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[25868] 【インフィニット・ストラトス】織斑一夏は誰の嫁?(全員性別反転:ALL TS)
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/20 22:40
注意:全員の性別が反転しております。そういうのが苦手な方はバック














 ―――どうしてわたしは、ここにいるのだろう。

 彼女は、自問自答する。しかし、それに答えてくれるものはいない。仮に答えてくれるものがいたとしても、彼女が背中に感じている視線の山から解放されるわけではない。

 時は温暖化のせいか、過去には四月のシンボルでもあった桜が散り始め、若葉にもなろうかという四月。卒業という別れの儀式を終え、入学という新たな出会いの儀式が行われる月。

 当然、彼女―――織斑一夏にもその季節は訪れ、彼女も入学式を迎えていた。今日はその入学式当日。それ自体は喜ばしいことだ。一夏もそう思っている。しかし、問題が一つだけあった。

 ―――これは、想像以上につらいものね……。

 一応の覚悟はしていた。兄である織斑千冬(おりむら せんと)にも覚悟しておけよ、と言われていた。しかし、想像して、覚悟していた以上に辛いものがあった。もしも、気の弱い女の子であれば、涙でも流しながら教室を逃げ出していただろう。彼女が逃げ出さないのは、意地だ。少なくとも、流されたとはいえ、この境遇を受け入れた。しかし、歯を食いしばっておかなければ耐えられないほどに辛い。

 男子、総勢29名の中に女子1名という状況は。

 まず、なにより視線だ。こちらを伺うような視線。しかも、視線に気づいて、そちらを向けば、視線を送っていたであろう集団は、そろいも揃って視線を逸らす始末。もしも、視線を合わせて、手を振ってくるぐらいの気概があれ、こちらも振り返すぐらいの愛嬌は持ち合わせているというのに。

 しかも、用意された席が悪い。一番前の真ん中の席。いや、これは場合によっては、感謝すべきなのかも知れない。少なくとも一番前というだけで、正面を向いていれば、教室にいる男子を視界に入れなくてもいいのだから。もしも、一番後ろならば、こちらに視線を送ってくる連中と視線を合わせる羽目になっていただろう。

 ―――せめて、誰か味方がいればいいのに。

 そう思って、一夏は窓際に視線を向けてみる。窓際に座った彼―――男子にしては珍しい長い髪をうなじの辺りで結い、どこか固い表情をしている―――は、一夏が視線を向けたことに気づいたのか、ふいっ、とわざとらしく視線を窓側に逸らした。

 おのれ、6年ぶりに再会した幼馴染に対する態度がそれか……、と一夏は思うものの、よくよく考えれば、6年前といえば、小学生だが、今は高校生だ。男女の違いはかくも高い壁を作ってしまうのだろう。もっとも、現状、藁も掴む思いで、憩いの場所を求めている一夏としては、その壁を取っ払って欲しいと思っているのだが。

「あの~、一夏さん? 織斑一夏さん?」

「は、はいっ!」

 思わず返事をして、今更ながら、正面に人がいることに気づいた。

 身長は一夏よりもやや低め、少し背伸びした少年が少し大きめのスーツに身を包んでいるような服装で、童顔でカッコいいというよりも可愛いと形容できる容姿で副担任の山田真耶(やまだ しんや)先生が、両手を振って必死に自分の存在をアピールしていた。

 ああ、そういえば、自己紹介の途中だった、と一夏は思い出した。自己紹介をしている男子以外の視線があまりにも自分に集まっているものだから現実逃避気味に思考に逃げ込んだのだ。もちろん、そんなことを知らない山田真耶先生は、自分が何か不愉快なことをしてしまったのか―――しかも、教室の状況から分かるに一夏はある種、特別な生徒といっていい―――と、今にも泣きそうな顔でぺこぺこと頭を下げていた。

 下手をすれば、中学生と言ってもいいんではないだろうか、という童顔で、泣きそうな顔が、またその幼さを助長し、女性なら誰もが持っているのだろう母性本能が少しだけキュンと反応してしまう。だが、瞬時に、いやいや、相手は先生だ、と思いなおす。

「山田先生、そんなに謝らないでください。ちゃんと自己紹介しますから」

「ほ、本当ですか?」

 だから、その泣き顔はやめてくれ、と一夏は、言いたかったが、それを言うと、この先生はきっと傷ついて、今度こそ本当に泣かせてしまうかも、と思って、一夏は、何も言わず自己紹介をするために立ち上がり、後ろを向いた。

 ―――うっ。

 振り返れば、そこには、男、男、男、男。一夏は、その状況に少しだけ怯んだ。前の学校は共学だった為、男子になれていないわけではないが、それでも教室の自分以外の生徒が男子という境遇は初めてだ。しかも、各々が興味津々と言う感じでチラチラと一夏を見てくるくせにまっすぐ彼女を見るものはいない。おそらく、照れているのだろうが、それでも反応があまりに女慣れしてなさすぎる。

「えっと、織斑一夏です。よろしくね」

 これからクラスメイトとしてやっていくのだ。少なくとも愛想よくいくべきだろう、と判断して一夏は、笑みを浮かべて、至極簡単に挨拶をする。

 しかし、返ってきた反応は微妙だった。

 え? それで、終わり? とでも言うべき反応。期待はずれだ、とでも言いたそうな反応だ。だがしかし、一夏としても、それ以上、何を話していいのか分からなかった。

 ―――えっと、他に何を話せばいいんだろう? スリーサイズ? いや、確かに驚くかもしれないけど、ここは女子校じゃなくて、限りなく男子校に近い場所なんだよ。捨て身の冗談なんて言えない。

 何らかの反応はあるだろう、と考えていた一夏にしてみれば、この反応は予想外であり、思わず混乱してしまう。

 ―――ああ、もうっ! ほんと、どうしてわたしこんなところいるんだろう?

 彼女―――織斑一夏がこの学園、IS学園に来ることになった理由は、遡ること一ヶ月程度前のことになる。



  ◇  ◇  ◇


 まず最初に断わっておくと、一夏は、IS学園に入学するつもりなどなかった。

 そもそも、IS学園と冠している通り、一夏の学園はIS搭乗者を育成するための国際機関だ。

 ここで、IS《インフィニット・ストラトス》とは、現存する最強の兵器だといえる。元来の目的は、宇宙開発用の作業服だが、そんな目的は葬られ、現在は停滞している。それよりも、見るべき点は、そのものが持つ戦闘能力。一機で、戦闘機が四方八方から襲い掛かっても容易に回避、および撃墜が可能な最強の兵器。

 それは、単なるスペックだけの話ではない。事件として、ISは、ミサイル二千発を撃墜し、さらに、各国の軍艦、戦闘機のことごとくを沈めた実績を持っている。しかも、それは初期のISで、だ。開発が進み、第三世代にもなろうかというISの戦闘力は、過去の遺物では語ることはできないだろう。

 その圧倒的な戦闘力のため、現在は、ISの軍事目的は国際条約で禁止されている。もっとも、それは建前であり、実際は前時代の核兵器に近い。つまり、伝家の宝刀。抜く事ができない必殺の武器なのだ。しかし、抜く事ができないとはいえ、その宝刀が竹光でないことを証明しなければならない。よって、現在はIS同士による戦闘がスポーツとして認められている。

 言い換えれば、国同士の戦争と言ってもいいのかもしれないが。

 さて、現存する兵器の中で最強を誇るISだが、ISにも弱点は存在する。

 まず、数の問題だ。ISには、ISそのものともいえる核が存在する。それを開発できるのは過去の中でたった一人だけ。ISの開発者―――篠々之束(しののの たばね)だけだ。しかしながら、現在、彼は行方不明で、国際手配されている。そして、彼が消失するまえに作られた核の数は467。つまり、各国は、467というパイを奪い合うことになる。

 五百に満たないISの核。これを少ないとみるか、多いとみるか。多いとは考えられないだろう。国連の加盟国は約二百なのだ。単純に計算しても、平等に分けるなら、1国につき2から3機になるだろう。しかし、たった2機で国防が可能とも限らない。そもそも、国土に比例せず配備されるなら、某大国は、おそらく州を一国として計算するように求めるだろう。それに、教育のために一定数以上は必要になる。しかし、ISは、最強の兵器なのだ。ISの数は直接国防に直結する。そのため、国際条約で国際IS委員会の設置が決められた。

 次に、ISに相性が存在すること。誰もが訓練すれば乗れるというものではない。相性が悪いものは、歩行すら困難だが、相性がいいものは、ISの実力を存分に発揮し、空の王者にもなれるというもの。絶対的な格差が存在していた。現在の兵器が訓練すれば、誰でも使える―――才能の有無はあろうが―――ことを考えれば、相性が存在するのは弱点になりうるだろう。

 そして、上記の弱点の続きにもなるのかもしれないが、ISは何故か、男性にしか乗れない。原因は分かっていない。原因を知っているとすれば、篠々之束だけだろうが、彼が行方不明である今、理由を知っているものがいるはずもない。

 しかしながら、そのような弱点に目を瞑れるほどの強さがISにはあった。そもそも、男性しか乗れないというのは、あまり問題にならなかった。確かに軍には女性もいるだろうが、全体から見れば、半々とは到底いえない。よって、あまり問題になることではなかった。軍に陸海空の三部隊に新たにIS部隊が設置されたぐらいで。

 新設されたIS部隊は、人気と給金がもっとも高い部署になったのは言うまでもないが。

 ―――閑話休題。

 上記の理由により、一夏は、IS学園に入学するつもりは―――いや、正確には入学できなかった。入学したのはまったくの偶然。それは、彼女が高校の入試試験を受ける当日の話。入試会場で迷い込んだ一夏は、会場で鎮座するISを発見し、興味本位から触ってみると、なぜかISが起動してしまったというものだ。

 もちろん、世間は天に地に大騒ぎ。織斑一夏の名前は、世界中に流れることになった。

 ―――世界で唯一ISを扱える女性として。

 そして、現状、織斑一夏は、保護の名の下、IS学園に入学した。この男しかいない学園の中に唯一の女として。



  ◇  ◇  ◇



「え~、あ~、特技は、炊事、洗濯、料理。趣味はお菓子作りです。特に最近作ったチーズケーキは評判もよくて、あっ、今度、一緒のクラスになったお祝いに作ってくるんで、食べてくださいね」

 視線の数という名の暴力に負けた一夏は、やけくそ気味に自分の特技やら得意なことを言ってみる。嘘は言っていない。両親は不明で、月に1度か2度しか帰ってこない兄しかいない一夏にとって、炊事、洗濯、料理ができないことは死活問題だからだ。趣味のお菓子作りは、そこから派生したものである。

 こ、これでもダメだろうか? と反応をうかがってみると、男子たちは、それぞれ両隣や前後で、「お、おい、料理だと?」「しかも、手作り?」「これ、マジか? 漫画の世界じゃないよな?」などと話している声が聞こえる。他にもガヤガヤと声がするが、似たり寄ったりで、先ほどの無反応に比べれば、かなり改善したといってもいいだろう。後ろの真耶先生も「わぁ~、ケーキ。僕も楽しみです」なんて言ってるし。

 IS学園に行くと言ったときに、心配してくれた親友が、「男は餌付けしておけば、安心よ」などと言っていたことを思い出して、とっさに言ってみたが、今だけは親友の助言に感謝するとしよう。

「い、以上です」

 もはや、これ以上、自分が何を言っても彼らは聞かないだろう、と判断した一夏は、自分の席に座る。それと同時に、まるで、タイミングを計ったように、教室の前の扉が開かれる。自動ドアになっている向こう側から姿を現したのは、一分の隙もなく黒いスーツに包まれた長身の男性。スーツのシャツ越しでも、彼の肉体が鍛え上げられていることは容易に想像できる。ただ、その場にいるだけで、威圧感のある男性。

 一夏は、彼をよく知っていた。知らないわけがない。なぜなら、彼は一夏にとって唯一の肉親だからだ。

「せ、千冬兄?」

「馬鹿者。ここでは、織斑先生と呼べ」

 一夏は、突然現れた実兄の姿に驚いた。彼女は、実兄の職業を知らなかったからだ。ただ、毎月、預金通帳に普通では考えられないほどの入金があることは知っていた。普通じゃない仕事をしているんじゃないだろうか、と心配になった一夏は、一度聞いた事があるが、お前が心配することじゃない、と斬り捨てられたことがある。

 ああ、確かに心配することではなかった。しかし、まさかIS学園の教師をやっていようとは思ってもみなかった。

「織斑先生、会議は終わったんですか?」

「ええ、山田先生、クラスへの挨拶を押し付けてすまなかったな」

 いえいえ、これでも副担任ですから、とまるで子どもが胸を張るように威張る真耶。そんな彼を余所に千冬は、ツカツカと正面の教卓の前へと歩みを進めると真正面からクラスの全体を見渡した。

「諸君、俺が織斑千冬だ。お前達を一年間でISの操縦者へと育てるものだ。俺の言うことを理解し、実践しろ。理解できなければ、理解できるまで指導してやる。俺の仕事は十五歳から十六歳までの一年間を鍛えあげることだ。逆らってもいいが、俺の言うことは聞け。以上だ」

 なんという、暴力宣言なのだろうか。いや、しかし、男性社会ではこれぐらいが普通なのだろうか? と一夏は思う。なぜなら、これだけ言われたにも関わらず、彼らは何も反論しないからだ。ただ、千冬が名乗ったときに僅かにざわめいた。その中で気になる単語が二つ。『アーサー王』と『人類最強』という名前だ。それが意味するところを一夏はまだ知らない。

 さて、自己紹介の続きか、と思われたとき、不意に千冬が口を開いた。

「ああ、それと言い忘れていたが、このクラスには、女子が一人だけいる。部屋も特別に一室用意されているとはいえ、同じ寮だ。そこで、お前らに一つだけ言っておく」

 そこで区切った直後、千冬の雰囲気が変わる。威圧感が増すとでもいうのだろうか。ライオンなどの肉食獣を前にした威圧感とでも言うのだろうか。威嚇だ。だが、本気の威嚇だ。一夏が、たった一度だけ見た事がある千冬の本気だった。その威圧感を身に纏ったまま、千冬は口を開く。

「いいか、決して、彼女に関して問題等を起こすな、起こそうとするな。手を出せば、社会的に死ぬぞ」

 それは誇張でもなんでもない。IS操縦者というのは国防の要であり、スポーツとしてメディアに出ている以上、国の代表と言ってもいいのだ。そして、ここに集められているのは、その国の代表候補なのだ。そんな彼らが女性で問題を起こしたとなれば、それは、大問題というレベルではないだろう。そんな人間を代表候補に選んだ国の品格の問題にもなる上に、国の名前に泥を塗ることになるのは間違いない。

「それと、俺がそんな真似を許すとは思うなよ。ちなみに、これは俺の妹だから、ということは関係ない」

 最後のは私怨だろう、とは思うが、教室の中で、反論できるものなどいない。千冬の威圧感の前に、その言葉を魂に刷り込むだけだ。目の前には決して手を出してはいけない御方がおり、その人物が守る至高の宝に手を出せるわけがないのだから。

 男子達が魂に千冬の言葉を刻む一方、一夏としては、兄に守られているようで、兄の言葉がどこか嬉しかった。



つづく








あとがき
 一夏の特技が家事全般というのを見て。ついでに、逆転していたら、問題なんじゃね? という発想の元に生まれた作品です。



[25868] 第二話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/23 00:21



 ―――綺麗になった。

 篠ノ之箒は、6年ぶりに再会した幼馴染を見ながらそう思った。

 今は、二時間目と三時間目の間の通常は10分ほどしかない休憩時間が15分ある少し長い休憩時間だ。一時間目と二時間目の間の休み時間は、10分間、他の男子達の「お前、行けよ」「いや、お前こそ」「ぬけがけすんなよ」というような声と遠巻きの視線に耐えていた箒の幼馴染である一夏だったが、ついに、耐えられなくなったのか、不意に休み時間のチャイムが鳴った後、ツカツカと箒の席に来て、「来なさい」の一言でここまで連れて来られたのだ。

 どうやら、彼女はクラスメイトの視線に耐えられなくなって、外に出たかったようだ。廊下に出ても減ることのない、いや、むしろ、増えた視線の中を凛と背筋を伸ばして歩く彼女は、ここがIS学園という男子だけの学園でなかったとしても目を引いたことは間違いないだろう。

 その一夏は、今は屋上でう~ん、と背筋を伸ばしている。その表情は、先ほどまでの作ったような表情ではなく、何かから解放されたような穏やかな笑みを浮かべていた。ここでは、男子から視線は箒からしかないため、開放的な気分になっているのだろう。

 箒とて、一夏が戸惑っていることぐらい分かっていた。なにせ、自分以外が、男なのだ。もしも、箒が女の中に放り込まれたとしたら、右往左往していただろう。その中に一夏がいたとしたら、箒は間違いなく、彼女に助けを求めていただろう。

 いや、一夏も箒に助けを求めていたことは分かっていた。HRが始まる前に一度だけ視線が合った事を覚えている。しかし、それを箒は無視した。気づいていない振りをして視線を逸らした。彼女と何を話していいのか分からなかったのだ。6年ぶりに再会した彼女は、箒の記憶にある頃よりも可愛く―――いや、15歳といえば、少女から大人の女への過渡期だ。それは適切ではない―――可愛いというよりも綺麗になった、と感じた。

 一夏の流れるような細い黒髪は、手入れをされているのか綺麗な天使の輪を描き、長い黒髪はポニーテールという髪型で結われていた。身長は長身といえる箒の180センチよりも30センチほど低いため、150センチほどだと思われる。顔立ちは、長いまつげ、ぱっちりとした瞳、小さな鼻、ふっくらとした唇と各部位は整っている。また、黒いニーソックスに包まれた足は適度に細く、ニーソックスとスカートの絶対領域から見える太ももは黒とコントラストを描くような白さである。さらに、スカートと上着の境目である腰は、男の箒からしてみれば、折れてしまいそうなほど細い。しかし、その上にある胸部は、腰や足の細さとは対極を成すように見事な双丘である。少なくとも箒が今まで見てきた同年代の女性の中では一番大きいだろう。つまり、客観的な評価をもってしても、彼の幼馴染である織斑一夏は、美少女であると断定できた。

 だからこそ何を話していいのか分からない。ただでさえ、篠ノ之箒という男は口下手なのだ。彼女の成長した姿を視界に納めた途端、フラッシュバックのようにぶり返した幼い頃の恋心がさらに拍車をかける。現に、ここに来るまでの間、箒が話した言葉は、一夏に請われて屋上を案内する際の「こっちだ」という言葉だけだ。

 屋上のフェンスの傍で背伸びをしている一夏を箒はそれを数歩下がった芝生の上で、彼女にどんな風に話せばいいのだろう? と考えながら、彼女を見ていた。しかし、箒の考えがまとまる前に、不意に一夏がスカートの丈を翻し、振り返った。今までは、背中を見ていたが、彼女の瞳が真正面から箒を捉えた。同時に彼女が浮かべる笑みに反応して、どくん、と箒の心臓が大きく高鳴った。

「箒、久しぶり。6年ぶり……だよね。元気だった?」

「ああ」

 ああ、どうして、自分はこうも口下手なのだろうか、と生まれて初めて、自分の性格を恨んだ。せめて、一夏の様子も尋ねるべきだったのだ。これでは会話が全然繋がらない。

 表面上の表情はまったく変えず、内心で自分の口下手振りを後悔している箒。そんな箒を尻目に一夏は、くすっ、と笑った。

「相変わらずだね。その話し方も。なんだか懐かしいよ」

「そうか」

 幼い頃から自分はこうだっただろうか? と記憶を探ってみる。確かに、一夏の言うとおりだったような気もする。すべては、剣術の師匠である母親を真似てのことだ。箒の母親は、言葉少なだった。言葉よりも行動ですべてを示す。そんな母親だった。代わりに話すことは、すべて箒の兄が持っていったと箒は思うのだが。

「あ、そういえば」

「なんだ?」

「剣道の全国大会、優勝したんだってね。おめでとうっ!」

 まるで、我がことの様に満面の笑みを浮かべて喜んでくれる一夏。離れていた一夏が、箒のことを覚えていてくれて、箒の名前を気にしてくれて、剣道の全国大会で優勝したことを祝ってくれて、箒は、嬉しくて、しかし、それ以上に気恥ずかしくて、顔が赤くなるのが分かり、その表情を隠すために箒は、一夏から視線を逸らしていた。

「な、何で知ってるんだ?」

「え? 新聞に載ってたよ。それに写真ですぐに分かった。うん、まだ使っててくれたんだね。それ」

 一夏が指差したのは、箒のうなじの辺りで結われている髪の部分。そこは、蒼いスカーフのような布でリボンのように結われていた。一夏は、それを懐かしい瞳で見ていた。箒も理由は分かっている。蒼いリボンは、一夏が箒にプレゼントしたものだからだ。

「でも、最初見たときは、驚いたな。箒、最後に見たときよりも随分かっこよくなったね」

 まるで悪戯っ子のように笑う一夏。だが、彼女のそんな態度も、先ほどの言葉を前にしてみれば些事に等しい。箒の中でただただ、一夏から言われた「かっこよくなった」という言葉がリフレインされていた。正確には、一夏の一言で箒は舞い上がっていた。

 しかし、それも短い時間だ。箒が、褒められたのだから、自分も一夏を褒めなければならない。なにより、場の空気は、半ば冗談めいたものを含んでいるため、箒からしてみれば、絶好の機会だ。だから、箒は意を決して、口を開く。

「一夏も、その……見違えるぐらいき―――」

 綺麗になった、とは続けられなかった。時とは無情である。箒の一言をかき消すように休み時間の終了を告げる予鈴が鳴るのだから。後、5分後には三時間目の授業が始まってしまう。

 ―――む、無念。

 早く戻りましょうよ、と屋上の出入り口で一夏に呼ばれなければ、箒は、おそらく芝生の上で膝を折っていただろう。女性を褒めた経験がない箒からしてみれば、崖の上から飛び降りるほどの決意を折られたのだから仕方ない。箒にとっては、それほどのショックだったのだ。しかも、彼の性格を考えれば、一夏にそのような事が言えるタイミングが次にいつ訪れるか分からないのだから。



  ◇  ◇  ◇



「ふぅ」

 三時間目と四時間目の休み時間が終わった後、織斑一夏は大きくため息を吐いた。先ほどまでの授業では一時も気が抜けなかったからだ。

 IS学園における至上目的は、何か? 簡単だ。その学園に通う学生を一端のIS操縦者にすることである。つまり、通常授業以外にISに関する授業が山のようにある。例えば、国語や数学ならば、一夏も今までの蓄えがあるため、一時も気が抜けないということはない。しかし、ISに関する授業は別だ。

 ISに関する資料は、一夏も入学前の資料で必読と書かれた電話帳並の本を読んだ。女子とは基本的に群れる生き物である。いや、人であれば誰でも群れるものであるが、女子は特にグループでの結びつきが強いというべきか。一夏もその辺の女子の怖さは中学生のときに学んでいる。だから、一夏は、IS学園でグループで一人にならないように、IS学園で一番話題になるであろうISについて勉強しておくべきか、と分厚い本と辞書と格闘しながら電話帳の教科書を読破した。

 もっとも、よくよく考えれば、女子は一夏一人なので、その努力は、女の子のグループをつくるため、という目的から考えれば、無駄な努力だったのだが。しかし、それがなければ、今日の授業はついていくことは不可能だっただろう。いや、単語の意味すら理解することはできなかったはずだ。一応、勉強した今でさえ、何度も真耶先生に質問したというのに。

 しかし、本当に恐ろしいのは、男だけのクラスメイトかもしれない。彼らは、授業に対して一夏のように何度も質問することはなく、淡々と頷きながらノートに真耶先生の言うことを収めていたのだから。つまり、彼らは今日行われた授業程度のことであれば、既に理解しているのだ。

 ―――はぁ、わたし大丈夫かな?

 IS学園に通う学生は言うまでもなくエリートだ。なにせ国の代表、国防の要なのだから。競争倍率だって1万倍を超えるとも言われている。当たり前だ。他の高校のように学区ではなく、全世界区なのだから。彼らは、その戦いを制した勝者なのだ。当然、幼い頃からISについては勉強だってしているだろう。

 そんな中、一人、女性というだけで入学した一夏。男の環境の中で学ぶことは覚悟したとはいえ、さらに一段上の覚悟が必要そうだった。

 ―――とりあえず、予習と復習は必須ね。

 この環境の中、精神的にも体力的にも疲れてしまうだろうが、この学園にいる以上は、ISについては最優先事項なのだ。仕方ないだろう。何より、強制的とはいえ、この環境の中で学園に通うことは覚悟してきたのだ。今更、その覚悟に嘘はつけなかった。

「ちょっと、いいだろうか?」

 ふん、と気合を入れた一夏に話しかけてくる声。男子から話しかけられるのは、もしかすると初めてかもしれない、と思いながら一夏が振り返ると、そこには、鮮やかな金髪をした美形が立っていた。

 白人特有のブルーのやや吊り目の瞳が、身長の関係からやや見下すような形で一夏を見ていた。

「聞こえているのか?」

「あ、うん。どういう用件かしら?」

 まるで、幼い少女が思い浮かべるような王子様のような容姿と気品溢れる雰囲気に思わず思考回路が停止してしまっていたが、再び声をかけられて正気に戻った一夏は慌てて返事をする。しかし、その返事は王子様(仮)には気に食わなかったのだろうか、やや不愉快なものを見たように眉をひそめた。

「なんだ? その返事は。俺に話しかけられるだけでも光栄なことなんだから、それ相応の態度があるだろう」

 まるっきりこちらを見下したような態度だ。自分を知っていなければおかしいとでも言うような態度。自尊心に溢れるのは言いのだが、このような尊大な態度を取る男を一夏は好きではなかった。

「残念ね。わたし、貴方のことなんて知らないわ」

 そのため、自然と返事は棘のあるものになる。もしも、ここが普通の共学の高校であれば、これだけの美形相手であれば、違った対応もあったかもしれないが、ここは、孤立無援のIS学園。過去の中学校のように、相手の向こう側に見える女子に遠慮する必要はどこにもなかった。

 しかし、その一夏の対応は、王子様(仮)からしてみれば、予想外で、かなり気に入らなかったものだったらしい。吊り目を細めて、一夏を見下すような口調で言葉を続ける。

「俺を知らない? このセシル・オルコットを? イギリス代表候補にして、入試主席のこの俺をか!?」

 なるほど、それはエリートであり、自分で言うほどのことはある、と一夏は、内心思った。代表候補という言葉は知っている。電話帳の教科書に書いていたからだ。

 それぞれの国には、IS搭乗者に代表が存在する。彼らが、ISの国際大会へ出場し、世界最強を決める。代表候補とは、文字通り国の代表の候補生である。しかも、入試倍率1万倍の主席という。確かに、彼を知らない一夏のほうが異端なのかもしれないが、そもそも、ココに来るまで自分のことで手一杯だったのだ。他人のことを気にする余裕などなかった。そのくらいは、大目に見て欲しいものである。

 しかし、そんな一夏の内心を知らないセシルは、無言の一夏を自分の評価を改めていると判断したのか、先ほどよりもやや上機嫌になりながら、自分をたたえるように両手を広げて、演説を続ける。

「本来、俺のような選ばれた人間と同じクラスになれた幸運をむせび泣くべきところなのだぞ。もう少し、現実を理解したらどうだ?」

「そうね、幸運ね」

 微塵もそう思っていない。むしろ、逆のことを思っていそうな口調で一夏は、セシルの戯言を受け流すように言う。こういう手合いは、適当に褒めて、適当に受け流すのが一番だと一夏は経験からよく知っている。

 しかし、周りに女子がいないためか、多少綻びが出てしまったのだろう。僅かににじみ出た嫌悪の感情をセシルは感じ取ったのだろう。先ほどやや持ち上がった気分が、一度、自分を見直していると思っていた分、急激に落下したように落ちていた。

「貴様、俺を馬鹿にしてるのか?」

「そんなことないわよ」

 セシルに自分の感情を感じ取られたことを理解した一夏は、慌てて取り繕って、誤魔化すように微笑むが、時既に遅し。一度、感じ取られた感情を払拭するまでは至らなかった。

「大体、先ほどの授業もろくに理解できないような馬鹿が、よくこの学園に入学できたな。唯一、女でもISを動かせると聞いて、少しは他の馬鹿女どもとは違うと、少しは期待したのだがな」

 勝手に期待して、勝手に失望するな、と一夏は言いたかったが、これ以上言うと、お互いに言い合いになってしまい、収拾がつかなくなると判断した一夏は、セシルに対して何も言わなかった。

「ふん、だが、俺は優秀だからな。貴様のような女にも大きな慈悲の心でもって、優しくしてやるがな」

 そんな態度で、慈悲も優しさもあると思っているのだろうか? 心の底から思っているとすれば、彼は、手のつけようがない馬鹿者だと一夏は思う。

「ISのことで分からないことであれば、俺に聞くといい。泣いて頼むのであれば、教えてやってもいいぞ。何せ、俺はこの学園で唯一教官を倒したエリートの中のエリートだからな」

 唯一を強調するセシル。確かにIS学園の教師は、IS操縦者となる学生を教えるのだ。一夏の兄である千冬のように生半可な腕ではないだろう。しかし、教官を倒した、という事実であれば、一夏にも思い当たる節がある。

「入試の教官との戦闘なら、わたしも倒したわよ」

 果たして、あれが倒したといって良いのか若干の謎だが。なにせ、ISに搭乗した一夏を見るや否や教官が気絶してしまったのだから仕方ない。よくよく考えれば、あれは戦ったといえるのだろうか。

 悩んでいる一夏を余所に、セシルは、一夏の一言に整った顔を崩して、目を見開いて驚いていた。

「な、な、なんだと? 教官を倒したのは、俺一人だと聞いたぞ」

「男子の中では、ってオチじゃないかしら?」

 いや、本当は一夏にも分かっている。本当に戦って教官を倒したのは、おそらくセシルだけである。一夏のあれは、倒したうちには入らないだろう。しかし、先ほどまで尊大不遜の態度が崩れたかと思うと正直に真実を話す気にはならなかった。

「そ、そんなはずはないっ! 俺だけのはずだ。本当に貴様は教官を倒したのか?」

「ええ、たぶん」

「たぶんっ!? たぶんとはどういう意味だっ!?」

 教官を倒した唯一の学生というのは、彼のエリート意識を支える重要な柱の一本だったのか、やけにしつこく聞いてくる。しかも、興奮しているのか、無意識のうちに一夏に顔を近づけてくる。これで、彼のように顔立ちが整っている美形でなければひっぱたいているところだ。

「お、落ち着きなさいよ」

「俺は十分落ち着いているっ!!」

 ―――いや、それは嘘でしょう?

 思わず言いそうになったが、もしも、言ってしまえば、さらに彼を興奮させるだけだと思い、黙っておく。しかし、どうやって、彼を落ち着かせよう、と頭を捻っているところで、彼女は外的要因に救われた。すなわち、四時間目の始まりを告げるチャイムだ。ちなみに、四時間目の教師は千冬教官である。さすがの自尊心の塊であるといっても過言ではないセシルでも、千冬は怖かったのか、チャイムが鳴ると同時に自分の席に戻っていく。

 次の休み時間に詳細を聞かせろ、という捨て台詞を残して。

 ―――はぁ、昼休み、どうしようかな?

 まだ、授業も始まったばかりなのに、次の昼休みに頭を悩ます一夏だった。



つづく







あとがき
 思ったよりもセシリアの台詞を男性用に変換するとむかつく事が判明しました。
 後、タイトル募集中。いつまでも『全員性別反転作品』では、格好がつかないので。



[25868] 第三話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/09 00:27



 厄介なことになった、と織斑一夏は、一番前の席に座りながら頭を抱えていた。

 理由は、四時間目の開始直後から話題にされているクラス長に一夏の名前が挙がっているからだ。最初に誰が言い出したのか分からない。しかし、誰かの「織斑さんがいいんじゃないか?」という発言から、ワイワイと話題は広がり、一夏で決まったと思ったのか、一夏がまだ名前も覚えていない男子が一夏を推薦してしまった。しかも、クラスの空気的に一夏がクラス長であることは決定事項になりつつあった。

 一夏とて、クラス長が嫌なわけではない。通常の環境であれば、だが。ただでさえ、周りが男子ばかりで気疲れが多いのに、逸れに加えてクラス長という仕事まで抱え込んでしまったら、より大変になることは目に見えている。自分が周りよりも遅れていることをつい先ほどの授業で自覚したばかりだというのに。

「他に自薦、他薦はないか? いないなら無投票当選だぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよっ! 本当にわたしでいいの?」

 セシル・オルコットの話ではないが、先ほどの授業で一夏が分からないところを聞いていたのを彼らは知っているはずだ。そんな彼女をクラス長に選んで良いのか。しかも、普通の学校のようにクラスのお世話係のようなクラス長なら百歩譲って承諾することも考えただろう。IS学園で目立っていることに自覚はあるのだから。しかし、クラス長は、強制的に再来週行われるクラス別対抗戦に出なければならないのだ。

 一夏が、彼らに問いかけた理由は、自らの知識不足を自覚している部分もあったからだろう。こんな、わたしがクラス代表になっていいのか? と問いかけたに過ぎない。一夏は、彼らが思いなおしてくれることを期待した。しかし、クラスメイトの男子達の反応はむしろ逆だった。

「う~ん、クラス代表戦だろう? 俺たちもISに乗ったことないから誰が出て同じだろう」
「それなら、やっぱり華があるほういいよなぁ」
「女子がいるのは僕たちのクラスだけだしね。クラスをアピールするなら、織斑さんが出るのが一番だよね」
「そうだよな~、他のクラスの奴らからも頼まれたし」
「お前もかよ」

 ワイワイ、ガヤガヤと話し始める一夏。議論のために一石を投じることには成功していたが、どうやら、その効果は、むしろ逆の方向性で発揮されてしまったようだ。そもそも、彼らもISに関する知識があるとはいえ、ISに乗った事があるはずもない。ISは、今の世で最強の兵器なのだ。そう簡単に乗れるようでは問題がある。ゆえに、彼らもISに乗るのはこの学園が初めてなのだ。

 ―――若干、1名を除いて。

「ちょっと待ったっ! 俺は納得いかないぞっ!!」

 憤りに身を任せたのか、ドンッと机を叩きながら勢いよく立ち上がる男子が一人。一夏は、その金髪と整った顔立ちには見覚えがあった。忘れられるはずもない。あれほど、悪い意味で印象に残る人もいない。たとえ、気品があり、王子様と思うような顔立ちだったとしても、だ。

 そんな一夏の内心を知らず、立ち上がった男子―――セシル・オルコットは自分を見せ付けるように大きく身振り手振りで演説を始めた。

「このような選出が認められるかっ! 大体、女がクラス代表など、いい恥さらしだっ! 俺に、このセシル・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえというのかっ!?」

 一夏のクラス代表が認められないという一夏が望んだ意見だったはずなのに、どこか釈然としないものを感じるのはなぜだろうか。周りの男子も、何言ってるんだ? こいつ、という表情でセシルを見ている。しかし、鈍いのか、あるいは、自分の世界に没頭しているのか、セシルがその視線に気づくことなく、さらに気分が高揚したのか、さらに演説を続ける。

「実力から言えば、このイギリス代表候補生たる俺がクラス代表になるのは自明の理っ! それを、ただ物珍しいからという理由だけで、そんな馬鹿女に任されては、俺まで馬鹿に思われてしまうではないかっ! 俺がわざわざこんな島国まで来たのはIS技術の修練に来たのであって、サーカスをする気は毛頭ないっ!」

 イギリスだって、島国じゃないのか? という不特定多数の心の中のツッコミを無視してセシルは続ける。

「いいかっ! クラス代表とは実力トップが就任するべきであり、そして、それはこのセシル・オルコットを除いて他にいないっ!」

 一夏は、クラス代表に積極的になろうとは思っていなかった。それは、面倒だから、というよりも、本当に自分がなってもいいのか? という疑問があったからだ。確かに、空気的に断わりにくい雰囲気があったが、空気に流されるだけでは後で痛い目を見るというのは、女子の中では日常茶飯事だ。

 だから、セシルが言うクラスの実力者がなるべきだという部分には少なくとも肯定しても良いが、彼の言い方が、態度が一夏には癪に触る。自信満々なのはいい。それは性格だから。しかし、そこまでコケにされて、分かりました、あなたがクラス長です、と快く快諾できるわけもなかった。

 そんな一夏の内心にまったく気づかないセシルは興奮冷めやらぬ―――いや、誰もが自分の意見を肯定していると信じて疑わないというような様子でさらに怒涛の剣幕で言葉を続ける。

「大体、文化としても後進的なこの国で暮らすこと自体、俺にとっては耐え難い苦痛で―――」

 セシルの言葉に、ギリギリを保っていた一夏の堪忍袋の尾が切れた。他人の祖国を悪く言うのは嫌いだ。故郷が嫌いな人間など極僅かだろうから。少なくとも一夏は、自分が育った日本が好きだった。確かに辛いこともたくさんだった。しかし、それでも、織斑一夏は、確かにこの国が好きだと胸を張って言うことができた。だから、自分の国を悪く言うセシルにカチンときても変な話ではない。

「イギリスだって大したことないじゃない。自慢できるのは、世界一おいしくない料理ぐらいかしら?」

「なっ……っ!?」

 気持ちよく演説していたセシルの言葉が停まった。一夏は、趣味がお菓子作りというだけあって、様々な国のお菓子を調べる事がある。だからこそ、イギリスの料理の雑さは知っていた。ただでさえ、日本は、食に関することしか本気を出さないというほど食には自信がある国だ。だからこそ、イギリスの雑さはよほど目に付いた。

「き、貴様はっ! 女のくせに我が祖国を侮辱するのかっ!!」

「最初に侮辱したのはどちらかしらっ!?」

 自分が言ったことも棚に上げて、憤るセシルに一夏も腹が立ち、セシルと同じ立ち居地に立つために椅子から立ち上がる。もっとも、それでもさすがに男のセシルからは、見下されるような形になってしまうが。一夏の身長が153センチであることを考えれば、セシルの身長は175センチぐらいだろうか。

「決闘だっ!!」

 事実を指摘されたのが悔しいのか、あるいは、言い返された事が悔しいのか、自らの憤りを叩きつけるようにバンッと机を叩くセシル。周囲の男子が驚いたようにびくっ! と体を震わせたが、幸いにして一夏からは席が離れていたため、あまり影響はなかった。

 しかし、内心、一夏はこの展開に驚いた。どこをどうやれば、決闘という流れになるのか分からなかったからだ。男子は、揉め事に短絡的な解決方法に持っていくのだろうか? とこんな風に男子と言い争いをした事がない一夏は思った。もっとも、女子のように延々と引きずるよりも幾分かましかもしれないが。

「受けて立つわ」

 おお、というようなクラス全体が揺れる。セシルも一夏が決闘を受けた瞬間に笑った。それが嘲笑の笑みか、あるいは、勝利を確信した笑みなのか。しかし、そうは問屋が許さない。

