してるんスねぇ」
「ってなに同情してんだよウェンディ! 良いからさっさとやるぞ!」
「あ、ああ! そうだったっス!」

溜まりに溜ったフラストレーションの発露。
あまりに悲痛な魂の叫びに、思わず戦意喪失しかけるウェンディ。
だが、危うい所でノーヴェの指摘により本来の目的を思い出す。
ウェンディはティアナ達の周囲に展開した光球に号令をかけ、一斉に三人に向けて光球を殺到させる。
同時に、ノーヴェもウィングロードによく似た黄色に輝く道を展開し、再度スバルに向けて踊りかかった。

「フローターマイン…Go!」
「エアライナー!」
「エリオ、キャロ! 頭を下げてスバルと合流! 行って!」
「「はい!!」」

ティアナの指示に従い、姿勢を低くした状態で一気にスバルの下へと駆けて行く二人。
その間にティアナは手元に大ぶりの魔力弾を生成、それを残して彼女もまた姿勢を低く。
と同時に、残された魔力弾が一気に炸裂。
かなりの爆風を発生させると、殺到して来ていた光球が連鎖的に爆発していく。

「ウソ!? まさか、一目で見抜かれた!」

ウェンディが展開していた「フローターマイン」とは射撃技能の応用技の一つ。
空間に反応弾をばら撒いて相手の行動を阻塞する訳だが、この反応弾はちょっとした刺激にも反応して爆発する。
回避は不可能と判断したティアナはこれを逆手に取り、意図的に強い衝撃を与える事で被害を最小限に抑えた。

無論、ウェンディが配したのが反応弾か否かを見抜くのは容易なことではないだろう。
だが、様々な状況証拠から推測し、仮定し……見抜く事は不可能ではない。

「ウェンディ!」
「わかってるっスよ!」

姿勢を低くし、ティアナに先んじて動いていたエリオがウェンディに迫る。
ウェンディはエリオに狙いを絞り、手に持った盾から次々に光弾を放って行く。
エリオはそれを身を低くしたまま蛇行する様な動きで回避。その間に……

「フリード、ブラストフレア!」
「いぃ! こんな所で火炎弾て…正気っスか!?」

キャロの指示で、フリードの口から数発の炎弾が吐き出される。
それは真っ直ぐウェンディの下へと飛び、炸裂。
更に、今まさにノーヴェと真正面から拳と蹴りをぶつけ合っていたスバルが僅かに引き、振り抜かれたノーヴェの脚を取った。

「こいつ!」
「ぜりゃぁあぁぁぁ!」

取った脚を背負いこみ、渾身の力で炎の向こう側へと投げる。

「あち、あちちち!?」
「野郎ぉ、舐めた真似しやがって!」

熱気と炎に晒され、スバルとエリオの姿を見失う二人。
そこへ、天井ギリギリの所から無数の魔力弾が降り注ぐ。

「そんなもんが!」
「待つっス、ノーヴェ! これの狙い……あたしらじゃ、ない?」
「なんだと!?」

ウェンディの読み通り、それらは二人を狙ったものではない。
狙いは、二人の後ろに立ち並ぶガジェット達。
如何に二人でも、ガジェット達に殺到する魔力弾の全てを落とすことなどできない。
いや、それ以前に……

「うおぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉ!」
「ぐぁっ!?」

シールドを展開し、炎の壁を強引に突破したスバルがノーヴェを思い切り殴りつける。
不意をつかれたノーヴェは、そのまま通路の奥に向かって弾き飛ばされた。

「ノーヴェ!」
「エリオ!」
「はい!」

スバルの背からエリオが飛び上がり、残るウェンディ目掛けてストラーダを振り下ろす。
速度はあれども頑丈ではないエリオに代わり、防御の堅いスバルが道をこじ開けてやったのだ。
ウェンディはその一撃を盾で防ぐも、そうなると当然もう他に守ってくれる物はない。

「いやぁぁぁぁあ!」
「がっ……!」

スバル渾身の後ろ回し蹴りが突き刺さり、ノーヴェに続きウェンディも吹っ飛ばされる。
ここで追撃をかければ、あるいは二人を倒すこともできるだろう。
だがティアナは、この場限りの勝利に拘泥しない。

「撤退! 急いで!」

ティアナの号令に従い、三人は一斉にその場から離脱する。
最優先目的は、なのは達と合流して預かっていたデバイスを返却すること。
そうすれば、なのはやフェイトといった大きな戦力が復活することになる。
無論、それが早ければ早い程味方が被る損害は減るのだ。
ならば、この場での勝利に固執するよりも、一刻も早く合流する事を優先する。

それが結果的に多くの味方を救い、戦況を良い方向に持っていくことになるのだから。
その為には、万が一にも預かっていたデバイスを紛失したり、足止めされるリスクを背負うべきではない。
相手は戦闘機人。まだまだ不明な点が多い以上、迂闊な追撃はリスクを高めるとの判断である。
そして二人が身体を起こした時には、既に四人はその場からある程度距離を取った後だった。

「こ、の、野郎――――――っ!」
「いっつぅ……」
「あ~あ~、情けないなぁもう。相手を甘く見て、油断してるからそう言う事になるんだよ?」
「てめ…アノニマート!」

悔しそうにする二人の下に、ひょっこり蔭から顔を出すアノニマート。
いつからいたのか定かではないが、この様子ではしばらく見物していたらしい。

「いたんなら、なんで加勢しなかった!」
「いやだって…ほら、あれでしょ? 手を出したら出したでノーヴェ怒っただろうし……」
「ああ、それは確かに……」
「んだと、ウェンディ!」
「いや、あたしに怒鳴るのってもう八つ当たりっスよ!」
「だねぇ。ノーヴェの方がお姉ちゃんなんだし、もうちょっと落ち着きなよぉ~」

ノーヴェも怒りをぶつけるのが八つ当たりに過ぎないとわかったのか、それ以上怒鳴り散らす事はしない。
ただそれでも、見ているだけで何もしなかったアノニマートへの視線はきつい。
いや、なにもそれはノーヴェに限った話ではないが。

「でも、ノーヴェの気持ちも分かるっスよ。な~んであたしらの事、見捨てたんスか?」
「見捨てたつもりなんてないよぉ~。もしあれ以上やられる様だったら、加勢に入るつもりだったけど……そうはならなかったしね。いやはや、ティアナさんってば…ホントいい判断をするようになっちゃって……」

何やら嬉しそうに、あるいは楽しそうに「クツクツ」と笑い声を零すアノニマート。

「でもさ、僕言ったでしょ? あの子達とやるんなら、それ相応に気を引き締めた方が良いよぉ~って」
「あんなふざけながら言われても、信憑性ゼロっスよ…まったく」
「アイツら…今度会ったらタダじゃおかねぇ!」
「いいねぇ、その意気その意気♪」

『やはり敗北は人を成長させる』二人には聞こえない様に、アノニマートは呟く。
二人は良い腕をしているのだが、如何せん実戦経験が乏しい。
そのおかげで、いつかの自分の様に増長している部分があった。
この先、闘いは激しさを増す。早めにその慢心を消す為、敢えてアノニマートは手を出さなかったのだ。

「それじゃ、一つアドバイス。ティアナさんは幻術を使うから、次やる時は気をつけなよ。
 あれ、使い方次第ではかなり厄介だし……ティアナさんはその辺、かなり上手いよ」
「ふん、あたしらの眼にそんなもんが通用する訳ねぇだろ」
「そうっスよねぇ……」
(だと良いんだけど、どうかなぁ?)

何しろ、ティアナはナカジマ姉妹とは長い付き合いだ。
だとすると、あまり自分達の性能を過信すべきではない。
そもそも、もしかすると次を見据えて使わなかった可能性すらある。
だとすれば、警戒し過ぎると言う事はない。
それほどまでに、アノニマートはティアナ・ランスターという少女を高く評価している。

(まぁ、勝負は心技体と時の運だし……どうなる事やらって感じだけど)

時の運など人の身にはどうにもならないので除外するとして、技と体では引けは取らないだろう。
特に体は戦闘機人という存在である以上、上回っていると言っていい。ただ、問題なのは……

(心か……どうだろう? ある意味、彼女が一番「一人多国籍軍」に近いからなぁ)

彼とて、出来るなら二人には勝ってほしいと思う。
姉なのか妹なのか、彼の立ち位置上イマイチ判然としないが……それでも家族だ。
負ける姿を見ると言うのは、あまり良い気分のするものではない。
とそこへ、三人の眼の前にモニターが出現した。

「ん、チンクから?」
「ノーヴェ、ウェンディ。二人とも、ちょっとこっちを手伝え。
 もう一機のタイプゼロ、ファーストの方と戦闘中だ」

映し出されたモニターの向こうには、絶対防御の前羽の構えでチンクと対峙するギンガの姿。
どうやら、あちらはあちらで手古摺っているらしい。
ノーヴェ達と違い、経験豊富で冷静沈着なチンクを相手に、だ。
彼女に油断や慢心はない。こと戦闘においては、ナンバーズにおいてトーレと並び立つ存在だ。

(益々腕を上げちゃって……いっその事、乱入するっていうのも……イヤイヤ、ダメダメ。
 今はグッと我慢の子。多対一って言うのは、さすがに武人として……)

本当は今すぐにでも拳を交えに行きたい欲求を抑えた。
また、『乱入は男のロマン』というフレーズが頭をよぎるが、首を振って否定する。
確かにそそられる物はあるが、やればいいというものではない。
彼のオリジナルは、その辺りで一影九件の一角から怒りを買ってしまった。
アレが結局どちらが正しかったかは未だ彼にもよくわからないが、『気を付けよう』と自戒しているらしい。

「なら、チンク姉。アノニマートの奴も一緒に」
「いや、アノニマートはいい。お前達だけで来い」
「え? でも……」
「アイツはこういうのは好まん。かと言って、こいつを見逃すわけにもいかん。ならば止むを得んだろう」
「「……」」
「そんな顔をするな。私としては、アイツのそう言う所は嫌いではないんだ」
「サンキュ、チンク」
「どれほど救い難い変態でも、家族…だからな」
「チンク、ちょっと傷ついたよ……」
「お前がそんなタマか。まぁ代わりと言っては何だが、私達が倒しても…文句は言うなよ」
「…………………了解」

そうして、ノーヴェとウェンディはチンクに加勢するべく移動を開始。
アノニマートもまた、セインと組んで適当に破壊工作に勤しむのだった。






あとがき

さて次回ですが…………六課の方に視点を移します。
兼一がいるし……というのは確かにそうなんですが、それはスカリエッティ側もわかっていること。
地上本部側と違って、こっちはちゃんと「達人」ってものをわかってます。
なので、その辺はしっかり考えた上での行動になりますね。
まぁ、あれですよ。幾ら兼一がAMF関係なしに化け物してると言っても、所詮は一人の人間です。
攻略する…とはいかなくとも、一時的になんとかする方法は結構あるわけで……。

ちなみに、当初の予定ではチンク戦の結果までやるつもりだったんですが……次回が短くなりそうな予感がしたので、補強もかねて次回に回します。うん、我ながら実に行き当りばったり…まぁ、いつもそんなもんですが。



[25730] BATTLE 39「機動六課防衛戦」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:45

時間をやや遡り、機動六課管制室。
有事に備え詰めていたロングアーチの面々だが、今や状況把握と本部との通信回復のためにここもまた一つの戦場と化していた。
錯綜する情報、時間を経る毎に強度を増す通信妨害。
映し出される画面には、今なお多くのガジェットが本部ビルやその周辺を囲んでいる。
しかしそこで、待機部隊の指揮を任されたグリフィスが呟いた。

「妙だ……」
「妙って…なにが?」

グリフィスの呟きに、この中ではグリフィスに次ぐ地位のシャーリーが聞き返す。

「ガジェットの動きが緩慢過ぎる。
奇襲である以上ことは迅速に進めるべきなのに、やっているのは囲んで閉じ込める事だけ。
これじゃ、周辺部隊が集まってきて包囲が解かれるのも時間の問題だ」

如何にガジェットのAMFが魔導師の天敵とはいえ、対抗手段がない訳ではない。
六課の様に特別意識して訓練をしていなくても、AMFの範囲外から物質加速などで瓦礫などを射出してやれば、それでもガジェットを破壊することができる。
実際、当初は混乱し右往左往していた本部の警備達や周辺部隊も散発的な抵抗を始めている。
これが一つのまとまった反撃に発展するまで、おそらくそう時間はかからないだろう。

「言われてみれば……」
「確かに、地上本部を手玉にとった事実だけでも兵器の威力証明には充分かもしれないけど、本当にそれだけか? たったそれだけの為にこんなリスクを?
 いや、そもそもやろうと思えばそれ以上のことだってできた筈なのに……」

事実、襲撃直後の最も混乱したタイミングなら、今以上の成果だって望めた筈だ。
なのにそれをしない。目的が威力証明だとしても、ここで手を止める理由がない。
やっているのはあくまでも現状維持。ただただ地上本部を封鎖し、抵抗を抑えるのに必要なだけの攻撃しかしない。初期に放たれた砲撃も散発的で、破壊されたガジェットの補充もまばら。
これではまるで……

「時間稼ぎ? だとしたら、なんの為に……」

グリフィスが何かのとっかかりに気付き、そこから相手の思惑を予想すべく考察を始める。
だがそれは、あまりにも遅すぎた。

突如として管制室内を染める赤い照明、鳴り響くアラート。
その二つが、危機がすぐ目の前まで迫っていた事を突きつける。

「っ! そんな、高エネルギー反応2体! 高速で飛来!」
「他、ガジェットの反応多数! 20、50…まだ増えて行きます!」
「くっ、そう言う事か……待機部隊迎撃用意! 近隣部隊に応援要請!」
「はい!」
「総員、最大警戒態勢!」

指示を飛ばすと同時に隊舎内に放送を入れ、バックヤードスタッフを避難させる。
ここはもう後方ではない―――――――――最前線だ。



BATTLE 39「機動六課防衛戦」



避難指示が出てから数分後。迅速な行動の結果、バックヤードスタッフの避難はほぼ完了。
最後まで付き添ったザフィーラと兼一、そしてシャマルは自らも迎撃に出るべく踵を返す。
だがそこで、ザフィーラの蒼い毛並みを何かが引きとめた。

「ん?」
「ザフィーラ……」
「案ずるな。お前達には、我らが指一本触れさせはせん」

アイナの腕の中で、不安げに見上げて来るヴィヴィオに軽く顔を擦りつける。
その横では、兼一もまた一人息子の頭に手をやっていた。

「じゃ、僕も行ってくるけど……いいかい? みんなの言う事をよく聞いて待ってるんだよ」
「……うん」
「そんな顔しなくても、ちゃんと帰ってくるよ。まだまだ教えなくちゃいけない事が、たくさんあるからね」
「そうよ、翔。大丈夫、私がちゃんと二人をサポートするから」

翔の頭を撫でる兼一に続き、シャマルが軽くウィンクしながら胸を張る。
少しは功を奏したのか、二人の表情から僅かだが緊張の色が抜けた。
それを確認した兼一は、二人を抱くアイナに後を託す。

「アイナさん、翔とヴィヴィオちゃんをお願いします」
「ええ、気をつけて」

その言葉を背に、今度こそ一歩を踏み出す三人。
ザフィーラは曲がり角を曲がり、皆の姿が見えなくなった所で通信回線を開く。

「グリフィス、ザフィーラだ。避難誘導は完了した、我らも打って出る」
「はい、お願いします」

待機部隊と言っても、六課の主力の大半は地上本部の警備に回ってしまっている。
この三人を除けば、めぼしい戦力はないも同然。
つまり、六課防衛はこの三人に掛かっていると言っていいだろう。

「それで、配置はどうする?」
「……隊舎正面で迎撃するしかないでしょうね。
 あまり前に出過ぎると、今度は私達を迂回されてしまうし……」

あちらとて、こちらにほとんど戦力が残っていない事は承知しているだろう。
ならば当然、三人が前に出過ぎれば敢えて戦おうとせず回り込んで直接隊舎を狙う恐れがある。
そのため、六課側が取れる戦術は酷く限られた物だ。
その限られた自由の中で、より効率的な方法は何か。
守護騎士たちの中にあって参謀役を務めるシャマルが、その頭脳を高速で回転させる。

「そうなると、二人はAMFをモロに受けちゃいますよね?」
「已むを得んだろう。確かに苦しいが、やるしかあるまい」
「いえ……一つ策があります」
「「……」」
「兼一さん、かなり無茶なお願いになりますけど……」
「大丈夫ですよ。大概の無茶は、もう師匠と新島にやり尽くされましたから」

申し訳なさそうなシャマルに対し、兼一は「大抵の無茶はもう経験済みだ」と肩を竦める。
その身体が僅かに震えているが、この場では「武者震い」という事にしてほしい。
とそこへ、先ほど通信を切った筈のグリフィスから再度通信が入る。

「みなさん、少しよろしいでしょうか?」
「「「?」」」
「敵の数が概ね確定しました。ガジェットの総数、約500。戦闘機人が2体。……今の所、達人と思しき人影などは観測されていません。ですが、あまり常識の通用する相手ではありませんから、なんとも……」

イーサンが多少なりともあちらに組みしていた以上、当然警戒すべき存在に達人も含まれる。
いるかどうかは定かではないが、いると思って対処するべきだろう。

「500……多いわね」

対処しきれないとは言わない。だが、守らなければならない物の大きさなどを考えると…苦しい。
ザフィーラとシャマルの場合、さらにガジェットのAMFのこともある。
正直、500機のガジェットに囲まれれば、発生するAMFの濃度だけでも非常に危険だ。
ましてやそこに、戦闘機人も絡んでくるとなると……。

「他の部隊からの応援はどうなのだ?」
「難しいでしょう。どこも、今発生している事態への対処に終われていますし、余剰戦力は本部の支援に出払った後でしょうから……」

おそらく、それを狙った上での包囲と時間稼ぎだったのだろう。
新人達も本部ビル内部に入ってからはほとんど連絡が取れず、隊長達は完全に音信不通。救援は望めない。

「状況は、良いとは言い難いわね……」
「はい、その上で僕から提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
「聞こう」

最も六課が置かれている現状を把握しているであろうグリフィスが語る案。
それは今よりも、これから先を見据えた上での提案だった。

「如何でしょう。よろしければ、みなさんの御意見を伺いたいのですが……」

尋ねるグリフィスの声には、抑えきれない苦渋が滲んでいる。
自分が言った事は、三人に……いや、三人を含めた何人かに「犠牲になれ」と言っている様な物だ。
指揮官は時に、部下に対し「死ね」と命じるのも役目とはいえ……まだ若いグリフィスには、割り切れるものではない。
だがそれでも、三人はその提案を是とした。

「私は構わん」
「ええ、僕も」
「となると、やっぱりさっきの策で行くしかありませんね。
 すみません、兼一さん。あなたに押し付けるような形になってしまって……」
「この状況じゃ大変なのはみんな一緒ですから、気にしないでください。
 むしろ僕の働き次第なわけですし、みんなの命を預かるのも同然じゃないですか。
 そっちの方がプレッシャーですよ」

しかし、そう言う時にこそ真の勇気と力を発揮するのが白浜兼一という男でもある。
今回ばかりは、「スロースターター」などとは言っていられない。
迅速に、初手から全力を出さねばならないのだから。

「でも、兼一さんには翔だっているんですから、危なくなったら……」
「それこそみんな同じですよ。みんな帰りを待っている人がいるんです。なら、全員を生きて帰すのがここに残った僕の役目ですから…って、ホントは僕達が帰りを待つ側なんですけどね」

これでは立場が逆だと、兼一は困ったように頬をかく。
とそこへ、三人に代わりにバックヤード陣の護衛を任されたヴァイスが、汎用デバイスを手に駆けて来る。

「兼一!」
「ヴァイス君! ごめん、みんなをお願い!」
「おう、おめぇもしっかりな! ガキ共のこと泣かすんじゃねぇぞ」
「うん」

握り拳で軽く兼一の胸を叩くと、今度はザフィーラとシャマルに向き直る。

「旦那達も、気ぃつけて」
「ああ、お前もな」
「ヴァイス君も、あんまり無茶しちゃダメよ」
「ははは…知ってるでしょ。俺の場合、したくてもできねぇんですよ」

むしろヴァイスの場合、こうして戦闘に参加する方が無茶なのだ。
彼は以前、とある部隊でアウトレンジからの狙撃に関してはエース級の腕前とまで称されたことがある。
しかしある事件を機に、彼は銃を置いた。
それ以来、本来なら彼はもう二度と武器を手にする事はない筈だったのだから。
そんな彼にとって、再度武器を手に取る。それは、何よりも心を擦り減らす無茶なのだ。

「それじゃ、また今度!」

いつもと変わらぬ挨拶を残し、ヴァイスは通路の奥へと進んでいく。

「では……」
「はい、僕達も行きましょう」
「ええ」

三人も、それぞれ再度向かうべき戦場へ向けて走り出す。
地上本部に続き、機動六課もまた戦火の波に晒されようとしていた。



  *  *  *  *  *



場面は移って、地上本部地下通路。
連鎖的に巻き起こり反響する爆音が聴覚を麻痺させ、眩い閃光と爆炎が視覚を潰す。
そんな、碌に五感さえも働かなくなりつつある戦場を、ギンガは縦横無尽に疾走する。

「はぁぁぁあぁぁ!」
「シッ!」

眼帯をつけた少女…チンクは迫りくるギンガに向けて、右手の指の間に挟んだナイフを放つ。
ギンガは即座に軌道を予測し、ウィングロードで大きくS字を描くように回避する。

本来、ギンガならば紙一重の所で回避することも不可能ではない。
回避の動作を最小に抑えることができれば、それだけ効率も良い。
だがこの敵は、それを許してくれるような相手ではない。

「させん!」

チンクが右腕を払うと、それに従いナイフ達が一斉に軌道を変えてギンガに向けて殺到する。
チンクのIS「ランブルデトネイター」は、何も金属を爆発物に変えるだけのものではない。
爆発のタイミングはチンクの任意で決められるし、中距離での遠隔操作も可能。

故に回避した瞬間の爆破も可能であり、そうなれば最小限の回避では余波の餌食となる。
それがわかっているからこそ、ギンガも大きく回避したのだが……それでもなおこれだ。
次々に襲い掛かるナイフから逃げるように速度を上げるが、ナイフ達は猟犬の如き執拗さでギンガを追いたてる。

「ハッ!」

そこへ更に、左手に構えていたナイフが追加された。
背後に続き、正面からもナイフが迫る。

曲がるにせよ止まるにせよ、僅かでも速度を緩めれば背後のナイフの餌食。
しかしこのまま進んでも、それはそれで正面から迫るナイフに晒される。
『前門の虎、後門の狼』そのままな状況で、ギンガが下した決断は…………強行突破だった。

「ブリッツキャリバー!」
《All right》

愛機はギンガの想いを汲み、さらにローラーの回転を上げる。
ナイフが目前にまで迫った所で、ギンガはウィングロードを蹴って跳躍。
両腕で頭を守り、膝を曲げる事で身体を可能な限り小さくまとめ、正面にシールドを展開。
そのまま一気にナイフの群れの中へ突っ込んだところで……爆発が生じた。

(自棄になったか? ……いや、そんな相手ではない!)

自身もまた爆風に煽られながら、なおもチンクは気を緩めない。
確かにギンガは爆発のど真ん中に自ら突っ込んだ。
だがその代わりに、背後から迫るナイフは爆風により四散。
結果的に、最悪のシナリオである前後からの同時爆破という事態を回避して見せたのだ。
そんな強かな相手が、これで終わるとは思えない。

そして、そんなチンクの予想は正しかった。
爆煙を掻き分け、ギンガが着地すると同時にローラーと床の間に眩い火花が生じる。

「ぶはぁ!」

息を止め、煙や熱気を吸い込まないようにしていたのだろう。
ギンガは新鮮な酸素を求め、大きく口を開けて肺の中の空気を入れ替えた。

その姿は先ほどまでよりなお一層みすぼらしく、バリアジャケットは至る所が焦げている。
また長く艶やかな髪は爆風に煽られた事で乱れ、端麗な顔は煤で汚れ所々に火傷の痕が見て取れた。
しかしそれでもギンガの戦意には一片の揺らぎもない。
彼女はチンクの姿を再度発見すると、そのまま一息に間合いを詰める。

だがそこへ、再度スローイングナイフ「スティンガー」が放たれた。
さすがにそう何度も爆発の真っ只中へのダイブはしたくないのか、ギンガはリボルバーナックルを装着した左腕を構える。

「リボルバー……シュート!」

カートリッジを一発消費し、ナックルスピナーの回転により生じた衝撃波が打ち出される。
それ自体は小ぶりなナイフに過ぎないスティンガーは煽られ、チンクへと続く道が開かれた。
チンクは急ぎスティンガーを操作して穴を埋めようとするが、それよりギンガの方が早い。

ブリッツキャリバーを加速させ、一息の内にスティンガーの隙間を駆け抜ける。
そしてようやく、ギンガはチンクを間合いに捉えることに成功した。

「チィッ!」

ギンガほどの機動力のないチンクでは、今更飛び退いた所で再度間合いを取ることは難しい。
かといって、先ほどの様に至近距離で爆発させようにも…最早ナイフを投じてコートを翻す時間はない。
已む無く両手にナイフを構え、チンクは迎撃態勢に入る。

「はぁっ!」
「おお!」

拳とナイフ。両者がぶつかり合う度に激しい火花が散る。
ギンガはチンクにナイフを投げる隙を与えないよう大振りを避け、手数中心に息もつかせぬ連撃。
それに対しチンクも、順手に構えたナイフで丁寧にそれらを捌いて行く。

体格差、パワーの差を考えればそれも当然。
まともに受け止めれば、それこそ致命の隙を生むことになるだろう。
それがわかっているからこそ、チンクは決して真正面から受ける事をしないのだ。

しかしそれは、ここに来て戦況は覆ったことを意味する。
それまで攻め手に回っていたチンクが、接近戦になると同時に守りに徹しているのだ。
無理もないだろう。決して苦手としている訳ではないにしても、チンクの専門は接近戦ではない。
それに対し、ギンガの専門は接近戦。どちらに利があるかは、言うまでもない。

「ぐっ、ぬぅ……」
(見事なナイフ捌き……この人、接近戦でも強い)

さすがに押され気味になってはいるが、それでも中々有効打を入れさせない相手の技量に舌を巻く。
むしろ、一瞬でも隙を見せればあのナイフは蛇の様に滑り込んでくるだろう。

こうして攻め込んでいる今も、手首や前腕の付け根、肘の内側を狙っているのが分かる。
隙を見せれば、チンクは確実にそれらにナイフを滑り込ませてくるだろう。
そこで腱や太い血管などを切られれば、今の状況は再度ひっくり返る。
それどころか、直接正中線への致命傷を狙ってくる可能性も拭えない。
それだけの鋭い眼光が、鉄壁の防御の隙間から垣間見える。
しかも、厄介なことがもう一つ。

「でやっ!」
「くぅ……」
(やっぱりこの装備、貫手も拳も通さないか。
良いのは何発か入れてる筈なのに、まるで手応えがないなんて……)

どのような構造になっているかは定かではないが、少なからず有効打は入っている筈。
にもかかわらず、相手は少し顔を歪めるだけで動きが鈍る様子もない。
これでは、いくらやっても意味がないのではないか。
そんな不安が、徐々にギンガの胸の内で湧き上がってくる。

「どうした、もしや不安なのではないか?
 このまま私を倒しきることができず、また振り出しに戻ってしまうのではないかと」
「……っ!」

図星を突かれ、僅かにギンガの心が揺らぐ。
その隙を逃さず、チンクのナイフがギンガの右肘の内側を斬り付けた。

「つっ!?」

幸い踏み込みが浅く、大きなダメージにはなっていない。
バリアジャケットを裂き、内側に隠された肌から僅かに血が滴っている程度。
しかしそれが、かえってギンガの頭に冷や水をかけることになる。

(落ち着いて、焦っているのは相手も同じ。そうでなければ、この程度で済んでいる筈がない)

自分自身に言い聞かせるように、手を止めることなく何度も何度も反芻する。
この考えが正しいかどうか、実の所ギンガにも自信がある訳ではない。
もしかしたら違うのかもしれないが、そう考える事で落ち着きを取り戻そうとしている。

ギンガが焦りを押さえ、心を落ち着けるまでの僅かな時間。
二人の力は拮抗し、何閃かの斬撃がギンガの身体を撫でていく。
その度に赤い血の線が刻まれたが、ギンガは努めてそれらを思考から締め出し目の前の敵に集中する。
そして、なんとか落ち着きを取り戻した所で……ギンガは手を変えた。

(掌打? それとも手刀か?
 同じ事だ。それではシェルコートの守りを突破する事は……)

滑り込ませるようにして右手の側面を突き出し、相手の体に密着させる。
だがそれだけで、これと言って何も起こらない。
そのあまりの弱々しさに、チンクはここが好機と右手首を断ちに いく。
しかし、それよりわずかに先んじる形で、ギンガはその場で強く踏み込み掌を押し出す。

「フンッ!」
「がはっ!?」

あまりの衝撃にチンクの体が僅かに後ろにたたらを踏み、その口からは大量の空気が吐き出された。
何が起こったか理解できないチンクだったが、そこへ更に追撃が掛かる。

後ろに下がったチンクに向け、間合いを詰めると突き上げと膝蹴りを同時に行う「迎門鉄臂(げいもんてっぴ)」。
これによりチンクの体が浮き上がり、眼前に浮かぶ胴体目掛けて堅く握りこんだ左の正拳を叩きこむ。

「せや!」

必倒を着した一撃により、チンクの体は大きく後方へと飛ばされる。
だが、渾身の一撃を入れたギンガの手に残った手応えは満足のいくものではなかった。
それどころか、ギンガは生じた痛みに眉を歪める。

(凄い人。あの状況、あのタイミングで防ぐだけじゃなくて反撃までしてくるなんて……)

先の一撃、入るには入ったがチンクは両腕を挟みこむ事で防御していた。
おそらく、あれでは戦闘不能には至らないだろう。
さらに視線を落とすと、ギンガの左太股に一振りのスティンガーが突き刺さっていた。

ギンガはとりあえず刺さったナイフを引き抜き、放り捨てる。
それなりに深く刺さっていたようで、脚からの出血と痛みは決して軽視できるものではない。

また厄介なことに、ギンガは左利き。それはなにも腕だけではなく脚にも言えること。
これでは、先ほどまでの様な思い切った踏み込みは難しくなる。
ちゃんとした治療をしようにも、状況がそれを許してはくれないだろう。
なにしろ視線の先では、チンクがスティンガーを滞空させて立ち上がってきた所だ。

「貴様、どうやってシェルコートを……」
「中国拳法とかにはね、鎧を着た相手にダメージを与える技って言うのがあるの。
 シールドやバリアだと対象との間に隙間があって効果がないけど、あなたのそれは身体に押し付けてやれば密着する。だから使えた技よ」

『浸透剄』。その名の通り、身体の表面ではなく内部、それもより奥深くへとダメージを刻む技だ。
シェルコートの上から攻撃したのではダメージが薄い。そこでギンガは、シェルコートの上からその先へダメージを送り込む事でこれを攻略したのだ。

「なるほど、武の世界は深淵という事か……だが、理解できんな。なぜ、ISを使わない」
「……」

チンクからの糾弾にも似た問いに、ギンガの肩が僅かに震える。

「貴様のISがどんなものかは私も知らんが…それを使えば、今少し戦いやすくなる筈だ。
 なのに、何故使わない。これは試合ではないのだぞ。
まさか使わなければ、否定し続ければ……それが現実に、貴様達が人間になれるとでも思っているのではあるまいな。タイプゼロ・ファースト、我らと同じ戦闘機人であるお前が」

タイプゼロ。それは、チンク達ナンバーズの元となった実験体の名称。
製作にはスカエリッティの技術が使用されているが、誰がどういった経緯で製作したのかは不明。
それはスカリエッティ側も同様で、彼らですらその詳細はわからない。
わかっているのは実験体が二体いること、両者は同じ遺伝子を用い生みだされたという事、二名はある事件を機に救出され検査の結果オリジナルであることが判明した女性の下に引き取られた事。
そしてその二人は以後、「ギンガ」と「スバル」という名を与えられて生きてきた事だけ。

「貴様もセカンドも、我らと同じ戦闘機人だ。どれほど否定した所で……」
「そうね、現実は変わらない。私もスバルも、一生この身体と付き合っていかなければならない以上、それはどうしようもないんでしょうね」

ギンガとて、言われなくてもわかっている。
否定できるのなら否定したいが、それでも揺るがぬ現実として彼女は戦闘機人。
生命操作技術によって生み出され、体内に無数の機械を埋め込み、戦う為に造られた兵器。
それは確かに事実であり、変えようのない真実でもある。

「我らと来い。お前達もまたドクターの技術によって生み出されたのなら、ドクターは親同然ではないか。大人しく付いてくれば、悪い様にはしないことを約束しよう」
「確かに、スカリエッティは戦闘機人の生みの親。そして私も、あなた達と同じ戦闘機人」
「ならば……」
「だけど私は…人間よ」

手を差し伸べるチンクに、ギンガはどこか気の抜けた表情で目を閉じながら言い切る。

「戦闘機人であることは否定しないわ。でもね、そうであると同時に私は人間よ。ギンガ・ナカジマという、クイント・ナカジマとゲンヤ・ナカジマの娘で、スバル・ナカジマの姉。そして、『一人多国籍軍』白浜兼一の一番弟子。それもまた、覆しようのない現実なんだから」
「……」
「別にね、私は自分の生まれを否定する為に使わない訳じゃないの。例えば、こんな風に」

言うと同時にギンガが瞳を開くと、そこには普段の翠の瞳ではなく金色の瞳。
また、足元にはベルカ式魔法陣とは違う…藍紫色のテンプレートが出現する。
それはまさしく、彼女が戦闘機人であることの何にも勝る証明だ。

「スバルはまだ踏ん切りがつかないみたいだけど、私はこのエネルギーを使うのだって、実を言うともうそれほど抵抗はないの。だって、折角あるんだし……使わないのも勿体ないでしょ?
 この力を使わなくても私が戦闘機人であることが変わらない様に……使ったとしても、私が人として生きてきた今までがなくなる訳じゃないんだから」
「ならば、なぜISを使わない!」
「そっちはもっと簡単な話。単に私が……使わないと決めただけよ。活人と同様、私がそうすると決めたから使わないだけ。ISは確かに強力だけど、その分頼れば心に隙が生まれるから」

今、ギンガが頼みとするのは今日まで培ってきた心技体。
彼女にとって、ISという力は強力であるが故にそれらを曇らせる。
だからこそ、今はまだこの力を使わないと戒めた。
いずれ解禁するのか、それともこの先も使わないのかは分からない。
それでも今はまだ……。

「それが、お前の信念か」
「ええ、それが私の信念よ。まさか、人の闘いの筋の通し方に口出しするなんて、野暮なことはしないでしょ?」
「…………一つ聞こう。お前は、戦闘機人でも人に成れると思うのか?」
「当たり前よ。あなた達も望めば、きっと……」

顔を伏せたチンクからの問いに、ギンガは確信を持って答える。
確かに、それまでには多くの障害があるだろう。
だがそれでも、必ず出来ると彼女は信じている。
人として生きられるようにと育ててくれた両親がいる。人として接してくれる友人や仲間がいる。
自分達に出来たのだ。なら、他の誰かにもできないという事はない。

「魅力的だな、それは……機会があるなら、妹達にも言ってやってくれ。
 ただしそれも、お前達が勝った後の話だが」
「あなたは……」
「「チンク姉!」」
「来たか。すまんが、ここからは少々卑怯な手を使わせてもらうぞ」

ノーヴェとウェンディが加勢に入り、チンクと共にギンガを包囲する様にバラける。

「ISを使わないのが信念というなら好きにしろ。
 だが、それで我らが手を抜くとは思わないことだ」
(不味いわね。さすがに三対一となると……)

今まででも、チンク一人と互角だったのだ。
更に二人も増えては、さすがにギンガでも持ち堪えられるだろうか。
ただ、撤退しようにも逃げ道は塞がれている。
ギンガには最早、「逃げる」という選択肢すら許されてはいない。

(まぁ、しょうがない。戦闘機人三人を引きつけていると思えば、他への負担も軽くなるって事だし。
 スバル達が加勢に来てくれることを期待して……)

現状、ギンガにできる事はとにかく持ち堪えること。
できるかできないかではなく、それ以外に活路がない。
幸い、打たれ強さには少しばかり自信もある。

「なんとか、耐えきってみせようじゃないの!」

妹達にカッコ悪い所は見せられない。
気を入れ直し、ギンガは『生き残るため』の闘いに身を投じる。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、機動六課。
銀色の装甲であるガジェットも、500を超えるとなると遠目には最早黒い津波に等しい。
隊舎前に陣取ったシャマルとザフィーラは、刻一刻と濃度を上げるAMFに顔を歪めていた。

「やはり、かなりの濃度になりそうだな」
「ええ。多分、あれ全部に囲まれたら魔法はほとんど使えないでしょうね」

AMFが濃くなればなるほど、魔法のパフォーマンスは下がっていく。
二人の力量を持ってすれば、それでもガジェット程度ならなんとでもなるだろう。

問題なのは、同時に迫ってきている戦闘機人。
アレを相手にするには、さすがにそこまで抑えられては目が薄いと言わざるを得ない。

「そう言う事だ。頼めるか、白浜」
「が、頑張ります」

通信越しに、なんとも頼りにならない返事が返ってきた。
どうやらあちらも配置についたようだが……この声を聞くと本当に大丈夫だろうかと不安になる。
今頃、通信の向こうではガタガタブルブルと震えていてもおかしくない声だ。

「兼一さん、ガジェットの先頭が作戦開始予定ラインを越えます」
「う、うん! じゃ、お先に行ってきます!」

と同時に、遠方に見えるガジェットの波に飛沫が混ざる。
良く見ればそれは、宙を舞うガジェットであることが分かるだろう。

シャマルが立てた策というのは、それほど奇をてらったものではない。
ガジェットの数が多ければ多い程、シャマルとザフィーラのコンディションは悪くなる。
そうなれば必然、六課前で防衛ラインを敷いても高い効果は望めないだろう。
より確実に六課を守るのなら、少しでも二人をフルパフォーマンスに近い状態に持って行けるようにせねばならない。

その為にはどうすればいいか。
答えは一つ。とにかく、何でもいいからガジェットの数を削ること。それも、六課に到達する前に。
そこで白羽の矢が立ったのが兼一だ。
彼は六課で唯一、AMFなど気にすることなく戦闘能力を振るう事ができる人材。
その兼一を文字通りガジェットの中に突っ込ませ、徹底的に暴れさせる。
そうすることでガジェットの数を削り、AMFの濃度を下げようという目論見だ。

普通に考えれば、敵陣の真っ只中に一人特攻させるなど正気の沙汰ではない。
常識的に言えば、これは捨て駒も同然の扱いだ。
だが六課の面々は知っている。アリが500程度群がった所で、ゾウは倒せない。
そもそも、白浜兼一という一人を一度に攻撃できる数に限度がある以上、彼が一度に相手取らねばならない数はその限界からは程遠い。だからこそ実現可能な無茶な策。

兼一が暴れれば暴れるほど、六課防衛ラインの能力は向上していく。
さらに、兼一が暴れることにより敵に混乱が生じ、陣形が崩れてくれればなお良し。

(本音を言えば、兼一さんにここで戦ってほしかったんだけど……)

彼方でガジェット相手に孤軍奮闘しているであろう兼一を心配しながら、シャマルはもどかしい思いに駆られる。
本来、兼一を特攻させるのは次善の策。
最善は三人が一致団結し、六課前で迎え撃つ形だ。
そうすればそれぞれにかかる負担は分散されるし、いざとなればフォローもし合える。

だが、それは選択できなかった。
500ものガジェットに囲まれてしまえば、魔法を大幅に封じられた二人は兼一にとって足手纏いになりかねない。そうなれば、それこそ兼一が一人で全てを背負い込むことになる。
兼一の闘いやすさを想うのなら、彼は一人で闘った方が楽なのだ。

戦闘機人にしても、兼一がどこにいたところで真っ向から戦おうとはすまい。
あちらの目的が兼一の拿捕ないし撃破でもない限り、確実に兼一以外を攻撃する。
彼の性格上、その間に敵を倒すなどできる筈もなし。間違いなく、守るために身を呈す。
後は簡単だ。兼一一人がどんどん傷つき、いつかは倒れる。
そして、ガジェットに囲まれた残された二人ではいずれ六課を守りきれなくなるだろう。
それがわかっていたからこそ、シャマルはこの案を棄却したのだ。

「案ずるな。奴は、そう簡単に死ぬような男ではない」
「そうね。わかってはいるんだけど……」
(我らは所詮プログラムに過ぎん。だが作り物だとしても……心がある。
 ならばお前もまた、一人の女となりうるという事か……)

昔から彼女は優しかったが、同時に参謀役としての冷徹さ、冷酷さを併せ持っていた。
それが近年、多くの優しい人達との交流で薄れてきたように思う。
あるいはこれが本来の彼女の人格で、昔はそれを抑え込んでいただけなのかもしれない。
守護騎士プログラムとして考えれば由々しき事態だが、ザフィーラはそれでいいと思う。
なぜならそれこそが、彼らの主の望みなのだから。

「(守ってみせるさ。いつか、真にお前を守る男が現れるその時まで……!)
…………………来るぞ!」

ザフィーラが天を仰ぐと、そこには二刀を構えたロングヘアの少女と、中性的なショートヘアの少女。
それから幾らか遅れて、まばらにガジェット達が付いてきている。
どうやら、兼一が上手く撹乱と足止めをしている成果の様だ。
本隊もいずれは抜けて来るだろうが、それまでには些かの猶予がある。

「してやられました。まさか、守る側のそちらから先制攻撃とは……」
「おかげですっかり予定が狂ってしまったよ。まさか、僕達だけでやる破目になるなんて……」
「こちらにとっては好都合だ。数が揃えばAMFが厄介だが」
「今なら影響もそれほどじゃない。あなた達をここで捕まえられれば、充分に勝機があるわ」
「やれるのでしたら」
「どうぞ」
「言われんでも!」
「ここから先、一歩たりとも通しません!」

戦闘機人達目掛けて、狼形態のザフィーラが飛びかかる。
さらに、それを支援する様にシャマルのクラールヴィントも飛ぶ。
それを二刀を構えた少女が迎え撃ち、後ろからショートヘアの少女が六課へ向けて光の奔流を放つ。

「させません!」

クラールヴィントを操りつつ、シャマルは六課へと向かう翠の光の前に更に翠の壁が出現させる。
幾筋もの奔流を防がれ、その間にザフィーラとロングヘアの少女が接触した。

「おおおおお!」
「IS『ツインブレイズ』」

紅い光の刃がザフィーラ目掛けて振り下ろされるが、ザフィーラはそれを掻い潜って体当たり。
少女は弾き飛ばされ、そこへクラールヴィントがワイヤーで拘束に掛かる。
少女はそれを二刀で切り裂き逃れ、シャマルへと目標を変更。
ザフィーラがそれをさせまいと牙を剥くが、そこへ翠の光が牽制してくる。

なるほど、確かに後衛から先に仕留めた方が楽に事が進む。
されど、相手は夜天の守護騎士が一角。
後方支援が専門とはいえ、そう簡単にやられはしない。

「風よ!」

シャマルが両腕を突きだすと、そこから直進する翠の竜巻が発生。
少女はそれを二刀を交差させて防ぎ、なんとかその場に踏みとどまる。
その間に、後衛の少女が放った光がシャマルを狙う。

「テオラ――――――――!」

しかしそれも、ザフィーラの一吠えと共に天より降り注いだ棘に阻まれる。
前衛の少女はさすがに踏みとどまれなくなったのか、一端後退して後衛の少女の所まで戻った。

「どうやら、こちらも一筋縄ではいきそうにありませんよ、オットー」
「そうだねディード。ガジェットが揃うまでは手間取るかもしれない」

ディードとオットー、二人の戦闘機人は予想外とばかりに認識を改めているが、それでも余裕は崩れない。
それもその筈、所詮は時間の問題だ。
今はまだAMFの影響が少なく、二人にも対抗できているようだがそれも長くは続かない。
ガジェットの数がある程度揃ってしまえば、いずれはジリ貧になるのだ。

なるほど、確かに兼一がいる以上相当数が撃破される事は想像に難くない。
しかしそれも……

「ぬりゃぁ!」

Ⅲ型の触手を掴み、ガジェットの密集地へと投げ落とす。
あまりの速度に、地面と衝突するやひしゃげ「バチバチ」と危険な火花を散らすⅢ型。
やがてそれは爆発へと発展し、間もなく周辺のガジェットにも連鎖、数度に渡る爆発が巻き起こる。

とはいえ、未だ前後左右どこを見てもガジェットだらけ。
ここまで来ると、ある意味では右も左もない様な状態だ。

事実、兼一が振り向き様に手刀を放つと、今度はⅠ型が横一文字に両断される。
どこに向けて何を放っても、とりあえずガジェットが破壊されていく。
そう言う意味では、何も考えずに闘う事も出来るだろう。
しかし、当の兼一はそう言う訳にもいかなかった。

「ア~パパパパパパパ!!」

拳が無数に分裂したかのようにも見える突きの連打が、次々にガジェットを蹂躙する。
上空から見れば、ガジェットの群れに突如亀裂が入ったかのようにも見えるだろう。

30機ほど粉砕しただろうか。
しかしそれでも、全体として見れば僅かな被害でしかない。
兼一が作り上げた亀裂は瞬く間の内に埋められ、あっという間に視界はガジェットで埋め尽くされた。

しかも、兼一からやや離れた所のガジェット達はなにも気にすることもなく進軍を続けている。
当初は突然発生した異変に状況分析のためその場に停止したガジェットだが、既に大半が六課に向かい始めているのだ。

わかり切っていた話だが、やはり相手はハナから兼一を無視してかかるつもりらしい。
むしろ、その為にこんなバカみたいな物量を投じたのだろう。

兼一一人で500機のガジェットを破壊できるかと言われれば…恐らくできる。
だがそれは、時間を問わず、全てのガジェットが兼一を目指すとすればの話だ。

その場、その瞬間だけでも兼一の手の届かない所にいるガジェット達が兼一を無視して進む。
当然兼一はそれを止めるために向かう訳だが、そうなると余所のガジェット達が進み始める。
更にそれを止めに行き……これを繰り返せば、徐々にだが確実にガジェット達は六課に近づいて行く。

その間にガジェットの数も減るだろう。
しかし、もし敵に余剰戦力があり、それを投入されれば最終的には押し切られる。
兼一は確かに負けてはいない。だが言ってしまえば、ガジェットは別に兼一に勝つ必要がない。
兼一を倒せずともある程度以上の数を六課の前まで送り込めれば、オットーとディードがザフィーラとシャマルに対し優位に立つ。
後はそのまま二人を破り、六課を破壊すれば目的は完遂されるのだから。
その結果兼一が無傷で立っていたとしても、それにどれほどの意味がある。

「はぁ、はぁ……どっせい!」

手近な所にいたⅠ型に指を突き立て、人手裏剣の要領で投げる。
進路上のガジェットを次々に巻き込み、やがてⅠ型は爆砕。

だが、相変わらずガジェットの群れにこれといった変化はない。
突入した時と変わらず、圧倒的な数で、兼一を無視して進もうとしている。

終わりの見えない、それこそ終わりなどないかもしれないマラソンバトル。
休むことなく闘い続け、兼一の額にも汗が滲み息に乱れが出始める。
まだまだスタミナには余裕があるし、その気になれば明け方まででも戦える。
しかしそれまで、六課が保ってくれる保証はなかった。

兼一一人が如何に優れた武を誇り、立って闘い続けようと、圧倒的物量はそれを歯牙にもかけない。
そんな化け物の相手を真面目にしなくても、物量を上手く使ってやれば目的は達成できるのだから。
もしこれが生きた人間であったなら、兼一に対する恐怖や畏怖で動きが乱れたり逃亡を図ったりすることもある。されど、相手は心を持たない鉄クズの群れ。

様々な意味で、兼一は対人戦に特化している。今回は、その弱点を突かれた形だ。
一心不乱に目的の達成だけの為に動くそれは、白浜兼一という戦力の長所を塗りつぶすには十分過ぎた。

(やっぱり、猶予はそうないか……みんな、急いで!)

とはいえ、この状況は兼一達とて予想していたこと。
圧倒的物量が相手では、たった三人ではその全てを支え切る事が叶わないことくらい。
言わば、この闘いははじめから負け戦。
だがそれならそれで、やりようはある。



その頃、六課隊舎内では人員のほとんどが慌ただしく動き回っていた。
隊舎内に設けられた…だが普段は機材などで蓋をされている穴に向けて。

「ほら急げ! 時間がねぇぞ! 旦那達が時間を稼いでくれちゃいるが、時間の問題だ!
 旦那達の頑張りを無駄にすんじゃねぇ!」

指示された場所に移動していく六課職員の最後尾に付き、大声を張り上げるヴァイス。
とそこへ、その後輩「アルト」がひょっこり顔を出す。

「それにしても、ヴァイス陸曹」
「あんだ、アルト?」
「兼一さん、なんでこんなもの掘ってたんですか?」
「知るか。アイツが言うには、修業時代の癖らしいぞ」
「はぁ……」

ヴァイスの愛車を転がしながら、アルトは心底不思議そうにしている。
無理もない。彼女達が集まっていく穴は、全て兼一が六課に来た頃から地道にこっそり掘っていた物だ。

六課ではまだ知る者はほとんどいないが、修業時代の彼は脱走の常習犯。
何かあると…というほどではないにしろ、数ヶ月に一度は梁山泊から脱走しようとしていた前歴がある。
その頃に身についた習性なのか、あるいは裏社会科見学に連れて行かれるうちに至った結論なのか。

真っ向勝負で梁山泊の豪傑達から逃げる事は困難な以上、裏をかくのが肝要と考えた。
なので彼は、とりあえず「逃げ道」を確保しようとする。
その一例として、しぐれの相棒でもあるネズミの闘忠丸に、壁に穴を開けてもらっていたこともあった。
それが段々とエスカレートしていき…ついには地下道を掘るにいたったらしい。

それをある日の深夜、穴から出てきた兼一をザフィーラが発見。
その話がはやてまで伝わり、面白がった結果「じゃ、正式に抜け穴として採用」となってしまった。
以来、兼一は部隊長公認で毎晩毎晩穴を掘り続けてきたのだ。
まさか冗談で作ったものが、こんな形で役に立つことになろうとは……。

「しかも、道具を使わずに手足だけって……」
「厳密には殴ったり蹴ったりだったらしいけどな。なんだっけ? ええと…………昔『大地を居合い斬る』っつー真理を見出した奴がいたんだったか?」
「なんですか、それ?」
「さぁな、達人の言う事なんざさっぱりわからん」

もちろん兼一とて、遊びと習性だけで穴を掘っていた訳ではない。
丁度良いとばかりに、昔の知り合いに倣い修業がてら突きや蹴りで掘り進めたのだ。
曰く「ああ、なるほど。言われてみれば、地は幾ら砕いても無限だよねぇ」とのこと。
十数年越しに、ようやくあの日言っていたことの意味を理解した瞬間だったらしい。

「ヴァイス陸曹、脱出路付近への誘導完了しました」
「よし、アルト!」
「はい!」
「お前は俺の単車にガキ共乗せて先に行け! その後にバックヤードだ!
 兼一が言うには、こいつはクラナガンの下水道に通じてるらしい。
周辺に個人名義で何部屋か借りてあるから、各々指示された場所に潜伏。
あらかじめ伝えた方法で指示があるまで石に噛り付いてでも無事でいろよ、いいな!!」
『はい!』

ヴァイスに指示に従い、アルトは翔とヴィヴィオを乗せて出発。
それに続き、バックヤード陣や整備員達等が次々に穴に入って進んでいく。

これこそが、グリフィスの言っていた提案。
籠城し、徹底抗戦すれば勝つ事も出来たかもしれない。だが、その場合諸々の状況からして「敗北に等しい損害」を受ける事は免れないだろう。それでは意味がない。
敵の目的がこれで終わるとは限らない以上、重要なのは「次につなげる」ことだ。
そう判断した彼は、そこで勝敗を捨て、「損害を最小限に抑える」方法を考えた。
そこで出したのが、兼一達が時間稼ぎをしている間に可能な限りの人員を脱出させること。

だが六課は海に囲まれ、街に出るルートは橋のみ。
大勢の人間がそちらへ移動すれば、渡り始める前にばれるだろう。
敵の狙いがヴィヴィオかレリックだとして、レリックは本局に移送済みなので、この際無視していい。
また、脱出を子ども達と最小限の人間に絞っても危険性は変わらない。
そこで思い出したのが、はやてから聞いていた戯れに掘った抜け道の存在。
これはどこの資料にも載っていない秘密の抜け穴。
故に、これを知る者はほとんどおらず、脱出に気付かれる可能性も極めて低い。

この状況では隊舎を守り切ることは難しいが、仲間を逃がすことはできる。
敵の目的がこれで終わるとは限らない以上、それが最優先なのだから。

「お、ルキノ。お前で最後か?」
「はい、後は陸曹と管制室に残ったグリフィス補佐官達。それに……」
「兼一や旦那達か。よし、ならこいつ持ってけ」
「? これは?」
「メカオタ眼鏡が花火とかから捻り出した即席の爆薬だ。
 通路の中ほどにでも置いて、通り切ったらそのスイッチを押せ。
そうすりゃ爆発して通路が塞がる」
「って、それじゃ陸曹達は!」

当然、この通路を使う事が出来なくなる。
確かに、爆破して塞いでしまえば敵に後を追われる心配はなくなるだろう。
しかしそれでは、残った面々は……。

「良いんだよ、俺達は。どの道、ギリギリまで残るつもりだったしな」
「え、それは……」
「しょーがねーだろ。入って蛻の殻じゃ、あっという間にばれちまうし、管制がいなくなっても怪しまれるかもしれねぇ。折角兼一達が体張ってんだ、必ず成功させなきゃなんねぇ。
だったら俺も、怪しまれねぇ程度にそれなりに抵抗しねぇとな」

管制室を含め、最早六課隊舎内には外面を取りつくろう為に必要最低限の人員しかいない。
逆に言えば、これ以上減れば敵に怪しまれる可能性が増す。
場合によっては、下手をすると外への捜索の手が伸びるだろう。
そうなればここまでの全てが水泡に帰す。それではダメだ。

「おら、行け。ここは俺らの戦場で、お前らの戦場はまだ後だ。
 役者が出番を間違えるんじゃねぇよ」
「陸曹……」
「ったく、辛気臭い顔しやがって。言っとくがな、別に俺は死ぬつもりなんかねぇぞ。
適当に抵抗したら、そのまま死んだフリでもしてやり過ごすさ」
「……はい!」

ルキノが穴に入るのを見送ってから、ヴァイスは再度穴を塞ぐ。
それから場所を変えてバリケードを作り、さもそこが重要であるかのように見せかける。
とそこで、管制室に残ったグリフィスから通信が入った。

「ヴァイス陸曹、みんなの避難は?」
「とりあえず完了だ。今俺も配置についた、後は精々良い演技しようじゃねぇの」
「そうですね。兼一さん達にも連絡して、それぞれ頃合いを見て逃げるという事で……」
「はは、こいつは敵前逃亡になるのかねぇ?」
「させませんよ。なっても、責任は僕が取りますから」
「そう肩肘張ることもねぇだろ。ここは、下士官含めて連帯責任と行こうじゃねぇか」

若く生真面目な上官の肩をほぐす様に、軽い口調で一緒に背負う事を約束する。
それで少しは重みが和らいだのか、軽いため息が聞こえて来た。

「ふぅ…………すみません」
「気にすんなって。んじゃ、準陸尉殿もほどほどにな」
「……はい、気をつけて」
(さて、いっちょ一花咲かせるとしますかね)

過去のトラウマから震える手を抑えながら汎用デバイスを構え、心中で呟く。
最低でも、あの通路が塞がれるまでは抵抗して見せなければならない。
六課から街まで、普通に橋を渡っても十数分はかかるだろう。
ましてやあの通路は整備されている訳でもないし、大勢がひしめき合う様にして通っている。
となれば、その数倍かかることも視野に入れねばならない。

恐らく、敵が隊舎内に進入する方が先になる。
そうなれば自分もただでは済まないであろうことを、既にヴァイスは覚悟していた。



  *  *  *  *  *



ナンバーズから逃れた後、四人は無事なのは達と合流。
だがそこでギンガと連絡が取れないことが判明し、また六課が襲われている事を知る。
そこで二手に分かれ、スターズはギンガへの援護、ライトニングは六課への救援に向けて動き出す。
今頃、エリオとキャロはフリードに乗り、フェイトと共に空から向かっている筈だ。

そしてここは、明かりが落ち暗く閉ざされた地下通路。
スバルはなのはとティアナに先行し、マッハキャリバーをかって疾走していた。

「スバル、先行し過ぎ!」
「ごめん。でも、大丈夫だから!」

後ろから、なのはに抱えられて後を追うティアナからの叱責。
普段ならそれで多少なりともペースを落とすスバルだが、今回は違った。
脇目もふらず、壁と衝突することも恐れず、狭い通路内で尚も加速する。

「仕方ないね。こういう場所だと、スバルの方が早い。
 大丈夫、こっちが急げばいい!」
「はい!」

そんなスバルに、なのはは自らがペースを上げる事でフォローしようとする。
ティアナもまた、それには異論はない。
スバルが焦る理由も、彼女達には痛いほどよく分かるから。

(ギン姉…ギン姉……ギン姉!)

最早ギンガの事で頭がいっぱいで、他の事を考える余裕はない。
無理もない。この世でたった一人の姉妹で、自分に最初に闘う術を教えてくれた師だ。
特殊な産まれであったからこそ強いその絆が、スバルの心を掻き立てるのだろう。

そしてその頃、当のギンガは……

「ハァハァ…ハァ……ハァ………」
「ちっ、しぶとい野郎だ!」
「ホントっスね~。あれだけボロボロで、よくもまぁ……」
「アノニマートが好敵手と認めた相手だからな。さすがと言うべきか、見事と言うべきか」

眼前に立つナンバーズは三人。連携の練度は高く、特にチンクが中核となる事でそれが上手く作用している。
おかげで、幾度意識が飛びかけたことだろう。
爆風に煽られ、痛烈な蹴りに打たれ、光弾を全身に浴びた。
正直、日々兼一の拳を受けていなければ、とっくに意識を手放していたことだろう。

(もう腕も、脚も上がらない……正直、立っているのがやっと。
こうなったらもう…………笑っとくしかないか)

重い身体に鞭を入れ、なんとか僅かに顔を上げて口元をほんの少しだけ吊り上げる。
本当に、それだけで残った力を使い果たしてしまいそうだ。
だがそれでも、多少は向こうを牽制する位に放ったらしい。

「こいつ、まだ!」
「どうするっスか、チンク姉。押せば倒れる、って感じだと思うんスけど」
(………難しいな。確かにもう満身創痍な筈だが…果たして、迂闊に踏み込んでいいものか)

闘いとは心の駆け引き。『ピンチになったらとりあえず笑っとけ』とは六課上層部が満場一致する所。
それに倣って、最後の力で薄らと笑って見せたが……相手に二の足を踏ませるくらいは出来た。

経験豊富なチンクだからこそ、ギンガの実力を評価して迂闊な攻めに出ることをためらってしまう。
これが経験の浅い二人であれば、間違いなくトドメを指しに来ていた筈だ。
そうなれば、今のギンガに抵抗する術はなかっただろう。
とはいえ、そんな時間稼ぎも長くは続かない。

「…………よし、姉がやろう」
「大丈夫なんスか。チンク姉のISだと、下手すると死んじゃうっスよ?」
「火力を調整すれば大丈夫だろう。余力を残し回避するようなら、お前達で仕留めろ」
「うん」
「了解っス」
(これは、本当に万事休すね……)

全身が軋みを上げる中、微かに残った力をどう使うか模索する。
回避に使うか。それとも相討ち覚悟で一人を道連れるか。

いずれにせよ、ギンガ自身の結末は絶望的。
ならば、次に彼女達と闘うであろう誰かの為に…一人でも敵の戦力を削ごうと覚悟を決める。
例えそれが叶わなくてもせめて腕一本、それが無理なら指一本でも構わない。
とにかく、仲間達の為に……。

その間にもチンクはナイフを構え、慎重に狙いを定める。
ギンガを死なさない程度に、なおかつ受ければもう動けないように。
そして、チンクがナイフを放とうとしたその瞬間……

「ギン姉――――――――――――――――っ!!!」
(っ! ス、バル……!?)

最悪のタイミングで、彼女が来てしまった。

「セカンドか!」
「うわっちゃぁ、時間かけ過ぎたっスかねぇ……」
「ちぃ……ノーヴェ、ウェンディ、ターゲット変更だ。セカンドを仕留める!」
「おう!」
「了解っス!」
「だ…め……スバル、下がって!」

スバルはチンクの能力を知らない。
もしここに来た瞬間に爆破を喰らえば、一撃で事が決する可能性すらある。
それだけの威力が、チンクのISにはあるのだ。

チンクは構えていたナイフをスバルに向けて投げ放つ。
続いて、ノーヴェが右から弧を描く様にスバルへと向かい、ウェンディの光弾が左から。
それを見た瞬間、ギンガは満身創痍とは思えない動きでチンクとスバルの間に割って入った。

「なに!?」

驚きの声はチンクの物。
鬼気迫る表情で自分とターゲットの間に割って入り、そのまま自身へと向かう敵の姿。
それに本能的な畏れを抱いたチンクは、投げたスティンガーを咄嗟に起動。

その瞬間、ギンガの視界が曇りのない白一色で染め上げられた。

「「チンク姉!」」

突然の予期しない場所での爆発に驚き、攻撃の手を止め、急ぎチンクの元に駆け寄る二人。
至近距離での爆発により、チンク自身もダメージを負ってしまったのだろう。
大きく後方に吹き飛ばされたチンクは、瓦礫にまみれながら震える手で身体を起こす。

「大…丈夫だ。それより、タイプゼロを……」

思いの外ダメージが大きいのか、思う様に声が出ずノーヴェとウェンディには届いていないらしい。
二人は、チンクの声に反応することなく真っ直ぐ駆けよってくる。

その時、より爆心地に近かったギンガの体はほぼ水平に飛び、やがて…………スバルと正面から衝突。
二人はもんどりうって床の上を転がり、ようやく止まった所でスバルは身体を起こす。
だがその瞬間、視界の右半分が鮮烈なまでの赤で塗りつぶされていることに気付く。

「あれ、これって……」

反射的に目元を擦ると、何かが腕にこびり付いて視界を塗りつぶしていた赤が消える。
代わりに手に残ったのは、どこか「ヌルリ」とした温かくも不気味な液体の感触。

身体に重さを感じ、視線を落とす。
するとそこには、自身に覆いかぶさる様にして横たわる最愛の姉の姿が。

「ギン…姉? ギン姉…ギン姉! お願い、返事して!!」

幾ら呼びかけても返事がない。
身体はまるで糸の切れた操り人形のように力が抜け、右腕は千切れかけている。
肌の下から覗いたのは、赤い肉ではなく火花を上げるコード類。
そのあまりに生々しい光景に、スバルの中で亀裂が走った。

「ぁ、ぁぁ…………ぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

動かない姉の身体を抱き締め、獣のように絶叫する。

「今の声……スバル!? なのはさん!」
「うん、さっきの爆発音も気になる、急ぐよ!」

通路に響き渡る、ただならぬ相棒の絶叫にティアナの顔色が変わった。
なのはもまた何かを予見し、ティアナを抱え直して速度を上げる。

「チンク姉!」
「大丈夫っスか!?」
「私の…事は良い。それより、タイプゼロを。応援が来たのなら、今を逃せば機を…失うぞ」
「でも!」

チンクに駆け寄った二人だが、ノーヴェはチンクの事以外見えていない。
そこでウェンディが肩を掴み、強く揺さぶる事で引き戻す。

「しっかりするっス、ノーヴェ! 今はチンク姉の言う通りにするんスよ!」
「ぁ……ああ!」

ウェンディに怒鳴られ、ようやく落ち着きを取り戻したノーヴェ。
チンクを心配する気持ちを怒りに変え、彼女はギンガ達に怒りに満ちた眼差しを向ける。
しかしそこには、それ以上の激情を宿す、金の瞳のスバルが迫っていた。

「うああああああああああああああああああああああああ!!!」
「なっ!?」
「はやっ……」

獣の様な唸り声を上げながら、怒りにまかせて拳を叩きつけるスバル。
咄嗟にノーヴェはそれをガードするが、想定外の衝撃が襲い掛かった。

「な、何だこりゃ…うあぁぁぁ!?」
「ノーヴェ! ったく、ブチ切れたいのはこっちっスよ!」

殴り飛ばされたノーヴェをフォローすべく、ウェンディが光弾をばら撒く。
だが、スバルはそれを意に介することもなく、シールドも張らずに真っ直ぐに突き進む。

「ヤバッ!」

いくつもの光弾をその身に浴びて、傷つく事もかまわず突貫してくるスバル。
そして、ウェンディを間合いに捉えると我武者羅に拳を振り被った。
ウェンディは盾をかざしてそれを受け止めるが、拳と蹴りの連打が後先考えずに放たれる。

「くぅ……ノーヴェ、大丈夫っスか!」
「あ、ああ」
「だったらこっち! ちょ、さすがにそろそろ……!」

元々白兵戦型ではないウェンディでは、スバルのパワーを支えきれないのだろう。
ただでさえ今は、動の気が暴走している上に戦闘機人としての力まで解放しているのだから。

なんとか立ち上がったノーヴェだが、ガードした右腕に力が入っていない。
何かしらの理由で、腕に相当なダメージを負ったのだろう。

(あいつのIS…接触兵器か。直接戦闘は不味い……だけど、このままじゃウェンディが……)
「ウェンディ、下がれ!」

声のする方を見れば、そこには立ち上がって周囲にスティンガーを展開したチンクの姿。
ウェンディは即座にその意図を理解し、スバルが振りかぶったと同時に後ろに下がった。
そこへ、入れ替わりにチンクのスティンガーが襲い掛かる。

「これで!」

大振りになっていた所への攻撃で、スバルに回避する余裕はない。
為す術もなくスティンガーの爆発に飲みこまれるであろうスバル。
しかしその直前、スバルへと殺到するスティンガーが全て燈色の光弾で打ち落とされた。

「……………っ! しまった、時間切れか」
「スバル!」

チンクがスバルが着た通路の方を見ると、そこにはなのはに抱えられクロスミラージュを構えたティアナ。
なのはは素早くティアナを下ろすと、レイジングハートを手に砲撃の構えを取る。

「ティアナはギンガの状態確認! スバルは私がなんとかする!」
「お願いします!」

指示に従い、急ぎギンガへと駆け寄るティアナ。
なのははなおも敵に向かって行こうとするスバルを已む無くバインドで拘束。
代わりに、自身は三人に向けて問答無用の砲撃を放つ。

「ディバイ―――――――――――――ン…バスタ――――――――――――――!!!」
「く、退くぞ、二人とも。私の周りに!」
「了解っス!」
「うん!」

桜色の巨砲が迫る中、チンクは自分達の周りに円を描く様にスティンガーを突きたてた。
続いて、それらを一気に爆発させる。

「……………逃げられた」

構えを解いて砲撃を放った箇所を見れば、そこには歪な円を描いた穴。
恐らく、ランブルデトネイターで床に穴をあけて逃れたのだろう。
後を追っても良いが、今はスバルとギンガ、二人の事が気に掛かる。
なのはは僅かに後ろ髪引かれながらもすっぱりと気持ちを切り替え、未だバインドに捕らわれながらももがくスバルの背に優しく手を回す。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「落ち着いて、スバル。もう大丈夫、もうあの子たちはいないから」

落ち着けるように背中を軽く叩き、頭を撫でる。
それはまるで、泣きじゃくる子どもをあやす姿に似ていた。
スバルもそれで徐々に落ち着きを取り戻したのか、少しずつ声のトーンが下がっていく。

「あ、あぁ……」
「…………そう、心を落ち着けて。ゆっくり…ね?」
「…………」
「ふぅ……ティアナ、ギンガの様子は?」
「正直、危険な状態です。急いで病院に連れて行かないと……」
「そう…聞いたね、スバル。ギンガは今の状態だと危ない。助けるには急いで病院に連れて行かなくちゃいけない。出来ればスバルに運んでほしいけど、その様子だと……」
「ぁ……マッハ、キャリバー」

視線を落とせば、そこには自身の無茶に付き合ってボロボロになった相棒の姿。
全損という訳ではないが、それでもこれ以上酷使すべきではないだろう。

「ティアナ、スバルをお願い。私がギンガを病院に運ぶ」
「はい!」
「ティア……」
「まったく、一人で突っ走ってくれちゃって……」

なのはに代わり、バインドから解放されたスバルを抱きしめるティアナ。
今のスバルには、こうして人の温もりを感じさせてやることが必要だ。
そうでないと、ただでさえ不安定になっている心がさらに揺らいでしまうから。

「なのはさんは先に行ってください。私達も、スバルが落ち着いたら後を追います」
「うん。もうあの子たちも逃げたと思うけど、気をつけてね」
「はい」

ギンガを慎重に抱きかかえ、なのははそのまま来た道を引き返して飛んでいく。
出来るなら、ここから地上までぶち抜いてしまいたいところなのだろう。
とはいえ、管理局員の手でこれ以上地上本部ビルを破壊する訳にもいかないのがもどかしい。

「……ごめん、ティア」
「……後で説教と拳骨の一つや二つ、覚悟しておきなさい。思いっきり絞ってやるから」
「うん」



  *  *  *  *  *



皆の奮戦も空しく、炎上する機動六課。
六課へと繋がる道には足の踏み場もない程にガジェットの残骸が散乱し、至る所から黒煙を上げている。
その中でも特に破壊の激しい正面玄関では、それを為した面々が揃っていた。
だが……その顔には一様に困惑が浮かんでいる。

「どうですか、ルーお嬢様」
「だめ、何も見つからない」

六課正面を守っていたシャマルとザフィーラを降し、早々に六課内部の捜索に入ったオットーとディード。
そこへ更にルーテシアとガリューも合流したのだが、目的の物が何一つとして見つからない。
それどころか、六課内にあまりにも人の気配が少な過ぎることに気付く。

「そうですか……あの達人もいつの間にか姿を消していますし、これはいったい……」
「それを言うなら、さっきまで抵抗していた筈の二人の姿もない。
 聖王の器を始め、ドクターに判断を仰ぐべきかもしれないね」

ディードの呟きに、オットーがアジトへの報告を提案する。
現状わからないことが多過ぎるとあって、それは即座に実行に移された。

「ふむ、それは…………今回は相手が上手だったかもしれないね。
戦力以外にも、随分と人材を揃えていたようだ」
「と言いますと?」
「恐らく、かなり早い段階から彼らはこれを撤退戦と考えていたのだろう。
 闘っていたのはあくまでも殿であり囮。我々は、まんまと出し抜かれたという事だ」
「ですが、街に繋がる橋は監視していましたし、どの資料にも他に脱出経路は……」
「だが実際に彼らはいない。ならば、そう考えるのが自然だよ」

二人の報告を受けても、スカリエッティには特に動じた様子はない。
むしろ、あの状況から逃げおおせて見せる相手の機転を楽しんでさえいる風情だ。

「如何いたしましょう。まだそう遠くへは行っていない筈ですが……」
「インゼクトなら、探すのは簡単」
「確かにね。なら……いや、よそう。出来ればここで確保しておきたかったが、次善の策を使えば済む。
 ここは、敵の知略に敬意を表するとしようじゃないか」

確かにルーテシアのインゼクトを用いれば、捜索はそう難しくないだろう。
だが問題なのは、行方を眩ませた最後まで残っていた戦闘要員達。
彼らの内、どれほどが未だ戦闘可能なのかはっきりしない。

オットー達も、ザフィーラを降した後はそれほどちゃんと確認せずに内部の捜索に入ってしまった。
あるいは、やられたのも演技だった可能性がある。
もし彼らが既に逃げた仲間達と合流していれば、少々面倒なことになるだろう。
ここは一端手を引いたと見せて、次の機会を狙うべきとの判断である。

「なに、そう気落ちすることもない。初の実戦としては中々だった、今はとりあえず帰ってくると良い」
「「了解」」
「ルーテシアも、あまり遅くなるとゼストやアギトが心配するよ」
「うん………ごきげんよう、ドクター」
「ああ、ごきげんよう、ルーテシア」



そしてその頃、そのまんまと戦闘機人達を出し抜いた面々はというと……。

「ここまでくれば、とりあえず大丈夫だろう」

背中にシャマルとヴァイスを乗せ、至る所から血を流しながらも走っていたザフィーラが膝をつく。
高濃度のAMFの中での戦闘機人との戦い。それも、六課やシャマルを守りながらだ。
彼が受けた傷は、決して浅いものではない。

「ザフィーラ、もう良いから! もう休んで!」
「そうですよ、後は任せてください」
「すまんな、そう…させてもらう」

それだけ言い切ると、ザフィーラは力尽きたようにその場に倒れ伏す。
六課から市街地の路地裏まで、傷を押して二人を背負ってきたがそろそろ限界だったらしい。
そんなザフィーラの身を案じながら、兼一はここまで運んできた他の仲間達をその場に下ろす。

「シャマル先生、ザフィーラさんとヴァイス君は?」
「かなり酷いわ。ザフィーラはまだしも、ヴァイス君はこれ以上となると病院に行かないことには……」
「そうですか……」

恐らく、少しでも皆が逃げる時間を稼ぐ為に、無理を押して粘ったのだろう。
兼一が内部に残った皆を助けに忍び込んだ時には、既に手酷い傷を負って意識がなかった。
その代わり、グリフィスをはじめとした管制室に残った面々は意識こそないが軽傷だ。
ヴァイスの奮戦が、敵を引きつけた結果だろう。
ただ、応急処置はここまでの道中ザフィーラの背の上で済ませたが、これ以上の処置は病院でないと難しい。

「兼一さんも、早く治療しないといけませんし」
「いえ、僕はそれほど重傷じゃありませんし……慣れてますから」
「何言ってるんですか! ガジェットの爆発に巻き込まれておいて!!」
「あ、いや、一応回し受けで逸らしましたし……」
「そう言う問題じゃありません!!」
「しゃ、シャマル先生! しーっ! あんまり大きな声出すとばれちゃいますよ」
「あ…そ、そうでした……」

ガジェット如きでは相手にならないとはいえ、全方位を囲まれた状態で一斉に自爆でもされれば堪ったものではない。さすがの兼一も、あの時はかなり危なかった。
正面は守れるが、その代わり横と後ろまで手が回らない。
おかげで深手こそないが、兼一も決して無傷という訳にはいかなかった。

「とはいえ、ここからどうしたものか……ヴィヴィオちゃんが狙いだとしたら、また襲われる可能性もありますし……」
「そうですね。ヴィヴィオ達の所に行く役、ザフィーラとヴァイス君を病院に運ぶ役、それにグリフィス君達の安全を確保する役、最低でも三役必要ですし……」

必要なメンツは最低でも三人。されど今動けるのは僅かに二人。
後一人足りない以上、どれかを切り捨てねばならない。
とそこで、空を見上げていた兼一がある物を発見した。

「あれは……フリード!」
「え!?」

兼一の視線の先には、本来のサイズに戻ったフリードリヒの姿。
とは言っても、ここから見える大きさは豆粒同然で、シャマルには確信が持てない。

「間違いないんですか?」
「ええ。たぶん、六課への救援に来たんでしょう」
「なら、二人を呼んでグリフィス君達の事をお願いしましょう。
 兼一さんはヴィヴィオや翔達の所に。私が二人を運びますから」
「すみません、お願いします」

そうして手早く役割を決め、同時にフリードに乗っているであろう二人に通信を送る。
こうして、波乱に満ちた一日は形はどうあれ、ようやくその幕を閉じた。






あとがき

なんだかんだで、結局こういう形に。
兼一がいるってわかってるんなら、それ相応の対応をするだろう………という事で、とにかく物量頼みの力押し。
ですが、無理に兼一を倒す必要がないという事を踏まえれば、これで充分なんですよね。
面倒な敵は適当に足止めして、その間に目標達成すればいいんですから。
そうなってくると、当然色々無事に済まない訳で……。

とはいえそれも、兼一が変なもん作ってたおかげでご破算ですが。
六課側の被害としては、物的には隊舎とヘリ等々……原作と概ね変わりません。
ですが、人的には大分軽微に。まぁ、ザフィーラとヴァイスが重傷ですが………男気を見せたんです。

警備にあたっていたメンツも、ギンガは重傷ですが攫われる事はありませんでした。
代わりに、チンクが健在ですけどね。
まぁあれですよ、都合が良過ぎる位の能力ってやっぱり敵キャラにしてこそって言うか……敵キャラの特性というか。

そして、最大の戦果はヴィヴィオが無事なこと。
実は抜け穴って、他の所で思いついた案だったんですが……兼一ならやりかねない理由があったので採用。
これがなかったら、普通に無双して守り切っていたでしょうね。
とはいえ、それでは「ゆりかご」が出て来ないので、スカリエッティは次なる策に。

それにしても………今回は早かった。でも、次はきっとこんなに早くないでしょうねぇ……。



[25730] BATTLE 40「羽撃く翼」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:46

暗い洞穴の奥深く。
管理局の中枢と比較してもなお劣らぬ設備に囲まれた場所。
空中に展開された無数のモニターには、先日発生した地上本部へのテロ攻撃の現場の映像やそれに関する報道が流されている。
それらを見上げながら、白衣の男…ジェイル・スカリエッティはウーノの報告に耳を傾けていた。

「以上が、昨日の作戦に関する報告となります」
「やれやれ……何事も、思い通りにはいかない物だ。
 どれほど準備を整え、不測の事態にも備えたというのに、それでも孔は埋めきれないか」
「申し訳ございません。地上本部への攻撃という表面上の目的はつつがなく達成できましたが、肝心のタイプゼロやFの遺産は回収できず、あまつさえ聖王の器さえ……」

スカリエッティの独白に、眼を伏せるウーノ。
彼女は前線に出るタイプではないし、事実として直接現場にも出ていない。
ただそれでも、長女として妹たちに代わって謝罪の意を示している。
だがそんなウーノの続く言葉を、スカリエッティは手を上げて軽く制した。

「いや、別に君達を責めた訳ではないさ。あの子達は実に良くやってくれた、君も含めてね。
達人という人種の事は理解しているつもりだったが、それでも認識が甘かった。まさか、抜け穴を用意していたとは……いや、あるいは彼にばかり気を取られて、他の者を軽視し過ぎていたという事かな?
まぁ、いずれにせよ、今回の失敗は私の見通しの甘さによる物だ。非は私にある」
「ドクター……」

肩を竦めるスカリエッティに、ウーノは複雑な表情を浮かべる。
こう言われても、彼女は別にスカリエッティの見通しが甘かったとは思わない。
達人という人種は人智を超越した身体能力と、それを完全に制御し切る精緻を極めた技術の持ち主。
自身の力と技に絶対的な自信を持つ存在が、『逃げ』を前提に闘うなどというマネを良しとする方が異常だ、と。
しかし、思った事をそのまま口にすると、スカリエッティは渋い表情で首を振る。

「それは違うよ、ウーノ。むしろ、そう言う思考に陥りやすいのは魔導師の方だ。彼らはその資質次第では、初期段階から優れた能力を発揮し、それ故に『逃げる勇気』の存在を学べない場合がある。
 だが、達人は違う。どれほど才能に恵まれていようとも、彼らは魔導師と比較して遥かに弱い所からスタートし、地道に自らを磨きあげてきた。その道中には勝てぬ敵と相対し、逃げを打つ以外にない場面も少なくなかっただろう。中には大成した後に大切な物を忘れてしまう者もいるだろうが、恐らく彼らは誰もが一度はそれを経験している筈だ」
「……」
「そして、それを知りながら失念していた。それが私のミスなのだよ」

スカリエッティに指摘され、ウーノは自身の不明を恥じる。
言われてみれば確かに、表面的な力ばかりを見ていると忘れそうになるが、彼らは誰もがはじめは『ただの人間』だったのだ。それを己が才覚と壮絶を極める修業、そして数多の死闘を経て高みへと押し上げたのが『達人』。
それに対し、魔導師は魔力の扱いを身に付け、少しでも魔法が使えるようになった時点で常人とは一線を画した存在になる。
スタート地点、あるいはスタート後間もない段階から彼らは大きな隔たりがあるのだ。

ましてや白浜兼一という達人は、達人達の中でも特に異彩を放つ存在。
人一倍弱かった彼だからこそ、『逃げる』意味をよく理解している。
逃げるべき時に逃げる事は『恥』ではなく『英断』と言う。
ならそれが的外れでない限り、彼は仲間の『勇気ある決断』を否定する筈がない。
確かにそれは、スカリエッティの言う通り予想してしかるべきことだ。

「まぁ、済んでしまった事を蒸し返しても仕方がない。
 ここは、次にどんな手を打つかを考えた方がよほど建設的ではないかね?」
「……はい」
「うむ。さて、それではどうするとしようか……」
「とりあえず、まずは優先順位を明確にすべきでしょう。
 タイプゼロやFの遺産は惜しいですが、ここは『器』の確保に絞るべきかと」
「そうだね。二兎を追う者は一兎をも得ずというし、そちらは追々なんとかするとしよう。
だが一つに絞った所で、打てる手は多くないのが悩みどころだ」

なにしろ、今回の事であちら側は完全に『器』の重要性に気付いた筈だ。
地上本部襲撃それ自体を陽動としてまで手に入れようとした存在。
目的まではわかっていないだろうが、スカリエッティ側が並々ならぬ執着を持っていることには気付いている筈。
そうなれば必然、今まで以上にあちらの警戒は強まっているだろう。

