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[26038] 東方ギャザリング (東方×MTG 転生チート オリ主)
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2014/11/08 16:47
 ≪はじめに≫

 ●こちらは、『東方Project』と『Magic: The Gathering(マジック・ザ・ギャザリング)』を題材として用いています。
 ●SS投稿サイト『ハーメルン』様との二重投稿になっています。

 ≪注意≫
 ●『東方×MTG』ですが、東方のキャラがMTGをプレイする訳ではありません。オリジナルの主人公が各種呪文を東方世界で行使すればどうなるか。といったコンセプトです。
 ●俺TUEEE、転生、厨二、チート、ご都合主義、ハーレム、の要素があります。
 ●何か問題がありましたら、場合によっては文章削除or丸々書き直す可能性があります。
 ●レス返しにつきましては『敬称略』で行っていきます。
 ●この世界で役に立ちそうなギャザのカードがありましたら、教えて頂けると嬉しいです。フレーバーテキストが、能力が、ストーリー背景が、絵柄が、など。どのような理由でも構いません。ただ、反映させられるかどうかは、お約束出来かねます。ご了承下さい。

 他にもご指摘などありましたら、宜しくお願いします。

 ※参考資料
 Wikipedia/MTG Wiki/東方 wiki/ニコニコ大百科/ピクシブ百科事典/等々


■メモ的更新履歴■

20011/2/15
チラ裏に初投稿。

2/22
デメリット等諸々の設定を修正。再うp。

3/16
細々とした箇所の訂正。

3/18
タイトル微変更。諸々修正。

3/21
サブタイ一部変更。設定集という名の言い訳追加。キャラのステータスを丸々削除。

3/26
チラ裏より移動。

3/27
SS内ルールの修正、変更。

4/2
SS内のルール修正による文章の書き直しと、細々とした誤字脱字の修正。

4/8
タイトル微修正。

4/16~5/28
大量誤字脱字指摘修正の経過/終了
《4/16・01話》《4/17・02話》《4/19・03話》《4/24・04話》《5/8・05話》《5/17・06話》《5/17・08話》《5/20・09話》《5/22・10話》《5/24・11話》《5/24・12話》《5/26・14話》《5/28・15話》

5/16~5/28
大幅修正中/修正終了

7/4
カード能力の勘違いを修正。

7/16
『小説家になろう(にじファン)』様へ投稿。

7/16~8/19
全体的な文章修正。

7/28
ダークスティールの説明文を増量。

8/19
文量増加に伴い、第12話 大和の日々《中編》を新設。

9/22
PS3用ゲーム『ダークソウル』発売&購入に伴い、執筆速度の低下中。

11/20
誤爆投降により被爆者多数。

2012/1/7
21~29話微修正。

1/26
PS3『アーマードコアV』購入に伴い、執筆速度の低下。

3/2
ACVプレイに専念する為、半絶筆中。

3/26
注意書きに言い訳追加。

4/28
旧31~33話を削除。第二段執筆開始。

5/8
【恭しきマントラ】の記載ミスを訂正。34話の計算ミスを訂正。

6/3
二度目の誤爆投稿。

6/7
『pixiv』様に掲載されていた、当作品『東方ギャザリング』の絵を見て執筆速度ブースト。

6/19~8/2
全体的な修正開始/終了。
《6/20【カルドラチャンピョン】→【カルドラチャンピオン】に変更》《各話、日進月歩で修正中》《7/3・No.の飛び抜けを修正》

6/28
猫を飼い始める。……どうしてこうなったorz

7/7~7/11
『にじファン』様のサービス終了に伴い、各種物語の保存を終了。31話の移行を完了。

8/19~9/20
【水没した地下墓地】の能力表記ミス。及び【カルドラ】シリーズの意図しない設定捏造発覚。修正。

10/6
43、44話の『前編、後編』を『表側、裏側』に修正。
『ドラゴンズドグマ』並びに『地球防衛軍3ポータブル』購入。執筆速度の低下。

12/22
49話の修正+加筆。

12/31
『ラッチ』氏作『魔法使いの夏』を『pixiv』のアカウントに移動。
注意事項を一つ削除。

2013/1/12
注意書き≪はじめに≫+αを加筆。

2/10
SS投稿サイト『ハーメルン』様への二重投稿開始。

2/20
プロローグの統一。第25話のタイトル変更。第51話の修正開始。

3/26
注意書きに『ハーレム』要素の追加。

11/4
age投稿再開。

2014/1/15
資格取得の為、執筆速度低下中

5/18
現状のご報告+小ネタ



[26038] 第00話 プロローグ
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2013/02/20 07:12





 一定感覚で、電子音が響く。

 心電図と呼ばれるそれは、黒いモニターに歪な光の線を生み出していた。

 だが、それも徐々に弱くなっていって………。

 振れ幅が少しずつ狭まり、その機械に繋がれている1人の命が消えかけていることを伝えていた。



(何てこった……怖すぎて笑いがこみ上げてくるなんて)



 初めての経験に、男は戸惑いながらも状況を受け入れる。

 ―――いや、受け入れざるをえなかった。



 どこにでも居るような男だった。

 一人っ子ではあったが、父親と母親の愛情で甘やかされながらも元気に育ち、小中高校と、中の下の成績で終業。

 大学には魅力を感じず、これといってやりたい事もなかったので、好きなものの延長線上にあった消防士………には成れずに、その関係である防災設備の会社に就職。

 女性関係は見事に全滅。

 顔も身長も並み以下で、若干の上がり症という事も相まって、今現在でもフラグの1つすら見出せていない。

 友人も多くは無いが、1~2週間に1度、3~4人で集まっては、他愛のない会話や遊びで、笑ったり怒ったりを繰り返していた。





 しかし、それも、もうすぐ終わる。

 仕事中、廃屋となった工場から、リサイクル回収の為に運んでいた消火器が破裂。

 長年の雨風で腐食した外壁が限界を迎えていて、それが運悪く彼の運んでいた時に臨界点を超えたのだった。

 爆散するでなく、ロケット弾のように彼の体に当たったそれは、心臓と、続いて脳内に深刻なダメージを与えてしまった。





 それから3ヶ月。

 段々と弱くなる鼓動。それと連動するように微弱になる脳波。

 心肺機能のみなら機械で代用出来るが、頭はそうはいかず。

 原因不明の症状に、物珍しさもあったのか、治療費は国が出す代わりに、モルモットのような状況が続く。

 見舞いに来る知人、友人、親戚。そして、足しげく通う両親。

 男はその事が堪らなく嬉しく、そしてそれ以上に、悲しみと恐怖が溢れて出てきていた。







 時刻は夕方頃だろうか。窓から差し込み、沈んでゆく夕日が、まるで自分の命を表現しているかのような印象を、男に与える。

 何か特別なイベントの日でもない、誰もが普通に過ごす1日。

 そんな日に、男は両親に片方ずつ手を握られ、今まさに消えようとしていた。

 もはや、誰も一言も喋らない。ただ、握られた手が小刻みに震え、両親と、そして男の心を表していた。



 怖い、悲しい、悔しい。

 元気になりたい、助かりたい、生きたい。



 大声で泣き出したくなり………けれど薄れていく意識はそれすらも不可能で。

 どうせ死ぬのだから、と、アニメや漫画を元に格好良いセリフを考えてはみるが、すぐさま不安で打ち消される。



(俺は、ヒーローの真似事すら出来ないのか………)



 男の目から悔しさから涙が溢れる。けれど、最後なのだからと、全力で意識を強く保つ。

 カッコいいセリフではないけれど、今の自分の気持ちを、せめて、この両親にだけは。

 だから、もっと気力を。もっと意識を。もっと感情を。もっと―――命を。

 一言で良い。

 それだけで良いんだ。

 もうそれしか出来ないのだから。

 いや、まだそれだけは出来るのだから。

 今だけは、今この時だけは―――



 いままで ありがとう ございました









 20××年○月×日 18;01

 世界でまた1つ。命の火が消えた。 















 ……一体なんだこれ。

 俺は今、白いもやもやの列の1つと化していた。

 幽霊? 霊魂? 人魂?

 次々に疑問が浮かんでは消える。

 しかし、それを解決しようにも体は動かず、言葉も出せない。

 今さっき死んで、気が付いたら雲の上っぽいトコにいて、そしたらチャリに乗ったスーツ着た30台のリーマンに案内されて……

 あの世っては、存外俗物くさいところなのかもしれないな。

 案内してくれた人も、どこにでも居そうなおっちゃんだったし。













「次の方、どうぞ~」



 事務的な男の声が響く。

 もうこの際、日本語だとか鬼の角とか天使の輪は無いんだとか、もう諸々の考えは捨てよう、うん。

 ここはあの世。まさに世界が違うのだ。常識なんて、あってないようのものだろう。











「では、以上の事に相違ありませんね」



 2人きり。どこぞの面接部屋のような、広すぎず狭すぎず『これがオフィスです』と言わんばかりの素っ気の無い一屋。

 そんな中で俺の履歴を読みあげた面接官のおっちゃん(仮名)は、こちらに確認を促してきた。

 喋れはしないが意思は相手に伝わるようで、肯定の意を送ると、面接官はこちらに向かって1枚の紙を――



(うぉ!? 紙、浮いてる!)



 念力でも使ってるのか、滑るように空中を移動してきたそれは、俺の目の前で、見やすい位置にピタリと固定。

 モヤモヤを見たり雲の平原を歩いたりしてきたが、やっぱり今までの常識から外れたものを見たら驚くわ。

 読め………ってことだよな。

 どうやって浮いてるんだろ。

 疑問は尽きないが、とりあえずその紙に目を通す。

 そこは空欄だが、以下の文字が見て取れた。

 名前………技能………身体数値………?
 
 なにこれ?



「現在、冥界では霊魂受け入れ枠の削減を図っております」



 あの世だってのに変なトコ世知辛いですね。



「死後の世界は天国なら極楽だ、とか誰が言ったか分かりませんが、あんなの宗教家や死に不安を持つ他所の方の幻想です。かといって地獄という訳でもありませんけれどね」



 さいですか。



「こっちも色々と苦労あるんですよ。もう上司とかが………おほんっ。―――それでですね、ここ冥界は収容する霊魂の管理が追いつかなくなっておりまして」



 ………え、まさか俺、消滅とかですか?



「いえいえ。結論だけ言いますと、霊魂の管理体制が整うまで、外で時間を潰しておいて欲しいんですよ」



 よ、良かった。2連続も死ぬような体験しなくて。



「失礼しました。思慮が致しませんでした」



 あ、えと、お気になさらず………。



「感謝します。長年やってますと、どうもこの仕事を事務的にこなす癖がついてしまって………」



 分かります。俺が今ここにいるのもそれが原因みたいなものですし。

 ま、それで死んでちゃ情け無い限りですが。



「ははは………心にとどめておきます」








 嫌味のつもりは無かったんだが、ブラック風味な指摘になってしまった。

 この面接官さんが言うのをまとめると、

 ①外で時間潰してきて

 ②出来る限りのサポートはするよ

 ③外の場所はこちらで決定します

 ④冥界へ戻るタイミングはそっちで決めて良いよ

 ⑤最低1億年は外に居てね。

 ってことらしい。

 ⑤なんて条件出されたら人格消滅するわと思ったが、それは②で何とかしてくれるんだとか。

 で、この②の意味が広義過ぎるので聞いてみると、ようは転生や憑依もののテンプレである、『1つだけ好きな能力を与えよう』ってことらしい。

 ただ、それらの案には多少のデメリットは付随させるそうだ。

 けれど、誰もが1度は思う『ぼくのかんがえた、さいきょうのうりょく』。

 いよいよここで使う時が来たか!! と思って取得したい能力を言った。

 物語の設定なら兎も角として、実際に生きていくのなら弱点とか要らない。

 最強テンプレばっちこい! って感じだ。

 ところが、



「ええと、その能力の保持者は既に居ますね」



 ………つまりあれですか。オンラインゲームとかでパスワードやらキャラ名が被ってはいけません的な?



「そう考えて頂いて問題ありません」



 これはやばいかと思いながら、他にも考えていた能力を次々と提案する。

 しかしそのどれもが既出。

 やばい………まじヤヴァイ………これでも自分だけのオリジナル能力だと思って色々と考えていたんだが、そのどれもがアウト。

 先に案出したお前らパねぇッス。

 なんて悩んでいる俺を見かねたのか、アイディアの提案につながれば、と既出の能力例を読み上げてくれる面接官。

 無限の剣製―――進化し続ける―――スキマを操る―――存在を司る―――神を召喚―――思い通りに事象を―――etc,etc

 流石流石と言いたくなる先人達の能力。

 自分で考えたオリジナルの技や魔法を使うってのもあったが、これは二次、三次問わず、既出のものと被ってはいけないってことだったので、きっと効果薄そうだ。

 ………ん? 神の召喚?

 そういうのもアリなんですか?



「ええ。過去にお亡くなりになった方達を、アニメ漫画やドラマの主人公を。といった方もいらっしゃいましたね」



 まじか!じゃ、じゃあ二次元のキャラを召k



「それは既にいらっしゃいます」



 orz



「同じ能力ではいけませんが、その能力を広義、狭義的に解釈して登録することは出来ますよ」



 ん? どういうことですか?



「つまりですね、例えばその、二次元のキャラを召喚する能力。これを広義に解釈した方の例ですと、あらゆる存在を召喚する能力、逆に狭義に解釈した方ですと、クトゥルフの神々を召喚、といった具合です」



 神話も二次元範囲内ですか………

 召喚系か。確かに汎用性高そうだし、良いかもしれんなぁ。呼び出したキャラで自分も強化してもらえば一石二鳥以上の効果も得られるだろう。

 でも神系はまず全部抑えられてるだろうし、二次元キャラもどこまで通用するかどうか………

 実在した偉人や英傑は俺が殆ど知らないのと、やはり神や二次元に比べて能力が低いのでパス。

 と思って、知ってる範囲での二次元作品をあらかた聞きまくる。



 スターウォーズは?



「おりますね」



 エックスメン!



「おります」



 ポケモン!



「1000人を超える方がそれを望まれましたね」



 多いな。じゃあロボ系好きだからそれの作品全b



「おります」



 めげないよ! 俺ファイト! ならば狭義解釈でスーパーロボッt



「おります」



 なんの!セイント………



「以下同文です」



 あうち。

 しかし参った。良い感じのものが思いつかない。

 召喚ものは数あれど、多岐に渡って役立つもの、となると知識がどんどん限られてしまう。

 召喚ものってもしかしてもう打ち止め系なのだろうか。

 ………いやまて。まだ召喚ものの、日本最大クラスのが残っているじゃないか。しかもカードゲームだから、まさに召喚してくれと言わんばかりのものが。

 決まったぞ!遊g



「おります」



 orz

 がっくりし過ぎだ俺。
 
 あー、でもそういえば、遊戯王ってやったことねぇや、ははは……

 じゃあ広義でカードゲームで出てくるキャラや呪文は?



「同文です」



 まーじーかーよー。じゃあマジック・ザ・ギャザリングは?



「―――問題ありません。提案者ゼロです」



 これもか。他に何か応用効く作品あったかな………ん?

 いないの?



「はい、いませんね」



 ―――やった、助かった俺。しかもギャザ。これは神の啓示に違いない。

 他のカードゲームは殆ど知らないが、このマジック・ザ・ギャザリングは何年もプレイし続けた、思い入れの強い作品のうちの1つだ。

 何をするにしても、かなり無理がきく作品だろう。チート的な意味で。







 マジック・ザ・ギャザリング(以下 MTG or ギャザ)

 アメリカのゲームデザイナーで数学博士の称号を持つ男が開発。

 全てのトレーディングカードゲームの始祖。

 日本ではあまり馴染みは無いが、高い戦略性と豊富なカードの種類で一躍全米を震撼させたホビーゲームである。







 じゃあ、その能力でお願います。



「分かりました。では能力名は『集められた魔法を扱う能力』とします」



 なるほど。ギャザの和名ってことですね。

 ん? でも召喚や使用にデメリットを伴う呪文はどうなるんだ? カードの枚数制限とか召喚コストも。というか、カードルール全般。



「あるにはありますが多少は無視です。遊戯王のアニメ、見たことありませんか?」



 あぁ、ご都合主義万歳ってことですね。で、俺もその万歳の仲間入り、と。



「万能ではありませんので。もしお嫌でしたら、デメリット、多めに付属させましょうか?」



 いえいえ、主観になるのならウェルカムです。ご都合主義最高!!



「ははは。割り切りもココまで来ると清々しい印象を受けますね」



 結構欲望には忠実なんで。



「その欲望は周りに害の無い限り、尊ぶべきものです。では、その他の設定を行います」



 ………迷惑かけんなってことですね。分かります。



「既存の作品であるマジック・ザ・ギャザリングを使う能力への条件として、以下のデメリットが付属されます。覚えておいて下さい」

 ・1ターンは1日(24時間)。

 ・カードは1日に、1種類につき1枚を1回のみ使用可能。

 ・召喚や現存し続けるカードには維持費(体力)が掛かる。

 ・マナを増加、あるいは減少させるカードは効果を発揮しない。使うことは出来る。

 ・カードの効果が必ずその性能を全て発揮する訳ではない。

 ・これらは全て『原則』である。経験値を積むことで、これら制限や上限の開放が可能。

「といった内容が原則です。その他詳細なルールはご自身でお確かめ下さい。何かご質問は」



 RPGみたく、敵倒してレベルアップして使えるカードの枠を広げていくって考えで良いんですか?



「大まかには。ただレベルアップは『経験値』の蓄積の結果です。討伐のみや何か1つ特化での『経験値』では一定以上の効果は見込めません」



 色々やれってことですね。



「はい。ですが、戦闘関係で得られる経験値のウェイトは大きいですので、先程のお言葉どおりの考えでも問題はないかと」



 分かりました。続きをお願いします。









 全ての設定が終わり、巨大で、やけに和風な門の前に俺は来た。

 結局、身体的特徴は生前とあまり変わらず、けれど『こうであって欲しかった』箇所の修正をした。

 身長165→175 体重60→70 細? マッチョ体系で黒髪の、日本ではどこにでもいるような顔。ただし眼光だけは意識すれば鋭くなる。

 うん、一部だけカッコイイとか良いね。

 完全イケメンとかでも良かったのだが、何せ両親に貰った体だ。

 思い入れも強く、自分が許す限り特徴を引き継ぐ。

 そして、最低1億年はやっていかなければならない事への配慮として『倦怠』感情の制御と、何でも食べて栄養に出来る能力に、当然ながらの寿命の無効化。そして、記憶容量の増大化。

 最初の3つは当然として、 最後の1つは人間の記憶容量は140~150年と、どこぞのラノベで言ってたので、納得の配慮だった。

 そして生前と同じように、少しずつではあるが成長はするということ。

 体を鍛えれば体力が、勉強すれば知識が、精神力を高める努力をすれば、胡散臭い気孔くらいは習得出来るらしい。

 なるほど、それがレベル上げって意味か。

 良かった、俺って元がスタミナ低いから、持久戦な場面になったら不安だったんだ。

 ただ、普通に死ぬし、死んだらまたここに戻ってくる羽目になるので、気をつけるようにとのこと。

 セーブなしのRPGとかマジ鬼畜、って印象を受けるのだけれど、好きな能力貰っておいて、さらにその事への配慮まで望むのは我が侭だろうか………。













「これで全ての過程を終了します。お疲れ様でした」

「こちらこそ、色々とありがとうございました」



 そう言うと、この面接官のおっちゃん。言葉には出さないが、口元が笑みの形になる。



(事務的だけど優しかったなぁ)



 若干視線の高くなった、五体満足の体。

 けれど今までの肉体とさほど違いが分からずに、違和感の無さを喜ぶべきか、はたまた違う自分を実感する為に金髪碧眼にでもするべきだったかと馬鹿な考えに思いを巡らせた。



「これからあなたが向かう先は、―――あるPCゲームの世界です」



 いきなりゲームか。しかもPC。あー、原作知識あると良いんだけどなぁ………エロゲだったらウハウハしたいな。



「名前は………東方プロジェクト。人間が支配する地球で、その存在を忘れられた者達が集う場所が主な舞台です」



 って結構大御所が来たね。

 やばい、俺ゲームとか1回もプレイしたことないぞ。知識はそれなりにあるが。



「以上です。何かご質問はありますか?」



「………いえ、何もないです」



 俺とおっちゃんが話をしていた建物の奥(中?)には、転送装置っぽい門が幾つも並んでいた。

 なるほど、ここからそれぞれ決められた世界へと送られていくのだろう。

 そう考えながら、先頭を歩くおっちゃんにそれにつられて俺も移動する。

 そうして、見計らったかのようにビルの4~5階はあろうかという巨大な門は開いていった。

 溢れ出る光。

 まるで前は見えないが、これから異世界へ行きます、的な雰囲気が、実に俺を興奮させる。

 期待を胸に、それへと足を進めて出した時、



「あなたが無事、成し得たい事を遂げられますよう、この場のみではありますが、応援させていただきます―――がんばれよ、坊主」



 光に溶け込む寸前。

 事務的な優しさでしかなかったおっちゃんのその声は、本心のような気がした。

 最後だけ優しくなりやがって………男として惚れてまうやろ!



「―――はい! いってきます!!」



 返した声は、とても澄んでいたと思う。

 両親に申し訳ないと思う気持ちは多々あるが、今はそれよりも未知への第一歩を踏み出せるのだという興奮が上回っている。

 したいこと、しなければいけないこと、やってはいけないこと。

 色々な思いを馳せながら、俺は人外魔境の地へと踏み込んでいった。






 あれ、何か忘れてるような………?





[26038] 第01話 大地に立つ
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 17:54






 どこまでも青い空、雄大に流れる白い雲、大地を埋める新緑の森、黄金のように降り注ぐ太陽光。

 そして、今まで嗅いだ事の無い澄んだ空気。



(すげぇ! 空気って美味いんだ!(注・能力のせいです))



 あぁ、今俺は見ず知らずの、どことも知れない地面に足を付けている。

 感動が感動を呼び、これから起こるであろう、不安や恐怖を一切吹き飛ばす。

 どうしよう。どうしよう。何をしよう。

 幼い頃、新年最初の日には『初寝起き~!』とか『初朝食!』なんて『初』を何でもかんでも付けていた。

 それは、その行動がこれからの行く先を決定するかのような、こう、何か特別なナニカを感じるのだ。



(どうしよう……体が超興奮してる……!!)



 今すぐ走り出したい衝動に駆られるが、第2の人生の初めてがそれで良いのだろうかと逡巡。

 しかし、もう抑えられないこの気持ちに全てを委ねる事にした。

 それは、



「あああああ!!」



 咆哮。

 ありったけの声を腹から出す。

 いや違うな。

 もう腹とかではなく、全身から振り絞る感じで。



「あああああ!!」



 しばらく叫び、それでも足りずに大地を駆け出す。

 我ながら馬鹿みたいだと第三者のように感じながら、踊るような心の躍動を、今確かに感じていた。

 楽しい。楽しい。―――とても、楽しい。

 親不孝な俺であった。自分勝手だとも思っている。

 だから、だからこそ。

 今生きているこの瞬間を命いっぱい楽しもう。

 粛々と生きるのは、俺を知る誰かが現れてからでいい。

 今を生きる。

 全ての存在にするものに与えられた使命を、俺は謳歌した。







 結果



「の”ど”が……」



 潰れる寸前です、はい。

 やり過ぎた。体力も限りなくゼロ。

 声も出せず、思考能力も著しく低下していた。



(……どんだけハッスルしてんだ俺)



 だが、心地良い。

 大の字で倒れこんだ地面は、思った以上にふかふかであった。

 気候も良いし、頬をなでる風も、少しひんやりとした草の布団も、疲れや熱をゆっくりと奪ってくれている。

 こんなことならもっと体鍛えておくんだった、と今更ながら後悔。

 それと同時に、ようやく今自分が置かれた状況を冷静に振り返った。

 身に付けているものは紺色Gパン、無地の白いTシャツ、白いスニーカーのみ。もちろん下着も確認済みだ。

 何処ぞの歌のように、ナイフもランプもカバンも所持していない。

 そしてココからが本題。ここ何処、今っていつの時代よってわけで。



(いやいや、まずは能力の確認か)



 命あっての何とやら。

 今の俺は考えを間詰めるのが早い一般人。

 殴られれば痛いし、打ち所は悪ければ死ぬ。

 ここで死んでしまったら、またおっちゃんのお世話になるし。違う人かもしれんが。



「ってことで早速」



 確か脳内で思い描くことでカードのものを召喚………だったか。

 何が良いかな。色々あるけど、初めての能力行使だもんな。

 そうだ。



「こういう時は、初心に戻るべし」



 ルールは基本、度外視とおっちゃんは言っていた。

 ならば、マジック・ザ・ギャザリンクのカードに割り振られたコンセプトを思い返してみよう。








 
 MTGには6種類の属性が存在し、それらは色で呼ばれている。



『白』

 平和や秩序、正義を表す。ライフの回復やダメージの軽減に長け、平等化という意味でリセットカードも多く存在する。行動の制限や抑制なども長けている。

『緑』

 自然の色であり、大地や生命・現実を表す。全般的に優れたクリーチャー(モンスター)が特徴。クリーチャー同士の正面衝突に持ち込み、強引にダメージを捻じ込むことに長けている。

『赤』

 火や混沌を表す。直接ダメージを与える呪文(通称:火力)や、形がある物を破壊するのが得意である。敵、味方を問わず自傷行為を求めるカードが多いが、その攻撃速度はMTGで1~2を争う。

『黒』

 死や悲哀、狂気・恐怖の色。クリーチャーの除去、ペナルティ能力を持つ高性能なカードなどが特徴的。自身の何かと引き換えに、相手を倒す事に長けたカードが多い。

『青』

 狡猾の色で水や空気、精神・知識・文明を表す。どの要素もカードの種類や強さ、対戦相手の戦力を無視するものがほとんどのため、常にマイペースな戦略をとることができる。 が、反面ダメージを与えることは苦手。

『無』

 無という色がある訳ではなく、どの色にも適合する色である。機械やアイテム、装備といった無機質なものがイメージに近い。ロボットや機械といった系のカードが多く、全ての色と相性は悪いわけではないが、決して良い訳でもない。







 上記の属性に加え、MTGには様々なタイプの呪文があるが、今は考えなくて良いだろう。



「だって今やりたいのはクリーチャーの召喚だしね!」



 アメリカ発祥なだけあって、キャラ―――とうか絵が全般的に濃いので、選ぶのが大変だ。俺濃いキャラ苦手だから!

 まぁそのうち慣れるんだろうが、初めくらいは心臓に優しいクリーチャーを見たい。

 色としては白か緑。

 で、その中で一番見やすそう&一番気になるカードは………。



「うん、これに決めた」



 某ポケ(げふんげふん)何とかマスター風な口調で、そのカードを思い浮かべる。

 難しいと思った空想も簡単に出来て、心でそれが、もう召喚出来るのだと判断出来た。



「カード名とか叫ぶのかこれ。あ、別に言わなくてもいいっぽいな。………いやいやいや、こういうのはノリが大事なんだ。これ叫ばなくて何叫べってんだ!」



 テンションは下がった筈だったか、クリーチャー召喚という儀式の為に、再度その炎が燃え上がる。

 よし、ここは某ガンダムファイターみたいにしてみるか。あれ一度言ってみたかったし。



「来い!ガンdゲフンゲフン」



 言い間違えくらいあるよね!

 しかも天丼!

 さらにベタというか狙いすぎて逆に引くレベル!

 でも今の俺は気にしない!





 では改めて。



「来い!【極楽鳥】!!」



 突如、どこからともなく光が集まり、それを形作る。

 瞬きする間すら与えず終わったそれは、まさにMTGのカードから抜け出した、【極楽鳥】そのものだった。

 0/1と飛行能力があるクリーチャー。

 戦闘能力は皆無だが、全ての色のエネルギーを少量生み出す能力を有している。

 炎のような赤い全身に、雄雄しいまでの翼。

 小鳥よりやや大きいであろうそれは、俺の目の前で悠々と飛び回る。子供の頃何度もお世話になったカードのうちの1つであった。



「凄い……本当に……」



 呟きつつ、手を上にあげ、この手に止まれと意思を送る。

 すぐ極楽鳥は俺の手に止まり、その存在感を教えてくれた。

 手を目の前に戻す。

 周りを伺いながら、時折こちらに目を合わせては首をクリクリ傾げるその行動に、俺の心は早くもKOされた。



 故に。



「生まれる前から好きでしたー!」



 空いていた片手で背中や喉をくすぐる様に撫でる。

 撫でる。撫でる。超撫でる。

 何だか目線が『うわコイツうぜぇ』みたいになっている気もするが、そんなんじゃ俺の衝動は止まらない。

 結局、我に返ったのは、我慢出来なくなった【極楽鳥】に手を突かれるまであった。










「だめだ、一瞬我を忘れてしまった」



 一瞬ではない気もするが、細かい事は流そう。

 そんな俺の態度が気にいらないのか、バッパラ(極楽鳥の愛称、英語名のBird of Paradiseより)は俺の頭に止まり、数回頭を突く。

 突くと同時に髪の毛をつまみあげるというおまけ付きで。



「いてぇ! 地味にいてぇ! すいませんでした! 以後気をつけますから許して下さい!」



 髪の毛数本の犠牲と引き換えに、バッパラの突く攻撃は終わる。

 頭上にいるので奴の姿は見えていないのだが、何となく『参ったか』とどや顔してるイメージが浮かぶ。

 まだ地味に痛むんだが………。血、出てなきゃいいけど。

 ズキズキする頭部をさすりながら、今の状況を鑑みる。



「召喚した時にそこそこの疲れ、か。召喚『コスト』が低いからなのかどうなのかは分からないけど、コスト1くらいならまだ召喚出来そうだな」










『マナコスト(略称はコストやマナ)』

 魔法やクリーチャーの特殊能力などを発動させる為に必要なエネルギー。種類によって必要なマナの色や量は変わってくる。










 今回召喚した【極楽鳥】は緑のコスト1。

 能力は、好きな色のマナを1つ生み出す。

 これによって他者より早く大量のマナを確保し、より巨大な魔法に繋げていく、通称【マナ・ブースト】要員の代表格。

 愛でてよし、食べてよしのスペシャル要員である。



「ごめん! 逃げないで! 食べるのなんて嘘! 嘘だから! ちょっとした茶目っ気だからー!」



 瞬間的に飛びのいたバッパラに、追いすがるようにその手を伸ばし叫ぶ男。

 それは恋人に振られてもなおしつこく付きまとう、へタレの見本のようだった。

 後に某バッパラAはそう述べたという。












 時刻は分からないが、日も傾きかけた夕暮れ時。

 結構な時間バッパラを出していたが、奪われた体力はずっと立っている程度のものだった。

 初めはそんなでもないけど、後半からボディーブローのように効いてくるなこれ……

 

 そんな事を考えながら、食事は空気か土でも食べるとして、寝床を確保したい。



「食事の心配しなくていいのはホント助かるな……。後は、雨風くらい凌げる場所があれば」



 辺りを見回してみるものの、洞窟なんてものはないし、人が木陰に入れるくらい大きな木もない。

 都合良くそんなものでもあればと思ったのだが、無いなら仕方ない。

 本日2回目の召喚能力で、寝床を確保すると致しましょうかね。



「何があったかなぁ。こういった方面での見方でカードなんて眺めてないから、何出したらいいかさっぱり分からん」



 家……家系……雨風凌げる系。

 城? はまずそうだな。大きさ的に。

 他は……なんだろう。【土地】か【アーティファクト】で何かあったかな。






『土地』

 基本マナを生み出すことの出来るカード。つまり、このカードが多く出ていればいるほど強力な呪文が行使出来る事になる。マナコストがゼロで召喚出来るが、通常は1ターンに1枚か場に置けない。MTGではこのカードを基盤にして様々な呪文を行使し、ゲームを展開していく。



『アーティファクト』

「魔法の道具」や「機械」のこと。多くは「魔力で精錬された道具」や「古代の失われた技術によって創られた機械」としてデザインされている。『無色』マナの代表。





 脳内wiki(ただの思い出し作業)で検索をかけると、候補が幾つか上がってきた。

 その中で今一番良さそうなものをチョイス。

 お、これ良いんじゃないかな。

 そう思い、思い浮かべたカードを使用しても問題のない場所を見つける事にした。何も無いところにバンと唐突に建造物が出来ていたら目立つしね。



 ……が、体力があまり無い俺は数歩進んですぐにバテた。

 おいィ、さっきまで大声で走り回ってた俺はどこへ行った。

 かむばっく! その時の俺かむばっく!

 ……なんて思っても体力が戻るわけもなく。

 ふと、先程から俺の周りを飛んでいたバッパラに目が行く。



「……アイツに探してもらえば良いんじゃね?」
 


 ―――数分後、指定した条件どおりの場所を発見したとバッパラから報告あった。

 マジ早いッス、バッパラさん!

 この時に何となく分かったのが、この念話っぽい能力、どうも俺の声の届く範囲でのみ機能するらしい。

 生物電話とかは出来なさそうね、とか思いながら、バッパラが教えてくれた場所へと重くなった体を引きずる様に向かっていった。


 






「来い!【隠れ家】!」



 そこそこ大きな木の1本。

 その前で俺は、決めていたスペルを唱えた。

 次の瞬間、木の根元に、人間大の丸い木の扉の付いた入り口が出現する。

 隠れ家の召喚コストはゼロ。

 但しこのカードは【土地】と部類されるタイプのものなのだ。

 コストが無い代わりに、1ターンに1枚しか場にセット出来ない、というルールが存在していた。

 この1ターンというのが【土地】というカードに対してどう機能するのか不明瞭だが、先程のバッパラと違い、召喚維持コストはかからないようだ。

 これならもう少し召喚の幅を広げても大丈夫そうだと思いながら、召喚した【隠れ家】に目を落とす。

 こんなので隠れられるんだろうかと疑問には思うが、今は睡眠が俺の中で最優先だ。

 扉を開くと、ベットだと思わしき藁の敷き詰められた箇所があった。

 そして、それ以外には何も無い。

 ただ、どこまで続いているのか、この隠れ家は奥行きが半端じゃない………というより、部屋の端が全く見えない。

 そういやこのカードって何体でもクリーチャー収容出来るんだったか、と。

 ぼんやりその能力を思い返すが、些細なことだと思い―――、

 と、周囲を飛んでいたバッパラが目に入った。

 体力が続くのならずっとこのままでいたいのだが、生憎を体がだるくなってきている。

 気は進まないが、戻ってもらうとしよう。



「ありがとうバッパラ。戻れ」


  
 言うと同時、バッパラは優しい声でひと鳴きして、光にかえっていった。

 少し切ないが、今後何度もやる出来事でもあり、別に2度と会えないという訳ではないのだからと、気持ちを切り替えた。

 そして俺は、【隠れ家】に対する感想を洩らす。



「さすが【隠れ家】。必要最低限ですってか」



 せめて布の布団とかベットが良かったが、安全に寝られるだけ御の字だろう。

 新聞紙の1枚でもあれば大分違うんだけれど、そんな便利なものは手元にない。

 ならばとカードで生み出そうか考えてみるが、紙1枚の召喚とか少し悲しくなったので、気分を変えて別の方針で行くことにする。

 先程考えた、戦闘力のあるクリーチャーの召喚、だ。

 いざって時になって『何出そう』とかじゃ、きっと死ねる。


「護衛してくれるクリーチャーとかいても良いよな………体力的にキツいけど。人型はちょっと怖いから、馴染みなれた………あ、犬系とか良さそうだな」



 そうと決まれば脳内wikiだ。

 といっても、今召喚したい犬キャラは1匹しか思いつかないのだ。



「俺が知ってるのの大半が黒色か赤色だもんなぁ」



 赤や、特に黒のクリーチャーはおぞましいものが大半なのだ。

 好き好んでそれと一緒にいたいとは、少なくとも今の俺には思えなかった。

 偏った知識だと改めて突きつけられたが、今更どうしようもない。

 それに、今回は良いクリーチャーが思いつくのだ。それ以上何を望めというのか。



「ってことで、早速イメージイメージ」



 今回は、犬。

 継続力も考え、マナコストは最低クラスのを。

 絵柄は怖いが、きっと平時にはもふもふで可愛いであろう、アイツ。



「白くて忠犬でもふもふで―――来い!『勇丸』!」



 バッパラや隠れ家と同じように、一瞬で光が集まり、四散する。

 略称での呼び名だったが、問題はないようだ。

 そこに現れたのは、2Mはあろうかという、白い毛並みとトゲドゲの首輪がトレードマークの『今田家の猟犬、勇丸(こんだけのりょうけん いさまる)』である。

 特殊な能力はない、【バニラ】(由来はアイスクリームのバニラで、何も入っていないシンプルな、ということから)と呼ばれるカードの一種だが、白マナコスト1でパワー(攻撃力)とタフネス(防御力&HP)が2もあるという優秀なカードだ。(例・以下の表記はパワー/タフネス=2/2とする)







 MTGのクリーチャーには、パワーとタフネスという数値が存在する。

 先に記述されている通り、パワーが相手に与えるダメージを、タフネスがそれを防げる防御力を示している。

 そして、そのタフネスは1ターンの間にゼロになると、そのクリーチャーは死亡する。

 2という数値は少ないように思えるのだが、MTG内で、コスト1以下でパワーとタフネスが2を超えるカードは殆どない。

 あっても、それは殆どがデメリット能力を付随されている。

 よって、ゲーム序盤での勇丸は中々の制圧力を誇るのだ。








 召喚された勇丸は、四肢を揃え、背筋を伸ばしてこちらの顔をじっと見つめている。

 ―――ご主人様、命令を。

 そんな幻聴まで聞こえてきそうなオーラが伝わってくる。

 ど、どうしよう。完全に主負け? だ。

 家来(犬)が立派過ぎて主(人間?)の面子丸つぶれでござる。

 だが! 俺は諦めない!

 いつか勇丸の主として相応しい人物になるその時まで!



「【今田家の猟犬、勇丸】。以後、俺の手足となり、剣となり、盾となれ」



 とりあえず形から入って格好付けてみようか。そう考えて、それっぽい台詞を言ってみたのだが。

 ……吼えるでもなく、動くでもなく。

 ただ目線を細くして、勇丸は肯定の意をこちらに返す。

 主人らしくカッコつけて言ってみたのだが、逆に格の違いを見せ付けられたような気分になる。



(やばい。おっちゃんに続いて、勇丸にまで惚れちまう!)



 内心で色々な意味の涙を流しながら、寝床作りの為、周囲に散らばっている藁をかき集める。

 だが、藁で寝るなんて人生で初めての経験だ。

 どう使っていいのか分からないので、とりあえずは体の上にかけてみるのだが、やはりというか、寝心地は最悪。



(メンタルとボディのダブルパンチっすか)



 と、そんな事態に陥った俺を見かねたのか、勇丸はこちらの横に座り、背中だけだが、体と体を密着させる。

 ―――俺! 陥落!!

 思わず声を大にして叫びたい衝動に駆られるが、勇丸の背中に手をあてもふもふすることでそれを回避する。



(……決めた。俺、コイツずっと使っていこう)



 生前じゃ1回もデッキに組み込んだ事なかったけど、それも今日までさ!



 そんな新たな決意を胸にする俺とは裏腹に、勇丸はいたって忠実に周囲を警戒していたのを知るのは、もう少し先の事だった。





[26038] 第02話 原作キャラと出会う
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:01






 所々に体が寒い。

 けれど正面だけはとても暖かで。

 温もりを求めて体を摺り寄せると、その暖かさはもそもそと動いた。



(―――あぁ、これ勇丸だったか……)



 寝起きながらも状況ははっきりと分かった。

 過去嗅いだことのないほど濃厚な土と木の匂いの交じり合う、ここ隠れ家の中。

 勇丸にも匂いってあるんだろうかと思い、嗅覚に集中するが、全く嗅ぎ分けることが出来なかった。

 多分、匂いについての記述のないクリーチャーとかは、全てそうなんだろうと、段々と意識が覚醒していく中で結論付ける。

 そう考えると、昨日のバッパラや、これから召喚する予定の天使やゴブリン、ゾンビにドラゴンなんかは大半が無臭なのではないか、と残念3割、安心7割の心境で判断した。

 だって良い匂いの奴なんてそうそう居ないだろうし、居たとしても『良い匂いの強いクリーチャー』ってカテゴリに入る奴はまず居ないだろう。ってか俺が知らない。

 先にデメリットの方から考えるなんて、相変わらずネガティブな思考してんな、と我ながら呆れた。



 さて、いい加減目を開けなきゃなぁなんて思うので、何とか瞼を抉じ開ける。

 思考のハッキリしない寝起きの為か、もうやる事なす事の初めに『初』なんとかなんて付ける気はない。

 視界に飛び込んできたのは、白。

 予想通り勇丸の背中なのだが、コイツは寝そべりながら首だけを起こして、出入り口に警戒を続けていたようだ。



(一晩中ずっと警戒してくれてたのか……?)



 睡眠とか要らないのかもしれないと考えてみたけれど、完全徹夜を経験した時の自分と今の勇丸を重ね合わせてしまい、申し訳なさと感謝の念がこみ上げる。

 そうとなれば、この気持ちを伝えておかないと。



「おはよう。警戒してくれて、ありがとう」



 首をこちらに向け、勇丸は目を細める。

 ―――お気になさらずに。

 言葉や行動ではない、言うなればニュータイプみたいな、心で分かる感覚が俺の中に届く。

 どうも、このクリーチャーって奴は、心で気持ちを通わせることが出来るようだ。

 言葉を話せそうな人間タイプの奴はどうなんだろうかと思いながら、別の問題を考える。



(バッパラや勇丸もそうだけど、俺への忠誠は無条件で付いてると考えても良いのかな)



 あたり前だとは思うが、この前提条件がなければ俺はこの世界でやっていけない自信がある。

“召喚したのだから俺に従えー”なんて、何とかの使い魔で出てきたサイト状態だったら目も当てられない。

 なんてったって、パラメーターだけ見ればただの人間なのだ。

 間違いなく、最低ランクのクリーチャーでも殺される自信がある。



(初めに出した攻撃力のあるクリーチャーが勇丸で良かったのかもしれないな)



 体に被った藁を押しのけて、服に付いたそれらを払う。

 朝日の差し込む唯一の出入り口の扉を開け、勇丸を先に行くよう思いを伝える。

 二メートル近くある大型犬なせいか、勇丸が歩くだけで幻想的な光景が視界を埋めた。



(こりゃ、大型コストのクリーチャーとか見た日にゃ卒倒するかもな)



 誰もいなくなった隠れ家内部に目を向けるが、これといった感情は沸かない。

 恐らく何度も利用するんだろうなと思い、逡巡。

【隠れ家】の能力を思い出した。



(そういえばそんな能力あったな……どうなるんだろ)



 実験に近い気持ちで、誰も居なくなった隠れ家の扉を閉める。

 そのまま数秒。

 何の変化も起きないことに、俺は内心ガッツポーズをする。

 ―――【隠れ家】には無限のクリーチャーを内容出来る能力があるが、その収容されたクリーチャーを開放するには、【隠れ家】自身を生贄に捧げなければならないのだ。

 そして今回、内包されたクリーチャー(俺もか?)を放出し終えた今でも、【隠れ家】は依然としてそこに存在している。



(デメリットはある多少無視出来るっておっちゃん言ってたけど、これホントにどこまで無視出来るんだ?)



 使う側になった為、ご都合主義万歳派になった俺だったが、このデメリット無視がどこまで通用するのか確認しないことには足元をすくわれかねない。



(これから、手札を捨てる、ライフを支払う、ターンを前払い、なんてデメリットの検討もしていかないと……)



 やる事は山積みだが、今はそれよりも優先して調べたい事を思い出す。

 それは、クリーチャーについているパワーとタフネスが、こちらの世界でのどの程度のものになるのか、という事だ。

 バッパラは0/1。

 これは攻撃力が皆無の、タフネスは最低ランクという事。

 対して、勇丸は2/2。

 攻撃力が2のタフネスが2という事だ。

 一番分かりやすいのは、何かと戦わせるか、同じく何かを破壊してみればいい。

 そう思いながら、目の前の隠れ家を消す。

 お世話になりました。と、宿家になってくれた木に感謝しつつ、林を先導する勇丸の後を追い、初日にいた草原へと戻った。















「さて、まずは今いる場所の確認をしてみますか」



 思い、役に立ちそうなカードを思案する。

 するのだが……



「……ダメだ、さっぱり思いつかない」



 ダメでした♪

 ……うん、音符つけてもキモさ倍増するだけだな。以後自重しよう。

 脳内wikiに検索をかけるも、そこまで容量がある訳ではないので、ゲームの対戦として使用頻度が低ければ低い程に、俺のギャザに対する知識は霞んでいく。



「仕方ない、周囲の散策をしてくれるクリーチャーでも呼びましょうかね、っと」



 分からないのなら、分かるようにするだけだ。

 例え効率が悪くとも、停滞するのはいただけない。

 それに、カードを扱う良い練習にもなるのだと思い、探索に便利そうなキャラを思い浮かべる。

 探索……機動力がある……足が速い……地形無視……空……

 うん、鳥―――というか飛行系だ。

 今度はバッパラのような攻撃力のないもじゃなくて、しっかり攻撃出来る奴を出してみよう。

 コストゼロの隠れ家は出したし、コスト1のバッパラや勇丸は出したから、次は2で。

 そして、どうせならと、あまり使われる事のない、少し捻ったクリーチャーを召喚する事にした。



「イメージイメージ、っと。来い!【エイヴンの遠見(とおみ)】!」



 3回目ともなると慣れたのか、イメージもすんなりと形を成す。



 そして現れる【エイヴンの遠見】。

 人と鳥が融合したのような外見。

 顔が鷹……だと思う。

 手は大空を駆けるための翼がついていて、人間どころか牛やゴリラといった大型生物でも楽々と捕食出来そうな鍵爪が見て取れた。

 天使を思い描くより、鳥人間といったコセンプトの方が合っている印象。

 1/1に飛行能力と、ちょっとした能力が付随されているのだが、そのちょっとした能力はこの場では無関係なので省略。

 能力には表記されていないが、遠くを見渡すことに長けている筈だ。名前的に。



 召喚と同時、ドッと体力を奪われる感覚が俺を襲う。

 百メートル全力疾走しましたと言わんばかりに俺は荒い息を吐く。



(こりゃ3マナとか出したら立てなくなるかもな)



 幾ら運動不足だったとはいえ、結構疲労するなぁ、と思いながら、召喚したエイヴンを見る。

 俺をゆうに越えるその躯体に、思わず息を呑む。

 これでガチンコの戦闘をしたら勇丸の方が強いというのだから、MTG内では不思議な現象も起こるものだ。

 ……そして、その不思議現象をこちらに当てはめて考えるのはやや危険。

 おっちゃんが『カードの効果が必ず効果を発揮する訳ではない』といっていた。

 これは恐らくパワーやタフネスといった数値にも関係するのだろう。

 カード上では戦闘行為は足し算引き算の結果だが、実際は経験や技術、その場の状況に運といった様々な事象が関わってくるのだ。

 目安の一つにするならまだしも、絶対だと思い込むのは避けておこう。

 そう思いながら、エイヴンを見上げる。



(うわぁ……マジこえぇ)



 ギンと睨む眼光に、俺の股間が竦みあがる。

 きっと目つきが悪いだけだ、と強引に考え、遠ざけるかのように周りを探索するよう言葉をかける。



「今ここにいる地点を中心に、探索を始めてくれ。ただし、人型の生き物を見た時は報告しに戻ってきてほしい」



 一瞬。

 しゅばっ、っと離陸して、彼は瞬く間に空の彼方へ偵察に出かけていった。

 見届けると同時、緊張と疲労も合わさった疲労感を回復させるべく、すとんと地面に腰を落とす。

 雄大に大空を駆ける彼に憧れを抱き、機会があったら何かの呪文を使って空を飛ぼうと心に決めた俺だった。



(いつかは10マナ以上の召喚とかやってみたいねぇ……世界終わりそうだけど)



 漠然と、視界から小さくなっていくエイヴンを見ながらそう思う。

 10マナ以上ともなると、神みたいなクリーチャーが多い。

 元々、MTGは次元世界を題材とした作品だ。

 ギャザの神がどの程度の存在なのかはイマイチ掴めないが、間々、次元崩壊で星一つどころの話ではない事態が起こっている。

 そんな事象を引き起こす存在を召喚出来るかもしれないというのだから、そりゃあテンションも上がるってもんよ!

 俺TUEEEとか誰もが1度は夢みる出来事な筈だ。

 ただ俺の体力がそこまでもたないので、気の長い話ではあるのだけれど。



(1マナが鳥とか犬で10マナ以上が神クラスだとしたら……単純に2マナだから1マナの二倍強い、とかって訳でもないんだろうな)



 その辺りは今後分かるとして。

 お日様も真上に昇ろうかという時間帯。

 クリーチャーとして召喚されたせいなのかは分からないが、周囲を警戒している勇丸は空腹なることはないようで、尋ねてみるも、大丈夫だという意思が返ってくる。

 食費は掛からなくていいなぁと漠然と考えながら、勇丸の様子を観察しつつ、何をするでもなく周りの風景を眺めながら、考える。

 クリーチャー二体。1マナと2マナの計3マナ維持とは、中々に大変であることを実感した。

 感覚としては、やや早歩きをし続けている位の疲労感。

 一応は体を休めながら行っているのでそこまで苦ではないのだが、いつかは体力でもレベルでも何でもいいから上げて、召喚出来る範囲を広げていきたい。

 考えをまとめつつ、ごろんと大の字に体を横たえる。

 見上げた景色は一日目と同じで、青い空に白い雲。緑の絨毯はふかふかで、昨晩お世話になった林には、鳥達が時折飛び出す様子が窺えた。



(―――平和だ)



 心からそう思う。

 能力の把握とか、これからどうするのかとか。

 そんな思いすら、この景色の前では豆粒のような考えなのだと実感させられる。

 ここは『東方プロジェクト』の世界だとおっちゃんは言った。

 だが、だからといって別にそれらに登場するキャラクターに遭遇しなくても良いのではないか。

 教えられた時には『原作介入ひゃっほー! 俺好みのストーリーにしてやるぜぇ!』なんて脳内で息巻いていたのだが、今の俺には飽きることのない感情と、何でも食べられる能力が備わっている。

 ぶっちゃけ、体調さえ崩さずに篭れるのなら、幾年だろうと問題ない。

 何かカードを使って、日が昇っている間は大地を、夜は星を眺めている状況を作るだけで、今の俺は満足なのだ。

 それに、原作には原作の流れがあり、こと東方プロジェクトには悲しい出来事は多少あるが、幻想卿に集う時には、大体が円満になっている。



 ―――原作に限らず、世界では悲しい出来事が多々起こっている。飢餓や戦争も、当然の事ながら。

 だが、俺にはそれらは興味の対象外なのだ。

 そこに俺がいなくてもなるようになるし、ならなかったら滅んだり、他の人がどうにかする。

 世の中、そんなもんだった。

 たかだか数年社会に出ただけの俺だったか、そんなもんだったのだ。

 情もなく、思い入れもなく、繋がりもない何かの為に、少なくとも俺は動けない。……いや、動きたくない。

『力を持つ者の定めだー』とかクソ食らえ。

 それは他力本願というものだ。

 頼ってきたのならいざ知らず、こうべき、なんて押し付けがましい考えは、受け入れられない。

 だから、このままゆったりと自然の流れに身を任せて―――







 突如、座っていた勇丸が四肢を広げ、何かを威嚇しながら、俺の前に盾になるかのように立ち塞がる。

 低く唸り声を上げる勇丸に、俺の思考は一気に警戒を最大値に引き上げた。

 氷柱を背中に入れられたように、一気に背筋が凍る。

 天気の良い、ただの見晴らしのいい草原。

 そにれ寸分違う事無く、俺の視界には、ただの草原しか映っていない。

 けれど、勇丸は何もない筈の一点に顔を向け、全身の毛が逆立っている位に警戒をしている。



(何かが……来ている……!?)



 見えない何か。

 俺が―――人間が知覚できない存在。

 決して真っ当な生き物ではないだろう。



(くそっ! 東方の世界ならば、妖怪やら精霊やらが普通に跋扈(ばっこ)していたのを失念してた!)



 思うや否や、チグハグながらも何とか思考を戦闘方面へと切り替える。



(正体不明。攻撃……は不得策。防御を最優先に)



 敵の正体を見破るのは後回し。



(今の状況で使えそうなカードは……強化……【エンチャント】か? よし、あの二枚でいこう)









『エンチャント』

 呪いや魔力の付与などの具象化された魔法のイメージ。個別と全体に効果を及ぼすものがあり、前者は加護や呪縛、後者は結界や聖域といったイメージが似合う。





 



(カード、【不可侵(ふかしん)】【鏡のローブ】選択。対象は俺!)



 共に【エンチャント】呪文であるそれは、前者は付けた者は受ける全てのダメージをゼロにし、後者は装備したクリーチャーを呪文や能力の対象から外す……対象に選ばせない能力を持つ。

 本来プレイヤー(俺)とクリーチャー(勇丸)は別扱いなのだが、クリーチャーのみを収容する隠れ家へ入室出来たことを考えると、俺はクリーチャーでもあり、プレイヤーでもある性質を持っているのか、それともそういった仕様は無視なのか。少し首をかしげるが、今は無視。

 で、前者は俺の知る限り、アニメとか漫画じゃよくある能力かもしれないが、後者は東方世界にとっては致命的の部類に入るかもしれない。

 相手を燃やしたり、境界を操ったり、破壊したりなど、他に方法はあるだろうが、こちらに干渉する手段をかなり減らされるのだから。

 無効化などといったレベルではない、それを選択肢に入れることが出来ないのだ。

 その能力名は、MTGでは【被覆】。

 あるいは、決して触れられないことを意味する【アンタッチャブル】と呼ばれている。

 ただMTGではそれすらも割と簡単に対処する方法が多々あるので、安心は出来ない。

 というのも、一番楽な方法として、単体ではなく全体に効果を及ぼすものにはこの【被覆】は効力を発揮しないからだ。

 相手がどの程度の力量なのか不明だけれど、もし個別の俺を狙えなかったのなら、やけっぱちの全体攻撃とか無差別攻撃みたいなのをやられて、その攻撃が通用してしまうかもしれないので、油断は禁物。

【不可侵】は外見上の変化はないが、【鏡のローブ】は名前の通り、所々が鏡面になったローブだ。手鏡を縫い合わせた服、といっていいかもしれない。



 ……ただこのカード。この手の戦闘では致命的な欠点があるのに気づくのは、もう少し先の話。



 傍から見たら、突然衣類を着替えたように見えるであろう俺に、近づいてきた姿の見えない何者かはどう思うのだろうか。

 不気味に思って立ち去ってくれるのなら良し。

 仮に襲い掛かってきたのなら、個別のクリーチャー破壊カードで対応しよう。即死にはならずとも、それに近い効果が見込めるハズだ。

 しかし、疲労感がマジやばい。

【不可侵】は2マナ、【鏡のローブ】は1マナ。

 計3マナの連続使用で、クリーチャー分も合わせるとそのさらに倍の6マナになる。

 切羽詰った体力は、俺への死を否応なしに連想させる。



(きっつ……仕方ない、エイヴンには悪いけど、戻ってもらって余力を稼がないと)



 今は目前の事態を解決するのが最優先。

 念話も届かず、いつ戻ってくるかも分からない状況では、何の足しにもならないのを痛感する。

 心の中で謝りながら、エイヴンを戻すイメージを実行。

 どこにいたのかも不明だったが、先程召喚した時から続いてた疲労感の一端が消えるのが分かった。

 これならもう少し粘れると思いながら、勇丸が見つめる先に目を凝らして、けれど俺はその場から動けずにいる。

 というのも、状況の問題もそうなのだが、疲労が限界近くに達していた

 今の俺は荒い息を繰り返す、まさに突けば倒れる存在だ。

 鼓動が煩い。

 ドクドクと、心臓の音が痛いくらいに耳に響く。

 唸り声を上げ続ける勇丸の後ろに隠れて数秒。……いや、数十秒だろうか。

 時間の感覚が分からなくなっていたが、カードを使ってから少し間が開いた。

 勇丸がずっと唸り続けているのだからまだ目の前には居る筈なのだが、やはり俺には姿を見ることは適わない。



(解析系のカードってあったかな……)



 望遠鏡とかメガネとか、そんな感じのカードが解析系なのだろうか。

 それともゲーム的な視点で考えて、相手の手札を見る系?

 守りのカード二枚が展開されている状況の為か、自身のスナミナと相談しながら、先程よりはゆっくりと思考を巡らせる。

 ―――いや、巡らせようとした。

 まるで、そんな思考を遮るかのように、



「ここへ何用だ、人間」



 ……俺の胸に届くか届かないかという所か。

 小さな体からは想像も出来ないような威圧感を放ちながら、黄金の稲穂を思わせる髪を独特な帽子の隙間から覗かせて。

 何も無かったその空間。

 さも当たり前のように、



(くそっ! なにが『あーうー』だ。ネタに走った奴出て来い! そんな存在じゃねぇぞ!?)



 土着神の頂点との二つ名を持つ、日本最高クラスの神が1人。

『洩矢 諏訪子』が俺の前に降臨した。





[26038] 第03話 神と人の差
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:05






「……ここへ何用だ、人間」



 二度目の問い。

 まずい、神様を無視したばかりか再度問い直させちゃったよ!

 一瞬で混乱した脳内を正常に戻す。

 だが。



(ぐぬっ、対面してるだけでもメンタル削られる……!)



 というか息吸えねぇ!

 ガリガリと、自分の中で気力が削がれていくのが実感できる。

 人生初であろう神様との対面が、まさか日本全国の祟り神のまとめ役だとは夢にも思わなかった。

 何とか喋らねばと声を出そうとしてみるも、まるで窒息する魚のように、口をパクパクと動かすだけにしかなっていない。

 まずいまずいまずい!

 もう、何十回叫ぶんだってくらいまずい!

 このまま相手を放置プレイし続けたら確実に呪われる! ってか殺される!

 しかし、口が動かない。

 手も足も、いや、体中から滝のような汗をかいているのが分かる。

 もはや自分が地面に立っているのかも分からなくなりかけた頃、こちらを見つめる神の眼光が、キッと細まった。



(あ……俺死んだ……)



 噴火する火山を、もしくは降り注ぐ隕石の群れを見たような、諦めの境地とも言える心境の中、



「……ふむ、これで話すことが出来るか、人間」



 俺にとっての小さな死神様は、その威圧感を緩めてきた。

 途端、俺は膝から倒れるように、四つん這いになる。

 体中に酸素を取り込むように、過呼吸とも言えるくらい肺に空気を取り入れる。



(た、助かった! 何とか俺生きてる! 神様仏様! 何より勇丸、ありがとう!)



 とりあえず生きている事へ感謝をした後、今度こそと対応すべく、今し方、感謝を捧げた神様へ顔を向ける。

 訝しげにこちらを眺める、幼い女の子がそこにはいる。

 こんな容姿でも、威圧するだけで俺は死にそうになったのだ。

 人間と神とはこれ程の差があるのかと畏怖の念が込み上げてくると同時、自分の愚かさに怒りも湧き上がってきた。



(話にならねぇ。攻撃でも能力でもなく存在で格が違うんだ。不可侵でダメージ無効ってのも、肉体面だけだし―――いや、そもそもダメージだとすら認識されていない事象なのか。それともダメージゼロは神相手にゃ効果ないのか……こんなんじゃ、俺TUEEEなんて出来るわけないじゃないか)



 今までの考えを悔いると共に、まだ震えの抜けない足に力を込めて、神様と向き直る。

 こちらを興味深く観察するかのように、じっと見つめるその眼にまたも意識が薄れそうになるが、何とか堪える。

 相手は神様。雲の上のお方。

 ならば古来よりの例に習って、低姿勢で対応をしてみよう。



 ―――というか、だ。

 さっきので心が折れかかって、反抗とかタメ口とかなんて考えらんねぇだけだったりする。



「……大変失礼致しました。こちらへは昨日着いたばかりでして。あまりの景色の雄大さに心打たれ、眺めていた次第でございます。出て行けと言われるのでしたら、すぐにそう致します故、何卒お許し下さい」


 
 立ち上がってすぐ、俺は再び膝から地面に、手、頭と付けていく。

 この頃の日本―――諏訪子がいるのだから日本だろう―――には土下座はあるのか疑問だったが、これが俺の中での精一杯の謝罪の形だ。

 そんな俺の前に立っていた勇丸は、雰囲気を察したのか、俺の斜め後ろに回り、そこに座る。



「良い者を連れているな。犬畜生など、狗神しかまともな者なぞおらんと思っていたが。私に勝てないと見るや、即座にお前を逃がそうと機会を窺っていたぞ」



 面白いものを見たかのような声色で、俺に言葉を投げかけた。 

 言われ、勇丸に視線を向ける。

 こちらと目が合い、大丈夫ですか、と意思の確認をしてくるそれに、俺は今の精一杯の感謝の気持ちを伝えた。



「さて、人間。お前の事情は分かった。だが、ここは我が国の中でも、聖域とされ、誰も立ち入ることを許されておらぬ土地だ。………首を刎ねられて当然。そんな所へ踏み込んだお前は、一体私に何を捧げて、その許しを請おうと言うのかな?」


 さ、捧げるものって……。

 何だろう、【アーティファクト】ならいっぱいあるけど、それで良いんだろうか。

 それとも便利なクリーチャー? はたまた使える【エンチャント】?

 候補は幾つもあるが、大雑把な要望過ぎて、何を提示していいのか判断がつかない。

 よって、失礼になるかもしれないが、下手なもの差し出して『魂よこせ』とか言われるよりはマシだ。

 何か要望がないか聞いてみよう。



「……恐縮ではございますが、何かご要望があれば、可能な限りそれに近いものを捧げたいと考えおります」


 
 ふむ、と一言。

 まるで玩具を見つけた子供のような目になった神様は、俺に



「では、お前の魂をもらうとしようか」



 にやりと笑みを浮かべ、そう告げた。

 超! 薮! 蛇!

 地雷回避しとうとしたら、グラウンドゼロでした!

 あかん! やばいやばいの六十四乗だ!

 自ら墓穴とか空気の読めない主人公だけかと思ってたYO!

 

「お、恐れながら……そればかりは……」



 消え入りそうな声で何とか訂正してもらうと、尋ねてみる。

 すると、それを見越していたかのように、この外道神様は再度、提案してきた。



「では、そちらの忠犬を貰おうか」



 ……え、ちゅう……けん……?



「お前の後ろ控えている、その犬のことだ。その忠義を尽くす姿勢を見て、私も欲しくなったのだ」



 ニタニタと、段々と笑顔の性質が変わっていくのが俺にでも分かる。



「まさか命を助けられ、1度私の要望を拒んだばかりか、2度もそれを繰り返すつもりはなかろうな」



 一転。

 今度は笑みなど一切なく、先程と同じような、威厳を放つ存在となっていた。

 再び俺の前に立ち塞がる勇丸。

 先とは打って変わり、唸り声は今にも飛び掛らんばかりの音量にまでなっている。

 そして俺はといえば、やはり息も吸えず、目の焦点すら定まらない状態に陥っていた。

 ―――そんな中、1度体験したせいか。

 俺の思考だけは、この状況を打開する為だけに巡る。

 勇丸を差し出す? となると当然、アイツはこの神様が飽きるか死ぬかするまで返ってくることはない。

 ……いいじゃないか、数あるカードの中の一枚だ。

 他にもカードは山のようにあるし、もし勇丸を取り戻したいのなら、差し出し、逃げた後で再度召喚すればいい。



 だが―――だが待って欲しい。

 そう俺の心の一部が訴える。

 その一部とは、怒りと呼ばれる感情である。

 相手は神様で、そして、祟り神の頂点だ。

 西洋の神ならいざ知らず、こんな絆を引き裂くような真似をするものなのだろうか。

 伝説や言い伝えは等は、羽陽曲折し、捻じ曲がるものだろうが、それでも日本という国は、その神々達は素晴らしい方々だと―――そう、思いたい自分がいる。

 日本嫌いの国民や政治家を見ていたせいか、俺は日本という国に一定以上の崇高な何かを見続けていた。

 それは無条件の信頼であり、信仰であり、誇りだ。

 それは今でも俺の中にあるし、目の前の神を見たことによって、それはより強固な確信へと変わっている。

 しかし。

 その信仰は、俺に害を与えないことが前提なのだ。

 威圧感のみで死にそうになったことは、こちらが不法侵入したのだからと思っていた。

 けれど、自分のみならず、勇丸を物のように『寄越せ』と言ってきたのを、俺は許せなかった。



(日本の神様ってのは、もっと人間のことを考えてくれるもんだと思ってたけどよ……)



 その結論に達すると、途端に威圧感が軽くなる。

 いや、自身の怒りでそれらが気にならなくなったと言った方が正しい。

 憤怒という名の覚悟は俺を炊き付け、後先考えずに、この口を動かす。



「申し訳ありませんが、それは出来かねます」

「断ると申すか。ならばお前の魂を貰うことになるが、構わぬか?」

「そこの忠犬―――勇丸を選択肢に入れていなければ、それも致し方ないと考えておりました。ですが、あなた様の行動は、とても神とは思えません。まるで……まるで暴君、いえたちの悪い妖怪そのものに御座います」

「……吐いた唾は飲み込めんぞ、小僧」

「―――小僧で結構。生憎と親の育て方が良かったんでね、踏み込んじゃいけない領域ってのは心得てるつもりだ」



 気分のせいか、口調まで荒くなる。



「小さきことよ。神と人間を同じ尺度で測ろうなど、愚かな」

「だったら人間から完全に離れろってんだ。関わっている以上、お前のそれは我侭な言い訳だと思うがね」



 もはや言葉では語らず。

 辺りの空気がズンと重くなる。

 青い空の、白い雲で、緑の大地と何一つさっきと変わらない光景は、それだけで一遍し、処刑場へと姿を変えたようだった。 

 神様の前に死が付いてしまった相手に、俺の頭では、暴走気味に高コストのクリーチャー群と凶悪スペルの列が並ぶ。

 疲れや制限など知ったことか。

 ここまで啖呵を切ったのだ。もはや行くところまで行くと覚悟を決めた。

 それに、俺の物語はまだ序盤。

 開始直後の死亡リトライなど、ゲームでは定石。

 押しつぶされそうな世界で、俺は自称神様を睨みつける。

 軽く俯き、帽子のつばで目の見えないそれは、怒りで暴れだす一歩手前の火山に見える。

 そして、俺がクリーチャー群の第一陣を召喚しようとした矢先―――



「―――ぷっ、あはははは! 凄い凄い! あたしの神気にここまで耐えられる人間がいるなんて! しかも向かって来ようとするじゃないか! いやぁ長生きはするもんだねぇ」



 なんか今までの威厳をキングクリムゾンしたような出来事に出会ってしまった。

 ……はっ!?



(これはあれか!? 『ちょっとからかってやるか♪』的なシチュエーション!?)



 ダメだ。このシチュエーションって第三者から見たらまる分かりだけど、当事者になると全くそんなこと考える余裕がない。

 威圧感とはハンパじゃないからね! 

 あれだ。

 上司とか得意先とか先生とか親から全力で説教食らってる時に、『実はうっそで~す』な相手の状況を思い浮かべられる余裕なんて無い感じ。

 本日二度目の腰砕けになった俺は、今更ながら、自分が立ち向かおうとしていた存在の大きさを知る。

 膝はガクガク汗はダラダラ、貧血でもないのに目の前がクラクラしやがる。

 今まさに orz を体言している俺だったが、まるで慰めるかのように、俺の腕に勇丸が体を擦り付けてきた。

 あんた、ほんま優しすぎるねん!

 思わず体全体をもふっと抱きしめる。

 何をするでもなく、成すがままにされている勇丸だったが、尻尾が少しだけパタパタと嬉しそうに左右に振られているのを俺は見逃さない。



(これか! これがツンデレというものか!(注・違います))


 
 よぅし分かった。もう今日はお前を放さんぞその毛がツヤツヤになるまで撫で回しt



「気分が乗ってるとこ悪いんだけど、人間、そろそろこっちも相手してもらえるかね」

「はい! 失礼しました!」



 我ながら素晴らしい反射神経だと思う。

 一瞬にして開放された勇丸はこちらの横に控えるように座るが、尻尾が心なしか寂しそうに垂れ下がっている。

 すまん、後でいっぱい遊ぼうな。



「さて人間よ。実を言うとね。私はこの地にお前が入った時から、お前のことを眺めていてね―――その、式神か妖術か分からないが、お前の使う奇跡に興味が沸いたわけなのだよ」

「あ……と……この、今着ている服の事でしょうか?」

「誤魔化すでもいいけどね、お前が前にしている私は、祟り神と呼ばれる存在だと思っていい」



 分かる? 祟り神。

 そう、小首を傾げ、くりくりとした目をこちらに向ける自称祟り神。

 いやいや、あんた祟り神って言うよりそれを操ってる立場でしょうが。

 行動は可愛いのだが、話の内容は物騒な事この上ない。

 ええ、あなた様の素性に関しては重々承知していますとも。……前世で。

 

「すいませんでした。お答え出来る範囲でしたら全てお答えしますので、どうか祟らないで下さい」



 本日二回目の土下座だったか、一度目よりは真面目度が大幅に下がっている。

 今の状況を例えるなら、浮気を謝る夫、というところだろうか。

 情けない限りである。



「ふぅん、それでも全部は答えてくれない、か。うん、ま、いいよ。聞きたくなったら絶対に聞くし」



 ぶるりとこちらの背を振るわせる発言をして、神様―――彼女は、近くにあった子供程ある岩の上に歩き出す。

 岩まで着くと、その上にぴょんとひと乗り。

 こちらを向き―――ちょっと見てみたかった俺的東方名物のうちの1つ。カエル座り? をして、俺を見下ろした。



(生ケロちゃんだぁ……スカートの中は見えないんだなやっぱりゲフンゲフン)

「お前は人間にしては体が大きいからね。見上げるのは首がキツイし。それに私、神様だし。こういう格好のが、それらしく見えるでしょ?」



 それはそうだが、だからって俺に同意を求めないでほしい。

 この様子じゃ違うと答えても、『これが神様ってもんさ』ってな具合に押し通されそう。

 彼女に習い、俺も彼女の前で胡坐を組む。

 少し見上げる感じで、態度は悪いが、これくらいならば長時間でもいけそうだ。



「では人間よ。楽しませてもらったお礼に、まずは私から名乗ろうじゃないか」



 やっぱり目上……というか神様から名乗らせるのは失礼に当たるんだろうな、今のセリフから察するに。

 この時代、何が失礼に当たるかなんてさっぱり分からんぞ。



「私は、洩矢 諏訪子。ミシャクジ―――祟り神達を統括している、土着神だよ」

 

 出会った時とは一転、コロコロと鈴を鳴らすように、軽やかに、諏訪子……様は告げた。

 こっちが彼女の素なのだと思いたい。

 だって神モードで対応されたら俺の魂魄消えそうだしね!



 ただ、俺はここで、やっと忘れていた事を思い出した。

 なぜ忘れていたんだと思うだろうが、そんなの分かっていたら、もうとっくにその疑問を解決していた。

 今まで忙しすぎたせいで、考えが及ばなかったのだろう。

 だから、今の状況を、俺は諏訪子様に素直に告げる事にした。



「お初にお目にかかります。昨日こちらの地に流れ着きました人間で、名前は―――あ~……ありません」

「……へ?」



 告げた答えに対しての返答は、神様にしては、あまりに間の抜けた声だった。





[26038] 第04話 名前
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:08






 太陽が地平の彼方へ消えようとしている。

 まだ時間はあるものの、大地を燃やすその光に、俺はまた心を奪われる。

 この光景を何度見ても飽きる事はないというのだから、この倦怠感の制御が出来る能力は、実は何にもまして代えがたい能力なのではないかと思う。



「へぇー、じゃあお前は色々な奇跡を起こすことが出来るんだ」

「奇跡って言い方は大げさだと思いますが、考え方としては……間違っていないかと思います」




 今、俺の前には、洩矢 諏訪子が―――違うな。

 勇丸に乗った諏訪子様が先行していた。

『他の民への配慮もあるから、様はつけてね』ってことだったので、何となく諏訪子様、と呼ぶことにした。

 装備中の【不可侵】と【鏡のローブ】を解除する。

 その時に気づいたのだが、この【鏡のローブ】、俺が【アンタッチャブル】になるのであって、【鏡のローブ】が【被覆】になるのではない。

 よって、精神攻撃とかなら効果を発揮しそうなのだが、よくある雷とか炎とか氷とか、生身の部分で対処しないとローブに当たるのだ。

 しかも名前の通り全面鏡なもんだから、恐ろしく耐久性が悪い。……動いた時に何かに当たったのだが、パキンと嫌な音がした時は中々に焦ったのですよ。

 しょっぱなから選択肢間違えてんじゃん俺、と次に生かせる教訓を学べた事に感謝した。

 そんな中、『日も暮れそうなので私の国に来ないか』って話になったので、尽きぬ興味に動かされ、帰宅する彼女のご同伴をしているというわけだったのが……。















「乗りたい」



 そうストレートに言われたのは、2人と1匹で少し歩いていた時。

 諏訪子様の後ろ―――俺の前に居た勇丸を指差して、そうのたまってくれた。

 連続召喚で疲労感MAXのダレダレな俺に何言ってくれちゃってんのこの神様。



(なんてこった! 俺だって乗ってみたいのに! 重いから乗ったらきついだろうなぁ。とか思ってやらなかったんだぞ!)



 俺より先に乗るのは許せん! けど祟られてもイヤだしなぁ。

 ……そうだ、遠まわしに勇丸に拒否させてみよう。

 

「私には何とも……。一応、勇丸に尋ねてみませんと」

「あ、それなら、お前が良いなら構わないって言われたよ」



 勇丸ぅうう!?

 既に根回しが済んでいたとは知らず、最後の一押しをしてしまった自分を責める。

 というか諏訪子様、動物と話せるんですね。

 しかも話す姿を見ていないことから、念話じゃないかと推測できる。

 ホント神様って何でもありね。

 こっちは召喚者だからってチートな理由で意思の疎通ができるだけってのに。

 まぁ思考が読まれていないだけ良しとしよう。

 リーディング機能なんて備わってる日にゃぁ恥ずかしくてお天道様の下を歩けません。

 理由?

 エロいこと考えられないからだよ!

 ……さとりさんに出会ったら詰むな、俺。



「ってことだから、えっと、勇丸。宜しくね?」



 不安そうに声をかけた諏訪子様に反応して、勇丸は体を寝かし、伏せの状態になる。

 乗れ、ってことなんだろう。

 行動だけで察することが出来る。



「ありがと。えへへ~、よ、っと、っと。お、お。……おぉ~、ふかふかだぁ」



 少しギクシャクしながら、勇丸に諏訪子様は跨った。

 それを確認した後、その忠犬はゆっくりと四肢を伸ばす。

 一気に視界が高くなり、俺と同じくらいになると、諏訪子様は満足そうに顔に笑みを作った。

 うぅ、良いなぁ、ふかふか。

 犬に跨る女の子ってのも可愛いと思うが、今の俺は“もふもふ>女の子”だ。興味の対象が違う。



「よしよし。それじゃあ私の国へしゅっぱ~つ!」



明るく宣言しながら片手を挙げるその姿は、年相応の女の子に見えた。















 それが、大体一時間くらい前の出来事だろうか。

 眺める先には、幾つかの白煙の筋が見える。

 その下には木で作られた家と、かやぶきで作られているであろう、藁の家リアル版が多数点在していた。



(おー、田舎へ泊まろう(番組名)、なんて目じゃない田舎だな)



 感想がずれているとは思うが、なにぶん仕方のないことなのだ。

 俺は、生前はコンクリートジャングルから1度も出たことのなかった。

 あったとしても、それは模造品。

 テーマパークやアミューズメント施設の一区画でしかなかった。

 ゆえにこの光景は、テレビやスクリーンの中だけの―――言ってみれば、幻想の景色そのものであったのだ。



(そういやこの時代ってトイレは汲み取り式か? じゃあやっぱ手とかでケツ拭くのか? そもそもトイレなんてあるのか?)



 少し下品な思考だが、今後の大切なことだ。

 そう思って便意に気を集中してみるも、よくよく考えると、まだ1度も、尿意すら感じていない。



(まさか空気とか主食にしてると出るもんは出ない、と?)



 この生理現象は人間とは切れない間柄の1つである。

 そこまで考えると、目の前にいる1匹と1神にそれを当てはめようとするが………。



(やめとこう、今俺は自ら墓穴を掘りにいっている)



 嫌な予感がとまらず、断念。

 ため息を一つついて、視線を上げる。

 すると大分国の近くまで来ていたようで、柵のような囲いが周囲に広がっていた。

 恐らく、国(村?)を1周している………のだろう。

 一部に隙間が開いているので、あそこが出入り口なのだろう。

 もののけ姫で見たなと何となく思っていると、門と思われる出入り口の前で、諏訪子様が、ぴょんと勇丸から飛び降りて、俺の目の前に立った。

 まるでとおせんぼをするように道を塞ぎ、こちらの顔をじっと見つめられた。



「人間、まだお前には名が無いと言ったね」

「ん、ですね。……こっちに来る前にはあったんですけど、その名は置いてきました。本当は出発前に決めておこうと思ったんですけど……」

「それじゃあこれから名が決まるまで、ずっと私は『お前』とか『人間』なんて呼ばなきゃいけない。私の国に入るんだ。他人との関係を築くのに無名じゃあちと難儀だろう。で、だ。ここは、一つ私がお前に名を送ろうと思うんだが、どうかな?」



 突然のサプライズに、思わず目が点になる。



「……え? ……これといった案もなかったんで、こっちとしては願ったり叶ったりですけど、良いんですか?」

「なになに。私は神様。民の願いを叶えるのが仕事の1つだよ。入国祝いだとでも思って受け取ってくれると私は嬉しいな」
 


 そう言ってニコリと笑う彼女を見て、どこか胸が締め付けられるような、それでいて暖かくなるような思いが広がる。

 何が琴線に触れたのか分からないが、思わず涙が溢れそうになった。



(神様とか関係ねぇ。……諏訪子様、めっちゃ良い人や)



 言葉では表せない感情が心を占めて、それでも足りずに、その感情は涙となって溢れ出そうとしている。効果音としてはウルウルって感じで。

 けれど、俺の心がそんな涙する俺を恥ずかしいと思い、必死にそれを堪える。

 神様とはいえ、こんな幼い女の子の前で涙するのは、男としてのプライドが許さないようだ。



「それじゃあ、お願いします。カッコイイ名前にして下さいね」

「どうだろうね。ただ、私は似合っていると思うよ」

「そのお言葉だけで充分です。―――洩矢 諏訪子様、俺に、名前を下さい」



 カッコつけようと思っても俺には無理があって。

 ならばと気持ちを素直に言葉にする。

 これから一生付き合っていくものなのだ。

 しかも、それが日本有数の神様からの賜りものだってんなら、気に入らないことはないだろう。

 ニコニコしていた彼女の顔は、笑顔のままで、けれど、とても真剣なものになる。

 威圧感とはまた違った………神気とでも言えばいいのか。

 崇め、奉る存在だと思わせるオーラが滲み出ていた。



「―――お前は私が見てきた中でも、さらに特別な奇跡を扱う。

 それは、神々の中ですら異様と呼べるものだ。

 鳥の、鳥でも人でもない者の、狗の―――様々なものの呼び子。

 まるで万物を生み出すかの如くその力を駆使するお前は、人間でありながら、まるで幾人もの生命を統べる神のようだ。

 これらを組み込み、『多種多様な万物』という意味の、けれど、八百万には届かずとも、私に挑むその姿勢から、それに届き、いつかは追い抜かんとするその姿を示す――――

『九十九(つくも)』と。

 その名をお前にあたえる」


 
 神なんて、生前の俺が聞いたら鼻で笑うだろう。

 けれど、今ならすんなりとそれを受け入れられる。

 宗教とかは、切羽詰って何かにすがりたい奴か、金儲けを企む奴しか居ないのだろうと頭ごなしに馬鹿にしていた。

 だが、実際はどうだろう。

 今の俺には、この目の前にいる彼女が神かどうかなんて些細な事なのだ。

 決められぬ俺に名を与え、優しく微笑んでくれる。

 言葉にすれば、たったそれだけ。

 だがこの少しのことが、一体何人に出来るのだろう。

 理屈は分からない。

 けれど名を告げられた瞬間、俺の胸にはストンと、彼女の言葉がはめ込まれたのだ。

 まるで失った何かを取り戻せたような、そんな気持ち。
 
 ご大層な宗教名文なんて知らないが、彼女になら―――この洩矢 諏訪子という人格者に対してなら、それの信者になったとしても、それに仕える人物に出会ったとしても、馬鹿にするでなく、鼻で笑うでなく、純粋に、『ああ、素晴らしい方に仕えているのだな』と思えるだろう。

 ―――日本人とは、本能的に誰かに仕えたいと思っている。

 なんて発表した学者もいた。

 それは、彼女のような神々が、この狭いながらも広大な日本という土地を治めていたという名残なのかもしれない。



「謹んで……拝命させていただきます……」



 ちくしょう、ガチで泣き顔モードだよ……。

 俺の震える声にも笑顔を崩さず、彼女は小さな体を大きく広げ、ただ自力の声だけで、声高らかに宣言した。



「『洩矢の国』へようこそ、異国の旅人、九十九。私はお前を歓迎しよう」





[26038] 第05話 洩矢の国で
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/03 21:08





 国の中央に位置する、彼女が住む社の一角。

 諏訪子様は、そこに俺を連れてきた。

 仏像とか置いてありそうな中央の間に、団体さんで固まっていた、国のお歴々っぽい人物の前で自己紹介をしてくれた。

 思ってたよりも中々広い。

 二十人近く集まってるけど、その三倍くらいは収容出来そうな大きさだ。

 何でも、丁度統括している各地の代表が現状報告をしに来る日だったのだとか。

 その時の諏訪子様は、俺と出合った時と同じように、神様らしい口調で説明をする。

 その時も少しではあるが威圧感を放つ感じを漂わせていたので、ただの自己紹介が神託を授かる儀式のように思えた。



(あ。ように、というか、まさに神託か)



 ……ただ、自己紹介の際の『これは私の使いである』ってのは一体どういうことだねオイ。

 確かに前回は神々しい雰囲気と名前を貰えた感動から、気持ちが感謝フルブースト入っていたが、だからってお前にゃ仕える気はまだ無いぞ。

 しかも、



「物の怪や妖怪が現れた時は、この九十九に言え」



 とか偉そうに(偉いです)言い放ちやがった。

 やめてくれおっちゃん達! 俺に向かって『ははぁ!』とか。格好がGパンとかTシャツだから異様だけど、平伏す人じゃないから! どこのお奉行様よ!? むしろ逆の立場ですから!

 ……もういい。公の場じゃない限り、お前なんて敬語はいらねぇ! 呼び捨てだ諏訪子……さん(無理でした)、と心に決めた瞬間でもある。















 紹介が終わり、お歴々の方々が部屋から全員退出するのを見届けて、辺りにはもう聞く者が誰も居ないだろうと思い、俺は諏訪子を問いただす事にした。



「アー、スワコさん? 俺、確かに色々クリーチャーを召喚出来るけど、何だか妖怪退治っぽい仕事を俺に任せるみたいな発言をしませんでしたか?」

「うー? くりーちゃーってのが何なのか分からないけど、呼び出していた鳥やら勇丸やら、鳥と人の中間のような奴らのことだよね? だったら問題ない。だって九十九、それ以外にも荒事に向いている奇跡を起こせるんでしょう? じゃなかったら、勇丸を貰おうとした私と敵対しようなんて考えるはずないしね」



 もはや疑問符すら付かぬ確定宣言。

 俺的東方名物の1つ、『あーうー』の『うー』だけ聞くことが出来た。お前はレミリアかっつぅの。

 おー、生『うー』だ~。なんて感想は一瞬にして消え去り、食って掛かろうとするが、何が可笑しいのか諏訪子はこっちを向いたままニコニコと笑ってやがる。

 この仕草といい『うー』発言といい、毒気を抜くのを図ってやってるんじゃないかと判断し、それに見事に引っかかっている自分を見て、落胆する。

 実際、見事に俺の毒気は抜かれているのだから。

 そして、そんなこちらに止めを刺すかのように、



「……否定しないってことは、その通りってことだよね。じゃ、それ系の荒事は任せたから」



 そう宣言されました。
 
 ……なにか? 俺は誘導尋問に引っかかったのか?

 情けなさを通り越して、涙が出そうだぜ!

 うじうじと、orz ポーズをする俺に、勇丸が元気出せとばかりに体をすり寄せる。

 あぁ、お前だけだよ俺の味方は。

 もうちょい熱血入った人なら『分かりました! この私めにお任せ下さい!』とか言って、戦闘して経験値積んでレベルアップしてくストーリーもあるだろうが、俺は基本ものぐさ。

 避けられる面倒ごとなら可能な限り避けて通りたいものだ。



「え? だからこれは避けられない出来事なんだって」

「……俺の思考を読まないで下さい」

「そんなことは出来ないよ。ただ、顔にそう書いてあったから」



 どんなに詳しく俺の顔に書いてあるってんだ。



「……ただ、さ。私の国は段々と大きくなってはいるけれど、それに対して私の守れる範囲がまだ狭いんだ。だから、九十九にはそれの補助をしてもらいたいんだよ」

「……こう見ても俺、一度も生物を……はないな。虫とか魚とか殺してるし。……一度も大きな生物を殺したことないんですよ? 妖怪退治って、ようは妖怪の殺害でしょ? 追い返すとなでなくて。ずぶの素人で勤まるようなもんなんですか?」

「子供でもあしらえるようなのもいれば、大人が何十人いても敵わない奴もいる。命の危険は常にあるよ。けれど、誰かそれをやらないと、誰かが食べられちゃう。幾らでも言い方はあるけど、有体に言えば、九十九に犠牲になってほしいんだ」



 幾らでも言い方あるのなら、せめてもっと口当たりの良い言葉で勧誘してほしかったです。

 しかしまぁ、変に真実をぼかして言われるよりは、よっぽど好印象です、諏訪子さん。

 ただ、それと俺のやる気が比例するってわけではないのは、ご了承下さいって感じだが。



「そんな嫌そうな顔しなさんなって。なぁに、私の国だと分かって侵略してくる奴は、強い妖怪にはいないよ。来るのはそれが分からない、私の神気も判断出来ないような、そういった奴ら。ちょっと強い動物、程度に思ってくれていいよ」



 顔に出てたか。

 俺の気持ちをくんでくれて何よりだけど、顔に出るのは直していかねば。

 それに、命がかかっているとはいえ、誰かに頼られる場面というはの憧れていたことだ。

 誰しも自分だけのナンバーワンがほしくて、けれどそれが叶わなくて、大半の者は身の丈にあった場所へと落ち着く。

 だが、俺はその夢を再び掴むチャンスが巡ってきたのだ。

 誰かに感謝され、必要とされる職は、それだけで何事にも変えがたい、心の満足感を得ることが出来るだろう。

 ならば、やってやる。

 チート能力もあって、誰からも頼られ、感謝される職で、神様から名前まで貰って。

 命の危険はあるが、それはどんな仕事でも程度の差はあれ伴っている。

 特に俺は、仕事中の事故が原因で、今ここにいるようなもなのだ。

 ここまで来たら、多少の命の危険性は無視して、俺のレベルアップの経験値を積むことにしよう。

 それに、車の免許を取る時、教習所の人が言っていた。

『フォローしてくれる人間が居る時に、うんと失敗しておきなさい』と。

 理由は言わずもがな。

 この場合、俺のバックには洩矢諏訪子というビックネームが控えていることになる。

 妖怪退治をやれと言っているのだ。少しはサポートしてくれるだろう。

 幾らかの失敗もするだろうが、それは今後の活躍をもって返上するとする。

 よって、



「……分かりました。この九十九。精一杯お勤めがんばります」

「ん、急に素直になったことに裏を感じるけど、まぁいいか。―――改めて宜しく。九十九」

「こちらこそ。宜しくお願いします」

 

 一応ケジメをつけるように、軽く頭を下げて真面目に返答。

 気持ちよくまとまったところで、うんうんと満足げに頷く諏訪子さんを尻目に、丁度良いやとさっきから気になっていた疑問をぶつけてみる事にした。



「そういえば、諏訪子さんの口調って、どっちがホントなんですか?」

「……九十九ってばさっきから様を付けてないし……まぁ、いいか。なんか九十九の『様』付けって気持ち悪いし」



 ほっとけ。



「国民達の前では、ちゃんと様付けしてね。信仰に影響するから。最悪、九十九を食べないといけなくなるかも」

「……マジ気をつけます」

「(マジ?)宜しい。で、どっちが本当の私かだったよね。……ん~、別にどっちかが本当の私、とかって訳ではないんだよ。私は神様。かく在りきと願われれば、それが私になるの。最も、私の根源から外れない範囲でだけどね」

「えぇと……。つまり、ここの人達は諏訪子さんのことを神だと崇めているから神様らしく、俺は諏訪子さんと仲良くしたいから砕けた口調になった、ってことですか?」

「そうだね。私は望まれてここにいる。それは、そうあるべきと願った人々に応えた結果で、私自身もそうしたいと思ったから。ん、こんな回答で満足かな? 人間」

「急に偉そうにならんで下さい。でも、うん。よく分かりました。ありがとうございます」

「偉そうじゃなくて、偉いんだよ。……それに、迷い人を導くのも私の仕事の一つだからね。これぐらいは当然さ」



 それは良いことを聞いた。

 早速、確かめてみるとしよう。 



「……神様神様、楽に生きたいのですが方法を教えて下さいな」

「死ねば良いんじゃないかな」



 間髪いれずに返ってきた答えに、思わずたじろぐ。

 生きたいと言っているのに死ねばとはこれいかに。

 ……だからニタって笑いながら言わないで下さい諏訪子さん。

 あなた祟り神の統括者なんスから。

 そこまで人の生死に直接関連している神様なんてそうそういないんスから。

 本気くさいのが笑えないッス。

 以上、思わず語尾がス系になるくらいには動揺を誘える、神様からの神託でした。


















 それから体感で、大体六ヶ月。

 諏訪子の社の一角に部屋を貰った俺は、起きて景色を眺めて寝るだけの完全ニート生活を満喫し―――たかったなぁ、もう!



 初めの二、三日位は、勇丸と一緒に国―――というか、村(諏訪子のいる社の周りだけ)だった俺の感覚的には―――を見て回ったり。

 縄文だか弥生だか時代は分からんが、逆ジェネレーションギャップに驚いたり感心したり。

 諏訪子の生活(妖怪退治とか豊作祈願とか)を見て、神様の大変さを感じたり。

 妖怪退治にしては、諏訪子が睨むだけで妖怪の足元から無数の蛇が絡みつき、毒か窒息か分からないが息絶えた姿を晒していた。……小便ちびりそうでした。



 で、見るもん見たし、景色でも眺めてだらだらするかと思ったら、『九十九様! 妖怪が現れました!』とか村人Aに言われた。

 覚悟は出来ていたし、勇丸を常時召喚しているのにも慣れてきた。

 といっても体力が増えたのではなく、微妙な疲れ具体の中でも生活する術を学んだ、というべきなのだが。

 で、よしきたとばかりに連れられるままに行ってみると、そこには殺した家畜を食べている、黒い犬―――いや、狼か? がいた。

 勇丸と同じくらいの大きさで、その口と目は真っ赤に色づき、あぁあれが妖怪なのだと本能で理解出来る容姿をしてた。まじこえぇ。

 隣には、いつでも俺の盾になれるよう、勇丸が吼えるでもなく佇んでいる。

 諏訪子の時には今にも飛び掛らんとする姿勢だったのだが、今回の様子を見るに、苦戦しない相手なのではないかと判断し、行動を起こす。

 勇丸へ『いけるか?』と思念を送ると、当然だと言わんばかりに黒い犬に向かって走り出した。



 初めての戦闘。

 クリーチャーである勇丸の2/2というステータスがこの黒い獣にどこまで通用するのか見る為に、俺はあえて何の強化もしないことにしている。

 ただ、劣勢になったら即座に呪文を唱えて勇丸を助けるが。



 飛び掛る勇丸。

 それに気づき迎え撃つ妖怪。

 いざとなったら勇丸を強化し、妖怪を焼き払い、瞬時に増援を召喚出来る体制を整えていたのだが、黒い獣は勇丸の噛み付き一撃で絶命し、その場に崩れ落ちた。



(……あっけねぇー)



 勇丸に全部やってもらっておいてあんまりな感想だったが、心はそれが全てだと言わんばかりに唖然の一言で埋め尽くされていた。



(あの黒いの、家畜の馬を何頭も殺してたから、少なくともそれらよりは強いんだろ? で、勇丸はソイツをあっという間に倒した。……パワー2ってこの世界じゃ結構強い部類なのか?)



 この疑問は、後々解決していった。

 その後何度か戦闘をして分かったことだが、こちらの世界では、パワーやタフネスの数値が1上がるごとに、どうも+1ではなく二倍、もしくは三倍、といった具合でパラメーターがインフレ上昇しているようなのだ。

 様々なクリーチャーを召喚し、熊、怪鳥、人型と、多種多様な妖怪を相手にした結論だった。

 じゃあ4/4とか5/5とかのクリーチャーを召喚出来る俺なら、体力面を考えなければこの仕事なんてチョー余裕じゃん。ということは無かった。

 何故ならあいつら、数が多い。

 三日に1回は妖怪退治に出かけていると思う。

 それだけ聞くと少ないと思えるだろうが、いやいやちょっと待ってほしい。

 俺が守らなければならない範囲は家でも村でもない。国なのだ。

『ちょっとコンビニ行ってくる』的な距離ばかりに妖怪は出ないものだから、必然、そちらに出向いて討伐しなければならない。

 目的地へ行くのに野を越え山を越え三日四日なんて普通。

 西へ東へ、忙しなく駆け回る日々の連続。

 初めは自分の足で。

 二回目の討伐からは勇丸に乗せてもらって。

 初日に何キロ移動するんだってくらい歩いたので、体力もそうだが足が棒になってき為に、勇丸へ乗せてくれないかと頼んだのだ。

 初めての勇丸騎乗? がスナミナ的に辛いから乗せてくれってのは微妙な気分になったけれど。

 ええ、超良い触り……もとい、実に良い乗り心地でしたよ。勇丸が俺に配慮して乗りやすいように移動してくれたってのが大きな理由ですがね。とほほ。



 そして、何とか空いた時間を利用して、今度は呪文系の特訓も始める。

【火力】ダメージの代表格である、赤マナ1【インスタント】呪文。対象に2点のダメージを与える電撃っぽい攻撃絵柄が特徴の【ショック】を選択。どの程度の範囲まで届くのかと試してみると、これも俺の声が届く辺りにまで有効なようだ。










『火力』

 クリーチャーやプレイヤーに直接ダメージを与える呪文の総称である。語のイメージから、基本的に赤の呪文のことを指すが、直接ダメージを与える呪文であれば、他の色であってもこう呼ばれることがある。

『インスタント』

 即座の、すぐに起こる、の意。 ゲーム中、わずかな場合を除いてはほぼ全て任意のタイミングで唱えられる呪文タイプのこと。










 ただ、【ショック】を甘く見ていたと、その時痛烈に感じた。

 太さも人の胴体より少し太いくらいの、手ごろな木を見つけたので、それを的にした。

 周りに人が居ないことを確認し、初めての呪文だからと、十メートル程離れて使う。

 刹那、辺り一面に響く破裂音。

 一瞬で耳が馬鹿になり、視界は真っ白に染まり、平衡感覚が失われ、俺はそのままぶっ倒れてしまった。

 きんきんと耳鳴りのする、所々視界が白くにごる人間一丁出来上がり。

 星が回る視界で何とか木を見てみると、半ばからまるで爆弾で吹き飛んだように上下真っ二つになっていた。



(……なんだこれ。【ショック】だよな? 上位の【稲妻】じゃないんだよな?)



 確かに名に偽りなしだが、【ショック】どころかギガデイン、もしくはサンダガっぽい威力に、唖然。

 効果を見るに、大気中の電気を対象にぶつける呪文のようだ。

 ギャザのルールを覚えるにあたって、初級の第一歩として必ず話題に上がるカードだっただけに、人生初の呪文詠唱が【ショック】だったのは少し嬉しかった。

 これでもっと威力のある【音波の炸裂】なんて使った日にゃぁ俺の耳は取れかねん。恐らく名前通りの効果を発揮するだろうから。

 ならばと下位の……対象に一点のダメージを与える【ふにゃふにゃ】……は選ばずに、さらに下位の【焦熱の槍】を選択。

 1マナ一点【ソーザリー】とかホント誰が作ったんだろうと目を疑ったものだ。しかしMTGにおいて完全な下位のカードは存在しない。

 きっと、何かの拍子で日の目を見る機会が訪れるかもしれないと、ちょっとだけ祈ろうと思う。










『ソーサリー』

 魔法、魔術の意。 上記の【インスタント】とは違い、基本、自分のターンでしか発動出来ない。だがその分、効果は【インスタント】より強い―――場合が多い。











【ショック】で真っ二つになった木の近くにある、別の木に向かって、焦熱の槍を試す。

 突然空間攻撃したようなショックのときとは違い、ピッコロさんよろしくマカンうんたらのように俺の指から出た赤い光線は、いかにも『魔法です!』的な軌跡をえがき、木に当たった。

 パンと大きめの音が響き、メキメキと木が倒され、燃え上がる。

 おぉ、【ショック】に比べればお手頃(被害的な意味で)な呪文を発見したぜと思う。暫定で俺のメインスペルにしよう。

 ……どうせすぐに上位カードを主に使うようになるんだろうしな。慣れ的に。

【焦熱の槍】で燃えた木が周りに四散して森林火災になりそうになっていくのを、勇丸と共に慌てて消しながらそう決めた。








 そんな感じで、割と精力的にどこまでMTGのカードを扱えるのか検証していった。

 その過程で分かったのは、




 ●ライフを支払うデメリットは体の細胞の減少らしい。それ系のカードを使うとそこそこ痛いどころか体中に痣が出来始めた。何てこった。俺生前は黒使いなのに【スーサイド】系とかはもう最後の手段だな。ライフ(プレイヤーのHP)1でどれくらい何処の細胞が減るのかとか検証するのすら怖いからやめる。脳みそだけは減らないと思いたい。





『スーサイド』

 自分のライフをリソースとして使うこと。また、ライフ支払いが必要なカードや自分のライフを減らしつつ相手に損害を与えるカードの総称。「欲しい物を得るためにあらゆる物を利用する」という黒が持つ基本理念そのもの。元々の意味は「自殺」らしい。





 ●1日の上限使用枚数は7枚。ただしドローする能力が発生した場合は、その効果が現れる。

 ●ソーサリーは俺が動いていると使えない。

 ●体力の続く限り、どんな色でも使用可能。一度に同時使用出来るマナは約3で、自身のマナストック数は大体5っぽい。イメージとしては、蛇口から一度に出る水の量は3が限界で、ストックされている水の量は5。



 ってな具合だった。

 ゲーム風のパラメーターで表すなら、



 HP3以上(検証が痛いので断念)

 使用可能なスキルの種類、1日7種。

 MP容量5 MP出力3 MP回復力5



 以下微々たるものなので未記入。

 というところだろうか。



 デメリットの多少の付随とか言っても、結構制限あるもんだな。と思った。

 あれなんで? チートじゃなかったの先生。と頭を抱えるが、自分を鍛えていけば上限開放とかがあるんだろうと自分を納得させて、暗い気持ちを押し込める。

 まぁそれでも、三以下でも組み合わせれば無双は難しくとも効果的な【シナジー】を発揮するカードはごろごろあるのだ。

 妖怪倒して経験値を上げつつ、今はこの三以下のカードをうまく組み合わせ、自分とカードの相性を最適化させていくことにした。









『シナジー』

 相乗効果のこと(英語語源の直訳)。 コンボと似たような使われ方だが、コンボは「勝利に直結する」ようなニュアンスで使われることが多く、その点で意を異にする。










「ちょっと西の最奥の村まで行って、貢物をとってきておくれよ」

「……えらい唐突ですね諏訪子さん。後、西の最奥って言ったら山あり谷ありの難所じゃないですか。往復で二、三週間以上は掛かりますよ」



 俺たちが住んでいる神社の大広間に、諏訪子と俺は互いに胡坐をかきながら座り込む。

 妖怪の討伐から帰ってきたら、ちょっとお話しようと呼ばれ、今に至っていた。



「ふふん、神様はいつも唐突なのだ」

「……唐突なのは別に良いですけどね。何でまた、急に」

「日頃の感謝の意も込めて、道中にある温泉にでも、と思ってね。私がたまに行く場所で、よく疲れが取れるんだよ」



 ケロケロと笑うその表情を見て、温泉に入る自分を想像する。



 ―――昇りたちこめる湯煙。

 一望する絶景。

 吹き抜ける風は火照った体に心地良い。

 良く冷えたお酒に、少し塩気の強いおつまみ。

 ゆったりとダラダラ過ごす、至福のひと時。―――はぁびばのんのん。

 ……良い。



「それは嬉しいなぁ。正直、体を洗うのが川だ池だ雨だとか、キツかったッス」

「九十九って結構良い家の生まれなの? 普通はそうやって体を清めてるのに」

「……ええ、かなりの良いトコのぼっちゃんでしたよ。衛生面とかは結構贅沢な生活してました」



 今と現代生活を比べて、ね。



 ―――俺はまだ、諏訪子さんに転生やら何やらを言っていない。

 能力の一端は話したが、生み出すのとか維持するのが疲れる程度のことだけだ。

 諏訪子さんもまだこちらから強引に聞きたい事はないようで、こっちが誤魔化しながら話をすると、察するように会話を切り上げてくれる。

 一応は未来から来たことになるのだから、興味を持った諏訪子にせっつかれその世界での話しなんてしようもんなら、最悪日本が崩壊し兼ねないと思ったからだ。

 科学の発展で神秘が神秘でなくなり、神や妖怪は架空の存在へと成り下がる。

 豊かな森や空や川はその範囲を狭め、コンクリートジャングルなんて言葉が似合う国へとなった日本を見て、神々は―――諏訪子さんはどう思うのだろうか。



「でも、その間の妖怪退治とかはどうするんです?」

「九十九が来る前に戻るだけだしね。それに、勇丸を置いていってほしいんだ。なに、温泉は私の聖地の中にあるものだし、そこへ行く道も聖地内で安全だから、一人でも問題ないさ」

「そういうなら1人で良いですけど……勇丸をどうする気ですか?」

「別に何もしないよ。ただ、勇丸もずっと主と一緒にいたらかしこばって疲れちゃうでしょ? たまには別れて生き抜きさせてあげなきゃ」



 確かに。

 言われ、もはや定位置と化した俺の横で、勇丸は、やはり座りながらも周りの警戒をしてくれていた。

 元はカードだし俺からの体力を糧に実体化しているとはいえ、例え問題ないとしてもこっちの気分的に勇丸が苦労し続けているのは申し訳ない、と改めて考える。

 半年近く勇丸を出し続けて、低コストクリーチャー一匹くらいならそこまで気にならなくなってきたのだが、そういった気づかいもたまには良いだろう。



「分かりました。勇丸を置いていきます。それで、貢物ってのはどんなものなんですか? 熊を丸々一頭、とかだったら、俺無理ですよ?」

「何でも新しい酒を作ったらしいんだ。今回はそれをね。少しくらいなら飲んでも良いよ?」

「それは良いですね。頂いておきます。あんまり量は持てないでしょうけど、出来るだけ運んできますよ」

「大丈夫、完成したら西の村の若い衆が持ってくるさ。だから九十九は瓢箪一個分だけ持って来てくれればいいよ」



 了解ですと返しながら、勇丸にその旨を伝える。

 OKの返答があり、この世界で初めての気ままなぶらり一人温泉旅行だと思ってワクワクする。



「じゃあお言葉に甘えて、明日の朝からでも出発します」

「分かった。天候が崩れないように祈っておくよ」

「ありがとうございます。……ん~っ、はぁ。今日はこのまま休んで、明日に備えますね」



 このまま寝るかと背伸びを一つ。

 諏訪子さんと別れ、部屋で明日への準備を始める。

 といってもこれといった準備もなく、せいぜい着ていく衣類の点検くらいだったけれど。


















「それじゃあ、行ってきます」

「ゆっくり休んで来るといい」

「いってらっしゃいませ、九十九様」

 朝日も隠れている時間帯。

 諏訪子さんと村長さんに見送られて、俺は村の出入り口から旅立っていった。

 見送りには諏訪子さんと村の村長、そして勇丸が来てくれた。

 村長の前だったので口調は神様バージョンだが、いつもの事だ。

 どこか遠くへ討伐に行く際は、村長と諏訪子さんはいつも見送りに来てくれた。

 村長は―――この国の人々は、信仰心の関係で、俺に対して友人に接するような態度は今でもとってくれないが―――そのうちフレンドリーになりたい―――それでもこちらを気づかい、感謝しているのは伝わってきていた。

 なるべく早く帰ると伝えてると、それだと送り出す意味がないと諏訪子さんや村長から言われ、結局本来より1週間ばかり多めの期間、大体二十日くらいをもらってしまった。

 二十日以前に帰ってきたら祟ってやるとか、どこまで本気なんだこの神様。

 いつもは勇丸が一緒に来てくれるのだが、今回は一人。

 少しどころか結構寂しいし心細いが、俺も子離れ? をしないといけない時期でもあるのだろう。

 旅行期間に新しいクリーチャーや呪文でも開拓して驚かせてやろう。

 良さそうな【シナジー】見つけたら切り札その一とかその二とか名付けてやる!

 期待と不安と楽しみがせめぎ合う心を押し付けるように、俺は西の村への第一歩を踏み出した。

 勇丸が、元気付けるかのように遠吠える。

 ふっ、俺は振り向かずにクールに去るぜ! あ~ばよ~!

 
















「……これで、宜しいのですか?」



 九十九が見えなくなって、少し。

 村長は私に尋ねてきた。



「よい。九十九が来て半年。彼は本当によくこの国に尽くしてくれた。半ば脅しに近い形での出会いではあったが、それを気にするでもなく、ごく自然に私達に良くしてくれた。奴なら最悪、この国が落ちていても機微を察して逃げれるだろう」

「初めて諏訪子様が人間を連れてきた時には一体何事かと思いましたが、何とも面白い考えをしたお方でしたな」

「そうだな。こう―――私やお前と根本で考え方が違う。何とも甘い考えを持った坊やだよ」

「……一体、あの方は何者なので御座いますか? 諏訪子様の眷属だとお聞きしましたが、どう見ても人間です。が、勇丸様を従え、物の怪を退治して下さった時には、様々な―――まるで妖怪を従える大妖怪のようでございましたな」

「言っていることへの辻褄が合っていないぞ? そして、その割には恐れておらぬな」

「人は矛盾し葛藤するものだと思っております。それに、あの方を恐れるなど、それは無理というものです。ことあるごとに私共に『仲良くしよう』と笑顔で言い、様々な知恵や技術を授けて下さいました。あの方は大したことはしてないと仰いましたが……最近また、九十九様から教えていただいた“千歯こぎ”なる道具で、稲作の負担が大分減りました。これで従来の半分以下の時間と労力で脱穀が可能で御座います。……そんなものを私達に与えて下さった方を、どうして恐れることが出来ましょう」



 その話を聞いて、私はくつくつと笑う。

 全く、どこの国から来たのかは知らないが、大層な拾いものをしたものだと実感する。

 突如、私の聖域に現れた、異国の服に身を包んだ男。

『坤を創造する』能力を持った私は、それを即座に察し、その者へと近づいた。

 よく見てみるとこの国の民よりも背は高かったが、肌も、髪も、目の色もこの地方でよく見られるもので。

 私の神気で気絶しそうになり、こちらの姿を見た時など頭を擦り付けて許しをこうてきた。

 ならばと反応をみるように勇丸をよこせと言うと、一転。こちらを妖怪のようだと言い放った。

 唇も青く、体も震えた状態で、お前は最低だと啖呵を切ったのだ。

 何か策があったのかもしれないが、あんな状態でよくもまぁ大見得を張れたものだと感心する。



 名前が無いと言うから付けてやったら、すこぶる喜んだ。

 私の社に住んでも良いと言ったら、笑顔で感謝を言われ。

 この国について、私の知る世界の話をしてやれば、目や耳を皿のようにして傾け。

 祟ってやるぞとからかってやれば、それはそれは女々しく謝ってきた。



 ―――今まで、私と相対した生き物は全て、神である私と接していた。

 だが、奴はどうだ。

 初めこそ他と一緒だった。

 けれど時間の経つうち、敬う態度ではあったが、それは“年上・目上だから”程度のもので、決して神だから、といったものではなくなった。

 かつて出会った者達と比べれば何とも無礼だったが、九十九の行動や言葉はこちらと仲良くなりたいという思いから発生したものだ。

 これまでなかった事に戸惑いはしたものの、私はそれがいつしか心地よく感じるようになって。

 ―――この地に生を受け、人々の生活を見守り続けている中で見る、人と人との触れ合い。

 私と九十九との関係は口調こそ違えど、その中の1つである“友達”と呼べる存在だったのではないかと今では思える。



(心が暖かい……。うん、良いものだな、友というものは)



 踵を返す。

 社に向かい歩みを進める先には、村中の男達が集まっているのが見えた。

 集団を掻き分け、社の段の上に立つ。

 何かの会合か集会か。

 祭りの類ではないのは確実。

 何故なら、男達の手には各々弓や棍棒や鍬などが握られている。

 特に多いのが、この国で近年生産された、鉄と名付けた特別硬い鉱石で加工した剣だ。

 動物の皮や樫の木の盾など、一刀両断に出来るだけの硬度と鋭利さを兼ね備えている。



 ―――これならば、多少なら戦力差を埋められるだろう。



「時は来た! 彼奴らはぬけぬけとこちらに対して『従え』とのたまった! それを断るや否や、我が国に侵略を仕掛けてきている! こんなことが許せるか! 我らはこの国の為に骨身を惜しまず働いてきた。しかし! 他の国への侵略など1度たりとも行ったことは無い! そんな我らがなぜ他者から略奪されなければならないのか!」



 声を張り上げる中、集まった民達の目に怒りの炎が灯るのが分かる。

 それはそうだ。私が焚きつけているのだから。

 けれど、そうしなければこの国は一方的に負ける。

 分かり合えぬからこそ争いが生まれ、負ければその分かり合えぬ者達の下で生きねばならない。

 そんな理不尽、例え天地が許そうとも、この私が許しはしない。




「拳を握れ! 目を見開け! 我らはこれより死地へ向かう! 敵は強大だ! 生きては戻れぬ者もいるだろう! だが忘れるな! お前達の背中には、妻が、子供が、両親が、国がある! それを忘れなければ、我らは鎧袖一触となって、敵を打ち倒すだろう!」



 割れる様な声の渦。

 これが祭りだったらどんなに良かったかと、一瞬の後悔が過ぎる。



「我が眷属九十九は、狗神である勇丸の力を最も引き出す為に動けぬが、その甲斐もあって今勇丸は最も気高く誇り高き獣となって、我らの怨敵を打ち据えてくれる!」



 既に勇丸には話してある。このクリーチャーという存在は、仮に息絶えたとしても、九十九が無事ならば幾度でも蘇る事が出来るのだという。

 すまないとは思うが、勇丸にはこの国の為になってもらう。

 九十九を戦わせたくない私と、けれどそれをすれば民に要らぬ不安を与え一方的に蹂躙される事態に陥ってしまうことを考慮した、苦肉の策。

 主の為だと騙すような真似をしたのに、勇丸はこちらの提案を受け入れてくれた。……この様子では、全てを理解した上でこちらに協力してくれているのだろう。

 私の機微を察して、主の害にならないならばと最大限の譲歩をしてくれたようだった。

 ―――全く。ここまでの忠犬ならば、本当に私が貰っておくべきだったか。



「敵は『八坂』の神とその軍門。強大なれど、我らには恐そるるに足らず! この洩矢諏訪子が打ち払ってくれよう!」



 大喝が全てを揺らす。

 天を、地を、人々の心を。

 けれど、私の心までは揺らしてくれなかった。

 恐らくこの男達の一握りも無事には戻れない。

 そしてそれは、私にも当てはまる。

 この国が鉄を精製出来るという情報を、相手が掴んでいない訳がないのだ。

 現存するどの武具よりも強大なそれを知っておいてそれでも攻めてくるということは、そういうことなのだろう。

 他国を次々と飲み込んでいった神が、いよいよこちらに牙をむく。

 その為の準備はしてきたし、民達の鍛錬だって、九十九には隠れていたが、しっかりと行っている。

 私自身も充分に力を温存出来た。



「人々よ! 今が戦う時! 勝って……勝って明日を勝ち取ろうぞ! ―――総員、進めぇ!」



 号令に従い、民が進撃を開始する。

 死地へ送り出す命令をしたことに心を痛めるが、そっと勇丸が腰に鼻を擦り付けてきた。

 これが指導者として、先にたつものとしての義務。

 そう心を縛りながら、勇丸の鼻の頭を掻いてやる。

 気持ち良さそうかは分からないが、目を細め、こちらに目を配る。



「……ありがとう」



 九十九め、良い家来を持ったものだ。

 ……そんなアイツの戻ってくる場所を奪っちゃぁ神様の名折れだね。

 あぁ、そうだとも。絶対に倒す。絶対に戻る。―――絶対にこの国を守ってみせる。

 だから、皆には申し訳ないが―――私の為に死んでおくれ。



「―――舐めるなよ八坂。例えこの身朽ちようとも、お前をこの地には入れはせんぞ」





[26038] 第06話 悪魔の代価
Name: roisin◆defa8f7a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:34





「へ……へっ……。ぬぅ。出ないクシャミとか、勘弁してほしいわ」



 むず痒くなった鼻を擦る。

 国を発ってから二日。思ったよりも早く発見できた温泉に、俺は早速お世話になっていた。

 さすが神様御用達。体の芯から疲れが取れて、精神も澄み渡る効果も実感出来た。

 うっかり一週間程そこで過ごしてしまったが(ぇ、お陰で色々とカードの組み合わせもまとまった……様な気がする。

 うん、今度から度々ココに来るようにしよう。

 温泉から上がり西の村へ向かうべく、散歩をしながら森林浴。

 木々の間を吹き抜ける風が、火照った体から良い具合に熱を奪ってくれていた。



 格好は相変わらずのGパンに白Tシャツだが、今はそれプラス、灰色寄りの白い外套を装備中。

 これの外套を貰ったのは、洩矢の国で初めての遠征討伐の時だった。

 流石にその格好では長期間の旅は辛いのでは、という諏訪子さんからの配慮でもある。

 おお神様から装備品貰えるなんて! と貰った瞬間に小踊りしたのを、俺は忘れないだろう。

 で、どんなSUGEEE効果があるのかと思ったのだが、常に清潔であるだの通常より多少丈夫になるだので、攻撃力UPとか移動速度倍増なんてことはなかった。

 でもこの外套。なんとミシャクジ様の抜け殻を使っているのだとか。

 確かに蛇皮? っぽい、光沢の抑えられた白い生地で出来ているのだけれど、結構快適だったりする。

 雨や風を通さず、野宿する時にはこちらの体温を適度に逃がし、中々に快適な状況を作り出してくれる、優れもの。

 厚みが無いので、下に敷く場合は地面を整地しないとゴツゴツで寝にくいのはご愛嬌。

 軽くて丈夫で快適で。衣類として見るならこれ以上ない機能が搭載されていたのだ。

 これが純白だった日にゃあ、俺は鷹の団とか作らないといけなかったが、色的にも性能的にも文句のない逸品だ。

 それから、どこかに行く時にはいつもコイツのお世話になっている。

 勇丸に続く、相棒その二って感じです。



(よっし。気力体力ともに充実。折角だから移動用のクリーチャーを試してみて、もう一度温泉に寄れるだけの時間を捻出するかな)



 既に十日程経過しているが、急げばどうにかなるだろう。

 毎回毎回勇丸に乗って移動するのは何だかあいつに悪い気がして、いつか移動用の奴を召喚しようと思っていたのだ。

 良い機会だし、試してみようと思う。

 ……温泉気持ちよくて、だらだらし過ぎでカードの組み合わせとか全く考えてないのは忘れることにしよう。



「来い! 【ターパン】!」



 現れたクリーチャーは、ぱっと見は、馬。

 しばらく眺めても、やっぱりただの馬。

 それもそのはずで、こいつはどこからどう見ても少し能力がある程度の馬である以外の何者でもないのだから。

 緑マナ1で現れる1/1の馬クリーチャー。能力は、コイツが死んだ時にプレイヤーのライフを1、回復させるというもの。

 このカードを見るまで知らなかったのだが、何でも前世では実際にいた絶滅種の馬なんだそうだ。名前もまんまターパン。

 カード製作者も粋なカード作るじゃねぇかと、召喚し、実物を前にして、そう思う。

 つぶらな瞳に幼い頃お世話になったポニーランドなる乗馬施設での記憶が蘇る。

 その時はまるで山を見上げている気分だったが、今はさすがにそこまで大きく見えることは無い。

 村では競馬に出てくるよりは小さめではあったがそこそこの馬がいたし、熊やら勇丸やらの大きな動物を多々みていたことで、感動は薄れてしまったようだ。

 

「よろしく、【ターパン】」



 ぶるりと鼻息を荒くし、こちらに答えたように返事をしてくれた。

 OKみたいなので、早速【ターパン】に跨る。

 ……いや、跨ろうとした。



「……あれ、なんかこう、足とか引っ掛ける道具はないのか?」



【ターパン】の体を見てみるも、どこにもそんなものは見受けられない。

 しまった、馬だからって騎乗に適した道具が付随している訳じゃなかったんだった。



「何だったか……鐙(あぶみ)? 兎も角、今度それを作ってみるかなぁ」



 構造自体はそこまで難しいものではなかった筈だ。

 俺が楽出来るのなら、発案者達には悪いがガンガン製造していく。それが俺クオリティ!

 ……なんて調子に乗った思考をしてみるも、現状、【ターパン】の上に登るのはキツそうだ。

 壁とかならダッシュ飛び乗りとか出来るので良いのだが、またがる相手は生物な訳で。

 極力ダメージを与えないように、近場にあった木の上から【ターパン】の上に乗る。

 カッコよく跳躍で飛び乗りたかったが、はてさて、垂直飛びで全国平均以下の成績が当たり前の俺は、一体何年脚力を鍛えれば出来るのやら。



(それ以外の瞬発力ならそこそこだと思うんだがなぁ)



 あ、持久力系は論外です。



 ならば。

 手綱も鐙ない乗馬だが、今の俺にはチートスキルのオマケである意思疎通が備わっている。

 乗ってる最中に色々とお願いして対処することにしよう。



(今度からしゃがんでもらうか)



 しゃがんだ状態から俺を乗せて立てるかなぁ?

 とか漠然と考えてみる。

 次降りた時にでも試しようと思い、【ターパン】に西の村へ行くよう指示を――――














「―――」












 息を呑んだのだ。まさか、と。

 体が突然軽くなったからだ。

 温泉や気分の高揚から生じたものではない、まるで、クリーチャー1体分を維持することが必要なくなったような………。



(!?)



 振り返り、今まで進んできた道を、その奥にあるはずの洩矢の国を見る。

 山々に囲まれて見えないが、なんてことは無い普通の道。

 空は晴天。雲1つない快晴で。

 けれど、何かがオカシイ。



「―――静か……過ぎる?」



 鳥も、獣も、虫すらも。

 耳に届くのは、風が木々を揺らす音だけ。

 今までこんなことはなかった。

 何かがおかしい。その決定的な何かが分からないまま、俺は【ターパン】へ洩矢の国へ戻るよう、指示を出す。

 そうして、徒歩では考えられない速度で、木々の間に張り巡らされた道を駆け抜けていく。

 この分なら、月が大地を照らす頃には戻れるだろう。



(何が……何が……何が―――!?)



 焦る気持ちと相まって、数刻の間、俺の頭は正常に動いてくれなかった。

 やっと冷静になれたのは、日暮れ間近。

 無休で走り続けた【ターパン】も、流石に夜目は効かないようで、若干の速度を落として走っている最中であった。



(体力に空きがある。必要以上に力がみなぎって……違う。本来の体力に戻っただけだ。か、考え……考えられる……ことは……)



 体力のレベルが上がった。なんて話だったら、手放しで喜べた。

 けれど違う。そんな感覚ではない。

 考えたくない結果に目をそむけ、それでもはやり辿り着いてしまうその結論。



(―――勇丸が……死んだ)



 初めてのクリーチャーの死。

 カードゲームでの出来事なら、墓地と呼ばれる捨て札置き場に行くだけのことだが、こちらで死んだ場合はどうなるのだろう。

 情報では知っている。あの世のおっちゃんから教えてもらったから。

 この世界では死んでから24時間は脳内のカード捨て場に置かれた状態になり、時間が経つと脳内山札に戻ると。

 そんな、何処にでもあるトレーディングカードゲームに乗っ取ったルールだった。

 だが、記憶はどうなるのだろう。

 俺と勇丸は決して短くない時間を一緒に過ごしてきた。

 勇丸におんぶに抱っこ状態だったが、思い入れは今までのクリーチャー達とは比べ物にならないほどある。



 ―――召喚されたカードは、成長する。



 身体や能力的には分からないが、少なくとも勇丸は俺に対してゆっくりとその態度を軟化させていったのだ。つまりは、思考の成長だ。

 それが、無に帰す。

 ただ実体からカードに戻すだけなら記憶の引継ぎは出来ると実験で分かったが、死んだ場合は試すことが出来なかった。

 ならば今すぐにでも勇丸を召喚したいが、あいつはクリーチャーの中でも特殊な【伝説】タイプが付与されている。










『伝説(レジェンド)』

 MTGには原案となった物語があり、そのストーリー上重要な人や場所、道具などがカード化された場合、この特殊タイプを持つことが多い。そんな重要なものが2つ以上同時に存在するわけがない、という解釈の下、もし同時に存在しようものなら、その瞬間、それらカードは対消滅し、捨て札場に置かれる。
 








 俺が召喚した【今田家の猟犬、勇丸】は白1マナで2/2の【バニラ】という、MTGの価値観からすれば破格のコストパフォーマンスを持つクリーチャー。

 その際唯一のデメリットが、この【レジェンド】。一度に複数枚は使用出来ないよう調整されていた。

 今、あいつの生死を確認する為に勇丸の召喚を行えば、この【レジェンド】ルールに引っかかり、対消滅を起こしてしまうかもしれず、もしそうなったとしたら、最悪、勇丸を殺しかねない。

 だからといって召喚しないのだとしたら、あちら側は勇丸が危なくなっている状態にも関わらず、雑多な妖怪相手だったが、6ヶ月無敗の戦力が急に消えている事になる。

 遠くにいる相手を確認するカードを使うのも手だが、後少しで村に到着しそうではあるし、マナを使うのも危険だ。

【ターパン】に使ってしまったので、使えるマナは残り4。

 勇丸が対処に困る相手だと、4マナ位は無いと心もとない。

 だから、今俺に出来るのは、必死に【ターパン】の背にしがみ付き、少しでも移動速度を上げることだけ。



(待ってろよ勇丸! すぐ向かうからな!)



 例え現実が勇丸の死を肯定していたとしても、それを心が理解してくれるのは別だと思いながら。

 駆け出す蹄の音は、それから一時間ほども続いた。






















 日もとうと暮れた、星々と月が大地照らす時間帯。

 急いで勇丸のいる場所に向かおうと村へ来てみれば、そこには老人や女子供しかおらず、そんな彼女らは皆、社の前で、懸命に何かに祈っている。

 これが俺の知らない夜の信仰儀式とかだったなら、どんなに良かったことか。

 近づく俺にそのうちの1人の女性が反応し、泣きすがる様に祈りの内容をぶつけて来た。

 曰く『諏訪子様と男達全員が異国の神、それ率いる軍と戦っている』『自分達は、戦に向かった諏訪子様達の無事を祈っているのだ』と。

 戦? 異国の神? 諏訪子さんが出陣?

 色々な疑問が沸き上がるが、一つの出来事を思い出し、俺の思考は一直線にまとまった。



(諏訪……大戦!!)



 東方プロジェクトの出来事で、大和の神である八坂神奈子がこの洩矢の国へ攻め入る戦争。

 この大戦の後、八坂と洩矢は互いに共存の道を歩み、幻想卿へ辿り着く。

 辿り着くまでの経歴は詳細には知らないが、幻想郷にいる時の―――作品中で出てくる彼女達は、少しの寂しさは窺えるものの、それなりに面白そうな事件を起こしたり、色々やって楽しんでいた。

 最後がハッピーなら良いじゃないと思うだろうが……その過程では、死にはせずとも、多くの血が流れているのかもしれない。

 普段の俺ならば、そんなもの。と、興味もなく切り捨てる出来事。

 けれど巻き込まれるのは、俺が接し、笑いあい、とても良くしてくれた人達なのだ。

 とてもではないが、納得出来ない。

 ……どうして忘れていたのだ。楽しかったから? 話すのが怖かったから? 言うタイミングを掴めなかったから?

 どこぞの漫画やアニメの主人公なら明確な答えでも出せるのだろうが、その答えには、俺にはとても辿り着けそうにない。



 ―――しいて上げるとするのなら、ただ。

 ただ、本当に忘れていたのだ。

 素晴らしい人達、不自由ながらも満足感のある生活、そして優しい神様。

 どれをとっても素敵なことばかりで、自分がPCゲームの中にいるなんて、一瞬たりとも自覚することなど無かったのだ。

 自分の愚かさに、怒りで我を忘れそうになるが、今やりたい事は決まった。

『助けて下さい』『お救い下さい』と懇願する人々の願いを背に、諏訪子さんが向かっていった方面へと【ターパン】を駆る。

 向かうその先。

 幾筋ものか細い煙が立ち昇っているのが、遠目であるにも関わらず、よく分かってしまっていた。
















「……」



 言葉が出ない。

 星の光が降り注ぎ、夜だというのに本すら読めそうで。

 小高い丘の上から見下ろす平原には大勢の人がいて、手には各々武器を持っている。

 そいつらが見つめる先。

 かつて激戦が行われたであろうその場所には、巨大な白蛇や人が大勢倒れ転がっている。

 所々に防衛を行ったような櫓(やぐら)の後が見てるが、そのどれもが破壊され、崩れていた。

 その周囲。

 そこには言葉にならない呻き声を上げる者。大切な人だと思われる者の名を呟く者。

 腕が足がと体の欠損を訴える者に、もはや呼吸をするのがやっとだろうと思われる者。

 布団をくれた奴がいた。道を教えてくれた奴がいた。狩のやり方を教えてくれたり、恋愛相談をしてきた奴もいた。

 ……そんな奴らが、一人残らずこの地獄絵図を彩る絵の具になってしまったかのような。



 諏訪大戦。

 どうにも俺は勘違いをしていたようだ。

 八坂の神と洩矢の神の一騎打ちで、熱血よろしく八坂が洩矢を負かした後は手と手を取り合い互いに国をよくしていくのだろうと、心のどこかで思っていた。

 けれど目の前にあるこの光景は何だ。思い描いていた幻想とは、あまりに遠い。

 勝てば官軍。

 なるほど。そんな言葉を俺の目の前にいる奴らは実行したのか。

 神だ何だと言いながら、本人はいざ知らず、周りの連中なんて結局そんなものなのか。

 美談で固め、信仰の対象をより強固にする。

 理解出来るし、事情も分かるが、納得できるものではない。



 そんな漠然とした思考の中。

 その軍隊の中央に、俺の記憶と外見が一致する人物がいた。



『八坂神奈子』



 乾を創造する能力。

 鉄の武器で挑んだ洩矢の国に対して、その武器に蔓を巻きつけ酸化させ無効化したという、主に天候を象徴する神。

 まるで太陽を象徴するかのような円形に形とられた注連縄を背負い、辺りに巨木ほどあろうかという何本かの石柱を浮かせている。

 けれどそんなものはどうでもいい。

 今問題なのは、その八坂神の足元。

 無事なところが見つけられないほどに傷つき、片足の角度はおかしな方向へ曲がり、自らが作り出したであろう血の海に沈みピクリとも動かない、洩矢諏訪子がそこにはいた。



「手間をかけさせたな、洩矢の神よ」



 諏訪子に向かってなにか言っているようだが、関係ない。

 無意識の内に、乗っていた【ターパン】を還す。

 俺の脚は何かに盗り憑かれたように、ふらふらと諏訪子の元へと歩みを進めた。



「鉄の武具、確かに脅威であった。しかしそんなものは私の前では屑だというのがよく分かっただろう」



 駆け出すでもなく、一歩一歩ゆっくりと。



「見事に戦ったと褒めてやる。安心しろ、国の方は繁栄を約束しよう」



 まだ、まだ生きている筈だ。

 見える範囲でなら、人影は皆生きている。

 だから、諏訪子も、まだ……。



「これで終わりだ洩矢諏訪子の神。お前の為にと先に逝った狗神に謝罪でもしてくるといい」



 石柱の一本。



「あ……」



 槍の様に細いそれは、血溜まりに沈む諏訪子の胸を貫いた。
















 少し走れば手が届く。

 そんな距離で、神の鉄槌は無慈悲に下された。

 広い平原。

 一人でこちらに向かってくる者の洩らしたような一言に、周りの者はやっとその者の存在に気がついたようだった。

 八坂とて例外ではない。

 領土拡大達成の思いにふける中やってきた、一人の男。

 人間にしては背の高いそれと、身に着けた外套はミシャクジの皮で作られているのだとすぐに判断し、この神に仕えていた神職か何かだろうと思い、声をかける。



「主らの神は私が倒した。以後、この国は私のものとなる。民の命や財産は保障する。私を奉れ。国の繁栄を約束しよう」



 男はそんな声など聞こえない。目の前の光景が信じられないとばかりに目を見開き、けれど歩みを止めず、倒れた神の前まで行き、手を伸ばす。

『あ……あ……』と言葉にならい声を上げる男に、八坂は訝しげな顔を向けた。



「八坂様、この者は心が壊れております。対話は難しいかと」



 八坂の後ろ、人間の代表のような男がそう進言する。

 言われ、それもそうだと考え直した。

 神職が崇拝していた対象を目前で倒されたのだ。

 こうなっても仕方ないのだろう。



「致し方ない。洩矢の神をその男に渡せ。我らがするより、その方が良かろう」



 貫いていた柱を消す。

 男は血溜まりに沈んだ神をそっと抱き上げ、顔を埋めた。

 声を押し殺して泣いてでもいるのだろう。

 他人事のように、客観的に八坂は判断し、自軍の状態を見る。

 強大であった軍勢が、四割程も減っていた。

 それに、私の力も大分減少している。

 洩矢の民が手にした武具の威力は絶大で、こちらの攻撃や防御をものともせず向かってきた。

 これは拙いと瞬時にその武具の特性を見抜き、風化させたはいいものの、彼らはまるで意に返さず立ち向かってくる。

 その先頭に立つ、巨大な白蛇と賢狼を引き連れた洩矢諏訪子の神。

 こちらも八咫烏などで対抗し勝ちを収めたは良いが、被害は甚大であった。

 既に負傷した者は後方に下がらせ休養をとらせている。

 復帰出来ぬ者が一割、残りの者はゆっくり養生させ神気で助力してやれば、元気になるだろう。

 ため息が出る。

 これでは再編には時間がかかるなと思い―――



 ―――その場から、一瞬で飛びのいた。


















 原作通りの変な神様だった。

 偉いわりには小さくて。意地悪で、女の子で。

 笑うたびにケロケロと、蛙を連想させるのは女性としてどうかとも思った。

 時に叱られ、時に愚痴を聞き、時に笑いあい、過ごしてきた。

 けれど、そんな彼女は今はとても冷たい。

 触れた事など一度もなかったが、羽のように軽いその体は、今にも消えてしまうんじゃないかと錯覚させる。



(……なぜだ。なぜ、こんなことに)



 様々な“もし”が頭を駆け巡り、そのどれもが現実を前に否定されてしまう。

 本当に―――なぜ、こんなことになったのだろう。



 前で、声がする。

 纏う神気でそれが八坂神奈子だと思い出した。



(……そうか。こいつ等に殺されたんだった)



 思い出したように、頭の中でその事実が掘り起こされる。

 憎いとか、怒っているとか、それらの感情が一気に沸点に達し、限界を超える。

 ただただこの怨みを晴らすべく、抱えた諏訪子をゆっくりと地面に寝かせながら、考えられうる最高のカードを具現化させる。



(召喚、【ブラッドペット】【鬼火】【泥ネズミ】) 



 姿を見せるのは、その三体のクリーチャー。

 いずれもコスト1で、パワーもタフネスも1以下の黒のクリーチャー。今この場で出しても俺の怨みを晴らすべき能力もないし、力もない。

 けれど、黒のクリーチャーが三体ここに出ている事が重要なのだ。

 八坂はこれらのクリーチャーが突如出現したことに警戒して、一気に距離をかなり空ける。

 まるで様子を窺うかのようにかのようにこちらから視線を逸らさない。



(あぁ、もう、どうでもいいか……)



 相手がこっちを見てるとか、見てないとか。

 ようは相手を倒せばいいのだ。

 オマケにマナのストックが、後1しか存在しない。

 もう、向こう数時間は回復しないだろう。

 ならばもう、やることは1つ。

 さらに追加で一体。

 思い描くは、またも黒のクリーチャー。

 けれどそいつはマナコストが高く、今の俺では到底召喚出来るようなものではない。



 ―――だが、その縛られたルールを覆すのがカードゲームであり、MTG。



【ピッチスペル】というものがある。

 代替コストと呼ばれる、マナ以外のコストのみで唱えることができる呪文の俗称のことだ。

 そして、出そうとしているクリーチャーが要求するコストは、『黒のクリーチャー三体の生贄』。

 呼び出そうとしているそのカードは、攻守共に優れた6/6の性能を誇る、強力なもの。

 維持出来るのならば、それは充分脅威となる。



 しかし足りない。まだ、足りない。

 相手は神。

 諏訪子達と戦い減ったとはいえ、軍門は数多く、幾千の人間と力のある神々がその下に名を連ねている。

 ―――足りない。足りない。この怨みを晴らすには、まだ足りない。

 ならば、足るようにしてやればいい。

 三体の生贄と……俺自身の体を糧に。

 ライフの支払い―――細胞の減少だと思っていたが、本当の意味を確かめる時が来たようだ。



(対象は、俺の左半身)



 死ぬかもしれないし、仮に生きていたとしても、とても生き難い体になるのは確実。

 ……だからどうした。

 それがなんだ。

 今、この瞬間。

 この思いこそが、俺の全て。



「来い―――」



 どこからともなく、俺の周囲が闇に染まる。

 そこから伸びる、二本の腕。

 人の胴体ほどあろうかという太さのそれは、片手で生贄とした三体のクリーチャーを串で肉でも刺すかのようにまとめて貫き、闇の中へ引きずり込む。



 そしてもう片方の腕は俺の左手を掴み―――引き千切った。



 視界が白熱する。

 一瞬で瀕死に追い込まれるが、それでもこの思いは曲がらない。

 止め処なく溢れる赤を羽織っていた外套で押さえつけながら、この状態でも冷静でいられる頭にミシャクジの加護でもあるのかと、逡巡。

 横たえた諏訪子に血が掛からぬよう、体を傾けた。

 黒のクリーチャー3体と、自身のライフを6点。

 六点というのがどう作用するのか不明だったのだが、それは左腕一本分らしく、ものの見事に俺の体は一部が欠けた状態になってしまった。

 自身のライフを大量に失うことはこういうことなのか、と。痛みによる激痛に抗いながら、内心で苦笑する。。



 ライフの支払い―――それは、自身の体の一部を代価にすること。

 手でも足でも、血でも肉でも。

 初めて使った時は、捧げるものの指定を行わなかった。

 恐らくその状態でライフを支払うと、体全体から生きるのに可能な限り支障の無いよう、均等に何かが失われていくのだろう。



 ……そうして。

 代替コストを全て払い終えたのを確認し、心で、言葉で、奴の名を叫んだ。



「―――来い! 【死の門の悪魔】ぁぁぁあああ!!」





[26038] 第07話 異国の妖怪と大和の神
Name: roisin◆defa8f7a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:39





 悪魔と呼ばれるものが居るのならば、それは恐らくコイツのことを言うのだろう。

 背中に生えた羽は蝙蝠のようで、身の丈は俺の三倍を越えようか。

 まるで人間を数倍大きくし、虫の羽をつけたような格好のそいつは、血色の眼を幾つも持ち、開く口はまるで昆虫をさらに醜悪にしたかのような、おぞましい顔をしていた。

 だが、今の俺にはその醜悪さすらも充実感に変わる。

 パワー&タフネス、共に9。

 今まで召喚してきたクリーチャーの中では、もはや規格外と言っても良い数値。

 実験の結果で、カード表記されている攻撃防御数値が1上がる毎に、戦闘能力は二倍にも三倍にも跳ね上がっていた。

 では、この9という数値はどこまで神を相手に打ち合えるのだろうか。



 ―――いや、どれくらいまで、敵を殺せるのだろうか。



 暗い感情が心を満たし、それを燃料に感情が煮え立つ。

 俺の大事な人達を傷つけたばかりか、勇丸を……何より諏訪子を殺してくれたのだ。

 左腕のもがれた痛みと出血による意識の希薄化と抗いながら、一言。

 もはや口上は無い。

 頭ン中には怨みつらみがぐるぐると渦巻き、考えられうる限りの罵詈雑言が思考を埋め尽くすが、出てきた言葉は単純明快。



「―――殺す」



 俺の怨みの代弁者は、今まで聞いたことも無いような咆哮をあげた。
















 
「……皆の者、下がれ。奴は私が相手をする」

 神々や民達を下がらせる。

 妖怪を使役している人間など聞いたことも見たこともなく、ましてその妖怪の頭に大の字がつけば、立場は違えど最低でも下層の神程の力は持っているだろう。

 それが、私の目の前にいる。

 虫の頭に人の体。

 神職の男は死の門の悪魔と言っていた。



(悪魔……か)



 私も初めて見る。海の向こうの妖怪をそういう名で呼ぶのだったか。

 見るもおぞましく異郷な者なれど、その身に宿す力は本物。

 辺りの霊魂を、体の全てを使って取り込んでいるのが見て取れる。



(魂喰の類か。……死の門とは、また安直な)



 自身の周囲に特殊な神気を練りこんだ石柱―――オンバシラを展開する。

 洩矢の国で作られた鉄より強度は低いが、鉄より重く、神気を通すことで手足のように扱う事が出来る。

 これに対処出来ずに、大妖怪と呼ばれる奴らや、下級の神などは敗れていった。

 そうして何本ものオンバラシラが宙に浮く中。



「―――殺す」



 下手な神や妖怪より殺気の篭った言霊が聞こえてきた。

 なるほど、洩矢の神は祟り神の統率者だったと知っていたが、言い換えれば怨みの力だと思い直す。

 それの神職であるものがその力を宿していても不思議ではなかろう。

 ……悪魔とやらが咆哮を上げる。

 見た目通りの畏怖を周囲に与えながら、魂すら奪われそうな声は、まさに絶望ともとれる光景に、思わず口の端がつり上がる。

 他のものから見れば、それは死以外の何者でもないだろう。

 だが私は神。

 ……絶望? 笑わせるな。

 人や妖怪ならいざ知らず、奇跡の1つや2つ起こせずして、伊達にその名を語ってはいない。



「我が名は八坂 神奈子の神。覚えておけ。お前を屈服させる者の名だ」



 展開していたオンバシラのうち四本を射出。

 身の毛もよだつような風きり音を撒き散らしながら、寸分違わず悪魔へと殺到していく。

 だが。

 木々を裂き、大岩をも砕くその攻撃も。一本はかわされ、一本はいなされ、一本は腹部へ当たったものの怯んだ様子もなく、最後の一本は殴り付けられたことによって粉微塵に破壊された。



「はっ!」



 呆れるように、小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 ここまで効果がないと、逆に相手を褒めてやりたくなる。

 この攻撃で幾人もの神や人を傘下に加えてきたというのに。



(面白い……)



 こやつ相手ならば、力加減など気にしなくても良さそうだ。

 過去、全力で戦闘を行ったのは、一度か二度。

 その際には地形が変わってしまい、復興までに中々の時間を要していたので控えていたのだが、構うものか。



「どこまで耐えられるのか、楽しみだ」



 余力を残しつつ、けれど能力を最大まで使い対処するとしよう。



 二十本以上展開していたオンバシラを全て撃ち出す。

 足止め位にしかならないだろうが、それで充分だ。

 体中に神気を行き渡らせる。

 途端、空が泣き出しそうになった。

 澄み渡る月夜だったにも関わらず、今はもう曇天で覆われており、視界も悪化し、時折空を走る雷のみが大地を照らすようになった。

 どちらも闇に隠れるようになるが、片や体が神気によって青白く発光し、片や撃ちだされたオンバシラを砕きながら、血を凝縮したような輝きを持つ複数の眼がその存在を主張している。



 私は神。

 神とは何かの象徴として具現化している。

 自分の場合は―――天。

 天候や風そのものと言い換えてもいい。

 干ばつには雨を、日照りには曇天を、嵐には快晴を。

 敵対者には―――神の鉄槌を。



「天からの贈り物だ。色々あるぞ? くれてやろう」



 悪魔の頭上に出現するのは、雹。

 人間の頭ほどある大きさの雹が、無数の雨となって降り注ぐ。

 オンバシラを全て迎撃し終えた、悪魔に殺到するそれは、まるで天が地上へ落ちてくるかのような光景を彷彿とさせた。

 しかし、それでは役不足。

 オンバシラの直撃ですら耐え切る強度を持つあの悪魔は、体に揺らぎをみせるものの、羽を傘のように使い、まるでただの雨を凌ぐかのように防いでいる。

 神職の男が、自分への被害が及ばぬよう、悪魔を壁のように見立てて配置したせいだろう。

 地形を変えるほどの雹の雨を、何のこともなく耐えている。

 耐久性は今までに出会った者の中でも最高峰なのではないかと判断しながら、片手を前に突き出した。



(丈夫な体だ)



 その事にあまり効果の見られない様子を気にしする事もなく、私は次の攻撃を仕掛けた。

 突き出した拳を握り込む。

 たったそれだけの動作だけで、周囲の風が一気に悪魔を囲むように渦巻いた。



 風が土砂を巻き込み土色の壁となって相手を拒む。



(もっと……もっとだ)



 こんな風では奴は消えない。

 強く、強く、強く。

 唸りを上げる風の渦は徐々にその力を増し、寸暇のうちに自然界ではありえない風力を持つ暴力となった。

 地面の大岩すら持ち上げ、触れる者を切り裂き、バラバラに砕き散る渦となったそれを収縮させる。

 握りこんだ手をさらに握りこみ、渦の中心となっている安全圏を狭めてやった。

 図体はでかいのだ。少しばかり範囲を絞ってやればいい。



「■□■□―――!!」



 そうする事で、やっと悪魔に被害を与えられるようになったのだろう。

 暴風によってあまり聞き届けられないが、渦の中心で奴の叫び声がし始めた。



(小枝が岩にめり込む程の風速は、流石の悪魔とやらにも効果はあるようだな)



 しかも、一抱えもある雹を巻き込んでの台風。

 その破壊力はほぼ全ての神や妖怪も屈服させてきた。

 だが―――



「ほう、まだ刃向かうことが出来るのか」



 そんな地獄の中、奴は男を守る体制を緩めることはなかった。

 その躯体には多少の傷を作ってはいるものの、その眼は今にもこちらを殺さんと輝かせている。

 ならば追加だ。



「降り注げ、天よりの雷」



 耳をつんざく雷鳴。

 暗闇の世界の中、閃光が走る。

 寸分違わず悪魔の脳天に落ち、体中を沸騰させる電撃。

 それが、無数に飛来し、蹂躙する。

 風によって巻き込まれた雹の間で帯電し、さらなる電力を伴って襲い掛かっている。

 ―――暴風で切り刻み、雹ですり潰し、雷で蒸発させる。

 天災三重苦。

 山ですら、これの前には平地と化す。



(……くっ、やはりこれの維持は堪えるな)



 幾ら神とはいえ、そう易々と天候を変化させられない。

 なればこそ、この三重苦を行っている内に仕留めておく。

 洩矢の国と戦ってなお余力はまだあるが、今後を考えれば温存しておかねばならない。

 一国を支配下に置くには神気は幾らあっても困ることはないのだから。



 ……丁度一分。

 もはや叫び声すら聞こえなくなった状況で、私は能力を解除した。

 舞い上がっていた瓦礫や雹、土砂が落ちてくる。

 まるで巨大な手で掬い取った様な窪地が出来ていた。

 ―――隕石が落ちたかのようなその中心。

 腕で顔を隠し、羽で体を覆い、自身を庇うよう死の門の悪魔を配置しながら、その足元に男はいた。 

 全身を見ても傷ついていない場所がない。

 もはや立っている事も間々ならないようで、地面へと前のめりに倒れている。

 けれど顔だけはこちらへと向けて、視線を逸らすことはない。

 例え悪魔が無事だとしても、召喚した本人はそこ等の人間と変わらないのだ。

 それが今、こうして悪魔に守られていたとはいえ無事であるのは、奇跡以外の何ものでもないだろう。

 しかし。

 ギリッ、と。

 そう、思わず奥歯をかみ締める。



(凌がれた……)



 今まで何人(なんぴと)も抗うことが出来なかった天災の三重苦を耐え切った。

 天変地異といってもおかしくない光景を眼にしながら、男のその瞳には、強い恨みが色濃く残っている。



(洩矢の神は良い神職を従えていたようだな)



 もし自分に仕えていてくれたのであれば、と思う。

 しかし、その思いも一瞬で流す。

 もはや覆ることのない事実を思い出したかのように―――これから反撃だとばかりに、悪魔はこちらへと襲い掛かってきた。

 神気を大量に使った反動で、いま少しばかり充填に時間を要する。

 あの天災の中で男を守っていた結果、体はもちろん羽もボロボロだが、それでも飛行には問題ないようで、こちらとの距離を詰めてきた。

 あっという間。

 馬ですら全力で駆けても五秒は掛かろうかという距離を、コイツは二秒を切る勢いで到達した。



(間に合わんか!)



 悪魔がとうとう私の前まで辿り着く。

 屈強以外の何ものでもないその腕は、全てを圧殺する勢いで振り下ろされた。

 天候を使った神気での迎撃が間に合わないと判断。

 オンバシラの何本かを具現化し、避けながら、振り下ろしてきた拳に合わせる。 

 破砕音。

 束ねたオンバシラが、悪魔の拳と激突し、全て砕かれる。

 そのお陰で威力は大分削がれたものの、何とかかわしたその腕は、大地を抉り、それだけでは足りずに地面に亀裂を生んだ。 

 叩きつけられた拳から逃れるように土砂が四散する。

 巨大な物体が落ちてきたかのような重い音を響かせて、奴の攻撃は一瞬止まった。

 笑ってしまうくらいの豪腕。

 こんなものを真正面から馬鹿正直に相手をしてはならない。

 撒き散らされた土煙に紛れる様に悪魔から距離をとる。

 そうすれば対処も容易いのだろうが、問題はそこではない。



 ―――神が、化け物相手に退いた。



 僅かの間だったとしても、それは屈辱以外の何ものでもない。

 舞い上がった土埃のせいで民や配下の神々からは見えてないが、この事実は私の中で揺るぎのないものとなった。



 もはや、掛ける慈悲はなくなった。

 余力など考慮せず、一気に消し飛ばしてしまおう。

 そう考えた矢先、



「がはっ」



 悪魔の後ろ、私の前。

 神職の男は、口から大量に血を吐き出していた。

 生きている事さえ不思議なのだ。

 むしろ、それくらいですんでいるのだから重畳と言えるだろう。

 けれど、男自身が限界を迎えようとしているのと同調しているかのように―――





 その存在が維持できないとかばかりに【死の門の悪魔】は霞のように闇に溶け消えていった。





 立ち上った煙が消えるように、何の後腐れもなく。

 初めから存在していなかったかのように、夜の闇へと還っていった



「……何だそれは」



 苛立ちから、語彙が荒くなる。

 今までの出来事は何だったのだ。

 過去私を後退させた者など上位の神々ですら数えるほどしかおらず、ましてやそれがただの人間になど、生を受けて初めてのこと。

 なればこそ真っ向から挑もうと、純粋な力では叶わぬのなら、神気でそれを補い正面から屈服させてやろうと思った直前、その相手は私の前から消え去った。

 そんな存在を召喚した男は、むせる様に咳をし、時折口から血を吐き出す。

 虫の息とはこのことか。

 つい先程まで戦い、負かした洩矢の国の者達と同様の状態になってしまった。

 自分の表情が表情が険しくなるのが分かる。

 人として良くやったと褒めてやるのが普段の私の筈なのに、今回は何故か怒りしか込み上げて来ない。

 人間の身にあるまじき力を誇示したせいか、それとも洩矢の神ですら出来なかった私をかすり傷とはいえ傷つけたという行為に対しての思案からか。



 ―――兎に角、この沸き立つ怒りをぶつけねば気がすまない。

 まだ息はあるようだ。

 辛辣な言葉を浴びせたいのか、その命の最後をこの手で散らしたいのか。

 湧き上がるものに突き動かされ、私はただ怒りのままに、その男の元へと向かった。




 















(あぁ……もう、視界が完全にぼやけてやがる……)



 視界も埋まり、曇天の世界がモザイクへと変わってどれくらいの時間が経っただろうか。

 左手を取られたことによる出血で、段々と体力は奪われ、意識すらも霞んできている。

 庇うように守っていた諏訪子は……諏訪子の体は、まだ俺の前にあるだろうか。



(……全く、幾ら強大な存在を使役出来たとしても、自分が殺されたら終わりっていう弱点があるのなら、対処は簡単じゃないか)



 現に八坂は雹を降らせて【死の門の悪魔】を防御に使わせるしかない状況を作り出し、台風をこちらの周りに展開し自由を奪い、止めとばかりに雷を無数に放ってきた。

 雹は何とか防げたのだが、続く風の攻撃で呼吸が困難になり、最後の電撃で体中で無事なところの発見が難しい位に感電し、肉体を壊された。

 ―――そうして、限界が訪れた。

 幾ら強力な存在を召喚出来たとしても、維持できなければ効果を発揮し続けてくれない。

 天災の終わった直後、何とか顔だけを八坂が居た方へと向け、奴を殺せと悪魔に命令する。

 刹那の如く移動し、大地が破裂するような一撃を与えた事を音で判断した俺は、もはや堪えるだけの力もなく、【死の門の悪魔】の供給を終わらせるよりなかった。

 マナコスト9。

 それの維持は、常にほぼ全力で走っているかのような疲労具合だったのだから。

 

(もしこれで殺せなかったら……)



 自分が死ぬのは確定だとして、無念のままに潰えるのはイヤだった。

 例え何度も人生リトライ出来るとしても、この思いだけはリセットできよう筈もない。

 幸いにも耳………いや、片耳だけはまだ聴力が生きているようだが、それでも体は、もはや痛みすら感じられず、消えそうになる意識を意思の力でキープしている状態。

 このまま何も聞こえなかったのなら八坂を倒せたと判断し、満足のままに再スタートするとして。





「……何だそれは」



 倒せなかったら、俺はどんな思いで第三の人生を歩めば良いんだろう。






 聞こえた声は、間違いなく風神。

 しかも大したダメージを負っていない様な口調ではないか。

 ―――イヤだ、イヤだ。このまま何の思いも遂げずに死ぬなんて。

 大切なものも守れない。己の意思すら貫き通せない。

 そんな状態で死ぬなんて―――絶対に嫌だ。

 だから―――



(近づいて来い)



 八坂の呟いた声には怒気が含まれていた。

 恐らくただの人間の俺が抗ったのが許せないのだろう。

 こちらは瀕死。あちらは壮健。

 こんな状況、まさに強者が弱者を嬲るのにおあつらえ向きじゃないか。

 ―――獲物を前に舌なめずり、大いに結構。

 その油断を、その慢心を。その、思考力の低下した状態でこちらに来てくれ。

 そうすれば……否。そうでもなければ、お前を倒せないから。

 1歩1歩、こちらに近づく足音が聞こえる。

 まだだ。まだまだだ。

 もう少し。あと少し。

 徐々に近づく気配に願いを込めながら。

 俺の側まで寄って来い。

 その時は俺の命を差し出そう。

 だから、だからその時は。



「―――お前は何者だ、洩矢の眷属よ」



 来た。

 残り1マナ。

 最後のカードを思い浮かべる。

 呪文系では効果が怪しい。

 現状でも対象を破壊するカードは山ほどあるが、それが神相手にどこまで通用してくれるのかは検証したことがない。

 ならば、純粋な力による撃破が望ましい。

 よって、先程と同じように、クリーチャーを思い描く。

 通常の状態では効果の薄い、でも、こんな状態の今だからこそ最大限の効果を発揮する、あれを。



 ……八坂、俺の命を差し出そう。

 それ位ないと、今の俺には手が届かない。

 ―――だから。だから代わりに。

 お前の命を―――くれ。



「―――死、……ッね、ぇ……!!」





[26038] 第08話 満身創痍
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:44






 コストの代償と、能力の性能はほぼ比例する。

 つぎ込めばつぎ込んだ分だけ効果を発揮してくれるMTGのカード達には、当然ならそれ以外の―――代価と結果がアンバランスなカードも存在していた。

 その代表が、黒。

 ライフを、手札を、クリーチャーを、山札を、行動ターンを。

 差し出せるものがあるのなら、黒のカードはそれらを覆す。

 先程の『死の門の悪魔』は9マナという膨大なコストの対価として、数体の黒クリーチャーと、自身のライフを捧げた。

 ―――今から呼び出すものは、やはり黒のクリーチャー。けれど、コストはたった1。

 しかしそれは捧げるものが無くとも、現状では圧倒的な制圧力を持っている。

 コスト1にして、13/13というMTGの中でも比類無き最高の【マナレシオ】を誇っていた。










『マナレシオ』

 パワーとタフネスの平均を点数で見たマナ・コストで割った値。 クリーチャーの強さを評価する際に使われる指標の一つで、基本的には値が高いほど良い。ただし、当然ながらこの値が高ければ必ずしも優秀というわけではなく、あくまでも目安の一つである。









 

 けれど、そいつは当然ながらデメリットを持っている。

 自分の体力が多ければ多いほど、そいつの力は減少する。

 つまりは、俺が瀕死であればあるほどに力を増すのだ。

 そのデメリットを、今の俺は相殺している。

 風前の灯である自分を頼もしく思うのは、そうそうある事ではないだろう。

 俺のライフの総量が幾つあるのかは分からないが、ここまでくそったれな死体一歩手前状態なのだ。

 これで先の悪魔より弱かった日には、目も当てられない。



 そんなクリーチャーの名は【死の影】



 俺の死が濃ければ濃いほどに、この影は強く、巨大になるようだ。

 簡潔にして名は体を表すを体言するソイツは、俺の影からぼこりと湧き出てきた。

 全身風のように黒く覆われていて、体の中央には赤いコアのような球体が見て取れる。

 それに彩を添えるかのように、骨だと思われる肋骨が何本か、コアの周りに存在していた。

 まるでクワガタのような真っ白い牙を二重三重にも供えている死の影は、一瞬にしてその体を巨大化させる。

 死の門の悪魔よりもさらに膨れ上がったその体は、輪郭が霞むように周囲の闇に溶けながら、空ろな風貌を完成させた。



「なっ……!?」



 八坂の驚く声と、その場から退避しようとする気配が窺える。



 ―――だが遅い。

 瞬時に死の影はその巨大な手で、まるでそこにある闇が硬さを持つかのように周りを取り囲むように捕縛し、八坂の体を捕まえた。

 体が地上から持ち上がる。

 もはやそれは握りつぶさんとするほどの力であり、到底抗えるものではない。

 しかし、流石は上位の神というところか。

 神気を使い、拘束を解こうと対抗してきた。

 両の手で全力を込めるよう命令するが、八坂はそれを弾き返さんと神気をまとう。

 ここで逃せば、俺はもう八坂に何も出来なくなる。

 コスト1のために維持する力は微々たるものだが、元の力がゼロに限りなく近いのだ。

 後数分、いやもっと短いかもしれない。

 それだけ経てば、俺の意識は―――命は失われる。

 このままでは握り潰せない……ならば。
















 ばくん。

 私の頭上から、冥土への門が開く音が聞こえた。

 油断。

 その一言に尽きる。

 もはや相手に抗う力など残っていないと思い近づいた結果がこれだ。

 押し潰さんと籠められる力に、自身が持てる力の全てを当てる。

 ここまで接近されては能力も使用困難になり、例え使えたとしても、使おうと他所に気を回した瞬間に圧殺されるだろう。

 故に、今私は全力で神気を放出し、魔の手から逃れられるようにすることだけ。

 幸いにも余力はまだ残っている。

 そして召喚者の男は瀕死。このままなら、こちらが耐え切れば決着が付く筈だ。 

 先の見えた勝負に、思わず口元から笑みがこぼれる。

 ―――いや、こぼれ様とした所で、頭の上から、何かが開く振動が感じられ、思わず空を仰ぐ。

 黒。

 それが私が見た色。

 私を握っているこの影人間は、その昆虫のような二重三重にもなっている巨大な牙を持った口を開放したのだ。

 口内には無数の白く鋭い乱杭歯。



(……あぁ、私を喰おうというのか)



 ゆっくりと、黒い口が迫ってくる。

 拘束を解くことも、ここから逃れる術も今は無い。



(―――まさかこうも早く終わりが来るとはな)



 達観した感想を洩らし、次に来るであろう事態を考え、口をあけて近づく影人間を不敵に笑いながら睨む。

 誰が目など背けるものか。誰が絶望などするものか。

 その瞬間の来る時まで、睨んで、睨んで……。



 一向に来ないその時に、一瞬思考が停止した。



(止まっ……た……?)



 疑問が駆け巡る。

 大きく開いたその口は、今にも噛み千切ろうとする風貌のままに固定され、僅かにも動く気配がない。

 まるで時が止まってしまったような光景に、内心首をかしげる。

 瞬きを一度。そして浅い呼吸を何度か行い、今ならば大丈夫かと思い深呼吸をしようとした矢先―――こちらを喰い殺さんとしていた影人間は、その口を閉じ、ゆっくりと私を地上に降ろした。

 今までとは正反対の、壊れ物でも扱うかのような振る舞いで開放され、またも考えが止まる。

 そして、その事を問いただす間もなく、影人間は消えていった。



 一風。

 曇天の空も晴れ渡り、夜空には星の照明が輝き大地を照らす。

 影から生まれし者は影へと帰るのが自然だとでも言いたいのか。

 つい今まで生きるか死ぬかの決戦があったことなど夢のよう。

 そこに残るのは私と、もはやピクリとも動かない洩矢の眷属。

 そして。



「―――八坂の神よ。……私の願いを……聞いてくれぬか」



 体をオンバラシラで貫いた、洩矢諏訪子の神のみである。


















(やった、やったぞ……! 捕まえた、捕まえたぁ!!)



 子供のように心の中ではしゃぐ。状況と相まって思考が狂人の域だが、こうでもしないと意識を保てない。

 もう逃がさない。

 絶対放さない。

 この命、尽きようとも。

 パワーやタフネスの数値なんて気にしている場合じゃないし、気にしてもいられない。

 どんな値だろうと、もうやるしかないのだ。

 やらなければ―――この怨みは晴らせない。

 死の影に握りつぶす様、指示を送る。

 パキン、パキンと。ガラスが砕けるような音が聞こえるのは、八坂が何かバリア的なもので防いでいるせいだろうか。

 青白い火花が散っているのがぼやけた黒い視界からでも分かる。

 拮抗。

 ここまでしてこの程度なのか。

 ここまでしないと対等にはなれないのか。

 

 ……圧殺がダメなら、他のやり方を。

 手がダメなら足。

 足がダメなら―――口がある。その、見るからに凶悪な、クワガタの顎のようなモノが。

 幸いにも八坂は死の影の手から逃れることで精一杯のようだ。

 ならば、これはもう必勝の行動。

 もぎたての果実に齧り付くかのように、その命を刈り取ろう。

 

 原作キャラが何だ。

 女だから何だというのだ。

 奴は―――八坂神奈子は、俺の大切な者達を奪っていった。

 だから奪う。

 復讐なんて上等なもんじゃない。単なる八つ当たり。

 けれど、やる。

 今の俺にはそれが全てだから。それしかないから。

 それすら出来なかったら……俺は、俺でいられなくなりそうだから。



(いけ、【死の影】)



 地獄への門が開く。

 洋画の地球外生命体を思わせるその光景に、俺は八坂の死を確信し―――










「―――つくも、やめて……」









 俺の目の前。

 血だまりにその身を沈め、石の柱に胸を貫かれていた、洩矢諏訪子が語りかけてきた。



「え……?」



 生き……ている……?

 同時、ピタリと死の影の行動が止まる。

 俺の意思なのか影の意思なのか。

 時が止まったかのような静止像が完成した。



「諏訪、子……?」

「九十九ったら……とうとう敬称まで抜けちゃって……」

「えっ……あっ、す、すいません。じゃない、えっ、あれ? 諏訪子、さん……生きて……?」



 動揺しまくる俺に対して、囁く様に語りかける諏訪子さんの声はとても優しく、神様というよりは恋人か母親のようだった。



「ちゃんと生きてるさ。神に死って概念があるかは分からないけど、間違いなく、私は私のままで、今ここにいるよ」



 そう言いながら、咳き込むように呼吸を始める。

 器官にたまった異物を吐き出しているようだ。

 体は冷たくなって心臓の鼓動も聞こえなくて、何より息をしてなかった筈なのに、こうして会話が成立している事態に、これは漫画でいう死ぬ間際の最後のセリフなのではないかと嫌な予感が頭を過ぎる。



「そんなボロボロになっちゃって……。二十日は帰って来るなって言ったじゃない……」

「俺のことはいいです……。ぐっ! ……はは、きっついなぁ……。諏訪子さん、死に際の……捨て台詞とかじゃないですよね……?」

「あまり話すな九十九。……安心して。私は時間をかければ回復するから。問題はお前だよ。その傷―――自分の体がどうなっているのか分かっているの?」



 安心した。

 なんで生きてるのとか、その手の疑問は置き去りにする。

 だって、生きているのだ。

 それ以外で、彼女に何を望めというのか。



「ははは……もう、秒読みだって事は、何となく……。一度、体験……してますからね」



 視界が黒で埋まる。

 モザイクすら見えなくなった目には、何となく諏訪子さんの心配する瞳が向けられている気がした。



「そっか……。うん、大丈夫だよ。九十九は、私が助ける。だから、その八坂の神を放してあげて」

「……何故ですか。コイツはみんなを、勇丸を―――何より諏訪子さんに害をなしたんですよ。祟り神の頂点が、なんでそんなこと言うんですか」



 親しい人に言われた受け入れられない言葉に、怒りから来る気力で滑舌が回るようになる。

 何故。後一歩なのだ。

 もう一秒もしない内に、俺は八坂に一矢報いることが出来るのに。



「九十九、ここで八坂を倒してしまったら、洩矢の国は終わる。…いや、私の国だけじゃない。戦の主神となった2人が消耗したことで、周りの妖怪や盗賊にしてみれば、この二国は格好の餌食だ」

「……分かります。分かりますけど……」



 頭では分かっている。

 今日本という国は盛大なバトルロワイヤルが行われていて、そのトップクラスの二国が激突し、疲弊しようとしている。

 攻めるなり略奪するなり、どうにかしたいのなら、この時をおいて他にあるだろうか。

 守り神の居なくなった神の国など、妖怪達から見ればご馳走だ。

 俺はまだ見たことはないが、鬼や天狗といった日本固有の強力な魑魅魍魎が、美味しいケーキを切り分けるかのように国を分断させていくのだろう。



「ごめんね九十九。みんなを守れなくて」



 諏訪子さんが謝っている。

 別に何も悪いところなど無いというのに。



「ごめんね。帰る場所を失ってしまって」


 
 まるで全ての非が自分にあるかのように、謝罪の言葉を紡ぐ。

 それは俺への謝罪の意味もあり―――自身の力が及ばなかった事への無念さを悔やむ声でもあった。



「―――ごめんね、勇丸を守れなくて」



 その言葉で確定してしまった。

 自分の相棒の、死。

 きっと何か特別なことが起きて、繋がりが感じられないだけなのだろうと思い込もうとした。

 だけど、それも終わってしまった。

 悲しみで涙がほろほろと頬を伝うのが分かる。

 また召喚出来るのだからと言い聞かせ、何とか自制心を保つ。

 これで記憶を失っていたのならどうなってしまうのだろうかという不安を胸に押さえつけながら、ならせめて、と勇丸の最後を訊ねてみる。



「―――勇丸は、どうでしたか」



 言葉足らずな自分のセリフに、我ながら馬鹿だと思ったが、諏訪子さんは俺の聞きたかったことを理解してくれたようで、ぽつぽつと、けれど簡潔に、その光景を話した。



「雄々しく戦ってくれた。次々と相手の人間達を蹴散らして、最後は、二体目の八咫烏と、相打ちに」



 八咫烏―――神の使いとされ、太陽の化身なんてご大層な役職に就いていた奴だったか。

 仮にも太陽の象徴の一端を担っていたのだ。

 実際の戦闘は見ていないが、とてもじゃないけどただの2/2である勇丸が対処出来るとは思えない。

 おまけに相手は鳥。空を飛ぶ相手に、地上を這うことしか出来ない生き物がどう対抗するのだろう。

 けれど、二体。

 きっと、あらゆる限りの知略を尽くして屠っていったのだ。

 良くやったと褒めてやりこそすれ、何故逝ってしまったのだと嘆くのは、全て終わってしまった今となっては虚しい限りではないのか。

 分かってはいる。分かってはいるのだ。

 しかし、頭で理解しても、心がそれを受け入れてくれない。

 辛い、悲しい、憎い。

 心が押し潰されそうな中。

 ふと、では諏訪子さんはどうなのだと考えた。



 ……苦しいのは俺だけではない。

 むしろ俺以上に感情をうねらせているのは、このボロボロの小さな神様な筈なのだ。

 幾年もかけて築き上げてきたものが崩れていくその光景を前に、蹂躙されていくそれを見続けるしかなかった無力な神様。

 正直、そんな考えなどクソ食らえだと思っていた。

 他の人も辛いのだから我慢しなさいなど、他の場面ではいざ知らず、恨みを晴らすだけのこの場においては、火に油の言葉でしかない。



 ―――諏訪子さんに話しかけられる前までは。

 周りを、他人を、全てのものを怨み、けれど何より無力であった自分を最も責めるかのような謝罪に、隠し切れない恨みと後悔と、それらを覆い隠すほどの悲哀が混ざっているのが理解出来た。

 それを押し殺し、この国を奪おうとする者を倒さないでくれとは、一体どれほどの葛藤と決断力がいるのだろう。



「……良いんですね、本当に」

「構わないよ。もう、決着はついた」



 言葉の裏に様々な感情が透けて見えるが、それが諏訪子さんの決断だというなら、その気持ちが痛いほど分かる今の俺は、従うしかない。

 俺がもし最後の一歩を踏み出してしまったのなら、もうこの小さな神様に救いは訪れないのだから。

【死の影】に、掴んでいた―――いや、飲み込まんとする勢いで広げていた口を閉じさせ、八坂を地面に下ろす。

 生憎と顔が見えないが、きっと驚いているはずだ。



「はは、は……参ったなぁ……」



 ―――これじゃあ、本当に無駄死にじゃないか―――



 言葉に出さず、飲み込んだ。

 閉じられた目の隙間から、ポロポロと大粒の涙が零れる。

 鼻水も出てきて嗚咽も止まらないこの姿は、情け無いを通り越し、哀れの類だろう。

 全く、原作様々だ。

 確かにこの流れなら、俺の知っている東方プロジェクトのキャラ像に向かっていく事が予想できる。

 屈服した諏訪子さんが負けた事にもめげず大和の国の為にと尽力して、それを八坂が評価し二人は仲良くなっていくのだろう。



 本当に……これでは道化もいいところだ。

 一人で空回りをして、勇丸を死なせて、自分まで瀕死になって。

 ……いや、笑いも取れないとなれば、もはや道化にすら及ばない。

 ぐずぐずと、えぐえぐと。

 大の大人が恥も外聞もなく、声を押し殺し、鼻水垂らしながら泣いた。

 なんて、無様。

 B級映画の脇役ですら、もっとマシな最期だろうに。



「本当に、ごめんね。そして、ありがとう」

 

 ふわりと、俺の残った右の掌に暖かい感触が触れる。恐らく諏訪子さんだろう。

 さっきまでは冷たかったのに、今では人並みに暖かい。

 これは本当に、体の方は大丈夫のようだ。



(安心した、ら……意識、が……)



 唐突に、意思をつなぎ止めていた最後の線が切れそうになる。

 我ながらタイミングの良過ぎる思考電源OFFに、何もこんな場面で主人公属性を体験したくなかった、と軽く現実逃避。

 せめて逝ってしまうのなら、もっとカッコつけたかったなと、内心で苦笑する。

 一度死んだ時と同じように、どうやら俺はカッコつけられない生き物のようで、理解するのに二度も死ぬ羽目になるとは、我ながら巡りの悪さに呆れつつ。



「―――ゆっくりお休み。後は、私が何とかするから」



 その日俺が最後に聞いた言葉は、眠る我が子に言い聞かせるような、諏訪子さんの優しい声だった。





[26038] 第09話 目が覚めたら
Name: roisin◆defa8f7a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:51






 鳥の声がする。

 頬を撫でる風が心地良い。ずっとこのままでいたい気分だ。

 けれどそれを意識したせいか、眠気はどんどん消えてゆく。

 瞼を閉じていても差し込む光が目を焼き、たまらず左手で遮ろうとして………。



 ―――感覚の無くなった腕に気がつき、一瞬で全てを思い出した。



 ただ、だからといってガバッとなんて起き上がる気にはならなかった。

 じんわりと、雪が解けていくかのように今までの出来事が思い出され、整理されて脳内に格納されてゆく。

 そんな、起こってしまった全てを受け入れるべく、ゆっくりと目を開けながら……



(……知らない天zy―――)

「目覚めたか、洩矢の眷属よ」



 天井見えねぇし。見えるの人の顔だし。

 わぁ、綺麗な人だなぁ。

 青黒いショートヘアに、首から掌くらいの大きさの鏡をネックレスのようにひっかけた女性が上から覗くように声をかけてきた。

 キリっとした眼光が、可愛いとかではなくて、出来る女って印象を際立たせている。

 うむ、こんな美人が俺と接点なんてあるはず無いから、これは夢だな。

 ただこんな夢は望んでいる訳ではなかったので、見なかったことにして再び目覚めるのを待つとしよう。

 おやすみなs



「目覚めたのなら体を動かしてみるといい。違和感のある箇所は言え」



 随分と堅苦しい美人さんっだな。

 夢は本人の無意識下での願望でもあるって聞くし、俺にはこの手の趣味があったんだろうか。

 いやしかしこの態度で付き合うとなったら色々と考えされられる場面が出てくきそうだな。

 参ったな、こりゃ今後の嫁さん候補を真剣に検討しなきゃいけないぜ。ははは。



 ……無理だな。



「お前、何してんだ」



 我ながら開口一番のセリフが結構冷たいと思う。

 しかし、本当に何してるんだこの神様。

 俺の記憶じゃ殺す殺されるの関係だった筈だが。神だから人間と感覚違うんだろうか……。

 こちらの顔を覗き込むかのように体をかがめていた八坂は、一瞥観察した後、ゆっくりと立ち上がった。



「無礼な口の利き方だ……まぁいい。お前の体の面倒を見ていた。諏訪子との契約でな」



 契約……?

 諏訪子さんが?

 八坂と?

 ―――今までの出来事と、この手の漫画的展開の終始を思い出し、尋ねてみる。



「……諏訪子さんが服従する代わりに、俺の治療をお前がやったのか?」

「その通りだ。生憎と失った腕は戻せんが、それ以外ならばもう充分に回復しているはずだ」



 ……何てこった。一人で勝手に自滅したどころか、他人の足まで引っ張るハメになるなんて。



「……諏訪子さんは無事か?」

「ああ。今し方、念話で連絡を入れた。もう―――」

「九十九! 目が覚めたって!?」



 襖が勢いよく開け放たれる。

 大変ユニークな帽子にそこから覗く金髪な小柄な少女は、俺がとてもよく知っている人物であった。



「あ……えと、おはよう……ございます」



 長年の習慣からか。混乱した頭から出てきた回答は、無難といえば無難な朝の挨拶だったと思う。

 元気いっぱいで息を弾ませながら挨拶する諏訪子さんに、思わず安堵のため息が零れる。

 日の光に照らされて、祟り神だっていうのに、それとは真逆の性質の太陽の化身に見えた。

 子供は風の子元気の子って感じ。

 良かった。どこも悪いところは無さそうだ。



「おはようって……確かに目が覚めたらおはようだけどさ……。うん、まぁ元気そうだしいいか」

「諏訪子、これで契約は果たした。腕以外、心体共に健全な状態に戻っている筈だ。何かあればまた私に言え」



 八坂め、諏訪子さん呼び捨てですか。俺が意識を失っている間に仲良くなったのかね………。

 そんな面食らった諏訪子さんとは対象的に、八坂はサバサバした感じで会話を一方的に済ませる。

 そしてそのまま背を向け諏訪子さんが入ってきた襖から、チラリとこちらを見た後、出て行った。



 そのまま、しばしの間。

 改めて周りを見てみると、俺が寝泊りしている諏訪子さんの社の大広間にいることが分かった。多分、神気とかそういった気質を集めるのにココのが効率良いんだろう。前にそんな話を諏訪子さんがしていたし。

 で、こっちは何から聞いたものか悩んでおり、逆にあちらは何から話したらいいものかで迷っているような……お見合いのように会話の糸口を探り、けれどどちらも攻め手にあぐねている状況に陥っていた。

 だったら、女の子にそれをやらせちゃ男が廃る。

 一人で勝手に空回って、もう付けるカッコすらないが、それでも意地を張りたいもんなのだ。



「あれから……」

「ん?」

「あれから、どれくらい経ちましたか」



 まずはテンプレその一。いつまで寝てた? な質問。

 問い自体にあんまり意味はないが、この手の会話の王道。

 時間も切羽詰ってるって訳でも無さそうだし、ここから色々聞いてみれば良いよな。



「丁度一週間。その間、国の合併と、民達への説明。そして、取り決めの制定をやったね」

「体の方は、もう何とも無いんですか?」

「ああ。元々神ってのは肉体にそこまで縛られてる訳じゃないからね。神奈子の奴も私を滅するより屈服させる目的で戦争起こしたんだし。確かに肉体的な損傷は激しかったけど、霊核……魂が健在なら、神様ってのは存命し続けるものなのさ。ある程度まで、ね」



 本当にズタボロになったら消滅するってことなんだろうか。

 ……血溜りの中で腹にオンバシラ刺されてた時点で充分瀕死だと思うんだけど(汗



「本当に良かった。俺が見たのは血の中で倒れてた諏訪子さんでしたからね。これでもかって位ボロボロな。最後には……棒で胸を貫かれてましたし」

「あの時は参ったね。心までは折れてなかったんだけど、あれやられてポッキリ」



 昨日転んじゃってさ。みたいに気軽な物言いに、何だか問い詰めるのも馬鹿らしくなる。

 ……俺、あれを見て今までにないくらい怒ったんだけどなぁ。

 もう神様の定義が分からん。普通の生物とは違うと思っておこう。生命力的な意味で。





 それから、今までに起こった出来事を聞いていった。

 国の合併と、在り方。

 民達への救済と説得。

 法の制定。

 そして、八坂への恭順。

 諏訪子さんがミシャクジの何体かの譲渡と八坂への服従を了承することで、国や民の安全と繁栄と、先の戦で傷ついた者達への治療の確約をしたようだ。



「で、最後の一人である九十九がこうして目覚めて、晴れてこの国は一から出発することになったのでした」

「……あっさり言ってくれちゃってますけど。……俺が倒れる前に言った気もしますが、そんなにサバサバ割り切れるもんなんですか?」

「そうせざるを得なかったからね。確かに私はミシャクジの統括者で、恨み辛みを代弁する者ではある。でもそれ以上に民達の成長を願っているんだ。これで国民全員皆殺し、とかだったなら、私は消滅しても一族その他草木に至るまで、関わりのある者は例え空気であったとしても、全てを呪い殺す気概があったよ」



 何だ空気を呪い殺すって。ミシャクジ様マジこえぇ。



「そういえば……。村のみんなは……何人、死んだんですか?」



 言った途端、ぽかりと頭を殴られた。

 あまり痛くはないが、突然の行動に思わず鳩が豆鉄砲食らったような顔になる。



「九十九。心して聞け」



 う、ガチの神様モード。神気が少し溢れている。

 一週間寝たきりだった体にゃあ、ちと堪えるッス。

 俺は一体何の地雷を踏んだのかと思いながら、はいと返事をした。



「まず結論から言おう。―――この戦で散った命は、勇丸だけ。神奈子は敵味方の死傷者をそれ以内に収めて戦ったんだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。だって俺が到着した時には、戦場は死屍累々の状況だったんですよ? 何人も地面に倒れてて―――ん?」



 あれ、倒れていて……呻き声とか……あれ?



「そう、倒れていただけだ。傷ついていない者は居なかったが、それらは全て神奈子が治したよ」

「……勇丸が、敵兵を蹴散らして八咫烏と相打ちになったってのは」

「殺す事よりも戦闘能力を奪った方が効率が良かったんだろう。戦い方を見ていてそう思った。事実、あいつは恐ろしいくらいの速さで敵を無力化していったんだ。敵は生きている事で泣き叫びながら周囲に恐怖を与えて味方の心に傷を与え、それの救助をする為に人手を割かなければいけない状況を作り出していた。人間達には足を、八咫烏には羽を攻撃することで、封殺していったよ」

「……でも、勇丸は死んだじゃないですか」

「ああそうだ。勇丸は死んだ。その事実は何の言葉を以ってしても覆らない。ただ私はそこで止まれない。まだ残っている者達の為に、私は私でなくなるまで神としてあり続けねばならない。それが、傷ついてもなお付き従ってくれた者達への、何より勇丸への恩返しだと思っている。……九十九は、自分の復讐を他人にやってほしいと思うかい?」

「……その聞き方は、ずるいです」

「すまない。こうでもしないと九十九は止まってくれそうに無いからね」



 一拍。諭すような表情を変化させ、今度は謝罪の言葉を紡ぐ。



「―――勇丸との仲を引き裂いたのは私だ。私に出来ることなら可能な限り償わせてくれ」



 そう言って、諏訪子さんは俺に向かって深く頭を下げ、両の手を地面につける。

 土下座。

 古来より人々が神に対して行ってきたものを、逆の立場で見ることになるとは。



「……それに関しては俺にも思うところはあります。ですので……」



 諏訪子さんの手が強く握られるのが分かる。

 恐らく、これから殴るなり蹴るなり罵倒するなりされるのではないかと思っているのだろう。

 その気持ちに答えるような真似もしたくない訳ではないが、そういうのは一番被害にあった者が行うべきものの筈だ。

 仲を裂かれたのは不快だが、俺はこうして、腕は無いものの生きている。

 なので、


 
「そういう事は、一番の被害……。違うな。一番の功労者に聞いて下さい」

「え……?」



 疑問の声と同時に、目線を俺の方へと上げる。

 白くて、大きくて、もふもふで。

 そこには、初めて見た時と同じように勇丸が悠然と鎮座していた。



「いさ……まる……」



 漏れるように諏訪子さんが言葉をこぼして、動きが止まる。



「勇丸……私が分かる?」



 震える声で、すがる様に尋ねた。

 すると、僅かではあるが、はっきりと分かるように、勇丸は頷く。

 途端、諏訪子さんは勇丸に抱きついた。

 その首に顔を押し付け、すまかった、許してほしいと懇願する。

 ちょっと空気的に居づらいのだが、俺も当事者の一人ではあるので動くに動けない。

 それに、諏訪子さんを覚えているということは、俺のことも覚えている筈だ。これが嬉しくない訳がない。

 勇丸召喚の僅かな疲労感に懐かしさと失ったものを取り戻せたことへの安堵感が重なり、俺の心はそれだけで満たされる。



 今の心中は恨みとかそんなものは一切無くて、いつもの俺そのもの。

 明るく楽しく過ごしたいなぁ、『楽に』←ココ重要。

 の精神が前面に押し出ている常態だ。

 ぽりぽりと頬をかく指にザラつく感触を感じながら、そういやヒゲ剃ってないなぁとかぼんやり考えていると、諏訪子さんの気が済んだのか、こちらに視線を向けてきた。



「本当……何て言っていいか……」

「気にしないで下さい。馬鹿な男が一人で空回って勝手に自滅しただけの話です」

「でも……それじゃあ……」



 何もしないでいることに我慢がならないのだろう。

 そわそわと何かを提案しようとするが、こちらが要らないと言ってしまったのでどうやって謝罪しようかと考えているようだ。

 俺が諏訪子さんの立場だったなら、確かに何かしらの謝罪を行いたくなる。

 だが困った。これといってやってほしい事など無いのだ。

 謝ってもらっても逆にこちらが申し訳ない気持ちになるし、かといって欲しいものがある訳でも……あったわ。

 ただなぁ。この手の出来事にありがちな『え? そんなことでいいの?』的な要求をして驚かせてみるのも面白そうなのだが、勿体無い気がしてならないので少し悩む。こんな機会滅多にないだろうし、会いたくもないし。

 腕を組み、うんうんと唸って考えること数十秒。

 気持ちより実益! と結局物欲に負けた俺が諏訪子さんに提案したのは、



「じゃ、服作ってくれませんか?」



 というものだった。

 今の俺は弥生時代の人辺りが来ていそうな服……つまりは、この時代の服を着ている状態。

 GパンとかTシャツはボロボロになってしまったのだろう。

 履いていたスニーカーだって、今まで歩き続けてきたせいで、戦う前からボロボロだった。

 ……誰が俺のこと着替えさせたんだ。まさか諏訪子さんとかじゃないだろうな。

 考えない方が良いと、俺の良心と羞恥心が無意識下で働きかけたかのように、その出来事をスルーする。

 あんまり考えたことは無かったのだが、身に着けるもの全ては消耗品。

 ゲームとかアニメなんかじゃキャラは全員いつも同じ服な場合が殆どだったが、歩けば靴は磨り減るし、衣類だって雨風でボロボロになり、武器とか持っていてもメンテナンスをしていたっていつかは完全に取り替える時期が来るのだ。 

 多分服自体が自己再生とか能力持ってるんだろうとか何着も同じの持ってるんだとかで当時は強引に納得するようにしていたのだが、その手のルールが今の俺には当てはまらないので困ってしまったという訳で。

 ここに来てから約半年。

 Gパンは問題なかったとして、Tシャツなんか別に土ぼこりの多いところへ行っていたわけでもないのに、一週間で野球漫画の主人公並みに汚れちゃったもんなぁ。

 村の人が手洗いしているのを横で眺めながら、二回目以降は自分で洗濯をしたものだ。

 きっと冬になって水温が下がったら洗濯ローテーションが一週間から二週間に伸びていただろう。寒いのイヤだから。

 ……そういや今って季節はいつなんだと疑問に思うが、これもスルーしておこう。



「分かった。最高のものを仕立てさせてもらうよ」 

「前に頂いたミシャクジ様の外套みたいな感じのだと有り難いです。あれ今まで着てた衣類のどれよりも着心地最高だったんですよね」


 
 あ、地味系でお願いします。と付け加えたところで、諏訪子さんは目線をずらし、俺の後ろにある襖に、もういいよ、と声をかけた。

 ん? と首を傾げるまもなく、スッと入ってくる八坂神奈子。

 出て行った時と違って、注連縄は外している。

 ゴツさが取れて美人度UPな感じだが、やっぱりまだ怨む気持ちは残っているので、素直に感動することはない。

 そんな俺の心情など気にする様子もなく、八坂はどかりと部屋の中央、元々諏訪子さんが崇め奉られていた位置へと座り込んだ。

 組んだ胡坐を崩して、あの例の偉そうな(偉いです)ポーズになる。

 ちょっと複雑な心境だが、諏訪子さんや勇丸は何も感じないようで、体を八坂の方へ向けた。

 場の空気的に俺も体を向け、それを見て、これで話す場が出来たとでも思ったのか、八坂が威厳に満ちた語りと言う名の自己紹介を始めた。



「私は八坂神奈子。大和の国を治めている者の1人だ。ここは我が国の傘下に入ることで、名前も洩矢の国から守矢の地へと改名した。―――洩矢諏訪子、並びにその眷属よ。以後、私に仕え、称え、崇めよ。さすれば飢える事のない日々を約束しよう」



 頭の中が真っ白になった。

 諏訪子さんが八坂へと下るのは知っているし、国の改名も分かっていた。

 ただ―――ただ、だ。

 並びにその眷属ってのはあれか? 俺のことか?

『待ってくれそんな話聞いてないぞ』と諏訪子さんに顔を向けると、当の諏訪子さんもきょとんとした目でこちらを見ていた。

 ……あれ? 諏訪子さんも知らない……?

 ……どういうことだ?



「ちょ、ちょっと待って神奈子。確かに私の国は服従するし、私達ミシャクジもその指揮に入るとは言ったよ。でも九十九は別だ。こいつは、私の眷属じゃないんだよ」



 今度は八坂がきょとんとした顔をする。

 え、何この展開。

 面白い顔を見られて良いもの見れたなとは思うが、口を挟むのも怖くて、とりあえず色々と取り決めをした当人同士で話し合ってもらうとしよう。 



「……嘘を申すな諏訪子。この国の……守矢の者達は口を揃えてそこの者はお前の眷属だと言っていたではないか」



 嘘ついてんじゃねぇと八坂が言った言葉に、諏訪子さんと俺があちゃー的な顔をする。



「あ~、神奈子。その、ね。……うーん言葉じゃあれだし……。九十九と私の繋がり、見てみてよ」



 いまいち理解し難いが、繋がりと言うからにはやっぱり霊的とか神的なものなのだろう。

 眷属というのは、そういった繋がりがある―――のだと思うので、それを見てみろって事なんだろうか。

 憮然としながらも八坂は目を凝らすように俺と諏訪子さんを見比べる。

 一回、二回、三回。

 視線を行ったり来たりさせながら、その表情は納得いったという風に深く目を伏せ、大きなため息を吐いた。



「どういう事なのか分からぬが……確かにお前とそのこの男、そしてその狗神との繋がりはないな」

「ごめんね神奈子。この九十九はさ、半年位前に私が招きいれた外来人で―――」



 そのまま、この国への異様な外来人を招き入れる為の方便である事。俺との出会いから、様々な奇跡を起こせる事を買われ、妖怪の討伐を行っていた事。この国の為に様々な知識や技術を授けてくれた事への説明を終えた。

 崩した胡坐に肘をつき、添えられた手に頬を乗せながらじっとその話を聞いていた八坂は、最後までその姿勢を崩すことはなく、話し終えてからは瞳を閉じ、じっと何かに思考を巡らせているかのように、ふむ、と一言呟いた。



「なるほど。つまり洩矢の国の為に働いてくれていたのは事実だが、仕えてさせていた訳でも使役していた訳でもないのだな」



 そう、まとめる様に八坂は締め括った。

 こくりと頷く俺と諏訪子さん。

 勇丸は何をするでもなく、ただ静かにその場に控えている。あぁ、この感覚がとても懐かしい。



「そうだな……。お前、名を名乗れ」



 唐突に、八坂は俺に向かってそんなことを言った。

 指を自分に当て、俺ですか? というジェスチャーをしてみると、どうやらその意味が分かったようで、そうだとばかりに不適な笑みを浮かべる。

 名前なら諏訪子さんが散々言ってただろうに、やっぱり自分で名乗る事に意味があるんだろうな、この手の挨拶は。

 くそぅ、この高慢チキめ。



「……九十九」

「何が出来る」



 間髪入れずに質問続けやがった。

 まさか一問一答みたいに問い詰めていく気か!?



「……色んなものを呼び寄せられる」

「やってみせろ」



 ……何か腹立ってきた。

 この野郎……じゃない。この女郎、あんま舐めてっとイてまうぞゴルァ。

 やってみせろだぁ? いいじゃねぇかやってやるよ。

 体力も回復しているし、わざわざ相手からやれと言ってきているのだ。

 凶悪なクリーチャーかスペル使ってやんぞ!

 と息巻いた目で八坂の方を見ていると、横から諏訪子さんが袖をちょんちょんと引っ張りながら、首を左右に振った。止めなさいって事なんだろう。

 その仕草、おねだりする妹みたいでGJです、と一瞬意識が違う方向へ飛んだがすぐ戻ってくる。妹なんていたことないけどね。

 仕方ない。ならばと違う意味での凶悪なカードを思い浮かべる。

 その余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な表情崩してやんよ! 効果あるか分からんけどな!

 あれ何マナだったかな。多分2だと思うんだが………いや3だったか?

 まぁいいや。実行あるのみ!



「覚悟しんしゃい!【お粗末】!」



 言動は気にしない。なぜなら俺だから。

 我なら何言ってるんだとは思うが、そういうカード名なのだからしょうがない。

 ふざけた名前なれど、その効果は折り紙つき。










『お粗末』

 コスト2で、白の【インスタント】カード。

 対象のクリーチャー1体を0/1にし、全ての能力を失わせる効果を持っている。










 0/1ということは攻撃力は皆無となり、防御力も、下手をすれば俺以下。

 何より能力の全てを失うのだ。

 これが決まれば神だろうが悪魔だろうが一般ピープルと同等になる。

 だが、MTGではこのカードの採用率は皆無。

 クリーチャー対策をしたいのなら、そんなまどろっこしいものなど使わずとも、もっと単純に『このクリーチャーを破壊する』といった除去系のスペルを使えばいいのだから。

 MTGにおいて、その手の除去系カードが高コストという訳ではないので、この【お粗末】はネタか、カードの購入が揃わない時点での代用品くらいにしか記憶になったが、思わぬところで役に立った。うん、今度から捕縛系呪文その1として覚えておこう。

 疲れが襲ってくるが、今までに比べると疲労の度合いが少なく感じ……お、ちょっとはレベル上がったんだろうか。と考える。

 唱えたと同時、八坂に光が集まり、四散する。

 やはりその事に驚いたようで、目を見開き、次に俺を睨み付けた。



「何をした」

「やってみろって言うからやってみただけだ。呼び寄せたんだよ。奇跡の1つを」



 ふふん、これでお前はただの女になったのだぁ!

 ぐへへへ。これであんなことやこんなことをしt



「気味の悪い目で見るな」



 ズドンッ! なんて。そんな音がピッタリだろう。

 俺の目前に何かが突き刺さる。

 板張りの床を貫きそびえ立つそれは、紛れもなくオンバシラ(細め)。

 後十センチ近かったら俺の顔面剥がれていたよね? ってぐらいの勢いだったぞ。



(あれぇ? 能力封じられてねぇじゃん(汗))



 と先ほどまでの余裕ぶっこきまくりな思考は捨てて、視線を遮るオンバシラを避けて、首を曲げながら八坂に目を向ける。

 俺の青ざめた顔を見て満足したのか、彼女は鼻で笑うと、気に入ったとばかりに、



「九十九。お前―――我に仕えよ」



 なんてのたまってくれた。





[26038] 第10話 対話と悪戯とお星様
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 18:57






 有象無象の者が私に仕えている。

 神やら人やら妖怪やらが、私の傘下であり、力であり、守るべきものである。

 だが、この者は何だ。

 諏訪子の眷属ではないという。かといって、妖怪の類でもない。

 ならば人かと問われれば、首を傾げざるを得ない。

 奇跡、と。

 この男―――九十九はそう言った。

 様々な異形の者を呼び出し、今私の身に起こっている事態を目の当たりにして、なるほど。これは人の身に出来る事ではないと判断する。

 覚悟しろと言った後、私の体に光が集まり、四散した。

 何をしたと眼力を込めて気負そうと睨み付けるものの、効果はなく……いや、効果が現れず、九十九にだけは効果がないのかと思いきや、周りの者―――狗神や諏訪子も何をしているのかとばかりに、表情に変化はない。

 私の身に何が起こっているのかを知っているようで、九十九とやらはゲスな目を向けてきた。

 神に牙をむき、後一歩のところまで追い詰めたあの面は見る影もない。

 ……いや違う。追い詰められたのではない。もはや殺す殺さないの殺生権を奴は握っていた。

 今の私は、コイツに生かされているようなものなのではないか、と僅かながらの疑問を抱く。

 なれば多少なりともコイツに良くしてやるのが神というものだろうが………



(その視線は我慢ならん!)



 その視界を遮るように、大樹ほどあるオンバシラを具現化し、奴と私の間を隔てるように出現させた。

 だが、どうだ。



(なっ!?)



 出てきたオンバシラは私の腕ほどしかない、か細いもので、しかもそれは出現させた途端に神気を失い、無造作に床へと突き刺さった。

 派手な音が響き、それに対して九十九はそのゲスな表情を引っ込め、今度は顔を青くしてこちらに顔を向ける。

 その事自体は気分が良いが、力が上手く行使できない事に気がついた。

 確かめるべく、体中に神気を行き渡らせ、確認を行う。

 神格が大幅に低下。

 それに伴い、神気もかなり失われ、能力の発揮にも支障を来たしている、この状況。



(……何だ、これは)



 これではもはや、そこいらにいる下、中級の神々と変わらない。

 流石に雑多な大妖怪程度には負けないだろうが、苦戦してしまう水準だ。

【お粗末】と、九十九はそう言った。

 文字通り、私がお粗末になってしまった、と考えるべきか。

 奴が言う奇跡とやらは、言霊を現世に呼び出す事なのではないか、とあたりをつける。



(くくくっ。たった一言呟かれただけで、名だたる神々とも渡り合え、打ち据える力を持つこの私が、こうも削がれるとは)



 油断していたから、といえば聞こえはいいが、体に変化が起きたことすら意識しなければ気づかなかった。

 一つの奇跡でこれだ。

 多少の疲れは見て取れるが、奴の矍鑠(かくしゃく)とした態度はまだまだ健在。

 九十九は色々なものを実現させるのだと言った。―――恐らく、言霊を実現させるようなものだろう。

 人ではない? あぁ、確かに人ではない。人でなどあるものか。

 人でも妖怪でも諏訪子の眷属でもないのだとしたら、自然とそこに考えがたどり着く。



 ―――神。

 それ以外の何だと言うのか。



 神にしては人間のように表情をころころ変え、まるで強大な自分を偽らんとするが為に、わざと下賎な行動をとっているようだ。

 何の為にそのような行為をしているのか分からないが、きっと退屈しのぎの類だろう。そうでなければ余程偏屈な神だと言える。

『九十九』とは『憑く物』と韻を踏んだ名前であるところの、物に宿る神を表していた筈だが、名前は諏訪子が命名したと言っていた。ならば、本来は別の名が付いていたのだろう。

 ただ、言霊を操る大神なぞ聞いた事がない。少なくとも、この大陸では。

 その神―――九十九自体は人間と変わらぬ体力しか持ち合わせていないようだが、その程度、こやつの持つ奇跡を行使する力を前にすれば霞む。

 欲しい。

 ミシャクジの統括者を従え、鉄を精製する技術を獲得し、そして言霊を実現さる神を手中に収めれば、この大陸はおろか、海の向こうの国々まで制覇出来てしまえるのではないか。

 笑いが込み上がる。

 弱体化した自分のことなど棚に上げ、九十九を誘う事にした。

 このような態度なのだ。色好い返答はないであろうが、伝えずにはいられない。




「九十九。お前―――我に仕えよ」



 
 我ながら、とても簡潔な一言であったと思う。



















 さて、わたくしこと九十九は、現在、神様からの勧誘を受けている真っ最中な訳でして。

 日本でも最高位に近い神様なもんだから、本当なら諸手あげて嬉しさアピールタイムなのだろうが、この前の戦闘の相手が相手なだけに、そんな訳にもいかず。

 あれか、【死の門の悪魔】とか【死の影】とか勇丸とかを傘下にしたいとかその手の類か。

 それとも『歯向かって来るとは中々に見所がある云々』みたいな反骨心が好物なお方なのか。

 ま、なんにしても答えは1つ。



「嫌です」



 もっと遠まわしな拒否の仕方があったとは思うが、俺の心をストレートに表した結果がこれである。

 第一、この八坂神奈子って神に仕えたのなら、息抜きとかだらけるとか出来ない―――ゲフンゲフン、ではなく。

 アニメ版ジャイアンに対して、初見で好意を持てるのか? といった感じだろうか。

 だって、まだ一度もこの神様の良いとこを見たことがないのだ。

 キャラ背景も性格も将来も知っているが、だからって、俺の大切なものに手を上げた奴に対して、全面的に好意を持って接する事など、出来る訳がない。

 性格に関しては二次設定を多分に含んでいる印象を受けるが、あまり反れたものではないだろう。

 だって、言動がまさにそれっぽいから。

 きっと、ここから親しくなっていったのなら、もっとフランクな口調になるのだろうが、別に求めてはないのだし、今は無関心。

 嫌だと答えた自分の心情を分かって欲しい。



「神奈子、いきなりそんな事言ったってダメだよ。せめてお互いに、ある程度相手の事を知っておかないと」



 諏訪子さんが、もう少し手順を踏んでから勧誘しろと言っている気がする。

 あれぇ、諏訪子さんは俺が八坂陣営に行くのに賛成なんですか? と思ったが、単純に会話をスムーズに成立させる為だけに言っただけっぽい。顔が呆れてたし。



「それもそうか……。九十九、何故私の誘いを断る」



 お前、人の話を聞いてないだろ! ココは普通、自分語りとか始める流れじゃありませんでしたか!?

 

「そりゃあ俺自身ボロボロにされましたし、諏訪子さん刺されましたし、国乗っ取られましたし、国のみんな傷つけられましたし、勇丸殺されましたし」



 ぶーぶーぶー。

 とりあえず、思いつく限りの嫌な出来事を脳内再生しながら言ってみる。

 これだけやられて、逆にどうして好意的な態度をとれるのか聞いてみたいもんだ。ってか聞いてやる。

 勇丸がその時の事を思い出したのか、尻尾がいつもより垂れ下がっている気がする。

 よしよし、お前のがんばりは無駄にすまいぞ。



「これだけの事をされて、どうしてそれの原因である相手に従わなくちゃいけないんだ」



 どうだ参ったかお前の提案は受け入れねぇぞ、と自分を通す男、九十九。

 ふっ、俺はNOと言える日本人だ!



「まぁいいではないか。楽しいぞ、領土拡大やら統治やら」



 ……うわぁい、俺の意見が一言でバッサリだぁ。

 ここまで唯我独尊だと、これはこれで親しみが沸くものなのではないかと思えてきてしまう。

 そういや原作でも、やれ産業革命だとかやれ太陽神の力だとか好き勝手やってたもんなぁ……流石、神様。

 む、いかんいかん。

 あまりに感覚の認識がずれ過ぎてて、段々と憎悪が薄れていっている。

 自慢じゃないが、俺は怨みやすくもあるが、情に流されやすくもあるのだ。こんな美人と会話出来るだけでもテンション上がるってもんよ。

 ……といった理由は後付けで、俺の中に八坂を怨み続ける燃料が無い事が、態度軟化の最大の原因だろう。

 国としては負けてしまったものの、諏訪子さんや国民は健康になっており、勇丸も無事に記憶を引き継いでいる事が分かった。

 俺自身はボコボコにされ隻腕となってしまったが、それは、悪意からではない根源からの発生による暴力だと、原作を見ていて分かっているので、相手の事を考える余裕の出来た今となっては、八坂の出方次第で俺は許してもいいと思っている。

 もっとも、負けた側が許す許さないと判断しているのは、このデスマッチ日本の中では些か滑稽だとは思うが。

 なので、とりあえず八坂に何かを提案させて、それを俺が受け入れて怨み辛みはチャラにする。という流れで事態の収拾……というか、俺の気持ちに区切りをつけることにしよう。

 諏訪子さんも、既にこの大和の国へ尽力する覚悟を決めているのだ。

 俺一人が反骨心を持っていても、この国の人は誰一人幸せになることはないだろう。



「……八坂の神。あなたは俺に対して、何をしてくれますか?」



 遠回りな意見を口にしていると、この神様はスルーしてしまうのだと判断して、本心をストレートにぶつけてみる。

 一応、雇用形態の確認というか契約という名の交渉をやっている形になるので、好かない相手といえど、口調はフランク過ぎず丁寧すぎず。諏訪子さんを相手にしている時より幾分忠誠心ダウンな感じでいく。

 領土とか政治なんかは興味がない訳でもないのだが、そういったものはMTGの能力を把握してからでいい。



「そうだな……。子孫繁栄を約束し、無病息災を確定し、この国の誰よりも富を持たせてやることも出来る。勿論限度はあるが、大体の事は出来ると思うぞ」



 話に食いついてきたのが嬉しいのか、八坂は楽しそうに、そう話す。

 しかし困った。

 子孫なんて悲しいかな、まず相手がいない時点でピンとこない。無病息災は確かに嬉しいが、それだけの為にずっと従僕になるというのはナンセンス。財はあって困るという事は無いだろうが、金銀財宝とかは能力を使えばザクザク出せそうなので却下。



(参ったなぁ、惹かれる提案がない……。八坂にも服作ってもらうか? もしくは便利なアイテム貰うとか……ん?)



 ――――ここまで考えて気がついた。

 さっきもさらっと思ったのだが、何か条件を飲んだ時点で俺はこの国に、八坂に仕えなければならなくなる、という流れなのは間違いない。

 誰かに忠誠を捧げるというのも悪くはないと思うのだが、今はまだアウトロー、もしくは一匹狼をしていたいお年頃。

 多分やる事は諏訪子さんのところで働いていた時と同じように、妖怪退治をするのだろう。

 となれば、長い間の休職は出来なくなる。この仕事ってのはそういうもの。

 それはそれであり……だとは思うのだが、諏訪大戦という重大な原作分岐点の1つに巻き込まれてしまったのだ。

 どうせなら、見れる範囲は全て行ってみようかという気持ちが湧き上がっている。



(でも死にたくねぇしなぁ)



 ストーリーは大まかにしか覚えていないが、この後のビックイベントは《かぐや姫》から始まって《西行寺》と向かってる……筈だ。多分。

 正確に何年に起こる事態なのかは分からないが、生死が関わるものは、かぐや姫には月からの迎えの場面にさえ居なければ問題ないとして、西行寺に向かうのなら戦闘云々ではなく、幽々子さんと出会ったら能力で死ねそう。



 ……いや、俺の事だから出会う前に死ぬんじゃないだろうか。庭師に切られたりとかで。



 ガチンコ戦闘する機会は薄そうだけれど、やっぱり、もっと経験値積んで強くなっておかないと、後々で苦しむ羽目になるのは予想できる。

 どうせなら、情けない姿ではなく、真逆の態度で出会いたいもんだ。

 俺の中にはスキル『格好付け(偽)』でも備わってるんじゃないかと疑いたくなるが、やるやらないは兎も角として、目指すだけなら構わないだろう。

 こう……ヒーロー的ポジションに位置する為には、今がんばらねば間に合わないくさい。俺の成長率的に。
 








「あなたっ! 誰!?」

「名乗るものの程でもない。ズガガガーン(←なんか敵をまとめて倒した音)! じゃあな○○(好きなキャラの名前を入れてね)」

「待って! ……あの人は一体……」









 ―――良い。

 痛いだけな気もするが、この流れは厨二を通り越してテンプレ……違う。もはや王道だ。一度くらいはやってみたい。



(うーん、じゃあやっぱり……俺の修行の為に付き合ってもらうとかぐらいかなぁ)



 洩矢に居た時は、RPG系で例えるなら、序盤の村とかでひたすら雑魚を倒しまくる作業。

 この間に俺の何のレベルが上がったのかは不明だが、体力はついたし、戦略の幅も多少は広がっている。

 ただ、あくまで自己流の戦い方を学んだだけであり、指南してくれる人はいなかった。

 もうそろそろ、次の段階へと進んでもいいだろう。



「そのどれも要りません。代わりに、俺の修行に付き合って下さい」

「ほう、あの悪魔や黒き影と、再び私が対峙するということか」

「意味合いは近いですけど、それだけじゃありません。もっと色んな相手と、ってとこです」



 八坂は顎に手を当て、ふむと呟く。

 油断からとはいえ、死の一歩手前まで追い詰めたものと再度戦えというのは、やはり躊躇われるものなのだろう。

 こりゃあもう少し条件緩めて、カードスペル効果の実験台だけでも良いかな、と考えを改めようとすると。



「お前が起こせる奇跡とやらは、まだ成長の余地があるということか?」



 なんて尋ねてきた。



「ええ。というか、むしろまだまだひよっ子です。やっとスター……出発地点に立ったところですかね。……ぁ」



 言った後に後悔した。

 八坂を首の皮1枚まで追い詰めてしまった俺がこのセリフを言うという事は、『成長すれば、お前を倒せるぞ』と同義なのだ。

 勧誘までしてくるのだから、理由はともあれ俺を必要としてくれているのは間違いないのだが、これが狭量な相手だったり疑心暗鬼に近い性質の性格だと、俺は消されかねない。

 

(た、頼むっ。『ははは気に入った』な展開になってくれっ!)



 原作基準の性格ならそうなってくれるとは思うのだが、微妙に思っていた展開と違った諏訪大戦を思い返してみると、今一歩踏み込めない心情に陥る。

 表情には出さずに、内心で神(諏訪子さん)に祈りまくりながら、八坂の顔を見てみれば………



「それは良い。楽しみが1つ増えた」



 くつくつと、いたぶる相手を見つけたかのように笑う軍神様がいらっしゃいました。



(あちゃー……バトルジャンキーな方でしたかぁー……)



 オラわくわくすっぞ! って感じで明るく対応してくれたのならまだ良かったんだけど―――それもそれで問題ありだが―――と、案にやっぱり辞めたい願いを祈ってみるも叶わず、漏れる神気にびびって言葉の続きが出てこない。



「では九十九の神。以後我の手足となり、奮起せよ。尽力する限り、対価を支払い続けよう」



 Nooo!!

 決まっちゃったくさいー!? ずっとなんて仕えたくないよ~。

 ……ん? 九十九……の『神』?



「ちょっとストップです八坂の神。色々聞きたい事はありますけど、まず1つ確認させて下さい。―――九十九の『神』ってのは何です? 俺、人間ですよ?」

「異国の言葉は分からぬ。―――神というのは、お前の事だ、九十九の神。何の酔狂で人間の真似事などしているのかは理解に苦しむが、私の下に就くからには、ある程度は神の役割をこなして貰うぞ」


 そういやストップって英語か……ってそうじゃない。

 八坂さんや、何を以って俺を神だと言っているのか、こっちの方が理解に苦しむわぃ。



「話を聞いて下さい。俺は神でも眷属でもありません。それに九十九神って他に居るでしょう、物に憑く奴が」

「ならばお前のその力をなんと説明する。様々な妖怪―――悪魔を従え、私の身に変化を来たすような奇跡を起こす者を人だとでも言うつもりか」

「(変化?)そう言われると、俺自身首を傾げたくなりますけど……それでも、カテゴリ……部類としては人間なんです。腕力がある訳でも神気を使える訳でもない」

「だが、その奇跡とやらは我々神と近しいものを感じる。魑魅魍魎を呼び出すその性質は真逆なれど、力は純然たるものだ。そんな力を、精々数十年しか生きていないただの人間が持ちえている訳がない」



 そこ突っ込まれるとキツいんですよねー(汗

 どうしたものか。諏訪子さん相手だとその事は空気読んで流してくれたけど、八坂相手じゃそれは期待出来そうもない……というか現在進行形で突っ込まれてる。



「神奈子。九十九は過去に関して決して話さない事を理由の1つとして、私の国の為に働いてくれていたんだ。もし仕えさせるのなら、それには触れない方がいいよ」



 ナイスフォローです諏訪子さん!

 ちゃんとした確約ではないけれど、俺と諏訪子さんの間にはそういった暗黙の了解があった。

 嘘は言っていない作戦ですね! 分かります!

 何度か『聞き出してやるぞ』って空気はあったのだが、全て冗談……というか、俺をからかう為にやっていただけという場合だけだった。

 おぉ、八坂が考え込んでいる。これで引き下がってくれれば良いんだが……はっ!? このセリフはフラグ踏んだか!?



「……致し方ない。だがいつか話せ。興味がある」



 フラグは回避したっぽいが、状況はあまり変わっていない。

 剛速球がスローボールに代わった印象だろうか。

 どちらにしろ相手にボールは届く的な意味で。

 ……何とかして忘れてくんないかなぁ。もしくは諦めてくれるか。

 どっちも無理だとさっくり諦められれば楽なんだが、きっと俺の事だからことある毎に悩むに決まっている。

 そこだけはさっくり諦められるな。ははは、情けない方向に自信満々だぜ。



「それへの返答は、否としか応えられませんが……助力は出来るだけやりますよ。ただし期間がありますけど」

「ほう、言ってみよ」

「(この時代の人の寿命ってどれくらいだったかな……)……百年。その間だけ、俺は尽力します。あなたの為ではない。この国の為でもない。……この国に飲み込まれてしまった洩矢の民と、諏訪子さんの為です。そこを履き違えてくださらなければ、私はあなたの下で働きましょう」

「(……百年、か。やはり人間ではないではないか)分かった。よく覚えておこう」



 そう言って、八坂はすくと立ち上がる。

 こちらにゆっくりと歩みを進め、俺の前で立ち止まった。

 目前で持ち上げられる右手。

 手を差し出すその行為は、握手を求めているからなのだろう。つられてこちらも立ち上がる。

 確か相手から名乗らせるのは、こいった友好関係を結ぶ際には失礼なんだったか。

 

「俺の名前は九十九。一応人間です。宜しくお願いします」

「八坂 神奈子。大和の国の一端を治めている。好きなように呼べ。人間と言ったんだ。私に対して敬う事を忘れるなよ」

「じゃあ……。神奈子さん、って呼ぶ事にしますね」

「ふふ、そうやって呼ばれるのは初めてだな。ただし、諏訪子にもやっているように、私にも民達の前では呼称を変えておけよ」



『様』は付けろってことですね。了解です。

 色々と聞きたい事もあったが、何だか話の流れ的に聞き難くなってしまい、結局、まぁいいかとスルーすることにした。

 どうせ決して短くない付き合いになるのだ。

 尋ねる機会は、それこそ無数にあるだろう。



 さて、これで諏訪大戦という原作のビックイベントの一つが区切りが付いたわけだ。

 俺の心にも同時に区切りというか踏ん切りが付き………これで残すところ憂いは後一つになった。

 ……くっくっく。



「じゃ、早速ですけど神奈子さん。修行……というか、実験に付き合ってください」

「もうか。構わんが、何をするつもりだ」



 よっし。OK発言、確かに聞いたぞ。



「簡単です。少しの間、動かないでいてほしいだけです」



 うわぁ……。

 急に顔が強張って睨む様な視線になっちゃったよ。



「そうおっかない顔をしないで下さい。何もあの悪魔とかをまた召喚して殴らせようとかって訳じゃないんです。痛くも痒くもありません。むしろ楽しい事かと」

「ならば言え。何をするつもりだ」



 眼光緩まらねぇ。警戒心MAXだぜ。

 ふふふ、でもそれじゃあ俺の気持ちは止められない! 

 神気が強まって結構息苦しくなってきているのだが、流石に半年近く諏訪子さんの側に居たせいか、ある程度は無理が利くってもんよ。



「それを言ったら実験にならないもので。それともあれですか? 大和の国の一端を担っているお方が、自分の発言には責任が持てないと?」



 おぉ、神奈子さんの顔が面白い事に。

 美人の困り顔というのも乙なものだが、今回の目的ではないので残念ながらも安心させるよう言葉を続ける。



「別に害をなそうって訳じゃありません(ある意味害だが)。天地神明に誓います(信じてないが)。もし命の危険を感じたら、俺をぶっ飛ばして構いませんから(優しくお願いします)」

「……分かった。この場から動かなければ良いんだな」

「はいそうです。ただ、少し足を崩していただけると助かります」

「足……? ん、こうか?」

「ええ。そのままその足を揃えて、前に向けて下さい」



 一体何をするんだって表情の神奈子さん。

 それもそうだ。俺だって同じ立場ならば困惑している。

 ……うん、素晴らしい足だ。一点の曇りもない美脚は至宝と認定しても良いだろう。も少し雰囲気があれば、そのまま顔を埋めてしまいたいくらい。

 足を投げ出した神奈子さんの横に座る。

 何かしたら分かってんだろうな、と顔を向けてくるが、本当に、傷つけたり痛めつけたりといった類の事はする気は無いのだ。

 そっと、その二本の足の踝(くるぶし)を上から押さえつける。そして、



「勇丸! GO!!」



 満を持して、今勇丸が神奈子さんに突撃。

 思念で命令は既に伝えてある。

 元から近い位置に居たこともあり、すぐに側まで寄ってきた。

 そのまま俺が抑えてつけていた足に顔を近づけ……



 舐めた。



「―――っ!?!?」



 おぉ、悶えとる悶えとる。

 バタバタと足を動かそうとするが、自力での体力は男には適わないようだ。良かった、この辺は神様が規格外じゃなくて。

 諏訪子さん、洩矢のみんな。そして俺の清算は終わった。

 けれど、勇丸だけは、まだなのだ。

 さっきから、とんとん拍子で進む俺と神奈子さんの関係に対して『ご主人様が望むのなら』ってな具合に沈黙を保っていたけれど、晴らしたい恨みが無い筈がない! と俺が気持ちを汲んでやり(独断)、けれど血みどろな結果は避けたいなと考え、ハッピーな方面でそのストレスを発散してもらおうと、ペロペロ作戦を仕組んでみた。



「九十、九っ! お、おま、お前という奴はっ―――!!」


 
 こちらを必死に叩くものの、まるでノーダメージな俺。いくら女性だからって非力過ぎるにも程がある。

 ははは。可愛いですよ神奈子さん。

 あぁ、さっき言ってた変化ってこういう事なのか。

 恐らく先ほどの呪文、【お粗末】の効果なのだろう。本来なら問答無用で対象を雑魚にするスペルだが、原因は不明だけれど、中途半端に効果が現れているようで。

 能力の方は分からないが、力はまさに0/1に相応しい症状が発揮されている。



(……何だ、やっぱり効果あるんじゃないか。微妙だけど。……いや充分か? 最高ランクの神を相手に、この成果なら)



 湧き出す笑みを隠そうともせずに、俺は神奈子さんへと話しかける。



「そういえばまだ言ってませんでしたね。実験内容は、神様の弱点探しです。神様側からしたらとてもじゃないけど協力なんてしてくれないでしょうし、こういう手段をとらせて頂きました」



 なんて託けて言ってみるものの、結局は悶える姿が見たかっただけだったり。

 勇丸に足を舐めさせるなんて………。とも思ったこともあったが、そこはほら、俺の悪戯ゲフンゲフン。―――勇丸自身に恨みを晴らさせてやらねばらないので、このような形になったのだ。

 他にいくらでもやり様があるだろう、なんて気にしない。

 こういった、地味だけど効果がありそうな(相手が嫌がる)意地悪をするのが、俺は大好きなのだ。

 転生前の能力を考案していた時は、『水虫にさせる能力』とか『歯並びを悪くさせる能力』など、別に死にはしないし生きる上で支障は何も無いけど、やられたら嫌な能力の取得を一瞬だけだが本気で考えたりもした。広義解釈で『相手に嫌がらせをする能力』。これ結構汎用性高そうだなとも思ったんだよね。

 そんな話はさておき、現在進行形でペロペロの刑を執行中なのだが、いい加減そろそろ“来る”タイミングだと思うので、心頭滅却し、いつ起こっても良いように備える。

 正直すまんかった勇丸。こんな下らない我が侭に付き合ってくれて、お前ホント忠犬だわ。



 だから、こんなことをお前にさせた俺は、そろそろその対価を支払ってこようと思う。

 諏訪子さんだって、さっきから呆気に取られ、声を上げる事すら忘れているようだし。 
 
 ……あ、神奈子さんの目がこっちをロックオンした。



「このっ―――痴れ者がぁあああ!!」



 天井ではなく、後方にあった襖をぶち破り、空を飛ぶ。

『ふふふ、オンバシラって結構飛ぶんですね』なんて意味の分からない思考のまま、人生初のギャグパート修正による致命傷の無効化に思いを馳せつつ。

 今日、俺は星になった。





[26038] 第11話 大和の日々《前編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 21:35






 この島国でかなりの国土を持つ国となった大和には、幾つかの大きな社がある。

 その内一つはこの国の一端を治める神である、八坂神奈子を祭る場所。

 もう一つは、近年新しく領土となり、洩矢の国から守矢の地と名を改めた、洩矢諏訪子の神社。

 片や太陽や天候などの陽を司り、方や生きとし生けるものの感情の、最も暗き陰を司る者。

 その国の名の下には、有象無象の権力者や中~下級の神々。そして人間達と、僅かではあるが、妖怪が名を連ねている。

 言葉で並び立てるだけならば、それは無敵の帝国と言い換えても間違いではないだろう。



 そんな国に、こじんまりとした社が一つ。新たに建造されていた。

 何を祭っているのかも分からず、けれどもはや絶対的な存在となった二神の命令により、速やかに。

 ある人物の希望もあり、とある温泉の付近に据えられたそれは、お世辞にも大きいとは言えないが瀟洒な作りが施されており、居住性を特化させた結果の機能美とも言える出来栄えであることが窺えた。

 そこに、幾人かの息遣いが聞こえてくる。

 一、二、三……。全部で四人、と一匹。

 うち三人は社の中にある、広間とも言えない小さな部屋の中央に位置しており、そこに、一人の人間―――村の男が入ってきた。

 格好はこの国の人間なら誰でも着ている、イグサ、ヤマブドウの蔓、樹皮などを編んで作られたものだ。

 ただ、その入ってきた村人はおかしい。

 言動や格好が、ではない。……いや、ある意味格好がおかしいのだが、そのおかしさが問題なのだ。



 足が、無いのである。



 右の膝から下。本来あるはずのものが欠けている。

 足りない箇所を補うように松葉杖を不器用ながらも操り、三人の前に崩れ落ちるように座り込み、頭をたれた。

 丁度、三対一の面接のような図式になったその場で、部屋の中心に構える村人は、額が床についてもなお頭を下げようとし、



「止めなさい」



 部屋の横。村人から見て右側にいた人物によって静止の声が掛けられた。

 青黒い袴のような着衣の下半身に、純白とは言えないものの、ぬめる様な光沢が見て取れる白を基調とした上半身の服。肩からは同じく白の外套を羽織り佇むその人は、八坂の神でも洩矢の神でもなく、彼女らに力を貸していると言われている、神でも人でも……まして妖怪でもない、正体不明の者――――白い男。

 頭を上げる村人。

 それを何の事はなく見つめる二神。

 村人の顔には脂汗が滲み、これから起こるであろう出来事に不安と期待が入り混じっているのだろう。



「なに、そう身を堅くする必要はない。すぐに終わるさ」



 言って、白い男は村人を見ながら目を細める。

 ……効果は、すぐに現れた。



「あっ、ああっ……!」



 村人の口から、驚嘆と歓喜の言葉が漏れる。

 それは失ったものが取り戻せた際に発せられる、感謝の言霊。

 ―――足が、生えている。

 もしくは、戻ったといった方が正しいか。だが、男にとってはどちらでも良いことだ。

 目の前にいるこの国の最高神の事など、対面していただけで畏怖で気絶してしまいそうな過去の自分を忘れたかのように、座っていた姿勢から足の感触を確かめ、恐る恐る立ち上がる。

 指は動くか、感覚はあるか。筋力は、肌の色は、爪は。

 一つ一つ目を皿の様にしながら確認し、足を軽く床に下ろす。

 木製の床を軋ませながら、板張りを触るように、叩くように。

 何度も、何度も。足を打ち付ける。

 神々達は何も言わず、白い男もその様子を見守っていた。

 そして、最後にしっかりと大地へ立つかのように足を床へと踏み込んだ村人は、再び膝を折り、頭を下げて、



「……っ」



 何か言おうと嗚咽のような声を漏らすが、けれどそれは言葉になって出てこないでいた。



「これで終わった。さぁ、帰れ。皆に無事を知らせてくると良い」



 その言葉に突き動かされたのか、村人はふらふらと立ち上がると、しゃんと一礼をし、入ってきた場所から出て行った。

 遠ざかる足音が聞こえ、入れ違いになるように一匹の大きな白狗が入ってくる。

 通り過ぎる村人を横目で見ながら、その狗は白い男の横に座り、差し込んでくる夕日に目を細めた。



 もう、日も暮れる。

 これから朝までは、恐らくこの国の民は誰もこの場所に立ち入る事はないだろう。

 夜の帳が近づき、虫達も騒ぎ出す。

 そろそろ明かりが必要になる刻限だ。

 暗闇が大地を侵食s



「さて、九十九。飲むか」



 ……も少し語りの脈絡なんかを考えて言葉を発してほしいです、神奈子さん。


















「腕……無いと不便だな」



 当然といえば当然な感想を溢す。

 つぶやく様に言ったにも関わらず、一緒に温泉に入っていた勇丸は、目を細めながら同意の意思を送ってくれた。

 良いですなぁペット同伴の温泉。ペットじゃないが。

 湯にやんわりと広がる勇丸の純白な毛を見ながら、のぼーっと今の状況を思い返す。

 俺がぶっ飛ばされてから、幾日の月日が経ち、その間、一応の休養も兼ねて諏訪子さん御用達の温泉に再びお世話になっていたのだが、兎に角、不便なのだ。

 バランスが悪い。無い感覚が気持ち悪い。幻痛は無いものの、どうも腕のある感覚で生活を送ろうとしてしまう、等々。

『じゃ、生やせば良いじゃん』と古今東西全ての者が思い、けれど諦めて来たそれを行うべく、俺はそれが可能なカードを思い描く。温泉に浸かりながら。

 何とも罰当たりな感想な気がするが、それを咎める者はいないので意味はない。



(腕を生やすねぇ……【再生】? ライフの回復? ……再生方面でやってみるか)



 手ぬぐいを絞って頭に載せながら、脳内wikiを使い考える。









『再生』

 かなり簡潔に述べるのなら、言葉の通り、腕や足が『再生するだけ』とも言える。

 MTGの定義で説明すると難解になる為、やや緩めた噛み砕き方で説明すると、カードが破壊された場合、この再生が発動すると、受けたダメージ含む、そのカードの破壊効果を上書きし、無効にする。あくまで上書きである為、破壊されなかった事にはならない。



 ちなみにルールに乗っ取りきとんと表記すると(MTG wiki丸写し)。

 ●キーワード処理の1つ。パーマネント(場に出ている全てのカード)の破壊に対する置換効果を作るということを意味する。

 ●呪文や能力の解決による効果の場合、「[パーマネント]を再生する」とは、「このターン、次に[パーマネント]が破壊される場合、代わりにそれから全てのダメージを取り除き、タップし、(戦闘に参加しているなら)戦闘から取り除く」を意味する。次の破壊1回だけに対して有効。

 ●常在型能力の効果の場合、「[パーマネント]を再生する」とは「[パーマネント]が破壊される場合、代わりにそれから全てのダメージを取り除き、タップし、(戦闘に参加しているなら)戦闘から取り除く」を意味する。
能力が有効である限り何回でも有効。

 なんて壮大な説明になり、専門用語が乱れ飛び、文章だけだと何とも頭の痛くなりそうな解説である。










(再生系のカードかぁ。あんまり多様してなかったから、いまいち想像し難いなぁ)



 再生能力は、元々カードに備わっている場合が多い。特に多いのが体感的に緑、次点で黒、といったところか。

 緑は植物や野生といった力強い生命力を。黒は不気味に蘇る闇の力を意味しているのではないかと思われる。

 ただ、これらの色には後天的に能力を付随させる事はコストが高くなるのだ。

 というのも、この手の能力はやはり継続して効果を発揮させたい場合が多く、【エンチャント】の形をとっている場合が多い。

 要約すると、

 ●継続して再生能力が欲しい→【エンチャント】呪文→平均使用コスト3~4

 ●一度だけ再生能力が欲しい→【インスタント】呪文→平均使用コスト1~2

 といった具合になる。

 前者は戦闘面でのクリーチャーの強化による生存率UP&攻撃力増加。後者は本来備わっていない能力を瞬間的に付与する事による【コンバット・トリック】に使えるのだ。










『コンバット・トリック』

 戦闘を自分に有利に運ぶ目的で戦闘中に使用される呪文や能力のこと。奇襲の類だと思ってもらっていいだろう。











 よって、呪文を継続させるだけでも体力を消費するこの世界のルールで当てはめるなら、【エンチャント】系は避け、【インスタント】呪文系を行使するべきか。

 そして、その手の補正を与えてくれる代表格が『白』である。

 ダメージを軽減し、ライフを回復させるといった、プレイヤーやクリーチャーの生存率を高める、防御面に優れたカードが多い。

 先に述べた緑や黒が再生の代表格なのは間違いないなのだが、そのどれもがコスト2以上のものばかりなのだ。

 勿論例外はあるものの、それは今の状況下では制約があり、発動するか怪しいので除外する。

 その中で今回の条件に合うものとなると、1つ該当するものがあった。



(頼む。効果発揮されてくれよー)



 内心不安に押しつぶされそうになりながら、まだ選択肢はあるのだからと勇気をちょびっと振り絞り、選んだカードを実行する。

 そのカードは【蘇生の印】

 白が1マナの【インスタント】呪文。効果は、対象のクリーチャー1体を【再生】する。というもの。

 だいぶ前に、俺は自分がプレイヤーでもありクリーチャーでもあるのではないか、という仮説を立てた。

 クリーチャーにしか効果のないカードを自身に使用した際に、変化が見受けられたからだ。

 なので、今回も効くのではないかと思い、実行してみる。

 これだめなら、次はライフ回復系かなと思いながら。



 そしてそれは、瞬きをする間に終わってしまった。

 光った? と思った瞬間、俺の左手は元通り。

 握って開いてを繰り返し、ぶんぶんと振り回して見たり、お湯をすくって宙に放り投げることも、背中を掻くことも出来た。

 もっとこう壮大な、『腕再生劇場!』って感じで効果が表れると思っていただけに若干の戸惑いはあるものの。

 きちんと生えてきてくれた左手に、胸の前で拳を握りこんで、目を瞑る。



 あぁ、腕がある。



 たったそれだけのことなのに、どうしてこうも涙が溢れ、止まらないのか。

 数日。たったそれだけで、このザマなのだ。



 ―――ならば、と。

 俺が世話になっていた人達のことを思い出す。



 諏訪大戦では、実質、死者は一人もいなかった。だが、俺が見た光景には、体の各所を失った、あるいは機能しなくなった者が、多数居た筈なのだ。

 気を許した相手が悲しんでいる姿は見たくない。

 よし、と一声。

 勇丸と一緒に湯から上がる。

 こちらから少し離れ体中の水を身震いで飛ばす勇丸を横目に、俺も木に掛けてあった衣類を着込む。

 心身ともに回復した俺達は、身支度を整えながら、政務をこなしているであろう土着神の元へと向かった。












 太陽が頂上に昇り、これから傾きかけるかなと言った刻限に、俺は諏訪子さんの住居に辿り着いた。

 あの戦いの後もこれといって変化の無い社を見ながら、ちょっと嬉しい気持ちになりつつ中に入る。

 何の理由だかは分からなかったが、諏訪子さんの社に訪れていた、体の一部の無い村人に協力してもらい、カードの効果が現れるのかどうかを実験した。

 といっても、いきなり『治してしんぜよう』なんて真似は出来ない。

 治ったのなら良いのだが、もし治らなかった場合は余計に落胆させかねないからだ。そんな希望を奪うような真似など、俺には無理。

 なので諏訪子さんに事情を説明し、二人が謁見している間に、こっそりさりげなく、忍者のように呪文を行使した。

 辻斬りならぬ、辻回復。

 右の手首から先が無かったその村人は対話の最中、突然の発光に驚き、それを確認しようとして、生えていた右拳に驚愕した。

 何度も右拳の感触を確かめ、そしてそれが頭でしっかり理解出来たであろうと同時、何かが決壊したかのように涙を流す。

 その事に諏訪子さんも、民の前だから。と表情は威厳を保ちつつ、けれど目だけは驚きを隠せないようで、大きく見開かれていた。

 むせび泣きながら感謝する村人に、神様っぽい(神様です)対応をして、退室させる。

 そんな出来事の影で、カードがきちんと効果を発揮してくれた事でガッツポーズをしている俺に近づき、凄い。良くやった。これで皆……等々。傷ついた者達が、五体満足に戻れる喜びを分かち合った。



 それから三日。俺は休まず再生呪文を使いまくった。

 1マナで再生出来る【蘇生の印】を筆頭に、それと類似したカードを片っ端から実行する。

 この時に分かったのだが、俺の1日最大マナ保有量が1つだけだが増えていた。

 これは有り難い。と喜びよりも先に、救いの手が広がった事への感謝が湧き上がる。 

 だが、1マナ再生カードは俺の知識の中では一枚だけ。それ以外だと2マナ以上かかってしまうものになり、一日に回復させられる人は三人しか出来ない計算であった。

 これは不味い。時間が迫っている訳ではないのだが、俺の心情的にこんな悠長な現状は許せなかった。

 よって、個別ではなく全体に効果を及ぼすカードを考える。

 なんでもっと早くその結論に辿り着かなかったのか疑問が尽きないが、とりあえず前進はしているのだし、と、次に生かす事にした。



 初めは人。

 選んだカードは【活力の覆い】

 自軍全てのクリーチャーを再生する能力を持つ、2マナの緑カード。

 この自軍、というのがどう機能するのか不明瞭なところはあったが、問題はなかった。

 諏訪の社に集められた彼らは、瞬時にその効能に驚き、そして感謝する。



 ―――これならいける。

 五体満足になった村人達を見ながらそう思い、諏訪子さんにお願いして、四肢のどれかが欠けている者などの括り無く、外傷を負っている者全てを日数を分けて呼んでもらった。優先順位はあるが。

 それからは、徐々に人数を増やしてもらった。

 まずは十人。もう十人。更に十人。まだまだいけるかと、一気に百人。

 話を聞きつけた神奈子さんから、大和の民も見てほしいと言われ、承諾しながら日々を過ごす。

 千人以上を超えた辺りから大まかにすら数えるのを止めて、さらに数ヶ月。国中の怪我人が俺の元に押し寄せる事態になった。

 最初の頃はこちらから各地へ向かおうとしたのだが、どうも俺が思い立った時には皆こちらへ向かっている最中らしく、ここで待っていた方が早いと言われ、回復職に精を出す。

 来る人来る人がお礼(貢物?)だと言って海山の幸を持ってきてくれたり、集まってきてくれた人の待機所としてなのか『いっそ社を建てろ』とか二神に言われて、俺の意思など無視して強引に建造されたり―――温泉の近くが良いって要望だけは通った―――そんな感じで一年くらい経ったか。



 山が色づき、黄金色に田畑が輝き。

 純白の化粧をした大地を眺め。

 新たな生命の躍動を感じる緑と出会い。

 天の存在を身を以って感じる熱を体感した。



 世間じゃ俺は怪我や万病を治す神だと言われていたり、言霊を司る存在だと囁かれたり、百鬼夜行の主じゃないか、なんて噂も飛んでいたりと、もう言いたい放題。俺はスイカ(何故か変換できない)じゃねぇっつぅの。

 厨二ネームが跋扈(ばっこ)し始めたのはスルーして、温泉に入っては怪我人を治し、温泉に入っては妖怪を倒し、温泉に入っては村人達と交流を深めた。

 今の俺の血にはきっと温泉が流れているんじゃないか、ってくらい入ってるな。……生前は別に、そこまで好きじゃなかったんだがなぁ。










 そんなこんなで今日、神奈子さんと諏訪子さんが言っていた人数の最後の一人の治療が終わり、一区切りが付いた訳なのだが……。



「今日は何食べよっか?」



 諏訪子さんあんたもか。

 ずるずると神奈子さんに引きずられる俺を眺めながら、楽しそうに、そう切り出した。

 ってか酒を飲むならご飯食べてからにして下さい、神奈子さん。



「そうですね……。しらす丼と……白身魚の赤だし味噌汁なんてどうです?」



 今更逃げられないと分かっているので、観念して返答してみる。

 もっとも、本気で逃げたい訳ではなく、少し呆れているだけなのだけれど。



「おぉ、しらすどんってのは聞いた事無いけど、なんだか興味が掻き立てられる名前だねぇ」



 期待して下さいな。とっても美味しいですから。

 北陸の……何処だったか。信越? 江ノ島辺りで有名だった筈だ。多分。

 ―――兎に角、旨いのだからノープログレムってもんよ。

 いい加減引きずられるのにも嫌気がさしたので、神奈子さんの腕をタップして放してもらう。

 諏訪子さんはニコニコ笑顔で、神奈子さんは柔らかく笑みを浮かべる。

 それだけ見れば和む光景なのだろうが、その表情の裏には、食事と酒のつまみに対する期待があるのだと知っている俺にとっては、やや複雑な心境ではある。

 ま、頼られるのは嬉しいですよ? 理由はどうあれ、ね。超美人だし。





[26038] 第12話 大和の日々《中編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/01/05 19:41






 湯気を立てるご飯に、生しらすをふんだんに盛り付ける。

 小皿に醤油と生姜を取り分け、山葵もお好み程度に追加で添えておく。

 少し風味の強い赤味噌の出汁に、適度な大きさに切り揃えたタラの身を投入して、さっと味をくぐらせて。

 箸休めとして大根と胡瓜と人参の三色浅漬けを用意したら、完成である。



「おぉ、このしらすという小魚が、いい塩梅に暖かなご飯と合うな」

「神奈子、こっちの味噌汁も美味しいよ。ちょっと味が濃い目だけど、しらす丼と一緒に食べると丁度いい感じで」



 美味しそうに食べてくれる2人を見ながら、俺も一緒に箸をすすめる。ポリポリかじる大根の浅漬けが、しらす丼や魚の赤出汁で鈍った舌の感覚をクリアに戻す。

 我ながら良い仕事してますねって言いたくなる様な出来栄えに、思わず頬が緩む。ま、カードのおかげなんだが。

 団欒のひと時を楽しむ大和一家、とでも言えるだろうか。

 俺の目指していた光景の一つである。

 




 何でこんな事になっているのかというと、事の始まりは、戦勝祝いだったかの祭りの際に出された食事から始まった。

 今までずっと空気を食べてきて、飽きの来ない能力によってこれといって不満もなかったのだが、あの味の無い団子やら焼き魚やら粟やら何やらを、基本塩味のみで食えというのが、現代生活だだ浸かりだった俺には拷問にも等しかった。

 せめて味噌か醤油でもあればと思ったけれど、今は恐らく……西暦四、五百年位か。

 どちらの調味料も、後数百年は待たねば味わえないときた。

 これは無理、と。

 そう、祭りの最中に思った。



 その祭りも終わり、勝手知ったるなんとやらと化した、諏訪子さんの社の一室で考える。

 かといって自作出来る知識も無いし、この状況を甘んじていられる訳でもない。

 ということで、MTGの出番と相成ったのであるが……。



(食べ物を出す効果を持ったカードなんて知らねぇ……)



 カードゲームにそんな効果を持つカードなどある筈も無く、料理を知っていそうなカードキャラも思いつかないし、かといって手当たり次第に召喚する線は、時間も体力もマナも食う。

 おまけに目標を達成するまで、一体いつまで掛かるのか不明と来た。

 こりゃダメかなぁなんて思って諦めようとした時。ふと、別の観点からカードを召喚してみてかどうか、という考えが浮かんだ。

 それが、【フレーバーテキスト】である。










『フレーバーテキスト』

 MTGの雰囲気や世界観をあらわすために使われる文章を指す。ゲームのプレイやルールには関係しない、ルール・テキストでない文のこと。元は【バニラ】クリーチャーという何の能力も持たないカードの能力欄を埋める為のもの。



 ちなみに勇丸にもそれはあり、

『その猟犬は空気に鼻をひくつかせ、低いうなり声をあげた。武野御大将は忠実な勇丸を見下ろし、撫でて落ち着かせた。「兵を準備せよ。神が来るぞ。」』

 という一文が記述されている。

 この文の効果か否かは分からないが、勇丸は姿を隠していた、神である諏訪子さんに気づけたのかもしれない。










 
 思い出すのは、ある【アーティファクト】

 多分、公式の大会では一部を除き、1度として使われた事など無いであろうもの。

 コスト2の、クリーチャー戦闘を若干サポートする程度の能力を有するそれは、【フレーバーテキスト】に、こう記してある。



『旅の間、ジャンドールが毎日、鞍袋を開けるたび、そこには羊肉から、チーズやマルメロの実、ナツメヤシ、ワインまで、ありとあらゆる種類の、おいしく滋養に富んだ食料が詰まっていた。』



 と。



 その名は【ジャンドールの鞍袋】

 ジャンドールというのは誰の事だか分からないが、馬に備え付けられる機能を伴っている、食べ物関係で特化した道具なのだろう。某青タヌキの秘密道具を思い出す。



 召喚したそれは、まさしく袋。

 所々に金銀宝石で彩りが鮮やかになっているそれは、サッカーボール二、三個なら収納できそうな大きさだ。



(すげー、こんなに貴金属が付いてる袋とか初めて見た)



 若干の疲れを感じながら持ってみると、思ったより重く、あんまり長時間の持ち運びは出来ないなと考える。売ったら高いだろうなぁ……。

 で、早速能力を行使。多分カードを使用する要領で脳内に描けば袋の中に現れるのかな~? と思って試してみる時―――ふと、気になる疑問を解決する為、脳内にある食べ物を思い浮かべる。

 それはラーメン。

 完成された食品が出るのか、それの一段階手前の食材が出現するのか、カード絵を見る限りだと後者な印象が強く、不安に思ったからだ。

 チーズやワインといった、ある意味完成された食品は出てくるらしいが、これが汁物で様々な工程を踏んだ食品だった場合はどうだろうか。

 まさか器の無い状態でびちゃびちゃになって出現することは無いだろうな、とビビりながら袋を確認すると、そこには湯気を立てるオーソドックスな、ザ・ラーメンとでも言わんばかりのものが収まっていた。

 ただし、あの卍の連なったような模様が特徴的な器に入った、四百~六百円で食べられそうな、あれではない。

 スーパーカップと呼ばれるカップ麺のしょうゆ味が、今三分経ちました的に湯を注がれた状態で収められており、嗅覚を刺激する。カップヌードルでないのはご愛嬌。

 久しく嗅いでいなかったあの独特な醤油ベースの中華麺に舌鼓を打ちながら、胃へとかっ込む。

 手元に箸など無かったので必然と流し込む形になったが、今の俺はそんなことなど気にならない。

 あぁ、この安っぽい味が堪らない。

 口内を軽く火傷させながら、まだ半分ほど手元に残っているカップメンをマジマジと見つめる。

 どう見ても俺の記憶にある、あれそのもの。

 水を通さない特殊な容器から、プリントされている鮮明な絵柄まで、記憶の中のそれ、そのまま。

 何となく予想を立てながら、次々に頭の中で思い描いた食品類を取り出し始める。

 日本酒―――豚の丸焼き―――うまい棒。

 日本酒は中部地方地の大吟醸『究極の花垣』。

 一般的に酒瓶と呼ばれる、無色透明の頑丈な容器に入っている。

 豚の丸焼きはアニメデフォではなく、中華街などで見られるあれが皿でドンと出てきて、うまい棒は考えていた味が全てパッケージごと出てきた。



 ……あれだ。

 この袋、食べ物に関しては一部を除き、制限が無いっぽい。そしてその一部というのが、どうにも空想というか二次系の代物のようで。

 ドラゴンボールの仙豆や、蟲師の光酒、ハリーポッターのビーンズなど、色々後から試してみたのだが、欠片すら出る気配は無かった。残念。―――光酒、飲んでみたかったなぁ(追伸・仙豆、ハリーポッターの百味ビーンズは商品化されていますが、現状はスルー)。

 そんな訳で、出した料理や酒を調べてみると、酒は味や香りは全く問題なく。豚の丸焼きは流石に袋には収まりきらなかったようで、切り分けしたような感じで大皿に盛られて出てきた。駄菓子系に関しても味も形もしっかりとしている。

 この袋の口径が食材の大きさの限界なのだと思いながら、久々のチート能力に内心で歓喜の声を上げる、俺。

 しかし、やはりというか、能力を使えば使いほど疲労が溜まるようで、何百品も出してたんじゃへとへとになりそうである。それでも大パーティー一回くらいならいけそうな感覚なのだけれど。





 で、わいわいと自己満足的に酒やら食べ物を勇丸と二人で楽しんでいたら、匂いに釣られて諏訪子さんがやってきて、あれよあれよという間に食事担当に。

 とはいってもマナも体力も地味に使うので、週に一回だけって制約を飲んでもらった。

 ただ一つ気になったのが、【アーティファクト】もそうだが、クリーチャー以外の呪文を維持する体力の度合いが少なく感じたのだ。

 コスト2の【ジャンドールの鞍袋】を維持し続けているのが、同じくコスト2のクリーチャーに比べるとあまり苦にはなっていないので、体力が増えたのかそういった制約なのか悩むところではある。

 その一件以来、気分が乗らないとき以外は、俺が一から食材を捌いたりして料理やらつまみを提供している。その方が、料理を作る楽しみがあるからね。

 何しろ食材は全て一級品を新鮮なうちに用意出来るのだ。いくら俺が単純な料理しか作った事がない独男とはいえ、不味くなる筈がなかった。





 食事も後半になり、デザートにと用意していた苺大福とほうじ茶を用意する。

 やっぱ苺大福は香川の夢菓房でしょ! ……と思ったり思わなかったりしながら、二人の前に差し出した。

 諏訪子さんは目を輝かせて……というか“キラキラ”とか効果音が聞こえそうなくらい光っていらっしゃる。目から星がこぼれそうです。

 一方の神奈子さんも嬉しそうな表情をするのだが、諏訪子さんに比べれば反応が薄い。

 ……そうだった。神奈子さんはこっちよりも別のものが好きなんだった。

 ポンと。片手をもう片手に打ち付ける。

 隅に置いてあったジャン袋を引き寄せて、取り出したのは、またも大福。

 けれど中身は別物で、今度は苺ではなく塩大福。

 巣鴨の通りにある、塩大福といったらこのお店。的なポジションになる『みずも』のものを前に置く。

 諏訪子さん程ではないものの、何処かその表情が柔らかくなったのを確認しながら、俺は自分用の豆大福(そこらのスーパーで売ってそうな奴)を確保する。

 この時代じゃあ、ちゃんとした甘味なんて数が限られている上に、どれも味が単調……微妙(俺の感覚で)だと来たもんだから、この手の食品は実に受けが良い。

 美味しそうに頬張る諏訪子さんと、一口一口吟味するように、けれど感じる幸せは隠し切れずにこぼれてしまっている神奈子さんを見ながら、そういえば、と前々から思っていた疑問を口にした。

 ちょっと込み入った事だから聞きづらかったんだが、ある程度は親密になったし、こういったまったりの場なら尋ねても良いだろ。 


「神奈子さん神奈子さん」

「ん? どうした」

「その、ですね。前々から気になっていたんですが……答え難かったら、それはそれで構わないんで、教えていただければ」

「ほう、私に何を聞きたい。……いや、私“の”何を聞きたいんだ?」



 いつも浮かべている不敵な笑み、というものが現れた。

 何となく聞く内容が想像ついてんだろうなぁ。

 その辺の察しの良さは、流石神様、とでも言うべきか。

 恐らく嫌な事を聞く事に対して、ものによっては答えてやる、的な気分になったのだろう。



「簡単に言いますと、ここに侵略を仕掛けてきた経緯が聞きたいんですよ。今でこそ、こうして三人で大福食べる仲ですが、あんまりその手の過去の話とか知らないもんで」



 直接本人の口からは、ですがね。

 今更語るまでも無い事実として、俺は転生を行っている。

 知識として仕入れた東方プロジェクトの設定は多少なりとも目を通しているのだが、神奈子さんの侵略経緯までは知らない。というか見ていない。

 諏訪大戦が起こる前に知っていたのならこの戦いを止められたのかもしれないが、全てが終わった今となっては、ただ、俺の興味を満たすだけのものに過ぎない。



「何だそんな事か」

「またもう、あっさりと……。もう少し重めに言って下さいよ。そのせいで俺や諏訪子さんは侵略されちゃったんですから」

「それで何が変わる。せいぜいお前の気持ちくらいだろう? ならば問題あるまい」

「神奈子って、九十九に対してはいつも等閑(なおざり)だよね。他の配下達には、それなりに優しいのに」

「私を神として見ているからな。それに答えるのが我々だろう。それは、お前にも言えるのではないか? 諏訪子」

「そりゃそーだ。九十九ってば私達に対しても……もっとこう、崇め奉るって気概を持って接しても良いんじゃない?」



 げ、よく分からん内に俺が説教食らっとる。



「そういう関係になるくらいなら、俺は逃げ出しますよ。あんまり格式ばった関係ってのは好きじゃないんです。………………もう職場復帰とか出来んな(ボソッ」


 自傷気味に呟いた言葉に『職場?』と首を傾げるお二方。

 すんません、転生前の事なんで流して下さい。


「それより、さっきの話の続き、聞かせて下さいよ」

「お前は物事をはぐらかすのが好きだな。いつかしっぺ返しを受けるぞ」

「うっ……すいません」



 強引にやり過ぎちゃいけませんって事か。

 しかし、今の俺にはそうでもしないとちゃんとした言い訳なんて思いつかんのだから、勘弁してほしいッス。



「自覚はしておけ。いつかそれが行動に変わる。……さて、この国に攻め入る切欠となった話だった」



 ですです。



「とっても、先にも言ったとおり、大した理由は無い。―――国を従える者とは、国の発展を考え、人材、資材、国土を確保するよう勤め上げるものだ」

「えー、より豊かになる為に攻め入った、と?」

「むしろ、それ以外で他国に侵攻する理由が思いつかんぞ。あんなもの、国が発展する行為の1つでなければ、誰がするものか」



 前にチラっとバトルジャンキーな面を覗かせていたけれど、やっぱりその辺の分別はしっかりあるようだ。

 国の指導者がその性格を前面に押し出すようなら、それこそ民がついて来ず、神などではなく妖怪として名を轟かせるようになるだろう。



「それは、まぁ何と言うか……これからも続けていくんですか? 戦」

「当たり前だ。広い国土とはそれだけで選択肢が増える。当然問題も増えるが、そんなものは些細なものだ。豊かな土壌が国を発展させ、それが強い国を生み、安心して暮らせる場所を作り出す。それは民達が私に従う前提条件。そうでなければ、誰か進んで戦場で命を捧げるものか」



 ものの本では、戦争は最も儲かる事象の一つだと書いてあった。

 儲かる。という事は、金だけではない。軍事、行政、教育など、様々な分野の躍進も行ってくれる。

 一時的には国としての成長率止まる、もしくは伸び悩んでしまうが、戦争が終わった後の……外敵が居なくなり、軍事方面に割く資金を他の分野に回せるようになるだけでも、大分変わるものらしいのだ。



「それは分かりますが……」

「他により良い手段があるのなら、そうしよう。だが現状でそれ以上、国の発展を助長する手段を私は知らない。これを否定したいのであれば、代案を示せ」



 そんなん分かったら俺は億万長者どころか世界一の大富豪だわさ!