「でも、まさか、女のわたし相手に殴り合いなんて手段を選んだりしないでしょうね」

 憤っているのはこちらも同じなのだ。相手が決闘というのであれば、受けて立つぐらいの気概はある。しかし、決闘だからといって、殴る蹴るなどの格闘技を持ち込まれては不利―――というよりも、勝ち目がない。それは、男女という性差である。しかも、彼らは将来軍人になるかもしれない人間なのだ。当然、常人よりも鍛えているのは、制服の上からでも分かる。そんなセシルに真正面から挑むような真似ができるわけもなかった。

 しかし、セシルは、決闘といった時点で、一夏が拒否したような条件での決闘を考えていたのか、一夏が決闘を受けた瞬間は、馬鹿な女だ、というような笑みを浮かべていたが、一夏が条件を出すと突然うろたえだした。しかも、周りの空気は一夏の味方が大勢だ。

 偉そうな男と美少女のどちらに味方するか、と聞かれれば、男ならば当然、後者だろう。セシルにもまさか、そんな手段選ばないよな? というような監視するような視線が纏わりついている。

「……当然だろう。もっとも、決闘の内容は、受けた側が決めるものだ」

 おそらく何も思いつかなかったのだろう。決闘の内容を一夏に丸投げするセシル。一夏の位置からは見えないが、おそらく、セシルの背中は冷や汗がたくさん流れていることだろう。もっとも、この流れは一夏が望んだものだ。真正面から挑んでは不利、だからといって、相手に決めさせて相手の土俵に乗るのも不利。だからこそ、こうしてクラスの雰囲気を利用させてもらった。

「そう? じゃあ、わたしが決めるわね」

 う~ん、と少し目を瞑って考える振りをする一夏。実は、どんな内容で勝負するかは既に決まっていた。しかし、すぐに提案したのでは、最初から考えていた事が分かってしまう。それでは不味い。一夏が演出するのはあくまで、尊大な男に決闘を申し込まれ、果敢にも立ち向かう女の子なのだから。決して、騙して自分の土俵にもって行く狡猾な女の子ではないのだ。

「そうね……料理対決はどう?」

 まるで、今思いつきました、といわんばかりに勝負の内容を口にする一夏。しかし、それに納得できないのは、一夏の提案した内容に驚愕という表情のセシルだ。

「なっ! 貴様っ! 卑怯だぞっ! 料理は貴様の得意とするところ。それを決闘に持ってくるなど……」

「決闘の内容をわたしに決めさせたのはあなたよ。そもそも、最初にあなたが怒ったのは、自国の料理が世界おいしくないと馬鹿にされたからでしょうに。なら、この決闘で汚名を返上すればいいわ」

 ぐっ、と苦虫でも噛み潰したような表情をするセシル。一夏がセシルの演説の途中でイギリスについて料理のことを口にしたのは、偶然だが、今はこの偶然に感謝した。ただ、決闘の内容を料理にするよりも、自分が得意だからという理由だけで決闘の内容を選んだわけではないということを印象付けられれば言いのだ。もちろん、自分の得意分野に持ってくる事が目的だったわけだが。

「そうね。決闘の内容は、お互いの料理をこのクラスの皆に食べてもらって審査しましょう。過半数を獲得した方が勝ちよ」

 おぉぉぉっ! と先ほど一夏が決闘を受けたときよりも教室が沸く。むろん、彼らが望んでいるのは一夏の手料理―――というよりも、女の子の手料理というべきだろうか。しかし、一夏にとってはそれで十分だった。決闘に勝つための条件は十分に揃ったのだから。

「どうかしら?」

 もはや勝者の笑みで一夏はセシルに話しかける。セシルも周りの空気が分かっているのだろう。断われば、コロスとでも言うような空気を。これで、セシルは一夏の提案を断わる事ができない。いや、そもそも、自分の仕掛けた決闘で、逃げる事は彼の高すぎるプライドが許さないだろう。

 ―――あっけないわね。

 そう、一夏からしてみれば、実にあっけない幕切れだ。彼らがもしも、女だったら、女の子の世界で生きていけるとは思わない。決闘まではいかないが、似たようなやり取りは日常茶飯事だ。そもそも、相手が女の子ならば、一夏に条件を丸投げするような真似はしない。ギリギリまで条件を突きつけてくるだろう。一夏に丸投げした時点でセシルの負けは決まっているようなものなのだ。

「文句はないようね」

 ぐぎぎぎ、と歯軋りでもしそうな表情で一夏を睨むセシル。しかし、それはただの強がりだ。今の彼の状況は袋小路に追い込まれ、追っ手は、ISによる完全武装とでも言うような状況なのだから。だから、一夏も笑みを崩さないし、セシルも睨みつけることしかできない。しかし、そんな状況が長く続くとは思わない。せめてもの意地なのだろうか。受けるときぐらいは堂々とでも言うつもりなのだろうか。セシルは胸を張り、許諾の言葉を口に―――しようとした瞬間、別の場所から横槍が入った。

「大有りだ。馬鹿者」

 ポコンと一夏の頭を叩かれる。別段痛いものではなかったが、それでも不意打ちに近い状態だ。驚いて、後ろを見てみると。先ほどまで静観していた千冬先生が、一夏の後ろに立っていた。

「ここは、どこだ? ここは、IS学園だぞ。ISのための学園だ。そこで、決闘の内容が、料理? そんなことが許されると思っているのか?」

 それは、暗に言えば、決闘の内容を決められたも同じだった。ぶ~、ぶ~、とブーイングで埋め尽くされる教室だが、それを千冬先生は、一睨みするだけで押さえてしまった。教室全体を一睨みし、静かになった教室を確認すると千冬先生は、コホンと空気を変えるように咳払いし、口を開いた。

「よかろう。織斑一夏、およびセシル・オルコットをクラス長の立候補と認める。また、クラス長の選出方法は、ISによる模擬戦闘とする」

「「っ!?」」

 先ほどの千冬先生の言葉から予想できていたとはいえ、さすがに正式に決められると衝撃を受ける。特に張本人である一夏とセシルからしてみれば、その衝撃は大きい。セシルは地獄から天国、一夏は天国から地獄といった感じだろうか。

「もちろん、オルコット側には制限をかけさせてもらう。シールドエネルギー半減、および兵装の制限だ」

 いいな? という確認を視線で取る千冬先生。

「もちろんでありますっ! 織斑教官っ!」

 先ほどの勝ち目のない地獄から比べれば、それしきのハンデ、セシルからしてみれば、ないに等しいのだろう。返事をする声は、嬉々としていた。

 ISのHPともいえるシールドエネルギーが半分。および、兵装の制限。ハンデとしては妥当なのだろうか。初心者と国家代表候補との力の差というのは、その程度なのだろうか。一夏の頭の中に疑問が浮かぶ。しかしながら、一夏にはその妥当性が分からなかった。なにより、ISを教える千冬を初心者の一夏が妥当な制限になるように説得できるとは思えない。

 だから―――

「織斑もいいな?」

「はい……」

 千冬先生の確認に唯々諾々と頷くことしかできない。

「よろしい。それでは、勝負は一週間後の第三アリーナで行う。織斑、オルコットの両名はそれまでに準備をしておくように」

 ――― 一週間で一体何ができるんだろう?

 そんな風に頭の中で考えながら、一夏は四時間目の千冬先生の授業を聞きながら、頭の中で必死に考えるのだった。




つづく








あとがき
 性別の違いが、ここまでうざさを生むとは想像できただろうか?
 タイトル候補 『ISで乙女ゲー』『IS/TS』『織斑一夏は誰の嫁?』『IS SOT』『Infinite Lithosphere(インフィニット リソスフィア)』
 まだまだ、募集中



[25868] 第四話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/23 00:21



 はぁ、と織斑一夏は放課後のHRが終わると同時にこっそりと大きく息を吐いた。ようやく、終わった、と思うと一息つきたくなるのも無理のないことだ。何より、一夏は色々と疲れていた。

 まず、授業が難しい。専門用語が羅列されるIS関連の授業。つい数週間前までは、ISとはまったく関係のなかった女の子だっただけに、にわか仕込みの知識では授業においていかれないようにするのが精一杯だった。

 しかし、授業だけならため息を吐きたくなるほど疲れることはなかっただろう。さらに疲れる要因としては、この環境だ。周りに男子しかいない環境。学園の中で唯一の女子というだけでも、緑の草むらの中に赤いざくろが咲いているようなものなのに、一夏は贔屓目なしに見たとしても美少女と言って過言ではない容姿をしており、スタイルも一部に目を引かれるほど整っている。それがまた無駄に誘蛾灯のように男子をひきつける。

 休み時間のたびに他のクラス、他の学年から一夏を見るために廊下に、教室に男子がやってくるのだ。

 一夏は、誰でもわかるが、女の子である。女の子が異性からの視線を気にするのは、至極当然のことである。もしも、女の子が他にいるならば、気を抜く瞬間もあっただろうが、ここには一夏一人だけだ。一瞬たりとも気が抜ける瞬間がなかった。

 ならば、長い休み時間である昼休みは、というと、これも似たような状況で、気を抜くことなどできなかった。

 一夏は本来、弁当を自分で作る派だった。しかし、ここ数日は、引越しのため忙しかったし、今日も入学式ということだけあって、早めに準備したため、昼食を用意するような時間はなかった。だから、仕方なく学食を利用したのだが、これもある種の地獄だった。

 一夏が学食に行く事が分かったのか、クラスからぞろぞろと一夏の後ろからついてくるクラスメイト達。気分はまるでハーメルンの笛吹き男のようである。もっとも、連れ去るのはネズミでも子どもでもなく、軍隊を目指すような男たちではあるが。

 学食についてからも、いや、学食についてからのほうが一夏の注目度はより高まった。学食はIS学園に一箇所しかない。そのため、全学年が同じ場所に会するのだ。本来、IS学園で見ることがない女子が、しかも、IS学園の制服を着ていれば目立たないはずはなかった。

 災難は、それだけでは終わらない。

 一夏が学食の中を移動すれば、モーゼのように男子の波が割れ、学食がほぼ満席の中、一夏がようやく空いている席を見つけて座れば、そこから半径5メートル以内に座っていた男子は、席を移動し、一夏の周囲に空白地帯が生まれる。しかし、男子の視線は四方八方からそそがれる。

 おかげで、一夏はほぼ食事の味も分からず、食べ方一つにも注意して食べなければならなかった。しかも、学食の定食は、男性用―――しかも、食欲旺盛な高校生男子―――に作られていたのだろう。女の子の一夏にはとても食べきれるはずもなく、出てきたおかずのうち数品を残す羽目になってしまった。

 家計を預かる一夏としては許されざる暴挙だが、今回だけは許してもらおうと思った。なにより、あの量を全部食べてしまえば、太ってしまう。いつだって、女の子の敵は体重計なのだ。

 さて、そんな風に一日中、男子達の監視のような視線に晒されている一夏だが、それは放課後になった今も変わらない。遠巻きに一夏を見る視線は、昼休みよりも増えているような気がする。

 はぁ、と小さく内心でため息を吐くと、この状況を妥協することにした。今は、IS学園で珍しい女子が入ってきたことで上野動物園のパンダのような状況なのだと。今は、珍しいから目立っているだけで、すぐに目立たなくなる、と一夏は自分にそう言い聞かせた。

 用事もないのに教室に残っている男子達は、一夏のほうを見ながら何か小声で話している。内容が気にならないといえば、嘘になる。しかし、小声で内緒話をされて気分がいいものでもない。

 だから、一夏はこの場所を早く立ち去ることにした。どうせ、別の場所に用事があることだし。

 鞄を手に持った一夏は、教室の出口に向かって颯爽と歩き出す。ポニーテールにした髪が揺れ、この学園で唯一のスカートを揺らしながら、教室の出口へ向かう一夏。そんな彼女にありったけの勇気を振り絞ったのか、偶然、出口の近くに座っていた男子が意を決したような表情のまま口を開いた。

「お、織斑さん、また明日っ!」

「ええ、また明日」

 多少上ずった声で、やや緊張の色も含んでいたが、一夏はそのことには触れず、笑みを浮かべて極自然にやや会釈をして、挨拶を返した。

 返事がもらえるとは思っていなかったのだろう。あるいは、一夏の笑みに当てられたのか、呆然としている男子に気づかないまま、一夏は多数の視線に囲まれながら、教室を後にした。



  ◇  ◇  ◇



「それで、わたしはどうすればいいと思いますか? 織斑先生」

 教室を後にした一夏は、入学式の前に渡された地図を片手に職員室まで来ていた。

 最初、職員室に入った一夏は、驚いた。いくらIS学園がISを教えるための学園とはいえ、教師まで全員が男性とは思わなかったからだ。職員室の中であっても一人だけ性別が異なる一夏は、職員室であろうとも非常に目立った。

 もっとも、さすがに、大人の男性だけあって、職員室に入室した直後は視線を集めてしまったが、すぐに興味をなくしたのか、一夏が教室で感じたような視線はほとんどなくなっていた。それをありがたく思いながら、目的の人物を探し出した一夏は、彼の元へと歩み寄り、先ほどの言葉を口にしたわけだ。

「何を言っているんだ? おまえは」

「いえ、ですから、一週間後のことですよ」

 あ~、なるほど、とでも言うように一夏の兄である千冬先生は、ようやく合点がいったような声を出していた。さすがに一夏の言葉だけでは、意味が不明だった様だ。

 ちなみに、一夏が今も実兄である千冬に敬語で話しかけているのは、ここが職員室であるということも起因している。いくら兄妹とはいえ、職員室で立場的には教師と教え子がタメ口で話しているというのは、外聞が悪いし、兄の評価にも繋がるだろう、という気遣いからだ。

 一夏のISに関する知識はまだまだ付け焼刃だ。だからこそ、何をやっていいのか分からない。そもそも、ISを操縦するという目的の授業は、これからであり、いきなり一週間後にISを使った模擬戦といわれても無茶である。一週間の授業だけで模擬戦ができるような腕前になるようであれば、IS学園などいらないだろう。

 一夏がセシルにISで適わないことぐらいは、分かっている。ISの腕前とは基本的には搭乗時間に比例する。もちろん、ISとの相性も関係してくるだろうが、あのような態度であろうとも国家代表候補なのだ。ISとの相性が悪いとは到底考えにくい。

 ISの搭乗時間に関して言えば、一夏は十五分程度であり、セシルは国家代表候補である以上、かなりの時間をISに搭乗していることは容易に想像できる。今日から一週間、毎日ISに乗ったとしてもセシルの搭乗時間に追いつくのは不可能だろう。

 だが、簡単に負けたいとは思わない。一夏は自分がそれなりに穏やかな性格だとは思っているが、その一夏をして堪忍袋の尾を切らせるようなやつなのだ。セシル・オルコットという男は。負けるにしても一矢報いたい気持ちが一夏にはあった。

 しかし、独学では、到底不可能だ、と授業の合間に結論付けた一夏は、こうしてISの操縦に関しては、おそらく世界で一番詳しいであろう実兄の千冬に相談に来たのだ。

「お前は、オルコットに勝てると思っているのか?」

「勝てないと思います。でも、負けるのが当然だから、という理由で何もしないのは嫌です。せめて一矢ぐらい報いたいじゃないですか。それに―――」

 そこで、何かを思い出すように一呼吸おいて、一夏は続きを口にした。

「女ってだけで、馬鹿にしたあの男の鼻を明かしてやりたいと思いまして」

 そう、クラス長に一夏が推薦されたとき、セシルは、一言たりとも一夏の名前を呼ぶことはなかった。もしも、一夏本人を馬鹿にしているならまだ、納得できる。しかし、彼の言い方は、『女が』『女のくせに』だった。まるで、すべての女性を見下すような言い方に一夏は頭に来ていた。

 しかし、悲しいかな。彼にISで対抗するための女性は、今のところ一夏しかいないのだ。ここで一夏があっけなく当然のように負けてしまえば、彼の女性に対する認識は変わらないだろう。だから、勝てないまでも、せめて無様に負けることは許されないのだ。すべての女性の威信を守るために。

 などと格好いいことを考えてみるが、単に一夏が、女という性別だけで馬鹿にするセシルが許せないだけなのだが。

 一方、千冬は、一夏の言い分を聞くとにっ、と笑っていた。

「なるほどな。お前の心意気は分かった。いいだろう、えこひいきはできんが、教師として協力できる部分は協力してやろう」

 千冬の返事に、一夏は心の中でよしっ、とガッツポーズを取った。千冬の協力を得られたことは大きい。なぜなら、千冬は、ISの国際大会において、日本代表として出場し、総合部門で優勝した覇者なのだ。つまり、ISでの戦闘では、上から数えたほうが早い実力者。その実力者の協力は小さいものではない。

「そうだな、助言としては、基礎体力、知識、それと相手の詳細だな」

「基礎体力と知識とあの男の詳細……ですか?」

 千冬の言葉の意味をよく理解できなかった一夏は、思わずそのまま問い返してしまう。その態度で、理解していないと感じたのだろう。千冬が一つ一つ丁寧に説明してくれた。

 基礎体力。これは言うまでもない。ISは確かに強力な兵器ではあるが、扱うのは人間だ。しかも、ISは人間の手足の延長のように扱うことで動かす事ができるのだ。つまり、ISで戦闘することは、生身で戦闘することと体力的には変わらない。いや、音速に近い速さで戦闘したりすることを考えると体力は生身よりも必要なのかもしれない。

 次に、知識。ISは兵器である。つまり、扱い方がある。今の一夏の状況は、自動車でいうなら、教習所に通い始めたばかりの学生である。ISを扱うためには、アクセルはどこか、ブレーキはどこか、標識の意味は、ギアを変えるタイミングは、などと色々知識不足の部分がある。その状態で車を、ISを動かすことなどできはしない。つまり、ISに関する知識を完璧にすることは急務であった。

 最後に、相手の詳細。本来であれば、自分のISとあわせて見ていくべきなのだろうが、残念ながら、一夏のISは手元にないため、それは不可能である。よって、せめて相手の特徴だけでも掴んでおくべきであるというのが、千冬の言葉であった。もっとも、セシルは専用機持ちなので、詳細を調べることは難しいらしいが。

「まあ、一週間という期間を考えれば、このくらいだろう」

「そう、ですね」

 千冬の言葉に相槌を打ちながら、一夏は、千冬が言った内容を吟味していた。

 基礎体力―――たぶん、問題ないはず。体型維持や体を引き締めるためにジョギングも毎日やってたし。

 知識―――少し不安。でも、一週間あれば、かなり覚えられるはず。

 相手の詳細―――こればかりは不明。でも、少し考えれば、あの男から聞き出すことも可能かも?

 以上が、一夏が結論付けた内容だった。

 あのセシルに勝つことが、厳しいのは最初から分かっている。だが、やるしかない。やるべきこと、やれることは、もう千冬が示してくれたのだから。後は、一週間後、もしも、負けたときに後悔しないように頑張るだけだ。

「ありがとうございました」

「ん、頑張れよ」

 最後の一言だけは、教師としての織斑千冬ではなく、織斑一夏の兄としての織斑千冬の言葉だということがわかって、一夏は少しだけ嬉しかった。ここに素直に応援してくれる唯一の肉親がいることが、無性に嬉しかったのだ。

 さて、応援もしてもらったことだし、早速頑張るぞ、と気合を入れたところで、まるで、その気合を根こそぎ抜いてしまうような声が職員室の中に響いた。

「織斑さ~ん」

 自分の名前を呼ぶのは誰だろう? と振り返ってみると、そこには、大きく手を振りながら、職員室の先生達に埋もれるようにして、少し大きめのスーツを着た、いや、彼の場合、スーツに着られている、という表現がぴったりな一夏のクラスの副担任である山田真耶がようやく飼い主を見つけた子犬のような表情で一夏の方に向かっていた。

「はぁ、よかった。ここにいたんですね。教室にいなかったので、探してたんですよ」

 もしかして、放課後から今まで自分を探してくれていたのだろうか。そう思うと申し訳ない気持ちになる。

「すいません。勝手にいなくなってしまって」

「ああ、いいんですよ。僕が何も言ってなかったのが悪いんですから」

「……そうですか」

 真耶が笑って、あっさりと自分が悪いという真耶に申し訳ないと思ったが、ここで自分が何を言っても真耶は譲らないだろう。だから、一夏は、とりあえず、この場は納得することにした。

「それで、どうかしましたか?」

「あ、そうでした。実は寮の部屋について説明があることを忘れていまして。織斑さん、まだ部屋の鍵も貰ってないでしょう?」

 真耶に言われて一夏は、ようやくその事実に至った。今日は、一日、気が抜けなかったので、そんなことにまで気が回らなかったのだ。

 IS学園は、ISの操縦者を育てる学園だ。そして、IS操縦者というのは国防の要であり、重要人物であることは疑いようがない。そのため、IS操縦者たちを保護するという目的の下、IS学園は全寮制の制度を取っている。もっとも、IS学園は世界規模の学園のため、留学生が自然と多くなり、部屋を確保するのも一苦労するため、という裏話もあるのだが。

 そして、そのIS操縦者達の中でも一夏はさらに特別だ。なぜなら、60億の人類の中で唯一ISを操縦できる女性なのだから。その希少性は、IS学園に存在するどの学生よりも高い。そのため、部屋のセキュリティー等が特殊なものになるため、寮の部屋に関して説明がある、と入学式のときに言われたのを一夏はようやく思い出した。

「すいません、すっかり忘れていました」

「いえいえ、どちらにしても、部屋の前で思い出すでしょうから問題ないですよ。それじゃ、早速行きましょうか」

「あ、はい」

 膳は急げとばかりに、歩き出す真耶。彼を追いかけようと一夏も歩みを進めようとするが、その前にやらねばならない事があった。

「では、織斑先生。また、明日」

「ああ、気をつけて、帰るんだぞ」

 職員室から寮までは、外を出てから50メートル程度しかないのに、気をつけるも何もあったもんじゃないんじゃないだろうか、と思い、兄も心配性だな、と内心で苦笑しながらも、表面上は、「はい」と答えて、一夏は千冬に背を向けた。

 真耶の後を追って、少しだけ小走りに歩いた後、不意に後ろから別れを告げたはずの千冬が背中越しに話しかけてきた。

「ああ、そうだ。お前の幼馴染の篠ノ之がいるだろう。彼と縁がまだ続いているのであれば、彼から剣道を鍛えてもらうといい」

 千冬の言葉があまりに唐突すぎて、意味を解しかねる一夏だったが、千冬が今更意味のないことをいうはずがない、と思い、とりあえず、「分かりました」と答えて、今度こそ本当に千冬は、職員室を後にした。



  ◇  ◇  ◇



 IS学園の寮の一角。本来ならば、男子しかいない寮に唯一存在する女子として、一夏はたくさんの視線に晒されながらも、真耶の先導の下、自分の部屋の前に来ていた。

「はい、ここが織斑さんの部屋です」

「普通の……部屋ですよね?」

 特別なセキュリティーがあるなどと言っていた割には、見た目上は、周りの部屋と変わらない。

「それはそうですよ。ここは、織斑さんが来るから、特別に急ごしらえで改造した部屋なんですから」

 あっけらかんという真耶の言葉に驚く一夏。自分一人のために特別に一室を急ごしらえで改造するとは考えられなかったからだ。しかし、よくよく考えてみれば、一夏のためだけに女子寮を併設するわけにはいかないだろう。なにせ、ISを動かせる女子は世界で一夏しかいないのだから。女子寮を建てるということは、一夏の家を建てるのと変わらない。

 ならば、一室を改造したほうが安上がりになるのは間違いない。

「いいですか、部屋に入るときは、まず、ここに番号を入力します」

 そういうと、真耶は部屋のドア付近の壁に設置されたテンキーのようなものから4桁の数値を入力する。すると、一見、普通の壁のように見えた場所が、急にぱかっ、と開き、中からまるで、プラスチックの画面のようなものが出てきた。

「それで、ここに織斑さんの指を置いてください」

「こう、ですか?」

 とりあえず、言われたとおりにプラスチックの上に親指を置いてみる。すると、親指を置いて数秒後、ガチャっ、という鍵でも開いたような音がドアから聞こえてきた。

「はい、これで、部屋の鍵が開きました」

 どうやら、一夏の考えた音の予想は外れではなかったらしい。

 しかし、ずいぶん厳重だと思う。まず部屋に入るのは4桁のパスワードが必要で、しかも、指紋と静脈認証が必要となっている。どこの機密が詰まった研究所なんだ? と言いたくなる。

「はい、今度は入ってみてください」

 部屋の頑丈さに驚きながらも、一夏は真耶に言われるままにドアを開いて部屋に入る。その後ろから、ドアを開けたまま真耶が部屋に入らず、呆然としている一夏に声をかける。

「どうですか?」

「なんというか……すごいですね」

 一夏が驚いたのも無理はない。なぜなら、そこは、一夏の実家での一夏の部屋よりも広いのだから。壁の埋め込み式のクローゼット、本棚、勉強机、ベット、簡易キッチン。一人暮らしするには十分すぎるほどの設備が揃っていた。ただ、引越しのために持ってきたダンボールが少しだけ無粋だったが。

「元々、ルームシェアすることを前提に作られてますからね」

 なるほど、それならば、部屋の広さにも納得だ。しかし、女性は一夏一人であり、ルームシェアする女性などいないわけで、この部屋は一夏の部屋となっていた。

「部屋に備え付けてある備品は自由に使ってもらって構いません。あ、後、お風呂についてですが、ごめんなさい。本当は、寮には大浴場があるんですけど、織斑さんは、部屋のお風呂で我慢してもらえませんか?」

「え?」

 真耶の言葉にちょっとだけ残念に思う一夏。一夏は、お風呂好きであり、実家にいるときは、一時間でもお風呂に入れるほどのお風呂好きだ。特に広いお風呂は好きであり、温泉などにも目がない。それなのに、大浴場に入れないとは。

「ああ、ごめんなさい。他の皆さんが、男の子でしょう。だから……その、織斑さんが、大浴場に入るとなると色々問題が……」

 おそらく、色々問題の部分は、話したくないのだろう。一夏を誤魔化すようにお茶を濁す形で言う真耶。だが、真耶の気遣いも虚しく、一夏はおおよその理由を理解していた。ここにいるのは思春期の男子だ。そして、一夏は唯一の女子。状況がそろいすぎている。学園側としても、学生を信じてはいるが、問題となる行為が起きる前に芽を潰しておこうということなのだろう。

「分かりました。大浴場に入れないのは残念ですけど、部屋のお風呂で我慢します」

「ありがとうございます」

 本当なら、心配してもらった一夏がお礼を言う場所なのだが、逆にお礼を言われてしまって、一夏はなんだか、申し訳ない気分になってしまった。

「そうですね、気をつけて欲しいのは、この部屋はオートロックになっています。ですから、きちんとドアを閉めてくださいね。また、この部屋に男子を入れるのは厳禁です。もしも、男子と話があるときは近くのサロンを使ってください。あ、後、必ず部屋を尋ねてきた人には、対応する前にこのインターフォンで相手を確認してください」

 どうやら、学園側は、本当に一夏の安全を確保するつもりらしい。というか、学園側の男子を信用していないのだろうか。いや、15歳から18歳ということを考えれば、どんな行動に出てもおかしくない、と考えているのかもしれない。もしも、大丈夫だろう、で構えており、一夏に被害がでれば、それは世界の損失になりかねないのだから。

 しかしながら、いささか過剰すぎる気もするが。

「それじゃ、後は大丈夫ですかね? 一応、このインターフォンからは、僕と織斑先生へつながりますから、何かあれば、すぐに連絡してください」

 それじゃ、引越しの片付けなんかもあるでしょうから、僕は、これで、という言葉を残して、真耶は、寮の廊下へと消えた。ドアが閉まった後、真耶の言葉を証明するようにガチャっ、とオートでロックがかかる。

「……とりあえず、片付けますか」

 自分ひとりのために過剰じゃないだろうか、と少し考えていたのだが、用意されてしまったものは仕方ない。何より、この空間は一夏にとってありがたかった。この学園では気を抜く場所などないと思っていた。しかし、この部屋であれば、誰からも見られる心配はない。

 間違いなく、この部屋は一夏の城だった。

 女の子とは見られることを意識する生き物である。一夏は、今日、一日でかなりの数の男子から見られていることも、一部に視線が集中していることも気づいていた。視線そのものは、中学時代にも味わった事がある視線で今更、どうということはない。しかし、いつも見られているということを自覚しているのは大変だ。

 女の子である以上、みっともない姿を見られたくない。可愛い自分を見て欲しい、と心のどこかで必ず思っている。故に、一夏はこの学園では気が抜けないのだ。

 しかし、この部屋は別だ。この部屋は本当に一夏のプライベート空間だ。十分に気を抜いてもいい。こんな空間があるならば、学園生活もかなり楽になるだろう。

 こんなに良い部屋を用意してくれた学園に感謝をしながら、一夏は、鼻歌交じりに引越しの荷物を片付けるのだった。



つづく






あとがき
 一夏の部屋を誰が用意したのかは語るまでもない・


 タイトル『織斑一夏は誰の嫁?』『TS〈トランス・ストラトス〉』
『ISで乙女ゲー』『IS/TS』『織斑一夏は誰の嫁?』『IS SOT』『Infinite Lithosphere(インフィニット リソスフィア)』
 すべてのタイトル候補の後には『全員性別反転(ALL TS)』を追加



[25868] 第五話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/23 22:31



 篠ノ之箒は、朝早くから寮の中庭で木刀を一心不乱に振っていた。これが篠ノ之箒の日課である。

 いつもなら、木刀の太刀筋を確認しながら、一振り、一振り丹念に木刀を振るうのだが、今日はいつもと少し勝手が異なった。

 ―――これでよかったのだろうか。

 箒が思い返しているのは、昨日の四時間目のことである。

 クラスメイトであるセシル・オルコットと幼馴染の織斑一夏が言い争いの末、ISを使った模擬戦を行うことになったことだ。あの時、箒は彼らをただ見ているだけだった。いや、最初は割って入ろうとも思った。しかし、一夏がセシルに対して言い返したことで箒は、彼らの間に入り込むのをやめた。

 箒は自分が口下手であることを知っている。素直に思っていることを伝えられないことを知っている。故に、あのような舌戦に割ってはいることはできないのだ。たとえ、入ったとしても一夏の立場をより悪い位置にやりかねない。だから、箒は静観しているしかなかった。

 話の途中までは、箒が静観していて正解だと思えるような流れだった。しかし、最後の最後で大逆転が起きてしまった。担任であり、織斑一夏の実兄である千冬の乱入だ。一夏が不利だということは目に見えて明らかなのに彼は、一夏とセシルに対してISによる模擬戦をクラス長を決定する決闘の種目に決めてしまった。

 千冬が言うことは妥当だということは分かっている。ならば、恨むべきは、己の未熟さか。

 セシルと一夏が言い争いを始める前に自分が、間に入ればよかった。口下手な自分に何ができたかわからない。

 しかし、それでも、最後にはISによる模擬戦が決められてしまうのであれば、少なくとも自分は、彼女の代わりに模擬戦の対戦相手になることぐらいはできたのではないだろうか。もちろん、箒が対戦相手になったところで、セシルには適わないのは分かっている。相手は、国家代表候補であり、箒は、兄の所為でここにいるに過ぎないISランクCなのだから。

 だが、一夏は、今、セシルと戦うということでさらに注目を集めている。もしも、自分が戦っていれば、少なくとも、今ほど注目が集まることはなかっただろう。

 自分に少しの勇気がなかった所為で、彼女をさらに視線を集める立場に追い込んでしまった。それは、箒の自惚れなのかもしれない。もしかしたら、彼が動いても何も変わらなかったかもしれない。しかし、今の箒にとっては、動かなかったことこそが後悔なのだ。

「あれ? 箒じゃない」

 自責の念に駆られながらも、身体は機械のように木刀を振り続けている箒の名前を呼ぶ声が聞こえた。しかも、それは、このIS学園では本来聞く事ができないはずの男では出す事ができない高い女の子の声だ。現状、その声を出すことができるのはただ一人だけであり、箒が自責の念に駆られる原因だった。

「……一夏」

 木刀を振る腕を止めて振り返ると少し離れたところから、彼が予想した通り一夏が箒の方に向かってジョギングのペースで走ってきていた。

「おはよう、箒」

「ああ、おはよう」

 箒から少し離れたところで立ち止まると一夏が挨拶をしてきたので、箒も挨拶を返す。素っ気無いような挨拶になってしまったが、それも仕方ない。なぜなら、箒の意識は、今それどころではないのだから。

 振り返った箒の視界に入ってきたのは、ピンク色のジャージに身を包み、タオルを肩にかけ彼女の特徴とも言えるポニーテールを揺らす一夏だった。一夏は、たった今、寮から出てきて走り始めたのではないのだろう。彼女の白い頬は、ほんのり上気しているし、額にはうっすらと汗をかいている。しかし、彼女が近くに寄ってきたときに香る匂いは、ほんのりと甘い匂い。彼女も走ってそれなりに汗をかいているはずなのに。中学生時代、剣道部に所属していた箒は、夏の地獄を知っている。同じ人間でも男女でこんなにも違うものか、と箒は女性の神秘のようなものを感じた。

「どうかしたの?」

「いや、なんでもない」

 まさか、一夏から香ってくる匂いでドキドキしていたなどと変態めいたことを言えるはずもなく、箒にできたことは、純粋に小首をかしげて尋ねてくる一夏から視線を外すことだった。

「……なんで、走ってたんだ?」

 これ以上、追求されては困る、と箒は必死の覚悟で話題を振った。幸いなことに一夏は箒に不審な態度を感じなかったのだろう、話を変えられたと気づくことなく、箒の質問に答えてくれた。

「ああ、これ? 一週間後に備えて、体力づくりよ」

「体力づくり?」

 一週間後というのはセシルとのIS模擬戦というのはわかった。しかし、箒には、それがどうして体力づくりに繋がるのか分からなかった。一夏も箒が疑問系で聞いたことに気づいたのだろう。箒が分かるようにわざわざ説明してくれた。もっとも、箒は知る由もないが、その説明は、昨日の千冬の説明を踏襲したものではあったが。

「なるほど」

 一夏の説明に箒は、納得した。確かに、ISは、戦闘機のように操縦桿を握るわけではない。ISをパワースーツのように身にまとって動かすのだ。ISを全力で動かすためには体力もそれなりに必要だろう。だが、それが一年後なら分かる。しかし、模擬戦は一週間後だ。一週間ちょっと走ったぐらいで一体どれだけ体力が向上できるのだろうか?