「ここはやはり……彼女にお願いするのが得策かな?」
「確かに最も可能性の高い手ではあります。ですが、それでは……」

打てる手は少ないが、ない訳ではない。むしろ「これしかない」とさえ言える、そんな手札が残っている。
しかし、それを切るということは、場合によっては今後の作戦に少なくない影響を及ぼすだろう。
ウーノが危惧しているのは、さらに先に待つ問題だ。

「気持ちは分かる。確かに彼女が担う役割も、決して軽んじていいものではない。
だが、今をなんとかしなければ話にならないだろう?
 そもそも『器』の確保は私達の計画の根幹にかかわる。これを為さなければ、盤面は進まないよ」
「それはそうなのですが……」
「なに、もちろんその代わりとなる手も打つさ。彼も、この点に関しては同意してくれるだろう。
 今の彼らは…………あまりにも醜悪だ。計画の成否はどうあれ、この先の時代に彼らの居場所はないよ」
「まさかそれほどのお考えがおありだったとは……差し出がましいマネをしてしまい、申し訳ございません」

スカリエッティが後の問題にも既に考えがあることを知り、ウーノは深々と頭を下げる。
されど、そんな彼女とは対照的にスカリエッティは胸中で呟く。

(とはいえ、その場合多少の計画変更はやむを得ないか。
彼の事だ、あちらはともかくもう片方の方は乗ってくれないだろう。
まぁ、多少は妥協すべきかな? 事と次第によっては、こちらが手を降すまでもないという可能性もある)

運を天に任せるというのは、完璧主義の彼からすれば好ましいとは言えない。
だが、そもそもこの計画自体がそんな物だと思い出し、自身へと向けた皮肉な笑みが浮かべるのだった。



BATTLE 40「羽撃(はばた)く翼」



ガジェットの大群と二体の戦闘機人の襲撃により全焼してしまった機動六課。
とはいえ、留守を預かっていたグリフィスの英断により、人的被害は最小限にとどめられた。
だが、さすがにあの状況下で全員が傷一つ負うことなく脱出…とはいかない。
囮と殿を務めた面々は程度の差はあれ誰もが傷を負った。

現状、六課は仮設隊舎を設け暫定的な拠点としている。
無傷、あるいは傷の浅い隊員たちは『あの時は逃げたが今こそは!』とばかりに精力的に働き、深手を負った者達の穴を埋めようと必死だ。
その点に置いて、六課はむしろ先日の襲撃を経て一致団結したとも言えるだろう。

そして、深手を負った者達は今クラナガン郊外の病院で治療を受けている。
無論その中には、地上本部の警備に参加し深手を負ったギンガも例外ではない。

「で、何してんのよアンタ?」
「てぃ、ティア!? なんでここにいるの!?」
「そんなのみんなの様子を見に来たに決まってんでしょ。
アンタこそ、そんな所でなにウロチョロしてるわけ?」
「えっと、それは、そのぉ……」

病室の前で、そわそわと落ち着きのない相棒に冷ややかな視線を向けるティアナ。
全焼した六課の検分を他の隊員が代わってくれ、入院している仲間の様子を見に来たらこれだ。
スバルは比較的に傷は浅かったが、それでも大事をとって検査入院をしていた筈。
なのに病室を抜け出し、あまつさえ何をしているのやらと言った感じなのだろう。

「ここ、ギンガさんの病室よね」
「う、うん……」
「暴走して、自分を守った代わりに大怪我負わせて、謝りたいけどどんな顔をしたらいいかわからない。大方そんな所でしょ」
「うぅ……」

見事に図星をさされ、小さくなるラフな室内着姿のスバル。
一応所々に包帯などが巻かれているが、大事なさそうなその様子にティアナは安堵する。
もちろん、恥ずかしいので面と向かって「アンタも無事で安心した」などとは口が裂けても言わないが。

「そんな所でウロウロしててもしょうがないでしょ、アンタらしくもない。
 何も考えないで突撃して、頭を下げるなり床に頭を叩きつけるなりすりゃいいじゃない」
「なんか微妙に引っかかるんだけど……」
「グダグダ言ってないで、ほら! さっさと行くわよ!」
「え!? ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備が~!」
「アンタの心の準備ができるのなんて待ってたら日が暮れるどころか明日になるでしょうが!
 さあ、いい加減往生しなさい!!」
「うわ~ん! お願い! もう少しだけ……!」

近くにあった柱にしがみつき、必死に抵抗するスバル。
ティアナはそんなスバルの胴に手を回し、なんとか引っぺがそうと引っ張る。
がそこへ、ある意味世界最強の存在が降臨する。

「「あたっ!?」」
「病院ではお静かに。い・い・で・す・ね?」
「「……はい」」

青筋を浮かべ修羅のオーラを背負った看護師さんにしばかれ、涙目になりながら壊れた人形のようにコクコクと頷く二人。
あのまま騒いでいたら、きっと静脈からアルコールなり消毒液なり注ぎ込まれていたに違いない。
そう思わせるほどに素晴らしい笑顔をした看護師さんだった。
また、周りに目を配れば「なんの騒ぎだ?」とばかりに患者や見舞客が集まってきている始末。
これはさすがに、かなり恥ずかしい。

「とりあえず、入りましょ」
「うん」

さすがに恥ずかしくなったのか、二人は顔を真っ赤にして病室に入る。
するとそこには、ベッドの上で上半身を起こしたギンガと、見舞いに来たのであろうエリオとキャロの姿。

「ああ、スバル。それにティアナまで……」
「ギン、姉……」
「ギンガさん、意識が戻ったんですね」
「うん、御蔭さまでなんとか生きてるわ。二人とも無事みたいで、安心した」
「こちらこそ安心しました。一時はどうなることか…あ、そうだ。これ差し入れです、色々買ってきたんでどうぞ。アンタ達も、どうせ碌にごはんも食べてないんでしょ」

普段とは逆にスバルの腕に自身の腕をからめ、引き摺る様にしてギンガの方へと連れて行く。
そこで年少組二人にも、買ってきた差し入れを差し出す。
見れば二人とも、どうやらこれと言った傷はないらしい。その事には、純粋に安堵する。

「ぁ……」
「ありがとうございます」
「その、ギン姉は……」
「私も大丈夫。特に固形物はダメ、とか言われてないし」
「そうですか、よかった。ほらスバル、アンタも食べなさいよ」
「あ、うん……」

そうして、五人はしばし黙々と食べる作業に勤しむ。
だがその実、エリオやキャロと言った年少組はギンガに対し心配そうな視線を向けている。
さすがにいい加減隠せる段階ではないと判断し、ティアナは敢えてギンガに問いかけた。

「腕、もう大丈夫なんですか?」
「ええ。神経ケーブルをやられちゃって、まだ少し動かし辛いけど何日かすれば大丈夫よ」

耳を澄ませば、ギンガが右腕を動かす度に機械音の様な物が漏れ聞こえてきた。
やや動きにぎこちなさはあるが、それでも特に不自由なく缶のプルトップを開け、ビニール袋を開けている。
ギンガの言う通り、これなら長引く事はなさそうだ。
その事に、スバルは深々と安堵のため息を漏らす。

「よかった……」
「身体の方はむしろ先生達が驚いてるくらいね。師匠の修業の賜物だわ」

本当に、こういう時になると日々兼一がどれほど皆の事を案じていたのかが分かる。
決して壊れない様に、壊れてもちゃんと治る様に。細心の注意を払い、丁寧に身体を作ってくれたおかげだ。

「それで、その……エリオとキャロにはどこまで……」
「ごめんね、さすがにもう隠してはおけないし、大体の所は」
「そっか……」
「悪かったわね。私がお願いしてたのよ、身体の事はしばらく秘密にしててくださいって」

もちろん、その理由が相棒とその姉を慮ってのものである事はすぐにわかる。
二人もそれを理解しているのだろう。
特に気を悪くした風もない。ただ、その代わり一つ気になることがあった。

「あ、いえ……」
「でもその…師父はこの事を……」

知っているのだろうか。それだけが、エリオ達は心配だった。
兼一が相手を生まれで差別する様なものでない事は知っている。
ギンガがどんな存在であろうと、兼一が彼女を破門する事はあるまい。
だがそれでも、二人の間に些細な亀裂が生じてはいないか。それだけが気に掛かっているのだろう。

「ぁ……」
「ギン姉……」

そして、それはティアナやスバルも同じ。
むしろ、スバルが病室に入りにくかった最大の理由がそこだ。
自分のせいで、二人の関係を壊してしまったのではないか。それが不安だったのだろう。

「大丈夫よ、師匠は前から知ってるから」
「え、そうなの?」
「うん。というか、初めて会った時から『何かある』って事には気付いてたみたい。
 その時は深くは詮索しなかったけど、弟子入りしてすぐに聞かれたわ。
 ほら、師匠の修業って漢方薬とか使うし、それが私の体質と合わないと大変だから」
「ああ、そっか……」

確かに言われてみればその通りで、そもそもあの兼一が気付かない筈がないのだ。
優れた武人として、彼は並外れた観察眼と洞察力を有している。
その眼力を持ってすれば、ギンガの身体の秘密を見抜く…とまではいかなくとも、何かある事は気付いて当然。
ましてやマッサージなどをすれば、その違和感は確信に代わるだろう。
さらに兼一の修業は漢方薬なども用いるのだから、体質の確認は必須と言える。

「その時に言われたわ、『生まれ、状況、立場。世界には自分ではどうにもならないものが沢山ある。それに一々責めたり目くじらを立てたりしても仕方がない。重要なのは、その中で“何を為すか”だ』って」
『……』

その言葉に救われたのは、何もギンガだけではない。
自身の生まれに複雑な思いを抱くスバルやエリオにとっても。
特殊な生まれを「そんな物は関係ない」と切り捨てるのではなく、かと言って「気にしない」と関心を持たないのとも違う。
彼が言ったのは『その全てを受け入れた上で、どう生きるかを考えろ』ということだ。

「兼一さんらしいね」
「はい……」
「ごめんね、心配かけちゃって」
「いえ、そんな!?」
「ホントに、全然……」
「ありがと。それに、スバルとティアナにも」
「私は、別に。でも……」
「私の方こそ、ごめんなさい。私があの時、暴走したせいで……」
「気にしなくていいわ。私が好きでやった事だもの。
ただ、動のタイプはそう言う事になりやすいから、これからは気をつけなさい」
「うん……もう、あんな事は絶対にしない」

ギンガの注意に神妙に頷きスバル。
あの時、スバルの頭には目の前の『敵』の事しかなかった。
『自分が暴走したらどうなるか』とか、『仲間』の事とか、その全てが消し飛んだ。
その結果、限界以上に酷使されたマッハキャリバーは、色々な部分にガタがきている。
今は本局の精密技術官マリーこと「マリエル・アテンザ」に預けて修理の真っ最中。
マッハキャリバーは道具ではなく相棒、そう言ったのは彼女自身。
その自分がそれを失念した闘いをしたことを、彼女は深く反省している。

「ところで、兼一さんは? まだ病院にいらっしゃってないんですか?」
「あ、師匠なら朝様子を見に来て、すぐに仮設隊舎に戻ったわ。なんでも、大事な役目を任されたとか……」

ティアナの問いであの時の兼一の顔を思い出し、ギンガは小さく笑みを零す。
慌てた様子で病室に駆け込み、息を荒げながらギンガの安否を心配し狼狽する師の姿。
ギンガが大怪我を負ったと聞いて、よほど心配したのだろう。
その表情には、溢れんばかりの不安と焦燥があった。

また、腕の傷こそ深いが、それでも数日中には治ると聞いた時の気の抜けた顔ときたら……。
しかも、お役目の為に戻らなければならないのに、帰る間際まで未練タラタラ。
『不自由なことはないか』『何か必要な物はあるか』『何かあった時はすぐに誰か呼ぶように』等々。
心配し過ぎるあまり、ギンガの方から『早く行ってください』と言ってしまうほどの親バカぶりだった。

「そうですか……」
「ねぇティアナ、この先の事って何か聞いてる?」
「あ、はい。なのはさんからは『レリック捜査からスカリエッティ一味の追跡に任務が変更になると思う』と。隊舎の方も、今部隊長が掛け合ってくれてるそうです」
「そう。まぁ、当然そうなるわよね」

ティアナの返答に、どこか神妙そうな顔つきになるギンガ。
そんなギンガから何か感じ取ったのか、年少組コンビが心配そうに見やる。

「ギンガさん?」
「なにか、気になる事でもあるんですか?」
「え? あ、いや…………ヴィヴィオの事を、ね」
「「あ……」」

その名を聞いて、二人は同時に黙り込む。
恐らく、既に聞かされていたのだろう。敵の狙いが、未だ幼い六課の保護児童にある事を。
六課内では、まだ比較的に年齢の近い二人はヴィヴィオの面倒を見る機会も多く、繋がりも深い。
故に、妹分と言って差し支えない少女の身に降りかかるやもしれない事態は、心を重くするには十分すぎた。

アレだけの事態を引き起こしてまで、スカリエッティ側はヴィヴィオを手に入れようとした。
そうである以上、一度の失敗で引き下がるとは到底思えない。
間違いなく、ヴィヴィオの身柄を狙ってもう一度動く。
未だ何も知らない、幼い少女の未来に影を落とすであろうそれは、決して許してはならないものだ。

「だ、大丈夫ですよ! いま、仮設隊舎には師父とシグナム副隊長が警備についていますし」
「それに今朝、部隊長が本局に行かれました。きっと、何か考えがあるんだと思います!」
「そうね。そうだと…良いんだけど」

師である兼一や上官のシグナムの事は、無論信頼している。
あの二人が揃っていて、早々出し抜かれる事もないだろう。
また、自分達が思いつく程度の事をはやてが考えていない筈がない。
ヴィヴィオの身を守るため、今望みうる最高の方法を模索し、実行するに違いない。
その為に、彼女が動いている事をギンガは疑っていなかった。

だがそれでも、胸中に湧き上がる一抹の不安を完全に拭う事が出来ない。
人が人である限り、どんなに最善を尽くしたとしても、真に万全を期することは不可能だ。
必ずどこかに盲点ないし、穴が生じてしまう。
これは、全知全能たりえない人にはどうやっても避けられない現実だ。
人にできるのは、それらを少しでも減らそうと努力する事だけなのだから。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、ミッドチルダを遠く離れた時空管理局本局。
今後の事も含めて後見人の一人であるクロノ・ハラオウン提督と話をするべく、はやては一人彼の執務室を訪れていた。

「なるほど、大変だったな……」
「まぁ、確かに隊舎は全焼してもうたけど、みんな生きとる。まだまだこれからや」
「そうだな。レティ提督のお子さん…グリフィスだったな。彼が、良くやってくれたおかげか」
「うん。ま、それ言うたら地上本部におった子も、六課に残ったみんなもようやってくれたよ。
 ほんまに、ダメダメなんは私だけや」
「はやて……」

ザフィーラやヴァイスが重傷を負った事が大分堪えているのだろう。
その表情には、薄らと弱気が見て取れた。

「ん? なんや、心配してくれてるん?」
「まぁな。これでも、僕は君達の兄貴分だ。そりゃ、そんな弱気な顔を見せられれば心配の一つもするさ」
「ごめんな、フェイトちゃん達と違うて可愛げのない妹分で」
「なに、気にするな。慣れれば君のそう言う所に味がある……とはいえ、食べ過ぎると胸焼けするがな」
「アハハハハ、酷い言われようやなぁ」

クロノの慣れない冗談が功を奏したのか、あるいははやてもクロノになれない事をさせてしまったと思ったからか。とりあえず、表面的には弱気の陰りは消える。
クロノとしてはまだやや心配だが、それでも二人は表情を改め一提督、あるいは一部隊長の顔になっていた。

「ところで、本部の件だが……本当にあれで行く気か?」
「うん。隊員たちの住居や生活空間も含めて本部は絶対必要やし、今後を考えれば移動できる本部の方がええ」
「なのはとフェイトの保護児童、ヴィヴィオの為にもか」
「うん」

はやてが考えている新しい本部と言うのは、移動ができ、防御も堅い言わば動く要塞だ。
その中に囲い込んで守ってしまえば、そう簡単にはヴィヴィオに手を出すことはできなくなる。

「理由はわからへんけど、スカリエッティの狙いはヴィヴィオや。わざわざ陽動の為に地上本部を襲ってまで手に入れたい、それくらい重要な。ヴィヴィオを守り切れれば、あるいはこの事件……」
「これ以上の被害を出す前に終わらせられるかもしれないな。
 わかった、僕らとしてもそれに越した事はない。ロッサにも頼んで、なんとか許可を取りつけよう」
「ごめんな、我儘言うてもうて」
「別に良いさ。君達は普段我儘を言ってくれなくて、逆につまらない位だ。
 ただ、出来れば普段言わない分を一度に使うんじゃなくて、回数を分けてほしいけどな」
「あ、あはははは…善処します」
「そうしてくれ」

クロノとしても、今回のはやての頼みは中々に骨が折れるのだろう。
妹分に頼られて悪い気はしないが、これから待つ書類と折衝の地獄には溜め息の一つもつきたくなる。
とそこで、クロノは一つ気がかりがある事を思い出す。

「待て、幾らなんでもすぐと言う訳にはいかないぞ。それまではどうするつもりだ?
 君の考えだと、ヴィヴィオを奪われれば最悪の事態へ一直線と言う可能性もある」
「大丈夫や、その辺はちゃんと考えもある。ヴィヴィオには悪いんやけど、今は友達と一緒に軟禁させてもらっとるんよ。仮設隊舎への人と物の出入りは厳重にチェックしとるし、部屋の前には警備員も立てた」
「となると、後は……それ以外のルートからの潜入か、再度の強硬手段か」
「うん。戦闘機人の中に、移動系…たぶん無機物潜行の能力を持った子がおる。
 その子に対処する為ともう一度強硬手段に出られてもええように、常に仮設隊舎周辺を前線組が警戒してくれてるよ。まぁ、怪我人とかもおるし、さすがに全員でとはいかへんけど」
「確か、前線組で病院にいるのはヴィータ・リイン・シャマル・ザフィーラ・ナカジマ三佐の娘二人……だったな。とすると、交代などを考えれば常時二人と言ったところか……」

何しろ昨日の今日だ。疲れと怪我もあって、さすがに全員出ずっぱりとはいかない。
また、なのはやフェイトなどは分隊長としての仕事もあって警戒に当たるのは難しい。
むしろ、夜寝ている間が二人の担当と言う風にも考えられる。
そうやって人数が減っていった結果、最終的には常時二人が限界という結論に至ったのだ。

「今は、丁度シグナムと兼一さんの時間やった筈やけど……」
「……………逆に、敵が哀れになる組み合わせだな」
「せやな。何しろ、機動六課でもトップスリーに入る武人コンビやし」

確かに、この二人の警戒をすり抜けるのは難しい…と言うか、不可能に近い。
兼一が朝ギンガの様子を見てすぐに出て行ってしまった役目とは、つまりはこれの事なのだった。



  *  *  *  *  *



そして、時を同じくして機動六課仮設隊舎周辺。
今そこで一人の少女が、筆舌に尽くしがたい恐怖に震えていた。

(見てる…見えてない筈なのにメッチャこっち見てる!?)

絶対にあちら側からは見えない場所にいるにもかかわらず、確かに感じる真っ直ぐに向けられた視線。
最初は勘違いかとも思ったが、右に動けば視線は右にズレ、左に動けば左を向く。
一度や二度なら偶然で済ませることもできるが、何度も繰り返せばそれも通じない。
どの程度はっきりとしたものかは分からないが、少なくとも違和感を覚えているのは間違いないだろう。

(お、落ち着けあたし! 見てるのに何もしてこないって事は、多分まだ『怪しい』位にしか思っていない筈……ってか、そうであってください!)

と言うのは、割と…切実な願望が大いに混じった推測だが、あながち間違いでもない。
何しろ相手は埒外の生き物。
その旨を充分以上に注意された彼女は、とにかく細心の注意を払ってきた。
仮設隊舎の敷地内に入ってからは、10m進むのに一分かける程に。
おそらく、その甲斐あってあちらも確信を得るには至っていないのだろう。

(っていうか、こんだけ深く潜ってんのになんで気付くかな、この化け物!!)

そう、今の彼女と相手との高低差は優に300mを超える。
更に横軸も高低差ほどではないにしろ、かなり距離が離れている筈だ。
これだけの距離があれば、地上…あるいは上空にいても早々気付かれるものではないというのに……つくづく規格外の生き物であることを痛感させられる。

そんな怪物に目をつけられてしまった悲運の少女、彼女はナンバーズの6、その名も『セイン』。
彼女のIS『ディープダイバー』は、無機物に潜行し自在に通り抜けることを可能とする。
突然変異で生まれた激レア能力を有する彼女は、ナンバーズにあって隠密や潜入作業を担当してきた。
そして例に漏れず、そういう役割を与えられてここまで来たのだが……今彼女は、地下300mという地の底から全身全霊で世界と生みの親を呪っている。

(な、なんであたしがこんな目に……それもこれも、全部ドクターのせいだ!)

時間を遡ること数時間前。
一番上の姉に呼び出され、生みの親で自他共に認める変態科学者の下へ向かったのが運のつき。
『これは君にしか頼めない重要な役目なんだ』とか『君なら完璧にやりきれると確信しているよ。いや、君以外のだれにも不可能だ』とか散々褒めちぎられて、『いやぁ、さすがにドクターとウー姉はこのセインさんの優秀さをよくわかってるねぇ。うんうん、あたしに掛かればどんな仕事も朝飯前さ』と有頂天になったのが不味かった。

あの瞬間、生みの親と姉の顔に浮かんだ邪悪な笑み。
何故自分はあの時、それを『信頼の笑顔』と勘違いしてしまったのか……。

(これ以上近づいたら確実にバレる! もしバレたりしたら…………命がない!?)

命がないというのは言い過ぎだが、それくらいの恐怖に襲われているのは事実。
言わば、今の彼女は『蛇に睨まれた蛙』も同然。
ただただ脂汗を流し、息を潜めて微動だにしないことが唯一の活路と信じているのだ。
とはいえ、それではいつまでたっても役目が果たせない訳で……。

(ったくもう! どうやってここからその『聖王の器』って子を連れ出せばいいんだよ!
 ドクターは『受け取りに行くだけ』とか言ってたけど、こっからどうしろってのさ!!)

確かに、彼からすれば一時向こうに預けていただけという認識かもしれない。
だからこそ出た「受け取りに行くだけ」発言なのだろう。

しかし、実際にそれをする側にとっては命懸け。
今の彼女にできることと言えば、あちらが気を緩めるのを期待しての我慢比べ。
あちらが『気のせい』と判断するのが先か、セインの忍耐力が限界を迎えるのが先か。
こうして地面というラインを挟んだ地上と地下の熾烈な…だが恐ろしく静かな戦いの火蓋が切って落とされた。



で、そんな感じにセインが一人でクライマックスな雰囲気を出していた時。
姿を見せないセインを地上から釘づけにしていた張本人……白浜兼一は、結構困っていた。

(……なんだろう? なんか気になるんだけど…………なんで?)

さすがの兼一も、地中から迫る敵と言うのは未知の存在だ。
視線を向けられれば数百mの距離が隔てていても気付くし、ある程度まで接近されれば気配を断つことに長けた達人をも察知できる。

だが、それはあくまでも地表より上に相手がいた場合の話。
大地の中に潜まれてしまうと、普段ほどその鋭敏な感覚が作用しないのだ。
あるいは、そう言う敵の存在に慣れてくればより高い精度で察知できるのかもしれないが…今はまだ難しい。
元々、セインが隠密行動を得意とするのも一因ではあるのだろう。
その結果、何故か眉根に皺をよせて地面を睨む男という、少々不思議な光景が出来上がっていた。

「む~……」
「ん? どうした白浜、そんな難しい顔をして」

そこへやってきたのは、兼一同様仮設隊舎周辺の警戒を任されたシグナム。
一応陸士制服こそ来ているが、いつでも愛剣を抜き放てるようレヴァンティンは起動済み。
凛とした美女が剣を片手に闊歩するその姿は、中々に新鮮だ。
陸士制服を着ていなければ、即座に職質されてしまいそうなほどに。

「あ、シグナムさん。いや、なんかこう……何て言ったらいいんでしょう?
 背中と言うか首筋と言うか、その辺りがモニョモニョするというか……」
「すまん、せめてもう少し具体的に言ってくれ。なにを伝えたいのかさっぱりわからん」
「う~~~ん……」

何しろ、兼一自身掴みかねる感覚だ。
そうは言われても、具体的な表現方法が浮かんでこない。

「む~~~~~~……すみません、あんまりうまく説明できそうにないんですよ。
 ただ、ちょっと気になるのでもうしばらくここにいようかと……」
「お前がそう言うのならかまわんが……」
「ところで、シグナムさんは今までどちらに?」
「む、お前と同じでこの辺りをグルグルとな。ついさっき正面玄関を通った所だが、あの様子なら大丈夫そうだ」
「そうですか…なら、後は僕達次第という事ですね」
「そう言う事になる。とはいえ、人手が足りないのは仕方ないが、こう警戒範囲が広いと神経がすり減るな」
「確かに……」

今の六課では、正面以外からの人や物の出入りは原則禁止。
そこで逐一来た人と物をチェックし、不審人物や不審物が入って来ないか目を光らせている。
同時に、兼一とシグナムが常に動き回りながら周辺を警戒することで、それ以外の侵入を防ごうという狙いだ。

一応、隊舎内で直接ヴィヴィオの護衛にあたるという方法も考えられたのだが、元々人と物の出入りは厳重にチェックしているし、来るとすればそれ以外のルート。
これなら二人も外で対処できるし、その方がヴィヴィオや翔にとっても良い。
なにしろつい先日あんなことがあったばかりで、二人とも色々と不安定になっている。
落ち着くまでの間、出来る限り荒事から遠ざけてやりたいという配慮だ。

もちろん、だからと言ってほったらかしにするようなマネはしない。
代わりに、二人が過ごす部屋の出入り口などには別口で警備員を置き、バックヤード陣から一人は二人の面倒をみるために部屋に常駐するようにしている。

「まぁ、それもあまり長く続く事ではない。
 主はやてが新たな本部を手配してくださっている。そちらに移ってしまえば、最早手の出しようがないだろう」
「確か……廃艦予定だった艦を調達するんでしたっけ」
「ああ、L級艦船の第八番艦『アースラ』。我々にとっての、はじまりの艦だ。
 長期任務には耐えられないだろうが…まぁ、この事件に片がつくまでの間くらいは保ってくれるだろう」

そう語るシグナムの眼には、揺るぎない信頼の光がある。
相手は物言わぬ艦とはいえ、それでも幾度となく共に闘った戦友なのだから。

「でも次元航行艦…でしたっけ? そんな物を大気圏内で動かして大丈夫なんですか?」
「確かにアースラは次元航行艦だが、そうは言っても大気圏内での飛行くらいは可能だ。
ミッドチルダ大気圏内での運用には問題ないし、一度飛び立ってしまえば文字通りの『動く要塞』に等しい。
そうなれば、さすがにスカリエッティ一味もヴィヴィオに手は出せまい」
「なるほど、それは確かに……」

シグナムの説明に得心が言ったのか、兼一はしきりに頷いている。
しかしこの時、既に事が動き出していることに二人はまだ気づいていない。
なにも、潜入に長けるナンバーズはセイン一人だけではないのだから。



場所は移って、仮設隊舎内の居住エリア。
日中と言う事もあり、ほとんどの人間が仕事の為に外に出ている為、人の気配はほとんどない。
だがその中で一ヶ所、明らかに物々しい雰囲気を醸し出す部屋があった。

「「……」」

無個性な扉の前に立つ二人の男。
両者は揃いのバリアジャケットに身を包み、その手には長杖型のデバイス。
はやてが手配した、念の為にヴィヴィオ達の部屋を警備する魔導師だ。

普通に考えればさぞかし退屈な任務だろうが、それでも二人は厳めしい顔つきのまま直立不動。
プロ意識がそうさせるのか、あるいは幼い子どもを守る使命感か。
いずれにせよ、二人は決してこの任務を軽んじていないことが伺えた。

「「……」」

とそこへ、一人の若い女性が抱えてやってくる。
腰まで届く長くもゆったりとウェーブのかかった蒼い髪が特徴的な、白く清潔なエプロンを身に付けた女性。
どうやら、バックヤードスタッフの一人の様だ。
女性は二人の魔導師の前まで来ると、軽く会釈してから切り出す。

「あの、ちょっとアイナさんに相談がありまして……」
「それは、お急ぎの御用で?」
「はい、仕事の事で」
「……わかりました。それでは、IDカードとの照合をさせていただきます」
「ぁ、はい」

魔導師の片割れが照合の為にIDカードを受け取り、残る一人が見慣れぬ機器を取りだして女性の方を向ける。
IDカードにはその人物の名前や顔写真だけでなく、様々な情報が記憶されているのだ。
それらと照合することで、相手が本人か否かを確認する訳である。
変装程度ではこれをだまくらかすことはできない。
虹彩や指紋、静脈パターン等々、あらゆるデータから照合しているのだから。
この全てを欺くのは、限りなく不可能に近いだろう。
そして、それはそう時間をかけることなく終了した。

「はい、機動六課バックヤードスタッフ『イスト・ターセル』さんで間違いありません。
 今取り次ぎますので、少々お待ちを」
「はい」
「申し訳ありません、アイナ・トラインさん。イスト・ターセルさんがお見えです」
「あ、はい、わかりました」

確認を終えた魔導師は、部屋の中のアイナにイストの来訪を告げる。
するとアイナは即座に返事を返し、続いて扉が開く。
そこまで来て、ようやく二人は敬礼しながら彼女に道を開けた。

「どうぞ」
「はい。お勤め、御苦労様です」
「いえ、こちらこそ」

女性は上品に頭を下げ、優雅な所作で扉をくぐる。
しかし、二人は気付かない。扉をくぐる寸前、女性が浮かべた歪な笑みに。

「ええ、本当に……無駄な努力御苦労様」

嘲る様に、あるいは侮蔑する様に零れた微かな呟き。
それは誰の耳に届く事もなく空気に溶け、女性は誰に怪しまれることもなく室内に踏み入る。

そう、ここに来るまで誰一人として彼女を怪しんだ者はいなかった。
『イスト・ターセル』と言う女性が、別人と入れ替わっているとは夢にも思わない。
なにしろ、あらゆるデータが彼女を『イスト・ターセル』本人だと証明しているのだから。

「アイナさん、ちょっとよろしいですか?」
「構いませんけど、いったいどうしたんですか?」

どこか戸惑い気味な同僚に、アイナは柔和な笑みを浮かべる。
見る者の心を穏やかにする、そんな笑顔。
だがそれに対し、イストがとった行動はアイナの理解を最悪に近い形で上回った。

「少しの間、眠ってくださいね」
「え? ぁ……」

『何を言っているのだろう?』と思った瞬間、アイナの首筋をイストの手刀が打つ。
迅速かつ正確な一撃は、アイナの意識を一瞬にして遮断。
アイナは糸の切れた操り人形の如く崩れ落ち、イストはそれを音を立てない様に優しく抱きとめる。
ここで下手に物音を立て、内外の人間に不審に思われては元も子もない。
彼女はそのままアイナを手近な小部屋に運び込み、丁重に横たわらせてから彼女は部屋を出る。

「さて、あとは……」

アイナへの暴挙などなかったかのように、極自然な動作で部屋の奥へ向けて進む。
居間と思しき空間には、未だ何が起こったか…そもそも何かが起こっている事にすら気付いていない幼子が二人。
見れば、二人は積み木で遊びながら他愛のないおしゃべりに興じている。

「ああ、違うよ。それはこっちだってば」
「え、そ、そうなの?」
「うん、だってそっちにやったらこっちだけ低くなっちゃうもん」
「あ、そっか……」

主導権を握っているのは長く鮮やかな金髪をリボンで結った女の子。
隣に座る黒髪の男の子は、女の子に言われるがまま手に持った積み木を移し替えた。

「あ~あ、でもなのはママとフェイトママ、今日もいないんだよねぇ……」
「しょうがないよ。みんなお仕事が忙しいんだもん」
「う~、そうなんだけど……」

母と慕う二人がいないことが寂しいのか、女の子はどこか気落ちした表情を見せた。
それに対し、男の子は自分なりに精一杯の励ましの言葉をかけている。
女の子がどこかぼんやりとした風の男の子を引っ張り、男の子が寂しがり屋の女の子を支える。
歩み寄りながら見ているうちに、そんな印象を『イスト』の姿をした女は抱く。
まぁ、だからと言ってどうという事ではないのだが……。
そうして、二人まであと三歩と言う所で、女の子の方が彼女の存在に気付いた。

「あ、イストさん!」

笑顔を向けてくる少女に、彼女もまた笑顔を向ける。
続いて、ゆっくりと女の子…ヴィヴィオに向けて手を伸ばす。

「ごめんね。ちょっとこっちに来てくれるかしら」
「え? うん」

彼女の頼みに素直に頷き、ヴィヴィオは差し伸べられた手に自身もまた手を伸ばす。
だがそこで、隣の男の子……翔の顔が強張った。
彼はヴィヴィオを押し退ける様にして二人の間に割り込み、彼女の手を両手で掴む。

「翔?」
「あら、どうしたの? ああ、何ならあなたも一緒に……」

突然の行動に、眼を丸くするヴィヴィオと首を傾げる女。
しかし、翔はそんな二人の反応に斟酌せず、女の手を一気に捻り同時に脚を蹴り払う。
その瞬間、彼女の視界が反転した。

「なっ!?」

床が上で、天井が下。気付いた時には天地が逆転し、続いて強かに背中をカーペットに打ちつける。

「かっ、はぁ……」

予想外の事態に受け身を取れず、肺の中の空気が絞り出された。
相手を子どもと見て甘く見ていたのだろう。
だがそれも無理はない。まさか、僅か5歳の子どもに投げ飛ばされるなど、いったい誰が予想するものか。

「え? え?」
「こっち!!」

事態の変化に理解が追い付かず、呆然とするヴィヴィオ。
翔は急ぎヴィヴィオの手を取り、近くの窓辺に向かって走り出す。
ヴィヴィオは翔の為すがまま、普段とは逆に引き摺られる様にして窓に向かって付いて行く。
そして窓辺に到達した所で、翔はヴィヴィオを守る様に抱きかかえ跳躍した。

「だっ!!」

さすがに一度の跳躍では窓には届かないと判断したのか。
近くにあった椅子を踏み台にして飛び上がり、頭から突っ込む形で窓を突き破る。

窓ガラスの砕ける甲高い音が響き渡り、二人は外の世界に向かって身を投じた。
とはいえ、翔とヴィヴィオがいたのは居住エリアの二階。
当然、そんな所から窓を突き破って外に出れば、待っているのは地上数mからの落下だ。

「きゃあぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!」

初めて経験する墜落の感覚に、悲鳴を上げるヴィヴィオ。
すぐ目の前には太い木がそびえ立ち、その下には芝生が広がっている。
コンクリートなどよりはマシだが、二階から落下すれば無傷で済む筈がない。
場合によっては骨折、打ち所が悪ければ死ぬ可能性だってあるだろう。

しかしそこで、翔は再度その身に秘められた非凡な才能を露わにする。
ヴィヴィオを抱きかかえたまま、さながら風を斬る羽の様な身のこなしで器用に身体を反転。
目の前まで迫っていた木の幹に脚を向け、接触と同時に蹴る。
そのまま地面に落下し、落下の衝撃を分散するべく丸太の様に転がっていく。

「「……っ!」」

二度三度と地面の上を転がり、ようやく回転が止まる。
翔は即座に起き上がると、無言でヴィヴィオの手を引き立ち上がらせて走りだす。

その様子は、つい今しがた二階から飛び降りたばかりとは思えない。
だが、それもある意味必然だ。彼の父であり師である兼一は、何よりもまず身を守る為の術を重点的に息子へ叩き込んできた。それは防御の型であり技。その中には無論、受け身の技法も含まれる。
翔は天性の身軽さで木の幹を蹴って衝撃を緩和、更に徹底的に叩き込まれた受け身の技術を総動員し、ヴィヴィオと自分の身体を落下の衝撃から守り切ったのである。

「走って! 早く!!」
「ふぇ……あ!」

混乱に混乱を上乗せされ、めまぐるしい状況の変化にヴィヴィオはもう何が起こっているのかわからない。
目を白黒させ、ただ翔に言われるがまま彼の手に従ってひた走る。

場面は戻り、翔達が窓を突き破って飛び降りた部屋の中。
翔に投げ飛ばされた女は緩慢な動作で置き上がるも、先ほど体験した事態への驚きを隠せない。

「まったく、なんて子かしら。
油断していたとはいえ、まさかあんな子どもに投げ飛ばされるなんて……」

予想外に次ぐ予想外。
正体を見抜かれたとも思えないが、それでも直感的に違和感を覚えたのだろう。
その勘の良さがまず予想外であり、投げ飛ばされた事がさらに予想外だった。

「私のIS『ライアーズマスク』は、ほぼ全ての身体検査を欺ける筈だけど……多少血が濁ったとはいえ、それでもさすがの血統…と言うべきかしら?」
「どうした!」
「なんだ、今の音は!」
「っ、邪魔よ!」
「がっ!?」
「なに…ぐわぁっ!?」

異変に気付き、慌てて室内に入ってきた二人の魔導師に右手を一振り。
隠し持っていた武装、右手の親指・人差し指・中指の三本に鋭利な爪を備えたグローブ『ピアッシングネイル』から放たれた三条の斬撃が、不意打ちに近い形の速攻で二人の魔導師を斬り伏せた。

同時に、彼女は空いた左手で軽く自分の顔を撫でる。
すると、髪の色や顔立ちが全くの別人へと変化した。
イストであった女性は自らも窓から飛び降り、翔達の後を追いかける。

すでに、女は認識を改めていた。
アレは幼く無力な子どもではない。
小さくとも、弱くとも……確かに闘う為の爪と牙、そして意思を備えた『敵』であると。

その頃、翔は特に目的地も定まらないまま、ただ闇雲にヴィヴィオの手を引いて走っていた。
とはいえ、それも仕方のないこと。
あそこにいてはいけないという事はわかっても、彼にはどこに逃げれば良いかわからないのだ。
出来る事は只一つ。とにかくヴィヴィオを連れて、あの『怖い』と感じた人から我武者羅に逃げる事だけ。

「ハッハッハッハッハッハッハ……!」
「ハァハァ…ま、待ってよ翔!」

規則正しく呼吸しながら走る翔に対し、既に息も絶え絶えのヴィヴィオ。
無理もない。翔と違い、ヴィヴィオの身体能力は年相応だ。
翔のペースに合わせる事自体が既に辛く、それを長く続けられるような体力など持ち合わせてはいないのだから。

「あ…ご、ごめんね! でも、早く行かないと……」
「い、行くって…どこに?」
「それは、その……」

荒く息をつきながら問うヴィヴィオに、翔も答えを返せない。
そもそも、何故「怖い」と感じたかすら曖昧なのだ。
直感が身体を動かし、あそこにいてはいけないと思ったから逃げた。
本当に、ただそれだけのことから起こした反射的な行動なのである。
ヴィヴィオからすれば、翔がいつも優しくしてくれている人に乱暴したと映っても不思議はない。

「ハァ…ハァ……ねぇ、早く戻ろうよ。きっとイストさんも、謝れば許してくれるよ」
「ダメ! それは……」

翔の中でも、ヴィヴィオの言を是とする部分はある。
元々直感的な物が理由なだけに、本人にも自信がないのだろう。
しかしそれでも、翔は引き返してはいけないと確信していた。

「お願い……一緒に、来て……」

ヴィヴィオの手を再度握り直し、縋りつくように懇願する。
その眼は不安一色に染まり、先ほどまでの様子はなりを潜めていた。
変わりに今の翔の姿が、ヴィヴィオの眼にはまるで「捨てられそうな子犬」の様にさえ映っている。
そんな相手の手を振り払えるほど、ヴィヴィオは薄情ではない。
なぜなら翔は、いつも一緒にいてやらなければ心配なヴィヴィオの初めての友達なのだから。

「………うん」

僅かに悩んだ末のヴィヴィオの返事に、翔の顔が安堵で綻ぶ。
翔はヴィヴィオの手を握り締め、少しでも遠くへと走り出そうとする。
だが、僅かでも足を止めたこと。それが、運命を分ける分岐点となってしまう。

「ぅあっ……!?」
「翔? ねぇ、どうしたの翔!」

走りだすと同時に、翔の脚を襲う灼熱感にも似た激痛。
途端に翔はその場で転倒し、ヴィヴィオは慌てて翔の傍にしゃがみこむ。

翔が痛みの根源に視線を向けると、そこには鋭利な刃物で切り裂かれたかのような傷跡と、溢れ出る真っ赤な血。
ヴィヴィオはその鮮烈な赤に動転し、ただただ震えるばかり。
続く硬質の足音に気付いて振り向けば、そこには明らかに険呑な雰囲気を纏った見覚えのない女が立っていた。

「あ、あぁ……」
「……」

ヴィヴィオもようやく『アレ』が危険な存在だと気付いたのか、顔を蒼白にした。
翔は傷ついた脚を無視して立ち上がり、片足を引き摺りながらヴィヴィオを庇うように前に出る。
震えるヴィヴィオを励ます為か、あるいは心をジワジワと侵す『何か』に負けそうになる自分を鼓舞する為か。
密かにヴィヴィオの手を握り、小さく語りかける。

「大…丈夫。絶対、守るから……」
「翔……」

ヴィヴィオを自分の体で隠す様にして、女と対峙する翔。
その姿に、その眼差しに、女は心からの感嘆の念を覚える。

(なるほど、噂に違わぬ…と言うべきかしら……末恐ろしい逸材ね。
筋が良いだけじゃない、勘が良いだけでもない。
 どこまで意識しているかは分からないけど、判断力も悪くない)

翔は今、ヴィヴィオを守る様にしてこの敵と相対している。
それは確かに無謀だが、同時にそれ以外にないという程の好手でもあった。
もし翔がヴィヴィオだけを逃がして足止めしようとすれば、彼女は翔を無視してヴィヴィオを追っただろう。
ただでさえ大人と子どもと言う歴然とした差があり、更に今の翔は脚に傷を負い機動力はないに等しい。
そうなれば、ヴィヴィオは丸裸も同然だ。

だが、少なくともこうしている間、ヴィヴィオにはどれだけ頼りなくとも一枚の盾がある。
彼女がヴィヴィオを手に入れるには、翔を排除する必要があるのだ。
ヴィヴィオを守る事を考えるのなら、確かにこの方法以外はない。
それを、翔は理解しているのだろうか。あるいは、単にヴィヴィオと離れるのが不安だったからかもしれない。
そもそも、彼はヴィヴィオが狙われている事を理解しているかすら怪しいだろう。
しかしそれでも、今ヴィヴィオが翔の存在とその意思によって守られているのは、紛れもない事実だった。

「シャーッ!」
「でも、残念ね。どれだけいい判断をしても、それに実力が伴わなければ意味は…ない!」

威嚇するかのように唸る翔に、魔導師達を斬り伏せた時同様、ピアッシングネイルを一閃する。
翔の防御を無きが如く素通りし、深々と顔を抉り鮮血が舞う。

「く、ああああああああっ!?」
「翔……翔!」
(イタイ、痛い、いたい!!)
(……本当に、つくづく驚かされる。今のを、一つだけでも避けるなんて……)

三本の爪の内、二本が顔の右半分を縦に縦断する形で切り裂いた。
それはつまり、三本のうちの一本を回避したことを意味する。

とはいえ、それでも翔が受けた傷は決して浅くない。
額から頬まで届く長く深い二筋の傷から溢れた血が、翔の顔を真っ赤に染めていく。
あまりの痛みで頭の中が一杯になり、もう他の事を考える余裕などない。
視界の右半分が血で潰れ、喉はカラカラに乾き、本能的な恐怖で体が震える。

理解していた。理解させられた。
今の自分では、どうやってもこの相手には勝てないと。
どれだけ頑張っても、自分ではヴィヴィオを守れないと。

(痛い…怖い……これが、闘い……)

あまりの激痛に今にも失禁してしまいそうだ。
あまりの恐怖に全身が逃げ出すことを望んでいる。
あまりの無力感に震える膝が折れてしまいそうだ。
あまりの絶望に泣き出してしまえればどんなに楽か。

「ふー…ふー……」
「おやめなさい、坊や。あなたは勇敢に戦った。
それだけやったんですもの、もう誰もあなたを責めやしない。
もう力を抜いて、楽におなりなさい」

もう、相手の言っている意味はわからない。
しかしそれでも、その言葉が酷く甘美な事はわかった。
これ以上は無理だと、彼の中でもう一人の彼が囁いてくる。

「ダメだよ…もうやめようよ……ねぇ、翔!!」

ヴィヴィオも、もうやめて良いと言ってくれた。
泣きながら、縋りつくように。『もうやめて』と、翔が傷つくのを見たくないと。だが、それでも……

「そんなのは…イヤだ! 守るって、強くなるって約束した。だから……逃げない!!」

そう、それが父との約束であり誓い。
なのはにも頼まれたのだ、「ヴィヴィオをお願い」と。
なにより、大事な友達を傷つけられるかもしれない。その可能性が、何よりも許せない。
ならば、どうしてここで逃げ出せようか。

「……翔」

嗚咽を零しながら、ヴィヴィオが翔の名を呼ぶ。
たったそれだけの事で、翔の脚に僅かに力が戻った。
それどころか体の震えが治まり、内側から何かが湧き上がる。
守りたい人の存在が支えとなり、もう少しだけ……闘えそうな気がした。

同時に、ヴィヴィオは必死に自分を守ろうとするその背中から目を離せない。
震える肩、決して力強いとは言えないその居住まい。
しかしそれでも、ヴィヴィオの眼には何よりも大きく映る。
この時ようやくヴィヴィオは翔が「武」を学ぶ理由を、かつてザフィーラが言った言葉の意味を僅かに理解した。

「良い啖呵だったわ、坊や。幼くてもその見事な闘志……あなたは一端の武人よ。残念ながら、私もあまり悠長にはしていられないけど、それだけはナンバーズの2番『ドゥーエ』が称賛する」

本来、こんな事を言うのはドゥーエの流儀ではない。
わかっている筈なのに、気付くとさきほどに続き言わなくても良い様な言葉が口をつく。
冷酷に、時に残忍に目的を遂行するのが彼女のあり方の筈なのだが、それでも言わずにはいられない。
らしくもない事に、小さな体で必死に大切な人を守ろうとする姿が、とても気高く見えてしまったから。

ドゥーエの預かり知らぬ事だが、敵味方を問わず、時には無関係な第三者にすら影響を及ぼしてしまうのが、彼の父と曾祖父の共通点。
そして、彼女にそう思わせてしまう何かが翔にあったのだとすれば、彼は確かに…二人と同じもの持っているのだろう。
だからこそ、女は『今』と言う時を惜しまずにはいられなかった。

(残念ね…できるなら、もう少しどこまでやれるか見てみたかったけど……時間切れよ、坊や)

強い覚悟も、気高い意志も……それに見合った、それを為し得るだけの力がなければ意味を為さない。
幼くしてそんな残酷な現実に打ちのめされる幼子に、ほんの僅かにドゥーエは同情した。



時を僅かに遡る。
未だ仮設隊舎周辺で兼一が不明瞭な違和感に首をかしげていた時、彼の鋭敏な聴覚がその音を捉えた。

「っ! 今のは……」

微かに聞こえた、何かが砕けるような澄んだ音。
弾かれたように振り向き、無意識のうちに視線を向けたのは発生源と思われる居住エリア。
総身を駆け巡るイヤな予感に背中を押され、それまで警戒していた違和感を無視して走りだす。
兼一は瞬く間の内に居住エリアへと到達し、一度の跳躍で数十mはあろう建物の屋上に飛び乗った。

「白浜!」

兼一同様何かを感じ取ったのだろう。
バリアジャケットを身に纏い、厳しい表情のシグナムが飛んでくる。

「シグナムさんも気付きましたか……」
「ああ、急ぐぞ!」
「はい!」

多くを語ることなく認識を共有した二人は、申し合わせたかのように同じ方向を向いて動き出す。
別に、何か手掛かりとなる様な物を見つけたからではない。
単純に、磨き抜かれた二人の武人の勘が告げている。
この先で、何かが起こっている…いや、誰かが闘っている事を。
そして、そう時間をかけることなく二人は発見した。

「翔! ヴィヴィオちゃん!」
「貴様、そこで何をしている!!」

視線の先には、芝生の上に横たわった良く見知った子どもが二人。
その傍らには見覚えのない女が立っていた。
二人の声を聞きつけ、女…ドゥーエが振り返る。

「っと、もう来たのね。さすがに対応が早い。だけど……」

そこまで呟いた瞬間、紫紺色の召喚陣が浮かび上がる。
その大きさたるや、ドゥーエだけでなくヴィヴィオや翔も範囲内に収めるほど。

「シグナムさん、あれって……」
「ちぃ、遠隔召喚か!」

恐らく、ドゥーエに発信器か何かを持たせているのだろう。
それを目印に転送魔法を使い、三人まとめて運ぶ
確かにこれなら、潜入してターゲットを自身の周囲に集めてしまえば楽に連れ出せる。

元々、能力の割れているセインは警戒されていた。
それを逆手に取り、囮に使う事でその為の時間稼ぎとしたのだ。
そしてそれは、多少の予想外こそあれ、今まさに成功しようとしている。
だが二人とて、早々思い通りにさせてはくれない。

「レヴァンティン!!」

シグナムは愛機を抜き放ち、炎を纏わせて渾身の力で振り下ろす。
切っ先から放たれた紫色の炎の斬撃が、ドゥーエ目掛けて襲い掛かる。

「おおおおおおおおおおおお!!」

同時に、兼一もまた右足を振り抜く。
すると、強靭な足腰から放たれた蹴りにより生じた突風が、翔とヴィヴィオに迫る。

二人の狙いは至極単純。
シグナムの斬撃を防御させる事でドゥーエを足止めし、その間に蹴りの突風で翔とヴィヴィオを転送の範囲から外す。既に転送は発動間近であり、これ以外に選択肢がなかった。

しかしここで、ドゥーエは二人の予想を上回る行動に出る。
あろうことかシグナムが放った飛ぶ斬撃、「空牙」に対し防御する様子を見せない。

(バカな……奴め、死ぬ気か!?)

この状況では、シグナムにも手加減をする余裕などない。
リミッターが掛かっているとはいえ、現状ではほぼ全力と言っていい一撃。
それを防御せずに受ければ、ただで済む訳がない。まさか、それがわからない筈もないだろう。

にもかかわらず、ドゥーエは迫りくる斬撃を無視。
代わりに、兼一が放った蹴りに対しヴィヴィオの前で防御態勢を取る。

「がっ!」

突風に先んじ斜め横から襲い掛かった斬撃を無防備に受け、その身体が大きく揺らぐ。
だがそれでもドゥーエはその場を死守し、続く突風を全身で受け止めた。

「くぅ……ぁあぁぁぁぁ!」

元々、ドゥーエの肉体増強レベルはA程度。
トーレのオーバーSと比較するまでもなく、ナンバーズの中にあって決して高い部類ではない。
そんな彼女が、この二つの波状攻撃に耐えられる筈もなく……ドゥーエの身体は大きく飛ばされる。

しかしその時、風で空中に舞い上げられたドゥーエの顔には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
それもその筈。何しろ、翔は魔法陣の外に出てしまったが、まだヴィヴィオが範囲内に残っているのだから。

「任務…完了」

己が身を盾にして、ドゥーエは兼一の放った蹴りの突風を阻んだ。
さすがにヴィヴィオと翔、同時にこの二人の盾になる事は出来なかったが…それで充分。
出来れば二人とも確保するのが望ましかったが、最低限の目的は達した。
それはつまり、彼女にとっての勝利を意味する。

「しまった!」

急ぎヴィヴィオを転送範囲外に出そうとするが、時既に遅し。
召喚陣は一際その輝きを強め、ヴィヴィオを飲み込む。
光が収まると、そこにはもうヴィヴィオの姿は消えてなくなっていた。

「やられた……まさか、捨て身で……」

ドゥーエの執念が毟り取った勝利と言うべきか。
無論、彼女とて勝算はあった。

シグナムはともかく、兼一の場合その役割上あまり強く放てばかえって二人の身が危ない。
故に、どうしても手加減せざるをえなかった。
それを見抜いたからこそ、ドゥーエは身を呈して盾となったのだ。

その執念は、敵ながら称賛を値するだろう。
とはいえ、だからと言ってこれ以上の失態を犯すつもりもない。

「白浜、お前は翔を。奴は私が拘束する」
「……はい、お願いします」

声音に悔しさを滲ませながら、兼一は我が子の安否を確かめに行く。
二人とて、できればヴィヴィオを追いかけ助け出したかった。
だが転送魔法の性質を考えれば、相当遠距離に運んだのは想像に難くない。
そうである以上、見つけられる可能性は…あまりにも低い。
今は地面に横たわるドゥーエを逃がさないよう拘束し、翔まで連れて行かせない様にするしかない。

「さて、お前には色々と聞きたい事がある。洗い浚い吐いてもらうぞ」
「私が…素直に喋るとでも……?」
「思ってはいない。
だが生憎、今の私は自分の不甲斐なさに頭に来ていてな……あまり冷静に相手をしてやれる自信がない。
 口にする内容には気をつけろ」
「ふ、ふふ…公僕の言う事ではないわね」
「なんと言い繕った所で、元は山と罪を犯した無法者なのでな」

こうして、一度は守り切ったかに思えたヴィヴィオは敵の手に落ちた。
それが巡り巡って何をもたらすのか、明らかになるまであと少し……。






あとがき

うん、前回のあとがきであんなこと書いておいて、思いの外早く書き上がりました。
長い事やりたくて温めて来た回なだけあり、予想以上に筆が進んだおかげです。

そんなわけで、今回のメインはほかでもない次期主人公。
頑張りました。とても頑張ったのですが………力及ばず報われませんでした。
才能に恵まれ、師に恵まれている彼ですが……早くも挫折を知ったのです。
ですが、この挫折を乗り越えればきっと大きく成長する事でしょう。
そう言う意味では、今回の闘いと敗北で得たものはとても大きいと言えるでしょうね。
健やかなる成長を願うばかりです…って、どうするか決めるのは私ですが。

それはそうと、前回ヴィヴィオが攫われなかった事で『別の展開に?』と思われた方が多かったご様子。
ごめんなさい、さすがにそこまでのイメージは浮かびませんでした。
原作のイメージが強く、そこから中々大きく飛び出せないのです。
というか、前回ヴィヴィオが攫われなかったのだって、言ってしまえば今回の為ですしね。
今まで翔は微妙に影が薄かったので、それを補って余りある位に活躍させたく考えた回ですし。

ちなみに、なんで六課襲撃時ではダメだったかというと、相手がルーテシアやガリューだと話にならないからです。翔は魔法が使えず、武術の腕が年の割には優れてはいても、対魔導師戦ができるレベルではありませんから。元から抵抗を排除する気満々な為、今の翔は弱っちいので一捻りなんですよね。
ですが、潜入して相手が全く警戒していないと思っているドゥーエであれば、その隙をつけば少しくらいは善戦できます。そんな訳での組み合わせでした。まぁ、あんまり長くは保ちませんでしたけどね。



[25730] BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:46

第97管理外世界『地球』、極東地区『日本国』は首都『東京』。
次元世界レベルで見れば、辺境世界の更に片隅にあるような国の首都にそびえる一棟の巨大建造物。

その名も『新白連合本社ビル』。
地上36階地下5階という威容を誇るその最上階に、世界中に散っている筈の全幹部が集結していた。

「しかし、こうしてわしらが勢揃いするのは何年振りかのう?」
「おいおい、『勢揃い』じゃないよ、トール。兼一君がまだ戻ってないんじゃな~い」
「おお、わしとした事が……確かにそうじゃった。すまんのう、突きの」
「そうだよなぁ。折角武術界に戻ったんだし、兼一の奴も遠慮なく顔出せばいいのによ。ったく、水臭ぇ」
「まぁ、白浜には白浜なりの考えがあるんだろう。そう言ってやるな、宇喜多」
「にしてもだ、いきなり呼び付けた新島の野郎はまだ来ないのかよ。ジーク、アンタ何か知らないのかい?」
「総督のグラディオーソ(壮大)なお考えは私如きにはとてもとても……ララ~♪」

基本、誰もが思い思いに武を磨き、己が信念に従って力を振るっている為、こうして一応とはいえ全員が一堂に会するのは非常に珍しい。
実際問題、個々ではなんだかんだで顔を合わせることもあるが、全員が1ヶ所に集まったのは3年振りだ。
その幹部たちが、上座も下座もない円卓を囲う様に座している。

いや、その表現は正しくないか。
より正確には兼一以外にもう一人幹部がいるのだが、彼……ハーミットはこの手の会合に顔を出す性格ではない。
闇における立場もあるので、こればかりは仕方がないが。

「そう言えばジーク、君はもう一足早く兼一君達に会ったって聞いたじゃな~い」
「マジか、武田! おいジーク、一人で抜けがけかよ、ずりぃじゃねぇか」
「申し訳ない。ここは、心よりの謝罪を……歌に乗せて!!」
『いや、それはいい』
「…………はい」

突然立ち上がったジークに、全員からツッコミが入った。
よほど残念だったのだろう、ジークは「シュン」となって再度席に座る。

「それで、実際のところはどうだったんだ? 白浜の同僚と言う子どもから少し話は聞いたが……」
「はい。兼一氏は5年の空白を埋めるべくコン・エネルジア(精力的)に修業に励んでおられます。
 また、翔や弟子にもアモローソ(愛情豊か)に修業をつけていらっしゃいましたね~~~」
「はっ、坊やらしいじゃないか。こりゃ、私らもうかうかしてられないね」
「そうじゃのう。兼一に会うのもそうじゃが、その弟子や息子に会うのも楽しみじゃわい」

ジークから語られる古き友の近況に、皆は一様にその日を待ち遠しそうにする。
とはいえ、その声音に宿るのは懐かしさだけではない。
懐古と同時に、一人のライバルとしての対抗心も覗かせている。
この辺りは、例え武を極めたと言っても…いや、だからこそ昔以上に血が沸き立つのだろう。
とそこで、扉を開けて最後の一人が姿を現した。

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! そうか、そりゃ丁度良い。ならいっちょ、会いに行ってみるか?」
「それはいったいどういう意味なんだ~い、新島」
「実はな、昨日兼一の奴からおめぇらや梁山泊の連中を向こうに送る手引きを頼まれた。
 どうも、あっちはあっちで中々きな臭い事になってるみたいだぜ」
「なるほど、それでわしらを呼びだした訳か」

新島の言に、得心がいったとばかりに頷くトール。
このやり取りからもわかる通り、兼一は地上本部襲撃後、即座に新島と連絡を取った。
はやてが指示し、自らも参加するヴィヴィオの護衛体制を不足に思った訳ではない。
とはいえ、相手は鉄壁を誇った筈の地上本部内部にあっさり侵入してくるような連中だ。
およそ警戒し過ぎるという事はない。

そこで、新島の汚れた頭脳と旧友や師の力を借りようと考えた。
ヴィヴィオ達を地球に送ることも考えたが、それは相談したはやてにより却下。
理由はいくつかあるが、移動中の安全確保の難しさが主な理由である。

何しろ、ミッドから地球に行く方法は主に二つ。
次元航行艦で時間をかけて移動するか、転送ポートを利用するかだ。
ただ、どちらも一度は本局という人口密集地を経由せねばならない。
そこでもし襲撃された場合、護衛側はヴィヴィオだけでなくその場にいる人々まで守らなければならなくなる。
これは、正直あまり望ましくない状況だ。

また、ミッド地上は大きく混乱し、いつスカリエッティ側が再度何かしらの動きを見せるかわからず、前線組にも負傷者が出ている状況では、随伴できる護衛は決して多くない。
その危険を冒す位なら、仮設隊舎内に軟禁しガチガチに警備を固める方が安全と判断したのだ。
結果的に、敵の偽装能力の高さが想像を上回った訳だが……。

「事情は良くわかんねぇけどよ、なら急いだ方が良いんじゃねぇか?」
「そうだな、こんな所でのんびりしている場合ではない」
「まぁ、待て。実はな、最新のニュースだと護衛する筈だったガキが結局攫われちまったらしい」
「おいおい、兼一の坊やが付いてたんだろ? マジなのかよ、宇宙人」
「大マジだ。ま、幾ら腕っ節が強くても、裏をかきゃなんとでもならぁな。んで、その際兼一んとこのガキがそいつを守ろうとして傷を負ったらしい……まだ詳しい情報はねぇが、結構な深手だったようだぜ」

この口ぶりからすると、こちらは新島独自の情報網から得たものらしい。
どうやら、先日ミッドに行った折、ちゃっかり独自のネットワークを作り上げていたようだ。
とはいえ、それを聞いた面々は兼一が出し抜かれたという事実に驚くと同時に、もう一つの情報に感心もする。

「へぇ、さすがは兼一君とハニーの息子なんじゃな~い」
「全くじゃ、子どものくせに良い根性しとるわい」
「ラッラ~! 私は翔はやる時はやる子だと信じておりました~!!」
「とはいえ、そうだとすれば尚更悠長にはしていられんな」
「フレイヤの言う通りだぜ。おい新島、どうやったらその『ミッドチルダ』ってとこに行けんだ、早く教えろよ!」
「そう焦んなって。どの道、真っ正直に行っても通しちゃくれねぇぞ」
「あん? そりゃどういうことだい」

簡単な話だ。今のミッドチルダは未曽有の大事件により、渡航規制が掛かっている。
犯人一味を外へ逃がさない為の処置であり、これに乗じようという犯罪者や外部からの支援を防ぐ狙いもあるのだろう。とはいえ、これにより局員でもない者がミッドに渡ることは不可能に近い。
兼一がはやてに相談したのも、彼女のコネを使い規制の網を潜り抜けようと考えたからだ。

だが、渡航規制をかけているのはあくまでも地上本部の側なので、はやてのコネも効き辛い。
ヴィヴィオ達をミッドの外に逃がす事が出来なかったのも、護衛以外にこれが理由の一つに挙げられる。
ミッドの外に逃がすのも、ミッドの外から新たな戦力を補充するのも難しい。
だからこそ彼女は、アースラ内に囲い込むという策に出るしかなかったのだ。

「はっ、それで…てめぇがその程度の事で黙ってる訳もねぇんだろ」
「おやおや……」
「なんだ、結局来てんじゃねぇか」
「久しぶりだねぇ~、ハーミット」

『困った困った』とばかりに肩を竦める新島にかけられる、本来この場にいない筈の人物の声。
しかし、その場にいる誰一人として驚きはしない。
みな、彼がこの場に現れる直前からその気配に気づいていたのだから。

「ふんっ! 兼一のバカが出し抜かれたって聞いてな、そんな面白れぇ見せ物を見逃す理由なんぞねぇってだけだ」
(はいはい、ツンデレツンデレ。よっぽど兼一達の事が心配だったんだな、こいつ)

とは、皆が思っていてもあえて言わないでいてやる本音である。

「それで新島、我々はいったいどうすればいい。ハーミットの言う通り、無論考えがあって呼び出しのだろう?」
「ま、おめぇらはとりあえず旅の支度でも整えてろ。ちゃ~んと手は考えてあっからよ。何しろ……これは好機!! 正義の武術集団『新白連合』が、地球を越えて次元世界にその名を轟かす時が来たんだからなぁ!!!」

新島の宣言に、誰もが「そんなこったろうと思った」と言わんばかりの笑みを浮かべる。
最近は連合も安定期に入り、彼の野心もナリを潜めたかに見えた。
だが、次元世界という新たなフロンティアが彼の野心に再度火をつけたのだろう。

「戦乱の時代が今! 新たな勢力の時代を告げるぅ~~~~~!!!
 ヒャ―――――――――――――――ッハハハハハハハハハハハハハハ!!」



BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」



先日発生した前代未聞の大事件から間もない、第一管理世界ミッドチルダ。
未だ混乱の渦中にある為、テレビ画面に映し出されるのは「地上本部襲撃」のニュースばかり。
無理もないが、大事件の影に隠れる形でとある部隊で保護されていた保護児童が誘拐されたことなど、僅かでも報じられる素振りはない。
当然、一人の幼子が大切な友達を守る為に血まみれになった事を知る者は少ないだろう。

仕方がない。鉄壁を誇った筈の地上本部が壊滅とはいかないまでも、手玉に取られてかなりの被害を出したのだ。
人心は不安に押し潰されそうになり、未だ事件解決の目途さえ立っていないのだから。

そんな事件から数時間後の聖王医療院。
先日の事件による負傷者を多く受け入れている為、一夜明けてなお病院内は慌ただしい。

だが、その一角だけは例外。
日当たりのいい個室は、まるでそこだけは静寂に包まれている。
少し耳を済ませれば聞こえる喧噪も、壁一枚隔てている事でまるで別世界であるかのようだ。

そんな、個人用にしては広く静かな病室で、斜陽により赤く染まったベッドで眠る一人の子ども。
顔の右半分には白く清潔な…しかし、見る者に痛々しさを感じさせる包帯を巻いている。

この傷を、この子はどう思うだろう。
大切な人を守る為に負った名誉の負傷と誇りに思うだろうか。
あるいは、友人をみすみす攫われてしまった弱さの証と思うだろうか。
もしくは、その両方かもしれない。

そして、今そのベッドの傍らに、一人の女性が力なく佇んでいた。
直接間接を問わず、彼女を知る者達からすれば信じられない程の弱々しさで。

「…………」

そっと優しく、包帯の上からその下にあるであろう傷をなぞる。
胸を占めるのは、眼の前で眠る少年への言葉にできない程の後悔と自責。
さらに、攫われてしまった少女が置かれているであろう状況への不安と恐怖。

「…………………私の、せいだ」

顔を俯かせ、肩を震わせながら絞り出す様にしてこぼれた呟き。
誰に向かって発した訳でもない。あるいは、自分自身に向けられた断罪の言葉。

「あの時、私があんな事を言ったから……」

拳を堅く握りしめると、爪が掌に食い込む。
握る力が強過ぎたのだろう。爪は容易く皮を裂き、拳から数滴の滴が滴り落ちた。
しかし、彼女は気にすることなく、ただただ『あの時』の事が鮮明に思い出される。
むしろ、無意識のうちに思い出してしまうあの時の情景こそが、辛く苦しい。

「無責任に、『ヴィヴィオをお願い』なんて言ったせいで……!」

零れそうになる涙と嗚咽を辛うじて抑えながら溢れだす後悔。
別にその先に待っている事態を明確に予見して言った訳ではないにしろ、それでもヴィヴィオが普通の子どもでない事はわかっていた。
そのヴィヴィオを任せるという事は、起こるかもしれない事態に巻き込むも同然ではないか。
こんな…まだ5つになったばかりの、小さな子どもを。

普通ならそこまで気にする様な事ではない。
だが眼前の少年は、ヴィヴィオを守る為に闘ったのだ。
勝ち目のない敵に……無謀にも、勇敢に立ち向かい…敗れて心と体に深い傷を負った。
守ろうとして負った顔と足の傷と、大切な人を守れなかった事で負った心の傷。
それらの傷の責任の一端が、自分の無責任な言葉にあると思えてならないのだろう。

彼の父親の事は良く知っている。
誰よりも優しい彼の血を引き、誰よりも甘い彼の薫陶を受けて育ってきた。
この子ならそうすることは、きっとわかっていた筈だ。なにより……

「私が、守らなきゃいけなかったのに……!!」

それが約束だったのだ。
『自分がママの代わり』『守っていく』と約束した。
本来、この子が負った傷も苦境も、全て自分が背負うべきものだった筈なのに……。

その場にいなかった、いられなかったのだからどうにもならない。
どうしようもなかったこととわかっている。
わかっていても、傍にいてやれなかった己の不甲斐なさが許せない。

「なのは。今、シャマルから……なのはっ! 手から血が……」
「ぁ…フェイトちゃん」

音を立てない様に入ってきた親友は、彼女を一目見て異変に気付き駆け寄る。
急ぎハンカチを取り出し、石の様に握られた手を開かせて巻いて行く。
その傷が、まるで彼女の心を映し出している様で…フェイトの顔もまた悲しみに曇る。

「これでよし。でも応急処置だから、後でちゃんと消毒とかしないと……」
「うん、ごめんね……」
「……ヴィヴィオの事、考えてた? それとも、翔の事?」
「両方……かな?」

心配そうに翔となのは、二人を交互に見るフェイト。
親友の気遣いに、なのはは苦笑を浮かべる。

「翔には、悪いことしちゃったなぁ…って」
「そんな、翔はそんなこと……」

なのはの懺悔に、フェイトは首を振って否定する。
どっち道、なのはからの頼みがなくとも翔はヴィヴィオを守る為に闘っただろう。
アレはそういう子であり、そうあろうとして武門に入ったのだから。
きっと、敗れ守れなかった事を悔いこそすれ、闘った事を悔いてはいない筈だ。

兼一にした所で同じ。
彼もまた、なのはの事を責めはしないだろう。
己が信念の為、友の為に闘った翔を褒め、後一歩と言う所で手が届かなかった自分の未熟を恥じているに違いない。彼はそう言う男なのだから。

なのはもそれがわかっているのだろう。
だからこそ、あえてそれ以上言及せずに次なる懺悔を口にする。

「それに…ヴィヴィオとの約束も、破っちゃった……」
「……」
「大変な時に、いつも一緒にいてあげられなかった。守ってあげられなかった。あの子……きっと、泣いてる!」

ついに堪え切れなくなったのか、なのはの眼から大粒の涙が溢れだす。
涙を流し、肩を震わせるその姿はまるで幼い子どもの様に弱く儚い。
そんななのはの事が見ていられなくなったのか、フェイトはその背に手を回して抱きしめる。

「なのは……」
「ヴィヴィオが一人で泣いてるって…悲しい思いとか、痛い思いをしてるかもって思うと……体が震えて、どうにかなりそうなの! 今すぐ助けに行きたい!! でも、私は……」

彼女は機動六課スターズ分隊の分隊長であり、皆を鍛えて導く戦技教導官であり……そして、空のエース。
その立場と責任を自覚しているからこそ、彼女は軽はずみな行動に出る事ができない。

身を呈してヴィヴィオを守った翔と比べて、そんな自分が卑小に見える。
口ではなんと言った所で、実際に涙を流した所で、それらがポーズの様に思えてならないのだろう。
本当にヴィヴィオの事が大切なら、全てかなぐり捨ててしまえばいい。
それができないのなら、所詮それらは上辺だけの物に過ぎないと、別の彼女が囁くから。

「大丈夫、ヴィヴィオは絶対大丈夫だから!」
「ぅ、あぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「助けよう。みんなで、きっと……」

なのはを励ます様に、更に抱きしめる腕に力を込める。
すると、なのははフェイトの腕の中で縋りつくように声を上げて泣いた。
だがそんな親友の声を聞きながら、フェイトは思う。

(やっぱり、私じゃ力不足かな……今のなのはに必要なのは、きっと私じゃなくて……)

至らない自分に肩を落とすと同時に、この場にいない『彼』に少々理不尽な怒りを抱く。
本当の意味で彼女を支えてやれるのは、彼女がまだ弱かった頃から共にあった、彼以外にいないと思えばこそ……。
とそこで、二人は視界の隅で何かが蠢いている事に気付く。

「ん、んぅ……」
「翔?」

呟いたのはどちらだったろう。
二人はパッと身体を離し、ほぼ同時にベッドに横たわる翔の方へと視線を向ける。
するとそこには、緩慢な動作で上半身を起こす翔の姿。

「ここは……つっ…」

傷が痛むのか、身体を起こすと同時に包帯で覆われた右目を押さえる翔。
縫合から数時間。鎮痛剤が切れ始めているのかもしれない。

「大丈夫、翔?」
「傷、痛くない? いま、兼一さんを呼びに……」
「なのはさん、フェイトさん……? っ! ヴィヴィオ……ねぇ、ヴィヴィオは!」

覗きこむように身を屈める二人に、一度はきょとんとした視線を向けていた翔。
だが、すぐについさっきの事を思い出したのか、二人の袖を掴んでヴィヴィオの安否を問うてくる。
自分とて大怪我を負ったというのに、それでもヴィヴィオの心配が先。
まったく、こういう所は本当に父親そっくりだ。

とはいえ、下手にウソをついた所ですぐにわかる以上、問われたのなら答えねばならないだろう。
例えそれが、彼にとって残酷な現実を突きつける事になっても……。

「ヴィヴィオは、その……」
「いいよ、フェイトちゃん。私が言う」
「なのは…でも……」
「きっと、私から言わなくちゃいけないんだ」

それが、例え言葉の上だけでもヴィヴィオの事を託した自分の責任。
これだけは、誰かに頼る事は許されない。

「いい翔、良く聞いて。ヴィヴィオはね……ここには、いないんだ。
翔と闘った人の仲間に、連れてかれちゃった。だから今は…………………会えない」

身を斬るような思いに苛まれながら、なのははその言葉を口にする。
改めてヴィヴィオがいない現実を再確認し、守れなかった自分を突きつけられる事が、どうしようもなく苦しい。
フェイトには、そんななのはの姿もまた痛ましくて見ていられない。

「ウソ…そんなの…………」

しかし、二人にとって何よりも辛かったのはそれを聞いた翔の顔だ。
言葉にできない程の絶望と失意に沈んだ顔は、とても5歳の子どもがする様なものではない。
それは、この子がどれほどヴィヴィオを大切に思い、決死の想いで闘ったかを如実に物語っていた。

「僕が…僕のせいで……」
「違う、違うよ! 翔のせいじゃない! 翔はヴィヴィオを守る為に闘ってくれた。そんなに怪我して、それでも守ろうと闘ってくれた!」
「そうだよ。悪いのは、ダメだったのは私の方。翔が悪い事なんて……何もない」

自責の念に襲われそうになる翔を、フェイトはなのはの時と同じように抱きしめながら慰める。
なのはもまた、少しでも翔の心が軽くなればと言葉を紡ぐ。

だがそこで、翔は再度二人の想像を上回る。
ゆっくりと伸びた手がなのはの袖を掴み、涙ながらに彼は懇願した。

「助けて……」
「「ぇ……」」
「ヴィヴィオを…助けて!」

自分では守れなかった。弱い自分では助けに行く事が出来ない。
それがわかっているのだろう。出来る事は唯一つ…出来る力を持ち、それが為せる人に願う事だけ。

どこまでもどこまでも……思い願うのは大切な人の事ばかり。
同時に、翔はなのはがヴィヴィオを助けいくと信じているのだろう。
その純粋無垢な祈りと信頼……この子に対し責任を感じるのなら、必ずや応えて現実にせねばならない。

「……………………助けるよ、必ず。どんな所からでも、誰からでも…必ずヴィヴィオを連れ戻す。約束する!」

この約束は絶対に違わない。堅く誓いを立てて、なのはは翔の手に自分の手を重ねるのだった。



  *  *  *  *  *



同じ頃、聖王医療院内で人を探してさまよう影があった。
それは、陸士制服の上から白衣を羽織るも、頭に包帯を巻き、顔にガーゼをつけたままの女性。
先日の先頭で負った傷は比較的軽かったが、それでもまだ全快とはいかないのだろう。

(兼一さん……いったい、どこに……)

ヴィヴィオを攫われたのが昼過ぎ頃。
確保した新たな戦闘機人「ドゥーエ」をシグナムに任せ、兼一は翔をこの病院まで運んできた。
職業柄…と言うべきか、ある分野においては『専門家』レベルの医学知識と医療技術を持つ兼一だが、それでも限界がある。
専門的な設備どころか原始的な道具にも事欠く状況、その上彼の持つ技術力では、翔の負った傷…とりわけ顔の傷の縫合は手に余った。
そこで已む無く、数少ない所在の分かっているこの病院に担ぎ込んだのである。

その後は、偶々まだ病院内に残っていたシャマルが縫合を担当。
顔・足ともに何針も縫う大怪我だったが、命に別条がなかったのは幸いと言うべきか。
今までは念のため行われた検査の結果を待っていたのだが、それも先ほど出た。
そんなわけで、出た検査結果を保護者に知らせるべく探しているのだが、一向に見つからない。

「まさか、ヴィヴィオを探しに行ったんじゃ……」

兼一の性格を考えれば、あり得ない話ではない。
すぐ目の前でヴィヴィオが攫われてしまった事を、大層後悔していた様子だったのも記憶に新しい。

元々、兼一は組織というものに馴染んでいるとは言い難い。
むしろ、組織人としての意識はなのはなどより格段に低いと言えるだろう。
自分の立場も責任も自覚している。だがそれらは彼にとって、武人としての自分、あるいは個人としての自分より優先されるものではない。なのはと違い、彼はいざとなれば組織内における責任を放棄し、場合によっては組織に反してでも自身の想いを貫く筈だ。ヒラの兼一と高い地位を持つなのはの違いもあるのだろうが、どの道…どれほど高い地位にあっても兼一の在り方は変わらないだろう。
また、翔の想いを汲むとすれば、確かに今はあの子の心配をするよりヴィヴィオを助けに行くべきかもしれない。

(でも、だからって……)

なのはと兼一、どちらが正しいかと言えば………客観的に見れば、なのはの方が正しいだろう。
本人が「自分」というものをどこに置くかは自由だが、それでも今は組織の一員。
一人で勝手に行動すれば、周りに大きく迷惑をかける事になる。
特に、今は色々な意味で正念場。そんな時に、勝手な行動を取るべきではないのだから。

とはいえ、ほぼ病院中を隅々まで探している筈なのに見つからないとなると……だいぶ現実味を帯びて来る。
そんな具合にシャマルの中で焦りが大きくなってきた所で、ようやく彼女は探し人を発見した。

「ぁ……兼一さん!」
「え、シャマル先生?」

兼一を発見したのは、聖王医療院を出て直ぐの所の雑木林。
『なんでそんな所にいるのか』とか『どうして道着姿なのか』は問い質したい所だが、そんな事は後回し。
いま重要なのは、まず伝えるべき事を伝える事だ。

「良かった、探しましたよ」
「……」
「翔の検査結果が出ました。とりあえず、顔と足の傷以外に異常は見当たりません。
 また、眼球や足の腱を始め神経・筋肉・血管、諸々全部無事です。
たぶん、後遺症が出たり失明したりと言った事はないでしょう」
「そうですか……」

優れた武術家は、医師に並び得るほどの人体のエキスパートだ。
人体を破壊する術を突き詰めて行くと、どこかで己の身体を創って行く事に行き当るが故だろう。
傷の具合を見て、兼一も大まかな診断はできていた筈だが……それでも安堵した事に変わりはない。
全盲の達人もいないではないが、それでもやはり『失明』や『四肢に不自由が残る』と言った事態は、父として起こってほしくない事態だったのだから。

「とはいえ、だいぶ深い傷でしたから……ミッドの形成外科学なら消せるとは思いますけど、かなり時間がかかると思ってください」

余談だが、形成外科学とは先天的あるいは後天的な身体外表の醜状変形を、機能だけでなく形態解剖学的にも正常な物にする事で、個人を社会に適応させる事を目的とする外科学の一分野の事だ。
要は、翔の負った傷は深く、通常の縫合だけではかなり大きな痕が残る。
これを消す為には、ミッドの優れた医学でも長期的かつ専門的な治療が必要と言う事だ。

「わかりました。まぁその辺りは……追々と言う事で」
「?」
「いえ、あの子が消したいというのならそれでいいんですけど、もしかしたら……」
「消したくない、と言うかもしれないと?」
「可能性の話ですよ。あの子に取ってあの傷は、大切な友達を守る為に負った名誉の負傷であり、同時に自分の弱さと敗北の証です。なら、敢えて残す…っていう選択肢もあるんじゃありませんか?」

兼一自身、その身体には過去幾多の闘いの折りについた傷痕が残っている。
彼はそれらを殊更消したいとは思わない。一つ一つ、その全てが彼にとって過去の闘いの証なのだから。
まぁ、さすがにそれらを消したくないが為に、敢えて再度刻むなどと言う事はしないが。
本人としては、敢えて消そうとは思わないけれど、自然と消えるならそれも良し…と言う具合か。
もしかすると、翔も敢えてその傷を残す事を望むかもしれない。
なんとなく、兼一はそう思った。

「あの、それともやっぱり消さなきゃダメなものなんでしょうか?」
「あ、いえ…別にそう言う訳じゃ……」

確かにそう言う訳ではないのだが、シャマルが気にしているのは別の事。
脚の傷はともかく、顔の傷はとにかく目立つ。
なので、脚は残しても顔の方は消しておいた方が、将来的にいいのではないかと思うだけだ。

(まぁ、その辺りの事は良く説明すればいいだけね。さしあたっては、その事よりも……)
「? どうかしましたか?」
「話は変わりますけど、兼一さんはこんな所でなにをしていたんですか?」
「え? それは、その……」

話題が変わった瞬間、明らかに兼一の眼が泳ぐ。
それだけで、シャマルには兼一が何を考えていたのかすぐにわかった。

「ヴィヴィオを、探しに行くつもりなんですね?」
「……」
「やっぱり……お気持ちはわかります。でも、今は待ってください。
 今はまだほとんど手掛かりがないじゃないですか。闇雲に探しても……」

見つかる筈がない。確かにシャマルの言う通りだ。
次元世界全体からみれば、ミッドチルダも小さな世界の一つに過ぎない。
だが、それでも人間レベルの視野から見れば、一つの世界は途方もなく広大だ。
とてもではないが、兼一一人が走りまわった程度で見つけられる可能性は限りなく皆無に近い。
せめて、もう少し情報を収集・整理し、ある程度目星をつけない事には話にならないだろう。