 何だろなぁ、国を戦争より豊かに出来る方法なんて……。

 既存の知識や技術じゃ思いつかないし、かといってカード方面に頼るってのは、俺がずっと居るならまだしも、あんまり頂けないよなぁ。



「そう渋い顔をするな。私とて、現状のままで良い、と思っている訳ではない。年に一度、出雲に話し合いの場を設け、それによって他の案を模索しておるわ」



 もっとも、良い代案など近年はとんと出てこないが。

 そう言って締め括る神奈子さんに追随するように、諏訪子さんが横から声を掛けて来た。

 持っていたお茶碗を置いて口を拭う姿が愛らしい。



「そういえば、もうそろそろじゃない? 出雲に出向くのって」

「ん? 出雲って、神様の会議がある、あの?」



 何の名称だったか忘れたが、旧暦の十月十日には、年に一度。日本中から八百万の神々が集まり、一週間程、自国の行く末なんかを話し合う会合が行われていた筈だ。

 それに赴く、と言っているのだろうと当たりをつけて、尋ねてみた。



「あれ? 九十九って知らなかったっけ?」

「ええ、そういった祭事があるというのは知っていましたが。……神奈子さんは兎も角、諏訪子さんは去年もその前も行ってませんでしたよね?」

「私は代わりの者を向かわせていたからね。そもそも土着神っていうのは、その土地からあまり出たがらない性分なのさ。自身の力が弱まるっていうのもあるんだけど、土地自体の力も弱体化してしまうのが大きい。だから、滅多な事では、ね。私もそうだけど、他の土着神達も、自分達の使いを寄越すだけかな」



 そういえば、諏訪子さんはその土地の神なんだった。

 というか日本の神って殆どがそれに部類されるんじゃないだろうか。

 って事は、その祭事って殆どが代理出席? うぅん、ちょっと残念な気分。



「ただ、今年は流石に私達も出なきゃダメかなぁ。戦の詳細を伝えないと、下手をすれば、報告するまでずっと戦時中、ってなる可能性もあるし。それだと他国からの使者やら商人やらが来難いから」

「戦後間も無くである故、私もあまり動きたくないが、仕方がない。……幸いにして、国の融合はあまり支障が無かったからな。諏訪子のお陰だ。感謝するぞ」

「神奈子がこっちの死者を勇丸以外誰も出さなかったのが大きいからね。ホント、戦で戦死者がほぼゼロってどうなのさ」

「ゆくゆくは我が国の一端を担う者達を、出来うる限り存命させたいと思うのは当然だ」



 情けは人の為ならず、ってか。

 それを地で行える神奈子さんマジぱねぇッス。

 しかし、出雲かぁ。

 一度で良いから見てみたいよなぁ、神々の集会。



「出雲の会合って、やっぱり名立たる神々も出席されるんですよね?」

「そうだ。イザナキ、イザナミは勿論、ツクヨミやスサノオなどが常連だな。アマテラスを筆頭に、他の皆がそれぞれ報告やら相談事を持ち込む、といった事が、神在祭の概要だな」



 おぉ、一度は耳にした事のある神様の名前がオンパレードで出てきましたよ。

 話を聞くに、太陽神のアマテラスが司会進行役で、ツクヨミやらが副司会。イザナキ、イザナミは完全中立のご意見番、といった立場のようだ。

 良いなぁ、ちょっと見学させてくれんかなぁ。

 日本に生まれたからにゃあ、その国の神話の光景に興味が無い筈が無い!

 といっても前々から興味があった訳ではなく、見る機会があるのなら見たい、という野次馬根性丸出しな理由なのだけれど。

 ……ん? イザナキとかって神様の部類なのか? まぁいいか。



「良いですねぇ。ちょっと見れるものなら見てみたいです」



 もしかしたらご同行出来るかなぁー? なんて暗に期待しながら二神に目をやると、諏訪子さんは『どうだろねぇ』的な表情を浮かべ、神奈子さんに至っては至極真面目な顔で考え込んでしまった。

 流石に、ただの人間がお偉いさんが集う場を覗き見るような真似は不味いか。

 神様の御付の人で~、なんて路線なら“もしかして”と思ったんだけどなぁ。



「……お前は出雲に行った事が無いのか?」

「? ありませんけど……」



 不意に、神奈子さんがそう尋ねてきた。

 転生前ですら行った事無いですからね。

 日本人としては一度くらいは出雲大社とか見てみたかったんですが……って、あ。



「神奈子さん、前にも言いましたけど、俺、神様じゃありませんからね? その辺を考えても無意味ですよ」



 どうもこの神様、前々から俺の事をどこぞの神だと勘繰っている節があって、その度に色々と微妙なフェイクや誘導尋問っぽい言葉攻め……? をされているのだが、本当にそういった裏事情なぞ無いので無駄なのですよ。



「今、そう判断した所だ。なに、いずれ外の神とやらにでも、お前の事を聞くとしよう」



 って今度は外国な神様路線ですか。

 外国って言うよりは、地球外な神という方向性なら合ってるのかもしれんなぁ。

 あのカードとかこのカードとか。

 神系列で考えるのなら基本はクトゥルフ……だけじゃないか。

 変なところで色々な体系が出てきてるから、何処、と当てはめる事が出来んわ。



「……だが、我らについて来れば問題無かろう。出雲に集まった神々は、大概そこに控えている従者達で身の回りの世話をさせているが、先にも言った名立たる上位の神達は、専属の者達を連れて来ているからな。それに習い、お前を連れて行く事も可能だろう」

「あぁー、そういえば、そういった事もあったねぇ。私は殆ど代理に行かせていたから、すっかり忘れていたよ」

「諏訪子……偶には顔を出すようにしておけ。いずれ、お前の神気すら忘れてしまう輩が出てくるかもしれんぞ」

「無い無い。負の感情に私は潜むからね。憎しみの裏に洩矢あり、ってな具合さ。人間が居る限り、私(憎悪)を忘れるという事は無いよ」

「ふむ、想いに宿る神は、そういったところが羨ましいな」



 互いの良いところを再認識しているお二人だが、こっちは、ついていけるかもしれない、という選択肢にドキドキが止まらない! ……とまではいかないけれど、内心で期待を膨らませる。

 御付の従者路線がまかり通りそうだぜ!

 まぁ、色んなトラブルもありそうだが……言っちゃ悪いが、二千年後には全ての神は表舞台から退場している。

 最悪、それまで逃げ切れば良いのだし、この出雲の集会が期間限定モノだと来たら、見ない訳にはいかないだろう。

 もし行く事になったのなら、何か、その手のトラブルをやり過ごす事の出来るカードを考えておくべきだろう。






 ―――そのまま話は続き、それの延長線上にあった、この地を統べている神々の話を聞いた。

 北から南。西へ東へ行ったり来たり。

 あちらの神は信仰が強い、そちらの神は無病息災に秀でている、等々。

 全てが新鮮で、どれも興味をかきたれられる物語ばかり。

 今まで御伽噺としてしか知らなかった知識を、体験談として聞く機会があるというのは、これまでに無かった面白さの発見である。

 気づけば日も完全に沈んだ頃合。

 ぐいぐいと神奈子さんや諏訪子さんの話に引き込まれ、あっという間に時間は過ぎていった。





[26038] 第13話 大和の日々《後編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 21:37






「九十九、ちょっと北の村まで行って来てよ」



 話も一段落つき、酒のつまみにと、ホッケやらきゅうり味噌やら摘みながら齧っていたら、諏訪子さんが唐突に、そう切り出した。



「……良いですけど。確かそっちって海側に面したところですよね? めっちゃ遠いじゃないですか。ってかその台詞、前にも聞いt」

「いやぁ良かった。私も神奈子も何かと忙しいからね。そう言ってもらえて助かるよ」



 うわひでぇ。強引に押し込まれた。



「お前が治した者達が、感謝をしたいと宴を開くそうでな」

「神奈子と私が中央の行政を取りまとめるから、気にせず行って来ていいよ」



 ……まぁいいか。もう諏訪関係での血みどろフラグは点在していない筈なのだ。今は何も考えずに行動したって、問題はないだろう。



「はぁ。相変わらず唐突というか何というか……。でも、俺の為にって言ってくれるのなら、それに応えないわけにはいかないですね」



 とか何とか軽いツンデレを披露しながらも、内心は久々の遠出に胸が高鳴っていた。

 海かぁ。時期的に海水浴が出来ないのが残念だが、久しぶりに、あの独特の磯の香りを嗅ぎたくなる。



「そんな訳で、ね。九十九」



 諏訪子さんが俺を呼ぶ。

 ん? と首をかしげ、二人の顔を見る。

 うわ、目が輝いていますよお二方。



「お前が帰ってくるまでの間、私達は二人だけで晩酌をしなきゃいけない。民達と宴会するのもいいけど、それでも頻繁には出来ないからね。だから―――」



 OKよく分かった。



「明日中におつまみやお酒類を出しておきます」



 やったー、とハイタッチする二人。

 古代日本に現存する神々のハイタッチ。レアなもの見れたな。

 神奈子さんも、ゆっくりではあるが、表情が柔らかくなってきている。

 段々と神奈子さんの態度というか行動が軟化しているようで、後数ヶ月もすれば、原作基準のフランクな姉御口調になってくれそうだ。

 その時になったら修行にでも付き合ってもらおう。うん。



「私は辛口の酒がいい。海産のものと良くあうからな」

「こっちは和菓子を多めに残しておいてほしいな。いちご大福、だっけ? あれが特に美味しかった」



 酒に大福か。太るぞ。

 なんて前に言ってみたが、『神様は太らないもんね~』って言われた。悔しい。











 荷物なし、衣類よし、勇丸よし。

 その他諸々異常なし。

 空は快晴。絶好の旅行日和。



「それじゃあ行きますかねっと」



 神奈子さんも諏訪子さんも、既にそれぞれの役職をこなしている。

 妖怪討伐ではないので村人の見送りもなく、この秘湯『諏訪』(勝手に命名)付近には人っ子一人居ない。元が諏訪子さん用の聖地だからってのもあるが。



「んじゃ勇丸。ちょっと供給絶つね」



 頷く忠犬を脳内カードに還しながら、目的地までの移動用のカードを考える。

 流石に地上を行くには馬であっても幾日も掛かりそうなので、空を飛ぶことにしたのだ。

 選ぶカードは三種類。どれも飛行という目的は達成出来るが、そのプロセスがいずれも異なっていた。






 一つ目のカード『羽ばたき飛行機械』

 コストがゼロという、【アーティファクト】クリーチャーの部類に当てはまるカード。攻撃能力0のタフネスが2である、0/2の【飛行】能力を有するもの。0マナクリーチャーカードの代表格。





『飛行』

 数ある『回避能力』の中でも、最も一般的なもの。そのままの意味だと考えてもらっていい。飛行を持たないクリーチャーは、飛行を持つクリーチャーの進行を防ぐ事は出来ない。一部例外がある。

『回避能力』

 クリーチャーが攻撃する際に、相手のクリーチャーによって防がれてしまう事に対して何らかの制約を設けて回避する能力のこと。MTGに限らず、トレーディングカードゲームでは相手にHP,またはライフが設定されており、それをゼロにすることが勝利条件の1つとなっている。よって、相手のクリーチャーを突破する能力があるクリーチャーは、それなりに重宝される。





 二つ目のカード『飛行』

 コスト1の能力である飛行を後天的に永続効果としてクリーチャーへと付与する、青のエンチャント呪文。



 三つ目のカード『ジャンプ』

 同じくコスト1の飛行能力を一時的に付与する、青の【インスタント】呪文。【コンバット・トリック】目的で使用する。





 この三つの中で、一番目は飛行能力のあるクリーチャーに目的地まで運んでもらうもの。これはこれで楽しそうなのだが、自分の力で飛んでみたいなと思ったので、一瞬にして却下。

 二つ目は、自分に飛行能力を付与するもの。これが最も軽く、【エンチャント】による永続性も期待出来るので、恐らく、飛行能力万歳な東方世界では主力になるのではないかと思う。

 だが、だ。

 三つ目のカードである【ジャンプ】。これもジャンプと名がついてはいるが、効果は飛行能力を与えるもの。

 どちらも受ける恩恵は一緒だが、さて。



「とりあえず、一番不確定な奴を試して……あれ、諏訪子さん?」



 視界に入る、金髪の小柄な神様が一人。



「良かった。まだ行ってなかった」



 息を弾ませながら、俺へと近づいてきた。



「何かありましたか?」

「いいや、ただの見送り。今回は距離があるからね。しばらく会えなくなるし、こっちの時間が少し空いたから、丁度良いかなって来てみたよ」

「ははは、それは嬉しいですね。実を言うと、ちょっと寂しかったところです」



 今更隠し事やカッコつけをする仲でもないので、思ったままに心中を吐露する。

 いや、カッコつけたい場面では真似事くらいはやりますけどね?









 そのまま、他愛のない会話をした。

 思えば出会ってこの方、二人だけでの会話なんて数えるほどしかなかった。大体は勇丸か、それ以外では村の人々が側に居たし。

 生い茂る木々には未だに黄色の葉がついていて、落ちる木の葉は諏訪子さんの姿と相まって、まるで1枚の絵のようだ。



(―――いかん、二人だけってのを意識したせいで、変に意識してしまう)



 悲しいかな、こと女性に対する接し方は経験値ゼロ。

 何せ俺は生まれてこの方、この手の出来事からは完全に疎遠であったから、どうもうまく意識をまとめる事が出来ない。

 今までそういった目線で見たことは無かったけれど、容姿はあれだが、間違いなく全国で5本の指に入るであろう美人なのだ。幼と付くが。

 ―――そういや東方キャラってそんな奴らばっかりだな。美人枠の入る指の数を増やしておこう。うん。



「どうしたの? 九十九。目が泳いでるよ」



 わぁお態度にまで表れてましたか。

 やめてー、そんな綺麗な瞳でみつめないでー。俺のライフは……まだあるな。

 ではなく。

 これ立場逆じゃね? 普通、こういう目線を逸らす的な行為は女の子側がするもんじゃね?

 そうやって、内心でおちゃらけてみるものの事態は進展せず、むしろ見つめられる諏訪子さんの目線でゴリゴリとライフポイントが削られていく。

 ちょっともう耐えられそうにないと思い、強引に、もう旅立とうとすると。



「―――あれから、もう二年くらいかな」



 なんて、諏訪子さんが言い始めた。

 良かった。いや助かった。相手から話題を提供してくれるのなら、今はそれに飛びつくしかない。

 切羽詰まった思考とは別に、急にしっとりとした会話になったことに若干戸惑うけれど。

 秋風がやや肌寒く感じる。もうすぐ冬がやってくるであろうことが分かる。

 だから……。だから、こんな会話もしょうがないのかもしれない。



「……そう、ですね。長かったような短かったような。ちょっと色々あり過ぎて、正直もうお腹いっぱいですよ」



 諏訪大戦が脳裏に浮かぶ。

 大切なものが傷つき、時に失う場など御免こうむるというものだ。



「私だってごめんだよ。ただ、そこに人の本質が若干はあるからね。完全に無縁には、人である限りならないだろうさ」



 ……たはー。まさにその通り。頬をポリポリと掻きながら苦笑いする。

 千五百年以上先から来た俺の時代ですら、それは変わっていない。

 何だか『餓鬼は餓鬼のままさ』って感じで皮肉られた印象を受けるが、事実その通りだから苦笑するしかなかった。 



「―――人の生涯は短い。私達神からすれば、それこそ、瞬く間に、人も世も移り変わる。いつも私だけがそこに立っていて、皆、私を抜いて去っていく」



 諏訪子さんが、ぽつりと、そう呟いた。



「耐えられないってことはないんだけどね。時折、心に穴が開くんだ」



 分かり切った―――けれど避けられない思いを胸に、この神様は皆の為にと過ごしてきた。

 それでも人間と共に歩むことを止めず、みんなが幸せなら、とがんばり続ける彼女に、俺は何がしてやれただろう。

 妖怪退治? 技術提供?

 違う違う。それはどれも民に対しての尽力であって、彼女本人を手助けするものではない。

 愚痴は今まで色々と聞いてきた。

 ただ、今回の話は愚痴というより、自身の行いに対して、揺らいでいる心を静めようとしているかのようで。



 急に小さく見えるようになった姿に、胸を締め付けられる。

 表面上は、いつもの諏訪子さんだ。

 少し湿った会話ではあるものの、陰を司る者でありながら、ニコニコと笑顔を絶やさない土着神。

 しかし、俺には、今にも泣き崩れてしまうのではないかと思えてくる印象を受けた。



 足が前に出る。

 何も言わず、諏訪子さんの方へ。

 思い違いであったのなら良い。その時は、俺が馬鹿をやっただけの笑い話になる。



「……ぁ」



 ふわり、と。

 まるで羽のような、小さな神様を抱きしめた。

 この時を失ったら、恐らく俺は、一生諏訪子さんの心には踏み込めない気がしたから。

 寒さからか、それとも他の要因からか。彼女の体は、か細く震えている。

 身長差から俺の腹部へと諏訪子さんの顔が当たり、表情が分からなくなったが、否定の意思は感じ取れない。

 成すがままにされて、一方的な抱擁が続く。

 互いに何も語らず、動かず。

 彼女の熱が体で感じられるようになって、俺は切り出した。



「……どうにか、したいですか?」

「……え?」



 疑問の声が上がる。

 体を少し離し、諏訪子さんは顔を上へと向けた。



「心に穴が開くのは、どうしようもありません。その穴―――スキマを埋める事は、失ったスキマの欠片にしか出来ない。他のものでは、埋まったように見えるだけで、実際は空いたままだと思います」



 小さい頃、犬を飼っていた。

 一緒に遊んで、一緒に寝て、一緒に食べて、一緒に過ごして来た犬。

 そんな犬も、俺が小学校に上がる頃には年老いて動く事も間々ならず、その年の暮れ。そいつは旅立っていった。

 悲しかった。

 何が悲しかったのかも分からないくらい悲しかった。

 心にぽっかりと空いた、穴。

 埋まらず、無視できず、漠然とそこにあるその穴は、俺の心の中に影を落としていく。



 けれど、それも時間と共に解決していった。

 何かが切欠になった訳じゃない。

 ただ、両親が夜寝る俺をずっと抱き続け、友人達がいつもと変わらず俺と遊ぼうと言い続けてくれた。

 それだけで俺の顔からは、段々と笑顔がこぼれるようになっていった。

 忘れた、という事ではない。

 少し大げさに言うのなら、世界が広がったのだ。

 見続けていた闇は視野が広がる度に段々と小さくなり、視界に入ってもただの点に見える程に気にならなくなって。あれほど冷たかった心は他の幸せで温かくなり、凍てついて動けなった体を動かすまでには回復させる。

 愚直に言ってしまうのなら、他の幸せで誤魔化したのだろう。

 けれど、決して悪いことではないはずだ。

 これが悪なのだとしたら、正義というものは、なんて胸糞悪くなるものなのだろうか。

 失ったものに嘆き続け、それでも取り戻せないスキマに心を締め付けられながら、時にそれに耐え切れなくなり、一生を終える人生など、少なくとも俺は御免である。

 だから。



「俺が、居ますから」



 返ってくる言葉はない。



「誰も彼もが居なくなっても、例え地上の生物全てが死に絶えたとしても。―――俺だけは、諏訪子さんの側に居ますから」



 俺の服の裾。そこに、彼女の手が控えめにそれを摘む。



「それに、最近じゃあ神奈子さんも居るじゃないですか。勇丸も居ますし、決して一人だけじゃありません。後、寿命がめちゃくちゃ長い生き物なんて結構居るんですよ?」



 蓬莱人とか、月の民とか、天人とか。

 言ってて段々と恥ずかしくなってきたので、誤魔化すように、他にもこの思いを共有してくれそうな者達の存在を思い浮かべる。

“ははは”と笑いを振りまいてみるも諏訪子さんからの反応はなく、ちょっとくさ過ぎる台詞を思い返しては『あれはねぇだろ』『そこは違うでしょ』の単語が脳内でフォークダンスを踊っていらっしゃる。死にたい。
  


「……じゃあ、さ」



 不意に、声が掛かる。

 別に涙声という訳でもなさそうで、少なくとも悲しい気持ちにはなっていないようだ。



「九十九、ちょっとこっち見て」



 顔を向けると、こちらを真っ直ぐ見つめる二つの眼。



「もっと腰落として」



 言われたとおりに姿勢を下げる。



 ……はっ! ま、まさかこれは!?



「そのまま動かないでね」




 来るのか? 来るのか!?

 思わず目を瞑り、唇を突き出す。

 もはや言わずもがな。この手の展開の後は―――





 こつん。そんな柔らかい音が、俺の額から聞こえる。

 ―――ん? こつん? ちゅっ、じゃなくて?



「……何してるんですか? 諏訪子さん」

「いいから少し動かないで」



 柔らかい口調であったけれど、思ったより真剣な物言いに、何も言えずに沈黙する。

 諏訪子さんが、額を俺の額に当てている。

 おかしい―――この行為は風邪を拗らせた時にするお約束イベントだったのではないか。

 いやいや、そもそも今の流れは、もっと別の行為をするための伏線であった筈だが……。

 今の俺は体調も頗(すこぶ)る良好。むしろ痛いくらいの心臓音に頭がどうにかなりそうなくらいだ。



 ―――目を閉じるタイミングを失ったせいで、俺の視界は諏訪子さんで埋まっている。

 光のような白い肌に、綺麗に整った眉毛。

 閉じられた目と唇が妙に艶っぽく見えて仕方ない。

 一瞬ロリコンではないかと思ってしまうが、それでも良いのではないかと思えてきた。

 小さな子が好きなのではない。たまたま好きになった子が小さかっただけのこと。



(うぅ、東方キャラって美人揃いだから、そういった目線で見たら惚れるの分かってたのになぁ)



 村の皆は十人十色な顔だったのだが、やはりメインなお方は出来が違うと申しますか……。これ以上は村人達に失礼なので自重。



(あー……美人だなぁ。可愛いなぁ。このまま言ってしまいたいなぁ、付き合ってくださいって)



 デートして下さいってコクってみるか? 俺、この任務が終わったら……。

 無理だ。

 フラグ云々の前に、心臓が先に過労で死ぬ。



「ん、もういいよ。ありがと」



 ふと、諏訪子さんが俺から離れる。

 何だかよく分からないが、用件は済んだらしい。

 ハグとかだったら『心の充填』とかの理由で分かるのだが、デコ同士くっ付けあっていただけってのはなぁ……。それはそれで気持ちよかったが。

 だって諏訪子さんめっちゃ良い匂いやもん!

 なにこれ? どうやったらそんな匂いになるの? 結構な割合でこの神様の側に居たが、香料とか何も付けてないよね確か。



「一体何だったんですか?」

「ん~。帰って来てからの秘密。今言ったんじゃ面白くないしね」



 少しばかりテンションが高い。

 話す言葉の節々には明るい笑みがこぼれており、こちらまで楽しくなりそうな雰囲気になる。

 何だろう。何かの加護でもしてくれたんだろうか。

 体にこれといった変化は見られないが、いざとなったら発動するタイプなんだろうか。

 しかし、なんにしても、今一歩のところで押しに行けない自分が恨めしい。

 人生初のそれらしい場面だったってのに。勘違いかもしれないが。

 ……でも、まぁ。諏訪子さんの気分が晴れたようで良かった。

 旅立つ時には、やっぱり笑顔で送り、送られてほしいと思うから。



「そう言われちゃ仕方ないですねぇ。ん、っと。それじゃあ行ってきますわ」

「はいはい。お土産は何でも良いからね」



 はいはい、お土産希望っと。



「持てるだけ持ってきますよ」

「俺が疲れない程度で?」

「そういうことです」



 ははは。よく分かっていらっしゃる。

 ―――よし。ではきりが良くなったところで、早速ぶっ飛ぶとしますかね。

 選んだカードは【ジャンプ】

 カードを使用した時点で飛ぶのか、俺の意思で飛ぶのかは不明だが、ジャンプなんて名なのだから、きっとぴょんぴょんホップする呪文なのではないかと予測して、唱えたと同時。





 ―――不意に。

 頬に暖かく、柔らかなものが触れた。



(……は?)



 一瞬見えた、金色の髪。

 とととっと俺から離れていく小さな女の子。

 その顔はとても楽しそうに、嬉しそうに。この世にある幸福全てを噛み締めているかのような。



「九十九がずっと居てくれるんでしょ? だったら少しくらいは発言に責任を取ってもらわないと」



 ね? と可愛らしく言い放つ神様に、俺の頭は真っ白になった。

 頬が温かい? 柔らかい?

 え? なに? あ、あぁ……これは……あぁ~……あれか。





 ―――俺、転生して良かった。





 父さん、母さん。親不孝な俺をお許し下さい。

 俺は今―――青春してます。



「―――責任! 取らせていただきます!!」



 懇親の思いを込めて。

 諏訪子さんに近づく為、一歩踏み出し、





「……は?」





 飛んだ。

 視界に広がるのは、自然が支配する、日のいずる国。

 臓腑が無重力の制約を受けて、何とも形容詞し難い感覚を脳に伝えてくる。



(……あ~、【ジャンプ】の効果っスか)



 風圧によって、俺の顔が可笑しなことになりながら、その結論に辿り着く。

 どうやら、カードの効果の発動タイミングは自分で決められるタイプのものらしい。

 流れる視界は、もはやどこぞの名も知れない山の中腹まで差し掛かっている事を伝えてくる。このままでは、山を越えた辺りまで落下しそうだ。



(なんかもう……なんだかもうよぉ~……)



 今更、もう戻れない。

 仮に戻ったとしても、どんな面下げて会えばいいというのだ。

 知り合いだと思って手を振ったら全く違う人で、すかさず他の人に向かって手を振って、『あぁ、初めからあっちの人に挨拶してたんだよ』的な演出をするような………そんな心境だと思う。

 人生初の飛行体験で嬉しいだとか、ビルの何階相当にあたる場所を飛んでるんだ超怖いだとか、その他諸々の疑問を一切置き去りにして。



「やってられないんだぜぇえええ――――――………………!!」



 某ソードマスター風な口調のドップラー効果を響かせながら、見ず知らずの方角へと、かっ飛んでいった。

 もうこのまま消えたい……ぐすん。





[26038] 第14話 大和の日々《おまけ》
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 21:37




「……あれ?」



 心からこぼれた吐息に近い言葉は、誰に聞かれることも無く周囲に溶けていく。

 ―――九十九が、消えた。

 正確には凄まじい速度で空へと打ち上がっていったのだが、あまりの速さから、視界からは完全に消え去った。

 神気であいつが上空を移動しているのが分かるが、一体これは何の意味があるというのだろう。

 先ほどまでの色づいた空気など一瞬で消え去り、残された私はただカカシのように棒立ちになる。



「何だ、あのまま押し倒すのかと思ったぞ」



 堂々と、まるで何もやましい事が無いと言わんばかりに神奈子が立っている。



「……覗き見とは趣味が悪いね」

「覗いて、などしておらん。ただ前を見て歩んできたら、たまたま視界の先に居ただけの事だ」

「うっ」



 九十九と私が話していた場所は、丁度一本道の先だった。

 これなら前を歩くだけで、先ほどまでの光景が嫌でも見えてしまう。



「どうした諏訪子。いつものお前らしくもない。もっと飄々(ひょうひょう)と受け流さんか」

「……良いじゃないか。私だって泣いたり怒ったりくらいするさ」

「それには、愛しさも含まれている……か?」



 言われ、僅かに悩む。



「……どうなんだろうね。いつも人間達の営みを通して愛だの恋だの見てきたけど、自分が体験するなんて、考えた事も無かったから」



 空に消えた九十九の後を追うように、視線を上へと彷徨わせる。



「今まで、私はあいつを友人だと思っていたんだけど、どうも違ったようだね」



 この気持ちは、決して友情の類ではないだろう。

 私が知っている友情とは、胸の鼓動が早くなる類のものではない。

 トクトクと、駆け足で心の臓が脈打つのが分かる。

 そこに手を当て、あぁ、私はこんなにも感情が揺らいでいるのかと、今まで体験した事の無い―――けれどそれが嬉しくて堪らないと思いながら、神奈子に自分の心境を伝えた。



「少しは憧れたこともあったけれど……うん、悪くないね。この感情は」

「それは、惚気、とやらか? 私は生憎と色恋沙汰の神ではないので、縁結びや祝福の効果はないぞ。―――ただ、お前が産む子は別だ。そちらには最大限の賛歌を奏でてみせよう」

「なんだ。バレちゃった?」

「からかうな、お前と同じ神だぞ。………まぁ、九十九は気づいておらんようだったがな」

「それを気づかれちゃったら、楽しみが無くなっちゃうじゃない」



 意地の悪い奴だ。

 そう言って、神奈子はからからと笑う。

 それに釣られるように、私からも笑みがこぼれる。あぁ、気分が良い。まるで青空を羽ばたく鳥のよう。

 ずっと、これから1人で生きて、人々から忘れ去れては、誰とも知られずに消えてゆくものだと思っていた。

 けれど、今の私は違う。

 神奈子がいる。勇丸がいる。九十九がいる。何より――――――の子がいる。

 多分、あいつが帰ってくる頃には間に合うだろう。

 ほぼ間違いなく、驚くに決まっているのだ。



 あぁ楽しみだ。

 九十九が来てから、視点の変わった世界を眺めている。傍観でもなく、まして客観でもない。

 私は今、誰かの為ではなく、自分の為に動き出そうとしている。



「諏訪子、行くぞ。やる事は山のようにある。惚けている場合か」



 背を向けながら、村へと続く道を神奈子が行く。

 それに追いすがるように、私も歩みを始める。



「そんな神奈子だって、行事がまだまだ残ってるのに、こっちまで来ちゃって。私に言えた義理?」

「何を言う。お前だって知っているだろう。神様は―――」

「―――我が侭なものさ、って? たはは、神奈子の口からそんな台詞が聞けるとは思わなかった」



 木枯らしが吹く山林を歩く。

 隣に居るのは私が服従した相手で、私の仇で、私の友達。

 何の因果かこうして一緒に肩を並べているけれど、それが決して嫌ではない。

 また、私の周りに灯火が増えた。

 背後の社から消え去った暖かさとは別に。

 私の心には、また別の温もりが宿っていた。










「そんなに嬉しいものか……。ふむ―――私もやってみるかな」

「……え?」





[26038] 第15話 鬼
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2013/02/20 07:27






(トンネルを抜けると、そこは―――)



 雪国とか、あるはずがない。

 ましてやトンネルなど論外。



(ホントもう……ここ何処よ……)



 軽くボケ入れる程度には余裕があります。元気です。

 ―――守矢の地を立ってから一日。俺は、どこぞとも知れない山林の中にいた。



 あれから気持ちの整理をするのに数時間。

【ジャンプ】の能力を把握するのに、さらに数時間。あれって力の入れ具合で飛ぶ距離が変わるらしい。思いっきりやったら、山の一つ二つ越えたから。

 その辺はジャンプと言いつつ飛行能力の付与なだけはあるのだと思った。使うタイミングがもっと遅かったなら、俺は……



「うぅ、自分惨めッス……」



 思わず声に出してみたくなるくらいの後悔が押し寄せてくる。

 当分引きずるなぁ、こりゃ。

 フラグへし折っちまったもんなぁ。やだなぁ。とほほ……。





【ジャンプ】の能力を使い、恐らく目的地であろう方向へ進む事、はや数時間。

 垂直飛びで海の方角は分かっていたので―――もう垂直飛びはやらんと切実に思った。

 上昇する時は気分が良かったが、落ちる時は、死ぬかと思った。いや悟った。俺はここで死ぬと。たまたまがきゅん! ってなったからね!

 とりあえず、そちらの方面へとぴょんぴょん小ジャンプ繰り返しながら跳ねて来たのは良いのだが、地上から通る道と微妙な空中からの景色は全くの別物な訳で。

 大きな山などを目印にして、多分この辺だろうと当たりをつけて北の村を探し始めて1日。

【ジャンプ】の効果も切れて、普通に徒歩で移動しながら、はや数時間。

 いい加減、勇丸か【ターパン】でも召喚して乗らせてもらおうかなぁなんて思ってしまう。むぅ、ちょっと焦ってきた。

 結果として、俺は海沿いの森の中をうろうろとしながら目的地を探している真っ最中な訳であるが、



(お? あれかな?)



 視線の先には、幾本もの白い煙が立ち上る、茶色い細々とした塊が見える。恐らく沿岸の集落、北の村の筈だ。……そう思いたいだけってのもある。

 しかし、仮に違ったとしても、集落があるというのはありがたい。もしかしたらご好意に甘えられて、布団で眠れるかもしれないから。

 この時代は基本が煎餅布団だから、寝心地があれだけど、無いよりはあった方が断然良い。

 獣道のような、辛うじて通れそうな木々の間を通り抜けながら、俺はその白い煙の方へと進んでいった。





 村へと続いている、よく踏み均したであろう道を行く。

 段々と視界に収まってくるのは、今まで住んでいた村よりもボロさの目立つ……失礼。風格のある佇まいの民家が並んでいる。

 沿岸沿いに建築された漁業を生業としたこの村には、吹き付ける潮風が全てを塩味にしてしまいそうな印象を受けた。

 うぅん、やっぱり海といったら魚介類でしょ、って具合に、海の幸をふんだんに使った海鮮料理が思い起こされる。

 空気ばかり食べていたせいか、興味の対象が料理に多大に向くようになったとは思うが、結構運動もしているので体的にはむしろいっぱい食事をした方が良さそうになってきている。

 見てほら!(見れません) 腹筋が割れてるのが分かるようになってきたんだよ!

 今までプニプニだった体のあちこちも、今では立派な細マッチョ体系さ! 

 俺パンチングマシンで百とか余裕で出すし。

 は、さて置き。



「勇丸かもーん」



 俺の相方を呼び出してみる。

 現れた勇丸はちらりと一瞬で周囲を確認し、危険は何も無いと分かったようで、こちらへと向き直る。

 潮風に鼻をひくひくさせながら、いつもの定位置と化した俺の横へと並び立つ。

 それを片手で頭を撫でてやり、相変わらずの暖かさともふもふさを体感した後、俺達は村の入り口と思われる、等間隔に開けた杭の間を潜った。










「すいません、ちょっといいですか?」



 投網の補修をしてるっぽい、第一村人発見。他には人影は見えない。

 村人は作業している手を止め、俺へと顔を上げた。

 足音で近づいて来るのが分かりそうなものだが、余程集中して仕事をしていたのだろう。五メートルくらいまで寄っても気づいてくれなかったから、唐突に声をかける形になってしまった。



「……あんた、誰だ」



 ほらねー、白い格好で白い狗を連れた怪しさ満点の人物だから、要らぬ警戒心を……ん?



「九十九と言いますが……あれ、ご存知ありませんか?」

「いいや、知らない。何処から来たんだ」

「守矢の方からです」

「あぁ、最近神様同士が戦をして飲み込まれたって言う、あの」



 あぁあぁと納得したように声を上げる村人A(三十代っぽい男)に、嫌な予感を確かめるべく、尋ねてみることにした。



「あの、ここは北の○○○村ですか?」

「ここは×××村だ。そっちは確か……反対方向だな。何だ、村を間違えたのか?」



 ……何となく会話の流れから予想はついていたので、そこまで驚きはしなかったが……結構心に響く。



「おい、急に蹲って……どうした、腹痛か?」



 優しいッスねぇおじさん。

 でも違うッス。単に気力が低下しただけッスから。

 心なしか勇丸も小さな声できゅんとひと鳴きして、残念そうな表情と、垂れ下がった尻尾を披露する。

 ごめんよー。【ジャンプ】でぶっ飛んだ時に『こっちだよな!』ってノリで方角決めたのが悪かったんだ。

 だってあの出来事のせいで、あまりのやるせない気持ちに押し潰されそうになって、少しでも体を動かして気分を紛らわしかったんだもの。



「お気遣い無く……。ちょっと自分の馬鹿さ加減に落ち込んでしまっただけですから」



 反対ってことは、単純に考えて県二、三個分くらい逆走したってことか?

【ジャンプ】の効果が凄いのか、俺の頭がやばいのか。

 後者だと思いたくない為にさっさと思考を切り替え、前向きに事に当たることにしよう。



「すいません、もし宜しければ、こちらで一晩宿を貸していただけないでしょうか」



 家事手伝いとか色々しますから、と提案してみる。

 流石に体力と気持ちを回復せねばと思って言ってみたが、



「あぁ良いさ。ただ、手伝いはいらねぇ。ゆっくり休んどけ。……代わりといっちゃあ何だが、兄ちゃんは守矢での話をしてくれよ。夜にゃあ興味のある奴らを集めてくるからよ。ちったぁ人づてで話は届いてくるんだが、今ひとつ、はっきりしなくてな」

「はっきりしない? 情報が、ですか?」

「そうなんだ。洩矢の国が負けて、守矢の地になって大和の国に組み込まれたってところまでは、言う奴言う奴一緒なんだがな。あそこの……あ~、名前はなんつったか、八坂様だったか? その神様が、真っ黒な大妖怪に飲み込まれただの、戦が終わった途端に国中の傷を受けた者達が回復しただの、見たことも聞いたことも嗅いだことも無いような食材が国中に溢れているだの、もう何を信じたらいいんだがさっぱりでよ」



 ……心当たりがあり過ぎて困る。

 でも、あれだ。別に隠す必要は無い訳で、良く知っているというか体験している俺ならば、事細かに出来事を伝えられるだろう。

 ここはいっちょ、洩矢の国改め大和の国、ひいては神奈子さんと諏訪子さんの為に、一肌脱ぎますかね。



「分かりました。それじゃあお言葉に甘えて、しばらく休ませてもらいます」

「そうしな そうしな。俺の家がこの先の松ノ木辺りにあるから、そこに入って勝手に休んでてくれ。あぁ、そこの犬っころは上げないでくれよ」

「分かりました。それでは」



 おじさんを背に、言われた家へと歩き出す。

 勇丸は綺麗だって言いたかったんだが、その辺りは事情を知っているものと知らない者の認識の差だと思って諦める。

 こういった出来事は、今に始まったことではないので対応も慣れたものだが、やっぱり少し寂しいものだ。



「よっし、じゃあ今晩は集まってきてくれた人に大盤振る舞いしちゃいましょうかね。勇丸も、食べたいもの考えておいて~」



 こくりと頷く相棒と共に、松ノ木が目印の、おじさんの家へと足を踏み入れた。さって、寝るぞー。















「そこで俺は言ってやったんですよ!『俺の大切なものに手を出すんじゃねぇ! お前らまとめて掛かって来い!』って」

「よっ! 兄ちゃんカッコいいぜ!」



 合いの手ありがとう おじさん。

 村の中央の開けた広場。

 小学校の小さな体育館くらいの広さの場所で、俺は集まった人々に、武勇伝を語っていた。半分以上そっぽを向かれているけどね。

 思っていた四~五人くらいという俺の予想は覆され、パッと見で三~四十人は居るっぽい。

 日も暮れてきたので焚き火を囲む形で話し込んでいたのだが、どうしたことか、どんどんと話が誇張していってる気がする。

 諏訪子さんに拾われたところから始まり、諏訪大戦から、二神が互いに手を取り合っている様子から、俺の能力で人々の治療を行ったまでを話していたのだが……。

 諏訪大戦の詳細を知りたいと言われたので説明していたんだが、語っているうちに思い出修正というか……天狗の鼻が伸びてきたというか、嘘ではないけど事実でもないような言い回しで『俺って凄いんだぜ!』な話の展開になってしまっていた。

 フラグな感じがビンビン伝わってくるが、酒も入ってストッパーの無くなった思考回路は軽く暴走していて、止まる様子を見せない。

 村人達は、俺が振舞った酒や料理に舌鼓を打ちながら『こいつそんなに凄いのか? でも酒も食べ物も出してくれたし 酒の席だから楽しんじゃえ』みたいな様子で俺の話を空想物語の一つとして割り切りながら聞いているようだ。

 それはそれで悲しいとは思うが、誇張の入った話なので、酔っ払いの戯言で済むのならそれに越した事はない。

 違えてはいけない語るべきところは素面のうちに全て話し終えたので、後は口直し程度の馬鹿話の1つくらいは言ってもいいだろう。



「九十九様~、お酒切れました~」

「あ、こっちもですー。追加でお願いしますー」



 はい喜んでー! って俺は居酒屋の店員か。

 初めに会ったおじさん以外、俺の事は皆、様付けで呼んでくる。

 ジャン袋(略称)を出して勇丸を従えている、よく分からない力を行使する存在なのだから、畏怖とか尊敬の念を籠められて呼ばれるのかと思ったが、何だか小鳥とか子猫が親に餌の催促をする為に甘い声を出しているだけなんじゃないかと思えてきてならない。



「あなた達それ何杯目ですか! 俺が覚えてただけでも一人で瓶一本分開けましたよね!?」

「あの透き通った綺麗な入れ物のことですかぁ? そんなに飲んだ筈はないですよ~。だってほら、瓶の中は透明なままですから~」



 だからそれは完全に中身が空だからじゃないか。

 うぇーい。なんて村人達が言い出しそうな空気の中で、俺は本日何本目か分からない酒瓶を取り出す。

 名前は久保田の『純米大吟醸』万寿。

 すっきりとした、クリアな後味が、飲んだ事すら忘れそうな風味を演出して、度数の強い日本酒であるにも関わらず、酒が進む進む。まるで水のようだ! ってなもんよ。

 が、それはこの混沌と化した現状を見るに大失敗であったと思い知らされる。

 もはや自分勝手に酌をして、酒が切れればこちらに強請り、たまに思い出したように俺の話を聞く、この状況を見れば。

 まぁ酒の席なんてこんなものだが、仮にも俺の話を聞くっていう名目で開かれたのだから、もう少しちやほやして欲しいというか何というか……。あぁ、おじさんまで酒に没頭し始めた。

 いいもん いいもん。俺には勇丸が居るもん……って勇丸ぅううう!?



「わぁ~ふかふかだぁ~」

「あー、ずるいよ! 次は私の番だったのに!」

「つ、次は僕が……」

「凄い凄い! 伸びるよー!」



 明るい声が聞こえてくる。

 こことは違う集団の輪に、勇丸は村の子供たちに揉みくちゃにされていた。

 本来ならば、彼らは日も暮れた今は床に就いていなければならないのだが、俺という来客の歓迎の意を伴って、夜更かし決行サインが親から出されたのだった。



 その結果が、あれである。



 尻尾はピンと引っ張られ、体には二人の子供が縋り付き、頬をこれでもかと言わんばかりに左右から引き伸ばされている。

 まさに玩具。

 それでも為すがままにされているのは、きっと勇丸が『主に迷惑を掛ける訳には』とかそんな理由なのだろう。

 もう少しくらい甘えてくれても良いんじゃないかと思うが、そこが勇丸の良い所でもあるんだけれど……ねぇ?

 何はともあれ、あのままではあまりにもあいつが不憫だ。

 どうにかしましょうかねっと。



「おーい君達~。甘いもの食べたくないかー?」

「「「「食べたーい!!」」」」



 うむ、素直(欲望に忠実)な良い子達だぜ。

 最悪一喝しなければならなかったが、言葉で分かってくれるのならそちらの方が良い。―――言葉じゃない気はするが。

 勇丸を放り出すようにこちらに詰め寄り、子供たちは何をくれるのかとせがむ。

 本来なら叱るべきである大人はあんな状態なので、仕方なしにこいつらの面倒を見る羽目になった訳だが、子供は嫌いじゃないので、むしろばっちこいな展開である。勇丸は開放されるし俺は遊べるしで一石二鳥ってもんさ。



「大人達はあっちでお酒を飲んで楽しんでるから、こっちはこっちで楽しんじゃおう。大人達には秘密だぞ」



 はーい、と元気に返事をすることに満足しながら、俺は持っていたジャン袋に手を突っ込む。

 取り出したのは、綺麗な宝石。

 赤、青、黄色、オレンジに紫と、焚き火に照らされながら色とりどりに輝くその宝石は、飴玉と呼ばれる、あの砂糖菓子の代表格である。



「ほーら、好きな色を選んで、口の中に入れてみな~。飲み込もうとするなよ。舌の上で転がしながら、ゆっくり舐めるんだ」



『私、赤!』『僕、緑!』と。皆は思い思いの飴玉を選び、それを口へと放り込む。

 石でもしゃぶっているかのような感覚だったのだろう。

 始めの方こそ、頭にはてなマークを表示させていた子供達だったが、甘味が溶け出し舌の上でその独特の甘みが広がると、途端に目を輝かせながら、口々に感想を叫ぶ。



「なにこれ! すっごく甘いよ!」

「私のこれはブドウの味がする!」

「僕のはカキだ!」



 柿味の飴なんてあったかな?

 まぁいいか。何にしろ、喜んでくれているのだ。この笑顔の前ではどんな事でも些細なものよ。

 頬袋を一生懸命に膨らましながら、五百円玉を球くらいにした大きさの飴を口内で転がす。

 少し大きすぎたが、こういった食べ難さも良い思い出に変わってしまうのが子供の特権だ。その特権を有意義に使ってやろうという俺の優しさだと思って、がんばって飴ちゃんを舐め続けなさいな。

 

 


 焚き火を囲んだ輪から、距離をとる。

 近くの家の壁に背を預けながら、隣に座って来た勇丸の背に手を置き、温もりを楽しむ。

 洩矢や大和でも何度かあったが、こういったどんちゃん騒ぎというのは、何度やっても楽しいものだ。

 馬鹿やって、楽しんで、あぁ、明日もまたがんばろうという気持ちに繋がる。

 ただ、子供の手綱くらいは握っていて欲しいとは思うが、四六時中それをもとめるのも酷というものだろう。今くらいは、全て忘れて自分の為に楽しんだって罰は当たらない筈だ。なんたって俺が面倒みてるし。

 満天の星空も、焚き火のせいで多少は霞んで見える。

 それと相まって、この宴会は幻のような印象を受けた。

 あそこで踊るおじさんも、酒瓶を片手に馬鹿笑いする村人達も、飴玉を一生懸命頬張り、顔に至福の表情を浮かべるあの子達も。

 皆、今にも消えてしまうんじゃないか、なんて、センチメンタルな気分になってしまう。



 ……ダメだなこれは。飲みが足りないんだ。

 久々の遠出だったからか、諏訪子さんとの別れがあれだったからか、喧騒の輪から休憩にと思って離れてしまった事で、ちょっとネガティブになってしまった。

 ―――こういう時には、無理にでも楽しむべし。

 別に、これを吐露せずに抱えたままだと後の爆弾に発展する、なんてことは無いだろう。ただのホームシック+αだし。



「よっしゃ、ならば飲むしかあるまいて!」



 両膝に勢い良く手の平を叩きつける。

 パンッ! と子気味の良い音と共に立ち上がった俺は、喧騒の中心へと歩き出す。



「一番、大和の国、守矢地方から来た九十九! 酒瓶一気飲みやります!」

「お! 兄ちゃん良いぞ!」

「気張っていけ~!」



 やはりこの手の一発芸は受けが良い。酒の席だから、箸が転がっただけでも笑いを取れるくらいなので、当然といえばそうなのだけれど。

 急性アル中でぽっくり逝ってしまいそうな荒事も、今の俺ならば何の気兼ねもなく実行出来る。

 流石にそれは不味いと判断したのか、勇丸が服の裾を噛み、くいくいと引っ張るが、一気飲みを止めることはしない。









 まるで、落雷が直撃したかのような音を聞くまでは。



「な、なんだぁ!?」



 我ながら、何という脇役の名台詞。というか雑魚がやられる寸前に言う死亡フラグな台詞。

 この台詞だけで一生食っていけるんじゃないかってくらいの発音の良い言葉が出てくる。良い仕事してますね。

 とか冗談こいてる場合ではないので、酒瓶片手に、落雷音があったと思われるところまで走る。溺れるものは藁をも掴むというが、俺の場合は酒瓶だったようだ。

 勇丸が既に先行して偵察に走っていたので、道中は安全だろう。相変わらずの素早い行動力に感謝しながら、目的地を目指す。

 走る俺を横目に、村人達は唖然としながら音のあった方へと首を向けつつ、固まっている。さっきの子供達も同様だ。皆、何が起こったのか分からない、といった表情を浮かべていた。

 下手にパニックになるよりは良いかもしれない、と思いつつ、俺はいざという時の為に、脳内にカードを展開しておくのだった。

 あぁ、酒が全身に回るぜ……うぇっ。


 で。



「……あ~あ―――出会っちまったか」



 目を逸らしたい真実だったせいか。

 思わず、キザったらしい二次元キャラの台詞を引用してみた。好きですけどね、この台詞。

 目に入ってきたのは、牙を覗かせながら低くなり声を上げる勇丸と、丸々一軒分あろうかという壊れた、かつて家と名のついていたであろう廃材の数々と。



「あぁ? 犬っころだけかと思ったら、ちゃんと人間がいるじゃねぇか」



 数は二十前後。二メートルはあろうかという体格に、独特な、黄色と黒の斑模様の衣類。肌の色は俺らと大差無いのだが、何より目を引くものが―――その頭部に突き出した、角である。



 鬼。

 強き者、悪い者、恐ろしい者という意味を併せ持つ、古来より存在する、日本の三大妖怪のうちの一派。

 東方の世界でもそれは一緒で、その強大な力を誇示しつつ、人々が嘘という知恵をつけるまで、頂点に君臨し続けた、妖怪の中の元締め。

 今までは洩矢や大和の国でしか活動をしていなかった為に、これら大妖怪に出会う事など皆無だったが、この場所は、彼女達の傘下ではない。

 必然。今まで相手にしてきた妖怪などとは違う、弱肉強食の世界で生き残ってきた歴戦の妖怪達と出会う羽目になる。

 これが生まれたての妖怪などだったなら今まで通りに対処するだけなのが、どう見たって幾つも争いをしてきましたって集団なのだから困ったものである。

 だって顔に傷とかある奴もいるし、眼光というか表情が雑魚っぽくない。

 ヒャッハー! 汚物は消毒だー! な集団だったなら、油断やら慢心で付け入る隙は多分にあるのだが、それは諦めなければならないようだ。



(くっそー、第一声からして雑魚だと思ったんだけどなぁ)



 金棒こそ持っていないものの、その威圧感というか妖力がそこいらの雑多な妖怪とは一味も二味も違う事を伝えてくる。

 そして何より残念なのが、



(原作キャラいねぇー!)



 なのである。

 東方で鬼といえば、伊吹萃香と星熊勇儀の両名であるが、どこを見ても、それらしい人物が見当たらない。

 一応女の鬼も何人かいるのだが、美人の部類ではあるものの、全く知らない顔である。―――後から顔変わるって訳じゃないよなぁ?



「おい」



 呆けていると、リーダー格っぽい男の鬼が声をかけてきた。

 額に一本、俺の腕くらいあるんじゃいかと思える角が生えている。

 白く、鋭く、逞しく。何処か風格漂うそれは、まさに鬼の象徴と言えるだけの代物である。―――それに比べると勇儀さん遊びすぎだろ。



「……何だ」

「他の人間は何処に居る」



 うわー嫌な予感しかしない質問だなぁ。



「……それを聞いてどうする」

「見つけて食うんだよ」



 ……もっとこうさぁ。『それを知る必要はない』やら『人間如きに』な台詞を予想していたんだが、あまりにストレートな物言いに、思わず目の前がクラクラしてきた。

 でもきっと、今の台詞はその手の考えの延長線上から発せられたものだろう。

 言っても言わなくても、どちらにしろこの一帯を虱潰しに探しながら、確認するのだ。

 俺が質問にどう応えようと、それは暇つぶしの一環でしかないのだろう。

 イラっとするので、何か嫌味の1つでも言ってやろう。



「お前達鬼ってのは、仲間を売る事に何の感情も持ち合わせていないようだな。そんな台詞が出てくるなんて、なんて可愛そうな種族なんだ」



 鼻では無理でも、口元にそれらしい嘲笑を浮かべて語りかける。

 これで感情の一つでも乱してくれれば良いが。



「はっはっはっ! そりゃそうだな! そんなこと出来るわきゃぁねぇよなぁ!」



 逆に、一笑の下に片付けられた。

 笑う『はっ』の部分だけで、大太鼓でドンと叩いたときのような振動が空気を揺らし、全身を震え上がらせる。

 参ったな。挑発にも乗り難い。おまけに強いとなっちゃぁ、難易度が一気に跳ね上がるじゃないか。



「でもな、出来なくても良いんだわ。どっちにしたって―――」



 たん、と、踏み込む音が一つ―――いや二つ。

 それぞれ僅かな時間差で、一つは前方の鬼が“いた”場所で、もう一つが。



「―――お前、これでおっ死んぢまうからな」



 俺の目の前。

 逞しい握り拳が、俺の頭を吹っ飛ばそうと迫る。

 十メートルはあろうかという距離を、一呼吸をする間もなく詰めて来た。

 即死だ。俺“だけ”ならば。

 今までならば、ここで走馬灯の一つでも見ているのだろうが、生憎と神奈子さんとの戦闘経験からか、それを見ることはなかった。

 迫る拳が、上空へと弾け飛ぶ。

 下から殴られたかのように宙に浮いた拳は対象を失い、同時に限界まで伸びきった腕の長さの関係もあって、威力も失った。

 何が起こったのか分からないといった表情の一角鬼に、にやりと不適な笑みを浮かべて、言ってやった。



「死んでないぞ―――この“嘘つき”が」



 下から鬼の拳を跳ね上げた白き従者の勇丸は、俺と敵との距離が近すぎることを考慮して、距離を離すべく行動を起こす。

 呆けている鬼の背中に一瞬で回り、体を前転でもするかのように回転させる。

 同時、相手の背中を咥え―――まるで一本背負いでもするかのように、放り投げた。

 投げる方向は地面ではなく、鬼達のいる陣営側。

 鈍い音を立てて落ちる肉塊。

 頭から落下した鬼はピクリとも動かず、周りの鬼達も唖然とした表情で俺達―――というか勇丸を見ていた。

 ただの狗畜生だと思って油断していたのだろう。幾ら大型犬だとはいえ、鬼と比べれば指先1つで倒せる存在なのだと、高を括った結果がこれである。

 いい気味だとは思うが、問題はこれから。

 あの程度のダメージで倒れるようなら、日本三大妖怪の一角を担ってなどいない。



「……せたな」



 ほら来た。

 投げ飛ばされた鬼から、声が聞こえる。

 まるで地獄の底から響いてくるかのような音声に、軽くビビる。

 だが、ダメだ。

 ここで気持ちが負けてしまえば、俺は冷静な判断が出来なくなる。

 嘘でも良い。虚仮でも構わない。

 あの時の、諏訪大戦での過ちを繰り返さない為に、俺は仮初めの強い自分を想像し、創造する。

 いつか、その自分が本物になるように。



「何言ってるのか聞こえないぞ。鬼ってのも案外弱っちいもんだな。ただの狗相手にぶん投げられるなんてなぁ」



 俺の語尾に“w”か(笑)でも付きそうな勢いで馬鹿にしてやる。

 何より、俺はあいつを嘘つき呼ばわりしたのだ。

 嘘を何より嫌う鬼にその台詞を言うのは、自殺願望以外の何者でもないだろう。

 だが、やる。

 その奢った慢心に、自分達が頂点だと言わんばかりの態度に、一発入れてやる。

 普段ならば、酒でも食べ物でも召喚して穏便に済ませようとする俺だが、こちとら酒の力が働いて、自制心が効かぬ、媚びぬ、省みぬってもんよ!(謎



 ゆっくりと、まるで地獄の淵から一本一本指を這わせて獲物に喰らいつかんとする悪魔のように、一本鬼は体を起こす。

 ギンッとこちらを射殺さんと視線の槍が刺さった。



 ―――だがなんだ。それがどうした。怒ってるのはお前だけだとでも思ってんのかゴルァ。

 少し下がってろ勇丸。ちょっと凄いの見せてやるから。



「―――俺に、嘘をつかせたなあああああ!!」

「んなこと知るかくそったれええええええ!!」



 弾丸の速度を伴ったダンプカーのように、一本鬼は突進して来る。

 始めからこの勢いだったならば、勇丸も対処できずに俺は瀕死になっていたことだろう。

 だがお前は俺に時間を与えてしまった。

 それがお前の敗因。それが俺の勝因。



 破裂音が木霊する。

 木々をなぎ倒し、家一件丸ごと破壊したその豪腕は、俺の目前で止まっている。

 いや、正確には、止められていた。

 鬼の拳。その何人も触れられぬであろう死神の一閃を、そっと割れ物でも扱うかのように、添えられている、白い手。



 鬼達は見る。眩い人を。

 鬼達は見る。純白の羽を生やした存在を。

 鬼達は見る。それら翼人達が、何十人も周りに出現していることを。

 鬼達は知らない。それは、天使と呼ばれる西洋の神の使いであることを。



 ……鬼達は知らない。壊したその家は、一本松の近くにあったその家は―――俺の一宿一飯の恩人の家であることを。



「俺の大切なものに手を出すんじゃねぇ! お前らまとめて掛かって来い!」 





[26038] 第16話 Hulk Flash
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2013/02/20 07:27






 トレーディングカードゲームでは、互いに対戦するという目的から、各プレイヤーは自分が使用する山札―――デッキと呼ばれる、それを構築する。

 当然、それは大体の場合は勝利することを目的に構築されており、限られたカードプールの中から星の数ほどの組み合わせを考え出して、組まれている。

 殆どのトレーディングカードゲームにおける勝利条件は、三つ。



 一つ。相手に設定されたライフポイントをゼロにする。

 一つ。相手が、自身のデッキからカードを引けなくなった場合。

 一つ。その他、各種カードに書かれている特殊勝利条件を達成する(例・クリーチャーカードを合計十枚召喚する。墓地と呼ばれる捨て札を置く場所に、カードが三十枚以上ある、など)。



 この三つだ。

 そのそれら目的達成の為に、世界中のプレイヤーは日々組み合わせを熟考し、思案し、デッキを構成しており、それら数多のデッキをカテゴリ分けする名前が存在する。

 MTGにおけるカテゴリ名は、大雑把に分けて、同じく三つ。



『ビートダウン』

 語源は、殴り倒す、の意味を持つ、基本クリーチャー中心で構成されたデッキタイプ。広義にはクリーチャーによる攻撃を中心とし、複雑なギミックを搭載していないデッキタイプの総称。もっと広く言うと積極的に相手を攻めるデッキ。



『コントロール』

 名前そのままの意味で、戦場をコントロールし、一歩一歩確実に勝利への歩数を刻むデッキタイプ。狭義には、相手に何もさせない&動かせない,【ロック】と、呪文を打ち消す、という概念のあるMTGならではの【パーミッション】が存在する。

 ちなみに、日本人プレイヤーはこの【パーミッション】が多い傾向があり、世界でも日本のパーミッション好きには一目置かれている(良い意味でも悪い意味でも)。この手のデッキは相手の行動を大きく阻害するので、友人同士で戦う場合は、その関係に亀裂が入る事もあるとかないとか。



『コンボ』

 多大なアドバンテージ―――優位性を確保出来るか、コンボが成立した時点で勝敗の決してしまうデッキタイプ。

 (以下『MTG wiki』丸々引用)

 コンボが"失敗しても"コンボパーツ自体が単体である程度戦えるような、安定感のあるデッキは強力である。しかし、コンボの成功率が高すぎて"失敗しない"デッキは、それ以上に脅威である。

 稀に、高確率かつ高速で、失敗しても立て直しが利く、爆発力と安定感を兼ね備えたコンボデッキが誕生する。このようなデッキは公式大会を荒らす原因となるため、キーカードの禁止カード指定などで規制される。

 瞬殺コンボデッキの場合、相手のデッキタイプにかかわらず戦えるが、"相手を無視している"ことでもあるため、対戦ゲームとして問題があるとされる。











 ―――前々から考えていた。

 カード一枚一枚を使ってきたが、デッキの名前を思い浮かべて使ったのならどうなるのか、と。

 デッキに含まれたカードを全て使うのか、はたまたオートで一つ一つカードを実行召喚してくれるのか。

 一度も試した事は無く、ぶっつけ本番になってしまったが、問題ないだろうという確信はあった。

 構築されたデッキは、目指す勝利パターンがおぼろげながら決まっている。大会で名を残すような、トップクラスの強さを誇るものであれば、それはむしろ顕著だ。

 名は体を表すという言葉通り、構築されたデッキには、辿り着けるかどうかは別として、勝利へと続く道を敷く手段が備わっている。

 ならば。それを言うということは、その道を敷くことと同義。



『デッキとは道である』

 これがこの世界に来てからの、心の奥底にある持論。



 そもそも『道具』という言葉には、『道』の字が組み込まれている。それにあやかり自論その一にしてしまった訳だが、昔の人へ感謝を表明してておこう。

 過程を……敷設作業を省き、結果だけを残し、道は完成する。

 それが―――俺がデッキ名を唱える意味。



 ビートダウンならば、相手を圧倒的な物量か無比の突進突破力で押しつぶすクリーチャー軍を展開し終えた状態で。

 コントロールならば、戦場を支配し、その場の神と化したかのように、相手へ多大な制約を掛けた状況で。

 コンボならば、膨大なアドバンテージを稼ぎ、相手の喉下に手を掛け、幾枚ものカードがまるで一つの呪文であるかのような―――あと一息で仕留められる一歩手前で。



 自身の制限に触れなければ、それらは実行される。

 今、大量に展開された天使達を見るに、俺の考えは正しかったのだと、満足九割、安心一割の心で、月夜に照らされた、閃光と豪腕と土煙が入り混じる戦場を見ながらそう思った。










「くそっ! 何でだ! どうして!」



 鬼の一人が、たまらず叫ぶ。

 数の差から見て、鬼一人対天使が一~二人という振り分けになっているのだが、躯体の差から、天使達はまるで柳のようにその攻撃を回避、あるいは受け流している。

 とはいえ、相手は鬼。

 戦闘経験と自己のスペックをフルに活かして五~六回に一度は攻撃を当てるのだが……。

 豪と唸りを上げる攻撃が、とうとう避けきれなくなった天使の一人にヒットする。

 通常ならば、それで充分だ。  

 引き裂けぬものなど無いと主張するかのようなそれは、けれど、まるで絶対的な何かに阻まれたように威力を緩めて、僅かに天使の行動を阻害し、体をよろけさせる程度に留まった。

 不可解だ。

 そう、表情が物語っている。

 仕返しにと言わんばかりに天使達が放つ、妖気だが神気だが分からぬエネルギー弾を避け、あるいは防ぎながら、鬼達は戦いを繰り広げていく。

 そんな光景を見ながら、俺は結構効果のあるものなのか―――と。その天使達に備わっている能力の一端を思い出す。

 その天使達は、2/2の飛行と『プロテクション(黒)』と呼ばれる、指定された条件に対して一定条件下で効果を無効にする能力が備わっていた。



 相手は日本妖怪の顔。つまりは人間にとっての悪そのもの。

 それが正義か否かはさて置き―――ならば、それは色に部類するなら黒以外にあるだろうか。

 妖怪=黒のイメージは我ながら安直だと思ったが、効果覿面のようで、鬼達は殆どダメージの入らない天使達に、悪戦苦闘している。

 良かった。もしかしたら赤とか緑にも部類されるんじゃないかと思っていたけど、少なくともコイツらは全員、黒が含まれているようだ。【プロテクション黒】って妖怪相手じゃ反則の部類じゃね? なんて思ったり。



 ……MTGのカードには、相手を倒す手段にダメージか直接破壊かの差が明記されていたが、こちらではどうなのだろう。 

 とりあえず物理系は殆ど無効っぽいかな、と、若干ではあるが鬼の攻撃でよろめいている天使を見ながら判断する。

 これが相手の力量によるものなのか、それとも天使達の地力なのか悩むところではあるので、過信せずに、切り札ではなく、神奈子さんにお粗末の効果が現れ難かった事を踏まえて、手段の1つとして思っておこう。



 そして、絶え間なく戦闘が行われている最中で、ふと思った。

 ―――これなんてエロゲ? と。

 何考えてんだ。って思うかもしれないが、彼女達の格好が格好なのだ。

 純白の翼に薄いブラウンの髪。うん、ここまではいい。

 身に着けているのはベストのような金色のプレート―――素肌にタンクトップのような―――と、よく光の通るスカート―――ようはスケスケ。

 ―――つまりは、結構裸に近い格好なのである。

 しかも全開ではなくチラリズムとか、男心をくすぐり過ぎ。

 もっと別の形でハーレム目指したかったよチクショウ!










「埒が明かねぇ……。お前ら!」



 一本鬼の掛け声と共に、周りの鬼達が一瞬で戦闘を取りやめ、俺へと殺到する。敵ながら良いチームワークに焦燥と感心を同時に思う。

 ―――かかって来い、なんて言ってフラグ立てたのが不味かったか。こっちくんな。

 半分以上は、背中を見せた事で天使達の気孔弾っぽいのに被弾して勢いを止めたのだが、残りは全て、こちらへと向かってきている。

 俺の護衛についていた1人の天使が、精一杯の弾幕を張るも、これといって怯んだ様子も無く。

 あの物量では、地力も相まって勇丸も対処しきれないだろう。



 ……諏訪大戦の時には、それが原因で敗北を刻んでしまった。

 だから、考えた。

 未だに明確な対処手段は思いついていないが、一つも思いつかなかった訳ではない。

 その内の一つが、大量のクリーチャーによるサポート体制。

 単純にして明快の、だからこそ崩れ難い戦法。

 呼び出した天使は鬼より数の多い、三十以上。

 通常ならば、維持する以前に、呼び出せないくらいの量であるクリーチャー数。

 だが、召喚されている。

 ルールに沿って―――ではない。ルールが変わっているのだ。

 召喚した存在に維持費が掛からなくなった訳ではない。

 それにはまず、彼女達が【トークン】と呼ばれる存在であるところから語らねばならない。










『トークン』

 何らかのカード効果によって生み出される擬似カードのこと。これからカードは場にしか存在できず、手札や山札に戻ったり、墓地に置かれた場合は消滅する。そして、そのマナコストは召喚に使用したマナコストに関わらずゼロとなっている。ただし、何かのコピーカードである場合は、それらカードのマナコストは、コピー元と同一のコストを持つ。









 
 この大量に出現したクリーチャーは、元は一体のクリーチャーをコピーした結果のもの。コピー元のコストは5。

 今までの俺ならば、万全の状態で、戦闘と呼べるだけの時間現存させ続けられるのが3体。一瞬だけならば、精々十を越えるかどうか、といったところ。

 だが、展開している。召喚している。維持している。それも、余裕をもって。

 一体何故なのかと問われれば、こう答える。―――上限開放したからなのだと。

 転生前に言われた、『経験値を積むことで、原則の制限や上限の開放が可能』。

 これが、その成果。



 開放された制限は『トークンの維持コストは全て極小換算』というものだろう。



 本来ならばコスト5を三十体以上維持している計算だが、感覚は【死の門の悪魔】を維持している時以下か、もしくは同程度の疲労具合。

 あの時は、かなり瀕死な状態で数分は持った。

 今の疲労具合はそれと同等くらいかとはいえ、宴でジャン袋を多用したことを差し引いても、数十分は今の状態を維持できる。



 よくよく考えてみれば、おかしかったのだ。

 主に戦闘での経験値によって、勝敗とは関係なく、俺のレベルは上がっていくと聞いていた。

 雑魚ばかりではその成長率が遅い事は当然だとして、諏訪大戦で八坂神奈子というラスボスどころか裏ボスレベルの相手と戦って、判明した上限開放が使用ストックマナが1ランクアップだけだというのは疑問が残った。

 大和の国になって一年。

 負けた経験を活かして、自身を守れるようにカードの組み合わせを試していた時に、このレベルアップボーナスに気がついた。

 その時はテレビゲームのように、レベルが上がった時にはそれらしい音や表記でも出てくれれば良かったのだが、と愚痴を零したものだ。



 現在判明しているのは、マナストックの増加と【トークン】維持費の減少。そして、後一つ。

 他にも何かあるかもしれないが、今分かってるのは三点だけだ。

 どうせなら、出力マナの上限を開放してほしかった。

 4マナを使えるようになっていたのなら大分戦略も広がるのだが、無いもの強請りは空しいだけなので、さらっと流す。





 鬼達を見据える。

 どいつもこいつもやる気満々な顔をして、後数秒もしない内にこちらへと到達する。

 だが、その様子だとお前らは気づいて……見えていないんだろうな。

 そうじゃなかったら、もっとその表情を歪めている筈だ。

 眩い天使達に霞んで見えないのだろうが、もうその異常に気づく筈だ。



 ―――ほら、その顔を歪ませるといい。



「……ぐっ、何だこの臭いは!?」



 突撃しながら、鬼の一人が周りの鬼に向けて、そう話す。

 微かに漂うのは、腐った卵を数倍臭くしたような臭い。

 臭いの元は―――俺の後方。

 そこには、俺と同じくらいの人型が居た。



 爛れた皮膚に、醜く晴れ上がった顔面。

 片側は落ち武者のようにボサボサの髪の毛が隠し、もう片方の辛うじて覗く眼球には瞼が存在せずに、けれど気にした様子もなく、グリグリと前方を観察していて、体の至るところには縫い目が見て取れ、そのボロボロの体を縫い合わせているのが覗える。

 左半身からは脇の辺りから第3の腕が後付けされて、反対の右側―――肩甲骨と肩の中間くらいに―――人間の首から上が備え付けられていた。

 まさに醜悪、まさに異形。

 それは、ゾンビと呼ばれる、かつて人であった者。

 あまりの臭いに、勇丸は先ほどから鼻で息をすることを止めているくらいだ。……この臭いは毒レベルだな。



 攻撃クリーチャーはゾンビクリーチャー、黒で1マナ、場に出ているクリーチャー1体を食う事で+1/+1の永久修正を受ける、『屍肉喰らい(しにくぐらい)』一体と。5マナの天使クリーチャー『霊体の先達(れいたいのせんだつ)』三十名以上。



 この両名の召喚を以って、MTGにおいてもトップクラスの強さを誇るコンボデッキ。

 ―――【ハルク フラッシュ】の完成である。










『ハルク フラッシュ(Hulk Flash)』

 由来はそれぞれのカード名【閃光(Flash)】【変幻の大男(Protean Hulk)】から。たった2枚のカードのみで成立するコンボデッキの名前である。

 アメリカンコミックのキャラクター、緑色の巨人ハルクの決め台詞のひとつで、「ハルク スマッシュ(Hulk Smash)」という英語圏で使われる俗的な言い回しを流用した名前。ちなみに同名の【ハルクスマッシュ】というデッキも存在する。そちらの性質は全くの別物。



『閃光』

 青で、2マナのインスタント

 あなたの手札にあるクリーチャーカード一枚を出してもよい。そうした場合、あなたがそのコストを最大(2)まで減らして支払わない限り、それを墓地と呼ばれる捨て札場に送る。



『変幻の大男』

 緑で、7マナのクリーチャー 6/6

 これが召喚された後に墓地に置かれた場合、あなたのライブラリーから点数で見たコストの合計が6以下になるようにクリーチャーカードを望む枚数探し、それらを場に出す。



【変幻の大男】を【閃光】で経由させ召喚し、即座に墓地に叩き込む。そして能力を誘発させ、様々なクリーチャーを呼び出し、相手に勝つという流れのデッキである。



 コンボ完成に必要な手札カードが僅か二枚、通さなくてはならない呪文に至っては2マナの【インスタント】一枚と、妨害するにも時間が足りない事が多く、MTGの歴史を通して見ても、前代未聞のコンボパーツの少なさを誇る。

 従来のコンボデッキと比べてもその決めやすさ、そして速度が段違いであり、最速一ターン、平均で二~三ターンで勝利を勝ち取るその速度は、まさに閃光。私見で一般的な試合が五~八ターンで終わる事を考慮すれば、その異常さが分かってもらえると思う。

 登場するや否や、公式大会でその猛威を振りまいた。

 その影響度があまりにも大きすぎたため、閃光が大会において禁止カード(使ってはならない)か制限カード(一枚だけしかデッキに投入できない)に指定され、消滅、あるいは勢いを落とすこととなった。



 上記の説明では少しややこしいので、大雑把に流れを説明するのなら、以下のようになる。

 1【閃光】⇒

 2【変幻の大男】を出すが墓地に送られる⇒

 3 能力で山札の中から条件に合う好きな数のクリーチャーカードを選びそれによって倒す。

 という、この三段階のみ。



 呼び出すクリーチャーによって展開は変わるが、今回呼び出した天使は、『プロテクション(黒)』と飛行を持つことに加えて、ある特殊能力を備えている。

 それが、召喚された時に墓地のクリーチャーカードを一枚、場に出すというもの。





『霊体の先達』

 白で、5マナのクリーチャー。 2/2

『プロテクション(黒)』 【飛行】

 召喚された出た時、墓地にあるクリーチャーカードを1枚を場に戻す。





 これの他にデメリットが一つ付随されているのが、この戦闘においては関係ないので省く。

 この能力によって、例え10マナだろうが100マナだろうが、墓地にさえ落ちているのならコスト無視でクリーチャーを戦場に召喚することが出来る。最も、今の俺では制限の関係で、100マナなんて存在を出してしまったのなら、疲労困憊どころか気絶することだろう。

 だが、これだけではこの多大なクリーチャーの数は召喚させられない。

 よって、新たにカードを使う必要がある。

 少し複雑なので掻い摘んで説明すると、召喚されているクリーチャーカードを一ターンに一度コピーする能力を持つ、『鏡割りのキキジキ(かがみわりのききじき)』という、5マナである赤のクリーチャーカードを使用した。



 1『変幻の大男』で『屍肉喰らい』と『霊体の先達』を持ってくる

 2『霊体の先達』の効果で墓地に落ちた『変幻の大男』を場に出す

 3『屍肉喰らい』の能力で『変幻の大男』を再度墓地に

 4『鏡割りのキキジキ』を呼び出し、能力で『霊体の先達』をコピー

 5 その間に『屍肉喰らい』で『鏡割りのキキジキ』を喰らい、墓地へ

 6 墓地にある『鏡割りのキキジキ』を『霊体の先達』で場に出す

  以下4から6までループ。



 これにより、自身の体力が許すまで霊体の先達のコピー【トークン】を召喚することが出来る。

 もう少し無理をすれば、まだ召喚出来そうではあるが、今は【屍肉喰らい】にがんばってもらうとしましょう!



「蹴散らせ、【屍肉喰らい】ぃ!」



 悪臭と共に、屍肉喰らいが突貫する。

 ゾンビとは思えぬ軽快さに驚くものの、この場では頼もしい事なのだと自身に言い聞かせる。……機動性のあるゾンビ、マジこえぇ。

 だが、屍肉喰らいは本来1/1。

 鬼達に腕力で劣っている、2/2である天使達より劣るのだ。

 それが鬼と真っ向からカチ合うというのだから、無謀以外の何者でもない。

 けれど、今のこのゾンビは違う。

 能力循環の為に、【鏡割りのキキジキ】を三十体以上喰らっているのだ。

 一体喰らう毎に、+1/+1の修正を受ける特殊能力を持つ【屍肉喰らい】

 単純に考えるのなら、今のパワーとタフネスは、三十以上となっている。

 30/30など、【死の門の悪魔】など目では無い……もはや考えられない数値だ。

 恐らく、一瞬にして山の一つでも吹き飛ばしてしまえそうな力になっているであろう、その存在。

 ……見てみたい。

 鬼の一人へと、両手を叩き下ろさんと振り上げる【屍肉喰らい】を見ながら、そう思う。

 体格も身長も鬼と同程度。

 牙を剥き出しにし、唸り声を上げながら右ストレートを叩き込まんとする一本鬼。



 それは一瞬。

 大気を揺らし周囲に木霊する打撃音。

 片や天に拳を突き出す形で。片や大地に拳を振り下ろさんとする形で。

 互いに拳がぶつかり合い、けれどどちらも崩れる事はなく、拮抗状態を作り出した。



 互角。この状況が示すのは、そういうこと。



 おかしい、と焦燥に駆られながら判断する。

 何故30/30以上と互角なのか。

 体力か能力か不明だが、相手も同等の力を持っているのか。

 いや違う。考慮すべきはそこではない。疑うべきは、相手ではなく自分。



 ―――そもそも、屍肉喰らいは本当に30/30以上なのだろうか。



 ゲーム上でなら単なる足し引きの計算の結果だが、ここは独自の制限の掛かった異世界。

 ならば、能力の向上にも一定の制限があると見るのが妥当だろう。

 相手ではなく自分に原因があると考えた方が、まだ対処が楽というものだ。

 一体幾つまでの修正を受けているのか不明だが、何とか互角になっている現状を受け入れ、次の手段へと現状を見据えながら対策を練る。

 しかし、使用出来るマナは後1。

 カード枚数に至っては……勇丸やジャン袋を含めての召喚から数えて、丁度七枚使ってしまい……。

 必然、新たに手を打つ展開は望めず、方法は一つしかなくなった。



 屍肉喰らいとガチンコしている一本鬼の横を通り抜けて、他の鬼達が殺到してくる。

 十体以下ではあるが、脅威であることに変わりは無い。

 ―――俺の元まで来れれば、の話であるが。



「護衛は二体だけだ! 誰でもいい! あの白い人間をぶん殴れぇ!」



 鬼が吠える。

 もう盾はないと言わんばかりに。

 ……呆れてしまう。

 戦闘には慣れているようだが、格下だと思っていた相手が牙を忍ばせているという展開は、出会った事は無いようだ。

 その証拠に、警戒している目線は、勇丸と天使の両方にだけ向いている。

 それは正しい。認めよう。俺自身は何の力も無い、無力な一般人と同程度だ。障害物になるかどうかも怪しい存在であるだろう。

 だが、お前達は蜜に釣られて群がってきた蟻だ。

 俺という餌を見せられて、我慢出来ず、真っ先に狙って来る。

 行動が読める敵ほど対策の練りやすい相手はいない。

 神奈子さんほど圧倒的な何かがある訳でもない。諏訪子さんほど絡め手な能力があるわけでもない。

 そんな相手に、今更どうやって遅れを取れというのか。



「誰が言ったよ……」



 ―――俺のコンボは、止まっていない。

 三十体以上を召喚した時点で、それ以上のクリーチャー維持は長期戦に向かないと判断し、それ以上出さなかっただけだ。

 


「打ち止めだってえええ!!」



 向かってくる鬼達の頭上。

 そこには、さらに二十体の天使達が点在していた。

 俺の声に合わせて、光の雨が降り注ぐ。

 二十名による、光弾の絨毯爆撃。

 ピチュン、ドカン。と、ギャグの様な音が視界を埋めた。

 全く警戒していなかった無防備な背中や頭上に、これでもかと言わんばかりに攻撃が当たっていくのは、とても愉快なもので。

 光が滝のように流れ落ちる光景に、吹き飛ばされる鬼や土埃などは忘れ、僅かに見入る。



 そのまま数十秒が経っただろうか。

 目前に動く影はなく、残り半分も残りの天使達に鎮圧されたようだ。

 ―――ただ一人を残して。

 屍肉喰らいと一本鬼。絶えず打撃音が木霊するその両名には、防御という概念が存在しないかのように、互いに拳を繰り出している。

 

 

 ……まだ、敵はいる。

 残っていた天使達の大半を消して、体力の余裕が生まれるよう工面した。

 それでも、もはや自力で立っていられるだけの体力は無くて、勇丸に支えてもらってやっと立てている状況だ。一刻の猶予も許されない。

 残り数十となった天使達を、決闘の場を囲むよう移動させる。

 タイマン張ってる、なんて状況は気にしない。

 それを見守る理由もないし、そこまで相手に思い入れがある訳でもないから。

 よって、屍肉喰らいには渾身の一撃を放ってもらい、鬼の動きを一瞬止めてもらう。



(クリティカルな攻撃よろしく!)

「ガッ!?」



 いい『ガッ』だ。ぬるぽって言っとくんだった。

 モンゴリアンチョップが鬼の鎖骨に綺麗に決まり、悶絶するように呻き声を漏らす。

 おお! キラーカーンのモンゴル殺法! と、もはや戦力差から生まれる余裕によって、軽くテンション上がるものの、まだそっち方面の気持ちになるには早いと自分を諌めた。

 屍肉喰らいを消し、多々良を踏む鬼へと、何の通告もなく、天使の光弾を浴びせ掛ける。
 
 十、二十、三十―――

 弾ける光の数が五十を超えたかと判断した時、俺は攻撃を止めさせた。

 見た目じゃオーバーキルっぽいが、相手は鬼。それもそのリーダー格のような奴が相手だ。

 それに、そこいらじゅうに転がっている他の鬼も、天使との交戦でダメージは受けているが、手足ちょんぱだとか、内臓どろんだとか、そんな感じの致命傷だと思われる傷を受けている奴はいなかった。

 天使が非力なのか鬼が強敵なのか、天使の光弾着弾の威力とか見ていると後者だと思うのだが、とりあえずスプラッタな光景は確認出来ない。

 微妙に肉の焦げた臭いが漂っているので、多少は火傷くらいはしているのだろうと―――その程度で収まっているはずが無いのだが、そう思ってしまった。南無三。





[26038] 第17話 ぐだぐだな戦後
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 17:49






 土煙が張れたそこに立っていたのは、もはや満身創痍の鬼だった。

 衣類は所々千切れ、両手は垂れ下がり、足元はふらつき、けれど決して膝を折る事はないとでも言う風に。



(目だけギラつかせやがって……カッコいいじゃねぇか)



 これだけのことを仕出かしたせいか体内のアルコールが抜けてきて、幾分、思考の波が落ちついてきたお陰で、相手を多少は冷静に観察する事が出来た。

 改めて周りの状況を見てみれば……。まぁ、あの出来事にしてこの惨状あり、といったところか。



(―――あ、おじさんとか子共達……村人のみんなも来てたのか)

 

 唖然とした表情でこちらを見て『何なんだこの光景は』って顔をしていらっしゃる。

 それもそうか。おじさんの家どころか、その周囲の建造物も跡形もなく。

 地形は変わり、焦げ臭い香りが漂い、鬼達が倒れ、天使達が浮き―――と、言葉にしても状況が掴めなさそうな現状だ。

 あぁ~、どう話をしたもんかなぁ。

 疲れてるんだよなぁ、休みたいなぁ。今なら三秒で眠れる自信がある。

 このままだと本当にぶっ倒れてしまいそうなので、負担を減らすよう、召喚していた方々に目を向けて。



(天使さん、お疲れ様でしたー)



 あぁ、帰り際の笑顔が素敵です。

 にこやかに手を振る天使達を全て還しながら、勇丸と俺と鬼という構図になった。

 満身創痍の敵に、止めの有無を決定出来る俺。



 ……この状況なら語りの一つでも入れれば仲良くなれるんじゃね? なんて思ってみたり。

 これはあれだ。

 敵が味方になるフラグに似ている―――というか、そうに違いない!

 喧嘩が好きで、宴会が好きで。勝負事にはしっかりとした信念の下に、勝ち負けを潔く受け入れる種族だった筈だ。相手が嘘でもついていない限りは。

 宣言なしのガチンコ勝負だったが、俺側は健全の、相手は疲労困憊どころか壊滅状態。勝敗は明らかだろう。

 ―――村人達もそうだが、俺の命を奪おうとしたのだ。多少なりとも理不尽な要求は呑んでもらわねば。

 勇丸を先頭にし、鬼へと近づく。

 無用心だとは思ったが、相手はこちらに意識を向けることもなく、立っているだけで精一杯のようだった。



「おい」



 鬼の目前。腕を伸ばせば届く距離で声をかける。

 この距離ならば、例え勇丸であっても対処するのは不可能だろう。

 ただし、今回の立場は逆。こちらが強者。あちらは弱者。

 けれど、油断せず、慢心せず。

 いつでも逃げれるように、重心は後ろに傾けながら。

 本当は余裕な気持ちを出したいのだが、仮にも大妖怪の一角を担っている相手なだけあって、勇丸を挟んで見ているだけでも、回れ右をして布団に篭っていたくなる。

『調子こいた』『距離詰めすぎた』と立ち止まってから思うが、ここまで来たのなら逃げられない。

 後は、やるだけ。

 自分で自分を追い込まねば動かない&動けない性格が恨めしい。



「おい、聞こえてるんだろ。目くらい見ろよ」

「……うるせぇ……聞こえてるよ……」


 
 ゆっくりと目線をこちらに合わせる一本鬼に、それだけで体が縮み上がる。

 それを拳を握り込むことで、体中に震え広がるのを抑えた。

 今大事なのは、言葉と態度。

 ここで舐められたら、俺は人生再スタートだ。死亡的な意味で。



「お前は負けた。分かるな?」

「……あぁ、味方は全滅。おいらはズタボロ……完敗だよ」

「なら、もうこの村を襲うな。別に人を採って食うの事態は何も言わない。ただ、ここだけは襲うんじゃない」

「……はぁ?」



 うむうむ、良い反応だ。

“おいら”なんて漫画の世界でしか聞いたことないが、東方世界だってのと古代日本だとそれが普通なのかと思い、個性だと割り切って流す事にする。



「おいら達を負かしたんだろ。だったらこの首取ってなんぼの関係じゃねぇか」

「普通は、な。あー、どう言ったもんか……」



 勿論、ただの善意でこんな提案している訳ではない。

 この鬼達を通じて、萃香や勇儀―――他の鬼とエンカウントした時に、少しでも勝負にならないよう策を講じているだけ。

 基本、俺は自分と関わりのない相手の心配までする事は無い。

 過去にも言った気がするが、相手が頼ってきたとかならいざ知らず、見ず知らずの誰かの為にがんばれる心は持ち合わせていないのだ。

 それに、コイツらは食う為にここの里へ来たのだと言った。

 腹が減れば誰でも何かを食べるし、誰もが持っているその欲求を否定など出来よう筈も無い。

 ただ、仮に俺自身が―――大切な何かがその欲求によって襲われたのだとしたら、話は別だ。弱肉強食の摂理に乗っ取り、抵抗という名の虐殺を行う用意はある。

 よって、我が侭な俺の気持ちと生理現象を理解出来るが故の同情を脳内裁判にて考慮し、ここだけ襲わないで下さいと言ってみた。

 この出来事によって、前に見逃してもらった、とかそういった感じで話を広めてくれれば、少なくとも他の鬼達と出会った場合、即、死亡コースはないだろう。

 今の俺ではあの鬼四天王に名を連ねている両名に勝てる気がせず、仮にあったとしても、周辺への被害の大きさとか未だ試した事の無いデッキだったり制限だったり、自身の死を考慮に入れなければ勝ちを得るのには、とてもとても。

 死の門の悪魔は最後の手段その1で、【ハルクフラッシュ】も強い事には変わりないのだが、雑魚相手なら兎も角、トップランカークラス相手には如何せん決め手に欠けるのが今回の戦闘での印象だ。

 それに、ここで『萃香や勇儀さん達と仲良くしたいから』なんて説明してしまうと『何でお前がその二人を知っている』とかその辺の説明をしなければならない。

 それは不味い。

 知名度が高ければそれで通せそうなのだが、それ系の情報を仕入れていなかったので却下。

『実は転生前のゲームで……』なんて言える筈もなく、かといって鬼相手にまた嘘を付くのは頂けない。

 よって、ここは強引に流す事にする。



「まぁいいじゃないか。お前は敗者、俺は勝者。だったら大人しく言う事聞けってんだ」

「……分かった。従おう」



 すげぇ! 俺すげぇ! こんな厳つい相手を屈服させちゃったぜ!(注・凄いのは天使やゾンビ、勇丸です)

 勝敗を強調したせいか、口調まで従順になったのが気に掛かるが、これも弱肉強食の一環だと思って受け入れる。

 っと、とりあえず、幾つか確認しないといけないことがあるので聞いてみることにしよう。

 この辺を勘違いしていると、後々でしっぺ返しを受けてしまいそうだから。



「質問だ。鬼達の中ではお前らはどれくらいの強さなんだ?」

「……大体真ん中くらいだ」



 ふむふむ、これで鬼の強さの程度は分かった。これくらいで中なら、まぁ納得の範囲内だろう。対処出来そう的な意味で。

 能力も無さそうで、単純に豪腕の者が集まっているだけの相手。

 まだ上がいるのかという不安と、これで対策を講じられるという安心感が湧き出てくる。



「次。お前ら、嘘は嫌いか?」

「あぁ、大嫌いだ」



 即答。

 しかも“大”まで付くか。……さっきはすまん事したかなぁ。

 勘違いしてはならないのが、鬼は本当に嘘が嫌いかどうか、という情報。

 そしてそれは真実のようで、鬼という種族には、楔や自戒の類である、信念―――もしくは生き様を貫く者達なのだと判断出来る。

 幸いにして日本古事記というか東方プロジェクト通りの設定だった為、嘘を付くという地雷を回避するのは容易な部類だったが、これが未知だった場合には何かの拍子で踏みかねない。

 ここを怠ってしまったのなら、俺は諏訪大戦と同じ類の苦渋を味わう事になる。

 相手を知るには相手の恐怖―――嫌だと思う事を知りなさい、とサーヴァントとかで戦う話の某赤い悪魔は言っていた。

 その為には、少なくとも原作で知っている設定を鵜呑みにせず、せめて1度は自身で確かめてから行動を起こす方が良い。

 その辺りさえ履き違えなければ、俺は今後もやっていけるだろう。



「最後だ。……お前、酒好きか?」

「あ、あぁ……好き、だが……」



 いきなり方向性の違う質問に面食らったのか、若干詰まりながらも答えた。

 そりゃそうだ。俺だって同じ状況ならば返答に困る。

 で、鬼は酒好きって設定も合っていそうなので、媚売って仲良くなる為に、貢物でもしてみようかと思う今日この頃。……というか今。

 縁も出来た。勝負も勝った。後は今後の付き合い方だが、選択肢は『無関心』『嫌悪』『好意』の3つが思い当たり、だったら『好意』一択だろうと思って、手に持っていたあれを目の前に掲げる。

 それは、酒瓶。

 戦闘の初めから終わりまでずっと持っていたそれは、傍から見ればさぞシュールな光景だっただろう。

 ただ、それを見せられた一本鬼は、意味が分からないとばかりに困惑の色を浮かべる。

 そういえば瓶なんて代物は、今の時代じゃ存在しなかったか。

 村人達も初めてこれを見た時には何かの宝石か、なんて驚いていたし、今の時代は竹や動物の胃で出来た水筒、水瓶に瓢箪などが主流だった。

 このような、無色の入れ物など全く未知の物質だろう。



「お前、名前は?」

「……一角(いっかく)」

「一角か。似合ってるな、カッコいいし。俺は九十九って言うんだ。で、丁度凄く美味い酒を持ってるんだが……飲め」

「は、はぁ……くれるんなら貰うけどよ……」



 そう言って、蓋を開けた酒瓶を渡して、ジェスチャーでラッパ飲みをして見せ、はよ飲めと催促する。

 俺が持っているのは『純米大吟醸』万寿。

 最良という訳でもないが、それでもこの時代に現存するどの日本酒よりも美味いであろうという思惑はある。俺が気に入ってる部類の一つだ。



 訝しむ様子を見せながらも、恐る恐る―――じゃない!? こいつ、一気に酒瓶を傾けやがった!

 まるで胃へと直通しているかのように口に当てられた瓶の中身が減ってゆき、あっという間に空になる。河童と天狗は別としても、酒豪の名がこれ程似合う種族もそうは居ないだろう。

 2リットル近くあった液体が完全に消え、鬼……一角は、まるで魂が抜け落ちたかのような、恍惚とした表情を浮かべた。

 渡した酒に毒とか嫌がらせ用のただの水とかその手の考慮が全く無かったのは、俺を信用してくれたのか酒が好きだっただけなのか悩むところではある。

 どう声をかけたものか。

 酒の方はお気に召したようだが……これは樽で出すべきだっただろうか。



「……うめぇ」

「そ、そうか。気に入ってくれたようで何よりだ」

「もう、無いのか?」

「あるけど、疲れたかから今は厳しい。やったら気絶しそう」

「……まだ出せるんだな?」



 あ、あれ? 今のとこは『じゃあしょうがねぇな』みたいに引き下がる場面じゃなかったか。

 視線が結構致命的なレベルで睨まれていることが分かったので、ここは大人しく酒を出す事にする。やっぱ距離詰め過ぎたなぁ(汗

 ここで選択肢を間違えたのなら、さっきも言ったとおり、人生リトライだ。何としても回避せねば。



「あ、あぁ……仕方ない。お前、寝ている俺を殺そうとかはしないよな?」

「当たり前だ。勝負に負けて、こんな美味い酒まで出してくれる奴の寝首を掻くような真似、この角に賭けてやらねぇ。勿論、仲間にも言って聞かせる」



 殺気とはまた違った覇気に当てられて、ビビった俺は新しく酒を出す事にする。

 鬼が手を出さないと言うのなら、それは本当なんだろう。



 ……ただ、威嚇というか最後の駄目押しで、一応こちらの力を見せておこうと思った。

 そういう理由―――力の誇示的な意味もあるのだが、内心はもっと別の事を考えていたり。

 ここまでする意味は薄そうだが、やらないで何かあった時に、後悔したくない。

 それに、何度も言うが、こちらは勝者なのだ。

 少し位は役得があっても良い筈なのだ。自己満足的な意味合いで。



「嘘を言うようには見えないが、一応、もし破った場合には、酷い事になるってのを覚えておいてくれ」

「おいらが嘘を付くって言いたいのか」



 けれど、それら自己満足は相手を見てから行えばよかったと、蛇に睨まれた蛙状態になりながら思った。

 というかもっと事態は不味い方向へと行っている―――軽く逆鱗を撫でているので、本音全開のぶっちゃけトークで会話を進める事にする。

 じゃないと、瞬きをする間に俺の命が刈り取られてしまいそうで。

 ここは一つ、テンション上げて押し切ってみるとしよう。



「違うんだ。さっきのは建前で……ようはお前に自慢したいんだよ。俺はまだもう少し余裕がありますって。偉ぶりたいんだよ天狗になりたいんだよ敵に恐れられる俺最高とか思いたいんだよ! 言わせんなよ恥ずかしい!」

「あ、あぁ……す、すまなかっ、た?」



 黙っていようと思っていたけれど、勢いに任せて言ったのが功を奏したようで、一角はこちらの勢いに負けて何を許したのか分からない謝罪を行ってきた。

 とりあえずは流せたようだが、いやはや、参ったものだ。

 アルコールは殆ど抜けた筈だが、まだ何処かに残っていたのかもしれない。

 普段なら口に出す事の無い『カッコイイ俺目指してます』トークもダバダバと出てきている。これくらいで済んだのは、はてさて幸か不幸か。酒の勢い、恐るべし。

 ……けれど、俺が底の浅い優越感に浸りたくとも、使用可能なカード枚数は“七”。

 勇丸、ジャンドールから数えて、丁度七枚使い切ってしまったので、本来ならば、カードで何かするのは不可能であるのだが。



 ―――諏訪大戦で判明したレベルアップ、最後の一つが使用枚数の増加。

 従来までは七枚のみだったが、今回からは八を通り越して、九枚に増えていた。

 一段階ずつ制限が外れていくものだとばかり思っていたので、増え方の規則性が掴めないが、一足飛びでレベルアップしてくのは決して悪い事ではないので、とりあえずは諸手を上げて喜んだものだ。



 マナのストックは後1。枚数にいたっては二。

 マナ1の枚数二とはいえ、一応余裕を持たせて勝利を収められたことに安堵しながら、本当はこの戦闘中に使う予定だった呪文を思い描く。

 それは、赤の火力呪文。

 属性的に青に部類されそうなのだが、火力は赤が主流であり、破壊と混乱はこの色の特徴だ。MTG的には、赤を代表する呪文の1つである。

 見た目が派手で、低コスト。それでいてこのランクでは最高クラスの威力なのだから、過去に使った【ショック】や【焦熱の槍】が不憫でしょうがない。



 使う呪文は『稲妻』

 1マナにして無条件で3点のダメージを選んだ対象に与える、MTG界において、最高の火力呪文の一角として名高い、全ての火力カードの原点。



 同じ使用マナで、過去使った火力呪文の【焦熱の槍】が一点、【ショック】が二点。それらと比較すると、とりあえずその強さを何となく分かっていただけると思う。ちなみに1マナ四点ダメージを与えるカードは、デメリット付きでない限り存在せず、同性能の1マナ三点のダメージを与えるカードも、様々な制約付きでない限り存在しない。

 名前からして危険な香りがするので使いどころに悩んでいたのだが、こんな場面だ。しっかり効果を確かめてみるとしよう。

 さて、問題は何処に落とすか……なのだが。

 山や平原とかだと燃えそうなのでアウト。平原なんて見えないけれど。

 近場の木は論外で、後残っている場所と言えば……海。

 これは上手くいけば、海魚もゲット出来て一石二鳥だろう。



 考えもまとまったところで、改めて一角へと向き直る。

 余裕が出てきたせいか、ただ怖かっただけの顔も、今ではどことなく愛嬌のある表情を浮かべている気さえしてくる。気持ちの余裕って大事ね。



「分かった。そこまで言うのなら、お前を信じよう」



 嘘が嫌いという言葉を聴いた時から本当は信じていたのだが、『お前を認めたから俺は気を許した』的な台詞を言ってみる。

 

 そう言って、周りを取り囲む村人達へと体を回転させた。



「誰か! 俺が持っていた宝石の散りばめられた袋を……っておじさん」

「あ、あぁ……よく覚えてないんだが、持って来ちまった……」



 溺れる者が掴む候補にジャン袋を追加すべきだろうか。酒瓶を持ってきた俺が言えた義理ではないが。

 戸惑うおじさんに近づき、持っていたジャン袋を受け取る。

 皆の顔は先ほどと変わる様子はなく、まるで事態が飲み込めていないといった表情だ。

 説明しなきゃいけないかなぁ。いけないよなぁ。でも疲れてるし……一角に言ってもらうか。



「一角、後でここの人達に今までの出来事を説明してくれ。俺は疲れた」



 そう言って、返事も待たずにジャン袋に手を突っ込む。

 本当は樽で出したかったのだが、袋の取り出し口の大きさがサッカーやらバスケットボールくらいしかないので、もう少し小さめの―――ビアタンクとでも呼ぶのだろうか。

 鋼鉄かステンレスか。何の素材で出来ているのかは分からないが、金属製の、居酒屋の隅に置いてあったり野球会場で売り子さんが背負っているあの容器に酒が入っているのを思い描きながら、取り出した。

 普通はビールやらコーラやらの炭酸飲料を入れておく容器だった筈だが、まぁこういう使い方もありだろう。

 この線で合金とか貴金属とかの、金属チートとかも考えてみるかねぇ。

 金属製の容器もはやり始めて見るようで、鬼どころか村人達まで何を出したのかと覗くように、けれど彼らは近寄れずに遠巻きに眺めている。

 それを、十本。

 大体一つが二十リットルくらいだから、結構な量を出したと思う。

 出し入れだけで腕がパンパンになりそうで、さらに召喚の疲労から、戦闘の累計も合わさって、今にもぶっ倒れてしまいそうだ。

 もはや立っていられずに、どかりと胡坐を掻いて地面に座っている状態に陥っているのが今の俺。

 このまま宴会に突入出来そうな格好だが、それをしたのなら。俺はすぐさま気絶するだろう。



「ここをな? こうやって緩めると蓋が取れるから、それで中身を取り出して飲んでくれ」



 そう言って、開け方を実演。

 推奨している方法がタンクからの直飲みだが、先ほどやっていた一升瓶のラッパ飲みを思い返してみれば、それでも問題はないだろうと内心苦笑する。

 酒が絡んでいるせいか、一角の目つきは真剣そのもので、俺の一挙一動を逃さないとばかりに目を皿のようにして観察していた。



(鬼にビアタンクの使い方を教える人間ってのも、何ともいえない状況だよなぁ。写真にでも撮りたいねぇ)



 写真かぁ。撮れるものならこの光景を残しておきたいと思いつつ、一角が実際に蓋を開けるのを見届ける。今度は絵でも描いてみるか。

 パカッっと子気味の良い音を立てて開いた蓋に、驚きと小さな感動で鬼の表情がコロコロと変わる様は、とても貴重な出来事であったと思う。

 そして、ここからが問題なのだが……。

 このビアタンク、言うまでもなく俺の時代で普通に使われていた代物の一つである。過去にジャン袋で出した食材―――と一緒に出てくる食器類。

 当然これらの品々を残しておくとタイムパラドックスやら何やらが起こりそうなので、これらの処理は、それを取り出したジャン袋に再度突っ込んで念じれば消える、という方法を発見し、そうやって解決していた。

 出した後の処理までしてくれるなんて、ジャン袋万能過ぎ。

 とはいえ何でも回収してくれるものではなく、あくまで袋から出したものだけを処理するようで、食べ終えた食い散らかしの中に他の料理が混ざっていたりすると、少し悲惨な結果になるのだが。



「……おーい! おじさん! 後で漁に出て行くと良いよー。魚が一杯水面に浮いていると思うからー!」



 遠巻きその一と化していたおじさんへ『投網の修理をしていたのだから、恐らく職は漁師なんだろう』とかいい加減な決め付けで声をかけ、ようやく夜も明けてきた海へと視線を向ける。

 あぁ、良い夜明けだ。“日本の夜明けぜよ”とか内心で某偉人風にキメながら、対象を沖合いに定めて……。



(【稲妻】発動!!)



 撃った。

 途端、視界を朝日より赤白い光が満たす。

 耳を覆いたくなるような雷鳴が響き、一本どころか幾本もの閃光となった【稲妻】が、“この辺”と思った箇所に降り注ぐ。

 幾筋も閃光が走り雷鳴がつんざく空に目を細めながら、至近距離で使わなくて正解だったと安堵。

 効果は数秒もしないうちに終えたが、瞬時に立ち込めた大量の水蒸気が、その威力を物語っていた。

 これで三点ダメージなのだから、クリーチャーと呪文の数値は別計算なのだろうかと朦朧とする思考の中で、俺の意識は闇へと溶けていった。





[26038] 第18話 崇められて 強請られて
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 17:49






 目が覚めた時に、見慣れない光景であることの多いのが、物語りの主人公というものだろう。

 そこから新しいストーリーが始まり、胸躍らせる展開が広がってゆく。

 アニメや漫画、ノベルでは、お約束の手法。

 俺自身も、2度。転生直後と諏訪大戦終了後に味わった。



 だからこれも………



「おお、九十九様がお目覚めになられたぞ!」

「皆の者! 祈れ! 祈るのじゃあ!」

「頭が高いぞ! もっと低くするんだ!」



 ………まぁ………なんだ。

 想定の範囲内といえば、範囲内なのだろう。
















 差し込む光の加減から判断して、今は大体お昼くらいだろうか。

 傍らに佇む勇丸は無言。

 というか現状を分かっていても、俺に対して害の無い行為だと判断した為に、護衛に徹しているだけっぽい。

 気絶してても勇丸を維持し続けていられることに大きな躍進を感じながら、辺りを見回す。

 誰の家だか分からないが、この村にしては結構大きな家。

 そこに俺は寝かされていて、玄関先で様子を窺っていたであろう2~3人の村人が、呼び掛けに反応して続々と集まってきており、順に外で傅(かしず)いてゆく。

 では、一体何故室内に入って来ていないのかというと………、



「おぉ、起きたか九十九」



 俺の周り。

 寝ていた布団の周囲に10人前後の鬼達が………睨みながら視線を向けてきた。

 うは、死にそう(汗

 そう思っているのだが、勇丸はそんな彼らに顔すら向けずに、家の唯一の出入り口へと警戒心を傾けているだけだった。殺す気は無いって事なんだろうか。

 そんな中、声の主である鬼の一角が陽気に声を掛けて来る。

 声色に何となく喜びが含まれている気がするのだが、どうにも悪い予感しかしない………少なくとも、良い予感は全くしない。



「あぁ、えっと………おはようございます」

「お、おぅ。おはよう」



 丁寧な挨拶に驚きながら、一角は挨拶を返してくれた。

 何はともあれ挨拶は大事だ。

 人間関係のコミュニケーションの第一歩だよね。相手は人外の代表だが。



「一角………現状説明よろしく」

「俺が説明したらこうなった」



 それは分かってんねん。

 だからそこに至る過程の説明をしくれっちゅーとんねん。



「お、恐れながら、私で宜しければご説明致しますが………」



 そう進言してくれたのは、飲み会の席で紹介された、ここの村長だった。

 白髪の低身長の猫背。杖は持っていないが、いかにも“村長”って印象の背格好をしていた。

 この魔窟と化した室内にいる、ただ一人の純粋な人間。

 その目には、若干の恐怖と畏怖が溶け込んでいるのが窺える。

 周りに居る鬼達を警戒して………かと思ったが、彼のまとう空気で、鬼との戦いで使用した天使やゾンビといったカード効果を、俺の後ろに煤けて見ているような感じだった。

 今までの俺を見る目は大道芸人のような扱いだったのが、一転してこの変わり様。

 無碍にされてきたけれど一気に成長して立場逆転。な展開は好む所なのだが、そういったものは見下していた相手がいてこそ成立するもので、そこそこフレンドリーになっていた関係から今の状況では、寂しさだけが先行する形となって、心に若干の冷たさを残す。



(これじゃあ大和に居た時と大差なくなっちゃうなぁ)



 過去の対応から、この手の印象は中々拭えないものだと経験しているので、何かを諦めるように、村長の対応の変化には黙認する。

 それに、俺自身も痛いほどよく分かるのだ。

 自身の殺生権を、気分や指先1つで決めてしまえる相手に対して“仲良くしろ”というのが無理な話である。

 このような展開には今後、慣れていくしかないのだろう。

 そう、ぼんやりと思った。



(何はともあれ、現状を把握しないと)



 悲観的になったせいか、状況を冷めた気持ちで観察してみる。

 すると、周囲を見回しただけで、昨晩の出来事が誰に言われるまでもなく漠然と理解出来てしまった。

 食い散らかされた小皿や動物や魚の骨に皮。

 何より、空になっているであろう、ひっくり返され、所々に傷や凹みのあるビアタンクを見れば、自ずと答えは導き出される。

 それでも、はやり誰かの口から状況は聞いておいた方が良いよなと考え直して、改めて村長に訊ねる事にした。


「じゃあ、すいません。説明をお願いします」














 大分人口の減った家屋に、俺と勇丸、一角に村長の4人が、部屋の中央に備え付けられている囲炉裏を囲って座っている。

 鬼達がひしめき合っている先ほどの状況では、村長の心臓が止まりそう&俺の心臓も止まりそうだったので、出て行ってもらったのだ。

『すいませんが、皆さん退出してもらえますか』と言うのにも胆力が必要だったが、意外にもすんなりと意見を聞き入れてくれて、驚いたものだ。

 渋々家から出て行く鬼達を尻目に笑う一角が『ありゃあ、お前の酒目当てさ』と言ってくれたので、寝起きのギンと刺さる視線の意味も理解出来た。



 大体の経緯が分かり、俺へと殺気に似た意思をぶつけて来た鬼達へと話が移る。

 なんでも、俺が倒れた後に目覚めた他の鬼達に―――今までに飲んだ事の無いほど美味い酒を味わった―――と、一角が用意したビアタンクの半分以上を空にした後で言ったらしい。

 で、1人でそれだけ飲んだものだから、当然他の鬼達に配分される分量は少なくなる。

 まして鬼とはかなりの大酒飲みなのだから、各2~3リットル程度じゃ舌は楽しませても腹を満たすまでには到達しなかったのだとか。

 美味い酒を味わって、“待て”を言い渡された犬のように、鬼達は酒を生み出してくれる俺が目覚めるまで、首を長くし、視線で壁に穴が開きそうなくらいに待っていたそうだ。

 何人かは叩き起こしてでも酒を出させようと行動に移ろうとしたのだが、それを一角や勇丸が目線だけで鎮圧していた―――と。玄関で動くに動けず様子を見守る羽目になっていた村長から聞いた時は、今自分の命があることに安堵し、2人に感謝たものだ。



 その後、村長から今までの出来事を聞いた。

 鬼達がココへ襲いに来た事。

 それを俺が式神を使い撃退した事。

 見たことも無い酒や食材を出し、天候を操り(稲妻の効果)、羽の生えた高潔な者から醜悪な異形の者まで使役、もしくは生み出している事から、ただの人などではなく、かなり偉い神様なのではないか、と予想した事。

 顎で使うような真似をしたり、色々と無礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした許して下さい。と最後に付け加え、村長は再び額を地面に擦りつける様に頭を下げる。

 こういった状況は、俺があれこれ言うのも変に話が拗れるだけだと分かっていたので、ここは若干の弁解を入れつつ、一応相手の思う象徴になったつもりで、事を済ますとしよう。



「面を上げてください。俺は何も気にしていませんし、あなた方に対して何かしようとも思いません。むしろ、変に気を使われるより嬉しかったんですよ? ですので、難しいとは思いますが、今後とも前と変わらない態度で接していただければ嬉しいです」

「は、ですが………しかし………」

「無理にとは言いません。極力で構いませんので、ちょっと凄い人、程度を目指してもられば、それで」

「はぁ………そう仰られるのでしたら………何とか………」

「はい、お願いします」



 何か言いたげな村長を尻目に、とりあえず納得させたっぽいので一安心。

 神であることは否定しなかったが、もう好きにしてって感じで、その勝手な解釈による後付設定は忘れる事にする。

 今後同じような事があった場合、一々誤解を解くのはかなりの手間が掛かりそうだ。諦めて、いっそ神と名乗ってしまおうかとも思い悩む。



「なぁ、九十九」

「な、何だよ」



 一角が、覗き込むようにこちらを見る。

 面と向かって対峙すると、その威圧感がピリピリと肌に感じて、神気とはまた違った居心地の悪さを与えてきた。

 狭い室内に、2Mを超えようかという大男の鬼が居て、その角は天井に刺さってしまいそうなほどご立派なものだから………逆立ちする亀や背筋を伸ばして移動する猿を見たような、そんな気持ちを掻き立てられる。



「酒、飲みたいんだ。出してくれ」



 その珍獣が、手に持っているものを差し出してきた。

 一体何が、と目を向けてみれば、それはかつて“ジャンドールの鞍袋”と名の付いた、煌びやかな宝石袋であった。

『あぁ、この袋も消えずに残っていたのか』なんて思ったのも束の間―――それが今では、ボロ絹のような醜態に………。

 装飾品は所々欠損し、真っ二つに引き裂かれたその姿は、どこをどうすればこのような状態になるのか、俺を悩ませる。



「何やったんだ」

「あ、あぁ。みんなが酒飲みたいって―――」

「分かった。もう分かった。何も言うな」



 ボロ雑巾になったジャン袋を消しながら、搾り出すように答えた。

 頭が痛くなる。

 思わずため息がこぼれ、あぁもう、という気持ちで胸が一杯になった。

 今の言葉だけで、この惨状が出来上がるまでの工程が用意に想像出来る。

 という事は、だ。

 過去、ジャン袋を他人に使わせた事は無かったが、どうやら俺以外の相手には能力を使用出来ないようだ。

 きっと『これを使って酒を出していたんだぜ!』とかそういったノリで色々弄繰り回した挙句、このような無残な姿を晒す事になったのだろう。



「………一応、その袋、俺のなんだよ。………何か言う事は無いのか?」

「ここまでやらかしたら、言葉なんて酒気の抜けた酒のようなもんだ。覚悟は出来てる。ドンと来い!」



 そんな言葉は知らないが、ニュアンスは何となく伝わってくる。

 だが、それが何の慰めになるというのだろう。

 何故胸を張る。何故自慢げな態度なのよ。少しはバツの悪そうな顔をしなさい。

 しかしカードでも使わない限り、俺がどんな攻撃をしてもコイツはケロっとしてるであろう耐久力を持っている。

 ………ムカつくぜ。

 ということで、バッターチェンジ!

 背番号19~、今田家の猟犬、勇丸~。



「勇丸、良いか? あの角が骨だと思え。きっと齧り甲斐あるぞ。バリバリ良い音がする筈だ」

「ぬお! 誰かにやらせるなんて卑怯だぞ!」



 すくと立ち上がった勇丸よりも早く、一角は非難の視線をこちらに向けながら、角をサッと両手で隠した。

 何が卑怯だ。そんな顔したいのはこっちだっつぅの。

 というか、お前の角、めっちゃ頑丈じゃないか。ゾンビに殴られてもビクともしなかっただろうに。齧られるという行為が生理的に嫌なんだろうか………。



「もういいや………。で、経緯は分かった。一角達は俺が出す酒目当てで残った、と。そういうこと?」

「あぁ、出せるんだろ? 酒。ぶっ倒れる寸前でそこそこな量を出せたんだ。休んだ今ならもっといけるよな?」

「(ビアタンク20本がそこそこって………)………いけるけど、何でそんなにお前らへ奉仕しなきゃいけないのよ」

「飲みたいから」



 ………俺はサービスする理由を聞いたんだっつぅの。お前の理由なんか聞いてないってぇの。

 さっきといい今といい、本当、少しは悩んで言葉を出しなさいよ、もう。



「じゃあ何かくれよ。奢りっぱなしじゃ面白くない」

「んー、じゃあ打出の小づt………」

「―――待て、それはいけない」



 今サラッと日本童話の伝説級アイテムの名前が挙がった気がする。

 それを貰ってしまったら、恐らく小さな人の物語が日本から消えてしまうだろう。というか、実話だったのか? あの話。

 ってかそれを使って酒を出せないもんなんだろうか………。出せないんだろうな。俺に頼るくらいだし。

 どうもこれ以上物を催促すると、やばいことになりそうだと判断。

 酒を出せ、という要求を飲む事にし、仕方なく他の案を考える。

 コイツの目を見て分かったのだ。

 俺がこの事態を回避するには、言葉では防げず、殺す殺さないのところにまで行かなければならないのだと。

 逃げたら何処までも追ってきそうだし。



 さて、ならどうしたものかと有効そうな要求を考えてみる。

 アイテム系は色んな意味で危ないからダメ。なら約束を増やしてみるか、と都合の良い案を探す。

 俺に一生服従? ………面倒見きれない&見たくないので却下。

 萃香や勇儀を紹介してもらう? 自分から墓穴を掘る必要もない。

 ならば、鬼達と出会った時にいざこざが起こった際のストッパー係りが無難なところだろうか。

 ただ、他の鬼ならいざ知らず、四天王を相手に、それより下の者が対処し切れるとは思えない。

 ………仕方ない。別に今すぐ決めなければならない、という訳でもないのだ。お願い聞いてもらう券は、今後の為に取っておくとしよう。



「じゃあ、いつか俺の頼みを聞いてくれよ。あんまり無茶な事なら断って良いから」

「何水臭い事言ってんだ。頼みたいならいつでも頼め。何度だって答えてやる」



 ………いつの間にそんな間柄となったのか分からないが、ちょっと発言が男らしいと思ったので、それでも良いかなと考えてしまう。

 ―――これって、つまりは友達かな? という考えに辿り着いた。

 大和でも男の知り合いは居たが、誰もが偉い人やら神といったフィルターを通してしか接してくれず、唯一友達のように付き合ってくれた例外は子供達位だったけれど―――大人の相手だって欲しい。

 友情にも様々な形があるのは分かっているつもりだが、今の俺は無邪気にはしゃぐだけの関係では満足出来なくなってきている。

 自身の価値観を共有出来る相手が欲しいのだ。



 ………相手は、鬼。

 人を襲い、妖怪を束ね、強き者として君臨する日本妖怪の頭。

 人間側から見れば、恐怖以外の何者でもないだろう。

 幾ばくかの良好な関係がある人や村の話は聞き及んでいるものの、どれも御伽噺の域を出ない程度。

 この鬼――― 一角だって、村への襲撃は初めてではない筈だ。

 それはつまり、過去何度も村を襲い、人々を食ってきた事に繋がる。



「………一角」

「おう」

「お前、今まで人間を何人くらい食った?」

「………女子供含めて、100人以上は食ってる。何だ、やっぱり首が欲しくなったか?」



 俺が何を聞きたいのか理解したのか、少々考え込む素振りを見せ、返答に態々“女子供”まで付け加えてきた。

 意図を掴んでいてそれを言ったのだ。

 自分の発言1つで、また先ほどの戦闘が起こりえる事など分かっているだろうに。

 けれど、何ら後ろめたい出来事など無いと言わんばかりに、真っ直ぐに答えてくれた。

 人を襲い、人を攫い、人を喰らい、人に恐れられ。

 因果応報の覚悟を伴い、自分が決めたの“理”に身を委ね貫き通す。

 貫く姿勢への憧れと、平穏を謳歌していたであろう人々が無残に食い散らかされている場面が脳裏を掠め―――。

 

「………いや、いいんだ。ちょっと聞いてみたかっただけだから」



 俺は人間寄りの勢力では無くなってきているのかもしれない。

 見ず知らずの他人とはいえ、仮にも同じ種族を捕食する相手に対して好意を感じているのだから。

 この辺はアニメや漫画の“偏ってる俺カッコイイ”の影響なのだろうか。

 明確な理由は言葉に出来ないが、『我ながら変わっているな………』と自分を他人事のように、そう思った。



 ………とりあえず、これは保留だ。

 何も今結論を出す必要も感じないし、二つの狭間で苦悩する主人公を演じる気も無い。

 答えを出さなければならない時になったら、自然と心が判断してくれるだろう。

 何より、先ほどから続々と集まってくる村人達が地面で土下座をし続けているというのが、心情的に頂けない。

 こっち側の話に集中し過ぎたか、と20を超える人々を見ながら、この状況を解散させるべく声を掛けた。



「後は私と鬼で話をつけますから、皆さんは各々の仕事へ戻って下さい。………一角、壊した家、直しておけよ。じゃなきゃ酒はやらん」

「分かった。すぐ取り掛かる」



 そのまま、有無を言わせず入り口に向かい、周囲に居た鬼達へと声を掛けながら遠ざかっていく。

 海を割ったモーゼの如く、村人達に距離を取られながら、おじさんの家へと向かっていく。

 それに刺激されたように、周りに集まっていた人達も散り散りになる。

 ………村人だけを解散させるつもりが、指示の出し方を間違えて、全員居なくなってしまった。

 今までぎゅうぎゅうだった室内が急に閑散として、1人と1匹がぽつんと残される。

 な、なにこの放置プレイ。 

 唐突に手持ち無沙汰になった俺を慰めるかのように、勇丸が鼻を腰へ軽く擦り付ける。

 うぅ、すまんなぁダメな主で。

 頭をワシャワシャ掻いてやると、相棒は気持ち良さそうに目を細め『いつまでも撫でてくれ』―――と。言葉にも態度にも出さないが、何となく俺がそう思ってるんだろうなと感じたので、撫で続けることにした。





[26038] 第19話 浜鍋
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/08 19:48





 やや肌寒い風が、俺が休んでいる屋内を通り過ぎる。

 日も傾き、そろそろ夕暮れに差し掛かる時間帯。

 誰が訪れる事も無く。自身も動こうとしない為、外から聞こえてくる木を打ち付ける音や、時折響く人々や鬼、鳥などの獣の声だけが俺の周りを支配していた。



 今回の出来事―――戦闘を振り返る。

 戦果は快勝。

 苦戦する場面もなく、体力面での時間制限は問題だが、中ランクの鬼達相手にこの出来栄えならば、ギリギリ及第点の自己評価を付けても良いだろう。

 しかし、改善点が多々出てきたのは、喜ぶべきか悲しむべきか。

【ハルクフラッシュ】

 数十体の天使と、1体のゾンビによる軍団。

 俺の体力が増えたのなら、いずれ天使達は三桁の大台にまで増やす事が出来るだろう。

 けれど、元の数値が2/2である天使達の攻撃は、恐らく3/3~5/5である鬼達の進行を止めるのにも一苦労。

 切り札であった30/30以上の修正を受けていた筈のゾンビは、どのような制約が掛かったのか、その馬鹿げた数値が発揮されているとは思えない状況を一角との戦闘で示唆していた。

 つまり、仮に一騎当千や国士無双級のエース………ここの世界を基準に考えるのなら、絡め手が主体なスキマや亡霊姫といった方々は除外するとしても、鬼の四天王やスカーレット姉妹、フラワーマスターに、神の残り火を使う鳥さんなどが出張ってきた場合への対抗が難しい。

 ……神奈子さんが味方で良かった。最悪泣き付いて助けてもらうのも……あ~……壮絶にカッコ悪い展開なので、最終手段の1つに入れておく事にしなければ。

 選択肢は無いよりあった方が良いだろう。絶対回避したい事態ではあるが。

 で、対抗策を考える事にする。

 雨だれ石を穿つ作戦はやや効力に難有り。よって、小出しに連続でダメージを与える線ではなく、1発に威力を集中させる………先の【死の門の悪魔】などの、大体5/5以上を指す場合が多い【ファッティ】と呼ばれる大型クリーチャーが望ましい。

 よって、1枚で多大な効果を発揮するカードを使うのが無難、ということなのかもしれない。

 と、前方に誰かの気配を感じる。

 どれ、と顔をそちらに向けてみれば―――玄関に男が1人。



「おじさん……」

「……おう」



 体の所々が濡れ、水浴び………な訳はないから、恐らく漁から帰ってきたのだろう。

 手には何も持っていないようだが、乗っていた船にでも置いてきたのだろうか。

 ただおじさんは、家を壊されている。現在鬼達が急遽建造しているとはいえ、思い入れがあるものであった筈だ。

 俺の気持ち1つで鬼達を許し、この村への略奪を止めるように言い聞かせたが、村人達の………家を壊されたおじさん達の不満が消えた訳ではない。

『力のない者の宿命だ』とか言ってその手の考えを切り捨てても良いのだが、生憎それを行うには、親切にされ過ぎた。情の1つくらいは移ってしまう。



「……体は、もういいのか?」

「ええ、お陰様で。全快とまではいきませんが、普通に生活する分には何の支障もありませんよ」

「そうか……」



 そう言って、おじさんは言葉を切った。

 いや、何か言おうとして、それが口に出せないでいる様だ。

 そのまま、俺達の間を風が通り過ぎる。

 視線を泳がせ、何度か口を湿らせて。

 そして、意を決したように、ぽつりぽつりと話し出した。



「……今更なのは分かってる。言葉遣いも同じだ。謝って済むとは思っていないが、言わせて欲しい。―――済まなかった。俺に出来る事なら何でもする」



 済まなかった、の部分で、玄関先の地面に頭を付けて、土下座を行ってきた。

 参った。

 雰囲気からして予想はしていたけれど、おじさんからすると土下座するレベルの問題だったらしい。

 気にしていないと村長に言ったばかりだった故か、まだおじさんには伝わっていないようだ。

 この村で一番良くしてくれた相手だっただけに、この変わり様は、中々に応えるものがある。



「……謝罪を受けます。ただ、私はあなた方と接していて、一度たりとも気分を害した事はありません。ですので、出来る限り今まで通りに接してくれる事。これが、私がおじさん―――この村の方々に望む事です」

「九十九……兄ちゃんは……それでいいのか?」

「良いも何も、それを望んでいるんですよ。鬼退治とか雷を落とすとか色々やりましたが、これでも小心者でして。平伏されるよりは、手を手を取り合って笑顔でいたいんです」

「……そうか……分かった。言うとおりにしよう」



 何とか条件は飲んでくれた様で、渋々……というよりは『これで本当に良いのか?』といった様子で引き下がってくれた。

 しばらくはギクシャクした関係になるだろうが、このおじさんとは、また元通りの接し方に戻って欲しいという願いがあった。

 真っ白い犬を連れた真っ白い男と、見るからに怪しい相手を自分の家に招き入れ、宴会の席では、俺と村人との架け橋を買って出てくれた親切な人。

 一度優しさを知った分、そんな人から今後ずっと他人行儀にされた日には、俺の心にはまた1つ、消えない傷が残りそうだ。

 なので、少しでもこの空気を払拭するべく、別の話題に切り替える。



「あ~、おじさんは、漁の帰りですか? 鬼とか居て大変だったでしょ」

「―――そうだな、俺なんかあんまり怖いもんだから、お前の言ったとおり、すぐ漁に出ちまったよ」



 こちらの意図を察してくれたようで、少し詰まりながらも返答をしてくれた。



「確かに。あいつらおっきいですからね。威圧感とかハンパないですよ」

「お陰で村長がみんなの代表という名の人身御供になって、お前の世話をする事になったんだぞ。あの鬼達が宴会やらかす中で。……とても生きた心地はしなかっただろうな」

「うっ、そうですか……。後でお礼言っておきます」



 それは何ともバツの悪い役目を押し付けてしまった。

 意図せずの結果とはいえ、俺の為に老骨に無理打ちながら、がんばってくれたのだ。

 後でお礼の1つでもしておこう。



「―――お礼と言えば、こっちもまだ言ってなかったな……。ありがとう、九十九。お前のお陰で、村の人間は全員無事だ。助かったよ」



 そう言って、おじさんは潮風と土埃で汚れた顔を、笑顔で飾りながら向けてきた。

 思えば、村長からは許しを請う言葉しか受けとっていなかった。

 神が生きる時代から、日本人とは謝罪を第一にするものかと思いに耽ると同時、感謝を言ってくれたおじさんに心が温かくなる。

 過程はともあれ、誰かに感謝されるのは気分が良い。

 今後はこのような場面に出会ったら、謝罪と同時に感謝を述べるように広めていこうと思う。

 ……状況を鑑みるに、少なくとも今回起こった状況下でそれをするのは、すっごく言い難いだろうけれど。



「そう言って貰えて何よりです。がんばった甲斐がありました。今、おじさんの家とかその他壊れた諸々を鬼達に直させてますんで、何日か分かりませんが、しばらく待っていて下さい」

「鬼の手作りか……縁起が良いやら悪いやら―――くくっ」

「ですかねぇ……ぷっ」



“災害を擬人化したような相手が作る家に住む”というコンセプトが互いにツボに入ったようで、それぞれ忍び笑いから、声を荒げての笑いに変わる。

 先程までの空気は嘘のように消え去り、今はただ馬鹿話に花を咲かせる男が2人―――と1匹。



「そういえば、ちゃんとした紹介がまだでしたね。俺の事は言ったので……こいつは俺の友達―――や、その他諸々を兼用している、勇丸って言うんです。とっても頼りになる相棒ですよ」



 傍らで顔を伏せていた勇丸に視線を向け、こいつがそうですよ、と示してみる。

 そんな忠犬はその意図を組み、おじさんの方へ目を細めながら、軽く会釈をして、また顔を伏せた。
 
 ちょっとドライな挨拶だが、元々あまり感情などを表現することの少ない奴だ。これくらいは愛嬌の内に入るだろう。



「ただの犬じゃねぇとは思っていたが、賢いワンコなんだな。おっと、俺の名前は太郎。宜しくな、勇丸」



 告げてから、勇丸の伏せられた頭を、ごつい手でわしゃわしゃと撫でる。

 相棒はちょっと迷惑そうに鼻息を一つ吐くと、後はただされるがままに状況に身を任せた。

 ……ってか、これだけ一緒に居て、未だにおじさんの名前を尋ねていなかった事へ、自分自身に対して軽く驚いた。

 転生前はそんな事無かった筈だが、こっちに来てからは気づかない内に、名前に対してはあまり執着しないんだろうか。

 それとも東方世界で作品に出ていない方々への世界的な修正なんだろうか。まぁ、細かい事は気にしないでおこう。

 しかし、太郎か。

 ……ありきたりだよなぁ、まさにモブその1の名前って感じじゃないか(かなり失礼です)。



「そういえば、おじさんってさっきまで漁に行ってたんですよね。どうでしたか?」



 名前を知った直後だが、名前で呼ぶのも照れ臭いので、おじさんで通す事に決めた。

 そんでもって、あの後おじさんは何をやっていたのかが気になって尋ねてみたる。『収穫量はどうなのよ、と』。

【稲妻】をぶっ放した張本人としては感心が大いにある訳で。

 これが成功していたら、上手くすれば簡単に大量の食材をゲット出来る方法が確立する。

 ただ、生態系への影響が怖いってのもあるので、あまり多用出来るものではないのだけれど。



「おお、お前の言ったとおり、大小色々な魚が浮いててな。投網をすくう様に使ったのは初めてだったな。期待していいぞ。今夜は浜鍋だ!」



 ニカッと海の男らしい笑顔を作り、心底嬉しそうに話してくれた。

 喜んでもらえて何よりだと思う一方、作ってもらえる料理に若干の不安が過ぎる。

 浜鍋。

 確か海産の幸をこれでもかと大鍋に投入した具沢山の“味噌”汁を思い浮かべるのだが………。



「浜鍋、ですか。どんな料理なんです?」

「おう、取ってきた魚を適当な大きさに切って、それを大鍋でざっと煮込んで食べるんだ」

「塩味ですか?」

「? そりゃそうだろ。お前のところだと、他の調味料でも入れて食うのか?」



 予感的中。

『何言ってんのお前』的に返答された内容に、思わず眉間に皺が寄る。

 海産の塩味スープ。悪くは無いのだが、やっぱり数年前まで世界中の調味料が手に入る国で過ごしていた身分としては、それだけの味付けでは腹は膨れても心は満たされそうに無い。

 思えば歓迎会と名ばかりの宴会では、酒は振舞ってもおつまみ―――食べ物系は殆ど出していない。

 というのも、宴会開始時に用意されていた料理が多すぎて、俺が準備しなくても充分な量が確保出来ていたからだ。

 新しく大量に品を出して、他の食べ物を腐らせる気はなかったので、何かお礼にと思って出したのが、浜辺では入手困難そうなキュウリの浅漬けとかそういったものだっただけ。



(そういえば味噌とか醤油とかは振舞ってなかったもんなぁ)



 そうと決まれば即行動。

 体力は………全快ではないが、大体は回復しただろうか。夜にでもなれば元通りになるだろうし。

 これなら一角の要望に応えられるだろうかと目安を立てたところで、固まった体を解しながら立ち上がる。



「おじさん、料理なんですが、俺に作らせてもらえませんか?」

「おいおい、主賓に宴会の準備をさせる訳にゃあいかねぇだろう」

 

 それはそうなのだが、それを許してしまうとちょっと残念な未来が待っているので、出来れば回避したい。



「料理作るのが趣味なんですよ。最近はあまりやっていなかったんで、久々にたくさん腕をふるう機会なもんですから、是非にと思いまして」

「料理……ねぇ……。そうまで言うなら良いけどよ。村全員が参加するんだ。昨日よりも少し増えるぞ?」

「あれ、昨日集まったのが全員じゃないんですか?」

「山に狩に行っていた連中がいたからな。本来ならまだしばらく山に篭って猟をするんだが、こんな事態になっただろ? お前がぶっ倒れてからしばらくして、村長がそいつらを呼び戻す為に狼煙を上げてるんだ。夕暮れ前には戻ると思うぞ。八人、だったか。今回行った奴らは」

「分かりました。―――今回は今までに無いくらい大量に作らないといけないですからね。鬼的な意味で」

「………そうか、あいつらが居るのを忘れてた。やっぱり宴会は一緒にやる流れになるのか? 申し訳ないんだが、こっちの様子次第じゃあ俺達は不参加って形になるかもしれん」

「その場合は仕方ないですね。あんな魔窟の中で宴会をしたい、なんて思う方が稀ですし」

「すまんなぁ兄ちゃん」



 すまなそうにするおじさんだったが、その気持ちは充分に分かるので、苦笑で返事をする。

 ここの人達には次回により豪勢な食事やらを用意して勘弁してもらおうと思う。



「じゃあ、ここの辺りで一番大きな台所あったら貸して頂けますか? 出来れば食材も」

「右隣の家が結構広かった筈だから、話をつけておくぞ。後、食材は半分くらいは残しておいてくれれば良いさ。どうせ村の全員で一生懸命食べても、食べ切れずに腐らせちまうしな」



 保存用にも限界あるしな、と。

 そう締めくくって、おじさんは隣の家へと向かって行った。

 鬼の宴会を取り仕切る羽目になるとは思ってもみなかったが、あれだけの大酒飲みなのだ。きっと食べる量だって凄い筈。

 恐らく今までに無いくらいジャン袋を多用する事態になるだろうと予想しながら、俺と勇丸もおじさんの後へと続いて出て行った。





[26038] 第20話 歩み寄る気持ち
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/08 19:48





 借りた大鍋に、おじさん達から貰った海産物をごそっと入れる。

 獲れた品物はカニ、サケ、つぶ貝、ウニなど。中々の高級食材に俺の期待値は鰻登りだ。

 野菜も思ったよりたくさんあって、物足りないやつはジャン袋で補填。

 50人分くらいは一気に作れるのではないかと思えるほどの大鍋でそれらは茹で、煮られ、徐々に完成度を高めてゆく。

 そこへ、酒、昆布と、鰹節を少々………いや大量? と、日本が生んだ万能醗酵物の1つである味噌を加え、さっとひと煮立ちさせたら、出来上がり。

 多分、後数十分もしないうちに、料理は完成するだろう。



(あぁ、この味噌と磯の香りのコラボが大和魂を揺さ振るぜ………)



 やはり日本男児たるもの、米、味噌、魚に醤油は外せないのではないか。

 いやいやそれを上げるのなら沢庵だって………そういえば梅干も………。うぅむ、上げてみればきりが無いな。

 そんな事を思いつつ、木製のお玉で救い上げた浜鍋を味見しながら、魂に刻まれているであろう日本人としての心が、味噌に共振している気がする。

 だから、周りで五月蝿くしている一角やその仲間達。

 そして、村の方々が今か今かと首を長くしながらこちらに向ける視線も理解出来るというもの。

 しかし。



(空気重っ!)



 俺を取り囲むように、けれど決定的な溝がある、この状況。

 初めは、本当に鬼達と俺と勇丸オンリーの宴会だった筈なのだ。

 それが浜鍋を作っている際に漂う匂いに引かれたのか、続々と俺の周りを囲うように見守る村人達の輪が出来上がり―――けれど鬼と混ざる事は無く。

 時折チラチラと鬼達に何か言いたげな目線を向ける村人に、何故か俺までバツの悪い心境に陥りそうになる。

 あまりに居心地が悪いもんだから、料理へ没頭する事で現実逃避をした。



 そうしていたら、いつの間にか人間vs鬼の構図で陣営が分かれ、俺はそのソードラインとでも呼ぶべき位置に、どっちに付く事もなく立ち往生するハメになっていて………。

 方や村長率いる村人集。

 方や一角率いる鬼軍団。

 睨みあっている訳ではないのだが、どう表現したものか。あの自由奔放な鬼の一角ですら、周りと一緒で、互いに『ここにいたらまずいんだろうな』といった空気を醸し出していた。



(何この嫌な上司と来る飲み会的な空気)



 そも宴会をする場所をココにしたのが最大の原因なのではないかと自分の安直さを後悔し、なら解決しなきゃいけないのは俺なんじゃ………と嫌な結論に達した。

 本当、嫌な結論だ。忘れてしまおうか。

 など思ってみても、このギスギスとした空気が和らぐ事も無く。

 これでは折角の浜鍋の味が台無しになってしまう。

 食事は、調理側の努力が半分、食べる側の努力が半分。なんて何処かのドラマで言っていたのを思い出す。

 どんなに美味しいものでも気分最悪では完全に楽しめるものではないし、気分だけでも料理が美味くなる訳でもない。

 泣いている人を食事1つで元気にしてあげたり、心の持ちようでクソ不味い食事も最高の一品に変わる場合もあるらしいが、一々そんな屁理屈なんて考えていられない。

 都合の良い言葉だが、ケース・バイ・ケースを今回は適応しよう。

 ということで、今の俺の前には独身男自慢の一品、男の浜鍋が出来上がりつつある訳だが、食べる側の雰囲気が最悪では、どちらにとっても良い結果にはならないだろう。

 そして、解決出来るのだとしたら、村長か一角か―――人側、妖怪側のトップと、完全な第3者である俺の3名以外に居ないだろう。

 だが、一角は動かず、村長は尻込みし、どちらともこの場を解決する気配はない。



 ………ガラじゃない。

 今しようとしているのは、人と妖怪、双方の和解―――の助力。

 力を示すでも、知識をひけらかす場でもない。

 敵を負かした時の決め台詞とか、その手の類だったのならば、言いたい台詞も使ってみたいポーズも湧き水のように思いつくというのに、こういった出来事とは とんと無縁だった為、どうやって仲裁に入れば良いのか分からない。

 でも、やる。

 経験も無い。自信も無い。

 あるのはただ“どうにかしない”という意思のみ。

 鉄は熱いうちに打て、だ。イザコザは時間が経てば経つほど拗れるだけ。

 だったら、双方共に決定的な、決め付けとも言える考えが定着する前に畳み掛ける。

 このままでは、俺が何もしなくとも、悲惨な結末に向かっていくであろう事は想像に難くない。 
 


「―――皆さん、聞いて下さい」



 口火を切る。

 こういうものは、気持ちが大事。

 何を言おうか頭の中で考えに考えた挙句、口にしない、というような真似はしない。

 ポツポツと、情けなくても、子供が積み木で幼稚な建造物を作り上げるかのように形にしていけば、きっと分かってもらえるだろう―――という願望に乗せて。



「みんな、それぞれ思うところはあるでしょう。人間なんか、鬼なんか―――と。

 それを忘れろとは言いません。我慢しろとも言いません。ただ、その思いを黙って胸の奥に潜ませて、相手を騙す、裏切るといった行いは止めて下さい。

 村人の皆さん。鬼達は、決して嘘を言いません。なので、話して下さい。嫌な事があるなら嫌と。助けて欲しい事があるのなら助けてと。

 そして、感謝する事があったのなら、ありがとうと。はっきりと感謝の言葉を言って下さい。

 相手は鬼です。妖怪のまとめ役です。鬼は―――少なくともココにいる一角達は、もうこの村を襲ったり、危害を加えたりしません。ですので、話してみて下さい。どのような形であれ、こちらに害を為す事無く、きっと彼らは応えてくれるでしょう」



 一息。



「鬼の皆さん。人間は弱い生き物です。

 ………ある国の大名―――支配者の言葉で、こんなのがありました。

『飯が食えれば、尊厳などなくとも人は生きられる。

 尊厳があれば、飯が食えなくても人は耐えられる。

 ―――だが、両方無くなると、人は“何にでもなる”』と。

 それら条件が達成された時………私達人間は、容易く禁忌の向こう側へと足を踏み出します。

 愛した者を、信念を、時には―――己の命すらも対価にして。

 人間を追い詰めすぎないで下さい。

 もし、それをやり過ぎてしまったのなら―――あなた達は、あなた達が最も嫌うもので武装した人間を相手にしなければならなくなります」



 本当に、ガラじゃない。

 なんでこんな辛気臭い話をしているんだろうか。

 ここは酒の席だ。宴の中心だ。人外魔境の酒池肉林だ。

 どんちゃん騒いで楽しむ場ではなかったか。

 ―――いや、だからこそ、か。

 だからこそ、俺は言わなければならない。

 恐らくこの機を逃したのなら、少なくとも今この場所では、人と妖怪を交えて話をする場など訪れるとは思えない。

 人だけと話しても、妖怪とだけ話しても、俺が目指すものには到達しない。

 だからこそ、今。

 人魔が混合する、この宴をおいて他にはない。



「簡単にまとめると………“持ちつ持たれつ”を目指してみて下さい。

 そしてどうしても駄目だった場合は―――また、その時に考えてみませんか。少なくとも、まだ何も相手の事を理解していないのに切り捨てるには、とても勿体無い関係だと思うのです。

 ですので、悪い所ではなく、相手の良い所を見つけてみませんか。

 もう少し具体的な案を出してみるのなら………。

 鬼の皆さん。珍しい物や食材を人間に預けてみませんか。きっと、あの手この手で加工や細工をして、素晴らしい変化を与えてくれる筈です。服や装飾品が綺麗になったり、料理が美味しくなったりして、きっと、もっと楽しい生涯になるでしょう。

 村の皆さん。自分達の技術を彼らに使ってやってみませんか。きっと人間からは想像も出来ない発想が生まれてくる筈です。その受けた恩恵を、彼らに返してやることが出来たのなら、さらに大きな利益になって返って来る筈です」



 相手を理解しろ。

 自分ではそう言っているつもりなのだが、はたしてちゃんと言葉に出来ているだろうか。

 何とかどもらずに、それなりの形で口には出しているつもりだが、頭の中は今でも真っ白。

 話した台詞は半分も覚えちゃいないし、途中から、『相手を利用してやれ』なんて方向にまで行っているような気もしてくる。



(ど、どうしよう。『今のはなしで』とか言って訂正入れてみようか………)



 自分で話した内用の所々が虫食いのように記憶から消えているので、いっそ全部無かった事にしてまた始めからやりなおしたほうが良いだろうか。

 誤解されて関係が拗れるよりは断然良いのだが、場の空気的に言い出し辛い事この上ない。



 ………と、テンパっている間に動きがあった。

 俺の左右。

 鬼側からは一角が、村人側からは村長―――ではなく、おじさんが、それぞれ中央に歩み出す。

 互いに顔を見ながら、まるでこれからコロッセオで決闘でも行うかのように距離を詰めていく。

 鬼達も、村人達も、それぞれ一角やおじさんと同じ表情をしており、何か覚悟を胸に秘めて事へ当たるようだ。



 切欠は作った。

 後は、野となれ山となれ。

 ―――この出来事は、あくまで俺“だけ”が望んだ事。手と手を取り合い笑いあって過ごせるのならそれが一番だとは思うが、だからといってそれを強制する事態は、いずれ破綻する。

 最も望ましいのは、どちらも自発的に俺の言った状態を目指してくれる事。

 各々が自分で考え、行動し、責任を負わないといけない。

 だから、この一歩は大変大事なものとなる。

 何としても成功させるべく………、最悪、関係が罅割れたものになったとしても、殺生沙汰にまで到達する事態は、切欠を生み出した者として避けなければならないと考える。

 それ系の、捕縛やら無力化やらのカードを思い浮かべながら、対話の成り行きを見守るとして。



「………俺はお前らが嫌いだ」



 開口一番。

 一角に対して会心の一撃とも思える挑戦状を叩き付けたおじさんに、俺はどんな反応をすれば良いのやら。



「奇遇だな、おいらもお前らが嫌いだ」



 一角も一角で、売り言葉に買い言葉なのか、とてもステキなお言葉でいらっしゃる。



「勝手に人の土地に踏み込んできて、俺達を襲って、攫って、食って飲んでまた襲って。こんなに我が侭な奴らは他の妖怪でも居ない」

「勝手に自分の土地だと決め付けて、自分より弱い動物を狩って、食って、増え続けて。こんな独り善がりの種族は他に見た事が無い」



 どっちも一歩も引かず、抱えていたものを吐き出すかのように相手にぶつけている。



「力があるからって偉ぶりやがって。何も出来ずにただ為されるがままでいるしかない奴らなんかこれっぽっちも気にしちゃいない」

「弱いことを理由に何でもかんでも好き放題やりやがって。木を切って、空き放題猟をして、妖怪を殺して。しかも自重する気配すらねぇじゃねぇか」



 それぞれの主張を宣言しつつ、相手の宣言を胸に刻みながら。



「「だから俺(おいら)達はお前の事が嫌いだ」」



 一刀両断に言い切ってくれやがりましたよこの方達は。

 さて、次は乱闘だろうか。いやパワーの差があり過ぎるから虐殺か。

 まずは勇丸で牽制しつつ、使うカードは何にしようかなぁ、と思い描いていると。



 一角とおじさんは、互いに手を取り合い、がっしりと堅い握手をしていた。………あれ?

 ちょっと状況が飲み込めない。

 そのまま不適に笑みを浮かべたかと思ったら高笑い………ってこっち見たぁ!?



「「九十九(兄ちゃん)!!」」

「はい!」

「酒(飯)だ!」

「………はい?」



 ………あの二人の間で一体何があったのだろう。

 ちょっと怖いが問い質してみようかしら。 



「だから酒だよ、酒。こんな美味そうなものまで用意して酒が無いってんじゃ、画竜点睛を欠くを体言しているもんだぜ」



 その四問文字熟語は今の時代的にはありなんだろうか。



「もう良いんだ兄ちゃん。怨み辛みは言った。後は互いにそれを解決するよう努力するだけだ。ここまで最低な関係なんだ。後は上を目指すだけ。楽なもんさ」



 それに、とおじさんは言葉を続ける。

 俺が切欠を作った事で、このまま敵対関係を続けるのは好ましくないと思ったそうだ。

 というか、そもそも今後の事で鬼と対話する為に、この場所へ村人全員で集まってきたのだとか。

 言われてみれば幾ら良い匂いを漂わせているとはいえ、危険極まりないこの地帯に、全員が集合するという事態は考えられない。

 おじさんの台詞には村の総意が籠められていて、今後の対応として、出来るだけ良い方向に―――もっと卑下するなら、悪くならないよう交渉をしようとしていたのだそうだ。

 どちらにしろ話し合う気では居たらしいのだが、どうやって一声掛けようかと悩んでいるうちに、どんどん空気が悪くなっていって、ますます言い出しづらくなっていった挙句に、俺の語りで決意を固めたのだらしい。

 ………うーん、元から話し合う気でいたのならもっと早く行動して欲しかったけれど、俺だってそんな立場だったのならおうそれと交渉なんて出来る訳がないと思うので、あまり強くは言えない。

 で、鬼側は鬼側で今後の対応を決めていたらしく、余程変な話でなければ応えようと思っていたのだとか。

 要約すると『一度命を失ったようなものだが、信念まで失った覚えは無い。だから、それから外れなければ、話し合いに応じよう』という事らしい。

 どっちもそれなりの覚悟を以ってこの場に集まっていたようで―――まだ貢献少しは出来たから良いようなものの、危うくまた俺の独り善がりになるところだった。



 兎も角、流れは円満に終わって、その後の打ち上げに移行しようとしている。

 人妖の相互が相手を理解しようと努力する姿勢を見せて、今までの理を崩したことにより、新たな展開が見えてきそうだ。

 ならば、今は―――今宵は、それの第一歩。

 人外魔境と化したこの宴に相応しく、混沌と、されど嬉々とした状況を作り上げよう。



「二人がそう言うなら私―――俺としても嬉しいかぎりです。………よっしゃ、今からぶっ倒れるまで出しまくるぞー!」



 心機一転。自身の気持ちを切り替えて、真面目モードから宴会モードへと移行させた。

 皆も何を出すのか具体的に言わなくても分かってくれたようで、周りからは歓喜の声が響き渡る。

 特に鬼側。もう地震でも起きてるんじゃないかと思えるほどの地響きとなって周りと俺の体を揺らす。

 勇丸なんか、器用に耳をぺたんと倒している。俺もそれやりたいなぁ。耳いてぇッス。



「じゃあまずは、料理をちゃっちゃと配っちゃいましょうかね。おらガキ共~! お前らは配膳係りだー!」



 村人達の後ろ。大人達の影に居た子供達に声を掛ける。



「な、何かお兄ちゃん前と喋り方違う!?」

「あんなに乱暴じゃなかったよね?」

「ちょっと………怖い………」

「これが俺の素だぁー! もう色々取り繕うのも面倒になったのよ! ってことでキリキリ働けぇい!」

「うわーん! お兄ちゃんが変わっちゃったー!」



 ぐはははは! 一仕事終えて心が磨り減ってるから、色々と気を抜ける所は抜いておかないと持たないんだぜ!

 何だかんだ言いながらテキパキと働く子供達を見ながら、今後の展開を考える。

 恐らく体力の限界に挑戦するであろう、この宴。

 鬼が全部で20数人。村人達が4~50人位。

 鬼を計算に入れて作らなければならないので、食べ物は兎も角、酒はかなりの人が飲める量を作っておきたい。

 具体的にはビアタンク200本。

 ………嫌な数だ。あまりに量が多すぎて絶望しか思い浮かばない。100に訂正しておこう。

 しかし、既にある食材を使って浜鍋を作っておいて良かった。

 これなら食事の方はバカスカ出さなくて済みそうだ。逆は湯水の如く出さなければならないが。

 おぉ、おっかなびっくり鬼達に渡して回っている子供達の反応も面白いなぁ。

 鬼も『食っちまうぞー』とか言ってからかっている。………それは洒落にならんぞおまいらの種族的に。



「お兄ちゃん~、全員に配り終わったよ~」



 村の子供の1人がそう教えてくれた。

 どかり、と全員が胡坐をかき、それぞれの前には浜鍋がよそわれたお椀が置かれていて―――あぁ、酒がまだだったか。



「今更だけど、一角よ」

「何だ?」



 鬼側陣営の中央に、再び戻っていた一角へ呼び掛ける。



「鬼って、酒は自前のとか持ってないのか?」

「あるぞ。酒虫って言ってな。水を酒に変えてくれる奴を、瓶や瓢箪の中に入れておくんだ」

「じゃあ、酒出すのも結構大変だから、初めはそれ使って酒盛りやってくr」

「駄目だ」

「………理由は?」

「飽きたんだよ。あんなのもう唾と一緒だ。お前の酒の味を知った後じゃあ、特にな」



 何でも、酒虫によって味は色々あるそうだが、希少な為にとっかえひっかえ試す事も出来ないんだそうだ。

 で、10年に1回くらいの頻度で酒虫が手に入るのを、楽しみにしているのだとか。



「そうなのか………ちょっと照れるな」



 俺自身が精製した訳ではないが、居た時代の物を褒められて嬉しくなる。

 よっしゃ、どうせなら前回のと違う奴でも出してやるべ!



「ってことで、再びおいでませ。ジャン袋様~」



 再度俺の手に握られるジャン袋。といっても浜鍋を作る時から出していたので、足元に置いてあったのをそれらしく言って胸元まで持ち上げただけである。気分が大事だよね、こういうものは。

 何処も異常な箇所は見られず、1度破れていたなんて微塵も感じさせない状態だ。

 中に手をいれ、思い描く。

 前回は万寿だったか。

 今回は、どうせなら名前もちょっと掛けて、十四代『大吟醸』双虹としておこう。

 メロンのような香りに独特の甘み。そして万寿と同じように、あっという間に口の中から消えてなくなる後味スッキリ過ぎな素晴らしい酒だ。

 鬼と人。二つの種族の間に掛かる、互いの理解の意味を込めて双虹。

 酒のレパートリーなど大して持っていなかったが、丁度良い語呂合わせ的な名前の酒があったものである。

 ………あれ、俺はこの手の酒で何か失敗したような………まぁいいか。

 

(いつかは『鬼ころし』とか飲ましてやるかねぇ)



 俺が知るだけでも4種類以上ある酒、鬼ころし。

 本来は鬼をも殺すような悪酒―――つまり、不味い酒の代名詞として使われていた言葉なのだそうだが、ある蔵元がそれを逆手に取って販売した所、大好評。それに肖ろうとした同業者が挙って………といった流れだったか。上司の受け売りだが。

 コンビニで売られている紙パックの粗悪品から(これはこれで良い味だしてると思う)、しっかりと木箱と高級和紙に納められた特級品まで多種多様に渡って世に送り出されているそれの、どれを飲ましてやろうかと内心で笑みを浮かべながら、双虹の詰まったビアタンクを取り出していく。

 それを、子供達は重量の関係から2人1組になって配って回る。

 鬼達へは1人1つ。人間へは10人位の前に1つ。

『やっぱり鬼が量のネックだよなぁ』と思いながら、全員にタンクが行き渡り、鬼がタンクの蓋を。村人は持参していた湯飲みに並々と注がれた酒を確認してから、自分も瓶で出しておいた双虹を掲げる。



「それでは―――」



 さっと皆が俺と同じようにタンクや湯飲みを掲げ、



「―――新しい出会いに、乾杯!!」



 乾杯、と言葉は続けてくれなかったが、各々『おお!』だとか気合の掛け声だとかで応えてくれた。

 野球の祝勝祝いをやっているようだ、と割れんばかりの歓声の中で思いながら、手にした双虹を一口。

 ―――美味い。これなら何杯だって飲めそうだ。

 そう思いながら、足元にいる勇丸へと酒を進める。

 前に置かれた茶碗に注いでやると、静かに顔を傾けてペロペロと飲み始めた。

 それがしばらく続き、ふと、顔を上げて、瞼を閉じる。

 まるで酒の味を噛み締めるかのような印象に、犬にも酒の味が分かるものなのかと思い尋ねてみると、『美味い不味いの判断は出来ないが、また飲みたくなる味』という返答が来た。

 犬に酒ってのは本当はいけなかった筈だが、いざとなったらカードに戻すなり再生やライフを回復させるなりして対処しようと思う(注:犬はアルコールが分解出来ないので毒物として体に残るようです。絶対に与えないで下さい)。



(しかし、常温の酒ってのも飽きてきたな)



 ラッパではなく湯飲みに酒を移しながら、新しい方面への探究心が湧き出てくる。

 これはこれで良いとは思うのだが、キンキンに冷やしたものか、熱燗にして飲みたいと思うのは、日本人ならではの感覚なのだろうか。

 中国だか韓国では、嘘かホントか、常温ビールが主流なのだそうだ。理由は腹を壊すから。



(うぅん、否定する気は無いが、俺はノーサンキューだなぁ)



 なんてぼけっと考えていると、視界の隅には、この状況が面白くなさそうな子供達。

 酒によって馬鹿になるのは大人だけな為、必然、彼らは取り残された形になっている。

 1人だけでは無いにしろ、普段は自分達によく構ってくれる大人達が皆自分達を無視、もしくは軽視して自分勝手に騒いでいるのは、何とも言い難い気分になっているだろう。



(たはは、仕方ないねぇ)



 見てしまったからには放っておけない。

 酒瓶を置き、勇丸と一緒に彼らの元へと向かう。

 その気持ちは、よく分かるから。

 俺だって、子供の頃、親戚が一同に会する場所でハブられた事があった。

 当時は大人だけがクソ不味い無色や黄色の液体をガブガブ飲みながら、煙たいだけの紙の筒に火をつけ、口から白い煙を吐く。

 そうしながら話し合っているだけで笑いあっているあの場は、何が楽しいのか全く理解出来なかった。

 そんな事をしなくても、一緒に遊ぶだけで充分に笑い合い、楽しめるのに、と。

 そんな嫌っていた筈の大人達の行為の方が、今の俺は楽しくなっているのは、少し寂しいものを感じながら、彼らに声を掛ける。



「詰まらなそうだな。何かして遊ぶか?」

「え、本当!?」



 子供の1人が、まるで今までのしょげていた雰囲気を一気に吹き飛ばして表情を一転させた。

 陳腐な表現だが、花の咲いた様な顔だな、と嬉しそうにしているこの子達を見ながら、そう思う。



「しっかし、こんなに暗いと体を動かす系は危ないしなぁ」

「じゃあ、手遊びしましょうよ! 私、綾取りが得意なの!」

「それよりも、カゴメカゴメしようぜ! あれなら暗くても出来るよ!」

「暗いからこそ鬼ごっこでしょ!」



 だから動き回るのは危ないって言ったやん。目が届きませんよ、それやられると。

 わいのわいのと騒ぐ子供達を宥めながら考案していると、ふと、鬼達の姿が目に飛び込んでくる。

 鬼→妖怪→異様なもの→非現実→別次元、という図式が俺の脳内に一瞬で成立して、ある結論に達した。



(そうか、遊びってのは、体を動かすだけじゃないもんな)



 体を動かさない遊び。

 しりとりや山手線ゲームといった類ではなく、もっと別の、俺の時代では普通の遊び。



「よし、じゃあ今から、俺が面白い話を聞かせてやろう」



 それは、物語を知る事。

 ぶっちゃけアニメや漫画。趣味の欄に記入すると映画鑑賞と言える類の行為。

 ただこの面白さを分かってくれていないようで、子供達はぶーぶーと不満を言ってきた。

 ふふん。アニヲタを舐めるんじゃねぇぞガキ共。

 その手の知識なら腐るほど知ってるのだ。
 
 昔小学校で、国語の音読をした際に先生から『気持ちが良く伝わってくる表現ですね』と褒められたのは伊達じゃないぜ!

 きっとカチカチ山のタヌキが背中を燃やされている時の声、とか入れたのが良かったんだと思う。



「まぁまぁ。じゃあ1つだけお話するから、それが面白くなかったら綾取りなりカゴメカゴメでもやろう。何事も好き嫌いは良くない。少なくとも1度は体験してから物事を判断しなさい」



 口調が先生っぽくなったのは、構図がそれっぽいからと脳内で変換されているからだろうか。

 素直に『はい』と返事をしてくれた事に俺は満足げにうんうんと頷きながら、子供達を自分の正面を囲むように座らせて、話し始めた。



「何が良いか………。よし、題名は『こいしのドキドk(がぶり)』ぎぃっ!?」



 タイトルを言い終える前に、俺の尻に勇丸が牙を立てた。

 何? いけない気がしたので止めたかった? 囁きを感じた?

 そ、そうか。囁きなら仕方ないな。………おーいてぇ。歯型が残りそうだ(汗



「お兄ちゃん、どうしたの?」

「気にするな。ちょっと天罰を受けただけだ」



 痛む尻を摩りながら、悪乗りも程々にせねばと、改めて子供達に向き直る。 

 

「そうさなぁ………まずは長編は避けて短編の、今の子でも分かるような………鬼とか出てくるのは今はあれだし………。よし、では俺の名前と似てる奴で」



 子供の昔話といえば、国語の教科書然り、NHK日本昔話然り。

 ネタは豊富にあるのだ。

 どうせならためになる様な話が良い。



「おほんっ。昔々………じゃねぇな。ありゃ江戸時代の話だったか。えー………。あるところに、一休さんという小さな子坊主―――神職の者がおりました―――」



 まぁ、多少の時代背景は前後しても大丈夫だろう。

 そんな事を考えつつ、大人達の笑い声をBGMにしながら、人魔両方での団欒という他に類を見ない宴会の熱は高まっていった。





[26038] 第21話 太郎の代わりに
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/09/23 03:40






 草木も眠る丑三つ時……だと思う。

 時計なんて無いので大体の感覚で今まで過ごしてきたが、時間の分からなかった初めの頃は何故だか不安に駆られたものも、たった二年程度だが、遠い昔と感じられる。

 人間、無ければ無いで、どうにかなるものである。

 三~四話程度の日本昔話劇場を終え、おねむになった子供達を家へと寝かしつけてから、俺は宴会へと戻っていって。

 彼らの耳を傾ける様子は、話しているこっちとしても気持ちのいいもので、思わず身振り手振りの大リアクションになりながら話していた。



(花咲じいさんなんて、勇丸との合同演技かってくらいの状況だったしなぁ)



 俺による、意地悪じいさん&正直じいさんの一人二役だったが、我ながら良い演技していたと思う。

 若干の疲れが心地良く、宴の場へと目をやれば、人と妖、それぞれがもはや区別無く入り乱れて話に花を咲かせている。

 鬼の自慢話を感心しながら聞く輪もあれば、人間の苦難に立ち向かう姿勢に心を打たれる鬼もいた。

 まずは互いの境遇や生き様などを酒の肴にしているようだ。



 で、俺も誰か知ってる奴の辺りで飲もうかと思ったら。



「おーい、九十九ー。こっちだこっちー」

「兄ちゃん、こっちこいよー」



 といった感じで一角とおじさんに合流。

 あの後からずっと二人は飲み合っていたらしい。

 で、そこに俺も混ざって、勇丸と合わせて四人でワイワイと騒いでしばらくしたら……。



「何だ! 兄ちゃんまだ女を知らんのか!」

「ぐはははは! 鬼を負かした男が経験の1つも無いたぁ、面白い世の中になったじゃねぇか!」

「うっさい! こちとら相手を見つけるのにも一苦労だっつぅの! ヲタ舐めんなゴルァ!」



 酒も入って良い感じに回って来て、馬鹿話にも熱が入ってくる。

 ただ、女性関係の話を俺に振るのは勘弁してほしかった。

 お陰でフラグを一本圧し折ってきた時の記憶まで蘇って来てしまう。



「俺だって………俺だってなぁ………つい最近ほっぺたにちゅーして貰ったってのになぁ………見た目が犯罪だけど超美人なんだぞ………うぅ、ぐすっ」

「(まさか頬に接吻程度しか経験が無いってことなのか……だとしたら……―――すまねぇ、勇丸。そう睨まんでくれ)お、おい兄ちゃん。その、何だ。悪かった。俺が悪かったから、もうその事は忘れそう、な?」

「(おいおい何だこの落ち込み様は……洒落にならん影が背中に煤けて見えるぞ……)おいらも悪かった。九十九、飲め。で、気分を変えよう。なぁに、おいら達を負かした奴だ。女なんて、これから沢山言い寄ってくる“筈”だ!」

「ぐすっ、ぐすっ……うぅ、ありがとう……」



 そう言って、注いで貰った酒を流し込む。

 何だか二人の言葉に哀れみの類が見え隠れしているような印象を受けたのだが、分かってくれたのなら嬉しいので素直に喜んでおく事にする。

 そして、それからまた会話がしばらく続き、酒の肴を出したり追加のビアタンクを増量したりしているうちに、この村に鬼が住む、という話に移っていった。

 俺が来るまでにある程度はまとまって話をしていたようで、大体の概要は既に決まっているようだった。



「で、ここに住居を構えようかと思うけれど、流石に村に住み着くのは色々と問題があるから、何処か別の場所が良い、と」

「そうなんだ。ココは元々人間の村。そこに妖怪のおいら達が住み着いちゃあ、他の人間なんて絶対に寄ってこない。それこそ、帝の軍隊とかくらいしか、な」

「それじゃあ俺達人間とも折り合いが悪いってんで、遠すぎず近すぎず、良さそうな場所に家を建てようって考えている訳よ」



 当然と言えば当然だ。

 鬼と仲良くする、という目標は掲げたが、だからといって今まで築き上げたこの村以外の人間達との交流を途絶する訳ではない。

 人は今までの繋がりを綺麗サッパリ切り捨てられる程強い生き物ではないし、そうする必要が迫ってきている事態でもない。

 よって、先程言った条件の住処を辺りの地形を考慮しながら検討するのだが……。



「北は一面海の沿岸。西東は平地だけど村との交流があって人目があり、南は森林というより山岳地帯で、岩肌が多くて隠れ難い、と」

「参った。はやくも手詰まりだな」



 がははは、と豪快に一角が笑う。

 諦めるの早ぇよ。とも思ったが、単に状況がそれ以上の思考を許さないだけの事。

 正攻法で前後左右はダメだとしたら、こう、裏技的な何かは無いものなのだろうか。



(ここって東方プロジェクトだったよな……。だったら結界の一つや二つ、どうにか出来ないもんか)



 現実と幻想郷を分ける結界、博麗大結界。

 もはや語るまでも無いその結界を、劣化版でも良いからココら辺に作れないものだろうか。



「なぁ、一角」

「ん?」

「結界とか作って、その中に閉じ篭れんの?」

「そりゃ無理だ。ありゃあ、よっぽど力のある妖怪がやるかしないと、精々が視界をぼやけさせる程度だな。しかも、それにしたって俺達が住む場所全体に張るとなっちゃあ、今ココに居るおいら達全員の力で何とかって位だ。穴でも掘って隠れていた方がマシだな」



 第一専門外だ。と締め括り、鬼のリーダーは断言した。

 そういや大結界作る時にゆかりんも苦労したっつってたしなぁ。

 規模が小さいからっておいそれと出来るものでもないのか。

 ……ん? 穴でも掘って……?



「一角。最後のとこ、もう一回言って」

「おいら達は結界に関する事は専門外」

「その少し前」

「……穴でも掘って隠れていた方がマシ?」



 途端、俺は一角の両肩にガシッと手を置いた。



「ナイスだ一角。そうだ。その案で行こう。それなら地震やら隕石でも落ちてこない限りはまず大丈夫な筈だ!」

「ないす? よく分からんが、何か案が見つかったのか?」

「その通り! 一角よ、鬼ってのは地面の中でも生きていけるか?」

「おいおい、生き埋めは流石に応えるぞ。まさか本当に穴でも掘ってそこに埋める気なのか?」

「すまん、言葉が足りなかった。洞窟とか、そういった場所での生活には不満ってあるか?」

「別に無いな。あまり狭いと嫌だが、多少なら空気が淀んでいようが湿気っていようが気にならんぞ」



 問題は無し、と。

 後は実際に出来るかどうか試してみるのみ、だな。



「よっしゃー、お前らついて来ーい」



 ふらつく足元に力を入れて、狂った平衡感覚を楽しみながら、宴会の輪から離れていく。

 付き添う勇丸が心配そうに横へ並ぶ。

 それに釣られるように、何だ何だと言いながら、一角とおじさんは俺の後を着いて来た。



 で、村の外。

 率いているメンバーの若干違う桃太郎になりながら、人気の無い大岩の前まで移動してきた。

 何処にもであるような場所で、これといったものは、先程言った岩くらい。



「おーい九十九。ここに何があるってんだ?」

「そうだぜ兄ちゃん。小便なら一人で行ってくれよー」

「ふっふっふー、そんな事を言えるのは今のうちだぜぇ~」



 いつもならば、他人に披露する時には事前に試してからにするのだが、今回は別に慎重を期する場面でもないし酒も入っているしで、何の根拠もなく言いたい放題である。



(選択カードは【土地】。ものは………青寄りで行ってみるかな)



 既にカードを使ってから、もう一日以上は経っている筈。

 昨日はこの時間帯に後ろの一角達と戦っていたなんて嘘のようだ。

 そう思いながら、今まで一度しか使ったことの無い【土地】カードを施行する。



「召喚!【水没した地下墓地】!」



 



『水没した地下墓地』

 土地と呼ばれる部類の中で『基本地形』と『特殊地形』の2つに部類されるものの、後者。青か黒のマナのどちらかを生み出す効果を持つ。

 事前に【島】か【沼】のどちらかを召喚していなければ、マナを生み出す動作がワンテンポ(一ターン)遅れてしまうが、それを込みにしても、その汎用性の高さには一目置かれるものがある。




『基本地形』

 MTGには6種の属性が存在し、それぞれ、白・緑・赤・黒・青と、そのどれにでも対応する無がある。

 そして無を除く5色には、そのエネルギー元となるマナを生み出す基本である土地が存在している。

 白は『平地』、緑は『森』、赤は『山』、黒は『沼』、青は『島』となっている。『島なら全部生み出せるんじゃね?』なんて思ってはいけない。

 MTGにおいてゲームの基本中の基本となるカードである為、様々な絵師達によって、同じく様々な絵が描かれている。独特の世界観を表したものから、一枚の額に入れても違和感の無い荘厳なものまで多種多様。一度見ていただきたいと思う。



『特殊地形』

 上記の平地、森、山、沼、島以外の土地カード全てを指す。それだけ。基本地形でない土地は、特殊地形である。






 過去に【土地】カードを使用したのは一度だけ。

 この地に来てから初めての夜。完全孤立無援の野宿を慣行する為、【隠れ家】というカードを使った。

 今思えば消費する体力が全く無かった事にもっと注意を向けておけば良かったと後悔しながら、今目の前に広がっている光景に、満足げに頷く。

 そこには、ぽっかりと空いた穴が一つ。

 牛車でも通れそうな大きさの、何処のボスを倒しに行くんですかってくらいのRPGダンジョンのような入り口がそびえ立っていた。

 奥がおぼろげに見えているのは、月光なのか光苔とかカードの効果なのだろうか。

 これでゾンビでも出てくれば、そのままお化け屋敷のアトラクションで日本ならトップ三に入れそうな佇まいである。

 名前に反して完全に水没している訳ではなく、浸水程度に留まっているのがこのカードの絵柄の特徴だ。



「……あれ、可笑しいな。さっきまで何も無かった場所に変な洞窟が」

「太郎、お前もか。俺もな? 洞窟が出来ているように見えるんだ。きっと飲み過ぎだな。九十九の酒は美味いから、ついつい羽目を外し過ぎたらしい」



 そのままガハハと笑う二人。

 おじさんは兎も角、一角の声は良く通るものだから自重してほしいところだが、それよりも今は目の前の現実を直視してもらわねば、話が先に進まない。



「違うっつーの! ちゃんとあるよ! 見て分からんかったら触って確かめてもいいから~、ほんとにも~」



 口調が駄々っ子モードへ若干入ったのは、酒のせいだと思いたい。

 言われて『ほんとか~?』って表情を浮かべながら洞窟の入り口をペタペタと触り。

 匂いを嗅ぎ、手や足で感触を確かめ、その上で改めて目を凝らしたようだ。



「……本当にお前がやったのか?」



 やっと事態を飲み込めたようで、一角がそう尋ねて来た。

 おじさんはおじさんで、やはり未だに信じられないという風に洞窟の確認を行っている。



「一角達が住む場所が無いんだろ? だったら地下なんてどうかなと思ってさ。不満なら言ってくれ。他のものを考えるから」

「……お前は、他にどんな事が出来るんだ?」

「どんな……ねぇ。酒や飯、クリ……式神(としておくか。詳細話すのもあれだし)の召喚はやっただろ? 後は大和の国でみんなの治療だな。それくらいかな、今までやった事は」



 一瞬、一角の声色が堅くなったのに『俺って凄いだろー』的な気分になる。

『自分に何が出来るのかを探している最中なのさ』とラノベで出てきそうな旅人の台詞を言ってみる。

 この手の台詞、一度は言ってみたかったんだよねぇ。

 だって昔じゃ言う機会なんてまず訪れないし、あの手の台詞は自分に何かしらの可能性がある、と思っている人にしか言えない。

 防災屋で一生を終える事を覚悟していた俺には、眩し過ぎる言葉だ。



「もしかして、今大和の国で噂になってる事件は全部お前の仕業か?」

「あぁ、そうだぞ。なんてったって、この兄ちゃんはあの八坂の神と対等に渡り合った奴だからな!」



 今まで蚊帳の外であったおじさんが、唐突に混ざってきた。

 嬉々として話す内容に感じたが、俺は『いやぁ』と照れた仕草で肯定してみせる。

 ただ、渡り合ったってのは言い過ぎだと思うんだ。

 精々一矢報いた程度のもので、神奈子さんが連戦などしていなかったら、恐らく秒殺モノだっただろう。………実際にも秒殺に近いものだった、という突っ込みはナシの方面で。



「何でも、来る村を間違えちまったそうでな。一晩横になれる場所を探して、うちの村に来たそうなんだ」

「ほぉ~。じゃあ、兄ちゃんは偶然この村に立ち寄ったばかりか、さらにおいら達とも遭遇して戦いになったと」

「うん、我ながら貴重な体験をしたと思うよ」



 偶然の重なり具合的に。

 本当なら、一晩だけおじさんの家にお世話になって、翌日には出発しようとしていたのだ。

 それが何の因果か鬼との遭遇。

 戦いに勝利に、宴を催し、住む土地の作成まで助力しているという現在。

『そろそろ行かないと不味いのでは』と時間に追われる昔を思い出して急いで事を成した日もあったが、今の時代では到着が一、二週間遅れるのもザラにある出来事なので、後一日二日程度は全く問題無い。



(あ~、でも早く帰らないと諏訪子さん達の酒が……)



 帰ったら何作ろう、的な主夫になった気持ちだ。

 ……というか顔合わせづらくて堪らないの忘れてた。どうしよう。いっそ、このまま何処かにトンズラしてしまおうか。



「九十九ー、中に入るが構わないよなー?」



 そう言いながら、一角は早速洞窟へと足を踏み入れていた。

 既に入ってしまっているのに、俺に尋ねた意味は何だったのだろう。



「構わないけど、後で感想聞かせてー。さっきも言ったけど、ダメそうなら他のものにするからさ」

「……九十九よ、お前さんは何者だ? おいら達が知っている人外の奴らは、嵐を起こしたり稲作を芳醇に実らせたりはするが、お前のそれは明らかに一線を超えてやがる。時間を掛ければ出来るが、瞬きをする間に洞窟が一個出来ちまった。こんな奴ぁおいらは知らねぇ。おまけに、その口ぶりじゃあ似たような事がまだまだ―――それも簡単に出来るようじゃねぇか。人間でない事は分かる。かといって妖怪だと言われれば、否だ。お前からはこれっぽっちも邪な気配がしない。……気になるんだ。お前の正体が」

「それには俺も同感だ。兄ちゃんは人間だっつったが、都の名のある妖術使いでも、兄ちゃんと比べれば月と鼈(すっぽん)。人間が一体どうしたら兄ちゃんみたいになるのか気になるね」


 

 でかいくてゴツい体系に似合わず、まるで宝物を見つけた子供のように、その瞳でじっと見つめてくる一角と。

 同じく無精髭の似合うナイスミドルなおじさんが尋ねてくる。

 二人共恐れや憧れなどではなく、純粋に好奇心が湧き上がっているのだろう。



 いつか、神奈子さんに言われた事を思い出す。

 お前は何の神だ、と。

 その時は神でなく人だと言い張ったが、渋る俺に仕方なくその言葉を信じてくれたようなものだった。

 そろそろ、相手が納得し易く、そして自分でも納得の出来る身分とやらを考える時期なのかもしれない。

 だが。



「正体っつってもなぁ。一応は元人間みたいなもんだけど……生憎、決まった部類が無いんだ。だもんだから、二人の質問には正確には答えられんのですよ」



 鬼を相手に嘘はいけない。それはおじさん相手でも同様だ。

 嘘でもないけど本当でもない作戦を使っても良いけれど、勇丸は例外だとして、初の人外の友達っぽい相手と一宿一飯の恩人に、そんな真似はしたくない。

 なので、正直に自分の置かれている状況を伝えて納得してもらう。

 自分にも分からないものを相手が分かる筈も無いから、分かったら(決まったら)伝える事にする旨を伝える。



「どうしても何かに決めたいって言うなら、俺は俺。俺以外の何者でもない」



 王道の台詞を引用し、それっぽくキメた言葉を使ってみる。

 だって今の俺には、それ以上に説明のしようが無いのだから。



「……決まってないって言うんじゃどうしようもねぇな。―――分かった。お前はお前だ、九十九」

「あ~あ、これでまた酒の肴が増えると思ったんだがなぁ」



 言葉とは裏腹に、おじさんの言葉にはこれっぽっちも残念な様子が窺えない。

 一角の方はじっと見つめていた眼力を緩め、ふと虚空に顔を向けた後、何かに思いを馳せるよう息を吐く。



「どんなすげぇ奴かと思ったら、まだ何者でもない奴だったとはなぁ。おいらの知らない神か妖怪の類だと思ったんだがなぁ」

「事情は話せないけど、こっちに来てからまだ二年くらいだからな。無名で当然さ」

「兄ちゃん、その事情ってやつを俺達は一番聞きたいんだぜ? 全く良い根性してるよ」

「いやホント勘弁して下さい。これで下手な事言おうものなら後々大変になるのが目に見えてるんですよ」

「太郎、諦めろ。九十九はおいら達に良くしてくれる。それだけで良いじゃねぇか」

「ポロっと口が滑ってくれるかもしれないって思った程度さ。別に無理強いする気はねぇよ」

「そうかい。精々気持ちが変わらない事を祈るこった」

「そうするさ。………さて、と。兄ちゃん、俺はこの事を村長に伝えてくる。不可侵の場所にしてもらわにゃあな。二人はどうする?」

「おいらも一度戻って、仲間達に声を掛けてココの探索だな。この場所なら人通りもなくて、中もちょっと―――環境は悪いが広々で、ちょっと地形を弄ってやりゃあ入り口が見難いと来た。おいら達妖怪が住むにゃあうってつけの場所さ」



 分かった、と返事をして二人を見送る。

 こんなに便利そうなら、【土地】系のカードは今度からどんどん使っていこうと思い直す。

 体力消費の感覚が全くなく、恐らく俺が意識するまでずっと残り続けるっぽいこの洞窟。

 カードを使って体力の消費が無いというのは素晴らしいと実感しながら、なら試しにと、別の【土地】を、カードを思い描きながら実行してみる。

 だが、どんなに思案してみてもそれは現実にはならずに、ただ現状があり続けるだけに留まっている。

 一日に使えるカードは九種までとなっていたが、【土地】カードに関しては一日に一枚だけのようだ。



 本来なばら、MTGにおいて【土地】とはゲームの基礎にして基本。

 一ターンに一枚のみ自分の場に置く事が出来、【土地】は同じく一ターンに一度だけ、その【土地】固有のマナを一つ―――例外もあるが―――発生させる事が出来る。

 土地を多く並べれば並べるほど一度に得られるマナは増大し、それによってより強力な呪文に繋げていけるのだ。

 生憎と、今の俺ではこの根源たるマナの発生という機能が使用不可になっているが、この地下洞窟を見る限りはまだその機能は必要なさそう。



(マナさえ発生すればコンボやら強力【シナジー】炸裂のオンパレードなんだけどなぁ)



 MTGなのにマナの発生が不可とか、黒くない松崎しげるとか、キャラクターの居ない某千葉のテーマパークとかのレベルだ。

 一体いつになったらこの根源的なルールは開放されるのかとため息が漏れる。



 ―――解決しなければならない問題は山のように。

 カードの効果をうまく使えば対処出来そうだが、一万を超え、もはや二万近くあるMTGを全て把握するのは現状では不可能だ。

 ゆっくり、それこそ数年、数十年かけて覚えていくしかないと、高すぎる壁に愚痴を零す。



「先が長すぎて嫌になりそうだよー。でもその辺の感情を制御出来るってのはマジであって良かったな……。勇丸~、今後とも仲良くしような~?」


 
 諏訪子さんの気持ちが少し分かった気がする今日この頃。

 恐らく俺が維持し続ける限りずっと側に居てくれるであろう相棒の鼻の頭を掻きながら、俺も二人が消えて行った宴の方へと足を進ませた。











 その翌日。

 俺はおじさんと二人で朝日の昇った浜辺を歩いていた。

 一角達は洞窟の探検&改造。

 村人達はいつもの仕事は行っておらず、友好条約みたいなものを結んだ鬼達への対処を話す会議などやっていた。



「おじさんって会議に出なくて良かったの?」

「飲み過ぎて体がだるくてなぁ。あんだけ飲んで悪酔いしないってんだから、とんでもない酒を飲んでたのは分かるんだが、どうも昨日は騒ぎすぎたらしい」

「あの後一角と飲み比べなんてするからですよ。結局それが原因で『洞窟探検は明日の朝から』って一角達が言っましたもん」

「いけると思ったんだよー。あの酒なら幾らでも飲めたしな」

「鬼と人間を同系列で見ちゃいけませんって」



 軽く笑いあいながら、吹き付ける潮風を胸いっぱいに吸い込む。

 昔ならこういった場所には親戚の家へとお世話になるか、旅行先のホテルにでも行かなければ味わえなかった経験だ。

 これで朝はパンやスクランブルエッグにミルクかコーヒーなどだったのなら完全にリゾートホテルだが、俺の周りにはぼさぼさの髪をしている完全極東アジア顔の中年男性が一人と、白い大型犬が一匹。

 とてもじゃないが、観光地に来ているとは思えない。



「兄ちゃんが来てからまだ三日も経ってないってのに、この村は今後大きく変わるなぁ」

「でしょうね。妖怪の―――鬼との共存を目指す村なんて、俺の知る限りココが初めてですよ」

「おいおい、他人事のように言ってるが、お前さんにゃあ今後とも協力して貰わんと色々と困るぞ」

「分かってますって。ただ、出来るだけそっちで対処して下さいよ。俺だってずっとこの村に入れる訳じゃありません。それに、今日か明日にでも元の目指していた村へ出発しようと思ってるんですから」

「安心してくれ。未だに一角達には怖いと思う気持ちはあるが、あいつら良い奴らだからな。近いうちに蟠りも薄くなるだろ」



 自分をとって食おうとしていた相手に対して凄い事を言える人物である。

 この辺の思考の幅とでもいうのか、懐の広さは見習うべきなのか、どうなのか。



「あぁ、そうだ。壊れた家な。中々の住み心地だ。ちっと体の違いから来るっぽい縮尺の差はあるが、しっかりした作りの良い家だよ」」

「あいつら本当に一日で家作ったのか……。すげぇー」

「何言ってんだ。あいつらだって、一日どころか一瞬で洞窟作った兄ちゃんにゃあ、言われたかねぇだろう」



 カッカッカと子気味の良い音を響かせながら、おじさんは高笑いを響かせる。

 それもそうだ、と俺も釣られて笑い出す。



「そうそう、兄ちゃんに伝えたい事があってな」

「ん? 何です?」

「村長がな。『来年の春から、村長はお前だ』って言われたんだ」

「おお、凄いじゃないですか」

「鬼とのいざこざから逃げたかったって気もしてるんだがな」

「ははは、確かに鬼と対峙していた時の村長って影薄い……というか空気でいようと徹していましたからね」

「もう歳も歳だし、丁度良い機会だったってことさ。―――それでな? 村長になるにあたって、俺ぁ苗字を貰う事になった訳よ」

「おー。おめでとうございます。これで名実共に、村の代表ですね」

「おうよ。ってことで、改めて名乗らせてもらうぜ。心して聞きな!」

「おじさんノリノリですね! 分かりました。是非教えて下さい!」



 これから鬼との交流で粉骨砕身するであろうおじさんの顔はとても晴れやかなもので、これからの出来事にやる気MAXって覚悟が溢れ出ているかのようだ。



「浦辺の戸島村、来年から村長を務める“浦島 太郎”だ。九十九兄ちゃん、これからも宜しくな」

「大和の国、守矢の地から来た九十九です。浦島太郎おじさん、これからも宜しくお願いします」



 お互い、がっちりと片手で握手をする。

 流石に投網猟を行っていただけあって、中々の握力で俺の手が潰れそうになりそうだ。ナイス筋力だぜ、おじさん

 ……ん? うらしま……たろう……?



「何だ……? お、海亀とは珍しいな。よし、今夜はあれを食うか」



 あまりに唐突だった為、『おじさんそれフラグー!』と突っ込む事もない。

 俺の考えがまとまる間もなく、おじさんは俺の横を通り過ぎて、奥に居た、浜辺へ打ち上げられている亀へと向かっていった。



「でかいな、これから村の皆にも……ん? この亀、なんで光ってるんだ?」



 聞こえた声に我に返り、その方向へと顔を向ける。

 そこには落ちていたであろう木の枝で亀を突くおじさんが見とれ、対して突かれている亀は、ぐったりとしていて動く気配が見えない。

 とりあえず俺もそこへと向かいながら、先程おじさんが名乗った苗字について思案する。



(浦島って……あの浦島? 助けた亀に連れられて云々の? えー、うっそー……)



 おまけと言わんばかりに亀とのツーショットになる浦島おじさん。

 村の名前だって、あの御伽噺と何の脈略も無いものだと思っていた為に聞き流していた位だ。

 色々と聞きたいし突っ込みたい場面ではあるが、近づいていくうちに、問題の亀へと視線が移っていって―――



(……あれ、あの亀、なんか変じゃね?)



 俺の胴体程もある大きな海亀。

 とても立派な体格で、あれなら大人1人くらいは上に乗せられそうだ、と思う。れっつ竜宮城。

 しかし、問題はそこではない。

 あの亀、おじさんが言ったように、所々が光っているのだ。



 ―――いや、正確には発光している。



 まるで電気がショートするかのような光源が亀の体から発せられていて、見た光景は、先程言った言葉がまさにピタリと当てはまった。



(って、この亀……火花散らしてるんですけど……)



 見えた亀の体は、所々が傷つけられた後が残っており、その箇所から見えるのは、俺の世界では良くあった“機械”と呼ばれるもの。

 それが表皮の間から覗いていて、時折その箇所から青白い火花が弾け飛んでいた。

 これは……一体……。



「何だこの亀は? 体の中に雷様でも飼ってるのか?」



 そう言いながら、機会部分と思われる箇所に木の枝を押し当ててる。

 それに連動するかのように火花を散らす光景は面白いかもしれないが、どんな代物だが彼らよりは分かっている自分としては、即刻止めさせなければならない。

 この手の類は、最悪自爆オチだと相場は決まっているの……だ……?



「む? 散らす火花が増えてないか?」



 おじさんそれフラグー!!

 僅かの間に二回もイベント起こす発言するとか大したもんです。ってそうじゃない。

 やばいのよ!

 虎口に飛び込まんとしていると分かっているだけに即行動を起こす。

 無邪気に言ったおじさんの台詞に、俺は慌てて声を張り上げた。



「逃げろ!!」

 

 この手の台詞は、実際には『何で?』とか『どうして?』なんて疑問がまず返って来るので意味は薄いのだが、声を出さずにはいられない。

 しかし唯一、勇丸だけは俺の意思を分かってくれたようで、おじさんの背中を口で咥えて全力ダッシュでこの場から離脱してくれた。

 勇丸GJ! と内心で親指を立てて感謝の意思を伝えると、『逃げて下さい』って返答が来たので、慌てて現状を思い返す。

 さて、後は俺も逃げて―――



 ―――途端、メカ海亀の周囲に光の壁が出現する。

 それはまるで自分を覆うバリアのようで―――その中に俺も囚われた。



「意味分かんねぇぞコンチクショウ!」



 脱出しようとバリアののようなものからの離脱を試みるものの、文字通り壁となった光の膜がそれを拒む。

 ガラスのような触り心地の強固な防壁に一撃入れてやろうと拳を振り上げた所で、背後の亀が、まるで内側から飲み込まれるかの様に消えていく。



(ブラックホールみたいな感じか!?)



 一刻もない状況の中で、混乱せずに物事を考えられているのは、きっと何度かの危機的状況を乗り切ったからなのだろうか。

 とりあえずはココから脱出する為のカードを思い浮かべて見るものの、既に俺の体までブラックホール(仮)の方へと引き寄せられている。

 ちょっと自力での脱出は無理くさいと判断し、退避系カードではなく保守系のカードで安全を確保しようと画策し、即座にそれを実行した。



(【死への抵抗】! 対象は俺!)










『死への抵抗』

 1マナで緑のインスタント

 クリーチャー1体を対象とし、それはこのターン終了時まで破壊されない。










 過去、俺は諏訪子さんと対峙した時に【不可侵】という受けるダメージをゼロにする【エンチャント】を装備した。

 だがあれは神気―――威圧感による心の負荷を防ぐ事は無かった。

 このダメージという範囲が何処までなのか分からない以上、現状での使用には疑問が残る。

 よって、ダメージを受けないという部類分けではなく、ダメージを与えても意味のない効果を付与させた。

 勿論例外は多々あるが、鋼の肉体よりも強固で頑丈な体へと変えてくれる筈のもの。



 呪文を唱えると同時、俺の目前に1枚の金属板が出現した。

 黒く、フリスビーのような大きさ。

 鈍く光り、表面に何か文字の彫られたそれは、【ダークスティール】と呼ばれる特殊合金で出来ていた。










『ダークスティール』

 とある次元の管理者(神)が作り出した。

 光を吸収する特性があり、その結果、黒色に鈍く光っているようにみえる魔法の金属。

 取り込んだ光を、まるで蛍が周囲を舞うかのように出現させ、飛び回らせる性質を持つ。

 特殊な魔法によってのみ造り出し形作ることができ、決して壊れることはないとされている。










 まるで俺の周りで遊ぶ妖精のように周囲を漂うフリスビー型の【ダークスティール】に、効果の発動を実感したと同時、別の疑問が沸き上がった。



(俺って破壊不可になってるんだよな? この円盤使って攻撃防げって意味じゃないよな?)



 またやらかしてしまった感が焦りに変わる前に、俺の体は亀と共に黒い渦の中心へと飲み込まれていく。



「兄ちゃん!!」



 その僅かの間。

 バリアのようなものを挟んでいても声は届くようで、遠くからおじさんが必死に声を張り上げているのが聞こえてきた。

 勇丸はまだ距離を離すべく疾走しており、これなら俺の場所にミサイルの絨毯爆撃が降って来たって回避出来そうな位に退避してくれた。

 もはや応えるだけの間もなく、体は半分以上この場所から消え去っている最中、せめて少しでも安心させなければと思って、僅かに残っていた右手の親指を立てて、グッドのサインを作る。



 ―――後にして思えば、そんなサインなどその時代の人は知る筈もなかったのだが、その時の俺はそれが精一杯で。

 そうして、俺の視界は一面の黒へと塗り潰されていった。










 周りに見えるのは一転、一面の白。

 上下左右前後ろと、見回してみれば全てが真っ白な部屋に俺は居た。

 小中学校の教室一個分位の大きさだろうか。

 その室内の中央に、俺と、完全に壊れてしまったであろうメカ亀。

 ……気絶しながら移動出来たのなら、また『ここは……』なんて言って、既に俺という存在を周囲に知らしめた後に行動すれば良かった。介護されてる的な意味で。

 だが意識のあるまま、見ず知らずの誰かと唐突に対面した場合、はたして何と言ってコミュニケーションを取れば良いのやら。



「……あなた、誰?」



 月の光りを織り込んだような銀と、月の夜を混ぜ込んだ蒼の2つを融和させたような髪に、左右対称の赤と青の服と帽子。

 その上から純白の羽織―――白衣をまとい、こちらに目線を向けるその人物こそ、『月の頭脳』『月の賢者』などの月を代表する二つ名を持つ、八意 永琳その人である。

 



[26038] 第22話 月の異名を持つ女性
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/09/23 03:39






 座るタイミングの掴めぬまま立ち話状態になって、二~三十分位だろうか。

 あのバリアの内側にあったであろう砂浜の一部が丸ごと俺の周囲に散乱していた。

 どうやらあのバリアっぽい何かは転送範囲を決める為のマーカーだったのではないかと思いながら、目の前にいるお方との当たり障りの無い会話をし続ける。



「……なるほど。そちらは今、多種多様の妖怪が増え続けている、と。アヤカシ系の生物の調査は難航していたから、教えてくれて嬉しいわ」

「色んな奴が居て飽きる暇が無いですね。ついこの前までは鬼と一緒に居たんですよ。あいつら、やれ酒は飲むわ飯は食うわで、ホントもう給仕やってる身としてはてんてこ舞いでした」

「鬼……。一部の島国で見られる、頭に角の生えた固有の妖怪の名称……だったかしら。ちょっと前に資料で見たのだけれど……。そう……。九十九さんは、色々な出会いを経験しているのね」

「良かれ悪かれってのが入りますけどね。まぁ、何度か死にそうな目には会いましたが、こうして無事でいる今としては良い経験ですよ」



 目の前には、『あらあら』と、そう言って口元に手を当てて優しく笑う女性、八意永琳。

 東方世界において最も長く生きてきたであろう候補その一な人物。その年齢、最低億単位。

 穢れた地上を捨て、月の都市―――建国を支えた賢人。

 月の頭脳、月の賢人、月のetc,etc……。呼ばれる二つ名は数知れず。

 失礼だけれど、もう面倒なので“月の母”とかでも良いんじゃいかと思ってしまう。

 そして、容姿も同人本などの絵柄で感じてはいたのだが、超を三個くらいつけてもお釣りの来る美人。

 絶妙ともいえる造形とすっきりとした全体のラインに、女性らしさの象徴が目に毒。上下共にもう一サイズ上の衣類を着て下さいと言ってみたくなる。―――絶対言いませんけどね。役得役得。

 ただ、受ける印象は妖艶、ではない。

 着ているもののせいなのだろうか、研究者、科学者といった、知性が服着て存在しているといった印象だ。知的美人万歳。

 諏訪子さんと比べるのはあれだが、神奈子さんとは別方面の美がそこには佇んでいて、もう一緒の空間にいるだけでも満足ですって思えてくる。

 敵意を向けて見なければ、神奈子さんにもときめいていたと思うのだが、生憎と出会い方が不味かったので、第一印象が払拭されるまではそれ系の目線で見る事は無いだろう。



 俺がここへ来た直後、えーりん……八意さんは、警戒心よりも好奇心を優先させたかと思えるほどに質問をマシンガンのように繰り出して来た。

 種族は、出身は、何をしに来たのか、何をして過ごしていたのか、住んでいた場所の状況は、等々。

 こっち側の情報……知識に飢えている感じがする。

 それも“知りたい”の類ではなく“暇つぶし見つけた”的な。

 ただ、いい加減そっちの情報を教えて欲しいんだ。

 会話するにしても、名前を呼べないんじゃあ、しっくり来ないのですよ。



「あの……教えて欲しい事があるんですが……」

「あら、何かしら」



 ……何かしらって。

 自己紹介とか場所の説明とか俺の処遇とか色々あると思うのですが………。



「色々あるんですが……まずは名前を教えて頂ければ」

「……ごめんなさい。久々に楽しかったものだから、つい」



 自分の失態を恥じる様に、片手で顔の下を覆うように隠しながら、謝罪を口にした。

 こんな美人に頬染めさせるたぁ、俺の地獄行きは確定やもしれん。その時は宜しくお願いします、えーき様&こまっちゃん。

 ―――東方キャラって美人多すぎだよなぁ……最高です。



「私の名前は八意永琳。“ここでは”様々な研究を行っているわ」

「さっきも言いましたが、九十九です。苗字とかはありません。宜しくお願いします、八意さん」



 何に対して宜しくなのかが自分でもよく分かって無いが、テンプレ挨拶なんて、そんなものだと思う。

『えーりん!』とか腕を振りつつ言ってみたい衝動に駆られるが、そこは本人を目の前にしているので自重。

 東方キャラ全般に言える事だが、いつもは下の名前で認識しているだけに、いざ苗字で相手を呼んでみると心の何処かに違和感が残る。

 諏訪子さんや神奈子さんの時のように、いつか下の名前で呼ぶ仲になれたら良いなぁ、なんて思いながら、新たに目指す野望を一つ増やしておこうか。



 ……しかし、うっかり自分の本名を名乗ってしまったのを、まさか後悔するとは思ってもみなかった。

 というのも八意さんに出会った瞬間に、あのタイミングで亀と遭遇した浦島おじさんとを吟味した結果、本当はおじさんが今ココに居る筈なのでは、という結論に達したからだ。

 もしかしたら、自分が浦島太郎と名乗って日本童話を破綻させずに済んだかもしれないのだけれど、今となっては悔やむばかりである。





 浦島太郎。

 日本の御伽噺の中で、5本の指に入るであろう程の有名な作品。

 事の顛末から主な登場人物の名前まで、知らない人など日本には居ないとさえ言い切れるほど知名度のある物語。





 ただこの世界では、助けた(拉致られた)亀に連れられてきたのが竜宮城などではなく、恐らく月の都―――蓬莱の国? であるという事。

 乙姫様というのはこの八意永琳その人なのではないかという事。

 ……あれ、東方では綿月豊姫ってキャラが瑞江浦嶋子……だったか? 浦島太郎の元になった人物を匿って云々、といった流れだったような。

 ぬぬぬ? 瑞江浦嶋子が既存の人物で浦島太郎が想像キャラで、でも俺はさっきまで浦島太郎というおじさんと一緒に歩いていて、豊姫が乙姫の筈で……。

 ダメだ。

 考えれば考えるほど泥沼に嵌っていく気がしてならない。

 これの考案はもっと落ちついてからにしよう。



 その後、八意さんから俺が聞きたかった事を大まかに尋ねた。

 真っ先に聞きたかった、あのメカ亀は、何でも地球探索用の端末なのだとか。

 他にも鳥や犬といった生物に擬態している物もあるそうで、定期的に地上の情報を仕入れておくのだ、と説明してくれた。

 で、万が一壊れた時には、痕跡を残さない為に緊急帰還装置が付属しているのだが、それが発動してしまったのだという。

 ただこの機械、妖怪とは相性が悪いらしく、近づくだけで大抵の妖怪は姿を消してしまうのだとか。

 調査が難航する訳だぁね。



「過去例を見ないほど急に、天候が変わってしまったの。それなりの自然環境の変化には充分に耐えられる性能はあったのだけれど、許容量を超えた落雷が降り注いできてしまって……」



 妖怪の仕業かしら? と、疑問に思いながら対策を練ってるかのように、八意さんは考え込む。

 ―――こりゃあ早めに謝罪した方が良いのだろうか、それ俺ですって。

 ……もう少し親密になったらにしておこう(汗



 そんなやり取りをしながら、その他諸々な会話に移っていく。

 ただ、場所や名称を暈かして言われるのかと思いきや、どれもこれもが恐らく正式な名前である単語が飛び出してくる。

 間違っても、竜宮城やら、乙姫やら、海の底。なんてものは、これっぽちも出てきちゃいない。

 そもそも俺が地上の人間で、未だ月の文明とは程遠い生活を送っていることなど、微塵も考慮していない話し方だ。

 月面都市とか研究室とか、初めて聞く人が居たのなら、ポカンと口をあけてしまう事は必須。

 全くの無知で通すのか、その手の単語は知っているものとするか、どう振舞ったら良いのか悩んでしまう。

 ……というか、ココは月の国。

 言語体系が違った筈なのだが、どうして会話出来ているのだろうか。

『八意さんは私の国の言葉が分かるのですが』ってさり気無く聞いてみたのだが、彼女は『この部屋に念波で意思疎通が出来る機能が備わっている』と解説してくれた。

 何と、マジ便利だそれ。

 異国語を勉強中の人々(主に受験生)にゃあ、百万払ったって欲しい機能かもしれん。

 MTGにもそれらしいカード無いかなぁ。あったら国外行きまくりで俺もパーフェクトリンガルになれそうなのに。

 ―――あったな。それっぽいカード。機会があったら使ってみよう。



「……それで、さっきから気にあっているのだけれど、良いかしら?」



 また考えすぎてしまった。

 夢中になると周りに気が向かないとは……。八意さんの事を言えないな、こりゃ。



「あ、はい。何ですか?」

「その、あなたの上に浮いている円盤は、何?」



 ……ぉぅぃぇ。元気そうですね、【ダークスティール】さん(汗

 思わず隠すように引き寄せた冷たい金属を抱きしめながら、『やっぱり触り心地は金属なんだな』とか思いつつ。

 そういえば、あの時からずっと出ていたんだよなぁ。

 これで、巻き込まれ型一般人で通す線はボツになった。

 俺の頭上を漂うに浮いていた為に、自身からは全く視界に入らなかったので、それを展開していた事すら忘れていましたよ。

 けれど第三者から見れば丸分かりで、むしろ矢継ぎ早に質問攻めをしていたあの状況を考えてみれば、今まで突っ込みを入れなかった彼女は俺を気遣ってくれているのだろうか。

 ……分からん。分からんが、とりあえず今の発言で身の振り方はある程度決まってしまった。

 能力を隠してサッサと地上に返してもらうのも手だと思ったのだが、確か彼女は、ココを知ってしまった瑞江浦嶋子が地上に戻りたいと言った際、『処断なさい』と命令をしたという、冷徹な面を覗かせていた。

 その時は、豊姫が規制緩和を申し出て軽減はされたのだが、大切にしているもの以外に対して、無慈悲とも言える判断を下せる人物なのだ。

 これで全く興味の沸かない存在だったのなら、同じ判断をする可能性が……。

 それに原作とは違い、今回は豊姫の口添えが期待出来ない状況。

 もう危険度がレットゾーンに突入していても、不思議じゃない。

 ちょっと滞在時間が長くなりそうだが、ここは興味を引く事で、目の前の死亡フラグを回避せねば。

 と、いう事で。



「これは……特殊な金属で出来たもので、こっちの方じゃ、絶対に破壊されないって評価がついている代物です」



 MTG界では絶対に壊れてないとされている金属、【ダークスティール】。

 世が世ならオリハルコンとかダマスカスとかミスリルとか、その手の伝説級金属の名称で通りそうなものだが、同じMTG界ではこれを食ってしまう生物もいるというのだから、何処まで破壊不可を信用して良いものか、悩むところである。




「へぇ、それはまた凄いわね。―――ちょっと試して良いかしら?」

「……ご期待に沿えるかどうか(センセー 目ガ コワイ デスヨー)」



 ゾクリ、と背筋に氷柱が差し込まれたかのような感覚が走る。

 目線から、興味の対象から実験体へと目線が変わったのが肌で分かってしまった。

 突如、八意さんは目の前の空間に手を伸ばす。

 そのまま右から左へ手を動かすと、今まで何も無かった空間に光で出来たディスプレイ―――だと思う―――が出現した。

 今までアナログ以前の世界に居た身としては、現代どころか超未来―――SFな場所に来てしまった故に、懐かしさよりも未知の技術に対する興味が沸き上がって来る。

 そのままキーボードよろしく、ポチポチとタッチパネルを操作するのかと思いきや、ディスプレイに片手を置き、そのままの状態で動きが止まった。

 ―――ここはタイピングなんて作業は必要無い場所のようだ。

 あのパネルに手を置き思案するだけで、それが機械に入力されていくのだろう。

 自分の常識が既にローテクになってしまっている事実に、若干の寂しさを感じるものの、身近な時代の変化を感じた代物―――テープがメタルテープに、CDに、MDに、MP3やHDへと移行していった場面を思い出しながら、彼女の作業を黙って見続けていた。





 何かの作業に没頭している八意さんを見続けて、しばしの時間が過ぎた。

 しばらくすると、何処からともなく電子音のような音が定期的に響く。

 目覚ましや携帯の着信音のようなメロディに、何かを知らせる音なのではと思っていると、彼女は、ふいと顔を見上げ、目尻が垂れ下がり、残念そうな表情を浮かべた。



「……もう、良いところなのに……。ご免なさい、用事あったのを忘れていたわ。戻ってきてから続きをしたいのだけれど、構わないかしら?」

「あ、はい、分かりました。どれくらい掛かりそうですか?」

「多分半日は戻って来れないから……そうね。休めそうな部屋へ案内するわ」



『着いて来て』、と踵を返し、真っ白な部屋に突如と開いた黒の出口へと進む。

 通る廊下は照明のような物が無く、けれど全体が眩し過ぎず暗過ぎず、適度な光量が保たれている。

 だからだろうか。

 窓と思われるものは一切無く、歩く道一面は全て壁。

 味気ない事この上ないのだが、それも僅かな時間で終了する。

 部屋の入り口と思われる窪み。それが音も無く開き、その中へ八意さんは入っていった。

 プシュー、とかニュイーンとかすら音がしないというのは、SF映画を見てきた者としては少し物足りないな、と思いながら入室する。

 これといった特徴の無い―――良く言うと小奇麗な、悪く言うとプライベートが守られている独房、といった印象だろうか。



「申し訳ないのだけれど、私が戻るまで、この部屋に居てもらう事になるわ。予定外の来客だったから、色々とやる事が出来ちゃって、しばらく掛かるかも」

「お手数おかけます。……あの、俺はいつ元の場所に帰れるのですか? あまり長居するのは避けたいのですが」

「それも含めて、の、色々とやる事があるのよ。戻ってくるだけならあの探索用擬態だけで可能なのだけれど、送るとなると、それなりの設備が必要なの」



 どうもこちらを元の場所へと返してくれるような口振りなので、これで死亡フラグは回避したと判断しながら、心の中で、安堵のため息を漏らす。

 思ったよりも優しげな彼女の対応に警戒心を緩めて、大人しく待つ事に決めた。

 一応、何かあっても動揺しないように心構えだけはちゃんとしておこう。

 これからの事についても考えないといけないし、一応繋がっている感覚はあるが、置いてきた勇丸の事も気になる。



「分かりました。じゃあ、少し休ませてもらいますね」

「ごめんなさいね。退屈だとは思うけれど、少し我慢してね」



 了解の意を伝え、退出していく八意さんを見送った。



 ―――第一印象は超美人。

 続いて連想されたのが、気遣いの出来る大人の女性という印象。

 今まで周りには居なかったタイプなだけに、表面上は普通に受け答え出来ていたと思うが、内心は心臓バクバク状態だ。

 白い部屋とは少し色の違う、若干灰色がかった白いベットにどかりと腰を落とす。

 良かった、ベッドはベッドのままっぽい、という感想は一瞬にして置き去りにして『超ふかふか!』という思いが心から溢れてきていた。

 今までずっと薄い煎餅布団だっただけに、ベッドというものが凄く新鮮に感じられ、それによって転生前での生活を思い出し、結構ノスタルジックな気分になってしまった。

 金属製っぽい壁に、ふかふかのベッド。

 ガラス―――ではないんだろうが、無色半透明の素材で出来ている、二人掛け用のテーブル。

 奥に見える扉と思わしい窪みは、厠か浴室への出入り口だろうか。

 生憎と窓の類は一切無いが、下手なビジネスホテルより豪華な作りの部屋だ。



(浜辺での散歩の後は、こういった部屋か専用の食堂での朝食コースだけど……)



 さらっと思っていた事が現実になり、けれどこんな現実ならば遠慮しておきたかった、と苦笑を浮かべる。

 さて、八意さんは、半日は帰って来れない、と言っていた。

 月の頭脳なんて呼ばれていたのだから、きっと色々と忙しいのだろう、と考えてみるものの、これで『あの者は処分すべきです』とか他の人に進言しに行ってたのだとしたら、どうしよう。

 もしくは逆に、周りからそういった方面の進言をされたのなら……。

 理に適っていれば、彼女は迷わず判断を下す筈だ。



(となると、やばいな……。何よりまずは、脱出用のカードを考えておかないと)



 逃げるカード―――今いる場所から移動するものは色々とあるのだが、月から地球までの長距離を移動させてくれるとは限らないのだ。

 それに、名前そのまま【脱出】というカードがあるにはあるのだが、これは残念な事に5マナも消費してしまう為、3マナ出力制限の掛かっている現状では実行不可。

 何とかして思いついておかなければ、最悪、ここでエンディングを迎えなければならない。

 勿論、悪い意味で。



(勇丸も置いてきちゃったし……繋がりを感じるから、無事ではいるんだろうけど、念話が届かないのは困っちゃったなぁ)



 けれど、別の見方をすれば、勇丸も、俺との繋がりを認識しているのだ。

 残念な事に言葉は話せないが、頼りになる相棒の事だ。

 俺が無事なのを周りに伝えてくれているだろう。



(戻るまでの辛抱だからなぁ、勇丸。それまではそっちで……ちょっと時間を……ふぁ……)



 頭上に浮いたままの【ダークスティール】を眺めていると、久々のふかふかな寝心地のせいか、急激に睡魔に襲われる。

 体内時計では朝方なのだか、こちらはきっと夜なのだと思う事にして、夜なら寝ないとね! って訳で掛け布団を捲り、その中に入る。

 やっべ超ふかふかマジこれやっべぇよホントふかふか2年ぶり位かどうせすぐ起きるだろうしその時に色々考えれば良いやふかふかだぁふかふか柔らか~Zzz……。











 長く生きていると、様々な出来事が起こるもの。

 思い起こせばきりが無いけれど、ここ最近はとんとその手の話には疎くなった。

 けれどその更新も今日で終わる。

 白。

 初めの印象はそれだ。

 滑る様な白い外套を羽織り、同じく白のシャツを身に着けた男。

 地上では、このような服装が主流になりつつあるのだろうか。

 前に調べた時は、植物や動物の皮で作られた単純な作りものものだけだったが……。時代の移ろいは早いものである。

 帰還させた探査機達の情報を整理してからだが、今行っている研究を修正しなければならないだろう。



「永琳が忍び笑いなんて珍しいわね。何か良いことでもあった?」



 鈴を鳴らしたような声。

 華奢という言葉の言葉が良く似合う―――立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな、とある地上の言葉がピッタリだろう。

 私ほど体にメリハリがある訳ではないが、黄金比とも呼べる絶妙さを体言しているこの子は、月の姫。



 蓬莱山 輝夜。

 それが、私の教え子のうちの一人。



「ええ、先日から地上へ向かわせていた探索機を回収したのだけれど、うち一体に面白いものがついてきてね」

「定期的に地上を調べているっていう、例のあれよね。……それで、それはどんなものかしら? 鉱石? それとも何かの化石? 大概のものなら既に、そうなる前の段階で、見ているでしょうに」

「どれも外れ。―――正解は、人間よ」

「……永琳ったら、長年に渡る心労が祟って、とうとうネクロフィリアに目覚めちゃったのね。共感は出来ないけれど、否定はしないわ。人それぞれですものね。……あ、でも私にそれを求めないでね。流石にそっちの趣味へは、まだ早いと思うの」

「違うわよ。ちゃんと“生きている”状態ですもの。質疑の応答も、呼吸も瞳孔も、その他諸々体の不具合全部異常な箇所はなし。正真正銘、健康な人間よ」

「……あの転送装置を経由してここまでこれる時点で、ただの人間なのか怪しいところよ。ちゃんと調べたの?」

「それはこれから。あまりに普通過ぎて、地上のスパイなんじゃないかって疑うのも馬鹿らしくなってしまうわ」




 ―――月の民は、昔、地上に住んでいた。

 けれど時が経つにつれ“穢れ”が蔓延。

 それから逃れるべく生まれ育ったそこを捨て、月へと移住した。

 以後、再び穢れの脅威に晒されぬよう、鉄壁とも呼べる体制で事に当たっている。

 その一つが、浄化。

 地上から持ち込まれるものには全て穢れが付着しており、それを除去する手段として特殊な光を照射し、対象にぶつける。

 けれどそれはあまりに強すぎて、過去生物でこの光線を浴びた中で生きている者は居ない。



 ―――いや、居なかった。



 探査機の帰ってきたあの部屋には、帰還した瞬間、穢れを払う為に特殊な光を照射する機能が備わっている。

 作動しなかった訳ではない。

 だから……生きた状態で月側の土を踏むのは不可能だった筈なのだ。

 それを、あの男は何事も無かったかのように存在していた。

 まるで、自分が何故ココにいるのか分からない、といった様子の彼―――九十九は、何処にでも居るような、少し間の抜けた男性だった。

 何か主張がある訳でも、強い意思を持っているようでもなく、ただ普通に生きてきたかのような。

 そのような人間が、何故、あらゆる穢れを払う光を受けても無事だったのか。

 興味が尽きない。

 いっそ、今この場を放り出して、彼の元へと駆けつけたい位に。

 どのような条件が彼を存命させているのか……体中を開いてでも調べてみようかしら。
 


「あなたは素晴らしい師だけれど、たまに自分の考えに没頭し過ぎて、周りを蚊帳の外にするのはやめてほしいわ」

「あら、ごめんなさい。最近、これといった刺激が無かったものだから、つい」

「……何よ、私達の相手だけじゃ不満だって言うの?」

「手の掛からなくなるよう教育する事が目的ですもの。こういった流れは当然だわ。それに、綿月達に比べれば、未だに手の掛かる子は、あなただけよ? 輝夜。あの子達はもう、政治や軍部でその手腕を発揮しているわ」

「あの子達が、がんばり過ぎなだけよ。……永琳。あの子達が、あなたを見る目って、よく観察したことある?」

「あるわよ。真剣に私の教えを取り込んでくれている様で、師としては嬉しい限りね」

「……時折、依姫が、熱の入った目線を向けているのだけれど」

「勉強熱心で嬉しいわ。あなたも、それ位にきちんと物事に取り組んでくれるのなら良いんですけどね」



 やれやれ、とでも言いたげに首を竦めながら、輝夜は手元の植物を手折って、工芸を再開した。

 何よ、熱心なのは良い事なのよ? あなたにもそれが分かってくれる日が来ると良いのだれど。



「もうこの関係は百年、二百年じゃないのよ? 今更そうそう変わるものでもないわ」

「……流石に長く付き合っているだけあると、私の考えも分かるのね。だったらこの気持ちに答えてみよう、なんて思わない?」



 全然。

 そう、輝夜は私の気持ちをバッサリと切り捨てる。

 今に始まった事ではないけれど、この中途半端な無気力さは、どうにかならないものだろうか。



 ―――私の教え子は、現在三人。



 一人は綿月豊姫。

 温和な性格なれど、確固たる意思があり、それの範囲内で可能な限り―――楽をする子。



 一人は綿月依姫。

 真面目で誠実な正確で、私の教えを誰より熱心に学んでいる子。



 最後の一人が、この蓬莱山輝夜。

 心技体、どの方面でも優秀な成果を出すものの、飽きたものに対しては極端に興味が無くなる、継続力が問題な子。



 ゆくゆくはこの子に仕えるのだけれど、この、飽きたらすぐに物事を投げ出す癖は、いずれ矯正しなければならないだろう。

 今ではここでの全てに興味を失ってしまい、穢れてしまった地上に、その興味の対象を移している始末。

 これで『その人間を見てみたいわ』なんて言い出した日には、どう静止したものか。



「そうだ。永琳、その人間と私を、会わせて頂戴」

「……今、あなたがそう言い出したら、何と言って止めようか、悩んでいた所なのだけれど」

「じゃあ、諦めなさい。別に取って食おうって訳じゃないわ。未知の経験を積む事で、新しい発見や発想が生まれるのは、良くある事よ?」

「はいはい、暇を潰したいのが丸分かりよ。―――分かった。会わせてあげるけど、今すぐはダメよ? 彼の事を調べ終わってから、なら構わないわ」

「へぇ、彼……か。男なのね。どう? 格好良かった?」

「……あまり印象に残る程の個性は無いわね。衣類は白が目立っていたけれど、造形は不出来でもなければ出来が良い、と言い切れる程でもない。背丈が多少高い位かしら」

「なぁんだ。永琳にも、とうとう異性として隣に立つ人が出来たのかと思ったわ」

「見た目で興味を惹かれはしなかったけれど、中身は面白そうよ? 彼、何でも“絶対に壊れない”っていう円盤を中に浮かせていたのだもの。地上でそんな物質は無かった筈だから、人間の能力持ちなのかもしれないわね」

「……その能力って、安直だけど、『絶対に壊れない能力』かしら。永琳、彼ってその能力で自分を守ったんじゃないの? で、その円盤とやらも破壊不可能に出来るとか」

「ありうるわね。……―――ダメ、もう我慢出来ないわ。今日は早めに切り上げる事にします。今取り組んでいる課題を終わらせれば、後は好きにして良いわよ。上には自習という事で通しておくから」

「ちょっ……幾ら何でも、唐突で、しかも投げやり過ぎじゃない!?」



 そんな声を背に受けながら、私は踵を返す。

 足早に退出する様子に不満の声を上げる輝夜だったが、今の私はその程度では止まらない。

 数百年ぶりに出会った、興味の尽きない観察対象―――もとい、実験体―――ではなく、生贄―――……ん?

 ……おほん。

 兎も角、長年に渡る倦怠感を、一風してくれそうなモノが見つかったのだ。

 ゆっくりと時間をかけて楽しむのも良いが、少し位は好奇心に身を任せて、前のめりになっても、問題ないだろう。

 何せ、“絶対に壊れない”かもしれないのだ。

 それが精神面でなのか肉体面でなのかを調べると共に……両方であったのなら、どんなに心躍る出会いになる事か。

 今日が、輝夜の教鞭を取る仕事だけだったのは幸いだ。

 これが綿月達ではなくて良かった。

 もし彼女達なら、真面目に話を聞いてくれる分、途中で投げ出すといった、誠実さに欠ける真似は出来ない。



 そうして私は、いつも訪れている、蓬莱山の大屋敷を抜け出した。

 日頃の行いが良いお陰で、すれ違うこの家の人々は、いつもより早めに切り上げる事に対しても、一切追求は無い。

 逆に、『お疲れ様です』『今後とも宜しくお願い致します』などと言われ、少し良心が痛む。

 けれど、課題は既に今日教える分は与えてきたのだし、問題は無い。

 自分の中で、そう判断を下した。



 弾む心を抑え切れず、足早に帰路へ向かう。

 久々の感情の高ぶりに、はて、この思いは何年ぶりだったかと考えを僅かに巡らせる。

 地上から脱出する為の計画を練った時? 月の都の建国を助力した時? それとも綿月達や輝夜と出会った時だろうか。

 何にせよ、数百年ぶりの機会だ。

 出来うるだけこの気持ちを継続出来るよう、私は全ての英知を以って、人生の暇つぶし―――この命題とも言える難題に、取り組むとしよう。
 




[26038] 第23話 青い人
Name: roisin◆78006b0a ID:d0ba527c
Date: 2012/07/01 17:36






 テンポ良く、木を叩く音が木霊する。

 まな板に打ち付けられる包丁が、調理中の独特の空気を演出し、充満する固有の薄い、けれど香りたつだし汁の匂いが彩りを添えている。

 盛り付けられた惣菜が、陳列された小皿を飾り、それ自体が一枚の絵のような仕上がりを魅せていた。

 ひじき、焼き魚、小松菜にお吸い物。

 甘い出し巻き卵と、炊き立てのご飯を盛り付けて、味付け海苔を揃えたら、完成ですっと。



「あーあー、またそんな格好で寝て……。ほら、永琳さん、起きて下さい。そろそろお仕事行かないと、まずい時間ですよ」

「……ん……ふわぁ……ぁ……。あら……もうそんな時間? ちょっと待ってて。顔を洗ってくるから」

「配膳しておきましたから、ちゃっちゃと支度して食べちゃって下さい。俺もその時に頂きますから」

「ありがとう」



 そう言って、永琳さんは寝ていたソファーから体を起こし、洗面所へと向かっていった。

 僅かな期間しか共に過していないが、相変わらずベッドで寝ない人である。



 ―――こうして暮らし始めて、一週間と一日。

 こうなった原因は、俺が転送されて来た初日まで遡る。



 

『この部屋で待ってて』と言われ、熟睡していた俺へ“突撃ドッキリお目覚めバズーカ”宜しく帰ってきた永琳さんは、『予定を早めに切り上げた』『実験するから付き合ってね』と興奮気味に、それはそれは素晴らしい笑顔で、捲くし立てるように言い放ってくれた。

 で……まぁ、色々とあった訳だ。

 こっちは直前まで寝ていた訳で、意識が完全に覚醒する前に、とんとん拍子で準備が進み。 

【死への抵抗】を使ってから一日は経過していなかったようで―――浮いていた円盤に、メスっぽい何かやら光線っぽい何かやらで、色々と何かやってみている、そんな光景をぼんやりと眺めていたら、何故か対象がこちらへと移り、俺も同じような方法を試されたり。

 ―――そこで初めて分かった事だが、破壊不可な効果が俺自身にも掛かってたらしい。

『ここの試作品♪』と満面の笑みを浮かべながら、豊姫の使っていた、例の粒子分解を引き起こす扇子―――の原型っぽい棒を使って来た時に、衣類が吹き飛び、けれど俺本体は無事なままでいたからだ。

 ただ、完全分解とまでは行かずとも、肌がビリビリ痛み出して来た事で、意識が完全に覚醒し、慌てて止めてもらったのだが……先程も言った通り、衣類の方が問題で、一瞬にして上半身裸な男の一丁出来上がり。



 ……肌がピリピリって事は、完全に破壊不可になってる訳じゃなかったんだな、危ない危ない。



 幸運にも、初めの頃に貰った外套は、ベッドの脇にどけてあったので無事だったが、ものの見事に、半露出狂な変態が一人生まれてしまったのですよ。

 ただ、その、分解された服も諏訪子さんに作ってもらった、思い入れのある品だっただけに、結構カチンと来た俺が、声を荒げようと腹に力を入れた時、彼女は既に頭をこちらへ下げて、深く陳謝して来た。

 どうも、興奮して色々と突っ走ってしまった結果のようで、『すまない』『申し訳ない』等々、矢継ぎ早に放たれる謝罪の言葉に、限界点を超えようとしていた理性は急速に熱を失い、さてどうしたものかと悩んだ末に、またも『じゃ、服、下さい』とお願いしてみた。

 何でこう、衣装をコロコロ変えなきゃアカンのだと場違いな感想を洩らしたのはさて置き。

 今度は和服いってみようか。もしくはそれっぽいのを仕立ててもらおうかな、とか思っていると、それまでは彼女の所へお世話になる流れに。

 興奮していた熱も冷めたようで、冷静に今度の対応を話し始めてくれたのは良かったものの、服を壊した罪悪感も相まったせいか、『永琳で良い』『時間は掛かるが、出来うるだけすぐに地上への渡航許可を取り付ける』と約束してくれ、その間の世話をさせて欲しい、と現在に至っている訳である。



 ……ただ、このお方。興味のないに関しては、とんと無頓着なようなのです。

 世話をするなら近くに居た方が、ってことで初めて彼女の家を訪れたのだけれど、その時の第一印象は『うわぁ』の一言。

 レトルトやインスタント食品の残骸のようなものが散らかり、正装と思われる、高そうなドレスなどの衣類も、折り重なるように山済みにされて、そこから僅かにではあるが、下着のようなものが見て取れる―――目の保養、目の保養。

 しかし、普段使っている場所や道具、白衣やブラウスといった、仕事用の衣類といったものだけは、手が行き届いているらしく、見えた範囲ではキチンと整理され、あるいはピカピカに磨かれていた。

 片や物置、片や聖域の清濁併呑(せいだくへいどん)的な光景を拝む事が出来て、興味の有無で、ここまでキッパリ分かれるものか、と逆に感心してしまう。

“これは興味云々ではなく、彼女の中で必要な行為と不必要な行為を決めている結果ではないか”なんて考えを頭の中で巡らせていると、その事実を忘れていた永琳さんに、『少し出て行って下さい!』と、わたわたしながら部屋から俺を追い出していた時には、何本か、理性のネジが吹き飛びそうになったものである。



 そんな訳で、ただ住まわせてもらうのも、忙しそうにしている永琳さんを見ていて気が引けたので、家事全般を俺が引き受け、渡航許可が出るまで永琳さんの実験に付き合いつつ日々を過ごしています。

 しかし、一体いつになったら戻れるんだろうか。

 一日や二日じゃあ問題はないけれど、週単位での誤差は、正直厳しいですよ。

 ……といった疑問をぶつけてみたいのだけれど、いつも忙しそう駆けずり回っている彼女に、今日も今日とて、何も言い出せずに、いつも通りに過ごすのでした、っと。



「お待たせ。それじゃあ食べちゃいましょうか」



 考えに耽っていると、永琳さんが身なりを整えて、食卓へと着いていた。

 それに倣って俺も正面の席に腰掛けて、互いに頂きますの挨拶をして、食事を始める。

 恐らく一度も使われていなかったであろう台所を片付けて、こうして料理を出せるようになるまでは、片付けやら整理整頓やらで何度か心が折れそうになったけれど、『俺ファイト!』な精神と怠惰抑制機能をフルに活用して、何とか乗り切った。

 家電だと思われる、色々なハイテクっぽい機器は色々とあったものの、あまり俺の中の常識を逸脱した家電製品とかが無くて助かった、と、片付けながら、思ったものだ。



「ん、今日のご飯も美味しいわね。これはどんな料理なのかしら」

「和食、ですね。魚介類と穀物なんかが主体の、俺の故郷の味です」

「あなたの故郷の味……ね。昨日食べたのが洋食で、その前が、中華。……何品か私達も食べている馴染みのものが出てきたけれど、どれもこちらのものより美味しいわ」

「良い食材使ってるからだと思いますよ。俺自身の腕なんて、素人に毛の生えたようなもんですし」

「【ジャンドールの鞍袋】……だったわよね。……本当、どういった原理で食材が出てくるのか、解明出来ていないけれど、凄く便利だわ。本来含まれている筈の穢れが一切付着していない、地上の品物。……元々ここでも自給自足の為に食材方面での供給は行っているけれど、こうして比べてしまうと味の差……劣化具合が良く分かる。―――やっぱり、地上の生き物は、地上にいなければ本領を発揮しないのでしょうね」



 寂しそうに微笑を浮かべ、永琳さんは食事を再開した。

 食材にこういった意見を述べるのもどうかと思うのだが、ある程度の辛い経験は、その後の良い肥やしになる。

 穢れと呼ばれる―――まぁ具体的にどんなものなのかは知らないが、良くないものであるのは確かだろう。

 それを一度も経験する事無く育った……言ってみれば温室育ちが、日々過酷な環境で精一杯その命を真っ当しとうと努力している者に適うだろうか。

『野菜舐めてんのか』なんて台詞が聞こえてきそうだが、あくまで俺だけのイメージという事で、ご了承頂きたい。



「ご馳走様」

「はい、お粗末様です。後はこっちで片付けちゃいますんで」

「お願いね」



 がっついていた訳ではないのに、あっという間に食べ終わり、食器をまとめて、荷物を持って外へと向かっていく。

 一週間前と変わらず、慌しい朝の出勤風景だが、忙しいからといって、省いてはいけない事まで、寛容でいる気はない。



「永琳さん!」

「ん、何?」

「挨拶、忘れてます」

「……そうだったわね。―――行って来ます」

「はい、いってらっしゃい」



 
 この辺は、独男だった俺の自己満足が多分に含まれているが、彼女もそれに嫌な顔一つせずに付き合ってくれているのだから、決して嫌という訳ではない……と思いたい。

 やっぱり、こういう挨拶は良い。

 家に誰かが居て、『いってきます』や『ただいま』を言えるというのは、この上ない贅沢のうちの一つだと、転生前に、一人暮らしを始めて一年目にして実感した。

 この辺は、各々の家庭環境で感想が変わるっぽいのだが、俺の場合は円満だった為に、このような心中になってる。

 殺伐とした家族構成で無かった事へ感謝しつつ、若干冷めた緑茶を一口啜った。



 備え付け荒れている、窓の方へと足を向ける。

 下に広がる景色から、一体どれくらいの高さにいるのか分からないが、中々の上層にいることだけは分かっている。



(幾ら月でもそうそう地球側へ向かえないって事なんだろうなぁ。豊姫の助力が得られれば戻れそうなんだけど。……そろそろ本気で帰還方法を考えますかね)



 視線の先。

 低空を走る車。何をするのか分からない機械の数々。時折、宙を浮く人々に混じって、ウサミミを付けて歩くお方がちらほらと。

 窓から見えるその光景は、俺が思い描いていた未来都市とは違う世界である事を訴えかけてきているかのよう。だって、ウサミミとかマジありねぇッスよ。―――美人は別枠ですがね。

 そんな思いに耽りながら、俺は首元に掛けられた小さな青い宝石の付いたネックレスを弄りつつ、朝食を片付ける準備に取り掛かった。



 ……まるで新婚生活のようだ、という感想に辿り着き身悶えするのは、もう少し先の話である。















 いつもの定例報告会。代わり映えもせず、大して新しい事など無いけれど、それでも私にとっては至福の時。

 このやり取りも、もはや数える事が適わぬ位に数を重ねてきた。

 私の師となって、様々な事を教えて下さった、八意永琳様。

 この国の誰もがあの方の事を知り、神格化している者までいる始末。―――それには私も含まれているのだけれど。

 ただ、今日の永琳様は、いつもと変わっていた。

 話をしても何処か上の空で、時折何か思い出したように忍び笑いを洩らしたり、明らかに、別のものに対して思考を向けているのが見て取れる。

 時折あることなのだけれど、前にそれがあったのは……かなり昔の事。

 あの時は確か、永琳様が、輝夜様の下へ、教師として通い始めた頃。

 手の掛かる子供をあやすかのように、けれど一歩一歩着実に成果を上げている輝夜様を見て、永琳様はとても楽しそうにしていらっしゃっていた。



「あの……永琳様」

「……ん? どうかした?」



 はぁ、と、隣に居た姉が、私にだけ聞こえるか聞こえないか、といった大きさの溜め息をつく。

 私だってそうしたいけれど、だからといって、よりにもよって、永琳様本人の前で、それをやる勇気は無い。



「永琳様。興味をそそられるものが見つかったのは分かりますけれど、依姫ちゃんのお話を聞かないのは困ります。―――拗ねちゃいますよ?」

「なっ!?」



 あまりに唐突過ぎた為に、思わず突拍子も無い声を上げてしまう。

 情けない。

 如何なる時でも冷静に、それでいて優雅に振舞うよう、努力を重ねてきたというのに。

 反省する点は反省し……。



「何を言い出すのですか、姉上。私は別に、そのような気持ちは持ち合わせておりません」
 


 言うべき所は言っておく。

 そうでないと、この私の姉―――綿月豊姫は、どんどんこちらに踏み込んでくる。悪い意味で。



「あらそう? あながち間違いでは無いと思うのだけれど。―――依姫ちゃん、目が泳いでいるもの」

「ぐっ」



 みっともない声が漏れて、永琳様に聞かれてしまったであろう事実に、羞恥心から顔へと血が上るのが分かる。

 これはまずい、と、弁明するべく、視線を永琳様に向けるが、



「……」



 何とかこの醜態をカバーしなければと思った相手は、またもや思考の旅へと出て行ってしまっていた。



「……これは重症ねぇ」

「姉上、永琳様が病気のような発言はお控え下さい。それに、今までにもこのような事は、何度かあったではないですか」

「でも、その時だって、こんなにご自身の考えに没頭しているの、初めてじゃない?」

「それは……」

 

 確かに、今までに見た事無い程に上の空であるのは、間違いない。

 過去に似たような事態は間々あったけれど、それでも少し意識が他所へ行く程度のもので、ここまで自己の世界へ閉じこもってしまう様なものではなかった。

 永琳様が、そこまで頭を悩ませる出来事……。

 ……私にも、何か手伝える事は無いだろうか。



「永琳様」

「……あら、またやっちゃったのね。ごめんなさい。ええと……豊姫に、試作兵器の実験をお願いする話だったかしら」

「そうですが、それは後ほどで構いません。ただ、永琳様があまりに他所へと意識を飛ばしていらっしゃるので―――。一体、何があったのですか?」

「―――そう! そうなのよ! 何かあったの! 聞いてくれる!?」

「は、はい。私で宜しければ……」



 後は、永琳様の独壇場だった。

 何でも、数日前に探査機の帰還に巻き込まれ、人間が一人、巻き込まれて来たのだとか。

 その人間に興味が沸き、色々と経て家に住まわせ、実験に付き合ってもらっているらしい。

 まさかあの探索機械の転送に巻き込まれて、生きている生物が居るなんて……ん? 家……に……?



「あの、永琳様」

「どうしたの? 今の説明じゃ、足りなかったかしら」

「足りないといえば足りません。今さらっと、その人間を家に住まわせている、と聞こえた気がしたのですが」

「ええ、そうよ? 彼、こっちが悪い事をしたっていうのに、色々と家事を引き受けてくれて―――。掃除は普通で、洗濯は、やっぱり私も女ですから、完全に任せられないけれど、料理がとても美味しいの。……やっぱりあの【ジャンドールの鞍袋】は量産されるべきよね、あれの技術を獲得すれば輝夜が統べる頃には、月はまた一歩豊かになる……そうすると輝夜の家の研究所じゃ物足りない、か……。国立の研究所に持っていって……それから……」



 またも別の思考へと、考えが飛び火している永琳様を他所に、私もまた、別の考えを巡らせる。

 ……今、あの方は何と言った?

 家に、人間を置いている?

 訪れる事は度々あったが、あのきっちりと住み分けされた家に、人間がいる。



 ……永琳様は、あのようなお方だ。月の頭脳であり、様々な知識を行使して、各種分野で、その英知を存分に振るっている。

 それに限らずあの容姿。

 流れる星々ですらも、見惚れて、その動きを止めてしまうだろう。

 加えて、その権力。

 色々な機関の相談役やお目付け役を任されており、彼女が白と言えば、例えブラックホールやダークマターですらも、白くなる程の力をお持ちだ。

 そんなお方なものだから、その付属品―――権力や友好関係―――に惹かれるのは、一部の者にとっては当然だが、異性は勿論、同姓からもそれらを抜きにしても、一生を添い遂げたいという思いの丈を、何度も告白されている事を、私は知っている。

 ……私だって、今の立場でなければ、それら人々の仲間入りを果たしていたであろう事は確実。

 それ程、魅力的なお方だという事だ。

 そして、永琳様はそれら全てをお断りして、現在に至る。

 いつか、前にさり気なく、『添い遂げる相手はどんな人が良いか』と尋ねてみたが、『興味を引くような相手が好ましい』と仰っていた。

 事実、言い寄ってくる者達はすべて、すぐに底が見えてしまったりするようで、未だにそれらしいお話はお伺いしたことは無い。

 資産、権力、頭脳であの方に適う者は居らず、かといって個人特有の―――能力と呼べるそれは、その性質から名前を聞けば、対外の憶測は立つ。

 言い換えるのなら先程の例と同じように底が浅く、継続的に興味を掻き立てられない場合が殆どだ。

 その点で言うのなら、私の『神霊の依代となる能力』は、永琳様に大変喜ばれていた。

 世界には、無数とも思えるほどの神が居る。

 穢れてしまった地上を管理する為、古今東西、ありとあらゆる神々がその能力を行使し、それぞれの理に沿って存在しているのだ。

 私は、そんな方々を呼び出し、使用してもらう事が出来る。

 要約するのなら、能力のレンタル。

 数日に一度、永琳様と一緒にこの能力を検証し、データを取る事が、もはや当たり前になってから久しいけれど、その役目を私以外の者に奪われそうになっている。



 ―――分かってはいるのだ。これは暴論どころか、ただの我が侭だという事くらい。

 あの方が他のものに興味を向けられる事態は、今に始まった事ではないし、私達との関係を無碍にしている訳でもない。

 ただ単に、永琳様と他の誰かが、私以上に親しくなるのが許せないだけ。おまけに、その相手は異性だと言うではないか。

 ―――ギシリと。

 腰に据えられた刀を強く握り込む音が鳴る。



「……依姫ちゃん、顔が怖い事になってるわよ?」

「……申し訳ありません、姉上」

「良いのよ。可愛い妹の為ですもの。―――見栄を張りたい人の前では、しゃんとして居たいわよね」

「……ありがとうございます」



 うんうん、と、満足そうに頷く姉上に頭を撫でられながら、それを振り解けずに居るのは、こういった行為を幾度となくやられている―――長年に渡る刷り込みが原因だろう。

 そうだ、そうに違いない。

 決してこの感触が心地良いからではなく、もはや抗えぬ体にされてしまっただけの事だ。

 撫でる姉上の穏やかな笑みも、それに釣られる様に緩む私の頬も、もはや仕方の無い事なのだ。



「んもー、依姫ちゃんったらかーわいー」



 そう言って、姉上は撫でるだけでは飽き足らず、こちらを包み込むかのように抱擁して来るのを感じながら、私は流れに身を任せる。

 ……これも仕方の無い事なのだと。そう、思いながら。










 永琳様は思考の海に漕ぎ出しており、依姫ちゃんは、そんな永琳様が気に入らない様子。

 明日か明後日になれば依姫ちゃんの能力の実験を行う予定だというのに、少し嫉妬深いのではないかと将来が不安になる。

 この分では、今日の定例報告会は取り止めてしまった方が、建設的だろう。

 何か真新しい出来事があった訳でもなく、すぐさま対処しなければならない問題がある訳でもない。

 だったらこんな不毛な会議は中止して、永琳様にも、依姫ちゃんにも、そして私にも有益な提案をしてみる。



「じゃあ、その九十九さんって方に会ってみない?」



 はっとした様に顔を上げる依姫ちゃんに、それは良い、と何処か納得されたような表情を浮かべる、永琳様。



「ですが、今回の定例報告会は……」

「早急に対処しなければいけない問題なんて無いでしょ? だったら、もっと時間を有意義に使わないと」

「しかし……」



 やっぱり依姫ちゃんは真面目だ。

 本当は、今すぐにでも悩みの元であるその人物の所へと向かいたいのに、任せられた仕事を完遂しようと、がんばっている。



「律儀なのは、あなたの誇るべき所だけれど、時と場合でそれらを使い分けても良いんじゃないかしら。今は戦でもなければ急を要する事態でもない。だったら、今までがんばっている分を、こういった時に生かさないと。……それに、あなただけじゃないのよ? 私や、そして永琳様も望んでいる事なの」

「永琳様が……」



 この手の言葉に弱い妹は、うんうんと唸り込んで下を向いてしまった。

 このパターンは倫理と私情が葛藤して、しばらく決着のつかない状態だ。

 グラグラと、どちらに倒れるともしれない振り子のような存在。



 ……つまりは、後一押ししてあげれば、どちらにでも転ぶ状態でもある。



「悩んでいても始まらないわ。さぁ、行きましょう。永琳様もそれで構いませんわよね」

「そうね。そうしてくれるのなら、私は嬉しいかしら」

「ほら、永琳様も喜んで下さっているわ」

「喜ぶ―――。分かりました。そう仰られるのでしたら、その提案を受け入れます」



 そんな事言って、こっちには頬が緩んでいるのが丸分かりよ? あちら(永琳様)はどうか知らないけれど。

 あの方って、変なところで鈍いんだから。



「よし決まり。じゃあ早速出発しましょう。永琳様の家なんて、いつ以来かしら。相変わらず、色々と「飽きさせないお部屋なのでしょうね………あ、そういえば、九十九さんという方が家事をしているんでしたっけ」

「ええ。必要な事以外だと、どうも優先順位が下がるのだけれど、彼が居てくれるだけでその手の仕事が片付いて、楽になって良いわ」

「ですから、前々から給仕か玉兎を雇ってみてはどうですか、と、申し上げているのです。姉上からも何か仰って下さい」

「えー、永琳様は『完全に、自分に仕える気でいる人を相手にするには、どうも………』って前々から仰っていたじゃない」

「では、何故今は地上の……しかも異性を家に置いているのですか!」



 あらあら、とうとう不満が爆発しちゃったわ。

 すぐに我に返っているのは評価出来るとして、その後の―――わたわたとしている態度は、軍部の上に籍を置くものとして、先が思いやられるわよ?

 ただ、その点については私も気になっている。

 だからこそ今こうして永琳様の家へと向かおうとしているのだし、その相手―――九十九という男性にも、興味が沸いていたのだけれど。



「あぁ、それは……。彼が気構えせずに……自然体でいるから、かしらね」



 そうお答え下さった永琳様は、まるで、今までに無い安らぎを見出せた、疲れた旅人のように、そっと優しげな笑みを浮かべた。



「今まで私の元へ来るような方達って、『命に代えてもがんばります!』、って息巻いているような思考ばかりだったのよ。嬉しくない訳じゃないんだけれど、少しね……」



 それを聞いて、依姫ちゃんは、心に刃物を差し込まれたかのように、動きを止めた。

 心当たりがあり過ぎるのよね……。

 だって、使用人の提案を持ちかけたのは、あなたが言い出した事だけれど、それは、自分が永琳様の下でお世話をしたかったからだし。

 事実、それ位の覚悟を伴って、事に当たろうとしていたのでしょう?

