子供の頃、夢見たモノがある。
野球選手だったり、サッカー選手だったり、宇宙飛行士だったり、お菓子屋だったり、パン屋だったり。
その夢が、俺は教師だった。
だから、教師になった。教師に、なれた。
小学校の頃の6年は、全員が男の先生だった。
だからこそ、強く覚えているのかもしれない。
――ああ、こういう先生になりたいな、って。
「高畑先生」
「ん?」
俺の先を歩いていた先輩に声を掛け、その隣に並ぶ。
「今日でもう1週間なんですが、どうしましょうか?」
「ああ――ああ、そうだねぇ」
そう言って、先輩はいつも彼女の事になると困った顔をする。
サボりの常習犯、というよりもここまで来ると不登校に近いのかもしれない。
一応、朝一で登校してきてはいるようだけど、すぐ帰ってるし。
どうしてそんな事をしているのかは、良く判らない。
何か意味があるんだろうか?
そして、その事について先輩どころか、学園側からも何も言わないし。
「自宅に訪問とかは、しなくて良いんですか?」
「うーん、一応、声は掛けてるんだけど」
そうなんですか、と一言。
黙認されている、というのはこの1年少しでよく判っている。
が、それを認める事は――したくない、と思う。
やっぱり、クラスの皆と仲良く……とまではいかなくても、
クラス名簿を左手に、空いた手で頭を掻く。
どうしたものか、と。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
ここ1週間、全く顔を見ていない生徒を思い出す。
……まぁ、真面目そうな少女ではない、な。
「あの子にも少し、事情があってね」
「はぁ」
この話はここまで、とその足が止まる。
2-A、自分たちが担当する教室である。
毎回、こうやって話止まるよなぁ。
どうしたもんか。
そのまま、教室のドアを開け、その後ろについて行くように中に入ると
「おはようございますっ、高畑先生!」
と、まず最初に元気な少女――神楽坂明日菜の声。
それに続くように、少女たちの声が響き、それが終わると俺と先輩が「おはよう」と挨拶をする。
毎日の光景……そこに、もうひとつ。
「お、今日はちゃんと登校してきたか。えらいぞ、マクダウェル」
「ふん」
金髪の少女は、今日はちゃんと登校してきていた。
ふぅ、良かった良かった。
……随分と、機嫌は悪そうだけど。
(今日はちゃんと来たようだよ)
(はい――このまま、続いてくれると良いんですが)
難しいだろうなぁ、と。
高畑先生は苦笑いし――多分、俺も。
「それじゃ、点呼とるぞー」
クラス名簿を広げ、出席番号順に名前を呼んで行く。
こうやって、俺の1日は始まる。
・
・
・
「来月からでしたっけ? 新しい先生が来るって言うのは?」
「ああ、確かその通り――だったっけ?」
「来月の頭にですよ、弐集院先生」
昼休み、職員室で他の先生方とテーブルを囲みながら、コンビニの弁当を食べる。
一人暮らしの独身なのだ。しょうがない。
ちなみに、周りの皆さんは弁当の前に手作りだったり愛妻だったり別の単語が付いていたりする。
……そう考えると、余計に昼がわびしく感じるので、あまり気にしないようにしてる。
いや、俺だってコンビニ弁当は、って考えてた事はあったけどね?
やっぱり、独身男性は弁当作る時間より、寝る時間が大切なのだ。
「イギリスか、どっかからじゃなかったですか?」
「そうそう……良く覚えてるね、君」
いや、普通覚えてるでしょ。
そう顔には出さないように、少し苦笑い。
でもまぁ、まだまだ先の話だしどーでも良いっては思うけど。
「たしか、2-Aの担任になるんでしょう?」
「ええ、高畑先生と入れ替わりらしいですね」
つまり、副担任である俺はそのままという事だ。
……軽く、溜息が出そうである。
あの面子を高畑先生抜きでとか。
神楽坂、落胆するだろうなぁ……そうなるだろうから、まだ言ってない訳だけど。
あの子は本当に、テンションで一日が決まるからなぁ。
「優秀な先生のようですし、大丈夫ですよ、きっと」
とは源先生。
はぁ、良いですよね、源先生のクラスは成績も評価も良くて。
ウチはどっちもだからなぁ……。
「どうして学生って勉強嫌いなんですかね?」
「そりゃ、そこに授業があるからさ」
何という事を言いますか、瀬流彦先生。
いや、判りますけど。判りますけど……。
「そこは言っちゃあならんでしょ、瀬流彦先生」
と、弐集院先生に窘められる瀬流彦先生。
「はっはっは、でも実際ねぇ」
「私達も、そうでしたからねぇ」
「普通に勉強してれば、それなりの点が取れるはずなんだけどなぁ」
スイマセン。ウチの子達はそれなりの点が取れないで。
はぁ。
なんでウチのクラス、毎回最下位なんだろ?