「わかっています。だけど、僕が不甲斐なかったせいで……」
「私は…そうは思いません。あれは、向こうの能力を甘く見ていた私達にも責任があります。
いえ、例え兼一さんの言う通りだったとしても、当てもなく探しても仕方ないじゃありませんか。
苦しいかもしれませんが、今は…翔の傍にいてあげてください。どれだけ気丈に戦ったと言っても、あの子だってまだ5歳なんですよ」

今にも飛び出しそうな兼一を引き留めるように、握り締められた手を両手で包みこみ懇願する。
兼一がその気になれば、シャマルに彼を止める事は出来ないだろう。
それがわかっているからこそ、僅かに高い位置にある顔を見上げて、ただただ心に訴えかける。

「…………………」
「それに、今兼一さんにしかできない事もきっとある筈です。
 行くのは、それをやり切ってからでも遅くはないんじゃありませんか?」

シャマルの言葉に、兼一の肩が僅かに震えた。
彼女の言う通り、確かに今兼一にしかできない事がある。
他の面々は、その高い地位と責任が故に忙殺されているが、地位の低い兼一だからこそできる事があるのだ。
それに気付いてしまったからには、彼にはもうその手を振りほどく事は出来ない。

「…………そうですね。確かに、僕にしかできない事がある。
 ありがとうございます、シャマル先生。おかげで、大切な事を思い出せました」
「いえ、どういたしまして」

もうその必要はないと判断したのか、潔く兼一の手を話すシャマル。
ただ内心では『もう少しあのままでもよかったのに』と、ちょっとだけ未練を残しながら……。

「ああ、だとしたらちょっと時間がいるか。
 出来れば急ぎたいけど、みんなまだ体調が万全じゃないし……」

と、思いとどまったと思ったら途端に自分の世界に没入する兼一。
そんなに兼一に、シャマルは「ホント、しょうがない人だなぁ」と嬉しそうに苦笑するのだった。
まさか兼一が考えている事が、あんなとんでもない事だったとは思いもせずに……。



  *  *  *  *  *



それから数日後。
上層部との交渉は上手くいき、晴れて機動六課は廃艦予定だったL級巡行艦「アースラ」に本部を移した。

とはいえ、状況は決して芳しいとは言えない。
地上本部による事件への対応は、相変わらずの後手。
また、未だメンツに拘っているのか、地上本部だけでの事件捜査の継続を強硬に主張し、本局の介入を堅く拒んでいる。そのため本局からの戦力投入は行われず、同様に本局所属の機動六課への捜査情報の公開も不可。

実に頑迷な話だが、それでも一部隊長でしかないはやてにこれを覆す力も権限もないのが実情だ。
しかし、それで八方手詰まりと言う訳でもなかったりする。
物は良い様と言う奴で、機動六課が追うのはテロ事件でもその主犯格としてのジェイル・スカリエッティでもない。ロストロギア「レリック」、その捜査線上にスカリエッティ一味がいるだけの話。また、その過程において、なのはとフェイトの保護児童である「ヴィヴィオ」を捜索・救出する。
とまぁ、そんな具合の詭弁だ。元々六課はレリックに関わる事件を担当しているので、これならば地上本部から文句を言われる筋合いはないという訳である。

今は、アースラに必要な人とモノの搬入が急ピッチで行われている真っ最中。
そんなアースラの廊下を、リインがフワフワと飛びながら移動していると、見慣れた人影を発見した。
首から下げた布で右腕を吊るしたその人物は、何かを探す様にキョロキョロと辺りを確認しながら歩いている。

「あれ? あれは……ギンガ!」
「あ、リイン曹長。よかった、ようやく人に会えました」
「もしかして、迷ってたですか?」
「あ、あははは……」

リインの声に振り向き、どこか安堵した様子で息をつくギンガ。
どうやら、慣れない船の中で道に迷っていたらしい。
リインはギンガのすぐ前まで飛んでいくと、その肩に腰をおろしながら吊るされた右腕に目を落とす。

「腕、まだ治ってないですか?」
「ぁ、いえ、神経系はほぼ元通りなんですけど、これはマリーさんが念のためにって。
 もう全力で動かしても大丈夫なんですが……」

心配し過ぎな主治医を思い出し苦笑が浮かぶ。
まだ治ったばかりなのだから、少しは大人しくしておけという事なのだろう。

「それだけ、ギンガの事を大切に思っているって事ですよ」
「わかってはいるんですが、何日もジッとしてると、こう……体がなまってしまいそうで」
(だから治っても敢えてこんな風にさせてると思うですけど……)
「それに、翔とヴィヴィオにあんな事があったと思うと、ジッとしてなんていられませんよ」
「ギンガ……」

思えば病院にいる間、ギンガは足繁く弟分の個室に通い詰め、無力感に苛まれる心を支えてやろうとしていた。
いや、それは他の面々にしても同じ事か。
兼一もまた多くを語る事はしなかったそうだが、代わりにただ黙って傍にいてやることが多かったと聞く。
その時の事をシグナムは『時には、何も言わず傍にいてやる事も必要だ』と言っていた。

「それで、スバルが今どこにいるかわかりますか?」
「スバルですか?」
「はい。本局で検査を終えた後、この子を預かってきたものですから」

そう言ってギンガが取り出したのは、本局へ修理に出されていたスバルの愛機「マッハキャリバー」。
聞く所によると、マッハキャリバーは修理ついでにと強化プランを提出し、それスバルも受諾。
その為、予定以上に時間がかかってしまったのだったか。

「ああ、それじゃ丁度良いですね。なのはさんから、みんなのファイナルリミッターの解除をお願いされて、まだ終わってないのはマッハキャリバーだけですから、今のうちにやっちゃいましょう」
「そうですね。それでいい、マッハキャリバー?」
《Yes, of course(はい、もちろん)》
「それでは早速、やっちゃうですよ~♪」

ギンガからマッハキャリバーを受け取り、手早く最後のリミッターを外す作業を進めるリイン。
とはいえ、いい加減居場所を教えてもらわないと困る訳で……。

「あの、それでスバルは……」
「あ、ごめんなさいです。今スバルは、みんなと一緒に兼一さんに呼び出されて訓練スペースにいる筈ですよ」
「え”、師匠に?」
「はい。まぁ、幾ら兼一さんでも、さすがにこの状況でそう無茶な事はしないでしょう」
(そ、そうよね。幾らなんでも……………だけど師匠の事だからなぁ……)

あり得ないと言い切れないのが恐ろしい。
兼一が皆を集めた意図はなんとなくわかる。急遽最後のリミッターを外したのは良いが、当然まだそれに慣れていない。いきなり武器の性能が向上し、それを確認しないまま闘いに赴くのは危険だ。
そう考えて、早めに慣れる為になにかするつもりなのだろう。

それはいい。上層部は多忙を極めているのだから、出来る人間がやるしかないのだ。
問題なのは……………あの男が、本当にただの『確認』で済ませるだろうかと言う事。

「ぎ、ギンガ?」

果てしなく嫌な予感を覚え、知らぬうちにギンガの足取りが早まる。
そして、その予感は…………………ある意味、最悪の形で現実のものとなるのであった。



急ぎ足で辿り着いたのは、訓練スペース全体を見渡せるやや高い位置にある小部屋。
しかしそこには既に先客の姿があった。

「ん? ギンガ、それにリイン。どうした、そんなに慌てて」
「シグナム副隊長?」
「どうしてシグナムがここに……」
「ああ、白浜がエリオ達に修業をつけると聞いてな」

様子を見に来たという事か。
しかし、シグナムのこの様子だとまだそれは始まっていないらしい。

「だが、良い所に来た。丁度始まる所だ」

シグナムの視線を追い、訓練スペース中央を見る。
そこには、兼一の前に整列するスバル・ティアナ・エリオ・キャロの姿。
緊張した面持ちの4人に対し、兼一もまた普段以上に真剣な様子で言葉をかけている。

「さて……みんなももうわかってるだろうけど、多分近いうちに大きな動きがある筈だ。
 それで全てが決するかまでは分からない。でも、一つの節目になるのは間違いない。
 残念ながら、その時に備えて新たな技を…と言うのは難しいだろうね」
『……』

皆もわかっているのだ。今から付け焼刃で技を身に付けようとしても、かえって身を滅ぼす事になりかねない。
今やるべき事は、急ぎ新しい物を身に付けることではなく、今ある物をより高めること。

「だから、僕はここで君達に一つ試練を与える。
 今日まで、僕らはみんなの中にできる限り多くの物を詰め込んできた。だが、それだけでは足りない。
ダイヤモンドが形成されるには強い圧力が必要なように、この試練を以って…築き上げてきた膨大な基礎、それを一つに結晶化させよう!」

本来は長い時間をかけて噛み合わせる歯車。しかし今は時間がない。
そこで、力技で歯車をかみ合わせようというのだ。

新たな技を授けるのとは違う。
今までに詰め込んできた全て、それらを一つの機構として完成させる為の修業だ。
とはいえ、そんな物が生半可な物なわけもないことは、想像に難くない。

(う、嬉し恐ろしい……)

いったい何をする気かは知らないが、根源的かつ本能的な恐怖に身を震わす4人。
そしてそれは、傍から見ているリインも同じ。

「し、死なないでくださいです、みんな」
「ほう、何をする気か知らんが………興味深いな」
「そんなこと言ってる場合ですか! きっと何かすごい事やらかす気ですよ!!」

あまりに悠長なシグナムの言に、眼をひん剥いて食ってかかるリイン。
とはいえ、シグナムは一向に動じた風もなく、むしろ「ワクワク」した様子で見ている。
だがその中にあって唯一ギンガだけは、兼一が何をしようとしているのか…それに思い当たる節があった。

「まさか師匠……こんな時にあれをする気なんじゃ……」
「あれ? ギンガ、何か知ってるですか……」
「不味い、非常に不味い」

リインの声が聞こえていないのか、顔を青くしながら肩を震わせるギンガ。
そのただならぬ様子に、リインはそれ以上問いかける事が出来ない。

「そうだ、せめて…………スバル! これを!!」

部屋の窓を開け放ち、預かっていたマッハキャリバーをスバルに投げ渡す。
スバルはそれを咄嗟に受け取り、慌ててセットアップ。
それを確認した所で、兼一は自身の首に手を回す。

「みんな、準備は良いね。僕から言う事は後一つ………………………なんとしてでも生き延びてくれ!」
『何やらせる気なんですか!?』
「それじゃ、幸運を祈るよ」

そう言い残し、自分自身の首を『キュッ』と締めた。
その瞬間、兼一の全身から力が抜けおち、両腕はダラリと下げられ頭を垂れる。

『え?』

あまりにも予想外な事態に、みなは呆けたように目を丸くしている。
やがて、たったまま全身から力の抜けた兼一をいぶかしむように、注意しながら距離を詰める4人。
だがそこへ、上から見ていたギンガからの叱責が飛ぶ。

「何してるの! みんな離れて! 来るわよ!!」
「いや、でもギン姉…来るって言っても……」
「兼一さん、意識がないんじゃ……」
「だよねぇ?」
「う、うん」

ギンガの言っている意味がわからず、顔を見合わせて首をかしげる。
とそこで、不用意にスバルが兼一の制空圏内に入った瞬間、それは起こった。

「オロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ!!!」

問答無用、情け容赦なく放たれた拳。
当然、警戒を解きかけていた所に放たれたその拳を防げるはずもなく……4人は木っ端の如く吹き飛ばされる。

何が起こったか理解する間もなく、気付いた時には訓練スペースの端。
いきなりの大ダメージに混乱しながら見を起こすと、視線の先にはまるで再起動したターミネーターの如き動きを見せる兼一の姿。
とはいえ、それを見て混乱のそこに叩き落とされたのは、なにもティアナ達だけではない。

「な、何なんですかアレ!?」
「ふむ…………自ら意識を断ったように見えたが、気のせいか?」

確かに、真に武を身体に叩きこんだ者は、時に意識を失っても闘い続ける。
しかし、兼一が放ったあの一撃は、とても意識がない物に放てるような類のものではない。
だが、そんなシグナムの疑問を、脂汗をダラダラ流しながらギンガが肯定する。

「いえ、ないですよ、意識」
「む、やはりそうなのか?」
「っていうか、なんで意識がないんですか? いや、そもそもどうして意識を?
 もうどこから突っ込めばいいですかぁ!?」

リインの絶叫も無理はない。
もうほんと、一から十までわからない事だらけなのだ。
いい加減、達人と言う生物に慣れ始めて来た彼女でも、今目の前で起こっている事態は理解を越えている。

「あれは……………………無想組手です」
「無双…」
「…組手?」
「いえ、無双ではなく『無想』。
読んで字の如く、心に何も思わない…即ち、敢えて自らの意識を断って行う組手です」
「いや、そもそもなんで意識を断つ必要が!?」
「お二人もご存じの通り、師匠は優しい人です。いっそ、甘いと言ってもいいでしょう。
 ですが、それも時に修業の妨げとなります」

古来より、血の繋がった者が肉親に武術を伝えるというのは、情が邪魔するため想像以上に難しいものだ。
故にある者は姿を変え、またある者は実践の中で学ばせ、稀有な例になると『自身の力をある一定ラインまで制限した上で、一切の情を捨てて闘う』などと言う場合もある。

白浜兼一と言う男は、ただでさえ情の深い男。
その甘さが彼の強さの一端である事は確かだが、その甘さは武術伝承の妨げとなる。
相手が肉親であるかどうかなど関係なく、彼は「情」を捨てる事は出来ない。
ならば話は簡単。捨てる事が出来ないのなら………情を抱く意識そのものを断ってしまえばいい。

「はっきり言って、あれは『組手』とは名ばかり。
 今の師匠は意識がないが故に躊躇がなく、ただ相手を追い詰め攻撃する正真正銘の戦闘マシーンも同然です」
「っていうか、どうして意識がないのに闘えるですか!?」
「いや、驚くべきはそこではないぞ。真に武を体の芯まで叩き込んだ者ならそれくらいは可能だ。
 問題なのは、一切情け容赦のない攻撃などされれば、アイツら程度では……死ぬぞ」

そう、元々彼我の力量差は天と地に等しい。
もしギンガの言う通り兼一が全力で殴っていれば、先の一撃で全員絶命することは間違いない。
しかし思い出してほしい。先の一撃を受けた4人は、死んでいただろうか?

「じゃあ、なんで4人とも粉々になってないと思いますか?」
「む……」
「お二人は、師匠の甘さを甘く見てますよ。あの人は、意識がなくても技が鈍る事のない真の武術家であると同時に、例え意識がなくても決して相手を殺さない…………根っからのお人好しなんです」

白浜兼一と言う武術家にとって、それは最早魂の方向性にも等しい『性』。
意識の有無にかかわらず、彼の拳が人を殺める事はない。正真正銘、彼は活人拳を極めている。

「なるほどな……あまりの気当たりに惑わされたが、そうでなければアイツらが生きてる筈がないか」
「でも、なんかいつもよりのびのびしてる気がするのは気のせいですか?」
「ああ、師匠はむしろ意識がない方が技のキレが良くなる人なんで………そのせいですね」
((おいおい……))

意識がない方が技のキレが良いとは、一体普段どれだけその甘さで技を鈍らせているのやら……。
いや、そもそもあれで鈍っているというのだから信じ難い話である。
まぁ、意識がない方がより高いパフォーマンスを発揮できるような人間に、そんな常識を説いても仕方がないか。

「ま、まぁ…それならみんなが大変な事になる心配は……」
「の~~~~ん」
「ひでぶッ!?」
「も”!?」
「うきゃぁっぁあぁぁぁぁ!?」
「こ、こんな所で死んでたまるかぁ!?」

一度は安堵しかけるも、眼下で繰り広げられる地獄絵図に言葉を失うリイン。
無理もない。ギンガの言う事が正しければ、皆が死んだりする心配はない筈だ。
だが当の兼一は、文字通り機械的に4人と闘っている。
それこそ、本当に殺されないのか疑いたくなるような激しさで。

「エリオ!」
「はい!」
「かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「「ぐわ―――――――――――っ!?」」

反撃に出ようと迫る前衛二人を桁外れの気当たりで容赦なく薙ぎ払い、その隙を逃さず後衛に肉薄。
一瞬の判断ミスも逃さず、躊躇なく急所に向けて放たれる突きと蹴り。
それらは、本当に意識がないのか改めて疑いたくなる正確さで…いや、ギンガが言うには意識がないからこその容赦のなさなのだろうが……。

「……」
「何しろ意識がないので、殺さない程度の手加減以上の事はしてくれません。
 むしろ、死ねない分地獄かもしれませんね」

あんぐりと口を開けるリインに、ギンガは死刑宣告にも等しい経験談を口にする。
そう、彼女は知っている。何しろあれは、六課に来る直前に彼女もやった修業なのだから。

「えっとぉ……ちなみに、どうやったら終わるですか?」
「とりあえず、師匠が意識を取り戻すまでですね。
それまで耐えきるか、あるいはなんとかして起こすしかないでしょう」
「アレを相手に、ですか?」
「う~~~~」
『ぶろろろろろ……!?』

言うは易し、行うは難し。
誘導弾や炎弾は間合いに入るや否やかき消され、拳も槍も触れたと思ったらそれは残像。
即座に来る反撃はあまりに容赦がなく、まるで交通事故の様に皆を弾き飛ばす。
幻術でだまくらかそうにも、当たり前の様に幻は無視して本体に向かって一直線。
正直、リインにはあんな大魔神みたいなのを相手に耐えきれる気も、起こせる気も全くしない。

「クロスファイアー……シュ―――――――――ト!!」

四方八方から迫りくる誘導弾。
それら全てを、まるでシャボン玉に触れるかのような繊細な手捌きで逸らす。
それどころか、軌道を逸らされた誘導弾は全てティアナに向かって帰って行く。

「いやぁっ!」

続くエリオの槍撃に「白刃流し」を合わせ、いなすと同時に拳が鳩尾に突き刺さる。

「ぜりゃぁああぁぁ!」

スバルのディバインバスターを正拳突きの拳圧で相殺。
逆に拳圧に耐えようと踏ん張るスバルの襟を取り、先の一撃で打ち上げられたエリオに投げつけられる。
結果、二人は空中で衝突。そのまま絡みあいながら床へと落下した。

「アルケミックチェーン!」
「ぐぅおおおおおおおおおおお!!」

無機物操作によって操られた鎖が絡みつき、動きを封じる。
そこへ巨大化したフリードの口から吐き出された火炎が迫り、兼一の身体を炎が包む。

されど、直撃の確信は一瞬だけの幻。
気付かぬうちに気当たりによる残像と入れ替わっていたのだろう。
鎖は力なくその場に落ち、炎は鎖以外に何もない空間で燃え盛る。

「え…それじゃ、兼一さんはどこに……」
「キャロ、下!」

兼一を探すキャロに向け、ティアナからの警告が発せられるが既に遅い。
フリードの真下に陣取った兼一は、一度の跳躍でフリードへと迫り首に手を回す。
そのまま、跳躍の勢いを殺すことなく「カウ・ロイ」が突き刺さる。
フリードはそのあまりの衝撃によって空を飛び続ける事かなわず墜落していく。

「フリードの巨体を、一撃で……」
「本当にのびのび戦っているな、あれが白浜の本当の姿か」
「…………」

唖然とするリインと、勉強になるとばかりに観察するシグナム。
そんな二人を横目に、ギンガは自身の右腕を吊る布に手をかけ、躊躇なく取り払う。

「って、ギンガ何する気ですか!?」
「すみません。ちょっと…行ってきます」
「行くって、まさか……!」
「無理はするな…と言うのはあれが相手では言うだけ無駄だな。まぁ、精々揉まれて来い」
「し、シグナム!?」
「はい。行くよ、ブリッツキャリバー」
《All right》

窓を開け放ち、訓練スペースに向けて身を躍らせるギンガ。
その身体を光が包みこんだかと思うと、着地する時には既にバリアジャケットが展開。
臨戦態勢でその場に降り立つと、亡者の如き声を漏らす兼一もギンガの方を向く。

「師匠、私も一手……お願いします!」
「あ~~~~、う~~~~」

今のうちに、出来る限りの事を。
こんな時だからこそ、本物の修業になるのだから。

「やれやれ、血気盛んな事だ。だが……」

少しばかり、羨ましく思う自分がいる事も自覚する。
人に物を教えるのは苦手だし、ベルカ式にして武器使いであるエリオに対してすら何を教えてやれる訳でもない。
教えてやれる事があるとすれば、ただ一つ「届く距離まで近づいて斬れ」程度。

しかしここ数日、エリオに請われて刃を交えることが多かったせいか、少しばかり考えが変わりつつある。
想像を上回る成長速度に驚かされ、基礎しか知らない子どものくせに見切りと覚えの速さは凄まじいと思った物だ。また、何を教えた訳ではないにしろ、どんどん吸収していくその姿に…喜びの様な物も感じている。
そのせいか、つい自分も「弟子の一人もとってみるか」と言う気になってしまう。

「そうだな、弟子と言うのも悪くはないか」
「シグナム?」
「だが、それはそれとして……今の白浜と刃を交えるというのも良いかも知れんな」
「え”」

どうやら、シグナムの決闘趣味に火がついたらしい。
だが考えても見よう、もしこの場にシグナムまで乱入したらどうなるか。
ただでさえ今の兼一は意識がないせいで普段の甘さがなく、技のキレが増している。
そんな所に色々な意味で「やる気」満々なシグナムが割って入れば……大変な事になるのは間違いない。
普段の兼一なら「女性に拳は向けられない」とか言って勝負を避けるだろうが、今はそれも無理だろう。

そうなれば……………あの5人、本当に命が危ない。
それどころか、アースラそのものが……。

「だ、ダメです! これはあくまでみんなの修業なんですから、そこに乱入なんて大人げないですよ、シグナム!」
「む、止めるなリイン。こんな機会は滅多に……」
「だからこそダメなんですよぉ!?」



  *  *  *  *  *



その後、だいぶ危ない所で兼一の意識を引き戻すことに成功した5人。
もうほんとに、かつてない程に死ぬかと思ったが………それでも無事生き残った。
まぁ、もう全身ガタガタで、数週間は身動きが取れないのではないかと思うほどのダメージを負ったが。

だがそこはそれ、弟子や教え子のメンテナンスは師の仕事。
というわけで、六課における隊員たちの健康管理の二枚看板。兼一とシャマルによる整備により、どうやら2日で万全な状態に戻るとの事。

あれだけやられてなお2日で回復するとは、どんな方法を使ったのか逆に怖くなるレベルである。
ちなみに、何故かリインがそんな5人に匹敵する程憔悴し、シグナムが非常に悔しそうにしていたのだが……真相は闇の中。
そうして、弟子たちへの最後の修業とメンテナンスを終えた兼一は、ある人物の下を訪ねていた。

「どうしても、行くんですか?」
「すみません……」

最早、兼一がアースラに残って出来る事はない。
ギンガをはじめとした子ども達には、今できる限りの事をしたつもりだ。
とはいえ、本来なら自分もまた来るべき時の為にアースラで待機するべきだとは理解している。
理解して尚、兼一はこれ以上「待つ」事が出来そうにない。

それをはやても理解しているのだろう。
溜め息交じりに、それでも彼を引き留めようとはしない。

「この後、スカリエッティ一味がどんな行動に出るかわからへん。
 出来れば、兼一さんにはそれに備えて残ってて欲しいんやけど……」
「……」
「とはいえ、そうなる前にスカリエッティを見つけ出して、確保できるんならその方がええ。
 幸い、ナカジマ三佐とフェイトちゃんの捜査のおかげで、ある程度目星は付いてる。
 ある意味、ここからは時間との勝負や。私達がアジトを見つけるのが先か、それとも向こうが動くのが先か……確かに、兼一さんが降りて捜索を手伝ってくれるんなら、意味もあるんやろ」

それは、どちらかと言えばこじつけに等しい論法だ。
兼一が捜索に参加した所で、それで格段に早く結果が出るとは限らない。
ある程度目星がついているとは言っても、その捜索範囲は広大だ。
兼一の場合足を使っての地道な捜索になる為、魔法による広域探査をするのに比べれば効率面では劣る。
はっきり言ってしまえば、気休め以上にはならないだろう。

だが、全くメリットがない訳でもない。
もし上手くスカリエッティのアジトを見つけた時、兼一がいれば突入隊が駆けつけるのを待つ必要がない。
スカリエッティのアジトとなれば、相当な強度のAMF空間である事が予想される。
しかし、彼はAMFの影響を受けることなくその力をいかんなく発揮できるのだ。
そんな彼が即座に踏み込めたとすれば、確かに行かせる意味はあるのだろう。

「……はぁ、しゃーない。ええですよ、こっちの方は私達でなんとかします。
 今はロッサ達が地上で動いてくれてますから、そっちに合流してください。話は私の方から通しておきます」
「すみません」
「兼一さん、こういう時は謝るのはちゃうんやないですか?」
「……そうですね。ありがとうございます、部隊長」
「ん。兼一さんが頑張ってくれれば、私らも楽できるかもしれませんから。期待してますよ」
「はい」

はやての配慮に深く感謝し、兼一はその場を後にする。
限りなく我儘に近い申し出にもかかわらず、それを許してくれたのだ。
なら、それに答えなければ男が廃るというものだろう。

そうして、兼一はアースラから下船するべく動きだしたのだが、途中ある人物と遭遇する。
それは、負傷して入院しているヴァイスの代わりに、ヘリパイロットの任を任されたアルト。

「あれ、どうしたんですか兼一さん?」
「ああ、アルトちゃん。いや、実はちょっと地上に降りてアコース査察官達と合流する事になってね。
 あ、そうだ。ねぇ、悪いんだけどヘリに乗せておろしてくれないかな?」
「は?」

兼一の頼みに、どこか間の抜けた表情を浮かべるアルト。
しかし、兼一の頼みはそんなに意外な物なのだろうか。

「えっと………どうしたの?」
「あ、いえ、兼一さんならそんなことしなくても、ハッチから直接飛び降りればいいんじゃないですか?」

アルトがそう言った瞬間、周囲の空気が凍りつく。

「ねぇ、アルトちゃん。今アースラがどのくらいの高さにあるのか…知ってるよね?」
「はい。ヘリで来れたんですから、確か……高度7・8000mくらいですかね?」

アースラは他の航空機などの邪魔にならない様、可能な限り高い位置を飛んでいる。
だがそれを言えば、本来なら高度数万m当たりを飛ぶべきだろう。
しかし、空気の濃さの関係でヘリなどのプロペラによる上昇ではその辺りが限界。
その為、高度7~8000m辺りに留まっているのだ。

「あのね、この高さから落ちたら、さすがに死ぬかもしれないとは思わないの?」
「え? 兼一さんって……………死ぬんですか?」

至極真面目に、心の底から不思議そうに首を傾げるアルト。
まったく、この子はいったい人をなんだと思っているのやら。

「アルトちゃん…………それ、どういう意味?
 まさか僕の事、どんな事があっても死なない怪物だと思ってるの?」
「あ、いえ、そう言う訳じゃないんですけど、兼一さんって……死んでも生き返る生き物なんじゃないんですか?」
「そんなわけ……」

言いかけて、あまり「ない」と声高に否定できる材料がない事に気付く。
考えてみれば、イーサンに敗れた際に心臓が止まった。それも、決して短くはない時間。
これは、一般的に言って充分「死」の範疇に入るだろう。
兼一はそこから、自力で鼓動を再開して立ち上がった。
それは確かに「死んでも生き返る」と言われても仕方ないのではないだろうか。

ちなみに、返答に窮していると他の六課の面々が「何事だ?」とばかりに集結。
一応皆に意見を募った所、全会一致でアルトの意見が支持され、大層兼一が凹んだりしたのは…………全く以ってどうでもいい話だろう。

こうして、再度地上に降りた兼一はスカリエッティのアジト捜索に参加する。
だが、数日に及ぶ懸命の捜索も虚しく、ようやくアジトへ続く洞窟を発見した時にはタッチの差でことが動き始めた後だった。
結果論だが、兼一の行動は裏目に出たのかもしれない。



  *  *  *  *  *



地上本部襲撃から彼是一週間。
その間にヴィヴィオの拉致、アースラへの機動六課本部機能の移転、兼一による総仕上げとその後地上へ降下してのスカリエッティのアジト捜索への参加など、様々な事があった。
そして今、その全ての総まとめとも言うべき事態が起こり始めている。

最初に起こったのは、地上本部が地上防衛用に建造していた巨大魔力攻撃兵器「アインヘリアル」への襲撃。
先日に続き現れた戦闘機人「ナンバーズ」により、防衛ラインを突破され指揮管制系及び一号機~三号機は大破・機能喪失。
続いて、撤収した戦闘機人達と先日ヴィータと闘った騎士が地上本部へ進攻を開始。
更に、山間部より出現した古代ベルカ戦乱期の巨大船「聖王のゆりかご」と、その中心部らしき場所に拘束されたヴィヴィオ。回線をジャックしたスカリエッティの言が正しいのなら、「ゆりかご」を起動させる鍵は聖王。
つまり、ヴィヴィオはその聖王のクローンと言う事になる。
ヴィヴィオが執拗に狙われたのは、全てこの為だったのだろう。

300年ほど前の人物がオリジナルであろうという事までは六課も掴んでいたが、それにはさすがに驚きを隠せない。捕らえたドゥーエがだんまりを決め込みつつも笑みを零していたのは、これを知っていたが故だろう。
そのヴィヴィオは玉座と思われる場所に捕らわれ、痛みと恐怖を訴えながら泣いている。
ヴィヴィオ自身を知る六課の面々は、その光景に胸を痛め、救いの手を差し伸べられない不甲斐なさに歯噛みしていた。とりわけ、その映像を見たなのはの様子は言葉にできるものではない。
そんな中で吉報があるとすれば、これらと時を同じくしてヴェロッサ達がスカリエッティのアジトを発見した位か。

「アコース査察官から直通連絡です!」
「はやて、こちらヴェロッサ。スカリエッティのアジトを発見した。
 シャッハが今、迎撃に出たガジェットを叩き潰している。教会騎士団から戦力を呼び寄せてるけど、そっちからも制圧戦力を送れるかい」
「うん、それは大丈夫やけど……でも、兼一さんは? 一緒やないの?」
「彼は、一足先にアジト内部に突入した。既に後手だけど、スカリエッティを確保すればゆりかごも止められるかもしれないからね。ただ内部は通信妨害が酷いのか、さっきから連絡が取れないんだ。正直、安否は……」
(兼一さんはAMFの影響を受けへん。あの人に限って、ガジェットや戦闘機人に早々遅れを取るとも思えん。
となると……達人級を多数ぶつけたか、あるいは……)

ヴェロッサからの報告を聞きながら、はやては急ぎ頭を回転させる。
あちらは、以前より闇との繋がりがあった。ならば、多数の達人を借りることもできるだろう。
それが出来なくても、あちらは達人と言う者を自分たち以上に理解していると考えた方が良い。

はやて達も最近わかってきた事だが、達人相手に力で対抗するのは得策ではない。
同等以上の力を持つ魔導師ならもちろん対抗…ないし打倒も可能だ。
ただ、わざわざそんな事をするより、策を練り彼らの力をいなす方向に持って行く方が効率が良い。

彼らの力は、一つを極めているが故に特化している。
魔導師ほどの幅広さがないからこそ、状況とやりようによってはそれを封じることも不可能ではない。
特に兼一の場合、何かと自分を縛るルールが多い男だ。
良くも悪くも愚直な男であるが故に、搦め手の類は不得意だろう。

「さて、となると……」

正直、一番なってほしくない事態になりつつあると言わざるを得ない。
しかしそれでも、まだ全てが終わった訳ではないのだ。
報告によれば、本局はゆりかごを極めて危険なロストロギアと認定し、これを破壊すべく艦隊の派遣を決定。
既に動きだしているが、到着には時間がかかるだろうとの事。

正直、機動六課の反則的な戦力を以てしても、ゆりかごの撃墜は現実的ではない。
ならばはやて達の任務は、艦隊到達までの間ゆりかごの上昇を妨害し、同時に地上本部へ向かう戦闘機人達の迎撃。そして、主犯であるスカリエッティの逮捕……と言ったところか。

「…………よし。私となのは隊長、ヴィータ副隊長はゆりかごへ。フェイト隊長はスカリエッティのアジトへ、アコース査察官と合流してアジト内部にいると思われるスカリエッティの逮捕に向かってください。
 残るシグナム副隊長と前線メンバーは、地上本部へ向かう戦闘機人と騎士の迎撃を!」
『了解!』

はやての指示に従い、各々出動の為に動き始める。
だがこの時、スカリエッティ一味の側でも、一つの異変が起きていた。



  *  *  *  *  *



場所は移って、上昇を続けるゆりかご内部。
ゆりかご及びその鍵たるヴィヴィオが安定状態に入るまでを見届けたウーノと入れ替わりにやってきたクアットロとディエチ。
二人が、ヴィヴィオに更に何らかの調整を加えていると、そこに彼が現れた。

「アノニ…マート?」
「あらぁん? アノニマートちゃんってば、そ~んなところでなにをしてるのかしらん?
 あなた、確か地上本部の方の担当でしょう?」

本来の役割から外れ、何故か玉座の間に姿を現したアノニマート。
そんな彼にディエチは驚き、クアットロは相変わらずの笑顔。
それに対し、アノニマートはただクアットロだけを見つめながら同様の笑顔を浮かべている。

「いやぁ、実はね…ちょっとこっちに、忘れ物があったのを思い出してさ~♪」
「あらぁ、そうね~。忘れ物はちゃ~んと持っていかないといけないわん」
「そうそう、前からず~っと気になってたんだぁ。いやぁ、気持ち悪いったらなかったよ」
「わかるわぁ~。私もそうだものぉ~」

そこにアノニマートがいる事が当たり前であるかのように会話を続ける、クアットロとアノニマート。
だがディエチには、二人の会話がどうしようもなく白々しく、同時にうすら寒く思えてならない。
まるで、二人とも本当はそんな事これっぽっちも思ってなくて……。
それどころか、あの笑顔自体が相手を欺く仮面に見えて仕方がない。

(二人とも、いったい何を……)
「そ・れ・で、アノニマートちゃんの忘れものって何かしらん?
 なんなら、私とディエチちゃんも手伝ってあげるけど~?」
「いやいや、それには及ばないよ~。だって、忘れ物はすぐ目の前にあるからね。
 まぁ、そんなことよりさ………知ってる、クアットロ?
 僕さ、ず~っと前から君の事……………………………………………………殺したいと思ってたんだ~♪」






あとがき

最後の修業パート終了。別に何か新しく技を覚えたとかではありませんが、最後の仕上げとしての組手でした。
結構前、確か13話の時にちらっと出した兼一なりの修業法の答えがこれです。と言っても、あの時の時点でだいぶ分かっていたと思いますけど。
兼一に情を捨てるとか無理なので、ならどうすればいいかと考えた結果……だったら自分から意識を断てばいいという結論に。幸い、逆鬼なんかは意識がなくても活人拳を貫いていますし、充分いけるでしょう。

同時に、いよいよ最後の最後、大詰めの開始……………に伴い、何故かクアットロを殺しに来たとのたまうアノニマート。まぁ、理由なんて言うまでもありませんけどね。
こいつの美意識とかからすると、クアットロとスカリエッティは思いっきりアウト。ただ、当方のスカリエッティはちょっと性格弄ってるので、ギリギリセーフのラインだったりするのです。

まぁ、詳しい事とか兼一の現状とかはまとめて次以降。
さあ、もうここから先ギャグとのほほんの入る余地は(多分)ありません。
目標は夏完結。上手くいく自信はありませけどね!!



[25730] BATTLE 42「闘いの流儀」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:47

『聖王のゆりかご』浮上より僅かに時を遡る。
フェイトやゲンヤをはじめとする108部隊の地道な捜査により、ある程度の範囲にまで絞り込まれたスカリエッティのアジト。ヴェロッサやシャッハの脚を使った追い込みにより、ついに発見へと至ったその奥深く。
同行していた二人に先行し、一人アジトの奥…スカリエッティの居所を探す兼一はその道中、眼に写る光景に歯噛みせずにはいられなかった。

(嫌な物は、今までにもたくさん見て来たつもりだったけど……)

物影に潜みながら視線を上げると、そこには無数に並ぶ番号の振られた生体ポッドの数々。
所々に空きはあるが、その大半に老若男女様々な人間が収められている。
恐らく、人体実験の素体かサンプルなのだろう。

兼一とて、裏社会に関わる様になって長い。
惨たらしい物、見るに堪えない物も少なからず見て来たつもりだ。
しかしこの、命を実験材料として扱うあり様には圧倒されるものがあった。
一体、どんな精神構造をしていればこんなことができるのか。
彼には、到底理解の及ぶものではない。

(一刻も早く、彼を止めないと)

慎重に、張り巡らされたセンサーに引っかからない様に細心の注意を払って移動していく。
時に物影に隠れてやり過ごし、時に壁や天井を伝って隙間を縫う。
設備こそ洗練されているが、天井や壁面はゴツゴツとした部分が多く残されている。
兼一からしてみれば、充分過ぎるほどの手掛かりであり足場だ。
音を立てずに移動するには、これでも十分すぎる。
とはいえ、兼一にはそれがかえって不気味に思えるのだが。

(…………やっぱりおかしい。幾らなんでも、こんなに簡単に進めるなんて……)

そう、あまりにも順調過ぎる。
確かにセキュリティーのレベルは恐ろしく高いが、忍び込む余地がないというほどではない。
並の者なら不可能なレベルかもしれないが、兼一には「少し厄介」な程度。
仮にも「闇」と関わりのある研究者のアジトが、この程度と言うのは不自然ではあるまいか。
なにより、ここに至るまで誰と擦れ違うこともなかった。

それらを「幸運」で済ませられるほど、兼一も楽天家ではない。
つまり、これらの意味する所は……

(罠か。だけど、だとしたらその狙いはいったい……)

罠と言う事は予想が付く。問題なのは、その罠の意図だ。
奥へ奥へと誘い込み、逃げ場のない状況で何かしらの手を打つつもりなのか。
あるいはそれを警戒させて最深部への侵入を阻む、ないし遅らせることか。
新島ならばその意図を正確に看破し、逆手に取ることもできるかもしれない。
だがここに新島はおらず、兼一にはそこまでの事は無理だ。

行くか退くか、セキュリティーから身を隠しながら悩む。
さすがの兼一も、師匠達の様な「罠があると分かっていれば怖くない」と言えるほどの剛毅さはないのだ。
しかし、そんな逡巡も僅か数秒程度。

(とりあえず、行ってみよう)

やらずに悩むより、とりあえず行動してみる。この男は、昔から妙な所で大胆なのだ。
それに、ここでジェイル・スカリエッティを捕らえる事ができれば事態は一気に好転する。
そのメリットを考えれば、多少のリスクはやむをえまい。

意を決して進む事しばし。
通信が妨害されている事には気付いていたが、それでも構わず進んでいく。
やがて、ひしめく様に並んでいた生体ポッドも見られなくなり、最後に辿り着いたのは行き止まり。
引き返し別のルートを探るべきかと辺りを見回せば、壁面には規則正しく並ぶ扉の数々。

兼一はそれらを一つ一つチェックしていく……なんて事はしない。
なぜなら、規則正しく並ぶ部屋の一つから、明らかに人の気配がするのだから。
罠の可能性は百も承知。それを覚悟した上で、兼一は気配に誘われて部屋に入る。
そしてその瞬間、部屋の雰囲気が一変した。

「これは……閉じ込められたか」

入ってきた扉の方を見れば、そこには淡い光を灯す紅い膜。
それは、以前なのは達に見せてもらった「ケージ系」の魔法に酷似していた。
見た所、それほど堅そうにも見えないし、破るのは造作もないだろう。

とはいえ、これで侵入に気付かれていたことがはっきりした。
まぁそんなこと、部屋の奥から気配の主が出て来た時点で意味のない考察になった訳だが。

「やぁ、よく来てくれたね。歓迎するよ、白浜兼一君」

声と同時に、部屋に明かりが灯る。
奥から姿を現したのは、白衣を着た紫の髪の男。

「ジェイル…スカリエッティ」
「ふむ、どうやら自己紹介の必要はないようだ。手間が省けて助かるよ」

軽く肩を竦め、瞑目しながら微かな笑みを浮かべている。
その様子には侵入者への警戒も、敵に対する悪意すらもない。
まるで、友人の来訪を待ちかねていたかのような趣すらある。

いや、もしかしたらそれは当たらずとも遠からずなのかもしれない。
何しろ、荒事とは無縁そうな病的なまでに白く細い指は、品の良いティーセットの乗ったトレイを握っている。

ポットからは白い湯気が立ち上り、鼻孔をくすぐるのはふくよかな紅茶の香り。
スカリエッティはそれを二人の丁度中間にある木製のテーブルに置き、慣れた手つきで「茶会」の準備を進めて行く。
その様子は、どこからどう見ても先の言葉通り「迎撃」ではなく「歓迎」するためのものである。

「さ、そんな所で立っていないでかけたまえ。これは私のお気に入りの葉でね。プロ顔負け…と胸を張れるほど入れ込んでいる訳ではないが、それなりの物だと自負しているよ。気に入ってもらえると嬉しいのだが……」
「どういうつもりですか?」
「うん?」

兼一の問いに、手を止めて顔を上げるスカリエッティ。
その顔は本当に不思議そうで、兼一の意図をまるで理解していない様に見える。

「僕はここにあなたを捕まえる為に来ました。今起こっている事件を止める為に、攫われたヴィヴィオちゃんを助ける為に。なのになぜ、あなたは僕を捕まえようとも、倒そうともしないんですか?」

万が一にもそんな事はないと思うが、何もわかっていない相手に乱暴を働くのは彼の流儀に反する。
なので仕方なく説明してみたのだが、スカリエッティの様子に変化はない。
それどころか、彼はさも当然とばかりに……

「おかしなことを聞くね。何故そう言った事をしないのかと聞かれれば、それが無意味だからだ」
「?」
「本当にわからないのかね? ここには私と君しかいない。つまり、君をどうこうしようとすれば、私がするしかない訳だ。その結果がどうなるかなど、考えるまでもないだろう?」

確かに、スカリエッティが兼一と闘えば……というか、そもそも闘いにすらならない。
なにしろ、スカリエッティには武の心得はおろか、武器すらも持っていないようだ。
また、兼一はこの数ヶ月で魔導師の力量を大まかに把握できるようにもなっている。
そちら側からの視点で見ても、やはりスカリエッティに戦闘能力がある様には見えない。

「ああ、安心…と言っていいかは分からないが……というか、むしろ安心すべきは私の方かな?
 とりあえず、『研究が高じて強者になっていた』なんてオチはないよ。
 私は正真正銘、吹けば飛んでしまう程に貧弱で脆弱だ」
「……なら、ジェイル・スカリエッティ。あなたを逮捕……」
「いや、それも意味がないよ。なにしろ、君はもうここから出られない」
「あの膜の事を言っているんですか? それくらい……」
「ああ、君なら容易く壊せるだろう。それは私が保証する。君なら、軽く打つだけで充分だ。
 だがね、それでもやはり君はあれを壊せないし、他のルートから出る事も出来ない。
 なぜなら、あの膜はこの部屋を包むように展開されていて、それを破るとここは崩落する」
「っ!?」

予想外のその宣言に、兼一は僅かに息をのむ。
それが、「崩落」と言う事態に対する恐怖かと聞かれれば、否定はしない。
だがそれは、自身の生死にかかわる恐怖ではない。
兼一なら崩落から逃れる事も、力技で天井を突き破って外に出る事も可能だ。
しかし、問題なのはそんな事ではなく……。

「理解したようだね。確かに君は崩落が起きた位では物ともしないだろう。
 だが、君以外の者はどうかな? 私は自業自得にしても、例えばここに来る途中ポッドに入っていた彼らはどうなる? 意識のない彼らが崩落に巻き込まれれば命はないだろう。
そして君がどれほどの武勇を誇ろうとも、全員を助ける事は難しい。崩落までに数人、崩落後の発掘による救助でだいぶ助ける事は出来るかもしれないが、全員の生存は厳しいだろうね」
「……」
「そんな目で睨まないでくれたまえ。君に本気で睨みつけられては、私などそれだけで死んでしまうよ」

苛烈な視線を向ける兼一に、スカリエッティは捉え所のない態度で返す。
この男はわかっているのだ、力無き者が達人と対する時のセオリーを。
真っ向勝負は避け、そもそも相手が力を発揮できない状況を構築する。

とはいえ、兼一とてそれを全く警戒していなかった訳ではない。
訳ではないが、それでも自らの命をも犠牲にすることを前提にしたこんな策に出ようとは……。
ここはスカリエッティのアジト、なら安全地帯くらいは用意してあるのかもしれない。
しかしそれも、兼一が彼を気絶させてしまえば無意味となる。
スカリエッティはアジト内の大半の人間の命を握っているが、スカリエッティの命を握っているのは兼一なのだ。
彼が強行突破を選択し、その上でスカリエッティを行動不能にすれば命はない。
そうとわかっていない筈がないのにこんな策を実行に移す。それこそが、兼一にとってなによりも予想外だ。

「僕があなたを気絶させるか、あるいは脅してその罠を解除しようとするとは思わないんですか?」
「まったく、慣れない脅しなどする者ではないよ。
何しろ、君は優しい男だ。闘う意思のない、武人ですらない者に拳を向けられないだろう?
 いや、私を気絶させるくらいはできるだろう。だが、君はポッドの中の人々を見捨てる事は出来ない。
 また、無力な私に対して直接力で訴える事も。違うかね?」

茶会の準備を終えたスカリエッティは一人椅子に腰かけ、優雅にカップを口に運ぶ。
その仕草に緊張や不安の色は見られない。彼は、敵である白浜兼一と言う男を心から信じているのだろう。
この男は、決してそんな事はしないと。
命懸けの状況であっても揺らがないそれは、最早「理解」ではなく「信頼」の領域だ。

「さぁ、かけたまえ。共に、これから始まる舞台を見守ろうじゃないか。
 もちろん、君達が勝てばアレは解除するし、私も大人しく縛につく。約束しよう」

どこまで信用できるかわかったものではないが、今はそれに従うより他はない。
兼一が強行突破すれば、生体ポッドに捕らわれた人達を見捨てる事になる。
そんなこと、この男にできる筈がないのだ。

已む無く、兼一はスカリエッティに促されるままに椅子に腰かける。
しかし、一つ質しておかなければならない事があった。

「なぜ、こんなことを?」
「それは、どうしてこんな形で君を足止めしようとしたか、と言う意味かな?」
「ええ」

確かにスカリエッティの策は効果的だが、なにも彼がここにいる必要性はない。
兼一を閉じ込めるだけで策はなるのだから、彼はどこか離れた所で高みの見物としゃれこめばいいのに。

「そうだな……今、私の娘たちが身体を張って闘おうとしている。
 私は闘う事は出来ないが、せめて私もまたリスクを背負おうと思ってね。
 まぁ、所詮は気休めであり自己満足に過ぎないが……」

口元に指をやり苦笑を浮かべる。不合理な自分の行いに、滑稽さすら覚えるのだろう。

「ああ、それともう一つ」
「?」
「どうせ話をするのなら、こうして直接向かい合った方が良いだろう?
 なにしろ、この時を一日千秋の思いで待ち望んでいたのだから」

それはつまり、スカリエッティは兼一と話をしたかったという事だろうか。
その意図が兼一にはいまいちわからず、いぶかしむ様な表情。
スカリエッティはそんな兼一の反応を楽しんでいる様子だ。

わからない物はいくら考えてもわからない。
兼一は意を決し、スカリエッティの真意を問う。

「それは、どういう……」
「おお、どうやら始まったようだ」

『パチン』とスカリエッティが指を弾くと、空中にいくつものモニターが出現する。
それらはそれぞれ別の場所の状況を映し出す。
ある物はクラナガン市街を走る高速道に降り立った六課前線メンバーを。またある物は地上本部へと向かう大柄な男とその傍らを飛ぶ妖精を。あるいは、スカリエッティのアジトへと飛翔するフェイトを。
そして、その中には徐々に高度を上げる「ゆりかご」の内外を。



BATTLE 42「闘いの流儀」



「僕さ、ず~っと前から君の事……………………殺したいと思ってたんだ~♪」
「な……アノニマート、何を!?」

思いもしない、笑顔のまま発せられたアノニマートの告白。
ディエチはそれが信じられなくて、眼を剥いて驚きを露わにする。
彼女には信じられないのだ。愛情表現の仕方は果てしなく迷惑だが、それでも……自分と同じように、彼も家族を大切に思っていると信じていたから。
しかしそんなアノニマートの告白に対し、それを向けられたクアットロもまた思いもしない返事を返す。

「え~、よ~く知ってるわん」
「く、クアットロ!?」
「だって~、アノニマートちゃんってば…私にセクハラした事ないでしょ?
 だ・か・ら、もしかしたらそうなのかなぁって」
「やれやれ、人が悪いなぁ、クアットロ。
セクハラした事がないんじゃなくて、できないようにず~っと距離を取ってたのは君じゃないか」
「あら~ん、そうだったかしら~♪」

『殺しに来た』と宣言した側とされた側。
どちらもそれが嘘であるかのように平然と、普段と変わらぬ様子で談笑している。
だがその実、二人の間にある空気は険呑そのもの。
それを理解してか、知らず知らずのうちにディエチの頬を汗が伝う。

「でもぉ、やっぱりショックだわ~。アノニマートちゃんってば、殺したいほど私の事が嫌いだったなんて~」
「ん? いやいや、ちょっとその勘違いはいただけないな、クアットロ」

わざとらしいまでの憂いの表情を見せるクアットロだが、そこにアノニマートからの待ったがかかる。

「君も知っての通り、『博愛』が僕の信条だ。
だから、僕はちゃんと君の事も好きだし、『殺したいほど嫌い』って言うのは正しくない」
「ふ~ん、それは初耳ねん」
「そうかな? 美点に好意を持つのは当然だし、全く美点のない人の方が珍しいでしょ。
 例えば、ウーノは毅然としたみんなのまとめ役、トーレはかっこいいし、チンクは面倒見がいい。セインとウェンディは明るくて、セッテとディードは無口だけど真面目、オットーとディエチも実は優しいし、ノーヴェはすぐ怒るけど仲間思い。先生は大概アレだけど、変な所で人間臭くて憎めないんだよねぇ……。
 君やドゥーエもそう。君達の非情さは、正直見習うべき点だと思う」

それは、偽り無きアノニマートの本心だ。
彼は心から、クアットロの非情さ・冷徹さを尊敬している。
だが、それも……

「でもね、クアットロ。どんな理由があれ…………………………こんな子どもを洗脳して戦わせるなんてさ、悪趣味にも程があるよ」

呟くと同時に、肌を刺すような殺意がクアットロを打つ。
彼が許せないのは、本当にただそれだけの理由だ。
別にクアットロが嫌いなわけではないが、彼女のやろうとしている事は彼の流儀に反する。
己が意思で闘うのなら、それは本人の決定であり、他人が口出しする様な事ではないだろう。
しかし、洗脳した上で助けに来るであろう人物と闘わせるという悪辣さが、アノニマートには許せない。

「そう。あなたがルーテシアお嬢様にまとわりついていたのは、そう言う理由なの」
「ああ、そう言う理由だよ、クアットロ。君がルーを洗脳しようとしているのには気付いていたからね。
 なんとか邪魔しようとしてたんだ。まぁ、結局失敗しちゃったわけだけどさ」

アノニマートは、なによりも当人の自由意思を尊重する。故に、それを奪う行為を認めない。
その点に置いて、ルーテシアのおかれている状況は、正直彼女の自由意思に委ねられる余地は少ないだろう。
正しい教育を受けられず、母を人質に取られているも同然な状況。
だがそれでも、彼女は自らがおかれた立場や状況の中で精一杯「自分なりの選択」をして来た。

しかし、クアットロはそれさえも奪おうとしている。
それに気付いていたからこそ、アノニマートはできる限り彼女の周りに侍り、クアットロを牽制してきた。
殺意を抱いていたのも、好悪の感情よりもこれが理由の大半を占めると言っていいだろう。
結局それらは徒労に終わったが、今ならまだそれを挽回する事が出来る。
アノニマートの表情からは笑みが消え去り、強い意志を感じさせる目がクアットロを射抜く。

「クアットロ、これが最後だ。その子とルーにかけた『コンシデレーション・コンソール』を外せ。
 そうすれば、僕も大人しくこの場を退こう。出来れば、君を殺したくはない」

『コンシデレーション・コンソール』、それがヴィヴィオとルーテシアにかけられた、人造魔導師・戦闘機人の量産・商品化を見越して製作された「条件付」を利用した洗脳技術の名称。
特定の条件を満たしている間、影響下にある人造魔導師・戦闘機人は自我を喪失、怒りや悲しみの感情を強化。身体の限界を無視して全ての能力を破壊衝動へ振り向けるそれは、アノニマートの流儀からかけ離れている。

「アノニマートちゃん、あなた……ドクターを裏切る気?」
「……違うよ、クアットロ。僕は別にその子を助けに来た訳じゃない。
 可哀そうだとは思うし、僕としても先生の考えに全面的に賛同している訳じゃないのは確かだ。出来るなら、その子を自由にしてやりたいと思う。
でもね、僕も人の子だ。先生に親孝行の一つもしたい。この祭りがどんな形で終わるにせよ、きっとこれが最後の機会になる。
だから、百歩譲ってその子を利用するのは我慢しよう。でもね、それ以上は我慢できないし、する気もない!」

宣言すると、これ以上交わす言葉はないとばかりに腰を落とし、構えを取るアノニマート。
拒否すれば殺してでも洗脳を解く。強い意志を湛えたその瞳が、何よりも雄弁にその心情を物語っている。

「な、何言ってるんだよ、アノニマート!
 そりゃ、アノニマートの言う事もわかるけど! 仲間割れしてる場合じゃないだろ!!」

正直言ってしまえば、ディエチとしてもこの作戦は気乗りしない。
アノニマートが言う様に、彼女は目前で力なく俯く少女への同情を禁じ得ないのだ。
『こんな小さな子どもを使ってまでやらなければならない事なのか』、それがどうしても納得がいかない。
だがそれは、スカリエッティを裏切ったり、同胞に武器を向けたりするほど強い感情ではなかった。
だからこそ、彼女ははっきりとクアットロに敵意を向けるアノニマートに怯んでいるのだろう。
しかし、明確な殺意を向けられて尚、クアットロの余裕の笑みが崩れる事はない。

「はぁ…わかってないわね、二人とも。いい? ドクターの研究は、人々を救える力。
 今回の件で軽く何千人か死ぬでしょうけど、百年もしないで帳尻が合うわ。
 今回の件も、その子の事も、ぜ~んぶ大事の前の小事。小さい事に拘らないで、もっと大きな視野で物を見なさい。何よりその甘さが、あなたのオリジナルが死んだ理由でしょう?」

視線と言葉で叶翔を侮蔑する。
彼女に言わせれば、何もできない無力な命など虫けら同然。
そして、それを弄んで蹂躙し、もがいている様を安全圏から眺める事こそ最高の娯楽なのだ。
彼女にはアノニマートの流儀も、ディエチの葛藤も、叶翔の死に様すら『愚か』としか映らない。

「敵を庇って…それも虫けらみたいな男に後を託した道化。ホ~ント、つまらない男」
「クアットロ、そんな言い方……」
「ああ、それはつまり……殺してくれって事で良いんだよね、クアットロ」

アノニマートは、むしろ叶翔の生き様に尊敬の念すら抱いている。
何を為したかではなく、命を捨てて自分自身を貫いたその生き様を。
それを侮辱されて、黙っていられる道理はない。

「アノニ…マート?」
「あらん? もしかして怒っちゃった?」
「出来るなら殺さずにと思ったけど、やめた。
 きっちりしっかり、息の根を止めてあげるよ…………………クアットロ!!!」

床を蹴ると同時に、アノニマートの体は爆発的に加速する。
イグニッション・スキンによる加速も加わり、その様はさながら標的めがけて飛ぶ矢だ。

クアットロはバックスであり、直接的な戦闘能力はそれほど高くない。ましてや白兵戦など論外。
彼女に、この距離でアノニマートの必殺の一撃を回避することは不可能だ。

(殺った!)

クアットロまでの距離、歩数にして残り一歩。未だ、クアットロに回避や防御の素振りはない。
アノニマートは自身の鉄槌の如き拳が、家族の頭を砕く未来を僅かな後味の悪さと共に確信する。
だがアノニマートの確信は、背後から迫る気配により夢想に帰す。

「ざ~んねん」
「っ!?」

後は拳を突き出すだけと言う所まで接近しながら、直感に従い反射的にその場から飛び退く。
すると、間もなくクアットロのすぐ前を燈色の閃光が通過した。

「ディエチ!? なんで!」

ある意味、最も意外な人物からの攻撃に驚きを隠せない。
ディエチの気性はアノニマートもよく理解している。無口であまり感情を表には出さないが、家族への愛情は深い。それは時に「甘さ」となる部分だが、実戦ではそれに引き摺らない冷静さも併せ持つ。
それらを総合すれば、確かにディエチがアノニマートを止めるのはそれほど不思議ではない。

だが、先ほどの様子だとディエチもこのやり方には疑念を抱いている様子だった。
言われた事をそのまま鵜呑みにして実行するのではなく、自分なりに考えられる彼女だからこそ、アノニマートは彼女からの攻撃が信じられなかった。
しかしそんな疑問も、彼女の眼を見た瞬間に氷解する。

(あれは、まさか!?)

壁際まで飛び退き、顔を上げてディエチの眼を見た瞬間に理解した。
普段の、戦場にある時とさえ違う、どこか「意思」と言う物が欠如した瞳。
それは、アノニマートが最も嫌悪する物だ。

「クアットロ、君は!!」
「あはん、気付いたみたいねぇ~。ディエチちゃんってば余分な感情が多過ぎなんですもの~。
 だから、お姉さまが何があってもぶれない無敵のハートをプレゼントしてあげたわん」
「その子やルーだけじゃなくて、ディエチまで……家族を、妹をなんだと思ってるんだ!!」
「はぁ? おかしなことを言うのね。家族なんて、他の虫けらより少し近くにいるって言うだけの他人でしょ?」

言ってしまえば、ルーテシアもヴィヴィオも他人だ。
だからクアットロも洗脳などと言う外道が出来たのだろうと思っていたが、それは違った。
クアットロにとっては、仲間たちですら弄ぶ駒の一つに過ぎない。
ある意味、アノニマートはクアットロの非情さ、冷徹さを甘く見ていたのだろう。
幾ら彼女でも、そこまでする筈がないと思っていたのだから。

驚愕冷めやらぬまま、意思無きディエチの砲撃を軽やかな身のこなしで避けて行く。
ディエチの砲撃は強力だが、その分隙も大きい。
遠距離から攻撃されれば、如何にアノニマートでも不覚を取る可能性は否定できない。
だが、この玉座の間程度の広さなら、むしろ分はアノニマートにある。

(狙いはあくまでもクアットロ、操られてるだけのディエチを傷つける必要はない。
 砲撃の隙をついて近づき……殺る!!)

被害者でしかないディエチを傷つけるのは、アノニマートとしても本意ではない。
クアットロさえ止めれば、後からディエチの洗脳を解く事も可能だろう。
もちろんディエチの砲に背を向けるリスクは高いが、アノニマートはその方針を変える気はない。

(一か八か………捨て身の勝負だ!)

意を決し、再度イグニッション・スキンでクアットロへの接敵を試みた。
当然、ディエチの砲撃がそれを阻むべく迫るが、紙一重の所でアノニマートは斜め前方に跳躍してそれを飛び越える。
そのまま次弾が来る前にクアットロの上方から、その頭頂部目掛けて身体を回転させながら踵を振り下ろす。

「へあっ!!!」

落下と回転のエネルギー、更には体重さえも一点に集中させた踵落とし。
人間の頭蓋など容易く粉砕できる一撃は見事にクアットロの頭に突き刺さり、クアットロの首から頭がもげ落ちた。

「え?」

『あり得ない』とばかりに目を見開くアノニマート。
それも当然。何しろ、確かに彼は殺す為の一撃を見舞ったが、それでもこんな結果になるなど予想外。
頭が粉砕し、血と脳漿がまき散らされる事はあれども、こんな結果になる筈が……。

「これは……転送陣!?」

気付けば、アノニマートの周囲にはケージが展開され、足元には転送用の魔法陣が輝きを放つ。
また、再度クアットロに視線を戻せば、そこには無残な女の死体…ではなく、鈍い銀色の光を反射する人型の機械。

(しまった! シルバーカーテンは警戒していたのに、こんな手で来るなんて……)

クアットロのIS『シルバーカーテン』。
その真髄は幻影を操り、対象の知覚を騙すことを旨とする。
この能力を知るアノニマート、細心の注意を払って視線の先にいるクアットロが実体かどうかつぶさに観察した。

しかし、クアットロはそんなアノニマートの裏をかいたのだ。
『実体があるなら本物だ』と思いこませ、その実『実体の上に自分の幻影を被せていた』のである。
アノニマートがクアットロだと思っていたのは、幻影でクアットロの外見を被せられたガジェット0型。
大方、あらかじめクアットロ自身のデータを入れておいたのだろう。
おかげで、癖や挙動にまんまと騙されてしまった。

「クアットロ――――――――――――――――――――――!!!」

絶叫すると同時に足元の陣が光を増し、アノニマートの身体を飲み込んでいく。
僅かな間、玉座の間に反響した彼の絶叫も間もなく消え。
残されたのは、虚ろな瞳で砲を担ぐディエチと力なくうなだれるヴィヴィオ。
そして……どこからともなくこだまするクアットロの嘲笑だけ。

「ホ~ント、おバカなアノニマートちゃん。あなたが何を考えているかなんて、私が気付かない筈がないし、気付いていて対策を練っていない訳がないでしょ? さあ、あなたも存分に踊りなさい。私の手の上でね。
 フフフ、ア~ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」



  *  *  *  *  *



時を同じくして、ミッド中央市街地方面。
道中、Ⅱ型の襲撃を受けるも、アルトのテクニックで難を逃れたフォワード陣。
彼女らは当初の予定通り、降下ポイントである人も車も絶えた高速道に降り立った。

任務は、厄介な敵戦力である戦闘機人や召喚士たちを止める事。
他の隊の魔導師達は、ほとんどAMF戦や戦闘機人戦の経験がない為だ。
そうして、中央部へと突き進んでくる敵へとフォワード達も歩みを進める。

「みんな、わかってるわね? 数は相手の方が上。囲まれたり、バラバラにされたりしたら分が悪いわ」
『はい(うん)!』

この場では最年長のギンガからの注意に、皆は真剣な面持ちで頷く。
こちらは五人なのに対し、確認できるだけでもあちらは戦闘機人5名に、召喚士と召喚獣を含めて計7人。
もしかすると更に伏兵がいるかもしれない可能性を考えると、やはり数的不利と言わざるを得ない。
とそこで、フリードの巨体に跨ったキャロが、真っ先にそれに気付く。

「ぁ、あの子……」

視線の先には、幾度かまみえた紫髪の召喚士。
だが、そこで僅かな違和感を覚える。
周囲には、虫の様な小さな影が無数にあるが、召喚獣と融合騎は一緒ではないのだ。
しかし、ティアナはすぐに頭を切り替える。
なにしろ、彼女の指先はフォワード達を送り届けたアルトの操縦するヘリへと向けられているのだから。

「フリード!」

その意図を看破し、急ぎフリードを向かわせるキャロ。
フリードは巨体に相応しい唸り声を上げ、両翼を羽撃かせながら主の意に沿って飛ぶ。
とはいえ、それだと折角のチームの利点が失われることになる。

「予定変更、こっちを先に捕まえる。良いわねスバル! ギンガさんも」
「うん」
「ええ」

ティアナの指示に従い、二人はウィングロードを展開してキャロの後を追おうとする。
だがこの瞬間、確かに三人の意識は召喚士とそれを負ったキャロとエリオに集中した。
そしてそれを逃すことなく、三人の死角を突く様に突如一つの見覚えのある影がティアナの背後に降り立つ。

「「「え……」」」
「……」

影から伸びた手は、無言のままティアナの襟首を掴み、残る二人が反応するより速く紫の光に包まれて消失した。

「ティア! ティア!!」
「やられた! はじめからこのつもりで……」

虚をつかれた一瞬の出来事だったが、ギンガは正確に状況を理解していた。
如何に召喚士が転送魔法を得意とするとは言え、いきなり敵を別の場所に転送することは難しい。
そんな事が出来れば、敵の戦線を崩す事など容易だし、召喚士はある意味最強の魔導師と言えるだろう。

しかし、実際にはそう都合よくはいかない。
そもそも、魔法陣の発動からタイムラグなしでの転送自体がまず困難。
さらに、どんなに不意をついたとしても、転送が発動するまでの時間で範囲外に逃れることくらいはそう難しくはない。

だが、己が召喚獣が相手なら話は別。
あらかじめ準備しておけば、瞬間的に転送する事自体はそう難しい事ではない。
つまり、ルーテシアが飛ばしたのは、正確にはティアナではなく己が召喚獣であるガリューだったのだ。
ティアナは、言わばそれに巻き込まれるような形になったのだろう。
そして、その目的は……しかし敵は、二人に悠長に事態を考察する時間を与えてはくれなかった。

「IS発動、レイストーム」

静かな宣言と共に放たれる、幾条もの翠の閃光。
多角的に迫る光条から、二人は咄嗟に飛び退く事でそれらを回避。
代わりに、二人は高速道を挟んで真逆のビルに着地してしまう。

「スバル、急いで合流を!」
「う、うん……っ!」

ギンガの指示に従い動きだそうとした瞬間、首筋に迫る悪寒。
スバルが身を屈めると、それまで頭のあった所を業速の蹴りが通過する。

「ちぃっ!」
「下がれ、ノーヴェ! IS『ランブルデトネイター』!!」

身を屈めて蹴りをやり過ごしたは良いが、体勢が悪い。
また、続いて迫るナイフには見覚えがあった。
先日の地上本部襲撃の際、ギンガに重傷を負わせた銀髪の少女、チンクの物。
同時にその能力を思い出し、スバルは急ぎ拳を床に叩きつけて階下に逃れる。

「くっ…スバル!」
「ほらほら、余所見してる場合じゃないっスよ。エリアルキャノン!!」

視界の端で巻き起こる爆炎。妹の身を案じるギンガだが、彼女もあまり余裕はない。
ギンガの正面には、盾形の砲を構えるウェンディ。
そこから放たれる閃光を掻い潜るが、その先には待ちかねたかのように光剣を構えたディードの姿。

「ふっ!」
「ぜりゃぁ!」

振り下ろされた右の光剣に「白刃流し」を合わせ、やり過ごした拳が顔面に迫る。
だがディードはそれを左の光剣の柄で防ぐ。
その間に、再度ウェンディからの射撃に晒され一端距離を取った。

(不味い、まんまと分断された。なんとか合流したい所だけど……)

スバルが降り立った筈のビルの方を見れば、いつの間にか高速道を境に左右を分かつように結界が展開されている。敵と向き合った状態でこれの破壊は至難だろう。
また、エリオ達の方も召喚士たちの対応に追われ、こちらへの合流は難しい。
ティアナに至っては、そもそもどこに連れて行かれたかすら不明。

「お察しの通り、合流はさせねぇっスよ」
「……………少し、意外ね。てっきり、アノニマートが出て来ると思ったけど、あなた達が私の相手?」
「ああ、その疑問もごもっとも。
ホントは私ら後詰の予定だったんスけど、アノニマートの奴がふけちまって……」
「お姉さま」
「ん? どうしたっスか、ディード」
「来たようです」

ディードの視線を追うと、そこには忌々しそうに空を見上げるアノニマートの姿。

「まったく、どこ行ってたっスかアノニマート。集団行動を乱しちゃダメっスよ」
「……………………ああ、うん。ごめん」
「? ほんとにどうしたっスか?」

ウェンディの注意に、どこか上の空な返事を返す。
いつでもテンション高めなアノニマートにあるまじきその様子に、ウェンディはつい首を捻ってしまう。
そんなウェンディに気付いたのか、一つため息をついてからアノニマートは苦笑を浮かべる。

「大丈夫だよ、ちょっと頭に来てるだけ。
さ、ここは任せて、二人はもう行っていいよ。
大丈夫だとは思うけど、危なそうな所があったら手を貸してあげて」
「まぁ、それなら別にいっスけど。ほら、行くっスよディード」
「はい」

アノニマートに促されるまま、少々怪訝そうにしながらもその場を離れる二人。
合理的に事を進めるのなら、三対一で攻める方が良いに決まっている。
しかし、アノニマートがそう言う事を好まないことを二人は良く知っているし、なにより彼が負けるとは微塵も思っていない。
チンクすらも上回るその戦闘能力への信頼は、ある意味絶対的な物だった。

「…………さて、それじゃそろそろ……」

ゆっくりと、流麗ながらも緩慢な動作でギンガの方を向くアノニマート。
相手の力量を知っているが故に、ギンガは最大級の警戒を見せる。
だが、当のアノニマートからはまるで戦意が感じ取れない。

「と言いたい所だけど、その前に……あげる」

言って、無造作に放り投げられたのは一枚のデータチップ。
反射的に受け取ったギンガだったが、意味がわからず首をかしげるばかり。

「これが、何だって言うの?」
「ゆりかご内部の見取り図」
「…………………はぁ!?」
「あと、あのヴィヴィオって子とルー…召喚士の子にかけられた洗脳の解除プログラムも入ってる。
まぁ、クアットロの事だから直接アクセスできる端末は手元にしか残してないだろうし、そうなると動きを封じてからじゃないと無理だろうから、簡単にはいかないと思うけど」
「ちょ、ま、待ちなさい! いったいどういうつもり!」

洗脳云々の事は良く分からないが、ゆりかご内部の見取り図を渡してくる意図がわからない。
それは、彼からすれば明らかな利敵行為に他ならない筈だ。
つまり、スカリエッティ側を裏切って協力するという事になる。

「あ、勘違いしないでよ。別に、先生やみんなを裏切る気なんてないんだ。
ただ、身内のやり方が許せなくてね。なんとかしようとしたけど失敗したし、今から戻ろうにも多分無理だ。
これはこっちの不始末だから仕方なく手を貸したけど、これからやることに変わりはないよ。
武人同士、ライバル同士、出会ったのならやる事は一つでしょ?」

アノニマートが何を言っているのかはよく分からないが、彼に拳を引く意思がない事だけはわかる。
恐らく、どれだけ言葉を費やしてもアノニマートはギンガを見逃してはくれないだろう。
彼女が仲間達の救援に向かうには、この敵を打ち伏せなければならない。
そして、それさえはっきりしているのなら、確かに彼の言う通り、やる事は一つしかないのだ。

「ブリッツキャリバー、データを読み込んでアースラに送信」

ギンガは特に深く改める事もせず、愛機に命じてデータを本部に送る。
他の誰かならデータの中にウイルスを仕込んでいると疑うが、彼が相手なら疑うことすらしない。
おかしな話かもしれないが、それは信頼と共感の賜物。

活人拳と殺人拳。
進む道は違えども、同じく武の高みを目指す者同士にして好敵手。
この男が、そんな「セコイ」策を弄するとは到底思えない。

「さあ、準備は良いね。三度目の正直って言葉もある事だし……………そろそろ、決着をつけようか」
「ええ、それは私も望む所よ」
「君は師匠の名誉にかけて、か。羨ましいよ、僕にはちゃんとした師匠がいないから、尚更ね」

一応イーサンから教えを受けてはいるが、アノニマートは正式な弟子と言う訳ではない。
あくまでも縁あって、少し教えを授けているという間柄。
心から信頼し、尊敬し、その背を追いたいと願える相手がいる。
そんなギンガは、アノニマートにとって確かに羨望の的だ。

「だけど、だからと言って勝ちを譲る気はないよ。
 君が流派と師の名誉を背負うのなら、僕は自分の未来を懸ける事にしよう」

未来を懸ける。それはつまり、命を捨てて挑むという事だ。
前回の戦闘を思い返せば、アノニマートに分があるように思える。
しかしギンガと出会う以前ならともかく、そんな昔の事を今のアノニマートは当てにしない。
最後に戦ってから今日にいたるまでの時間は、その程度の差を充分ひっくり返すに足るだろう。
少なくとも、それくらいの認識で戦わねば勝てない相手と考えるほどに、彼はギンガを認めている。

それぞれに構えを取り、真っ直ぐに互いを見据える両者。
張りつめた空気と、それを助長するかのような静寂。
号砲となったのは、二人の間を吹き抜ける一陣の風だった。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



[25730] BATTLE 43「無限の欲望」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:47

そこは、時空管理局本局の最深部。
最早人の出入りもほとんどない、古い時代の遺産が鎮座する場所。

その名を『管理局最高評議会』。
旧暦の時代、次元世界を平定し時空管理局設立後一線を退いた3人。
彼らが、その後も次元世界を見守るために作った事実上の最高意思決定機関。

だがここ数十年、いるとされながらも顔を見た者すら存在しない、半ば忘れ去られつつある者達でもあった。
それもその筈。何しろ彼らはとうの昔に肉体を捨て、脳髄だけの姿になって生体ポットに浮いているのだ。
そんな現実を知られれば、何かと不都合が生じる。

彼らは影。裏方に徹し、表舞台に立つ役者たちに時に助力し、時に助言し、あるいは手を回すが役目。
しかし今、「世界の為」を想って進めてきたプロジェクトに陰りが落ちている事に、ようやく彼らは気付いた。

「ジェイルは少々やりすぎたな」
「レジアスとて、我らの重要な駒の一つであるというのに」
「我らが求めた聖王のゆりかごも、奴は自分の玩具にしようとしている」
「止めねばならんな」

暗い虚空に足場だけが浮かぶ空間。そこに並ぶ三基の生体ポット。
声帯を持たない彼らは、機械により合成された感情を感じさせない声で淡々と会議を進めている。

「だが、ジェイルは貴重な個体だ。消去するにはまだ惜しい」
「しかし、彼の人造魔導師計画もゼストは失敗、ルーテシアも成功には至らなかったが……聖王の器は完全な成功の様だ。そろそろ、良いのではないか?」

ジェイル・スカリエッティ、またの名を開発コードネーム「アンリミテッドデザイア(無限の欲望)」。
最高評議会が失われた世界の技術と知恵を使って生み出した、アルハザードの遺児。
彼すらも、最高評議会が秘密裏に推し進めて来たプロジェクトの一つに過ぎない。

だが手駒の一つでしかない彼が、いまその手から離れ反旗を翻そうと画策していた事に、彼らはようやく気付く。
とはいえ、例えスカリエッティがゆりかごを擁そうが、それすらも掌の上の事。
自分達の絶対的優位という認識に揺らぎはなく、彼らの様子に『焦燥』の色はない。

「我らが求むるは、優れた指導者によって総べられる世界。
我らがその指導者を選び、その陰で我らが世界を導かねばならん」
「その為の生命操作技術、その為のゆりかご」
「旧暦の時代より、世界を見守る為に我が身を捨てて永らえたが、もうさほど長くは持たん」
「だが次元の海と管理局は、未だ我らが見守って行かねばならん」

それは、今を生きる人々ではそれが為せないと考えているという事。
つまり彼らは、本質的に今を生きる人々を信じていないのだ。
それが酷く傲慢な考えである事に、彼らは気付かない。

元は崇高な理念と意思で歩んできたのかもしれないが、それも今は昔。
いつから歪んでしまったのかは定かではない。
一つ言えるのは、彼らは最早時代の残党であり、今の時代に必ずしも必要不可欠な存在ではないという事に対する認識が欠如している。残念ながら、それだけは間違いないのだろう。

いや、彼らにしてみれば、管理局や今の世界は自分達の子どもの様な物。
その今を心配し、未来を案じるのはある意味当然だ。
これはその一つの形であり、それが行き過ぎてしまった結果。
だからこそ、彼らは自分達の行いが「正しい」と信じて疑わない。

「ん?」

淡々と進行する会議の途中、『書記』役が何かに気付く。
それは、評議会三名が浮かぶ生体ポットにゆっくりと近づく移動式の床であり、その上に立つ一人の男。
あまりにも自然かつ唐突に表れたその男に、三人の思考が止まる。

「な、何者か!」

思わず口をついたのは、そんな今となっては無意味の極みとも言える問い。
それに対し、男は厳かな調子で宣言する。
長きに渡り君臨してきた彼らにようやく訪れた、死神の名を。

「『無』の一影九拳、イーサン・スタンレイ」
「一影、九拳だと? バカな! 何故闇人がここに……」

彼らの驚愕も無理はないだろう。
闇と管理局は協定を結んでいる訳ではないとはいえ、片や管理外世界にほとんど干渉はせず、片や世界の外にさほど興味がない。そんな両者が交わることなどまずなく、故に敵対する理由も存在しない筈だった。

いや、そもそも如何に闇人、それも最高幹部たる一影九拳とはいえ、ここまで気付かれずに侵入できる筈がない。
何しろ、彼らが鎮座するこの部屋は管理局内の最奥にあり、なおかつ最高水準のセキュリティーに守られている。
その全てを掻い潜るなど、特殊な能力に頼らない彼らだからこそ余計に不可能だ。

「き、貴様、どうやってここまで……」
「ミーが丸腰の、魔力を持たないただの人間だからでせう」
「バカなことを言うな、そんな事を言っているのではない!」
「そうだ、ここに至るまで一体いくつのセンサー、何枚の扉があると思っている!」

確かに、無手を旨とする彼らなら、魔力や金属を検知する類のセンサーに引っかかる事はないだろう。
だが、問題はそう単純なことではないのだ。
金属類、あるいは魔力を検知するセンサーは素通りできても、他にも多種多様なセンサーが設置されている。
その全てをだまくらかすことなど不可能だし、無数に並ぶ扉をどうやって通ったのか。

一切警報が鳴らなかった頃からすると、力づくという線はない。
かと言って、あれらを開けるには桁外れに厳重なセキュリティーシステムを解除しなければならないのである。
そのどちらも、技術的に遥かに遅れを取る彼らの世界の人間にどうこうできるものではない。

「ソーリー、先にクライアント(雇い主)からのメッセージをお伝えするでござるます。
『今の時代の礎は、確かにあなた方が築き上げた物だ。だが年寄りの冷や水はその辺りにして、あとのことは若い者に任せ隠居なさるがよろしい。僭越ながら案内人をご用意した。後の事は万事滞りなく処理してくれることでしょう。無限の欲望より、冥福を祈って』以上だ」

それだけで、最高評議会の三人は全てを理解した。
彼らの疑問も、どうして一影九拳の一角たるこの男が彼らの前に現れたかも。
なんのことはない。掌の上にいたと思っていた男も世界も、ずっと昔に彼らの手を離れていた。
本当に、ただそれだけの話。

「貴様…ジェイルの……!」
「おのれ、痴れ者めがぁ!!」

抵抗する為の肉体を捨てた彼らに、最早この運命を覆す術はない。
不届き者を制圧・排除する為の設備も、この男の前では無意味。
それらが起動するより速く、この男の拳は彼らの命を断てるのだから。

「何故だ、何故我らを討つ! 我らは世界の為、この身を捨てて尽力してきた。その我らを討つ道理が、貴様にあるのか! 答えろ! 貴様、いったいジェイルに何で雇われた!!」
「恨みはない、マネーも受け取ってはいない。ミーがユー達の命で買ったのは、一人の少年の自由で候」

イーサンがスカリエッティと交わした取引は単純明快。
いくつか彼の頼みを聞く代わりに、アノニマートを自由にするという物だ。
とはいえ、正直イーサンにとっても抵抗すらできない彼らを殺めるのはあまり気乗りしなかった。
だがそれ以上に、今目の当たりにした彼らの在り様は見るに堪えない。
特にそれが、過去に多くの功績を残した者達であればなおの事……。
しかしそれを、評議会の三人は最後まで理解できなかった。

「ウィル(遺言)があるのなら聞こう。さあ、何か言い残す事は……?」
「ま、待て! まだ世界には我らが必要だ!」
「今我らを欠けば世界がどうなるか、貴様わかっているのか! その責任を貴様は……」
「…………ユー達、もう喋るな。これほどの組織を作り上げた功労者が、晩節を汚す姿を見るのは忍びない。
今の世界を築いた者としてのプライドがあるのなら、せめて最後は……………潔く逝きやがりなさい」
「やめろ…やめろ―――――――――――――――――っ!!」

そうして数秒後。
もはや人と呼べるかすらわからなかった評議会の面々は、今度こそ本当に物言わぬ肉塊となり果てた。

「ミッション、コンプリート」

腕から滴る薬液を振り落としながら、イーサンは静かに宣言し、誰にも気付かれることなく闇に消える。
残されたのは、砕かれた生体ポットと不出来な標本の様な三つの人の脳髄だけ。
この日、最初で最後の侵入者の手により、長年時空管理局を見守ってきた最高評議会は、人知れずその歴史に幕を下ろしたのである。



BATTLE 43「無限の欲望」



時を同じくして、スカリエッティのアジト最奥部の一室。
大勢の人質を盾に、已む無くスカリエッティと向かい合う形で椅子についた兼一。
彼は差し出された紅茶を、なんの躊躇いもなく口に運ぶ。

「おや、いいのかね?」
「何がですか?」
「いや、君はもっと慎重な男だと思ったのだが……」

言うまでもなく、ここは兼一にとって敵地。
その敵地で出される飲食物だ、毒の一つや二つ入っていても不思議はない。
むしろ、入っていて当然と考える警戒するのが普通だろう。
如何に達人と言えど、決して不死身ではないのだから。
暗にそう語るスカリエッティに、だが兼一は至極当たり前のようにそれを否定する。