 それが永琳様には荷が重かった、という事なのでしょうね。



「九十九さんは、がんばります、という気構えではあるのだけれど、そこに自分の命を対価にするような意思は持ち合わせていないの」



 続けるように話す内容に、とうとう心が折れたのか、その場でガクリと膝を突かんばかりに影を落とす依姫ちゃんの姿は、見ていて中々に……いじめたく……おほん。守ってあげたくなる。



「依姫ちゃんが連れてくる従者候補って、みんなその手の『命に代えても!』な精神の持ち主だったものねぇ。良かれと思ってやっていた事が、逆だったわけね~」



 あぁ、もう天照大神が岩扉に引き篭もってしまったような暗さだわ。

 我ながら酷な追撃に、やり過ぎたとは思うものの、反省する気はまるで無い。

 だって私、お姉ちゃんですもの。

 妹は愛でるのが当然ですわ。

 ……でも、やっぱりやり過ぎは良くないわよね。

 困った顔も落ち込んだ表情も一瞬で充分。

 それ以外は、単なる不純物。



「ほらほら、いつまでも落ち込んでないの。そのもやもやを解消する為に、これから永琳様の家へ向かうのでしょう? 今からそんなになっていたら、いざという時に判断も対応も間違えてしまうわよ?」



 自分でも、今の状態はまずいと思っているようで、緩慢ではあるが、ゆっくりと気持ちを入れ替えるかのように、雰囲気を払拭させていくのが分かる。

 いずれは自力で立ち直れるように……ゆくゆくは、そもそも躓かないようになってほしいのだけれど、この分だと数十年は掛かりそうね。



「申し訳ありません。もう大丈夫です」

「妹を助けるのもお姉ちゃんの勤めよ?(私が原因の一端でもあるし)」

「ありがとうございます」



 先程までとは一変し、いつもの凛とした態度に戻った。

 我が妹ながらこの変わり様は、将来が不安になってくる。

 私も人の事は言えないけれど、添い遂げる人が見つかるのかどうか心配だわ。

 しかし、これでも昔に比べれば大分改善はされて来ているのだから、いずれはこういった変化も見る事は無くなるのだろう。

 それを嬉しいと思うと同時、自分に弱みを見せてくれない妹に少しの寂しさを感じてしまうのは、少し我が侭なのかしら。



「さて、それじゃあ気分も平常に戻った所で―――。永琳様、行きましょう。迎えに玉兎を呼んであります。外で待機している筈です」

「相変わらず根回しが良いのね。助かるわ」

「いえいえ、私も、その地上の方を早く見たいですから」



 あらあら、と困った子供を窘めるかのような様子で、永琳様は微笑む。

 なんて暖かい……柔らかい笑みを浮かべる、お方なのだろう。

 依姫ちゃんも大概だけれど、私だって負けず劣らず月の頭脳に心酔しているのは、疑いようも無い事実。

 ただ、あの子よりも隠すのが上手いだけ。

 だから、依姫ちゃんには悪いけれど、今は私が永琳様と戯れよう。

 こうしたいが為に、今まで自分を抑えてきたのだし。

 羨ましそうにこちらを見つめる妹の目線を背中に感じつつ、私は永琳様の視線を一身に浴びながら、溢れる様な笑顔で玉兎が待つ屋外へと、踊る様に歩いていった。










 そろそろ正午を迎えようかという時間帯。

 それぞれの建物からは、少し早めのランチに繰り出している人々や、そんな彼らを迎え入れる為の準備で忙しい飲食店が、各々の役割をこなしている。

 そんな地帯を通り過ぎ、一般と呼ばれる裕福層の住む地区を通り過ぎ、閑静な住宅街―――入るのに警備員を通らなければならない、べらぼうに高級な地区に入ってから、また少し移動した所に、八意永琳の住居はあった。

 高層マンション。

 その名称がピタリと当てはまるその場所は、この蓬莱の国の重鎮や偉人など、本人達の匙加減一つで幾らでも国の方針を変更してしまえるような怪物の住まう場所。

 勿論、全員が全員、この建造物に住んでいる訳ではないが、決して少なくない人数が暮らしていた。

 永琳自身はこんな場所などではなく、もっと静かで人っ気の無い場所へと住みたかったのだが、周りが『建国の偉人がそんな場所に住んでいては面子が立たない』と全員一致でここに住まうように推し進めた結果である。





「永琳様の住居って、何階だったかしら? 百八?」

「その通りです、姉上。ご存知ではありませんか」

「確認よ確認。……いつ以来かしら。こうして三人で、永琳様のお宅へお邪魔するのは」

「今でも、鮮明に覚えています。あれは永琳様が『あなたの能力、面白そうね。ちょっと家まで来ない?』と誘って頂いた……」

「……こうして改めて聞いてみると、我ながら悩ませられる会話だわ。九十九さんの時には違う対応を出来ただけ、私も進歩出来たのかしら……」

「永琳様、その九十九さんって、印象はどんな方ですの? 家で何をしているのかはお聞きしましたけれど、内面的なお話はまだ伺っていませんわよね?」

「つい先日も、輝夜に似たような事を聞かれた気がするわ……。そうね、まだ一週間程度しか観察していないけれど、悪くは無いわね。性格は、これといって筆頭する点は無し。欠点らしい欠点はないけれど、特に優れている、といった項目も無し。良くも悪くも男の子よ? 彼」

「男性、でしたわよね。お幾つの方ですの?」

「成人になったばかり、と言っていたかしら。肝心の年齢は誤魔化されてしまったけれど」

「なっ! 永琳様の質問を誤魔化すなどと、何と恐れ多い!」

「依姫ちゃん、そういった態度が永琳様を困らせているの、忘れたの? その忠義は素晴らしいものだけれど、程度を考えなきゃ」

「……そうでした。私とした事が、どうもこの話題には、感情が大きく揺さ振られてしまいます」

「あなたは色々と成長する範囲が多そうで、私としても嬉しいわ」





 そんな……、と照れた様に俯きながら、永琳達は大きな扉の前で止まった。

 永琳自身は純粋に他意のない言葉だったのだが、考え様によっては、大変相手を侮辱している発言でもある。

 しかし、言われた当人は永琳の言葉を屈折して捉える人物ではなく、その台詞の裏に隠れた意味を分かった豊姫は、けれど永琳の性格を把握しており、それを指摘する事は無い。

 互いに、信頼で結ばれているからこその現状であるのだ、と言えるだろう。



 ―――そうして現在、百八階にある、玄関前。

 この建物は一フロアそれぞれが独立しており、一階層毎に巨大な家が丸々一つ納まっているような作りになっている。

 その中でもこの階層は最も拡張が配慮された設計が施されており、言ってしまえば、永琳が研究や実験を行い易くする為に改築に改築を重ねて、国が保有する技術の一つ下か、それと同等の能力を有している。

 最も、規模の関係上、幾ら一級品の技術とはいえ、一定の範囲でしか使えないのだが。





「九十九さんには、今日の夜まで戻らないって話していたから、今戻ってきたのなら、きっと驚くわ」

「あら、サプライズな出会い方になる訳ですね。初対面だから、なるべく良い印象を持って貰いたいのだけれど。依姫ちゃんはどうするの?」

「これといって何かしようとは思っていません。いつも通りに会話をしてみて、それから判断します」

「その割には、声が荒くなっているわよ?」

「……多少の感情の変化は、致し方ないだろうと判断します」

「あらあら、物騒な事ね。あ、でも、彼の周りに金属板が浮いているようなら、切り掛かっても良いわよ?」

「例の『絶対に壊れない能力』でしたか。……面白い。私の長刀の錆にしてくれます」

「本当、面白い子なのよ。……何ていったって、彼の能力、あなたと似ているの」

「私の……ですか?」

「ええ。初めは壊れない能力を検証する為に色々と行っていたのだけれど。……ふふ、まぁ良いわ。実際に会ってみなさいな。八百万の神々を降ろす者として、面白い経験が出来る筈よ」



 訝しむ依姫を他所に、私は自宅へと入っていく。

 恐らくこの時間帯なら、九十九さんは料理をしているのかもしれない。

 ……ほぼ間違いなく、【ジャンドールの鞍袋】を使って。



 初めこそ、その能力である、絶対に壊れない金属や体について研究しようと息巻いていた。

 けれど、どうだ。

 時が経つにつれ、彼の持つ能力の多さに、問題が解決するどころか、蓄積されてしまっている。

 壊れなくなったかと思えば料理を出し、疲れて帰ってきた時には燃えるような赤い鳥を呼び出して、私の心を楽しませるよう配慮してくれた。

 疲れが取れる湯だと言って、特殊な水で湯船を満たしてくれた時には、その効能から、思わず、今行っている研究の何割かを削って、この湯の精製に取り組むべきなのではないかと考え込んだものだ。

 残念な事に、彼は過去を聞かれる事と自身の能力について話す事に抵抗があり、詳細までは判明していないけれど、まだまだ色々な事が出来るのだという言動が見てとれた。

 お礼にと、念話を応用した、意思疎通が出来る機能を持たせた石を、首飾り状にして渡したら、とても喜んでくれたようで、何でも、今日帰ったらお礼をしれくるのだと言っていた。

 本来なら、こちら側の方が、すぐさま渡航許可を取り付けなければいけない状況であるのだし、だからこそ、それが出来ていない現状の貸しを返しただけだというのに、まるでそれを意識していない。

 このままでは、一方的に(罪悪感)借りが蓄積されていくだけである筈なのに、この状況が、むしろ心地良い。

 さて、お礼とは何かの食事だろうか。それとも贈り物だろうか。

 もしかしたら、能力の説明かもしれない。いやいや、それを教えられたのなら面白さが無くなってしまうのではないか。

 少し早めに帰宅してしまったけれど、準備が必要なサプライズだったのなら、何と言って困らせてあげよう。

 様々な“もし”に心を躍らせながら、九十九さんが居るであろうリビングへと2人を案内する。

 はて、自分は一体何故こんなにも心躍るようになっているのだろう。

 特別何かをされた訳ではないのに、彼に対する興味は膨らみ続けていて。



「九十九さん、今帰った……わ……」



 青い者。

 目の前にいるのは、そんな……男性だろうか

 容姿について詳細に観察する間もなく―――その男は既に上げられていた腕に、力を込める仕草をした。



 そうして。

 何の抵抗も出来ずに、豊姫と依姫の二人はその場に崩れ落ちた。

 私自身も急速に意識を失いそうになりながら、耐えられないレベルではないと判断しつつ、即座にこの部屋の警報装置を作動させようと、亜空間パネルを開いた。

 場所が場所なだけに、この家の警備が厳重な筈だったのに……。

 何故、見ず知らずの何者かが侵入しているのか。どうして、警戒網が全く反応していないのか。

 でも。

 この警報装置を作動させたのなら、後は迅速に警備隊がここへ応援に来てくれるようになっている。

 何はともあれ、これで謎の侵入者にも対処出来る。



 ―――そう、全く感触の無い、何も現れていない手元を見るまでは、思っていた。



 腕が切れている訳ではない。完全に手だけが五感から切り離されているかのような。

 訳が分からない。

 そんな些細な疑問に考えを巡らせる間もなく、青い男は何らかの力を使って、こちらの意識を刈り取ろうと、さらに力を強めてきた。

 もはや完全に理解の追いつかぬまま、私は床へと倒れ込む。

 希薄になっていく意識の中で、青い男の後ろに、九十九さんが何が起きているのか理解出来ないといった表情で現れた―――現れてしまった。

 逃げて、と。

 そんな言葉すら声にする事は無く、私の意識は、深い闇へと落ちていった。





[26038] 第24話 プレインズウォーカー
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/01 17:37






 食器も片付けた。洗濯物も干した(自分のだけ)。

 掃除も、大雑把にではあるが、とりあえずは終わった。

 そんな、全てが一段落ついた、午前の空白の時間。

 煎餅でも齧りながら、テレビでも見ていたい気分なのだけれど、困った事にそのテレビに値するものがどれなのか、ここ1週間検討もつかず。

 かといって、自分の中でそこまで優先度の高い項目でも無かった為に、永琳さんに聞くといった事も、していない。

 流石にぼけーっと過ごすには抵抗があるので、ならば、と、前々から考えていた、脱出方法を模索してみる事にした。



(何処から切り込んでいくかなぁ。カード名? フレーバーテキスト? カード効果だとピンと来ないしなぁ)



 そのまま悩む事小一時間。

 頭を抱えたり、うんうん唸ってみたり、貧乏揺すりで室内に地響きを起こしてみたり。

 手元に置いてあったカップから、飲み物が完全に消え去った頃、ようやく考えがまとまった。



(よっしゃ、例の方を召喚してみましょうかね)



 ソファーから立ち上がり、大きなリビングの中央に陣取る形で目を瞑る。

 今までとは全く異なった召喚に、内心で期待と不安が鬩ぎ合う。

【土地】【アーティファクト】【エンチャント】【インスタント】【ソーサリー】【クリーチャー】

 新たに呼び出そうとしているのは、それらとは全く別のカードタイプを持つもの。



 その名を、『プレインズウォーカー(略称・PW)』。

 マジック・ザ・ギャザリングにおいて、決して語らずには居られない存在である。










『プレインズウォーカー(ストーリー)』

 MTG界において、世界と世界を行き来する、次元を超えた活動が出来る存在の事。

 カードゲーム、マジック・ザ・ギャザリングはプレイヤー自身がこのPWになった、という設定で対戦が行われる。

 次元を渡る能力は勿論の事、その保有する魔力は無限であり(放出力は個々で違う)、神の如き存在となる。

 そのせいか、ほとんど不死とも思える寿命を持つ。

 世界をも変えうる力を手にしたプレインズウォーカー達は、それぞれ自身の決めた道に従って、その力を振るうようになる。例えそれが、世界の破滅を願うようなものであっても。



『プレインズウォーカー(ゲーム)』

 自分の下へ増援として駆けつけて来てくれた、2人目のプレイヤーとも言えるカード。

 召喚されたのなら、三~四つある呪文の中からプレイヤーが選択したものを行使し続け、ライフドレイン、クリーチャー召喚、手札補充などで恒久的に、何かしらのアドバンテージを獲得してくれる、優秀な存在。

 自身が召喚したのなら頼もしく、相手が召喚されたのなら、真っ先に対処したいカードでもある。










 これから召喚しようとするのは、MTGで最も召喚コストの低いPW。

 属性の色は、青。

 読心術・透視・念動力・テレパシーなど、精神操作系魔法の神童とまで呼ばれた者。

 名を【ジェイス・ベレレン】。

 陰気な性格なれど、非常に強い好奇心と知識欲を持ちあわせせた、自身の力の使い道を悩む者である。



「ジェイス様! いらっしゃーい!」



 某新婚さん応援番組のようにコールしながら、初めてのPWとの対面に心を躍らせる。

 通例通り、瞬間に集まった光が四散。

 久々の3マナ召喚の為に疲労感が一気に襲い掛かってくるが、体力もついたお陰でそこまで気になるような事にはなっていない。

 召喚し続けている勇丸と合わせて、4マナを使用している計算になるけれど、まだまだ余裕が崩れるような事態には陥らなさそうだ。

 俺も進歩しているんだなと実感しつつ、現れたのは全身を青黒いローブで覆った、身長が俺より頭一つ程高めの男。

 ローブと一体となっているフードで目元が見えないが、カードだってそのように表記されているのだから、特別気にはならない。

 ……そう、今までは。



(来た! 生ジェイス様来た! これで勝つる!)



 ―――こう思ったことは無いだろうか。

 テレビやPCの前などで、『も少しカメラをずらしてくれれば』と。

 見切れているあの風景が見れる。全体像が確認出来る。色々な角度から撮影対象を観察出来る。

 そして、もはや察しの良い者なら容易に想像出来るであろう事。

 ………パンツが見える。

 ………。

 生憎と、現状はそういったものではないので、今の考えは無かった事にするとして。

 今の興味の対象は、ジェイス様の顔である。

 カードでは、顔がフードに隠れた、青の魔法使い、といった印象が強かったけれど、それは雰囲気がそうであったから、という、安直な考えからだ。



 しかし!

 目さえ見たのならそれら印象も変わってくる。

 ベンゾウさんやのび太君の③の目。

 普段はビン底のようなメガネを掛けているけれど、外したのなら、パッチリお目々の美人さんがこんにちは。

 前髪に隠れて見えない、時折奥に見える目が何かを訴えかける設定のキャラ達。キタロー!

 興奮しているのは自覚しているが、いつもストッパー役であった勇丸は、この場に居ない。

 ならば、誰も俺を止める事など出来ないのだ!



(どんな目なんだろうな~。パッチリ系? キリッと系? ……まさか③系じゃないだろうな)



 シリアスな風貌でその目は反則だな、と思いながら、腰を曲げて、ジェイスを見上げる様に体を動かす。

 ……が、彼の手が俺の目の前まで伸び、指を一本立てて、ゆっくりと左右に振る。

 実際には言っていないものの、『チッチッチッ』と声が聞こえてきそうな仕草をされ、そしてそれが凄く似合っていると来た。



(……あれですか、見てはダメなんですか。そのお顔)



 その通りだと言わんばかりに、ジェイスは腕を下ろし、その存在感を放つ様に佇む。

 こりゃ、諏訪子さんや神奈子さんと対峙している時の様だと感じながら、初ジェイスとのコミュニケーションを試みることにした。

 といっても、身体言語(ジェスチャー)をする程でもないので、軽い対話から。

 この辺は『俺が召喚したカードの云々だから』、という意識は完全に切り捨てて、一個人のPWとして彼と接する感じでいく。



 精神・知識・文明を代表する青の属性を持つ、あらゆる面で俺よりも秀でた能力を有している人物。

 始めて出会った時の諏訪子さんよりも若干崩したような、神奈子さんよりも上な態度で、事にあたる。

『調子はどう?』『お腹空いてない?』『したい事ある?』『とりあえず緑茶ですがどうぞ』等々。

 何気に初めての人型でもあったので、対話出来るかとも思ったのだけれど、声に出す言葉はなく、全て念話で内容を伝え合う。

 意外と気さくに話してくれているのに気を良くして、『いやぁー、永琳さんって人がね』など、長々と、全く関係のないところまで話が飛び火してしまった。

 そうして過す事、はや数時間。

 若干ギスギスしながらも、名前を呼び捨てで話せる仲には、親睦を深める事に成功した。

 初めは、ただの利害関係での繋がりで接する事に抵抗があったけれど、話していく内に、彼の思慮深い性格やらが垣間見え、それらに惹かれる様に話へとのめり込んでいく。

 あっという間にお昼頃に差し掛かった頃には、何となくではあるがPWの存在というものが、俺の鈍い頭でも掴めて来た。

 やはりこの存在は特別なようで、ある程度の自由意志と、“第二のプレイヤーの立ち位置”という設定に偽りは無く、MTGでカード化されているものは勿論、されていない呪文まで行使出来るのだそうだ。

 ただし、そのキャラの属性……【色】からあまり外れない、という制約は付くようだが。

 彼だけに限った話ではないが、PWは様々な呪文を行使出来る存在である。

 ジェイスの属性マナは、先にも述べたように、青。

 その色らしい各種トリッキーな呪文を多分に習得しており、呼び出せるクリーチャーも幅が広い。

 小型であるフェアリー種などの妖精クリーチャーや、同じく小型クリーチャーとしていの位置付けにいる、ドラゴンの小型種、ドレイク。

 小~中型に多いエレメンタル種―――精霊タイプに、知性の獣としての要素が含まれた中~大に多いスフィンクス種など、自身の属性に沿った、多種多様なクリーチャー召喚、使役する一面も持っている。



 大雑把に言ってしまうと、このPWというカードタイプは、“固有の神の召喚する”といったイメージが合っているのではないかと思う。

 そしてここが最も重要だと思うのだが、このPW、強固な意志の持ち主である事は間違いないのだ。

 PWになるには、皆、精神的に大きな切欠が必要らしく、肉親の死、生命に関わる危機的状況など―――中には瞑想の境地の果てに開眼した者もいるようだが―――大半の者が強い精神的負荷を経てからこのクラスになっている。

 よって、例え俺が召喚し、従順にしてくれる存在になっていたとしても、それらを覆して謀反? でも起こされたら一発で人生リセット。

 それだけならまだしも、最悪、一生傀儡にされてしまうかもしれない。

 特にこのジェイスさん。

 直接的な攻撃力は他のPWよりも低いものの、精神・幻術関係での腕は一級品、を通り越して無双状態。

 MTGは、そも物語の延長線上に点在しているものであり、そのMTG内でのストーリーが進めば、ジェイスは相手の精神を崩壊や形成出来るなど、内政チート―――というより、対人関係無双が、余裕で可能なお方なのだ。

 ただ唯一の救いは、当の本人がその手の精神攻略を忌避している、という事。

 読心術や精神掌握ならば、ある程度はやってくれるようなのだが、『精神崩壊だー』『精神形成だー』『記憶の改竄? 余裕です』、って事には、色々と、思うところがあるらしい。

 知識欲が多分に強い、という点を除けば、初対面でも即座に見敵必戦とはならないだろう、と踏んで、ここにお呼びした訳である。

 どこまでPWが自由意志を持っているのかが判断し難いが、それは今後、慎重に調べてみるとして。



(ん、そろそろ本題を尋ねてみようかな)



 ある程度ではあるけれど、これならば問題なく俺の言う事も聞いてくれそうだと判断しながら、彼に尋ねてみる。



「ジェイス……さんって、次元移動ではなくて、星々の間を移動する事って出来ますか? 具体的には……大体四十万キロ位なんですが」



 呼び捨てで良いと本人から承諾は貰っているのに、どうにも畏まってしまう。

 けれど、そんな事は気にもしていないようで、さらっと言ったありえない長距離にも、彼は不敵にニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 その反応から判断するに、俺の答えに対しては肯定してくれているようだ。

 おぉう、なんて頼もしい存在なんだPW。

 これは多用する日も近いかも、なんて深く考えずに、そう思ってると、



 ―――唐突にジェイスがソファーから立ち上がり、玄関の方へと顔を向けた。



 下がっていろ、と、意思が伝わって来て、とりあえず指示された通りに、奥の部屋へと移動する。



(永琳さんは今日の夜まで戻らない筈……。誰だ? 防犯設備は完璧だって聞いたから、泥棒な訳は無いだろうし……。となると、永琳さん関係の知人の線が濃厚。……あぁ、別に隠れて住んでいる訳じゃないから、見つかっても良いのか)



 永琳さんに連れられて、俺は何箇所かの研究機関に訪れていた。

『面倒はこちらで見ている』なんて前に施設の人に伝えているのを聞いてもいたし、疚しい事は無い。

 最も、周りがどう思うかは、別問題であるのだけれど。

 その話をした時の関係者っぽい人達の顔といったら、まさに唖然、の一言に尽きるだろう。

 イェーイ! 美人と一つ屋根の下フォー! なんてな! なんてな! ぐはははは!

 ……手は出しませんよ? 死にたくないですからね。



 さて、それならば、ジェイスが俺を逃がす様に行動するだろうか。

 家に用事があるだけなら、心の機微を誰よりも熟知している―――そして、それがリアルタイムで把握出来る彼ならば、そんな真似はしない。

 十中八九、この家―――ないし、俺に敵意を持って訪れる人物が来た、と判断するのが妥当だろう。

 ギクシャクしながらも、何とかジェイスの指示通りに、距離を取った。

 近くにあったソファーに身を隠し、いざとなったら攻撃&防御&脱出のどれでも選択できるよう、脳内にカードを思い描いておく。

 すると、玄関の方から扉が開く音が聞こえ、続いて何人かが室内に侵入してくるのが分かった。

『複数で来るなんて、ますます永琳さんじゃない』と思いながら、ジェイスの方を見てみれば、彼は両手を音の方へと突き出し、何かの呪文を練っているかのようだった。



 詠唱呪文とか聞こえないんだな、とか思いつつ、完全にソファーへと体を滑り込ませ、心を静める。

 室内なのだから、威力の低い熱傷の槍や、お粗末といった相手を無力化させる呪文などが周囲に被害を出さずに済むのではないかと思いながら、



「九十九さん、今帰った……」



 聞きなれた声に、思わず頭の中が真っ白になった。

 高級なガラスを鳴らした様な、澄んだ声。

 もはや誰が、との疑問すら沸かず、断定出来る。

 八意永琳さん、その人である。



(ハッ!? いやいや待て待て。永琳さんの声だけ録音とかで、それに釣られて俺が出てくるのを誘う作戦かもしれないじゃないか!)
 
 

 ふふふ、危ない危ない。危うく騙されるところだったぜ。

 気が緩んで『はーい』とか返事をしたり素直に出て行った日にゃあ、即デンジャーコースまっしぐらさ!

 おのれ未知なる侵入者よ、人の情を餌にするとは、何と卑怯な。

 その卑しい心に俺が正義の鉄槌を喰らわして……、って、あ、隠れるも何も、ジェイスがさっきから囮になってくれてるんだったか。

 とか思っている間に、



 何か、重量のあるモノが地面へと接触する振動が響いた。



(あん? まるでそこそこ重い湿った肉の塊が床に崩れ落ちるような音が……)



 永琳帰宅→ ジェイスが対処→ 何かの魔法で永琳を攻撃→ 永琳昏倒? → ドサッ

 当たっていたのならヤバい図式が脳内で構築されるが、ブルブルと頭を振って、嫌な考えを吹き飛ばす。



(いやいや何も永琳さんが倒れたと決まった訳じゃない。ジェイスが返り討ちになった可能性も……どっちにしたってダメじゃねぇか!)



 現状が分かららないのなら、分かるように行動するだけ。

 混沌としているであろう場を確認する為に、慌ててソファーの陰から身を乗り出してみた。



(……おぅふ)



 飛び込んできた光景に、クラッと意識が消え掛ける。

 予想とは違ったが、状況的には想像通りだった展開に、思わずオーマイゴット、とか洋風に諏訪子さんへの祈りを捧げてみた。



 想像通りだったのは、ジェイスが何かしらの魔法を使って相手を昏倒させ、その相手が床へ倒れている事。

 予想外だったのは、倒れているのが永琳さんだけではなく、金髪と薄紫の色をした長髪の人物が二人、既に倒れている事。



(永琳さんの知り合いで、薄い金髪に、同じく薄い紫色の長髪のポニーテール……綿月姉妹ですね、分かります)



 俺って何でも知ってるなぁ、と、軽く現実逃避しながら、あわあわしている間に、永琳さんも彼女達と同じ様に床へと崩れ落ちていた。

 顔だけは何とか上げているものの、今にも昏倒してしまいそうな様子が伺える。



(ってそれどころじゃねぇ!)



 我に返って、現状を急いで確認。

 倒れているのは永琳さんと、綿月姉妹っぽい人達。

 ジェイスは健在で、むしろ問題はそのジェイスが彼女達を昏倒させた可能性が大。



 ……これは婦女暴行とかに部類されるんだろうか(汗



 まぁ、とりあえずは。



「ジェイスさーん! ストップ! ストップでーす!」



 この惨状を、これ以上悪化させないよう勤めるのが俺の責任だと思う。

 どうにかして被害が広がらないよう、静止を呼びかけたものの……どうやら間に合わなかったようだ。

 たった今、最後の力を振り絞っていたと思われる永琳さんの首から、力が抜けた。

 幸いにも“ゴンッ”なんて音がせずに済んだのだが、この状況はいただけない。

 狙って出来る事ではないとはいえ、月の重要人物を三人も意識不明にさせたのは、一体どんな偶然を重ねたら出来る事なのか。

 嫌な事実を直視していると、ジェイスは顔を半分だけこちらに向けて、『何か?』と意思を伝えて来る。

 その仕草だけでイケメンオーラが溢れ出ているが、今はそれに構っている暇は無いのである。突っ込み要因、不在なんですよー。



「あの……その人……達、俺の知り合いなんです。……あ、正確にはその最後まで意識を保っていた人が、なんですけどね。……というか、一体なんでこんな事を?」



 何か意図があってやった事なのだろうが、その意図が全く掴めない俺としては、是非とも、こうなった原因を尋ねておきたかった。 

 ちょっと彼に対して怒っているとはいえ、やっぱり相手が相手なだけに強く言えずに、いまいち定まらない言葉遣いになってしまっているのは、仕方の無い事だろう。



 そんな俺を察してくれたのか、ジェイスは何故このような行動に出たのかを念話で語りだした。

 といっても、長々としたものではなかったのだが。



「つまり、その薄紫色をした髪の女性が、俺を切ろうとする敵意があったからやった、と?」



 俺の言葉を肯定として頷きながら、ジェイスはこちらに面と向かって対峙する。



 ―――流れとしては、こうだ。

 ジェイスの策敵範囲に、こちらに敵意を持った人物が一人近づいて来た。

 その周囲には二人。

 敵意は無いものの、同行する者が居た。

 ならば不確定要素はまとめて排除だー、という案を実行したようで。

 見事に横たわる三人の偉人、と。



 ……内心で嫌な汗が止まりませんですですよ。

 ただ、いつもならば複数の魔法を同時に使っているようなのだが、永琳さん達の精神掌握があまりに難易度高すぎたらしく、使っていた思考リーディング魔法をカットしてまで、精神切断魔法に力を注いだ結果っぽい。

 その理由は想像がつく。

 というのも、この魔法を掛けた相手が規格外だったからだろう。

 何せ、こちらにうつ伏せで倒れているお方達は約数百万年。永琳さんに至っては最低一億年も生きているらしい、と来た。

 MTGにおいて、長年生きてきた者達でも数万年である事を考慮すれば、介入しなければならない思考の幅が段違い―――どころか、もはや別次元の話で、本来一瞬で掛かる筈の魔法が、数分も効果が現れなかったようなのだ。

 幸いにして、ゆっくりと近づいて来てくれた事で対処し易かったらしいのだが、あまりに強固な精神防壁だった為に、思考リーディングと精神作用魔法の同時行使をしている余裕が全く無かったが故の、この事態なんだそうだ。

 逆に考えると、たった数分で億単位の月日を経験している相手にでも精神を掌握出来るとか、『PWってどんだけー』なんて思ったりもした。いや、この場合はジェイスを評価するべきか。



「とりあえず、彼女達を起こしてもらえませんか?」



 まずは事態を進展させねば。

 これ以上問題を起こしたら、俺の首が飛びかねない。

 こっちの意図は伝わったようだが、やはり先程の理由から、こちらに体を完全に向けて『敵意を持っていたぞ? それでも良いのか』と尋ねられた。



「大丈夫です。何となくその敵意を持たれた理由は予想は出来てるんで、永琳さんから起こしてもらえれば、多分いける筈ですんで」



 多分、嫉妬とか地上人だから的な意味で。

 心当たりがあるのは、綿月依姫の性格。

 八意永琳の教えを勤勉に学び取り、誰よりも生かそうと奮起していた人……だったか。

 好意の対象を奪われた、的に思っているのだと予想を立ててみる。

 そんな彼女は、月に侵略して来た幻想郷の妖怪を防いだ……というより、ほぼ完封させた功労者の一人。

 その戦闘力は無限大。

 何かの説明書きで、『必殺ボムが無限にあるようなもの』と表記してあった気がする。

 コミック版―――儚月抄、だったか? ―――でもレミリアや咲夜、マリサを片手間で処理し、霊夢との対戦に至っては格の違いを見せ付ける形になった、と言っても過言ではないだろう。

 尤も、妖怪退治専門の霊夢にしてみれば、神の依り代たる綿月依姫は、全く真逆な属性を相手にしているようなもので、本編でも『専門が違うからやり難い』と漏らしていたのだが。

 何はともあれ、やってしまったのだから、仕方が無い。

 これから起こるであろう、胃の痛くなりそうな事態に、全力で回れ右をしたくなりながら、ジェイスに『じゃ、起こしちゃって下さい』的なお願いを言おうとして。





 ジェイスの胸から、一筋の閃光が生えているのを見てしまった。





[26038] 第25話 手札破壊
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/02/20 07:23





 綿月依姫は、軍に身を置く者である。

 それも一兵卒などではない、指示1つで幾人もの命を決められる立場の者。

 月の建国に貢献した家柄というのは勿論の事、軍の指揮や管理が優れており、何より、当人の戦闘力の高さが一番の要因であろう。

『神霊の依代となる能力』

 森羅万象に存在する神々を呼び出し、その恩恵を行使出来るのだから、その力量は推して知るべしである。










(……駄目……意識、を……)



 今、まさに消えようとする意識の中、依姫は自分に出来る最善を模索する。

 しかし、意識を保つ云々以前の感覚に、これでは多少の自傷行為など行っても覚醒には程遠いと判断。

 それならば神霊に助力を乞おうと考えてみるも、自我を強くする力を持っている者を、即座に思い浮かべる事が出来ない。

 過去、この能力を使う時には、軍事関係―――戦闘行為が主であり、その他ではあまり、この力に頼る事は避けていた。

 自身を鍛えるつもりで付けていた枷が、今は逆に経験の浅さに繋がってしまったのだ。

 だが、それを悔やむ時間は残されてはいない。

 ―――ならば、未知のものへと思考を伸ばすではなく、今こそ、長年培ってきた経験を生かす時。

 神霊の依り代となる能力とは、能力を借りるだけではない。

 文字通り、自身の体に神霊を憑依させ、その力を代行出来る能力。

 言うなれば、依姫という殻を被った、名立たる神々の降臨だ。



(建御雷之男神(タケミカヅチ)よ……。我が依り代を使い……目前の脅威を……払い……給え……)



 呼び出したるは、“鹿島の神”の二つ名を持つ者。

 刀剣、弓術の神とされており、武神とも呼ばれる、荒ぶる神々―――悪神を数々鎮め、制圧した実績を持つ、八坂神奈子とはまた別の、生粋の軍神。

 降臨させられたのなら、それは、その名に相応しい成果をもたらす事だろう。

 だが、タイミングがやや悪かった。

 自分を依り代にした神様というソフトのダウンロードは、使用者の意識が途切れた事で、安定性を欠いてしまった。

 本来一瞬で行われる筈のその行為は、中止、とまではかずとも、効果が発揮されるまでに若干の時間を有し………けれど、それは確実に依り代に憑依していく。

 そうして僅かずつ、けれど、確実に依り代となりつつある自分の体に安堵感を覚え、依姫は自分の意識が暗転するのを実感しながら、それを手放した。

 ―――幸いな事に、それが原因で、青き者の呪縛から逃れられた、と知るのは、また別の機会である、





 ―――腰に据えられた刀に手が伸びる。

 本人の意思など無く、けれど別の精神によって、風のように速く、水のように滑らかに。

 うつ伏せで倒れていた事など嘘のように体を起こし、攻撃態勢へ移行した依姫―――の体を持つタケミカヅチは、術者の願いを叶える為……



 背を向けている、青い者を刀で貫いた。










 ああ―――これはまるで、出来の悪い銅像を見ている様だ。

 漠然と目の前の光景を眺めながら、それが自身に迫る危機だと察知するのに、僅かながらの時間が掛かった。

 胸の下、腹の上。

 嫌になるくらい、体のど真ん中。

 左右にブレる事も無く、貫通した刀身自体には、血の一滴も付着していない。

 PWは血が無いのか、なんて思考が、目前の現実から逃げ出そうとしているかのように、本来考えなければならない事柄を拒否してしまっている。

 だが、現実は変わらない。



 ジェイスが、背後から貫かれた。



 召喚した時と同じ様に、やはり目元は見えないが、口が苦悶の形を浮かべているのが分かってしまう。

 耐える様にキツく口元を引き締め、込み上がって来るものを必死に堪えている、その表情に……俺の意識は、やっと真実を受け止めた。



「ジェイス!!」



 叫びと同時に、彼の体から銀色が消える。

 引き抜かれた刀身と連動するように、支えを失った体が崩れ落ちた。

 回復か、再生か。

 傷を……致命傷を受けたであろう彼を助けるべく、呪文を使おうとするも、それに構っている暇は無かった。

 倒れたジェイスの陰から、それこそ光の様に、獲物をこちらに滑り込ませて来ている影を見てしまったから。

 あの薄紫の髪は、紛れもなく先程昏倒したであろう、綿月依姫。

 一瞬だけ見えた、まるでこちらを排除する為だけの機械になったかのような、硝子の目に背筋が凍ると同時、俺は自身の守りを固めるべくカードを使う。



(対象、俺! 【死への抵抗】!)



 悲鳴に近い形で、脳内で呪文を唱えた。

 発動に伴い、光の結晶が以前と同じ様に、【ダークスティール】の円盤を出現させる。

 俺との盾になろうと、その円盤が依姫が攻撃してくる間に介入してくるが、彼女はそれに慌てる事も無く、抜刀攻撃中であった刀を器用に軌道変更させて、まるで盾など存在しないかのように、その攻撃をこちらへと届かせた。

 オートガード機能が備わっているのは永琳さんとの実験で分かっていたが、それを越す速度で攻撃を繰り出されたのなら、もう対処のしようが無い。

 後一瞬もしない内に、俺は天へと召されるであろう。

 ―――しかし、それは俺自身が破壊不可の効果を発揮していなければ、の話。

 右の腹から左の肩に抜けていく、ただ表面をなぞっているだけの攻撃に、しっかりとカード効果が現れたのだと安堵する。

 衣類だけ切り裂かれた後には、血の一滴どころか傷一つ無い。

 触れている感覚すら湧かない状況で、ピリピリとすら感じない事から、例の浄化光線よりは威力が無いようだと判断した。

 ただ、それも束の間。

 依姫は、胴体への攻撃へは効果が薄いと判断したのか、瞬きをする間に何度も体中のあちこちを切り付けられ―――たように見えた―――または突かれる衝撃が、俺を襲う。

 胴が駄目なら顔を、顔が駄目なら首を、首が駄目なら股間を。

 人体の急所という急所を一瞬にして攻撃し終えたであろう依姫に、絶対破壊不可の効果にほっとする間など見出せず、すぐさま別の呪文―――対象を無力化させる【お粗末】―――を発動させようと、目標を改めて確認するべく、相手を見……ようとした。



(居ない!?)



 首を動かして、なんて時間は存在しない。

 何かに殴りつけられる様に背後から力が加わるのを感じながら、俺の体は宙に浮き、そのまま横へスライドするかのように、壁へと叩きつけられた。

 多分、一瞬にして背後に回られて……今度は背中を渾身の一撃っぽい攻撃で狙ったのだろう、と。

 壁から破片が飛び散る視界の中で、考えを纏め上げる。

 幸いにして、倒れているジェイスや、永琳さん達の方に吹き飛ばされたのでは無かったのだが、それを謀っていたかの様に、依姫は連撃を背中へと浴びせて来た。

 一撃一撃が恐ろしく重く、そして速く、さらには精密。

 後頭部は勿論、太股から関節各部に、側面の動脈が通っている場所を絶え間なく何度も攻撃して来る。

 壁へと体を密着させながら、それでも足りないとばかりに、メリメリと、奥へ奥へ押し込まれていくのを感じながら、指すら満足に動かせない中、こんな状況では【お粗末】での無力化は力不足だろうと判断する。

 神奈子さんも、【お粗末】を受けた時には身体能力では効果は見込めたが、その神格……特殊能力方面での無力化は、あまり効果が見られなかった。

 少なくとも、俺を即死に追いやるだけの力は充分に残していたのだ。

 最も押さえ込みたい部分は、身体能力ではなく、特殊能力の方。

 だとしたら、一体この相手にはどう対処すれば良いというのだ。



(無力化系統……効果が思わしくないから却下。破壊系統……ますます却下。……弱体化路線―――で何とか対処出来るか!?)



 生憎と、能力の無効といった効果は狙えないが、現状の改善は見込めるかもしれない。



 ―――ならばここは1つ、永琳さんの元での実験に付き合っていた成果を試してみるとしよう。

 あれは、月の頭脳とも呼ばれる彼女にも、一定の効果はあったのだ。

“思考や知識”が彼女より優れている人物など、月はおろか、東方プロジェクトの世界でも片手で数える程しか居ない筈だ。

 だとしたら、少なくとも彼女以下であろう依姫が相手ならば、現状でも多少の好転を期待出来るだろう。

 壁に貼り付けにされている―――動き回っていない事も、今の状況では幸いする。

 何せ、動いていると使えない【ソーサリー】呪文。

 使うべきは、今。

 そろそろ壁を突き破らんとするとする、バキバキとした亀裂音を聞きながら、俺は背後に居る存在へと呪文を行使した。


(発動!【暴露】!!)











『暴露』

 4マナで、黒の【ソーサリー】

 対戦相手の手札から【土地】以外のカードを1枚選び、それを捨てさせる。

 数ある【手札破壊】系カードの中で、中々の汎用性を持つものの1つ。

 手札から黒のカードを1枚【追放】する事でもプレイ出来る【ピッチスペル】を備えている。



『手札破壊(Hand Destruction)』

 ハンド デストラクション。略称でハンデスとも呼ばれる。 

 手札からカードを捨てさせる、または、それに近い行為全般を指す。

 カードゲームでは、相手に呪文を唱えさせた時点で利点が発生してしまう為、それらを事前に封殺出来る、このハンデス系呪文は大変汎用性がある。

 しかし、直接ゲームに影響を及ぼす呪文では無い為、そればかりに重点を置いておくと、痛い目を見る。

 特性上、相手が何かをしてから対応する【コントロール】や、事前に必要な枚数を揃えておかなければならない場合が多い【コンボ】デッキに対しては極めて効果が高い。

 逆に、ガンガン手札を消費してしまう【ビートダウン】に対しては効果が薄い。

 そのカード効果故に、ほぼ全ての時に使える【インスタント】系には殆ど存在しない。



『追放』

 通常、カードが破壊、もしくは手札を捨てさせられた場合には、それは墓地と呼ばれる捨て札場にストックされる。しかし、これらを行う効果が多い除去系の中でも、特に強力な追放系のカードは、それら墓地には送られず、特殊な領域にストックされる。これにより、墓地に置かれる事で発動する呪文や能力のカードや、墓地を利用するカードを封殺出来る。

 これら追放の効果は【破壊されない】【再生する】といった除去耐性にも発揮され、除去系の究極とも言える。

 簡単に表現するのなら、一種の消去と考えても問題無いだろう。

 究極的な、クリーチャー対策の一つである。










 弱体化とは、何も身体能力の低下だけを指すのでは無い。

 現状より相手のステータスを下げられるのなら、それは須らく弱体化と言えるのではないだろうか。

 正規のマナコストは支払わず、【ピッチスペル】で【死の門の悪魔】を除外して、呪文を使った。

 そうして唱えたカードは、手札破壊。

 ゲームとしての手札破壊ではなく、この世界でこの呪文を唱えた場合は、一体どうなるのか。



(どれだ……今お前は何を“考えている”―――!!)



 手札とは、その時に選ぶことの出来る、選択肢そのもの。

 今クリーチャーを出すか、相手の【アーティファクト】を除去しておくか。【インスタント】呪文を使い、相手のペースを乱しておこうか。―――取れる行動は、殆どがそれに依存する。

 ならばそれは、実際に当てはめるのだとすれば……喉が渇いたから冷蔵庫から飲み物を取ってこよう、歩き疲れたからあの木の麓まで行って休みたい。後であの道具を使うから用意しておかないと……、といった、“今考えている”思考に他ならないのではないか。

 ―――この世界……俺にとっての手札破壊とは、リタルタイムで相手の思考を欠落させる行為。

 欠落させる思考の容量が大きいと効果が薄かったりと、色々と制限があって、咄嗟の時には使い難い呪文だが、今はその条件を全てクリアしている。

 浮上して来た選択肢は、『右肩から左脇に掛けての振り下ろし』『足の、第一、続いて第二間接に対して連続抜刀』『壁に貼り付けたままでいさせる為に、三度背中への切り上げ攻撃』等の、数十にも及ぶ思考の波が、俺の頭に流れ込んで来た。

 一種の読心術のような効果だが、この呪文の欠点は、相手の思考の幅が広すぎる時には選別するのに時間を要し、次から次へと高速で考えを巡らせている場合、選択肢が出現した瞬間には、その項目は既に過去のものとなっている時が殆ど。

 言い換えれば、思考能力に乏しい相手ならば効果は絶大で、尚且つそれが状況変化の遅い事態だったのなら、これらの呪文の運用性は格段に跳ね上がる。

 だとするなら、相手の頭も良く、一瞬たりとも留まる事の無い戦闘などの現状は、手札破壊呪文に対して、完全に不向きではないのか。



 その通りだ。単純に考えたのであれば。



(見つけた!)



 もっと深い、これら思考の元になった意思。

 何故、俺に攻撃を加えるのか。

 様々な理由が考えられるが、今この状況下での相手の思考は単純明快。

“敵の排除”



(ディスカードだ、月の軍神様っ!)



 転生前の癖で、思わずMTGをプレイしていた時の専門用語(ディスカード=カードを捨てるor捨てさせる)など使ってしまったのは、ピンチな状況に興奮していたからだろう。

 今し方見つけた“目前の敵の排除”という目的(選択肢)を消去させる。

 同時、とうとう限界を迎えた壁が、その役割を終えて、俺の体を外へと吐き出した。

 そういやココは何階だったか、と、顔面蒼白になりながら、数百メートルはある高さから落下している最中に思った。

【死への抵抗】の効果が表れていたとしても、怖いもんはやっぱり怖いのだ。

 このままでは器物破損……だけならまだしも、最悪、下を歩いていたりする、見知らぬ誰かの命を奪いかねない。

 自由落下する重量八十キロ近い物体など、凶器以外の何者でもないのだ。

 やはりここは、残りのマナを使い、何とか回避するべきだろう。



「なっ―――!?」



 背後に、背中を貫かれた筈のPWが出現していなければ。



 落下中の背後に現れた者に対して、名前を呼ぶどころか、疑問に思う隙も与えられず、彼は俺の背中に手を当てて……

 一瞬で、目の前の光景が切り替わった。















 ワタシは混乱していた。

 召喚者の願いに答え、“何かの命を”先程まで執行していた筈だった。

 神速で振るっていた刀を滞納し、今し方、壁の向こうへと消えていった者を思う。

 はて、何故、ワタシはあの者に斬撃を当て続けていたのだろう。

 青い人物を致命傷へ追い遣った後、“ついでに”そこに居た人物を攻撃し続けていたが……あれは一体何の妖怪だったのだろうか。

 あれだけ斬り付けても傷一つ負った様子は伺えなかった。

 これでは軍神の看板も下ろさなければならないのだろうか、と、逡巡。

 最近は行っていなかった修行でも、再びやり始めようかと思う。

 さて。

 破片が飛び散る室内を見渡しながら、現状を飲み込めるよう、頭の中を整理する。

 けれどその答えは一向に出ては来ず、“推測で”あの者を追い出す事が、自分の呼び出された理由だったのではないか、との考えに至った。

 となると、ワタシの役目はこれで終わりだ。

 外へと落下していった相手の気配は急に消えてしまったが―――同時に、背後に居た青い姿をした者も消えてしまったけれど―――知覚出来る範囲には居ない事は分かる。

 安全を確保し、召喚者の願いにも、恐らくは応えられた。

 これで問題は無くなっただろう、と思いながら、ワタシはワタシを呼び出した者に、その者自身である依り代を返した。










「……うっ……体が……」



 節々が痛む。

 完全に体の支配権を譲渡した形になったが、その痛み具合から、どうやらかなりの戦闘を行っていたようだ。

 決して楽ではない修行も行ってきたというのに、体中の筋肉が悲鳴を上げている。

 唾を飲み込む事すらしていなかったのか、枯れる様な声に合わせて、ギシギシと軋む間接に鞭打ちながら、私はあれからどうなったのかを確認する為、周囲を見回す。



(いや、今はそれより……)



 そうだ。今はそれよりも、永琳様や姉上がどうなったのかを確かめる方が先決か。

 丁度視界に入ってきた二人は、崩れる様に床へ倒れており、体への影響は外見上、確認出来ないが、私が鹿島の神を憑依させている間に、何か変化があったかもしれない。

 細々とした瓦礫を気にする事も無く、あのお方の元へと近づく。

 少し見た限りでが、出血などの外傷は無さそうだが、一刻も早く気絶から回復させるべきだ。

 よって、私は能力を使っての治癒を試みる。



「大国主(おおくにぬし)よ、数多にある奇跡の一つを、この場に示せ」

 



『大国主』


 神々が集う出雲大社に祭神として存在している神で、武、農業、商業、そして医療などの多岐に渡る分野にて崇められている―――日本神話の中でも、その神格の高さはトップクラスに入るであろう者。

 数々の異名を持ち、様々な方面で活躍しているが、東方世界で特に関係しているのが、『因幡の白兎』だろうか。

 嘘をついて、皮を剥がされてしまった因幡の白兎は、適切な治療法を教えてくれた大穴牟遲神(おおなむちのかみ)―――その頃の大国主の別名―――に感謝し、彼の結婚を助ける一端を担ったとされている。

 そのような行為を示したせいか、医神としての加護も与えられるまでになった。





 依姫は、背後に現れる圧倒的な存在を感じていた。

 医療の神など他にも居るというのに、日本神話における重鎮を呼び出したのは、やはり相手が相手だからであろう。

 その強大な力を借り、彼女は床に倒れている二人を目覚めさせるべく、集中する。

 島国とは言え、一国の上位に君臨する神だ。

 その効力は、計り知れないものがある。



 ……だがそれは。

 決して、全てを解決出来る訳ではないのだ、という事実を、知ってしまう出来事にもなった。



「何故だ! 何故、永琳様と姉上は目を覚まさない!?」



 体に異常な箇所は見受けられない。

 ならば後は意識を取り戻させるだけだと言うのに、たったそれだけの事が出来ないでいる、この現実。

 当り散らすように、依姫は背後に感じる大国主に尋ねてみると、『心は触れられない』という答えが返ってきた。



「ここ、ろ……?」



 反射に近い感覚で口から漏れた言葉に、大国主は『そうだ』と肯定する。

 今倒れているこの状態は、心の方に問題があるのだと。

 外的要因で心を外側から形成する者は多々居れど、まるで“本人がそう望んだからこうなっている”といった状態だと、彼は説明した。

 薬や毒ならば解毒しよう。

 神気や妖気が原因ならば、一瞬でそれを取り除こう。

 だが、自分からそう望んだ心は、そう簡単には変わらない。

 それも対話の不可能な……意識不明の状態では、尚更、と。そう付け加えて。

 けれど、それでも手段が無い訳では無い、と言葉を続ける。

 それに導かれる様に、出口の無い悶々とした思考が、大国主の助言を受けて解決した。



「そうか。永琳様達をこのようにした者ならば、あるいは……」



 記憶の隅に微かに残る、青の残滓。

 恐らく、あれが永琳様の言っていた、九十九という人物だろう。彼女はそう判断する。

 何故このような凶行に乗り出したのかは、理解が及ばないが、少なくとも好意的なものではない事は確かだ、と。



 やる事は決まった。

 まるで一分一秒が惜しいとばかりに、依姫は、手元に緊急連絡端末ディスプレイを即座に出現させ、行動を起こす。



『緊急事態発生。八意永琳、並びに綿月豊姫が昏睡状態に陥った。九十九なる人物が原因だと思われる。特徴資料は各自確認すべし。見つけ次第殺……捕縛せよ。命があれば状態は問わない。繰り返す―――』



 月の技術は、地上の文明など軽く凌駕する。

 ひと一人見つける事など、それこそ朝飯前にやってしまえるだけの、圧倒的なものが。



 ……それから数分後。

 都市の外。

 生命など存在出来ぬ筈の荒廃した土ばかりの場所で、その者は発見された。

 それに伴い、月の偉人の一大事という命を受け、蓬莱国の上層部は、軍部の大半を動因する。

 それは『月に手を出したらどうなるか分かってんだろうな』という、内外に向けての誇示が多分に含まれたこの騒動……一種のパフォーマンスだったのだが。

 これが、後の東方プロジェクトにおける『幻想月面戦争騒動』に関わってくるのは、もう少し先のお話。

 



[26038] 第26話 蓬莱の国では
Name: roisin◆defa8f7a ID:d6907321
Date: 2012/07/01 17:38






 理解不能の声を上げる間も無く、俺は目の前の光景が突然変わってしまった………という事実を実感した瞬間に、固い地面へと叩きつけられる。

 情けない事この上ない。不細工なゴム人形の様に、ぎゃふん、と崩れ落ちた。

 だが、それはジェイスも同じ様で、俺のように無様にではなかったけれど、ドサリと、うつ伏せに倒れ込んだ。

 自分の事など二の次にして、慌てて体勢を建て直し、彼の元へと近寄った。

 慎重に彼の体を仰向け………ではなく、呼吸気道を確保する為、横へと傾ける。

 それが切欠になったのか、彼は咳き込みながら、血を鉛色の荒野へと吐き出した。

 まるで刑事ドラマで殉職するキャラを見ているみたいだと、今まで見た事も無い光景を記憶と照らし合わせながら、既に襤褸切れになりそうであった自分の服を破り、出血している胸部へと宛がう。



「ジェイス、どうしてこんな事を………」



 声に出して尋ねてみると、途切れ途切れになりながらも、彼がどうしてこのような行動を取ったのかが念話で伝わって来る。

 背後から貫かれ、痛みで意識が定まらなかった事。

 その後、何とか痛み以外に考えられる余裕の出来た思考で、あの場からの脱出を計った事。

 本当なら精神掌握で相手を無力化にしたかったのだが、掛かり難かった相手&傷のせいで魔法が安定せず、仕方なしに今自分の能力で来れる、最も遠い場所まで俺と一緒に転移して来た事を教えてくれた。



(………通りで月の国が遠くに見えると思ったよ。周りは岩だらけだし)



 歩きつかれた荒野の果てに、煌びやかにネオン輝くラスベガスの町並みでも見つけた旅人のような光景が連想された。

“ザ・月面”な場所に飛ばされていたので、普通の生物なら窒息で死んでるんじゃないかとは思うが、何の支障もなく生存出来ている事態に、答えてくれる者は誰も居ない。

 しかし、今はそんな事よりジェイスだ。

 再生呪文を掛けるべく、カードを思い描く。

 本来ならば、【プレインズウォーカー】である彼に、クリーチャー再生の効果を持つカードは無意味であるのだけれど、俺(プレイヤー)自身にも効果が適応されている事から、行使しても問題無いだろう、という思いはあった。

 けれど、ジェイスはこちらがカードを使うより早く、俺の行動に『待った』を掛けて来た。

 念話であっても、苦悶がこちらに伝わって来ているというのに、一体………。



「………そうか………俺の残りのマナは………」



 俺の疑問に答えるべく、搾り出すように告げられた念話に、思わず納得してしまう。

 今日を迎えてから、ジェイスの召喚で3、【死への抵抗】で1、【暴露】は【ピッチスペル】で解決したのでマナは使用していないが、使えるコストは残り2となっていた。

 カードの種類は上限が9だから、残り5枚は使えるとしても、俺の現在の切り札レパートリーの中では、最もコストが低いものでも最低2から。

 先に使用した、切り札その①【ハルク フラッシュ】は、丁度残りの条件を全て使い切る形で合致しているのだが、月の戦力相手には、呼び出すクリーチャーの特性も相まって、少し心許無い。

 とてもじゃないが、穢れを嫌う蓬莱の国の兵士が、2/2の天使クリーチャーである【霊体の先達】の【プロテクション(黒)】に引っ掛かるとは思えない。

 単体性能が未知のゾンビ、【屍肉喰らい】なら尚更戦力として考慮するのは危険。

 つまりは、後1つでも何かにマナを注ぎ込んでしまえば、俺は残り数十時間、少し汎用性があるだけの、ただの一般人に成り下がる。

 最も、現状で俺は破壊不可になっているようだが……守りが強固でも攻めが疎かであっては、とてもではないが、月の人達相手に立ち回れるとは思えない。

 この場合の攻めとは、反撃としての手段であり、侵攻の一手ではないのだ。

 縄文レベルの技術や文明ならばいざ知らず、ひと薙ぎで物質を粒子状にしてしまう武器を所持しているお方達が相手なのだから、完全無抵抗など、語るまでも無い。

 何より彼らは『フェムトファイバー』と呼ばれる、特殊な物質―――だったか―――を糸状に作り上げる技術を保有している。

 この糸は、何やら色々な説明があって詳細は覚えていないのだが、永劫劣化せず、何者にも侵食されず、ある程度の幅で纏め上げれば、決して破壊されない、とされているもの。

 月版の【ダークスティール】のようなものだろうか。

 その効果は日本の最高ランクに位置する大国主を初め、主神であるアマテラスですら対処出来ないものだった筈だ。

 俺が勝てなかった神奈子さんより、さらにグレードの高い神々が封殺されているというものを相手に、どう対処すれば良いというのだろう。

 万が一にでも、そんなものに絡め取られた日には……ガクガク。



 けれど、仮に惨敗したとしても、希望が無い訳ではない。

 月の地での殺生は穢れとされている事と、月の民達が高度な文明を持っているが為に、ある程度は俺の意見にも耳を傾けてくれるんじゃないかという事。

 この二つの理由で、少しだけ楽観出来る部分があるのはありがたい……と思った方が良いんだろうか。

 とりあえずは、そう思う事でメンタル低下を防ごうと思う。



 ただ、だからといって彼をこのままには出来ない。

 ジェイスの考えも最もだが、それが、彼を助けない理由にはしたくはないのだ。

 転生前の社会ならば『この男性の浅はかな考えが』『治療経験の無い人物が』云々と、マスメディアが挙って非難を送っていた事だろう。

 幸いな事にそんな場面ではないので、彼に向かって元気な顔を見せて、『大丈夫だ』と返事をし、マナを使わなかった、先程の【ピッチスペル】系での方法解決を模索する。



(色的には白か緑……【ピッチペル】で再生か回復……は……条件が……あ)



 そうだ。何も、その手の条件に拘り続けなくてもいいのだ。

 俺の記憶のそれ系の呪文には、ダメージ軽減カードはあれど、再生系のカードは無い。

 ならば回復だ、となるのだが、これら呪文は好きな対象を選ぶことが出来ないカードが殆どなのだ。

 使ったとしても、俺自身が回復するだけであって、ジェイスが治る訳ではない。

 そしてこのダメージ軽減が傷を癒してくれるかもしれないと一瞬考えたけれど、あれはダメージを負うのが確定している段階で、事前に発動させなければならなかった。

 だとしたら、既に傷を負ってしまった状態での治療は、効果が見込めない。

 あれならば、彼が懸念している状態にも陥らないので、予想した通りの能力が発揮されてくれたのなら、言う事なしだ。

 という事で、過去に一度試そうと思った、例の呪文系を使ってみるとしよう。



「ジェイス、今何とかするからな。……名前なんだったか……【薬草の湿布】召喚」










『薬草の湿布』

 0マナの、アーティファクト

 3マナを支払い、これを墓地に送る事で、対象のクリーチャー1体を再生する。

「傷の清めには夜明けに、同じ傷を受けないためには夕暮れにオレンジの葉を当てよ。」――― キスキンの迷信










 本来ならば、これらアーティファクトは、それに見合ったコストを注ぎ込まなければ発動しない。

 だがこの様に、コストを使用せずとも使えそうなカードは、一体どうなるのだろうか。

 例えるのなら、剣や弓、鈍器といった、そこに存在しているだけで、役目を果たしているとも言えるものは、新たにマナを使用しなくとも、効果があるのではないか、と考えた。

 ただ……



(フレーバーテキストの最後が不安要素なんだよなぁ……。何だよキスキンの“迷信”って)



 手元に、白い布に包まれた茶色い腐葉土っぽいものが現れたのを見ながら、そう思う。

【キスキン】とは、MTGで登場する、一メートル前後の大変小柄な、真っ白い肌を持つ人型部族の名前である。

 彼らが言うには、通常は傷薬。その他応用技で、一度傷を受けた後で、指定された葉を特定のタイミングで使うと、耐性が出来るという秘薬になる、と嬉しい限りな品物のだが、それを素直に喜べない文が最後にくっ付いていた。

 けれど、もうそんな真偽は確認する時間はないので、手早くジェイスの傷を塞ぐ行為に移る。

 何にせよ、とりあえずは治療薬なのだ。

 やらないより、やった方が良いに決まっている。

 転生前の仕事の関係上、あくまで応急処置的な知識や技術しか分からないけれど、どうせこのままでは改善の見込みは無いのだ。やれるだけの事はやっておかなければ。



「ちょっと我慢してくれ。多分……効く筈だ」



 効果を疑問に思っている俺に共感したのか、念話で苦笑されるという初めての体験をしながら、俺は彼の体へと湿布を宛がう。

 漏れる苦悶の声。

 歯が折れんばかりに噛み締められた口。

 それに臆して手を止める、という事はせずに、鬼手仏心の精神で作業を遂行する。

 といっても、単に布を傷口に貼り付けるだけの事なのだが、これが中々に心を磨り減らす。
 
 ジェイスの押し殺した意思と、指の隙間からこぼれる血液が背筋を凍らせて、俺の精神値をガリガリと削ってくれるのだから。



(根性見せろ俺! こんなので怖気づいてたら、ますます悪化するかもしれないんだぞ!)



 自分自身を叱咤しながら、前後に空いた穴を塞ぐ様に、細心の注意を払って湿布で封をする。

 それをし終えて、ゆっくりと彼を横たえてやれば、心なしか、先程よりは顔色が良さそうに見えた。

 だが、それでは全く足りないのだ、と、俺は焦りに似た感覚を抱く。

 今までこの手の再生カードを使った際には、ものの一瞬で回復していた為に、それに準じない効果だったというのは、それだけで不満の対象。

 それが世間で言うところ“普通”だとはいえ、今までMTGを基準にした“普通”を体験していただけに、この落差は如何ともし難い事態である。



(あぁ、やっぱりマナ注がないと能力を全て発揮される訳じゃないのか……)



 ダメ元でやってみたらやっぱりダメだった、という無慈悲な現実に、歯の奥でギリギリと苛立ちの音が鳴る。

 効果が無い、という訳ではないようだが、この微妙な事態は頂けない。

 深呼吸を一つ。

 混乱一歩手前の頭を冷却し、再度、考えられうる限りのカードを脳内で検索。

『こんな時こそ俺がしっかりしなければ』という、使命感と罪悪感の混合された感情に突き動かされながら、今までに無い程に頭を回転させる。



 ……だが、俺は侮っていた。

 今治療を行っている相手が【プレインズウォーカー】と呼ばれる存在であり、ことジェイスは、精神関係で右に出る者が居ないという事実に。

 動かすのも一苦労、と思える動作で、彼は自分の胸部に、触れるか触れないかという位置で手を添えた。

 そうして、その手が淡く光り出す。

 こちらに何も告げずに動き出した事に、一瞬驚いたものの、即座に彼がしている行為への回答が想像出来た。



(あっ、治癒魔法!)



 剣と魔法のRPGゲームのみならず、様々な作品で登場する、ホイミ、ヒール、ケアルといった名のついた、超王道魔法。

 これが無ければ物語は始まらない、とばかりに登場する魔法なのだが、そんなもの、MTGの能力を貰って連想する方が難しい。……というか、俺が出来ていなかった。

 例えるのなら、どこぞの物語で最強魔法チートを貰った主人公が『銃使うかな』と言い出した感覚だろうか。強い光にばかり目が向けられて、その陰に潜む様々なものを把握していなかった。

 目から鱗状態になりながら、何故“本来使えない”筈の魔法を使っているのかについての解答が、頭の中からこぼれ出る。



 ―――彼の能力の一端。それは、他者の記憶を再現する事。

 メインである精神操作とは若干異なるが、強力な能力である事には間違いない。

 東方寄りに言うのなら、旧地獄の管理人、地霊殿の主である、古明地さとりの能力が近いだろう。

 あれは相手のトラウマを再現して相手を襲っていたが、ジェイスは相手が使う魔法や技術が自身で再現可能ならば、それをいつでも行使出来る。

 ネクロマンサーや黒魔術師の呪文を使って悪夢を降臨させたり、優れた剣士の技を使用し、剣術の達人となった事もある。

 何より、今回はMTG内にて【癒し手】と呼ばれる回復術に長けた者達の魔法を再現させ、自身の回復まで行っているというのだから、『え、彼が主人公ですか?』と尋ねたくなる様なお方であった。

 ただ、一見万能チーターに見えるジェイス様にも、やはり制約はあって、それは自身の色から逸れていない【友好色】に依存する所が大きい。










『友好色』

 特定の色に対して、相性の良い、別の色の事。イメージで言うのなら、陰陽やファンタジーモノRPGなどの、五行や属性関係がそれに近い。

 MTGで使用するカードには、それぞれ固有の色が付随されており、白、青、黒、赤、緑の五色からなっている(無色は除外)。そして、それら色の組み合わせが多ければ多いほど、カード性能は上昇する傾向にあるが、それらに比例して使用条件が困難になる。

 つまりは、色が混ざれば混ざるほど、強くもなり、使い難くもなる。

 しかし、【友好色】に定められている関連性を持つ色のカードは、使用する際に制約が多少軽減される場合が多い為、デッキの趣旨に合うのなら、好んで投入される。

 どのような色同士が【友好色】なのかと問われれば、理由も兼ねて、以下の説明が適切である。


(以下MTG wiki丸写し)

「秩序」「法律」の白の友好色は、「共生」の緑と「思考」の青。

「思考」「狡猾」の青の友好色は、「法律」の白と「邪悪」の黒。

「邪悪」「死滅」の黒の友好色は、「狡猾」の青と「混沌」の赤。

「混沌」「衝動」の赤の友好色は、「死滅」の黒と「野生」の緑。

「野生」「共生」の緑の友好色は、「衝動」の赤と「秩序」の白。



 これらの対義語として、【対抗色】というモノもある。










 青のPWであるジェイスの友好色は、黒と白。

 これは青の持つ“思考や狡猾”の特徴に、“法律”の白と“邪悪”の黒の特徴がマッチしている為だ。

 これにより、他者の記憶から能力や経験を再現する力―――今回の治癒魔法―――に追い風を加える形となり、その能力を一切損ねる事なく、魔法を使っているのだと予想する。

 現にジェイスの手や口元の血行が良くなっているのが見て取れてきたので、自分の考えは外れていなかったのだと認識した。



(あ、あれ……何か……いつもより余計に体力が……)



 だが、今度は別の問題が浮上する。

 合計で使用したマナは4。

 維持中のカードも、4。

 けれどその維持には、今までに無い疲労感が襲って来ていた。

 過去4マナ相当を召喚し続けていた時には感じられなかった現象だ。

 体力もだいぶ付いてきているとはいえ、このままでは先行きが不安になってしまうのではないか、と思える疲労具合。

 原因を究明すべく思考に入る前に、俺は目の前で行われている医療行為を直視して、漠然と、何とはなしに、その理由が推測出来てしまった。



(もしかして、PWが使う魔法って、俺の体力からエネルギーが捻出されてる……のか?)



 ジェイスが永琳さんや綿月姉妹に記憶操作をしていた時には、今の様な兆候は見られなかったのに。と、やっぱり間違ってるんじゃないだろうかと思う推測を出してしまったが、今はそれを詳しく検証している時間は、残されてはいないだろう。



 最悪、ジェイスや勇丸をカードへ戻す事も考慮に入れながら、俺は月の大地へと横たわる。

 今出来る事は、極力体力の低下を防ぐ事と、永琳さん達を昏倒させてしまった事への対処。

 ジェイスの傷が回復し次第、戻って謝罪をし……後は野となれ山となれ。

 仮に死刑など言われようものなら、その時は、全力で抗う事にしよう。

 地上の頃の様に、誰かを治療しても良い。

 金銀財宝が欲しいのなら、文字通り一山築けそうなほどの量を出そう。

 だが、それでもダメだった場合。

 俺は、例えそれが月の人を殺める事態になったとしても、最後の最後まで地上へ帰る事を諦めない。

 ……『相手を殺してでも』、なんて物騒な思考が出てくる脳内に驚きながら、それぐらいにはテンパっているのだろうと自嘲気味に、薄く笑う。



(こりゃあ、別の切り札を使う場面が来るかもなぁ)



 大の字に寝そべって見上げた星空は、大気が存在しないせいなのか、星の光が刺すように零れ落ちている。

 月の国が、この天体の裏側に建国された都という事もあり、極寒の気温と地面がこちらの体温をみるみる奪っていく……筈なのだが、現状はせいぜい“肌寒い”程度に収まっていた。

 先程まで、極限とも言えるほどにテンパっていた頭の熱を、段々と下げてくれているのは有難いが、これら様々な疑問に複数同時に思考出来る筈も無く、それら多数の疑問を全て切り捨てて、俺はこれから起こるであろう月の国との一悶着に備えて、如何に最小限の揉め事で済ませられるかを、考える事に勤めた。










「対象はたった一人。不可思議な能力持ちではありますが、何も……」

「依姫君。これは、一種のパフォーマンスも兼ねている。何も殺めようなどという愚かな真似をする訳ではない」



 薄暗い室内に、幾人かの人影が点在している。

 10人は収容出来ようかという、会議室の様な作りの部屋には、依姫を囲むように、中年~初老と思われる男性や女性が、幾人か長テーブルに寄りかかりながら、鎮座していた。

 依姫と話した中年の男とは別に、今度は初老の男性が話し出す。

 肩や胸に掲げられた勲章が、この黒く染まった室内であっても、なお自己を主張している。

 眉間に刻まれた皺は、まるで彼女の苦難の歴史を物語るかのように、深く、そして幾筋も見て取れた。

 この部屋の中央に位置している事から、この場をまとめ切るだけの権限を持っている―――月の軍部における、最高司令官がそこには居た。



「然様。我らがこの月に来て幾千年。既に民達の心には、生きるという目的すら失われつつある。日々を懸命に過ごすでもなく、ただ与えられた平和を垂れ流すように安穏と貪り、そしてそれが、さも当たり前に存在するものだと誤解し始めている。教育や祭事によって抑えていはいるが、もはや目に見える形で、綻びは現れつつあるのは、君にも分かっている事だろう」



 月人が地上を捨て、こちらへと移り住んでから、数千万年。

 終わりの無いような寿命を持つ彼らには、命を掛ける様な出来事は存在しなかった。

 完璧に管理された社会体制には餓死者、失業者などはおらず、穢れの存在しないここでは病に掛かろう筈も無く、外傷などの怪我は、それこそ近場のドラッグストアに並んでいる薬で事足りる。

 唯一幅を利かせているのが精神科だが、それでも、全体で見れば生きていく事へのハードルは、無きにしも等しくなっていた。

 そんな中で、生き物は一体何の為に生まれてくるのだろうか。

 定期的にその手の疑問が月では様々なメディアや学会で発表されてはいるが、明確な答えは未だ出ていない。

『生を謳歌する事が目的ではなく、死への回避の為に生きているだけだ』と唱えた者も居たが、この場にいる一同にその言葉を聞かせれば、表面的には同意せずとも、心の何処かで肯定しているであろう。



「確かに昨今の民達の状態は芳しくありません。ですが、だからといって地上人一人の為に、軍を“ほぼ全て”動かす理由には―――」

「なる」



 重みを持って発せられた言葉に、依姫は思わず言葉を呑む。



「犯行が行われた場所は、君も知っての通り、この国で最も安全性の高い場所である事は、周知の事実。そこで……よりにもよって、月の頭脳たる八意君を意識不明にしたばかりか、君の姉である豊姫君まで同じ状態にし、さらには完全に痕跡を絶って、逃げ果せていると言うじゃないか」



 その発言を耳にして、部屋の隅で資料をまとめていた、白衣姿の女性が、手元の書類を読み上げる。

 若干の緊張を含んだその表情は、こういった場には慣れていない―――急遽ここへと連れて来られた様子が伺えた。



「両名とも最新鋭の医療センターにて治療中です。……しかし、状態が思わしくなく、外的刺激から薬物に至るまで、全く効果がありません。恐らく精神面で何らかの負荷が掛かり、それによって昏睡したのかと思われます」



 裏返りそうな声を抑えて言い切った事へ安堵し、私の役目は終わったという風に、静かに深い溜め息を吐いた。

 けれどそんな彼女とは裏腹に、依姫の苛立ちは段々と募っていく。



「ですから! 私の能力を駆使しても永琳様や姉上の意識は取り戻せなかったと、そう仰っているではありませんか!」



 抑えようとして、けれど押さえ切れなかった不満の表れが、言葉に混ざる。

 彼女はこの場に出席する前から、その事について報告を上げていたのだ。

 なれば今するべき事はこのような会議ではなく、一刻も早くいずこへと消えた、九十九なる人物の捜索ではないのか。

 今この場の全てをかなぐり捨ててでも任務に当たりたいというのに。

 周りに座っている人物達が、息を呑んだり、体を竦ませる。

 しかし、そんな叩き付ける様な言葉にも眉一つ動かさず、司令官は淡々と応答した。



「君はあくまで軍部の地位を持っている人物であり、医療や医術に対しての専門家ではない。我々だけならばそれで納得するだろうが、この事は民衆にも伝えねばならん。その時の為だ」

「そ、それは分かっております。ならばなおの事、私がこうしている時間は……」

「何事にも手順というものがある。無論、完全にそれに縛られていては、本来助けるべき相手すらも助けられずに終わるだろう。……だが、ここは軍だ、依姫君。戦というもの自体を忘れて久しいが、それでも、時には幾人もの命が消える部署なのだよ」



 そこで一端言葉を区切り、意味あり気な目線を投げかける。



「本来ならば、こうした討論すらせずに終わらせるものなのだが……」



 そうしない理由がある。

 そう、言葉に意味あり気な印象を含ませる。



「………私に何か、お望みなのでしょうか」

「話が早くて助かる。―――といっても、既に用件は達成中なのだがね」



 言われた言葉が飲み込めず、依姫は呆けた表情を浮かべた。

 現状の、果たして何が彼の用件だったのかを推測するが、明確な答えは考え付かない。



「命令だ、綿月依姫。以後指示があるまで、この建物内にて待機。それが今作戦における君の任務の大半だ。以上」

「ま、待って下さい! それに何の利理由が」

「……これ以上説明を求むのかね。上官への対応がなって無いな。また士官学校からやり直したいのか?」

「理由を仰って頂ければ、それでも構いません!」



 脅しのつもりで言ってみた台詞が、何の効果も発揮していない様子に、司令官は深く溜め息をつく。

 しかも暗に『喋らなかったら力づくだ』と匂わせるような台詞まで言っているではないか。



(八意様や親しい者達の事になると、途端に視野が狭くなるのは、中々改善されぬものだな……)



 今に始まった事ではない、依姫の強引さに、司令官は内心で頭を抱えた。

 これさえ無ければ、ゆくゆくは自分の後を継がせたいと思えるほどの逸材なのだが、これがある限り、決して彼女に譲る事は出来ない。

 通常なら、説明を求める時点で、軍規に触れるか触れないかの線なのだが、これも将来の部下を育てる一環だ、と判断し、彼は説明を始める。



「現状、君の戦力は圧倒的だ。一個人でありながら、その力は戦術級を超えて、戦略級に及ぶだろう。我が軍の切り札の一つとして換算しても良い」

「……今回の件では過ぎた戦力だと仰るのですか?」

「そうだ。現在、君の能力が突出し過ぎてしまっている。はっきり言って、周囲の鍛度が全く足りない。……気の抜けた訓練を指揮している君なら、良く分かっているだろう?」



 それには依姫も、思わず顔をしかめた。

 まるで、お遊戯の延長線上であるかのような、玉兎達の練習風景は、とても頭を抱えたくなるものなのだ。

 だが、それがふざけるているのかと問われれば、それには否、と言わざるを得ない。

 確かに玉兎……ひいては彼女の部下達には、気迫が不足―――圧倒的に―――しているだけで、決して不真面目な訳ではないのだから。



「……つまり、これは民衆への教訓と、軍の……訓練を兼ねた作戦であると?」



 軍の大半を動かす事になったこの出来事が、ただの訓練だとは言いたくなかったが、流石にこれが訓練でなく何だと言うのか、という結論に至り、渋々と言葉として形にする。



「情報を整理した結果、その八意様が迎え入れたという人物は『絶対に壊れない』能力を保持し、鳥や熊などの生物から、特殊な効果のある水―――温泉か? を出す能力が、研究の結果、確認されている。それに、対応した職員の話からは、対象に特別な破壊衝動や殺人趣向があるのは確認されていない」

「訓練の相手には最適だ、と。そう仰るので?」

「然り。……月の偉人に手を出した、凶悪な犯人の捜索。何も知らぬ者達からすれば、それはこの月の国建国以来、最大の脅威以外の何者でもなく、対処、または対応する為に、それこそ自分の命と現状を比較しながら事に当たるだろう」

「……仰る事は理解致しました。―――綿月依姫。これより待機の任にあたります。以後、ご命令がある限り続行致します」



 一息。



「……ですが、納得した訳ではありませんので、そこは覚えておいて頂きたい」



 軽く脅しが入っている口調に、とやかく言う間もなく、依姫は踵を返して退出していった。

『何かあったら分かってんだろうな』と、立ち去る足音だけで判断出来てしまうのは、これは新たな彼女の才能なのかもしれない。

 途端、司令官以外の席に腰掛けていた人物達から、姿勢を直す音や吐息が聞こえてくる。

 それもその筈で、司令官が『待機』と命令を出した時から、依姫より漏れ出した憤怒の気が場に満ち満ちていたからだ。



「全く……。あれさえ無ければ、もっと責任のある立場に据えてやれるものを。武芸者としてなら素晴らしいが、軍人としては不合格だな。……君達、何を呆けた顔をしているのかね。各々の業務に復帰したまえ」



 その言葉で我に返った者達は、慌てたように、自身のやるべき事の為に動き出す。

 実際、医療センターから派遣された女性一人以外、彼らがこの場に居なければならない理由は無かったのだが、司令官が軍に属するものの心構えを“さり気なく”話す場として、意図的にこの場に残るよう仕組んだのが原因で、当の彼らは、“明日は我が身”や“人の振り見て云々”といった心情になっている者が大半だ。

 この場において地上での実戦を経験したものは、司令官、ただ一人。

 他にも戦を経験した者は当然居るのだが、その他の者達は、また別の重要な役職へと就いてしまっており―――前線や中間での経験者がほぼ皆無なのだ。

 そんな出来事も含めて、司令官である彼は、他の若い者達への改善策の一つにでもなればと思い、この茶番劇を仕組んだ訳なのだが、



(ふむ、まだ青いとはいえ、悪くない表情になったな)
 


 我先にと退出していく者達を眺めながら、こんな出来事でもなければ変わらなかったであろう、彼らの心構えの変化に複雑な心境になった。

 ある意味で、そんな彼らこそ、この月での平和が実現している象徴なのだが、それは一般人にのみ許された特権であり、戦を―――防衛を生業としている者には余分なもの。

 その辺りの切り替えを、出来ていない者が多かったが、恐らくはこの一件で、決して悪く無い方向へと進んでいく事だろう。



 意図的に緊張感のある状況を作り出す事は出来ず、仮に強引に行ったのなら、それは軍という必要性を、ここ数千年、全くと言って良いほどに感じていない月の民達への不満感へと代わり、最悪、消滅へと繋がりかねない。

 外敵が存在しないのならば、それでも良いのだが、地上の発展具合は、緩やかではありながらも、確実に向上している。

 これで何かのエネルギー革命でも起これば、その伸び具合は一足飛びに行われるのは目に見えている。―――かつて、地上で暮らしていた我々―――月の民が、そうであった時の様に。

 その後は、恐らく地上との接点が出来る筈なのだ。

 その時。手と手を取り合える仲になれれば良いが、穢れの中で生きる彼らにそれを求めるのは、非常に危険性が高い。

 だが、そんな事実を考慮にすら入れず、この国の民衆は、平和への交渉に乗り出すだろう。

 信頼、信用、大いに結構。大変素晴らしい志だと感心する。

 だが、同時に馬鹿な話だと呆れてしまう。

 それが、どれだけ危険な行為なのかを、果たして彼らは、分かってやってくれるのだろうか。

 個人でそれを行う分には、その結果は自身へと跳ね返ってくるだけなので、問題は無いとして。

 これが集団、地域の枠組みや、国として見た場合、一体誰が責任を取ると言うのか。

 ……いや、それは考慮するまでも無い事なのかもしれない。

 それは当然、賛同した者達……否。

“強く”否定しなかった者達へと返って来るだけなのだから。

 否定はしたが、ただ流れのままに身を委ねた者達も、賛同した者達と同様の責任を負うだろう。



(認める訳にはいかん……)



 自分は軍を束ねる者。

 自分は武を行使する者。

 自分はこの国を守る責務を負う者。

 ―――私は、この国を愛する者。



(私は私の持つ力の全てを以って、この国の未来を守ると誓ったのだ)




 一個人で行える範囲など、そこまで広くは無い。

 ましてや、自分はただの月人。

 頭脳が優れている訳でも、家系が王族な訳でもなく、能力の開眼なんて兆しすら見せない、寿命が長いだけの、ただの個人。

 そんな自分を無力だと呪った日もあったが、それをバネに、何とかここまでの地位に上り詰める事が出来た。

 それを今使わずして、いつ使えば、この国の平和を維持出来るというのか。



(いっそ、政治家として進んでいけば良かったか……)



 この騒動が起こる前から間々考えていた事だが、皮肉げに口元を歪めて、一笑に付した。

 狐と狸の化かし合いの場が嫌いで、けれど何かこの国の為に何かしたいと思い、軍という職に就いたのだ。

 それを今更変えた所で、はてさて、成果が現れるまでに、一体何千年掛かることやら。



「地上から来た者よ。怨むなら、月の象徴に手を出した自分自身を怨むと良い。……君には、建国以来、最大の罪人となってもらおう」



 一体何の為にこの様な事をしたのかは未だに分からないが……。

 恐らく、月侵略の糸口か切欠とするつもりか、こちらの何かしらの情報を仕入れる為の策だろう。

 こんな事態を引き起こした犯人が、何も考えていない筈は無いのだ。

 きっと、いずれ、こちら側によくない接触を謀って来るに違いない。

 ならば現状不安定な戦力を見せて、油断を誘うと同時、切り札でもある依姫の能力を隠せるのなら、一石二鳥以上の効果を生み出せる。

 現状で思い浮かぶ策は、これで取り終えた。

 後は、地上人が捕まるのを待つだけだ。

 ……欲を言うのなら、その地上人が少しでも抵抗してくれれば、それだけこちらの世論や危機感を操作し易くなるのだが、あまり期待するのは、酷というものか。

『絶対に壊れない』能力を持っているようだが、それだけでは月の軍事力には抵抗出来ない。

 他にも雑多な生物や物体を出現させていた様ではあるものの、手元の資料を見る限り、脅威と呼べるほどのものは確認されておらず、仮にあったとしても、この国の技術で対処出来ないとは思えない。

 地上にいる数多の神々の中でも―――極一部の島国ではあるが―――頂点に君臨する大神を、封殺する術を持つ月の文化に、どういう事態になったのなら、対処出来なくなるのだろう。



 犯行目的は不明。

 しかし、現状で推測出来る事は限られている。

 後は地上人を捕縛するまで待つ他無いのだが、頭を使う以外にする事が無い、というのは、何千年経っても自分にはもどかしく思えて仕方がないようだ。



「全く……一体何の理由でこのような馬鹿げた事を起こしたのやら……。月の首脳部が、誰も分からぬとは……」



 前代未聞の愉快犯に、参謀や政治家達はてんてこ舞い。

 誰もがその理由を突き止めることが出来ないまま、行動に移るしかない現状に、月の司令官は息を大きく吸い込む。

 ゆっくりと吐き出された空気には、長年の疲労と、これで月も変わるだろう、という、僅かな希望の色が伴っていた。





[26038] 第27話 氷結世界に潜む者
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/01 17:39






(脳内BGM:北の国からのあのイントロ)



 ―――拝啓、諏訪子様、神奈子様。実家? に置いて来た勇丸は元気にしているでしょうか。

 私こと九十九は現在、月面でのトラブル―――自分で撒いた種な気はしますが―――に絶賛巻き込まれ中でして。

 つい先程ひと段落して、さてこれからどうしよう、と、途方に暮れていたのですが、いやはや、やはりというか当然というか、月の方々は優秀な人ばかりのようでして。

 よくもまぁこんなだだっ広い月面で、体感ですが、一時間掛からずに見つけられるもんだ、と感心する訳で。



 ……この語りって、時間無い時にやるもんじゃねぇなぁ。



「ひと~つ、ふた~つ……数えるのも馬鹿らしい数だよなぁ、あれ」



 固いものが土にめり込んで行く音がする。

 定期的に発生するそれは、一つではない。

 十、二十、……いやいや、それはもはや百を超え、さらに数を重ねながら、こちらに向かってくるではないか。

『宇宙空間で音って……』なんて突っ込みは、もはや思考に値しない。

 問題は、現状をどう切り抜けるかの一点のみ。



「四速歩行の戦車……かぁ。浪漫だねぇ、格好良いねぇ。後で乗らせてくれないかなぁ。円盤っぽい浮遊物体は、飛行機の類なんだろか……ダサい……あ~、でも慣れるとあれはあれで愛着が……」



 既に考えはまとめてある。

 決意もした。

 方針も決まった。

 後は、相手がどう来るかで、それらの対応のどれかを行うだけだ。

 それまではやる事が無いので、見えている現実を、どう自分の中で受け入れようか悩んでみれば、初めて子犬を与えられた子供のように。ちょっぴりの恐怖と、好奇心が湧いてきた。



「ジェイス、具合はどうだ?」



 ただ、現実逃避してばかりもいられない。



 ―――ココへと飛ばされてから、先にも思ったとおり、一時間も経っていないだろう。

 それくらい迅速に、月の勢力はこちらの場所を探し当てて、こうして軍まで派遣して来てくれている。

 このクソ広い、岩と砂しかない死の荒野の中で、どのように俺達を発見したのかは不明だが、こうして見つかってしまった今となっては、もうどうでもいい出来事だ。きっと超レーダー的なものでもあったんだろう。

 あの戦車や円盤が軍ではない、という可能性もあるのだろうが、SFちっくな銃を持つウサミミが、その周りに幾人も配置されながらこちらに向かって来ているのは、こっちをヤル気なんじゃないかと思えて仕方が無い。

 というか、そういう気なのだろう。

 見える範囲で確認できる人影には、皆が皆、殺気っぽいピリピリした空気を纏っていらっしゃる。

 お陰で、こちらの心臓が一速ギアを上げてしまったようだ。

 こりゃあファーストコンタクトに失敗したら、絨毯爆撃の如く何かしらの攻撃が降り注ぐ事だろう。

【死への抵抗】による【ダークスティール】化の有効時間は後どれ位だったかな、と考えていると、声を掛けたジェイスが呼び掛けに応じてくれたかのように、呻き声を上げた。

 その声から、あの時よりは幾分楽にはなっているようだが、苦しそうな彼の声(念話)から、やはり予断は許されない状況っぽいと判断する。

 自分への治療を行ってしばらくして、彼は意識を失った。

 恐らく傷口は全て塞ぎ終えて、修復が完了したからだろう。

 彼の体力が回復するまで月側との接触は避けたかったが、こうして目前に展開している軍隊な皆様を見てしまうと、諦めざるを得ないようだ。



 ―――あれから、確かそんなに時間も経っていなかったな、と、改めて思い出す。

 治癒魔法を使い始めた彼の蕎麦で、極力邪魔をしないよう、そして協力出来るように徹しながら、こうして軍隊が目の前に迫って来るまで過ごして来た。

 けれど未だに全快の兆しは無く、疲労困憊の男が二人。方や地面へと寝そべり、方や気だるく座り込んでいる状態。



(このまま普通に逮捕してくれれば良いんだけど……)



『そこの犯人に告げる~云々』とか言い出したのなら、諸手を上げて投降する準備がある。

 というか、むしろそれを切に願っているのが今の俺。

 様々な事柄を無い頭使って絞った結果、ならもう、素直に謝るしか無いと考えたからだ。

 意図してなかった事ではあるが、悪い事をしたのなら、謝るべきだろう。

 とはいえ、何も受身でいる必要は無い。

 先にも言ったように、この緊張状態から投降へと漕ぎ着けるには、ファーストコンタクトが大事。

 ならばここは一つ、自分から動く事で、向こうに誠意を魅せようではないか。

 相手から言われてするよりも、自発的に行った方が良い方向へと進む場合が多い。

 罪を犯した時だって、逮捕と自首では、刑の執行に色々と便宜を図れる可能性が生まれてくる。



「本当はもう少し近づいて来てくれてからの方が良かったんだけど……」



 相手との距離まで、目測で……ゆうに数百メートルはある。

 ダルい体に鞭打ってあそこまで行くには、中々しんどい距離なのですよ。



(ま、これも自首への先行投資と思えば)



 未だ横たわるジェイスに気を配りながら、潜んでいた岩場の陰から身を乗り出す。

 今までチラチラとしか見ていなかったけれど、こうして体をさらけ出した状態で見渡す景色は、また格別だ。



 ……というのも、銃口とかそれに似たようなものが、一斉にこちらを向きましたからね(汗



 あれだね。例え自分が死なない(壊れない)と分かっていても、この光景には背筋が凍りますですよ。

 害が無いと分かっていても感じてしまう、条件反射のようなものだろう。コンタクトとか目薬とか、それ系を使う時の感じ、と例えてみようか。

 俺が姿を見せたことで彼ら(彼女ら?)はピタリと足を止め、目の敵でも見つけたかのように、怯え、あるいは殺意の篭った目線をぶつけて来る。



(……あー、そういや永琳さんとか綿月の姉の方を昏倒させたままだったんだよなぁ。そりゃあ目の敵にもされますか。仕方ないとはいえ、ホント、参っちゃうよなぁ……)



 何はともあれ、とりあえず降伏をしておかねば。

 白旗フリフリ? ジャパニーズ土下座? いっそ月の大地へ五体投地?

 どれもちょっと違うなという気がして、無難に万歳ポーズで行ってようと、両手に力を込めた時。



(―――ぁ)

 

 光った、と、思う間も無い。

 次の瞬間、俺の体は車にでも撥ね飛ばされたかのように、後ろへと弾かれた。











 私の他にも、この任務が初めての実戦、という人は多い。

 そもそも軍に所属したのだって、お給料とか、他の職に比べて箔が付きやすいとか、そういった理由からだった。

 結構厳しい訓練もあったけど、それだって我慢出来た。



 ―――だって、命が掛かっていなかったから。



 月人は寿命が長い。

 決して不老という訳じゃあ無いけど、それに比べたって、数千年とか数万年は普通な部類。

 一つの職に百~千年単位で就いて、それから他の職に移るなんて、ココじゃあ当たり前。

 そこで『私は軍に勤め~』とか履歴書に書くと、相手側の受けが格段に違うので、自分の能力に自信の無い人達には、履歴に花を添える為、こぞってこの職を選ぶのだ。

 きつくてリタイアする人も居るけれど、大体は歯を食いしばって耐えて、無事任期を勤め上げる。

 そういういった功績が評価され、さっきも言ったように、『軍で働いていたとは、根性があるんだな』という証になるんだと思う

 ……そんな通過点の一つであった筈なのに、一体、なんでこんな事になっているんだろう。

 月の都市建国以来、一度として実戦が行われなかったから就職したのに。

 誰かを守るというフレーズは好きだし、実際感謝されたりもするから、割と好きな職だったんだけどな……。



(やだなぁ。死にたくないよ……)



 怖い。

 そんな思いで、胸が潰れそうになる。

 哨戒任務が終わったら、みんなで商業地区のメインストリートに遊びに行く予定だった。

 甘いお菓子を食べて、仲の良い友達と喋って、最近八意様が訪れたという、超高級な洋服が売ってるお店に、勇気を振り絞って行こうと思っていたのに。



 ……あの警報から、全てが変わってしまった。

 二種や三種を通り越して、いきなり第一種の戦闘態勢。

 使用武器の制限だって、本来なら4ランクの中から順番に引き上がって来るのに、いきなり“使用武器制限無し”。

 与えられた任務は、九十九という名の地上人の捕縛。

 しかもその人は、八意様と豊姫様に害をなした、凶悪犯だと言う。

 幸いにして命に別状は無いらしいけど、未だにお二人はお目覚めにはなられていない、と聞いた。

 月の技術を使ってもそのような状況になっている―――状況にした犯人の逮捕というは、相手が一体どのような力量を持っているのか、全く判断が付かない。

 与えられた情報では、相手は『絶対に破壊されない』能力を持ち、熊や鳥といった動物を召喚する事も出来るそうなのだが、それに加えて八意様達を重体に追いやった能力も付随しているのだ。

 最悪、自分だってあの方達のようになるのかもしれない。

 永遠に目覚めないというのは、詰まる所、死んでしまった事と同じ。

 だから、怖い。

 今まで“死”なんて遠い先の体験になると思っていた。

 けれどどうだ。

 今目の前には、それが、さも今まで自分の影に潜んでいたかの如く、当たり前のように存在している。



(この任務が終わったら……)



 職歴に響いても良い。転職しよう。

 何より、死んでしまっては元も子もないのは、今切実に感じている。

 生きていれば、後はどうとでも。

 だから、無事に戻らねば。



(あ……あれが……)




 視界の先。

 ゆっくりと現れた男が一人。

 武装らしきものは何も携帯していないようだが、油断出来る相手ではない。

 何せ、あの万全のセキュリティが備わっていた、月の偉人達が住む特別区画で事件を起こしたのだ。

 もはや、星が降って来るかもしれないと思っていても、不思議な事態ではない。

 それに、月の裏とは絶対零度の死の世界。

 おまけとばかりに空気が存在しない中で、何故ただの地上人である目標は活動を続けているのだろう。

 私達軍隊は、月側から出ているエネルギーフィールドで守られているからだというのに。

 何かの能力だろうが、驚愕や感心など思うわけも無く。

 ただ純粋に、その在り方が恐ろしかった。



「全隊、指示があるまで待機! 伝令、本部に通達!『目標を確認した。指示を請う』、送れ!」



 部隊長が何か言ってるが、それは正確に耳へ入ってこない。



 ……引き金に指が伸びる。



 大量生産の支給品だが、地上人一人殺める事など造作も無い兵器。

 鼓動が早くなる。

 銃と体が一体になったかのような感覚のせいか、目標が、こちらを睨み付けた様子が感じ取れた。



「気を緩めるなよ。相手は……、おい!?  そこのお前! 引き金から指を外せ!!」



 煩い。

 自分の命が掛かっているというのに、何を律儀にグンタイゴッコなどしているのだ。

 相手は一人。

 防衛能力は高いようだが、攻性には向いていない、と、目を通した情報には載っていた。

 ならば、何を暢気に指示など待っているのか。

 この一秒が、自分の命を失ってしまう時間なのかもしれないのに。



「誰か04番を止めろ!」



 何を憤っているのか理解に苦しむが、私はみんなの命も助けようとしているのだ。

 感謝されこそすれ、何故怒号に満ちた声で怒鳴られなければならない。

 相手の防御性の優位点は、自身の能力であるからだ。

 それが発動したのなら、情報通り、絶対破壊不可のスキルが現れる。

 だとすれば、それを発揮させる前に行動を起こせば、相手はそれに対処出来ずに終わるだろう。

 音よりも速く飛来する弾丸は、能力持ちとはいえただの地上人である目標には、逃れる術はない。

 こうやって何もせずにいる事自体が、自分達の危険性を上昇させているだけだと、何故気づかないのか。



 ―――周りの隊員から手が伸びる。

 けれどそれよりも僅かに速く、私の指先は行動を完了した。

 こうする事で、恐らく穢れが生まれてしまうけれど、たった一つの生命からの穢れなど、フェムトファイバーでどうとでもなる。

 低めの破裂音。

 肩に掛かる衝撃と、若干の手の痺れ。

 それとほぼ同時。

 何かが何かにぶつかる鈍く大きい音と、目標が勢いよく仰向けに倒れるのが見えた。










 空が見える。

 青い方ではない。

 暗くて、所々で輝いている方だ。

 満天の星空どころか、宝石箱の世界にでも迷い込んでしまったような錯覚を受けるが、そんな宇宙空間の素晴らしさを、充分に実感している暇も無い。

 大の字にぶっ倒れた体には痛み一つすら無いが、心の方にはそれなりにダメージが入っている。

 あまりに速い攻撃は、【ダークスティール】の円盤が反応する間すらもなかった。



(……撃って来やがった……)



 自分の覚えている範囲では、警告とか投降声明なんてものは出されていなかった。

 ノーアラートの一発必中。

 何かが光ったと思った瞬間に、これだ。

 縋ろうと思っていた蜘蛛の糸は、垂らされる様子すらなく。

 代わりに現れたのは、一発の凶弾でした、ってか。



(あいつら……人が負ける気満々だったってのに……)

 

 ゆっくりと体を起こす。

 こちらからでは、相手の表情は伺えないが、あちらからは、俺が体を起こした事は見えている筈だ。

 次はいつ弾丸を受けても良いように、若干前へと重心を傾けながら立ち上がった。

 こうなってしまっては、後は行き着く先まで行くしかない。

 ……けれど、だからと言って自分の非を認めない、というのは頂けない。

 あれはあれ、これはこれ。

 初志貫徹。悪い事をしたら、きちんと謝りましょう。

 両親や社会から学んだものは生かすべし。

 そうれば、俺は今後も自分のルールに乗っ取って、胸を張って生きていけるから。



(って、あ……)



 だが、ちょっと待って欲しい。

 俺だけならば、幾ら攻撃されようが屁でもないけれど、近くの岩陰には、ジェイスが横たわっていたのだ。

 サーチ&デストロイを地でやってくる連中の前に、俺という的が現れた。

 結果、先制パンチを見事に受けてしまった体が宙を舞う羽目になっている。

 攻撃する意図があった以上、こうして何事も無く立ち上がってしまっては、それは、『お前らの攻撃なんて効かねぇ』と同義。

 予想するのは、さらなる猛攻。

 この辺の地形が変わってしまっても、あの月の部隊が相手だったのなら、むしろ、それ位は普通に出来そうな兵器を、使ってくるかもしれない。

 そうなったのなら……



(やばい、このままだとジェイスを守れない)



 気化爆弾とか焼夷弾とか……もしくはすっごいSFチックな爆発系のものとか。

 そんな安直なものしか思い浮かばないが、その手の広範囲攻撃なんぞやられた日には、とてもじゃないが、意識の無い彼を庇い切れない。

 投降という道が消えてしまった以上、選択肢は二つ。

 全力で逃げ切るか、全力で捌き切るか。

 だが、前者の案は即座に切って捨てる。

 移動だけならまだしも、重体であるジェイスを労わりながら行動するなど、今の俺には不可能だ。

 それに、瞬間移動やワープといったものでもない限り、彼ら月の軍の攻撃範囲から無事に逃げ切れるとは思えない。



(ノーダメージを維持しながらジェイスを抱えての移動……無理だ。思いつかない)



 それをするにはカードの使用枚数も、何よりマナが足りない。

 だとするなら、取れる方法は後者。

 相手を信じてノーガード。なんて考えは、先に受け攻撃を考えるに、考慮にすら値しない。

 行うは防衛。

 それも一発の弾丸も通さない、鉄壁を超えた、絶対防御。



(【壁】系クリーチャーの召喚か……? でもあれはなぁ……)









『壁』

 数ある【クリーチャー・タイプ】の一つ。

【防衛】と呼ばれる特殊な能力を持ち、この能力は相手への攻撃が出来ない、という、一種のデメリットである。

 基本的にパワーが低く、タフネスが高めに設定されており、【マナレシオ】―――コストパフォーマンスが優秀な傾向が強い。相手のクリーチャーの攻撃を防ぎ、足止めや延命をするのに、最適なクリーチャーである。

 ただ、だからといって一方的な受身クリーチャーかと言われれば、その様な事は無く、中には受けたダメージを相手へ返したり、攻撃して来たクリーチャーを破壊する効果を持つモノもある為に、一概に考えることは出来ない。

 これらクリーチャーを展開し、その隙に高コスト、または超高コスト呪文に繋げて行くのが主な使い方である。



『クリーチャー・タイプ(以下・タイプ)』

 文字通り、クリーチャーに存在しているタイプ―――種族を表す。

 クリーチャーには全て、これら【タイプ】が存在しており、様々な面でこれら項目がゲームに影響を与えてゆく。

 よくカードゲームである、特定のカードのみを使用して【シナジー】を構築する―――俗に言う部族(種族)デッキの場合に参照する。ドラゴンデッキ、天使デッキといったものが良い例。

 一つのカードに複数【タイプ】を持つものもある。










 総じて防衛に最適のクリーチャーではあるのだが、やはり受身メインなものが殆どな為&それ以外の優秀な奴を思い浮かべられないので、残念ではあるが、選択肢から外しておく。

 ……だって、他にもっと良いものを考えてあるから。

 軍隊が到着するまでに考え付いて、ホント良かった……。あれならば、滅多な事では陥落する筈は無い。



(多少あっちを掻き乱してやれば、少しはこっちの話を聞いてくれるかもしれないよな)



 あれと敵対するのは馬鹿らしい、とか思ってくれたのならラッキー。

 もしくは、ジェイスが回復するだけの時間を捻出できれば御の字……というか、目標達成だ。

 何やら遠くで隊員同士がガヤガヤやっているのは、きっと何か強力な兵器を準備でもしているのだろう。



(ふふん、やらせはせん。やらせはせんぞぉ!)



 先制パンチはくれてやったのだ。

 後攻の利点、正当防衛は主張させてもらうぜ。



(コンボ発―――っととと。どうせなら単発で行ってみるか。あのカードに描かれた光景が実現するんなら、動揺の一つでもしてくれるかも)



 今使おうとしているコンボは、一枚一枚使おうがデッキ名を唱えようが、【ハルク フラッシュ】の時の様に、成果が出るまで時間が掛かるという訳ではない。

 どうせこれを使ったら、マナストックは無くなるのだ。使える演出は多ければ多いに越した事は無い。

 そこに気を取られて、平常心を乱してくれでもすれば、色々と付け込む隙が現れるだろう。



(交渉から始めなかった事を、後悔するがいい!)



 ぬははは、と内心でドヤ顔をかましながら、使用するカードを唱える。





 ―――ジェイスをカードに戻せば色々と解決出来る問題があったのでは、と。

 銃弾を受けて余裕が無くなったのか、初コンボ使用による興奮からか。

 始めの頃に考えていた結論は、終ぞ出てくる事は無かった。










「そいつを営倉にぶち込んでおけ!」



 命令違反を犯した隊員を見送りながら、その部隊を纏め上げていた長は、深く溜め息を付く。

 引きずられる様に離脱していくその隊員からは、『このままじゃみんな』『今やらないと』など、感情を最優先にしている節が多々見受けられた。



 ―――何を当たり前の事を言っているのだろうか。



 あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて、頭を抱えてしまいそうになった。

 そんな気持ちなど、ここにいる殆ど全ての者は抱えているに違いない。

 かく言う自分だって、その気持ちには同意する。

 こんな悠長な事などせずに、一気に捕縛、ないし砲撃の嵐を降り注げられたのなら、どんなに楽だろう、と。

 そして、だからこそ、そんな気持ちを抑え込んでいる皆の意思に応えなければならない。

 だというのに先のものは、それを踏みにじったなかりか、状況すら変えてしまいかねない事態を起こしてしまった。

 ゆっくりと立ち上がった目標は、全身の力を抜いて、だらんと何も反応する事無く佇んでいる。

 攻撃を受けた事で我を忘れているのか、何か特殊な力でも使う気でいるのかすら分からないが、正常な反応だとは思えない。

 恐らく頭部に命中したであろう弾丸に、報告書通り、何の損傷も見受けられない事から、例の破壊不可の能力は既に発動しているのだろう。その証拠に、対象の周りには、例の漆黒の円盤が浮遊していた。

 一定の攻撃を弾く円盤らしいのだが、流石に音の数倍に近い速度で飛来する弾丸は防げなかったようで、何も出来なかった、と思わせるように、ふよふよと漂っている。

 周りの色と相まって、あの円盤は目視では大変発見され難くなっているのも、例の隊員が攻撃を行った理由だろう。

 この出来事は本部に連絡を入れるべきかと悩み始めたところで、



「た、隊長!!」



 傍にいた隊員が、怒鳴るような……怯えるような声を上げた。



「一体なん……だ……」



 余計な事に気を取られ、僅かの間、意識を、自分の中へと向けてしまったのがまずかった。

 一瞬とはいえ、作戦行動中に目標から注意を逸らしてしまうなんて。

 本来ならば、何の問題もなかったであろう、たった一瞬。

 ただそれは、目の前の光景の前に、愚かであったのだ、と突きつけられる。



 一面には、青く、澄んだ世界が広がっていた。

 

 視界に広がるのは、無限の宇宙を地面に写す、合わせ鏡。

 それは、途方も無い大きさの銀板。

 目標の男を中心とした大地が、かなりの範囲に渡って、氷の土地へと姿を変えていた。



「各員、状況を報告!」



 すぐさま指示を飛ばせたのは、やはり日頃の訓練と、心構えの賜物であろう。



「こっ、こちら02! 突如足元が凍り付きましたが、作戦遂行に影響なし!」

「こちら11! 02と同様!」

「こちら09! 若干の足場の乱れはありますが、支障なし!」



 それぞれ上がってくる報告に耳を傾けるが、やはり誰の目にも、この現実は見えているらしい。

 唐突に現れた、極寒の世界。

 もっとも、光が届かぬこの月の裏側は元々が絶対零度であった為に、違和感を覚える話だ。

 しかし、それ以外の言葉が思いつかないのも、また事実。

 地上の資料で、太陽の光が届き難い地域で見られる光景であったな、と、部隊長は何処か自分を遠くに見ている視点で、そんな事を思う。

 雪、という氷の粉末結晶体こそ見受けられないものの、その世界は穢れの大地の一部と瓜二つ。

 こんな雰囲気でなかったのなら、いっそ幻想的ですらあるこの風景に、感動すら覚えたかもしれない。



 ―――まるで、何かの心臓が鼓動するような音を聞かなければ。



 自分の体から今まで何度も耳にしている、均一なリズム。

 ドクン、ドクン、ドクン。

 赤子の子守唄のようなそれは、けれど、かつて耳にした事の無い程に大きな振動となって、体のみならず、大地を静かに……とても静かに揺らしている。

 音源は足元から伝わって来ていたので、必然、そちらへと目が向く。

 一体何の音だ。

 発生源を確かめようと、視界を星空の写り込んだ大地の……さらに奥へと目を凝らす。

 幾ら氷とはいえ、この地面はそこまで明度は高くない。



 ……だが、見える。

 無言で直立している、大罪人の足元に。

 響く鼓動に乗せて、自己を主張しているかの如く、しっかりと。

 星々の輝きで薄っすらと浮かび上がるその姿は……。



「ひっ―――!?」



 誰かが驚嘆の声を上げた。

 軍に関わるものとして、それは他の者から叱咤されても仕方のない反応だ。しかし、誰もがそれを指摘しないというのも、また仕方のない反応である。

 空に輝く星の光に紛れる様に……けれど、それらとは一線を超えた、圧倒的存在感。

 目と呼ばれるであろうその光源は、今まで見た何よりも恐ろしいものであった。

 そして氷結の世界に沈むその光に導かれるように、霧かかった視界が晴れてくるかのように、全体像が見えてくる。



 ……その姿、何と形容すればいいのだろうか。

 どのような存在にも当てはまらず、どこかの幼子が悪戯に描いたと言われた方が納得するかもしれない。

 岩のような質感の巨体から、幾本もの太い木の枝を生やし、その一本一本が樹齢数百~千年を迎えているであろう程もある。

 それらの大本である体は暗闇に没していて確認出来ないが、数十メートルはゆうに超えている事は、霞みながらも輪郭で分かってしまう。

 こんな姿をした存在など聞いた事が無い。

 地上の悪魔や妖怪といった、通常の生態系からかけ離れた生き物ですら、動物や昆虫、魚介類などの形を多少なりとも模しているというのに。



「地下に巨大な質量異常! 現存していた物質を塗り替えて出現しました! 同時、生命活動を確認。数は……1!」



 今更その報告に、何の意味がある。

 誰もが呆気にとられていた中、自分の役割をこなした観測隊員には悪いが、この場にいる全ての者が、その事実を直視している。

 何度も読み返した小説の説明を受けた時のように、『そんな事は分かっている』と言ってしまいそうになった。

 だが、その報告で、意識が目の前の光景を受け入れようと動き出す。

 装備、隊員、陣形、全てにおいて異常無し。

 大地が氷に変わってしまった事が唯一にして最大の変化だが、こちらはまだ命どころか装備の一つすら失ってはいない。



(命令が変更されていない以上、やる事は変わらん。どんな事があろうと、目標の捕縛を遂行するのみ)



 与えられた任務を再確認し、隊長は何とか自分を取り戻す。



「本部に通達! 現在、犯人の撹乱能力と思われる現象に遭遇。被害は無いものの、その能力は未知数。過去の情報には含まれておらず、観測の強化を具申。送れ!」



 未だ先程の指示への返答は無いのが、こんなにも憤怒しそうになるのだと、その隊長は身をもって実感した。

 呼応して返事をする連絡員を意識の隅にやりながら、恐らくこの事態を引き起こしたであろう犯人を睨み付ける。

 撃たれた直後と同じところに立ったままだが―――彼の横には、今まで見た事も無い人物が立っていた。



「報告!」



 同時、観測班からの連絡が入る。

 顔をそちらに向けて、目先にいた対象―――容姿からして黒衣の女性だろうか―――の情報を求めた。



「たった今、目標の横に人型の生命体が出げ……ん……」

「……どうした。続きを言え」

「……消えました」

「……何?」

「……目標、消滅。……現れた人型は光となって消えました。転移などの形跡も無し。―――完全にロストしました」



 もはや訳が分からない。

 氷の大地が出現したと思った矢先に、これだ。

 完全に理解の外側で起こっている現象に、頭がどうにかなりそうだ。

 凍った地面が出てきて、そこには未知の大型生物が居て。人型が出現したと思ったら、正確に確認する間もなく、消え失せた。

 一体何がしたくてこんな摩訶不思議な現象を引き起こしているのだろう。いや、そもそもこの現象は、あの犯人が引き起こしているのだろうか。

 いっそ、どこぞの神の茶番劇だと言われた方が、まだ納得出来るというものだ。

 



 ―――そうして。

 その理解は、さらに及ばぬ所へ向かう事になる。





[26038] 第28話 Hexmage Depths《前編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/07/24 23:03






 状況が状況だけに大声は出していないが、いつものように、脳内カードを使用する。

 俺にとってはいつもの事だが、劇的に、そして一瞬で世界の一部が変わってしまった事実に、その他大勢であるあちら側の人達は、それはもう蜘蛛の子を散らしたような……まではいかないが、目に見えてわたわたしてくれているのが面白い。



(おぉ、驚いとる驚いとる)



 やっぱり足元が突然変化したとなれば、そのインパクトはかなりのものに違いない。

 遠目でも相手の動揺が手に取るように分かるのは、状況の緊迫感を差し引いても、少し愉快なものがあった。



 唱えたのは、とある【土地】。

【特殊地形】の一種であるそれは、けれど、土地らしからぬ存在でもあった。



 マナを一切生み出さないのである。



 マジック・ザ・ギャザリングとは、マナを使って呪文を使う。

【ピッチスペル】といった例外もあるが、基本はそうなのだ。

 本来マナを生み出すべきものが、その役割を果たさない。

 つまりは、それだけのデメリットを抱えても価値が―――有効性があるカードという事だ。……大概は。

 その例が、過去に一度だけ使った【隠れ家】という【土地】カード。

 あれは、自軍のクリーチャーであるのなら、マナと時間を掛ければ、無限に【隠れ家】内部にそれらを内包出来る能力を有していた。



 ―――ならば、今回使用したカードは、どういった性質のものなのか。



 簡単だ。

 とあるクリーチャーを、一体だけ生み出すのである。

 しかしその生み出されるクリーチャーは、若干の欠点こそあるものの。

 極めて強力で、MTGでも1~2を争う攻守を備えており、さらに少量ではあるが、特殊能力を保持している。

 だが当然ながら、そんなものがそう簡単に呼び出せる訳が無い。

 それを使うには、3マナを使う事で開放される封印が、10も付いていた。

 率直に考えるのなら、合計30マナも使用しなければ召喚する事が出来ず、そんな事をするくらいならば、他のカードを使った方が戦術や勝算がある……と、ネタとして存在していたカード。



(っしゃ。ビビってくれてる、今のうちに……)



 けれどそんなネタカードも、あるクリーチャーの登場で一変した。

 そのクリーチャーが、ある特定の要素のみを取り除く事が出来る能力を有していたからである。

 この場合の要素とは―――少々難しい為、要約すると―――封印。

 その【特殊地形】に存在する封印を、一瞬にして全てを取り払う事が出来た。

 しかもそれは、たったの2マナ。

 召喚した後、生贄に捧げなければならない故に実質一回しか使えないが……逆に考えれば、一回は相手に妨害でもされない限り発動するのである。

 使い所の難しいカードではあるけれど、それが登場した当初から、その【特殊地形】カードとの【シナジー】は注目されており、そしてそれに答えるかの如く、一部大会では脅威を振りまき、コンボとして確立した。



 唱えた瞬間、俺の目の前には黒衣に身を包んだ女性の後姿が出現した。

 例の如く体力を奪われる感覚が襲って来て、過去の召喚と合わせてジェイスの魔法使用時の消費もプラスされ、ちょっと足元が覚束なくなったが、そこは気合で乗り切る。

 黒皮で出来た、背中全開のドレスを着ており、その体には何らかの意味合いがあるのだろう……血で描かれた様なラインが幾本か見て取れた。

 美しかったであろう黒髪を、細めのドレッドヘアにして纏め上げ、振り向いたその顔には、薄い黒紫で口紅が引かれていた。



【吸血鬼の呪詛術士(じゅそじゅつし)】



 それが、このカードの名前である。










『吸血鬼の呪詛術士』

 2マナで、黒のクリーチャー 2/1

 戦闘面で有利になるメリットを一つ保持し、それとは別に、これ自身を生贄に捧げる事で、特定の条件や制約を無効化する能力を有している。










 暗黒の魔女、というフレーズが良く似合いそうなこの女性は、その容姿が先に召喚した【霊体の先達】よりも、別の意味で凶悪だ。

 ボンテージドレスが体にピッタリと貼りついており、脚部のスリットから覗く太股と、その膨よかな異性の特徴を強調している。



(わぁ……外人サイズやぁ……)



 吸い付くような肌の質感が―――触ってはいないが―――よりそれらを際立たせていた。

 何と言うか……露骨にエロい。

 特にその胸元。谷間に空いた握り拳程のその穴は、一体何の為に空いているというのだ。

 デザインか? デザインなのか? MTG界ではファッションだとでも言うのか? ……作った人、グッジョブ。

 ……喫茶……って柄じゃないから……キャバクラ『ぎゃざガール』とかいずれ出店して……ゲフンゲフン……。

 神奈子さんといい、永琳さんといい、グラマラス超美人達と生対面する機会が頻繁にあるのは、男冥利に尽きる。

 しかし、そんな俺の煩悩など、見知った良くある出来事だと言わんばかりに、【吸血鬼の呪詛術士】は妖艶に微笑した。

『しょうがない坊やね』と幻聴とか念話が聞こえてきそうな表情に魂を抜かれ掛かるが、何とか我に返って要望を聞いてもらう事にする。



「すいません、あの……出て来てもらったばかりで申し訳ないんですが……この大地に例の能力を使ってもらえませんか……?」



 彼女単体でも、大和の国で相手をしていた雑多な低級妖怪なら楽勝の戦力なのだが、今回呼び出したのは、下で埋まっている存在を掘り起こす為だ。

 具体的な名前は分からないが、こっちは念話という、言葉のみならずイメージすら伝えられる術を持っている。

 あれ、とか、それ、と言うだけで、伝えたい内容がダイレクトに届くのは、とても便利だと実感出来た。

 状況が状況だけに、あんまりうかうかしてもいられないのだが、どうも目のやり場に困って意識がバラ色に……と羞恥心が働くのは、しょーがないと思いたい。

 ただ、そんな色気を醸し出しているお方は、俺の葛藤など何処吹く風。

 微笑みながらこちらへとその手を伸ばし、俺の頬へと優しく手を添えた。

 タイトルを付けるなら『あら、可愛い子ね』な感じだろうか。

 いきなり何するんだとも思ったが、その優しい……悪寒を伴う楽しそうな表情に気圧されて、全く動く事が出来ず。

 スッ、と。彼女の指は、俺の頬へと薄い切り傷を作った。

 じんわりと浮かび上がる血液。

 あれ、何か分かんないけどこれって俺ピンチ? とも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。

 ゆっくりと彼女の顔が迫ってきて、そして……。



「―――っ!?」



 舐められた。

 唖然としながら、頬へと自分の手を伸ばす。

 一瞬だけだったが、それでも頬に残る暖かさと粘液は残っている。

 そういや前に、大和の国で似たようなシチュエーションを見た事があるな、とフラッシュバックした思考を慌てて掻き消しながら、どういう状況になったのかを考え直そうとして、



(……あ、彼女の【タイプ】って、カード名にもある名の通り、吸血鬼だったか……)



 何となく、彼女がこの行動に及んだのかが分かってしまった。

 満足気に舐め取った血液を舌で唇に塗り付けるかのように、ペロリと一周させる。

 堪らない色気と、ゾクリとするような寒気を同時に感じ取りながら、俺は今、どのような表情を浮かべているのだろうかと、漠然と思った。



「あ、あの……それに一体何の意味……が……?」



 確か能力の起動には、血液を必要とするコストは含まれていなかった。

 東方世界で能力を発揮するにはそのような行為が必要なのかと思いながら尋ねてみると、

 ―――『気分』。

 とても完結で……実に楽しげな感情が、念話と共に伝わって来た。



(き、気分っすか……そうッスよね、吸血鬼ですもんね。トマトジュースと血液大好きはデフォですもんね)



 ……って、ちょっと待て。

 何故俺は傷ついている。

 今俺は【ダークスティール】化している筈だ。

 時間も、まだ半日すら経過していない。効果は切れていない……筈なのに。



「ギャグよ」



 あぁ、そっか。それなら納得だ。

 あのコメディパートなら何でもかんでも許される……ん?



「おいこら! お前喋れんのか!?」



 疑問と理不尽の混ざり合った突っ込みを入れるものの、満足したのか、彼女は目を閉じ、楽しみで胸がいっぱいだと言うような表情を浮かべながら、風に吹かれて、光となって足元―――氷の大地へと溶けていった

 ……何でもありだなコンチクショウ。

 ふざけてやるのか真面目にやるのかはっきりしてほしいですよ、全くもう……。



 ……いい感じに振り回されてしまったが、けれど、それに若干の心地良さを感じながら、再び意識を目の前の事へと集中させた。






 ―――ま。

 何はともあれ、気を抜ける時間はこれで終わりだ。

 後は何処までいっても犯罪者と月の軍隊との、正義と悪との討論があるのみ。無論、言葉の入る余地は……既に、無い。

 予想外ではあったけど、良い気分転換をさせてもらった。

 ジェイスを守ることと、自分の命を守ることと。

 一つの事でもいっぱいいっぱいどころか持て余してしまう自分では、その責任に……正直、ついさっきまで押し潰されそうになっていた。

 テンション上げて何とか押し切ってしまえと思っていたが、いやはや、どうしてこう……呼び出すカードの方々は、俺に良くしてくれるのだろう。



(ここまで大勢の思ってくれる人達が居るってのは……まぁ、何だ……恥ずか……嬉しいねぇ)




 照れ隠しをしてみるものの、どうせ誰にも分からないだろ、と、素直に心中を洩らす。

 ツンデレツンデレ。わっはっは。

 そう、おちゃらけながら、軽く短く、鼻から息を吐く。

 丁度、【吸血鬼の呪詛術士】の効果も終わったのか、彼女は完全にその姿を消していた。

 そうして、光が地面へと吸収されていってから、数拍の間。



 世界は―――変貌する。



「―――」



 言葉が無い。

 それどころか、呼吸をする事すら忘れそうになった。

 それほどまでに、この光景は圧倒的で……。

 今までの人生の中で、これ程までに心震える出来事は無かった。



 ひび割れ、亀裂の入った氷河から、その存在が姿を現す。

 絶対零度の狭間から、一つ、また一つと、腕を、体を浮上させ、その全貌の一部を見せ付ける。

 灰色がかった黒い躯体。

 巨大な体に見合うその牙は、俺一人よりもさらに大きく、口を開けば海のギャングと呼ばれるシャチや、陸上で最大の巨漢を誇る象ですらも、丸呑みに出来そうな程。

 畏怖すら感じるその体から生えている触手―――と言えばいいのだろうか―――は、硬質な茨や鉄条網を無作為に植林した様な、もはや『あれだけには触れてはいけない』とすら催す程の禍々しさを漂わせている。

 目と呼ばれるであろうそれは、過去に召喚した【死の門の悪魔】と同等か、それ以上の数があるかもしれない。

 ただし、あちらが濡れるような血のような色だったのに対し、こちらは幾千光年の先から届く星々の光のような……鈍く輝く、底冷えのするような“寒”の色彩だ。

 どの様な地球上の生命体とも比較は難しいが、あえて強引に例えるとするのなら……大樹と―――蛸と―――鯨の頭を持った化け物……と、言えるのかもしれない。



 全長、ゆうに数百メートルは達しているであろう、見る者の、魂を押し潰す、その存在。

 今ここに。

 この東方プロジェクトの世界に、MTG界をおいても最高クラスの攻守を備えた存在―――【マリット・レイジ】が息を吹き返した。










『マリット・レイジ』

 黒の、【レジェンド】クリーチャー【トークン】 20/20

【飛行】と、【破壊されない】能力を有する。



【特殊地形】の一種である【暗黒の深部】より生み出された存在。

【トークン】である為、実際のカードとしては存在していなかったが、そのあまりの特有さからか、後にカードとして製造されてしまった代物。

 とある世界の海底で眠りについていたが、氷河期の訪れと共に、そのまま封印に近い形で永眠する羽目になった―――らしい―――という経歴を持つ、うっかりさん。その存在の強大さに惹かれてか、いつの間にか荒ぶる神として祭り上げられていた存在でもある。

 だが、そう呼ばれても当然だと思えるだけの能力を有しており、【ダークスティール】と同様の破壊不可効果を持ち、【飛行】能力を保持し、何より特筆すべき点が、その攻守の高さ。

 20/20という、一瞬目を疑うような数値であり、これと比肩する存在はおらず、僅差である存在も居ない。2位以下を大きく引き離し独走するその力は、圧巻の一言に尽きる。

 一応女性型らしく、“女神”とする存在でもあるようだが、真偽は不明。その余りの力量から、一説には【プレインズウォーカー】である、という者もいる。





『暗黒の深部』

 マナを生み出さない【伝説の土地】と呼ばれる【特殊地形】の一つ。【伝説】故に、場に一枚しか存在する事が出来ない。

 3マナで一つ解除する事の出来る封印を10個持ち、それらを全て取り除いた時点で、この【土地】を生贄に捧げる事で、【マリット・レイジ】【トークン】が召喚される。










「ぉ~……」


 漏らした声は小さく。それはもはや意味を成さない、単なる雑音。

 人間、あまりにショッキングな出来事に遭遇すると、声と言うより、ただの音に近い―――獣のような発音しか出来なくなるらしい。

 あんぐりと口を開けた姿は格好悪いだろうが、今だけは見逃して欲しい気分だ。

 数十メートルも視線の高くなった現状に加え、足元には荒ぶる神と比喩される程のお方が一人……一体? どうカウントすれば良いんだこのお方。

 ゴツゴツとした足に伝わる感触に、背筋がざわめき立つ。

 仮にも神として扱われていた存在を、召喚したからとはいえ足蹴にしている現状は、どう捉えたら良いものか。

 とりあえず謝罪か、挨拶か。

 何はともあれ、まずは意思疎通をやってみましょうかね。



「こ、こんにちはー……」



 問いに対する回答は、一言。『何?』と簡潔に返答を頂きました。

 よ、良かった。一応対話は出来ましたよ。

 思ったより声色が可愛い気がする……。見た目はあれですが。



「えっと……実は……」



 現状の説明を簡単にして、今やって欲しい―――ちょっとやらかして月の軍に追われている事。 ジェイスが瀕死で、彼が回復するまで攻撃を防いで欲しい事の、二点を伝えた。

 その間、彼女―――マリさん(暫定)は終始無言。

 聞いてるんだか聞いてないんだか不安になったが、常に触手がゆっくりとウネウネしているので、意識はちゃんとあるっぽい。

 初めて対面している……対面?

 まぁいい。対面しているお方なだけに、あのウネウネがいつこちらに来てベチン、とか蚊の如く叩き潰されるのではないかとヒヤヒヤしております。

 そうして話し終えてから数秒。

 マリさんは『分かった』と、これまた簡潔に返して下さいました。

 二言しか彼女の意思を聞いていないが、何となく女性特有の暖かさと、さっきまで寝てました、な怠惰を感じさせる感情が流れてくる。

 見た目ゴツいけど、結構愛嬌があるお方なのかもしれない。

 一気に視線の高くなった視界に多少ビビりながら、改めてカードであった彼女の能力を思い返す。

【回避能力】の一つである【飛行】を有し、【ダークスティール】と同等の能力である【破壊不可】を備え、それらの能力が霞んでしまう程のパワーとタフネスを持ったクリーチャー。

 過去に出した最高値は9/9。

 だが今回は、それらを一気に置き去りにして、20/20という、『チート乙』とか付けたくなる数値である。

 おまけ……というか、これが1~2を争う位に重要なのだが、こんなマリさんは【トークン】として召喚される。

 コスト表記がゼロである事と、前に身に付けた『トークンの維持費の減少』スキルの効果によって、全くと言っていいほどに体力を消費していないのだ。

 【土地】や0マナで使用した【薬草の湿布】は除外して、ジェイス3マナと【暴露】4マナ、そして【吸血鬼の呪詛術士】計9マナを消費している計算だが、遠くの地にいる勇丸と、現界し続けているジェイスを含めても、現在の維持費は4マナ相当。

 辛いという感覚はあるが、それでもこれ位なら数時間は余裕で耐えられる。

 召喚による土壌変化の規模が規模だけに、頻繁には使い難いだろうが、もっと早く思いついておくんでしたよ……。

 これを諏訪大戦の時に考え付いていれば、また違った結果が見えてきたのだろうか。

 一瞬、ありもしない未来を想像したけれど、現状の大和の国になんら不満は無いのを思い出して、



(なら、これで良いじゃん)



 そう一言、内心で呟く。

 自分で下した結論に満足しながら、自問自答を完結させた。



 前に【ハルクフラッシュ】で出した30/30の……いや、30/30以上“であった筈”の【屍肉喰らい】はその性能を発揮しなかったものの、あれは【パンプアップ】と呼ばれる増強効果―――ドーピングでの数値であったから、の可能性が高い。

 だって、過去に召喚したカード達は、その数値通りの攻撃力やらを見せ付けてくれていたのだ。

 0/1の【極楽鳥】だって、2/2の勇丸や【霊体の先達】だって、9/9の【死の門の悪魔】や、それ以上であったかもしれない【死の影】だって。

 恐らく【パンプアップ】では上限が決まっているのだろうと思うが、そこを検討する時間は無かった。

 しかし、それでも俺は信じられる。

 この存在が……足元で君臨している世界の強者が、今までのカードとは比較にならない力を持っているという事に。

 鉄壁ディフェンスどころか、虐殺すら可能にしてしまう戦力なのではと思い、『こりゃアカン』と思考を切り替える。

 行動を起こす前に言っておかないと、例え正当防衛であったとしても、やり過ぎたのなら過剰防衛の線でアウトになりかねない。



「マリさんマリさん……ちょっとやり難いとは思うんですけど、あっち側に一人も犠牲者を出さないで欲しいのですが」



 いけますか? と尋ねてみると、『やってみる』と短く返答が来た。

『出来る』と答えてくれなかったのは不安だが、象に、蟻を踏まずに歩いてくれ。と言っているようなものだ。

 肯定的な返事が来ただけでも良しとしておこう。

 ……最悪、とある系統のカード達を使えば、対処出来る問題なのかもしれないのだから。



 視界に広がる、地割れを起こし、その所々から触手が出現しているツンドラ地帯。

 地平線を覆うように点在している戦車やら円盤やらは、まるで最終面に突入した勇者達(数は多いが)を彷彿とさせる光景だ。

 そう、気分はどこぞのRPGのラスボス。ただし、俺が弱点、みたいな。



(剥き出しのクリティカルポイントとか、ボーナスも良いとこだな。何処かに隠れておこうか……)



 ……さて、意図せずラスボスの(弱点の)地位についてしまった訳だが、こちらにばかり意識を向けている訳にもいかない。

 虎の威を借る狐さんの気分になりながら、月の軍を一瞥。



 ―――正直、先程から興奮が収まっていない。

 目を閉じ、大きく息を吸い込んで、腹に力を入れる。

 自分の中で堪りに堪った感情を、言葉に乗せて叫ぶ。

 今にも爆発しそうであった感情は、人生で最大級の大声となって、星の空へと放たれた。



「人が下手に出てりゃあ、付け上がりやがって! 地球人舐めんなよ! 単体戦力最強“候補”の一角、存分に味わうがいい!」



 どうしてこんなに興奮しているのか自分でも明確な答えは出せないが、彼女が氷の大地から出現してから、まるで痙攣のように、いつ弾けても可笑しくないとばかりに全身が脈動していた。

 ジェイスを守る為? 自分が助かりたい? 圧倒的な力を持つ者を従えている事に酔った?

 多分、それらの感情の全てプラス、この月での対応諸々の細々とした何かがミックスされ、合体事故でも起こしたせいだろう。

 でなければ、何が悲しくて歌舞伎の演目を読み上げるような真似をしでかしたのか。

 一体自分がどういう感情で動いているのか、それこそ今の説明不可能な感情に任せるままに。



 俺の切り札その2。

【Hexmage Depths】が、その全貌を現した。










『Hexmage Depths(ヘックスメイジ・デプス)』

 名前はそれぞれのキーカード、【暗黒の深部/Dark Depths】と【呪詛術士/Vampire Hexmage】の一部から流用したもの。

【暗黒の深部】にある封印を、【吸血鬼の呪詛術士】を使用して一気に取り除き、【マリット・レイジ】を召喚し、殴り勝つコンボデッキ。

 MTGではプレイヤーの初期ライフ―――HPは20と設定されており、20/20である【マリット・レイジ】の攻撃が通れば、事実上、一撃で相手を負かす事の出来るギミックであると言える。

 そのキーカードの少なさから、【ハイブリット】デッキと呼ばれる、一つのデッキに複数のギミックを組み込む事が出来る。例えるならば、【ハルクフラッシュ】にもこの【ヘックスメイジ・デプス】は組み込める。が、それを行ってしまうと、大概のデッキは器用貧乏になり易く、中途半端にしか効力を発揮しない場合が多い。

 MTGでは複数の道筋を作っておくよりも、一つの道を強固にする方が勝率が高い為、滅多な事では【ハイブリット】デッキを作ることは無い。しかしこの【ヘックスメイジ・デプス】は数少ない【ハイブリット】デッキの成功例でもある。

 事実上、2しかマナを必要としない為、デッキの構成上、【ハルクフラッシュ】よりは若干劣るものの、その攻撃速度はトップクラスに位置している。

【マリット・レイジ】を対処されてしまうと途端に手詰まりになる為、勝率の安定性はやや欠けている、とも言えるので、それを上手く補えるかどうかが、このデッキを使う者の腕の見せ所である。






  



 ―――【マリット・レイジ】が動き出す。

 まるで世界を磨り潰さんとするかのように、静かに、静かに、ゆっくりと。

 速さなど必要無いと体現するかのように移動するその光景―――自分以外の存在など考慮に値しない、とばかりのその動きは―――まさに神と呼ばれる者に相応しい。

 その様子に何かのスイッチが入ったのか、月の軍はキビキビと、けれど何処か慌てたように動き出した。

 四足歩行戦車の砲身がこちらを捉え、大小の円盤達が、いつでも戦闘に移れるとばかりに、高く飛翔する。

 歩兵の玉兎達は改めて銃口を構え直し、戦隊をしっかりと組んでこちらに一歩踏み出した。



(上等!!)



 俺の意思に呼応するかの如く、【マリット・レイジ】が、その巨大な顔を上げ。口元が開き、そこに真っ白な灯が燈る。

 低音から徐々に高音へと聞こえる音は、まるで何かを……そう、あれは銀河の彼方へ放射能除去装置を取りに行く戦艦の主砲のチャージ音のようだ。

 牙と牙の間から漏れる光は、彼女の頭上にいる俺ですらも視認出来る程に眩いものへと増長して。

 もうこれ以上、高音になり様が無いと判断した時。



「お前らのせいだかんな! 当方、土下座の用意ありぃぃぃー!!」



 恨み辛みと謝罪の言葉。

 同時に放たれた、恐らく対極に位置するであろう言葉は、敵対者の耳へと届く事は無く。



【マリッド・レイジ】の攻撃力、20という数値。

 それを目の当たりにした時。俺は―――










 無機質な、けれど何処か可愛らしい電子音が、控えめにではあるが、辺りに鳴り響く。

 本人の望むものでは無かった―――しかし、姉が薦めたものだから、と、彼女のそれに登録されてから、一度も変更された事は無い、連絡端末。

 そんな不本意なものながら、けれど愛着心のある音が耳を振るわせた時、彼女は1コールが終わろうとする暇も与えずに、その音を拾い上げた。



「私です」



 簡潔で、それでいて有無を言わせぬ気迫の篭った声には、並みの月の民ならば息を呑み、言葉を失っていた事だろう。



「あぁ、至急、郊外の×××の、○○○ポイントまで向かってくれ」



 だがそれに応答するのは、百戦錬磨の月の司令官。

 全く気にした様子も無く、ただ淡々と報告をする。



「そこは―――例の地上人が潜んでいた場所……でしたか……。捕縛の終わった兵達に、激励の一つでもしてやれ、と?」



 少しうんざりするような口調で、彼女―――依姫は答えた。

 だが、これで事態は好転する。

 あの青い者を捉えたのなら、後は如何様にでも言う事を聞かせて、永琳様と姉上の意識を目覚めさせるのだ。

 自分の手で出来なかったのは些か、ちょっと、まぁまぁ、それなりに、そこはかとなく、少しだけ心がささくれ立つが、それも今後の月の為を思えば耐えられない事は無い。

 どんな言葉を掛けよう。

 こういった場面で飛ばす檄とはどういうものだったか。と、頭を捻っていると、



「……いや、違う」



 いつもの司令らしくない、酷く……歯切れの悪い言葉に、依姫は僅かに眉間に皺を寄せた。



「では、何です。まさか事後処理をやれ、とでも仰りたいので? 破壊されない能力だから。と、盛大に大規模火力でも使用したのですか?」



 自分の能力は汎用性が高い。

 戦闘面のみならず、そういった、開墾事業でもその力を―――



「もはや時間が惜しい。綿月依姫。至急指定された場所へ向かえ。―――自身の最大戦力を持って、だ」



 通常の者ならば、ここで疑問の声の一つでも上げているだろう。

 一体何故? どうしてですか? 理由を教えて欲しい。問いかける疑問の声は多々あってもおかしくはない。

 しかし彼女は、月の軍における、単体最高戦力にして、最強存在。

 それも、昨日今日になったのではなく、数千どころか、数万年単位での。

 当然、それに付随するよう、教育は受けてきている。

 ―――特に、ここ数百年からは、あの月の頭脳たる、八意永琳に。



「はっ!!」



 携帯端末から、宝物庫へと連絡を入れる。

 そこには歴々の品々が収められており―――彼女の“本来の”武器である品も、封印されていた。

 強すぎたのだ。依姫は。

 だからこそ自身の力に制約をかけ、鍛錬と称してはそれらを行って来た。

 ―――それを、今、解禁する。

 向かうは転送装置の置かれた部屋。

 そこへと例のものを持って来るよう、宝物庫を管理する者へ指示を出す。

 距離が伸びれば伸びるほどに消費エネルギーの増すその装置は、しかし目的地―――あの青い者がいる場所へならば、そこまで負担にはならない。人一人だけ、となれば、尚更だ。

 ……最も、それでも何の準備もされていない状態からの転送は、消費されるエネルギーは馬鹿にならないものなのだが。



「転送室! 私が向かうまでに、これから送るデータの場所への転送準備を終えておけ! ……何? 民間世帯の一部がエネルギー供給不足になる? 馬鹿者! 優先順位を履き違えるな! 最優先事項だ!」



 事情が伝わっていないとみえる管制室を一喝し、足早に目的の場所へ。

 もはや彼女の思考に、疑問など入り込む余地は無い。

 あるのはただ一つ。目的の完遂のみ。

 カツカツと、ブーツと床の固い音が連続する。

 決して走る事は無いが、時計の針の如く規則正しく響くそれは、自己の心を落ち着かせ、より先鋭な―――研ぎ澄まされてゆく、一振りの刀のようになってゆく。

 能力によって呼び出す神々を厳選しながら、彼女は細々とした装備品を転送室へと持って来るよう、端末を使い、武器庫を管理する者に要請した。

 誓うは必勝。

 運命を操り、数百年規模で動乱の中世ヨーロッパを生き抜いてきた吸血鬼レミリア・スカーレットをはじめ、その従者である―――時を止め、加速させ、それに付随して空間の膨縮も可能な、超絶的な異能を持つ、十六夜咲夜。

 数百年後の話ではあるが、この両名を片手間で完封してしまえるだけの実力を有する存在だ。

 それが今、たった一人の相手に対して全力を振るう。

 粛々と、長い通路を絶対強者が進む。……ギシリ、ギシリと。床や壁、天井のみならず、建物全体が軋みを上げ。

 彼女が通った空間には、並々ならぬ闘気が漂っていた。










 だから。





「……お前が……」





 覚悟はしていた。

 自分が最大戦力であたる事態になったという事は、それまで任についていた者達が、行動不能になっているからだと。

 色々な理由が考えられたが、戦力を期待されての召喚だ。悪い方の予想は良く当たる。

 なればこそ、この光景は当然の範囲内であり―――決して許容出来る展開では無かった。



 転送された先。

 見渡す限り砂と岩と星空であった筈の光景は、所々に変化が見られた。

 煌々と照らし出される、拉げた鉄屑の数々。

 凍った湖でもあったのだろうかと思われる、粉々になった氷塊の群れ。

 各所に見られる巨大な大穴と、同じく散り散りに点在している、心が折れ、あるいは、もはや戦力として換算出来ぬ、何の装備も持っていない兵達。

 そして、膨大な範囲に渡って続く、真っ赤に溶解した溶岩の川。

 それがまるで、敵と味方の線引きの為に造られたかのように、その存在を主張していた。



 まごう事なき敗北。

 撤退していく兵達が、視界を通り過ぎていく。

 依姫の事が視界に入らないとばかりに、無言か、あるいは敗走している、といった表現が適切であってしまう姿で。

 その屈辱をくれたであろう人物が見受けられないが、代わりに、この事態を引き起こしたと思われる怪物ならば、一目で分かった。

 ―――山。そうだ。あれは、地上でよく見られる、山と呼ばれるものだ。

 色と大きさこそ違えど、巨大な姿に禍々しい茨の木々が生えているそれは、彼女が何度か地上の資料で目にしているものに酷似していた。



「お前がやったのか……」



 零れるように呟かれた言葉など、この悲鳴と怒号の飛び交う戦場では、相手に届く事など無い。

 殆どの者が、同僚であり、顔馴染みであり、家族のようなものだ。

 ここは軍で、鉄の規則があるとはいえ、ここまで散々たる結果に何も感じないなどありえない。

 苛立ちや不満、煩わしさは何度も経験し、抑制する術を心得ているが……。



「―――許さん!!」



 感情が燃え上がる現象―――怒りに対しては、全くといっていいほどに、耐性が無く。



「愛宕(あたご)の神よ、その神域たらしめる所以の灯火を、ここに再現し給え」



 ともすれば、味方すら巻き込みかねないものを呼び寄せた。

 地球の内部温度に匹敵―――あるいはそれ以上になるかもしれない超高音度の炎が、依姫の体を包む様に燃え上がる。

 途端、彼女の足元が、赤く……否、白く色付いて来た。

 あまりの温度に耐え切れず、地面が融解をし始めてたのである。

 火の本質は、創造と破壊。

 その後者を遺憾なく発揮する為に、彼女は腰に据えてある、一振りの刀へと集約させる。



 山が、こちらに顔を向けた。



 口……だと思われる隙間から、青白い光が漏れ、それが強まっていくのが分かる。

 この惨状を造りだした者が、今、こちらを見据えている。

 どうやら、こちらを排除の対象だと認識したようだ。



(上等だ!!) 



 奇しくも敵対者と同じ思考を有する事になった彼女には、もはや目の前の相手しか見えていない。



 ―――抜刀。



 渾身の力と技術を以って振りぬかれた刀身から、白熱した炎が放たれる。

 赤白い道を造りながら飛来するそれは、まるで太陽が道を敷いているかのような光景であった。





[26038] 第29話 Hexmage Depths《中編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/01 17:42






 轟音。

 世界を震わす音に、この光景を遠巻きに見守っている―――月の軍部―――の誰もが息を呑み、誰とも知れない、無名の神へと祈る。

 終わって。救って。助けて。

 安堵を得たい者達の声は、方向性は同一であっても、目的地が明確に決まってはいなかった。

 それはそうだ。

 有史以来、これ程の脅威を振り撒く相手を見た事がないのだから。それを鎮める為には、さて、誰に祈れば、この願いを聞き届けてくれるのだろう。

 だからこそ、無名の神―――存在しない、今し方作り上げたであろう、妄想の中でのみ息づく神へと、その祈りを捧げた。



 赤、白、黄色。

 童歌のように夜空を照らす花火達は、その一つ一つがとても大きく、輝かしく、綺麗で。

 ―――何より、考えられないほどの破壊力を伴っていた。










 威嚇として【マリット・レイジ】から発射された光線が、こちらとあちらの、丁度中間程を、一閃。

 みるみる赤く、続いて白くなっていく大地が時間差で爆発炎上し、そこにマグマの川を作り上げた。幅数十メートルの、全長2~3キロはあろうかという、大運河に届きそうな規模で。

 天空の城なんちゃらで見た、ロボット兵が要塞を破壊していく様を思い出す。

 最も、あれの数倍から数十倍の規模ではあったけれど。

 その直後に、相手側の大地が光ったと思ったら、攻撃が一斉にマリさんの体を覆うように飛来。

 轟音、爆音、メギドラオン。

 銃弾の豪雨にさられた時、俺は辛うじてマリさんから伸ばされた触手にしがみ付き、吹き飛ばされるのを防いだ。

 しかし流石マリさんというか、避けるどころか迎撃する素振りすら見せずに、淡々と触手や光線での攻撃で相手の戦力を削っていくのは、ワンサイドゲームどころかライン工場のバイトでもしている気分にさせてくれる。

 元々のタフネスに加えて破壊不可の効果まで伴っているのだから、当然といえば当然の姿勢だろうが、こうも一方的な光景を……



(あ、また一機)



 戦車が切断レーザーみたいなものを受けて、一瞬にしてバラバラ分解な行動不能状態に陥った。

 先程の極太ビームでないのは、やはり爆発してしまったら人命に関わるから、なのだろう。

 慌てて脱出している、五体満足の兵隊さん達を見るに、マリさんは俺の言う事を実践してくれているようだ。



(あれ幾らするんだろうなぁ。自衛隊が持ってた戦車って一台十億位だし……)



 あれは純国産価格だったからなのかな。

 海外からある程度の部品を輸入すれば……。

 ま、もういいや。

 何はともあれ、これでジェイスが回復するまでの時間は稼げるだろう。

 こんな事態になっているんだ。今更戦車の一台や千台程度……。

 マリさんが直立する俺に考慮して、体を固定させる為に撒きつけられた、比較的ドゲドゲの少ない触手を握り締めながら、事の成り行きを見守りつつ……数刻。

 ものの見事に、視界内で脅威になる対象が沈黙なされました。



「流石マリさんだ! そこに痺れる憧れるぅ!」



 一度言ってみたかったんだよね、この手の台詞。

『ん』と一言。

 簡単ではあるが、そのたった一言から、『どんなもんだい』と、満足気に返答しているのだと気づいてしまえる音調だった。

 な、なんか可愛いかもしれん。

 一人で胸がときめき掛けていると、触手の一本をこちらの顔の前に持ってきて、それをピンと垂直に伸ばす。



(……? ……あぁ、これ“グッ”って親指立てるあれのつもりなのかな)



 MTGでは、その手のコミュニケーション方法は既にあるものなんだろうか。

 こちらも負けじと親指を立ててみれば、答えてくれたのが嬉しいのか、彼女から『♪』と、言葉にならない楽しげな気持ちが、こちらに伝わって来た。



「あ……(きゅん)」



 俺よ、さっきの言葉は訂正するぜ……。

 可愛いかもしれない、じゃない。マジ可愛いわ! 見た目なんて些細なものなんだZE!

 思わず足元にいるマリさんへ頬擦りでもキメようかとしゃがみ込もうとした時、彼女の口から、また例の光線が出る前兆を感じ取る。

 確か敵は全滅した筈だが、また残っていたのか、と目を凝らしながら前を見てみると、



(……あれって……依姫……か……?)



 星の光と燃え盛る炎に照らし出されて浮かび上がるのは、薄紫の髪を持つ者の姿。

 それが、周りの光源など必要ないと主張するかのように、その輪郭をハッキリと浮かび上がらせて来ていた。

 一体いつ現れたのだと疑問に思うが、それに思考を裂く間も無く、おぼろげに、彼女の腰辺りへと光が集まり―――



「げぇ!?」



 光が走る。

 炎ではない。もはや粒子の激流とでも呼ぶべき白い何かが、こちらに迫って来る。

 効果は薄いと分かっているのに、それらを防ごうと、思わず両手を前に突き出した。



 世界が白く染まる。

 刹那の時間も与えず、俺も、【マリット・レイジ】も、全くの無抵抗のままに、その奔流に飲み込まれた。









 

 何撃目になるだろうか。

 幾度となく打ち込んだ攻撃に、相手はその体を地面から放すことすらしない。

 ……いや、そも、あれは防御と呼べるだけの行動を起こしただろうか。

 無造作に、まるで群がって来る羽虫を追い払うかのような、緩慢な動き。

 最も、それが特殊装甲を用いた兵器を容易く圧壊させ、大地を粉々に吹き飛ばしてしまうのだから、何とも手に負えない。

 他の者では難しいかもしれないが、私にとっては、行為自体は眼を瞑っていてもかわせる程に遅い。

 しかし、その数が多いのだ。

 巨大な触手は言わずもがな、細めのものですら、掠っただけで体の一部どころか、五体がバラバラになり兼ねない脅威を振り撒いている。

 かわして、かわして、かわして。

 時折は刀身で受け流しながら、様々な攻撃を当てていった。

 灼熱の炎。万雷の閃光。白銀の吹雪。超威力を伴った物理的抜刀。

 場所が場所だけに大気系の事象は扱えないが、先に行った攻撃の、そのどれもが、全く効かない。

 そう、全くだ。

 少しは動きが鈍る位のダメージを与えていても―――いや、そもそもこの攻撃は、どれもが神域と呼ばれる者達から借り受けた現象だ。肉体どころか、魂までにすらダメージを与えていても不思議ではないもの。

 では、そんな猛攻を、何のことも無く耐えている、この存在は何だろうか。

 月の民がこの地に根付いて、優に数億年。

 まだ青き地上が一つの大陸であった時ですら、この様な化け物は居なかった。

 故に、自然と思考がそこへと辿り着く。



(……あれが、学者達の考慮していた“外なる者”の可能性の一端か)



 宇宙は広大だ。

 それこそ、月の科学力を以ってしても、殆ど解明出来ない程に。

 だから、夢という名の可能性を見る。

 あの果てには何があるのか。その先にはどんな事が待ち構えているのか。

 そして、それらの中に必ずある、『自分達が認知する以外に、全く知らない知的生命体がいるのではないか』という、よくある想像。

 得てして、月の科学力を以ってしても対処出来ない、超高度な技術力を持っていたり、星々など瞬きをする間に破壊されられる力を持っていたり、と、際限が無い。

 自分達の思考の外……理解不可能な存在に、何らかの夢を見出す。

 やれ浪漫だ妄想だと騒ぎ立てる者も居たが、私は否定もしなければ肯定もしない、半信半疑な感心しかなかった。

 そんな事を考えているのなら、少しでも何かの形で永琳様の教えを吸収し、月を繁栄させる方が良かったものだから、もっと学者達の話や論文は真剣に目を通しておくのだったと、後悔……とまではいかないが、少し、残念に思う。

 最も、その可能性という名の夢が、実のところ脅威や絶望に近かった、という現状は、とても皮肉が効いているものだと痛感する。

 軍も壊滅。私自身の攻撃も、全く意に介した様子が無いのだ。

 これでは苦笑どころか、笑い話にもなりはしない。



 ならば。



(あまり懇意では無いのだがな……)



 その思いを打ち払うかのように、私は能力を使う。

 様々な八百万の神を呼び出し、力を借り受け、行使した。

 しかし、それでも届かない相手となると、“そちら”の方へと手を伸ばさなければならない。

 ともすれば自壊、あるいは自身を供物として捧げてしまうか、体を奪取され兼ねないが、現状では致し方ない。

 そうでなければ、あれには届かない。

 届かないとなれば、永琳様は救えず、姉は一生目覚める事は無い。

 それだけは、自分が自分である限り、何があっても許せるものではなかった。



「……―――ダよ、我が声が聞こえたれば、その威光を、この場に示せ。眼前の脅威を打ち払う力となれ」



 心の中で、絆とでも呼べるような感覚が、遠くの何かと繋がっていくのを感じる。

 この様子では、どうやら成功したようだ。

 体に、今までにないモノが宿っていくのが分かる。



 今まで降ろした神々が、霞んで見えてしまう。

 愉快だ。

 くつくつとした、腹の底から来る笑いが止まらない。

 これは凄い。これは素晴らしい。これは最高……ダ。



 ―――だからこそ、……を……シてしマう前に、早ク……

 













 瞼を閉じても、閃光が目を焼く。

 それほど眩い光の攻撃は、それに見合うだけの威力を発揮していた。

 大地を掠れば溶解し、空間を通過すれば僅かに存在する空気が四散し、直撃すれば、まさに月の軍最強の名に恥じない、馬鹿げた現象を引き起こす。

 爆音。衝撃。熱風に、何かが炭化、あるいは炎上したような臭い。

 それら全てを同時に感じながら、雷鳴轟く天候に怯えた犬のように、ただただ事が終わるのを祈り、身を震わせているしかなかった。

 何せ今の俺は、壊れないだけの、ただの人間なのだから。



「マリさーん!?」



 何かの攻撃が、俺の体を舐め回すように、すり抜けていった。

 熱風なのか爆音なのか、はたまた猛吹雪か雷か。

 どのような攻撃をされても、普通ならば即死コースである事は間違いないのだが、今の俺には【ダークスティール】の加護がある。純粋な破壊ダメージは、完全にシャットアウトしていた。

 ……けれど、だからといって俺の心までは強化されてはいない。

 何かとてつもない音が響く度に、『わー』だの『きゃー』だのと、情けなさMAXな悲鳴を上げていた。

 すると、そんな俺の願いが届いたのか、マリさんが『何?』と、これまた簡潔にお返答して頂く事が出来ました。



「今っ! 何がっ! どうなってるんですかー!?」



 大回転をきめているジェットコースターで、隣の人にモノを尋ねるかの如く、問い掛ける。

『えっと……』そう答える彼女は、今までの問答と一緒で、簡潔だった。



「何々……ふむふむ……『攻撃されてる』と……な、なるほど……」



 大変良く分かりました。

 分かりすぎて、その過程にあるものが、色々と置き去りになってしまったけれど。



(―――分かんねぇよ! いや、分かったけど、分かんねぇよ!)



 周囲に轟く爆音のせいで、アゲアゲなテンションとの相乗効果で、内心の声ですら大音量だ。

 対して、足元のお方は、実にマイペース。

 どうやって倒そうかなぁ、怪我させずに。といった思考が、ちょろちょろ漏れてこちらに伝わってくるのは、ダメージらしいダメージを、何一つとして負っていないせいだろうか。



 依姫の能力は、神の依り代となり、その力を借り受けるもの。

 本来ならそれは、まさに神にも等しい存在となって、絶対的なものとして君臨するだろう。

 燃え上がる炎も、降り注ぐ落雷も、吹き付ける吹雪も、地面が捲れるほどの威力を伴った抜刀も、そのどれもが通常の生物であれば必殺であり即死。決して逃れられぬ、運命と呼べるものにまで昇華していたであろう筈のもの。

 その全てが、小春の風が体を通り過ぎているだけ、のような状態だったのだから、一体何に対して脅威を感じればいいのやら。なんて考えなのかもしれない。



(……ん?)



 ちょっとは手加減してやれよ、的な完全上から目線で考え事をしていると、連続攻撃を仕掛けて来ていた依姫の動きが止まっていた。

 それに気づいたのは、あの烈火の如き猛攻が止んでいた事もそうだが、何より、彼女の体から、光り輝く赤黄金の羽が生えていたからだ。



「……何、あれ」



 炎の羽とか、もこたんINしたぉ! とでも言うつもりなのか。

 大方、不死鳥は攻撃力など無さそうだから、八咫鳥でも呼び出したのだろうと思うのだが、それよりも上位の神々の力を行使しても、傷一つ負わせられなかった相手に、一体何をどうしようというのだろう。……八咫鳥って神の部類だったかな……。

 聡明である筈の彼女が、酔狂でそんな真似をするとは思えないから、何か奇抜な策でも思いついたのかもしれない、と、警戒しながら様子を伺う。

 すると、刀を鞘に収め、無手となった依姫は、一直線にこちらとの距離を詰めてきた。

 炎の羽を生やして、滑るように接近してくるゴットバードアタック(仮)を打ち据える為、マリさんがその触手の一本―――取り分け大きめなヤツを振り下ろす。

 巨大な樹木でも倒れてきている事を連想させるその攻撃は、一撃で、月の大地に大穴を空けてしまえるものだ

 ……明らかにミンチコースだよな(汗



「マリさん! 手加減! 手加減大事アルヨ!!」



 弱めだが必殺の威力を持つそれに、多少なりとも手心を加えて貰うべく、助言する。

 まぁそれを言うならガチり始めた序盤から言えと思うのだが、状況がいきなりのドッカンバッコン擬音満載な展開だっただけに、あの時は無理だったと弁解しておきたい。

 それに、どうせ今まで通りに避けるか往なすかして対処するのだ。

 今更過ぎるやり取りが眼に見えているとはいえ、俺には口を出す事しか出来ないのだから、これ位のお小言は……



「『あれ?』」



 ……仕方ない、と言葉は続かなかった。

 俺と彼女の声がハモる。

 正確には、俺の声とマリさんの心の声なんだが、それは今はどうでもいい。

 同時に上げた疑問の声は、依姫の起こした行動によって、発せられたものだ。

 だってそうだろう。



 今までは全くの―――児戯に等しく相手をしていただけだった者が、手加減をしているとはいえ、【マリット・レイジ】の一撃を受け止めたのだから。



 避けるでもなく、往なすでもなく。

 真正面から、両の手を頭上へと突き出し、その必殺を受け止めた。



(……もこたんって実は超強い……?)



 いやいや、あれは妹紅じゃない。似ているのは火の羽だけだ。

 普通を装いながら思考した結果、俺は結構テンパっているらしいという、全く見当違いな結論に達する。

 しかし、何故今になって、このような有効そうな戦法を披露したのか。

 よくある戦隊ヒーローものの、必殺技は最後に取っておく感覚で戦っていたのかもしれない、と当たりを付けてみるが、この光景を裏付ける理由にはならない。

 ……だとするなら、制限付きの能力だと考えるのが妥当か。

 制限時間があったのか、使用条件をクリアしたのか。それとも、使った時点で、あるいは、使えば使うほどに何かしらのデメリットが発生するものだと予想する。



(一体何の神だ。【マリット・レイジ】の……攻撃力20の一撃を防ぐなんて、例え手を抜いていたからだとしても、そうそう出来るもんじゃない筈だぞ……)



 怪力で名の知れた神といえば、天照が引き篭もっていた岩戸を開けて、中に居た彼女を引きずり出したとされる、天手力男神(アメノタヂカラオ)しか思い浮かばないが、あれは決して背中に火の羽なぞ生やすような神ではなかった筈だ。

 では一体何なのだと問われれば、不明、としか答えようが無く、現状では全く役に立たない自分だと情けなくなるが、それでもこの場の有利性は変わらない。



「って、嘘……」



 ……訂正しよう。

 変わらない……から、変わってしまった、へ。

 グラリと、自分の体が揺れたのが分かる。

 今までに無い、自分の立っていた地面が動いていく感覚は、その実感が間違いではないと示すように、まざまざと現実を見せ付けていた。



 ―――依姫が、受け止めた触手を引っ張っていた。



 足は地面へとめり込み、その手は破壊不可である【マリット・レイジ】の触手を握り潰さんとばかりに、しっかり掴まれている。

 こちらの体が、地震を体験している時のようにユラユラと不安定なのは、この数百どころか千の位まであろうt級の巨体が、引き摺られているからに他ならない。

 しかも、マリさんはただ大地へと立っていたのではない。

 亀裂やら何やらで色々と破壊されてはいたが、体の幾許かを、氷の大地へと埋もれさせていた。

 木が大地へ根を張っていたようなものだろう。

 それを、動かしている。

 どれだけ途方も無い力が働いているのか不明だが、その怪力は疑いようも無い。

 何の神様ならばこの様な事態を引き起こせるのか首を傾げるばかりだけれど、それに答えてくれる者は、俺の周りには居なかった。

 だが、そんな思考に耽っている間にも、ズルリズルリと、【マリット・レイジ】の巨体は引き抜かれようとしている。



「あ……。マリさん、今なら依姫……今引っ張ってるゴットバードな彼女を捕獲出来るんじゃない?」



 何もせず、唖然としているのは拙い。

 いい様に混乱状態へ陥ってしまったが、よく考えてみれば、引っ張られているだけであって、何かしら致命的な攻撃を受けた、あるいは、有効打を見舞われた訳ではない。

 だから何かしら大きな変化が起きる前に、と、思って捕獲案を進めてみたのだが……どうやら遅かったようだ。

『浮く』と。彼女から唐突に、それでいてこれ以上無い位に、はっきりと分かる言葉を言われて。



「へ?」



 臓腑が浮き上がる感覚がする。

 そも月面だから重力が低いのは当たり前なのだが、それを差し引いても、足の裏に全く重さを感じない。

 それら刺激と【マリット・レイジ】から聞かされた言葉を照らし合わせて出した結論は、文字通り、俺“達”が浮いている事に他ならなかった。



「なんとー!?」



 フィッシュ。マグロの一本釣り。

 そんな言葉が頭を過ぎった。

『お~』なんて、まるで他人事のように漏らすマリさんに突っ込みを入れたい気持ちが湧き上がったが、今はそれよりも他にすべき事があるだろう、と考えを改める。

 流石に、こうを描いて、とはではいかないが、波によって陸に打ち上げられた鯨の様に、その巨体のほぼ全貌を晒す事になった【マリット・レイジ】。

 見える範囲では、その末尾すら確認することは出来ないほどに巨大な体。

『これって全長kmいってるんじゃ……』と思うが、だとするなら、これを釣り上げた依姫の力がますます理解不能な恐ろしさとなり、俺の心に襲い掛かり、それを打ち払ってくれる筈だと祈りながら、何とかマリさんにお願いしてみる。

 具体的には、手加減数値の減少という案で。



「マリさん、少ずつ、手加減を止めていってみて下さい」



 手加減ってのは、余裕のある時にやるもんだ。

 現状がそれに当てはまるかと問われれば、首を傾げざるを得ない。

 俺の言葉に肯定する意識が返ってきて、それに合わせて、引っ張られているやつ以外の触手が、依姫に殺到する。

 ゆうに二桁に達している、一撃必殺達が、彼女のみならず、その周囲全てを圧壊させる勢いで迫る。それも、先程よりも、明らかに速く。

 ちょっと不安な攻撃方法だが、きっと依姫なら何とかしてくれる、と、他人任せの信頼を実感しながら、結果を見守った。



 そして、大地震が発生したような地響きが起こる。

 一本の上からまた一本。それでも足りないと、さらに数本。

 巨大なビルが倒壊していく様を思い起こさせる。

 線で面を埋めるかの如く浴びせられる触手の攻撃に、殺してしまったかという気持ちと、これでもダメだったら、という気持ちの二種類の不安と、ほんの少しの安心感が入り混じる。

 これなら多少なりともダメージは与えただろうから、大人しくなるだろう。

 沈黙が続く月の大地をざっと一望し、安堵の溜め息をつこうとした時。



『まだ』



 たった一言。

 その二文字を聞いただけで、俺の心臓は止まりそうになった。

 幾重にも折り重なった触手が振動する。

 噴火の予兆を示している火山を連想させるこの光景に、思わず息を呑む。

 嫌な予感とは、かくも良く当たるものなのかもしれない。

 火山に例えた表現が正解だと言わんばかりに、重なっていた触手達が噴火と共に吐き出された火山弾にでもなったかのように、“全て”吹き飛んだ。



「おいおいおい! 何だその力! あなたはどこのサイヤ人ですか!?」



 弾け飛ぶマリさんの触手達を視界に入れながら、この世界では誰も分かる筈のないネタを口走る。

 流石の【マリット・レイジ】も、この状況には驚いたのか、無言。

 流れ込む意思すら皆無で、この信じられない展開に、何かしらの思うところでもあるようだ。


 
 眼前に望むは、金色の羽を二対広げる、月の最強。

 対するは、異世界で荒ぶる神とされる、攻守最強候補。

 しばし睨み合う二つの存在と、それを怯えるに伺う、一人の傍観者。

 唯でさえ極寒の世界だというのに、それをなお上回っていくかの如き冷たさを現しながら、空間が軋みを上げいく。



 そのまま世界が凍り付こうかという刹那―――先に動いたのは、依姫だった。

 突撃列車ばりに土砂や土埃を巻き上げながら距離を詰めて来たのに対し、【マリット・レイジ】も触手を使って迎撃を試みる。

 先程までとは違い、叩き付けられる茨の樹木達を物ともせずに、かわして、往なして、それでもダメならば、弾く。

 あの細身の何処にそんな力があるのか不明だけど、

 これでは拉致が明かない、と、ビーム砲を撃とうとチャージを開始するマリさんだったが、何せ距離が近すぎた。

 発射される前に、完全に懐に入られた。

 ならばと、持ち前の巨体を使って圧し掛かりを敢行するものの、あの異常とも思える力を侮っていたツケを払う事になる。

 巨大な何かを殴り付けたような、重低音。



【マリット・レイジ】が、僅かにではあるが、宙に浮いた。



 さっきのは、単に軽く引っ張られただけだったのに対して、今度は丸ごと、キロメートル単位の図体が上空へと飛ばされた形になった。

 それは鈍く、連続で。

 重い音が、定期的に発生する度、少しずつ、少しずつ。

 俺と【マリット・レイジ】の体を揺らし、上へと持ち上げる。

 一撃一撃が、この巨体を浮き上がらせるパワーを発揮して、格闘ゲームの空中コンボでもされているかのような浮遊感に、焦燥感が募っていく。

 しかし、足元の彼女からは、持ち前の20というタフネスに【破壊されない】能力も相まって、苦悶の声や痛恨の表情といったマイナス感情は一切伝わって来ない。

 ただやはり不満はあるようで、ぼそりと、言葉を漏らす。

『ちょっと……』そのまま言葉を繋げ様とした彼女の言葉は、俺達の頭上に現れた依姫によって、中断させられる事になる。

 抜刀。

 何度も目にした……いや、目に残像として残っていたその攻撃方法は、宙に浮いた俺達の体を、再び大地へと縫い付ける。

 丁度【マリット・レイジ】の頭部―――俺の目の前に打ち付けられた斬撃は、一撃で、地上から切り離された超重量級を、再び下へと叩き落した。



 世界を震わす重低音。

 硬い筈の土と氷塊の地面が、薄氷ででも出来ているかのように、容易くその形を崩す。



「!?」



 しかも、攻撃はそれだけに留まらない。

 俺の首筋に、今にも触れそうになる位置。

【ダークスティール】の円盤が密着しそうな程に近づいており、そこには、日本刀……のような形状をした、化け物が居た。

 中央からパックリと二つに裂けた切れ目から、それはそれは鋭利な乱杭歯が覗いていて、それがガシガシと【ダークスティール】の円盤に突き立てている。

 宛ら、某ゲームに出てくる、ひとくいサーベルを思い起こさせるそれは、今にもこちらを噛み切り殺さんと、ギリギリと耳障りな音を、俺の前から響かせていた。



「何だよこれ……どんな能力使ったらこんな事が出来るってんだ!?」



 目の前に迫った恐怖から、内心を表現した言葉が、意識せずに漏れる。



「マリさん! これ!」



 どうにかしてこの恐怖を取り除こうと、足元にいる人へと懇願する。

 触手で薙いでくれれば、この程度の脅威など、粉々にしてくれる筈だという思いを乗せて。



 ……しかし、彼女は動かない。



「マリ……さん……?」



 金属同時の擦れ合う音に、耳を覆いたくなる。

 だがそれよりも、【マリット・レイジ】が呼び掛けに答えてくれない方が、今は何よりも気掛かりだ。

 さっきまでは、言葉少なくではあるが、それなりに応えてくれていたというのに、今の彼女からは、返答のへの字すらも、反応してくれる様子は無い。

 それに、よくよく周りを見てみれば、あれだけ迎撃や拿捕の為に動いていた触手達が、全て沈黙していた。

 無音の世界を取り戻した月面は、その本来の静寂を、恐怖という形で、隙間に入り込む冷水のように、こちらへ語りかけてくる。



「何だよ……」



 誰も、何も応えてくれない。

 ポツンと一人。星の光の降り注ぐ場所に、取り残されてしまった。

 まさか、【マリット・レイジ】が何かしらのダメージを受けてしまったのかと不安に駆られるが、それを確かめるには、金属音を発している、目の前の脅威を取り払わなくてはならない。



 動かない【マリット・レイジ】。

 ギチギチと不快な音を立てている、円盤と日本刀。

 そして、この要因の一端を担っていたであろう、もう一人の人物は、上空で、未だかつて無い程に巨大な光球を作り出していた。



(はっ……必殺、元気玉で倒そうってか……)



 手詰まり。

 今の状況が示すのは、そういう事。

 残りの手札が無い訳では無いが、それでも、使用出来るマナは無し、カード枚数だって、残り2枚。

 現状を全て打破出来るカードの組み合わせは、今の俺には……無い。

 血の気が失せる。

 急に膝から力が抜けて、絶望の色に顔色が染まっていくのが分かる。

 膝を折るような自体にこそならなかったものの、八方塞の事態に思考が停止しかけてしまう。

 ただ、そんな無力な俺の考えも、【マリット・レイジ】から、僅かに感情が流れ込んで来た事で、回避された。

 乾いた砂に水が染み込むかのように、じんわりと伝わってくる、意思。



「マリさん! 無事だったん『私を……消して……』……だ……って……え?」



 しかし、告げられたそれに答えを返す事は出来ず、疑問で問いに応える形になる。

 先程の攻撃の影響で、深刻な状態になって苦しんでいるのだろうか。

 絶対破壊不可があるとはいえ、彼女が召喚キャンセルを願い出ているというのは、何かしらのダメージを受けてしまったのかもしれない。

 けれど、それならば残りのカードを駆使すれば、再生位は【ピッチスペル】で補える。

 だから、とりあえずは何があったのかを尋ねてみようとするが、ぐぐもっていて正確に聞き取れない。



「マリさん、何処か怪我したのか? だったら再生系の『―――もう』……?」



 またも遮られる、俺の言葉。

 ただ、奇妙な事に、伝わってくる彼女の意思は、複数存在していた。

 一番強い意志は、それこそ文字となって脳内に感じられるのだが、それよりも弱い思いは、微かに感じられるだけの柔らかさ……とでも例えられる感覚で、こちらの耳へと、鼓膜を震わす事無く、届いてきた。



『私を消して』



 ―――『許さない』―――



『今のうちに』



 ―――『脆弱な存在の癖に』―――



『迷惑掛けちゃう』



 ―――『煩わしい』―――



『意識が』



 ―――『何で耐える必要がある?』―――



『もう―――』



 ―――『もう―――』―――

 

 ただそれは。










 ―――もう―――がまン―――デキナイ――― 










 地獄の門の封印が、外れてしまった事を意味していた。





 何故、荒ぶる神などと呼ばれていたのか。

 何故、氷の大地へと沈んでいたのか。

 何故、依姫は【マリット・レイジ】と互角以上に渡り合えたのか。



 ―――体から、急速に熱が奪われる。

 外的な要因―――寒さから、といった感覚ではない。

 熱そのものが、勝手に外へと……否。足元の存在へと流れ込んでいっている。

 それと一緒に、疲労感が一気に俺へと襲い掛かってきた。

 いや……これも、否だ。

 疲労、というよりも、活力とでも言うべき力の源が、強制的に、大概へ排出されてしまっているのだ。

 結果、疲労したのだと認識するに至るが、ギャザの能力を使い、この手の疲労と酷似した症状に慣れた俺にとっては、これらの差はしっかりと分かる。



 熱と活力の二つが、【マリット・レイジ】に奪取されていた。



 それは俺以外にも作用しているようで、何とはなく周りを見回してみれば、赤々と滾っていたマグマの川は、急速に冷え固まり、色褪せていく。

 
 そして、それだけじゃあ、終わらない。

 今の今まで怪異な現象として割り切っていた、化け物と化した日本刀すらも、ただの鉄の棒切れになってしまったのように、力尽きた姿で、カタカタと、僅かに鍔を鳴らすだけの置物へと変わっていた。



(猛烈に寒いし、めっちゃダルい……。影響受けてるものに差があるみたいだけど、ほぼ無差別の広範囲能力……か。【マリット・レイジ】はこんな能力を持ってたのか……)



 彼女は、限界まで我慢をしていたのだと、伝わってくるイメージで感じられた。

 何を我慢していたのかと言えば、攻撃に耐える訳でも、体を動かす事に苦痛を伴っていた訳でもなく、ただ単に、力のセーブ加減を、細心の注意を払って行っていたのだと考えられる。

 故に、広範囲効果のある、この現象を使わずに、光線と触手のみで月の勢力に対処していたのだ、と判断出来る。

 でなければ、手間が掛かる事が苦手そうな彼女が、今の今まで、この能力を使わずにいた事が説明出来ない。



 淡い光。

 目線を下に向ければ、赤く発光している川が流れている。

 ボウと、仄かに輝くそれは、【マリット・レイジ】の体から発せられている何かに他ならない。

 恐らく、今も続けているエネルギードレインの影響で、この様な姿になっているのだろう。

 体中の表面を溶岩が流れている印象を受ける光景に、俺は、ただただ何も出来ずに、寒さと、活力の抜けそうな体を抱き止めている事で精一杯。

 今の【マリット・レイジ】の姿から、某狩りゲーの恐暴竜が、煤けて見えた気がした。

 しかもその幻想は、消え去るどころか、ますます色濃く、現実を侵食し始めて来た。

 呼応して、足元の彼女から、今から行おうとしている出来事が、一体どういうものなのかを、イメージとして感じられた。



 ―――ただそれは、最悪といっても過言ではない事実を、垣間見てしまう事にもなった。

 流れ込んでくる彼女の思念から、これから起こる破壊の規模が、脳裏に映像として、投射される。



(洒落にならん!!)



 これが現実に起こってしまったのなら、真の意味での攻撃力20を、実体験する羽目になる。

 絶対回避の文字を打ち立ててみるものの、一番有効な、そして確実なのは、先に頼まれたとおり、【マリット・レイジ】をカードへと戻す事。

 次点で【ピッチスペル】による対処だが、これは……



(いや、これしかないか)



【マリット・レイジ】は生命線だ。

 我を忘れ、荒ぶる神の名に相応しい存在へとシフトした彼女を止めるのは、最後の手段。

 彼女が居るか居ないかで、自由度の差は明白だ。

 出来得る限り、現界していてもらわねばならない。

 つまり。


(これで本日は打ち止めです、ってな!)



【ピッチスペル】で、カード枚数のストックを全て消費し、能力を行使する。

 此岸の世界に広がる、静かな歌声。

 何処からともなく聞こえてきた音に、カードが発動した事を実感した。

 正真正銘、これで俺の持ち札はゼロ。何が起こっても、俺自身で対処しなければならない、ただの一般人になってしまった。

 気力、体力共に、大幅に落ち込んでいたところでの、この行為だ。

 何とか踏ん張っていた足腰は、完全に力が抜けきってしまい、倒れ込む勢いで、体が崩れ落ちる。

 マリオネットの糸を、急に切断したかのように、だらしなく座り込む羽目になった。

 マナ、カード枚数、共にストック切れ。

 オマケとばかりに、体力まで、すっからかんになりそうだ。

 後何分、この状態を保てるのだろうか。

 若干の焦燥に駆られるものの、彼女から伝わって来た、あの脳裏に再現された光景を思い浮かべて、徒労に終わる可能性が高い、と気分を入れ替えた。



(あ~あ……今度こそは、俺TUEEE出来ると思ったんだけどなぁ……)



 顔を上げることすらも億劫で。

 安堵感も相まって、頭上に居るであろう依姫を、確認する気にもならない。

 ふと、目線を下へと這わして見れば、僅かに動く日本刀が、未だにカタカラと、最後の抵抗とばかりに、刀身を震わせていた。

 対照的に、俺は健在だ、と主張するように浮遊している【ダークスティール】の円盤が、印象に強く残る。

 はは、可愛い奴め。



「……俺、振り落とされて死なないよな……?」



 今までと比較にならない事態を引き起こすであろう存在に、もはや言葉は通じないと知ってはいても、つい愚痴のように、不安の形が零れてしまう。

 地面が、赤く呼応する。

 初めは赤々と流動していた、彼女の表面に流れる川が、白に近い輝きになっていた。

 これはそろそろか、と、色々な方面での衝撃に備えて、深呼吸。

 岩壁にしがみ付くロッククライマー宛らに、俺は彼女の表皮をしっかりと掴む。

 体の熱も、体力も。若干緩くなったものの、順調に【マリット・レイジ】へと奪われている事に苦笑しながら、一応は、使ったカードの効果は現れているのだ、と実感出来る。

『さてどなるかねぇ』なんて他人事のように思いを呟きながら、これから発生する大嵐に備えるべく、力の抜けた指先に、か細く力を込めるのだった。





[26038] 第30話 Hexmage Depths《後編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/01 17:42






 体が、内側から弾け飛びそうになる。

 手足など、もはや感覚は無く、繋がっているのだろうな……という思いのみで動いている状態だ。

 手に持つ刀は、握っているのかどうかさえ分からない。

 一振り腕を動かす度に、体と魂が乖離していく様を実感出来た。



 ―――あぁ、これは。何と素晴らしく、恐ろしいものなのだろうか。



 借り受けたる神の名は、ガルダ。

 普段懇意にしている島国から、西へと進んだ大陸―――インド、といったか―――に君臨している、彼の地の主神よりも強き、神鳥である。

 私の能力は、一部の島国の神々からの拝借を主としているだけであり、という事は、今更、語るまでも無い。

 そこに居る彼らが生まれる以前から、あるいは現在留まっている者達とは既に顔見知りであり、交友も、それなり以上に行ってきた。

 故に、あの共存共栄の根付く島国の神々は、神格を借り受ける際にも、私にとても良くしてくれていた。

 しかし、それ以外の地方は、とんと疎遠だ。

 一箇所に留まって生活していたが故の弊害、とも言えるだろう。

 然るに、その力を借り受けるには、それなりの代償を伴う。

 それは、力の差が開けば開くほどに大きくなり、今回の例で言えば、少し足元を見られたとも思うが、私自身の心を少しずつ、供物として捧げている。

 使えば使うほどに自分が奪われていく、恐ろしいほどの喪失感は、使えば使うほどに高揚していく気分の陰に隠れて、その力の行使に歯止めを掛け難くなっていた。










『神鳥 ガルダ』



 極一部の説には火の鳥、フェニックスの原型とも呼ばれるそれに類似するこの者は、数々の異名を持っていた。

『鳥の王』『赤い翼を持つ者』『水銀のように動く者』など、呼ばれる名称は数多く。

 そして、最もその力を如実に現しているものが、スレーンドラジット―――『インドラを滅ぼす者』だろう。

 主神であるインドラが保持する神器、ヴァジュラの一撃を受けても、全くの無傷であった事から、事実、主神よりも強い存在であった彼は、『インドラの百倍強くあれ』と願われて、生まれてきた者。

 確かにそれは脅威に他ならず、無双の名を関しても、間違いの無い存在だ。

 しかし、本当の力はそこではない。

『インドラより強くあれ』と望まれて生を享けた彼の者は、信仰の果てに変容していた力を、依姫へと貸し与えていた。



 その力とは、『敵対者よりも強くあれ』



【マリット・レイジ】よりも強大な力を持つ事になった依姫は、能力を与えたガルダでさえも経験した事の無いほどの、唯一無二の力となって、遺憾なく効果を発揮する。

 怪物の頭上に乗っている人物がそれを知れば、『お前はどこのアルテミット・ワンだ!』と激昂しそうな能力であったそれは、敵対者を氷の大地から引きずり出し、攻撃を跳ね返し、宙に浮かせ、完全に手玉に取れるまでのレベルになっていた。



 ―――されど、そんな力を発揮し続けられるのか、と問われれば、首を横に振らざるを得ない。



 拳銃が、大砲の弾を撃てるだろうか。

 不可能だ。

 一発だけならば、どうにかなるかもしれない。

 しかし、どんなに弾丸が強力になろうとも、発射し続ける為には、それを支える砲身が無事であり続けなければならないのだから。



 かつて無い力が体の中を暴れまわり、刻々と自壊していく自分の体に、何故未だに形を保てているのかが、不思議な位なのだ。

 肌の所々から、赤黒い斑点模様が浮き出ており、口からは、塩辛い液体が込み上げて来て……歯と歯の隙間から、それが零れ出て、衣服を徐々に染め上げる。

 後一撃。もう一撃。最後の一撃。

 これで終わりにしなければ。

 そう思いながら―――最後の力を振り絞り続けながら行われる、終わりの無い、自傷行為。



 そうしてとうとう訪れた、最大のチャンス。

“相棒”に頼み、少しでも多くの時間を稼げるよう、願いを伝える。

 刹那、雷の煌きの如く、怪物へと飛来していく相棒を見ながら、これからする行為の為に、不安定になった精神を、可能な限り、研ぎ澄ます。

 相手には、外傷らしいものは何一つとして確認出来ない……。愕然とする事実を気力で捻じ伏せて、ガルダの能力を最大限に生かした、神気を極限まで集めた一撃を見舞う為に。

 恒星の誕生を思わせる手応えを感じながら、同時に恐怖する。

 相手が強ければ強いほどに、今の自分は力を増す。

 だとするなら、これほどのエネルギーが自身に集まってきている、この事実が示す事は……。

 内心で、首を振る。

 依姫は、切実に。一縷の望みを掛けて、『これで終われ』と願いを込めた。



 しかし、数十秒で終わるであろう行為が、予想以上に長く感じられる。

 まだか。まだなのか。

 焦る気持ちとは裏腹に、かの者にダメージを与えられる筈の威力には、中々に到達してくれない。

 今までの疲労の色が一気に吹き出してきて、とうとう、体温を保つだけの力すらも失われてしまっているようだ。

 芯から凍えてしまいそうな寒気に、今まで激しい戦闘を行ってきた出来事を重ね合わせて―――ふと、一つの疑問が生まれてきた。

 単純ではあるが、理解に苦しむ出来事。



(……何故、私ハ凍えてイるのダ)



 これもガルダの力を行使しているせいなのかとも考えるが、そんな筈はない、と、即座に否定する。

 ならば……一体……。

 他にも変化が現れている事があるのではないかと、自身の異常を確かめながら、辺りを見回す。

 体力の低下と、寒気の増加。そして自己の喪失が続いているものの、他の何もかもが、変わらずにいる。

 ―――より強大になっていく筈である、頭上に輝く、光の玉ですらも。

 だが、その認識は、改めなければならなくなった。

 逆だったのだ。

 ゆっくりとではあるが、それは段々と縮小していっているのである。

 比例していく様に、怪物が発光していく。

 まるで、こちらから奪った力が、そのままあちらへと流れ込んでいるかのように。



 ―――いや、待て。

 先程までは、生と死の狭間で踊る享楽を味わっていた筈だ。

 それが、一体いつから、冷静に自分の体の変化を察しているのだろうか。



(……何ダトいうノダ、コノ相手ハ)



 活力を奪い、熱を奪い……恐らくではあるが、思考の熱すらも搾取されている、この現状。

 頭が興奮状態から醒めてしまった事で、体に生じていた様々な負荷が、脳へと一気に伝わって、悶絶してもおかしくない感覚を伝えて来る。

 むしろ、高揚が無くなってしまった事で、悪い方向へと意識が傾き始めている。

 先程までの、死へと歩みながら、けれど満たされていく感覚とは程遠い―――何をやっても無駄にしか思えない、絶望という名の道を歩かされている。

 自分の行く道が既に決まっていたかのような感覚に、運命という単語の一端を垣間見た気がした。

 あらゆる物事が陽から陰へと変容していく、希望が絶望へと侵食されてゆく、この現状が指し示す結論とは……

 

(……閉塞サレタ、トイウ……状況……ナノ……da ro u na……)



 崩れゆく心には、もはや、何の思いも抱かない。

 もし次があるのなら、いっそ捕縛や代償の支払いなど考慮せずに、魔神バロールを呼び出してみようか。

 苦笑に染まった考えだったが、そうしておけば、とも思ってしまうのは、今の状況下では、致し方ない事だろう。



 眩い光。

 私が作り上げたかった技が、あの化け物から放たれようとしていた。しかも、私以上の威力で。

 何とも癪なことになってしまったが、それに対してどうこうするだけの、気力も体力も尽きた。

 諦めてなるものか。

 そんな気持ちでさえ、あの化け物へと奪われていってしまっている。

 どうやらアイツは、感情を―――喜びや怒り、希望といった、熱を持った感情を吸収するらしい。

 通りで。

 生きる術の大半を占めていた、あの永琳様を助けなければならない、今のこの時ですら。

 私は、激昂する事も、慟哭する事も、成し得ないでいた。

 口元だけに、僅かな乾いた笑いの形を作る。

 面白い事など一つも無いが、今の私に出来るのは、もはやそれくらいか。

 どうにもならないと分かっていながらも、それでも足掻こうという意思だけは、潰えない。

 吹けば消し飛びそうな位に、意思としての強さは欠落しているのだけれど……。

 こんな状況下においては、むしろそれだけ出来るのならば、及第点を付けても良いだろう。



 閃光が迫る。

 そこに居るだけの存在となってしまった私が、最後に見た光景は、自身の体が暖かい何かに包まれたかのような―――恭しい歌声だった。















【マリット・レイジ】からの凝集光線を浴びせられて、依姫が、天から地上へ落ちてきた。

 今回も口から発射された光線だったのだが、その威力が尋常ならざるもので、斜線上にあった空間が、何だかゆらゆらと陽炎の如く歪んでいらっしゃる。

 思考の伝達から来る映像。

 彼女の記憶では、それは、陸地を丸々一つ、消し飛ばせるだけの力が秘められていた。

『陸地って、どこのよ』とも思うのだが、彼女から伝わって来たイメージから考えるに……。

 多分、佐渡島なら余裕で。四国ならまぁまぁ。北海道なら、チャージの時間次第、ってとこだろうか。もしかしたら、本州丸ごと―――あるいはそれ以上も、いけるのかもしれないけれど。



 今回は、上空に居た依姫に向かって放たれたから良いものの、それでも、破壊の爪跡は残ってしまった。

 クレーター。

 月では良く見られる、隕石がぶつかる事で出現するそれが、まさか“発射した側にも”出来てしまうとは、夢にも思わなかった。

 発射の反動、という奴なのだろう。小型ではあるが、深さ一~二メートル、直径数百メートル範囲の窪地が誕生してしまいました。

 よくあれで依姫が消し飛んでいなかったな、と思うが、その辺は使ったカードの効果が、しっかりと表れていたからだろうと思う。










【恭しきマントラ】

 4マナで、白の【インスタント】カード。

 手札にある白のカード一枚を追放する事でも使用出来る、【ピッチスペル】を備えている。

 全てのクリーチャーは、ターン終了時まで、あなたが選んだ一色に対しての【プロテクション】を得る。










 白のカードである【霊体の先達】を取り除き、このカードを使用した。

 俺が選んだ色は、黒。

 それは【マリット・レイジ】の色であり、故に、【プロテクション】効果の一部である、ダメージを受けない、が現れていたのだ。

 でなければ、幾ら強大な力を持っていようとはいえ、依姫が無傷でいよう筈がない。

 ただ、エネルギードレインの能力は全体効果である為に、個別効果を非対象にする【プロテクション】では完全に防ぐことは出来なかった。と、自身を以って体験した。

 それでも、多少なりともドレイン効果は軽減されていたのだから、“本来のMTGのルールではありえない”という事実から考えると、及第点を通り越して、拍手喝采の領域だ。

 ―――最もそれは、メリット・デメリット共に、判明した……してしまった、という事になるのだが、それらルールブレイカーは、今更感が強い、と考え直し、深く思案するのを放棄した。










 揺れる、揺れる。色々揺れる。

 頭も、体も、心も、視界も。

 そんな震源地から眺める映像には、炎の翼を失った綿月依姫が、月の大地へと叩きつけられようとしていた。

 善悪の立場なく言えば、この騒動の、一端を担った人物。

 俺からしてみれば、敵であったのだから。と、無視する事も出来たが……



(間に合えー)



 ただ今、全力疾走中。

【マリット・レイジ】の上から飛び降りる時には、それなりに勇気が要りましたよ。

 何故かは分からないが、興奮によって気持ちを奮い起こさせる事が出来なかった為、かなりの恐怖が襲って来たのだが、それに打ち勝てたのは、自画自賛しても良いレベルだろう。

 お陰で―――なのだろうか―――内心の掛け声すらも、抑揚が無い。

 生まれて初めての体験に、この状態をどう表現すれば良いものか、言葉を纏める事が出来なかったが、今はそれどころではない。

 過去に使用した【ジャンプ】である程度慣れていたとはいえ、バーサーカーモードの彼女の攻撃範囲内に飛び込んでいったのだから、勇猛なのか蛮勇なのか、一瞬自分自身に尋ねてみたくなった。



 依姫が、地面に無抵抗激突なんぞされた日には、赤や桃色がメインのスプラッター映像が、フルハイビジョンで俺の網膜と脳内に焼きつくのは確実。

 建前は戦死者を出さない為であり、本音は余罪を増やしたくない為。

 荒ぶる神の射程内に躍り出てまで、彼女を助ける為に並べ立てた理由は、そんなところか。



 ―――なんて。

 それらの理由すらも後付けだ。



 ただ単に、『あの人を助けないと』という、反射に近い気持ちに突き動かされて、普段の三割も速度の出ない足取りで、翔け出している。

『誰かを助けるのに理由が要るかい?』

 一度は言ってみたい台詞の一つが現状とマッチするが、生憎と、自身が高揚している時を除いて、その台詞を聞かせる相手がいないのであれば、どんなに適切な状況であっても、虚しいだけである。



 段々と、小豆粒であった依姫影が、本来の、人間大へと膨らんでくる。

 重力の関係か、落下速度はそこまで出ていない事が分かったとはいえ、それでも、無事では済む保障はない。



(牛歩並みの、この速度……あまりの遅さに、俺の中の不満ゲージが爆発しそうデス)



 座右の銘・他力本願、な俺だったのに、余裕のない場面が多すぎだ。いや、むしろその銘だから、この状況なのだろうか。

 不満と憤り。そして、彼女を救わなければ、という気持ちを、腑抜けた足腰に、力として供給する。

 これを乗り越えられたのなら、きっとレベルアップしている―――していてくれ、と願いを込めながら、



「っしゃおらー!!」



 ダイビングキャッチ宜しく、依姫の体を受け止めた。



「重っ!」




 声だけは高らかに、冷め切った内心で、大声を出す。

 何とも不思議な心境の中、頭の中で『1ゲットー(ズザー)』とか叫びながら、土埃を上げながら、二人で大地を削り滑る。

【ダークスティール】化の恩恵で、俺は全く問題ないのだが、依姫には多少、被害が出てしまった。

 頭だけは、何とか地面への接触を避けられたものの、他の箇所は、多少、打ち付けてしまったようだ。

 彼女の体のあちこちに、赤黒い痣が出来てしまっている。

『あれ、落下だけで、こんなに酷い状態になるのか?』と思いながら、姿勢を直しつつ、辺りを見回してみれば、



「……おーい、マリさーん、何処行くんだー……」



 声は届かないと分かっていたので、音量は小さかったが、それでも尋ねずには居られなかった。

 ズゴゴゴ! とか擬音が聞こえてきそうな光景を見てしまった。

 浮いているような、這っているような、不思議な方法でホバー移動している【マリット・レイジ】。

 一体何処に向かっているのかは知らないが、正直、今の俺じゃあ、追いつく事も、止める事も出来ない。



(そろそろ……彼女の送還も視野に入れないとダメかなぁ)



 遠ざかっていく巨体。

 灰色の山が移動している姿を連想させる。

 もうどうしよもないな、と、気持ちを入れ替え、これからの自分の行動にいつて、考える事にした。



(って、依姫さん、超青ざめてきちゃってるよ)



【マリット・レイジ】の効果で、じわじわと熱やら活力やらが奪われているのだろう。

 彼女の表情が、徐々に曇って来ている。

 カードは使ってしまったし、後はもう、ジェイスの傍に置いて来た【薬草の湿布】の残りを使うか、ジェイス本人に頼んで……



「あ……ジェイス……(汗」



 うわーい、完全に当初の目的を忘れていましたよ。

 怪獣大戦争をやらかして、エネルギードレイン空間を発生させている本人が遠ざかって行っているとはいえ、未だにこの結界が展開されている現状は、実はかなりヤバイんじゃないだろうか。



(ジェイスさーん、聞こえますかー……。意識戻りましたかー……?)



 今も尚、マナの供給が続いているという感覚はあるものの、彼本人からの応答は無い。

 消えてはいないが、完全回復もしていない、と考えるべきか。

 とりあえず、依姫を抱えて、彼の隠れていた場所まで移動する体力を作らねば、と思い、丁度腕の中に納まっている、温めの抱き枕(仮)を、再び胸へと、強く引き寄せた。うぅ、寒い。

 いつもなら『うひひひ、姉ちゃん良い体してまんなぁ』と生唾でも垂らしながら、欲望全快で色々と妄想に耽ったり、実行に移したりするのも吝かではないのだが、激・疲労状態の体では、そこにまで思考が割かれる事はない。

『髪サラサラ』とか『細い体だな』とか、そういった感想しか沸いてこなかった。



(これが……綿月依姫……ねぇ……)



 八意永琳の忠臣? 愛弟子?

 兎も角、彼女に酔狂―――のレベルにまで達しているかは分からないが、人生の方針を大きく決定されたであろう、東方キャラの月の民。

 神降ろしのチート能力を持ち、その力量は鎧袖一触。

 東方プロジェクト内で最強論を上げたのなら、必ず上位の三本指に入るお方なのは、先の戦いを見ても、疑う余地が無い。

 こうして眠っている―――意識を失っている分には、全く信じられないのだが……。



(うん。今更だな)



 一言でバッサリと、自分の前提意識を切って捨ててしまえるのだから、俺は大分、この世界に馴染んで来たのだと思う。



(そういや、あの日本刀、どうなったんだ?)



 依姫が呼んだ神の名も分からないが、襲って来た刀の能力も分からない。

 それら分からないと定めた片方は、どこぞに進行していく荒ぶる神様の頭上へと、置き去りにされていた。

 例えカードに戻したとしても、地面に落ちた後、あの位置まで取りに行くのは面倒だ、と、そう思う。

【マリット・レイジ】を帰還させた後の事を考えるだけで、色々と憂鬱になりそうだ。

 溜め息が重くなる。

 嫌な気分を払拭させるように、絶賛移動中の彼女へと、顔を向けてみた。

 さて何処まで進んだか、と目を凝らしてみると、あまり先程の位置から移動していないように見えた。



(遠くに行けば行くほど、遠近感が狂ってくるなぁ。目印らしい目印のない月面じゃあ、仕方ないか)



 今だって、唯一の目印は、先程【マリット・レイジ】が撃破した、月軍の円盤位のものだ。

 遅さには定評(俺が評価)のある彼女なだけあって、その歩みは、酷く緩慢。

 今に限ってはそれが大いに助かっているのだが、今度のこのコンボの有効性を、少し狭める気がした。

 影が遠ざかっていく最中は、凄まじい―――地響きすら災害へと発展させるような音を辺り散乱させている。

 それらが小さくなっていく中、モゾモゾとした彼女の背中を見て、さて、どうやってこの場を収めようか、と考える。



 ―――顎に手を当て、下を向く。

 けれど、しばらく考えてみるも、結果が出る事は無く。

 疑問は疑問のままに、そろそろ突撃進行中な彼女を戻すか、と、再度顔を上げた。



「御機嫌よう、地上から来た者―――九十九」



 けれど、目の前に見えるものは、彼女ではなく。



「……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は――――――…………















 あの時は……さて、何をしてたのだったか。 

 確か、月の首脳会議を行っていたような。

 いつも通りの、代わり映えしない、無駄とも思える雑音の中で―――突如、それは起こった。

 警戒警報。

 訓練以外で耳にした事は無かったが、あれは最高位の警鐘を知らせる音調だった筈だ。

 弾かれた様に、席から立ち上がる、お歴々。

 誰も彼もが焦燥の色を―――などだったのなら面白かったのだが、淡々と、慌てるでもなく焦るでもなく、それこそ普段通りの軽快さで、退出していった。

 伊達に数千万年は生きていない、という事なのだが、ここまで反応が薄いと、退屈を通り越して、落胆に近い感情が湧き出てくる。

 でも、まぁ、それだって、今に始まったことではない。



 何かを知れば、隅から隅まで調べ尽くし、飽きる。

 何かをすれば、頂点と呼ばれる場所にまで登りつめ、飽きる。

 何かを見れば、色彩の一分子に至るまで記憶し、飽きる。



 山頂に辿り着いたのなら、後は滑るだけだから、とでも例えてみようか。

 もしくは、興味と倦怠の、終わらない2ステップダンスを踊っているかのようだ。



「……―――様」



 足早に避難通路を進んでいると、私の横から、専属の諜報員―――玉兎―――の一人が、情報をもたらした。



「穏やかではないわね」

「はい。八意様のご自宅で、ツクモなる地上人が、八意永琳様、綿月豊姫様の二名を昏倒させた模様で―――ぁ」



 玉兎の言葉が詰まる。

 けれど、それは仕方がない事だ。

 報告をしていた時、『昏倒させた―――』との台詞の辺りから、その諜報員は、声の主が放つ気―――殺気と怒気の入り混じった―――に当てられ、自身の心が体から離れていくような錯覚を覚えた。



「―――あら、御免なさい。少し―――気持ちが昂ぶってしまったわ。……それで? そのツクモという者は、今は何処に? とても面白い騒動を起こしてくれた御礼がしたいの。是非、我が家にご招待したいわ」

「ち、地上人は……現在―――逃亡して……おり……」



 喉が、口が、舌が渇く。

 何より、心が水分を―――安息という名の雫を求めている。

 何とかそれらを押し殺し、任務を果たそうと言葉を紡ぐが、しかしそれは、困難を極めた。

 たった一つ。

 何か一つの僅かな粗相が、自分の命の灯火を、消してしまいそうになっている。

 その事実が、彼女が二の次の言葉を口に出せずにいた。



「良いわ。続けなさい」




 言われ、やっとの思いで口を湿らせ、自分は伝えるだけの機械だ、と暗示に近い脅迫概念を以って、自身の口を動かした。



「は、はい……。現在、逃亡しており……軍部が総力を挙げて、探索を開始しました。……恐らく、後数十分以内には発見、そして、軍が派遣される事でしょう」



 目線すら向けず、彼女―――蓬莱山輝夜、は浅く息を吐く。

 カツカツと進める歩みに淀みは無く、むしろ、道を空けろと自己主張しているかのようだ。

 その雰囲気に気圧されて、報告をした諜報員は勿論、周りに居る誰もが、彼女を遠巻きに眺めるのみに留まっている。

 この程度で。情けない。

 侮蔑と諦めの思いで、輝夜は周りの人物達を、横目で流し見る。

 比較的若輩者である自分にすら気圧されているこの者達では、自分から何かをする、という選択肢が欠落しているのだろう。

 行動は自分達より下の者に任せ、自らは話し合い、考えて、机上の空論で物事を推し進めて来た弊害か。

 あんまりとも言える対応に、輝夜は溜め息……とまでは行かずとも、内心は、呆れ果てていた。

 ただ唯一の救いは、この事態を担当している者―――軍部の最高司令官―――が、地上に住んでいた時から豪傑として名の知れた者だ、という事だ。

 過去に幾度か、互いの立場を通して接する機会はあったが、中々どうして。

 この倦怠の水面に半身を沈めている世界では、珍しい程の人格者だと思っている。



(……まぁ、なら、我慢してあげても良いかな)



 腹に据えかねる問題ではあるが、それならば、と、心を鎮めて、成り行きを見守る事にしよう。

 そう判断した彼女は、通路の先にあった特別シェルターへと、入っていった。





 ―――それから、幾許かの時間が経ち―――





「それで? いつ、九十九とやらの身柄を、こちらに渡してもらえるようになるのかしら」



 移動中の車内。

 一先ずの安全を確保出来たことで、今日の議題は後日に繰り越しとなり、解散となった。

 体躯極まりない会議が無くなった事は喜ばしいが、だからといって、空いた時間を有意義に過ごす方法も、思いつかない。

 不幸の反対は、幸せ、ではない。

 不幸の反対とは、“不幸ではない”であり、幸福の反対とは、“幸福ではない”なのである。

 学校や仕事が早く終わったからといって、そこから何かしら、飲んだり遊んだりしなければ、不幸にはならずとも、幸せにはなれない。

 つまりは今、輝夜は不幸からは開放されたものの、幸せにはなっていないのだ。

 おまけとばかりに、



「それが……」



 未だに、今回の騒動にいついての朗報が届いてこない。



 今し方、車に搭乗する際に便乗してきたこの者は、しかし、輝夜が最も知りたがっていた情報をもたらさずにいる。

 焦らすのは好きだが、焦らされるのは嫌いだ。

 無用な会議から開放され、後は、この元凶となった人物へと私刑を行うだけだとなれば、尚の事に。

 だから、意図せず語彙が強まる。

 車内の空気が凍っていく様な感覚に、事の成り行きを報告しようと―――吉報ではない―――に、カラカラになった喉へと唾液を何度か送り込む事で、漸く、事の次第―――現状報告をする決意を固めた。



「何? 別に焦らす必要は無いのよ?」

「はっ……。ご報告します。地上人の捕縛作戦は……失敗。現在、綿月の依姫様が、最大戦力を以って、事態の収拾に当たっている筈です」



 輝夜からの反応は無い。

 気だるげな目線で、刻々と車外に映る景色を眺め続けていた。

 ―――いや、違う。あれは、固まっているのだ。

 諜報員は、そう判断する。

 瞬き一つ行わず、呼吸音すら聞こえないこの女性は、今完全に、与えられた情報に、思考が全て、停止していたのだった。



「……尋ねるわ。月の軍は、ほぼ全力で、今回の事件に対応していた。……そうよね」

「はい」

「作戦失敗、というのは、相手が遠くへ……地上へでも、逃げてしまったのかしら?」

「いいえ。探索機器の情報では、軍は壊滅的な打撃を受け、撤退を開始。相手は、どの資料にも記録が無い、超巨大な怪物を召喚、使役し、それらの惨状を引き起こしました。―――そして、彼らは未だに健在です」

「……相手は地上人……なのよね?」

「そうです。八意様主導の実験の結果、名称をつけ難い能力を有しており、細部で間々違いが見受けられたようですが……。正真正銘、地上人です」



 輝夜の方が度合いは強いが、諜報員と二人……どちらも等しく、この事実に、驚き、という言葉では言い表せない程の、心の揺らぎを起こしていた。

 ある島国の、下級の神々程度ならば、一撃で沈黙させられる威力を有している戦車。

 一瞬で音よりも素早く動き、撹乱し、任意の場所に、直接火力を叩き込める円盤。

 この主力の二機を、軍は四の桁に届く数を保有していた筈であり、それの大半以上を、今回の任務に当てていたのは確認している。



(……それが、たった数刻の間に壊滅……?)



 考察が追いつかない。

 ただの地上人……かどうかも怪しくなって来たが、それでも、個人という単体生物に、あの軍勢を打破出来るとは考え難かった。



(その怪物というのが肝のようね……。何処ぞ、名のある神か魔神でも呼び出したのかしら)



 ならば一体、何の神が。

 輝夜が、熟考してみるも、そちら方面の知識にはとんと疎く、結論は出ない。





 輝夜が幾ら考えようと、起こってしまった事実は変わらない。

 全ての攻撃が通用していなかった事に加え、鉄壁を誇っていた戦車部隊は、触手による圧潰か、切断性能の高い光線でバラバラにされ。

 同じく、目で追うことも困難であった数多の円盤は、二桁に届く【マリット・レイジ】の、目という策敵器官から逃れることは出来ずに、戦車と同じ運命を辿っていた。

 一切のダメージを受けず、不沈艦の如く君臨していた荒神について理解を深めようなど、実際に起こった出来事を直視でもしない限り、この月の都で暮らしていた者達からすれば、どだい無理な話なのであった。



(……つまり何? このままだと、永琳や、豊姫が目覚めずに終わる可能性があるって事?)



 輝夜は、彼女らに対して、一定以上の愛情を寄せていた。

 態度にこそ出さないものの、それは彼女の中で、決して譲れないものの一つとなっている。

 のほほんとした雰囲気の中で戯れあう豊姫が好きだし、自分の全力に勝るとも劣らない、愚直とも言える誠実さを持つ、依姫も愛おしい。

 何より、周りと比べれば、酷く我侭な自分を、放り出したりせずに、むしろ、これから必要になっていく知識や技術、教養を、今まで教師役として訪れた誰よりも的確に、興味を引かれるように、教えてくれていた。

 それが、失われるかもしれない。



(―――冗談じゃない)



 整った眉が歪む。

 月でも五本の指に入る造形を誇る彼女の表情は、憤怒の色彩に彩られた。

 熱が滾る。

 故に、その行為に及ぶのは、必然。



「……行くわ」

「は?」

「その、九十九とやらのところへ。確か、家に高速艇があったわよね。準備させなさい」

「お待ち下さい! そ―――」



 それはいけません。

 諜報員が言葉にしたかった考えは、輝夜から漏れる怒気によって、口の中へと押し戻されてしまった。

 じわりと、体から嫌な汗が滲み出る。

 目の奥が点滅し、気を抜けば、意識を手放しそうだ。



「―――良い? 私は判断したの。そうしたいと。そうするべきだと。そこに、貴方の考えは必要無いわ。あなたは、情報を調べ、伝えるのが役目。違う?」

「……はい、そうです……」

「ならば余計な真似はしない事ね。これでも、私。大概の事なら笑って許してあげられるけど、今回のは無理よ。―――分かるでしょ? 私―――怒ってるの」



 背後に阿修羅が―――否。それ以上のなにか見えた。



 後に、そう語る諜報員は、弾かれた様に、手筈を整える。

 当然、それを知った蓬莱山の家系に連なる者達が、すぐさま冷静になるよう、言葉の撤回を求める映像や音声を届けてきた。

 しかし、というか、やはり、というか。

 怒髪天を突く勢いの輝夜の進行を止められるものは、皆無であった。










 目的地に向かう、高速艇の中。輝夜は、その映像に、魅入られていた。

 浮かび上がったディスプレイから、目が離せない。

 そこには、大地を薙ぎ、空間を押し潰す、色とりどりの世界が展開されていた。



「何よ……これ……」



 この光景は、見た事がある。

 確か、数年前。未知の月外生命体と、月の軍が威信をかけて戦う、といったコンセプトの活動写真だったか。

 そこで出て来た、超巨大怪獣があれ位の大きさだった。

 ―――ただしそれは、月の剣、と二つ名の付いた、主演・綿月依姫によって撃破されていた。



(赤面する位なら、主演断ればいいのに)



 ……違う。そうじゃない。

 今しなければいけない思考は、もっと別の事だ。


(依姫の攻撃が一つも効いた様子が無い……。おまけに何? あの攻撃力。一つ一つが、準大量破壊兵器並みじゃない)



 どれも依姫には当たってはいないが、その触手には、特殊合金で覆われた戦車を、一撃の名の下に圧潰させるだけ威力が伴っている。

 空間ごと攻撃しているかのような攻撃に、その暴力性が垣間見えた。

 依姫はそれを、舞でも踊っているのではないかと思わせる動きで、交わし、往なし、避けてゆく。

 隙を見つけては、能力を駆使して様々な方法で攻撃を当てていて。

 けれど、そのどれもが相手に対して、微塵も動きを止めるものではなかった。



 そして、いよいよ埒が明かない、と依姫は判断したようだ。

 距離を取り、背中に炎の羽を生やす。



(あの子、本気ね。あれって何の神だったかしら)



 過去に一度だけ見たような気がする。

 確か、島国のものではなく、それらよりも外にいる神であった筈だ。

 ああなった彼女を止められる相手など、三本の指に入る程も居ない。

 安定性を捨て、世界の神へとその能力を広げた彼女は、自分でも、何とか食い下がるのがやっとだろう。



(本気の依姫に勝てるのは……永琳くらいかしら)



 ともあれ、これで勝負はついた。

 自分の手で解決を図れないのは不満が残るが、それでも終わってしまったのなら、仕方ない。

 どうやってこの鬱憤を晴らそうか。

 帰りは乗員が一人と、荷物が一つ増える事を考慮しておかなければ―――



 ―――体中に走る悪寒。

 唐突に。輝夜は、全身が冷えていくのを感じた。



(な―――!?)



 空調機器などの、故障ではない。

 体の心から冷えてゆくこの感覚は、今までに味わったことのないものだ。



「輝夜様! 緊急着陸します!」



 同時、高速艇の操縦士が叫ぶ。

 どうやら、体が冷えてゆくだけでは無いようで、何かしら、機体にトラブルが発生したようだ。



(何!? この寒気は!)



 それだけではない。

 気力……とも違う。

 そう、生きる上で必要不可欠なスタミナ―――体力が、徐々に外へと零れていった。

 しかもそれは、秒毎に、吸引力が上がっていっているようだ。

 今はまだ良い。

 けれど、あの怪物のところへ到着した時には、それこそ疲労困憊状態になっているだろう。





 緊急というだけあって、地面を擦りながら、高速艇が着陸していく。

 数十秒の後、何とか無事停止した船から、輝夜は降りた。

 搭乗員、全二名の船内には、もう一名の乗員が、力無く、震える体を抱き締めながら、操舵席の上で蹲っている。

 どうやら、この寒さと脱力の元凶は、漏れ出す程度に、差があるらしい。



(全く……一体どうなってるのよ……)



 墜落したのは、この寒気が原因か。

 段々と活力が失われていく最中、このままでは、何とは言わずも、色々と問題が出る事は必須と考えた。

 なれば、迅速に事に当たるべきだ。

 目的を達成するべく、能力を使おうと、意識を集中させる。



 ―――同時。



(なっ―――)



 世界が純白に華やいだ。

 太陽がもう一つ出現しても、このような光源には及ばないかもしれない。

 解決の糸口を求めるように、視線を空へと這わす。



(白い……柱……?)



 漆黒の空間を分断でもしているように、白い道が、星空へと敷かれていた。



(違う。あれは……)



 そうだ。今し方まで、高速艇の中で目にしていた映像と重なる。

 但し。それは、映像のものよりも、数十倍の輝きであった。

 

 このままでは、何もかもが手遅れになる。

 根拠の無い。けれど、確認に満ちた感覚に、輝夜は自身の能力を発動させた。



(うつろいの間なんて与えないわ)



 世界が止まる。

 それは、輝夜だけに許された聖域。

 何者にも侵食されぬ、絶対の力。



『永遠と須臾を操る能力』



 それを如何なく発揮して、輝夜は大地を駆けた。

 周囲の須臾を操り、自身のものとする。

 それだけで、彼女は誰にも認知される事のない存在となった。

 そして。


(あれ……ね)



 輝夜の眼前に、厳かに聳え立つ灰色の茨山。

 顔と思わしき箇所には、いくつもの眼光が底冷えするような色を発しながら備わっている。

 それらのやや下。

 並び立つ牙という牙に、冥界へと続く入り口を垣間見た気がした。



(依姫は、これを相手にしていたというの……? 肝が冷えるわ……)



 彼女でも攻撃が効かないとなれば、自分能力でも怪しいものだ。



 ―――いや、そもそも、だからといって、それに固執する必要など無い。

 高速艇で見た映像を思い出す。そこには、この化け物は地上人が召喚したもの、という可能性が濃厚であった事が、示唆されていた。

 なれば、この怪物を相手にするよりも、狙い易い、そちらを優先して対象にすれば良いだけの話。

 何も、好き好んで苦行の道を行かずともよいのだ。



(彼女らしくも無いわね。怒りで我を忘れたのかしら。それとも、地上人の呼び出したものなど、と侮っていたのかしら)



 どちらの線もありそうだが、後者の理由ならば、自分の場合でも起こり得る。

 月へと移住し、幾星霜。

 地上の文明や技術、脅威の度合いは、調べ尽くしていた。

 その度に知る事となる、“脅威無し”の情報。

 数千万年も行ってきた、観測という名の脅威偵察で得られた結果を、そう易々と覆して考えを纏められる者など、居よう筈もなかった。

 それが例え、あの八意永琳であったとしても。



 そういえば、この怪物の頭上に、目標たる九十九という地上人が乗っていた筈だが、今見る限りでは、それらしい人影は無い。

 何処かへ逃げたのだのだろうか。

 辺り一面は極寒の荒野なのだから、おいそれと逃げ切れるものではないとして……



(見つけたっ!)



 僅かに窪む、瓦礫の影。

 恐らく軍の戦車の残骸であろうそれの横に、純白の衣装をまとった地上人、九十九と―――



(っ! あの子!)



 眠るように横たわる影。

 月の軍神として無双を誇っていた、綿月依姫である。

 時の流れが緩慢になっている中、輝夜は駆ける。

 彼女にしてみればほんの数分だったが、彼女以外のものからしてみれば、それこそ一瞬。

 今にも倒れんばかりにへたり込んだ地上人と、それに体を預ける両名が、視界に入って来た。

 それは、男女の逢引の様子とも見て取れる。



 ……しかし、ここは戦場。

 よくよく目を凝らしてみれば、見えてくるのは、むしろ間逆。

 疲れた顔で、女を抱く男。

 青ざめた表情で、力無く横たわる女。

 色恋の雰囲気など、微塵もありはしない。

 よって。



「御機嫌よう、地上から来た者―――九十九」



 輝夜は自分の能力を解き、目の前の人物に姿を晒す。

 即座に能力を使い、地上人の思考を循環させ、永遠のものとする。


「……お前、は……お前、は……お前、は―――」



 呆気ないほどに効果の現れた地上人に、拍子抜けすると同時、今まで抑えに抑えてきた黒い感情が込み上がる。



「よくも永琳達を……」



 知らず、拳に力が篭る。

 何も掴んでいない手の平を、相手に向かって叩きつけるように振るう。

 当然、その手の中には何も存在しないのだから、せいぜいそよ風の一つでも起こる程度が関の山。

 おまけに、ここは月の都市の影響下とはいえ、宇宙空間。

 本来なら、僅かな気流すら起こる事は無いのだが、そこを彼女は能力を駆使して対応する。



 青白い光。

 九十九の肩付近から外の宇宙へと軌跡を描くそれは、通常なら何の影響もない……塵芥と呼ばれる、極小物質。

 それを輝夜は須臾を操り、極限まで加速させ、レールガンか、あるいは荷電粒子砲以上の威力を発揮させ、ぶつけたのである。

 腕の一つでも飛ばしてやろうと目論んだ攻撃は、けれど、彼の衣類が破けただけで、漂う様に浮かぶ、小型の黒い円盤に阻まれた。

 例え出血で瀕死になろうとも、能力を使い、状態を保存して月の都へ運び、治療を受けさせようと考えていた為に、手加減無しの一撃であったのだが。

 ただ、完全に防ぎ切れはしなかったようで、男の左肩の衣類が、爆散したかのように吹き飛んでいた。



「ふ~ん……。これが例の絶対に壊れない能力、か」



 面白くないとばかりに、眼光を強める。

 それとは対照的に、黒い円盤は、実に優雅に漂っていた。

 幻聴の類か。『汚名返上』の文字が脳裏を掠めるが、それは然したる問題ではない。

 思考の操作は簡単に行えたというのに、破壊不可能の能力は、しっかりと機能しているようだ。

 実験の結果は、輝夜も知っている。

 自動で防御を行う円盤が一つと、それ同様の硬度を持つ体。




 しかし、物理的な衝撃や欠損などの、ダメージによらない攻撃は、効果がある、というのは今現在で実証出来ている。

 絡め手に弱い。と評価を下し、ならばいっそ、頭部はそのままに……意識を戻させ、それから下の時を加速し、体が腐っていくのを眺めさせようか。

 食材を前にして、料理を決める調理師の如く、様々な調理法が頭を過ぎ。



 じゃあ、まずは―――足から。



 傾国の美貌を持つ者は、それはそれは楽しそうに残忍な笑みを湛えていた。





[26038] 第31話 一方の大和の国
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/10/27 18:57





 澄んだ声が、冷たく乾いた空へと広がってゆく。

 太陽が地平線から顔を出し、さて、これから登ろうか、という時刻。

 音源は一つではなく、五十、六十と、仕舞いには、百に届くであろう数が聞こえてきた。

 それぞれが、老若男女問わず、同じ内容の言葉を口にする。



「「「ににんがしー。にさんがろくー。にしがはちー」」」



 木枯らし吹く季節に木霊する、数え歌の一種。

 それは、とある神に仕えている、全身を白い衣で着飾った者が、発端であったとか。















 場所は変わり、声の音源からやや離れた、社の一角。

 いつものように幾人もの人々が頭を垂れ、いつもの光景が始まる。

 大広間に集まる凡そ三十程の人々。

 その視線の集まる場所に、二人の神が鎮座していた。

 中央には注連縄を背負った、僅かな笑みを湛えている八坂神奈子。

 その少し横の手前に、胡坐をかき瞑想するように両の目を閉じている洩矢諏訪子が。

 今日は月に一度の集会の日。

 各村から長が集まり、それぞれの近況報告を口にする。

『染物を作りたい』『農薬という、田畑を活性化させる薬が欲しい』『開墾の技術を譲っていただけないか』云々。

 状況報告というよりも、むしろ、少しでも何かの技術や知識、文化を取り入れんが為の会議だとも言える。

 誰も彼もがこの度文化統合と相成った、洩矢の地の様々なノウハウを欲しての会議―――という名目の、話し合いでもあった。

 そして、その知識や技術の譲渡の有無を決定するのが、最近の彼女達の仕事である。








「んーっ! やっと終わったぁ!」



 小さな体をうんと伸ばし、拳を握り、両の手を空に突き出して伸びをする。

 肩が凝った、と体で表現する諏訪子に、神奈子が呆れた様に話し掛けた。



「最近のお前はいつもそれだな。始めの頃の、威厳と風格に満ちた態度は何処へやったのだ?」



 脳裏に映るのは、初めて出会った頃の凛とした態度。

 神の名に相応しい厳かな貫禄のある姿はなりを潜め、今ではあの九十九と接している時の状態で、神奈子と接するようになっていた。



「ちゃんとケジメはつけてるつもりだよ。私の信仰着実に増えて来てるの、神奈子なら分かるでしょ?」



 ならばこれで大丈夫。

 満足げな顔でそれを言い終えて、どうだ、とばかりに神奈子へと向き直る。



「確かに……な。態度で信仰の度合いがこうも変わるものなのか……ふむ……。あ、いや、お前はそちらよりも、今は別の信仰が育ってきていたのだったな」



 羨ましい限りだ。と、神奈子は羨望の念を含んだ、柔らかな笑みを浮かべる。



 ―――九十九がもたらしたものは、知識、技術、文化など、大小挙げてみれば数知れず。

 大概は概要すら曖昧なものが多かったが……それでも、そのどれもが今までのものとは一線を画く考えであった事は、疑うべくも無い。

 間接的だけではなく、直接的にも、一瞬で大地を創造したり、様々な生物を駆使して開墾を行いながら、この国の―――諏訪子の為に尽くしていたのだ。

 今にしてもそうだ。

 外から聞こえてくる、“九九”と呼んでいた数え歌は、恐らく彼の名前が含まれている事から、当人が、独自の理論で構築したのだと神奈子は考えた。

 始めこそ暗記する内容の多さに、大和に住む誰もが呆気に取られたものだが、今ではそれを実践出来る者は、この国でも有数の行政者としてその手腕を振るってくれている。

 九九を活かそうと学び応用させる姿勢が、返って、それらの知識を吸収し反映させられる土台を保持していた人々の選別にもなっていたのは、それらを教えた彼にも、全くの想定外であった。

 一種の登竜門。九十九風に例えるのなら、採用試験と言えるだろう。

 そして、その能力を最大限に生かした演算装置“算盤”なる機器の導入で、恐らく大和の国は、この大陸でも上位の演算処理能力を誇る実力を身につけ始めていた。

 最初の方こそ、慣れぬ―――いや、初めての算盤の製作に悪戦苦闘していた九十九や職人達だったが、何とか完成には漕ぎ着けた。

 今は量産こそ出来ないものの、いずれは大和での特産品としての面も見込める。

 一抱えほどあるこの品は本来もっと小型なものなのだそうで、しかしそこまで小型にしたら使い難いだろう、と、現在の大きさを保って作り続けている。



 組織が大きくなればなるほどに重要となってくる、数字。

 それを、今までと比べれば圧倒的とも言える速度で処理出来ているというのだから、内心で笑いが止まらない。

 九九、算盤、そして、財務諸表―――決算書とあやつが呼んでいた、物事の損得を図にして表した方法。

 決算書はまだ私と諏訪子を含む数人しか会得していないが、それでも効果は絶大、と言ってもいいだろう。

 一瞬にして物事の損得が判別出来、しかも、それが分かり易い。

 神である我らにとっては大した事は無いが、人間達にはそれは何より有難く、目に見える形で自分達の成果を確認出来るというのは、万人に遍く伝えなければならない事への、答えの一つになっていた。

 文字にして数千を超えるであろう報告は、この書式を利用して作り上げた図で表せば、説明は簡単で、理解も早まるときたものだ。導入当初は、内心で諸手を挙げて歓迎してしまった程だ。

 凄いものだと賞賛してやると、『簿記三級だから』とよく分からない言葉を口にしていたが、理解に苦しむ言動は今に始まったことではないので、気にする必要は無い。

 すぐに効果が現れるものではないが、数年、数十年先では、きっと国一つが動くだけの資源を捻出している事だろう。

 それら効果も相まって、僅か一年程しか経過していないというのに、諏訪子は当然として、私自身にも、諏訪へ侵攻を仕掛けた時に予想していたよりも多くの信仰が蓄積されて来ているのが分かる。



 ―――そして、それを手中に収めたいと思うことに、何の疑問の余地があろう。 



「なぁ、諏訪子。やはりここは一つ、あの者は私が……」

「嫌」



 竹を割ったように、バッサと言葉を否定する。

 口調こそ明るいものの、そこにはしっかりとした拒絶の意思が現れていた。



「それに、九十九は私の家臣でも家来でも、ましてや下僕でも無い。ってのは、よく知ってるでしょうに」

「ん、まぁ……そうなんだがな……。お前の口添えでもあれば、変わるかと思ってな」



 神奈子は残念とも思えないような声色で、諦めの台詞を口にする。



「そういえば、あれからしばらく経つな」



 もう気分は変わったと。

 一緒に話題も変えて、神奈子は今ここに居ない者の姿を思い浮かべた。



「今頃は、○○○の村で宴を催しているのだろうな」



 遠くの地で行われているであろう宴を想像し、その内容に、思いを馳せる。

 羨ましい。

 口には出さないが、諏訪子は、神奈子の言葉の隅からその感情を感じとった。

 しかし、それについては彼女も同意するところであった。



「良いよねー。私達なんか、彼処ばった席じゃないと、宴なんて味わえないっていうのにさー」

「全くだ。それが嫌いとは言わんが……。出される品々が、あれではなぁ……」



 うんうんと同意するような、唸るような声を上げる、祟神の統括者。

 九十九が用意する至高とも言える料理の数々は、単調な味付けしか存在していなかったこの国において、まさに天にも昇ると比喩出来る品であった。

 必然、それを摂取し続けた事で、舌が肥えてしまった。

 以後のそれ以外の食事は、たいそう味気ないものになっていたのだ。

 先程まで会議をしていた面子がこの光景を見れば、威厳と威信に満ちたあの二人のギャップから、首を傾げ遠い目をするか、自動的に脳内から削除されかねない態度である。



「酒肴品だって、あれだけじゃあ、足りないよ」

「あやつめ……。しばらく離れるのを良い事に、手を抜いていたのではないか?」



『同感』と、諏訪子は意思を、声にする。

 しかし、この場に九十九が居たのなら、『(真空パックやら保存の効くものを)二ヶ月分は出しておいた筈だ!』と声を荒げて抗議していた事だろう。

 一応多めに見積もって用意はしておいたのだ彼だったが、結果、見事に読み間違えてしまったのだ。



 普段、彼女達が酒の席を催す場合、それは、一週間に一度程度のもの。

 だがそれは、疲れる九十九の顔を見たくない為に、頻度を落としていたの“でも”ある。

 故に、その気遣いストッパー兼、良心リミッターの彼―――というより勇丸か―――が、居なくなった場合、僅か数日で枯渇するのは、当然の流れと言えるだろう。

 我慢が効かず、九十九へ酒肴品を強請りに行こうとすると、さて、どうやって判断したのか。

 いつの間にか無言で佇む忠犬の眼光に、背筋を振るわせる日々が、幾日かあったのだ。彼女達には。

 そして、その外付け自制心機能・勇丸が、その役割を果たせない、となれば、結果は日を見るより明らか。



 ―――羽目を外した子供のように飲み食いする神々は、それはもう凄い状況だったらしい。

 村中に木霊する笑い声を耳にした者達は、口々にそう答えた。

 良くも悪くも、九十九は所詮、物事の尺度は人間であったのだから、たった1~2年一緒にいようと、神々の本来の自力など、そうそうに分かるはずも無いのだった。



「調味料くらいは残ってた筈だけど……」

「あぁ、味噌と醤油、だったか。あれは良いな。こう、魂を惹きつける何かを感じる」

「そうだね。ただ、私としては、餡子をもっと用意しておいて欲しかったんだけどなぁ」

「あれは保存が効かぬであろうに。もって、3~4日くらいか?」

「いやぁ、それがね。風味だけなら、お湯を注いでしばらく待てば味わえる……え~っと……ふりーずどらい……? だったかな……そんな名前のを貰ったことがあるんだ」



 そう言って、虚空に指で、漢字をなぞる。

 そこには、軌跡を辿れば達筆な“無印良品”の文字が、確かに浮かんでいた。



「何だそれは。乾燥させた餅のようなものか?」

「う~ん。よく分かんない。完全に水気を飛ばした食品……とか何とか。見た目は赤黒っぽい泥だけど、味や風味は餡子のそものだよ。水に溶かした餡子みたい」

「ふむ……。話を聞く限りでは、全く食指が動かん代物だな」

「私も始めはそうだったんだけど、『食わず嫌いは罰が当たりますよ!』って九十九に言われちゃって」

「馬鹿な事を。我らは当てる側であろうに」

「私もそうは言ったんだけど……。まぁ、あいつ、変な拘り持ってるじゃない? 仕方ないんで食べてみたんだけど……ありゃあ、悪くないね」

「ほう。お前が言うのなら、間違いはなさそうだ。今度、私も試してみるとしよう」



 本当、あれは何者なのだろう。

 神奈子は、胸に抱えていた疑問が、どんどん膨れ上がっていくのを実感していた。

 知性の神だとしても、何処か違和感が残り、言霊の神だとしても、やはり違和感が残る。

 どんな結論に辿り着こうと、決して疑問が解消する事は無いのだ。

 あの頃から些かも進展しない問いかけは、今日も今日として、一歩も前進せぬままに、また一歩、後退してしまうのであった。

 疑問に答えてくれるものは誰もおらず、募るばかりの想いに、湿気を含んだ吐息が漏れた。








「さ、て……」



 言葉短く、諏訪子は話を中断させた。



「気分転換には無かったかな?」

「ああ。国が大きくなれば、利益は勿論、不利益も増えるのは覚悟していたが……」

「うん、今までの奴らとは違うね。あれは……人間には、太刀打ち出来ない」

「そうだな。あれは―――鬼だ」



 二人の眼光が鋭くなる。

 見つめる先。社の壁のさらに奥。

 遥か彼方のその向こう。

 二神が見つめるものが居た。



「数は……三、かな」

「遠すぎて私も不明瞭だが、それで間違いは無いだろう。もう少し時間を掛ければ鮮明に分かるが……今は時間が惜しいな。力の程は―――準大妖怪ほどが一、中級の妖怪が一、……微塵の脅威も感じないものが一、か。ふん、この国に乗り込んでくるとは、豪気な―――いや、無謀な奴め」

「へぇ、そんなに詳しく分かるんだ。便利だねぇ、神奈子の能力」

「一長一短だ。私からしてみれば、お前の方が脅威を感じるがな」

「何言ってんのさ。一度は私を貫いた癖に」



 胸元をトントンと指差し、ニタリと不適な笑みを作る。

 それに呼応して、神奈子が薄く、口元を歪めた。



「お前の本質の一端は“怨”。それを前面に出さずに終えた勝負に、何の意味を見いだせと?」

「ん~、確かに、負けた後が私の本領発揮なんだけど……。今更、だよ」

「そうだな。今更、だな」



 もう、全て終わってしまった事だ。

『そうそう』と、気軽に諏訪子が返事をする。

 そうして、今までの朗らかな空気が全て四散していき、変わりに、神気が周囲へ埋まってゆく。

 

「―――それでは参ろうか。天の軍神よ」

「然り。大地に秘められし怨恨の力。存分に振るわれよ、祟り神の統括者」



 ――― 一体、誰が止められようか。

 この時代、この島国の人口が十万とも二十万とも言われる、この時に。

 実に十分の一、あるいはそれ以上を抱えている国の信仰の力。

 それを束ねる、天と地の神々を。

 霞のように空気に溶ける八坂神奈子と、崩れるように、床―――大地へと同化する洩矢諏訪子。

 一陣の風が、社の中を吹き抜ける。

 既にそこには、人っ子一人、存在するものでは無かった。














 影が三つ。

 大、中、小のそれらは、それぞれ進行方向準に、先頭から、小、大、中の順番で、獣道に近い山林を踏破してた。



「なぁ、勇丸よ。本当にこっちの道で良いのか?」



 そう答える大の影―――鬼の一角は、黙々と前を歩き続ける小の影―――白い猟犬、勇丸へと質問を投げ掛ける。

 しかし、それに答えなければならない相手は、チラとこちらを見ただけで、再び黙々と歩みを再開した。



「良いらしいな」

「そうなんかねぇ。おいらはもっと、愛想良く接したいんだが……ところで太郎よ」

「ん?」

「こう言っちゃなんだが、お前さん。疲れてないのか?」



 唐突な台詞だが、一角の疑問は最もだ。

 陸路の走破に最適な四肢を持つ勇丸は当然として、二足の一角は、鬼である為、殆ど疲れ知らず。

 しかし本来、二足は超距離の移動には、どちらかといえば不向きな方で、それをただの人間である彼に尋ねるのは、至極当然の流れであった。

 最も―――それを尋ねるのが、かなり遅かったという突っ込み箇所が、あるのだが。

 どうなんだ、と疑問を投げ掛ける一角に、中の影の者―――浦島太郎は答えた。



「あぁ、正直、いつぶっ倒れてもおかしくない」

「何!?」



 驚愕を露にする一角に、太郎はケロっとした顔で、返答をした。

 それはそうだ。

 方や無尽蔵とも言える体力を持つ、八咫鳥さえ落とした猟犬。

 方や理不尽の権化、妖怪のまとめ役である鬼。

 それに今の今まで付いてきた事の方が、賞賛に値する。



「ば、馬鹿野郎! だったら始めっから言えってんだ! 俺や勇丸だって、人間一人担ぐ事くらい訳無いってのは、分かってるだろ!?」



 一角は、慌てて太郎を地面へと座らせる。

 初めから座るつもりでも居たかのように、すとんと地面へと座り込んだ太郎は、反論する素振りすら見せない。

 表情は先程と変わらずに疲れは感じさせないが、あれは違う。と、一角は思う。



(ありゃあ、疲れで表情が固まっちまってるんだな……)



 疲れを表す表情すら浮けべられない程の疲労なのだと判断し、背負っていた水用の瓢箪から、彼に水を飲ませた。

 2メートルを超える男が、胸ほどもの身長の無い者に施しを与えるのは不思議な光景であったが、この場にいる誰もが、それに問いかける事はない。



 太郎の体力回復を図るべく、近場の木陰で休憩をする一同。

 人、犬、鬼と、第三者から見れば、どう表現したら良いものか悩む構成ではあったが、とうの彼らは至って暢気に、空を流れる雲と、風に揺れる木々の葉を眺めていた。



「あれから、何日経ったかな」



 しばらくして、ある程度の疲れが抜けたのか、太郎は誰に語りかけるでもなく、ぼそりと呟いた。



「あ~、今日で丁度、八日だ」



 一角がそれに答え、『そうか』太郎がと反応し、それっきり、互いにまた、無言に戻る。

 そう、八日。

 ―――それは、九十九が勇丸を置いて、消え去ってしまってから、の期間でもある。



 あれから、村中が騒然となった。

 消えてしまった九十九を探すべく、鬼と村人達が周囲を探そうとした。

 それを止めたのは、彼の一番の従者でもある、勇丸だった。

 一声吼えた後、動かず、無言を貫く猟犬に、誰もが近くにいた者達と顔を見合わせ、疑問を抱える事態になったのだ。

『何故、勇丸が捜索に動かないのか』

 この一点に尽きる疑問に。



 結果、それら疑問を置き去りにし、彼が元の場所―――大和の国へと戻ろうとしているのを察した者達が、代表を決め、事情を説明する為、同行する事と相成った訳である。

 鬼と人とのリーダー二人の同行という事態に、残る者達は不安の声を上げるものも居たが、代表とはそういうものだ、と、一角と太郎の両名は、口を揃えて言った。

 そうして旅を始めていく内に、この両名は、互いに、知人以上の間柄へと進展していたのは、余談である。








 そして、ここからが本題―――



『止まれ、そこの者共よ』



 厳かな声が、粛々と。

 大気を振るわせる神託が、辺りの獣や鳥のみならず、草木の一本に至るまで浸透し、世界はしんと静まり返る。

 一瞬の静寂は、しかし、我先にとその場から逃げ出す生物達によって打ち砕かれた。

 木枯らし吹き付ける森林を歩んでいた、二頭の鹿の親子が。

 これから来る季節への備えを万全にすべく働いていた狐達が。

 塒を補強していた駒鳥の夫婦が。

 誰も彼もが、直感にも似た危機感を感じ、一目散に方々へと散っていった。



「―――穏やかじゃねぇな。太郎……」

「……すまねぇ、世話になる」



 震える足に活を入れ、何とか立ち上がった太郎は、一角の背後へと身を寄せる。

 ―――正確には、立ち上がった太郎を、一角が自身の背後へと誘導した、という流れではある。



「ほう、道中の昼食用にでも捕まえていたのかと思えば、何とも、摩訶不思議な光景よな」



 彼らの頭上。

 太陽を背にして、見えぬ神輿に胡坐で座るかの如く浮遊している、軍神が。



「―――だが、それ以上の進行は許さん。早々に立ち去るのなら良し。さもなくば……」



 彼らの正面。

 黒い水が、地面から柱となり湧き上がる。

 それは人の形を成したかと思えば、途端に色づき、一人の少女―――土着神の頂点に鎮座する者が現れ、神奈子の話の続きを、神気の篭った言霊と共に送った。



「―――その命。百度輪廻の輪を潜り抜けようとも、我が怨恨は尽きぬものと「わん!」知……れ……?」



 誰もが存在を忘れていた……否。視界に入らなかった者が、己を主張するように吼える。

 吼えた者には申し訳ないのだが、しょうがないのだ。

 他の同種と比較すれば巨体だとはいえ、横の大きさはさておき、縦の長さが不足している。

 特に、草木の生い茂る今この場においては、尚の事。



「いさ……まる……?」

「うん? どうした、諏訪……こ……」



 一陣の風。

 呆気に取られる、軍神と祟り神。

 訝しげに眉を寄せる、鬼と人間。
 
 飄々とした顔で佇む、純白の獣。

 さてこの場合、どう流れを作り出したら良いものか。

 この時の止まった空間が動き出すには、今しばらくの猶予が必要であった。
















「勇丸……」



 足元へ擦り寄ってくる存在に、私は手を伸ばし、優しく頭を撫でる。

 普段ならば、このような行為には及ばない者なので、自然と、自分がどれだけ動揺しているのかが、分かってしまう。

 頭上には、満天の月。

 社の縁側から覗く夜空は、いつもと変わらず、光り輝いていた。

 幾年経っても変わる事の無い光源に、安心するのと同時、その、ずっと居続けてくれると思っていた存在が消え去ってしまった事実が、胸を締め付ける。



 ―――太郎と一角、そして勇丸から、九十九に何があったのかを聞いた。



 行く町を間違えてしまった事。

 そこで鬼と戦い、打ち負かした事。

 ―――そして、太郎を庇い、消え去ってしまったという事。



 本当に居なくなってしまった―――この世から―――のなら、勇丸がこうして、私と会っているというのはおかしい。

 つまり、この忠犬が認知出来ない、遥か彼方へと移動した、と考えるのが妥当だろう。

 あれから、私はすぐに、自分の能力を限界まで使い、彼の行方を追った。

 陸続きであるところは全て確かめて、海で隔たった先からは、神奈子が調べてくれた。

 私の能力の使用によって、領地を侵略されたと勘違いした幾人かの神々と剣呑な関係になりかけたが、そこは神奈子が顔の広さを活かして、治めてくれた。

 だが、居ない。

 調べられるところは全て探り、後はこの大陸の外―――さらなる大陸である、中つ国や、その先にある、西洋の神々が支配する国々にも、手を伸ばそうかと思ったものだ。

 けれど、それを行ってしまえば、ここは戦火に巻き込まれる事になる。

 同じ大陸内でも、少し探りを入れただけで、険悪な状況になったのだ。

 これが全く見ず知らずの相手ならば、こちらは、命を賭しても飽き足らず、配下の下々達をも、振り回してしまうだろう。



「ここに居たか」



 考え込んでいる内に、行事を終えた神奈子が、手に何か、月の光で輝いているものを握りながら、こちらに歩んで来た。



「それは……」

「なに、いざという時の為に、幾つか残しておいたのだがな。こういう時に開けるものだろう?」



 何かと思い凝視してみれば、彼女の手には、九十九が出したであろう、取って置きと思われる、酒瓶が見て取れた。



「酷いよ、神奈子。いつも『酒はお前が出せ』とか言ってる癖に。良いもの持ってるんじゃない」

「何を言う。お前は九十九からいつも出して貰っているだろう。一応、私はお前ほど九十九と親しい訳ではないからな。そう頻繁に酒は頼めん」

「……え~」

「『いつも宴会で頼んでいるだろう』という顔だな。あれは、お前が一緒に居るからだ。個人的な頼み事は、一度も無い」

「ありゃ、一度も?」

「そうだ」



 意外だ。

 何度も彼と接する機会があったというのに、まさかあの神奈子が、全く彼に強請っていない、というのは。



「この酒だって、あいつが自分から『今日は気分が良いから、高めの出すぜ』などと言って、私に押し付けてそのまま寝てしまったものだ。……あいつは何だかんだといって、我や大和の下々には、一定の壁を築いているからな。……諏訪の者達や、お前が羨ましい」



 何となく、それを裏付ける理由は思いあたる節がある。

 些細な事だ。

 酒を注ぐ順番であったり、一番に話し掛ける相手であったり、笑顔が多くなる席であったり。

 上手く隠しながら振舞ってはいるが、細かく見てみれば、それは如実に現れていた。



「ふむ……はやり諏訪の者達やお前、九十九を“ふるぼっこ”にしたのが不味かったか」

「おぉ、神奈子も九十九語、使うようになったんだね」

「気分だ。あいつの前で言い、きょとんとさせて驚かせるのは楽しいが、頻繁ではいかん。年に一度程度、と思いながら、酒の肴にしているよ」



 私の左隣に腰を落とし、胡坐を組む。

 それを見て、勇丸が席を外した。

 その事に、私も神奈子も何も思うところは無い。

 あいつはいつだって、こちらの雰囲気や、場の流れを呼んで、いつの間にか、最も適しているであろう行動を起こしている。

 本当、あいつは犬なのではなく、どこぞの神の依り代なのではないかと疑ってしまう。



「あの二人はどうした」

「一角と、太郎、だっけ」



 あぁ、と頷く神奈子が、こちらに寄越した杯に、酒を注ぐ。

 それを受け取り、唇を湿らせる感覚で、一口飲んだ。―――うん、美味しい。



「太郎は限界だったみたいで、社の一室で熟睡中。神気が多く集まる場所に寝かせておいたから、きっと明日の朝はピンピンしているよ」

「では、鬼の方は」

「それは―――」



 ミシリ、と。かなりの重量が、木製の床を鳴かせる。



「―――呼んだか?」



 ビリビリと、重低音を響かせながら、たった今話題に上がった者がぬるりと現れた。



「呼んじゃあいないけど、お前が今、どうしてるのかと思ってね」



 身長二メートルを超える巨漢。

 額から伸びた白銀にも似た輝きを持つ角が、月下に爛々と照らし出されていた。

 その手には、酒の肴である、木の実や穀物、海や川の幸が抱えられており、その後ろには、勇丸が控えていた。

 行動の早い事だ。彼が立ち去ってから、僅かの間しか経っていないというのに。



「こいつに頼まれて、酒の肴を持って来てみれば……。何だな、この国の主神達との会合に出くわすとは思わなかった」



 どかりと持ち物を床に置き、私の右に、神奈子と同様、胡坐をかいて、座り込む。

 左から、神奈子、私、勇丸に、一角と。

 神が二人、妖怪が一人、賢狼―――いや、犬だったか――ーが一匹。

 一同に集まった顔ぶれに、変なものだという感想が沸き起こり、軽く笑いを誘う。

 大概のものならば、一緒にいるだけで尻込みする面子だと思うのだが、それを全く気にする風もなく、一角は、こちらの酒を強請る様に、自前の杯を掲げて来た。

 そして、それに反応した神奈子が、小さな、けれど良く透った声で、鬼に向かって話しかけた。



「図々しい奴だ―――まぁ、お前には慣れたものか。西の末鬼、ピンガーラ」

「……今の俺は、ただの“一角”だ。―――お前、何処でその名を知った」



 並みの者なら意識が途絶えてしまう眼力を、鬼が向けてきた。

 だが、生憎と、ここにはその程度で怯む存在など居ない。



「何、神奈子、こいつの事、知ってるの?」

「お前はもっと、神有月の出雲に顔を出せというに。……はぁ……まぁいい。数年前か。西の大陸の神々から連絡があってな。ある息子がそちらに向かっているかもしれない。見つけたら、戻るように……連れ戻すように動いてくれ、とな」

「それがこいつだって?」



 一角は、好きにしてくれ、と言わんばかりに、夜空を見上げて、こちらに壁を作り、隣に居た勇丸の頭を撫でる。

 だが、それはあまりお気に召さなかったらしく、とうの勇丸に軽く睨まれ、『あぁ、すまん』とその手を引っ込めた。

 少し不貞腐れた鬼の表情に、真新しさを発見しながら、私は神奈子の言葉に耳を傾けた。



「何でも『耐性ができる』、あるいは『二度と通用しない』という能力持ちだぞうでな。一度受けた攻撃は通らず、一度対処した攻撃は、二度と防げんそうだ」

「げ、なんだいそれ」

「その能力故に、立場の逆転を恐れた神々達が、半ば幽閉に近い形で閉じ込めていたそうなのだがな……」



 神奈子が、ちらと一角に目を向ける。

 目線を向けられた、その鬼は、首を竦め、『そうだ』と肯定する仕草をしてみせた。



「力が発揮されるまでには、少し時間が掛かるんだけどな」



 そう言って、少し遠くに目線を送りながら、この鬼は、自らの経緯を話し出した。



「幽閉もそうなんだが、おっかぁが、二度と釈迦にさらわれるってのはごめんだ、って具合でな。生まれてこの方。幾年も、監禁生活よ。相当、おいらを失うのを恐れたんだろうな。……我ながら、可愛がられて育ったもんだから、能力の方が殆ど育たなくてよ」

「おっかぁ?」



 それに、釈迦? あの、天上天下、唯我独尊とか言いながら生まれらっていう?