そんなに不真面目、って訳じゃないんだけどなぁ。
「次のテストは、新任の先生が来てからなんでしょう?」
「……そう言えば、そうですね」
しかも、次は高畑先生抜きかぁ。
何とか頑張ってくれないかなぁ。
特に神楽坂筆頭の5人組。はぁ。
どうしてあんなに点数が悪いんだろうか?
うーむ。
「2-Aはクセのある生徒が多いからね」
「そう言われたら、何も言い返せないです……」
「ははは、お詫びにオカズの唐揚げを上げるよ」
「うぅ、ありがとうございます。弐集院先生」
どうしたものかなぁ。
教えるだけの授業じゃ、2-Aは次も最下位なんだろうし。
はぁ。
コンビニの割り箸って、なんか結構美味くない?
「割り箸を噛むもんじゃないですよ」
「考え事してると、なんか噛んじゃうんですよね」
爪とか、指とか。
そんな癖ってありません? と話を振ってみる。
「あー、あるよね」
「その癖治した方が良いと思うよ?」
同意してくれたのは弐集院先生。
治す方が良いと言ってくれたのは瀬流彦先生。
源先生は……苦笑していた。
「子供の頃から、どうにも治らないんですよねぇ」
「ガムとか噛んでると良いらしいよ?」
「そうなんですか?」
へぇ、それは知らなかった。
と言うか、
「ガムって噛んでると、何だか間違えて飲み込んでしまったりしません?」
「ああ、あるある」
だからガムってあんまり好きじゃないんですよねぇ、と。
「いや、無いですよ弐集院先生」
「体に悪いから、それだけは止めておいた方が良いですよ?」
源先生からは、本気で心配されてしまった。
むぅ……。
まぁ、だからガムは買わないんですけどね?
・
・
・
午後から2-Aでの授業があったので教室に向かうと
「……一応、聞いておくけど」
「はい、何でしょうか先生?」
そう良く透る声で答えてくれたのは、クラス委員の雪広あやか。
綺麗な金色の髪に、中学生離れした容姿の少女である。
ちなみに、このクラスで一番の常識人だと俺は思っている。
「マクダウェルは?」
「早退しました」
「そうか」
「はい」
……せっかく登校してきたのに、なぜ最後まで授業を受けていかない。
溜息が出そうになり――それを、止める。
「判った。それじゃ、授業を始めるぞ」
教科書開いてー、と言いながら、心の中で溜息。
アイツはまったく、どうしたらちゃんと学校に来てくれるのだろうか?
別に苛められている、というわけでもなさそうなんだが……そう言うのって、やっぱりあるんだろうか?
教師は、そういうのに気付かないってよく言われるしなぁ。
今度、やっぱり一度話し合った方が良いのかもしれないな。
数学の教科書、前回までの復習にと、黒板に問題を書きながら思う。
教師って難しい。
生徒全員を出席にするのだけでも、実はこんなにも難しいんだな、と。
義務教育だからとか、生徒だからとか、教師だからとか。
自分が学生だった頃には全然気にしてなかった事が、本当は凄く……面倒なのだ。
そう思う事は、きっと悪い事なんだろうけど。
でも――教師だから出来ない事、って言うのも確かにある。
「それじゃ、まずは前回の復習からだ。長瀬、那波、長谷川ー、この問題答えてくれ」
「うっ」
「はい」
「はい」
一つ、返事が違ったなぁ。
「長瀬ー、次は小テストするからなぁ、勉強しとけよー」
「ナンデストっ」
「えーー!?」
「はい、静かにー」
パンパン、と手を叩いて
「3人は、答えが判ったら手を挙げてくれ」
こうして今日も、授業はそれなりに順調に進んでいく。
何故それなりにかと言うと……まぁ、
「「うー」」
「「「あー」」」
ちょっと5人ほど、居るのだ。
色々と難しい子たちが。
授業のやり方も、考えないとなぁ。
このままじゃ、またテストじゃあんまり良い点取れないだろうし。
やっぱり、テストで良い点取れたら、授業も、学校も今まで以上に楽しいだろうしな。
どうしたものかなぁ。
・
・
・
「ただいまーっと」
男子教員寮の自分の部屋に帰り、やっと一息つけるのは夕方も遅い時間である。
明日行おうと思ってる小テストの準備やら、教材の準備やら。
公務員は食いっぱぐれない、とよく言われるけど、これでもなかなか大変なのだ。
最近はよく問題も起きてるから、世間の目も厳しいし。
晩飯に買ってきたコンビニ弁当とおでんをテーブルに置き、さっさとスーツを脱いで着替えてしまう。
ご飯を食べたら、クラスの成績を打ちこんだパソコンを立ち上げ、それと睨み合う。
平均学力は……上がってはいるんだよな、上がっては。
問題は――だ。
「はぁ」
溜息も付きたくなる気持ち、誰か判ってくれるだろうか?