「この期に及んで、そんなセコイ真似はしないでしょう」
「ふむ、まぁ実際それは正しい訳だが……」
「それに」
「ん? なんだね?」
「『話をしたい』と言ったのはあなたでしょう? それとも、あれはウソだったんですか?」

思いもしなかった兼一からの切り返しに、一瞬呆気にとられる。
やがて、徐々にその意味が頭に浸透してきたのか、スカリエッティの表情に変化が現れた。

「くっ……くっくっくっくっくっく…ハハハハハハハハハハハ! なるほど、確かにその通りだ。
 いやはや、わかってはいたつもりだったが…つくづくキミは私の想像を越えてくれる。
 しかし、だからこそこの時を待ち望んだ甲斐があったというものか」

兼一の返答がよほどツボに嵌ったのか、心底愉快そうに破顔するスカリエッティ。
それは、今までフェイトなど考えて来た彼のイメージからは程遠い、まるで子どもの様に邪気のない笑い。
もしこの場にフェイトが居合わせれば、そのギャップに驚きを隠せなかっただろう。
だが、当の兼一は先のスカリエッティの言葉に一つの確信を得ていた。

「さっきから気になっていたんですが、あなたは…………………僕の事を知っているんですか?」
「…………なぜ、そう思うのかね?」
「この部屋を封鎖してすぐの時、あなたは僕にこう言いましたね。
『ポットの中の人達を見捨てられない様に、無力な人間に対して直接力で訴える事もできない』と」
「ふむ、一語一句同じとは言わないが、その様な趣旨の事は言ったね」
「ただ知っているだけでそんなにはっきりと断言できるとは思えません。ましてや、僕が次元世界と関わるようになってほんの数ヶ月しか経っていないのに、あなたの言い様には理解以上のものを感じました。
そして今、『つくづく想像を越えてくれる』とも」

それらの意味する所とはつまり、兼一が次元世界と関わる様になるより遥かに以前から、彼は白浜兼一と言う男の存在を知っていた可能性を示唆している。
いや、別にその可能性自体はそれほど驚くべきことではないだろう。
スカリエッティは、形はどうあれ以前より闇との間に繋がりがあった。
そこで兼一の事を知ったとすればおかしなことなど何もない。

しかし、それはあくまでもただ「知っている」だけであればの話。
それで済ませるには、スカリエッティの態度はあまりにも不自然なのである。

「ふふふ、簡単な話さ。意外に思うかもしれないが、私はずいぶん昔から君に憧れていたのだよ」
「は?」

思いもよらないスカリエッティの告白に、眼を丸くする兼一。
そんな彼の反応に気をよくしたのか、スカリエッティは滔々と語り出す。
また、それ証明するように彼の背後に今起こっている事態とは別の、過去の映像が映し出される。

「発端は、かつて次元世界で勇名を馳せた無敵超人を知った事だ。あの頃の私は、純粋な知的好奇心から達人と言う生き物を知りたいと思い、第97管理外世界『地球』に目をつけた。ジュエルシードや闇の書にまつわる事件が起こるよりも、ずっと前にね」
「……」
「そこで私は、二つの勢力を観察対象として選んだ」
「それが闇であり、梁山泊」
「その通り。武術界の二枚看板であり両極。殺人拳と活人拳、永久に対立する二大派閥の代名詞。観察対象として、これ以上はないだろう?」

確かに、具体的にいつから両者を観察していたのか定かではないが、それでも目の付け所としては妥当な線だ。
地球には他にも大小様々な武術組織があるが、『最強』と認められていた梁山泊とその称号を狙う闇。
冷戦時代もあるにはあったが、いずれ衝突する事は目に見えていたのだから。

「恐らく、彼らは『眼』の存在に気付いた上で害なしと見て放置していたのだろう。何しろ、本当に重要な所……秘伝を伝授する時などは、近づくことすらできなかった。
 だが、私にとってはそれで充分だったよ。彼らの日頃の鍛錬風景や時に武を振るう姿は、とりあえず私の好奇心を満たしてくれていた。
 そうして数年が過ぎ、一向に両者の間で動きがない事に私が物足りなさを感じ始めた頃だ…………………君が梁山泊の門を叩いたのは」

それまでどこか平坦だった声音に、突如熱が籠り瞳に光が宿る。
その光と熱は、なのはの武勇伝を我が事の様に嬉しそうに語るスバルを彷彿とさせた。

「失礼を承知で言うと、最初私は君が三日…いや、それこそ初日で梁山泊を辞めると思っていた。
 急いで集めた資料から得られた結論は…………どこにでもいる凡人。それどころか、全てにおいて平均以下の負け犬と言うものだったからね。
 そこは君の様な凡夫の行くような場所ではないと、嘲笑いすらした」

それに対し、兼一は特になにを言うつもりはない。
なぜなら、スカリエッティの言う事は酷く当たり前な一般論だからだ。
兼一も、もし武門…より正確には梁山泊に入門していなければ、一笑に伏していたことだろう。

「しかし、君はそんな私の予想を覆し、梁山泊に通い詰めた。
 それどころか内弟子となり、次々と現れる敵を退け、何度逃げ出しても舞い戻り、彼らの期待に応え続けた。
 気付けば、独り虐げられていた君の周りには多くの友と仲間が集まり、ついにはYOMIと渡り合うまでに至っていた。そこに至って、恥ずかしながら私はようやく理解したのだよ。人は…変わることができるのだと」

万感を込め、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
それまで彼は、極一部の限られた命以外は等しく無価値だと思っていた。
特別な物など何もなく、自分の未来すら満足に切り開けない弱者であり低能。
そんないてもいなくても同じ命など、どう使い捨ててもかまわないではないか。
むしろ、技術と知識の進歩のために犠牲となるなら本望だろうと。
だが、そんな考えは白浜兼一と言う男の生き様によって覆された。

「それからだ、私にとって闇も梁山泊もどうでもよく思えたのは。それまで輝きを放っていた達人達は色褪せ、私の眼は君に釘づけになった。波乱の予兆があれば心を躍らせ、強敵との闘いに手に汗握り、仲間や師との絆に胸を熱くし、君がどこまで行けるのかを少年の様に目を輝かせて見つめていたものさ」

それは、それまでのスカリエッティからは想像もできない様な感情の奔流だった。
世界は彼の遊び場であり、そこに生きる人々はおもちゃも同然。
神の如く遥かな高みから見下ろしていた筈のそれらに、感情を揺さぶられることなどなかった筈なのに。
気が付くと、どうでもいい無価値な筈の命の躍動から目が離せなくなっていた。

「らしくもない事に、『立て』『負けるな』と声を嗄らして応援したこともあったほどだよ。
 それほどまでに、私は君と言う男に魅了された……っと失礼、少々熱くなり過ぎていたようだ」
「ぁ、いえ……」

際限なく熱の籠って行く自身の語りに気付いたのか、紅茶を口に含んで一息入れる。
兼一も、そこでようやくここまで語られたスカリエッティの言葉を咀嚼する余裕を取り戻す。
正直、彼にこんな一面があったというのは、純粋に驚きだ。
嘘の可能性もあるが…それは薄い様に思う。時に心の奥底さえ見通す彼の眼力を以てしても、スカリエッティの言葉と眼に嘘は感じられない。ただ、代わりに別の暗い何かを彼は見出していた。

「ふっ、そんなに私のこんな一面が意外だったかな?」
「そう、ですね。あなたはもっと、命を何とも思わない人だと思っていましたから」
「いや、それは間違いではないよ。表面的な事実を並べればそう思うのは当然だし、事実過去の私はそう考えていた。だがね、今や私にも人並みの倫理や道徳観念くらいはある」

どこか憂いを帯びた口調で語られるそれは、まるで叶わない懺悔に似ていた。

「人間とは、理性と欲求の狭間で揺れ動く生き物だ。とはいえ、たいていの人間は理性で欲求を抑制する。
 だが、私はどうもその機能が欠如しているらしい」
「…………」
「自分が人として許されない事をしている自覚くらいはあるし、罪悪感がないわけでもない。君のおかげで、私はそれらを得る事が出来た。その点に置いて、私は君に深く感謝している。
しかし救い難い事に、ようやく得たそれら以上に好奇心と欲求が優先される獣、それが私の本質だった。アンリミテッド・デザイア(無限の欲望)とは、よく言った物だと思わないか」

それはつまり、はじめから釣り合いのとれていない天秤と言う事だ。
あらかじめ天秤の片側に乗せられていた物が重すぎて、逆側に新しくどれだけ乗せられたとしても揺れ動かない。
むしろ、次々と新しい物が乗って行くからこそ、苦しみが増していったのだろう。
いっその事、はじめから何も乗っていなければ楽だったのに……。

「わかるかね? 君と言う男を知り、その生き様を見て、私は変わりたいと願う様になった。願える様になった。
だが、私は変われなかった! 何度やっても、私は己が欲望を制することができなかった!
 私の心が弱いから? ああ、全く以ってその通りだ、反論の余地がない! だが、世界を見たまえ! この世には私と同じ、変わろうとしても変われなかった者たちで溢れ返っているではないか!!
 だからこそ、私は知りたい!! 人は変われる。しかしそれは、強い心を持ったほんの一握りの人間にだけ許された特権なのか! あるいは、万人に与えられた権利なのかを!」

変われなかったのは、単に自分が弱かっただけだからなのか。
それとも、変わる事が出来た兼一こそが特別だったのか。
飽くなき好奇心の向け所が、今はそこだ。
いったいどちらであってほしいのか、それすら本人にはわからない……。

「あなたの言わんとする事はわかりました。ですが、それと僕と会う事になんの関係が?」
「自覚がないと言うのは、時に恐ろしいな」
「どういう意味ですか?」
「自覚しているかどうかはさておき、君は敵味方を問わず、ただその場にいるだけで周囲の人間に大きく影響を与える。君の友人たち然り、ライバルたち然り、だ。
老若男女、主義主張、洋の東西を問わず、多くの人生を君は変えて来た」
「僕は、そんな……」
「大層なものではないと?」
「仮にもし、僕と出会った事で何かが変わったのだとしても、僕自身もまた多くの出会いによって変わってきました。僕一人が、一方的に影響を与えたと言う事はない筈です」

兼一自身としては、スカリエッティの言う事には素直に頷く事は出来ない。
そもそも人とは、お互いに様々な影響を与えあう生き物だ。
影響を与えない人間なんていないし、同様に受けない人間もまたいない。
故に、まるで兼一一人が一方的に影響を与え、他者の人生を変えて来たかのような言われようは受け入れられない。

「なるほど、君の言う事にも一理ある。他ならぬ君自身が、誰よりも大きく変わった存在なのだからね。
だが、あるいはだからこそ、君と他の者ではその影響力の大きさが違う。
 他の者が1の影響を与えるのに対し、君が与える影響は10を優に超える…とでも言えばいいだろうか。
 ある者は君を通して忘れたものを思い出し、またある者は大切な物に気付く。私もまたその一人だ。
そして、君を見続ける中で、それが私一人だけではない事も知ったのだよ」
「……」
「まだ納得がいかない、といった様子だね。しかし、同時にもう気付いているのだろう。
 私が、君とこうして直接向き合う事に拘った、その理由を」

そう、兼一とてここまでのスカリエッティの弁から、彼が何故リスクを冒してまで兼一の前に姿を現したか、その理由を理解していた。
最初に述べたように、娘達だけでなく己もまたリスクを負うべきだから、というのもあるだろう。
だがそれ以上に、彼は本当に兼一と出会い、言葉を交わしたかったのだ。
その理由は、唯一つ。

「傍観者のままでも、多くの事に気付く事が出来た。
しかし、結局私という人間を変えるには至らなかった。
ならば、もし直接君という人間と出会う事が出来たのなら、あるいは……」

今度こそ、自分の中の何かが変わるかもしれない。そう期待して、彼はリスクを承知で兼一の前に立ったのだ。
幼い子どもを攫い、身勝手な目的の為に利用する自分を、言葉を交わす間もなく打ち倒すかもしれない。
あるいは、相手にする価値もないと、完全に無視されてしまうかもしれない。
それらの可能性を全て承知の上で、彼は兼一の前に己が身を晒したのである。
とてもではないが、行っているのが違法研究でさえなければ、歴史に名を残すと言われた天才的な頭脳を持つ男のすることではない。

「さっきも言ったろう。どれだけ倫理や道徳を備えようと、結局私は全てにおいて『好奇心』を優先してしまう。研究者とは難儀な物でね、重要なのは『答え』を出すことであって、その中身も結果も二の次なのさ」
「あなたは……」

そんな彼に対し兼一が抱いたのは、深い悲しみ。
兼一にはわかってしまったのだ。なんと言った所で、自分の行いに最も怒り苦しんでいるのは、彼自身なのだと。
情を知ってしまったが故に、欲望に抗えない自分を自覚してしまったから。

だから彼は、最後の希望として自分との出会いを望んだのだろう。
計画の成否、自身の未来。何もかもを捨て、変われるかもしれない、その可能性に縋ったのだ。

「やれやれ、困ったな。別に、道場を求めてこんな話をしたのではないのだがね。
先ほど君も確認したように、私は君と話せる時を待ち望み、楽しみにしていたというのに……」
「そう、ですね。でも、僕とあなたには共通の話題なんてありません。一体、何を話すと言うのですか?」
「色々とあると思うが…………ふむ、まずはこれだ。人は本当に誰もが変われるのか否か、君の意見を聞きたい。
 どうかな、一人多国籍軍殿?」

無論、兼一から語ることのできる意見など一つしかない。
ならば、改めて聞く意味などない筈だが、すぐに気付く。
きっとこの男は、その『わかりきった答え』をこそ求めているのだろう。

「僕は……」



  *  *  *  *  *



なんの前触れもなく背後から伸びた手に襟首を掴まれ、光に包まれると共に一変した景色。
それまでいた高速道から遠く離れ、運ばれたのは廃墟に等しいビルの中。
しかし、連れ去られたのが一瞬の出来事なら、思考が停止していたのも一瞬だった。

「くっ!」

即座に思考を復旧させ、襟首を掴んでいた手を払いのける。
同時に、飛び跳ねる様にして相手から距離を取り、愛機を構えた。
裏をかかれこそしたが、ティアナは動揺していない。
正確には、動揺を押し込め平静を保っていると言うべきか。
『静』のタイムであるティアナにとって、動揺をはじめとした心の揺らぎは死活問題。
いついかなる時も、あらゆる揺らぎを呑み込んで静の気を練ってこその静のタイプなのだから。

(ふぅ~……じゃ、まずは状況分析から始めようかしら)

視線の先の敵に気取られないよう注意しながら大きく息をつき、さりげなく周囲の様子に気を配る。
場所はコンクリートで囲まれた屋内。恐らく、壁や床の傷み具合などからして、先ほどまでいた区画の廃ビルのうちの一棟だろう。正確な位置まではわからないが、幾ら準備していたとしても、アレだけの短時間の間に発動した転送魔法では、そう遠くまで運ばれていない筈だ。

つまり、戦場からはそう引き離されていない事になる。
仲間と分断され、孤立してしまった今の状況では貴重なプラスの情報だ。
この場所を切り抜けさえすれば、仲間たちとの合流は難しくない。
まぁ、問題はどうやってこの場を切り抜けるかなのだが……。

「私の相手は、アンタって事で良いのかしら?」

警戒を怠ることなく、ティアナは静かにたたずむ甲殻の鎧で総身を覆った敵に向けて問いかける。
とはいえ、前回の戦闘でアレが言葉を発した事はなかった。
発声機能の有無はわからないが、返事は元より期待していない。
どちらかと言うと、平静を取り戻す為という意味合いが強い。

しかし、抑え込んだ動揺も徐々に消え去ろうかとしたその時、ティアナは再度予想外の事態に直面した。
なんと、自身をこの場所へと誘った(正確には違うのだが)敵の脚元に再度転送系の魔法陣が発生し、その身が光の中へと消えて行く。

「待ちなさい!」

警告と射撃はほぼ同時。
だが、放たれた魔力弾はガリューの身を捉えることなく、遥か後方の壁面を穿つに留まった。
どうやら、タッチの差で敵の転送が完了してしまったらしい。

「どういうつもり? まさか、籠の鳥にするのが目的ってわけでもないでしょうし……」

敵の意図が奈辺にあるのか判然とせず、怪訝そうにティアナは呟く。
確かに、ビル周辺には緑色の結界が張られ、脱出は容易ではないだろう。
しかし、時間さえかければ結界を抜ける事も不可能ではない。
故に、こうして閉じ込めておく事にそれほど意味があるとは思えないのだ。

そもそも拘束という意味で言えば、スバルやギンガ、あるいはエリオの方が優先順位は高いはず。
ティアナを捕まえても、こう言っては何だがあまり意味があるとは思えない。
むしろ、敵からすれば殺してしまっても良い相手として数えられている筈だ。

(動くべきか、それとも状況が分かるまで待つべきか……ったく、やり辛いったらないわね)

敵の狙いがわからない中、無闇に動くのは下策。
かと言って、敵の狙いによってはジッとしていてもはじまらない可能性もある。
こうして悩ませる事も狙いの内だとすれば、随分と嫌らしい策を練って来たものだ。
それだけ警戒されているとすれば、ティアナとしても士気が湧くと言う物なのだが……。

(人の気配がまるでしない。となると、警戒されてるんじゃなくて軽んじられてるって感じかしら…っ!?)

そこまで考えた所で、ティアナの耳が斜め後ろの柱の影からの僅かな物音を捉えた。
反射的にクロスミラージュの銃口を向け、いつでも引き金を引けるように指を掛ける。
先ほどは人の気配がしないと思ったが、ティアナはそれほど自分の気配を読む能力を当てにしていない。
一応ある程度はわかるつもりだが、自分程度を出し抜く隠行の使い手などいくらでもいるだろう。

それを正しく理解しているからこそ、銃口を向けながらも周囲への警戒も怠らない。
もしかしたら、あの物音自体が囮という可能性もある。
そう思って警戒していたのだが、良くも悪くも外れだったらしい。

ゆっくりと柱の影から姿を現したのは、これまでの任務で何度か遭遇したガジェット0型。
これだけならば、主力である戦闘機人も召喚士もぶつけない手抜きと判断し、多少なりとも憤りを覚えただろう。

だが、正確には少し違う。
確かに柱の影から0型が現れたが、それだけではない。
その周囲から、1体や2体ではない、次から次に現れるそれらは計9体にも及んだ。

「……ったく、手抜きなんだか手厚いんだか、いまいち判断に困るわね。
 しかも、全部エンブレム持ちじゃない」

そう。柱の影から姿を現した9体の0型は、その全てが胸部にYOMIのエンブレムを備えていた。
それも、描かれた紋章は『空』『炎』『水』『鋼』『氷』『王』『流』『月』『無』と全て違う。

(流石に一影の弟子まではデータが取れなかった…って事かしら?
 まぁ、全然気休めにもならないんだけど……)

確かに主力である戦闘機人をぶつけて来ない辺りは手抜きと言える。
が、続く戦力である0型の大盤振る舞いとなると、楽観視はできない。
一応対策は一通り叩き込まれているが、纏めて相手にするとなれば分が悪いどころではない。

(無策で相手にしていい質でも量でもない。となれば……)

策を練って、一体ずつ各個撃破していくのが望ましい。
しかし、そうは問屋が卸さない。
ティアナが僅かに重心を後ろに下げるのとほぼ同時に、0型の内『流』と『空』の二体が踏み込んできた。

咄嗟に誘導弾を放って牽制するが、両者はそれを掻い潜り速度を落とすことなく接近。
そのまま直撃すれば致命傷となりうる掌打と貫手がティアナ目掛けて放たれる。

防御魔法は間に合わない。そう見切りをつけたティアナは、床へと倒れ込んで回避。
だがそこへ、続いて『月』が大きく腕を振った掌打を叩きこんでくる。
立ち上がる時間すら惜しみ、床の上を転がって逃れるティアナ。

とはいえ、ティアナとて逃げ回るだけではない。
先ほど撃ったのは誘導弾。ティアナは床を転がりつつそれらを操作し、仕掛けて来た3体の背を狙い打つ。

(いけっ!)

ティアナへの攻撃でがら空きになった背後に迫る誘導弾。
しかしそれらは、いつの間にか追い縋っていた『氷』と『炎』によって撃ち落とされる。
それどころか、残る4体が後方より光線による攻撃まで仕掛けて来た。

僅かな間隙の間に立ちあがったティアナは、柱の影に飛び込む。
放たれた光線は、老朽化しても未だ堅牢な柱に阻まれ、ティアナには届かない。

「ハッハッハッハ……ったく、多勢に分勢にも程があるっての!」

悪態をつきながら、乱れた呼吸を整える。
一体一体でも厄介な相手なのだが、それが9体。
それも、しっかりと連携を取って仕掛けて来るのだから、その危険性はかなりの物だ。

(ってまぁ、幾ら実在の人間のデータを使っているとはいえ、所詮はプログラム。
 連携のやり方を追加する位、そう難しくはないんでしょうね)

ギンガが複数の0型を相手にした時にもそれらしい事をしていたが、今の0型の連携はあの時以上だ。
ここにきてようやく本腰を入れたのか、あるいは連携のためのデータが揃ったのか。
理由は不明だが、今までとは一線を画すと思っていい。
何しろ、少なくとも以前であれば僚機をフォローすることなどしなかった筈なのだから。

「これは、出し惜しみなんかしてられる場合じゃないわね。いける、クロスミラージュ?」
《All,right》
「うん、じゃ行こうか。幾ら凄腕のデータが入っているとはいえ、こんな三下相手に手古摺ってられないのよ!」

覚悟を決めて飛び出すのとほぼ同時に、隠れていた柱が粉砕された。
飛来する礫の向こうからは、エンブレムこそ判然としないが、2機の0型が接近してきている。

だがティアナはそれらには目もくれず、何もない床へと次々に燈色の魔力弾を叩きこんでいく。
バカ正直に狙っても、エンブレム持ちのガジェット相手には効果が薄い。
それも、互いにフォローし合うようにプログラムされているとなれば尚更だ。
唯でさえこう言った閉鎖された空間では、格闘戦に秀でるあちら側に分があると言うのに、これ以上不利な要素を増やすなどバカらしい。

敵の接近に怯むことなく、ティアナはひたすらに床目掛けて撃って撃って撃ちまくる。
やがて、0型が後一歩でティアナを間合いに捉えようとしたその時……0型を支える床が抜けた。
二体の0型は咄嗟に対応できず、あっという間に階下へと転落。
ティアナはその後を追い、自ら開けた穴へと飛び込む。

敵が複数いるのなら、分断して各個撃破に持ち込むのがセオリー。
それは、ティアナが最初に敵にやられた事と同じ事だった。

落ちた0型の追って階下へと飛び降りたティアナは、即座に体勢を立て直す0型へと照準を合わせる。
今この時、敵の数は9体から2体となった。
その状況を最大限に利用し、できれば2体とも、少なくとも1体は仕留めておきたい。
こんな手が、早々何度も使える筈がない事を、他ならぬティアナ自身が理解しているが故に。
同時に、クロスミラージュの引き金を引きながらも、ティアナは胸中である思いを吐露していた。

(白状すると、今でもあんまり……………私は自分を信じられてない。
 兼一さんって実例を知っても、自分があの人みたいになれるってイメージが、いまいちわかないのよね。
 まったく、この期に及んで何をグジグジ悩んでるんだか。自分で自分に呆れちゃうわ…………でも!)

こんな自分に、手放しの信頼を寄せてくれる相棒がいる。
凡庸な自分に、命を預けてくれる仲間達がいる。
そして、愚かな自分を見捨てず、高みへと引き上げようとしてくれる恩師たちがいる。
なら、その人達が諦めるまで、自分もまた諦める訳にはいかないのだ。

胸に芽生えた確信を捩じ伏せ、顔を上げる。
腹に力を込め、立ち上がり跳びかかってくる敵へと相対した。
反撃の狼煙を上げるために。



  *  *  *  *  *



晴天の下、空中で縦横無尽に張り巡らされる空色と黄色の光の道。
時に離れ時に交差するその道を、二人の少女が疾走する。

「だぁぁあぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぅおりゃああぁぁぁぁっぁぁぁぁあぁぁ!!」

疾走の勢いを殺すことなく放たれる上段回し蹴り。
ノーヴェもまたそれに合わせる形で蹴りを繰り出すが、そこで変化が生じた。
右足に装着された固有武装「ジェットエッジ」のスピナーが唸りを上げて回転し、更に踵部分の噴射機構によって蹴り足が加速する。

結果、後から放たれたにもかかわらず二人の蹴りはほぼ同時にガードの上から互いの頭部を打ちすえた。
だがこの勝負、着弾は同時なれどもその先で明暗を分ける。

「おおおおお、らぁっ!」
「うぁっ!?」

体勢を崩しながらもノーヴェは脚を振り抜き、スバルの身体を蹴り飛ばす。
マッハキャリバーと違い、ジェットエッジには威力と速度を底上げする機構が搭載されている。
ただでさえノーヴェは蹴り技を得意とする上、そんな武装の差が出た形だろう。

ノーヴェはその隙を逃さず、打ち下ろし形で拳を振り下ろす。
しかしスバルもまた、伊達に今日まで過酷な訓練を耐え抜いてきた訳ではない。

《Wing road!》

スバルの足元から発せられる、女性を模した合成音声。
その瞬間、左の足元に丁度マッハキャリバーの車輪が乗る程度の太さの道が発生する。
マッハキャリバーはその道を一気に駆け上がり、今まさに相棒に振り下ろされようとしていた拳を蹴りあげた。

「なっ!?」
《Go!》
「おうっ、相棒! リボルバー……キャノン!」

思わぬ反撃に面喰らったノーヴェに向け、スバルは衝撃波を纏った右拳を叩きこむ。
ノーヴェの身体は「く」の字に折れ曲がり、続く左拳が降りて来た顎目掛けて放たれる。

息を詰まらせながらも、辛うじてそれを避けるノーヴェ。
右手の甲に装備したガンナックルから次々に光弾が吐き出され、その隙に距離を取ろうとする。
だが、スバルは自身の前面に展開したシールドでそれらを弾き、強引にも見える進撃で距離を空けさせない。

「こいつっ!」
「でやぁ!!」

下がるノーヴェと進むスバル。
左右のコンビネーションでノーヴェを攻め立て、反撃の隙を与えない。
大振りの一撃は威力がある分隙も大きく、カウンターを貰う恐れがある。
狙うは、本当に必倒を期したトドメの一撃の時のみであるべきだ。
その教えを守り、小さいが基本に忠実な連打を打ち込んでいく。

このまま行けば、スバル優勢のまま決着を見ることもありうるだろう。
あくまでも、このまま行けばの話だが。

「やはり、ノーヴェ一人では分が悪いか……」

陸戦型にもかかわらず、空中で立体的な格闘戦を繰り広げる二人を見守りながら、チンクは一人判断を下す。
可愛い妹のたっての願いで手出しをしてこなかったが、待っていたのは予想通りの結果だった。

「蹴りとスピードではノーヴェに分があるが、それ以外では全てにおいてセカンドが上回っているな。
 これでは、いずれ押し切られる」

何より大きいのは、これまでの経験をはじめとする蓄積の差。
ナンバーズは姉妹が活動した動作データを共有・再編して自らの動作にフィードバックし、活用することが可能だ。

だが、それにも限界がある。どれほど姉妹間でデータを共有した所で、やはり生の経験には及ばない。
この点において、稼働時間の短いノーヴェなどは分が悪いと言わざるを得ないだろう。

「すまんな、ノーヴェ。やはり姉には、お前がやられる姿を黙って見ている事は…出来そうにない」

両手の指に挟みこむ形でスティンガーを構え、二人の距離が僅かに開いた瞬間を見極めて投げ放つ。
一端は空いた距離を詰め、追撃の蹴りを放とうとしていたスバルだったが、寸での所でそれに気付く。

このままだと、ノーヴェに蹴りを入れる代わりにスティンガーの餌食となる。
その能力は既に前回の戦闘で判明している以上、みすみすそれを受ける愚を犯す理由はない。
とはいえ、既に体勢は蹴りを放つ姿勢を取っている。これでは、今更引っ込みは付かない。

「マッハキャリバー、ウィングロード解除!」
《Yes!》

蹴りを戻すことはできないと判断し、スバルは咄嗟にウィングロードを消す。
その結果、スバルの身体は支えのない空中に投げ出され、落下を開始。
誰もいない空間を蹴る事にはなったが、これによりスティンガーを回避することに成功した。

スバルは再度ウィングロードを展開・着地。
ノーヴェとチンク、二人の位置と動きを把握できる場所まで移動する。

「チンク姉、なんで!」
「……」
「こんな奴、あたし一人で充分だって言っただろ!」

戦闘機人は闘う為に産まれた兵器、闘って勝ち残って行く以外の生き方などない。
だからこそ、ノーヴェは一人で闘い一人で勝ちたかった。
自分と同じ戦闘機人であり、同じ遺伝子から生まれたスバルに勝つ事で、自分達の優位性を証明する為に。
その思いは、チンクにも理解できる。出来れば、ノーヴェの想う通りにさせてやりたいとも思う。
しかし、それ以上に……妹一人戦わせることなど、出来る筈がない。
それが、一人では敗色濃厚な敵となれば尚の事。

「認めろ、ノーヴェ。セカンドは強い、少なくとも現段階のお前より」
「っ……!」
「ここからは姉がサポートする。私が隙を作りお前が仕留める、出来るな?」
「……………クソッ、クソッ!!」

戦闘機人にとってスバルのIS「振動破砕」は最悪の相性と言っていい。
対抗するには、相手を近づけずに遠間から叩き伏せるのが最善。
ナンバーズ内にあってもその意見が大勢を占め、本来スバルの相手はチンクがする予定だった。

それを、チンクの身を案じたノーヴェが無理を言って彼女と組んで対する事になったのだ。
その為さすがのノーヴェも、これ以上我儘を通す事は出来ない。
特に、相手が姉妹間で最も絆の深いチンクとなれば尚更。

(あたしが、あたしが弱いからだ!
 あたしがもっと強ければ、チンク姉にこんな危ないマネさせなくて済むのに……)

もし、そんなノーヴェの内心を六課の面々が知れば、スバルとの相似点に多少なり驚いたことだろう。
口は悪いが、ノーヴェは人一倍仲間への思い入れが強い。
表面的な部分はともかく、そういう内面的な部分でノーヴェはスバルとよく似ていた。

(違う。今からでも遅くない、あたしがしっかりやれば良いだけだ! だったら……)
「行くぞ、ノーヴェ!」
「おう!!」
(……来る)

放たれたスティンガーには誘導性が付与されており、様々に角度を変えてスバルへと殺到する。
また、それにやや遅れてノーヴェも疾走を開始。
迫りくるスティンガーが炸裂するより速く打ち落とそうと、右腕を構え「リボルバーシュート」を放つ。
ナックルスピナーの回転により生じた衝撃波に煽られ、包囲網に僅かな穴が生じる。
スバルはそこ目掛けてマッハキャリバーを唸らせながら駆け抜けた。

そこへ、スティンガーに続いてノーヴェが迫る。
とはいえ、この程度は想定の範囲内。
スバルは急速に動の気を昂ぶらせ、渾身の一打で迎え撃とうとする。
だが、当のノーヴェはと言うと……スバルを目前にした所で臆病風に吹かれたかのように進路を変えた。

(え……)

あまりの呆気なさに、一瞬思考が停止する。その為僅かに気付くのが遅れた。
進路を変えたノーヴェが残して行った置き土産。視界一面を埋め尽くすほどの……大量のスティンガーを。

「不味」

い、と言うより速く、スバルの視界が眼を焼く程に強烈な白一色の光で塗りつぶされる。
反射的に張ったシールドのおかげで辛うじてダメージは最小限に抑えられた。
代わりに、至近距離からの閃光と爆音で視覚と聴覚が一部遮断されている。
スバルは一端下がりながら攻めて視覚だけでも取り戻そうと、僅かに眩む目を強引に開く。

そこに写ったのは、つい先ほど進路を変えた筈のノーヴェの姿。
それも、ジェットエッジに搭載されたスピナーを唸らせながらの蹴りを振り抜きながら。

「おらぁぁぁぁぁぁ!」
「ぐぅっ……!?」

いっそバカ正直と言ってもいい程の一撃だが、万全とはいえない体勢で受けた事で大きく後方に飛ばされる。
続いてくるであろう追撃に備え、なんとか体勢を立て直そうとするスバル。
しかしそこで、昂ぶらせた動の気が別の危険を感知する。

「はっ!」

咄嗟に左腕を真横に振るうと、軽い何かを弾く感触と硬質の接触音。
だがそれの正体を認識するより速く、二度目の爆発がスバルの身体を煽った。

度重なる衝撃で、どこが上でどこが下なのかも定まらない。
とはいえ、ここにきてスバルはようやく敵の戦術を理解した。

あちらは、元から危険な能力を持つスバルを相手に真っ向勝負をする気はない。
スティンガーとISを駆使する事で隙を作り、そこでようやくノーヴェが一撃離脱で攻める戦法。
これならば、スバルとの接触を最小限にとどめられるため、リスクは最小限で済む。

ノーヴェの性格上、多少強引でも突っ込んできそうだが…それを抑え込む自制心があったという事か。
あるいは、チンクだからこそノーヴェを上手く制御できているのかもしれないが…スバルからすればどちらでも同じこと。
二対一と言う数の不利。スバルは今、これ以上ない程その意味を痛感していた。



  *  *  *  *  *



決して広いとは言えない、薄暗い廃ビル内。
ビル中央の天井まで続く吹き抜けを、燈色の光の帯が真っ直ぐ上に向かって伸びて行く。
それに続き、ティアナがクロスミラージュで光の帯を巻き上げ、少しでも上へと向かう。
高所を取り、地の利を得ようという算段なのだろう。

その後を追って、未だ健在の7機のガジェットが手すりや壁面を蹴って追随する。
ティアナは肩越しに構えたクロスミラージュの引き金を引く。
一機、また一機と放たれた弾丸によって足止めされ、ティアナを追う脚が鈍る。

しかし、ティアナが丁度ビルの中腹当たりに来た所で、最後に残った一機が追いついた。
追いついた0型は、ティアナの頭部目掛けて鋭くも重い蹴りを放つ。
ティアナはそれを肩で受け止めるも、あまりの威力に進行方向が斜め上から真横に変換。
蹴り込まれた形のティアナは床の上を転がりながらも器用に体勢を立て直し、追撃を掛けて来る0型に銃口を向ける。

次々と放たれる銃撃を、時に受け、時に弾き、時に撃ち落としながら『無』のエンブレムを刻んだ0型は標的との距離を詰めていく。
未だ必殺の間合いには至っていないが、曲がりなりにもガジェットである0型には光線という遠距離攻撃手段がある
距離を詰めるまでのつなぎとして、放たれた光線。

標的…ティアナはダガーモードの左のクロスミラージュでこれを防御。
空いた右のクロスミラージュで撃ち返す。

だが、AMFと装甲の2重の防御により、並の魔力弾では決定打になりえない。
今のティアナでは、よほどの魔力を込めねば撃破には至らないだろう。
そう、それが唯の魔力弾であったのなら。

「よし、次!!」

ガジェットの胸部から腹部へと次々に刻まれる弾痕。
四肢や頭部などの末端部分は的として小さく、実戦で狙うのには向かない。
狙うならば、的としても大きく、多少外れてもどこかしらに当たる胴体部分が望ましい。
そう言う意味で言えば、ティアナの銃撃は手本と呼べるものだろう。

とはいえ、重要なのはそこではない。
本来ならダメージを与える事にすら難儀する、この状況。
にもかかわらず、容易くガジェットの装甲を撃ち抜いたティアナの銃撃。
その秘密は、至極単純。彼女が撃っているのが、魔力弾ではなく実体弾だからだ。

より正確には、『物質加速』の魔法を用いて銃口から射出した弾丸状の金属である。
ガジェット…正確には、ガジェットの使うAMF相手には発生した効果で倒すのが、有効な手段の一つ。
それを踏まえて、ティアナなりに用意したのがこの方法だった。

AMF空間内で一々周囲の物体に『物質加速』を使うのは効率が悪い。
しかし、自身の手足も同然の愛機に弾を装填する機構を組み込み、その内部で加速だけするのであれば、難易度はグンと下がる。
誘導弾のように自由に操作…とはいかないが、そこは出稽古でジェニーより学んだ銃の技の見せ所。

誘導弾は確かに強力かつ使い勝手の良い魔法だが、直射弾には直射弾の長所がある。
どちらも使いこなせてこその射撃型である事を、ティアナは正しく理解したのだ。
故に、状況に合わせてそれらを使い分け、時に複合させるのはむしろ必然。
そして、今この時はこちらの方が有効だったと言うだけの事。

「はぁはぁ…はぁ……あと、6…っ!?」

首筋に走った悪寒に従い身を屈めると、先ほどまで頭のあった位置を何かが高速で通り過ぎる。
あまりの鋭さにより幾本かの髪が断ち切られて宙を舞うが、ティアナにそれを見届ける猶予は与えられていない。

屈んだ姿勢のまま、曲げた膝を一気に伸ばして水平に跳躍。
背後で何かが砕かれる音が聞こえる。
あと僅かに跳ぶのが遅ければ、今頃はどうなっていたか考えたくもない。
ティアナは床の上を一回転して起き上がったところで、ようやく敵の姿を確認する。

「もう少しゆっくりして来なさいよね、ホントに」

そこにいたのは、案の定、置き去りにして来た筈の残りガジェットの半分にあたる3体の機影。
早くも追いついてきた敵の存在に、ティアナは思わず舌打ちする。

(引き離してから追いつかれるまでの時間が、どんどん短くなってる。こっちの狙いだけじゃなくて、やり口も把握してきたってのもあるだろうけど……多分、それだけじゃない)

大方、廃ビル内の構造データを元に、ティアナがどうやって分断するかを予想しているのだろう。
数が半分なのは、二手に分かれて行動した方が効率が良いとの判断か。

そして、その判断は間違っていない。
だからこそ、ティアナが分断したガジェットを連れ込む場所をある程度絞り込めるようになり、こうして追いついてくるまでの時間が短くなっている。
恐らく、この先は分断しての各個撃破も一層難しくなるだろう事は想像に難くない。

(ここまでで倒せたのは、『無』の他に『王』と『氷』。
出来ればこのやり方で半分まで減らしたかったんだけど、3体潰せただけでも上出来とすべきね)

本音を言えば、さすがにそこまで謙虚になる事は出来ない。
だが今は、無理にでもそう考えて気持ちを切り替えることが先決。
いつまでも効果の薄くなった戦術に固執していては、かえって命取りになる。

とはいえ、二手に分かれてくれたのは不幸中の幸いだ。
6体同時となると流石に苦しいどころの話ではない。
二手に分かれた事で効率は良くなったのだろうが、その分戦力は文字通りの半減。
合流される前に叩く、ないし更に戦力を削るのが望ましい。
その為には、後手に回るのではなく先手先手を打っていかなければならない。
しかし、ティアナがその決断をするのとほぼ同時に、クロスミラージュが警告の声を上げる。

《警報! 背後より敵影、数は3!!》
「しまっ……」

半数で行動していたのは、効率を重視したのではない。
挟み撃ちにし、あわよくば片方を囮に不意を打つ為だったのだ。

それを理解し振り向こうとするティアナだが、目の前の敵に集中し過ぎていたのが仇になった。
判断から行動へと移る一瞬の間隙。その隙を逃すことなく、何かがティアナの腕を取った。
取られた腕を起点に、形容しがたい異様な感覚が全身を駆け抜ける。
ほとんど力を加えられた感覚すらなかった筈だ。
にもかかわらず、気付いた時にはティアナの視界では天地が逆転していた。

「っ!? この!」

ティアナは咄嗟にダガー形態の愛機を一閃し、自身の腕を掴むガジェットの腕を切断。
投げの途中で敵のコントロール下から逃れた事で、なんとか床へ叩きつけられる事だけは回避できた。

だが、如何に武術を操ろうと、敵は所詮物言わぬ、何も感じぬ機械人形。
腕を切断された所で動揺はなく、痛みに苦悶することもない。
残された腕で、『水』のエンブレムを持つガジェットは正確にティアナの眼を突いてきた。

空中で姿勢を制御し、辛うじて身を捻る事でそれを回避する。
しかし、それすらも次の一手への布石。
人間が外界の情報を取得する上で最大の役割を担うのが眼、視覚である。
当然、そこを攻撃されれば反射的にその防衛を優先してしまう。
結果、ティアナの意識が一瞬、その他の敵から外れた。そこへ……

「―――――――――――」
「ぐふっ!?」

ティアナの腹に、体重と勢いの乗った膝蹴りが叩き込まれる。
完全なクリーンヒットに加え、元々ティアナの守りはスバルやギンガのそれほど厚くない。
加えて、敵は肘や膝による攻撃を得意とするムエタイ使いの『炎』。
必然的に、受けるダメージは甚大。
口内には鉄の味が充満し、嘔吐感が喉元をせり上がってくる。

それらを意思の力で無理矢理飲み下し、苦悶の声すら上げずにティアナは顔を上げた。
見れば、『月』のエンブレムのガジェットが掌打を振り下ろして来ている。

「な、め、るなぁ!!」

体当たりの要領で間合いを詰め、肩で受け止める形で掌打の威力を殺す。
とはいえ、『月』のガジェットは遠距離用の劈掛拳だけでなく近接型の八極拳も修得している。
密着距離は、決して安全地帯とは言えない。
むしろ、八極拳が真価を発揮する土俵と言っていい。

だが、それがわかっているにも拘らず、ティアナは離れようとしない。
その間にも、『月』は腰を深く落とし、がら空きの鳩尾へ肘打ちを放とうとしている。

「この距離じゃ銃は使えない…そう思った? 甘いわよ」

静かな声でティアナが告げると同時に、ガジェットの顎から金属音が響く。
そこにあったのは、いつの間にかティアナと『月』の間に滑り込んでいた、クロスミラージュの銃口。
ティアナは躊躇なく引き金を引き、加速された弾丸が顎の装甲を突き破ってガジェットの脳天を貫いた。

人間を模しているだけあって、制御機構は頭部に集中しているのか。
ガジェットの身体からは力が抜け、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
その姿があまりにも人間臭かったため、ティアナの胸中を苦いものがよぎった。
そんな筈もないのに、まるで人間の頭を撃ち貫いた様な気がして……。

ティアナは頭を振ってその余韻を振り払い、敵の追撃に備える。
六体から一体減って、残す敵は五体。
順調に数は減らしているが、状況は明らかに不利。
特に、未だ挟撃の形は崩れておらず、前に3体、後ろに2体のガジェット。
ただし、後ろの二体のうち、一体は片腕を失っているので、戦力半減と言っていいだろう。
なにしろ、『水』は『技十にして力はいらず』という独特な柔術流派を使うらしいが、だからこそ片腕では投げるにしても極めるにしても不自由な筈。
それが、せめてもの救いと言えば救いだった。

(一端逃げて体勢を立て直すって言う手もあるけど……)

その場合、数も少なく、片腕を失った機体もいる後ろが狙い目だろう。
ただ、残る四体は特に今のところトラブルは抱えていない。
抜ける事は出来ても、ティアナの走力では振り切るのは難しい。
逃げながらではできる事も限られる以上、仕切り直せるかは分の悪い賭けだ。
いや、一つだけ、一度敵の目から逃れる方法がティアナにはある。

(……ううん、ダメ。幻術はまだ、使えない。そう、今はまだ……)

かなり絶体絶命の状況だが、今はまだ使い時ではないと言うのがティアナの判断。
それで命を落としては元も子もないが、ティアナの想定が正しければ、真の使い時は後で必ず来る。
その時まで温存しておけるか否かが、土壇場でのティアナの生死を分けるだろう。
だからこそ、今はまだ幻術抜きで踏ん張らなければならない。
敵に、その存在を意識させてはならないのだから。
とはいえ、ティアナとてなんの策もない訳ではない。

(それに、仕込みは済んでる。あとは、例の場所さえ行く事が出来れば……)

闘いながら、気付かれないよう地道に施した仕込み。
ようやく整った準備を活かす為にも、ここでは場所が悪い。
これ以上、直接的な戦闘でガジェットを潰していくのが難しい以上、どちらにしても場所を変える必要がある。

決断を降し、ティアナは振り向き様に両手のクロスミラージュを連射。
走りながら故に狙いは甘く、ガジェット周辺で次々と着弾による火花が上がる。
四分の三が二体のガジェットに、残りは床や壁、あるいは天井に着弾。
二体のガジェット達は次々に飛来する弾丸を防ぐ為、その場から動けない。
代わりに、背後から三体のガジェットが猛スピードで追撃してくる。

辛うじて、二体のガジェットの脇をすり抜けるティアナ。
しかし、その背後からは合流した五体のガジェットが迫ってきていた。
予想通り、その走力はティアナを上回っている。
瞬く間の内に彼我の距離が詰まりっていく。

ティアナは自身の周囲に誘導弾を展開。
背後を振り返ることなく、廃ビル内で手に入れた鏡の破片で背後の状況を確認。
特に距離の近い『炎』と『鋼』に向けて、誘導弾を浴びせかける。

『炎』が僅かに前に出て飛来する誘導弾を叩き落とし、その後ろで『鋼』が飛んだ。
『鋼』は三角飛びの要領で天井を蹴ると、両腕を交差させながらティアナの背後に迫る。
そのままティアナの首を間に挟む形で、腕を鋏の様に動かす。

『ディエゴティカ・クロスギロチン』。
一影九拳が一人、ルチャ・リブレの達人『笑う鋼拳』ディエゴ・カーロが使う、空中で腕を交差させ、相手の首を中に挟んで腕を鋏の原理で高速で動かすことによって首を切断する殺人技だ。
しかも、ご丁寧なことにその腕と手刀部分には鋭利な刃が備えられている。
まともに受ければ、本当にティアナの首が飛ぶ。

やむを得ず振り向いたティアナは、二丁のクロスミラージュでこれを防御。
だが、想定以上の威力により弾き飛ばされてしまう。
即座に起き上がったその額からは、今の攻撃で切ったのか、あるいは倒れた時にぶつけたのか、少なからぬ血液が滴っていた。
悪い事に、流れ落ちる血液が左目に入り、ティアナの視界を奪う。

慌てて視界を塞ぐ血を拭おうとするが、その間に『空』が距離を詰めて来る。
狙うは、大きく引き絞る様にして構えた貫手。
無論、唯の貫手ではない。強烈な回転を加えることで貫通力と殺傷力を跳ね上げた『ねじり貫手』だ。
しかし、ティアナの脳裏をよぎったのは、そんな情報ではなかった。
彼女が思い出していたのは、かつて一度己を完膚なきまでに打ちのめした男の姿。

「ったく、やなもん思い出させんじゃないわよ!!」

当然と言えば当然だが、そのあまりに酷似した動きがティアナに火をつけた。
ティアナはその場から大きく後ろに飛び、『ねじり貫手』から逃れようとする。
だが、その射程は思いの外長く、逃れきる事かなわずティアナの腹を貫いた……かに思われた。

「―――――――――――っ!?」

感情を持たない筈のガジェットから、驚愕にも似た気配が伝わってくる。
しかし、それも当然。確実に捉えたと思われた貫手に、未だ手応えが返ってこない。
『空』の貫手は、確かにティアナの腹部を貫いているにも拘らず、だ。
その原因は、無論ガジェットの故障などではない。

幻術魔法の真髄は、相手の眼を騙すことにある。
それはなにも、姿を消したり虚像を生みだしたりすることだけに留まらない。
つまり、光の屈折を利用して像を実体よりほんの少し前に映し出すことも可能。
そうすることで距離感を狂わせ、必中の一撃を回避することに成功したのだ。

本来はこんなもの、幻術とさえ呼べないささやかな作用。
反面、闘いにおいて距離感を狂わされるという事態は非常に大きな危険を伴う。
もし事前に一度でもティアナがこれを使っていれば、ガジェットがこの策に掛かる事はなかっただろう。
粘って粘って、存在すら忘れてしまう程に粘った末に切ったとっておきの手札。
それが今、見事に嵌ったのである。

(はぁ…結局使っちゃったかぁ。でも、これ位ならたぶん……)

それほど問題はない筈。
機械兵器であるガジェットに距離を見誤るなどというミスはない以上、多少違和感は持たれるかもしれない。だが、ささやか過ぎる程の効果しかない分、外野からはなにが起こったか分からないだろう。
ならば、これ以上使わなければ、まだ致命的なものにはならない。
それに、今は目の前の事態への対処が最優先。

(身体が伸び切ってる、やるなら…今!)

渾身の一撃により、全身を伸ばしきった今の『空』は言わば死に体。
身体が伸び切っているが故に、一端戻さなければ次の行動に移れない。

ティアナは眼前の敵が体勢を立て直す前に勝負に出た。
銃口を向け、最速で引き金を引けば終わる。
だがそこで、『空』はティアナの予想を上回る行動に出た。

「―――――――」

身体が伸び切った体勢のまま、なお倒れこむようにして前に出る。
しかし、そんな弱々しい一撃が入った所で、ティアナにとってはなにほどのものではない。

ただしそれは、本当に倒れこむ勢いだけだったらの話。
倒れこみつつ左の貫手を構える、それでもってティアナを貫こうというのだろう。
その先端には、やはり鋭利な刃…いや、この場合は爪と呼ぶべきか。
こんなものをで突かれれば、容易く胴体を貫通、死に至る。
それを理解しているからこそ、ティアナはこれを受ける訳にはいかない。

「こんのぉ――――――――っ!」

鳩尾目掛けて伸びて来る貫手を、ティアナはクロスミラージュの底で殴りつける。
そのまま自身は半歩斜め前へ。
鋭利な刃により脇腹を斬りつけられるが、それを無視して体を動かす。

左手のクロスミラージュを消し、体勢の崩れたガジェットの首を掴み、自身もまた倒れこむようにして押し倒した。
背中から床に落ちた『空』の腹に馬乗りになり、頭部と腹部に銃弾を2発ずつ撃ち込む。

(偽物だけど、あの時の借り…少しは返せたかな?)

元になったデータはアノニマートの物ではないし、そもそもこれになにをやってもアノニマートには何の影響もない。
だが、このデータそのものがアノニマートの使う技の元、そう言う意味では共通していると言える。
ティアナの気持ちの問題ではあるが、少しはいつぞやの溜飲が下がると言う物だ。

しかし、そうして息をつく間もなく、『流』のガジェットが間合いを詰めて来る。
どうやら、『空』を倒すまでの僅かな間に、残る機体が追い付いてきたようだ。
次々に放たれる掌打を懸命に防御しようとするが、なぜか防御をすり抜けて来る。
結果、面白い様に掌打の数々がティアナの顔や胴体を打ち据えて行く。

堪え切れず、体勢を崩すティアナ。
そこへ、『流』の影から姿を現した『水』がティアナに組み付く。
柔術はなにも『投げ』だけの武術ではない。『極め』や『絞め』、時には当て身などの『打撃』もある。
故に、こうして組み付かれれば相手の土俵。煮るなり焼くなり、なんとでもなる。
嫌というほどそれを叩きこまれたティアナは、懸命にその拘束から逃れようともがく。

だがそこで、違和感に気付く。
関節を破壊する『極める』系の技を使うでもなく、かと言って『締め』技の類も使ってこない。
本当に単純に、ティアナの身体に抱きついてきているだけだ。
この機体に組み込まれたデータなら、ティアナを容易く投げ飛ばすこともできるだろうに…それをしない。
その違和感が頂点に達した所で、残る三体のガジェットが攻撃してこない事に気付く。
今更、多対一はしないなどと武人の様な行動をとるとは思えない。
攻撃してこない、より正確には近づいてこないからには、それ相応の理由がある。
そこまで考えた所で、いくつかの情報が混ざり合い、一つの答えを導き出した。

「っ!! クロスミラージュ! バリアジャケット、パァ……!!」

指示しようとするや否や、言い切るよりも早く『水』のガジェットから光が放たれ……次いで、爆発。
そう、これがティアナの抱いた違和感に対する答え。
恐らく、機体に欠損が生じた段階で、敵に対して自爆攻撃をするようにプログラムされていたのだろう。
だからこそ、残る三体のガジェットは追撃を仕掛けて来なかったのだ。
爆発の巻き添えを食わない為に。

格闘型にとって、四肢の欠損は大きな問題。
故に、いっそ自爆して敵を道連れに…というのは、そう悪い話ではない。
少なくとも、それをするのが命なき機械人形なら。

決して広いとは言えない空間に、濛々と立ち込める爆煙。
唯でさえ長年風雨に晒され、老朽化により脆くなった壁や柱が軋みを上げる。
廃ビル内部での激しい戦闘により、大分崩壊までのリミットが迫ってきている事を伺わせた。
残されたガジェット達も、さすがにこの状況では動くに動けないらしい。
少なくとも、標的の状態という情報を取得できるようにならなければ。
その為には、煙が晴れるのを待つのが最も手っ取り早い。
しかし、それより速く情報は得られた。なぜなら……

「げほっ! げほっ!! はぁ、はぁはぁ……」

煙の中から転がり出る様にして姿を現すティアナ。
その全身は間近で爆発に晒された事により、見るも無残なまでにボロボロ。
身に纏ったバリアジャケットは破れが目立ち、髪留めは消え去り、髪も乱れ切っていた。
全身には煤や薄らとだが火傷の跡があり、所々にはガジェットの破片による出血も見られる。
だがそれでも、ティアナは確かに生きていた。
その理由は、失われたジャケットとスカートにある。

(なんとか、バリアジャケットのパージが間にあった。
 じゃなかったら、さすがに死んでたかもしれないわね……)

壁に背を預け、ボロボロの我が身を見下ろしながら「なんとか生き残れた」と安堵する。
あの瞬間、なのはのバリアジャケットをベースに造られた白色のジャケットとスカート周りを爆発させ、辛うじてガジェットの自爆による衝撃や飛来する破片を防いだのだ。
そうでなければ、今頃死ぬか、あるいは身動きすら取れない状態になっていた事は確実だろう。

とはいえ、いよいよもって満身創痍。
なんとか身体は動いてくれそうだが、疲労はピークに達しようとしている。
出来れば、少しで良いから体力を回復させたい所だ。
しかし、そんなティアナの状態を斟酌することなく、ガジェット達は床を蹴って迫ってくる。

(敵が弱っている今こそ好機、ってところかしらね。
 イヤになるくらい合理的…だけど、こっちもここまでくれば充分なのよ)

迫りくる敵の姿を視界の端で捉えながら、ティアナは右手でフィンガースナップの形を作る。
ここまでの戦闘で、大分ビルもガタが来ているし、これで確実にいける筈だ。
そう考えながらもその表情には苦笑が浮かび、これから起こるであろう事態を予見して肩を竦めた。

「はぁ……正直、こういう大味なやり方はあんまり趣味じゃないんだけどな。
 でも背に腹は代えられないし、しょうがないわよね」

皮肉っぽい口調で溜め息をつきながら、ティアナは勢いよく指を弾く。
澄んだ音が響くと同時に、廃ビル全体が鳴動した。

「このビルの至る所にカートリッジを仕込んでおいたわ。
 カートリッジ一発炸裂させる衝撃は微々たるものだけど、唯でさえ老朽化している上にこれだけ暴れれば、それで充分。ビルの中心から一定範囲だけ崩落する様に、ちゃんと計算もしたしね。
 で、私のいる所は安全地帯だけど、そっちは違うわよ」

ニヤリと、人の悪い笑みを浮かべるティアナ。
前後する形で、ガジェット達の天井が崩れ、ついで足元も崩壊。
今いる場所は地上十階程度の高さだが、そこから地面まで真っ逆さま。
その上、上階のコンクリートやら鉄筋やらが後から後から降ってくる。
重量と落下の勢いで、幾らガジェットと言えど圧砕は確実。

廃ビル内を走り回っていたのは、何も敵を分断することだけが目的ではない。
計算に基づいて各所にカートリッジを仕込み、戦闘の余波で中心部を脆くする事が目的だったのだ。
結果、廃ビルの中心には屋上まで続く見事な吹き抜けが生じることとなった。

「どんな、もんよ。才能がなくたって、実力が足りなくたった、しぶとく諦めず、頭を使えば意外となんとかなるのよ」

会心の笑顔を浮かべながら、ティアナは壁に手をついて立ち上がる。
そのまま天井を見上げると、小さく右手を強く握りこむのだった。






あとがき

とりあえず、第一戦目決着。
大まかな流れとしては、はじめにティアナ、次になのは、三番目にギンガで最後に兼一の下りにする事に決定。合間を縫うようにスバルをはじめ他の面々の話を入れて行くつもりです。
ただ、エリオとキャロに関しては基本的に原作との変化がほとんどなさそうなので、あんまり触れる事はなさそうですが。
当初は全部同時進行で…とも思いましたが、さすがに手に負えなさそうなので却下し、こんな形で進めて行く事にしました。
多分、今回を含めてあと6話…多くて8話位で終わるんじゃないかなと思います。まぁ、そう言う予想が全く当てにならないのが私でもあるんですがね。

それでは、出来れば連休中か連休明けにもう一話出せるよう頑張ってみようと思います。
残念ながら、遠出する予定も特にない物で……。



[25730] BATTLE 44「奥の手」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:48

一棟の廃ビルと、それを覆う翠の光によって構成された立方体の結界。
その丁度真上で、3人の戦闘機人達は空中に展開したモニターを注視していた。

映し出されているのは、彼女らの眼下にそびえる結界によって閉ざされた廃ビル内の映像。
並の魔導師であれば…否、AMFと入力されたデータにより、それなり以上の実力を持つ魔導師でも苦戦は免れないであろうガジェット0型。
そんな難敵である筈のガジェットを、ティアナの銃撃は次々に撃ち抜いていく。
その意味を、結界外から観察していたウェンディとディードは正しく理解していた。

「はぁ~、頑張るっスねぇ。ちょっと驚きっス」
「そうですね。思いの外、粘っているようです」
「でも、良いんスかねぇ~?」
「なにがでしょう?」
「いやぁ、仮にも管理局の人間が実弾使うって、普通不味くないっスか。
 犯罪者のあたしらが言う事じゃないっスけど」
「厳密には、実弾ではないかと。炸薬を使っている訳でもありませんし」
「いやまぁ、それはそうなんスけどね……」

ディードの指摘に、どこかバツが悪そうにするウェンディ。
とはいえ、ウェンディの言う通りでもある。
なぜなら、ガジェットを次々に撃ち抜いているティアナの弾丸…その正体は、魔力弾ではなく実体弾なのだから。

いや、物質そのものを魔法によって加速するだけならばそう問題はない。
実際、なのはも以前ギンガとの模擬戦で使っていたし、ヴィータが使う誘導弾も大まかな分類としては似たようなもの。

ただ、問題なのはそのやり方。
何しろティアナの場合、周囲に滞空させた物質を加速して飛ばしているのではなく、銃型デバイスであるクロスミラージュの銃口から弾丸サイズの金属を飛ばしているのだ。
見た目的には、通常の火器と全く変わらないと言っていい。
管理局でも一応火器を全く使用しない訳ではないが、魔導師が使っている、ないし使っているように見えると言うのは、色々と体裁が悪いのも事実だ。
ウェンディが言っているのは、そういう方面からの指摘である。

「ですが、選択としては間違っていないかと」
「まぁ、実際にもう三機潰してるっスしねぇ」
「はい。白兵戦能力に長け、機動力も高い0型相手に屋内戦闘をするなら、発動から発射までのスピードが重要です。敵の速さに対応できる速さ、これがなければ一方的にやられて終わっていたでしょう。
 その意味で言えば、物質加速はシンプルな分、発動も早い。さらに、デバイス内で物質を加速するやり方は、体内で魔力を練るやり方に次いでAMFの影響を受けづらく合理的です」
「ふ~ん。ま…まぁ、ウェンディさんならそもそもこんな不利な状況になったりしないっスから、関係ない話しっスけどねぇ」

ウェンディはこんな事を言っているが、ディードの言は正しい。
既存の物質を飛ばす物質加速や単純に魔力弾を飛ばすだけの直射弾に比べ、誘導弾はどうしても発動速度や弾速の面で劣る。

理由は主に二つ。術式の複雑さと術者の処理能力の限界だ。
物質加速であれば、対象物に魔法を『展開』『作用』させるだけで事足りる。あるいは、シンプルな直射弾であれば「魔力を固め」「飛ばす」この二つのプログラムで済む。だが、誘導弾はどうしても「軌道を変える」為のプログラムを必要とする。この時点でまず発動の為のリソースを食い、さらにあまりにも弾速が速すぎると術者の操作が間に合わなくなるため、どうしてもある程度は速度を制限せざるを得ない。
なのはの場合、優れた空間認識能力と制御能力、時に膨大な魔力量に裏打ちされた数の暴力によりこれらを克服している。だが、ティアナは未だその域に届かない。
接近戦を得手とする者からすれば、閉ざされた空間内でこれは格好の狙い目なのである。
発動までの時間があれば、それだけ間合いを詰めやすくなるし、発動までの間を与えなければ接触距離での脅威も減るのだから。

実際、ディードとウェンディが似たような状況で闘えば、とれる距離に限度がある分、間合いは詰め安い。
ましてや、光弾が飛んでくるまでに真があるとなればなおさらである。
ウェンディも一応それを理解しているからこそ、口にする言葉に力が籠っていないのだろう。
しかし、そんな姉妹のやり取りを余所に、結界を担当しているオットーの表情はどこか硬い。
それに気付いた双子のディードは、怪訝そうにその名を呼ぶ。

「オットー? どうか、しましたか?」
「……いや、ちょっと気になっただけ」
「気になったって、何がっスか?」
「幻術。あの魔導師は、確か幻術使いだった筈。なのに、今まで一度も使ってない。
 それが、少し気になっただけ」
「ああ、言われてみればそう言う話だったスねぇ。すっかり忘れてたっス」
「そうですね。ですが、それは単に使う余裕がないからでは?」
「あたしもそう思うっス。幻術なんて手間のかかるもん、仲間もいないこんな状況じゃ、使えなくって当然じゃないっスか?」
「そうだね。確かに……そうか」

二人の意見の正しさを認めつつ、それでもオットーはどこか釈然としないものを感じていた。
未だ、ティアナは6体の0型を相手にしている。
それも、分断しての各個撃破戦術にも大分対応されるようになってきた。
当初に比べて数こそ減ったが、むしろ状況は悪くなったとさえ言えるだろう。

同格とは言わないが、充分に危険な0型を複数同時に相手にしながらでは、なるほど確かに幻術を使う暇はないかもしれない。
その意見には説得力があると思う。
実際、今のティアナに余裕があるとは思えないし、ある様にも見えない。

(やっぱり、僕の取り越し苦労か……)

そもそも、あそこまで切羽つまった状態で手札を隠す余裕などないだろう。
どうやら、アノニマートの『特に、ランスターさんは気をつけた方が良いよ。あの人は、かなり…ううん、すごく厄介だろうから』という助言に囚われ過ぎていたようだ。

(アノニマートの助言を軽んじるつもりはない。0型9体を投入して心身を削り、その上で生き残る様ならウェンディとディードがトドメを刺す。これ以上ない程に準備は整えてある、万が一なんて起こりようがない)

まるで自分に言い聞かせるように、オットーは此度の策を思い返す。
オットー自身はここまでする必要もないと思っているのだが、あの基本お気楽なアノニマートが真面目な顔をして重ねて注意してくるので、この様な策を用いたのだ。
そして、アノニマートの危惧があながち間違いでもなかった事は、モニターに映し出される戦況が証明している。

「二人とも、おしゃべりはそろそろ終わり。いつでも行ける様に準備して」
「はい」
「了解っス!」

当初は9体いた0型も、今1体が自爆して残すはあと3体。
敵は大分疲労しているようだが、恐らくその3体ももう間もなく撃破されるだろう。
半信半疑な部分もあったのだが、ティアナの第一関門突破はほぼ確実だ。

とはいえ、さすがに9体もの0型を相手にして無傷とはいかない。
呼吸は乱れに乱れ、全身至る所に打撃や投げ、あるいは光線による負傷が見受けられる。
肩で息をするその姿は、あまりにも弱々しい。心身ともに、疲労はピークに達しようとしている。

それを確認し、ウェンディとディードは配置に着くべくその場を後にする。
一人残された結界担当のオットーは、もう間もなく訪れるであろう終局を、感情の籠らない瞳で見据えていた。



BATTLE 44「星と雷」



疲労困憊の身体に鞭打ち、立ち上がったティアナは握り拳を作りながら天を仰ぐ。
苦しい状況だったが、なんとか生き残り、九体もの0型を全機撃破することができた。
なかなかどうして、自分も捨てたものではないだろうと、誰にともなく宣言する様に。

その視線の先に広がるのは、老朽化し古びたコンクリートの天井。
長年風雨に晒され劣化しながらも、未だ建物を支える頑健なそれにヒビが入った。
それをティアナが視認した瞬間、轟音と共に天井が爆砕する。

「これはっ!?」

見開かれた双眸が捉えたのは、何らかの外的要因によって砕かれ、粉塵と共に瓦礫と化した天井の破片の数々。
数えるのもバカらしくなるほどの数の瓦礫が、次々にティアナ目掛けて降り注ぐ。

しかし、今のティアナは心身ともに隙だらけ。
なんとか九体の撃破し、気が抜けた所で突如頭上で発生した事態に反応が遅れた。
煤で汚れた顔が驚愕の色に染まるのと同時に、腰は俄かに浮き上がり、顎が上がって上体が伸び切る。
こんな状態では、落下する瓦礫を迎撃することも、逃れることもできない。

できるとすれば、咄嗟に両腕で頭部を守るのが精々。
だが、ティアナが両腕で頭を庇ったのと前後して、天を覆う粉塵を斬り裂いて何かが姿を現した。

灰色の塵を引き裂いて現れたのは、赤い二本の光の刃。
頭を守るために腕を翳した事が仇になったのか、視界が狭まっていたティアナの反応がコンマ一秒遅れる。

「油断大敵、ですよ」

落下しながら光剣を振り下ろす何者かが、静かに告げる。
クロスミラージュで受けようにも、決定的に出遅れた。
突然の事態に動揺した精神状態では、防御魔法の展開も同様だろう。
浮足立ち、上体が伸び切っていては回避もままならない。

絶対的な危機を前に、ティアナは為す術もない。
出来るのは、脳天目掛けて振り下ろされる、二振りの光剣とその主を睨む事だけ…かに思われた。

「え……」

光剣の主である感情を感じさせない長い亜麻色の髪の少女の表情が凍りつく。
必殺を確信して振り下ろした光剣は、確かにティアナの頭部を捉え、その身体を深々と切り裂く筈だった。
にもかかわらず、光剣が触れたその瞬間、ティアナの姿がその場から掻き消えたのだ。
代わりに、振り下ろされた光剣はコンクリートの床を深々と斬りつける。
同時に、亜麻色の髪の少女…ディードは視界の片隅で光り輝く何かを捉えた。

「油断大敵、だっけ? その言葉、そっくりそのままお返しするわよ!」

耳朶を打つ鋭い声と視界の片隅に生じた光を追い、ディードが首を回す。
そこで彼女の眼に映ったのは、消えた筈のティアナと次々と飛来する計10発の燈色の魔力弾。

(物質加速による実体弾ではないのですね。
 ガジェット相手ならともかく、私達相手には使えないと言う事ですか)

ディードは攻撃の種類が変わった意味を分析しながら、慌てることなく左右の光剣で全ての魔力弾を叩き落としていく。
その間に、続いて降り立ったウェンディが、ディードの背後からティアナを攻撃。
咄嗟に迎撃しようとするティアナだったが、完全に出遅れた。
桃色の光の弾幕に一部孔をあける事は出来たが、所詮はそれまで。
落としきれなかった光弾が、余すことなくティアナを撃ち据えて行く。
だがそこで、ウェンディの表情が歪んだ。確かに敵を捉えたにもかかわらず、あまりに薄いその手応えに。

「なんスか、今の!?」
「おそらく、先ほどのも含めて……幻影、かと思われます」
「嘘! 戦闘機人システムを騙したって言うんスか!? それなら、本体は……」

着弾の衝撃によりティアナの姿が消失した事で、二人はそれが幻術によるものであった事を遅ればせながら理解する。
無論、二人とてティアナが幻術を操る術者である事は事前情報で知っていた。
しかし、戦闘機人システムの眼をだまくらかせるとは思っていなかったのである。
もし地上本部襲撃の折にティアナの幻術を体験できていれば、あるいは0型との戦闘中にもっとデータを得られていれば、ティアナが戦闘機人システムを知りつくした上で幻術魔法を編んでいる事を看破出来ただろう。
そうであれば、ティアナの幻術を解析して対策を講じることもできた筈だ。

だが、現実問題としてティアナは地上本部襲撃の際、ナンバーズの前で幻術を使わなかった。
また、此度の0型との戦闘でもたった一度、それも極ささやかな効果の幻術しか使っていない。
その結果、ウェンディ達はティアナの幻術への対策を講じる事はおろか、その存在を意識せずにいたのである。

(行ける!)

オプティックハイドによる光学迷彩で、まんまとウェンディの背後に忍び寄ったティアナ。
この魔法は、対象が激しく動くと加速度的に寿命が縮む。
その為、弾丸そのものに光学迷彩を掛け、遠距離から仕留めるという訳にはいかなかった。

それ故に選んだやり方だったが、結果的に功を奏したと言えよう。
ティアナは射撃型、故に攻撃はよほどの事がない限りは遠距離からの誘導弾がメイン。
そんな心理の裏を搔いた形となったのだから。
しかしそこで、ティアナの接近に気付いたディードが警告の声を上げる。

「姉さま、後ろ!」
「光学迷彩、最初から!?」
(気付かれた……なら、欲張り過ぎは禁物ね)

出来ればその隙に一人仕留めておきたかったが、早々上手くは行かないらしい。
どうやって発見したのかは知らないが、ティアナは奇襲を諦め急ぎその場から離脱。
もちろん、目くらましがてらの弾幕も忘れない。

ウェンディは至近距離からの弾幕に対処が追い付かず、咄嗟に盾に身を隠してそれらをやり過ごす。
弾幕が止んだ頃には、既にそこからティアナの姿はなくなっていた。

「逃げられた、いったいどこに!」
「オットー、応答を。敵の位置はモニターできていますか?」

まんまと裏をかかれ歯噛みする二人。
急ぎティアナの後を追おうと、結界の外からティアナの現在位置を把握している筈のオットーに情報を求める。
しかし、オットーからまず返って来たのは求める情報ではなく、二人を諌める冷静な事実確認だった。

「二人とも、落ち着いて。逃げられたと言っても、そこはあくまでも結界の中。
所詮、相手は袋のねずみなんだ。焦る必要はない、ゆっくり冷静に追い詰めて行けばいい、違う?」
「確かに、その通りですね。失礼しました、少し動揺していたようです」
「そうっスね。それに、追い詰めちまえば後は煮るなり焼くなり、あたしらの好きにできる訳だし、それまでの辛抱っス」
「幻術も、今から解析すれば完全とは行かなくても見破れるようになります。
 確かに一本取られはしましたが……」
「状況は、断然あたしらに有利。逆にあっちは、疲労困憊で逃げるので精一杯って感じっスからねぇ」

そう。所詮は仲間から引き離され、傷つき消耗した哀れな小動物。
多少、機転を利かせて見た所で、自分達の圧倒的優位は揺るがない。
悠々と、余裕を持って狩ればいいだけの話だ。

「ただ、ちょっと面倒な事になってる」
「? というと?」
「どうも、光学迷彩を掛けてるみたいで現在位置が特定できない。
 悪いけど、解析できるようになるまでは直接探してもらうしかなさそう」
「なるほど、了解しました。まぁそれも、悪あがきに過ぎませんが」
「ふ~ん。まぁ、それくらいやってもらわないと面白くないっすからねぇ。さぁ、四人そろってやっと一人前、セカンドと組んでどうにか半人前のへっぽこガンナーがどこまでやれるか、楽しませてもらうっスよぉ」

そう言葉を交わしながら、ウェンディとディードはティアナが走り去った方へと歩いて行く。
やがて通路には静寂が取り戻され、落下する天井の欠片の音がやけに大きく響き渡る。

だが、そんな痛いほどに静かな空間の一部に、突如として小さな歪みが生じた。
その歪みは瞬く間の内に巨大化し、人一人分の大きさへ。
間もなく、歪みの向こうから一人の少女が姿を現した。

「ったく、言いたい放題言ってくれるわね。
 ま、半人前以下って言うのは否定できないけど……」

悪態をつきながら、壁に背を預けていたティアナは膝を折って腰を屈める。
続いて、取り出した簡易医療キットで頭と脇腹の出血に手早く応急手当てを施していく。

目に見える存在の中で本物だったのは、二度の魔力弾による攻撃とウェンディの背後を取って攻撃しようとした瞬間のみ。後者の方は、失敗と判断すると同時に幻影と入れ替わり再度光学迷彩で姿を隠していたのだ。
つまり、ティアナ本人はオプティックハイドで身を隠し続け、ほとんどこの場から動いてはいなかった。
蓄積した疲労、受けたダメージ、その全てがティアナにこれ以上の戦闘続行を困難にさせていたのだ。

故に、ティアナは徹底的に身を隠し、ウェンディとディードをこの場から引き離す事に集中した。
そうして、ようやく手に入れた僅かな猶予を、応急処置と体力の回復に当てる。全ては……

「それでもムカつくことには変わりないし、落とし前は後でしっかりつけさせてもらうわよ」

あの二人を倒して捕らえる為の布石。
敵が自分の正確な位置を捉えるまでに、恐らくそう時間はないだろう。
応急処置は済んだ。後は、敵が引き返してくるまでに少しでも体力を回復させ、勝つ為の算段をつける。

(それにしても、念には念を入れておいて正解だったわね。
 前哨戦で幻術を使いまくってたら、今頃詰んでただろうし……)

0型との戦闘中、ティアナが極力幻術を使わない様にしていたのは、この事態を予期していたからに他ならない。
ティアナ達は連携して闘うことを前提に訓練を積んできたため、仲間から引き離すのは至極当然のこと。
だが、わざわざ結界に閉じ込めるという手の込んだ真似をしておきながら、ぶつけて来たのは雑兵に相当するガジェット。如何にその中では上等な部類に入る0型とは言え、これには違和感があった。

必ず、何らかの罠か次なる一手が存在する。
そう確信していたからこそ、ティアナは『幻術』という手札を温存し続けた。

そして、その判断は正しかった。
何かあると覚悟していたからこそディードの奇襲に即応できたのだし、幻術を温存し続けた事で現状敵はティアナの幻術に対処し切れていない。
これは、傷を負い体力と魔力を大幅に消耗したティアナにとって、貴重なアドバンテージだ。

「とりあえず、好き放題言ってくれたお礼に一発ぶん殴ってやりたい所なんだけど……」

そこでフッと、ティアナはある事に気付く。
射撃型の自分が、「ぶん殴る」はさすがにない。
戦闘スタイル的にもそうだが、そういう直情的な行動選択は治すべき悪癖だ。
どうやら思いの外、頭に血が上り熱くなっていたらしい。

(いけないいけない。心を落ち着けて、苛立ちも怒りも深く秘めておかないと)

静の者の真髄は『明鏡止水』。
例えどれほど感情を刺激されようと、それを呑み込んで静の気を練るのが本道。
感情を爆発させるのは、動の者のやり方だ。
なにより、熱くなっていては良い策など思い浮かぶ筈も無し。

(地上本部と六課への攻撃で、あの二人の能力はある程度分かってる。
確か、赤毛の方が射撃型で茶髪の方が近接型だった筈。
 遠近揃ってバランスの良い布陣だけど、だからこそ対応は慎重に行かないと命取りになる。
 そうね、まずは……もっと情報を揃える所から始めようかしら)

一応概要程度の能力は判明しているが、それだけでは足らない。
あの二人の連携の完成度、それぞれの傾向など、欲しい情報は幾らでもある。
圧倒的に不利な状況である事に違いはない以上、それらを少しでも多く揃える事が生死を分けるだろう。

(ならいっそ、幻術を囮に使うか……)

温存してきた幻術だが、恐らく対策を講じられるまでそう時間はかからない可能性がある。
先ほどの二人のやり取りからして、外部にもう一人結界を担当している者がいる筈だ。
その人物が、安全地帯で幻術の対策を講じているとすれば、なおさら時間も回数も限られるだろう。

故に、ティアナは発想を逆転させる。
幻術を切り札とするのではなく、幻術が通用するうちに敵の情報を収集する。
姿を消すオプティックハイドと、幻影を見せるフェイクシルエット。
これらを複合させれば、短時間の間にかなりの情報を得られる。
ここ一番という所で対策を講じられるかもしれない危険を考えれば、この方が確実だ。

「じゃ、やることも決まったし…………行きますか!」

努めて威勢よく己を鼓舞し、ティアナはその場を後にする。
恐らく、そろそろ敵も自分が元の一から動いていない事に気付く頃だ。
もう少し休んで体力を回復させたかったが、先手を打って地の利を得られる場所に移動するべきだ。
生きるために。そして………………勝つ為に。



  *  *  *  *  *



「のぅ新島、そのミッドチルダっとやらにはまだ着かんのか?」

偉そうに椅子でふんぞり返る新島に、やや焦れた様子でトールが問う。
新島に言われるがまま、旅の準備を整えた後に再度集合しミッドへ向けて発ったてから幾らか経つ。
トールは決して短気な訳ではないが、事態が事態なだけにそろそろ我慢の限界も近い。
なにしろ、新島からはミッドで起こっている事態に関する情報以外、まだほとんどなにも聞かされていない様な物なのだから。
そしてそれは、何もトール一人に限った話ではない。

「だよなぁ、あんまりチンタラしてっと俺らの出る幕がなくなっちまうんじゃねぇか?」
「いや、それだけならまだいい。白浜がいるとは言え、万が一にも手遅れになれば笑い話にもならんぞ」
「フレイヤ姉の言う通りだ。おい新島、お前ホントにこんな事で大丈夫なんだろうな!」

宇喜多の疑念を皮切りに、フレイヤやキサラまでうすら笑いを浮かべる新島に詰め寄って行く。
だがしかし、それでもなお新島の余裕の態度は崩れない。

「ケケケ、安心しろ。俺様のプランに狂いはねぇ」
「だから、そのプランが何なのかって聞いてんだよ! もったいぶってないで早く言いな!」
「総督に手を上げると、あなたでも許しませんよ、ヴァルキリー!」

せっかちなキサラが新島に掴みかかろうとすると、それをジークが阻む。
二人はその場で相対し、互いに牽制し威嚇するように気当たりをぶつけ合う。
互いに、若くして特A級の達人級(マスタークラス)へと至った武人同士。
その気当たりは凄まじく、呼応して部屋は鳴動し出されたカップが破裂する。

「やべっ、落ち着けってキサラ! な?」
「ジークもだ。キサラの気持ちもわかってやれ」
「ちっ!」
「失礼、私もアジタート(興奮)していたようですねぇ~」
「とはいえ、ヴァルキリーの言う事もわかる。いい加減、説明の一つも欲しい所なんじゃがのう。
 そこんとこはどうなんじゃ、新島。お前さんの秘密主義は今に始まった事ではないが……」

一同を代表し、渋い顔で苦言を呈するトール。
この男の汚れた頭脳は信頼しているが、それだけで感情の全てを納得させられる訳ではない。
新島もそんな皆の心境を理解したのか、ようやくその重い口を開く。

「しゃーねーな。じゃ、一つヒントをやろう。
 お前ら、ミッドに向かい始めてからこっち、何かおかしい事に気付かないか?」
「ん? ………………あっ、いない! そういえばハーミットがいないんじゃなーい!!」

てっきり相変わらず一匹狼を気取って一人でいるのかと思ってスルーしていたが、旅支度を整えて集合してからと言う物、一度もハーミット…谷本夏の姿を見ていない事に気付く。
考えてみれば、こういう時に真っ先に焦れて新島に詰め寄るのはハーミットの役割。
なのに彼が一向に姿を見せない事に、もっと早く違和感を抱くべきだった。

「ふっ……ついでに、ロキの奴もな」
「あ? なんだ、ロキの奴も呼んでたのかよ」
「ああ、最近とみに影が薄いんで完全に忘れていたな」
(おぬしら、なにげに酷い言い様じゃのう……)

『ロキ? そう言えばいたな、そんな奴』と言わんばかりのリアクションを見せるキサラとフレイヤ。
そのあまりの言われ様に、決してロキと友好的な訳ではないトールも同情を禁じ得ない。

「で、そのハーミットとロキがどうしたってんだよ」
「っていうか、あの二人がよく一緒に動いたんじゃな~い」
「ラッラ~♪ 昔の事もあって、あの二人はあまり仲が良くありませんからね~」

確かに、昔策に嵌められたこともあってハーミットのロキへの風当たりは強い。
だが、なんだかんだ言いつつ仕事を回していたりしていたので、その辺りは怪しいかったりする。
まぁ、単に新島がロキを雇っていた事を教えていなかっただけと言う可能性もあるが。

「奴らなら……別ルートで一足先に旅立ったぜ」
「え!? ちょ、ハーミットだけって…それはさすがにズルいんじゃなーい!」

何故自分達を差し置いて、夏一人だけ先に行ってしまうのか。
完全にロキの事を忘れ去っているが、誰もその辺りには突っ込まない。

「仕方がねぇのさ、そっちのルートは大勢で移動するのにはむかねぇ。
 お前ら全員を運ぶにはこの手しかねぇんだが、向こうに行くにはもうちょい仕込みがいる」
「その最後の仕込みを、ハーミットに任せたという訳か」
「そういうこった」

より厳密には、はじめはロキ一人に任せたのだが、夏が目敏くそれに気付き無理矢理同行したというのが正解。
腕っ節に関してはすっかり差のついてしまったロキに、それに抵抗する術はない。
とりあえず、夏はあんな性格だがあれで隊長陣の中でも隠密行動を得意としている。
別に足手まといになる訳でもなく、良いボディーガードが付いたとロキ本人は思う事にしたらしい。
割と背中が危ない気もしたようだが…………その辺りは気にしたら負けだ。

「仕込みが終われば連絡が来る。そうすればあとは……」
「遠慮なくやれるってわけか」
「そういうことなら……」
「おう、ほんのちょっとだけ」
「大暴れしてやるとするかのう」
「う~ん、腕が鳴るんじゃな~い!」
「では、その際には…テンペストーソ(嵐の様)に行くとしましょう!! ラララ~♪」

地球の武術界では、自分達に挑戦しようという命知らずも絶えて久しい。
久方ぶりに、思う存分武を振るえるかもしれない。
そんな期待に、隊長達の眼が輝く…………と言うか、目から怪光線が放たれる。
まだ見ぬ敵よ、願わくば……そんな事を思いながら。



  *  *  *  *  *



気が付くと、そこには視界を埋め尽くす蒼い空と白い雲。
自分がどこにいるのか、今まで何をしていたのか、スバルは咄嗟に思い出す事ができなかった。

(あれ? 私、何してたんだっけ……)

意識は虚ろで、身体はフワフワとして頼りない。
反応は鈍く、動かそうとした四肢はまるで自分の身体ではないようだ。
右腕のリボルバーナックルと、時には翼のように感じられた両足のマッハキャリバーが今は鉛の様に重い。

最早戦意の有無すら曖昧な中、それでもスバルの身体は闘う事を諦めてはいなかった。
骨の髄まで仕込まれた闘う術が身体を動かし、朦朧とする意識とは裏腹に最後の一滴まで力を絞り出す。

「…………」

直感に従い身体を捻ると、背中で爆風の煽りを受ける。
巻き起こる風に押される様にして飛ばされると、その先には黄色い光の道を駆けるノーヴェの姿。

ジェットエッジのブースターを点火し、身体ごと回転しながらの蹴りがスバルを襲う。
だがそれを、スバルは下から軽く拳を当てる事で軌道を逸らして回避した。

「こいつ、まだ……!」

僅かに体勢を崩しながらも、続く爆破の巻き添えにならない様一端距離を空けながら舌打ちする。
もうとっくに限界を迎えている筈なのに、それでもなおしぶとくあがく敵への苛立ち。
そんな敵すらも仕留めきれない自分自身への怒り。
それらがないまぜになって、ノーヴェの顔に屈辱の色として浮かぶ。

そこへ、またもチンクから放たれたスティンガーが飛来し、爆ぜる。
スバルは脊髄反射で辛うじてそれを回避するが、頭の中はそれどころではない。

(そっか、私……まだ闘ってたんだ)

爆破の余波で軋み、痛みを訴える身体によってようやく現状を思い出す。
いったい、どれほどの間意識が飛んでいたのだろう。
その間も決定打を受けることなく、ここまで身を守る事が出来たのは恩師たちの指導の賜物だ。
だが、それは終わりの時を先延ばしにしているだけではあるまいか。

(やっぱり……無理だったんだ。私はやっぱり、弱くて情けなくて……私、なんかが……)

思い出されるのは、ただ泣いてばかりで何もできなかった頃の自分。
結局、自分はあの頃から一歩を前に進んでなんていなかったのではないか。
そんな弱音が頭の中を駆け巡る。

なら、これ以上耐えるだけ無駄だ。
痛くて苦しくて、辛い時間が長引くだけ。
自分はここまでよく耐えた、頑張った。
だからもう、諦めてしまってもいいんだ。

(うん、そう…だよね。だったら、もうこれで終わりに……)

次の攻撃が来たら、一切抵抗せずに受け入れよう。
アレだけの一撃だ。そうすれば今度こそ完全に意識を断ち切ってくれるに違いない。

ああ、まったく。
本当に……………………そんな甘い誘惑に身をゆだねられたら、どんなに楽なことだろう。

「ぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

それまでの弱気が嘘のように、裂帛の気合とともに右の拳を迫りくるノーヴェへと叩きつけた。
予想外の反撃に、ノーヴェはモロにその一撃を貰い落下する。

「ノーヴェ!」

何度も何度も身体で受けた事により覚えた法則。
ノーヴェは、必ずと言っていい程チンクの爆破の余波を受けないギリギリのラインを迂回して突っ込んでくる。
互いの性能を知りつくしているからこそできる事であり、姉妹間の信頼の賜物だ。
しかし、毎回毎回それでは、そのうちバカでもそのパターンを覚える事が出来る。

「………このっ!」

危うい所で体勢を立て直し、エアライナーを展開して落下を防ぐノーヴェ。
だがその顔には、苛立ちを越えた荒ぶる感情の兆しが見える。
端的に言って、今の彼女は酷く「熱く」なっていた。

後はもうトドメを刺すだけと思っていた敵の思わぬ粘りと、身の程をわきまえない反撃で。
知らず知らずのうちに血が頭に上って行くのを、もう彼女は抑えられない。
戦闘機人と言った所でベースは所詮「人」であり、ノーヴェは経験の浅い小娘だ。
この感情の激流を抑え込む術を、まだ彼女は有していない。

「やりやがったな……この、死にぞこないが!!」
「待て! 熱くなるな、ノーヴェ!!」

怒りに身を任せ、策も何も無視して突っ込んでくるノーヴェ。
その頭には、既に「タイプゼロの確保」という任務すらない。
あるのは、ただ目の前の敵への怒りと破壊衝動だけ。
どうせタイプゼロはもう一体いる、これで壊れてしまった所で構うものかと。

だが、そんなノーヴェを見据えるスバルは……それは違うと理解していた。
怒りに身を任せ、感情をまき散らすのは違う。
それは、動のタイプの真髄からは程遠い。

(動のタイプの真髄は『解放』。感情の爆発を引き金に、眠っている『本能』と『野生』を引っ張りだす。
 ただ感情のままにぶつけるんじゃ…………不完全!)