 そんな事を考えながら、その『おっかぁ』とやらの事を訊ねてみると、



「あぁ、こっちじゃ、鬼子母神って名で通ってるんだったか」

「―――そりゃまた、九十九は面倒な相手を打ち負かしたもんだねぇ」



 最悪、鬼子母神が乗り込んできたかもしれない事態であった事に、私は背筋を凍らせた。

 齧った程度の話を真に受けるのなら、恐らくそいつには、私も神奈子も、負けはしないだろうが、太刀打ち出来るものではない。

 呆れ顔で呟く私に、一角はその時の光景を思い出したのか、口元を吊り上げて、楽しそうに語り出した。



「ありゃあ凄い光景だった。確か、西洋の神に仕える僕……天使、っつったか。そいつらが、唐突に、わんさか出てきてよ。こっちの攻撃は通らねぇわ、気孔弾みたいなもんは撃ってるわで、てんやわんやってやつよ」



 体全体が振動するほどの大声で、隣の妖怪が笑い出す。

 五月蝿いったら、ありゃしない。

 けれどそんな迷惑も、外の下々には届かない。

 伊達に九十九との宴会を楽しむ為の、私と神奈子合作である、防音結界は整えていないのだ。

 しかし、天使と来たか。

 純白の鳥の羽を生やした者達だと聞いた事があるが、悪魔なり天使なり、それら対極の者を呼び出し使役しているあいつは、一体何の能力ならば、それを可能にするというのだろうか。

 神力とも、魔法とも、呪術とも、どれとも部類出来て、けれど、そのいずれも関連性が見出せない。

 神奈子ではないが、これでは私もゆくゆくは、あいつに事の真偽を問い質してみたくなるというものだ。



「本当、外界ってのは面白いな。いい加減、神界にも飽きたんで―――ごほんっ―――今まではおっかあの顔を立てるつもりで従って来たんだがな。数百年は長過ぎだろ。と、思った訳だ。それに、そろそろ親離れしねぇとな。……嘘は言ってねぇぞ」



 気にする位なら、言い直さなけりゃ良いのに。



「……で、こんな東の彼方の地まで来た、と?」

「ここには、おいらの種族が結構居るって聞いてな。いっちょ、それの頭になってみようかと思ってよ」

「……まぁ、こっちを害さない分には良いけどね」

「どうだろな。約束はできねぇ」



 全く、鬼って奴は。



「……はぁ。正直なのは良いけどさ。せめて口に出さない、って選択肢は無いのかい?」

「口に出さない、なんて、言ってないだけの嘘と変わらんだろ」



 なるほど、そういう考え方もあるな、と歓心していると、一角が、今の言葉に続きを足してきた。



「―――と、ついこの前の宴の席で、九十九に言われたんだがな。それを言われるまでは、おいらも、その選択肢ってやつを選んでたクチだ」



 面白いものが聞けた、と、神奈子の瞳に愉悦の色が混じる。



「いつの間にか、一丁前の口を効く様になったではないか。これなら、戻ってくる分には地方の領主か、千人隊長の地位でも与えられるかもしれんな」

「あぁ、そりゃ無理だ」

「―――ほう? それはまた、何故だ、と訊ねても?」

「だってなぁ……」



 楽しげな軍神の言葉に、一角は顔を顰めながら答えた。



「あいつその後に『ただし俺は例外な!』とか言って、すっげぇ自慢顔しながら思いっきり逃げの一手打ってたからな」

「えぇー……」



 カッコ悪過ぎだよ九十九……。

 溜め息と共に、私の中では、九十九に対する何かが幾つか零れていったような気がする。



「はははは! そうかそうか! 鬼に打ち勝ったというから、何かしら、一皮向けたのかと思えば!」



 堪らなく面白い。

 そう、大声で笑いを木霊させる神奈子に、少しだけではあるけれど、勇丸が尻尾と耳を垂れさせている。

 神奈子、少しは気にしてあげようよ。勇丸が可愛そう。

 九十九は……ま、別にいいか。



「―――しかし、何はともあれ、あいつは己の信条を守ったのか」

「……ん、まぁ、そういう事になるのかね」

「おいら達はボコボコにされたけどな」



 互いに、星空へと視線を向けた。

 本当、変な奴だ。

 私に妖怪だと啖呵を切り、神奈子に立ち向かい、、鬼と渡りをつけて、そして、それら気概を微塵も感じさせる事が無い。

 意識して、そう見せているのだとすれば、天下一品の役者か大道芸人にでもなれるだろうが、多分、九十九は本当に、ただそんな威厳と気品に満ちた行動が出来ないだけだ。

 また、溜め息。けれど、胸の奥から込み上げて来る温もりに、自然と笑みが零れる。

 ホント、なんでこんな奴を――――





 ―――突如、夜空が白く、瞬いた。






 星達の輝きとは全く違う。

 夜に太陽でも昇った様な光に、私達の誰もが息を呑み、その光源―――月へと視線を向けた。

 国の者達も気づいたようで、少しずつ、けれどそれは大きな波紋となって、人々に動揺と伝播させていっている。



「諏訪子」

「ああ」



 最大の警戒を以って、上空の月に意識を集中する。

 一瞬だけ見えた、光の柱。

 月からまっすぐこちらの大地へと伸びていたそれは、段々とその光を弱めながら、ついには夢か幻のように輪郭を失いながら、元の静かな夜へと溶けていった。

 かなりの距離であったというのに、否応なく、私達には分かる。

 肌を焼くような力の本流とでも呼ぶべき何かが、一瞬だけではあるが、私達を通り過ぎていった。

 この分ではこの地にいる者だけに留まらず、大陸に居る者は勿論、その外の国々ですら気づいた事だろう。


「おいおい……何だよありゃあ……」



 神奈子は既に、この場には居ない。

 この騒動を治めるべく、逸早く広場へと向かっていった。



「知らぬ。我はいつ事が起きてもいいよう、神気を巡らせる。妖怪たる汝には心地悪かろう。早めにこの地を去る事を奨めよう」



 自然、口調が過去のものへと。初期の頃に民達に望まれたものへと変調ていく。



「おいおい、おいらは鬼だが、住んでた場所は神界だそ。とっくに耐性は出来てらぁ。……というか、お前の気配はこっちが本当か。神気が数十倍も膨れ上がってるじゃねぇか」

「戯け。口調の変化如きで、我らを計るでない。どちらも本当の我の姿だ」

「あぁそうかい。あれか、平常“もーど”と戦闘“もーど”ってやつかい」

「……九十九か」

「あぁ、だが、“もーど”って言葉は、西洋の神々が統べていた土地での言葉の一つだ。それをあいつが広めたのか、元から使っていたのを使っているだけのかは、知らねぇがな」

「……ほんに、あやつは何者か分からぬ存在よな」

「全くだ。―――さて、一宿一飯、って訳じゃあねぇが、お前は九十九の“良い人”で、ここはあいつのお気に入りの場所だって言うじゃねぇか。友達の好だ。一つ、おいらも角を貸すぜ」



 一瞬、万人の声を余すことなく聞き入れている事の出来る、我が耳を疑った。



「九十九の……“良い人”、だと?」

「あぁ。九十九がな、お前に接吻されたのを、心底嬉しそうに、涙流しなら語ってたもんだから、てっきりそういうもんなのかと……。ん? 涙を流したのは違う理由だったか……?」



 むんむんと唸りながら、首を傾げる大男を尻目に、我は、異様な熱に浮かされる羽目になる。

 そうか……。九十九が、我の事を……。



「ははは―――うむ、やはりこの感覚は、心地良い」



 誰に聞かせるでもなく、自然に口から、思いが零れる。

 季節の一巡など、神たる我からすれば、刹那にも似た時間であるというのに、今はその刹那の中の刹那ですら、一日晩秋の思いに似て。

 我は―――私は、彼を好ましく思っている。

 その事実に、酷く心を掻き乱されながら、それがとても素晴らしいものだと確信出来た。
 









「民達は抑えて来た。また何か起きぬ限り、これ以上動揺する事は無いだろう。―――お前達、何をやっているのだ?」



 事を終えた神奈子が一角と勇丸、そして諏訪子の居る社へと戻ってみれば、低い唸り声を上げながら考え込む鬼と、目を大きく見開いて、何かに対して満足気な笑みを浮かべている諏訪子と。

 それらの出来事を全く意に返さず、一人で月を睨み―――否、見据えるように、観察し続けている、勇丸であった。



「なに。幸福を噛み締めていたところだ」

「こんな状況でか?」

「こんな状況で、さ」



 諏訪子は、既に神気を国中に展開し、いつ何が起きても良い様に準備は終えている様子だったが、若干何かに呆けている表情なのは、一体何があったというのか。

 疑問に思う神奈子であったが、それを訊ねるよりも早く、逆に諏訪子に疑問を投げ掛けられた。



「それで、そちらの方では何か判明したか?」

「全く。何も」



 神奈子が、成果を完結に述べた。

 少し眉をひそめる諏訪子であったが、彼女が分からないと言ったのだ。

 これ以上、何を聞いても、進展は無いだろうと、諏訪子は判断する。



「……そうか……一角、お前も唸ってないで、何か考えを述べてみよ」

「……ん? ……そうしたいのは山々なんだが、俺もそこな軍神様と一緒さ。月で何かあった、位しか、思いつく事はないな」



 言われ、先程と何一つ変わらず浮かんでいる天体に、彼ら三人は再び目線を向けた。

 数刻前と色褪せる事無く輝き続けている夜の太陽が、つい今し方の出来事を、まるで何かに化かされた印象を感じさせた。



「狐や狸の仕業……な訳はねぇか」



 鬼の呟きに、軍神が答える。



「幾人もの人間のみならず、我ら神や、大妖怪に部類されるお前を欺く力があるのなら、既に力関係は逆転している筈だ」

「その逆転の発端が、今の光景でったやもしれぬな」



 神奈子の言葉に、諏訪子が自分の考えを付け足した。

 しばらく考え込む皆だったが、やはり結論は出ないまま。

 お手上げだ、と言わんばかりに諏訪子の態度が崩れ、つい先程までの、親しみやすい空気を纏い直した。



「あ~、さっぱり分からないね。一角も神奈子もお手上げじゃあ、この国で分かりそうなのは誰も居ないじゃないか」

「困ったな……。そうだ。あまり遠くへ呼び掛けるのは出来ないあ、他所の国の者達にも尋ねてみよう。この光景を見たのは、我々だけでは無い筈だ」

「分かったら、おいらにも教えてくれ。そこから何か手繰れるかもしれねぇ」



 うむ、と頷く神奈子が、それを行おうと神気を纏う。

 自分もやるか、と、それに習って力を集中させる諏訪子に。



 ―――今まで沈黙を保っていた勇丸が、遠く、遥か遠くの、あの月にまで届きそうな遠吠えを発した。



 冷え切った夜空に響くその声は、何かを懐かしむような、誰かに呼びかけるような、そんな音色であった。

 神奈子も、諏訪子も、一角も。

 誰もが彼を、心の何処かで『この件では力にならないだろう』と割り切っていただけに、その彼の行動には、思わず息を呑むものがあった。



「勇丸、どうした」



 気高く吼える者の横に腰を落とし、一角は訊ねた。

 この鬼に犬である勇丸の言葉は分からないが、けれどそれが分かるものが、この場においては二人も居る。



「……居るって」

「あん?」



 か細く声にした土着神の言葉に、一角が懐疑の声を上げる。



「九十九が、あそこに居るって」



 そして、唯でさえ大きなその目を、はちきれんばかりに見開いた。



「あそこって……あの月に、か?」

「うん」

「だってお前……あそこは……」



 そこで、この鬼は、ふと疑問に思った。

 一体、あの月という空に浮かぶものは、何なのだろう、と。

 自分がこの世に生を受けて以来、ずっと変わらず、あそこに存在していたもの。

 そこにあり続けているものだったから、例え疑問に思ったとしても、大して追求する気など起きなかった。

 そんな場所に、あいつは居る。

 信じがたい事だが、誰よりもあいつを分かっているであろう、忠犬が、そう言うのだ。それは真実なのだろう。



「……思考が及ばぬな……一角、諏訪子、あそこには―――月とは一体、どのような場所であったか」



 それは、空に光り輝く星々に『あれは何?』と問い掛けているようなものだ。

 誰もがそれに疑問を持たず、仮に持ったとしても、本当にそれを調べるような物好きは、この場にいる誰もがそんな人物など知らない、と答えられる。

 この大陸―――島国では、兎とも。他の大陸では、棍棒を持つ人間とも、両の爪を振り上げる蟹が住んでいるとも言われているその優しく光り魔的に輝く存在は、誰もが幻想と信仰と様々な思いや考えを巡らせながら―――けれど誰もが、それを真剣に調べようとはしなかった。

 故に、分からない。

 文献などある筈もなく、それを調べる術も無い。

 当然……それを知っている者など、それこそ、あそこに住まう者達だけだろう。

 何かの生き物が居れば、の話ではあるが。



「そういえば……」



 神奈子はふと思い出した。



「過去の出雲の集会の折、愛宕の者や他の幾人かが、魂を天へと向かわせた事があった、と言っていた」



 その言葉に、諏訪子が反応する。



「天?」

「うむ。綿月の神々に呼ばれた、と言っていたが……」

「綿月……の神々? そんな同属居たけ?」



 一瞬眉間に皺を寄せ、神奈子は目を伏せる。



「……まぁお前は生まれてきたのは民達が営みを持つようになってからだったから、知らぬのも当然か」

「何だ、結構有名なのか?」



 そんな奴居かた、と一角が唸る。



「釈迦様やインドラ様辺りならばお詳しいだろう。かつて彼らと共にこの地に住まわれていたそうだが、かなり昔の話だそうだ。私も見た事は無い。時折我らをいずこへと呼び出している、とは聞くが―――」



 そう言って、神奈子は顔を上げて月を見据える。



「九十九……」



 黄金色の髪を持つ、小さき者の思いが零れる。

 泣くように木霊する純白の獣の声に重なって、その呟きは、煌びやかに瞬く星空へと消えていった。











 ■□■□お知らせ■□■□



『pixiv』で『東方ギャザリング』を描いて下さった方がいらっしゃいます。
 一つはタイトルそのままである『東方ギャザリング』の、31話であるこちらの話を。

 そして、作者様の投稿コメントと照らし合わせて『え、これってもしかして……』と、筆者の勘違いであれば、赤面絶筆逃亡ものですが、13話『大和の日々《後編》』の、主人公に諏訪子さんが迫る場面を描いて下さったであろうものが記載されております。タイトル『ちゅー』。

■同作者様の作品の中には18禁の要素を含む内容もありましたので、ご閲覧される際には注意なさって頂けると助かります■




[26038] 第32話 移動中《前編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/09/20 20:50






「……で、これどういう状況なの?」



 不満とも諦めとも取れる、か細い声。

『僕、やる気ありません』と体言するその姿は、左肩の服が千切れ飛んでいた。

 それどころか、衣類なんて、所々……どころか、既に全体がボロ雑巾の様で、新手のダメージファッションなのか、と錯覚してしまいそうになる。

 じと目で暗き虚空を見つめながら、その男―――九十九は、隣にいた青き者に、大雑把で投げやりな感じで、説明を求めた。

 少し前ならば、幾許かの羨望と尊敬の念を込めた言葉遣いをしていたというのに、どうやら、それらは体力や精神力と一緒に、何処かへと飛んでいってしまったようだ。



 彼が見た光景。

 遠ざかってゆく灰色の山は相変わらずで、手を伸ばせば届く距離に、月のお姫様―――地球に降りない方―――が倒れている。

 で、さらに意味が分からない―――というか、誰かに今の状況を尋ねたくなったもっともたる原因が、そこには居た。



「……なんでお前が居るのよ、蓬莱山 輝夜」



 その表情からは何も読み取れないが、全くこちらに反応せずに、声どころか目線―――眼球すら動かずにいる、優雅に佇む女性が一人。

 月のお姫様―――地球に降りる方―――こと、竹取物語の主役、かぐや姫その人であった。





 話は、ほんの少し遡る。

 輝夜が九十九に攻撃を仕掛け様とした、その刹那。

 彼女は一切の能力行使を止めて、その場へと、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 それから数秒。

 遠くの岩場の影から、ゆっくりと、長身の男が歩み寄ってきた。

 疲労感を滲ませながら、足を引きずりつつ、何とか歩行を成立させているその姿は、満身創痍の言葉を体言していた。

【プレインズウォーカー】【ジェイス・ベレレン】その人だ。

 外傷は綺麗に塞がっているようだが、その分、体力がごっそりと奪われているらしい。

 本来ならまだ休んでいなければならないのだが、彼がたまたま意識を取り戻した時―――それが、輝夜が九十九へ攻撃を仕掛け始めたのを、強力なテレパスで感じたのだった。

 彼は即座に、あの八意永琳にも有効であった、精神掌握を開始する。

 どうしても若干の時間は掛かってしまったが、それでも輝夜といえど例外では無く、PWの力の前に、その心を喪失してしまった。

 木偶と化した彼女の表情には、一切の抵抗の名残すら見受けられない、あまりに鮮やかな手並み。

 疲労の極みであるとはいえ、ジェイスの力は、紛れも無く本物であった。

 そして輝夜の記憶を読み、事のあらましを察したジェイスは、まずは思考がループしている地上人を目覚めさせようと、彼女に能力を使わせて、解除させ、現在に至る。



「……と、そういうこと?」



 頷くジェイスを見て、九十九は再度、放心状態となっている輝夜と、進行中の【マリット・レイジ】を視界に収める。

 どうしたもんかと満天の星空を眺めてみるも、『星、綺麗だ』とかどうでも良い考えしか浮かんでこない。



 ……いやもう、結構ギリギリだったっぽいね。

 ダメージ系なら無効出来る現状だが、思考操作とかはノーサンキュー。ものの見事に効果覿面でした。

 彼が助けてくれなったら、俺は一体どうなっていた事やら。鉄格子付きの個室に移住させられてたかもしれん。月にそんな場所があるかどうかは知らないが。



(はぁ……何から考えたら良いもんか……)

 

 妙案が出るまでには今しばらく時間が掛かるだろう、と、疲労困憊の体を大地に横たえて、仰向けで大の字になった。

 決めの細かい月の砂を触りながら、まずはもう一度、今までの出来事を順番に思い出してみようかと、目を閉じようとする。

 が。



「……ん? どうした、ジェイス」



 念話で呼び掛けて来る方に顔を向けると、彼は一つ、ある事の予想を話し出した。

 怪訝な声色。

 不安と疑心が混ざり合っているそれは。彼の心情をよく表していたのかもしれない。



「え……月の都……?」



【マリット・レイジ】が進む先。まだかなり距離はあるものの、いずれはそこへ辿り着くだろう、との考えを聞いた。だから、考える前に、まずは彼女を止めるべきだと。そう、ジェイスに進言されたのだが……



(あぁ~……そういや暴走しているってのは俺くらいしか知らないのか……ってか、なんでそっちに向かってるんだ……)



 輝夜の記憶を読んだからとて、それが全ての事態を把握するには至らないのだ。

 その結論に行き着いた九十九は、改めて、今までに経験した出来事を話す。



 依姫と戦った事。

【マリット・レイジ】が暴走した事。

 輝夜が現れ、精神を弄られた事。

 話し終えた時、彼は合点がいったとばかりに、うんうんと頷く。

『だから活力が奪われていたのか』とジェイスが締め括った言葉で、そういえば、と、九十九は彼女の―――カードとしての、【マリット・レイジ】を思い出した。

 そうして、点として浮上して来た疑問や案が、線で繋がった時。

 彼の脳内には、一枚のカードが思い描かれ、一つの構図が出来上がった。









『マリット・レイジの怒り』

 5マナで、青の【エンチャント】

 これが場に出た時、全ての赤のクリーチャーを【タップ】する。

 赤のクリーチャーは、そのコントローラーの【アンタップ】ステップの際に【アンタップ】しない。



『タップ&アンタップ』

 MTGの基本ルールの一つに、【タップ】【アンタップ】と呼ばれる行為がある。

 これらはカードを横(タップ)にしたり、横になっているカードを縦に戻したり(アンタップ)する行為を指す。

 これによって、クリーチャーの攻撃の有無が一目で判断出来たり、土地がマナを出したかどうかが分かるのである。

 例えば、クリーチャーが攻撃を宣言した時、攻撃を宣言したクリーチャーは、【タップ】される。

 これは、【アンタップ】状態―――カードが縦になっている状態でしか行えない。

 そのクリーチャーは、一ターンに一度だけ来る【アンタップ】ステップと呼ばれるフェイズが来なければ、基本は元に戻る事が無い。

 つまりは、【タップ】を要求される能力を持つカード―――行動の基本となるマナを生み出す【土地】や、攻撃の主力である場合の多いクリーチャーの攻撃が行えなくなるのだ。

 そして、クリーチャーはこの【アンタップ】状態でなければ、相手のクリーチャーをブロックする事が出来ない。







 それら【マリット・レイジの怒り】のようなカードを、何と呼称したらいいものか。

 MTGでもそうそうあるカードではないので、仮として、派生カードとでも名づけておこうか。気分で呼称が変わるかもしれないが(ぁ




 本来ならば、俺がカードを使わなければ起こらない効果である筈……なのだが、当然といえば当然で、当人が怒るだけで済む効果ならば、それを本人が使えない筈が無い。

 この【マリット・レイジの怒り】と呼ばれるカード効果は、要約するのなら、赤のクリーチャーの行動抑止。

 赤とはつまり、激情や憤怒といった、感情の爆発を司っている面がある。

 そして、【タップ】クリーチャーを【アンタップ】する行為。

 ギャザでは、【タップ】した各カードは、自分のターンに訪れる【アンタップ】出来る間が存在する。通称、【アンタップ】ステップと呼ばれるフェイズだ。

 それは一ターンに一度しか訪れず―――あたかも、疲れを知った者達が、休息の時間を必要としたかのようで。

 だとするのなら、これは恐らく、【タップ】が体力―――……エネルギー?―――を使う行為。【アンタップ】が体力を取り戻す行為なのではないか、と憶測を立ててみた。

 この仮説なら、さっきの出来事―――体力が極端に奪われ、感情が一定以上のテンションにならない理由も、説明が付く。

 ただ、体力と感情の熱を幾ら奪われたとはいえ、溶岩地帯まで冷却されていた理由には―――



(あ、そういえばあいつのカードの絵柄って……)



【マリット・レイジの怒り】に描かれた光景には、逃げ惑うクリーチャー達が、一瞬にして凍り付いていたかのような姿が写っていた。

 カード効果ってのは、文面や名称以外にも影響される部分とかあるのだろうか、とでも憶測を立てておこう。



 ……また、ギャザの不透明なルール解明の糸口が見つかった気がする。でも、これはこれで、また戦略の幅が広がったといっても過言ではないんだ。喜ばしい事だろう。

 しかし、【タップ】と【アンタップ】のこの効果。

 もしかしたら……



(これって、計らずも俺の体力制限も解除の兆しが……?)



 仮にこの説が正しいとしたのなら、【アンタップ】効果を自分に使用すれば、俺の体力は回復する事になる。

 うまい事これを利用して、【アンタップ】効果を永続―――あるいは一回でもその効果が現れてくれたのなら、こちらの戦略は、さらなる広がりを見せることになる。



(夢の二桁台マナの召喚も……)



 いける。きっといけるぞ。

 今まで『出しても維持出来んしなぁ』と諦めてたクリーチャー達が、戦力として期待出来る筈だ。

 グヘヘ的な悪い笑みでも浮かべていしまっていたのか、ジェイスが窘めるような視線を向けて来た。

 慌てて表情を取り繕ったところで、『今後はどうする』との相談を持ちかけられる。

 そうそう。今はギャザ能力の可能性より、起こってしまった出来事への対処だ。

 それには。



「ジェイスさ、あの子、正気に戻せる?」



 こちらが指差す先に、轟々と音を立てて動く、灰色の茨山が一つ。

 彼はしばらくそれをじっと見つめ、『やってみよう』と、成功率が不確定であろう返答をする。

 彼の十八番である精神掌握がどちらかといえばショートレンジな射程なのだから、こればっかりは仕方が無い。

 ……と、本人の言葉を要約した結果を反芻する。



(映画とかアニメとかだと、記憶操作系の能力って、頭とかに直接触れて何ぼ、って印象だしなぁ。……別階層に居た永琳さんとか綿月姉妹に仕掛けられるってだけでも、俺TUEEE宣言しても問題ないレベル……だもんな)



 というか、遠距離精神掌握とかチートじゃなくてバグ技の類では……。

 記憶の中にあるそれらの知識の大概は、相手の耐性が高くてミスしたり、気合とか根性とか仲間の声的なものですぐに復活したりするものだが、八意永琳にも効果のあった、そして、今現在も効き目が続いているであろう彼の能力は、もはや……



(うん、バグだな。彼は。流石ジェイス)



 実に良い笑顔で、今俺のMVP候補No1であるマリさん直伝、親指グッ! を披露しながら、満足な心境を伝える。

 一瞬、彼の口元が若干の“へ”の字になったものの、『君は楽しそうだね』的な意思を返してくれた。

 どうやら、今のこちらの思考は読んでいなかったようだ。



 そんな彼が、マリさんへの効果の程が分からないのだから、神ならざる俺には、分かるはずもなく。

 ただ、ジェイスの射程圏にマリさんを捉えるまでに、結構な距離を移動しなければならないのは、この先の苦労を思うと、ガクンと、心と体が重くなった。

 ゆうに数キロは移動しているであろう【マリット・レイジ】が恨めしい。



 と―――。



「ん? どした?」



 ジェイスが、先程とは対照的に、不適に口元を釣り上げる。

 ……おぉ、そういや元々は地球へ帰還する為に、彼を召喚したんだった。

 きっとこれ位の移動距離なら余裕でどうにかなるって意味なんだろう。



「え、違う?」



 こちらの考えを補足……訂正するように、『そうじゃないんだ』との念話を受け取り、俺は、はて、と首を傾げる。

 分からん。ならばどうして、そんな表情をしているのか。

 その疑問に答える様に、彼は腕を持ち上げて、あるところを指差した。



「……あ~」



 なるほどなるほど。そういう事か。納得がいった。



「じゃあ、お願いしますね。ジェイス―――いや、かぐや姫様」



 俺の言葉に反応し、すい、と優雅な一礼をする、月の姫。

 ははは、対人無双万歳だ。

 問題山積みには違いないが、それでも、人質兼、戦闘要員な状況にある蓬莱山輝夜という手札が、今の俺にはある。

 客観的に見たら悪役そのものだが、それでこっちの命が助かるなら安いものだ。喜んでその役を買って出よう。



(もうこの切り札は手放せない……。仮に手放すんなら、せめてもう少し事態の好転が見込める段階になったら……だな)



 具体的には、マナストックが回復する二十四時間後。

 強キャラ一人確保した事で、戦力的にも選択肢的にも段違いに跳ね上がっている。

 先程まで死と隣り合わせであったのが、嘘のようだ。

 これでは多少なりとも気分が高揚するもの―――だと思ったのだが。



(テンション上がんねぇ……。マリさんの能力のせいで、変な心境だなぁ)



 イマイチしっくり来ない展開だが、諦めよう。

 輝夜がゆっくりと目を閉じた。恐らく、能力を使うのだろう。

 さて、これからどうなるか。

 あまりに多過ぎる解決事項に膝をつきそうになるが、『なるようになるさ』なんて半ば投げやりな考えで、これからの事に対処していこうと思った。













 木霊する地響きの中。

 代わり映えしない風景にも飽く事無く見続けて、はや数刻。

 あれから……大体一日位は経っただろうか。

 体力の消耗を補おうと爆睡してしまったが、それでも目的地には到着していないようだ。

 のんびりと移動する【マリット・レイジ】の背中に座り、昨日の反省点を挙げてみる。

 といっても、一番やばかったのは輝夜の能力に掛かってしまった、あの時位のものだと思うが。

 ホント、ジェイスが助けてくれて良かったですよ。

 

 蓬莱山輝夜の―――永遠と須臾を操る能力。

 つまりどういう能力なのよ? と思って、大分前に調べてみた時の記憶から、引っ張り出してきた情報だと、結構難解な長文解説を、あっきゅん(稗田阿求)が『時間を操る能力だ』とまとめていた気がする。

 咲夜さんと能力被ってんじゃん。とも思うのだが、そこは色々と差異があるのだろう。俺には分からんけれど。

 で、その能力を使ってジェイスの時間を加速させ、【マリット・レイジ】のところまで一気に詰め寄ったんだそうだ。徒歩で。

 時間が止まっている中での移動だから、それは瞬間移動やらワープやらと言っても、過言ではない。

 元々マリさん、物理系のダメージに対しては完全無敵っぽいキャラだと思うのだが、搦め手―――精神系とかに対しては、時間も無限大に活用出来た効果も相まって、ジェイス曰く、そこまで苦労はしなかったらしい。

 ジェイスもそうだが、ぐーや様、マジバグってます。

 元々怒りで我を忘れていただけだったので、少し落ち着かせる様に精神の波を抑えてやれば、後は自然と落ち着いていったそうだ。



(そういや、ゲームでのマリさんも絡め手に弱かったなぁ……)



 というか正攻法で【マリット・レイジ】に対抗出来るクリーチャーがほぼ居ないだけなのだが。

 破壊不可で、飛行能力を有する彼女ではあったが、除去耐性には疑問が付きまとっていたのを思い出す。

 ギャザに限った話ではないが、MTGのクリーチャー対策とは、それを破壊するだけではない。

 ゲームから除外してしまったり、手札に戻されてしまったり、相手プレイヤーに奪取されてしまったり、行動不能の木偶人形にされたり。

 むしろギャザでは、ガチンコな大会だと、単純な破壊系は少ないくらいだ。



(良かった……依姫がそんな系の能力使ってこなくて、本当に良かった……)



 そういや神様って搦め手使ってくる相手って何か居たか?

 クトゥルフさんは除外するとして、俺の知っている神話の主神クラスは、どれもこれもがパワー=ジャスティス=そいつの全力、みたいな奴しか居ないんじゃないだろうかと思う。

 記憶している中で最も厄介だと思ったのは、睨むだけで即死する邪眼を持った魔神様だが、それとかが出てこなくて助かった、と、胸を撫で下ろす。呼べるのかどうかは知らないが。



 ―――そんな、結構綱渡りだった戦闘結果を省みる、月面でのひと時。

 マリさんの能力である【マリット・レイジの怒り】も解除……というか怒らなくなったので、それなりに体力は戻って来ている。

 俺達は、ゆっくりと進行中の【マリット・レイジ】の背中に、瞑想するジェイス、人形のように佇む輝夜、未だ昏睡状態の依姫と一緒に、ゆっくりと月面都市へと向かっていた。

 マリさんは維持費を考慮しなくて良いので大変ありがたいのだが、ジェイスと勇丸を合わせて計4マナの維持というのは、決して楽なものじゃあなかった。

 ただ常に横になれるし、ジェイスもいるし、始めの頃と比べれば持っていかれる体力も大分軽減さているのだと実感出来る。このままぶっ倒れる、という事態には陥らなさそうだ。

 そして依姫は未だに目覚めていないが、輝夜が無表情で後ろに待機している状況なので、ちょっと居心地が悪かったり。早く現地に着いてほしいッス。



 しかし、月の都市は結構離れていたようで、まさか一日近く移動に掛かるとは思っていなかった。

 ま。その間、俺は殆ど寝ていただけだったんだが、気づけば一日近く経っていたというのは中々に体力を消耗していたようだ。昏睡というよりは、昏倒に近かったんだろうな。きっと。

 こんな状態じゃあ、移動手段が徒歩だけとかになっていたのなら、目的地に着くまでに、一週間以上掛かっていたんじゃないだろうか。



「いやホント。マリさんが正気に戻ってくれて良かったよ」



 足を伸ばして座る俺は、体を支える手を用いて、そのまま彼女の頭を撫でる。

 ゴツゴツのお肌なもんだから、これじゃあ触っている事すら分からないかな、とも思ったんだけれど、音にも声にもならない『♪』とした感情が伝わって来た。どうやら、ちゃんと分かるらしい。

 いやぁ、癒されますなぁ。

 あの時はどうなるかと思ったが、正気に戻って本当良かった。

 正気に戻った時に『ごめんなさい』と言われたんだが、小さい子が親に叱られて謝るシーンが脳裏を掠めたもんだから……。

 いやもうね、『よーしパパ(略』的な気持ちが湧き上がってきまして。

 だからといって何かするという訳ではないのだが、もう色々とたまらん出来事でした。ええ。



 で。



「第一回、月の都市との交渉……謝罪……恐喝……? ……仲良くしよう会議ー!」



 即興で良い題名が思いつかなかったので、強引に押し通す。

 マリさんは結構ノリノリな感情なのが伝わって来るが、内容は分かっていないっぽい。

 ジェイスはジェイスで『そんなノリはもう出来ない』と、大人目線で拒絶された。

 くそぅ、大人ぶりやがって。こういうのは楽しんだもの勝ちなんだぞー。ぶーぶー。



【マリット・レイジ】という存在の上で、ジェイスと俺が互いに面と向かい合い、話し合う。

 その横には、意識を失っていようとも精神を奪われようとも、何一つ色褪せる事の無い美貌と容姿、品性を持つ、月の姫君が二人。

 一人は無言で正座をし、無表情。

 もう一人の状況は変わらず、あれから一度も目覚めてはいない為、体を横たえている。



(依姫は寝てるから良いけど、ぐーやが無表情ってのが怖いんだよなぁ……)



 不満と冷や汗タラタラな俺に苦笑しながら、ジェイスはこちらの続きを促して来た。

 むぅ。完全に、子供の遊びに付き合ってあげている、お父さん状態だ。

 うーん、流石にいきなりこのテンションでは厳しかったか。以後気をつけねば。



「おほん……。で、今回の目的は、月の都市との今までの諍いを清算する事にあります」



 そう切り出して、俺は今回の目標を、彼らの前で掲げた。



 一つ。月と和平交渉を結んで、今回の事を許してもらう。

(意訳)今後俺にちょっかい出すんじゃねぇぞ。

 一つ。今回の被害についての補填は、こちらに害の無い限り、積極的に協力。

(意訳)気分が乗ったら弁償してやる。



 この二点位だろうか。うぅん、上から目線万歳。

 そしてここが最大の―――というか、交渉以前の、まず第一に行おうと思っていた事なのだが、ジェイスが俺を守る為にしてくれた、永琳さん、綿月豊姫の意識回復。

 これをしなければ、俺の交渉は始まらない……というか、何より、俺がそんな状態でいたくない。

 僅かの間とはいえ、同じ屋根の下で同じ飯を食べ、笑顔を向け合った仲である。一刻も早く起こしに行かねばならない。



「そういえば……戦死者って、出てる?」



 マリさんに念話で尋ねてみると、『分からない』との返答が。

 それもそうか。幾ら彼女が強力な存在で、手加減してくれていたといはいえ、あの千に届く勢いの軍勢相手に、一つ一つ安否を確認などしていられなかったのだろう。



「ん~……あ」



 そうだよ、今こっちの手札には彼女があったんだった。



「かぐや姫。そちらでは何か情報掴んでますか?」

「いいえ、私が知り得た情報の中では、それらしい項目はありませんでした」



 何ともはや……。機械と話している心境だが、下手に自我が戻って殺されるよりは断然マシだ。諦めます。



「死者は居なさそう……と。まぁ仮に居たとしても……。おほん。後は永琳さん達を起こせば、交渉の前提条件はクリア出来そうかな」



 月側は、それが原因でこちらを殺害しようとして来たのだ。

 それを取り除かずして、和解という目的には辿り着けず、対話という席には着けない。



「……ん」



 横から声がする。

 それに反応し、ジェイスが『そろそろだ』と進言して来た。

 何がそろそろなのかを普通なら疑問に思うだろうが、聞こえてきた声からして、既に予想はついている。



「ここ……は……」



 綿月依姫、ご起床です。



「おはよう」

「……? あ、あぁ……おはよう……」



 どんな相手でも挨拶は忘れない。

 ……状況に余裕が出来てたまたま覚えていただけなのだが、それは俺だけが知っていれば良い事だ。

 まだ状況が掴めてないんだろう。反応がポケポケしてて、可愛い気がする。



「君、ここは……何処……痛っ―――」



 あぁ、急に起き上がろうとするから。



「まだ安静にしておいた方が良い。心体共に、結構ボロボロになってたからな。後少しで月の都に着く。それまでは寝とけ」

「そうか……すまない……」



 そして、俺の言葉に従うように、再び体を……



「……?」



 横たえる前に、俺の顔をじっと見る。



「……」



 ニコリと返す仲でもないので、じっと見つめ返す。

 ふふふ、美人にマジマジと見つめられると……あれ、何とも思わないな。

 何だ、ガチンコし合った仲だから、神奈子さんの時みたいに気持ちの何処かでストッパーやらブレーキやらが掛かっているんだろうか。



 ―――そのまま、数秒。

 視線をゆっくりと俺の前―――ジェイスへと移す。

 時に気にした様子も無く、彼は無言で佇んでいる。

 相変わらず、フードに隠れて目元が確認出来ない状態で、見詰め合う二人。

 と。



「―――疾ッ!!」



 依姫の体が馳せて、佇むジェイスに向かってその手を突き出した。

 辛うじて分かるのは、その手が握り拳などではなく、五指を真っ直ぐに伸ばした、手刀と呼ばれる形であった事。

 局部破壊に優れているその攻撃方法は、こちらの戦力―――ジェイスを無力化し、状況を打破しようという道筋がありありと読み取れた。

 だが、



「ぐっ!」



 彼女の体は、彼女自身が思うよりも遥かに限界に達していたようだ。

 勇んで立ち上がり、肉薄する姿勢を象ったは良いものの、そこから空気の抜けた風船人形のように、その四肢を弛緩させて、再度【マリット・レイジ】の頭上へと崩れ落ちた。



「あ~あ~……だから言ったじゃないか」



 苦悶の表情を浮かべた依姫の体を押さえつけて、強引に仰向けに寝かせる。

 抵抗と言えなくもない抵抗があったものの、それらは微力なものだ。過去に【お粗末】を掛けた神奈子さんよりも劣る。

 よほど節々が痛むのだと思われた。



「き……」

「うん?」

「貴様……達は……」

「多分、お前の思っている通りだと思うぞ」



 少し含みを持たせて答え、何の感情も表していない顔で、



「初めまして、綿月依姫。―――地上からやってきた、九十九だ」



 あんな光景を見た後では、とてもじゃないが握手なんてする気にはならないけれど、一応は自己紹介をしてみた。

 鳩が豆鉄砲。な顔で固まる依姫だったが、少しの間を置き、その表情を憎々しげなものへと変貌させる。

 体が動かないから良いようなものの、そうでなかったのなら、その先の展開は容易に想像出来るものだろう。



「……既知か。大方、永琳様から聞いたのだろう。―――こちらの名を知っているのなら、紹介の必要はあるまい?」



 理性と感情のせめぎ合いの中から作り出される言葉に内心で怯みまくるものの、俺はそれを御くびにも出す事は無い。

 何せ、こいつはこちらの命を狙って来た敵対者。

 今でこそこうして何気なく言葉を投げ掛けていられるけれど、眠りに着く前までは、―――例えその心臓を引きずり出そうとも排除する気概があった程だ。こちらの弱みを見せる必要が無い。

 などと我ながら物騒な事を思っていると、依姫は痛みを押し殺しながら言葉を続けて来た。 



「何が望みだ、外なる者。何を偽っているか知らんが、今更お前を地上人などと思えるものか。……こうして私を生かしているんだ。私に何を期待している」



 ……過去にも正体について色々言われてきたが、それらはとうとう太陽系を離脱してしまったっぽい。

 俺からしてみればお前らの方が宇宙人だっつーの。

 うぅむ。今のお話にはどっちの質問から答えたら良いものか。

 前者はあれだ。面倒だからパス。

 解決したからといって何が変わるとは思えないし、今は他に優先して対処していなければならない話もある事だし。



(……まぁ、いいけどさ。俺自身の事で疑問に思われる事なんていっぱいあったし)



 内心で、諦めと共に呟きが漏れた。

 土着神の諏訪子さんなり、軍神の神奈子さんなり、鬼の一角なり。

 はたから見たら、俺の正体は意味不明な者に写っている。

 こっちとしては『種族・魔法使い』的なもんだと思うのだが、クリーチャー召喚や各種呪文を唱えたりするのはまだ分かるとして、【土地】を一瞬で創造したりするレベルのものが、俺の場合は何のデメリットもなく実行出来るのだ。それも、ほぼノータイム。

 MTGという存在を知らない者からすれば、俺の能力はどの事前知識にも該当しない―――全く別の理に生きる者として写る事だろう。



 ―――さて。

 では、仲良くなる気があるんだか無いんだか分からない対話を始めようか。

 仲良くなれるに越した事は無いが、話す相手は少し前まで命のやり取りをしていた間柄。多少なりとも、感情はささくれ立つというものだ。

 落ち着きを持って冷静に進めなければならない、とは分かっているけれど、それを貫徹出来るかどうかは、それこそ気分一つなものである。



「お前を助けたのは、今でこそ月との交渉に役立ってもらうと思っちゃいるが、初めは何か目的があった訳じゃない。……何となくだよ。気づいたら、体が動いてた」



 横でジェイスが苦笑しているのが分かる。わざわざ自分から不利になりそうな発言をしなくても。と、思っているのだろう。

 うん、その、それはそれで良く分かるんだが、生憎と俺は頭の出来がよろしくない。 

 色々と有利な言葉を並べ立てるのも吝かではないんだが、偽りはいつか、俺自身へと返って来る。

 どうでもいい相手ならそれこそどうでもいいんだが、今回は相手が相手だ。出来ればきっぱりと関係を清算しておきたい。こっちの気持ち的にも。

 ……ただ、我ながら何とも言い難い受け答えをしたものだ。

『助けたいと思ったから助けた』など、あれだけの事をやらかした後で、ただただ虚しく響くだけの綺麗ごとに聞こえるだろう。

 胡散臭く答えてしまったと後悔し、それを聞かせた依姫は、



「―――」



 眼を皿のように見開いて、大層驚いたと言う風な顔をした。



(信じられるわきゃねぇか……自分でも嘘くせぇって思うし)



 拳銃乱射しながら『私ハ博愛主義デース』とかのたまってる気分だ。

 言ってる事とやってる事がものの見事に乖離しているんだから、逆にこれを信じる奴には何か欠落してると考える方が自然だろう



「信じるか信じないかは」

「分かった、信じよう」



 ……ってヲイ。

 欠落者一名発見だ。

 今までの俺の思考を全否定しやがりましたよこのお姫様は。



「……自分から言っておいて何だが、何を根拠にこんな胡散臭い話を。……それともあれか。こっちを油断させる為の口当たりの良い虚言か?」



 あまりにあれな展開に、今度はこっちが疑心暗鬼に掛かってしまう。

 尽きぬ疑問にジェイスへと確認の意思を送ると、僅かに頷き、今の言葉が本意であった事の裏が取れる。

 ……だから、ますます分からなくなる。

 一体今の話の何処に、こちらの話を信じられるだけの何かがあるというのか。



「根拠、か」



 小さな呟き。しばらくの間。



「光に飲まれる直前、歌が聞こえたよ」



 何かに思いを巡らせながら、一つ一つ答えを積み重ねるように、依姫は言葉を続けた。



「今まで聞いた事も無い。暖かで、優しく、こちらの全てを包み込んでくれたものだった……。あれはお前の仕業だろう?」

「……あぁ。(あ~【恭しきマンドラ】か)」



 その場に居るクリーチャー全てに、こちらが指定した色の【プロテクション】を付与する魔法カード。

 実際に使ったのはあれが初めてであったが、あの時は気持ちが興奮状態であったので余裕が無かったけれど、今こうして思い返してみると、影響力的に、実に壮大なカードを使ったのだと実感出来る。

 効果云々はさて置き、あの何処からとも無く聞こえてくる歌声は、万人の魂を振るわせるのには充分な影響力があった。……誰が歌っていたのかは知らないが。



「あの時、私は光と共に消え去っている筈だったが―――分かる。あの歌声で、今私はこうして、痛みを感じられる。生を実感出来ているのだ。“貴様のお陰などと言うつもりは毛頭無いが”……」



 軽く咳払いをし、一旦言葉を止めた後、



「何より、私は敗者。あれだけの事をお前にしたというのに、満足に体を動かせないとはいえ、こうして何の拘束もなく、何の恥辱も受けていない。あんなものを体験しては、な。少しは耳を傾け、信じてみようという気にもなるというものさ」

「……そんなもんかねぇ」



 要らん事まで言葉にしていた気もするが、いちいち腹を立てるのも何だ。スルーしておこう。

 歌の影響なのか。【プロテクション】効果の影響なのか。それとも、それらの流れを作り出した俺達の影響なのか。

 どれがどう彼女の琴線に触れたのかは今ひとつ分からないが、本心でこちらの話を信じてくれた……と、判断して良いんだろう……か……?

 少しは交渉の余地はある、と思って良いのだろうか。

 一応はこちらを理解しようとする姿勢は見受けられるのだから、皆無って訳じゃないだろう。



「それで、そんな気紛れ一つで私の命を弄び、あまつさえ交渉材料の一つとして扱おうとしてくれている下種な貴様は、これから何をする気なんだ?」



 ―――前言撤回。やっぱり無理そうです。

 そうだった。こいつ今、超怒ってるんだった。

 ……というか、こいつ自分の置かれてる状況を理解してるんだろうか。自分の行動一つ、言葉一つで、自分の命がどうとでもなる状況下だというのに。

 ―――と。ジェイスから、今の俺の疑問への答えが伝わって来た。

 ……なるほど、そういう考えならば、今のような態度も頷ける。



「……無駄だ、綿月依姫。幾らこちらを挑発したって、俺達はお前を殺さない。……というか、それだけで挑発だと思ってるのはお前位のもんだ。あれ位、ちょっとイラっとする程度のもんだぞ」

「何!?」



 驚きで大声を上げたかと思えば、口元に片方の握り拳を当てて、こちらを無視して考え事を始めた。

 ―――彼女は、自分が交渉材料になると分かった瞬間、即座に自害を考えたんだそうだ。

 けれどそれを行うには体力が足りず、状況も許してくれそうに無く、こちらを刺激する事でそれを達成しようとしたらしいんだが……流石にあの程度じゃあなぁ。罵詈雑言のスキルがほぼ皆無だと思われる。

 というか、自害の方法など他に幾らでも考え付くものだと思うのだが。舌を噛み切るとか、そんなのが。即死系でも狙ってたんだろうか。



(育ちが良すぎるんかねぇ。月ってのは穢れの無い場所だって聞いてたけど、それも影響あるんだろうか……。あ~、そんな環境を考えれば挑発スキルが上達する筈も無いか)



 アメリカ海兵育成マニュアルばりの下品な言葉遣いを教えてやりたくなるが、今は自重。

 こいつ、あれだ。俺でも分かるくらいに性格真っ直ぐです。

 誰かの為に怒り、自分の気持ちに正直で、信じられる事―――認めるところは認める。

 そして、自分の命よりも大事なものがあるときた。

 ともすれば意固地なだけの印象しかないが、美人は得なもんだ。多少の我が侭などは、むしろチャームポイントにすら見えてくるかもしれない。



 ―――まずいな。

 演技ではない、というジェイスのお墨付きを貰ったせいで、依姫の行動全てが、全て彼女自身の本質を表現しているのだと分かってしまう。

 向こう見ずなところも、感情的なところも、殺そうと思っていた相手にすら素の自分を見せる愚直なところも。

 どう育てばこんなアンバランスな性格になるのか不思議でならないが、多分こいつは、敵がいる、という仮定をあまり考慮せずに、自身を鍛えてきたのだろう。

 力の方向性の細部に、俺でも分かる位の無駄が感じられた。

 彼女が折角培ってきた経験は、“相手を有利にしてはならない”という感覚や感情が欠落している印象を受ける。

 敵を―――相手を蹴落としてでも。という思考を失った相手が居るとするなら、それがこの綿月依姫という人物なのだろう。

 でなければ幾ら神々の依り代になる能力が強力であるとはいえ、毒やら睡魔やら麻痺やら。こちらのステータス異常を引き起こす技などを使って来てもおかしくなかった筈なのだ。



 今まで喋っていた内容を統合するに、私怨がチラチラ見え隠れするものの、こちらを攻撃してきたのは、あくまで八意永琳と綿月豊姫含む月の民を守ろうとしての事。

 使っていた能力故に洒落にならん事態になってしまったものの、根底にあるのは殺意ではなく、守らなければ、という気持ちのみ。というかお前本当に俺を捕縛する気あったのか。下手したら消し炭か塵芥になってたぞ。と突っ込みたい。

 視点さえ違えば、一般で言う正義そのものではないか。



 ―――しかも、こいつはそれを免罪符にしていない。

 あくまで自分の判断で行動し、自分の意思で引き起こした結果だとしている。



『○○の為に』



 良い言葉だ。自分の意思でなく、誰かの―――何かの為に動ける事は、捻くれた考え方なら幾らでも出来るが、俺はとても尊い考えだと思う。

 ただ、それは“自分で”示した途端、最低の行為へと変貌を遂げる。

『○○の為に』と。そう宣言する事で、全ての責任はそちらへと向かう。

 金を盗んだのも、物を奪ったのも、誰かを殺めたのも、ともすれば『○○の為』という呪文さえ唱えれば、まるで行動を起こした本人には非が無いかの様な台詞ではないか。

 大概の場合はその台詞を口にした瞬間、そこには“だから許してくれ”という言葉と“俺に責任は無い”という意思が付随する。

 ―――それを、こいつは口にしない。



(あぁ……こいつもか……)



 ……また、俺の中で恨み辛みを滾らせる燃料が切れてしまった。

 状況は圧倒的にこちらが有利。

 俺の頭に一発見舞ってくれた月の兵含む主要な戦力は潰し、完全に上から目線でも誰も俺を咎められる者は無し。

 命を狙われる心配もなく、何かを奪われる心配もない。

 唯一の懸念はフェムトファイバーくらいだが、もしそれを頼りにしていたのなら、軍隊が壊滅する前から使っていた事だろう。そこまで脅威に感じる事は無い……筈。

 後はこちらの要求を通すのみという、絶対優位。

 これでは油断するなという方が、どだい無理な話ではないか。

 事の始まり思い出す。

 ジェイスも依姫の殺気さえ無かったのなら、事に及ぶなどしなかっただろうが……



(発端はともあれ、初めに手を出したのはこっちだしなぁ)



 PWの昏倒魔法的な意味で。

 永琳さん達を昏倒させたのはジェイスで、そのジェイスを呼び出したのは、他の誰も無い、俺だ。

 ……言い方は悪いが、道具に罪は無い。

 悪いのは、それを扱う者。

 そして俺は、その使い方を誤った―――かどうかは別として、少なくとも、今回の事態の発端を作った要因は……少しはある。

 その後の月側の猛攻で大分薄まってはいるけれど、未だに心の隅で燻っている、ほんの少しの罪悪感。

 この気持ちを抱えたままというは、酷く気分が悪くなる。

 それに、例え銃弾を受けた直後であったとしても、怪獣大戦争が起こる直前までは、俺は謝罪の意思があったのだ。

 それもジェイスの安全が確保出来ないから、との理由で“まずは謝罪”の自分ルールを退けて、嬉々として【マリット・レイジ】の力を行使した。

 それを間違いであったとする気はさらさら無いが、だからといって、俺が全部正しいと押し通す気概も無い。

 前後逆になってしまったが、初めにやろうとしていた事を、今やる羽目になっただけだと。そう、自身に言い聞かせた。



 その場その時の判断と感情に任せてここまで来た。

 後は、それらの行動に対してどう責任を取るか、だ。

 これはその取っ掛かり。一つ一つの出来事を解決していき、一つ一つの結果に責任を果たそう。応えられるかは、別として。

 ―――よし。まずは、永琳さん達を起こす事から始めようではないか。



「あの、だな」



 喋る言葉に覇気が無い。

 口調が弱気になってしまったが、あの考えの後で強気に出れる要素など、今の俺には無いのだから。

 色々と横道に逸れてしまったけれど、もうそろそろ、本線に合流しても良いだろう。



「単刀直入に言うぞ。―――八意永琳と綿月豊姫を起こしたい。協力するか? 綿月依姫」



 今までの空気が四散する。

 こちらを睨みつけていた憎しみの感情よりもさらに強力な、意思の力の篭った視線が俺を貫いた。

 それは【マリット・レイジ】と相対した時か、それ以上の張り詰めた空気になっている。



(しまった……俺のメンタル削られる……)



 態度にこそ出さないものの、ともすれば、すぐにへたり込みそうになる体に活を入れる。

 あの時は依姫の気の方向性がマリさんへと向けられていたから良かったようなものの、今はほぼゼロ距離で、視線は完全に俺へと向けられている。

 自分の中にある危機センサーのメーターが、振り切れそうになっていた。

 ぼんやりと、かつて初めて諏訪子さんと相対した時の記憶が蘇るのは、走馬灯の一種だろうか。俺の魂カムバック。

 この手の威圧感には大分慣れたと思ったのだが……いやはや何とも。上には上が居るもんだ。

 それに反応し、またも行動を起こそうとしてたジェイスを今度こそ牽制し、今回は最悪の事態を回避した。

 参った。こういった対処法は、常に生死と隣り合わせで過ごして来たジェイスの中で当たり前なんだろうが……、



(という訳で、次回からもう少しマイルドな対応をお願いします)



 マイルドな対応ってどんなんだろうか。言った自分でも疑問に思うが、渋々ながらも了解の意を返してくれたジェイスを見るに、こちらの意図は伝わったようだ。

 こちらを助けようとした彼に感謝をしながら、現在進行形でSAM値が減少している現状を進展させるべく、削っている当人へと返答を促がした。



「黙ってちゃ分からん。言葉ではっきり言ってくれ」

「―――望むところだ。それならば、どんな協力も惜しむつもりは無い」



 瞳の奥にメラメラと燃える意思的な何かが見えた気がする。

 そして、今の台詞は正直ありがたい。

 解決を目論んでいた問題の内の一つは、この綿月依姫との関係の終着点を探る事。殺し合う仲になるにしろ和解するにしろ、区切りは必要だろう。

 そしてその結果は、今の台詞を聞くに少なくとも殺し合う仲では無くなった……と判断して良い筈だ。



「じゃあ、早速なんだが」



 視線を、目の前の依姫から―――その後ろ、ジェイスの影で隠れていた、蓬莱山輝夜へと向けた。



「……この人説得するの手伝って」

「―――えっ? ……なっ!? 何故輝夜様がここに!?」



 ジェイスの後ろ。陰に隠れるような形で佇む月の姫がそこには居た。

 やっぱり見えてなかったか。

 そうでなければ、初めにもっと慌てていた事だろう。―――そして、話がややこしくなっていた事だろう。 

 解決しなければいけない問題は山のように。

 けれどもこうして、小さいながらも一歩進めた事が、これから先の長い道のりも何とかやっていけそうな気分にさせる。

 コツコツ積み重ねた結果がどうなるのか。

 吉と出るか凶と出るか。未だに先行き不安の視界ゼロ状態で。

 それらが分かるのは、もう少しだけ、先になりそうだ。





[26038] 第33話 移動中《後編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/09/20 20:50






「ねぇ」

「……はい」

「他にもまだあるんでしょ?」

「ええ……まぁ……」

「見せなさい」

「いや……あの……これ以上はちょっと……」

「何、あなた、私を奪っただけじゃ飽き足らず、ポイ捨てまでした挙句は用済みで一切関知しませんって事?」

「奪ったって……。その……ですね……こっちにも色々と命綱的な保障が欲しい訳でして……」



 ぷちっ



「―――ってやる」

「……えっ?」

「永琳に言い付けてやる! 『あなたが呼んだ地上人が私の初めてを奪った』って!」



 ぷちっ



「てめぇ! それ言い掛かりじゃねぇか!」

「何よ! 嘘だとでも言うつもり!?」

「無罪とは言わねぇが、一部に悪意ある曲解があるだろ! それだけで罰金二十万か禁固二十年かぐらいの差だ!」

「うっさい馬鹿! あんな事されたの初めてなんだから! 後、何が二十万なのよ! 意味分かんない!」

「ばっ―――初めてくらい誰にでもあるわ! 別にいいじゃねぇか減るもんじゃなし! それと、二十万はジャパニーズ通貨だこの野郎!」

「通貨? 何処よジャパ何とかって! 私女だもん! 野郎じゃないわ! 何も無かったからまだ良かったものの、あんたがちょっとでも変態だったら色々失くしてたのよ!? その事実が消えた訳じゃないでしょ!」

「何も無かったなら良いじゃねぇか! そもそも命奪われなかっただけマシだろ! 少しは俺の立場考えてからモノ言え!」

「ごめんで済んだら世の中もっと平穏よ! それに『何も無かったから』で済むんだったら、あんたピンピンしてるじゃない! こっちは軍隊丸々一つ失ってるのよ? あんたの理屈に合わせるなら、月との交渉、とかじゃなくてそっちの土下座から入るのが筋ってもんでしょ!」

「知るか! それはそれ! これはこれだ! 大体、命かかってたんだぞこっちは!」

「こっちだってかかってたわよ!」



 ―――ぶちっ



「―――いい加減に……」



 抜刀。



「しないかっ!!」



 どっかーん(物理)

 ―――

 ――

 ―










「……双方、熱は下がったようだな」

「「……」」



 静かに怒りの形相を浮かべている依姫は、元の造形も相まって何ともさまになっており、マリさんやジェイスは分からないが、場にいる俺や輝夜は完全に彼女の空気に飲まれてしまっている。……お前、体の痛みはどうしたのよ。

 少し前までならばそんな事は皆無だったのが、戦闘による熱が冷め、彼女に対してそれなりに情が移った為に、女性経験ゼロスキルが鎌首をもたげて来てしまっていた。

 会話の流れは支離滅裂。大声を出す事が第一で、話の内容なんて二の次だった。今思い返しても、子供の喧嘩の方がまだ中身があったのではないかと思えてしまう程だ。

 荒ぶる神【マリット・レイジ】の上で正座させられ説教を受ける地上人と月の姫。それを見守る【プレインズウォーカー】。……どんな状況だこれ。

 下手すれば俺の五体がバラバラになっていた攻撃が脳天を直撃したマリさんだったが、当然というかやっぱりというか、こちらをチラと見ただけで特に気にした様子もなく、今もこうして悠々と月の都市へと移動し続けている。



(ってかジェイス、何よその微笑ましいものを見る目は。……何? ……『若いね』ってあんた……)



 彼が行動に移さない、というのは脅威が全く無いと判断して良いんだろう。

 ……良いんだろう……が……



(俺に『若い』ってのは間違いじゃないが、この二人はどっちも、お前より年上だぞ)



 それはもう圧倒的に。具体的には最低数百倍。

 一応その辺の事実を伝えてみるも、『心の問題さ』との返答が。

 PWとしての基準……なんだろうか。まぁ、君がそう思ってるんならそれで良いんですけどね……。
 


「輝夜様。初めに申し上げました通り、九十九はこれから永琳様と姉上を起こしに行くのです。その【雲のスプライト】だけで我慢して下さい。何もこれで終わり、という訳ではないのです。事が終われば幾らでもお頼みなさいませ」



 輝夜の精神掌握を解いてもらい、素に戻った彼女を依姫が説得。

 混乱する彼女に、何はともあれまずは昏睡している八意永琳と綿月豊姫を目覚めさせるのが先決。と言い聞かせ、この度の出来事のあらましを説明した、依姫。

 それを全て説明し終えた後に、俺は、俺の視点から見た今回のあらましを彼女達へと語って聞かせた。

 そもそもは依姫の殺気に反応したのが発端だが、先に手を出したのは俺の方であり、けれど謝罪の機会は一発の銃弾によって打ち消され、後は輝夜の知る一連の流れになった、と。要約すればこんなところだろうか。

 輝夜が持っていた連絡端末によって、既に月側には連絡を入れてある。

 謝罪する気なんて初めから無かったのでは、というのが疑わしかったらしいのだが、戦闘直前、俺が『土下座の用意あり』と絶叫していたのがモロに記録されたいようで。一応、その辺りは改善の余地あり風に納得してくれたようだ。

 口は災いの元とも言うが、今回は幸いにも好転の機会を得るに至ったという訳だ。恥ずかしい。



 それから、大体二時間位だろうか。

 のんびりと月への道中を進んでいると、手持ち無沙汰になったと思われる輝夜が、こちらへ接触を試みて来た。

『そういえば……私、あんたの事殆ど知らないわ』で始まり。

 機嫌―――敵意よりは薄い印象の―――を隠そうともしないままに自己紹介を済ませ、ジェイスや俺の事について聞かれ、『何が出来る』→『色々出来る』との俺的テンプレ解答の後、『何かして見せてよ』と、少し拗ねた様な口調でお願いされた。

 若干の罪悪感もあったので、色々悩んだ末、カード枚数もマナも使用しない【ジェイス・ベレレン】としての能力で、最も楽なクリーチャーを呼び出してもらったのだが、それが大層お気に召したようで。

 能力的には特筆する点の無い、青の1マナクリーチャー、タイプ【フェアリー】。

 青い肌に透き通る薄羽と、濃い金色の髪。

 体長二十センチにも満たないMTG世界の妖精、【雲のスプライト】が光の四散と共に現れ、その光の残滓を纏いながら宙を舞う光景は、彼女の存在が既知であった俺でも見惚れた程だ。

 まるで幼少期に何度も夢見た童話の世界へと来れたかのような出会いに、俺や輝夜のみならず、依姫ですらも、【雲のスプライト】が周りの事など知った事かと言うように楽しげに踊る姿に、目を奪われていた。

 東方世界なら妖精なんて見慣れている筈じゃあ、と思ったんだが、ここ月では妖精達はおらず、地上から移住して来た古参でも無い限りは、妖精はおろか、動物ですら数十種類程度しか実際に目にした事は無いんだそうだ。

 気分は子供の初めての動物園デビューを見守るお父さん。

 それならば、こういったクリーチャー……生き物は、完全に未知の領域の存在である事だろう。目を見張るのも仕方ない。



 だが、それも一時間ともたなかった。……輝夜が。

 後は月へと向かうだけだ、と、これからの出来事に考えを巡らせていた俺へ『もっと見せろ』と言ってきたのだ。

『ねぇ』と呼ばれた時に嫌な予感がし、案の定の展開に、初めこそ俺の口調も穏やかだったものの―――。

 まぁ、そんなこんなで、今に至る。



(ここまで自己主張の強い奴だったとは……)



 断言しよう。

 今のまんまじゃ、コイツに敬語どころか丁寧語すら使う気は無い。

 ……見た目はそれこそ月の至宝と言える容姿。

 真っ白な肌は真珠を連想させ、月光を反射する黒髪は黒い金剛石。幾千もの人形を作り上げても可能であるのか疑わしい程に、なるほど、美とはこういうものかという芸術が集約されていた。これで体にメリハリがあれば永琳さんに勝るとも劣らない存在へと昇華していた筈だ。



(そういや時代によって美の基準って変化してたんだよなぁ。中世ヨーロッパなんかじゃ胸の大きな人は、それだけで醜悪って認識だったらしいし)



 だからコルセットなんかで思いっきり締め上げていたとか何とか……? あれ、コルセットって腹にするもんだったか。記憶が曖昧だ。

 もしかしたら、コイツが地上へと降りた時にはスレンダーこそ美人という共通認識があったのかもしれない。

 ま、それを抜きにしても素晴らしいと思えるのは、本当女性として最大限の武器なのではないかと思えてならない。

 何の事前知識もなく会っていたのなら、竹取物語に出て来た者達よろしく、俺も我を忘れて求婚を申し込んだ幾人の男達の仲間入りをしていたに違いない。

 だが、それら想像をバッサリと切り捨てるコイツの性格は、ある意味でとても希少なものなんじゃないかと思えてならない。

 勿体無い。

 俺は今、心からそう思っている。



「……で、そっち側としては、俺にどうして欲しいと思ってるんだ?」



 思考が変な流れになったので、本来の目的である路線へと話を戻す。

 今からの行いで、月を敵に回すか否かが分かれるのだ。決して手を抜いていいものでは無い。



「私としては、お二人を起こした後ならば、一撃くれてやる程度で構わないと思っているが、月の国としては……どうだろうな」



 ……ちょっと突っ込みを入れたい箇所もあったが、ここは俺が自重しよう。

 一端言葉を切り、依姫は真剣にこちらへと目を向けた。



「原因の一端は私にある。最大限の便宜は図らせてもらうが、民達の感情の方向性までは保障出来ない。……すまない」



 こちらも意固地になっている部分があるとはいえ、それでもまだ相手の方に非がある、と俺は思っている。

 けれど、それはあくまで月の上層部に対してであり、依姫個人に対してはさっきボコボコにした事も相まって、皆無とは言わないが、殆ど無くなっている。

 そんな彼女に一方的に謝罪をさせて、澄ました顔をし続けるのは男としては、まぁ、思うところがあり。

 軽くではあるが頭を下げる依姫に、思わずたじろぎながら、言葉を返す。



「え、っと……その……だな……」



 一息。

 深く息を吸い込んで、声が小さくならないよう、尻すぼみしないように意識しながら、言葉を発した。



「―――こっちこそ、先に手を出して悪かった。不用意に能力使って、周りに及ぼす影響なんてこれっぽっちも考えてなかった。……すまん」



 依姫から完全に視線を切って、頭を下げる。

 屈む直前。チラと視界に入ってきた輝夜は、目を細めてこちらを見つめていた。

 彼女は彼女で思うところがあるんだろうが、今のが、俺の現状の偽りの無い気持ちだ。

 納得しようがしまいが、そこはまた別の問題である。

 ……尤も、軍隊を壊滅させた事に関しては、謝罪するつもりは全く無い。あれは銃弾さえ無ければ、手を出すどころか完全に投降する気満々だったのだから。

 そのまま数秒。

 屈めた姿勢はそのままに、互いが同時に顔を上げ、再び視線が交わった。

 少し屈んだ姿勢のままで交差する目線に……僅かながら、可笑しさが込み上がって来た。



「―――ふ」

「―――は」



 互いに鼻で笑い、口元を吊り上げる。



「不思議な気分だ。数刻前までは、私は我を忘れ、全力でお前を拿捕しようとしていたのが、この様か」

「あれが拿捕のレベルかい……まぁいいか。不思議な気分ってのについては、同感。ちょっと前までは命が掛かってたってのに、今じゃあそれが嘘みたいだ。……まぁ、まだ油断出来ない状況ってのは変わりないんだが」

「安心しろ。もし仮に、お前に危害が及びそうになったら、全力で防いでみせよう。まぁ、上の決定でそういう行為に及ぶ場合ならば諦めてくれ。―――ただし私がお前を守るのは、永琳様達を目覚めさせてくれるのなら、だがな」

「そういう事なら、それこそ安心してくれ。そこだけは絶対に違えない。例えお前らがまたこっちの命を狙ってこようが、立ち塞がる奴全員ぶっ倒してでも起こしてやるさ」

「あぁ、それは安心だ。……しかし、物騒な物言いだな。もう少し穏やかに出来ないものか?」

「何言ってやがる。命掛かってたんだからな、それくらい当たり前だ。怨んだら最後、俺の中で燃料が切れない限りは相応以上の行動に移る性質だから。怨み辛みってのはそんなもんだろ? ……こうして話して、お前達の事情が分かってなかったら―――ぶっちゃけ、月の都市、壊滅させてたかもしれねぇし」



 ……あ、今のは言わなくてよかったのに。

 余裕の出来た心境であったが故に、迂闊にも変なプライドが出てきてしまった。

 常に何処かで優位に立とうとし、それを実行に移してしまう思慮の浅さが、少なからず自己嫌悪を引き起こす。

 けれどそれに反応したのは目の前の依姫ではなく、横で聞き手に回っていた輝夜である。



「確かに、永琳も豊姫も居ない。私も依姫の力も殆ど通用しない。軍隊も壊滅。となれば容易だったんでしょうけど……。あ~あ、ちょっと納得いかないわ」

「……すまん、考えが足りなかった」

「いいわよ別に。理屈はどうあれ結果はこちらの完敗。こうしてある程度の自由が保障されているだけでも驚愕ものだしね。……そりゃあ、さっきも言ったとおり納得出来るものじゃないけど、今はこうして、この経験を次へと生かせる機会が与えられただけで良しとするわ」

「……そう思うなら、さっきはもう少し自重しても良かったんじゃないか?」

「それはそれ。これはこれよ」



 さいですか。



「けれど……凄いわね、この【マリット・レイジ】は。こちらの攻撃を全く受け付けず、その攻撃力は目を見張るものがある。おまけによく分かんない能力まで持ってるし……外殻ゴツゴツね……冷たくて気持ち良い……。これ、何処の神様?」



 輝夜が正座しているマリさんの頭部を撫でながら、そう問いかけてきた。

 MTGの神様……っぽいポジションにいるお方です。……なんて言えたら楽なんだが。

 確かにその辺は疑問が尽きないだろうが、うぅん、何処まで答えて良いもんか。

 あんまり詳しく話すと不利な要素が増えて嫌だなぁ。



 ―――と。

 唐突に、【マリット・レイジ】がその歩みを止めた。

 地響きと共に不時着する茨山に何事かと動揺していると、



「あら……効いちゃった……」



 この場に居た誰よりも、蓬莱山輝夜が困惑の声を上げた。俺からしてみれば、その声の内容は実に不吉な台詞である。



「ちょ!? お前何した!」

「えっと……何しても効かない神様ならと思って……ほら、あんたと初めて会った時に私、能力使ったじゃない? あんな感じの応用で思考を停滞させてみたんだけど……」



 まさか効くとは思わなかった。

 感心と歓喜の声を上げながら、モロに効果覿面であった事実に満足するように頷く輝夜に、俺や依姫―――のみならず、ジェイスまでもが薄く口を開いて唖然とした表情を浮かべていた。

 彼は彼でしっかりと思考リーディングはしていたらしいのだが、完璧に不意打ちな、唐突過ぎる思いつき&行動であった為に、何も対処出来なかったのだとか。



「……とりあえず、能力解いて。じゃないとまたお前の精神奪取する羽目になる」

「これくらい冗談と受け取りなさい。余裕の無い男は嫌われるわよ?」

「マリさんは俺の生命線その二だぞ! そんなの余裕とは言わねぇ。慢心ってんだ! 死ぬよりはマシ!」



 その一は、当然ジェイス様。

 困惑しながらも表情の隅に愉悦の色が見て取れる輝夜に、『やっべー弱点ばれた』と内心で汗を掻く。

 少し前にも思ったとおり、マリさんが有利なのは馬鹿馬鹿しいまでの力押しの場面であって、搦め手にはとことん弱い。

 それが原因で、MTGにおいてのコンボデッキ【ヘックスメイジ・デプス】の戦績は安定しないのだ。

【ハルクフラッシュ】の時に懸念していた、パワーキャラへの対処法が確立したものの、今度はトリックスター的なキャラへの対応策を考えておかねば、との案件が浮上してしまった。スキマ妖怪とか、亡霊姫とか、一人百鬼夜行辺りも危ないだろうか。

 今のところは即座に【プロテクション】か【被覆】を持たせることで凌ごうと思うが、さて……



「とりあえず、これで月の都市が壊滅しそうになる展開を防ぐ手段が見つかったわね」



 能力が解除されたようで、不時着していた事に『?』と疑問の念は思ったようだが、特に気にする風でもなく【マリット・レイジ】は再びホバリングを開始して、ぼんやりと移動し始めた。

 さっきといい今といい、良くも悪くも色々と気にしなさ過ぎですマリさん。大らかにも程がある。

 ニマリと笑う月の姫に頭を抱えそうになるが、コイツの前でそれをやってはいけないと思い、俺の月対策がそれだけではない事を匂わせるように―――はたから聞いたら負け惜しみや負け犬の遠吠えレベルで―――ぼそりと呟く。



「……別に、都市をどうこう出来るのはマリさんだけじゃないし」

「またまた。そんな事言っちゃって~」



 こちらの頬をプニプニと突きながら、輝夜は余裕の笑顔を浮かべる。

 ……おいこら。俺らはいつからそこまで親しくなったんだ。ちょっとドキっとしたぞコンチクショウ。



「うっせ! こちとら月をどうこうする手段なんて幾つもあるんじゃあ!」

「ひゃわっ!」



 癪に障るので、お返しに彼女の頬を両の手で引っ張ってやる。

 むにむにと柔らかな感触が伝わり、いつまでもこうしていたい感覚に囚われそうになった。

 ……ほう……これは中々……。



「ふふふ、男を離さぬ魔性の体(頬)よのぅ」

「にゃに言っへふのひょ! はにゃしにゃしゃい!」



 抗議を無視して上下左右と自由時際に頬を操る俺は、手に伝わる心地良い感覚を更に味わおうと、その行為に没頭しそうになる。

 が、



「―――そこまでだ」



 俺の首筋。

 触れるか触れないかの位置で、いつの間にやら抜刀していた獲物を宛がっている依姫と、それを静止せんと、彼女の頭部に片手を突き出しているジェイス&依姫の足元を切断せんほどに鋭さを増した、幾本かの【マリット・レイジ】の触手があった。

 立ち上がるのも困難であった筈の依姫が抜刀している事実に鬼気迫るものを感じて、大人しく行動を取り止める。



「……あれ、お前、体痛むんじゃねぇの?」

「もうそれなりには回復している。無理な運動はきついがな」



 素直にお答え頂きありがとうございます―――というかもうある程度まで回復してんのか。



(何という回復力……依姫、恐ろしい子!)



 敵とも味方とも取れない相手だけれど、もう少し自分に有利になるような発言をするべきなんじゃないだろうか、と思えてならない。

 依姫は言葉に頓着しない奴。

 そんな印象が、俺の中では膨らんでいた。



 輝夜から手を離し、依姫が刀を降し、ジェイスが手を下げ、マリさんが触手を引っ込める。

 不満気な目線を向け自身の頬を擦る輝夜に何とも言えぬ心境になりながら、ちょっと羽目を外し過ぎたかと自身を諌めた。



(未だに一触即発状態は継続中、か。……エアリーディングの精度低過ぎだな、俺)



 というか依姫のメンタルが未だに読み切れないのが一番ウェイトを占めている。

 蓬莱山輝夜や姉の豊姫、そして八意永琳にかなりの信頼と忠誠心があり、生真面目で、竹を割ったような性格。だが、それ以上に優先されるのが輝夜や永琳さんといった仕えている者の命を守る事……といった感じなのだろうか。

 あれか。職務や忠義>自己の意思、と見ておくのが妥当な線だろうか。



「あれ、そういやその刀っていつの間に回収したんだ?」



 ならば今のところは輝夜に害を及ぼさなければ問題は無いだろう。

 空気を変える意味も含めて、ふと疑問に思った事を口にした。

 亜空間的な場所から予備の武器を取り出したんだろうか。それとも呼べば来る的なもんなんだろうか。もしくは能力の応用とか。

 今し方まで俺の首に添えられていた獲物についての謎について、聞いてみた。



「あぁ、【マリット・レイジ】殿のエネルギードレインが切れたから呼び寄せたんだ。思ったよりも時間が掛かってしまったがな」

「呼び寄せた……ねぇ……。落し物なんかを拾ってくれる神様の力でも借りたのか?」

「居るには居るが、そんな真似をせずとも問題はない。それはこの者のお陰だ」



 そう言って、腰に据えてあった刀―――日本刀を鞘ごと引き抜き、こちらへと放る。



(この者って……何、刀の事……?)



 面食らいながら何とかキャッチしたものの、仮にも武器の一つをこちらに投げて寄越す行動の意図が読めずに困惑する。



「気をつけろよ九十九。―――噛み付かれないようにな」

「……はい?」



 なにやら嫌な言葉を耳にした。

 不安と共に今し方ゲットした長刀へと視線を向ければ……



(げぇ!? 人食いサーベル!)



 某虚無の使い魔の武器宜しく、いつの間にか勝手に鞘から刀身が露出していた。

 そこから本来見える筈の刃の部分と一緒に【マリット・レイジ】の戦闘で俺の思考を混乱の極みへと到達させてくれた鋭利な牙を持つ口が、再び開いてケタケタとその存在をアピールしていた。



「ちょいやっ!」



 流れるような動作で投球フォームへと移行。そのまま刀を投げ返した。

 こりゃ洒落にならんばい!



「ぬ、人のものを全力で投擲するのは感心せんぞ」

「そんな危険なもん寄越すからだ!」



 相手が怪我人どころか重傷な人かもしれないのを完全に無視して、ピッチャー返し。

 こちらのフルスイング投球(刀)を余裕でキャッチする依姫に睨みを利かせ、『説明しろ』とのニュアンスを持たせて抗議の目を向ければ、先程と同じように、完全に鞘に収まった状態の武器を目の高さまで上げて、説明を始めた。



「私の神々の依り代となる能力が判明した時に、父上と母上から頂いたものでな。別にどういう事の無い単なる剣だったんだが―――」



 そうして、こちらの質問に答える形での応答は、しかし、段々と依姫から伝わる印象が、説明から思い出を懐かしむ様なものへと変化していった。

 得々と語られる、彼女が持つ剣の経歴。

 それを聞く内に、俺は何故自分が彼女に勝利出来たのかが不思議でならなくなった。










『十拳剣(とつかのつるぎ)』

 十束剣、十握剣などとも呼ばれている、握り拳十個程の長さであるという意味の剣。

 固有の名詞などではなく、長剣、長刀といったカテゴリの名称として呼ばれている日本固有のそれは、草薙や叢雲といった有名な剣から、名も知れない数々の日本刀の代名詞とも言えるだろう。










 これもその十拳剣なのだが、彼女が持つそれにはある能力が付与されていた。

 それは『十拳剣である能力』。

 何を当たり前の事を―――と、侮る無かれ。

 その剣とは拳十個程の日本産の剣全てを指し………詰まる所、そう呼ばれていた時代の刀であれば―――もとい、『刀であれば何にでも成れる能力』を所持しているのだ。

 先に言った、叢雲、草薙の剣は勿論の事。

 ヤマタノオロチを倒した『布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)』、農業の神であるアヂスキタカヒコネが持っていたとされる『大量剣(おおはかり)』など、多種多様。

 西洋風に言うのなら、デュランダルでも、エクスカリバーでも、グラムでも、といった具合に。

 それが日の出ずる国で作られた剣ならば、その姿を、能力を、何もかもを、自身に宿らせ行使する。

 そのあまりの汎用性の高さには、目を見張るものがあるだろう。どこぞの赤い弓兵に持たせて上げたくなる代物だ。



 ―――そして、依姫はその十拳剣をとても大切にしている。

 十年、二十年の話ではない。

 それこそ、百を優に超えて、千で飽き足らず、万年単位で使い続けているそれは、物であるにも拘らず、もはや彼女の体の一部だと言っても過言ではない域へと達していた。



 故に、それには神が宿る。



 奇しくも近年、名を授かった名無しの某俺と同じ名前である、九十九という神。

 人工物、自然物問わず、幾年も月日が流れ、それでも残り続けた物に宿る、神や霊魂の総称。

 大切にし、感謝の心を持って接していれば、座敷わらしやお稲荷様などの幸せをもたらす存在となり。

 ぞんざいとし、無碍に扱っていれば、災いを振り撒く祟り神や九尾の狐のような不幸の権化になると言われている。

 これら神々は程度の差はあれど、周りに影響を与え、良かれ悪かれその存在を誇示して来た。

 この十拳剣は、紛い物などではなく、多種多様な意味での“つくも”と、物に憑く意味での“つくも”の二つの意味を併せ持つ、まごう事なき“つくも”神であると言えよう。










 何ともまぁ厄介な武器であったものだ、と考えをまとめた。



「九十九神ってのは、宿ると牙が生えるもんなのか?」



 一通りの話を聞き終えて、『そういやあの時……』と、そこから再び疑問に思った箇所を訪ねてみる。



「いや、それは刀本来の能力だ。小さな雪国の刀で『マッネ・モショミ』といってな。山に巣食っていた魔神へ刀を投げたなら、たちまちの内にそれを食い殺し、そのまま山へと封印されてしまった妖刀だった筈だ。本来なら自立行動の後、例え金剛石であってもそれを食い破り、対象へと喰らい付くものだったんだが……」



 いやぁあの円盤は硬いな、と。

 照れ臭そうに自分の失敗を語る彼女の心境とは裏腹に、下手すれば鮫やら鰐やらピラニアやらの群れの中へと放り込まれた生肉状態になっていた可能性があって……俺は青褪めた。



「てめぇ! 拿捕とか言っておきながら、絶対俺の事、殺す気だっただろ!」



 ふざけんな的に声を荒げて抗議をぶつけてみる。

 けれどぶつけられた張本人の表情は、何を馬鹿な、と言わんばかりの疑問が浮かんでいた。



「あの程度では足止めくらいしか見込めない、との判断からだ。現にお前は足止めどころかあれを歯牙にもかけずに、私を打倒したではないか。……せめて後一日か二日、時間があれば良かった……のかもしれんがな……」

「……時間があれば俺に勝てます。ってか」

「どうだろな。あの時私は憤怒の炎に思考が焼かれて冷静な判断が出来ず、力押しの手段ばかり取ってしまったからな。次があるなら真っ先にお前自身を狙う事にするよ」



 それはまずい、勘弁して頂きたい。



「それに……」



 少し躊躇った後、一言。



「時間があれば、この者が目覚めてくれただろうしな。―――少なくとも、あの時よりはこちらを倒すのは手間だぞ」



 腰へと戻した刀へ目線を落としながら、残念だとの言葉と共に、依姫は苦笑した。



「目覚め……え? 何?」

「あまりに久々に宝物庫から出したせいで、まだ九十九神が起きてないんだ。早くて一日二日。遅ければ、後一月は目覚めないだろうな。過去に起こした時は……覚醒までに、十日は掛かったのであったか」

「じゃあどうやってそれ呼び寄せたんだ。九十九神、起きてたなかったんだろ?」

「それはさっきも言ったように、『マッネ・モショミ』の力だな。自立行動位ならば、九十九神に頼らずとも刀の力でどうにか出来る」



 そのまま、俺と依姫はその刀を中心とした話を膨らませた。

 本来、依姫の戦闘スタイルは、自身に降ろした神と、その神が持つ剣のセットで完成するものなんだそうだ。

 剣を使わない神であれば、十拳に宿る九十九神が自分の判断で行動し、遊撃手となり手数を増やすらしい。何というフラガラッハもどき。

 もしも健在だったならば、変幻自在の二つの存在に翻弄されながら、相手は何も出来ずに屠られる事になる。

 ただそれではあまりにワンサイドゲームであった為、微温湯に浸っていては拙いと自分を鍛える意味で、依姫はその片方の手段―――十拳剣を封印していたんだそうだ。数千年間も。

 そりゃあ九十九神も冬眠? するわ。というかよく冬眠レベルで済んでいると言いたい。並の存在なら『そうして○○は考えるのを止めた―――』とか台詞が流れそうな年月だってのに、その辺りは流石神様、というところだろう。



「思い出した。永琳と一戦した時に、実験区画丸ごと粉微塵にしてたわよね。その剣も使って」



 今までの話を横から聞いていた輝夜が、ぽんと手を叩く。

 過去の出来事を思い出したようだ。



「そうですね。……懐かしい。もう数万年前になりますか。出来ればまた、もう一戦行ってみたいものです」

「ダメよ。永琳ったら身内には結構甘いんだから。あの時にあなたが勝っていれば再戦もあったんでしょうけど」

「……完敗でした」

「でしょ? だから、もう永琳は闘わない。あなたの命を奪いかねない行為には、余程の何かでも無い限りは及ばないでしょう」



 ……待った。

 今何か、本来当てはまる箇所―――人名―――の単語がおかしかった気がするぞ。

 誰が―――誰に負けた……って?



「……ちょっと待て。今の話だと、依姫は永琳さんに負けたってのか?」



 聞き捨てならない台詞に面食らいながらも、何とか質問をしてみれば、何言ってるんだコイツ的な顔をされた後で、



「そうだけど?」

「その通りだ。あの方に勝つには、私と姉上、そして輝夜様の内二人が連携しなければ困難だな。下手な共闘は、返ってデメリットになる」



 なんて事を、さも当たり前のように答えてくれた。



「……あれか? 学力テストとかそんな方面で?」

「まぁ、ピンと来ないのも分かるけど、ちゃんと戦闘面での話よ」



 ピンと。どころの話じゃなくて、単純に信じられないんだっつぅの。



 その後、永琳さんの戦闘方法を聞こうとしたのが、刀の能力をさらっと言ってくれた依姫ですらも口を噤み、『それは秘密だ』と笑顔で拒否された。

 だが甘い。

 こっちにゃ君達の思惑なんぞ筒抜けよ! と内心でほくそ笑みながらジェイスへと事の次第を尋ねてみた。



 しかし―――



(え……『分からない』って……)



 彼女達の思考に永琳さんの戦闘が思い浮かばれていないだけなんだろうかと思ったが、何やらそういう事では無いらしく、話を聞いている内に、どうも彼の力―――【プレインズウォーカー】としての力は勿論、魔法含む、一切の能力が使えなくなってしまっているようなのだ。

 あまりに唐突なトラブルにこちらの思考が真っ白になり掛けるものの、表面上は何とか平静を取り繕う。



「……どうした九十九。顔色が悪いぞ」



 取り繕えてなかったようだ。

 眉の上げ下げやら目元口元の力加減などといった表情の差異なら力技でどうにかカバーしていたのだが、顔色だけは無理だったようで。

 心配している、と他意の一切無い視線を向けてくる依姫に、便乗する形で、



「……あら、そういえば、【雲のスプライト】は何処へ行ったのかしら」



 少し前まで【マリット・レイジ】含む俺達の頭上をふよふよと飛んでいた存在を思い出した輝夜が、疑問の声を上げる。

 ジェイスが出した存在は、ジェイスがその力の源であるのは当然。

 よって、こうして彼の力が使えなくなってしまった結果が、こうして目に見える形で彼女達に示されてしまった。

 まだ感づかれてはいないようだが、何とかバレないようにしなければならない。こちらの生命線やら命綱やらが消えかねない。



「【雲のスプライト】は還した。顔色は……まぁ、あんな事があったからな。多少なりは疲れるさ」



 壊れ掛けた橋を急遽舗装しながら横断するかの如く、その場凌ぎの返答をする。

 一応、嘘は言っていない。まぁ、嘘を言っていないからといって、何がある訳でもないのだが。



 ……彼女達や月側が何か仕掛けてきた様子は無い。

 これはつまり、問題がるのは、こちら側。



(やばいな……原因が分からんぞ……。これ以上事態が悪化しない内に色々進めておかないと)



 最悪、永琳さん達を起こすまではこちらの優位性を失いたくない。月側との交渉は二の次だ。

 チラとジェイスを見てみれば、念話で感じた焦りの感情など微塵も感じさせずに、先程と同じ様に無言の存在へと徹している。

 この辺は見習わないと、と思いながら、状況を進める為に【マリット・レイジ】―――ではなく、俺の横で消えた【雲のスプライト】の軌跡を探していた輝夜へと言葉を投げ掛けた。



「なぁ」

「何よ?」

「お前の力を使って、すぐにでも月の方へと行けないか?」

「……どうして急にそんな事を言うの?」



 その疑問はご尤もなんだが、今は正直、その質問はこっちにとっては最悪の部類です。

 何とかそれらしい返答を考えるものの、何処まで通用するかどうか……。



「疲れて来たんだよ。精神的にもそうだが、体力的にな。面倒な事はとっとと終わらせて、枕を高くして寝たい」

「それって私達からしたら絶好の反撃のチャンスじゃない。何でわざわざそんな事を」



 そりゃそうだ。

 だが、そこで頷いてしまっては状況の好転は見込めない。

 輝夜だって、俺が本当に疲労の極みに達しそうになっていると思ってないが故の、今の言葉である筈だ。今の段階ならばせいぜい、疲れたからとっとと終わらそうぜ、程度のニュアンスにしか聞こえていない事だろう。

 そんな思惑の中、無い頭振り絞って即興で思いついた言い訳……というか虚言が、



「……あんまり時間が経つとな、永琳さん達を目覚めさせられなくなるからさ」

「なっ! 何故それを早く言わん!?」



 依姫の尤もな怒号に内心でビビリながら、あながち間違いでもないグレーゾーンの受け答えで対応する。



「まだ大丈夫かと思ったんだが……予想以上に疲労が溜まってたみたいなんだ。一応、休めば回復するんだが、仮に今寝たとして、次に起きるのが数時間後、なんて保障が出来ねぇ。数日間昏倒する、なんて場合も考えられるんだ。今ならまだ余裕があるからな。……出来ない状況になるまで黙っているつもりも無い」



 真偽の配合を加減しながら、尤もらしい理由を話す。

 先程と違和感の無い程度の誤差を含ませた疲労声で、最後の一押しを口にした。



「―――頼む。お前の力なら、あっという間に移動が出来るだろ?」

「……仕方ない、か。良いわね、依姫」

「元より」

「都市へ連絡を入れておきなさい。『すぐに行く』ってね」

「はっ!」



 テキパキと動き始める二人を他所に、こちらの提案を受け入れて貰った事に安堵したと同時、徐々に思考の熱が冷め切っていくのが分かる。



 ―――永琳さん達を起こすのは、ジェイスの力が必要だ。

 あまりに根本的な理由であった為か、選択肢としてすらも微塵も思い出される事が無かった。

 その彼が力を使えないというのは、それが不可能だという事実にイコールで結ばれる。



(やばいな、判断間違えたか)



 地上から発見し後は回避するだけとなった地雷原へ、進路も変えずにわざわざ加速までして向かってしまったようだ。

 その場を凌ごうとした事が原因で、一気に現状がスライドし、結末へと辿り着こうとしている。

 準備なり精神統一なりの理由を言って、後で一人になる時間を貰おうと画策してみるか。





 しかし、ジェイスの行動に制限が掛かった事で自ら自爆しそうになっている現状を何とか回避しようとしたこの行動は、最悪への第一歩などではなく。

 むしろ、俺にとっては最善に近い行動であったのかもしれない。と。後々思う事になるのだが―――










 能力、という代物は本当に便利である。と実感出来た。

 痒いところに手が届く的な安っぽい意味合いだが、事実そう思ってしまうのだから仕方が無い。



「輝夜~、生きてるか~?」

「……あんた、後で覚えてなさい」



 顔すら起こせない程に疲労した蓬莱山は、それでも怨嗟の声を上げる気力は残っていたようだ。

 比喩抜きで、一瞬。

 月側の体制が整った、との報告を受けた輝夜が能力を行使し、【マリット・レイジ】含む俺達を一瞬で月の都市付近へと連れて来た。

 ただやはり輝夜の能力にも限界がるようで、全長1キロを超える躯体をここまで運ぶのは、かなりの力を使ったようだ。

 精神だか体力だか何のエネルギーを使ったのかは分からないが、着いたと同時、捨てられたヌイグルミ(うつ伏せのたれパンダ)のように【マリット・レイジ】の上で伸びている彼女を見るのは、場違いながらも少し可笑しい気分になった。



(あー、体制が整った、って、やっぱそういう事か)



 念の為にと、もう一度【死への抵抗】を使う。

 遠目であるが、しっかりと分かる。

 目前数百メートル先には煌びやかな月の都市が視界いっぱいに広がって、その手前には、恐らく最後の力を掻き集めたかのような月の軍隊が集まっていた。

 恐怖を顔に貼り付けた兵隊達の中には、顔や体のどこかしらを包帯だと思われるもので巻いている者が疎らに見受けられた。きっと、【マリット・レイジ】の会戦時に居て撤退して来た戦力をこちらに当てて来たのだろう。

 人手不足というか戦力不足を何とか補おうとした結果なのかもしれないが、敗残兵とも言える者達を送り出さなければならない事態になっているとう事実が、チクリと、こちらの心を突き刺した。

 数台の四脚戦車と、同じく数台の円盤。

 都市を守るよう、扇状に展開している二百を僅かに超える程度の兵達の最前線に、その者は居た。

 純白の軍服をキチリと着こなし、胸には煌びやかな勲章が。

 両の手は水平よりもやや下方に伸ばされていて、手の平を合わせるように重ねられている。そして、その手の平で一振りの剣―――だと思う―――を支え棒のように持ち、その場に直立に構えていた。仁王立ち武器持ちバージョンといったところか。

 白髪は見事に整えられて、その顔立ちは、その者の歴史が皺となって眉間や目元に刻まれている。



(分っかりやすいねぇ……。親玉登場ですか)



 地鳴りと共に、彼ら月の軍の少し手前に着陸する茨山。

 これほどの距離に近づいたにも関わらず、誰一人として逃げ出す者は居ない。

 けれど、皆恐怖で顔を引きつらせて、今にも崩れ落ちそうになる四肢に鞭打っているのが、手に取るように分かってしまう。

 唯一の例外は例の白髪の親玉モドキだけだが、あれは瞑目していてその感情までは読み取れなかった。



 ―――こいつらを見たら、額に受けた銃弾の感覚が蘇って来た。

 交渉に来たというのに、再び灯る憎悪の炎。

【ダークスティール】化で全く効果が無かったとはいえ、それが無ければこちらの頭部には新たに穴が一つ完成していたか、あるいは見事に消え去っていたのだ。

否応無しに燃焼を開始した怨恨の灯火を、何とか鎮火、ないし低音を維持するように調整すするが。



(てめぇらが一発入れなけりゃ……)



 それでも理性とは別の力によって、段々と熱が上がっていくのが分かる。



「君が、地上から来た者で相違無いかね」



 低いながらも、良く通る声。

 相手の親玉は、見た目通りの声色であった。



「……どいつだ」



 無意識だった。

 親玉からの台詞を完全に無視して、こちらの言葉をぶつける。



「……何のことだね」

「俺を撃ったのは、どこのどいつだって聞いてんだ」



 明らかに先程の空気とは違う。

 それを感じ取った輝夜や依姫は、けれど、同じく空気の変わったジェイスや【マリット・レイジ】に牽制されて、動くに動けないでいる。

 月の大地から見上げる者と、その遥か頭上から声をぶつける者。

 互いの立場を言葉にするなら、それが尤も当てはまる。



「その者は、営巣にて拘束中だ」

「連れて来い」



 その言葉で、こちらの言わんとする事を理解したのだろう。

 刻まれた眉間の皺をより一層深くした後、月の親玉は、こちらの質問に答えた。



「殺すか?」

「さぁな」



 曖昧な返答だが、こうして絶対優位を貫いている今の立場では、正直、今の感情は誰かの命を奪うまでには至っていない。せいぜいボコボコにぶん殴る程度のものだ。

 尤も、それを素直に言う気はサラサラ無い。


 
「……自己紹介が、まだだったな」

「はぁ?」



 あまりに唐突な台詞に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 お前は何を言ってるんだ。今はそういう話じゃない。

 だがこちらの疑問の視線を無視して、その者は言葉を続けた。



「月の治安維持―――軍を指揮してる。高御産巣日(たかみむすび)だ。今回の出来事の全権を預かっている」

「……へぇ」



 おにぎりかお相撲さんっぽい名前だ、と。場違いながら思った。

 何かの神様だった気はするが……そんな奴など全く知らない。少なくとも、東方プロジェクトの中には出てきていなかった。つまりは、俺にとっては数日後にでも忘れてしまいそうなほどに、どうでもいい存在。

 ……今の流れでその話を切り出す。

 それは意図と辿れば、この度全ての結果は自分の行いによるものだ、と宣言しているに等しい。



「それで、その軍のトップ様が何の様ですか?」



 おちょくる様に、ですます口調で問いかけた。

 繭一つでもピクリと動かしてくれたのなら愉快な気分に浸れる筈だったが、けれど、相手はそれを気にする様子は無い。

 何の感情も表さないままに、淡々と応答する。



「何、些細な用事だ。すぐに済む」



 そう言って、両の手でしっかりと持っていた剣を鞘から抜き出して―――こちらに向けて構えた。



「なっ、司令!」



 信じられないという風に、動けなかった依姫が驚愕の声を上げた。

 こちらはジェイスの力は使えないものの、破壊されない20/20の要塞は未だ健在。

 スタミナこそ心許ないが、マナもカード枚数も満タンに近い状態で、今の俺には【ダークスティール】化に加え、事が起これば即座に【プロテクション】か【被覆】を発動させる準備がある。

 それに、あの依姫が声を荒げているのだ。

 それはあいつが何かしらの切り札を持っている訳ではなく、むしろ、丸く収まりかけていた事態を悪化させ兼ねない、という懸念からの叫びだろう。



 なるほど。そういう行動に移る相手ならば、今回のような事態になったのも理解出来る。

【マリット・レイジ】を召喚する前。月の兵から銃弾を受けた時の心境に似て。

 またも謝る気があったというのに、それを反故にされようとしている事実。

 月の軍のトップとは単なる老害であったか、と。侮蔑を込めて睨みつけてみれば。



「―――ぁ」



 その老害は正眼に構えた剣を一瞬で反転させて、自身の首へとその刃を向けた。

 彼の腕が動く。

 その者以外の時間が止まってしまったかの様に、俺を含むその場に居た全員が、限界まで己の眼を見開いていた。



 ―――誰かの悲鳴。



 近くから、というのが分かる音源だというのに、何処か遠くで聞こえている感覚に襲われる。

 自分の頭と体が完全に乖離いて、瞬き一つ、呼吸すらも出来ないその最中―――
 




[26038] 第34話 対面
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/08 20:18





 俺が使うカードの種類には、【エンチャント】と呼ばれるカードタイプのものがある。

 全体に効果を及ぼすものや、個別に効果を発揮するもの。加護や聖域、結界や呪縛を作り出す。対象の強化や弱体化、ルールの追加が主な効果のカード達。

 過去に使ったのはダメージを無効化する【不可侵】と、【被覆】を持たせる【鏡のローブ】位だったか。もう、随分と使用していなかったのだなと思い返す。



 ―――今使ったのは、そういった【エンチャント】の中でも、MTG界では上位に入る知名度を持つもの。



 自分の首に剣を当てて、今にも頭を跳ね飛ばさんと力を込めていた状態で、白髪の者は停止していた。

 閉じられた目は未だ開かれる事はなく、それと連動でもしているかのように、俺やジェイス、【マリット・レイジ】以外の誰もが動く気配が無い。



 ……と、軍のトップと名乗った老人は剣を無造作に地面へと落とし、脱力を体言するかの如く崩れた表情には、安堵以外の言葉が見当たらないほどに安らぎに満ちていた。

 幼子がクレヨンで絵に描いたような、この世に暗きものなど存在しないと示す平穏な表情は、俺の能力が嘗て無いほどにしっかりと効果を発揮してくれたのだと実感出来た。

【エンチャント】呪文だというのに洗脳やら精神掌握を連想させ、そしてそれが強ち間違いではなく、これが2マナならば青きPWが使う力は一体何なのだと、ジェイスの凄さを俺の中でさらに上のランクへと押し上げる。

 あいつの自殺―――だと思われる行為を止める必要など、それこそ皆無。

 だというのに能力を使ってまで静止したのは、これ以上の事態の混乱で面倒を起こさない為か、それとも、良心的な何かがまだ残っていたせいか。

 止まった時が動き出す。

 一人、また一人と。各々がそれぞれの行動を起こし、気絶した老人へと駆け寄る月の兵隊達。その誰よりも早く、依姫は老人の元へと駆け出していた。

 痛む体を引き摺ってその者のところへと向かった依姫と、“動”で示した彼女は対照的に、“静”の態度でその光景を眼光鋭く観察する輝夜。

 正反対の動きを示した二人に、ゲームキャラとしての設定ではなく、人間性の一端を見た気がする。



 過去に使った【お粗末】よりも捕縛系のスペルとしては向いているのでは、と思い改めたこの呪文(カード)こそ、MTGで幅広いプレイヤーから親しまれている、白の対クリーチャー呪文の決定版候補、【平和な心】である。










『平和な心』

 2マナで白の【エンチャント】

 これを付与されたクリーチャーは、攻撃にもブロックにも参加出来ない。白に多く見られる、破壊によらないクリーチャー対策の内の一つ。あの【マリット・レイジ】ですらも、これの前では無力と化す。

 これを貼り付けられたクリーチャーは、その場に居るだけの木偶の坊と化す厄介な呪文の一つだが、能力の使用は封じていないので、【システムクリーチャー】と称される、攻撃やブロックを期待されている訳ではない、その場に居るだけで価値のあるクリーチャー相手には無力である。が、逆にクリーチャーの維持にデメリットが発生するタイプに対しては、通常の除去カードよりも断然厄介なものである。

 対クリーチャー呪文としては悪くない水準で性能が纏まっており、初心者からベテランまで幅広いプレイヤーが一度は目にし、使用したであろうカード。俗称として『平和なべ』という呼び方もある(英語版から日本語版へとカードが印刷される際に、平和な“心”が平仮名の“べ”に見える者が続出した為にこの呼び名が広まった)。










 あの状況を止められそうなカードなんて、他に幾らでもあった。それこそ、もっと軽く、もっと確実なものが、ごろごろと。

 けれど人間、反射に近い速度で行動しなければならない場合には、長年の経験がモノを言う。それが俺の場合はこの【平和な心】だったというだけの事。初めてMTGで遊び始めた時に、幾度となくお世話になり、あるいは相手に使われ苦渋を舐めさせられた代物だ。忘れたくても、誰が忘れられようか。

【インスタント】や【ソーサリー】と違い、【エンチャント】は場に残る―――効果を永続的に発揮し続けるタイプのものである。

 本来ならそれだけの説明で終わるのだが、生憎と、残り続けるカードには俺の体力が使われており、殆ど使ったことが無かったので意識していなかったんだけれど、それはこの【エンチャント】とて例外ではないようで。

 クリーチャーやPWに比べれば消費される体力が少ない感覚はあるものの、勇丸とジェイスの4マナを維持し、そこで先の【平和な心】の発動&維持という行為に及んだ事で、まだ交渉のテーブルにすら着席していないのに、まだまだ余裕はあるとはいえ、スタミナの限界点が見えてきてしまっていた。



 意識を失った老人を、依姫先導で何処かへと運ぶのを見届けて、輝夜は俺へと話し掛けて来た。



「あんた、何したの」

「能力使って止めた……だけ……なんだが……。というか一体どんな状況だよこれ」

「さぁ。私も混乱しているところよ」



 その割にはさらっと言い切った事に疑念が募るが、輝夜は俺の不満など何処吹く風、状態である。こちらを全く意識していなかった。

 一応解答を求めジェイスへと顔を向けてみるものの、静かに首を横へと振りながら、『分からない』との意思を伝えて来た。

 理解不能な出来事の最中だというのに、チラと見た月の兵達の表情に、先程は無かった、恐怖以外の色が滲んで来ていた。

 怒り。

 大切な者を傷付けられたと判断したのか、今し方まで【マリット・レイジ】の恐怖で敗走一歩手前であった軍隊は、ともすればこちらへと飛び掛らんばかりのものへと豹変していた。

 それだけで、今の者がどれだけ周囲から慕われていたのかが分かる。

 だが、



「なぁ、今のは俺関係無いぞ。むしろ助けた側だろう」



 横で憮然としている輝夜へ、暗に『助けろ』との願いを込めて、言葉を掛けた。



「だってあんた、月の敵だもの。少なくとも味方じゃ無いわ、今のところは。一応弁明はしておいてあげるけど、私の言葉だからって何処まで聞く耳持ってくれるかどうか……」



 声を窄めないで。お前の自信が今の俺の生命線に少なからず繋がってるのよ。



「がんばってくれよ。じゃないとこっちの目的も果たせなくなりそうだ」



 しばし悩んだ後、『それもそうね』と、分かったのか分かってないのか微妙な受け答えをした後で、輝夜はこの場を収めるべく、ふわりと【マリット・レイジ】の頭上から飛び降りて、月の兵の方へと向かっていった。

 しかし、一体何だったんだ。

 いきなり自殺とか、マリさんを目の前にして死ぬ方が楽だとか思ったんだろうか。

 ……あるいは自殺に見せかけた攻撃手段だったんだろうか。こう、キリストの杯を奪い合う戦いに出て来た、鮮血神殿持ちの騎乗兵的な。もしくはアベさん。



「……おーい……誰か、俺はどうすれば良いのか教えてくれー……」



 というか永琳さん達のとこへ案内して欲しいんですが。

 こんな腑抜けた台詞など、とてもじゃないが怒り心頭な月の側には聞かせられない。

 それでも口にしてしまったのは、俺の脳味噌の把握能力が匙を投げたからに他ならないだろう。

 尻すぼみな言葉は、マリさんとジェイスにしか届かず、そして、それが届いた彼らは何も答えない。答える必要が無いのだから、当然といえば当然だ。俺の寂しさが増すばかりではあるけれど。

 ある一面から捉えれば、ただただこちらのカードとマナと体力を消費させられてしまった現状は由々しきものだが……。

 何から考え始めれば良いものか。

 視界から老人が完全に消え去るのを見届けて、『もう止めても良いか』と、俺は【平和な心】の継続を解除した。

 あれだけ周りに人が集まっていたのだ。もう、今のような行動に及ぶ事も、仮にしたとしても、周りの者が頑としてそれを止めるだろう。

 これで何か事態の一つでも好転してくれれば良いのだが。

 光り輝く宝石を散りばめた夜空に、願いを託した。

 この光景を次はいつ見られるようになるのだろうかと思いながら。












 歩く通路は、ワゴン車一台が何とか通過出来るか否か程度の幅がある。

 煌々と照らされる真っ白な通路を黙々と進む。一体何が光って明るいのか分からないが、ここ月で一々疑問を持っていたら、数年は新鮮さの絶えない生活が続く事だろう。

 道行く船頭の舵を預かるのは、綿月依姫。

 ボロボロであった衣服は既に着替えて、何かしらの治療によって回復したであろう体をずんずんと通路の奥へと進ませていた。

 左手にはいつでも抜刀出来るようにと、既に腰から引き抜かれ鞘に収められた十拳剣を握っている。

 相変わらず九十九神は目覚めていないようで、その存在は何処からどう見てもただの刀以外の何者でもない印象を受けた。

 その後ろを、俺が行く。

 こちらはこちらで、依姫と同じくボロボロであった衣服を月側が用意した新しいもの―――Gパンと白いシャツ―――へと着替えて、完全に手ぶら。今からコンビににでも出掛ける格好だ。

 疲労感は中々に蓄積されて、このままでは後数時間ももたないだろうという予感が脳裏をチラつく。

 ……ただ、体の疲労とは別に、さっきからメンタル面での疲労が由々しき事態になっている。

 というのも……



「なぁ」

「何よ」



 俺の背後。

 良く知った桃色の和服モドキよりも、若干の装飾品を取り除いた格好で、蓬莱山輝夜が追随していて、こちらの声に応えてくれた。

 ちょっとだけ振り返って見てみれば、その表情……どころか行動全てに一切の油断が無い。

 それは目の前を歩く依姫も同じで、むしろ何か一瞬でも変な行動を起こそうものなら、【ダークスティール】化など知ったことか、的に一太刀で俺の体は縦か横に二等分してくれる、という気概が見て取れた。



「あのさ……もう少し緊張解いて欲しいなー……なんて」

「あんた、それ本気で言ってる?」

「……すんませんでした」



 先程までの上から目線など放り出して、こうも下手に出ているのは、輝夜に言われた事が、実にその通りであると思ってしまっているからだ。

 輝夜の前。俺の後ろ。

 丁度俺ら二人に挟まれる形で、これから行う事に欠かせない人物が、その長身を悠々と進ませている。

 今更語るまでも無い存在となった青きPWジェイスは、だが、少し前まで苦楽を共にした彼とは何処か変わっていた。

 衣類は所々に擦り切れ、フードから覗く眼光はより鋭さを増し、肉食獣の前に投げ出された餌。あるいは、狙撃手のスコープで見られているかのようだ。

 まるでそのボロボロの衣装が彼の心を現しているのだと語っているかの如く、輝夜や依姫のみならず、俺の心ですらも、意識をしっかりと持たなければバラバラにされ兼ねない。

 名をジェイス。けれどその者のカードとしての表記には、一言追加されていた。

 精神を刻む者、と。










『精神を刻む者、ジェイス』
 
 4マナで、青の【プレインズウォーカー】

 カードゲームとしての面では、数あるPWのカードの中でも、トップクラスの汎用性を誇る。しばらく後に、あまりの採用率の高さと、かなりの確立でゲームを終わらせる力を発揮してしまう為、特定のルール下の大会での使用は禁止となった。当初このカードが大会で登場した時期には、刻みゲー、ジェイス無双、などの皮肉を込めて呼ばれていた事もある。

 強さとカード名の精“神”を刻む者から、【ジェイス・ベレレン】からみて新しいという意味の“新”と掛けて、神ジェイスと呼ばれる事が多い。

 ストーリー面での正確な記述は確認できないが、とある大決戦を終えた後のジェイスがこのカードである、とも、他の命を散らすことに全く抵抗の無くなった自身の心に戦々恐々としている時のもの、とも説がある。











 当初召喚した【ジェイス・ベレレン】ではない。

 あれから彼の能力が使用不可能になっている現状を改善しようと試行錯誤を繰り返した結果、【精神を刻む者、ジェイス】を召喚するに至った。

 彼が一歩足を進める度に、何かしらのものが軋みを上げて、自壊してしまっているのではないかという錯覚に囚われる。

 常に死が背後にあるという感覚の中で『緊張を解いて』とは、自殺願望があるのか、精神破綻している者に他ならないだろう。



「それ言うなら、むしろこっちがあんたに言いたいわよ。そこのジェイスって奴に命令して、その気配を収めさせなさい。疲れるったらありゃしない」



 そう言って目線を俺からジェイスへと向ける輝夜だったが、当の本人は気づいていない筈は無いというのに、輝夜に意識すら傾けようとしない。初めから存在していないかの如く振舞っている。

 それが甚くお気に召さないようで、月のお姫様は、ふんと鼻を鳴らして視線を切った。

 彼を呼び出した当初、この針の筵な空気が堪らないもんだから、輝夜は今のような口調で。依姫は『その闘気を収めてはもらえないだろうか』とお願いする形で頼んだものの、ものの見事にガン無視。彼と彼女達―――主に輝夜―――の間にグランドキャニオンやらマリアナ海溝ばりの溝が完成した。

 その時には日本サラリーマン固有スキル“なぁなぁ空間”を発動させて事なきを得たものの、あれから輝夜は一切ジェイスに向かって話し掛けていない。依姫が時折、恐る恐るといった感じで単発の質問などを繰り出すばかりだ。

 依姫が彼と接する態度から察するに、ジェイスの力を感じてどこぞの名のある存在と認識し、偉人やら英雄やら神やら、目上の人と付き合うような感じでコミュニケーションの成立を図っていた。

 尤も、それにジェイスは応えているのかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 彼、頑なに周囲との関係の成立を拒絶していた。というか『こっちに踏み込んできたらどうなるか分かってんだろうな』的な空気を撒き散らしていらっしゃる。

 せめてもの救いは彼が俺の話に耳を傾けてくれている事だが、【ジェイス・ベレレン】としての反応と比べると、あまりに素っ気無い。

 その辺の疑問を投げ掛けてみると、微かにだが、苦笑とも自虐とも取れる感覚が伝わって来る。語りたくない内容なのだと判断して、追及は避ける方針にした。

 先程終わったと思っていた一触即発状態が、またも誕生してしまった事に現実逃避をしてしまいたくなるけれど、今、俺がそれをしてしまえば、火に油……どころか爆弾を投げ込むようなものだ。必ず何かしらの、最悪の方面で事件が勃発するだろう。



(まさか上司や得意先に怒られてる時の方が楽だったなんて……)



 あれはあれで脂汗やら胃のストレスがマッハであったが、今この一触即発空間を経験している身としては、あの程度の仕事などはもはや、全て鼻歌交じりで対応出来る自信がある。

 比べる対象があれなのだが、こう、板ばさみ的な状況の比較対象がそれくらいしか無いので仕方が無い。

 常に首筋に刃が突きつけられている感覚になりながら、既に穴でも開いたんじゃないかと思ってしまう胃を腹の上から押さえつつ、俺達は無人の通路を移動していった。





 まっすぐ進む事、約二分。

 壁と同様、真っ白な扉を抜けたその先には二つのベッドが現れ、それと同数の眠り姫がいた。それぞれに目を閉じ昏々と夢の世界へと旅立ってるのが分かる。

 中央に居る二人以外、室内には誰も居ない。

 パイプ椅子的な安物ではなく、純白の大理石を思わせる寝台には、赤や緑、黄色といった電飾が点灯や点滅を繰り返し、所狭しとケーブルやら何やらの機器達が、その中央へと伸びていた。



「もったいぶるなんて事はしないでよね。やるやら、とっととやって頂戴」



 急かす様に輝夜が言った。

 表情こそ面倒臭さを装ってはいるが、俺ですら隠し通せていない程に、彼女の周りに“必死”の二文字が煤けて見えた。

 対して依姫は、形相こそ無を表現してはいるものの、阿修羅の如き雰囲気が辺りに漏れ出して、そこまで広くない病室を、より一段と小さくさせている。もはや眉一つの動きですらも、異常と判断すれば斬って掛かって来る勢いだ。

 横たわる二名が、普段どれほど思われているのかが分かる光景を目にしながら、後ろに居た刻む者へとお願いをする。



「ジェイス、頼む」



 硬い表情の輝夜と依姫は、自ずとジェイスへ道を譲る。

 それを当然。と二人の間を突き進んで、彼は意識の無い八意永琳と綿月豊姫の横に立ち、歩みを止めた。

 3マナで呼び出した時の彼とは、文字通り一つランクが上になった事によってなのか、その動作は一瞬。

 ベッドいる者達の頭上を撫でるかのように通過させたかと思えば、



「……ん」

「……ぅ」



 場違いだと分かっているのに、漏れる吐息が男としての性を掻き立てる。

 多分、普通の流れだったなら、輝夜やら依姫やらが『そんな目で見るな!』とか言って、直接殴打とかは無いにしろ、罵倒なり絶対零度の目線なりが飛んでくるものだと思っていた。



「……ここ、は」

「……あら……私……。依姫ちゃんや永琳様と一緒に……確か……」



 だというのに。



「永琳様! 姉上! ……良かった……本当に……」

「おはよう、二人とも。気分はどう?」



 輝夜が気にした風も無く、けれど、隠し切れぬ安堵の表情を浮かべながら。

 依姫は感極まったように自分の顔を両手で押さえ、声を押し殺しながら泣いている。―――良かった、本当に良かったと。顔に添えられた手の隙間から、ほろほろと雫が零れ落ちていた。



(……なんで……あんなに泣いてるんだ……)



 ただ寝ていただけだろうに。どうしてそんなに感極まっているというのだ。

 静かに涙する依姫と、目元に薄く光を湛えた輝夜。そんな二人を見て、事態が飲み込めずにいる綿月豊姫と、冷静に周囲を観察し状況把握に努めている八意永琳に、それぞれの個性が如実に現れているのを実感した。

 とても感動的な光景だ。思わずもらい泣きをしてしまいそうになる。



 ―――俺が、関わっていなかったのなら。



 この光景を作り出した原因の一端は、間違いなく俺にある。

 月の軍を壊滅させた事も、依姫を気絶するまで追い込んだ事も、輝夜の精神を乗っ取った事も。今のところは、どれ一つとして謝罪する気は無い。

 けれど、これだけは別。

 百歩譲って殺気を放っていた依姫が悪いとしても、それを理由に完全に無関係であったその姉である綿月豊姫や、衣食住から地上への帰還の手続きまで、全ての面倒を見てくれていた永琳さんを昏倒させて良い理由にはならないし、したく無い。

 だからそれだけは謝ろうと。

 良い所はそのままに、悪い所があれば改善するという自分ルールに則って、こうしてここまでやって来た。

 けれど、とてもではないがこの光景を前に『ごめん、それだけは謝るわ』などという、自分ルールを通す事など出来ない。

 それをしてしまえば、それはもはや謝罪や反省などというものではない。謝っているようで性質は正反対という、悪質な嫌味の域だ。恩を受けた相手に行うものでは、決して無い。



 一歩、後ろへと下がる。

 これは受け入れられない。これは俺が望んでいない光景だと。

 一歩、後ろへと下がる。

 この場に居てはいけない。すぐに離れてしまおうと。

 体が後ろに振り向いた。

 もう耐えられない。一刻も早くここから―――



「―――待って」


 
 体は出口へと向けたまま、顔を少しだけ横にして見た。

 未だに体はベッドへ横たえたままだったが、そこには上半身を起こし、患者が着る薄い水色のガウンのような診察服を身に着けた八意永琳がこちらを見ていた。



「何処へ行くの?」

「……」



 何も言えない。

 逃げ出したくてたまらない。今彼女の顔を正面から見る事など出来ない。

 あの人の故郷でこれだけの事を仕出かしておいて、今更どんな面下げて話せというのだ。



「永琳様」



 横から、依姫が彼女に向かって話し掛ける。

 耳が拾う単語から、今までの出来事を説明しているのだと分かる。

 嫌な気分だ。胸が締め付けられる。

 気分は裁判官を前にした罪人の心境に似て。今か今かと審判が下されるのを、ただ待つばかり。

 そこに被告の証言は無い。今更、何を取り繕ったところで言い訳にしか感じられないのだから、言葉の一つとして発しようとは思わなかった。



「―――そう」



 五分か十分か。

 もしくはたった数十秒だったのかもしれないが、今の自分に時間の感覚が曖昧になっていた。

 それでも依姫の説明は終わったようで、一通り聞き終えた彼女が、言葉短く頷いた。



「九十九さん」



 俺への呼称の変化は無い。

 彼女からは罵倒の一つでも飛んでくるものだと覚悟していたというのに。



「―――御免なさい」



 紡がれた言葉は、真逆。



「私がもっと早くあなたを地上へと還していれば―――いえ、そもそもあの実験にあなたを巻き込んでいなければ、こんな事にはならなかった」



 ……待ってくれ。俺はこんな展開は望んでいない。

 それを言うのなら、俺が調子に乗って【稲妻】など使わなければ、このような事にはならかった。

 それがどうだ。

 よりにもよって、どうしてこの人に謝罪の言葉を口にさせているというのか。



「ごめんなさい九十九さん、私に出来る事なら―――」

「待って下さい」



 それ以上は、ダメだ。

 頼むからその先を口にしないで欲しい。



「違います。違うんです。そもそもの原因はあなたじゃない―――俺なんです」



 依姫でも、輝夜でも。正直、無関係に巻き込んだ豊姫であったとしても、謝罪する意思はあったにしろ、ここまで自分が不利になる言葉など口にする気は無かった。

 けれど彼女だけは―――八意永琳という人物だけは。

 たった数日であったけれど、発端はどうであれ、内心はどうであれ。彼女とは笑い合って過ごして来た。

 そんな人が、一方的に謝罪をしている。

 私が悪いと、こちらが悪いと。誠心誠意、謝っていた。



 ―――とてもじゃないが、許容出来るものではない。



 事の始まりを話す。

 とある漁村。名前は浦辺の戸島村。

 鬼へ向けた威嚇行為に託けた、自分自身の驕りから発生した結果だと。

 ここに至るまでの過程を説明した。自分の気持ちに偽り無く、何をどう感じ、どういう行動に移ったのかを。



 そのまま数刻。



「―――依姫」

「はっ」



 全てを聞き終えた八意永琳は、控えていた依姫へと指示を飛ばす。



「軍部へ通達。今回の事態を指揮した者に連絡を取れるようにしなさい。それと、彼を狙撃したという人物も。―――大至急」

「はっ」



 視線を変えて、次は隣に居る人物へ。



「豊姫」

「はい」

「目覚めたばかりで申し訳ないけど、上層部へ掛け合って、今回記録した全ての資料を集め、すぐ私の所へ提出させなさい」

「畏まりました」



 そして最後は、目の前に佇んでいる者へと。



「輝夜様」

「……何?」

「大変恐縮ではありますが、その者達の先達を務めて頂きたく」

「……構わないわ。九十九―――ジェイス、こっちよ」



 その場にて、空中に浮かび上がる光学タッチパネルを操作し始めた綿月姉妹と、病室の出口へと向かう月の姫。

 その後をとぼとぼと、完全に魂の抜け切った状態で後を追う。

 ……先程自身が言った例えが、まさに的中しようとしていた。

 裁判官。

 彼女達に背を向けて退室する最中、耳が拾う単語を並べ立てて思い描くのは、証拠を揃えて判決を下す月の頭脳の姿。

 自分の事ながら、彼女ならば公平な判断……とまでは行かずとも、それなりに釣り合いの取れた判決をしてくれる事だろう。

 言うべき事は偽り無く伝え切った。後は、それを材料に彼女がどう判断するか、だ。



「しばらく―――待っていて頂戴」



 扉の閉まる僅かの間。

 開閉の音に紛れて耳にした永琳さんの声は、さて―――暖かかったのか、冷たかったのか。どちらだったのだろうか。

 それによって俺の扱いが決定されると言っても過言ではないというのに、肝心なところが聞き取れずに、けれどそれを後悔する事も無くただ呆然と、俺とジェイスは輝夜に連れられ部屋から出て行った。










 ここまで睡眠欲を貪り尽くしたのは、いつ以来だっただろうか。

 あまりに寝過ぎて体の節から『もっとゆっくり動いてくれ』という抗議が聞こえてくる。




「……ここ、は」



 ギシリと音を立てるそれを無視して上半身を起こしてみれば、部屋一面真っ白な―――ここは確か、中央病院の集中治療室ではなかったか。



「永琳様! 姉上! ……良かった……本当に……」

「おはよう、二人とも。気分はどう?」



 声につられてふと横を見れば、こちらと同じように豊姫が上半身を起こして、『ここは何処?』と、彼女の周囲に居た依姫と輝夜に問い掛けていた。

 何か不調がったのか、病衣を纏っていつも目にするぽけぽけとした反応をしているのだが、それは自身にも言える事。

 豊姫と同様の病衣を身に着け、同じく寝台に横たえていた。

 けれど、自分でこのような事をした記憶は無い。

 まさか夢遊病の気があったのかとも思うが、数万年前ならばいざ知らず、現代においてたかだか夢遊病の一つや二つなど、ドラッグストアに行けば解決出来る問題だ。

 そこまで心配する必要は無い。

 ……筈……なの……だが……。



(一体、どういう事なの……)



 誰に聞かせるでもなく内心で呟いた。

 自分の記憶を辿る。

 何処まで繋がっているのかと記憶の糸を手繰り寄せてみれば、存外あっさりと、目的のところまで―――記憶が途切れた場面まで思い返すことが出来た。

 ―――だから、ますます分からない。



(何故、あなたがここに居るの、九十九さん。……その、青い者と一緒に)



 脳裏に焼き付いた最後の映像では、もう少し小奇麗な格好であった筈なのだが、こちらが目覚めるまでに何かしらあったのだろう。その衣類は所々に綻びが見受けられ、それとは対照的に、九十九が着ている服は、新品同様だ。皺一つ、染み一つとして確認出来ない。

 しかも彼らは、一歩、また一歩と後退し、ついには背を向けてこの部屋から出て行こうとするではないか。



「―――待って」



 こちらに背を向けたまま、彼の体がビクリと震える。

 何かに怯えているとしか思えない行動に困惑するが、



「永琳様」



 状況を把握し兼ねている私に、依姫が顔を近づける。

 そうして語られたのは、今、こうして私がここに横たわるに至るまでの経緯。

 彼が呼び出した者が、その青き衣を纏ったジェイスであり、その彼が使う精神魔法によって、私と豊姫、そして依姫は昏倒させられてしまったのだと言う。

 しかし、不可解だった。

 何故九十九さんが私達にそのような行為に及ぶのかが謎であったのだ。

 もしや今まで月への侵略の糸口を見つける為に自身を偽っていたのかという考えにも行きついたけれど……



「そして……その……」



 説明中であった依姫が言い澱む。

 何かこの場では言い難い事でもあるのかと思いながら続きを促してみれば、



「どうしたの?」

「……ジェイス・ベレレン殿は……私の……殺気……に反応し、それが原因で我らを敵と判断。永琳様や私達姉妹を昏倒させたようです」

「……え?」



 殺気? 誰が? 誰に向かって?



「依姫。あなた―――九十九さんを殺そうとしたの?」

「決してそのような事は!」



 口数少なく状況を語っていた時の表情とは打って変わり、自分の言葉に偽りは無いと言い切った。

 殺気を感じた者と、殺気など出していないと言う者。

 その辺りに今回の騒動の原因があるのかもしれない、と目星をつけたところで、



「永琳様」



 今まで横で口を噤んでいた豊姫が話し掛けて来た。



「何かしら」

「あくまで私の判断、としてお聞き下さい。―――前提として、私達月の民は彼ら地上人よりも遥かに長寿です。さらにその中でも、我ら姉妹と永琳様との付き合いは長い。……それらを踏まえた上で先に結論を申しますと、そもそもの解釈の尺度に差があるのではないかと」



 つまりは、こういう事。

 依姫が、死なない(破壊されない)事を前提として全力で斬撃を与えようとした気概を、彼の者はそれを亡き者にする為だという意図を感じ取り、それを防いだというのだ。

 能力持ちの中でも特に戦闘能力が高い依姫の気迫は、それこそ精々百年にも満たない程度しか生きていない者達にとって、生死に関わるものであったのだろう、と。



 ―――そうして、事態は最悪の方向へと転がり落ちる事になる。

 青き者を迎え撃とうと依姫が応戦し、胸部を一閃。

 これは不味いとその場を離脱した九十九とジェイスだったが、それでも事態を収拾する為投降しようとした矢先、死の恐怖に耐え切れなかった兵の先走りによってそれはご破算となり、結果は軍の壊滅。

 それを見た依姫が怒りに我を忘れ、負の連鎖に身を落とす。

 その後、その連鎖に巻き込まれる様に輝夜も参戦し、敗北。

 それでもこちらの昏睡状態を回復させようと、こうして戻り、今に至る。



 輝夜の精神を弄った事には考えさせられるものがあったが……当の本人がそれをさして気にした様子が無いので、流すことにした。

 怠惰に身を委ねているあの子から発せられる、薄い嫌悪に覆われた、強い好奇心。

『面倒臭い』『飽きた』『詰まらない』が口癖であったあの子が、ああも自分の感情を剥き出しにしている様子など、ここ幾年も目にした事が無かった。

 あれはあれで、ある程度の自覚の元で現状を楽しんでいる節が見受けられる。何とも分かり難い性格だと思った。



 ―――今までの話を反芻する。

 するとそこには、一つの疑問点が見つかった。



「自分の立場は把握しているつもりだけれど……それにしたって、一応地上人として知れていた者を相手に、軍のほぼ全てを動かすのはどう考えてもおかしいわ。様々な実験を行ってきたけれど、その時には直接的な戦闘能力のデータは皆無だった筈よ。月の脅威に値する、と考える筈が無い」

「それについては、私から」



 そうして聞いた依姫からの言葉に、私は耳を疑った。



「高御産巣日―――」



 月の民の中でも、特にこの国の行く末を懸念していた者。

 私と同様の古参である彼は、建国の際にも助力を惜しまず、身を粉にして働いていたのを思い出す。

 誰よりもこの国を愛し、誰よりも今の月の現状を嘆いていた事も。

 私にとっての第一が蓬莱山輝夜ならば、彼にとっての第一がこの国だ。その気持ちは、それなり以上に理解出来た。



「はい。司令はこの現状を打破するべく、今回の件を実行したのだと仰っていました」



 だからといって、一を指摘して十の罪を償わせるような行為など、認められる筈が無い。



 ―――と、そう言えたのならどんなに楽であったか。

 私も、彼の事は言えない。

 もしも月と輝夜のどちらかを選ばなければならない状況になったのなら、私は後者を選択する。

 たまたまそういう状況が訪れていないだけで、いずれその時が来たのならば、彼と同じ様に、最も大切なものを守る為には他の全てを犠牲にするだろう。

 気持ちが分かる故に決断に迷いが生まれる。

 結論を出すには今の段階では決定打に欠ける、と思っていると。



「永琳様」



 こちらの思考を中断させるように、依姫がこちらの名を呼んだ。



「全ては私の未熟が招いた事。司令にそう決断させてしまったのも、九十九をあのような戦火に巻き込んでしまった事も、全て。―――とうに覚悟は出来ております。後は、如何様にも」



 そう言って、頭を垂れた。

 ―――だが、違う。責任を負うのはお前だけではない。



「―――分かりました。ただ、今はそれよりも」



 視線の奥。

 先程から微動だにしない外なる者へと言葉を掛ける。

 全ては、こちらの不備が招いた結果。

 後は、それを何処まで償えるかどうか……。



「―――御免なさい」



 反応は無い。



「私がもっと早くあなたを地上へと還していれば―――いえ、そもそもあの実験にあなたを巻き込んでいなければ、こんな事にはならなかった」



 そもそもの原因は、高御でも依姫でもない。

 彼をこちらの実験の失敗によって招き入れた私にある。



「ごめんなさい九十九さん、私に出来る事なら―――」



 何処まで償えるのか分からないけれど、だからといって何もしない訳にはいかない。

 そう思って謝罪の言葉を口にした。



「待って下さい」



 けれど、彼に止められた。



「違います。違うんです。そもそもの原因はあなたじゃない―――俺なんです」


 
 別視点から語られる出来事は、ただただ淡々と記憶を言葉にしているだけ、という作業を見ている気分にさせる。

 懺悔のようだ、と。彼の話す姿を見て思った。

 こちら側からの視野ではなく、彼から見た、彼の思考や気持ちの含まれたそれは、私からしてみればあまりに荒唐無稽な話であった。

 そもそもの発端。彼の言う【稲妻】が原因だと言っていた。

 しかしあらゆる文明がこちらと桁違いである場所において、そも、転送装置付きの擬態した生物調査機器が存在する、という可能性を考慮しろとは、神でも仏でも不可能だ。どうして存在しないものにまで配慮出来ようか。これではまだ、竹に花が咲く方の率が高いと言えるだろう。

 事実だけを見れば彼が引き起こしたという天災が切欠だが、それを懺悔する理由とするには、無理に因縁を吹っ掛ける詐欺師にすら見えてくる。



(私がここで説明してあげても良いけれど……)



 彼は今回の騒動に、幾許か以上の負い目を感じている。

 これでは私の言葉は付け焼刃にしかならず、表面上は理解を示すだろうが、内心では依然として自負の念に囚われ続ける事になるのは目に見えていた。

 少しだけ。今の私では彼の絶対に足り得ないのだという事実を突き付けられ……胸が痛んだ。



(はっきりさせないといけない、か)



 個人の判断ではなく、もっと大勢の視点から。

 自分だけではない。全ての者達がそれで納得―――はしてなくとも理解はしているのだと伝えなければならないのだろう。

 彼は弱い。

 能力面での多様性は依姫に勝るとも劣らず、戦闘面に至っては、それを圧倒……どころか歯牙にも掛けていなかったと聞く。

 けれどそれを支える心が、あまりに脆弱。

 ―――いや、そもそもが、彼は何かを支えようなどとはしてないのかもしれない。

 精々が自分の命を守り、その延長で関わった者達を順々に助けられれば、それで。

 確固たるものが無く、強固たる何者も無く。黒にも白にも。善にも悪にも。極論から極論へと容易く染まるであろう、その心。

 よくもまぁあれだけのもの(能力)を持ちえながらも、こうも色々と欠けているというのだろう。疑問が尽きない。

 答えを一歩間違えば、私は大切に思う人に仇す存在へとなってしまうどころか、月の最大戦力の悉くを一日にも満たない時間で殲滅してしまう戦力を相手にする事になる。

 考えろ。

 最善の結果を。最良の未来を掴み取る為に。

 その為には―――その為に必要なのは、これら出来事の落し所。感情の終着点。



「―――依姫」

 

 彼の望むように。皆の望むように。何より、私が欲する結末を求めて。

 事実を、感情を、統合し、最も均衡の取れた答えを導き出そう。

 皆に指示を飛ばし、それらの確認を行う時間を作る。

 依姫に、関わりの強かった人物を呼び出してもらい。

 豊姫に、重要だと思われる記録の選定と提出を。

 主である輝夜にすら、彼らを落ち着ける場所へと案内させる為の船頭を頼んでしまった。

 先を行く輝夜に連れられて、彼らは無言で追随する。

 一瞬、青き者が鋭くこちらに目線を向けたものの、何をするでも何を伝えるでもなく、すぐさま視線を切って、後を追っていった。



「しばらく―――待っていて頂戴」



 あなたの―――私の望む結末を。

 それらを導き出す為に、今しばらくの時間が必要であった。












 ―――僅か三時間。

 部屋を出る時に見た、壁に貼り付けられていた時計の針が刺し示す数字からは、そう読み取れた。

 精神面と体力面の両方の理由から気だるい体を引き摺って、少し気を緩めれば夢の国へと旅立てるであろう意識に活を入れつつ。

 俺は、とある扉の前へと来ていた。

 暗めの木造。重厚な作りであると伺えるそれは、俺が良く知っている、司法の場の作りに良く似ていて。月の国だという事を忘れて、日本の裁判所にでも訪れている錯覚に囚われた。



 触れてもいないというのに、扉が開く。

 先頭を俺が、後方からジェイスが。歩幅は小さく、けれど止まる事は無い。

 開けた室内。左右に幾つも設置されている椅子。

 けれど百を超えるであろうその席には数人しか座っておらず、この場に居るのは、今回の騒動に大きく関わったであろう人物のみ。

 綿月依姫。綿月豊姫。蓬莱山輝夜と、俺の視線の先。この場においての裁決権を握っているであろう席に腰掛ける、八意永琳。

 そして今入場した、俺とジェイスと―――後ろ姿しか確認出来ないが、紫色をした髪の長い者が一人、右端の席に座っていた。

 軍を指揮したと言っていた老人は見受けられないが、なるようにしかならないのだから、と。もはや誰が来ようが居ようがどうでも良かった。

 数メートルに先に見える、小さなお立ち台。幾度かテレビで見た最高裁判所の法廷にとても酷似しており、何もここまで日本のものと似通っていなくても良かったのに。と、時間を置いたことで生まれた余裕からのせいか。今にも逃げたしたい気持ちとは裏腹に、周囲の状況くらいは頭に入ってくるようだ。

 台へと立つ。後ろに控えるジェイス。

 刃物一つ、銃口一門。殺気も、怒気すら向けられていないというのに、俺の心はかつて無い程に押し潰されそうになって来た。




「この度の《月面騒動》から始まる、全ての責の所在を明らかにしましょう。―――開廷」



 粛々とした声。

 この荘厳な空気は月の都市固有のものか。雰囲気は勿論、思考すらも一切が澄み渡っているような気がした。





 ―――外で待機させていた【マリット・レイジ】が忽然と姿を消す、一時間程前の出来事である。





[26038] 第35話 高御産巣日
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/07/25 23:16






「性格は温厚。思慮の浅さや行動の短絡的な箇所は目立つが、突出した欠点は無し。こちらの文化にもすんなり適応し、所々で非常識とも思える行動や言動はあるものの、僅か数日で一定以上の理解を示している点は素晴らしい―――と。そういう結論だったのだのだがね」

「……含みのある言い方は好きじゃない。本音を隠しながら、ってのは、お偉いさんの中で過ごすには便利なもんなんだろうが、面と向かってそれやられると結構不快になるぞ。……お前は日本の政治家か。胸糞悪くなるもん思い出させんな」

「ニホン、というものが何かは分からないが、生憎と私は軍人だ。立場上、政治家の真似事くらいは出来るがな。それに、そのニホンの政治家とやらは、自分の職をこなしているだけではないのかね? 上に立つ者は文字通り、誰かを踏み台にしてその地位に就いている。その足蹴にしている者達に応えるのが責任であり、義務だ。そうでなければ、そうしなければ、まさに足元から崩れ去っていく。逆に言えば、どれだけ損失を出そうとも、その支えている者達が健在ならば、幾らでもそこに居続けるという裏返しでもある訳だが……」



 逡巡。



「……君のその口ぶりでは、ニホンの政治家とやらは、君に利益をもたらしていないどころか、不利益を与えているようだね」

「見えないところじゃちゃんとやってるのかもしんないけど、それをこっちが知らなきゃ一緒さ。『分かってもらおうと思うな、分からせろ。何の為の目だ口だ。体は有効に使え』ってね」

「誰の言葉だね?」

「……覚えてない。遠い昔の話さ。……話、はぐらかすなよ」

「君の質問に答えて上げたまでだ。その様な意図は無い」

「そりゃ失礼。……じゃあ、さっきの話の続きといこうか。但し……」



 そう言って、改めて目の前の者を見る。



「長い。箇条書きみたいにして、さっきの話と今からする話を要約しろ」

「……」



 それに答えるべき者は、その目を細めた。



「そんな目で見るなよ。言っちゃ何だが、おつむの出来は宜しくないんだ。消防試験落ちたしな」

「試験の程度が分からないが、ご愁傷様、と言っておこう。―――要らぬ世話かもしれんが、もう一度、色々な分野を学び直してみてはどうかね。君という存在を見ていると怪しくなって来るが、ここには地上のどこよりも充実した教育機関があるものと自負しているよ」

「……勉強は……苦手だ」

「そういう考えの者用のプランもある。誰しも学ぶ喜びは持ち合わせているものだ。学び活かしを繰り返し自己を高めていく行いは、とても素晴らしいものだと思うがね」

「そりゃ俺もそう思うけどな……ってまた話が……」

「……こう、目的のない無駄とも思える会話をするのは久しく無かったな……」

「また話逸らす気か」

「年寄りのささやかな楽しみさ。少し位は大目に見ても罰は当たらんと思うがね」

「……」

「分かった分かった。―――あの時、私が自身の首を飛ばそうとした理由だったな」



 静かに目を瞑り、その時の状況を脳裏に描く者―――高御産巣日。



「箇条書き、とまではいかないが、なるべく簡潔に済ませるよう勤めよう。遠まわしな発言を止める程度だがね」



 コホンと軽く咳をする。



「―――君の思考には波がある。一定上の倫理を持ち合わせていると判断し、あの場で宣言した通り、この度の指揮を取った私がああして責任を取れば、君がこれ以上、事に及ばないという答えになったからだ。ここ数日に及ぶ君の言動の記録から、そう結論付けた」

「それで、その意図を一切俺に説明しないで自分の首を飛ばそうとしたのか。味方にすらも、それを告げずに」

「もうこちらには手段が無かったからね。力で敵わず、交渉という名の不平等条約の締結では、一戦した手前、何処まで弱みに付け込まれるか分からない。もし仮に君がこの国を支配しようものなら、あの戦闘で養ったであろう怨恨が、ここの民全員へと波及していたかもしれない」

「それこそ憶測の域を出ない、完全な賭け状態じゃねぇか。何でそんな曖昧な要素に頼ろうとしたんだよ」

「だが、現に君はこうして私との対話に応じ、その目の奥には怨嗟の色は見受けられない。せいぜいがイラつき程度の感情だ。―――君は初めこそ烈火の如く思いを爆発させるが、時間が経てば、その熱が冷め易い傾向が見受けられた。良くも悪くも相手を知ろうとする行為の成せる業だな」



 一息。



「―――つまりは、出鼻に一発かませば、君の行動を大きく抑制出来る、という結論に至った訳だ。強ち、的外れではないだろう?」

「……当人の前でそれを言うかねぇ」

「君が望んだ答えだ。それを言わずして先へは進めない。それにそう答えた方が、君への印象が良くは為らずとも、悪くなる事はあるまい。後は君の中にこちらの及びもつかない琴線でもなければ、この国は平穏を保てると確信している」

「……OK、自殺の理由はよく分かりました。で、次。今後、俺はどうなる」

「私の憶測で言うのなら幾らでも思いつくが……何せ今までこのような事は無かったからな。今頃はルーチンワークばかりしていた政治家が、血の汗でも流しながら話し合い、知恵を振り絞っている事だろう」



 声にも表情にも出していないというのに、俺には目の前の老人が静かに口元を釣り上げて、くつくつと笑っている気がした。



「……何だか楽しそうだな」

「そうかね? ……まぁ、そうなのだろうな。立場は分かっているつもり……ではあるが、やはり実際に行動する者と、卓上で討論する者達の認識の差が……な。……あの石頭共め。せいぜい苦労するが良い」

「……分からんでもないですけどね……はぁ」



 ―――何やってんだか。

 誰に聞かせる訳でもない意思が、真っ白な天井へと溶けて消える。

 こういう状態になって少なくとも一時間以上。そろそろ話題も尽きるかと思っていたのだが、流石に積み重ねたものが違うのか、営業トーク顔負けの矢継ぎ早に繰り出される言葉の嵐に、俺は参ってしまっていた。



(あれは……確か……)



 ことの発端は、お目覚め主人公のテンプレのように始まったのだったと、その時の様子を振り返った。









 窓から吹き込む風が心地良い。

 真っ白な天井を見上げ、寝心地の良いベッドへと体を横たえていた俺は、ぼんやりと、全く他意の無い感想を思った。

 窓の外から差し込む日光は、暖かな春の麗。

 これで小鳥の囀りでも聞こえてくれば完璧なのだが、生憎と、ここ地上数百メートルの高さでそれは期待出来そうになかった。

 辺りを見渡せば、何処も彼処も真っ白な面ばかり。

 窓―――っぽい、片面全てが無色の壁は、初めの頃は恐怖以外の何者でも無かったんだが、数時間も見ていればある程度は慣れるもので、今では良い暇つぶしの一つへと落ち着いていた。

 ぶっちゃけ、病室(高級らしい)で缶詰状態です。ってなもんで。

 それも、何故か月の軍隊のトップのお方と同室―――というか二人きり。周りには兵隊さんどころか看護士の一人も居なかった。

 目覚めた瞬間。『おはよう』と二つ並ぶ純白のベッドの片側に、切腹ならぬ切首をやろうとしていた月の軍のトップが本を読みながら挨拶して来た時には、再び安眠を貪りたくなった。



 そこから、あちらとしてはサバサバとした感じで、こちらとしてはギクシャク……どころか雲をも掴むような手探り状態の会話を行った。

 ―――何でも俺、裁判が始まってすぐにぶっ倒れたんだそうだ。

 おぼろげながら覚えている。

 倒れ込む最中に見えた、ジェイスのフードから僅かに覗く、寂寥感と、感謝の視線。

 それに一体どんな意味があったのか……。

 後悔先に立たず。それを知る術は失われてしまった。



(PW、再度召喚出来ないってどういう事だよ……)



 永琳さん達を起こす試行錯誤の内に判明した、新たなルール。

 漠然と判明したそれは、二つ。



 ●プレインズウォーカーの力は一日しか使えない。但し、同名の者であっても別カードであればその限りではない(例・【ジェイス・ベレレン】と【精神を刻む者、ジェイス】は同一人物であるものの、カードとしての制限は別である)

 ●プレインズウォーカーは一度召喚した場合、再び召喚する事は出来ない。



 というもの。

 内政チートや対人無双が出来なくなったというものあるけれど、何より、彼を散々戦わせ、巻き込み、ただただ良い様に使い潰してしまった後悔が、今も俺の心に残っている。

 全てが終わったら、彼と一緒にもう一度、心行くまで酒を酌み交わし、話し合ってみたいと思っていたのに。

 おまけとばかりに、外に待機させていた【マリット・レイジ】の繋がりが感じられなくなっている。ジェイスと同様、彼女も還してしまったようだった。

 不幸中の幸いなのは、勇丸との繋がりは未だに感じられるという事。これは【マリット・レイジ】……というより【ヘックスメイジ・デプス】―――コンボに何かしらの制限が掛かっていると判断すべきか。

 あまりの展開に笑いすら込み上げて来そうな精神状態であったというのに、この横に居る高御産巣日を相手にしなければならないせいで、幸か不幸か、その事に悩む時間与えられないでいた。


「で、また話が反れたんですが。お前どんだけ雑談好きなんだよ」

「そういう気概は無いのだが……。ふむ。こうして第三者からの意見に耳を傾けてみれば、自己のまた違った一面が見えてくるものだな」

「そういう感想はいらないから」



 先ほどと表情こそ変わらないものの、何処と無くシュンとした雰囲気を醸し出している気がする。



「では、裁判の結果を話そう」

「ちょい待て。お前、さっき俺がどうなるのか分からない的なニュアンスで話してなかったか」

「それは君が誤解している。私はあくまで私の感想と判決の結果を述べただけで、一度も未定等との言葉は発していない」

「……じゃあなんで自分の感想、とか言ったんだよ。それこそ、その仮決定の話をすれば良かったじゃねぇか」

「―――さて、君の仮決定の話だったな」

「自覚あるんか!」



 こ、こんにゃろ……。スルースキル完備ですか畜生め。



「もう一度言っておく。これはまだ仮の判決だ。君が不服と思うのであれば、上告も可能である。八意君以下、綿月豊姫と依姫、蓬莱山輝夜様が最大限の便宜を図ってくれるそうだ」

「……そりゃまたえらい豪勢な方々がサポートしてくれるようで。……豊姫……さん……は何でこっちの便宜を図ってくれる事になったんだ? 自分で言うとあれなんだが、あの人、俺を弁護するどころか訴える側だろう」

「何でも依姫に説得された、なんて話は耳にしたがね。生憎と私も真相は把握していない」



 何せずっと寝てたから。とは本人の弁。

 どうも、【平和な心】を受けてすぐにここへと運び込まれ、精神安定剤やら何やらの治療を施されたのだとか。

 考え抜いた結果のあの行動なのであって、異様な精神状態から来る自殺ではなかったので、当の本人は良い迷惑だったらしい。



「地上人、九十九殿。暫定ではあるが、君には二つの選択肢がある」



 ベッドに腰掛けたまま、彼は片腕を持ち上げて、こちらに向けて人差し指と中指を立てた。



「一つ。君の当初の提案通り、すぐさま地上へと送還させる。一切の責任を取る事無く、体調が戻り次第、迅速に」

「……とっととお帰り下さい疫病神様。って聞こえるな」

「君は、君が思うよりもお頭の出来は宜しいようだな。間違いではないよ。月の―――特にあの戦闘に参加していた者達やその記録を閲覧した者達から見れば、君の存在は脅威以外の何者でもない。そのような不穏分子、一刻も早くどうにかしたいと思うのは仕方の無い事だろう」

「その通りかい……。で、二つ目は?」

「君がここに永住し、治安防衛を主とした職務に従事する事だ。無論、待遇は保障させてもらおう。先にも言ったとおり、君の力は脅威。それを味方に引き込めるのなら、これほど素晴らしい事はない。……という流れから来た案だな」

「永住却下」

「即答か……。以上が君に下された判決だ」



 あれ、思ったよりも何も無い。

 もっとこう『死ぬまで奴隷だ!』とか『解剖を始める。メス』とかも考えていたんだが。

 ……そういう流れになったら今度こそ、とも思っているけれど。



「そして、君にとってはここからが本題となるだろう」

「……は? もう判決がそう出たんだろ?」

「あぁ。“君の”判決は終了、と言ったんだ」



 ……なるほど、そういう事ですか。

 というか裁判ってそういう方式だったかな。月だから特殊なんだろうか。分からんです。



「まず、八意永琳、並びに綿月豊姫へは殺人罪一歩手前。症状としてはただの昏睡状態だったが、それを改善出来るのは君―――が招いたジェイス殿だけであり、眠りに着いた彼女達の意思は著しく無視された。それも立場が立場な者であった為、場合によっては国家侵略罪の適応を求める声もあったが……」



(うわ最悪……)



 分かってはいたが、今更ながら自分の仕出かした事の重大さを実感出来る。

 やらかした側が言う台詞では無いけれど、本当に彼女達を起こせて良かったと思う。



「それについては二人が告訴を棄却した為、無効。その結果として、彼女達の空いた穴を埋める為に掛かった費用や治療費。精神負担を含めて、金二百四十億のみが現状の君が追うべき責任となっている」

「……その“金”ってのは通貨の単位か? 恐ろしい値段だ、ってのは何となく分かるんだが、イマイチどれくらい凄いのか……」



 ジンバブエ通貨とかだったらありがたいんですが……。



「一般の民の平均年収が金四百万前後、と思ってくれれば良い」

「よく分かりました……」



 日本円基準と考えて良さそうですね。……ぎゃふん。



(あ、でも金銭で解決出来そうなのはありがたい……の、かな)



 金銀財宝ならば、文字通り一山程度は出せそうなカードが幾つかある。

 貴金属系に価値を見出してくれなかったら困ったものだが、それはそれでどうにか出来そうだ。

 何かをプレゼント系は、俺にとって歓迎すべき―――やり易い罪滅ぼしである。

 ……大分前に何処かの神様と会った時にそれで地雷を踏んだ気がするが、多分、気のせいだろう。



「何、君がこちらの第二案である治安防衛の職に就いてくれるのなら、九十年以内には返金し終えるだろう」



 さり気無く俺を一般人扱いしていない発言(年数的な意味で)が見受けられたけれど、あれだけの事を仕出かした後では、その発言も虚しいだけな気がするので黙認しておく。



(九十年って……収入全部返済に回して、としての過程だったら……大体年収三億超えない程度にはあるって事か……?)



 一般的な日本人の生涯年収が大体二億と聞いた事がある。そう考えると恐ろしい額という事になるのだが、国防費の一環として考えると、日本を基準に考えるのなら億という桁を超えて、それは兆の位に突入する。

 安く使われているのだな、と思う反面、それでも約三億という数字は半端ないものに変わりは無い。毎年、年末ジャンボが当選しているようなものだ。

 状況が状況なら歓喜どころか狂喜乱舞レベルの報酬だが……今の俺には生憎と金銭系での誘惑は効かない。

 恐ろしく贅沢な選択肢が転がっているというのに、それを大して意識する事無く蹴る気でいるのは、ある意味で自分の能力に慣れてきた影響だろう。



「そして、彼女達二人からの追加要望がそこに追加される。国家侵略罪の適応を取り止める代わり、と思っていいだろう」



 ……それって実質、永久奴隷フラグは消えていないどころか濃厚に残っているっぽいんですが。

 ふと、俺の能力の検証を嬉々として行っていた永琳さんの笑顔が思い出される。

 第三者から見れば見惚れる様な表情だったのだが、当事者からすれば、まさに黒い笑顔。前にも思ったような気もするが、漫画で描写するなら背後に『ゴゴゴゴ!!』とか表記してある事だろう。



「さて、では次だな。……私にとっては、ここからが本題だ」

「うん?」



 何だろう。

 大体の説明は聞いたと思ったが。



「……私、高御産巣日はこの度の軍壊滅の責任を取り、辞任。また、過剰な人員投入により場の混乱を招いた原因として禁固三十万年、執行猶予五百万飛んで二十年。それとは別に、破壊された軍備の一割を負担する事とする。―――以上が私に下された命だ」

「……同情なんてしねぇぞ」

「構わないとも。全て自分が招いた結果だ。……ある意味、これで肩の荷が降りた、とも考えられるさ」



 一瞬、あまりにぞんざいな物言いに再び気持ちがささくれ立ったが、彼の表情を見ている限りでは、とても言葉通りの感情を抱いているとは思えない。

 ……いや、一見すれば、相変わらずの無表情ではあるのだけれど、この短い付き合いの中で、何となく彼に心残りがあるんじゃないかと、薄っすらではあるが察する事が出来た。



 ……だからといって、今言ったとおり、同情する気持ちは持ち合わせいない。

 あれはあれ。これはこれ。

 やってしまったのはこっちで、それを利用しようとしたのはあっち。

 どちらがどう転んでも、妥協点など見出せる筈は無かったのだから。

 故に、この話はここで終わり。

 後はただただ、勝者と敗者が居るのみである。



 ……しかし、禁固やら執行猶予やらの年単位が俺の常識と掛け離れ過ぎててピンと来ない。月の平均年齢としては短いんだか、長いんだか。



「次は……彼女か。綿月依姫。この度の騒動の原因の一端を担っていたと考えられる為、地位剥奪。一兵卒へ降格の後、以降二千万年間は最低賃金にて軍務に従事。また、私生活に支障の無い範囲で九十九殿の要望を可能な限り受け入れ、これに応える事とする。ただし、生命や人としての尊厳を著しく無視する行為などは依姫君に拒否権が発生する」



 依姫の場合は、そういう方向性になったのか。

 てっきりこのおっちゃんと同じ様に、内々で片付けられるもんだと思ってたが、俺の方にも裁量権的なものがあるらしい。



「恐らく、後半の君の意思に服従、という命には、彼女の姉である豊姫が君に対して持っている権限―――先程の殺人未遂の告訴分を使い、殆どを軽減、あるいは無効化させる事だろう」

「……それくらいで済むんだったら、むしろ俺が心苦しいと思う位だ」



 下手をすればあのまま昏睡状態のままであったのかもしれないのだ。

 むしろこれくらいで済んだのは僥倖であったと断言できよう。

 この辺りは判決云々ではなく、俺個人として豊姫に贖罪をしていく方針を固めた。



「次、蓬莱山輝夜様。……なん……だが……」

「……えらく歯切れが悪いな」



 何だろう。嫌な予感がする。



「……君、あのお方に何をしたのかね」



 思い悩んだ末に、高御産巣日はこちらへと質問を投げ掛けた。



「何って……俺は嘘なんて言った覚えはないぞ。あいつが攻撃を仕掛けて来たから精神乗っ取って傀儡にしただけだ。指一本触れちゃいない」


 自分で簡単に言い切ったわりには、どこぞの悪役のようなやり方をしていたのだなと思える発言に、内心で頭を抱える。

 こりゃ何言われてるか分かったもんじゃないと思いながら、でもあいつが先に手を出してきたんだし、という気持ちもあった。

 仮に俺が悪いと判決が出ていたとしても、今のままでは素直に謝罪する気など無い。本当に謝るところまでするのなら、せめて説明を受けて……それに俺が納得してからだ。

 要求次第では実力行使も。と考えていると、



「……簡単に言うと、だな。『一生奴隷』だそうだ」

「断固拒否!!」



 話す声が男のものだというのに、発言があいつの声で脳内再生されてしまった。

 まず間違いなく『一生奴隷』の後ろは『♪』の記号が付属されていた事だろう予感と共に。

 おいおいちょっと待ちやがって下さいべらんめぇ。あの野郎、一体どんな裁判やらかしたってんだ。



「どういう流れでそうなったんだよ! 今までの公平感が一気に崩れたぞ!」

「うむ。私見で言わせてもらえば、輝夜様の要望に、裁判長であった八意君が折れた、という印象だな」



 何だかんだであのお方には甘いのだ。と締めくくる元司令官殿。



「……あんの蓬莱ニートォォォ!!」



 寝起きにしては、我ながら良い声出ていたと思う。



「(にーと?)……尤も、その件に関しては輝夜様他、一名を除き、永琳君や依姫君などが再審を求める声を挙げている。君が上告するのであれば、容易く覆る筈だ。……半分は本気であったのだろうが、もう半分は遊びだな」



 あ、あんにゃろ。こんな状況だってのに楽しんでやがるな。

 こちとら永琳さんや豊姫さんには負の念があるが、お前にゃ現状サラサラ無いんだぞゴルァ。



「ただ、それに関しては君は幸運ではあると言えるだろう」

「……何処が?」



 死刑にならなかった云々、という意味だろうか。



「今の通り、輝夜様と八意君、二人が黒といえば、あの太陽ですらも黒くなる程の権力があるのは分かってくれただろう? それが、あれだけの事をしておきながら奴隷“程度”で納まっている事が奇跡に近い。まだ輝夜様だけがそういった発言をするのは分かる。面白ければ万事良し、と考えている節があるからな。……だが、あの八意君が輝夜様に危害を加えておいた相手を、尚も何もせずに居ることが不可思議だ」



 その辺は……確かに疑問が残る。

 輝夜第一主義っぽいところがあるのは、原作にて、輝夜を迎えに来た月からの使者を皆殺しにしているところから察せられるが、だというのに俺に対しては、温情と断言出来る判決を下している事に、こうして高御産巣日から言われた後となっては、疑惑が募るばかりだ。



「……分からない。哀れみとか、同情とか、便利な実験体とか。そういった理由くらいしか思いつかない」

「そうか、君にも分からないか……。後ほど彼女と会う機会がある。その時にでも聞いてみると良い」



 疑問が解決せぬままに、何ともいえない空気が漂う。

 唯一外から吹き込む風だけが、音らしい音を立てているだけあった。



「そして、ジェイス殿につてだが……。改めて確認しよう。彼は君が呼び出した存在で、その彼は依姫君によって腹部と胸部の中心を一突きされていた、で相違無いね?」

「あ、あぁ。詳しくは言えないが、間違いない……ぞ」

「そうか……」



 しばしの沈黙。



「申し訳ないが九十九君。この国には式神の類に、権利は認められていない」

「……つまりジェイスに対してやった事は無効だって言いたいのか」

「違う。あるにはるのだ。但しそれは人権としてのものではなく、あくまで器物破損の範囲に収まるものでしかない。この場合、保障する相手はジェイス殿本人ではなく、あくまで召喚者である九十九君、君自身へと還元される事になる」



 ジェイスが物……か。

 言いたい事は理解したつもりだが、納得するには……些か……。



「しかしその判決とは別に、ジェイス殿への贖罪は、依姫君が個人で補うそうだ」

「……ほんと、馬鹿になる位にしっかりと出来たお人だことで」



 口にした言葉とは裏腹に、俺の言葉には暖かさが伴っていたんじゃないだろうか。

 法で決まっている、とこいつは言った。それは、今までの常識がそうであるという意味になる。

 今までの価値観を壊してまで相手に対して謝罪する意思が見受けらた事に、驚くと同時、少しの当然という心と、感謝の意が燻った。

 ただ悔やむのは……彼を再び呼び出すには最も確実な方法として、後1マナ出力を開放しなければならない。

 現在、一度に使えるマナの上限は4。

 3マナであった【ジェイス・ベレレン】、4マナであった【精神を刻む者、ジェイス】、そして、俺の知る限りの最終形態であった、5マナのPW。

 同じカード名のPWは二度召喚出来ない、と思われる根本的なルールが改正されない限り、俺は新たにもう1マナ出力を上げなければならないようだ。

 これだけドンパチ仕出かして分かった事が出力開放のみだとは思いたくないが……うぅむ。先は長そうです。





「……さて、では次で最後になるかな」

「ん? もう全員の話は聞き終わったんじゃないのか?」



 綿月姉妹、八意永琳、蓬莱山輝夜に、この高御産巣日。それに【ジェイス・ベレレン】。

 主要な人物への判決は全て聞いた筈だ。

 だがそんな俺の疑問にも、高御産巣日は真面目な顔をして、しっかりと答えた。



「目覚めて早々、君が真っ先に尋ねて来た人物だ」

「……?」



 ダメだ。そう言われてもさっぱり心当たりが無いです。



 ……しばらく無言でいたからか。

 こちらから答えが上がる事は無いと判断したようで、白髪の老人は、これまた一言一句綺麗に聞き取れる声で、俺に答えを教えてきた。



「今回の騒動の、幾つかあった分岐点の一つに関わっていた、玉兎の先遣隊で軍曹を務めている……いや、いた者だ。―――名をレイセン。誰よりも先に君に引き金を引いてしまった、張本人だよ」





[26038] 第36話 病室にて
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/08 20:18





 戦ぐ風の心地良きかな、春麗かな木漏れ日よ……なんて。

 ……どんな意味なんだろ。思い付きでポエムなんぞ考えてみたものの、全く意味は無いです、はい。



 病室で高御産巣日にレイセンの名を告げられてからの俺は、堪らず頭を抱えてしまっていた。

 ここまで来て有名人物が登場するとは思っておらず、この分では、出身地が地上の筈の、白くてちっこい兎詐欺様も出てくるのではないかと考えを巡らせる。



(ここでレイセンって事は……よりにもよってあのレイセンか?)



 こちらを怪訝な顔で見ていた高御産巣日に顔を向け、そのレイセンなる者の資料を見せてくれないかと尋ねてみる。

 思い違いであったのなら対応は半殺し……かどうかはさておくとしても、それなり以上に酷い目にはあってもらう。



「少し、待ちたまえ」



 空中に現れた光るパネルを操作して、数十秒。

 思ったよりも早く、それは見つかった。



「これだ」



 滑らかにスライドさせながら俺の前へとパネルが移動して来た。

 思っていたよりも大きなA3サイズのそれは、左に顔写真。右に詳細データが記載れており、誰がどういう人物であるのかが一目瞭然であった。



(薄紫の長髪に……真紅の瞳……。ウサミミは付けてないけど……どう見ても二号の方じゃねぇな。……超本人くせぇですよこれ)



 鈴仙・優曇華院・イナバ

 月生まれの玉兎であり、綿月姉妹に飼われていたペット的な存在。

《幻想月面戦争騒動》にて地上の勢力に恐怖を覚え、しばらくの後、アポロ計画浮上の際に心折れて、地上へ逃亡。

 紆余曲折を経て永遠亭にてご厄介となる身であり、地上に来る際に擬装用の名としてレイセンが鈴仙になり、永琳が優曇華院を付属し、輝夜がイナバをドッキングさせた―――んだったか……逆か? ―――という不憫な名称を持っている印象を受ける。お前は何処のイッパイアッテナだ。



(そういやあの作品って、主人公のルドルフがゴミ捨て場の筆記用具を使って執筆してて、作者はそれを出版社に持って行ってるだけって話だったなぁ)



 懐かしいなぁ……、ってそうじゃない。

 どうするよ俺。

 完全な赤の他人だったら当初の予定通り酷い目にあわせるつもりだったが、これまた東方キャラの中でも中々の知名度を持つお方と面識を持つ事態になりそうだ。

 現在の俺から見た親愛度は、永琳さんがぶっちぎりで、大分開いて依姫。後は軒並み同一な感じだが、ここでレイセンが出張ってくるとは思わなかった。

 二次創作でしか知らないが、経歴故に争いごとには臆病で、永琳や輝夜、てゐ達の間に挟まれ気苦労が多く、地上人との間に壁を作り、それでもおっかなびっくり生きようとしている苦労人。

 完全にお咎め無しという訳にはいかないが(気持ち的に)、手心を加える場所は過分に残っている。



(どう区切りを付けたもんかなぁ)



 他人が自分の飯を横から掻っ攫っていったのなら鉄拳私刑バッチコイだが、友人なら『何すんだてめぇ』程度の罵倒で済ます程度のような。

 もしくは不法侵入して来た相手が見ず知らずの者なら通報、知り合いなら『何してんの』という言葉だけで済ます感覚のような。そんな感じ。

 自分の中で黒く滾っていた怨恨が一気に冷めるのが分かる。

 高御産巣日が言っていた、出鼻に一発かませば云々、という言葉はものの見事に俺の心情を捕らえていたようで、しっかりと憤怒の炎が鎮火気味になっている。

 神奈子さん相手にしていた時は諏訪子さんを殺めてしまったと思っていたので、今こうして思い返してみても、神奈子さん当人は勿論の事。例え相手がスキマ妖怪だろうが紅白巫女だろうが殺めるくらいの気概はあった。

 けれど今回は被害者は俺であり、頭部に一発受けたという事実は残っているものの、俺自身手遅れになっているあれやこれは一切無い。



(……当人を前にしたら何か思いつくかなぁ)



 意図せずにして手元に転がり込んで来た、他人の命を左右する命令権。

 自分で勝ち取った代物で、尚且つそれを望んでいたのなら諸手を挙げて喜んでいるところだが、正直これは嬉しくない。

 あざとい話だが、能力持ちとはいえ、ただの玉兎である彼女に何を期待すれば良いというのか。

 権力でも資産でも、こちらの罪名の軽減を図れる可能性は薄そうで、能力か戦闘面位でしか今のところは期待出来そうに無い。

 それに。



(女の子への絶対命令権って……俺は何処のヘンタイ貴族だよ……)



 自己判断だが、大分この世界に慣れてきたとはいえ、それでも生前の倫理を基準としているところは、まだある。

 そりゃあ俺も男だし、色々と溜まっているものがあるにはるが……。だからといって……なぁ?



「どうした?」

「……いや、何でもない」



 高御産巣日が不思議そうな顔をして尋ねてきた。

 そうも顔に出ていたのかと思うと同時、とりあえずは会うだけ会ってみるかと考える事にした。



「永琳さんと、豊姫さんには賠償を。お前は内々で判決が出て、依姫が俺の要望に可能な限り応える事になって、レイセンって奴が俺の……その……何だ。……奴隷って事で良いのか?」

「そこに抵抗を覚えてくれるのなら、依姫や、そのレイセンという者にはまだ救いはありそうだ。―――然様。白々しく聞こえるかもしれないが、彼女は私の失敗を加速させた責がある。私はあくまで君を捕縛する為に動いたのであって、殺害する意図は無かったのだ。結果としてそうなってしまったのなら仕方ない、とは思っていたがね」

「……やっぱりお前ムカツクわ」

「君も、譲れないものが出来たら分かるかもしれんな」

「そこは分かるさ。共感出来る。―――俺に害が無い限りは、な」



 我ながらいい睨みを効かせていたんだろう。

 今までの飄々とした老人の表情が一転して歪み、真剣なものへと変貌していた。



「……これ以上は藪を突かぬ方が良さそうだ」

「そうしてくれ。あんたとのお喋りは心臓に悪い……」



 下手な事になろうものなら、一気に感情が沸騰してしまいそうで。

 その時は自制出来るかどうか怪しいものだ。

 もうやだ、と思いながら、柔らかなベッドへと再び体を沈めた。

 永琳さんの家の物とは一味違う寝心地に心地良さを感じながら、とりあえずそのレイセンという人を呼び出してもらう事にした。

 横たわったまま、俺は顔だけ隣へと向けて、話し掛ける。



「今からこのレイセンって奴、ここに呼び出す事は出来るか?」



 宙に浮いていたパネルを見ながら、高御産巣日へと尋ねた。



「可能だ。……もうこの者の扱いが決まったのか? 言い淀んでいた割には早いものだな」



 そう言いながら、新たに手元にパネルを出現させて、何やらピコピコ指を動かしている。永琳さんの時に見た奴はブラインドタッチすらしていなかったのだが、人によってその辺りは違うものを使っているんだろうか。

 そんな彼が行っている行為とはつまり、もうこちらの言った事を実行に移しているのだろう。早いものだ。



「違う。会ってから決めようと思っただけだ」

「そうか。だが、君はまだ安静にしていた方が良い。今はこのベッドの上だから良いようなものの、降りれば疲労が一気に吹き出る事だろう」

「……このベッドって何か特殊なもんなのか?」

「ここに運び込まれた時、君は極度の疲労が蓄積されていた。通常ならば一日や二日でどうこうなるものではないが、ここは病院。幸いにも疲労回復や細胞の活性化を促す装置は充実している。その一つが、このベッドだ。呼吸一つ取っても楽とは感じないかね?」



 君がただの地上人であれば、と切り結んで、元司令官は言葉を止めた。

 言われてみれば……そうなのだろうか。

 ピンと来ない、というのが正直な感覚だが、まぁ月の人がそう言うのなら実際にそういう効果があるのだろう。



「何にしてもしばらくは安静にしている事をお勧めするよ。君が我が国の法を遵守する限りは、自由と安全を保障しよう」

「嘘くせぇ。たった一人相手に軍隊一つ差し向けて来た奴の台詞としちゃあ、二枚舌もいいところじゃねぇか」



 それもそうだ、と。

 自分で全く気づいていなかったのか、高御産巣日は声低く、けれどとても愉快であるとくつくつと笑う。



「―――そうか」



 不意に、悟りを得た者のみが言える口調で、初老の者が呟いた。



「どうしてこんな単純な事に気づかなかった……。何も、君を完全な敵役として仕立て上げなくとも、君と口裏を合わせるだけで良かったのだ」

「……何が?」



 彼と俺との直線距離は二メートル前後。

 話し声がしなければ、聞こえるのは風の音のみという室内だ。

 独り言の類ですら、嫌でも耳に入ってくる。

 何やら勝手に納得して自分の中で話題を進めているようだが、こちらにも関係のありそうな内容に、完全無視するのも気味が悪い。



「いやなに。ありえたかもしれない未来を思って、自身の浅はかさを嘲笑しただけだよ」



 そのまま、否応無しに彼の話を聞く流れになってしまった。

 月の現状を悔いている事。

 意識改革の為に俺を生贄にした事。

 そうしてそれに失敗し、今こうしている事。

 ……今更俺にそれを言ったところで、焼け石に水どころか、火に油なのだと気づいているのだろうか。



「そうだな……。君へ事前に、私や依姫が軍事訓練に付き合って欲しいと頼んでいたら、受けるにしろ断るにしろ、少なくとも悩んではくれていただろう? 勿論、使用武装の制限などで極力君に害の無いよう調整を計り、事後の保障の一切を、こちらで責任を取る事が前提だが」



 何だか突拍子な会話の方向性に思考が追いつかなくなったものの、彼の言いたい事は、“事前に悪役として振舞う事を了解していたら”というニュアンスの会話なのだと思う。

 つまりは出来レース。

 主催者と囮か敵かの役を担った俺だけが知っている、当事者から見れば本物の、命を掛けているかに見える軍事演習。全てが終わればネタバレよろしく打ち明けて、何だそうだったのかと笑い合う大団円コース。

 当然、俺に害が無いのが前提であるが、そこは【ダークスティール】化やら【プロテクション】。という事らしい。



「無理だな。第一、お前や依姫に急にそんな事を言われても頷く理由が無い」

「しかし、それが八意君ならばどうかね」



 ……それは……まぁ……考えなくもない……が……。



「それこそ無理だ。あの状況じゃあ、その永琳さんが頼み込むっていう前提が不可能じゃねぇか。……その……俺がやらかしてた訳だし」



 意図せずにブーメラン発言をしてしまった事で、口調が弱腰になる。



「仮に八意君の頼みでなくとも、君の帰還を最優先にする事を条件として付け加えたり、金銭や物品などの提供も交渉材料にはあった。―――九十九君」

「お、おう」



 急に体を乗り出して、ずいとこちらに迫ってくる。





「君―――夜の営みに不安は無いかね?」





 開いた口が塞がらないとはこの事か。

 ……あれ、おかしいな。

 今の空気は、取り戻せないあれやこれの後悔を胸に秘めつつ、哀愁漂わせながら会話する雰囲気ではなかったか。



「ん? まさかその手の行為を知らん訳ではあるまい?」

「い、いや。とてもよく理解している……とは思う……が……」



 ドーテー デスガ ネ。



「かつて地上に居た頃には、我らは様々な悩みを抱えていた。生え際の後退、体臭の悪化、生殖機能の減退、等々。どれもが決して避けられぬ問題であり、けれど出来うる限り回避したい変化であった」



 うっ。

 どれとは具体的に言いたくないが、心当たりのある項目がチラチラと……。

 そんな俺の内心を見抜いたのか、高御産巣日は手に力を込めて拳を作り、熱く語り出す。



「しかし! ここ月に来て我らは研究した。そして、克服したのだ!」



 ―――なん……だと……!?



「っ、まじか!?」

「そうとも! 君が女性ならば月に一度訪れる日の不調の無効化や、肌や髪の艶を保つ方法などを提案したが……」



 さらに顔を寄せ、とうとう彼の顔はこちらの耳元にまで寄っていた。



「……君、婚約はしているかね?」

「……相手すらいません」



 どうやら立場まで逆転してしまったようだ。

 喋る口調が反転してしまっているというのに、それを戻そうという気にならない。

 それだけ、こいつ……この人が話す事は、俺にとって無視出来ない内容なのだから。



「ふむ……。なら、意中の相手はいるかね?」

「……一応」



 今のところは……諏訪子、さん……になるのだろうか。

『責任を取る』とは言ったが、それがお付き合いとイコールで結ばれるのかと捉えていいのか踏ん切りがつかないでいた。

 一緒に居続けるという意味合いの“責任”なのか、一生を添い遂げるとしての意味なのか。

 あれから何度も考えてみたけれど、かなりの確率で添い遂げる方面の意味だとは思っている。

 ……ただ、そうだ。と、断定出来ないのが女性経験の浅さと直結している問題ではあるのだが、そこはもう腹を括って直接本人に尋ねる事に決めた。

 我ながらウジウジしていると分かってはいる。分かってはいるのだが、それを全て無視出来る程に、俺が諏訪子さんを思う意思は強くなっている。

 それを、下手すれば失うかもしれないのだ。

 臆病者と笑わば笑え。

 あの思いを。あの絆を。絶対に無くしてなるものか。……カッコ悪いなぁ俺orz



 ふむふむ、と頻りに何かに納得しながら、高御産巣日は頷いた。

 相手は月のお偉いさんだというのに、どうも親戚のおじさんやおばさんを相手にしている気分にさせるのは、一体どういう事なのか。



「ならば、そんな相手により良い自分をアピールしたいだろう。最高の自分を、最良の自分を。そして男なら、最強の自分を。いつまでも! それを叶える……とまではいかないかもしれないが、かなりの面で手助け出来るあれやこれといった方法がこちらには整っている」



 白髪の老人は目を細める。

 その瞳の奥に見える光は、何かの確信に満ちていた。



「―――どうかね九十九君。まずはこちらの話を聞いてみて、嫌ならば当然断ってくれて構わない。仮に何か望みのものがあったのなら、それらを全て提供しよう」



 会話の方向性が変わってきているというのはひしひしと感じるが、今の俺にはそれを止める気は無い。

 むしろもっとその手の話をしたくてしょうがなくない気分だ。



「し、仕方ないな。そこまで言うなら話くらいは聞かない事も無い……ぞ?」

「あぁ、是非そうしてくれ。何、先程も言ったように、条件が嫌ならばすぐ拒否してもらって結構だ」



 ベッドの元の位置へと戻り、後ろに後光でも見えている気分にさせながら、高御産巣日は悪魔の如く問い掛けた。



「―――さぁ、九十九君。何が聞きたい? 何が欲しい? 人として……何より男しての悩みの悉くを、叶え、取り除いてあげようではないか」



 悪魔との契約、などというものでは断じてない。

 比喩でも誇張でもなく、今、俺の目の前には神が居る。

 気分は水戸のご老公―――の敵役。

 横になっていた体を起こし、膝を折り、手を伸ばし、彼に向かって頭を下げる。

 この世界に来て何度目かの土下座は、全く予期せぬ場面で行う事になった。















 何かが床に打ち付けられる音で気がついた。

 重量のあるものだと分かったと同時、皆がその方向を見てみれば、あの地上人が意識を失っていた。

 腰まで崩れた九十九を、ジェイスが抱き抱える様に両腕で支えている。

 完全に力が抜けているのだろう。彼の四肢は芯の抜けた人形のように、床へと向けられていた。



「九十九さん!」



 永琳が叫ぶ。

 皆の視線が一斉にそこで集中し、依姫と永琳が急いで駆けつけていた。

 だが、



「―――っ、ジェイス……殿……」



 依姫が、噛み締めるように難色を示す。

 駆け寄った両名は、けれど目的を達成する事が出来ない。

 恐らくこの月で最も長身であるその青き者が、九十九を床へと寝かせ、それを守護するように立ち塞がったのだ。

 その意図を、今更考える必要もない。故に分かる。

 ジェイスが、こちらをまるで信用していないのだという事が。

 凍った時の中に居るように、誰もが動けず、誰もが言葉を発しない。



「―――ふざけんじゃないわよ」



 しかし、それも長くは続かない。膠着を崩す者がいた。

 傍観に徹していた者の一人、蓬莱山輝夜が口を開く。

 席から立って、彼を睨みながら近づいていった。

 殺気すら伴いそうなその眼光にも怯む様子を見えないジェイスだったが、彼女は構わず言葉を続けた。



「確かに私達はこいつに害を為した。それは変わらないし、誤魔化す気もないわ」



 目を閉じ、呼吸と整える。

 再び開いた瞼を吊り上げ、今度こそ怒気の篭った言葉をぶつけた。



「―――だからってそのままで良いなんて思う訳ないでしょうが! 謝らせなさいよ! 償わせなさいよ! ごめんなさいって。すまなかったって。あんた、私達にこいつと一生敵対してろとでも言うつもり!?」



 とうとうジェイスの真正面へと、月の姫は辿り着く。

 見下げる者と、見上げる者。

 視線と視線が交わり、何かの軋む音が聞こえてくる。

 それでも彼女はその眼力を緩めない。



「そりゃこっちだって打算は幾つもあるわ。気持ちの整理を付けたいだとか、こいつが月に牙を向かないようにだとか。……あなた、心を操る存在だったわよね。九十九から聞いたわ。なら、こっちの考えてる事なんてお見通しでしょ。―――だったら察しなさいよ! こっちはあいつを助けたいと思ってるの! 利用云々は後よ後! まずは救わせなさい!」



 息を吐く。

 完全に肺の中が空になった時、輝夜は静謐のままに、胸へと息吹を取り入れた。



 ―――空気が変わる。

 熱気を帯びていたそれは一転。優雅な大河を思わせる静寂へと。

 そこには、月を従える者として君臨する存在が一人、その片鱗を覗かせる。



「―――退け、青き神よ。その者を守りたいと思うのならば。我は蓬莱山。この月を統べる者が一人。汝が何者であろうと、我が意思を、九十九への助力を阻もうというのなら。―――久遠の果て。自身の眼で確かめる事になろうぞ」



 硝子玉の眼球に、漆黒の瞳を以って、障害物を見据える。

 感情の色は無い。

 そこに居るのは―――否。そこに在るのは、幾千万年の時を経て、尚も成長し続ける、力の具現化。

 PW達ですら安易に手を出せるものではない“時”という絶対軸を、意図も容易く支配下に置く超越者。

 幾ら心を読めるジェイスとて、油断すればすぐにでも悠久の彼方へと追いやられてしまう存在である。

 見誤ってはいけない。

 青き者と月の姫は、互いが互いの、死、足り得るのだ。 

 月の姫君に習うように、依姫と永琳が後ろで闘気を高め、いつ事が起こってもいいように構えている。

 輝夜はそれを従えて、雄大な態度を崩さず、深く静かに見つめ続けた。



 沈黙が支配する世界。

 均衡を崩したのはジェイスであった。

 剣山の如き視線は薄れ、その姿が徐々に光となって消えて行く。

 彼の口元には薄い笑み。

 それを知るのは、誰よりも彼の近くにいた蓬莱山ただ一人である。

 唖然とする一同を他所に、とうとうその者は、輝く粒子となって幻のように霞み、消えていった。

 事態を把握するのに幾許かの時間を要したが、我に返った月の者達は、淀みなく己がすべき事を行う。



「……永琳」

「はい」



 倒れた九十九の元へと駆け寄る。

 脈を取り、呼吸を確認し、瞳孔をチラと見た彼女は安堵した様子を皆に見せた。



「大丈夫。極度の疲労状態になっているだけのようだわ。……あ、いえ、これも危険といえば危険な状態なのだけれど」



 それでも、彼女が思い描いていた最悪と比べれば、大丈夫と断言出来る部類である。

 玉兎に連絡を取り、病室の手配と、移動の手段を確保する。



「―――えぇ、そう。自然治癒機能の向上と、疲労回復を図ります。それ用の医療ベッドがあったでしょう。それを使うわ」



 受諾された事を確認し、永琳は傍へと佇む豊姫に声を掛ける。



「まだ余裕はあるけれど、早いに越した事はないわね。豊姫、悪いけど」

「畏まりました」



 目を閉じ、彼女は自身の力の循環を確認する。

 数秒も無い。

 九十九の体が揺らいだかと思えば、忽然と姿を消した。

 驚く者は誰も居ない。

 それがこの者、綿月豊姫の力なのだから。



「確認しました。無事収容されたそうです」



 依姫が手元の光学パネルを見ながら答える。



「……色々と言いたいけど……いいわ。全部終わってからにする」



 整った顔を歪めながら、輝夜は元居た席へと戻ってゆく。

 先程の面影はまるで無く、今はただただ『面倒臭い』の文字の浮き出てきそうな態度をするのみであった。

 それに習い、それぞれが元の場所へ着席したのを見届けて、永琳は一つ。深い溜め息をついた。



「困ったわ。一番重要な人が居なくなってしまうなんて……」

「あの様子では、意識を取り戻すのに今しばらく時間が掛かるかと思われます。それまでは休廷になされますか?」



 悩む永琳に、これではどうか。と、依姫が案を持ちかける。



「……いえ、このまま始めてしまいましょう。但し、これは仮のもの。下された判決に九十九さんが不服に思うのならば、再び開廷します」



 ここ月でも最上位に入る者達を拘束し続けるのは、唯でさえ平常時ですら難しいというのに、これだけの事を仕出かした後では、死活問題に繋がってくる場面もある。

 ここで一度道筋を整理しておけば、仮にもう一度裁判を行う場合にも、判決がスムーズになるだろう、との判断からであった。

 けれど最大の理由は、永琳自身が己の気持ちに整理をつけたい。と思っている節があり、それは心の決して少なくない部位を占めているのだが、当人にその自覚は無い。

 一番冷静で居るように見えて―――事実冷静なのだが―――、唯一彼女だけが自身の心を把握出来ていないでいた。



 方針を決めた永琳に対して、輝夜の意識はもはやそこには無い。

 席に着いた彼女は、静かに息を吐き出した。

 肺の中が全て空になった時点で停止。思い出したように、静かに空気を中へと取り入れる。



(『頼む』……ねぇ)



 ジェイスが消える直前に、輝夜の頭に届いた意思。周りの者達の様子から察するに、自分にのみ届いたのだと判断すべきか。

 何一つこちらとの接触を断って来た青き者が最後に示した感情は、一体どのような思いから告げられたのだろうか。



(頼まれなくったって、やってやるわよ)



 そもそもがおかしかった。

 心の機微に熟知しているであろう者が、己が主の変化を見抜けぬ筈が無い。

 仕組まれたのだ。

 こちらの心情を察し、それを公言させる為に。

 所詮思考など、口に出さなければ存在しないも同じ。

 それを誰よりも理解しているからか。こちら側の選択―――意思を、明確なものへと、確固たるものへとする事で、決して無碍に出来ぬ存在へと、自身の主の安全を確保した。



(心が読める癖に、嫌になる位にこっちを信用しないんだから。いい根性してるわ)



 人の心など、些細な事一つで容易く変わる。

 心が読めるが故に、それを誰よりも身に染みている者らしい行動であったのかもしれない。

 既に消え去っているからか、我ながら何とも好意的な解釈だと、輝夜は声無く自虐的に笑った。 



 永琳の粛々とした声が聞こえる。どうやら始まったようだ。

 姿勢を正し、表情を引き締める。

 さて、我が師はどのような判決を下すのか。

 何が楽しいのか、自分の気持ちが高揚している。

 それを決して表に出さず、意思の力で押し留めた。

 時間の関係もあるが、何より月の頭脳が裁判長なのだ。

 かつて無いほどの事件だというのに、かつて無いほどに時間の掛からぬ裁判になるだろう。

 そんな思いと共に、輝夜は自分が示すべき答えを、脳内で組み立て始めるのだった。










 日も昇らぬ内から始まった裁判は、事件の規模とは反対に、正午には終わりを告げた。

 永琳達と別れ、寝所へと戻った輝夜の中は、『面倒』『詰まんない』等のネガティブな言葉で埋め尽くされている。

 ―――筈だった。



 胸の鼓動が止まらない。

 あれから幾らか時間も経っているというのに一向に衰えないそれは、未だに消えぬ感情の揺らめきを訴えかけてきているかのようだった。



「九十九……か」



 握る拳から、骨の軋む音が聞こえる。

 今思い返しても心が沸き立つ。

 この地に生まれて、もう数えるのも馬鹿らしい程に過ごして来た。

 頂点に立つ者としての教育。

 初めこそその習得に寝る間も惜しんで取り組んだものの、修めてしまってからは世界は一片。色鮮やかな景色はモノクロへと変貌した。

 何をするにしても自分よりも劣っていたあれやこれに落胆していた頃と比べれば、永琳や綿月姉妹と出会ってからは、少なくとも退屈はしなかった。



(ちょっと前までは……ね)



 ベッドの上で寝返りをうつ。

 顔に掛かった髪を梳かすように退けて、真っ白な天井をただ見つめた。

 着崩れて肌も露になっている事など気にもしない。

 そも自分の部屋なのだ。あの口煩い永琳ですら、そこまでは口を挟まないだろう。

 永琳の博識さに舌を巻いたのも、依姫の能力の多様性に心躍らせたのも、今は昔。

 今ではそのどれもが日常になってしまい、私の心はかつての倦怠の海へと沈んでしまっていた。



「はぁ……」



 また転がる。

 枕に顔を埋めて、誰にも吐息が聞こえぬように。

 漏らした熱は、さて、どういう感情が篭っていたのだろうか。

 自信はあった。

 未だに永琳には敵わないものの、ここ月で三本の指に入る個人戦力を誇る依姫相手の戦績は、五分。

 勝てると思った。

 軍を相手にし、依姫を相手にした後の相手など、幾らそれらを打ち負かしたとはいえ、疲弊や困憊をしているだろうという……何の根拠も無い、楽観的な憶測で。そう……思ってしまったのだ。

 だというのに結果だけを見れば、攻撃は効かず、こちらの精神は奪われ、見事に傀儡と化していた。

 しばらく後に意識が戻った私が見た光景は、慌てながらもこちらを心配する依姫と、何食わぬ顔でこちらに目を向ける異能の自称・地上人。そして、無言で佇むジェイスという名の青き神であった。

 混乱する私に、事のあらましを依姫が説明した。

 永琳や豊姫を回復させるのであれば。と、すぐにでも消し飛ばしてしまいたい者達を前に―――本気で事に及ぼうとする度に、ジェイスの視線によって牽制され、不発に終わっていただけなのだが―――自身を諌めながら、事の成り行きを見守っていた。



(まぁ。我ながら我慢の利かない性格よね)



 何の変化も無いのは、私にとって忌み嫌う事。

 故に例え相手が憎き者であっても、倦怠の海へ沈んでしまうよりは幾分かマシかと思い、話し掛ける事にした。



 ―――世界は変わる。

 まずは相手を知ろうと思い、名前を聞くところから始めた。

 出生から地上への話題が移っていく最中、自身の気分が高揚していくのが分かる。

 そこには何があるのか。何をしているのか。どんな場所なのか。

 報告書や画像データでは決して分からない様々な情報を、あいつは持っていた。

 全く知らない光景を想像し、胸躍らせながら、しかし表面上は何食わぬ顔を取り繕う。

 政治家相手にはこのスキルは重宝していたけれど、それがこんな場面で役に立つとは。永琳の言う事をよく聞いておいて良かったと思えた瞬間でもあった。 

 モノクロがカラーになるなんてものじゃない。姿形の全く違う、目前に広がった新しい世界。

 そして目の前に居る、異常とも言える力を持った名の知れぬ神を呼び出す、正体不明のヒトガタ生物。

 私の行動を奪い、私の意思を奪い、私の未来を奪い。

 それでも、そのどれも要らない。と言わんばかりに、全て返された私の気持ちを考えた事があるだろうか。



(……あるわきゃ無いわよね)



 これでも月の至宝と呼ばれる容姿であった筈だというのに、それをあいつは拒否したのだ。

 男色の気がある訳でも無く、美的感覚が違うのかとも思ったが、こちらが体を摺り寄せてやれば頬を赤くし、幼子のようにムキになって意地を張っていた。少なくとも異性としてこちらを意識していたのは間違いない。

 あいつに抓られた頬に手を当てる。

 ぐにぐにと自由に弄んでくれたこの場所は、今まで誰にもそのような行為を―――両親や永琳、綿月達ですら―――許した事など無かったのに。



(あいつめ)



 自分でそこを引っ張ってみる。

 我ながら面白いように伸び縮みを繰り返すそこは、少しだけ誇らしい気分にさせてくれた。



(『魔性の体』……ねぇ)



 艶がかった吐息。

 自分の体にそんな感想を、それも、面と向かって言い放つ奴など居なかった。

 改めて自分で自分を観察してみるが……うん。永琳や綿月姉妹と比べても謙遜の無い出来栄えであるのではないかと思う。一部を除いて。



「こればっかりは……ちょっとねぇ」



 溜め息に似た独り言が宙に溶けた。

 両の手で自らの膨らみを掴む。

 程よく手に収まり、少し握ってやれば、それは指の間から零れるくらいはあった。

 下半身の箇所も同様で、自分としてはここはすっきりと纏まっていて好ましいと思うのだが、やはり異性からしてみれば、ここもふくよかな方が魅力的なのだろうか。

 上も下も同世代よりは出ていると思うけれど、それでも完成系(綿月姉妹)や究極体(永琳)と比較してしまえば、やはり悔しい気持ちが込み上がって来る。

 後何万年過ごせば、あれらに追いつけるのだろうか。というか、追いつけるのだろうか。怪しいものだ。

 月の技術を使えば、身体の操作など如何様にもなるけれど、私は自然体でありたい。

 仮初の自分など、何が悲しくて、自分も他人も偽らなければならないというのか。

 他人に対してならば、相手にも色々と思うところもあるであろうから、そんな事など口にはしないが、他ならぬ自分の事だ。気の済むまで己を通すと決めている。



「……」



 思考が止まる。

 頭が完全に考える事を放棄して、整理の為の時間を欲していた。

 それから幾ばくかの間。

 何秒か何分かは分からない程に時計の針が動いたのを確認した後、



「―――むかつく」



 心からの一言は、とても単純で。

 そう呟いた瞬間に、私は行動に移っていた。



「あぁ、私。高速艇まだあったわよね。用意して頂戴。……え? 謹慎中? 知ってるわよそんなの」



 部屋に備え付けられている通信端末を通して指示を出すものの、こちらの要望を聞き入れる気は無いようだ。

 融通の利かない家政婦達だ。

 私がこうと決めたら、それを如何に確実に素早く実行出来るかを模索するのが仕事だろうに。

 ……まぁ、私が名実共に月の姫となったら、そこをよく遵守させよう。

 そのまましばしの押し問答が続いた。



 出しなさい。ダメです。

 出しなさいってば。ダメです。

 出せっつってんのよ。ダメですってば姫様本当勘弁して下さい。



 ―――ぷちっ



「良いわよ……そっちがその気なら……」



 彼らの顔を立ててわざわざ言葉にしてあげたのに、そうまでしてこちらの意思を無視するというのなら―――



(対象はここから高速艇に至るまでの直線上。――― 一切合財、悠久の時の中で塵芥と化すが良いわ)



 どうせ今回の騒動で人手は殆ど出払っている。巻き込む可能性はまず無いだろう。



「―――そこまで」



 けれど、それを決めた直後には、部屋の扉の前に、私の師である永琳が呆れ顔で目を伏せていた。



「何よ、邪魔する気?」

「邪魔も何も、あなたはしばらくの間、自宅謹慎だと判決の後に告げておいたでしょう」

「じゃあ、あれよ。あの中央病院。あそこが今から私の自宅」



 何よ大きな溜め息なんてついて。

 我ながら良い案だと思ったんだけれど。



「あなたの事だからいずれはこうなるんじゃないかと思ってたけど、思ったよりもずっと早かったわね。……『輝夜様が限界です』って切羽詰った声で連絡が来たからこうして飛んできてみれば……能力まで使って彼に会いに行きたい訳?」

「良いじゃない。減るもんじゃないでしょ?」

「順序という言葉を知り、そしてそれを遵守しなさい。月の代表になる者がそのルールに従わないでどうするのよ」

「だって今、まだ代表じゃないし」



 屁理屈だな。と我が事ならが思うけれど、それでもこの感情は収まらない。

 止まらぬ感情は行動を後押しし、ほぼ全てにおいて私を上回る永琳相手にすら後退の二文字を示さない。



「……そうまでして彼に会いたいの?」

「そうね。会いたい、という言葉は正確じゃないけど」

「……会った後でどうしたいの?」



 問題は、そこ。



「……さぁ。それこそ、会ってみるまで分からないわ」

「―――殺す気?」



 彼女の気配が変わる。

 師である者とはまた別の、絶対者としての彼女がそこには居た。



「まさか。あんな面白いもの、そう簡単に失ってたまるもんですか」



 そうだ。

 あんなに私の心を揺さぶった相手を、容易く逃がす訳が無い。

 何に手を出したのか、その身、心に、魂に。

 しっかりと教え込まねば気が済まない。



「……それに、永琳だって本当は、今すぐにでも彼の元へ行きたいんでしょ?」

「……」



 いつもなら間髪入れずに何かしらの返答があるというのに、無言でいる彼女を見るのは久しく無かった。

 滅多にない機会故か。それがこちらのいじめ心を刺激する。



「そうよね。あなたとの実験で……彼、全然本気じゃなかったんだもの。こちらの技術をものともせず、こちらの戦力を歯牙にも掛けない者達を呼び出した。心を操る神に、破壊神たる者。それを“ただ疲れるだけ”で呼び出せるというこの異常さを、あなたは誰よりも理解し、危惧し、興味を掻き立てられている」



 扉の前に立つだけとなった永琳の横まで行き、止まる。

 彼女は前を向いたまま、こちらに目線を合わせない。



「既存の何よりも、残存のどれよりも理解の及ばぬ存在。地上人―――いえ、もう九十九で良いわね。その九十九は、誰も目にした事も耳にした事も、ましてや考えた事すら、思った事すらない力を―――能力を持っている。あなたが生まれて、もう億は経っているわよね。それでも未だに知らぬ何かがある、というは、何にも増して魅力的なのではなくて?」



 自然に垂らされた手を握る。

 一瞬ビクリとした永琳を他所に、私は言葉を続けた。



「かつてあなたが言ったのよ。こういう時の為に、常日頃から仕事を真面目にこなして来ているのでしょう? だったら、その成果を貰わないと。今しなければならない事は何? 事後整理? 情報統制? 違うでしょう、八意永琳」



 気分が乗って来た。

 普段なら口ですら彼女に勝ることは無いというのに、現状では手に取るように彼女の心が分かる。

 それが何より楽しく、今の願いが叶ったのなら、それはさらに愉快な事になる。



「今しなければならないのは、建国以来最大の脅威となった者に対する策を練る事。現状では【マリット・レイジ】も【ジェイス・ベレレン】も居ないとはいえ、彼はいつでもその者達を呼び出せる。―――いえ、あれだけの存在をいとも簡単に招くのだから、もっと上位の……私達の手に終えない存在だって居る筈だわ」



 だから……ね?



「一緒に行きましょう。私もあなたも、時は無限に等しいかもしれないけれど……」



 焦らす様に。もったいぶる様に。

 今ここで逃しては、次の機会は無いと匂わせながら。



「彼の時は有限よ。こちらが瞬きする間に、九十九の生は終わる。―――流石のあなたも、失った時や命までは取り戻せないでしょう?」



 尤も、彼が見た目の通りの寿命かどうかは怪しいけれど。



 ―――これで、詰み。

 結局、誰も彼もが利己的であっただけ。

 味方になった月の頭脳ほど、頼もしい存在はいない。

 法も権力も何もかもを捻じ曲げながら、永琳は私と共に、九十九の元へと辿り着いた。

 積み重ねた力というのはこうも強いものなのかと、地上にある海を割るかの如く人が避けていく光景を見ながら、これなら永琳のように権力を己がものとするのも悪くない、と思えて来る。

 目の前には、扉。

 最上階に近いこの病室は、心や体の疲労を除去する事を目的として作られた部屋なのだという。



「ここね。この先に九十九さんと高御様は居るわ」

「そういえば、何であの方は九十九と同じ病室に居るの? 一応禁固刑になったわよね?」

「あの方なりに思うところがあったのよ。……高御様が今回の騒動の一端を担った理由、聞いた?」

「今の月の現状に不満があるんだっけ? 因果な話よね。あなたに並ぶか、あなた以上にこの国を愛しているが故に行動を起こし、結果として、過去最大の……事件扱いよね? ……を招いてしまった。嫌だわホント。子離れ出来ない親って」

「そういう意識は無いんだけれど……そういうものなのかしら……」



 元司令へと向けられた私の言葉が、永琳の胸へ刺さったようだ。

 その事に、ちょっとだけ愉快な気持ちになる。



「そうよ。結末には出張ってきても良いと思うけれど、途中で手を出しちゃダメ。手助けするのも責任を取るのも親の勤めだけれど、何にしても一定期間が過ぎたら距離を置くべきだわ」



 目を閉じこちらの言葉を思案する永琳だったが、ふと瞼を持ち上げたかと思えば、私を見て目を細め、じっとりとした視線を向けて来た。



「……言っている事には共感する面はあるわ。でも、私にはあなたが、あなたの教育に手心を加えろってニュアンスが含まれているように聞こえるのだけれど」

「―――気のせいよ」



 やはり、そういう方向への思考の誘導は無理か。

 前々からこちらに構い過ぎな気はしていたので、これを機に。とも思ったのだけれど、それをするには今しばらく時間が掛かりそうだ。



「で、何だっけ? 結局おじ様はどうしてあいつと同室しているのかは分からないの?」

「またそうやって話を逸らすんだから。はぁ……まぁ良いけど……。あの方の持論を実践する為と、責任を取る為だそうよ」

「責任を取る、というのもあれだけど……何? 持論って」

「九十九さんの性格を把握したから、今後の為にこちらをアピールしておいて、譲歩させる余裕を作っておくんだそうよ。こちらの内情を伝えれば伝える程に、彼はこちらに理解を示し、我が事のように思ってくれる。それを試すから、と」

「思いっきり泣き落としじゃない。あいつがその程度の事……あ~……ジェイスが居たなら無理だったかもしれないけれど、あいつ単体なら可能かもしれないわね」

「病室には既に感情の起伏を図るセンサーも備え付けてあるから、彼が不快に思ったのならすぐに高御様は把握なさるわ。最悪の事態には……ならない筈よ」

「だと良いけど。でもあの方って腹芸苦手じゃない? 大丈夫なの?」

「何でも秘訣は、誠心誠意話し合う事、だそうよ。自分を偽らず、言葉を偽らず、真実を偽らず。……まぁ聞かれなかったから答えない、程度はするでしょうけれど」

「誠心誠意……ねぇ」



 軍隊一つを丸々個人へとぶち当てた者の言う言葉では無いと思うが。



「それに……ね」



 永琳の声のトーンが落ちる。



「高御様は……最悪、九十九さんの手に掛かっている可能性があるのよ」

「……何、責任を取るってそういう事? 贖罪は裁判で禁固刑と罰金の両方を科されて終了したんじゃなかった?」

「確かに、月の法ではそうなった。でも九十九さんはこの国の者じゃない。少なくとも、自分の意思で訪れた訳ではないわ。それを一方的に納得させるような真似は、彼の感情を逆撫でする。それを可能な限り抑えようとしているのが、今の高御様、という流れなのかしら」

「ふーん。……おじ様に関しては、あなたは何も思うところは無いの?」

「……あるにはあるけれど、あなたや綿月達と比べれば然したるものではないのは確かね。地上に居た頃からの付き合いではあるけれど……どうも、ね」

「……永琳って年下が趣味なの?」

「どうしてそうなるのよ。……でも確かにそう考えるとまた新しい一面が見えてくるわね。参考にさせてもらうわ」

「はいはい、お役に立てて嬉しく思うわ。……さて、と」



 改めて扉へと向き直る。

 急遽補強された完全防音&フェムトファイバー製の合金であるこの一角は、例え戦車の砲撃を受けても無音&無傷を保てる性能を誇る。



「……扉を開けたら一面の赤い世界、というのは勘弁して欲しいんだけど。私、それなりにおじ様の事気に入っているのよ?」

「それがあの方の望んだ事だもの。―――このような事態を作り出した一端を担った者が、目の前に居るんだから。仮に私が九十九さんの立場だったら、殺める事は無くとも、内臓の何箇所かは抜き取ってるわ」

「……そこで腕の一本や二本、って言わないのが、あなたらしいわ」



 それから数秒。

 互いに無言になりながら、ぼそりと呟き合う。



「……無事で居てくれると嬉しいんだけどね」

「……ええ。私だって、好き好んで誰かが居なくなるのは望まない。……覚悟しておいてね、輝夜。最悪、九十九さんは殺害を行った影響によって、感情が高ぶっていたり、精神が不安定になっていて、臨戦態勢になっている事態が考えられるわ」

「その時は全てを止めて、どうにかするわ。―――もしそうなっていたら、あなたはどうするの?」

「……出来る限り捕縛を試みます。……しかし、それが叶わず、万が一にもあなたに危害が及ぶようなら……」



 目を瞑り、一息吐く。



「―――殺します」

「……ほんと、私は良い師を持ったものだわ」



 首を軽く左右に振りながら、意を決して扉を開けた。

 音も無くスライドして、この視界が捉えたものは……。





 真っ白な病室であった筈の場所は、床一面が色鮮やかな模様に彩られていた。

 どれもこれも見覚えの無いものばかりだけれど、何かの可愛いキャラクターが描かれた小袋や、無色の一升瓶が何本か。

 真っ白な大皿には粘度の高そうな茶色い液体が付着していて、何かのソースかタレであった事が伺える。



「……酒臭」



 輝夜が呟く。

 ―――宴会の真っ最中。

 それ以外の言葉が思い当たらなかった。



「幾らでも飲み給え! 君の酒だがな! 二日酔いなどという過去の症状など、我々は当の昔に克服しているのだから!」

「すげぇ! マジすげぇ月の技術! こりゃアル中になるのも時間の問題だぜ!」

「問題ない! それすらも解決済みだとも!」

「うひょー!」



 二つあったベッドの内、片側はもぬけの殻。―――いや、そこには永琳が最近よく見るものとなった、【ジャンドールの鞍袋】が無造作に置かれていた。

 そしてもう片側には人影が二人。

 それぞれに胡坐を掻き向かい合って、片手にカップを。もう片手には何かの食べ物と思わしき品を持って談笑し合っているのは、さて、一体誰であったか。



「……永琳。何これ」

「……さぁ」



 こちらに気づく素振りすら見せずに話し合う男二人を前に、私達は現状を飲み込む事が出来ずにいた。



「……これで輝夜様がもう少し姫としての自覚を持っていただけたのなら、私としても嬉しい限りなのだが……」



 ふと、そんな会話が聞こえてきた。

 どうも話題の中心は、身内の愚痴であったようだ。

 気落ちしながら、高御産巣日が内心を漏らす。

 それに頷き同意の意を示しながら、九十九は手に持った酒を煽る。



「……まだ厳しいんじゃねぇか? だってあいつ、完全に受身だろ。詰まんない、とか、退屈だ、なんて言っちゃいるが、自分から何かをしようとしてないだろ? ただただ与えられた事をこなして、それだけで判断してるんだ。―――楽なもんだよな。自分は何も生み出さず、気に入ったか気に入らないかの批判をすれば良いだけなんだから」



 唐突だった。

 あまりに脈絡無く告げられた私の悩みは、何よりも的確に不満の原因を貫いた。

 立場故に、と言えば許されるかもしれないが、自分から何かを作り出すなど微塵も考えたことが無かった。

 居るだけで全てが転がり込んでくる現状を当たり前のものとし、そこに疑問を挟むことも無い。

 これでは親離れ出来ていないのは誰なのか。

 数刻前。永琳へとしたり顔で話しをした過去の自分を笑い飛ばしたくなった。



「……ふむ。君はあの方と殆ど面識は無い筈だが、どうしてそこまで考えるに至ったのかね」

「んなもん転……黙秘させてもらうわ。こればっかりは今のところ誰にも話す気はねぇし」



 手に持った串に刺さる、焼いた肉片―――焼き鳥―――を頬張りながら、九十九はもしゃもしゃと口を動かした。

 疑問に思いながらも、高御産巣日はそれを追求しない。

 互いに思い思いの品を口に入れた後、全てをまとめる様に、九十九は言い切った。



「それに、あいつお子ちゃまだしな!」



 ―――ピクリと。

 何者がコメカミに筋を立てている。それに連動して部屋の温度が僅かに下がったのだが、それに気づく二人ではない。



「ほう! 仮にもいずれ月の頂点に立つお方を子供だとは、また大きく出たものだ! 神をも恐れぬ所業、恐れ入る!」



 どうやらツボに入ったようで、高御産巣日は声高らかに短く笑う。



「いやだってよ、どう見てもあれ駄々っ子だぜ?」

「一応、公の場では見事に振舞ってみせているのだがね―――ぬ」



 ここで漸く、初老の者は輝夜達の存在に気がついた。

 しかし、それを目の前で酒を酌み交わす人物には伝える様子は無いようだ。

 しばし悩んだかと思えば、



「―――輝夜様の何処が子供のように見えるのか、君の意見を聞かせくれないか? 参考にさせてもらおう」



 ちらと輝夜達に顔を向け、一瞬だけ底意地の悪そうな笑みを浮かべた。



「あぁ~? ……何処が、っつってもなぁ……さっき言った通りの内容なんだが……」



 う~む、と声を上げて九十九は悩む。

 それを永琳と輝夜、そして高御産巣日の三人は無言のままに見守っていると、



「―――だってあいつ、貧相な体だしな!」



 ―――着痩せするタイプだ。とは永琳の弁。

 尤も、彼がそれを知るには幾つもの難題をクリアしなければならないのだが。それを無くして理解しろ、とは困難な話である。



 その瞬間、元司令官は、自分の体が震えているのをしっかりと自覚した。今の今までアルコールによって体が火照っていたにも関わらず、だ。

 調子に乗った自分に後悔するが、それを悔やむ暇は訪れるのだろうか。

 特に近くにいた月の頭脳は表情が完全に固まっており、抜き身の刀を連想させる。

 忘れてはならない。彼女は、月の頭脳は。蓬莱山輝夜の師であり、従者であり―――彼女を親愛しているのだと。

 最愛の存在を貶された者がどういう感情を持つか。推して知るべし。



「雰囲気だけなら十点満点で十二点とか余裕なレベルなんだけどなぁ。……あ~、いまいち男心ってもんを分かっちゃいねぇ。あの我侭全開モードも人によっちゃあ甘えてくれると受け取って好感触に繋がるんだろうが……。限界があらぁな」



 贅沢な感想だよなぁ、と後に続けて呟いたものの、残念な事にそれは誰の耳にも届くことは無かった。



「九十九さん―――」



 そんな場に発せられた声は、輝夜のものではない。

 その隣。

 無の能面を貼り付けた表情のままに固まっていたと思われた八意永琳は、顔を変えることは無く九十九へと声を掛けた。

 死神が見えた。

 後に九十九は、永琳の姿を見た時の心境を、そう述べたと言う。



「ん? ―――あ……え……永琳……さ、ん……」



 気まずさや情けなさや嬉しさがミックスされた感情が表れるかと思えば、九十九が第一に感じ取った気持ちは、恐怖。

 彼の耳には自分の血が引く音が、しっかりと聞こえていたに違いない。



「元気そうで良かったわ―――心配していたのよ―――?」

「あ……あり、いや、あ、……ご、ごご、ご心配をお掛けしまして……」

「えぇえぇ。構わないわ。あたなが無事で居てくれたのなら、それに勝る喜びは無いもの。―――ねぇ、輝夜?」



 自称・地上人の体が一瞬痙攣した。

 そうして振り向いた彼の瞳には、月の姫君の姿がしっかりと写り込む。

 油を差していないブリキの玩具のように固定された首をギリギリと回しながら、その顔にはもはや喜びや楽しみといった暖かな感情は見て取れない。

 言葉もなく固まった彼の顔からは、誰から見ても、段々と血の気が引いているのがありありと分かってしまう程であった。



「そうね。私としてもこれほど喜ばしい事は無いわ。―――あなたには色々とご高説を聞かせて頂いたのだから、蓬莱山として、月の姫として、何より私自身として、あなたにお礼がしたいの」



 こんな貧相な体でもよければ、と。

 そう付け加える輝夜に全部聞かれていた事実を知らされ、とうとう九十九は気絶一歩手前の精神状態へと陥った。



「ぁ……ぁ……」



 辛うじて言葉を発するものの、それは意味を成さない単語にしかならず。



「あら永琳。九十九さんは目覚めて間もないせいで、未だに精神が不安定のようよ」

「そうそれは大変ね。なら体を動かして気分転換をしましょう。血流が巡れば意識もはっきりしてくるでしょう。―――幸いにも兵器実験場が空いているわ。そこなら、幾ら体を動かそうと影響は少ないわよ」



 体を動かすだけならば、そんな場所など不要。

 頭の片隅でそんな事を考えている九十九であったが、それを言葉にする……勇気が無い。



「九十九さんは体を動かさなきゃいけないんだもの。能力を使って何かを呼び出すなんてしたら、意味が無いものね」


 月の頭脳が天使の声色で囁いた。

 もはや王手。後はただただ、処理を待つだけの家畜が一匹。

 彼に許された選択肢は、焼肉か、燻製か、腸詰か。何をとっても絶望からの死しか待ち受けていない。

 美女と美少女二人に思い―――何の思いかは言わずもがな―――を寄せてもらえるとは何と幸運なのだろうと。

 襟首を掴まれ、ずるずると輝夜に連行されてゆく者を見ながら、高御産巣日は残った酒を一気に煽る。

 しかし決して自分はそうはなるまいと思う彼を、誰が責められようか。





 ―――これにて、元月の軍司令官の役目は終わり。

 後は彼女達が蟠りを残さず、打ち解け合ってくれるのを願うばかり。

 結局、彼からしてみれば、九十九も輝夜も子供なのだ。

 子供の仲裁方法など、古今東西たった一つ。

 そう思い、彼女達が入室した際にそれを仕組んだのだが、存外うまくいったようだ。……もう、二度とやりたくないが。

 これで月の最大戦力を比肩、ないし上回る人員が月の姫の味方になってくれたのなら御の字。最悪、敵にはならずに居てくれるだろう、と。

 そんな確信めいた思いが、彼の胸にはあった。



「―――こんな私にも、久しく忘れていた安らぎを与えてくれた事……。感謝する、地上から来た者よ。後は君の自由だ」



 自害を決意した時に訪れた、嘗て無いほどの安らぎに、初老の者は思いを馳せて、えもいわれぬ安堵と平穏に満ちたあの時の心境を思い返す。

 どうにも自分は気張り過ぎていたようだ。

 そう思えるのは、あの時、冷静に自分を見つめる機会があってこそ。

 ……こんな老いぼれでも、また始められるだろうか。

 ゼロどころかマイナスからの再スタートになったというのに、何処か彼の心は晴れ晴れとしていた。



 ―――だが、忘れてはならない。

 彼の者は軍において長を務めていた存在。それは、決して伊達や酔狂、ましてはただの努力程度で到達出来る地位ではないのだ。

 地上人が帰還を果たした後。

 彼との繋がりを仄めかせ、とある妖怪の月の侵略計画を利用し、再び軍部のトップに返り咲いてしまったのだから。

 それを知る機会を得た九十九は、『ありえないんだぜ』と言いながら昏倒したという。





[26038] 第37話 玉兎
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/08 20:18





 私は今、しっかりと歩いているのだろうか。

 何処か自分を第三者のような視点で観察している気になりながら、よく整備された路上を歩いていた。

 いつもは何の意識もなく通っていた道が、やけに長く感じる。

 私の後ろには二人。私と同じ色、同じ形状をしたブレザーとスカートに身を包み、接近戦用のナイフや拳銃。合成繊維ベストや強化ヘルメットなどの装備を整えた玉兎が油断無くついて来ていた。私がおかしな行動をしようものなら、即行動に移れるように。

 行き先は……とある施設。

 八意様が良く使う、主に兵器の試験運用を行う場所であったか、と霞掛かった記憶を読み取る。

 普段訓練を行っている真横にあるそこは、度々、新兵器の爆発音や地響きが届いて来ていた。



 故に、分かる。

 恐らく私は死ぬのだと。



 建国以来、数十万年に一人か二人、死刑となる者が居るのは知っている。

 穢れの問題と聞いているけれど……、殆どは生きたまま太陽系の外へと送り出される宇宙葬だが、その際には全ての報道機関が挙ってその問題を取り上げ、ある者は面白おかしく、またある者は戦々恐々と、死者への配慮など在って無いように、自由気ままに記事を書き立てていた。

 まさかその乱痴気騒ぎを飾る一面に、自分が混ざる事になろうとは夢にも思わなかった。



 後ろの玉兎達が止まる。施設の入り口に到達したのだ。

 重厚そうな銀色の扉が開き、鉛になってしまったかのような足を何とか持ち上げて、前へと進んでいく。

 閉まる扉。真っ暗な通路。

 それでも足元には淡くライトが灯っており、こちらの意思など無関係に、私の行く道を指し示していた。

 もう、逃げられない。

 あの判決において、全てが決まってしまった。

 命令無視。それが原因で軍のほぼ全ての戦力を喪失させてしまったという結果……数千万年働いても返せるかどうか分からない負債と、何より、他の全ての者の命を危険に晒してしまったという事実。

 今更、もう戻れはしない。

 例え社会復帰出来たとしても、そのような者と関わりを持とうなどという者など、居よう筈も無く……。

 もはや自由など無い。死、しかないのだ。

 だというのに、それでも今私はこうして生きている事へと縋ろうとする。

 生きていればどうとでもなる、と思っていたのに、こうしてみれば、あのような行動に移ってしまった時点で、死しか待ち受けていなかったのだと気づかされる。

 いっそ地上にも降りればまだ延命は出来るかもしれないが、既にその手段も段階も、失われてしまった。

 仄かに照らし出される、鉄塊とも言える堅牢な壁……に見えた扉。

 この先に、居るのだ。

 この騒動の一端を担っている人物。

 八意様に拾われ、害をなし、軍を壊滅させ―――今、私の命を消そうとしている者が。



『玉兎、レイセン。この者、軍の規律を乱し、危険に晒し、壊滅の一端を担った者。何より無許可で命を奪う暴挙に走った。一般人であれば弁明の余地はあるが、軍に所属する者としてその行動は見過ごせない。故に―――』



 判を下す八意様の言葉は、今も脳裏に残っている。

 普段モニター越しで見る温和な表情は見る影も無い。

 法の番人とはこういうものかと。そう思わせるお方であった。

 初めて会う事が、あのような状況になろうとは……



(やな人生だったな……)



 心臓が痛い。

 これから死ぬと分かっているのに、それでも胸の鼓動は『生きているんだ』と自己主張を繰り返す。

 けれど、それももう終わり。

 一瞬で終わらせてくれたのなら御の字。

 長期に渡って、であったのなら……。

 考えるのはよそう。

 どうせ……これから嫌でも分かるようになるのだから。



「先遣隊所属、元軍曹、玉兎、レイセン。―――九十九様のご意向に従うべく、参上致しました」



 恐怖で声も出ないと思っていたのに、口から出た言葉は、思っていたよりもはっきとしていた。

 ―――判決の最後。

 下された命は、月に害のない限り、地上人の意思を全て受け入れる事。

 一生奴隷か、陵辱の限りを尽くされ打ち捨てられるのか。

 あるいは私がやったのと同じ様に一瞬で頭部を撃ち抜いてくれるのなら、きっとすぐ楽になれるだろう。



(もう……疲れちゃったよ……)



 今更ながら思う。私には、争いごとは不向きであったようだ。

 今なら、夢物語と馬鹿にしていたとある一説も信じられる。

 輪廻転生。

 死んだ者は別の肉体に宿り、再び新しい生を得るのだと聞く。

 尤も、生前の行いによって、生まれ変わる肉体は変化するらしいのだけれど。



(今度は……そう……。お医者さんなんて……素敵かな……)



 あんな出来事を経験したせいだろう。誰かの命を助ける職が、とても素晴らしく、輝いて見えた。来世というものになら、少しは希望を見出しても許される筈だ。

 扉が開く。

 鈍重そうな見た目とは裏腹に、音も無く開くその奥には―――










「コラブツイストォー!」





 ―――は?





「てめぇコラ蓬莱山! 力技なんて卑怯だぞ!」

「あはーっ♪ たっのしー! 永琳! これ幾らでもやっていいのよね!?」

「構いません姫様。関節程度でしたら幾らでも、思う存分為さって下さい。―――壊れたらすぐ直しますので」

「永琳さん口調が丁寧過ぎマジ鬼畜! そこにしびっ……てぇーー! マジ関節いてぇ! 教えてすぐにプロレス技マスターするんじゃねぇよ! しかもこれ発展系の卍固めじゃねぇか基本スペック高すぎだこの野郎アダダダダッ!」

「また『野郎』って言った! 私、女だって言ったじゃない! あんた物覚え悪過ぎよ!」

「能力使って破壊不可なのに何で痛いんだよ! 関節は守れませんってか!? それともギャグか! 後、こんな状況で前後の記憶なんか繋がるわきゃねぇだろぉー!」

「あーもうっ! 能力だの何だのまた訳分かんない事言って! だから少しは自分の能力説明しないさっつってんの、よっ!」

「いーやーだぁーーだだだだだっ!」





 ―――私の記憶はそこで途切れた。















「ごめんなさいね。騒がしくて」



 絨毯の紅、椅子やテーブルの茶色を基調とした室内。

 四方の壁の一方にはフェムトファイバー製の無色壁が備え付けられており、その先の光景……そこで行われる多種多様の実験をマジマジと観察できるように設置された部屋であった。

 実験場に隣接して建造されていた高級そうな調度品に囲まれたそこは、貴賓室と呼ばれるところである。



「い、いえ……ありがとうございます……」



 借りてきた猫のように丸くなり、一向に事態が飲み込めないでいる元軍曹―――レイセンは、目の前に差し出された湯飲みを手に取り、両手で優しく包む。

 彼女自身いつこの席についたのか記憶にないが、どうやら昏倒する事態だけは避けれたようだ、との安堵はあった。



(良い香り……何の飲み物だろう)



 そんな湯飲みを差し出した人物―――八意永琳は、裁判で見た時とは一転し、いつも彼女が目にしているモニター越しの温和な表情になっていた。

 永琳が差し出したジャスミン茶は、ここ月では生産不可能な代物である。数万年生きてきた彼女が知らずとも当然のもの。

 勿論、それは某地上人が数日前ストック用に、と出していたものである。



「輝夜がどうしても、って言って聞かなくて。あのままだと部屋どころか自宅ごと塵にされそうな勢いだったから、連れてきちゃったわ」



 そう気軽に言われてもどう返答すれば良いのか分からないレイセンは、『はぁ』と一言相槌を打つだけで精一杯であった。



「あ、あの」

「ん?」



 あの時出会った人物とはとても思えない、木漏れ日のような笑顔で反応され、一瞬レイセンは戸惑うものの、意を決して質問を続ける。



「私……あの……。九十九……様、の指示に従ってここまで来たのですが……」



 それが何であんな状況に?

 続く声でそう言おうとしたのだが、その先の流れをすぐに察した永琳が、苦笑と共に答えてくれた。

 自分の手元に置かれた湯飲みに、レイセンと同様のジャスミン茶を注いでる。

 そうしてレイセンと丁度対面となる形で席に着き、少しの溜め息を付いた後、ぽつぽつと話し出した。



「そうね……まずは現状に至るまでの話でも―――」



 閉廷の後、綿月姉妹はそれぞれの職務を遂行する為、すぐさま奔走する羽目となった。

 豊姫は世論調査と操作を。依姫は役職の引継ぎと、除隊の後に再度一兵卒として入隊する為に。

 そして永琳も、僅か数日とはいえ溜まりに溜まった仕事を消化すべく、何から手をつければ最善かを模索している段階に事は起こった。

 自宅謹慎となっていた筈の輝夜が『会いに行く』と呟いたのだ。

 今更誰に、とは言うまい。

 実力行使も何のその。

 何より能力まで使って外出しようとしていたので、従者がすぐさま永琳へと連絡を入れた。説得してもらおうと思ったのだろう。

 だが悲しいかな。その時の永琳には輝夜の行動を阻害する思考がとても薄かった。

 むしろ逆にその展開を望んでいたとばかりに輝夜に絆されたように見せかけながら、大手を振って九十九の下へと向かって行った。と、後で分かった輝夜は憤慨したそうだが。

 お目付け役と思われていた者は容易く手の平を返し、反対勢力へと鞍替えしてしまう事態は、彼女を説得した輝夜以外の誰にも予想出来なかった。

 月の姫君と月の頭脳の二人の意思は、もはや誰にも止められぬ絶対権力。

 そうして意気揚々と高御産巣日と話をしていた病室へと乗り込み、『ちょっと顔貸せ』的な流れで実験場へ拉致してしまった。

 その少し前に、九十九はレイセンへ自分の下へと向かうよう指示を出していた。

 第三者―――高御産巣日―――を通しての要望であったが、彼女への絶対命令権にまで昇華していた九十九の発言は、あっという間に営巣にて拘束されていたレイセンの元へと届き、けれど、それを指示した張本人は、荷馬車で植われて行く子羊の如く連れ去られており―――移動していた地上人と月の姫達は、既に病室には居なかった。

 結果として、突如変わった移動先である実験場へと、こうしてレイセンは訪れる事態になったのである。



「―――と、周りからの情報を統合すれば、そういう流れが見えてくるわ。彼があなたを自分の下へ呼び寄せたと知ったのは、今さっきだけれど」



 こんな感じかしら。と、永琳は小首を傾げながら憶測を口にする。

 そうなんですか、としか答えられないレイセンが、それでも何とか口を動かして尋ねた事と言えば……、



「あの……それで、私はどうすれば……」



 話を聞き終え、色々と尋ねたい事はあったが、まずは自分の行く末を聞かなければおちおちお茶すら飲んでいられない。

 湯気を立てていたジャスミン茶が温くなっているが、それでも未だに口を付ける気にはならないでいた。



「そうね……」



 顔を俯かせた後、すぐ元に戻し、



「輝夜、そろそろ止めて上げて」



 喋る声は集音機か何かに拾われているようで、遠くに居た輝夜の元へと、一言一句しっかり聞き取れるだけの音量となって届いた。



「えー、やっと何も言わなくなったのよ? これからが弄りがいがあるのに」



 その条件は輝夜も同じ。

 二人の間の声は拡大され、互いにはっきりと認識可能な程に大きくなっていた。



「はいはい、人形遊びは後に幾らでも出来るでしょ? 先は長いんだから、今度こそ優先順位くらい守って頂戴」



 不満そうではあったものの、間延びした返事をした輝夜は、その場―――実験場から出て行った。

 人形遊び、との言葉には誰も反応しない。

 後はただ一人。ボロ雑巾のようになり果てた地上人が、物言わぬ躯となって横たわるのみである。





 ドアが開き、輝夜がホクホク顔で入室した。

 楽しげに弾む胸や肩からは、彼女がどれだけ体を動かしていたのかが見て取れた。



「あーすっきりした。良いわね権力って。こういう時は本当に。……これからはもっと行政の方に力を入れようかしら?」

「あなたの場合は何が切欠であっても構わないから、少しは姫らしい振る舞いをしてほしいわ」

「公私混同は避けてるわよ。もう」

「普段からそうして。と、言っているの。あなたの場合、またいつ何時にもその猫かぶりが剥がれるとも限らないんだから。九十九さんを相手にした時みたいに、ね」



 う、と表情を曇らせて、輝夜は永琳やレイセンが腰掛けているテーブルへと着席した。

 永琳が配膳したのだろう。既に彼女の目の前には茶が置かれている。

 それに軽く感謝の意を述べ、一口啜った後で、輝夜はレイセンに口元に笑みを湛えながら顔を向けた。



「それで―――玉兎が私に何の用かしら」



 本人は気軽に喋っているつもりなのだろう。

 事実声色だけを聞けば、それは友人にでも話し掛けるかのように気軽なものであった。

 だがそれを言うは蓬莱山。

 武にて綿月依姫と並び、知にて綿月豊姫と比肩し、師に月の頭脳を据える者。

 自力が並ではない故に、ただの玉兎であるレイセンがその威圧感の前で平然としていられる訳が無い。



「ぇ……ぁ……」



 ただでさえ今は心が崩れ去りそうな程に弱っているのだ。九十九風に言うのならば、『こうかはばつぐんだ!』と合いの手を入れていたに違いない。

 辛うじて話せた言葉は今言った、たった一言。

 消えてしまいそうな小声。意味の無い単音。

 これでは流石の輝夜も少し気を使う。



「……はぁ。あなた、ちょっと気負い過ぎね。というか私にじゃなくて、あいつに用があるんだっけ。―――じゃあ、とりあえずその懸念から払拭しちゃいましょうか」



 輝夜も知っている。

 これがあの九十九への狙撃を行った者だと。

 然るに、彼女が何故ここに居るのか。どうしてこうも諦めの境地に近い程に怯えているのかが、過去の見聞きした情報と統合され、今レイセンに必要な言葉を弾き出す。



「永琳」

「はい」



 月の姫に名を呼ばれ、その意図を察した彼女の師は退出する。

 しばらくすると、外の物言わぬ躯となっていた地上人を軽々と担ぎ、そのままこちらへと連れて来た。

 肉塊を柔らかな絨毯へと、仰向きに寝かせる。

 変わらず意識を失っている九十九の体を、その白百合のような両の指が這い回り―――息つく暇も無く、全身に何かを施した。

 全身のツボを突いたのか、外れていた関節を繋ぎ合わされたのか。

 あまりに一瞬であった為にレイセンの目には何を行ったのかが殆ど分からなかったが、ペキパキボキという快音が聞こえたかと思えば、九十九が二度三度体を痙攣させた後、



「―――がっ! げほっ、ごほっ……はっ!? ……死ぬかと思った」



 本当に関節があったのかも怪しいほどに捻じ曲がっていた体は元の形を取り戻し、安堵の吐息と共に、よく自分が生きていた、という感想を口にした。

 軟体生物一歩手前になっていた筈であったが、どうやらしっかりと人型生物としての機能は取り戻したようだ。



「おはよう、九十九さん」

「……お、オ早ウ 御座イマス。永琳サン」



 表情が硬い。口調も固い。汗が止め処なく吹き出ている。

 何より、彼女を見る九十九の目が恐怖に染まっていた。



「輝夜の相手をしてもらった後で申し訳ないんだけれど、あなたが呼んだ玉兎が来たわよ。用件を伝えて上げてもらえるかしら」

「え? あぁ……」



 一転、何処かふ抜けた空気はその温度を変えて、徐々に低下していくのがレイセンには分かった。

 とうに覚悟して―――諦めていた筈だった生への執着心が顔を覗かせる。

 姫様が居て、八意様が居て、こちらの殺生権を握っている地上人が居て。

 例え今、全てをかなぐり捨てて逃げ出したとしても、無駄な足掻きの何者でもない結果にしかならない、と分かる力の差。

 戦闘訓練において玉兎の中では平均以上の成績を出し続けてきたが、そんなもの、この場においては何の役にも立たないのだと悟る。



「来い」



 動かない彼の近くへ移動する。

 足が竦んで動かなくなるかと思っていたのに、自分の意思とは裏腹に、何者かに操られているみたいにフラフラと、緩慢な動きで側へと辿り着く。

 ゆっくりと、地上人の手が伸びる。

 こちらの顔へと向けられたそれは、何かを掴むように、だらんと開かれた五指が、まるでこちらの魂を抜き取ってしまう死神の鎌に見えて―――



「っ!」



 目を瞑る。

 生が終わるのか、地獄が始まるのか定かではないけれど、きっと私の何かが終わるのだと思う。

 過去の出来事が思い返される。走馬灯という現象であったか。

 全ての人生を思い起こしながら、あぁこれで、と達観に満ちた気持ちの中―――



 ずぼっ



「ふぁへ!?」



 レイセンは思わず目を見開いた。

 想像していたものの、どれもち違う感覚に疑問が沸き上がるのと同時、彼女の顔面―――鼻の穴に、地上人の指が二本、突き立てられている。

 ただそれは口径の差異のせいで、実際には入り口を塞ぐ程度のものでしかなかったのだが、それを行った張本人である者は、実に楽しそうな―――『ヒャッハー! 汚物は(ry』系のものではなく、『デュフフフ、コポォ』方面の、ガンジーでも助走つけて殴るレベルの憎々しい笑みを浮かべていた。

 少し前までボロ雑巾のようになっていた面影など無い。

 輝夜が手加減していたのか、九十九の自力が凄いのか、それとも永琳の治療が優れているのか。

 色々と投げ出したくなって来ていた精神状態に王手を掛けたその行為に。

 とうとうレイセンの心は限界を超えたのだった。










 やらかした。

 感想はその一点のみ。

 軽いジョークのつもりだったのに。これはイケメン限定で効果を発揮する行為だったかと悔やむ。

 我ながら子供じみていると思ったが、痛くも痒くもないから良いだろうと思った報復は、どうにも精神面で限界であった彼女の最後の一押しを手助けてしまったようだ。



「あ……その……すまん……」



 立ち尽くしたまま顔を伏せて、両の手で覆っている。

 声無く涙を流すレイセンに、本来ならば張り手やら罵倒やらの反応を求めていたというのに、よりにもよってただ涙を流させていた。



(勇丸に足ペロさせた後の神奈子さんとか、感情爆発してた輝夜みたいな反応期待してたんだが……マジ泣きか……)



 全く相手を知らないが故に、殆ど謝罪する気持ちは持ち合わせていないが、それでも見ず知らずの子供を泣かしてしまった心境に似て、内心でオロオロと右往左往する羽目になっており……。

 何より、体に突き刺さる視線が痛かった。

 鉄の処女、アイアンメイデンもかくやと言わんばかりの輝夜と永琳さんの無言の圧力は、それだけで、どんな言葉よりも雄弁に彼女達の意思を感じられた。



「どうして……どうして私がこんな目に合わなきゃいけないの……」



 嗚咽交じりに聞こえるレイセンの声に、『そりゃお前が撃って来たからだ』と言えたのならどんなに楽だったか。

 しかし悲しいかな、今この場において俺は孤立無援。

 おまけとばかりに相手には援軍がおり、それは月の姫と月の頭脳。

 仮にこの状態で裁判でもしようものなら、俺が生きているだけでも、わいせつ罪などの名目から無期懲役か死刑かに持っていかれそうだ、と断言出来た。



「可愛そうに。命が掛かっているからと健気に勇気を振り絞った結果があれじゃあ、悔やんでも悔やみきれないわよね」

「九十九さん……流石に今のは……どうかと思うわ……」



 輝夜がゴミを見る目で睨み、永琳さんが弁護出来ないと諦めながら、それぞれの思いを口にした。



「いやもうホント、その辺は今ヒシヒシと実感してますんで勘弁して下さい。謝りますから」

「……あんた自分がやらかした事分かってるの? よりにもよって、あんな形でうら若き乙女を身も心も穢したのよ? それの謝罪が『勘弁して』?『謝りますから』?」

「……大変申し訳ありませんでした」



 深く頭を下げた。

 何この魔女裁判。いや、俺は男だから魔男か。……語呂悪いな。

 というかお前ら歳幾つだよ。どこまでが『うら若き』なんだってんだ。



「―――ま、冗談はこれくらいにして」



 ヲイ。



「レイセン、と言ったわね。安心なさい。こいつはもう、あなたをどうこうする気概は無いわ。奴隷するでも苦痛を与え続けるでもない。今ので全部チャラだそうよ。―――そうよね? 九十九」

「いや、何でお前が仕切ってるんだよ。それは俺が決める事であってだな」



 と、永琳さんが哀しげな顔を向けて来た。



「……九十九さんは、これ以上彼女に何かしようと言うの?」



 白旗だ! 白旗を用意しろ俺!