「だったら、どうするの?」

 そのことを尋ねた箒は、逆に一夏から質問される羽目になってしまった。

「一週間しかないから、一週間じゃやっても意味ないから。そんな理由で、何もやらないで、あっさり負けるの? わたしは、嫌だな。確かに足掻きかもしれないし、意味がないかもしれない。でも、頑張った事実は、わたしが実感している。その事実が最後の一押しに、もしかしたら、あの男に一矢報いられるかもしれないでしょう」

 それに―――と、一夏は続ける。

「もし、あの男に負けて後悔する事があっても、やらないで後悔するより、やって後悔したほうがきっと気分がいいと思うから」

 一夏のその言葉に箒は衝撃を受けた。

 そう、そうだ、自分は何を考えていたんだ、と。その言葉は、先ほど自分が自責の念に駆られていた理由となんら変わりない。やらずに後悔して、酷い後悔に陥ることは箒が実体験しているではないか。だというのに、自分は無神経な質問をしてしまった。

「すまない」

「え? なにが?」

 本当に分かっていないみたいだった。当然といえば、当然だ。一夏は箒が昨日のことで後悔しているなど知らないのだから。一夏からしてみれば、箒が純粋に聞いただけと思っているのだろう。だから、箒が謝罪した意味が分からない。一方の箒も一夏に上手く説明できるはずもなく、誤魔化すように、なんでもない、というのが精一杯だった。

「あ、いけない。そろそろ時間ね」

「ん? まだまだ、時間はあるが?」

 この後は、朝食、授業という流れになっているのだが、朝食を食べに行くにはまだ三十分以上ある。箒が木刀の素振りを終えるのは、いつも、朝食開始時間の十五分前だ。だから、箒は、そろそろ時間だ、という一夏が分からなかった。

 しかし、それは一夏からしてみれば、箒のような男子の意見だったのだろう。一夏は、くすっ、と笑って、烏の濡れ羽色のポニーテイルを翻し、少し小ばかにしたような口調で箒に言葉を残す。

「バカね。女の子は、身支度に時間がかかるのよ」

 あ、と箒は思う。容姿が変わり、綺麗になったと思っていたが、箒の中では、まだ一夏は小学生のままだったのだ。だから、女性が身支度に時間がかかると一般的な知識は知っていても、それが一夏と繋がることはなかった。しかし、今の一夏の言葉で箒ははっきりと理解した。理解してしまった。もう、あの頃とはまったく違うのだと。

 それが寂しいようで、しかし、どこか新しい一夏を知ったようで、箒の心臓はドキドキと高鳴るのだった。



  ◇  ◇  ◇



 授業を始めるために千冬先生が教室に現れると同時にふぅ、と一夏は大きく息を吐いた。

 休み時間よりも授業時間のほうが気が楽になるとは、一体どういうことだろうか。普通は逆だとは思うのだが。

 一夏が授業中のほうが気が楽に感じるのは、視線の数だ。休み時間のたびに感じる周りの男子からの視線。『興味津々ですよ、でも、どうしていいのか分かりません』という感じの視線だ。いっそのこと、話しかけてくれたほうが気が楽になるのだが、誰もその突破口を開こうとはしない。

 しかも、休み時間のたびに廊下からも視線が増える。おそらく、他クラスや他学年の学生なのだろう。しかも、その数は、入学初日よりも増えているような気がする。しかも、ところどころの会話を拾ってみれば、『国家代表候補』『模擬戦を』『月曜日に』『第三アリーナ』などの言葉だ。おそらく、昨日のセシルとの模擬戦の事が話題になっているのだろう。

 休み時間は、そのような多数の視線に晒されるわけだが、授業中はそうはいかない。自分のクラスで授業があるし、授業中に自分に視線を向ける余裕があるわけではない。いや、時々、感じるのだが、休み時間の数と比較すれば、無視できる程度のものである。

 もっとも、一週間後に模擬戦を控えた身としては、ISに関する知識は何よりも必要であるため、気が抜けないのは同じなのだが、気疲れという点では、授業中のほうが圧倒的に負担が少なかった。

「授業を始める前に織斑、お前のISだが、準備までに時間がかかる」

「え?」

 授業の前にいきなり名前を呼ばれて一夏は驚いたように変な声を上げてしまった。しかし、それを気にせず、教卓の前に立った千冬は話を続ける。

「予備機がない。よって、学園のほうで専用機を用意するそうだ」

 千冬の言葉にクラス全体がざわついた。理由は、一夏も分かっている。『専用機』その言葉だ。

 一夏は、自分が特別だとは思っていた。なにせ、女性で唯一、ISを扱えるのだから。しかし、認識はまだまだ甘かったというべきだろうか。まさか、実力も示していないというのに専用機を用意してもらえるとは。もっとも、それは初の女性搭乗者ということでデータ集め、実験機という色合いのほうが強いのだろうが。

 しかし、それでも一週間後の模擬戦を控えた一夏にとっては、朗報であることは間違いなかった。

 専用機という言葉を聞いて、何人かは驚いたような表情をしており、何人かは羨ましそうな羨望の眼差しを一夏に向けていた。当然といえば、当然である。要するに専用機とは、IS搭乗者を目指すものたちの究極の目的と言ってもいいのだから。

「はっはっはっ! そうか、お前にも専用機が与えられるのか。安心したぞ。まさか訓練機で、この俺に立ち向かおうなどという馬鹿な選択は考えてなかっただろうがな」

 一夏が専用機を与えられると聞いて、一番大きく反応したのは、一週間後に模擬戦を行う張本人だった。セシルは、椅子に座ったまま腕を組んで、偉そうな態度を崩さず笑っていた。

「まあ、例え、専用機を与えられようとも、俺にハンデがあろうが、最初から勝負は見えているが。このセシル・オルコット操るイギリス第三世代専用機『ブルーティアーズ』に適うはずもあるまい。せいぜい、無様に負けないようにするんだな」

 相変わらず頭にくる言い方をする奴だ、と一夏は思ったが、それは表に出さなかった。ここで憤っても意味がないからだ。むしろ、それは模擬戦まで取っておく。きっと、この馬鹿にされたときの悔しさがばねになるだろうから。

 しかし、それでも、負けないという決意を新たにするには十分だった。

 さて、千冬から一夏の専用機に関する爆弾発言の後、果敢なくISに関する授業は終了した。次は、お昼休み。誰も彼もが昼食を食べるためにどこかに移動する時間だ。そんな中、一夏は、初めて自分から行動した。相手に迷惑がかかってしまうかもしれないが、背に腹は変えられない。勝つためには、彼の協力が必要なのだから。

 ………たぶん。

「箒、ご飯食べに行きましょう」

「え?」

 突然、話しかけられたことに驚いたのだろうか、箒の呆けた顔が少しだけ笑えた。

 二人並んで学食へと向かう。二人に向けられる視線は倍になったような気がする。いや、一夏に向かう視線は減り、減った分の視線がそのまま、箒へと向けられている。「誰だ、あれ?」「篠ノ之ってやつだろう?」「織斑さんと何か関係あるのかな?」という囁きも聞こえる。

 やっぱり、やめたほうがよかったかな、と一夏は思ったが、箒は視線を気にした様子はなく、無言だが、黙々と学食に向かっているのがせめての救いだった。

 学食にはすぐに到着する。学食は昼食を求める学生達でごった返しており、注文するのも一苦労しそうな感じだ。しかし、その人ごみはあまり一夏には関係なかった。なぜなら、一夏が通れば、まるでモーゼのように人の波が割れるからだ。まるで、一夏は触れてはいけないもののように扱われている。

 もっとも、これは一夏にとっては幸いだった。なぜなら、もしも、この人ごみに押しつぶされるとすれば、一夏にとっては恐怖だからだ。一夏の身長は155センチ。しかし、周りの男子は誰もが頭一つ分は身長が高い。つまり、一夏にとっては、男子は壁のように感じるのだ。

 だから、視線を集めるのは嫌だが、学食に来るときだけは、便利だと思っていた。

「こっちが空いてる」

 二人して、日替わり定食を頼んだ後、一夏よりも、周りの男子よりもよっぽど背が高い箒が席を見つけてくれる。箒を誘って助かった、と思った。この人ごみの中、一夏だけでは席を見つけるのも一苦労だからだ。

 一夏と箒は、箒が見つけた席に対面で座り、いただきます、と手を合わせた後、日替わり定食を食べ始める。今日は焼き鯖と味噌汁などの和風だった。IS学園の学食は、料理が趣味で多少、味には五月蝿いはずの一夏をして満足させるほどの出来だ。しかし、問題があるとすれば、昨日も感じたが、その量だ。

 丼のような茶碗に、焼き鯖二匹、味噌汁と明らかに高校生男子用に作られた食器と食事。女の子の一夏には辛い食事だった。

「ねえ、箒。これ、食べる?」

「……………貰おう」

 差し出した焼き鯖を受け取る箒。美味しいのに残してしまうのは、心が痛むのだ。だから、箒が受け取ってくれてよかった、と思った。少し、軽率だったかな、とは思うものの、こっそりだったし、一夏が箸をつけたわけでもないので、冷やかされる要素はないだろう、と考える。

「それで、何用だ?」

 いきなり、箒が切り出してきた。話が早いというべきか、いきなりだなぁ、という感想を持つべきか悩んだが、こちらも時間がないのだ。だから、いきなり話を切り出してくれた箒に感謝しながら、一夏は箒に頼む内容を告げる。

「あのね、箒に剣道を教えて欲しいの」

 それが箒を誘った理由だ。昨日、帰り際に千冬が言った言葉。千冬があの場で、意味のないことを言うわけがない。むしろ、最後の最後に言う辺り、大切なことになのだろう。それは実兄に対する信頼だった。

「ふむ、そうだな……」

 ずずぅ、と味噌汁を吸いながら、箒は何かを考えていた。一夏は、そんな箒を食事を続けながら、答えが出るのを待つ。しばらく、食が進み、ようやく箒が答えを口にしようとしていた時、不意に隣から人が立つ気配がした。

「なあ、君、噂の子だろう?」

 声に反応して、見てみると一夏のやや後方に人が立っていた。おそらく、三年生。首の辺りのマーカが赤だからだ。一年生は、青、二年生は、黄色、三年生は赤だ。

 本来は、敬意を払うべき年上の先輩だ。しかし、一夏には敬意を払う気にはなれなかった。なぜなら、彼が浮かべる笑みが、自然な笑みではなくニヤニヤとでもいうべき笑みだからだ。その笑みは、一夏もよく知っている。駅前で親友と待ち合わせしていれば、何度も遭遇する笑みだ。

「どの噂か分かりませんが、そうでしょうね」

 だから、彼の質問に一夏は素っ気無く答えた。

 素っ気無く答えれば、やがて興味を失うことは一夏の経験則だ。しかし、その先輩は、空気が読めないのか、あるいは、一夏が素っ気無い態度を取っていると気づいていないのか、一夏の断わりもなく、隣に腰掛けた。

「代表候補生の奴と勝負するって聞いたが」

「ええ、そうですね」

 一夏は視線を合わせることなく、斬り捨てるように端的に答えた。どうせ、相手も自分の顔など見ていない。彼が見ているのは、一夏の胸であることは分かっていた。女の子というのは、自分が見られている視線には鋭い。特に一夏は、その目立ちすぎる特徴で何度も不快な目にあっているので、特に鋭いのだ。

 見るな、とは言わない。自分の胸部が目立つのは自覚があるからだ。しかし、じっと見るのは、どうなのだろうか。せめて、箒のようにすぐに逸らすぐらいの紳士さは見せて欲しいと思う。

「でも、君、素人だろう? IS起動時間いくつよ?」

「15分ぐらいでしょうか」

「それじゃ、無理だな。ISってのは起動時間がものをいうんだ。代表候補生ぐらいなら300時間は乗ってるだろうな。だからさ―――」

 そこまで言うと、不意にその先輩は、一夏の方に向かって体を寄せてくる。昼食の最中だということもあって、一夏の反応も少し遅れてしまう。もしも、常時であれば、こういう手合い相手にはもう少し緊張感を持つのだが。時と場所も選ばないとは思わなかった。

「俺が教えてやろうか。ISについて」

 ぞわっ、とした嫌悪感が這い上がる。名も知らぬ先輩が浮かべる笑みと視線には明らかな下心が隠しもせず含まれており、そんな男が隣に座っていると思うと、一夏の身体全身に鳥肌が立つほどの嫌悪感を感じたのだ。

「心配無用。彼女には俺が教えます」

 不意に割り込んできた声。それは、正面に座った箒のものだった。突然、割り込んできた声に反応したのだろう。先輩は、少しだけ体を一夏から離すと、箒をまっすぐ睨みつけた。

「あぁん? んだよ、一年はすっこんどけよ。三年の俺のほうが上手く教えられるに決まってるだろう」

「……俺は、篠ノ之束の弟です。その言葉の意味……分かりますよね?」

 その言葉と共に箒もまっすぐ先輩を睨みつける。しかし、同じ行動にしても箒と先輩では威圧感が異なる。当然だ。先輩は、ただ年上という年齢だけを根拠にしたものだが、箒のそれは、彼の実力を背景にしている。仮にも全国一に輝いた男だ。威圧感で勝負になるはずもない。

「くそっ……」

 吐き捨てるようにして、舌打ちすると先輩は、逃げるように一夏の隣から立ち上がるとその場から姿を消した。一夏の周りに座る男子達の怒りの篭った視線に晒されながら。実は、一触即発だったのだな、と今更ながら一夏は気づいた。おそらく、あのタイミングで箒が入ってこなければ、周りの無数の男子が彼を襲っただろう。危うく入学二日目にして騒ぎを起こすところだった。

「あ、あの……箒、ありがとう」

「問題ない。放課後、剣道場だ」

 実に簡単な言葉。しかし、それだけで分かった。先ほどの先輩に言った言葉は嘘ではなかったのだ。箒はどうやら本当に一夏に剣道を教えてくれるようだ。

「うん、分かった」

 一夏は、先ほどの不快なことはしっかりと水に流して、放課後に思いを馳せながら少し冷めた昼食を口にするのだった。



  ◇  ◇  ◇



 さて、どうしてこうなった? と篠ノ之箒は、放課後、剣道着を防具なしの状態で着ながら考えていた。ちなみに、一夏は今は着替えに行っている。更衣室は交互に使うしかなかったからだ。

 あの時、箒が考えたのは、自分が本当に剣を教えていいのか、という自問だった。全国大会で優勝したとはいえ、まだ母の剣に届いたとは思っていない。そんな自分が本当に剣を教えていいのか、と。もっとも、それは、とある先輩の乱入で思わず肯定してしまっていたのだが。

 ―――しかし、一夏と一緒に剣道か……久しぶりだな。

 篠ノ之家と織斑家の付き合いは長い。しかも、母親が剣道場を開いていたので、小学生の頃は、箒と一緒に一夏も剣を振ることは珍しくなかった。しかし、だんだん、大きくなるにつれて、一夏は剣よりも料理に興味を示し、稽古の途中で、父親と一緒に夕食を作る事が多くなったが。

 その間、自分は母と一緒に剣を振るい、夕飯ができると母と一緒に父と一夏が作った夕飯を食べていた。

 なんだか、父と母が世間一般の役回りとは逆のような気もするが、気にしない。家庭はそれぞれだ。

「お待たせ」

 着替えに行っていた一夏が戻ってきた。ふむ、と箒は、一夏の剣道着姿を見る。一瞬、羽織る形だけの剣道着の上着だけに一夏の目立つ一部が強調されていたが、慌てて視線を逸らしていた。

「そ、それじゃ、まずは素振りからやるか」

 最初は並ぶ形で一緒に素振りを行う。一夏も、まったくの素人というわけではないのだ。しかし、剣道は、三日のサボりを取り戻すには七日必要というように腕が鈍る。いや、勘を忘れてしまう。見たところ、一夏が剣を振るっていた様子はない。おそらく、一週間という期間でできるのは勘を取り戻すことだけだろう。

 それでもいいのだと思う。やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいいのだから。

 しかし、箒の予想はいささか外れていた。確かに、一夏は勘を忘れていたといっても良い。だが、少し一緒に素振りを行って、箒が一通り、指摘してやるとすぐに会得するのだ。まるで、スポンジが水を吸うように。もっとも、彼女は女の子だけあって、力がやや足りないが、それも補っていくしかないだろう。

 なにより、振り方がしっかりしていれば、ISに搭乗する以上、力はあまり関係ないはずである。

 ―――色々な技を教えるべきか、あるいは、基本を繰り返させるべきか……

 習得時間が短いのであれば、様々な小手先の業を教えてやるか、あるいは、土台をしっかりするために基礎とそこから派生する技にするか、どちらかを選択するか、一夏の育成計画で悩む箒だった。

 セシル・オルコットとの模擬戦まで残り5日、一夏の剣の腕前は箒にかかっているのだった。



 つづく









あとがき
 箒の両親の設定変更。
 タイトル決定『織斑一夏は誰の嫁?(全員性別反転:ALL TS)』です。タイトルの考案ありがとうございます。
 次は、ISの待機状態の形状を募集。アクセサリーがいいのかな? なんか、アイディアあれば。

 さて、以下、TS化イメージ。

 織斑一夏:原作、篠ノ之箒をもうちょい胸を大きくした感じ
 篠ノ之箒:原作、織斑一夏+長髪(うなじ辺りで結っている)
 セシル・オルコット:ラインハルト・ローエングラム
 織斑千冬:原作、織斑一夏を筋肉質にして切れ目にした感じ
 山田真耶:ネギ先生っぽい感じ



[25868] 第六話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/12 01:32



「ねえ、箒」

「なんだ?」

 一夏が放課後に箒から剣道を習うようになってから5日後。つまり、セシルとの模擬戦闘当日。彼らはIS学園の制服のまま第三アリーナで待機していた。

 おそらく、第三アリーナの外では、たくさんの男子学生が詰め掛けているだろう。普通の模擬戦なら、来るのはちらほら、よほど注目のカードでもなければ、クラスメイトぐらいだろう。だが、今日の模擬戦は、世界で唯一ISが動かせる女性である織斑一夏が対戦相手というだけで、特別な模擬戦である。

 そのため、観客の入りは、ほぼ満員。噂のISに搭乗できる女子を一目見ようとIS学園のほとんどの生徒が第三アリーナに集結していた。

 そんな中、準備もせず、まるでデートで待ちぼうけを食わされたように織斑一夏は、第三アリーナのピット搬入口の前に立っていた。一夏と箒の目の前にある扉は二人を拒むように固く閉ざされている。本来なら、そろそろ準備しなければならないのに、だ。

「どうして、わたしのIS来ないんだろうね?」

「………」

 一夏の問いに関して、箒は無言だった。いや、答えを知らない箒が答えられるはずもない。一夏も、答えを期待したわけではなく、純粋な疑問なのだ。

 そう、一夏に専用機が用意されると千冬から聞かされて一週間。未だに一夏の専用機は一夏の元に届いていなかった。後、一時間もしないうちに模擬戦が開始する現段階になっても、だ。一夏の兄である千冬が嘘を言うとは思わないのだが、これ以上、遅くなるようであれば、一夏の不戦敗にもなりかねない事態だ。

 もしも、手元にISがあって、全力でセシルにぶつかり、負けたなら、まだ納得がいく。しかし、ISが手元にない故に負けたとなれば、悔しさは単純に負けたときよりも、一入になることは間違いない。せっかく、指導してくれた箒の協力も、一週間詰め込んできた知識も、毎朝、眠気に耐えながらジョギングした日々も無駄になってしまう。

 だからこそ、一夏は、早く、早く、と自分のISがくることを待ち焦がれていた。

 そして、待つこと20分後、ついに待ち焦がれた瞬間がきた。

「織斑さん織斑さん織斑さ~んっ!!」

 一夏の苗字を合計三度も呼びながら、小柄な副担任である山田真耶が一夏たちに向けて走ってきていた。ただし、その足取りはおぼつかなく、下手すると何もないところで転びそうなほどである。

「山田先生、落ち着いてください」

「は、はい」

 よほど急いできたのだろう。小柄な体に見合う体力しかないのだろう。肩で息をしている真耶をいたわるように一夏は声をかける。一夏から声をかけられた真耶は、少しだけ落ち着いたのか、落ち着こうとしたのか、一夏と箒の前まで来ると大きく深呼吸をする。深呼吸を2、3度繰り返すとすっかり真耶の呼吸は落ち着いていた。

「お、織斑さんっ! き、来ましたっ! 織斑さんのISがっ!!」

「本当ですかっ!?」

 ようやくの一夏のISの登場に一夏は目を輝かせる。待ち焦がれていたものが来たのだ。喜ばないわけがない。もっとも、来たという報告が入ってきたのは、模擬戦開始まで十分程度しかないのはいかがなものか、とは思うが。

「織斑、すぐに準備をしろ。準備の時間が取れないのは、痛いが、アリーナを使える時間は決まっている」

「え? それって……」

 どういう意味ですか? と問い返す時間はなかった。千冬も真耶も本当に急いでいるように見えたからだ。一夏が問いかけるのも気づかないのか、無視するような形で、視線をピットの固く閉ざされた扉に向けられる。同時に、ごごごんっ、という鈍い音と共にピットの搬入口が開く。おそらく、厚さが数十センチはあるであろう鋼鉄の扉は、ゆっくりと開きながらその向こう側を晒した。


 ―――そこに鎮座していたのは『白』だった。


 白。真っ白。純粋無垢の穢れなき白を纏ったISが、その装甲を解放して操縦者となる一夏を待っていた。

「これが……」

「はいっ! 織斑さんの専用IS。その名も『白貴(びゃくき)』ですっ!」

 それを初めて目に入れた瞬間、一夏が漏らした感嘆の声に真耶がどこか誇らしく目の前の白い専用機の名前を告げる。

 しかし、一夏には真耶の言葉は耳に入っていなかった。ただただ、一夏は目の前の白に目を奪われていた。まるで、一目ぼれのように。

 それは、ずっと一夏を待っていた。ずっと、このことを待っていた。この時を。ただ、この時をだけを。

「織斑、身体を動かせ。すぐに装着―――っと、お前、まだ着替えていなかったのか? 早くしろ。時間がないぞ」

 白貴に見惚れていた一夏を現実に戻したのは、兄の言葉だった。はっ、と現時に戻った一夏は、兄の言葉の意味を理解すると、大丈夫だという風に笑った。

 そう、ISに搭乗する時は、普通の服ではダメなのだ。インナースーツと呼ばれる特殊な服を着る必要がある。これを着ることによって、ISとの同調率を上げ、より細かい操縦を可能とする。しかしながら、これには、一夏が見過ごすことのできない弱点があった。

「ちょっと待ってくださいね」

 そういうと、一夏は白貴が置かれた場所から少し離れた影になった場所へと移動する。

 一夏が物陰に移動するのを見ていた千冬としては、まさか、そんな場所で着替えるつもりか? と言おうと思ったが、さすがにそれはないだろう、と思いなおす。千冬が知る一夏は、そんなに恥知らずな妹ではないからだ。

 ならば、なぜだ? と考えたが、答えはすぐに出てきた。

「お待たせしました」

 そう言いながら、物陰から出てきたのは、インナースーツに包まれた一夏。片腕をハンガーのようにして持っているのは、一夏が身に纏っていた制服だ。おそらく、一夏は、最初からインナースーツを着て、その上から制服を羽織っていたのだ。どうして、インナースーツのままではなかったのか、それは、千冬の横にいる二人の反応が物語っていた。

「きゅぅ」

「ぶっ!」

 一人は、一夏の姿を見た瞬間に顔を真っ赤にして、気絶し、ピットの冷たい床に倒れこみ、もう一人は、噴出したかと思うと一夏を視界に入れないようにそっぽ向いた。ちなみに、気絶したのは真耶、視線を逸らしたのは箒である。

 ああ、そうだった。と今なさらながら、千冬は己の失敗を自覚した。

 同じような失敗は、IS学園を受験するときにも起きていた。つまり、一夏のインナースーツ姿を見て、二十歳を越えようというのに女性に免疫のない山田真耶が気を失うということは。箒も視線は逸らしているものの一夏のインナースーツ姿を視界に入れてしまったのだろう。顔を真っ赤にしている。

 一夏のインナースーツというのは、丈の短い黒いチャイナドレスのようなものだ。そして、脚部は一夏が常日頃穿いているニーソックスのようなもので覆われていた。ところで、チャイナドレスというのは、体のラインがはっきりと分かるため、着こなせる人は少ない。さて、ここまで示せばわかるだろう。

 織斑一夏のインナースーツ姿で一番目を引くのは、大きいともいえる胸部だった。いつもその胸のせいで大きめの服を着ているため目立つことは目立ったが、今の姿ほどではないだろう。インナースーツは彼女の大きな胸部をはっきりと示していた。しかも、胸が大きいだけならまだしも、一夏のスタイルは彼女が意識しているのか、そこらの女性では太刀打ちできないほどに整っている。くびれのある腰、細い足ながら、むっちりとした太もも。その上、顔立ちまで整っているのだから、武将で言うなら天下無双で有名な呂奉先に赤兎馬というような無敵具合である。天は一夏の容姿に関しては2物も3物も与えたようだ。

「織斑、さっさと装着しろ」

 千冬は、そう言うしかなかった。これからISを操縦しなければならないというのに上に何かを羽織れとはいえない。ISを操縦するためにはインナースーツ以外ではダメなので、着替えろともいえない。ならば、せめてISを装着させて肌を露出する面積を減らすしかない。

 もっとも、白貴の起動はこれが初めてなので、どのような形状になるかまったく想像できないが。

「は、はい」

 千冬に言われた一夏は、視線を逸らす箒の横を通って、教本通りに白貴に背中を預け、椅子に腰掛けるような感じで一夏は身体を預けた。次の瞬間、一夏は、白貴が自分を受け止めるような感覚を受け、白い装甲が展開し、一夏を包み込むように動き、閉じた。

 かしゅっ、かしゅっと空気が抜けるような音が響く。次に一夏が感じたのは、生まれたときから自分の体の一部だったような一体感だ。まるで、白貴の中に一夏が溶け込むように融和し、適合するように、最初から一夏のためだけに存在するように白貴と一夏が繋がるような感覚。

 繋がったことを理解した瞬間、ISたる白貴が動き出し、一夏に一気に情報が流れ込んでくる。しかし、一夏はそれらすべてを最初から知っているように理解できた。

 動き出した白貴が、ピットを飛び出した先にセシル・オルコットがいることを確認する。それは、ISが持っているハイパーセンサーの動きだ。

「一夏、気分はどうだ?」

「ええ、良好よ。千冬兄」

 普段なら、苗字で呼ぶところを今は、名前で呼んだ。つまり、兄妹として心配したのだろうと思って、一夏も返事をする。事実、千冬の声は、ISでなければ確認できない程度であるが、震えていた。

 千冬も心配していたのだろう。公私を区別する千冬なので、このような失敗は珍しい。

「一夏、まだ白貴は、お前の専用機にはなりきれていない」

 意味は理解している。今の瞬間もフォーマットとフィッティングが行われているのがわかるからだ。今、白貴は、本当の意味で一夏専用になるために莫大な量の情報を処理している。

「その状態で戦おうなどと無謀な真似はしないことだ」

「分かった」

 おそらく、教師という区分を超えた助言。いや、名前を一夏と呼んでいることから、おそらく兄としての助言なのだろう。それを一夏はありがたく受け取る。

「一夏」

 そして、この場にはもう一人、一夏を心配する幼馴染である箒の姿がある。今は、先ほどのインナースーツだけの姿とは異なり、白貴によって大部分が覆われているため、箒もまっすぐと一夏を見ていた。

「―――悔いのない戦いを」

「ええ、勿論」

 それが見送りの言葉だった。だが、それだけ十分だ。勝て、でもなく、頑張って、でもなく、悔いのない戦いを。後悔しないための戦いを、と言い続けてきた一夏に指導してくれた箒だからこその言葉。その言葉に笑顔で応えて、一夏は白貴を動かす。

 かすかに身体を傾けるだけで、白貴は一夏の意思を酌むようにふわりと浮き上がって動き出した。そこに感動はない。なぜか、一夏には最初から動かし方が分かるからだ。それを当然のことと受け入れる。

 ―――さあ、行こう。

 一夏は、白貴と共に第三アリーナAピットから飛び出した。彼女の戦場へ向けて。



  ◇  ◇  ◇



 ピットから飛び出した一夏が目にしたのは、大きく広がるグラウンドと観客がほぼ満員の第三アリーナだ。ISによる戦闘は、流れ弾や音速が超えるが故のソニックブームやらが心配されるが、当然、アリーナには対策がしてある。遮断シールドによる保護で、観客には一切の流れ弾が飛ばないようになっているのだ。そうでもなければ、おちおち観戦などできない。

 さらに、白貴によるハイパーセンサーで観客一人ひとりが確認できる始末だ。初めて見たが、こんなにも高性能とは思わなかった。だが、よくよく考えてみれば当然だ。ISは元来は宇宙開発用のスーツなのだ。地球とは比べ物にならない宇宙で相手や自分の位置を確認できるような性能を持っているISがたかだかアリーナごときを一望できないはずもなかった。

 ここで、一夏は怪訝に思う。そろそろ、模擬戦開始時間なのに相手のセシル・オルコットが見えないのだ。逃げ出したとは到底考えにくい。あれだけ自分の腕前を誇っておきながら、逃げ出すとは到底考えにくい。ならば、どこにいるのだろうか? とハイパーセンサーを使って検索したところ、すぐに発見した。

 なぜか、セシル・オルコットは、Bピットの突き出した出口に己を誇示するように立っていた。

 なにやってるんだ? と一夏が思うのも無理はない。そんな一夏の疑問を余所にセシルは、不意に自分の腕を突き上げると手首についている蒼い腕輪を見せ付けるように掲げ、そして何かを口にする。一夏の白貴のセンサーはセシルの声を拾っていた。

「さて、行こうか。『舞い踊れっ! ブルーティアーズっ!』」

 その言葉が、キーワードだったように、一夏のときと時は異なり、セシルの周囲に光が舞い踊り、脚部からゆっくりと見せ付けるように蒼い装甲が装着されていく。それはまるで、中世に存在した騎士が身にまとう甲冑のようだ。特徴的なのは、フィン・アーマーを4枚、背に従えている。最後に頭部に王冠のように青い宝石が付随したサークルが装着され、セシル・オルコットが誇るイギリス第三世代IS『ブルーティアーズ』の装着が完了した。その姿は、セシルの外見と同じく気品溢れるもので、なるほど、イギリスの専用機だけあって、王国騎士のような気高さを感じさせる。

「でも、あのキーワードみたいのなんだったんだろう?」

 呼び出す前にセシルが口にした言葉が気になる一夏。確かに、他のISによる大会を見ても、IS搭乗者は、専用機が形を変えて存在しているアクセサリーなどを誇示した後に何かをつけて、自分の専用機の名前を叫んでISを装着していたような気もする。

『あれは、ISを召還するときに必要な儀式のようなものだ』

「儀式?」

 一夏の呟きを聞いた千冬が一夏の通信に入ってきた。千冬による説明は以下の通りである。

 量子変換によって形を変えたISを召還するときは、何らかの命令とISの名前を呼ぶことで召還し、装着できるらしい。それ以外の方法では、召還も、装着もできない。理由は分からない。分かるとすれば、製作者の篠々之束だけだろう。しかも、命令の部分は何でもいいわけではなく、IS本体が気に入った文言でなければ、召還はできないらしい。なんとも面倒なシステムである。

 ちなみに、千冬が世界大会で戦ったときの機体である夜桜を召還するときは、『君臨せよ、夜桜』だったらしい。

 人によっては実に恥ずかしい行為だが、若い男性は、しばしセシルのようにノリノリで召還するものもいるようだ。

 しかし、千冬も一夏も思ってもみないだろう。製作者である篠々之束が、朝の特撮ヒーローを見て、『変身っ!』という言葉を叫んでから変身するのを見て、カッコイイっ! と思い、ISの召還も同様にしたなどと。

 閑話休題。

 ブルーティアーズを展開したセシルは、一夏とは異なり、危なげなく手馴れた様子で天空まで舞い上がってきた。一夏の白貴のハイパーセンサーは警告を表示する。

 ―――戦闘状態のISを感知。操縦者セシル・オルコット。ISネーム『ブルーティアーズ』。戦闘タイプ中距離射撃型。特殊装備あり。

「ふん、逃げずにやってきたようだな」

 鼻を鳴らし、相変わらず腕を組んだまま偉そうな態度でセシルが口を開く。

「試合が始まる前に最後の機会をやろう」

 セシルは、偉そうな態度を崩そうしないまま、人差し指を突き出した状態で向けてくる。人を指差すのは礼儀知らずだ、と言いたかったが、それよりも、セシルの言葉のほうが気になる。

「機会?」

「その通り。このまま、俺とお前が戦えば、俺が一方的な勝利を得るのは自明の理。ならば、ボロボロになった惨めな姿を晒す前にこの場から退場する最後の機会だ」

「いらないわ」

 セシルの温情ともいえない言葉に一夏は即答した。当たり前だ。ここまできて引けない。引くつもりもない。今までの努力を水の泡にしてしまうような選択を取るはずがない。セシルもそれは分かっていたのか、肩をすくめ、しょうがない奴だ、とでも言いたそうな表情をしていた。

「いいだろう。ならば、我が『ブルーティアーズ』をもってお相手しよう。ワルツは得意か?」

「残念ながら、踊れないわ」

「そうか、ならば、教えてやろう。やや、手荒になるがな」

 そういいながら、セシルの周りに展開される4つの自立機動兵器(ピット)。おそらく、これがイギリス第三世代のBT兵器ブルーティアーズなのだろう。今回、兵装が制限されているセシルが選んだ兵器がこれだと思われる。当然といえば、当然だろう。彼の機体の存在意義は、この兵装であり、この兵装がないブルーティアーズはブルーティアーズではないのだから。

 それ以上は、お互いに口を開くことはなかった。なぜなら、もう試合開始時刻が迫ってきてるからだ。こう着状態。お互いににらみ合う状態が続く。もしも、次に動く事があれば、それは試合開始だろう。そして、そのときは来た。

 ぶんっ、という通信を繋ぐ音がした後に、ISによる通信チャネルが開かれ、審判を勤めている千冬の声が聞こえる。

『それでは、今からセシル・オルコットVS織斑一夏の模擬戦を始める。試合―――開始っ!!』

 セシル・オルコットと織斑一夏の戦いの火蓋が切って落とされた。



  ◇  ◇  ◇



「27分か。十二分に持ったほうではないか? 少なくとも初見でここまでブルーティアーズの猛攻に耐え切れた奴はいない」

 褒めてやろうとでも言いたげだ。一夏としては何かを言い返したかったが、言い返す気力もなかった。

 試合は、ある種の一方的な展開となった。ブルーティアーズを使ったセシルの射撃、射撃射撃射撃。まさしくビームが雨霰のように降り注ぐ。それらの攻撃を一夏は避けることに全力を傾けた。

 確かにセシルの操るBT兵器は強力だ。しかし、避けることのみに注力すれば、IS初心者の一夏にも避けられないわけではなかった。情報はすべて白貴が拾ってくれる。後は、白貴のオートガードとISにリンクしていることで、高速に処理し、退路を見つけ、何とか避ける。

 セシルの兵装が制限されており、ブルーティアーズしかないのが助かった。もしも、他に兵装があれば、一夏は避けたところを狙われていただろう。一夏も、隙を見て攻撃などと色気を出さなかったので、幸いなことに直撃はなかった。

 現在の状態はシールドエネルギー残量120.実体ダメージ小破。武器は未だに一覧すら見ていない。そんな暇はなかった。

 27分。よく避けきったものだと思った。しかし、一旦、セシルが自分の手元にビットを呼び戻したことで、一夏もようやく気づいた。彼が勝負に出てくることを。

「しかし、そろそろ踊るのにも疲れてきた。だから、そろそろフィナーレといこうかっ!!」

「―――っ!!」

 どうするか、などと考える余裕はない。すぐさま回避行動に移る。しかし、セシルの攻撃パターンが今までとは異なった。

 セシルのブルーティアーズによる攻撃パターンを一夏はしばらくして掴んでいた。まさしく、彼の言うとおり、ワルツだ。四機のビットのうち二機は、一夏による牽制。残り二機で一夏の死角となる場所からビームを撃ってくる。その動きは、まさしく円舞踏(ワルツ)だ。

 だからこそ、自ら隙を見せることで死角を操作し、自分で避けやすいに動いていた。死角から来たとしても、くると分かっている攻撃はもやは奇襲ではない。故に避ける事が可能だった。

 しかし、今の攻撃は違う。四機で問答無用で攻撃している。しかも、どこかに誘われているような気がする。これは不味いと思っても、誘導されざるを得ない。別の場所に逃げれば、ビームの餌食になるからだ。どうするべきか? と必死に頭を回転させる一夏。しかし、その答えを導き出すには多少遅かったようだ。

「ようこそ。そして、さようなら、だ」

 いつのまに移動したのだろうか。開始直後からほとんど移動していなかったはずのセシル・オルコットが真正面、およそ30メートル先に居た。腕の大きな袖のような部分を広げて。しかも、その袖の部分から見えているのは発射口。

「―――くっ!!」

 気づいて急旋回しようとするが、それでも間に合わない。照準は一夏だ。しかも、そこから発射されたのはミサイルだった。

 正面からミサイル。後方は、すべてビーム兵器で固められている。前門の虎、後門の狼とはまさしくこのことか。

 直後―――ドカァァァンという爆音と共に赤を越えて白い爆発に一夏は巻き込まれた。



  ◇  ◇  ◇



「織斑さんっ!!」

 モニターを見つめていた真耶が叫ぶ。真耶の後ろで覗き込んでいた箒も何かに耐えるような表情をし、制服の袖を握っていた。

 いくらISに絶対防御があるからといって、知り合いを心配しない人間はいない。それが親しい人ならば、なおさら。ならば、一夏がビームによる猛攻を避けるのを内心ハラハラしながら見ていたであろう彼女の実兄である千冬は、よほど心配しているだろう。

 だが、その予想は大きく外れていた。モニターを見ている千冬の顔は、心配そうな表情を浮かべている二人とは異なり笑っている。

「ふん、ようやくか。反撃開始だな、一夏」

 千冬、真耶、箒の三人が注目するモニターに変化が起きる。

 黒煙で覆われていたはずのモニターが一気にクリアになる。僅かに残っていた煙は、不意に吹き飛ばされたのだ。

 その中心には、一夏が操る白い機体が佇んでいた。

 白貴の真の姿をもってして。

 これこそが、千冬が、一夏が待ち望んだ瞬間だ。今からが、一夏の本当の戦い。そして、反撃の狼煙だった。





つづく




[25868] 第七話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/13 20:45



『フォーマットとフィッティングが完了しました。完了ボタンを押してください』

 来たっ! と一夏は、はやる気持ちを抑えながら、大量のデータが意識に直接送られてきたのと同時に目の前に展開されたウィンドウの真ん中にある「確認」のボタンを震える手で押す。

 ボタンを押すと同時に、先ほど送られてきたデータよりも大量のデータが送られ―――いや、整理されている。それを一夏は感覚的に理解していた。そして、変化は劇的に訪れた。

 キィィィィンという甲高い高周波な金属音が鳴り響くと同時に一夏のIS―――白貴は、白い光に弾けて、消え、また再構築されようとしていた。

 再構築された新しい―――いや、一夏専用となったIS、白貴は、セシルの射撃によって受けたダメージをすっかり修復し、その白いボディを輝かせていた。一夏専用になった白貴は、初期化前よりも鋭く、先鋭的になっている。初期の頃の工業系の凸凹はなくなり、全体的には甲冑のようになっていた。

 肩から羽のように展開されたスラスター、そして、まるでフレアスカートのように装甲が広がっていた。それは、一夏が女性であるためか、セシルのものと比べて、どこか形は女性的なものを思わせる。

 白貴の変化に満足していた一夏だったが、セシルは衝撃を受けたようだ。驚愕の表情で、一夏を、白貴を指差していた。

「ま、まさか、一次移行(ファーストシフト)っ!? 貴様っ! よもや、今まで初期設定のまま戦っていたのではあるまいなっ!?」

「残念ながら、その通りよっ!」

 そう言いながら、一夏はようやく一次移行が終わった白貴から早速、武器を検索する。今までは、逃げの一手だったが、今度からは戦わなければならない。そして、戦うためには武器が必要だ。

 ―――近接戦闘向けの武器があればいいんだけど。

 射撃系の武器が出てきたとしても今の一夏に扱えるとは思えない。ぶっつけ本番では無理だ。なにより、セシルは中距離射撃系のISなのだ。同じ土俵で戦えるわけがない。勝機を見出せるとしたら、距離を詰めて一気に勝負をつけるぐらいしか思いつけない。

 近接系の武器がありますように、と祈る一夏の期待に応えたのか、白貴から提示された武器はたった一つだけだった。

『近接特化ブレード・《雪片・弐型》』

 まさかの近接武器のみ。しかし、それ以外を望んでいない一夏にしてみれば、僥倖以外の何物でもない。一夏は、迷わず《雪片・弐型》を選択する。刹那、一夏の手元に量子化の状態から光をまとって顕現する雪片・弐型。

 一夏の手元に現れた《雪片・弐型》は、ブレードという名称がついている割には、西洋剣のようなまっすぐな刃ではなく、どちらかというと日本刀のように反りが入った太刀のような形だ。長さは、およそ1.5メートル程度。一夏の身長ほどもある長さだ。そして、刀身の鎬には、僅かな溝があり、そこから光が漏れている。長さもさることながら、どこか機械的な形を持つそれは、間違いなくIS装備であることを示していた。

 しかも、一夏は、この刀を知っていた。忘れられるはずもない。この刀は、一夏の兄である千冬が使っていた専用機である夜桜の装備だったのだから。千冬は、この一本だけで世界大会を優勝した。その刀が今、一夏の手元にある。それだけで気分が高揚しないわけがなかった。

「初期設定で俺に挑むとは……。しかし、今更、ファーストシフトが終わったところで、俺の勝利は揺ぎ無いっ!!」

「それは、どう、かしらねっ! 今からが、わたしの本番よっ!」

 まるで、今までの不満を振り切るようにぶおんっ! というような風きり音を残して、一夏は雪片を正眼に構える。この一週間、ずっと鍛錬してきた構えだ。雪片のように多少、刀が大きくなろうとも、なんら不都合はなかった。

 雪片・弐型を構えた一夏に再装填したミサイルのビットがセシルの命令に従って飛んでくる。ビットの動きは、逃げ回ってきたときと同じく多角移動だ。おそらく、発射のタイミングを知られたくないのだろう。ミサイルの場合、ビームと違って再装填する必要がある。そのため、必中の必要があるのだろう。

 しかし、ファーストシフト前ならまだしも、今は、わざわざミサイルを発射するのを待ってやる義理はなかった。

 ぎゅっ、と雪片・弐型を握る。一週間の箒との訓練は身体が覚えている。内緒で見てきた千冬の戦闘を覚えている。自らの経験と知識を重ね合わせ、一夏はついに動き始める。

「邪魔っ!!」

 横一閃。それだけで、両断された二機のビットは、少しだけタイミングをずらして、慣性に従い、されど、セシルの命令には従わず一夏のやや後方で爆ぜる。一夏は、その爆発に巻き込まれる前に一気にその場からスプリンターのクラウチングスタートのように爆発的に加速する。

「なっ! 早いっ!」

 そう、ファーストシフトが終わった白貴は、一夏の思ったとおり以上の動きをしていた。先ほどよりもしっくり来る感覚。フィッティング(適応化)というのは伊達ではない。まるで、今まではサイズの合わないスパイクで走っていたような感覚だ。