出稽古の折に直接・間接を問わず、様々な方法で蓮華により身を以って叩き込まれた動の真髄。
荒れ狂う感情に振り回されているようでは、まだまだ半人前。
爆発させた感情と力の手綱を取り、それを正しく誘導する。

「IS…振動破砕!」

足元に展開される、ベルカ式ともミッド式とも異なる空色のテンプレート。
もう、大丈夫。自分の本質を拒まず、眼を逸らさず、全てを受け入れて前へと進む。
今の自分は、全てを知った上で一緒に歩んでくれる仲間がいる。
ならば、今更自分一人がそれを否定してどうするというのだ。

狙うはただ一点、スピナーを回転させながら放たれる敵の蹴り足。
敵の戦意と自信もろとも、その全てを真っ向から粉砕する。

「どりゃぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「がぁぁぁあぁっぁぁぁぁっぁぁ!!」

正面から激突する拳と蹴り。
二人の戦意を反映するように、スピナーは天井知らずに回転を上げて行く。
本来、突きと蹴りであれば蹴りの方が圧倒的に有利。
だが、激情に駆られてただ撒き散らすだけの力と、全てを絞り込んだ力では……時にそれも覆る。

「あああああああああああああああああああああ!!!」

絶叫にも似た気迫と共に、スバルの拳が振り抜かれる。
ノーヴェの蹴りは武装もろとも打ち砕かれ、錐揉みしながら落下していく。
このまま落下するのは危険と判断し、スバルは急ぎノーヴェの後を追う。
しかし、スバルの手がノーヴェに届くより速く、テンプレートを足場に跳躍したチンクが彼女を抱きとめた。

「チンク…姉……」
「無理に動くな、ノーヴェ。脚とは言え、あれをまともに受ければ体内部品もただでは済まん。
 あとは……姉に任せろ」

振動破砕を共なった打撃を受けた影響で、既に行動不能に陥っていたのだろう。
着地後、道路に横たわらされたノーヴェは動こうと思っても動く事が出来ない。
そんな妹を庇うように、チンクは道路へと降りて来たスバルと対峙する。

(私のミス…だな……)

ノーヴェをちゃんと制御していれば、こんなことにはならなかっただろう。
あるいは、ノーヴェが突っ込んで行った時に無理にでも割って入っていれば、彼女が行動不能になることもなかった。
だがチンクは、そんな悔恨の全てを飲みほした上で…無言のままスティンガーを構える。

「………………………マッハキャリバー、フルドライブ」
《Ignition》

そんなチンクの様を見て、スバルは説得の無意味さを悟る。
だからこそ、彼女は敬意を以って全身全霊でチンクと相対することを選んだ。

「ギア・エクセリオン!!」
《A.C.S Sandby》

宣言とともに、マッハキャリバーから空色の光の翼が発生した。
左右二枚の翼からは、大気が震えていると錯覚する程の力が発せられている。
チンクは、即座に一撃でも受ければそれで終わる事を理解し、有りっ丈のスティンガーを展開。
今の彼女が用いることができる、最大限の火力で迎え撃つ為に。

そして事態は、なんの前振りもなく動きだす。
拳を構えたスバルが疾走し、チンクの周囲に対空するスティンガーが空を駆けて。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ランブルデトネイター!!」

スバルの進路を塞ぐように飛来したスティンガーが、次々と連鎖的に爆発する。
瞬く間のうちにスバルの視界は爆炎によって阻まれるが、スバルの勢いは衰えない。

彼女は握り込んだ右拳とは逆に左手を前に突き出し、振動破砕の出力を上げる。
振動破砕は接触兵器。四肢の末端部から目標の物体に振動波を送り、共振現象を発生させる事によって対象を粉砕するのが本領。それはすなわち、この状況は彼女のISの効果を発揮できる場面ではないという事。

しかし、それでも構わない。最大限の効果は発揮できなくてもいい。
左手から発せられる振動波を爆発によって生じた炎と風にぶつけ、僅かでもその衝撃を緩和する。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

展開したバリアと振動破により、微かに軽減された衝撃。
スバルはその一瞬を見逃さず、猛然と爆発の中を突き進み………………突破する。

「まさかっ!?」

予想だにしなかった強行突破に、チンクの顔が驚きに染まった。
彼女は急ぎ防御外套「シェルコート」を翻して身を守る。
だが、コートを掴み翻すその手が、スバルの左手によって払われた。
そして、がら空きになった胴体へ向け、スバル渾身の一撃が突き刺さる。

「一撃…必倒! ディバイ―――――――――ン、バスタ――――――――――!!!」

振り抜かれた拳から放たれる、近距離特化の砲撃魔法。
空色の光の奔流は、僅かな遅滞もなくチンクの身体を呑み込んだ。

戦闘能力に長けたチンクだが、その肉体増強レベルは「AA」どまり。
彼女は決して、ナンバーズの中にあって頑強な部類ではない。
そのチンクが砲撃と共に放たれたスバルの突きを受ければどうなるか……。

ここに、一つの闘いが決着した。



  *  *  *  *  *



同じ頃、スバルやティアナとはまた別のビル屋上。
そこでは今、心を操られた一人の哀れな少女の絶叫が木霊していた。

「インゼクト、地雷王、ガリュー、白天王…………殺して、殺して―――――――――!!」

仕込まれたコンシデレーション・コンソールにより、クアットロに悲しみや怒りと言った感情を増幅され、正気を失ったルーテシア。
彼女の叫びに呼応するように荒れ狂い、だが同時にそんな主の姿を悲しむ様な素振りを見せる召喚獣達。

「エリオ君……」
「うん。こっちは…ガリューは任せて。キャロはルーテシアを」

そんなルーテシア達を止めるため、エリオとキャロも覚悟を決めた。
既に召喚されたヴォルテールは、それに匹敵するルーテシアの白天王と対峙し、フリードも次々に姿を現す巨大甲虫「地雷王」を止めている。
あとは、エリオが向かい合うガリュー。それに、ルーテシアとその周囲を守るインゼクトだけ。

ルーテシアさえ止めれば、召喚獣達も止まるかもしれない。
そんな一縷の希望に願いを託し、二人は動きだす。

(心を乱されてる今のルーちゃんなら……)

一歩踏み出すと同時に襲い掛かってくるインゼクトの大群。
それを前にしながら、キャロの心に怯えの色はなかった。
クアットロはなにもわかってない。感情を暴走させることは、この状況では悪手だ。
負の感情を強化され、心の乱れたルーテシアの攻撃はかえって単調になっている。

キャロは六課に来て行こう磨き続けた回避技能を総動員し、シールドや魔力弾で迎撃しつつ前に出た。
如何に単調になっているとはいえ、インゼクトに守られたルーテシアに攻撃を当てるのは一苦労。
確実にルーテシアを止めようと思うなら、至近距離まで接近して一撃で意識を断つしかない。
パワーに関しては年齢相応のキャロだが、手はある。
人一人の意識を断つのに、大仰な力など必要ないのだから。

(一撃で意識を刈りとるなら、狙いはコメカミか顎。手の届く距離まで近づければ、私にだって……!)

インゼクトの羽根に頬を浅く斬り裂かれながらも、キャロは臆することなく歩みを進める。
単調になっているとはいえ、その数だけでも十分過ぎるほどの脅威。
それでもキャロは、波濤の如く押し寄せるそれらを時に回避し、時に強引に掻き分けて行く。

服を、肌を、髪を切り裂かれても尚。
そして、ついにその手がルーテシアの横顔に届いた。

「ぁ……」
「たぁっ!」

頭の横、コメカミの辺りに手を押し当て、思い切り魔力を叩きつける。
殴り合いのスキルを持たず、そもそもそう言った行為に不慣れなキャロにできる、これが精一杯。

しかし、ルーテシアの意識を刈りとるにはそれで充分。
ゼロ距離から放たれた魔力の衝撃がルーテシアの脳を揺さぶり、彼女の意識を闇に沈める。
同じ召喚士同士、打たれ強くないと見たキャロの読みは正しかったのだ。
丁度その時、キャロの背後で対峙するエリオとガリューの闘いもまた、決着が付こうとしていた。

「はぁぁぁぁ!!」

空中で激しくぶつかり合う二人。
エリオの横薙ぎをガリューは脇と腕で挟み込むようにして止め、その状態で空いた逆腕の刃をエリオの肩を突く。
辛うじてなんとか貫かれる事を免れたエリオだが、彼はその状態で得物を握る手に力を込める。

電気変換資質持ちの本領は「麻痺」。
強力な電撃を受ければ身体が麻痺して動きが鈍るのが物の道理。
エリオは電気へと変換した魔力をストラーダに流し込み、そのままガリューの身体へと送る。

「――――――――っ!」

強力な電撃を浴び、声ならぬ声を上げるガリュー。
一瞬の麻痺で拘束が緩んだのを見逃さず、ストラーダを手元に戻す。

槍を右手に持ち、そのまま肩へと担いで穂先を背中まで下ろす。
続いて空いた左手で背中越し柄を掴み、右手に力を込める。
肩を支点に、テコの原理でしなる槍を必死に抑え込む。
やがて、もうこれ以上は抑えられないという所で…………左手を離した。

「だぁぁあぁぁぁぁぁあ!!!」

左手の拘束から解放された槍は勢いよく跳ねあがり、衰えることなくガリューの肩目掛けて振り下ろされる。
紫電を帯びた痛烈な一閃。
とはいえ、拙くも隙だらけの一撃。ガリューの身体が麻痺していなければ、とてもではないが成功しなかった大技だろう。だがエリオは、期間限定で指示した女流杖術家に今心から感謝していた。

(ありがとうございます、久賀舘先生)

まだ体の出来あがっていないエリオは、当然力が弱い。それは、紛れもない彼の弱点の一つ。
いずれ時と共に克服できる事だとしても、彼には直近に迫る闘いがあった。
そこでフレイヤは、何かの参考になればと彼に一つの技を見せたのである。
それが、久賀舘流にあって「極意」と称される五つある高位の技の一つ、「閃雲」。
極意の中にあっても比較的シンプルなこの技は、デコピンと同じ原理で一撃の威力を底上げする。

無論、フレイヤとて自身の流派の極意をこんな子どもが二週間やそこらで体得できるとは思っていなかった。
見せたのはあくまでも今後の為を思ってのこと。
今は無理でも、兼一に手伝ってもらいながら磨いて行けば、いずれは……そう思ったればこそだ。

しかし、そんな彼女の予想をエリオは突出したセンスで覆した。
二週間の出稽古が終わる日、彼はまだまだ不完全ながら「閃雲らしきもの」を使って見せたのである。
これにはさしものフレイヤも驚きを隠せず、同時に「惜しい」とも思った。
既に唾が付いていなければ弟子にとるのも面白いだろうに、そう思わされるほどの素材だったのだから。

小さな体躯からは想像もつかない重い一撃を受け、ガリューの身体がビルの床を突き破って落下する。
着地したエリオは、ストラーダを支えに荒い息を突きながらも…………確かな手応えに拳を握るのだった。



  *  *  *  *  *



場面は戻り、結界に閉ざされた暗い廃ビル内。
幻術を駆使し、誘導弾で牽制しながら情報を収集していたのも僅かな時間。

間もなく不完全ながら対策が為され始め、幻術の効果は激減。
疾駆するディードを惑わそうと出現させた幻影が光剣によって薙ぎ払われ、まるで陽炎のように消えて行く。
しかし、幻影を掴まされたはずのディードの表情には、微かな揺らぎさえも見られない。

(大分、判別が付くようになってきましたね)

ティアナの幻術は非常に精巧だ。
肉眼や簡易センサーでは到底見抜く事は出来ず、実体と幻影の区別をつける事は困難を極める。
確実な方法としては、このまま一体一体着実に潰して行く事くらい。
そうして行けば、いずれは本体に行き当るだろうが…ディードがやっているのは、そんな回りくどくも泥臭いやり方ではない。

「さすがに、オットーは仕事が早いですね。大体半々、といったところでしょうか」
「そうっスね。でも、初めに比べればだいぶマシとはいえ、やっぱメンドクセぇっス。
……なにか、もっと手っ取り早い方法はないもんっスかねぇ」

あまり気の長い方ではないのか、ディードの援護射撃をしながらウェンディがぼやく。
ディードの言う通り、オットーが組んだプログラムのおかげで、大体5割の確率で幻影を見抜けるようにはなって来た。この調子で行けば、遠からず完全に見抜けるようになるだろう。

だが、現状ティアナの掌の上から完全に抜け出せたわけではない。
格下と思っていた相手に今なお踊らされて、良い気分がする筈も無し。
かと言って、ここで苛立ちに身をまかせれば相手の思う壺。
それがわからない程、ウェンディもバカではない。

とそこへ、またも幾条もの光弾が飛来する。
そちらに視線を向ければ、ティアナが瓦礫や柱の影から姿を見せていた。
ただしその数、実に5人。幻術を使用しているのは明らかだが、ではどの範囲なのかが問題だ。

全員偽物なのか、それとも本物が紛れ込んでいるのか。
また、全て偽物だとして飛来する光弾はどうか。
幻術使い特有の戦法に、二人は知らず知らずのうちに眉をしかめた。
もう何度も繰り返してきた事だが、この様な謎掛け染みた戦闘はやはりやり辛い。
いくら5割の精度で幻影を見抜けるとは言え、逆に言えば半分は見抜けないと言う事。
大分楽になったとはいえ、未だ気を抜いていい段階ではない。

「ふっ!」

確実に幻影とわかる物だけ無視し、残る判然としないものは残さず切り捨てていく。
光剣の間合いの外にいる者もいるが、それらはウェンディがしっかり対処している。
これなら、本体がいるのなら本体にダメージを与えられるし、いなくても幻影はすべて消失する。
いるにせよいないにせよ、結局やる事はそう変わらないと言う事だ。

しかし、すべて潰してみてもやはり手応えはない。
ディードが僅かに眉をしかめ、改めてティアナの居所を探ろうとする。
とそこで、着実に性能が向上しつつある対幻術プログラムが、ある一点に不審な存在を発見した。

「そこっ!!」
(なっ!?)
「どうも、やっと見つけましたよ」

振り抜かれた光剣をなんとかいなすことには成功したが、代わりにオプティックハイドが解ける。
視線の先には続く光剣が構えられ、さらに後ろには光弾を展開するウェンディの姿。
ティアナの戦術に落ち度はなかった。
ミスがあったとすれば、対幻術プログラムの学習速度を見誤ったと言う一点のみ。

「このっ……!」

思い切り後ろに飛び下がりながら、銃口を向けるティアナ。
だが、ディードも今更誘導弾や幻術を使う隙を与えるつもりはない。
迅速に、容赦なく、徹底的に。心をぶらすことなく、ディードは一足飛びで距離を詰める。
そして、ティアナの周囲に誘導弾が展開されるより速く、一撃必殺の袈裟斬りを放とうとして…………全身を駆け巡った電流に従い、半歩身を引いた。

ディードの右頬に薄らと刻まれた赤い線。そこから滲み出した滴が、重力に引かれて彼の頬に縦の線を描く。
視線の先には、先ほどと変わらずクロスミラージュを向けるティアナの姿。
ただし、その銃口からは見るも鮮やかな燈色の光が放たれている。

「なるほど。直射型の弾丸は、何も実体弾だけではないと言う事ですか」
「ご名答!」

ティアナが再度引き金を引くのに先んじて再度光剣を振り抜こうとする。
しかし、引き金を引く指と杖を振るう腕。どちらの方が早いかなど自明の理。
銃口から次々に吐き出される光弾に晒され、ディードは已む無く一端距離をとった。
代わりに、ディードの背後から放たれたウェンディの光弾が、ティアナの直射弾を相殺していく。

「確かに早いけど、甘いっスよ!」
「実体弾と魔力弾の違いはあれ、同様のものは先ほどの戦闘で見ています。
 同じ手が何度も通用すると思わない事です」
「ちぃっ!」

ティアナとウェンディの撃ち合いは、消耗している事もあってティアナの方がやや不利。
仮に互角だったとしても、それではディードを抑える事が出来ない。
分の悪さを悟り、ティアナはフェイクシルエットで己の幻影を作る。
先ほどよりさらに数が減り、幻影の数は4。
本体と合わせて5人のティアナは、敵をまどわす為に方々に散るのだった。



その後も、対幻術プログラムの向上により、徐々に闘いの趨勢は戦闘機人達へと傾いて行く。
当初は情報収集する程に余裕があったのが、やがて正面から戦わざるを得なくなり、ついには逃げの一手を打たねばならない程に。
そうして、ほうほうの体で逃げ延びて来たティアナだったが……ついにフロアの片隅へと追い詰められていた。

「まったく、手古摺らせてくれたものですね」
「ホントっスよ。とはいえ、長かった鬼ごっこもこれで終わりなわけっスけど」

一応は警戒しながらも、勝利を確信する二人。
当然だ。今のティアナがいるのは決して横幅が広いとは言えない廊下の突き当たり。
背後と両脇は壁に阻まれ逃げ道などある筈もなく、正面にはナンバーズの二人が立ちふさがっている。

「ところで、0型の時みたく何か仕込んでるって事はないっスか、ディード?」
「はい。建物内をスキャンしましたが、不審物の存在は確認できません。
 つまり、これで完全に袋の鼠と見て間違いないでしょう」
「了解っス。んじゃ、ディード」
「はい」

ウェンディの指示に従い、ディードが僅かに前に出た。
ことここに至っても尚、二人の心に緩みはない。
通路の奥に立つ敵が幻影ではない事は、闘いながら幻術パターンを解析した事で明らかだ。
敵は二連戦により満身創痍。削るまでもなく、あとはもう仕留めるだけで終わる。
しかし、たとえどれだけ有利な状況にあろうと、最後の最後まで気を緩めてはいけないと彼女達は教わってきたのだから。

とはいえ、人が横に二人も並べばほとんど余裕のない通路では、出来る事は限られる。
おそらく、ウェンディが後ろから援護しつつ、ディードが詰め寄って仕留めるというプランなのだろう。
堅実に、手堅く行けば絶対的に有利な彼女達の勝利は動かないのだから、それが普通。
だがそれこそ……………ティアナの狙い通り。

(なんとかここまで誘導できた。あとは連中が手堅く出てくれれば……)

だいぶ危なっかしいギャンブルではあるが、一発逆転も不可能ではない。
一見すると袋小路に追い込まれ、不利な要素ばかりに思えるティアナだが……ものは考えよう。
二人が並んで動くには狭い通路内である事が、この場合ティアナの有利に働く。
敵が選択可能な戦術の幅を狭まった事で、次に打つであろう手を読みやすくなった。
また、満身創痍のティアナを相手に数的にもコンディション的にも有利な二人が賭けに出る意味はない。
堅実に行けば十中八九を勝てる状況だからこそ、更に読みやすくなる。

ティアナが張った罠は、眼に見えるものではない。
罠を仕掛けたのは、この場ではなく二人の心なのだから。

(業腹だけど……確かに、参考になったのは認めるしかないわね)

脳裏に蘇るのは、以前人生最悪と言っていい程の煮え湯を飲まされた悪魔の皮を被った宇宙人の姿。
『真の策士は心を読むだけではなく、その動きさえも操ってしまう』とは、その新島の弁。
未だティアナはその領域には至っていないが、選択肢を狭める事で思考を誘導して見せた。
ただ、あの男に倣うというのは非常に腹立たしい限りだが……。

とそこで、双方機をうかがって睨み合う中、一つの異変が発生した。
それまで廃ビル全体を包み込み、内外を隔てていた結界が消失したのである。

(っ! オットー!?)
(落ちたっスね……)

結界の消滅は、結界の展開と地上戦の指揮を執っていたオットーに何かが起こったことを示している。
その瞬間、勝利を確信していた二人の心に僅かにブレが生じた。
そのブレを、ティアナは見逃さない。

「クロスファイア―――――――――――!」

愛機を構え、自身の周囲に十にも届く誘導弾を布陣するティアナ。
二人は即座にそれに気付き、対応するべくそれぞれに動き出す。
ディードは双剣を構えながら真っ直ぐティアナへと走り出し、その背後からウェンディが援護するべく武装を持ち上げる。

放たれる誘導弾を、ディードを迂回するようにウェンディが打ち落とすことで道を通す。
その道を通ってディードが接近し、一刀の下にティアナを斬り伏せる。
それが、ウェンディとディードが思い描いた未来像。
だがそれは、突如ティアナが銃口を暗い灰色の天井に向けた事で脆くも崩れ去る。

「「えっ!?」」
「シュ――――――ト!!」

標的を変更し、展開していた魔力弾の半分が次々に天井へと突き刺さる魔力弾。
元々風雨に晒され経年劣化もあって脆くなっていた天井は容易く瓦解し、三人の頭上に雨霰と降り注ぐ。
予想外の事態に二人の動きが僅かに鈍り、ウェンディとディードは反射的に頭を守ろうと腕が持ち上がりかけた。
しかしティアナだけは、降り注ぐ瓦礫もお構いなしに敵から目を逸らさない。

大ぶりの瓦礫が肩に当たり、鈍痛が走る。
頭部を掠めた瓦礫により、ようやく塞がりかけていた傷が開き、血液が再度彼女の左目を塞ぐ。
それでもなおティアナは真っ直ぐに狙うべき敵へ視線を固定し、痛みを振り払って愛機を構える。
そして、残る半分のスフィアを自身の正面で収束……………砲撃に変えて撃つ。

「だぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

極太の燈色の光の奔流は、降り注ぐ瓦礫を砕いてディード目掛けて直進する。
横幅のない通路では回避は不可能と理解したディードは、それを手にした二刀を振り下ろして迎撃。

「はぁぁあぁぁっぁぁ!!」

両足を踏みしめ、なんとか砲撃に耐えるディード。だが、徐々に砲撃の威力で身体が後ろへと押されていく。
ディードはさらに踏ん張る脚に、砲撃を支える腕に力を込める。
僅かな時間拮抗する両者だったが、間もなく均衡が崩れた。
ティアナの砲撃はその場で破裂、同時にディードもその煽りを受けて大きく後方へ。

「このっ!」

ウェンディは吹き飛ばされる妹を咄嗟に庇い、身体でディードを受け止める。
かなりの速度で飛ばされたせいだろう。ウェンディの顔に苦悶の色が浮かぶ。
辛うじて倒れこむことなく妹を支え切ったウェンディだったが、彼女は自身の背後から忍び寄る何かに気付かない。

「ディー…がっ!?」

妹の無事を確認しようとした所で、後頭部で衝撃が爆ぜた。
ウェンディは自身の身に何が起こったか理解する前に、狙い澄ました一撃により意識を断たれ、力なくその場に崩れ落ちる。
その正体は、ティアナが最初に天井に向けてはなった誘導弾。
より正確には、魔力弾の外郭を更に膜状バリアで覆う『ヴァリアブルショット』。

誘導弾は直射弾と違い、術者の意思で軌道を変える事が出来る。
また、ヴァリアブルショットは膜状バリアで覆われている性質上、通常の魔力弾に比べて頑丈だ。
それらの特性を利用し、天井を破壊しながらも膜状バリアを引き換えに、まだ消えていなかった一発でウェンディの意識を刈りとったのだ。

「はぁ…はぁ……戦闘機人…二名、撃破。あなた達を、保護します……って、聞こえてないか」

乱れた息を整えながら、肩や頭に掛かった埃を落とす。
天井を壊してしまったが、0型を仕留める時に用いた策に比べれば微々たるもの。
所詮はワンフロア分、たいした量ではない。

緊張の糸が解けたのか、ティアナはその場に腰を落とす。
しかしそこで、砲撃を浴びて倒れた筈のディードが起き上がった。

恐らく、辛うじて防御した事で意識を保てたのだろう。
だが、一端肩から力の抜けたティアナに、即座にそれに対応することはできない。
彼女の体力は既に限界ギリギリ。最後の一手を打ちきる事が出来た事自体、上出来だったのだ。
一度切れた緊張の糸を戻すには、時間が足りない。

「はぁぁぁぁ!!」

立ち上がったディードが、裂帛の気迫と共に無防備なティアナへと襲い掛かる。
しかしその瞬間、二人の身体を浮遊感が包みこんだ。
元々脆くなっていた所に加え、追い打ちをかけるように散々暴れたせいだろう。
老朽化した床が限界を迎え、通路が崩落を開始した。

「くっ!」

ティアナは反射的に左手を伸ばし、崩れ残った床の端に手を掛けた。
今の状態で全体重を片手で支えるのは辛いが、それでもなんとか耐える。

しかし、攻撃に意識が傾いていたディードには、咄嗟にそんなマネはできない。
重力に引かれ、そのまま真っ逆さまに落下していく。
眼下に目を配れば、そこは尖った瓦礫や鉄筋が積み上がり屹立する針の山状態。
高所からの落下ではないとはいえ、そんな所に落ちれば命が危ない。
ティアナは咄嗟にディードを助けようと、右のクロスミラージュからアンカーを飛ばす。

(間に合え!)
(この人は…なにを?)

それを、ディードは理解できないといった眼差しで凝視する。
自分は敵、それも今まさに命を奪おうとしていた相手だ。

そもそも、今のティアナは自分の体重を支えるので精一杯。
とてもではないが、それ以上の重荷を背負う事は出来ない。
そんな事をすれば、ただティアナも道連れになって終わるだけ。

にもかかわらず、なんの躊躇いも逡巡もなく、ティアナはディードを救うべく手を差し伸べた。
何故彼女は、自分の命を危険にさらしてまで、敵である自分を助けようとするのか。
それが本当に、ディードには理解できなかった。

その間にもアンカーがディードの左腕に絡まり、僅かに遅れて張りつめるとその身体を支えた。
正直、片腕で全体重を支えると言うのは中々に辛く、左腕に絡まったアンカーが食い込む痛みはかなりのもの。
しかし、ディードはそれに対し苦悶の声一つ上げないどころか、眉すらも動かさない。

それは、彼女なりのプライドが故。
確かに腕や肩にかかる負荷は無視できない物だ。
だが、そんな物は今まさに自分の命を支えているティアナに比べればあまりにも軽い。

左腕一本で己と敵、二人分の体重を支えている彼女の表情は苦痛に歪んでいる。
クロスミラージュを保持する右手からは、血が滴っていた。
恐らく、ディードの落下を受け止めた事により、手の皮を裂いて食いこんでいるのだろう。

そんな状態で、唯でさえ満身創痍のティアナが己とディードを引き上げる事はおろか、そもそも長くこの状態を保つ事が出来るとは到底思えない。
時間を掛けることなく限界は訪れ、二人揃って再度転落することになる。
だからこそディードは、なけなしの自尊心を胸に口を開いた。

「その手を離してください」
「なん、ですって?」
「あなたもわかっている筈です。この状態から、二人揃っての生還は不可能。
私は頭部へのダメージが抜けきらず、飛行はできません。あなたも、もう魔力切れ寸前でしょう。
このままでは共倒れになります。ですが、あなた一人なら生き残ることも可能な筈です」

本来なら、このままティアナを道連れにしてでも倒すのがディードの役割なのかもしれない。
感情を廃し、余分な者はなにももたない純粋な戦機。それこそが、ディード達に求められたあり方の筈だった。
しかし今、ディードはその在り方を無意識のうちに否定する。

敵と相撃つ事には、未だ疑問はない。
だが、愚かにも敵を助けようとする相手が、自分と一緒にする必要もない自滅を演じることには、どこか釈然としないものを感じていた。
『こんな終わり方は認められない』。そんな胸の内から響く声ならぬ声が、ディードの心を突き動かす。
意味不明で、不合理で、矛盾だらけのその思考を……やはり、疑問に思う事もなく。

「さあ、早くその手を……」
「お断りよ」
「え?」
「なんで私がアンタの言う事に従わなきゃならないわけ?
 そもそも、今にも死にそうな相手がいるのに、見捨てられる訳がないでしょうが!」
「ですが、私はあなたの敵です。敵の為に、己の命を捨てるなど、あまりに……」
「敵? 敵って誰よ? 敵とか味方とか、そんな狭い世界でしかものを見ないアンタの言葉に、聞くべき物はなにもないわ。この手が掴んでいるのは、代わりのいない世界でただ一人の人間よ。それ以外の何者でもないわ!!」

額を汗と血が混じり合った液体で濡らし、苦悶の表情を浮かべながらも、ティアナの言葉は強い意志を感じさせた。
ただ、やはりディードにはその意味が理解できず、その顔には子どものように無垢な疑問の色を浮かべる。

(わからない、彼女の言っている事が何一つ理解できない)
「ほら! いつまでも呆けてないで、アンタもどうすれば二人揃って生き残れるか考えなさいよ!!」
(ですが、一つだけ確かな事があります。それは……)

ティアナの怒声を無視し、ディードは己の内で思考に埋没する。
自分が今この状況ですべき事を考えたが、答えはやはり一つだけ。
それ以外の答えなど、どれも意味も価値もない者に思えた。
だからディードは、ゆっくりと光剣を握った右腕を持ち上げていく。
それを見たティアナは、即座にその意図に気付き声を上げる。

「アンタ、何を!?」
「単純な理屈です。このままでは死者は二人…ですが、私一人が落ちれば死者は一人。
 どちらを選択すべきかなど、議論の余地もありません」
「ふざけんじゃないわよ! そうやって命を軽く見るのが、そもそも間違いだってなんで……」
「言った筈です。議論の余地はないと」

『わからないのか』というティアナの言葉に被せる形で、ディードは会話を断ちきった。
そして、アンカーを切り離すべく握った光剣を振り被る。
ティアナはなんとかそれをやめさせようとするが、残りの魔力も乏しく、両腕が塞がった彼女にできる事は、ただ言葉を掛け続ける事だけ。

当然、そんなものは意思を固めた相手には一切の効果がない。
ディードは聞く耳持たず、光剣を振り抜く。

だがその寸前、ティアナは視界の端であるものを捉えた。
その意味を即座に理解した彼女は、ディードがアンカーを切り裂くのと同時に命綱とも言うべき、崩落した床の端を掴んでいた左手を離す。

「何を考えているんですか、あなたは! これでは、二人とも……!」
「うっさい!! どの道、もう這い上がる力だって残っちゃいなかったのよ!
それより、四の五の言ってないで防御体勢! 衝撃に備えなさい!!」
「は? なに…がはっ!?」
「ぐぅ……!!」

自由落下を再開したその瞬間、何かが抉りこむ様にしてディードの胴体を打つ。
同時にティアナもまた、自由を取り戻した両腕で交差させたクロスミラージュで、浅葱色の光の弾を受け止めていた。

「っ!?」

筋肉が緩んでいた所に叩きこまれた事で、苦悶の声すら出て来ない。
反射的に薄らと瞼を開けると、それまでと明らかに流れる方向の変わった景色が写る。
そしてその遥か向こう、辛うじて見えた青い空の中に一つの機影を見た。

(あれ、は……)

だがそれを正しく認識するより速く、ディードの意識が途切れる。
先の衝撃により、死亡確定の瓦礫の剣山から僅かに外れた床の上で。



その時、ディードが微かに視界にとらえた機影…ヘリの内部では、ライフルに似たデバイスを構えたヴァイスが盛大に息をついていた。

「っぶねぇ……なんとか、ギリギリ間に合ったぜ」

つい先ほど意識を取り戻し、ザフィーラに背を押されて為すべき事を為す為にベッドを抜け出してきた。
もう握らないと決めた筈のライフル形態のストームレイダーを手に、自動操縦にしたヘリに乗って駆けつけてみれば、何故かティアナが抜けた廃ビルの床に左手で捕まりながら、反対の腕で戦闘機人を支えていた。

さっぱり事情は理解できなかったが、絶体絶命のピンチである事は明白。
その間にも、戦闘機人は自身の身体を支えるアンカーを斬りに掛かる。
どう対応するか判断が付かずにいたヴァイスだったが、スコープ越しにティアナと眼があった気がした。
それを確認するより速く、ティアナまで自分の身体を支えていた左手を離してしまう。

結果、二人は頭から瓦礫の剣山に向けて落下を介し。
だがこの時点で既に、ヴァイスはティアナの意図を理解していた。
故にヴァイスは、己が為すべきことを即断。
死んでしまっては説教することもできない以上、とりあえず全ては助けてからの話だ。
とはいえ、到底手の届かない距離にいるヴァイスに二人の落下を防ぐ術はない。
彼にできる事は只一つ。その手に持った、銃の引き金を引く事だけ。

落下を防げないなら、落下の軌道を変える。
精密狙撃は得意分野。戦闘機人とティアナの身体を撃ち抜き、落下の軌道を変えれば助ける事が出来る。
僅かでも角度と威力が違えば失敗するであろうそれだが、不可能ではない。

そう判断したが故に、彼はそれを実行し………………成功させたのだ。
放たれた魔力弾をもろに受けたディードはもちろん、クロスミラージュで受け止めたティアナも安全地帯の上に無事着地するという、これ以上望みえない形で。

しかしそれは、覚悟していたとしても、彼にとって決して楽なことではなかった。
武装隊時代、彼は任務の際に犯人ではなく人質にとられた妹の左目を誤射してしまうというミスを犯している。
これにより彼の妹、ラグナは失明。
この事に対する自責の念がトラウマとなり、一度は武装隊から身を引き銃も置いた。
だが、いつまでもそうして逃げてはいられないと、意を決して銃をとったとは言え……助けようとする相手を打つことに対する精神的不可は、トラウマも相まって並々ならぬものだったろう。

しかし、六課に来てから出会った彼の友人なら、あるいは「だからこそ撃て」言ったかもしれない。
それを想い浮かべた時には、既に引き金を引いた後だった。

「にしても、俺もアイツがうつったのかねぇ……」

それは非常に頭の痛くなる可能性だが、トラウマを吹っ切れたのだからよしとしよう。

「さて、何が何やらよくわかんねぇが、とりあえずアイツらの回収が先決か。ストームレイダー!」
《了解》

廃ビルの近くでヘリを下ろせる場所を探し、そちらへ機首を向ける。
全体的に見れば、これは一局面の決着に過ぎない。
彼らには、まだまだやらなければならない事が残されているだろうから。






あとがき

今か今かと出番を待つ達人ども。
でも残念なことに、彼らの出番は子どもたちの活躍で着々と減って行くのでした、と。

前回のあとがきで「ティアナの次になのは」とは書きましたが、実はまだティアナのターンは終わってなかったり……。というわけで、引き続きティアナのターン及びスバルやらエリオとキャロやらの決着です。
次はちゃんとなのはの方をやります。
ついでに、ミッドで最後の仕込みをしようとするツンデレ王子とお伴の網メガネの話も。



[25730] BATTLE 45「絆」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:48

聖王のゆりかご内、玉座の間。
ガジェットを撃破しながら突入口を確保し、内部への侵入を果たしたなのはとヴィータ。

二人の任務はゆりかごの停止、ないし高度上昇の停滞。
その為に最も有効な方法として考えられるのは二つ、動力源である駆動炉を破壊するか、ゆりかご起動の鍵であるヴィヴィオの保護。どちらか一方を果たせば止まるかもしれないし、両方果たさねば止まらないかもしれない。
だが、肝心要の玉座の間と駆動炉は艦首付近と艦尾後部の真逆の位置。
片方を止めてからもう片方を…それでは時間が足りない。
かと言って、二人に続く突入隊の編成には時間がかかる。
そこで二人は已む無く二手に分かれ、なのはが玉座の間に、ヴィータは駆動炉へと向かう事となった。

そして今、なのはは玉座の間にいる。
道中、ガジェットや防衛設備、あるいはディエチの妨害もあったがそれら全てを薙ぎ払って。
しかしここに、最後にして最悪の障害が立ちはだかっていた。

「ママを、帰して!」
「くぅっ! ……あぁ!?」

雷撃を纏った拳の連打がなのはの防御を砕き、彼女の身体を大きく殴り飛ばす。
なのはは巧みな姿勢制御技術で体勢を立て直し、反撃すべく愛機を構える。

だが、砲口を向けるべき相手を視界にとらえたその瞬間、なのはの瞳が大きく揺らいだ。
十年来の愛機…レイジングハートを握る手が震え、腕が鉛のように重くなる。
ゆりかご内を満たす、強度のAMFとは違う。
もっと精神的な理由で、なのははこの相手に砲口を向ける事が出来ない。

(こんな攻撃、そう何度も受けてたら体が保たない。
止めるには……撃つしか、ない。でも撃つって、だれを……)

視線の先にいるのは、黒い装備で身を包んだなのはと同年代と思しき金髪の女性。
長く豊かな髪を片側で結えたサイドテールと、見慣れた紅と翠の鮮やかな虹彩異色。
背格好や年齢などの差異は多くあれど、それはなのはが誰よりもその身を案じていた少女の特徴と合致する。

しかし、全身に虹色の魔力光を纏う女性から向けられる視線に込められたのは、冷たくも激しい怒りと敵意。
彼女は決してそんな眼でなのはを見たりしない。
なのはを見る彼女の眼に宿るのは、いつだって無条件の信頼と愛情だ。
だが、それでも受け入れ難くとも受け入れなければならない事実として、あれは……

「やめて…やめて、ヴィヴィオ! 私だよ、なのはママだよ!」
「違う! あなたなんか、ヴィヴィオのママじゃない!」

悲痛な説得も虚しく、強くなのはの言葉を否定する。その言葉が胸に痛くて、なのはの心をかき乱す。
しかし、相手はそんななのは胸中に構うことなく、正面に収束させた魔力の塊から砲撃を放つ。

そう、あれは紛れもなくヴィヴィオだ。レリックによるものか、あるいは『聖王の鎧』とやらの作用によるものか、原理は不明だが…なのはは幼いヴィヴィオが今の姿になるのを目の当たりにしている。
そのヴィヴィオが、今なのはに向けて敵意と拳を向けているのだ。

「くっ……」

なのははそれに、自身もまた砲撃で相殺するが…………その先に続かない。
洗脳の類によるものか、今のヴィヴィオになのはの言葉が届かない事はわかっている。
止めるなら、力づくで止めるしかない事も。
だが、どこの世界に子どもを撃つことのできる親がいる。
例え血の繋がりはなくても、共有した時間は短くても、なのはの胸に芽生えた思いが本物であるが故に撃つ事が出来ない。

それも、あの子はいま敵によって操られている。
ならばなおさら、撃てる筈がないではないか。

「ヴィヴィオ……」
「勝手に、呼ばないで!!」

無駄とわかっていても、手を差し伸べずにはいられない。
この子に向ける砲口などあるものか。あるのは愛情の籠った言葉と、温かい手、そして優しい眼差しだけ。
しかし、ヴィヴィオはその全てを躊躇なく拒絶する。
洗脳によるものとはわかっているが、『偽りの母でしかない』という棘が彼女の心を苛む。

「だぁあぁぁぁ!」

その隙を逃さず、ヴィヴィオは一息に間合いを詰めて飛び膝蹴り。
辛うじてレイジングハートで防ぐが、その間にヴィヴィオは身体を反転させなのはの横っ面に肘を入れる。

(今のは…ムエタイの技。そう言えば、なんだかんだ言って翔の練習をよく見てたんだっけ……)

抉りこむ様な一撃の痛みに耐えながら思い出す。
ヴィヴィオは兼一の事が苦手だったが、それでも大体翔の近くにいたこともあって、その練習風景を目にする事は多かった。思い返してみれば、ヴィヴィオの使う魔法はどれもこれも覚えのある物ばかり。
先ほど腕に電撃を纏わせたのは、フェイトの「サンダーアーム」だったし、砲撃もなのはの物とよく似ている。
これもまた、その一端なのだろう。だが、そうだとすれば……まだ終わらない。

それに気付いたなのはは急ぎヴィヴィオにバインドをかける。
だがそれは、瞬く間のうちに破られてしまう。

「ぃやぁぁあぁぁぁ!!」

バインドを容易く引き千切ったヴィヴィオはなのはとの距離を詰め、双掌打から前蹴りへ。
辛うじてそれらをプロテクションで防ぐも、プロテクションを張る為に突き出した右手を取られてしまう。

「あぐっ!?」

そのまま投げ飛ばされ、強か地面に叩きつけられた。
投げられた際に捻ったのだろう、右肩に鈍い痛みが走る。
利き腕でないのが幸いだが、これでは動きが鈍らざるを得ない。

だがそこへ、さらに追い打ちを駆ける様に放たれる魔力弾。
速度は速いとは言えないが、それはなのはの付近まで飛んでくると突如分裂。
なのはの身体を包みこむ様に、無数の魔力弾が叩きつけられる。

「はぁはぁ…はぁ……」

咄嗟に球形のバリアを張る事でダメージを軽減したが、一方的に攻撃に晒されたのが不味い。
如何に装甲の堅さに定評のあるなのはとは言え、そのダメージはすでに深刻なレベルに達しようとしている。
そんな、情に囚われされるがままのなのはの前に、安全地帯で眺めるクアットロが映るモニターが出現した。

いつの間にかクアットロはメガネを外し、髪をおろして雰囲気が一変している。
その顔には以前とはまるで違う、嘲りに満ち満ちた笑顔が浮かんでいた。

「ほ~んと、おバカな悪魔さん。さっさと攻撃しちゃえば、そんな痛い目を見ることもないでしょうに…ねぇ?」

出来る訳がないと分かっているからこその挑発。
なのはは腸が煮えくりかえりそうな怒りにかられるが、相手の位置すらわからなければそれをぶつけることすらできない。

「さぁ陛下~、その悪魔を倒して早く大事な大事なママを助けてあげましょ~」
「ママ…ママ! あああああああああああああ!!!」

クアットロの言葉に誘導され、再度ヴィヴィオがなのはに対して牙を向ける。
身体は反射的にそれに対応するが、心は置き去り。
なのはの心は、敵意と怒りを剥きだしにするヴィヴィオを前に……折れてしまいそうだった。

(私、どうしたらいいの? ねぇ、フェイトちゃん、はやてちゃん、みんな……)

手は打ってあるが、いつ結果が出るかわからない。
むしろ、その結果が出るより速く……。
そんななのはの脳裏をよぎるのは、彼女の支えとも言うべき友人や仲間達の姿。
今までであれば、どんなに辛く苦しい時も皆の顔を思い浮かべるだけで力が戻ってきた。
しかし今は、今だけはそれすらも気休めにならない。彼女の運命を変えた、幼馴染の姿さえも。

(ユーノ君!)

なのはの防御を粉砕し、頭蓋を砕かんばかりの勢いで振り下ろされる拳。
それを前に、ついになのはの眼が閉じる。

(あ、れ? なんで……)

だが、幾ら待てども来る筈の衝撃が来ない。
それどころか、ダメージと疲労を癒す様な温もりが肩からジワジワと伝わってきた。
晴天の日溜まりを思わせる温もりを全身で受け止めながら、なのははゆっくりと瞼を開ける。
すると、そこには……

「ふぅ、間一髪。よかった、今度こそ……………間に合った。助けに来たよ、なのは」

決して見間違える筈のない、薄い翠の光に照らされる青年の横顔があった。



BATTLE 45「絆」



時間を幾らか遡り、次元の海に浮かぶ時空管理局本局は『無限書庫』。
ミッド地上で発生した地上本部襲撃から始まった未曾有の大事件と、それに伴い姿を現した「聖王のゆりかご」。
それらの危機に際し、本局が誇る巨大データベースであるここ無限書庫では、つい先ほどまで少しでも多くの情報を前線に立つ仲間達に送ろうと、司書総掛かりでの情報収集が行われていた。

だがそれも、つい先ほど完了し報告し終えた所だ。
こうなってくると、資料探しが役目の彼らにはもう出来る事がない。
あとはただ、仲間達を信じ座して待つのみ。なのだが……

「………………」

上も下もない無重力空間を漂いながら、その責任者たるユーノは一人難しい顔で腕を組んでいた。
彼の部下たる司書達も、普段は温厚篤実の生きた見本とも言える上司のただならぬ様子に、遠巻きに様子をうかがっている。
ユーノは落ち着きなく首の後ろで束ねた薄い金色の髪や、細い縁取りの眼鏡を弄ぶ。
皆は一様に何か声を駆けるべきではないかと思いながら、誰もそれが出来ずにいた。
そんな中、見るに見かねた十歳前後と思しき燈色の髪の少女がユーノの前に立つ。

「なぁユーノ、そんなに心配なら行ってくりゃいいじゃないか」

誰の事がとも、どこへとも言わない。二人の間では、今更そんな事を言う必要などないからだ。
外見的にはエリオ達とそう変わらない様に見える少女が、一部門の長にこの物言い。
普通であれば異様、あるいは無礼と取られるのが当然だろう。
しかし、彼女の頭から覗く一対の犬の様な耳と尻から生える尻尾が、彼女が外見年齢通りの相手ではない事を証明している。

「アルフ……」

少女の声に、のっそりと緩慢な反応を示すユーノ。
上げた視線の先には、両腕を組み小さな体で仁王立ちする少女…アルフの姿。
その額には、これでもかと言わんばかりに皺が刻まれ、明らかに不機嫌そう。

彼女の名は「アルフ」。
フェイトの優秀な使い魔であり、ユーノにとってもなのはやフェイトと並ぶ十年来の友人。
数年前まではフェイト共に前線にも出ていたが、今ではもっぱらハラオウン家の家事手伝いや育児が仕事。
時に、今の様に旧知のユーノの手伝いをすべく無限書庫にも顔を出している。
本来は成人女性の姿のなのだが…現在このような姿を取っているのは、フェイトの負担軽減のためだ。

「行くって……」
「どこに…なんて聞き返したら、幾らアンタでも頭から齧るよ」

アルフは狼を素体とする使い魔だ。そんな彼女が言うと、「齧る」と言うのが冗談に聞こえない。
いや、実際冗談ではないのだろう。理由は特にないが、長い付き合いでユーノはそれを理解した。
理解はしたが…………今度は堅く口を閉ざしてしまう。

「言っとくけど、心配してないって嘘なら言うんじゃないよ。
 そんなツラしてたら、エリオやキャロだって騙されないっての」
「…………」
「心配なんだろ、なのはの事が」

アルフの言葉に、ユーノの肩が僅かに強張る。
心配しない訳がない。ユーノとなのはは九歳の頃からの幼馴染で、十年間に渡る親友だ。
それを言えばフェイトやはやてもそうなのだが、そもそもなのはと出会っていなければ二人と友人となる事はなかっただろう。そう言う意味でも、ユーノにとってなのはは特別なのだ。

心配なら、いつだってしている。
なのはは強く、技術的・経験的にも優れた超一流の戦闘魔導師だ。
戦闘技能に特化し過ぎているきらいはあるが、彼女の職種的に特にそれで問題はない。
そんな事は百も承知だが、理性ではなく感情がお構いなしになのはの身を案じる。
なのはが如何にエースオブエースの名をほしいままにするとは言え、彼女は神様ではなく人だ。
疲労もすれば怪我もする、些細なミスや偶然一つで落ちる可能性を孕んでいる。
それを知る…8年前のあの日に知ったユーノは、どれほど安全な任務でもあってももう楽観することはできない。

ユーノは依然無言だが、そんな心中を表情から悟ったのだろう。
アルフはだんまりを決め込む友を無視し、更に言葉を紡ぐ。

「もう一度言うよ、今度は言い逃れできない様にはっきりと。
 なのはの事が心配なら、ミッドに行ってくりゃいいじゃないか。
 渡航規制が掛かっているとはいえ、アンタなら問題なく行けるだろ」

局員待遇の民間人とは言え、ユーノは局内にあって高い地位を持つ。
そんな彼ならば規制など素通り同然だし、そもそも補助系の魔法に長ける彼なら止められても関係ない。
十年前、彼はロックが掛かった艦船の転送ポートを起動させたこともある。

「僕は無限書庫の責任者だよ、早々持ち場を離れる訳には……」
「別に関係ないだろ。資料探しが終わっちまえば、もうここで出来ることなんてないんだからさ。
 こんな時にこみいった資料の請求をしてくるバカもいないだろうし」
「でも、前線に僕みたいな訓練不足の後方要員が……」
「それこそアンタには関係ない話じゃないか。確かにアンタより強い魔導師は掃いて捨てるほどいるだろうさ。
 だけど、アンタを倒せる魔導師ってなれば、武装隊の中にもそうそういないんだからね」

戦闘魔導師としては後方防御型に属するユーノの戦闘能力は、はっきり言って高くない。むしろ低い部類だ。
勝敗を競えば、武装隊の魔導師の大半に負けるだろう。しかし、それはあくまでも「勝敗」を競った場合の話。
もし「倒すか倒されるか」の闘いになれば、ユーノに勝てる者は激減する。
彼の防御性能は一級品だ。それこそ、エースオブエース高町なのはをして称賛せしめる程に。
そんな彼の防御を突破し、打倒できる者はそう多くない。

確かに他の司書達では前線に出ても足手まといにしかならないだろう。
戦闘向きではないことに加え、戦闘訓練自体ほとんど受けていない半素人の出る幕などないからだ。
だが、ユーノは違う。日夜訓練に明け暮れているという訳ではないが、彼の防御性能は未だ戦場で通用する。
またアルフ同様、かつてはなのはと共に前線に出ていた事があった。

故に、彼ならば前線に出ても大きな支障はない。
むしろ、こういう状況ならネコの手も借りたい筈だ。
後日、無限書庫の運営に穴が出るかもしれない。敢えて懸念を上げるなら、それくらいだ。

その程度の事を、ユーノがわかっていない筈がない。何しろ自分自身の事だ。
彼が言っているのは、全て自分を誤魔化す為の言い訳に過ぎない。
しかし、それを突きつけられても尚ユーノは首を振る。

「…………ダメだよ。僕はもう…随分前にその資格をなくしちゃったからね。
いや、そもそもなのはを巻き込んだ時点でそんな資格があるわけないんだ。
それに、なのはの周りには僕なんかよりもずっと……」

頼りになる仲間がいる。そこまで言いかけた所で、「パンッ!」と澄んだ音が広大な無限書庫の中に響き渡った。
音の出所は赤く染まったユーノの頬。
原因は、たった今彼の頬に向けて振り抜かれたアルフの掌。

「アンタ、いい加減にしなよ!
 前々からいつか言ってやろうと思ってたけどね、『巻き込んだ』? ふざけんじゃないよ!
 なのはが一度でも『後悔してる』『あの時の事は、元はと言えばお前のせいだ』『お前が人生を歪めたんだ』とでも言ったのかい? え!」

怒りに顔を赤く染め、アルフは鋭い目つきでユーノを睨む。
そんなアルフの真っ直ぐな目を直視できず、ユーノは自然目を逸らす。

「言うわけないじゃないか、なのはがそんなこと……」
「わかってんじゃないか。だったら、なんでいつまでも昔の事でウジウジしてんだい」
「簡単さ、それが事実だからだよ」

平穏かつ平凡に暮らしていたなのはを、魔法の世界に引き込んでしまった事への負い目。それがユーノの心の澱。
当たり前に享受する筈だった穏やかで幸福な日々を、ユーノが奪った。
ユーノと出会わなければなのはが魔法の存在を知ることもなく、そこから派生する闘いに巻き込まれることもなかっただろう。そうすれば彼女が管理局に所属することもなく、8年前の事故もなかった筈だ。

それはつまり、二十歳にもならぬ身で重い責任を負わされることもなく、殺伐とした闘いへ赴く事もなかったという事。
今頃彼女は、アリサやすずかと共に大学に通っているか、家業を継ぐ勉強をしていたに違いない。あるいは、自分なりの道を進んでいただろう。

その全ての可能性が、ユーノと出会った事で歪められてしまったのだ。
なのは本人はユーノとの出会いに感謝していると言うが、それもまた紛れもない事実だとユーノは思う。

「違うね、アンタはそれを言い訳にして逃げてるだけだ。
本当の意味でなのはと向き合うのが怖くて、逃げて、自分の殻に閉じこもってる引き籠もり。
だけど、そんな情けないアンタになのはは今でも昔と変わらずに接してる。
だってアンタは、なのはの………一番最初の相棒だから」
「っ……」

有りっ丈の思いを込めたアルフの言葉に、思わず息をのむ。
言われなくても、そんな事はユーノとてわかっている。わかっていても、彼は怖いのだ。
自分のせいで人生を狂わせてしまった、密かに思いを寄せる少女。
もしかしたら、彼女も本当はユーノが懸念する通りの事を思っているのかもしれない。幾ら自分に言い聞かせて覚悟しても、身勝手な事にそれを向けられるかもしれない事が怖くて怖くてたまらないのだ。
だが、なのはがまた彼の手の届かない所で落ちてしまうかもしれない事と、いったいどちらの方が恐ろしいのだろう。

「もう一度聞くよ、ユーノ。アンタはその相棒の想いにどう応えるんだい?
 ここから情報面でサポートする? ああ。それに誇りを持って、信じられるんならいいさ。ここにいるみんな同じ気持ちだ。だけど、ほんのちょっとでも迷いがあるんなら…今すぐ出て行きな!
ここはあたしたちの戦場だ。たとえどれだけ能力があろうと、そんな半端者は要らないんだよ。
それが、天下の司書長様だろうとね」

アルフの言う事は正論だ。自分の役目に疑問を持つ者など、この状況下にあっては害悪にしかならない。
いや、疑問を持つだけならいい。その疑問を押し殺し、職務に専念できるなら。
しかし、それができないのならアルフの言う通り……彼に、この場にいる資格はない。

つまりアルフは、「どうせこの場にいられないのなら、いっそのこと行って来い」言っているのである。
ユーノは改めて思う。この十年来の友人は、本当に厳しい(優しい)と。
だが今は、なによりもそんな厳しさ(優しさ)が彼の心を責め苛む。

「これだけ言ってもまだわからないって言うんなら、今度はグーで……」

どうにも煮え切らないユーノに業を煮やしたのか、アルフの手が握りこまれる。
とそこで、それまでの空気などお構いなしに、聞き慣れぬ声が割って入った。

「テメェか、司書長とか言う大層なガキは」
『えっ……』

気が付くと、いつの間にかユーノのすぐ隣に姿を現していたフードを被った全身黒尽くめの男。
まるで気配を感じさせずに出現したその男は、さもそれが当たり前のようにユーノの襟首を掴む。
そして、ユーノの事情など一切考慮することなく単刀直入に命令した。

「ミッドチルダとやらに用がある、運べ」
「は、はいぃ!?」

必要最小限、有無を言わせぬ断定口調。
誰もが唖然とする中、男はユーノの返事を待つことなく、有言実行とばかりに彼を引き摺るようにして出口へと向かう。
その様は、まるでこの施設の王者の如く威風堂々。
ユーノ自身ですら、突然の事態に目を白黒させている。

だが、相手は明らかな不審者。
そんな相手に、黙って拉致られる訳にはいかない。

「な、なんなんですか、あなたは!?」
「ああ、悪いな少年。俺ら、別に怪しいもんじゃねぇ…よ?」
『自信ないのかよ!!』

フードの男の影から、ひょっこり顔を出す第二の不審者「網メガネ」。
自分達の風体が怪しい事を自覚しているのか、怪しくないと語る言葉にも自信が感じられない。

「ちょ、待ちな! ユーノをどこに……」
「キャンキャン吠えんじゃねぇよ、犬っころが!!」

一早く我に帰り、ユーノを取り戻そうと後を追うアルフ。
しかし、振り向き様にフードから微かに見えた視線に晒された瞬間、その身体が凍りつく。
身体を駆け廻るのは、本能的な恐怖。並々ならぬ気当たりに当てられ、思わず一歩アルフは後ずさる。

「待て待て! もう少し穏便に行こうぜ、なぁ?」
「フンッ!」
「悪いな、お嬢ちゃん。こいつは昔から短気でよ。
 だが、こいつの気当たりに耐えるとはたいしたもんだ」
「あ、あぁ」
「心配しなくても、悪い様にはしねぇよ。
 さっき言った通り、ミッドチルダに運んでもらうだけだ。それは、お前さんにとっても悪い話じゃないだろ」
「そ、そりゃまぁ……」
「よし、交渉成立。わかるか、何でもかんでも力づくってのはスマートじゃねぇ……って待て、待てってば!
 おいこら、ハーミット!! ちょ、マジで待ってください! 置いてかないで!?」

一応アルフを説得して振り返ると、既にそこにフードとユーノの姿はない。
網メガネは慌ててその後を追う。そんな珍妙な一行を呆然と見送り、アルフは呟いた。

「なんだったんだ、今の……」

事実上、ユーノを拉致られたも同然な状況にもかかわらず、もう彼女には後を追うという発想がない。
ふっとアルフが足元を見ると、そこには網メガネが残して行ったと思われる「新白連合」と書かれた一枚の名刺。
それが、アルフもよく知るなのはの兄や姉と関わりのある組織である事を思い出し、ようやく彼女は「まぁ、なら大丈夫なのかな?」と自信なさげに首を傾げるのであった。



それから幾らか時間が経過して、第一管理世界ミッドチルダは首都クラナガン。
その中央部にそびえ立つ、地上本部ビルの前に三人の男が姿を現した。

「ほぉ~、ここがミッドチルダねぇ~」

フードの男と共に、エイリアンよろしくユーノの両脇を抱えながら、お上りさんの様に感心する網メガネ。
体格的に二回り以上大きい二人に両腕を抱えられているせいで、今のユーノは引きずられているも同然。
もちろん逃げることなどできないし、特にフードの方にはそんな発想自体浮かばせない凄味がある。
だが、フードの男はそのどちらにも全く興味がない様で、なんの前触れもなくユーノの腕を解放した。

「ぁいた!?」
「御苦労、後は好きにしろ」
「は、はぁ……」

打ちつけた尻を摩りながら、ユーノはフードの男を下から見上げる。
その横では、網メガネの男が懐から何やら取り出してブツブツと一人で呟いていた。

「さてっと、後はミッド全体にかけられた渡航規制プログラムとやらをちょいといじれば……こういう時、二十号がいると楽なんだが…しょーがねーか」

何やら犯罪臭い事を言っているが、ここは聞かなかったフリをするのが利口だ。
特に根拠はないが、ユーノは直感的にそれを理解する。
とそこで、それまで無言の圧力を発していたフードの男が何かを思い出したように口を開く。

「おい、小僧」
「は、はい!」
「どんな野郎だろうと、何か一つくらいは譲れねぇ…譲っちゃならねぇもんがある。
人か、物か…あるいは信念か。それは人それぞれだがな、その譲っちゃならねぇもんの為に闘えなかった奴は…………もう、男じゃねぇんだよ」
「え、それって……」
「いつがテメェの闘うべき時か、テメェの譲れない物は何か……良く考えてみるんだな」

それだけ言い残し、フードの男はユーノの傍から去っていく。
気付くと、網メガネの男も姿を消していた。
一人残されたユーノはしばらくぼんやりと先の言葉を反芻してから、ゆっくりと緩慢な動作で立ち上がる。

「闘うべき時、か。それがいつなのかはよく分からないけど……」

成り行きとはいえ、ここまで来てしまったのなら覚悟を決めるしかない。
さすがに、今から引き返すのでは………………恰好がつかなさすぎる。

「偶には後先考えずにバカになるのも良い、か…………………よしっ!」

かつて言われた言葉を反芻し、ユーノは両手で自分の頬を叩いて気合を入れる。
流されるままにここまで来てしまったが、せめてここから先は自分の意思で。
迷いは未だに燻ぶっているが、ここまでお膳立てが整っていては背を向ける訳にもいかない。

ユーノは覚悟を決め、懐かしき大空に向けて飛び立つ。
そんな彼を、物影から見送る二つの影があった。

「どうやら行ったみてぇだな。にしても珍しいじゃねぇか、お前があんなこと言うなんてよ。なぁ、ハーミット」
「ケッ、あのガキがあんまりにもヘタレ過ぎて見るに堪えなかっただけだ!」
(見るに堪えなかったんじゃなくて、見てられなかったの間違いじゃねぇか?
 こいつ、なんだかんだで面倒見いい所あるし……)
「なんか思ったか」
「いんや、な~んにも」

この男を相手に喧嘩をして勝つ自信はもうないので、網メガネは両手を上げて降参のポーズ。
そう言えば、今飛び立った少年は彼とも旧知の少女の関係者だった筈。新島もそれを見越して彼に会いに行けと言っていただろう事を考えると、この男があんな事を言った理由もおおよそ想像が付く。

「それじゃ、俺はちゃっちゃと仕事を済ませるとしますかね。お前はどうする?」
「あの宇宙人が何をしようと俺の知ったこっちゃねぇ。精々見晴らしのいい所から……」

見物でもしようかと思ったのだが、妙な気配につられて空を見上げた所で気が変わった。
視線の先には、空中でぶつかり合う山吹と紫、二つの光が衝突している。
恐らく、何者かが闘っているのだろう。
それに興味を魅かれたのか、フードの男はそのまま網メガネを無視して歩きだす。

「言うだけ無駄だとは思うが、ほどほどにしておけよ」
「さぁな」

それだけ言って、二人は別々に動き出す。
網メガネは地上本部のビル内へ、フードは二つの光の衝突がより見やすい位置へ向けて。



  *  *  *  *  *



見紛う事なき穏やかな横顔、聞き間違う事などあり得ない優しい声音。
それらを全て正しく認識していながら、なのはは咄嗟にその意味を理解する事が出来なかった。

かつては背を預けて闘ったこともあるが……それはもう、何年も前の話。
もう、彼と自分が同じ戦場に立つ事はない。だから、彼がこんな所にいる筈がないのに……。

本来なら、迷いも疑問も今は全て頭の隅に追いやり、今は目の前の戦場に意識を集中すべき時。
だが、戦場にありながらなのはの頭の中は堂々巡りの疑問と否定が渦巻いている。
いや、それを言えば彼が現れるより前から、なのはの精神状態は平常とは言えなかった。
これは単に、彼の存在が引き金となってより顕著になっただけの話。
そして、なのははゆっくりと口を開いたかと思うと、自分自身にすら意図の不明瞭な問いを漏らす。

「なんで……」
「…………なんで、だろうね」

自嘲するように……しかし、どこか懐かしむ様にユーノは静かに微笑む。
理由を上げようと思えば色々捻り出す事は出来るだろう。だが、ユーノにはそのどれもが本質から外れているように思えた。むしろ、理由を口にすればするほどに本質から外れて行くと言った方が正しいかもしれない。

だからこそ、湧き上がる感情に従って浮かべた微笑み。
恐らく、これが一番今の自分の気持ちやここにいる理由を正しく表現できる方法だろうから。
例えそれが、傍からはいったいなぜ笑っているのかさっぱりわからないとしても。
ユーノには、これ以外の表現方法が思いつかなかった。

しかし、それが結果的には最良の選択だったのだろう。
何しろ、ユーノの左腕で包み込む様に肩を支えられているなのはの心には、確かに何かが伝わっていたのだから。

「……………」

そこが戦場である事を忘れ去ったかのような…それどころか、まるで帰るべき我が家に帰って来たかのような安堵の表情。そんななのはの頬を、一滴の涙が伝う。

だが、幸か不幸かユーノがそれに気付く事はなかった。
何しろ、どれだけ状況をわきまえていないやり取りをしていても、ここは紛れもない戦場。
なのはの肩に回した左腕とは逆、右腕で展開しているシールドは、今まさにヴィヴィオの猛攻に晒されている。
当然、ユーノの視線もそちらに向けられ、先ほど浮かべていた笑みも消え苦渋に歪む。

「っ! ユーノ君、下がって!」

重厚な打撃音によりようやく我に返ったなのはは、ユーノを下がらせようと腕に力を込める。
だが、なのはがどれだけ力を込めても、ユーノは微動だにしない。
それどころか、逆になのはの肩に回した左腕の力が増し、ヴィヴィオから守る様になのはの身体を引き寄せた。
肩から伝わる温もりが、強い決意を以って正面を睨む眼差しが、なのはの意思を鈍らせる。

「くっ……!」

とはいえ、どれだけ強がってみた所で、このゆりかご内部は強力なAMF空間。
如何にユーノのシールドがなのはも認める強度を誇るとはいえ、それにも限度がある。
既にシールドはヒビだらけで、いつ砕け散ってもおかしくない。
しかし、ユーノはそこで力強く床を踏む。
すると床から伸びたチェーンバインドが瞬く間のうちにヴィヴィオに絡みつき、その動きを封じる。
その間にユーノはなのはを抱えたまま飛び上がり、ヴィヴィオとの距離を離す。

「こんなもの!!」

ヴィヴィオは即座にバインドを引きちぎろうとするも、予想外に頑丈なそれに苦戦している。
先ほどまでなのはのバインドは軽々と引き千切っていたが、それと同じ要領でやろうとしたのだろう。
だが、それは上手くいかなくて当然だ。そもそも、なのはのバインドを容易く破壊できたのは、高速データ収集による学習で、バインドの構成の穴を突いていたからだ。

しかし、今彼女が相手にしているのはなのはではなくユーノのバインド。
それも、後方防御型に属しサポートを得手とするユーノのそれは、なのはのものとは質が違う。
同じ要領で破壊しようとしても、上手くいかなくて当然だ。

「さて、この様子だと…………あの子が、ヴィヴィオって子で良いのかな?
 金髪に紅と翠の虹彩異色……『聖者の印』で間違いないと思うし……」
「ぁ…うん! どんな方法かは分からないけど、なんだかおっきくなっちゃって……」
「……身体強化系の一種かな? 確か、そんな魔法があるって昔読んだ事が……。
でも、なんでなのはの事を? アルフからは、『本当の親子みたいに仲が良い』って聞いてたんだけど……」
「それは、たぶん洗脳されて……」

ヴィヴィオがバインドから脱するまでの間、出来た時間を使って手早く確認を取って行くユーノ。
攻撃するなら今がチャンスだが、そもそもユーノは攻撃系を不得手としている。
全くできない訳ではないが、AMF空間では尚更効果は期待できない。
なにより、あれがヴィヴィオであるかもしれない以上、あまり迂闊なことはできない。
ヴィヴィオが傷つくのはなのはの望む所ではなく、ひいてはユーノの望みからも外れるのだから。

「でも、そっちは確か解除プログラムがあったんじゃ……」
「あ~、それでしたらちゃ~んと書き変えさせていただきましたわぁ~」

ユーノがアノニマートからもたらされた解除プログラムに言及しようとした所で、甘ったるい声が割って入る。

「ほ~んと、アノニマ~トちゃんにも困ったものだわぁ~。
おかげで、余計な手間が一つ増えちゃったんですもの~♪」
「そうか、君が……」
「はじめまして、穴倉住まいの本の虫さん。
まさかあなたの様な貧弱なモヤシさんが、こんな所まで来れるとは思ってもみませんでしたわぁ~」

明らかに侮蔑を込めた物言い。しかし、ユーノの顔に浮かんだのは怒りではなく笑み。
ただし、なのはに向けられたものとは全く別種の、それは「失笑」に類するものだった。

「いや、事実だから別に否定する気はないけど……君、あんまりオリジナリティーがないね」

口元を隠すように手を添えながら、ユーノは控えめに指摘する。
だが、クアットロはそれがお気に召さなかったらしく、明らかに空気が変わった。
ユーノとしては、殊更クアットロを挑発したつもりはない。ただ純粋に、思った事を口にしただけだ。

無限書庫は管理局が誇る次元世界最大のデータベース。
調べれば出て来ない資料などまずないし、その有用性は図り知れない。
しかし同時に、ほんの十年前まで碌に活用されていなかったのも事実。
探せば見つからない資料はないが、見つかった頃には不要になっているというのもザラだった。
そのため、未だ管理局内部でも無限書庫に対し「あれば便利だが無くても困らない」という認識が根強い。
故に、中には司書達に心ない言葉を発する者は後を絶たない。
十年前から無限書庫に努めているユーノにとって、クアットロが言った言葉など聞き飽きていると言ってもいいだろう。

「フ、フフフフフ…強がりも結構ですけど、あなた一人増えたからってどうだと言うのかしらん?
 本より重い物を持った事がありますの? むしろ、足手まといになってしまうんじゃない事?
 そもそも、あなた如きが陛下に傷一つでも負わせられると? もし、一度くらいタイミング良く割って入ったことで調子に乗っているのでしたら、痛い目を見る事になりますわよ。
 陛下~、先のその虫けらからプチッと潰しちゃってくださ~い♪ それもあなたのママを苛める悪い人、早く駆除してママを助けましょ~」
「ユーノ君!」

見れば、丁度ヴィヴィオがバインドを破壊して二人に迫っている所だ。
実際にヴィヴィオの攻撃を幾度も受けたなのはにはわかる。
ユーノの防御魔法ならある程度は持ちこたえられるだろうが、AMF空間内では長くは続かない。
なのはのように日々トレーニングを積んでいる訳でもなく、魔力量も膨大とは言えないユーノでは、一撃受けるだけでも十分に危険だ。しかし……

「訂正と注意を一つずつしておこうか。
 まず訂正、僕は別にあの子を傷つける気なんてさらさらないよ。
 次に注意だけど……とある管理外世界には『一寸の虫にも五分の魂』って言葉がある。虫を侮るものじゃない。それに、これでも僕は……なのはの魔法の師匠って事になってるんだからね」

ユーノが右腕を横一文字に一閃すると、ヴィヴィオの正面に無数のバインドが展開され絡みつく。

「無駄ですわ。陛下の学習能力なら、一度触れた魔法の無効化くらい……」

砲撃を始め、なのはの魔法も悉くそれによって対処してきた。
ユーノ自身の戦闘魔導師としての力量は、決して高くない。
そんな男のバインド程度、早々に無効化できると踏んでいるのだろう。
だがそんな予想は……夢想と消える。

「壊…れない? なんで、こんなの簡単に!」
「な、なにをやっているんです、陛下!?」
「良い事を聞かせてもらったよ。学習して無効化するって事は、恐らく構築プログラムの穴を突いてるってことなんだろうけど……なら話は簡単だ。展開している間、ずっとプログラムを改編し続ければ良い。
 これならそう簡単に穴を突かれる事はないし、何度でもバインドを使えるよね?」

ユーノの問いかけに、クアットロの息が詰まる音が僅かに返ってくる。
理屈としては確かにそうだろうが、あまりにも非現実的だ。
戦闘という状況下では、僅かな隙、一瞬の判断ミス、些細な行動の遅滞が命取りになる。
そんな状況で、魔法のプログラムを書き掛け続けるなど正気の沙汰ではない。

常に一定のプログラムで発動させるのは、一々はじめから組み上げるのでは果てしなく効率が悪いからだ。
マルチタスクがあるとはいえ、これに割く思考領域は戦闘に支障をきたすレベルに達するだろう。
はっきり言って、いかれてるとしか言いようがない。

「そんなに驚く事かな? 無限書庫じゃ、読書魔法で一度に10冊以上の本を読むのなんて当たり前だ。
これくらいなら、まぁなんとか許容範囲だよ」

無論、無限書庫の司書達なら誰でもこんな離れ業ができるというわけではない。
無限書庫で最も優れた能力を有する彼だからこそ、辛うじて可能な裏技だ。
マネしようとしてもなのはには絶対できない、元の資質と合わせて日々脳を酷使し続けたユーノだからこそできること。まぁ、そもそも本来ならマネする意味すらない代物ではあるが……なのはも、さすがにこれには唖然とせざるを得ない。

「なのは」
「え?」
「なにか、手は打ってあるんでしょ?」
「え? う、うん」
「そっか。じゃ、なんとか時間を稼ぐから、なのははそっちに集中して」
「だけど、そんなの……! これは私が、私がなんとかしなきゃいけない事で……ユーノ君がそんな危ないこと」

確かに、ポジション的にはバックス相当するユーノが前に出るのは大間違いだ。
ユーノはあくまでもサポートがメイン。なのはの後ろで、彼女が戦いやすいように動くのが本来の形。
普段ならユーノもそうするだろうが、今回の彼は首を横に振る。

「なんで……」
「理由はまぁ、色々あるけど………………僕が、そうしたいから…かな?」
「そんなの、理由になってないよ」
「そうだね。だって、なのははヴィヴィオと戦えないんでしょ?」
「だから、ユーノ君が戦うの?」
「いや、闘わないって言うならこれは戦闘じゃないし、それなら戦闘のセオリーなんて関係ないでしょ?」

それは、いっそ清々しいまでに無茶苦茶な屁理屈だ。
あまりにもユーノらしくないその暴論に、なのはは一瞬返答に窮する。
彼女の知るユーノは、もっと理性的に動く人物だった筈ではなかったか。

「ま、情けないことに『なのはを守る』なんて言える程僕は強くないけどさ。
それでも、『盾になる』くらいはできる。きっと…………うん、それが今一番したい事なんだ」

黙ってしまったなのはを尻目に、ユーノはいっそ晴れやかな表情でバインドを突破しつつあるヴィヴィオへと向かう。
そこでふっと、なのはは身体に回復系の魔法がかけられている事に気付く。
肩を抱いた時か、あるいは今の離れ際か。いつかはわからないが、ユーノが残して行ったのだろう。

視線の先には、ヴィヴィオと対峙するユーノの姿。
一方的に攻撃に晒されてはいるが、その悉くを防御魔法で受け止めている。
また、時折バインドやケージを織り交ぜ、防御し切れない大技を出させない。

ただしそれは、明らかにスタミナ配分という物を無視している。
シールドやバリアには込められる限りの魔力を込め、バインドの数は明らかに過剰。
これでは、いつゴールが来るともしれない道を全力疾走で走りぬけている様な物だ。
しかし裏を返せば、そこまでやらなければヴィヴィオの攻撃に耐えきれないという事を意味している。
前線を離れて久しいユーノでは、これだけやってやっと持ちこたえられるかどうか。
後先を考える余裕など、元からありはしない。
だが、それでも彼があのような無茶をする理由もまた、なのはにはわかっていた。

「…………レイジングハート」
《All right》

なのはの声に応じ、レイジングハートはその機能の大半をある目的のために注ぎ込む。
それこそが、ユーノの決意に対し示せる、唯一の者とわかっているのだろう。

ユーノはなのはを信じている。自分が持ち堪えている間になのはがそれを成し遂げる事を、ではない。
自分の事など元から計算から外している。彼が信じているのは、なのはなら必ずそれを成し遂げる、という一点。

(そう言えば、最初の頃はこれが当たり前だったんだよね。
 ユーノ君に守ってもらいながら、私が本命。そうやって、一緒に闘ってたんだっけ……)

思い出すのは、もう十年も昔の頃のこと。出会って間もない、最初の事件に共に挑んだ日々。
あの頃は常に傍で守ってくれる存在に、背中が暖かいと思った物だ。
しかし、今ならそれが少し違った事が分かる。
本当に暖かかったのは、背中ではなく心の方だったのだ。



  *  *  *  *  *



時間はまたもやや遡り、クラナガン市街上空。
眼下には人気のない街並みが広がる空で、二つの光が交錯していた。

「はぁぁぁぁ!!」
「おおおおおおおおおおお!!」

片や、紫基調の騎士服に青い瞳、薄いピンクの髪の女剣士。
片や、金色の鎧を纏った同色の髪の騎士。

両者は空中で激しく衝突を繰り返し、その度に両者の剣と槍が火花を散らす。
だが、切り結ぶ二人は激しく動けども、状況は膠着状態に陥りつつある。
それを察したのか。やがて、二人は状況を動かし得る大技を放つ為、一端距離を取った。

「レヴァンティン!」
《Schlangeform》

女剣士…シグナムが愛機を一端鞘に納めると、レヴァンティンはカートリッジを一発ロード。
続いて、シグナムともレヴァンティンとも違う少女の声が響く。

「炎熱加速!」

声と共にシグナムがレヴァンティンを抜き放つと、紫炎を纏った蛇腹状の刃が対峙する敵へと牙を剥く。

「「飛竜一閃!!」」

炎を帯び、自身へとまっすぐのびて来る切っ先。
それを見てとった騎士…ゼストは愛機を握る手に力を込め、振りかぶる。
それに呼応するように、槍の石突部分からカートリッジが一発排出された。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ!!!」
「炎熱消去、衝撃加速!!」

これまたシグナムの時同様、ゼストの物とは違う声が響き渡る。
ゼストはそのまま槍を振り下ろし、放たれた衝撃がレヴァンティンの切っ先とぶつかりあう。

結果は相殺。切っ先の進行は止まり、衝撃はそれ以上先へは届かなかった。
だが、槍を振り抜いただけのゼストと、伸ばした切っ先を撃ち落とされたシグナム。
どちらがより分が悪いか、誰の目にも明らかだ。

「ぬぁぁぁぁあぁぁっぁぁぁ!!!」

シグナムはなんとかレヴァンティンを戻そうとするが、それよりゼストの接近の方が早い。
咄嗟に鞘で防御する。
しかし、ゼストの一撃により鞘は両断され、受けた衝撃によりシグナムは地上目掛けて墜落していく。

「くっ……」

辛うじて地面と激突する前に落下速度を軽減し、着地には成功した。
だがその代わりに、仰ぎ見た空には地上本部へと向かっていくゼストの姿。

「しまった……」
「ロストはしてません。追いかけるです」
「ああ」

内より響く声に応じ、立ち上がって後を追おうとするシグナム。
しかしそこで、彼女は背後より迫る不穏な気配に気づく。
振り向くと、そこには二機のガジェットⅢ型。

見て見ぬフリを決め込む訳にも行かず、シグナムは即座に間合いを詰めて一機を一刀の下に両断。
続いて返す刀でもう一機を斬り伏せようとした所で、異変が起こる。

「っ!?」

反射的に、思わずガジェットから距離をとる。
ガジェット如き恐れるには足らない筈だが、二機目を視界にとらえた瞬間、彼女の勘が警鐘を鳴らした。
それだけは、間違えようのない事実。

「シグナム?」
「なにか、いる。ガジェットではない、その先に途轍もないなにかが……」

ガジェットから放たれる光線を回避しつつ、シグナムはガジェットのさらに先を睨み据える。
レヴァンティンを構え、いつ何が起こっても対処できるように気を張り詰めていく。
正直ガジェットが邪魔だが、迂闊に斬りに行けばその瞬間に隙が生じるだろう。
その程度の隙すら命取りになる、彼女をしてそう確信させるほどの何かがこの先にいる。

「何者だ、姿を見せろ!!」

焦れて来たのか、シグナムはガジェットの先にいるであろう何かに向けて声を張り上げる。
するとその瞬間、丸形のガジェットが突如として真上からアルミ缶のように叩き潰された。
いや、それどころではない。ガジェットを潰してもなおその一撃の威力は衰えず、アスファルトで舗装された地面を撃ち、クレーター上に大きく陥没させたのだ。

(なんと言う一撃……何者だ!)