「いえこれで全部終わりですあんな事したんですもんもう充分ですともはい」



 ……もういいッス。別に始めから望んでたもんじゃありませんでしたし。

 元から無かったもんなら、今無くなったって問題ないッス。



 ……一度くらいは何か命令してみたかったんだけどなぁ。



「あんた今何か思った?」

「……いえ何も」



 何だよ“思った”って。“言った”じゃねぇのかよ。



「で?」

「ん?」



 何、その疑問系。

 まだ何かしろとでも言うつもりか。

 ジト目で見やがってからに。ちょっと、ときめいちまったぞこの蓬莱野郎。



「あんた、これからどうするの?」



 ……あぁ、そっちの疑問ですか。



「……どうするって言われてもなぁ」



 怒涛の展開に対して舵を取ることに必死になっていたせいで、目的地への操舵など二の次になっていた事を実感する。

 最終目的は、当初の予定通り、地上への帰還。

 だがこうして色々と経験した身としては、このまますんなり帰るのも胸が痛む。というか、まだ永琳さんと豊姫さんへの贖罪が完了していない。金銭面としても。



「そりゃお前、永琳さんと豊姫……さん……に、謝るまでは帰らないつもりだが……」

「ふぅん。一応罪悪感みたいなものはあるのね」

「お前にゃ欠片も無いがな!」



 睨む俺。睨む輝夜。困る永琳さん。

 段々と嗚咽も落ち着き、軽く達観モードに入っているのか、何をするでもなく赤い瞳を濡らしながら、こちらを観察し続けるレイセン。異様な空間であるのは疑いようも無い。



「遅くなりました。綿月依姫、並びに綿月豊姫。到着し―――」



 そんな異世界へと脚を踏み入れてしまった者が居た。

 はたと気づいて出入り口へと顔を向ける。

 そこには『一体何これ』との文字を額に貼り付けた依姫と、柔和に微笑む―――何を考えているのか分からない豊姫が並んで立っていた。



「あぁ、ごめんなさいね。忙しいのに時間を取ってもらって」

「い、いえ。それは構わないのですが……」

「永琳様。私共は用件を全くお伺いせずにいるものですから……その……」



 こちら―――この光景をサッと見て、豊姫が怪訝な表情を作る。



「これは一体どういう状況なのです?」



 彼女の尤もな疑問に答えるべく、永琳は事のあらましを話し出した。











 重厚な木製のデーブルに座りながら、各々が意見を交換し合う。

 数十分前から始まったそれは、もうそろそろ分から時への単位へと移行しても良い程に増えていた。



「じゃあ、九十九さんはそれで良いわね?」



 机の中央へ鎮座している永琳が自然と進行役のポジションへと収まっている。

 それに誰も異を唱える事などせずに、むしろその役を引き受けてくれた事に感謝していた。



「はい。それで構いません」



 頷き同意する九十九の目は真剣なもの。

 それを察してか、輝夜ですら茶々を入れるような真似はしていない。



「では、九十九さんが依姫に対して保有していた命令権は、同じく九十九さんに下された豊姫への賠償と相殺。無効となりました」



 一応の一段落。

 個人的な謝罪は別として、定められた贖罪の清算はこれで完了した。



「九十九」



 今まで必要最低限の言葉しか口にしていなかった依姫が、こちらへと声を掛けてきた。



「その……ジェイス殿は……」

「あぁ……」



 なるほど、確かに彼女からしてみれば、それも気掛かりの一つだろう。



「今は呼ぶ気は無い。……安心してくれ。別にお前と会いたくないだとか、会わせたくないだとか、そういう理由じゃあ無い。怨んじゃいない。そういう状況だっただけ、だからな」

「ならば、何故……」



 切り札に使用制限あったんだ、なんて口が裂けても言えない。というか口が裂けたら言えない。

 ポンポンと頭が回ってくれたのなら良かったのだが、情けない事に、これに対して明確な答えは出て来なかった。



「秘密だ。いずれ、な」



 何か言いたい言葉があったのだろう。

 それを言い掛け、最後の一歩を踏み出す事無く飲み込んだ依姫には罪悪感を覚えるが、いずれ5マナ域が開放されるまでは待って頂くしかない。



「では、後は永琳様の件で終わりになりますわね」



 手に持った扇を弄びながら、豊姫がそう告げた。

 ……やはり依姫へ色々とやらかしたせいか、彼女が俺に対して抱いている印象はかなり悪そうだ。

 出会ってからすぐ軽く自己紹介をしたのだが、事務的というか機械的というか、ニコリともせずに名乗りを終えた彼女に対して、俺は内心でビビリまくった。

 怒りとも殺気とも嫌悪とも。一体どういう感情なのかが全く分からない彼女に、ぽやぽや~、な原作のイメージは完全に払拭されて、脳内にて、『読めない女』のレッテルを豊姫に対して貼り付けていた。



「そうね。では―――私、八意永琳は、九十九に対して、戦力の提供を要求します」

「……提供、ですか」



 何が言いたいのか何となく分かるのだが、さて内容はどうなのだろうか。



「そう。高御様から聞いたわ。こちらに永住する気は無いのでしょう?」

「そう、ですね……」



 地上と比べれば、それこそ楽園とも言えるここ月の都市への永住を希望しない。

 エアコンテレビ冷蔵庫云々ではなく、そも電気どころか、屋根がある状況すら幸せである世界へ戻る。普通に考えたのなら、刑罰にも等しい環境なのは間違いない。

 初めて降り立った場所がここであったのなら、むしろ頭を下げて何とか住まわしてもらえるように努力しただろう。

 しかし……。



(……別れたくないもんな)



 脳裏に写る、ここ数年の出来事。

 経験する全てが新鮮で、そんな素晴らしい日々の一部である村人達の優しさと、それらをまとめる小さな神様を思い出す。

 離れる事に苦は無いが、離れ続けるのは我慢し難い。

 あれらは、それだけ自分の中で譲れないものであったのか、と改めて実感した瞬間でもあった。



「出来ればずっと。と言いたいんだけど……」



 何かを思案した後、永琳さんは具体的な項目を述べた。



「こちらからの要望があった場合に戦力を提供してくれる、というのが妥当な所かしら。最低でも、こちらの軍の補填が終了するまでは常勤出来る者や物をお願いしたいんだけど」



 どうかしら。と尋ねてくれるのは、一見選択肢があるように見えて、そんなものなど存在していないのが実情。

 出すものによるんだろうが、出来れば勇丸以外にずっと維持するものが無いようにしたいのが本音ではある。

 というか、俺は地上へと戻るのが前提なので……、どうやって何かあった時に月へクリーチャーやら何やらを送り出せというのか。転送装置でも持つ羽目なる……んだろうか。嵩張らないと良いんだが。大きいと嫌だなぁ。



「分かりました……。ちなみに戦力って、どんな感じのを?」



 多分、ジェイスやマリさんのどちらかだとは思うのだが、一応確認しておかなければなならい。

 誤解は宜しくない、というのは今回の件で身を以って実感したのだから。

 失敗は活かしてこそ、だ。



「そうね……」



 それに対して永琳さんだけではなく、綿月姉妹や輝夜までもが何やら考え出した。

 あれ。てっきり、既に答えは決まっているものだとばかり思っていたのだが。



「逆に尋ねるわ。―――九十九さん。あなたは何を呼び出せるの?」



 そ、そう言われても……。



「すいません。質問の幅が広過ぎて、ちょっと正確にお答えし兼ねます」



 反応は様々だった。

 愉快そうに頬を吊り上げる輝夜。真顔に考え込む永琳さん。口元に扇を覆い鋭い目線を向けてくる豊姫に、永琳さんと同じく、口元を握り拳で隠しながら思案する依姫。

 そして、もうやだお家に帰して。と顔に書かれているレイセンであった。



(レイセンの反応がころころ変わって……)



 大変申し訳ないんだが、ゆくゆくは彼女をからかう事になるのであろう、永琳さんや輝夜、てゐの気持ちが良く分かる。

 ……あれ、その設定は二次創作の中だけだったか。誰か教えてプリーズ。



「その……何だ……レイセン」



 呼び方に迷ったが、結局そのまま呼ぶ事にした。



「は、はい……」



 何かに縋る様な目線を周りに向けた後、その縋るべき何ものも無いのだと諦めた顔をこちらに見せる。

 俺が仕出かした事など棚に上げ、ちょっと過剰なのではと思う反面、こんな性格だから原作でも地上へと逃げ出したのかと思う。

 そも他の兵隊―――玉兎達は動いていなかったのだ。

 一際臆病な者なのだと思う事に、何の疑問を挟めというのか。



「気休めな言葉だが……俺はもうお前を狙わない。むしろ何かあったら守ってやる。だから、もう少し肩の力を抜け」



 銃弾受けたとはいえ、恨みの炎が鎮火してしまった今となっては、見ず知らずの相手に高圧的な態度は違和感が残る。というかやりたくない。せいぜいタメ語が良いところ。

 偉そうな口調で守ってやる、など俺は何様だと内心で呟いた。

 もっと別にうまい言い方はなかったのかと後悔しながら、それでも未だに怯え続ける彼女に、ふと、ある事に考えが向かう。



「永琳さん」

「何かしら」

「そこのレイセンなんですが……。彼女はこれからどうなるんですか?」

「……あなたが命令権を破棄したとなれば、後は本人が全てを決めるだけになるわ」

「……その決める自由……っていう奴は、今の彼女に対して、どれくらい残ってますか?」



 こちらの言いたい事が伝わったようだ。

 少し目を伏せ考えた後、永琳さんはレイセンが知りたくなかった―――知っていても認めたくなかった事実を口にする。



「現状、今の彼女は死罪と同等以上の刑罰を受けている。社会的には―――既に死んでいるのよ」



 レイセンの瞳が閉じられた。

 声無く流す涙に、彼女のテーブルには雫が一つ二つと記される。

 あぁもう、涙のオンパレードだな今日は。



「俺が言えたもんじゃ無いが……」



 そうもずっと泣かれると、こっちまで悲しい気分なってくる。



「依姫。こいつ、そっちで使ってやってくれないか?」



 その時、この場にいた俺以外の誰もがギョっとした顔を浮かべた。

 な、何だ。確かに突拍子も無い言葉だとは思うが、そこまで反応するもんだったか。



「……それは構わないが、何故私なんだ?」

「いやまぁ、我ながら唐突だなぁとは思うんだが……」



 頭を掻く。

 刺さる視線が妙に痛いのは何故なんだろうか。

 ただ、泣き濡らした赤い瞳をまん丸と見開いたレイセンの反応が楽しくて。それだけが唯一、俺の心に愉悦の色を着色する。

 ジェイスが居たのなら、きっとこんな選択肢は無かった筈。

 思い入れがある。

 理由はきっと、それだけだ。

 その過程が無かったのなら俺はきっと、今こうしているレイセンに対して心は痛めても、それを手助けしようとは決して思わないだろう。

 理由が理由だけにぶっちゃける訳にもいかず、仕方ないので『何となく』路線で通す事にした。

 ほんと。学が無いと、こういう時に困ったものである。



「何なんだろうな。―――そうしたかったから。……って事で納得してもらいたいんだが」



 どうだろうか。ダメだろうか。

 確か原作では、初めは綿月姉妹に飼われていた筈だった。

 それだけが理由で永琳さんでもなく輝夜でもなく、彼女達―――声を掛けやすかった依姫へと頼んだだけなのだが、これ以上突っ込まれたら言い逃れ出来ないですよ、俺。



「―――分かりました。そこの者は我ら綿月家が受け入れましょう」



 しかし俺の提案に答えたのは、依姫ではなく、その姉である豊姫だった。



「姉上、宜しいので?」

「ええ」



 それっきり俺を視界に入れることもせずに、またも無表情の鉄仮面へと戻る。

 うぅ、嫌われるなぁ。謝るどころか、むしろ借りが増えちゃいましたよこれ。



「……どうして」



 と、驚きの表情をしていたレイセンが言葉を掛けてきた。

 いや、それともこれは、ただの呟きだったのだろうか。

 スルーした方が良かったというのに、KYスキルの高い(悪い方に)俺は、それに答えてしまった。



「さっきも言った通りだ。何となくだよ、何となく」

「……分からない。私はあなたを殺そうとしたのよ? それなのに、どうしてそんな事が言えるの」



 そりゃ尤もな疑問なんだが、さっき思ったように、生憎と具体的には答えられん質問です。



「何だ、死にたかったのか?」

「―――そんな訳ないじゃない!」



 感極まった声に面を食らい、そして、分かった。

 今、彼女の心は限界を迎えているのだ。

 崩れた日常。いつ消えるとも分からない自分の命。そしてそれを容易く弄ぶ俺の存在。

 人間、三つ以上環境が変わると、かなりの負荷を伴ったストレスを感じるという。

 人間関係、活動地域、口にする食べ物、職場。考えられる要因は様々だ。

 彼女の場合はそのどれもが当てはまるであろう事が容易に想像出来て、何よりも生きるか死ぬかの瀬戸際であった。

 黙っていれば良いのに。とも思う反面、仕方ないか、とも考える。



「そうだなぁ……。お前がどう生きていくのか興味があった。……じゃ、ダメか?」

「……落ちぶれてく私を見て楽しもうっていうの?」



 げ、そういう方面で捉えちゃいますか。

 ……俺もお前の立場なら、そういう考えをしているだろうから、共感出来ますが。



「だってお前、中々の能力を持ってるからさ。そのまま育ったなら、どうなるかなって」



 ―――ちょっともう限界。

 なので、転生者の利点。アカシックレコード(原作知識)を活用する事にしました。キリッ。

 詳細は話せないので、強引に押し通す方針で。



「……能力?」



 不満と疑問の合わさった声を上げて、レイセンが憮然と答えた。

 ぬ。その様子じゃあまだ能力は開眼していないっぽい。ちょっと先走り過ぎたようだ。



「まぁ良いじゃないか。何はともあれ、これで食いっぱぐれる事は無くなったんだ。とりあえず満足しておいてくれよ。何せあの綿月家だろ? んで、この人達だ。決して悪いようにはしないさ」



 綿月の性を持つ者がどの程度の家柄なのかは知らないが、上流階級に位置しているのは間違いないだろう。少なくとも中流以下の者達に比べても、色々と融通が効く筈だ。

 人柄としても、姉の方は俺に対する印象は最悪だとしても、レイセンにならば多少の温情は示してくれる……と信じたい。

 それに、依姫は厳格ながらも面倒見の良い性格であった筈だ。

 全くの見ず知らずの相手よりも、まだ信頼出来るというもの。



 これ以上突っ込まれる前に、話題を終わらせる。

 まだ何か言いたい様子ではあったけれど、こちらの態度を見て察したのだろう。口を噤んでくれた。



「ん。すいません。話が逸れてしまいましたね」



 流れをぶった切ってしまった事を永琳さんに謝罪する。



「……ええ。良いのよ。面白いものを見れたし」



 何と。レイセンが切羽詰っている状況を楽しんでいたとな。

 ……絶対違うんだろうが、それ以外に俺はどう考えれば良いのか分からんですよ。



「戦力提供の件は、もう少し待って頂戴。要望を纏めておくから」



 俺達を見渡した永琳さんは、一息ついてこの話の流れをまとめ始める。



「では、これで全ての話しは纏まったとします。後は九十九さんが何処までこちらの要望に応えられるかのみ、という事で―――解散しましょうか」



 誰も異論は無かった。

 今までの混沌とした場が嘘のように、波引く砂浜の如く、一人二人と退室していく。



「じゃあ、九十九さんは、また病室の方へ送っておくわ。外に玉兎を待たせてあるから、車に乗ってくれれば、すぐよ。結果は……そうね。明日か明後日にでも報告させてもらうわ。それまでは休息に専念しておいて」

「げ、またあの爺さんと相室か……」



 まぁそれはそれで構わないか。と思い直す。

 弱味に漬け込まれたような関係だが、あれはあれで楽しかったのも事実。

 またあの時のようになれたら、と淡い期待を抱きながら、未だに輝夜からのダメージの残った体を引き摺って部屋を出た。









「……さて、もう良いかしら」



 九十九が退出してから、しばらくの後。

 永琳とレイセンが残るのみとなった部屋には、再び人気が増え始めた。

 すぐに退室した綿月姉妹を始め、輝夜までもが戻っている。

 理由は一つ。

 今の今までここに居た人物に対する会議であった。



「しかし、参ったわね」



 溜め息と共に漏らした輝夜の言葉に、誰もが内心で同意した。



「聞いた? あいつ、永琳が何を呼べるのかって聞いたら、『質問の幅が広過ぎて』だって。そりゃ、呼び出せる種類は多いんでしょうけど、例えあいつが馬鹿だからって、こっちがあの【マリット・レイジ】や【ジェイス・ベレレン】を基準としているのを理解出来ない奴じゃないわ」



 つまり―――。



「彼の者達と同等か……それ以上の者達を召喚出来る。と言っているようなものです」

「実際、如何致しましょうか。可能であれば、常時防衛の任に就いて頂きたいものではありますが……」



 輝夜の台詞に追随する形で言葉を足した依姫に、豊姫が続く。

 彼女の脳裏に、何かに悩む九十九の姿が映し出される。

 永住を拒否した後のあの様子を思い浮かべれば、郷愁の念は当然として、常時召喚は難しい事が予想される。

 それは然るに。



「あの者達は、彼によってこちらへ現界している、と思って良いわね」



 永琳の考えは、まさに適切であった。

 消したのか還っていったのかに疑問は残るが、それでも彼が気絶してすぐにジェイスや【マリット・レイジ】が消えた、というのは、関連性としては無視出来ない。



「万が一の事態になったら、次は、即あいつ本人を狙うとして……」

「その場合は、九十九に思案の時間を与えてはなりません。色々と制約があるようですが、あやつには輝夜様の能力ですらも対抗策がある様子。確か、『【プロテクション】があればどんな能力だって』と。【マリット・レイジ】の頭上にて、そんな単語を漏らしておりました」

「【プロテクション】……ねぇ。依姫がそう判断したんだったら可能性は高いんでしょうけど……。最悪の場合になったら、どれだけ早く対処出来るかが鍵になりそうね」

「その場合には私の『海と山を結ぶ』能力を使う事も考慮致します。……依姫ちゃん。我が軍が元の状態にまで回復するには、どれくらい時間が掛かりそう?」

「最低でも二十年。皆様ご存知の通り、元々兵器の稼動ラインは一本しかなく、それすらも数千年は未稼働など当たり前。そも我らは、早さに疎い。悠久に等しい時の流れの中で、時間さえあればどうとでもなる、という考えが定着している為、一括生産に関する知識や技術、経験がほぼ皆無。全てが手探りで始めるしかないのが現状だと考えます」

「二十年、か。普段ならあっという間に過ぎていく年月が、今この時は何にも増して、もどかしく思えてならないわね」

「永琳様、如何致しましょう。あなた様のお言葉であれば、彼の者からの譲歩は、かなり引き出せるかと。軍が回復するまでの間のみ、という条件で再度交渉してみては。如何様なモノでも呼び出せる、との意味を匂わせていたのです。自身の能力を詳細に説明する気概が見受けられない以上、それこそ状況によってそれを把握してもらう為、こちらに縛り付けておかなければならないのでは」

「豊姫……。そうは言うけれど、九十九さんの寿命は我々とは違うのよ? 地上の者なんて、良くて百年に辿り着くかどうか。幾ら穢れのないここ月での生活で、こちらの技術である程度の延命は可能だとしても、それでも三百年はいかないでしょう。地上に戻るのが目的であるのに、それを遅延させる要望は、幾ら彼とはいえ難色を示す筈よ」

「ですが、それでも受け入れるのでは?」

「……彼があの青き神を呼び出す前だったら、そう思えたのだけれど……」



 彼を呼び出した目的は、地上へ帰る為だったという。

 それは、こちらの対応の遅さに不満があり―――こちらの対応など待ってられないと言っているようなものだ。



「彼はいつでも帰還出来る。それでもここに残っているのは、倫理と情によるところが大きい。その情に漬け込んだ行いは、九十九さんの中で、こちらとの決め事を反故にする理由としては充分。と思えるのよ」

「……悩ましいものです」



 豊姫は目を伏せて、諦めの声を零した。



「今までは無駄だ無駄だと思っていた“時”も、こうしてみると短過ぎね。ホント、穢れなんて面倒なものが無ければもっと楽しめるんだけど……。じゃ、とりあえず九十九には何かクリーチャーを貸してもらう方針で良いわね」



 輝夜は【マリット・レイジ】の上にて移動していた時に、ある程度、九十九が使う用語を理解していた。

 一応の方針をまとめた彼女の言葉に、反論する者は誰も居ない。



「で―――レイセン」



 月の姫の言葉に、今まで無言―――萎縮し過ぎて何も反応出来なかったレイセンの体が震えた。



「あなた、本当に何の能力も無いのよね?」

「は、はい。これといった実感も兆候も無く……」



 ふむ、と輝夜は考えた。

 能力持ち。

 それは一種のステータスであり、それを所持する者を一段上の存在へと引き上げる鍵。

 当然、月においても能力の研究は行われているが、その能力の開眼は未だに解明されていない謎の一つとなっている。

 あそこで『能力があるから』と九十九が言ったのは、決して数値的な意味での能力ではなく、スキルとしての能力のニュアンスだろう。

 でなければ、あの異常な存在が、他者をああも気に掛ける理由が考えられない。



「本人にも自覚無し……ねぇ。……それを何? あいつは『中々の能力がある』って。―――あいつはあなたの中に何を見たのかしら」

「それも九十九さんの能力によるものなのかしらね。これでもし本当に能力が発生したのなら―――私は本当に面白いものが見れたと思うわ」



 永琳が九十九に対して『面白い』と漏らしたのは、それが理由である。

 その能力の解明には、かなり昔から永琳も関わっていた。

 けれど、それでも解析不可能であった不可侵領域に達していたものを、サラリと覆すあの発言。もし本当であるのなら、誰もが驚嘆するに値するものである。



「豊姫は、それを見越して九十九さんの提案を受け入れたの?」

「……いえ。私はただ、あれだけの事を仕出かした彼が気に掛けた者―――レイセン、あなたがどういった存在なのか、興味があっただけです」

「わ、私なんて……そんな……」

「ふむ……。軍に居た頃の記録を見る限りでは、優秀な結果を残してはいるが、突出した才能がある訳でも無いようだ。……やはりあやつは、お前に何かを感じ取ったのやもしれんな」



 萎縮の境地に達しているレイセンを他所に、依姫が宙に表示された彼女の経歴を見直した後、感想を述べた。

 それを輝夜や豊姫も閲覧し、同様の感想に至る。

 永琳だけは裁判の前に目を通していたので、それを気にする様子は無いものの、その表情からは感情の一切も読み取る事が出来ない、能面のような表情をしていた。



「私や輝夜にではなく、依姫。あなたに託したのも何か理由がるのでしょう。恐らく、あなたの『神々の依り代になる』能力が関係しているのでしょうね。……改めて確認するけれど、二人とも、それで構わない?」



 その二人に、レイセンは含まれていない。

 綿月依姫―――ひいては綿月姉妹が面倒を見る、という事に対して意思確認であった。



「はい。これが贖罪になるかどうかは分かりませんが、ジェイス殿―――いや、九十九の意思には可能な限り応えてやりたいと思っていますので」

「私も、問題ありません」



 同意する二人に対して、輝夜が疑問の声を上げる。



「依姫は分かるけど……豊姫。あなたがあいつに対して協力的なのが不思議なんだけど。一体どういう風の吹き回し?」

「……一言で言ってしまえば、興味があるからです。この月でこれだけの事をした力もそうですが、何より依姫ちゃんをボロボロにした相手ですもの。思うところは幾つもありますわ」

「……出会った瞬間に殺さなかっただけ良かったのかしら」



 笑顔のままで言い切った豊姫の裏に、彼女の意思が見て取れた輝夜は、額に手を当てながら溜め息をついた。

 興味がある、というよりもむしろ、利用し尽くしてやる、という意図が煤けて見えた。



「―――それに、彼には責任を取って頂きませんと」



 その言葉に一同は首を傾げた。

 残りの問題は、九十九がどう月の防衛戦力として機能させるか。という話題のみであった筈だが、やはり彼女個人としては納得出来ない部分があるのだろうか。



「輝夜様」

「何?」

「九十九という人物。ずっと手元に置いておきたいと思いませんか?」

「……思うわね」


 輝夜が九十九に対して抱いている感情は、少なくとも単なる暇つぶしの道具程度ではない。

 豊姫は満足気に頷く。

 輝夜の意思さえ確認出来れば、後はどうとでもなると考えての事だった。



「依姫ちゃん」



 隣にいた依姫と声を掛ける。



「あなた、彼に対してどう思ってるの?」

「……そうですね。今まで周りに居なかった性格なのでうまく言葉に出来ませんが……退屈はしないだろう、と。そう思えます」



 そこで、輝夜と永琳は理解した。

 彼女が行おうとしている、責任を取らせる、という言葉の真意に。

 それに気づかないのは言われた当人と、もはや魂が抜け掛けているレイセンの二人のみであった。



「豊姫……その、あなた……。あいつの事、結構憎いでしょ?」

「ええ」



 おそるおそる尋ねた輝夜にも笑顔で答える豊姫だったが、その答えは尚更理解出来ないものであった。



「だったら何故? 敵に塩を送るような真似を。大切な妹なんでしょ?」



 依姫は話についていけず、額に皺を寄せながら事の成り行きを見守っている。



「それこそ、大切な妹だからです。出来うるだけ役に立ってもらいます」



 淀みなく言い切った彼女に、永琳は彼女の意図を完全に理解したようだ。

 既に共通の認識がある者同士の会話は、はたからみれば理解の及ばぬものであろう。



「私から言わせて貰えば、依姫はそこまで地位に固着する心は無いでしょうに」

「今はそうかもしれません。ですが、ゆくゆくは分からない。地位は剣でもあり、盾にもなるのはよくご存知でありましょう。お恥ずかしい話ですが、今のこの子は剣はあれど盾は無い。―――アレに綿月の姓を名乗ってもらえば、周りの者から見ればそれは、我が家が彼の者を傘下に収めた風に写る。あのような出来事の後です。男女の関係など、誰も額面通りには受け取りません。別れる場合にも、禍根は少ないと考えます」

「でも、だからと言ってそれで縛れるかしら」

「それこそ、永琳様の仰られた倫理と情が強大な楔となってくれるでしょう。今までの言動を鑑みるに、彼の者に契約者はおりません。一度決めてしまえば、彼はそれを遵守する可能性が高い。今が絶好の機会ではないかと」

「……虎の衣を借る狐、という言葉を思い出したわ」

「その狐は、元は虎でありますれば」



 二人の間でトントンと会話が進む中で置いてきぼりを食らった依姫が、とうとう耐え切れずにその疑問をぶつけた。



「あの……一体どのようなお話をされているのですか?」



 優しく微笑む豊姫と、真剣な表情で熟考する永琳。

 そして、やれやれと首を振りながら、輝夜だけが依姫の言葉に答えてくれた。



「だからね―――九十九とあなた。夫婦の契りを結びなさい、と。あなたの姉は、そう言ってるの」



 金糸の髪を持つ者は微笑み。

 銀糸の髪を持つ者は考える。

 それを見て月を統べる者は呆れ。

 闘姫たる者は思考を放棄した。

 後はただ、既に魂の抜けた者が、一人。

 それが、この場に居る者達の全てであった。





[26038] 第38話 置き土産
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/09/20 20:52






「次……は……。これか? はいはい、今持ってきます―――よっと!」



 今度のは中々に重量があるようだ。両の手にズシリと手応えを感じる。

 重さに抵抗しながら、力士の摺り足を数段かっこ悪くした移動方で彼の元へと近寄った。

 その姿は、やはり変な格好だったようだ。

 こちらを見て愉快な声を上げて笑われるのを、『ひでぇ』と悪態を付きながら、釣られて笑う。



 振り上げる金槌。

 特殊な素材で出来ているのだと聞いたそれは、真鍮のようなくんだ黄金色をしていた。

 小気味の良い音を響かせて、時折打ち所を変えながら、トンカン、トンカン。絶えず叩き続けている。

 今日で四日目。

 これはこれで充実した日々を過ごしているという実感と共に、今日も額に汗して労働に従事する。

 日々仕事をがんばる自分。というフレーズが思い浮かび、少し、転生前を思い出した。



 今この場には、俺の他に、彼一人しか居ない。

 小型の船舶が丸々一台収容出来そうな大きさのあるここは、様々な造形の機材が所狭しと陳列されていた。

 広さに比べて使用している面積が小さいからか、ちょっと勿体無いとも思うけれど、今の俺はただ彼の助手に徹するだけだ。ずぶの素人が口を出すもんじゃない。

 一体何の作業をやっているのかはサッパリと分からないが、それでも、目の前で着々と完成しつつある代物に、思わず硬く拳を握る。

 この試みが成功したのなら、また一歩、俺の能力の可能性を見出せるのだ。興奮せずにはいられない。



「あ、悪い。次だな」



 自分の世界に入ってしまったせいで、彼の念話を聞き漏らしてしまったようだ。

 指示通りのものを探すべく、彼から伝わって来たイメージを反芻しながら、いそいそと表へと出る。



 本来ならただ広大な死の大地が見えるだけであったそこには、今や目を疑うばかりの光景が広がっていた。

 いつもは突起物の無い、完全な平面であったであろう場所は今や打って変わり、幾筋かの切れ目―――クレバスみたいな溝が幾つも出現していた。

 人一人が何とか、といったところや、それこそ大型トラック一台楽々侵入出来そうなものまで、数々と。

 そしてそのどれもに、所々、大小様々な光る何かの存在を確認出来る。

 トパーズ、サファイア、アメジスト。挙句の果てにはダイアモンドまで。

 九十九が呼び出したこの場所―――この【土地】は、それが価値あるものであり続ける限り、彼が貴金属類、ひいては金銭面において、決して不自由する筈などない事を裏付けていた。










『宝石鉱山』

【特殊地形】に部類される【土地】の一つ。

 全ての色のマナを生み出す事の出来る【土地】で、使用するデッキに使われる色が増えれば増える程に、その汎用性の高さは目を見張るものがある。

 当然、そんな便利なものが無条件で存在する筈も無く、三度マナを生み出せば消えてしまうという性質を持つ。それを少ないと取るか、充分と取るかは、使用するデッキに依存する事になるだろう。

 まるで、あたかも宝石を掘り尽くした後の鉱山が廃坑になるかのようなこのカードは、登場当初から複数の色を使用する数々のデッキを支え続けている功労者である。










 マナが出せない、という縛りの中では、本来の目的として呼び出す訳もなく。

 名前+絵柄の通りの【土地】が出るのなら、それはもう大富豪ラインキングの上位トップ三辺りに名を連ねても不思議ではない効果を期待出来た。

 初めてこのカードを使った時、きちんと効果が現れた事に狂喜乱舞したものの、『あ、宝石、殆ど埋まってるわ』なんて愕然とした感想も同時に込み上がって来たものだが、とりあえず幸先は良いかな、と前向きに考える事で済ませた。



 クレバスみたいな道の一本。

 一番近い溝の間に体を滑り込ませ、地底を目指しながら、目的の物を探す。

 あれも違うこれも違うと視線を泳がせていれば、視界には既に見たれた人物達が。

 月の軍隊標準装備、スカートにブレザーの高校生ルックである。

 ウサミミの飛び出したヘルメットに、収納箇所が多く見て取れるベストを身に着けており、彼女達が今は軍務として働いているのだと分かった。

 光線銃のようなモノで掘削する者。重機を操る者。掘り出した鉱物を運ぶ者。

 一同、全身から汗を滴らせながら、鉱山仕事に精を出している。



「―――あなたですか」



 その見慣れた人物達の中で、ただ一人、異なった姿をした者が居た。

 その者は指示する手を止めて、こちらに向き直る。

 手を体の前で軽く組み、自身を抱くような姿勢で佇む姿には、そのまま額縁に入れて飾られていてもおかしくない程にさまになっている、と思った。



「豊姫、さん」



 ……ただ、俺は彼女の事が苦手だ。

 ……その、何と言うか……。正確には、苦手というより、彼女に対する負の念を未だに返済出来ずにいるから、という理由からなんだけど。

 正直、目線すら合わせるのも気まずいんだが、それをしてしまうとますます溝は広がるばかり。絶対にしてはならない。



「……まさか、もう消してしまうので?」

「え?」

「ご自身で仰っていたではありませんか。『そちらが満足するまでここを維持し続ける』と。それを反故になさるお積もりですか?」

「っ! いえいえいえ! 私は単にここに欲しいものを探しに来ただけです! 決して約束を破るような真似はしません!」

「……そうですか。それは失礼しました。では、作業の方に戻らせて頂きます」



 こちらの答えも待たずに、そのまま踵を返して戻っていく。

 宙に幾つもの光学パネルを出現させて、目を通し、声を上げて周囲の玉兎達に指示を出す。

 その後姿にはしっかりと、『話しかけるな』の文字が浮かび上がっていた。



(……相当嫌われてんなぁ)



 気が重い。胃に穴が開きそうだ。

 数日前に、多少のストレスならバッチコイだぜ、と思っていた事など、夢か幻でも見ていたんじゃないかと思わせる。

 今すぐにでも逃げ出したい気持ちに囚われそうになるものの、かぶりを振って弱気を払う。



「……頼まれてたものでも、探しますか」



 先程までの充実した気分など何処へやら。気分を入れ替えるつもりで、独り言を呟いた。

 前途多難の言葉をまじまじと実感しながら、俺は再び、煌びやかに輝く渓谷の間を、とぼとぼと足取り重く歩いていった。










 指示する声にも力が入る。

 あれから大分時間も経ったというのに、未だにこの感情は収まるところを知らないようだ。

 感情の機微に敏感な玉兎達が怯えながら作業をしている。どうも自分で考えている以上にこの思いには熱があるようだ。



「姉上」



 聞き慣れた声。けれどずっと聞いていたい声。

 自分共々、同じ仕事に就いているものの、その役割は異なっていた。

 片や指揮官。片や雑用係と言っても差し支えの無い者。

 かつてならばどちらも前者であったというのに、今はそれを懐かしむだけの過去になってしまった。少し、悲しい。

 最愛の妹の声が熱を奪ってくれたのか、先程よりも少しだけ、冷静になれたと思う自分が居る。



「どうしたの?」

「はい。予想よりも作業が遅れています。発掘の方は問題ないのですが、それを運ぶ手段が思うように確保出来ず……」

「そう……。保管場所の目処はついた?」

「それは【マリット・レイジ】との交戦時に発生した地形を活用しております。大きさは申し分なく、少し手を加えてやれば、立派な倉庫になるでしょう」



 遠くから何かを知らせるような声が届く。

 しばし後、轟音と共に視界の一部が欠落していった。どうやら、新たな鉱物を採取する為に、地形を切り崩したらしい。



「……依姫ちゃんは……」

「はっ」

「……依姫ちゃんは、何とも思ってない?」



 僅かの沈黙。

 依姫は目を伏せて、姉の言葉を自分の中で反芻した。

 豊姫自身、何とも馬鹿な問いをしたものだと思っている。

 けれど口を突いて出た言葉は変えられず、妹の反応を待つことにした。

 次に眼を見開いた時、彼女は悩んでいた素振りも無く、姉の予想とは違ってしっかりと答えを口にした。



「残念だ。とは思っています」

「……それは、何処から生じた感情かしら」

「そこまで細部に渡って把握している訳ではないのですが……」



 視線を宙に投げ、またすぐに姉へと戻す。



「恐らく、全て、です。月に住まう者としても、軍に所属する者としても、綿月家の者としても、依姫としても。そして―――」



 女としても、と。

 とてもそうは思わせない表情で、真逆の意思を伝えて来る。



「それに関しては、むしろ姉上の方にこそ言いたい事が山ほどあります」

「えっと……それは……」



 姉の目が泳ぐ。

 けれど、それを逃す妹ではない。

 戦姫が槍で刺すように鋭く見つめれば、それは、相手の精神を削る攻撃に他ならない。

 目を背けているのだが、じんわりと額に汗する姉に対して、自分の意思はしっかりと届いているのだと実感と共に、妹の詰問は続く。



「あの時ほどあなたの妹であった事を悔やんだことはありません」

「御免なさい。つい……」

「つい、で契りを結ばされそうになった私の身にもなって下さい」



 あの時。

 豊姫が、九十九と依姫に政略結婚を仕掛けようとした事に、とうの依姫は完全に思考を放棄していた。

 綿月家は、ここ月において上位五本の指に入る程の地位を占めている。

 その家柄の者にとって結婚とは、いわば御家の為の義務だ。そこに愛だの恋だのの入り込む余地は欠片ほどしか無い。

 そもそも、入り込むだけの余地がある時点で、御の字と言えるレベルである。

 そういったものについて何度か考える機会はあったが、依姫は、それを不幸だとは思わない。

 好いた惚れたという感情には興味はあるものの、それで結ばれた相手というのは、つまりその感情を失った時点で完全な他人となる。

 否定する気はないが、それでも感情とは移ろい易いものだ、とも思っている節のある彼女には、それは酷く曖昧な、吹けば消えてしまいそうな幻に他ならなかった。

 故に。



「万能型四脚戦車510台、高機動型空挺戦闘機170台。対制圧装備の歩兵3050人。そして、私や輝夜様を相手にし、これを悉く撃破するだけの力。これだけでも我々の常識から考えても常軌を逸しているというのに、それを行ったのが一日にも満たない時間だという事実。それに加えて、これです」



 目の前に広がる【宝石鉱山】を見渡しながら、依姫は、ここに至るまでの過程を思い返す。



「【マリット・レイジ】を呼び出した時に、ある程度こちらの常識が通用しないと分かってはいたけれど……これは……」

「この砂しかない大地を、一瞬で作り変えてみせる。……私も分かっていたつもりになっていましたが、聞きしに勝る、とはまさにこの事でしょう」

「―――【宝石鉱山】、と言っていたわね。総称なのか、固有名詞なのかは分からなかったけど、それにしたって……ねぇ……。知ってる? アレ、ここに私を連れてきて開口一番が、『これである程度弁償出来ませんか?』って言ってきたのよ。今思い返しても、開いた口が塞がらないわ」



 九十九をアレ呼ばわりする豊姫だったが、それを指摘する者は誰も居ない。

 軽く調査しただけだというのに、軍備全てを買い換えられるだけの資源が蓄積されている事が判明している。

 尤もそれは、億に等しい歳月をこの土地で暮らしていた事によって、あらかたの資源を取り尽してしまった事による希少価値もあるのだが、それを差し引いたとしても、月の誰もが及ばない程の財であるのは疑う余地も無い。

 それを、道の端におちていた小石だと言わんばかりに扱うのだ。アレは。

 上層部では、これを如何にして混乱を招く事無く活用出来るかを、寝る間も惜しみ、目を爛々と輝かせながら考えているようだ。

 現金なものだ。

 少し前までは、決して侵してはならない領域を破ってしまったかのような状態であったというのに。



「何でも初めからその意図があった訳ではなく、九十九の言うところの【土地】を出している最中に思いついたのだそうです」

「【土地】?」



 土地は土地だろう。何を当たり前の事を。

 そう思う豊姫であったのだが、それが分からぬ妹ではない。

 その真意を知るべく、オウム返しのように言葉を返し、解答を待つ。



「はい。どうもこれらの能力は、先にも言いました通り、大地を作り変える事で実行しています。……多少外れているものもありますが。……あやつの正体。可能性の一つに、大地母神の類なのではないかとも考えましたが、彼の者ですら、こうも易々と自然を変化させる事など不可能でしょう。仮に出来たとしても、あの【マリット・レイジ】のような存在を呼び出せる筈も無いでしょうから」

「……それで、その各地に居る主神クラスの者達を上回るであろうアレは、今日も今日とて工房に篭りっきりで、何をしているのかしら」

「異形の者―――ゴブリン、という種族のようです。それを呼び出し、何やら作り上げているのは分かっておりますが、それが未だに何なのかは……。聞いた限りでは、武具の類のようですが」



 こちらの常識が通用しない相手だ、と学んだばかりであるが故に、その言葉を素直に鵜呑みにする事など出来そう筈もなく。

 ―――と、思っているのは豊姫だけであり、九十九より直接聞いた依姫は、疑う素振りすら見せない。

 答えを得た妹とは逆に、未だ確信を得られていない姉は、悶々と九十九の行動について悩む羽目になる。



「……だから、でしょうか」



 続く依姫の言葉に、豊姫は、そういえば九十九に対する妹の意思を尋ねていたのだったと思い出した。



「輝夜様や永琳様は当然として、姉上や私も、お家の繁栄に繋がる事を第一とし、契りを結ぶ相手を選ぶものだと思っていた。それ自体に不満はありません。祝言を挙げるとしても……恐らく、蓬莱山や八意の家と比肩するか、それ以上の意味を持つ」



 どちらもここでは支配階級の最上位である。王族、と言って良い。

 それと同等か、あるいはそれよりも好ましい条件という選択肢は、一度足りとも考えた事が無かった。

 何か突出した才を持つ者か、大企業の家柄か、幅広い人脈を有する者か。

 夫婦になる相手というのは、そんな漠然とした印象しかなかったのだが。



「そちらの方面に疎い私でも分かります。九十九と契りを結べば、我が綿月家は蓬莱山、八意家に続く、三本の指に入る名家となる。資材において無限に等しく、戦力においては状況次第でしょうが、それでも単純な破壊力は私すら及ばない。そんな存在を無碍に出来る筈もなく、結果、黙っていても地位は上がり、支持は増えて―――」

「手間が増えるばかりなり。そんな顔してるわよ? あなた」

「……姉上。確か私は、刑罰により一兵卒―――二等兵へと降格しましたよね」



 突然話を切り替えられた事を疑問に思うものの、沈黙を以って続きを促した。



「今朝、連絡がありました。『綿月依姫、本日より兵長へ昇進するものとする。より一層勤めに励むように』と」

「……何とも露骨な話ねぇ」



 二等兵から兵長へ。

 二階級特進を通り越し、三階級の昇格というのは、数千万年の彼女の経験どころか、月の有史以来、一度たりとも無かった事だ。

 しかも、この土地において寿命とは有って無いようなもの。

 定年や転職くらいでしか人が入れ替わらず、戦死など以ての外。結果、上から下まで官位の引継ぎ順がギッチリと詰まっている。

 階級一つ上がるのに良くて数百年。普通は数千年。というのが常であるというのに、降格から片手で数えられるだけの日数しか経っていないにも関わらず、これだ。



「婚姻に失敗した、という話は既に広まっていると思うのですが……」

「あの者に近しい存在であるのには変わりない。と、周りの者は考えているのでしょう。下手に機嫌を損ねれば、《月面騒動》を再び引き起こしかねないから……。なんて考えが、透けて見えるわ。しかも今度はそれを止められる手段が無いのが分かり切っている。故に。……と画策した結果じゃないかしら」

「……そう言われると……ふむ……。知らぬ者達からすれば、仕方の無い事……なのでしょうか……」



 唐突に現れた価値ある者に、彼女は選択の自由という道が用意される事となる。

 深く息を吐く。

 余計な考えを息と共に吐き出して、依姫は言葉を纏めた。



「お家の為にもなり、月の更なる発展にも可能性を見出せる者。そしてそれは、強制ではない。―――人柄のみで付き合う相手を選ぶという機会が訪れた。……あの時ほどに、異性というものを意識した事はありません」



 手に入れたい人材は、しかし月を相手に大立ち回りを演じた、こちらのルールに縛られない者。否、通用しない者。

 一体誰が月の軍を丸々相手にし、これに打ち勝てるだけの者の気分を害そうというのか。

 あの者は実力を示した状況が状況である為に、彼を殆ど知らぬ者達からすれば、何処まで月の法を遵守してくれるのかが全く分からない。

 然るに、手に入れられればこの上なく有利になれる存在であるにも関わらず、地位のある者はその立場の崩落を恐れ、誰も彼もが二の足を踏んでいる状態であった。

 手を出すべきか、出さざるべきか。そのどちらかを選べた者は、あの時から今に至るまで、政略結婚を仕掛けた、綿月豊姫ただ一人であった。

 そして。



「それが見事に失敗とは、ね。今にして思えば、依姫ちゃんって、相手が誰であっても一度夫婦の契りを結んだのなら、それを自分から反故にする訳ないものね。もしアレが居なくなっても、きっと操を立てて、一生未亡人みたいになっていた事だわ。危ない危ない」



 妹が目を細めて睨む中、姉は玉の汗を一筋垂らしながら、口元を扇で隠して誤魔化すように喋った。

 妹の為にと思ってやった事は、妹の心まで考慮に入れていなかったのだ。

 後からそれに気づいた豊姫は、御家の為ならばと九十九へその意思を伝えに行った依姫を止めるべく、わざわざ能力まで使って会合の場まで乗り込んでいた。

 もし夫婦になってしまったのなら、取り返しの付かない事になる。

 だがそこで見た光景は、彼女の予想とは全く違うものであった。



 向き合う二人。

 普段通りの格好であった依姫と、これまた初めの頃と変わらないズボンとシャツを身に着けた九十九の両名は、片方が直立したままで、もう片方は、僅かに頭を下げて、微動だにせずに居た。

 頭を下げられているのは依姫であり、頭を下げているのは九十九である。

 一瞬『宜しくお願いします』と、婚姻の受諾を示したかとも考えられたが、妹の顔が能面のようになっているのを疑問に思い、これはまさか。と、思った。

 断られた。

 状況から判断出来るのは、そういう事。

 そこに思い至ったのは、有無を言わせず依姫を転移させた後の事だった。



「小さく一言、『ごめん』と言われましたよ。その後はただ頭を下げて、全身に行き場の無い力を込めながら、沈黙するばかりでした」



 拒絶の意思を現した。

 心の何処かで、この契約は成立するものだろうと思っていたからだろうか。

 彼の意思を知った時、依姫は自分でも考えられない程に混乱して―――何も考えられなくなっていた。



「未練もあったのでしょうが、純粋に疑問に思ったのです。だから尋ねました。何がいけないのか、と」



 女としての自分を磨いて来なかった自覚はあった。

 けれど、理由をはっきりと聞かない事には、この沸き立つ感情を抑える事は出来そうもなく。

 そこで漸く―――依姫は、その者に対して好意を寄せているのだという自覚が芽生えたのだった。

 尤も、それが愛や恋といった感情なのかは、未だに分からないでいる。

 唯一はっきりと分かるのは、彼に拒絶された事に、酷く心が気づいたという一点のみ。

 九十九がこちらにした光景は、今でも依姫の脳裏に焼き付いていた―――。







「確かに私は女としての自覚があまり無い。永琳様のようにも、輝夜様のようにも、姉上にも劣る。……聞かせてくれ九十九。私は、何がいけないんだ?」



 我が事ながら、それを口にしている最中に、よく声が震えなかったと褒めても良いだろう。

 一体何がいけなかったのか。

 尽きぬ疑問は口をついて溢れ、言葉静かに、彼への問い掛けとなる。



「なっ、馬鹿な事言うもんじゃねぇ! 誰がお前に魅力が無いって言った!」

「―――慰めは良い。だから教えてくれ。遠慮は要らない」



 その言葉に九十九は頭を掻き毟る。

 ああ、だの、うう、だの呻いた後で、



「―――お前は美人だよ。言葉に頓着しなかったり、猪突猛進な所もあるが、それを差し引いたって、高校とかに居たら、依姫親衛隊とか、お姉様ファンクラブとか余裕で結成される位の人気者になれる。毎日十人はお前に告白する男が―――女も居そうだが―――居るに決まってる。靴箱がラブレターで埋まる、なんて伝説級の光景だって見れそうだ。……あれだけやらかした俺に対しても誠実に向き合って、誰かの為に命すら投げ出せる。お前レベルの人格者なんて、殆ど見た事ねぇわ。嫁さんにしたら、そいつは最高の幸せもんだ」



 予想していない言葉に、彼女の頬が朱に染まる。

 けれど、それを言った相手が自分を拒否したという事実を思い出し、依姫の心から熱を奪っていく。

 もはやそこには『高校』という未知の単語に、疑問すら持つ余裕など無かった。



「……ならば、何故だ」

「……居るんだよ」



 苦しそうに、恥ずかしそうに、自分の手を弄びながら、たどたどしく。

 依姫は、その意図をおぼろげに察した。



「恋人、か?」

「……いや。まだ全然そんな関係じゃない」

「……まだ、か。……片思い……というやつか」



 自分の体から力が抜けていくのを感じながら、それでも依姫は続きを聞かずにはいられない。



「……どうなんだろうな。変なタイミングで別れちまったから、自分の感情が整理されてないんだ。ただ……その……一緒に居たい……とは、思ってる。ずっと笑顔でいさせたい、とも」



 消え入りそうな声で、それでも九十九は話を止めない。

 自分の経緯を話し出す。

 とある神に拾われて、その者に名前を貰ったのだと。

 過ごして行く日々の中で、決して失いたくないと思うようになり、それはある旅立ちの日を切欠に、心の絶対を占める位置へと昇華している事に気づいたのだと。



 ―――残酷にも程がある。

 言葉一つが心を切りつけ、表情一つが体を凍てつかせる。

 すぐにでもこの場から逃げ出したい。

 それでも留まり続けているのは、依姫の中の何かがそうさせているからか。それとも、既に体に力すら入れられなくなった為か。その真意は、誰に理解される事も無く。



「―――ぁ」



 そして、とうとう九十九がそれに気づいた。

 あまりに愚かであった自分の行いに、頭を下げ、『ごめん』と小さく呟くの精一杯で。

 無言の支配する空間。

 それを打破したのは、他ならぬ彼女の姉、綿月豊姫。

 次元断層でも引き起こしそうな雰囲気を訝しげに思いながらも、すぐにでも依姫をこの場から連れ出そうと、能力を使って、妹共々、消えるように移動した。

 依姫の何度目かになる放心は、過去経験したどれよりも辛いものであった。



「あの時はどうなる事かと思ったけれど……」



 姉の呟きに、依姫は眉を顰めながら応える。



「なにぶん、初めての事でしたので。力でも技術でも知識でも、解決出来ぬ事もあるのだ。と分かったのは、良い経験でした」



 あのまま闇の一部にでもなりそうであった妹が立ち直ってくれたのは嬉しいのだが、この手の感情は酷く暗く重く圧し掛かるものだと考えていた姉にとっては、どうしてこうも早く気力を取り戻してくれたのかが不思議でならかった。



『姉上、行ってまいります』



 そう言って普段通りの様子で、翌朝から仕事へと出かけていった依姫を見た時には、豊姫は開いた口が塞がらなかった。

 理由を聞くのが怖くて、結局数日経った今こうして聞いてみたのだが……、それでもまだ疑問は尽きない。



「そういえば、九十九も次の日に挨拶をしたら唖然としておりましたが」

「それはそうよ……」



 人によっては好意が悪意に変わってもおかしくない出来事であったのに、依姫はそれを微塵も現すことも無く、何事もなかったかのように、九十九と接したのだ。

 我が妹ながら、何処で育て方を間違えたか、と思えてならない豊姫であった。



「? 何か不思議な事でも?」

「……いいの。あなたが気にしないのなら、私も気にしない事にしたわ」



 過ぎてしまった事は仕方が無い。今後それを気をつければ良いのだ。

 そういえば、自分もその手の経験は皆無であったと思う豊姫は、どうすれば妹の力になれるのだろうかと頭を抱える事になる。



(……あれ、そういえば、私や依姫は兎も角として、永琳様にもそれらしい話は―――)



 恐怖。

 悪寒どころの話ではない。彼女は一瞬にして、身体を舐め尽くす様な死の幻影に襲われた。

 堪らず両の手で自身を抱き、その場に蹲る。



「姉上、如何なさいましたか」



 心配する妹に、大丈夫だからと、とりあえずの返答をした。

 止めよう。

 もはや何を考えていたのかも思考から消去した豊姫は、未だ冷え続ける身体に鞭打って、何とか立ち上がった。



「……大丈夫よ依姫。お姉ちゃん元気。超元気。今なら一回目で金閣寺クリア出来そうだもの」

「は、はぁ……それならば良いのですが……」



 上手く笑顔を造れていると良いのだが。

 自分でも何を口走ったのか覚えていない発言は気に留めず、妹の反応を見るに、とりあえず話しを流す事には成功したようだ。

 今ひとつ納得しない妹を置き去りにし、姉は何とか気分を入れ替えた。



「……―――よ、依姫様ぁ~!」



 と、後方より名を呼ぶ声が聞こえる。

 周囲で働いている者達と良く似た格好をしたその者―――レイセンは、パタパタと足音でも聞こえてきそうな足取りで近づいて来た。



「おぉ! レイセン、こっちだ!」

「あら、あの子の事、もう使ってあげているの?」



 手を振りレイセンの声に応える依姫に、姉が話し掛ける。

 未だ距離は遠い。

 少しだけならば、彼女に聞かせたくない会話をしても、問題は無いだろう。



「はい。今は人となりを把握する為に、様々な方面で働かせ、観察しています。完全に綿月家の私兵のような立ち位置になってしまいましたが、存外悪くはなさそうです」

「あのままだったら、死んでいたでしょうしね。……どう? 使えそう?」

「そうですね……。飲み込みが良く、機転も利きます。軍曹にまで上り詰めていただけあって、体力面でも優秀な部類、と考えて良いでしょう。多少、他人との関わりに壁を作る節がある事と、例の件の原因にもなった、命の危険に晒された場合は途端に弱腰になりますが……。それ位でしたら、矯正出来る範囲かと」

「なるほど……。それで、アレが言っていた事は?」

「能力開花の兆しは、まだありません。もう少し時間が取れましたら、戦闘訓練を実施しようかと思っています」

「そう……。やはり、あなたの力を使って?」

「いずれは」



 レイセンが聞けば恐怖で顔色が変わっていたであろう話し合いは、幸か不幸か、彼女の耳に届くことは無かった。

 息を切らしながら何とかこちらへと到着したレイセンを、依姫は優しげな表情で出迎えた。



「お、お待たせしました。指示された物は、全て運ぶ準備が完了しました」

「ありがとう。来てすぐで悪いが、早速実行してくれ。九十九に宜しくな」

「は、はい。……では」



 玉兎は苦渋の表情を一瞬浮かべ、同じく一瞬でそれを飲み込んだ。

 世話しなく遠ざかる後姿を見つめながら、豊姫は、一体何の事かと尋ねた。



「何をさせているの?」

「九十九に、鉱物系の収集を頼まれまして。先にも言いました、武具を作る材料にするのだとか」



 一体、何が仕上がるのだろうか。

 武具と言うからには戦いの為の道具であるのは間違いないのだろうが、それが一体、どのような効果を発揮するのか。知る者は九十九と、その彼に呼び出された異形の者の二人のみ。

『絶対に害は為さない。むしろ月の為になる』という彼の言葉を永琳と輝夜の二人―――主に後者―――が受諾し、最新の機材の揃う施設と、実験場として、荒野の一つを開放した。

 その荒野は【宝石鉱山】の他にも、様々な施設や建造物が突如として出現した魔窟と化し、これまた何の痕跡も残さずに消え去るのだ。事情の飲み込めぬ者達からはたいそう気味悪がられ、あるいは恐れられているのは知っている。

 反対意見など、それこそ無数に挙がった。

 だが、蓬莱山の勅命と月の頭脳の意志が絡むそれに、誰も抵抗出来ず、今に至る。



 そんな魔窟で、これらを作り出した張本人の負債を回収するべく、訓練の一環も兼ねて発掘作業に精を出している月の軍と、その指揮に勤しむ綿月豊姫は、今日、初めて溜め息をついた。

 こちらの不快感を真に受けて右往左往するアレを見ると、少しだけ心が軽くなるのだが、その様子を冷静に思い返してみると、何とも幼稚な嫌がらせレベルの仕業ではないか。と、自身の幼さが情けなくなった。

 永琳様も、輝夜様も、預かった玉兎はそこまで気に掛ける存在ではないが……、あの妹でさえ、もう既に思考を入れ替えて、これから為すべきことに邁進しているのだ。

 いい加減、こちらも心を改めて、建設的に過ごそうではないだろうか。



「分かりました。では、あなたは引き続き、作業に戻りなさい」

「はっ」



 恐らく、我が妹が玉兎達と一緒に働くのも、これが最後になるだろう。

 本来ならば軍服に身を包まなければならない立場になった依姫であったが、初日から周囲の懇願によって普段着とも言える着慣れた衣類にて業務をこなす羽目になり、あっという間に兵長になってしまった。

 これでは何の為の降格なのかと当人は不服を漏らすだろうが、姉としては不安に思うと同時、安堵も込み上げてくる。

 近い将来、依姫は上層部の意思に巻き込まれる事になるのは確実。

 今は事態を把握出来ないが為に静観を決め込んでいる彼らだが、しばらくすれば、絶対に行動を起こすのだ。

 その時に、我が妹は良い様に使われるに決まっている。

 面白くない。むしろ、不快だ。回避せねばならない。



「永琳様にも、ご指導を頂ければ……」



 庇護とは、いつか巣立つ為のもの。

 自由に羽ばたく為に、今の内に学べる事は全て学んでもらう他は無い。

 戦闘面では問題は無いので、政略や知略といった方面を重点的にしなければならないだろう。

 月の姫の指南役に助力を請う事も考慮しながら、豊姫は軍務に精を出す者達の中に加わった。

 手を動かし、指示を飛ばし。

 一切の無駄を発生させぬように、神経を研ぎ澄ます。

 このペースでは、存外短期間に目標量の鉱物を回収出来るだろう。

 それが、アレの地上へ戻るまでの時間。

 だが、もっと作業を早められないか、と思う。一日でも早く、一秒でも早く。迅速に。

 ……どうにも、嫌な予感がするのだ。

 何、と具体的な根拠の無い、全くの直感。

 具体的には女の感。更に言うなら姉としての感。



 妹が奪われる。



 もはや誰とは言うまい。

 予言めいた確信によって、その姉は一刻も早く作業を終わらせなければという決意を固めるのだった。




 ―――だが悲しいかな。嫌な予感ほど良く当たるジンクスは、穢れの無い、ここ月においても健在のようで。

 何故依姫は、すぐに立ち直れたのか。

 ここを良く確認しておけば良かった、と。

 後悔先に立たずの言葉を噛み締めながら、豊姫は口惜しげに呟く日は―――近い。





[26038] 第39話 力の使い方
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/07/25 00:25






 荒い息が周囲を満たす。

 一直線に伸びる、赤白の道。陽炎の幻影。空間の歪み。

 それになぞる形で地面は抉れ、捲り上がり、溶解し。歪な岩山のオブジェを幾つも突き立てていた。

 音源の主たる者は、滴る汗を拭いもせずに、大の字になって、ひんやりとした地面に熱を奪わせている。

 上下する胸は平均以上にその存在を主張しており、その者が女性であるのだと、これでもかと言わんばかりに誇示していた。

 薄紫の髪を顔に張り付かせて、荒々しく呼吸を繰り返すその者―――依姫は、手にした刀を最後の力を振り絞って鞘に収めた後、『もう動けない』と、再び大の字を体で表現した。



「……やはり……ありえんな、これは。彼の世界を薙ぐという炎の魔剣ですら、これに及ぶまい。……よく私はこれを受けて無傷だったな……。今更ながら、悪寒が止まらんぞ」



 それでも何とか話す気力は残っていたようで、息を弾ませながら、話す言葉とは裏腹に、彼女は楽しそうに。

 呆気に取られている―――この事態を仕組んだ一人へと話し掛けたのだった。



「お前どんだけ全力なんだよ! 初めは徐々に慣らしていくもんだろうが!」

「そうは言うがな、九十九。こう……込み上がる力を抑え切れなかったのだ。年甲斐も無くはしゃいでしまったよ」

「知らんがな……」



 頭を抱える彼を気にもせず、依姫は愉快だと笑い飛ばす。



(やりすぎだぜ、よっちゃん……)



 これも贖罪の一種なのだろうか。何だか骨の髄までしゃぶり尽くされている気がしないでもない。

 内心で、既に渾名レベルの呼称へと変化していた月の軍神様に、俺は失敗したかと後悔の念に襲われ始めていた。





 工房に篭って幾日か。

 いい加減、俺に手伝える事もなくなって来て、ぼんやりと、邪魔にならないよう遠巻きに、玉兎達の発掘作業を眺めていた。

 朝から学校をズル休みするような気分に浸っていると、唐突に、依姫がこちらへやって来た。

 正直、顔を合わせずらい。彼女の姉以上に。

 誰が好き好んで、婚約を断った相手と会いたいというのか。

 しかし、そんな俺の葛藤など知ったことかという風に、依姫は、何事も無かったかのように話し掛けて来た。

 まさかの政略結婚―――依姫本人が暴露―――を持ち掛けられた時には、色々と考えたものだ。

 依姫の旦那、という言葉を連想した直後の彼女を見る俺の目は、さぞ欲情に染まっていた事だろう。

『我が世の春が来た』あるいは『桃源郷を見つけたり』的なものが戦隊組んで一個小隊分くらい突進して来たようなものだ。

 イヤらしい目線を向けてしまったが、それ以上に及ばなかったのだから、何とかその辺は許して欲しいと思いたい。



「暇か?」



 あまりに完結に用件だけを伝えられたせいで、うん、と即座に頷いてしまった。

『そうか』と言って、黄昏少年になっていた俺をズルズルと引き摺って辿り着いた場所は、工房や【宝石鉱山】からは幾許か離れた、荒れた大地であった。

 何でも、俺に負けてしまった事を教訓として、自分を鍛えたいのだという。

 だが、自分で行える鍛錬に限界を感じていたらしい。こと目指す目標がジェイスやらマリさんやらの打破なのであるから、仕方の無い事だろう。

『付き合って欲しい』とストレートに言われた時には胸の鼓動が一足飛びに上昇したが、話を聞いていく内に、あぁそっちの付き合うね、と理解出来たのは、幸いだ、と思った方がいいのか悩むところだ。……このフレーズは前にも何処かであった気がするが、さて……。

 夕日をバックに自主トレに励む野球部エース……を見つめる女子マネ宜しく(勿論、女の子ポジションは俺)。

 様々な神を呼び出し、能力を借り受け、行使する彼女は、それは美しく、恐ろしく、純粋に、いつまでも見続けていたいと思ったほどだった。



 で、そこで、ふと思ったのだ。依姫の能力は、何処まで解釈の幅があるのか、と。

 大層に考え付いたものの、俺が思いついた事は二つだけ。

 一つは、行使出来る神の力は一度に一神だけなのだろうか。という事。

 これは当人によって、すぐに答えが分かった。

 やはり二体以上の同時使役は難しいらしく、



「今は無理だ」



 との事。



(……今は……ねぇ……)



 発展途上ですか、そうですか……。無限進化とか主人公の必須スキルじゃないか。羨まけしからん!



 で、もう一つの提案は、見事に成功したのだ。

 俺の目の前の光景……というか惨状が、それをしっかりと教えてくれている。



「依姫の『神々の依り代』になる能力によって、あんたが召喚した【マリット・レイジ】の力を引き出す。面白い試みだなぁ、と思って許可しちゃったけど……」



 隣で俺と同じ様にしていた月のお姫様が、ぼそりと漏らす。

《月面騒動》もかくやな戦災跡に、唖然としながら傍観していた輝夜だったが、それは最後まで言葉が続かない。

 少し離れた場所で、その【マリット・レイジ】は“未だに”凍土の大地へと封印されている。

 永琳さんの戦力提供案によって、マリさんに順ずるくらいのクリーチャーなりを言われたので、『じゃあマリさんを』、という感じで、全ての問題に答えが出た形になった。

 色々考えた結果、マリさんが【トークン】である事から維持費など有って無いようなものであり、全長キロに届きそうな【マリット・レイジ】を地上ではホイホイ使う訳もいかないだろう、と、月防衛を手伝ってもらう方針を固めたのだ。

 ……ただ困った事に、PWの制限に加えて新たに判明した制限が、どうもデッキ名を唱えて呼び出した存在は、PWと同様に一日しか滞在出来ない+一度しか呼び出せない、との制約があるようだ。





 ●デッキ名を唱えて呼び出したカードは、一日しか滞在出来ず、二度と同名のデッキを使用する事が出来ない。





 絶句に近い衝撃だったのは記憶に新しい。

 結構勘弁して欲しい制限だと思ったのだが、通常の事態ならデッキを使わずとも対処出来る場面の方が多いのだから、と自分を納得させた。

 そういう事態になってしまったので、仕方なしにコンボなどではなく、普通に【暗黒の深部】をセットして、徐々にマナを注いで封印を取っ払っていっているのだが……。



「まさか封印解けてないのに呼び出せるとは思わんかったもんよ……」



 だってさー、マリさんって神と呼ばれているだけであって、神じゃあなかった筈だもん。

 MTGでは、クリーチャータイプにゴッドとかそんなもんは無い。

 似たようなもので【アバター(化身・象徴・権化)】みたいなものならあるが……あれか。【伝説】が神として該当でもしているんだろうか。

 ……あれ、そういや神の定義って何だろ。信者が居る時点でそうなのなら、マリさんはまさに神だと言えるということか。



「あんたが呼び出したんでしょうが。無責任な事言ってると、また《月面騒動》の切欠が生まれるかもしれないわよ」

「……そうでした。考えなしに色々やった原因の一端があれでした。すいません」

「うん、分かれば宜しい」

「……というか、だな」



 気だるげに、顔を横へ向ける。

 そこにはゲームの中でよく見る十二単モドキのピンクな服に身を包んだ輝夜が、俺と同じく月の大地に足を投げ出して、腰を下ろしていた。尻、汚れるぞ。

 何だか、川原でやってる草野球を土手から観戦する通行人みたいだ。

 ただそれと違うのは、観戦対象が一人軍事演習な依姫である事と、一人ではなく月のお姫様が隣に居る事。後は空が青いとかそういう次元ではなく、星空である、くらいが違和感の正体だろうか。



「お前、ここのお姫様だろうが。何でこうして依姫の練習眺めてんだよ。仕事しろ、仕事」

「こうしてボケっとしてるあんたに言われたくないわ。それに私、まだ姫じゃないもの。近い内には即位するでしょうけど」



 聞けば、やらなければならない事は全部終わらせてきたそうだ。ぬぅ、しっかりやる事はやったのか。

 久々に全力を出した、という事らしいのだが、一体どう全力を出したのかは、生憎と俺には分からない。



「永琳さん嘆いてたぞ。『普段からそれくらいしてくれれば』って」

「嫌よ面倒臭い。新しい事だったら構わないけど、ただの反復なんだもの。変な話よね、一度やった事なんだから、忘れる訳ないじゃない」

「……今、お前はほぼ全ての人類を敵に回す発言したぞ」



 何が? と小鳥が首を傾げるような仕草を見るに、本当に分かっていないっぽい。

 天才め! この弩畜生が! お前に勉学に励む受験生の気持ちが分かってたまるか! 主に俺の気持だがな!



「んで、そんな鬼才を持つお方は何故にここにいらっしゃるので?」

「楽しいから」



 あぁもう、この我が侭娘め。

 神奈子さんに続く唯我独尊なお方に眉間に皺を寄せていると、体力が戻った依姫が、こちらへ近づいて来た。

 まだ足取りは不確かなようだが、それでも体からは気力が満ち満ちているのが分かる。楽しそうで何よりです。



「如何でしたか、輝夜様」

「素晴らしいわ。継続力に疑問は残るけれど、それを差し引いても及第点でしょう。ただ、もう少し小回りよく出来ない? あれでは使いどころが限られ過ぎてしまうわ」

「今しばらくお時間を頂ければ可能です。現在は、今にも体が弾け飛びそうな程に力が漲っておりますが、もっと彼女の事を知れば、大分馴染む事でしょう」

「お前が『凄いなこれは! 我慢出来ん!』とか嬉々として言った時にゃあ、マリさん還そうかと思ったくらいだぞ。もう少し落ち着いてやってくれよ」

「そうは言うがな、この今にも溢れ出しそうな程のこの力は、かつて降ろしたどの神にも勝るものだ。……その、だな」



 顔を伏せて、依姫は上目遣いでこちらを見た。



「……初めてだったんだ……許して欲しい……」

「ぶっ!」



 コーヒー飲んでなくて良かった。危うくコーヒーフイタ状態になるとこだった。

『うわ汚』と輝夜が嫌そうにこちらを見る目線すら気にならない。

 普段の俺ならそういう方面には捉えないのだろうが、一応は婚約する可能性があった相手の言う台詞なだけに、要らん妄想で、脳味噌がピンクよりになっているようだ。

 こいつはホント……。





「まぁ次からは大丈夫そうだから良いけどさ……。マリさんの力を使えてるようだけど、それって今の破壊光線みたいなものだけなのか?」

「いや、後は、例の絶対硬度の域にまで達した体と、周囲の感情やら温度やらの熱を簒奪する力のようだ。そして……」



 不意に、依姫が地面へと優しく添えたかと思えば……。



 ―――突如、彼女を中心に大地が陥没した。



 浅く、広く、一瞬で。

 こちら側にも亀裂が走り、僅かにではあるが、所々の地形が隆起している。

 半径数メートル四方の地面が、とても愉快な状況になっていた。



「これが彼女の基本性能なのであろう。『ガルダ』も驚く筈だ。この力は『アトラス』と、どちらが上であろうな」



『ガルダ』はインド辺りの神様で、『アトラス』は……何処だったっけか。天上を支えていた神様だって記憶はあるんだが……。

 つまりあれか。今依姫は、第二の【マリット・レイジ】と言っても良い存在になっているのか。

 20/20の圧倒的基本性能は勿論、【ダークスティール】化と、【マリット・レイジの怒り】を使えるという。

 本来ならあまりに強大な力は自分を削る諸刃の剣になるようなのだが、【ダークスティール】化の恩恵で、それも大分軽減されているそうだ。何その反則【シナジー】。

 依姫の力が何処まで性能を発揮するのか興味が尽きないが、これはまた、意図せずしてMTGの新たな一面を垣間見る機会が訪れたものだ。



(これって、下手すると他のクリーチャーやらの力も使えるって事じゃねぇか)



 この場合は『上手くいったら』と捉えるべきだろうか。……どっちでもいいか。

 依姫曰く、事前に【マリット・レイジ】と顔見知りであったのが、実に簡単に力を借りられた要因であるそうだ。

 未だ氷の大地にて熟睡しているマリさんに呼び掛けて、『あ、あなたはあの時の……』みたいな遣り取りの後、こうして無事、よっちゃんの能力が発動するに至った訳である。

 ただどうも、俺がカードとして呼び出していないとそれは実行出来ないようで、【暗黒の深部】を展開する前の段階では、呼び掛ける相手が見つからなかったそうだ。



「上手くいったらダブル【マリット・レイジ】とか出現するって感じになるのか……」



【伝説】ルールによる対消滅とか制約はありそうだが、もしそれをクリアしたのだとすれば……。

 恐ろしや、東方プロジェクト。恐ろしや、マジック・ザ・ギャザリング。

 ―――【マリット・レイジ】様・二人。……とか、何処の緋色の蜂様だっつーの。

 例の【コンボ】、【ヘックスメイジ・デプス】ですら2マナを使って【暗黒の深部】の封印を解かなければならないというのに、依姫の力を使えば、そのマナすら要らなくなると来たもんだ。

 いやいやいや、それを言うならPWたる【ジェイス・ベレレン】二人、なんて可能性もあるのだ。



(そういう方面でのカードの活用法は考えてなかったなぁ)



 MTGと東方キャラの【シナジー】。

 ……ちょっと奥様。ワタクシ、これだけでご飯三杯頂けますことよ。



「……ねぇ」



 不服そうな顔をして、輝夜が俺に話し掛けて来た。



「何だよ」

「あれ、私もやりたい」



 ……はい?



「あれって……あれ?」

「そうよ」



 指差すは、破壊され尽くした月の大地。

 怪訝な顔をする依姫だったが、お前は人のこと言えないんですよと突っ込みたくなる。

 この場合のあれとは、つまり、【マリット・レイジ】に他ならず、したい、という言葉を彼女の正確から考えるに……。



「俺の能力を使ってお前を楽しませろと?」



 依姫のような、助力や力の上乗せ―――仕事に役立てたい系では無いのがミソです。



「だってずるいじゃない。依姫だけ楽しんで、私には何も無いんだもの」

「そりゃそうだろ。今のはたまたま俺の思い付きが成功しただけで、別に、初めからこれが目的で能力使ってた訳じゃないし。というか別に楽しむ目的でやった訳じゃねぇですよ」

「じゃあ、今から(私が)楽しむように考えなさい」

「ヤダ」



 交差した視線が火花を散らずが、どちらからともなく、疲れたように、俺達は顔を下げた。

 不毛な事この上ないのは、互いに良く理解……してしまった間柄であるが故に。



「……あんたさ、一応、私は月の姫なのよ? それを何? 誠意の欠片すら見せないで接するなんて。少しは敬うって言葉を知らないの?」

「……姫“予定”だろうが。自分で言った癖に都合の良い時だけ、都合良く使い分けやがってからに……。それに、お前が敬われる存在かよ。我が侭全快のはっちゃけ娘にしか見えねぇぞ」

「―――口煩し、そこな者よ。我は蓬莱山なるぞ」

「……いやね、だからって急に威厳に満ちた態度されても困るんだが。というか今の流れで何で厳かな雰囲気を纏えるんだよ。普通はギャグにしかならねぇ筈だぞ」

「積み重ねてきたモノの、桁が違うわ。……でも、これ詰まんないのよ。こんな態度取ったって、面白かった事なんて殆どありはしなかったんだから」

「……基準が面白いか否か、ってのが、俺としてはビックリなんだがなぁ」



 やっぱりある程度の水準が揃っている者にとっては、最終的には自分の好みが行動を左右するようだ。

 食い扶持を稼ぐ為に汗水垂らしながら、嫌いな事の方が多かった仕事をこなしていた日々を思い返すと、何とも言えない気分になってくる。




「ま、あれだ。機会があったら、一人暮らしとかしてみると良いかもな」

「一人暮らし?」



 え、何その反応。



「依姫は知ってるだろ? 一人暮らし」

「……単独で生活を送る、という事か?」

「……」



 月が異常なのか。こいつらが異常なのか。それとも、そういった単語や言葉が無いだけなのだろうか。

 てめぇらにモヤシ殿下とパスタ閣下のコスパ最強伝説を教示してやろうか。

 ……ああでも、こいつら何だかんだでパラメーターの数値が色々とチートだから、食うには困らないんだろうな。仕事無かったら、自分で会社とか立ち上げそうなお人だもの。泣けるぜ。



「あ、あの……」



 ふと、視界に写るは、ウサミミ姿の女の子。いつの間に。

 声を掛けられた依姫が、彼女に向き直る。



「レイセンか。どうかしたのか?」

「は、はい。例の品の準備が完了しました。特設工房の方に用意してあります。その―――」

「……あぁ、分かった。すぐ向かおう。輝夜様は如何為されますか?」

「丁度良いから私も行くわ。九十九が呼び出した者にも会ってみたいし」



 ここで待っていて。と、そのまま二人は居なくなってしまった。

 残される俺と、呆けるレイセン。

 我に返ってこの状況に気づき、居心地の悪そうにそわそわし出すウサミミ娘の気まずさが俺にも伝播し、堪らず声を掛ける。



「あのさ」

「っ! は、はい」



 未だに警戒心MAXですか。ちょっと悲しいですよ。



「だから、もう何もしないって言ったじゃないか。すぐに信用するのは無理だろうが、そうも露骨にやられると、結構くるもんがあるぞ」

「すい、あ、も、申し訳ありません……」



 ダメだこりゃ。

 こうも怯えられると、俺の対人スキルでは対処し難いことこの上ないのだが、だかといってここで会話を終わらせても、それはそれで沈黙の中で溺れてしまいそうだ。

 対話を諦めて、質問形式に切り替えよう。

 返事は少ないだろうが、それでも言葉を交わす行為にはなる。

 そこから何かが切欠で、少しでも状況の打破に繋がれば良いんだが……。



「ん、っと……。綿月家はどうだ? 何か不自由は無いか?」

「ぁ……はい……。豊姫様も、依姫様も、大変良くして頂いて……」

「そっか。豊姫さんもか……良かった……。あの人達は良い人だからな。もし辛い事やら何やらがあったら、相談してみると良い。得に依姫なんかは立場とか関係無しに、親身になってくれる筈だ……ぞ?」

「……分かりました」



 ……つ、続かない。続かないぜ、こりゃあよぉ。

 何か話し終える度に俯き、顔は勿論、視線すら合わせようとしないレイセンに、二三しか遣り取りをしていないというのに、脳内の俺は既に膝を折っていた。



(くっ、根性だ俺! こんな時こそ馬鹿になるのだ!)



 何か違う気もします。

 というか。

 彼女は一秒でも早く、俺から離れたがっているだけなのだろうと想像出来る。

 根本にある目的が噛み合っていないのだから、最初の一歩から躓いた感は拭えないものの、それでも俺が関わりを持とうとするのは、東方プロジェクトという括りの中でも比較的愛着のあるキャラであるから。という理由もあるのだが……。



(そんな辛そうな顔されてちゃあ、なぁ……)



 怯え、竦み、縮こまり。

 前に組まれた手は硬く結ばれて、今にも爆発してしまいそうな感情を必死に抑えながら、それでも、今度こそは失敗するまい、という決意を胸に、どうにかこの場に踏み止まっているのだと、横から見えた彼女の瞳から読み取れた。

 彼女は今、必死の覚悟で失敗を取り戻そうとしている。

 何となく、分かる。彼女の中には、俺への謝罪の気持ちは殆ど無いのだと。

 現に、何度かこうして話す機会がるというのに、一度たりとも謝罪や、それに順ずる行為を受けていない。

 お前さえ来なければ、お前さえ居なければ。

 そう思っているのだろう。

 けれど月に生きる者として、既に決定されたルールに従う他、レイセンが生活出来る選択肢は無い。

 受け入れるしかないのだ。それを。



(苦労人……自業自得……ふむ……)



 脳内会議を開廷。

 対象はレイセン。一発ぶちかましてきた張本人。

 既にある程度の考慮をし、綿月家に預けるという形での助力を行った。

 これ以上の手助けは不要か、否か。

 ―――ふむ。

 ―――ふむふむ。

 ―――ふむふむふむ。

 ―――よし。



「なぁ」

「……はい」



 苦痛だ。と、表情からありありと読み取れる。

 だからそれを止めれ、っちゅーに。

 腹芸苦手そうだなぁ。出世、出来ませんよ。したいかどうかは知らないけれど。



「ちょっと、目、閉じて」

「っ!」



 ちょ、ビビるな! 引くな! 一歩下がるな!



「そうじゃねぇから! 本当に何にもしないから!」



 涙腺崩壊、秒読み段階です。

 何でこんなに臆病なのに、俺への先手は誰よりも早かったんだろうか。それとも臆病であったからこその、あの行動だったんだろうか。

 一歩下がった場所で、震えながら言われるがままに何とか目を閉じる彼女に、これで少しは気分が晴れてくれれば良いのだが。という思いと共に、とあるカードを使用する。

 依姫が世紀末世界へと変貌させた場所だ。

 今更、何をどう弄っても大して変わらないだろう。



(んじゃ発動っと)



 そういえば、このカードを使うのは、何気に初めてになるのであったか。

 MTGでも基本中の基本なカードであったのだが、まぁ出た場所がそれを必要とする場面の少ない土地であったのだから、当然といえば当然か。

 今から使うカードは、何十……いや、何百にも及ぶ種類がある為に、どれを出そうか迷ったものの、とりあえず、何となく思いついたものを出す。

 荒れ果てた大地を一瞬で光が包み込み、瞬く間に世界を作り変えた。

 我ながら、相変わらず凄い力だと再認識。

 同時、これで少しは気分が変わってくれれば、との思いと共に、レイセンへと声を掛けた。



「目、開けていいぞ」



 恐る恐る開かれた赤い瞳は、僅かに涙で濡れている。

 絶望を目の当たりにするのが怖いとでも言う風に、ゆっくりと瞼を上げた彼女であったようだが……一転。

 レイセンはあらん限りにその目を見開き、言葉も忘れて、ただ見入る。

 空気を欲する魚の如く、声にならない声をパクパクと口を動かす事で、表現しているかのようだ。

 この様子では、とりあえずは驚いてくれたようだ。良い意味でか分かる意味でかは、も少ししたら当人に尋ねてみるとしよう。

 と。



「九十九、今戻った……」

「結構重いかと思ったけど、そうでも無かったわね。ってどうしたのよ依姫……え?」



 丁度、輝夜と依姫が戻って来たようだ。

 ふむ。ナイスタイミング。

 誰もが唖然とする中で、俺はそんな彼女達の、三者三様の反応を楽しんだ。



「……九十九。これは」

「説明しなさい。何をしたの、あなた」



 依姫の言葉を遮って、輝夜は説明を求めて来た。



「あれ、もしかしてこの場所って弄っちゃ不味かったか?」

「そうじゃなくて! 何でこんな事をしたのかって聞いてるのよ!」

「大した意味は無いんだが。ちょっと……だな……。レイセンに喜んで貰おうかなー? って」

「……呆れた」



 目を瞑って、輝夜は首を振る。眉間に皺寄ってるよー。



「九十九、……あれは……その……触っても大丈夫なのか?」



 驚き状態から復帰した依姫が、何やら興奮気味に尋ねて来た。



「ん、あぁ。俺も出すのは初めてだから断言出来ないが、多分大丈夫だろ」



 聞くや否や、依姫は徒歩と小走りの間のような速度で、そこへと踏み入っていった。

 だが、残念。

 生憎とそれを許した覚えは無い。



「待て!」

「っ! ダメなのか!?」



 悔しそう、ってか残念そうな顔だな。お預けくらったワンコみたいだ。

 ……犬属性? アリだな!



「少し待ってくれよ。一応、こういうのは初めが肝心なんだから。多分」



 そう言って、不満気な依姫から視線を切り、未だに唖然としているレイセンへと顔を向ける。

 仮にもレイセンの為に召喚したのだ。

 まずは彼女に味わってもらわなければ、その意味も薄れてくるというものだ。



「さ、レイセン。どうぞ」

「ど、どうぞって……」



 ふむ、これは中々。

 悲しげな顔も、涙で濡れる表情も、それはそれで……。とも思うけれど、やっぱりダウナー系の感情維持は宜しくない。たまにで良い。たまに、で。



「お前の為に出したんだ。好きにしろ嫌いにしろ、とりあえず感想を聞かせてくれよ。ってことで、まずは体験してきて下さいな、っと!」

「きゃっ!」



 依然として突っ立っている彼女の背中を軽く押す。

 軽い。

 こちらの腕力に簡単に屈して、その身を前へと躍らせた。

 元々の立ち位置が小高い丘であった為に、坂の勾配になぞって、レイセンはその足を進ませる結果になった。



「今なら便利な足付きですよ、ってな! カモン【ターパン】!」



 かつてお世話になった1マナの緑クリーチャーを呼び出し、レイセンの付近へと出現させる。

 突如として現れた馬に、再度驚愕を表す彼女であったが、それを気にする俺でも、【ターパン】でも無い。

『久しぶり~』と念話で【ターパン】に軽く挨拶し、すぐに呼び出した目的を遂行してもらうべく、お願いをした。



「そいつの足になってやってくれ!」

「え、何、あ、わっ!」



 既に念話で詳細な意図は伝えてある。

 軽く嘶き、【ターパン】はレイセンの襟首を加え、自らの背中に器用に放る。

 くそぅ、俺も最初はああして貰えば騎乗する時は楽だったか。今度からは、そうしてもらおうと決めた。

 そのまま慌てふためく彼女を他所に、こちらの指示通りにカッポカッポと踏み入っていく【ターパン】とレイセンを、依姫が何とも口惜しげな表情で見つめ続けていた。



「九十九」



 輝夜が俺の名を呼んだ。

 声色から察するに、詳細に事情を説明しろって事なのかとあたりをつけながら、返事をする。



「何だ」

「あんた、今度は何の力を使ったの」



【ターパン】の事では無いだろう。

 然るにそれは、目の前に広がる【土地】の説明に他ならない。



「これといった名称は無いんだ。単純明快、これは【森】だよ」



 死の大地は変貌し、生命を育む土地へと変質していた。

 立ち並ぶ木々の幹は太く、それらの足元を埋める草木は所狭しと生い茂る。

 時折聞こえる泣き声は、鳥か。

 それは地上にて、決して欠かせぬ命の循環の一端を担う役割を持つ地が、ここ月の大地に現れたのだと誇示していた。










『森』

【基本地形】に部類される【土地】の一つ。【タップ】する事で緑のマナを一つ生み出せる能力を持つ。五色の一角、緑を代表するカードである。

 MTGにおいて【基本地形】とは、まず欠す事の出来ないカードであり、それは幾年にも渡り、様々な絵師の手によって描かれて来たものである。

 ある時は冬の情景と共に。またある時は、荒廃した世界を覆う生命として。

 多くのテーマや世界観を元に表現されているこのカードは、緑使いのプレイヤーにとって、最も馴染みのあるカードである事だろう。











「【森】……ねぇ」

「何だよ。それ以外の名称なんて無いぞ」



 やけに時間の掛かる長考。

 その割には返って来た言葉は呆気ないものだった。



「……ま、別に良いんだけど」



 良いんかい。



「ねぇ九十九」

「うん?」

「あんたさ、ここで―――月の都市って、見て回った事、ある?」

「そんなには。永琳さんの実験場やら研究所やらに行く途中の道くらいだな」

「そう……」

「何だよ、喉に物がつっかえたような口振りは」

「あんたが規格外ってのが、また一つ分かったからよ」

「おぉ。なら、もっと丁寧な対応を俺にしてくれても良いのだぞよ」



 偉そうな口調ってこんなんだったか。

 ふふん。慄くが良い。

 これが俺の持つ(貰い物の)力だ!

 ドヤァ……



「嫌」



 て、てめぇ(ピキピキ



「九十九!」



 少し遠くから、何かを堪える様に声が発せられた。

 忘れてた。

 そういや依姫にお預けしたまんまだったんだ。



「あ、うん。もう良いかな」



 レイセンも先行した事だし、一応、これで義理立ては出来ただろう。

 こちらの返事も待たずに、そのまま目を輝かせて、【森】へと突貫していく戦女神。

 どっちかって言うと、それは輝夜がやりそうなもんだと思っていただけに、横で例の光パネルで何処かに連絡をしている彼女を見るに、若干の肩透かしを食らった気分になった。



 久々に嗅ぐ、濃厚な木と土と木漏れ日の匂いに、郷愁の念が頭を過ぎる。

 時間も余っていて、俺を呼び出した依姫は、森林浴にでもしに行ってしまった。そのままトト□にでも出会いそうな雰囲気で。

 このまましばらくは戻る事は無いだろう。

 出来るだけ早く帰りたいな。と思いながら、俺は気分転換に昼寝でもするかと、寝心地の良さそうな場所を探すべく、【森】の中へと踏み入って行った。











 こうまで露骨に見せ付けられると、一種の諦めの境地に至るようだ。

 達観、という言葉を実感しながら、それを実行した当人に気づかれる事なく、目の前の光景にただただ見惚れ、言葉を忘れた。

 映像としては幾度か見た事はあった。

 ここ月にも、単体や、数えるほどの集合体としてのソレならば点在しているし、格別珍しいものでは無い筈なのに。



 言葉が出ない。

 それほどまでにこの光景は感情を激しく揺さぶり、記憶や思考などのレベルではなく、やはり自分達は地上より生まれ育ったのだと、魂の部分で理解出来るものであった。

 大気の循環を助け、あるいは雑多な生命を育む機能の一端を担う、木の集合体―――【森】。

 視界一杯に広がるそれは、私や依姫、レイセンにとって、月で生まれたからには一生見る事の出来ない光景であるのは間違いないものである。

 月でも当然、研究か郷愁の念からかは知らないが、これらの光景を再現すべく研究が行われてきた。

 けれどそれは、生み出すだけならいざ知らず、土地の―――地上との成分の違いによって、広範囲に分布されるのは困難だと結論付けられていた。

 私や永琳、綿月達の家にも、ある程度のものならある。

 けれどこれはその数百倍……数千倍……いいえ、比べるのもおこがましい程に、命の営みが感じられた。

 地上と月の大地では全く環境が違うのだから当然だとして、木、だけならず、これらを見るに、土すらも出現、ないし変質させてしまったようだ。

 この環境を構築するには、月の民の感覚を以ってしても、決して短くない年月が必要であると思っていたのだが、今こうして目にしている現実を見るに、それも疑わしくなってくる。



(永琳やおじ様なら、懐かしいって思えるものかもしれないけど……)



 我が師や、それに順ずる者達はかつて、これ程の存在の中で過ごしていたのか。

 命というものを、言葉でも思いでもなく、肌で感じるとはまさにこの事。



(夢か幻か。【宝石鉱山】だけじゃなくて、生命すら自由自在って言いたい訳?)
 


 漂う濃厚な生命の香りに、えも言われぬ感動が湧き上がる。

 叫び、走り、がむしゃらに体を動かしたい衝動を懸命に抑えながら、レイセンや依姫の後を追うように【森】へと入ってゆく九十九を眺めていると……、



(え、寝るだけ?)



 一本の巨木の陰に横になったかと思えば、そのまま目を瞑り、動かなくなってしまった。

 疲労困憊である様子もなく、ただ純粋に寝入っているだけなのだと分かる。

 ……ふと、先程の九十九の発言を思い出した。




『【森】……ねぇ』

『何だよ。それ以外の名称なんて無いぞ』



 それはつまり、【森】を―――少なくともあいつ以外の複数名が知っている事になる。

 そしてあの口振りから、それは決して特別な事ではなく―――



(……もう、止めよう。あいつについて考えるの)



 少なくとも、今は。

 新しい事は大好きだが、こうも常識から掛け離れている事態が連発すると、思考がストライキを起こすのだと判明した。貴重な体験だ。



 初めて目にする、森。

 月に居る限りは、決して訪れる事の無かったであろう場所。

 そしてそれは、ここ月においてはどんな金銀財宝などよりも価値のある、楽園の出現に他ならなかった。

 あいつの事だ。きっとこれにも、穢れは一切無いのだろう。

 誰もが望み、けれど誰もが諦めていた、我ら月の民の魂の戻る場所の一つ。

 ……これを手に入れるには、さて。月の国家予算の何年分を注ぎ込めば良いのやら。金銭では決して解決出来ないものが、今、私の目の前に広がっていた。



「ま、悪くないわね」



 喜びに満ち溢れている内心を隠し、何食わぬ顔で言った。

 別に誰が聞いている訳でも無いのだが、あいつがこの感情を引き起こしたのだと思うと、途端に素直に驚いてやるものか、と思えてくるのは、やはりムカツクから。の一言に尽きるのだろう。

 レイセンと依姫に習い、【森】へと入る。



「ふふっ」



 ダメだ。思わず漏れてしまった笑い声だったが、既に自制する気など無くなっていた。

 一歩、また一歩と踏み出す度に、徐々に足取りが軽くなり、徒歩は早歩きになり、駆け足になり、ついには全力で駆け出した。



「ふっ、くっ、あはっ、あはははは―――!」



 初めてだ。この感覚は。

 楽しくて仕方が無い。

 もういい。誰に聞かれても構うものか。

 靴を脱ぎ、素足で草の大地を踏み締める。

 柔らかい。優しく熱を吸収する緑の絨毯。

 全く根拠の無い、私はここに居るべきなのだという感覚に従って。私は声高らかに、深緑の命の中を駆け抜けて行った。

 ―――これでますます手放せなくなったという、思いと共に。










 綿月様達の下で働き始め、幾日かが経った。

 初めこそ命を削る思いで自分の出来る事をこなしていたのだが、豊姫様や依姫様だけならいざ知らず、綿月家で働く誰も彼もが良くしてくれる事に疑心暗鬼に囚われ、とうとう耐え切れずに依姫様へ直接お伺いをしたのだが。



『……? 逆に問おう。何故、罪を償おうとする者を虐げなければならない』



 何を馬鹿な、といった表情でそう言われた時、私は自分の中に渦巻く感情が、全て流されて心穏やかになっていくのを実感出来た。

 こういう人だからこそ、この人に仕えている者達が、その意思を自らの中の心情として組み込んでいるのだと分かる。



 ―――あぁ、このお方の力になれたのなら。

 そう思った後は、簡単だった。



 無我夢中で働いた。

 その意思に応えようと、ただ生きていく事に執着していた時とは違う。

 誰かの為に、何かの為に、一生懸命になる理由を自分以外のものに見出した。

 この感覚。自らの命を守る時とは似て非なる行動理念。

 軍に所属していた時に好きだった、誰かを守る、という言葉を、私はその時、初めて自分のものとしたんだと思う。



 ……ただ、それでも……



(何でコイツと一緒に居なきゃいけないのよ)



 この場は私とコイツの二人きり。

 自分の命を狙った相手に、心穏やかに居れる訳が無い。

 いつコイツの気紛れで自分の命が消え去ってしまうのかと、怯えながらに何とか関わりを避けようと努力していたのだが。



「ちょっと、目、閉じて」



 嫌な予感は良く当たる。

 誤解だ、的な口調で何やら喚いているが、ならば何故、こちらに目を瞑れなどと言うのだろうか。

 きっと何か、こちらの想像も付かない残酷な何かをされるに決まっている。



 ―――現に私は一度、その……小さな穴……に……、しかも二つ同時に……あんな大きなものを……初めてなのに、無理やり……



 依姫様の下で働き、やっと自分も何かが変われると思っていたのに。

 けれど、もう逃げない。

 今の自分には、綿月家の名を背負っているようなものなのだ。

 例え何をされようとも、決して無様な醜態など晒すものか。

 硬く目を閉じ、全身に力を込める。



 だが、



「目、開けていいぞ」



 体に異変は感じない。

 もしやこちらが気づかない内に、既に何かされてしまったのではないか。

《月面騒動》を引き起こせる存在だ。

 例え今、体が魚か鳥にでもなっていたとしても、コイツなら遣りかねない。

 一体どのような絶望が襲って来るのだろうと、覚悟を決めて、ゆっくりと瞼を上げて、見てみれば、そこには―――。








「ねぇ、あなたのご主人様は、一体私に何をさせたいの?



 初めての乗り心地……というか初めて実際に目にした存在に、最初こそ緊張に体を強張らせていたものの、今では普段見える視界よりも一段高くなった事に、心が弾んでいた。……す、少しだけ。

 目を開けたら緑が広がって、依姫様や輝夜様を差し置いて、あいつは私を先へと行かせた。

 事態が飲み込めないままに、こうして【ターパン】と呼ばれた……動物? に跨って、木々の間を散策しているのだけれど、この、今乗っている生き物は、かなり昔の映画の中で登場し、人が乗っていたような記憶がある。

 名前は忘れてしまったが、移動手段の一つとして描かれていたのだったかと、記憶の底に沈んだ知識を手繰り寄せた。



【ターパン】は、まるで私が行きたい方向が分かっているように、右へ左へ動いてくれている。

 体に染み込む、生命の息吹。

 今まで嗅いだ事が無い匂いだというのに、それは私の心の奥底にあった何かを、確実に刺激し続けていた。

 一本先の木に到達した時には感動が。二本先の木で涙が。三本先の木では……。周りに誰も居なかった事が、唯一の救いだったと思う。



「ご、ごめんね。首……(……首よね?)濡らしちゃった……」



 声を押し殺し、咽び泣く音を【ターパン】に口を押し付ける事で堪えた。

 その時には、この生き物はただ黙って、私の嗚咽が止まるまで、ずっと動かずに居てくれた。

 少しだけ頭を振ってくれた事に、まるで『大丈夫だ』と言われた気分になった。

 言葉を交わせないのが寂しいけれど、それでも、【ターパン】は私の事をとても気に掛けてくれているのだと分かった。



 それで何かが吹っ切れたのか、私は、なるようになれ。と現状を楽しむ方針に気持ちを切り替えた。

 こちらの意思が伝わったのか、彼の歩く速度は上がり、とうとう体中で風を切るほどになっていた。

 木々の間を颯爽とすり抜けていく【ターパン】の上で、私は『わっ』とか『きゃっ』なんて声を幾度となく挙げてしまった。

 でも、楽しい。

 普段なら羞恥心の一つでも込み上がって来ている筈なのに、全く気にならない。



「本当……アイツは私に、何を期待しているのかしら……」



【ターパン】にではなく、今度は自分自身へと問いかけるように、呟いた。

 アイツの真意が分からない。

 私の成長を期待しているのだとは言っていたけれど、ただの玉兎である自分の成長など、暇つぶしにすらならないであろうに。



「能力……か。……ねぇ、あなたは私に、何か特別な力を感じる?」



 自分よりも体温の高い生き物の首を撫で、暖かい、と思いながら、返って来る事は無いと分かっている問いをする。

 あいつは私に、能力があるのだと言った。

 あれだけの事を仕出かした相手なのだから、もしかしたら、それは当たっているのかもしれない。

 ……もし。

 もし仮に、本当に何かしらの能力を持ってしまったのなら、私はどのようにしたら良いのか。

 能力持ちとは、ある意味、宝くじに当たるようなものだろう。

 一般と称される者達の中で、一線を敷く存在へと昇華させる、異能の力。

 どんなに望もうとも、それを持たぬものは生涯持つ事は出来ず。逆に、持つものは、どんなに否定しても取得てしまう。



「便利なものだったら良いんだけど……」



 どうせなら、依姫様や豊姫様のような、応用が利き、それでいて強大なものなんて楽しそうだ。

 そうすれば今よりも一層、あの方達のお力になれる。それはとても、喜ばしい事。



「花を操る能力……とかだったら、嫌よね」



 唐突に、あったら嫌だな、と思う力が思い浮かぶ。

 仮にそんな力を持つ者が居るかもしれないのなら、その者はさぞ落胆する……あるいは、している事だろう。

 花なんて操ったって、園芸を手助けするのが関の山。何て可愛い児戯なのだろうか。



「ま、それで食べて行く分には、重宝するかもね」



 私はそうはならないように、今から願掛けでもしてみようか。

【ターパン】が嘶く。

 何となくだが、彼が何を伝えたいのが分かって来た。

 どうやら、もう戻らなければならないようだ。



「……ありがと。ちょっと、気持ちが楽になったわ」



 再び小さく鳴く【ターパン】を撫でながら、私は感謝の言葉を口にした。



 では、あの人外の存在の元へと戻ろうか。

 別に能力など宿さなくとも、私の中で、綿月家への恩返しをする事に変わりは無い。

 仮に、もし本当に能力を手に入れてしまったのなら、



「少しは……アイツの事、信じた方が良い……のかな……」



 自分自身に言い聞かせるように。

 すべき事が定まらない事への解を出すべく呟いた言葉も、効果は無い。



(私は……私はどうすれば良いの……。命を奪う気でいた私を、あんな意味の無い行為で手打ちにした挙句、昔よりも断然過ごし易い環境に放り込んで……。気にしていないとでも言うつもり? 何で? どうして? 死ぬ事はこんなにも怖い事なのに。恐ろしい事なのに。……分からない……分からないよ……。私はどうするべきなの? どうしたいの? あいつは一体、何を考えているの……?)



 防衛手段の選別も終わり、金銭返済の目処も立ち、例の緑の小人妖怪―――ゴブリンと言っていた種族の者が作成した武具も完成した。

 後は、その武具の説明をし終えれば、アイツは地上へと帰るだろう。



「スロバッドさん……だったっけ……。気さくな良い方なのは分かるんだけど……」



 あの地上人が呼び出し、今こうして武具を作り終えたゴブリン―――スロバッド。

 何度か一緒になる事があった。

 何故か共通言語機能を使っても言葉の疎通が不可能であったのだが、それでも、こちらを気遣い、また、尊重してくれていたのは感じていた。

 過去にあのような異形の者と接した事が無いレイセンにとって、九十九とはまた違った苦手なタイプの人種である。

 未だに答えの出ぬままに、彼女は暖かな存在と共に、この【森】を抜けて行った。





[26038] 第40話 飲み過ぎ&飲ませ過ぎ《前編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/09/20 20:52






「お疲れ様、お陰で無事に完成したよ。……どうもありがとう。助かった」



 自分の半分ほどの背しか無い、彼―――スロバッドであった。

 頭を下げるのにも限界があるので、自然と手を取り、しっかりと包み込みながら、力強く握る。

 咄嗟に思いついた頭を下げる以外の感謝の表した方が、それであった。

 そういえば、こんな事をするのは生まれて初めてで。

 自分でも恥ずかしいと思うのだが、どうやら彼も恥ずかしいようだ。

 手を離した後、照れたように鼻を掻いて、そっぽを向いてしまった。

 シャイな所はあるものの、情に厚く、涙脆く、仲間を大切にする人物。

 それが、こうしてやり取りをする中で彼に対して思った感想である。



「はいはい。友情を深めたいんなら、もう少し待ってからやって頂戴」



 手にグラスを持ったまま、輝夜はこちらを見て、そう言った。

 茶化すような声ではない。

 純粋に、それは後でやるべきだと言ってきているのが分かる。



「ん、すまん」



 そう理解した為、素直に彼女の言葉に従った。



 中央へ立つ永琳さんへと姿勢を直し、向き直る。

 


「面倒な話しはやめましょう。今は楽しむ事に一分一秒を惜しむ時。―――それでは、九十九さんの無事を祈って」



 彼女の背後には、やけに達筆な文字で『祝! 地上への帰還決定! 九十九!』と、一体どんな心境で書いたのか疑問の尽きない垂れ幕が、壁の上一面を横断していた。というか書いたの誰よ。

 それぞれがグラスを手に持つ。

 座して待つ一同は、数えるほどしか、この場に居ない。

 司会進行役だと思われる八意永琳。

 何が面白いのか、目を輝かせて周囲を見回す蓬莱山輝夜。

 高御産巣日は禁固刑で参加出来ず。

『俺って場違いじゃ』と恐縮気味になっているスロバッドと、同じく、『私って場違いじゃ』と恐縮……どころか萎縮してしまっているレイセンに。

 静かに周りを見渡している綿月依姫と、目を閉じて瞑想でもしているかのような印象を受ける、その姉。綿月豊姫であった。



「では―――乾杯」



 皆がジョッキやらグラスやらを頭上へと掲げる。

 あれからまだ一ヶ月も経っていないのに、こうして地上へと帰る俺の返済の目処……あ、いや、もう既に返済分は終えているのだそうだ。

 これも【宝石鉱山】の影響によるところが大きいのだが、何より問題の解決の決め手となったのが、レイセンの為に出した【森】であった。



『あの【森】……是非、調べさせて頂きたいのだけれど』



 そう畏まった口調で永琳さんから言われた時には、『何事!?』と焦ったものだが、事情を聞くに、そも自然と呼べるものがここ月では稀な存在であり、広範囲に渡って繁殖させるにはコストが見合わず……とか何とか色々言われたが、詳細は覚えてないです(汗

 とりあえず、決して金では買えないものの一つであったようだ。

 それが大層、月の人達の興味……どころか『今月で最も熱い場所!』なんてマスメディアが取り上げたらしく、市民や軍人のみならず、貴族達ですらも、



『頼む! あそこへ連れて行ってくれないか!(要約)』



 と。

 永琳さん……は思ったよりも少なかったようだが、八意や蓬莱山の性を持つ者よりは比較的話し掛け易かった綿月家へ、あらゆる者達が連絡を入れてきたそうだ。

 俺が、ここ月でやらかした事態は、貴族や軍隊の間に留まらず、市民や玉兎達の間でも恐怖の対象であったそうなのだが、それが切欠で、どうも弁護する意見が巻き起こっているのだと、輝夜から聞いた。

 そういや民衆などの周囲の声は一度も聞いた事が無かった。と、その時初めて分かったんだが、俺の与り知らぬところで全ての片が付きそうになっていたのは驚いた。

 それでも一応、悪い流れではない事から、終わり良ければ(略、と自己完結する事にした。



(いやでも……森って原作じゃあ存在してなかったか? 林レベルっぽかったけど。後、海とか)



 きちんと月の土地を見て回った訳ではないので、その辺りの知識の誤差が俺を悩ませる。



(しっかし……)



 今俺を最も悩ませているのは、そんな蚊帳の外で巻き起こっているあれやこれではなく、今居るこの“場”自体に他ならない。

 帰還記念的な打ち上げを開いてくれたのは嬉しい。

 高御産巣日は来ていないが、それでも身内だけの集まりっぽい場所に、理由や経緯はともあれ、こうして参列しているのは、何となく彼女達月のメンバーとの距離を一歩縮めた風に感じられるから。

 料理も良い。

 俺の知識外の、月で振舞われているであろうあれやこれの様々な酒肴が、所狭しと足の短いテーブルへ並べられている。

 酒だって、独特の風味があって、初めて飲み口あって驚いたけれど、これはこれでどんどん体が欲してしまうような絶品だ。

 問題は、それらを行っている場所。

 この室内―――の造りだ。



(これって……何処の飲み屋だよ)



 この狭いスペースを如何に安っぽさを隠しながら豪華に見せるか、というセンスは、決して月の人達じゃあ考えられないだろうと思う。

 だとするなら、新しく造ったに違いないのだが……。

 和○か、月○雫か、それとも金○蔵か。何を参考に造りやがったんですか。馴染み深すぎて、ちょっと涙腺緩みそうですよ。

 屋形船を丸々借り切って宴会でもしているような錯覚に襲われながら、ちらっと、これを仕上げたであろう異種族の緑色の小人へと、目を細めながら訴えかけた。

 え、何、断れなかった? 誰に?



「私がお願いしたのよ。あんたの故郷のような宴を催したいってね」



 疑問が顔に出ていたのか、その原因が犯行声明を出してくれた。

 声のする方に顔を向ける。

 酒や料理こそ、全て月独自のものであったが、せめて内装くらいは、と、出来る限りの郷土を再現した結果のこれらしい。

 ビックリしたのが、これが輝夜の発案だと言う事。

 大体の理由は察する事が出来るが……これが嬉しくない訳がない。

 既にグラスは手から離れ、代わりに漆塗りな雅な杯を片手に微笑む輝夜に、俺は内心で熱い吐息を漏らすものの、それを決して表に出す事はしない。

 くそぅこの残念美人め。俺の心を弄びやがってからに……。

 今なら竹取物語で帝すら、輝夜の居ない永遠など要らぬ、と蓬莱の薬を焼き捨てた気持ちが分からんでもない。

 例えそれは、弄ばれていると分かっていても、なにものにも変え難い甘美な一時であろう。

 それと比べてしまえば、ただ安穏と生きていくだけの人生など、死んでいる様なものだ。

 だが、



(甘い! 俺はお前クラスの超絶美人を、たんと知っているのだ!)



 名を上げればキリが無い……というか、逆に、出来の宜しくない顔、というキャラは、東方世界には居ない。少なくとも、俺の感性においては。

 今はまだ見ぬ、あれやこれのキャラ達の事を思えばこそ、俺は、こいつが取得しているであろうスキル『傾国の美女』を食らっても無事なのだ。

 ふふふ。伊達に頬っぺたにチューしてもらっちゃいねぇんだぜ! 俺だってちょっとは耐性も出来るわい!

 ……最低でも『傾国の美女』スキルを持ってるっぽい奴、後一人居るんだよなぁ。尻尾がいっぱいあるお方が。今でさえこんなに動揺してちゃあ、もし出会っちゃったらどうしたものか。



「ちょっと、何か言いなさいよ。つまらないじゃない」



 ぬ、こっちが置いてけぼりでしたか。

 俺の何かしらの生意気な反応が欲しい様子が、その表情からしっかりと読み取れる。

 しかし、これに関してこちらはムキになる要素が皆無なのだ。

 幾ら発案者が微妙に気に入らないとはいえ、こうして故郷の風土を再現してくれた事に対して沸き起こる感情など、一つしかない。



「ああ。……ありがとう、輝夜。スロバッド。これは……その……結構嬉しいわ」

「っ!」



 自分の緊張を自覚する前に、感謝の言葉と共に笑顔を向けた。

『そう言って貰えるなら、がんばった甲斐があった』と照れ臭そうに酒を飲むスロバッドとは対照的に、輝夜は反対側を向いてしまった。

 くそ~、何だよも~。

 結構恥ずかしかったんだから、それなりのリアクションしろってんですよ。このボケ殺し~。芸人としてやっていけないぞ~。

『今のはやばかった』って、何がよ。声が漏れて聞こえてくるが、俺の笑顔はそんなにキモかったか。

 へんっ! お前に認めてもらわんでも良いもんね! 俺には諏訪の! 洩矢の! 大和の人達が居るんだから!



 ……ちょっと一人になりたいなぁorz



「スロバッドさんと色々話したのでしょう? 日本という国の出身で、たまに仲間内で酒を酌み交わしていたと聞いたの。それで、どうせなら九十九さんの馴染み深い雰囲気だけでも、って、皆で考えたのよ」



 そう言って卓の前で、永琳さんは僅かに頬を朱に染めながら、優しく語り掛けてきた。

 そういや、スロバッドと雑談に花を咲かせていた折に、そんな話もしたような。

 料理だけは月オンリーなのだが、基準がアジア系なせいか、殆ど違和感なく長テーブルな食卓に溶け込んでいる。



「ありがとうございます。すっごい嬉しいです」



 こちらの言葉に満足したように頷く彼女はとても綺麗で、ともすればそれを見続けるだけで、日が暮れてしまいそうである。

 と、永琳さんが姿勢を改め、少し真剣な様子で尋ねて来た。



「けれど、本当に良いの? 提案した私が言う台詞ではないのでしょうけれど、あの【マリット・レイジ】さんを常駐戦力として提供してくれるというのは」

「ええ。というか、彼女でないと少し厳しいと言いますか(体力的に)。むしろ彼女である事が救いだと言いますか(【トークン】的な意味で)」

「本音を言うと、彼女が味方になってくれるのは有り難い。あの力が味方として働いてくれたのなら、これほど頼もしい事もあるまい」



 白い徳利と手に持った依姫が、俺の声に応えた。



「そりゃお前、マリさんの力を拝借出来るんだから、単純な力技なら彼女ほど向いているクリーチャーも居ないしな」

「そういえば、もう封印っていうのは解いたんでしょ? なら、今彼女は何をしているの?」



 疑問に思った輝夜が尋ねて来た。こいつはその辺りの経緯を知らない。

 それに答えたのは永琳でも依姫でも、ましてや俺でもなく、琥珀色の液が注がれているグラスを持ったレイセンであった。

 ビクビク……としてはいなかった。

 酒が入った事で、少しだけ心の壁が取り払われたようだ。

 得に気負った様子もなく話す彼女を見るに、いずれは素面でもこうなってくれれば、と思わずには居られない。原作を知る立場からして。



「今【マリット・レイジ】様は、四方を氷に囲まれた窪地にて熟睡……冬眠……? えっと……お休みになっておられます。心音が大地を僅かに揺らすだけで、寝息すら聞こえません。安眠出来るように視認不可の結界を張りましたので、地上からは勿論、月からですら、光学に頼った方法では、あの方の存在は確認出来ないでしょう」

「分かったわ、ありがとう」



 ニコリと笑みを向ける輝夜に、照れた様にレイセンは俯いた。

 うむ。可愛いのぅ。心が洗われるようだぜ。

 ……あ、こっちを向いたと思ったら微妙な感じで睨まれた。

 俺にはツンオンリーか。終いにゃ泣くぞゴルァ。咽び泣く男の見苦しさを思い知らせてやろうか。自爆技だが。



「九十九。彼女って普段は何を食べているの?」



 ……え、何だろう。分からん。

 唐突に投げ掛けられた質問に、ちょっと呆けてしまった。

 食べ物って……それは……俺も知りたいかも。

 ただ、あの巨体なのだから、生半可なものじゃあ満足はしないだろうが……。

 一応、何でそんな事を言われたのか、の理由が思い当たるので、そういった疑問だよな? との当たりをつけながら、質問に答えた。



「何も要らない筈だ。ものが食べられないって訳じゃないが、俺が無事な限りは、衣食住の住だけ用意しておいてくれれば問題ない。と思う」

「そう。それならこっちとしては助かるけど。彼女を防衛戦力として提案された瞬間、食料生産プラントの数を倍にしようか。って考えてた位だもの」



 あれだけの躯体を維持するのは決して楽なもんじゃないだろう。

 言われて、俺も気になったので念話にて彼女へと確認してみる。

 距離的に大丈夫かな~? とも思ったが、一応は連絡が付いた。

 付いたのだが……



(『Zzz……』……うむ。超寝てる)



 まぁ無理に起こす事も無いか。と、疑問を無かったものとした。



「もし起こす時には、それなりに派手にやってくれ。じゃないとマリさん、気づかないっぽい。……けど、遣り過ぎるなよ? 最悪、寝起きの不機嫌さMAX状態になって敵味方関係なく……なんて展開も。うん」

「永琳! 本当に彼女で大丈夫なの!?」



 こりゃまずいんじゃないか。との考えが透けている輝夜が、堪らず永琳へと尋ねた。



「ええ。最終手段は、九十九さんに直接起こしてもらう手筈だから」



 ……あら初耳。

 俺、地上に戻る予定なんだけど……発信機とかそんな感じのもんでも付与されるんだろうか。下手したら強制転移? こっちに来た時と同じ様に。

 え~……。いざとなったら俺こっちまでワープしに来るんですか? プライバシーガン無視じゃない? ねぇちょっとそこの美人なお姉さん。



「九十九」



 ずいとこちらに身を乗り出して、我慢出来なくなった、と言わんばかりの依姫が近づいて来た。



「どした」

「もういいだろう。いい加減、もったいぶらずに教えて欲しい」



 そう言って、視線を部屋の隅へと向ける。

 鈍く反射する光沢は、それが金属のようなものであると教えてくれる。

 別にもったいぶってたつもりは無いんだが、興味の比重が違うんだろう。



 全部で三点。

 それぞれが兜。盾。剣の形をしているそれは、MTG界の武具の一つ、【カルドラ】シリーズ達である。










『カルドラ』シリーズ

【伝説】の【アーティファクト】であり、【装備品】と呼ばれる、これ自身を破壊しない限り場に残り続ける代物。

 それぞれ、

 装備した者と盾自身を破壊不可能にする【カルドラの盾】

 装備した者に+5/+5の修正を与え、ダメージを与えた相手を【追放】する【カルドラの剣】

 装備した者に様々な特殊能力を付与する【カルドラの兜】

 の三種からなる品。










 これを使用して名を残したデッキは無いのだが、それでも【伝説】の名は伊達ではないようだ。

 無造作に立て掛けられた【伝説】の武具達。

 カードとしてのイメージが強過ぎるのだが、少し視点を変えてみれば、エクスカリバーやら草薙の剣やらが飲み屋の壁に並べられているようなもんだろう。

 ただそんな浅い考えも、こうして実物をまじまじと見つめてみれば、その考えはとても愚かであったのだと実感する。

 鈍い輝きは畏怖を、溢れる存在感は荘厳を。

 あれは決して、有象無象が造り上げられるものではないのだと思わせるだけの力を纏っていた。



 ―――カードを消した場合にも、そのカード達が巻き起こした現象や爪痕は消える事はなかった。

【ジャンドールの鞍袋】から取り出した食べ物が消えないように。

【マリット・レイジ】誕生の地である、【暗黒の深部】の氷の大地の窪地が、未だに残っているように。

【宝石鉱山】から切り出した貴金属が存続し続けるように。

 それらの理由から、ゴブリン種である彼、スロバッドが造り上げた品も、残り続ける事になる……筈だ。多分。

 本当はきちんと発表する前に何度か実験をして、『やっぱりダメでした』といった肩透かしを回避したかったのだが、《月面騒動》の一端を担った俺が、ただ『場所貸して』、なんて言っても通る訳がない。

 永琳さんや輝夜に事情を話し、何度も『失敗するかもしれないからね!』と弱腰MAXでしっかり逃げ道を用意しておいたのだが、それは杞憂に終わった。

 こうして完璧に仕上げてくれたスロバッドに対して、疑って悪かった、と謝ったものです。










『ゴブリンの修繕屋スロバッド』

 2マナで、赤の【伝説】【ゴブリン】のクリーチャー 1/2

 やや珍しいタイプ【工匠】を持つ。

【アーティファクト】一つを消費し、一ターンの間、他の【アーティファクト】一つを破壊されないように出来る能力を持つ。

 カードゲームとしての性能はそれ程でもないが、原作の彼は、過酷な運命を切り開いていった勇気ある者である。

『槍の前と後ろが分かれば昇格する』、と、あまりに(頭が)壮絶な種族であるゴブリン族に対して、あるまじき有能さを秘めており、自分の非力さを人一倍理解していたので、それ以外の方面で、ゴーレムや武具などの、様々な【アーティファクト】を使用し、活躍した。










 ここは月。

 東方プロジェクトの世界において、ここより進んだ文明は無かった。

 転生前の文明よりも遥かに進んだ、科学の真髄とも言える技術の数々を目にしていく内に、思ったのだ。



 ―――既存の技術や材料を使って、この世界に、MTGのモノを作れないか、と。



 ここで作ったものなら、当然、維持費など発生する事も無い。

 それらの前提には、まずそれら【アーティファクト】なり何なりを作らなければならないのだが、そこは月の科学と、スロバッドの知識と技術によって解決した。

 彼、スロバッド―――の種族、ゴブリンは、MTGでも知能の低い種族して扱われる存在なのだが、彼に対してそれは当てはまらない。

 この【カルドラ】シリーズには製作にこそ携わっていないものの、これの仕組みを理解し、隠された能力を発動させるまでに至る経験を持っている。構造の殆どは、既に理解しているらしかった。

 他にも幾つか、強力な【アーティファクト】の作製に関わっており、何より大切な者達には、時に命すら対価にするだけの信念を持つ者。

 造れる武具の性能を初め、その人柄も、彼をこうして呼び出した理由の一つとなっている。

 ここでは入手不可能である材料―――MTG界にあるもの―――は、俺が【宝石鉱山】やら様々な【土地】を出し、そこから採取する事でクリア。

 他に用意出来るものは月に……というか綿月家やら八意家やら蓬莱山家の人達の勅命に近い形で発注して貰ったものを使用して、難なく補填。

 そうして、たった数十日程度で、ものの見事に【装備品】の中でもかなりの性能を誇る【アーティファクト】がこの世界に蘇った。

 もう少し余裕が出来たら、他の何かも造ってもらおうかな。



「これは【カルドラ】シリーズ。名前はまんま【カルドラの剣】【カルドラの盾】、んで、【カルドラの兜】だ」



 それも聞きたい事ではあるが、もっと聞きたい事は別にある。

 そう依姫の顔に書いてあると分かるのは、彼女が分かり易過ぎるからだと思う。うむ、俺が作った訳でも無いのに、結構優越感に浸れるもんだな。割と楽しいぞこれ。



「まずは盾からいくか」



 置いてあった盾を手に持つ。

 小型ではあるものの、ズシリと手応えを感じ、思わずそのまま倒れてしまいそうになるほどの重さはあった。



「これは【カルドラの盾】。所持した者のダメージをほぼ確実に防いでくれて、これ自身も同様の効果の効果が掛かってる。……あれだ。俺が【ダークスティール】の円盤を出してた時の状況と同じになる。と考えてくれて良い」



 食い入るように【カルドラの盾】を凝視する依姫を、一歩引いた状態で見守る永琳さんや豊姫さん。そして、輝夜。

 レイセンだけは、緊張で顔を引き締めていた。強張っていないところを見るに、どうやらある程度の肩の力は抜けてきているようだ。良かった良かった。

 本当はそれなりにリアクションは取って欲しいもんですが、仮にも今後の月に何らかの一石を投じる品物なのは間違いない。

 んなもんだから酒が入っているこの場とはいえ、こうして真面目に話しを聞いてくれているんだろうが、



(ちょっと怖いなぁ、この視線)



 猛禽類に囲まれた兎のようだ。

 ……レイセン、お前ちょっとこっち来い。ポジションチェンジしようぜ!



「で、次は?」

「お、おう」



 おおぅ、よっちゃん急かし過ぎ。



「じゃあ次。【カルドラの兜】。こいつは使用者に様々な能力を付与してくれるもんだ」

「様々な……。具体的には?」

「……それはこれから試す」



 あ、輝夜の頭がガクっと下がった。



「とりあえず戦闘面で有利になる力を持たせてくれる兜、とでも思っておいて」



 ごめんなー。その辺りを試した後で発表したかったんだが、何せ時間無くて。



「んじゃ、最後は、これだな」



 最後の一つ。

 鈍い光沢を放つ剣へと手を伸ばす。



「(あれ? 重い……)これは【カルドラの剣】。所持した者に力を授けて、これによってダメージを与えた……傷付けられた者は―――」

「……者は?」

「者……は……」



 そういや【追放】ってこういう場合にはどう作用するんだろうか。

 除去系の究極に位置する【追放】。

【暴露】を使用した時には対して気にしなかった問題なのだが、実際これをクリーチャー……対象に使ったらどのゆな事態になるのだろうか。



「ちょっと失礼」



 近場にあった、魚の焼き物に手を伸ばす。

 皿ごと足元へ置いて、スイカ割りの時みたいに【カルドラの剣】を構えた。

 僅かな緊張。

 この気持ちを皆が共有でもするかのように、ゴクリと生唾を飲み込んだ後、



「よっ」



 ケーキ入刀よろしく、ゆっくりと【カルドラの剣】使って魚を切った。

 しかし、



「……あれ?」



 何の変化も起こらない。

 真っ二つになった焼き魚に、俺は効果に対しての疑問から首を捻り、月の人達は『何やってんの』的な様子で首を傾げた。



「……これが、どうかしたのか?」

「えーと……もう少し色々と驚く現象になるって思ってたんだけど……」



 って、あ。



(これって【装備品】だったじゃんよ)



 この【装備品】という代物は、自軍のクリーチャーを対象に付属されるもの。

 そして、取得させる―――クリーチャーへと装備させる為には、殆どの場合、マナという対価を払わなければならない。

 場に出す事と、それを対象の存在に所持させる事は別扱いなのだ。



(【カルドラの剣】……本来なら4マナで召喚出来る【アーティファクト】で、それを対象に装備させるのに必要なマナコストは……確か、同じく、4)



 その理屈で言うのなら、この【カルドラ】シリーズに対しても同様に、マナを支払わなければならない事になる。

 造ったのがスロバッドである事による所有権問題やら何やらに色々と疑問が浮かんでは消える。



(えぇいままよ!)



 けれど、既に若干のアルコールの混入した頭では、長考という選択肢は消え去ってしまっていた。

 よって、強引に4マナを使い装備させる感覚を巡らせながら、再度この剣を握る手に力を込めた。



(あ、ちょっと力抜ける……)



 どうやら成功したようだが、カードの能力を使う場合にも、やはり体力は奪われるみたいで。

 4マナ使った割りには体力を奪われ難くなったのは、何かしらの進化なのか、制限の緩和なのか、悩む所である。

 途端、手にした【カルドラの剣】が軽くなり、羽の如き存在となり、先程までの重量感は嘘のように取り除かれていた。

 この分では、しっかりと効果を発揮しているようだと実感出来た。



 ――― 一瞬だけ、こちらを見る目のガラリと変わった彼女達には、微塵も気づく事は無く―――



(うっし、リベンジ)



 真っ二つに切り分けた焼き魚を再度捉え、もう一度。今度は四分割にする勢いで、ゆっくりと剣を落とす。

 すると、



「げっ」



 スロバッド以外の全員が驚いた。

 焼き魚は当然として、下にあった皿にまでも、その刃の餌食となってしまったからだ。

 だが、それだけでは終わらない。

 切断と同時。

 一瞬、刃で切断した箇所に揺らめきを見たかと思えば、まるで夢か幻か。魚も皿も、霞のように消え去ってしまった。



「……九十九」

「……うん」



 依姫の声色が強張っている。

 そして、俺もその意図するところを察する事が出来た。

 細心の注意を払って、【カルドラの剣】を、そっと床へと寝かせる。

 この刃に何者も触れられないように、その上から、近くにあった座布団を何枚も被せた後、俺はその場にへたり込み、



「―――めっちゃこえー!」



 騒ぐように声を出した。



「あんたが造らせたんでしょうが!」



 輝夜の突っ込み(豪腕)が俺の後頭部に振り下ろされる。

 だが、



「甘いっ!」



 かぐや の こうげき は はずれた!



「なっ」

「よっ、っと!」



 俺が避けるとは思わなかったんだろう。

 スカした腕が空を切り、輝夜はバランスを崩した。

 それを好機と取った俺は、無造作に振るわれた腕を掴み、関節的にこれ以上曲がったら不味い位置へと固定し、背後へと回る。

 これでも高校の時には体育の成績は中々良かったのだ。その頃は持久力が無いので、スポーツの試合なんかでは戦力外な場合が殆どだったけれど。たまに人数合わせに狩り出されたのも良い思い出になっている。

 ただ、こうしたんなら体が密着する流れになるのをすっかり失念していました。ちょっと感情が揺らぐのだが、何せこいつは残念美人。思うところは間々あるが、全て意思の力で抑え付けられる範囲のものだ。



「甘い! 甘いぞ、ぐーや! その手の突っ込みなど俺は既に予想していた! 二次のテンプレのようなものだからな! 突っ込みは、愛なくして成り立たん! 俺は基本受身だが、ただの暴力には頑として抗議するものであります!」

「ちょ、ぐーやって私の事!? 後、そんなカミングアウト要らないわよ! それはいいから、この手を離しなさい!」

「ははは! やだね! お前にゃあの時(兵器実験場で)のお礼をしなきゃならんしな!」

「―――あんた、たかだか間接一つ極めたからって、私が対処出来ないと思ってるの? 技は勿論、力のみでも脱出出来るのよ? あんまり怪我させたくないから言ってあげたのに。……そう。そういう態度に出る訳ね」

「ふふふ……抜かりは―――無い!」



 言って、背後から彼女の顔へと、もう片方の空いた手を伸ばす。

 顔面で静止した俺の手を疑問と不安で見つめる輝夜の横顔に満足しながら、俺は切り札をチラつかせた。



「―――レイセンの時には鼻の入り口を塞ぐだけだったがな……」

「……なっ、あんたまさか」



 ふふん。やっと理解したか。

 しかし遅い! 今なら何をやっても間に合わんぞ!



「動くな蓬莱山輝夜。さもないと―――お前の顔面鼻フック姿をこの場の全員が見る羽目になるぞ!」



 初めて聞く単語である筈だが、言葉のニュアンスで、何となくどんな状態になるのか予想が付いたのだろう。

 多分、彼女の頭の中ではレイセンにやった鼻の穴に挿入事件がより醜い状態となって再放送されているんだろう。

 顔を青くさせたかと思えば、憎々しい程の目線をこちらに向けて来た。

 うんうん。今はその視線も心地良いぞよ。



「月の至宝、敗れたり。……ぐふふ。美しいものが穢される様は、実に愉快なものよのう」

「キモッ! 今の声何処から出したの!? あんたの背後に肥満体の脂ぎったブタ男が見えたわよ!?」



 ……結構傷つくなそれ。急に酔いが醒めて来た気がする。



「―――はい。そこまで」



 俺の背後に、先程まで座っていた筈の永琳さんが、こちらの首筋に手刀を突き付けていた。……え、首?

 肌に感じる熱は確かに温度を持っているのに、それが堪らなく冷たいと思えてならないのは何故なんだろうか。



「ごめんなさいね、九十九さん。仮にもこの子は私の教え子であり、月の主になる役目を担っているのよ。もしやるなら私の眼の届かないところでやって頂戴」



 他でならOKよ。な台詞な割りには、声が冷たい。

 というか、あなたの場合、眼の届かない範囲というのがあるのかどうなのか、是非尋ねてみたい気もします。はい。



 何とか事無きを得て、元の場所へ戻る。

 不満気に元の席に着く輝夜を横目に、同じく席に着きながら、俺は内心で『助かった』と思った。

 よく考えてみれば、輝夜は能力使えば時を止めるような効果があったのを、すっかり忘れていた。

 全然優位でも何でもなかったんだが、その辺りはあいつがこっちに合わせてくれたんだろうか……。だとしたら、結構ノリの良い奴なのかもしれない。



「それで、九十九さんとスロバッドさんは、これを造り上げた訳だけど……」



 永琳さんが、目線で【カルドラ】シリーズを指しながら、酒で唇を湿らせながら話す。

『これどうすんの?』と言いたいんだろう。

 ……んじゃ、当初の目的を果たすとしましょうかね。



「それはですね。―――豊姫さん」

「……何でしょう」



 我関せずを貫いていたお方に声を掛けるのは、非常に勇気が要るもんだ。



「これ、あなたに差し上げます」

「……はい?」



 あ、その驚いた顔は綺麗です。見惚れそう。



 ―――正直、出来れば他の人達には聞いてほしくない。

 あまりに恥ずかしい……というか、情けない事を言おうとしている自覚はあるから。

 グラスの中にあった酒を一気に煽る。

 酒の力を借りなければ言えない弱気が情けない。

 だが、だからといって何もしないでいられるものか。

 もう切欠は作ったのだ。

 後は野となれ山となれ。



「自分なりに考えたんです。でも、俺、豊姫さんが何を望んでるのか全然分からなくて……」



 俺に対して腹を立てているのは手に取るように分かるのだが、それ以外では殆ど接点も無いせいで、趣味趣向の類がサッパリ理解出来ないまま、今に至る。

 時間を掛ければ解決出来そうな問題ではあるものの、一応、俺の帰りを待ってくれているであろう人達の顔がちらついて。

 すぐに帰りたい。贖罪をしたい。

 この二つの間で揺れに揺れた結果―――



「ただ、一つだけ。永琳さんや依姫。そして、輝夜の事を大切に思っているのは良く分かりました。それに対して奔走している事も。……俺は、ここでの人間付き合いのイロハは分かりません。だから、もう単純に、例え何があっても身を守ってくれるものを用意したつもりです」

「……それが、この【カルドラ】シリーズだと仰るので?」

「はい。俺が使う相手を決めない事には、ただの金属の塊みたいなもんですが、一度契約してしまえば、効果は先程みてもらった通り。攻撃においては全てを貫く矛となり、防御においては決して傷つく事の無いであろう盾になる。戦闘においては、まず傷つくことは無いでしょう。また、もしそれが嫌だと言うのなら……」



 床へと置いてあった武具達が宙に浮く。

 驚く一同を他所に、それらは空中で固定されたかと思えば、一瞬にして形を持つ存在を呼び出した。

 二メートルをゆうに超える―――ジェイスに勝るとも劣らない身長の青く薄みがかった体は、幻想のように揺らめく。けれどその存在は屈強な戦士以外の何者でもないと思わせるものであった。

 スパルタ人の戦士を幻影と成したら、このような姿になるであろう予想図の具現化が、そこにはあった。



 盾、剣、そして兜。

 この三種の神器、【カルドラ】シリーズが出揃った場合にのみ発動出来る能力。

 それを、今ここで起動させた。

 この三種が場に存在している場合、1マナを使用する事で4/4の【伝説】【アバター】【トークン】を生み出し、それにこの三種の装備品を所持させる事が出来る能力を持つ。



「―――【カルドラチャンピオン】。そこいらの妖怪を歯牙にも掛けない圧倒的な力を持ち、破壊されず、攻撃を与えた対象を消滅させる、伝説の戦士です。彼に掛かれば、あの【マリット・レイジ】すらも―――」



 ここまで言えば分かってくれるだろう。どれだけ有効性があるのかを伝えるのには、これが一番だと判断した。

 実質9/9。破壊されず、ダメージを与えたクリーチャーを【追放】し、その他各種、戦闘面において有利になる力を保持した、恐るべき存在。

 力では【死の門の悪魔】と同等だが、その他の性能が違いすぎるほどの高性能である。

 青き陽炎の如き体に繋がれた兜、剣、盾の三つを構える存在を前に、一瞬、俺とスロバッドを除く誰もが顔を強張らせた。

 念話で彼……? へは説明済み。

 物の様に扱ってしまうというのに、それでも快く引き受けてくれて、むしろ【アーティファクト】に気配りをする俺に珍しがられ、面白い奴だと、何故か気に入ってもらえたのは幸いだった。



「私が提案するのは、この二つ。拠点防衛、拠点破壊、殲滅戦に向いている【マリット・レイジ】と、小回りの効き、汎用性に富んだ【カルドラ】シリーズ含む、一騎当千の実力を持つ【カルドラチャンピオン】。―――以上が、俺が永琳さんと、豊姫さんに対する……謝罪の気持ちです」



 物で釣る。

 そんな言葉が頭を過ぎった。



(……何を今更。スロバッドを呼んだ時から分かり切っていた事だろうが)



 既に大いに嫌われているのだ。もう、中途半端に好かれようとするんじゃない。

 無い頭振り絞って考えた結果の、これだろう。

 相手の大切なものが守れるのなら、俺がどう思われようが関係ない。

 もし間違っていたのなら、その時に改めろってんだ。何もしないままでいるんじゃない。

 実行あるのみ。

 駄目な男は駄目な男なりに、最後まで―――。



「……その【カルドラチャンピオン】……さん、は、こちらの指示は聞いて頂けるのかしら」



 豊姫が訝しげに尋ねて来た。



「はい。俺……私が指示すれば」



 優先順位は俺だけれど。



 沈黙が続く。

 瞳を瞑り、何かを考えているような、心を落ち着かせているような静寂の後で。



「―――分かりました。私、綿月豊姫は、あなたの謝罪を受けます。以後は禍根なく、幾久しく、我が綿月家含む、この月の友として、友好を築ける間柄となりましょう」



 深く息を吐いた後、豊姫はその目を開く。

 俺の正面へと周り、互いに直立で向き合う形となった。

 永琳さんも、輝夜も、レイセンも、スロバッドも。これを見守るように眺めていた。



「全く……。意固地になり続けている私が馬鹿みたいじゃない。あなた、仮にも被害者なのですよ? 裁判での決着も付いたし、こうして贖罪する必要も無いですのに」

「そうかもしれませんが……。大切なものを傷付けられた時の感情は、裁判とか法律とかで整理の付くものじゃないと思いますから」

「―――っ」



 豊姫が目を見開いて、驚いた表情を作る。

 ぐふぅ、胡散臭過ぎて引かれたか。

 このままビンタでも飛んできたらどうしよう(汗



 ―――と。

 彼女は、すっと、片手をこちらに差し出して来た。



「ここまでお人好しですのに、どうしてあの時にはそれが現れてくれなかったのかしら。演技だとしたら、この月でも最上位の役者になれますよ?」



 困ったような……それでいて、何かがスッキリしたような、不思議な表情。



「それじゃあ、蟠りも取り払われたようですし……主に私の……な気はしますけれど……。今宵は無礼講、という事で。精一杯楽しむと致しましませんか? ―――九十九、さん?」



 途中でボソボソと言っていた事は聞き取れなかったが、全体で見ればそれは、俺に対する印象の変化があったのが伺えた。

 初めて名を呼ばれた気がする。

 正確には何度も呼ばれてはいるのだが、それはこちらの名などではなく、単なる固体名称―――番号や記号としての意味合いでしか無かったのだから。



「―――はいっ!」



 その手を握る。

 両の手でしっかりと掴んだその手は、凄く―――ただの温度などではない暖かさを伴っていた。










 ―――で。











「あの……依姫、さん?」

「如何しました?」

「(如何……しました?)……えっとですね……何か近いな~? と思いまして」

「これくらい傍に居りませんと、九十九さんのお世話が出来ませんので」

「おせっ……。……いえ、あの、もう充分にして頂きましたんで」

「……もしや」



 潤んだ瞳。



「お嫌でしたか?」

「いえいえいえ! こうして至れり尽くせりな状態なんて初めてでしたから! 依姫さんも俺の世話なんて気にしないで、今を楽しんで欲しいなって!」



 よしっ!

 我ながら良い方向に回避経路を見つけたものだ。



「それでしたらお気になさる心配はありません。私は、今こうしている事が楽しみでありますので」



 しかし まわりこまれて しまった!



「―――九十九さん」

「と、豊姫さん……」



 挟撃!?



「あなた、依姫ちゃんの何処が気に入りませんの?」

「近い近い! もう少し離れて下さい! 完全に酔ってるでしょう!?」

「いえいえ、そんな。まさかまさか。ただのアルコール如きで私達月の民が屈する訳ないじゃないですか」



 その割には目元がとろんと垂れているのは、それがデフォルトなのか酒の影響なのか、大して付き合いのない俺には判断が付き難い……のだが……。

 というか、それなら高御産巣日が酔っ払っていたのは、何と説明してくれるんだろうか。



(ぜってー酔ってるもんよ。足腰に力入らなくなってんじゃん。立ててないじゃん。這ってるじゃん)



 何だかどっかの呪いのビデオから出て来た幽霊みたいにこっちへと擦り寄ってきた豊姫は、どうやら絡み酒を嗜んでいるらしいと分かった。





 ―――思えば、輝夜が余計な一言を言ったのが原因だった。

『あんたのとこの酒飲みたい』と、ほろ酔い状態で言ってきたまでは良かった。

 永琳さんの家でお世話になっていた頃に、乗り気で俺の出した料理……というか食材やらを自慢げに話す永琳さんに、皆、何度か付き合わされていたらしく、前々から興味はあったようだ。

 んで。

 折角だからと、こうして全員に振舞ってみれば……。

 何か変な物質でも入っていたのか、先程の楽しい宴は何処へやら。

 永琳さんはスロバッドと談笑し……時折笑みが黒いのは見なかった事にする。翻訳機器を使っても会話不可能であった筈なのだが、どうやって会話しているのか……。は、もはや聞かない。

 輝夜は酒豪の部類に入るようで、実に美味そうに、微塵も気品が崩れる事無く。手にした酒を煽り続けている。

 意外であったのは、あのレイセンもその部類であったようだという事。

 輝夜に付き合って酌をし、時に返杯を受けて、それを顔色一つ変えず、事も無げに一気に飲み干すのだから、見掛けに騙されちゃあいけないと、マジマジと見せ付けられている。

 今度飲み比べとかする機会があったら、絶対に回避すべきであると決めた。



 ……で、一転して変わってしまったお方が一人。綿月の妹さんこと、依姫である。

 何と言うか、幸せに恐ろしい。

 変な言葉なのだが……とりあえず順序立てて述べると、だ。

 ほろ酔いの依姫が俺の出した酒を飲み、一定時間が経過した後、ふと気づけば俺の隣で静かに鎮座する存在となっていた。

 ここまでは良い。

 恨みがましい目をしていた訳でも、不満を溜め込む存在になっている訳でもなく、本当にただ、そこに自然と、空気の如く佇んでいただけだったのだから。

 だが、グラスが空になれば酒を注ぎ、各種大皿に盛り付けられていた品々を摘もうとすれば既に小皿に装われて手元にあり、手を拭こうと思えばお手拭を渡されて、テーブルの上には零れた料理の欠片どころか、水滴一つとして存在していない。



(……何でこんな高待遇されてんの)



 行った事は無いが、多分、毎夜数百から数千万が使われてるという銀座やら日本橋やら薄野やらのキャバクラですら、ここまでのものではないだろう。

 この分では厠にすらついて来そうな雰囲気である為に、膀胱に只ならぬ違和感を覚えながらも、こうして席を立てずに居る。

 流石にこのままでは色々と不味い。と声を掛けてみれば、先程の台詞が返って来た。



『それでしたらお気になさる心配はありません。私は、今こうしている事が楽しみでありますので』



 楽しい? 楽しいって何が? 俺の世話が? 何で?

 初めて会った時の凛とした武人のような姿など見る影も無く、どちらかといえば彼女の姉のような、良妻賢母ってこんな感じか? とか思えるだけの人格と言葉遣いに豹変していた。

 俺の後を三歩離れた距離から、影を踏まずに両手の掌を静かに重ねつつ、ついて来そうな雰囲気である。



(……そういえば、原作の口調って、どっちかといえばこっちよりだったか?)



 少なくとも『だぞ』とか『だな』とか語尾にはついていなかった。

 となるとあれか。

 いずれはこっちの方にその辺が変わっていくんだろうか。



「九十九さん」



 豊姫さんが唐突に呼び掛けてきたかと思えば、



「は、はい。何でしょガボァ」



 口に何か硬い物が。

 俺の胸には、それはもう柔らかな物体が押し付けられているのだが、それを楽しむだけの余裕などある筈も無く。



「あなた、まだ正気なのですね。―――つまらないです。我を忘れなさい」

「がばごば……ごぼぼっ!(それって俺が出した一升瓶『月の輪 大吟醸』……って、体が動かねぇ!)」



 ここは月で、仲良く“輪”になってハッピーだね。的な名前としての“和”と掛けてみたのだが……何とも嫌なワになってしまった。

 ガッチリと両腕を肩からしっかりホールドしてくれやがってるのは、獲物を見つけた目になっている輝夜と、今がチャンスとばかりに赤い瞳を滾らせているレイセンである。



(お前らいつの間に!?)



 豊姫さんもそうなのだが、何より微動だにしない程に腕を体へ押し付けられているので、必然、こちらも男の浪漫を楽しむ機会が巡って来ているのだが、秒単位で毒素(アルコール)が流し込まれている脳内には、それを味わうだけの感覚が麻痺していた。

 ……というか、実際に血流が止まって腕が麻痺していた。

 あれ、おかしいな……俺の腕ってこんな青い色してたっけか。



(そ、そうだ。【カルドラチャンピオン】! ちょっと―――)



 ってダメだー! 『ちょっと僕対処出来ないよ』ばりに手を前へと突き出した状態で首を左右に振っていらっしゃる!?


(え、何? 『私は空気が読める』? ―――違うから! じゃれてるように見えるかもしれないけど、微妙にヤバい状況だから! というかお前関わりたくないだけだろ!? 一升瓶を一気とか死ねますよ!)



 ……あ。



(―――あれか! さっき『和室にスパルタ人っぽい姿とか違和感バリバリwww』とか言ったからか!)



 あ、薄く笑いやがった。その通りかよ!

 すまんかった! あれは酔っぱらってからなんだ! 普段はそんな事、口が裂けても言わない男ですよ俺は!



(『思うには思うんだな』って……そりゃ……ねぇ……?)



 今のは嘘を突き通すべきだったか。……正直過ぎるのも考えもんだぜ。

 あかん。こっちを助けてくれる気が微塵もねぇ。自業自得だが。



(じゃ、じゃあスロバ―――)



 ―――熟睡しておられる。―――ははは、こやつめ(笑

 ……駄目じゃん! マリさん……は無理だ。助けを求めた時点でこの空間消滅する。……MTG勢の味方全滅!?

 くっ、背に腹は変えられんか! なら、何故かこっちに優しくしてくれてた依姫に……



「良い? 依姫。良い女というものは、男性の顔を立てて、見せ場やコミュニケーションの邪魔をしてはダメなのよ?」



 何、楽しそうに吹き込んでるんですか永琳さーん!



(なら最後の手段! 【プロテクション】使ってアルコール耐性を……)



 ……アルコールって色に部類するなら何なのよ。

 いやいやいや、そもそも【プロテクション】でアルコール防げるんだろうか。

 もういっそ、何か別のカードを使って……。



(って、あ……ダメだ……意識が……)



 勇丸よ。お前さえ居てくれれば……。

 新入社員歓迎会で馬鹿やった時以来か。

 あの時は同僚に迷惑を掛けたなと思いながら、ミスター・リバース。あるいはザ・ハイドロポンプの称号を冠しないよう願いつつ、俺の意識は頭から離れていった。





[26038] 第41話 飲み過ぎ&飲ませ過ぎ《後編》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/07/08 20:19






 本当、憎らしい存在だこと。

 他の事はどうでも良い。

 私にした事だって、月で巻き起こした騒動だって。

 けれど、あれは妹に手を出した。そして、永琳様にも。

 原因は分かっている。過程はともあれ、切欠は自分の妹であるのだから。

 ……だからといって、それで感情が落ち着く筈も無い。

 罪を犯した家族を、一瞬で手の平を返せる者達など居ないように。

 勿論、その不快感を前面に出す事はしない。

 やる事はやる。

 彼が地上へ帰れるように、しっかり、きっちりと。一文字たりともミスの無いよう、仕事は進めた。

 後は極力、彼に関わらないよう過ごして来たというのに。



(……謝られた)



 それだけではない。

 言葉だけでは足りないと、形としてまでその意思を示したのだから。

 何故ああも、愚かな程に下手に出れるのだろうか。

 理解出来ない。自分なら、その選択肢は無い故に。

 命まで奪われそうとしたというのに、それを無かったかのように振舞う、その行い。

 そしてトドメの、あの一言。



『大切なものを傷付けられた時の感情は、裁判とか法律とかで整理の付くものじゃないと思いますから』



 そう言い放った言葉の裏には、何の意図も見受けられなかった。

 あれは本当に、心の底からそう思っているのだ、と。

 これでは一体、どちらが愚かであるというのだろう。



(……敵いませんわ)



 負けた。完全に。

 こうまで格の違いを見せ付けられては、認めざるを得ない。

 政治に携わる者として、常に優位に立つよう心掛けて来たのだけれど。

 感情を利用し、背景を汲み取り、心情に訴えかけて、それを……あの者を飲み込もうとしたのだが。



 ―――それを、全て諦めた。



(私は……)



 そう思ってしまえば、後は否定的な気持ちを否定する要素は無く。

 自然と、彼に対して何処まで恩を返せるのかが、頭に浮かぶ。



(私は、彼に何をしてあげられるのでしょう……)



 尤も、それは結論の出ぬ案であった。

 こうまでしてくれる存在を、豊姫は知らない。よって、それに報いるべき方法を知らない。

 自分の師が、彼へとプレゼントを作製していたのは手伝ったが、それはあくまで師の行いであり、自分はそれを少し手伝っただけ。



 ―――何かしなければという思いは、答えが出ぬままに。



 そうして宴会は続き。

 浮き立つ思考に流されるままに行動していると……。



 ……気づけば、その原因たる者は完全に意識を失っていた。



「……あら?」



 自分の手には一升瓶。

 この国で造られた物ではない。九十九が出した酒であった。

 どうもこの者の出す品々は、我ら月の民にとっての琴線に触れるものが多く、今もこうして我を忘れて気の向くままに行動してしまったようだ。



(これは……ダメよねぇ)



 力を使って空間を繋ぎ、自宅の棚に陳列されていた対毒物用の錠剤を取り寄せて、彼の口へと流し込んだ。

 毒物にはほぼ万能であるそれは、勿論、アルコールにも効果覿面。

 壊れ物でも扱うように、優しく、優しく。



 ―――ふと。

 これでは飲み難いだろうと、彼の頭を自身の腿へと移動させる。

 苦しくは無いだろうか。

 腿同士を擦り合わせるようにして、頭部の位置を調整した。

 何と手間の掛かる存在か。

 自分で作り上げた結果を棚に上げて、都合の良い様に思考を進める。

 けれど、彼に対して何か出来るという行為に、心が喜びを感じていたのも自覚している。



 ……不器用だ。妹の比ではない程に。



 自分で彼が困るように仕向け、そしてそれを、自分が助ける。

 このままではいけない。これは、正常な思考では無い。

 すぐにでも改めなければならないというのに……この行いは、とても心地良くて。

 これは不器用などでなく、歪だと。そう結論付けるのに、さして時間は掛からなかった。



(でも……今だけは……)



 最後にゆっくりと、口元へ水を注ぎながら、ゴクリと薬を飲み終えた彼を見届けて。



「な~に良い雰囲気出してるのよ」

「……はい?」



 良い感じに目元の緩んだ輝夜様に指摘されて、今の一連の思考と行動に、漸く認識が追いついた。

 ……自分は、何をやっているのかと気づく。

 今まで一度として、異性にこのような行為をした事など無かった事も、同時に。



(膝枕……。旦那様になったお方に、最初にやってあげるつもりでしたのに……)



 自分の考えを表に出さず、豊姫は輝夜へと問い掛けた。



「輝夜様」

「何?」



 依姫であったのなら、動揺の一つでもしたのだろう。

 だが、仮にも政治方面でその手腕を発揮する人物である。ポーカーフェイスは大得意だ。気づかれてなるものか。



 ―――思考を切り替える。空気を切り替える。そして……話題を摩り替える―――



 輝夜様の相手をしていたレイセンは、既に壁へと寄り掛かり、静かな寝息を立てている。

 何だか無償に苛めたくなる感情が沸き起こるけれど、今はダメだろうと、気を鎮めた。

 

「依姫ちゃん……フラれてしまいましたわ」



 何処に出しても恥ずかしくない、どころか、むしろ誰に対しても自慢出来る、最愛の妹であったのに。

 盗られなくて良かったと思う反面、どうしてダメなのだという気持ちも湧き上がっていた。



「そうね……。そういえば、ある意味で私もフラれたようなものだったわ」

「輝夜様も……ですか?」

「だって、九十九ったら、私の自由を奪った挙句に、何一つそれを惜しむ事なく手放したのよ?」

「そういう考え方も出来ますわね……」



 視線を落とせば、不本意に意識を失った割りには、やけに幸せそうな寝顔がそこにはあった。



「変な奴よね。こうして見ているだけなら、ホント、何処にでも居る地上人だってのに。何で気持ちが傾かないのかしら。よっぽど変な趣味か、かなりの美人達に囲まれながら育っているとでも言うの?」



 ぐにぐにと頬を引っ張る輝夜は、何処か満足そうだ。

 楽しげにそれを繰り返す彼女を他所に、豊姫も、頷く事で同意した。



「何でも……地上に思い人が居るのだそうです」



 ついこの前知りえた情報。

 何を思うでもなく漏らした言葉に、輝夜が目を大きく見開いて、驚きの表情を作る。



「……それ、本当?」

「え、えぇ。依姫ちゃんが断られた理由が、それであったとかで……」



 何やら真剣に考え込んだ後で、



「……ま、でも時間が経てば解決するわね」



 輝夜は、そう結論を下した。



「どういう事です?」

「九十九についての実験の結果が、少し出たのよ。あいつ、寿命が無いみたいだわ」

「私達のような存在であるので?」

「いいえ。それよりも上。完全な不老よ」



 不死ではないようだけれど、と。

 また一つ、驚異的な―――けれど、その程度ならもはや驚く気すら起きなくなっていた両名は、横からやって来た永琳に顔を向けた。



「依姫ったら、あんなにお酒弱かったかしら」

「あれよ。九十九の出した酒だからだわ。とっても美味しいんだけれど、どうも色々と感情の箍が外れやすくて敵わないわ」



 なるほど。と同意する永琳だったが、既に外れていた結果の、この膝にて昏睡する男なのではないかと。

 そう、豊姫は突っ込みたい衝動を堪えた。



「それで」



 永琳が、確認するように、輝夜へ声を掛ける。



「何が時間が経てば解決するのかしら?」

「だって、九十九の相手の寿命が尽きるまで待てば、その問題は解決するじゃない? その時にまた声を掛ければ、あいつが拒否する理由が無いわ」



 これで万事大丈夫。

 そう顔に表れている輝夜だったが、永琳が溜め息と共に、その言葉を否定した。



「確かに、それなら問題は解決するでしょう」

「でしょ?」

「でもね。その相手が、寿命のある者だとする根拠が何処にあるの」

「ぁ……」



 その考えは無かったとする輝夜とは反対に、豊姫は納得の意を示す。



「そうですわね。あれだけの力を持っている者ですもの。他の力ある者が、放っておく筈がありません。穢れの蔓延する地でありますけれど、九十九さんを見ていれば、その理由も参考程度にもなりませんわ」

「あ~あ。良い手だと思ったんだけどなぁ」



 ダメだったか。と九十九の鼻を摘んで、嫌そうに眉を顰める反応を楽しんだ後、輝夜はその手を離して、畳へとその身を横たえた。



「……こいつ、本当に帰しちゃうの?」



 唐突な言葉だったが、それは、この場にいる者が皆、抱いている考えでもあった。



「そういう約束でもあるし、こちら側のミスが原因でもあるのだし。何より、彼、弁済どころか過剰とも言える利益をもたらしてくれているじゃない。これで契約を反故にしてご覧なさい。私達は畜生以下に成り下がるわよ?」



 そう言う永琳であったが、内心は輝夜に同意している。



「それについては、依姫ちゃんに何か案があるようです」

「あの子に? 何かしら。フラれた理由を盾に、永住でも持ち掛けるとか?」

「それが、詳細は話してくれなくて……」



 それを提案した本人は、幸せそうに寝息を立てている。

 ぬぼっと佇む【カルドラチャンピオン】だけが、石像のように無言で佇んでいるものの、初めの頃の威圧感は、慣れてしまえば気になるほどのものでもなかった。

 雰囲気の緩和に拍車を掛けているのは、その存在の足元で寝息を立てているスロバッドである。

 すやすやと眠り扱けるその小さな姿は、何処か愛らしさを感じる。



「で、永琳は、そんなもうすぐ帰る奴の為に、何を寝る間を惜しんで造っているのかしら」



 知ってるわよ、と暗に秘めながら、輝夜は尋ねたものの、当の永琳はそれをこれっぽっちも気にした様子はない。

 結果的にこそこそやっているように見えていただけで、別に隠すほどのものでもないと思っているからだ。



「【宝石鉱山】もそうだけど、【森】が出現した事によって、首脳部が本腰を入れて彼との友好を結べないか、と打診があってね。高御様も似たような事は行ったけれど、あれはあくまで個人同士の関係が大きい。よって、上のやんごとなき方々は、かつて失った故郷の再誕を夢見ながら、けれど自分達での案は全て無理だと判断して、私に依頼して来たのよ」

「……方針を決めるのが上ではありますけれど、そうも丸投げされてしまいますと、溜め息しか出ませんわね」



 永琳に同意する豊姫であった。



「金銭でもダメ。権力は興味が無さそう。物品系は、この【カルドラチャンピオン】さんや【森】【宝石鉱山】などを見ていても絶望的。後は異性くらいのものだったんだけど、依姫とのやり取りを聞くに、その辺りの貞操観念は強い。……あれだけの力を持っているのだから、それを可能にする力を持つ彼なら、欲望に忠実であると思ったのだけれど……。余程面白い環境で育ったのね」

「はいはい、前提条件は察しが付いたから」



 早く結論を。と急かす輝夜に、詰まらなそうに永琳は答えた。



「彼は彼自身の力の制御に興味があるようなのよ。私との実験に付き合って貰っていた時から、そういった兆候が見受けられた。本人は別に隠している様子も無かったようだけど……。まぁ、そういう訳で」



 懐から何かを取り出して、それをテーブルの上に置く。
 
 彼が身に着けていた、滑る様な白い外套に、とても馴染む色をした純白の大理石のようなそれは、コトリと見た目通りの重さである音を鳴らした。



「腕輪?」

「要約すると、ワームホールの発生装置。もしくは、パイプラインね。豊姫の力を応用したもので、豊姫との距離が開けば開くほど安定性に難が出てきちゃったから、安定性優先で造ったのだけれど、そのせいで色々と組み込みたかった機能が全て破棄になってしまったわ」

「……何を組み込む予定だったのよ」

「通信端末としては勿論、いつでもこちらに来れるような転送装置に、彼の力を使った局所的な次元断層や空間断裂を引き起こす―――」

「分かった。もう分かったから。……一つで無理なら、腕輪を二つ三つ造って送れば良いじゃない。そんなに大きなものでも無いのだし。嵩張るものでもないでしょう?」

「一つ目の機能が周囲に及ぼす影響が強過ぎてね。互いに干渉しあっちゃって、断念したわ」

「もう試してたのね……。……それで? その組み込みたかった機能を全て省かなければいけない程重要な機能―――ワームホールを作り上げて、何のやり取りを行おうと言うの?」



 空間操作系の機能はかさ張るとはいえ、通信機能など、それこそ豆粒一つ以下程度の容量で事足りる筈なのだが。

 そう訝しむ輝夜に、永琳はきっぱりと、



「エネルギー供給」



 そう答えた。



「知らなかったわ。あいつってアンドロイドなんかの機械の類だったのね」

「違うわよ。純粋に、活力や体力の元となっている物質を精製して、彼へと流し込むの」



 一端言葉を止めて、永琳は二人の顔に目をやった。



「彼が、彼の言うクリーチャー達の基点になっているのは知っているわね?」

「はい。次に何か事が起こる場合は、彼に考える間を与えず、速やかに意識を刈り取るなどするように、との結論でありましたわよね」

「過去の出来事のデータを見るに、彼が何か一つ行動を……能力を使う度に、彼は大小の差はあれど、それが大きければ大きい程に、彼のエネルギーは消費されている。まぁそれは万事全ての事象に当てはまるけれど。出した後で色々するのは得意のようだけれど、出す前の段階であれこれするのは苦手のようなのよね。そして―――」

「あの、永琳様、また……」



 またも話が横道に逸れそうであったのを、今度は豊姫が恐縮そうに呼び止めた。

 この師の悪い癖である長話は、依姫は兎も角として、その弟子の姉にとっては、可能な限り避けたいものであった。



「輝夜はあれだとしても、まさかあなたから止めに入られるとは思わなかったわ。―――やっぱり、その膝の重みのせいで、腰が据わっているからかしら?」





 ―――しかし、元の会話に戻そうとした行いは、その言葉によって失敗する事となる―――





 足を崩している輝夜に、永琳と豊姫は正座。

 ただしその豊姫の膝には、先と変わらず、意識を失わせたままの体勢で、九十九の頭が乗ったままである。



「自分でも不思議なのですけれど……。一度認めてしまえば、また新しい視点から物事は見れるものなのですわね。……どうにも、こう、出来の悪い弟の世話をしている心境でして……」

「あなた弟なんて居ないじゃない」

「例え。ですよ。輝夜様も、ちょっとやられてみます?」

「あ、それ良いわね」



 呆れる永琳を他所に、輝夜が豊姫の位置と入れ替わる。

 異性の上半身はそれなりに重いものの、豊姫は兎も角として、輝夜にとってはその重さなど有って無いようなものだ。

 静かに自分の膝の上に、重みを加える。

 何とも安らかな寝顔をしているその者は、建国以来最大の混乱を招いた一端を担っているのだから、何とも変な印象を受けた。



「……こうして眠っていれば、ホント、あれを引き起こした張本人だとはとても思えないわ」



 そうして、豊姫に習って頭を撫でた。

 手入れなど度外視だ、と主張する、やや強張った髪を触りながら……



「乱雑な髪の手入れだ事……。この辺が男の子、なのかしら。……永琳もやってみなさい」



 呆れつつも、何処か興味深げに目線をくれていた師に対して、その弟子であり上司は、面白そうに命令した。



「……え?」

「あなたよあなた。そんなに興味があるなら、やってみれば良いじゃない」

「え……でも……それは……」

「……何でそんなに躊躇しているのよ」



 言われ、何故だろうという疑問が沸き起こるものの、それの結論を出す前に、



「はい、ここ」



 ぽんぽんと自分の座る位置を叩き、来い、と指示された。

 どうしてこうも尻込みするのだろうかと自分で自分に疑問を持ちながら、言われるがままに、場所を変わった。



「……」



 膝の上に乗る顔を見続け、



「……」



 見続け……



「……」



 見続け……



「……」

「……あの、永琳様……?」

「永琳、どうしたの、戻って来なさい」



 おーい、と顔の前で手を振って、放心していた彼女を起こそうとする輝夜であったが、それでも何の反応も示なさい対象に、首を傾げる。

 別にこいつにそんな魅力など無い筈だが、と思考する輝夜であったが、



「え?」



 永琳は、膝の上の頭を包み込む様に抱きついた。

 誰もが言葉を発せられない中、月の抱擁は続く。

 一秒か、一分か。

 どれだけ時が経ったか分からないけれど、何の前触れも無く、その抱擁は終わりを告げた。



「永琳……あなた……」

「永琳様……」



 我に返った二人が、口々に理由を尋ねる声を上げた。



「……これで、最後だから」



 何が、と追求する二人では無かった。

 この月の中で最も付き合いの長かった彼女は、誰よりも自分の役目を心得ているばかりに感情を前面に出す事なく、こうして別れの時まで……いや、この機会が無ければ、このままずっと心中を吐露する事は無かったのだから。



「良い相手を見つけたと思ったんだけどね」

「あら、永琳、あなた、やっぱり歳下が好みだったの?」

「そういう意味では無いわ。今こうして改めて自分の気持ちと向き合ってみても、心が燃える様な感情などではない。あえて言葉として一言で纏めるのであれば、さっき豊姫が言っていた、出来の悪い弟。というのが最も適切かしら。異性としては……どうかしら? 今ひとつ実感が持てないわ」

「あら。永琳様も、ですの?」

「たった一週間程度ではあったけれど、とても心地良かったのよ。家族という付き合いは、時間が取られるだけで手間の掛かる関係だと思っていたけれど……。こういうのも存外悪くないと。そう、思えた」

「弟……弟かぁ……。私の場合はな~んか違うのよねぇ」

「あなたの場合は暇潰しの道具、みたいなものじゃない?」

「始めはそうだったんだけど、それもちょっとしっくり来ないのよねぇ」



 自分の弟(仮)を物呼ばわりする永琳だったが、輝夜はそれを気にしない。

 豊姫だけがそこに疑問を持つものの、それに対して口を挟む事はしなかった。



「―――そうね。こいつの言葉を借りるなら……」



 永琳の膝で幸せそうに熟睡しているものの頬を、ちょんと、突く。




「九十九曰く、『友と書いて、ライバルと読ませる』といった感じかしら」

「なに? それは」

「さぁ? 『敵と書いて友と読む場合もある!』とかも言っていたけれど」

「……危険対象をこちら側に寝返らせる為の戦術かしら。ジェイスさんの力を考えれば、彼に対しての敵は、敵足り得ない、と」

「それ最悪ね。もしかしたら、私と永琳と、豊姫や依姫が四つどもえのデスマッチを演じていたかもね」

「彼の性格かしてその線は薄そうではありますけれど、ジェイス様でしたら、それ位は行いそう、と思わせるだけのお方ではありますわね」



 しばし彼女達の雑談は続き、当初の目的は誰もが意識していたものの、それに戻る事はせず。

 テーブルに置かれたグラスに残った氷が解けて、澄んだ音を立てた頃に漸く、一通り言い切って満足した永琳が、話を戻した。



「ええと。それで、何処まで話を進めたのだったかしら。【カルドラチャンピオン】さんの武器である【カルドラの剣】を豊姫の扇子に応用する話?」

「九十九がクリーチャー達の基点になっている、というところまでよ。……あなた、そんな事やろうとしていたの?」

「まぁそれは追々ね」



 そこはあまり深く話す気は無いようだ。

 こほんと一つ咳払いをし、姿勢を正して―――九十九の頭を膝に乗せたまま―――人差し指を立てて、漸く話を纏めた。



「彼がクリーチャーやジェイスさん達を呼び出し、維持し続けるのにはエネルギーを消費する。法廷で、ともすれば過労死―――とも言える死因になってしまうほどの疲労をして昏倒してしまっていたわね? それは言い換えれば、そのエネルギーを補填出来るのであれば、幾らでも強大な存在をこちらへと招き入れられるのよ。……まぁその基準が今ひとつ良く分からないんだけれど」

「【マリット・レイジ】や【カルドラチャンピオン】は難なく維持出来ていて、【ジェイス・ベレレン】やその他のクリーチャー……何だったかしら?」

「【極楽鳥】に【ターパン】。後は、クリーチャーではないけれど、【ジャンドールの鞍袋】が最もなものね」

「そうそれ。それに対しては、大小の差はあれど、前者二つと比べれば、疲労具合が飛び抜けて高くなっている様子が見て取れた。存在の強大さとかが関係しているのかと……というよりそれが通常である筈なんだけど、あいつの場合、やっぱり何かしらの基準に沿って、その疲労具合が決まっているのね」

「いずれ、九十九さんはその事を話して頂けるのでしょうか……」

「どうかしら。余程親身になれば可能だとは思うけれど。あいつの場合、一度、信頼という名の懐に入ってしまえば
、幾らでも助力を得られそうだもの。じゃなかったら、豊姫に対してあれだけ過剰とも言えるプレゼントは無かったでしょうし」



 輝夜は横目で、そのプレゼントたる青き幻影の戦士を見つめた。

 これといって反応する素振りも無い。無言&無関係を貫く姿勢のようだった。



「いつかは、このお礼は致しますわよ……。輝夜様、そうやって人の過去を穿り返すの、やめて頂けません? 我ながら何とも意固地であったと思っていますし、反省もしていますから」

「良いじゃない、ちょっとくらい。こういった失態を犯したあなたを弄れる機会なんて初めてなんだもの」

「あら。じゃああなたが地上人(仮)にコテンパンにされた挙句にポイ捨てされた、という話で、私はしばらくあなたを弄ろうかしら。何せ初めての事ですから。教え子の矯正は徹底的にしておいた方が、後々楽ですもの、ね」

「……悪かった。もう言わないわ……」



 他愛のない会話で、彼女達は盛り上がった。

 話題は主に、月の頭脳の膝で眠り扱けている存在について。

 良かった事、悪かった事、色々あったものだと一頻り話していく内。

 月の夜は緩やかに更けていった。










(ま、素直に帰す気は無いんだけどね)



 とか思う者と。



(あの子がこんな存在をみすみす見逃す筈が無いわ。……はぁ。九十九さんの帰還の時の為に、何手か打っておかないと)



 なんて頭を抱える者。



(そう永琳様は考えていらっしゃるでしょうから、それを考慮に入れつつ、あの方の手助け致しませんと。……もう、唯でさえ通常業務にすら差し支えが出始めていますのに)



 そう思考を巡らせる者に。



(……うわぁ、不味いところで起きちゃった……。聞かなければ良かったかなぁ……でも綿月様達のご恩と――― 一応、彼にもお礼……は、しないといけないし……。うぅ、輝夜様相手に何秒持つか……)



 人知れず、この場で最も苦悩する者が一人。

 後は、この場を無言で見守る【カルドラチャンピオン】

 それぞれの思惑の中。

 月の夜は穏やかに―――表面上は―――更けていった。





[26038] 第42話 地上へ
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/09/20 20:53






 クラシックな楽器達が、盛大で荘厳な音楽を奏でている。この手のものは、地上と月の双方に、あまり差は無いようだ。

 美術や芸能方面にはとんと疎いのだが、それでも今流れているこの曲が、とても洗練されている事だけは分かった。

 こちらに来て何度も目にした月の大地。何処までも続く砂の絨毯。

 本来なら何人たりとも生物の存在を許さぬ、日の届かぬ内は極寒の、日の届く内は灼熱の入り混じる世界。

 けれど今は、ともすれば千にも届くであろう人々の影が浮かび上がっていた。

 ウサミミの付いたヘルメット。落ち着いた色の防弾ベスト。そして、やはり構えられているライフルやら何やら達。

 残念な事に、知っている顔で見送りに来てくれているのは、依姫だけだ。

 何でも、他の人は溜まりに溜まったあれやこれの雑務を処理し始めているのだとか。

 豊姫さんの力を使って戻されるのかとも思ったのだが、どうやらそうでは無いらしい。

 地平線に映える青き星を背に、俺は見送りに来てくれた……のか警戒されて配備されたのか悩む大勢の軍隊に見られながら、直立している。



 思い返せば、あっという間。

 ここに来て、色々な人々と付き合って、怒涛の如く過ごしたかと思えば、今こうして、元の場所へと旅立とうとしている。

 永琳さんから選別にと受け取った、白い大理石のような細い腕輪に目をやった。

 何でも、疲労が一定以上になると、自動でこちらの体力を回復させる機能を持っているのだそうだ。折角なので、八意の腕輪とか名付けてみようか。

【タップ】【アンタップ】に頼る事無く、図らずも【ファッティ】召喚の制限が薄れた事に歓喜した。

 ……ただ、そんな彼女も色々と忙しいらしく、この式典? には出席出来ないらしい。残念である。

 けどまぁ、いつかは地上に降りて来る……かもしれない方々であるのだ。

 場合によってはこちらから自力で会いにも来れるのだし、そこまで気落ちする程でも無いだろう。



「九十九……」

「依姫」



 俺の目の前には月の軍神。

 ただしそんな彼女は、さして明るくないこの月面であっても分かるくらいに、頬が少し赤い。

 それに心当たりのある俺は、釣られて自分の顔に熱が集まっていくのを感じる。



「お、お前赤くなるなよ。こっちまで恥ずかしくなって」

「えぇい思い出させるな! 第一あれはお前にも原因があるだろう!?」



 思い出させたのはそっちだろうが。

 彼女が恥ずかしがっている理由とは、昨夜、世話焼き女房の如く変貌した事ではない。



 泥酔した翌朝。

 明るくなった外の光に起こされて、鈍い意識を無理矢理覚醒させかと思えば、俺はパンツ一丁になっていた。

 そこまでは良い。

 ……いや、良くはないのだが、まだその段階でなら、色々と被害は抑えられたのだ。一応、最後の砦(パンツ)は残っていた事を、寧ろ褒めるべきだろう。

 あの時ほど鍛えていた自分の体を誇らしいと思った事は無い。

 適度に引き締まった体は、自己判断ではあるものの、誰に見せても恥じる要素の無いものだと自負出来たからだ。転生前の、二の腕ぷるぷる&二段腹状態でない事に安堵した。



 ―――問題は、俺の左右。



 着崩れた衣類を辛うじて体に引っ掛けて、その柔らかな肢体をこちらの腕へと絡ませている依姫と、衣服こそきちんと着こなしているものの、こちらの胸を枕代わりに、すやすやと寝息を立てている豊姫であった。



 ……訂正しよう。

 ここだ。ここまでは良かったのだ。

 既にマスタースパークやらマリさん砲やらが飛んできても可笑しくない状態ではあったものの、ここまではまだ、弁解の余地が残っていたのだ。

 だが普段、色恋沙汰など微塵も無かった俺であったから、それを夢だと思い込んでしまった。

 具体的にどう思ったのかは記憶に無いが、とてもハッピーな脳内であった事は間違いない。

 そうして導き出された行動が、この状態をもっと味わおう。的なものとなり。



 両手に花束。

 左右で寝ていた彼女達を、自分の胸元へと引き寄せた。

 ふにゃん、とした表情の依姫は、『暖かい……』と呟きながら、更に体を密着させて。

 えへへ、と声の聞こえてきそうな優しい顔で、こちらの体を愛おしげに撫でてくる豊姫に、夢の事だと思いながら、いつ死んでも良い、とすら思った程だ。



 ―――ぬぼっと。【カルドラチャンピオン】が、俺の頭上から覗き込む。そろそろ時間だ、という事らしかった。

 そこで俺は漸く意識が覚醒し……同時、左右で寝ていた彼女達も覚醒した。



 ……後は、ひたすら無言。

 騒がない。慌てない。目線すら合わせない。

 俺と依姫と豊姫は、もうそこには自分以外の誰も居ないと言わんばかりの完全な無表情を貫いた。

 何事も無かったかのように互いから離れたかと思えば、いそいそと服を着込み、全部着終えたところで、俺は、同じく寝入っていた永琳さんと、レイセン、輝夜と、スロバッドを起こす。

 永琳さんと輝夜は、壁にもたれ掛かりながら、二人で支えあいつつ夢の世界へと旅立っており、その永琳さんの膝に、レイセンも頭を置いて静かに寝息を立てていた。

 これであと一人。

 小さな白き者が混ざっていれば完璧であったか、と。ふと思った。

 そうして。

 写真の一枚でも撮りたい光景であったと悔やみながら、自分の状況を逃避するように思考を逸らしつつ、こうして月の人達―――主に軍隊―――に見送られながら、式典っぽい現状にまで漕ぎ着けるに至った訳である。



「しかし、お前は永琳様を起こす事に躊躇無かったな」



 暗に自分には出来ないとのニュアンスを含ませる。



「短い付き合いとはいえ、何回か起こしてるからな。コツは、揺するなりして体に刺激を与える事だ。声だけだと、ちょっと厳しい感じ」

「なるほど。機会があれば試してみよう」



 そして、両者は今までの流れを思い出す。



「と、とりあえず、次からは飲酒には気をつけましょうって事で……」

「う、うむ。肝に銘じよう」



 既にスロバッドは還してある。

 ジェイスともいずれ、このような場を設けたいと思いながら、目の前に広がる光景に、ただ息を呑む時が続く。

 音楽隊の演奏が終わり、こうして依姫が何かの挨拶をするだろうと思っていたのが思わぬ方向に逸れてしまったけれど、何とか方向修正は出来たようだ。








「―――行くのか」



 思い出したように、依姫の口から言葉が漏れた。



「……そりゃあ、な」

「そうか……」



 ちょっと気まずい。

 周りにかなり人が居る事と、会話のメインが例の件でない事が、唯一の救いだろう。



「―――くっ」



 依姫の顔色がころころと変わる。

 それに合わせて頭を抱えたり、眉間に皺を寄せたり、両手で顔を覆ったり、何やら凄まじい勢いで考え事をしているのは察する事が出来た。



「九十九っ!」

「はいっ!」



 とうとう気持ちに整理が付いたのか、吹っ切れたように、俺の名を叫ぶ。



「未だに私は、お前に対する気持ちが良く分からん」

「……は、はぁ」



 ドリフよろしく、俺の衣類がズルっと着崩れた。

 散々悩んだ末の答えがそれですか。お前らしいとはいえ、ちょっと体の力が抜けましたよ。



「ただ、お前が好意を寄せる相手が居る事に、酷く感情が沸き立つんだ。永琳様の時とは似て非なるものだ。皆はこれを、愛だの恋だのと呼んでいるらしい」



 ……今、何と言った?



(……まじかよ)



 テモ期到来だぜ! ヒャッハー!

 これで俺も……。





 なんて。





 ―――そんな感情は、一切沸かなかった






 馬鹿だと思った。酷く、馬鹿だと思った。悲しみにも似た感情の方が先に湧き上がっていた。

 何で、よりにもよって俺なのだと。

 他に良い異性など山ほど居る筈だ。

 顔が良かったり、性格が良かったり、家柄が良かったり。

 それに比べて俺なんて、唯一、能力だけが取り得の……それこそ神か悪魔か。な程のものがあるとはいえ……。



「―――落ち着け」



 彼女の言葉を遮る。

 東方プロジェクトにおいて、最強の存在を討論した際には必ず候補に挙がるであろう者、綿月依姫。

 高潔にして無垢。

 瀟洒にして可憐。

 この世界で、一騎当千の名がここまで似合う奴もそうそう居ないだろう。

 諏訪子さんの時のように、時の流れと共に互いを理解しあった訳でも、彼女の為に死力を尽くして何かをした訳でも無い。

 ……それが、ただの力を貰った存在に対して感情を揺さぶられている、とも思える行為が、とても心を掻き立てる。



 ―――話し、理解していく内に、俺は依姫に、一種の憧れを抱いていた。

 竹を割ったような裏表の無い性格は、付き合っていけばいくほどに、その愚直さに、その素直さに敬意を感じ、失態にも全身全霊を以って応えて謝罪するあの姿勢は、いつも逃げ道を確保して、時に空回りをし、被害を抑えようと足掻く俺には無いものであった。

 鬼とは違う。

 あいつらは、物事はそういうものだから。と割り切った上での言動である。

 けれどこいつは、思い、悩み、失敗し、挫折し、それでも次こそは、と。何度後悔の海に溺れようが、その足掻きを止めようとしない者。



 馬鹿だろうと思った。阿呆だろうとも思った。そして―――羨ましいとも思った。



 そんな行いをし続ければ、自分が傷つくだけだというのに、それを決してやめようとしない。

 それを是とする者など、俺の周りには居なかった。



 だから思う。

 お前にはもっと相応しい、運命とも言えるだけの相手が居る筈なのだと。

 諏訪子さんに気持ちの傾いている俺などではない、もっと自分を……依姫だけを見続けてくれる存在が。

 原作ではまだ出現していなかったが、こんな魅力的な女性が、いつまでも放って置かれる筈が無い。

 ……俺は、綿月依姫に対して、好意を持っている。ただそれは、愛とかそういうものかと問われれば、素直に頷くものではなかった。

 一言で纏めるのなら、気に入ったのだ。

 だから、そんな者が……信頼した相手が不幸になりそうな行いを、ただ黙って見過ごせるものか。



「お前は一時の感情に流されてるだけだ。誰も目にした事の無い力を前にして。……この力が欲しいってんなら、あげる事は出来ねぇが、幾らでも貸してやる。だから、もっと自分を大切にしろよ。こんな訳分かんねぇ優柔不断な男じゃなくて、もっとお前だけを見てくれて、お前に対して命を賭けてくれるような相手が絶対居る。惑わされんなよ月の軍神様。お前はもっと―――」



 言葉の続きは何と言うつもりだったのか。

 頬に受けた鈍い痛み。

 顔が横へと強制的に向かされて、口の中に不快な赤い味が広がっていく。

 依姫の振り抜かれた拳が、俺が何をされたのかを雄弁に物語っていた。



 月の者達が身構える。

 何があったのかと。何が起こったのかと。

 和やかに見送る筈が、一転して目の前の二人から、緊の一文字が浮き上がっているのだから。

 そして何も出来ずに……ただ、こちらを見続ける。



「……何すんだ」

「落ち着け、九十九」



 そっくりそのまま、台詞を返された。



「何を気持ちが高ぶっているのかは知らんが、過度な評価は不愉快だ。止めるがいい」

「なっ、過度ってお前」

「……あのなぁ」



 呆れた、と。

 溜め息をする彼女の顔には、その一言がありありと浮かんでいた。



「お前、私が何年生きてきたと思っている」

「……めっちゃ長い、位には」

「そうだ。そして、私の姓は何と言う?」

「綿月」

「……ここまで言っても分からんか」



 逆に、それで何を分かれと言うんだ。



「お前、こちらの事情に詳しいようで無知なのだな。……我が綿月家は、ここ月において五本の指に入る程の名家だといっても過言ではない。縁談など、それこそ笑みを浮かべた頬が石になってしまうのではないかと思える位には行ってきたさ」

「破談しまくってるって言いたいのか? そりゃお前、結婚の条件が厳しかっただけだろう。……俺には申し込んで来た事を思い返すに、だ。最低でも、月の軍隊丸々手玉に取れるだけの戦力やら【宝石鉱山】やら【森】やら出さなきゃいけないんだからな。理想高過ぎだぞ」

「そういう理由があるのは否定せん。だがな、《月面騒動》の判決が出た直後、我ら綿月家に対して取り入ろうとした家々の、何と多かった事か。思い返すだけでも癪に障るので要約するが、『復権したければ我が家に入れ』との連絡が引っ切り無しであった。……私は勿論。姉上にすらもな」

「……そりゃまた、何とも胸糞悪くなる話だな」

「だろう? しかし、まさかお前との関係が良好なものである、とは予想出来なかったのだろう。我ら綿月家を利用しようとした者達は、その恨みが我らを返してお前へと伝わるのではないか。と思ったらしくてな。……まぁ、それが権力者というものだ。打算無くて家は栄えん。それをせずして過ごすは、ただの無能者だ。理解はしているさ」



 そう纏める依姫に今ひとつ釈然としないものを感じるが、特権階級の人々の気持ちは理解の及ばぬところがあるので、黙って聞く事にする。



「それで、だ」



 依姫の眼が、再びこちらを捉えた。



「お前、私の力や家柄を欲した事はあるか?」

「……手に入るってんなら、すんごいメリットではあるな」

「そこだ」



 ズビシッ。な効果音と共に、人差し指を向けられた。



「我ら綿月家と友好を結ぼうとする者は、まずそこから入ってくる。それを悪とする気はサラサラ無いが、決して何も思わない訳ではない」

「そりゃ、家柄やら立場やらのせいだろう。そういった要素を省いた……そうだな。一般の人達なんかだったら、素のお前自身を見てくれてるんじゃねぇのか? 一人で街中うろうろしてれば、何かの恋の予感でも始まるかもしれねぇぞ?」

「そうかもしれん。だが、私は綿月の姓を名乗っているのだぞ? 何の取柄も無い者との婚約など、御家の為には一利も無い。せいぜい私の気持ちが満足する程度の範囲だ。人々の上に立つ者として、それだけでは、な」



 ……漸く分かった。

 こいつは、自分の感情は二の次なのだ。

 御家の為に、月の為に、自分が出来る最善を行う事を是としている。

 好いた惚れたの感情は、あくまでそれらが成立した後に付随するものであり、それが成立しなければ、本人の意思は含むに値しない。



「だから、だ」



 今までの様子とは一変し、何処か不安げな瞳をする。



「お前が言ったように、お前の力を取り込められたのなら、御家の為……ひいては月の為、という条件は難なくクリアしている。そこには誰も疑問の挟む余地は無い。……九十九よ。私は数え切れぬほどの縁談を受けて来たと言ったな」

「あぁ」

「それはお前の言う通り、私が気に入らぬから云々で破談になったのではない。契りを結んだところで、大してメリットが発生しなかった事が最大の原因なのだ。家柄において我らと並ぶ存在は少なく、力においては、それこそ、姉上と輝夜様。そして、永琳様の三名しか、な。……選択肢の悉くが、自らの水準よりも下なのだ。婚期が迫っている訳でも無いので自然と、こうして浮いた話の一つもなく過ごして来てしまった訳だが……」



 少し言葉を濁した後。



「……お前が初めてだったんだ」



 俺にでも聞こえるかどうか怪しいくらいに、小さな声で。



「名も力も関係無く、私という個人を見て、何一つ飾るでもなく付き合ってくれる異性は。そして、そんな相手は過去最高の好条件であるのは疑いようも無い。打算もある。思惑もある。だが、そんなものは私の中では後付けでしかない。……なぁ、九十九」

「……おう」

「お前、私が困っていたら……どうする?」

「どうするって……」



 逡巡。



「とりあえず、駆け付ける」

「その後は?」

「何が出来るか考える」

「命が危うかったら?」

「まず助ける」

「それが『神々の依り代』たる能力でも太刀打ち出来ない者であってもか?」

「悠久の時の中に思考が腐り果てるまで置いておくでも、何一つ感覚の無い絶対隔絶した空間へと飛ばすでも、無慈悲な一撃を以ってその土地ごと塵芥になってもらうでも、如何様にも。そんな相手が居たら、の話だけど」

「……お前、そんな事も出来たのか」

「冗談だ。そこは流せよ」



 今はまだな、と。心の中で呟いた。



 互いに苦笑。疲れたように声を漏らして、すぐ止まる。

 テンポ良く会話が続いた事に、何処か可笑しさを感じながら。

 僅かに笑みを向け合った後、息を整えて、再び問い掛けて来た。



「……それで、それは私が綿月家の者だからしてくれるのか? それとも、『神々の依り代』たる力を持っているからか?」

「綿月じゃ無くなろうが、能力失おうが、別に。―――お前が、お前だからだ」



 何だか乗せられて会話している気もするが……まぁいいか。別に嘘を付いている訳ではないのだし。

 その言葉に、彼女は満足そうに深く頷いた。



「初めて出会ったのだ。契りを結ぶ事に問題が無いどころか、むしろそうすべきである、と思わせる相手は……。お前は数百万年の私の人生の中で、初めて出現した優良物件という訳だな。同じだけの時を過ごしたとしても、このような条件の相手と出会う可能性は、不変が常である月の都市では困難……違うな。不可能だ」

「……そこは、“あなただけ”的な台詞で通せよ。他に同条件の物件があったらそっちに行く、みたいな台詞になってるぞ」

「そう言っているのだ。間違いではないぞ? ……お前とて、先に出会った者が永琳様や姉上、輝夜様だったのなら、今お前の心を占めている者に対して、同じ感情を抱き続けていられるか?」



 好いた惚れたは先手必勝。

 少し違う気もするが、誰だったか、そんな言葉を思い出す。



「……酷い言い方だ」



 ―――ただその時は、俺は“九十九”などという者ではなかっただろうが



「ん? その通りであると思わんのか?」

「黙秘する」

「はっ、酷い台詞だ」



 またも、言葉を返された。



「全ての条件がお前との契りを結ぶ事に可を下し、そこで漸く、私はそれら柵のフィルターを通さずに相手を見る機会を得た。初めての事で色々と困難ではあったが」



 一息。



「……お前だからだ。九十九。意図も容易く何かに流される姿も、愚かとも思えるほどに浅はかなところも。そして、心を許した相手に対して愚直なまでに親身になってくれるところも」

「……後半のとこは理解出来るが、前半二つは、むしろ断固拒否するところじゃねぇか。むしろ逆だろ、逆。それの反対を好めよ」

「そんなものは私一人で充分だ。何が悲しくて自分と似たような相手と契りを結ばなければならないんだ。ならば元より私一人で構わんだろう。違うからこそ楽しいのではないか」



 そういう考え方もある……の、か?



「……あれか、お前、最高とか完璧とか無敵とか、そういった単語から真逆な相手が好みなのか」

「否だ。私は、私に無いものを持つ者が好ましいのだ。ただ、そういう者は最初の条件―――月の為に何かしらの利をもたらす―――から悉く外れてしまっているのでな。だから……うむ……」



 自分の中で渦巻いていた言葉が纏まったのだろう。

 少し唸った後で、ポンと手を打ち、こちらへしっかりと向き直り。



「お前が私の持ち得ないものを持つが故に、私はお前を好いているのだ。この心の温かさは、今でも胸に灯っている。―――この熱が、間違いである筈が無い」



 先程の、恥ずかしげに悩んでいた素振りは何処へやら。

 これでお前も分かっただろう、と。

 何一つこちらの反応を確かめる事無く言い切るその表情が、雄弁に彼女の気持ちを語っている。



 無色。

 魂の有り方全てが手に取るように分かる感覚は、何一つとして偽りの色の付いていない、純粋な本心から発生したものだからだろう。

 ここまで言われて、黙っていられる訳が無い。

 ……但し、その沈黙を破る行為が、決して良い方向に転ぶ訳ではない。



「……それでも、だ」



 否定の言葉。

 突き放す様に、俺は拒絶を口にする。

 思考の纏まらない頭では、もはや彼女に対して口論で説得出来る気がしない。

 だから、もう、最後の手段。

 駄目なものは駄目なのだと。ただの情の赴くままに、子供の我が侭の如く、気持ちのみで押し通す。

 好意を寄せてくれるのは嬉しい。それこそ、天にも昇る気持ちだ。

 だからこそ、それを認めてはならないというのに。



「だろうな」



 それは相手にとっては織り込み済みで。

 今までの重々しいやり取りは消え失せて。

 その態度に、訳が分からなくなる。



「困らせて悪かった。―――さて、では本来の目的を果たすとするか」



 不意に、彼女の表情は優しげなものから一転し、真剣なものとなる。



「名前を貸して欲しい」



 告げられた言葉は、言い方は悪いが、腐っても彼女は綿月家の者なのだと認識するには充分だった。

 鈍い俺の頭でも分かる。

 変な話、仮面夫婦になれ、と言っているようなものだろう。



「……力を貸すとは言ったが、名を貸す事態になるとは思わなかったぞ。……別に良いけどよ。こっちには何か影響は?」



 暗に、面倒ごとは御免だ。とのニュアンスを含ませる。

 協力するとは言ったが、全てに肯定している訳ではないのだから。



「特には、無いな。お前が契りを結ぼうとしている相手との間に誤解が生まれるかもしれない……くらいか。まぁ黙っていれば、月での事情など知る事もあるまい。仮にもし知ってしまったのなら、我ら綿月家がその者と直接話の場を設け、説得してみせる。無論、その他月での面倒ごとも、全てこちらで対処する。書面上は夫婦だが、綿月家、蓬莱山家、八意家の三家にとっては、その婚姻は名ばかりのものであると理解した上での、これだ」



 自身の長い髪を手櫛で梳かしながら、彼女は、今度はメリットの方を話し出した。



「とはいえ、それでも夫である事には変わりない。お前が望むのなら、我が家を自由に使ってくれて良い。資産、人材、そして、私も。全てを、だ」



 月に害の無い範囲で。と言葉を纏め、そう提示する。



「もしあれなら、九十九の思い人に、初めから説明しておこうではないか。『我が家を救って頂く為に名前をお借りしたいのです』といった風に。どうだ? これならお前も後ろめたい気持ちは起こるまい?」

「あ、えぇー……んん?」



 俺が拒否している最大の理由は、依姫が不幸になりそうである事と、何よりも、諏訪子さんに対しての背徳心。

 よって、依姫が幸せになり、諏訪子さんにも恥じる事の無い……筈の行いならば、むしろ協力してやるべきなのではないだろう……か……?



 そう、考えていると……。



「―――我が侭なのは分かっている。ずるい女だ。相手の事を思うでなく、自分の感情を優先するのだから。……故にこれは、愛でも恋でもない。単なる独り善がりの自慰のようなものだ。……まぁだからこそ、この気持ちに何と名付けたら良いものか分からんのだが……」



 ―――毅然とした態度は見る影も無い。

 俯く顔は、一体どんな表情をしているのか。

 一歩こちらに近づいて、もう一歩踏み込めば、体が密着する距離まで縮まった。

 微かに体は震え、声は上擦り、十拳剣の握られた手は、強く握り込まれている。



「……頭では理解している。それでも、感情が現実を受け入れてくれない。お前が地上へと戻れば、私はそちらに行く事は出来ない。それは……とても……嫌だ……」



 顔を上げてこちらを見る目は濡れていた。

 理性と感情の鬩ぎ合いの中で、それでも自分の感情を優先させた事実を悔いているような。



「―――名前を―――くれないか―――。お前との関係を諦める為に。自分の心に区切りを付ける為に。かつてお前は私と同じ名の下に居たのだという事実を。―――頼む」



 形としてだとか、思い出としてだとか。

 けれど、彼女はそのどれでもない―――名前という、ある意味で、存在そのものを指すものを欲した。

 そこには一体、どのような思いが込められているのか。

“貸して”から“欲しい”に変わっている事には、もはや口を挟むつもりは無い。



「依姫」

「……何だ?」



 顔を背けず、今にも涙が零れそうな瞳であるというのに、真っ直ぐこちらを見つめている。

 本当に……嫌になるほど良い女だことで。



「ごめん……な」



 受け入れる為にではなく、これで終わりとの意味を込めた抱擁。

 包み込む暖かさは、こちらの背にも手を回す。

 強くもなく、弱くもなく。

 男は僅かに腰を落とし、女は僅かに爪先を立てる。

 互いの頬が触れ合い―――。

 今生の別れにも似たそれは、どちらともなく終わりを告げて。

 再び二人の間には、少しの―――それでいて、決定的な距離が空いた。



「―――酷い男だ。これから別れるというのに」

「……一度、言われてみたかった、かな」

「阿呆。そんな台詞は、もっと格好を付けられるようになってから言うがいい。冗談にしては……いや、本気であれば尚の事に、質が悪過ぎだ」



 不適に笑う彼女の顔は、一点の曇りも無いもので。



「さて―――そろそろ時間か」



 俺と彼女の距離が空く。

 一歩二歩と開いたそれは、五歩目を数えたところで止まる。



「名前。好きに―――あぁいや」



 口を噤んで、言い直す。



「俺の名前、お前に貸す。生憎と大切な人から貰ったもんなんでな。あげるのは無理だが、それくらいなら……お前だったら、構わない」

「……そうか。有り難く受け取らせてもらおう。―――九十九!」

「ん?」



 依姫から何かが放られる。

 黒くて長いそれを、片手で掴んだ。



「これって……」



 彼女の武器である、『十拳の剣』であった。



「お前は何かと抜けているからな。剣術が使えずとも問題は無い。腰から提げておくだけでも、自動で危害を加えてくるものを駆逐してくれるだろう」



 何という光剣フラガラック。

 思い入れどころか、それが行き過ぎて九十九神まで宿ってしまっている大切なものを、俺に託す。

 ……一瞬、付き返そうかとも思ったけれど、ここは素直に受け取る事にした。



「―――ありがとう」



 感謝の言葉と共に、受け取ったそれを、高く掲げてみせる。

 それを満足そうに見つめた依姫は、片手を上げて、後ろに控えていた月の軍隊―――の誰かに、転送装置の起動を合図した。

 光に包まれる、との表現が似合う現象に晒されながら、手にした刀を腰へと挿す。



「それでは、な。お前に、月の光の加護のあらん事を」



 足元が光へと溶ける。

 今度の転送は、きちんと生命体を送るものだと聞いたので、【死への抵抗】によって自身を強化せずとも安心出来るものだと聞いた。

 心残りなら、それこそ山のように。

 いつかは自力でこの月と往復出来るようになれればと思いながら。



「あぁ。そっちこそ、【マリット・レイジ】や【カルドラチャンピオン】と仲良くな」



 ここで学んだ事を、どれだけ生かせるだろうか。

 出力マナの上限開放、ストックマナとカード使用枚数の容量増加。

 帰ったら、しばらくはそれらに加えて何か獲得したスキルはないものか、確かめて過ごそうと。



「―――じゃあな、よっちゃん」

「―――あぁ、さらばだ。九十九」



 何気に、そう渾名を呼んだのは初めてであった。

 変な呼び方だ、と表情が物語っているものの、律儀にこちらに返答してくれているのだから、やはり真面目なんだなと思うのだった。










 ―――その言葉が、そこで終わっていたのなら。










「―――あぁ、さらばだ。九十九。―――正室に宜しくな。側室の管理は、私に任せるが良い」





 ……え、何? 聞こえない。





「……よっちゃん、わんもあぷりーず」

「? 正室に宜しく頼む。側室の管理は、私が行おう」




 ……聞き間違い……じゃ、ねぇ……!?



「ちょい待った! どういう事だそりゃ!?」

「どうも何も、言葉通りだぞ?」



 言葉通りって……こいつが言うから、事実、言葉通りなんだろうな。



「百と、飛んで八」

「……何の数?」



 既に確信はあるものの、尋ねずには居られない。



「お前への求婚相手だ。これでも大分減らしたのだぞ。十分の一以下に」



 ……側室って、やっぱりそういうところから来たのか。

 というかそもそも、俺の了解無しに何でそんな存在が……。ん? その為の俺の名前なのか?

 ……そして、さらっと煩悩の数だけ居るのは、マジで何かの当て付けなんだろうか。



「八意家、並びに蓬莱山家がそれらを全て止めていてな。お前が知らぬのも無理は無い。百八も漏れてしまったのは、ある意味で八意家と蓬莱山家にとって、何かしらの恩か、重要な役割を果たしている御家だな。―――その二家が止めなければ、今頃お前は十二人同時に寝る間を惜しみ、それを果たしても、数十日間は終わらぬ見合いを行っていた事だろう。……今更何だが、お前はそれを望むか?」

「それ何て聖徳太子……。……モテ期到来なのは確かに嬉しいんだが、明らかに政略結婚以外の文字が見えないお付き合いってのは避けたいところです。……そんなのする位なら、とっとと帰りたいしな」



 東方キャラ以外の奴らなんて全く知らねーですよ。高御産巣日とか。

 どんなに可愛かったり綺麗だったりしても、素性の把握出来ない奴らは出来るだけ相手にしたくないのが本音です。

 何せ、知らない相手は、存在しないも同じなのだから。



「そう言って貰えて助かる。繰り返す様だが、永琳様と輝夜様の名を以ってしても、百八もの家々の申し込みを取り消せなかったのは、お前の政治的利用価値の高さが良く分かる、一種の物差しだな。……まぁ正直、我ら御三家でお前を独占しないが為であるのだが」



 言わなくても分かっているというのに。律儀過ぎるのも……まぁ、だからこその依姫であるのだけれど。

 そう言いながら、何かを思い出すような動作をして、こてんと小首を傾げる。



「我らほど、とは言わんが、中々の名家が揃っていたぞ。まさに選り取り見取りだ。もし全員娶ったのなら、この国の王となる事も可能やもしれん。内、何人かは男だが」



 生物学上の同性ですかぁ!?



「どういう理屈だ!」

「勿論、お前が男色の気がある可能性を探っての事だろう。自慢ではないが、私の容姿はそれなりに人気があるようでな。そんな私との婚約をバッサリと断ったお前に、皆が懐疑の眼を向けたのだ。好みが合わなかったのでは、というところから始まり、まだ年端も行かぬ子から、妙齢の者まで。そしてその可能性の中の同性、という事だな。私から見ても、中々悪くない者であったぞ?」

「だからって、生えてる奴相手に何しろってんだよ!」

「生え……生殖器の事か? 知らん。私は女であるからな。お前の好きにすると良い。ただ、男女共にだが、幼子にはあまり無茶をしてやるなよ。先にも言った通り、中には変声期も終えていないような者もいるようだしな」

「だから、そういう気は皆無だっつーの!」

「お前が普通ではないのは重々承知している。愛の形は星の数ほど、だ。節度の範囲内であれば、ガンガンいって構わんぞ。私は理解のある女だからな」

「そんな理解捨てちまえてんだコンチクショウ!」



 こいつやっぱり人の話を聞いて無い―――って、あ、もう腰まで消えてやがる!



「地上での側室をこさえた場合には、後からで構わん。いずれこちらに話を通せ。うまく纏めておく」

「何でお前が仕切ってんのさ! さっき諦めたとか心の区切りだとか言ってたじゃん!」



 とりあえず突っ込みを入れながら疑問の解決を図るものの、それでも限度というものがある。

 それでも何とか弁解の言葉を並び立ててみていると、



「正室を諦めたのだ。―――本当なら……お前の一番でありたかったのだがな」



 ……小さな声で、依姫の零した本音だと思われる台詞まで聞こえてしまったのは、男冥利に尽きると思え、男として最低だとも思えた。

 あぁ、諦めるって、そういう意味だったのか。

 ……不覚にも、ちょっと心が動いてしまった。



「何も、大事なものは一つであらねばならない訳ではないだろう」



 そう言って、依姫はその心中を話し出す。



「……そうだな。お前は最も大切なもの意外は、全て無用だと切り捨てるのか? 違うであろう。親が一人だけでは無い様に、友が一人だけでは無い様に。大切な者が複数居る事に、何の問題がある。突き放すでなく、こちらに謝るくらいならば、全て守ってやる、くらいの気概を見せろ。でなければ、謝罪の言葉など口にするでない」



 しっかりと。揺るがぬ意思を以って。



「勝手に人の幸せを判断するな。愛想が尽きたのなら、勝手にこちらから離れていくだけだ。……それくらい、好きにさせろ」



 不適に口元を歪めて、こちらにニヤリと笑みを向けた。



「さらばだ。いずれ、正室には挨拶に向かおう」



 ―――なっ!?



「さらっと爆弾投下するんじゃねぇー!」



 というかあの表情からして確信犯か!?

 さっきから叫びっぱなしで喉が限界迎えそうだってんですよ。



 ―――意識が暗転する。

 最後に見た彼女の表情は、実に楽しそうなものであり。



「―――楽しかったぞ、九十九。出会いこそ最悪であったが……。お前との思い出は、どれもが決して忘れる事の無いものであった」



 ―――こうまで言われては、去るものは追わず、であり続けるなど居られようか。

 潔い結果は、もう求めない。

 足掻いてやる。

 徹底的に足掻きに足掻いて、こちらから切るのではなく、あちらが俺に愛想を尽かす、その時まで。



 そして。



 ―――決して、そうはならないように。この下らないプライドを、信念の域にまで高めてやろうではないか。



 ただ……とりあえずは。



(諏訪子さんに何て言おう……)



 そこを考えてからでも、遅くはないだろう。



 振り返って見た星は青く。

 無事に辿り着ければ良いな、と思いながら。

 俺は月に、別れを告げた。









 緊急アラートが鳴る。

 とうとう来たかと思う。そして、間に合ったか、とも。

 同時、玉兎達の何人かが宙を舞った。

 わーきゃー悲鳴を上げながら次々と打ち上がり、それでも何一つ傷つかない彼女達を見るに、これが九十九の言う“こめでぃぱーと”なるものなのか、と、依姫は興味深そうにそれを見つめた。



 自分の通信端末が音を立てる。

 操作して、通信可能にしたと同時、



「―――……依姫様! もう限界ですー!」



 用件を伝え終えた直後に、何かの爆発に巻き込まれる様に砂嵐の音が混じる。

 そうしてそのまま、通信は途絶えてしまった。



(……レイセンよ。次からはもう少し早く言うが良い)



 せめて玉兎達が、宙を舞う前に。

 けれど一応は、役目は果たしたようだ。役に立ったかどうかは別問題であるが。



「皆、重荷となるものは全て破棄して構わん。撤収だ。即座にこの場から離脱しろ」



 よく通ると評判の声で、皆へと指示を出す。

 一瞬、近場に居た同僚の顔を見合わせた玉兎達は、まさに脱兎の如く、爆音鳴り響く地点から撤退を開始した。

 良い逃げっぷりだ。いずれはこれを何かに生かせないものか。

 そう、人知れず思案する依姫であった。






 依姫の視界に映るのは、人。

 全部で三人。

 一人は我が姉、綿月豊姫。

 もう一人は、月の頭脳たる八意永琳。

 最後の一人が、この月をいずれ統べる、蓬莱山輝夜その人であった。

 しかし、その蓬莱山の手には、何かが握られていた。



「……む、まさか」



 木の枝。……そう、木の枝だ。

 ただしその枝には幾つかの大小異なった玉が取り付けられており。

 それは金の枝と銀の根を持つ―――



「『蓬莱の玉の枝』まで持ち出したというのか!?」



 蓬莱山輝夜の結構やば気な状況に、依姫の鼓動が一速上がる。

 これは不味いと、不動を決め込んでいた彼女は、即座に駆け出した。





 ―――やっと手に入れた一時の静寂は、いっそ不気味な程であった。

 輝夜を押し留める様に対峙する豊姫と永琳の二人は、一寸の油断も無く本来仕えるべきの筈の相手を見据えていた。

 そこに馳せ参じた依姫を見た二人は、溜まりに溜まった安堵の溜め息を漏らした。



「―――依姫」



 しかし、それに反して怒気が高まるのは輝夜である。



「はっ」

「九十九は―――?」



 レイセンや玉兎達であるのなら、それだけで気絶してしまいそうな視線であったが、それを平然と受け流し、



「今し方、帰りました」



 輝夜にとって、最も聞きたくなかった言葉を口にした。



 一瞬で空間が沸騰する。

 誰から見ても、火口からマグマの噴出す寸前の火山において他ならないのだが、この場にいる輝夜以外の三人は、それを気にした風も無く。



「はぁーー…………」



 盛大な溜め息と共に、輝夜はその場へとへたり込んだ。



「お疲れ様です永琳様。姉上。無事、目的を達成出来ました」

「それは何よりです。ありがとう、依姫。……そうえいば―――あの玉兎……レイセンだったかしら。彼女は? 輝夜の足止めの第一防衛ラインを担当していた筈だけれど」

「……ええ、最後に一報。こちらに届けてきました。……惜しい人材を亡くしました」

「よ、依姫ちゃん? あの子、まだ生きているからね?」



 楽しげに語らう三人に、不満な目を向ける者が一人。



「何よー、別に良いじゃないの。減るもんじゃなし」



 この場合の減るとは、今し方青き星へと旅立っていった人物の事である。



「あのねぇ輝夜。あなたの我が侭は大概だけれど、流石に今回のは限度ってものがあるわ」

「……それを、私の意識を一瞬で刈り取った者が言うかしらねぇ」

「本当だったら十日は目覚めない筈だったんだけれど、無事成長してくれているようで、師としても、いずれあなたに仕える者としても、頼もしく思うわ」

「……だから何の拘束もされずに寝室で寝かされていたのね」

「まさか一日も経たずに目覚めるとは思ってなかったんですもの。……それを言うなら、あなたの方よ。蓬莱の玉の枝まで持ち出して」



 もうどうでもいい、と。

 月の至宝である蓬莱の玉の枝を無造作に放り出して、輝夜は九十九が帰っていった、青き星を見つめた。



「あ~あ……間に合わなかったか……」

「気休めだけれど……。またいつか、会う時も来るでしょう。力ある者とは、それだけ動乱に巻き込まれるのだから」

「何それ。永琳の経験則?」

「ええ。これでも私、結構長生きなのよ?」



 それは頼もしい、と。

 疲れた笑いを零しながら、そう答えた輝夜は、依姫へと問い掛けた。



「それで、あなたの言っていた案というのは、成功したの?」

「はい。彼の名を使う許可を取りました」

「……あなたの役職が更に上がるのは決まったわね」

「そして、側室の管理はこちらに一任する許可も」



 それぞれが大なり小なりの反応を示すものの、彼女の姉だけが、過剰とも言える反応を現した。



「―――なにそれ! 私、聞いてない!」

「姉上、落ち着いて下さい。語彙がおかしくなっております」

「それはどういう事なの依姫ちゃん! 側室って、あの側室!?」

「姉上、ですから―――」

「私の可愛い妹が……最愛で最強の妹が、自分を振った男の側室の管理……何て事……あの愚弟……」



 もはや誰の姿も目に映ってなかった豊姫の首に、輝夜の手刀が綺麗に突き刺さる。

『あぅ』と小さく息を漏らして、彼女の意識は刈り取られた。



「愚弟って……」

「輝夜。突っ込みどころはそこなの?」

「……あの分では私が言っても聞く耳持たないでしょう……。あの、永琳様。恐縮なのですが」

「構わないわ。流石にあれは、私も驚いたもの。目が覚めた時には、私から話をしておきます」



 永琳が、依姫へと向き直る。



「―――決めたのね」

「はい。……お分かりになりますか」

「仮にも、あなたの師であるのだもの。でも、良いの? ともすれば、今度は一緒に居るだけで苦痛になる事もあるのよ?」

「後から育む愛というものもあると耳にします。まずは形から。後は……精一杯、やってみようかと」



 そう、と。

 成功すれば御の字であるし、失敗しても、人生の糧となってくれるだろう。

 何せ、嫌になるほどに、人生は長いのだから。

 瞳を閉じて、深く頷きながら、そう思う永琳に、



「永琳。九十九はあれの何処に降りたの?」



 青い星を目で指しながら、輝夜は尋ねた。



「ええと……。ほら、あそこ。雲の切れ目の隙間に見える、あの小さな島国よ」



 他と比べれば確かに小さいのだが、それでも比較対象が悪過ぎる解答である。直線横断距離が二千キロとも三千キロとも言われるものを小さい、などと。ここ月ならでは答えだろう。

 そう答える永琳に、輝夜は一言合いの手を入れて、沈黙した。



(……この子、もしかして)



 何やら嫌な予感がした永琳だったが、彼女の予感は全く別の方向で当たることとなる。



「……永琳様、今なんと?」



 その声は、依姫であった。



「え?」

「九十九が降りた場所です。あの雲の切れ間の島国だと、そう仰りませんでしたか?」

「え、えぇ。間違い無いわよ」



 それを聞くや否や、彼女は眉間に皺を寄せて、その表情に『拙い』の二文字を浮かび上がらせる。



「……依姫、まさか」



 何となく察しの付いた永琳が、おそるおそる声を掛けた。

 依姫はそれに反応する事なく、自問自答の様な呟きを洩らす。



「そうか……あの探索機器は故障していたのであったか……」

「何処か間違ったところにでも送ったの?」



 永琳に続く形で、輝夜が依姫に問い掛けた。



「はい。帰還データは、あの擬態探索用の中から抽出した座標を元にしました。転送する前の場所へと送り届ければ良いものだと思っておりましたが……」

「……そのデータ、壊れているのよね」

「のようで……」



 亀を模った探索機器は、九十九の発した【稲妻】によって、いつ壊れても不思議でない程のダメージを受けていた。

 それは、地上に月の証拠を残さない為に、最重要機能として据えられた帰還用の転送装置すら発動するかどうか怪しいものであったのだから、それ以外の機能やデータが破壊していたとしても、格別不思議な事ではなかった。



 彼の意思を尊重すべく、発信機や、彼の位置を確認する手段は講じていない。

 転送した座標を逆算すれば居場所は特定出来るだろうが、月の転送装置は、生物の安全を考慮した場合の転移は膨大なエネルギーを消費する。

 そして、その問題点をクリアした唯一の力を持つ綿月豊姫は、現在、意識を失っていた。



 ―――完全な手詰まり。

 この状況が示す事とは、そういう事。



 三者三様の『参った』を体言した後、依姫はふと、視界の隅に見慣れたものを発見した。

 その場所―――九十九の帰った転送位置には一本の―――。















 空が青い。

 暗い空ではない、完全な蒼穹の世界が俺の頭上に広がっていた。

 頬を撫でる風は木々と大地の香りを運び、否応無く俺が地上へと戻って来た事を伝えて来る。

 小高い丘は草原が広がって、照り付ける太陽が暴力的。どう見ても真夏です。本当にありがとうございました。

 あっちへぶっ飛んでいった時には、確か季節は秋と冬の間くらいだった筈だが、南の方へと飛ばされたのかもしれない。

 どうやら浦島さんが居た場所―――戸島村とは違うけれど、一体ここはどの辺りなんだろうか。



(久々の地上だ……。よっし、今度は【飛行】でも試してみるとしましょうかね)



 空中を移動する手段として考えたものの内、他の動力に頼る【羽ばたき飛行機械】と、上下アクションを繰り返した【ジャンプ】とは違う、名前もそのまま【飛行】。

 多分【ジャンプ】よりは使い勝手は良さそうだと思いながら、腰に刺した、依姫から受け取った十拳剣へと手を伸ばす。



 新しくゲットしたニュー装備は、全部で四つ。



 一つ目は機能性を重視した衣類一式(Gパンとシャツ)。

 特殊な能力こそ無いものの、日の光さえあれば自動で破損を直し、汚れを取り除き、補修&洗濯要らずな絶品。諏訪子さんに貰った外套と合わせて装備していて、ちょっとこのままなんちゃらクエストな勇者の如く、モンスター退治に出かけていけそうな格好。

 二つ目は、永琳さんから貰った、名称不明の腕輪。一応、八意の腕輪とか名付けてみようか。

 何でも一定以上の疲労に達すると、体力を常に元に戻してくれるんだとか。【タップ】やら【アンタップ】の力を使わずに維持コストの解決が出来た事に、貰った時には頭を下げて感謝した。

 三つ目は、同じく永琳さんから貰った、小さな青い宝石のついたネックレス。

 バベルの塔が崩れる前の機能を云々、とか言っていたのだが、嬉しさに流されて詳細は覚えていない。とりあえず、これで全ての言語が分かるらしい。勿論、伝えるのも可能だとか。



(で、最後がこの……)



 依姫より渡された、九十九神の宿る十拳の剣である。

 伝説級の装備品とか、男たるもの、憧れない筈が無い。おまけにそれが上位の力を持っているとなれば、尚の事。

 傍から見たら気持ち悪いであろう笑みを浮かべつつ、確かめるようにその感触を―――



 ―――すかっ



「……あん?」



 その感触を―――



 ―――すかっ



「……んん~?」



 ……おかしいな、さっきまであった感触が無い。

 疑問を解決すべく、そこへと視線を落とす。



「―――無い」



 綺麗さっぱり。

 そこには俺の腰以外、何も確認出来ない。

 ……え、何で? どうして? ソッコーで失くした? マジやばいぞこれ。



(本気で不味い……。あんな大切なもの無くすなんて……少し探してダメだったら、何かカードを使って……)



 顔に縦線どころか、間違いなく今、俺の血の気は失せている。

 転送時にどっかやったかと辺りを見回しながら、これがダメなら何のカードを使おうか悩んでいると。



 ―――青々と茂る草原に、一つ、真っ白な色が現れているのを捉えた。

 メモ用紙くらいの大きさのそれは、俺の足元に落ちており、そこには何やら文字が書かれていた。

 色々疑問に思いつつも、拾い上げて目を這わせる。

 達筆過ぎて読み難かったものの、永琳さんから貰った言語翻訳機能付きのネックレスの効果で、何とか読み解けた。あぁ、これって文字系にも対応してるのね。

 そこには、僅かに一言。



『オマエ キライ』



 ……もう大よそ察しは付いた。

 何でメモ用紙があるのか、とか。どうして文字書けるのか、とか。その辺りは、うん。もういい。流す。

 まだ書置き残してくれていっただけ、御の字というものだろう……か。

 というか依姫様。

 このご様子では、九十九神様にはご説明されていなかったのですね。



 足に、腰に、腹に、腕に。

 全身に力を込めながら、大きく息を胸に入れる。

 そういえば、あの時も全力を振り絞る様に発したんだったか。



「やってられないんだぜぇえええ――――――………………!!」

 

 実はこの台詞、結構気に入っているんじゃないだろうか。

 そう思いながら、一度も使う機会無く終わった最強候補な武器に、俺はさめざめと涙を流すのだった。















 ―――と。

 何か―――柔らかい感触を、足の下に感じた。



「ん?」



 ガムを踏んだ直後に足の裏を見るような、そんな感じで足元に目をやれば。



「―――きゅう」



 小さな人型。

 全体的な色は白よりのグレー。

 お尻から出ている尻尾が実にキュート。

 頭からは真ん丸の耳が二つ。通常はピンと伸ばされているのであろうが、意識を失っている事によって、へたりと垂れ下がっていた。

 僅かに漏れた声は実に愛らしく、何か歌でも歌わせれば、オリコン上位は確実だろう。

 なーんか見たことあるなぁ。何だったかなぁ。何処だったかなぁ。



「ぎゅ」



 あ、変なトコに足が入ったっぽい。おかしな声が出た。

 ……。



「……やべー!! 女の子マジ踏みとか鬼畜以外の何者でもねぇー!!」



 慌ててその場から足を退かし、倒れている存在を腕に抱えた。

 白のような灰色よりのワンピースは記憶の中のものと若干異なっているものの、全体的なイメージは似通っている。そして、倒れていた付近には、彼女の物であろう長めの木の枝が転がっていた。

 瞑られた目はすっきりと一線が取れており、小さく結ばれた口はから、この者の感情が表れている気がする。



「……医者、医者だ! ……永琳さん! そうだ、あの人だよ! えーりん! 助けて! えーり~ん!!」



 月で自重しまくっていた台詞がとうとう言えた事に、何処か満足しながらも。

 腕の中でくるくると目を回している存在に、出会いが唐突過ぎると内心で愚痴を零しながら、俺はしばらく、ただ我武者羅に叫び続けるのだった。





[26038] 第43話 小さな小さな《表側》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/01/05 19:43






 日光の脅威から避難した一本の木陰。

 大きな日陰を作り出していたそこに、彼女―――ネズミの賢将、ナズーリンは腰掛けていた。

 平たい岩の上にちょこんと座っていることで、何とも愛らしい印象を抱かせる。

 所々に差異はあるものの、昔の記憶と瓜二つ―――と表現したかったのだが、あれよりも若干幼いイメージであった。

 覚えている外見の年齢が十歳前半だとしたら、今、目の前にいるのは十を超えるか超えないかといったところか。

 外見年齢を除いた中で最も違和感を覚えたものは、彼女の尻尾に居た筈の、バスケットに入れられたネズミが居ない事。というか、そもバスケット自体が無い。いずれ装備するんだろう。

 何かもう、女の子だとか何だとか思う前に、もふもふしてる耳やら尻尾やらのせいで、ただのちっちゃな愛くるしい何か。にしか見えない。

 この分では、他のキャラ達―――尻尾が九本あるお方であったり、それが初めて式神にした妖怪であったり、妖怪の山の警備隊に属するあのキャラであったりと、実に誘惑が多い未来に涎が……ゲフンゲフン……期待が膨らむというものだ。

 レイセンのなんちゃって付け耳とは違う。完全に彼女の体の一部であるそれは、一喜一憂に反応して、へたったり、ピンと伸ばされたり、世話しなく動いたりと、実に良い動きをしなさるのです。

 超頭撫でたい。ハグしたい。頬擦りしたい。勇丸とは別方向の愛くるしさが、そこにはあった。

 鎮まれー。俺のソウルよ、鎮まるのだー。そのままだと国家権力のお世話になるぞー。あるかどうかは知らないけれども。

 ……そんな容姿の為か。

 諏訪子さんの様に威厳や神格が溢れている訳でもないので、敬語を使うのには疑問が残り、元々のイメージも、そういった言葉遣いを当てはめるのには違和感があって、どうにも年下を相手にしている対応になってしまう。



 ……まぁ……その……何というか……そのせいなんだろう。

 彼女のこちらを見る目は疑惑の念で満ちており。



「ごめんなさい」

「……」



 やや眉間に皺を寄せながら、薄く開いた瞼の隙間から眼光を発しております。じとー。ってな具合で。こちらの謝罪にも無反応。実に気まずいのです。

 ただちょっと気になるのは、嫌悪とか怒気寄りではなくて、戸惑いの感情に比重が置かれているようだ、という事。

 そろそろ正座も痺れて来たんで、何かしらのアクションが欲しいところ。足、崩したいッス。

 何だか最近、謝ってばかりだな、と、内心で自嘲気味に毒づいた。



「君は……」



 お、反応あり。



「君は……僕が怖くないのかい?」



 あぁ、疑念はそういう方面か。

 ……彼女って僕っ子だったっけか。私口調で喋っていた気がするんだが。



「いんや全く」



 怖いというより、超愛らしいです。



「だって、この尻尾だよ? この耳だよ? ……妖怪……なんだよ?」

「ちょろちょろ動く尻尾、超触りたい。ピコピコ動く耳、超もふもふしたい。妖怪? どうでもいい問題です」

「そ、そうか……(も、もふ?)」



 少しは表情を崩してくれるかと思って、ちょろっと本音を含ませて喋ってみたのだが、予測した反応とは違い、戸惑いを与えた程度に留まった。



 けれど、効果はったようだ。

 表情から硬さが抜けてゆき、何となく空気が和らぐ。

 それに合わせた様に、彼女の体から、空腹を訴える可愛らしい主張が告げられた。

 ぽんと頬が染まるナズーリンに、俺の直感が働き掛ける。

 ……そう、これは―――餌付けタイム!



「出番だ! ジャン袋ー!!」

「―――っ!?」



 突然声を出してしまった事で、驚かせてしまったようだ。両手を胸の前で固く結びながら、体を縮み込ませてしまった。

 少し申し訳なく思いつつ、突如として現れた煌びやかな鞍袋に目を丸くする彼女を他所に、例の如く手を突っ込んで、中を漁る。



(ナズっちって何が好きだったかなぁ。王道にチーズか? 原作でもそれらしい描写あったし。でも赤の色の薄い物は何たら。とかも言ってたような……)



 肉好きなんだったか。それは手下のネズミ達だったか。記憶が曖昧だ。

 というか、ネズミがチーズを好きだという通説は、チーズの王様との代名詞もあるエメンタールチーズが醗酵によって穴だらけになってしまうという現象から由来したものであって、彼ら小型哺乳類は雑食であった筈だ。そもそも、ネズミってあんまりチーズ……乳製品全般を口にしないのではなかったか。



(中学の時に、理科の先生がそんな話してたっけかなぁ)



 ……まぁいい。別に一つしか出す訳ではないのだ。下手な鉄砲なんちゃらほい。幾つか出せば問題無いだろう。

 袋から手を抜き、持ったそれを差し出した。

 彼女の小さな鼻がすんすんと動く。

 俺にはそこまで匂いとかは分からないのだが、少なくともこちらよりは、嗅覚は鋭いのかもしれない。



「……それは?」

「食べ物。サンドイッチ」

「さんど……いっち……?」



 おぉう、まだ発明されてないのか? それとも知れ渡っていないだけなのか。サンドイッチ伯爵が名付け親ってだけで、物自体は結構昔からあった筈なんだけど。

 どうせなら好みの奴が全部一緒になっているものを。とか思ったんだが……。これなら手も汚れなくて良いし。うぅん、ハンバーガーの方が良かっただろうか。



「中身はハーブレモンを良く練り込んだチキンとチェダーチーズ。んで鮮度抜群なレタスと……後、実が簡単に崩れないくらいに固めのトマト。それをトーストにしたライ麦パンで挟んだもんだ。BLBとはちと違うが、ベーコンよりもチキンの方が食べ応えあって良いかなー? と思ってさ」

「……?」



 色々未知な単語を使った為に、彼女は不思議そうにサンドイッチを見つめている。

 これは食べ物です風に、自分で一口齧って無害な事をアピールしつつ、再度それを差し出した。



(うむ、美味い)



 未知過ぎて失敗したかな。もう少し馴染みのある……それこそ、まんまチーズや、焼いた肉の塊なんかを出しておけば良かったか。



 そんな葛藤をしていると、おずおずと彼女は手を伸ばし、俺からサンドイッチを受け取った。

 マジマジと眺めたそれを、毒でも警戒するように慎重に一口齧る。目線はこちらを向いたままに。

 上目遣いで食べ始めようとしている事に、かつて【極楽鳥】……バッパラを呼び出した時のような、衝動に任せて撫でくり回したくなる感情を強制スルー。気づかないふりをして、結構必死に堪えた。くっ、俺の右手よ鎮まるのだ! 的な。



(あぁ、それじゃあパンしか食べれてない……全部一緒に齧らないと……)



 あんぱん買って餡子に届かないような、鯛焼き買って、餡子に届かないような。そんな光景を目撃中。

 何故発想が餡子なんだろうと思っていると、彼女の眉がピクリと動く。そして意を決したように、がぶりと―――といっても口径の大きさで、濁点なぞ付かない、かぷり、程度にしか見えないのだが―――サンドイッチに挑みかかった。

 何とか全ての具材を一口で噛み締められたようで、一生懸命もぐもぐと口を動かす姿が微笑ましい。



「―――っ!!」



 お、やっとサンドイッチの真価である、全ての具材の味を同時に楽しむ域に達したらしい。

 今までの様子見が嘘のように、一生懸命口を動かす姿に程良い満足感を得ながら、彼女の手に持ったそれが無くなるまで、俺はそれを眺め続けた。

 荒んだ心に一服の清涼剤。

 そのまま、和やかに。

 真夏の暑さを頭上に感じながら、時は過ぎて行き……。





「―――ご馳走様。こんな美味しいものを食べたのは初めてだ。それこそ、貴族達でも食べた事が無いだろうね」

「お粗末様。そう言って貰えたのなら何よりだ」



 有名という訳ではないが、俺自身が気に入っていた店、喫茶店ルノアールの代物。

 ファーストフードと侮ること無かれ。あれはあれで、値段の割りに結構良い味出していると思うのだ。

 これで不味いと言われた日には、俺にはもはや、好みの差としか言えない。

 ただまぁ、出来立てを出されている、という理由が一番大きいとも思うけれど。

 大概の食事は、出来立て新鮮なものが一番美味いのだから。



「んじゃ、落ち着いたみたいだし、改めまして」



 そうして、俺は再び、頭を下げる。



「済まなかった。許して欲しい」

「あ、あぁ。……こちらこそ怪訝な態度で接してしまって済まない。見ての通り、僕は妖怪だからね。……その……人間にこんな事をされるとは思わなかったから……」



 それもそうか。

 彼女はネズミの化身……化身? であるのだし、ネズミは人間にとっての害獣であるところが大きいのだから、当然だ。

 俺も何度か実家であの姿を見かけた事があるが……あまり気持ちの良い出会い、というか、光景ではなかったのは覚えている。

 少なくとも、謝ったり食事を出したりする間柄では、決してない。



(でもこの子は別な!)



 我ながら何とも露骨なダブルスタンダード。

 でも良いんだ。可愛いから。―――俺に危害を加えた訳では無いのだし。むしろ逆だし。



「俺は、九十九。……あ~……ちょっと空の上に行ってたんだが、今さっき帰って来たところだ」

「空?」

「あぁ、“空の上”さ。……君は?」



 少し考える素振りをした後で。



「……リン。察しているとは思うが、ネズミの妖怪だよ」



 ……はい?



「ごめん。もう一度お願い」

「ん、聞き取り難かったかな。―――リン。リ、ン、だ。前後は無い。それが僕の名前だよ」



 ……ぇ~。



(え、何、どういう事? 確かにチビっちゃくて尻尾のバスケットも方角ロッドも無いけど、どっからどう見てもナズーリンじゃん。……でも、ナズーリンじゃないじゃん?)



 まさかの別人の可能性が垣間見えた事に、俺の思考は一気に混乱に陥った。

 姿、格好、そして、ネズミの妖怪。

 先に考えたとおり、尻尾に付いている筈の仲間の入ったバスケットや、例のNやらSやらの方角を模したダウジングロッドは無いものの、それ以外の全体像は、更に幼いとはいえ、どう見ても記憶の中にある彼女のそれである。



「えっと、姉妹とかって居る?」

「それなりにね。これでも―――」



 リンは自分の耳を触りながら。



「―――こういう種族だから」



 ……そりゃそうだ。

 ネズミの繁殖力など語るべくも無い事実であった。何とも馬鹿な質問をしてしまったのものだと後悔する。



「ごめん、そうじゃなかった。……妖怪になった姉妹って、他に居る? 似た様な容姿の」

「いいや? 僕はまだこの姿になって日が浅いが……。姉妹の中では僕だけだろうね。妖怪になったのは」



 ……姉妹フラグは消えました。少なくとも、今のところは。

 となるとマジで別人か、はたまはた改名の後の『ナズーリン』何だろうか。丁度、ナズーだけを付属させれば、既知の名になるのだし。

 ナズーリン、という名になるのは、虎のご主人様辺りとの出会いからなんだろうか。でも姉妹は多いって言ってたから……だったら似たような名前の兄弟―――例えば、一郎、次郎、三郎、的な名付け方である可能性も高い。だからどうした、という案だが。



(東方キャラの名前の由来なんて、色に関係していた八雲家の面々くらいしか知らねぇですよ……)



 ただ、それすらも曖昧な記憶ではあるのだけれど。

 この辺はもう、幾ら悩んでも解決するものではなさそうだ。深く考えるのは止めておこう。

 偽名を言っている風でも無さそうだし―――嘘を付かれてても能力使いでもしない限り、俺には見抜けないんだが―――これ以上の追求は避ける方針で行く。分けが分からなくなりそうだ。

 折角会話が進み始めたのだ。序盤で下手に拗れさせる事もないだろう。



「あのさ……。ちょっと聞きたい事があるんだけど、良いかな?」

「ああ。僕の知る限りで良ければ」



 色々と聞きたい事はある。

 特に、相方……というか、虎なご主人様であったり、ガンガンいく僧侶やらの、その他で一括りにしてしまうお仲間であったり。

 でもここは、自分の置かれている状況から整理してみようと思い直す。

 そうして発した第一声が。



「ここ、何処?」

「……え?」



 ―――予想していた反応だけれど、やっぱり寂しいものは寂しいんだな、と思った一時であった。










 よくよく周りを見渡してみれば、ここが俺の知っている場所から掛け離れているのは予想が付いた。

 あの森と山に囲まれた筈の島国は、このような四方がほぼ全てだだっ広い草原である場所は希少だし、何より、かなり遠くではあるものの、富士の山以外に、この猛暑の中で、僅かとはいえ山頂に雪の被っている山などある筈も無く。ホータンって何処よ。地名か? 国の名前か? そもそも何処の大陸なのかすら分からんですよこれは。

 月の技術の問題を考慮して、最悪、別の惑星である可能性も考慮しつつ達した結論が。



「話を聞く限り、どう考えても日本じゃありません。本当にありがとうございました」



 溜め息にも近い口調で言い切る。

 とりあえず、諏訪子さんや勇丸、神奈子さん達の住んでいる国ではない。という消極的な答えでありました。ぎゃふん。



「? 言葉の意味がよく分からないが、お礼なんていらないよ。……こうして、仲間にもご馳走を振舞って貰っている事だしね。むしろこちらが感謝したいくらいさ」



 ネタのテンプレ回答を素で受け止められると気恥ずかしいのだが、俺がそれを態度に出さなければ、流れる問題ではあるので、無反応で対応する。



 あれから、彼女と幾度も言葉を交わした。

 明らかに口の動きが日本語のそれじゃ無いんだが、そこは永琳さんから貰った言語翻訳機能の宝石、八意の石。な効果で、見事にカバー。カードの力を使わずに済むのは色々な面で助かります。

 既に能力である『探し物を探し当てる』力はあるらしく……と言っても、『探し物はかなり得意なんだ』との台詞を深めに解釈しただけなのだが。

 詳細は秘密との事だったのだが、何やら探し物をしていた最中に、ジャスト俺の出現位置の足元に居たという流れらしい。いやホント、怪我させなくて良かったです。

 んで、それの謝罪も兼ねて何かして欲しい事は無いかと尋ねてみたんだが、ジャン袋の効果を見ていたせいか、もっと食べ物を出せないかとせがまれて。

 それくらいなら幾らでも! と、何が欲しいのかリクエストを聞いてみると、



『そうだね……。肉、が良い。部位、種類は問わない。兎に角、量が欲しいんだ』



 腐っていないものを。との事。

 出すのは良いけど、そんな大量のものをどうするのだ。と聞いてみたんだが。



(まぁ、その疑問は、この光景を見れば解決されますわ)



 ぽ~い。

 がつがつ。

 ぺろり。

 こんな擬音が最も的確だろう。



 既に何度目かも分からない行為を、俺は飽きもせずに繰り返す。

 枕大ほどの血の滴る生肉のブロック(牛の安物)を取り出しては無造作に地面へと放るのだが、それは瞬く間に黒やら灰色やらの色によって埋め尽くされて、しばらく後には消え去ってしまう。何かの映画で見たなこれ。結構ホラーです。



「喜んで貰えて何よりなんだが……これ、いつまで続ければ良いの?」



 今も俺の足元には、首を長くして待つ彼女の同胞……なのか下僕なのか分からないが、無数のネズミ達が今か今かと世話しなく駆けずり回っている。

 こちらが放る肉塊の下敷きにならないように、着弾地点から一瞬で離脱して退け、すぐさま反転して貪り食う様は、とても見事なものだ。余裕があれば拍手でも……あ、やめて。微妙に足を登らないで。ゾワゾワします。怖いです。

 少し前まで緑色であった大地は、リンを中心に数十メートル(範囲に俺含む)を変色させる程に、小さな命達で埋め尽くされていた。

 現在進行形で、神奈子さんや諏訪子さん、そして【マリット・レイジ】などとはベクトルの違った恐怖が全身を舐めているので、出来れば今すぐにでも逃げ出したい。



「後、もう少しがんばって欲しい。……その……恥ずかしい話ではあるんだが、今君が食べ物を出す手を止めてしまうと、この子達の食欲が君へと傾いて―――」

「OK分かった。全力でがんばります」



 最後までは言わせない。聞きたくないから。

 場合によっては【死への抵抗】か、【ジャンプ】や【飛行】での離脱も考慮しながら、俺はその後、百に届こうという数の肉のブロックを出現させる事になった。









「ありがとう。お陰でこの子達も満足したようだ。……初めてかもしれない。全員が満腹になるのは」

「……うぃ。それは何よりです」



 体力的にはまだ余裕はあるけれど、正直、もう動きたくない。肉ブロックを放り投げ続けた事で、それなりに鍛えていた筈なのに、腕がパンパンになっている。

 じっとりと汗を掻いてしまったのだが、それでも、湿度の高い日本とは違う、気持ちの良い汗の掻き方である。ベクトルは真逆だが、例えるなら、ずっと水の中に居る感じだろうか。汗掻いても分かりません。みたいな意味で。

 母国は誇りに思っているけれど、これだけはちょっとこっちの方が羨ましいと思えてならない一面であった。

 落ちついて周りを見渡せば、ネズミ達の数は千に届いているだろう。

 どいつもこいつも、目を細めて幸せそうにシエスタ中。

 気持ち良いもんなぁ。食後の昼寝ってのは。



「こいつらは全員、リンの仲間なのか?」

「ちょっと違うけど……概ね、そう思ってもらって問題は無いよ。そんなに数が居る訳じゃないが、皆中々優秀な者達さ。……食欲が高い事を除けば、ね」

「(この数で“そんなに”……か)……慕われてる、のか?」

「そんなところかな」



 何処か誇らしそうに話す彼女は、見ていて微笑ましい。

 一仕事終えた事だし、何よりもう、頭がストライキを起こしそうな気配もある。

 ちょっと横になれないもんかと思いながら、押し殺すような欠伸を噛み締めた。



「……疲れたのかい?」



 ん、バレたか。ちと恥ずかしい。

 こちらを気遣ってくれているのか、彼女はそう尋ねて来た。



「少しな。こんなに食べ物出したのは初めてだったから。まぁ、良い経験だな……と……ふぁ……」



 もう隠すのもあれなので、口元を手で覆いながら、普通に欠伸をする。

 うぅむ。疲れもそうだが、久々の地球というのも相まっているせいか。体が貪欲に睡眠を欲し始めた。

 折角だ。しばらく休んだ後で、日本へ戻る手段を考えるとしよう。一、二時間で目が覚めるだろうし。

 と、リンは何やら少し悩む素振りを見せる。

 その後に俺の後ろにある一本の木を指差して。



「そこに木陰もある。この季節だ。この場で寝るのには寝苦しいだろうから、そこで休むと良い。彼らには退く様に言っておこう」



 そう言って手を挙げたかと思えば、その、彼女が言った木陰の部分で寝ていたネズミ達がサッと動く。

 黒い絨毯が一斉に方々に散り、数分前までは緑であった筈の、既に殆どが土色と化した大地が露出した。うへぇ、さっきからビビリ過ぎだが……感想はやっぱり同じものしか出てこない。結構怖いッス。

 何とか木の周りの芝生は残っていたので、これ幸いと、そこへと足を進めた。



「んー、じゃあ、素直にお言葉に甘えさせてもらう。ぶっちゃけ、眠くて敵わんでした」

「そうか。それじゃあ、僕もご同伴に預かるとしようかな」

「……はぁ。……妖怪とはいえ、女の子がそう簡単に、男と一緒に寝るなんて言っちゃいけませんよ?」

「おや? 君は僕に何かするつもりだったのかい?」



 リンの口持ちが釣り上がり、ニヤリと愉悦を浮かべる。



「ちゃうわい。忠告みたいなんだ。……ふぁ……ぁ……。子供は素直に大人の言う事聞いとけぇ~」



 妖怪である彼女では、見掛け通りの年齢である可能性は低い。という可能性を思い浮かべた事に釣られ、そういえば、外見通りの年齢のキャラって少数であったかと、ぼんやり思った。

 一度寝ると決めたからか。

 眠気も良い感じに襲って来ているので、話し掛ける言葉も、自分で分かる程にいい加減なものだった。



「そうだね。妖怪に対しても律儀に対応してくれる君の事だ。聞くだけなら全く問題は無い。それに、もし仮に君がそういう趣味の人物であったとしても……」



 千に及ぶであろう、寝ていた筈の周囲のネズミが、一斉に首を起こし、こちらを睨み付けた。

【死の門の悪魔】を連想させる紅の光が、彼らの眼球へ無数に灯る。

 それは宛ら、どこぞの谷の何たらに出てきた、怒り狂う蟲の王達が大地を埋め尽くした光景であった。



「これで理解してくれると嬉しいかな」



 実に面白そうに、彼女はそう言った。



「……そういう台詞は、体に凹凸が出て来てから言いなさい」



 何で脅されなきゃアカンのだと思いながら、良い感じに瘤になっている木の根へと頭を乗せた。

 これは良い枕だという思いの中で、草木が擦れ合う音と共に、リンも横になる気配を感じた。

 ―――俺の真横に。



「……」

「おや、何か言いたそうだね」



 ニヤニヤ。ニヤニヤ。

 この辺はやっぱり妖怪なんだろうか。人をからかうのは実に大好きそうです。

 しかし、月でのあの面子と少し前まで一緒に居た俺からしてみると、完成度の点で言えば劣っている訳では無いのだが……うん……まぁ……ねぇ……?



「……べっつにー」



 ごろんと反対側を向く。

 背後であるというのに、実に楽しそうに笑っている彼女の姿を感じてしまうのは、どういう感覚が働いている為か。



 直射日光が厳しかったけれど、この木陰は良い具合にそれを遮って、草原の涼やかな風のみをもたらしてくれた。

 月とは違う。

 見上げた空は、とても青く。とても雄大で。

 それでも何処か物足りないと思うのは、ここが日本では無いからか。それとも、大和の地で無いからか。

 まどろむ意識の中で、ふと、こちらを覗き込むリンの顔が見えた。



 ―――その顔に喜びは無い。



 直前までの楽しげな雰囲気は、夢か幻か。

 何かを悲しんでいる、そんな顔。

 けれどそれも一瞬で。疑問に思う前に、その顔から感情の色は抜け落ちている。



(―――見間違い、か)



 寝惚けていれば、記憶違いなど良くある事だと。

 暗転する視界。

 とうとう瞼の落ちきった段階で考え付いた結論は、それであった。















 規則正しい寝息。

 静かに上下する胸元。

 目は完全に閉じられており、再び開くまでには、まだ時間が掛かるのだろうと予想出来た。

 片手を挙げて、部下達を戻らせる。

 集まった時とは一転。

 音も無く緑の絨毯から撤退していくその姿は、他の雑多な同族よりも優れているものだと自負出来るものであった。



「……起きている、かい?」



 念には念を。

 確認の為の問い掛けは、真夏の草原に吹く風に散らされて。

 この分では、どうやら本当に寝ているようだと判断する。



 幾つか言葉を交わし、彼がこの土地の人間では無い事は確認している。

 魔法か能力を持っているものの、そこまで力は無さそうだ。

 でなければ、妖怪とはいえネズミである僕に対して、こんなにも友好的に接してくれる筈は無いのだから。

 その割には、彼の態度からはそれらしい……ネズミに対する侮蔑の様子は見られなかった。

 こちらを見る目は楽しげで。……まるで、僕の事をとても大切に思ってくれているかのようであった。

 思わず本心からの笑みが零れそうになるものの、今までの経験を思い返して、自身を諌める。

 それに、時折、部下達の姿に怯えていたのが、彼の僕達に対する認識を如実に語っていた。



(……もう、馴れっこじゃないか)



 これは一時の夢。

 夢は夢のままに終わらせるのが、一番都合が良いのだ。

 そして僕は、彼の持つ魔法の袋を、部下達に命じて移動させた。



 ―――それを、奪う為に。



(ごめんよ……)



 怨んでくれて良い。

 すぐにとはいかないが、機会があれば、死後の世界にでも償おう。



(ネズミである僕達に、そんなものがあるのかは怪しいけどね)



 無音のままに、宝石袋が持ち運ばれる。

 この袋、ジャン、と言っていたそれは、その使用者の体力と引き換えに、何でも好きな食べ物を出現させる力があるようなのだ。

 本来の目的とは違うものの、それでもこれからの事を考えれば、かなりの面で役に立つものだ。

 これならば、少しはあの人に―――。



 眠り扱ける彼に背を向ける。

 同族と、あの人以来、初めて自分と友好を結んでくれそうな相手であった事に、後ろ髪を引かれるものの。



(……もう、決めた事だ)



 全てを断ち切る覚悟で、それを振り切った。

 場所は遠い。

 そして、妖怪たる自分の率いるネズミ達が、人間相手にあざとく痕跡を残すことはしない。

 例えそれが魔法使いの類であったとしても、証拠を残さない自信はあった。

 何せ、これから戻る場所は、ここから十数キロ先。おまけに、今の場所と比べれば、砂しか無い死の大地であるのだから。

 何の変化も無い広大な砂漠は、方向感覚を容易く狂わせる。故に、彼があそこに辿り着くことはないだろう。



「―――さよなら……ツクモ」



 その発音は、何処かぎこちなくて。

 けれど一生懸命形にしようという意思が感じられるものであった。

 次の瞬間、青い空の下に広がる草原には、何の影も映る事は無く。

 ただ一箇所だけ。

 大きな木と。その木の根元で、イビキを掻きそうなほどに熟睡している存在だけが、夏の風に吹かれながら、ぽつんと残されるのみであった。










 それから、二日。

 男と少女の遭遇より、とある場所にて。










 極東の島国に住む者達の数分の一程度が暮らすこの地は、熱砂に覆われ、地上を焼く日の光が世界を創り上げていた。

 大地には緑が極僅かに生息するだけであり、やや遠方に見える長い水色は、この地で生きる者達の生命線。

 ヤシの木が申し分程度に生え並び、道の存在を示し、立ち並ぶ家々は簡易コンクリートのような白亜の正方形を刳り貫き、それを一つか二つ、繋ぎ合わせた造りをしていた。

 道行く人々は白い布―――サリーと呼ばれる、長い一枚布を纏ったような衣服は、この灼熱の世界で如何に快適に過ごせるかを追求した形状である。

 女性は口元を布で隠し、男性は頭を幾重にも巻いた頭巾、ターバンを被っている。

 間々吹き荒む砂嵐に、着込んだ衣類を強く身に寄せたり、目を細め、あるいは瞑りながら、皆は自身の生活を送っていた。



「来たぞ……」

「あぁ……」



 それなりに大きな家々が立ち並ぶ、馬車が一台通れるほどに幅のあるやや曲がりくねった砂利道を、薄いグレーの衣服に身を包んだ少女が歩いていた。

 玉の汗の吹き出る炎天下だというのに、それを全く意に返さず、黙々と。

 周囲の様子には目もくれず、ひたすらに歩き続けるその影は、陽炎の中に浮かび上がった幻影のようでもあった。



「不気味な姿。なんて気持ち悪い……」

「ほんと。早く何処かへ行ってくれないかしら」



 その少女が通り過ぎる道の端。

 普段は賑わいを見せる時間帯であるというのに、そんな事実など無いと言わんばかりに、今は見る影もない。

 少女の姿を見た途端……いや、少女が来るぞと話が上がった瞬間に、誰もが自宅に引き篭もり、あるいは、あらん限りの嫌悪と侮蔑を伴った視線を隠そうともせずに、一振りの木の枝大袋を持つ、灰色の着衣を着込んだ者へと向けていた。

 鬼か悪魔か。少女を見る目はそれ以外の何だと言うのだろう。

 誰もがその者と目を合わせず、しかし、誰もがそれを睨み付ける。

 石が飛んでくる事も、腐った卵が投げられる事も、幾つもの鋤を向けられる事も、今は無くなったにしろ……。

 その人間の奥底に潜む黒き感情は、今も抑えられる事も無く、こうして溢れ続けていた。





 悪意の渦巻く家々の間を抜けた少女は、道の終着点へと辿り着く。

 他の家とは違う。いや、それは家などというものではなかった。

 うす高く積まれた石灰岩は、町の中心に白い山があるのだと見間違えてしまう程に。

 規則正しく、幾つもの四角形を積み重ねたそれは、城壁。

 最大で万に届く人員を収容出来る程の巨大なその施設である城は、この辺り一帯を統べる者が住んでいるのだと理解させられるものであった。



 少女の終着点であるそこには、抜け道を除く唯一の通路である、巨大な門。

 彼女の視界には、身長の倍ほどもある槍を肩に担ぎながら、軽蔑の視線を向ける門番達が居た。

 ここも、同じ。

 向けられた悪意を思考の外に追い遣りつつ、少女は門を抜け、庭を抜け、城の中へと入って行く。



 そこで耳にするのは、絶え間なく響く音の波。

 鼓膜を震わす振動はどれも緊張感を伴っており、ここで働いているであろう世話しなく動く者達の顔には、余裕の色は見て取れない。誰もが必死に何かを行いながら、一秒も惜しいと動き回っている。

 皮製の鎧を着込んだ者が、剣や槍や、地形の描かれている薄汚れた地図を手に。

 従者だと思われる者は、食料や医薬品を持てるだけ持ちながら、何処かに運び出している。

 室内であるとはいえ、ここは城。万の人を収容出来る空間である筈だというのに、今は緊張に押し潰されそうな空気が逃げ場を失って、窒息してしまいそうな雰囲気が立ち込めていた。

 その中を、妖怪の少女は歩く。

 極力誰にも見つからないように、静かに、迅速に。

 けれど時折、その姿は城内の者の眼に止まる。夜でもなく、人数も少ない訳ではないここでは、それは当然の事であった。

 少女の姿を捉えた者は、僅かにその表情を、負のそれで染める。

 しかしそれも一瞬。

 次の瞬間には、道端に落ちていた汚物から目を背けるように、自身の成すべきことをすべく、行動を再開する。

 城下の道中や、門番達と同様の視線を間近に受けたその者は、態度にこそ出さないものの、内心で誰にも悟られる事なく涙を流す。

 何故、自分がこんな目に。

 感情が瞳から零れ落ちそうになる現象を、他に意識を向ける手段で回避しながら。

 今やるべきことは、悲しみに暮れる事ではない。

 手にした木の杖と、この国では極一般的な、大きな麻袋を握り締めながら。



 長い廊下を抜け、曲がり、階段を上って。かの国の隠密の如く、唯の移動しかしていない筈だというのに、やっとの思いでこの城の最上階へと辿り着いた。

 丁度、王座の真上。

 それが意味する事とはその先に居るであろう者が、王と同列か、それ以上の存在と示している。

 当然、通常ならばそんな場所においそれと入れる筈も無く、城の入り口の時と同様。扉の前にはそれを守護する者達が待機していた。

 真紅の頭巾を被り、軽装でありながらも、気品と威厳を感じさせる皮の鎧に身を包んだ男が二人。この城の中でも精鋭と呼ばれるだけの実力者である。

 腰に下げた曲剣ファルシオンは、一撃の威力でも、射程でも、耐久力でもなく、如何に素早く対象を何度も切り裂くかに特化している剣である。この地ならではの洗練された―――されてしまった武器であった。

 彼らは少女の姿を見た途端、その死神の鎌へと手を掛けて。

 抜き放とうとした矢先……何とか思い止まった様に、その手を柄から離した。

 深い溜め息。そして、深呼吸。

 後は再び己の務めを果たすべく、剣たる存在から、扉の守護者へと戻る。

 無表情を貫きつつも、その瞳には、少女に対する負の感情が灯っているのが見受けられた。

 この国に居る限り、誰であっても変わることの無い反応は、少女が、この世には悪意しか存在しないのかと思わせるには充分なものであろう。



 けれど、それを覆す理由が、この扉の奥に居る。

 守護者達の間を潜り抜け、チョコレート板のような、幾つかの四角形の紋様が重なった装飾を施してある扉へと手を掛けた。

 木の鳴き声が木霊して、静かに人が一人通れるだけの空間を開放する。

 その中に少女は身を滑り込ませて、再び扉を閉じた。外界の悪意から、自分を守るかの様に。

 白亜の壁などに反射して、太陽の光が室内をこれでもかと浮かび上がらせる。
 


「―――お帰りなさい。リン」



 白いヴェールで覆われた寝台に横たわる枯れた躯体。上体を起こし、目を通していた書物を閉じ、顔を上げて、微笑みを零す。

 かつては瑞々しいほどに張りのあった小麦色の肌は、今は、干上がった泥土のように。

 品の良い黒水牛の皮に勝る色艶を誇っていた筈の髪は全て色素が抜け落ち、無色とも白とも取れる色合いを、腰まで届くであろう長さに宿らせているのみ。

 しかし。

 所々で死の影を落としているというのに、その表情には慈愛の女神の如き優しさと、全てを包み込む母性が両立していた。

 齢、実に六十五。

 五十を迎える前に、大多数の者がその生涯を終えるこの時代においては、奇跡と言い換えても良いであろう年月を重ねて来た者である。



「―――ただいま。ウィリクお母様」



 灼熱の太陽が照り付ける為に起こる熱ではない、“暖”の感情で満たされた部屋。

 ベッドから上半身を起こし、縋る様に近寄るリンと呼んだ少女を、自身の腕の中に暖かく向かい入れる。

 何と優しい抱擁である事か。

 目を閉じて、この世の全ての悪意から解放された表情を浮かべた少女を、何も言わず、何も聞かず。優しく、ただ優しく撫で続ける。

 僅かな緑と熱砂の入り混じる、少女にとっては地獄であるこの地において。

 今この時だけは、刹那の間だけ存在する、オアシスであり、天国であった。










 気づいた時には、僕は、僕の形をしていた。

 色々な場所の、様々な隙間から、その日の生きる糧を探し続ける毎日だったと、今なら思い返す事が出来る。

 内容はさて置き、それなりに充実し、楽しくやっていたような日々であった気もする。

 けれど。



「こいつめっ! 村から出ていけ!」

「近寄るな、妖怪め!」

「誰か! 憲兵達に連絡を!」



 前と変わらない―――否。前よりも断然、その敵意を剥き出しにして、人間達は僕にぶつけて来ていた。

 日も暮れかかった村の一角。

 大地へと落ち掛けた真っ赤な太陽は、村人達の心ように、ギラギラと、暗く、赤く、黒く、こちらを照らす。

 何処かの民家の壁に退路を断たれた僕は、目を閉じ、体を縮こまらせ、既に救いなど残っていないと頭の一部が理解しているのに、それから目を背けて、一心に耐え忍んでいた。



「この……化け物めっ!」



 また、腕に鈍い痛み。

 今度の礫は中々大きかったようだ。

 必死に頭を守っていた腕が強引に弾かれて、それに釣られて姿勢を崩してしまう。

 血の味に混じり、今度は土の味が加わって来たというのに、それを気にしている余裕など……。

 固く閉じられていた瞼を、薄っすらと持ち上げた。

 地面へと転がった僕を見る人間達が目に入る。



 ―――何と禍々しい形相である事か



 男も、女も、老人も、僅かとはいえ、子供までも。

 これでは一体、どちらが化け物だと言うのだろう。

 そして、視界の一部に、彼らの生業の一部である、本来ならば農具として利用されているそれ―――鋤を見た。



 ―――あぁ、これはもう助からない。



 確かに人間達の害になる事をした自覚はある。

 けれどそれは、ここまでのものであったのか。

 少なくとも自分は、誰かを殺めた訳でも、誰かを傷付けてた訳でも無いというのに。

 むしろ人間達の方が、牛や豚、鳥を、食べる―――殺す目的で飼っているのは、この世に神など存在しないのではないかという証明に……



(違った……。神は居る。でもそれは……)



 人間達の神であって、僕達、ネズミの神ではないのであった。

 同族の間で、実しやかに囁かれていた噂を思い出す。

 海という、途方も無い大きな水溜りを隔てた向こう側には、万物に神の宿る地があると聞いた。



(行ってみたいなぁ)



 そこにはきっと、僕達みたいな存在にも、等しく優しく。慈愛を以って接してくれる神様が居るかもしれない。

 村人達がそれぞれの手に武器を持って、自分の体に突き立てようとする様を、何処か他人事の様に眺めながら―――



「―――お止めなさい」



 自分を取り囲んでいた住民達の後ろ。

 いつの間にか、この国の軍隊の列が並び立っていた。

 その中の一箇所。

 列の中心に位置するそこには、一台の馬車が。

 一人の老人が、そこから降り立った。

 しわがれた……けれど、とても綺麗な声。

 身に付けた真紅と黄金の文様が織り成した絹はとても上等なものであり、それだけで、少なくとも雑多な豪族以上の存在であるのは理解出来た。

 艶の失われた肌は、小麦色。

 白銀に近い色素の抜け落ちた長髪を束ねる人間の後姿に、僕の思考は止まり掛けた。




「ウィ、ウィリク様! どうしてこのようなところに」

「視察です。篭りきりでは詳細は分かりませんからね。そろそろ戻ろうかと思っていたのですが……」



 ウィリクと呼ばれたその者は、今まさにその命を摘み取られようとする少女へと向けられた。



「……これは、どういう事です?」



 向けた目を、偽りなど口にしようものなら首が体と泣き別れるだろうものへと変えながら、少女を取り囲む民衆へと問い掛けた。

 その本意は、とても単純明快。

 今すぐその行為を止めよ。そう言っているに他ならなかった。



「し、しかしウィリク様! これは妖怪です!」

「そうです! 見て下さい! その頭から出ている異形な耳と、後ろから覗く尻尾を! 何と恐ろしいことか!」

「今やらねば、いずれこの国に禍根を―――」



 口々に、目の前の存在を説き伏せようと、言葉を投げ掛けるも。



「この子は―――私の娘です」



 その一言で、言葉を発した当人以外の誰もが一瞬思考を放棄し、『信じられない』『そんな嘘を』と。そう叫びたい衝動を押し殺し。

 遂には、彼女に何も言えずに押し黙る事となったのであった。







「―――そう。また、砂丘の向こうのオアシスまで行ってきたのですね」

「そうなんだ。あそこは今の季節でも、良い風が吹く。涼しくて見晴らしも良くて、辺鄙だから人もあまり来なくて。ゆっくりするなら最高のところさ。……そうだ。今度、そこへ行かないか。お母様一人くらいなら、何とか担いでみせるよ」



 オアシスなど行っていない。向かったのは、危険とされる草原地帯だ。

 この嘘も、これで何度目か。

 けれどそれも、目の前の存在に不安を与えたくはないが為であった。



 砕けた口調は、意図しての事。

 始めこそ畏まった言葉遣いをしていたのだが、それは、言われる側であるウィリクがとても悲しげな表情を作ってしまう為に、段々と現在のような物言いへと変化していった。



「えぇ。そうね。それは素敵だわ。―――今度……時間を見つけたら、行ってみましょう」



 その今度は―――来ない。

 リンは聡く理解していた。けれど、それでも思わずにはいられなかった。

 人間は脆い。

 妖怪である自分とは違う。後数年―――ともすれば明日にでも、この最愛の相手は自分の前から居なくなってしまうだろう。

 自身の肉体に引き摺られる様に、心も色を失ってゆく。

 ただ、そのような理由など、本当は些細なものであった。

 本当は、今彼女が―――この国が直面している問題に粉骨砕身している影響が強いのだ。

 それでも元気になってもらおうと。

 満足に動く事すら困難となった彼女の眼となり耳となり、少しでも事態の改善になれば。そんな思いに突き動かされながら、今の今まで過ごして来た。

 そしてこれも、その手段の内の一つ。



「―――そうだ、お母様。良い物があるんだ」



 隠し持っていた、大きな麻袋―――【ジャンドールの鞍袋】の入ったそれへと手を伸ばす。袋を二重にして使用しており、外観はただの小汚い袋である。



「こうも連日、日照りが続くと、食欲も乏しくなって敵わないからね。知り合いから、美味しい葡萄の果実酒を貰ってきたんだ」



 小さな手が、袋の中にある袋の中を漁る。

 案の定、何も存在しないその中身であったが、彼女がその欲しい物を想像したと同時―――



「……あれ?」



 同時……



「……リン、どうしたの?」



 心配そうに尋ねる婦人に悟られまいと、少女は平淡な声で答える。



「……参った。どうやら、置いてきてしまったらしい」



 内心で動揺を押し殺しながら、失敗したなと、苦笑いを浮かべた。



(しまった……この袋は普通には使えないのか)



 これの持ち主は体力を消費するだけで何の気兼ねも無く使い続けていた事から、その辺りを失念してしまっていた。

 これでは、ただ恨みを一つ買ってしまっただけではないか。

 一応、装飾品としても一級品に近い代物ではあるのだが、これをプレゼントとして差し出すのは、その経緯を説明しなければならない。



(無理だ……お母様に心配を掛けるような真似だけは)



 今からすぐに戻ったとしても……彼がまだ居る可能性は低い。

 部下達に指示をして、再びこれを奪った場所へと、袋を戻したとしても、あの者が居なければ話にならない。

 まだあの黒き髪の者、ツクモは、あそこに居るだろうか。

 既にあれから一日以上は経過している。余程この袋に思い入れでもない限り、あの場からは移動してしまっている事だろう。

 ―――もしくは、この袋を血眼になって探しているのだろうか。



「……あら、どちら様?」



 しかしそんな考えも、ウィリクの言葉で掻き消される事となった。

 一体誰に話し掛けているのか。

 部屋の前には、二人の親衛隊が神経を尖らせて待機している。

 この部屋に、来意を知らせずに入室出来る者は、それこそウィリク本人か、彼女の娘という立場になっている自分くらいのもの。それ以外の者が訪れれば、何かしらの声が掛かる筈であった。

 けれど、それが無い。

 疑問が焦りへと変わる間に、事態は進展する。

 その声の向けられた方。

 自分が入ってきた扉の方へと、顔を動かした。



「―――なっ!?」



 馬鹿な。

 馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ―――!