 セシルまでの距離は約30メートル。一夏は、その距離を最短距離で翔る。しかし、それをすんなりとセシルが許すはずもなかった。

「だがっ!」

 その声と共に動き出す残り四つのビーム用のビットが一夏の前の展開される。しかし、一夏はスピードを緩めない。まるで、自殺行為のようにビームに突っ込むような形だ。

「馬鹿なっ! 特攻でもするつもりかっ!?」

 驚くセシル。だが、容赦をするつもりはないのだろう。コンダクターのように手を振るとビームを一斉に発射する。飽和状態になったビームが一夏の前に展開される。白貴も警告を一夏の前に出している。しかし、一夏は恐れることなく前進する。彼女の覚えが正しければ、雪片・弐型は―――

「てぇぇぇいっ!」

 気合一閃。一夏の雪片・弐型は、ビームを薙ぎ払った。まるで蜃気楼のように掻き消えるビーム。

「なにっ!?」

 セシルが理解不能になるのも無理はない。ビームとはかき消せるものではない。武器を犠牲にビームを防いだなら彼も理解できただろう。だが、一夏のそれは根本的に異なる。まさしくかき消した。最初から存在しないように。1を0にするように。

「しまったっ!」

 セシルにとって、一瞬呆けたのが命取りだった。そんなことは後で考えるべきだったのだ。その一瞬の思考の停滞は、セシルに確実な隙を作っていた。

 つまり、一夏にとっては絶好の機会。そんな機会を一夏が見逃すはずもなかった。今でも十分早い加速移動をさらに加速させ、一気にセシルの懐にもぐりこむ。間合いは、もはや中距離ではなく、近接戦闘の領域。もはや、セシルのブルーティアーズはなんら意味を持たない。

 一瞬、セシルの手が動く。おそらく、彼は通常であれば、装備されているであろう近接武器を呼び出そうとしたのだろう。しかし、呼び出す事ができるはずもない。この模擬戦で、彼が使える武器は、唯一つ。ブルーティアーズだけなのだから。

「やぁぁぁぁぁっ!」

 一夏の気合に応えるように雪片・弐型のエネルギー密度が高まり、より強く雪片・弐型は輝く。空気を切るように空ぶるセシルの手を余所に、一夏の咆哮と共に上段から下段への袈裟払いが斬っ! という音と共に決まった。通常の近接武器であれば、シールドを通過することなど不可能だっただろう。しかし、この武器は―――雪片・弐型だけは別だ。

「がぁぁぁぁぁっ!」

 幸いなことに絶対防御が発生してるため、セシルには傷一つないが、それでもバリアシールドを通過するほどの衝撃だ。生身へのダメージは計り知れないものである。苦悶に満ちた叫び声はセシルへのダメージを物語っていた。

 一夏は、雪片・弐型を振りぬき、さらに追撃の弐の太刀が必要か、と思ったが、その必要性は、振りぬいたと同時に鳴った試合終了を告げるブザーによってなくなった。

『試合終了。両者同時エネルギー切れにより、勝者なしっ!』

 一夏の斬撃が綺麗に決まった割には、なぜか試合は引き分けだった。

「あれ?」

 一夏はなぜ? という顔をしていた。いや、それはこの場にいた全員だ。苦痛から解放され、シールドエネルギーがゼロになっていることを確認したセシルも、第三アリーナの観客も、ビットで試合を見守っていた箒も真耶もだ。その中で、ただ一人だけやるせない表情で腕を組んだまま、千冬は呟いた。

「惜しかったな」

 その場に居た誰もが何が起きたかを理解しないまま、セシル・オルコットVS織斑一夏という注目の対戦カードは、引き分けという訳の分からない結果で終幕を迎えた。



  ◇  ◇  ◇



「最初にしては上等な結果だ」

 ピットに戻った一夏は、千冬の慰めるような言葉で迎え入れられた。

 よくよく考えてみると、ISに初めて乗る人間が、国家代表候補にエネルギーシールド半分で兵装制限と言っても、こちらもファーストシフトすら終わっていない状態で戦いに赴いたのだ。最初の戦果にしては、十分であろう。

「そう、よね」

 あと少しで勝てた、という意識があるだけに納得はできないが、過ぎてしまったことは仕方ない、ということもある。ここであと少しで勝てた、と悔やんでも仕方ないのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば、一夏はこの勝負に全力を尽くした。手抜きをすることなくセシル・オルコットに挑んだ。その結果が引き分けなのだ。ならば、それで十分だ。少なくとも、悔いが残る戦いではなかったのだから。

「今日、いきなり使ったのだから仕方ないが、自分の武器の特性を学べ。己を知り、敵を知れば、百戦危うからずだ。俺もそうやってきた。明日からは、訓練に励め。暇な時間があれば、ISを起動するといい。起動時間が長ければ長いほどにISは強くなる」

「はい」

 世界大会チャンピオンからの助言だ。有り難く受け取るしかない。いや、しかし、一夏は別にIS部隊の軍人になるために入学したわけではないので、別に強くなる必要はないと思うだのが。いや、しかし、この学園に入学した以上は、やはり強くなるしかないのだろうか。

 う~ん、と一夏が考えていたところに、重そうな本を三冊ほど運んでくる真耶の姿が真耶の視界に入った。

「織斑さん、この後、ISを待機状態にすると思います。……あわわっ! 今、待機状態にしないでくださいよ。ISは、織斑さんの望んだときにすぐ展開できますが、ISを起動する場所や規則が決まっているので、守ってくださいね」

 そういいながら、運んできた本をどさっ、どさっ、どさっ、と置く。とても本が出すような音ではないのだが、電話帳並みの厚さがある本では仕方ないだろう。しかも、その一枚一枚は非常に薄い紙となっており、全部で何ページあるのか一夏はまったく想像ができなかった。

「なんにしても、今日はこれでおしまいだ。今日は疲れただろうから、汗を流してしっかり休め」

 それだけ言うと、千冬も忙しいのだろう。真耶と一緒に若干、足早にその場を後にする。

 そして、誰もいなくなったピットで一夏は、白貴を待機状態にする。待機状態となった白貴は、光に包まれると、一旦、光の粒になり、耳元に集まると再び形を取り戻し、キューブのような白い宝石をぶら下げたイヤリングとなって現れた。これが白貴の待機状態である。あの大きさが、量子変換とはいえ、この大きさになるのは一夏にとって驚きだった。

 ―――そういえば、待機状態から展開するとき、わたしも儀式が必要なのかしら?

 ISに例外がないとすれば、一夏にも必要なのは間違いない。しかし、あのような恥ずかしい真似をISを召還するたびに行わなければならないとは。セシルのように堂々とした態度でできるのが一夏にとっては羨ましかった。

「ほら」

 白貴を召還する際の儀式について、憂鬱に思い、はぁ、とため息を吐いていると横から不意に黒いジャケットが渡された。

「……箒?」

 差し出された方向を見てみれば、そこには、確かにビットにいたはずなのに今まで姿を消していた箒の姿があった。しかも、視線は一夏に向けられておらず、無言でジャケットを差し出すのみである。

 ―――これは着ろってことかしら?

 それ以外はないだろう。しかも、大きさから考えるに、これは箒のものらしい。しかし、そのジャケットが差し出されている理由を一夏はいまいち、察する事ができなかった。

「そのままの格好で、アリーナを歩くのか?」

 箒がいつまでたってもジャケットを取らない一夏に呆れたのだろう。若干、その色を含んだ声で一夏に忠告するようにいう。その箒の言葉で、一夏は自分がどんな格好をしているか気づいた。セシルとの戦闘で気分が高揚していたせいかもしれない。いつもの一夏ならありえない失敗だった。

 自分の格好に気づいた一夏は、箒からふんだくるようにジャケットを受け取ると、さっそく、それを羽織って、前を留める。箒のジャケットは彼の身長が180センチあるだけにかなり大きい。現に丈は一夏の膝上5センチ程度まであるし、袖だって、まったく出すことができない。しかし、ジャケットの前を止めるときは胸の部分が苦しかった。今も押さえつけられるような感覚だ。いくら、男性用に作られているからって、これはないだろう、と一夏は自分の体ながらに呪いたかった。

 この胸を羨む同性もいるが、一夏としては、こんなに大きくない方がよかったと思う。それを親友に言うと血涙を流し出す勢いで怒られたが。しかし、異性からの視線は集めるし、下着は可愛いのが少ないし、肩はこるし、で良いことは全然ないのに。一度、ダイエットをすると胸から減るということを聞いたので、試してみたが、体重が減っただけで、胸はそのままだった。そのことを親友に言うと、本気の表情で殴って良いか? と聞かれてほとほと困ってしまったが。

 さて、それはともかくとして―――

「うん。よかったな」

「さっきの試合が、か?」

 不意に一夏が零した言葉に箒が反応する。もう一夏はジャケットを羽織っているため、箒もそっぽ向いているわけではない。

 確かに、一夏の今のタイミングで考えると一夏の呟きは、箒が言ったようにしか考えられないだろう。しかし、一夏は首を横に振った。

「ううん、それもあるけど、わたしの格好を見て、羽織るものを用意してくれる素敵な幼馴染がいてよかったな、って」

「なっ!?」

 そう、せめて一夏の格好に気づいて、試合が終わった後に羽織るものを用意してくれる幼馴染に一夏は安堵していた。もしも、彼がむっつりなすけべさんなら、何も用意せず、一夏の格好を楽しむこともできたはずだ。いや、一夏の格好を見て大半の男ならそうするだろう。だが、彼は羽織るものを用意してくれたのだ。

 もっとも、言われた本人は、一夏の言葉は不意打ちだったのか、絶句したような表情で顔を紅くしていたが。

「え? なに? それとも、わたしの格好、じっ、と見たかったの?」

「いや、それは……」

 さすがに男としては、そんなことはない、とはいえないのだろう。ある種、一夏の姿が見るに耐えないといっているのと一緒だから。しかし、年頃男子としては、気恥ずかしさから見たいとも素直に言えない。箒もまだまだうぶな少年と言っても過言ではなかった。

「なによ~、箒のえっちぃ~」

 きしし、と悪戯っぽく笑う一夏。そこで、ようやく箒は自分がからかわれたことに気づいたのだろう。こらっ! という半ば怒ったような声で逃げ出した一夏を追いかける。その様子は、年頃の男女というよりも子どもだ。もしも、彼らの様子を千冬か、あるいは、箒の両親が見ていたら、感慨深げに言うだろう。まるで、子どもの頃の光景を見ているようだ、と。

 彼らの追いかけっこは一夏の洋服がおいてあるアリーナの更衣室まで続くのだった。



  ◇  ◇  ◇



 セシル・オルコットは、試合を終えた後、自室へ戻り、試合での汗を流すためにシャワーを浴びていた。

 春のこの時期に浴びるシャワーは、水にすれば、冷たすぎるため、若干、温度を押さえたお湯だ。そのシャワーを浴びながらセシルは、先ほどまで行われていた試合を思い返していた。

 ―――今日の試合……

 あの時、試合終了のブザーが鳴ったとき、セシルは負けを覚悟した。自分のシールドエネルギーがゼロになっていることを確認したからだ。しかし、結果は、引き分け。セシルには、どうして一夏のシールドエネルギーがゼロになったか分からなかった。

 いや、今日の試合は分からないことだらけだ。最後の一夏の突撃のとき、ビームは確実に着弾したと思った。しかし、結果は、無傷。一夏は、剣の一振りでビームをすべて薙ぎ払っていた。あれはどういうことだろうか。少なくとも、国家代表候補になるだけの知識はあるはずのセシルをもってしても理解不能だった。

 いつだって、勝利への確信と技術の向上を目指していたセシルにとっては、この引き分けは、むしろ屈辱だった。いや、この際なら、引き分けなど面倒なものではなく、いっそのこと敗北にしてくれ、と叫びたいほどだ。

 ―――あれは、俺の負けだった……

 懐に入り込まれた時点で終わり。いや、その前にむしろファーストフェイズが終了する前の初期設定のままで模擬戦に望んだ一夏を27分もかけて倒せなかった時点でセシルは負けていた。

 ―――織斑、一夏―――

 セシルは、思い出す。あの強い意志の篭った瞳を。まっすぐとセシルを睨みつけるように見据える一夏の姿を。

 まっすぐとセシルに媚びることなく見据える眼差し。少なくとも、セシルが体験してきた中では、見たことがない眼差しだった。そして、彼女の眼差しは、鏡のように彼の母親を逆連想させる。

 ―――母は、父の顔色ばかり伺う人だった。

 名家に嫁入りしてきた分、セシルの母は肩身が狭かったのだろう。セシルは、そんな母を幼少の頃からずっと見ていた。まるで、父の使用人のように何もいえない母。セシルから見て、彼らは夫婦というには、あまりにも歪だった。父もそんな母を見て、苛立っていたのだろう。最初は、愛していたのかもしれない。しかし、年月と共に気持ちは変化するものである。少なくともセシルの記憶にある最後のほうの父の姿からは母への愛は感じられない。

「…………」

 セシルにとって父とは、憧れだった。何よりも強い人だった。いくつもの会社を成功させ、巨万の富を築き、名家としての誇りを胸に威風堂々と君臨する父。そんな父の姿はセシルにとって憧れだった。

 そう、『だった』。過去形だ。そんな強い父もあっさりと亡くなってしまった。事故という形で。

 一時は、陰謀説すら囁かれたが、それは事故の状況があっさりと否定してしまった。越境鉄道の脱線事故。死者は百人を軽く超える。いつもは別々だった彼らが、どうしてその日に限って一緒だったのか、セシルは未だに知らない。

 しかし、今日と同じ明日が来ると考えていたセシルにとって、両親の死は突然で、実にあっさりとしたものだった。

 それから、時はあっという間に過ぎていく。

 セシルの手元には父が築いた巨万の富と権利が残った。セシルには、兄弟がいないため、相続権はセシルにある。しかし、一人が持つには大きすぎる富。まるで、ハイエナのようにセシルの持つ遺産に喰らいつこうとする自称親戚が後を絶たなかった。彼は、両親の残した遺産を守るために必死で勉強した。いくら周りが甘いことを言ってこようともまったく相手にしなかった。

 すると、相手は行動を変えてきた。そう、彼らは、自分の娘を使い始めた。大胆な服装で迫ってくる同世代の女。誰もがきつい香水のにおいと、厚い化粧。中には、シンプルに来た女もいたが、しかし、彼らの目は、物欲にまみれており、セシルを見ていなかった。その向こう側にあるものを見ていた。

 やがて、その噂は、セシルが通っていた学校にも蔓延する。セシルが、巨万の富を持っている、と。

 そうなれば、学校はセシルにとって地獄だ。

「セシルくん」「セシルさん」「セシル様」「セシル」と誰もがセシルの名前を呼ぶ。しかし、誰もがセシルを見ていなかった。セシルなどお金に付随する付属品だった。常に人に囲まれながらもセシルは、常に孤独だった。いや、孤独ならいい。それどころか、必死に自分を守らなければならなかった。弱みを見せれば、彼らはそこに付け込んでくるから。だから、セシルは、自分を大きく見せなければならなかった。彼が憧れる父のように。しかし、経験という土台がない彼のその態度は、いわゆる虚勢と演技に過ぎなかった。

 いい加減、周囲にも、女にも鬱陶しくなってきた頃だ。政府からISによる適正ランクA+の評価で、政府が国籍保持のために好条件を出してきた。セシルは、即断した。両親の遺産を守るため、そして、そろそろ限界に達してきていた自分を守るために。

 それから、第三世代装備ブルーティアーズ一次運用試験者に選抜され、戦闘経験と稼動データを集めるために日本のIS学園に入学し、そして―――


 出会った。出会ってしまった。セシルをまっすぐと見る瞳を持つ少女に。織斑一夏に。


「織斑、一夏……」

 その名前を口にすると不思議と鼓動が早くなったように感じる。

 どうしようもなく、胸が高鳴り、不意に、セシルの脳裏にまっすぐと自分を見つめ、彼の名前を呼ぶ少女の姿が想像された。あの強い瞳で見つめられながら、どうしようもなくあの唇に触れてみたい、とそう強く思った。

「俺は……」

 自分でも分からなかった。いや、コントロールできないというべきか。今までは、自分の身を守るだけで精一杯だった。だが、今は、両親の遺産を犯されることはなくなり、セシルを狙う奴はいない。そんな中、出会った彼女―――織斑一夏。

 知りたいと思った。もっと、彼女のことを。

 そして、何より、彼女の強い意志が篭った瞳は、セシルをまっすぐに見つめる彼女の瞳は―――どうしようもなく、セシルを引きつけてやまなかった。



  ◇  ◇  ◇



「え~、それでは、一年一組のクラス長は織斑一夏さんに決定しましたぁ~。一が並んでて縁起がいいですねぇ」

 セシルVS一夏の模擬戦から翌日の朝。一夏が知らないうちに、いつの間にかクラス長は、一夏に決定していた。

 真耶もクラスメイトも一夏のなぜ? という疑問を余所に、嬉々として、一夏のクラス長就任を喜んでいる。どうしてこうなった? と、幼馴染の箒にも視線を送ってみるが、彼も首を横に振るだけだ。

「先生、質問です」

「はい、なんですか? 織斑さん」

「どうして、わたしがクラス長なんですか?」

 確かに昨日の模擬戦で勝者はなかった。引き分けだ。ならば、一方的に一夏がクラス長になるのは、おかしい。せめて話し合いがもたれるべきではないだろうか。そうでなければ、昨日、戦ったセシルも納得がいかないはずである。しかし、その一夏の予想はすっかりと外れていた。なぜなら、一夏がクラス長となる原因の大本は、一夏が心配した張本人だからだ。

「それは、俺が辞退したからだ」

 一夏が、後ろを振り返ってみると、相変わらず腕を組んでえらそうな態度を取っているセシルではあるが、声は昨日までのように荒くない。むしろ、落ち着いた感じがしている。昨日の戦闘でガス抜きでもしたのだろうか? とさえ思える。

「確かに、昨日の戦いは引き分けだった。だが、あれを引き分けと認めるのは、俺の矜持が許せん。あの場は、俺が圧倒的な勝利を収めて当然。それ以外は、負けと言っても過言ではない」

 一夏は、セシルの態度に唖然とした。昨日までの態度が本当に嘘のようだ。負けて反省するとは、猿並だとは思うが。

「よって、俺はクラス長は辞退し、一夏……さんにクラス代表の座を譲ることにした」

 ―――あれ? 今、わたしのこと呼び捨てにしようとした?

 セシルの微妙な部分よりも、一夏としては、むしろ、そちらに注意がいった。彼は今まで、一夏のことを名前で呼んだことはなかったのだから。昨日の戦闘で、少しは認められたということだろうか、と思うと少しだけ誇らしい。悔いのない戦いで相手に認められたのだから。少なくとも、女というくくりで一夏を見ようとしなかったセシルに一矢報いられたのだから。

 セシルが下の名前で呼ぶことについては、彼がイギリス人だから、という理由で一夏は納得していた。途中で、「さん」を付けたのは、日本語になれていなかったからだろう、と。

 しかし、一夏の予想は外れている。本当の理由は、真耶の隣で、出席簿をもって佇む千冬の視線が怖かったからだ。

 さて、何はともあれ、これで一応の決着はついた。

「よし、それでは、クラス代表は、織斑一夏で決定だ。異存はないな」

 最後の最後で、千冬が教師らしく締める。むろん、誰も異存があるはずもない。無言は肯定を意味していた。一夏も本当は、何か言いたかったが、しかし、相手が負けを認めているのだ。ここで異存を言うと、さらにややこしくなる。それに、ここまで来た以上、覆すのは難しい、と判断した一夏は何も言わなかった。いえなかった。

 そして、千冬は、いつもどおりの授業に入る。

 こうして、クラス長を決めることに端を発した模擬戦は、勝負自体は引き分けだったが、最終的には、織斑一夏の勝利で幕を閉じたのだった。




つづく










あとがき
 ようやくセシル編終了。次回は、鈴が登場です。



[25868] 第八話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/14 01:05



 クラス長による対決から数日後の授業は少しだけ雰囲気が異常だった。

 確かに今日は、IS学園に入学して初めての実機訓練だ。訓練機の『打鉄』を用いたものであるとはいえ、セシルのような専用機を持ったもの以外の人間にしてみれば、初めてISに触るのだから、雰囲気が異なるのもある種当然といえば、当然だ。

 しかし、その場の空気は、どこか色が異なるような気がする。どこかそわそわしている様な、落ち着かないようなそんな空気だ。

 そんな中、授業の始まりを告げるチャイムが鳴り、副担任の真耶がジャージ姿で現れる。彼は、小柄な身体を揺らしながらいつも浮かべている笑みのまま、ISに搭乗する際に着るインナースーツに包まれた男達の前に立つ。体格がはっきりと分かるインナースーツに包まれた集団は、軍人を目指しているものも多く、どこか暑苦しい。

 しかも、小柄な真耶が彼らの正面に立つと教師と学生というのに、どちらかというと生徒達のほうが年上に見えるのだから不思議だ。

「皆さん、揃ってますか?」

 彼らの正面に立った真耶が、綺麗に整列した男達の前に出席簿を前に彼らに尋ねる。しかし、彼の聞き方では、いない人はいませんか? と尋ねているようなものである。真耶としては、彼らを信用し、遅刻してくるものなどいないと思っているのだろうが。

 返事がなく、全員来ているのだろう、と思いながら真耶は確認のために念のため彼らの顔を見渡す。彼の頭の中にはクラス全員の顔が入っている。真耶は、彼らの顔を確認しながら、あれ? と怪訝に思った。誰か、足りないような気がする、と。誰だろうか? ともう一度確認しようとしたところで、正解が自分から近づいてきた。

「す、すいません……遅れました……」

「ああ、そうですか、織斑さ―――きゅぅ」

 申し訳なさそうな声を出してアリーナの出入り口から出てきたのは、全世界においても紅一点のIS操縦者である織斑一夏だ。真耶が倒れた理由はいうまでもないだろう。

 今日は、初めてのIS実習なのだ。当然、彼女の格好は、セシルと模擬戦を行ったときと同様に体の形がはっきりと出ているインナースーツだ。しかも、前回は、実兄の千冬と幼馴染の箒と真耶だけだった。だが、今日は、クラスメイト全員の前にインナースーツで出なければならないのだ。気恥ずかしさは前回とは比べ物にならない。

 よって、一夏はせめての抵抗として、ギリギリまでアリーナの更衣室から出なかったわけだが、それもある種失敗だった。他人と違う行動をするのだ。一夏が声を出したときに全員の視線を集めてしまった。見られる事が分かったのだろう。つい、反射的に一夏は、自分の胸を腕で隠し、できるだけ体型や肌を見られないように身をよじった。

 しかし、それも失敗だ。腕で隠された胸は、むにゅうと押しつぶされるように形を変え、一夏の胸の大きさを却って誇示しているように見える。しかも、肌を隠すように内股になり、身体を縮こませているのだ。胸を腕で隠し、縮こまっている彼女の姿は、羞恥心で真っ赤になっており、むしろ堂々としているよりもむしろエロかった。

 一夏のインナースーツ姿は、ただでさえ刺激的なのだ。今の一夏は、それを3割増し程度に刺激的であり、真耶が耐えられるはずもなかった。

 さて、彼女の格好を見て、男子達の反応は大別して三つだった。おおぉぉっ! と感嘆の声を上げてがん見するものが3割。ありがたや、と拝むもの2割。ごくりとつばを飲み、じっと見るもの2割。必死に視線を逸らそうとするが、それでもチラッ、チラッと見てしまうもの2割。そして、最後にしっかりと視線を逸らすもの1割だ。

 一瞬、時が止まったように固まった空間、その空間を動かしたのは、一夏の羞恥に耐えかねた一言だった。

「もう……あんまり見ないでよ」

 羞恥に染まった抗議。しかし、それは、一夏の魅力を底上げするだけだった。先ほどの男子の反応の比率が変わった。彼らの中で3割程度が、急に蹲るような格好になった。しかも、彼らはそろいも揃って顔を上げない。なぜ、そんな格好になったか、については割愛する。ただ、彼らを他の男子は納得したような表情で見ていた。一方の張本人である一夏は、彼らの行動の意味が分からなかったのは幸いだったのか。

 さて、そんな風にいい具合に混乱してきた彼ら―――収めるべき真耶は、気絶している―――だったが、不意に背後から聞こえてきた地獄の底から響いてきそうな声によって、正気に戻された。

「貴様ら……何をやっている」

 その声は、振り返らなくても分かった。おそらく、彼らが一番聞きたくない声だった。だが、振り返らないわけには行かなかった。数人が勇気を振り絞って振り返ると、そこには、今日使われる予定だったのだろう『打鉄』が四機、鎮座した状態で置かれていた。いや、それすらも現実逃避。彼らが本当に視界に入れなくてはいけないのは、その前に腕を組んで必死に怒りの形相を押さえ込んでいる織斑千冬だ。

「……織斑、お前はなにか羽織るものを着て来い」

 一瞬で状況を把握したのだろう。千冬は、一夏にそう命令する。一夏も、天の助け、といわんばかりにすぐさま踵返し、アリーナの中へと戻っていった。

 その一夏の後姿を、あぁ、と残念がった声で見送る数十名の男子達。だが、彼らの行動は、千冬を前にしてするべきではなかった。冷静に事態を見ていた箒―――もちろん、彼は視線を逸らした―――は、こっそりと彼らの冥福を祈った。

「さて、貴様らはどうやら、元気が有り余っているようだな……」

 ―――ああ、今日は地獄かぁ……

 一体、幾人が、それを自覚しただろうか。

 その後のことは、誰も思い出したくはなかった。ただ、翌日、誰もが筋肉痛に悩まされたことは、言うまでもない。



  ◇  ◇  ◇



「では、これより、ISの飛行操縦を実践してもらう。織斑、オルコット。試しに飛んでみせろ」

 初めての実機訓練から、さらに数週間後、ちょうど桜が散ってしまい新芽が出る頃の四月の下旬。今日も今日とて、織斑千冬が教官を行う授業を一夏たち一同は受けていた。

 千冬に呼ばれたセシルと一夏は、並んでいた列から外れて、少し離れた場所へと行く。ISを展開し、飛行までするのだ、少し開いた空間でなければならない。

 初めての授業のときは、一夏のインナースーツで騒ぎになってしまったが、今ではそんなことはない。セシルは、インナースーツのままだが、一夏の格好は、駅伝などで待機している選手が着ているような袖や丈が長いジャンバーだった。

 これは、騒動の次の日に千冬は一夏に渡したものだ。一夏は混乱を避けるためという名目上、実習のときこれを着用する事が許可された。もちろん、その決定について不満を言うような愚かな真似をした学生はいない。あの日の地獄が思い出されるのだから当然だ。だが、それでもこっそりため息を吐いたものはいたが。

 本来であれば、インナースーツそのものを改良すればいいのだが、インナースーツとは、ISとの伝導率を高めるものである。そのため、薄着のほうがいい。そのため、ほとんど裸に近い状態でインナースーツは着る。今までは、男子だけが対象だったから特に問題はなかった。予定外の事態として一夏の登場だ。しかし、一夏のためだけに体のラインがでないようなインナースーツの開発はできない。よって、妥協案がジャンバーの着用だった。

 しかし、ジャンバーで隠せるのは、ISを起動していないときだけだ。ISを起動するためには、ジャンバーを脱がなければならない。

 前を留めていたボタンを外して、一夏はジャンバーを脱ぎ捨てる。そして、耳についている待機状態の白貴に触れると召還の儀式のための文言を口にする。

「『断罪せよ。白貴っ!』」

 一夏の呼び声に応えて、耳のイヤリングが白く光を放つ。一度、イヤリングは光の粒へと分解され、やがて、その量を増して、脚部から一夏を覆っていく。まずは、脚部のパーツ。次にスカートのように広がる腰から踝までのパーツ。そして、豊満な胸を隠すように胸部のパーツが装着され、腕と翼のように広げられるスラスターが展開され、最後に頭頂部にヘアバンドのような装甲が装着されて、織斑一夏の専用IS『白貴』の展開は終わる。

 白貴が無事に展開されて、一夏はほっ、とする。

 セシルとの模擬戦の後、一番苦労したのは、実は召還のための文言だ。これがISが気に入る形でないと展開できないという素敵仕様であるため、一夏は悩んだ。そもそも、意味が分からない。非効率すぎる。緊急時はどうするんだ? という感じである。しかし、それを言っても仕方ない。すべては、どこかのプログラムのように『仕様です』の一言で済まされるのだから。

 結局は、箒とセシルと相談して決めた。最初に箒に相談をしていたのだが、テラスで話している間にセシルが近寄ってきて、勝手に相談の中に入ってきたのだ。もっとも、専用機持ちで、文言について詳しく知っていたセシルのおかげで決まったこともあって、邪険にもできなかったのだが。

「ふむ、”一夏”、展開も早くなったじゃないか。俺との特訓の成果が出たのか?」

 はっはっは、と隣で笑うのは、ブルーティアーズを展開して、一夏と同じく地面から少し離れたところで浮かんでいるセシルだった。

 ちなみに、セシルが、一夏のことを呼び捨てにしているのは、一夏が許可を出したからだ。しばらく、『一夏さん』と呼ばれていたのだが、あまりにセシルのイメージと合わず、本人もそう思っていたのだろう。言いにくそうにしていたため、文言のお礼も兼ねて、呼び捨てを許可したのだ。

 そのセシルとは同じ専用機持ちということで、箒との剣道稽古―――白貴の武器が雪片・弐式しかないため、剣道の稽古は続けている―――と交互で、セシルから専用機について教えてもらっているのだ。偉そうな態度はあまり好きではないが、教師である千冬が時間が取れないときの教師としては優秀だった。

「おかげさまでね」

「はっはっはっ! そうだろう。なにしろ、俺が教えているのだからな」

 ちょっとお礼を言うとすぐに図に乗るから、素直にお礼を言いたくないのだが。しかし、礼節にかけるような真似をしたくない一夏としては素直にお礼を言うしかない。それがセシルを増長させると分かっていても、だ。

「よし、展開できたようだな。飛べ」

「了解。お先に行くぞ、一夏」

 千冬からの命令が飛ぶと、セシルの行動は早かった。国家代表候補にして専用機持ちは伊達ではないのだろう。すぐさま、後方の四枚のスラスターから光を出力し、急上昇し、アリーナのはるか上空で静止する。

 セシルの言葉に若干遅れて、飛び出した一夏だが、その飛行速度はセシルよりも明らかに遅かった。

「何をやっている。白貴のほうがスペック上では上だぞ」

 セシルと一夏を見ていた千冬から叱咤が飛ぶが、そうは言われてもセシルとの模擬戦が終わった直後は、基本動作を一から学んでいたのだ。

 今のような急上昇、急降下を練習したのは、昨日のことだ。急上昇、急降下は、刀を振るうように操縦者が直接動きによって補完するわけではない。操縦者のイメージによって動く。一夏の教師役であるセシルによると『自分の前に三角錐があって、風を切り裂くような感じ』らしいが、いまいち分からない。

 おそらく、スペック上では、一夏の白貴が勝っているのに、セシルのブルーティアーズに追いつけないのは、まだ一夏の中でイメージが固まっていないからだろう、と考えている。

「ふむ、俺のイメージを教えたのは失敗だったか? 俺のイメージはあくまで俺が一番理解しやすい急上昇のイメージだ。一夏には、一夏のやり方ががあるだろうから、それを見つけたほうが良いかもしれないな」

「ええ、そうすることにするわ」

 放課後に訓練しているときも思うのだが、セシルは時折、このように深慮を見せることもある。いつも、こんな態度ならいいのに、とは思うが、最初の印象が強い一夏としては、もしも、次の日からセシルがずっとこんな態度だったら、真っ先に病院に行かせることを考えるため、その考えを振りかぶって捨てる。

 それよりも、問題はイメージだ。こればかりは、セシルが言うように一夏が掴むしかないのだろう。

 ―――とりあえず、図書館で航空力学の本でも借りてこようかしら?

 ISが浮遊している原理はよく分からない。いや、IS技術に関する本は持っていて、読んでいるのだが、専門用語も多い上に難解で、完全に理解しているとは言いにくい。ならば、同じく空を飛んでいる飛行機などの力学を理解したほうが早いのではないか、と一夏は考えたのだ。なにしろ、セシルは、三角錐が風を切り裂く感じ、などという本当にイメージだけであれだけの速度を出しているのだから。

「ならば、また放課後にでも、訓練してやろう。なに、礼はいらない。同じ専用機持ちのよしみだ」

「あ、今日はいいわ。今日は箒と訓練だから」

 ふっ、と気障ったらしく言うセシルの誘いを一蹴する一夏。がくっ、と肩が落ちるセシルを一夏はあっさりと無視した。

 現状、一夏の放課後は、箒との剣道稽古とセシルとのIS訓練に別れている。箒の場合は、剣道部に所属しているので、部活に顔を出さないわけには行かない、ということで、セシルの訓練は渡りに船だった。最初の一週間は、部活が始まっていないため、付きっ切りだったが。

 ちなみに、一夏は、箒が裏で剣道部に所属する部員から一夏を連れてくるように執拗に迫られていることを知らない。

「織斑、オルコット、急降下と完全停止をやって見せろ。目標は地表10センチだ」

「了解。では、次も俺が先に行かせてもらうか」

 そういうと、すぐさま地表に向けてセシルが四枚の羽から光を発しながらまっすぐと突っ込んでいく。彼の姿はすぐに小さくなり、そして、アリーナの辺りできちんと着地していた。どうやら成功したようだ。この辺りの技術に関しては、一夏は、セシルに遠く及ばない。彼の中で見習うべき一部だ。

「さて、次はわたしね」

 昨日ちょっとやっただけだが、大丈夫だろうか? と思いながらもやらないわけにはいかない。まだイメージが固まっていないな中、不安があるが、とりあえず、セシルから教えてもらった『背中にロケットを積んでいる感じ』という何とも物騒なイメージのまま、一夏はまっすぐ地表へ駆ける。

 後は、『自分をクレーンで吊り上げるような感じ』で完全停止すれば何も問題はなかったのだが―――

「きゃっ」

 やはり、地面が高速で近づいてくるのは怖い。結局、ぶつかるかもっ! という恐怖に耐え切れず、一夏は、地表から5メートル程度のところで完全停止をしてしまった。そのまま、ゆっくりと降りていく一夏。

「織斑、タイミングが早かったな。訓練を繰り返すことだ」

「はい」

 昨日、始めたのだから仕方ない。あの恐怖心を払うためには、千冬の言うとおり繰り返し練習するしかないだろう。

「はっはっは、どうだ、一夏。ここは、やはり教官の言うとおり放課後は俺と訓練しないか?」

 おそらく、千冬の評価を聞いていたのだろう。己は何も言われなかったのか、ブルーティアーズに乗ったままセシルが近づいてくる。しかし、一夏とセシルの間に割ってはいる影が一つ。

「セシル・オルコット。何を言っている?」

「決まっているだろう。一夏がISの操縦が上手くなるための提案だ」

 セシルが何を当然のことを言っているんだ? と言いたげな表情をしているが、箒は怯むことなく、ISに乗っている相手に相対しているのにまったく怯むことなく、むしろ、セシルの言葉を鼻で笑った。

「ふん、ならば、俺が剣を教えたほうがいい。一夏の武器は刀だけだからな」

 箒が言うことももっともだ。一夏が現在、持っている武器は、雪片・弐式のみ。この先の行事予定としては、クラス代表戦が待っているだけに武器の扱いは急務ともいえる。しかも、ISの操縦は千冬でも教えられるが、剣は箒しか教えられない。

 セシルと箒の視線がバチバチと火花を散らすように交差する。

 一夏がこの光景を見るのは割りと日常茶飯事だ。あの模擬戦が終わってから結構な頻度で見ているような気がする。お互いに一夏がISの操縦のことを考えていてくれるのはありがたいのだが、もう少し仲良くできないものだろうか、とも思うこともある。

 その様子を見ながら一夏は考える。

 ―――ここは、『やめてっ! わたしのために争わないでっ!』って入るべきかしら?

 しかし、残念ながら、その役目は別の人物によって奪われたようだ。

「馬鹿者っ! そんなことは端でやれっ!」

 千冬に怒られてはやめざるを得ないのか、二人は、やや不満げながらにらみ合いをやめる。お互いを視界に入れないようにそっぽ向く二人。その仕草がなんだか、子どもっぽくて、思わず一夏はくすっ、と笑ってしまうのだった。

 二人がお互いにそっぽ向いたとき、ちょうど授業の終了を告げるチャイムが鳴り、その日の実習は終わりを告げるのだった。



  ◇  ◇  ◇



「ふぅ、ようやく着いたっ!」

 夜。IS学園の正面玄関前に小柄な体躯に似合わないボストンバックを持った少年が立っていた。

 まだ暖かな四月の夜風に箒のようにうなじで結んだ髪が揺れる。もっとも、その長さは箒が腰ほどまでの長さであるのに対して、少年の長さは肩からちょっと出るぐらいの長さだ。金色のゴムがよく映える黒色の髪だった。

「ええっと、受付ってどこだっ?」

 そういいながら、少年は上着のポケットを探る。そこから出てきたのは一枚の紙。ただし、慌てたのか、あるいは適当に入れたのか、紙はくしゃくしゃになっており、少年の大雑把さが伺える。しかし、それでもめげずにくしゃくしゃになっている紙から受付の場所を何とか彼は読み出した。

「本校舎一階総合受付事務。なるほどね……って、それどこだよっ!!」

 一人、ゲート前で漫才のように自分にツッコミを入れる少年。おそらく、周りに人がいれば、奇怪な目で見られただろうが、幸いにして今は、一人だ。よって、誰も彼に何も言うことはなかった。それが、彼にとって幸運か、不運か分からないが。

「ちっくしょう、探せばいいんだろう。探せば」

 そういいながら、彼は再び紙を上着のポケットに入れる。その際に、紙がまたくしゃっ、と悲鳴のような音をあげていたが、もちろん、彼は気にするはずもない。

 しかも、ぶつくさと文句を言いながらも足は動いていた。考えるよりも行動する。それが少年のスタンスなのだろう。良く言えば、『習うより慣れろ』悪く言えば『考えなし』だ。

 ―――まったく、迎えがないとは聞いてたけど、学園も、政府ももう少し考えてくれよなっ!

 少年は一見すると日本人のように見えるが、違う。日本人と比べて鋭角的な瞳は、彼が中国人であることを示していた。もっとも、日本は彼にとっても第二の故郷とも言うべき土地だが。

 ―――誰かいないかな?

 少年はキョロキョロと案内役を探すために周囲を見渡す。しかし、時間帯は午後の八時。校舎の明かりは落ち、誰も外を出歩くような時間ではない。よって、彼を案内できそうな人影は何所にもなかった。

 ―――はぁ、空飛んで探すかな?