頭が悪い、という事は無い。
悪い事を悪いと言えば理解できる。
駄目な事を駄目と言えば、理解できる。
頑張っているんだと判る。
必死に出来るようになろうとしている事も、判る。
だが。だが、だ。
成績が上がらない。
頑張ってるのは知っている。
でも、大人は“数値”でしか、見れないのだ。
スーパーとか飲食店なら客数や売り上げ、学校なら――点数。
テストと言うものは、生徒という個人を図るモノ。
人間性ではなく、どれだけ社会に対応できるか、それを見るもの。
それは酷く悲しいけれど、酷く合理的なのだろう。
生徒は点数で自分を示して、教師は点数で評価を見る。
良い子達なのだ。本当に。
明るくて、楽しそうで、元気で。
いつも元気を分けてもらってる。
きっと、初めての副担任と言う仕事……担当があの子達だった事は、幸せだ。
だから――。
「はぁ」
――どうにかして、もっと、学園を楽しんでもらいたい。
そう考えて、もう一度溜息。
ついでに立ちあがり、冷蔵庫から缶ビールを一本。
こうやって小難しい事を考えながら、今日も夜は更けていく。
・
・
・
「おはよう、皆」
「せんせー、高畑先生は?」
「高畑先生は、今日からまた一週間出張だそうです」
「ナンデスト!?」
「はい神楽坂ー、魂抜くのも良いが、ちゃんと席について抜いてくれー」
そんな目で見るなよ、出張は俺の所為じゃないだろうが。
まぁ、こうなるだろうから今まで言わなかったんだけど。
……そう怖い目で見るなよ、朝倉。笑顔が怖いぞー。
はぁ……ふと、視線を教室の一番奥の席に向ける。
そして、もう一度心の中で溜息。
「それじゃ、点呼取るぞー。明石ー」
「はーい」
………………
…………
……
「マクダウェルー」
「エヴァンジェリンさんはお休みです」
「マクダウェルは今日は休み、と」
せっかく昨日は出席してくれたのになぁ。
また振り出しに戻る、か。
どうしたらちゃんと出席してくれるんだろうか。
やっぱりイジメとかだろうか?
不意に、クラスを見渡してみる――コイツらが、イジメなんてしないと思うんだがなぁ。
「今日の数学、昨日言ってたように小テストだから、勉強しとけよー」
一応、10点満点で作ったけど、何点取ってくれる事やら。
出来れば、平均7点以上は欲しいところだが。
……今までだと、5点くらいかな?
「あと、来月から新任の先生が来る事になってる」
おー、とかえー、とか声が聞こえるが、あえて無視。
一々反応してたらHRなんていくら時間あっても足らないし。
「詳しい事はまだ判らないから。判ったら教えるようにする」
後質問はー? と、早速手が一つ挙がっていた。
うん。まぁ判ってるんだけどな?
「朝倉ー」
「男ですか、女ですか!?」
喰いつき良いなぁ。そんなお前は割と好きだぞー。
「男らしいぞ。年齢は聞いてない」
「どこからですか!?」
「外国からだそうだ」
一応、イギリスとは伏せておく。
一気に持ってるネタ出すと、後で苦労することになるというのは経験として知っている。
この朝倉と言う少女は、どうにも情報に貪欲すぎて困る。楽しいけど。
「帰国子女ってヤツですか!?」
「いんや、純粋な外国人らしいぞ」
言葉は!? とか作法とかは!? と言うのは、判らないという事で。
そう言えば、新任の先生は日本語とか大丈夫なんだろうか。
イギリスって、何語だっけ? イギリス語? 英語?
俺、苦手なんだよなぁ。
「それじゃ、HR終わり」
こうやって、一日が始まる。
・
・
・
「新田先生、物凄い食べますね……」
何でコンビニ弁当2個? よく入るなぁ。
「そう言う先生は少なすぎませんか?」
「いや、給料日前で……」
と言っても、いつもはコンビニ弁当にカップ麺かさらにおにぎりなのだが……今日はカップ麺抜きである。
理由は簡単。金が無い……訳ではない。
ただ単に食欲が無い。
今日は帰ったら、早く寝よう。
「ははぁ、今日から高畑先生が出張だからですか」
「うっ」
いえいえ、それだけじゃありませんよ? と弁当を食べて誤魔化してみる。
「大変でしょう、教師として見れば」
「でも、良い子たちなんですよ? ちゃんと、判らない所は聞きに来ますし」
聞くのが恥ずかしいからって、判らないままにするより何倍もマシです、と。
他の教科でも最近は判らない所は聞いているらしいし。
ちゃんと、頑張ってるんですよ、あの子たちは。
「それに、元気ですしね」
「それは確かに。私も手を焼きますからね」
「す、すいません」
「いやいや、今度昼の時に飲み物でも奢って下さい」
今度は何したんだ、あの子らは。
新田先生に頭を下げると、笑っていて、さらに恥ずかしい。
まったく。
元気な事は良い事だけど、元気過ぎるのはどうなんだろう?