 滑る様な純白の外套。

 下半身は生地の硬そうな紺色のズボン。

 上半身には白いシャツ。

 乱雑に切り揃えられた頭髪は漆黒の如き闇の色を伴って、衣服との差別化によって、より一層その色を強調させていた。

 衣服、背格好、そして何より顔の造りが、何処か近しいものを表しながらも、この辺りの生まれではないことを如実に語っている。



「お初にお目に掛かります。ウィリク様」



 深く一礼。

 優雅というよりは、何処か労働の延長線上の作法のような錯覚を感じさせるその男は、会釈をして、こちらに歩み寄ってきた。

 一般的な部屋より広いとはいえ、大した距離がある訳でもない。

 考える間も無く少女の隣へと並び立ち、その手に持った袋を奪い去る。

 実際には、男を見たことで同様したリンが、袋を手に持つ力が非常に弱まっていた為に、簡単に手元から離れてしまっただけなのだが、少女にとってみれば、差は有って無いようなものだろう。



 ―――終わった、と。

 今まで一つとして恩を返せなかったばかりか、逆に、迷惑を掛ける事となってしまった。

 涙すら溢れそうになりながら、何を考えているのか分からない男を複雑な心境で見つめた。

 男が袋へと手を入れる。

『これは私の物だ!』『この泥棒ネズミめ!』

 彼から盗んだ宝石袋を掲げながら、次の瞬間には、そんな言葉が出てくるのだろう。



(あぁ、これで―――)



 暖かな一時は終わりを告げた。

 悲しみの始まりを直視しながら、少女は目の前の光景を……



「こうも暑いと気分が滅入っていけません。人間、腹に何かを入れずに、動く事も、考える事も困難だと思いますので」



 袋から手が抜かれる。

 けれど少女が予想していたものは、その手には握られていなかった。

 変わりに見えるのは、白く曇った水色の宝石板。

 それは周囲に白い靄を纏っており、それなりに博識であったリンには、それがあまりの温度差によって発生した現象であるのだと理解出来た。

 レンガのような、けれどそれの半分以下の大きさの、水色の氷の凝縮体。

 それに突き出た薄い木の棒を、老婆に差し出す仕草をして。



「東方の地よりやって来ました。短い名ではありますが……。九十九、と申します。彼女の―――リンの友人です」



 その意味が飲み込めず、やっと理解した頭で出た結論は、現状に対する感想、たった一言。

 信じられない。

 限界までその目を見開くリンを他所に、老婆は冷気の漂う青い宝石を受け取りながら、大層驚いた表情をしたという。



 ―――後に聞く。



『あれか? あれはガリガリ……ア、アイス! うん! あれは棒アイスの一種です!』



 それは、氷の名を冠した甘味であるのだと。





[26038] 第44話 小さな小さな《裏側》
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2012/10/06 15:48






 久々に熟睡出来た気がする。

 日が傾き、木の陰からはみ出た腕が西日によって焼かれた事で、俺は目が覚めた。



「……ふぁ……いてて……。―――よ! っと」



 木の瘤を枕代わりにしていた事で、体が妙な形で固まっていたらしい。

 体中が異音を奏でるのを強引に無視。無理矢理動かす事で、何とか稼動域を確保。



 視界いっぱいに広がる紅。それは、地平線に沈む夕日が世界を燃やしていた。

 赤一色に染め上げられた大地は、こちらの心を動かすのには充分なものであった。

 言葉もなく、動きもなく。大自然の脈動に、あぁ、とか、おぉ、とか。内心で感嘆の声を上げながら。

 時間を忘れ、目的を忘れ、思考を忘れて―――幾許か。

 黄昏の時間が闇に沈み、瞬きを持った星々が天井に灯る刻限となって、漸く俺は動き出した。

 寝起きと同時に座り続けていた事で、またもや体が固まってしまったらしい。立ち上がろうと背筋を伸ばしただけで、良い感じに関節から音がした。



「んーっ!」



 尻の砂埃を叩いて落とし、上体を反らして節々を解す。全身バッキバキ。体が楽器になった気分だ。

 真っ暗。とまではいかないものの、完全に日没してしまった今となっては、星の光が強いとはいえ、良好な視野を確保するのはやや難しい。

 さっと周りを見渡して、耳を澄ます。鈴虫の音と微風の感触が俺の頬を撫でていた。



(ナ……リンは……居ないか)



 彼女どころか、夜の暗さを差し引いても、一面を覆い尽くしていたネズミの一匹すら発見出来ない。

 少し寂しいけれど、別れを惜しむまでの関係でも無かったと思う事で気にしない方針を取る。

 何も告げられずに居なくなってしまった事は悲しいが、そこまでの間柄ではないのだし、こんなものか。と割り切って、これからの事を考え……



(あれ、ジャン袋は?)



 ……る事には至らなかった。

 寝る前に、体の横辺りにほっ放り出した筈のものが消えている。

 寝ぼけて消してしまったかとも思ったのだが、未だに僅かな体力の消費は感じられる。袋は未だに出現中だ。

 二度寝も辞さない脳味噌に何とかがんばって貰いながら、今自身が置かれている状況を整理する。

 アニメ描写であれば、きっと今のBGMは、時計の秒針がカチリカチリと音を立てているシーンかもしれないと思いつつ、頭上に擬似豆電球が灯った……気がする。

 これからの行動が決まった。

 それは。



「寝る」



 枕代わりをしてくれていた木を見て、【隠れ家】を呼び出した。安全地帯確保です。

 中に入れば、かつての如く真っ暗な無限の奥行きをみせる室内が広がっている。

 これで勇丸でも居れば、あの時の再現になるなとチラと考え、すぐに破棄した。今は感傷に浸る気分ではない。もっと他の事に意識を回すべきだ。

 無くなったモノは【ジャンドールの鞍袋】のみ。けれどそれは、いつでも消せて、いつでも出現させられる代物である。生き物ではないのだし、別に拘る必要は無い。

 けれど、もし仮にこれが消えてしまった云々のものでなく、他者によって奪われたモノであったとしたら。

 今までの流れから導かれた答えはあまり気分の良いものではなかった。

 それを行ったのは、かなり高い確率で、あの妖怪の少女であるのだから。

 だとしたら―――



(まだ確定じゃないけど……。もし彼女だとしたら……何でだ? 何で態々、人様の物を盗む真似を……)



 大事なものに変わりは無いとはいえ、それは幾らでも取替えが効くもの。

 何をされても……まぁ問題は無い、と。その心の余裕も相まって、怒りよりも、疑問の方が先に立つ。

 一番有力そうな理由は、彼女が漏らした、満腹になるのは初めて云々、との言葉から、ネズミ達の食料源確保の為だろう。

 普段から腹を空かせていた仲間達の欲求を満たす代物を見せたのだ。無限に湧き出る食べ物袋。それに興味を持たない筈が無い。

 ただ、だからといって窃盗は宜しくない。

 今、供給を断って消しても良いが、それでは面白く……ゲフンゲフン。教育上いただけないので、直接会って、今後は止めるよう懲らしめ……指摘しておこう。

 当人了承の元、踏んづけてしまったことが発端の出来事は、既に貸し借りは終わっている。

 その上でこちらに害を成したというのであれば、もう手心を加える必要は無いのだから。



(という訳で、お休みなさい)



 敷き詰められた、藁の布団の上で横になる。

 ミシャクジの外套と月の衣類の効果で、あの時ほど……というよりは、むしろ格段に寝易くはなっているのだが、それでも違和感を感じずには居られないのは。



(月に戻りてぇ……)



 空調の効いた部屋。ふかふかのベッド。何に襲われるでもない、安全で清潔な環境。美人な同居人。あぁ、寝る時だけ月の生活空間が欲しいです。

 早くも逆ホームシック? に掛かった俺は、数日で慣れるさ。と、過ごし易かった生活環境を思考の外へと追い遣りつつ、目を閉じた。










「おはようございまーす!」



 
 新鮮な空気を胸いっぱいに取り入れて、日の出と共に、元気ハツラツ挨拶一声。誰に聞かせる風でなく、世界に向けて自己主張。……誰か居たら絶対しませんが。

【隠れ家】の扉から這い出た俺は、眼下に広がる緑の大地に向けて声を荒げた。

 夜更かしする理由が宴会以外で皆無となっていたので、朝日が昇るか否か。な時間帯で起床する癖が付いていた。

 起きてたって娯楽が無いんです。天体観測くらいしか。……それはそれで楽しかったんですけどね。夜な夜な星を観察しに繰り出す方々の趣味が何となく理解出来る経験でした。機会があれば、天文学に詳しい人から夜空の下で、色々な話を聞いてみたいものだ。

 月の頃との時差で生活のリズムが狂うかとも思っていたのだが、どうも良い感じで体内時間とマッチする緯度……経度だっけか……? へと降り立つ事が出来たようだ。

 ラジオ体操よりも簡単な軽い運動の後、日課となっていたあれを、昨夜はし忘れていた事実を思い出した。

 月の服によって、今は自動で体を清潔に保ってくれているのだが、あれは汚れを落とすだけではなく、心や体の疲労を取り除いてくれるもの。

 幸い、【隠れ家】―――【土地】は残したままだ。これならば問題なく使用出来る。



(いつもは秘湯、諏訪に入浴してたからなぁ)



 洩矢から守矢になる以前から、考えてはいた。そして月にての初使用の際には、俺含む、周囲の誰もが目を見張る展開になったのを思い出し、あれは気分が良かったなと記憶が蘇り、笑みを浮かべる。

 残念ながら、永琳さんの実験との名目であったので、それを堪能するまでの段階には至らなかったのが心残りであったくらいか。

 名前が何の捻りもないものではあるけれど、すぐさま思い出せる、という点においてはそれ以上望むべくも無いカードであった。



(丁度、周りには雪も被ってたし)



 もし熱さで参ってしまうのであれば、そこで体を冷やすのも良いかもしれない。というか、むしろ至れり尽くせりではないか。



「んじゃいつも通りに、っと。……おほん。―――召喚!【温泉】!」



【隠れ家】の側面にあった大地が発光し、数瞬の後に輝きを失った。

 早朝であるのに暑さを感じる一帯に負けないよう主張するかの如き、濛々と立ち込める湯気は、それが高い温度を保有しているのだと理解させられるものである。

 絵柄の通り、【温泉】の縁には降り積もった雪が残っていた。この辺りは製作テーマの影響が強いのだろう。真夏の草原に雪の彩りが添えられている温泉。という、例えに困る現状であるのだが、一応、温泉は温泉だ。そこまで深く考える必要も無いだろう。










『温泉/Hot Springs』

 2マナで、緑の【エンチャント(土地)】

 本来は、全体に影響を与えるか、クリーチャーの強化、弱体化が主な使い方の【エンチャント】ではあるが、これは【土地】に付与するもの。

 これを付けられた【土地】は【タップ】する事で対象のクリーチャー一体かプレイヤー一人に与えられるダメージを一点軽減する能力を得る。










 出来れば日本の山間なんかで使いたかったな。と思いながら、さっと周りを見渡して人気の無い事を確認すると、俺は着込んだ衣服を乱暴に脱ぎ捨てて、快楽の泉へと突貫していったのだった。



 ―――湯温を微塵も考慮しないままに。



 直後、絹を裂く男の声が木霊する。『アチョー』とも『ホアタァー』とも聞こえるそれは、宛らカンフー映画の気合の掛け声のように。【温泉】の縁に積もっていた雪の上で、軽度の火傷一歩手前まで陥った体を冷やしながらのたうち回る全裸男の姿は、それから数分の間、見られたという。



 そして、一芝居も終わりを告げて、日も高々と登り、等しく全てを焦がす時間帯となった頃。



「地味にヒリヒリする……」



【隠れ家】を消し、【温泉】を消し。

 衣服を着込み、その隙間から覗く、日焼けとは違う風に薄紅となった表皮を優しく擦りながら、白い外套を羽織った男が、草原の上で突っ立っていた。

 じくじくと痛覚を刺激している、赤肌からもたらされる不快感を、何かカードを使って回復させようかという思考と共に、頭の隅に退けておく。

 今度からは水温が低い……冷たい奴を出そう。最低でも、火傷しない温度のを。折角、常時常夏な場所にやってきたのだ。水泳という酷暑対策の風情を楽しむのも一興だろう。……決して、再び熱い思いをしたくないから、ではない。

 密かに決意しながら、これからの行動を改めて思い返し、その手始めとなる力を行使した。



「あーい、きゃーん……フラーイッ!!」



 脳内イメージ。時を○る少女の、あれ。

 軽快に一歩を刻み、その体は―――宙に浮いた。

 大か小かの放物線しか画けない【ジャンプ】とは違う滞空模様。

 他の力を利用した手段【羽ばたき飛行機械】とも違う。

 空中移動手段の最後の一つ。青の1マナ【エンチャント】であり、名前もそのままである【飛行】だ。

 効果は当たり前の様に発揮されていて。一秒、二秒と足が地面に着く事は無く、今も尚その記録を伸ばし続けている。



(……成功だ……)



 内心で呟いた感想は、その一言では終わらない。



(成功だっ!)



 とうとうそれは、外へと漏れる。



「―――うおおおお!!(俺、飛んでるぞ!!)」



 言葉よりも先に、感動の声の方が先に突いて出てしまったようだ。

 忘れていた、昔の記憶。

 誰もが一度は夢見た筈だ。そして、現実を突きつけられ……諦めた、夢。



「……っ」



 歯を食いしばり、歓喜の声を、笑みへと変える。

 忘れ去ったかつての願いが実を結び、埃を被って……埃に埋没していた好奇心を再び目覚めさせた。



(そうだった……空を飛ぶ事なんて、昔は何度も夢見た事だったじゃないか)



 自らの意思によって、縦横無尽に宙を駆ける。

【ジャンプ】を使った時には、楽しさよりも、滑空に対する恐怖と、早く慣れて目的地へ行かなければという使命感が背景にあって、好奇心を満たす方に比重は置かれていなかった。

 故に今回の【飛行】は、それら心の制限が殆ど無い状態で体験する訳で―――。

 速度こそ地上を全力疾走する程度のものだが、何の制約も受けずに移動出来るという体験が、より一層俺の心を沸き立たせていた。

 鳥のように素早くも、蝶のように優雅でも無いけれど。

 十、二十メートルと高度を稼ぎ、恐怖を覚え始めたところで力を抜く。

【ジャンプ】の時に体験した擬似無重力を再び感じながら、地面に激突ギリギリ……は怖かったので、ある程度のところまで落下した後に、もう一度意識を集中し、空中にピタリ停止した。

 僅かなブレーキによって、突如発生した引力に全身を襲われ、少し咽る。急発進、急停止は通常状態では結構厳しそうだと理解するけれど。



(もっとだ。もっと、もっと、もっと―――!!)



 多少の無理など気にも留めず、全速力で大空を味わう。

 自由とは、こういう事だ。

 虫も、鳥も、飛行機も。あの、空を泳ぐ雲にすら。

 幼き頃の俺が、空行く者達に向けた羨望の眼差しは、間違いではなかったのだ。

 無心で空を駆けた。ただ只管に。ただ我武者羅に。

 平衡感覚を維持する為の三半規管へのダメージなど、まるで気にもならない。

 全身を焼く太陽の熱に浮かれているのか。



「おおお―――!!」



 今はただ、叶った夢に突き動かされて―――










「丸一日遊び続けるとは思いませんでした」



 我に返ったのは、次の日の明け方であった。

【エンチャント】である【飛行】の維持もそうだが、飛行能力の行使自体にも、そこまで体力は使わなかった。

 それでも、使い続ければ減るものは減るのだと。ぼやけ始めた視界から、自身が熱中症に掛かる一歩手前になっていた事を察した。

 死んだら元も子もない。と、慌てて休憩。そのまま、体調の回復を図った安息は睡眠へとシフトしてゆき、朝日を拝むまでに至ったのだった。



(結構、体力減ってた筈なんだけどなぁ。永琳さんに貰った腕輪、一体どの程度で効果を発揮してくれるんだか……)



 まさか壊れちゃいないだろうな。と不安に駆られるものの、あの人がそんな軟な代物を造る訳も無いと思い直……思う事にする。頼りの道具路線から、もしかしたらのお守り程度の認識には変更したけれど。

 とりあえず、かなり体力を使わないと効果を発揮してくれないのだろう。と思う路線で、この懸念事項は終了させる事にした。



 丸一日中遊び倒して見上げた青空は、とても清々しい気分にさせてくれる。息も絶え絶え。体バテバテであるというのに、実に心地良い疲労具合です。

 既に太陽は高々と。

 再びお世話になる木の陰にお邪魔しつつ、マナと体力の回復を兼ねた休憩を取る。

 外側にでなく、内側に意識を向けてみれば、今までに出した各種【土地】や、クリーチャー達との繋がりを感じられた。

 その中の一つ。

 意識した時のみであり、加えて大雑把にしか感じられないのだが、行方知れずとなったジャン袋の方角が分かった。



「……西、か」



 方角なんて全く分からん呟きですが。気分です、気分。

 太陽や星の位置から自分の場所や方角を割り出す、なんて、理科の講義で習った筈ではあるのだが、完全に記憶から抜け落ちている。

 覚えているのはそれを習っただけの記憶であり、それをどう割り出すのか、なんて情報は、これっぽっちも残っていなかったのだった。

 仮にジャン袋のある方角が西だとして、勇丸や【水没した地下墓地】等々を感じる方向は、殆ど対面。反対側。

 目的地とは逆の方面である為に、面倒臭さが込み上がる。



(別に追わなくても良いかな……いずれは日本……場所は何処からは知らんが……幻想郷で会えるんだろうし……)



 その時に問い詰めれば良いか、と。

 幾ら東方キャラとはいえ、出会って僅か数時間。一方的に踏み付けてしまったけれど、それは既に謝罪済み。そこまで気に掛けていた者でもない。

……そもそもが、俺が幻想郷に行けるのだろうか。という問題は置いておく。

 ただ。



(……何なんだよ、あの悲しそうな目は)



 睡魔に負ける直前。

 見間違いと判断したその表情が、今は妙に、思考の隅でチラつく。

 一分が経ち、二分が過ぎ。



「―――あ~、もう」



 すぐに用事を済ませれば万事解決。三度、頭を掻き毟る。

 大和の国から離れて、大体二ヶ月前後。もうここまで来たら一日二日など誤差のようなものではないか。……戸島村でもそんな事思った気もするが、スルーします。

 まるで、『明日からやる!』と宿題に手をつけない子供のように。

 一瞬、不満そうに口を尖らせる諏訪子さんと、眉間に皺が寄る神奈子さんと、態度こそ凛としているものの、尻尾が垂れ下がった勇丸のイメージが脳裏を掠めた。



(すんません。帰ったら穴埋めはしますんで、許して下さい)



 大和で行っていた事。

 妖怪を退ける。という仕事は常にあったのだが、旅立つ前の段階では、人間の手によって大分補えるようになって来ていた。伊達に、鉄精製の技術を獲得してはいないというところか。

 神奈子さんからも、徐々に前線から退くように指示は受けている。俺ががんばればがんばる程に、民達が育たなくなるから、と。その分、事務仕事の割合が増加傾向にはなっていたが。

 ……あ。



(……やべぇ。諏訪子さんに何て言うか考えてなかった)



 月に居た時は『出たトコ勝負!』という気概があったのだが、こうして地球へと降り立ち、帰還が現実味を帯びて来た事で決意が揺らいで来ていた。

 喉元過ぎれば何とやら。

 とある諺を体言しそうになったので、頭を振って、雑念を払う。

 再度熟考。

 数分間、知恵熱が出そうな程に思案して。



「―――よし! それを考えてから戻ろう!」



 ……ごめん俺嘘ついた。

 頭を振って払った筈の雑念は残っていたらしく、熟考を経て、ヘタレと名を変えて結晶化してしまっていたようだ。

 人それを、現実逃避という。



(リンを探している間に何か参考になる案でもあれば……)



 おぼろげに感じられるジャン袋の方角へと、【飛行】ではなく【ジャンプ】による跳躍力を前方に傾ける事で高速移動を果たす。

 視界の先には白茶色な地帯、砂漠が広がっている。精々が自分の全力ダッシュな速度しか出せない【飛行】では、砂漠の脅威その一である熱中症の危険と、単純に、移動速度で疑問が残る。

 その点【ジャンプ】は電光石火な速度を出す事も可能であった。何せ、一瞬で地上から上空へと打ち上がる力を持っているのだから。

 目が慣れ、体もその速度に順応出来たのであれば、彼の新聞記者な鴉天狗にすら勝るとも劣らない次元に到達出来るのではないかと思える程に。



 緑を抜け、砂のみの大地を飛び跳ねる影が一つ。

 兎のような、陽炎のような。

 それを見る者が居たのなら、きっと、そう例えていたかもしれない。

 しかし、死の大地に態々赴く物好きなど居らず、唯一の物好きは飛び跳ねている者のみ。

 結局、跳躍を繰り返す者が土壁で作られた町並みを発見するまで、その姿を見た者は空を流れる雲と、灼熱の世界を創り上げている存在のみであった。










 太陽が地平線へと没する少し前。砂漠で営みを築く者達が住まう場所に、俺は来ていた。

【ジャンプ】による遠距離上空視察で、大雑把な全体の町並みは把握している。

 十字に敷かれたメインストリートと、そのバッテンの中央にそびえ立つ、白亜の城。

 といっても、豪華絢爛な代物というよりは、箱を幾つも継ぎ足し積み重ねただけの印象を受ける造りになっていた。少し見方を変えれば、要塞か砦か。と言えるだろう。



(何だろなぁ。テレビでやってた中国辺境の……ウイグル自治区だっけ……紹介番組なんかでこんな衣装見たような……いや、あれはインドだったか?)



 白い布を着崩した和服のように身に着けた服装の男性と、色褪せた赤やら黄色やらの布で着飾った女性。

 前者は、大きさ、形、色、がどれ一つとして同じものを発見出来ない程に多種に渡って見られる帽子を、被る、というよりは乗せた姿で歩き回っていて。

 後者は、服同様に様々な色合いのスカーフを、頭に被せたヘッドスカーフとでも呼べる格好で、炎天下の道を進んでいた。そのまま頭に籠やら壷やらを乗っけてくれれば、まさにテレビで見た人達そのものである。

 土壁で作られた家々が、出来の悪い積み木を積み重ねたような造形で、道に沿って立ち並ぶ。

 数頭に連なって進む、背中にジャン袋並の水袋を幾つか背負うラクダの列。少し離れて、ロバの列が後に続く。

 まるで、インドと中国の合いの子のような場所。

 それが、この町に来て思った感想だった。





 諏訪子さんから貰った外套を、彼らに習って体に巻き付ける。大和では神様の従者、的なポジションであったので、『まぁそんな格好も普通だよね』なんて思われたのだが、ここではそうも行く筈が無いだろう。郷に入れば郷に従え。習慣なんぞ知る訳も無いので、せめて服装くらいは。と、思ったのだ。

 とはいっても、所詮ずぶの素人。どうにも、湯上りのオヤジが腰にタオル巻いているだけな気がしてならない。これあれだ。古代ギリシャとかあの辺の衣装……キトンだったか……みたいな。そういう外見になっている筈だ。

 だからだろう。道行く人達の視線が結構刺さる。身長が他の人達と比べても、頭半分くらい出ているのも原因ではないだろうか。

 お陰で眉間に皺寄りまくり。勘弁してほしいッス。



「まぁ。なんて綺麗な外套」

「あら本当。白いだけじゃないわ。水面に光が反射しているかのような光景ね。……素敵。何処で仕立てたのかしら」

「きっと名のある豪族の……それも戦士に違いない。見ろ、あの顔を。一切の油断の無い眼をしてやがる。ありゃかなり腕の立つ奴だぜ。きっと名のある国の……そうだな。将軍に違いねぇ」



 何やら外野が言っているけど、聞きたくない……聞いたら羞恥の炎で焼け死にそうなので、極力耳には入れないようにする。アー、アー、ワタシ、ニホンジーン、ガイコクゴ、キコエナイ、キコエナーイ。

 ……早いところ、本来の目的を果たしてしまおう。



(リンが居るのは……)



 ジャン袋がある方向へと目を向ける。恐らく、そこにあの少女も居る筈だ。

 ……でもね?



「……感覚が郊外なんですが」



 町とは正反対。つまりは真後ろ。

 あれだ。どう見ても砂漠―――ひいては、彼女と出会った草原地帯に続いている方角であった。

 ……と、いうことは、だ。



「―――通り過ぎた!」



 超ガッテム。

 視線を更に集める結果になったが、構わず天を仰いで心中の苦悩を発散。

 少し気分が楽になったのだが、今度は別の苦悩が全身を突き刺している。……周囲からの視線を一身に集めておりますです。

 おっかしーなー。移動中にそれらしい影は無かったんだけどなぁ。探す対象が小さ過ぎて見逃したんだろか。



「うぅ、撤収撤収」



 チャック全開であったのを公然の場で気づいた時の行動みたいに、可能な限り体を小さくしながら、人混みから遠そうな路地裏へと足早に退避した。









 そして、完全に日が没した町に、幾つもの火が灯り始める。

 家々の間から零れるそれの一箇所。取り分け大きく光る、歓談と喧騒の声が入り混じり漏れるその家―――店は、耳にする声や物音を肯定するように、人々が席に着き、飲めや歌えの宴を作り出していた。

 色々な料理。様々な飲み物。多種の人種。瓶詰めのジェリービーンズのような、小さな世界。

 そんな世界の一角。カウンター席にも似た場所の隅。

 出された酒や料理を黙々と咀嚼しながら……



「……お、結構イケるな。カクテルみたいなもんか。リンゴ……が原酒かな? そこに砂糖でも入れて造ったのか……味に角はあるけど……ジャン袋のレパートリーに追加しとこうかな」

「それはムサッラーと言う果実酒でして。ここじゃあ鼻垂れのガキから耄碌した年寄りまで作れる、ごく一般的なもんでさぁ」

「ふむふむ。……飲み口は甘くて柔らかいけど、結構度数強そうだな……程々にしておかないと」



 店内の誰もが白い外套に注意を引かれて一度は目を向けるが、ただ飲食を口にするだけで大して動きの無い様子に興味を継続させられなくなり、視線を切る。



「こっちは……炒飯? ドライカレーのカレー無し? 何だろ分からん。……で、こっちが具沢山スープ、と。色、赤いなぁ……。でも、香辛料の香りが良い感じに腹に染みる。空きっ腹には堪らんですよこれは」

「(どらいかれー?)飯はポロと言って、羊の肉と玉葱や人参を炒めて蒸したもので、スープは“ダ”ンバンジー。最近、お隣さんから入ってきたバンバンジーっていう料理にヒントを貰って造ったんですがね、これが結構上手くいきまして。鶏とジャガイモ、トマトなんかを唐辛子入れて煮込んでみたもんでさぁ。もし腹に余裕がありましたら、残ったスープに平麺入れてお召になるのも良いですぜ」

「そりゃ良い事聞きました。これでもそこそこ食えると自負してますんで。是非お願いします」

「分かりやした。……しかし、これだけ食べて頂いて貰ってあれですが、お客様みたいな貴族にゃあ、うち等庶民の味は合わんでしょう」

「いえいえ。郷土料理ってのは美味い不味いも確かにありますが、一番はその土地で食べられてるものを食べる事に意味があると思いますから。それに、酒も料理も美味しいですよ? ……というか貴族じゃありませんよ俺。……えーと……旅人とでも思っておいて下さい」

「そういうもんですかねぇ。あ、別にお客様の素性を探ろうって訳じゃないんでさぁ。ただの好奇心。お代もしっかり頂けておりますし、他意はありやせん」



 やはり金は力か。まぁ見ず知らずの他人をいきなり信じろというのが土台無理な話でもある。そういう意味だと、簡単に理解し合える……かどうかは別として、互いの信用の構築を一気に楽にしてくれる、この金という代物は、やはり凄い発明なのだと実感するのだった。

 カウンターの奥で酒の補充をして来た細身の男と二三の言葉を交わした後、俺は黙々と料理を咀嚼し―――店内の会話に耳を傾けるのだった。



 こちらスネ……九十九。現在、潜入ミッションを観光……もとい、敢行中だ。

 リンの後を追って、通り過ぎた。

 これってつまりは、しばらく待っていれば彼女は後からやってくるのではないか。と、いまいち信憑性の無い答えを信じる事にしたのだった。



(折角色々見て回るって決めたんだ。少しは経験値積んでおかないと)



 視野を広げて柔軟な発想を―――うん。そういう事で。

 基本は東方プロジェクトのイベントを観察するところだが、興味があるのは、出来事だけではない。

 場所、建造物、サブキャラ等々。別に、事象だけしか見なければいけない理由など無いのだ。



(海外旅行とか行ってみたかったし)



 何処まで生前の世界観を引用したら良いものか判断は付かないものの、あっちにしてもこっちにしても、一度も日本から出た事は無かったのだから、どちらも未知であるという意味では、両者に大した差はない。

 むしろ、これからこちらで生きていかねばならないという点では、こちらの常識が今後の常識になる。知っておいて、損はないだろう。



(それが日本で役に立つかは怪しいとこだけどなー)



 結局は、初めての海外旅行。というフレーズを正当化したかっただけだったのかもしれない。

 でも、出来れば最初はヨーロッパ辺りを見て回りたかったんだがなぁ。それなりのツアー組むと、お値段が二十万行きそう……というか余裕で超えそうで、仕事が一週間前後の休みが取れなかった為に、昔は諦めていたのだった。

 何せ今は、個人的に最大の問題点であった言語の壁、という点をクリアしている。次に金銭面。トドメで、船やら飛行機やらといった、移動手段を模索しなければならない……どころか、既に現地入りしている現状。

 昔に諦めていた理由の悉くが、既に取り除かれているのだ。自重する理由はかなり薄れていた。

 で、待機&観光目的で、宿を見つけ―――



『お客さん、うちは結構高いが大丈夫かい?』



 一目で町の者じゃないと看破され、男の言葉で、現地の銭なんぞ持っているわきゃ無い。という事実を突きつけられた。

 背中に一筋。嫌な汗が流れていったのだが、そこはほら。俺は金銭面では不自由する事はないのだった。宝石が、価値のあるものである限り。

 Gパンのポケットに突っ込んであったそれを店主に見せる。

 小指の爪程のそれ―――恐ろしい程に精巧な細工を施されたサファイアを見た途端、相手の疑惑の目が一変し。



『ようこそお客様! ご滞在は二週間? 三週間? いやいや一ヶ月でございますか? お気の済むまでごゆるりと! おぉい! お客様を一番良いお部屋へとご案内しなさい!』



 何と見事な変わり身。ビフォア、アフターの二者比較画像で見比べてみたくなる。

 今にして思えば―――当然物によるんだろうが―――BB弾くらいの大きさの宝石が数十万なんぞザラな価値観であり、光具合もそうだけれど、大きくなればなるほどに、その値段は倍々に膨れ上がっていたのだった。

 それが、BB弾どころでなく、その倍以上ある、ビー玉サイズ。

 しかもこれは、この世界で最も先を行くであろう所にて製造されたもの。具体的に幾つかは分からないけれど、この店主の豹変振りを見るに、その価値たるや、計り知れないレベルなんだろう。

 既に代金として支払ってしまったのだが、あれは一体どれくらいの価値があるものだったのだろうか。やり過ぎた、という点だけはよく分かる反応ではあったが。



(月に居た時、【宝石鉱山】から採取したのを幾つか加工して持ってきておいて良かった)



 材料は俺が。カッティングは向こうが。

 一応は宝石同士が傷つけ合わないように、本に挟んだ栞の如く、厚手のハンカチ二つ折りにし、その間に閉じて持ち運びをしていた内の一つである。

 重さは死に繋がる節がある旅において、元々片手で数えられる程度の量しか持ってきていなかったのだけれど、この分ではもう少し多めに拝借してくるべきであったか。

 そう思うと、月に対しては一体幾らの贈与を行った計算になるのだろう。疑問と、物欲から派生する後悔という名のみみっちさが沸いてくる。



(……あぁ、でも、宝石の価値はカッティングによるところも大きいからなぁ)



 重さと輝きのバランスが大事なのだと、ジャパ何とかタカタの社長が言っていた気がする。

 月の最先端技術を用いた細工で、より一層価値を高めた宝石達。

 持ちつ持たれつか。と結論付けて、【宝石鉱山】から無限に湧き出るものを惜しむという事実に、我ながケチな性格だと苦笑した。



 で、そのまま宿泊施設一階にドッキングしていた飯屋へご厄介になり、夜を迎える流れとなった。代金も例の宝石から引いてくれるというし。

 初めはただの興味から。

 日本に……大和の国に居た時では絶対に味わえないであろう感覚を、五感を駆使して楽しみつつ過ごしてみれば。



「全く……ウィリク様にも困ったもんだ」



 俺の後方。

 このカウンター席に着く前に見たそこは、確か数人掛け用のテーブルが用意してあるところだった筈だ。



「なぁに、今はもう郊外は愚か、町に出てくる事もなくなって久しいじゃねぇか。もうすぐさ」

「だとすると、今後は色々とやり易くなるな」

「おうよ。ただ、それを狙ってるのは皆同じさ。最初でどれだけ稼げるかが肝だぜ」



 幾人かが、何やら商売の話をしているらしい事は理解出来た。……あまり宜しくない方向の。

 声に差が感じられないので誰が話しているのかは分からないけれど、何を言っているのかは理解出来るので、あまり問題は無い。

 無言の聞き手となっていたのだが、途中で思案に没頭した為に会話の過程がスッパリ抜けてしまったのだが……



「それはあれじゃないか? 例のネズミ妖怪がウィリク様に取り入ってからじゃ?」



 おっと。何やら心当たりのある話題が飛び出してきましたよっと。



「時期的には、そうだな」

「はは。じゃあ何か。今この国のトップは妖怪に食い殺されようとしているって訳か」

「何でも魅了の妖術を使うとか何とか。ウィリク様もそれにやられて一発でコロリってな具合だったそうだぞ」

「おいおい、それじゃあこの国での商売は上がったりじゃねぇか。妖怪に全部掻っ攫われちまうぞ」

「そこはあれだ。豪族のお歴々が既に手を打ってあるさ。大方、『女王の死因はこの妖怪が!』とか言って、そのままバッサリやるんだろうさ」



 ……あまり、ではなかった。どうやら、とても宜しくない話のようだ。



 ―――聞き耳を立てる。という行為が思ったよりも楽しくて、ついつい時間を忘れて没頭してしまっていた。

 とはいっても、行為もそうだが、その真は彼らの話す内容がとても興味を引いたからである。



 女王に救われたネズミの妖怪。

 豪族達がこの国を手中に収める一歩手前状態。

 近々、何か大きな事が起こる。

 ご当地物の料理を口にしつつ、色々と感想を抱きながら耳にした話を纏めるに、そんなところだった。

 国存亡の危機という奴だ。今の話を―――この国の状況を要約するのなら。だからといって、何かする訳でもないけれど。

 口には出していない彼らの“思考”は、それこそ犯罪者が有しているであろうものであった。

 誰を欺き、誰を利用するのか。

 物は、人は、時間は、そして、金は。

 十人十色の考えであるというのに、最終的には金銭方面へと結論に向かうのは、とても興味深いものがあった。



(内容はさて置くとしても、色々な考え方がある、ってのは勉強になるなぁ)



 高い宿の影響か。

 後ろで悪巧みをしている方々は、かなりの豪商や貴族様達らしい。

 ある者は関税の権利を。ある者は大量の不動産を。実に様々な考え方やアプローチの仕方があるものだと感心するばかり。

 昔は仕事の関係上も肉体労働に比重が置かれていたし、諏訪子さんの所でも、ほぼ肉体方面での貢献であったので、交渉事にはとんと疎かった事もあり、全てが真新しく、新鮮で。

 千変万化に移り変わる思考の濁流を“観察”し、この土地の料理をパクつきながら、海千山千の狐や狸の会合に興味深く意識を傾け続けるのだった。











『テレパシー』

 青で1マナの【エンチャント】

 これが場にある限り、全ての対戦相手はその手札を公開したままゲームを進める。










 思考でなく、記憶の部類になると途端に不明瞭になるけれど、そんな些細な不満を一風してしまうメリットを発揮しており、それが実感出来ていた。

 俺的別名、『今日からあなたもさとりさん』カード。

 月での失敗を踏まえて、どうすれば誤解の無い関係を築けるのか。という考えの元から辿り着いた答えが、これであった。

 思考で勝負する者達が、既に手札をばらされているという状況は、絵柄が透けて見えるトランプでババ抜きでもプレイしているようなものだろう。勿論、一方通行の。

 魂胆やら本音やらを何の苦労せずに理解出来るのは、何とも新鮮な気分にさせてくれたのだが。



(これ、頭痛くてしょうがないんだが……)



 一人一人に集中すればそこまででは無いのだが、二人目、三人目と同時に読み取ろうとする対象を増やしていくと、ジクジクとこめかみの辺りに鈍痛が走るようになった。……いや、もう一人目で、既に頭が重くなっていた。

 痛みを抑える様に頭に手を当てると、一瞬、風邪引いたかと錯覚するほどの熱を感じる。体調不良ではないので、多分、知恵熱という奴だ。



(いっぱい人の話を聞けるようになったよ! でも性能フルに使ったら自壊するよ! ……とでも?)



 あんまり使いたくないなぁ、このカード。

【テレパシー】による頭痛とはまた別の痛みが襲う。

 通常ではありえない情報量―――脳味噌を酷使しまくっている結果だろうか。

 順繰りに彼らの頭の中を覗く事で頭痛を制限しながら、カードの性能を活かしきれない自分の頭をちょっと不満に思った。これが永琳さんやらの月の面々であれば、多分、余裕で使いこなす代物なのかもしれない。



(色々とお話、ありがとうございました)




 解散ムードに突入していた彼らに習い、こちらも席を立つ。

 後ろのお方達の代金をこちらで払う様に、オーナー……バーテン……店主? へと告げる。お代は、例のサファイアから代引きでお願いします。

『あいつらとお前何の関係が?』と目の前の男の表情が―――思考も―――物語っているが、言葉で尋ねる真似はせずに、一つ頷くだけで了解してくれた。



(一度やってみたかったんだよね、これ)



 気分は風来坊なカウボーイ。あるいはちょっとしたリッチマン。

 洋画で間々見た場面の焼き回しを、自分が体験出来る機会が巡ってこようとは。

 何とも俗物な感覚であるが、実に良い気分です。自重する気はあまり無いが、全開にする気はもっと無い。欲望ばんじゃーい、する場面は見極めなくてはならないだろう。こうやって、小出しにする程度で今は十分である。

 僅かに鈍痛のするコメカミを抑えながら、【テレパシー】を解除。

 就寝の為、借りた部屋へと戻り、床に就いた。











「……ねむ」


 お早う御座います。頭が働きません。九十九です。……ってな具合の自己語りから今日を始めてみようと思った、今日この頃。

 日も昇りきっていて、人によっては昼ご飯にあり付いている時間帯だろうか。うぅ、日差しが暴力的。

 一日中眠り扱けていたい衝動が、今も絶えず働か掛けてくるのだが、そうも言っていられない。



(ジャン袋、かなり近くに来てるっぽいな)



 昨日と変わらず、脳天を焼く日差しが恨めしい。旅先の記念品の意味も兼ねて、帽子か何かを買っておこうか。

 閉じた瞼の上から、眼球に『昼だぞ』と訴えかけて来た太陽との戦闘は、俺が折れる事で決着が付いた。まどろむ意識の中、【ジャンドールの鞍袋】の感覚が、大分近づいて来ているのを感じたからである。

 慌てて……なのか重い動きなのか微妙なラインで起床→準備の流れを終えて、待ち人が居るであろう方面へと歩いて移動し、数十分後。

 出会った時と同じ格好―――薄いグレーのワンピースと木の枝、そして、大きな麻袋を持ったリンが、大通りを歩いているのを発見。

 さてどうやって接触しようかと思っていたのだが……



(……何だ、この空気)



 異様。次いで出てくる感想は、気持ち悪い、であった。

 彼女が進む先に居た、人という人が道を譲り、あるいはその場から立ち去って……残っている者の誰もが、親の敵でも見つけた風な表情をしていた。

 晒し者。

 安直に言葉にするのなら、それが適切だと思えて……思えてしまってならない。



(お前、何したんだよ……)



 並大抵の事では、今目の前で起こってる光景にはならないだろう。

 しかし、そのとんでもない事を仕出かしたのであれば、この国の大事を中心に話していた、昨晩の男達の話題に上がっていた筈だ。


(なんだっけなー、なんかあった気がするなー)



 昨夜の出来事を思い返す。

 動機こそふざけていたが、あの会話はとても興味を引くものであったのは間違いない。酔っていたとはいえ、かなり話は覚えている。

 そして、該当項目に引っかかる話を一つ思い出した。



(……女王の娘になった。ってのが原因なのか?)



 この国の最高権力者に取り入った妖怪。

 何も知らない状態で聞いたのであれば、ここに住む者ならば、真っ先に対処したい問題ではないか。

 でもそれは……リンを見る民衆の眼を見れば、首を傾げざるを得ない。

 恐怖や嫉妬、怒りだけではないのだ。

 あの汚物でも見るような目は……心当たりがあった。



(横山と、朽木さんの時だ)



 前者は学生の時。

 異性への告白に失敗し、それをネタに―――いや、原因となって、苛めの元になり。

 後者は社会人となった時。

 仕事は不器用であったけれど、人一倍責任感が強く、優しい人物であった為に、周囲の仕事“だけ”は出来る人から良い様に使い潰されていた。

 その時にはそれぞれ解決策を講じ―――今思い返しても愉快な結果になったが―――そんな彼らに向けられていた周囲の目を連想させるのだ。この光景は。



 ―――あぁ……気に喰わない―――



 久しく忘れていた感情を思い出す。が、それに合わせて、自制心も湧き上がった。

 一部だけを見るんじゃない。まだ、こちらの知らない事情があるのかもしれないのだと。

 それでも心の温度が上昇していくのを止める事が出来ずに、ただじっと、侮蔑の視線を向けられる存在を視界から消えるまで見続けて―――



(……しまった、見失った)



 ―――我に返ったのは、あれからどれくらい経ってからか。

 警察は勿論、軍隊も、妖怪も、恐らく、雑多な神すらも。

 純粋な力量で自分を諌める存在が少ない現状では、不満を爆発させずに堪えるのが、こうも難しいものだったとは思わなかった。

 一分であった気もするし、その十倍は経っていたかもしれない。

 未だに握り拳は硬く閉じられているとはいえ、感情が一気に臨界点を超える段階は過ぎていた。我慢、成功である。

 この程度の憤慨など、仕事で腐るほど体験してきた筈なのだが……人間、ぬるま湯に慣れるのはとても早いのだと実感。



(権力者が他者を省みなくなっていく気分が良く分かった気がするわ……)



 もしくは、叱られる事を知らない子供か。我が侭言い放題。し放題である。

 全てとは言わないが、テレビや新聞に名を連ねていた政治家なる面々を、良い反面教師だと思いながら、俺はリンが消え去って行った後を追った。








「……城じゃん」



 当然と言えば当然か。何せ今の彼女は、女王の娘ポジションに納まっていると聞いた。

 後を追って、数十分。

 何となく。な感覚を絞るようにメインストリートを突き進み、行き止まりというか十字の中央に陣取っているそこ―――城……砦……? を発見するに至る。



(どうするよ。不法侵入で見つかったら、処刑とか極刑とか当たり前な時代じゃなかったか)



 他人の家に入って棚やベッドを漁り、武器やアイテム、ゴールドを入手してきたゲームの様になる筈も無く。

 こりゃ散策は諦めて、とっとと大和へ戻ろうかという考えが浮かぶと同時。



(……あ、あのカードなら)



 不法侵入バッチコイなカードが連想された。

 体力もマナもカード枚数も、どれも充分にストックがある。多少の冒険は問題は無い。

 コストは2。【飛行】と同様の青の【エンチャント】である。



「これさえあれば覗き放題! 【不可視】!」










『不可視』

 2マナで、青の【エンチャント(クリーチャー)】

【エンチャント】されているクリーチャーの攻撃は、クリーチャータイプ【壁】を持つ者によってしか防げない。

 クリーチャーに【回避能力】を付与させる効力を、MTGで初めて持たせたカードである。










 一瞬漏れた言葉は、この土地の悪霊か何かが乗り移って言わせたんだろう。東南アジア辺りでよくある『あれは悪魔がそうさせたのだ』という理屈である。つまり自分は無罪。清らかである俺の心が犯罪推奨な台詞をのたまう訳が無いのだ。……月で無関係の要人二人を昏倒させたような記憶はあるけれど。



(そう考えると、力使えば犯罪行為の百や二百は余裕で可能なんだよなぁ)



 そこに手を染める理由が無いだけで、もし発生したのだとしたら、殆ど躊躇する感覚は無いだろう。

 現に、今行おうとしている不法侵入という違法に対して、全くと言っていいほどに抵抗を感じないのだから。



(使い道……マジで間違わないようにしないと……)



 ちょっと前に空の上でやらかしたばかりなのだ。能力―――特に戦闘面での使用は極力控えておくべきだと思う。

 堕ちる時は一瞬。そういう確信はある。

 何処までがセーフなのかは人によって異なるので、その見極めを気をつけなければならないだろう。……既に落ちかかっている気もするが、こういうのは気づいた時にいつでも心を改めようとする気構えが大事だと思います。はい。

 自身の犯罪に対する意識レベルはどの程度になってるんだと思いながら、頭を掻いた。

 わしゃわしゃと髪を梳かし……本来視界に入る筈であるものが見られない光景を目の当たりにする。



「……お、マジで無い」



 思わず零れた呟きは、本来見える筈の自身の腕が、全く視認出来ない為であった。

 いや、腕だけではない。

 足も、腰も、腹も、胸も。そして、影すらも。

 ステルス機能で誤魔化しているのではなく、どうやら本当に光が透過してしまっているようだ。

 確認する事は出来ないが、恐らくは顔すらも見えなくなっているんだろう。

 本来ある筈の場所に、ものが無い。

 どれだけ目を凝らしても何も映らない異常さに、気持ち悪さとか好奇心とかを感じていると。



(あ、服も見えなくなってる)



 良かった。この辺が不可視になっていなかったのなら、もし本当にこのカードを使う場面が来た場合には、服を脱いで対処しなければならなくなる。



(幾ら見えないっつったって、全裸で潜入捜査とかしたくありませんよ)



 子供の頃は、噴水のある公園や実家の裏山の川などでよくやっていたので、その手の開放感はよく知っているものの、それをこの歳になってやろうとは思わない。

 変な方向性の安堵感を得ながら、既に掛かっている【ジャンプ】の効果を行使。城の上へと跳ね上がる。細かな着地点調整などは、もう手慣れたものだ。

 建造物の全体像を確認しつつ、中庭みたいな場所でもあれば、そこに着地したいと思っていたのだが。



(おっと……このままだと)



 風を切る中、思い至る。

【ジャンプ】の効果で飛び跳ねた着地地点が、城の一番上……天守閣? になりそうであった。

 まぁ、どうせ詳細な方向は分からないのだ。

 虱潰しに探すのならそれもアリだなと思いながら、風に揺れるカーテンが目に付く窓の縁へと着地を果たす。

 殆ど音のしない着地であったので、俺って実は隠密の才能が。とか馬鹿な事を考えつつ、レースのカーテンを潜り、室内へと視線を向けた。



 王室、とはまさにこの事か。

 けばけばしいまでの煌びやかさは無いけれど、調度品のどれ一つとっても匠の粋が凝らされているのだと分かるものが申し訳程度に並べられている。この部屋の主の性格が透けて見える気がした。

 壁に掛けられた真紅の布には大きな絵柄。多分、国旗かトレードマークか、そういう役割のものだろう。

 本棚に机。他数点の家具と、部屋の中央に陣取るキングサイズのベッドがこの部屋の全てであった。

 王座の間、というよりは、寝室としての意味合いが強い印象を受ける。

 その巨大なベッド―――俺が三人、大の字になって寝てもまだ余裕のあるそこに、レースのカーテンに隠れてはっきりとは分からないが、初老の女性が腰掛けて、手にした本へ、静かに目を通していた。



(……はー)



 漏れた息は、感心の意味が篭ったもの。

 風に吹かれてカーテンの奥が見える。

 年老いて尚分かる美がそこにはあり、艶の失われた髪も、水分の抜けきった肌も、それを崩すには至らない。

 まるで完成された芸術は、終焉を迎えても……いや。終わりが近づけば近づく程に輝くのではないかと思わされるもので。



(綺麗な人……)



 ……何をしに、ここまで来たのであったか。

 大和や月の面々を見ていても……あぁ、いや。失礼な言い方だが、ある意味で彼女達には見慣れてしまった為か。それらが全く皆無である、見るのも出会うのも初めてな人物であった場合は、こういう風になってしまうようだ。



(まさか年寄り相手に、こんな感想が沸くとは夢にも思わなかったわ……)



 異性よりも、価値ある美術品を目にした心境が適切か。

 室内を通り過ぎる優しげな風は、外の灼熱の気温を一瞬忘れさせられる。

 レースが揺れる僅かな音と、初老の女性が本を捲る音のみが、今この場を構築しているかのような感覚の中。

 見惚れる。という言葉を体言していると、鈴を転がしたような……聞き覚えのある声が、俺の鼓膜を振るわせた。



「―――ただいま。ウィリクお母様」



 今、彼女は幸せの中に居る。

 優しい笑顔で老女に甘える少女に、全く関係の無い俺ですら、心の温かさを感じていた。





 太陽光が白から赤へ。

 頭部を焼く日差しが斜め横から真横へと移り行く最中、素の少女の一端でも知れればと思って部屋に不法滞在し続けて、幾つか、既に知っている事も含めて分かった事がある。

 目の前の老女がウィリクと呼ばれる、この国を統べている女王だという事。

 リンは彼女に心を許しており、彼女の為に何かをしてあげたいのだという事。

 そして、少女はこちらの目的であった【ジャンドールの鞍袋】の入っている麻袋を使おうとしているという事が分かった。



(袋からちょろっと宝石見えてますよー)



 袖口からチラチラと覗き見える輝き。

 ちょこっとだけではあるけれど、俺がNEN能力者であれば、具現化など容易なレベルにまで達しているジャン袋を見間違える筈が無い。



(でもそれ、俺以外には使えない筈なんだが……)



 戸島村で鬼の一角が使おうとした際には、効果が現れず、散々引っ張り回した挙句にボロ絹状態へと姿を変えた。

 もしかしたら。という展開もあるだろうが、可能性は限りなく低そうだと思っていると、リンの表情が一瞬固まり、取り繕う笑顔で行動を取り止めた。

 やはり、というか何というか。ジャン袋を使用するのは失敗したようだ。



(自業自得だぜ全く……)



 いつもならば、罪を犯した者が困るのはとても愉快だと感じるのだが、どうも善意から発生した行動であるようなので、いまいち楽しくない。というか、楽しくない。



(……さって、どうしたもんか)



 リンに対してはこれといって思い入れがある訳でもなく、ウィリクと呼ばれていた老女にも、綺麗だとは思うが、それ以上の感情は無い。

 求める結果は、俺が如何に楽しめるかである。罪悪感を抱かずに。

【テレパシー】を使おうかとも思ったのだが、あれは昨晩に使ったのが最後であり、再度使うには夜を待たなくてはいけない。後数時間は、使用不可状態。

 状況から考えるに、リンはウィリクに対して隠し事をしてここに居る。それはつまり、バレたくない事項があるという事であり。



(それが、俺から持ってったジャン袋、と)



 ……ぬふふふ。

 これは実に楽しそうではないか。悪趣味だと言える仕返しに、我ながらいい性格していると判断出来る。



(いつバラされるともしれない恐怖を味わうが良い!)



 袋盗られたのをぶっちゃけるつもりは無い。リンが困るのを見たいだけであって、彼女が不幸になるのは望んでいないのだから。

 ウィリクからは見えて、リンからは見えない位置へと移動。【エンチャント】である【不可視】を解除。

 数秒の後。

 こちらの目論見通り、老女はこちらの姿を捉えてくれた。



「……あら、どちら様?」



 急に現れた存在であるにも関わらず、これといって驚いた様子は見られない事に、これが年の功か。と、やや失礼な感想を思い浮かべた。

 場合によっては衛兵など呼ばれる展開も考慮していたのだが、どうやら杞憂で終わったようだ。

 リンの目に俺の姿をしっかりと映し込むよう、ゆっくりと歩み寄る。



「―――なっ!?」



 驚きの声が心地良い。

 これ以上無いほどに真ん丸に見開かれた眼と、小さく開けられた口。そしてピンと伸ばされた耳が、彼女の驚愕具合を如実に物語っていた。

 悪戯……ドッキリ? が成功した事で内心でほくそ笑みながら、彼女の持っていたジャン袋を掴み、手を入れる。

 出すのは葡萄酒云々と言っていたのだが、この熱帯な土地で暮らす人にとっては、冷たい物が喜ばれるものなんじゃないかと思ったので、冷たい飲食系代表だと思われる氷菓子を思案し、出す事にした。

 各種銘柄が脳内選択肢に上がり……最終的に、相手の好みを考えるのではなく、今自分が食べたいものを出すという身も蓋も無い結論で纏まった。

 何やらリンが絶望とも取れる諦めの表情を浮かべているのを他所に、諏訪の頃から散々やってきた精一杯の礼儀作法を実演。さり気無くこの地の者ではないと伝え、多少の無礼は許してね。とのニュアンスを含ませてみる。

 取り出した棒アイス―――ガリガリ君ソーダ味(開封済み)を差し出す。今の時代にソーダ味なんて前衛的過ぎる。とか思ってはいけない。

 驚いた。というよりは、とても興味深いものを見る目でそれを見つめるこの人に、先に感じた、年の功。という単語は間違いでは無かったようだと思うのだった。





[26038] 第45話 砂上の楼閣
Name: roisin◆78006b0a ID:d6907321
Date: 2013/11/04 23:10






 質素ながらも堅実な造りであるテーブルに着く流れになり、時は経つ。

 対面にはウィリク様。

 真っ直ぐ伸ばされた背筋や表情からは、実年齢よりも幾分も若く見えて、昔は活発な女性であったのだと思わせる雰囲気を伴っている。

 その横には、ネズミ妖怪であるリンが。

 実に気まずそうに小さくなっていて、巨大魚から逃げ惑う小魚の如く、視線が色々なところに泳ぎまくっていた。

 面白いのは面白いのだが、動揺し過ぎ。突っ込まれた後に理由を説明しなきゃいけなくなる流れになっちまいますよ。



 彼女……達、に振舞ったアイスは大変喜ばれた。

 予想通り、この国に温い程度の飲食は多々あれど、冷たい系は殆ど無かったんだそうだ(季節限定物だが、一つ二つはあるらしい)。

 そこで、このガリガリ君(ソーダ味)を始め、日本代表に名を連ねても可笑しくない氷菓子を差し出してみれば、元々、甘味―――手の込んだもの自体が希少ということもあり、それはとても珍しがられ、その後に心地良いカルチャーギャップを味わわせて頂きまして。

 豚も煽てりゃ……という訳ではないが、そうも喜んでくれたのなら倍プッシュだ! という感情に後押しされて、各種氷菓子を次々にお披露目させて頂きました。



 ……ええ、実に愉快な反応でござまして。こちらとしても、出した甲斐があるというものでした。

 二つ目に出したガリガリ君(梨味)を始め、白熊くん、雪見だいふく、ピノ、もはや生産中止となったチューペットまで、テーブルの上に所狭しと並べ立てて、さぁどうぞ! と太っ腹ぶりをアピールした。

 ただ、方やお年寄り。方や小……幼女。腹に入る分には限界があったのを失念していた。

『罪悪感ある?』と問い質したくなるくらいに全てのアイスをもきゅもきゅ頬張っていったリンはさて置くとしても、ウィリク様がゆっくりながらも全ての氷菓子を一口ずつ食べてくれたのは、彼女なりの誠意の表し方だったのだと思う。うぅ、老人相手に何てことを。酷な事しました。



 その後は惰性で雑談タイム。

 メイドさん(アラビアーンな感じの)が運んで来てくれた、目の前に人数分用意されたカップには、微かに湯気が立ち上っている。

 室内で幾許か涼しいとはいえ、外は西日真っ只中の刺す様な暑さ。幾らアイスを食べて体を冷やしたからといっても、すぐにでも水風呂に入りたくなる気温となってる。

 その上で暖かい飲み物など出されてみたのであれば、先程のアイス攻めの報復なのではないかと勘繰ってしまったのだが、口を付けてみて、その考えを改めた。

 というか、だ。

 不法侵入者である俺に対しても無碍に扱わず、こうして持て成しを受けているのは望外の喜びではないかと思い直す。



(甘っ……でもちょこっと塩味が……ん~、これはこれで……)



 この土地では良く飲まれているものだという飲み物。チャイ、と呼ばれる茶の一種で、体力の低下(多分熱中症対策)を防ぐ意味も兼ねて、結構甘めに味付けされているらしい。

 だが、今出されているものは若干の塩味が付随していた。甘いようなしょっぱいような味に、何となく、アクエリやらポカリやらのスポーツドリンクを連想する。よく汗を掻くこの土地ならではの工夫なのだなと思いながら、啜る様にちびちびと口をつけていた。



「如何かしら。お口に合えば良いのだけれど」

「初めての味ですが、とても美味しいです。この暑さに良く合いますね。体が元気になる気がしました」



 出来れば冷たいのが欲しかったが、これはこれで乙なものだと思う。



「それは良かったわ。東の地には、こういったものは?」

「甘い飲み物、というものがあまり存在しませんね。甘味は……精々が果物くらいです。お茶などは口の中をすっきりさせるものが多くて、味がしっかり付いているものは少数だったかと」



 ただ最近は、大和の極一部―――天と地の神々の付近―――では、それが崩壊、どころか未来の食べ物で溢れかえっている事は黙っておく。

 特産品として輸出の算段を組み立てているっぽい話し方に、なるほど。こういうところから貿易は始まるのかもしれないと理解させられるものであった。

 他愛の無いようで有意義な会話は続き、完全に日も暮れて、数刻。室内は幾つかの灯火にとって照らされるだけとなっている。

 終始リンがそわそわしていた事と、それに対してウィリク様が、尋ねてみたいが空気を察して黙殺し、全く突っ込みを入れる気配が無かった事で、会話自体は順調に先に進んでいった。

 ただ、出会ってすぐの時。この席に着いた彼女の一言目が発した言葉が未だに頭の隅に引っかかっている。



『良かったわ。聡明な御方で』



 意味が飲み込めずに目を瞬かせていると、彼女は懐から短刀を取り出し、それを棚へと置いてこちらの対面へ腰掛けた。

 ……老いても女王。その手の経験―――暗殺云々は、そこそこにあるようだ。

 場合によっては、近寄った時点で心の臓を一突きか、首やら手首やらの動脈が一閃されていた可能性もあったようである。聡明な、という意味は、敵ではない人物、というニュアンスが入ったものだったらしい。

 多分、こっちに釘を刺す意味合い兼ねて、暗器であった短刀を取り出したんだろう。でなければ、使おうとしていた当人の前でそれを取り出す意味が分からない。

 年寄りだと思って舐めて掛かってはいけないな。と思う出来事でした。うへぇ。



 その後、この国の成り立ちやら、人々の暮らしについての話を聞けた。全く未知な文化であったので、とても好奇心を掻き立てられるエピソードのあれやこれに胸を高鳴らせる。大和……日本に居たらまず訪れなかった機会に、旅行気分を味わえた。

 特にリンとの出会いについての話は、俺が何を言うのか気が気じゃない様子でオドオドする少女に、親に悪戯をバラされる心配をしている子供、な光景が重なる。

 家族が楽しみにしていた食後のデザートを一人で全て食べてしまった時の記憶が蘇る。あれは、食事が喉を通らず、何とかその場をやり過ごせないものかと神に祈りながら頭を働かせたのだったか。……まぁその後はしっかりとバレて、母親からは張り手を。父親からは……母の張り手があまりに良い音だったので、自らは手を上げることはせずに、お説教だけに留まったのであったか。





 穏やかに時は流れ、太陽もその役割を終えて、部屋に火が灯った最中―――





「―――ウィリク様。ヴェラ様がお越しです」



 平穏な一時は、第三者の到来で潰える事となる。

 扉の外からそう聞こえたと同時、こちらの―――ウィリク様の応答も待たずに、戸が開かれた。

 扉の左右に居たであろう門番によって開けられた扉の中央に、中肉中背……よりはやや肉を増量した体型の、引き締まった肉体は岩盤を思わせるそれを有した、まさにインドの商人な格好をした男が現れた。

 深く一礼。すぐに体を起こす。

 年の頃は四十前後だろうか。頭に巻いた白いターバンと、真っ黒に日焼けした手や顔からは、彼がこの地で長年暮らしてきたであろう様子が見て取れた。



「こんばんは、ウィリク様。本日の商談も恙無く終了しましたので、ご報告に」



 温和とも柔和とも言える表情は、見ている誰をも穏やかな気分にさせるものであったのだが。



「……何用です、ヴェラ。いつもならば結果を書に記すだけの事でしょうに」



 だというのに、それは彼女と少女には通じない。

 今まで会話を弾ませていた様子など微塵も残さず、老女は一本の研ぎ澄まされた刃の様に。少女は席を立って、男の全てを拒絶するように、ウィリクの正面へと……まるで盾のように立ち塞がる。



「久しくお会いしておりませんでしたので。お顔合わせも兼ねて、でございますよ」



 何だろう、この違和感は。

 男の立ち振る舞いには嫌悪や悪意など、その一端も覗かせていない。温和そうな、気の良いおっさんだ。けれど彼女達の態度は、それこそ親の仇でも見る目をしている。

 互いの感情が激しく反比例している境界線上に立たされているこちらとしては、とりあえず事の成り行きを見守るしかないかな、と思ったのだが。



「……ほう。この方が」



 ヴェラ、と呼ばれたインド男が、その温和な顔をこちらへと向けた。

 事前に俺の事を知っていた口振りと共に。



「茶を運んだ侍女から聞きましてね。普段は二つしか運ばない器を、一つ余分に運んだのだと。そしてそこで談笑しているのは、ウィリク様とリンお嬢様以外の者かが。……悲しいですな。ウィリク様のお知り合いでしたのなら、こちらに教えて頂ければ、それ相応のお持て成しを用意致しましたものを」



 ……それって、仮にも女王付きの侍女(守秘義務遵守だと予想)にまで手中に収めている、と公言しているようなものなのでは。



「……彼はリンの個人的な友人です。その様な第三者の気遣いは、無用のものと思いなさい」

「そうですか。それは失礼致しました」



 先ほどまでの会話とは別人のような印象をしたウィリク様に戸惑いを覚えていると、そんな彼女の不機嫌を全く居に返さずに、インド男がこちらに足を進めた。

 座ったままでは不味いかと思い、席を立ち、彼と面と向かい合う。

 俺より目線一つ二つくらい低い身長なのだが、巨大な岩石を前にしたような風格というか、威圧感すら覚える程に気圧される何かが彼にはあった。



「初めまして。私、ヴェラと申します。この地にて商いを行っておりますので、何かご入用なものがありましたら、何なりとお申し付け下さい。リンお嬢様のご友人であれば、出来うる限りは勉強をさせて頂きましょう」



 そう言って、片手を差し出してきた。握手ってここでも有効なのね。



「これはご丁寧に。私は東の地から参りました、九十九と申します。そうですね、何かありましたら、是非に」

「おぉ。これはこれは。そのような遠方からわざわざお越しとは。……唐……いや、高句麗(こうくり)辺りのご出身で?」



 高句麗って何処かで聞いたな。昔の中国の国名だった……ような……? ……唐……も、確か昔の国名だったかな。三国志よりは後だったと思うんだが。

 とりあえずは、彼の言う地名か国名か不明な場所では無い筈だ。との考えの下、言葉を返す。



「いえいえ。もっと遠方からです(多分)。それらの国の更に向こう。海を挟んだ先の、小さな島国です」



 この今の大陸(現在地点はインド辺りだと予想)と比べれば、ですがね。

 日本人的謙遜スキルを発動させて、物腰を低くしてみせる。



「何と。そちらのお話は殆どお耳にする機会がありませんので、実に興味深いですな。……如何でしょう。もし宜しければ、この後、一席。一昨日取り寄せたばかりの葡萄酒がありまして」



 リンと言いこの男と言い、そこまで葡萄酒―――ワインは良いものなんだろうか。

 嫌いではないのだが、どちらかといえば、ビールやカクテルよりも、焼酎や日本酒が好みな俺にとって、ワインには余り興味を惹かれない代物である。

 でもそれは、今まで値段の安いものしか口にしていないからではないだろうか。

 日本酒の時だって、あんな砂糖を大量にぶち込んだだけのアルコールの何処が美味いんだと思っていた最中、知人の家で一本二万は下らない地酒をご馳走になった際に、その意識は吹き飛んだものだ。その経験が、今回にも当てはまるのではないかという回答を導き出すのに時間は必要無かった。



(高いワインなんて飲んだ事無かったなぁ)



 パッと見な第一印象だけでも、羽振りは良さそうである。おまけに国のトップな人と顔見知り。胡散臭さはぷんぷんあるにしても、そんな人物が勧めてくる品が、そんじょそこいらの物であるだろうか。いや、無い!



(サシで話してみるのも一興かな?)



 その味が気に入ったのならジャン袋を使って入手すれば良い。

 そこから、今度はロマネなんちゃらとか、シャトーうんたらな代物に派生するのも楽しそうだ。

 それに、女王やネズミ少女との関係は最悪だと言えるが、それに俺は当てはまらない。仲良くなるに越した事は無いし、嫌うなり拒絶するなりするにしろ、ヴェラと名乗った商人の人となりを知ってからでも遅くは無いだろう。

 場合によっては、【テレパシー】を使えば悪巧みをされても一発で看破出来るのだ。ある意味で、ジェイスよろしくプチ対人無双状態にもなれるのである。何でもバッチコイと思っても仕方ない。



 ―――そう思って、彼の意に応えるべく口を開きかけた矢先。



「いえ。それには及びません。ツクモさんは長旅でお疲れになっています。それに、リンとの再会の夜なのです。―――邪魔をするのは無粋というものでしょう?」



 二重の……というよりは色々な意味で『え?』となる俺を他所に、ウィリク様は鋭い視線をヴェラへと向けたまま断言した。

 それに対して興味深そうな視線を向けたインド男は一瞬目を細め、リンと俺を交互に見比べて、何やら納得した様子をする。

 ……待て、待つのだおっさん。その納得は俺にとって不名誉な理解である、と、経験と直感がダブルで告げている。



「それもそうですな。失礼致しました。では、邪魔者はすぐ引くとしましょう。―――九十九様」



 初めて聞いたであろう筈の、和名を何の違和感も感じられずに発音した男へと顔を向けた。



「またの折に、是非」



 片手を胸に当てて、一礼。

 個人的な少女マンガの代表格、ベル薔薇にそんな描写があったような。それを連想する―――西洋貴族のような挨拶に、『はい』と一言返すのがやっと。

 そのまま男は踵を返し、入室した時と同じ様に、柔らかな笑みを口元に湛えたまま、退室していった。



 張り詰めていた空気が弛緩して、女王と少女は深い息を吐く。

 疲れたように額の汗を拭う老女と、その場に腰砕けになる少女。



「……申し訳ありません。ツクモさん」



 疲労の回復も間々ならぬ中こちらを気遣う女性に、慌てて応える。



「あ、い、いえ。それは構わないのですが……あれは一体?」



 探る様な口調に、ウィリクは少しの間、目を閉じた。

 釣られる様にリンの顔にも皺が寄る。

 互いに異なる渋面を作った後、先に口を開いたのはウィリクであった。



「彼が商人である、というのは既にお聞きの通りです。後は……そうですね。そこに経歴一切不明。と付け加えておきましょう。交渉に長け、必要としている者に必要なモノを提示する。その手腕は私が知る中でも随一。これでも決して短くない年を生き長らえてきましたが、彼ほどの商人には出会った事がありません」



 彼女の話を聞いていく内に、彼に見せた嫌悪感の意味が段々と理解出来るものになっていく。



 ―――裕福とは言えないまでも、そこまで貧困に喘いでる訳ではなかったこの国に訪れた変化。その原因が彼であるのだと言う。

 商いの優れた彼は多くの物、金、人をこの地に呼び込み、建国以来、最も賑やかな時代をもたらしているのだと。

 ならば何故、彼はあそこまで嫌われて―――否。敵意すら向けられていたのか。



「―――近い内に、この国は戦火に飲まれます」



 苦渋の声で告げる内容に、思わず唸る。

 発覚から発生までは瞬きをする間であったにしろ、思い返せばその根回しは、ずっと以前から行われてきたらしい。

 あぁ、商人や豪商達が言ってた『何か起こる』って戦争だったのか。

 となると、あらゆるモノが動く。

 物然り、食べ物然り、金然り。

 そして人の命など、それこそ簡単に消えてゆくのだろう。宛ら、二束三文にも満たぬ、木の葉の一枚のように。



「はぁ……つまり……あれですか。彼はその……」



 どんな単語が最も適切であったかと記憶を辿っていると。



「―――死の商人。それ以外の言葉なんて思いつかないよ」



 忌々しげに吐き捨てたリンに、それが言いたかったのだと脳裏でポンと手を合わせた。



「万に届く程の武具に、それを扱う兵―――奴隷達の調達。そして、それらを賄う食糧。このほぼ全てを彼が握っているのです。今ではこの国の誰もが彼との関わりを持ち、媚び諂う日々を送っている事でしょう」



 胃袋や財布の紐どころか、心の臓までしっかり握られてしまっている状況、と。洒落にならんね、それは。



「彼は何ら悪事に手を染めている訳ではない。それは重々に理解していつもりですが……やはり、この国を治めていた者としては暗い感情を抱かずには居られない。歳ばかりとって、こういう事はとんと成長していないのは、いっそ笑い話として民草に言い伝えてみようかと思ってしまいますよ……」



 正攻法の結果だとはいえ、人の命が掛かってるとなれば、確かに良い気分はしない流れだ。



「……君、『俺は関係ないから』なんて表情が透けて見るけどね。その考えは改めた方が良い」



 完全に他人事な気分で聞き手に回っていたのを、リンに突っ込まれた。

 でも、別に間違いじゃあ無いと思うんだ。俺完全に部外者だし。



「何でさ? 俺、ちょっと前にここに来たばかりだぞ? どう考えても……まさか、ここに忍び込んだからか?」



 今更お咎めが下されるというのか。

 談笑しながらサラッと刑罰について考えを巡らせていたとは……いやはや、その辺はきっちりしているお方だと、むしろ感嘆すべきところかもしれない。



「いいや。……彼に目を付けられた。これだけで理解してくれると説明の手間が省けるんだけどね」



 ……ごめん、さっぱり分かんない。



「……それこそ何でさ。俺、あの人に何もしてないし、ちょっと会話しただけじゃん? そこの【ジャンドールの鞍袋】も含めて、まだ何の力も見せてないぞ? あの人から見れば俺ってただの一般人じゃないか? 何で目をつけられるのよ」

「この部屋に誰にも気づかれずにやって来ているというだけで、普通じゃないのは確定してしまっているさ。そして、君が僕の友人だと彼は知った。……妖怪の僕の友人。そして、さっきの態度の通り、そんな僕はアイツが、憎い。そしてそして、結果的にではあるが、アイツに君の到来を告げずに居た事。―――君ならそこに、どんな背景を思い浮かべる?」



 ……あぁ、なるほど。

 暗殺者とか復讐者とか、今の俺って、その手の類に見られてるのね。



「よし逃げるか」



 本来の目的も果たした事だし、今更ここに留まる理由も無い。



「……って、止めないのか?」



 席を立ち、天体観測したら楽しそうな時間帯になっている外―――窓へと体を進ませて。窓から逃亡を計る泥棒のような格好であるというのに、そこに呼び掛けの声は無い。

 てっきり、『待って』系のお言葉で呼び止められるもんだと思ったんだが。



「止める理由がありませんから。娘の為に来てくれた、初めての友人です。元気で……無事で居て欲しいと思うのは当然ではありませんか。……ただ、願わくば……」



 ウィリク様が席を立つ。

 俺が去る事に安堵していたリンの肩に、そっと手を掛けて。



「この国で宝物庫に並ぶ警備を誇るこの場所に、意図も容易く入り込めるあなたならば問題は無いでしょう。不法侵入の罪はこれで無し、という事で」



 若干の悪戯心を覗かせたかと思えば、それは一風で消え去り、残ったものは……真に願う心のみ。

 安心とも、悲しみとも、後悔とも取れる表情を浮かべながら。



「今まで何一つ、母親らしい事はしてあげられなかったけれど……。―――この子を……私の娘を。宜しくお願い致します」
















 砂漠という地帯は、昼間とは打って変わって、夜には極寒に近い気温となる。

 保温出来るものが一切無い地上では、太陽が消えてしまえば、熱を奪われるのはあっという間。

 真夏から真冬へと姿を変えた闇夜の小高い丘には、星に照らされ、大小二つの影が並び立っている。

 風は無いが、吐く息は、後少し気温が下がったのであれば、白い靄となりそうなほど。

 大の影は白い外套を、小の影は灰色の絹を用いて造られた外套を、隙間なく着込んでいた。



「数十年前の話で……。死産、だったそうだよ。大きな戦に巻き込まれてもうこの世には居ないが……お母様の夫がリンと、そう名付けた……名付けようとした、らしい」



 所々に火が灯る町並みを眼下に納め、ネズミの少女はその瞳をガラスのようにしながら、ポツポツと語り出す。



「僕を一目見た時、何故か死んだ娘だと思ったんだそうだ。そうして、人間達から串刺しになりそうだった僕は命を救われて、お母様……彼女に懐いたという訳さ」



 自虐的に笑みを浮かべている。

 彼女の全ての幸福が、その手から零れ落ちてしまったかと錯覚させる程に。



「……今なら、簡単に戻れるぞ」



 その場の空気……主にウィリク様の纏う気迫に当てられて、思考を挟む余地もなく、こうしてリンと共に町を離脱した。

 苦渋の表情を浮かべながらこちらに身を委ねて来た少女を小脇に抱えて、城の窓から、未だ効力の残っている【ジャンプ】の力を借り、暗闇に紛れて跳躍。

【不可視】による偽装に頼らずとも、天体観測が趣味でも無い限りは、わざわざ夜空を見上げようとする者はいない。入って来た時と同様に、誰に見つかるでもなく、何の苦も無く城外へと離脱する事が出来た。

 リンに触れた瞬間、何か電気のような感覚が背筋を走ったが、不思議そうにこちらを見つめる彼女であったので、特別何かをした訳ではなさそうだった。

 体にこれといった変化もなかったので、気にせず跳躍を続ける。

 時間にしてみれば然して掛かっていなかっただろうが、【ジャンプ】の尋常でない脚力は、いとも簡単に郊外を一目で納められるだけの距離を稼いでくれた。



「……もう、決めた事だ。お母様からは直接聞いた事は無かったけれど、城中の雰囲気で理解出来たよ。戦争が起こる、と分かってからは、いつかはこうなるだろうとは……ね」

「……そう、か。……勝てそう、な訳はないか。じゃなかったら、あんな提案はしなかっただろうし……」

「相手は、一兵一兵が一騎当千。兵力が少ないとはいえ、四方の人間達を砂漠へと追いやって、国土豊かな草原地帯に陣取れるほどの力を持っている。丁度、君と僕が出会った所さ。対してこちらは数万が精々の軍隊。精強ではあるが、相手と比べると……。そんな二者を比較して、君はこの戦いに勝ち目があると思うかい?」

「俺、そんな場所で一晩寝たのか……。それだけ聞くと無理そうだ、ってのは分かった。……何で戦争起こりそうになってるのよ。侵略されてるとか?」



 脳裏に、諏訪であった頃の記憶が蘇る。



「人間、力を持てば使いたくなる。それが今回は、多数の奴隷であり、整った武具だった。というだけの話さ」



 ……される側じゃなくて、する側ですか。



「……幾らなんでも盲目過ぎねぇ? 人間の国を四方に追いやって尚健在でいられる国相手にちょっかい掛けるなんて。何、何処かの国で同盟でも結んでるの? 億に届きそうな、マケドニアの王も真っ青な大軍団になってるとか?」

「西方の大国……イスカンダル王だったね。でも、あれは億の半分にも届かない軍勢だったそうじゃないか。まぁ、人間がそれだけ居れば、神々の住まう土地ですら滅ぼしそうな気はするけど」



 わぁお、リンさん博識~。イスカさんの話題が通じるとか……マジで今がいつなのか分からんです。

 そも俺は、あの人が何年に活躍していたのかすら知らないと来たもんだ。

 学校での勉強なんて、必要とした時には大概忘れているもんではないだろうか。と、見ず知らずの脳内大衆へと同意を求めつつ。



(もっと社会の……世界史やら日本史、真面目に取り組んでおくんだったわ……)



 とりあえず、一頻りに後悔の念を思い浮かべていると、リンが事の発端とも言えるべき出来事を話し出す。



「……何でも、火と土の神の力を使った武器があるんだそうだよ。その力は岩をも砕き、雷に勝るとも劣らない音を出すんだそうだ」



 そういえば、時折、城の外でけたたましい破裂音を耳にしていたと彼女は言う。

 その武器―――兵器には、心当たりがある。

 具体的にそれ、とは特定出来ないのだが、十中八九、火薬を使った代物なのだろう。



(銃や爆弾の登場な時代なのかねぇ。確かにあれなら、どんな敵が来てもバッチコイな感覚になりそうだなぁ)



 だとするのなら、火薬等の備蓄のストックさえ充分であれば、無血勝利すらも可能なのでは……



(……って、ちょっと待て)



 爆弾は兎も角として、銃の登場は十世紀前後ではなかったか。そして、《諏訪大戦》が勃発したのは大雑把に記憶している限りでは、西暦三百から六百年の間。

 爆弾であれば深く追求するものではないが、仮に、銃であったとすれば……。

 その疑問を本格的に思案する前に、ネズミの妖怪は町に背を向けて、何処とも知れない闇へと足を踏み出した。



「お、おい」

「さて、それじゃあ行くとしよう。妖怪だとはいえ、流石にここは僕でも寒い。何処か暖かい場所を―――」



 気軽に……少なくとも表面上は言い切る彼女であったが。



 ―――何も言わず、右手で彼女の肩を後ろから掴む。

 もはや言葉で止まるとは思えない。故に、思わず手が出てしまった。

 ぽん、と。軽い音がする程度のものであったが、決して放す気は無いと。幼い体に、五指が肉に食い込むぐらいに、強く。

 大人の、男の力で握るのだ。それこそ、『痛い』『止めてくれ』といった反応が、行動なり言葉なりで、すぐ返って来ても良い筈であるというのに。

 リンはこちらに背を向けて、無言のまま。

 振り向く気配は無い。

 それはあたかも、二度とこの地に踏み込む事は無い、と告げているようであった。





 町の中で見かけた時の、軽蔑の視線が彩る道を歩くリンの姿が思い浮かぶ。

 虫唾が走る街道を、表情を変える事無く、何食わぬ顔で。

 ―――心で涙を流しながら。





 ……これは、妄想が過ぎるだろうか。

 別に、彼女から直接そう聞いた訳でも、【テレパシー】を用いて心中を察した訳でもない。確たる根拠は全く無い、ただの俺の独り善がりである可能性だってあるのだ。

 月でやらかした手前、能力―――こと戦力に繋がるカードの使用には、過敏になっている節がある。

 だが。



(……だからって、何もせずにいるなんて事、出来るわきゃねぇだろが)



 これでも月の軍神様やらその姉に、お人好し、と評価された身。

 例外の多い……というよりは、特定の対象でしか条件を満たさないお人好しではあるが、幸か不幸か、目の前の少女にこの条件は合致している。

 例えれそれが、俺の思い違い―――この少女が、あの星蓮船の事件において、ネズミの賢将と呼ばれる妖怪ネズミ、ナズーリンでないとしても。



「……戻るぞ」



 振り向かない。



「城の中も少し見たが、夜になるってのに、みんなバタバタ忙しなく動き回ってた。……戦、近いんだろ? だったら少しでも―――」



 意思疎通が大いに不足していたのだと、俺はここで思い知る事になる。

 こちらの意図は、彼女の力になる為に、何がどうなっているのかを逸早く把握して、何の力を使えばいいのかを検討する時間を作り出す目的であった。

 けれど、そんな事情を少女が知る筈が無い。

 彼女の前で見せた力は、食べ物を出したり、跳躍したりするものだけ。

 そんな男をどうしたら、どうすれば戦争という名の妖怪の如き問題の解決に結び付けられるだろうか。

 だからこれは……俺の台詞は、“お前にはまだ出来る事がある筈だ”という、ただ単に相手の逆鱗に触れただけの言葉になってしまって―――



「―――君に何が分かる!!」



 勢いよく振り向いた彼女の瞳には、今にも零れんばかりの涙が溢れている。

 振り返り様に、こちらの胸に腕を振り降ろす。

 ……しかし、それに殆ど重さを感じない。

 何が妖怪だ。何が悪魔だ。これでは、ともすれば一般的な少女よりもひ弱なのではないか。

 何度も何度も。

 ぽすぽすと軽い音しか発せられない、こちらの胸板に振り下ろされる拳。

 それは俺を通して、己自身に向けて感情を爆発させている様を思わせる。

 何にしても……そこには、弱々しいだけの印象しか感じられなくて。



「僕は妖怪だ。ネズミだから数が多いとはいえ、一匹一匹は大した力も無い。例えその数が数万になろうとも、今回の相手には分が悪い。それでも何かある筈だと。そう思って、今の今まで……さっきまで……手を尽くして来た……」



 後悔全てを吐き出しているかのように、一語一語に苦渋が混じる。



「……でも、何も無かったんだ。この国の連中はお母様の悩みなど有って無いかのごとく振舞って、戦争を取り止めるのなんて論外で。他国との協調も、利益が、取り分が下がるからと切り捨てた。自分の力がダメならと、僕個人でも協力してくれる誰かを探す試みはしたさ。お飾りだとはいえ、これでも女王の娘……だったから……。でも……ほら……」



 言葉に詰まり、小さく俯く。

 その先は言わなくても分かる。色々理由はあるだろうが、その中の一つならば容易に想像出来る。

 きっと……いや間違いなく、彼女はこの国の人達が向ける視線と同等か、それ以上の悪辣な目を向けられていたのだろう。



 ―――妖怪だから。ネズミだから。

 その一言で、彼女の意思は悉く切って捨てられて来たと。



 それに合わせて、何度も胸を叩いていた拳も止んだ。

 胸板を叩いた姿勢で動きも止まり、リンの頭がこちらの腹部にもたれ掛かり、縋るような姿勢になる。



「後はもう、お母様を連れて何処か知らない地へと逃げるか、今しているように、お母様の意思に従うしか思いつかなかった……。前者はダメだ。あの人はとても責任感が強い……優しい人だから。あの腐りきった国であっても、最後の最後まで自身の役割を果たすおつもりだ。……情けないだろう? どんなにがんばっても……人間の真似事は愚か、木っ端妖怪の域すら出れなかったよ」



 涙を湛えた顔を崩して……とうとう流れ出た雫は留まるところを知らず。

 けれどそれの主は拭いもせずに、声を押し殺して自分の無力さを嘆く。



「もう、どうしようもない……後出来る事と言えば、お母様の意思を汲んで、この地を離れる事くらいしか、今の僕には出来なかったんだ……」



 ここで俺は、漸く彼女の慟哭の全てを理解した。

 母を連れ去る事も出来ず、自分の命を対価にする事も叶わず、それでも導き出した―――それしか残っていなかった唯一の選択肢が、これであるのだと。

 途端、先程の流れと、自身が発した台詞も思い出す。

 一瞬にして頭に血が上り、奥歯が砕けんばかりに異音を奏で、口の中に薄く、血の味が広がる。



(この……クソ馬鹿野郎が!!)



 自身に向ける、憤慨の言葉。

 我ながら、反吐が出る台詞であった。

 あの仲睦まじい光景を見た後で先の言葉を吐いてしまった自分を、ぶん殴りたくなるくらいに感心してしまう。

 その程度の事、彼女がしなかった筈が無い。

 考えたのだ。

 考えに考えて、行動に移して、死に物狂いになって。

 考えて答えが出ないから、足が棒になるまで歩き続けて、何か解決策が無いものかと模索していたのだろう。……でなければ、敵国の領土だという危険な草原地帯で、俺と出会う筈が無い。



 少女は力無く笑う。

 全てが無駄であったと。自分の無力さを嘆くように。

 しかし。

 笑いであった筈なのに、声に出てくるそれは鳴き声や嗚咽と呼ばれる類。

 笑おうとして、声が詰まって、それでも何とか声を出そうとして。



「……助けて」



 掠れた声で、消え入るように。



「助けてよ……ツクモ……」



 ただ一人を除き、他人など悪でしかないと学んだ……学んでしまったというのに、それでも言わずにはいられない、彼女の願い。



 馬鹿な事を言った。無神経にも程がある。

 すぐにでも謝らなければならないというのに、口を突いて出た言葉は。



「―――任しとけ」



 謝罪も、後悔も、全てを後回しにして出た台詞。

 短く、たった一言呟いただけだというのに、胸に縋る少女はとうとう大粒の涙を零す。

 きつく、きつく。心を締め付ける慟哭。

 喉が張り裂けそうな程の声には、これまでの全ての苦悩が吐き出されているようであった。










「……落ち着いたか?」

「……う、うん……。その……あの……」



 一頻り喉を酷使し、泣き腫らした目を拭いながら、リンは言い淀む。唯でさえ赤い眼が、今では徹夜二日目に突入したかのような晴れ具合だ。

 今までの自分の……感情に任せて気持ちを爆発させてしまった事を思い返して、色々な念に囚われているようであった。



「ちょっと順序が入れ替わって心苦しいんだが……」



 一歩下がって、彼女との間に、体一つ分を入れられる空間を作る。



「……無神経な事言った。本当に……ごめん」



 空いた隙間に、頭を滑り込ませる。

 姿勢を正し、直角に体を折り曲げた。



「い、いや。こっちこそ感情を高ぶらせてしまってすまなかった。自分の不甲斐無さを棚に上げて、誰かに当り散らすなんて……」



 ここでリンは目を見開いた。

 苦虫を噛み潰した表情を一瞬浮かべて。



「……ツクモ」

「ん?」

「君が謝罪をする必要なんて無い。寧ろ、逆だよ。まだ僕は君に対して一言も謝っていないんだから」



 言って、頭を下げる。



「袋を盗ってしまって、御免なさい。僕に出来ることなら何でもさせてほしい」



 あぁ、そういえば。

 一連の怒涛の展開に、その辺りの事は忘却の彼方であった。

 このところ謝ってばかりであったので、逆の事をされるとどうにも違和感が。

 ……そこに漬け込んで弄ろうとしていた手前、謝罪を受ける受けないというよりも、心苦しさの方が先に立つ。



「……もう良いさ。これを教訓に、次からがんばってくれ」

「良い、の、かい?」

「良いか悪いかで言うなら悪い事なんだろうが、俺はもう気にしてないから。……俺だって、今もそうだが、ついこの前に色々やらかしたからな。失敗したんなら、次に活かしましょうって事で」



 秘儀、本音と建前発動……ってのもあるのだが。

 流石にあれだけ色々と仕出かした直後で、自分の行動を棚に上げてのあれやこれには思うところがある。いずれはそれも気にならなくなるだろうけど、それにしたって時間が必要だ。ブーメラン発言はほどほどにしておかねば、羞恥の念で悶死してしまうかもしれない。



「分かった。もう、こんな真似はしないよ」

「あいよ。……ん、じゃあこの話はこれでお終いにしよう」



 しばらくの間。

 情けないような、恥ずかしいような表情を、双方の顔に貼り付ける。



「……じゃあ、早速であれなんだが、お前の仲間達。出来るだけ集めてほしいんだ。可能性―――達成条件が何であれ、使える手は多いに越した事は無いからさ」

「それは構わないけど……さっきも言った様に、人間相手ならいざ知らず、今、あの国が挑もうとしている相手には、雑多な力など無意味なんだよ? それでも、必要なのかい?」



 確かめるような口調と共に掘り起こされた過去の話であった筈なのだが、俺はここで、一つ聞かされていない事実を発見した。



「……“人間相手ならいざ知らず”って……。なぁリンさんや。……相手、人間じゃねぇの?」



 聞いてないよ、と顔で物言うこちらに。



「……あれ、言ってなかった……っけ?」



 コクコクと頷く俺。

 それに、彼女は一筋の汗を流す事で応えた。



「……安易な気持ちであれを口にしたつもりは無いんだが、流石に相手の事を知らな過ぎだな。……リンの知っている限りの事、教えてくれてよ」



 それを口にした途端、リンの表情がみるみる曇ってゆく。

 何かを言いかけ、口を閉ざす。数度それを繰り返す様は、必死に何かの事実を誤魔化そうとしているような印象を受けた。

 幾つかの理由が思い当たるが、最も的確であろう答えを予測して、発言の枷を外すであろう言葉を補足する。



「例え相手が神だろうが悪魔だろうが、今更、相手の強弱程度で言葉を違える気は、無い」



 人道的にどうかな、と思うものでなければ。とは心の中で呟いておく。

 この辺りの詳細はリンの口から直接聞きたい事であるので、あえて言葉にせず、思うだけに留める。



「―――平天大聖。それが相手の名だ」



 重々しく告げられた名前。

 決心を言葉に代えて吐露する様子に、こちらの予測である、強い相手だから言うのを躊躇っていた、という可能性は、どうやら的を得ていたようだと安心しつつ。



「……知らん」



 そう一言返すのが精一杯であった。



「えっ!?」



 心の底からの驚きに比例して、こちらの羞恥心が熱を持ち、頬を薄く染める。

 それを誤魔化すように、気にした風もなく、相手の情報を尋ねた。



「……どんな相手なんだ、そいつは」

「知らな……いから、そう言ったんだったね。……あぁ、そうか。君は東方からやって来たんだったか……」



 あれの名が届いていない場所があるなんて。とか、もそもそと口に出しているんだが、そんなに有名な相手なんだろうか。インド(予想)の神なら兎も角、それ以外の人外なんて、全くと言っていいほどに知識に無い。

 眉をひそめ、その小さな唇に、同じく小さな握り拳を当てて、リンは思案を開始する。

 ものの数秒程度で考えを纏め上げたようで、ゆっくりと、俺にも簡単に理解出来るような言葉を選びながら、その相手の情報を語り出す。



「妖怪達を纏め上げ、雑多な神など鎧袖一触。その配下は数こそそうは多くないものの、いずれも名のある妖怪達だ。それ一体で、人間達の百人、二百人なんて優に勝り、文字通りの一騎当千の力を持つ。……そんな相手さ。君が立ち向かおうとしているのは」

「……凄い奴。ってのは理解出来たが、具体的には何にも分からんな……。ってかそいつ、妖怪なのか? 平天大聖って大層な名前なんだから、神様の仲間っぽい気がするんだけど」

「天にも等しい、という意味で自ら名乗っているだけだとは思うんだが……詳細は分からない。そして、それに見合うだけの力を持っている。その力は山を崩し、天を引き裂くとか、なんとか。元々天に住んでいたから。なんて話も聞くけどね」



 うぐぅ。ピンと来るものが一切無いと来た。

 過去、天の国在住だったお方……天の世界から弾かれた……堕天使系だろうか。

 西洋ならルシファーとかそれ系統のを思いつけるのだが、こっちのものは欠片すら思い浮かべる事が出来ない。



「えらい曖昧な情報ですね……」

「取り巻きの妖怪達が強過ぎて、誰もあれの元に辿り着けていないんだ。もう百年以上は、姿さえ見た者すら居ないよ。……これでも、他の誰よりも情報は持っている方なんだけど、流石にあそこへは行けないかな」



 目と耳は多いんだ。

 そう言って、リンは自慢げに微笑む。

 初めて出会った時に見せた表情。

 自分の種族を貶されながら、それでも芯は折れず、誇りとしている彼女に一種の敬意に近い感情を抱いた。



 少ないがらも信用出来る情報の数々を耳にして、俺は必死で力の組み合わせや【シナジー】を選択し、選別する。

 敵は、最低でも数千。

 そしていずれも一騎当千。更に親玉は、雑多な神すら退けるだけの力を持つ、妖怪の総元締め。まるで鬼のような……もしくはそれ以上の存在だと思った。

 流石に一度にこれら全てを相手にする訳ではないだろうが、最悪の可能性として、考慮しておくに越した事は無い。



「えーっと……ウィリク様とお前の安全確保。それが最低条件って考えで良いのかな?」

「条件はあるけど、お母様の安否だけが最低条件だと思ってもらって構わないよ」

「……それは、あれか。自分の命すらどうなっても良い、と」

「勿論、無駄に命を散らす気なんて無い。今までは、自分の命を何千、何万と対価として支払っても覆えらない結果だったから、最適だと判断した道を選んでいただけさ。……もし、この命を以って、あの人が安からに過ごせる日が来ると言うのなら、喜んでこの身を差し出すよ。ただ、仮に僕が死んでしまったら、何一つ痕跡を残さずにして欲しい。一応は、骸を仲間達に食べて貰うようには言っておくけれど」

「……ん。責任重大だな、俺」

「そうとも。……あぁそうだ。お母様の為に、出来れば国……国民も、と、付け加えさせて貰えるかな。……僕個人としては、正直に言って、いっそ滅んで欲しいくらいだけど」

「……お前からしてみれば、そうだろうなぁ」



 俺だって、リンの立場ならば、逆に敵国に加担してしまうだろう。

 まぁその条件は、状況次第ということで。



「うっし。んじゃ早速、行動に移すか」



 本日の使用カードは【ジャンプ】1マナ、【不可視】2マナの、合計3マナ使用。

 後少しで昨晩使用した【テレパシー】1マナ分のコストは回収出来そうだが、現状では、まだ叶わない。

【ジャンドールの鞍袋】は既に消しているので、現在、維持に気をつけなければならないカードは【今田家の猟犬、勇丸】の1マナのみ。

【土地】系は勿論、【マリット・レイジ】と【カルドラチャンピオン】は【トークン】である為、ノーカンと換算しても差し支えない。

 よって、使えるマナは5。維持中のコストは1。使用可能枚数は8。

 最大限とはいかないが、これからの行動を考えれば、過去の状況と比べてもかなり自由の利く方であろう。



「もう、かい?」

「さっきも言ったとおり、時間、無いんだろ? 考える時間は多い方が良い。時間は有効に使いましょう、って事で。間違いに気づく時間は、あるだけあった方が助かる訳ですよ。俺としては」



 すたすたと、月からの出現位置であった草原地帯へと足を進める。



「お、おい!」



 後ろから聞こえる呼び掛けには答える事はせず。

 目の前に誰も居ないのを確認して、早速、行動を開始する。



「―――召喚、【稲妻のドラゴン】」










『稲妻のドラゴン』

 4マナの、赤の【ドラゴン】クリーチャー。4/4

【飛行】と【パンプアップ】能力を有するが、次のターンに、もう一度、記載されているコスト(大概は召喚コストと同等)を支払わなければならないデメリットの一種、【エコー】を持つ。
この【エコー】能力は【ハルクフラッシュ】にて使用した【天使】クリーチャー、【霊体の先達】にも付与されている。
二度コストを支払う、というデメリットを付与させる事によって、基本は、比較的速いターンに高性能のカードを使用する為の能力である。

 4マナという、【ドラゴン】タイプにしては手の出し易いコストの恩恵で、比較的召喚が安易であり、相手に【飛行】持ちが居なければ、かなりの脅威になる。



『ドラゴン』

 クリーチャータイプの一種。

 炎と混沌、純粋な暴力を象徴する赤に多く見られ、コストが高いカードが目立つ。赤の【フライヤー(【飛行】持ちのクリーチャーの俗称)】の代表格。

 必ずと言っていいほどに付属している【飛行】は勿論、初期の【ドラゴン】タイプには取り分け多く付属している、1マナを支払う事で+1/0の修正を得られる【パンプアップ】能力―――通称【炎のブレス(前記の能力を付与させる【エンチャント】カード名より)】、あるいは【火吹き】と呼ばれる非名称能力を有しており、赤のデッキにおいて、最後のトドメ的な存在として位置している場合が多い。










 夜空に鳴り響く雷鳴。

 稲妻の輝きを伴って現れたそれは、光の四散と同時に形を成した。

 真紅の表皮。刺々しい翼。くすんだエメラルドグリーンをした、左右二対、計四つの複眼。

 岩にすら、腐った果実を扱うかの如く楽に突き刺さりそうな爪と、捉えた獲物を決して逃がさない、前方にやや突出して生え揃っている、鋭利な牙。

 尾も含め、全長二十メートルを超える、紅色の暴力の権化。

 放電現象によって闇夜に浮かび上がる赤い容姿は、東洋の龍ではなく、西洋の竜のそれ、そのままであった。





 心臓を鷲掴みにされた錯覚に陥りながら、リンは唖然と……腰を抜かす事すら叶わずに、それを見続ける。

 逃げなければ。しかし、足に力が入らない。

 砂の大地に四肢を根付かせて、低い唸り声を……喉を鳴らしながら、出現時とは一転。静かに、自らよりも格段に小さな存在である、自分達を見下ろしている。

 捕食者であった猫等を前にした時よりも、多くの人間達から目の敵として剣や槍、鋤を向けられた時とも違う。

 ああ、自分は喰われるのだ。

 悟りにも近い心境で、ネズミの少女は立ち尽くしていた。



「リン」



 名を呼ばれ、やっと体に力が戻る。

 しかしそれでも、とてもではないが、あの死の具現化から逃れられるとは思えない。

 ただ、僅かな可能性。目の前の男の存在だけが、自らの命を繋ぐ術なのだと。名も知ら東方の地の大妖怪だと思われる、【稲妻のドラゴン】と呼ばれたそれを召喚した男を、縋るような目で見つめた。



 何なのだ、彼は。

 あらゆる場所に忍び込む自分達種族ですら困難な、あの国の王室にも全く……それこそ朝食前の散策に出掛けるような気軽さで訪れたかと思えば。

 この国では最も多くの食べ物を口にしてきたと自負する自分が微塵も知らない、天の国の如き甘味を無限に振舞って。

 空を突き抜けてしまうのではないかと思ってしまう程に高く、遠くへの跳躍を果たし。

 そして、この目の前の存在を、息をするように容易く出現させた。

 呼び寄せたのか、生み出したのかは分からないが、彼があの大妖怪を従えていることだけは理解出来る。でなければ、突如としてこのような存在がこんな場所に出現する訳も無く、仮にそうだとしても、今頃仲良くあれの腹に収まっているか、ただの肉塊に成り果てている筈なのだ。



 男が振り向く。

 さも当たり前のように、強大な存在を呼び寄せた事など微塵も感じさせず。

 道端を歩き、挨拶を行う動作に似て。実に気軽に、簡単に。ほんの少しだけ、その表情に疲労の色を乗せながら。

 あの魔法の食袋、【ジャンドールの鞍袋】と銘打ったそれを使用している時と、同様の疲労感を滲ませるだけに留まっているだけ。



 彼は―――いや、あの方は。

 その東の地を治めている、名のある神に違いない。



 それならば、納得がいく。

 なんだって、たかだか小さな妖怪一匹の願望などの為に、戦という無数の命が散ってゆく地獄へ、自ら出て行こうとするのか。

 人は願い、神は聞き入れる。

 自分達には適応外だと思っていた理が、まさに奇跡的な機を以って、目前に具現化したようだ。

 なるほど。思い返してみれば、彼との口論には、いつの間にやら、彼を信じられるという前提の元で話を進めていた節がある。

 この【稲妻のドラゴン】と呼ばれた大妖怪を見た後ならまだしも、それを思い知る前であったというのにだ。

 きっと、タイミングも重なっていた事も理由の一つ。

 慎重に慎重を重ねて、母を救う算段を進めていた段階ならば、何の根拠も確証も無い、やや特殊な魔法を操る男など、信じることは無かっただろう。

 しかし彼の提案は、こちらが全てを諦めた直後の、まさに神の救いの手。絶妙の一言に尽きるタイミングで差し伸べられた、釈迦の蜘蛛の糸。

 そんな神がかった瞬間を見極められる者など、神以外の誰が居よう。



(僕は……)



 ……但し、願いには代償が伴う。

 それが信仰であったり、供物であったりと、多岐に渡る場合もあるが、それでも。



(僕の命だけで、足りれば良いが……)



 西洋の妖怪である悪魔という種族には、分の悪い取引の後に願いを叶える性質がると、風の噂で聞いたことがある。

 それに比べれば、これは、最上の幸運。

 自身の命は兎も角として、最低限、母の安全は保障してれたのだから。



 何処まで出来るのか分からないし、何処までやってくれるのかも分からない。

 相手はあの平天大聖。斉天を始めとした七天大聖の頂点に君臨する、妖怪の中の王。この願いを受け入れてくれているとしても、それが叶うかどうかは別問題だろう。

 でも……それでも。

 自らに伸ばされた救いの手を払い除ける―――縋らない、という選択肢は、ある筈も無かった。

 間違いだって構わない。どうせ元より、救いなど無かったのだ。そこに希望の一つでも見出せたのであれば、今までの辛酸を舐める日々も、無駄ではなかったと思えるから。

 親しみを尊敬に。尊敬を畏怖に。畏怖を敬意に。そして―――信仰に。





 異質な神は、こちらに顔を向けて来た。

 体はそのまま、横顔だけが覗く風に。

 口元には小さな笑み。

 不敵な眼には強者の証。

 そして―――



(……ん?)



 時間の経過と共に、彼全体へと視野が広がる。

 上から始まり、徐々に下へと焦点が移って行き、



「……あ」



 全身から振り絞る様に零れた吐息の名は、落胆。

 見なければ良かったという思いに乗せて、叩き付ける様に。信じられない、受け入れられない現実を言葉にして。

 男の下半身。

 正確には腰から下。

 生まれたての小鹿には及ばぬものの、それでも、寒さに震える小動物の如く小刻みに膝を揺らす足が視界に入ってしまったのだった。



「怖いのかい!!」



 厳かな態度を一転。

 男は抗議を以って、彼女の言葉に応えた。



「うっさい! 遠目ならいざ知らず、こんなかっちょ怖いお方が目の前に出られたらチビりそうだわ! ってかもうヤバいわ! トイレ何処!?」



 信仰は一瞬にして雲散霧消と化した。

 残ったものは……出会った頃よりも僅かに増した、親近感に似た、親しみくらい。



「知らないよ! 何なんだ、かっちょ怖いって! 君が何とかしないと、生理現象の処理どころか、それこそ骨まで食べられてしまいそうじゃないか! 命! 命が掛かってるんだからね! こんな、開始以前の問題で躓くなんて嫌だよ僕!」



 ぎゃーぎゃー喚く男に、ネズミの少女は正論をぶつける。

 それを、どう反応したら良いものか悩むように見下ろす巨大な赤影は、砂漠の夜空の下に、何か珍しいものを見つけた幼子の眼を以って、ただ立ち尽くす。








「……でも、まぁ」



 感情を音量で表現するだけの時間が過ぎ、両者の熱が沈静化した頃、男は唐突に、静かな声で呟いた。

 子供の癇癪のように喚き散らしていた様子は、嘘のように成りを潜め、照れ臭いと。恥ずかしいのだと。

 そう、自身の駄目なとこを全て受け入れたかのような態度に、リンは思わず言葉に詰まる。



「約束したんだ。空の上で」



 男は夜空に浮かぶ満月へと顔を向ける。



「大切なもの、全てを守るって。突き放すでなく、拒絶するでなく、済まないと思う気持ちがあるんなら、そういう気概を見せろって」



 決意を言葉に。言葉を現実に。

 その守りたい“大切なもの”に、いつの間にか自らも含まれているらしい。……頬が朱に染まり、胸が、苦しくなる。



「……そんなの、無理だよ。君が幾ら凄い神様であっても、万人を余す事無く救うなんて」

「だよな」



 何の溜めもなく告げられた返答に、少女は目を白黒させる。

 無理だと分かっているのに、何故それをするのかと。

 困り顔。そして、苦笑の後に出た言葉が。



「それでも、目指す」



 言い切る言葉には、何の根拠も無い―――けれど、確たる自信に裏打ちされているような、矛盾した信念に見えて。



「それに、別に万人を守ろうなんて思っちゃいないさ。目で見える……手の届く範囲での話」

「……それこそ無理だよ。君の言う大切なものがどんな人達かは分からないが、それでも、その大事な一人から視野は更に広がって、その範囲はどんどん……それこそ無限に等しくなっていく。君の手の平に納まらないくらいまで、大きく、大きく。そして、掬った砂が指と指の間から零れる様に、どうしようもない現実を目の当たりにするんだ。……しかも、もし仮に全てを守れているとしよう。……でもね。いつかは裏切られる。増えすぎた大事なものによって。大事なもの同士が傷つけ合って」



 嫌になるほど正論な気がするが、こういう考えも、母親の行く末をどうにかしようとした結果の産物なのだろう。

 怖気がする程に現実を直視しなければ、まだ幾年も過ごしていない少女が、こうも達観した思考になるだろうか。

 悩みに悩み。考えに考えて。

 その末に到達してしまった答えが、それであるのだと。



「うむ、実に仰るとおりだと思います」

「……だろう? だから今の内からでも……」



 だから、それ以上の悲観を許さぬ為に、こうして行動に移したのだ。



「もしそうなったら」



 言葉を遮り、キメようと向けた顔は、キリリとしたものではなく。



「―――過去も未来も、生も死も。全部蹴っ飛ばして、どうにかしてみるさ」



 精一杯の恥ずかしさを誤魔化すように笑う、不器用な男の姿が、そこにはあった。



「え……?」



 その告白に、少女の頭は真っ白になった。

 今、絶対のルールの内の、特に不可能な理を打破してみせる、とのたまった気がするのだが。

 ぶつぶつと、『……ん? 蹴っ飛ばしちゃ駄目か?』などと漏らす小声もリンの耳には入らない。



「よっしゃ行くか!」



 けれどそれらの考えも、突如として浮き上がった体の影響で、一気に有耶無耶と化す。



「ちょっ」



 ちょっと待ってくれ。

 抗議の声は、しかし、羞恥心によって恐怖を克服した男によって止められる。

 恥ずかしさを推進力へと変換した彼の小脇に抱えられたリンは、バタバタと四肢を動かすものの、どんどん近づく赤竜の姿によって萎縮する流れとなる。



 何のやり取りがあったのか。以心伝心とばかりに、竜の首が地面へと触れて、こちらが徒歩で登れる階段へと変わった。

 それを男は『靴脱ぐね。あ、このままで良い? ありがと』などと、傍から見れば一方通行の会話の後で、優しくドラゴンの上へと到達。刺々しい背中を見渡して、一番騎乗に最適そうな箇所へと移動する。

 こうなるだろうとは予想していたが、あまりの展開に、驚愕と恐怖によって声が出せず、思考も停止しかけている少女を他所に。

 内臓が宙に浮く感覚がリンを襲う。

 同時、現れた時と同様に鳴り響く雷鳴を纏い、赤竜と大小の人影は一風の後に、星降る夜空へと飛び立って行った。

 







 七天大聖。

 それは、天と同格であると称する、七人の妖怪の総称である。

 九十九には、名のある強力な妖怪程度の認識であり、事実、それは過ちではない。……その“名のある”程度の上限が、型破りに上へと続いている点を除いては。

 それは、極東の地にて広まる以前の記号。将軍や元帥といった、位の記号の内の一つ。

 以来の性を―――王としての通り名を知っていたのであれば、少女の意に応えて頷くにしても、もう少し言葉に詰まっていただろう。



 ……ゆくゆくの話ではあるが。

 とある僧の一行と共に旅をする可能性を持つ、七天大聖の内が一人、斉天大聖。またの呼び名を、美猴王とも言う猿の妖怪を義兄弟に持つ、その妖怪こそ。

 白き牛の妖怪、平天大聖。



 ―――別名、牛魔王と謳われる存在である。





[26038] 第46話 アドバイザー
Name: roisin◆78006b0a ID:ba167160
Date: 2013/11/04 23:10






 周りに広がる灼熱の世界が嘘のように、この土地には様々な生物が根付いている。

 日中であれば、降り注ぐ太陽は木々に遮られて淡い光となって生命を育み、それを縫うように流れる命の源たる小川は、気持ち悪いと思えてしまうほど無色透明。深度が幾ら増そうが、光の波長など存在しないとばかりに、いつまでも色など付着しないのではと思えてしまう。

 濃過ぎもせず、閑散とも言い難い、適度な木々達の、あるいはその上には、同じく様々な生物―――妖怪が、この春を謳歌していた。





 ―――月と星が空を飾る刻限。

 その春は一転し、真冬以外の何ものでも無い、死の森へと変貌を遂げる。





 一本の枝が放られた。

 弧を画き暗闇の雑草の中へと消えていく枯れ枝は、純白。

 星の光によって照らされ浮かび上がる、斑の紅色に染めたそれ……何かの骨は、申し訳程度に桃色と赤色の粘度をへばりつかせてる。

 その状態を見るに……喰われた直後の有様であろう。

 人間か、動物か、妖怪か。

 それが何の生き物であったのかは既に暗黒の森の中へと溶け込んでしまった為、判断するには至らない。

 のそのそと、それを成した大きな影は、ゆっくりとその場から離れていく。

 影の立ち去った周囲には、一体何を食したらこれを作り出せるのか。赤と白と恒星のコントラストが疎らに散りばめれた、死の美術館が残るのみ。

 何かが襲われ、何かが奪われ、何かが殺され、何かが喰われる。

 原初の秩序が支配するこの土地こそ、七天大聖が統べる、弱き者は生きて戻れぬ場所―――タッキリ山であった。










 その、生き残る事こそ正義であるこの地において、適度に腹を満たした大きな影は、それなりに自由である存在だ。

 この場合の自由とは、我を押し通す力。つまりは、強い妖怪という事になる。

 彼は満足だった。

 攫って来た十人ばかりの人間は、どれもが若く、生きが良く、柔らかかった。

 そして、それを狙って、こちらの横合いから掻っ攫おうとした名も知らぬ大きめなヒトガタの妖怪も、既に彼の胃袋へと納まっている。

 満腹という、実に心地良い幸福感に満たされて。このまま一眠り出来れば文句は無いのだが、この地で無防備に横になれるだけの力は、そんな彼として有していない。それが出来るのは、それこそほんの一握り……七天大聖か、数人の大妖怪くらいのものだろう。

 自分の巣に戻り、安全を確保した後、体を休める。

 とても幸せな気持ちで一杯であった彼の心は―――ぽつり。一滴の水によって打ち消される事になった。



 ……先程までは、満天の星空であったのだが。



 いつの間にか、既に曇天と化した空を見上げて、堪らないと不満気に鼻を鳴らす。

 雨は好きだが、濡れるのは嫌いだ。

 巣へと戻る為、自身の手―――巨大な翼を羽ばたかせた。

 瞬きの間に宙へと飛び出したその者―――白い巨大怪鳥は、一粒足りとも濡れてなるものかと。その羽ばたきに力を込めた。

 と。

 続いて空が光り、次いで轟音が空を駆け巡る。

 この分では、下手をすれば、濡れるどころか、神の鳴き声に打たれかねない。

 これはいよいよ全力を出さねば間に合わぬかと、巣のある方角に目をやると……赤い何かが宙を舞っていた。



 ―――気に入らぬ。



 雷鳴渦巻く遠方の曇天より飛来する、一匹の……何か。

 龍のようにも見えるが、大きさは精々、自身と同程度。

 なれば力も同等か。

 だとするのなら、それが巣に戻るだけの行いだとしても、何故、自分が逃げ隠れるように帰路を急がねばならぬのか。

 あぁ、やはり気に入らぬ。

 もはや行動は決まった。

 誰に憚る風もなく、悠々と空を泳ぐ赤い何か。

 自らですら身の程を弁えての行動を意識しているというのに、あの無法者めが、と。

 

 ―――その驕り、自らの命で償うがよい。



 時折、この地に足を踏み入れる人や妖怪の愚か者共に理を示すのも、力のある者の勤めだろう。何、食後の甘味代わりと思えば、この不快感も薄れるというものだ。

 翼の一打ちで百の人間を吹き飛ばし、このひと鳴きで、千の馬を方々へと散らす。

 嘴と鍵爪は岩をも砕き、鉄の檻をもへし曲げる。

 そして、自らの巨大な体を自由自在に躍らせるこの羽があれば、七天大聖を除く、空を行く誰よりも速く翔られる自負があった。

 それは百に達する季節の一巡を過ごして来た中での、経験から来る事実であり、それを覆す存在など、今の今まで現れた事などなかった。



 ―――そう、今の今までは―――



 赤。

 視界に飛び込んできた色は、それ。

 次いで見るのは純白。

 何処かで見た事のある光景だという感想は、あぁ、これは大きく開かれた口なのだとう結論に―――……待て。あの無法者は、自身と同程度の大きさではなかったか。

 付け加えるのなら、自身で近づいていたとはいえ、こうも閃光の如く距離が縮まっている/―――がぶり―――/などととと―――…………
 




 …………―――雷鳴が世界を埋めるよう走り出す空に、一つの赤が舞っている。

 悠々と、堂々と、轟々と。

 火を噴く山から放たれた炎弾のように。灰色となった世界を翔る、真紅の鳥蜥蜴。

 空の支配者の風貌に、地を這う者も、空を飛ぶ者も、目を奪われ、心を縛られ。

 それが完全に視界から消え去るまで、呆然と、彼らはいつの間にか降り頻っていた雨に打たれ続けた。

 ああ、自分達は助かったのだという漠然とした……けれど、確信に近い思いを馳せながら。















【稲妻のドラゴン】を呼び出し、騎乗して目的地へと向かう男に、格別、深い思慮があった訳ではない。

 ネズミの妖怪の願いを短絡的に考慮した結果、



 ―――軍隊止めれば良いんじゃね? と。



 とある国の女王が聞けば、『それが出来ないから頭を抱えているのです』と零す結論に達したからであった。

 最も思考の工程が少ない答えは、人間の軍隊を動けなくする―――消す事。つまるところ……命を奪う事。

 しかし、幾ら強力な異能を持とうが、神に準ずる信仰を得るかもしれない存在であろうが、彼は、基本、人間。

 国籍も人種も異なっていても、仮にも同族である命を奪うには忌避するところにある。

 それに、軍人とは、奴隷、傭兵などの場合はあるが、大半がその国の民。

 リンから、軍の多数が奴隷であると耳にしてはいたものの、だとしても、奴隷という存在が進んでその地位に身を置いてるなど考えられようか。

 反骨精神が心の底に潜む戦力を従えるには、せめて同数、屈服させる力が必要になろう。然るに、その屈服させる力―――自国民は、奴隷と同数かそれ以上であり、もし先の案を実行しようものなら、少女の提示した条件からは大きく逸脱する事になってしまう。回避するに越した事は無い。

 ならば無力化だ。……となったのだが、一時だけならいざ知らず、戦を諦めてくるまで抑止させられるカードを、彼は知らなかった。

 戦争を支持する人物全員をどうこうする。という選択肢も挙がったけれど、それを達成出来る力も思い至らず、先と同様、やはりこれも候補から外れてしまい。



 ―――では、何故、彼は敵陣たる方面へと、わざわざ【稲妻のドラゴン】を呼び出してまで赴いているのか。

 諏訪や大和での経験の下、この見知らぬ土地で何処まで通用するかは不透明であったが、そう外れたものではないだろうと。

 力を示せば認められる、完全実力社会の妖怪達の性質を善しとして、人間側でなく、妖怪側への働き掛けを考案。まずは交渉。次に贈与。最後は一発引っ叩いての、あるいは相手に無理矢理条件を飲ませる(傀儡化や洗脳等の)実力行使。との三段構えを取ったのであった。

 細やかな行動を求めれば求めるほどに、マナも使用カードの種類も増加する傾向が強い為、単純な戦闘面の方が有利に物事を運び易いと踏んでの、この選択。……決して、力押しの方が楽そうだから。などという理由からではない。



 そうして妖怪側への働き掛けの後にすることは、女王の確保。やや掻い摘んで述べると、専守防衛である。

 人を襲い、人を喰らい、人を狩る者。それが喜びであり、生き様であり、彼らの存在意義。

 妖怪とは、それが本能として刻まれている。防衛どころか、戦争を吹っ掛けてきた相手ならば、嬉々としてこれを向かい討ち、相手の国へと乗り込み、血肉が山河を埋める地獄絵図を作り出す様が容易に想像出来る。力を持つ妖怪であれば、尚の事。弱者に舐められたままで、心穏やかで居られる妖怪など、それは妖怪ではない、別の何かであろう。

 最低……いや、最大でも、人の軍隊の壊滅のみに止め、国への報復は阻止しなければ。

 なればこそ、その手綱を握らなければならない。

 九十九自身が、平天大聖に何かをされた訳でも、される訳でもなく。例え相手が妖怪であっても、その琴線に触れていない現状では、妖怪側を全て殺める、という選択肢は無い故に。

場合によっては【再生】や【プロテクション】などの、妖怪達の支援も辞さぬ覚悟で、最悪、カチ合った両軍勢の間にドカンとどでかい呪文なぞ撃っての停戦も視野に入れつつ―――例え一時凌ぎであったとしても―――ドカンとする時には人間の国から離れていた方が良いだろうという理由も相まって、平天大聖の住まう魔界の境界線へと辿り着いた。

 しかし、決して短くなかった筈の移動時間は、九十九にとっては踏破不可能な道のりであったようだ。

 さぁこれから。という段階になっても、とうとう、しっかりとした方針は打ち立てられず。終ぞ明確な答えの出ない自身に嫌気が差し……。



 ―――自分だけで無理ならば、他人の知恵を借りましょう。



 例え残りのマナを全て使ったとしても、それだけの価値はあるだろうと。

 そんな考えから生まれた行動―――召喚は、彼の拙い目標を助力するに足る者。

 光が形となり、輝きが失われ、そこに現れたのは、一人の男。

 青竹色の漢服と帽子を被った中背よりやや小柄。年の頃は三十後半であろうか。顔に浅く刻まれた皺と、短く整えられた髭が印象的な、その者こそは。

 中国史でも上位を争う知名度を誇る、ゆくゆくは三国志と称される時代にて活躍する人物達―――蜀の君主、劉備。呉の君主、孫権。そして魏の君主、曹操を支え、王佐の才を持つと渾名された筆頭参謀。旬 文若(じゅん ぶんじゃく)その人であった。










『魏(ぎ)の参謀 旬彧(じゅんいく)』

 3マナで、黒の【伝説】【アドバイザー】【人間】クリーチャー 2/2

 クリーチャータイプでは比較的珍しい、助言を与える者、あるいは軍師としての意味合いを含む【アドバイザー】を持ち、自身を【タップ】する事で自軍のクリーチャー一体に、ターン終了時まで+2/+0の修正を付与する能力を有する。










【稲妻のドラゴン】に使用した4マナによって、ストック分は後1となっていたのだが、それも時間の経過によって解決し、【ジャンプ】と【不可視】分のマナが復活。その分を全て費やす事で、これを成した。

 これが史実か演戯かの違いで彼の能力や性格は差異が生まれるのだが、それでも、ジェイスと同様、俺など到底及ばない智謀の持ち主であるのは疑いようも無い。

 名にし負う神々とは比べるべくもない人物なれど、覇王、曹操の忠臣であり、頭脳であったと言っても過言ではないであろう人物。

 両の手を、己の拳を包み込む様に構え、掲げ、頭を垂れ腰を折る格好をされ。

 それなりに覚悟して呼び出したというのだが、とてもじゃないがこんな人物に頭を下げられるほど偉くなっちゃいないと、思わず一歩下がってしまったくらいだった。

 MTG勢とは一線を引く。本来の意味でのクリーチャーなどとは、間違っても言えぬ者。ならば【プレインズウォーカー】かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 それはそうだ。

 通常のカードセットとは、MTGの舞台である多次元世界で起こった事件や災害を、あるいは【プレインズウォーカー】同士の対立や争い等を主題とし、そこから派生した様々な事柄がカードとして描かれるもの。それがMTGという作品であり、語るまでも無い事実である。

 だが、【魏の参謀 旬彧】は違う。

 何故なら彼は、他のカードセットとは、全く理念を異にする特別な存在なのだから。










『【ポータル】【三国志】』

 数あるカードセットの中でも、これは群を抜いて特異な存在……の内の一つ。他のもの―――題材とされている【プレインズウォーカー】達が活躍する世界を基にしたものではなく、MTGのルールだけを引用して作られた、ある意味で、完全な別の作品。

 その名が示す様に、中国の歴史、三国志を元に製作されており、実在の人名、地名、事件や出来事などの事象名を取り扱っている。【飛行】という能力が存在せず、この作品固有の能力【馬術(飛行とは似て非なる能力)】が採用されており、MTGで唯一、地球上を舞台とした作品である。



『ポータル/portal1(カードセットのカテゴリ名)』

 MTGの物語上にも同名のものが登場するが、これは、それとは別のものを指す。

 完結に表記すると、【ポータル】はその英語名が示す通り、入り口、正門、表玄関、等の意味を持つもので【ポータル】というカードセットがある訳ではない(例・【ポータル】【三国志】。【ポータル】【セカンドエイジ】等)。初心者を対象としたカードセットに付随される言葉である。

 難解な能力を保持するカードが極力省かれており、MTGの全体から見れば手を出し易く、遊び易い製品に仕上がっている。

 








 彼は紛れもない地球に謂れのある御仁であり、その生涯を魏へと……いや、後漢王朝か? ―――に捧げた、言わば実在の人物。

 時代背景やら儒教やら曹孟卓やらの単語が、彼を目の前にした事で脳裏を駆け巡り、しまったその辺りはどうなっているのかとテンパっていたのだが……。

 一向に頭を挙げない旬彧―――文若さんによって冷静さを取り戻し、ならばと余計な思慮を挟まず、自分の成したい内容を彼に伝える事にした。

 三国志……だけには限らなかったと思うのだが、そっち方面の人名の呼び方には、色々な暗黙の了解があった筈であった。姓と名と字(あざな)が云たら……だったか。どうだったか。

 確か、親しくない人が呼ぶ場合は、字か官職名を言うのが最低限の礼儀だった……と思うのだけれど。

 恐る恐るも『文若……さん、で、宜しいでしょうか……?』と尋ねた時の、念話から伝わって来る苦笑っぽい感情の色は何だったのか。怖いので深くは突っ込めなかった。とりあえずは、文若さんでOKのようです。



 文若が現れた時の、リンの面食らった表情は記憶に新しい。

 ドラゴンのみならず人間までも呼び出している事で、オフとなっていた驚きスイッチを、再びオンにでもしたんだろう。 

【今田家の猟犬、勇丸】【稲妻のドラゴン】、そして【魏の参謀 旬彧】の召喚によって、合計8マナの維持となった時の疲労の加速度は、元々目減りしていた体力に拍車を掛けて、静かに、確実に、こちらのスタミナゲージを消費していった。

【死の門の悪魔】や、月の裁判所でぶっ倒れた経験が脳裏を掠めるが、それと比べれば、今の8マナの維持は、決して難しいものではなかったけれど、そう楽観視ばかりもしていられない。

 悠長な感想を述べている時間は少なそうであった。例の如く疲労の度合いが無視出来ない問題になりつつあるので、出来うる限り的確、かつ迅速に要点を旬彧へと説明する。

 まぁ、それでも俺の説明不足は著しかったのだが、そこは彼がこちらに説明を求める事で補ってくれた。

 砂漠と森の狭間にて、辺りを見回しながら羽を休める赤竜と、それに騎乗し話し合う人間二人。そして、それを見続ける、小さな妖怪が一人。

 彼が持つ雰囲気にでも当てられたのか。あるいは、方や無言(念話)な、まるで壁と対話しているような光景に疑問が尽きなかったせいか。

 俺と文若の遣り取りを、リンは固唾を呑むように見続けていた。



 ……時間にして十分にも満たなかっただろう。

 けれど、それで充分でもあった。

 王佐の才を持つ者は、しばしの瞑目。

 再び眼を見開いた時、それを達成した暁には、俺の目的をこれ以上無い形で実現し得る答えを出してくれた……のだが。

 ―――矯正が多々入り、俺の拙い計画は、大きく修正される結果となったのが、少し……凹みました。



 もう限界だ、と、既に寝そべっている形であったので失礼千万な格好であったが、それでも何とか言葉くらいはと、短く感謝を述べて、文若を還した辺りだったか。

 そこで、俺がリンに一つの誤解を与えていたのだと理解する羽目になるのだが。



「……平天大聖に戦争を仕掛けに行くんじゃなかったのかい?」

「……何で?」



 ……そこは何とか解決し、それぞれの目標―――別行動を取る流れとなったのだった。















 森のほぼ中央。月と星の光が世界を浮かび上がらせる、魔の者達の祝福の時。

 とあるネズミの妖怪が暮らす城とは打って変わり、そこには長大な石垣が組まれ、一つの山を、それ自体が城であるかのように取り囲んでいた。

 山肌という山肌には岩が積まれ、緑という色など無粋だとばかりに、文字通りの岩山城と化していた。

 そして、この地においての城とは、建造物単体を指す言葉に在らず。主に城壁を意味する度合いが強い為、まさにこの山丸々が、一つの城として成り立ってる。

 ぽつりぽつりと赤が混ざる箇所は、全て瓦。数百から、場所によっては万にも及ぶ数の焼き土の集合体。

 時に細やかに、時に大胆に敷かれている焼き粘土は、特に頂上に多く見られた。

 未来という不確定な道の先の果て。中つ国という名称が付くかもしれない国にて建造される、紫禁城と酷似する形。

 三十階建ての高層ビルを横倒しにしたような躯体の屋根には、紅色の瓦が所狭しと詰まれ、上空を澄み渡る黒青にとても良く映えていた。

 ただ残念な事に、その夜天も徐々に色合いを曇天のそれへと変化させ、晴天であった時の面影は、遠く彼方に見える星空だけ。

 打って変わってしまった黒い天には疎らに閃が走り、次の瞬間にでも、何かの弾みで空が泣き出しても何ら不思議ではない。そんな、環境の変化を起こす一歩手前。

 このような天候、幾年この土地を支配し続けてきたその者にとっても初めての出来事だった。

 そして、そんな梁山泊の如き宮殿に座して待つ者が、その変化に気づけぬ存在ではない。



「……」



 手にした竹簡を脇に仕舞い、真紅の石柱が左右に立ち並ぶ先、成人男性の六倍の丈はあるであろう、唯一の出入り口へと目を這わせる。

 石の壁に覆われたここからでも分かる程に空気を震わす雷鳴は、しかし、空から聞こえるものではなく、その扉の先から鳴り響いていた。



 稲妻。これは、雷祖かインドラ辺りが好んで使う力であった筈だが。

 けれど、そんな者達の気配など微塵も感じない。

 察せられるのは、全く記憶にない力の脈動。

 はて。であれば、義兄弟である美猴王が殴打したと言っていた、冥界十王辺りの上位の神々が押し入ってきたのかとも思えるが、それにしては、数が少ない。

 奇襲の類も考えられる。だが、正攻法が好みである彼らであるので、その可能性も低そうだ。

 思案するのが愉快で、つい、意識すらも雷鳴から外れかけた矢先、その荘厳な扉がゆっくりと開かれた。

 一人の妖怪が、その開かれた扉にもたれ掛かるように身を任せながら、何かの声―――謝罪の言葉を発する。



「……も、申し訳……」



 しかし、それは最後までは叶わずに、とうとう力尽きて宮殿の床へとその身を横たえた。

 無意識ながら僅かに上下する胸を見るに、どうやらまだ、命はあるようだ。

 その妖怪が開け放った扉の奥―――玉座から見た側―――広間は、沿岸に塒を持っていたという妖怪から耳にした、地上最大の生物とされる鯨をも数体は並べられるだけの空間を有した、大よそ山頂に拵えるものではない規模の空間が造り出されている。

 だが、その広大である筈の敷地が、今は実感出来るものではない。

 破壊されたのではない。消えているのではない。ただ単純に、そこに佇む者の大きさによって、手狭に見えるだけの事。

 我ら大聖以外にも、このような存在も居るものなのかと。

 西洋から届けられた文献に、龍と派生を同じくする妖怪、竜という種族が、確かあのような形状であったかと思い出す。

 時折宙を走る閃光によって照らし出される、剣山の如き真紅の鱗。

 夜の帳に灯る緑翠の瞳は、四対の複眼。



 ……不出来な赤蜥蜴だ。



 宮殿の主は、人間の百や二百など物ともしない配下の妖怪達が畏怖したそれを、巨大な昆虫の延長線上の目線で観察する。

 その内包されている力は疑うべくもない事実、との認識はある。恐らく、あれ一体で七天大聖の最下位に位置する駆神大聖に勝るかもしれないほどの力。

 だが、彼が知り得る知識の中では、それくらいしか関連付けられるものが無かっただけであり……龍と似通っている所と言えば、顔くらいのもの。

 ……それに、あれを龍だと思うには、悠々たる胴体も、自然の触覚である髭も、爪に握り込まれた宝玉も無い……まるで自国の歴史を嘲笑ったような風情の欠片もない貌など、認められよう筈もない。



 王座から広間を一望出来るという事は、広間から王座を直視出来るという事。

 その者が肘掛に肘を乗せ、頬に手を当て興味深げに赤竜を見続けていると、それは、牛や虎でも数匹纏めてひと呑みにしてしまう口を開け、甲高い、曇天を走る雷鳴の如き咆哮を上げた。

 赤竜から迸る光。

 天を焼き、大地を焦がし。周囲に無残にも転がっている、名も分からぬ生き物達の、物言わぬ体を直撃した。

 いずれもこの王宮を守護する存在であったその妖怪達は、例外無く全身から煙を上げて、天の怒り―――その赤竜の洗礼を受け、再起不能となっている。

 驚くべきは、その誰もが呼吸をしている事か。

 既に骸の手前と化した妖怪達は、悲しいかな、死体に鞭打つ。という言葉を、を余す事無く体験する。

 幾人かの残っていた意識ある者達は、それで完全に気を失う羽目になった。

 それでもまだ命はあるというのだから、あの凶暴な外見を裏切る慈悲を持つ存在か。はたまた、生かさず殺さずを好みとする偏執家か。

 魂の宿る墓地と化した石庭に君臨する赤の王は、玉座に君臨する白の王を一瞥。

 後者は愉悦に口元を歪め―――それはすぐに疑問の色へと取って代わる流れとなった。

 赤の王が頭を下げる。

 軽く、どころの話ではない。文字通り地面に頭を擦り付けて、完全に石畳に伏したのだった。

 怪訝に眉を顰める白の王は、ほう、と、その意図を理解する。



 赤竜の頭上から、一人の人間が降りてきた。

 上半身を覆う白。下半身は濃い藍。

 派手さこそ抑えられているものの、白牛である自身ですら羨むほどの、瑞々しい艶のある白外套を羽織ったその者は、頭部から始まり、眉間から鼻先へと竜が用意した道を伝い経て、この宮殿の広間へと足を着けた。



 さて。あの正面を歩く人間は何者か。

 妖怪の化け姿。神の使い。いや、あるいは神そのものか、崑崙(こんろん)辺りの仙人やもしれない。

 その表情からは何の思考も読み取る事が出来ず、ただ何かを耐える様な感情を貼り付けているのみ。

 宛ら、自らの帰還の焼き回し。

 進む足取りは何の躊躇も恐れもなく、妖怪の総本山であるここを歩くのが当然の事のように、その歩みに淀みは無い。



「―――楽しみですねぇ」



 天を離れ、この地に座して、はや幾数年。

 それだけではないが、このような存在の到来を望んでの離別でもあった。

 白の王は、ヒトガタの王を迎え入れる。

 それがどんな会合になろうとも、きっと愉快に違いない。

 そう、何の根拠も無い確信と共に。

 我こそは至宝の玉たる存在だと主張する、今まで一度も見た事の無い頭髪をした者を見つめながら。










 平時であれば、人の国の一つや二つを容易く崩す戦力が在中するこの宮殿は、九十九が呼び寄せた竜、【稲妻のドラゴン】によって無力化されている。

 だというのに、数刻前から彼の胸に募る重み―――行き場の無い不満は、その竜にこそ向けられているものだった。

 移動手段に不満はない。

 空を飛び、地形どころか一切の悪天候を無視して飛行する赤の竜は、いっそ感動すら呼び起こすもの。

 戦力においても、問題は皆無。

 幻想郷における妖怪の山の如き場所に、流石に4/4では不安が残るからと、とある緑のカードを使って【パンプアップ】を果たした【稲妻のドラゴン】は、現在8/8となっている。

 稲妻による攻撃は、まさに閃光となって敵対者を黙らせ、行動不能へと陥れる。実に頼もしい存在だと実感させられるものであった。

 だから、問題はそれ以外。

 移動手段でも、戦力でもなく、その力―――稲妻によってもたらされた攻撃の余波による影響。



「……いつ治るんだろうなぁ、これ」



 自分自身へと語り掛ける、慰みにも似た言葉。

 ふっさふっさ。もっさもっさ。手で触れてみると、形容し難い感触が伝わって来る。これが自らの体の一部であるのだというのだから、何とも表現しづらい経験を積んでいる真っ最中だと思う。

 容量的には変化は無い筈なのだが、今までよりも一層、重量が増した気分である。

 轟音と伴う閃光によって、見事に感電した彼らの頭部。

 それに騎乗していた髪は、黒の球体となって、油断すれば口から黒い煙をコホンと吐き出せそうな姿になっていたのだから。



 ―――アフロ



 黒の毬藻と化した頭髪を、涙するでなく、もう好きにしてくれとの投げ遣りな感想で諦めた男は、妖怪の王が鎮座する玉座へと、その足を進めるのだった。

 ……いつの間にか元に戻っていた髪形については、当事者でさえも、最後まで触れる事はなかった。





 そして、魔王と人間の対談が行われた。

 明り取り用の灯火が付随する、朱色の石柱の林。真紅の絨毯が道を造る、その行き止まり。

 数十段の階段の最上の玉座に君臨する妖怪の王と、階段の最下にて、直立する形で対話をする流れとなった。

 目の前にいるのは、こちらが身に付けた、白蛇の抜け殻を素材に造られたミシャクジの外套すら霞んでしまうのではないかと思える純白のローブを身に着けた、細身の男。俺よりも頭一つ高い長身に、スラリとしながらも華奢には見えぬアンバランスさ。衣類と同様の銀よりの純白の髪は、いっそ雲か粉雪で形作られているのだと言われた方が、しっくりくるというもの。

 第一印象。厨二全開者の生み出した『ぼくのかんがえたさいきょうキャラ』そのままの容姿。超絶美形。そんな人物達を連想させる全体像である。肌の美白さであれば、東方キャラに勝っているのではないかと思えるほどである。

 基調の色は、服から肌から髪の色まで、真っ白々助。ただし、瞳の色は、銀。これで赤やら青やら、もしくは片目だけ金色の虹彩異色症―――オッドアイであれば、思わず大きな拍手をしていた事だろう。



「……なるほど。つまり、仮に人間の軍隊がこちらの地に足を踏み入れたとしても、国への報復は行わず、防衛のみにして欲しい……。と」

「その通りです」



 ……ぽんぽん痛い。内臓の何処かがキリキリします。も少しすれば、擬音に濁点でも付きそうな程に。

 分かっていた事だったのだが、やはりというか、やっぱりというか。

 恐ろしく無礼な話をしているな、という内容は、こうして相手の口から要約された話を聞く事で、ますます現実味を帯びてくる。

 せめて言葉遣いだけでも。との虚しい努力も、序盤から崩壊が始まり、中盤では丁寧語と謙譲語が入り乱れ、後半に至ってはタメ語すら出てくる始末。

 最後の段階になって『もういいや、用件だけ言い切ろう』と開き直れたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。その会話を最後まで聞いてくれた相手の寛容さ、という点においても。




(う”~、おっかねぇ~)



 礼を失しているから、という不快感ではない―――この、射殺さんと眼力を向けてくる、愉悦と隣り合わせの殺意をその瞳に宿していなければ。の話であったが。



 丁寧な喋り方、ピシリとした物腰、頬に手を当てるといった、ちょっとした艶のある仕草。

 どれもが穏やかでいて優雅な印象を抱かせるというのに、その行為で帳消しです。場の空気とは裏腹に、やはり妖怪だなと思える態度からか。僅かに安堵すら感じてしまうのは、何かの悟りを得た故なんでしょうか。どうなんでしょうか。



「―――ただ、無償で。とは、難しいところ。こちらとしても何か益が無ければ、配下の者達に示しが付きません。そうなればこの山の秩序は崩壊し、無駄に周囲へと血肉の山河を作り上げる結末になりましょう」



 言っている事は最もだし、事実、俺もその通りであると思う。

 だが。



(何を白々しい)



 事前にリンから聞き及んでいた情報では、この目の前の存在は、自分の欲望を、ありとあらゆる手段を用いて成し遂げ、現在の地位に納まった者なのだという。

 尤も、それは百年以上前の情報らしいので、現在の平天大聖は全く分からない。との締めの言葉を頂いていたけれど、こうして面と向かって話し合う内に、そのピンボケした印象は輪郭を増してきている。



(文若の策の実現用に、一定量のマナは確保してなくちゃダメだから……マナ制限きっついなぁ)



 出力が一つに、ストック分が二つ増えて、能力数値、二、三割増加という、実にウハウハな成果だった筈なのだが。細かなあれこれを行うと、一気に限度額に手が届く。

 こうしてみると、まだまだマナが足りないな。と思う事、頻りであった。

 何せ、今の俺は対人無双を可能にし得るであろう【テレパシー】を使用出来ないでいる。

 ふとした弾み、気の緩みで失言取られそうで、逃げ出したい事この上ないけれど。



(『例え心を読めたとて、避けられぬ物事の方が多いでしょう』……ッスか。……たはは、耳が痛い)



 耳から話を聞いていませんが。

 マナ回復してから乗り込みたい。その条件ならば、【テレパシー】っていう便利な力がある。

 そうキッチリ伝えた筈なのが、【魏の参謀、旬彧】から返ってきた言葉はそれであった。

 相手の思惑をリーディング出来たとしても、弁が立ったり、口が達者であったり、駆け引き上手でもなければ、話し合いとは自分の思う方へと進まない場合が多く……。

 ……俺の自力を良く理解して下さった、なんとも痛烈な軍師様のお言葉でございました。よよよ……。





 砂漠と森林の境界線。文若を呼び出した場所で【隠れ家】を使った一泊の後に事に及ぶ予定であったのだが、そこは魏の参謀の助言によって、取り止めた。

 既に賽は投げられている。つまりは、後手に回っている状況であり、それはとても宜しくないとの事。

 そこを何とかして欲しいな~、と思っての【アドバイザー】だったのだが、俺が出来る事を大雑把に説明し尽くした辺りで、『だったら言う事聞きやがれ(要約)』とのご指示であったので、疲労具合が顕著になってきた体に鞭打って、こうして敵陣へと乗り込んで来たのであった。

 戦争は生き物。事象は水物。人の心は魔物なり。今この一瞬は、万金に勝る価値がある、と。

 文若の話を要約し、それっぽい単語にしてみたのだが、話の内容を半分も理解出来なかったから正解かどうかは分からない。……と、高校時代に国語が十段階評価で五という、感想を述べ難い成績であった俺が愚痴ってみる。これって三国志の名言が何かかしら。

 第一は力(頭数や財力等)、次点で速さこそ、物事を有利に進めるには重要な要因だと。王佐の才を持つ者は語った。



 ……それをどうにかするのが、力でも速さでもなく、知力なのではと。



 ぼそっと零してしまった内心に、苦笑と共に文若が答えた。

 武も誇れず、財も切り札と成らず、地位も人脈も不十分であった。故に自分は、知を以って事に当たるしかなかっただけの事。だから、武も財も人材も、今回においては“数”も用意可能な現状は、高等な策など用いずとも、目的を達成出来るのだという。

 戦乱の世の中で、魏という大国を、その知で支えた人物の言葉とは思えぬ発言に目を皿の様に丸くしたのだったが、なればこそ、その言葉の重みも伝わって来るというもの。

 それに、もしもの時には、また一緒に考えましょうと。

 駄目な息子を見るような目で、溜め息姿が幻視出来てしまったのだが、それでも助力してくれるという姿勢に、これはPW以上に癖のある御仁なのではと思うのであった。










 そして、【稲妻のドラゴン】が羽を休め、はや数刻。

 明り取り用の窓から見える光景からは、曇天は次第に方々へと散って行き、夜天が再び現れている様が見て取れる。後方では、意識を取り戻した数名の妖怪が立ち上がり、こちらを遠巻きに、辛うじて神経繋がっているっぽい四肢に力を込めながら、事の成り行きを見続けていた。

 時折、平天大聖の座する宮殿へと踏み込もうとする輩も居たのだが、それも、入り口を塞ぐ形で広間にて鎮座する赤き守護者のひと睨みで動きを止める。

 彼の者の力を身を以って思い知った面々にとっては、効果覿面。結果、危うい平穏は今もこうして保たれ続けていたのだった。



「さて」



 そうして、ここが最後の詰め。



「それでは、対価を頂きましょうか」



 今までの話を纏めるように、平天大聖の声が響く。

 ここを誤れば、俺の思惑は水泡に帰す。そうなれば、残された道は、弱肉強食の摂理のみ。

 体力的にも厳しく、マナストックはゼロ。現存している戦力は頼もしいことこの上ない存在ではあるのだが、だからといって、胸に巣食う不安は拭えずにいる。全力で避けるべき結末である。

 こちらの事情は全て話した。隠し立てするようなものも無いので、知っている内容を全部伝えれば良いだけだった、というのは実にありがたく。

 後はあちら―――平天大聖の要求を、どの範囲……俺が叶えられる程度にまで抑えられるかに掛かっていた。

 俺の陳情を聞き終えて、彼の思考が結論を弾き出す。



「彼の力を」



 白き王の視線が、こちらの後方―――赤竜へと刺さる。

 なるほど、そう来たか。

 永琳さんの時と言い、この平天大聖と言い、強いクリーチャーというのは実にインパクトが強いようで。……俺も彼を初めて見た時は、ビビりを通り越して体に変調を来たしてたもんなぁ。特に膀胱の辺りに。

 確かに【稲妻のドラゴン】ならば、平天大聖の思惑に十二分に応える事が出来るだろう。

 何せ、今の【稲妻のドラゴン】は4/4にあらず。

 緑の真骨頂の内の一つである【パンプアップ】カードを使い、その基本性能を大幅に上昇させていた。

 現在、基本数値の倍である、8/8(多分)。更には、パッシブスキルも一つ付与済み。具体的には【プロテクション(黒)】。

 流石に4/4では心許ないかと思い行使したカード達の力によって、その地力を数段階上のクラスへと押し上げていたのだった。










『古きクローサの力』

 1マナの、緑の【インスタント】カード。

 対象のクリーチャー一体に、ターン終了時まで+2/+2の修正を与える。しかし、特定の期間―――端的に説明すると、戦闘時以外のタイミングで使用するのならば、それは代わりに+4/+4の修正をもたらす。

 この手の【パンプアップ】カードは主に【コンバットトリック】目的で使用される場合が多く、それはつまり、戦闘時に好んで使用されるカードの部類という事になる。そのメリットを破棄した場合にのみ、より好条件が得られる、というカードがこれ。

 カード名にもなっている、この【クローサ】とは、MTG世界にある、とある大森林地帯を指す。そこに住む生物は元々、一般的な森林よりも粗暴で荒々しあったが、然る人物が原因で、住まう生物が一様に巨大化。ますます危険度が上昇した。

 現在は、ネズミですら熊を凌ぐ巨体となった、通常の倍以上の体を有した獣達の暮らす、破壊音の絶えぬ新緑の地である。










 リン、文若と別れ、平天大聖が支配する森林地帯に侵入を果たした直後。

 全長二十メートルを超える【稲妻のドラゴン】に勝るとも劣らない図体であった、名も知らぬ白い大鷲―――ロック鳥だろうか―――を、遠く、視界の先に捉えた時の事。

 明らかにこっちを見て殺る気満々な近づき具合から見て、【稲妻のドラゴン】と図体が同格っぽいから、力も同等なのでは。と考え、それは拙いとの結論に至り。

 残り1マナで、現在の条件に合い、尚且つ最大限の効果を発揮してくれそうなカードとは。を考えた末に、戦闘前だから……と、そのカードを使用した。

 一騎当千達の跋扈する地において、4/4とはそこまで無双出来る力量ではないかもしれない、とその時に思い直し、元々赤竜に備わっている【火吹き】よりも効果の高い【パンプアップ】をもたらすカード、【古きクローサの力】を使い、数値としては倍のステータスを実現させようとしたのだった。



 元々、望んでいたのは数値修正のみ。

 戸島村での件―――【ハルクフラッシュ】使用時に発覚した、【パンプアップ】能力の不透明さに使用を避けていたのだが、短い期間であったけれど、月で永琳や依姫との関わり―――実験やら戦闘訓練やら生贄要因ゲフンゲフン―――やらの際に、おぼろげながら、その制限が見えてきていた。










 ●プラス、マイナス修正を与える能力、カードは相乗効果を成さず、一つの対象に一つの効果しか及ぼさない。全体修正についても同様。但し、修正値以外の効果(【飛行】や【プロテクション】等)は重複する。










 じゃあ【屍肉喰らい】とガチンコしていた鬼の一角は2/2だったのかと、疑問の尽きない回答であった。自称、鬼の中では真ん中辺りの実力だと説明されたけれど、鬼の中級ランカー? が2/2とか、鬼はどんだけ弱いんだよと。それとも東方プロジェクト固有の力、『~である程度の能力』で補っているんだろうか。今度会ったら、本人にその辺を尋ねてみようと思う。

 以上の理由を踏まえて、単発で最大限の修正を……現状で最も効果を発揮してくれそうなカード【古きクローサの力】を使った訳なのだが……。



(体にまで変化が起こるなんてなぁ……。【クローサ】の名は伊達じゃねぇぜ、ってか)



 積み重なる疲労によって、立つ事も億劫になりつつある最中。光に包まれ、一瞬にして巨大化した【稲妻のドラゴン】が現れた事に、思わず眼を見開いた。

 やたらと面積の広くなった背中を見渡しながら思ったのだが、あまりに大き過ぎる彼の背中が、二倍、三倍どころか十に達しようかという体躯になった【稲妻のドラゴン】は、翼のひと扇ぎで暴風を撒き散らし、羽ばたきは地上の細身の木々すら圧し折らんとする存在へと様変わりを果たした。

 巨人の一歩は、小人の万歩。

 実は音速に突入したのではと思える速さで、【稲妻のドラゴン】は巨大怪鳥と接敵を果たし、正式名称も分からない謎の白い鳥さんとの刹那の会合は、二百メートルを超える体となったドラゴンのひと噛みで、一瞬にして終わりを告げる。

 遠目であったが、どう見ても俺達にちょっかい……以上の敵意を向けて来ていたので、一応は正当防衛になるのだろうか。気分的には、猪とか熊を追っ払った心情である。

 何の苦も無く、骨すら瞬きの間に噛み砕いたであろう強靭な顎によって、小さく咲いた花火……のような血の雨を空に創り上げ、僅か二口で、哀れな妖怪鳥は赤竜の食欲の犠牲者となったのだった。

【古きクローサの力】であれなのならば、それよりも更に高い修正値を与える―――嘗て、緑の【パンプアップ】呪文の切り札的存在であった4マナの【インスタント】を使用した日には、あまりの光景に眩暈すら覚えるかもしれない。



(マリさん見ておいて良かったかもしれん……)



 あの全長がキロにまで達しているであろう山の如き姿を見ていればこそ、後々に呼び出すかもしれない巨大クリーチャー達に耐性も……ある程度は出来るというものだ。

 具体的な数値は分からないが、町一つを覆う。とか、島をひと呑みに。なんて【フレーバーテキスト】な御方達がごろっといらっしゃいました。勿論、それ以上も。

 カード使用の際には何処まで再現するのかは未知だが、そう考えると、寧ろマリさんは小さい部類である可能性が高い。



(マリさんが小型の部類……)



 やってらんねー。

 投げ遣りな気持ちは疲労感によるところも大きかったのだが、自分の可能性が見果てぬ境地にあるという事実から生じた、喜びの感情からもたらされるもの。感想とは裏腹に、感情は明るい色に染まっていた。

 星の数ほどある可能性の内の、たった一つの項目ですらこれなのだから、知るべき事の多さに―――それを知り得た後の高揚を想像し、胸を高鳴らせつつ。



「―――それは、彼に尋ねてみませんと」



 いつか、勇丸に言った台詞だと思い返した後、雑念を振り払う。

 首を後ろに。開かれた扉の先、黒の平穏が支配する広間にて、【稲妻のドラゴン】は横たえていたその体躯を持ち上げた。

 月と星々が徐々に陰る。

 彼の行動が天候に左右するのか、感情が呼応するのか。再び雲が夜空を埋め始めていた。

 ビクリと体を震わせて、弱腰の臨戦態勢を取る、虎の表皮やら、牛頭やらの、名も知らぬ妖怪達。

 ビックリ人間コンテスト会場か、とある季節の有明か。はたまた、ハリウッドのB級製作スタジオにでも紛れ込んだのかと見紛う光景だったけれど、それも、ああもへっぴり腰を見せ付けられた日には、一種の慈愛すら抱いてしまいそうである。

 赤竜から微弱な閃光。帯電現象。

 念話は伝わって来ないが、そこは拒絶の色が見て取れた。

 ……やるなら誰にも指図されずに、一人でやりたい。という感情から派生した回答のようであったのは、目を背ける事にする。うぅ、やっぱりその辺りはドラゴンさんなんですね。



「おっと。誤解無きよう」



 こちちのミスリードを誘っておいて、それを一頻り楽しんだ後、平天大聖は制止の声を掛けて来た。なんともはや。良い性格してやがりますね。



「何も、永久に隷属しろ、とは。我らはいずれ、天界へと攻め入る算段なのですよ。その折にご助力を、と思った次第。ええ、それ以外の何ものでもありませんとも」



 ……あれ。今、サラッとヤバ気な発言を耳にしたような。

 くつくつと。不敵に笑う様は、俺が翻弄されているのがツボにでも入っているんだろう。あるいは挑発の類なのかもしれないが、何にしても、実に楽しそうな声色でございます。

 それを受ける側のこちらの気分は良くないが、無理を言っているのはこちらなのだ。これくらいで済むのなら、寧ろ、安いものである。

 ただ、仮にも天界……神様への殴り込みに加担するのは、躊躇うものがある。

 縁も言われも無い地の事なれど、それを快諾するのであれば、そもそもの妖怪であるこの平天大聖へと、殺す殺さないレベルの喧嘩を吹っ掛けている。

 妖怪であるという点で人間の敵である場合が殆ど。俺自身も手心を加える余地は減少している節があるのだが、それでも、その相手に何かの害を受けた訳でもなく、その者達によって大切な何かが傷付けられたという訳でもない故に。

 そんな事をする気は、現状ではさらさら無い。



「それは……」



 こちらの重い口調に呼応して、白き王の表情がますます艶やかに色付いていく。



「―――しかし、流石にこれは受け入れ難いと見える。良いでしょう。こちらの領地にただの一人も足を踏み入れないと仰るのであれば、こちらからは手を出さぬと、我が名に掛けて誓いましょう」



 あたふたする様子を一通り楽しんだ後で、予め用意してあった言葉を付け足したかのように、補足を入れて来た。

 全く以って嫌らしい言い方である。勉強になります。……出来れば、生かす機会など巡ってきて欲しくないものですが。

 内心、口を尖らせて、遺憾のイならぬ不満のフの字を密かに表明中。語呂は良いが意味不明。こうでもしないと、気持ちのやさぐれ度が上昇し過ぎて困ってしまいそうだ。見えないところでストレス発散です。



 ……だが、あまりにこちらの要望が通り過ぎている事に、俺の疑念は膨らむばかりで。

 例えばこれが、氷の妖精やら元お地蔵様な裁判官などであったのならそんな事は無いのだが、不良天人娘やら幾匹もの鮫を足蹴にした兎やら、後、スキマ妖怪等の延長線上に思えてならないのは、どう見ても約束を完全に守る気概が見受けられないせいだろう。

 あちらからしてみれば、自国に侵入された場合は言わずもがな。国境の外側であっても、自国に侵略予定の軍隊を編成されているのは、厄介……かどうかは分からないが、気分は良くない筈である。

 それが、からかわれているとはいえ、こうもこちらの要望通りに進むという異常事態。絶対に裏がある。そう思わずには居られなかった。



(でも安心! 今の俺……達は【恭しきマントラ】の効果で【プロテクション(黒)】を付属されちゃってますので!)



 このお方が黒ならば。という前提ですけどね……。

【ピッチスペル】の恩恵でマナは消費しなかったけれど、それでも4マナ【ソーサリー】使用分の体力はキッチリ持っていかれた訳で。お陰で、使った直後は意識が飛びそうになりました。気絶しなくて良かった良かった。





 ―――この時。一瞬だけであったけれど、八意さんから貰った腕輪が熱を持った。

 それはすぐに体温の範囲内へと落ち着いて、普段通りの装飾品へと、時が巻き戻ったかのように何事も無く。

 どうやら、この腕輪はかなりシビアな発動条件になっているようで、壊れていなくて良かったと思う反面、もう少しリミッターを解放しておいて欲しかったと思うのであった―――





 単発呪文は継続的に体力を消費しないので、そういう面では有利である。

 大聖って名だから、白か黒かで悩んだけれど、そこはリンの話を参考に、『妖怪だったら黒でしょ』との、鬼の一角と同様の流れで黒を選択。

 そしてこれには、リンを始め、【稲妻のドラゴン】にも与えてある。8/8【飛行】【プロテクション(黒)】とか、特に妖怪が……色が黒と部類される相手では、滅多な事では最悪の事態にならないだろう。MTG上でもエンドカード(ゲームを終わらせる可能性の高いカードの事)級だ。



「そう仰っていただけて―――「―――但し」―――……はい」



 感謝の言葉を最後まで言い切る前に、ピシャリと話を止められた。



「私もあなたに同行させて頂きましょう。何、邪魔立てする気はありません。赴くのは私一人。事が起こった場合には、後方にて静かに眺めるだけに留めるつもりですとも」



 ……胡散臭い。

 あまりに胡散臭過ぎて、もうこのまま一発殴って気絶させてふん縛って、何かされる前に行動不能にさせたいくらいに胡散臭かった。



「それはまた……何故でしょうか……」



 頬を吊り上げ、歯を覗かせて。

 そのままウィンクでも行いそうな笑いの顔を造り、口の前に人差し指でも添えそうな声色に乗せたかと思えば。



「―――秘密です」



 ……マナが回復した暁には、真っ先に【テレパシー】を使おうと思った一言であった。細身の中世的な顔立ち……美形がやると何とも様になるので、その綺麗な白い肌(額)に、いずれ、肉、と。頬にはナルトマーク追加……を書いてやりたくなる。油性ペン(極太)で。



 一先ず、行き先不安……どころか、暗雲がもうもうと立ち込めている終着点であったが、それでも何とか話は纏まったようだ。



「……それだけで済むのでしたら、感謝の言葉もありません」



 ありがとう、との言葉を取って付けて、音に乗せる。

 裏は兎も角、表面上は話を飲んでくれたのだ。

 どうせ『それ“だけ”は守りましょう』とか『約束を守った後は知りません』的な、揚げ足取りまくりの取り決め事であるのだろうが、ここでそれを突っ込み過ぎて、自らを窮地に追い込む事は無い。

 もしもやるのなら、少なくとも、マナが回復してからだ。藪を突いて何かを出す必要は無い。



 平天大聖が片手を挙げる。

 途端。柱の影にでも潜んでいたのか、二人の女性が姿を現した。

 平天大聖には劣るが、その白は肌理細やかな絹の輝き。

 純白のチャイナドレスを着こなして、流れる銀髪が衣類と相乗効果を生み出し、実に良く栄えている。

 一方はどう見てもサイズの選択を間違えただろうと突っ込みたくなる―――むちむち(死語)な四肢を魅せつけて、もう一方は大変バランスの良い体を豹を思わせる動きで現し、その場に佇む。

 両名とも猫目の双眼が、人間でない事をしっかりと物語っている。

 その美貌は、男を堕落させるサキュバスのように。東方キャラでは無いにしても、ともすれば、その者一人で領地の一つや二つ程度なら得られよう程のものだろう。



「夜も更けてまいりました。部屋まで案内させましょう。……後は、案内役諸共、ご自由にして頂いて構いませんので。ただの人間では決して味わえない世界をお約束致しましょう。―――お前達」



 自らの王へと振り返り、一度頭を下げる。

 面を上げ、向き直り。こちらに近寄ってくると、幻想の里に誘う妖精のような笑みを浮かべながら、こちらの両の手を左右一人ずつ握られて、夢遊病患者のようにふらふらと宮殿の奥へと連れて行かれた。



 ―――否。連れて行かれそうになった。



 こちらの手に侍女達の手が触れる間際、一筋の閃光が走り、宮殿内を突き抜ける。

 それは寸分違わず女達へと直撃し、その体を白き王の元へと滑らせた。

 が、そこに横たわる筈の人の体は見られない。

 変わりに、二メートルに達する胴の長い白蛇が、その体から微かに白煙を上げていた。ピクピクと口から出した舌が痙攣している様を見るに、まだ息はあるようだ。

 悲鳴すら上がらない。聞こえたのは、落雷が空間を掛けた音のみ。

 ここに来て漸く、平天大聖の顔から愉悦の色が抜けた。

 目を大きく。ほう、と短く、息を吐く。



「―――俺に触れるな」



 声は静かに。腹の底から響く様に。

 疲労から来る脱力と、新しく加わった別の何かに支配された表情は、暗く、冷たく、何の色も灯さない。



「これは失礼しました。案内“だけ”させましょう」



 やや遅く、再び柱から現れる銀髪の蛇妖怪。

 多少の差異はあれど、先と同様の絶世の美女ではある。……のだが、その顔は恐怖に染まり、後少し何か刺激を与えれば、脱兎の如く走り去る事請け合い。

 男を客室へと導く為に先頭を進む様は、宛ら、十三階段に足を踏み入れた囚人。

 片や召喚者本人は、雷撃を放った赤竜に目配せをし、雷雲立ち込める夜空―――上空へと登らせた。

 維持するにも色々と限界が近く、上空へ飛ばし、その後に還す事で、傍から見れば、あの赤竜が常に大空で待機している風に映るだろう。との考えである。

 何の重さも感じさせず浮遊し、直後、忘れた重さが舞い戻る。

 吹き荒れる暴風に幾人かの妖怪が宙を泳ぎ、あるいは山を転げ落ち。

 風に弄ばれている間に、それを指示した者は先を行く侍女の背中を、足取り重く追随する。

 背中に受ける、再び造られた、獰猛な笑み。

 今までで最も平天大聖の妖怪らしい喜びの形をした視線を感じながら、九十九は完全に無視を決め込み、足を進めるのだった。



(うっわー妖怪だけど美人さんぶっ飛ばしちまいましたよ!? やっべ生きてますかあれ!? よく交渉決裂にならなかったな! ってか攻撃ピンポイント過ぎ! 感電死しなくて良かったよホントに! お前の攻撃【プロテクション(黒)】じゃ防げねぇもんよ!)



 ―――召喚者を守ろうとした【稲妻のドラゴン】の行動を、どう正当化したものか一瞬で悩み抜いた末の行動は、どうやら吉と出たようであった……という、雑多な思いが多々混じった思考は、当人の中から溢れ出る事は無かったという。





 ……そんな出来事など霞の如く。

 部屋に着いて一分も経たず、『あ、もう寝ますんで』と。

 柔らかな寝床で爆睡する男に、篭絡の任を伴っていた白蛇精と呼ばれている妖怪は、添い寝どころか、寝床へ近づく事すら成しえずに。

 結局、とうとう一睡も出来ずに、時折寝返りを打つ男の一挙一動に怯えながら、部屋の隅で魂の擦り切れるような一夜を明かしたのだった。



 それも当然。

 彼は就寝に入る直前に、更に一体。とある0マナのクリーチャーを呼び出して、警護に当たらせていたのだから。

 客室には、男の寝息と、心の臓が酷使されている女妖怪の脈拍と。金属と金属の擦れ合う音に、無機質な顔……と思わしき紋様が、周囲を一寸の油断無く探っていた。……特に、銀髪の蛇女を凝視するように。

 人間の男の三倍に届く身長と、自動車を二台並べた位の幅を有する、命無き機械生物、【アーティファクト】クリーチャー。

 大きな筈の客室は今、その者―――銀色の巨大蛸のような金属のカラクリによって、その主が目覚めるまで、支配され続けるのだった。















「この辺りだった筈なんだが……」



 確認の意味を含む呟きは、風を切る音によって掻き消える。

 地上高、ゆうに百メートルを超える高度を飛び続けている。今現在。

【稲妻のドラゴン】に騎乗……いや、あれは搭乗か―――していた時よりも、大分、趣の違う様であった。

 何せ、あれで移動していた際には回りの景色など見る余裕もなく、見える景色も曇天と雷鳴によって遮られていた。何より、生まれて初めての鳥の真似事は、臓腑が浮き上がるという、形容し難い体験によって、周りの様子などに気を配るなど、どだい無理な話。



「ん」



 見つけた。

 草原地帯よりもやや離れた、一面砂だらけの小高い丘。

 よくよく観察すれば不自然に盛り上げた印象を受けるが、そんなもの、絶えず熱砂の吹き荒れる大地では目を見張るものではない。

 目印としても目立たない、ここ―――この小山の、その下に。



「よっ、と」



 これに乗って、数時間。扱い方は、もう慣れたものだ。

 空を飛ぶという、羽を持つ者達の特権を、今の自分は有している。

 蝙蝠の羽と、それを支える細い金属棒達。

 徒歩での移動は時間が掛かるだろうからと、ツクモが僕に与えてくれた、カラクリ翼。

 自動だとか、機械的な判断だとか、彼はそんな風に言っていたか。

 こちらが何処に行きたいか。何をしたいのかを察して、右へ左へ、上へ下へと、自由自在に空を駆けるこの羽は、【羽ばたき飛行機械】という……どう聞いても総称だと思うのだが……そういう固有の名前の代物らしい。

 見た目に反して、昆虫のような細かな羽ばたきではなく、鳥類のそれ。

 高度を下げるよう体を傾ければ、迅速にそれに応えてくれる。

 風に守られているように着地を果たし、目を凝らして回りを見渡せば、一つ、二つと、人間の幼子がやっと通れるくらいの小さな穴が見受けられた。

 今目に付く箇所はそれだけだが、探せばこの穴は、それこそ無数に存在している。





 ―――ツクモが壮年の男を呼び出した光景は、今でも目に焼きついている。

 あの竜にしたって、この【羽ばたき飛行機械】にしたって。ほんと、どうやってこれを成しているのか不思議でならない。

 そこまで多くを生きていないとはいえ、こんな力を持つ神も仙人も、ましてや妖怪ですらも、噂の欠片すら耳にした事などなかった。



(しかも、もしあれが本当なのであれば……)



 彼が召喚したという男。言葉の端々から零れた単語は、旬彧。

 旬彧……そう。恐らく、あの旬彧だ。

 母の為になればと。戦に関連する資料を読み漁る内に知り得た知識の中には、その者についての内容も含まれていた。

 旬文若。数百年前に故となった人物。戦国の乱世にて活躍した、類稀なる才能を持つ御仁。

 覇王を覇王たらしめる、数多くの有能な人材を推挙した、王佐の才を持つ者。

 自らも、他とは一線を引く智謀を持ち、国の、彼の結末はどうであれ、少し歴史を齧った者であれば知らぬ者など居ない有名人。



(……まさか)



 様々なものを招き寄せている、その有様。

 冥府の門を自在に開閉するかの如き力。

 失われた生命を司る存在は。



(冥界の―――)


 で、あるとするならば、それは最高神に次ぐ者なのではないか。

 戦、太陽、そして、生命。

 他にも色々とあるが、人の営みに関わる者は、その信仰の度合いが顕著。神位はかなり上の筈である。



 ……だが、それもおかしな話だ。

 仮に、彼がこの地の冥府の神、ヤマであったとしても、死者をああも容易く現界させられるものなのか。

 古来より死者とは決して戻らぬ者として言い伝えられている。

 西でも、東でも。如何な地の神であるとしても、それは、まず覆る事の無い定めであった筈。



 惜しむらくは、東洋の地の冥府の神の名を知らない事か。

 少なくとも、ツクモ、などという神の名は……



(……あ、れ?)



 居た。

 確か、そんな名前の神が居た筈である。

 的確にそれ、とは断言出来ない記憶であったが、確か、確か、そう―――



(大陸の遥か彼方。東方の、最奥。極東と称される地で、万物に……)



 ……万物に……の……? ……はて。その先は何であっただろうか。

 兎にも角にも、万物と単語が付属するくらいなのだから、ともすれば最高神当人である可能性も捨て切れない。



(……あ、でもそれは無い……ような?)



 先の考案が正解であれば、その地の神々は何と頼り無い支配者であることか。

 文若から教えを受けていた時のツクモは、それはもう、粗相をした幼子が乳母に叱られる様を連想させられるもので。

 彼の軍師が何を言っているのかは不明であったが、一定の間隔でツクモが『はい』『仰るとおりです』『すいません』等の言葉を発していた事から、神通力か何かで会話をしていたのではないかと予想出来るものだった。



(人間に叱られる神……か……)



 謎の多い……というより、謎しか残らなそうな人物だが、それでも。

 小さな小さな。それこそ、神から見れば道端に転がる小石のような存在の自分にも、謝罪をし、助力をし、頭を下げた者である。

 それが発した言葉が偽りであるという可能性は、考慮にすら値しない。





 彼ら―――いや、彼か―――が出した答えは、二通り。



 一つは妖怪側である平天大聖―――ひいては七天大聖へと働き掛けて、戦の規模を制御する事。

 一つは人間側であるウィリクの国の軍隊を阻止する事。



 もっと時間があれば第三、第四の案を用いれたらしいのだが、自分の情報を元に魏の筆頭参謀が出した答えが、早くて一週間。遅くても一月以内には、戦争が始まるのだというものであった。

 妖怪側への対応はツクモがするとの事。

 危険度も高く、成果も最低限の線しか達成出来ず、これのみしか達成出来ない場合には、下策とも言える案であるらしい。

 しかしそれも、人間側への対応を受け持った自分が成功すれば、上策へと変貌を遂げるのだという。

 こちらの成す事。それは、軍隊の兵糧を失わせるという策。兵糧攻め、というらしい。

 万に届く人の群れであれば、衣食住の内、生命に直結する食の喪失は、即ち……死。

 但しこれは一時凌ぎにしかならず、二度目からは対策を取られ、困難になるのだという。

 事を思うように操る術を策と呼ぶのだが、文若からしてみれば、これは策と呼べるものではないと。ツクモは文若がそう言っていたと漏らしていた。

 だが、とんでもない。

 今の今までそれすら思いつかなかった自分には、青天の霹靂にも似て。

 戦とは力と知恵の競い合いであり、戦闘という行為、それのみに固執していた―――してしまっていた自分の頭からは、終ぞ出ない答えであった。

 刻々と迫る時間制限に、視野が狭まっていたというのは言い訳にしかならない。それでも、何とか手遅れにならずに済みそうであるのは、まさに行幸と言える。

 実行するのであれば、夜。

 暗闇に乗じて、静かに、音も無く。

 燃やすとも、毒を混ぜるとも違う、純粋に食べ尽くすだけという、単純な行いは、単純であるが故に、何にも増して効果的な戦果を上げる事は容易に想像出来た。

 けれど、それを成し得たのであれば、一夜にして消え去った食料に唖然とし、戦意を失う人々の光景が見られるだろう。



(もう、お母様の元には居られなくなるだろうけど、ね……)



 そして、この世からも。

 この点は、ツクモも文若には説明してはいなかった。そこまで考えが及ばなかったのだろう。目標を達成する点だけを述べただけに留まっている。

 万の兵糧を食べ尽くすとばれば、自分達が―――ネズミが行ったという証拠が必ず残る。

 これが自分の配下だけならば、そんなことはない。足跡から毛の一本に至るまで、痕跡など発見させない自信があった。

 けれど、これから行おうとしている兵糧攻めには数が足りない。故にこうして、懐かしの古巣たるネズミ塚へと舞い戻り、協力を呼び掛ける為、訪れている。



(成功すれば……)



 最後の記憶では、三十万近い同胞達が暮らしていた筈だが。今はもう少し増えているかもしれない。

 全員が協力してくれる訳では無いだろうが、その二割でも協力してくれたのなら、策は成功するだろう。

 ……しかし、言ってしまえば彼らは単なるネズミであり、そこに繊細さを求めるのは難しい。それが数万に及ぶのであれば、尚の事に。



 もしこの作戦が成功したとしても、時が経てば、それは女王の娘の立場に納まっていたこちらへと向き、それを養っていた母へと糾弾が及ぶ過程が簡単に思い描かれた。

 名立たる豪商達は、嬉々として王家を引き摺り下ろし、挿げ替えた首を掲げながら、自らがその立場へと居座る事だろう。

 それを未然に防ぐには……



(使い処が問題……か)



 折を見て、自らの死体が大衆の目に晒されるか、女王本人が、この命を奪ってくれるのが最も好ましい。

 前者が成されれば追求対象を失う事になり、後者が起これば、難しいのは目に見えているけれど、女王の立場は、軍を撤退に追い遣った妖怪の討伐という成果によって、強固なものになるだろう。

 一度は失ったようなもの。それを救ってくれた相手に捧げる事に、何の抵抗があろうか。

 元々命の対価すら考慮して行動していたのだ。今更、それに何ら不満は無かった。寧ろ、あの人を助けられるのだという可能性が現れた事に、感謝の念が堪えない。

 ……堪えない……のだが……。



「……ぷっ」



 その感謝するべき相手は、数刻前までとくとくと、文若に説教を受けていた。

 しゅんとしながらペコペコ頭を下げる様は、こう、妖怪の本能を的確に刺激される光景であった。もし機会があるのなら、今後は自分であの光景を作り出したいと思う。

 断片としてしか理解が及ばぬが、ツクモの策にダメ出しをしていた事だけは察せられた。

 ただその者も、この策においては、まだ出来る事がある筈だと言っていたらしい。



『低コストの【アドバイザー】なら他にも居るんだけどな。ほら、ここってアジアっぽいじゃん? だったら、ホームグランドな御方達の方が、俄然有利かなと思ったのですよ。地の利ってすっごい重要らしいし。NHKとかディスカバリーチャンネルとかで、そう言ってた』



 草原で初めて出会った時に差し出された食べ物、サンドイッチの解説を受けた時と同様に。

 色々と未知の単語が出てきたけれど、アイスの時と言い、その辺りは今更であったので、特に気に留めるものではない。分かる範囲だけを聞き入れて、吟味すれば良い。



(……む。追求すべきは、別のところだった)



 地の利等を生かす為に、彼の魏王の側近中の側近を呼び出したというのだが、その者は最後に、ある意味で自分の策を否定するような言葉を発したのだという。

 王佐の才を持つ者が、己が力不足を進言し、完遂してくれるであろう者の名を上げた。自分ではこの地に明るくない。されど、その地に近しい者なら知っている、と。

 その名を聞いた時の自分は、それはもう、ツクモと出会って何度目か分からない驚きを顕わにした。

 何の知識もなく知ったのであれば、何を馬鹿な。と、一笑の元に伏していた話。

 けれどそれは、彼が魏の軍師を蘇らせた事実を目の当たりにした事で、信じるに足る言葉へと変わっている。



 期限は短い。

 三日か、四日か。

 持てる知識と話術の粋を結して、この地の同胞達を束ねなければならない。




 ―――そう。これは、とある軍師“達”の一計。

 敵であったからこそ熟知し、互い、ある種の信頼の域にまで知り尽くした者同士が織り成す―――宛ら、赤壁の再来。

 それを伝えた時の文若は、胸の内に込み上がる言い様も無い感情を抑え切れなかった。

 昨日の敵は、今日の味方と成り得るのか、否か。

 かつて自らの国の覇道の完遂を、最後の一手で防がれた、憎々しくも素晴らしき、神ですら読み切る事など不可能な、その策。

 名を、連環の計。




「―――やってやるさ」



 凛、と。

 和名であったのでれば、まさに自らの名を体現する姿勢を取りながら。

 己が古巣へと、小さな体に大きな大志を宿し、小さな、幼き賢将は、その第一歩を踏み出した。





[26038] 第47話 悪乗り
Name: roisin◆78006b0a ID:ba167160
Date: 2013/11/04 23:11






「ツクモ……」



 上がる声には、疑問と、恐怖と、懸念の片鱗が。



「……言いたい事は分かっております」



 見上げた空は青く、降り注ぐ日差しは強く。

 雲一つ無い、とはこの事か。好き嫌いはさて置くとしても、初対面同士で行う事が一つあったなと、ふと思った。

 然して特別なもんじゃない。ただの……自己紹介である。



「……え~、こいつはリン。見て分かると思うが、ネズミの妖怪。最近成ったばっかりの、若輩中の若輩」



 だよな? との確認の視線にも、肯定も否定もない……というより、俺を全くと言っていいほどに視界に入れていない少女が一人。

 無視かいな。まぁ、その反応も充分理解出来ますので。スルーされた心の痛みは、いずれ消化されるまで、胸に深くしまっておくとしよう。



「で、こっ……ちらが……」



 チラと見る。

 相も変わらず楽しげに口元を吊り上げているこのお方が。



「初めまして、小さき妖怪。―――名乗りは必要ですか?」



 うわっ、リンの顔から血の気が引いている。

 元々白かった肌が、見る見るうちに、青へと様変わりです。

『百年は姿を見ていない』とか言ってたくらいだから、初対面なのは確実なんだろうが、滲み出るボスオーラと今までの過程を結びつけた結果、目の前の者の格を直感で理解しちゃったんだろう。



「止めて下さいってホントにもう……」



 無駄だと分かってはいるが、一応、抑止の声を掛ける。

 疲労が残った顔をそのままに、再度、リンへと向けた。



「その様子で察しているとは思うが、一応な。……この度、俺達の案に協力してくれる事になりました、妖怪勢力の纏め役。平天大聖です」



 はい握手。とか言ってみたいが、それをしたら、平天大聖は兎も角、リンの心臓がショック死しそうなので自重する。かくいう俺だって、第三者だというのに心臓苦しいです。後、頭痛。

 まだ余裕はあるが、こんな事態が続けば、こめかみに筋が浮かび上がったり、頬なんかがピクピクするかもしれん。



 白い王様は変わらず笑みを湛え、逆に、リンは更なる恐怖で顔の青さを増していた。

 このまま行けば、ウォルトさんが製作を手掛けた作品に登場する、三つの願いを叶えるという某ランプの精並に真っ青になれるんじゃないだろうか。



「平天大聖。ちょっと……」



 これだけで、俺が何を言わんとしているのか理解してくれたようだ。

 分かりました。と俺達の脇を通り過ぎ、黒い草原の方へと歩き出す。多分、素直に従ったのは、インターバルを用意した方が、反応が良くなるからだろう。新鮮な恐怖心、という奴かもしれん。……お前は何処のフェイトな青髭ですか。



「……リン、大丈夫か?」



 流石にこれ以上フォローしないのは拙い。パっと見の範囲でも、もはや限度を超えている。遠くへ……少しでも離れていてくれた方が良い。

 面と向かって対峙されるよりは、雲泥の差であっただろう。



「……正直、今にもへたり込んでしまいそうだよ」

「悪かった。次からは気をつけてもらうように言っておく。……聞き入れて貰えるかどうは別だけど」



 聞き届けて貰えるよう願っておくさ、と。

 諦めの言葉に乗せて、リンは希望を口にする。



「それで……」

「あー、うん。その辺は色々あった訳なんだが……。見ての通り、平天大聖がいらっしゃいました」

「……はぁ」



 何ですかそのあからさまな溜め息は。こっちだってハァしたいってんですよ?



「条件としては破格だったんだぞ? 俺達のやる事を見学させろ、ってだけなんだから。……今のところは」

「反故にされるか、後から何を吹っ掛けられるか。もう、今から頭が痛いよ」

「その辺りは【プロテクション】である程度は賄えると思うんだが、それには俺も同意させてもらうわ……頭痛がする、ってところにも」



 どちらからともなく漏れる、再びの諦めの吐息。

 その原因たる妖怪の王は、無数の命が蠢く何かの一帯の手前にて、それを興味深そうに静観している。

 王が向ける視線の地点が、まるで空爆でも受けたかのように四方へと散っていくのは……とっても可哀想。俺も直で対面したから分かる。怖いもんなぁ、あの全身這うようなサド目。



「それで、だ」



 脈絡を断ち切る風に、そう切り出す。



「あれが、リンの成果……か」



 平天大聖が目を向けるそれ。黒とも、灰色とも、茶色とも。少数ではあるが白も混じり、暗めの色しか思い浮かべていなかったので、若干意外な印象を受ける。

 空以外の色が一面それらの命で埋め尽くされている光景に、これからの事を考えると、戦慄を覚えずには居られなかった。



「あぁ。元々、僕らは人間達に対して良い印象を持っていなかったからね。それに、自分でも言うのも恥ずかしい話ではあるけれど、こう見えても僕は、同族の中では中々に顔の効く立場なんだ」

「……まさか、ネズミの中でもお姫様だったとか?」

「違うさ。ただ単に、僕が妖怪であるから、というだけだよ。でもね、幾万の同胞の中でも、妖怪になれる者は、それこそほんの一握り。羨望の対象、と。言葉にすれば、そんなところかな。……それに今回は、君の存在も利用させてもらっているしね。でなければ、これの半分以下も集らなかったと思うよ」

「……俺?」



 何かやったか。と思うが、空飛んだり食べ物出したりドラゴン呼んだり色々やっていたので、理由の特定は断念する。心当たり多過ぎです。お前は今までに食べたパンの数を……なんて幻聴とか聞こえてきそう。



「ああ。―――的確にそれ、とは言えないけれど、君は東の地に住まう、名のある神なんだろう? 畜生と貶められている僕達に助力してくれる神は、今の今まで一神として現れた事など無かった。本当はあの赤竜を皆に見せて、より強固な信仰を得たかったんだが、それでも、今こうして集っている同胞達は、自らに救いの手を差し伸べる存在に、少しでも力になれれば。と応じてくれた戦士達だ」



 優しげな表情を引き締めて、真剣なものへと塗り替えて。

 片足を下げ、片手を胸に当て。

 膝をつく―――傅く姿勢を取ったリンは、頭を垂れ、瞼を閉じたまま。



「―――我ら、ダン・ダン塚の悪食ネズミ。馳せ参じた五十万、飛んで三十三の戦士の命。君に―――あなたに、預けます」



 姿勢は崩さず、すっと顔を上げ。



「……出来る限りで構わない。彼らの想いに応えてあげて欲しい」



 精一杯の誠意を。

 頼りなさ気であった体からは、覚悟の文字が浮かび上がっている。

 知らぬ間に何かのハードルが上がっているんですが。重さドンッ! 更に倍! 的な。記憶にあるネズミご御一行様の居住圏内―――コロニーは、精々が百前後のものだった筈。

 五十万ちょいのネズミとか、千葉市か熊本市丸々一箇所。大企業の人数と比較するのなら、ホンダの倍以上。アップル・コンピュータ(旧名)の約七倍。どんだけ掻き集めてきたんだと、驚きの声を噛み殺す。

 期待に応えてあげたい気持ちは充分にあるが、それにしたって、限度があります。

 困った。何故だか、またも神様扱いされてしまっている。大和の国で散々言われてきた事とはいえ、やはり人外の力の行き着く先は、その手の存在なんだろうか。

 異能を持つだけの人間だと、道中、リンにそれとなく言っておいたのは効果無かったようである。

 こういうのは否定だけの回答で暈すよりも、ビシッとそれ。的な断言の方が有効そう。



(こりゃ、マジで何か説得力のある役職か種族か決めておかねぇと駄目なんかな……)



 今もそうだが、この分ではどんどん過大評価され兼ねない。勝手にハードル上げるのを止めさせなければ。

 噤む口から零れる唸り声。濁点付きの、むむむ、なんて擬音が適切か。

 この一件が終わったら、その辺りを真剣に考えてみようと思う。諏訪子さんへの報告の次くらいの順位で。

 ……お膳立ては整った。やる事やるかと、大きく深呼吸。

 吐き出した空気の代わりに、やる気という気体を胸に吸い込んだ。





 ―――意図せず舞い込んできた使命感を軸にして。けれど、それを偽る気は無いと。

 面食らって、内心でふざけた反応をしてしまったけれど。少し時間が経てば、それが例えネズミのものであれ、誰かの命を預かるという責任が、重く、全身に圧し掛かる。

 けれど、こんなもので折れて堪るか。

 この小さな少女の泣き顔を止めたくて始めたのだ。それに応えずしては、男が廃る。性根が腐る。ミシャクジの統括者に貰った名前、九十九としての仁義が悖る。ならば、とことんやってやる。

 ここで逃げ出してしまっては……一度逃げ出せば、後はずっと、逃げ続けるだけの人生が待ち受けているだろうから。

 なれば、後は一つ。

 心の底から応える気概で、返答を口にする。



「分かった。―――任せとけ」



 これで、二度目か。

 責任回避がデフォルトの自分からは想像も付かない台詞だと。ふと、そう思った。



「……さ、て。こうして使える手札が出揃った訳ですし、いっちょ始めますか」

「あぁ、彼を……招く? ……んだったかな? 話を聞く限りでは信じられないことだけど、あの覇王を支えた者を見た後では、ただただ驚くばかりだよ」

「ついこの間、制限が開放されたばっかりだから、俺自身も色々驚いてる。それに、今度は智謀だけじゃないぞ? 当人には全く検討も付かないだろうけど、俺が呼び出すとパッシブスキル一個付くから。今回に限ってはそれが効果大だと思われますアルヨー」



 堅苦しいのは苦手だ。

 先の空気を吹き飛ばすように、テンション上げつつ、おちゃらけた語尾を付け足してみる。



「はいはい、じゃあ早速やってくれたまえよ」

「リンが冷たい……。りょーかいりょーかい、お姫様の仰せの通りに致しましょうかね」



 まだ反応してくれるだけ有り難いか。

 これが無言とかにならないだけ、幾分かマシだと思います。



「……って、待つんだ! 今ここでそれをやれば―――!」

「ん?」



 その言葉、今一歩及ばず。

 凝縮した光子が人型を成して、取り払われた後に、一人の人間が佇んでいた。

 白の仕官服に赤銅の光沢を放つ内服。青年から抜け出し、壮年へと差し掛かる、やや手前の風貌。

 手に持つ扇は清純の白。何かの羽で造られた、羽毛扇。

 被る仕官帽子は清楚ながらも精巧に織られた品であり、持ち主の高貴さに直結するかのような出で立ちであった。

 








『伏龍、孔明』

 4マナで、白の【伝説】【人間】【アドバイザー】2/2

 これが場に居る限り、このカードを除く、自軍全てのクリーチャーに+1/+1の修正を与える。










(えぇと……字は……孔明、だったかな……)



 文若が言うには、自分よりも西方の地に詳しく、自身に勝るとも劣らない智謀を巡らす彼ならば、今回の策をより確実なものとしてくれるだろう。との推挙からの召喚である。

 それは俺としても賛同するものであり、知略は勿論の事、彼がカードとして製作された際に付与された能力には、今回の作戦の成功を、より後押しするものだろうと想像出来たからだ。

 ……あれ、史実の孔明って、軍の議決権握ったの、君主……劉備が死んだ後……相当後半からじゃなかったか……そもそも史実の孔明って凄くパっとしなゲフンゲフン……。となると、演戯基準の孔明さんなんだろうか。



 と、こうしてしっかり御出でになって頂いた訳なのだが、確かに驚く現象だとは思うけれど、何故静止の声が掛けられたのかが分からなかった。

 出た瞬間に爆発が起こるとか、雷や毒を撒き散らすとかの【CIP(Come into playの略称・場に出た時に誘発する能力)】を持ってる訳では無いので、手遅れだとばかりに目を片手で覆い隠すリンの仕草に、なんで? と首を傾げる。



「やっぱ疲れんなぁこれ……。……で、手遅れっぽいのは理解したけど、何でストップ掛けられたのかが不明なんですが」

「あぁ、もう……。君は自分の力の異常性……はそこそこ理解しているから……その異常性を見た時の周りの反応を、もう少し予測してから使ってくれないか」

「……んん?」



 その台詞は【稲妻のドラゴン】を呼び出した時に出てくるのが適切なタイミングだと思うのだが、あの時は驚きのあまりに言い出す機会を逃していた故の、今この時の忠告なのだろうか。

 答えの出ぬまましばらく悩んでいると、一向に言葉を発しない俺の態度に、リンは業を煮やしたようで。

 このままでは、幾ら待ってもこちらの考えが答えに達しないと踏んだのだろう。呆れながらも正解を教えてくれた。



「君はね、故人を蘇らせ、現界させていたんだよ? それがどれだけ異常な……有り得ない異能なのか、考えた事はあるのかい?」

「蘇らせたって……」



 言われ、これまでの行いが点として思い浮かび、しばらくの後に線へと繋がった。



(あぁ~、今大体西暦……五百年前後だったか? その頃の文若さんって、もう故人だもんなぁ。アレキサンダー大王知ってるリンなら、その手の歴史を知ってても不思議じゃない、か)



 呼び出したという認識はあっても、生き返らせたという考えは無かった。

 俺としての蘇りは、墓地に送られたクリーチャー等を再び場に戻す行為であり、伝記で記される様な御仁達を召喚する行為は、それに該当するものでは無く。



(……ん~……【ポータル三国志】を使えば、ほぼ全て、死者蘇生に当てはまる……のか)



 イメージ的に、地霊殿の主の想起系スペルや、亡霊姫の再迷・幻想郷の黄泉還りが思い起こされる。

 ただ、その辺は色々と思うところがあった。

 文若と言い、孔明と言い、こちらの世界の故人を招いているのか、架空の彼らを呼び出しているのか、それとも生前の世界からなのか、などといった差だ。



(こればっかりは、当人に聞いても難しいところだろうし)



 最大のポイントは、魑魅魍魎、超能力や魔法の類、○○な程度の能力を筆頭とした、物理法則ガン無視なあれやこれやを【ポータル三国志】の方々が知っているかどうか。

 それが判明すれば、消去法によって、俺の知る世界から呼び出した。という線は潰える事になる……のだが……。



(あぁ、でも……)



 けれど、それは俺が知らないだけで、実は生前に暮らしていた世界に、その手の類がある可能性だってある。少なくとも、絶対に無い……とは言い切れないので、真偽の追求は困難であろう。



(……無理。これ絶対分かんない。パスパス)



 こほんと一息。



「まぁ、それは置いといて」



 諦め成分を多量に含む閑話休題を切り出した事で、リンが訝しげな顔を造る。



「周りに誰か居る訳じゃなし、リンはもう、一度見てるだろ? ……同胞に見られちゃ拙かったとか、か?」



 ぬ、渋い顔がますます濃くなっていく。

 もう言葉にする気も無いようだ。くいと顎を上げ、俺の後方を見るよう指示された。



「……あ」



 戻れるもんなら戻りたい。

 そう思わずには居られない光景が、そこに。



「―――くっくっくっくっ……」



 白銀の長い前髪に隠れて目元が見えないが、眼から発光しそうな程に怪しげな雰囲気を漂わせている平天大聖のお姿が在らせられました。



(うわー……しまったー……)



 色々と驚く事はあるんだろうが、どう見てもこの状況の真価が分かっているっぽいご様子。

 あの孔明を見て反応しているというのは、なんの捻りも無く考えるのなら、あの平天大聖は三国志の時代を生き抜き、数々の智将、猛将、為政者等を、その目で直に見ている節がある。という事。

 他の誰かであれば、似顔絵文化など無いこの地において、数百年前の故人の顔を知っている人物など、存命している筈は無いのだが……まさに相手が悪かった。

 きちんと把握している訳ではないけれど、リンの話を聞く限りでは、百年、二百年以上の時を生き抜いてきた大妖怪である。

 下手すれば三国志どころか、それ以前の時代―――始皇帝が存命していた頃。もしくは、更に以前から健在であった可能性だって……。



(話し掛けたくねぇ~……)



 今、あれと会話を始めたら、すぐさま根掘り葉掘りされちまいそうです。

 俺でも分かる程に怪しさ抜群な態度ではあるが、表面上では愉しげにされていらっしゃる。

 こちらの身の安全という面でも、何をするにしてもマナが勿体無いという意味でも、今は放置プレイを仕掛けてみよう。触らぬ大聖に祟り無し。も少し付け加えるのならば、カードを使ったところで、それが十全に効果を発揮してくれるかは難しいところだろうし。



「ところで」



 不意に、リンがこちらに声を掛けてきた。



「何だ?」

「彼……違うかな……アレ……? は、何?」

「あ、あぁ……」



 平天大聖の背後に佇む、無機物の象徴。

 炎天下で爛々と陽光を跳ね返す表皮は、白銀。白き王と相まって、何とも様になる絵図である。



「あれは、今朝から始まったのでした……」

「……何で語り調なんだい?」

「……突っ込みは優しさだけど、スルーしてくれるのも優しさだと思うんだ……」

「……難しい、ね」

「そうだな……」



 再び、互いに溜め息。

 思い返すだけでも心臓に悪い。いつか良い経験だと思い返す日が来る事を願いつつ、俺は、リンへと事のあらましを説明し始めるのだった。










 目覚めの朝は、とても爽やかなもので。

 眩しい日差しと胸に吸い込まれる新緑の空気は、大和の地の、諏訪と八坂の神が住まう神社とはまた異なった活力に満ち満ちていた。

 大きな欠伸と、両手を上に挙げて、軽く背伸び。

 さて。と気を取り直して辺りを見れば、小さな口をポカンを開けて、白目を剥いていらっしゃる、完全に魂が抜け切っているご様子のチャイナドレス妖怪と。



(おぅ、やっぱでっけぇッスなぁ)



 室内で見ているせいもあるんだろう。

 召喚した時から微動だにしていないっぽい状態で、こちらのベッドに覆い被さる様に、その四肢を壁、床に接触させ、大きな体を無理矢理この部屋に押し込んだ【アーティファクト】クリーチャーの存在があったのでした。










『メムナイト』

 0マナの【アーティファクト】【構築物】クリーチャー 1/1

 0マナのクリーチャー、という時点で様々な【シナジー】が考えられ、尚且つそれが【アーティファクト】でもある。ともなれば、その活用法は更に増える。【コンボ】に良し、【シナジー】に良し、【アーティファクト】系【ビートダウン】に良しと、それを好むデッキには重宝する存在である。










 無機質ながらも何処か愛嬌を感じるお顔……顔? ……まぁ、体の真ん中辺にある紋様がそれ系だと思っておこう。



(どうもありがとう)



 顔を構成する部位の何処にも類似点が見られない……分からなかったクリーチャー様であるが、爆睡寸前での曖昧な指示の下、『守って下さい』と言った後にさっさと意識を手放した身としては、そんな漠然とした指示にであっても、文句一つ言わずに一晩中警護に当たってくれたのだから、お礼の一つも言いたくなるというものだ。

 言葉に対して返って来る意思すら無かったのは、【メムナイト】が純粋な【アーティファクト】クリーチャー……ロボットであるからだろうか。

 やや物足りない冷たさを覚えるが、感謝自体は無駄ではない筈だ。今後とも、機会があればお礼は欠かさない様にしましょう。と、小さく決意。

 メタルな外見と巨大な鋼鉄……何かの金属な体に『2/2以上だろこれ』と、疑念を覚えるが、伏魔殿の内部で五体満足のまま、一晩無事に一泊出来たようなので、些細な事かと思いつつ、安堵の息を零した。



 その後は、起こすのも忍びないかと気絶した白蛇妖怪(人型)さんをベッドへと運ぶ。

 よっぽど疲れていたんだろう。こちらが触っても微塵も反応する素振りすら無かったので、胸元&足元の裾から艶かしく覗く女体に、込み上がるムラムラを目と意識を反らす事で抑えながら、布団を掛ける。

 昨日の流れから考えるに、どう見ても篭絡する気概満々だったとは思うのだが、昨晩のガクブルした姿に同情し、せめてゆっくり寝てくれ、と配慮してみました。

 プチ紳士振りを発揮しつつ、据え膳残した的に後ろ髪を引かれながらも、悠々と二人同時に行き来可能な二枚扉の片側を押して、トイレ探索の旅への第一歩を踏み出してみれば。



「ッ!」



 結構心臓に悪かった。

 三メートルを超えていそうな身長。ジャイアントBABAやハルクHOGANも真っ青な図体のムキムキさん。

 何処ぞの市長も真っ青な、ダブルラリアットとか似合いそうな体格は、深緑を基調とした筒袖鎧に包まれながら、山の如く静観を決め込む燻し銀。

 そんな第一印象の、首から下が人型の、牛の頭の妖怪と、馬の頭の妖怪の計二名が、それぞれ門番の如く左右に直立していらっしゃいましたので。



 こちらを警護……というよりは、退室したり逃亡したりした場合には、報告なり一発ぶちかますなりする算段だったのだろう。

 何せ、扉の左右に立ってはいるものの、それはこちらを背にして、ではなく、扉に目を向けつつ佇んでいたのだから。……あれだ、彼らは門番です。但し牢獄の。みたいな。

 今、こうして扉を開くまでに何か下手な事でもしていれば、一瞬で突貫して来たんじゃないかと思えてならないのだが……もし、昨晩、白蛇さんと事に及んでいたらと思うと、初行為がある意味で羞恥プレイという、難易度の高いものになっていたであろう。

 牛&馬頭妖怪は二人共々、腰の両側に、柄の短く、先端に向かうに連れて幅広になるのが特徴な、中国刀……と鉈を合わせたような刀が据えられていた。

 燃えよド○ゴンで見たな。とか思いつつ、威圧感に気圧されて、思わず眼を見開いた。多分、顔も強張っていたんじゃないかと思う。

 寝起きドッキリ的な展開だったので、心の準備も何もあったもんじゃねぇ。

 妖怪の塒に乗り込んで来た俺が油断し過ぎなだけな気はしますが、相手に不満をぶつけたい気分になった。



(……って、いつの間に)



 視界の左右。

 俺の体を包む様に、白銀の腕と足が、何かあればすぐさま防御体勢へと移行出来るよう、某漫画のスタンド宛らにスタンバっていた。

 これには、無双出来そうな体格の牛馬達も面を食らったようだ。お前は誰だと、その顔にありありと書いてある。

 妖怪……馬や牛の表情なぞ未経験もいいところであったけれど、彼らがとても驚いているのだけは理解出来た。

 この事態をどういう風に捉えて良いのか判断付きかねる、といった困惑の表情を浮かべ、武器を向けた方が良いのか悪いのか、微妙な姿勢で固まっている。

 ただ悲しいかな、俺の後方の存在は1/1。

 見た目が金属で超硬そうではあるけれど、何かあれば簡単に破壊されてしまう可能性が高いのだ。……これが勇丸以下とか、俄かに信じられんです。

 相手が戸惑っている内に、白蛇チャイナドレス妖怪を電撃で吹っ飛ばした時の様に、不敵に、悠然と。少なくとも表面上はそう見えるように、態度と気分を入れ替えた。



『お早う。職に励んでくれている様で何よりだ。厠は何処かな』



 咄嗟にやった割には、様になってたんじゃないかと思う。

 声こそ聞こえなかったが、唖然としつつ指先を通路の奥へと向けられ、【メムナイト】に待機を指示。それなりの重機一台くらいなら通過出来そうな、幅も高さもある広い通路を、何に気負う風も見せず進み、そそくさと目的を達成した。

 良かった、トイレがちゃんとあって。

 そう安堵しながら、異国の雰囲気を五感全てで味わいつつ、足早に安全地帯である【アーティファクト】クリーチャーの元へと帰還を目指していたのだが。



『朝餉は如何でしょうか』



 ゴール目前。

 牛馬妖怪を左右後方に控えさせた状態で、王座の間での初対面の時と同様の格好をした平天大聖が、同じく、出会った時と同様の笑みを湛えたままに、朝食の誘いを申し出てくれた。……どうやら、こっちの用事を済ませている間に報告されていたようである。

 安全地帯一歩手前の強敵とか狙い過ぎでしょう。と、見ず知らずの運命に悪態を吐きつつ、『ええ、喜んで』と瞬時に返せたのは、それなりに進歩を実感出来たエピソードでした。










「うむ。白蛇チャイナ妖怪(暫定)の格好やら宮殿の造りとか見るに、あそこはちゅうご……ウィリク様が居た辺りとは文化が違うんだろうな。持て成された朝食がな? お粥っぽいんだが、トッピングにザーサイとか青葱とか、あ、蒸した鶏肉っぽいのもあったな。そんなのを好みで色々入れると、味の幅が広がる広がる。元が薄味だっただけに、色々入れていく内に、朝食が楽しくなって来て。お陰で胃もたれしそうなくらいに食べちまったよ。お粥じゃなかったら、今頃腹痛だったな。はははは」

「……」



 何度目かのジト目がとってもキュート。将来的には、紅白の巫女様辺りにも睨まれてみたい。

 ……うん、そうだね。聞きたいのはそこじゃないよね。



「……食事が済んだ段階で、事前に取り決めてたこの場所に来る為に、また【ジャンプ】使って来ようかと思ってたんだけど、平天大聖に突っ込まれたのよ。【稲妻のドラゴン】に乗るんじゃないのか、って。どうも便乗したかったっぽいんだわ。一応、【稲妻のドラゴン】は雲の水面に待機中。的な演出しておいたから、還した、ってのは知られちゃ拙いんで、『あなた嫌われてますんで~』とかテキトーに誤魔化し入れつつ……」



 目線を、平天大聖の傍で控えている【メムナイト】へと向けて。



「仕方ないから代案で、還そうと思ってた【メムナイト】に、俺の代わりに【ジャンプ】付与して、ここまで来ました。……これで一通りの説明は終わったんだけど、何か質問ある?」

「【ジャンプ】を付与した、という意味は?」



 あれ、予想外の方向から言葉が……。



(って、ヤバイかこれ)



 まだ、その手の情報は伝えてない&伝える気はないんだった。というか、大和での暮らしの時と同様、今のところは誰にも切り札……命綱である、集められた魔法を使う程度の能力、を話す意思は無い。

【ジャンプ】を文字通りの、飛び跳ねる意味で受け取ってくれたようで、これくらいならば、何とか誤魔化せる範囲だと思いたい。



「……今の無しで。【メムナイト】の脚力を強化して、こっちまで来ました」

「別に言いたくないなら良いんだ。僕も深く追求する気はないから。ちょっと気になった程度のものだしね。……ただ、君の言動にはそういう注意力が散漫だから、気をつけた方が良いと思うよ。今までも何度か、そういう疑問点はあったから」

「……うぃ、ありがと」



 はは……大分前に、神奈子さんに言われた事が実践出来てねぇ……。

 どうにも、話術や喋り方といった、知識量と、巡りの早さに比重が置かれる分野は苦手である。多分、何か痛い目みないと、完全に決意するには至らないんだろう。



(身から出た錆。を経験しなきゃ本腰にならないとか……)



 心の余裕が成せる業……とかポジティブに考えてみても、結果は好転しない。

 まぁ、一番の理由は、これがバレたとして具体的にどう影響が出るのか不明である。という点が強い。

 バレたらすぐ死にます。大切なあの人が亡くなります。とか安直で分かり易いと意識や認識も違ってくるけれど、大変な事になるかも。的な意味合いの強いあやふやな段階では、今一つ、こう……。

 転生時に頂いた初期スキル、怠惰の抑制。あれがその手の勤勉さに磨きを掛けてくれるかと思った時期もあったが、あれはあくまで飽きるのを抑止するだけであって、嫌悪、忌避の制御とは、また違うもの。どうやら自分の勉強嫌いは、飽き、から派生しているものではなく、嫌い、と同類らしい。

 この辺の基本性能も何かの弾みで変化するんだろうか。だとしたら、晴耕雨読な日々とか送ってみたい。無論、雨読の部分が勉学的な意味で。



(……そうだ)



 折角、三国志のお歴々を呼び出せると判明したのだ。これが終わったら、大和への帰り道がてら、それら大先生に色々と教えを……教え……勉強……。

 簿記三級取るのも一苦労だった俺が、言動改革の為の勉強……。



(先、長そうだな……)



 ……それらも感情も含めて、矯正をしていこうかと思います。



「……大丈夫かい?」



 心配を形にしたような顔で、リンの小さな手が俺の服の裾を掴む。

 余程情けない表情であったようだ。

 ポンと頭に手を置いて、ぐりぐりと。

 撫で心地の良さに勇丸とはまた別の感触に満足しつつ、馬鹿な悩みで心配掛けた事に心苦しさを覚える。

 うーん、良い娘ねー、この子。まぁこっちから窃盗働いたって気負いや、自分の目的の為に手伝ってくれているから、という気概もあるんだろうが。



(良く気がつく。フォローも上手。おまけ……じゃねぇな……更には、まだまだちっこいが、美人さんと来たもんだ。将来は引く手数多だろうな~」



 せめて肉体年齢プラス十歳くらい重ねてからだろうけど。……いや、それでも俺の感覚からすれば充分に犯罪だ。つい最近、自らそれをブレイクした気はしますが。

 って、おろ。リンの顔が完熟トマト。



「何を言い出すんだ君は!」

「何って……?」



 ……まさか口に出してた!? 心の声駄々漏れ!?

 心中吐露とか、満員電車の密着状態で密接したオバさんの香水キツ過ぎて、『臭っ!』と咄嗟に言った時くらいしか無いぞ!



「何驚いているのさ! 思いっきり口に出していたじゃないか! からかうにしても、もっと時と場所を考えてくれ!」

「何だと!? 俺は嘘言った覚えはねぇぞ二重の意味で! からかってなど、断じて無い!」

「否定する場所はそこなのかい!?」

「分かっちゃいるが、恥ずかしさで穴でも掘って隠れたい気分なので! 喜べ、リン! これが俺の逆ギレだ!」

「それの一体何を喜んだら良いのさ!」

「……さぁ?」

「―――ッ!!」



 ―――真夏の太陽が頭部を焼く中、その気温に負けないくらいの音量が辺りに響く。こんな掛け合いを少し前に行ったような気もするが、多分、猛暑にでも当てられたのだろう。

 一頻り声を荒げ終えた頃。

 漸く俺は、周りへと突っ込みを入れた。



「……結局、喉が枯れそうになるまで声出してたけど、あなた方は止める気ないのかね」



 止めるタイミングが突っ込み待ちな部分はありましたが、よもや完全スルーとは……。

 荒く肩を上下させるリンと俺を眺める形で、平天大聖はニヤニヤとした……もう出会ってからほぼずっとしている表情を浮かべていた。

 ここまで来るとあの表情がデフォなんじゃないかと思えてならないけれど、白蛇妖怪さん吹っ飛ばした時に見せた獰猛な笑みを思い返すに、やっぱり、今のこの状況がそうさせているだけなんだろう。



「若いとは、何と粗野で、瑞々しいものか。久方ぶりに、故郷の香りを嗅ぎたくなりましたよ」



 ……まぁこっちは概ね予想通りなんですけどね。



(孔明さんが、さっきから無言&無反応なんだよなぁ)



 馬鹿馬鹿し過ぎて、呆れられてしまったのだろうか。

 文若の時には切羽詰った対応であったので必死さを読み取ってもらえたんだろうが、今のこの状況は、馬鹿騒ぎ以外の何だというのだろう。

 召喚者とはいえ若輩者が目の前で悪ふざけ継続中なのだから、良い印象ではない筈。

 今の今まで、俺が呼び出した方々とは良好な関係を築けていたので、今回も。と、思い込んでいたのだが、とうとうそれを改める機会が巡って来た―――



「……え? ネズミ?」



 ―――ネズミの大海原に面食らって、恐縮してしまっていただけのようである。

 何? 害獣対策? 兵糧攻め? ……過去に色々とあったんですね……深くは聞かないでおこう……。










 このネズミ達は味方である。

 その一言を切欠に、俺とリン、そして孔明の作戦会議は幕を開けるのだが。



「……死ぬな、これ」



 ―――だが、それは一分も経たぬ内に中断させた。

 ここへと移動する際には、風を切って進む方法であったので、それなりに涼しかったけれど、こうして足を止めてしまうと、途端に体中から全ての水分が蒸発してゆきそう。諏訪の外套や月の衣服のお陰で熱射病に掛かるまでの域には達しそうに無いが……何せここは、泣く子も黙る(絶命的な意味で)、天下の猛暑地帯、砂漠。

 仮に俺達だけならば【メムナイト】の日陰にでも入れば、まだ耐えられる暑さではあるけれど、この一面にひしめき合う小さな戦士達を野晒しにするのは、まさに見殺しもいいところである。

 付け加えるのなら、これが俺達の目的の為だけに集ってくれたとなっては、リンの気持ちに応える云々の前に、俺の気持ちが落ち着かない。

 横に居るリンはそうでもないが、正面に居る孔明は額に玉の汗を浮かべ、後少しで滴りそうなほどになっていた。

 平天大聖は……何か蜃気楼に浮かび上がる不気味な笑みっぽくて、ますます気味が悪い。暑さには強そうです。



(出来ればもう手の内見せたくないんだが……背に腹は変えられませんよ、っと)



 辺りを見回し、特に問題は無さそうだと判断。



「リン、あそこに居るネズミさん達、移動させてもらえるか。えーと……あっちの、なだらかな砂丘の方まで」

「どうかしたのかい?」

「いんや、どうかするのさ」



 思わせぶりな台詞に首を捻りつつも、サッと手を上げ、移動して欲しい箇所へと指を差す。

 数秒後、黒い絨毯は大移動を開始。

 日本の左側にあった北国家のマスゲームなぞ目じゃない規模の光景に軽めに慄きながら、これで大丈夫だろうと思われる場所にまで全員が動いたのを確認し。



「何かする前に暑さで参っちゃ笑い話にもならないしな。涼みながら会議しよう。拠点の一つでもあった方が、今後も楽だろうし」

「?」



 ただ砂が広がるだけの光景を見据え、深呼吸。

 軽く息を吐いて―――



 ―――召喚【頂雲の湖】










『頂雲(ちょううん)の湖』

【特殊地形】の一種。

【タップ】で無色のマナを一つ生み出すか、【タップ】で白か青のマナのどちらかを一つ生み出す。後者の能力を使用すると、次のターンは【アンタップ】出来なくなる。

 その為、大きくテンポを削ぐので、避けられる傾向の強いカード。

 極一部の特殊なデッキか、使用したそのターン中に勝負を決められる【コンボ】デッキに間々用いられる場合がある。










 砂漠という自然地帯は消え去った。

 変わり、今目の前にあるのは、生命の源を並々と湛えた別世界。

 全長五百メートルはありそうな水源は四方を小山に囲まれて、太陽の光が水面を通り、周囲を青へと染め上げる。

 山陰あり、水源あり、と。

 カードゲームとしての能力は特筆すべき点の少ないものではあるが、たった一枚で砂漠での二大死亡フラグを、まずまずのレベルで回避出来る性能を持っていたので、今この環境下においては、何にも増して価値のあるカードであろう。

 吹き抜ける風は、草原の清らかさ。

 この地固有の、砂の混じった、ざらつく空気などではない、新鮮な空気が辺りを駆け巡っていた。

 砂漠の大地は不潔ではない。寧ろ逆で、清潔とさえ言えるほどのものであるが、それを胸いっぱいに吸い込みたいかと問われれば、はい、と答える者はまず居ないだろう。

【メムナイト】は言わずもがな。

【伏龍、孔明】は扇を口元に当て、瞑目。何かを考えているようだ。

 予想通りの反応は、リン。

 可愛らしい口をあんぐりと開けて、何か言おうと動かすも、息を吸って、吐くだけしか行わず。とても驚いてくれているようで、この反応が見れるのならば、何度でもこんな事をしたくなるというものだ。



(やっぱり、誰かを驚かせるってのは気分が良いなぁ)



 リンが驚いてくれたのは、想定の範囲内であったとしても、こちらの気分を良くしてくれる反応であり……。



「―――はーっはっはっはっはっ!!」



 爆笑だったらどんなに良かったか。

 いや、声だけならば、まさに望むべくの反応であるのだが、然もありなん。

 何故って、あれの眼は全くと言っていい程に笑っていない。

 あれはそう、体を動かすという名目で兵器実験場へと連れ出され、そこで対峙した蓬莱山輝夜か、各種実験で色々なカードを使用していた時に見せる八意永琳の顔、瓜二つであった。



(今日は完全に無視決定!)



 平天大聖の笑い声は、クリティカルにこちらの喜びを削っていく。

 月で【森】と【宝石鉱山】を召喚した時は、永琳さんから、皆、とても喜んでいるとの話は聞いた。

 まだ【土地】の有効性を見出していなかった頃―――諏訪の時には細かなクリーチャーを使って開墾や農作業などの手伝いをしていたけれど、【土地】系を使えば一瞬で解決する出来事も間々あったなと。

 数十から数百人が、一月以上の期間を設けて行う国政レベルのお仕事を、瞬く間に達成してしまうのだから、小規模ならば兎も角、大規模な―――それこそ、今こうして出現させている【頂雲の湖】レベルのものは自重しておこうと思っていたのだが……。後ろで高らかに笑う平天大聖の笑い声に比例するように、ますますその意思を硬くする。

 白き王と目が合いそうになったので、さっさと顔を前へと向け直す。

 留まっていては何言われるか分かったもんじゃないと思い、思案する孔明と、驚きに固まるリンを促して、話し合うに適切だと思える場所に足を向けるのだった。





 適度な規模の岩陰を見つけ、その日よけの下で、俺陣営の面子は腰を下ろし、一息。青々とした見た目通りの、キンキンに冷えていた湖へと足を投げ入れた。

 良い感じで山陰と水辺が合わさった場所へと、それぞれの足水を行いながら、何ともフリーダムな会議……話し合いとなった。

 スカートを恥ずかしそうにたくし上げ、おっかなビックリ水面に足を浸し、冷たさに耳と尻尾の毛を逆立たせるが、ゆるゆると、それも元に戻る。



「んっ。……冷たい」



 喉の奥から零れるような。

 気持ち良さ気に吐息を漏らすリンに、何度目かの撫で繰り回したい衝動を抑えながら、ネズミ少女と同様に、裾を持ち上げ、足を入れる孔明さんを横目に見た。

 まさか過去の偉人とこんな体験する事になるとは夢にも思わなかった。水辺に足を浸し、何処か遠くを見つめる孔明に、こうしているだけならば、ここは異世界などではなく、何処ぞのスーパー銭湯か、静岡、沖縄といった辺りのリゾートビーチの一コマに、見えない事も無いだろう。

 対して俺は、完全に横に寝そべっていた。

 片手&片足だけを冷却水へと突っ込んで、じりじり奪われていく体力にダルさを覚えながらも、何とか会話を持続。

 合計5マナの維持は、こちらの回復量を若干上回る量であったようで、こうして体を休めていても、ゆっくりと疲労の蓄積を実感するものであった。

 これでも過去に比べれば大分改善されているなと。そう思える。

 あの頃は3マナであっても息を切らす程であり、今、同様に3マナ分の何かを維持しても、やや苦しいか。くらいの範囲に収まるものだ。

 このままいけば、体力……スタミナ面だけならば、フルマラソンで上位に食い込めるのではないだろうかと思えます。予想はでっかく、五色の輪がトレードマークの大会辺りとか。

 誇張だとは思うが、思うだけならタダである。メンタルの維持は、そこそこに優先順位の高い優先事項ですので。



「大自然の驚異、って奴だなぁ」



 ……まぁ、もうそろそろ現実逃避は止めようか。

 静かな湖畔は、今や、真夏の海水浴場。

 少し眉間に皺の寄るカビっぽい臭いが辺りに広がっているのだが、幸いにも風向きのお陰で、こちらへの直撃コースは避けられている。

 リンの部下達は全くそんな事など無かったけれど、あれは、彼女が指示して身を清潔に保たせているのだろうか。女の子だもんな。その辺は結構気になるんだろう。某邪仙の傀儡娘もそうだったし。

 地鳴りすら幻聴しそうな程に大地を埋め尽くし、激しく脈動を繰り返す、無数の小さな戦士達は、突如出現した水源に、それを飲み干さんとばかりに突貫。それでも滾々と水を湛えている【頂雲の湖】の魅力を味わい尽くす勢いで、水浴びや飲料水や遊泳に興じていらっしゃる。

 ただ、流石に数十万のネズミに、この水場は小さ過ぎた。

 湖自体の大きさはまだ余裕があるのだが、陸と水面の接する面が不足していたのだった。

 墨汁が真水に溶け込む様な。

 一点の黒い染みが、瞬く間に、オーシャンなクリスタルブルーを、刻々ともずくスープ……一番風呂を親父に譲ったばかりに、使用後、浴槽には形容し難い浮遊物&沈殿物が漂っているのを、更に酷くさせたような環境に変化させている。

 八、九十年代頃に掛けて日本の夏場で多々見られた芋洗いプール&浜辺を連想させる光景が再現され、先に進水を果たしたネズミ達は、岸辺に戻るどころか、次から次へと押寄せる同胞の波に攫われて、ますます【頂雲の湖】の中心部へと追い遣られていく。

 元々このような土地だ。多少は彼らも泳げるだろうが、それが得意である。とは結びつかない。時間が経つにつれて、事態が悪化していく未来が予想出来た。

 このままでは、と。

 あわや圧死&溺死による死者まで出そうな勢いであった為に、リンが一喝。

 この時のリンの雄姿は俺でも少し驚きました。あの平天大聖も、【頂雲の湖】召喚した時よりかなり弱めではあったが、驚きの表情を浮かべていた。

 まぁそれでも、姿はちっちゃいし声は可愛いしで、驚きから別の何かに派生する事は無かったんだけども。

 今では時間制限&人数制限を設けた会員制プールモドキが設立され、水場を取り巻くように黒い渦が、今か今かと自分の番を守っている状態。

 泳ぎ終えた者達は、亀の甲羅の天日干し宛らに、岩陰や、山陰で涼んで昼寝中。

 中には日向に寝そべり、日光浴を行うものも極少数居るが、彼らはすぐにでも水場に逆戻りする流れになるだろう。砂漠の日光は、焼き殺す満々なレーザー光線ですので。



 後からリンに聞いた話では、塒の水源は飲み水の確保で精一杯。

 でもって、ここは砂漠地帯。こんな機会はそうそう訪れるものではなく、雨期に、幻の如く現れる川か水溜りくらいしか経験が無いそうで、彼らの好奇心を刺激するには、充分であったようだ。この結果は成るべくして成ったようである。

 ……時折水面を漂ってくる、彼らから剥がれたであろう諸々な不純物には、目を瞑る方針で。はい。



『こんな時でもなければ、僕もあれに混ざりたいくらいだよ』



 水と土の境界線が、ほぼ全て黒で埋め尽くされている内の、唯一、例外の場所。

 リン、孔明、俺が居座るここだけは、まるでプライベートビーチさながらに、ネズミ達は足を踏み入れる事は無かった。彼らなりの、小さな気遣いだろう。



 少女はそう言って、足を漬した冷水を高く蹴り上げた。

 口を尖らせ、やや拗ね気味に不貞腐れるリンに、一通り事が終わったら、いっそ海にでも連れて行ってみたいと思う。遊泳を楽しむ風習って昔は無かったんじゃないかと思うのだが、そんな些細はとっとと忘れる事にした。この程度の疑問無視出来ずして、ここでの生活など誰が送れようか。

 平天大聖は、同席をする気は無いようだが、全く無関心で居る気もないようで。先程からやや離れた岩場の影で、こちらの話し合いを興味深げに眺め続けている。会話の内容も聞こえているんだろう。話し難い事この上ないが、言動に注意すると意識したばかりなのだ。これくらいの試練は乗り越えなくてはならない。良い練習だ。と思う事にした。

【魏の参謀 旬彧】と同じく、孔明さんにも知り得る限りの情報を提示。それでも補えなかった箇所を質問という方法で埋めながら、日進月歩とも思える話し合いは続く中、リンが、前々から疑問に思っていた点を挙げて来た。

 曰く、文若の時に挙げていた、交渉対策を用いたからこその、現状―――この地の妖怪を統べる王が条件を呑んだのか。というものだ。



 ……けれど、それには首を横に振らざるを得なかった。

 その場は『そういう訳じゃないんだけどな』と話を逸らしてやり過ごしたのだが。



(まさか【テレパシー】でも読み切れんとは考えてなかったもんよ)



 文若の言葉に従っておいて良かった。

 彼も、これを意図していた訳ではないだろうが、結果は……今のところ上々。

 もし、この読心術を頼りに交渉を仕掛けていたのなら、通用しない力に動転し、現状よりも、より宜しくない方向へと転がり落ちていた事だろう。



 ……朝食に誘われた席で、俺は、すぐさま昨晩からの案である【テレパシー】を用いて、相手の内心を探ろうとした。例の、何考えてんだか隠そうともしない怪しさを暴こうとして、である。

 けれど、それは十全に効果が現れる事は無く。

 そういう能力なのか、そういうルールなのか。頭痛はあったものの、一般人相手には問題なく効力を発揮していたので、後者の意味合いが強いとは思うけれど、平天大聖相手には、今一つ信憑性の乏しい情報しかリーディング出来なかったのだった。

 尤も、かなり大雑把にではあったが、大体の道筋程度ならば、読み取れた。

 ―――如何に自分の欲望を叶えるか。

 朝食の間、こちらの言葉を吟味し、数秒の間に幾つもの思惑を巡らせ、選択し、決定していく様は、【テレパシー】の副作用によって鈍く警鐘を鳴らす頭痛の元になっていても、尚、感動を呼び起こす。

 それに比べれば、今の自分は何と卑小な存在なのだと。

 何年掛かっても、その領域には到底……。と、痛烈に感じ取りながら、それでも平常を装って言葉を取り繕い続け。

 相手の思考を読み、一切の企みを曝け出す、1マナの青の【エンチャント】である【テレパシー】。

 けれどそれは、やはり相手の格が上である為なのか、『ありがとう』が『あ○が○う』、『ごめんなさい』が『○め○○さい』といった具合に、急に音量を絞られたステレオか、本を読んでいたら唐突に疲れ目になってしまったような。思考の半分以上がぼやけてしまっていた。

 神奈子さんに使用した【お粗末】などの効力を思い返し、これはカード能力の制限、というよりは、元々の力量差から来る結果なのかなと判断する。

 いやはや、この力を完全に発揮するには、こちらの地力がまだまだ不足のようである。これがきちんと効果を発揮してくれる頃には、きっと神奈子さんに一泡吹かせられるに違いない。



「―――ほら、ぼーっとしていないで。疲れているのは分かるけど、君が僕達の間を取り持ってくれないと、話が進展しないんだからね」



 おっと、意識が彼方でしたか。

 まだまだ余裕はあるが、暑さと水の冷たさと疲労感で、寝ようと思えば、五分掛からずに実行可能な状態である。



「こりゃ失礼。えーと、軍隊の進行ルートの割り出し……だったかな」

「そうだよ。彼の話を統合すると、この砂漠地帯を一気に進行してくる可能性が高い。迂回するにしても、それらの道筋は直線コースの五倍以上。前々から備蓄していた物資を考慮したら、まず間違いなくそこを通過する筈、らしい」



 地形が変わっていなければ。

 最初にそう断りを入れて、嘗て培った記憶を辿りつつ、孔明が地面に画いた砂図は、一片が二メートル程度の正方形。

 簡略化に簡略化を重ねた絵図であるというのに、実に的確に、諸々の要点を抑えた表記が成されたものであった。

 砂漠横断とか、ただの人間からすれば自殺行為にも等しいと思うんだが、砂漠の民だとか水や食料をストックしておいたから、といった方法で回避するんだろう。

 そうなると、文若が言っていた兵糧攻めという手段は、実に理に適っている。

 だが。



「……何?」



 孔明が語り掛けてくる。

 その方法では、遺恨が残るのではないか、と。

 こちらの提示した条件は、軍を退け、女王と、民の命を守るという点のみ。ここは文若と同様の流れ。

 しかし今回は、彼の時の何倍も、話を突き詰める時間があった。

 何故それをしたいのか。どういう手段で達成したいのか。

 深く追求の及ばなかった箇所へ焦点が当てられた会話を続け、約一時間。

 こうして孔明が『待った』を申し出た時になって、漸く俺は、この作戦の最大の欠点―――リンの置かれている立場の危うさに気づけたのだった。










 肌寒い……を通り越し、衣服を脱げば、鳥肌必須の気温へと変貌した大自然であったが、ここ【頂雲の湖】は例外である。

 昼の内に熱を溜め込んだ湖が、夜では天然の暖房へと役割を変えていた。

 時折吹く風は温かく、この分では、明日の朝まで快適な気候を約束してくれるだろう。



 ―――見渡した景色は黒。

 けれどその闇には、無数の赤が色付いている。

 耳を澄ませば、キイキイと。

 自らの力を試そうと勇む、無数の生命達。

 赤い星の海を一望する高台へと登り、一瞥。月で軍隊に囲まれた時とは別種の鳥肌が、背筋を駆け巡った。

 やや後方には、蜀の参謀【伏龍、孔明】。更に続く後ろ。平天大聖が腕を組み、こちらに視線を固定している。

 目の前には、ネズミの群れを率いる形で、リンが直立不動を成していて。

 けれどその表情には、うっすらと愉悦が混ざっている。

 どうやら、俺の一世一代の演説を、少しでもミスしようものなら笑ってやろうという魂胆が見え隠れ。

 おいこら、お前の為にやってやってんだから、そんな、弱い者苛めみたいな事しちゃいけません。そういうの悪ノリって言うんだぞ! 俺がやる分には好きだけど!



 ……と。

 こんな流れの前にそれなりに抗議をしておいたのだが、一応こういうのはメリハリが大事だというので、遊び半分というか、気持ちのケジメというか、やる気の無い学校や会社で、幾年も繰り返される年の恒例行事並のいい加減さを連想させる空気が漂っていた。

 多分、孔明が俺の経験値上げる為に画策した面もあるんだろう。失敗から学べ、という気概が伝わって来ますです。はい。



(むぅ、端っから失敗すると思いやがってからに……。どっかのお笑いの人が言ってたと思うが、笑わせるのは良いけど、笑われるのはイマイチ釈然としないものがあるなぁ)



 まさか、一説ぶってみる機会が訪れる事も、相手が無数のネズミだという事も、一体誰が予想出来ようか。

 もし成功すれば、これによって士気の高揚を狙えるのだと―――失敗しても、既にネズミ達には【頂雲の湖】を出す力は見せているので、最低限の気力は確保されているらしい。

 彼の軍師様は何食わぬ顔で仰ってくれましたが、戦士達に送る言葉なんて、『諸君、私は戦争が(ry』とかくらいしか……。あ、実の父にヒトラーの尻尾と罵られたロボット宇宙世紀なお話とかもあったか。

 どちらにしろ、あれは両者共々、天にお召になされていた。死亡フラグだ、避けておこう。

 あれはあれで大好きな演説なのだが、あれを使う事も、あれを使う機会がある事も、何にしても色々とダメな気がします。



 ……あれだ。今必要なのは、雰囲気だけで良いのだ。

 彼らの纏う尊大な威厳を。この者にならばと思わせる尊厳を。

 上が音頭を取る事で、結束が固くなる場合もあるだろう。

 今俺に求められているものは、さぁこれからがんばりましょう。という、要約すれば、それだけの事。

 それが予行練習出来るというのだから、望外の展開ではないだろうか。

 フォローしてくれる軍師先生も居る。張り合いのある女性―――女の子だが―――も居る。白い人は、思考の隅に置いておくとしよう。

 人間と鬼との会合の場を設けた時を思い出し、あの時に比べれば、まだ幾分かマシだろうと、気分が楽になった。
 
 それっぽい台詞を。それっぽい態度を。それっぽい間で。多少の間違い、失敗など、その場の空気で押し切ってしまえ。



 イメージは指導者。

 唯一無二のカリスマを持ち、夢の先端に立つ、求心力。

 彼らの思いの先に、僅かな光でも見せられるのであれば―――



「―――立ち向かうは我らが怨敵。名立たる生命をその元に下し、神聖の加護を得て、虫も、獣も、妖怪も、そして同胞すらも。この三千世界を須らく蹂躙する、卑しく愚かな―――しかし、強大な力を持つ存在。―――名を、人間」



 一歩、前に。

 彼らに、俺の姿が良く見えるよう、進み出る。



「弱き者はただ貪られ、弄ばれ、貶され、奪われ。家畜以下、畜生にも劣ると罵られた日々。それは今この時も、この世の何処かで続き、以後も永劫と連鎖する、憎悪の坩堝に他ならない」



 左腕を開く。

 大きく広げ、彼らの視線を集めるように。



「―――今、それを断ち切らん! 我ら小さき存在。幾万もの種から蔑みの目を向けられて、尚、地を這い、泥を啜り、けれど生を捨てる愚かをせず、影に潜み、闇に紛れて、深淵の縁から世界を見続けてきた、忍ぶ者である!」



 右腕を開く。

 空を抱くよう、左右に開けて。



「その心の奥底で、磨き続けた刃を解き放て! 例えそれが毛程の傷も与えられぬ牙であろうとも、汝らは一にあらず! 単にあらず! 個にあらず! で、あるのなら! 我らが孤でなどある筈が無い! 一が駄目ならば二を。二が無駄ならば三を。三が無意味であれば、十を、百を、千を加え、積み重ね続けよう!」



 手の平を握り込み、拳を作る。

 硬く、硬く。そこに、皆の意思が宿るよう。



「足元を見よ! その砂粒は小さなもの。それこそ、諸君らにとっても、まだ矮小だと言えるものだ。けれど、見よ! 周りを見よ! それは山を覆い、地を隠し、湖の底、遥か彼方の海をも越えて、遍く世界を埋め尽くす、最も偉大な最小である! 小さき事は、それ以外で補えば良いだけの事だと。そう教示している先駆者に他ならない!」



 目線を、目前のリンへと注ぐ。

 ネズミの大群を率いる形で、彼ら集団の最前線に立っている彼女へと。



「示すは無数。現すは力―――」



 大きく息を吸い込み、眼を見開き、大口を開け。



「―――その眇々たる牙を以て! 我らが敵の喉元に! その怨恨を! その憤怒を! 余す事無く刻み込もうではないか!!」



 夜の帳のその奥。

 人間の軍が来るであろう方角へと、指を差す。



「―――さぁ往け! 戦士達! 怒りの炎をその胸に灯し、その身を焦がす熱が潰えるその時まで! 煌々と輝く、暗き復讐の刃を振るい続けようぞ!!」



 世界が動く。

 湖を囲む小山の一角を、瞬く間に削り切る勢いの、黒い津波。

 この世の終わり。

 そう感じられる光景は、闇夜であっても尚赤黒く蠢く大地によって、刻々と移り変わり。





 ―――滑り込む様に首筋へと差し込まれた羽毛扇。

 肌触りは柔らかであったというのに、俺にとってはどんな刃物よりも切れ味の鋭い、死神の鎌にも見えて。



「―――この、馬鹿っ!!」



 焦りを多分に含んだ怒気は、小柄な少女から発せられたもの。

 去り行く戦士達を指差しながら、どうするんだと涙目で訴えるリンとは正反対に、後方で眺めていたであろう、この地の妖怪の纏め役は、声高らかに……それこそ、純粋に楽しさか感じ取れない笑い声―――爆笑を夜空へと木霊させている。

 唖然とするこちらを他所に、唯一冷静……あ、溜め息聞こえた……を漏らす、孔明さん。首に当てていた扇を降し、何やら思案をし始めた。



(……あれ、おかしいな)



 ネズミの皆さん、軍隊どころか、このままウィリクさんの国すら滅ぼしそうな勢いなんですが。というか、目的地とか作戦内容とかその他諸々、まだ何にも伝えてない。演説終わった後に伝えようと思っていたものだし。

 そもそもが、直接戦闘を仕掛ける、という方針は、今回不採用になったんだけども。

 豚も煽てりゃ木に登る。

 けれど俺の場合は、気分が有頂天になると、宜しくない方面に昇ってしまうようで。

 ……そろそろ本気で泣き出しそうなリンに、ゾクリと、ヤバ気な感情(苛めっ子気質)が起き上がるのを捻じ伏せる。

 とりあえず事態の沈静化をしなければと。

 こりゃカード使わなきゃ止められないなと考えているところに、孔明の案で使う予定であったものを、実験がてら、使用する事にした。



「……ほんとに、彼で大丈夫なのかな……」



 背後。リンの消え入りそうな呟きに、見えない鏃が突き刺さる。

 いやこれ、僅かながら、君にも原因の一端があると思うんですが。

 人をからかおうとした罰です。なんて直で言えたらそれはそれで楽そうだけど。それはそれで子供相手にムキになる大人みたいで情けない。……間違いなく原因は俺にあるのだから。

 匙加減の難しさをしみじみと感じながら―――方向性を間違えただけですが―――、ピタリ……とまでは行かなかったが、しっかりと停滞してくれている……と思われるネズミ達を見る。

 しっかりと効果を発揮してくれたカードの力に満足しつつ、煽り過ぎた事への謝罪と、孔明先生の作戦を通達。

 全員に指示が行き届くまでには時間を要したが、何とか伝え終えたようで、こちらの『開始!』の合図と同時、寸足らずの戦士達は、興奮冷めやらぬ様子のままテキパキとした動きで、孔明と文若の共同作戦を実行し始めたのだった。



 ……能力使用時。

 例の如く、平天大聖の笑みが濃くなったのは、もはや詳細に語るまでも無いだろう。
















 砂に突き立つ音は、後方に点々と、その痕跡を残し続けている。

 馬車やソリといったものは使用出来ず、必然、これら環境に強い四足動物、中央アジアにて多く分布する、通称フタコブラクダに重点が置かれ、その保有数は財へと直結し、場合によってはそれ一頭で、大人が一月は暮らせるだけの資金にもなるもの。

 気の遠くなる様な先の話。野生で暮らすものの内、その生存数が千を切り、数階あるカテゴリ―――希少、危急、などの言葉が続く内の絶滅一歩手前……絶滅危惧種に部類分けされる生物。

 それが、実に八千。

 時期を見計らい、全て売り払えば、小国程度ならば容易く手中に収められるだけの財産が、広大な砂丘をゆうゆうと突き進んでいた。

 それに従うは、人間。

 浅黒い、あるいは黒と言い切れる肌を持つその者達は、全身をしっかりと薄手の外套で包み込み、地面を焼く熱線から、その身を防護している。

 その手には、各々一本の棒―――身の丈の倍以上もある武器、槍を持ち、引き摺る形で砂のキャンパスに足跡と線を画きながら、黙々と歩き続けていた。

 総数、四万に届く、大軍隊。

 白黄の平面を邁進する人間の軍隊は、恐らく、どの同種よりも優れた戦闘能力を有している。



「―――■○×▲!!」



 その集団の先頭に立つ影は、歴戦の風貌。

 真紅の袈裟をタスキ状に身に付けて、同色の帽子を被り、腰に下げた曲剣は、適度な、それでいて華やかな装飾が施された一品。跨ったラクダも同様に着飾られており、細部に渡って手が込んだ匠が見て取れた。

 一般の兵とは明らかに異なるその者は、後方に連なる人々に、怒号に近い口調で指示を飛ばす。

 キビキビと。何かに攻め立てられるように、三分にも満たぬ間に、前後二列の二本線を引く形で整列―――陣形を形成。

 彼らの手には、一抱え程はある、白い布に包まれた棒が握られていた。

 その片側。

 棒の先端を、赤帽の者の指示通り、列の右側へと向けた。

 太陽が砂を焼く音すら聞こえそうな中、その熱砂が蠢く音を、徐々に人々は耳にする。

 固唾を呑み、額の汗すら拭わずに。

 異音―――砂を掻き分ける振動は、とうとう形となって、彼らの前に姿を現した。

 陽光を反射する甲殻は、茶。攻城兵器すら防ぐ堅牢さを、刺々しい表面に刻む鎧。

 なればその手は、剣か槍か。

 二対の刃物が合わさった構造の腕―――鋏は、小さな民家ならば、一度で真っ二つにし得る程に、巨大。

 必然、それを支える体も、その雄々しい蟹鋏に見合うだけの体躯であった。

 けれど、それは蟹ではない。

 一本の尾。そこの先端には、刺されば、死ぬ事は無くとも、激しい頭痛と全身の痺れは免れぬであろう猛毒を備えた針を持つ、巨大な砂蠍。

 嘗て。

 釈迦如来に弟子入りするも、素行が祟り、遂には窘めようとした釈迦の手を、猛毒の尾を以って一突きしてしまうという逸話を持つ荒くれ者。

 琵琶精とも称される、大妖怪に届かんとする力量を持つ者。の、同族。

 砂漠地帯で出会ったのであれば、まず助からないであろう熱砂の狩人は―――





 ―――けたたましいまでに空気を震わす、燃え上がる煙硝の産声。

 続いて聞こえる、硬質物の破砕音。





 それは幾つも鳴り響き、たちどころに砂蠍の体を蜂の巣へと作り変える。

 鈍器を弾き、大剣にも一歩も引かず、千の矢の雨を容易く凌ぐ甲殻は、何かの音と共に、その役割を果たす事無く、粉微塵に砕かれていく。

 その者が、疑問に思う間すら無い。

 ご馳走が転がり込んで来たと思い、嬉々として襲い掛かった砂漠の山立は、哀れ。その美味そうな獲物が発した音によって、容易く食い千切られ、打ち捨てられてしまった。

 その音が三十に届く頃になり、穴だらけとなった妖怪の骸を見下ろして、指示を下した赤帽の人間は、勝ち鬨を上げる。

 連なって響く、歓声。

 これを仕留めるには千単位の人間が結束しなければ討伐不可能であったというのに、これである。

 歓声を上げながら骸へと近寄って、ある者は笑みを、ある者はしげしげと眺め、残りの全てが朽ち果てた死体を、まだ足りぬと、何度も何度も足の裏で踏みつけていた。

 これに襲われた者、数知れず。喰われた家族、身内も、計り知れない。

 積年の恨みを晴らした達成感に突き動かされて喜びを表現する者達は。



 一方から見れば、英雄達の勝ち鬨であり。

 一方から見れば、死体に群がる、蝿か蛆のようでもあった。



 一頻りの宴は終わり、赤帽の号令によって、彼らは再び行軍を開始する。

 彼らの表情は明るい。

 これならば。という気持ちが込み上がって来ているのだろう。

 強国と呼ばれる者達の悉くを打ち払い、追い遣った相手に戦を仕掛けようとしていたのだ。その懸念と、それが払拭されたこの反応は、当然のものだと言える。

 手にした白い棒―――持ち易い様にと巻かれた手拭いの中心は、筒。

 三人一組で運用する、彼らの間では火筒と呼ばれるそれは、燃える土によって一定上の重量の何かを撃ち出し、対象へと飛ばす、鉄砲の先駆け―――飛発の類。

 だが、それだけならば、あの砂蠍を討伐するには至らない。

 あれの強固な表皮は、後の時代。対物、あるいは対戦車ライフルと呼ばれる銃器が発揮する力に並ぶ域に到達しなければ、貫くに値せず。

 他の誰かが同様の物を用意し、同様の行動を取ったのであれば、甲高い音と共に撃ち出した物は弾かれ、無残な結果を残すだろう。

 ならば何故、あれは、その甲殻を撃ち貫かれたのか。



 ―――答えは、撃ち出したものにある。



 松の実程度の大きさの金属―――ただの鉄の弾には、僅かに細工が施されていた。

 何処かの国の言葉で書かれたそれは短く、しかし、その意味がしっかりと理解出来るもの。



『魔を滅せよ』



 とある神が直々に祝福儀礼を施した銃弾は、狼男や吸血鬼に用いる銀の武器よりも尚強い効果をもたらす、妖怪、あるいは悪魔といった邪な者達にとっての、必滅の刃。

 どうすれば、それを用意出来るのか。どうやれば、それが万にも及ぶ数を確保可能なのか。

 それを疑問に思う者は居らず、誰も答えを知ろうとしない。

 それを成した一人の商人は、何処とも知れない場所。誰も知り得ぬ地にて、一人。万人に向けていた温和な笑みを……まるで、悲劇も喜劇だと言わんばかりの有様で、一変たりとも違える事なく、いつまでも柔和に綻ばせていた。





[26038] 第48話 Awakening
Name: roisin◆defa8f7a ID:ba167160
Date: 2013/11/04 23:12






『出来んのそれ?』
 

 あまりに予想外な答えであったので、思わず、素の口調をあの諸葛孔明にぶつけてしまった。

 無礼千万甚だしかったのだが、それを気にする孔明でも、それに気づく俺でも無かった(後で気づいたので謝っておきました)。

 肯定の意を示し、ゆっくりと、こちらにも分かる言葉を選び、懇切丁寧に策の説明を始め。

 俺が呼び出した者達との意思疎通の手段は、念話。それは、相手の概念が入ってくるという状態に近しいもの……で、あるというのに、伏龍とまで呼ばれた軍師の言葉と思考は、あの平天大聖とはまた違う系統の智謀を目の当たりにするのに充分であった。

 答えを教えてもらっても、まだ理解出来ないなど、久しく経験していなかった。

 文若の時にはここまでではなかったのだが、二人の作戦の概要を一直線で結ぼうとすると……そう。点と点が繋がらない、というニュアンスが近いのかもしれない。まるで、旧作と新作の白黒魔法使いが同様の存在に思えないような感覚。

 あまりに難解であったので、段々と脳が思考を拒否し始め、『ビーム撃てませんか?』、『はわわって言ってみて下さい』なんて脇道の思考に逸れそうになるのを懸命に耐えつつ得た答えを要約すると、今までの作戦に、新たに一つ。





 ―――相手に、こちらの存在を感づかせてはいけない。

 そんな条件が追加されたのだった。





 ……ただ、その結論を下した辺りで、あれ、これってもっと解説を簡略化出来たんじゃね? と思う事、頻りであった。

 説明がくどいというか、詳細に話そうとして余計な情報も提示し過ぎているというか、話す行為を楽しんでいるというか。

 何となく、出身地的にも、片腕包帯で巻かれている仙人見習いさんか、寺小屋で教師などしてらっしゃる方々を連想させるものがある。



『おっと、また悪い癖が』



 そう最後に聞こえたのは、気のせいであった……と、思う事にします。










 そうして始まる、リンやネズミ達主体の、一世一代の大プロジェクト。

 元々微々たる力のネズミ達であるが、何せ今は、あの【伏龍、孔明】がこの陣営には加わっている。

 彼の常駐能力である、自軍全てのクリーチャーに+1/+1修正。

 自軍―――神奈子さんが国を治めるようになったら頃から、触れる機会が出てきた項目。MTGに則って言うのなら、『あなたがコントロールする○○は○○となる』という文面。

 正確な条件は不明だが、どうにもこの“あなたがコントロールする”という条件は、こちら―――俺の考えに従う意思があるか否か。であるようなのだ。

 効果範囲は未だに何処までか分からなかったが、着々と進みつつあるネズミ達の行動の成果を見るに、決して狭い範囲では無さそうだと思う。

 その間、俺は何をしているのかと言えば、ほぼずっと横になって、睡眠を取り続けている。

 日本童話の三年寝太郎にも迫るのでは。と、我が事ながら思ったものだ。

 5マナの維持は、こちらの疲労回復速度を若干上回っているようで、何もせずに居ては、真綿で首を締められるように、過労死に向かって着々と一歩を刻んでしまう。

 このままでは拙い。

 よって、体力回復……疲労改善の効果がある【アンタップ】系のカードを使おうとしたのだが、何も、疲れる&疲れているのは自分だけではないのだ。

 テキパキと動き回る灰色戦士達が視界に入る。

 もっと彼らの為に……どうすれば助力となるのだろうか。

 その結果。



『……みんな元気になれば、色々捗るよな』



 思い付きから零れた、とある【エンチャント】カードの維持によって、一日のサイクルに、バッテリー残量減少による強制休止モード突入台と、フル充電のループが組み込まれる事になるのだった。










 ―――そして、そんな憂鬱な日々も、もうすぐ終わり。

 今日で四日目。

【頂雲の湖】の脇で工事監督宛らに指揮をするのも、最後を迎えようと猛進中。

 順調にいけば、明日中の正午頃には到着するであろう数万人のご一行歓迎の為、既に作戦は最終段階を通り越し、完成後の見直し工程へと突入を果たしている。

 約五十万のネズミとはいえ、現在の作戦を完遂させるには時間が足りなかったようなのだが、そこは孔明によって付与されている全体修正と、【アンタップ】効果を引き起こす【エンチャント】が補ってくれた。

 例え彼らの元々の力がゼロであったとしても、この+1/+1というのは、実際に付与されてみると、目を見張るものがある。

【伏龍、孔明】と【今田家の猟犬、勇丸】が同性能のパワー&タフネスを持っているのだ思うと、同じ数値を持つ対象によっても差異が生まれるのだろうか。などと漠然と考えていたのだが……。

 少な目に見積もっても、+1/+1は成人男性程度か、それ以上の力ではないだろうか。多分、+2/+2レベルになると、優秀な兵士とか手練れの戦士とか、その手の枕詞がドッキングされるんじゃいかと予想しつつ、まさにその+2/+2である【伏龍、孔明】を見て、疑念を募らせる。

 あんな細い体の何処にそんな力が……と思いながらも、同数値でありながらも八咫鴉を二体落とした勇丸が居たな、と。そういうものかと割り切った。

 見た目に騙されちゃいけません。特にここは、キャラの見た目と年齢が結びつかない世界観である故に。……綿月……輝夜……永琳……諏訪神奈……。これ以上の追求は無しにしておきましょう。そうしましょう。

 平均男性よりも上の力を与えられたであろう彼ら小型げっ歯類は、圧巻の一言に尽きる労働力を魅せつける。

 単純に考えて、やや屈強な人間の戦士レベルが、約五十万。

 それが、ほぼ絶え間なく労働に従事しているのだから、これが+1/+1ではなく+2/+2などであれば、人類最大だと思われる建造物、万里の長城なりが、三日三晩で完成するレベルの労働力なのかもしれない。

 更には、駄目押しとばかりにとある【アンタップ】効果を引き起こす【エンチャント】を使用中。

 元々長期活動に向いている彼らではないので、多少は異なるけれど、疲労困憊の頃合を見計らったかのようにスタミナゲージが全回復するという、素晴らしい効果をもたらしてくれている。

 日本の高度経済成長期も終わった、八十年代頃。とある日本企業が、実際にピラミッドを造るのならば、一日に作業に当たる最大人数は三千五百人との計算で五年程掛かる。と言っていた……のであったか。

 重機による労働力の削減も当然あるのだろうけれど、だとしても、常時五十万人近い労働力を投入し、維持していると言っても過言ではない現状は、突っ込み所満載のこの考え方であったとしても、決して軽々しく見る事は出来ない作業効率であろう。

 まぁ、尤も。

 一番の要は、『人間には不可能なんじゃ……』と思える数を効率良く動かし続けている【伏龍、孔明】と、彼の指示を読み取り、それを通訳した俺の声を聞くや否や、的確&迅速に仲間達へと飛ばすリンであるのは、言うまでもない。



『型が分かれば、そう難しいものではないよ。ここは任せて……と、言いたいけれど、何か分からない事が起こったら、その時は声を掛けさせてもらうとするよ』



 作業開始日の日没頃には、とうとう孔明のジェスチャーのみで内容を察するリンに、少しの寂しさと、驚きの声を上げたものだ。

 けれど、お陰で後半は睡眠を充分に取る事が出来た。これならば、目標の達成も実に容易である……などと物事が簡単に運ぶかと思えば、たった一つではあったが、決して無視出来ない問題が、俺達の前に立ち塞がる事になった。

 それは文字通りの死活問題。

 何のことは無い。単純にして明解なそれは、衣、食、住、の内の、真ん中の項目である。



『僕達も、そこまで先見の眼が無い訳じゃない。巣に帰らせてもらえるなら、十日は持ちこたえられるかな』



 一応は、ご実家の方にある程度の備蓄があるようで。この点は、リンや孔明は当然の如く議題に上げていた。

 唯一俺だけがその問題点に至らなかったのは、今の今まで、食に関して不自由した事が無い為……だと思いたい。

 数日程度なら、飲まず……とまではいかないまでも、喰わず、での生活は可能だと。

 事が終われば。あるいは、場合によっては途中でマイホームに帰還して、備蓄を消費した後に、再び戻ってくる算段であったようだった。

 孔明の作戦を聞くに、当初は、作業組、移動組、食事組、休憩組の四つでローテーション組んで回す予定だったらしい。

 けれど、パっと聞いただけでも“移動”という項目は無駄な様な気がして、【アンタップ】の効果を知っているこちらとしては、更に“休憩”という項目も省けそうだと思い。



『じゅ……三十分待って! それまでに何か考えるから!』



 ビシッと手を前に出して言い切ったのだが、どうにも情けない切り出し方であった。

 何よりまずは、食べるもの。

 リンの部下達の食事確保の時ですらひぃひぃ言っていた身としては、五十万の食の用意など、何処ぞの黒い翼の生えた鴉の文屋が挑む撮影物語で、これも何処ぞの月のお姫様の寺関連の一発撮影に成功するようなものだろう。

 何か例えが違う気もするけれど、【ジャンドールの鞍袋】を用いての飯確保は、とてもではないが、この数の胃袋を満たすには不可能だ。……と言いたいのだと察して欲しい。

 選択肢の一つに、何か巨大なクリーチャー(食べられそうな奴)を供物として……なんて道も浮かんだが、ゼロマナで良さ気な巨大クリーチャーは【アーティファクト】しか居らず、当然、そんなものは幾ら悪食ネズミさん達とはいえ、一般の生き物が摂取出来る筈も無く。

 やっぱ【土地】になるよなぁ、と。思考が方々に巡った割には、答えを導き出すのに、然して時間を要しなかった。

 ご飯、米、野菜、穀物。肉、動物、家畜、牧場。

 それっぽい単語を思い浮かべ、片っ端から、MTG関係を占める脳細胞と照合していく。

 これが戦闘面であれば、まだ色々と思い当たる単語はあるのだが、食に関する観点からMTGを見た事など無かったので、困難を極めた。

 そういう点から考えると、【ジャンドールの鞍袋】を連想出来たのは、一種の奇跡。今でも時折、そう思う。

 いっそ野菜畑、酒池肉林、なんて土地があっても良かったのではないだろうか。なんて理不尽な欲望が、ゆっくりと鎌首をもたげ始めた頃になり。



『……あ、あったかも』



 肉、野菜、と続く、もう一つの項目に行き付いたのだった。










「それじゃあ、また頂いてくるよ」

「了解~」



 ひらひらと手を振るのにも、もう慣れたものだ。

 こちらとしては、ジャン袋を使わずとも、食事に関しては問題は無い。

 文字通りに近い意味で、霞を食って栄養補給の点をクリア。このところは衣食住に恵まれていたので使う機会は無かったが、こうしてサバイバル方面へと陥れば陥るほど、便利な能力であると実感出来るものであった。

 あんまり多用していない能力であったので確定ではないが、何食っても摂取した栄養にバラつきが出ないっぽいのは、大変有り難い。野菜とかの、赤、黄、緑の最後に部類される色の食べ物は、そこまで好きではありませんので。



【頂雲の湖】の真横。そこに、俺は新たに【土地】を一つ追加した。

 所々に生える二階立てくらいの木々には、一階の半分以上から天辺に掛けてギッチリと、赤々とした丸い果実が色付いている。

 悪い魔女に騙されて口に入れてしまったお姫様を思わせる、毒々しいまでに艶やかな臙脂色。

 正直、【土地】の名前からして食べるのを避けていた。

 けれど、リンが美味しいと言うので、自制心と言う壁は好奇心によって打ち崩されて、恐る恐る口へと運ぶのを良しとした。

 だが。



(味、微妙だったんですけどね)



 これには、一緒に食べた孔明も同意してくれた。

 食べれないものではないのだが、何かこう……味の深みが、好みとは正反対の方面に伸びていると表現したら良いのだろうか。首を傾げたくなる味であった。

 しかし、どうにもこの果実、妖怪達……魔の属性を持つ者達? には好物となるらしい。

 あの平天大聖も、今ではあの【土地】の住人だ。いや、主、と言い換えても差し支えないのかもしれない。

 朝露に濡れる城の庭園を、優雅に散策する王を思わせる足取りで、果実の中でも最も良さそうなものを選別し、口へと運び、満足そうにコクコクと頷き、完食。

 決して貪り食している訳では無いのだが、この数日間、これを何度も何度も。飽く素振りすら見せず、繰り返し行っていた様子を見るに、結構気に入ってもらえたようである。

 何がそんなに美味いのか。

 平天大聖が立食大聖へとクラスチェンジして二日目の昼。

 ふと、興味本位でポロリと零してしまった質問に、



『命の味がします』



 彼は愉悦の顔で、そう答えてくれた。

 ネズミ達も、悪食、との二つ名に見合うだけの暴食っぷりを発揮。

 一匹一匹はあれだが、その数が万に及ぶとなれば、目を瞑っていても分かる結果が目の前には転がっており……。



「―――今日で最後ですか」



 噂をすれば何とやら。

 芯だけとなった果実を手で遊びながら、純白の王がこちらへと近づいて来た。どうやら、食事は終わったようだ。



「ええ。後は、明日に向けて備えるだけですよ」

「真に残念だ。しかし、後一度は行うのでしょう?」



 五十万の小さな胃袋を満たしてくれたこの【土地】も、こうして四日目を迎えてみれば、既に葉は枯れ落ちて、実がなっている木も、両の手でカウント可能なくらいに数を減らしていた。

 この分では、リン達ご一行が食事を終えた頃には、綺麗残らず消え去っているだろう。

 それに、この【土地】は充分に役割を果たしてくれた。これだけの悪食達を相手に、今の今まで役割を果たせていたのは、大健闘と称えたいくらいである。

 感謝の念を胸に抱えて、しばらくの瞑目。再び目を開いた時には、既に視界からネズミの一匹、果実の一個すら発見出来るものではなくなっていた。



「ツクモ。ありがとう。もういいよ」



 早いものだ。数千のネズミを後方に引き連れて、リンがこちらへと戻って来ていた。

 その手には、幾つか果実が確保されている。オヤツ用だろうか。しっかり者である。ちゃっかり者とも言うだろうが。



「あの光景は、何度見ても興味が尽きませんねぇ」

「……楽しんで貰えるなら何よりですが、それ以上は望まないで下さいね」

「これは愉快。あなたは本当に、言動共々、常にこちらを楽しませてくれるお方だ」



 ……望みまくりですか。そうですか。

 少しは隠そうとしくれても良いだろうに。そうまで『何かする』と言われ続けている様は、俺に防ぐ手立てなど無い。と断言しているようなものだ。



 ―――先の【テレパシー】の一件を、俺は孔明へと相談している。

 彼も、下した答えは、黒。

 絶対に何か行動を起こすそうなのだが、流石に妖怪は門外漢なようで、詳細な予測は立て難いとの事。

 けれど、行動を起こすであろうタイミングと、何を欲しているのかは、大よそにではあるが、答えを提示してくれた。



『全てが終わった直後。もしくは、終わる直前。あなたから、何かを奪う心積もりでしょう』



 ……思い当たる点が有り過ぎて、頭を抱える羽目となる。

 それは【稲妻のドラゴン】であり、【頂雲の湖】であり、【伏龍、孔明】であり、食料の確保に一役も二役もかってくれた、この【土地】なのだろう。



 ―――能力奪取。



 考えない事も無かったが、コピー、簒奪、洗脳といった、こちらのアドバンテージがそのままひっくり変えされる展開というのは、実に嫌らしく、効率的で、効果覿面な方法である。

 彼がこちらに同行した意図は、俺の力の何かを奪う為の下調べであると。そんな可能性を思い浮かべ、なるほど。それならば、同行するだけが条件だという行動も、納得が行くというものだ。

 一つ力を見せれば奪う選択肢が増え、それがより強力な、強大なものであればあるほどに、それを簒奪した時の喜びは、大きなものとなる。

 それに、行動を起こされる……仕掛けられるタイミングも、広くない範囲で絞れている。

 平天大聖が事を起こすであろう段階とは、人間の軍隊が、脅威では無くなった頃合。

 きっとその際に、こちらの油断に付け入って、何かの能力を使用するのだろう。



(先手必勝……を、やるべきなんかなぁ)


 思考はどうあれ、何もしていない相手に危害を与えるというのは、言葉に詰まるものがある。それをこちらから意図的に行うのであれば、尚の事。



 ―――それに。

 相手が先に仕掛けて来てくれたのであれば、こちらの心情は非常にすっきりとさせられる。

 月の勢力を相手にして、戦果だけに目を向ければ、余裕。と断言出来た身としては、今回の一連に然したる危機感を覚えない。

 過剰防衛、大いに結構。

 特に現状は、思い入れの無い方々が周りの全てである。

 もしそうなったのであれば、結果はどうあれ、そこに至るまでの道中は、辛酸を舐めて頂きましょう。



(と、言う事で)



 コスト維持の面と、平天大聖に悟られない様に。という面の二つの理由で、今の今まで出すのを躊躇っていた、あれを呼ぶ。

 極力光が漏れないように、硬く拳を握り、その中に生み出すイメージを思い描く。

 無から有が。

 五指を押し広げて現れる物体は、一つの小さな【アーティファクト】。とはいえ、思ったよりも大きいようで、指に隙間が作られた。ビー玉を握っていたつもりが、いつの間にやら野球ボールになってしまったようなものだろうか。

 慌てて体全体を使い、光の拡散を防ぐよう、体を丸くする。

 何とか召喚を終え、この手に握り込まれたのは、一粒の小石。



(デメリットをメリットに変えるのが、MTGの醍醐味の一つですのぅ)



 過去使用した白の【インスタント】カード。無力化系その一にノミネートしている【お粗末】は、大和の軍神相手にも、中々の成果があったのだ。

 平天大聖がどの程度の力量かは未だ把握し切れていないけれど、今、この手に握られている宝石が、全く効果が見込めない訳では無いだろう。

 取り得る手段―――こちらの手札は、約五十万の悪食ネズミ、若輩妖怪の少女、そして、俺……の、能力。

 この三点に共通する事は幾つかあるが、誰もがパワー&タフネスの項目に心許ない、という点が上げられる。

 対して、平天大聖はどうだろうか。

 腐っても―――腐ってないが―――妖怪達を纏め上げる親玉だ。

 能力によってその地位に君臨していたとしても、それが2/2以下、という事は無いだろう。











『弱者の石』

 1マナの【アーティファクト】

 カードを【アンタップ】させるタイミングに、パワーが3以上のクリーチャーは、それを行えない。

 攻撃を防げる訳では無いので、強い抑止力は期待出来ないが、これ一枚が場に出ているだけで、高いパワーを持つクリーチャーを操るプレイヤーは持続力を失う為、攻撃を躊躇う場合が多い。










 辺りを見回しながら、僅かに熱を持つオレンジ色の結晶体を、リンへと差し出す。



(うむ、こっち版で良かった……)



 時代によって【弱者の石】……に限らず、MTGに画かれているカード達は、その姿を二度、三度、変えていたりする場合もある。

 今回で言えば、過去の【弱者の石】は、人間の下半身程もある、荒削りの円錐型の石柱……宝石……? ……うん、多分宝石。

 それが近年では、握り拳大の別モノへと絵柄を変えていた。

 ならば、召喚したものには最新版が適応されるのかと思えば、



(あれ、そういや【極楽鳥】は旧型だったな)



 旧型は燃えるような赤が綺麗だった、赤い鳥。

 新型は極楽との名を現したのか、何色かの色が合わさった、鮮やかな色彩の鳥であった。



(……げっ、もしそだったら……)



 旧型については知識が無いけれど、新型【極楽鳥】の体長は、全長二メートルという設定があった筈。

 ……二メートルの鳥とか、もはや鳥じゃなくて怪鳥の域に入ってる気がする。俺ぐらいなら掴んで飛べそうな程のゴツさではないだろうか。

 こっちに選択権があるのか、それとも既に決まっているのかは、恐らく前者だろうが、今後の課題として。



「はい。これ」

「これは?」



 不思議そうに眺めるリンに、大まかな能力を説明し、【弱者の石】を預けた。

 自分達には効果が無く、力を持つ者―――今回に限って言えば、平天大聖にのみ作用するであろうアイテムであると。

 二、三日前から出したのでは、体力が戻らぬ事態に疑問を持つかもしれない。察しの良いお方の事だ。あいつに与える時間は少ないに越した事は無い。

 故に、こうしてギリギリまで出さずにいたのだが、



「凄い……」



 おそるおそる受け取るリンに、壊れ易いものでもない筈だが、と思いつつ、1マナ使用による若干の疲労感と共に口を開いた。



「ってことで、それは何とか隠し持っててちょーだい。平天さん相手には、時間が経てば経つほど、効果が現れると思うのさ」

「君が持っていたら駄目なのかい?」

「駄目って訳じゃないんだけど、いざとなったら……バレた時かな……そん時には、お前か、ネズミさんの誰かに預けて逃げ回ってもらおうと思ってたからさ。咄嗟の時には、言葉が通じるお前の方が有利な訳ですよ。あいつの興味って、殆ど俺に向いてるし。気持ち悪い事に」

「分かった。死守するよ」



 おぉう、言葉が重い。



「いやいや。連続じゃ厳しいが、時間があれば何回でも出せるもんだから、あんまりその辺は気負い過ぎんな。良く効く囮、程度に思っておいて。じゃないと、俺が心苦しい」

「……何回でも、か」



 おう。と応じる声に対して、吐息で返すとは失礼な奴め。気持ちは理解出来ますけれど。



「これがもし君の言うとおりの効果なら、僕達……ううん。力ある者と無い者との関係は一転するだろう。それこそ、どんな手を使ってでも、殺すか、奪うか、壊すか画策するくらいには」



 日々のストレス、けだるい疲労。

 そんな最中のお褒めの言葉でありましたので、しばらくぶりの嬉しさに、テンションがハイなものへと高速移動。



「そうだろう!? どうよ、このバランスブレイカー! 十全に効果が発揮される訳じゃねぇだろうが、それの半分でも現れてくれたんなら、万々歳ッスよ! それに【弱者の石】とか、名は体を現す、を地で行く感じが最高じゃん!?」



 むふぅと一息。鼻から白い煙でも見えるくらいの息を吐き出した。目を大きく見開いて、ドヤ顔アピールも忘れない。

 ……あ、リンが肩落としやがった。



「まったく、君って奴は……」



 リンの言葉だけを見れば呆れのみしか感じ取れないけれど、まぁ、それが笑顔と共に零れたものであったのならば、悪い印象では無さそうだ。

 自分達の上に居座る者達のみに作用する、遅延性の猛毒。

 幾年も虐げられてきた者にとっては、恨み辛みの相手の生死権を得たようなものだ。

 暗い感情から派生しているのは疑いようも無いが、元より泥水か、それ以下の扱いを受けて来た者達である。これを責める者が居るのなら、神だろうが仏だろうが、無言のままに、頬に一発入れてくれるわ。



(……とは言っても、な)



 これだけでは、決定打にはほど遠い。

 相手が何かして来たのであれば、それこそ幾らでもエグい方法を実行出来るのだが……いっそ思考を徐々に欠落させるものとか、直接肉体に作用しないような……いやでもそれはそれで……。



「……ツクモ?」



 懸念が態度に出ていたようだ。

 不安に揺れる瞳でこちらの顔を覗き込むネズミの少女に配慮して、言葉を返す。



「ん、考え事。気にすんな」

「……分かった」



 聞きたい事はあります、と。

 それでもこちらの心中を察して、言葉を切り上げてくれた事に、ごめんな、と。少しの申し訳なさを覚える。

 事が終わる直前を見極めて、対処可能なカード達を纏めておこう。

 今出来るのはそれくらいだ。現段階で平天大聖へと、何か事に及んでは、人間の軍隊と妖怪の王相手の二面作戦を取らなければならなくなる。

 唯でさえ制限が多いのだから、これ以上、懸念事項を増やしてなるものか。



「じゃあ、明日に備えて、最後の栄養補給と致しましょーか」



 意識を切って、目の前の【土地】を砂丘へと戻す。

 都市製作シミュレーション、シムなんちゃらの早送りモード宛らに、一瞬で地形が変貌し終える様は、何度見ても圧倒的である。

 いずれは食肉系の供給も大量に出来る様考えておくかと思いながら、再びそれを呼び出した。



(来ませい! 【禁忌の果樹園】!)