 一瞬、名案っ! とも思ったが、ここに来る前に読んだ電話帳三冊分の学園規則を思い出してやめた。なにより、まだ入学手続きも終わっていないのにISを起動するなど暴挙を起こしてしまえば、外交問題にも発展しかねない。少年の短絡さを知っている政府の人間が、ここに来る前に必死に頭を下げていたのを思い出した。それを思い出して少しだけ気分が晴れる少年。

 ―――ふふん、僕は重要人物だからね。少しは自重しておこうかな。

 昔から『年を取っているだけで無駄に偉そうな大人』が嫌いな少年にとって今の環境は非常に居心地がいいものだった。ISの適正が高く、また操縦技術も群を抜いて高いために第三世代の選抜に選ばれて専用機まで与えられたのだ。彼の重要度は中国国内でもかなり高いほうといえる。子どものご機嫌取りを政府の高官がしなければならないほどに。

 そして、彼がもう一つ嫌いな人間がいる。それは、『少年の身長を揶揄してくる人』だ。今も155センチ程度で男子としては小柄に入るが、少し前はまだ低かった。男子の中でも断トツで背が低いほどに。だから、小学生時代のあだ名は『チビ』だった。しかし、そのあだ名を嫌った少年は、暴れた。それはもう、暴れた。身体能力の高さも仇となったのか、身長のハンデも関係ないほどに彼は喧嘩が強く。気がつけば、一人で孤立してしまうほどに。

 女子は、女子で身長の低さを揶揄するように『可愛い』といって、頭を撫でる。それがまた癇に障った。

 ―――でも、あの子は違った。

 思い出すのは、一人の女の子。中学時代に出会った女の子。偶然となりになっただけの女の子だが、今までの女子のように嘲笑も何もなかった。ただ、彼を彼として認めてくれた女の子。彼が日本に帰ろうと思った理由だ。

 ―――元気かなぁ?

 おそらく、元気だろう。彼女はいつだって、笑顔で、元気だった。元気でないところを見たことがない。いや、正確には見たくないのかもしれないが。

 そんなことを考えていた少年の耳に人の話し声が入ってきた。よかった、案内してもらえるっ! と思って駆け出した少年だったが、すぐに身を隠すことになる。

 見えた人影に見覚えがあったから。そう、忘れない。忘れられるはずもない。あの特徴的な黒髪のポニーテールは、間違えようがなかった。いや、彼が隠れた理由は彼女にあるわけではない。問題はその隣を歩く男だ。豪華な金髪が特徴的な背の高い男。その男は彼女と仲良さそうに話しかけていた。その光景にショックを受けて思わず少年は隠れたのだ。

 ―――隣の男、誰だよっ!。どうして、そんなに親しそうなんだよっ!

 彼女の姿を見たときに一瞬だけ、高鳴った心臓は、すっかり成りを潜め、その代わり、今は胸に苛立ちと疑問が雪崩れ込んできていた。

 中学時代、彼女は、男子と親しくすることなどなかった。親しくしようとした男子はいるみたいだが。唯一の例外が少年だ。少年だけが、彼女の隣にいることを許された。それは密に彼の自慢だった。だが、今は自分以外の男が隣にいる。その光景を目の前にして苛立ちが湧かないわけがなかった。

 しかし、ここで乱入するわけにはいかず彼女―――織斑一夏の中学時代に唯一隣にいることを許された少年―――鳳・鈴栄は、物陰に隠れて、彼らが通り過ぎるのを待つしかなかったのだった。




つづく








あとがき
 鈴登場。中国名は、良い名前が思いつかなかった……。イメージは五飛さんみたいな感じ。



[25868] 第九話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/16 01:06



「というわけでっ! 織斑さん、クラス代表決定おめでとうございますっ!!」

「おめでとうございまっ!!」

「へ?」

 パンパンと火薬が爆発するような音がして、次に複数の「おめでとうございますっ!」の声。さらに、大量に舞う紙吹雪。誰も手加減というものを考えなかったのだろう。多ければ多いほどいいというような考えに基づいたかのような量だった。

 一方、その大音量と大量の紙吹雪に迎え入れられた一夏は、まったく状況がつかめていない様子で、呆けた顔をしており、おそらく事情を知っているであろう隣に立つ箒に視線を移す。

 しかし、箒は一夏を騙して連れてきたという意識があるのか、そっぽ向いてそ知らぬ顔をしていた。もしも、箒がもう少し茶目っ気があったならば、吹けもしない口笛を吹いているような仕草をして見せたかもしれない。

 ここに来る経緯は、いつものように箒から剣道の稽古をつけてもらい、稽古が終わった後に箒が珍しく、食堂で一緒に食事を取ろうというから、シャワーを浴びた後に制服に着替えた一夏は、こうして寮の食堂へ来たのだが、どうやら、箒に担がれたらしい。珍しいことをするものだ、と思っていたのだが、まさか、こんな裏があろうとは一夏も予想ができなかった。

「ささっ、主役は中心へ」

 呆けて、箒を睨んでいる間に気づけば、人の波に押されて、食堂の中心へ連れて行かれる。さらに、食堂の中心についた一夏に紙コップが渡され、さらには、コップにはジュースが注がれる。ここまでの一動作は、すべて別人が行っている。もしも、クラスによる団結力を測るならば、一組は断トツだろう、と目まぐるしく変わる状況に思考がついていけない一夏は、冷静な一部分を使ってそう思っていた。

「それではぁっ! 改めまして、織斑一夏さんのクラス代表決定を祝しまして、かんぱ~いっ!」

 誰かが音頭を取っているのだろう。残念ながら、男子に埋もれている一夏は、誰が音頭を取っているか分からないが。その音頭を取った男子に続いて、多数の男子が先ほどと同じように「かんぱいっ!」と唱和する。一夏は、まだ状況がすべて把握する事ができず、思わず乗せられたように一テンポ遅れて、一人、「かんぱい……?」と口にしていた。

 それで、とりあえずの段取りは終わったのだろう。まるでパーティーのフリータイムに入ったように一同がガヤガヤと騒がしくなった。

 ―――い、一体、なんなのかしら?

 ここまできて、全容を把握できない一夏。しかし、天井からかかっていた横断幕を見て、ようやく事態が飲み込めた。

『織斑一夏さん、クラス代表決定祝賀パーティー』

 そう、パーティだ。パーティらしい。しかも、主役は自分で。クラス代表になったことに対してのサプライズパーティーらしい。主催は誰だろうか。見覚えのある男子ばかりなので一組だとは思うが、それにしては、寮の食堂が大半埋まるほどの人数なのだ。この場にいるのは一組だけではないだろう。

 少し耳を澄ませてみれば、色々な声が聞こえる。

「いや~、これでクラス対抗戦が盛り上がるな」

「やっぱり、せっかく女の子がいるんだから華があるほうがいいよなぁ~」

「俺らラッキーだよな。学園で一人の女の子と一緒のクラスになれるなんて」

「ISを操縦しているところも見られるしな」

「というか、織斑さんのインナースーツ姿を思い返すと俺は……はぁはぁ」

「ば、バカ野郎っ! 織斑教官に聞かれたらお前死ぬぞっ!」

 一部、不穏な話が聞こえてきたような気がするが、一夏は、それを気のせいということにして、気にしないことにした。今までも、似たような体験はあったので、気にしないことは慣れている。

「あ、あの、織斑さん」

 今から、飲み物でも飲んで、パーティーが始まる直前で分かれた箒か、あるいはこの場にいるであろうセシルと合流しようと場所を動こうとした一夏は、自分の名前が呼ばれたような気がして、振り返る。すると、そこにはIS学園の男子の制服に包まれたクラスメイトが立っていた。残念なことに一夏は、彼の名前を知らなかった。顔は見たことあるのだが。

「えっと……なにかしら?」

 名前を覚えていない気まずさを感じながらも、一夏は、微笑を浮かべたまま、彼に先を促した。

「そ、そ、その……く、クラス代表おめでとうございますっ! お、俺、応援しますからっ!」

「あ、ありがとう」

 彼が余りに緊張しすぎているのか、どもる声と固い表情に若干引きながらも、一夏はお礼を言う。彼の態度が気になるが、それでも、応援してくれているのは分かる。ならば、お礼を言うのが筋というものだろう。単に礼儀としてお礼を言っただけ、だが、彼は、喜びを隠すことなく、笑顔になり、「失礼しますっ!」と頭を下げた後、友人達がいるであろう男子達の集団に駆け足で戻っていった。

 ―――な、なんだったんだろう?

 ただ、お礼を言っただけで、あそこまで喜ばれるのは、奇妙な感覚だった。一体、何が嬉しいのか一夏には分からなかった。

 その後、似たようなことに何度か襲われながらも、一夏は、先ほどと同じようにお礼と一言をつけて、彼らに対応するのだった。

 似たような集団を対応し続けて、30分程度経っただろうか。ようやく、一夏に声をかけてくる人はいなくなった。誰も彼もが、友人と一緒に話に花を咲かせている。しかし、おそらく、主役であろう自分が、最初だけで放置されると彼らは、自分を出汁にして騒ぎたいだけなのでは? とも思ってしまう。

「人気者だな」

「……わたしを見捨てて、何所にいたのよ?」

 誰も話しかけてこなくなったタイミングを計っていたのだろう。いつの間にか隣には箒が立っており、右手には紙コップ、左手には料理が乗せられた紙皿を持っていた。紙皿の上には、肉、野菜、ご飯が均等に乗っていた。おそらく、一夏からは男子の壁に隔てられて見えないが、向こう側には、バイキング形式で料理がおいてあるのだろう。箒はそれを取ってきてくれたのだ。

「これで足りるか?」

 一夏の質問に苦笑しながら、箒は質問に答えず、誤魔化すように左手に持っていた紙皿を差し出した。

「……ありがとう」

 納得できないが、剣道の稽古でお腹が減っているのも事実。これで、誤魔化されてやろうと一夏は、箒から料理を受け取る。

「わたしは、夜はあんまり食べないから十分よ」

 夜は、寝るだけなので、一夏は、あまり晩御飯は量を食べないようにしていた。スタイルが崩れるのも怖かったが、健康に気を使う、という意識もあったからだろう。親友には、若いのに……、といわれた事があったが、料理を趣味にしていると食事に関する健康法は嫌でも耳に入るのだから仕方ない。そして、体に毒になると分かっていて、実行する気になれなかった。

「……許してやってくれ」

「何を?」

 いきなり箒が何かを言い出して、一夏は思わず聞き返す。箒の言葉が足りないのは慣れているが、このタイミングで、許してやってくれ、といわれても訳が分からない。

「彼らの態度だ。女の子に慣れてないらしくてな。一夏とどう話していいか分からないらしい」

 箒が運んでくれた料理を口にしながら、一夏は、なるほど、と思った。

 IS学園に入学してくる男子というのは、優秀だ。当然といえば、当然だ。彼らは将来、国防を担う軍人になるのだから。よって、優秀な人間の囲い込みは早い時期から行われる。早い人で小学校のうちから、遅い人でも中学校に上がる前には、IS学園の予備校のような国の専門学校に入学させられる。もちろん、本人の意思つきではあるが。

 一夏は知らないが、セシルも両親の遺産を守るために比較的早いうちから政府によって囲い込まれ、専用機が与えられるほどになっている。

 そして、IS学園に入学するための学園だ。男子校になるのは言うまでもない。早い奴で小学校の低学年から男子だけの世界で生きてきたのだ。IS学園に入学して、急に女子が現れれば、戸惑うのも無理はない。

 なるほどね、と一夏はもう一度、このIS学園に入学してからどこか余所余所しい男子の態度にようやく納得した。

「はいは~いっ! 新聞部で~すっ! 話題の新入生、織斑一夏さんに突撃インタビューに来ましたっ!!」

 場が少し落ち着きかけたというのに、それをかき乱すように騒がしい乱入者が姿を現したようだ。いきなり食堂の入り口から現れると男子の波を「はいはい、通してね」と言いながら無理やって割ってくる。しかも、周りは囃し立てるようにオーッと声を上げていた。

「初めまして、織斑さん。俺、二年の黛薫。よろしくね。新聞部の副部長やってる。はい、これ名刺」

「あ、ありがとうございます」

 男子の波を割って出てきた先輩は、どこか嘘くさい笑みを浮かべた二年生の先輩だった。肩からかけた一眼レフのカメラがいかにも新聞部と主張しているようにも見える。

 黛薫と名乗った彼は、最初は、一方的に挨拶するだけだったが、最後は、丁寧に企業の人が名刺を差し出すように両手で名刺を差し出してきた。

 彼のテンションの高さに圧倒された一夏だったが、丁寧に名刺を差し出されては、受け取らないわけにはいかない。持っていた紙コップと料理を隣に立っていた箒に渡すと一夏も両手で名刺を受け取った。

 名刺には、実に画数の多い文字で名前が書かれており、肩書きなのか『IS学園新聞部副部長』の文字。それと自前の写真と連絡先が書かれていた。至って普通の名刺だが、一介の学生が持っている可能性は低いだろう。

「では、織斑さん、早速ですが、クラス代表候補になった感想をどうぞっ!!」

 まるでテレビの中でしか見たことないようなボイスレコーダを差し出して、無邪気な笑みを浮かべて、瞳を輝かせている。そこには、一夏が勝手な偏見で思い描いている芸能レポーターが浮かべているような下種びた笑みはなかった。

 しかし、急に感想をどうぞっ! と言われても困る。しかし、わざわざ一年生の中を掻き分けて自分をインタビューに来てくれた先輩の期待を裏切るのも忍びない一夏は、何とか言葉をひねり出した。

「わたしみたいな初心者がクラス代表になって良いのか分かりませんが、代表になった以上、やれる限り頑張ります」

「あ~、普通。普通だな。もっと、こうネタになるコメントくれよ。例えば、『わたしがIS学園の女王様になるっ!』とかさ!」

「いやいや、ありませんから」

 茶目っ気たっぷりで言う薫がよほど癪に障ったのだろうか、一夏は間髪いれずにツッコミを入れていた。これがセシル辺りであれば、拳の一つでも飛んでいたかもしれないが、相手は先輩だ。言葉だけにしていた。

「そっか。じゃあ、まあ、適当に捏造しておくか」

「捏造しないでくださいよ」

 それは、新聞とは言わず、ゴシップというんじゃないだろうか、と一夏は思ったが、先輩はどうやら聞く耳を持っていないらしい。一夏の要求を聞かない振りをして、次のターゲットに狙いを定めたようだ。

「お~い、セシル君も、なんかコメントくれよ」

「ふっ、仕方ない。こういったコメントはあまり好きではないのだが」

 いつの間にか一夏の近くにいたセシルが、薫に呼び出されるようにして一夏の前に現れた。箒が隣にいたため、セシルのことはすっかり忘れいていた一夏からしてみれば、セシルってば、そんなところにいたんだ、ぐらいの扱いである。

 しかも、彼は最初から新聞部が来ることを知っていたのだろうか、いつもよりも豪華な金髪が綺麗に整えられているような気がする。

 一夏も知っていれば、髪をもう少し綺麗に整えてきたのに、とは思いながら、ポニーテイルの先を弄るが、後悔先に立たずとはよく言ったものである。

「コホン、まず、俺が一夏にクラス代表を譲ったかというとだ―――」

「あ、やっぱりいいや。男の話なんて誰も聞きたくないだろうし。写真だけくれ」

 自分から言い出した割には、セシルの話が長くなりそうだ、というのを新聞部副部長の勘が告げたのだろう。面倒くさそうにセシルの話を途中できった。しかし、仕方ないといった割には、饒舌に話しかけたセシルからしてみれば、たまらない。

「最後まで聞けっ!」

「はいはい、読者が求める声を届けるのが俺の役目。とりあえず、そこに二人並んでよ。写真取るからさ」

「なに?」

 セシルの怒りの声を軽くいなして、薫は首から下げていたカメラを弄りながら調整を行っていた。しかも、どうやら二人というのは、一夏とセシルのことらしく、右手で弄りながら左手で一夏にセシルの方に行くように指示していた。

「わたしとセシルを撮るの?」

「二人とも学園の中でも珍しい専用機持ちだからね。ツーショットが欲しいんだ。一応、前回の模擬戦の解説とか織斑教官に頼んで特集号だから、健闘を称えて握手って感じでお願い。あ、セシル君も織斑さんも待機状態のISが見えるように」

 実に細かい指示を飛ばす薫。従う理由もないのだが、従わない理由もない。一夏は、ここまで来てくれたのだから、仕方ないか、と思い、セシルに近づく。しかし、遠くからは分からなかったが、近づくとどこかセシルの様子がおかしいことに気づいた。なんというか、そわそわしているような気がする。何か気が気じゃないことがあるのだろうか。

 少し考えてみて、一夏には彼が落ち着かない理由がすぐに分かった。

「セシル、そんなに緊張しなくてもいいじゃない。ただ握手するだけなんだから」

「ば、馬鹿なっ! 俺は緊張などしていないっ!」

 誤魔化すようで、誤魔化しきれていない。その様子がなんだか、子どもっぽくて、セシルから見えないようにくすっ、と苦笑した。

 セシルが、国家代表候補になったのは、入学する前だ。つまり、その前からIS開発に携わっていたことになる。つまり、セシルも他の男子達と同じように女子になれていないと一夏は思ったのだ。話すのは大丈夫だが、話すのと触れるのは異なる。だから、緊張している、と一夏は思っていた。

「はいは~いっ! それじゃ、撮るよ」

「ほら」

 薫に急かされ、一夏は、右手を差し出す。セシルが一夏の手を取るだけだ。

「ふんっ」

 一夏の手を握るのが照れくさいのか、セシルは、ややそっぽを向きながら仕方ない、と言いたげに鼻を鳴らすと一夏の手をとる。一夏も、さすがに男子の手に触れるのはずいぶんと久しい。

 ―――やっぱり男子の手って大きいなぁ。

 思わず、そんなことを考えてしまう一夏。しかし、その一方で、セシルの男の子らしい手の大きさとは逆に一年ほど前に引越しのために遠くへ行ってしまった幼馴染を思い出す。彼の手を直接握ったことはないが、それでも大きさは自分達とほとんど変わらなかったような気がした。

「はい、それじゃ、撮るよ。はい、チーズ」

 お決まりの台詞で、薫のシャッターがかしゃかしゃと切られる。普通に終わっていれば、これで終わりだったはずだ。しかし、撮られた写真は普通に終わっていなかった。なぜなら、一夏とセシルの周りにはいつの間に近づいたのか、一組のクラスメイトたちが集まっていたからだ。しかも、箒まで気づけば、一夏の隣にいる。

「き、き、貴様らぁぁぁっ」

 せっかく、一夏とのツーショットが撮れると思っていたセシルからしてみれば、怒り心頭だ。余計な水を指したクラスメイトに吼えるセシル。彼の怒りを受けてか、クラスメイト達は一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 その光景を見ながら、一夏はやれやれ、と肩を落とす。なんとも、グダグダになってしまったからだ。

 しかしながら、このパーティーにおける一枚の思い出になったことは間違いなかった。



  ◇  ◇  ◇



「一夏、中国の代表候補が転入して来るそうだ」

 昨日のクラス代表就任パーティーから一夜明けた次の日の朝。席に座った一夏に箒が近づいてきて、転入生の話を始めた。一夏からしてみれば、転入生が来る、という情報自体は、ふ~ん、と流す程度だ。それがたとえ、中国の代表候補生としても。むしろ、気になるのは、箒がそんな話を振ってきたことだ。

「箒が、気にするなんて珍しいわね」

 言外に、どうして、そんなことをわたしに言うの? という意味を込めてみる。

「もしかしたら、そいつがクラス代表戦にでてくるかもしれないからな。情報としては持っていたほうがいい」

 どうやら、一夏を心配してのことらしい。確かに、現状の情報では、せいぜい国家代表候補になるような生徒は四人しかおらず、また専用機持ちは、四組の一人のみだ。もっとも、その四人は、セシルを除いてクラス代表になっているというのは間違いない。専用機を持っていないとはいえ、代表候補というのは、量産機でも十二分な腕前を持っている。舐めてかかれば負けてしまうだろう。

 だからこその情報収拾だ。前もって対戦相手が国家代表候補と知っているのと知らないのでは、心構えが異なる。

「稽古をつけている身としては、優勝して欲しいからな」

 優勝は無理にしても、それに近いところまでは行ってほしいと思うのは、師匠という立場からしてみれば、当然のことだ。だからこそ、箒は、一夏のために苦手な情報収集も行っていた。むろん、惚れた相手が負けるところを見たくないというのもあるだろうが。

「なに、このセシル・オルコットが訓練をつけているのだ。一夏が優勝することなど容易いことだ」

 いつの間にか、セシルが一夏の席に近づいていた。しかも、箒との会話を聞いていたのだろう。自らの訓練を持ち出して容易いことだと豪語して見せた。戦うのは、セシルではなく一夏のだが。

 もっとも、そうはいうものの、一夏はセシルにも確かに感謝していた。セシルにISを、箒に剣道を見てもらうことで、確かに操縦は上手くなっているからだ。昨日できなかった事が、今日はできる。それが確かに実感できた。一人では、おそらく不可能だっただろう。

「―――うん、やれるだけやってみましょう」

 師匠ともいえる二人が望んでいるのだ。それなりに頑張ればいい、と思っていた一夏だったが、本気で狙えるところまで狙ってみようと思いなおした。

「織斑さん頑張れ~」

「もしも、織斑さん優勝してくれたら、俺ら学食半額だよな?」

「なにっ! それは、是非とも織斑さんに優勝してもらわなければ」

 彼らが言っているのは、クラス代表戦における優勝組への商品のことだ。半年間、学食を使用した場合、すべての商品が半額となるのだ。男子からしてみれば、いつもの料金で倍の量が食べられるため、どのクラスも狙っていると聞く。しかし、通常のメニューですら、男子用で多いと感じているのに、さらに食べるができず、あまり魅力を感じなかったが。

「でもよ、今のところ専用機を持っているのって四組だけだから、優勝できる確率高いんじゃねぇか?」

 本気で議論しているところで、誰かが不意に口にした。

 確かに専用機は、個人専用となり、適応化が進むため、量産機とは異なり、時間が経てば経つほどに強くなっていくが、それでも一夏の腕前が国家代表候補に選ばれる連中に追いついているか、と問われれば、甚だ疑問だ。油断していれば、量産機でもやられてしまうだろう。

 よって、楽観視はできない、そうクラスメイトに伝えようと思ったところで、不意に入り口がガラガラと開いた。

「―――その情報古いねっ!!」

 勢い良く言葉を発したのは、入り口に立っている誰か。一夏は、その声に酷く懐かしい気分にさせられた。

「二組も専用機持ちがクラス代表になったから、そう簡単に優勝なんてできないもんねっ!」

 入り口に立っていたのは、背の低い男子。黒髪は、日本人であれば誰でも持っている髪であろうが、鋭角の目は、彼が日本人ではなく、中国人であることを示している。そして、一夏は、そのような容姿と先ほどの声に心当たりがあった。

「鈴? 鈴なの?」

 思わず思いついた懐かしい名前を一夏は口にしてしまう。一夏が彼の名前を口にしたのを聞いたのだろう。彼は、どこか子どもっぽい笑みをにっ、と浮かべると腕を組んだまま嬉しそうな声で言う。

「やっほ! 一夏、久しぶりっ! 鳳・鈴栄、中国代表候補および専用機持ちになって戻ってきたよっ!」

 一夏からしてみれば、約一年ぶりの再会となるもう一人の幼馴染である鳳・鈴栄との再会だった。



つづく



[25868] 第十話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/17 21:54



「やっほ! 一夏、久しぶりっ! 鳳・鈴栄、中国代表候補および専用機持ちになって戻ってきたよっ!」

 一夏の呼びかけに応えるように鈴栄が手を挙げて、嬉しそうに笑いながら、一夏の下へ近寄ってくる。

「わぁ、一年ぶりぐらいね。元気だったっ!?」

「もちろんだよ。一夏は?」

 久しぶりに再会した友人がよほど嬉しかったのだろう。先ほどまで話していた箒もセシルの存在も忘れたように一夏も鈴栄に近寄って、わいわいきゃあきゃあ、話し始める。まるで、女の子同士が再会したように。

 もっとも、男二人からしてみれば、鈴栄の身長は一夏と同じか、少し低いくらいなので、もしも、制服でなければ、鈴栄が男だとは思わなかっただろう。

 久しぶりの再会で、積もる話もあるだろうから、しばらく静かにしておこう、と腕を組んでふぅ、とため息を吐く箒。一方、セシルは、一夏と話している最中に突然割り込んできた鈴栄に腹を立てていた。

「おいっ! 貴様、二組の人間が何をしに来たっ!!」

 まるで、一夏と鈴栄の二人の会話を邪魔するように今度はセシルが割り込む。誰もが、一夏に会うために来たんだろう、とは思った。しかし、セシルに割り込まれた鈴栄は、あっ! と何かを思い出したように声を上げた。

「そうだっ! 忘れてたっ! 今日は宣戦布告に来たんだっ!」

 トテトテと一夏の正面で話していた位置から少しだけ移動し、今度は、割り込んできたセシルの正面に立つ。欧米の血が入っているためか分からないが、セシルの身長は高い。箒の180センチには届かないものの170センチはある。よって、セシルの真正面に鈴栄が立つとまるで大人と子どもの身長差があるようにも見える。

 そんなセシルに対して鈴栄は臆することなく、びしっ! と人差し指をセシルに向けると高らかに宣戦布告を行った。

「イギリス代表候補生、セシル・オルコット! 来月のクラス代表戦で勝負だっ!」

 高らかに成された宣言。しかしながら、周りの反応は、無言だった。全員が何を言っていいのか分からないのだ。何を言ってもどうしようもないような気がして。だからこその無言。しかし、気まずげな雰囲気やセシルへ向けられた哀れみの表情は存在した。

「ん? なんか、僕間違えた?」

 鈴栄も何か不穏な空気を感じたのだろう。米神に冷や汗を流しながら、何か失敗しただろうか、と考える。しかし、違う。確かに間違っている。しかし、それを指摘することは、セシルにさらに追い討ちをかけるようで誰も何もいえないのだ。

 鈴栄が昨日の今日転入して来たなら、彼もあの一夏とセシルの戦闘の結末を知らないはずだ。もしも、それをセシルの『イギリス国家代表候補』という肩書きのみで判断したならば、クラス代表をセシルと思うのも間違いではない。いくら一夏が、女性初のIS搭乗者と言っても、クラス代表になるのは無理だろうから。

 誰もが納得できる勘違い。故に、誰も指摘できなかった。しかし、誰かが正してやらなければならない。だから、動いたのは、このクラスで鈴栄の唯一の知り合いである一夏であった。

「鈴……あの、クラス代表はわたしなんだけど……」

「え?」

 驚いた表情をしているのは鈴栄だ。そもそも、二組の連中は一組の内容を教えなかったのだろうか、と考えたが、今は、朝のHRの前だ。転入生として紹介されるのはその時であろう。つまり、二組にも知り合いはいないのだ。もしも、鈴栄が、このような真似をするのを知っていれば、誰か止めただろう。

「う、うそっ!?」

「ほんと」

 一夏から告げられた真相を真実を否定したかった鈴栄だが、真面目に一夏に答えられては信じないわけがなかった。

 真実のあまりの重さにがくっ、と膝を床に着く鈴栄。

「そ、そんな……ティオにまで確認したのに……」

 昨日の夜、アリーナで二人を見かけて、その後、事務室でおじさんからセシルと一夏との戦闘を聞いて―――この時、おじさんは、あまり興味がなかったのか、国家代表候補のほうがクラス代表になったんじゃないか、と一般的な回答を鈴栄にした―――さらには同室のティオにイギリス代表候補だと確認までした。もっとも、同室の彼は、セシルがクラス代表になったとは一言も言っていない。

「どうして、こいつがクラス代表じゃないんだよっ! こいつ国家代表候補なんだろっ!?」

「そうなんだけど……」

 これまでの経緯を説明するのは面倒だったが、一夏は最初からセシルと一夏のクラス長を決める模擬戦からクラス長が決まるまでの経緯を話し始めた。

「……つまり、こいつは、初期設定のままISを動かしてる一夏に当てられなくて、さらに、あっさりやられちゃった、と」

 鈴栄に質問に一夏は、どう答えたものか、と逡巡する。鈴栄の背後に見えるセシルが見えたからだ。あははは、と呆けているセシルを見るに、うん、と素直に答えられない。もう、彼のライフはゼロよ、と言いたいくらいにセシルは打ちのめされていた。しかし、鈴栄の質問に否、と答えることもできない。なぜなら、鈴栄が言ったことも事実だからだ。

「……まあ、そんなものね」

 だから、少しだけぼやかして答えるのが精一杯だった。もちろん、それでもセシルにとどめになったのは事実だが。

「そうなんだ。それで、一夏がクラス代表に……。あ~あ、一夏がクラス代表って知ってたら、二組のクラス代表になんてならなかったのにな」

 鈴栄がターゲットにしていたのは、あくまでもあの夜、一夏の隣で仲良さげに話していた金髪の男性―――セシルだけだ。一夏ではない。よって、鈴栄がクラス代表になって、一夏と戦うことは不本意だった。

「そうだっ! 今から、変更してもらうっと」

 昨日の夜に半ば無理矢理、脅し取ったに近いクラス代表の権利だが、相手がセシルではないなら、鈴栄にとっては無用の長物だった。何より、昨日の夜、元クラス代表は、ざめざめと泣きながら、鈴栄にクラス代表の権利を譲っていたから、今更でも、返すといえば、喜びこそすれ、拒否することはないだろう、と鈴栄は思っていた。

「ねえ、一夏。僕がISの操縦教えてあげるよ。僕が教えれば、きっと優勝なんて簡単だからさっ!」

 そう、それがいい、と鈴栄は、何気なく言ったことだが、名案のように思えていた。

 一夏にISの操縦を教えるということは、少なくともISの操縦を教えている間は一緒にいられるということだ。クラスが別々になってしまったのだから、こういうところで、関係を作っておくべきだ、と鈴栄は思った。

「ちょっと待てっ! 一夏に操縦を教えるのは俺だ」

 鈴栄の提案に反対するのは、現在、ISの操縦を教えているセシルだろう。彼からしてみれば、鈴栄は、突然、現れて、自分の教師役を取っていこうとしているのだから当然だ。

 しかし、そのセシルを鈴栄は胡散臭そうな目で見ていた。

「え~、あんたが?」

 その声には、不満げな色がありありと見て取れた。

「一夏みたいな初期設定も終わっていない機体に負けちゃうような君が教えてたら、上手くなんないよ。それよりも、僕が教えたほうが絶対、上手くなるからっ!」

 ねっ! と一夏に同意を求めるように笑顔を向ける鈴栄。しかし、一夏には、鈴栄にどうやって答えていいのか分からない。

 少なくとも、セシルのこれまでの操縦技術を教える時間が無駄だったとは思えない。確かに教えるには向いていない性格かもしれないが、それでも、教えようという気概はあった。彼の指導によってできるようになった基本動作も多々ある。だから、ここで、急に鈴栄に乗り換えるような真似はしたくなかった。

「ちょっと待て、貴様。先ほどから、俺のことを馬鹿にしているのか?」

「え? 今更、気づいたの? おっそいな~」

 セシルの怒気の篭った声色に驚く一夏を余所に、鈴栄は、その怒りを受け流すように相手にしない。

 その様子を一歩はなれて見ていた箒からしてみれば、どこかデジャビュを感じる光景。いつかの焼き直しだった。

「決闘だっ!」

「いいよ」

 ああ、やっぱり、と周囲の誰もが思った。決闘しか物事の決着をつけられないのか、とも思ったが、この場合は、正しいことに少し遅れて気づいた。なぜなら、この場を収めるためには、どうやってもISの戦闘は避けられないだろうから。

 しかし、喧嘩っ早いにもほどがある。もう少し、何とかならないものか、と一夏は思うものの、男の子とはそういうものだろうか、と逆に納得したくもなる。

「でも、どうするの? 君が望んでるような決闘はできそうにないよ」

「ぐっ」

 ニヤニヤと笑う鈴栄と鈴栄が言っていることの意味が分かるのか、図星を指されたように言葉に詰まるセシル。

 彼らが望んでいるのはISによる模擬戦だ。だが、IS同士―――しかも、専用機同士の模擬戦ともなれば、簡単にできるものではない。アリーナを貸しきったり、日程の調整などをしなければならないのだから。しかし、クラス対抗戦の準備期間に入っている今にそれが行えるとは思えない。おそらく、彼らが望む決闘ができるとすれば、クラス対抗戦が終わった後だろう。しかし、それでは遅すぎるのだ。

「まあ、唯一、できそうな機会は、誰かさんが負けた所為でできないしね~」

「ぐぅ……」

 ぐうの音も出ないとはこのことだろうか。当然、鈴栄が揶揄しているのは、クラス対抗戦のことだ。お前が一夏に負けなければ、クラス対抗戦で決闘の約束もできただろうに、と鈴栄はそういいたいのだ。しかし、現実は一夏がクラス代表で、セシルは、ただの観客。鈴栄は、二組のクラス代表だが、セシルは一般生徒だ。

 鈴栄の明らかに馬鹿にしたような言い方にセシルは何も言い返せない。負けたのは事実だ。それは、セシルの中で認めているため、言い返すことは、己の決定を覆すことになる。それは、セシルのプライドにかけて許せなかった。

 また、ここまで言われれば暴力に物を言わせてもおかしくはないのだが、それでは意味がない。腕力で勝ったところで意味がないのだ。相手が馬鹿にしているのはISの腕についてだ。ならば、暴力を片をつけても仕方ない。むしろ、ISの操縦に自信がないから、暴力に訴えた、といわれるだけだ。

 結局、この諍いを収めるためにはISの模擬戦で白黒はっきりつける必要がある。

 怒ってはいても、そこまで考えられるほどにはセシルは冷静だった。

 ならば、セシルがやらねばならないことは一つだけだった。

「――― 一夏」

「え、なに?」

 半ば、二人の言い争いに置いてきぼりだった一夏は、自分の名前を呼ばれたことでようやく意識が追いついた。もっとも、直後のセシルの行動で、またしても意識は置いてきぼりにあってしまうのだが。

「頼む、クラス代表の権利を譲ってくれ」

 直立になって、セシルはばっと九十度に近い形で頭を下げる。この行動にはクラスの誰もが度肝を抜かれた。セシルの態度といえば、一番最初に来るのは『偉そう』という評価。そのセシルが、一夏に対してだが、頭を下げたのだ。驚かないわけがない。一夏との関係で、周りの人間よりも少しだけ関わりの深い箒でさえも目を丸くして驚いていた。

 そして、一番驚いていたのは、一番最初にセシルの態度によって厄介ごとに巻き込まれ、現在は、セシルに頭を下げられている張本人である一夏であろう。

 ―――頭を下げてる? あのセシルが?