……きっと、良い事なんだろうなぁ。
「あら、今日は早いんですね」
「あ、源先生」
ええ、今日は午前の最後に授業入ってませんでしたから。
……午後は授業しかないですけど。
「今日も弁当ですか?」
「ええ。先生はまた?」
「今日も、新田先生と二人仲好くコンビニ弁当ですよ。ねぇ、新田先生?」
「仲好くは遠慮したいんだが……」
冗談じゃないですか、本気で返さないで下さいよ。
ちょっとグサッときました。こっちも本気で。
瀬流彦先生ー、弐集院先生ー、どこですかー?
「ふふ――栄養もちゃんと考えて下さいよ?」
「あー、はい」
考えてます、一応。
コンビニ弁当で考える栄養って何、って思う?
幕の内と牛カルビとのり弁をちゃんとローテーション組んで食べてます。
……1年もしてると飽きるよなぁ。
そろそろ期間限定の新商品が出ないものか。
「飽きたな」
「飽きましたね」
はぁ。
隣の源先生の弁当の美味そうな事旨そうな事。
今度弁当でも作ってみるかなぁ……食費も、安上がりらしいし。
うぅむ。
まぁ、朝起きれたら考えよう。
・
・
・
午後の授業も終わり、明日の授業の準備も終わらせて帰宅すると、
「はぁ」
やっぱり、溜息が出た。
疲れた。色々と。
「明日もマクダウェルは休むつもりかな」
神楽坂たちの点数もアレだったし。
アレ? とても口には出せません。と言うか出したくない。
主に本人たちのプライドとかそんなのの為に。
そして、晩御飯(やっぱりコンビニ弁当)を食べた後、いつものようにパソコンを立ち上げ……
「あれ?」
ふと、気付いた。
気付いてしまった。
なんで今まで気付かなかったのか……多分、現実から目を逸らした的な何かの所為だろう。
教師としてどうかとは思うが。
「マクダウェル、出席日数死んでない?」
ヤバくない? とかヤバいとかじゃない。
もっと言うなら、終わってる。
「……は?」
慌てて2年の最初からの出席日数を計算する。もちろん自分で。
エクセルで計算してたら死んでたから。
……………
………
ほっ。
「……病欠が、多すぎる」
出席日数もギリギリだというのに、なにこの中退率。
えーっと……あと何日休めるんだ?
いや、3学期だし、もうすぐ進級だし……休まなければ、いける。
うん、大丈夫。
休まなければ。
「――――――はぁ」
深い、深いため息が出た。
これをマクダウェルに言って……ちゃんと登校して、授業を受けてくれるだろうか?
ぅ――難しいだろうなぁ。
いや、でも流石に追試とかで免れるのも、嫌だろうし。
変にプライド高いし。
「どうしたもんか」
一番彼女と仲の良い高畑先生は、ちょうど今日から出張だし。
……にしても、あの人も出張多いよなぁ。とは思っても口には出さない。
口に出したら、何だか挫けそうだから。色々と。
「はぁ」
高畑先生からはあんまり関わらない方が、って言われてたけど、しょうがないよなぁ。
教師と言うのは難しい。
本当に、そう思う。
教師になって3年。
最初の1年で、そう思った。
そして、3年目……だ。
「頑張ろう」
嫌われてるかもしれないけど、ウザがられてるかもしれないけど。
それでも、俺は教師に憧れてるのだ。
だから、頑張ろう。うん。
目覚まし時計の起床時間を1時間早くする。
よし。
「頑張るぞー」
俺は、明日から、毎日マクダウェルを登校させる。
睡眠時間を1時間削っても。
毎朝彼女の自宅まで迎えに行く事になっても。
雨が降っても。
風邪をひいても。
俺は、何とか、マクダウェルを出席日数免除の追試無しで、進級させる。
…………させたい。
………………無理かなぁ。
でも、まずは明日頑張ろう。
事情を説明すれば、判ってくれるさ。……多分。
来月からは新任の先生も来るんだし、何とかしないといけないよなぁ。
……ガンバろ、マジで。