二つに割られたガジェットは僅かに火花を散らした後、爆発。
爆炎から身を守ることすら危ういと判断したのか、シグナムは吹き荒ぶ爆風に正面から対峙する。
やがて風と炎は徐々に収まり、その先に何かの影が見えて来た。

「ふん。なんだ、頑丈そうなのは見かけだけか」

炎の先から姿を現したのは、全身を黒衣で包みフードを被った男。
その手に武器はなく、そもそもまともに魔力すら感知はできない。
こんな状況でなければ、風体が怪しい事以外には特に特筆すべきことなどないようにも見える。
だが、シグナムには一目でわかった。無造作に歩いているように見えてこの男、まるで立ち振る舞いに隙がない。

(魔力なしにこんなことをやってのけるとは、確実に達人級の使い手。何よりこの気当たり…白浜にも劣らんぞ)
「……悪くない面構えだ。あのバカの仲間と聞いていたが、少しは骨のある奴もいるらしい」
「白浜を、知っているようだな。貴様、何者だ」
「拳豪鬼神」

簡潔に紡がれたその異名に、シグナムとリインの顔色が変わる。
当然だ。なにしろそれは、以前兼一から聞かされた、『月』のエンブレムを持つ中国拳法の使い手に冠された異名なのだから。

「一影、九拳……」
「なるほど、確かにその名に恥じない使い手だ。対峙してみれば、より顕著にわかる。
 まったく、本当に丸腰の男なのか、この目で見ても疑いたくなるぞ」

わかっているつもりでも、相手から感じる尋常ならざる戦力には戦慄を禁じ得ない。
武器を持たず、魔法を用いず、人はこれほどまでの力を得られる物なのか。
戦慄と共に、一人の武を修める者として、憧憬の念を抱いてしまう。

「だが、なぜこんな所に……」
「なに、ヒマ潰しがてらに観戦させてもらってたんだが……少し、あの男に興味がわいた」
「なに?」
「見た所、お前…いや、お前らはあの男を止めるつもりなんだろ」
「だとすれば、なんだというのだ」
「あれは覚悟を、死に場所を決めた武人の眼だ。余計な邪魔は野暮ってもんだぜ」

それは幾度も刃を交え、視線を交わす中でシグナムもまた気付いていた事だ。
地上にいながらそれを見抜いた事は正直信じがたい物があるが、相手が一影九拳では「あり得ない」と否定するだけ無駄か。

しかし、彼女にはだからと言って「はい、そうですか」と言うはできない。
シグナムの任務は地上本部の守護。事と次第によっては通すことも吝かではないが、相手はその事情すら話そうとはしなかった。これでは、彼女には阻む以外の選択肢などありはしない。

「言わんとする事はわからんでもない。だが、それは聞けぬ相談だ」
「別に相談なんかしちゃいねぇよ。俺は単に、野暮なマネはするなと言ってるだけだ」
「ならばそこを通してもらおう。邪魔をすれば……」
「斬ってでも押し通るか? だが生憎、俺はなにもしちゃいねぇぞ」
(何が何もしていないだ、この男……!)

確かに一見すると、夏はシグナムに対して何ら妨害らしき行為をしていない様に見える。
立ち塞がっている訳でもなく、そもそも構えすら取っていない。
だがその実、気当たりと四肢の些細な動作による牽制で、シグナムの身動きを封じているのだ。
迂闊に背を向ければ命がない。そう思わせる程の殺気が、シグナムを釘づけにしている。

ここで強引に斬りかかる事が出来ればまだマシなのだが、夏の言う通り一見すると彼は何もしていない様に見える。公務執行妨害を適用しようにも、第三者からはとてもそうとは思えないだろう。
しかし、それだけならば後々の問題に目をつむって強硬手段に出ることもできる。

問題なのは、仮に強硬手段に出たとしても、この敵がそう簡単に突破できるような相手ではないという事。
更に言えば、夏の目的はあくまでもシグナムの足止め。無理をせずに時間稼ぎに徹してくれば、尚更突破は難しい。時間をかければ話は別だが、今はその時間がないのだ。

(押し通る以外に選択肢はないが……その場合、奴に追いつくのは絶望的か。
 ならば……リイン、ユニゾンを解いてお前は先に行け)
(な、何言ってるですか、シグナム!? そんなことしたら……!)
(突破は尚の事難しくなるだろうな。だがその代わり、お前だけは追いつく事が出来るかもしれん)

今は夏がシグナムを足止めしている形だが、リインが向かうとなれば立場が逆になる。
シグナムが夏を足止めすれば、リイン一人を行かせるくらいはできるだろう。
彼女を一人にするのは少々心配だが、ここで二人揃って足止めされるよりはマシだ。
ただし、シグナムを一人残して行く事に、リインは僅かに逡巡を見せる。

(で、でも……)
(なに、そう心配するな。相手が一影九拳の一角とはいえ、やられるつもりは毛頭ない。
 それとも、お前達の将の力は一影九拳には及ばないか?)
(……わかりましたです。シグナム、無理はしちゃダメですよ!)

リインがユニゾンを解くと、シグナムの髪や目、騎士甲冑の色彩が本来のそれに戻る。
その背からは勢いよくリインが飛び立っていくが、夏はそれを追おうとする素振りは見せない。
ただ黙って、油断なくシグナムと対峙し続けている。

「妙な気配だとは思っていたが、本当に二人だったとはな。これが魔法か……。
 だが良いのか? 二人がかりなら、万が一にも勝ち目があったかもしれねぇってのによ」
「大層な自信だな。確かに二人の方が勝率は高くなるだろうが、私一人でも充分に勝機ありと見ているぞ」
「驕りは身を滅ぼすぞ、女」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ、殺人拳」

張りつめた空気を纏いながら剣を構えるシグナムと、一見すると無造作に立っているようにも見える夏。
しかしその実、両者の間の空気が「ギチリ」と軋みを上げる。
常人には呼吸さえも困難に感じさせる圧迫感が世界を満たし、不可視の圧力が街灯やアスファルトに亀裂を生む。
そんな中、シグナムは険呑な眼差しのまま慎重に口を開く。

「一つ…いや、二つ聞かせろ。なぜ、彼を行かせようとする……イーサン・スタンレイとの繋がりか?」
「? なんだ、あの野郎こんな所で油売ってやがったのか」
「知ら、ないのか?」
「一々野郎の動向なんぞを把握するほど暇じゃねぇんだよ、下らねぇ」
「だが、それなら尚の事わからん。お前はあの男、ゼスト・グランガイツとはなんの繋がりもない筈だ。
 ならば、なぜそうまでして彼を行かせようとする」
「言ったろ、余計な邪魔は野暮だってな。テメェの事情も、奴の事情も知らねぇが…………ここと決めた死に場所にさえ到達出来ずに果てるのは、不憫だとはおもわねぇか?」

夏はゼストの事情など露ほども知らない。
だが、遥か上空で交錯する彼の眼を見て理解した。あの男が向かおうとしているのは『死に場所』だ。
ゼストは、その場で自分の命が尽きることを前提に向かっている。
なら、行かせてやればいいというのが夏の考えであり、その為に彼はここに立っている。
見ず知らずの男を、死に場所へと送る為に。

(どうやら、外道の類ではないようだが……)

共感か憐憫かは分からないが、見ず知らずの男の誇りの為にこんな事が出来る者はそういない。
殺人拳の者とは言え、そこには武人として一本の芯が通っている。
この点に置いて、シグナムは夏に対して純粋に好感を覚えるが……根本的な認識そのものが的外れである事を、彼女は知る由もない。

「では次の問いだ、なぜ……構えようとしない。
 まさか、構えを取るまでもないというつもりではあるまいな」

無論、夏もそこまでシグナムを侮ってはいない。
むしろ、闘うとなれば一瞬の油断が命取りになることをよく理解している。
そうと理解していながら未だに構えを取らないのは、出立前の妻とのやり取りが原因だ。

「行き先は言えねぇが、しばらく出る。飯は外で食うか、出前でも取れ。
 それと掃除や洗濯をはじめ、諸々のことはハウスキーパーを雇ったからそっちに任せろ。
 くれぐれも…良いか、お前は絶対に手を出すな。いいな、絶対だぞ」

出立の前夜、童顔で背の低めな嫁に念入りに言い聞かせる。
なにしろ、彼女の家事能力など期待するだけ無駄。掃除をすれば破壊活動になり、料理をすれば劇物を精製してしまう。大企業の総帥だけあり金ならいくらでもあるが、それでも意味のない散財などすべきではない。
なにより、久しぶりに帰ってみたら我が家が廃墟になっていた…では、あまりにも切なすぎる。
まぁ、どれだけいい含めた所で、自由人な彼女が相手ではどこまでわかってくれたか怪しい限りだが。

「ふ~ん、まぁちみがふらっとどっか行くのはいつもの事だから良いけど…いつ頃帰るの?」
「さぁな、行ってみねぇ事にはわからん。だが、当分は帰らねぇと思っとけ」
「おっけー、じゃその間は存分に羽を伸ばすとするじょ」
(普段からこの上なく好き放題してるくせしやがって、これ以上どう伸ばす気だ……)
「でも、なのはちゃんとこ行くんだったらあんまり迷惑かけちゃダメだじょ」
「ああ……………って、てめぇ、どこでそれを……」

あまりにもサラッと言われたからつい頷いてしまったが、聞き捨てならないその内容に詰め寄ろうとする。
だが、そこで即座に思い出す。夏の行き先を知っていて、彼女にリークしそうな者など一人しかいない事に。

「あんの地球外野郎……!」
「ほらほら、抑えて抑えて。そうやってすぐ腕っ節で解決しようとするのは、なっちーの悪い癖だじょ」
「テメェに正論言われると無性に腹立つな、オイ……。つーか、詳しい行き先までは知らねぇだろうな」
「うん」
(新島の野郎も、さすがにそこまでは教えてねぇか)
「ま、とりあえずなのはちゃんに迷惑かけちゃダメだじょ。オッケー?」
「ちっ!」

とまぁ、こんなやり取りがあったわけで……。夏は他人には冷徹だが、ほのかには果てしなく甘い。
彼女にああ言われてしまった手前、なのはにあまり迷惑をかける訳にも行かない。
別になのはが困る分には一向に構わないのだが、それがほのかに知れるとまずいのである。
特に、こちらには兼一までいるのだ。ここであまり派手に動くと、兼一からほのかにバレてしまう。

故に、シグナムの足止めはしたいがあまり事を大きくしたくない。
それが夏の本音であり、だからこそ中々構えを取る事が出来ずにいるのだ。
シグナムの方から斬りかかってくれば言い訳も立つかもしれないが、相手が相手だけにそんな理屈が通じるかは激しく心許ない。なので夏としては、このままずるずると時間を稼ぎたい所。
彼の流儀からは程遠いが、ほのかの不評を買うよりはまだマシと言う事らしい。

「………………………………………………一身上の都合だ」
(何があったか知らんが、哀愁が漂っているな……)

フードに隠れて表情はわからないが、全身からどこか疲れた雰囲気が滲みでている。
そんな様子に、知らずに親しみを覚えてしまったのは秘密だ。

だが、それが結果的に功を奏したのだろう。
それまでの緊迫感が緩み、酷く曖昧な空気が醸成されている。
先ほどまでとは別の意味で斬り込むに斬り込めなくなったシグナムは、夏の一挙手一投足に警戒しながら対峙し続けざるを得なくなっていた。



 *  *  *  *  *



場面は戻り、ゆりかご内部『玉座の間』。
つい先ほど、ゆりかご全体が揺らいだ。恐らく、駆動炉に向かったヴィータが役目を果たしのだろう。
だが、今のなのは達にそちらへ意識を割く余裕はない。

「邪魔を……しないで!」
「ぐがっ!?」

徐々にプログラム改編の傾向を掴んできたのか、瞬く間のうちにバリアが砕かれ、重い拳がユーノの身体を殴り飛ばす。
その間に、ヴィヴィオは何事かに意識を集中するなのはを叩こうとする。
しかしそこで、床に叩きつけられた筈のユーノから伸びたバインドが腕に絡みつく。

「また……しつこい!」

鬱陶しい羽虫を振り払うようにバインドを砕き、虹色の砲撃がユーノを襲う。
ユーノはそれを恥も外聞もなく床を転がってかわすが、その間に伸ばしたバインドで四肢を封じる。
だが、ヴィヴィオは魔力を電気へと変換し、バインド越しにユーノへと送り込む。
結果、強力な電撃がバインドを伝ってユーノの身体を駆け廻る。

「が、あぁぁあっぁぁぁぁぁぁぁ!?」

全身を駆け廻る衝撃に、一瞬意識が遠のきかけ腕から力が抜けそうになる。
しかしユーノは歯を食いしばり、電撃の痛みに耐えながらバインドを握る腕にさらに力を込める。
行かせないと、なのはの邪魔はさせないと、なによりもその眼が雄弁に物語っていた。

「こ…のぉ!!」

電撃では効果が薄いと見切りを付け、無数の魔力弾がユーノに襲い掛かる。
咄嗟にユーノはその場から離脱しようとするが、既に疲労困憊の彼にはもうほとんど足が残されていない。
間もなく魔力弾の雨に呑み込まれ、舞い上がる粉塵の中に取り残される。

今度こそ沈んだと確信し、ユーノがなのはの周りに展開した防御と肉体・魔力の回復を同時に行う高位結界魔法『ラウンドガーダー・エクステンド』を破壊すべく、ヴィヴィオは砲撃の準備に入る。
だが、ヴィヴィオが砲撃の体勢に入っている事に気付いていない筈がないにもかかわらず、なのはは微動だにしない。このままでは狙い撃ちにされる事は明らかなのに、それでも……。

「これで…っ! そんな……!?」

ヴィヴィオが砲撃を放つ寸前、彼女を包みこむ様に立方形のケージが発生。
視線を巡らせれば、粉塵の中にはヴィヴィオの方に向けて腕を伸ばす青年の姿。

「はぁ、はぁ…まだ、まだ………」

身に纏ったバリアジャケットは最早見る影もなく引き裂かれ、割れた額から零れた血が彼の顔の右半分を赤く染めている。突き出した右腕とは逆、左腕は特にひどい有様だ。
痣や火傷で皮膚は変色し、その上に裂傷から滴る血が化粧を施している。
恐らく、先の魔力弾のいくつかを腕を盾にしてしのいだのだろう。

体力の限界など、とうの昔に迎えている。
元々、後方勤務のユーノになのは程の体力もタフネスもない。
肉体的な限界で言えば、とうの昔にそれは超えている。

しかし、それでもユーノは倒れない。否、倒れても倒れても立ち上がる。
彼を突き動かすのは、たった一つの執念と……遠い日の後悔だ。

(今ので、アバラの他に左腕も完全に逝っちゃったかな? だけど、あの時のなのはに比べれば、これ位……)

数年前、なのはが墜ちたあの時。
彼女が追った傷に比べれば、この程度が何程のものだろう。
疲労も苦痛も怪我の度合いも、全てあの時のなのはのそれに比べれば足元にも及ばない。
ならば、この程度の事で休む訳にはいかないのだ。

「く……」

幾度も拳を叩きつけ、ケージを破ろうとするヴィヴィオ。
それに耐えながら、ユーノはケージの位置を動かしなのはから遠ざけた。
同時に、距離の空いたなのはとヴィヴィオの間に立ちふさがる。
先の言葉を実践するように、なのはの「盾」となるべく。

そんなユーノの様子を、なのはは頭の隅で捉えていた。
正直、彼のその痛ましい姿には心が痛む。出来るなら、今すぐにでも彼を休ませてやりたいと思う。

(でも、それは違うよね)

もし、なのはがユーノの想いに応えようと思うのなら、それは違う。
ユーノがなのはの盾になっているのは、彼女がよりよいコンディションで“その時”を迎えられるようにするためだ。ならば、なのはは少しでも早くその時に手を伸ばさなければならない。
それこそが、彼を休ませる最良の方法であり、彼の想いに応える唯一の方法なのだから。

(ワイドエリアサーチも、もうすぐ終わる。そうすれば……)

先ほどからヴィヴィオの足止めをユーノに任せ、なのはがやっているのはゆりかご内部の精査。
散布した複数のサーチャーを操り、ゆりかご内部の安全ないずこかに隠れているクアットロを探しているのだ。

ヴィヴィオを操っているのは、ゆりかご内部にひそんでいると思われるクアットロ。
つまり、彼女をどうにかすればヴィヴィオを止められるかもしれないという事。
なのははゆりかごと突入直後より、戦闘と並行しながら彼女を探し続けていた。
さすがにヴィヴィオと闘いながらでは効率が悪かったが、ユーノのおかげで今やレイジングハートの性能の大半をこの魔法につぎ込む事が出来ている。

ユーノが無限書庫から調べ上げ、またアノニマートからもたらされた内部構造のデータのおかげでもあり、想定以上に探索は進んでいる。
未だクアットロの所在はつかめていないが、もうじきゆりかご内部の探索は終わる。
そうすれば、ユーノが着て行こう温存してきた魔力と体力の全てを用いて、クアットロを撃つ。
それで、全てが終わる筈だ。なのはは、まるで縋る様にその未来に望みを託す。
しかしそんな願いは…………無情にも砕かれた。

「そ、んな……どうして、だってこんなの!」
「なのは? がはっ!」
「ユーノ君!」

動揺を露わにするなのはに気を取られた一瞬の隙を突かれ、ユーノの鳩尾にヴィヴィオの膝がめり込む。
ユーノの身体はくの字に折れ曲がり、その身体からいよいよ力が抜けて行く。
前のめりに倒れそうになる彼に、なのはは思わず届かぬと知りながら手を伸ばす。
だが、ユーノは倒れかけながらも腕を伸ばし、ヴィヴィオに抱きつく事で動きを抑えようとする。

「は、な、せぇぇぇえぇ!!」
「ぐっ、は、離す…もんかぁ!!」

とはいえ、ユーノのこれは好手とは言い難い。
密着状態では拳も蹴りも充分な威力が乗せられないが、魔法は別。
むしろ、シールドやバリアを展開する空間的余裕がない分、魔力弾や電撃による攻撃をもろに受けてしまう。

やがて拘束が緩んだ所でユーノは引きはがされ、勢いよく壁目掛けて投げ飛ばされる。
ユーノの身体は強く壁に叩きつけられ、間もなく落下を開始。
なんの偶然かなのはのすぐ傍に落下。まだ意識が残っているらしく、ユーノは弱々しい挙動で身を起こす。顔を上げると、そこには今にも泣き出しそうな程に表情を歪めたなのはがいた。

「見つからない……」
「え……」
「ゆりかご全体を精査した筈なのに、影も形も見当たらないの! これじゃ、もう……」

見落としなどない様に、ゆりかご内部を隅々までくまなく探した筈だ。
ユーノとアノニマート、二人から得た内部構造のデータと照らし合わせても、やはり見落としはない。
それなのに見つからないという事は、クアットロはゆりかご内部にいないという事。
即ち、唯一ヴィヴィオの洗脳を解除できる術がなくなった事を意味する。

(フフフ、おバカさん。アノニマートちゃんが情報を漏らしたことなんて、私にはお見通しよん♪ まさか最深部にまで乗り込んでくるとは思えないけど、内部構造がばれてるのに悠長にしてる筈がないでしょうに)

そう、元々クアットロは最深部に隠れ、成り行きを見物するつもりでいた。
だが、アノニマートが内部構造を漏らした事で、用心深い彼女は念には念を入れる事にしたのだ。
最深部まで到達されるとは今でも思ってはいない。
しかし、構造を知られている以上そこも絶対の安全地帯とは言い難いだろう。
隠れ場所として最適だからこそ、敵もそちらに踏み込んでくる可能性があるのだから。

(まぁ、ここはあそこほど安全と言う訳ではないけど、見つかる心配はない。さあ、何をするつもりだったか知らないけど、最後の希望も消えた事だし……いい加減、消えちゃってくださいな)

モニターに映るなのは達の様子に、残忍な笑みを浮かべるクアットロ。
だが、圧倒的優位にかまけて、彼女は一つ見落としをしている。

(ゆりかごの内部構造データと照らし合わせた上で見つからないとなると……確かにそうかもしれない。
 だけど……………………………………そうじゃないかもしれない)

痛む身体に鞭打ち、なんとか立ち上がりながらユーノは考える。
『聖王のゆりかご』は、全長数kmほどある巨大戦艦だ。
しかし同時に、聖王一族が生まれ、育ち、死んでいく…言わば城としての側面もある。
古代の城は、現代で言えば遺跡だ。そして、遺跡の類には必ずと言う訳ではないが時折見られる物がある。
これが質量兵器である事を考えると、絶対とは言い切れないが……可能性は捨て切れない。
これだけの巨大な構造物。そう言った物を作る余裕くらいは充分にある。

「なのは、レイジングハート」
「もういい、もういいよ! もう立たなくていい! あとは、後は私がなんとかするから!」
「サーチャーのコントロール権を僕に回して。少し、気になる事があるんだ」
「え?」

クアットロがゆりかごに乗り込んでいた事は、ゆりかご発見時から続く監視で明らか。
だがその後、彼女がゆりかごから降りたという報告は受けていない。
もちろん、その眼を掻い潜って降りた可能性はある。しかし……

「もしかしたら、もしかするかもしれない」
「ユーノ、君……なにか、あるの? ヴィヴィオを、助けられる方法が……」
「わからない。でも、あるかもしれないなら…………必ず、見つけてみせる。
探し物を見つけるのは、僕達の得意分野だからね」
「……………うん! じゃ、ポジション交代。ここからは、私がヴィヴィオを止める」
「ごめん、やっぱり僕なんかじゃ……」
「……信じてるよ、ユーノ君」

それだけ言い残すと、ユーノにサーチャーのコントロールを譲渡し、今度は再度なのはがヴィヴィオと対峙する。
たった一言、なのはが残した「信じてる」と言う言葉。
その一言だけで、最後まで「盾」としての役割を全うすることすらできなかった事への負い目が消えた。
『やっぱりなのはは凄いな』と思う反面、その信頼に応えようとボロボロの身体に小さな熱が灯る。

(全部を一から洗い直す時間はない。
思い出せ、ゆりかごの構造図を! これだけの大きさなら、きっとある筈だ!)

外界からもたらされるすべての情報を締め出し、頭の中に描くのはゆりかごの詳細な構造図。
どこに何があるのかその配置を、それぞれの空間の大きさを、全て正確に描き出す。

探すのは空白。通路や部屋、あるいはパイプやケーブルなど、構造上の空白を洗い出す。
探せば見つかるもので、大小様々な空白が次々に見つかって行く。

だが、その全てが彼の探しているものとは限らない。
見つけ出した空白から特に小さい物を除外し、その他に借り受けたサーチャーを動員してデータを採取する。

(違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う)

脳裏に描く構造図に示された空白の一つ一つに、次々と斜線が引かれて行く。
まぁ、傍から見るとユーノが一人座りながらただ目を閉じて気を失っているように見えるだろう。
例えばそう、モニター越しに嘲るような視線を向ける性悪女などには。

「あらあら、ほ~んと頼りにならない応援ですこと。
 あのチビ騎士が壊した駆動炉も、自動修復でその内元通り。無駄な努力、ご苦労様。
 ふふふ、あはははははははははは…「ここ!」…ん?」

それまで目を閉じていたユーノが突然顔を上げ、バインドでヴィヴィオを拘束。
手の空いたなのはに、何事か指示を出している。

「なのは、ここを狙って! この先に、戦闘機人がいる!」
「はぁ? 何を言っ…て……っ!?」

ユーノが指し示すのは、玉座の間の入り口のほぼ直下。
妄言としか思えないその断定に、失笑が漏れる。
だが……その顔から笑みが消えるのに、さして時間はかからなかった。
クアットロにもわかったのだ。ユーノが指し示すその一点は、丁度彼女の頭の上なのだという事が。

(サーチャーが潜り込んだ? いえ、そんな反応はなかった。
 だいたい入口は一つきり、その入り口も専用のコードがないと開きもしない。
 例え通路を見つけても、それがどこに通じているかなんて分かる訳が!!)

そもそもここは、どこのデータにも載っていない隠し部屋だ。
それをいったいどうやって目星をつけたというのか……。

そこでクアットロは思い出す。ユーノの本名は「ユーノ・スクライア」。
確かスクライアとは、遺跡発掘を生業とする流浪の一族だった筈。
彼、ユーノ・スクライアはその一族の出なのだ。
結界魔導師としての腕や無限書庫の司書長としての能力ばかり着目されがちだが、むしろこちらこそが彼の原点。

必ずとは言わないが、時に遺跡には隠し通路や隠し部屋が存在する。
そして、幼い頃から遺跡発掘に参加してきた彼にとって、遺跡は遊び場であり、隠し部屋の類を探すのは遊びの一環だった。そんな彼だからこそ……

「構造図とサーチャーを使って集めたデータから考えて、ここで間違いない!」
「で、でも隠し部屋は伊達じゃないわ。
専用のコードなしには入れないし、外から攻撃しようにも一体何枚の壁があると……」

動揺を抑える様にそこまで口にした所で、クアットロの脳裏をある光景がよぎる。
バカげた威力の砲撃が、強固な壁を薄紙の如く貫通する悪夢のような光景を。

「ユーノ君、ターゲットまでの距離は!」
「大丈夫、遠慮はいらない! 全力全開、手加減抜きで…ぶち抜いて!!」
「さっすが、わかりやすい! いくよ、レイジングハート……ブラスターⅢ!!」

なのはの宣言と共に、レイジングハートの先端に発生した光球の規模が跳ね上がる。
マガジンに込められたカートリッジを根こそぎ使い切り、更に次のマガジンを装填。
次々にカートリッジを消費し、更に威力を底上げしていく。
ユーノの言った通り、全力全開の一撃を叩きこむ為に。

「ディバイ――――――――――――――――ン…バスタ―――――――――――――――!!!」

莫大な魔力の負荷に身体がバラバラになりそうになるのを耐えながら、なのはは渾身の一撃を放つ。
放たれたバカげた大きさの魔力砲は、次々に壁を突き破り、一直線にクアットロ目掛けて突き進む。
クアットロは本能的恐怖に突き動かされ、悲鳴を上げながら逃げ惑う。

「イ、イヤァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

しかし、時すでに遅く。
射線上から逃れる事かなわず、桜色の暴威に呑み込まれた。

「はぁはぁ、はぁ……こ、これで……」

サーチャーごとやってしまったので詳細はわからないが、手応えはあった。
これで、ゆりかご内のナンバーズは全て機能停止した筈。
つまり、残すは……………ヴィヴィオを連れて帰る。最初にして一番の目的だけ。

「ヴィヴィオ……」

見れば、ヴィヴィオは拘束していたバインドを引きちぎり、頭を抱えて僅かに呻いている。
まだ洗脳が解けたと決まった訳ではないのに、気付いた時にはなのははヴィヴィオに向かって駆けだしていた。

「ヴィヴィオ!」
「ぁ…なのは、ママ……ダメ、逃げてぇ!!」

駆け寄ってくるなのはに向け、大きく拳を振り抜くヴィヴィオ。
先ほどまでと違い、確かになのはの事を「ママ」として認識しているにも拘らず、身体が勝手に動いてしまう。
洗脳は解けたようだが、どうやら呪縛はそれだけではなかったらしい。

「くぁっ!」

辛うじて防御が間にあったなのはだったが、重い一撃を受けて数m押し戻されてしまう。
同時に玉座の間の空気が一変し、アラームと共に「自動防衛モード」の発動が告げられる。
主だった内容としては、艦載機を全て起動させ、艦内の異物…つまりは突入部隊を排除するという物。
玉座の間にガジェットが来ないのは、その必要がないからなのだろう。

「ヴィヴィオ……」
「ダメ、来ないで!」
「ぁ……」
「わかったの。私、もうずっと昔の人のコピーで、なのは…なのはさんも、フェイトさんも…ううん、本物のママなんて、元からいないんだよね。ゆりかごを動かす為の唯の道具で、玉座を守るための…………生きてる兵器」
「違う……」
「守ってくれて、魔法のデータ収集をさせてくれる人を……探してただけ」
「違うよ!」
「違わないよ!!」

身体と共に、精神構造にも何らかの変化が生じているのだろう。
その為に気付いたのか、あるいはクアットロ辺りがふきこんだのかは分からない。
だがそれでも、ヴィヴィオが真実を知ってしまったのは事実だった。
そして、それ故に彼女は泣いている。

「痛いのも悲しいのも…全部作られた偽物。私が兵器だから、近くにいるみんなを傷つける。
ママも、翔も……だから、こんな私なんていない方が良い…いちゃいけないんだよ!!」
「違う!!」
「っ……」
「生まれ方は違っても、そうやって傷ついて…泣いてるヴィヴィオは、偽物なんかじゃない。
 甘えんぼですぐ泣いて、ピーマンが嫌いで……私が寂しそうにしていれば、傍にいてくれる。
 それが、私の大事なヴィヴィオだよ。
 確かに、ヴィヴィオには本物のママはいないかもしれない。でも今からでも、『本当』のママになりたいって思う。だから、いちゃいけないなんて…言わないで」

一歩ずつ距離を詰めながら、なのはは思いの丈を言葉にしてぶつけて行く。
もう、隠す事も偽ることもできない。自分は、こんなにもヴィヴィオの事を愛おしく思っている。
『空の人間』だとか『いつまた落ちるかわからない』とか、そういう言い訳はもう意味を為さない。
全て承知の上で、それでもなお……ヴィヴィオと共に生きたいという思いが抑えられないのだ。
だから、ヴィヴィオに自分を否定して欲しくない、泣いてほしくない。
ただそれだけが、なのはの身体を突き動かす。

「帰ろう、みんなの所に。フェイトちゃんもはやてちゃんも、ヴィータちゃんもザフィーラも……みんな、みんなヴィヴィオを待ってる」
「だけど、私は…私のせいで翔が……」
「翔なら大丈夫。怪我はしたけど、でもちゃんと治る。それとも、翔が怒ってると思う?」
「っ!?」
「だとしたら、それは違うよ。翔と約束したんだ。必ず……ヴィヴィオを助ける、連れて帰るって。
 翔はヴィヴィオの事を怒ってなんかいない。今も、きっとヴィヴィオの事を心配してる。それでも謝りたいなら、一緒に謝ってあげる。また、誰かがヴィヴィオを傷つけようとするなら、今度こそ…私が守る。だから……!!」

恐る恐る差し出した手。その手を、ヴィヴィオは揺れる瞳で見つめている。
取ってはいけない。そう自分に言い聞かせるが、それでも……気持ちを抑える事は出来なかった。

「教えて、本当の気持ちを」
「わた、しは……なのはママの事が……………大好き。ずっと一緒にいたい!
帰り…たいよ、みんなの所に…もう一度、翔に会いたい! 助けて…ママ……」
「……助けるよ、必ず。約束したから!!」

レイジングハートを一振りすると、なのはの足元に魔法陣が出現した。
だが、ヴィヴィオの身体が自動的にそれを阻もうとする。
しかし、彼女が動き出すその直前……

「ストラグルバインド!!」

もう動けないだろうと思っていたユーノのバインドにより、その動きが封じられる。

「ユーノ君」
「やって、なのは。こっちは僕が抑える」
「………うん! ヴィヴィオ、ちょっとだけ…痛いの我慢できる?」

なのははその場から飛び上がり、二機のビットと合わせて3つの魔力砲の収束を開始。
高町なのはが誇る、最強の切り札。魔力が拡散する環境下では最悪の相性だが、それでも散布された周辺魔力を収束。
疲労とダメージで維持すらも苦しいが、ユーノが守り、僅かに回復してくれたおかげでもう少し保つ。

「……うん」
「防御を抜いて、魔力ダメージでノックダウン。行けるね、レイジングハート」
《Clear to go》

目の前で、加速度的に大きさと光度を上げていく桜色の光球。
わかってはいても、それでもヴィヴィオの身体が僅かに震える。
だがそれも仕方がない。こんなものを前にして、恐れるなと言う方が無理な話だ。
しかし、突如として手から伝わった温もりが、総身を駆け廻る恐怖を和らげた。

「ぇ?」
「って、ユーノ君! そんな所にいたら……!」
「いや、まぁ危ないってのはわかってるつもりなんだけどさ。昔は、何度もブレイカーの試し打ちにも付き合ったし。それ以前にもう魔力だってほとんど残ってない訳だけど……。
でも……ほら、怖くて震えてる子がいるんだから、手くらいは…握っててあげたいでしょ?」

満身創痍の身体を引き摺って、ユーノはいつの間にかヴィヴィオの傍らに立っていた。
傷ついた左腕を力なく垂らしながら、辛うじて動く右腕でヴィヴィオの手を握ってやる。
せめて、この子の恐怖が和らぐようにと。

「……もう、しょうがないなぁ。じゃ、ヴィヴィオの事、お願い」
「うん、任された」
「それじゃ、いくよ!…………全力、全開!! スターライト……ブレイカ―――――――――――――!!!」

天高く掲げたレイジングハートを振り下ろすと同時に、桜色の巨砲が放たれる。
視界を埋め尽くす光の奔流を前に、ヴィヴィオは咄嗟に手を握る男の方を向く。
するとユーノは、ヴィヴィオを安心させるように優しい頬笑みを浮かべていた。

「……パパ…………」

思わず、消え入りそうな声でヴィヴィオはそんな言葉を口にする。
そして間もなく、二人は桜色の光に呑まれた。



全てを終えた時、玉座の間には一つの巨大なクレーターが生じていた。
その僅かに手前では、レイジングハートで辛うじて体を支えながら、荒い息を突くなのはの姿。

「…ヴィヴィオ、ユーノ君……」

弱々しい足取りで、なのははクレーターの中心部分を覗き込む。
そこには、元の5歳前後の姿に戻ったヴィヴィオと、砕け散ったレリック。
そして、物の見事に伸びたユーノの姿。

「えっと…………大丈夫?」
「ぅん」
「……あんまり」

どうやらなんとか意識は残っているようだが、ヴィヴィオと違い声に覇気がない。
まぁ、満身創痍でアレの直撃を喰らったのだから、当然と言えば当然だが。
しかし、こうして直接受けるとより強く思う「なのは、幾らなんでもこれはやり過ぎ」と。

とはいえ、ヴィヴィオも相当身体に来ているらしい。
立ち上がろうとするも、フラフラとして中々思う様に立ちあがる事が出来ない。
なのはは駆け寄って助け起こそうとするも、ヴィヴィオは『一人で立てる』『強くなると約束した』と口にし、本当に一人で立ち上がる。
その姿と言葉に感極まったのか、ヴィヴィオが立ちあがると堪え切れなくなり駆け寄ってヴィヴィオを抱きしめるなのは。そのまま片手でヴィヴィオを抱き上げると、苦笑しながらユーノにも手を差し伸べる。

「立てる、ユーノ君」
「あぁ…うん、なんとか」

さすがにヴィヴィオが一人で立ちあがった中、自分だけ起き上がらないのではバツが悪い。
もちろんなのはの手を借りたりはしない。
だが、なのはとしてはどうにもそれが少々不満の様だが。

「もう、別に掴んでくれていいのに……」
「いや、さすがにそれは格好が付かないし……」

カッコつけている場合ではないとはわかっているが、男とはそういう生き物だ。
ましてや相手が、長年密かに思いを寄せる相手となれば尚の事。

不満そうななのはとそれを宥めるユーノ。
どこか和やかなその雰囲気は、最早『二人の空間』と言っていいだろう。
しかしそこで、交互になのはとユーノの顔を見比べていたヴィヴィオが突然こんな事を言い出した。

「なのはママ……」
「うん。おかえり、ヴィヴィオ」
「じゃ、こっちがパパ?」
「「え”?」」

ヴィヴィオの何げない一言により、和やかだったその場の空気が凍りつく。
一瞬ヴィヴィオの言ったことの意味がわからず、眼を白黒させ、次に顔を見合わせる二人。
だが、徐々にその言葉の意味が浸透してくると…なのはの顔が途端に赤く染まった。

「ヴィ、ヴィヴィオ! ユーノ君は、えっと…その……なのはママの友達で、魔法の先生で、今は無限書庫の司書長さんをしてて、その傍ら考古学者さんもしてて忙しいだろうから、そんなこと言ったら迷惑だろうし……でも確かにヴィヴィオにはパパが必要かなとは思ってはいたわけで、それはとてもいいことなんだと思うけど…でもでもそれはやっぱりちょっと恥ずかしいって言うか、まだ心の準備ができてないって言うか……ユーノ君の気持ちとか都合とか色々あるわけで……」

慌てて何事かまくしたてるなのはだが、支離滅裂でなにが言いたいのかわからない。
どうやら完全にテンパっているらしい。しかし、当のユーノはと言うと……

「あ、いや……僕は別に、パパでも良いかなぁ、何て……うん」

照れながらも、はっきりと自分の気持ちを言葉にしていた。

「ぇ……ユーノ君、それって……」

思いもよらないユーノの告白に、まんざらでもない様子で更に赤面するなのは。
百面相を演じるなのはと、照れつつ顔を逸らすユーノ。
そんな二人を不思議そうに見ているヴィヴィオだったが、そこへどこか呆れた調子の声が割って入る。

「あ~、お二人さん? イチャつくのはええんやけど、TPO位わきまえてくれへん?」
「しっ! ダメですよはやてちゃん、邪魔をしちゃ! あ、お二人とも気にせず続きをどうぞです。
私達の事はカカシかお地蔵さんとでも思ってくださいです」
「は、はやて!? いつからそこに!」
「リインまで! っていうか…い、イチャつくって、ちょ、はやてちゃん!?」
「ほうほう、これだけバカップル臭巻き散らしといてまだ言うか。どない思う、リイン?」
「どっからどう見てもイチャイチャラブラブしてたですよ~」
「せやなぁ、イチャイチャラブラブやったなぁ」
「二人とも、なんでここにいるのとか、いつから見てたのとか色々聞きたい事はあるけど、とりあえず……それ死語だから」
「はやて、言ってる事がまるで中年オヤジみたいだよ……」
「こんな華の乙女捕まえて、中年とはなんやぁ!!」
(否定できないですよねぇ……)

ちなみに、いつから見ていたかと聞かれれば……なのはがユーノに手を差し伸べた辺りからである。

「ぁ、部隊長。パパ会えた!」
「せやなぁ、良かったなぁヴィヴィオ」
「……待って、もしかしてヴィヴィオに吹きこんだのって……」
「はい、はやてちゃんですよ」
「あ! リイン、それは秘密やとあれほど……」
「は~や~て~ちゃ~ん?」

『ギリギリギリ』と、まるで油の切れたロボットの様な動きではやての方を向くなのは。
その形相は、最早言葉にできない程に壮絶だ。端的に言うと、正に「悪魔」そのもの。

「怖っ!? 怖いでなのはちゃん!
 ヴィヴィオやユーノ君の前でええんか、そんな顔して! ほんま悪魔みたいになっとるで!」
「いいよ、悪魔で。悪魔らしいやり方で、頭冷やしてもらうから」
「勘忍や―――っ!? ぁ、そんなぶっといのはらめ~~~~~~っ!?」

鬼の形相を浮かべるなのはと、あられもない嬌声をあげるはやて。
ユーノはユーノで知らぬ存ぜぬを通しながら、ヴィヴィオとリイン、二人の眼をそそくさと掌で隠す。
アレは、子どもたちが見るにはまだ早い、情操教育的に。






あとがき

更新が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
なんだか途中からどうにも筆が進まなくなってしまいまして……まぁ、どうにか書けたから良いんですけどね。
いや、ラストが何故かこんな事になってしまい、ちょっと悪ノリし過ぎたかなぁと反省はしてますけど。

それと、実は常々不思議だったことがありまして……なぁ~んでクアットロがやられたらガジェットが止まったんでしょうね。ヴィヴィオの洗脳が解けたのはまぁいいですし、同様にルーテシアの洗脳も解けたんでしょうから召喚獣達の暴走も止まるのは別にいいんですよ。
でも、ゆりかごから降下してくるガジェットは普通に動いているのに、なんで地上に降りてた分は止まったんでしょうね。それがず~っと不思議でした。いや、割とどうでもいいことなのですが。
ただ、私としてはいまいち釈然としないので、一応クアットロがやられた後もガジェットは普通に動いている事にしています。



[25730] BATTLE 46「受け継がれた拳」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:49

「シッ!!」
「イェイ!!」

鉄槌の如く振り下ろされる肘と、風を切って蹴り上げられる膝。
両者は立ち並ぶ高層ビル群の上空で真っ向から重々しい激突音と共にぶつかり、拮抗した。
が、均衡は一瞬にも満たない間に崩れ、重力の恩恵を得た肘が膝を押し退ける。

「っとと……!」

渾身の膝を弾かれ、空色の髪の青年…アノニマートの体勢が崩れる。
とはいえ、彼ならば即座に崩れた体勢を立て直すくらい訳はない。
それどころか、流れるような体捌きで崩れた体勢を逆に利用し、今まさに眼前を落下していく敵に反撃しようとする。その間に要した時間は、それこそ一秒にも満たない。

しかし、僅かであっても隙は隙。
そしてその隙を、見逃すギンガではない。

アノニマートの膝を弾いた瞬間、ウィングロードを展開。
着地の為に折った膝を即座に伸ばし、屈伸運動を利用した掌底で顎を狙う。

「はぁっ!」
「ほいっと」

この体勢では、今から掌底の回避は間に合わないと見切りを付け、自身の顎の下に両手を差し挟む。
ギンガの掌打は確かにアノニマートの顎に衝撃を与えたが、本来狙った威力からは程遠い。
顎と掌底の間に挟み込まれた両の掌がクッションになり、ダメージを緩和したのだ。

だが、ギンガはそれに落胆した素振りを見せない。
それもその筈、彼女には密着状態からでも敵を打倒できる手札があった。
ウィングロードを踏み、得られた勁力を全身で増幅しながら密着させた掌へと送り込まんとする。

しかしその直前、ギンガの視界の隅を影がよぎった。
僅かに垣間見えた程度の影だが、ギンガはその正体を正しく見極め、片足を引く事で真半身に。
刹那前まで彼女の身体があった空間を、鋭い蹴りが通り過ぎる。
あと僅かに避けるのが遅ければ、今頃強烈な前蹴りが鳩尾に突き刺さっていたことだろう。

とはいえ、これにより身体が伸び切ってしまい、折角練り上げた剄力が泡と消えてしまった。
その上、アノニマートは掌越しに顎に添えられたギンガの右拳を逆に掴み、蹴りの反動を利用して一息に捻りあげる。

「くぁっ……!?」

手首に、肘に、肩に…右拳へと繋がる各関節が次々に連動し、稼働域の限界を訴えるように悲鳴を上げる。
それに苦悶の表情を浮かべるギンガだが、手をこまねいている場合ではない。
これ以上捩じられれば関節を外され…最悪、筋肉や靭帯にも痛手を被ることになる。
そうなれば、無理矢理関節を嵌め直したとしても右腕は使い物にならなくなるかもしれない。
関節を嵌め直すとなれば相当の痛みを覚悟せねばならないが、筋肉や靭帯が傷つけば物理的に動かせなくなってしまう。

唯でさえ相手は対等以上の実力の持ち主。
それは、あまりにも致命的過ぎる。

「右腕…もらい!!」
(させるもんですか!)

両手に続き両足まで使ってアノニマートは腕を極めて来た。
だがそこで、ギンガは伸ばしたウィングロードを疾走する。
腕を捻ってくるというのなら、捻るのと同じ方向へと身体を回転させてしまえばいい。
ギンガは敢えてアノニマートの力に逆らわず、身体を反転させて難を逃れた。

さらに、左腕に装着したリボルバーナックルを唸らせる。
そして、自身の右腕に四肢を絡ませるアノニマートへ向け、鋼の拳を叩きこんだ。

「ぜりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



BATTLE 46「受け継がれた拳」



充分に力の乗った一撃を受け、眼下でそびえるビルへと叩きつけられたアノニマート。
彼は屋上で大の字になって倒れ、動く素振りは見られない。
ギンガはそれをウィングロードの上から見下ろしながらも、その瞳から険しさが消える事はなかった。

(手応えはあった、確実にダメージは与えられた筈。だけど……)

そっと右手で脇腹を撫でる。すると、手から伝わってきたのは粘性のある液体の感触。
また、鼻孔をくすぐるのは薄らと香る鉄の匂い。

脇腹を撫でた右掌に視線を落とすと、そこには手袋をうっすらと染めた紅い命の雫。
幸いにも傷は浅い様で、手を染める血の量も微々たるもの。
だがギンガには、とてもそれを楽観的に受け止めることはできそうになかった。

(もし、少しでもタイミングが違っていたらと思うと、ゾッとするわね……)

ギンガが打ち込むのと前後して、アノニマートは彼女の腹に向けて貫手を放っていたのだ。
辛うじてギンガの拳が先んじたからよかったものの、万が一でも逆になっていれば、今頃どうなっていたことか。

これで楽観的になれるとしたら、よほど自信過剰な阿呆くらいだろう。
なにより、この闘いはまだ終わっていないのだから。

「よっこいしょっ…いやぁ、効いた効いた。この拳の重さときたら、初めて会った頃とは別人だ。はてさて、この成長を僕は喜ぶべきか、それとも悔しがるべきか……どっちだろうね?」

ビルの屋上で身を起こし、クツクツと笑みを零す。
その所作には溢れんばかりの余裕が滲みでており、一瞬効いていないのではないかという不安が頭をよぎる。

しかし、ギンガは即座に頭を微かに振って否定する。
あれは苦し紛れに放った雑なものではなく、ウィングロードを足場に震脚を効かせて打ち込んだ一撃だ。
相手が人外のタフネスを誇る師のような人種ならともかく、アノニマート相手にそれはない。
少なくともある程度のダメージは与えている筈だと、自分自身に言い聞かせる。

(ホントに、良い性格をしてるわ)

恐らく、彼の台詞や態度は半分素で残り半分は演技によるものだ。
元々ああいう性格なのだろうが、意図的にそれを助長することで精神的に揺さぶりを駆けている。

力が強さではない様に、強いから勝利するとは限らない。
闘いは心の駆け引きに持ち込まれる事が多くある。どれほど強くとも、迷いのある拳では打倒できないのだから。
その事を知っているからこそ、アノニマートはわざとああいう態度を取っているのだろう。
それを卑怯だとは思わない。話術も立派な兵法だと、耳にタコができるほどに言い聞かされてきたから。

「ところで……いいのかな? いつまでもそんな所にいて」
「どういう意味?」
「いや、だってさ、このままだと回復するまでこうしてるつもりだけど…いいのかなぁって」

そう。アノニマートとしては、ギンガが追撃を駆けて来ないのならその間は休んで回復に努めれば良い。
逆に言えば、折角相手にダメージを与えられたこの好機を、ギンガが逃す手はないのだ。
セオリー通りに行くなら、ここは徹底的に畳みかける場面。
むしろ、相手に休み暇を与えるなど、愚の骨頂でしかない。

もちろん、ギンガとてその程度はわきまえている。
だが、しないからには当然、それ相応に理由があるのだ。

(私の射砲撃じゃ、この距離は射程圏外。仮に届いても、当たってくれるような相手じゃない。
出来れば近づきたいのは山々だけど、地の利を捨てていいものかどうか…そこが問題ね)

先ほど戦っている時も思ったが、アノニマートはなんとかギンガを地上に引きずり降ろそうとしている。
今も、ダメージからの回復という目的もあるのだろうが、自分から上にあがろうとしていない。
つまり、彼もまた理解しているのだろう。空中戦闘は、ギンガに分があると。

空戦魔導師を始め、魔導師は全般的に空中戦や高低差に強い。
自由に空を飛びまわる空戦魔導師は当然だし、陸戦型にしても空戦型と闘う事を意識せずにはいられない。
その為、必然的に彼らは空中戦や対空戦に長けて行った。
特にギンガの場合、陸戦型ながらもウィングロードと言う空中戦を行える魔法を持っているだけに、他の陸戦型以上に空中戦及び対空戦を得手としている。

反面、地球で開発された武術と言うのは、あまり空中戦が得意ではない。
まぁそれも当然の話で、世の理とは「適者生存」。その時代、環境により適した物が生き残り、発展していく。
魔法文化のない地球では、空を縦横無尽に飛び回る敵と闘う事など考えられない。
その為、必然的に地球の武術は地上にいる敵と闘う事を前提に進化を遂げて来た。

無論、中にはルチャリブレのように空中戦を得意とする武術もあるにはあるし、ジャングルファイトから発展したプンチャック・シラットなどは比較的高低差を利用した技が多い。
だがそれらは、結局「跳躍」や「地形」と言う領域から出る事はなく、故に魔導師の「飛翔」には到底及ばない。
達人級ともなればこの領域を逸脱していくが、それでも空中における自由度、対空戦の蓄積においては「魔導」に分がある。

そのため、戦闘理論の根本に闇の十武術を据えていながら、ギンガのように空中でも地上と同等に動く術を持たないアノニマート相手には、空中戦に徹するのが正しい。
もちろん、彼とて空中戦が鬼門である事を理解した上で、その対策は取っている筈だ。
実際、だからこそ空にいながらも、彼はギンガを相手に引けを取らなかったのだから。
迂闊に地上に降りれば、彼の有する技術が十全に発揮され、形勢が逆転する可能性がある。
その上、相手にはまだ奥の手が残されている。

(みすみす回復するのを見ているなんて馬鹿げてるけど、それでも地の利を捨てるわけにはいかない。
 まだ向こうには、イグニッション・スキンがある)
「やれやれ、そっちから来ないのなら…………しょうがない」

ギンガが逸る心を制する中、肩を竦めるようにしてため息をついたアノニマートは、展開した魔法陣を足場に軽い足取りで空へと駆け上がってくる。
分の悪い空であっても気にしないその素振りは自信の表れか、それとも何らかの策があるのか。
ギンガはその両方を念頭に置きつつ、油断なく構えを取る。

「確かに空中戦は対武術家戦のセオリーだ。でもね、それじゃあ……魔導師の弱点はなんだか知ってるかい?」
「……」
「正解は……っ!」
「上!」

アノニマートの姿が視界から消えると同時に、ギンガは即座に自身の真上を見上げる。
するとそこには、案の定アノニマートの姿。
ただし、展開した魔法陣に天地逆様の状態でしゃがみこみ、踏み砕かんばかりの力でそれを蹴った。

「ディエゴティック…フライングボディーアタック!」
「って、はい?」

予想もしなかった、自ら身体の正面を晒しての落下体当たり。
これはもう、「どうぞ好きなように打ち込んでください」と言わんばかりに隙だらけ。
あまりの事に一瞬あぜんとしてしまったギンガだが、とりあえず落下速度だけはあるので、気付けばアノニマートはすぐ目の前。いったい何を考えてこんな隙だらけの技を使ったのかは知らないが、それでもこれは好機。

疑問をはじめとしたアレこれはとりあえず頭の隅に追いやり、左拳をアノニマートの鳩尾目掛けて突き上げ、同時に左足でウィングロードを踏み込む。
震脚で得た力を拳に加算し、「天王托塔(てんのうたくとう)」が放たれる。

「チッチッチ……」
「っ!」

が、拳が触れるまであと僅かと言う所で、アノニマートは空中で器用に身体を回転。
ギンガの一撃は空を切り、その間にアノニマートはギンガのすぐ横に四肢を付く様にして着地する。
そして、手で身体を支えて軸にし、強烈にしてアクロバティックな回転蹴りを放つ。

「くぅっ!?」

プンチャック・シラットの一手「トウンダンアン・グリンタナ(地転蹴り)」。
なんとか空いていた右腕をたたみ防御はしたが、身体が伸びた所への一撃で踏ん張りが効かない。
ギンガは為す術もなくウィングロードの外へと弾き出され、重力に引かれて落下を開始。
そこへ、ギンガが離れた事で消えつつあるウィングロードを蹴って、アノニマートが追撃を駆ける。

放つは、これまたプンチャック・シラットより「猛獣跳撃(スラガンハリマウ)」。
狙うは首。虎に擬態し、跳躍しながら襲い掛かり、体重と落下の勢いで首をへし折る必殺の一撃だ。

(高低差を利用する技の多いシラットと、空中戦を得意とするルチャを駆使した変則攻撃は確かに凄い。
 これなら私達(魔導師)が相手でも引けは取らないかもしれない。だけど、これが私達の弱点だというつもり?)

だとすれば、考えが甘い。この組み合わせは、あくまでも空中戦を得意とする魔導師と渡り合うのに有効と言うだけで、魔導師の弱点を突くものではないからだ。
実際、今こそ重力に引かれて落下しているギンガだが、彼女がいつまでもそれに従っている理由はない。

再度ウィングロードを展開し、「猛獣跳撃(スラガンハリマウ)」から逃れる。
続いて、敵が体勢を立て直すより速く、ウィングロードを疾走して背中を取った。
そのままなんの捻りもない、だからこそ基本に忠実な正拳突きが放たれる。

「おおおおおお!!」

真後ろからの攻撃では、防御も反撃も人体の構造上不可能に近い。
出来るとすれば、「靠撃(こうげき)」などの背面を使った体当たり位。
もちろん、中国拳法も学ぶギンガはその可能性も予想済み。
仮に敵がその手できても、更に返す算段は付いていた。

しかし、アノニマートが選択したのは防御でもなければ、反撃でもなく…回避。
それも、前後左右のいずれでもなく、ましてや上でもない下への。

(……低いっ!)

いつの間にか展開した魔法陣の上に着地し、まるで地に伏せるかのように身をかがめたアノニマート。
ギンガの拳はその真上を通過し、彼女の視線だけがその動きを追っている。

アノニマートは体勢を低くしたまま身体を反転。
続いて、ギンガを正面に捉えると地を這う蛇の様な動きで接近を果たす。
そのまま脚を刈り取りにかかるが、ギンガは突き放さんと咄嗟に背足蹴りを放った。
だがそれを、身体を振って薄皮一枚の所で回避したアノニマートは、蹴り上げられた脚を担げてひっくり返す。

背中から倒されたギンガだったが、なんとか受け身を取った事でダメージは軽微。
しかしそこへ、ギンガが起き上がるより速く伸びた四肢が関節を極めに掛かる。

急ぎ関節技から脱出しようとするが、先手先手を取られて抜け出せない。
いや、そもそもこうして倒されてしまった時点で手遅れなのだろう。
抜け出そうとするなら、それこそ抜本的に状況を変えるしかない。

「っ!」

ギンガの意思に呼応し、二人分の体重を支えていたウィングロードが消失する。
二人の身体は空中に放り出され、居心地の悪い浮遊感が身体を包む。

支えを失った事で、一瞬アノニマートの力が緩んだ。
ギンガはその機を見逃さず、あらんかぎりの力で振りほどく。
さらに離れ様に蹴りを入れ、仕切り直しとばかりに距離を空ける。

だが、不十分な体勢からの蹴りではアノニマートの攻勢を弱めることはできない。
瞬く間のうちに距離を詰め、再度足元から伸びあがる様にして貫手を放つ。

「らぁっ!!」

繰り出されたのは、強い回転を加える事で貫徹力を上げた「ねじり貫手」。
放たれた矢か銃弾の如きそれは真っ直ぐにギンガの胴へと伸び、当たればその身を貫く事も可能だろう。
それに対し、ギンガもまた自身の右手で手刀を作り、左下から切り上げる事でそれを弾きにかかる。

「えあっ!!」
「ぬん!」

危うい所で貫手の軌道は逸れ、ギンガの脇腹を掠める様にして通り過ぎる。
二人はそのまま擦れ違い、それぞれ別々のビルの屋上に着地する。
いつの間にか、随分と高度が落ちていたようだ。

それはそれで由々しき問題だが、他にも問題がある。
何しろ視線を落とせば、そこにはまるで何かに抉られたかのように無残に引き裂かれたバリアジャケットと、痛々しく浮かび上がった内出血の痕。
直撃こそ避けたが、掠めただけでこれだ。
直撃すれば、あの貫手は必殺の名に相応しい威力を発揮するだろう。
されど、それはギンガの手刀にもまた言えること。

「いやはや、全くどういう腕の構造をしているのやら。
打たれた腕が飛ぶかと思ったよ。イチチ……ははっ、左手に力が入らないや」

ギンガが後ろを振り向くと、そこには「パッパッ」と痛みと痺れを払うように手を振るアノニマートの姿。
その左腕にはくっきりと青痣が浮かんでおり、先の一撃の威力を物語っている。
まぁ、彼女の師のそれであれば、最早『打撃』ではなく正真正銘の『斬撃』と化すのだろうが。

「だけど、もう気付いたんじゃないのかな? 魔導師の弱点」
「……」

相変わらずの朗らかさで指摘され、ギンガは微かに臍を噛む。

「空中戦や対空戦、あるいは対『対空戦』に優れる魔導師は、確かに空の闘いに優れ、高低差にも強い。
 それは、ルチャリブレやプンチャック・シラットでも一歩譲らざるを得ないだろうね。
 だけどダメだよ、上と下ばっかり気にして足元を疎かにしちゃ~♪」

そう、それが魔導師の弱点だ。
魔導師は上下の動きに強く、攻撃範囲も広い。
一見死角がないようにも思えるが、彼らにも死角がある。
それが低い位置…より正確には足元からの攻撃。

この場合の『下からの攻撃』と『低い位置からの攻撃』は似ているようで僅かに違う。
体感的な話になるが、『低い』と言うのは『近く』て『遠い』のである。例えば、直立した姿勢で手を伸ばしても爪先には届かない、別に隔絶した距離がある訳でもないのに。
それはつまり、触れられそうな程に『近く』、それでいて手を伸ばしただけでは届かない程度に『遠い』と言う事。自分の足元という、酷く近い場所にもかかわらずこんなにも遠い。

この微妙な距離からの攻撃に、思いの外魔導師は不慣れなのだ。
射砲撃のように『発動』『射出』などのプロセスを踏んでいては、敵が足元にいる状況では先手を取られてしまう。しかし近接戦を仕掛けようにも、足元にいられては酷く選択肢が制限される。距離を空けようにも、この近さではよほど速度に差がなければ引き離すことは難しい。
『魔導』と言う超常の力を有しても尚、人にとって足元は変わらず死角なのである。

ましてやその敵が、関節技や締め技と言った次元世界ではほとんどお目にかからない技術を駆使してくれば、なおのこと魔導師にとってはやり辛いだろう。
地球の武術を学ぶギンガだからこそ、なんとかこれらに対応できるのだ。

(不味い。地上に降りれば、足元からの低空攻撃もしやすくなる。それなれば、ますます不利に……)
「さて、このまま互いの武を競い合うのもそれはそれで楽しいんだけど……とりあえず技術的に引けを取らないことは証明できただろうし、そろそろ……」

アノニマートの雰囲気が一変したのを鋭敏に感じ取り、ギンガの顔色が変わる。
先ほどまでも充分に警戒したが、そこへ緊張の色が強まった。また、構えも絶対防御の「前羽構え」。
それらが、ギンガがどれほどアノニマートの事を警戒しているかを物語っている。

「使わせてもらうよ。僕は君を侮ったりしない、むしろ高く評価し、警戒している。
だから出し渋って負けるなんてバカらしいし、なにより…………全力で倒す事こそが礼儀だと思う」

それまでの軽い態度はナリを潜め、武人としての顔が表に出て来る。
その代わり様は、まるで別人であるかのようだ。
だが、どちらが本当の彼なのかを論じることに意味はない。どちらもアノニマートの一側面に過ぎないのだから。
ただ今は、初めて『勝ちたい』と思わされた好敵手との決着を前にして、武人としての面が強く出て来たというだけに過ぎない。

「行くよ、IS…イグニッション・スキン!」

宣言すると同時に、爆発的な加速と共にアノニマートはギンガ目掛けて疾駆する。



  *  *  *  *  *



時を同じくして、クラナガン市街地。
一影九拳が一人『拳豪鬼神』と名乗った夏の気当たりにより、足止めされていたシグナム。
常人ならば呼吸すら困難になるような緊張感に、場の空気が支配されている。

それを感じ取っているからか、野良犬はおろか虫一匹たりとも近寄ってこない。
故に、彼方で行われている戦いの喧騒が嘘のように、この場は痛い程の静寂に包まれている。
しかし、その静寂と緊張感はなんの前触れもなく、夏自身の手によって打ち破られた。

「そうか。ま、足止めとしちゃ十分か……」

小さく、虫の鳴き声程にも思える大きさで夏が呟く。
普段であれば誰の耳に届く事もなく消えてしまいそうなそれだが、あまりにも静かすぎるこの場ではその限りではない。

夏の言葉はシグナムの耳にもしっかりと届き、彼女は僅かに怪訝そうか表情を浮かべる。
それもその筈、先ほどまで叩きつけられていた気当たりが途端に消え、夏は躊躇なくシグナムに背を向けたのだから。

「(誘いか? だが、それにしては……)貴様、どういうつもりだ」
「さてな。時間切れ、と言ってもテメェにはなんのことかわからねぇだろうよ」
「なに?」

夏の呟きを反芻し、思考を巡らせる。
素直に受け取るなら、シグナムを足止めする意味がなくなった。つまり、ゼストがどんな形であれ目的を達したという事だ。
しかし、どうにもそれでは釈然としない何かが引っかかる。
どちらかと言うと、足止めなどと言う時間潰しに費やす時間がなくなった、と言う風に聞こえたからだ。
だがその間にも、夏はシグナムから遠ざかっている。

「待て! 貴様、いったい何を……」

咄嗟に引き留めようとしたが、僅かに早く夏はその場から姿を消してしまう。
追うべきかどうか一瞬悩んだが、リインを先行させた地上本部へ向かう事を優先する。
あれがこの場にいた目的は定かではないが、良からぬ事をしようと言う雰囲気ではなかった。

相手が相手なので、何かが起こってからでは遅いという懸念はもちろんある。
しかし今は、それよりも優先せねばならないことが他にあるのだ。

シグナムは僅かに後ろ髪を引かれながらもそれを振り切り、地上本部へ向けて飛翔する。
ただし、念の為に警告だけは残して。

「こちら機動六課ライトニング2、シグナム二尉だ。
 市街防衛に参加している全局員に通達、フードを被った黒服の男が現れたら手出しはするな。命が惜しければ、ガジェットの侵攻を阻む事だけに集中しろ。
 繰り返す、フードを被った黒服の男には手出し無用。いいな!」

どの程度の局員がこの警告に従ってくれるかは分からない。
中には、職務に忠実すぎるあまりに手を出してしまう者もいるかもしれない。
詳細を説明できればいいのだが、しても大半の者は信じてくれないだろう。
なにしろ達人と言う非常識の存在は、未だ六課と108部隊位にしか認知されていない。
時間もない中、皆に信じてもらえる説明をできる自信が彼女にはなかった。

(切り替えろ、今はこちらの方が先決だ!)

気持ちを切り替え、シグナムは視線の先にそびえる地上本部に意識を集中する。
大分時間を削られてしまったが、その分を取り返そうと際限なく飛行速度を上げて行くのだった。



そして、シグナムの足止めを切りあげた夏はと言うと……

「ほぉ、アンタも来てたのか」

とあるビルの屋上で仁王立ちする男に声を掛ける。
一応知らない仲ではないのか、その声音には親しみ…とは言わないが、それに近い感情が込められていた。

ただし、男からの返事はない。それどころか、夏の方を見向きもしない。
しかし、夏は夏でそんな事は期待していなかったのか、気にした素振りも見せずに男の隣へと足を運ぶ。

「ま、知らねぇフリを通すこともできねぇか。何しろあれは……」

そこまで言いかけて、夏は途端に口を噤む。
何しろ、隣に立つ男が静かに…だが、決して穏やかとは言えない眼差しで夏の横顔を微かに睨んでいるのだから。
その視線に込められた無言の圧力は、一影九拳を名乗るに相応しいだけの力をつけた夏をして、冷たい汗をかかせるに足る。

しかし、別にその視線に負けて口を噤んだのではない。
彼は、義兄とは違って踏み込んではならない領域と言う物をわきまえている。
義兄の場合は無意識だが、それでもデリカシーに欠けることに変わりはない。
生憎とアレに倣う気は更々ないのだ。

(さて、どんなもんか見せてもらおうじゃねぇか)

視線の先で繰り広げられている戦いへ、夏は品定めをするような…同時に、見守る様な視線を向ける。
義兄の弟子と、夏とも親交のあった男の血を継ぐ少年の闘いへと。
とそこで、それまで無言を通してきた男が蒼い空へと視線を向けて呟いた。

「なにか、来るな」
「ああ、この祭りも……もうじき終わりって事だろうよ」
「……」
「ああ、ガキの喧嘩とはいえ…それでも誰にも邪魔はさせねぇよ。アンタも、そのつもりなんだろ」

夏の問いに対し、返事は返ってこない。
その後は夏も口を閉ざし、二人はただ無言で決闘の結末を待つ。



  *  *  *  *  *



だが少し考えてみれば、それは至極当たり前の帰結で。
元々、明確な差のない力を持つ二人が拮抗した闘いを繰り広げる中、片方に「+α」が加わればどうなるか。
その「+α」の程度にもよるだろうが、天秤を傾かせる一因としては充分だろう。

「ハッ…ハッハッ、ハ……」

クラナガン市街上空で対峙するギンガとアノニマート。
しかしその様相は、ほんの十数分前とは大きく異なっている。
片や、僅かに息を乱しながらも悠然と立つアノニマート。
片や、今にも倒れそうな程に消耗し、荒い息をつくギンガ。

無理もない。アノニマートのISは攻撃・防御・移動の全てに応用が効き、なにより格闘戦において絶大な威力を発揮する。同じ格闘型だからこそ、その威力を真正面から受け止めざるを得ない。
むしろ、ここまでその猛威に晒されてなお立ち続けられる事こそ、アノニマートにとっては驚きだ。

(わかってはいたつもりだったけど……師弟揃って、つくづくタフなんだから)

受け継がれた記憶に残る男と重なるその姿。
充分以上に評価し、警戒していた筈だが…それでもなお見立てが甘かったと思い知らされる。
とはいえ、それでも相手が最早満身創痍なのも事実だ。

(さて、あんまりいたぶるのも趣味が悪いし、次でケリをつけれたらいいんだけど……)

別に、アノニマートに敵をいたぶったり嬲ったりする趣味はない。
むしろ、心から認める相手であればこそ、明快な決着を望むのは武人の性だろう。
故に、この状況はアノニマートの意図するものではなく、ギンガの奮闘による部分が大きい。

唐突に加速してくる強烈どころではない拳や蹴りを、的確に芯から外す。
その作業が彼女はべらぼうに上手い。
普段から達人の拳に慣れ親しみ、その上でさらに対策を練ってきた成果だろう。
これにより受けるダメージを最小限にとどめているからこそ、今もギンガは立っていられるのだ。
だが、それが結果的にこうして時間を掛けて削られる様な戦況を作る原因でもあった。

「そんな事をしても、苦しい時間を引き延ばすだけだ。だからもう抵抗はやめて、潔く散ったらどうだい……なんて言った所で無意味なんだろうね、君には」
「当…然でしょ。私は、絶対に諦めるな…って、教わったんだから」

まったく、そんな言葉にするには簡単で、しかし何よりも実行が難しい事を教えたのは誰だろうか。
師か、それとも親か。どちらかと言えば、恐らくは両方ではないかとアノニマートは思う。
そして、それは決して強がりでも虚勢でもないのだろう。事実、ギンガの眼はまだ死んではいない。
ボロボロの身体とは対照的に、眼光は一際強さと鋭さを増している気すらした。
立っているのもやっとの様な身体で、それでも彼女は虎視眈々と勝利を狙っている。

(怖い怖い…ああいう目が一番危ないってイーサン先生も言ってたけど……なるほど、納得)

爛々と輝く瞳に僅かに息をのみ、再度気を張り詰める。
勝負に絶対はない。どれほど技を極め、力をつけた強者でも、一瞬の油断で弱者に敗北するのが武の世界。
負けはないと思える状況であっても、「必勝」の気概を疎かにしてはいけない。
それが、ギンガとの戦いを通して彼が学んだことの一つだった。

相手は、そんな大事な事を教えてくれた好敵手。
だからこそ、全身全霊を以って屠る事こそが礼儀ではないか。

「――――――――――っ!」

防御を固めるギンガに、アノニマートは疾駆する。
ギンガの基本戦術は堅守。徹底的に守りを固め、あらゆる攻撃を耐え凌ぐ。
それは、イグニッション・スキンさえも防ぎ切り程に堅固なもの。
故に、一度これを崩してからでないと、決定打は望めない。

それをこれまでの攻防で知っているからこそ、アノニマートは奥の手を温存する。
針の穴ほどの隙が生じるのを待つ。

「へぁっ!」
「くっ!?」

間断なく放たれる拳打の雨を、ギンガは時に捌き、時にいなし、時に受け止めて耐え忍ぶ。
反撃は、やろうと思えばできなくもない。
重ねて言うが、ギンガとアノニマートの腕前はほぼ互角。
イグニッション・スキンさえなければ、対等以上の闘いをくり広げられる。

故に、嵐の如き猛攻であっても、ギンガには少なからず反撃の機会がある筈なのだ。
それでも決して反撃しないのは、イグニッション・スキンを警戒するからこそ。
もし、迂闊にも反撃に出れば、その際に生じる隙をアノニマートは見逃さない。
イグニッション・スキンによって加速された一撃は、確実にギンガのそれより速く届く。
そしてその一打は、充分にこの一戦の結末を決められる。

だからこそ、ギンガはひたすら待ち続けるのだ。
彼女が待つ狙い球は、ハナから一つだけ。

「シッ!」

手数重視の猛攻から一転、脳天へと振り下ろされる胴回し蹴り。
なんとか回避が間にあったが、アノニマートは着地と同時に再度跳躍。
真っ直ぐに顔面へと伸びて来る膝を両腕を交差して防ぐも、回避したばかりで充分とは言えない体勢では踏ん張りが効かない。

「くぁっ!」

飛び膝蹴りの威力に押され、ギンガの身体が僅かに仰け反る。
アノニマートはその隙を見逃さず、膝蹴りを放った右足を伸ばし左足で宙を踏む。
その瞬間、彼の左足の裏で何かが炸裂した。

イグニッション・スキンの反動を利用し、猛烈な加速と友に放たれる飛び蹴り。
ギンガはのけぞった身体を戻す事を辞め、敢えて重力に従いその場で倒れこむ。
ウィングロードから外れた事で、彼女は地面に向かって真っ逆さまに落下を開始。
だが、それによりなんとか蹴りの軌道からも外れることに成功した。

とはいえ、いつまでも落下していてはいつ追撃が来るかわかったものではない。
ギンガは急ぎ体勢を立て直し、再展開したウィングロードを駆けあがる。
がそこで、彼女の胴体を守る胸甲が砕け散った。

(ごめん、ありがとう……)

ここまで命を守ってくれたそれに、胸中で感謝を告げる。
決定打になったのは最後の飛び蹴りで間違いない。
かわしたと思ったのだが、完全にかわしきる事が出来ず、胸甲を掠めでもしたのだろう。

元々、これまでの激闘で全体にヒビが入り、いつ壊れてもおかしくない有様だったのだ。
ここまで守ってくれたことには、幾ら感謝しても足りない。

「厄介な胸甲も砕けた、そろそろ年貢の納め時って奴じゃないかな?」
「もう、勝ったつもりでいるの? はっ、はぁ…油断は、足元を掬うわよ」
「違いない。『百人の敵と闘う時は九十九人を以って中程とせよ』って言葉もあるしね、誰の言葉か覚えてないけど。ん? この場合なら、『息の根を止めるまでが決闘です』の方だったかな?」
「それを言うなら『100里の道も99里を以って半ばとせよ』で『家に帰るまでが遠足です』でしょ。絶対にこの状況とは合ってないから」
「そうだっけ? まぁ、細かい事は気にしな~い♪ というわけで、最後まで油断せずに行こう」

まるで登山中仲間を励ますかのような口ぶりで話しかけてくるアノニマート。
つくづくシリアスとか緊張感とかが持続しない男である。
まぁ、果てしなく好意的に解釈すれば、「いついかなる時も余裕を保っている」とも言えるのだろうが。

「さあ、次の打ち込みだ。もう守ってくれる胸甲はないからね。
 上手く守らないと、次は……アバラを貰って行くよ!」

体勢を低くし、アノニマートは地を這う蛇の如き動きで距離を詰めてくる。
かつて兼一は、似た様な戦い方をする相手に「居取り」と言う技で対処した。
だが、アノニマート相手にそれは通じない。彼自身が、ギンガと同等以上の柔術の使い手でもあるからだ。
迂闊に取りに行けば、逆に取られてしまう危険がある。

ギンガは一端後ろに下がって距離を取りながら、リボルバーシュートで牽制。
しかしそれを意に介すことなく、アノニマートの身体が加速する。

またもイグニッション・スキンを用いた加速によって迫りくる敵。
それに対し、ギンガは自らも姿勢を低く、右足を引き左掌を前へと突きだす。

『退歩掌破(たいほしょうは)』。
一歩引いた脚と、前に突き出した反対の腕を一直線にすることによって、向かってくる相手を返り討ちにするカウンター技だ。自分ではなく、相手の力を利用するこの技が成功すれば、敵は「地面に固定された柱に自ら突っ込んだ」状態になるこの技は、対イグニッション・スキンとしてとても有効な技だ。しかし……

(ヤバッ!?)