 そして、現状に頭の処理が追いつかない一夏は思わず言葉を口にしていた。

「うん」

「そ、そうかっ! ありがたいっ!」

 ばっ、と頭を上げて、欲しいおもちゃが手に入った子どものように無邪気な笑みを浮かべるセシル。本当は、現状に処理が追いつかなくて呆けていただけだが、今更、撤回するのは難しそうだった。

 しかし、昨日は、パーティーを開いてくれるほどに喜んでくれたのだ。今更、一夏が勝手にセシルを代表にしていいものか? とも思ったが、周りの反応は悪いものではない。「面白くなった」とか「専用機同士の決闘か」「しかも、国家代表候補同士だろう?」「織斑さんか、国家代表候補の決闘か。悩むな」という感じだ。

 それに、よくよく考えてみれば、一夏はセシルのようにどうしてもクラス対抗戦に出たかったわけではない。クラス長に選ばれ、皆が望み、そして、師匠である二人が期待してくれるので頑張ろうと思っただけだ。ならば、セシルのように出たいと望んでいる人に譲ってもいいのではないか、と、そう思うことにした。

「聞いたなっ! 小猿っ! クラス対抗戦で決闘だっ!」

 びしっ! と先ほどの殊勝な態度はどこへやら、いつものセシルの態度が復活し、びしぃっ! と人差し指を鈴栄に突きつけていた。

 一方の鈴栄も心穏やかではない。それは、セシルが鈴栄のことを『小猿』と読んだことに起因する。彼は、小さく見られる事が嫌いだ。先ほどまではからかう意味で、セシルを馬鹿にしていたが、自分を小猿などと呼ぶのであれば、容赦はしない。

「ふんっ! いいよ。せめて、一夏の前で無様に負けないようにするんだね」

「貴様こそ、俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる」

 バチバチ、とセシルと鈴栄の間にバチバチと火花が散ったような気がした。おそらく、一夏の気のせいだろうが。

 何はともあれ、二人の『一夏にIS操縦を指導する権利』をかけた決闘は、幕を開ける。

 ちなみに、この二人の騒動は、瞬く間に学校中に広がり、最初は前述のような理由だったのだが、いつの間にか、『一夏をかけて二人が決闘する』という内容に摩り替わるのだった。



  ◇  ◇  ◇



「織斑せんせ~い。困ったことになりました」

「どうした? 山田くん」

 放課後の職員室。夕日が差し込む中、千冬が仕事をやっているとかなり困った顔をして、真耶が近づいてきた。IS学園というのは、国際色豊かな学校だ。よって、文化や考えの違いによる諍いは常日頃だ。特に男子ばかりなので、喧嘩が起こることも珍しいことではない。

 困ったこととはなんだろうか、と思っていると近づいてきた真耶が持っていた一枚の紙を差し出した。

「来月のクラス対抗戦の出場者名簿なんですけど……」

 困ったように真耶によって差し出された紙には、一年生のクラス代表の名前がかかれていた。そこに並ぶ名前。もしも、クラスの横に書いてある名前に空白があるのであれば、困った事態にもなるだろうが、すべての欄に名前は埋まっている。

 彼らが困っているのは、その紙に書かれた一番上の名前だ。

『セシル・オルコット』

 一組の代表は、一夏じゃないのか、と千冬が思ったのも無理はない。彼は、今朝の出来事を知らないのだから。もっとも、噂としては、今は寮の中で尾ひれ背びれつきながら段々と広がっているが。教職員である彼らの耳に届くのは早くても今夜だろう。

「確かに、これは困ったことになりましたね」

 千冬もこの事態は想像していなかっただけに、困ってしまった。もしも、クラスの模擬戦で一夏が負け、セシルが勝って、クラス代表になっていたなら、何か対処していただろうが、一夏が代表になった時点で、彼女がクラス対抗戦に出るのだろう、と思い、何も対応していなかった。

「どうしましょうか?」

「う~む」

 セシルが、無理矢理、一夏と交代したとは思えない。彼は負けた、と言っていた。セシルのプライドの高さは千冬も知っている。故に、無理矢理変わるわけもなく、一夏が嫌がって、セシルに押し付けようとしても拒否するのは分かっている。

 それに、無理矢理セシルが出るととは到底考えにくい。確かにクラス対抗戦に出るのは、内申点などで考慮され、卒業後の進路にも影響を与えるだろうが、専用機を持った国家代表候補が今更、クラス対抗戦に出場した、程度の小さな内申点を稼ごうとは思えないからだ。

 ならば、何らかの事情があると見るべきである。

 これが普通の交代ならばいい。クラス代表には権利を譲るという権限もあるのだから。しかし、織斑一夏だけは例外だった。彼女には絶対にクラス対抗戦に出てもらわなければならない事情があった。

 クラス対抗戦というのは、三年生にしてみれば集大成。進路にも直結する大事な行事だ。当然、多くの関係者が見に来る。しかも、お偉いさんといわれるクラスの人間が、多数だ。そんな人たちが集まる行事で、世界で唯一ISに搭乗できる『織斑一夏』という存在を出さないわけにはいかない。

 現に、織斑一夏のお披露目をするように各国の軍関係者、および国際IS委員会、日本政府からも要請が来ている。

 まるでパンダのような扱いだが、仕方ないだろう。なにせこれまでいくら探しても見つからなかった女性搭乗者なのだから。もっとも、真相を大体の域で知っている千冬からしてみれば、面倒なことこの上ないが。

 もしも、千冬に権力があれば、そんな要請は突っぱねていただろう。しかし、ここでは、千冬は一介の教師だ。篠々之束の友人であるとか、元日本代表だとか、国際大会優勝者だとか、そういった肩書きは一切通用しない。国際IS委員会の元に運営されている以上、教師である織斑千冬は、要請には従わなければならない。

 特に日本政府からは再三の要請が来ている。

 なぜなら、織斑一夏という存在は日本政府にとって金の卵だからだ。

 そもそも、日本政府が欧米諸国から圧倒的に不利な条件―――学園の運営費を日本政府が出すなど―――でIS学園を受け入れたか、というと、簡単に言うと企業誘致の一環と言っていいだろう。IS学園ができるということは、その周辺には間違いなく研究所ができる。

 なぜなら、そうなるように交渉したからだ。特に『学園がどこの国にも団体にも所属しない』という文言はそのためだ。この文言を入れることで、『国はISに関する技術を公開すること』という文言の抜け道を作ったのだから。この文言のためにIS学園は、ISのパイロットを育てるという表向きの存在理由と公開したくない技術のテストとデータ収集を行うという裏の存在理由ができた。

 さて、裏の存在理由だが、学園で収拾したデータはどうするのだろうか。彼らの祖国に送るのは勿論だろう。ならば、次に行うのは改修と改良。その際に、一度、彼らの祖国に送るのは非常に手間がかかる。なにしろ、ISはある種の兵器なのだ。税関などは厄介なことこの上ない。

 ならば、近くに作ってしまったほうがよっぽとど手間が少ない、と考えてもおかしくはないだろう。故に、IS学園の周囲は、各国の研究所がたくさん存在していた。それに釣られるようにISの関連企業の支社も。

 IS学園を受け入れることで、日本は、そのような恩恵を受けていた。

 さらに、ここで長年見つからなかった女性搭乗者の登場だ。『唯一の』という枕詞は客を呼ぶには十分すぎる枕詞だ。今回のクラス対抗戦の観戦を希望したお偉い方は、いつもの約三倍はいたことがそれを物語っている。そのため、客を喜ばせるためにも、面子を保つためにも日本政府としては、織斑一夏のお披露目をしなければならないのだ。

「ふぅ……どうしたものか」

 一夏にクラス対抗戦の前に模擬戦を経験させることは成功していた。何かしらの形でISの戦闘をクラス対抗戦でやってもらわなければならないのだから。決して、一夏の料理をあいつらに食べさせたくなかった、という理由ではない。

 もっとも、彼女がセシルと引き分けて、クラス長になるとは予想していなかったが。彼にとって都合がよかったのは事実だ。だが、その事実のために今、頭を悩ませているのも事実だ。

「やっぱり、オルコット君に言って、織斑さんと交代してもらいますか?」

「―――いや、それには及ばない」

 先ほど考えたように、一夏が交代するほどのことなのだ。こちらの教師という立場で無理矢理交代させたくはなかった。それで、一夏のクラス内の立ち位置に影響を与えることにもなりかねない。それを心配していた。

 それに―――

「そんなことをしなくても、一応、案はある」

 そう、一応考えていた。セシルに一夏が負けると予想していたからだ。セシルがクラス長になり、一夏がクラス代表戦に出られない。今と同じような状況だ。そのときに備えて、用意はしていたのだ。

 千冬が目の前にある自分の端末をいくつか叩いて、フォルダを探し出し、目的のファイルを開く。

 その文章ファイルには、『織斑一夏、エキシビションマッチ』と銘打たれていた。




つづく











あとがき
 セシルVS鈴栄のクラス対抗戦。たぶん、男子なら、本編のように戦ったりしないだろう。



[25868] 第十一話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/21 21:18



 時間は前後してしまうが、鈴栄という乱入者が現れた昼休み。

 ちなみに、鈴栄は、セシルに宣戦布告した後、すぐにチャイムが鳴ってしまったので、彼は自分の教室へと戻ってしまった。クラスを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して帰るとは、まるで台風のような少年だ、とは箒の感想だ。

 授業で使っていた教科書などを机の中に仕舞っていた一夏の机の周囲に二人の人影が現れた。箒とセシルの二人だ。

「一夏っ! あの小猿は一体誰なんだ?」

 最初に間髪おかずに切り出したのはセシル。おそらく、彼はずっと気になっていたのだろう。授業中も上の空で、何度か真耶か千冬に怒られていた。それでいいのか? と一夏は思う。もっとも、その様子から彼が鈴栄のことを気にしていることは容易に想像できたので、昼休みに聞き出しに来ることも織り込み済みだった。

 もう一人、無言でセシルの隣に立つ箒を見ても、セシルと同様の事が言いたげな様子は、なんとなく分かった。

 セシルは予想していたが、まさか箒まで、とは思ったものの、一人が二人に増えたところで、説明の手間は同じだ。二度手間になるよりも同時に聞きに来てくれたほうが、二度手間の手間は省けたが。

「説明してあげるけど、学食で良いわよね?」

 ここで説明してから行くとなんとなく時間が経ちそうな気がした。それならば、食べながら話したほうが時間の節約になるということだ。

 一夏の提案に彼らとしては話が聞ければいいのだが、否と答えるはずもなく、コクリと肯定すると場所を学食に移すために三人連れたって、教室から移動した。

 さて、三人だけで移動するのだが、一夏が入学してから一ヶ月たとうというのに、一夏に対する視線は一向に減らない。どんな美人でも三日で飽きると聞いた事があるのだが、それは気のせいだろうか。しかも、彼らも彼らで遠巻きに見るのみで害はない。害はないが、気にある。

 しかも、人がごった返すはずの学食へと続く廊下。しかしながら、一夏の前に人は存在しない。モーゼのように人の波が自然と避けてくれるのだ。だから、一夏はまっすぐ歩くだけで、そこに道ができる。セシルと箒もそのおこぼれに預かるように一夏の両サイドを堂々と歩いている。

 彼らにも視線が集まっている―――もちろん、一夏へ向けられるような好奇心、好意的なものではなく、嫉妬的なものである―――のだが、彼らは一切気にする様子はなく、一夏の隣にいるのが当たり前のように一夏の隣を歩いていく。傍から構図だけを見れば、それは、お姫様を守る騎士のようにも見えるのだが、幸いにして一夏本人はそのことに気づいていなかった。

 その状態は、学食に来てからも同様だ。学食の食券を買うために並ばなければならないが、それ以外は、自然と道が開く。

 一夏の今日の食事は、きつねうどんだ。一夏にとってIS学園の定食、ランチメニューは鬼門だった。量が男子用であまりにも多いからだ。だからといって、箒に食べてもらうような荒業は何度も使いたくない。まだ、調理器具などが実家にあるため、弁当を作ることは難しいが、そのうち実家に帰って調理器具を持ってこようと一夏は心に決めていた。

 それまでは、仕方なく食べ切れそうなうどん、そば系を選んでいた。器が同じだから丼物でも大丈夫かな? とは思ったのだが、それは儚い幻想。丼物も他のメニューと勝らず劣らず、量がすごいことになっていた。おそらく、考えなしに食べると一夏の体重は増えてしまうだろう。

 一夏の後に食券を買ったセシルと箒の食券を見てみれば、セシルは洋食ランチ、箒は和食定食だった。ここのところは、大体二人と一緒にご飯を食べているが、彼らのお昼は大体、同じメニューだ。飽きないのだろうか? とは思うのだが、毎日うどんものばかりを食べている一夏がいえる台詞でないことは確かだった。

 一夏が、彼に気づいたのは、食券を出し、うどんを受け取って、席を探すために食堂の席が並ぶエリアに目を向けたときだった。

「あっ! 一夏っ! 待ってたよっ!!」

 IS学園の制服に包まれた小柄な男の子。今朝の一組で疾風のように現れ、クラスをかき乱していった鳳・鈴栄だ。

「あら、鈴。もしかして、待ってたの?」

「そうだよっ! ずっと待ってたんだからねっ!」

 一夏の下へと近づいてきて、そう主張する鈴。待っていてくれたのは、おそらく彼なりに積もる話もあるからだろうが、それならば、それで、なぜ学食なのだろうか。教室に来たほうがよかったのではないか、と思う。それになにより―――

「鈴、あなた、相変わらずラーメンが好きなのは結構だけど、わたしを待ってたら伸びるんじゃない?」

 鈴栄は、一夏たちを待っておきながら両手にお盆を持っており、その上にはラーメンの丼が鎮座していた。

「わ、分かってるよっ! 一夏はもっと早く来ると思ってたんだよっ!」

「はいはい、悪かったわよ。それよりも、早く座って食べましょう。わたしのもうどんだから伸びちゃうわ」

 そういいながら、一夏は適当な席を見つけて座る。本当なら対面の二席しか空いていなかったが、一夏が座った瞬間、周囲の食べ終わっている男子は、そそくさと立ち上がって席を離れる。あと少しで食べ終わるという男子も急いでかっ込んで、無理矢理昼食を終え、そそくさと立ち上がって食堂を後にする。

 結局、一夏の周囲には座っている男子はおらず、混雑しているはずの学食に奇妙な空白スペースができた。

「うっわぁ……」

 そんな光景をどこか残念なものを見るような目で見る鈴栄。一方、一夏はその光景を見ても平然としていた。なぜなら、最初の頃は、驚いていたが、もはや慣れた光景だからだ。こんなことを気にしていたら、IS学園ではやっていられない。

「どうしたの? 座りなさいよ」

「う、うん」

 どこか戸惑いながら、鈴栄は一夏の正面に座る。

「ふむ、やはり一夏がいる場所は分かりやすいな」

「確かに、見つける手間は省けるな」

 そういいながら、一夏の両サイドに座る箒とセシル。手にはそれぞれの昼食がお盆の上に乗っていた。

 全員が座ったのを見たのか、一夏が代表して、「いただきます」と手を合わせ、食べ始める。鈴栄とセシルは日本人ではないのだが、鈴栄は元々が日本に住んでいたこともあり、こういった礼儀作法は知っている。セシルは、本来祈りを捧げていたのだが、郷に入っては郷に従え、というべきなのだろうか、祈りを捧げるには違いないと、一夏の作法に合わせていた。

「それで―――なぜ、小猿がここにいる?」

「小猿言うなっ!」

 食べ初めて早々、セシルが敵でも見るような視線で―――正確にはクラス対抗戦で戦うかもしれないのだが―――本来ならここにいるはずのない鈴栄について尋ねる。鈴栄が、セシルの鈴栄への呼称に腹を立てるが、セシルは治すつもりはないようだ。

「セシル、鈴が嫌がってるから、その呼び方、やめなさい」

「うっ! ………分かった。一夏がそう言うなら……」

 一夏は、人が嫌がることを続けるのが嫌いだ。鈴栄が自分の身長が低いことを気にしていることを知っているだけにセシルに注意する。なにより、彼がコンプレックスになっているであろうことを攻め続けると学食で乱闘が起きかねない。一夏の周囲で起きた乱闘ともなれば、千冬に迷惑をかけるかもしれないで、早いうちに芽を摘んでおく必要があった。

「それで、そろそろ、鳳と一夏の関係を教えてくれないか?」

 ずずずっ、と味噌汁を吸った後、箒が焦れた声で、一夏に尋ねる。周囲もいつもは一夏の周囲には二人しかいないはずの男子が一人増えて関係性が気になっているため、聞き耳を立てていたのだろう。一夏に集まる視線がまた一段と増えたような気がする。見るな、聞くな、とは言わないが、せめてもう少し隠れて聞いてくれないものか、と一夏は思う。その環境に慣れてしまっている自分も嫌だったが。

「幼馴染よ。つい一年前までは同じ学校だったの。箒が引っ越したのが、四年生の終わりだったかしら? その後に入れ違いに転入してきたのが鈴よ。まあ、鈴も一年前に一度、国に帰ったから、一年ぶりの再会ね」

 あぁ、そういえば、二人って面識ないのよね、と説明しながら思った。

「それで、彼もわたしの幼馴染。前に話したことあるでしょう? 剣道場の息子さんよ」

「ふぅん、そうなんだ」

 一夏の説明に鈴栄は、どこか興味深げに箒を上から下まで見た後、にっ、と笑うと箒に向かって右手を差し出した。

「はじめまして、これから、よろしくっ!」

「ああ、こちらこそ」

 箒が、箸をおいて鈴栄の右手を握る。一夏から見て、その二人の間に火花が散ったような緊迫感を感じたが、一夏には理由が分からなかった。そういえば、鈴栄は、昔から身長をコンプレックスに思っていたから、男子の中でも頭一つ高い箒に対してライバル心でも持っているのだろう、と一夏は思った。

「後、こっちがセシルなんだけど……もう、説明はいいわね」

「そうだね」

 一夏としては、朝からあれだけやりあったのだから、十分だろう、という考えから。鈴栄からしてみれば、クラス対抗戦の対戦相手ではあるだろうが、それだけだ。特に興味もなかった。

「おいっ! ちょっと待てっ!」

 そんな一面もあったが、比較的、穏やかに昼食は進む。もっとも、話しているのは一夏と鈴栄の二人だけだが。なにせ、久しぶりの再会なのだ。思い出話に花を咲かせるのは当然のことであり、思い出話にセシルと箒が割って入れるはずもなかった。

 そして、不意に思い出したことがあった。理由は、昼食を食べていたからだが。

「ああ、そういえば、わたし、鈴に約束してたわよね」

「えっと……なにか約束してたっけ?」

「なに、自分で言って忘れてるのよ。ほら、転校する前に『今度会ったら、ずっと僕に酢豚を作ってくださいっ!』って、約束よ」

 えっ!? 覚えていてくれたんだ、と言いたげに驚く鈴栄と不意に一夏が口にした『約束』の意味を理解して、思わず食後に飲んでいたお茶を噴出しそうになって咽る箒とセシル。

 突然の彼らの行動に一夏は、なにしてるのよ、と苦言を言うが、三人には一夏の声は聞こえていなかった。

「い、一夏……もしかして、本当に作ってくれるの……?」

 どこか不安げにおずおずと尋ねてくる鈴栄。なぜ、そんな風に弱気に聞いてくるのだろうか? と思いながらも一夏は答えた。

「ええ、そんなにわたしの酢豚を気に入ってくれたなら、作ってあげるわよ。作り手としては食べてくれる人が、そこまで気に入ってくれるのは嬉しいからね」

 やっぱり、とどこか落胆した様子でがくっ、と肩を落とす鈴栄。そんな彼を先ほどまでの対立はどこへやらセシルと箒が、肩を叩いてなぜか不憫そうな顔で無言のまま慰めていた。もちろん、一夏にはその意味が分からず、なぜだろう? と小首を傾げるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 鈴栄の転入から数週間後、ついにクラス対抗戦の当日がやってきた。

 今日もアリーナは満員御礼だ。話題の的であった一夏が出ないのは、クラス対抗戦の客足に影響するかと思われたが、それは杞憂だったようだ。なぜなら、一夏の代わりにセシルが出ている。そして、もう一人、鈴栄も。そもそも、一学年に国家代表候補、しかも、専用機持ちが二人もいる事が珍しいのだ。

 確かに先日の一夏とセシルの模擬戦も専用機同士の戦いだったが、一夏は初心者、セシルは兵装制限というIS同士の模擬戦としては迫力に欠けるものだった。

 しかし、今日は専用機―――しかも、最新鋭の第三世代のガチンコの戦いだ。将来、ISに関わるものとして気にならないわけがないだろう。

 実際、その戦いを意識しているのだろう。セシルと鈴栄の戦いは、トーナメント制になっているとはいえ、決勝戦でなければ、ぶつからないようになっている。運営の学園曰く、厳正なる抽選結果、と言っているが、嘘であることは間違いない。だが、誰も文句は言わなかった。なぜなら、従来のように第一試合で、専用機同士の戦いで終わってしまうなどつまらないからだ。

「……それで、この人の数なのね」

 ややうんざりしたように一夏はアリーナの客席に埋まる人の数を見て言う。だが、隣にいる箒は涼しい顔をしているものだ。ある意味、当然だと思っていたのだろう。箒が入学した理由は、周りのものとは異なるものの、男として、最新鋭のISの戦いと聞いて胸おどろらないわけがなかった。それが、自ら志願した彼らなら尚のことだ。

「二年生の先輩が『指定席』を売りさばこうとして千冬教官にばれたらしい」

「―――結末は聞きたくないわ」

 なんて馬鹿なことを……と一夏は、名前も知らない先輩達の冥福を祈る。しかし、それも少しの間だ。今は、それよりも自分達の席を探すほうが先決だった。もっとも、アリーナの全席を埋め尽くしてしまうのではないだろうか、と思えるほどの人の山なのだ。果たして、一夏たちが座る場所が残っているかどうか、と一夏は心配したのだが、それは杞憂だったようだ。

「問題ない。席は取ってある」

「え? どこに?」

「お~い、しのの~ん」

 心配そうにアリーナの端からどこかに席が空いていないか、と目を凝らす一夏に対して箒はなにも問題はない、と自信ありげに呟いた。まるで、こうなる事が分かってて、先手を打ったように。彼の言葉を証明するように先行してアリーナを歩いていた箒に向かって手を振る一人の人影。

「布仏、すまない」

「いいよぉ~」

 どうやら、席を確保してくれたらしい彼の名前は布仏というらしい。

 彼は一夏よりも若干高い身長で、特徴的な喋り方をしている。そののんびりとした喋り方同様、制服の袖もどこか手が完全に隠れてしまうほどに長く、裾もまた長い。のんわかとした彼の表情は、周囲を和ませ、時間さえものんびりしたものに感じられるだろう。

「挨拶するのは~、はじめてかなぁ~? 布仏本音だよぉ~」

「あ、織斑一夏よ。えっと……布仏君」

「うん、わかった~、おりむ~さん、って呼ばせてもらうねぇ」

 えへへ~、と緩い顔で笑う本音。ゆるきゃらが実在したら、こんな感じかしら? と思い、思わず可愛いっ! と抱きしめたくなるが、それを自重する。さすがにこんなところで抱き付きなどしたら、視線を集めるどころの騒ぎではない。現にアリーナに入っただけで、周囲がざわついたのだから。今も、前後の席では、一夏の姿を見てざわついている。

 もっとも、人気のない場所だと分からなかったが。

「何をしてるんだ? そろそろ、始まるぞ」

「あ、そうね」

 本音の緩い表情にやられた一夏は、呆けてしまったが、それを一夏に指摘されて、正気に戻った一夏は、本音が確保してくれた席のうち、箒の隣に座る。

 一夏が、着席したのが、ちょうど、クラス対抗戦の始まりだったようだ。学園長と思われる男性の短い開会の挨拶と共に今年度のクラス対抗戦は始まりを告げるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 最初は、一年生のクラス対抗戦から始まる。しかし、このクラス対抗戦は下馬どおりに進んだ。特に多くの事故もなく、大逆転もなく、淡々と決勝戦まで進んでしまった。だが、周囲の観客はそれでも構わなかった。なぜなら、それこそが彼らの求めた戦いなのだから。

 一時間もたたないうちにほとんどの試合が消化されてしまうという異常事態の中、決勝戦が始まる。

『では、これより、決勝戦を始めます。まずは、Aピットから二組代表―――鳳・鈴栄』

 観客の歓声に応えるように手を振りながらAピットから、とてもISを操縦するような体格とは思えない小柄な男の子と称してもいい男子が出てきた。

 彼は、一呼吸おいて、待機状態のISである腕輪を見せ付けるように右手を掲げると高らかに宣言した。

「『咆哮せよっ! 甲龍(シェンロン)っ!』」

 鈴栄の声と共に展開されるIS。量子化の光が収まった後には、赤みがかった黒い装甲に包まれた鈴栄の姿があった。

 これこそが、中国の第三世代型ISである『甲龍』。一般的なISに見られるような鋭角的なフォルムは変わらないが、その両肩には、不気味に漂う非固定型のユニットが特徴的であり、肩の棘付き装甲が攻撃的な印象を与えるISだった。

 彼はピットの端で装甲を展開すると中央に向かって跳んだ。決闘を約束した相手を待つために。

『続きまして、Bピットから一組代表―――セシル・オルコット』

 こちらは、鈴栄とは異なり、金髪の美男子だ。彼も同様にリストバンドのようになっている蒼いリングを見せ付けるように掲げると鈴栄と同様に宣言する。

「『舞い踊れっ! ブルー・ティアーズっ!』」

 彼の言葉に呼応するように蒼いリストバンドが光り輝き、内包しているISを展開する。光が収まるとセシルは、蒼い装甲に包まれていた。

 これが、イギリスが誇る第三世代ISである『ブルー・ティアーズ』。一夏と模擬戦を行ったときと異なることといえば、ビットを格納した部分とは別に今回は自分の身長ほどもある銃を持っていることだろうか。

「やあ、君が言った決闘をやろうか」

 少し離れた位置から最初に通信を入れたのは甲龍を装着した鈴栄だった。よほど自信があるのか、彼の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「ふん、小猿ごとき、このブルー・ティアーズで落としてくれるわ」

 自信があるのはセシルも同じことだ。故に浮かべる笑みは自然と鈴栄と同じような笑みになる。

 お互いに一言述べた後は、無言。お互いに分かっているからだ。これ以降の言葉は意味を成さないと。語るべきはISによる腕のみ。それだけがお互いのプライドを証明するものだった。

『それでは、決勝戦。セシル・オルコットVS鳳・鈴栄―――始めっ!!』

 開始を告げるアナウンスと同時に両者は一斉に動き出した。だが、お互いの動きは、それぞれ対照的だった。

 ブルー・ティアーズのビットを切り出すセシルに対して、双天牙月を両手に装備して突っ込んでくる鈴栄。しかしながら、鈴栄の懐に入ろうとする思惑は、切り離されたビットからのビームによって阻まれることとなる。

 ある種、当然の攻防戦だった。中距離主体のセシルに対して、近距離主体の鈴栄。鈴栄の勝利条件は近接戦闘に持ち込むことだろうし、セシルの勝利条件は遠距離からのなぶり殺しだ。

 よって、試合の形は大まかには崩れることはない。懐に入ろうとする鈴栄とそれを阻むセシル。もしも、セシルが動かないまま、鈴栄の突撃を阻むのであれば、何も面白いことはないだろうが、お互いに高速で移動しながら、それを繰り返す。鈴栄が一瞬のタイミングで懐に入ろうとすれば、拒むためのビームが発射される。

 ここで、何人が気づいただろうか。セシルがビットを操りながらも移動できている事実に。

 一夏との模擬戦のときは、ビットに命令を出しながら移動することはできなかった。しかし、今の彼にはそれができていた。鈴栄との模擬戦が決まったときからの特訓が実を結んだ形だ。そして、その成果は、鈴栄が容易に近づけない原因だった。

「……ふ~ん、よくやるね。やっぱり、これだけじゃ無理か」

 何度目かの突撃を繰り返した後、鈴栄が、双天牙月を指しながら、感心したように言う。

「ふっ、小猿が。国家代表候補を舐めるな。それだけで、本当に俺の相手ができると思っているのか」

 セシルの言葉に少しだけ鈴栄が、驚いた表情をする。つまり、セシルはこういっているのだ。

 ―――本気を出せよ。小猿、と。

 よくよく考えてみれば、確かに鈴栄は双天牙月しか使っていない。今まではそれで十分だっただろう。第三世代という機動性が双天牙月の近接戦闘のみという点をカバーしていた。だが、同じ第三世代で、国家代表候補には、それは通用しない。ならば、隠し札を出さざるを得ないはずだ。そう、セシルは言っているのだ。

「そうだね。それじゃ……遠慮なくっ!!」

 鈴栄がそういった瞬間、甲龍に装備されている非固定型のユニットが輝き、次の瞬間、本当に勘としか言いようのない感覚で、セシルが動いた。次の瞬間、セシルがいた場所の背後で、衝撃音が響いた。

「なにっ!?」

 セシルからしてみれば、驚きだ。何も見えなかったのにも関わらず、何かが破裂したような音が聞こえたのだから。

「ふふんっ! どうだっ!? 驚いたかっ! これが中国第三世代型『甲龍』の切り札、『龍咆』だ!」

 得意げに言う鈴栄。しかし、彼が得意になるのも、セシルは理解できた。なぜなら、龍咆は見えない。弾も砲身も。その原理は一発程度見ただけでは分からないが、砲身が見えないということは、どこを狙っているか予測できないということだ。それは、避けることを難しくしていた。

「ほらほらっ! いくよ!」

「ちっ!」

 セシルが驚いている事が分かったのか、鈴栄は、調子に乗ったように次々と龍咆を放ってくる。それをセシルは、小刻みに方向を変えることで何とか避ける。

「へぇ、よく避けられるね。龍咆は、砲身と弾が見えないのが特徴なのに」

 自分でも良く避けられたものだ、とセシルは思う。セシルが龍咆を避けられたのは勘だ。射撃に関して言えば、セシルの方に一日の長があることは間違いない。だから、自分が撃つとして、どこを狙うかを考えて避けているのだ。もしも、セシルが射撃特化でなければ、完璧には避けられなかっただろう。

「調子に乗るなよっ! 小猿がぁっ!」

 セシルが吼えると同時に、今まで動きを止めていたビットが動き始める。四つのビットが幾何学的に動き、鈴栄を狙い始める。

「おっと」

 龍咆を撃つのをやめて避けに専念する。さすがに四つのビットに狙われて避けながら龍咆を撃てるほどの余裕はない。しかし、逆に言えば、集中さえすれば、四つのビームすら避けられるということだ。そう、今までがそうだった。だからこそ、油断した。

 キュンという音共に頬にビームがかする。なんだっ!? と思って、発射された方向を見てみれば、そこには、レーザーライフルを構えたセシルの姿が。そう、切り札を隠していたのは鈴栄だけではない。セシルもまた、隠していたのだ。ブルー・ティアーズの持つ武装を。

「スターライトmkIII。切り札が貴様だけのものだと思うな」

「へぇ、面白いな。でも、お互いにこれで全部札は切ったでしょう?」

 つまり、ここからが本当の勝負だった。

 お互いに距離は取れている。龍咆を撃つ鈴栄。ブルー・ティアーズで狙うセシル。中距離における射撃戦に舞台は移っていた。

 撃つ。避ける。撃たれる。避けられるが、続く試合展開となった。しかも、それがISが誇る高速機動で行われるのだ。観客達の盛り上がりも最高潮に達していた。

 しかしながら、お互いに切り札を切った以上、これ以上、試合が劇的に動かない。撃ち、撃たれ、避けることに精神力を削っていく戦い。観客からしてみれば、動きはあるものの展開に動きはない退屈なものではあるが、戦っている張本人からしてみれば、一歩判断を誤れば直撃してしまう上に負けてしまう。

 ここまで来て負けられるかっ! というお互いの意地だけが、この戦いを支えていた。

 しかし、試合に終わりはいつだって訪れるものである。

「はぁ、はぁ……強いねぇ。セシル」

「はぁ、はぁ……小猿にしてはやるではないか、鈴」

 殴り合いで仲が深まるのは男の性なのだろうか。戦いの中で、ISの腕を認め合った二人はいつの間にか名前で呼んでいた。呼ばれた本人達も、特に悪い気分ではないようだ。

「だけど、そろそろ、終わるでしょう?」

「それは、貴様も同じだろう」

 セシルは自分のシールドエネルギーを見ながら言う。エネルギー残量が残り少ない。残りは、後一回、ビットを操った一斉正射とスターライトmkIIIによる射撃が行えるかどうか、というところである。そして、それは、龍咆をセシルよりもばかすか撃っていた鈴栄も同じだと思っていた。

 だが、現実はセシルの予想を覆した。

「ふふん、残念。甲龍は、燃費と安定性を第一に設計されていてね。まだエネルギーには余裕があるんだよっ!」

 そういうと同時に龍咆を放ち、今度は近接戦闘を狙ったのか、双天牙月を握って突っ込んでくる。

 龍咆を避けることは容易だった。いくら、話している最中だから、といっても警戒を忘れたわけではなかったから。そして、突っ込んでくる鈴栄に対して、ビットによる追撃を―――できなかった。なぜなら、後一回がセシルのエネルギーの限界だからだ。いつものパターンで攻めれば、すべて避けられて、エネルギー切れで、試合終了に成るだろう。

 だから、セシルは、鈴栄を追撃できなかった。しかし、彼には最後の手が残っている。

「なるほど、ブルー・ティアーズは使えないが……これならっ!」

 そういいながら、袖の部分を展開し、残っていた二機のブルーティアーズを分離し、狙いを定めると鈴栄に残ったミサイルを放つ。これが、セシルの残していた最後の最後の切り札だ。ミサイルは、突っ込んでくる鈴英に向かって飛んでいく。セシルには彼の驚いた顔がはっきりと見えた。

 直後―――爆発。ミサイルの爆発により、爆煙がセシルと鈴栄の間に広がる。

 ―――勝ったっ!

 そう思ったのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。不意にセシルの目の前の爆煙が盛り上がり、煙を振り払うように飛び出して来たのは、赤みがかった黒い装甲を持つ甲龍だった。甲龍の操縦者である鈴栄は不敵な笑みを浮かべていた。

「一夏の試合を見てなかったら危なかったよっ!」

 そう、鈴栄は、セシルに対して情報収集を怠らなかった。当然、一夏との模擬戦も見ており、セシルが最後まで取っていたミサイルの存在も知っていた。だが、たとえ知っていたとしても鈴栄には、ミサイルを撃墜する手段はない。双天牙月で切れるだろうが、ダメージは受けるだろう。

 だから、鈴栄も最後まで隠していた切り札を切ったのだ。

『龍咆―――近接拡散モード』

 衝撃波を拡散させるモード。これによって、ミサイルを撃墜し、ミサイルと鈴栄の間に衝撃波の膜を作ることでダメージを抑えたのだ。そして、最後は煙をかいくぐってセシルの懐に入ることに成功した。

「セシル―――あんたは確かに強かったよっ!」

 それが別れの言葉。最後の言葉。勝者の言葉だった。

 振り下ろされる双天牙月。両手から放たれる斬撃は、セシルがもはやインターセプターという近接武器を取り出したところで対処できない。セシルが鈴栄に対して射撃に一日の長があるように、鈴栄はセシルに対して近接戦闘に一日の長があるのだから。

 この試合、初めて鈴栄の攻撃がクリーンヒットする。同時に鳴り響く試合終了のブザー。

 瞬間、今まで試合を見ていた観客が一斉に湧いた。

『試合終了。勝者――――鳳・鈴栄っ!』

 勝者の名前が告げられ、試合は終了するのだった。





つづく









今回のNG
『では、これより、決勝戦を始めます。まずは、Aピットから二組代表―――鳳・鈴栄』
「『咆哮せよっ! 甲龍(シェンロン)っ!』」
『続きまして、Bピットから四組組代表―――ライン・サルフィオ』

「って―――えぇ!? セシル・オルコットは!?」
『準決勝でラインくんに負けました』

 もはや、ギャグキャラでしかない。





あとがき
 さすがにNGは酷いかな、と思いました。



[25868] 第十二話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/02/25 01:53



 鈴栄は怪訝に思いながらも決勝戦終了後、Aピットでエネルギーの補給を終えて、試合会場へと戻っていた。

 Aピットから飛び立った鈴栄を観客達も怪訝な表情で見ている。どうして、お前はまだ、そこにいるんだ? という目で見られたとしても、それは鈴栄が聞きたいことだった。

 しかし、それらの疑問はすぐに氷解することとなる。

『え~、それでは、ただいまより、エキシビジョン・マッチを行います』

 そのアナウンスに揺れる観客席。当然、鈴栄も、なに、それっ!? と内心、ものすごく驚いていた。なぜなら、エキシビジョンマッチなど誰も聞かされていないからだ。予定表の中にもなかった。確かに鈴栄たちの活躍により、本来のタイムスケジュールである二年生のクラス対抗戦までにはかなりの時間があるが、それでもエキシビジョンが急に決まったとは考えにくい。

 おそらく、最初から考えられていたが、生徒達には、伏せられていたと考えるべきだろう。

『まずは、Aピットより、今回の一年生クラス対抗戦優勝者っ! 二組クラス代表っ! 鳳・鈴栄っ!』

 わぁぁぁ、と、とりあえずといった感じで歓声を上げる観客。それも仕方ないか、と鈴栄は思う。

 そもそも、盛り上がる要素がない。優勝者であり、先ほどまでISを装着していた鈴栄は、ISを再度装着する必要はなく、最初から会場の中央に浮かんでいる。

 それにしても、一体、誰が相手なのだろうか? と鈴栄は、考える。普通に考えれば、教官だろうか。専用機持ちである誰かが優勝するのは目に見えている。鈴栄かセシルか、あるいは、四組の専用機持ちか。少なくともそのうちの、誰かだろう。なぜなら、総じて専用機持ちと一般人は相手にならない。それもそうだろう。操縦時間が文字通り桁違いなのだから。

 だからこそ、本物の厳しさを教えるために教官が出てきたとしてもおかしくない、と鈴栄は考えていた。

 しかしながら、その予想は見事に裏切られるのだが。

『次に、Bピットから、女性初のIS操縦者っ! 織斑一夏っ!』

 アナウンスの声に観客も鈴栄も一瞬固まってしまう。今の言葉が信じられなくて。鈴栄に至っては信じたくなくて。しかしながら、信じざるを得ないだろう。Bピットから出てきた人影を見てしまっては。

 ISのハイパーセンサーで見るまでもなく、その人影は、男性よりも一部を除いて全体的に細い。また、特徴的な髪の毛もポニーテイルにされており、男性ではない、と断言する事ができた。そして、ISが操縦できる女性は今のところ、世界でたった一人だけだ。

 鈴栄の幼馴染にして、その頃から片思いを寄せる相手――――織斑一夏。

 一夏が出てきた瞬間、アリーナ全体が強く揺れる。地震ではない。人の歓声だ。先ほどの鈴栄の名前が呼ばれたときの数倍の歓声でもってアリーナを揺らしていた。

 彼らが大いに興奮する理由も分からないでもない。一夏の格好は、ISに乗るためのインナースーツなのだから。

 男のインナースーツと違って、上半身を全部覆うような形であり、肩から先は、インナースーツはなく、シミ一つない純白の生腕が晒されている。そして、上半身も、スイカやビーチボールといった大きく丸いものが容易に想像できるほどに膨らんだ胸部。身長が女子の平均身長よりも低い一夏は、余計に大きく見えた。しかし、そこから下は、IS学園に入って運動量が増えたためか、ほっそりと引き締まった腹部へと繋がり、身にスカートのように広がったインナースーツとニーソックスのような絶対領域は、肉付きのよいむっちりとした太ももが見える。

 要約すると、一夏はそこらへんのグラビアアイドルが、尻尾巻いて逃げ出すどのプロポーションと容姿を持っているのだ。しかも、同学年の一組や二組ならまだしも、一夏のインナースーツが初見のものもたくさんいたのだろう。よって、アリーナ全体が揺れるような興奮を誘ってしまったのだ。

 しかしながら、今までと桁違いの視線に晒された一夏からしてみればたまらない。さっさと、この羞恥から逃れるために、彼女は自らが持つISを起動させた。

「『断罪せよっ! 白貴っ!』」

 一夏の耳につけられたイヤリングが光を発したかと思うと、量子化された装甲が一夏を包み込むように展開される。

 最初に脚部の装甲が装着され、その後にその細い腰からスカートのように装甲が広がる。生腕がむき出しの腕には、まるで長いグローブのように一夏の腕を包み込む。首の辺りにはネックレスのように装甲が展開し、背中からは、天使の羽のようにスラスターが展開された。最後に頭頂部にカチューシャのように装甲が展開する。

 白を基調としたIS―――白貴を身に纏った一夏は、Bピットから飛び出し、一気に鈴栄が待っている高度まで舞い上がった。

「鈴―――まずは、優勝おめでとう、でいいのかな?」

 鈴栄と同じ位置まで来た一夏は、いきなりお祝いの言葉を口にする。しかし、その表情は戸惑いで一色だ。もしかしたら、一夏も知らされたのは、ちょっと前なのかもしれない。

「うん、ありがとう……」

 一方で、鈴栄はあまりやる気がしていなかった。なぜなら、相手が一夏だからだ。エキシビジョンマッチとはいえ、一夏と戦いたいとは思わない。しかも、一夏はISの初心者だ。一方の鈴栄は、国家代表候補であり、一方的な展開になることは見えている。確かに同じ国家代表候補であるセシルとはいい勝負をしたかもしれないが、それはハンデがついていたからだ。フル装備の鈴栄に一夏が勝てるとは到底思えない。

 それに、何より―――好意を寄せている相手と戦いなどと誰が思うだろうか。

 鈴栄の表情が沈んでいることを一夏は悟ったのだろうか、彼女は、くすっ、と笑うと鈴栄を説得するように口を開いた。

「ねえ、鈴。二年生のときの夏を覚えてる? ほら、うちの庭で、水鉄砲使って遊んだときのこと」

「え?」

 不意に語られた思い出話に鈴栄は戸惑ってしまう。今、この場でするような話ではないように思えるからだ。しかし、にこやかに話す一夏に釣られて、鈴栄はあの夏の日を思い出していた。

 あれは、鈴栄がまだ日本に居た頃の暑い日だった。とても暑くて、どこにも行く気がしなくて、それでも課題はやらなくちゃいけなくて、鈴栄は、一夏の家に来ていたのだ。しかしながら、昼間に集中力が続くはずもなく、同じく一夏の家に来ていたもう一人の友人が持ってきていた水鉄砲で遊んだのだ。水浸しになりながらも、それでも、あの夏の暑さが少しでも和らいだのを覚えている。

 ―――ついでに、水に濡れた洋服から透けた一夏の水色の下着も。

「あ、う、うん。覚えているよ」

 最後に思い出した余計なものを誤魔化すように鈴栄は少し慌てた声で答える。幸いにして、一夏は鈴栄の返答を変に疑わなかったようだ。疑われたら、鈴栄は困り果てていただろうが。

「あれと同じよ。今回も遊びと思えばいいのよ。ISもスポーツでしょう?」

 水鉄砲による遊びとISを同列に扱うのはどうかと思ったが、同時になるほど、と一夏の言葉は鈴栄の胸にストンと落ちた。確かにISは名目上はスポーツだ。その裏に何かが隠されていたとしても、世界大会が開かれるほどのスポーツだ。