『禁忌の果樹園』

【特殊地形】の一つ。

【タップ】する事で好きな色のマナを一色生み出し、同時、対戦相手一人を選び、そのプレイヤーの場に1/1で無色の【スピリット】クリーチャー【トークン】を一体加える効果を持つ。

 全ての色のマナが出るというのは大変重宝する能力であるのだが、何も考えずに使えば、相手の場に徐々に蓄積されていく1/1【トークン】によって、倍々式にダメージソースが増す為、この1/1の【トークン】を対処出来るか、それがメリットとして働くような。あるいは即死コンボデッキでもなければ、【頂雲の湖】以上に使われる事の無いカードに仕上がっている。

 ……で、あったのだが、この相手の場にクリーチャーを強制的に召喚させるというデメリットは、とあるデッキにおいては多大なメリットとなり、キーカードの位置付けに近いポジションに収まってしまったカードである。よって、ある程度の経験を積んだプレイヤーには、場に出した瞬間に―――無論、それだけではないが―――特定のデッキを連想させる事になる。



『スピリット』

 クリーチャータイプの一種。

 精霊や幽霊といった、幻影のような存在に多く付随される。このタイプに合わせて別のタイプを持つクリーチャーが多い。似たような系統に【エレメンタル】【フェアリー】【ナイトメア】といったものも存在し、間々、『これは【スピリット】というよりも○○なのでは?』といった疑念や話題が尽きないタイプであるとか、ないとか。










 再び現れる、乱雑に植林されたような木々達。無数に実る、真っ赤な果実。一寸前の色褪せた景色が嘘のように、瑞々しい果物をその枝に実らせている植物達が、復元を果たす。

【森】だと明るい色がなかったせいか、そうは思わなかったのだが、今の気分は花咲じいさん。灰すら用いないのがミソである。



(あん時は、何度もお世話になったなぁ)



 昔はよく黒をメインで使っていたが、黒だけに固執していた訳では無い。寧ろ、予算が許す限りで、あらゆる分野に手を出していたものだ。

 時間と体力の制約によって、ここでは日の目を見る事は無いだろうが、あのデッキには過去何度も助けられ、あるいは逆に、辛酸を舐めさせられたものである。ミラーマッチ(同型デッキ同士の対決)とか結構熱かった。懐かしい。

 ……ただ時折、木の根が団子になったような、サッカーボール大の何かが動いているのを見かけるらしい(ネズミ談)。

 現状、俺の認知する範囲に対戦相手は存在せず、マナも出ないので【タップ】させる必要も無い。

 よって、この【土地】の、例のデメリットは発生しない筈なのだが……。

 もし出会った場合には、恥も外聞もかなぐり捨てて、脱兎の如く逃げさせてもらおうと思います。



「九十九」



 ぬ、平天大聖がお呼びです。

 初日から、監視役に。と張り付かせている【メムナイト】が後方に控えており、これでは一体どちらのクリーチャーなのかと、やや拗ねる。

 ただ、間違いなくあちらの方が様になっているので、口惜しい事この上ない。



「はい、何でしょう」

「こちらの果実。幾つか頂いても?」



 あら、お土産確保ですか。

 あっちから話し掛けて来る事はそうそう無かったんで、何言われるかと心配したけれども、どうやら杞憂だったようだ。



「え、ええ。個と言わず、本単位でどうぞ。もしあれでしたら、こちらの目的が終わった後でなら、そっくりそのまま、あの山に出しても良いですし」

「それは有り難い。これだけの品、そうそう出会えるものではありませんからねぇ。それが園丸々一つ分ともなれば、皆も、妻も喜んでくれるでしょう」



 ……何だって?



「妻?」

「ええ。あれの舌は中々に厳しいもので。しかも、私は菜食を主としていますが、あちらは血肉が好み。同じ卓に着く機会も数えるほどでしたが、これならば、あれも気に入る事でしょう」



 HAHAHA。妖怪の親玉が草食とか笑わせてくれる。お前は牛か馬かっつーの。

 しかも夫婦仲が上手くいってないとか、今まで散々こっちを弄ってくれたストレスを帳消しにしてくれる情報ゲットだぜ。ギャップ萌えでも狙っているのかと尋ねてみたい。

 他人のプライベートを無闇にベラベラ喋るのも気が引けるが、機会さえあれば、進んで誰かに話してみたいネタである。

 ……のだが、自らの評価を引き下げるような言動など、幾ら美味いもん出したとはいえ、こちらのお方がするわきゃ無いので、このお話は墓場まで持っていく事になるだろう。うっかり話して、何か爆弾仕組まれていたんじゃ、もはや苦笑すら取れやしない。



 ―――という事は、聞くだけなばら、問題無いのである。筈なのである。

 まさかの既婚者宣言に大いに驚かせてもらった流れで、色々とその手のお話を突っ込んで聞いてみようと思ったんだが、さぁこれから。というところで、孔明に遮られた。

 作戦の最終確認がそろそろ終わるので、今後の事について少し話をしよう。という事らい。

 折角の機会を奪われ、無念の声を上げながら孔明の後へと続く。

 あれは終わったか。これは覚えているか。それはどうなったのだ。

 数日前と変わらず、寝そべりながら話をする俺と、瞑目の後に、やたら長めの説明を始める伏龍に。気持ちだけは誰よりも真剣であろうリンとの最後の会合は、特に真新しい事も無く、恙無く終了し。



「そろそろ……かな」



 自然と生まれた静穏の空間に、ぽそりと、言葉が投げ入れられた。

 呟きに近い音であっても、全員がコタツを囲っているくらいの距離である。耳を澄ませば呼吸すら判断出来るだろう。



「そうだな。いつもならこれくらいに効果が現れてくれる頃合か」

「君が扱う……術、は幅が広過ぎだ。節操が無い。とは思わないのかい?」

「返す言葉も無いが、便利だろ? これ」



 そうだね、と。

 元々責める気など皆無であったので、リンの顔が綻びを見せる。

 彼女も、この【エンチャント】の効力を満喫している一人であるのだ。よっぽど偏屈な奴でもない限りは、万人が望む効果であろう。



「……あ」



 それは唐突に。

 狐の嫁入りを見たように、何の予兆も無く実感出来るもので。



「―――んっー!! 生き返ったぁ!」



 満足の表情と共に、ネズミの少女が背後へと倒れ込む。

 両の手を頭上へと伸ばし、そのまま寝そべる姿に、こちらも暖かな気分になる。

 孔明も、一つ、大きな吐息を零す。

 どうやらあちらにも効果は現れたようだ。溜まった疲れ―――気持ち的なもの―――を、吐き出す空気と一緒に排出しているのだろう。

 同時、周囲からネズミ達の歓喜の鳴き声が。

 使用時当初からの反応であるのだが、この感覚は甚くお気に召してくれたようだった。










『覚醒/Awakening』

 4マナで緑の【エンチャント】

 場に出たカードを【アンタップ】するタイミングとは別に、各プレイヤーの一ターンに一度訪れるタイミングで強制的に、全てのクリーチャーと【土地】を【アンタップ】する能力を持つ。

 細かい点を除いて説明すると、通常の三倍【アンタップ】を引き起こすカードである。

 これをキーカードとして機能する【ロック】デッキ、名前そのままな【アウェイクニング】が有名であり、【土地】から豊富に湧き出るマナや、クリーチャーを【タップ】する事で発動する各種能力をこれでもかと活かした構成に仕上がっており、他の【ロック】デッキとは一味違ったプレイを魅せるものである。



『人々を奮い立たせ、その人々に行動を要求するときというものがある。今がそのときだ。我々がその人々だ。これがその行動だ。行け!』――― 葉の王、エラダムリー






 


【フレイバーテキスト】的に、さぁこれから一大決戦だ! という場面で叫んでみたい気もするが、効果の程は長期向けの性能なので、難しいところである。残念だ。

 リンの手が上がり、ネズミ達の声を鎮め、就寝を促す。

 段々とその音量を抑えながら、自らが体を休める場所へ移動する赤黒い絨毯。



「孔明先生」



 こちらの意に応え、すっと孔明は立ち上がる。

 それよりもやや早く直立の姿勢を取った俺は、腰を曲げて、念話で感謝の礼を述べた。

【メムナイト】の報告では、現状、平天大聖はこちらを見ていない。

【アンタップ】効果によってもたらされる疲労回復状態に、夜空を見上げながら、頬を愉悦によって吊り上げているようである。

 今ならば問題は無い、と。

 光となって消える【伏龍、孔明】を見送った後で、【覚醒】への供給を中止。

 元々【エンチャント】や【アーティファクト】への維持費はクリーチャーに比べて少なかったのだが、【覚醒】の使用を考慮した際に、それでも4マナは厳しいだろうと。

【覚醒】の【アンタップ】効果が発揮されるまでは、永琳さんから貰った腕輪か、別の【アンタップ】効果を持つカードを使って、疲労を凌ごうかと思ってたのだが。



(一体いつ付与されたんだか……)



 新たに一つ。

【エンチャント】を維持する際の負担が、大幅に軽減されているのを発見する。

【トークン】維持コスト軽減に引き続き、新しく判明したスキルに、4マナ域開放に次ぐ、達成感を実感出来た。



 そんな進歩を実感させられるカードも、これでお役御免。

【土地】や【トークン】は相変わらず。

 今の状態は【今田家の猟犬、勇丸】の維持のみが、疲労の全てである。と判断出来る範囲のものだ。次点で【メムナイト】の維持にやや疲れを感じるが、これも元はゼロマナなので、然して問題ではない。精々、溜め息が多くなる程度。これも、ノープロブレムだ。



 ―――これで、全ての下準備は整った。

 後は、充分な睡眠を取って、事に望むだけである。










 岩場の影。

 諏訪の外套を体に巻きつけ、薄い寝袋のように用いる。保温性能は中々のものだ。寒過ぎもせず、暑過ぎもせず。心地良い温もりが、全身を包む。

 付け加えるのなら、今この場には、あの【禁忌の果樹園】の葉を用いて造られた簡易ベッドが用意されていた。

 果樹園を出して二日目の夜。

 こちらに気を使ってくれたネズミ達による、粋な計らい、という奴である。

 思ったよりも普通の感触……寝心地に、幾許かの安心と、幾分かの肩透かしを同時に感じながら、雨降ったら悲惨だな。と、天蓋が星空の寝床に身を委ねる日々が続き……それも、今日で終わり。

 初日は例の【スピリット】【トークン】の亡霊でも襲ってこないかとひやひやしたものだが、事なきを得られたようだ。



 夜空を飾る宝石が眩くて。

 何度も見ている筈なのに、篭った吐息が口から漏れた。

 数匹のネズミの偵察によって、明日の正午頃には到着するだろう。との報告は受けている。

 そうなれば、後は、細かな判断は要らない。

 孔明によって叩き込まれたタイミングを逃しでもしない限りは、一切証拠を残す事なく、人間の軍隊を長期に渡って再起&行動不能にさせられる。

 早起きする必要は無さそうだが、



(……今更、緊張か)



 ぐっすり寝れるかどうかは、難しいところだろう。

 極力目を向けずに居た、責任、という言葉が重く圧し掛かる。

 重く受け取ろうが、軽く考えようが、今回の場合、成すべき事を成していれば、結果は全く変わらない。

 そう思って、義務に、悪ふざけにと、何かしらに我武者羅に意識を向け続けていたのだが、思慮の浅い自分の事だ。寧ろ、この行動は最悪の選択であったのだろうかと、今更過ぎる後悔が襲い掛かる。



(……いやいやいや、あれこれ考え過ぎて『いっそ全体除去カードでも……』とかに答えが落ち着き掛けたから、今の方針にしたんじゃないか)



 ……思考がストライキに近づくと、全てをリセットしたくなる。

 ここ最近。特に月であれこれ唸り続けていた頃から自覚し始めた、自らの思考の傾向に、溜め息が出た。

 大和に居た時とは違う。

 あの時は、あの人の……あの人達の為になるのなら。と、それのみを追い掛けていた。

 ……あぁ、しかし、諏訪子さんと初めて対峙した時にも、そんな思考を巡らせたのであったか。

 差異はあれど、よくよくひるがえってみれば、それらの兆候は所々に見受けられるものだった。

 理由を他に預けていて気づかなかった自己の内面は……いやはや、何とも。



(とりあえずは……お勉強から、か)



 申し訳ないが、孔明先生は、現段階では難易度高過ぎる。ここはやはり、文若先生に個人教師の先達を勤めて頂いて……。





 ―――と。



「……起きてる、かい?」



 雑念は、可愛らしい声によって掻き消えた。



「……ん? はいはい。まだ大丈夫ですよっ、と」



 横たえた上半身を起こし、声の方へと向ける。

 ぐちゃぐちゃした思考に、一服の清涼剤。実に有り難い存在である。



「どした?」

「……ん……どうした、という訳では無いんだけど……」

「……?」



 小さく、こちらの眉間に皺が寄る。

 えらく歯切れが悪い。

 視線があっちこっちへ行ったり来たり。

 深刻な表情ではないので、切羽詰った用件では無いようなのだが……。



「リン」



 こちらの呼び掛けに、何故かビクリと肩を震わせる。



「……何故そんなにビビる」

「い、いや。な、何でもないよ」



 どう見ても、なんでもなくないですが、突っ込まないのが優しさだろう。

 ……まぁそれは兎も角として。

 今度は、こちらの疑問に答えてもらいましょう。



「別に良いんですけどね。……ところで、だ。お前の後ろに居る、いっぱいのお仲間さん達は、一体何なのさ?」



 今か今かと、何かを心待ちにしている風に、リンと俺の両方を見続けている、ぷち王蟲の群れ(赤目状態)。夜だから特に目の色が鮮明です。

 ……まさか今更、俺を喰う気じゃあるまいな。

 もはや条件反射だ。

 脳裏に【死への抵抗】をセットした直後、俺の言葉に、リンは自分の後方をバッと振り返った。

 こちらからはその表情が見えないが、段々と肩……と、後、握り拳になっている手が震えを増していき。



「―――あっちいけー!!」



 蜘蛛の子を散らす。の諺の代わり、ネズミの群れを散らす。なんて諺が出来そうな光景が。

『焼き払え!』もかくやな一喝に、プトロンビームで消し炭……もとい、撤退し、方々へと散って行く。

 肩で息をし、叫び終えたリンを見るに、どうやら俺をとって食おう、という意図が無い事だけは理解出来たのだが……これは……何ぞ……?



「……うぅ」



 リンの深呼吸。

 何かの決意を、硬く、胸に秘めました、と。

 そう感じられる振り向きに、思わずこちらも唾を飲む。



「……」



 ……けれど、その後は一向に動く気配をみせない少女。

 会話が途切れ、呼吸の音のみが辺りに響く。

 これはどういう状況なのかと、改めてリンの様子を観察する。

 先と変わらず、目線が四方へと飛び回り、もじもじとする仕草は、何かを切り出そうとしながらも、それにまで踏み切れないのだと察せられ。

 天体の光に浮かび上がる顔、幼い頬には薄っすらと朱が差している。



 ……答えは、ものの三秒で出てくれた。



「……なぁ」



 ビクリと震える少女に対して、吐息。疑念は確信に近づいて。

 ……これが、たった一人であったのならば、また違う答えを導き出していた。

 けれど、彼女が現れた時の状況―――ネズミさん達が後方に出歯亀……野次馬……見守っていた状況を考えて、尚且つ、今までのリンのこちらの反応や態度を思い返すに、そういう可能性は大分低く、純粋に、羞恥心のみが現在の彼女を支配しているのだと予想を立てる。

 俺の脳裏には、学校の裏の夕暮れ時。若い男女が俯きながら相対し、それらを見守る友人知人のワンシーンが再生されていた。



「決定打は何だったのよ」



 リンが、言われただけでこんな行動を取るとは思えない。きっと、止むを得ない何かを突きつけられたのだろう。

 耳を立て、尻尾を伸ばし、目を見開いて。

 大きく安堵の吐息を吐き出して、感謝の念すら篭った視線を向けられた。

 ぺたんと座り込む様は、全ての苦労を吐き出し、芯が……空気が抜けた風船にも見える。



「……助かったよ。僕の方から切り出すのは、ご法度だったから」

「男としては残念だが、役に立てたのなら何よりです。……で、どういう流れで?」

「ざっ!? ……おほんっ。……話すのは吝かではないんだけどね。……でも、その前に」



 そこまで深く考えなくても良いだろうに。俺にも分かる程に反応が初々しい。微笑ましい限りだ。

 暗闇の一箇所。俺から見ればただの黒な地形であるそこに、リンは睨みを飛ばす。

 途端、岩場の窪地から、数匹のネズミが、か細く鳴きながら駆けて……逃げて行った。全く気づかんかったです。流石、ネズミ。隠密性は目を見張るものがある。



「……監視役ッスか」

「盗聴役、の方が正しい答えかな。……はぁ、全く……」



 呆れながらに呟く少女は、体の後ろに手を回し、実は。と、目尻を下げながら、事のあらましを切り出した。

 話自体は大して時間も掛からずに。

 途中でのリンの溜め息やら何やらで間は生まれたが、それだけだ。



「まさか、自分達の撤退を条件に載せてくるとは思わなかった」

「……冗談だとは思……いたいが、もし本当にやられたら、参るなそれは」



 あのネズミ達の行動原理は、何処から発生しているのやら。

 不満たらたらに話すリンの内容を一言で纏めると、



『YOU! 告っちゃいないYO!(俺達のご利益の為に!)』



 との事。

 断ったら、俺達帰る!

 そんなノリで言われた少女は、しばらく我を忘れたそうだ。



「君の後光を、ずっと浴びたかったようだよ。今のこの高待遇は、期間限定だからね」



 最後には【再生】系を用いて、身体的にも全快して頂いた後での話であるけれど。

 確かに事が終われば、彼らとはもう、会う事すら無いだろう。




「君は、口だけの神様とは比べるべくもない存在だ。……今でもこの湖と、そこの果樹園の創生術は目に焼きついている。飲み水の確保の為に、僕達の住処は地面の下にある。そして、そこから食料を得ようと思うと、方々に旅立っていかなければならない。一番のお得意先は、七天大聖の統べるタッキリ山だが、あそこに行ったものは、十匹の内に二、三匹は永遠に戻らない。という程に危険なところだから」



 こちらから視線を切って、【禁断の果樹園】を見つめる。



「木の妖怪は時折見かけるが、命を落とすものは居ない。外敵も、明日の食料への不安も、何も不自由の無い楽園なんだ。僕達にとっての、この場所は。それを、全力で保ち続けようとしての、この行動なんだと思っているよ」



 安定した生活というのは、古来より―――つまり今の時代からだが―――人々が目指す目標の一つである。

 特に、命が簡単に失われる環境下では、その傾向が強い。

 宗教を信じる―――信仰というのは、そんな、意図も容易く運命が左右され、時に潰えるあやふやな生き様に、確固たる不変が欲しいが為の場合が多い。

 人が死ぬ事など、病か、事故か、各シーズンのレジャーを愚かに考えていた時くらいしか出会う事の無いであろう島国出身の俺からみれば、とても納得のいく理由であった。



「……まぁ一番の理由は、面白そうだから。だろうけれど」

「あ、あいつら……」



 今までの切実な心中吐露を、オチで全部、夜空の彼方へぶっ飛ばしやがりましたよ。

 何ふざけた事を……との考えは、先にノリノリで馬鹿やった自分が言えた事ではないかと、自己完結。

 というか、命の危険に多く関わる者達は、この手の刹那的な衝動を大事にする傾向があったなと、諏訪、大和通して感じていた。



 狩りの囲い込みに失敗し、馬の群れに轢殺された青年も。

 山菜を採りに行き、翌日、壊れた人形の姿になって川から流れて来た老人も。

 出産とは、それだけで命懸けの行為なのだと。息みによる疲労が祟り、胎児共々、冷たくなってしまった女性も。



 いずれも現場には居合わせなかった……死者を弔う儀式の際に、耳にした程度の話ではあるけれど。

 戦などではない、日常生活の範囲でさえ、命の比重が羽よりも軽くなる時がある、死と隣り合わせの、この時代。

 明日にも消えるかもしれない自分であるのなら、今を全力で楽しもう。

 そういう気概が、彼らからは見受けられるのだ。



 直接戦闘を行う訳では無いけれど、既に、三千を超えるネズミ達がその身を犠牲にしてくれてる。

 とは言っても、生死判定の犠牲ではない。軽、重、の後に“傷”が付く方の犠牲である。“体”レベルが出てきていないのは、まさに不幸中の幸い以外の何者でも無い。遠く、異国の地であるというのに、諏訪&神奈両名の加護でも発揮されているんじゃないだろうか、と思えてならない状態である。

 俺の思っていたよりも+1/+1は有効であったようで、今の彼らは、昆虫が人間サイズであれば云々。という例え話に等しいレベルへと達している。あの小さな体に、成人男性まるっと一人分のパワー内臓中。現在の作業でならば、サポートしてくれる同胞も数多く、まず命を落とす事は無いだろう。

 しかし、危険な作業だという事に変わりは無い。

 現に、大小様々な理由で作業から離脱しているネズミ達が居るのだ。平天大聖や人間の軍隊を相手にしている現状では、体力も、マナも、時間も、節約出来る箇所は出来る限り節制していかなければと、【覚醒】による【アンタップ】効果が現れる直前まで【再生】系カードの使用を渋っている身としては、何も言えなくなる。

 そんな彼らの楽しみが、こちら―――俺達があたふたする反応一つで済むというのなら。



「……そ、それで」



 あれ、完熟トマトが再降臨。

 こちらの細々とした考えは、その表情だけで、霞と消えた。



「え、今ので終わったんじゃないの?」

「……僕、と、君、が……一緒、に、……寝ているところを……見ないと……駄目だ、……って」



 寝るって……あっちの意味なんだろうなぁ。

 見せる、という単語に漸く疑問を持ち始めた辺りで、リンの様子が、これまでとはまた違った動きをしているのに気がついた。

 俺と、俺の後方に視線を行ったり来たり。

 釣られ、彼女が見つめる先に目を凝らしてみると。



「……怖ッ」



 小山と夜空の境界線。

 夜明け直前宛らに赤が着色されており、無数のネズミ達が、こちらをガン見されている様が否応無しに理解出来た。体は隠しているようだが、光を反射する眼球によって、隠れる気皆無状態である。

 リンの一喝で散って行き、間近で見聞きするのは諦めたけれど、行動の結末を見届けるのだけは、譲る気は無いようだ。



「かっ、勘違いしないで欲しいんだけど! 彼らも、今の僕にそこまで期待はしていない! 仲が良くなった、というアピールの範囲で良いんだからね!」



 あっちの意味ではなく、どうやらこっちの意味でした、と。

 というか、やるのは確定ですか。

 仲が良い。との表現をするのなら、ハグとか抱っことか、そんなのでも良いのではないでしょうか。

 俺も結構恥ずかしいのだが、目の前に、自分以上にテンパっているお方がおりますと、逆に冷静になると言いますか。リンには申し訳ないが、君が焦ってくれていて助かってます。

 しかし、あたふたと右往左往する人は、どうしてこう……。



「……まぁ、何だ。そういう考えは、体が出るとこ出てきてからにしなさい」

「なっ!? そっ、そんな考えなんてしてないよ!」



 だったらこの会話は成り立たない筈なんだがなぁ。見事にキャッチボール出来ている時点でバレバレでございます、お姫様。



(からかうのは好きだが、からかわれるのはダメ、と)



 リンが射程圏内であったのなら、きっと俺は鼻息荒くなっていたのだろうが……。今後の彼女に乞うご期待。何年後かは不明だが。

 ……ただ……しかし……いやもう、あれですな。



 ―――唐突ですが、我慢の限界を超えました。



「―――リン」



 肩がビクリと揺れて、耳と尻尾がピンと立つ。

 真剣に。おふざけの色合いを完全に抜き取った声色を発してみたのが功を成したようだ。胡散臭い……いや、かなりウザいであろうウィスパーボイス風だったが、リン相手には通用したようで。

 ここでしっかり反応してくれると、それだけでウキウキ楽しいのだが、ネズミ達の要望に応えなければ、下手すると、彼らの助力を失う羽目になる。それだけは防がねばならない(建前)。

 さっきまでなら、こんな考えなど全く思っていなかったのだけれど、弱味を見せた相手というのはどうしてこう、からかいたくなるものなのだろうか。何となく、某花畑を塒としている妖怪の気分が分かった気がします(本音)。



「な、なんだい」



 そんな相手はおろおろと、少し前に散々泳がせたであろ目線を、再度遊泳させていた。



「―――撫でさせて」

「……はい?」



 予想通りの反応、ありがとうございます。

 まぁ、そういう勘違いをさせる為の言動ではあるんだが……チビッ子相手にナニしろってのさ。

 女の子相手には犯罪だよなと思う面もあるが、女の子というよりは、小動物の類にしか見えないのです。

 子犬や子猫を撫でる行為を犯罪だと思う者が居るだろうか。いや、無い!

 ……つまりは、罪悪感がほぼ皆無状態なのである。

 以前から大いに不足していた勇丸分を、ここで補給しておこうと思います! 超触りたかったのよそれ! もふもふそうだから!




「耳だけで良いからさー、頼むよー」

「僕の耳を何だと思ってるんだい!」



 一瞬、『何もしないから』と宿泊施設に誘ったり、『先っちょだけ』などのたまう男を連想したが、忘れる事にして。

 夜天で陰る顔であっても尚分かる、朱に染まった頬。

 両手で耳を覆い隠しながら、今や、何か一つでも物音がしようものなら、電光石火でこの場から離脱する意気込みすら透けて見える程である。



「何って……チャームポイント」

「……」



 ……あれ、何その反応。

 恥ずかしがっていた様子から打って変わって、驚いた表情を浮かべた。

 話し掛けるのも躊躇う姿であったので、変な空気が漂い始める。

 そして。



「……良いよ」



 全く想像していなかった返答であった。



「えっ……自分から言っておいてあれだけど、良い、のか?」

「君のことだ。どうせ何だかんだ言いながら、最後には結局、するんだろう? だったら初めから認めてしまえば、多少は扱いが変わるかと思ってね」



 しばらくもごもごした後に、少し俯き照れた表情をしながら。



「……それに……」



 続く言葉に、思わぬ反撃を受ける事になる。



「……その……お母様以外は……初めてだったから……。人であれ、神であれ。忌み嫌われていた妖怪の象徴に、好意を持ってくれたのは」



 言葉の裏から、その象徴に誇りに近いものが宿っていたのだと察する事が出来る言葉であった。



「ッ!」



 ……くそ。今度はこっちが面食らってしまった。



「……どうしたんだい?」



 耳をピクピクさせ、上半身を前へと傾けながら、覗き込む様に、その身をこちらに乗り出してきた。

 上目遣いに、いつでもどうぞ。と言い表している態度に、からかうという意味合いの強かった欲望の熱が、急激に冷めていく。



「……寝る!」

「えっ?」



 彼女と初めてであったあの日と同様に、背を向けて草のベッドに倒れ込む。



(あんな事言われた後で、行動になんか移せるかってんだ)



 触りたいのと、リンが困る反応で楽しむのが、主な目的。

 けれどそれは、彼女が密かに誇っていた象徴を安直に貶す事を、良しとするものではない。



「……そうか。……そうだね。変な事を言った。ごめんよ」



 ……おいこら。何でそこで残念そうな声色になってるんだ。謝るところなんて全く無かったじゃないのよ。寧ろ怒るとこだったじゃないのさ。



(まさか、『やっぱり君も、僕の事は妖怪と~』云々な思考に陥って、凹んだんじゃないだろうな)



 出会った直後に宣言した通り、妖怪だとは思ってはいるが、だからどうした。というのが正直な感想だ。

 人間だって、大雑把に分けて白、黒、黄、な肌の色が居る訳だし、人間と妖怪の差なんて、見た目が人型であるのなら、精々がその程度のものではないだろうか。

 今更、耳と尻尾があるくらいの差異など、禿げかロン毛か、の違い以下である。……逆説を唱えてみれば、人型妖怪と人間との差は、無毛か長髪程度の誤差しか無い、と言っているようなものだろうか。





 ―――さて、この場合、どちらが妖怪側に部類されるのか。追求するのは吝かではないが、それに悩む男性……女性含む人類の尊厳の為に、この思考は凍結させておこうと思う―――





 伊達に、江戸時代から(くんずほぐれつな方面の)擬人化文化のあった地で暮らしてはいない。その手の寛容さには、そこそこ自信がある。

 全く根拠の無い。と、後に続くのものだったが、リンに対する自らの感情を正直に判断するに、多少は裏付けのある自信にしても良いだろう。



「―――あぁ、もう」

「わっ!?」



 不貞寝を決め込んだ姿勢から一転。

 不意打ち気味に反転し、体育座りを崩した格好でいた彼女を、抱き抱える様に草ベッドへと引き摺り倒した。

 俺の体を敷布にして、頭を抱える姿勢で、触る程度に耳を撫でる。




「ひゃんっ―――な、何を」



 えぇい変な声出すな。

 最低でも十年早い。肉体年齢的に。



「……話を聞くに、だ。一応人間として、んで人間側としての意識のある俺からしてみれば、あんまり言えた事じゃないんだが……」



 ウィリクの国に居た時の出来事が思い返される。

 灼熱の通りを。城の内部でも。

 酷く気分の悪い視線を向けられる少女の姿。それを懸命に耐えながら、今日の今日まで過ごして来たのだろう。



「今触らしてもらってるけど、細かな毛並みとか、とっても丁寧に手入れされてるのは分かる。手触り抜群で気持ち良い。ミンクとかアザラシの赤子のコートなんて目じゃないくらいだ。……他の奴らが何と言おうが、俺はこれ、好きだぞ」



 ミンクとかアザラシとか全く知らんだろうが、構うものか。雰囲気で流そう。

 妖怪に対して忌諱する人間側の感想や感情も充分に理解している……と思う。

 俺だって、今の力が無い状態で全く知らない妖怪に出会ったのなら、心中穏やかでは居られない。何としても、その危険性を回避するだろう。

 ただ何と言うか、その力が無い状態“ではない”という境遇である為、当人からしてみれば虎でも、俺からしてみれば猫のような。危険や脅威に感じる必要が無いのが、妖怪=敵というフィルターを通さない理由の一つ。これは余裕と言うのだよ。とか言ってみたい気もします。

 ……なんて、だらだらとした思考を続けていたのだけれど。

 抱き込んだ胸の上で、リンが何か言おうともぞもぞしているのだが、一向に続きが出る気配が無い。



「……おチビさん、何か言いなさいって」



 せめて、現状に対する答え―――止めてくれ等、は確認したいところであったのだが。



「……ありがとう」



 ……そういう感想は、大変卑怯ではないでしょうか。



「どう致しまして。……じゃ、寝ますか」



 もうこれ以上は追及出来ない。ならば、さっさと次の行動に移るとしよう。

 返事も待たずに、胸の重みを横へとずらして、再度、体を横に向けた。

 背中に何やら言いたげな存在を感じるのだが、これ以上何か行動を起こす気は無い。自分の顔に血液が集っているのが分かる。見られてなるものか。

 この辺は先の演説同様、殆ど進歩が見られない事実に内心、頭を抱えながら、僅かにシャツを摘まれる感覚と、背中に擦り寄ってきた温もりに、ビクリ。そちらに意識を傾けた辺りで。



「んっ……君の背中は……暖かいね」



 ……彼女の全身を揉みくちゃに撫で回そうと暴走しかけた右手を、全体重を乗せて鎮圧。自らの舌をも噛んで、意識を方々へと飛ばす。



「……あんま引っ付くなよ? 寝返りでお前に圧し掛かっちゃ、目も当てられん」





 ヒキガエルならぬ、ヒキネズミの製作には携わりたくないもんだ。

 幾ら妖怪だからといって、成人男性の重量は、決して軽い部類ではない筈だから。



「……それも良いかもしれないね……」



 蚊の鳴くような声であったのだが、ほぼ無音の夜天と、音源が間近であった為に、幸か不幸か、それはしっかりとこちらの耳に届いていた。

 今の台詞を、流石に自殺願望の類だとは思えない。

 つまりは……



「……嫌なら言え」

「え?」



 最初の時と同様に。けれどあの時よりも優しく、包み込む様に胸元に抱き寄せた。

 暖かい。

 彼女が漏らした言葉と同じ感想を懐く。

 こちらの腕の中にスッポリと納まる温もりは、体の熱だけではないだろう。



「ツ、ツクモ……」



 戸惑う声には、困惑の色が伴っている。

 拒絶の様子は無い。どうやら、独り善がりの行動からは逸脱出来たようだ。



「って、こら、わっぷ……尻尾を変なトコに絡ませんな」

「……え、わっ」



 おっかなびっくり……恐る恐る首へと巻きつく細めのマフラーに、あぁこの部位も暖かいのかと、目の前でちらちらと揺れる尻尾を見ながら思った。お前は勇丸か。

 どうやら本人の意思とは無関係で動いているようだが、あんまりにも俺を誘うもんだから(多分)、再度、人参を前の前にぶら下げられた馬になった気分だというか。つい、こう……



 ―――にぎっ



「ひぅ!?」



 あんまり強く握ったつもりは無いのだが、可愛い気のある、素っ頓狂な声が上がる。

 ……いやもうね、こういう突発的な衝動と申しましょうか。先程の『彼女が誇っている云々』といった事など星の彼方。

 今と言い、レイセンの時と言い、瞬間的に湧き上がる欲望は抑え難い。

 ……妙に艶がかった声色だった、という事実には、強引に顔を背ける事にした。



「す、すまん。痛かったか?」

「……痛くは無いんだけどね。……その……そこを握られると、どうにも自分では抑制出来ない感覚が口から漏れてしまって……」

「敏感なんだな、そこ。……まさかそっち系の感覚が?」



『馬鹿か君はっ!』やら、白い目とか、即離脱等の反応を期待しての言葉だったのだが。



「……ばか」



 搾り出すような、ぽそりとした言葉。

 こちらの外套を奪い盗り、掴んで、そのまま頭から覆いかぶさってしまった。

 片耳だけがちょこんと覗いているのだが、自分のどういう感覚が働いているのか、灰色の毛で覆われているそこには、真っ赤に染まっているような気がするのだが。



(……oh)



 何かを言おうとして、結局何も言えずに口篭る。

 肌寒いという情報も、脳に到達出来ないくらいに、目の前の出来事に意識を持っていかれていた。

 宛ら、何でも収納してしまうという、『しまっちゃうよ~』が口癖だと耳にするピンクの妖怪が住まうという小島で起こる現象の如く、俺の頭部からは、妙に間延びのする音と共に、大量の汗が噴出している事だろう。

 ……今夜は徹夜だ。

 異性という存在を、強制的に認識させられた。

 寝耳に水どころの話ではない。寝ていたベッドごと絨毯爆撃で吹き飛ばされた気分である。

 勝手に上昇する脈拍数に、妄念を飛ばすと評判の精神統一……素数の計算すら行えない。場合によっては、俺の舌が流血か、あるいは倫理や道徳といった単語から今生の別れになるやもしれぬと―――



「……手を」



 白布達磨の内部から声がする。

 それは、所々で言葉を途切れさせながら、



「手を……握って、も……良いかい……?」



 包まったミシャクジの外套から覗く、羞恥の色が付着された、潤んだ瞳。





 ―――その姿が妙に愛らしくて。

 今までの心情が嘘の様に、俺の心中は穏やかなものになっていた。





 言葉にはせず、そっと片手を差し出した。

 自身のテリトリーに引き入れるみたいに、それを外套の中へと招き入れ、小さな両手で抱く様に包み込まれる。

 ぎゅっとされたり、そっと触れられたり。一通りの方法で感触を確かめられた後。

 くす。と、小さく一声。

 外套の隙間から零れた音には、言いようもない満足感が伴っていて。からかわれた様子はない。多分、嬉しさを噛み殺した声。

 この数日間。寝る間も惜しむ勢いでネズミ達の指揮をとっていた彼女の姿も、今のこの反応を見ては、嘘のように思えてならない。





 ―――それが切欠だったようだ。

 急激に襲い来る、安堵感に追随する睡魔。

 逆らう事をせず、既に彼女の元となってしまった片手を預け、体から意識を切り離す。

 調子に乗った一時であったが、とりあえずは、悪くない着地点であったかと。白蛇皮の蓑虫になってしまったネズミ少女を最後に見て、俺は瞼を閉じる。

 遠く。

 こちらを見続ける赤い光達は、いつの間にか、一つたりとも確認出来なくなっていた。










 いつ以来だろう。こんなに暖かいのは。

 生まれた頃か。お母様と出会った時か。

 数えるほどしかない暖かな記憶であったけれど、一つ。新たな温もりを覚える事が出来た幸福を噛み締める。

 何度も驚かされ、何度も呆れ、何度も怒り、何度も笑い合い。

 あれを神と呼ぶ心境には、もう、戻れない。

 あそこまで変な存在は、一体何と比肩して考慮すれば良いというのだ。



 神、ではなかった。

 あれらは自らの信仰を貪欲に欲している節がある。程度の差はあるけれど、自らの生き死にに繋がるのだから、当然だろう。

 けれど、ツクモにはそれが無い。

 僕達ネズミの神にでもなるのかと勘繰っていた時もあったけれど、あの馬鹿な演説や、寒いから。とネズミの何匹かを翌朝まで抱き抱えて眠り扱ける様は、間違っても尊敬すべき者の態度ではなかった。完全に、己の欲を全面に出して行動している。

 ツクモ、などと呼ばれる神が居たと記憶していたけれど、今の今までの付き合いの中で、その答えはとうに、遥か彼方へと置き去られていた。



 では、彼は妖怪か。

 ……可能性は高い。

 妖怪であるのなら、あの平天大聖が知らぬ様子で居るのはおかしいしけれど、ツクモは東の地より訪れた者だと言っていた。何処まで真実か。と疑って掛かればキリが無いが、あれに、誰かを欺くという行いが取れるのかには、苦笑で応えるだろう。

 あの死の商人、ヴェラとは違う。

 あれは敵と判断した者に対して、悩む素振りすらせずに、微笑みのまま、首を刎ねる精神の持ち主だ。

 味方にしよう、利用しよう、と思う対象以外には滅びを望む、絶対者としての視点がある。

 頼る、縋る、敬う。それらの言葉があれ以上に似合う者は、先に顔見知りとなってしまった平天大聖以外には居ない。

 一国の主たる自らの母親でさえも、あの領域には達していない、何者にも染まらぬ芯を持った―――それ以外は無慈悲を体言する存在に他ならない。

 それに、邪な者は多かれ少なかれ、黒い気配を漂わせる。僕であっても、ダン・ダン塚の彼らだって、それはある。

 そういう点から見ると、普段のツクモはそれらを一切表に出す事は無いのだが。



(覇王を補佐し、尽力した……王佐の才を持つとまで呼ばれた、筆頭参謀……)



 文若を……死者を蘇らせた時に垣間見えた、底知れぬ、黒。

 それは瞬時に消え去り、雑多な妖怪であれば疑問を覚える間すら無いだろうが、何かを見つける、という行動は、手に入るか否かは別としても、誰にも負けないと自負出来るものである。

 あの異能は、平天大聖当人を目の前にしても断言出来る、純粋な黒の力だ。

 嫉妬。憎悪。悲哀。

 それらおぞましい感情の結晶―――ツクモが呼び出した者から零れたそれは、いっそ澄み渡る夜天の如き、美しいものであった。

 不可思議なのは、それは他の術を行う際には漏れ出さない、という事。

 異形の赤竜であれ、あの孔明であれ、白銀の馬モドキであれ、それは一切感じ取れるものではなかった。

 ただ、黒とは違う、全く別の何かの力が漏れているのは察する事が出来た。それが具体的に何なのか。は不明だが……。



(……あっ)



 閃く、とはこの事か。あれの言葉を鵜呑みにし過ぎて気づかなかった。

 極東の地……の手前。自らの活動範囲には生息していなかった種族。

 仙術を用いて天変地異を起こし、不死であり、天界に住まうという、世捨て人。

 名を、仙人。



(そうだ、ツクモはそれに該当するものが多い)



 この作戦が始まってから、彼は果樹園の実一つを食しただけで、飲食の一切を行っていない。

 時折、何かを咀嚼するように口を動かしていた。何か食べているのかと尋ねてみれば、『霞食ってる』と。

 何が本気で、何が冗談か判断付きかねる者であるので、それも戯言の一種だろうと思い、ぞんざいな相槌と共に流していたのだが。

 空腹によって、彼の体調に変化が起こった際には、迅速に人間用の食事確保に動く算段であったのけれど、目立って悪い健康状況は、疲労以外に筆頭すべき点の無いもので。

 天候を操り、山や川を一つ二つ動かし、空を飛び、キョンシーと名が付いてた筈の、死者を動かすという術まであるというではないか。



(……あれ? でも……)



 彼らは崇高な行いを是とし、私利私欲は極力行わぬようにする性質ではなかったか。

 途端、矛盾に突き当たるけれど、それも数瞬で解決する。

 そういえば、仙人の中には、それら欲求を埋める為に何ら忌諱を持たない連中も居た筈だ、と。

 邪悪な仙人。そのまま邪仙、などと呼ばれていたと思うのだが、残念な事に、詳細についての知識は殆ど持ち合わせていなかった。



(うーん……)



 神にしろ、妖怪にしろ、邪仙にしろ。

 ああも圧倒的な異能を持っているというのに、ネズミ達に戦き、こちらの言動一つにあたふたとし、右往左往する姿は、妖怪の本能を甘美に刺激する獲物……もとい、素晴らしい協力者以外の何者でも無い。

 ただ、そんな獲物も今は、夢の世界へと旅立って行った直後。

 規則正しく上下する胸。呼吸音。

 あの時、煌びやかな鞍袋を奪取した時と何ら変わりのない寝姿に、何処か可笑しさと、心の温もりを感じながら。



(……変な奴)



 結局。彼への思いは、その一言に集約されるのだった。

 彼が施してくれた恩恵は、彼が行ったあらゆる言動―――調子付いた行動や、妖怪をからかう事に愉悦を見出している言葉によって、打ち消されてしまっている。

 当然、そんな些細な事でツクモが成した功績は微塵も揺るぐものではない。

 自己欲達成の為の腹芸が得意な自国の商人や政治家ならば、内心はどうあれ、仮面の笑顔を貼り付けたままに良好な関係を……。



(……いや、無理かな)



『御免なさい! 町、水没させちゃいました! すぐ元に戻しますんで!』などとやりかねないのが、彼である。

 本当、あれは人の心に入り込むのが上手い。それの悉くが、尊敬や敬意といった単語とは対極の方面であるのが、また彼らしいというか、勘弁願いたいものであるというか……。



(……でも)



 あの時。全てを諦め、大切な者との今生の別れになる筈であった、あの瞬間。

 たった一言。

 神でも、妖怪でも、邪仙でもなく。

 彼が差し伸べてくれたあの言葉が、今も、この胸の中で。



「……惚れた、弱み」



 外套の中で、思わず呟いた。けれど、額面通りの意味では、決して無い。

 単純に、自らを縛る暖かな鎖に呆れているだけである。

 ……まぁ、この鎖。

 重かったり軽かったり縛ったり縛らなかったり。あるいは何処かで勝手に絡み付いていたりと、実に手の負えない自由奔放さなのだが。



(……馬鹿だなぁ、君は)



 あれだけの力だ。もっと賢く、簡単に生きる方法が、山のようにあるだろうに。

 丸まった懐に抱えいれた彼の手は、思ったよりもゴツゴツとして、大きくて、暖かくて。

 これでもっと真面目にやってくれたのなら。と、そう思わずには居られない。

 これには、一人で何かをやらせては駄目なのだ。

 自ら支えてやれば、きっと彼は、唯一無二の偉大な人物になれるかもしれない。



(……ん?)



 ―――待て待て待て待て。今、何か自分はおかしな単語を出さなかったか。

 真面目にやって、までは問題ない。

 一人で何かを……うん。ここも、いい。

 その後、その後だ。

 自分は一体、何を考えた?



(……ツクモ……を、支えて、あげれ、ば?)



 ……何だそれは。

 支える、とはどういう意味だ。

 いやいや、深く思う必要は無い。言葉通りに、彼の失言や失態を先回りして防止したり、やってしまたら即座に咎め―――



(―――って、それじゃあツクモの傍にずっと居なければいけないじゃないか!?)



 いやいやいやいや。それこそ、追及すべき点が皆無の思考だ。

 別にずっと傍に居なければいけない訳でもなし……。

 ……はて。ずっと傍に。とは、どう成すのが通例であったか。



(―――ッ? ―――っ!? ―――!!)



 堂々巡りの思考は、とくん、とくん。動力源が、鼓動を休めるまで収まる気配もなく。

 ボディランゲージにしては行き過ぎた気がしないでもないあれこれや、『俺は好きだぞ(毛並みが)』、といった台詞が、真意が分かっているというのに、実に都合の良いように、頭の中で組み上がる。

 自身の中で、ふわふわとした思考は飛び続け。

 それは、夜が明けるまで行われる羽目となり。



「うぅ、寒ッ……。おはよ……ん、どした? 寝不足か? うりうり」



 少女の目の下に、クマでもあったのだろう。

 起床と同時。ぐりぐりと両の頬を抓り、円を描くように引っ張られ、リンはその意識を覚醒させた。

 そして。



「―――ばかぁ!」



 元気爆発。快音一発。

 睡眠不足と、行き詰った思考の果てに、少女の理性は限界を迎えたのだった。



 炎下の地。

 季節外れ&場所外れの広葉樹の葉が、ひとひら。事態が飲み込めず呆ける男の頬に、色鮮やかな紅葉を成したという。





[26038] 第49話 陥穽
Name: roisin◆78006b0a ID:ba167160
Date: 2013/11/04 23:16






 太陽が大地を焦がす砂地に土煙を彼らが見たのは、日が昇り切った頃合だった。

 地平線から立ち上る陽炎に、ぽつり、ぽつりと、歪む存在、波打つ人型。それが時間の経過と共に、段々と輪郭をはっきりさせてゆき、その数を、十、百、と増やしていった。

 ウィリクの国からやって来た、人間の軍隊である。

 土煙を立ち上らせて、黙々と進軍する姿には、玉の汗が吹き出る気温であるというのに、見る者の背筋を振るわせるものがある。





 そんな一団を全て見渡せるそこは、砂漠に急遽構築された、新しい【土地】。

 眼下を広大な黄色が締める【頂雲の湖】の頂上の一端で、三つの人影が息を潜め、一つの影が悠々と直立していた。

 前者がリン、九十九、【伏龍、孔明】であり、後者が七天大聖を統べる者、平天大聖である。

 リン達は、姿を見られては拙いだろうと、山頂で伏せ、極力ウィリクの軍勢の視界に入らぬようにしているのだが、一方の後者である平天大聖は、そんな苦労を嘲笑うかのように、何食わぬ顔で佇んでいた。



「……おい」



 基本、目上の他人には丁寧語である九十九だが、これには眉を顰めるものがあった。



「何でしょう」



 しかし、それを歯牙にも掛けないのが妖怪の王である。

 楽し気な表情を隠そうともせずに、これから起こるであろう一挙一動を見逃すまいと、その眼を油断無く巡らせている。

 色々な力―――【集められた魔法』を見せ付けたとはいえ、修羅の如き闘気を纏っている訳でも、英雄宛らの風格を漂わせている訳でも無い存在からの不満など、耳を貸すにも値しない。と、思っている節があるせいでもあるのだが、最大の理由は、他者の不快な感情を楽しんでいるからに他ならない。

 しかしながら、一応は、九十九の要望に応えてはいるのだ。

 炎下の地、力ある妖怪達の住まうタッキリ山に君臨する、大聖の頂点。それが、○○の能力によるものではない―――妖術の一つや二つ、使えない訳が無い。



「……もう、いいッス」



 不貞腐れながらも口を噤む九十九は、思いっきり膨れっ面を晒しつつ、顔を前方へと向け直す。

 何せ、今の平天大聖の姿は、視界の先に辛うじて見える陽炎と同様に、揺らめき、掠れ、間近であっても目を疑うほどに、周囲の風景と同化していたのだから。

 至近でこれなのだから、それがキロは離れているであろう、人間の目で捉えられる事はないだろう。

 そう思うからこそ、九十九は何も言葉を……嗜める事すら出来ないまま、時は過ぎ―――。



「―――ツクモ。そろそろ」



 不貞腐される九十九と、それを愉快そうに眺める平天大聖。それら間の微妙な空気を完全に無視する形で、目の前の展開に全神経を集中させていたリンが、時を告げた。

 既に、今朝方のおかしな態度は抜け切っている。今、リンが見ているものは、如何にこの作戦を完遂させるかという点と、その先に見る、母親との幸せの未来だけ。



「……あぃよ」



 それを感じ取ったのか、九十九は不承不承と言葉を返し、雰囲気を引き締めたものに変えた。



「最終確認。……居ない、な?」

「ああ。お母様の姿は、影も形も視認出来ない。仲間達からも報告は来ていない。―――これで、何の気兼ねも無くなった、ということだね」



 既に二人……いや、三人か……の意識は、その全貌を現した、ウィリクの国の軍勢へと注がれている。



「しかし……楽しそうですね、孔明先生」



 視線は切らずに、言葉だけを真横の軍師へと投げ掛けた。

 硬い地面に伏せる孔明が、九十九の声に応え、念話を送る。



「……はぁ、『大兵力は素晴らしい』……ですか」



 魏という大国を、呉という強国を。それらと隣り合わせの、食うか喰われるかの死闘を演じ続けてきた経歴を思い返したせいか。

 存在こそ人間ではなく、ただの食欲の強いネズミの群れではあるけれど、それが+1/+1修正の効力で成人男性と同等の力を持ち、命令には従順であり、五十万匹近く居て維持費(食費等)もクリアしているというのだから、これが恵まれていない訳が無い。

 勝利条件こそ特殊なものではあるけれど、常に綱渡りであった頃と比べれば、今歩んでいる道は、幅三メートルの石畳の歩道。

 安堵を覚えるのも仕方の無い事だろう。



 ―――そして、彼らがウィリクの国の四万人の軍勢を眼下に収めきったところで、とうとうその時は訪れた。















 違和感を覚えたのは、一団の先頭を進む、真紅の衣を身に着けた者だった。

 取り分け機微には鋭く、先も、持ち前の観察眼にて、一軍を滅ぼし得る砂蠍を難なく迎撃している。

 その者―――仮に、将軍、と呼ぶ事にする人物は、前方に見えてきた森林地帯、自然豊かな新緑が地平線一杯に広がるそれと、その奥の天に突き出す霊峰、タッキリ山へと進軍を続けていた。

 名立たる魑魅魍魎が潜む魔境。

 それ故に、手付かずの自然と資源が残る地。

 何より、方々の国から略奪の限りを尽くし、天界や、名立たる仙人から譲り、あるいは強奪したと聞く、一国を手放してもまだ足りぬほどの効能をもたらすという、数々の財宝達。

 あの一帯を手に入れられたのならば、西方の地までも手中に収められるかもしれない。

 新たにもたらされた武器―――火筒は、人間の一軍をも滅ぼし得る砂蠍を瞬く間に打ち倒すという成果を上げた。

 弓や弩よりも威力と射程に優れ、バリスタや投石器よりも運用性に秀でた、これまでの戦争を児戯にも等しいものへと様変わりさせられるだけの性能を秘めたもの。

 使用回数の制限と、湿気に弱いという欠点、命中率の低さ、等々。解決すべき問題は山積みであるが、それらを笑って受け入れられる程に、あれは素晴らしいの一言に尽きる兵器である。

 この聖戦が成功すれば、より純度の高い鉄を精製し、威力、射程を強化した火筒を生み出せよう。

 伏魔殿と化した森林地帯は、自身の能力に縋る妖魔達の塒。故に、資源を大量に活用するという選択肢が存在せず―――その様な土地であるから、これら兵器の要となる燃える土も、大量に眠っている可能性も高い。

 ……いや、そもそもが、それらが埋まっている、という確定の情報としてもたらされた結果が、この進撃である。





 全てを変えたと言っても過言ではない、ヴェラと名乗る商人の到来。

 一体何処でこれら情報や武器、人材を集めてきたのか不思議でならないが、それらが何らこちらに対して不利益に繋がらないというのだから、真に不気味で、都合が良く―――信頼出来ぬ者。



 ―――これが終われば、神の元へと送らねばならない。



 自国の諜報機関を用いて調べ上げた範囲では、まだこの情報と武器を所持しているのは、この国のみ。

 商人とは、過程はともあれ、最終的には利益を最優先に行動する。

 これだけの成果を生み出す人材は惜しいが、だからといって、自らの命を危険に晒しては元も子もない。

 過去、あれとは幾度か話した事はあった。だが、その全ての印象がこちらの利となり、裏付けされた成功が浮かび上がり、言動一つ一つ、どれをとっても疑う余地が無いもので。



 ―――あれは、人ではない。

 そう結論付けるには、然して時間は掛からなかった。



 もうすぐで、三十も半ば。

 無駄に、毛の生え揃わぬ内から、幾年も海千山千の化かし合いの場で生き抜いてはいない。人間、誰しも欠点があり、弱点があり、表と裏の……少なくとも、片側から見れば、善か悪―――利か損かのどちらかに取れる行動を、幾つも積み重ねている筈なのに、あれには、それが無いのだ。

 とてもではないが、あれを御せるとは思わない。今この思考すらも、あれの手の内、予測の範囲なのではないかという懸念が捨て切れずにいるくらいである。一刻も早く、不安の種が芽吹かぬよう、迅速に刈り取らねば安眠の日々は訪れないだろう。

 そしてより豊かになった自国を見れば、自分の求心力は、女王の比を超えるだろう。そうなれば、後は思うがままだ。頂点の交代は、恙無く行われる筈。

 特産の宝石、一種のみで保っているような経済ではあるが、それはまだ尽きぬ様子を見せず。最悪、自分の代だけならば湯水の如く財を消費しても問題は無い。場合によっては、民からも搾取するという選択肢もある。将来は約束されたようなものだ。

 これを機に豪族、豪商達が、己が利益の確保に邁進しているが、主要な箇所はほぼ全て抑えてある。多少の権利の剥離は許してしまうが、幾らかの損失は目を瞑ろう。ある程度の蜜も蒔かねば、呼び水とはならないのだから。

 所詮、下々の心は低きに流れる。甘い方、楽な方へと転がった先にあるものは、決して抜け出せぬ階級。名だけが国民であるという、奴隷と大差の無い家畜。

 女王への真の忠誠心を持つ者はとうに消し去っており、これさえ成せば、自分の未来は曙光が登る事になるだろう。





 ―――そう思う、国を立っての、五日目。

 半刻もすれば腹の虫が騒ぎ出す刻限に、将軍は、それを見た。

 水蒸気が飽和状態となり、凝縮した後に水粒となって空中に浮遊し続ける現象―――霧である。



 馬鹿な。という突発的な感想は、どうするか、という思考によって塗り潰される。

 早朝や夕暮れならば、まだ分からないでもないが、今は真昼以外の何者でも無い。

 見れば、それは既に視界の先の目的地を白で覆い隠し、瞬く間にこちらの軍勢を飲み込まんと近づいて来ているではないか。



「×●○×■!!」



 指示を飛ばし、密集させ、停止を命じる。

 既に霧は自分の体に触れ始め、真後ろに追随する者の姿の視認も難しくなって来ていた。

 停止を命じておいて、正解であった。

 ここまで濃い霧に出会った事も、あまりに唐突に発生した自然現象に対処する術もなく、これでは歩くだけで軍が散り散りになるだろうと理解させられるだけの天災である。

 指示が行き届くまでにはまだ時間が掛かるだろうが、軍の壊滅という、最悪の事態は回避出来そうだ。

 ……しかし、これを自然がもたらしたものだとは考え難い。どうやら、早くも妖魔達の洗礼を受けてしまった可能性がチラ付く。

 手を伸ばせば、手の平が白で埋まる視界。

 多量の水分は、火筒の肝である、燃える土をただの屑土のものへと変容させてしまう。

 周囲の警戒と、なるべく火筒を外気に晒さぬよう命令し、後続に対し、指示を口にする。

 続々と集結しつつある一軍は、徐々にその規模を増しつつ、互いの安否を確認。響く号令の数と音量から考察するに、今のところは順調に―――



「―――▲△ッ!?」



 ―――足元から伝わる微震。

 四万人の兵士達でも実現不可能であろう振動に、堪らず驚きの声を上げてしまう。

 巨人の到来。大地の悲鳴。世界の鳴き声。

 それらを思わずには居られない未知の不安が、周囲の視界が完全に塞がっているという現実と相まって、警戒心と、それよりも尚強い恐怖心を芽生えさせた。

 数秒毎に振動と音量が比例し、体と鼓膜を揺らす。

 そしてそれは、後方にて集っていた兵達にとっては、より深刻な事態をもたらしていた。

 神の名を上げ、天に祈る者。

 耳を塞ぎ、目を瞑り。体を小さく丸めて、地面に伏せる者。

 地震、という自然現象に全くと言っていいほどに耐性の無い彼らにとって、それはこの世の終わり。終焉に他ならぬ、星の断末魔に聞こえているのだろう。

 幾ら戦に身を置く者であったとしても、槍で突かれるでも、剣で切り裂かれるでもない、全く予想していなかった死は受け入れ難い。

 恐怖の伝播は静かに、素早く。砂地に染み込む水のように。

 同様が恐れを生み、恐れは足へと、脳へと伝わる。



「■□▲ッ!!」



 白で閉ざされた視界と、世界を揺るがす鼓動に耐え切れなくなった、とある者が、とうとうその職務を放棄した。

 手に持つ剣から察するに、切り込み隊の内の一人であったのだろう。

 浅黒かった顔であっても尚分かる程に血色を失わせ、不安に駆られて抜刀していたそれを放り出す。

 その集団の、隊長の静止も耳に入らない。

 自らの命を守る為にと握り込んだ武器をも捨て去って、逃亡への……生還への第一歩を踏み出そうとし―――その未来は永久に閉ざされてしまったのだと知るのに、然して時間は必要無かった。
















 音だけ。という経験も、中々あるもんじゃないと思う。

 それが喜び方面ではなく、恐怖系の方であれば、尚の事。

 意識せず、ポロリと出てきた言葉は、溜め息成分100%。



「……無いわー」



 いや、やったのは自分なんですけどね?



「はーっはっはっはっ!!」



 俺の背後。声高らかに、腹を抱えて笑う平天大聖サマ。

 もはや姿を隠す気など微塵も無い、と、とても楽しそうに爆笑中。何が楽しいんだが分かんないけれど、出来ればしばらく関わりたくないお声で御座います。



「うん。これなら」



 一方。喜び、という点のみならば、リンも同様の心境にはなっているらしい。

 目の前で繰り広げられる、当人達からしてみれば悪夢以外の何者でもない現象を前にして、ネズミっ娘は片手で小さく握り拳を作り、今回の作戦の手応えを感じているようだ。グッ、って感じで。





 ―――格別、難しい事はしていない。

 陥穽。またの名を、落とし穴。

 かのニュートン先生が見つけた偉大な法則。重力の恩恵を最大限に利用した、古来より罠の常套手段として位置する、単純にして、効果絶大なトラップ。一定以下の体躯強度しか持たない生命にとっては、命を失う場合もある、危険なもの。

 ……ただそれが、総勢四万に及ぶ人間達を瞬く間に飲み込むほどの広範囲な規模であったり、高さにして、三、四階建ての建造物に匹敵するものであった事くらいか。特筆すべき点としては。

 後はそこに、孔明先生が存命だった頃に得ていた、この辺り一帯の知識―――枯渇した水脈群と、『集められた魔法』の力を併用させただけ。

 水脈が枯れた事が原因で、この一体が砂漠になったのかどうかは定かではないけれど、ただの敷き詰められた砂の足場よりは落とし穴として活用し易い地形であったのは間違いない。それを、五十万のネズミさん達でゴリゴリと耐久値を減らし、崩壊寸前へと持って行き、タイミング良く、発動させただけだ。

 けれど、その発動方法が難題でもあった。

 通常の落とし穴であれば、一定以上の負荷を切欠にするものなのだが、今回は範囲が範囲故にそうもいかず、こちらで誘発を計る必要が生じ。



(始めは【頂雲の湖】の水を利用して、支えの石柱を水圧で圧し折る算段だったんだが……)



 この作戦を発案した、数日前の会議の最中。

 ふと目に入った、こちらを面白そうに眺める平天大聖の姿に、何だか不公平な気持ちがフツフツと沸いて来た。真面目やってる横で、楽し気にされちゃあ、不満の一つも生まれるというものではないだろうか。

 例えそれが、こちらが切欠を作った流れであったとしても。



『暇なら手伝って!』

『良いですよ?』



 おぉう。と逆にキョドったのは、記憶に新しい。

 余りにすんなり受け入れられた事で面食らう羽目になったけれど、了解を得られたのなら良いのでは。なんて思っていたのだが。

 これが後の交渉―――こちらから何かしらの譲歩を引き出し易くする為の複線だと気づくのは、それが実際に効果を発揮した場面……タッキリ山に【禁忌の果樹園】を造林? するのを確約をした際に、【伏龍、孔明】から指摘を受けてからだった。

 俺からしてみれば、時間が掛かるとはいえ元手は無料なんで、損の無いやり取りであった……のは結果論。『この程度で良かった』と、後から孔明先生にネチネチと攻められる経験は、出来れば一度に留めておきたい。

 尤も、その後、妖怪とはいえ一角の王と交渉を成功させた点“だけ”は褒めてくれた。これが俗に言う飴と鞭というヤツなのだろうか。勉強になります。次回からは、もう少し飴の成分多めを期待してみよう。

 で。

 始めは平天大聖が落とし穴地帯ごと、何かの重圧によってペシャンコにする方法を提案されたのだが、それじゃあ目的の一つである、軍隊不殺が達成出来ないってんで……。



(平天大聖の……何か知らん妖術で支えを崩してもらって……)



 ……というか、魔術とか魔法に比べて、そもそも妖術自体が下級の代物ではなかったか。八雲さんの式神さんの式神さんが、子供騙し的なもんだと言ってたような……言ってなかったような……。

 それをどうやったらここ【頂雲の湖】の頂から、キロは離れた砂漠の地下を狙い撃ちしたんでしょうか。機会があれば教えてくれねぇかなぁ、タダで、簡単に。これから起こるであろう展開を考えるに、可能性は低そうではあるけれど。



「素晴らしいものですねぇ。羽の生えた、赤蜥蜴の使役。山と湖の一体になった、大地創造。甘美な果樹を実らせる、命が実る木々の造林。そして今度は、自然現象の発生。……ネズミ達の先走りを諌める為に使用した昨晩は、月明かりのみの視界であったので細部は把握出来ませんでしたが、こうして隅々まで見渡せる場所と、しっかりと明かりが差す刻限であれば……くっくっくっ……」



 楽しそうだなー、この人。帰ってくんねーかなー、今すぐに。



「名前、お伺いしても?」



 道を尋ねる風に気軽な、平天大聖の言葉。

 流れ的に、今使った能力―――カードを指すんだろう。

 まぁ、別に隠すようなものではないので、サクっとご説明しちゃいましょう。

 ―――昨晩、ネズミ達の先走り(原因・俺)を阻害し。今日、人の列を塞き止め、線から円へと膨張を誘い、落とし穴の効果範囲内に人数を集中させる為に用いた、それは。



「【濃霧】」









『濃霧』

 1マナの、緑の【インスタント】

 このターン中のクリーチャーの攻撃を軽減し、ゼロにする。

 緑による【コンバット・トリック】の代表格。数々の亜種が派生しており、この効果の優秀さ(ゲームバランスとしてのもの)が窺える一枚。

 効果の程は、たった一ターン、相手のクリーチャー攻撃を無効にするだけのものであるが、油断大敵、とばかりに飛んでくる【濃霧】には、窮鼠の一撃にも似た効力がある。緑を使う者は勿論、一定期間以上MTGを楽しんでいるプレイヤーにとっては、馴染みの深いカードである。









 
 嘘は言ってないのだが、どうやらあちらさんは、誤魔化されたと思ったらしい。

 声にこそ出してはいないが、やれやれ。と幻聴すら聞こえて来る始末な仕草。胡散臭いくらいに似合っております。



(まぁ、名前そのまんまだもんなぁ)



 逆の立場なら、俺だって疑って掛かる……まず信じない自信はある。

 こちらは嘘偽り無い事実を言っただけなのだが、勝手に相手が勘違いして空回りしてくれる展開というのは、中々に無い経験だ。それが、こちらがそれを把握している状況であれば、尚の事。

 面白い。

 これからの流れを考えると憂鬱にしかならないけれど、それでも、その最中に楽しみを見つけられたのは、冷静さのレベルでも上昇したんじゃないかと思える経験であった。

 ……現実逃避が上手くなっただけ、という可能性は、目を瞑る事にして、今はただ、“来た”時に備えて、事前に選んでおいたカードを、脳裏に思い描くのだった。










 ―――無数の悲鳴は、深い霧と、穴の空いた大地に飲み込まれ、消え入る灯火のように小さくなっていく。

 鋼の鎧を持つ蠍を砕いた武器を持とうとも、それが万の軍勢に運用されようとも、相手が居なければ意味を失うもの。

 振るう相手の居なくなった火筒は、砂の底で瓦礫と化して、それは瀕死となった人間達には、無用の長物と成り果てる。

 足の折れた獣は捨てて。水と、食料と、気持ち程度の武具を手に、鈍重な足取りで撤退を開始する、人、人、人、人。人の群れ。

 そこに見えるは、総数、四万に届く敗走軍と、それらを見下ろす―――










「―――なぁ」



 出鼻を挫かれる。とは、この事か。

 九十九の顔は前方の敗軍を見つめたままに、背後に居る妖怪の王へと、平坦な声を投げ掛けた。

 チグハグな丁寧語は消えて、今は、フラットな関係のそれへと変化している。

 契約を守り、隠す気の無い面従腹背を貫いていた平天大聖の表情が、この時、初めて僅かに固まった。



「何でしょう」



 とはいえ、それも一瞬。

 すぐさま不敵な態度が戻り、些細な失敗をおくびにも出さず、言葉を返す。



「―――するのか?」



 伏せていた体を起こし、パンパンと、二回。前面に付着した土埃を払いながら、九十九は後ろへと振り返る。

 探るような声色。気さくを装った言葉。

 これから起こるであろう不安に対してか。その口調は、重い。



「はて。何を―――「……惚けてくれるなよ」―――……ふむ」



 腕を組み、顎に片手を添える形で、平天大聖が熟考する仕草を行った。

 けれど、油断無く上空へと気を巡らせている様は、そろそろ現れると思っているのだろう、タッキリ山の根城で姿を消した赤蜥蜴、【稲妻のドラゴン】を警戒しての行為である。



「これでも、感謝してるんだ。突然土足で乗り込んで来た、見ず知らずの……何処の馬の骨とも分かんねぇ奴相手に、考えはどうあれ、こうして最後まで付き合ってくれたばかりか、手助けまでしてくれたんだから」



 直立する九十九の傍に、隠し切れない懸念を表情に貼り付けたまま、リンがおずおずと寄り添った。それに習う形で、【伏龍、孔明】も横へと並ぶ。

 太陽の真下。【頂雲の湖】の上。丁度、三対一の構図を画いた様に立つ彼らの姿は、これから始まる出来事を、否応無く思い起こさせるに足る立ち位置だ。





「―――では」





 大聖のおどけたような態度はなりを潜め、代わりに姿を覗かせるのは、妖怪の妖怪足る所以の形。歯止めの無い欲望の具現化。

 的確な応答では無かったが、次の言葉には、平天大聖の本心が含まれていた。



「あなたをここで貰い受ける事に致しましょう―――ッ!!」



 鋭さの増した、愉悦の笑み。

 それを体中から溢れさせながら、



「―――男にコクられる趣味はねぇ!!」



 九十九達の四方。四角く囲むように現れた角に、それぞれ一本。足元から、白銀の柱が生え揃う。

 地面から突き立ったそれらに合わせ、彼らの真下の岩肌が円形に砕け散り、三人の姿を暗闇の奥底へと誘い込んだ。



「―――ッ!?」



 なんと。

 言葉に出さずとも、落下を開始した九十九らからは、そんな平天大聖の驚きの言葉が、しっかりと顔に張り付いているのを読み取った。



「こんな事もあろうかとおぉぉーーー!!」



 一度言ってみたかった。と、九十九が内心で呟いたかどうかは定かではないけれど。

 リンを小脇に。孔明と肩を組む形で、九十九は一連の出来事の切欠を作った相手―――自由落下する【メムナイト】へと、自分達の背中を預け、対象をしっかりと視界に収め。



(【お粗末】!!)



 本来の力による攻勢か、自らも奈落へと飛び込もうかの追随か。

 その二択で平天大聖の心が揺れ動いた僅かな隙に、無力化に秀でた白のカードを繰り出した。

 大和の軍神が一人、八坂神奈子であっても一定以上の効果を発揮したそれは、大聖の頂点に位置する存在であっても、例外は無かったようだ。
 
 逡巡の後、忌々しげに、力による攻勢に移ろうとした途端、



「ッ!?」



 そこで、初めて平天大聖は、自身に起こった変化に気が付いた。

 この一帯ごと踏み潰さんとする……筈であった不可視の重圧は、しかし、本来の力の半分に届くか否かの効力しか現れない。

 予想していたよりも大幅に減少した攻撃範囲。山頂から、湖の麓まで。高低差にして百メートル以上はあるであろう、突如出現した穴を、それごと……地の底までも崩落させる気概で放たれた重圧も。

 いずれも十全の成果を発揮せず、山頂の何割かを砕くだけに留まった。下へと続く穴の入り口を塞いでしまっただけという、九十九達にとって最も都合の良いものへと。

 大聖の端整な顔立ちが、苦虫を噛み潰したように変貌する。

 自身に起こった変化。相手の退路を確保してしまった愚行。それらを微塵も予期出来なかった自分。

 様々な要因に対し憤慨を顕わにして。



「……ちぃッ!」



 一際大きな破砕音。

 遠目で見る者が居たのなら、そこには、蜃気楼のような、何かの巨獣の白足が見えた事だろう。

 久しい……本当に久しい、八つ当たりという行為を、平天大聖は自ら潰した瓦礫の山へと向けるのだった。

 大きな深呼吸を、一つ。

 足元の瓦礫から視線を切り、代わり、【濃霧】の晴れたそこに、未だ地の底を蠢き、這い上がろうとしている存在を見た。

 先に見た様は、愚鈍を体現する人間達の軍隊の……成れの果て。

 自らの行動の規模の大きさ故に、何をするにも派手になるものだ。そう思う平天大聖は、たった今取り逃がした獲物と交わしたものを思い浮かべる。

『人間の軍隊がこちらの地に足を踏み入れたとしても、国への報復は行わず、防衛のみにして欲しい』

 何ともまぁ、頭の悪い契約―――穴だらけの約束であった。

 まず、期間を設けていない。

 次、国の範囲を定めていない。

 そして、防衛の規模を決めていない。

 他にも他にも。穴だらけというよりは、むしろ穴しかないような取り決め。

 約束ならまだしも、あそこまで曖昧な契約は、大聖を統べる者にとって生まれて初めてであった。これまではその立場故、並み以上の知識を持つ者達としかやり取りを行っていなかったので、当然とも言える。

 なればこそ、九十九が意図的に曖昧にして、何処まで切り込んでくるのかを……真意を探ろうと垂らした餌なのだと、平天大聖は今の今まで思っていたくらいだった。

 彼自身、九十九の提示した理由の真意は十分に理解していた。今後とも人間達への攻撃を行わないように。との考えが窺えたのだから。

 これが九十九を手に入れた……機嫌の良い状態であったのならば、卑しい人間の頼みなれど、その真意までを汲み取り、反映させていた事だろうが、もう、それも適わない。

 あれらを全て潰してしまえば、このうねる感情の抑制に一役買ってくれるだろう。後は、これが終われば“自分以外に”かの国を攻めさせるべきか。それとも、真綿で首を絞めるかの如く、国境を封鎖し、餓死させるのも興味がある。

 そうすれば、そこに怒りを覚えて、復讐や報復という手段で、あちらから自らの元に来てくれるのではないか。

 そこにはもう、見る者全てに怖気を感じさせる笑みを湛えながら、自己の望みを如何にして叶えるかを巡らせる、妖怪の王の姿しか存在していない。

 恐怖に歪む人間というのは、それだけで大聖の心を満たしてくれるもの。

 遠方からでも見ていたこの山の頂。それを、瞬く間に崩す存在が、ゆっくりと自分達の方へ向かって来ていると知れば、あれらは、今よりもさぞ面白い様を見せ付けてくれるに違いない。

 平天大聖の足取りは、荒れた山岳であっても軽やかに。微塵も体勢を崩す事無く、ゆっくりと、撤退を開始している敗軍へと進んでいった。












 ひとまず、と。そう思わずには居られない。

【頂雲の湖】の山頂から、湖の麓、どころか、更に下の枯渇水脈まで退避して来たのだ。油断は禁物ではあるけれど、幾ら妖怪の王とはいえ、そうそう追ってこられるものとは考え難い。時間は稼げた筈だ。

 安堵と言う名の吐息は、深く、大きく、何回か。

 ほんの僅かに瓦礫の隙間から太陽の光が差し込んで来る。人間であればその程度の光源、有って無いよなもの、程度のものが。



(こういう時には、心から感謝出来るね)



 自らが、ネズミという種であった事に。

 過酷な環境に対しての適応力は、数少ない自慢の一つである。



「おっと。先生、手を」



 よって、ただの人間……であると思う孔明先生は、この真っ暗闇にも等しい場で、若干の困惑を浮かべていた。

 暗中模索を体現する格好は、それが数日間、五十万の生き物に凛々しく指示を飛ばしていた事を思い返せば、悪戯してみたく……興味深いものがあるけれど、それをいつまでも見ている訳にもいかない。苛め心を覗かせた、自分を諌める。

 前方へ延ばされていた手を取り、自分の方へ。

 優しく、しっかりと握り返してくれた手に、九十九に蘇らされた頃の、ネズミに対する怪訝な態度は無かった。僕が妖怪……人型だから。という理由もあるだろう。

 それでも、それが少し、嬉しくて。



(思ったよりも、ゴツゴツしてる)



 机仕事のイメージが強かったけれど、この手の平を握ってみて、考えを改める。筆を握った箇所を中心とした皮膚が、全て硬化しているのを感じ取れた。

 毛扇を絶えず振るっていたとはいえ、たった数日間でこうなるとは考え難い。これは以前から、こうだったのだろう。それだけで、過去どれだけの事を成して来たのかを、肌で感じられた気がする。



「―――それに引き換え……」



 後ろに続く存在、【メムナイト】へと顔を向けた。

 所々に変形した金属の皮は、落下の影響で受けたものだろう。

 矍鑠(かくしゃく)としている様子を見るに、どうやら、深刻な傷では無いようだ。

 ただ、【メムナイト】も夜目は効かないようで、孔明先生と同様に、周囲をおそるおそるといった感じで、手探り……



(手……?)



 そういえば、その部位は何だろう。足だろうか。爪だろうか。あるいは触手かもしれない。

 まぁ、手で良いか。と結論付けたところで、【メムナイト】が担ぐ者を見る。



「まさか、落下の衝撃で気絶するなんて……」



 傍から見ても気持ちの良い笑顔を浮かべながら、これからの展開の肝心要な人物―――九十九は、完全に意識を手放していた。

 両の頬が、僕の手の平と同じ大きさの小さな紅葉型に、幾重にも、赤々と張れているのはご愛嬌。僕だって手が痛いのだ。これくらいは、男の甲斐性だと思って受け入れて欲しい。

 ……心なしか、九十九の後頭部が蹴鞠の如く膨らんでいる気もするけれど。



(意識戻らないのって……これ……が原因、かな……?)



 それは……まぁ、見なかった事にして。



「参ったな……」



 冗談としか思えない体たらくを披露する恩人の、間延びした笑顔が緊張感を削いでゆく。

 この、ますますやる気の無くなった気持ちを、どう処理すれば良いものか。

 同様の心境を共有しているであろう孔明先生へと目をやれば、既に割り切っているのか、その目には力強い意思が宿っていた。これから取るべき道を考えているのだと察せられる。流石だ。



(本当なら無視したいんだけど……)



 お母様の……いや。人間達の軍隊は、叶うのならば、僕自身が手に掛けたいと思っていた者達だ。それが平天大聖が行うのなら―――外部によって行われるのなら、ある意味で願ったり叶ったりであったのだが、それはそれで……というより、国力の大幅な低下を招く要因となるので、予てよりの案の通り、極力命を救うよう、こうして嫌々ながらも行動に移している訳で。

 おかしな話だ。

 平天大聖との和平を結ぶよりも、むしろ敵対し、人間達の軍隊を救う方が国益となるのだから。九十九の存在を―――能力を知らなければ、怒号の如く拒絶していた事だろう。



「移動中くらいは、休ませてあげないとね」



 赤々とした皮膚になるまで、散々頬を張った側が言う台詞では無いけれど。

 水脈を辿り、目的の場所へ。十数分以内には着くけれど、休める時間があるのなら、これを用いない手は無い。その間に人間達へ犠牲が出てしまったのであれば、その時はその時だ。気持ち良く、晴れ晴れとした心を秘めつつ、『しかたなかった』と一言述べて、綺麗サッパリ諦める事にしよう。

 そろそろ同胞達と合流も出来るだろう。そう思いながら、完全な暗闇となりつつある水脈を、一人と一体と、荷物一つの先導を勤める。体の大きな【メムナイト】であっても通過可能なようには計らったつもりだが、こうして彼があまり不自由無く移動する様子を見るに、しっかりと仕事を行えたようだ。





 てくてくと、カツカツと、カシャカシャと。

 三者三様の足音を枯渇水脈―――洞窟へと響かせながら、人外一向は、人間の軍勢が落ちた方へと、その足を向けるのだった。





[26038] 第50話 沼
Name: roisin◆78006b0a ID:ba167160
Date: 2014/02/23 22:00






 平天大聖の協力。

 勝手に話を持ち掛けてしまった時には酷評の色が強かったけれど、それもこうして時が経てば、最善の一手とも思えるものへと。怪我の功名を如実に感じます。はい。

 当初の予定では、【頂雲の湖】の水を遠方の枯渇水脈まで流し、足場を一気に崩し去ろう。との算段であった。

 しかしながら、これにはネズミさん達に強く負担を強いるものであり、4マナ【エンチャント】の【覚醒】を用いる事で、何とか余裕の範囲内に収められたものの、それが無かったのであれば、かなりの負担が掛かる作業具合だったと思う訳で。

 けれど、平天大聖から協力を確約を貰った事によって、それも必要無くなった。大きな二つの要であった、広範囲の地盤沈下を狙う組と、【頂雲の湖】の湖に大穴空けて、引き水用の水路を開通させておく組の、後者を削れたのだ。多分、作業内容の半分は短縮&簡略化に成功したんじゃないかと思う。

 余った労働力は、必然、選択肢に幅を持たせる結果を生む。それが何に繋がったといえば、協力を取り付けた張本人、平天大聖への対応策に、である。



(【頂雲の湖】の山頂から地下をぶち抜く、百数十メートルの縦穴。……落とし穴の延長線上で、冗談っぽく言った案が採用されるとは思わんかったわ)



 常にこちら……俺の周囲で、色々と観察していた平天大聖の事だ。今回の作戦を行う時には、まず間違いなく近距離に居るものだと予想はしていた。

 まぁ、そもそもが、約束を果たした瞬間から行動に移る可能性が高かったのだ。

 先の妖術を思い返すと、こちらの予想も付かない方法で何かやられていた可能性もあったなと、背筋にぶるりと来るものがあるけれど、確実に事を成すのならば近場に居る可能性が高く……、を色々と考えた結果、じゃあどすればサクっと脱出出来るのかを突き詰めた案が、先のアレ。脱出ルートな落とし穴。

 最後の一手は穴の蓋部分の裏にへばり付いていた【メムナイト】に手伝ってもらったんだが、あれは機械……【アーティファクト】じゃなかったら、一晩壁に張り付いているのは無理だったんじゃないかと思えます。

 そもそもが、ネズミさん達だと一気に穴を開ける手段が難しいってんで彼に頼んだのだが、適材適所を実践できたようだ。

 場合によってはその場でドンパチ行う状況もあったけれど、そうなると弱点(俺)が思いっきり露出&敵の間近な状況は非常に宜しくないと判明し、まずは距離を置いて、体勢を立て直す時間を捻出するのが、唯一にして最大の目的。

 それを行うまでに、相手に先手を切らせちゃならないだの、会話のペースを握れだの、それでいて能力は極力温存しておくように(孔明談)。との忠告を何処まで守れるかを加味し、何とかギリギリなラインを維持出来たんじゃないかと思える一連であった。



(で、誰一人欠ける事なく撤退出来たは良いものの……)



 流石にこれは予想外。

 鈍痛が響く後頭部と、ヒリヒリする両の頬―――であった筈なのだが、今はもう、それを感じる暇……余裕も無い。

 ここは、人間の軍隊と、【頂雲の湖】の、中間くらいだろうか。微妙に軍隊の方面が、下方へとなだらかな斜面になっているので、様子はそこそこに把握出来る。

 ……ただそれも、微妙に視界が塞がっている為に、不満が残るのだが。

 視界の先には、真っ白な小山が一つ。【頂雲の湖】を出した身としてはあれだけど、大砂漠のど真ん中には、似つかわしくないこと、この上ない。

 しかもそれはどういう原理か、地響きさせながらゆーっくりと動いており、更には眼やら角やら尻尾やらが付属されている、珍妙奇天烈な山のようで。

 随分と珍しい……いや、初めて目にする山だな。これはカメラにでも撮って、どこぞの投稿サイトにでもUPすれば、一躍時の人に―――……



「……前にも言った通り、七天大聖というのは、妖怪達が住むタッキリ山一帯を統べる、最も力のある妖怪達の総称だ。人型は、あくまで仮の姿。それぞれに元があって、空を泳ぐ魚だったり、城をも絞め壊す蛇だったり、と。半分程度しか正体は知らいけど、それをまとめる大聖の頂点、平天大聖の詳細は、これっぽっちも入ってこなかった。まぁ、元々は天界に住んでいた、とは耳にするから、神々ならば知っているもの……では……あるんだろうけど……」



 ……軽く現実逃避をしていたので、不安を覚えたせいかもしれない。こちらに意識を引き戻す為だと思われる、リン様の現状解説であったのだが、



「……でけぇ」



 黄色い大地と青々とした空が広がるだけであった風景に、突如現れた白い小山。

 寸法表記間違ってんだろ、と、これを生んだ何かに対して突っ込みたくなる気持ちを抑えながら、ひたすらに巨大。ただ巨大。それはもうべらぼうに大きな白牛……まず間違いなく、あの平天大聖の正体……真の姿であろうものを見て、呆けてしまう。



(【マリット・レイジ】に届くんじゃないか? あの大きさは)



 少なくとも、標高……うん、標高。標高は絶対に超えているだろう。主に四肢の長さが原因で。

 高さだけでも、東京の紅白な電波塔を軽く超えてる。ともすれば、スカイでツリーな電波塔にも迫るかもしれん。

 歩くだけで地響きが~。とか、こうも間近で体験する日が来ようとは。貴重な体験ではあるけれど、今からそれに挑む身としては、御免被る事実である。



 しかしながら、いつまでもこうしている訳にもいかない理由が、白牛さんの目前に。

 悠々と……それこそ、一歩進んでは止まり。を繰り返し行っている平天大聖の歩みのその先は、つい先程、数万規模でボッシュートした、ウィリクの国の軍隊さん。

 奥から、軍隊―――平天大聖―――俺達―――【頂雲の湖】が、直線上に並ぶ順か。後はそれらの間に、砂漠の広大な距離が加われば、適切な図解と言えるだろう。



(何だったかな……冬に石どけたり、木の皮を剥いだら、そこに冬眠中の虫のコロニーを見つけて……それが一生懸命逃げていくような……)



 それとも、蟻地獄から這い出る蟻、というのも合ってるんじゃないかと思う。

 軍隊の逃げ足は、鈍重。

 殆どの者が何処かしらに負傷しているようで、足を引き摺っていたり、肩に手をやっていたりと、それこそ死に物狂いで痛む体を動かしている印象を受けた。

 元々彼ら……ウィリクさんの国民に対しては印象が悪いので、いっそこのままスルーしてしまおうかと邪念が過ぎるけれど、どちらにしろこうなれば、軍のみに留まらず、国にまで侵攻する未来は眼に見えている。

 遅かれ早かれ対処しなければならないのなら、国力である民を失う前の方が良い。場合によっては、恩なども感じてくれるかもしれないし。



(そういや……)



 俺自身は見ていないけれど、リンの事前情報では鉄砲っぽいのを所持している筈なのだが、一度として発砲音は聞こえない。皆、少しでも遠くへ、一歩でも距離を取ろうと足掻いていた。

 まぁ、それも、巨大な雄牛と化した平天大聖を見れば……それが迫ってくる状況であれば、否応無く理解させられる。押寄せる津波に、拳銃で対応するような気持ちなんだろう。彼らの心境は。



「……ありゃ怖ぇわ」

「うん……」



 独り言のつもりだったのだが、リンが同意をしてくれた。ちょっと嬉しい。



「さって、とッ!」



 快音一発。両の手の平で、自身の頬を張る。



「―――い”ッ!?」



 しまった。事前に何処ぞの小ネズミ妖怪が、入念にそこをシバいていたのを失念していた。傷口に塩を塗るような真似になってしまい、予想以上の激痛が涙腺を刺激する。

 ただ、それも今はありがたい。

 不可能ではないのだろうが、ああも馬鹿げた巨大モニュメントを相手にするのは、今まで一度も無かった事だ。良い気付け薬である。



(つっても、な)



 不安はあるが、やってやれない事は無い、と。そう思えてならないのは、増長や満身に準ずるものでは無い筈だ。



「おー痛ぇ……。んじゃ、計画通りに」



 コクリと頷くリンと、無言で肯定する孔明が、それぞれに構える。

 既に人手? は配置済み。後は今後の流れ次第で、交渉か、抑止か、撤退かを迅速に行うだけ。

【メムナイト】に乗り、遠くへ離れていく【伏龍、孔明】を見送る。安全な……あの巨体を見ると安置無さそうだけど……安全そうな、ここら辺を一望出来る場所まで孔明を下ろして、【メムナイト】が戻ってくれば、作戦開始である。

 今、この場に居るのはリンと俺だけ。

 傍らで懸命に何かを耐える姿に、唯でさえ小さな身を縮込ませていた。



(何かこう……元気付けられる言葉……とか……)



 けれど、『大丈夫』とか『問題ない』とか。思い浮かぶのは、気休め以外の何にも感じられない、微妙なものばかり。先にネズミさん相手に身振り手振りの大演説(笑)を繰り出した身としては、一歩踏み出すに対して勇気が要る。

 自身の引き出しの少なさに焦りを覚え……それでも案が出ない事に、声を掛ける、という手段を放棄。



「んっ」



 疑念なのか、容認なのか。リンは、今一つ反応に困る声を出した。

 ぐしゃぐしゃと、こちらの胸に届かないくらいの、触り心地の良い頭を撫で回す。落ち込んだ時とか、むしゃくしゃした時とか、そういった時には、体を動かしたり、熱い風呂に入ったりするのが一番だと思ったから。

 本当ならお湯にでも浸かりたいんだが、状況が状況なので、それは除外。

 ということで、体を動かす(強制的に)方面を実行。変則ではあるが、ようは体に直接刺激を与えるのが目的である。『女の髪は命』を一蹴する乱暴さだったのだが、こちらの真意を汲み取ってくれたようで、傍らの存在は、極度の不安から適度な緊張へと、纏う空気を変えてくれた。

 反応を確かめるべく眺めていると、リンが服の上から、胸元を握る動作を行った。いつの間にやら簡易的な紐で結ばれた、首元から下げられ、服の下に隠されている【弱者の石】の感触を確かめているのだろう。

 この【アーティファクト】は敵も味方も問わず、効力をもたらすもの。しかしながら、この手の効果範囲が、未だに何処まで及ぶのか判明していないのだ。

 目の届く範囲か。この辺りの土地一帯か。あるいは、まるっと世界全てなのか。

 色々と制限を受けている身としては、少なくとも世界丸ごとは無いと思うのだが、今最も気になるものは、及ぼす最高地点ではなく、最低範囲。

 過去に使った全体再生である【活力の覆い】や、全体に【プロテクション】を与える【恭しきマントラ】。それらは決して狭くない範囲をカバー出来ていた。

 それに、唯一にして最大の対象である目標は、あんなにデカいのだ。距離が離れていようとも、片足の一本くらいは範囲内に収まっているだろう。



「ま、駄目なら俺がガンバりゃ良いだけの話……という事で」

「?」



 何でもねぇですよ~、と撫でる手に力を込めた。流石に強過ぎたのか、不満の色を感じ取る。

 と、それに合わせて、後方から、硬質のものが砂へと突き刺さる音が連続で聞こえてきた。

 振り返って見てみれば、案の定な【メムナイト】。孔明先生が乗っていないのを見るに、しっかりと送り届けてくれたらしい。



 ―――では。



「ん”ん”……あー、あー。……ん”ん”ん”」



 喉の異物を取り除くように、気道を確保。

 何をするのか察したリンが、自らの手を頭に上げて、ぺたりと伏せた耳の上から、その手を乗せ……無い!?



「―――何ッ!?」



 こいつッ! 獣耳の方じゃなくて、人の耳の方を押さえやがった! いやまぁ確かに人耳の方は自力じゃ閉じられないけどさ!



「ッ!? ………………なんだい?」



 緊急事態発生に対しての驚きだと判断して、即座に振り返ったであろうリンの顔は、みるみるうちに曇り空。どうやら俺の態度で、何かしらを感じ取ってくれたようです。

 よしこれから。という場面で出鼻を挫かれたせいだろう。怪訝な表情がありありと。それでもこちらに応えてくれる辺り、優しさを感じずには居られません! というか、俺だって出鼻を挫かれたようなもんですし!



「だってお前! 耳! 頭!(意訳・獣耳キャラは、獣耳の方を押さえるものではないのですか?)」



 何を言っているんだと眉間に小さな皺を寄せ、無言のままに、呆れ顔。

 きっと漫画的表現ならば、リンの頭上には、こんがらがった糸屑のような絵柄が見えるだろう。



「……分かった分かった。何かは分からないけど、よく分かったから。君のどうでも良い疑問は今は置いておいて、今は目の前の事に集中してくれ」



 疑念を完全に無視する形で正論を繰り出し、リンは会話を止めてしまった。

 二の句を告げられず、出掛かった言葉を飲み込むように、押し黙る。

 くそっ、それ気になって仕方ないんですけど!



「あっ……うっ……けちっ! これが終わったら、絶対それ追求してやるからな!」



 丁度【メムナイト】も到着。準備万端、時間ギリギリ。【今田家の猟犬、勇丸】や【伏龍、孔明】、【メムナイト】……は微妙なとこだが、【弱者の石】よりは少ないか―――の維持コストで疲労が徐々に蓄積中だが、これならまだまだ耐えられる。

 というかそもそもネズミって、自分で自分の耳を畳めない筈じゃ……。



(……えぇいっ、それもこれも、全部アイツのせいだッ!)



 行き場の無い不満は、どういう訳か、全て目の前の白牛へと。

 胸いっぱいに空気を取り入れ、あの馬鹿デカい巨獣まで届くよう、精一杯の力を腹に込め―――。





「―――この……ホモ野郎がああああああーーーーーッ!!」





 それらを一息で出し切った。

 ホモなんて言葉、知らないどころか、きっとまだ造られてすらいない。しっかり伝えたいのであれば……えーと、あれだ。同性愛者が適切か。

 けれど、そこは便利な八意印の翻訳機。拡声機能でも備わっていたのか、聞こえるかどうかも怪しい距離であったのに、動く小山と化した平天大聖の歩みが、ピタリと止まる。これで駄目なら【メムナイト】に騎乗して注意を引く手筈であったけれど、どうやら、そうせずには済みそうだ。

 遠目で見ればゆっくりと。近場で見れば、巨大船舶の大回頭。振り向く動作だけで足元には軽い砂嵐が起こっているのだから、つくづく大きな相手である事を知らしめている。

 と、素肌に突き刺さる何かを感じ、恐らくの出所であろう、小さな隣人さんを見てみれば。



「……」



 ……いやん。リンの目線が絶対零度。

 異文化であった為に不安なところはあったけど、やっぱり侮辱にはるんだな、これ。

 しかし、その視線はあまり好ましくない。愛が感じられませんので。

 うぅん、ここは一つ……。



「……あ~、いいか? 大概の男にとって、掘る側じゃなくて、掘られるという行為は、それはそれは―――」

「そんな解説聞きたくないよ!」

「良いから聞け! さっきの空気を流す為には、多少強引に押し切らなければならいと、古今東西の相場は決まってるんだ!」

「あの平天大聖に挑もうとしている以上の相場は求めてない!」



 ……確かに。

 後十数秒でこちらへと完全に体を向ける超巨大な白牛以上の強引さなど、今この場にある筈が無いのだった。



「……ご尤もです」



 薮蛇だったか。

 最後の息抜きも兼ねて。など内心思っていたのだが、ちょっと抜き過ぎたかもしらん。



「んじゃ、ま……たった今失った名誉を、挽回とか回復とか、そういったの目指しながら、奮闘してみるとしましょうか」



 そもそもが、名誉等などという輝かしいものなど、端っから持ち合わせてはいないのだけれど。仮に持っていたとしても、所持した次の瞬間には、流れ作業の如く廃棄しているようなもんですし。

 場違いながら、『やれやれ』とか言いたげなリンが、なんだかとても似合っている気がした。場が場なだけに、相手によっては今度こそ本当に呆れられる可能性もあったけれど、あの白牛を前にして軽口を叩ける心境を、肯定的に受け止めてくれたようだ。どうやら、今までの付き合いの中で、こちらの性格をある程度把握してくれたらしい。例えその把握が、どういう方面の意味であれ。



(……これが終わったら、水遊びやってからバイバイした方が良さげかなぁ)



【頂雲の湖】を出した頃に考えていた案を、実行に移す機会が見つかった。

 終わり良ければ。な、お言葉を信じ、何か出来る事は無いものかと考えた結果が、それであった。フラグだろうか。とも思うけれど、呟かなければ大丈夫と思う事にした。

 最有力候補は、やっぱり【頂雲の湖】だろう。ウィリク様と二人で、親子水入らずな展開などやってみたい。そう、心に留めて置く。





 時間にして、大体二十秒。ずっしずっしと四肢を動かし、反転、回転、180度。完全に、こちらの方へと向き直る白牛様。

 きっちり、こっちに目線が向いたのを確認し、



「よう」



 大声を出した訳じゃないので聞こえる筈も無いのだが、しゅたっ! と自前の片手を上げた挨拶をすれば、連動するように出て来た言葉だ。格別、何を求めたものじゃない。



≪―――これはこれは。まさか呪いを掛けたお方が、こうも易々と眼前に現れようとは、夢にも思いませんでしたよ≫



 浦辺の戸島村で襲われ……出会った鬼の一角の比じゃない声が、俺達の全身を揺らす。出す音の一言一句が、振動兵器なんじゃないかと疑ってしまう程。

 判断に困るところがあるけれど、どうやら普段通りに話しているらしい。これで大声を出された日にゃあ、鼓膜どころか、横隔膜にすら影響が出かねない。というか破られかねない。実行される前に、行動に移しておくのが吉と見た。

 しかし、だ。



(え、何……呪い? 何それ)



 そんな禍々しい系の術なぞ、行使した記憶は無い。



「……知らないなぁ。俺はこれとって何もやってないんだが」



 って、あ。



≪ご謙遜を。この状態は、中々に堪えるものがある。神々であっても、ここまで私を弄んだ存在は居ませんでしたよ。―――出来ましたら、すぐにでも解いて欲しいのなのですがねぇ≫



 自分の言葉の、『何もやってない』辺りで気がついた。

 やってないわきゃ無いのです。しっかりやっておりました。

 恨みとか呪いとか、そういった方面とは真逆の性質―――【色】であったので、即座には関連付けられなかったけれど、まず間違いなく、【お粗末】か、もしくは【弱者の石】の事を指しているんだろう。両方かもしれないが。

 素の反応がすっとぼけた返しになってしまったが、あちらにとっては、知ってるけど知らないふり。な態度に見えたんじゃないだろうか。お惚け挑発行為、な感じで。

 しかし、今の平天大聖の状態を見るに、どう【弱者の石】やら【お粗末】やらのの効力が発揮されているのか、ヒジョーに首を傾げたくなる。どう見てもラスボス風(第一形態・巨大的な意味で)だと思うのだが、一体何がランクダウンしているのだろう。



≪―――しかし、今更、何か御用でしょうか? 私の一世一代の告白を無碍にするほどの、急な事情がおありのようでしたが≫



 うわーい、色々と根に持ってるお言葉だ。

 体に似合わず懐はミニマムなんですね。なんて言ってみたいが、パチ屋で会話をするかの如く、大音量で聞き取り難い事この上ない声色から判断するに、当人は本心からそう思っている訳ではないようだ。礼儀上の売り言葉に買い言葉、を行っただけっぽい。

 というか、お前にゃ奥さん居た筈だろう。一世一代の告白とやらは、その時にはやらなかったんだろうか。



(……まさか、コクったんじゃなくて、コクられたのか!?)



 いやまぁ、あの美貌でしたら嫌でも理解してしまうものでしょうけど。

 詳細な事情など分かる筈も無いのだが……今初めて、こいつに対する個人的な恨みが自分の中に生まれた気がする。



「生憎と、こちとら初心なんでな。雰囲気もへったくれも無い状況じゃあ、頷くもんも頷けねぇわ」

≪なんと。これは私とした事が。あれでも充分に場を盛り上げたつもりだったのですが、自分の気持ちを優先し過ぎて、尊重を忘れてしまったとは。汗顔ですねぇ。いやはや、私もまだまだ。くっくっくっ……≫

「……その、盛り上げるってのがどういう方面にか、強く突っ込みたいところなんだが……」



 何度思い返してみても、あの盛り上げ方には、危機感メーターの上昇以外に無いと思うのだが。



≪なるほど。あなたは入れられる方より、入れる方が好みですか。……まぁ、始めは……オスなら誰しもそのようなものでしたか。懐かしい。―――私の要望に応えて頂けるのなら……あなたになら、構いませんよ?≫



 って、そっちに食いつきやがったか! 突っ込む、を意図的に捻じ曲げやがってからに!

 ヤバス。さっきの挑発、墓穴だったくさい。色んな意味で。

 今はでっかい白牛な格好だが、人型であった頃の顔立ちは、そこいらの女が十派一絡げになっても太刀打ち出来ない程に整っていた。女装でもさせて言い寄られたら、男は十人が十人、頬を赤く染めるだろう。それが例え、同姓ある。と理解した上であっても。

 そして、そんな俺も例に漏れず、男。

 場合によっちゃあ、さっきの言葉で胸に来るものがあったかもしれないが、



(今は、なぁ……)



 気分がノってる時には、そういう認識は極度に低くなる。

 一時ではあったが、相手の事情をしっかりと認知した状態であっても―――神奈子さんに殺意を覚えた時もあった。結果的に丸く収まったから良いとはいえ、今にして思えば、流れ次第で神奈子さんを、【死の影】で頭から。な未来もあったのだ。

 それに今の平天大聖は、どっからどう見ても、牛。人間の姿ならまだしも、連想すら難しい対象では、俺の心には波一つ起こりはしない。



「一応、もう一度聞いておく。あん時は……ほら。なんていうか、バタバタしてたからな。こっちの聞き間違えだったかもしれねぇし……そうだったら―――」



 自分の口の端を吊り上げながら。ふてぶてしい、を体現しつつ。



「―――後味悪いじゃん?」



 一陣の風。



≪―――ほう≫



 愉快だ。との反応に乗せて、巨大な白牛が鼻息を一つ、ふざけた空気ごと、こちらへ向けて吐き出した。

 挑発を兼ねた軽口で返す、俺の言わんとする事をしっかり理解してくれたようで、その表情は獰猛な笑みに彩られている。

 後味が悪いとは、味わえる事は前提であり、この場合の味わうとは、相手を―――下すという事。勝利を得る事が大前提の物言いであるのだから。



≪それでは、今一度。―――今度こそ、天地に響き渡り、あなたの心まで届くように致しましょう≫



 挑発、成功。

 我を忘れさせるほどのものではないけれど、気分を害したのは間違いない。この分ならば、このまま突っ立っていても、あちらの方からやって来てくれるだろう。ありがたい事だ。


 
 現状の特筆すべき維持コストは、【今田家の猟犬、勇丸】の1と、【伏龍、孔明】の4、の二点。次点で【弱者の石】の1マナ。

【メムナイト】はコスト無しなので……まぁそれでも【土地】とかよりは消費しているんだが、殆ど気になるものではないので、除外しておく。

 使用したものはマナは、【濃霧】の1と【お粗末】の2。使用コスト合計、3。

 残弾……使用可能なカード枚数は八で、残りのマナは5と来た。

 色々行えばマナがカツカツになるのはいつもの事だけれど、展開次第で今回は、カード枚数も限度額まで使用する。

 本当なら事前に【被覆】なり【死への抵抗】なりの、何かしらのカードでも使っておくのが安全なのだが、孔明先生が予想している今後の展開を考えるに、削れるところは削っておきたい。

 勿論、駄目そうなら即使用。【ダークスティール】化か、【プロテクション】を即座に。って感じで、何とか。

 なので、自ら対処可能な事態であれば、それらを使用する事なく、自力で対処すべし。

 この、未知の大声が響き渡るであろう展開であっても。



「リン」



 急いで指先を湿らせて、自分の両耳に突っ込んだ。同様の事をリンに行うよう、目配せと、やや強めの口調で名を呼ぶ事で、察してもらう。

 落とし穴大作戦の際。孔明と悪食ネズミ達の橋渡しとして、数日間携わっていただけあって、俺の拙い肉体言語でも、その意図する所を十全に汲み取ってくれたようだ。尤も、そうじゃなくても、今までの流れから言って、嫌々ながらも先の展開が見えていたからだろう。

 いそいそと、こちらにならう形で、追っかけモーションを実行。可愛いですなぁ。癒されますなぁ。

 ……指製の耳栓も人間の耳の方にやるのか。獣耳は基本フリーなんだろうか、と募る疑念を沸きに退け、



「口は開けておくといい……らしいぞ」



 リンが耳を完全に塞ぐ前で助かった。こちらの言葉も、しっかり伝わったようだ。かじった程度の漫画の知識だが、所々リアル指向な作風であったので、本当っぽいと判断。試してみよと思います。

 両の耳に指を突っ込み、あんぐりと口を開ける、男と少女。その後ろには、【メムナイト】。

 目の前の危機に対して、何とも間抜けな格好であると漠然ながら思うけれど、鼓膜の破裂という痛々しい未来を考慮すれば、この格好は『仕方ない】の一言で片付けられる羞恥心。嫌な方向に経験値の上昇が見られます。この面の皮の厚さを生かす機会は、あまり訪れて欲しくないものだ。

 大きく息を吸い込んで、腹の底から力を込める。穴の奥へとめり込まんばかりに指先を深く耳へと押し当てて、大きく口を開け。



 そして―――来た。



≪――――――■×▲○▼●●■□ーーーーッッッ!!!≫



 全長キロに迫る体躯の白牛、平天大聖の、咆哮。

 足元の砂が揺れ動く。周囲の雲が四散する。

 自力のスペックも関係しているのだろうが、何か特別な―――妖術か、能力か。それらと併用していなければ、ここまでの現象を引き起こせるものなのだろうか。

 体中に叩き付けられる振動が、脳味噌までも掻き乱す。気絶までは行かずとも、揺れる視界によって、自分の平衡感覚が狂ってしまったのが分かった。

 何か言葉を発した、と思わせるだけの振動の強弱は感じ取れるが、ここまで来たのなら、それはもう言葉というカテゴリから逸脱している。振動兵器そのものだ。高層ビルが乱立する一帯で行ったのであれば、全ての窓ガラスが四散していた事だろう。そこに意思疎通の意図は、微塵も感じ取れるものでは無い。



「来たぞッ!!」



 咆哮が止んだと同時、小山が突撃を開始する。若干朦朧とする頭を振って、リンへと警戒の声を掛けた自身の声は、はっきり言葉に出てきただろうか。

 その移動は、風を切り裂き、なんて例えが良く似合う。

 中々の距離があった筈なのだが、あれのガチ徒歩は規格外。元々の巨大さ故か、遅めのモーションが唯一の救いだとは思うけれど、



「うっそ!?」



 ズンッ!! と一踏み。砂塵と微震が発生する。

 踏み出した一歩で、あっという間に詰められた。もう一歩……いや二歩か……。それを繰り返すだけで、巨大な白牛の蹄の餌食は確定だ。

 俺なら走っても二十分以上は掛かる距離だと思ったのだが、比べる相手が悪かった。

 とはいえ、それでも。



「ツクモ!」

「おうよッ!」



 元より、蜀の大軍師たる諸葛孔明の策に変化なし。

 遠方に見える、慌てふためく人間の軍隊を見ながら、



(あそこにゃ届くなー、あそこにゃ届くなー……の、召喚! 【沼】!!)











『沼』

【基本地形】の一つ。【タップ】する事で、黒のマナを一つ生み出す。

 黒を主として扱うプレイヤーにとって、最も馴染みの深いカード。不気味さと神秘性を併せ持つ絵柄が多い。

 他の【色】にも間々あるが、【黒】には【沼】の出ている数を参照し、それによって高効率のダメージやライフロスを起こすカードが比較的に多く、【コントロール】系の【黒】を扱うプレイヤーと対戦した場合には注意が必要である。










 乾いた大地に出現する、対極に近い性質。見渡す限りの黒の大地は、高い粘度の表れ。脱出困難の証。

 そこに足を囚われたが最後、成す術もなく暗い泥沼の奥底にまで誘い込まれるのだと、否応無く理解させられる。

 申し訳程度に生え揃う木々は、どれもが力無く地面へとしな垂れ掛かり、突如として発生した霧は、【濃霧】には及ばずとも、【沼】を挟んだ視界の先を見通すのは不可能な程度に漂っていた。



≪―――ちぃッ!≫



 馬鹿でかい声……いや、音か。驚愕、と判断出来る振動が周囲へと木霊する。

 突進する白牛の足元。それらを全て、底なし(かどうかは分からんが)沼へと変えたのだから。

 とはいえ、相手はそれも織り込み済みの筈。

 先の【頂雲の湖】や【禁忌の果樹園】の召喚のせいで、『土地を思うがままに誕生させられる』といった認識をしたのは、想像に難くない。

 一つ目だけなら、それのみしか出せないと思う可能性も色濃かったけれど、それが二つ目ともなれば、土地の改変を瞬時に、容易く行う存在である。と認知された事だろう。

 ならば、対策を採られていると考えるのは必須。そうなれば、後は済し崩しに相手のペースに呑まれる展開が待ち受けている。

 よって。



「動くなッ!」



 思考の欠落。手札破壊能力を持つ【暴露】を発動。

【死の門の悪魔】を代償として、平天大聖へと対象を定め、



(みっけ!)



 複数ある思考の内、条件反射にも近いそれ―――『体勢を立て直す』という考えを削除。月の賢人や戦姫であっても、ほぼ100%な性能を発揮してくれたものなのだ。短期的な効果しか見込めないけれど、信頼性は充分です。



≪ッ!?≫



 雪原に棒を刺すかの如く、あっという間に【沼】へと片足を付け根まで沈ませた白牛が、何の姿勢制御も行わず、その巨体を横倒しにした。百メートル以上はある前足がずぶりと地面に同化してしまったのを見るに、どうやら、本当に底なしな【土地】であるらしい。

 沸き立つ泥津波と、周囲へと散る霧が、その威力を感じさせる。

 人型ではなく牛型である為に分かり難いが、多分呆気に取られたであろう、僅かに口を丸の字に開いた状態を見て、少し、胸の内が晴れた気がした。

 何となく、氷山へと激突し沈没した、某巨大客船を連想させる光景であるのだが、



「なっ!?」

「ぶっ!? 泥キター!」



 こっちにも襲い来る高さ数メートルの泥波に、これは予想していなかったとの思いを込めつつ、言葉短く感想を述べて、すぐさま思考を切り替える。

 状況が状況だけに、津波ではなく、波の方だとは思うのだが、幾ら【メムナイト】の上とはいえ、あの水量……いや物量か……? は、堪えるものがある筈だ。



(ひらりマントー!!)



 無論、あらゆるものを跳ね返すという、青狸御用達の秘密道具ではないけれど。

 諏訪子さんから貰った外套を外し、リンと俺の両方を包み込む様、羽織り直す。全体を覆える面積は無いけれど、やらないよりは何倍もマシな筈だ。



「―――いけッ!!」



 その間に、タイミングを見計らっていたリンが指示を出す。

 小さな全身を駆使して、精一杯の声と態度で命を下した直後に合わせ、体全体を隠す為、なるべく隙間の生まれないよう、蛇柄の白い布を巻きつけた。

 元々小柄であった事も幸いし、ほぼ全身を覆う事が出来たのは行幸だ。その分、俺の体が露出してしまうのは、男としての名誉だと思う事にして。

 目の高さに上げられた【メムナイト】の胴体から伸びる二本のマニュピレーターをしっかりと掴み&掴まれ。



(月の衣服に乞うご期待!!)



 洗濯的な意味で。と、内心で自嘲気味に呟いたと同時―――俺達の体は、粘度の高い濁流に激突した。















 視界の半分が、黒で覆われている。

 さて、これが何であったのかを思い返すだけで、滾る感情が心を満たす。



(何たるザマでしょう。天より下った先が、泥沼への接吻だとは)



 くつくつと嗤う。皮肉の効いた現状に、怒りとはまた別の、愉快と思える感情も覚えるものだ。

 若輩の頃、幾数もの力ある存在を仰ぎ見た過去を思い出す。あの時の血肉と屈辱の味は、今でもこの胸の内と舌の上にある。その味を、この泥に見た気がする。と、場違いながらも、感傷に耽る。

 丁度、体の右半分が露出する形か。泥沼に浮かぶ孤島と化した自らの体は沈み切る事をせずに、今もこうして、黒の中に浮かび上がる、白い異物となっていた。



(口惜しい……)



 本来の自分であれば、このような“小さな”沼地など障害になるかも怪しい地形であるというのに、今の力は……さて、どれくらいにまで制限されているというのか。

 正体不明の術によって、力も、能力も、全てが無視出来ないまでに低下してしまった現状は、一体いつこの呪いを掛けられたのか分からぬ不安と共に、数々の呪術を跳ね除け、あるは跳ね返して来た過去を通して見ても、背筋の凍るものがある。

 本来の半分以下の大きさにしか戻れぬ体と能力。この状況から脱出すべく、何かを行おうとしたのだが、その行うべき何かが、とんと思い出せないという異常。

 そして、現状、最も厄介である……



(……拙いですねぇ)



 疲労が回復“し難い”という、単純にして効果絶大の術。

 あるいは能力か、それ以外の手段かもしれないが、忌々しい事に、詳細に調べる術を今は持たない。

 術、と仮定しておくとして、これは真綿で首を絞めるかの如く、自らの行く末―――死という終わりが垣間見えるもの。

 何もせずに休んでいれば徐々に戻る力とはいえ、こうも世話しなく動き続けてしまっては……。



(ですが……もう……間も無く……)



 昨晩、秘密裏に飛ばした文は、既に根城へ届いている頃だろう。

 四六時中張り付き、監視を行っていた【メムナイト】なる奇怪な鉄馬の為に大分遅れてしまったが、それも、闇夜に紛れ、上空へと待機させていた鳥妖怪、姑獲鳥(こかくちょう)を見抜くのは敵わなかったようだ。

 上空へと消え去った赤蜥蜴の探索にと思い、当初から命を下しておいたのだが、思わぬところで役に立ってくれたものだ。

 他の大聖達が間に合うかどうかは怪しいが……いや、そもそも動くかどうかが難しいところか。しかし、一番乗せ易い……欲望に従順……素直な心を持つ、新たに義兄弟の契りを交わした岩猿は、まず間違いなく訪れる筈だ。このような不可思議な天界は、あれが好むところなのだから。

 まぁ、こうして状況を鑑みても、まさか。と、起こっている現実を否定したくなる。

 奇妙奇天烈な術を使うとはいえ、たった一人……と一匹の鼠妖怪の為にこのような事を行おうとは、出会った直後の自分が知れば、一笑に伏した事だろう。



(あの果樹園から生み出される実だけは、何としても確保しておかなければ)



 一口齧る度に自らの力の上昇を実感させられるあの実は、もたらす成果だけを見れば、同種以上のものがあるにはある。しかし、それが云十万の鼠に食わせても尽きぬ―――何度も生み出していた―――無限に等しい数ならば、タッキリ山全体の強化を計っている身としては、最大限優先すべきものだ。

 その為に、急遽、万全を期す形へと方針を決めた。

『動ける配下は総出で』との命を出したが。

 そう、今後の流れに安堵をした直後―――視界の黒が動き出した。



(……はて)



 この沼は、勝手に動くものであっただろうか。

 土地ごと押し潰す自らの重量によって、蓄えられた泥水を周囲へと零れさせたのは記憶している。けれどそれは、ああも滑らかに動くものなのだろうか。

 今体の半分を漬す粘度から考えるに、もっと、纏わり付く悪意宛らの……。





 ―――チュウ、と。

 小さな小さな。それこそ、普段の自分であれば、気づきすらしない鳴き声を、目の前の泥から耳にした。





(―――ッ!!)



 怖気が走る、とはこの事か。

 視界を覆い尽くす黒は、一片足りとも見紛う事も無い程に、矮小な存在によって成されたものだった。

 比重の差によって泥沼にも沈み切る事も無く、歩みは遅くとも、一歩一歩着実にこちらとの距離を詰めてくる、鼠、鼠、鼠の群れ。



(これはッ)



 普段ならば気にも留めない、羽虫以下の存在であるというのに、何よりこの時、この状態。説明不可能、理解不能な術に掛かり、あらゆる点で劣化をみせる自分であっては、これ以上の脅威は考え難い。

 あれは……あれらは、どういう理屈か、通常の鼠とは一線を引く力を宿していた。侮った見方をしても、人間と同等か、それに準ずる程に。

 接近は、好ましくない。



≪ぐっ!≫



 迫り来る恐怖から逃れる様に、まずは顔から。と、持ち上げる。

 けれどそれも、掛かる荷重で、僅かに頭を浮かせるだけで、より一層体全体を沈み込ませるだけにしかならず。

 ならばと、ぬかるむ土地の固着化と、浮遊の妖術を練るものの、前者は“体制を整えなければ”意味は無く、後者は自らの重量によって、飛翔の域にまで及ばない。



(ッ! 何を今更!)



 そうだ。この状況から離脱を図るには、四肢を動かし、術を操り、『体勢を立て直す』だけで済むというのに、何故それを行わなかったのか。



(素晴らしい、忘却術まで備えておいでのようだ―――ッ!)



 恐らく、大幅に力の落ちた術と共に掛けられていたものだろう。皮肉を込めて、内心で毒づいた。

 術にしろ、能力にしろ、それ以外にしろ。思考を弄るという行為は中々に困難である筈なのだが、それを微塵も、苦も無く行使し、更には全く気づかれずに相手……自分へと掛けた手腕は、傀儡などよりも、いっそ、大聖の一人として迎え入れたい衝動に駆られてしまう。



(いや、それもありですか―――ねぇ!)



 忘れ去った……思い出した行動を再発させた。

 固着化させた泥へと、無事であった左の前足を突き立てる。

 僅かに蹄が沈んだが、ぬかるんだものではなく、ビシリと罅割れた音を聞くに、力を込めれば、この泥沼からの脱出は叶うもの、と思えるもので。



≪しまッ≫



 結局、それは思うまでの範囲で止まってしまう。

 ただ安直に、泥を固着化させたのが拙かった。

 これ幸いと、地を這っていた塵芥共が疾走を始め、瞬く間にこちらの……脱出しようと突き立てた左前足へと到達する。

 蟻塚に棒を突き入れるかの如く、忽ちの内に黒い柱と様変わりした自らの足は……、



≪―――ッ≫



 表情が硬くなる。体に無駄な力が入る。

 プツプツと、極小の針で表皮を突き刺される……削られる感覚が、久しく忘れていた、背筋の凍る思いを呼び起こす。

 それでも、この程度ならば、半日以上は耐えられる。

 尤も、そんな慰めなど―――。



(たかが鼠如きにッ!)



 ―――無様。余りに劣化した力を嘆く。

 鼠の牙どころか、下級の妖怪程度ならば傷一つすら残せず健在である純白の毛皮は、その役割を果たさない。

 何せ、毛を掻い潜る形で噛み付かれているのだ。鎧の下から攻撃されては、満足に防御も行えず、ただ死を待つばかり。

 本来であれば、例え毛を除いた表皮であっても、雑多な攻撃は受け付けないものであったのだが、今はそれも叶わない。このままでは、座して死を待つ他に、道は無い。



 よって、自ら道を造る事を選ぶ。

 一瞬人型を取り、すぐさま、また元の姿へと戻れれば、状況の打破には打って付けではあるものの、あれは中々に体力を使う。疲労が抜け難い現状では、避けるべき行動。



≪はぁ!≫



 黒く染まった足を高々と振り上げて、硬質化した沼へと叩き付け、付着した塵を弾き飛ばす。

 しかし、思ったよりも効果が現れない。

 幾分かはこそぎ取れたようではあるが、叩き潰した感触は、想像の半分にも届かぬもの。

 とはいえ、当然と言えば当然か。

 何せ足を上げた瞬間には、大地へ接触するであろう箇所から、鼠は、移動か離脱を果たしていたのだから。

 まるで何者かが指揮するように、即座に、迅速に、早々と。全体を見渡し、瞬く間に指示を受け、動く様は、上に立つ者として最も望むべきものの一つ。

 それが自らに向けられた牙であると理解しながらも、小さく込み上がる欲望は、これらを手に入れる手段を模索せずには居られない。



≪はははっ! これはいけない! よろしくありませんねぇ!≫



 大地に湧き出る泉の如く、静かに忍び寄る疲労を無視し、再度前足を大地に打ち付け、強引に、全身を沼地から弾き起こす。

 舞い上がる土砂と、塊となった泥が、宛ら、大地の怒り―――火山弾にも見える。



 ……が、それも今一歩遅かったようだ。



≪ぬッ!?≫



 この感触は、耳、の内部から。

 耳の付近を這い回る怖気は、頭部へと……背後から接近を果たしたであろう、小賢しい鼠らに他ならない。目前の脅威ばかりに目を向けて、周囲への警戒を怠っていた事実を突き付けられた。

 全身を灼熱化させるか、霧状に姿を変えるか、極寒の冷気を纏うべきか。それとも、単純に硬質化を成すべきか。

 いずれにせよ、より力を消費する事態を避けられなかった事を僅かに悔いて―――、



「―――もう、止めにしないか?」



 場違いも甚だしい、申し訳なさの滲み出た声が届いた。





[26038] 第51話 墨目
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:01






 ……まったく、汚い格好だ。

 目前の脅威を目の当たりにしながら、最初に思った事は、それであった。

 視界の先には、【沼】に平天大聖の体が半分沈んでおり、白い孤島と化していた。他人事ながら、そこ目掛けて群がるネズミ達を見て、【マリット・レイジ】にも似た怖気を感じさせる。こう、背筋どころか体全体がぞわぞわするような、集られるものが。

 踏ん張ってくれたであろう【メムナイト】も健在で、全身泥塗れになった、元、白銀のボディが目を引くけれど、故障したりした箇所は無いようだ。

 しかしながら、それら以上に気になっているものが、自らの容姿。



(厄介な病原菌なんぞ混ざっちゃいないよな……?)



 足場となっていた【メムナイト】が泥塗れで、そこに乗っていた俺達が清潔で居られる理由など無いのだ。

 今更ながら、この【土地】はMTG界のものであったなと思い返す。

 未知の物質&微生物満載な可能性は高く、幾ら全自動殺菌&除菌な月の衣服を着込んでいるとはいえ、これが片付いた時には、除菌とか消毒も考慮すべき流れなのかもしれない。

 ならば、今まで出してきたアレやコレはどうなんだとも思うのだが……何せ、これは【沼】の一部。他の【土地】より死を連想させ、嫌悪を催し、忌み嫌われる、黒の大地。

 こちらに襲い掛かってきた泥津波は、引き潮の現象は起こさずに、幅広い範囲の黄色い大地を、一面の闇へと変色させていた。やはり津波ではなく、波の方であったようだ。



「ぺっ! ぺっ! ……うへぇ、洗って落ちれば良いけど……」



 陸上に打ち揚げられた魚宜しく、【メムナイト】の上で横になっていた体を、上半身のみ起こし、改めて自身の置かれている状況を確認。

 数こそ少ないとはいえ、節々に、大小様々な鈍器で殴られたような痛みと、髪の毛バリアを突破して、頭皮にまで到達していた泥に悪態を付く。

 それとは対照的に、モロに泥を被った衣類には、これっぽっちも汚れは付いていなかった。

 ……あぁ、いや、正確には殆ど落ち切っている。

 どういう理屈か、粘度の高い性質である筈の泥が、熱せられた鉄板に置かれた氷の如く、ツルツルと表面から流れて落ちてしまっているのだ。

 今は逃げ場の無い泥が、衣類の窪んだ場所で停滞しているだけで、立ち上がるなりをして逃げ場を造ってやれば、すぐにでも洗浄は完了するだろう。購入してくれた永琳さんに感謝です。

 ……まぁ、それ以外の露出した表皮とかには、おもっくそ付着し続けているんだけれど。手とか、顔とか、服の中とか、色々と。



「人生初の泥沼パックが、まさか砂漠のど真ん中……とはなぁ」



 美容に効果があるのかは怪しいところだが。……場違い甚だしい感想だ。

 顔にへばり付く泥を拭いながら、これって傍から見たらランボ○かスネ○クみたいじゃないかと思いつつ、蛇皮の外套で梱包していたネズミ少女を取り出した。



「ご開帳~。……痛いところは無いか? 泥だけじゃなくて、折れた木とか沈殿してた石なんかも混ざってたみたいだけど」



 津波で死ぬ生物は、その大半の死因は溺死だが、体中には無数の切り傷、打撲、骨折、内臓破裂などが見られるものなんだそうだ。そこに至るまでの過程は、大自然による滅多打ち。天然のミキサーに掛けられたるようなものだろう。今、体の各所に感じる鈍痛に、それは真実であったと、漠然と思った。

 そう思うと、骨折やら出血やらも無く、数箇所の鈍痛のみで済んでいるという幸運に、短めの感謝を捧げておこう。神でも仏でもなく、+1/+1の修正を与えてくれている、孔明先生辺りに。



「うぅ……人間達が使う空の水瓶の中で遊んでいたら、移動の為に、ゴロゴロと転がされてしまった時を思い出したよ……」



 世界が回った。と締め括るリンを見るに、不調なところは無さそうだ。

 悪戯ネズミの過去をチラと耳にしながら、出来るだけ丁寧に外套を外してやる。

 完全に露出した少女の体には、一滴足りとも泥の付着は見られない。

 その事に小さな満足感を覚えながら、滑る足場と化した大地に立ち上がる。





 白い孤島と化した平天大聖の体が半分沈んでおり、一瞬だけ見ると、あれが何なのか理解するのは難しい光景だ。

 現状把握の為にすぐさま周囲を把握し始めたリンは、平天大聖へと視線を固定し、時折、怒号にも聞こえる声を出しながら、前方のネズミ達へと指示を飛ばし始めた。

 この段階では、俺は何もする事が無い。極力、邪魔にならないように、静かな存在に徹しよう。



「……こうして見ると、酷いな」



 ざっと見ただけでも、泥……黒一色。

 もたらした成果は残り続ける、自身の能力を思い出し、



「……あれ、でも、泥って良質な土の一種だった……か?」



 少なくとも、砂漠よりは生命の育みを助長する土地の筈。

 時間が経てば、もしやこの不毛の大地に、MTG産である事を加味しても、草木の一本でも生えるかもしれない可能性が出て来た。

 砂漠化を抑止……もしかしたら改善とか、俺って地球さんの役に立ったんじゃね? など思っていると、



「うぉ!」



 一際大きな振動と音。

 視界の先の平天大聖が。【沼】から露出していた前足を高々と振り上げ、地面へと振り下ろしていた。

 湿った音を響かせる筈の泥沼は、しかし、硬質の大地にでも打ち付けたかのような、正反対の振動を周囲へと振り撒く。

 十数メートルの隆起を起こす、どういう理屈かで……まぁ原因は平天大聖なんだろうが……硬質化した【沼】。それに合わせて宙を舞う礫―――黒は、泥もそうだが、何よりよく見知った存在になった、無数のネズミ達である。



(……)



 こちらの為に―――片手で数えられるだけの日数の間のみとはいえ、本当によく働いてくれている。感謝もしているし、想いに応えてやりたい気持ちも、十二分に持ち合わせているけれど、我を忘れそうになるほど強い思いを抱いている訳では無い。

 正直に心中を吐露すれば、彼らが何百、何千と死のうが、涙を流すことは無いだろう。

 ―――だからといって、心穏やかで居られるかと問われれば、答えは、否。

 やはり【プロテクション】や【ダークスティール】化は必須であったのでは。

 居た堪れない……焦燥に駆られるが、平天大聖相手に必要な……必要だと判断した手段からは外れるもの。無論、死なぬ兵とはそれだけで何者にも変え難い切り札ではあるが、



「どうだ?」



 このままで効果を発揮してくれたのであれば、今すぐにでも鉄壁の加護を付与させたいのだけれど、それを判断する為に尋ねた返答は、ふるふると、小さく数回。『効果が無い』と首を振るリンの態度で、行えなくなってしまった。



「……体毛に阻まれた箇所は無理だけど、それを掻い潜って直接皮膚に爪跡を残す事は可能らしい。……ただ、それも瞬時に回復してしまうんだ。齧ったり、引っ掻いたり。でもそれも、痕跡をつけた瞬間に……という具合にね」



 いつの間にやら、俺達の周囲に数匹のネズミの姿があった。リンは彼らから情報を収集しているようで、一方的にネズミ達からチュウチュウ言われているだけのやり取りはすぐに終わり、報告をし終えた者から順に、前線へと戻っていく。その意見を統合した答えが、今の話であるらしい。



「……ねぇ」



 ともすれば、消え入りそうな声。

 視線は前方に向けたまま、前方から二度目の地響きが起こる中、小さな存在は、その小さな姿に似合った呟きを零す。



「うん?」

「本当に、このままで大丈夫なのかな……。実は、現状が平天大聖の策略で、これから僕達が行おうとしている事も、全部見抜かれた上で、踊らされているだけなんじゃないかって思えてならない……。これで……本当に……」

「……そこには俺も同意させて頂きます」



 自分の素直を暴露しただけなんだが……あれ、リンが盛大な溜め息を。

『君もそう思うよね』とかな相槌を期待したんだが、少女にとっては予想外の返答であったようだ。



「……いや、なに。そこは『大丈夫さ』とか、『きっと何とかなる』とか、そういった気の利いた台詞を掛けるのがオスとしての役割なんじゃないかなー、と自分勝手に期待していただけさ……」



 オスってあーた……間違いではねぇですけども。

『つくづく君は期待を裏切るのが上手い』だの何だの聞こえるが、既にこんな反応をされている間柄な訳でして。

 先の悪ノリな大演説(笑)と言い、言葉遣いや態度じゃあ、どうにもボロが出てしまう。カッコ付け(偽)のスキルは健在のようだ。……健在じゃなくなる日は来るんだろうか。



「ッ! 一定数の目標地点侵入を確認! いつでも良いよ!」

「了解。【メムナイト】ッ!」



 少女一人、男一人。

 それを軽々と騎乗させて、より一層足場の悪くなった砂漠の泥沼を疾走する。草原で駆ける馬よりも速いだろうと思う駆け足は、既に距離を詰められていた事もあり、あっという間に平天大聖の目と鼻の先へ到着を果たす。

 一面が泥で覆われてしまったとはいえ、一応は砂漠と【沼】との境界線が存在している筈なのだが、見た目じゃ絶対分からない。……と、思ったのだが、どうやら【メムナイト】はそれを見極めたらしく、適度な距離まで来た途端、その歩みをピタリと止めてしまった。どうやら、大地に突き刺した足の感触で場を把握している節があるらしい。便利なものだ。

 ―――言葉でも駄目。態度でも駄目ってんじゃ……。



(行動するしかないじゃない!)



 まぁそれも、色々とやらかしている身ではあるけれど。

 いっそ寡黙系男子でも目指そうかと頭を過ぎるが、らしくない事この上ないので、即却下。第一、そんな性格になりたいとは思わない。

 平天大聖との距離、目測で百メートルは切っているっぽい。

 ちょいとメムさん近過ぎじゃ、など思いつつ、停止した【メムナイト】の上で、直立。微塵も動かない安定感抜群の足場に頼もしさを覚えつつ、表皮のみ泥塗れになった体を晒す。泥遊び後に新品の衣類を着込んだような不自然さだが、もう、それも気にならなくなった。

 そろそろ口を閉じながらの呼吸が厳しくなってきた自分の疲労具合と折り合いを付けながら、ここまでで出揃った状況を改めて思い返す。

 現状の手札は【沼】、【メムナイト】。遠方にある【頂雲の湖】と【伏龍、孔明】。白牛の攻撃……地団駄によって、五十万からその数を減らした、+1/+1修正を受けているネズミ達。

【お粗末】か【弱者の石】による平天大聖の弱体化。具体的な減退数値は不明だが、相手の口振りから察するに、決して小さいものでは無いようだ。

 そして、何より重要な点が、ネズミ達によってあの“平天大聖が傷ついた”という情報。

 それらは毛ほどの引っ掻き傷であり、それも即座に修復してしまうという、全く無意味な特攻しか思えないものだけれど。



(幾らMTGの呪文系は、自力の高い……強力な存在にゃ効力が薄いっつってもなぁ)



 それらは、全く効かない訳では無いのだ。

 これが成功すれば1マナで。駄目ならば残りの3マナを駆使して、幾つか見繕っておいたコンボの妙技をお見舞いすれば良い。

 けれども、1マナ呪文使用の段階のみでも、目的が成功する確率は高いだろうとも考えている。

 何せ、単発で使用しても、意味を成さないものなのだ。

 使い勝手と成果が上昇すればするほどに、制限が見受けられる自身の能力を鑑みて、多少なりとも使用に条件が伴えば、それら制限は緩和されるのではないか。と判断した。

 それでも、試すのは初めてである。まぁ、ぶっつけ本番は今に始まった事では無いのが、ある程度の冒険を決断する切欠にもなった理由だろう。

 そんなものの考え方を、度胸が付いた、と好意的に解釈するのも吝かではないが、それはもう少し……もっと弱そうな相手と当った時の為に、残しておく事にした。肯定的に捉えた後でスカしたんじゃ、色々と目を背けたくなる体験やら経験やら記憶になってしまうのだから。大見得切った後のズッコケは、笑いを取る為の前振りだけで充分である。



「一定時間、経過。恐らく目標数を遥かに上回る傷は与えた筈だよ。後は、君の言う呪文がしっかりと効いてくれるのを神に……は、居ないんだった、か。……ははっ、君に願っておくかな」



 固唾を呑みながら向けられたリンの瞳に、何処か軽い口調で答えようとした言葉が、潰えてしまう。

 ……これは、その、なんだ。

 あの時の、俺らしく無い台詞を、まさかもう一度言う場面が来ようとは。



「―――任せとけ。これで駄目なら、まだ幾通りかの手は残してるから。……そんときゃ、場合によっちゃあ、怪獣大決戦の観客になれる事、受け合いです」

「それはまた、頼もしい言葉だ。その時には、精々踏み潰されないように、日頃から鍛えてある逃げ足を活用するさ」



 ……使用するカードによっては、鳥や馬であっても離脱不可能になるかもね。という項目には、口を噤んでおきましょう。



(こっちが細心の注意を払えば、どうにかなりそうな問題だしな)



 ―――これで、お膳立ては全て整った。後は相手の出方のみ。

 吉と出るか凶と出るか……とは思いながらも、相手は妖怪の親玉である。種族の特徴―――勝負が決まれば潔い良い鬼とは異なり、吉と出る可能性なんて、多いのか少ないのかすらも分からないのだけれど。



「なぁ」



 暴れ続ける平天大聖へと。

 この言葉を機に、【メムナイト】へと縋り付いていたリンが片手を上げ、ネズミ達に停止の合図を送る。行動に移るまでの時間はそれなりに要したが、それでも、分は掛からずに済んだ。

 攻撃の手を止めて、張り付いたままの組と、ぞろぞろと白牛から下山していく組に分かれる。

 それら違和感を感じ取ったようで、絶え間ない地響きを繰り返していた平天大聖の動きが徐々に緩まり、ネズミ達の半分以上が体から離れた時点で、完全に停止した。

 風すら吹かない、耳の痛くなるような静寂の中。



「―――もう、止めにしないか?」



 自分の言葉だというのに、やけに大きく、周囲へと響く気がした。

 ネズミ達ですら、しわぶき一つ立てず、無音の一部となっているのか。

 辛うじて音らしい音が聞こえたかと思えば、それは、既に遠方へと消えかかっている、人間の軍隊の後姿。



≪……世迷言を。道化の台詞は、笑いの一つでも取れるようになってからしてみては如何です?≫



 似たような場面を、日本に居た頃に見た。

 ただあの時とは、相手も、場所も別モノではあるけれど。



「どうだろな。ただ、状況はキリが良いとは思ってる。……お前、かなり疲労しているだろ。それ、今のままだとまず抜けないからな。……前々から……色々企んでたようだし、こっちから頭下げて黙認やら協力やらを取り付けた形でもあるし」



 自分の身長以上の眼球に睨まれるという貴重な……けれど一度のみで良い体験を味わいながら、平天大聖か、それ以上に疲労しているかもしれない体力を隠し、平常心を装う。



「お前さんが何もしなけりゃ、この後に色々と粗品贈呈しておこうと思ったんだが……」



 その機会は無くなった。他ならぬ、平天大聖自身の手によって。

 内心で、『悔しがれ』と幼稚な念を送りながら、我ながらもう少しどうにかならん言い方なのかと眉をしかめつつ、今回のでチャラにしよう。との案を持ち掛ける。

 命を寄越せだとか、隷属化必須だとか、そういった無理難題を吹っ掛けている訳では無いのだ。逃げ道は多く、魅力的な筈。

 ―――もし、それでも事態の収拾を選ばないというのなら。



「ッ!」



 こちらの言葉に応える様に持ち上げられた白い柱……平天大聖の前足。

 泥飛沫を撒き散らし、あっという間に建造された高層ビルは、建造時に掛かった時間と同じくらいあっという間に、倒壊の兆しを見せる。

 合わせ、弾かれた様に、足場である【メムナイト】が駆け出した。



≪―――舐めるのも大概にしろッ、人間!!≫



 倒れ込む方向は、無論、こちら。

 風切り音すら巻き込んで横倒しになりつつある白い柱に、圧巻の二文字を垣間見る。

 一体、何が琴線に触れたのか。

 自我は健在っぽいが、それでも、感情に任せた部分の大きい行動に移ったのは、何をするにも飄々としていた平天大聖の姿を思い返すと、興味深いものがある。裏を返せば、この状況はそれだけ屈辱的なものなのかもしれない。

 けれど、正直、その台詞は在りがたい。

 今までの腹芸合戦―――俺にとっては―――に比べれば、怒りという感情は非常に理解し易く、馴染み深いもの。親近感も沸いてくる。

 ……それが、好感度の上昇に向かうとは限らないのだが。



「雑魚化フラグゲットー!!」



 こういう展開は、先に底を見せた方の負け。的な流れを脳裏に画きながら、自分の中での最後の一線の外れる音を聞いた気がした。

 ここまでやったのだという思いは……汚い話だが、言い訳づくりの何者でも無い。

 差し伸べた和解の手を払った直後―――気持ち良く事に望む為の根回しが全て済んだ、今この時ならば。



 ―――お前がどんなに惨たらしく死んでも構わない。

 そんな想いが込められた呪文―――カードを、自身の内で呟いた。



(発動―――【命取り】)



 MTGにおいて、黒の特徴―――真骨頂たる力の一端を、今ここに。










『命取り』

 1マナで、黒の【インスタント】

 使用したターン中にダメージを受けているクリーチャー一体を対象とし、破壊する。それは【再生】出来ない。

 ディスカード、ライフドレイン、高性能デメリット付属カードなど、黒の特徴―――お家芸と言っても過言ではない内の一つ、クリーチャーを破壊するカード。その殆どが、【再生】を許さない。

 破壊故に、クリーチャーのライフたるタフネスを参照しないので、【ファッティ】などの大型クリーチャーにとっては厄介な呪文となる。タフネスが高めな【白】や【緑】に対しての効果が高い。

 使用頻度こそ高くは無いが、だからこそ、これを使う場合には、奇襲として成立する事が多い。黒のクリーチャー破壊カードは、条件として“黒でも【アーティファクト】でもない”と付随されているものが大概であり、その点をクリアしている【命取り】は、決して侮れないスペックを秘めている。











 切欠は―――それこそ、ほんの小さな……短い、一本の黒い線。

 純白の表皮に走った裂傷は、とても細く、短いもの。

 ただ、それも一瞬。次の瞬間には、その数は倍になった。いや、倍ではない。倍という範囲に留まらなかった。

 一本、二本。十、百、千、万、と。

 恐ろしい勢いで数を増やし、黙々と、淡々と、着実に、黒い線を増やしていく。毛で覆われていながらも、昼間の砂漠に照らし出される白牛には、それらがとてもよく映えていた。まるで、自らの影によって食い殺されているような。もしくは、子供の落書きに塗り潰される白紙のように。



≪ぎゃ……―――があああああ!?!?≫



 地の底から響く声、とは、こういうものを指すのかもしれない。

 急遽、指製の緊急耳栓を装着したにも関わらず、鼓膜が破けてしまうのではと思える音量を全身で感じた。



(こうも効果を発揮してくれるとは思わんかった……)



 カード効果をなんの捻りも無く解釈したのならば、ダメージを……傷を与えたか否かが発動の条件であって、そこに傷付けた回数は含まれていない。

 それでもこれを使用したのは、1マナのクリーチャー破壊呪文で、黒でも【アーティファクト】でも対処可能であったから、という点と、先に考えていた通り、発動条件の難しさに起因する。間々制限の見受けられる自身の能力は、発動条件が困難になればなるほど、しっかりとした効果を発揮してくれるのではないだろうか、と。

 コンボの回数制限だったり、【プレインズウォーカー】の枷であったりと、これは便利! と思える手段の大半が、一回限りの使い捨て。

 ならば逆に、発動条件がキビシ目のものであれば、それら制限は緩和……ないし、設定されていないのではないだろうか。



(無数に近いっつっても、引っ掻き傷程度がダメージとしてみなされるか怪しかったんだけどな)



 よって、それが成功したとなれば……、



(……あれ。もしかして、【命取り】って、もう使え……役に立たない?)



 それは、条件の緩さと結び付き、連鎖的に、過去に経験したコンボやPWの制限へと繋がった。

 悶え苦しむ平天大聖は、今も声高らかに叫び続けている。

 それを成した―――抜群な成果を見せた【命取り】は、結果と対価のアンバランスさを際立たせる。

 毛ほどの傷をダメージと見なし、一体だけとはいえ、対象を破壊し、【再生】を不可能にさせる力とは、チート乙、と自分で思える性能だ。

 これまでの各種制限を思い返すに、真偽を確かめるまでは、今後、これは使用出来ない。と考えておくのが最善だろう。少なくとも、ぶっつけ本番で使用して良いものではなくなった。



「……」



 もう攻撃は無いと判断し、停止した【メムナイト】の上で、泥沼の上でのた打ち回る巨大な白牛を、リンは能面のような顔で見続けている。飛び跳ねる泥や礫を気にする風も無く、ただ呆然と、消えゆく命に目をやっていた。

 地響きに時折混ざる、耳を覆いたくなる絶叫。けれど、何もせずに棒立ちする姿からは、一切の感情を読み取れるものでは無くて。



「最後まで見る必要は無い。行こう」



 こういう時にこそ普段通りに……軽口を叩かなければという思いは、鼓膜にこびり付く悲鳴によって掻き消されてしまった。

 直立する少女の両肩に手を置いて、強引に反転させる。何の抵抗も感じなかったのは、脱力に近い状態であったからだろうか。

 平天大聖から距離を取りつつあるネズミ達を見ながら、自分達もそれに習う。

 窮鼠の一撃、を思い出し、死体へと近づいていく妖怪の王を、油断無く監視しながら後ずさる。とは言っても、俺は白牛を見ているだけで、後退するのは【メムナイト】の方なのだが。

 無数のネズミ達ではなく、【命取り】の効果と【沼】によって段々と黒く染まっていく。数刻後には、あのまま地の底……泥沼の奥深くへと沈んでいくのだろう。



(……くそ)



 気分良く事を終える為にやっていた筈なのに、こうして最後を看取る立場になってみれば、心には何の爽快感も生まれない。むしろ逆に、響き渡る苦悶の声によって、不快感が募るだけであった。

 もっと憎々しい……それこそ、悪辣非道な“魔王”であったのなら、どんなに良かった事だろう。



(魔王、か……。……白牛……巨大な牛……? ……牛で魔王っつったら……)



 おや? と心に、疑問が一つ。

 考えが考えだけに、それが解決されるのは、然して時間の掛かるものでは無かった筈なのだが。



『―――援軍! 神速!』



 思考は断ち切られた。心に届く、遠方より事態を見守る【伏龍、孔明】によって。



「おっ?」



 念話の内容が脳味噌に染み込む前に、俺の体は揺れた。

【メムナイト】が体制をやや崩した事もそうなのだが、何より、背後に控えさせていたリンが、こちらの体をグイと押し出して来た。

 元々広い足場ではないので、危うく落馬しそうになるのを何とか踏ん張ろうとしたものの、体を支えてくれた【メムナイト】の手の片方すらも、その役割を放棄して、リンの強行に便乗する形を取った。





 ―――拉げる金属音が耳に届く。

 乾いた甲高い耳鳴りが、一つ。鉄板にパチンコ玉でもぶつけた様な、青空によく響く音。





 何の支えもない崖っぷちの体は、いとも簡単に宙に放り出されてしまう。砂の大地にベチャリ顔なりから行かなかったのは、ただ単に運が良かっただけであろう。

 大した衝撃も感じずに着地をした足により力を込めて、見上げる形で振り向き、顔を起こす。



「おいおい、一体―――うぉ!?」



 視界を覆う黒い影。

 それは人間の幼子のような大きさで、一瞬それが何なのか分からなかったが、



「ふっ!」



 全身を強張らせ、それを受け止めるよう力を込めてみれば、肺に溜まっていた幾許かの空気が排出される。

 その刹那、衝撃が両の腕に圧し掛かる。

 ここ二年ばかりの大和生活で多少は鍛えられており、そうも高さがある訳では無いとはいえ、子供一人の重量の自由落下を受け止め切るのは、そこそこ難易度が高めのミッションだった。

 しかし、今の俺は通常の状態では無い。【伏龍、孔明】によって+1/+1の【パンプアップ】を果たしている、超人……とまでは言い切れない、超人一歩手前のぷちスーパ○マン。名前的にパ○マンだろうか。そんなところだ。

 恐らく今の状態であれば、四年に一度の世界大会でも各種の上位を狙えるポテンシャルになっている。それが、重量三十キロ程度(予想)をキャッチ出来ない筈が無い。



「リン! どう―――」










 ―――どうした、と。そう、言う筈だった。









 ……おかしいな。これは本当に……オカシイ。

 場の雰囲気から察して、何かの襲来を受けたのは予想出来る。

 平天大聖にのみ目を向けていて……かといって、それ以外を疎かにして来たとは思わない。

 周囲数十キロの地平線には敵影は見えずに、斥候として分散させていた何百かのネズミ達からの報告も上がってきてはいない。

 しかし、唯一事前に判明したと思われる情報が、【伏龍、孔明】による念話だという事実を加味すると、ネズミ達の情報網には掛かっていたが、それ以上の速度でこちらへと接敵を果たしたのかもしれない道筋が見えてくる。

 でも今は、そんな事はどうでもいい。



「……良かっ、た」



 真っ赤な口元を今も赤で染めながら、小さな妖怪が懸命な笑顔を造っている。

 肩と胸の中間辺りから、トマトジュースでも零したように広がる赤い染みに、あらゆる感情が吹き飛ばされた。

 眼の鼻の先の大地には、一本の長い棒。羽の付いた先端を見るに、どうやらそれは、弓矢の類であるのだろう。



(真上……から……?)



 先の流れを予測しながら出た確定の結論は、何処からとも無く飛来した弓矢から、リンが身を挺して守ってくれたという、分かりたくもないもので。

 ただ、熟考に浸る間も無く、俺達は暗い影に覆われた。

 空を仰ぐ形で見上げてみれば、そこには圧し掛からんと天を遮る【メムナイト】。再び同様の事が起きても良い様に、文字通りの身を挺して盾となってくれたのだろう。

 そんなクリーチャーの足元。恐らく、初撃。リンがこちらを突き飛ばした時に聞こえた音によって生まれであろう小さな穴が、【メムナイト】の足に穿たれていたのだから。

 腐っても金属製であり、1/1から【パンプアップ】を受けて2/2となっており、そんな金属板を貫いた弓矢が、ただの矢であるなど考えられない。

 落ち着いた状況を見計らっていたかのように、【伏龍、孔明】の念話が届く。上空より飛来する者が居る、と。

 けれど、そんな問題はどうでもよかった。

 抱えた少女の傷口を一瞥し、脱力しきった……口から血を流している状態と照らし合わせ、一刻の猶予も無いと判断。ゼロマナである【アーティファクト】、【薬草の湿布】は除外。

【再生】効果のカードを思い浮かべ、ネズミ達も合わせての【再生】か、単体での【再生】かを、逡巡し―――初めて少女を抱えた時に感じた、痺れる感覚に襲われた。

 直後に脳裏に飛び込んでいる情報。それは、新たに開かれた道の標。

 だが、今はどうでもよかった。

 それよりも今は―――



「―――おい」



 小さな体だ。軽く抱えれば、包み込めてしまうほど。

 空から降ってきたので、それを受け止めたのだ。必然、しっかりと支える為に、触れ合う箇所が多くなり……



「……おいって」





 ―――腕に感じていた鼓動が―――無い。





 浮かべた笑顔はそのままに、小さな鼓動も、か細く上下していた胸も、全く動かなくなっていた。

 力の抜け切った体は温かく、腕を伝わるぬめりとした液体も、未だその存在を熱いくらいに主張していた。

 だが、それだけ。

 困ったような笑いも、罵倒にも似た明るく可愛らしい声も、くりくりとした二つの瞳も、苦悶の声すらも。何も、何も、見せてはくれない。



(………………参った、な)



 あれは諏訪の国、であった頃か。

 大切な人を目の前で奪われ、あの時最も力強い存在であると思っていたカードを行使した。

 後先など考えず、一寸先の未来など考慮せず、ただただ目前の怨敵の命を奪わんとして、それのみを思い、行動に移した。

 今の状況は、あの時の焼き回し。腕に感じる温もりすら一緒だ。

 けれど自らの心は、とても冷えたもの。暗い激情に突き動かされた時とは、やや異なっていた。

 憤怒の炎だとか、憎悪の波動だとか。抱いていない訳では無いけれど、それによって思考が塗り潰されるまでにはならなかったのだから。



(本当に……参ったな…………)



 こういう可能性だって、考えていた。

 トップを下せば、それに連なる者達が御し易い縦社会、妖怪という種族ではあるが、今回のように平天大聖を倒しても向かってくる……これを機に。と一躍を狙っているのか、事前に指示を受けていたのか。それ以外の何かの要因か。

 いずれにせよ、ボス戦の後の中ボスか雑魚ラッシュは、想定の範囲内であったのだ。



 ―――この腕に感じる、儚い重み以外は。



 ここで即座に【再生】を使おうものなら、事前に【ダークスティール】化も、【プロテクション】も行わなかった意味を失ってしまう。

 そうなれば、既に散ってしまったネズミ達の意味も消失し。

 無論、無意味ではない。それでも、そう思わずには居られない後悔が実行を躊躇い、二の足を踏ませる。

【メムナイト】という傘からチラと見える空を見てみれば、そこには、キメラを思わせる不出来な存在が居た。

 一瞬だけ思った感想は、ペガサス。翼の生えた馬、という見た目が、まさにそれであった。

 けれど、目を凝らしてよくよくそれを見てみれば、安易なすぐに感想は否定される。

 大雑把に判明したものは、四つ。人の頭。馬の体。鳥の羽に、虎の表皮。大空に居る為、縮尺がはっきりと分からないが、通常の馬の倍以上はある巨体。一体何の妖怪かも分からない、いっそ神々しいとすら思える存在に、僅かなも目を奪われた。

 それを、見計らっていたかのように。



「ぐっ!?」



 押し上げられる体。宙を浮く感覚。太陽が眼光を焼いたかと感じる間もなく、リンを抱えた俺の体は、『耐えて』という念話と、それを発した【メムナイト】の足によって、数メートル先の地面へと蹴飛ばされ、横滑りに着地した。

 直後、轟音。

 砂煙を巻き上げながら、同時に煌く、無数の金属片。嫌になるほど目を引くそれは、鋼の従者の成れの果て。
 
 横たえ、やや軋む体を首だけ起こし、そこへと目を向ければ、【メムナイト】の体は中央から二つに別たれていた。

 ならば、それを成したのは何なのか。その答えも、視線の先にあった。

 戦利品の如く肩に掛けられている獣……犬か狼の毛皮。

 俺を二人重ねても足りない長身は、深緑を基調とした赤銅と金色の装飾が施された鎧に包まれて、屈強だと思われる体をより一層、堅牢かつ煌びやかに際立たせていた。



(リザード、マン?)



 爬虫類と人類の合いの子のような存在。

 蛇の頭部。人の体。両の手に一本ずつ握る、肉厚の直剣と、大型の戟。



(……お前か)



 背中に背負われた、真紅の弓と矢籠。何本か残っている矢の羽の部分が、リンを貫き、大地に突き刺さっていたものと酷似していた。

 しかし、落ち着いて姿を確認してみると、蛇だと思った顔には、二本の髭が生えていた。蛇皮のような艶やかさではなく、鎧に覆われた全身から覗く表皮は、鱗。

 黄色の猫目からは並々ならぬ闘気を発しており、西洋のモンスター、リザードマンだと思っていた考えを改めるには充分な容姿。



(龍人……)



 そう思い直すのに、時間は掛からなかった。

 余裕があれば……リンがこうなっていなければ、ゆくゆくの紅魔館で門番を務める者との関連性に、胸躍らせ、興奮しながら考えを巡らせていたのかもしれない。

 振り下ろした巨大な直剣を持ち上げ、無防備なようにだらんと構え直し、こちらへと歩む姿は威風堂々。一角の武人のそれだ。

 光に還りつつある【メムナイト】の残滓を興味深そうに……けれど何の躊躇も無く踏み潰しながら進み来る様子に、心がざわめき立つ。

 そんな最中。



「っ!」



 大地が動く。

 否。大地を疾走する影が動いた。

 周囲に散っていた無数のネズミ達が、我を忘れたように龍人へと襲い掛かる。先の泥津波もかくやな黒い波となった勇士達が、その眼を赤々と輝かせながら猛進していった。

 ただし、そこにはある程度の規則が見られるもの。間隔の空いた戦列であったり、強弱の別れた突撃部隊の速度であったりと、下手な人間達よりも統率の取れた様は、彼らを畜生と蔑みの視線を向けて来た者達から見れば、眼を見開いて驚く事だろう。



 流石にこれには分が悪いと見たようで、龍人はその場からの離脱を図った。

 とは言っても、撤退の意味ではなかった。留まる事を良しとしないだけであり、その移動先は―――こちら。



(……俺か)



 駿馬にも迫る移動速度もそうだが、足元のネズミ達に這い上がられないように、剣や戟を足の代わりとし、大地への接触を避けながら向かって来るではないか。

 武器を用いた竹馬のようだ。と、場違いな感想が脳裏を過ぎるが、それが意味するところとは、こちらへの害意。



 ―――そっと。足元のネズミを一匹持ち上げる。妖怪でも何でもない。ただ下に居ただけの、小さな生き物。



 右手の中に納まる『何?』とクリクリとした目をする存在に、そういえば言葉が通じないのだったと気づかされる。

 けれど、数日間ジェスチャーという肉体言語を学んで来た事を思い出し、すっ、と人差し指を前方―――跳躍を繰り返し、襲い来る龍人へと向けた。



「―――あいつ、殺すぞ」



 小さな……けれど甲高い鳴き声。

 チュウ。との、それではない。キィ、と空気を切り裂く怒号であった。

 場を読むことでこちらの意図を察してくれたようで、口元から覗く小さな牙を、精一杯剥き出しにしながら、威嚇行為を取った。





 ―――成長と共に解放される力について、また、分かった事がある。

 今回は大まかに二つ。

 一つは、俺の制限はスキルツリー方式であるようだ。

 ツリーの名の通り、枝先になればなるほどに、そこに到達する道は細分化されるもの。

 安易に果実だけをもぎ取る真似は許されず、得る為にはしっかりと枝を伸ばさなければならない。故に、どんなに同じくつわを踏もうとも、条件が整っていなければ、その先は見られない。

 いつかは、この暗中模索な能力制限も解放される未来が来るのだろうか。

 少なくとも、その暗闇に一筋の光が差し込んだのは、諸手を挙げて喜ぶべき答えの筈なのに、それが判明するまでの過程を考えれば―――腕に感じる暖かな重みを鑑みれば、唾を吐いて顔を背けたくなる事実であった。



 過去、このような状況に陥ったのは、諏訪の頃に一度のみ。

 その際には何も気づきすらしなかった……ただ我武者羅に。感情の赴くままに行動していただけだった。

 だが、今回は違う。

 大和の風神との付き合いか、鬼との接触か、月での一戦か。

 それらどれかを経由して分かった事。

 血液。恐らく……それがトリガー。

 リンから伝わって来る、痺れ。怖気のする赤い暖かさによって、能力解放と銘打つ取扱説明書を、直接頭にぶち込まれた。





 ●スキル解放―――『特定対象接触中の間、同種族(【タイプ】)の全コスト無効』





 ウィリク様と別れた直後。夜の砂漠に身を躍らせた―――初めて少女を抱き抱え跳躍した時に僅かに感じた痺れは、これの先触れであったようだ。



「っらああああッッ!!」



 乾坤一擲。全力投球。

 撃ち出した小ネズミになるべく負担を与えない様に。しかし、あらん限りの力を込めて、腕を上から下へと振り被る。

 疲労の重なりつつある中で自ら行動するなど、ただでさえ際どい制限時間を削りに行くような愚行。

 しかし、今回ばかりはそうも言っていられない。言いたくない。と、言い換えた方が正しいが、それすらも些細な問題だ。

 投擲された、一匹のネズミ。

【伏龍、孔明】の加護を受けているとはいえ、2/2には届かない、1/1に毛の生えただけの力な存在。何の能力も付与されておらず、何の策も持ってない。



(悪い、先生)



 更には、これからの事を考え、【パンプアップ】効果と、維持費の削減の為に、【伏龍、孔明】を還す。

 独断&即決+一方的な説明通知であったが、先生からは、『御武運を』とのお言葉を頂けたのが幸いか。

 知力抜群な客観的視野を持つ司令塔と、五十万の全体修正を捨ててまで得たものは―――。

 










 経験か、直感か。九十九より撃ち出されたそれを異常と感じ取った龍人が、迎撃の姿勢を取った。

 低空を翔ける速度はそのままに、投擲したネズミ―――たった一匹の小さな存在に向け、巨大な直剣で、渾身の斬撃を繰り出した。

 足元を埋めるネズミ達には目もくれず、一閃。

 その重量を微塵も感じさせずに振り抜かれた剣は、その空間にある全てを切断する。

 空気も、時間も。そして、投げられた、小さな命も。




「―――ッ!?」



 ―――その、筈だったのに。



「そう手間は掛けさせねぇよ……。“がんばれや”、爬虫類」



“投擲した筈の小ネズミを手の平に乗せながら”、ふてぶてしい声色で、声を飛ばした。

 前方。龍人の目標である人間からの挑発……いや、“応援”が耳に届いたのと同時、全身を未知の力が駆け巡る。

 この力ならば、より上位の……いっそ大聖の末席に名を連ねるのも可能かもしれない、と。僅かとはいえ、それに意識を奪われてしまった、刹那の間。



 焔が走る。

 否。焔に似た眼光、二つ。龍人の目前を駆け抜けた。

 雷光一閃。

 常人では満足に振るう事も適わない直剣を持つ龍人の豪腕が、血飛沫すら上げる暇もなく、澄み渡る青空を舞った。





 ―――そこには……投擲された小ネズミが居た筈の空間には、薄汚れた人型。

 体躯は九十九と同程度か。腰まで届く灰色の髪。体の動きを妨げないよう最小限に施された、黒茶色の装甲。

 共に、身の丈ほど。巨大な剣を右手に。鉈のような刃を左手に。

 刃こぼれしてしまい、切れ味など期待出来ないであろうそれは、振るった対象の苦痛をより引き出させるのだろう威力を宿しており、腰から伸びる長い尾先には、小刀のような形状の手裏剣が握られていた。





 九十九はガクンと抜け落ちる体力と抗いながら、月で貰った腕輪に熱が入るのを感じた。だが、胸に抱いた少女を取りこぼすことはしない。



「……ぅ」



 再び鼓動を刻む、小さな胸。空気を震わす、愛くるしい呻き声。

 停止した少女の時間が再度動き出し、可愛らしい顔に皺を作る。



「……あ、れ……?」



 薄っすらと見開かれた眼には、困惑の色。

 混乱する脳内をどうにか整理しようと頭を働かせ、懸命に冷静さを取り戻そうとしている。

 それを感極まったように、隠し切れない喜びと共にチュウチュウと鳴く小ネズミは、リンの顔に鼻を摺り寄せた。



「……良かっ、た……。……どうもありがとう。……お陰で、命拾いした」



 目覚めの挨拶。

 安堵とも罪悪感とも付かない表情を浮かべる九十九に、それこそ意味が分からないと、リンは困惑の色を濃くする。



「っ! そうだ! あれからどう……な……」



 事態を把握すべく尋ねる……尋ねようとした行動は、視界に入る、赤黒い染み……自らの腹部に広がる血痕によって、途切れてしまう。

 そうだ、自分は―――。

 困惑しながらも、どう見ても致命傷であると判断したリンは、しかし、現実を前に考えを改めるのに時間を要した。



「―――過去も未来も、生も死も。全部って訳じゃねぇが、とりあえず“死”の部分を蹴っ飛ばして、どうにかしてみました」



 疲労の色を隠そうともせず。

 どうよ。と落ち着いた声で答える九十九に、リンの口は大きく開かれ、空気を欲する魚のような状態になる。

 魏の軍師であった旬彧もそうだが、蜀の軍師である孔明をも蘇生させた彼ならば、不可能ではないのだろう。

 けれど、それも何処かで納得していたところもあった。

 後世に渡り名を呼ばれ、記されて続けている偉人であるのなら、それくらいの荒唐無稽はあり得るのでは、と。特別な存在は、特別な出来事があるものだと思っていた。

 対して、それが自分であれば、どうか。

 ……無理だ。特別と凡庸を同一視出来る筈もない。

 何が『どうよ』だ。何が『どうにかしてみました』だ。幾人もの生命がそれを望み、けれど様々な柵によって断念し、あるいは阻害されて来た事か。

 あの言葉は全て本当であったのか。

 愕然とした表情を浮かべたまま、リンは漠然と、そう思った。



(本当に……それを成したのか……)



 少女は恐る恐る自らの腹部を擦りながら、大穴どころか、傷一つない自身の体に、戸惑いを覚える。



「本当なら“魂だけ呼び戻し定着させる”のが彼女の力なんだが、そこはこっちの能力で補いまして。今は体力全回復のオマケが付いて来る状態だな」



 説明には違いない筈なのだが、九十九の話を十全に理解するには、幾つかの前提が無ければ不明瞭のままである。

 意図的にぼかしていると判断したリンは、追求を止めて、数瞬前に自分を貫いた相手を見た。

 この地を統べる妖怪の頂上。七天大聖の内の半分は容姿を把握しているのだ。それ以下であれば、ほぼ全て把握している。そしてあれも例外ではない。その名前は、既知である。



「……睚眦(がいし)、か」



 睚眦。それが、九十九やリンが対峙している龍人の名。

 龍に似た姿で山犬の首飾りを持ち、殺戮を好む妖怪。

 武具の扱いに秀でている面があり、その力は千の軍隊にも勝るとされる、豪の者。

 淀みなく言い切ったリンに、九十九は、そうかと頷く。

 隻腕となりたたらを踏む睚眦を睨む眼に、一層の力を込めた。

 射殺さんとする目線を、延ばした片腕―――指先に乗せて、一言。



「―――切り刻め」



 その者、暗殺を営む血族。

 けれどあまりの残虐性に、同族からも疎まれ、孤立無援となってしまった過去在り。

 その技巧は随一。その行いは、無垢にして、無残。可憐にして、冷酷。

 名を、墨目(すみめ)。

 生を嘲笑うかの所業を行う彼女は、冒涜する者とも呼ばれる、闇に生きるシノビである。



 ―――其の業、刹那。

 ぼとり、ぼとり。

 瞬きの間に十七の肉片となった睚眦は、爆散でもしたかのように、乾いた大地へと降り積もったのだった。










『鬼の下僕、墨目』

 6マナで、黒の【伝説】【ネズミ】【忍者】クリーチャー 5/4

 希少能力【忍術】と【再生】を併せ持ち、プレイヤーへ直接ダメージを与えた場合、そのプレイヤーの墓地にあるクリーチャーを一体、自軍の場に呼び出し、使役する―――墓地から釣る、とも比喩される【リアニメイト】能力を保持する。



『忍術』

 クリーチャータイプ【忍者】が多く持つ固有能力。

 自軍のクリーチャーの攻撃がブロックされなかった場合、【忍術】の後に表記されている分のコストを支払う事で、攻撃クリーチャーと、手札にある、【忍術】コストを支払ったクリーチャーを入れ替える事が出来る。

【鬼の下僕、墨目】の場合は、5、である。














 ―――立ち込める血風とむせび立つ赤の臭いに、俺は眉を顰めながらも、周囲への警戒は崩さない。

 二度目などあってたまるかと、一瞬遠退いた意識を、自分の舌を噛む事で繋ぎ止める。

 腕に感じる仄かな熱は、月で貰った腕輪から。

 ヒカリゴケのように淡く純白に輝くそれをチラと見て、あまりの発動条件のシビアさに苦笑する。



「墨目、さん。助かりました」



 血と肉片の絨毯と化した一帯から視線を切り、墨目はこちらへと向かい、膝を突く。

『勿体無きお言葉―――』などと返されたが、その声には、いっそ艶やかとすら思える熱が篭っていた。

 後、こちらを見る目線にも、同様の温度を感じます。



(……なんか、エロい)



 これぞ獣人。な容姿の墨目は、新手のビキニアーマーかと思ってしまう即席の鎧のようなものを申し訳程度に身に着けており、彼女のボディラインがハッキリと分かってしまう。方向性はまるで違うものの、前に月で召喚した【吸血鬼の呪詛術士】を思い出す。

 全身を白に近い灰色の毛でいる為に直球的な欲望は感じないが、隠されれば隠される程に色々と逞しくなるこちらとしては、今までそちらにはとんと興味が無かったのだけれど……。



「……アリだな」



 そう思わずにはいられなかった。……口には出してしまったが。

 小首を傾げる仕草の墨目に、気にしないで下さい。と、スルーを推奨。

 ただ、今の彼女の状態にはやや疑問が残る。

 記憶していた限りでは、残虐によって喜びを感じるところがあり、力―――あるいは自由か―――を求める為ならば、恩人にすら手を掛ける節があった。

 まぁ、その恩人は墨目に対して顔をしかめるような暴力を振るっていたので、同情はし難いのだが。



(一応、聞いておくか)



 何が原因で寝首を掻かれるとも限らない。

 そう思うのも理由の一つではあるけれど、今もヒシヒシと感じる熱視線の意味が分からないのが、最大の原因である。

 で。



「……なるほど」



 興奮冷めやらぬ口調で捲くし立てられた言葉をまとめると、墨目を【パンプアップ】した為であるようで。



 ―――睚眦へと挑みかかる墨目の背中を後押しするつもりで使った【ピッチスペル】。名を、【激励(げきれい)】。

 一時期、緑デッキの真骨頂たるクリーチャーによる蹂躙―――【ビートダウン】で間々使われた、【パンプアップ】呪文である。










『激励』

 3で、緑の【インスタント】

 対象のクリーチャー一体に+4/+4の修正を与える。

 代用コストとして、自身が【森】をコントロールしているならば、対戦相手一人のライフを3点回復させる事でも使用可能な【ピッチスペル】を備えている。

 特定の状況下では比類なき性能を発揮する為、緑の【ビートダウン】、特に、高速型に部類されるものにはまずまずの確立で採用されている。










 ライフの回復とは、一般的にはメリットにこそなれ、デメリットになる機会など、そうそうあるものではない。

 ただ残念な事に、俺はその、そうそうあるものではない機会に恵まれてしまった。



(あれ、体、超痛ぇんだよなぁ)



 ライフの減少―――【死の門の悪魔】召喚時のデメリットが肉体の減少だとしたら、単純に考えれば、肉体の増加。

 諏訪から大和へと国名が変わった頃、ライフ回復効果を確かめるべく行ったのだが、体中を小さな刃物で切られ、そこに肉塊でも押し込まれるような怖気は、今でも軽くトラウマものだ。

 腕や足を生やす、といった使い方は可能なようだが、出来るだけ【再生】で済ませたいものである。

 だが、



(あの反応は、痛みとかで驚いていたって風じゃなかったな……)



【森】さえコントロールしていれば、コスト無し+クリーチャー強化&相手にダメージ。な呪文となりうる筈であった【激励】は、予想ちは違った効力を発揮したのかもしれない。PWやデッキが二度目からは使用出来ないとか、そういった制限と一緒で。面倒なものだ。

 とはいえ、それでも数値の上昇は倍々ゲームになっている面の強い、パワー&タフネス表記。10/9となった墨目によって、某直死の眼を持つ殺人貴かくやな解体術を披露した彼女には、とても感謝しております。

 幸いな事に、あまりに生き物であった頃の面影から掛け離れている形状であるので、後ろでのた打ち回っていた大聖と比べれば、スプラッタなゲームの延長線上にしか見えないのも救いだ。悲鳴を上げさせなかったのも助かりますです、はい。

 更に付け加えれば、今は彼女自身の能力に付け足す形で、こちらの能力―――MTGの【リアニメイト】能力が付与されている。

 物語上の彼女は、死体に魂を呼び戻し、固着させる程度のもの。それには、体の修復は含まれていない。

 だが今ならば、修復も兼ねた、完全な死者蘇生へと格上げされた力が宿っていた。

 そこにはこちらへの服従……プレイヤーの従僕と化すルールが付与されてしまうけれど、指示しなければ、それは無いも一緒。もしかしたら、それによってコスト維持というデメリットが追随する事も考慮していたけれど、披露具合に変化の無い状態を鑑みるに、その心配は杞憂で終わったようだ。



(確か、墨目が寝首を掻いた後に付いた主が……9/9、だったか)



 タフネスは兎も角、パワーだけなばら同格。更にはMTGとしての効果によって、蘇生モドキが、完全な蘇生へとシフトしている。豪華スペシャル得点仕様な状態だ。

 ……ただ、その熱の篭り様がヒジョーに怖い。恍惚と……自らの力に酔っている節が見受けられる。

 気分はどう? と尋ねてみると、やや溜めた後、『素晴らしい……』とのお言葉が。

 何処となく天空な城のム○カさんの台詞が頭を過ぎる。実際にやってはいないけれど、俺の脳内映像には、両の頬に手を当てている、未来○日のヒロインが恍惚な表情をみせるあれ状態が再生されております。



「……って、どうした、リン」



 さっきから無言の少女に、何事? と視線を向ける。

 これで何度目か。その目は大きく見開かれ、【鬼の下僕、墨目】を穴の空くほどに凝視していた。

 リンの肩に乗っていた小ネズミも、倣う様に、完全停止。

 ネズミという種に共通点のある者同士、何か惹かれるものでもあるんだろうか。



「つ、ツクモ……彼女……このお方、は……」



 たどたどしい言葉遣いだけれど、一言一句に力が篭っているのが分かる。

 早く教えろ、とばかりにリンの肩に乗るネズミも、キィとひと鳴き。

 ……何か、ウィリク様に次ぐ敬い具合なんだが。その遥か下に俺、みたいな。……嫌な事実だ。



「どうしたのよ、そんなに畏まっちゃって」



 そう、不思議に思い尋ねてみると。



「……僕の無知なところはまだ多いけれど、それでもこのお方が、同族の中で高位の力をお持ちだというのは一目で分かった。僕は、ネズミの妖怪だからね。自分達の頂点に近しいお方がこうして顕現して下さったんだ。とてもじゃないけど、平常心で居続けるのは無理だと断言させてもらうよ」



 驚きによる動揺と、それ以上の羨望を体中から溢れさせながら、一切どもる事もなく、リンはそう言い切った。

 腕の中で静かな歓喜に震える少女に、そういう事なら。と、たどたどしいながらも知り得る情報を口にする。



「えー、と……。彼女は墨目さん。数々の技を持つ(と思う)、一流の【忍者】……え~……裏稼業? の専門家です」



【忍者】と言われても、日本以外で分かる者など居る筈もないので、取って付けた補足を入れておく。

 尤も、今はその日本ですらも、未だ生まれていない役職ではあるけれど。

 こちらの言葉に冷静さを取り戻したのか、墨目がリンへと微笑みかける。



(……なんと)



 その表情は、温和。

 直前に解体劇を行った者と同一視が難しい程に、優しさに満ちていた。

 同族には優しいのか、それとも、年下だからなのか。

 持っていた鉈刀を脇に置き、空いた手でそっと―――繊細なガラス細工にでも触れるように、ふわり、リンの頭を撫でる。

 俺に抱かれたまま、恥ずかしそうに成すがままとなるリンと、それを優しく見守り撫で続ける墨目は、家族か姉妹のように。

 一瞬、百合っぽい展開が!? と思い掛けた数秒前の自分を殴りたくなる。そんな光景だ。

 と。



「……お前は、俺か」



 ふとリンの肩に乗っていた小ネズミを見てみれば、あまりの興奮状態に参ってしまったようて、気を失ってしまっている。

 何処となく親近感を覚える奴だ。もしかしたら俺の祖先であるのかもしれない。



(取り込み中、すいません。残り、宜しくお願いします)



 経過する時間に余裕が削られ、墨目へと指示を出す。

 念話で届く、了解の意。すくと立つ獣人の忍。彼女が見る先には、肉片となった睚眦が居た。



「うわっ!」



 と、リンが驚きの声を上げた。

 ……俺だって、何の事前情報も得ていなければ、それ以上のリアクションを取っていた事だろう。

 しかし、それを起こした……指示したのは、俺。驚くわきゃないのです。

 光の凝縮。

 瞬く間に視界一杯を覆う光子に目を細め、見るそこへ向け、口を開く。



「さっきは、ありがとう」



 俺の身の丈の倍はある体躯。白銀の装甲。重厚な金属の四肢。

 先程、睚眦によって光に還った【メムナイト】が、完全な姿で再び現れた。

 リンに言った感謝の台詞を、もう一度。この手の言葉は言い過ぎて困るものではない。思ったのなら、口に出すべきだ。

 静かな機械の駆動音に、返答の意を感じ取り、笑顔がこぼれた。

 良かった、と。無心でそう思えた。



「きみ、は……」



 何やら言いたげなリンの声に意識を戻し、顔を向ける。

 純粋な驚き。そう思える表情を浮かべながら、口を開こうとして、また噤む。を、繰り返していた。



「……あ~……気にすんな?」



 疑問系の命令口調。

 言いたい事は何となく分かるし、答えてあげたい気持ちもあるが、出来ればもう少し余裕のある時にやってもらいたい反応だ。



「……うん」



 渋々、というよりは、仕方がない。と割り切っての返答。

 とりあえずの対処法としては最善であった、と思いたい。



「……で、だ。妖怪博士なリン様に、一つ、お聞きしたい事がありまして」



 バラバラになった死体に向けて、何かを呟く墨目を他所に、一番初めに見た妖怪……と思われる特徴を伝えた。

 人の頭。馬の体。鳥の羽に、黒と黄の虎柄表皮。通常の馬の倍以上はありそうだった巨体。魔的ではなく神聖さを感じられた雰囲気。

 一瞬だけ見た情報としては、結構特徴は掴めているのではないだろうか。

 リンに伝え終え、自己満足の判断に及第点を下す。



「……それは、英招(えいしょう)かもしれない。妖怪ではなく、何処かの山の神様だった筈だよ。ひと翔けで五つの国を走破する、と聞くね。妖の者とは無縁の存在だったと記憶しているけれど、勢力を伸ばしていた大聖達に使役されていたのかもしれな……い……」



 まさか、殺したのか?

 そこまで言い切って、考えがそちらに至ったリンが、そう尋ねて来た。



「いんや、争ってすらおりません。……あぁ~……睚眦は英招に乗って来たって感じの、あの流れか。通りで孔明先生が切羽詰って『速い』って伝えて来る訳だ。……国の大きさが分からんけど、ひと翔けで国五つってどんだけ……」



 そこで言葉を区切り、



「で、実際のトコはどうなのよ。ガ・イ・シ・サ・マ?」



 リンの肩が大きく揺れる。

 いつの間にか、俺とリンの横には、墨目がおり、それだけならまだしも、その背後には武具をズタボロにされた睚眦が、虚ろな瞳で直立していたのだから。これでビビらん輩は、まず居ない。

 墨目に指示し、これまでの経緯を暴露させる。

 淀みなく、つらつらと。目の前に朗読用の文面でも用意してあるかのような。

 平天大聖が、昨晩に増援を指示した事。大多数の妖怪がこちらへと馳せ参じているのだという事。そして自分は、その中でも特に速い足を持っていたが為に、武勲を独占出来るものだと判断し、捉えた英招に跨り、飛んで来たのだという事。



(昨晩って……いつの間に……)



 妖術か、能力か、伏兵か。

 五十万匹、百万の眼と。ほぼ四六時中張り付いていた【メムナイト】。更には蜀の軍師たる諸葛孔明にすら気づかれず―――何にしてもあれの全てを把握出来ていなかった事実を突きつけられ、よくもまぁそんな大物をヤっちゃえたものだと安堵して。

 振り返り、背後を見る。

 こちらが油断している素振りをしていれば、何かしらのアクションを起こすのでは―――【命取り】によって骸と化した平天大聖が、予想も使い方法で仕掛けてくるかもと踏んで、警戒を続けていた……のだが……。



「……動かない、か」
 


 もう、呻き声すらも聞こえない。

 既に巨大な体を【沼】へと半分以上沈み込ませている、黒く変色した牛が、一頭。

 後はただ沈むだけのタンカーのように、ゆっくりとその姿を沈下させていっている。



「……」



 嫌な気分だ。

 いっそ、とっとと沈んで……視界から消えてくれれば、この鬱憤も晴れてくれるだろうか。



「墨目さん。あいつに潰されたりした……リンの……いや……。俺達の仲間の蘇生、お願いします」



 墨目が一瞬で視界から消え、はたと気づいた時には、もう遠くの方に駆けていた。



「はっや!」



 まず疾走など不可能な土地である【沼】など、彼女にとっては全く関係ないようで。

 軽々と悪路を走破する姿は、思わず見惚れてしまいそう。後数十秒もしない内に、平天大聖の死骸へと辿り着くだろう。



 淀んだ空気を入れ替えるように、成すべき事へと意識を向ける事で、気持ちを切り替えた。

 虚ろな瞳で直立する睚眦を見て、恐らく、この地に留まっている限り、この手の刺客がちょくちょく訪れそうだと嫌な考えが脳裏を過ぎ、眉間に皺が寄った。

 残りマナは4、カード枚数は3。

 体力的には水面に口を出す魚状態だが、最低限の維持をしてくれる腕輪で、沈没は免れている。便利なものだ。非常に助かります。

 カード枚数なり残りのマナなり体力なり。色々な残量がそれだけあれば、巨大クリーチャーの一体くらいなら呼び出せるだろう。



「……ツクモ」



 と、腕の中から、恨みがましくも愛くるしい声が。

 走り去る墨目から声の主であるリンへと顔を動かせば、そこには我慢ならない。と、おかんむりなネズミの少女。

 ……はて。一体何があったのだろうか。

 理由は全く思い当たらないのだが、少なくとも、不機嫌であるのは間違いない。



「ど、どうした?」



 これ以上話を進めたくなかったが、そうもいくまい。

 剥き出しの地雷源に自ら足を突っ込む心境を味わいながら、恐る恐る尋ねてみれば。



「―――君は、あの方になんて格好をさせているんだ!」

「びっ!」



 力も弱く、腰が入っていないとはいえ、それでもリンは妖怪だ。同じ体格の人間と比べれば、まぁまぁに腕力はあるのです。

 それが、こちらの頬を目掛けて平手を繰り出した。

 音がない。

 力の全てが打撃力へと変換されてしまい、俺の首を強制的に真横へと動かした。

 赤みは引いたとはいえ、数刻前に散々頬を張られた身としては、軽く触られるだけでも痛いというのに。

 ……まぁ、月の軍神様の時と比べれば、大砲(120mm榴弾)と拳銃(ゴム弾)ほどに差はあったけれど、それでも、痛いもんは痛い。

 よって。



 ―――ぷちっ



「理不尽だ! あれは彼女のデフォだデフォ! 俺の趣味じゃねぇ!」



 体力の限界も何のその。

 理不尽には理不尽で応えるべし。特にこれが、苛めがいのある相手ならば、尚の事。

 失ったものが戻りつつある現状に心が軽くなって来たので、沈みつつあった気持ちを明るめに定めた。

 リンを支えていた片方の腕を外し、アイアンクロー宜しく、その小さな口を覆い隠すように、両の頬を摘む。

 むにゅー、と少女の口がひょっとこのようになり、それにも構わずリンが言葉を口にしようとするものだから、むーむーと唸る音としか判別出来ない状況に。

 可愛いものだ。写メかデジカメはないものか。まぁそんな文明の利器などあるわきゃ無いので、脳内フォルダに四枚ほど保存しておこう。動画込みで。



「っぷはっ! だとしても、もうちょっと気を利かせてくれてもいいじゃないか!」



 がんばってこちらの腕を振り払い、話を切り出す。

 元々、今の俺の体力なんて、あってないようなものだ。こちらの魔手を振り解くのは、とても簡単だっただろう。



「って、待て! 暴れんな! 触れ合ってないと墨目さん還っちまう!」



 ビクリ。

 こちらの言葉に反応し、リンがその動きを止めた。

 その言葉は確定ではないが、半ば確信に近いものとして、自分の中では定めている。

 脳裏に走った情報では、接触中の全コスト(能力含む)は無制限というもの。使用する際や維持費の体力は持っていかれるけれど、完全フリーな使い放題、やり放題。

 単発系の呪文なら全く気にする事はなさそうだけれど、これが継続効果の発生する……今で言うならクリーチャーの維持とかならば、今までの制限掛かりまくった経験が鎌首をもたげて思考にかかる。失敗フラグ、ノーサンキュー。



「えっ?」

「だから、今はそういう状態なのよ。……こっちの力にも色々制限があってな。その内、お前に触れてる事で出来る事が判明しましたので、それを実行中な訳なのです」



 こうして言葉にしてみると、胡散臭さ甚だしい台詞だ。俺ならまず信じないが、ここはどうにかして受け入れてもらわなければ。



「あぁ、言っとくけど、お前の命を吸って~、だとか。そういった害は無いぞ?」

「……どういう理屈かは知らないけれど、別に良いさ。害があろうと無かろうと、この身が役に立つのなら」



 そう言って、リンは覚悟の篭る悲しげな表情を作る。

 えぇい、暗いなコンチクショウめ。それを見たくないから、この一件に加担したってのに。

 グリグリと、小さな頭を撫でる。不二家のペ○ちゃん人形の如く、頭も動いております。



「い、痛いよ」

「知らん。我慢なさい」



 強引に撫で回す。

 リンの肩で気絶している小ネズミが落ちそうになるのを、完全にリンの腕の中に落としてしまう事で解決。

 小突いて落としたのを慌てた様子でキャッチする少女に、軽く笑う。



「ちょっと時間は掛かるが、今、墨目さんがお前の仲間を蘇生しに行ってる。それが終わり次第、こっから離れるぞ」



 怖いしな。と本音の弱音を付け足して、【メムナイト】に抱えてもらうよう指示を送る。

 自分の足が動けば言う事はないのだが。では一体、この脱力し切った……スタミナ切れを起こしかけている体を、どうすれば短時間で稼動させられるものかと考えた。





 ―――その、矢先。





『偽者です』

 端的に届く、墨目の連絡。

 勢いよく振り返れば、豆粒程度の獣人が、元来た悪路を逆走している。





 ―――あの平天大聖が、ただただ朽ちていくだけ。など、どうして考えられようか。

 不安要素は極力削除。死体があれば、形を残さずデストロイ。お焚き上げか、粉微塵が好ましい。ゾンビやエイリアンに準ずるホラー映画のフラグは、塵芥と化すのがアンパイである。

 しかし今回は、それを行う前に二転三転する状況に対応するのが精一杯であり、いざそれを成せる時間を得た時には、【鬼の下僕、墨目】の能力が判明した後。

 プレイヤー兼クリーチャーであるここでは、死体となった平天大聖であっても、効果を発揮する。肉片となった睚眦が、こうして五体健全となり、無駄とも思える護衛に徹しているのが何よりの証拠だろう。

 死体に鞭打つ、をなお上回る行為にはなっただろうが、それは形が残っていて初めて出来る事。

 それに、目と鼻の先……とまではいかずとも、あんな馬鹿でかい孤島に異変が起これば、気づかない筈がない。もし襲われるとしても、すぐにコンボなり【シナジー】なりをお見舞いする算段はあった。

 だが、どうだ。



(やっぱお前だよなぁ!)



 重圧。

 陸地から深海へと叩き落された感覚に似て、全身を襲う空気圧。

 周囲の砂地は四方へと飛散し始め……それはまるで、俺達を中心に砂漠が逃げて行くかのような光景であった。

 その空間ごと閉ざされてしまうのではと錯覚させる状況に、一瞬で周りを確認し、



「ですよねー!!」



 残る視界。蜃気楼の如くぼやけ始めた上空を、確信を以って、仰ぎ見た。

 子供の頃。空が落ちてくると思い、震えていた過去を思い出す。

 今の映像は、まさにそれ。途方もない大きさの何かが、辺りの空気を押しのけ、あるいは押し潰しながら、自由落下を開始していた。



「なっ!?」



 釣られて上を見たリンが、驚きの声と共に、硬直してしまっている。

 それはそうだ。段々と輪郭を顕わにする幻影の色は、白。

 ロードローラーだ! どころではない。巨大タンカーだ! レベルのぼやけた何かが、あまりの大きさ故にゆっくりとすら思える速度で、こちらを二次元の生物に変えようと迫って来ていた。



(……コロニー落としっぽい)



 散々常識外れを目の当たりにして来たというのに、まだまだ世界は驚きで満ち満ちているようで。

 舞い上がる砂塵に目を細め、そろそろこちらに到達する墨目の必死さに、心が暖かくなる。我ながら、何とも卑屈な性根だ、とも思いながら。

 何かをしなければ。でも、何をすれば。

 そんな目線を向けるリンの肩に、ポンと手を乗せて。



「―――任せとけ」



 これで、三度目。

 けれど、今までで一番滑らかに出て来た、責任の言葉。

 知略を巡らせるでもない。感情を読み解くでもない。運という幻影に挑みかかるでもない。



「邪魔だよな。あれ」



 視線を、上空から落下するものへと向けた。

 ポカンと呆けるリンの表情が、堪らなく愉快な気分にさせてくてれる。

 だって。



(カード三枚だけ? マナが4しかない? ……余裕!!)



 ただ、あれをどうにかすれば良いだけなのだから。

 くたくたな体に、喜びと興奮の入り混じった熱が入るのと、ほぼ同時。





 ―――横殴りの暴風。万雷の嵐もかくやな爆音。視界を埋める閃光。

 それらが混在する現象で五感を消し去られる直前。



≪ぐっ―――ッ!?≫



 光学迷彩完備のメテオと化していた平天大聖の巨大な体が、強制的に真横へとずれ込んだ。

 ものが宙に浮いているので、動かしやすいは動かしやすい。しかし、それを成すには一体どれだけのエネルギーが必要になるだろうか。

 幻影に着弾する幾筋もの雷光に眼を焼かれながらも、直撃コースから遠ざかりつつある妖怪に対して。



「………………あれ?」



 ……まだ、何もやっていないのだが。

 盛大に空回ったやる気……振り上げた拳の降ろしどころを見失い。



「凄い! 凄いよツクモ!」



 壮絶に勘違いされているリンと、いつの間にかこちらに辿り着いた―――眼を丸くし、より一層の恍惚とした羨望を向ける【鬼の下僕、墨目】の表情のダブルパンチに対して、どう弁明をすべきか悩むしかないのだった。

 


「―――お久しゅう御座います。あの時以来ですかな」



 温和な声。閃光の発生源と思われる上空から響くのは、つい最近、一時の間であったけれど耳にした……とてもよく耳に馴染む中年の男のもの。



「ヴェラ……ッ!」



 憎々しく吐き掛けるリンに肩を竦める異国の商人は、あの時は全く異なる衣装……神々の纏うそれとしか思えぬ風格と共に、未知の力で浮かぶ戦車……チャリオットのようなものに乗って、降下して来た。

 彼の背後には、神聖の群……否、軍。

 妖怪の群れに負けず劣らず、多種多様な神聖を纏う者達が、天を埋め始めていた。

 今度こそ【沼】へと没する平天大聖は、完全に下半身を黒に沈没させ、辛うじて上半身を覗かせる。

 一度目以上の泥津波は、どういう理屈か、何かに遮られるように二又に分かれ、その威力を喪失させた。





[26038] 第52話 土地破壊
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:04






「あれ……ヴェラ、さん?」

「はい。御贔屓にさせていただいております、ヴェラで御座います。これはこれは、何とも珍しい鉄馬にお乗りで。見目麗しい獣人のご令嬢もとは、肖りたいものですな。……数日ぶり、で御座いますかな。九十九様」



 興味深そうに【メムナイト】を眺め、あの時の商人は、そう言葉を発した。

 変わっているが、変わっていない。

 態度や言葉遣いはあの時のままなのに、今、対峙する存在は、それらとは別格なのだと肌で感じられる。

 何やら神々しい武具で身を包み、片手に拳二つ分程度の高さの宝塔を持ちながら、チャリオットから降車。

 砂漠の光が眩しいせいか、後光すら射している気がする。



「何の用だ!」

「これはご無体なお言葉ですな、リン様。これでも、あなた方のご助力を。と思い行動した次第。それ自体に他意はありませんとも」



 それ以外には他意ありまくりなんですね。分かります。

 正直なのか、隠す気がないのか。

 多分両方だろうと当りを付けつつ、その“行動した”という成果―――無理矢理軌道をずらされた平天大聖へと目を向けた。



≪……あ……がっ……!≫



 ネズミ達に群がられていた時の再来か。

 ただしそこに見えるのは、無数の小さな生物ではなく、幾人、幾体もの、神聖をまとった有象無象。

 先の光景が地面に落ちた蝉だとすれば、こちらは虫ピンで止められた標本のよう。

 各々が手にした武器を白牛の体に突き刺して、その動きを完封していた。



「いやはや、並々ならぬお方だとは思っておりましたが、よもやここまででありましたとは。東の地とは、大聖すら下す豪傑達の住まうところでありましたか」



 対象が巨大な白牛である刺繍作業を横目で見ながら、褐色の商人がこちらへと近づいてくる。

 空を翔ける戦車に乗り、天軍を率いている。そんな人物を、もはやただの人間であるなど思える筈がない。



「……あんた、何者?」



 一言目の問いかけとしては何とも失礼な物言いであったけれど、攻撃力を伴った警戒心を表に出さないだけ、良しとしてもらうしかない。



「ふむ……やはりこの名は、そんなにも印象に薄いものでしたか……」



 返答ではなく、熟考という形で反応を示すヴェラに、状況が全く飲み込めず、沈黙に徹する流れになった。

 リンも苛立ちと憎々しい瞳を向けるものの、何も言わずに押し黙る。ひとまずは、状況を理解しようと感情を抑止しているようだ。



「―――宝物神、クベーラ。主に地下に眠る資源を管轄しております」



 唐突に、その正体を告げられた。



(クベーラ……クベラ……ヴェラ……あぁなるほど。そういう事か……面倒臭せぇ)



 偽名であったところのそれは、アナグラムどころか、殆ど直球の名前であったようで。

 ただ、生憎と俺にはその凄さがこれっぽちも分からない。何それ美味しいの? 状態だ。

 しかし、傍らに佇むネズミの少女は別であったらしい。耳をピンとし、目を真ん丸に見開くリンが印象的であったが、次の瞬間にはへたへたと、全身の力が抜ける様にこちらにしな垂れ掛かってきた。



「は……はは……なんてことだ……お母様は……僕達は……とっくに……」



 絶望一歩手前だと理解するのは早かった。

 元々小柄であった体を包み込む様に抱き締める。やや強く……ともすれば痛みすら伴う力加減であったのだが、それに応えたのは、縋るような手。溺れるものが掴むのは、今回だけは蜘蛛の糸でも、藁でもなく、俺の衣類、ミシャクジの外套であった。

 一方で、リンの反応に思うところがあったのか、墨目の眼力が強まり、熱く暗い感情が流れてくる。睚眦を背後へと移動させ、次の瞬間には、挟撃し、首から上の部分を鉈刀の刃の上に載せる算段であるようだ。

 手を伸ばし、それを阻止。

『何故止める』との、墨目の感情の矛先がこちらに向かうが、今しばらく待って欲しい。



「……良い趣味じゃねぇな。いや、良い趣味してるのか? 絶望を振り撒くのが、この地のカミサマって名乗ってる妖怪の流儀なのか?」



 こちらの感情を読み取ったようで、ヴェラ……クベーラは肩を竦め、言葉を返す。



「心外ですな。このまま何もせずに居た場合、ウィリク様の国は愚か、その周辺……あるいは大陸全土に及ぶまで、妖の者達の手中に納まっていた事でしょう。我らを信仰していただける方々の危機。そこに手を伸ばさすして、何が神でありましょう。ただそれも、簡単ではなかった。こうして策を取り、何とか……というところでしたので。……まさか、こうした形で平天大聖を下す事が出来るとは、夢にも思っておりませんでしたのでな」



 言っている事は最もだとは思うのだが、そこには幾つもの言葉が抜けている気がしてならない。

 ……とはいえ、過程は兎も角、結果的には目前の敵を排除してくれたのだ。

 リンに……ウィリク様に対して行って来た事には苦虫を噛み潰す想いだが、ここは沈黙が得策か。

 尤も、これが全て仕組まれていた事態であるとなれば……。



「……ま、いいや。……で? そんな人間思いのカミサマは、こんな場所にまで何の御用でしょうか。生憎とこっちは色々と忙しいんだ。助けてもらったのは感謝しているが、そろそろいっぱいいっぱいになって来る身としては、一刻も早い撤退をしたいんですがねぇ?」

「その懸念はご尤も。しからば、その後始末は我らで受け持ちましょう」



 引き受ける……端から成果を横取りする気ではあったようだ。

 ……あぁ、何となく、道筋が見えて来た。

 元々、クベーラは、妖怪達に戦争吹っ掛ける気であったのだ。どちらが先かは分からないけれど、その過程にたまたま俺という不穏分子が混入し、それが思いもよらぬ要素となったものだから、僅かでも相手を翻弄してくれるなら良しとし、今の今まで様子見に徹していたのだろう。

 ……リンの胸が貫かれた時ですらも。



(……いや、それは怒りを覚えるところじゃない……責任転換もいいとこだ)



 自分の不甲斐無さを棚に上げての怒り。

 理屈では分かっているというのに、それでも怒りが込み上がる自分に、また怒りが湧き起こる。

 しかし、それに身を焦がすのは、今ではない。

 無様な感情を、目の前の危機をチラつかせる事で切って捨てた。熱が引き、飲み込める様になるその時が来るまでは、意識から外す。




「そりゃありがたい。精々ウィリク様の国にまで影響が及ばないよう、気張ってくれや」

「……おや。本当に構わないので?」



 やや目尻を下げて、疑問の表情をクベーラは作った。

 構わないか、との疑問は……あぁ。成果の横取り的な意味合いか。

 この地方の妖怪の王様っぽいのを倒したのに、本当に手柄は要らないの? とでも尋ねているんだろう。



「……いらねぇ」



 全てコイツの手の平であったような経緯になってしまったのはかなり癪に障るが、凄さは知らないけど、神様とその軍隊。迫って来ている筈の妖怪達を任せるには相応しいと思える。これからの事……面倒事を引き受けてくれるというのだから、それを利用しない手はない。

 それに、折角あの馬鹿でかい白牛を拘束してくれているのだ。

 墨目の行う蘇生術は魂の固着だが、【鬼の下僕、墨目】による【リアニメイト】は完全な復活。ただしそれを行うには、一度、攻撃を加えなければならない。



「何千回斬られるんだか」



 意図せず漏れた呟きを十全に理解するのは、俺と墨目のみ。他……リンもクベーラも、小首を傾げるだけであった。



「ところで、九十九様」



 ふと、何かを尋ねたい素振りのクベーラが。

 関わりになりたくない思考がありありと浮かんだ顔をしていたと思うのだが、それに全く反応せずに、胡散臭い神様は言葉を続けた。



「この辺り一帯に、何か術式なりを施しておりませんかな?」

「……あぁ、あれか」




 思い至るまでに少し時間は掛かったが、答えは間違いでは無い筈だ。

 さすが無差別。

【弱者の石】の効果は、神であっても例外ではなかったようだ。



「ああ。徐々に……根こそぎ体力を奪うものが」



 詳細は異なるが、もたらす成果は間違いではない。

 困惑から一転。その表情を真剣なものへと変えた神様に、小さな優越感と、大きな緊張感を抱く。

 これから重要だ。

 そう、漠然とした直感が働いた。



「……それは、解いていただけるものなのですかな?」

「俺達やウィリク様の安全が確保されれば、な」



 クベーラの温和な表情が、少し崩れた。

 僅かだが眉間に皺を寄せ、対処に困ると、その顔が物語る。

 いい気味だ。実にいい気味である。

 いい気味、で、あるのだが……。



(……うっし、セーフ)



 ここで『では私達はこれで』など言われると、それはそれで残りのマナやらカード枚数やらを用いなければならず面倒なのだが、どうやらやる気は満々であったようだ。

 まぁ難関の一つであっただろう平天大聖が既に無力化されている状態を、元々無かったものだ。忘れよう。と容易に切って捨てるのは難しかったようだ。少なくとも、今のところは。

 段々と周囲に天の軍団っぽい連中が集り始め、俺やリンを始めとし、墨目や【メムナイト】へと、警戒の視線を向けてくる。

 特にそれが顕著なのが、睚眦であろう。

 とうの睚眦は空虚な眼のまま、無差別の闘気を垂れ流し状態で、クベーラの背後に佇んでいる。

 この地の妖怪だからか、認知度が高いせいか。

 天軍らの顔からは『えっ、何でお前が』という風な感情が読み取れた。



「……何を、お望みで?」



 宝物神のこの言葉を切欠に、ただならぬ緊張感が辺りを支配する。もはや周囲を全て囲むように展開していた天の軍団は、事が起これば、即座に行動に移せるだろう。

 弓で、槍で、剣で、棍棒で。

 後は何か、雷なり炎なり発光体なりを繰り出そうと構える、人やら獣やら。平天大聖を対処した存在として危険視しているのか、たかが人間と舐めているのか。

 いずれにしても不快な状況に変わりはない。

 周りの熱とは裏腹に、こちらの内心は段々と冷えていく。

 だが。



「―――返せ」



 クベーラの問いに答えたのは、俺ではなかった。

 震える足に力を込めて、意識の飛びそうな状況にも、拳を握り込み、そこから赤い液体を垂らしながら。

 少し前まで絶望に打ちひしがれていた名残を引き摺りながら、それでも歩みを止めない、精神力。



「お母様が過ごす筈だった平穏を。慎ましくも心豊かだった国―――お母様の環境を」



 段々と。声高く。

 俯き加減であった姿勢は正され、胸を張る。と言えるほどに、背筋を伸ばす。



「あの人が得る筈だった、お前達が奪ったものを、全部! それ以外は求めない! ただそれだけで良いんだ! 神だろうお前は! 散々奪ってきたものの、たった一つくらい返してくれても良いじゃないか! それだけで良いんだ! たったそてだけで! ……それ、だけ……で……っ」



 けれどその声も、次の瞬間には失速し、最後は消え入るようなものとなってしまった。

 しかし、姿勢は崩さない。

 流す涙はそのままに、何も恥じ入る事はないと凛と佇む姿は、ネズミ妖怪が。などと嘲笑されるそれではない。一国を統べる立場に居るような堂々たるものだった。

 言いたい事は言い終えた。

 段々と嗚咽の混じり始めた呼吸音に反応し、墨目の殺気が、いよいよ零れんばかりに滾って来ている。

 揺れる瞳の、赤い鬼火。

 脱力する両腕の獲物が速く殺せと急くように、ぶらりぶらりと、一定のリズムで揺れ始めていた。



 沈黙、沈黙、沈黙。

 本当にここには多くの生命が集っているのだろうかと疑いたくなる、静寂。

 呼吸の音も、衣類の擦れる音も、武具が軋む音も、風すらも。耳がもげるような無音は、一体どれくらい続いたのか。



「―――解りました」



 運命を言葉にしたようなクベーラの回答に、大きく大きく、息を吐き出す。

 元々体力がいっぱいいっぱいであった俺としては、精神面での消耗も加われば、眩暈の一つも覚えるというもの。



(……きっつ)



 こんな力押しの交渉モドキなどとっとと終えて、ぱっぱとウィリク様のところに戻り、さっさとハッピーエンドの土台作りを行いたいものだ。

 忌々しげに獲物を降ろす墨目に俺が安堵していると、鳥っぽい何かがクベーラに近寄り、耳打ちをする。

 こちらで言うところの八咫烏の一種だろうか。色々と宝飾で着飾っているから神様よりの何かなんだろうが、一体何の聖獣なんだかサッパリだ。



「……ほう?」



 声色からして、良くない事なのは間違いないようで。

 それを……俺の顔色を察したのか、クベーラがこちらへと顔を上げ、今知り得たであろう情報を口にする。



「千を超える妖魔が押寄せてきているようですな。中には、他の大聖も混じっているとか。……先の雷撃を見たのでしょう。独断行動は危険と……群が、軍となりつつある模様でして」



 大聖が混ざるのは予想外ではありましたが。そう締め括る宝物神の表情には、予定調和と記されている。

 元より、牛魔王と同格と称される者達の相手はするつもりだったのだろう。というか、牛魔王自体を相手にする算段では、かなりの確立で考えていた事だろう。

 まぁそこに、平天大聖以外の大聖……『悪属性と闘おうとしたら火属性でした』的な差異はあるだろうが、何にしても高レベル帯の敵に挑む心積もりは、間違いなくあった筈だ。



 ……んじゃ、まぁ。



「クベーラ。お前のさっきの言葉、偽りは無いな? 約束したのは私だけですとか、あの言葉はそういう意味ではありませんとか。……さっきの了解、それの揚げ足を取るような真似でもしてみろ。―――解るな?」



 釘を刺すのなら、それなりの態度で行うべきだ。

 特にそれが、胡散臭い相手であれば、尚の事。



「……我が主神の名に掛けて」

「結構」



 主神が誰かなぞ知らないが、重々しく口にした言葉であるのだから、それ相応の相手なのだろう。

 しかし、我が事ながら、なんて偉そうな態度であったか。

 客観的に自分を見れば、似合わないを通り越し、ウザったい事この上ない。

 せめてそれに見合う人格者でもあればとは思うが、今のところ、その域に到達する予定は、未定である。



≪くっくっくっ……≫



 断続的な強風が、周りを翔け抜け、泥津波から辛うじて免れた砂地部分の土埃を巻き上げる。

 炎天下であっても生暖かいその風は、【沼】にその身を浸し、串刺し一歩手前にまで陥っていた平天大聖であった。



「……すっげ」



 あれでまだ生きていたのか。

 破壊、再生不可、【お粗末】と【弱者の石】による弱体化。それに加えて、無数の聖属性武器による串刺し状況。

 それでもまだ笑みを浮かべられるという態度に、きっとあれは、死んでも直らない類の性格だと理解した。



≪存外早まりましたが、それでもこちらには地の利がある。苦戦は免れぬでしょうが、それでも神々相手にならば……。それもまた、快楽になるでしょうねぇ≫



 本当に瀕死なのかと疑いたくなる、流れるように紡がれた平天大聖の言葉に、妖怪の妖怪たる所以の一端を垣間見た気がした。

 快楽を求め、拘束を嫌い、惰性を拒絶し、強者を好み、命削る戦いに喜びを感じる。

 何ともはた迷惑な思考回路に、思わず目を覆ってしまうが、



(俺も、そんなもんだよな……)



 全て、とはまでは言わないが、幾つか当てはまるものがある。

 先と同様、自分を棚に上げての一方的な拒絶は、もう少し冷静さを欠いている時にしか出来なさそうだ。



「おや、お早う御座います。平天大聖。このような形での相対となり恐縮ではありますが、何卒、ご容赦の程を」

≪クベーラ、と言いましたか。北の地を守護するものが、わざわざこのような辺境に訪れるとは。相当な粗相を仕出かした、と考えても?≫

「浅はかなお答え、とても興味深い。これは単に、私こそがこの任に最適だとの考え故。他意はありませんとも」

≪これは失敬。いやなに。全ての幸福が自らに起因するものとする神々に相応しい態度でありましたものですから。……漁夫の利、という言葉。ご存知で?≫

「これは何とも。お恥ずかしい。まさかこんな形で大聖を統べる者が墜ちるとは思ってもみませんでしたので。予想外の事態には、対処も難しくあるもので御座いまして」



 ……言葉遣いは丁寧なんだが、『横取り乙www』の後に『お前弱すぎたからなプゲラwww』的なののやり取りを見た気がした。

 妖怪達が向かって来ているのを分かっている筈なのだが、余裕なのか本当に忘れているのか、二人……一神と一体は、今しなくても良いだろう、という会話をしばし続ける。



(あぁ、上空から降ってきたのって、妖術使ったからなのね)



 会話の所々に不明瞭であった経歴が混入し、寝耳に水、な感じで情報を得る。

 睚眦が襲来したのに合わせ、自身の外側だけの分身を作り、一度人型となり、宙に浮く。

 で、一定の高度に達した段階で実体化。後は持ち前の超重量に任せたストンピングを慣行した、という感じであったようで。



(妖術パネェ……ってか万能過ぎ)



 子供騙しの術が妖術ではなかったのですか。色の名を冠した、二尾の猫又様。

 まだ誕生しているかも怪しい相手に愚痴を零しつつ、けれどこうして味わってみれば、その威力や効力は疑う要素が微塵もないほどに強力無比なチート級。

 ……というか、そもそもMTGというルールを従える俺がその手の事は言えないと思い直した。ここはスルーしておきましょう。



「あんな不完全な隠遁では、我々の誰の眼も誤魔化せませんとも」

≪こちらが空に上がるまで行動に移らなかった者の台詞とは思えませんねぇ≫



 何だイントンって。意味分からん。

 どんどん雰囲気が砕けて来ている錯覚に陥り始めた頃に、そこそこに緊張が感じられる、墨目からの念話が届く。



(……あぁ、それ、俺が原因だわ)



 力が戻りません、と。

 気づかない内に敵の手中に嵌ってしまったと思っていた墨目に、リンが持つ【弱者の石】の効力を伝える。

 言葉にならない微妙な感情が返ってくるが、こればっかりは今のところ仕方がない。対処はするが、すぐに。となるかどうかは、クベーラ次第だ。

 ……しかしながら、そんな悠長な時間は、もう残っていなかったようである。




「ちょっ!?」



 口を突いて出た言葉は、音。単語にすらなってはいない。

 方向からして、妖怪の山……タッキリ山の方角か。

 土煙を上げながら疾走、あるいは飛翔する小粒な点は、大なり小なりの、異形。大聖達が統べる配下の妖怪達が進撃して来ていたのだから。



「早過ぎじゃねぇ!?」



 クベーラと平天大聖。互いに熱くなっていた部分はあるが、それにしても冷静さを欠いていたとは思えぬクベーラであったので、脅威がやってくるのはまだまだ先だろうと思っていたのだが。



(あ……)



 そんな両者から零れる笑み。

 見る者を安堵させるような笑いを湛えたクベーラの表情に、本来ならば安らぎを覚える筈の顔に、しっかりと『してやったり』の文字を読み取った気がした。



「これは参りましたな。今からでは間に合わないかも……いえ。私めならば、この一団から脱兎の如く逃げ去る者には、並々ならぬ関心を向けますな」



 ……ようは、俺が迂闊だったのである。

 クベーラの意図は無条件で【弱者の石】を解除させる事であり、今までくっちゃべっていた平天大聖の言葉を加味すると、どうも他の大聖達に俺を確保させる気概があるようで。天の軍隊相手にも勝てる! と言っていたのを思い出し、ならば余力で。と考えるのも自然な流れか。



「お前ら敵同士だろ!?」



 今までのふてぶてしい態度を忘れ去って出た指摘の言葉は。



「さて。何のことでありましょう」

≪まさにその通り。そのお言葉には微塵も偽りなどありませんねぇ≫



 絶対確信犯だ。

 どうしようもない感情がふつふつと沸き立つのを感じながら、段々と迫り来る妖怪達を視界に捉えた。

 既に、ある程度の輪郭も分かるほどに近い。

 目測で、数キロだろうか。多少の高低差はあるけれど、地平線なのはありがたい。……のだが、比較対象が何も無いのは困ったものだ。何となく、でしか距離感が掴めない。

 天と地を疾走する異形共に、ふと、場違いな懐かしさを覚える。



(この光景見た事あるわぁ。有明の海にある特徴的な建物の辺りで。足の速い奴から段々と見え始めて、後から後続が物量で押寄せるんだ。凄いぞー。迫力が)



 ……違う、そうじゃない。

 現実逃避しそうになった思考を引き戻すように、慌てて首を振る。



「そろそろ宜しくありませんな……」



 と、何を思ったのか、クベーラが懐から赤い物体を取り出した。

 ……どうにもそれは、記憶に引っかかるものがる。具体的には色と形が。

 何せ。



「……何、それ」



 それ―――赤い瓢箪をこちらに見せ付けるように掲げ。



「紅葫蘆(べにひさご)。呼び掛けを行い、それに答えたのならば、忽ちの内に内部へと取り込む宝具で御座います。そして、取り込んだ者の形を崩し、液状と化すもの。痛みはありませんが……まぁ、あの平天大聖であれば、形を保つのでていいっぱいとなりましょう。脱出など、とてもとても。事が終わるまでは、大人しくしていただける筈に御座います」



 紅葫蘆、牛の妖怪、大聖。んで、この地方。

 バラけたパズルのピーズが、今、全て繋がった気がした。



「―――牛魔王かよ!?」



 体力の低下も何のその。

 ビシッ! と擬音でも伴いそうな……残った体力を掻き集め、水平チョップをキメるが如く、全力で右手を横に薙ぐ。ジャパニーズ合いの手、ツッコミというやつだ。

 この仕草にはさしものクベーラや平天大聖も意味が分からないようで、両者それぞれ、若干の困惑が浮かぶ。周囲の天軍も同様に。

 関西の人間が見れば激怒必須であろう、コテコテの突っ込みモドキの再現は、ものの見事に空振りとなったのであった。




 ―――牛魔王。

 中国三大奇書の内の一つ、『西遊記』に登場する妖怪。斉天大聖……後の孫悟空と対峙する、大妖怪中の大妖怪。

 その実力は定かではないが、真の姿は全長三キロをも超えるとか、超えないとか。先に見た平天大聖……牛魔王の姿は、少なくとも三キロには及んでいない。精々が、五百オーバーかな? といった程度だと思う。

 手加減した、という素振りは見受けられなかった。

 なので。



(……あぁ、だから呪いが云々……とか言ってたのか)



 どうやら呪い……平天大聖曰く『中々に堪えるものがある』という【お粗末】の効果は、過去の神奈子さん同様、しっかりと現れていたようだ。



≪あると分かってい、どうしてそれに応えると思うのでしょうかねぇ。どうやら神々は私が思っている以上に堕落したようだ≫

「それこそおかしなお言葉だ。何故、そうも単純な事に我々が気づけないとお思いなのか。泥のような思考をするお方は泥に浸かるのがご趣味のようだ。ははっ、理解に苦しみますなぁ」



 つまりは、知らせる事に意味があったのか、知っていても尚、不可避な方法があると言っているようなものか。

 あれもこれも、彼らの思考……手の平から逃れられない錯覚に眩暈を覚え。



 ―――それ以上に、こちらを弄ぶとしか思えない言動に、胸の底から沸き立つものを感じ取る。



(……全部全部、予定調和ですってか?)



 何もかもが見透かされているような。折角集めてきた食材を、目の前で他人が食い散らかしているような。そんな錯覚を覚えた。



「九十九。みんなは殆ど撤退出来た。後数分あれば、全員離脱出来るよ」

「……はへ?」



 何の話? と疑問に思いながら、リンの方を見てみれば、彼女の足元から去っていくネズミが一匹。体の大きさの割りに、素早いものだ。小型犬並みのダッシュ力で遠ざかっていくチュウチュウさんが視界に入った。



「―――やるんだろう?」



 その言葉に、数秒の沈黙。

 リンの言う、やる、のそれは。



「―――あぁ、勿論」



 怪獣大決戦。

 云十万の仲間達を撤退させた理由など、それ以外の何が考えられようか。

 これに対して、クベーラや平天大聖は、その表情に疑問の色を貼り付けた。探るような視線に内心込み上がる笑みを噛み殺し、さて。どんなものが良いかと、逡巡。



「……あぁ……でも、その前にやっぱ、聞いておかないとな」



 リンからクベーラへと顔を向け直し。



「―――クベーラ。お前は、俺の敵か?」



 ただの人間とは思われてはいないだろうが、何処の馬の骨とも知れない相手から舐めた口を効かれた方の心中は、穏やかとは言い難い筈だ。

 クベーラ本人は兎も角、それを耳にした天軍が殺気立つ。

 それを片手で制する宝物神に、多少は憤慨してくれたのなら気分は良かったのだが、それが肩透かしで終わった事実に、内心溜め息を付く。



「―――いいえ。こうして九十九様とのご関係を結べたのです。あなた様が我らに牙を向かぬ限り、それはあり得ません」



 真剣な表情で言い切る褐色の顔は、一片の嘘など含んでいないと断言している。

 もしこれが嘘であるのなら、もはやお手上げだ。素直に騙され―――その後、即座に報復に移るとしよう。



「そっか……」



 首を動かし、逆剣山となった平天大聖へと。



「平天大聖。お前は、俺の敵か?」



 ただでさえ巨大な眼球が、より一層見開かれ、黒水晶の如き瞳に俺達の姿を映し出す。

 ここまで来て、何を今更。そんな感情が見て取れる。

 しばしの間から、低い唸り声。

 それは苦しみや怒りといったものではなく、大地を揺らす、嘲笑。

 重低音のくつくつとした声はしばし続き、それがピタリと止まった直後。



≪然り。我ら妖怪は九十九の敵。もし平穏を手にしたくば、タッキリ山全ての妖の者を打ち据えるがいい≫



 一切の淀みなく、そう言い切った。

【お粗末】で。【弱者の石】で。【命取り】で。そして天軍に全身を串刺しにされ尚、そうもキッパリ言い切られた事に、一種の清々しさすら覚えてしまう。

 気持ちいいとすら思える啖呵を返されたせいか、普段の言葉遣いは為りを潜め、変わりに出てきたのは、先にクベーラと相対した時の、それ。



「その心意気や良し!」



 気分はどっかのお偉いさん。具体的には、文若先生の口調の一つ。

 高揚と怒りの混ざった感情に後押しされて、口を突いて出た言葉は、そのまま自らの行動の後押しとなった。

 リンの手を引いたまま、踵を返し、その場に背を向ける。



「……何をするおつもりで?」



 警戒を強めるクベーラに、どう答えた方が良い……楽しいものかと考えて、目前に迫り来る危機であったので、それすら面倒臭くなり。



「破壊」



 返答すらどうかと思っていたけれど、一応は答えてやったのだ。実に分かり易い言葉であった筈なのだが、訝しむクベーラに説明不足の文字を読み取った。

 が、それを懇切丁寧に説明してやる義理はないし、したくもない。だからこその、説明不足、なのである。





 終わりの見え始めた道に、心なしか気持ちが軽くなる。成功すれば、クベーラに苦い思いをさせ、平天大聖に一泡吹かせる事が出来そうだから。

 さて、ではどうやってこの場から移動しようかと考えを巡らせる。

【恭しきマントラ】や【弱者の石】を使った成果を鑑みれば、あれを使えば十中八九、俺も巻き込まれる。というか、この一帯まるっと全て。

 何せ、発動中心地点は俺なのだ。より効果的に行うのならば、なるべく数を巻き込む場所にまで移動しなければならない。



(足が居るな)



 条件的に、速い奴。地形に左右されず、高速に移動が可能な……飛べる奴が好ましい。MTGのカードでならば、ここは【羽ばたき飛行機械】辺りが適切か。

 ただ、そういった条件を満たしたいだけなのであれば、別に自分の力のみで解決せずとも良さそうなのが、この状況。節約出来るところは節約しておきたいものである。



「なぁ」

「……何で御座いましょう」



 丁寧さは崩さない、か。本当に神様なのかと疑ってかかりたくなる低姿勢だ。神奈子さんに爪の垢でも飲ませてみたい。やった瞬間にオンバシラ確定だろうが。



「飛べる奴貸して。速いの」



 出来れば強い方がいい。

 そう付け加えての、初めてのご入用を告げた。



「一応商人、だろ? んで、お前は味方と来た。ありゃ出会った直後だったか。『勉強させていただく』って言っていたじゃないか。対価は払うぞ? 商品くれよ」

「そ、それは……しかし……」



 それならば、今この場からも逃げられる。

 自らの失言に対して、焦燥感に駆られているのがありありと分かる。協力すると言った手前、断固拒否の姿勢は取り難いのだろう。

 どうやって断ろうか。そう、クベーラの顔に書いてある。

 と。



「うぉっ」



 視界を埋める砂塵。局所的な風圧。

 これに対応して【メムナイト】がその姿勢を沈ませた。次の瞬間には、即座にこの場から離れる前運動だろう。

 手で遮り、目を閉じるか開けるかの間、ギリギリで見開かれた目から見えたのは、不恰好なキメラ様。



「……英招?」



 ただしそこには、煌き、二つ。英招に纏わり付く黒い影と、そこから伸びる、銀色の厚板。

【鬼の下僕、墨目】が、英招に馬乗りになる形で背後を取り、二振りの刃を突きつけている状況であった。

 英招を見ても攻撃を加えない【メムナイト】を見るに、今の状況は、俺にとっては安全なものであるらしい。



「墨目さん。ステンバーイ、ステンバーイ……」



 両の手の平を彼女の前に。ここに台詞を付け加えるのなら、『ストップ!!』あるいは『それ以上いけない』である。

 すると墨目は、残念そうに羽と首に一本ずつ添えていた刃を下ろし、元の立ち位置へと戻る。

 途端、彼女の黒いマスクで覆われた口の奥から、舌を鳴らす音が聞こえてきた。

 冷や汗が止まらないんですが、こちら以上に脂汗を流している……ように見える英招に何故か同情し、静止せずには居られなかった。



「え、英招……様……」

≪ほう。睚眦が傀儡と化した事で、守護する地の安全が確約されたとお思いのようだ。……しかし、こうして私の前に姿を見せた事は、端的に言って、愚策。でありましょうねぇ≫



 クベーラと平天大聖の双方が口々に言葉をもらすが、これ以上、外野に構っていられるものか。

 彼らの言葉を遮るように睨みを飛ばす墨目とリンだったが、前者は兎も角、後者は可愛いの域を出ないレベルである。現に、天軍の何名かが生暖かい目を向けている。

 この地の神様系の者は、妖怪に対しては嫌悪するのが普通だと思っていたので、その反応はちょっと意外です。



「ツクモ。英招、様、は、君に感謝しているそうだ。足になってくれるそうだよ」



 神を嫌っている節の強かったリンが、取り繕うように、様付け。たどたどしい印象が目立つ。



「一翔けで、国を四つ……五つだっけか……兎も角、すっごく速いんでしたよね」



 コクリ頷く中華風キメラに、言葉短く感謝を述べて、



「……すいません、屈んでいただけますか?」



 その席の高さに、自力の到達は諦めた。

 大体、四メートルくらいか。毛や羽を引っ掴んでならば登れそうだが、それやったら痛いんだろうな。と、妙な心遣いが過ぎった為である。

【ターパン】と初めて出会った頃を思い出す。

 足を折って、半分以下になった高さの背に、リンと接触―――手を繋いだまま、跨った。

 父親の気持ちってこんなんだろうか。と馬鹿な考えは、とてもじゃないが誰かの親になんぞ為れる経験値は積んじゃいないので、鼻で笑って吹き飛ばした。

 何か言いたげなクベーラと平天大聖であったが、これ以上言葉を重ねても俺達を静止する手段を思いつかないのだろう。沈黙し続けている。

 見守りに徹している天軍達を知り目に、睚眦と【メムナイト】に待機命令を。墨目にはいざという時の護衛も兼ねて、同乗を指示し。



「期待させてもらいます」



 睚眦という重量級な者を乗せても、妖怪達の中で誰よりも速くここへと来れたのだ。その速さは折り紙とお墨のダブルが付いているに違いない。

 応えるように、一瞬にして高々と飛翔する英招に、何処か【ジャンプ】を連想しつつ、その翔けるべき方向へと指を向けた。

 ―――ウィリクが収める国ではなく、妖怪達が押寄せる方角へと。















 英招に乗る者以外の誰もが言葉を失った。

 逃げるのではなかったのか。

 その一点のみが思考を生める中、英招は大地を蹴り、上昇。二度目に足を振り上げ降ろした時には、クベーラや平天大聖達から視認出来るか出来ないかの距離にまで離れ去っていた。

 ドップラー効果によって響き渡る男と少女の悲鳴らしき音もすぐに消え、一陣の風が吹くばかり。



「……こうなるとは予想外ではありましたが……あなた様が何か術を掛けたので?」



 平天大聖へと尋ねるクベーラに、全身を串刺しにされながらも、そんなもの何処吹く風かと言わんばかりに、牛魔王は何食わぬ口調で答える。



≪さて、どうでしょうか。そう願いはしましたが……。とうとう私の妖術も、願うだけで叶うという域にまで達したのでしょうかねぇ≫



 子供騙しの域であった妖術を、大妖怪や神々であっても通用する域にまで押し上げ、行使するのが平天大聖―――この、牛魔王という存在である。

 そしてそれは、彼が持つ能力とは、別。《妖術を操る程度の能力》とも呼べる力は持つが、筆頭ではない。

 術をかけてはいないが、素直に答えるのも癪である。既に今の平天大聖ではここから離脱する手段がない為、軽口を叩くくらいしか、今の平天には出来る事がないのであった。



「そうですか。まぁ、どちらでも宜しい。今からあなたには、これに納まってもらいますのでな」



 実に温和な笑みと共に、取り込んだあらゆるものを溶解させる赤い瓢箪を掲げてみせる。



≪おや。こんな事に時間を取られていては、あれがどうにかなってしまいますよ?≫



 空を翔けて行ったアレの方へと、平天大聖は目を向ける。



「構いませんとも。元より、何の期待もしておりませんでしたのでな。それが使えれば良し。使えないものでありましたら、無かったものとして割り切れば、全て世はことも無し。で御座います。……それに、どうやら九十九様が行っていた呪いは、彼を中心として発動していましたようで。段々と負荷が取り除かされていくのが実感出来ます」



 蓄積され続ける疲労に息苦しさを覚えていたが、それも、徐々に回復してきている。彼らにその詳細は分からないが、【弱者の石】が離れていった為であった。



「ですので、あなた様にはすぐに収まっていただきましょう。あまり時間を取られて、また珍妙な妖術で姿を隠されては溜まりませんので」

≪余裕がありませんねぇ≫

「あなた方に何度苦渋を舐め続けさせられた事か。インドラ様も心を痛めておいでだ。―――大人しく縛に付け。貴様は滅ぼす事は適わぬ故……その身心、輪廻永劫、冥府に繋ぎとめてくれる」



 成す術もない平天大聖であったが、それでも浮かべる笑みは消え去らない。

 油断なく周囲を見張る天軍と、クベーラ。それらを観察する睚眦に【メムナイト】。

 泥を被る白牛にその足を向けた宝物神は、ふと、ネズミの少女の行動を思い返し、九十九が零した言葉を連想した。

 ネズミ達を撤退させた事。破壊をすると言っていた事。そして、妖怪達の方へと飛び去っていた事。

 人間の国一つを安泰とするだけで、何の戦力も割かずに平天大聖の対処を行えた事に意識を奪われ過ぎて、瑣末ごとへはあまり考えが及ばなかった。

 ―――その、結果。



(……太陽?)