ギンガの狙いに気付き、なんとか接近を止めようとするアノニマート。
だが、イグニッション・スキンによる加速は本人の力の限界を超える物。
どれだけ止まろうとしても、自力で止まれるものではない。
そう、もし止まろうとするのなら……同等のエネルギーの逆噴射以外にはないのだ。

「破っ!!」

裂帛の気合と同時に、アノニマートの身体が途端にそれまでと真逆…真後ろへ向けて飛ぶ。
ギンガの掌はアノニマートに触れてはいない。つまり、退歩掌破は不発に終わったという事。
狙いを外され、ギンガの瞳が大きく見開かれる。

イグニッション・スキンはその性質上、一度発動させれば止まる事が出来ない。
放つ動作・攻撃は全て実。即ち、虚実の使い分けができない事こそが弱点。
故に、ギンガはアノニマートがイグニッション・スキンで接近してくるこの瞬間を待ち続けた。
それも、相手がこの可能性を失念するように、何度かあったチャンスを敢えて棒に振る事で、警戒心を抱かないように配慮までして。

しかし、そんなことはアノニマートも承知の上。
だからこそ、彼はこの勝負が始まってからずっと、ISの連続使用をしてこなかった。
使うのは常に一度だけ。その分のエネルギーのタメが済んでから、再使用。その繰り返し。
常に温存している一回分のエネルギーは、万が一の時に急制動を掛けるための物だ。
即ち、彼は迂闊に接近しても大丈夫なように、保険を掛けていたのである。

「ゲホッ、ゲホ……あっぶなぁ~。うん、今のはホントに危なかった……。
 あのまま突っ込んでたら、一発逆転は堅かっただろうね」

さすがにあの速度を一瞬にして0にし、それどころか真逆の方向へと移動する様な動きは、身体への負荷が大きかったのだろう。咳込むその姿からは、先ほどまでより幾分か余裕が失われている。
まぁそれでも、あのまま突っ込んでいるよりかはマシだ。
自分自身ですら完全には制御できない程の加速によって生じた勢いのままあの一撃を受けていれば、最悪それだけで戦闘不能になりかねない。
なにしろ、口調こそ相変わらず軽い物だが、その実背中には嫌な汗がにじみ出ている。
油断しているつもりはなかったが、それでも充分以上に肝を冷やしたのは間違いない。

(不味い…こんな奇策、2度も3度も使えるものじゃないのに……)

恐らく、もう2度とこんな策には嵌ってくれないだろう。
となれば、後は正攻法で打ち破るしかない。
一応、辛うじて最後の一撃の為の余力は残しているし、その為の技もある。

だが問題なのは、そのチャンスが巡ってくるかどうか。仮に巡ってきたとして、それまで温存しておけるかだ。
一撃必倒の大技なんて、普通に出したのでは当たってくれまい。入れるにはそれ相応の状況が求められる。
それが満たされるかどうかすら怪しいが、満たされたとしても、その時に撃つ余力がなければ意味がない。
もしこの先、アノニマートがギンガを削ることに終始すれば、その余力すら残らない可能性だってある。

そして、その時は決して遠くない。
今だって割とギリギリなのだ、これ以上削られれば本当に勝ちの目がなくなってしまう。

ならばせめて、一か八かでも打ち込むべきではないか。
あまりに分の悪い賭けに出るか否か、決断を迫られる。

しかしそんなギンガを余所に、突如アノニマートが空を振り仰いだ。
その瞳にはまるで悪い夢でも見ているかのような色を浮かべ、「冗談でしょ」と言わんばかりの表情で。

「うわっちゃぁ~……そんなのあり?」



  *  *  *  *  *



同じ頃、クラナガン市街地防衛線。
幾ら破壊しても際限なく侵攻してくる、ガジェットの群れ。

終わりのないそれを前に、防衛線を築く魔導師達にも疲労の色が濃い。
肉体的な疲労もそうだが、何よりも精神的な物が問題だ。
いつ終わりが来るともしれないそれは、急激に彼らの精神を追い詰めて行く。
今はなんとか持ちこたえているが、それもいつまでもつかは時間の問題だろう。
例えそれが、まだ比較的に余裕のある陸士108部隊であったとしても……。

「ああ、市街地戦の防衛ラインはなんとか持ち堪えてる。
 ガジェットどもが相手なら、まだなんとかならぁな」
「はい」

指揮車の前で、108部隊の長ゲンヤは各地の戦況を確認するグリフィスからの通信にそう答える。
この部隊は部隊長の性格からか、地上部隊の中にあっても比較的に本局側とも親交がある珍しい部隊だ。
おかげで、数年前からなのはやフェイトなどが働きかけていた対AMF戦の訓練も他の部隊に比べれば遥かに積んでいるし、実際にヴィータを教官として招いて鍛えてもらったこともある。
その結果、AMFがあってもガジェットが相手ならば早々遅れを取る事はない。
少なくとも、他の部隊よりかは余裕があるだろう。

「だが、現状でギリギリだ。
他に回せる余裕はねぇし、戦闘機人や召喚士に出て来られた、一気に崩されるかもしれねぇ」
「戦闘機人と召喚士一味は、先ほど六課前線メンバーが確保しました。あとはゆりかごの停止とスカリエッティの確保、それに…ギンガさんと闘っている戦闘機人だけです」
「そうかい」

それはいい情報だが、しかし他にも不安要素が目白押しだ。
この先もガジェットの数が減らないのであれば、いずれ限界は来るだろう。
そうでなくても、もし件の0型とやらの数が増えれば、どこが崩れても不思議はない。
アレは、他のガジェットとは対処の仕方が異なるし、あまり経験したことのないタイプなのだから。
とそこへ、血相を変えた部下が駆けよってくる。

「さ、三佐!」
「今度はどうした!」
「新たにガジェットの増援を確認! うち、半数は…0型です。他の隊からも、同様の報告が……」
「ちっ、まじぃな……野郎ども、ここが正念場だ! 気合入れて、何が何でも持ちこたえろ!
 もうじき、六課の連中が主犯格を押さえる。そうすりゃ、この事件も終わりだ!」
『はい!』

ゲンヤの発破を受け、隊員たちの士気が上がる。
だが、ゲンヤの傍に控える彼の副官は、彼に対し少々不安そうな視線を向けていた。

「三佐、その様な報告は……」
「ああ、来てねぇな。だが、嘘でも何でも言わなきゃならねぇだろ」

この状況における士気の低下は、直接戦況に大きく影響する。
ならば、嘘をついてでも彼らに希望を示さなければならない。
そうすることで、彼らが少しでも長く持ちこたえられるのなら。
その間に、嘘が真になる事を信じて……。

(まぁそれも、他が崩れちまえば同じ事だが……)

仮に108だけが最後まで持ちこたえても、他が崩れてしまえば変わりはない。
それどころか、1ヶ所でも崩れればそのまま連鎖的に他も崩れて行く可能性がある。
そうすれば、最悪陣営総崩れと言う可能性すらあるだろう。
とはいえ、ゲンヤの権限では自分の隊の事までしかどうにもならない。

仮に、手の空いた六課のメンバーが加勢に入っても、戦線全体をカバーすることはできないだろう。
その為には、圧倒的に人手が足りなさすぎる。
手の打ちようのない現状に、ゲンヤは額に手を当てて空を仰ぐ。
無意味と知りながらも、空を見上げる事で何か起死回生の策が浮かぶことを期待して。
が、もちろんそんな物は浮かぶ筈もない。しかしその代わりに、別の何かが蒼穹に浮かび上がってくる。

「なんだ…ありゃぁ?」
「三佐?」

ゲンヤの呟きに倣い、副官もまた彼の視線を追って空を見上げる。
すると、陽炎の如くその姿を揺らめかせながら、巨大な構造物が徐々に姿を現して来た。
それはやがてはっきりとした輪郭を描き、その存在を露わにする。

「艦…次元航行艦か!?」
「で、ですが、本局からの増援はまだ先です! そもそも、このような場所に転移してくる事自体……」
「言われなくてもんなこたぁわぁってるっての。だが、だとすればどこのバカだ?
 今は渡航規制が掛かって、ミッドに転移できるのは局の船だけの筈だが……」

だが、あの船が管理局の所属であれば、あらかじめ彼らにも何らかの報告なり指示なりがあるだろう。
それがない時点で、明らかに局の所属とは思えない。
実際、局が保有するあらゆる船と照合させても答えは否。

つまり、あれは管理局所属の船ではなく、民間保有と言う事。
どうやって渡航規制プログラムを破ったか知らないが、そんなのが戦場に飛び込んでくるなど正気の沙汰ではない。どこのバカの仕業だと、ゲンヤは頭を抱えそうになる。
ただでさえエライ状況だというのに、これ以上場を混乱させないでほしい。

だがそこで、ゲンヤを含めその場にいる…それどころか、この事件に関与する全員の眼の前にモニターが開いた。
映し出されたのは、どっかで見た事のある様なマーク。

「し~~~~~~~ん、ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁく!!」
『は?』

戦場が、(ある意味)一つになった瞬間だった。



「おお、すげー! マジでどっかの街の上に出たぞ!」
「ほぉ~、宇宙船に乗ってワープと聞いた時はなんの冗談かと思ったが、ホントに付くとはのぅ」
「ララ~♪ トール、あなたは総督を疑っていたのですか?」
「でも、これはさすがにびっくりなんじゃな~い?」
「確かにな。大概の非常識には慣れたつもりだったが、世界は広い」
「ふ~ん……で、ここがクラナガンとやらで間違いないのかよ、新島」

突如クラナガン上空に現れた次元航行艦。
その艦橋では、空中に投影されたモニターに映し出された映像を、新白連合が誇る隊長達が見上げていた。
そして、艦長席に座する宇宙人…もとい悪魔…ではなく、新白連合総督は高らかに宣言する。

「ケケケ、ま、そう言うこった。さあ、新白連合の精鋭たちよ! 今こそ……」
「ねぇねぇ! そんなことより兼一どこ、どこよ兼一!」
「あ、こら! ちょっと下がるね、蓮華!」
「ちょ、何するのよパパ!」
「そこの曲者が何かする…気だ。少し後ろに行くぞ…と」
「俺様、やっぱアイツ苦手……」

昔から相性が悪いのか、どうにも蓮華にはペースを乱されっぱなしの新島。
いい所で割って入られた様で、どうにもしょげてしまっている。
だが、いつまでもそうして凹んでいる様な男ではない。
一つ咳払いをすると、後ろで騒いでいる蓮華やリミは努めて無視して、新島は改めて立ち上がる。

「もう邪魔はいねぇな? よし……ゴホン、少々出遅れたっぽいが…新白連合の精鋭たちよ!
今こそ、遍く世界に我らが威光を示す時である!!」
「ちょっと待て! 俺はなんたら連合とは関係ねぇぞ!」
「「まーまー」」

一部不服のある者もいるようだが、その大半が「早くやらせろ」とばかりに獰猛な気配を発している。
まぁ事実として、新白連合の人間ではない者も多数いるのだが。例えば……

「ふむ。見事だ、新島君。よくこんな短期間のうちにこのような船を調達したね」
「ほっほっほ…うむ、しかも最新鋭艦とは豪勢じゃのぅ」
「ウヒャヒャヒャ! ちょいとお偉いさんと会う機会がありましてね。その時に誠心誠意お願いしたんですよ、心を込めて」

もちろん、ただお願いしただけの筈がない。
以前ミッドに来た折、新島は聖王教会の騎士「カリム・グラシア」と一対一での会談の場を設けた。
その際、彼女はまんまと新島の毒牙に掛かり、洗脳されてしまったのだ。
後日、その洗脳は兼一の手により解かれ事なきを得たが、新島が彼女を洗脳して何をさせたか、あるいは何をさせようとしていたかは不明のままだった。

その不明だった目的のうちの一つが、これ。
本来、次元世界になんのコネクションもない彼が、次元航行艦を入手することは難しい。
そこで、カリムの人脈を借りたのだろう。
無論、この男がそれだけで済ませたとも思えないが、その辺りはまだ闇の中である。

「ってか秋雨! ジジイ! 笑ってねぇでこっちをなんとかしろ!」
「飛行機は勘弁よぉ~~~!!!」
「飛行機じゃなくてこいつは船だっつってんだろ!!」
「鉄屑が飛んでるならそれは飛行機よ!」

なんとか暴れるアパチャイを押さえようと奮戦する逆鬼。
まぁ、飛んでいるのなら飛行機と似た様な物と言えないこともないかもしれない。

「おい、新島。このままだと船を壊されちゃうんじゃなぁ~い」
「総督。ここは、プレスティッシモ(出来る限り早く)に降ろしてしまうのがよろしいかと」
「う、うむ。では、皆の衆よく聞けい!」
「わぁ~、良い眺めですね、龍斗様♪ これが夜景だったらロマンチックだったのに! そうは思いませんか!」
「とりあえず腕を離してくれないか、リミ。重いよ」
「イヤです!」
「そう……」
「あ~ん、龍斗様のいけずぅ~!?」
「聞けよ、人の話!?」

良く聞けと言った傍から、人の話を聞かないリミ。
そんなリミを引き剥がしつつ、龍斗は至って冷静に先を促す。

「悪いね、こっちは気にせず進めてくれ」
「ったく……もういい、細かいことは言わねぇ。その秘めたる力を以って、敵戦力を撃滅せよ!! 存分にその武威を振るうが良い!! 「アパ~!?」だから船壊すんじゃねぇ! 高かったんだぞ、これ!」

そうして、船に備え付けられた転送装置を使い、市街地で防衛戦を繰り広げる各部隊の下へと送り届けられる達人達。もちろん、こんな連中を放り込んで色々とただで済む訳がない。
一部抜粋すると、大体こんな感じに。

「ったく、なんで俺がこんな事を……」
「ア~パパパパパパ! やっぱりムエタイには戦場がよく似合うよ!」
「いやまぁ、別にそれを否定する気はねぇんだけどよぉ……」

何故かアパチャイと同じエリアに放り込まれ、愚痴りながらも一抹の不安を覚える郭。
そしてその不安は、間もなく現実のものとなる。

「あ、こら! そっち味方、味方だっての!」
「アパパパ、大丈夫よ! アパチャイ昔、敵と一緒に味方も全滅させた事あるよ!」
「全然大丈夫じゃねぇ!?」

テンションが上がり過ぎ、そのまま管理局の方まで攻撃しそうになるアパチャイ。
この瞬間、郭は自らの役割を理解した。
彼の仕事は敵戦力の撃破ではなく、アパチャイの暴走を抑える事なのだと。

また、他の所では……

「もー! 兼一はどこにいるのよ!」
「のー、私も兼一に会えるって言うから来たのに、どうしてこんな所にいるのかのー?」

状況をわきまえず、マイペースに探し人を求める二人。
そこは一応、ガジェット達の光線が飛び交う最前線なのだが、二人は全然気にすることなく避けながら会話を続けている。とはいえ、それはそれで鬱陶しかったらしく……。

「ああもう! ピュンピュンうっさい!」
「邪魔だの!」

突然キレた二人に、瞬く間のうちに殲滅されていく。
あるいは……

「ふぅ……」
「ん? どうしたんじゃい、ジーク。そんなため息をついて」
「トール…溜め息の一つも付きたくはなります。無粋な鉄屑が相手では、素晴らしいメロディーが降りて来る訳がないではありませんか。御覧なさい、この音楽性の欠片もない戦場を。私の心は今、コン・メランコリア(憂鬱)な雲で閉ざされているのです」
「ん~、なんならワシが一人でもやって良いんじゃがのう」
「いえ、それでは総督の命に背く事になります。ここは暗雲を払うべく、一際フェローチェ(荒々しく)に全ての雑音を駆逐するとしましょう。いざ、音楽性なきものに死を!! ラララ~♪」
「ふむ……お~い、後ろでドンパチやってるお主ら、静かにしとかんとジークに殺されるぞ~」

とか……

「ああもう、鬱陶しんだよこの鉄屑がぁ! 後から後から湧いて出やがって、ゴキブリかテメェら!」
「荒れてるな、キサラ……宇喜多が傍にいないのがそんなに気に食わんか?」
「ば、バカ言わないでよ、フレイヤ姉! べ、別にあたしはあんな奴の事なんか……」
「だが、先日プロポーズされたのだろう?」
「ぶっ! だ、誰からそれを……た、武田の奴か!」
「ふっ、まぁおめでとうと言っておこうか。で、式はいつ挙げるんだ?」
「さ、さぁフレイヤ姉! さっさとこいつらぶっ壊しちまうとしようじゃないか!
 この分だとまだまだ先は長そうだから、いつになるかわからないけどさ!」
「まぁ、その話は追々という事にしておこうか」
(何言いふらしてんだ、武田の奴! 殺す、後で必ず殺してやる!!)
「ん? どうした武田、震えてるぞ?」
「いや、な~んか悪寒がしてさぁ……」

とか……

「あ、あっちに良い感じのお店発見! 龍斗様~、リミあっちに行きたいんですけどぉ~」
「ああ、こっちは僕だけで十分だから、行ってくれば良い。僕もその方が楽だ」
「っ! 龍斗様、リミの事を心配してくださってるんですね!? リミ嬉しい!!」
「(…………イラッ)いい加減、君の頭を割って中身を調べたくなってきたよ。
 どういう構造をしているのかには、少しだけ興味がある」
「え? そんなの開けてみるまでもありませんよ。リミは常に龍斗様の事で頭も胸も一杯なんですから!
 キャッ、言っちゃった♪」
(一緒に降りる相手を間違ったか……)

とか……

「おい、どうしたしぐれ。なに、んな鉄屑ジーッと見てんだ?」
「なぁ…逆鬼」
「あん?」
「これ、うちで飼っちゃダメ…かな?」
「ダメだろ、んなもん」
「じゃ、おまえん…ち」
「もっとダメだ!!」

極めつけが……

「召喚獣が、止まらない……」
「たぶん、ルーちゃんがまだ闘おうとしてるから」
「そんな、どうしたら……」

召喚士が意識を失って尚、闘いを辞めようとしない召喚獣達。
彼らもまた被害者であるが故に、エリオとキャロの顔には悲しみが浮かぶ。
力づくで止めるのが困難と言うのはもちろんあるが、望まない闘いを強いられる彼らが可哀そうだから。
しかしそこで、天地を振るわせる怒声が響き渡った。

「やぁぁぁぁぁぁぁぁめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいぃぃ!!!」
「きゃ!?」
「な、なんだ!?」

耳朶を撃ち、三半規管を揺さぶる程の大音量。
二人は目を白黒させ、音の出所を探す。
するとそこには、ビルの屋上で仁王立ちする金髪の老人の姿。

「あれは、まさか……」
「確か、兼一さんの……」

その見覚えのある特徴的な容姿……というか、映像だったとしても、一度見れば決して脳が忘れる事を許してくれない、果てしなく濃いその存在感。
二人の顔からは悲しみの色が失せ、代わりに戦慄が浮かぶ。
“あの”兼一の師の中でも、とりわけ無茶苦茶な御仁の事だ。何をやらかすかわかったものではない。

その間にも、地雷王や対峙する白天王とヴォルテールが老人の方を向く。
横槍を入れた事で、敵と認識してしまったのかもしれない。
が、老人はそんな事は一切気にせず……

「デカイ図体しとる癖に、小競り合いも大概にせんか、お主ら!!」

敵意を向けて来る召喚獣達を、気当たり一つで黙らせる。
二人が悩んでいたことの全てが、老人の一喝で解決されてしまった。

とはいえ、それも無理からぬことだろう。
人間と違い、彼らは本能に対し鋭敏であり正直だ。
だからこそ、この彼らにとっては遥かに小さな存在がどれほど危険なのかを、即座に理解したのだろう。
というか……

「ヴォルテールと白天王の闘いが……」
「小競り合い?」

ちょっとあり得ないその認識に、二人の顔が引きつる。
どこの世界にあんな怪獣大決戦を「小競り合い」などと評する生き物がいると思うだろう。
しかし、二人の驚きはそんなものでは済まされない。

「ん、ヴォルテール? のう、今ヴォルテールと言うたか?」
「え? は、はい」
「なんじゃ、どこか見覚えがあると思うとったらお主じゃったか。久しいのう!」
「ヴォ~」
「「は?」」

老人がヴォルテールに対し気軽にあいさつすると、ヴォルテールもまたそれに気安く返す。
仮にも守護神として崇められる真竜のこの態度に、巫女であるキャロは空いた口が塞がらない。

「あの……」
「うん?」
「お知り合い…ですか?」
「まぁなんじゃ、所謂………………マブダチと言う奴じゃな!」
「ヴォ!」

声の出ないキャロに代わり、仕方なく投げかけたエリオの問いに、揃ってサムズアップする一人と一匹。
その光景は、エリオですらなんだか気が遠くなるような思いのするものだったとさ。



  *  *  *  *  *



アノニマート達の下にも出現したモニター。
それには、今まさに繰り広げられている闘いがリアルタイムで映し出されている。
大方、これを使って管理局とその局員たちに彼らの力を知らしめるつもりなのだろう。
で、それを見たアノニマートの感想はと言うと……。

「うわぁ、何て言うか…詰んだんじゃない、コレ?」

これだ。というか、他になんと言えばいいのか。
まだスカリエッティは捕まっていないし、ゆりかごも止まってはいない。
だが、こと地上における闘いの趨勢は決まったと彼は思う。
だってもう、こんな連中が介入してきたら過程はどうあれ結末は決まっている。

(こりゃ、あんまり悠長にはしていられないなぁ……急いで決着付けて、逃げた方が良いかも)

新白連合と、その幹部に名を連ねる達人達の情報は一通り頭に叩き込んである。
弟子の喧嘩に師匠は出ない。それは活人拳・殺人拳を問わず、武人ならば順守せねばならない絶対のルール。
これはなにも、師弟関係にある者同士に限った話ではない。例え他人の弟子の闘いであっても、無粋な横槍を入れれば「恥知らず」の誹りを免れないだろう。
一角の武人である彼らが、そんな野暮なマネをするとは思えない。

が、魔導師達は話が別だ。
彼らが参入した事で戦場には幾許所ではない余裕が生じるだろう。
それにより、魔導師達の中にも二人の決闘の場に介入しようとする輩が現れないとも限らない。
その可能性を考慮するのなら、急ぎ決着をつけるのが望ましい。
何より、このまま嬲る様にして削って行くというのは、彼の趣味にも合わなかった所だ。

「ギンガさん」
「……っ!」

アノニマートの呼びかけに、ギンガは間の抜けた表情で振り向く。
どうやら、彼女は彼女でこの状況に唖然としていたらしい。

「地上での闘いは君達の勝ちだ。だけど、僕達の勝負に決着はついていない。
 今を逃せば次はいつにかるかわからないし…………ここでケリをつけようと思うんだけど、どうかな?」

戦局全体を考えれば、この場でアノニマート一人に固執することはないのかもしれない。
このまま彼をこの場に足止めし、同時に念話で増援を求める。
その後、複数人で制圧するのが、確実で手堅い方法だろう。
ただしそこに、武人としての矜持はない。あるのは、管理局員としての義務だけ。

別にそれが悪いというわけではない。
職業人として考えれば、文句なしにこれが正しい。
だがそれでも……ギンガは、一人の武人足らんと心に決めていたのだ。

「いいわ。その勝負、受けて立つ」
「ありがとう、感謝の言葉もない……」
(それは、こっちの台詞よ)

ギンガからすれば、この一合でケリをつけるというのはありがたい話だ。
もう全身ボロボロで、後一撃打ち込む力が辛うじて残っている程度。
この一発をどう使うか…それ以前に、どうやって使える状況に持っていくかが問題だったのだが、それが解決されたのだ。この一合で終わりなら、互いに出し惜しみや小細工を弄する余地はない。
全身全霊、乾坤一擲のそれで臨む。それ以外の選択肢など、二人にありはしないのだから。

「……」
「……」

無言で構えを取る二人。
アノニマートの狙いは、恐らく貫手。オリジナル同様、それこそが彼が真に頼みとする技なのだろう。
さらに、今までとは異なる凶暴な気がギンガの肌を撃つ。
『静動轟一』。最後の一撃と決めたからこそ、今まで使わなかった禁断のそれを使うのだろう。
確かにそれは、彼にとって全てを込めた一撃に違いない。

では、ギンガが最後に頼みとするのは? 考えるまでもない、師より賜り、受け継いだ拳「無拍子」。
これこそが、ギンガが用いる中で最大の威力を誇る一撃だ。
なにより、師より受け継いだという事実こそが、彼女にとっては何よりも心強い。

「いざ」
「尋常に」
「「勝負!!」」

互いに足場を蹴り、愚直な程真っ直ぐに間合いを詰める。
ただし、動くと同時にアノニマートの身体が加速した。それも、2回。

この状況に置いて、出し惜しみをする理由がない。放つは、最速にして最強の一撃。
その為に、イグニッション・スキンの連続使用で最大限にまで速度を上げる狙いなのだろう。

2度に渡る加速により、アノニマートの動きはギンガの動体視力を越える。目で追う事はかなわない。
だがギンガは、咄嗟に自身の正面に多層のシールドを展開。
首筋を走った悪寒が告げる直感に従った、反射的な防御。
それは見事的中し、アノニマートの貫手が幾重にも重ねられたシールドに付きたてられる。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

それら全てを捩じり込む様にして放つ貫手が粉砕する。
勢いは衰える事を知らず、瞬く間のうちにギンガの命へと伸びて行く。

(止める! 絶対に、必ず!!)

展開したシールドに魔力を注ぎ、なんとか止めようと躍起になる。
元より、イグニッション・スキンと言う反則的な加速能力を持つアノニマート相手に、先手を取れるとは思っていない。例え先にギンガが攻撃しても、相手はそれを追い越すことができるのだから。

故に、ギンガははじめから先手をくれてやるつもりだった。
先手を取らせ、防ぎ、然る後に最後の一撃を叩きこむ。
それ以外に、ギンガには選択肢がなかったから。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「ああああああああああああああああああ!!!」

早く鋭い矛の前に、盾は悉く打ち破られていく。
しかし、徐々にだが確実に、その勢いは衰えている。
やがて最後の最後、残り1枚となった所で……ついに、矛が止まった。

(今っ!)

貫手が止まったと認識すると同時…否、認識するより速く、既にギンガは動きだしていた。
確認してからでは遅い。その間に、この相手なら残る左拳で何らかの攻撃を仕掛けて来る。
元々、この一回しかないのだ。だったら、打ち込める距離になった時点で動きだしてしまえばいい。
その考えの下、ギンガの拳は既に加速を始めている。

師の下で教えを受けるようになって、早数ヶ月。
毎日毎日、骨の髄…魂の深奥へと染み込ませるかのように繰り返した基礎動作。
それらを全て連動させ、有りっ丈の力と共に拳に乗せる。

『無拍子』。
武の世界で、かつては「史上最強の弟子」今は「一人多国籍軍」として勇名をはせる師の代名詞とも言うべき技。
その名と誇りにかけて、この一撃で終わらせる覚悟と決意で放つ。

だが……今にも砕けそうなボロボロのシールドによって阻まれた貫手。
そこから繋がる肘で、何かが炸裂する。

「―――――――――――っ!?」

澄んだ音共に、最後のシールドが砕かれる。
イグニッション・スキンの連続使用回数は2回まで。それは紛れもない事実。
だがそれは、あくまでも通常使用する場合に限っての話。
後先考えず、全身から絞りに絞れば……辛うじて、1回分の出力は絞り出せる。
無論、本来ない筈の物を絞りだせば、その反動は計り知れない。
しかし、これで終わるのなら関係ないではないか。元より、そのつもりで使った「静動轟一」でもある。

「烈破!」

『脚破ねじり貫手』という技がある。
かつて一影九拳が一人、「人越拳神」が同じく九拳である「拳魔邪神」との闘いで使用した技。
自らの貫手の肘部分を膝で蹴る事により加速させ、さらに強い回転を加えて対象を貫くこの技が、アノニマートが放った技の原型だ。
本来は膝蹴りによって加速させる物を、自身の能力によって加速させる。
それが『脚破ねじり貫手』の変形、「烈破ねじり貫手」。

「ねじり貫手!!!」

加速中の拳と、一瞬にして加速を終える貫手。どちらが先に届くかは自明の理。
出来るとすれば、出しかけの拳を引き、貫手をやり過ごすことくらい。
貫手の狙いは、拳を振り抜く際に正面を向くギンガの鳩尾へと向けられている。
ならば、今のまま…真半身の体勢を維持できれば、貫手をやり過ごす事が出来る筈。

だが、加速を始めた拳はもう止まらない。通常の拳打ならともかく、全身運動によって放つ無拍子は、全身の力を一点に収束させるが故に一度動き出せば止められないのだ。
故にこの瞬間、二人の勝負は決着を見た―――――――――――――――――――――――――――――かに思われた。

「ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

止まらない筈の拳を引く。
止まるか止まらないかではなく、止めるしかない。
そうでなければ負け、そして死ぬ。

腱が、筋肉が、骨が悲鳴を上げる。
それは無理だと。精神論とは別の所で、物理的に無理なのだと声なき声で叫ぶ。
しかしそれを、ギンガは全て斬って捨て、歯を食いしばって力づくで抑え込む。

勝つと誓った。その為に修業を積んだ。その為にここまで粘ってきた。
なにより、全力を尽くさずに負けることなど、できる筈がない。

「―――――――――っ!!」
(とめ…た……)

アノニマートの眼は驚愕に見開かれ、あり得ないものを見たような表情だ。
それも当然。強烈な一撃であるからこそ、止められる筈がない。
全身の力を収束して放つ一撃なら、同じだけの力を掛けなければ止まらないのが物の道理。
だがあの時のギンガは、無拍子にその力を使い、止めるだけの力はなかった筈なのに……。

幾らあり得ないと否定した所で、現実は変わらない。
道理を意思一つでねじ伏せ、止まった拳。
未だ真半身のままの身体の前を、加速のついた貫手が空気を裂いて通り過ぎる。
しかし、ギンガも決して無傷とは言えない状態だ。

(つぅっ……)

全身運動によって放つ無拍子。ギンガは確かにそれを止めた。
だが、無理な制動の代償は決して安くない。腱が、筋肉が、骨が…全身が変わらず悲鳴を上げている。
気が遠くなりそうな程の痛みでギンガの眼の焦点が曖昧になった。同時に、一瞬彼女の身体から力が抜ける。

(好機!)

それを目敏く見抜き、アノニマートは空振りに終わった右の貫手に変わり、身体を戻す勢いを利用して左の貫手を放つ。
確かに無拍子を止めたことには驚いた。
しかし、それで勝負が終わったわけではない。
アノニマートはまだ立っているし、身体も動く。
当分イグニッション・スキンは使えないが、それでも無防備な今のギンガを仕留める位は可能だ。

だが、それは誤りだ。
ギンガは身体から力が抜けたのではない。力を…抜いたのである。

(そう、これがきっと……私の原点)

無拍子の基本理論はそのままに、一端全身から力を抜く。
脱力した静止状態から、脚先からは下半身へ、下半身から上半身。
全身から集約した力に、回転の加速を加え、拳を……………押し出す!

放つは、師から受け継いだ「活かす拳」にして、母から受け継いだ「繋がれぬ拳」。
かつて山籠りの際に兼一から出された課題。それはつまるところ、ギンガと兼一の違いは何なのかと言う事だ。

そしてそれは、考えてみればそれほど難しい問題ではなかった。
ギンガにあって兼一にない物、それは……………母、クイントの教え。
母から学んだ「シューティング・アーツ」。そして、母が得意とした技の名を「アンチェイン・ナックル」。

あとは簡単だ。無拍子の定義は、広義的に解釈するなら「修得した武術の要訣を融合させた技」と言う事。
なにも、兼一が扱う空手・柔術・中国拳法・ムエタイに限る事はない。
空手・柔術・中国拳法・ムエタイ、そこへ更に原点とも基盤とも言える「シューティング・アーツ」を融合させる。それこそが、ギンガの目指すべき完成形なのだから。

「はぁぁっ!!!」
「ぐっ……」

アノニマートは咄嗟に両腕を交差させてそれを防ぐ。
しかし、受ける感触が彼の知る無拍子のそれとはどこか異質。
受けた両腕よりもなお奥へ、身体の芯へと走る衝撃がアノニマートの身体を貫く。

拳から伝えられた全ての力が、吸い込まれるようにアノニマートの身体へと送り込まれる。
あまりの威力に体が浮き上がり、足場から両足が離れ吹き飛ばされていく。

(あ~あ、勝ちたいと思った相手にこそ勝てないんだから、ホント…武術は難しい)

そして、アノニマートの身体が何かにぶつかって止まるより前に、彼の意識は闇に消えた。






あとがき

まぁあれですね、ギンガの原点にして基盤はやっぱりシューティング・アーツなんですよ。
なので、兼一の技をさらに発展させるとしたら、まずこれが絡んでくるのが必定だと思う訳です。
というわけで、いつぞや出された課題に対する回答でした。

あんまり新白側の活躍を書けませんでしたが、正直あれが今は手一杯です。
まぁなんというか、デスパー島の時並かそれ以上に大暴れしたと思って補完してください。
書きたいのは山々だったんですが、上手く文章にできず…そもそもイメージが膨らましきれずに断念した次第。
誠に申し訳ない……。



[25730] BATTLE 47「武人」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 20:49

第一管理世界「ミッドチルダ」、首都「クラナガン」の中央に一際高くそびえる時空管理局地上本部。
その中央タワーの遥か上方、クラナガンを充分一望できる場所に地上部隊の事実上のトップ、レジアス・ゲイズ中将の執務室があった。

「オーリス、お前はもう下がれ」
「それは、あなたもです。あなたにはもう、指揮権限はありません。ここにいる意味はない筈です」

市街地では、今も多くの局員たちがガジェットの進行を抑えるべく戦っている。
本来なら彼がその指揮を取り、今日まで守り続けて来た物を守る筈だった。

しかしオーリスの言う通り、今の彼にその権限はない。
元々、些か強引ではあるものの、その確かな政治手腕で長く地上を守ってきた巨人だ。
何かと黒い噂の絶えない人物でもあるが、本来ならその程度は握りつぶせるだけの力の持ち主である。
だが、手を組んでいた筈のスカリエッティの裏切りにより、その影響力にも陰りが生じた。

結果、今までその力で抑えつけていた各方面から、ここぞとばかりに突き上げを受けている。
あれよあれよと言う間に大半の権限を封じられ、今や査問を待つ身。
ほんの数日で、かつての栄華は見る影もなくなってしまった。

それでも、彼はこの場に鎮座し続ける。
しかしそれは、かつての栄華に対する浅ましい執着などではない。
その瞳に宿るのは……静かだが重い不動の覚悟。

避けようのない凋落と言う事実は、もう受け入れた。
この場所に拘るのは、ただ単に“あの男”に会えると確信しているからこそ。
過去の全てを清算する時が来た事を…………彼は悟っているのだ。
ならばどうして、この場を離れる事が出来ようか。

「ワシは、ここにおらねばならんのだよ」

デスクの上に両肘をつき、オーリスを見ることなく告げた。
その声音には事件発生当時の激情はない。
むしろ、血の繋がったオーリスですらもう長く聞いた事がない程に、穏やかな声音。

その瞬間、オーリスは説得の無意味さを悟る。
父がどのような覚悟を胸に秘めているかは分からない。
それでも、百万言を費やしても、その意思を覆すことができない事だけは明白だった。

と同時に、オーリスの背後で堅く閉ざされていた筈の扉が粉砕される。
濛々と立ち込める煙。その先から、オーリスもよく知る人物が姿を現した。

「来たか…待っていたぞ、ゼスト」
「手荒い来訪ですまんな、レジアス」
「ゼスト…さん?」
「オーリスか、久しいな」

父を守る様に間に立つオーリスに、ゼストは郷愁を宿した眼差しを向けた。
彼女を見ると、友と決定的に袂を分かってから随分と時間が経ったのだと思う。
しかし、そんな感傷を振り払い、ゼストはかつて共に正義を語り合った男へと視線を向ける。

「聞きたい事は、一つだけだ。八年前、俺と俺の部下達を殺させたのは、お前の指示で間違いないか」
「………………………ああ、間違いない」
「っ! ………では、共に語り合った俺とお前の正義は、今はどうなっている。
 俺はいい。お前の正義の為にならば、殉じる覚悟があった。だが、俺の部下達はなんの為に死んでいった。
 どうして、こんなことになってしまった。俺達が守りたかった世界は、俺達が欲しかった力は、俺とお前が夢見た正義は……いつの間に、こんな姿になってしまった」

友へと語りかける言葉には、怒りも憎しみない。
あるのはやり場のない……深い深い悲しみだけ。
どうしてこんなことになってしまったのか。いつから道を逸れてしまったのか。
なぜ、自分達はこんな形で向き合わなければならなくなってしまったのか。

それまで、俯きながらゼストの言葉に耳を傾けていたレジアスが、ゆっくりと顔を上げる。
自己弁護の言葉を紡ぐことは容易い。
全ては、限られた戦力の中で地上の平和を、市民の安全を守るためだった。
上に行けば行くほど、年をとればとる程に、綺麗なままではいられない。
法的・倫理的に問題がある方法でも、それで平和と安全を実現できるならと、全てを轢き潰して推し進めて来た。

結果的に、それらは実現できたと言えるだろう。治安を維持し、犯罪の増加を抑えたのは紛れもない事実だ。
その陰で、多くの犠牲を払いはしたが……見合うだけの成果は上がっている。
彼らの犠牲は、決して無駄ではないし、無駄にしない為に突き進んできた。

しかし、今語るべきはそんな言葉ではない。
それらは結局、上に立つ「中将」としての論理であり言葉に過ぎないのだ。
今語るべきは、かつて切り捨てた友を前に紡がなければならないのは、「自分自身」の言葉なのだから。

「ゼスト、ワシは……」



BATTLE 47「武人」



シグナムが先行させたリインを追って地上本部に突入した時。
レジアス中将の執務室へとつながる通路では、リインとアギトが互いに氷弾と炎弾をぶつけ合っていた。

「ですから、そこを通してくださいと言ってるんです!」
「旦那はただ古い友達と話したいだけだって言ってんだ!
 そいつを邪魔しよぅってんなら容赦しねぇぞ、ばってんチビ!」
「なんで邪魔するって決めつけるですか! 私達はただ、事情を聞かせてほしいだけなんです!」
「漢と漢の間に入ろうってんならな、それだけで邪魔なんだよ!」

融合騎と言う事や身体のサイズだけでなく、使う力こそ真逆だが、その力量もほぼ同等らしい。
炎が氷を溶かし、溶けた傍から構築される氷によって炎がせき止められている。
一体どれだけの時間このような口論とも喧嘩とも付かないやり取りをしているかは定かではないが、通路の荒れようからすると、相当長い時間やり合っていたらしい。
ただ、ここまで拮抗していると…傍から見る分には、いっそ不毛にさえ映るが。

「まったく、なんの為に先に行かせたと思っているのやら……リイン!」
「ぁ、シグナム!」
「ちぃ、厄介な奴が追い付いてきやがった……だがな、誰が相手だろうとここから先は一歩も行かせねぇ!
 旦那には…もう、時間がねぇんだ……!!」
(やれやれ、こうも頑なでは話し合いどころではないな)

相手の言い分など、元より精神的に聞く余地がないのだろう。
リインが口論まがいの小競り合いをしていたのも、これでは無理からぬことか。
とはいえ、シグナムもあまり悠長にしてはいられない。

シグナムが現れた事で、アギトはその小さな体を精一杯広げ、自身の背後にバリアを展開している。
身を呈してでもシグナムを阻む、その意思の表れだろう。
その決意と覚悟は認めるが、それでもここを通してもらわなければならないのだから。

「……」

無言のままレヴァンティンを上段に構え、アギトが自身の背後に展開するバリアに狙いを定める。
アギトを倒すことが目的なのではない。目的はあくまでも、この先にいるであろうゼストだ。
僅かな時間ぶつかり合っただけだが、それでもこの健気で一途な融合騎の事をシグナムは決して嫌いではない。

アギトを傷つけることなく、ただ背後のバリアだけを斬る。
その意思をこの一太刀に込め、シグナムは愛機を振り下ろそうとし……

「そこまでだ」

直前で割って入った重厚な声により、その切っ先が止まった。
アギトはその声の方…後ろに振り返り、背後に立つ男を見上げる。

「旦那!」
「すまんな、アギト。苦労をかけた」
「もう、いいのか?」
「ああ…もう、全て済んだ。終わったんだ」

目に涙を浮かべるアギトに、ゼストはその武骨な手を乗せて労う。
その顔には、先ほどまであった張りつめた物がない。
晴れやか…とはどこか違い、何かが抜け落ちている気がした。

「レジアス中将は……」
「案ずるな。元より、どのような答えであったとしても……レジアスを斬る気などなかった」
「…………」
「いや、違うな。俺には、はじめからそんな資格も権利もない。
アイツを断罪できるとすれば、それは俺ではなく俺の部下…その遺族か、あるいは……」

その正義の下に犠牲となった、自分以外の誰か達だけ。
裁きを降すとしても、それはやはりゼストの役目ではないのだろう。
それは、客観的に物事を判断できる第三者がする事なのだから。

彼はただ……………知りたかっただけなのだ。
生き残ってしまった者として、共に正義を語り合った友として。
そして知った全てを託し、審判を降してほしかったのだろう。友と…自分に。

「俺とレジアスは同罪だ。俺達が奉じる正義は同じものであり、俺はその正義に殉じるつもりだった。
 もし、その正義が歪もうとしていたのなら、俺がそれを正さなければならなかったのだ。
 そして、その正義の果ての罪ならば俺もまた背負うのが道理。そんな俺に、どうしてアイツを裁く事が出来る」

かつて思っていたそれとは些か形が違ってしまったが、元よりゼストはそのつもりだった。
同じ正義を共有し、それに殉ずるという事はそう言う事だ。
例えその正義が形を変えてしまったとしても、その誓いまで変えてしまったつもりはない。

「俺が知る限りの事件の真相は、全てこの指輪に収めてある」
「お預かりします」
「レジアスも、この事件が終わり次第全てを明らかにするだろう。ここからは……お前達の仕事だ」
「同行は…願えませんか?」
「断る。ルーテシアを助け、スカリエッティを止めなければならん」
「ルーテシア・アルピーノは私の部下達が保護するべく動いています。ジェイル・スカリエッティの研究所にも、我々の仲間が既に突入しておりますので、いずれ……」

今のところそちらの情報は来ていないが、シグナムはフェイトや兼一達の事を信じている。
彼らなら、無事にスカリエッティを止めるだろう事を。

「そうか。ならばこれ以上、亡者が現世に介入するべきではないか」
「どうなさるおつもりですか」
「俺は元より当の昔に死んだ人間だ。それが、なんの不条理か未練に引き摺られて動いていたにすぎん。
ならば、未練が無くなった以上、この世に居座る理由もない。後は、ただ土に変えるだけだ」

シグナムの横を通り抜けながら、ゼストは自嘲気味にそう語る。
そう、これまでが異常だったのだ。だから後は、自然の流れに帰るだけ。
死人は朽ち、土に変える。それがあるべき姿なのだから。

「長くは持たない身体とは言え、これでも技術者連中には貴重な研究材料だろう。だが、死んだ後まで利用されるのは御免被る。亡者は亡者らしく、人知れず消えるのが分相応だ」

確かに、死した後には献体として扱われる可能性は充分ある。
それをこの男が望まないというのも……わからないではない。
恐らくその言葉通り、野生の獣の様に、誰の目にもとまらないどこかでひっそりと眠りに付くつもりなのだろう。
それを引きとめる言葉は……シグナムの中にはなかった。
彼女には、ゼストの気持ちが多少なりともわかってしまうから。

(出来れば、もう少しお前達の行く末を見届けたかったが……詮無い事か)

チラリと、通り過ぎた自身の背中を見つめるアギトに目配せする。
未練がないと言えば嘘になるが、この身にそんな猶予はない。
ならば、その様な願いは抱くべきではないのだろう。

(あと思い残すことがあるとすれば、それは……イヤ、これ以上、今を生きる者に余計な重荷を背負わせるべきではないな)

シグナムでも相手として申し分はないが……すぐに頭を振って否定する。
最後に残った身勝手な未練、そんな物を押し付けられても迷惑だろう。
なにより、身勝手と知ってなおこの未練をぶつけたい相手がいるとすれば、それは彼女ではないのだ。
シグナムが相手として不足なのではない。ただ、彼女より先に出会ってしまったというだけのこと。
とはいえ、目の前にいるのならともかく、遥か彼方にいるであろうその人物に押し付ける気にもなれなかった。

「旦那!」
「来るな!」
「っ……」
「お前は、お前達は未来へと進まなければならん。俺の様な過去の遺物に、いつまでもとらわれるな」
「でも……!」
「アギトとルーテシアの事を…頼めるか。巡り合うべき相手に巡り合えなかった、不幸な子どもだ」

ゼストの頼みに、シグナムは無言のうちに首肯を返す。
それに満足そうな、安心したような微笑みを浮かべるゼスト。
だがそこで、アギトがうつむきながら涙を堪えている事に気付く。

「……」
「そんな顔をするな。お前達と過ごした日々、存外…悪くなかった。俺などには、勿体無い程に」
「行かれるのですね」
「夢を描いて未来を見つめた筈が、いつの間にか…随分と道を違えてしまった。
お前達は、過たずに進んでくれ。さらばだ」

それだけ言い残し、ゼストは地上本部から飛び立ち、何処かへと消えて行く。

「リイン、お前は先に行って主はやてと合流しろ。私も直、空に上がる」
「……はいです」

シグナムの指示に従い、リインは一足先に空へと向かった。
その間に、シグナムはゼストより託された子らの一人と向かい合う。

「アギト、お前はどうする?」
「旦那は…アンタにあたしと願いを託した。だから、アンタと行く。
 傍にいて、見極めてやる。アンタがもし、旦那の言葉を裏切るようなマネをしたら……絶対に、ゆるさねぇ」
「ああ。騎士の誇りにかけて誓おう、決して騎士ゼストとの誓いを破らんと。
 もしその誓いを違える時がきたなら……お前が、私を止めろ。例え、焼き殺すことになったとしても」
「その言葉、二言はねぇな」
「無論」

そうして、リインにやや遅れてシグナムとアギトも空へと上がっていく。
やらなければならない事がある。悲しみに暮れるのは、今ではないのだから。

だが、二人は知らない。
誰にも看取られずに逝く事を望んで一人飛び立ったゼストが、光に呑まれ姿を消した事を。



  *  *  *  *  *



「…………」

暗い洞穴の奥深く。
弱者を人質にとり、巧妙な話術で己を封じた男の横顔を微かに睨む。
その視線は、常の彼からは想像もつかない程に鋭く険しい。
視線の圧力だけで、常人ならば卒倒してしまうであろう程に。

それどころか、感情の昂ぶりと共に漏れた気当たりが狭い室内を鳴動させ、陶磁器製のカップにヒビが入る。
しかし、いっそ暴力的とも言っていい気迫に当てられて尚、男は優雅に紅茶を口へと運んでいた。

彼の性格を知り抜いているが故か、あるいは単に開き直っているだけかは定かではない。
だが厳然たる事実として、男に動じる素振りはない。
威嚇の無意味さを悟ったのか、彼は視線を宙空に浮かぶモニターへと戻す。
そこにもまた、男…ジェイル・スカリエッティの姿が映し出されていた。

「あれは……人形ですか」
「正解だ。何事も使いようでね。君達が0型と呼ぶアレに人型の偽装を施し、マルチタスクの一部を使って動かせばこういう事もできると言う訳さ」

魔法や次元世界の進んだ技術には未だ疎い兼一には詳しい事は良く分からないが、そう言う事もあるのだろうと納得する。
何しろ、事実としてジェイル・スカリエッティと呼ばれる男の姿をした者が、こことモニターの向こう、2箇所に同時に存在しているのだから。

「……卑劣だと思うかい?」
「…………」

スカリエッティの問いに兼一はなにも返さない。
ただ無言を貫き、怒りを帯びた気迫を洩らしながらも、中空に浮かぶモニターを見続ける。
スカリエッティは特に兼一の反応に落胆の色を示すことなく、さらに言葉を紡ぐ。

「君の事だ、思わない筈がないだろうが……言葉にも出来ないと言ったところか。
 なにしろ、話術もまた立派な兵法。この場合、心を揺さぶられている彼女が未熟…違うかな?」

モニターに映っているのは、赤い糸の様なバインドに囚われ窮地に立たされたフェイトの姿。
バインドから脱出するだけならば、幾らでも手はあるだろう。
実際、一度は片刃の剣へと形態を変えたバルディッシュで斬り払う事により、脱出に成功している。
再度捕らわれてはいるが、もう一度脱出することが出来ないとは思えない。

しかし、共に突入したシスターシャッハとはトラップとセインにより分断され、彼女の周りには2体の戦闘機人。
更に、兼一には直接影響がないので詳しい事はわからないが、研究所内部は高濃度のAMF 空間らしい。
仮にバインドから脱出しても、こうも不利な要素が目白押しでは……。

「――――――――――――っ」

静かに、兼一は一人臍を噛む。
それは、仲間の窮地に自分だけ何もできずに見ている事しかできない無力に対するもの。
同時に、スカリエッティの言葉を否定することができない事に対するもの。

スカリエッティの言う事は正しい。
例えトラウマを刺激されたのだとしても、それでも心を揺らされ冷静さを欠いた彼女が未熟だっただけのこと。
闘うという事は、綺麗事ではない。敵の弱点は容赦なく付くのが常道であり、弱い者…弱さを晒した者から潰されていく物なのだから。

武人として、フェイト達以上に長く闘争の世界に身を浸してきた彼は、それを理解している。
ただ、理解と納得は別だ。「そういうもの」とわかっていたとしても、仲間のこの様な姿を見て「未熟なのが悪い」と言える程、兼一は冷徹ではない。その板挟みにあっているからこその無言なのだ。

「ところで、これはいわゆる驚愕の真実…と言う奴だと思うのだが、感想はあるかね?」
「別に、何も」
「ほぉ……もしや、以前から知っていたのかね?」

その問いに、兼一は首を横に振って否定する。
実の所、兼一はあまり六課の仲間の過去を知らない。フェイト然り、はやて然り、守護騎士然りだ。
知っているのはティアナとキャロ、あとはギンガとスバル、そしてなのはのことくらい。
最後の二人の場合、ギンガの事を知る事はそのままスバルの過去を知るのとほぼ同義だし、なのはの場合は魔法関連とは別の過去を知っているという事になるが。
そのため、先ほどスカリエッティがフェイトを揺さぶる為にモニターの向こうにいる人形を介して語った内容こそが、彼が初めて知ったフェイトの過去に関する情報と言えよう。

「では、仲間と思っていた者がかつていた人物の粗悪な模造品だという事を知って、何も思う所がないと?」
「おかしなことを聞くんですね。詳しい事情はわかりませんが、彼女はフェイト隊長です。彼女は確かに、えっと…アリシアさん、でしたか? その人のクローンなんでしょうが、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは彼女の他にいないでしょう?」
(考えてみれば、彼は自身の弟子が戦闘機人であっても気にしない男だったか……)

ならば、この情報をどうやりくりした所で揺さぶれる筈がなかったのだろう。
まぁ、アノニマートの存在を受け入れている時点で、わかりきった事ではあったが。

兼一はフェイトが仲間であること、彼女が模造品などではない一個人であることを強調しない。
それが逆に、彼の本心を物語っている。殊更声高に主張するまでもなく、繰り返し言い聞かせるまでもなく、それが唯一無二の真実であると確信していればこそ。
故に兼一は立ち上がり、外への道を閉ざす赤い膜へと歩みを進める。

「どこへ…行くつもりかな?」
「……フェイト隊長を助けに」
「無駄だよ。言ったろう? 確かに君になら…いや、君でなくてもそれを壊すのは容易い。
 しかし、問題はその後だ。お約束で申し訳ないが、この研究所にはいわゆる自壊機構が備わっているのだよ。
そしてそれは今、その膜が壊れると同時に起動するよう設定されている。
 仮に君が地中を掘り進むなり、天井に穴をあけるなりした所で同じ事だ。その膜はこの部屋全体を、壁も地中も関係なく覆っている。君が外へ出るにはどうやった所でその膜を壊さねばならない。だが、壊せば研究所そのものが崩壊し、当然研究所内にいる全ての人間が巻き添えとなる。
いや、君やフェイト・テスタロッサならば脱出も可能だろう。しかし、ポットに入っている者達全てまでは手が回るまい。活人の拳士である君に、彼らを見捨てる事が出来るのかな?
まぁ、もし四方を壁に囲まれた状態で、壁に傷一つ付けずに脱出する技が君にあるのなら、話は別だがね」

もちろん、そんな都合のいい技は存在しない。
あればとっくの昔に使っているのだから、まさかこれまで隠していたという事もなかろう。
どれほど荒唐無稽に思えても、達人達がやっているのは超能力や魔法と言った特殊な力を持たない、ただの人間と言う動物がはじめから持ち得ている動作の延長でしかないのだ。
まぁ、あまりにも地平線の彼方へ飛んで行ってしまってはいるが、それが事実。

消えたからと言って別に本当に消えたわけではない。単に動体視力が追い付かない程の速度で走っているだけだ。
水の上を走り、空を飛び跳ねていたとしても、それは水面や音の壁を蹴っているだけに過ぎない。
分身したように見えても、気当たりで他者の本能を逆手に取ってそう見せているだけ。
彼らは超能力者でもなければ魔法使いでもなく、ましてや奇術師でもない。あくまでも「武術」と言う名の技術を…肉体運用の極地へと至っただけの人間でしかないのだから。

「君は強い、今や君に勝てる者はそういないだろう。
 だが、強いだけではどうにもならない事は多い。肉体を運用する…そんな、ある意味最も単純な技術を極めたが故の強みもあれば、どれほど極めてもどうしようもない場面と言うのはある。
 私がそれを知っていたが故に、今回は後者だった。ただそれだけのこと、君が無力に思う事ではない」
「…………あなたは結局、僕をどうしたいんですか」

スカリエッティに背を向けたまま、兼一は問う。
それは苦し紛れの問いだったが、同時に確信を突いた問いでもあった。
確かに今一時の間、スカリエッティは兼一を封じることに成功している。

しかし、こんなやり方がいつまでも続く筈がない。
フェイトが…いや、フェイトでなくても、管理局側の誰かが研究所を制圧してしまえば、兼一を封じることに意味はなくなる。ポットに入った人々を救出できれば、兼一は自由を取り戻すのだから。
逆にスカリエッティ側が勝利したとしても、兼一が傍にいる限りスカリエッティが逃げることは不可能だ。
転送しようにも、それが発動するより速く何らかの手を打つ事が出来るのだから。

「ふむ……君は先ほどあちらの私を人形と見抜いた。だが、ここにいる私さえもが偽物だとしたらどうかね?」
「あり得ません」
「その心は?」
「どれほど精巧に作っても、『人を模した物』は『人を模している』限り『人』になれません。
例え、人の動きを忠実に追い掛けたとしても」

スカリエッティの問いに、兼一は確信を持って答えた。
そして、当のスカリエッティもまたそれを当然の様に受け入れる。

「ましてや、君ほどの者の眼は騙せない…そう言えば、先ほど私が言ったことだったな。肉体の運用を極めた君たちだからこそ、その違和感を見抜けない筈がない。ああ、全く以って道理だ」
「……」
「私が何をしようとしているのか、それがそんなに気掛かりかな」
「ええ。何を考えているかわからない…そう言うタイプは特に厄介ですから」
「ふむ。では、そろそろ胸の内を明かすとしよう。
別に、君と会って話をしたかったと言うのも嘘ではないが、丁度……頃合いだ」

呟くと同時に、兼一は弾かれた様に背後を振り向く。
ただしその視線の向かう先は、未だ椅子に座したままのスカリエッティではなく、そのさらに後ろ。
煌々と光を放つ魔法陣と、そこから姿を現しつつある人物へと向けられていた。

「あなたは確か、あの時の……」

魔法陣から姿を現したのは、古ぼけたコートと一目で業物と分かる槍を手にした壮年の人物。
まだ若いと言っていい兼一が持つ精悍さとは逆に、確かな年月によって刻まれた重厚な面立ち。
その顔には見覚えがなかったが、立ち姿、気配には覚えがある。
かつて、ヴィヴィオを保護した事件の折に闘ったフードを被った男。
彼と同一人物である事を、兼一は即座に理解する。

スカリエッティでは兼一に敵わない。それどころか、そもそも勝負という形にすらなるまい。
それが、スカリエッティ自身が語った事であり、兼一もまた確信する事実。
しかしそれは、必ずしも兼一と闘う相手がいないという事ではなかったのだ。
だがそれにしては、召喚された人物の様子がおかしい。

「お前は……貴様の仕業か、スカリエッティ」
「ああ、私の仕業だよ、騎士ゼスト」

ゼストは手に持った槍の矛先を、兼一ではなくスカリエッティへと向ける。
そんなゼストに肩を竦めながらも、スカリエッティは動じない。
自身の返答一つで命が危ういこの状況を理解していないのか。それとも……

「どういうつもりだ、まだ死人を働かせるつもりか」
「いや。君達の勝敗そのものは戦局に何ら影響しないだろう。仮に君達が闘わなかったとしても、この結界があれば現状を維持することはできる。つまり、この場に君を召喚する意味は……特にないだろうね」
「ならば、どういうつもりだ」
「祭りに踊りはつきものだろう? 折角の祭りなんだ、より派手な出し物があった方が盛り上がるし、見物人も楽しめる。私はただ、君達の踊りを見たいと思う見物人に過ぎんさ」

確かに、ゼストを今この場に召喚することには何らメリットがない。
しかし、だからといってゼストはスカリエッティの言葉を鵜呑みにする気はなかった。
この食えない男が、早々本音を口にするとは思えないから。
それは間違ってはいない。間違ってはいないが、やはりその本音までは読み切れない。
ならば、後は自身の心の赴くままに動くしかないのだろう。

「さあ、役者は揃った。思い残すことのない様、存分に踊ると良い。
 とはいえ、無論私は君達に一切の強制力を持たない以上、どうするかは君達が決める事だが……」
「……………………………良いだろう、貴様の策に乗ってやる」

正直に言ってしまえば、ゼストにとってこの召喚は僥倖だったとも言える。
未練を果たし、思い残す物のにも粗方区切りをつけた。
気掛かりは多くあるが、信じるに足る人物に託せただけでも良しとすべきだろう。
僅かに言葉を交わし、数度刃を交えただけだが、信じられるという確信は得られた。
どの道、彼には最後まで見届けてやることはできないのだから。

だがそんな彼に一つ残った、ささやかな心残り。
長年に渡って突き動かされてきた未練には遠く及ばない。
出来れば最後まで見守ってやりたかった気掛かりに比べれば、あまりにもちっぽけなそれ。
晴らせないのであればそれも已む無しと思える程度の、本当にささやかな心残り。
しかしそれでも、目の前にそれがあれば止まる事は出来ない。
自身に残された時間が少ない事が分かるからこそ、尚更に。

(まさか…な)

まるで己が内心を見透かしたかのような召喚。
ゼストはある可能性を思い浮かべるが、早々に否定する。
この男がそんな事をする理由が見当たらない。二人の関係は、あくまでも限定的な協力関係。あるいは、研究者とその実験材料。そんな間柄にもかかわらず、この男が「最後の心残りを果たさせる」そんな理由でこんな事をするとは到底信じられない。

「確かに貴様の策に乗せられてやろう。だが……!」

言うや否や、スカリエッティの身体を幾条ものバインドが拘束する。

「俺同様、この先の世に貴様は必要ない。俺は朽ち、貴様は法によって裁かれねばならん。
 この勝負、どちらが勝ったとしても…貴様の行く末は同じだ」

兼一が勝てば、当然スカリエッティは牢獄行き。その後はフェイトに加勢することだろう。
逆にゼストが勝ったとしても、彼はスカリエッティを引き渡すつもりだ。また、長くは持たない身とはいえ、迷惑をかけた詫びに、行方を眩ます前に研究所内のナンバーズの対処くらいはする。それが、けじめと言う物だ。
その意味で、この勝負の結果は二人の勝敗以上には発展しない。

「ああ、構わんよ。なんなら、ロープで物理的に拘束してもいい。
 ただ、君達の勝負を見られれば文句はないさ」

スカリエッティの正面に浮かぶモニターには、彼らがいるこの部屋が映し出されている。
おそらく、身動きが取れなくてもこれで見ると言う事なのだろう。

「…………好きにしろ」

ゼストがスカリエッティから視線を外すと、同時に部屋を包んでいた結界が消失した。
自壊機構とやらが作動した様子もないので、正規の手順による解除ならば問題はないと言う事か。
これで、兼一は自由を取り戻した事になる。だが、彼はその場から動かない。
いや、動かないのではなく、この場合は動けないと言うべきか。

「すまんな、お前に恨みはない。本来なら、俺はこのまま人知れず朽ちるべきなのだともわかってはいる。
 しかし、こうして巡り合ってしまった以上……立ち去る事も出来ん」
「退いては、いただけませんか」
「俺もかつては武人の端くれだった。晩節を汚すことになろうとも、最後はせめて……武人として」
「……」

相手の命が長くないことくらい、兼一にはわかっていた。
武術を極め、また医術の心得もある彼にわからない筈がない。

断れるものなら、断ってしまうべきだ。
兼一にはまだやるべき事がある以上、敵ですらない男と闘う意味はない。
折角結界が消えたのだ、早々に離脱し、フェイトの加勢に行くのが利口だろう。

「受けては、もらえまいか」

もし、単に死を望んでの闘いであれば、兼一はこうも悩みはしなかったろう。
命を賭けることと、死ぬために闘う事は違うのだ。そんなバカげた命のやり取りなど、出来る筈も無い。

だが、ゼストの願いは違う。ただ最後に、武人として誇れる闘いを、かつてつけられなかった決着を。
結果が勝利であれ、敗北であれ構わない。それこそ、生も死も受け入れる覚悟なのだろう。

「…………………わかりました」
「……恩に着る」

そんな漢の覚悟に、背を向ける事は出来ない。
仮に拒んだ所で、この男は無理矢理にでも闘いの場に引き摺りこんでくるだろう。
そうなれば、どの道兼一としても受けざるを得ない。自分自身の命を守るために。
避け得ぬ戦いであれば、受けるしかない。

せめてもの救いは、この男の望みが「死」そのものではないこと。
それならば、まだ幾らかやり様はある。

「前回は名乗る事かなわなかったが、此度は名乗ろう。
古代ベルカ式、ゼスト・グランガイツだ。貴殿の名は」
「梁山泊、『一人多国籍軍』白浜兼一です」
「そうか、白浜殿…………いざ、参る!!」

袈裟掛けに振り抜かれる白銀の一閃。
兼一は大きく飛び退きながら、回避すると同時に狭い室内から脱出する。



  *  *  *  *  *



暗く静かな回廊に響き渡る、胸を抉る言霊。
露骨な悪意を宿した笑みを形作る口から放たれる声は、不可視のメスとなって金の少女の心を切開する。
全身の自由を奪うバインドにより苦痛で歪んでいた表情が、ある種の恐怖に染まっていく。
心の奥底に抱え続けた不安を突かれ、赤い糸に拘束された少女…フェイトは明らかに動揺しているのだ。

「君と私は、良く似ているんだよ」
「っ!」
「私は自分で作り出した生体兵器達。君は自分で見つけ出した、自分に反抗することのできない子ども達。
 それを自分の思うように作り上げ、自分の目的のために使っている」
「黙れ!」

演説の如く朗々と語られる言葉を遮る様に、フェイトは拘束されたまま魔力弾を放つ。
だがそれは、男が右手を翳す事で展開した障壁に阻まれ空中で四散。
スカリエッティ…より正確にはそれをかたどった人形は、何事もなかったかのように演説を続ける。

「違うかい? 君もあの子達が自分に逆らわない様に教え込み、闘わせているだろう」

スカリエッティの言葉を否定したい。そんな事はないと、自分は違うと。しかし……出来ない。
出来たのであれば、わざわざ行動でその口を閉ざそうとはしなかったろう。
行動に移してしまった時点で、彼女にはスカリエッティを論破出来ないと認めた様なものだ。
彼女自身もわかっているのだろう。どれほど否定したくとも、言葉が出て来ない。
フェイトはただ、嫌な笑みを浮かべるスカリエッティを忌々しげに睨む事しかできない。

「私がそうだし、君の母親も同じだ。周りの全ての人間は自分のための道具に過ぎん」

だがそれも、長くは続かない。
徐々に瞳からは反抗の意思が薄れ、その美貌に年相応の弱さが顔をのぞかせる。
どれほど強力な力を持ち、如何に明晰な頭脳を持ち、十年にも及ぶ経験があろうとも、彼女はまだ20歳にも満たないのだ。周りが思う程、その心は強くない。むしろ、重い過去を抱えるからこそ……。

「その癖君達は、自分に向けられる愛情が薄れるのには臆病だ。
実の母親がそうだったんだ、君もいずれああなる」

道迷った幼い子供を想わせる、怯えに染まった表情。
今の自身を支える根幹であり土台であり、柱。それを揺さぶられれば……こんなにも脆い。
彼女の心は、あと少しで折れてしまいそうな程に追い詰められていた。

「間違いを犯すことに怯え、薄い絆に縋って震え、そんな人生など無意味だと……」

フェイトの心を折る最後のひと押し。
だがその直前、回廊内を耳朶を振るわせる轟音が埋め尽くす。

その場にいる全員が反射的に音の出所へと視線を向ける。
壁一面に整列するガジェットの群れ、そこに突如として爆砕したのだ。
そして、穿たれた大穴から濛々と立ち込める土煙を掻き分けて、二つの人影が姿を現す。

「むんっ!」
「ぜりゃぁ!」

鍔迫り合う槍と手刀。
さすがに刃そのものを手刀で受けることはできないのか、実際には柄を手刀で防ぎ、あるいは装備した手甲で刃を止めている。その意味では鍔迫り合いと言うのは正しくないのかもしれない。

しかし、衝突する互いの気迫や槍と手刀がぶつかる度に爆ぜる空気は、鍔迫り合いとしか言いようがなかった。
ただ、両手で得物を振るう槍使いとそれを片手で受け止める拳士。優劣は明らかだ。

「くっ……」
「おおおおおおお!!」

鍔迫り合いになったは良いが、押し合いになれば当然拳士の方が不利。
徐々に槍が押し込まれ、拳士の前に刃が迫る。

確かに鍔迫り合いにおいては分が悪い。
だが、闘いそのものは一概に振りとも言い切れない。
片手で槍を受け止めていると言う事は、もう片方の手が空いていると言う事を意味する。

片手で槍を支えつつ、更に一歩前へ。
床を蹴り砕かんばかりの踏み込みが、爆発を想わせる轟音を響かせる。
懐へ入ると同時に、空いた肘をがら空きになった敵の鳩尾へ。

「こっ!」

八極の一手『裡門頂肘』。裡門とは敵の内懐へと入ることであり、頂肘とは肘打ち。
つまり、敵の懐に入りながら体当たりの如く肘を打ち込む技である。
充分に震脚の効いたそれは一打必倒。
どれほど分厚い腹筋に守られ、如何に堅固な障壁があろうと打ち砕くだろう。
ただし、あくまでも当たればの話だが。

(外された!)

当たる直前、刹那のタイミングで半歩下がりやり過ごしたのだろう。
全くの無傷とは思えないが、威力の大半を削られてしまった事は手応えから明らか。

次の動作に移ろうにも、この技は大きく腰を落とす性質上、次の動作に繋げ辛い。
一打必倒の大技故に、打ち終わりの隙もまた大きい。

見れば、半歩下がった敵は既に反撃に移ろうとしている。
口の端から血を零しながら、唐竹の一撃が脳天目掛けて振り下ろされる。
この体勢では、受けることも飛び退いて避けることもかなわない。

だがそこで、兼一は通常とは全く別の選択肢を選ぶ。
身体に力を入れるのではなく、抜く。
脱力によって兼一の身体はその場で崩れ落ちる。

とはいえ、それで斬撃の軌道から完全に抜けられるわけではない。
狙いは僅かに外れたものの、穂先は確かに兼一の身体を捉えた。
道着の下に着込んだ鎖帷子と刃が衝突し、眩い火花が舞い散る。

槍撃の衝撃により、踏みとどまる力さえも捨てた兼一の身体は面白いように床の上を転がって行く。
しかし、それを為した張本人…ゼストの顔は浮かない。
会心の一撃だった筈が、まるで柳の枝でも殴ったかのような手応えのなさ。

『捨己従人(しゃきじゅうじん)』あるいは『流水』とも呼ばれる、相手の力の流れに逆らわない事で、逆に身を守る技法だ。
まぁ、武器の一撃を受け流してしまえる程に己を捨てるなど、早々できることではないが。

「いちち…あっぶな~……」

転がりながらも身を起こし、兼一は軽く息を突きながら呟く。
実際、九死に一生だった。
僅かでも恐怖に負けて身体が強張っていれば、本当に死んでいたかもしれない。
それほどまでに、鋭くも重い一撃だったのだ。

ただし、なんとか最小限のダメージに抑えはしたものの、その代償は決して安くもない。
僅かに視線を落とせば、そこには無残に斬り裂かれた道着と……砕け散った帷子。

「頼みの帷子もはじけたな。これで、先の様な手は使えんぞ」
「でしょうね」

無論、兼一とて先ほどの様な手が何度も使えるとは思ってはいない。
ああいう防御法があると知られれば、それなりのやり方で攻めて来るだろう。
ダメージは兼一の方が有利なのだろうが、防御力の低下は由々しき問題だ。
この先、兼一は手甲のみであの刃を防がなければならないのだから。

「兼一…さん」
「ぁ、フェイト隊…長?」

背中へと掛けられた声に反応し、僅かに視線を向ける。
確かにそこにいたのは、彼もまた良く見知った女性。

だが、その表情は普段の彼女とは別人のように弱々しく儚い。
あまりに覇気の感じられないその様は、一瞬フェイトである事を疑ってしまうほどだ。
モニター越しに心を揺さぶられている事は見ていたが、ここまでではなかった。
恐らく、ゼストと闘っている間に更に何かあったのだろう。

兼一はゼストへの警戒を怠らず、左手を二閃三閃させることで彼女を縛るバインドを断ち切る。
しかし、解放されたフェイトはまるで糸の切れた人形のように、力なくその場に座り込む。
そんなフェイトに兼一は一瞥もくれることなく、ただ前を向いたままに厳しい声音で言葉を紡ぐ。

「立ってください、フェイト隊長」
「ぁ、でも、私…は……」
「立つんだ!」

呆然と、意思の感じられない眼差しを向けるフェイトに叩きつける。
手を差し伸べる事は容易い。だが、それでは意味がないのだ。

今視線の先で槍を構える敵が、そんな隙を許してくれないと言うだけではない。
何より、フェイト自身にとって、この場で手を差し伸べることに意味がないのだ。

滅多に聞く事のない、兼一の強い言葉にフェイトは僅かに身体を振るわせた。
そうして言われるがまま、フェイトは緩慢な動作で立ち上がる。

「何があったのかは知りません。何があなたをそんなにも追い詰めているのか、僕にわかる筈もない。
 恥ずかしい事に、僕はあなたの事をほとんど知らないから」
「……」
「でも、知っていることもある。あなたは……強い女性(ヒト)だ。
誰かのために本気で怒り、悲しみを共有できる、優しくも強い人です」
「違…私は、そんなんじゃ……」

その言葉を、フェイトは「自分はそんなに立派な人間ではない」と否定しようとする。
だが、兼一はそんな彼女に構うことなく言葉を紡いでいく。

「そんなあなたが、こんなにも追い詰められている。それはきっと、僕の想像が及ばないくらいに重い何かなんでしょう。その重さを、何も知らない僕に軽くできるとは思いません。
 だけど、全力を出す妨げになるその感情は邪魔です。辛くても苦しくても、今は前を向いてください」
「それが、出来れば……!」

兼一の言う事は正しい。しかし、それができればこんな事にはなっていない。
兼一の言う通り、彼はフェイトの事をほとんど知らない。知らないからこそ、そんな事が言えるのだ。
無知故に無遠慮なその言葉に、フェイトの中で沸々と怒りが湧き上がる。
何も知らない癖に、家族に恵まれ、才はなくとも正道を歩み続けた男に、いったい何が分かると言うのか。

「あなたには仲間が、友達が…家族がいるでしょう」
「ぇ……」
「一人で背負わないで。色々な物を一緒に背負って、一緒に考えてくれる…それが仲間であり、友達であり、家族なんじゃないですか? あなたの心を責め苛んでいるそれは、本当に一人で背負わなくちゃいけないものですか?」
「それ、は……でも、そんなの……」
「大丈夫、みんな強い人達ですから。きっと、一緒に背負ってくれますよ。
それに……何も知らず、頼りないかもしれませんけど…僕も一緒に考えて、背負いますから」

それは、本当に極々当たり前のこと。別に、何ら感銘を受ける要素のない一般論。
しかしなぜ、そんな当たり前で月並みな言葉がこんなにも心に染み渡るのか。
それはきっと、この男がそれを心の底から信じているからだ。
一点の曇りもなく、仲間・友・家族…それは、重荷を分かち合ってくれる存在であり、自身もまたその人達の重荷を共有することが当たり前だと思っている。
この男は、ずっとそうやって生きてきて、この先もそうして生きて行くのだろう。

「だから悩むのも、迷うのも………そう言う難しい事は、とりあえず彼らを倒してからにしませんか?」
「…………」

別に、心を責め苛むそれが消えたわけではないし、重荷が軽くなった訳でもない。
何も、何も変わってはいない。ただ、それらを全て一時棚上げにしただけで、何の解決にもなってはいない。

だが、今はそれでもいいのだろう。答えを急ぐ事はない。
迷うのも悩むのも、きっと一生付き合っていかなければならない彼女の性質だ。
フェイトの心は決して強くない。だからこそ仲間が、友が、家族がいるのだろう。
色々な物を分かち合い、支え合う為に。

《Get set》
「オーバードライブ、真・ソニックフォーム」
《Sonic drive》

暗い回廊を、金色の光が照らし出す。
誰もがその輝きに目を細める中、一人それに背を向ける兼一だけは頬笑みを浮かべる。
背後から伝わる気配が喜ばしいのだろう。フェイトが、もう一度立ち上がれた事が。

「もう、大丈夫ですか?」
「ええ、御心配おかけしました」

光が収まり、フェイトはゆっくりと兼一の横に並び立つ。
その装いは先ほどまでのそれからは一変し、酷く薄く身体の線を浮き彫りにする程にフィットしている。
どこか、かつて妻が愛用していた防弾スーツ似ていなくもない。

フェイトのリミットブレイク、『真・ソニックフォーム』。
装甲は無きに等しく、一撃でも受ければそれで終わり。
ただしそれは、魔力の全てを速度に費やし、速さのみを追求した超高機動特化形態であることを意味する。
それが、自身の長所を極端なまでに突き詰めた、フェイトの切り札だった。

「とりあえず、後先のことは……………今をなんとかしてから考えます!」

その言葉と同時に、その場にいた全員が動き出す。
フェイトは戦闘機人達向けて飛び、兼一はゼストに向けて拳を構えた。

先手はゼスト、やはり槍と拳では間合いの利は槍にある。
間合いに入ると同時に横薙ぎに一閃。
兼一はそれを回避するが、その背後で斬撃に余波により壁に断裂が走る。

しかも、一撃や二撃では終わらない。
兼一を寄せ付けない様、刺突が、切り上げが、袈裟斬りが、縦横無尽に襲い掛かる。
その悉くを回避するが、その度に壁一面に無数の斬痕が刻まれていく。

だが、兼一とて一方的に攻撃に晒されてばかりいるつもりもない。
あまりの猛攻で中々拳の届く距離までは近づけないが、それでも斬撃の合間を縫って接敵。
手数で攻めるゼストに対し、少ないチャンスを逃さぬよう、強烈な右拳を見舞う。

「ぐぬっ!」

その一撃を、ゼストは槍の柄を盾にして防ぐ。
まともに受ければ柄そのものをへし折ってしまいそうな程の剛打だが、辛うじて逸らす事で柄を折らせない。
代わりに、壁には巨大な亀裂が走る。

しかし、それに僅かに遅れて右拳の影から左拳が現れた。
思いもよらぬ伏兵により、鉄塊の如き拳が頬に突き刺さる。

だが、常人ならば頭がはじけ飛んでもおかしくない一撃を受けてなお、ゼストは屈さない。
それどころか、半ば意識が飛びかけた状態で、反射的に操った槍の石突が兼一の鳩尾を狙う。
兼一はそれを、急ぎ戻した右腕で防ごうとするが、その直前で槍の軌道が変わる。

(しまった…フェイント!?)