 さらに、ISには絶対防御が存在し、怪我をすることは、万が一にもないといって良いだろう。

 確かにセシルには勝利し、一夏にISを教えるための権利は手にした。しかしながら、一夏にはまだ自分の腕前を見せていない。いや、観客席では見ていたかもしれないが、実際に感じるのとでは、また感触が異なるはずだ。

 それに、ISの操縦に関して言えば、一夏に格好いいところを見せる事ができるかもしれない。

 そう考えると鈴栄のやる気は、先ほどのまったくない状態と比べると、十二分だといってよかった。

「うんっ! そうだねっ! でも、やるからには手加減しないよっ!」

「そうね。わたしも手加減している余裕なんてないと思うから、全力でいかせてもらうわ」

 鈴栄がやる気を出したのを喜んでいるのだろう。笑顔になった鈴栄を見ながら、一夏も同じく笑顔で鈴栄の宣戦布告に応えた。ただ、その笑顔は、微笑ましいものを見るお姉さんのような笑みだったことに鈴栄が気づかなかったのは不幸なのか、幸福なのか。

『それでは、エキシビジョンマッチ―――織斑一夏VS鳳・鈴栄―――』

 始めっ! の声がアリーナに響き渡ろうとした直前、それは突如として彗星のように現れた。

 バリンっ! というまるでガラスが割れたような音を立てながら、アリーナに突入してきた物体。その音は、観客席と同様にアリーナの外にISの攻撃が飛ばないようにアリーナ全体を繭のよう包んでいる遮断シールドが割れる音だった。遮断シールドを突き破った『それ』は、アリーナの中央地面にズゥゥゥゥゥンという音を残して、突き刺さる。

 突き刺さった衝撃が大きかったのか、『それ』は、地面にぶつかった衝撃で、土煙を上げ、まだもくもくとと煙を上げていた。

「な、なんなのよ?」

 一夏が呆然と呟く。鈴栄も彼女の気持ちは分からないでもない。しかし、悠長にそんなことを話している時間はなさそうだった。

「一夏っ! 不味いっ! すぐにピットに戻ってっ!」

 しかし、鈴栄の声にも一夏は、状況をいまいち処理しきれないのか、きょとんとした表情のままだ。唯一、状況を把握していた鈴栄は、このままでは、不味いと感じて、フルブーストで体当たりのような要領で、一夏に向かって飛ぶ。

 鈴栄が、飛び出した頃にはようやく、ハイパーセンサーでによる警告が出たのか、一夏は驚いたような表情をしている。これが、訓練を受けたものと受けていないものの差なのだろう。

 鈴栄は、『それ』が突入してきた直後にハイパーセンサーで解析していた。分析結果は、アンノウンのISだ。狙いが何なのか分からない。何かしらの目的があったにしても、ここはIS学園。世界最強の兵器であるISが量産機とはいえ、文字通り山ほどあるのだ。一機を突っ込んだところで、目的が達せられるとは考えられない。

 『それ』の目的はともかく、警告が出ていながらも、動かない一夏の手を取って、鈴栄は空を飛ぶ。一夏の握った手が暖かいとか、柔らかいとか、すべすべしているとか、そんなものを感じる余裕はまったくなかった。なぜなら、『それ』は、一夏をロックしているからだ。

 しかも、ISと同じ構造でできている遮断シールドを突き破るほどの攻撃力でもって。しかも、訓練を受けていない一夏は、自分がロックされたから、といって瞬時に動けるわけがない。つまり、鈴栄が取った手を引いて逃げるというは、緊急避難なのだ。

 ちなみに、抱きかかえるというのも候補にはあったのものの、鈴栄と一夏の身長差がほぼないことを考えると不可能だと瞬時に判断できた。もしも、身長が鈴栄のほうが高ければ、一夏をお姫様抱っこなんかして格好良かったんだろうな、とは考えるものの、それは、縁なき幻想だった。

 鈴栄がそんな妄想をやっている間に、『それ』は淡々と攻撃を開始していた。

 一夏が先ほどまでいた空間を『それ』が撃ってきた熱線が通り過ぎる。遮断シールドを貫通するほどの威力とあって、呆然としていた一夏も、引きつった笑みで、先ほどまで居た空間を見ていた。

「り、鈴。ありがとう」

「お礼は後っ! 今は逃げるよっ!!」

 さらにスピードを上げる。先ほどの一撃で終わっていればいいのだが、最悪なことに『それ』はたった一発で諦めるほど、諦めが言い訳ではないらしい。もう一度狙われている事が鈴栄のハイパーセンサーで警告されていた。だから、逃げる。

 一夏が、もう少し落ち着いてくれれば、鈴栄も手を離して一緒に逃げに専念できるのだが。なにせ、一夏の白貴のほうが鈴栄の甲龍よりもスペック上は高いのだから。もっとも、一夏の手を放したくないというのも事実だが。

「なによ……こいつ」

 まるで煙を晴らすように幾条ものビームを避けきった後、煙からのっそりとした動作で出てきたのは、奇々怪々な姿だった。

 2メートルほどの深い灰色をしたISの腕は異様に長く、つま先よりも長い。その腕には遮断シールドすら貫通するほどの威力を持つビームが四門存在していた。しかも、首の部分はなく、肩と一体化しているように見える。そして、一番奇怪なのは、その全身装甲だろう。ISは、通常、全身装甲というのはありえない。なぜなら、無駄だからだ。装甲があろうが、あるまいが、絶対防御が存在する。ならば、意味のある部分しか装甲がないのは、コストを考えると妥当だろう。

「おまえ、何者だよっ!」

 鈴栄の問いにも無言。代わりに返ってきたのは、威力がすでに証明されているビームだった。

 しかし、動きが緩慢なせいか、避けることは容易い。同じビームなら、スピードも、数もあったセシルのほうが厄介だ。

「一夏、君はピットに逃げて」

 鈴栄は、注意を突然乱入してきたIS―――仮呼称『アンノウン』に注意を払いながらも一夏を背にしてピットに戻るようにお願いした。

「鈴はどうするの?」

 鈴栄から一夏の表情は見えない。しかしながら、心配していることは声色だけで分かった。

「僕は、アイツをひきつけておくから」

 アンノウンは、遮断シールドを突破できる攻撃を持っているのだ。アンノウンが暴れれば観客に被害が出ることは間違いないだろう。もっとも、現状、シールドよりも固い防御壁に囲まれた観客席の状況は把握できないのだが。

「一人なんて無茶よっ!」

 一夏の優しいところは美点だと鈴栄は思う。彼は、一夏の放っておけない性格に救われたのだから。だが、今の一夏は、誤解を承知で言うならば、邪魔でしかなかった。

「だったらどうするの? 一夏は、僕みたいに訓練を受けてないし、そもそも、武器だって、それしかないんでしょう?」

 うっ、と言葉に詰まる一夏。

 鈴栄は、一夏の武器である雪片・弐式の存在を知っていた。セシルの研究するときに見たのが一夏の試合だからだ。そして、同時に雪片についても知っている。いや、雪片の存在を知らないIS搭乗者がいたとすれば、それはモグリである。世界最強が振るうエクスかリバーに例えられた最強の剣―――それが、雪片である。

 そして、彼―――織斑千冬は、雪片以外を世界大会では使わなかった。第一回も、第二回もだ。ならば、一夏の武器も雪片のみと考えるのが妥当。異なるISで同じ武器が出ることにはやや疑問が残るものの、それ以外には考えられらなかった。

 つまり、一夏が、アンノウンを相手にしようと思うならば、ビームの雨をかいくぐりながら、懐にもぐりこむ必要があるのだ。訓練を受けてきた鈴栄でさえ難しいと思うのに、ここ数週間で訓練を受けたばかりの一夏が可能である確率はゼロではないだろうが、ほぼそれに近いだろう。

「それに、一人じゃないみたいだしね」

 暢気に話しているのが気に喰わなかったのだろうか、アンノウンが両腕を挙げてこちらに照準を合わせてきた。ハイパーセンサーが警告する。それにあわせて、回避行動を取ろうとした直前、いきなりアンノウンの周りに蒼いビームの雨が降り注ぐ。

 同時に、Aピットから飛び出す蒼い装甲。その姿を一夏と鈴栄が覚えていないわけがなかった。

「セシルっ!?」

 そのISの持ち主の名前を叫ぶ一夏。蒼を基調としたISを操るセシル・オルコットは、先ほどアンノウンにビームの雨を降り注いだビットを率いながら、一夏たちとはアンノウンを挟んで対極側に飛んできた。

「遅いよ。もしかして、出番を待ってたんじゃないだろうね?」

「ふっ、俺が出てしまっては、小猿の出番がないだろうが。わざわざ活躍の場をやったというのに、まだ片付けていなかったのか?」

 負けたにも関わらず、彼は相変わらずの高飛車な態度で、不敵な笑みを浮かべている。挫けない根性を褒めるべきか、少しは卑屈になるべきだと言うべきか。しかし、今はそんなことを考えている時間ではない。アンノウン相手に国家代表候補が一人増えるのは、戦力的には非常に有り難いことだった。

「というわけで、一夏。僕たちは二人で相手をするから大丈夫だよ」

「……そうね、分かったわ。ごめんなさい、何もできなくて。二人とも、怪我はしないでね」

 一夏とて馬鹿ではない。自分の力量と彼らの力量は知っている。故に引くことも分かっている。一夏は鈴栄とセシルのことは確かに心配なのだろう。しかし、心配だからといって、彼女ができることは何もない。もしも、遠距離からの武器を持っていれば牽制程度にはなったかもしれないが、彼女の手にあるのは雪片・弐型一振りだけのだから。

 自分が力になれない事がよほど悔しいのだろう。一夏は、いつも見せている微笑とは異なり、沈んだ表情をしていた。そして、鈴栄は、一夏にそんな沈んだ顔をさせたことに少しだけ心を痛めながらも、これが、一夏のためなのだ、と言い聞かせる。

 やがて、一夏は鈴栄に背を向けてピットから逃げ出そうとした。しかし、そうは問屋が卸さないようだ。

 一夏がピットに向かって飛んだ瞬間、いきなりアンノウンからビームが発射される。まるで、一夏を逃がさないようにピットの出入り口がふさがれる。ピットの出入り口は二つあり、もう一つはセシルの背後にあるが、そこへ向かうためには、アンノウンを越えていかなければならない。それに、先ほどのようにピットを破壊される可能性もないわけではない。むしろ、先ほどの動きを見るに破壊される可能性のほうが高いだろう。

 なぜっ!? と驚愕の表情に彩られる鈴栄とセシルに対して、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべる一夏。おそらく、逃げなければならない先ほどまでの状況とは異なり、逃げられないこの状況に笑ったのだろう。

 逃げられないことに嘆くならば分かる。しかし、一夏は笑う。これで仲間に背中を見せて逃げなくていいから。逃げられないことを理由にして、鈴栄とセシルと肩を並べられるから。だから、一夏は笑ったのだろう。

 鈴栄はそんな一夏の笑みの意味が手に取るように分かって、仕方ないな、と肩をすくめる。一夏が友達思いなのは、鈴栄が一番実感しているのだから。もっとも、そんなことを言えば、一夏の位置の親友にどやされそうだが。

「一夏、逃げることに専念してねっ!!」

 鈴栄の言葉を口火にしてアンノウンとの第二幕が開かれるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 アンノウンの戦闘からしばらくが経過していた。しかし、状況は一進一退だ。

 観客の状況は、遮断シールドレベル4。しかも、すべての扉にロックがかかっており、ハッキングさえ受けており、救援さえ要求できない始末だ。まあ、遮断シールドレベル4で流れ弾が観客に被害を与えないのは、幸いだが。

 そして、アンノウンを相手にしている鈴栄、セシル、一夏の三人だが。これまた、何も変わりはなかった。遠距離からブルー・ティアーズと龍咆をひたすらに撃つ。しかしながら、相手の大型のスラスターによって、その巨体に似合わない速度で回避するため、中々当てられない。しかも、あれだけ厚い装甲だ。防御力も相当なもので、一発や二発当てたところで蚊に喰われたようなものだろう。

 反撃は、主にビームだ。そして、意外な反撃方法としては、鈴栄が双天牙月を手に切り込んだときだ。その身体を駒のように回して、ビームを撃ってくるのだ。これには、セシルも一夏も、なにより切り込んだ鈴栄が一番驚いた。

 つまり、こちらは確かに無傷だが、あちらにも致命的な一撃を与えられないという状況だ。

「さて、厄介だな。どうする?」

 三人寄れば文殊の知恵というが、そう簡単に答えは出てこない。もはや試せるだけは試したのだから。う~ん、と頭を捻りながら三人は考える。やがて、一夏がポツリと言う。

「あれ、本当に人間が乗ってるのかしら?」

「一夏、それはない。ISは人が乗らなければ動かない。そういうものだ」

 そう、セシルが言うことは正しい。一夏とて、それぐらいは知っている。知っていながらも言ったのには理由があるのだ。

 一夏は、今回の戦いでは逃げることに専念している。つまり、いつでも距離を置いて空からセシルと鈴栄がアンノウンと戦っているのを見ているのだ。だから、分かる。アンノウンが、パターンで行動していることに。そして、初見のパターンの攻撃には、反応が鈍いことに。

「それで、一夏。無人機だったとしたら、どうするの?」

「わたしのこれで、あれを倒せるかもしれない。少なくともダメージを与えられるわ」

 これ、と言って一夏は雪片・弐型を指す。正確には、白貴の単一仕様能力(ワンオフアビリティー)として登録されている零落白夜だが。セシルとの模擬戦でも使った雪片・弐型の特殊能力『バリアー無効化』の極地。それが零落白夜である。つまり、零落白夜が命中すれば、アンノウンのバリアは完全に消滅させる事が可能である。

「当てる自信は?」

「あるわ。もう一つの切り札とあわせれば、途中まで邪魔されなければ間違いなく当てられると思う」

 零落白夜が一つ目の切り札とすれば、一夏にはもう一つの切り札があった。二つが重なれば、当てる自信はあった。一夏は、鈴栄とセシルと目を合わせる。決して逸らさない。逸らせば、それは自信がない現れになってしまうから。

 最初に諦めたのは、鈴栄だった。

「それじゃ、やろうか。一夏が、頑固なのは前から変わってないみたいだね」

「―――よかろう。ハンデありとはいえ、一度は俺に勝ったのだ。一夏を信じるとしよう」

「二人とも……」

 なんとなく二人が信じてくれたようで、信頼してくれたようで、一夏は嬉しかった。しかし、それを喜ぶとすれば、まだ早い。喜ぶのは、アンノウンを倒してからだ。

「さて、戦乙女(ヴァルキュリア)の行進だ。傷一つ負わせるなよ、小猿」

「お前こそ、へまするなよ。気障野郎」

 ふんっ! とお互いにそっぽ向きながらも、息が合った動作で、同時にアンノウンに攻撃を仕掛ける。その間に一夏も、場所を移動する。アンノウンから一番気づかれにくい背後だ。今は、セシルと鈴栄が、雨のようにブルー・ティアーズと龍咆による攻撃を加えている。

 一夏は、その光景を見ながら、すぅ、と息を整え、自らを落ち着かせながら、今までの訓練を思い出す。これからやることは、今までの訓練での成果をすべて出し切らなければ、達成することは不可能だから。やがて、息を整えた一夏は、雪片・弐型を構えながら、まっすぐとアンノウンを睨みつける。

「行きますっ!」

 高い位置からの急降下。自らのイメージである磁石で引き寄せあうイメージと共に猛スピードで落ちていく。直後、地面すれすれで、方向を変え、地面すれすれを這うように飛ぶ。アンノウンまでの距離は約20メートル。少しだけ遠い。よって、上空からのスピードに乗ったまま突っ切る。

 しかし、アンノウンとて呆けているわけではない。近づく一夏に気づいてか、腕を挙げてビームで狙ってくる。鈴栄の龍咆とセシルのブルー・ティアーズを無視してだ。ビームを撃つために発射口が紅く光る。このままでは、一夏に向かってビームは発射されるだろう。だが、そうさせないための二人だ。

 突然、アンノウンの両腕が、がくんと下がった。右手は、大型の青龍刀が二つ連結したような刃―――双天牙月によって無理矢理、腕を下げられ、左手は、大型のライフル―――スターライトmkIIIによる射撃で、腕を下げられた。

「「行けっ! 一夏っ!」」

 セシルと鈴栄の声が重なる。その声援を頼もしく思いながら、一夏は武装を雪片・弐型から単一仕様能力である零落白夜に変更する。雪片の時よりも、さらに輝く零落白夜。試合が始まっておらず、エネルギーが最大に近かったのが幸いした。だからこそ、こうして零落白夜が起動でき、さらにはもう一つの切り札も使うことができる。

 両手を下げられ、ビームを撃つタイミングを外したアンノウン。だが、一夏が近づいていることを看過できないのか、再び両腕を挙げる。今度は地面と水平になるようにだ。おそらく、鈴栄に使った独楽のように回って近づけないようにするためだろう。

 だが―――

「もう、遅いわっ!!」

 一夏は、最後まで取っていた切り札を起動する。

 ―――瞬時加速《イグニッション・ブースト》

 瞬時加速。一夏の実兄である千冬から教えられた技術。初見殺しの技術ではあるが、千冬は、瞬時加速と雪片のみで世界の頂点に立ったのだ。つまり、瞬時加速は、世界にも通用する技術。本当は、国家代表候補である鈴栄との戦いでお披露目するつもりだったが、このような形でお披露目となってしまった。

 瞬時加速に入った一夏とアンノウンの距離は一気に縮まる。それでこそ、通常の加速に戻ったときには、すでにアンノウンは一夏の目の前であり、零落白夜の射程圏内だ。

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 裂帛の気合と共に振り下ろされる零落白夜。それは、アンノウンの右肩に命中し、アンノウンの右腕を斬り飛ばす。そのまま駆け抜ける一夏。だが、その直後、急停止。振り返りざま、振り下ろした零落白夜を斬り上げて、残っていた左腕も斬り飛ばした。一夏が箒から習っていた剣道の型の一つである。

「一夏っ! 下がって!」

 両腕を斬り飛ばした一夏だったが、それだけでは安心できなかったのだろう。鈴栄の激が飛ぶと同時に後退し、直後、両腕をなくしたアンノウンに情け容赦なく降り注ぐブルー・ティアーズのビームと龍咆の衝撃砲。零落白夜の効力で遮断シールドがなくなったアンノウンには、たまったものではなく、それらが全弾命中した後、せめてもの抵抗とばかりに前のめりにドスンッという大きな音を立てて倒れる。

「ふぅ……」

 動かないことを確認して一夏はようやく息を吐いて、額の汗を拭う。

 アンノウンの正体やどうして、ここに現れたのか? などの理由は分からないが、どうやら、一夏たちはアンノウンの退治には成功したようだった。



  ◇  ◇  ◇



 篠ノ之箒は、焦っていた。もちろん、理由は、織斑一夏である。

 今日の昼。詳細不明のISの襲撃によって二年生、三年生のクラス対抗戦は延期となってしまった。もっとも、箒からしてみれば、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、遮断シールドが解放され、ロックも解放された時だ。

 その時、アリーナの中央で見えたのは、ばらばらになった詳細不明のISの近くにいる白貴に包まれた一夏の姿と良い雰囲気の中、会話している鈴栄とセシルの姿だった。

 箒は、ある意味、余裕を持っていた。男子ばかりのIS学園に突如、現れた美少女。今まで男子ばかりだった学園生活に女子が現れても対応が分かるわけがない。結局、遠巻きに見るしかないのだ。幼馴染というアドバンテージを持った箒以外は。それでもセシルという例外がいたが、それでも彼の場合は、一夏が惚れるような要素は何所にもなかったので、問題はなかった。

 そう、問題が発生したのはもう一人の幼馴染である鈴栄が現れてからだ。遠巻きに見ているだけだった男子の中で箒以外の例外。小学生の頃に幼馴染だった自分と比べて、つい最近まで幼馴染だった鈴栄。さらに、箒と比べて饒舌で一夏も鈴栄と話している間は楽しそうだった。

 しかも、相手は国家代表候補であり、クラス代表戦優勝者である。箒も剣道の全国優勝しているものの、鈴栄の経歴とは比べ物になるわけがない。

 これで、箒が慌てないわけがなかった。ISに関しては、セシルと鈴栄には届かず、剣道の指導はできるが、結局、最後に物を言うのはISだ。もしも、自分にも専用機持つほどの腕があれば、とは思うが、適正はCであり、代表候補になれるはずもない。専用機に関しては、少しだけ伝手がないわけではないが、使いたくはなかった。

 このままでは、一夏を鈴栄かセシルに奪われてしまうと考えてしまった箒は、どうする? どうする? と部屋で一人悩んだ。

 結局、最終的に、思いついたのは、男らしく告白しよう、ということだ。振られたらどうするんだ? とは考えない。正確には考えている余裕はなかった、というべきだろうか。それほどまでに焦っていたのだ。

 そして、篠ノ之箒は、同じようなドアが並ぶ中、唯一、厳重にロックがかかっているドアの前に立っている。

 心臓が痛いほどに高鳴っており、必要以上に緊張しているのが分かる。だから、箒は、大きく深呼吸を二度、三度と繰り返した。剣道の試合の前に必ず行う動作だ。これだけで、多少なりとも緊張は和らぐ。深呼吸によって、程よい緊張感を得た箒は、ようやく意を決して、他のドアには付いていないインターホンを震える人差し指で押した。押してしまった。

『は~い』

 インターホン越しに聞こえる一夏の声。それだけで、再び箒の心臓は高鳴りそうになるのだが、無理矢理押さえつけて、箒は、口を開いた。

「箒だが」

『あっ! 箒? ちょっと待ってね』

 向こう側が切ったのだろう。がちゃんという音がして、ドアの向こうからパタパタと駆けてくる音がした。箒としては、用件を聞かれず、すぐにドアを開けてくれることは嬉しいのだが、今はそんなことを暢気に受け入れている場合ではないようだ。

 やがて、がちゃっ、というロックが開く音がして、ドアがゆっくりと開く。ドアの内側には、まだ制服姿の一夏の姿が見えた。

「どうしたの? 箒」

 一夏は、箒の用事が思いつかないのだろう、きょとんとした表情で小首をかしげながら、箒に尋ねる。

「あ……え……その……」

 準備はしてきたはずだ。何度も、何度も、何を言うかを考えて、ノートに書き出して、考えてきたはずだった。しかし、本人を前にすると、そんなものは吹き飛んでしまう。何を言うかを忘れてしまう。考えてきた言葉は、時空の狭間に消えてしまった。

 だから、意を決して箒が口にできたのは、言わなければいけないと最低限、覚えていた言葉だけだった。

「今度の学年別トーナメントだが、俺が優勝したら―――」

 そこから先を口にはできない。いや、できないわけがないが、それでも中々口から出てこない。しかし、ここで言わなければ、何をしに来たんだっ! と自分に活を入れて、やけくそのように箒は口にした。

「付き合ってくれっ!―――」

 言った。言ってしまった。

 言葉とは、言の葉と書く。つまり、一度、枝から離れた葉―――言ってしまったことは、なかったことにはできない。それを承知で箒は、口にしてしまったのだ。一夏への告白を。

 箒の告白に対して、一夏の反応は、少し考えているのか、右手のひさし指を顎に当てて、箒ではないどこかを見ていた。少しの無言の時間。本当は数秒なのかもしれないが、箒には一生続きそうなほどに長い時間のように思えた。やがて、答えが決まったのか、一夏が箒を見て、口を開く。

「いいわよ」

 今、一夏はなんと言っただろうか? と確認したくはなかった。その言葉が嘘のように思えるからだ。しかし、一夏の言葉は、許諾だった。それが嬉しくて、思わず内心でガッツポーズをとってしまう。いつもは冷静な箒も脳内では、自分の分身が小躍りしていた。

 しかし、その箒の浮かれようは、一夏の次の一言で冷や水を浴びせられたように冷静にならざるを得なかった。

「デートのお誘いなんでしょう? どこに連れて行ってもらえるか分からないけど、もちろん、箒が誘ってくれるんだから、食事ぐらいは持ってくれるわよね?」

 ―――あ、れ?

 ここで、箒はようやく自分の言いたい事が一夏にうまく伝わっていないことに気づいた。

 しかしながら、笑顔で応えてくれる一夏を見ていると、今更訂正する気にもなれない。いや、ここで訂正できる勇気を箒が持ちえていなかったというのが本当のところだろうか。だから、箒は、一夏の勘違いを正す事ができず、勘違いさせたままにするしかなかった。

「ああ、それぐらいなら」

「あら、冗談だったのに。いつも箒には、剣道の稽古をつけてもらっているから、それぐらいはいいわよ。箒が優勝できたらでいいのね? 分かったわ。もっとも、わたしも負けるつもりはないわよ」

 それで、他に用事は? という一夏に箒は何も言うことはできず、首を横に振るだけで終わってしまった。用事がなければ、一夏の部屋の前にいるわけには行かない。よって、一夏は箒と一夏を隔てるドアを「おやすみ」という言葉と一緒に再び閉じた。

「はぁ……」

 一夏の顔が完全に見えなくなって、箒は重たいため息を吐く。せっかく、覚悟を決めたのに失敗したからだ。いや、失敗なのだろうか? 想いは伝わらなかったが、デートに誘うことはできた。つまり、満点ではないが、及第点はもらえるのではないだろうか?

 そう考える箒だが、もちろん、それは慰めでしかない。自ら慰めにしかならない言い訳をしながら、箒は自分の部屋へと戻るために踵を返す。

 箒の肩は一夏の部屋へと戻るときよりも明らかに落ちており、その様は、まるで負け犬のようだった。




つづく










あとがき
 一巻分がようやく終わりました。



[25868] 第十三話
Name: SSA◆ceb5881a ID:29b98ec4
Date: 2011/03/04 23:54


「で? どうなのよ?」

「なにがよ?」

 六月初旬。織斑一夏は、久しぶりにIS学園の外にいた。具体的には、彼女の親友である五反田弾(ごたんだ たま)の家に。

 一夏は、テーブルの上に置かれた久しぶりに見る女性ファッション誌を読み、紅い髪の毛をショートカットにし、一夏とは異なり、特徴的な体格を持っていない弾は、親友が来ているにも関わらず『IS/VS(インフィニット・ストラトス/ヴァースト・スカイ)』を一人プレイで遊んでいた。しかし、彼女は、慣れているのだろう。画面から目を離すことなく、一夏に短すぎる質問を投げてきた。

 その質問に一夏は、男子校ゆえに置いていない女性向けファッション誌に目を落としたまま、質問に質問で返していた。

 一夏の反応に対して、弾は、IS/VSのプレイをスタートボタンで一度止めてから、ニタァと意地の悪い笑みと共に振り返りながら、再び口を開く。

「決まってるじゃない。男子の園、IS学園よ。カッコイイ男いた?」

「カッコイイ男ねぇ……」

 弾に言われて、一夏はお茶と一緒に出されたポッキーをカリカリかじりながら、この春からクラスメイトになった面々を思い出す。確かにカッコイイ男といわれれば結構な人数を思い浮かべる事ができる。余裕がなかったからあまり考える余裕などなかったが、クラスメイト―――というか、IS学園が全体的に容姿が整った面々が多いのではないだろうか。まさか、ISに容姿を判別する機能があるとは思えないが。

「そうね、いるわよ。あ、そういえば、写真あるわよ」

「えっ!? うそっ!? 見せてっ!」

 まるで、にんじんを垂らされた馬のように反応する弾。最初から、そうなる事が分かっていた一夏は懐から携帯電話を取り出すと、写真のフォルダーにアクセスして、はい、と自らの携帯電話を投げた。どれどれ、と携帯電話を操作する弾。当然のことながら、写真のフォルダー以外には目を通さないという暗黙の了解があるのは言うまでもない。

 そのフォルダーの中身を見ながら弾は、時々、きゃ~、という奇声を上げていた。おそらく、好みの男でもいたのだろう。彼女が、テレビなどでアイドルに向かって奇声を上げる様を時々見ている一夏としては気にならない。しばらく放置しておけばいいだろう、とペラッと気にせずに夏物の特集が載っているファッション誌を捲る。

「ふぅ、堪能したわ」

 そういいながら、弾は一夏に携帯電話を返す。

「あんた、あの中で一人なの?」

「そうなのよ。おかげで、気苦労が耐えないわ」

 多数の男の中で、女が一人。これが気苦労しないわけがなかった。視線は集める、ひそひそと話される、一挙一動に気が抜けない。もしも、より取り見取りだとはしゃげる奴がいたら交代したいと心の底から一夏は思う。

 はぁ、とため息をつきながらいう一夏を尻目に弾は、からからと笑う。

「そうよね、シチュエーションだけで言うと、どこのアダルトゲームよ、って話よね」

 弾は笑いながら言うが、実は一夏としては洒落になっていない。そうならないように気を張っているのも気苦労の耐えない理由だ。もっとも、幸いにして箒やセシル、鈴といった面々―――特にセシルや鈴は専用機持ちであるため、弾が言うような可能性はないと思っているが。

「あはは、まあ、それは冗談にしても、あんたの我侭ボディで何人か虜にしちゃったんじゃないの?」

「何言ってるのよ」

 まるっきり馬鹿にした感じで一夏は弾の言葉を突き放す。箒曰く、彼らはある種のシャイボーイだ。確かに遠巻きに見られることはあっても、それはパンダのように見られているだけである。物珍しさはあろうとも、そこにはそれ以上の感情はないだろう。

 しかし、中学校時代から一夏の親友をしてきた弾からしてみれば信じられなかったのだろう。なぜなら、弾の記憶が確かなら、百人切りの一夏の名前は有名だったのだから。彼女が誰からも相手にされないというのは信じられないのだ。

「あれ~? だったら、誰からも告白されてないの?」

「告白なんて―――」

 ないわよ、と言いかけたところで一夏の口は止まる。

 思い出したのは、先日の篠々之箒だ。あのアンノウンのISが乱入してきた夜に箒が訪ねてきたときのことである。あの時、箒が口にした「付き合ってください」という言葉。箒への対応は、勘違いしたように見せたが、実際は、箒の言葉はきちんと伝わっていた。

 初めてならまだしも、一夏が男子から告白されることはさほど珍しいことではない。彼女の一番に目に付く胸部に釣られる男性は後を立たないのだ。特に中学生の後半になると一週間に一度は告白されていたような気さえする。いわば、百戦錬磨の一夏が、ある程度覚悟を決めた箒の告白を理解できないわけがなかった。

 しかし、あそこで勘違いした振りをしたのは、要するに怖かったのだ。今までの関係が壊れる事が。一夏にとって、箒とは清涼剤のようなものだ。あの危険極まりない環境にあって箒の隣は唯一安心できる場所だ。しかしながら、そこにあるのは友愛のみであり、幼馴染という感情以上のものはなかった。

 だから、箒の告白への返事をするならば、「ごめんなさい」だ。そして、一夏が恐れたのは、その後のことである。過去にも、告白する前は仲がよかった男子も、告白して振られると急に余所余所しくなった場合が幾度となくあった。一夏は、箒とそんな関係にはなりたくなかったのだ。あの学園で、箒は失いたくない友人なのだ。だから、身勝手ながら、勘違いの振りをした。彼の性格ならば、一度挫ければ、大丈夫だろうと思って。

 もっとも、それでもっ! と言ってきたときには、どうしよう? と内心冷や汗だったが。幸いにして、箒はあっさりと引いてくれたため、一夏としても何も言わず笑顔であの場は終える事ができたが、ドアを閉めた後、顔が赤くなってしまったのは仕方ないだろう。

「おやぁ? 一夏さん、どうかしましたかぁ?」

 しまったっ!? と思いに耽っていた一夏は、親友の声で正気に戻った直後に思うが、時既に遅しである。一夏が途中で言葉を切り、物思いに耽ってしまったことは、目の前のチェシャ猫のような意地の悪い笑みを浮かべる弾に餌を与えたようなものだ。

「ええっと、なんでもないのよ、うん」

「本当にぃ~?」

 弾の目は明らかに、信じてませんよ、という目であり、同時に早く語れ、と訴えていた。しかし、語れない。語れるわけもなかった。なぜなら、一夏にとっては気づかなかったことなのだから。なにより、弾は彼と繋がっている。

「ああ、そういえば、鈴がこっちに帰ってきたの知ってる?」

「鈴? ああ、鈴ねぇ」

 一夏としては話を変えたつもりだったのだが、弾の表情はにやにやというチェシャ猫のような意地の悪い笑みから何も変わらなかった。

「で、鈴が、何かあったの?」

「ううん、前と同じで元気だったわよ」

「前と同じねぇ」

 前と同じく元気だ、という知らせを聞いて、今まで意地悪く笑っていたはずの弾の肩がガクンと落ちた。一夏としては訳が分からない。友人―――少なくとも中学校時代では弾と同じく親友と言っても過言ではなかったはずの鈴栄だ。元気と聞いて喜ぶならまだしも、ガクンと気落ちする意味が分からなかった。

「はぁ、あいつは、まったく進歩がないんだから」

「え? 何か言った?」

 カクンと肩を落としたまま弾が、何か言うが、囁くような声であり、一夏の耳には何か言った程度にしか聞こえなかった。だから、問い返したのだが、弾は答えるつもりはないようだ。

「そんなことより、さっきの続きを教えなさいよ~」

 先ほどは一夏が使った手である。話を変えるという戦法。もっとも、一夏からしてみれば、話を戻されたという感覚なのだが。そこに戻るかっ!? という感じで一夏も驚く。しかも、話を変えるだけならまだしも、弾は、一夏に向かって襲い掛かるように飛び込んでくるのだから堪らない。

 座ってファッション誌を見ていた一夏は飛びかかってきた弾にあっさりと押し倒され、馬乗りの状態になる。

「ほらほら、教えないと、イタズラしちゃうわよ」

「ちょっ、ちょっと弾っ!」

 馬乗りになった彼女が狙うのは、一夏の年不相応に育った胸部だ。一夏の年では珍しいであろう鷲掴みできるほどの胸を弾は、ぐにぐにと揉む。むにむにと形を変えるのが面白いのか、弾は「おおっ!」と驚きの声を上げておもちゃのように一夏の胸を扱う。むろん、一夏からしてみれば、堪らない。

「ちょ、弾っ! やめなさいってば」

「いやいや、これは簡単にやめられないでしょう。ってか、一夏……あんた、また胸大きくなった?」

 弾の言葉にびきっ、と動きが止まる一夏。ああ、図星だったのか、と弾も動きが思わず止まってしまう。

「な、なんで分かるのよ」

「はっはっはっ! 中学生時代、一夏の胸の育成に伊達に貢献してきたわけじゃないのよっ!」

 弾が言うことは事実だ。確かに、彼女は、よく更衣室で一夏の胸を揉んでいたことがあった。しかしながら、それだけで違いが分かるものなのだろうか。いや、あるいは弾だからこそ分かるのだろうか。

 そんなことを考えている間にも弾の攻撃は続いている。

「ほらほら、いい加減、白状しちゃいなさいよ」

 ぐにぐにと弾の指の動きに合わせて一夏の胸が形を変える。本気で戸惑ったような表情をしている一夏に対して、弾の表情は笑顔のままだった。さすがに弾の攻撃に耐えられなくなってきた一夏は、いい加減にして白状してしまおうか、というとき、不意に弾の部屋の扉がバタンという音共に開かれた。

「姉貴~、昼ごはんできたって、婆ちゃんが早く食べに来いって……」

 開かれた扉の向こうにいたのは、赤い髪をショートカットの弾よりも長くした少年だった。一夏は、その少年に見覚えがある。今、目の前で胸を揉んでいる弾の弟の五反田蘭だった。

 蘭は、弾を昼食に呼びにきたのだろう。しかし、その声は最初に比べると段々と細くなっていく。しかも、その表情は非常に気まずいものでも見てしまったように、あるいは信じられないものを見てしまったように驚愕が見て取れた。

 一体どうしたんだろうか? と一夏は考えたが、答えはすぐにわかった。なぜなら、答えは現在の状況そのものであるからだ。

 現在、一夏は、弾に馬乗りにされて、胸を揉まれている。傍から見れば、実に百合の香り漂う妖しい空間であることは間違いないだろう。さらに、中学校時代、一夏がまったく男子と付き合わず―――鈴栄は例外―――弾と仲良くしていたことから、実はそういう趣味なんじゃないか、と噂されたことさえあった。

 一夏からしてみれば、実に迷惑な噂なのだが。そして、蘭の気まずそうな顔から出た次の言葉が決定的だった。

「……姉貴、俺、婆ちゃんには適当に言っておくから……」

「ち、違うのよっ! 蘭く~んっ!!」

 できるだけドアの音を立てないようにして去っていく蘭に、一生懸命手を伸ばし、誤解を解こうとする一夏だった。もっとも、そんな一夏の姿を尻目に弾は、一夏の上でからからと笑うだけだった。



  ◇  ◇  ◇



「はぁ」

 一夏は大きなため息を吐きながら、教室へと向かっていた。

 彼女が疲れている理由は、もちろん、昨日の五反田家での事が関係している。昨日の夜、弾の弟である蘭への誤解を解くために一生懸命に説明した。最後には分かってくれたが、あの笑みは、半分ぐらいまだ疑っているような気がする。

 しかも、その後の話の流れで何故か、蘭が来年、IS学園を受験するという流れになってしまったが。箒、鈴、セシルなどの仲の良い男子について話している最中だったが、やはり男子というのはカッコイイ男子に憧れるものなのだろうか、とそんな風に思ってしまった。

 しかも、一生懸命に蘭に説明した後、弾と一緒に久しぶりに駅前に買い物に繰り出したのが拙かった。女の子の買い物とは非常に疲れるものである。そのときは、楽しいにしても、後でものすごく疲れるのだ。しかも、しばらく洋服など見れなかったものだから、余計に疲れてしまった。

 そんなわけで、一夏は今、休日の後とは思えないほどに疲れているのだ。

 しかし、そうは言っても学校を休めるはずなどない。よって、重い身体を引きずりながら、教室へと向かっているのだ。そもそも、休んだときに、兄である千冬から何を言われるか分かったものではないのだから。

 ガラガラ、と周りはハイテクなのにずっと前から変わらない扉を開けながら、一夏は教室へと入っていった。

「なあ、聞いたか? あの噂」
「ああ、聞いたぜ」
「ん? なんだよ」
「だから、あの織斑さんの噂だよ」
「は? 俺、聞いてないんだけど……」
「遅れてるなぁ。仕方ないから、教えてやるけど、いいか? これは、男子だけの秘密らしいんだが、どうやら今度の学年別トーナメントで優勝したら、織斑さんとデートできるって話だよ」
「はぁ? それ、マジか?」
「マジ、マジ。先輩、それで張り切ってたぜ」
「ちょっと待てよ、それって一年生から三年生までの優勝者とデートするって話か?」
「知るかよ。とりあえず、優勝したらデートできるって話だ」

 一夏が教室に入ると、どこか教室全体が浮ついているような、ざわついているような気配を感じた。しかも、その話の中に自分の名前が出てきたとなれば、気にならないわけがない。とりあえず、一夏は、入口の近くで固まっている男子たちに事情を聴くために話しかけてみる。

「ねえ、わたしの名前が出てたけど、何の話?」

「お、織斑さんっ!?」

 団体になって話していた連中に鞄を持ったまま話しかけてみると彼らは、まるでお化けでも見たような表情をして、一夏の名前を呼ぶ。しかし、こうも驚かれては、いい気分ではない。

「なによ。わたしのことで何か話してたでしょう?」

「い、いや、全然、そんなことはないよ」

「本当に?」

 一夏は、訝しげな視線を男子たちに向ける。しかし、彼女としても決定的な一言を聞いていたわけではないのだ。名前が出てきたかな? と考える程度。その程度で彼らを追い詰めることはできない。しらを切られれば、それで終わってしまう程度のことである。しかも、一夏が昨日のことで疲れていたこともあって、時間ぎりぎりに来たことも彼らにとって幸運だったのだろう。

 結局、彼らは始業を告げるチャイムに救われた形になった。彼らのことだ。もしも、彼らがそのまま一夏に問い詰められるような形になってしまえば、いずれ白状してしまうに違いなかった。すべては、女子に慣れていない彼らを呪うべきである。

 チャイムが鳴ってしまえば、彼らが別れ別れになることにお墨付きを与えるようなものだ。しかも、一夏が散り散りになる彼らを止められるはずもなく、はぁ、とため息を吐いて自分の席に座るしかなかった。

 チャイムからほとんど間をおかずに教室の正面にある扉が開かれる。そこから、出てきたのは、予想に違わずこのクラスの担任である織斑千冬と山田真耶である。千冬は、先日、一夏が家に一時的に帰宅したときに出した夏のスーツを着こなし、真耶は、スーツを着ているというよりも着られているような形で学生達の前に現れた。

 まず最初に千冬による今日からの注意事項が、全員に通達される。内容は、今日から実験機による実習が始まるということだ。それに伴い、ISスーツの申請を済ませること。それまでは学校指定のものを使うこと。忘れたら下着のみで訓練を行うという脅しだった。

 いやいや、最後の一つは拙いだろう。いや、案外、男子だけなら問題ないのかもしれない。しかしながら、今のクラスには女の子―――織斑一夏もいるのだ。罰にしても厳しすぎやしないだろうか。もっとも、よくよく考えてみれば、ISスーツは体の体型をそのままにしているといっても過言ではないためあまり変わらないかもしれないが、やはり肌を晒しているのと布一枚でもあるのでは全然違う。

 おそらく、最後のは千冬なりのジョークなのだろう。たぶん、おそらく、いや、きっと。少なくとも一夏はそう思うことにした。

「では、山田先生、ホームルームを」

「は~い」

 連絡事項を終えた千冬は今度はホームルームのために真耶にバトンタッチする。担任がホームルームをしない理由は分からないが、何かしらの理由があるのだろう。真耶も何も疑問に思っていないようで、今まで千冬が上がっていた教卓の前に入れ替わるように真耶が立つ。

 しかし、悲しいかな。真耶の身長では、教卓のほとんどに隠れてしまう。かろうじて頭が出ているのが幸いというべきだろう。この光景も見慣れたもので、今では誰も何も反応しない。

「えっとですね、なんとっ! 今日は転校生を紹介しますっ!! しかも二名ですっ!」

 真耶がそういった瞬間に教室が全体に少しだけざわついた。

 当たり前の反応といえば、反応なのだろう。新学期が始まってから数ヶ月しか経っていない。この時期に転校とは実に中途半端だ。仮に九月ならば、まだ欧米諸国の学校事情を考えれば分かるのだが。しかも、人数が二名。通常、クラスにばらつきが出ないようにするべきであり、二名も来るというのは異例というのは、学生である彼らでも理解できた。

 そんなことを誰もが考えているうちに、不意に教室のドアが開いた。

「失礼します」

「…………」

 一人は、うなじの辺りで箒のように結ったさらさらの髪の毛を揺らしながら鈴の鳴るような声で入室し、もう一人は片目を眼帯で隠し、もう片方を鋭い目つきで周囲を威嚇しながら無言で入室した。

 教室にいた全員が二人のうちの片方に注目し、先ほどまでのざわつきをすっかり忘れてしまい、どこか呆然としたように声を失い、無言の空間が舞い降りた。しかしながら、それも一瞬。次の瞬間には、おおおおぉぉぉぉぉっ! という教室全体を揺るがすような歓喜に沸いていた。

「静かにせんかっ!!」

 だが、そんな反応をすることは千冬は分かっていたのだろう。男子達が歓声を上げた直後に一喝。その声は、歓声を上げる男子達の声を貫いて全員に冷や水を浴びせるように強制的に冷静さを取り戻させる。そうなれば、誰も彼もが口を閉じていた。しかしながら、その視線は転入生の二人のうちの一人に向いている。

「あ、あははは」

 それが分かるのか、転入生の一人は、明らかに乾いた笑いを浮かべていた。そして、その気持ちが同じ立場である一夏には大変よく理解できた。

「シャルロット・デュノアです。ボクと同じ立場の人がいると知って、フランスから来ました。不慣れなことも多いかと思いますが、どうぞ皆様よろしくお願いします」

 鈴のなるような声で、自己紹介の最後ににっこりと可愛らしい笑みを浮かべるシャルロット。この笑顔に早速、クラスの数人の男子がやられていた。まるで魂を抜かれたように見惚れている。

 そう、転入生のうちの一人は、織斑一夏と同じく女子の制服を身に纏っていたのだ。もっとも、IS学園の制服は個人によるカスタムが認められているため、まったく同じというわけではないが。

 違いを挙げるとすれば、スカートの長さが上げられるだろう。一夏も膝上ぐらいで詰めているスカートだが、もう一人の転入生のスカートは一夏よりも短い。しかし、それは下品というわけではなく、シャルロットの白人特有の白く細い足を惜しみもなく晒しているだけに過ぎない。残念ながら、胸部は一夏と比べると誤差範囲としか言いようがないふくらみしかない。だが、長袖のため予測でしかないが、腕も細く髪の毛の間から見えるうなじも細く、顔立ちは整っており、さらさらの金髪が眩しい。よって、総合的に考えてもシャルロットは、クラスの男子達が湧くもの疑問の挟みようがないようほどに美少女と言える。

 さて、一人は自己紹介をしたもののもう一人が残っている。

 一夏がもう一人に視線を移してみると、シャルロットの横に立っている彼は、腕組をしながら、入ってくるときは鋭い目つきをしていた瞳を今は興味なさげに瞑っているだけだ。先ほどまでそこに見えていたのは赤い瞳。ただし、そこに太陽のような温かみはなく、絶対零度のような冷たさのみがあった。太陽の光で輝いている銀色に近い髪の毛は無造作に飛び跳ねている。最近、流行の無造作にまとめたものではなく、本当に短く切った髪を無造作に放置しているという感じだ。

「挨拶をしろ、ラウル」

「……はい、教官」

 興味なさげにしていたが、なぜか千冬の言うことには従うようだ。今まではけだるそうに腕組をしていただけのラウルと呼ばれる彼だったが、突然、異国の敬礼―――しかも、軍隊式―――をし、まるで上官に従う兵士のように態度を改めた。

 だが、そんなラウルの様子に千冬は、はぁ、と深くため息を吐き、めんどくさそうな表情で口を開く。

「ラウル。ここでは、俺はお前の教官ではなく先生だ。ここでは織斑先生と呼べ」

「了解しました」

 本当に彼は千冬が言ったことを理解しているのだろうか、という言葉だったが、ラウルはそんな疑問を余所に淡々と抑揚の少ない声で実に短い自己紹介を行った。

「ラウル・ボーデヴィッヒだ」

「えっと……それだけですか?」

「それだけだ」

 真耶が戸惑ったように、他にないのか、と促すが、ラウルは取り付く島もなく、あっさりと真耶の要請を蹴ってしまった。さすがに、こんなにすっぱりと拒否されてしまえば、元々気の弱い真耶にそれ以上求めるのは実に酷だ。まるで、負けたボクサーのように項垂れる真耶。だが、それ以上、何もいえない。

「はい、分かりました。それでは、二人とも空いてる席に座ってください」

 気が付けば、いつの間にか席が二つ増えている。おそらく、用意していたのだろう。

 一夏は、ラウルのほうにはあまり興味はなかったが、もう一人のシャルロットには興味津々だった。なにせ、世界に一人しかいないといわれていた女性IS操縦者の仲間だ。興味を持てないほうがおかしい。休み時間になれば、シャルロットの元にも人が押し寄せるかもしれないが、自分も話しかけに行ってみようと思った。なにせ、クラスに、IS学園に二人しかいない女子なのだから。

 そんなことを考えていた一夏の傍に影が落ちる。ふと、見上げてみれば、そこにいたのは先ほど短すぎる自己紹介を行ったラウル・ボーデヴィッヒだった。

 何か用だろうか? そう考え、問いかける暇もなく、不意に一夏の頬に鋭い痛みと同時にパンッという乾いた音が響いた。

「え?」

 痛みは殆どない。叩かれたという感覚も少ない。それほど力が込められていないのだろう。むしろ、痛みよりも、不意に感じた痛みに驚いた、という感情のほうが強い。唖然としている周囲と同様に一夏も、叩かれた頬に手を当てながら、呆然とした表情でラウルを見る。

 彼の表情に浮かんでいるのは間違いなく憤怒。そして、彼は決定的な一言を口にした。

「私は認めない。貴様が、あの人の妹であるなど、認められるか」

 先ほどまで冷たい印象しか与えなかったはずの赤い瞳は、今は熱い意思を感じさせるほどに強く輝いていた。



つづく











あとがき
 アニメ版のラウラさんのデレがやばい……。



[25868] 第十四話
Name: SSA◆ceb5881a ID:07f93917
Date: 2011/03/19 23:37



 一夏が叩かれたことにクラスメイト全員が呆然とする中,一人だけ教室の机の間を縫うように走り出した影が一つ。一夏が叩かれた直後に椅子から飛び出した人影だ。その影は、一直線に一夏をいまだにきつく睨みつけるラウルへと向かっていた。そして、彼のこぶしの射程圏内に入ったとき、彼―――篠ノ之箒はまっすぐに拳を突き出した。

 普通なら間違いなく彼のこぶしはラウルの右頬を豪快に殴りつけていたはずだ。しかしながら、ラウルは最初からそれが見えていたかのように、自然な動作で右手を挙げると箒のこぶしをパシンという軽い音とともにいとも容易く受け止めた。

 これに驚いたのは箒だ。箒は素人ではない。そこら辺の不良が殴りかかったのはわけが違うはずだ。だが、それでもラウルは一瞥することなく、気配だけでそのこぶしを受け止めていた。

 殴られかけたことで、ようやく意識が箒へと向かったのだろうか。まるで興味のないものを見るような目でラウルは箒を明らかに見下していた。

「ふん、このような攻撃にあたるわけがあるまい。ふん、筋は素人ではなさそうだが。師から学ばなかったのか? 戦うときは相手の力量を見ろ、と」

 体躯だけみれば、箒はラウルよりも相当高い。いや、ラウルの身長が男子の平均身長よりも低いだけというべきだろうか。身長の高さはリーチの広さだ。それだけで箒が有利なはずだが、先ほどの一夏がはたかれて、頭に血が上っていた箒は気付かなかったが、目の前の箒よりも小さな男は、力量を図れば、明らかに箒よりも上だった。

 ラウルの力量が箒よりも上だということはわかった。

 だが、だがしかし、それがどうしたというのだろうか。たとえ、力量が相手より下だとしても、引けない戦いというのはあるのだ。そして、箒にとって今は、その時に値する。惚れている女が叩かれたのに、黙っていることなんてできるはずもない。

「ほぅ、やる気か。ならば、その身に敗北を刻み込んでやろう」

 ラウルがだらんと体から力を抜いて、無構えの体勢をとる。どこからでも対応できるということなのだろう。確かに、箒から見ても、隙だらけに見えるはずのラウルにはどこにも隙など見えなかった。どこに打ち込んでも手をからめ捕られる光景が見える。

 どうしたものか? と悩んだところで、仕方ない。ラウルの力量は箒よりも上なのだ。ならば、悩むことはない。

 ―――ただ、まっすぐ撃ち込むっ!!

 箒が、小細工なしに突っ込むことを決め、いざっ! とラウルに飛び込もうとしたのだが、それは今まで静観していた担任の千冬によって挫かれることとなる。

「こらっ! お前らはなにをやっているっ!!」

 バン、バンと出席簿で叩かれる箒とラウル。音こそ大きいものの紙を丸めたものであるため、痛みはさほどない。ここにきて、ようやく箒は場所と時間を思い出していた。ここは、教室で、時間はホームルームなのだ。思わず決闘のような流れになっていたが、ここでやるべきではない。そのことは、千冬が浮かべている表情で容易に理解できた。

「ボーデヴィッヒ、篠ノ之、おまえらは、放課後、教室の掃除だ。ボーデヴィッヒは、そのあと、俺のところに来い」

 教室の掃除というのは、この騒ぎに対する罰だろう。そのあとの個人的な呼び出しは……教室内のだれもが考えたくなかった。ああ、哀れな、と一夏を叩いた当初は殺意すら湧いたラウルに対して同情の余地すらあるほどの彼の命は風前の灯だと誰もが理解していた。

 もっとも、それで納得いかないものもいる。その最たる例は、殴りかかろうとした篠ノ之箒だろう。掃除と呼び出しだけで済まそうとしている千冬に対して、しかし、と口を開きかけたのだが、千冬に一睨みされただけで、その口を閉じざるを得なかった。それほどの眼力を持っているのだ。彼の視線というのは。

「よしっ! それでは、一時間目は二組と合同で模擬戦闘だ。各人、着替えて第二グラウンドに集合すること。織斑は、頬に痛みを感じるようであれば、医務室によって行くように」

「あ、いえ、大丈夫です」

 千冬の言葉である種正気に戻った言うべきだろうか。一夏は、今まで叩かれた頬に手をやっていたのだが、はっ、となると千冬の提案に対して大丈夫だと返した。

 確かに、箒が見た限りでは、一夏の頬に赤みは残っていない。ラウルは叩いたとはいえ、振りぬいたため、音こそ教室中に響き渡ったが、痛みはあまりなかったのだろう。威力もさほどあるわけではなかったのだろう。ラウルが手加減したと考えるべきだろうか。そうでなければ、一夏のけががこの程度で済んだとは考えにくい。

 しかし、それがどうしたというのだ。問題は、一夏を叩いたというその行いについてだ。箒にとって、とてもじゃないが、その行為は許せたものではない。だが、もはや裁定は下ってしまった。このクラスの担任であり、一夏の兄である千冬の手によって。これ以上の騒ぎは好ましくないだろう。頭に血が上っているとはいえ、その程度は判断できた。

 仕方ないか、と肩の力を抜く。くるりと踵を返して、次の授業に備えてインナースーツに着替えるために自分の席に戻ろうとする。踵を返す直前にラウルの顔が目に入る。彼の顔に浮かんでいたのは、嘲りの表情。まるで、運が良かったな、と言いたげな、その表情。もしも、千冬がクラスを出ていれば、その瞬間にでも再び襲いかかっていただろう。

 だが、まだ教室に千冬が残っている以上、それはできない。仕方なく、箒は、ラウルを睨みつけるだけが、その場でできてる精一杯の抵抗だった。



  ◇  ◇  ◇



 織斑一夏は、目の前の諍いについて呆然としている間に機を失ってしまった。

 叩かれた直後は、なにするのよっ! という気概があったのだが、直後に箒がラウルに殴りかかり、え? と呆けている間に事態は進み、気が付けば、千冬がすべてを片付けてしまっていた。これでは、張本人である一夏がでる幕はない。

 しかも、頬の痛みは最初は、鋭く感じたものの、今となっては本当に叩かれたのか? というほどの感覚しか残っておらず、今までのごたごたの間に、叩かれた直後の怒りさえも霧散してしまっていた。つまり、どうでもよくなったというわけだ。ラウルの様子とあの時の表情を見るに謝るつもりもないらしいし。

 今は、それよりも優先しなければならないことがある。先ほど、解散を告げた千冬は、教室を出て行った。そして、一夏と新しい転入生以外の男子の視線は、彼女たちに集中している。それも少し困ったような、困惑したような表情だ。もっとも、次の時間のことを考えれば、至極当然のことなのだが。

 一夏は、現状を解決するために、まだ教卓の前であたふたしている転入生―――おそらく、一夏以外の初めての女の子として紹介されたシャルロット・デュノアの手を握り、足早に教室を出ていく。

「え? え? お、織斑さん……だよね? ボクら、どこ行くの?」

「次の時間、ISの実習でしょう? 女子は、アリーナの更衣室で着替えなくちゃいけないのよ。だから、急いで移動するわよ。時間ないんだから」

 そう言いながらも、一夏は、シャルロットのほっそりとした白魚のような手を握り、目的地であるアリーナの更衣室へと引っ張っていく。

 彼女たちが目的地へ向かう途中、男子たちの奇異の視線が、相変わらず向けられる。最近は、ようやく一夏の存在に慣れてきたのか、視線の数は少なくなってきたように思えたが、今日からは、また倍増のようだ。理由はわかっている。一夏が手を引っ張っているシャルロットだろう。もともと、一夏だけしかいなかったのに、急にもう一人増えれば、奇異の視線も増えるものだ。

「な、なんで、みんな見てるのかな?」

 彼らの視線に困惑し、おびえ、すがりつくように一夏に近づくシャルロット。おそらく、彼女は、今までこういう視線を向けられたことはないのだろう。一夏とて慣れていなかった当初は、怖かったのだから。今となっては悲しいかな、慣れてしまったのだが。

「それは、わたしたちが珍しいからでしょう」

「え? なんで?」

 一夏にすがりつくように身を寄せて縮こまっているシャルロットは、なぜか意味がわからないというような困惑の表情を強くした。それを、怪訝に思う一夏。一夏が、ISを操縦できると判明した時は、我先にとマスコミが来たものだ。彼女とて、それを知っているはず。しかし、よくよく考えてみると、一夏は、自分以外に女性がISを操縦できるというニュースを聞いていない。

 確かに一夏という実例がある以上、ほかに女性がISを操縦できてもおかしい話ではない。しかしながら、報道が一切ないのは奇妙な話だ。いくら、女性として最初の操縦車の地位は一夏がとったとしても、二人目というのは、まだまだ珍しいはずだ。それなのに、一切、知らされていない……?

 その事実に気づいておかしいな? とシャルロットに視線を向けてみるも、彼女は、一夏が視線を向ける意味が分からない、と言わんばかりにエメラルドグリーンの大きな瞳を返して小首をかしげていた。

 ―――か、かわいい……。

 一夏は、大多数の女子に漏れることなく、可愛いものは大好きだ。自分の部屋に行けば、テディベアのようなぬいぐるみだってもっている。

 そんな一夏の前の前にいるのは、あの時は、自分が叩かれたせいで、混乱しており、よく見ていなかったが、シャルロットという女性は、細い絹糸のような金髪を背中まで伸ばし、首のあたりで結い、大きなエメラルドグリーンの目を持ち、白人らしいシミひとつない白い肌であり、顔のパーツは各々が整っており、一言でまとめるとお人形のようなと称することができる美少女だった。

 しかも、その容姿に今は、怯えるような表情と困惑しながら小首をかしげる仕草が加わり、彼女の可愛さは、さらに際立っていた。もしも、この場が学校ではなくて、時間が迫っていることを自覚していなければ、親友である弾のように彼女に抱き着き、自身がもつ豊満な胸の中に彼女を埋めていただろう。

 ああ、本当に時間がないのが悔やまれる。

「織斑さん? どうしたの?」

「あ、いえ、なんでもないわ」

 シャルロットの可愛さにやられていた一夏だったが、彼女の声で正気に戻る。

「さっきの説明の続きだけど、わたしたちは今、世界で二人しかない女性のIS操縦者よね。だから、この学園ではパンダみたいな扱いなの」

「あっ、そ、そうだよね」

 まるで、今まで気付かなかったことをごまかすように一夏に同意するシャルロット。それがまた、一夏に先ほど浮かんだ疑念を再燃させるのだが、そうこう考えているうちにアリーナの更衣室の前についてしまった。幸いにして、IS学園の男子たちは、見てくるだけでほかに何もしてこない。追いかけることも、付け回すこともしないため、一夏の邪魔になることはあまりない。むろん、視線はうっとおしいことこの上ないが。

「さあ、ついたわよ。早く着替えましょう」

 ぷしゅ~、という圧縮された空気が抜けるような音を立てて扉があいた後、更衣室へと入った一夏は、ロッカーが無数に並ぶ部屋の中、いつも使っている場所のロッカーを開けて着替え始める。

 一夏のISスーツは、人類初の女性用であり、男子と同じく上下に分かれている。ただ、異なる点があるとすれば、肌の露出具合だろうか。男子は、腹部が完全に露出しているのだが、一夏のISスーツは上半身は丈の長いタンクトップのような形だ。一方、下は、スパッツのような形なのだが、なぜか飾りのようにスカートがついている。意味はないのだが、人類初の女性用のISスーツということで意匠にも凝ってくれたのだろうと一夏は考えている。そして、その下はニーソックスのような靴下のようなものを履いて終わりだ。

「う、うわぁっ!!」

「ど、どうしたの?」

 一夏が、早く着替えよう、制服の上を脱いで、下着のブラにまで手をかけた時、なぜかシャルロットの至極驚いたような声が更衣室に響いた。もしかして、ISスーツでも忘れてしまったのだろうか? と思って振り返ってみると、これまたなぜか一夏に背を向けたシャルロットの姿があった。

 これには、一夏も困惑するしかない。しかし、考えるだけの時間が残されていないことも事実だった。

「ど、どうしたのかわからないけど、早く着替えないと時間がないわよ」

「う、うん。わかってるよ」

 そう言いながら、いそいそと着替え始めるシャルロット。後ろ姿を見ただけだが、彼女の肩はほっそりしており、とても華奢に見えた。

「も、もうっ! 見ないでよ」

「ご、ごめんなさい」

 しまった、と一夏は思った。同性だから着替えを見てもいいというわけではない。中には同性であっても着替えを見られるのは恥ずかしいという人はいるのだ。おそらく、シャルロットはその類なのだろう。ちなみに、一夏はあまり気にしないほうだ。いや、弾と着替えていれば自然とそうなる。なぜなら、彼女は自分が下着姿なのも構わず後ろから抱き着いてくるからだ。そのあとの行動は言うまでもないだろう。

 親友の行動を思い出しながら、もうそんなこともないのか、と感慨深げに思いながら、一夏は着替える。スパッツのような下を履いた後、次に上半身。最後にニーソックスのようなものに足を通せば着替え完了だ。上半身は、一夏には大きすぎるものが付属しているため着替えにくいが、何とか時間内に着替え終えることができそうだ。

「織斑さん、着替え終わったんだけど―――ぶはっ!」

 おや、早いわね、と思いながら、声をかけてきたシャルロットに答えるために、まだ上半身を半分しか着ていないにも関わらず、一夏はシャルロットの方向を向くために振り返った。振り返ったのだが、一夏が振り返り終わる直前にシャルロットは、驚いたように表情を変え、目をつむって即座に後ろを振り向いてしまった。彼女の行動に疑問符を浮かべる一夏。

「どうしたの?」

「えっと……もう、着替え終わった?」

「え? まだよ。ちょっと待ってね」

 なぜなのだろう? と怪訝に思いながら、一夏は最後の中途半端に来ていた上半身のスーツを着て、シャルロットに「いいわよ」と声をかける。一夏の声で、彼女はようやく恐る恐るという感じで振り返る。振り返ったシャルロットの視線はある一点で固定されていた。まるで信じられないものを見たような、そんな表情で、だ。一夏からしてみれば、見慣れた反応であり、思わず苦笑してしまう。

「さあ、行きましょう」

 なぜ、シャルロットが自分の胸を凝視しているのか、一夏には痛いほどわかる。なぜなら、それは中学生時代に涙ながらに同級生たちに延々と語られたからだ。しかし、彼女たちにも、半年前に買ったはずの下着が合わなくなってきた、と語ったら、また血の涙とともに怨嗟の声を聴くのだろう。

 この男子ばかりの学園であれば、その怨嗟の声も聴くことはないだろう。なぜなら、その恨みは同性にしかわからないのだから。

 しかしながら、いつまでもこうしているわけにはいかない。時間は刻一刻と無くなっているのだから。だから、呆然としているシャルロットに声をかけて、一夏はロッカーに掛けてある丈の長いジャンバーを手にとる。

「え? 織斑さん―――」

「一夏でいいわよ」

 どうせ二人しかいない同性なのだ。これからは仲良くやっていきたいと思うのは人情だろう。

「だったら、ボクもシャルロットでいいよ。ところで、そのジャンバーは?」

「ああ、わたしのこれって目立つでしょう? だから、せめてもの対策」

 一夏は自分の目の前に双丘となっている胸を困ったように指さしながら、ジャンバーを羽織る。その一夏の仕草を見て、なぜかシャルロットはカーッと顔を赤くしていた。同性ならば、別段気にすることもないだろうに、どうしたというのだろうか?

「シャルロットもいるなら、兄さん―――織斑先生に頼むわよ?」

「えっと……ボクはいらないかな。こんなだし」

 そう言いながら、シャルロットは、自分の一夏と比べるとまるで誤差範囲内に入ってしまいそうな胸を一夏と同じように指さして困ったように言う。確かに、シャルロットの容姿は、美少女のそれだが、胸は洗濯板のようにかわいそうとしか形容できなかった。

 一夏は、シャルロットが納得しているならいいか、と思いながら、もはやISの実習の際には相棒となったジャンパーを羽織りながらシャルロットと一緒に外に出るのだった。



  ◇  ◇  ◇



 セシル・オルコットは、第二グラウンドの真ん中で、今日、転入してきたばかりのラウル・ボーデヴィッヒと対峙していた。

「貴様といい、あの男といい、このクラスには身の程を知らない奴が多すぎる」

 心底うざったそうにつぶやくラウル。事実、彼も千冬に言われなければ、この場に立っていなかっただろう。

 彼らが観客席でクラスメートが見守る中、対峙している理由は今日のISの実習が模擬戦闘だからだ。その手本に選ばれたのが、専用機を持っているセシル、そして、二組と合同ということで鈴栄だった。しかしながら、そこで、セシルが鈴栄よりも、ラウルと戦いたいと千冬に申し出たのだ。それを千冬は許諾。こうして、二人は、第二グラウンドの真ん中で対峙しているのだった。

「はっ! そのような口は、俺の実力を見てから言ってほしいものだな……。ドイツ代表候補生ラウル・ボーデヴィッヒ」

 いつもの態度でセシルがラウルに対して言い返す。

 彼がドイツの代表候補とわかったのは、セシルや鈴栄のようにISスーツが他とは異なったからだ。通常、この時期には、個人用のISスーツは持っていないはずだ。それでこそ、専用機もちでなければ。よって、ラウルが専用機もちでどこかの代表候補ということはわかっていた。もっとも、ドイツとは思わなかったが。おそらく、セシルの整備チームならわかっただろう。欧州連合の一人なのだから。

 しかしながら、同じクラスにイギリスとドイツとフランスの代表候補性+専用機もちが集結しようとは。偶然―――ではないだろうが。その裏の思惑などセシルが知ったことではないだろう。

 一方、ラウルはどうやらセシルの態度に対して、イラつきを感じていたようだ。

「いいだろう。そこまでいうのであれば、私とシュヴァルツェア・レーゲンが、お前を完膚なきまでに敗北を教えてやろう」

 そう言いながら、彼は自らの専用機が量子化されている腕輪に向かって命じる。

「『殲滅せよ。シュヴァルツェア・レーゲン』」

 ラウルの命令によって、量子化されていたIS―――ドイツが誇る第三世代が姿を現す。名の通り黒を基調とした機体。特徴といえるのは、右肩に装着された大型のレールキャノンだろうか。それ以外は、目立った装備は見られない。だが、そうであるがゆえに油断はできないとセシルは判断した。

 観客席も未だにトライアル段階だと噂されていたドイツの第三世代のお目見えとだけあって、ざわついている。

「『舞い踊れっ! ブルー・ティアーズっ!』」

 セシルのブルーティアーズも展開される。機体そのものの名前にもなっている武装、ブルー・ティアーズのビームビットがセシルの周りを舞い踊る。

「それが、イギリス第三世代IS『ブルー・ティアーズ』か。カタログスペックで見たほうが強そうだな」

「ほざけ。すぐに目にもの見せてやる」

 お互いのやる気は十分。一触即発の空気になっていた。お互いの空気も、観客席の空気も十分と感じたのだろう。今回の審判役の千冬がばっ、と掲げた手をそのまま垂直におろし、彼は模擬選の開始を短く告げるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ―――強い。

 文句なしにセシルは、ラウルの強さを実感していた。

「ちっ」

 舌打ちをしながらまた一本と迫ってくるワイヤーブレードをブルーティアーズで撃ち落とす。二機を護衛に、残り二機をラウルへの牽制用に送っている。しかし、高々二機だ。ラウルの腕前をもってすれば、避けることなどたやすい。それどころか、ワイヤーブレードによる追撃すら可能だ。一瞬でも気を抜けば、ブルーティアーズは落とされていただろう。

 戦況は現在、セシルが不利。あれだけ、大言を言っておきながら、と思うかもしれないが、セシルはある程度、このような戦況になることを理解していた。

 そもそも、第三世代ISといいながらも、ラウルのシュヴァルツェア・レーゲンとセシルのブルー・ティアーズでは設計思想が異なる。セシルのブルー・ティアーズは、本来、機体の名前にもなっているブルー・ティアーズというBT兵器の実験機なのだ。そのため、ブルー・ティアーズは、ただそれのみに特化している。

 一方、ラウルの第三世代はというと、軍事国家だったドイツの名残なのか、実践主義というべきだ。今までの総合スペックを大幅に上げ、操縦者の力量を挙げている。つまり、小細工が一切ない王道の強化。近距離には、プラズマブレード。遠距離にはレールカノン。中距離にはワイヤーブレードと距離にも隙がない。

 中・遠距離が主体となってしまうセシルとは大違いだ。

 しかし、そんなことは嘆いていられない。いや、嘆くつもりもない。それを承知でセシルはラウルに喧嘩を売ったのだから。そもそも、今回のセシルの勝利条件は、ラウルにISによる戦闘で勝つことではない。ただ一点のみ。ただ一点のみでいいのだ。それで、セシルの勝ちなのだから。

 そうこう考えている間にも、だんだんとセシルは追いつめられる。今は、ブルーティアーズによる追撃と攪乱で何とかセシルを捕えようとするワイヤーブレードから逃げ切れているが、捕まるのも時間の問題だ。現にラウルは一切慌てた様子は見せず、余裕ともいうべき不敵な笑みを見せている。いや、あれは、いつまで逃げ切れるのか遊んでいるといってもいい。そう考えるとあの不敵な笑みはサディスティックにも見えてくる。

 しかし、そう簡単にとらえられて、エネルギーを切らすわけにはいかないのだ。男の意地にかけても。

 ゆえに、セシルは行動を開始する。たった一つの彼の目的のために。



  ◇  ◇  ◇



 ラウル・ボーデヴィッヒは、淡々とした冷静な思考で、模擬戦を進めていた。いや、もしかしたら、彼には、戦っているという意識すらないのかもしれない。なぜなら、今の現状は、ラウルの一方的な攻撃で、セシルがひたすらに防御に回っている展開なのだから。時折、ラウルに向かってビームビットから、ビームが撃たれるが、それだけだ。

 それらは、確かにラウルの意識を一瞬逸らす程度の役割はあるかもしれないが、それ以上の役割はない。もっとも、ビットからの攻撃がなければ、このようなくだらない模擬戦はとっくに終わらせていただろうが。

 幼いころ――――否、生まれてからずっと軍人だったラウルにとって現状は、牙をもたない子犬がじゃれついてくる程度のものでしかない。いや、子犬に例えるのは、子犬に失礼だろう。ラウルにとってドイツに残した仲間と敬愛する教官以外は、有象無象でしかないのだから。なぜか、あの女を叩いた後は、有象無象からの憎しみともいえる視線がうざったかったが、それらはラウルにとって、意識するほどではなかった。『愛』の反対は、無関心であるとはよく言ったものである。

 まるで、蚊のように飛び回るブルー・ティアーズ。そろそろ、本当にうざったらしく感じてきたラウル。本来であれば、ワイヤーブレードでからめ捕り、近接戦闘でとどめをさすつもりだった。イギリス第三世代『ブルー・ティアーズ』は、装備から見ても中、遠距離専用だ。ならば、近接戦闘に持ち込めば、勝利はゆるぎない。それがラウルのだした戦術だった。

 しかしながら、それもうまくいかない。本当にタイミングよくブルーティアーズからの援護射撃が入るからだ。捕まえらえる一瞬で、それが来るため、ラウルも今まで捕えることができなかった。しかも、ビーム兵器である以上、彼の切り札の一つもあまり効果は期待できない。

 さて、どうしたものか、と考え始めるラウルだったが、それよりも前にセシルのほうが先に動き出した。

 不意に四つのビットを引き上げたかと思うと、射程圏内ぎりぎりからラウルに向けて集中砲火を浴びせる。ただし、狙いはラウルそのものではない。周りの地面だ。ビームが着弾した芝生などで整備されていないグラウンドは、その破壊力と熱を何度も与えられることによって、大きく土煙を巻き上げる。

「ちっ、目隠しのつもりか」

 確かに有効な手段の一つでもあった。確かに、ハイパーセンサーは有効であり、セシルとの戦闘に支障ないだろう。だが、視界が閉じられるというのは、ワイヤーブレードの操作性が落ちることを意味していた。捕えるのがさらに難しくなったというべきだろう。

 早急にこの土煙から脱出を―――そう思っていたラウルだったが、突然、シュヴァルツェア・レーゲンがラウルに警告を発する。その内容は、熱源物体急接近というもの。セシルのブルー・ティアーズのカタログスペックは知っている。主体の武器はBT兵器であることも。その中で、唯一の例外は、近接戦闘用のインターセプターと―――

「ミサイルか」

 ブルー・ティアーズの六つのビットのうち、残り二つから発射されるミサイルぐらいだろう。普通であれば、慌てふためき、回避行動をとるはずだが、ラウルはいたって平然としていた。それは、彼が軍属だからという理由だけではない。彼にとってミサイルとは獲物であり、襲われるものではないからだ。

「停止結界発動」

 ラウルが右手を掲げると、そこにバリアのようなものが張られ、ラウルに向かって飛んできたミサイルをからめ捕る。

 これが、ラウルが持っている切り札の一つであるAIC(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)だった。物体を停止させることができる能力だ。ただし、セシルが使っているようなエネルギー兵器には弱いのだが。

 AICでからめ捕ったミサイルをワイヤーブレードで破砕しようとしたとき、さらにもう一つの警告が発せられる。今度は逆サイドからのミサイル警告だ。ラウルは、それに気づくと今度は、小さく舌打ちし、先にもう一つ飛んできたミサイルを優先して、ワイヤーブレードで破砕する。

 ワイヤーブレードによって真っ二つに破壊されたミサイルは爆発音をあげ、さらに土煙を巻き上げながら、ただの金属片と化した。

 ―――視界を奪ってから、両サイドからのミサイル攻撃。なるほど、戦術的には悪くない。ただし、このラウル・ボーデヴィッヒとシュヴァルツェア・レーゲンの前では小細工でしかない。

 戦術としては正しかろうとも、ラウルの前では小細工としか感じられなかった。

 さて、この後、どうやってうざい蚊を落としてやろうか、と相手の渾身の戦術を小細工と断じて、余裕で交わした直後だったからか。あるいは、有象無象だと歯牙にもかけなかったからだろうか。あるいは、ここにいる連中はしょせん、お遊びだと断じていたせいだろうか。本来のラウルではありえないことに彼は、戦闘中だというのに一瞬だけ気を抜いてしまった。もしも、彼が、学生を、セシルだけでも認めていれば、戦闘中に気を抜くことなど、ありえなかっただろう。

 そして、その一瞬が、ラウルにとっては命とりであり、セシルにとっては望んだ一瞬だった。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉ」

「なっ!? セシル・オルコットっ!? どうして、貴様が――――!!」

 ここにいるっ!? という言葉は続かなかった。なぜならば、ミサイルとブルー・ティアーズによって巻き上げられた土煙を割って、セシルが飛び出してきて、気合の声とともに渾身の拳をラウルの頬に殴りつけたからだ。一瞬だけでも気を抜いていたラウルは、さらにセシルのありえない行動によって完全に虚を突かれた形になり、戦場で気を抜いた報いをセシルの渾身の拳によって受けるはめになっていた。

「ぐっ!」

「ふっ、クリーンヒットというところか」

 ラウルの頬を貫いた感触をかみしめるように拳を開いたり閉じたりするセシル。

 殴られたラウルは、少しだけ吹き飛ばされた形になるが、しょせん殴られただけ。確かに絶対防御が働き大きくエネルギーを削られたが、それだけであまり痛みはなく、戦闘行動に支障は一切なかった。

「ぐっ……セシル・オルコット―――なぜだ?」

 もはや近接戦闘の間合いの中、ラウルは、セシルに戦闘中にも関わらず、困惑の表情で彼に尋ねた。

 そう、ラウルにとって、セシルが近接戦闘を挑んでくることなどありえなかった。ありえるはずがなかった。なぜなら、セシルの装備は中、遠距離専用であり、近距離に対しては脆弱としかいえない。ラウルに対して、近接戦闘を挑むことは、自殺行為に他ならなかったからだ。セシルが、とりうる戦術は先ほどのように中、遠距離からの小細工以外にはありえないはずだからだ。

「ふっ、決まっているだろう。女性を殴るようなやつを見て、黙っているわけにはいかなかっただけだ。英国紳士の誇りにかけて」

 ラウルに対して誇らしげに言いながら、不敵な笑みを浮かべるセシル。しかし、ラウルにはセシルの言葉の意味が微塵も理解できなかった。殴られた女性というのは、おそらく、織斑一夏のことだろう。しかし、ラウルにとっては、彼女は殴られて当然だった。だから、なぜそれが理由で殴られるかわからない。

 だから、今のラウルの中にあるのは、訳のわからないことを言うセシルへの困惑と戦場にもかかわらず一瞬でも油断してしまった自分への怒りだ。

「……セシル・オルコット、貴様を侮っていたことを謝罪し、感謝しよう。ここが戦場もまた戦場だということを教えてくれた貴様に」

 セシルにこれ以上ないぐらい完璧に殴られたラウルは、体勢を整え、今度こそ完全に立ち上がる。そこに油断の二文字は微塵も見えない。『ドイツの冷水』と言われたラウル・ボーデヴィッヒがそこには顕現していた。

「誇るがいい。私のすべてをもって、完膚なきまでに潰してやろう。セシル・オルコットっ!!」

 再びぶつかるシュヴァルツェア・レーゲンとブルー・ティアーズ。

 ―――この日、セシル・オルコットは、勝負に勝ち、試合に負けたのだった。


つづく


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