巧みな槍捌きで石突はあらぬ方向へと軌道を変え、代わりに槍の穂先が逆袈裟に振り下ろされる。

(……これを防ぐか)

完全に虚を突いたと思った一閃だったが、兼一はそれを左の手甲で防ぐ。
空手において失伝されたとも言われる多くの口伝の一つ、『夫婦手(めおとで)』。
それは、両の手をつかず離れず同時に動かす手法。前の手は攻撃もすれば防御もする。さらに後の手も攻撃もすれば防御もする。つまり万が一の保険であり、敵にとっては思わぬ伏兵となると言う寸法だ。
ゼストは、まんまとそれに掛かってしまったと言う事。

槍を防がれ、がら空きとなった胴。
その隙を逃さず、ムエタイの跳び膝蹴り『ティーカオ』を放つ。

「おおっ!」

しかし、そんな兼一の行動を予測していたのか、いつの間にか発生していた魔力球が爆ぜる。
魔力資質を持たない兼一にとって、魔力ダメージは鬼門と言っていい。
飛びかけた意識を引き戻す技術に長ける兼一でも、刹那の空白は免れない。

飛びかけた意識を無理矢理引き戻すと、そこには全身を引き絞り槍を構える敵の姿。
肉体は弓、槍は矢。限界まで引き絞った身体から、渾身の一閃が放たれようとしている。

今からでは、満足に防御も回避も行えない。
そう見切りを付け、兼一の肩が僅かに動く。

狙うは岬越時流柔術の究極奥義の一つ、『真・呼吸投げ』。
気当たりによる反射を逆手にとり、相手の体を崩すように誘導し、手を使わずに相手を投げる技。
その性質上、相手が真の達人である場合のみ使える代物だが、ゼストが相手であれば……。
だがそんな兼一の目論見は、別の意味で外される。

「……かぁっ!!」
「なっ!?」

気当たりによる誘導を振り切り、渾身の突きが放たれる。
真・呼吸投げの弱点、それは…捨て身の相手には効果がないと言う事。
この技は、相手の危機回避反射能力を利用して技を掛ける。
それ故に、命を捨てて挑んでくる者には通じない。

とはいえ、微かに反応しかけた所を見るに、全く効果がなかったわけではない筈だ。
恐らく、反応しかける体を押さえつけ、無理矢理に放ったのだろう。

閃光の如き一閃が兼一の胴を襲う。
僅かに反応しかけた事で生じた一瞬にも満たない間。
そのおかげで、辛うじてだが回避が間に合い、脇腹を掠める様にして槍が通り過ぎる。

だが、掠めただけにもかかわらず、帷子の守りを失った身体から鮮血が宙を舞う。
しかし、それも致し方なし。これほどの使い手が放つ渾身の一撃、余波や風圧だけでも人を殺傷するには十分すぎる。それが掠めて行ったのだから、むしろこの程度で済んでよしとすべきだろう。

そうして、何合かそんな打ち合いを続けるうち、やがて先に洞窟の方が限界を迎えて行く。
勝負の余波でひび割れた天井や壁面から、次々に小さい物は人の頭ほどから、大きなものは人の背丈を越える程の岩が落ちて来る。
二人はそれを時に回避し、時に粉砕しながらも闘いを辞めはしない。

むしろ、回避や破壊により生じた微かな隙を狙い合う。
しかし、二人の表情は似ても似つかない。
決死の覚悟で挑むゼストと、苦渋に歪む兼一。
本来、体調の思わしくないゼストに勝ち目はないに等しい。

が、この甘い男がその様な半死人を相手に、容赦なく拳を振るう事が出来る筈も無し。
結果、兼一は攻めるに攻めきれず、二人の闘いは拮抗状態に陥りつつあった。
だがそれも、長くは続かない。

「ぐふっ! ごほっ、ごっ……!」
「っ!」

突然吐血し出したゼストに、兼一は反射的にその身を気遣いそうになるが、止まる。
右手に持った槍で身体を支えるゼストの視線が、それを許さなかった。
『来るな』と、『まだ、勝負は終わっていない……』と、その眼が強く訴えている。

(どうしても、さがれませんか……)

幾度も斬り裂かれ、ボロボロになった道着を脱ぎながら唇を噛む。
闘えば闘う程に、ゼストの寿命は削られていく。
それを見ているのが辛く、止められない自分の未熟が恨めしい。

いや、止めるだけならば簡単だ。
ゼストの身体はもう限界を越えつつある。そこへ渾身の一撃を打ち込めば、恐らくそれで勝負は終わるだろう。
今までにも何度か打ち込める隙はあったし、実際に何度も打ち込んではきた。
ただそこに放つ攻撃を、『必殺』へと切り替えればそれで済む。

しかしその先に待つのは、ゼストの死という結果のみ。
そんな安易な結末で満足できるのなら、はじめからこんな回りくどい戦い方はしていない。
『殺さずに倒す』、それが武の世界に身を投じてからずっと、兼一が貫き続けて来たあり方なのだ。
例え数時間後には潰えるかもしれない命が相手でも、そこを妥協する気はない。

「はっ、はぁ……すまん、不調法した。
 だが………………………身勝手な男だ。己の命は晒しておきながら、俺の命を取りに来ないとは……」
「でしょうね。でもそうじゃなきゃ、活人拳なんてやってられませんよ。
 それに、これが僕の闘いの筋の通し方です」

そう、ある意味活人拳ほど我儘で身勝手な生き方もない。
敵は倒すが、決して殺さない。だが、そんな甘っちょろい事を、この男は本気で貫いてきたのだ。
賭けているのはほかでもない自分の命、その使い方を他人にとやかく言われる筋合いはない。

「……なるほど。確かに、野暮は俺の方だったか」
「ごめんなさい」
「何を謝る。本来受ける必要のない闘いを受けてくれているのだ。感謝こそすれ、謝罪される覚えはない。
なにより………これほどまでに燃え上がったのはいつ以来だ。
叶うなら、燃え尽きるまで続けたいが……決着はつけねばならん」
「……」
「最早、そうはもたん。締まらぬ終わりを迎える前に、この打ち込みで幕引きとしよう!!」

一足飛びの接近から、一切の遅滞なく振り下ろされる上段よりの一撃。
それを、兼一は両腕の甲を頭上に掲げ、装備した手甲で受け止める。

あまりの重さ故に、受けると同時に兼一の足元が陥没した。
一瞬の膠着。その間に、ゼストの膝が鳩尾に突き刺さるが、兼一は動じない。

「おおおお!」

槍を受けた両腕を傾け、槍を右にいなす。
拮抗していた力を逸らされた事で、ゼストの体勢が僅かに崩れた。
兼一は踏み抜かんばかりの力で床を蹴り、逆の脚で膝蹴りを放つ。

「ぐぉっ!」

辛うじて防御が間に合い、槍の柄でそれを受け止めるゼスト。
衝撃を吸収すべく、槍をたわませる。
まともに受けていればへし折れていただろうが、微妙にたわませた事で衝撃が拡散された。
膝を受け止めた槍は、依然としてゼストの手の中で健在。

渾身の一撃を放ち終えた兼一は、未だ体勢を立て直せていない。
だがそこで、裂帛の気迫が全身を打つ。

「コォォォォ……」

自身を真っ直ぐに見る兼一の眼は、これまでのどんな時よりも鋭い光を放っていた。
同時に、膝を蹴り上げた体勢のまま、槍の守りを抜けて脚が伸びて来る。

そこに来て、ようやくゼストは失策を悟った。
兼一の攻撃はまだ終わっていない。そも、あの膝はここへ繋げるための囮に過ぎなかったのだ。
真の狙いは、防御することで逆に意識から外れたその奥。

「ちぇりゃぁ!!!」

無敵超人が誇る百八つの秘技が一つ、『孤塁抜き(こるいぬき)』。
その神髄は、連綿と続く攻防の中、防御こそしているが意識下より外れ孤立している箇所を見つけ出し、堅固に守っている箇所を敢えて打ち抜く事にある。

武術家の基礎は下半身、即ち脚と腰。
徹底的という言葉ですら生温い程に丹念に鍛え上げられた足腰から放たれるそれを総動員して孤塁を穿てば、耐えきれる者などまずいない。

その威力を物語る様に、床には巨大なクレーターと共に、放射状の亀裂がどこまでも走って行く。
否、それどころかあまりの威力に耐えかねて、踏んだ床の底が抜けた。
巧みな足裁きでゼストを抜け落ちた床の外へと飛ばし、兼一自身もまたその場を離れる。

兼一が着地した時、ゼストもまた大穴を挟んで対面に位置する場所で、辛うじて槍で身体を支えていた。
ただし、その身体からは見る見るうちに力が抜け落ちて行く。

「見事、だ………………ぐはっ!」

自身を打倒した敵への称賛を残し、ゼストの身体がその場で沈む。

しかし兼一は、勝利の余韻に浸る気にはなれずにいた。
相手は死期を間近に控え、以前戦った時より遥かに肉体的には衰えている。
その意味で、勝って当たり前と言われれば確かにその通りな勝負だったろう。

だが、兼一はそうは思わない。
実力がどうであれ、命を捨てて挑んでくる敵は恐ろしく、なにより手強い。
事実、他者が思う程に兼一に余裕はない。『なんとか勝てた』と、心から安堵する程に。

されど、彼の闘いはまだ終わっていない。
兼一は軽く両手で己が頬を叩き、自身の手当ては後回しに、大穴を飛び越えて倒れ伏したゼストの傍に膝を突く。
彼の身体を仰向けにひっくり返し、目視と触診でダメージの状態を確認していく。

孤塁抜きにより、右側の肋骨が全滅している。
また裡門頂肘を始め、幾度となく打ち込んだ拳や肘、膝に蹴りで内臓へのダメージが複数個所。
その他、上げて行けばきりがない程のダメージが刻まれている。
極力最小限のダメージに抑えようと努力はしたが、この有様。
自身の未熟さを、改めて思い知る。

かつて長老も言っていた。
『“ただ敵を殺すだけの力は容易く”…“敵を必要以上に傷つけずに大切な者を必ず守り抜く力”っつーたら、こりゃもう史上最強レベルなんじゃよ』と。
まだまだ自分はその域には届いていない。道は果てしなく遠く、終わりは見えず、見える事すら想像もつかない。

しかし、そんな感傷は頭の隅に。
今やるべき事は、自身の未熟を恥じることではない。

「…なにを、している……」
「しゃべらないで。いま、応急処置を!」
「無駄だ。自分の身体の事は、自分自身が一番よくわかっている。俺は、もう……もたん」
「諦めないでください! あなたには、まだやり残した事がある筈です!」
「ない。結果は敗北ではあったが、俺は充分に満足している。最早……思い残すことはない。
 ただ、頼めるなら……俺の躯は、人知れず葬ってはくれまいか」
「嘘だ!」

医者も顔負けの手際で処置を進めながら、兼一は険しい顔でゼストの言葉を否定する。

「嘘など……」
「いいえ、嘘だ。あなたには、あなたを待つ人たちがいる筈です」
「……」
「眼を見ればわかります。あなたには………………子どもがいる。
残り少なくい命でも良い、その子の為に……生きてください。生きる事を諦めないで! 共に行きたくても、出来ない人だっているんです! だから、諦めるなんて……絶対に許しません!!」

懸命な兼一の言葉が、ゼストの脳裏に残して来た二人の姿を呼び起こす。
信頼できる者に託したから、もう心残りはない。なるほど、そうかもしれない。
だが、そんな理屈とは別の所で、彼は彼女達のとの日々の終わりを惜しんでいたのではないか。
最早長くはない命と、諦めはつけた筈だった。しかし、目の前で懸命に「生きろ」と「大切な者を残して逝くな」と叫ぶ男を前に、諦め蓋をした筈の未練が蘇ってくる。

生きられるのなら、もう少しだけ共に歩みたい。その行く末を、あと少しだけ見届けたい。
そんな、あまりにありふれた未練。
だが、それは叶わない。兼一がどれほど手を尽くした所で、この運命は覆りはしないのだから。

「っ! これは……」
「自爆装置か何かでも起動したか……奴のやりそうなことだ」

突如として、研究所全体が鳴動を始めた。
それに対し、ゼストはスカリエッティの可能性を指摘するが、兼一は内心でそれに首を傾げる。
もしそうするつもりであったのなら、あの結界を解除した時点でやっていたのではないだろうか。
それに、なんとなくだがあの時点で彼はこれから起こる色々なものを既に受け入れていたように思う。
そんな男が、今更その様なマネをするだろうか。とはいえ、今はそんな議論をしている時ではない。

「もう行け、仲間の所へ。生体ポットの中には、まだ息のある者もいる筈だ。
お前が救うべきは、俺の様な死人ではない」
「でも!」
「元より、俺はとうの昔に土に返っている筈だった。それが今になった、それだけの事に過ぎん。
 そう、今まで逆らってきた運命(さだめ)に、帰るだけだ……」

確かにゼストの言う通り、大局を見れば彼一人に拘っている場合ではない。
彼一人を見捨てでも、助けられるかもしれない人々を救うべきだ。
そうとわかってはいても、この甘い男には彼を見捨てる事が出来ない。
そんな兼一を無理にでも行かせようと、ゼストは死に体に鞭打って上半身を起こそうとする。
しかしそこで、あり得ない声が回廊内に木霊した。

「ならば、運命(さだめ)など駆逐してしまえばよい!!」
「な……」
「こ、この声は…まさか……」

聞き覚えのある、如何にも脳裏に浮かんだ人物が言いそうな言葉に、兼一の表情が凍る。
二人が揃って声の出所に視線を向ければ、そこには見間違えようのない二人組の姿。

「輪廻を斬り裂き摂理を歪め!! 熱力学第二法則に真っ向から戦いを挑む人術!!!
 それが―――――――――――――――――――――医術!!!!」
「まぁた、無茶苦茶な理屈を言い切っちゃったね、この人」
「岬越寺師匠! 馬師父まで! どうしてここに!?」
「ふっ、新島君に誘われて異世界旅行の旅にね」
「兼ちゃんの友達も大勢きてるから、外の事は安心ね」
「は、はぁ……いや、それにしてもどうしてこんなタイミング良く!?」
「ふむ、我々も最初は市街地に降りるつもりだったのだが、丁度この辺りに緊急の患者(クランケ)がいると通信が入ってね」
「え……?」

一体誰が、そんな千里眼の如き真似をしたのだろうと考えて……一人の男の姿が思い浮かぶ。
此度の騒動の全体を把握し、なおかつゼストをここに呼び込んだ張本人。
あの男以外に、そんな事が出来る者がいるとは思えない。

(あの人が……)

つくづく、何を考えているのかよくわからない男だ。
だが今は、どのような思惑があるにせよ、それに感謝しよう。

「ほら、兼ちゃんも忙しいんだから、こっちはおいちゃん達に任せて行くと良いね」
「そう言う事だ。さあ、行け、我らが一番弟子よ」
「はい! お願いします、師匠方!」

秋雨と剣星の技術レベルは、兼一のそれを大きく上回る。
この二人が揃っていれば、例え死んでも生き返るだろう。
誰よりもよくそれを(身体で)理解しているからこそ、兼一は迷うことなくフェイトの下へと向かう。
そんな弟子を見送った二人は、ゼストの状態を見て感心したように眼を細める。

「ほぉ、良い手加減だ。まさに死なないギリギリのライン、腕を上げたな、兼一君」
「弟子の成長に、おいちゃんちょっと感動ね」

兼一の手際が医者も顔負けとするなら、二人のそれは目にも止まらぬ早業。
不可視の両腕が動く度、ゼスト・グランガイツと言う人間の身体が見る見るうちに修復されていく。
されど……

「それにしても、良くこの身体でまだ生きてるね」
「それも含めて兼一君の手際だろう。だが、この場では応急処置が精一杯か。急ぎ専門の設備のある病院に搬送し、しっかりとした修理をしたい所だが……ここでは修理(なお)せるものも修理(なお)せない」
「字が違うね、秋雨どん」

ここから市街地までは、二人の脚でも幾らかの時間を要する。
恐らく、それまでゼストの身体はもたないだろう。
ならば、病院へ搬送する以外の解を求めるより他はない。

「というわけで、何か手があるのなら教えてほしいのだけど…どうかね、そこの所」
「やはり、気付いておられたか」
「……見た所、人形の様だが?」
「さすがは哲学する柔術家とあらゆる中国拳法の達人。
私としても、彼の一人多国籍軍を育て上げたあなた方には直にお目通り願いたい所なのだが……残念ながら、今私は身動きが取れなくてね。失礼かとは思うが、これで勘弁していただきたい」

姿を現したのは、第三のジェイル・スカリエッティ。
まぁ、フェイトの前にいたのが人形であったのだから、もう一体人形がいても不思議はないのだろう。

「少々入り組んだ所に、設備の整った部屋がある。そこでなら、満足のいく治療も出来よう」
「それはありがたい話ね」
「うむ。それでは、ありがたく拝借して彼を修理(なお)すとしよう」
「字が…違うのではないかな?」

秋雨の言に引っかかるものを感じ、意見を求める様に剣星を見やる。
すると、返ってきたのは万感を込めた重々しくも短い答え。

「気にしたら負けね」
「だが、この場合は“治す”なのでは……」
「気にしたら負けね」
「いや、しかし……」
「気にしたら負けね」
「……なるほど、あなた方に常識的な応答を求めた私が悪かったということだな、了解した」

スカリエッティとて、己が決して他人の言動にイチャモンをつけられるほど良識のある人間でない事は承知している。
だが、剣星に繰り返し諭された事でついに折れた。
この相手が、こんな自分よりもさらに常識や良識から逸脱した相手である事を思い出したのだろう。
言うだけ無駄、つまりはそう言う事だ。

「ああ…それと、君自身は今どこにいるのかね?」
「それを聞いて、どうするおつもりかな?」
「なに、少々手を貸してもらいたいと思ってね」
「本気かね?」
「うん、本気だよ」

いぶかしむスカリエッティに、当たり前のように秋雨は返す。
その眼は、言葉通り紛れもない本気の眼。
正直、スカリエッティでさえこんな得体のしれない相手に協力を求める相手の神経を疑うが、そもそも常識で測る事自体が無意味な相手と思いなおす。

「承知した。では、先に私がいる部屋へ案内しよう」



  *  *  *  *  *



刻一刻と揺れを増していく研究所の回廊を、兼一は一人フェイトを探して駆けまわる。

(闘っているうちに、フェイト隊長がいた場所から大分離れちゃったなぁ。一体どこに……)

正直、兼一には研究所を揺るがす自爆装置とやらを止める手立てはないに等しい。
単純に爆薬の類が仕掛けてあるだけならば、それ、あるいはそれらを取り外して脱出し、遥か彼方に放り投げてしまえば済む。だが、この揺れの感じからするとそう言う類の物とは違うように思われる。
仮にそうだとしても、繊細なセンサーで起動する類のものであれば、迂闊に触れることはできない。
ましてや、もっと複雑な機構によって駆動する物だとすれば、お手上げと言ってもいいだろう。
故に、兼一がまずフェイトと合流し、指示を仰ごうとしているのは当然の流れだった。

幸い、先ほどまでフェイトがいた場所は、大まかにだが覚えている。
彼女がそこから動いていなければ、合流までそうはかからないだろう。

そうして研究所内を走るうちに、徐々に落石や落盤が目立つようになってきた。
はじめは砂利程度だったそれらが、いまや拳大から頭大のそれになってきている。
おそらく、兼一とゼストが広範囲に暴れまわったのも一役買っているのだろう。

(これは、そろそろ時間がないか……)

いよいよもって切羽つまってきた状況に、兼一の表情にも少なからず焦りが見えはじめる。
とそこで、兼一の眼が回廊の先に探し求めた人物の後ろ姿を捉えた。
遠く暗い中では人影が辛うじて見えるかどうかと言うところだろうが、彼の人間離れした視力ならばこの程度の距離・暗さでの人物の特定くらいは造作もない。

「フェイト隊……」

その背に声を掛けようとした所で、兼一の喉が詰まる。
気付いたのだ。コンソールの操作に意識を集中する彼女の頭上へと落下を始めた、これまでの比ではない巨大な岩盤に。あんな物の下敷きになれば、細身の彼女などひとたまりもないだろう。

しかも悪い事に、フェイトはそれに全く気付いていない。
警告した所で、回避は間に合うまい。
ならば、彼がすることなど一つ。

気付いてから決断までの時間は百分の一秒にも満たない。
兼一は歩みを止め、両の脚でしっかり床を捉える。
そして、思い切り右拳を引き絞り…………岩盤目掛けて振り抜いた。

「猛羅…総拳突き(もうらそうけんづき)!!!」

正拳、貫手、鶴頭、平拳、掌底、手刀、一本拳、虎口など、あらゆる拳型で凄まじい連撃を放つ。
直線状にある全てを粉砕しながら突き進むそれは、大口径の砲撃を思わせる。

「ぇ…キャ!?」

自身の頭上を通り過ぎた途轍もない何かに、反射的に悲鳴がこぼれる。
咄嗟に頭を腕で守るが、振ってくるのは粉粒程度のものばかり。
恐る恐るフェイトが顔を上げると、頭上にはやはり何もない。
だがそこで、いつの間にか彼女の背後に立っていた男から声が掛けられる。

「大丈夫ですか?」
「え、あ…はい」

何が何やらわからないまま、とりあえずそう返事をする。
兼一はそれに軽く安堵の息をもらし、続いて改めて問う。

「止められそうですか?」

何を、とは聞かない。言葉少なな問いだが、フェイトはその意味を正確に理解し、首肯を返す。

「止めて…みせます」
「わかりました。では、フェイト隊長はそちらに集中してください。
 その間、砂利一つ邪魔はさせません!」
「……お願いします。(別に、無理に隊長なんてつけなくてもいいのに……)」

愚直なまでに律義なその態度に、若干不満そうな顔をしながらも、フェイトはコンソールへと向き直る。
兼一はその宣言通り、フェイトに振りかかる全ての落下物の悉くを粉砕していく。

やがて、アースラでフェイトの補佐をしていたシャーリーの助力もあり、研究の揺れが止まる。
崩落の危険が去ったことを確認してから、二人はようやく人心地付く。

「ふぅ……」
「なんとか、間に合いましたね」
「はい」

背中を向けたまま、強張っていた肩から力を抜く二人。
とそこへ、回廊の先から二人を呼ぶ声が響く。

「師匠――――――!」
「「フェイトさ―――――――ん!」
「ギンガ?」
「エリオ、キャロ!」

通路の向こうからやってきたのは、それぞれの戦場に区切りを付け、駆けつけた子ども達。
二人にとっても気がかりだった子らの無事な姿に、二人もまた安堵する。

「よかった。連絡が付かないって聞いてましたけど…御無事で何よりです」
「フェイトさんも」
「よかった、無事で」
「ごめんね、心配かけて」

それぞれに再開と無事を喜び合う4人。
だがそこで、一人兼一は怪訝そうな顔で愛弟子を頭から足先まで観察していた。
その眼差しに気付いたのか、ギンガは僅かに首を傾げる。

「師匠?」
「ギンガ…………何か、無茶な事をしたでしょ。
 例えば―――――――――――――――――――――――――――――――――無拍子を途中で止めるとか」
「う”」

まんまと図星を突かれ、ギンガの顔が気まずそうに歪む。
実際、未だに身体の節々が痛い。むしろ、今だからこそこの程度の痛みで澄んでいるのかもしれない。
それを考えると、明日どうなっているかが激しく不安だ。
というか、どうして見ただけでわかってしまうのだろう。

「そりゃ、そんな風に膝とか腰とかを庇うように立ってたら嫌でもわかるよ」
(また心を読まれた!?)
「とりあえず、ギンガには後で岬越寺師匠直伝のスペシャルマッサージと馬家秘伝の漢方を飲んでもらうとして…………ゆりかごの方は?」
「あ、そっちは今スバルさんとティアさんが」
「なのはさん達の救出に向かってます」

横目でチラチラと「きっと痛いんだろうなぁ」「っていうか死ぬほど痛いに決まってるよねぇ」「そして間違いなく不味いのよねぇ」と絶望してるギンガを見ながら、エリオとキャロが兼一の問いに応える。

で、そのゆりかごの方はと言うと……。
ヴィヴィオを抱きかかえ、なのはを担ぎながらマッハキャリバーを走らせるスバルと、バイクの後ろにクアットロとユーノを乗せたティアナ、そして一人せっせと走るはやてが大急ぎで出口へと向かっていた。
その背後に、無数のガジェットⅣ型をひきつれて。

「いやぁ、懐かしいねぇ。昔はトラップに引っかかる度に、こうして逃げ回ったものだよ」
「懐かしがっとる場合かぁ!!」
((凄い…余裕だ、スクライア司書長))

どうも、この手の脱出イベントには慣れたものらしく、ユーノの声に焦りはない。
むしろ、その言葉通り余裕の様なものさえ見受けられる。

「ちゅうか、こういう時は男が走って女の子に楽させるんが普通とちゃうんか!?」
「でも、この中で無傷なのってはやてちゃんくらいだし……」
「パパ、ボロボロ……イタイのイタイの飛んでけ~」
「うん、ありがとヴィヴィオ」
(くっ、今までの鈍足が嘘の様なベタベタっぷり。言ってる事はもっともなんやけど、なんや納得いか―――ん!)
(しょうがないです、はやてちゃん。私達はきっとこういう役回りなんです……)

肩に乗っかっているリインに励まされながら、はやては息を切らせながら走り続けるのだった。
何しろ、少しでもスピードを緩めると、背後から追って来ているガジェットに呑み込まれてしまう。
それはまぁ、必死にもなろうと言う物。

「そっか、なのは達も無事なんだ」
「ただ、その……」
「市街地の方が、大惨事と言いましょうか……」
「「え?」」

聞けば、兼一の旧友やら師匠ズやらが現れて、大層大暴れしているそうな。
ガジェットを一掃してくれているのでそれはそれでいいのだが、問題はその影響である。

「なんだか、ちょっとやり過ぎて建物が倒壊したり」
「勢い余って管理局の方が巻き込まれそうになったりしたとか……」
「とりあえずアースラから、あの人たちの半径100m以内には近寄らない様に指示は出してもらってますが……」

既に、物的にも精神的にも被害は甚大と言う事か。
不幸中の幸いなのは、人的被害だけは辛うじて出していないことだろう。
ただし、あまりにも衝撃的過ぎたその光景から、しばらくの間は緘口令及び情報規制がなされることになるのだが……それはまた別の話。

「ま、まぁ大事になっていないなら何より」
「色々取り返しのつかない事になってる気がするんですが……」
「だよね」
「……うん」
「って、そうだ! 師匠、大変なんですよ!」
「え?」
「シグナム副隊長から、拳豪鬼神を名乗る達人がクラナガンに現れたと」
「え……」

漏れた声ははじめの疑問符と同じ。だが、込められた感情は全くの別物だった。

「未だクラナガンに潜伏しているかもしれないんですが……」
「そ、そう……」
「師匠? どうかしましたか?」
「あ、いや…なんでもないよ、うん」

だらだらと脂汗を流しながら目を逸らす師に、ギンガは小首を傾げた。
傍で見ていたフェイトやエリオにキャロも、兼一の挙動不審に怪訝そうな顔をしている。
とそこで、外部から通信がもたらされた。

「はい、白浜です」
「おう、そっちも無事だったか」
「ゲンヤさん? どうしたんですか?」
「お父さん?」
「ナカジマ三佐……」
「いやな、おめぇの知り合いだって奴が来てよ。話がしたいっつーんでな」

どうやら、あちらの状況も概ね終息に向かっているらしい。
そうでなければ、悠長に通信を送ってくることなどできまい。

では、その知り合いとは誰か。
誰もが新白連合か、彼らと共に現れた兼一の関係者を連想する。
もちろんそれでまず間違いないだろう。しかし、兼一だけはあまりにタイミングが良すぎるせいか、ある人物の顔が思い浮かぶ。そしてその予想は、大当たりだったりした。

「あぁ、お久しぶりです、お義兄さん!」
『お義兄さん?』
「な、夏君……」
「いやぁ、こんな派手な騒動になって心配してたんですよ。
 お義兄さんに何かあったら、ほのかに会わせる顔がありませんからね」
「そ、そう……」
「あの師匠、この方は?」
「えっと、妹のほのかの旦那さんで、谷本夏君って言うんだけど……」

ここで迷う。
さて、この一見すると爽やかな好青年が、実は先ほど話していた拳豪鬼神その人だと言っていいものかどうか。
そんな兼一の迷いに気が付いたのか、他の者の眼が離れた一瞬、夏の目付きが変わる。

(余計なことぬかしやがったらぶっ殺すぞ!!!)

それまでの優しげな眼差しが嘘のような、猛獣の如き眼による無言の恫喝。
しかし、そんな眼差しも一瞬。
その後は先ほどの恫喝が幻だったかのように、爽やかかつ穏やかにフェイトやギンガと談笑する。
その間、兼一は乾いた笑みを浮かべながら、呆れ交じりに『相変わらずだなぁ』と思うのだった。

「そう言えば、さっき兼一さんが闘っていた人は……」
「ぁ、兼ちゃんってばこんな所にいたね」
「って、師父!?」
『馬さん(先生)!? どうしてここに!?』

フェイトが先ほどの事を思い出して尋ねると、折よく姿を現した小柄な人影。

「師父、あの人大丈夫なんですか!」
「うん、それが……………………大失敗ね!!」
「っ!?」
「ウソウソ、冗談ね♪ まだオペの最中ね」
「あ、そうですか…………って、だったら余計にこっちにきてる場合じゃないでしょ!!」

一体どこで手術しているのかとか、色々聞きたい事はあるがまずはこれ。
確かに、秋雨と剣星が揃っていれば死んでも蘇ることは請け合いだ。
がしかし、そもそもいなくなってしまうのはそれ以前の問題だろう。

「そうは言ってもねぇ……もうおいちゃんの出る幕はなさそうね」
「え?」
「彼…確か、ジェイル・スカリエッティと言ったかね」
「あの、スカリエッティならここに……」
「あ、それ0型を応用した人形ですよ」
「えぇっ!?」
「正直、おいちゃんも驚いてるね。
怯えないだけじゃなく、まさか秋雨どんのオペについて行けるなんて…とんでもない腕ね」

秋雨は確かに屈指の名医であり、その腕前は神懸かっていると言ってもいい。
だが、同時に血を見ると変わってしまう為、大抵の者は怖がって仕事にならない。
これさえなければ意思としていい稼ぎになっただろうに……。
ただ、それとは別に彼の腕に付いて行ける者もまたほとんどいない。
秋雨に怯えず、なおかつその腕に付いて行ける医者など……兼一ですら未だかつて知らないのだ。

「岬越寺師匠並み、ですか……」
「何かが違っていれば、歴史に名を残す名医だったかもしれないね、彼」
「そうですか……」

スカリエッティと聞いて警戒心をあらわにする4人に対し、兼一は一人黙考する。
彼は彼で、色々とその心の内は複雑だったのだろう。
別に、それで罪が許される訳ではないが、もしかしたら彼は…本当はそうありたかったのではなかろうか。
同じような事を、どうやら剣星も考えていたらしい。

「そういえば彼、なんだか憑き物が落ちた様な顔をしていたね。
 どうもこの事件の主犯みたいだけど、もしかしたら…………負けることを望んでいたのかもね」
「そうかも、しれませんね」

それで彼が救われたのかどうかはわからない。
だがそれでも、何かしらの区切りにはなったのではないだろうか。
何はともあれ、こうして世界を揺るがせる大事件は一応の終結を見た。



  *  *  *  *  *



……かに思われた。

「…………………そっか、僕…負けたんだっけ」

意識を取り戻すと、目の前に広がったのは蒼い空、白い雲。
どこまでも続く果てしない蒼の下、アノニマートはその事実を受け入れる。

(身体は………拘束済みっと。ま、そんなのなくても碌に動きはしなさそうだけど……)

身体の状態を確かめるように、各部をチェックしていく。
動かなくはないが、隅々にまでダメージが行き渡り、例え拘束されていなかったとしても出来る事はほとんどない。
なにより、静動轟一とISの併用によりガス欠もいい所だ。
これでは、いま彼の周りを固めている並程度の魔導師が相手でも勝ち目はないだろう。
つまり、脱出も逃亡も不可能と言う事だ。

(ま、敗者は勝者に従う物…か)

敗北を悔しく思う気持ちはもちろんあるが、全てを出し切っての敗北となれば…後はもう、受け入れるより他はない。
この後のことなどに不安やらなんやらを覚えなくもないが、自分で決められることなどほとんどない以上、流れに身を任せるしかないのだろう。

そう思ってしまえば、何も考える必要がない分楽と言えば楽だった。
ただ、スカリエッティの頼みに応えられそうにないことが、少しだけ申し訳ない。

(さて、これからどうしよう……どうなるのかな?)

最早、敗者であり囚われの身であるアノニマートに、自由な選択肢などない。
普通に考えれば、裁判にかけられて、有罪くらって牢獄行きだろう。
あるいは、運が良ければ司法取引によって多少なりの減刑なり、ある程度の行動の自由が得られるかもしれないが……。

「負けたからって尻尾を振るのは…………なんか違うよねぇ、やっぱりさ」

敗者は勝者に従うもの。
このルールに従うのは一向に構わないが、だからと言って従順な犬になり下がるのは違う。

「まぁ、不自由の中でこそわかる事もあるだろうし、しばらくはそれでもいっか」

空を見上げながら愉快そうに笑う。
これから待ち受けているのは、明るい未来とは対極にあるもの。
抜け出す気満々で『しばらくは』と言うが、不自由な檻の中から脱出する算段も展望もありはしない。

それでもなお、アノニマートは屈託なく青い空を見て笑う。
方法も手段も全ては後から考えるとして、その困難に挑むのは中々にやり応えがありそうだ。

「ん? なんだろ?」

ふっと気になって視線を横に巡らせれば、何やらガヤガヤと騒々しい。
見れば、次々にこの辺りを固める魔導師達が集結していく。
先ほどまでの様子だと、ガジェットの侵攻も一段落つき、最早危機は去った筈なのだが……。

「ぐわぁ!?」
「がはっ……」
「あれは……」

悲鳴とも苦悶の声とも付かない声が、徐々に数を増し、更に近づいてくる。
やがて、それはあちらとこちらを分ける人垣の中央を穿ち、姿を現した。

「あなたは……」
「……」

その場にいた魔導師の悉くを薙ぎ払い、無人の野を行くが如く歩む男。
その男の姿が、アノニマートに植え付けられた記憶を呼び覚ます。
幾らか年を経て、その顔には皺が刻まれてきてはいるが……放つ気配は老いとは無縁。
むしろ、年を経てさらに強壮たる佇まいの持ち主。その名は……

「少し、驚きました。何故あなたがここに? 人越拳神、本郷晶」
「……」

アノニマートの問いかけに、男…本郷晶は一言も発さない。
無言のままに歩み寄り、アノニマートを拘束するバインドや拘束帯を断ち切ると、そのまま背を向けた。

「……やれやれ、相変わらず寡黙な人だ。いや、会ったのは初めてですけどね」
「……」
「それで、どういうおつもりですか?」
「好きにしろ。留まるも去るも、お前の自由だ」
「自由…か」

それだけ言い残し、今度こそ本郷は二人に背を向けてその場を悠然とした足取りで去っていく。
思いもかけぬ形で取り戻す事になった自由と、それを与えるだけ与えて去ろうとする良く見知った初対面の男。
その後ろ姿を目で追いながら、アノニマートはゆっくりとその場から立ち上がる

「折角の自由だし、謳歌しないのは損だよね。それに……」

軽く伸びをしてから、アノニマートはだるい身体に鞭を打って歩きだす。
たった今助けた相手の事など最早どうでもいいかのように歩いて行く、その背を追って。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「どこまで付いてくる気だ」

後を追う様にして歩き出してしばらく、ようやく本郷が口を開く。

「どこまでも…ですかね」
「どういうつもりだ」
「いきなり自由にしろと言われても……残念ながら帰る場所はなくなっちゃったみたいですし、行く当ても特にないんですよね。なので、とりあえずあなたの事を追い掛ける事にしました」
「……」

アノニマートの言葉に、本郷はなにも返さない。
もし邪魔だと思うなら殺せばいいし、目障りだと思うのなら速度を上げればそれで済む。今のアノニマートでは…いや、本調子でもこの男に付いて行く事は出来ないのだから。
だが、アノニマートは気付いていた。彼が追い掛け始めて間もなく、この男が彼の体調に合わせるように歩調を緩めている事に。

「一つ聞かせてください。なんで、助けたんですか? 贖罪ですか? それとも代用ですか?」
「違う。翔が死んだのは、奴自身の選択の結果だ。奴が命を賭けた選択に、俺が何を言う道理もない。
なにより…………お前は、翔ではない。お前に何をした所、翔に返るものはなにもない」
「ええ。例え同じ遺伝子を持っていても、僕は叶翔ではないし、彼にはなれない、なる気もありません」
「では、何故俺を追う」

本郷の後を追うという事は、即ち叶翔と同じ道を歩むと言う事ではあるまいか。
もし、アノニマートが「叶翔」ではなく「自分」であろうとするならば、なおのことそれは理屈に合わない。

「言ったでしょ、あなたがそこにいたからですよ」
「……」
「僕と言う存在に、あなたは避けて通れない。あなたの後を追う事が、彼の模倣と言うのは否定しませんが、だからと言ってあなたを避けてばかりいても、やはりそれでは本当の意味で『僕』になれないと思います。
 だから、あなたの後を追うんです。叶翔の模倣ではなく、彼を越えて本当の僕になる為に」
「小僧が…知った風な口を」
「口が上手いのが取り柄です。やった、一つ相互理解が進みましたね♪」
「………………良いだろう」

物怖じしないその態度か、あるいはオリジナルを越えるとのたまった事が気に入ったのか。
本郷の口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
ただしそれは、優しげと言うには余りに壮絶で。
『できるものならやってみろ』と、『出来ぬならばそれまでだ』と何よりもはっきりと物語っていた。

「お前が翔の血だけではなく、遺志をも継ぎ、それを越えて行くと言うのなら………俺が、連れて行ってやる。
ただし、奴の影に終わるのなら……」
「ええ、お好きなように」

そんな本郷の笑みに応えるように、アノニマートの顔にも挑戦的な笑みが浮かぶ。
とそこで、突然本郷は立ち止り、何かを思いついた様に口を開く。

「フッ…ならば、いつまでもアノニマート(名無し)はないか……『ソラ』、今からはそう名乗れ」
「…………………はい」

その言葉に込められた意味を、アノニマートは正確に理解する。
今までは何者でもないが故に「アノニマート(名無し)」だった自分。
それに名を与えたと言う事は、本郷が彼の事を認めたということ。

そして、もう一つ。
戦闘機人であり、魔法をも操る彼が人越拳神のYOMIとなる事はない。
だから代わりに、その名に自身のエンブレムを与えたのだ。
『空(ソラ)』。それが、『人越拳神』本郷晶を現すエンブレムだから。

「いくぞ、ソラ」
「はい! 師匠!」

そうして青い空の下、新たな師弟は何処かへと消えて行く。
自由をさえぎるカゴは……ないのだから。






あとがき

これで残す所あと一話。
とりあえず、アノニマート改めソラは本郷と共にどこかへ失踪。
戦闘機人全員およびスカリエッティは捕まり、ルーテシアはもう少しゼストと一緒にいられる事に。
それでは次回はエピローグになります。ようやくこのシリーズも終わりと思うと、ちょっと感慨深かったり。



[25730] BATTLE FINAL「それぞれの道へ」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2013/07/16 00:50

レリック事件から端を発し、管理局全体を揺るがせるほどの大事件へと発展した、通称JS事件…ジェイル・スカリエッティ事件が集結して早数ヶ月。
ミッド地上は平穏を取り戻しつつあり、六課隊舎も無事復旧。隊員達も続々と復帰を果たしている。
無理を押して動いてくれたアースラだけは、今度こそ本当に長い休みに付いた。

ただ、未だ本局・地上本部を問わず、上は中々に慌ただしい。
裁判にかけられたレジアス・ゲイズ中将が、自身が関与していた案件だけでなく、直接のかかわりはなくとも手札として隠し持っていた、最高評議会のかかわっていた物をはじめとした数々の案件を白日の下に晒したのだ。
これらに関わっていた人員と言うのが、本局・地上本部を問わずかなりの数に上っている。
御蔭で、そこかしこで人事粛清・綱紀粛正の嵐。
かなり高い地位にいた面々のすげ替えも含めて、新たな組織構造の構築が急ピッチで進められている。

また、なんの前触れもなく勝手に介入して事件解決に一役買った「新白連合」や達人連中の対応にも、四苦八苦しているらしい。
なにぶん、今までほとんど関わることのなかった人種であり、既存の価値観を根底から覆しかねない者たちだ。
今後の付き合い方、情報の取り扱いも含めて各種の対応には繊細な配慮が求められる。
なんでも、その手の人種への理解がある一部の高官が中立ちとなり、「総督」を名乗る怪人と協議を勧めているとか。その中には、なぜか局で下っ端をしている連合関係者を上手く利用する案が持ち上がっているとかなんとか。

とはいえ、そんな政治的な話は現場の人間にはさして関係ない。
頭や中継地点が変わった所で、今まで通り各々の職務に勤しみ、平和と安全を守るために闘うだけ。
それはなにも、事件解決の立役者として「奇跡の部隊」などともてはやされる機動六課も例外ではない。

「「「「「ぜー…はー、ぜー……はー」」」」」
「おら、いつまでへばってんだ! そろそろ次行くぞ!」
「「「「「は、はい……」」」」」

そこに広がっているのは、地上本部襲撃前と何ら変わらない訓練風景。
徹底的に絞られるフォワード達と、彼女らを搾りカスにせんばかりに絞る教官たち。
今日も今日とて訓練場には教官たちの叱咤と、フォワード達の息も絶え絶えな声が木霊する。

「うんうん、あっちも頑張ってるなぁ。じゃ、こっちもそろそろ次行こうか」
「「はい!」」

フォワード達とは対照的に、まだまだ元気が有り余っている様子の子ども達が元気良く返事を返す。
これもまた以前と変わらない風景であるかのように思われるが、二点変化があった。
一つは、前々から修業熱心だった翔が、以前にもまして精力的に修業に勤しんでいること。事件の折り、彼は大切な友達を守ろうとして守れず、心と体に傷を負った。あれから数ヶ月、翔の傷もいまやちゃんと癒え、目を凝らさなければわからない程に目と脚の傷は薄れている。
同様に、あの時味わった敗北と挫折を糧とし、さらなる高みを目指しているのだろう。
今度こそ負けない様に、大切な人を守れるように。
そんな我が子の健やかな成長が嬉しくて仕方がないのか、修業をつける兼一自身にも熱がこもる日々だ。

もう一つが、以前は少々離れた所から恨めしげに兼一と翔の修業風景を見ていたヴィヴィオが、なんと今は自分から参加していること。
彼女もまた、あの事件において心に浅からぬ傷を負った。いずれ向き合わねばならなくとも、今はまだ知るには早かった己が出生の秘密。それを知った事で、彼女の心がどれほど傷ついたか計り知れない。

しかし、それでも彼女を受け止めてくれる母がいて、帰りを待っている友がいた。
だから、彼女は今もここにいる。ただの「ヴィヴィオ」から、「高町ヴィヴィオ」と名を変えて。
そして、彼女なりに今や本当の母となったなのはと交わした「強くなる」という約束に対する答えが、これなのだろう。
彼女にとって、懸命に自分へ手を伸ばしてくれた母であり、傷つきながらも守ってくれた友こそが強さの象徴なのだ。だからこそ、苦手意識のあった兼一に教えを請うている。母が尊敬し、友が目標とする男に。
とはいえ、今のところはまだまだ格闘の基礎の基礎を仕込まれている段階だが。

「はっ! たぁ!!」
「やっ! せいっ!!」
「うん! いいぞ、その調子!」

両手にミットを構え、左右から二人が放つ突きや蹴りを受け止めながら、兼一は思う。
翔の筋の良さは以前より知っていたが、中々どうしてヴィヴィオも悪くない。
さすがに翔ほど覚えは良くないが、教えれば教える程に充分な才能が垣間見えて来る。
少なくとも、欠片もない兼一とは比較にならないだろう。
彼女はいい目を持っている。磨いて行けば、いずれは良き武器となる筈だ。

「そこで避ける!」
「あたっ!?」
「……シッ!」

兼一がミットを横薙ぎに払うと、ヴィヴィオはそれを両腕でガードし、翔は拳で兼一のパンチを打って軌道を逸らしながら反撃。
この辺りは、さすがにまだまだ翔に一日の長があると言えるだろう。
むしろ、ちゃんと防げただけでもたいしたものだ。
しかし、ここはあえて厳しい事を言うが吉。

「いいかい、ヴィヴィオちゃん。パンチは見てから避けるんじゃ間に合わない。
 でも、パンチは必ず出る前に予兆がある。肩や肘の動きからパンチを予想するんだ、いいね?」
「は、はい!」

まだヴィヴィオには少々早い要求かもしれないが、彼女の眼ならば不可能ではない。
少なくとも、兼一はできると判断したからこそ言っているのだ。

「って、そう言えば翔今の技なに!? なんかこう…パンチで弾いてそのまま打ってたよね!」
「ぁ、うん。この前、武田先生に教わったんだ」
「あ~、いいなぁ~。その前は別の人にも何か教わってたでしょ~」
「う、うん。親方に、ちょっと……」

ちなみに、「親方」と言うのは『トール』こと千秋祐馬の事である。
翔は新白連合の隊長陣や関係者に対し、いまいち統一性にこそ欠けるが、色々な呼び方をしている。
トールの「親方」の他にも、武田やジークであれば「先生」だし、夏には「師父」と言った具合だ。

「む~、翔ばっかりずるい~……」
「そう言ってやるな。翔の場合、立場が立場なのだから仕方あるまい」
「ぶ~……」
「ご、ごめんね、ごめんね!」
「別に謝る事でもなかろう、しゃんとしていろ」
「は、はい……」

狼形態で木陰で寝そべっていたザフィーラに注意されるも、どこかおどおどした様子の翔。
相も変わらず強く出る事の出来ない性分らしい。

だが、ザフィーラの言う通り、今や翔はそう言う立場にある。
新白連合が数年前に計画し、兼一の脱退と共に一時凍結された一大プロジェクト。
その名も『史上最強の弟子』計画、通称『SSD』プロジェクト。なんでも頭文字を取って略したがるのは、どこぞの地球外生命体の趣味である。
翔が武の道を歩む事を選び、兼一が武の世界に戻った事で再度持ちあがったこの計画。
その被験者を決める会議が、予定を前倒ししてJS事件から2ヶ月程して行われた。

友情と信頼で結ばれ、確かな絆を有する新白連合の面々とはいえ、各々自分の弟子には相応に自信があったことだろう。何しろ、第一条件とも言える『大切な者の為、勝てないと分かっている相手にも立ち向かう心』は、ほぼ全員が満たしていると考えて間違いない。活人拳を志す彼らの後継者として、それは必須と言える資質。
だからこそ、そう言う者を選んで弟子に取っているであろうことは想像に難くない。
そのため、彼らの関係性を以てしても会議は相当に荒れることが予想された。
しかし、蓋を開けてみればなんて事はない。唯一弟子を持たないジークの推薦を皮切りに、ほぼ満場一致で決定された。

曰く、『翔こそ我らの全てを伝えるに相応しい』と。
翔は良く分かっていない様子だったが、むしろそれに驚いたのは翔を連れて一時地球に帰還していた兼一自身。
碌に議論するまでもなく決まってしまい、慌てて『何故』と皆の真意を問うた。

別に、翔が相応しくないと言う訳ではない。翔は兼一にとっても自慢の息子だし、身内の贔屓目を無しにしても、その資格は充分にあると思っている。だが同時に、兼一は翔の不利も理解していた。
無理からぬことだが、現状弟子たちの中でも翔は特に練度が低い。年齢も最年少で、武門に入ったのもつい最近だからだ。つまり心技体の内、『心』では優劣つけ難く、『技』と『体』では後塵を拝さざるを得ないと言う事。
故に、候補者としての序列は最も低いとさえ考えていたし、それは紛れもない事実だった筈だ。

にもかかわらず、並いる候補者たちを差し置いての即決だった。
理由として真っ先に思いつくものは二つ。
一つは風林寺と暗鶚、二つの血を継ぐが故に突出した才能。確かに翔の才覚は、並いる候補者の中でも随一と言えただろう。将来性と言う意味で言えば抜きん出ていたかもしれない。しかし、これは否。若かりし頃の兼一を知る彼らは、決して才能を絶対視していない。むしろ、ほとんど重きを置いていないとさえ言える。優れた才能があると言う程度では、彼らは微動だにすまい。だからこそ彼らは弟子を取る際、なによりも『心』を重視していたのだから。
もう一つは、連合の二本柱の一角である兼一と、今は亡き盟友たる美羽の息子だから。だが、これもまた否だろう。それは、白浜翔と言う一個人の人格を無視するも同然だ。そんな事を、彼らがする筈がない。

頭に思い浮かんだ様々な可能性を、兼一は全て否定した。
どれもこれも、とても彼らの心を動かす理由たりえない。
だからこそ、兼一は心底翔が選ばれた事が不思議でならなかった。

すると、誰もが異口同音に『昔の兼一にそっくりな目をしている』と答えたのである。
無論、それは目の形や瞳の色などと言う瑣末な事ではない。むしろ、瞳の色で言えば翔は兼一ではなく美羽似だ。
彼らが言う目とは、その奥に宿す光の事。翔の無垢な瞳の奥には、かつての兼一と同じ輝きが宿っている。
強く澄み渡ったその輝きを彼らは見抜き、期待したのだ。この子はきっと、誰よりも強くなると。

他者からすれば酷く曖昧ではあるが、彼らにとってこれに勝る理由はない。
新白連合の隊長達は、誰もが兼一より多大な影響を受けている。
もし彼との出会いがなければ、彼らはここにはいなかっただろうし、この領域にも到達できなかったことだろう。
故に、彼らは長く武の世界を離れてなお、白浜兼一を自分達の中心として認めているのだ。
そんな、かつて彼らを導いたそれによく似た光(こころ)を、今度は自分達が正しく導く。
これほどまでに責任重大で、やりがいのある事はない。だからこその、満場一致なのである。

そうして、結局は何故か兼一の方が押し切られる形で翔がプロジェクトの中心となることが決定された。
普通は逆な筈なのに、不思議なこともあったものだが…ある意味彼ららしい。
おかげで、以後翔は都合さえ合えば地球とミッドを往復し、ボクシング・相撲・テコンドー・変則カウンター等々……様々な教えを受けている。

それ自体はまぁ、兼一としても喜ばしい事だろう。
自分の息子が、仲間達から認められたとなればこれに勝る喜びはない。
しかし、それによる不安がないわけではないのだが……できる事はやったわけだし、後は天命を待つのみである。



BATTLE FINAL「それぞれの道へ」



早朝訓練を終え、隊舎に戻る。
普段であれば、このまま通常業務に戻る所なのだが…

「あ、パパ―――!」
「ああ、おはようヴィヴィオ」

何故か当然のように隊舎にいるユーノに、稽古を終えたヴィヴィオが飛びつく。
抱きついてきたヴィヴィオをしっかりと受け止め、ユーノは肩の高さまで抱き上げる。
行き交う隊員達も、誰ひとりとしてその光景をいぶかしむ事はない。
それどころか、何やら微笑ましい物でも見る様に暖かい視線を送っていた。

とはいえ、それも無理もないというもの。
JS事件を経て、それまでの遅滞が嘘のようにユーノとなのはの関係は進んでいる。
むしろ、今まで不自然に止まっていた分を取り戻すかのような発展ぶりと思えば、どこか納得もいくと言うもの。

正直言えば、なのはを「ママ」と呼ぶヴィヴィオに「パパ」と呼ばれるのは些か気が早い気がしないでもない。
だが、ヴィヴィオ自身の事を思えば速すぎると言う事はないとも思う。
なにより、関係を一気に進めるのは二人にとっても望む所。
少しでも時間があればヴィヴィオを伴っての逢瀬を重ね、とんとん拍子に話は進んで行っている。
当人達もそれを隠そうともしないのだから、周囲から向けられる視線が暖かいのは当然だ。

「や、ユーノ君。いらっしゃい」
「兼一さん。すみません、今日もお願いできますか?」
「それはいいけど……いいの? 仕事とか家族の団欒とか……」
「むしろ、その団欒の為ですし。というか、無限書庫からは半ば追い出されたみたいなものですから……」
「まぁ、なんだ。頑張れ」
「が、頑張ります……」

愛娘(予定)を抱きながら、どこか哀愁を漂わせるユーノの肩を叩く。
かつて彼もまた通った道とは言え、今のユーノの置かれた状況には同情を禁じ得ないのだろう。
ただ、正直警戒し過ぎという気もするのだが……

「でも、幾らなんでも考え過ぎじゃない?」
「普通の家なら…そうでしょう。でも僕、昔少しですけどあの家にいた事があるんです」
「ああ、ジュエルシード…だっけ? その時?」
「はい。だから、わかるんです。士郎さんと恭也さんはなのはによりつく虫の存在を許しません。あの人たちなら、必ず『なのはが欲しければ自分達を倒してみろ』とか言うに決まっています!」
「う、う~ん…まぁ、確かに言いそうではあるけど」

はるかな過去に思いを馳せ、そのあまりに生々しい恐怖に身震いするユーノ。
確かに、そんなことは『絶対にない』とは兼一も言い切れない。
むしろ、ユーノの言う通り、そうなる可能性の方が高いと思う部分はある。
どれだけ優れた人間性の持ち主でも、身内の事になるとそれが正常に発揮されない事は珍しくもない。長老など、その最たる例だ。
兼一も恭也たちがどれだけ末娘のなのはを可愛がっていたかは知るだけに、否定する言葉はちょっと出て来ない。
だが、その反面……。

(他の人ならそうかもしれないけど、相手がユーノ君だったら、さすがにそこまで言わないと思うんだけどなぁ)

なにしろ兼一をして、ユーノの献身には深く感銘を受けた物だ。
そんなユーノが相手なら、二人もとやかくは言うまい。きっと、ユーノの真剣な思いを汲んでくれる筈だ。
まぁ、仮に何か言ってきたとしても、母と姉、さらには叔母も説得に回ってくれる筈。
そもそも、二人とも既に社会に出てちゃんと働いているのだから、誰にとやかく言われる事でもないのだが。

「引退した士郎さんでもヤバいのに、恭也さんなんて現役バリバリじゃないですか……死んじゃいますって、今の僕じゃ」
「まぁ、それはそうかもねぇ……」

本当にそんな事になるかどうかはともかく、確かにユーノがあの二人と闘う事になった場合、勝ち目どころか生き残る目すら、現状は薄いと言わざるを得ない。
怪我が元で引退した士郎一人なら、まだなんとかなる可能性はある。
しかし、父にして師である士郎ですら習得できなかった奥義の極み「閃」を会得し、達人として技に油が乗り始めている恭也は本当にシャレにならない。
というか、ユーノはおろか兼一ですら未だ分が悪いだろう。
だが、ユーノには一つとっておきと言っても良い切り札がある。

「なんだったら、あの時の事を話しちゃえばいいのに。
 ゆりかごでユーノ君がどれだけ二人のために頑張ったか聞けば、恭也君達も二つ返事だと思うけど?」
「ですけど、僕はそうたいしたことなんてしてませんよ。実質的にはサンドバック状態でしたしね。
それに、アルフやあの人がいなかったら、たぶん僕はあそこにいなかったと思います。そんな体たらくじゃ、とても胸を張る気にはなれませんよ。なにより、そういう交換条件みたいなのはちょっと……」

ユーノはそう言うが、実際問題としてユーノの働きは大きかったと兼一は思う。
サンドバック状態と言われればそうかもしれないが、それでもあそこまで身を呈することなど、早々できる事ではない。陳腐な言い回しかもしれないが、まさに「愛」のなせる業だろう。
恭也や士郎も、あの時のユーノのなのは達への献身を知れば、そんな無茶な事は言うまい。
これは断言しても良いと、兼一は思う。

無論、二人とて全くその事を知らない訳ではない。
が、それはあくまでもなのはとヴィヴィオメインで、ユーノの事は概要程度。精々が、「なのはとヴィヴィオが大変だった時に、ユーノも頑張ってくれたらしい」くらい。

しかし、これは別になのは達が意図的に黙っている訳ではない。むしろその逆、なのは達はユーノの働きをしっかりと伝えるべきだと思っている。
だが、奥ゆかしく控えめな性分のユーノは、そんななのは達に対し苦笑しながら、いっそ頑ななまでに「みんな無事だったんだから良いじゃない」の一点張り。
どう説得しても「わざわざ話す程の事じゃないよ、変に気を使われても困るし」と言って聞かないのだ。

その上、「二人のために頑張ったんだから結婚を認めてくださいって言うのも、なんか違うでしょ?」とのたまう始末。それはそうかもしれないが、それは綺麗事と言うものだろう。
しかし、張本人のユーノに言われては、なのは達も強くは出られない。
結果、恭也たちはユーノがどれほど頑張ったかを、まだあまり知らない。

まぁ、最近はさすがのユーノも「そんな事言ってる場合じゃないかも……」とは思いはじめているのだが。
それでも最終的には「いや、ここで安易な道に逃げてどうする」という結論に至ってしまうのであった。
根っからのお人好しであり、つくづく苦労人である。

(やれやれ、お人好しにも程があるよ…ユーノ君)

兼一も大概だが、ユーノも勝るとも劣らない。
とはいえ、そこがユーノのいい所であり、なのはが魅かれた理由の一つなのだろうが。

「パパ、頑張って!」
「う、うん…なのはとヴィヴィオのためだもんね……。
 兼一さん、改めてよろしくお願いします。僕も、まだ死にたくないんで」
「うん。結婚する前からなのはちゃんを未亡人にする訳にもいかないし、微力ながらお手伝いするよ。
 えっと……『道場の娘と結婚する100の方法』だっけ?」
「違います、そっちはもう終わりました」
「ははは、冗談冗談。実際戦う事になるかどうかはともかく、鍛えておいて損はないしね。
幸い、ユーノ君は防御魔法得意だし、上手くやれば勝てないにしても死なないくらいはできるかもしれないよ」
「それがせめてもの救いです……」

そんなわけで、現在ユーノは暇さえあれば兼一の下を訪ねて防御魔法の特訓中。
兼一に言わせれば取り越し苦労なのだが、ユーノ自身は真剣そのもの。すべては明るい未来のため。
そんな事情が分かっているからだろう。無限書庫の面々も、とにかくユーノの負担を軽減させ、こうして追い出す様にして兼一の所に来させているのである。

「まぁ、それはそれとして、折角来たんだからちゃんとなのはちゃんにも会って行きなよ」
「はい。最近なのは、来たのに顔を出さないと拗ねるんですよね」
「そう言う事。君もそのうち尻に敷かれるんだから、今のうちに慣れておかないと」
「決定ですか、それは?」
「むしろ、自然の摂理って奴だよ。ま、そのうちわかるさ」

ちなみに、特訓の成果が出たのは、六課の運用期間を終えてさらに数ヵ月後のこと。
更に余談だが、式の折りにヴィータが友人代表としてスピーチをするのだが、その際に緊張のあまり「なにょは」と噛んでしまい、赤っ恥をかいたりするのだった。


 *  *  *  *  *



時は移ろい正午手前、ミッド海上に設置された海上隔離施設。
年少者や若年者の魔導犯罪者が収監される施設で、牢獄的な意味合いより更正施設としての性格が強い。
ここには現在、捜査に協力的な姿勢を示した5・6・8・9・10・11・12、7名のナンバーズと、ライトニングによって保護されたルーテシアとアギトが収監されている。

本来ならば、同様に確保されたゼストもいる筈だったのだが、秋雨達の腕を以てしても未だ体調が思わしくない様で、ルーテシアの母メガーヌと同じ様に入院中。
彼女と違い、近いうちにこちらに移る事になるのだろうが、それはまだ先の話。

とはいえ、なんとか一命は取り留めたものの、決して楽観できる状態ではない。
闘いから離れ、無理を控えればもうしばらくは生きられる、そんな状態。
秋雨達ですら、そこまで持ち直す事が精一杯だった。

しかし、本人は思いの外それに落胆した様子は見せない。
どうやら、この先の生はルーテシアを見守る事に使うと決めたようだ。
今は通信越しでのルーテシアやアギトとの会話、時折見舞いに訪れる兼一と将棋を指す事を楽しみとしているらしい。また、偶にではあるが、シグナムや同じ槍使いのエリオが訪ねて来る事もあるとか。
無理にこの世に引き留めたのではないかと思っていた兼一も、そんな彼の穏やかながらも満ち足りた様子には、安堵の息を漏らしたらしい。

で、その海上隔離施設では、今日も恒例のギンガによる更生プログラムが行われていた。
と言っても、正午を目前にしてそろそろ休憩を入れるようだが。

「それじゃ、午前の分はこれまで。
 お昼を食べて、少し休憩してからまた集合。いいわね」
『は~い(了解した)』

空中に映し出していたモニターを消し、皆に指示を出す。
少々癖の強い者が多いが、概ね素直に過ごしてくれているのは、ギンガにとっても一安心。
むしろ、最近は普通の女の子っぽくなってきているのがささやかな悩みの種だったり……。

「所でギンガ、最近どんな感じっスか?」
「どんなって…なにが?」
「確か、クラナガンの郊外に家を建てるんだよね」
「それは私じゃなくて、師匠の家なんだけど……」

ウェンディから引き継ぐ形で投げかけられた、ディエチからの質問。
それに対し、ギンガなんとも言えない微妙な表情。

だが、厳密には兼一の家と言うのも正確とは言い難いにしても、話の内容そのものはそう間違ってはいない。
どうも上層部では、何かしら理由をつけて兼一を新白連合に戻す話が持ち上がっているらしい。
その上で、連合と管理局の中立ち兼折衝を努めてもらう腹積もりのようだ。
連合としても、兼一の帰参は歓迎する所。
本来は兼一に話を通すのが筋なのだろうが、宇宙人の皮を被った悪魔が勝手に話を進めているとか。
それに伴い、ミッドにおける活動の中心となるビルと、幹部クラスが寝泊まりと鍛錬ができる家屋の建設が進んでいる。その家を、丁度良いので白浜親子の住居にしてしまおうと言う話らしい。

なので、一応は兼一の家と言っても差支えはあるまい。
ちなみに、作りは兼一の要望もあって純和風。
居住スペースとなる母屋や離れの他に、道場と庭がかなり広く取られている。
そのため敷地面積はかなりの物で、本来なら土地代や建設費は相当なものになるだろう。
しかしその実……建設費に関しては、材料の調達と加工を隊長達が文字通りの手作業で行う予定。故に、結構割安で済む見積もりとか。また、瓦や家具などに関しては、秋雨が手掛けてくれる事になっている。
人脈と言うのは、中々どうして疎かにできないと言うお話。

「一緒に住むのでしたら、同じなのではありませんか?」
(コクコク)
「いや、別に一緒に住むって決まったわけじゃ……」
「だが、白浜殿が籍を戻すのに合わせて、出向して秘書役を任される事になっているのでは?」
「ど、どこでその話を……」

まだギンガと兼一にしか知らされていない筈なのに、どうしてチンクが知っているのか。
なんて、考えるまでもない。
こういう事を洩らしそうなのは、一人しかいないではないか。

「それ、また新島さん?」
「他に誰がいるってんだよ」
(どうやって連絡をつけてるのか知らないけど、外堀を埋めるのはやめてくれないかしら……)

一応、ここは犯罪者の収容施設だ。
仮にも民間人であるあの男が入る事も、安易に通信を入れることもできない筈。
なのに平然とやってのける事には、頭が痛い限りである。
特に、外堀を埋めて既成事実を築き上げ、選択肢を削って行くのとか。
いや、別に秘書役になるのが嫌というわけではないのだが……。

「いやぁ、思い人と一つ屋根の下…羨ましいっスねぇ、青春っスねぇ」
「ホントだよなぁ、妬けるよなぁ」
「ウェンディ、セイン! 別にそう言うんじゃないってば!
一緒に住むって言っても、単に内弟子としてってだけだし……」

見れば、他の面々も程度の差はあれ冷やかしの視線を送ってきている。
元々セインやウェンディなどは感情豊かだったが、最近は情緒の発達が顕著になってきたように思う。
それ自体はまぁ喜ばしい事なのだが、こうしていじられるのはやはり面白くない。
こういう時は、とりあえず話を逸らすに限る。

「そうだ。そう言えば、またこんなものが届いたんだけど……そっちは?」
「ああ、こちらにも届いているぞ。今はソラと名乗っているようだが……」
(あの人はあの人で、全く……)

展開されたモニターに映し出されたのは、湖畔と思われる場所で取られた写真。
どこの…より正確には、どの世界で取った物かまでは、今は判然としない。
解析する為には、専門の機関に送る必要があるだろう。
あまり、意味があるとは思えないが……。

「ホントに友達感覚よね……」
「アイツの図々しさは半端じゃねぇからな」
「確かに……初めて会った時から妙に馴れ馴れしかったし」
「ついでに、セクハラも相変わらずの様ですが」
「ハァ~……ホントだね、セッテも大変そう」

そう、映し出された写真には、何故かソラだけではなくセッテの姿も映っている。
より正確には、尻を撫でようと手を伸ばすソラの喉元に、セッテが刃物を突き付けている形。

JS事件が収束して間もなく、チンク達と違い捜査に非協力的なナンバーズや主犯であるスカリエッティを軌道拘置所へと搬送することになった。
負傷者も多く、余裕のない中で可能な限り厳重な警備で行った搬送。
だがしかし、その一つ…セッテを搬送している最中にそれは起こった。



突如として車両が横転、慌てて周囲を警戒する魔導師達を難なくソラは沈めていく。
そして、力技で車の扉をこじ開け、ソラはセッテに手を差し伸べた。

「や、迎えに来たよ」
「……」

思いもしない事態に、呆然とソラの顔を見上げるセッテ。
とはいえ、あまり時間もない。悠長にしていては管理局の応援が来てしまう。
そう簡単に捕まるつもりもないとはいえ、厄介かつ面倒な事に変わりはない。
ソラはセッテの手を掴むと、とりあえず連れてその場から逃走した。

「どういう、つもりですか?」
「ん? ああ、ちょっと先生に頼まれててね」
「ドクターから?」
「うん。もし管理局への恭順を拒んだ時は、外の世界に連れ出してやってくれってね」
「なら、トーレ達も……」
「たぶん、トーレ達は僕の手を取ってはくれないよ」
「でしたら私も……」
「それはダメ」
「何故?」
「チンク達と違って、セインより後に生まれたみんなはまだ世界を知らない。
生き方を決めるなら、せめてもっと世界を知ってからにしなよ」
「世界を…知る?」
「そ……な~んて、ほとんど先生からの受け売りなんだけどさ♪」

世界を知らない。それがスカリエッティがソラにこの願いを託した理由。
チンク以上のナンバーズはそれなりに経験があるが、セイン以下は経験が浅く、まだまだ世界を知らない。
その事を案じての配慮だったのだろう。

「……」
「ま、生き方って言えば僕も探している最中だし……助けた責任もあるからね」
「え?」
「君が自分の生き方を自分で決められるようになるまでは、一緒にいてあげるよ。
 それに、一人より二人の方が楽しいしね♪」
「アノニマート……」
「あ、今僕ソラだから。本郷ソラ、これからはそう呼んでね♪」
「…………わかりました、ソラ。無理矢理連れ出したのです、その責任は取っていただきますよ」

この手が、彼女の意思を無視して外の世界へと連れ出した。
……だけど同時に、この手こそが世界に一人だけの彼女の味方。
それまで為すがままに引かれていた手を、今度はセッテの方から強く握る。
絶対に、何があろうと逃がさないと宣言するかのように。

「あれ? これ、もしかして人生の墓場フラグ?」
「バカな事を言ってないで、早く行きますよ。逃げるのなら、急がないと面倒な事になります」
「うん、それは大変だ♪」

そうして、二人の足取りは途絶えた。
大事件に加担した者達だけに、管理局としても事態を軽んじてはいない。
まぁ、これ以上の不祥事は甚だ不味いと言う内部事情もある。
その為、幾度となく捜索の手が伸ばされたのだが…未だに、二人の行方は杳として知れない。



だが、必死に捜索する管理局をあざ笑うように、何故かギンガやナンバーズの下には時折二人からの便りが届く。
稀にその後ろに背の高い男の背が映っていたりもするが、概ね二人は元気でやっているようだ。
一応背景を分析し、撮影場所を特定して確保に向かったりもしたのだが………その全てが徒労。
写真の場所を見つけ出して到着した時には、二人の影も形もないという始末。
恐らく、今回も最終的に至る結果は同じだろう。というか、確実に狙ってやっているに違いない。
普段はスチャラカな面が目立っているが、そう言う所は軽薄さの影に強かさを隠し持つアノニマート…いや、ソラらしい。

「でもセッテ……なんだか前より表情が出て来た気がしない?」
「そうですね。彼女は私達の中でも、特に余分な感情を排して作られていた筈ですが……」
「アノニマート…じゃなかった、ソラの野郎のおかげだってのかよ」
「なんだ、気付いていなかったのかノーヴェ」
「なにがさ、チンク姉」
「ソラのセクハラは、お前達の感情を育てる為でもあったんだぞ」
『は?』

チンクの思ってもみない発言に、ナンバーズ一同目を白黒させている。

「感情の基本は『快』と『不快』だ。どのような感情も、このどちらかに大別される。
 そもそも、全ての感情はこれらから派生しているのだから当然だが」
「それと、アノニマートのセクハラとなんの関係があるっスか?」
「セクハラされれば『不快』だし、その原因が排除されれば『快(こころよ)い』と感じるだろう?
 ここでまず基本となる二つの感情が刺激され、発達する。
 更に繰り返していけば不快は『怒り』や『苛立ち』に、快は『達成感』や『満足』へと分化していく。
 そうしていけば、いずれは豊かな感情を得るだろう…とまぁ、理屈としてはこんな所だ。
そして、だからこそソラとクアットロは折り合いが悪かったのだろうがな」
『…………』

チンクの説明は…まぁ、説得力がなくもない。
確かにそれなら、現在進行形でセクハラの被害にあっているセッテの感情の発達にも納得はいく。
しかし、本音を言ってしまうと……

『アイツがそこまで考えてたとは思えないんだけど……』
「まぁ、その為の方法がセクハラであったのは、完全にアイツの趣味だろうがな」
『ああ、うん。それは間違いない』
(こういうのも、仲が良いって言うのかしら?)

まぁ、これもまた一つの絆の形なのだろう。
そう頭の中で締めくくり、ギンガはそろそろ再開されるであろう追求を、どうかわすか思案するのだった。



  *  *  *  *  *



場所は戻って機動六課。
実を言うと、今日は少し特別な日。
記念日と言う訳でもなければ、なにか大切な約束がある訳でもない。

しかし、極一部の人間にとっては人生の一つの節目であり分岐点。
今日という日を境に、ある二人の少年少女の未来が決まるのだから。
ただ、当の本人たち以上にその周りの…より正確には、約一名の子煩悩こそが気が気でない様子だが。

「…………………………」
「テスタロッサ、いい加減少し落ち着いたらどうだ。
 正直………鬱陶しくて仕事にならん」

ウロウロと、落ち着きなくオフィスの中を右へ左へと歩きまわるフェイト。
本来この時間は書類仕事に当てられる筈なのだが、デスクに向かう様子はない。
まぁ、これで仕事はきっちりやってくれるので、そこは良しとしよう。

だが、忙しなく歩き回られては、他の者にとっては邪魔以外の何物でもない。
副官だけでなく、他の面々も控えめに自重を求める視線を向けていた。

「そうだよ、フェイトちゃん。べつに、フェイトちゃんの試験じゃないんだし」
「つーか、もう試験そのものは終わってんだから、心配してもしょうがねーだろ」
「そ、それはそうだけど……」
「あ~、それやったら今日はもう上がるか? 幸い、今のところ急ぎの仕事もあらへんし……」
「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、早退させていただきます!!!」
「な、なんちゅう早業。言うてるそばから行ってもうたわ」

高速型の高等スキルを無駄に駆使して、フェイトはあっという間にオフィスから姿を消す。
誰も彼もが呆れているが、同時にようやく仕事に集中できる事に安堵もしていた。
良い人…むしろいい人過ぎる位なのだが、あの暴走癖だけはどうにかならないものか……。

「でも、なのはちゃんはええんか?」
「さすがに、私まで抜けちゃったら…ね」

明確に否定しない所を見ると、なのははなのはでやはり気になっているのだろう。
ただ、フェイトほど暴走することもできず……むしろ、フェイトが暴走しているからこそ、逆に冷静になってしまっていると言うべきか。
とにかく、気にはなっているのだが仕事を投げ出すのが躊躇われるのだろう。
その責任感はたいしたものだし、実際分隊長が二人とも抜けると言うのは少々問題だ。
だが、これはこれで気を使い過ぎている感もあるのでちょっと困る。
こういう時くらい、周りに甘えても良いのと思うのだ。

「って、ヴィータちゃん?」
「どうせたいした量じゃねぇんだろ。だったら変わってやるから、お前も行けって」
「でも……」
「ペン逆様に持ってる奴が何を言っても説得力なんかねぇですよ」
「あ、あはははは……行ってきます」
「おう、今度アイス奢れよ」
「うん、とびっきりのをたっぷりね」

フェイトとは逆に副官に背を押され、なのはもオフィスを後にする。
残された面々は、ようやく人心地ついた様子で仕事に集中するのだった。



それで、なのはとフェイトが向かった先は…………隊舎から徒歩1分にも満たない隊員寮。
その一室では、フェイトに勝るとも劣らない位の挙動不審者が一人。

「……ぼ、僕ちょっとトイレ!」
「翔、もう5回目だよ」
「ふぇ!? そ、そうだっけ?」
「うん。っていうか、前に行ったの5分前」
「へぅ~……」

落ち着きなく部屋の中をウロウロしていたと思ったら、本日5回目となるトイレ宣言。
しかも、その間なんとたったの5分。
不安だったり緊張したりするのはわからないでもないが、だからといってそう何度も頻繁にトイレに行ってどうするというのか。
これが、自身が攫われる時に身を呈して勇壮に闘った者と同一人物とは、段々信じられなくなってくるヴィヴィオだった。

「ほら、お水飲んで座って深呼吸」
「う、うん!」

ヴィヴィオに言われるがまま、手渡されたコップから水を飲む。
だが、その手は未だに震え、あまり効果は見られない。
不安か緊張か、あるいはその両方か。いずれにせよ、かなり一杯一杯な様子だ。
傷つき、血を流す実戦と比べ物にならない様にも思えるが、翔にとってはこちらの方が大問題らしい。

「まぁ、無理もないんでしょうけどね」
「ええ。ヴィヴィオちゃんと違って、翔はかなりギリギリですから」
「魔法もそうだが、特に武術と勉強では勝手が違うどころの話ではないからな」
「ですね」

子ども達の後ろでは兼一とシャマル、それにザフィーラが苦笑交じりに二人の様子を見守っている。
まぁ、翔が不安にかられるのも仕方がない。
実際問題、ヴィヴィオはほぼ安全ラインなのだが翔はかなり厳しいのだ。

なにが? St(ザンクト).ヒルデ魔法学院の入学試験の結果がである。
つい先日行われた入学試験、その結果が今日出る予定なのだ。

「それで実際の所……どうなのだ、手応えの方は?」
「確か、ミッド語は以前から一応出来ていて、ベルカ語の読み書きもなんとか間に合ったんですよね」
「ええ、計算の方も辛うじて合格ラインに届いたんじゃないかとは……」
「となると、あと配点が多い重要科目は……基礎魔導学か」
「そっちも、一応一ヶ月前からみんなで追い込みを掛けましたので…多分」

なにぶん名門なもので、試験内容もそれ相応にハイレベル。当然、倍率もかなりの物。
大抵の子どもが落選することを考えれば、余裕綽々のヴィヴィオが凄いのだ。
持って生まれた物の差と言えばそれまでかもしれないが、とにかくヴィヴィオは文武と魔導に優れている。
そんなオールマイティな彼女だからこそ、今もこうして余裕たっぷりでいられるのだ。

反面、翔は武はともかく文と魔導はあまり得意ではない。
特に魔導にいたっては、人並みかやや下程度の資質はあれども才能がまるでないのである。
学問としてなら詰め込めばいいのでまだしも、実技となると何をやっても自爆してしまう程に。

「なんとか一つだけ芽がありそうなのは見つかりましたけど、結局間に合いませんでしたもんね」
「まぁ、実技は参考程度であまり重きを置いていないのがせめてもの救いだろうな」
「本当に……」

さすがに、この年でそう大層な事ができる筈もない。
それ故の参考程度であり、だからこそ翔にも合格の芽があるのだ。
もし実技にも重きを置いていたら、そもそも望みそのものが立たれていただろう。

まぁ、それ以外に勉強面でも不安が残る。
しかし、それでも必死に努力して、途中幾度か耐えかねて逃げ出した事もありはしたが…合格ラインに引っかかる程度には引き上げた、筈だ。
なので、可能性があるかないかで言えば…………多分ある。
ついつい修業の方に傾倒してしまいがちだったのが、不安と言えば不安だが……もう手遅れだ。

「白浜」
「はい?」
「あまりこういう事は言いたくないが…………合格しても、後が大変だぞ」
「ザフィーラ……!」
「いえ、良いんですよ、シャマル先生。その事については、僕からもよく言い聞かせましたから。
 でも、それが翔の意思なんです。あの子が決めた事なら、できる限り尊重してあげたいんですよ」

そう、むしろ問題なのは合格した後のこと。
取らぬ狸の皮算用と言われればその通りだが、翔の場合は充分過ぎる大問題。
繰り返しになるが、翔には魔法を操る才能と言うのがまるでない。
辛うじて芽のありそうな魔法を見つける事は出来たが、それ一つでやっていける程、名門魔法学院は甘くないのである。
学業に関しても相当苦労するだろうが、実技面はその比ではない。
きっと、ついて行くことすら困難を極める。それはまさに茨の道。

しかし、そうとわかっていてもなお、翔は挑戦することを選んだ。
大切な友達と、共に学ぶ日々を。崇高とは言えないかもしれないが、翔にとっては充分過ぎる理由だった。

「ヴィヴィオが普通校に行ければよかったんですけどね……」
「こればっかりは……仕方ないですよ。ヴィヴィオちゃんの事を考えれば、セキュリティがしっかりしていて、なおかつ何かあっても迅速に対応できる所が望ましいですから」
「確かにな。なにより、あそこならば騎士カリムやシスター・シャッハの目も届きやすい。
 ヴィヴィオ本人や周囲の考えはともかく、ヴィヴィオが『聖王』のクローンである事は事実。輪の外の者達の中には、良からぬ事を考える者が出てきても不思議はない」

ヴィヴィオが翔に合わせられないのなら、翔がヴィヴィオ合わせるしかない。
それ故に、翔は無理を押してSt.ヒルデ魔法学院を受験したのだ。

やろうと思えば、カリムに頼んで裏から手を回してもらう事も出来たかもしれない。
だが、そういう不正はやはりすべきではないし、翔自身も望むまい。
なにより、それはいずれ自分自身の首を絞める事になる。
入学試験くらい自力で突破できなければ、その先に待つ苦難を乗り越えられるわけがないのだから。

「ま、まぁ可能性はある訳ですし……」
「ただ、一つ気がかりが……」
「え……」
「なに?」
「実はあの日の翔…………………かなり緊張していまして、試験中の事をほとんど覚えてないみたいなんですよ。眠りも浅かったようですし……」
((あっちゃぁ~……))

それはもう、ちょっとよろしくないフラグが立ってしまっているのではないだろうか。
合格ラインギリギリの成績でありながら、前日から緊張のあまり寝付く事が出来ず、試験中の事もほとんど覚えていない。これは……ヤバい匂いがプンプンする。
寝不足に加え、記憶が飛ぶほど緊張にしたまま迎えた本番…これでは、安心できる要素を探す方が大変だ。
それはまぁ、翔が色々テンパっているのも当然というものか。

「ま、まぁここで我々が何を言っても結果が変わるわけではない」
「そ、そうですよね」
「え、ええ。いまはただ、結果が出るのを待ちましょう。あと少しで合格発表の時間ですから」

St.ヒルデ魔法学院の合格発表は、学院前とネット上に合格した受験番号が公表される。
その後、結果の通知と共に合格者には書類一式が届けられるシステムだ。
働いている家庭も多いために、簡単に結果が分かるようにとの配慮である。
兼一達が隊員寮で悠長に結果を待っていられるのも、それが理由だ。

「ところで、話は変わるが…………翔は、また背が伸びたのではないか?」
「あ、わかります?」
「言われてみれば……元々同い年の中でも体格の良い方ではありましたけど、最近はますますって感じですよね」
「ええ。前は多分人並み程度だったんですけど、ここ数ヶ月で急に伸び始めたんですよ。
まぁ、風林寺家の血筋は男性だと体躯に恵まれて、女性だとスタイルが良い場合が多いらしいですからね。実際、長老を見ると納得する物がありますし」
「「ああ、確かに……」」

より正確には、暗鶚の血筋でも同様の事が言える。
翔はその両方の血を受け継いでいるのだから、体格に恵まれたとしても納得はいく。
ただそれは、長期的な視野でみた場合の話。

「しかし、なぜまたそんな最近から伸び始めたのだ?」
「兼一さん、それってもしかして修業を始めた頃からですか?」
「え? ああ、大体その少し後くらいからだったかもしれませんね」
「だとしたら、環境の変化に一因があるのかもしれません。
 修業を通して全身に刺激を受けて、眠っていた因子が目覚めたとか……」
「なるほどな。さらに、例の怪しげな漢方が促進された成長を支えているとしたら、なくはないかもしれん」

立証する術がある訳でもないので、この推測が本当に正しいのかは分からない。
だが、あえて理由を上げるとすれば、それくらいしか思い浮かばないのも事実だった。
元々、体格に恵まれやすい体質なのだろうし、後はその因子が存分に働ける環境さえあれば、あるいは……。
まぁ、別になんとしても解明しなければならない訳でも無し。そう言う事かも知れない、位で良いのだろう。

その後、早退してきたなのはとフェイトが合流して間もなく、合格発表が行われた。
結果はと言うと、色々な意味で予想を裏切らない堅い内容。
端的に言うなら、奇跡は起こらなかった。



  *  *  *  *  *



そうして月日は流れ、新暦0076年4月28日。
JS事件後も悲喜交々色々ありはしたが、ついにその日が訪れた。

機動六課の試験運用期間は一年間。
即ち、発足した日から丸一年が経過したこの日、隊員たちはそれぞれの道を歩み始める。

「長いようで短かった一年間。本日を以って、機動六課は任務を終えて解散となります」

発足したその日と同じ様にロビーに集合した隊員達。
壇上では、部隊長のはやてが一年間を総括するべく言葉を紡ぐ。

「中には局を離れる方もおられますが、次の部隊、あるいは次の職場でもみんな元気に、頑張って。
 なんて、若干一名には無用な心配っちゅう気もするけど……それでも、みんなと一緒に働けて闘えて、心強く嬉しかったです。だから最後は、この言葉で締めくくりとさせてもらおうと思います。ありがとう」

深々と頭を下げると、拍手が巻き起こる。
頭を下げながら、はやては溢れそうになる涙を堪え……顔を上げた時には、泣きそうになっていたそぶりなど見せることなく、満面の笑顔で壇上を降りて行った。



だが解散後、フォワード陣はなのはの指示で何故か訓練場へ。
到着してみれば、そこには辺り一面見渡す限りの桜の花。
見れば、はやてを筆頭になのはやフェイト、シグナムやヴィータまで顔をそろえている。
いや、それどころかシャマルやザフィーラまでおり、その後ろでは影を背負った翔をヴィヴィオが慰めていた。

「翔、泣かないで……」
「だっで、だっで~…えぐ、えぐっ!」
「もう会えない訳じゃないんだよ?」
「でもぉ~……」

お受験に失敗し、ヴィヴィオと離れ離れになるのがよほど寂しいのだろう。
今生の別れと言う訳でもあるまいに、その顔は涙と鼻水で酷い有様だ。

「っとまぁ、あっちで微笑ましいやり取りをしている子ども達は、とりあえずおいておいて」
「ヴィヴィオ~、翔~…グスッグズッ」
「はい、フェイトちゃんティッシュ。これで鼻かんで」
「もらい泣きかよ……」
「もう良い、私はもうつっこまん」

上層部は揃って子ども達を見て号泣するフェイトを見て見ぬフリ。
フォワード陣もそれに倣い、敢えて視界から外してはやての言葉に耳を傾ける。
まぁ、翔にはさすがに同情を禁じ得ないが。

「見事なもんやろ。私となのはちゃんの故郷の花でな、お別れと始まりの季節にはつきものなんや」
「おし、フォワード一同…整列!」
『はい!』

ヴィータの指示に従い、隊長達の前に整列する五人。
掛けられたのは、教官二人からの労いの…そして一年間のがんばりに対するお褒めの言葉。
それに感極まったのか、フォワード達の瞳には一様に涙が浮かぶ。

いや、それはフォワード達だけではない。
一年間、ずっと近くで皆の努力を見守ってきた二人もまた、涙を堪えている。

「さて、湿っぽいのはここまでにして……」
「自分の相棒、ちゃんと連れて来てるだろうな」
「グズッ、グスッ……へ? え? えと、なんのことですか?」
「なんだ、聞いていなかったのか?」

涙をぬぐったフェイトの視界に広がったのは、何故か愛機を構えた隊長達。
フェイトは一人、状況が呑み込めていないのか、眼を白黒させながらオロオロしている。

「全力全開、手加減なし! 機動六課で最後の模擬戦!!」
『……………………………はい!!』
「全力全開って…き、聞いてませんよ!」
「まぁ、やらせてやれ。これも思い出だ」
「もう! ヴィータ、なのは!」
「ま、かてぇこと言うなって。折角リミッターも取れたんだしよ」
「心配ないない、みんな強いんだから」
「はやて~」
「ははは。がんばりや、フェイトちゃん」

頼みの綱の上司さえこの有様、フェイトはがっくりと肩を落とす。
で、フォワード達も思い切りノリノリと来た。
これでは、フェイト一人が何を言っても効果があるとは思えない。
見れば、意気消沈する彼女を慰めるように、ヴィヴィオと翔が背中を叩いてくれる。
だが、むしろそれがかえって色々なアレコレを助長させるのだが。

「全力で行くわよ」
「もっちろん!」
「フェイトさんもお願いします!」
「頑張って勝ちます!」
「あ~、もう~……」
「あの……そういえば、師匠は?」

頭を抱えるフェイトを余所に、ギンガが足りない一人の行方を問う。
ロビーに集まった時はいた筈なのだが、一体どこに行ってしまったのか。

「ああ、兼一さんやったら少し遅れるて……」

そこまで行った所で、はやてが言葉に詰まる。
それどころか、見る見るうちに表情が歪んでいく。
ノリノリだった面々もそれに気付き、はやての視線を追う。その先には……

「へぇ~、中々見事なんじゃなぁ~い」
「お~! 浮かびますよ~、華やかなメロディーが~~!!!」
「むぅ、これほどじゃと酒が欲しくなるのう」
「でも、ホントに綺麗ですねぇ。え? 私の方がもっと綺麗? やだぁもぉ、龍斗様ったらぁ~♪」
(……イラッ)
「お、いいな。折角だし、このまま花見ってのも悪くねぇ。なぁ、キサラ」
「ったく、昼間っから酒かよ。これだから男は……」
「とか言いながら、口元が緩んでいるぞ」
「ふんっ、なんで俺が……」
「あ、ごめんなさい。遅くなりました」

ゾロゾロと桜並木を歩いてくる、新白連合の隊長達。
武術界的には頭に「超」がいくつ付いても足りない程の豪華メンバーなのだが、六課の面々はそれどころではない。
むしろ、背筋を伝う脂汗と脊髄を走る悪寒が危険域だ。
これから何が起こるのか、知りたくないのに恐れ慄きながらもつい聞いてしまうギンガ。

「あの、なんでみなさんが?」
「え? 最後に派手に模擬戦をやるって聞いたから、折角だし……………呼んじゃった」
(((((な、なんてことを――――――――――――――――――――っ!?)))))

フォワード一同の、声ならぬ声が訓練場の空に響き渡る。
この面子が結集し、ただ観戦するだけにとどめるとは思えない。
おそらく…と言うか確実に、遅かれ早かれ乱入して来るに決まっている。

「どうするよ。幾らリミッターが取れたって言っても、人数じゃこっちが不利だぜ」
「フォワード達と共闘すると言う手もあるが……」
「ううん、ここはいっそはやてちゃん達も巻き込んで……」
『良し、それで行こう!』

しかも、隊長達は隊長達で戦力の増強を図り始めている。
どうやら、止める気は更々ないらしい。

(隊長達と師匠のお友達のみなさんの闘いって……)
(なんて最終戦争、それ?)
(あの、これって巻き込まれただけでも……)
(命が危ないと言うか……)
(死んだわね、私達)

フォワード一同、若くして己が死期を悟った瞬間だった。
というか、あの連中が本当に遠慮も加減も無しに全力で戦ったら、被害は六課の敷地だけでは収まらないのではないだろうか。
それこそ、クラナガンにも被害が及ぶのは堅いと思う。
そしてそうなれば…………………もう大惨事だ。

だがそこで、天の助け…………………ならぬ、悪魔の囁きがもたらされる。
当然、それは決して事態を穏便に収めるものではない。

「いやいや、さすがにこの人数で三つ巴は面倒だ。
 そこで俺様からの提案なんだが……………ここはいっそのこと、バトルロイヤルにしちゃどうだ」
『じゃ、それで!!』
『………………』

もう言葉でもない。それどころか、考えることすらできない。
何も始まっていないにもかかわらず、早々に真っ白になるフォワード陣。
しかし、事態はさらに混迷の度合いを深めて行く。

「ま、何人いようが同じ事だ。どうせ、最後に立っているのは……………この俺なんだからな」

ここ数ヶ月で、六課の面々にもすっかり本性をカミングアウトした夏が、明らかに挑発的な口調で宣言する。
当然、参加者の大半はそれを黙って聞き流すような連中ではない。
いや、六課の隊長達はまだ大人の対応でスルーしてくれる分マシなのだが、連合側は違う。
己が武技に絶対の自信を持つ彼らが、これを聞き流すなど物理的にあり得ない。

「ハッ、面白い事言うじゃないか。なぁ、フレイヤ姉」
「ああ、お前が冗談を言うとは思わなかった。
どれだけリアリティがなくとも、普段冗談を言わない男が言えば笑えて来るらしい、フフフ……」
「世界に太めの男性がおる限り、実戦相撲は決して負けぬ!」
「ははは、な~に言ってるんだい、トール。裏ボクシングこそ最強なんじゃな~い」
「おいおい、武田。そいつは聞き捨てならねぇぞ。誰の何が最強だって?」
「ラララ~♪ みなさん大人気ありませんよ。そこは議論の余地もなく…私が最強と決まっているのですから!」
「はぁ? 愛に勝るものなんてある訳ないわよ!
 ね、龍斗様! 私達の愛の力、今こそ見せてやりましょう!!」
「そうだね、丁度良いかもしれない。
僕もそろそろ、一度君をひっぱたいておくべきじゃないかと思ってたんだ……もちろんグーで」
「アハハハ、僕は最強とか別に興味ないけど……弟子と息子も見てるから、負ける訳にはいかないなぁ」
(((((終わった、何もかも……)))))

あっという間にヒートアップし、景色が歪む程の気当たりが放たれる。
もしこの桜が訓練場の設備で再現したものでなければ、今頃全て散ってしまっていたに違いない。

『新島、合図!』
「んじゃ、レディー……」
「「ごー」」






あとがき

はい、これにて「リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~」シリーズはおしまいです。
ここまで根気よくお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
何かと至らない点ばかりだったかとは思いますが、まがりなりにもやり切れたのは皆さんの応援のおかげです。

また、少々先走って一話だけ投稿してしまっていた、主人公を交代しての続編「リリカルなのはVivid~心の拳~」を今後は書いて行く事になるかと思います。こちらも御贔屓にしていただければ幸いです。
まぁ、次を書くのは少し間が空くかもしれませんけれど。
それと、もう片方のRedsにつきましては……………その内と言う事でご勘弁ください。
中々、気持ち的なGOサインが出ないのです。誠に申し訳ない。

さて、そんなわけでここ最近の鈍足が嘘の様なラストスパートでした。
通算、一年と半年以上か。ごめんなさい、こんなにかかってしまって……。
でも、一応はやり切れたので満足しています。
改めて、ここまで応援していただきありがとうございました。

P.S 感想板でご指摘をいただき、「翔が選ばれた理由」と「暴走する父と兄」について加筆及び若干の修正をいたしました。


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