 クベーラは、それを見た。

 澄み渡る青空は一変し、まるで日暮れの光景を一部に映し出していた。

 広範囲の青を侵食する夕日。赤と黒が入り混じる、世界の終わりを連想させる荒廃。

 ドロドロに溶けてゆくような景色に、祈りや危機を鋭敏に感じ取る神という種族故か、否応なく視界に入ってしまうそれに、恐怖とも、悲しみとも、怒りとも取れる感情が込み上がる。

 世界が壊れた。

 紅葫蘆を平天大聖に向け、九十九が飛び去っていた方向を見続け硬直するクベーラに、何事かと疑問を持ち始めた者から順に、そちらへと視線をやり……クベーラ同様、体と思考を停止させる。



≪……は?≫



 これには平天大聖も、素直に感情を顕わにした。

 世界が壊れてゆく現実を前に、いつの間にか幻術に掛かってしまったのではないかと思い直す。しかし、何度目を凝らしても、心を諌めても、自我を強く意識しても、それが変わることはない。

 血肉沸き立つ世界は望む所ではあるが、この光景はそれには含まれない。

 あれは、無。

 何者も存在せず、何者も存在出来ない、虚無の世界。

 生など許さない。死など許容しない。明るい感情も、暗い感情も、何もかもを飲み込む終焉であった。










『ハルマゲドン』

 4マナで、白の【ソーサリー】

 全ての【土地】を破壊する。

 平等を謳い、不平等を強いる【白】のリセットカードの内の一つ。これがデッキに含まれているか否かで、戦い方を変えざるを得ないほどのカード。単純明快にして強力無比なその効果に、使われた方は大概悶絶する。場合によっては使った方も悶絶する。

 本来のハルマゲンは、事象や現象を指すものではなく、聖書にてただ一度のみ登場した、土地(あるいは場所)の名前である。










 遥か遠方であるというのに、彼らは、見た。

 広大な砂地……妖怪達が進撃する中間部分から、目を疑う程の広範囲が沈下していく様を。

 底など見えぬ奈落に並々と湛えられた黄砂が消え去り、ついでとばかりに、その上を移動していた数々の命を飲み込んでいく。

 空を行く者。飛べる者達は幸いであたったが、それ以外は―――。



「やっぱ広範囲だなー。色々制限掛かってるから、“全て”って言う割には、文字通りじゃないだろうとは思ってたが……もう出番なさそうだな、これ」



 誰もが息を呑む場に、感心の声色を伴った言葉が響く。

 クベーラや平天大聖を含む何名かがそこ――― 一瞬にして戻って来た、英招に跨った九十九や墨目、リンを見た。

 興奮冷めやらぬ様子なのは九十九のみ。

 半ば魂が抜けかけている英招や、驚きに顔を歪める墨目と、呆れ、溜め息を付きな額に手を当てるリンであった。



「……てっきり【稲妻のドラゴン】のような、強大な式神を呼び出して蹂躙するものだと思ってたんだけどね……」



 最も早く意識を回復させたのはリンであった。

 これまでの付き合いにある程度の耐性が付いていた為、今回の目を疑う光景を前にしても、取り分け時間も掛からず心を戻す事に成功したようだ。



「【ファッティ】系とかでの殲滅も大好きなんだけどな。でも、それ維持し続けるのに体力使うんですよ。その点、あれなら一瞬だから。一時的にガッツリ体力持って行かれるけど、それで終わり。継続消費は無し。呪文系の利点だな」

「もう何度目かも忘れたけれど、君の術は、幅が広すぎて特定すら出来ないね。一段落したら、それについては教えてくれるのかな?」

「あ~……その点については、まだ何とも。ウィリク様へのご奉仕上乗せって事でご勘弁を。お姫様」

「……そもそも君は、協力してくれているという立場なのを忘れていないかい?」



 周囲の刺さる様な疑惑の視線も、何処吹く風。

 どんどん会話を推し進める一同に、とうとう耐え切れなくなったクベーラが、おずおずと声を掛けた。



「―――んで、だ」



 ―――否。声を掛けようと近寄った段階で、九十九の方から声を掛けられた。



「ッ! ……何か」



 あれだけの光景を前にしては、さしものクベーラでも声色が硬くなる。

 手に持つ紅葫蘆をいつでも発動させられるよう構え、更には別の宝具を取り出す素振りすら見せながら声に応える様は、油断の文字は見て取れない。



「ほらほら、俺の味方様。平天大聖の部下が壊滅状態になったぞ。―――これで大分、楽になるよな?」

「……ッ」



 九十九は敵の数を減らした事で、追撃される可能性を減らしただけの行い……問い掛けであったが、それはクベーラにとっては全く異なった意味合いに伝わった。

 この程度なら、お前達でも全て対処出来るだろう? と。

 紛れもない上からの視線であったが、誰一人―――あの平天大聖ですらも、それに口を挟む事は出来なかった。

 先程の一件。逃げ果せる気であった九十九達に対し、妖怪の群れを相手にしてクベーラは、取りこぼしが出て来てしまう可能性を告げた。

 それへの回答が、妖怪達の殲滅―――脅威の排除という単純明快な形で返って来たのであった。

 万全に万全を期して―――人間達に火の武器を与えてまでタッキリ山の攻略に望んだ……望まざるを得なかったというのに。

 名立たる妖怪達相手に一方的な成果を上げた人間の反応は、通常ならば、喜びか、それに準ずるものであろう。

 しかし、それにしては九十九の態度は平然とし過ぎていた。

 おおよそ考えられる反応をせず、朝の散歩から帰って来ただけのような、いっそ朗らかとすら思える口調で言い切った姿勢に。



 ―――あぁ、これは児戯なのだと。



 この時ようやく……平天大聖は二度目の確認を以って、思い知った。

 全て偽り。全て嘘。

 あれが見せてきた間抜けな態度も、あれが取っていたふざけた仕草も、全ては遊びの範囲内であっただけ。

 あまりに強過ぎる力故に、自ら枷を負う事で、一時の怠惰を忘れようとしているだけなのだ。

 でなければ、大地を消し去るという暴挙を、死を拒絶する行いにも……。文字通りの、神をも恐れぬ所業の数々。それをこうも易々と実行した行動が理解出来ない。

 妖魔を従え、死者を呼び戻し、大地を創り、強弱の一切を無視し、命を奪う。それも、たった一瞬で。

 シヴァでも、カーリーでも、主神たるインドラであっても不可能だろう。

 それら事実は―――平天大聖は、自らがただの井の中の蛙であったのだと悟ったのだった。



≪―――く……くっくっくっ……フッ……フフッ……あーっはっはっはっはっ!!≫



 敵は―――強者は、天のみにあらず。

 それを噛み締めた瞬間であった。



≪蛙、蛙か! 他の誰でもなく、他の何にでもなく。この私が、この平天大聖が! 何と矮小な存在であった事か! 愉快! 実に爽快だ! 腸が捻じ切れてしまいそうな程に猛るではりませんか!≫



 狂ったか。

 そう思うクベーラや天軍達とは打って変わり、九十九の反応は、係わり合いになりたくない。との表情が浮かんでいる。口にこそ出してはいないが、その口の形から、うへぇ。と聞こえてきそうな程であった。



(何か悟っちゃったっぽいなぁ。何だよ蛙って。お前は牛だろうに。……この手のボスキャラの特徴かねぇ。メンドクセーですよこれ……。……二段変身される前に用件すませておかないと……)



 逃げよ逃げよ。

 そうボソボソと漏らしながら、九十九は英招から下馬することなく、呼び出したクリーチャー達へと指示を出す。

 天軍達に捕らえられている状態であれば、復讐や追撃フラグも無いだろうとの判断からでもあった。



「じゃ、墨目さん。【メムナイト】。後は任せた」

「お、おいっ、まだ何も……」



 良いから良いからと。

 九十九は強引にリンを言い包め、英招にウィリクの国を目指すよう声を掛ける。

 言葉は、すぐさま行動に。

 抗議の声を上げる間もなく上空へと浮き上がった英招一行は、一陣の風と共に、この場からの離脱を成してしまった。

 呆気に取られる天軍を他所に、墨目は己が与えられた指示―――これからの楽しみに胸を膨らませ、高鳴らせる。

 向かうは白牛。泥沼と化したそこに縫い付けられた、平天大聖。

 リンを蘇らせた一連の流れは、クベーラも平天大聖も見ている。何をされるのかは、それぞれ自ずと予想出来ていた。

 無骨な刃を研ぎ合わせ、鍔迫り合いの火花を散らす。

 そこにどんな意味が籠められているのかを察せられない者は、今この場に居なかった。



≪おやおや、因果応報という奴ですか。先は長そうだ≫

「……拘束隊を倍に。全力で当りなさい。残りは予定通り、妖魔達の撃滅に向かいます。―――私は、これが終わるまで離れられなくなりました」



 もう、限界だ。

 墨目は平天大聖に歩み寄る姿から一変し、駆け足となり、跳躍。

 その手に光る二本の獲物は、死者を生者に引き戻す為の血肉を求めて唸っている風にも見えた。



≪本当に……先は長そうですねぇ……≫



 潰した命は、さて。どれくらいであったか。

 行った轢殺を思い浮かべながら、巨大な白牛の眼球に突き立てられる金属の刃を何処か他人事のように、平天大聖は眺め……視界が赤に染まった。

 チュウ、と鳴き声一つ。

 一度刃が振るわれる度に増えていく声を―――愉悦を浮かべ自らを切り刻む獣人を見つめるのだった。

 



[26038] 第53話 若返り
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/01/25 13:11






 日も傾き始めて、しばらくしたら、西日が厳しくなるだろう。

 湿気がない為、纏わり付く暑さでないのは助かるが、それもこの気温を前にしては、慰め程度の事実。身を焦がす暴力には抗えない。



 ―――しくしく。しくしく。



 だというのに、それも気にならないのはどういう心境か。

 表面だけをソテーされ、中はしっとりのレア肉にでもなったような気分だ。

 離れていても分かる程に炊かれた香のせいか、線香に甘い成分を付けたし、それを十倍くらいに濃くした……目の前の事実から目を背ける為に香る煙は、部屋の窓から、薄く、長く、外にまで立ち上っていた。



 ウィリクが治める国の、ウィリクが住まう城。

 そういえば国名は聞いていなかったなと、どうでもいい感想を思いながら、初めて彼女と出会った時と同じような格好で、窓枠……ではなく、部屋の上部に換気と明り取り用に作られた小窓から、室内を見下ろしていた。

 城の最上部。屋根の上の一角。

 焼けるような石屋根に、それを気にする風もなく寝そべる英招と、全身の力が抜け切った状態で放心するリン。

 そんな彼女は、膝を崩し、肩を落とし、頭を下げて、無表情を貫いている。

 咄嗟に中へと駆け出さなかったのは、あまりのショックでそれすらも出来なかった為であろう。

 掛ける言葉がない。体に触れる事すら躊躇われる。例え、それに対する解決方法を持っていても。

 足の下では、幾人もの煌びやかに着飾った者達が、大きな一つのベッドを二重、三重に囲み、涙を流していた。

 大声を上げる者。静々と涙を流す者。

 けれどそれも……それでも、分かってしまう程に、それらは偽りの仮面であるのが見て取れた。

 反吐が出る、とはこの事か。思わずこのまま城ごと押し潰してしまいたくなる衝動に駆られてしまうけれど、それも今は耐えなければ。

【鬼の下僕、墨目】に、平天大聖が殺したネズミ達の蘇生を指示しているが、その数は膨大だ。今しばらく時間は掛かるだろう。しかし、それが終わればすぐに、こちらへとやってきてもらわなければならなくなった。



「……英招さん。墨目……ネズミの獣人の用が済んだら、すぐこちらに連れて来ていただけますか」



 のそりと起き上がった神獣の姿は、次の瞬間には消えていた。

 突風が、後を追うように吹き抜ける。肌を焼く熱線が少し和らいだ気がした。



「……」



 このままでい続けるのは拙いか。

 何処か自分を客観的に見ながら、諏訪の外套を外し、リンの頭部へと被せる。……が、反応は無い。

 それでも、やらないよりは良い筈だ。そんな願望を胸に秘めながら、肌を焼く太陽に目を向ける。

 城の上部へと目を向ける者などは居ないだろうが、仮に目を向けたとしても、元々白い城であったので、白い外套であれば、良いカモフラージュにもなるだろう。見つかっても困る訳ではないけれど、今は、そっとしてほしい。

 微動だにしない少女に、普段なら気まずさを覚えていただろうが、リン程ではないにしろ、俺も彼女と似たような心境に陥っていた。

 いつも通りの振る舞い……普段の“俺”に戻るには、今しばらく時間が掛かる。

 どかりと小窓付近に腰を据え、室内からしくしくと響く喜びに耳を穢されながら、目を瞑る。

 遥か遠方とはいえ、神魔が争い合っていた事など、夢のよう。

 ならばこの事実も、もしかしたら次の瞬間には露と消える幻なのではないか。

 ……現実逃避は好きだが、それが逃げ切れぬものだと分かっていてもし続けるのは、馬鹿馬鹿しく、虚しいだけだと思い知る。それでも思わずには居られないのは、生き物だからか、心が弱いからか。





 ―――ウィリクが、死んでいた。





 小窓から覗くベッドには、安らかにとは言い難い……心残りが読み取れる寝顔を浮かべた女性が一人。

 大地を焦がす熱量も、今この時、沈み、冷め切った心には有り難いものなのかもしれないと思った。

 ずっと握り続けている少女の小さな手が、やけに……冷たい。















 ここを飛び去った時に見た星空は、今も変わらず、この頭上に輝いていた。

 吹く風は肌寒く、焼け付いた土屋根の熱が今は暖房効果を発揮中。設置面をやや多めにして熱を吸収しながら、寒さから逃れるように身を縮めた。

 ウィリクが眠る部屋には誰も居らず、周囲を蝋燭のような火種が幾つか囲む程度。数刻前まで悲壮を演じていた者達は、今頃、転がり込んだ幸福の簒奪に、目を輝かせながら取り掛かっているのだろう。

【ハルマゲドン】を使った方角へと目を凝らす。

 そちらからは何の違和感も感じ取れない事に、あれだけの大規模な破壊を行っても、離れてしまえばこの程度のものなのかと、世界の大きさと、自分の小ささを感じていると。



「……おかえり。どうもありがとう」

「ありがとうございます」



 リンと俺の労いの言葉に、コクリと頷くのは【鬼の下僕、墨目】。

 身軽なものだ。殆ど取っ掛かりの無い城の上部であっても、木登りをする猿のような軽快さでこちらの横に並び立つ墨目の両手には、人間大の布の塊が抱えられていた。両の手が塞がっているというのに、素晴らしい機動性である。

 日が沈み切ったと同時、呆然としながらも意識を戻したリンは、ウィリクに対する蘇生を言葉小さく、けれど捻り出す様な口調で懇願した。

 断る理由など皆無であったのだが、それでも、問題が無い訳ではなかった。

 それが、ウィリクの死因。早い話が、老衰だ。

 こちらが出来る事は、魂を現世に固着させる事と、肉体を回復させる事。……そこに、老化の防止は含まれてはいない。



 ―――と、黒い影がリンの肩を登る。

 どういう訳か、【鬼の下僕、墨目】の【忍術】によるコストに用いた投擲ネズミ様は、俺達に同行し続けている。

 好奇心旺盛で、ややおっちょこちょい。短い付き合いだが、そんな印象を受ける。

 移動中、英招の体の上を走り回り、彼が嫌そうにしていたのだったか。何度か墜ちかけていたけれど。

 そんな小さな冒険者は、口に小さな布袋を咥えている。小さいといっても、それは俺からしてみれば。であって、コイツにしてみれば、等身大のものを運んでいるような大きさだ。

 墨目を消す訳にもいかず、けれど城の内部に忘れ物があるとの事だったので、リンがこいつに回収を命じて、こうして無事帰還したのだった。

 それが何かは知りたかったけれど、自分から言う気はないようで、ならば無理に聞くものでもないかとスルーしている。

 チュウチュウと鳴き、リンに情報を伝えているのは理解出来るのだが、それが何かまでは分からない。



「どう、だった?」

「無事に。……簡単なものだね。誰もが皆、これから訪れるだろう幸福に目を輝かせていたよ。警備なんて、有って無いも同然だった……そうだ」



 表情の変化は読み取れないが、心なしか自慢そうな態度の小ネズミが目に入る。

 幾ら小さい侵入者だとはいえ、どれだけ警戒がザルだったのかを感じ取った。



「……滑稽だ。お母様が一生懸命に周辺国との軋轢を生まない様に、豊か過ぎもせず、貧困に喘ぐ訳でもない綱渡りの政策を続けて来たというのに。これで、今こちらに戻りつつある……壊滅した軍隊を見たら、何と言うのかな。自衛に徹するならそうも問題は起こらないだろうけど、豊国を求めたが最後……あぁ、いや。まさに最後になるだろうね。この国の民は、贅沢を知ってしまったから。決して短くない間、彼らを見続けてきたけれど、自制は適わないだろう」



 感謝と共に、小ネズミの咥えていた小袋を受け取り、それを懐へと仕舞い込む。

 顔を動かし、夜景となった町並みを見下ろし……見下しながら。



「―――守る力も無い状態で、貪欲に利だけを求め続ければどうなるか。……尤も、それでなくても今まで財を溜め込んできたんだ。これから否応なく、同族の欲望を味わう事になるだろうさ」



 一応は、俺も人間。それらの危険性や業の深さは、簡単に思い浮かべる事が出来た。背筋の凍る言葉である。



「……おー怖い怖い。こちらの小さなネズミ妖怪様は、他人の不幸がお好きなようだ」

「何言ってるのさ。そういうのは人間の独壇場。彼らに勝てる種族なんて居やしないよ。僕達が原因みたいに言わないでほしいね。……元々彼らが持っていたものだ。それを抱いたまま溺死するだけなんだから、何も怖いところなんて無いじゃないか」



 何も言い返せないし、言い返す気もない。それだけが全てな人間ではないけれど、リンの言った事は、実にその通りだと思えたから。

 にんまり笑う姿に、釣られるような自嘲の顔を浮かべた。



「ははっ、そりゃそうか。これは失礼致しました」

「うむ。分かってもらえて嬉しいよ」



 一体何のやり取りなんだか。

 芝居がかった態度を改め、ほぼ座りっぱなしであった屋根から腰を上げる。

 尻の辺りがむずむずする。やはりというか当然というか、結構長く座っていたので、色々と固まってしまっていた。

 座り込むリンを引っ張り上げる形で、手を取り、自分の腕に力を込め、立たせる。

 軽い。当人が立つ意思があるからなのだろうが、然したる抵抗もなく、少女は軽やかに立ち上がった。



「……じゃ、行くか」



 声は無い。

 コクリと頷くリンと、荷物を抱えながらその横に並び立つ墨目。いつの間にか、小ネズミもリンの肩に乗っていた。

 二人の奥で厳かに佇む英招に、それぞれがよじ登り、あるいは飛んで、騎乗する。



「墨目さん、落とさないで下さいね」



『御意』、と。

 短い返答であったが、力強い意思を感じる念話であった。

 全員がしっかりと乗り込んだのを確認し、英招が宙に浮き、空をひと蹴り。

 能力か、妖術か。殆ど重圧を感じない加速度に違和感を覚えながらも、瞬く間に視界から消え去っていくウィリクの国……であった場所は、もう、光の粒の集合体にか見えない。流石にひと翔けで国五つ分、というのは誇張であったようだが、この分なら、数分以内には目的地に着く筈だ。

 落とさないよう、全く姿勢を崩さずに居る墨目が大事に抱えるそれは、一つの亡骸。王女、ウィリクの遺体。

 この国の……城中が確実に混乱はするだろうが、構うものか。リンも居ない。ウィリクも居なくなった場所など、知った事ではない。

 目指すは、地下。ネズミ達が暮らしているという、ダン・ダン塚と呼ばれる地帯。

 月明かりに浮かび上がる、目まぐるしく変わる夜景を漠然と眺めながら、無言の時間はしばらく続いた。












 ネズミ達が住む塚……国というからには、暗かったり、狭かったり、湿っぽかったりと、人間が住まう条件とは対極の環境なのだとは思っていたのだが、思っていたよりは悪くない。

 砂漠地帯の一角。岩の群れ。

 そこに、日光から隠れるようにぽっかりと空いた穴は、大体七~八メートル四方の中々大きなもの。スライムやらミノタウロスやらが出て来ても何ら可笑しくないダンジョン具合。

 場所が場所のせいか、英招さんはお留守番。中に入るのは極力避けたいとの事。潔癖症かと思いもしたが、本心はどうあれ、その辺は神様だからと思うことにして、納得する事にした。

 日も暮れ、辺りの気温が下がり過ぎている為か、中は生暖かい空気で満たされていた。これが昼間であれば、きっと冷たく感じるのだろう。

 お世辞にも臭いが宜しくない事だけが難点か。まぁずっと居る訳ではないのだ。他人の家に来ていてあれだが、用事が終わったらとっとと離れる事にしよう。



「滑るから気をつけて。……と、ツクモだけなら助言しようとしたんだけれど、それも必要無さそうだね」



 カツカツと、硬質の清んだ音が洞窟内に木霊する。岩石と金属の奏でる音楽は一定のリズムで鳴り続く。しばらく終わる事はないだろう。

 というのも、リン、墨目、俺の三人は、【メムナイト】の上。入り口付近で待機していたメムさんに乗り……乗せられ中なのである。

【今田家の猟犬、勇丸】の1マナ。【鬼の下僕、墨目】の6マナ。今も腕で淡く輝く、月で貰った腕輪が無ければ、とっくの昔に気絶していた筈だ。

 熱いと温いの境目の微妙なむず痒さを手首に覚えながら、喋るだけのお人形になったように、最後の一線……の三歩くらい手前で、何とか意識を保ち続けていた。

 という事で、極力消費を減らす為、リンに預けた―――彼女が懐に入れていた【アーティファクト】、【弱者の石】は既に消してある。【アーティファクト】が他より消費が少なく、更には1マナであるとはいえ、それでも気になるもんは気になるのだ。

 半分以上リンに体を任せているプチ介護人状態であり、今後に危険が無さそうな事も相まって、今更ながら羞恥心が襲い掛かる。

 ただ、疲労に勝る感情ではなかったようで、心の中で『あ~……ハズい……』と呟く程度の域に収まっていた。それが少し、ありがたい。

 ウィリクを抱える墨目は、最低限の注意を周囲に払いつつ、同胞の歓迎に微笑みで応えていた。意外な一面を見れた気がする。

 と。

 狭い……【メムナイト】からしてみれば何とか通れる洞窟内を進み続けて行く内に、しわぶきにも似た鳴き声が耳に入り始めた。

 何の事は無い。ここはネズミ達の住処。住人が現れたからといって、何を驚く必要があるものか。



(……なんて考えていた時が、数分前までありました)



 ようは、程度の問題。具体的には、数である。

 二、三匹なら可愛いもので、十、二十ならば賑やかに。

 けれど、それがどう見……えはしないので、どう聞いても百は超えているネズミ達の大合唱を前にして、げんなりするしかなかった。

 数日間、彼らと一緒に過ごしていたので恐怖とならなかった事は、経験値でも稼げていて、レベルアップなんぞ果たしていたのかもしれない。





 思い出したように月光が差し込み照らす洞窟を進み始め、どれくらいの時間が経ったのか。とうとう、視界の奥に光を見つけた。

 生気の抜けた瞳の龍人、睚眦の姿も見える。どうやらあそこが目的地のようだ。

【メムナイト】が辿り着く。

 そこは、今までの道程が嘘のような……ダンジョンから神殿に迷い込んだような場違いさであった。

 直径、大体五十メートルくらいか。円柱状に開けた空間には、さっきまでの篭った空気はない。どうやら、常に新鮮な空気が入り込んでいるらしい。肌に冷たい風を感じる。

 四、五階建て分はあるんじゃないかと思える高さの天井から降り注ぐ月光と星の光。それらに照らされ、周囲の壁やら地面やらに生息している苔が淡く光っていた。

 特に何がある訳でもないが、この中央に神などが居ても、全くの違和感を覚えないだろう。

 きっとここは、彼らネズミ達にとって神聖な場所なのだ。それが証拠に、今までこちらの足元ではやし立てる様に騒いでいた彼らは、この場所には一歩足りとも入っては来なかった。



「ここが、彼らの住処の中で最も清潔な場所だよ。これ以上となると、地上に求めるしかないかな」

「充分じゃないか? 俺は何とも思わないぞ?」

「君の大雑把な感性じゃあ、お母様には当て嵌められないよ」

「うわひでぇ。一切否定出来ないところとか、特に」

「……それはどっちが酷いんだい?」



 俺が酷いのか、リンが酷いのか。

 どっちでもいいかと―――俺が酷いのなら良くはないのだが―――曖昧な返答で濁し、【メムナイト】の上から降り立った。

 リンに支えてもらいながら足を着けた地面は、滑るような事もなく、しっかりと摩擦が存在している事を伝えてくれる。

 並び立つ睚眦に、俺もリンも複雑な心境になるが、仮にも今は護衛としてやっているのだ。心を砕く事こそ行わないにしろ、嫌悪しすぎるというのも宜しくはないだろう。

 中央よりやや離れた場所に陣取り、墨目に、ウィリクを置くよう指示を出す。



「ツクモ……」



 不安気に揺れる瞳に、ぽんぽんと頭を二度叩く。耳と毛の感触が心地良い。

 大なり小なりの円柱の空間に空いた穴から、無数のネズミ達が顔を覗かせ、見つめている。入る気はないようだが、立ち去る気はもっと無いようだ。それが証拠に、後数分もすれば、隙間という隙間は彼ら、小さな命達で埋め尽くされる事だろう。

 月光の白と、苔の緑と、瞳の赤が混ざり合う空間に、深呼吸を一つ。

 体力的にはダルい事この上ないのだが、これから行う事を考えるに、座ったままでは誠意に欠ける。

【濃霧】【お粗末】【沼】【暴露】【死の門の悪魔】【命取り】【鬼の下僕、墨目】【ハルマゲドン】。今回用いたカードは、これが全て。それ以外は以前より出現させていたものなので、今回のカウントからは除外。

 それも後数時間で全回復するだろうが、現状では、マナは全て使い切ってしまっていた。けれど、カード枚数は、残り二枚、使用可能。【暴露】に類似した【ピッチスペル】なり、ゼロマナのカードなりを行使する余裕は残っている。



 ―――これから使うのは、ゼロマナのカード。

 過去用いたノーコストカードは、【土地】という特殊なタイプを除外すれば、【羽ばたき飛行機械】と【メムナイト】だけであったか。

 それらの類似点は、【アーティファクト】であるという事。今回用いるものも、それに部類される。



(ちゃんと大きさを把握してる訳じゃねぇが、そうもデカくはなかった……よな)



 狙い目は、広場の中央。

 憶測の効果範囲内には、誰も居ない。



「―――召喚、【若返りの泉】」



 あらゆる生命の目指すものの一つ。誰もが一度は望み、そして諦めた願望を。










『若返りの泉』

 ゼロマナの【アーティファクト】

 2マナを支払い【タップ】する事で、所持者のライフを1、回復する。

 ノーコストで召喚可能な為、序盤のテンポを失わずに出せるのは中々の利点。後半で余りがちになるマナを活かし、長期戦向けのデッキに組み込まれる……場合もある。










 それは意外にも、こじんまりとしたものだった。

 五メートルには届かないだろう幅の円形の縁に並々と湛えられた清水。その中央には白亜の獅子が、口から滾々と吐き出していた。

 水が水を叩く音が絶えず聞こえるようになり、子供の頃に遊んだ噴水のある公園を思い出す。



「墨目さん、お願いします」



 横を通り抜け、手に持つ人間大の布を、静かに泉へと沈める。

 大人の膝をやや超えようかという水深に完全に没する形となり……道中、決して見ようとしなかった亡骸が顕わとなった。

 水の影響で、花が咲くようにシルクに包まれた遺体が露出。その表情には当然ながら、数刻前に見た頃と変化はない。

 それをまじまじと観察する間もなく、墨目は眼を閉じ、祈るような仕草を取る。

 しかし、それも然したる時間は掛からなかった。固唾を呑んで見守る中、物言わぬ抜け殻と化した老婆の目が、薄っすらと見開かれたのだから。

 声にならない声を噛み殺すように、口元に両手を当て、叫び出したい衝動を懸命に堪えるリンを横目に、事態の成り行きを手に汗握りながら見続ける。

 ただ、人は息を吸わねば生きてはいられない。

 まどろみから懸命に意識を戻し、水を掻き分け上半身を起こすウィリクは、何が起こったのかと状況を判断するよりも、肺に一生懸命空気を取り込む事に尽力していた。

 もう、耐える必要は無い。感極り駆け出すリンに、



「あっ」



 俺の口から、そんな言葉が零れる。

 やれやれという風な表情を浮かべながら霞んでいく墨目に、『このお礼はいつか』と、ジェイスに続く二人目の恩人に謝罪と感謝の意を述べた。どうやら、召喚は元より、維持中であっても接触していなければならないという懸念は正しかったようだ。

 送還ギリギリに意思疎通を食い込ませた形となったが、しっかりと届いてくれただろうか。特に墨目はリンに対して、俺以上に気に掛けていた節がある。不安な思いはさせたくない。

 しかしながら、ジェイス……【プレインズウォーカー】と比較すれば、二度目のご対面はすぐに訪れるだろう。

 脳裏に叩き込まれたスキル説明には一度目以降の召喚は禁止されていなかった筈なので、色々と回復した……日が明けた頃に、もう一度招くとして。



「お母様っ! お母様っ! ―――お母様ッ!」



 応える声すら上がらずに、ただただ娘の抱擁を困惑と共に受け続けるウィリクであったが、ふわりとその頭部を撫でる手は、しっかりとしたものだった。

 全身びしょ濡れどころか、今も沐浴中な状態ではあったが、それを気にするリンでもウィリクでもないようだった。



「……って、あ、それヤバいか!? リンさん離れて! 特に液体に触れないように!」



 もし。の可能性を考慮して、即座に声を飛ばす。

 一応は届いたようだが、二人がその体を離すまでには、やや時間が掛かった。

 名残惜しげに距離を置く両名に変化の見られない事を確認し、ふぅと一息。とりあえずは問題ないようだ。




「……あなた、は」

「はい。お久しぶりです、ウィリク様」



 視線の定まらない時間が続くが、彼女の境遇を考えれば仕方のない事だろう。現状を飲み込むのにも、しばらくの時間が掛かる筈だ。

 リンや俺だけならばそうも問題ないだろうが、周りには龍人の睚眦やら、壁面から覗く無数の赤い眼光だったりとかいった恐怖がオンパレードなのだから。





 ウィリクの元へ近寄り、これまでの流れを大雑把、かつ簡潔に話す。

 平天大聖を下した事、国の軍隊をほぼ不殺で壊滅に追い込んだ事、神様相手に恩を一つ売った事。

 そして。



「……そう、ですか」



 怒り……は見受けられない。

 悔しさと悲しさと。辛うじて喜びを示しているのは、リンが目の前にいる為か。……リンが居なければ、静かに泣き崩れてしまうような印象であった。



「こんなお婆ちゃんの為にそこまでしてもらって……。……けれど、ご免なさい。……私は……ご期待に応えられそうにないわ」



 そう言って、自らの手をマジマジと見つめる。

 細く、やや歪に曲った骨と皮は、彼女のこれまでの歩みを―――どれだけ生き長らえてきたのかを宿している。

 自虐的な笑みに、リンが今にも泣き出しそうな顔を浮かべた。

 理由は分かる。こちらとしても、それが最もな懸念材料だったのだから。―――だからこそ、それを対処する方法なくしくて、安直に希望を奪い去るような事などしてたまるものか。



「ご懸念は充分に。ですので、それ無くしてウィリク様を起こす真似はしないよう、こうして水に浸かって頂いている訳でして。……思ったよりは効果を発揮するまでに時間を要するようですが」



 ウィリクの細部を見ながら、効果が現れてくれて良かったと、内心で胸を撫で下ろす。

 どうやらこの泉、生きている状態でなければ効果を発揮しないらしく、それもすぐさま。とは、いかないようだ。



「……? それは、どういう―――」

「こういう事さ、お母様」



 楽しそうに母の手を握り、再び視界に収まるよう、掲げる。

 疑問に思いながらも再度自身の手を見るウィリクであったが、毛が生えてきたでも、白く輝きを放つようになった訳でもない、何十年と共に過ごして来た体の一部が映るのみで、リンの意図するところが読み取れずに居た。



「よく、見て」



 優しく諭す口調に従う形で、ウィリクはしばし、自らの枯れ枝の如き手を見続け―――。



「―――まぁ」



 呆けるように、一言。

 その声色には、一日千秋の思いに似た熱が篭っていた。



「……まさか」



 驚きを隠す素振りもせずに、こちらへと顔を向け、ウィリクが尋ねて来た。



「はい。お考えになっている通りかと」



 変化は些細なものではあるけれど、何が起こるのかを予想出来ていれば、目を凝らすべき場所は自ずと限られてくるもの。

 泉に浸り、これで何分くらい経ったのかは覚えていないが、砂漠に染み入る雨の如く、乾いた肌が段々と潤いを持ってゆくのが分かる。



「神様を味方に付けた……。というお話は、本当のようですね」



 どっちかといえば脅した……少しニュアンスが違う気もするが、まぁいいか。今はそれよりもやりたい……聞いておかなければならない事がある。

 唾を飲み込む。液体である筈なのに、飴玉でも放り込んだような硬さを覚えた。

 リンもこちらと同様、喉を鳴らし、息を呑むのが伝わって来る。自分だけではないのだという仲間意識に救われながら、よし。と内心で活を入れ、切り出した。

 今後はどうするか。

 最もリンが重要視する案件を。










「ぶへぇー……」
 


 もう、取り繕う必要もないか。

 勝手な自己判断の末の回答は、全身の弛緩。【鬼の下僕、墨目】を還したとはいえ、疲労の回復には今しばらくの時間が掛かるようだ。



「ご免なさいね。年寄りの長話に付き合せてしまって」



 困り半分、申し訳なさ半分の口調で言うウィリクであったが、俺が緊張していた面はそこではないので、要らぬ心配である。

 ……というか、だ。



「ご冗談を。ウィリク様、ご自身のお体をもう一度見ましてから、先の台詞を再び言えるかどうか判断してみると面白いかもしれませんよ?」



 もったいぶった言い方での返答に、その意図を察してくれたようで、苦笑という形での反応が来た。

 ウィリクが蘇ってから数十分。彼女は未だ、【若返りの泉】という浴槽に浸かり続けている。

 スローモーションな進展具合ではあったけれど、彼女の体は徐々に若さを取り戻し中。骨と皮であった腕も今では適度に肉付いており、後……一時間位……だろうか。それくらい【若返りの泉】の中で過ごせば、女性の全盛期を取り戻せるだろう若返り具合の進行状況であった。



「もう、国を統べる立場でもないただのお婆……いえ、女ですもの。リンや友人に話すようにして下さっても宜しいのよ?」

「その辺りはちょっとご勘弁を。現状ですらとってつけたような丁寧語で恐縮なのですが、何というか、その辺りまで緩める気分にはなれなくて……」

「立場としてならば、私以上……何倍も上の方々をお相手にされて、勇ましくあられたのでしょう? なれば私相手に礼を尽くす必要などないでしょうに」

「勇ましいって……」



 輝かしい武勇伝というよりも、力押し一択な面が強かったあれやこれやの行動を鑑みて、スルーすべきか訂正すべきか逡巡。前者を選ぶ事で、事無きを得る、を選ぶ。

 次いでだ。話題も変えて、より、事を無きにしておこう。



「じゃあ……国へは戻らず、リンと暮らす。……という方針で良いでしょうか」



 コクリと頷くウィリクには、これから訪れる幸福と、積み上げて来たものが崩れ去ってしまった寂しさが窺える。

 女王としてではなく、一人の母親としてだけの生活があったのなら。

 夫を支え、娘を愛し、家庭を築く。ifの可能性を夢見ながら、それは叶わぬ道だと虚しい絵空事に何度かぶりを振った事か。

 傷ついても、老いても、孤独となっても自らに定めた意思を遵守して、命を燃やし尽くした気高き者。

 けれどこうして、究極的な終わりを迎えてしまえば、それらに対して諦めも着くというもの。

 死は絶対、死は不可避、死は終焉。死とはあらゆるものに対する、最たる区切り。

 ……とはいえ、それでも彼女は国に全てを捧げていたのも事実。それをそう易々と、今まで根幹であった気持ちの切り替えなど出来よう筈もない。

 悲しみ半分、幸福半分の、何とも人間らしい……共感の持てる儚げな表情を零しながら、不安と期待の入り混じる愛娘の視線に、微笑を以って応える様に、安堵と、胸を締め付けられるような思いがチクリと刺さる。

 本当ならば、彼女の夫も。……そう言えたのなら、どんなに幸福な事だっただろう。



 俺の知る死者蘇生術は、大まかに部類して、三つ。

 一つ目。

 俺の墓地……具体的に何処かは知らないが、そこに落ちたカードを使用可能な状態に戻す場合。

 これはカードの力を用いて、墓地から呼び出す【リアニメイト】に該当する。恐らく最も蘇らせやすく、コストも低いだろう方法。

 二つ目。

 魂の去った肉体が残っている場合。

 一部でも良いのか、ある程度形が残っていなければ不可能なのかは分からないが、自分の墓地ではなく、相手の墓地に眠るカードも【リアニメイト】するカードも存在する。この場合はコストが高く、制限もあったりと難易度は上がるが、それでも不可能な訳ではない。

 そして、三つ目。

 殺めた者が存在している場合。

 これは先に呼び出したクリーチャー【鬼の下僕、墨目】の効果によるもの。これも二つ目同様、死体の有無が何処まで適応されるのか不明瞭ではあるものの、平天大聖に押し潰されたネズミ達を蘇らせる事が出来たのを鑑みるに、殺害対象さえ居れば、【リアニメイト】は難しいものではないだろう。



 戦で死んだ、と妻は言う。

 遺体は墓に収められたらしいが、それも数十年前の話。確実に肉は消失している。

 けれども骨ならば、ほぼ完全な形で残っているだろう。それだけあれば、二つ目の方法に該当する可能性が高いのだが。



『構いません。―――いずれ、私が夫の元に赴きますので』



 息を呑む。とはこの事か。

 睚眦と【メムナイト】は相変わらずの無表情であったが、リンの反応は、唖然の一言に尽きるものであった。

 若返りの方法と、死を超越する手段は、古今東西、誰もが望み、求めていたものの筈。それを、要らない。と言い切ったも同然の返答であったのだから。

 恐る恐る、それについての真意を問うべく、一体何故かと言葉を投げ掛けた。

 理解は出来るが、納得は出来ない。

 こちらの世界に訪れてからは、死という事柄に接する機会が多かった為か、アニメや映画で死に対する―――死を受け入れるもの―――幾つかの答えを見聞きしていても、それはすぐには受け入れられないものとなっていた。

 だから聞いたのだ。何故なのか、と。



『だって、寂しいじゃありませんか』



 ―――何を言っているのか理解するのに、何十分も掛かった錯覚に陥った。いや、もしかしたら本当に掛かっていたのかもしれないが、それを確かめる術はなかったので、体感でそれくらいだろうと判断する。

 後に続く者達の為にだとか、死ぬ事で最後の役割を伝えるのだとか、命の尊さを教えるのだとか。

 齢、実に六十五。この時代の平均寿命が五十であるのを考慮すれば、他の者より遥かに長い生を受けて来た。けれどもまだ足りぬ。見るべき視野は広く、味わいたい世界は大きく、求める知識は星の数。それが大多数の……人間としての意見であり、本能から求める生への執着であった筈だ。

 けれども。それでも。そんなもの。 

 彼女が国の為に粉骨砕身してきた最大の理由が、夫との約束事だという。早い話、愛の力、というやつ……なのだろう。

 顔から火が出る、という体験はしなかった。粛々と、心の底からそう思っているのだと話す彼女に対して、あぁそうなのかという思いが先に立ち、こちらの感情を挟む余裕もない。

 けれど、話が終わり、ゆっくりとウィリクの言葉を加味する時間が訪れれば、それに対しては幾つか思うところがあった。

 特に、リンに対して。

 今でこそ最愛たる母と歩める道が現れたものの、それはいずれ閉ざされるもの。ゆくゆくはやってくるであろう絶望……こと妖怪という種である少女では、確実にその時はやって来る。

 ウィリクに対してではなく、リンにそれを告げる事で、やがて来る不幸を回避出来ないものかと画策した。

 が。



『大切な人と別れる辛さは、昨日までずっと味わっていたからね。それを否定して我を通す真似は出来ないよ』



 物分りが良過ぎる、という風ではなく、純粋にそう思っての吐露だったのは分かる。

 相手の為を思いに思い、自ら命を捧げる事すら叶わなかったリンにとっては、欲望のままに行動するのを苦痛と感じてしまうのだろう。

 ……まぁ、それを物分りが良い。と定義するかはさて置くとして。



(どうにか……ならんもんか……)



 理解出来るが納得出来るものではない。を味わいながら、とうとう二十代に差し掛かったであろう肉体を取り戻しつつあるウィリクを見て。



「……あ」



 女神降臨。

 褐色の肌は水を吸い込んだ衣類が張り付き、そのボディラインを浮かび上がらせている。

 衣類の白と地肌の小麦色、そして濡れた白銀の長髪のコントラストに、水という神秘が合わさって見えるそれは、平均よりは大きめであろう豊かな胸元も相まって、自分が男という種である事を否応無く突きつけられる肉感を宿していた。

 まだ全裸の方が良かった。と思うのは、多分、俺の感性が捻くれているんだろう。

 妄想のレベルが非常に高いお国柄であるせいか、視認した絶景以上を想像してしまうのだから始末に終えない。この所ご無沙汰であるのも合わさって、色々とヤヴァイ感じに陥った。少なくとも、少女と女性一人の前でする態度ではない。



「メムさんカモン!!」



 それ以上の言葉は不要。

 戦隊ものの呼び出し兵器並みに動いてくれた【メムナイト】に飛び乗り、一目散に出口を目指すよう指示を飛ばす。

 諏訪……日本に居た頃ではそのような機会は無く、月ではそもそも血液が集るような感覚すらなかった。



(永琳さんがものっそ無防備だったんだがなぁ……)



 睡魔に負け、自宅の机に突っ伏したまま眠ってる時に見えた項とか。

 ちょいと激しい運動をすると弾む二つの母性とか。

 屈むだけで下着のラインが張り付き浮き出る衣装とか。

 今にして思えば不能になったんじゃ。と思えるイベント目白押しであった筈なのだが、その時々に感じていたものは……何というか、眼福眼福と二度唱えて終わりになる程度の感情しか込み上がらず。



(……あれか。それが穢れの無い世界ってヤツなのか)



 穢れの大地と呼ばれる地に戻り、分かった。

 然もありなん。月の……蓬莱の国とは、男にとって、全自動で去勢されてしまうに等しい……げに恐ろしき魔境であったようだ。

 まぁ、でなければ、数千万年を暮らす超科学を持つ国の人口が増え続けない訳が無い。月一面を摩天楼が埋め尽くしている方が自然な流れだと考えられる。



(……あれ。インフレの進んだ国ってのは出生率が低下するのが通例だった、か?)



 もしかしたら他にも理由はあるかもしれないが、それを知る機会は当分無いだろう。



「……あら。これはこれは」

「……っ! おっ、お母様!」



 既に出口への逆走を開始し、坑道へと入ってしまった背後で少女と女性の声が聞こえた。

 場合によってはリンの殴打が飛んでくるかもしれなかったけれど、こうして距離を取ってしまえば、どうやら鉄拳制裁ルートへの突入は無事に回避出来たようだ。



(まぁ、仮に近くに居ても避けますがね!)



 言い訳する気はないが、無抵抗で居る気もない。これは事故というヤツだ。……ラッキースケベとも言うかもしれないが。

 来た時の倍以上の速度で狭い洞窟を疾走する【メムナイト】に、頼もしさと、変則的なジェットコースターにでも乗っている恐怖を抱きながら。速さもそうだが、何より小さな住人達を踏まないように。と指示を出しつつ、神獣の英招が待機しているであろう出口を目指した。





 ―――そこに、待ち構えている者が居るとも知らずに。





[26038] 第54話 宝物神
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/01/25 13:12






 いつかはこの時が来るだろうとは思っていたが、二日と空けずに出会ってしまった……こうも早いのは予想外。

 もう少し……せめて一週間とか、それくらいの時間は掛かるものかと考えていたのに。彼らの行動の早さを見習うべきなのかもしれません。



「各大聖を含む、タッキリ山の制圧は滞りなく。……と、申しますか、そも、そのタッキリ山が消え去っているのですから、魔窟が滅んだと喜ぶべきか、雄大な自然が消失してしまったと嘆くべきか、生命を尊重する面の強い私共としましては、複雑な心境ではありますなぁ」



 星と月の光は、夜であっても相手の顔の皺まで視認出来るほどに降り注いでいる。

【メムナイト】と共にダン・ダン塚の出入り口へと躍り出てみれば、そこには一人の男。やや離れたところに飛翔戦車を待機させている、宝物神クベーラが単独で佇んでいた。

 神聖をまとった鎧。右手に身の丈ほどの華燭な棍を持ち、左手にどっかで見たような宝塔を持つ姿は、何処かの神殿に祭ってあっても何ら不思議ではない姿をしていた。

 微笑みを絶やさぬ表情は、初めて出会った頃と同一の余裕を感じさせる。数刻前の、苦虫を噛み潰したような顔は見る影も無い。

 どうやら笑顔を再び装備しなおしたらしい。ちょっとやそっとじゃ外せない雰囲気がチラチラと零れているのは、こちらに対する威嚇でもしているんだろうか。良い度胸だ、受けて立とう。……マナが回復し切った時にでも(汗



「これでこの地を脅かす妖の者は居なくなり、残るは、雑多の一言で片付けられる者達ばかり。他の神々を始め、インドラ様も、“その点につきましては”大変感謝しておられる。現状彼らは事後処理に腐心しており、持ち場を離れる事は叶いませんで心苦しくはありますが、私めが代表としてお礼を申し上げると共に、九十九様のご意向に沿うよう、事を運ばさせて頂きます」



 そうして、頭を下げるどころか、腰を折って体を九十度に曲げる神の姿を見る事になる。



(その点以外は思うところ在りまくりなんですね、分かります)



 やたらそこにニュアンスを置いての発言だから、こちらに責を求める気はあるんだろうが、んなもん知ったこっちゃありません。自己防衛を主張します。例の如く、そこに過剰が付くのは避けられないだろうけど。



「ここに感謝を。我ら神々はあなた様に多大なる恩恵を授かりました。民が滅び、大地が枯渇し、空が紅に染まったとしても、私共は九十九様の武功を忘れず、語り継ぎ、恩義に報い続ける所存」



 笑顔、ではなかった。

 決して外せないだろうと思っていた仮面は、綺麗サッパリ無くなっている。

 体を起こし、至極真面目な表情を浮かべていたクベーラの目は、真剣そのもの。非難も憎しみもない、清んだ瞳であった。



「―――つきましては、我らと共に、人々の光とならん道を創ろうではありませんか。もしご快諾いただけたのであれば、東の神々にはこちらから話を通しておきましょう。無論、それ相応の対価はお渡し致します。天を裂く剣、地を割る槌、不老不死の霊薬らを始めとした、宝具や秘術の数々を」



 額面だけを見て判断すれば、強引な勧誘としか思えない。

 主神インドラ、と、クベーラは言った。

 幾らその手の知識に乏しいとはいっても、各神話の主神クラスならば、流石の俺でも記憶している。



(やっぱここ、インドだったか)



 牛魔王に次ぎ、今度は西の神話とご対面。実際には違うけれど、インドと中国の全面戦争とも思える出来事に、自分の中の神話に対するあれやこれが瓦解していく気がした。



(……あぁでも、こっちの神様が名前とか姿を変えながら、日本の方にまで伝わって来るものなんだったか)



 となると、もしかしたらこのクベさん(暫定)も、ゆくゆくは何かの神に名を変える前神なのかもしれない。

 好感は持てないが、無碍にするのも得策ではないか。

 接し方を敵対から無難に移行。少なくとも口調は丁寧なものへと定めておこう。

 日本に関わらない存在ならばどんなに楽だっただろうと、甘い思考に逃げながら、



(……あ、これ良いんじゃないか?)



 ふと思いついた……我ながら結構良い線いってそうな案に、自画自賛を贈りたくなった。

 クベーラは表情にこそ出さなかったものの、必死、の二文字すら透けて見える態度での勧誘であったのは間違いない。

 最大の問題点の一つであっただろう妖怪達の討伐は終えたらしいのに、それでも俺を誘う理由は何か。

 そりゃ、据え膳喰わねば。という線もあるだろうが、誤解中とはいえ、こちらを東の神と認識していても尚、クベさん側に引き込みたい意図とは何だろうか。

 大聖達を下し、他に侵略でも仕掛ける風もなく。もはやそこまでの力は必要無いであろう事を鑑みると、原因もおのずと絞られる。

 その自分が考えられる中で、最も正解に近いであろう答えは……マッチポンプ以外の何であるというのだろう。



「……俺に、何をさせる気ですか?」



 とはいえ、ドヤ顔でそれを尋ね、それが外れても格好が悪い。確認の意味合いを込めた疑問を口にする。

 何秒かの沈黙の後、乾き閉じてしまった口を舌で湿らせながら、クベーラは何かを諦めるような……もう誤魔化し切れない。とでも言いたげな態度で、言葉を発した。



「―――大地の、修復を」



 やり過ぎたか。そんな思考が俺の脳裏を掠める。

 一体どれくらいの規模であったのかは最後まで見ていなかったので把握してはないが、十や二十のキロメートルでは治まらないだろう範囲が失われてしまった事だけは分かる。

 これを人々が暮らす土地で行ったのであれば、人類史始まって以来の大虐殺者となるのは必須。それくらいの広さ。それくらいの威力を見せ付けたカード、【ハルマゲドン】であったのだから。



「今、インドラ様指揮の下で、我らの大半が身を粉にして再生に勤めております。……が、それでも数十年は掛かるだろうとの見通しが立ちました。しかしながら、それではあまりに気の遠くなる作業。時間を掛けるだけならまだしも、幾人かの神が見守っていなければ、修復どころか維持すらままらぬとは、九十九様のお力を垣間見るに足る事柄で御座います」



 どうやら、【ハルマゲドン】の効果は今現在も進行中なようで。

 とは言っても、カード自体の効果は既に終了している。ニュアンスから推測するに、余波のようなものだろう。

 微妙な想像だが、波打ち際で砂の城でも造っているようなもの、なのかもしれない。

 神様達は今それを懸命に修復中だが、直しても直しても波が押し寄せ破壊されてゆく……ような感じを思い浮かべる。何もせずに手を拱いていたのなら、被害は拡大する一方なのだろう。

 おまけにその手の修復作業にあたっているのが、本来別件を進めていた者達であるので、人員不足に陥ってるようであった。



「……平天めより、あなた様のお力の一端は窺っております。それを何度か……いえ。一度だけでも構いません。大地創造のお力を、何卒―――」



 神の懇願とは、そうそうあるものではないだろう。

 しかしながら、気持ちに余裕が生まれた身としては、この態度には色々と思うところがある。

 クベーラの苦渋の顔も見たし、現状はどうなってるのかは知らないが、牛魔王にも一矢報いた。リンの命を奪った睚眦は既に傀儡と化しており、ウィリクも全快に近づいている。

 やるべき事はまだ残ってはいるが、こいつへの仕返しは既に済ませている。

 よって、年上に頭を下げられる場面―――それも必死に―――とか、居心地が悪いったら、ありゃしない。

 という事で、先に思いついた案を述べる。この様子なら、断られるという事は無い筈だ。



「じゃ、リンとウィリク様と、ここに居る奴らの面倒をお願いします」



 近い内に居なくなる身としては、アフターケアが行き届かない可能性がある訳で。

 ならいっそ、その手のものは神様に叶えてもらおうじゃないの。と、神頼みをする方法を思いついた。

 レイセンの時と対応が似通ってしまうけれど、月であってもこの手法は通用した。こちらの力を知らしめた後では、効果抜群の方法であるのは疑いようも無い。

 それに、俺個人では中々に骨が折れる件であったのだが、人でも妖怪でも妖精でも無く、願いを叶える存在という面の強い、神様が相手なのだ。幾ら原作知識の無い状態だとはいえ、それなりに期待は出来るだろう。



「彼ら……。ウィリク様の民達も、ではないのですかな?」



 と、クベーラは首を傾げながら尋ねて来た。

 むむ。そういやそういう約束をしたんだったか。確かに繁栄を約束させるような事は言ったが……。



(あ~……でもなぁ……)



 しかし、今までの過程を思い返し、あれらを支援する気が全く起きない……というより、嫌悪感しか沸いてこない。

 というか、そもウィリク様が……リンが幸せになれるのなら。という目的の為の提案なのだ。

 食った飯は美味かった。酒も趣のある味だった。人々もそれなりに優しくはしてくれた。

 けれど、炎天下の公道を黙々と進むリンに対して向けられていた侮蔑の視線は、今でも脳裏に刻まれている。



(そりゃ、誰しも善悪は持っちゃいるけどさ……)



 見知らぬ相手と、見知った相手。

 どちらに比重を置くかなど、自分の利の為に妖怪達へと【ハルマゲドン】を撃ち込んだこの身であれば、今更考えを巡らせるまでもない。

 差し引き、ゼロ。積極的に手助けもしないし、進んで危害も加えない。俺の思考はそういう結論で落ち着いた。



「ええ、違います。あそこに住んでた人達には、別に何も。―――俺……私が指すのは、ここに居るダン・ダン塚の悪食ネズミ。五十万と……あれ、幾つだったか……いやそもそも参戦してない奴らも入るだろうし……。あ~、兎に角、ここに住んでる全員です」

「……なる、ほど」



 不愉快な相手が不愉快な思いをしてくれるのは好むところだが、既に【ハルマゲドン】とタッキリ山の妖怪を受け持たせた事で終わらせたと思っているこちらとしては、重々しく返された納得の言葉に不安が混じる。

 ここでNOと言われた場合、最も難題になるのは食料の確保。【禁断の果樹園】ですら何度か出現させなければ五十万匹の維持はままならなかった。

 それが、今ではそれ以上を賄わなければならない可能性が露見している。解決策の発見は早めに行っておかなければ。



「やはり―――」



 無理ですか、と。

 自ら聞きだすのも怖かったのだが、一向に二の句を紡がない神様相手に不安は募り、こちらから問い掛けを行った。



「いえ、無理ではないのです、が……」



 即否定で答えた割には、続く言葉は尻すぼみ。複雑そうな事情がある……ようなのは理解出来る口調である。



「ご存知の通り、我らは、神。正義を掲げ、善を説き、光を象徴します。……しかしながら、ここに住まう者達……彼らは妖怪寄りの存在。それに手を差し伸べる行為は、ゆくゆくは九十九様の契約を果たす事も叶わなくなりそうでして……」



 色々と省き過ぎな印象は受けるけれど、イメージ的には、警察が犯罪者に恩情を与え続けているようなもんだろうか。人々が受ける印象は、決して良いものではないだろう。

 知ったこっちゃねぇ。と一蹴するのも出来るが、それでは将来、ネズミ達への支援も滞ってしまうので宜しくない。

 ならばどうすりゃ良いのかと、それについて考えようとした途端。



「違うので御座います。そのご懸念は見当違い。……一番の問題は、我ら自身にあります」



 クベさんの察しが良いのか、俺が顔に出やすいのか。こちらの思考を読み取ったのような言葉を付け足される。

 相手神様だし、多分前者だろうと思いながら、首を傾げて言葉の続きを促した。



「関係を悟られずに施しを与える手段は幾つかありますが……それは同族……我ら神々同士には通用しません。……何と申しましょう。我らは、ネズミ達に対して快い感情を持ち合わせていないのです。その内、私を始めとした数名はそうも嫌悪感は抱いておりませんが、他の神々はそうも行かず……」

「えぇ~……」



 もっと複雑に入り組んだ事情の絡み合いの末の、言葉に窮する。かと思っていたのが、ただ単に身内の問題であると聞いて、ここの地の神様に対する印象が、元より下がっていた数値とはまた別の数値が、幾つか下がった気がする。

 何というか、こう、強力な独善者から、足の引っ張りあいをする力ある者、的な。



(……例えになっておりません、っと)



 要約能力の無い頭を振り被り、クベさんの話に耳を傾ける。

 とつとつと語る神様の暴露話……身内ネタに、変な親近感を覚え始めてしまうのは、こいつの策略か何かなんだろうか。



「―――そのせいか、最近は頭皮を覆う命達の数に心許なくなっておりまして……」

「髪の毛ですか……。あぁ、それなら今度、月で知り合った高御産巣日っていう奴が居ましてね? そいつが提案してくれたものに、確か毛生え薬が―――」



 ……ん?



「………待て! 何かズレてきてないか!?」



 はい? と小首を傾げられるが、それをしたいのはこっちだっつーの。

 ハッと何かに気づいたように慌てやがってからに。お茶目路線でも狙っているのかと尋ねてみたくなるけれど、こっちにはそこまでボケを拾う余裕も、フォローする優しさも持ち合わせていない。



「……おほんっ。そうでしたな。そのお方とはまたの機会……おほんッゲフンッ! ―――他の同族を説き伏せられるなら良し。そうでなければ、一時の繁栄だけしかお約束出来ません。……申し訳ない」

「は、はぁ……そうですか……」



 一転して真面目モードで結論を言われたのだが、それには言葉に詰まるものがある。濁すような口調での相槌が精一杯であった。

 嫌いな相手にでも、それを行動に表す事無く、誠意を以って対応して欲しい。

 イメージ的には飲食店の接客業か、お役所仕事。余程の事が無い限りは、どんなクレームにも笑顔で対応、スムーズな接客。迅速かつ適切な処理。求める結果はそのようなもの。



(よりによって、あんまり相手にしたくないものを相手にしなきゃならなくなるとは……)



 神を始め、あらゆる知的生命体の胸の内にある―――その相手の名は、感情。

 思うがまま、感じるがままに流動する存在。その者が培って来た全てが即座に反応し、示す、答え。

 力押し不可能な存在とか、ガチンコ方面以外の知識が乏しい力を扱うこちらとしては、御免被る対戦相手である。

 ただ。



「……それ、お前がやるもんなんじゃねぇの?」



 声を落とし、脅し半分、疑問半分の口調で問い掛けた。

 何も、それをこちらでやる理由は無い。本来なら、それ込みでの助力の懇願である筈なのだから。

 しかし。



「……その通り、では、あるのですが……」



 苦々しい返答から、どうやら、何も案が思いつかないらしい事は察せられる。

 怒りを覚える云々の前に、自分の口からは溜め息しか出てこない。ここで感情を爆発させても、事態は何も好転しないのだと、心の何処かで理解している為だろう。

 数刻前に、平天大聖と共謀してこちらの足止めを謀った一件を思い出し、これもその手の類なんだろうかという念が沸き起こるが、それを確かめる術は無さそうで。

 マナは無し。カード枚数も残り一枚じゃあ、今の俺には何も思い浮かばない。



(せめて1マナ……【テレパシー】でも使えりゃあなぁ)



 使えないのが現状なので……というか、この手の能力は孔明先生に難色示されてたんだった。使えたとしても十全な効果を見込むのも難しく、それを十二分に活かす術も知識も持ち合わせていないのだから、当然といえば当然か。これはさっさと選択肢から外し、他の方法を考えるべきだ。

 やはり夜の砂漠は冷える。肌寒さを凌ぐ為に、外套ごと体を抱き込むように羽織り直し、はぁと一息。満天の星空を見上げ、吐息をこぼし……一時ほど。



(……これ、ダメじゃね?)



 心の中で白旗を上げた。

 考え事がただでさえ苦手なのに、正解の無さそうな答えを導き出さにゃアカンとか、難易度が高いにも程がある。

 なぁなぁではなく、求める答えは、恐らくベターなヤツ。その場凌ぎではダメな回答。

 むんむん唸り、数十秒。秒から分の域に差し掛かっただろう頃合で。



「クベさんや」

「……ワタクシの事、で御座いますな。はい、何でしょうか、九十九様」



 何処ぞの水戸のご隠居的な風に名を呼んでみたのだが、ツッコミが返ってこないところを見るに、どうやら主導権はこちらが握っているらしい。

 いつもなら喜びを覚えているところだけれど、今回、その権利を手にした者には、もれなく感情を説き伏せるという難題が付属している。嫌な権利だ。誰か貰ってくれないだろうか。

 軽く脇道に逸れかかった思考を正し。



「無理。お手上げ」



 こちらの結論をサクっと述べた。

 困惑の表情であったクベーラは、その言葉を皮切りに一変。

 瞬きの間にまとう雰囲気を入れ替え、呼吸が苦しくなるほどの重圧を放ちながら、握る武器に力を入れていた。

 こちらの世界に来たばかりの頃なら、これだけで心肺停止状態になっていただろうが、現状は『きっつ』と一言、内心で呟く範囲に留められる程度のもの。

 諏訪&神奈+綿月家らの経験値によって、主に精神面での対・聖属性の耐久値は、中々に高くなっているようだ。



「ただし!!」



 腹の底から声を叩き付ける。

 僅かに体が硬直する素振りを見せたクベーラは、その反応に従うように、ピタリと動きを静止させた。

 火の付いた……付けた爆弾を鎮火させるべく、間髪入れずに続きを話す。



「それは俺自身に対しての事。三人集まれば……寄れば? いや、寄らば、だったかもしれん……―――文殊の知恵とも言うし、自分だけで駄目なら他人の力を借りましょう。というか頼りましょう、という事で」

「……申し上げ難いので御座いますが、我らでは―――」



 首を振り、クベーラの言葉を遮る。

 申し上げ難い。とか言い出した時点で、どうせ我らじゃ無理だとか、それに類似する意味合いの話になるだろう流れは、想像に難くない。

 それは今までの―――これからの歴史。聖と魔の交わる物語が存在しない……しなかった事が証明しているのだから。

 接客態度を幾許かランクダウン、お客様からお客さん……の更に下へと格下げした。それに合わせ、口調もそれに準ずるものとなる。

 ようは、タメ語であった。



「兎に角、明日。明日まで待て。それでも駄目なら、【土地】だろうが楽園だろうが創るから」



 今一つ釈然としない顔を向けながらも、クベーラは静かに両の腕から力を抜いてくれた。

 とりあえず。ではあるけれど、待ちの方針を採用してくれたようだ。ぞんざいな口調なのに何も咎めない様子を見るに、こちらの態度も黙認してくれるらしい。

 今は体を……マナが全快するまで休息に当てておくとしよう。



「……あれ。そういや英招様は?」



 寝るかと思って踵を返そうとしたのだが、ふと、この場に居る筈のお方の姿が見えない事に疑問を抱く。

 そうも長くは一緒に居る事はないとは思っていたけれど、勝手に居なくなるようなお方じゃなかった筈だとの思いを込めた問いを、クベーラへと投げ掛けた。

 暗に、お前行方を知ってるだろう。との、若干の詰問が入っておりますが。



「この場はワタクシめが受け持ちまして、英招様は 槐江(カンコウ)の地へと戻られました。幾年か空けていた事でやや荒れてはおりますが、あのお方でしたら数年以内には平穏を取り戻されるでしょうな。そして、言伝を預かっております。『最後まで共に居れず心苦しく思うが、何卒、許して欲しい』と」



 そういや強制的に連れて来られた……睚眦に使役されてたとか言ってたっけか。

 すぐにでも戻りたかっただろうに、それを一時とはいえ付き合ってくれたのだから、こちらが感謝こそすれ、相手に許しを乞われる理由などあるものか。



「気にしないで……ってお前に言ってもしょうがねぇか……。カンコウだかカンコクだか……戻った先が何処かは知らないんだが、英招様に伝言とか頼めるか?」

「神速であられる英招様を見つけるにはお時間が掛かりますが、九十九様が感謝していた。と、お伝えする事は可能で御座います」



 察しが良いのは助かるが、それをもっと別の方面でも発揮してほしい身としては、色々と考えさせられる反応だった。



(ってか、英招様、喋れたんですね……)



 月で【吸血鬼の呪詛術士】にからかわれた時を懐かしむ。

 出来れば話の一つや二つしたかったけれど、あの時は色々と切羽詰っていたし、仕方がなかったと思う事にした。

 いずれ機会もあるだろうと未来に期待しながら、リン達の待つ穴倉へと戻る為、やや後方にて控えていた【メムナイト】に騎乗する。

 何度目かの行いであったので少し慣れたかと思いながら、唐突に沸き起こった懸念によって、俺は動きを止めた。



「……なぁ、クベーラ」



 緊の文字を浮かび上がらせながら、宝物神はこちらを見る。

 そういう意味合いで名を呼んだ訳ではなかったのだが、どうやらクベさんはそう受け取ってはくれなかったらしい。



「……はい。何で御座いましょう」



 何を言われるのか。そこに全身系を集中させいるのが分かる。

 ……その気構えは取り越し苦労であると分かっている身としては、若干心苦しさが先に立つ。

 いっそ発言内容を変更するかとの誤魔化しが脳裏を掠めるが、数瞬の間では妙案なんぞ出る筈も無く。地雷を踏みに行く気構えで、元々言いたかった事を口にした。



「答えは明日……って言ったけど…………。やっぱ一週間くらい後……とかじゃ、駄目?」



 自ら宣言した期間を反故にする。大した理由でもない……期間は長い方が良いだろう、という考えの下に。

 借金の返済日を先延ばしにしてもらう心境を味わいながら、唖然とするクベーラと、何だか呆れられた気がしないでもない【メムナイト】の視線が印象的な一晩であった。
















 晴れて、翌日。既に日は真上に差し掛かり、緩やかに傾きを開始していた。

 直射日光が露出している肌を焼き、それでも足りぬと瞼越しでも目をチカチカさせる太陽は、こちらを殺す気満々なんじゃねぇかと思うのですが、その辺、各方面の太陽神達に是非とも尋ねてみたい気持ちにさせてくれる。

 吹き出る汗を払いながら、こりゃ堪らんと、ダン・ダン塚の出入り口付近にある岩陰に移動。クベーラの姿は無いが、もうしばらくしたら来る筈。結果の如何は別として、そういう取り決めとなっている。



「……ダルい」



 全快には程遠い俺の体は、泥のような。なんて表現が良く似合う愚鈍さを体現していた。

 一歩一歩が足取り重く、今何処かの劇でゾンビ役でも任せてもらえれば、最優秀賞を狙える自信がある死体っぷりだ。

 これまでの出来事に加え、さっきまで中々の体力を消費していたのだから、これは仕様なのだよ。とか、意味不明な理由を自分自身に言い聞かせてみたり。



「大丈夫かい?」



 本心からだと分かる、リンの労いの言葉がありがたい。

 元々の美声に加え、それが俺を労わる様な口調なのだから、男としては、がんばらざるを得ないだろう。

 同時、また苛めてみたい。なんて悪戯悪魔が目を開きかけるのだが、二人きりならまだしも、今は駄目だろうと良心天使が一蹴。

 邪念悪魔を追い払い、リンの気遣いに応答する。



「……何とか。今なら一分以内で意識を手放して、その後は三日三晩寝っぱなしで居られる自信があります」

「うーん、それは中々に困ったものだね。他の人なら軽口を装った空元気と取れるけど、君の場合は本当にそうだから参るよ」

「参っているのはこちらでござい。もう少し親身になって、同情とか労いの言葉とか『キャー! 九十九様カッコイイー!』とか黄色い声なんぞ掛けてくれても、罰は当らねぇと思うのですが」

「……そうしたいのも山々なんだけど、ね」



 不安に曇る表情には、明るい色は見て取れない。懸命に圧し掛かる重圧に抗っている様が分かる。

 どうやら、突っ込み返す気力も無いらしい。いつもならそれなりに辛辣な言葉が返って来ていた筈なのだが、切れが悪いどころか、返答すらままらぬとは。

 いやはや、俺が思っているよりもリンはかなり気負っているようでして。昨日までならどうやって不安を取り除こうかと頭を抱える出来事ではあるけれど、昨晩からは、その心配は無用のものとなっている。



「大丈夫よ、リン。もし駄目でも、私は何も気にしないもの」

「でも、お母様……」



 落ち着かないリンの手を、ウィリクが横からそっと握り込む。

 縋るような目をするネズミの少女が顔を向けるが、それ以上は何もしなかった。ただ黙って、母の優しい言葉に耳を傾け続けている。



「かの地の英霊たる、魏と蜀の為政者達の妙案ですもの。例え神相手であっても、遅れを取る事は考え難いわ」

■■■■

 ―――クベーラを残し、穴倉へと戻ったこちらに対して、女の肌を見た云々……と食って掛からんとするリンを諌めながら、一連の出来事を切り出した。

 そっと目を閉じ思案するウィリクと渋面を造るリンは、今後の未来を必死で思考している様子であった。

 俺が全て話し終えた頃には二人の答えはある程度まとまったらしく、各々の希望を口に出し、なるべくそれに近づけるよう持っていく方針を固める事になり。

 ウィリクについては、リンと一緒に居れさえすれば特に何も無いとの事だったので問題はなく。対してリンは色々とした事情が絡み合っているようで、母に楽な思いをさせてあげたい事と、この塚で暮らすネズミ達の面倒を見て欲しい事の二つが最優先となる条件、という事で落ち着いた。

 とつとつと話し出したリンの会話の内容に、ここの巣穴の運営状況は結構切羽詰っていたものだと理解させられる事となりまして。

【メムナイト】が通過可能な坑道があったりと、かなり巨大な塚であるのは薄々感じていたが、それでも一極集中型の塒の弱点として、生命線たる食料の確保が非常に困難なものとなっていたらしい。

 水の方はまだどうにかなりそうであったのだが、食べる物はそうもいかず、死を覚悟してタッキリ山へとおこぼれを漁りに行くのが常と化していたのだとか。

 あまり大勢で行っては妖怪達に目を付けられ塒を壊されかねず、それをせずしては、ここに留まり続ける限り、餓死の道しか残っておらず。

 にっちもさっちも……、とはこの事か。

 最悪、共食いすら在り得た可能性が見え始めた矢先の俺からの援軍要請に、『リン様のお願いならば』『どうせ散る命なら』と、助力の申し出を受諾してくれたんだそうだ。



(で、戦略的な結果は大勝利だったものの……)



 種族的には唸りたくなる戦果となってしまったのは、戦に参加してくれたネズミ達の数が全く減らなかった事に起因する。

 ……あぁいや。減るには減ったのだが、その減った分をしっかりと戻してしまったのだから、差し引きゼロ。ぶっちゃけ、貪欲な胃袋の間引きに失敗してしまったのだと……かなりの数の命を失っておいた方が良かったのだという、黒い正解が導き出されてしまった。

 しかも、最大の食料地帯であるタッキリ山を始めとした周辺の土地は【ハルマゲドン】によって焦土……どころか消え去っている。

 妖怪達が人間を始めとした無数の命を襲い、殺め、その食いカスをあやかる事で種の存命を成していたネズミ達にとっては、まさに悶絶級の未来となってしまい、それを伝えた直後の洞窟内を思い返せば、刹那的な思考である彼らですらも、その動きやら鳴き声やらに不安の色が見て取れるほどにか細いものであった。

 勝利したのに恩賞を与えられない。日本史でもそんな話が幾つかあったかと、参考になりそうでならなかった史実を、かぶりを振って払う。

 一昨日くらいにこの話題が出ていたのなら、俺としても言葉に窮していたのは間違いないけれど、その点の食糧事情はクベーラが充分に補えるとの事で、解決策に一歩近づいた形となった。

 よっしゃと事態の好転を実感出来た……までは良いものの、それでは同族に受けが宜しくないとの事。

 何となく、分かる。一人だけでは仕事が回らないように、良い顔されないだけならまだしも、非協力的な人間関係では、その先の未来は想像に難くない。

 神様ちっちぇえ! と思うのも吝かではないのだが、これまでの善悪な関係に加え、どうにも生理的に受け付けないらしい面もあるとクベーラは言っていた。

 すぐに理解させるのは無理か。と、自分の中で結論をまとめ。



(【魏の参謀、旬彧】さんと、【伏龍、孔明】先生のお二方にご登場頂きましたよ、っと)



 合計7マナ。勇丸と合わせれば8マナの維持という、骨の折れる疲労具合であったけれど、その分の成果はしっかりと残せた筈だ。それを確かめるのが今からだとしても、あの案なら神々を納得……まではいかずとも、理解させられる事は可能だろう。

 ……まぁ、二人の顔合わせの時には結構心臓に悪かったんだが、それは忘れる事にしておきましょう。



「お陰で、残り1マナしか使えないんだ。困ったもんだよなぁ―――クベーラ」



 ギョっとするリンと、すぐさまそちら―――前方をしっかりと見据えるウィリクに応えるように、にこやかな笑顔を造る宝物神は、いつの間にやらこちらの眼前に佇んでいた。

 元々疲労で半眼となっていたのが幸いした。視認すら難しくなって来ていた白日の下であったけれど、クベーラが静かに上空から降り立ったのが見えたのだから。



「イチマナ、とは何の事で御座いましょうかな?」

「教えねー」



 これはこれは、と。

 軽くおどけてみせる褐色中年オヤジは、元より深く追求する気は無かったんだろう。それっきり、追求の手を伸ばさなくなった。



「本日は、あの銀馬は居られらないので?」



 牛魔王の時にもそれっぽい事を言われたけれど、ロボットなんて知る筈も無い方々から見れば、鉄馬―――【メムナイト】は、そういった類のものと認識しているんだろう。



「さってな。隠れてるのかもしれないし、どっかに還ったのかもしれないし。まぁ、良いじゃない。これからするのは話し合い。力の強さとか足の速さなんて関係ないだろう?」

「ええ。そうで御座いますな。“話し合っている内であれば”、大地の消失も、大聖の頂点を下す力も、全く無縁のものに御座いますなぁ」



 こちらがクシシと意地汚く嗤えば、あちらはハハハと朗らかな笑顔で応答する。

 不敵に、掴みどころなく、謎めいていて。

 底が見えない。と、それっぽく思わせれば対話は有利に運べる場合が多い。との、二大軍師からのご指導&ご鞭撻によって、今の俺は雑多な事では動じない自信がある。今のところ実践出来てはいるだろうが、出来れば早めに切り上げたい。



(かなり疲れてるんで、動じるだけの心の余裕……体力が無いのが最大の理由なんですけどね……)



 瀕死の二、三歩手前くらいにならないと効果を発揮してくれない月の腕輪でありますので、この程度の疲労では一切起動してくれません。

 もう少し制限の緩和を願いながら、これからするべき事を思い、少し、心が軽くなる。

 疲労によって頭の切れも悪くなるけれど、記憶していた条件を読み上げるだけで良いのだから、楽なもの。それに、これでもし駄目になった場合には、早急に応えずとも良い、との結論も出ている。

 食糧事情は由々しきものだが、俺が居る限りは迅速に対処しなくてはならない問題ではない。それ以外で至急の用もなく、後は、相手の出方次第。

 今回の場合は、時間は味方。

 もったいぶって、重々しく頷きながら、『うむ。慎重に検討しよう』とかそれっぽい口調と態度で言いつつ、家に帰ってゆっくりと内容を吟味すれば良いのだから、これが楽でなくて何だというのだろう。



「それでは」

「ああ」



 クベーラがこちらにやって来て、すっと腰を落とし、胡坐を組む。それに倣う形で、俺やリン、ウィリクも後に続いた。

 砂漠のど真ん中の岩場地帯ではあるけれど、影の下であればそれなりに涼しく……涼しいと感じられる温度であり、どうせダン・ダン塚の内部にこの潔癖症な神様は入ってこないだろうから、ここが話し合うにはベストな場所である筈だ。

 変に取り繕った言葉は、もう止める。丁寧語だの尊敬語だのに比重を置くよりも、これから……今からは、如何に相手へこちらの方法を正確に伝えるかに掛かっているのだから。



「宝物神、クベーラ。あんたは人間達の信仰を得たい。―――これに間違いは無いか?」

「それだけではありませんが、その面が強いのは事実で御座いますな」

「その方法ってのは、信仰者の願いを叶えたり、って方法。―――これも間違いは無いな?」

「はい。仰るとおりかと。ただ、お言葉を付け加えさせていただけるのならば、人間のみから得ている訳では御座いません。数が多く、我らを信仰するに足る知性を持ち合わせている種族であるが故である。との補足をさせて頂きましょう」



 クベーラの言葉を噛み砕いて若干の悪意をトッピングしてやれば、『人間は俺に相応しい奴隷だぜ』なんて言葉にも聞こえるけれど、虫や動物が神などを信仰しないように―――もしかしたらしてるのかもしれないが―――何かを信仰するという行いは、一定以上の知性を持たなければしない行動であったかと思い当たり、納得する。

 不純なものだから持たなかったのか、必要になったから行うようになかったのか。その辺について討論すれば良い暇潰しにはなりそうであるが、この場ですべき事ではないので、それらは置いておくとして。



「じゃあ、その信仰を得る行動ってのは、あれか。雲の上とかで民草に耳を傾けながら、何をすれば僕達を崇めてくれるのかなー、とか考えて実行する。そういった事か?」

「雲の上ではありませんが……よくご存知で。お知り合いに、我らの地に住まう同族でもいらっしゃるのですかな?」



 ここの神様に知り合いは居ないが、別の神様になら知人&友人はそれなりに。

 神様と知り合いだとか、昔の俺が聞いたなら、有名な精神科医が在中する病院のパンフレットを一束くらい贈りつけていていた事だろう。

 諏訪や大和で行って来た事と、漠然とした神様なイメージと照らし合わせ、それらを混ぜたり省いたりした意見を述べてみただけなのだが、まさか寸分違わず、っぽく正解になるとは思わなかっただけだ。



「この地じゃないけどな。ちょっと前まで似たような事やってたし」

「それは良い。知らぬ者と知る者との差は、顕著に現れるものですからなぁ」



 ちょっとこっちの苦労が分かってくれそう。そんな思考がチラと見て取れるクベーラに、半分同意し、半分苦笑する。

 ある程度の苦労は分かるが、今回はそこに付け入る側となる面が強い。

 とはいえ、苦渋を味あわせる訳ではない。これが成功すればWIN&WINな関係に治まってくれる可能性が高いのだ。結果良ければ、な言葉もある事だし、決して悪い話では無いと思う。



「その効率。もっと上げたいとは思わないか」



 沈黙は……さて。どれくらいの時間続いたのだろうか。

 つうと一筋。俺の額から滑り落ちる玉の汗。

 頬を通り、顎へと至り、飽和の限界を迎え、地面へと染み込んだ頃合に。



「……それは難しいでしょう。彼ら……ネズミ達はどの種族からも好意的には認識されていない。それが現れればたちまちの内に嫌悪の感情を顕わとし、手に鋤や鍬や棍棒を持ち、行動に移す事でしょう」



 こちらの意図をしばらくの沈黙のみで察したクベーラは、流石神様、と言わざるを得ない。

 ―――つまりは、ネズミ達に民草の願いを聞いて神の元へと届けて貰おう。というのが今回の案である。

 思うがまま、感じるがままに流動する存在、感情に対しての働きかけが主な命題となっていた一件であったが、誰しも、それを統べる力を持ち合わせている。

 名を、理性。

 沸き立つ怒りを、滲み出る憎しみを、溢れ出る悲しみを律し、手綱を握る理。

 早い話、ネズミさん達が凄く有能な存在であると知らしめられれば、多少……かどうかは知らないが、納得せざるを得ない土台を作ってしまえば良いのだ。

 本当に神が生理的に無理だとかいうのであれば、それこそネズミという種族は既にこの地から滅せられていただろうし、それでも生き残っている現状を鑑みるに、幾許かの交渉の余地はあると見た。

 どんなに嫌いな奴でも、いけ好かない者でも、必要であると周りに認めさせてしまえば、決して無碍には出来なくなる。



(……まぁ、それの大半は不快な思いをするのが殆どだったけど)



 旬彧が、死刑囚―――嫌われまくりな人物達を用いて、敵軍を打ち破る武功を成した人物の話をしてくれたけれど、そこに些細な修正を付け足したのは、リンでもウィリクでも、ましてや孔明先生でもなく、俺自身。

 まさかこんなところで上司やら後輩やらの苛めについての知識が役立つとは思わなかった。そして、その手を選ぶ自分にも。

 ただ、この際四の五の言ってはいられないので、出来る範囲での最善だと思われる方法を選択&実行する。

 因果な生き物だ、と自嘲的に笑ってみるが、悪意を振り撒いていた側と同じになってしまった気分になり、ちっとも心は晴れなかった。



「クベーラ。お前達が信仰を得たい……信仰をしたいと思っている人物は、どんな奴らだった?」

「……裕福な上流階級であればあるほど、死から遠ざかる為でもあり、そういった意識は薄れていく傾向が強いものでは御座います。死に際にはそうでもありませんが、貴族や豪族達からの信仰を獲得し難い。何より、願いの力が弱くあります。よって―――」



 正解ではないにしろ、こちらの言わんとしている事を察し始めたらしい。

 一を言えば十を知る、であったか。爪の垢でも飲ませて欲しいくらいに羨ましい頭だ。無論、実際に飲ませようものなら右ストレートを叩き込むが。



「……ですが、それは何もネズミ達でなくとも。例えば……そう。空を翔ける者達が我らの使いとなる事は多く、事実、それらは信仰の獲得に一役買っております。天より来る者、其は正に天の使い為り。などという風に」



 なのでネズミ達に出番は無い、と。そう言いたいのだろう話は、最後まで紡がれずに、そこで止まった。

 言いたい事が分かるが、それに関しては―――これに関してだけは、何処に目を付けているんだと言いたくなる。

 元々嫌悪していた存在なので、その手の方面に視野を向けてこなかったせいでもあるんだろうが……。



「けど、それはあくまで飛ぶ者から見た視点だろ。視覚の広さは負けるとしても、多さで勝てる奴なんぞ居るもんか。昆虫じゃあこの寒暖の激しい土地じゃ生活範囲は狭くて、鳥じゃあ上空からの視野しか持ってない。他の奴らじゃ数が足りず、体が大き過ぎたら難しい」



 この売り込みに、ネズミ達の今後が掛かっている。

 こういった緊張感は未だに慣れないものだと思いながら、声が小さくならぬよう、一言一句、しっかりと叩き付ける様に。



「対して、ネズミ達はどうよ。居ない場所なんて、それこそお前達神様の住んでるところくらいじゃないのか? 貧困に喘ぐ家の中、無数の死が立ち込める墓所、日夜問わず存在する眼でもって、最も救済が場所には必ず在る、命綱」



 捲くし立てるように、つらつらと。

 一度も噛まずに言えたのは、しっかりと暗記していたから……などではなく、本心でそう思っているから、それを吐露するだけで良い為である。

 セールストークとSEKKYO交じり合った売り文句に口を挟む機会を与えず、畳み掛ける様に、リンの背中を軽く押し出し。



「……って事で、その口利きとして、こいつを推す。最低五十万……百万以上の監視の目と、それを束ねる、小さな小さな司令官。錬度も抜群、下手な人間の軍隊より誇れるくらいの勇ましさだ。すぐにってのは難しいだろうが、季節が一巡するまでには、誰もが唸る成果を上げるだろうよ」



 憎き相手の元で働く。

 誰が言い出した訳では無い。リン自ら、そうすれば事が丸く収まるだろうとの進言からであった。



『なに。今の僕には君の後光があるんだ。居心地は悪いだろうけれど、無体な扱いは受けないだろうさ』



 何かを振り切るように言い切った言葉には、やってやれない事はない。と、自信満々の中に僅かな不安を紛れ込ませたものであって。

 それにもしかしたら、この幼……女の子がゆくゆくは『ナズーリン』に改名するのかもしれない可能性もある。

 ……本音を言えば、そうであって欲しいと願う俺の、思い入れやら肩入れやらテコ入れやらの、入れ入れ尽くしな思惑が強いせいではあるけれど。

 もしナズーリンとなる人物であるのなら、いずれこの子は毘沙門天という大御所の神に仕える事になる……かもしれないのだ。それまでの下積み時代だと考えれば、良い経験になるのではないかとも思ったが故の推挙でもあった。



「―――ふむ……期間を設け、その間に成果を……―――先の見える期限内であれば我慢も……数も膨大……―――」



 こちらの存在など忘れてしまったかのように、顎に手を当て、自らの思考の海に漕ぎ出してしまったクベーラは、しばらく戻って来る様子が無さそうで。

 目の前でブツブツ呟かれ、ちょこっと気味が悪いのだが、それがこっちの利になるものだと分かっているだけに、止める訳にも逃げる訳にもいかず、固唾を呑んで見守り続ける。

 凛と―――少なくとも表面上は姿勢を正すリンであったが、視線が一点に定まっていない眼光を見るに、その内心は不安に揺れているだろう動揺が察せられる。



(『しばらくお待ち下さい……』とかクベーラの頭上に見えてきそ……)



 なるべく早く終わらせたいところではあるが、こればかりは相手の対応次第。

 しかし今は、リンの傍にはウィリク様が居る。

 手を握るでも、優しい声を掛けるでも無いけれど、ただそこに居るというだけで、今のリンにとっては何よりの支えになる筈だ。

 俺には無理な方法である事に対して、みみっちい嫉妬感が込み上がるのを、一笑。身の程を弁えろと活を入れる。

 そして。



「―――分かりました。そのご提案、承りたく思います」



 四択クイズ番組に出演しているみ○もんたも真っ青の溜め具合を経て、クベーラは了解の意を告げて来た。



「では、細部を詰めたいと思いますが……その前に、一つ」



 尋ねたい事がある。

 それなりに真剣な表情を向けるクベーラの視線は、俺でもリンにでもなく、その背後に居る人物……ウィリク様へと向けられていた。



「そちらの……」



 しばしの沈黙の後。



「……そちらの女性……いや。“少女”は……ウィリク、様……で、御座いますか?」

「今更かよ!?」



 思わずノリ突っ込みなぞしてみたものの、幾ら神様とはいえ、これまで……昨晩から今朝に掛けての短期間の経緯など知らぬだろうから、当然な質問であった。

 クベーラと相対する前から、ウィリク様はその容姿である。

 齢、大よそ二十と少し。

 無色と白髪の入り混じった頭髪は全てプラチナへと変色し、罅割れ、乾燥し切った大地を思わせていた褐色の肌も、生まれたての赤子に迫る瑞々しさを感じさせる小麦色のそれへと変貌を遂げていた。

 適度な大きさの母性が二つ。ネズミ達が何処かで入手した旅人用のやや濁った白のサリーを押し上げ、その存在を主張している。

 下半身の肉付きは、平均以上。直立以外の体勢を行おうものなら、衣類が肌に密着し、その肌触りすら想像出来るであろう肉質を浮き彫りにさせる事だろう。

 ただし。



『懐かしいわ……。十五、六の時に戻った気分……』



 リン共々、あんぐりと口を開けて反応する羽目になった一言は、今も俺の脳裏にこびり付いている。

 とても十代の半ばとは思えない、二十代過ぎたくらいが適切な妖艶さであるのだが……当人がそう言うのだから、そうなのかもしれない、と納得しておく。

 人間の記憶の曖昧さとか、自分勝手な美化路線とか。色々と疑って掛かっていたのだが、若返り中のウィリク様を見ていたリンが『あぁ、なるほど』と素直に納得していたのを見るに、虚言とか妄言では無さそうなので、信じる事にした。



(その方が浪漫がありますしね!)

 

 美少女が美女へと上り詰める……あぁいや、今回の場合は逆なのだが……その過程の光景がスッパリ抜けているのを一頻り悔やんだ後で、渋々ながらクベーラと出会った事を話し合ったのだった。



「……どうやらその通りであるようで。……それも、九十九様のお力で?」

「それをあなたに話す必要を感じません。ヴェラ」



 キッパリと。けれど、何処か相手をからかう声色を以って、褐色の女性は楽しげな笑みと共に答えた。

 クベーラという神であるのは既に知っている筈なのに、過去の偽名で名を呼ぶのだから、これは彼女なりの嫌味の一つと捉えるべきか。



「……これは手厳しい」

「これからどんな間柄になるのか、とても興味があるわ。叶うならば、あの頃の関係には戻りたくありませんものね」



 ウィリク様イキイキ。リンちゃんニコニコ。クベさんタジタジ。

 楽しそうな元女王様の反応に、俺も釣られて楽しくなっていたのも、僅か。何だかクベーラの背後に、尻に敷かれる男の未来を垣間見た気がして、どういう訳か、俺の心が痛くなった。



(毛生え薬、本気で考えといてやるか……)



 あれだ。多分、見ず知らずの他人であっても、股間を強打された男を同じ男が見れば、思わず内股になってしまう心境に近い。

 それに、担がれたような形にはなったが、仮にも平天大聖以下の妖怪達を受け持ってはくれたのだ。これくらいのプレゼントは構わないだろう。



「……ところで、クベーラ」



 ここまで事が運んだのだから、すぐさま反故にされる事も無い筈だ。

 そんな気持ちから、なるべくすぐに終わらせようとの思考が呼び起こされて。

 言葉は無くとも、顔がこちらに向けられた。話を聞いてくれるようだ。



「お前、治癒とか得意か?」



 ふむ。と唸り、数秒の後。



「殆どの病や傷は治せるものではありますが、それが九十九様にも適応されるかどうかは、言葉に詰まるところがある……というところが、正直なところで御座いますなぁ」

「素直に微妙って言ってくれよ……」



 それが何か。と顔で尋ねるクベーラに答える形で、話の続きを再開する。



「それが出来るか否かで、大地の修復作業……速度が四、五倍くらい変わってくるからさ」

「!?」



 一瞬の驚きは、次の瞬間、熟考という形に取って代わる。

 ぶつぶつと高速で口元を動かすクベーラを見るに、手がない訳でもなさそうだ。

 ……ただ、これに関しては、別に回復や治癒なんぞ無くとも使える事は使えるのだ。

 千を超え、万に及ぶMTGのカードの種類の中には、当然ながら類似品―――亜種を始め、上位、下位効果を持つものも多く、これから使う予定であるカードは、それら様々な亜種や変種の元になったものの内の一つ。

 使用コスト、たったの1マナ。【土地】を出す、という一点において、出し易さ、制限の軽さを含む総合評価が群を抜いて高い―――他の追随を許さぬ性能を秘めたものである。










『Fastbond/素早い支配』

 1マナで、緑の【エンチャント】

 かなりザックリと内容を省いて要約すると、望む枚数の【土地】を手札から出す事が出来るもの。その際にはダメージを受けるペナルティが発生する。

 正式な文面は下記に。ほぼ複写。

 あなたはあなたのターンの間に、追加の【土地】を望む枚数だけ出しても良い。あなたが【土地】を出す度、それがこのターンにあなた出した最初の【土地】でない場合、【素早い支配】はあなたに1点のダメージを与える。

 登場した時代が古く、日本語表記のカードが存在しない。

【土地】を出すだけ。と、侮る事なかれ。MTGの基本である『【土地】は一ターンに一枚のみ場に出せる』というルールをここまで無視するカードは非常に少なく、事実、様々な公式大会で禁止カードに指定されている。




 





 完全に安全を確保してくれるのなら、【素早い支配】の亜種を用いて事に当たるのだが、それが保障されてくれないのならば、数日間掛けて【土地】を生成し続けるしか考え付く方法は無い。

 

「過ぎたる力は身を滅ぼす―――。古事にはよくある文句だけれど、ツクモさんには尺度が違っているのかしら」

「あぁ、そういえば……お母様はこれの大地創造術を知らないんだったね。見掛けに騙されるといけない、という事例を体験させられる能力だったよ」



 これ、とは俺の事かおチビさん。

 良い度胸だ、受けて立とう。今なら心の余裕も相まって、出されたものなら何だって平らげてしまいそう。

 保護者同伴……というより真ん前だろうが、その程度で俺が自重するなどと思うなよ!



「人を指してコレとか言うんじゃありません!」

「うにゅ!?」



 お父さん許しません! なんて心の中で呟いてみたり。実際に口に出すと、必然、ウィリク様に失礼になるので言いませんが。

 片手で両の頬を摘むように挟み、ひょっとこのような顔にさせる。

 これで二度目か。可笑しく歪む表情と、面白い口調になる声が楽しくて、もう一度やってみたくなったのだ。

 右手を顔にアイアンクロー。左手を後頭部に添えて、後方に逃げられないようガッチリホールド。元々ちっちゃな体であるので、顔の半分以上がこちらの手の平に収まってしまっている。

 抗議の声をうにゅうにゅと口にはしているが、それが言葉……意味を成す事はない。よって、俺が静止する理由にはならない。



「わっしゃっしゃっしゃ! 人型になってしまった自分を恨むが良い!」

「にゅー! むにゅー!」



 わっしゃっしゃと奇怪な笑いを上げてしまったのは、きっと性悪な牛魔王の呪いか何かに違いない。

 うにゅ、とは何処ぞの八咫ガラスの少女から聞きたい台詞ではあるけれど、可愛い相手は何をやらせても可愛いもんだ。これはこれで楽しいのです。

 ウィリク様は『まぁまぁ』と困った風な表情こそ浮かべているが、静止の声は掛かってこない。こちらの悪戯……教育方針に賛同はしてくれているようだ。

 色々解放された気分に便乗して、こちらの自重精神までリミットブレイクしてしまったらしく、もう少しくらい別の事をやっても良いのでは。などと悪意が顔を覗かせた途端。



「ん?」



 するり。ズボンの足の隙間から潜り込む、小さな毛むくじゃらの感覚。

 くすぐったい。こそばゆい感覚に従って、それを止めるべく、自然とそこに―――リンをホールドしていた左手が、自身の内股へと伸びてゆき。



 ―――がぶり。

 そんな音など聞こえていない筈なのに、俺の耳にはしっかりと、自身の肉体が欠損する信号が伝達された。



「―――ッ!?!?」



 洒落にならない痛覚が、悲鳴すらもシャットアウト。というか、喉が引き攣って肺から噴出しそうな空気を遮断してしまっている。

 瞬時に額から滲む脂汗と、瞬く視界が俺の世界の全てとなった。

 患部、左足付け根……の内側。人体の構造上として、外側から外れれば外れる程に脆弱なる。

 二の腕などが良い例か。

 外側を摘めば『イテテ』程度で済むかもしれないが、それが内側となれば、外の何倍もの痛覚が働き掛けてくる。そして今回も、それに例外は無く―――。



「豆腐は……大豆やねんで……」

「……そうかい」



 想像を絶する痛覚によって、こちらの思考が何十も通行止めになってしまった影響か。絶叫や苦悶の声どころか、別の記憶と繋がってしまったらしい。

 我ながら意味不明な発言であったのだが、それは相手にとってみれば、俺以上に意味不明であるのは疑いようも無く。

 さっきまで苛めていたリンであっても、とりあえずの同意をしておきたくなる位な状態になっている俺は、入った時と同様、するりと足の裾から抜け出る小さな影を捉えた。



「あの一件から、親しくなってね。あまり回数は重ねていないけれど、もう、僕の友人だよ」



 とても嬉しそうに。楽しそうに。リンは、初めて手に入れた友という名の宝物を誇っている。

 両の手を伸ばし、その上に乗る小ネズミ―――【鬼の下僕、墨目】の能力を使用する際に投擲した灰色の存在は、ルビーの色をした瞳をクリクリと動かしながら、何処となくこちらを見下している態度を取っていた。



「……そりゃ……良かった、な……」

「……思ったよりも被害は大きそうだね」



 普段なら嫌味などの追撃も行って来る筈なのだが、同情の色が濃い視線から判断するに、どうやら俺の思っている以上に俺の格好は宜しくないらしい。

 まぁ、それもそうかと自らがとってる格好を思い出し、納得する。

 脂汗に涙目。血の気が失せて視界に星が瞬き、股間を蹴り上げられたように内股となっているのだから、見苦しい事この上ない筈だろう。



「もう言わなくても分かってくれただろうから、これ以上は口を噤んでおくよ。それに、僕も調子に乗った。ごめんよ」

「……いや、いいッス。こっちも悪かったッスから……」



 ここまでしっかりと噛まれたのは勇丸の時以来か。

 あの時の歯型はニ週間程度で消えたから良いものの、今回の場合はどうだろうか。

 少なくとも、しばらくは確実に残るんだろう。と、心の深くで静かに涙する。



「あらあら。リンはツクモさんと、こんなに親しくなっていたのね」



 ニコニコするウィリク様であるのだが、その表情にはからかいの文字が浮かび上がっている。こちらの事情をしっかりと認識した上で、冗談を述べているようで。

 からかわれるのは嫌いじゃないが、今はもう少し同情が欲しいところです。



「……いや、自業自得、自業自得……」



 自己暗示も兼ねて、二度ほど詠唱。

 因果応報を噛み締めて、



(―――次はもっと上手くやる!)



 噛み締めたものが栄養となるのは、ヒジョーに時間が掛かるだろうと、第三者のように感じた。



「……うっし。……そういや、そいつに助けてもらったところもあるんだよな」



 あの時からお礼の一言も告げていなかったと思い返し、膝を折り、リンの両手に乗る小ネズミと目線を同じにする。



「……あの時は助かった。お陰で、無事、こうしてみんなで居れる未来を掴み取れた。―――どうもありがとう」



 チュウ、と一声。

 すんすんと宙の匂いを嗅ぐ動作の後に、リンの服の中へと走り、消えてしまった。



「ははっ。人間にお礼を言われるなんて思ってもみなかったんだろうね。恥ずかしい、ってさ」

「そっか。そりゃ、悪い事をしちまったかな」



 体を小ネズミが這い回る感覚によって、くすぐったいと僅かに体をくねらせるリンに、見た目の年齢相応の、暖かいものを見た気がした。可愛いものだ。このままこねくり回してしまいたくなる程に。



(……勇丸ぅ)



 そんな戯れる光景を見たせいか。今は遠き、愛犬……もとい、忠犬の名を思い返した。

 感触を思い出すように宙を掻く手は、虚しく空を仰ぐばかりで。



「……でも、次からはもっと女の子の扱いは心得て欲しいよ。ツクモはその辺りの気概が皆無だから、この先も不安でしょうがない」



 とりあえず、の抗議の声。

 郷愁の念を振り払い、内心を誤魔化すように、からかい半分、本心半分の、ふざけた言葉を口にする。



「そりゃ、こんな可愛い女の子ですもの。苛めたくなるのは男の性ではねぇでしょうか」



 数日前なら顔を真っ赤にしてくれたんだろうが、まんざらでもなさそうな表情で苦笑する様子に、この手のやり取りに慣れてしまったのだと判断する。



「うぅ、悲しいぜぃ。少し前はあんなに可愛げのあった娘が、今じゃこんなに……」

「君の娘になった覚えはないんだけど……。ま、君の後光があるのなら、それも悪くは無いかな。―――お母様にさえ手を出さないのなら、ね」



 にんまり哂うネズミ妖怪様に、へいへいと微妙な返答を行い、肩を竦める。

 いつの間にか心を立て直した小ネズミがリンの肩に出現しており、同意するように鼻を動かしている。



(……あ、これ、『ナズーリン』っぽい)



 記憶にある絵図には遠いが、何割かが合致し始めている現状に笑みがこぼれた。

 後は青いネックレス……ペンデュラムと、尻尾の籠に、方位ロッドを持てば完璧か。



「どうしたんだい?」

「んー? 答え合せっぽい展開になって来て、ちょっとドキドキしてるだけー」



 何言ってるんだ気持ち悪い。

 ジト目な、そんな表情が見て取れるネズミ少女様ではあるけれど、俺の内から込み上がって来た興奮は、冷める様子を見せない。しばらくは続きそうだった。

 ふと視線を動かせば、自己の世界に閉じこもってしまいそうな位に熟考しているクベーラを、微笑ましいもの見る目で眺めるウィリク様が印象的で。



(近しい……でも相容れない隔たりを感るッス……)



 男と女だ。一瞬、それな連想が脳裏を過ぎるが、ウィリク様の顔があまりに楽しそうなものだから、すぐさま否定されられた。

 その辺りは女王―――女王様のような気はするが―――としての気質なんだろうとか強引に納得する方針で眼を背け、事態の進展を図るべく、思考を働かせる。



「これで、後はクベさんの……神様達の出方次第、か」

「うん……。そうすれば……そうなれば、お母様だって……」




 リンと共に過ごすと宣言した女性は、しかし、その具体的な案を提示してはいなかった。

 周囲はだだっ広い砂漠であり、水源は岩肌剥き出しな、このダン・ダン塚だけ。唯一の食料源確保なタッキリ山は消滅し、この場に留まれば死、以外の何も無い。

 ……と、思っていたのは俺だけだったようで、親子水入らずで旅をするのも悪くない。との考えを持っていたウィリクに逞しさを覚えたのは記憶に新しい。

 多少の武芸は心得ているらしく、自分と娘の命を守る程度なら大丈夫との事。



『妖怪相手だと難しいけれど、人間であれば、何人掛かって来ても、切り飛ばして差し上げられますよ』



 そういや出会ってすぐに、俺の首を一閃しようとしていたのだったかと、沈殿した記憶が蘇ってきた。

 暗器使いなのだろうか。しかも切るだけではなく、飛ばすとはこれ如何に。

 それなら大丈夫ですね、と笑顔で相槌を打ちながら、身震いする体を落ち着かせるのに一苦労でありました。



「……ってか、クベーラ、熟考し過ぎじゃね?」

「気のせいか、頭から湯気が見える気がするよ」



 心無しか、神様のおめめがグルグルと渦を巻いている気さえする。

 自分と無関係の相手であれば楽しい有様だが、これがこちらの未来に直結する……してしまうのだから、指を咥えて眺めている訳にもいくまい。



「―――そうかっ! これならばっ!!」



 今までの喧騒を一刀両断する、我悟りを得たり。なクベーラの歓喜。

 孔明先生とか文若さん還したのは早計だったかと思い掛けていたのだが、クベさんの喜ばしい態度を見るに、どうやら杞憂で済みそうだ。



「それでは九十九様、参りましょう!!」

「……はっ?」



 全く触れられた感覚は無かったというのに、気づいた時には、俺の体は飛翔戦車の上に乗っていた。



「え?」

「しっかりお掴まり下さい―――はぁ!」



 神速とは、文字通り、神の速さの比喩である。

 リンも小ネズミも、ウィリク様すら疑問の声を上げる間もなく拉致られた俺は、嬉々として空を翔ける戦車の上で、しばらくの間呆け続けるのだった。





[26038] 第55話 大地創造
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/01/25 13:12






 クベーラの操る飛翔戦車の上から見る景色は、文字通り空を飛んでいる視点である為に、それはそれは色々なものが見える訳でして。

 しかしながら、見えるものは景色だけには留まらなかった。こちらと同じく空中に……それも、そこかしこに見て取れる物体がチラホラと。象の頭やら、鳥の上半身やら。他は……キ○グギドラの親戚なのかと尋ねてみたい多面顔やら、真っ黒とか真っ青とか真っ白とかな肌な方々とか。数にしてそう多くは無いのだが、誰もが一筋縄じゃあいかないだろう雰囲気をこちらに叩き付けて来ている。

 ―――敵対姿勢は取らない。

 そう公言させてから【素早い支配】の亜種である、ダメージを一切受けない性質の【マナ結合】による【土地】の連続召喚を行ったのだが……。










『マナ結合』

 1マナで、緑の【エンチャント】

 自らの手札から、好きな数の【土地】を場に出す事が出来る。この能力を用いて【土地】を出した場合、残りの手札は全て捨てる。

【素早い支配】の亜種であり、調整版。元になったものはその性質から、非常にコンボに向いていた為に調整を施されたものがこれであり、手札を溜め込む傾向の強いコンボデッキの動きを大きく制限するデメリットを付与させたものとなっている。










(……あぁ、でも、インドの神話のやつらって、主だったキャラでも騙し討ちスレスレの手段とか、えげつない計略とか色々やらかしてる奴やら面やらもあったんだよなぁ)



 神様だからと、相手を信じたのは早計だったか。

 ―――何故、こんなやつが。

 彼ら……あれらの姿からは、そんな文字が浮かび上がっているのがバッチリと分かってしまう。これは喧嘩を売られているのだろうか。そう思い、感じ、応えてやるように蔑みの視線で睨み返す。

 こちらにとっては造作も無い、ただ土地を並べるだけの、こんな事も―――この程度の事も出来ないのかと。

 脳内の第三者視点の俺が『普通は出来ねぇよ』『普通じゃななくても出来ねぇよ』『だよね?』『だよな?』と仲良く会話をしながら突っ込みを入れてきたものの、そこは見ない振りをして。と、口を噤んでもらう事にした。

 そんな俺の態度がいたくお気に召さないようで、刺さる視線の鋭さは何倍にも膨れ上がるのだが、対・神聖防御な数値はしっかりと上昇しているらしく、息苦しくなる程度の重圧で収まっている。これまでの経験からすればこれくらいの苦痛など、十二分に無視出来る問題だ。

 ……それに、謂れのない非難の視線には、心沸き立つものがある。

 全員が全員とは言わないが、己を神聖視している雰囲気を醸し出しているのがチラホラと。



(良いねぇ。そういう思想は大好きだ)



 ―――何故って。

 だってそれは―――相手が増長してくれればくれるほどに―――。



「―――この度の助力、感謝の言葉もありません」



 暗い感情を払拭するように、横から響く男の声―――宝物神クベーラのものに、張り詰めた空気が萎んでいくのが分かる。

 そこに不快な色は無い。

 心の底から感謝しているのだと信じられる、芯に響く、ありがとう、であった。



「……別に。その言葉からすると、もう大丈夫……と思っても良いのか?」

「はい。未だ欠損部分はありますが、これならば百の年を待たずして、元の大地を取り戻す事も可能でしょう」



 そりゃ良かった……のだろうか。

 百年以内とは結構長い気がするのだが、元々回復の目処すら立っていなかったのと比べれば大分マシになった方なのだろう。

 自分でも投げやりな口調で応えてしまったのだが、周囲の神々と、このクベーラという神を見比べて、もう少し自分の態度を軟化させても良いのではないだろうか……と。今後を考えれば、そう思えてならない。

 これが全てという訳ではないのだろうが、少なくとも、この場に居る神々の誰よりも、この宝物神は温和である。少なくとも内心はどうあれ、他者に対して高圧的に出ることはしないのだから。



(殺人犯の中に居る、詐欺師っつーか、なんつーか……)



 周りのイメージがものっそ低ければ、ただ低いだけの相手が相対的に上昇している……ような感覚か。

 環境によって、物事の評価など簡単に変わるものだという一例を垣間見た気がします。



「……ただ、一点。お伺いしたい事が御座います」



 と、そんなお方から質問が。

 ……大よそ、その答えが予期出来る為に耳を塞ぎたくなる声であったのだが、こんな近距離でそうもいくまいと、何食わぬ顔を作り、素知らぬ風に返答する。



「何か?」

「はい……その……」



 しばし言い澱んだ後で、意を決した……というより、困惑の方が目立つ口調で。



「これらの……地面……? は、一体……」



 やっぱり突っ込まれたか。

 あちゃー、と一言内心で呟いて、何食わぬ顔で眼下に広がる広大な地形を見据える。

【ハルマゲドン】による大規模破壊。それを修復する事は、とても【土地】一つで収まる代物ではなく、必然、ぽっかりと出現した空白……もとい暗闇を埋めるべく、大量の【土地】で補填する形を取らざるを得なくなる。

【土地】一つで数キロ範囲を一瞬で作り変えるというチートスキルだというのに、それを複数回使用しないといけないとか……使用した【ハルマゲドン】の性能に身震いするレベルであった。



(流石、白を代表する二大リセット呪文の片割れ……)



 しかしながら現在の俺は、同名のカードは一日に一枚しか使えないという制約の下に居る。使い回し……墓地から回収して再び使用するのは可能だが、それには何よりマナを喰う。

 この地に降りて色々と経験は積んだとはいえ、それらが改善された様子も無く、予定も無さそうで。

 なもんだから、先に考えていた通り、カード名の異なる、砂漠に準ずる各種【土地】で補った。

 別に自然豊かな大地でも、命溢れる水源でも出せたのだが……。



(お前に食わせるタンメン……ゲフンゲフン……お前らにゃあ、何の思い入れもねぇですし~)



 知名度的には良く知っているのだが、それは時代背景やら人間関係やら背負って来た歴史やらに対してのものであって、性格とか思考パターンとかの、彼らの内面に関する知識はほぼ皆無。

 鈍器本の一角たるタウンペ○ジに記載されている店名をチラっと眺めて知っているだけ、的な。そこには何の感情も挟む余地は無い。抱く印象はそのようなもの。



「別に良いじゃないか。とりあえず暗闇は埋めたんだ。後はそっちで好きにやってくれ」

「は、はぁ……ですが……」



 一陣の風。

 その“極寒の冷気”が火照った……どころか焼け焦がす気満々の太陽の暴力を軽減してくれる。

 ―――こちらとしても、何の対策も講じずに、カード枚数とマナのストックを全て消費したのではない。

【マナ結合】や【素早い支配】を選択肢として上げた際に、ある系統のデッキを思いつき、これは中々悪くないのではないかと思い、実行した。

 コンボデッキに滅法弱く、【ビートダウン】や【コントロール】……特に【パーミッション】に対して目を見張る強さを誇る、それは。



(当時は貧乏デッキなんて呼ばれておりました、【土地単(とちたん)】■■■■の一部で御座います)










『土地単』

 数あるデッキ名の内の一つ。その名の通り、主に【土地】の中の【特殊地形】を主軸として構成されたデッキ名。

 勝ち手段は主に二つ。クリーチャー化する能力を持つ【土地】、通称【ミシュラ・ランド】で相手を殴る【ビートダウン】寄りのものと、とある【特殊地形】を出し、【火力】で対象を焼き尽くす【バーン】型……あるいは【コンボ】型のどちらかに部類されるタイプの二つがある。一般的なデッキ内にある【土地】が二十枚程度であるのに対し、【土地単】は三、四十枚以上が【土地】という異常な代物である。しかし、クリーチャー除去、ライフ回復、直接火力、等々。その汎用性は非常に高く、臨機応変な戦法を得意とする。

 反面、デッキ構成の大半が【特殊地形】に依存している性質上、特定のカードを使用された途端に完封され投了、あるいは瞬殺される事もある。










 今、この砂漠にポッカリと空いた暗闇を埋めた【土地】達は、【土地単】の構成するカードを参考にした。

 見た目は砂の大地だけれど、一部のものはクリーチャーにマイナスの修正を与えるものやら、【土地】を一つ破壊するものやら、色々と。

 ただし、クベーラが反応したのは、それらではない。

 黄色い大地に、明らかにこの地には出現しないであろう性質の代物がでんと広がっているのだから、無視するには大きすぎるし、寒過ぎる。

 何せ一面、氷の世界。

【マリット・レイジ】を召喚した【暗黒の深部】とは一味違った氷の大地の連続体が、吹き荒む灼熱の風を、絶対零度のそれへと変えて、天然のクーラー……いや。これはもはや冷凍庫か。そういったものへと作り変えてしまっている。

 北極やら南極やらで見られそうな光景が、今、こうして大砂漠ど真ん中であった目の前に展開されてしまっているのだから、何か一言、言わずにはいられなかったんだろう。



(何とな~く……これが原因で他の神さんから睨まれてるんじゃないかと思わんでもないです)



 名を、【氷河の割れ目】。

 非常に強力な能力を持つ【特殊地形】である。










『Glacial Chasm/氷河の割れ目』

【特殊地形】の一つ。古いカードである為、日本語表記のものが存在しない。

 これが場に出た時、【土地】を一つ生贄に捧げる。そして、これが場に出ている限り、自身がコントロールするクリーチャーは攻撃が不可能になり、代わり、自身に与えられる、あらゆるダメージを軽減し、ゼロにする。

 非常に強力な能力を有するが、当然ながら、そんなものが安易に使用出来る筈もない。使用ターンが経過すればする程に、2点、4点、6点と、雪ダルマ式に膨れてゆく維持費―――ライフを支払わなければならないデメリットが発生する為、長期間の維持は自殺行為となる。が、その問題点をクリアして運用するデッキも幾つかあり、その内の一つが【土地単】でもある。










 砂漠のど真ん中に氷河とか、天変地異にも程があるとは思うんだけども、細部に眼を凝らして見て見れば、徐々に氷が溶け始めているのが分かる。どうやら、周囲の環境に影響を受けているらしい。

 すぐに。とはならないだろうが、この分ならば、防衛的な意味でも、大地の修復的な意味でも、充分に時間稼ぎとなってくれる筈。その間にこの地の神様ががんばって、自力で修復可能なレベルまで直す事だろう。

 ただ、この【氷河の割れ目】。確かダメージ軽減の仕方は、氷河の壁が一切の攻撃をブロックしてくれてるのだが、代わり、氷河の中にい続ける事で凍え、凍死してしまう。というイメージで画かれたものであったと記憶していたけれど、【ダークスティール】……【死への抵抗】の能力宜しく、絵柄とカード効果の採用比率は、カード能力の方に比重が置かれているようでして。



「いやー、下手したら氷河の中に囚われちまうんじゃないかと内心ビクビクしてたんだわ。無事に足元に出てきてくれて良かった良かった」

「氷、河……で、ありますか。……元は運河であったものを、何故そのような手間を掛けてまで凍結なさったのですかな? ……そも、何もそのような不確定なものに頼らずとも……」



 言い淀むクベーラに、心の中で同意する。

 仰る事は最もだと思うのだけれど、クベさんは兎も角、ほぼ完全に他人な他の神々には気を緩める訳にはいかないのです。

 特にそれが、何の思い入れも無い奴らであれば、なおの事。

 月で高御産巣日を相手にしていた時には丸め込まれた印象が拭えないけれど、今この場の……クベーラ以外は丸め込む素振りすら無いと来た。

 リンの事を考えれば……というより、色々な前神っぽい連中……方々であらせられるので、友好になっておくに越した事は無いのだろうが、それをするには些か抵抗を感じてしまう。



「他の奴らが絶対に手を出さない、ってんならこんな真似しなくて済んだんだけどな。今だってこんな状況ですし~」



 隣のクベーラにだけ聞こえるよう、不貞腐れた子供の口調で、一段と音量を落として返答する。

 それを聞いた宝物神は、むぅと唸って黙ってしまう。確約は出来ないのだろう姿を察するに、色々と大変なのね。という同情が沸き起こる。



「……本来ならば、この後、九十九様には天界へと足を運び、インドラ様と会談していただきたい所ではあるのですが……」



 周囲の神々のトゲトゲ視線を見渡して、溜め息一つ。自ら口にした言葉が不可能であるのだと理解したようだ。



「これ、あれか。過ぎたる功は身を滅ぼす。とか、そういった類になりそう……って解釈でいいのか?」



 ぽっと出の……何処の馬の骨とも知れない輩を、自分達のトップが持て成す、というシチュエーションが好ましくないのだろうと当りを付ける。

 ダン・ダン塚で、ウィリクがこぼした台詞を思い出す。

 幾らトップに認められたからといって、以下一同が納得しているかは別の問題。表面上は理解するだろうが、長い眼で見れば怪しいものだ。こういう所は完全縦型社会の面が強い、妖怪達の組織体系が羨ましい。

 まぁそれも、時間を掛けて成果を見せることでの改善を図る道もあるのだろうが、俺が長くこの地に留まる気がない以上、無駄な答えだと切って捨てた。



「申し訳ありません……」

「いんや。別に問題ない。むしろ面倒が少なくてありがたいッス」



 どうやら本当に“そういった類”であったようで、心苦しさを前面に展開した謝罪を受ける羽目になってしまった。

 苦虫を噛み潰した表情や、四苦八苦する姿は十二分に堪能したので、これ以上の謝罪などはこちらの気分が宜しくない。それがリンの為に働こうとしてくれている相手であるのなら、もはやそれは、心苦しさの方が先に立つ。

 そう思ってのおどけた語尾を付け足してみたのだが、見事にそれはスルーされてしまいまして、慌てて話題を作り出し、空気を強引に変える事にした。



「そっ、そういや平天大聖はどうなったんだ? あの後は完全に丸投……任せる形になったけど。こうして土地の修復に当ってたって事は、妖怪の山……タッキリ山だっけ? そこに構えてた妖怪達は倒した……んだろ?」



 こちらの質問に、短めの深呼吸の後、クベーラは真面目な顔で答えてくれた。

 俺とクベーラが雑談に入り始めたのを察したのか、一人、また一人と異形の神々は方々へと散ってゆく。それに合わせ、射殺さんとする視線も消えて行き、未だ何名かの存在は確認出来るものの、悪辣な気配は消え去った。この場に残っている者は、こちらに嫌悪を向ける存在ではないようだ。



「はい。それにつきましては、九十九様の度量を見せ付けるものとなりまして御座います」



 俺が去った後の戦いは、大した山場も無く終わりを迎えたんだそうだ。

 雑多な……とはいっても一騎当千クラスの妖怪の殆どが奈落の底へと消え去り、辛うじて残っていた者達は、インドな神様達によって鎮圧されたらしい。

 とは言いつつ、牛魔王を除く他の大聖……七天大聖が最後まで粘っていたそうなのだが、多勢に無勢で一網打尽。一名の大聖を除く全員が捕縛されたんだそうだ。



「そも、斉天めが不在であったのが幸いで御座いました。あれの力は平天に勝るとも劣らぬもの。思慮が浅く直情的な分、その俊敏さや直感は、我らでも対抗は難しい」



 幸運が重なった。というニュアンスなのは分かるのだが……。



「……知ってる前提で話されても、俺、その斉天? って奴が誰か知らないんですが」



 というか、数日前まで平天大聖が妖怪か神様か……どんな存在だったのかすら知らんかったし。

 リンから一応は教えてもらったけれど、七天大聖というのも似たような名前ばっかで、牛魔王以外は記憶から抜け落ちている。

 とりあえず凄い奴なんだろう。という認識はあるんだが、それ以上思考が派生する事はなかった。名も知らない国の大統領とか首相の名前を言われた気分です。



「どれほど前かは詳細に記憶しておりませんが、最も新しく大聖と名乗る列に加わった若輩者にて御座います。天界での地位……高位を寄越せと申しましたので、馬の飼育係……おほんっ……相応の官職を与えましたところ、不服に思い、反逆したのでしたかな」



 高位……この場合は、役職の高い位を指す言葉、で良い筈……。官職って言ってたし。

 ……ってか、今、馬の世話云々ってもらしてなかったかコイツ。



「……それ、お前らが悪いんじゃね?」

「何を仰います、九十九様。ワタシク共は一切偽りなど申しておりませんとも。それに、力はあれど傍若無人な輩を上位に据えた場合、一体どれほどの民草の命が失われてしまう事になるか。消え往くものが命ではありますれど、ただ悪戯に消費していいものでは、決してありません」



 そういって、視線を宙へと這わせ、何かの記憶を思い返すような風になり。



「……あれは何とも、目を覆いたくなる出来事で御座いましたなぁ」



 何があったのかは分からないけれど、あんまり良いものでは無かったようだ。



「それで結果として離反されてちゃ、世話ねぇと思うのですが……」



 などと口に出して言ってみたところ、それは折込済みの事であったらしく、斉天大聖の実力を知り、対策を立てる為の時間が欲しかった為の……ようは時間稼ぎであったらしい。



「そして、平天めでありますが……。あれは今、紅葫蘆の中にて封印中であります」



 後に金銀の名を冠する妖怪に持たれるであろう、西遊記で一二を争う知名度を誇る……と思う宝具の中に囚われているのだという。



「あれを滅する事は叶いません故に、このような手段にて封じるしか手が無かった。というのが実情ではありますなぁ」

「……確かに、あいつの耐久値には目を疑いたくなる光景だったなぁ」



 軽く語尾が被ってしまったけど気にしない。

【弱者の石】で弱らせ、【命取り】で止めを刺した筈なのに、牛魔王はしっかりと生きていた。

 実は何処ぞの不死鳥みたいな存在なのだろうかという線も疑っていたのだが、クベーラの口から出て来た言葉は、なるほど。と、頷くものであった。



「『あらゆる傷を癒す』。かつて誰よりも天を統べるに相応しいと言われ、しかしそれを足蹴にし、天に牙向く存在へと墜ちた者が持ち得ている能力で御座います。その力によって妖の者達を束ね、大聖と名乗るに足る地位へと上り詰めた。……口惜しい。叶うのならば、ワタクシこそがあれの力を得たかった……」

「……それ牛魔王と何の関連性も見出せねぇよ」



 もう少し何か理由付けが欲しい能力であったのだが、西遊記を紐解けば、その能力を持つ理由が分かる出来事やらが書き記してあるのだろうか。

 ……ただ、ここで俺がポロっと漏らしてしまった単語に問題がありまして。



「ふむ、なるほど……牛魔王、ですか……」



 あっ、やっべ。ネタバレですよこれ。

【暴露】でも使って無かった事にしようか。それとも、いっそ『我は未来が分かるのだー』的な預言者でも装ってみようか。

 ……いや、別にヤバくはないのか? というか何かヤバいんだ?



「……うん! 何もヤバくはない!」

「っ!?」



 選択肢その三、強引に押し通す。を選択&実行。

 すまんクベさん。出来ればスルーして下さい。

 こちらの会話に耳を傾けていた神様やらから、おぉ、という感じの声色でヒソヒソと会話をしている。『印象操作』とか、『言ったもん勝ち』とか、あんまり好ましくない単語のものがチラホラと。



「それで!? その瓢箪の中に閉じ込めたお方はどうなるんでしょうか!」

「は、はぁ……。えー、それはインドラ様がお決めになるでしょう。今、紅葫蘆はあのお方の元にありますので」



 強引だったが、路線変更は出来たらしい。

 リンと話す時にちょこちょこやっていたけれど、何だかこの手の強制力にだけ秀でて来た気がするのだが、これは喜ばしい事なんでしょうか。どうなんでしょうか。教えて偉い人。










 ―――その後は、空白となっていた穴を埋める形での時系列順な会話が続き、数名だけであった神様は先の焼き回しの如く、一人、二人と、興味を失った方々から何処かへと去っていった。

 全て話し終えた頃にはこちらに聞き耳を立てる神様は誰も居なくなり、遠目で大地の修復をしている二、三人がポツポツと見えるだけ。

 ならばと後は全て丸投げ……ゲフンゲフン……任せる形で、ダン・ダン塚へと帰還した。

 ウィリクやリンは既に内部へと潜っていたけれど、同伴していた【メムナイト】に念話で連絡を入れ、塚の近場の岩陰でクベーラを交えての話し合いを行い、今後のあれこれを確かめ合う。

 護衛として付近の警戒を行っていた龍人妖怪、睚眦を他所に、終始、ウィリクやリンがクベーラに冷や汗とか渋面を造らせるだけの光景であった気もするが、無理な事は無理だと言っていたのを思い返し、実現不可能な取り決めは結んでいないだろうと思えます。



「それじゃあ、リンはしばらくの間はここでネズミ達を統率して、情報収集の為の組織化。ウィリク様はクベーラとリンとの間の橋渡し。そんな感じで良いのかね?]

「はい。ゆくゆくはウィリク様を間に入れずとも、リン様のみで完結させられるよう、事を運ばせていただきます」



 そこで言葉を止めてしまったクベーラに、目線で『まだ言う事があっただろう』と訴え掛ける。

 はたと気づき、さも元からもったいぶった言い方であったかのように、話を付け足した。



「その際のお話で御座いますが……ウィリク様」



 そう続けるクベーラの姿は、神。

 人々の苦悩を取り除き、救いを与える存在が、今まで見て来た中でも最も純粋な微笑みを湛えていた。



「例え人の身であっても、ワタクシへの使者としてならば問題はないでしょう。―――宝物神……地下の資源などを管理する立場上、ワタクシの主な活動区域には、地の底なども含まれます。必然、死者が暮らす地とはそうも距離を置かず、近しいものとなっておりまして。これより幾万ものネズミ達からもたらされる願いを受けます故に、多忙となるのは目に見えております。然るに、場合によってはその地で幾日も待ち惚けをさせてしまいます事を、事前に申し上げておきましょう」



 わざわざ話しを区切ってまで付け足した内容であるのだから、何かしらの意味はあるのだろうが、その意図が掴めない。

 眉をしかめるリンであったが、とうのウィリクは大きく眼を見開いて。



「―――あり、がとう」



 震えそうになる声を押し殺し、眼から滾々と涌き出る雫を拭いもせず、深々と頭を下げる女性の姿がそこにはあった。



「お母様!?」



 動揺するリンを他所に、クベーラはそれら出来事の詳細を話しだす。

 特徴を教えて欲しいだの、何処で出会ったのかだの、答えを知らなければチンプンカンプンな話し合いに、とうとうリンが質問しようと口を開きかけたところで、肩に手を置き、静止をかけた。

 どうして止める。と、こちらを見るリンに顔を寄せ、なるべくウィリクとクベーラの会話の邪魔にならないよう小声で、簡潔に。



「ウィリク様の旦那さんと、会う機会を設けてくれるってさ」



 息を呑むリンに、笑いを向ける。

 そうかと一言呟いて、そのまま顔を下へと向けてしまった少女の背を軽く擦る。ウィリクに引き続き、こちらの真横でもポタポタと砂の大地に煌くものが零れていくのを見なかった事にして、小さな背中を優しく擦り続けた。

 日差しも真横から射す様になって。けれど、今はその熱が心地良い。



(あ~……疲れた……)



 もう、気を張らなくとも良いだろう。

 心地良い脱力に身を任せながら、ばたりと仰向けに寝そべった。



「……ツクモ?」

「疲れた。寝る」



 何とも簡潔な応答であったけれど、まだ、応えただけマシだと思っていただきたい。

 視線を逸らして眺めた太陽に目をやりながら、それが完全に地平線へと没すると同時。



「―――君に、百万の感謝を。助かった。どうも、ありがとう」



 可愛らしい声色に耳を傾けながら、俺の意識は日没と共に沈んでいった。















 ―――気づいた時には、体は横になっていた。

 天幕のように覆う【メムナイト】の腹部が真っ先に目に飛び込んできたものであり、ちょろちょろと動くネズミ達が、今寝ている場所がダン・ダン塚の洞窟内である事を教えてくれる。

 横になったのが夕暮れから夜に入る直後。けれど天上から差し込む光は、真っ白。どう見たって太陽さん絶好調な時間帯だ。



「……む」



 と、俺の胸に小さな重み。

 首だけ持ち上げてそこに目を向けてみると、やはりというか、納得いったというか、一匹の小ネズミが気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 諏訪子さんから貰った外套が掛け布団代わりに被せられており、その上にちょこんと乗っかる姿からは、そっと撫でたくなる類の愛くるしさを感じる。



「……ふへぇー」



 何だか色々考えるのも面倒臭くなって、どうでもいいやと頭を降ろし、後頭部のゴツゴツとした感触を実感しながら、大きく息を吐き出す。




(結構疲れてた……もんなぁ……)



 少なくとも日付を跨いだくらいに眠っていたようで。

 リンやウィリクの姿は見えず、クベーラ、睚眦の影も見受けられない。小ネズミと胸板に挟まれる形になっている、月で貰った青い翻訳宝石が痛いのだが、これが俺の意識を覚醒させた最もな原因であったらしい。

 再び大きく息を吐く。

 これが無ければもっと眠りこけていた可能性が高いので、そういう意味では感謝すべきなのかもしれない。
 


(あー……何もやる気しねぇ~……)



 気力の問題ではなく、体力的な問題で。

 動こうと思えば動けるけれど、まどろむ意識を捨て去るのは、中々に誘惑が多くて困る。三大欲求の頂点に君臨しているのは、伊達ではないようだ。



(……二度寝こそ人生の至高!!)



 問題があれば、【メムナイト】が対応してくれるだろう。

 内心で叫ぶ言葉とは裏腹に、俺の瞼は完全に閉ざされ―――。



 ―――直後に感じる地響きによって、瞬発的に跳ね起きた。



「うぉ!?」



 母親に水をぶっ掛けられた子供よろしく、諏訪の外套を跳ね飛ばし、起床。

 反動で、上に寝ていた小ネズミがコロコロと前方に転がっていくのだが、今感じた振動は、それに意識を向けるだけの余裕すら奪い去るもので。

 けれど、こちらの護衛に徹している【メムナイト】の反応は薄い。

 若干姿勢を低めにするけれど、そこに護衛や警戒といった感じは見て取れない。



(あー、メムさん。何か事情をご存知で?)



『食料、到着』。返ってきた答えは、そんな簡潔なもの。

 多分、ここに住むネズミ達の食料をクベーラが運んで来たんだろうと当たりを付けながら、地響きと共に吹き飛んでしまった眠気に苦笑しつつ、体を完全に起こす。

 足元からキィキィと、一匹の小ネズミの抗議の声らしき鳴き声を聞き。



「わりぃわりぃ。謝罪……といっちゃ何だが……」



 ひょいと小ネズミを掴み上げ、肩の上へとご案内。



「一緒に行こうぜぃ~」



 小さくなった不満の声に、了承の意思を感じ取り、一緒に同行する事にした。



「メムさん、頼みます」



 姿勢を屈める【メムナイト】に乗り、地響きの音源たる地上方面へと移動する。

 恐らく、そこにみんなは居るだろう。そこで事情を把握した方が良い筈だ。



「あー……体、バッキバキ」



 僅かな振動で、体の関節の何処かしらからパキポキ音が鳴るのを何とも言えない感覚で受け入れつつ、目的地を目指す。

 楽しそうに鳴く肩の存在を手で撫でながら、しばらくの後。

 ダン・ダン塚、最大の出入り口へと訪れてみれば。



「あっ、ツクモ!」



 パタパタとこちらへ近づくネズミ妖怪様の表情からは、満面の笑みが溢れていた。

 今の今まで清々しい労働に従事していたであろう、光る玉の汗をアクセサリーにして駆け寄ってくる様からは、年齢相応の無邪気さを垣間見た気がした。



「おー……こりゃ、凄いな」



 どうやって持ってきたのかは分からないけれど、小さな学校の体育館であれば溢れそうなくらいの量の肉やら野菜やら果物やらの食料が、瑞々しさを誇示するように、その鮮やかな彩りを炎天下へと晒していた。

 ……ただ、その周りに二重、三重にもなりながら、黒い城壁を作り上げているネズミ達には、それなりに慣れ親しんだ筈だというのに、ちょっと引く。

 牛魔王へと挑みかかっていた時は勇ましさが目立つ印象であったのだけれど、今回は欲望……食欲が根底にある為か、彼らが聖に属するものでは無いのだと理解するに足る光景であった。



「クベーラは第二陣を手配中で居ないけど、夕暮れまでには、この倍は持ってくるらしいよ。お母様はそんな神様と同行中。色々と見たり知ったりしておきたいところがあるんだって」



 何処にこんな大量の食料があったのか疑問は尽きないのだが、こうして手配してくれたのだから、これ以上は何も言うまい。元から何も言ってないが。



「そ、っか。……で、何で今はみんな『待て』状態になってんの?」

「たまたま、だよ。誰が静止している訳では無いんだけれど、全ての食料が出揃うまでは。と、みんなが自主的に自粛しているだけなんじゃないかな。……あの大妖怪中の大妖怪。七天大聖が頂点の平天大聖に自らの牙や爪を突き立てた事実が、彼らの中で自信へと繋がったみたいなんだ。ちょっと驕った言い方になるけど、ただの獣から一歩を踏み出したんだと思うよ。早い話、カッコ付けたいのさ」

「驕っちゃいないさ。あの巨大な白牛相手に一歩も後退をしなかったんだ。俺が同じ立場だったら、尻尾巻いて逃げてたかもしれないのに、我が身も省みず挑みかかってくれた姿は、誰に恥じる事もない勇ましさだったぞ」



 リンは少し頬を赤らめて、人差し指で頬を掻き、照れた表情を浮かべる。



「……うん。そう言ってくれるのなら、彼らも命を懸けた甲斐があった、かな」

「あー、まぁ、色々積もる話しもあるが……」



 視線を切って、目の前の、うず高く詰まれた食料を取り囲むネズミ達へと顔を向ける。

 姿勢を屈め、クラウチングスタート。足元の地面は砂地と岩場の混合地帯。その辺りの見極めが勝負を決める筈だ!



「えっ?」



 戸惑いの声を上げるリンを他所に、内心、『勝った』と勝利宣言。



「一番頂きいぃいいい!!」



 背後に砂塵を巻き上げて、全力疾走を実行。

 あっという間にリンや小ネズミ達を後方へと置いてけぼりにし、前方の食料山へと躍り出た。



「―――子供か君は!!」



 抗議(正論)■■■■を無視し、より一層足に力を込める。

 寝起き直後&抜け切らない疲労のせいか、結構空腹な筈なのに、胃袋さんは元気がありません。なので、肉系はちょっとノーサンキュー。

 今の獲物は、左前方。小山と化しているそこの一角。南国旅行番組やらでしか見た事の無いような各種フルーツ系。果物系も一般的なものは殆ど口にしてきたと思うけれど、視界に映る色彩豊かな果実達には、こちらの食指も動こうというもの。

 何より、喉が渇いている。そんな、この如何ともし難い欲望を満たすのは、目の前のご馳走以外には無い訳でして。三大欲求の内の最上位はある程度満たしたのだ。次席である食欲に走るのは、必然であったと言える。



「……ん?」



 ……しかしながら、自分の手でダムの決壊ボタンを押してしまったのだと、その直後に理解する羽目になろうとは。

 自重や自粛を覚えた彼らではあるけれど、誰かに獲物を奪われるのを、ただ黙って見過ごすなど在り得ようか。



「ッ!?」



 背後に、波。

 赤い眼光を爛々と灯しながら地を駆ける無数の黒津波―――ネズミ達は、人間との徒歩の幅の差など、在って無いかのように覆し……。



「ぎゃああああ!!」



 予想以上の足の速さに驚く間もなく、俺の体は小さな生物たちに轢殺されてしまうのだった。
















「おぉ、本日はまた、随分と楽しげな催しを経験なされたようで御座いますなぁ」



 僅かに残っていた果実を、纏めて口へと放り込む。

 夕日から逃れるべく、岩場の影で不貞腐れボーイと化していたこちらに、初めて出会った時と同様の衣装を纏っているクベーラが声を掛けてきた。

 少し離れた所には、無数の貨物。

 空を飛ぶと思われる巨大バナナっぽい船の内部から、天界の中でも下っ端っぽい者達が、嫌々食べ物を降ろしていく光景が見られる。



「……ちょっと何千匹かに踏まれただけだ。屁でもねぇさ、こんなもん」

「で、ありましたら、せめてお顔の足跡くらいはお拭きになられるのが宜しいかと。それとも、何かそのままで居続ける事に意味がおありで?」

「いや、あるにはあったんだが、それも今済んだ。ちゃっちゃと拭いちゃいます」



 首を傾げるクベーラに応える事はせず、シャツの襟辺りを掴み、顔面をゴシゴシと擦る。

 ……別に、俺の惨状を誰も突っ込んでくれないので『ぼく、何かありました』アピールのまま誰かにかまってもらおうとして、ブスーっとし続けていた訳では決してない。クベさんが突っ込んでくれたので結構満足したなんて、微塵もないのである。



「えーっと……ウィリク様は?」

「あちらにて、配下の者達に指示をしております。リン様もそこに加わり、作業は滞りなく」



 ここからその姿は確認出来ないが、クベーラの言うとおり、何の停滞する素振りもなく運ばれてゆく物資を見るに、順調そうに物事は進んでいるようだ。



「やはり不平不満は表れましたが、インドラ様の承諾も得られ、現状は安定しております。年内が勝負、で御座いますかな。いやはや、腕が鳴りますなぁ」



 そう言って、温和な表情を作る褐色な中年様。

 心なしか、戦場で見た時より活き活きとした雰囲気を纏っている。どうやら、戦闘方面よりも内政方面が好みらしい。

 ―――ならば。



「……もう、大丈夫……か」



 最後まで見届けられない事には抵抗を感じるけれど、とりあえずの未来は明るそうだ。



「―――行かれるのですかな」



 呟きにも似た音量であった筈なのだが、クベーラにはしっかりと届いていたようで。

 柔らかい表情はそのままに、少しの悲哀を伴った笑顔となっている神様は、大和の頃の神々を連想させるものであった。

 何もかもが違うのに、月の国での別れ際に依姫から言われた台詞と被り、ちょっと心が重くなる。



「……まったく。初めっからそういう風だったら、俺だって終始丁寧な応対してたっつーの」

「立場故……。と、言い訳したくなるのを許していただければ助かりますなぁ」



 一頻りの苦笑。

 互いに満足し切ったところで。



「……うん。明日にでも行こうと思ってる」



 テキパキと動くネズミ達を眺めながら、零すように、質問に答えた。

 しばしの沈黙。

 大地へと没し始めた太陽を眺めると。



「後の事は、お任せ下さい。確約出来ぬのは心苦しくありますが、最悪の場合が訪れたとしても、ウィリク様とリン様の命は守り通してみせましょう」

「そう言ってもらえると助かります、ってな。……うっし。んじゃ、ま、これで心置きなく帰れますよ。って事で」



 考える人、に成り掛けていた体を起こし、背伸びを一つ。

 吊りそうな感覚に慌てて姿勢を元に戻して。



「クベーラ。この後、空いてる?」

「義務はうず高く積まれておりますが、九十九様のご要望を断る域の案件はありませんなぁ」



 素直にOKと返してくれても問題無いと思うのだが、これはもはや、コイツの癖のようなものなんだろう。



(そういや高御産巣日なんかも、こんな感じの言い回し好きだったなぁ)



 今頃は禁固刑の真っ最中なんだったか。

 何処で禁固されているのかは知らないが……今は何をしているのだろうか。



(永琳さん達が地上に来た時には、何か暇潰しの道具とか贈れるように計らってみるべきか)



 甘いんだろなー、なんて思ったりはするのだが、全部終わった……綺麗? に片が付いた物事。何もかもに区切りを付けた訳では無いけれど、全て無視出来る範囲内。



(……その辺交えて、もう一度くらいは月に行かねぇとダメくさいなぁ)



 まぁ、彼らの寿命は有って無いようなレベルなので、何十、何百年後とかでも構わないだろう。



「んじゃ、付き合え。飲んで騒いで愚痴って笑って。少なくとも退屈はしないだろうし……まぁ、ネズミ様達への顔合わせだと思えば。……どうよ?」

「申し上げました通り、それを断る理由は御座いません。天界へと一報を入れましたら、すぐに」



 荷降ろし終えて、撤収作業へと入り始めた天軍へと歩いていくクベーラの背中を見送る。

 その先は、テキパキと身振り手振りで指示を飛ばすリンとウィリクが。彼女達にも何かしらの話しがあるんだろう。



「さ、ってと……」



 気だるい感覚は未だ残っているけれど、マナ&カード枚数はフルストック。特筆すべき維持費は【今田家の猟犬、勇丸】の1マナくらいか。



(やり放題だな)



 やりたい事は幾つかあって、それはすぐに実現可能で。



(あの辺りだったらダン・ダン塚も届いてなかった筈だし、【土地】出しても、そうも影響無いよな……)



 とりあえず、リンを反してネズミ達に指示を送らなければ。牛魔王に用いた【沼】的な状態にさせる訳にはいかない。



(イメージは夜のリゾートビーチ!)



 昼間に泳ぐのも楽しいけれど、夜に水遊びというのも一興だろう。光源の確保は……まぁ、夜に強い妖怪が殆どだから、俺とウィリクの二人分どうにかすれば、後はあんまり問題は無い筈だ。

 水遊びをしようと前々から考えてはいたので、それが出来そうな機会が訪れたのであれば、それを実行しない手はない。



「何出そっかなー」



 楽しみだけの選択肢とは、何と幸福な事なのだろう。

 溢れ出た喜びが口から零れて音となり、月と太陽が競演する僅かな時の間を通るように、リン達の方へと駆け出すのだった。





[26038] 第56話 温泉にて《前編》
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:12







 一日の疲れを落とすのには、睡眠は勿論として、やはり湯に浸かるのが一番ではないだろうか。

 諏訪子さんの秘湯よりは……まろやかさ? が足りない気はするけれど、高めの湯温は肌寒い外気も相まって、これはこれで気持ちの良いもんだ。

 頭上に輝く満天の星空と、太陽かと見違えそうな月の光。それらを時折覆い隠す湯煙が、より一層の風情を演出している気がする。



「んーっ! ……はぁ~……」



 蕩け切ったお顔のネズミの少女はご満悦。

 他の顔ぶれも見渡してみても、その表情には満足の文字が読み取れる。



「湯浴みは幾度かしましたが、壁も天幕も……夜の帳の中で。というのはこれまで一度もなかった……かしら。……ん……。ツクモさんの、故郷の……でしたか。趣きがあって宜しいですね」



 背にした岩場からお値段高そうな白い手拭いを取り、それで額の汗を拭いながら、ウィリクが心地良さげな吐息をこぼす。

 声色だけでも結構悩ましい感じではあるのだが、それだけに意識を向けていられない状況なのは、不幸中の幸い……であると思う事にする。





 ……本来なら夜のビーチを意識した場をセッティングしたかったんだが、俺が眠り扱けている間に皆様色々と動いていらっしゃられたようで、とてもお疲れのご様子でありました。

 流石にそれじゃあ遊べねぇでしょうってんで、娯楽方面からリラックス方面へとシフトチェンジ。水遊びという方面からは遠退くけれど、カテゴリ的には似通った沐浴を採用する事にした。

 継続的な体力回復効果を持つ【エンチャント】である【覚醒】を発動。体力面での労いをそれとして、精神面での癒しを露天風呂―――【温泉】でもって補おうとした……のだが、【覚醒】は兎も角として、【温泉】自体はそうも大きなものではなく、ダン・ダン塚で暮らすネズミ達全員を楽しませるのには無理があった。

【温泉】に似通った【土地】もあるにはあるのだが、思い出せる範囲では、とてもじゃないけど『良い湯だな』的な、楽しめるようなお気楽な代物は該当せず。こちらを殺しに来るような荒々しい水源や、熱風のみで焼死しそうな鉱泉とか、そんなのばかりが思い起こされる一件でありまして。

 なので、ネズミさん達には申し訳ないが、ローテーションで入浴する案を採用。一番風呂は、俺達四人となりました。

【温泉】は【土地】に付与させるタイプの【エンチャント】であるので、どうせなら彼らの望むものが良いだろうと思い、何度目かの【禁断の果樹園】を創造。

 出現してまだ数時間も経っていないと思うんだけども、もう食い尽くされた感が漂う雰囲気なのは、俺の錯覚なんだろうか。どうなんだろうか。



「いやはや、これは良いですなぁ」



 クベーラの声が近い。

 四人で入浴する分には中々に広いここ【温泉】ではあるけれど、どういう訳だか俺の周り数メートルの範囲内に、リン、ウィリク、クベーラがご同伴している訳でして。



「えもいわれぬ開放感と、背徳感。これは是非とも我らの間に取り入れたい文化で御座います。金の湯船や琥珀の大釜では何度もありますが、やはり自然の中に居てこそ。と実感させられますなぁ」



 特にクベーラ。ほぼ真横。

 一瞬『アッー!!』な関係がガンガンと警鐘を鳴らしていたのだが、何の素振りも見せない状態がしばし続き、とりあえずのリラックス状態を維持するにまで安心するに至る。

 それが原因で周囲の……というより若干名の色香に酔いしれる余裕がなかっただけでもあるのだが。



「俺んとこじゃあ、基本は着衣NGなんだけどな。他に誰が入る訳でもなし、今回は無礼講ってことで。機会があったらその辺確認してから浸かると良いぞ」



 今現在、俺含む全員が厚手の白いサリー……のようなものを全身に巻いた状態で入浴中。

 クベーラが持っていた物らしく、非常に残念……もとい、大変質が良いもののようで、水分を含んでも透けて見えたり、体の輪郭をしっかりと浮き上がらせるといった効果は無い。

 ……無い、のである。チクショウ。



「しばしば御座いましたが、九十九様のお言葉には、妙な力が宿っておりますなぁ。まったく耳にした事の無い単語でありますれど、まるで幾年も慣れ親しんだように、とても耳に馴染みます」



 ……?

 一体何のこっちゃと首を小さく傾けて、尋ねる風な視線をクベーラへと向けると、蕩けた表情はそのままに、リンが声のみで俺の疑問に答えてくれた。



「えぬじー。と言っていたじゃないか。少なくとも、僕達が暮らしていた地では、そんな言葉は無いよ。……確か……そんな発音をする……単語を使う国が西方にあった筈だけど、ツクモが住んでいる東の島国は、それが母語ではないんだよね? ……ん~……もう言葉が混ざり合う程に国同士の交流が盛んなのかい?」



 おっふ、そういう事か。納得納得。



「YESでもあり(過去的な意味で)、NOでもあり(現在的な意味で)。黙秘権を行使しまーす」



 そう応え、ぶくぶくと顔を湯へと沈める。

 体の芯からぽかぽかと。入浴前に、周囲に山積していた雪をこれでもかと【温泉】内部に投入しているので、とても良い湯加減です。

 緩みまくりな状態に触発されてか、口調も気の抜けたものへとなっている。

 言われた途端に用いた外来語。これに関してはMTGは関係無いし、ネタバレが発覚したとしても、数百年後までは意味の無いものだ。その時には神様は表舞台からご退場されている事でもあるし、思わせぶりな言動で楽しみつつ、もう少しくらい説明しても良いだろう……。ということで、早速、外来語の受け答えで応えてみたのでした。



「ぷっは。まぁその原因……というか理由は、これのお陰だな」



 再び湯から顔を上げて、首に下げていた青い宝石を掲げる。

 一同の視線が集り、凝視。特にクベーラはとても興味をそそられているようであった。



「空の上で貰ってきました、翻訳機でござい。これが無いと、この国……この辺りの言葉とかまったく分からんのですよ、俺は」



 英語ならいざ知らず、多分インドな発音とか文字とか微塵も理解出来る要素は備えていない。まだ一度も勉強した事の無い中国語の方が、漢字の意味が薄々察せられるだけマシなレベルである。



(腕輪と翻訳機の干渉が~。とかで、めっちゃ悩んでた……んだっけか)



 まだ実験に付き合っていた頃、検査が終わりフリーとなったので、折角だからと労いの差し入れジャスミン茶を届けた際に、研究室内で熟考していた永琳さんの姿を思い出す。

 あの時は何をやっているのかと思っていたけれど、それがこちらへの贈り物を用意していたのだと分かった時には、こそばゆい気持ちになったものだ。

 ……サラっと、『九十九さんの脳に……すれば解決……』とか漏らしていた気もするが、あれは多分気のせいだ。俺も疲れたせいで幻聴でも聞こえたんだろう。うん。

 ……現状、使用に何の異常も無い事から、問題は解決したんだろうが……もしかしたら……。



「そういえば、君は出会った頃に空の上から来た、と言っていたね」



 リンの言葉に意識が戻る。

 これ幸いと、変なところに向かい始めた思考回路を切り替えた。



「ですです。……あん時にゃあ、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったなぁ」



 言われ、これまでの経緯を思い返す。

 どうにも辛勝であった感が拭えないので、もう少し効率の良い【シナジー】とか【コンボ】は無いものかと眉をしかめるのだが、リンの質問に答えるのを忘れていたのを思い出す。



「……はぁ」



 けれどこちらの沈黙が続いたのを話す気は無いのだと判断したようで、軽く息を吐くに合わせて、それらを追求する意欲も吐き出してしまったらしい。先の質問の答えを得るのは諦めたようだ。

 ぬぅ、別に誤魔化す気は無かったのだが……。まぁぶり返して説明するのも面倒だ。知りたくなったらまた聞いてくるだろうし、その時にきちんと応える事にしよう。



「……こんな展開。なんて、それは僕の方こそ言いたい台詞でもあるんだけどね。……その点に関しては、お母様も、そこのクベーラ・サ・マ、も同意だろうさ」



 リンの言葉に、肩に湯を掛けていたウィリクが追随して話し出す。

 サマを一音一音区切っている事から、宜しくない感情がありありと伝わって来ます。



「ええ、本当に。あなたがリンと出会っていなければ、一体どうなっていた事か。どう考えを巡らせたところで、現状以上には為り得なかったでしょう未来は、想像に難くありません。……尤も」



 チラと甚振るような眼を、ウィリクはクベーラへと向けた。

 その目……眼光は、優しいものではない。責任を追及するような、過失を責める意図が見える。



「ヴェラが手を出していなければ。あるいは、しっかりと手を貸してくれていればどうなっていたか。は、こうなってしまいましたので、定かではありませんけれども」

「在り得たかも知れぬ未来を幾通りも思い描くのは、とても楽しい逃避でありますなぁ」



 数刻前ならタジタジとなっていた宝物神であったが、反す言葉は中々に棘がある。

 ……しかしながら、よもや、続く言葉でこちらが押し黙る羽目になろうとは、夢にも思っていなかった。



「―――何百年前かは思い出せませんが、ウィリク様が住まう……住んでおりました国の付近の地中を宝物庫としていた頃が御座いましてなぁ。区分けの如く、そこには一種の玉のみを保管しておりましたが、いつの間にやらそれを人間が見つけ、いつの間にやらその上に家を建て、城を築き、国を造り。ワタクシが気づきました頃には、万に届く民草が営む地へと変貌してしまいまして」



 クベーラの暴露話? によって判明した事は、ウィリクが渋面を造るに足る内容であった。



(泥棒……先に悪さしてたのはこっちです、ってか……)



 分かるかんなもん! ……と声を荒げてみたくもなるけれど、もしその話が本当ならば、元女王様の心中は穏やかでは居られない筈。なんてったって、先に手を出していたのはこちらになるのだ。善悪の視点が一気にひっくり返ってしまう程の爆弾発言である。



「……そのご様子のみで、ワタクシは満足で御座います。どちらも一方的なものとなってしまいましたが、あなた方は国を。我らは信仰と大聖相手の勝利を。―――それが等価かどうかはさて置くとしまして、対価は充分に求め尽くしたのではありませんかな?」



 熟考するウィリクとリンとは反対に、普段通りのにこやかなクベーラが際立って見える。



「良きかな良きかな。これでもし『そんなものは知らない』など申されましたら、今後の信頼関係には不安が付き纏う間柄となっていたでしょうからなぁ。やはり物事は、誠意を以って挑まねばなりませんなぁ」



 傍から聞いているとすげぇ胡散臭い物言いではあるけれど、内容自体は深く頷くものがあるのです。



「さぁさぁ。得難い経験は、これっきりに致しましょう。心中、悩ましいところは御座いますでしょうが―――」



 湯に肩まで浸し、宝物神は月を見上げて。



「怨敵とし、敵対し合う道も御座います。しかし、これまでの全てを認め合い許しあう道も、今、我らの目の前に。如何で御座いましょう。小さき勇兵を統べる将軍様。そして、それらを従える王女様」



 クベーラの見つめる先には、二人の女性。

 それはつまるところ、女王様とはウィリクの事で、将軍様とはリンの事を指すのだろう。



(おぉ! 『ナズーリン』の二つ名に近づいた!)



 ニュアンス的に、ネズミ達を指揮する立場であるから将軍であり、それの上……? である存在だから王、とでもしたんだろう。リンは別としても、元々ウィリクは女王であったのだ。その表現に疑問は無い。

 表面上はまったりと。内面的には期待がマッハな光景に、いよいよ過去が未来に追いついた! な展開を想像していたところに。



「……ん?」



 にこやか。から、軸がズレて、にんまりとした笑顔に染まるクベーラに、結構熱めの湯温であるというのに、どういう訳だか背筋が震える。



「初めてお会いしましたあの頃より、かねてから心惹かれております」



 ずいと迫る褐色の中年男。

 口にする台詞は、状況によってその意味合いが変わる厄介なもの。

 岩石を思わせる体躯は赤銅の塊を思わせ、元々兼ね備えている神気と相まって、威圧感が半端ない。後、俺とクベーラとの距離。



「近い! 話は聞くからあんま近寄んな!」

「これはこれは。ワタクシとした事が」



 浮かした腰を再び湯へと沈め、落ち着いた表情でこちらを見つめて来るクベ様は、ヒジョーに期待に満ちた目の輝かせ方をしていらっしゃる。



「九十九様。あの時にウィリク様にお出しした甘味を、再び食する事は可能で御座いますかな?」



 ……予想していた内容のどれにも合致しない話に、一瞬、自分の目が点になるのが分かった。



「……あ、あぁ……うん……。出来る……けどもさ……」



【覚醒】の4マナと【温泉】の2マナで、【ジャンドールの鞍袋】を出す2マナは、しっかりと残っている。カード枚数だって超余裕。【ピッチスペル】二回くらい使ったってまだ余力があるくらい。

 ……けれど、素直にそれに応えるのには渋ってしまう。恨み辛みを抱き続ける状況ならまだしも、今はそれらを全て清算し、共に歩いていこうと足を踏み出したというのに。



(……ちっちぇなぁ、俺)



 これからの事を考えれば、居なくなる俺よりも、リンやウィリクの為に尽力するのが最善であると。そう、頭では分かっているというのに、感情がそれの邪魔をする。

 ……自己的には兎も角、大局的に見れば、これは少なくとも、良い思考ではない……筈だ。



 ―――大切なものを、守ると決めた。



 幾つもの創造作品で見たヒーローのように。幾人もの英霊が宣言した誓いのように。

 あの、誰もが一度は抱き、誰もが一時は夢見る願いを、俺も信念として掲げたのだ。

 答えは単純明快で。道程は踏破不可能な程に険しくて。

 ならばせめて、真似事くらいはしなければ。

 月の―――女の前で大見得切った手前、百歩譲ってまだ『出来ませんでした』はあれだとしても、ただ『やりませんでした』なんて答えなど、己を誤魔化す言い訳にすらなりはしない。



「……えぇい! 雑念退散! これも目的の為の第一歩と割り切るべし、俺!」

「おぉ! 意味は掴みかねますが、承諾していただけたようで嬉しく思います!」



 飯を出すか否かの域の雑念を、何カッコつけた風に悩んでいたのだと正論様が突っ込みを入れてくるけれど、『はいはい後でね』とサラリと流せたのは、自分の中で何かのレベルが上がったんだろう。図太さとか、性根の悪さとか、あんまり宜しくない方面で。



「あっ、じゃあツクモ! あれ! あれが食べないな! 名前は分からないけれど、あの冷たい宝石のような氷菓子!」



 のほほんリンさんが我に返り、目を輝かせながら要望を口にする。物事に乗っかるタイミングは上手な様で、羨ましい限りです。



「あー、あれか? あれはガリガリ……ア、アイス! うん! あれは棒アイスの一種です!」



 アニメ風に表現するなら、キュピーン! とかいう擬音が発生していた事だろう。こう、私にも敵が見える! 的な。

 直感を超えた何かによって、商品名の暴露は避けてみた。既に脳内で何度か口に出していたような気も致しますが、そこは忘れる事にして。

 名前を濁した後ではあれだけれど、別に大した問題は無いと想うのだが、本能? がNGを出したんだから、それに従っておくのが吉というものだろう。



「確かにあの歯応えは、音で表現するならガリガリと聞こえるだろうね」



【温泉】の脇に積もっている粉雪を手に取り、リンは自らの頭へと、それを振りかける。

『こんな感じかな?』と、余った雪を口へと含み、もぐもぐと。

 予想とは違ったのだろう。一瞬、苦笑手前の表情を造り、すぐさまリラックスモードへと再突入。ふぅ、と心地良さそうな吐息をこぼす。冷たくて気持ちが良さそうだ。



「とりあえず、その棒アイスを何本か。他のも好きだけれど、やはりある程度の食べ応えが無いと味気ないね」

「私は、逆かしら。あの白い草原を思わせる……紙……? の器に収められたものが好です」

「なるほど、なるほど。数も種類も豊富なご様子。叶うのであれば、全てを味わい尽くしてみたいものですなぁ」



 おいこら神様。どっちかって言うのなら、お前は願いを叶える側だろうが。何をしれっと立場逆転させとんのじゃ。

 ……色々思うところはあるけれど、先に『やる』と宣言した手前、これはとっとと有言実行した方が楽なのではと結論付ける。このままのらりくらりとしていた未来に、幸福そうな結末は思い描けない。主に俺の。



「……あぁもう面倒くせぇ! 良いさ、やってやるよ! その胃袋、破裂させないように気をつけやがれ! ―――あ、ウィリク様は調子悪くなったらすぐに言って下さいね? パパっとどうにかしますんで」

「ツクモ、僕には?」

「お前は大丈夫だろ。……というかだな、そもそもお前、城の時に何人前平らげたと思ってやがる」

「……三人分、くらい?」

「十五人前だ! そりゃ一個一個は小さいけどな! ハーゲン……カップアイス系四個。棒アイスとモナカ系三個ずつ。詳細は忘れちまったが……他にもまだ色々喰って……た……よな……」



 数日前のおぼろげな記憶を思い出しながら喋っている内に、感情に熱が入ってきた。

 話すべき……言いたい台詞を言い切る為に、大きく息を吸い込んで。



「―――限度ってもんがあるだろ!? あん時はウィリク様が気掛かりで深く追求しなかったが、あの食べた量は、そのちっちぇ体に対してどうなのよ!? 幾ら溶ければ殆どが水分だっつても、短時間でのアイスのガチ喰いとか我が目を疑いますよ!? 後、よく頭痛くならなかったなお前! ちょっと羨ましい!」

「……ええと……食べ盛り……とか……?」



 初めて出会った頃、サンドイッチ一つで満足そうにしていたのは、俺の見間違い……勘違いだったのだろうか。

 ハラペコ属性とはちょっと違う気がするのだが、甘味大好き女の子であっても、大食漢であるのには変わりないだろう。リンに対する新たな認識が一つ増えた。

 と。

 リンさん。片目を瞑り、ウインク一発。



「―――てへへ」



 これ見よがしにおどける仕草に、思わず『おぉう』と内心で面食らう。

 畜生この野郎。意図するところは分かっちゃいるが、撫で回したくなるくらいに可愛いじゃねぇか。声色も妙に意識しやがってからに。多分この声を目覚まし時計とか携帯の着信音とかに組み込めば、大きなお友達でそっち方面が逞しい方々は、一発で反応する筈だ。



「あざとい! あざといですよ! あなたの娘!」



 この手の攻撃とか誘惑とか精神干渉とかは、分かっていても効くものだ。男としては、避け難く、抗い難く。反則技トップ三に食い込む奥義であると思います。

 なので、これはあまり宜しくないと、遠回しな抗議を親御さんにしてみる訳なのですが。



「逞しくなったわね、リン。……でも、まだまだ。色香は追々教えるとしても、あなたくらいの外見なら、もっと初々しさとたどたどしさを両立させつつ、全面に押し出すものです。今後は……そうですね……肩を竦めるようにしてから―――」



 まさかの裏切り!? ……まぁ、元から味方であった記憶は無いのだけれど、それにしても指示がやけに的確というか具体的というか、ちょっと他人の家庭事情に口を出してみたくなる。



「チクショウめ! 孤立無援とはこの事か!」

「元来、男とは孤高で居てこそ輝けるというものでは御座いませんかな?」



 満面の笑みなクベーラの合いの手は、助力なのか追い討ちなのか掴み兼ねる印象で。何故だか、女房に愚痴をこぼす飲み友の一人のような慰めを受ける羽目となった。

 つまりは味方ゼロ。自分一人で解決するしか手はなさそうである。

 いよいよ、月での経験をここで活かす時が来たようだ。……来てしまった、とも言うかもしれませんが。



「流されるだけの俺だと思うなよ! ―――お出でませ! ジャン袋ぉー!!」



 流れを制する。なんて器用な真似が、この俺に出来る筈もなく。俺的二大常套手段。強引に押し流すか、別の流れを造るか。の内の片割れ―――今回は後者を実行する。

 水面に叩き付ける様に無手の腕を振り、途中で虚空より出現した【ジャンドールの鞍袋】を掴み、目前の湯にぶち当てる。

 ドパンと快音。激しい水飛沫……いや、もはやこれは湯柱か。それに反応して仰け反る三人に、この場の流れが変わったのを感じ、畳み掛ける様に行動を続ける。



「喰らえ! ソーダ! ブドウ! 梨! の三連弾!!」

「わわっ!?」



 ぽいぽいぽいと。リンに向けて、緩い山なりを画く様に打ち出した剥き出しの三本のアイスは、少女の手両の手に一本ずつ。最後の一本は器用にも、ネズミの象徴の一角たる尻尾でしゅるりと巻きつく様にキャッチした。



「よし! 良い反射速度と対応能力だ! ―――はい、ウィリク様。カップアイスのバニラ……と呼ばれる味のものです。ちょっとお湯につけてあげると、周りが少し溶けて食べ易くなりますよ」



 ウィリクがしっかりと受け取るのを確認してから、そっと手を離す。

 取り出したのは、個人的にお気に入りなハーゲンダッツ。機会があれば、浅草にある老舗のモナカとか、サーティーうんたらなチェーン店系のアイス専門のものとかも出してみたいけれど、今は無難なところで充分だろう。個人的にはコンビニやスーパーなどで手軽に買える点を評価したい一品である。



「僕との対応に差があり過ぎやしないかい!?」



 リン様の抗議はスルー。今は湯面にガリガリくんを落とさない様、気張っていて下さいませ、小さな将軍様。



「で、お前は何か希望はあるか?」



 こちらのやり取りを眺めていたクベーラへと声を掛ける。

 微笑ましいものでも見る風な表情に、お前は俺の親父か。と突っ込みを入れてみたい気分です。



「では、ウィリク様と同様のものを頂けますかな?」

「ん……あぃよ」



 それに応える形で、袋に手を突っ込み、二つ目の小ぶりなカップアイスを差し出した。



「蓋を開けると更にシートが被ってるから……掴めそうな部分があるから、そこを摘んで剥がしてから食べて。後、食べ終わったら残ったものは回収です」

「その袋といい、この氷菓子といい、東の地とは我らよりも遥かな高みに至っているようで、羨ましい限りで御座いますなぁ」



 上から下から、カップに印刷された文字の羅刹や紋様を食い入る様に見つめるクベーラに、修正の意味での合いの手を入れておく。この時代と比べてしまえば、小物一つとっても未知の集合体である事だろう。納得の反応であった。



「それは誤解。これは全部俺が元……原因だ。どっちかって言うなら、お前んとこの方が文明規模は進んでるんじゃないのか?」



 脳内で、火薬を使った武器を所持している筈だという情報が蘇る。

 それに釣られる形で、ふと、ウィリクの国が―――大敗を喫した軍隊がどうなったのかが気になった。

 クベーラが何か知っているかもしれないと思い、アイスを渡すついでに尋ねてみると、それはもう、よくご存知であるらしい。



 ―――簡単に言えば、蜂の巣のつついたような大騒ぎになっているのだ、との事。

 大敗した事による目論見のご破算。正規軍は兎も角、半分以上を占める奴隷……食い扶持がまるっと残っている状況。そして、一番の働き手である年代―――遠征に参加した彼らの大半が長期間動けないという惨事に、国防どころか、国としての形を維持する事すらままならないと来た。

 ウィリクの遺体が消え去ったのも結構響いているようで、怨霊となって呪いを振り撒くのだとか、国が駄目だと悟り天へと昇っていったのだとか、中には窮する国を憂いて英霊となって再び指揮してくれるのだという噂もあるそうなのだが、それは少数であり、大半は始めに述べた通り、あまり宜しくない方面で遺体が消えた事実を受け取ったようだ。

 自壊は時間の問題。国としての体制が保てなくなる事は、埋蔵……埋設された資源によって避けられるだろうが、規模は著しく縮小される未来は、想像に難くないらしい。

 これが人間同士の戦争であるのなら、他国はこれ幸いと侵略を企てるだろうが……何せ、相手にしたのが、あのタッキリ山。七天大聖。

 敗戦とは、大なり小なり勝った相手の国の支配を受けるという事。つまりは、ウィリクの国は今、周りからしてみれば、妖怪達の巣窟……どころか魔窟や伏魔殿に等しい一帯と映るだろう。

 幸か不幸か、それが原因で隣国からの侵略を阻害しているらしい。が、人の流出は止められまい。



(……触らぬ神に祟り無し、ッスか)



 とはいえ、その祟り神様の配下は【ハルマゲドン】によって、拠点込みで地中へとボッシュートさせている。

 すぐに気づかれる事は無いだろうが、資源の眠る地が、いつまでも放置され続けるとは考え難い。



「ご懸念はご尤も。……で、ありますが、元より資源を得る理由は、損得の均衡の果ての答え。……九十九様。あなた様が用いられました、極大破壊。あれによって、消滅しました大地以外の地形にも多大な影響が及んでおります」



 ハーゲンダッツのバニラ味を頬張りながら、けれど一切淀みなく説明するクベーラに感心しつつ聞いた話をまとめてみると、ウィリクの国に行く道中が、かなりの悪路になってしまったのだという。

 希少価値は生まれるだろうが、道中の過酷さを考慮すると、そこまで欲しいものかどうかは怪しいところ、らしい。



「そういや資源云々とか言ってたなぁ。何、金塊とか油田でも埋まってんの?」

「(ゆでん……?)……いえいえ。そこまで大それたものは。翡翠の亜種……のようなものですかな。様々な色が存在致しますので、それ故の価値が現れている面も強いもので御座います」



 ちょっとタメの入った沈黙が気になるが、この程度の間は過去のやり取りでも何度かあったので、こちらへの回答を吟味してくれての事だと判断する。

 そしてその回答であるのだが……どうやら、そんなに凄いもんではないらしい。まぁそれは神様側からの価値観であって、人間側からすればそうではない可能性が高いけれど。

 と、そんなこちらのやり取りに何かを感じ取ったのか、ウィリクが思い出した風に湯から上がり、『失礼しますね』と言いながら、ダン・ダン塚の方へと消えて行く。……お花を摘みにでも行ったのか。深くは考えないでおきましょう。

 湯上り美人な光景ではあるけれど、やはり衣類がしっかりしているものの為、透けて見えるとか体のラインがハッキリ分かるとか、全く、これっぽっちも無い訳でして。



「……クベさんや。ちょっと上等な服過ぎやしませんかねぇ?」

「ほっほっほっ。では、今から天女達を呼び寄せましょうか。何処まで男女の営みを育くむかは九十九様次第で御座いますが、何、あれらの力を見せつけた後なのです。一目散に逃げ出すか、恐怖に震える体に鞭打ちながらの舞いを見る羽目となるか、の二択でありましょう。……まぁ、中には、何とかあなた様と懇意なろうとする輩も現れるやもしれませんが」



 分かり易いですな。と纏める宝物神の言葉に、月に次いでこっちもか。と頭を抱える。あの時のように、いつの間にか側室云々というレベルにまで及んでいないのが幸いか。



「う”~……」



 唸るように息を吐き出し、その流れで鼻から下を着水させた。

 ブクブクと泡が眼下に現れ、弾けた飛沫が眼球に掛かる。すっと目を閉じ、思考をミクロからマクロへとサイズアップ。細かな点で見続けるから気が滅入るのであって、そうでなければ、異なる視点が見えてくるだろうから。



「―――何の心配も御座いません。不安、懸念は五万とあれど、そのどれもが九十九様の力の足元にも及ばぬ類のもの。それに……」



 耳……というより、頭の中に直接囁き掛けるようなクベーラの声に、薄目を開けて、視線だけを向けた。

 目と目が合い、こちらが反応するのを確かめた後で、褐色の宝物神は視線をずらし、【禁断の果樹園】に居る無数のネズミ達を見据えた。



「今のあなた様には、彼らやウィリク様もいらっしゃるではありませんか。そして、ワタクシめも」

「……はっ、どうだか」



 前半は兎も角、後半の人物は何処まで信用出来るか分かったもんじゃない。

 そんな意味を込めた返答に、クベーラは微笑みと苦笑の中間のような表情を造る。



「まこと、信頼とは綻び易く、築き難いもの。ことワタクシに限っては、一度失墜させた分、生半可な覚悟では改善は出来ても上昇は困難でありましょう」



 何処から取り出したのか、酌でもされる風に差し出された片手には、俺の拳二つ分くらいの輝く何かが載っていた。



「こんな格好では示しが付かぬものでは御座いますが、これでもワタクシ、他の神々よりは名が通る地位におりまして。―――こちらの宝塔をお持ち下さい。簡潔に申しますれば、これはワタクシの分身のようなもの。試作品ではありますが、宝物神としての力の何割かと、これを見せる事で、成されました全ての責をワタクシめに背負わせる事も可能で御座います」



 早い話が、代理のようなものです、と。

 雰囲気も覚悟もあったもんじゃねぇと思う心境の中、俺の思考はそれに反して、冷静に回っていた。



(代理……? 宝塔……? ……将軍……リン……?)



 嫌な感じで繋がりだした記憶に呆けるのとは裏腹に、俺の手はしっかりと宝塔を受け取ってしまっていて。

 はたと気づいて、それを見る。

 某虎さんが持つそれよりは装飾が簡素なものの気がするけれど、これは……どう見ても……その……。



「な、なぁ、クベー……ラ、さん」

「……? 何か」



 こちらの“さん”付けに訝しげな表情を浮かべるものの、追求する気はないようで助かります。



「別名とか二つ名とか渾名とか……そんなのってある……あったりします?」

「……北方の守護者、宝物神くらいであった筈ですが……」



 それが何か、と。

 真剣に考えてくれた風のその回答であるので、嘘ではないのだろう。

 明確な答えが出て来た訳ではないけれど、前神。という単語の意味も含めて知っている身としては、一気に脂汗が流れ出そうな心境に陥った。

 何故自分でもここまで動揺してしまったのかは把握しきれていないけれど、一番近いのは……。



(祝福してもらう筈だった結婚相手の両親をぶん殴ってた気分なんですが)



 しかもその後、土下座までさせて菓子折りを要求しているという感じだろうか。

 一切そんな状況ではないというのに、一度としてそんな経験などしていないというのに。何故だか、それ以外の言葉が思い当たらないのはどうしてなのだろう。

 一足飛びに高まる鼓動。全身から滲み出る脂汗。

 教えてえーりん。助けてえーりん。

 自動で再生される脳内BGMに合わせ、自分が片腕を空高く振り上げ、そして振り下ろす動作がエンドレスリピート。石鹸屋さんからのバックコーラスまで掛かり始めた思考を遮る形で、クベーラから話し掛けられるまで、それらは鳴り続け……。



「……九十九様、如何されました?」

「ひゅい!?」



 気遣うような、探るような言葉によって、ようやく思考が現実へと戻って来た。

 某お値段以上な河童さんの台詞を先取りしてしまったのをスルーしつつ、これは拙いと冷や汗を流す。



「気分が優れぬのでしたら、お休みになられるのが宜しいでしょう。何、後はこちらで万事整えておきますとも。信頼し切れぬのは重々承知してはおりますが、どうかお任せいただけますよう」

「いっ、いや!? そうじゃ、そうではないんですがね!?」



 乱気流でも宿ったような楽譜を演奏するようにこぼれた返答は、上擦り、を通り越した歪な声色であったと思う。

 刹那の熟考。

【温泉】の熱とは関係なく、一気に血の上った頭は瞬時に答えを弾き出す。

【ジャンドールの鞍袋】に手を突っ込み、思い浮かべたそれを握り込み、取り出した。

 手に握られた深緑色のワインボトル。銘柄の一部にはロマネなんちゃらと記されたそれを手に。



「―――飲みましょう!!」



 不思議そうに小首を傾げるリンを尻目に、やっちまった感を吹き飛ばす勢いで、押しの一手を強行する。

 こちらの迫力に戦きながらもコクコクと頷くクベーラに、取っ掛かりは掴んだ。との手応えを感じながら、思いつく限りの銘酒を取り出して行き……。










「……頭、くらっくらする」

「大丈夫かい?」



 事前に何本か出していたそれ―――リンにペットボトルに入ったミネラルウォーターを差し出され、項垂れながらもそれを口に含む。吐き気とまではいかずとも、良いか悪いかの二択な体調であるのなら、微妙に後者へと傾く状況でありまして。

 二度三度と喉を鳴らし、体内のモヤモヤのリセットを試み……。



「―――ぷはっ……うへぇ」



 改善したかは怪しいものの、さっきよりはマシになった気がする。気分が大事よね、こういう時って。



「口当たりが良いから騙されそうだけれど、葡萄酒を……こんなに酔いやすいものを一瓶も空けてしまったんだ。しばらくは安静にしておくと良い」

「すんません、お手数お掛けします、リン様」



 構わないさ。そう爽やかに言葉を返してくれるのが心地良い。

【温泉】の縁の一角。雪を退けていたそこに、俺は仰向けで横たわっていた。

 甲斐甲斐しくも世話をやいてくれるリンに、脳内で『いつも済まないねぇ』『それは言いっこなしですよ~云々』な老人と女性のテンプレやり取りが再生されるものの、それが全て表に出てくる事はない。

 吐き気は感じていないけれど、グラグラと歪む視界は、自らの状態が普通ではない事を示している。ようはヘベレケ。完全に酔っていた。

 お湯を縁に掛けていたので、仄かに温い岩肌に、このまままどろみに沈んでしまいたい気分になるけれど、クベーラがどうなるのかを見届けるまでは、今回ばかりは意識を手放す訳にはいかない。



「体力的には……余裕あるんだけど、なぁ」



【覚醒】による体力回復も、意識の覚醒までは範囲外のようでして。

 星の光に照らし出されるリンに目をやれば、淡く染まる赤い頬と、とろんと垂れる二つ瞳。何より彼女の象徴とも言える耳はへたり込み、尻尾は緩やかに、湯の中を左右に揺れ動いていた。とても気分が良いのだと分かる状態です。



(勇丸とかコイツとか、尻尾ってのは感情にでも連動してんのかねぇ)



 猫とかはそんな事はなかったと思うのだが、ネズミは別扱いなんだろうか。

 もしくはリンが特殊なだけかもしれないけれど、見ているだけで、自然と自分の頬が緩む。



「ははっ、情けないなぁ」



 その反応を酔い潰れたと判断したのか―――間違いではないが―――リンはそう言って、事前に出していたワイン……コンビニでも夏目さんか野口さん一枚程度で一瓶購入可能な、コノスルの赤を飲んでいる。具体的な種類は定かではないけれど、『こんなんだったよな?』との曖昧な状態でも食品を取り出せるのは【ジャンドールの鞍袋】の大きな利点であった。



『僕には、まだ早いようだね』



 その台詞と共に、リンは大衆向けのコノスルの赤を飲酒するに至る。

 高級なワインは何本か出していたのだが、口にしていたロマネさんを脇に置おてからのそれであったので、どうやら好みが合わなかったらしい。

 折角なんだから高いのを。という気持ちは湧き上がるものの、その辺りは当人が好きなものを飲むのが一番。というか、俺も正直なところ、日本酒かビール系なら兎も角、ワインとか他の海外製の酒の味は殆ど分からない。というか知らない。機会が無かったし。今も飲めてないし。

 かしこばった席でもないので、今は楽しめればそれが一番なのだ。余計な事は言うまいて。



(けどなぁ……その手の酒って、結構度数が高い筈なんだが……)



 一瓶まるごと抱えて手酌をするリン様に、何やら敗北感を覚えます。

 酔っ払い状態になっているのは間違いないと思うのだが、それは酔いどれなどではなく、しっかりとした酒の楽しみ方をやっているのが羨ましい。



「アイスの時と言い、その酒と言い、見た目の若さに騙されちゃいけねぇぜ、ってか」

「その辺りの自覚はあまり無いんだけれど、今の君の反応を、今後の参考にさせてもらうとするよ」



 うーん、リン様、強し。

 俺の三倍……ワインボトル三本以上は既に飲み干していたと思うのだが、諏訪&神奈然り、月の方々然り。……あぁ、依姫だけは別であったけれど、どうやら比率的に、東方キャラは酒豪が多めらしい。宴会好きそうだもんなぁ、あいつら。そうでなければ人外魔境の宴なぞ、やってられないのだろう。



(月で酒か……。……柔らかかった……んだろうなぁ、多分……)



 腕やら胸やらに綿月姉妹が密着していた記憶が蘇るけれど……。悲しいかな、血液含む神経が通っておりませんでしたので、肝心の感触だけはサッパリ分からないのであった。

 あれ、何やら……後悔(欲望)という名の汗が目から……。



「お母様もクベーラも、とても静かに嗜んでいるからね。それを邪魔するのは無粋というものさ。生憎と僕はそこまで感性を養っている訳ではないから混ざり難いけれど、こうして君の面倒を見れるのは、少しは心が軽くなるかな」



 と、いつの間に戻って来たのか。【温泉】の端でサシで飲み合う女王様と神様は、長年連れ添った夫婦のように、多くを語らず、静々と雰囲気と酒の味を味わっている風に見える。

 ただし時折耳に届く会話は、連絡手段の確認だの問題が発生した場合の対処法だの、事務的なものばかり。出来ればこの場を楽しんで欲しかった身としてはやや残念な気持ちが込み上がるけれど、過ごし方は人それぞれだ。強要すべきもんでもないだろうし、する場でもない。それを壊すのは面倒ゲフンゲフン……無粋な気がして、あの二人はそっとしておこうと思う訳でして。

 というか、今のリンの台詞には、ちょっと疑問を覚えるとことがあったのだ。

 丁度良い。今はそれの追求に時間を割くとしよう。



「心が軽くなるって、なんでよ」

「それは、これだけやってくれた君への恩返しだよ。怒り、恨み。それが感謝であっても、行き場のない感情というのは、それだけで心苦しくなるものじゃないか。百万分の一にも届かないけれど、こうして恩人に何かをして上げられる。という状況は、とても心地の良いものだよ」



 何かのスイッチ入ったのか、リンが俺の頭を柔らかに撫でてくる。



(……変な気分)



 ちっさな子のオママゴトに付き合っている気分になるけれど、これでも立派なレディーなのだ。数日前に認識を改めたばかりである。あまりに女性として意識しなさ過ぎるのも問題だろう。

 中身(年齢)的には……いや。この辺は深く考えないでおきましょう。



「恩……恩、ねぇ……」



 何はともあれ、可愛い女の子に構ってもらっているという状況は、それだけで満足なところがあるけれど。



「お前の信頼ゲットした。なんて思えば、安いもんじゃないか?」



 少しの呆れと、少しの照れと。

 主にその二種で構成された表情のままに、それでもリンは俺の髪……頭を擦る行為は止めるつもりはいようです。実に可愛いもんである。



「……ばか」



 やっぱり胡散臭かったか。クッセー台詞ではあるけれど、目論み通り、場を和ませる効果くらいはあったようだ。

 平時であれば、髪の毛クシャクシャになるくらいに撫で回したい可愛さだとは思うけれど、若干多めにアルコールが投入された頭では、ただ可愛いと思うのみに留まっている。





 ―――もう、俺の中でリンは『ナズーリン』になっていた。

 後は何かのタイミングで―――数百年の間に培うであろう様々な出来事を経て、最終的な記憶のそれと合致する筈だろうから。

 これで、もし俺がこの地に現れなかったのなら。

 そんな“もし”も考えてはみるけれど、そも、後に幻想郷に集る彼女達の起源……この世に生を受けた状況が判明している者は居なかった筈。そういう答えを出してしまうのも仕方ないのではねぇでしょーか。



(もし他に『ナズーリン』が居たとしても、二人を会わせてみるのも良いんじゃないか?)



 きっと、姉妹以上の関係になってくれそうな程、仲良くなれる気がして。

 その時は良き友となって、何処かの歌であったように、喜びは倍に。悲しみは半分に。互いが互いを支えあい、高めあってくれる関係になってくれると嬉しいのだけれど。

 身勝手過ぎる思惑は、その件が現れた時に真剣に考える事にして。今は何とかクベーラ……もしかしたら、日本のあの神様になるっぽいお方のご機嫌を崩さぬようにしなければ。



「クベーラもお前くらい飲んでた筈なんだが……何か? お前らってかなり酒強い?」



 答えてくれるかなー? なんて疑念をリンへと振ってみる。

 顎に手を当て、耳をピクピク。それがシンキングタイムのモーションなのだろうかと観察していると、答えが出たのか、こちらの方に目を合わせて、口を開く。



「君の種族が分からないから、あまり強くは断言出来ないけれど……。僕の常識と照らし合わせても、君が人間という種族であるとするならば、君の今の状態が……それくらいが平均だとは思うけれどね。お母様は人間だけれど、何十年もその手の席で培った経験と気力があって、その相手は神様で。そして僕は若輩だけれど、妖怪だ。文字通り、造りが違うのさ」



 分かってくれたかな?

 最後まで話さずとも、そんな台詞をリンから読み取った。



「……分の悪い賭けは嫌いだったんだけどなぁ」

「なんだいそれ」



 元ネタが分かる筈もない当然の突っ込みに曖昧な返答をして、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。



(うっし、大分頭も冴えてきた)



 そろそろ酒やアイスだけではなく、肉や野菜や魚といった料理も出しておくべきだろう。食べるにしろ食べないにしろ、食卓は鮮やかであった方が気分は良いだろうから。

 俺の頭を撫でる手を制し、これから起きるぞ。との雰囲気を造る。

 それを察したリンは僅かに身を引く。その時を見計らい、



(食卓なんてありませんがね、っと!)



 回復した体を上半身のみ跳ね起こし、眩暈を覚えない事を確認。良かった。思ったよりもアルコールは抜けたようだ。



「これでクラっと来た日にゃ参っちまうが……ん?」



 苦笑するリンの奥。

【温泉】の外側、夜の砂漠が広がる方面の岩陰に―――





 ―――何か。

 在り得ないものを見た―――。





「ッ!? 【メムナイト】!!」



 誰も気づかなかった。

 俺は論外だとしても、リンやクベーラ、何より周囲に存在する無数とも言えるネズミ達の目を掻い潜って現れた事になる。

 それら刹那の疑問を置き去りにする勢いで、MTGの力を行使する。

 光子の収縮。そして四散。叫ぶに合わせ、白銀の鉄騎が盾になるように現れる。幾度となく尽力してくれた存在は、会いも変わらず鏡面装甲。月光にプラチナの肌を輝かせていた。

 その出現を確認した直後、即座に【恭しきマントラ】を【プロテクション(黒)】で実行。

 相手にも付与さてしまうが、構うものか。今は攻撃よりも専守防衛。出来れば【死への抵抗】が欲しかったが、マナが足りない。最悪のタイミングとはこの時の為にある言葉だと実感する。

【覚醒】、【禁断の果樹園】、【温泉】、【メムナイト】。【恭しきマントラ】と、それのコスト分に用いた【ターパン】が一枚。

 静かに、迅速に、相手に気づかれず―――見えないようにリンの手を握り、制限解放などではなく、新しいルールとでも言うべき条件をクリアにしておく。

 俺の声に反応し、何処に居たのやら、龍人の妖怪である睚眦が【メムナイト】の横に並び立つ。

 両手にそれぞれ持つ、蛮刀なのか中華剣なのか分からない刃物を握り締め、虚ろな目のまま戦闘態勢を取り、停止。迎撃準備は出来たようだ。





 ―――そこには、二つの影。

 純白の法衣は月光に浮かび上がる白い陽炎のように。腰まで伸びるストレートの白銀の長髪は、一房でも売買しようものなら、ひと財産を築く事すら容易だろう。

 鋭い笑みは出会った頃より変わりなく。むしろ、より一層の切れ味を増している印象さえ受ける。



「―――お久しぶりですねぇ」

「ああ……久しぶり、だな。―――平天大聖」




 タッキリ山の主。七天大聖が一人にて、頂点。

 紅葫蘆の中で囚われていた筈の大妖怪中の大妖怪が、散歩中に出会った知人に声を掛けるかの如く自然に、俺達の目の前に佇んでいた。



「なッ―――イ―――!?」



 瞬く間に完全武装へと換装していたクベーラが、何かを言いかけ、口を噤む。

 それは、一人の少女がそう指示したから。

 二つの影の内の一つが平天大聖ならば、もう一つの影は、その少女に他ならない。

 年の頃はリンより上か。

 腰まで届く薄桃色の長髪。きめの細かな小麦色の肌。その場に居合わせる者達の中でも、リンに次ぐ小柄な容姿であるのだが、そこには静寂の大河を思わせる落ち着きが伴っていた。

 真紅を基調としたローブの上から、小粒ながらも神々しい光沢を放つ、瞳を模した造りの白玉を羽織っている。まるで幾本もの真珠のネックレスを全身に巻き付けているような外見である。

 その少女は、人差し指を一本。口の前へと立てて、『静かに』……いや。『話すな』とのジェスチャーを行っていた。



(あぁ、こんな場所や時代でも、そういった肉体言語は既にあったんだなぁ)



 ……って、そうじゃない。問題はそこじゃねぇのです。

 どうしてここに居るだとか、その少女は誰なんだとか。

 湯水のように沸き上がる疑問は、全て脇に退け。



「―――何の用だ」



 答え……応えてくれる。など期待してはいけないのだろうが、それでも言いたい事はあるのだ。こちらの気持ち的な問題で。

 もはや反射に近い口頭であったのだが、一応は回答が返って来た。



「ええ。少し―――湯浴みをしようと思いまして」



 微塵も信じられない受け答えというのは、行う意味はあるのだろうか。



「……ちょ~~ーーー――――――」



 大して息は吸い込んでいなかった筈なのだが、思ったよりも声の出は良いもので。

 大体、十秒過ぎたくらいか。俺以外が誰も口を開かない事を良い事に、気の済むまで『ちょ』を延ばし続け。



「――――――胡散臭い!!」



 握り拳を眼前に。

 吼える。を体現した気分になりながら、力強く言い切った。

 こちらに同意する形でコクコクと頷くクベーラやリンを背後に感じ、一体感を得た事に、ちょっと満足。



「ご無体な。それが証拠に、今この身には寸鉄一つ帯びてはおりませんよ」

「お前、武器とか使う必要ねぇじゃねぇか! 妖術とか巨大化とか、そういったのが主だったじゃんよ!」

「そう言われれば、そのような気もしますねぇ」



 ニタニタと笑う大聖様に、とっても気分が滅入ってしまう。



(すっげぇ胡散臭い)



 出てくる感想は、先に叫んだそれと同じ。まだ二、三言しか話していないというのに、メンタルがゴリゴリと削られていく。

 出来るものなら即オサラバ願いたいお相手ではありますが、生憎と全マナ使い切った身としては、下手に強気に出れない実情となっている。参った……といより、結構ヤバい状況である。



「そういえば、そこの者は初見になりますか」



 こちらの狼狽を無視しながら、平天大聖は俺の背後―――クベーラの影に隠れる形で無手を構えるウィリクの方へと声を掛けた。



「初めまして、人間。つい先日まで御山の大将など気取っていました、しがない妖怪です。もはや大聖、などと名乗るのは汗顔ですので、ただの平天。と、思っていただければ」



 楽しそうに話し始める平天様。

 困惑しながらも思考するウィリクであったけれど、それも数秒と掛からなかった。
 


「……まさか」



 そこで言葉が途切れてしまったけれど、驚愕と警戒の表情がありありと浮かべているのを見るに、どうやら相手がどんな存在であるのかを理解したようだ。

 そのウィリクの反応に、満足だと深く頷く牛魔王。

 会いも変わらず良い根性してやがる。見習いたいものだ。実践するかどうかは別として。



「して……何用で御座いますかな……? その……」



 ウィリクに次ぎ、別の意味で困惑している風なクベーラは、平天大聖の方ではなく、視線の先の厳かな少女に対して、探るような、窺うような口調で話し掛け。



「―――ヴァジュラパーニ」



 小声であるというのに、とても良く通る澄んだ声。流れから察するに、自らの名前だろうか。

 抑揚の感じられぬ音程ではあったけれど、何処か暖かさを伴った声色であった。

 クベーラなど目に入らぬと、じっとこちら……俺を見つめる眼力が、幼い見た目とは裏腹に、中々の威圧感を放っている。



「ヴァ、ヴァジュ……らぱ……?」



 しかしながら、日本語とか中国語とか英語とか、そういった響きとは掛け離れた部分が多い今の発音は、些か覚え&発音し難い部分が多く。



「―――」



 不満の色を隠そうともしないヴァジュ何とかちゃん?は、ジト目で抗議の顔をする。



「……マガヴァーン」

「え?」



 うっ、よく分からんが、余計にジト目が強まった。

 もしや先ほどのヴァジュ何とかは、名前ではなかったのだろうか。

 更に分からない事に、この褐色少女が不機嫌になる度に、クベーラがおたおたしていらっしゃる。宜しくはない状況のようだ。



(どーなってんですかー、これー)



 おかしい。こちらには全自動翻訳機の宝石を持っている筈だというのに、それが発揮される様子が微塵もないと来た。

 異国の言葉なのは間違いなさそうなのだが、それが翻訳されてくれないのをみるに、考えられる可能性としては、そういう固有名詞であるという事。

 リンや平天やクベーラなど、今の今まで翻訳機能は十全に機能していた事と、開口一番に発せられた言葉であるのを思い返し、やはりこれらは名前である……と、思うのだが……。



「……ヴリトラハン」

「なっ!?」

「ッ!?]



 不機嫌さ四割増しの声色で告げられた何かの単語であるのだが、これも何かの名前の事なんだろう。それも、中々に知名度が高い、系の。

 何となく、そうと呼べ。的な意味合いの話し方であるとは予想していたのだけれど、俺が理解するよりも早く、リンとウィリクが驚きの声を上げた。どうやら相手が何者なのか分かったらしい。



「……なぁなぁリンさんや」



 横で驚くリンへと、噂話をする奥様のように手を口へと当てながら、小脇を突く形で疑問を投げ掛ける。

 あれは一体誰なのか、と。

 目線を俺と褐色少女の間を往復させ、二度三度口をパクパクさせた後。



「君は―――ッ!」



 と、『知らないのか君は!』的な流れで話し出そうとしたであろう言葉は、褐色少女の一層強まった眼力によって黙殺されてしまったらしい。喉に物がつかえたように押し黙るリンに、自分の中で、更に疑念が募る。

 そんな中、駄目押しと言わんばかりに褐色少女からの言葉が向けられた。



「……プランダラ」

「……ぷ、ぷらんだら!」



 音程こそあれだが、今度こそしっかりと復唱出来ていたと自負する応答であったのだが。



「えっ! 何でさ!?」



 ぷいっ。とそっぽを向く褐色少女は、それもお気に召さないらしい。

 数瞬前の、静寂の大河を思わせる雰囲気は何処へやら。

 今俺の目の前にいるのは不機嫌……いじけて拗ねる子供が一人。



ヴァジュラパーニヴァジュラを手にする者マガヴァーン惜しみなく与える者ヴリトラハンヴリトラを殺した者に、プランダラ都市を破壊する者。……全てインドラ様の二つ名でありますが……参りました……拗ねてしまわれたインドラ様は、しばらくは九十九様に真実を伝える気は無いでしょうし……あぁ、だから九十九様は名を告げられても、意味を理解なされないのか」

「その理解が何であるのかは分かりませんが……。あれがあなた方の主神なのですから、気苦労の多さは察するに余る。といったところでしょうかねぇ」

「いえいえ。成すべき時には、我らを統べるに相応しい威厳を纏うのですよ? それに、時が経てば、あれはあれで大変好ましいものに見えるものに御座いますとも」



 背後でいつの間にやらクベーラの方へと移動していた平天大聖は、二人で仲良く談笑しているもんだから、余計に混乱してしまう。

 こっちに聞かせる気があるようで全く無いという絶妙な音量での会話なものだから、その内容が気になって仕方がないのです。特にそれが、現状の問題解決の糸口であるような気がするものだから、なおの事。

 というか、あんたら仲良いのね。俺もそっちに混ざりたいんですが。お近づきの印に、熱燗の日本酒など如何でしょうか。今なら熱燗、冷酒、水割り、ロックと、何でもござれのジャン袋もありますので。



「うぉ!?」



 思考が逃避していた隙を突かれる形で、俺の腕を掴むイッパイアッテナ系褐色少女。

 害意が無いせいなのか、睚眦や【メムナイト】は動く気配すら無いと来た。

 その二体の護衛さん同様、事の成り行きを見守るに徹する……半分魂の抜けかけているリンを素通りする形で、ぐいぐいと引っ張るその先は、未だ縁に雪が積もる憩いの場、【温泉】。



「なにっ、なにっ! なんだってんですかー!?」



 大小異なる湯柱、二本。

 気泡が眼球を撫でる視界の中で、そんな光景になっているのかなー? という考えが頭を満たすのだった。





[26038] 第57話 温泉にて《後編》
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:17






 暗雲立ち込める雰囲気になるものだとばかり思っていたけれど、そんな様子は微塵もない。

 入場料無料、順番待ち云十万匹という露天浴場に、シード権でも設けたのか、新たな来客が二名。平天様と、まったく知らない褐色少女である。

【メムナイト】は一応完全防水加工……というより水を含んでも問題のない構造らしいのだが、何故だか濡れる行為に抵抗があるらしく、【温泉】の縁で龍人の睚眦共々、監視役と化している。

 そんな護衛達の居るここ【温泉】内部では、何ともやり難い空気が漂っていた。

 ニタニタする平天と、オロオロするクベーラと、そわそわするリンに、ニヤニヤするウィリク様。

 んで、やり難い……どう動いて良いものか悩む状況を作り出している最もな原因が。



「……なぁ、退いてくんねぇ?」



 つーん。なんて擬音が似合う口の尖らせ方をする褐色少女……もとい、ドラちゃん。何故だか俺の胡坐の中に、我が物顔で鎮座中。

 湯浴み用の着衣でもあるのか、出会ってから衣替えをする素振りもない。堂々としたものだ。

 まるで、肉親を奪われんと主権を主張する幼子。名前については、『……ドラ様……と、お呼び下されば……恐らくは……』とのクベーラ様のお言葉でありましたので、先に告げられたまどろっこしい幾つもの名は全て忘れる事にし、そう呼ぶ事にした。

 名前の響き的にはモロに青狸のアレなのだが、流石に見た目が掛け離れ過ぎているので、あまり意識する事はない。これで例のダミ声であった日には、俺の脳裏に“!?”系のマークが乱舞していただろうけど。

 というか、様付けですか。立場的にクベーラの上なんだろうが、青狸のイメージが強過ぎて、他の神様が連想出来ねぇのです。

 それに、脳内に未だ残るアルコールが、こちらの熟考を阻害しているのも要因の一つだろう。酔いどれ気分は楽しいけれど、こういった面では足を引っ張るのだから、厄介なものだ。



「なぁなぁ、クベさんや」

「はいはい、何でしょう。九十九様」



 もはやテンプレと化しつつある応答の後、内心満足しつつ、俺は疑問を口にする。

 今更畏まった口調は、かえって相手に不快感を与えるものになっていたので、現状維持を採用中。今のところは問題無さそうだが……うぅむ、どうしたものか。



「さっきからスルーしっぱなしになってて、今更かなー? とは思うんだけどもさ」

「……あぁ。ええ、ええ。九十九様の疑念はご尤も。それにつきましては、ワタクシも同意させていただきますとも」



 そう言って、二人……いや。リンやウィリクも合わせ、計八つの目で一人酒を楽しむ白銀髪の男―――平天を睨み付ける。



「そろそろ用件を聞こうか。……何の用だ。平天大聖」



 あえて大聖、と付ける意味を察して欲しいところであったけれど、超が付く大妖怪相手に、それは杞憂に終わったようだ。

 不敵な笑みは相変わらずだが、からかいと愉悦と見下しのミックスされた眼力はなりを潜めて、どういう訳か、挑発的な笑いへと変貌していく。



「自身の溶解した体液の湯船に浸かる……。長らく生を貪っていましたが、初めての体験でしたもので。出来ればそんな気分を一蹴したいと思い、こうしてあなたの掘り起こした……いえ。あなたの事ですから、また創造でもしたのでしょう。そこにご厄介になろうと思ったところもあります」



 入浴も望むところであったと話しながら、高級な陶磁器など足元にも及ばぬ白魚の腕をこちらへと掲げ。



「―――東方の破壊神、九十九。あなたに提案があります」



 湯を跳ね上げながら、反射的に自分の片手を突き出した。

 手の平を相手に押し付けるように持ち上げた形は、絵や写真にでもおさめれば、『今のちょっと待った!』と題名が付く格好だろう。



「……名前のとこだけにして」



 この手の呼び名は止められない。

 先にやったあれこれが、自慢出来るものであれば『そんなのは過大評価さ(キリ』的に、素知らぬ顔で俺の鼻はグングン伸びていただろうけれど。



(破壊神ってあんた……)



 中二どころか小二くらいの二つ名に眩暈を覚える。宛ら、スーパーウルトラ・TSUKUMO。とでも名乗っている心境か。眼を背けたくなる事、この上ない。

 それに、結果は兎も角、過程はお世辞にもカッコいいとは言えないものだ。

 ならばせめて、俺が耳にする機会くらいは減らしたい。それくらいの努力は惜しんではいけないのだ。きっと。



「九十九だけ……。まぁ私は構いませんが。そうですか。あなたはこの手の別称が羞恥と見える。私が知る者であれば誇りこそすれ、腫れ物のような呼称ではなかった筈なのですがねぇ」



 くつくつと哂う平天様は、羽虫を甚振る幼子の笑みを造っておりまして。



「……【暴露】」



 ボソリと一言。

 一度目の時と同様に、効果はしっかりと現れてくれたようだ。

 やっべ、残りのカード残高が……。



「ッ! そこまで毛嫌いするものでしたかねぇ!?」



 先の戦闘で一度経験しているせいか、自分の思考が消失したのを実感出来たらしい。何かを忘れさせたのは認識したらしいけれど、肝心の何を忘れたのかは認知出来ていないようだ。

 あの平天大聖が突っ込み側に回っている。

 面白いものが見れたと思うけれど、カード枚数を消費しているという、自らドツボに嵌っているのは間違いない。

 まぁ何かあればドラちゃん……は知らないけれど、クベーラがどうにかしてくれる筈だ。曲がりなりにも【プロテクション(黒)】を付与させているので、対・妖魔相手ならば、中々に頼もしい存在へと昇華しているのだから。

 そして……。【暴露】―――手札破壊の効果は、思考の欠落のみにあらず。



「……なるほど。お前はお前で色々と柵を受けた訳か」



 笑顔が一転、無表情。

 それなりに顔を合わせていたとはいえ、完全に感情が抜け落ちた顔を見るのは初めてであった。

 そりゃそうだ。何せこれからあらゆる対価を用いてこちらに飲ませようとした要求を、一発で見抜いてしまったようなものなのだから。



「―――覗きましたね?」

「イエス!!」



 からかいの意味合いが強い、ウザく輝く笑顔のグットサインと共に返答する。きっと、この瞬間に俺の歯は純白に煌いたんじゃないだろうかと思える程に。

 不敵な笑みか、真剣な眼差しか。相手は恐らく、そういった類の反応を予想していたんだろう。テンション高めの応答は予想外であったようで、平天の表情が呆れたものへと。大きく吐息をこぼし、二度三度と首を左右へ振る。意図した訳ではないけれど、気力を削ぐ事に成功したようだ。



「お前が同時に色々考えてくれて助かったよ。説明の手間が省けたからな」



 細部は未だ分からないけれど。

 そう、心の中で付け足しながら。



「……なるほど。その【暴露】とやらは、相手の思考を、文字通りあなたへと曝け出し、同時に欠落もさせる妖術……能力のようだ。呟くだけで、何の兆候も察せられずに効果を発揮する。……参りましたねぇ、考えを巡らせれば巡らせるほどに不利になるとは」



 困惑なご様子に満足したので、何とでも取れる笑みを浮かべながら、どうだ。と言わんばかりにニヤリと反す。



(合ってるっちゃ合ってるが、そこまで便利なもんじゃないんだけどもね)



 常時思考がオープンになるのは【テレパシー】であって、【暴露】は一瞬のみしか相手の考えを覗く事は出来ない。けれどそれは表面上の全てを読み取る事が可能であり、コイツのように一瞬で色々と考えてくれる相手には効果抜群なのであった。

 ……ま。

 あんまり思考の数が多過ぎると、閲覧の量に限界を感じるのだけれど。八意さん相手の時とか、永琳さん相手の時とか。


「しっかし、意外も意外っつーか、なんつーか……」

「……」



 自己確認を兼ねての独り言に対して、渋面を造る平天は、眉間に皺すら寄っている。

 睨んでいるのか、困惑しているのか、怒っているのか。

 少なくとも好ましい表情ではないのだけは、しっかりと理解出来るお顔である。



「ツクモ、何が分かったの?」

「ん? あぁ……」



 戸惑うリンがおずおずと質問してきますので、これに応えるべく口を開く。

 平天は、沈黙。

 受け入れ難い状況ではあるが、話の流れに身を任せる方針のようだ。話をしても大丈夫だろう。



「―――子供の面倒を見て欲しいってさ」



 その静けさは、どれくらい続いたのか。

 氷の妖精さんの某スキル、パーフェクトフリーズも真っ青の凍結具合を、まさかこの目で見ようとは。【温泉】から立ち上る湯気だけが、世界が正常に動いているのだと示していた。

 大体こういった時間を体験する時は、俺の時間も止まっている場合が殆どであったので、客観的に見る機会というのはとても貴重だと思います。良いねこれ。結構楽しいぞ。



「……誰の?」



 分かったけれど、認め難い。

 強張った表情になったリンが、間違いである筈だとの意味合いの強い言葉を返す。



「あれの」



 けれど、それは無意味だ。

 リンの淡い希望を切り捨てるように、そのあれ……平天へと視線を向ける。



「……」

「……まぁ」

「……なん、と」



 ウィリクは心の篭っていない、魂の抜けたような相槌を。クベーラは理解した上での驚きを。

 眩暈を覚えたリンが、俺の肩へとしな垂れる。意識は保っているようだが、体の力は大分抜けたらしい。どっかの映画とかドラマで、貧血とか眩暈で視界が眩んだマダムのようだ。これでまさに相手がマダムなのなら『おっ、奥様!』とか言ってみたい気もするが……まぁ、それは置いておくとして。



「……めんどくせぇ奴」



 人の事言えないけどね。と、内心で言い訳のように呟いた。

 ぐっ、との呻き声を上げる平天さんは、見ていて愉快なものでして。出来れば、後何回かはこんな感じで表情やら顔色を変えさせたいものだ。

 そして、こんな面倒くさい状況を創り上げた最もたる原因の人物―――存在へと、同意を求める風に言葉を掛ける。



「お前も結構えげつない方法取るんだなぁ―――なぁ? インドラ様?」



 ここでようやく、俺の股の間で、我関せず。と不機嫌を体現していた少女―――インド神話の主神様が、その小さな肩をビクリと震わせた。

 クリクリとした目を皿の様にしながら、どう判断したらいいものか分かりかねる、何の感情も読み取れない顔を向けられた。ちょい怖い。



「平天の頭ん中見た時に分かったよ。何て言ったら良いもんか……あ~……破天荒ね、お前さんは」



 普段ならば、ドラちゃんが主神だと分かった時点で『げぇ!?』とか『うっそー!?』なんてリアクションが飛び出し、低姿勢を敢行するのが俺らしいとは思う。

 けれど、幾ら良く知っている名とはいえ、俺にとっては名前だけの偉人。飲酒と【温泉】の相乗効果でふわふわと浮いた気持ちとなっている現状も、態度を改めない事に繋がっている。

 これが東方キャラなどであれば、また話は別なのだが……。



(名前だけ聞いたウンタラ国の王様より、取引先の相手との商談の方が緊張するようなもんかねぇ)



 自分の心境をどう把握すれば良いのか困っていると、両の頬に、【温泉】とはまた違った優しい柔らかさが添えられた。



「なっ」



 クベーラか、リンか。誰の声とは判断し難い驚きの声を耳にしながら、こちらの頬に手を添える、ずぶ濡れ衣装の褐色少女。衣類の上から身に着けられている無数の白宝玉は、妖怪・百目か、メデューサの頭髪か。何人もの眼光によって全身を射抜かれている錯覚に陥る。



(そういやインドラって、千里眼とか……千の目を持つ……なんて伝説もある……んだった、か?)



 持ち上げた虫籠でも観察しているような。大瓶の中を覗き込むような。俺の外見以上の何かを見ている雰囲気がする。

 柔らかく、優しく。全身をゆっくりと舐めまわす悪寒。

 何の色も見えぬ瞳。全身を射抜く観察眼に、アルコールによって衰えかけ、度重なる上位者との相対によって蓄積されて来た筈の図太い神経は、あまりに距離が近いせいか、それほど機能してくれていない。



(……こわ)



【温泉】の暖かな温もりが胸より下を包んでいるというのに感じる寒気。常夏の島国へと足を運びたい気分になる。

 それでも気持ちだけは心構えが済んでいたようで、なるようになれ。との達観が入っていた思考では、冷静さを失う程の恐慌状態には至らない。



「……」

「……」



 何かを言い出す気にもならず、何かを言い出す素振りも見せない。

 こちらに馬乗りになる形で顔を覗き込んでいるインドラは、もはや幼子のそれではなく、遍く世界を見通す眼を持つ、神の名に相応しき存在へと。

 十秒、二十秒と。一体何がしたいのか把握しかねる状況に流されるがまま身を預け……。



(何だろなー、この間)



“秒”から“分”の位には達したんじゃないかと思える時間の後。



「……そう」



 一人で行動を起こした存在は、勝手に納得した風な口振りと共に、俺の上から移動した。

 もそもそと膝の上から退いた後、何事もなく【温泉】へとその身を沈める姿は、何か一仕事終えたような空気であった。

 小さな口から、ふぅと一息。

 そのまま、やや熱めの湯船に心地良さげな吐息を漏らすインドの主神様は、自己満足の文字が透けて見える風貌へと。どうやら、先の何かを完全に読み取ったらしい。

 ……ようは、こちらに何も話す……説明する気は無いのである。



「……おいこら」



 人を怯えさせといて、一切関知しませんってか。

 納得いかない気持ちがムクムクと。洩矢、大和、そして綿月に八意など。伊達に対・神聖な数値は高くなっておりません。防御力……は、今のは十二分には発揮されなかったけれど、回復力だって常人の比じゃねぇのです。



「―――うみゅ!?」

「確かに唯我独尊な奴らが多いのが神様だとは思っちゃいるけどな、幾らなんでも我が道を行き過ぎだろドラちゃん」



 上から退いたとはいえ、そうも距離が離れている訳でもない。徒歩一歩分の移動の後に、両方の腕を上げて、正面からその小さな頬の片側を抓るように摘み上げる。

 釣られて可愛らしい奇声が上がるが、黙殺。

 うりうりと上下左右に引っ張るに合わせて『みゅー』だの『みぃー』だの猫っぽい声が上がるのを楽しんでいると、我に返った者達からの、静止の声が掛かってきた。

 

「つ、九十九様っ、お止め下さい!」

「そっ、そうだよツクモ! インドラ様に頬抓りとか、えと、あの……これ以上いけない!」



 実力行使すべきかどうか。中腰状態になり、どうしたら良いのだと焦るクベーラ。

 語尾がアームロックサラリーマン登場作品に出てくる口調になっているリン。

 口をあんぐりと開けるウィリクとか、反応はそれぞれ。



「ははははっ!!」



 平天だけが爆笑しているのが対照的な光景ではあるけれど、立場を考えれば理解出来るものである。

 これがインド神話のトップかー。この世界って幼女が基本なのかなー。柔らかいなー、良く伸びるなー。安直な感想ではあるけれど、突き立てのお餅のようだ。

 ……これ、結構楽しいかも。



「言え! 言うのだドラちゃん! 説明プリーズ! 簡単に!」

「……いふ、言いまふ」



 涙目へと代わりつつある幼女に満足するという、警の字が付く公共機関の一つと精神科にお世話になるであろう未来は確実の場は、誰に邪魔される事もなく。



 ―――唐突に。

 勇丸にがぶりとされた時や、子ネズミにがぶりとられた記憶が脳裏を掠めた。



 慌てて、摘んでいた手を離す。このままやり続けてはいつぞやの二の舞になるは必須。わざわざ地雷を踏みに行く必要はない。

『言う』との答えも聞けた事であるし、用が済んだら即悪戯……抗議を取り止めるのが吉だろう。

 自分自身の頬に手を当てて、抗議の視線を向ける褐色少女に、むふー。と鼻から息を吐きながら、満足気な顔を向ける。



「……この場に居る神が、ワタクシのみで良かった……。シヴァ様やカーリー様が見れば、東の地へと聖戦を仕掛けるは必須でありましたでしょう……」



 ……どうやら、首の皮一枚で【ハルマゲドン】に勝るとも劣らないジハードを回避していたらしい。

 しまった。あまりに態度が憎たらし……幼かったので、思わず近所のガキ共を相手にする風に接してしまった。

 ぽつりぽつりと、褐色の主神の口が動く。

 内心の動揺を隠しながら、その小さな声を聞き逃すまいと耳を傾ける。





 ―――そうして。口数は少ないながらも要点を抑えたインドラの説明は、平天がこの場に居る理由と、今後どうなるのかを知るに足るものであった。

 それらを聞いた直後の俺の感想は。



「……えげつねぇ」



 インドラが平天へと出した条件は、早い話、囮。

【ハルマゲドン】によって壊滅的な状況となったこの地の妖魔達の統括の為、平天は影でインドラに屈しつつもそれを隠し、散り散りとなった妖怪の旗印となって、管理&運営を行うのだという。

 時に人間達を攻め立て、時に神々に屠られながら、この地の悪の王としての役割を果たし続ける。あらゆる物語で存在する善と悪の関係の縮図を、他ならぬ現実に誕生させようというのだから、マッチポンプも良いところだ。

 しかもこれが、裏で糸を引くのが悪側ではなく善の側だというのだから、生々しいったらありゃしない。



「九十九様、そのお考えは察せられますが、我ら神とて万能ではない。輪廻の輪の中に組み込まれております、命の一つに過ぎないのです」



 俺が渋面になっていたのをクベーラが見て、内心を察したらしい。



「正義を謳っている身として、可笑しな話で御座いますが……。持ちつ持たれつ、なのですよ。ただそれらの主導権を、どちらかが握ったというだけの事。無論、機があれば覆される運命にあります。―――平天」



 そう言いながらクベーラは、酒の入った杯を片手に湯を楽しむ平天へと話題を振る。



「何か」

「あなた、もし我ら神々を下していたならば、その後はどうなさったお積もりで?」

「そうですねぇ……。それを成した後は、シヴァやインドラなどは全て排除している事でしょうし……」



 黒い笑み。

 根っ子のところは決して相容れない存在であるという、魔の加虐性を覗かせながら。



「……残りの神を統べ、飼い慣らします。私達は命を楽しむ術はあれど、命を育む行いに疎いですからねぇ」



 声と音の中間くらいの、ひぇー。という感想が自分の口から漏れる。

 神側の勝利がマッチポンプならば、妖怪側の勝利は飼い主と家畜。神に人の増産を行わせながら、それを消費するという事か。

 こうして二つの答えを並べてみてみると、人間にとっては、やはり神側に勝利してもらった方が良かったに違いない。



(平天が日本に居なくて良かった……)



 その一点のみは、見た事も聞いた事もない、運命とやらに感謝すべきだろう。

 尤も、今こうしてそんな欲望を垂れ流しで語る理由などある筈もない。捲土重来を狙うのであれば、それ以外の答えなど在り得ようか。

 こうして野心を吐露している現状こそが、もはやそれが叶わぬ夢となってしまったのだと、平天自身が口にしているようなものだ。



「あ~……。で、お前は俺に子供の面倒をみさせたい……んだったか?」



 脳内で雨雲がモクモクと立ち込めていたのを、かぶりを振って払いながら、気持ちを切り替える意味で平天へと確認を取る。後、二つ三つほど黒い欲望を垣間見ようものならば、この内心の曇天は、豪雨か雷雨にでも変貌するやもしれません。



「ええ、まさに」



 けれど、それに素直に頷く筈も無く。

 ……ただ、そうせざるを得なかった事情は、とても興味があったりするのです。



「自分でやっておいて何だが、よくガキ共は生きてたな。タッキリ山ごとぶっ壊したってのに。流石は平天のお子さんですってか? それともどっかに出掛けてた?」

「いえいえ。しっかりとあの地で暮らしておりましたとも。ですが……ははっ。妻に鍛えられたあれらは、そう簡単に朽ちるような軟な体ではありませんよ」




 あれ“ら”って……。お子さん達は何人兄弟なんだろう。

 さり気なく恐妻家の面が見えたのをスルーしつつ、平天大聖としての相対を思い出す。

 十全とは言えないまでも、MTGの能力を使いまくって、それでも倒し切れなかった平天が言うと、一体子供達はどれだけ強いのだろうかと、こちらの命に直結しそうな懸念が過ぎる。お礼参り的な意味で。



「おっと。あなたが考えているのとは、些か実情は異なるものだと思いますがねぇ」



 こちらの思考を読み取り、例の不敵な笑みを浮かべたと思えば、一転。

 とても気まずい何かを感じている風な、苦虫を噛み噛みする表情をして。



「―――この条件を飲んで頂ければ、私はあなたの元に下りましょう。正確にはそこの鼠の下ですが、この地から離れるあなたには、これの後ろ盾は、多いに越した事はない筈だ。間接的になりますが、これにはインドラの利も含まれている。要望はつつがなく受理されるでしょう」



 平天の口振りに、条件を飲まねば全てを話す気は無いのだとする、意気込みのような意図を感じ取った。

 我関せずとばかりに沈黙を続けるインドラを見るに、その言葉は事実らしい。



「だから、何でだよ。お前には一片……くらいはあった感謝の念も、あの崩落した土地ごと埋没しちまったからな」



 尤も、それに素直に応えてやる気概は無い。

 当初に感じていた感謝の念は、相殺どころか、贔屓目に見ても、命を奪うに足るレベルの恨みへと変貌していても可笑しくはない。

 こいつもそうだが、子供とはいえ、見ず知らずの他人の運命など。ましてや東方プロジェクトに何ら関係のない……思い入れの無い存在であれば、余計に。

 これがしっかりと約束を守ってくれる相手であるのなら、クベーラの時よろしく、応えるのも吝かではなかったけれど、言葉の裏を掻いて接してくる相手など、御免被る者である。



「……ッ」



 まさか、自分を対価としても受け入れられない案だとは思っていなかったのだろう。美形と言える、整った顔立ちが醜悪に歪む。

 それとは対極的に、インドラの表情に明るさが混じる。慈しむような、愛しむような、まるで、平天の苦悩を知っている故の喜びであるかのように。



「……私には一人……羅刹女らせつにょ玉面公主ぎょくめんこうしゅ以外に情を交わしていました者が居ます」



 羅刹女が本妻で、玉面公主が第二夫人……だったか、逆だったか。

 どちらにしても奥さん二名という事実を突きつけられ、埃の被った知識に光が当たり、役に立つんだか立たないんだか怪しい記憶が蘇る。



「……いや、待て。ちょっと待て」



 片手で両目を覆い隠しながら、空いたもう一方で静止の意味での手の平を向ける。

 羅刹女……本妻は良い。別に子供が生まれたからと言って何が問題になるというのだ。むしろお子さんを儲ける事こそ結婚の目標の一つのようなもの。二号さんだって、今の話の流れで言えば、寛容の文字が透けて見る。そうも大した事情は無さそうだ。

 けれど、俺にやらせたい事は子供の面倒を見てほしい、というもの。



「……隠し子、なのか」



 この平天の表情を、どう言葉にすれば良いのやら。

 羞恥と、苦渋と、恐怖が外装を固めているそれの内面は、覚悟。



「……はて、おかしいではありませんか。例え夫婦の契りを結ばぬ子であったとしても、あなた程の立場も実力もある者が、何故たった一人の子の為にここまでするのです。反論があれば、それこそ、それを発した者もろとも、木の葉の如き平たい存在へと成しえる力をお持ちの、あの平天大聖が」



 横からクベーラの疑問が入るが、それは俺の耳に、話半分にしか入っては来なかった。

 俺の大切な者達を奪った……奪った原因となった者が、何を今更。

 赤い感情となり、黒い感情となり。

 ……けれど、大切な者を守りたいと。理解出来るが故の感情をも抱いてしまった身としては、この振り上げた拳を何処に叩きつけろと言うのか。

 これで、リンやウィリクは勿論、こんな俺に付き従ってくれたネズミ達の一匹ですら欠けて居たのであれば話は別であったが、結果だけを見れば、完封勝利も良いところ。

 とはいえ。

 コイツに対して抱いた恨み辛みは、今も俺の胸の内で燻っている。いずれは鎮火される程度の大きさであるけれど、今すぐにとは、流石に……。



(さって……どう区切りを付けたもんか……)



 意図せず相手の殺生権を握った……レイセンの時とは別の感情が込み上がる。

 ちょっと前に、リンの為になる事をするのだと決めたばかりなのだ。折角相手が力になってくれると申し出てくれているのだから、それを突っぱねる理由はない。

 結婚……というより女と関係の一つも持っていない身で子供の面倒を見れるのかと不安にもなるが、やらない。という選択肢が取り難い以上、受け入れるしかないのだ。

 ならばその対価として、どんな無理難題を突きつけてやろうかと。知識の中にある、数百年分先の七難八苦を脳裏に思い浮かべた、その矢先。



「―――それは、あの子が人の血を引いているからです」



 呆けるほどでもないが、聞き入るほどでもない回答が、寝耳に水とばかりに俺の方へと飛び込んできた。



(……うん?)



 即座に判断し兼ねる平天の言葉に、どうやって鬱憤を晴らそうかと波立っていたこちらの思考は、平坦な水面へと変える。



「まだ天に近しい官位に収まっていた頃でしたか。何処ぞかは記憶にありませんが、紅に染まる山河を眺めていた時の事。何やら神妙な面持ちをした人間と出会いましてねぇ。妖怪について知りたい。と、この私に戯言……おほん……懇願されましたので。血風の如く舞い散る紅葉に酔っていた私は夢見心地でありましてねぇ。ついつい……」



 吐き出す言葉は留まる所を知らず。そのままグダグダと、長ったらしいったらありゃしない思い出話を切り出された。

 その人間と何を話したのか。という流れから始まった会話は、何十分続いたのか分からない。

 どっかの廃ビルを塒としていた、アロハシャツのおっさんと、絞りカスな吸血姫を彷彿とさせるうんたら物語的なやり取りを彷彿とさせるものであった事だけは、漠然と理解する事が出来た。










「―――ですので、仙人や邪仙と呼ばれる者達は……」

「も、もう勘弁してくれ……」



 もう、限界だ。

 俺の腕の中で目を回すインドラは、絶賛以って湯当たり中。

 すぐに出れば良いものを、俺より先に出るのが気に食わないらしく、勝手に我慢大会なぞ実行中でございました。辛い、出よう。と腰を上げた時に俺と目が合い、何を思ったのか、つーん、なんて擬音と共に、何食わぬ顔で再び肩まで浸かってしまったのである。

 目下、意識だけは辛うじて残っちゃいるが、こちらに体を預けなければ【温泉】に沈んでしまいそうなほどに疲弊していらっしゃる。

 本当にコイツは主神なんだろうか。さっき思った通り、そこら辺に居る子供の一人なんじゃないだろうかと疑念が募る。意地っ張りの無口な少女にしか見えません。あぅあぅ言いながら目を回してますし。



「だらしないですねぇ」

「馬鹿言え! 妖怪のリンとか、人生経験値積みまくりなウィリク様とか、神様なクベーラとかドラちゃんだってグロッキーになってんじゃんよ! 見ろこの惨状! 俺が泥酔するまで宅飲みした後の翌朝だって、もうちょっと活発だぞ!」



 多分、さっきまで飲酒しまくってたのが大きな原因なんだろう。回るの早いもんなぁ、お湯に浸かりながらの飲酒って。途中から酒飲むの止めて良かった。

 俺よりは断然アルコールの許容範囲が高いお三方ではあるけれど、それでも限界はあるらしい。先に、ネズミ妖怪様が種族の違い云々などと言っていたのが嘘のようだ。

 ただし、インドラだけは純粋に湯当たりしてるようであるが。ここだけ見ると可愛いんだけどなぁ。でも獣耳が無い分、リンには劣るな。触り心地的な意味で!



「……ってか、何でお前……ら、まで俺と一緒に長湯しちゃってんのよ。途中で抜けても良かったのに」



 冷却の為だろう。片腕を【温泉】の縁に積もっていた雪に突っ込んでいたクベーラが、何とか言葉を返してくれた。



「そ、そうは申されましても……。この機を逃せば、これの話は中々に知り得ぬものでありましたもので……」



 これ。とクベーラは平天を視線で指しながら、意識を繋ぎとめるのに精一杯。

 良い感じで酒が回っているようです。いや、この場合は悪い感じだろうか。

 ……まぁ、何が切欠で会話を中断するのかは分からないのだ。妖魔を相手にする機会が多い、神様という種族である。相手が勝手に情報を垂れ流しにしてくれるというのだから、それを得ない。という選択肢は無かったんだろう。



「ウィリク様とリンは?」

「私はただの興味から……であったのですけれど……」

「今後の……参考に……」



 冷えたミネラルウォーターのペットボトルを額に当てながら天を仰ぐリンと、氷嚢代わりのチューペットを首筋へと当て冷却を計るウィリク様。

 各々、湯当たり対策は講じているようだが、何事にも限度がある。勉強熱心なのは良い事だけど、それで倒れられては宜しくないと、この話題を早く次の段階へと持っていくよう、平天に抗議する。



「……ちっ」



 耳障りな音が聞こえた事に、俺の選択は間違いではなかったようだと実感します。こんにゃろめ……意図的に仕組んでいやがったか。



「さて、何処からでしたか……。そうそう、私の子の一人に、ヒトの血が混じっている。からでしたね」



 こほんと軽く咳払い。

【温泉】脇に積もっていた雪の中へと突っ込んでいたワインボトルを一本開けて、ぐびりと一口。あ、それ一時期ニュースで話題になってた、一千万届く白のシャトー……。ぬぅ、目聡い。



「……素晴らしい。洗練の極みとも言える技法の賜物としか思えないこのキレを、何と呼称すれば良いものか。至高、とはこれの為にある言葉だ。これだけで、ここへと訪れた甲斐があったというものですねぇ」

「おぉ、あなたにもお分かりになりますか。いやはや、初めてこれを口にした時には、数日前に自信を持って勧めようとしました葡萄酒……九十九様のお言葉を借りるのであれば、ワイン……でしたかな? が、霞んでしまいます。恥を掻かずに済んだと、胸を撫で下しているところなのですよ」



 共感出来る相手の出現に、クベーラの意識が覚醒。互いに頷き合いながら、ロマネさんとシャトー君に舌鼓を打っている。



(全部が全部、俺の時代の物が美味いって訳じゃないんだけどさ……)



 特に、水。こっちの土地のは砂っぽくて困るけれど、あっちの……大和の地の水は、今飲んでいる南アルプスな飲料水とは、比べ物にならないほど美味かったものだ。お陰でペットボトル系の水を飲むのに不満を覚えるようになってしまったけれど、国に帰ればいずれ飲めるあの旨さを思い返せば、十二分に耐えられる。

 どっかの料理漫画じゃ、豆腐とワインにゃ旅をさせるな。なんて言葉もあるようだが、まぁ多分……鮮度とかでも違うんだろう。ここからワインの生産地までは、ものっそ大雑把に思い浮かべてみても、ヨーロッパとインド。この地でワインを飲む機会があったとしても、そこには距離という壁が立ちはだかっている。時間だけならば熟成云々と価値を高める要因ではあるけれど、その為には、完璧に近い品質管理が伴うのだ。冷凍車も、湿度管理も、衝撃吸収性の高い輸送手段を確保している訳でもないこの時代であれば、味の劣化は避けられないもの、なのかもしれない。



「って、良いからはよ続きを言いなさいよ!」



 楽しみを邪魔された事に不快感の混じった顔を向けてくるものの、しぶしぶ。といった風に、こちらの言葉に従う平天は、その真っ白な肌を僅かに朱に染めるだけ。

 くそ、こいつも酒強いのか。リンやクベーラの反応を思い返し、酔い潰れるまでにはかなりの時間が掛かるものだと予想する。あちらが先に音を上げる事は無さそうだと思いながら。





 ―――不承不承と話す平天は、何故俺に子供を預けるのかを説いた。

 妖怪の暮らす地で、人間の血が混じる者が住まうのは、酷。

 かといって、人間の暮らす地であれば、妖怪の血が妨げとなる。

 では天界はどうかと問われれば、自分を利用する為に何をされるか分かったものではなく。ゆくゆくは子すらも利用するに違いないので、それだけは認められなかったのだ……とか何とか。



「……それで、俺?」

「ええ。妖の者であれば人の部分が蜜となり、天の者であれば魔の部分が険となる。なれば、残る道は、人。……尤も、人一人の力量など塵芥。―――人の利点は、数。けれどそれを選べば、排他性が強い種である為に、半人半妖たる我が子の害となるのは必須ですからねぇ」



 平天が求める条件とは、子供に害をなさない護衛。

 しかしそれは、神様でも妖怪でも都合が悪く、人間だと力が無いので守れない。



「幾万もの命を蘇らせ、幾万もの命を地の底へと没せしめた者よ」



 やや溜めた後。こちらを見ながら、ニヤリと口元を釣り上げて。



「常識の外。限界の果て。久遠の彼方。幾数もの神々と、幾万もの妖魔を知る私ですら未知である存在。まるで、そう。あなたは―――超越者と呼ばれる種に違いないのですから。だからこそ、そんなあなたに―――」



 そこで、俺の羞恥心は超越した。



「いーやーーッ!!」



 何だよ超越者って! ある意味で間違いではない気もするけれど、そうも真顔で前振り込みの解説されると、色々刺さるもんがありますよ!?

 抱えていたインドラを放り出し、粉になれ。と言わんばかりに湯へと体を叩き付ける。遠巻きに見ている【メムナイト】や睚眦、身近といえば身近に居るリンとウィリクの冷めた視線が全身を射抜いている気がするのは、錯覚ではない筈だ。

 耳から頭に入って来た馬鹿馬鹿しい単語を打ち払う為に、餌にありつく緋鯉よろしく、ばっしゃんばっしゃん水面を跳ね回る。



「おぉ愉快かな! やはりあなたはこうでなくては!」

「お前それモノ頼む態度じゃないだろう!?」



 獅子もかくやに叫んでみたものの、とうの牛魔王はそれすらも望む所であったようだ。笑いの質が、よりサドっ気の強いものへと深まっていく。





 ―――それも、何度目かの瞬きの間には、幻のように消えていた。

 熱の篭った眼差しに、今し方まで行っていた会話は全て、この為の……子の為の複線であったのかとすら思える、急緩を付けたテンポ。

 緩みに緩んだ心構えに、一刺し。



「我が子を―――慧音を。どうか」



 その間、大よそ二十秒。



「………………え?」



 突っ込み所は、それこそ山のように。

 まさかこの後に及んで、記憶の中にあるそれ……ではない可能性は考えられなかった。

 平天大聖、あるいは牛魔王の名前を、どうもじればあの苗字になるのだとか。人間嫌いっぽいコイツから、何をすれば子供が人間好きな性格になるのだとか。そもあれは、後天的に妖怪となった者ではなかったのか、とかとか、とかとか。

 何を言おうか。というか、何か言うべきなのだろうか。

 動けば動くほどはまり込んで行く泥沼のように。足掻けば足掻くほど埋もれてゆく蟻地獄のように。答えのない答えを求めて、俺の思考は堂々巡りへと突入するのだった。





[26038] 第58話 監視する者
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:21





 見る影も無い。

 未だ百年には届かないけれど、決して短くない年月そこを見てきたというのに、無限に広がっているとしか思えない月光と星々の輝きによって照らし出された砂の大地は、相も変わらずそこにある。数日前には完全に消え去ったというのに……はてさて。それは蜃気楼であったのか。



「……あぁ。変わり様、という言葉は、適切じゃあなかったかな」



 その、数日前に旅立っていった男の影を思い出し、苦笑。ひとしきりの“参った”を満喫してから、思考の続きを再開した。

 変わったのではない。戻ったのだ。

 結果だけを見れば差異はないとはいえ、真実をより鮮明にさせるのは良い事だ。それがどういう意味であれ。

 頭髪の色に合わせた灰色のワンピースを風になびかせながら、眼下の砂漠を見据える者―――ネズミの妖怪リンは、ぽそり、そう呟いた。



「何を眺めているのです?」



 後ろから、リンと同じく、天界へと挨拶を行う為に同行しているウィリクが声を掛けた。クベーラより奪……授かった、簡素ながらも技巧の凝った純白のサリーを小麦色の肌に身に付けている。若返った肉体に更なる彩りを添えるアクセサリと化した事で、女としての魅力に一層の拍車をかけていた。

 現在、ダン・ダン塚は大幅な改装工事中。ネズミだけならまだしも、たった一人とはいえ、これから人間が住まうのだからと。ひとまずの安定を手に入れた小さな住人達の手によって、恩人への感謝と未来への期待を爆発させた為か……他の種族顔負けの、文明とすら呼べる建造物が出来つつある。

 これも偏に神の加護か、はたまた【禁忌の果樹園】の実という実を貪り尽くして自力の底上げをしたせいなのかは、誰にも分からぬ答えであるけれど。

 振り向き、リンは微笑を以って母を迎え、二人は並び立つ。

 その二人の足場は、船。ヴィマナと呼ばれる大型クルーザー大のそれは、いずれ幻想郷に出現する宝船にも似た形の、神木を用いた神族の飛行船であった。

 特別な力場でも発生しているのだろう。人ならば体を震わせる冷気であるというのに、船の周囲は一定の温度で保たれている。

 二人が残るこの船は現在、天界へと向かうべく航行していた。何はともあれ、今後神の使いとしての役目を全うするのであれば、無駄な軋轢を生じさせない為にも、同業者への挨拶は欠かせぬものであるのだから。

 インドラ、クベーラは共に先行し、この度の件を早急にまとめ上げるべく奔走している。特にクベーラの嬉々とした様子は、リンやウィリクにはいっそ異常だと思えたほどだ。

 尤もそれは、リン含むネズミ達による信仰獲得の量を、大雑把に計算しただけでも従来の倍に近いものが手に入ると算出された事に起因する。元々この地での信仰は頭打ちであったので、それが一気に倍ともなれば、その喜びようは神々の誰もが羨み、納得するものであった。

 それとは真逆に、落胆の色を隠し切れていなかったのがインドラである。てっきり九十九―――非常に強い力を保持する者が、自らの傘下……手中に収まるものだとばかり思っていたのだから。ウィリクも、リンも、幾万のネズミ達もそうであったのだからと、自然、その結論へと至ってしまったのは仕方がないのだろう。

 でなければ、仮にも大陸の一角を統べる主神が、ああも他者に対して擦り寄るような真似はしない。

 当人の本心が何処にあったのかは定かではないが、これは自分の物になったのだという思い故に、それを独占しようとする意味合いの強いマーキング……スキンシップであった。玩具に夢中になる子供が、それを決して手放さないように。

 尤も、それは玩具がこの地を離れてしまう事によって、無駄となってしまったのだが。

 リンは悩ましげな視線を大地へと這わせた後、遠方の地へと消え去った……戻っていった存在へと思いを馳せた。



「あれは……」



 九十九の力は―――片鱗は、それこそ刹那の間の、ほんの僅かしか分からないもの。そこに何かがある、と知っていなければ、勘違いだと意識を逸らす程だろう。

 だからこそ気づかない。力ある者……クベーラなり、インドラなり、平天なり。彼らは自身が持つ強大な力によって、それが感じ取れていないのだ。

 聖も使う。魔も用いる。けれど、それだけではない。

 世界の全てとも思えた大地の崩壊は、白―――聖の力であると言い、巨大な山であった平天大聖の体を一瞬にして死の縁にまで立たせた力は、黒―――魔の力であると言う。

 けれど、皆の体力を回復した力はそれらとは別で、雷の赤竜を呼び出した力もまた別で。更には、幾度も行っていた大地創造術は、当人すら詳細に把握していないらしい。

 ……大地の悉くを崩落させた力が聖なるものだとは理解に苦しむところがあるけれど、まぁ、それも今更か。



(ふわふわ、ふわふわ。君は言動だけじゃなくて、その力までも定まらないんだね)



 少し、羨ましい。

 風に吹かれて流されるだけの浮き雲が、それを良しとせず、一つの目的を持って動いているのだから。

 国へと帰る。否、あの人の元へと帰るのだと。

 結局最後まできちんと尋ねる事はなかったけれど、隠す気があるのだか無いのだか不明瞭な彼であったので、さり気なく問い詰めてみれば、言動の端々からそれ―――思い人が居るのだと推理するのは難しくはなかった。

 ……しかし、それを全く感じさせない……いや。悪さをした子供のように、家に帰りたいけど帰れない。とでも言わんばかりの気の持ちようであったのだが、それでも、決めた事はあるようで。



「良いなぁ」



 決して縛られない者を、縛る。妖怪としても、女としても、そういう存在には憧れる。

 実に魅力的な立場だ。叶うのであれば、今後の参考として、そんな立場へと収まっている者に会ってみたいものである。

 聖人であっても難しそう。悪人であれば尚の事。

 ならば一体、どのような偉人が、彼―――雲の心を掴む事が出来るのだろう。



(生きる……生き延びる為ではない事に頭を使う……か)



 これまでは、どうすれば母が生き伸びられるかに腐心していた自分が全てであったというのに。

 起死回生を苦悩でもなく、最悪の中からの最善を模索する熟考でもない、ただの妄想。しかもそれが、現実逃避の類ではないときた。

 何と無駄で、何と楽しい甘美な時間。こんな時がずっと続けばと思い、こんな時をずっと続けていけるよう。無理をする日々でなく、無茶をする日々を目指していこうと。



 ―――と。リンは自分の左頬に、こそばゆい感覚が走るのに気づいた。

 思い当たる節は一つしかなく、思い当たるそれとの確信の下に、口を開く。



「おや、もう我慢の限界かな?」



 いつの間にやら自らの肩に縋っていた小ネズミへと、リンは人指し指を差し出した。

 スンスンと鼻を動かし、擦りつけ。少女の意見に同意する形でひと鳴きする声には、不満の意思が表れていた。



「あら、その子は?」

「何でも、ツクモの命の恩人……恩ネズミらしいよ?」



 ワザとらしい疑問系。自らの紹介がぞんざいであると感じた小ネズミは、抗議の声を上げる。

 冗談だよ。とリンが反し、小ネズミが抗議した最もたる理由の部分―――自らとの関係を口にした。



「色々あって、今じゃ僕の友人。ほら、こっちへ」



 声を掛け、肩に乗ったそれを手の平へと誘導。ウィリクの方へと差し出した。

 母はそれを両手で受け取り、自身の前へと手を持ってきた。

 完全に胸の前へと持ってこられた小ネズミは、チュウと一声、ペコリとお辞儀。愛くるしい仕草を披露する。



「まぁ。しっかりとしたお友達ね」

「ははっ。うん。僕の自慢の友人―――チフスって言うんだ」



 元々、その小ネズミには名など無かった。

 けれど、リンや九十九との交流を持つ内に、名がないのは不便でならないと思った九十九は『こんなのどうよ?』と提案し、今に至る。



「ツクモが名付け親でね。何でも、凄く強いイチマナ?のクリーチャーから借名したそうなんだ」



 その1マナのクリーチャー、【チフス鼠】という黒の1/1のカードは、【接死】と呼ばれる強力な能力を有している。

 10/10だろうが、100/100だろうが、ダメージを与えた相手を破壊する効果があり、ともすれば等価交換以上の取引の強要か、強大な抑止力となってくれる性能を保持していた。ところどころ欠点があるとはいえ、それが1マナで可能であるのは、MTGでもそうあるものではない。

 それを知ってか知らずか、得意気に胸を張る小ネズミ―――チフスの顔には、根拠のない自信が表れているような気がするウィリクとリンであった。

 ……このチフスという名前。

 後々の時代、高熱や発疹を伴う細菌感染症の一種……ピロリやコレラといった類の病原菌の名となっている事を、とうの名づけ親は知らないのだが。



「やりたい事。やらねばならない事。山積する量は共に目を疑うばかりですが、それもまた楽しみとなりつつある……」



 遠ざかる地上に憂いを帯びた視線を這わせ、ウィリクは哀愁の篭った吐息をこぼしながら。



「……ふふっ、強欲な女ね。少し前まで、如何にして民を治めるかに頭を抱えていたというのに。……それが……今は……」

「お母様……」



 納得してここに立っているというのに、それでも後ろ髪を引かれる思いが消え去らないのは、それだけ自分の中で大切な……大切であったもの、だったから。

 自虐に濡れる顔を不安に思ったリンが、ウィリクの服の裾を掴む。

 もう離れないでくれと。もう居なくならないでくれと。

 いつかは別れる定めではあるけれど、それでも、寿命以外の離別は許容出来るものではない。

 儚げな微笑を向け、ウィリクは了解の意を反す。

 人生、一度きり。そんな定め……命の真理を容易く覆された上で、今の自分はここに居る。

 命ある者の誰もが望み、命ある者の誰もが縋った願いの体現者。しかもそれが、聖魔のどちらでもなく、ましてや幾年もの修行の末の成果―――仙人でもないただの人であるのだから、他の者が耳にすれば、子供向けの幼稚な笑い話としかとれないだろう。



「あぁ、そうでした」



 陰鬱な空気を払う形で、ウィリクは話を変えた。さも今思いついたという口調からの切り出しであったが、まとう空気からは、元よりこれを告げる機会を窺っていたのだと知るものであった。

 リンと並び立っていた姿勢を、対面する形へと。

 優しげな表情はそのままに、そこには真を含んだ心が宿る。



「我、故クシャタナ王国が女王、ウィリクが真を以って発する。五十万以上の小さな猛勇達を。そして、あの平天をも影で束る将。宝物神クベーラの使い―――監視する者、ナズーリンよ」



 それは、九十九がこの地より去って翌日の事。

 クベーラ、インドラの両名は、神の使いになろうという者が、ただの名のままで良い筈がないと。しかし当初の懸念通り、仮にも妖怪を配下として迎えるには他の神々には多くの抵抗がある。よって、多少なりとも嫌悪感を軽減すべきだとし、母国の言葉を用いず、隣国―――後にペルシア、ペルシャと呼ばれるもののそれ。『nazare』―――見る、監督、の言葉から流用する事となった。

 ウィリクの言葉に反応し、二人は対面。しばし目と目を交わす。

 そして、すぐにリンはその場に傅き、目を閉じて頭を垂れた。機微を察した小ネズミのチフスはリンの肩から降り、やや離れた位置でそれを見守るよう静かに伏せ、二人の間に混ざる気はないと、行動で示す。

 無言の均衡は、ウィリクが動く事で変化を見せる。

 一歩踏み出し、懐より取り出した小箱を開ける。それは、リンがウィリクの国より持ち出していたもの―――クシャタナ国の特産である、ホータン玉と呼ばれるそれであった。

 通常、この玉は多少なりとも異物が混じる。ダイアモンド、ルビー、トパーズのように、不純物が殆ど混入していない代物は皆無に近い。

 けれど、ウィリクが小箱より取り出したそれは、青。

 晴天の青空。南国の大海。清水の湖。一点の曇りも異物も見受けられない、ともすればサファイアと見紛うほどに清んでいた。紛れもない国宝。その価値は計り知れない。

 だからこそ、それをせめてものウィリクの死の対価として奪取したリンであり、今この場で行われようとしている……それを託される意味も、充分に理解している。

 小箱より出された宝石は結い紐に連なり、首飾りとして着用するものだと分かる造り。それをウィリクがどうするのかは、一目瞭然であった。



「これより、あなたは神の僕となります。弱き者の声を届け、声無き声を拾い集め、炎下の地を駆け巡る。けれど、忘れてはなりません。妖怪という種故の嫌悪、若輩者であるからの偏見、経験や知識がない為の歯痒さ。立ちはだかり、待ち受ける困難は、この広大な砂漠にも似た規模である事でしょう」



 傅くリンの首へと、青い宝石をかける。

 目を開き、ゆっくりと立ち上がるリンに、ウィリクは力強く、それでいて慈愛に満ちた眼差しを向けながら。



「ですがあなたには、あの平天大聖にすら挑む幾万の勇士が居ます。その力量は火を見るより明らかであったというのに、それでも付き従ってくれた部下―――いえ、あなたの大切な仲間です。そんな彼らが傍に居る。信頼の置ける者達が周りに居るという状況は、それだけで何者にも変え難い、巨万の富に勝る、あなただけの―――いえ。あなた達の、宝物」



 国に裏切られた者の吐露だからか。その言葉の端々には苦く、赤黒い色が混じっている。

 だからこそ、その言葉は真実。

 ウィリクは膝を落とし、直立不動のリンへと目線を合わせ。



「そんな仲間達が居ても……。もし、それでも挫けそうになった時。乗り越えられない現実に打ちひしがれ、歩みが止まってしまいそうになったのなら」



 言葉を区切り、とても柔らかな笑顔のままに。



「逃げなさい」



 ともすれば、最低の侮蔑を受けるであろう行いを推奨する言葉を告げた。

 ただしそれは、額面通りの意味にあらず。



「弱気になった自分から。逃避したくなる心から。逃げたくなる気持ちから、全身全霊を以って背き続けなさい。そうすれば、あなたはこの世の誰よりも素敵な女になれる。そう、母は思い、願っています」



 目頭が熱くなる思いのリンは、それでも無言。

 口を硬く結び歯を食い縛りながら、それでも声だけは上げまいと、両の手の平を握り込んでいた。

 しかし、この点においては、リンはそれを実践し続けてきた。

 自らの命を救い、心を救ってくれた母の為にと。西へ東へ、北へ南へ。魑魅魍魎が跋扈する危険地帯から始まり、魔に属し、忌み嫌われる身でありながら、人間のコミュニティである他国までも。妖怪とはいえ幼い体に酷使を重ね、考えられうるあらゆる手段を講じてきた。

 巧妙に隠していた―――と信じているのはリンばかり。それに感づかぬ母ではない。ウィリク自らに嘘偽りを述べてすらも実行していた心情を察し、言葉で止める術はないものと思い、ならばせめて心穏やかな場を作り続けようと苦慮した結果の、これまでのリンやウィリクの付き合いであった。

 けれど。



「でも、それで本当に折れちゃったらいけないわ。逃げて、逃げて、逃げ続けて。それでも逃げ切れなかったのなら―――」



 悪戯をした幼子のように、声色を明るいものへと変えつつ。



「―――本当に逃げちゃいなさい。そして、あなたが本当に逃げてしまいたくなるような経験をした、そんな時が訪れたとすれば」



 優しげな表情に加え、今度は茶化す風な色を新たに付け足しながら。



「その時は―――ツクモさんが黙ってはいないでしょう」



 一瞬、リンの目が点となる。

 何故この場に居ない者の名が出てくるのかという疑問は、ウィリクの続く言葉で氷解する事となる。



「広大な砂漠の一点……偶然と、奇跡と、運命と。それらが結託しないと……しても起こせない様な出会いだったんですもの。たまたま出会い、たまたま良好な関係を築き、たまたまそんな相手が大聖以上の力を有しているなど、何処の夢物語だと疑ってしまうでしょう。……もし、あなたがまた苦境に立たされたのなら、全ての問題を押し退けて、きっとその手を差し伸べてくれる。縁とは、そういうものですから」



 愛おしく頭を撫でながら、愛おしさをその手に乗せながら。



「逃げる事は恥ではないの。頼る事は悪ではないの。逃げ続ける事、目を逸らし続ける事が弱さであると。私はそう、考えます」



 その考えは万人には当てはまらないものだと、リンに語り掛けた当人が最もよく理解しているし、それをリンが行い続けてきたからこそ、今の自分達はここに居るのだとも思っている。

 釈迦に説法。ウィリクの心を過ぎる思いを言葉にしてみれば、そんなところが適切か。

 それでも言わずにはいられないのは、ずっと押し殺してきた―――僅かにしか表せなかった、母としての面が強い。

 クドクド、クドクド。誰もが言われた経験があるだろう。

 分かっていても言いたくなる。それが親という者であり、最愛の存在を持つ者の、性の一端でもあるのだから。



「おかあ、さま」



 母は子を胸に抱く。

 子は母の胸に縋る。

 背に回された五指が強く握られるのを感じながら、ウィリクはより一層の力を込めてリンを抱きしめ反した。



「……それに、今の私だって、我が子を抱きしめる事くらいは出来るもの。あなたの心を守るのは、インドラ様よりも、ツクモさんよりも。他の……世界の誰よりも適任であると。自信を持って告げておきます」
 


 あなたが困難に直面するまでには、それなりの力を蓄えておきたいのですけれど。

 僅かに頬を朱に染め、照れた顔を浮かべながらそう漏らすウィリクに、リンは再び胸へと顔を埋めた。もぞもぞと首を左右に振って、奥へ奥へと押し入るように。

 今までは体を労わっていた付き合いであったので、極力避けて……遠慮していた力強いスキンシップであったけれど、今の母は十代半ば。見た目こそ二十代前半ではあるが、歩行も困難であった老体とは比べるまでもない体力である。



「あら、どうしたの?」



 胸へと顔を埋めたリンが、しかし、再びむず痒そうに体をくねらせ、頭を離す。

 ぷはぁ、と大きな一呼吸。悩ましげな目を、目前の柔らかな物体へと向け。



「……」



 その後、視線を下へと自分の胸へと落とし、自らの手でそっと……。



 ―――ヒニュン。



「……はぁ」



 おそるおそる、繊細なガラス細工でも触るように触れた体の一部は、しかし、見た目通り、肉体年齢通りの感触を反してくるばかりで。

 対して、ウィリクは無言。

 微笑ましい、若き日の過ちでも見るような、全てを許す慈愛の瞳を浮かべ。



「大丈夫。私の夫も、大よその男が興味を惹く……筈だったお尻やおっぱいには目もくれず、太股ばかりを愛でていたもの」

「……ツクモ相手ならいざ知らず、お母様からそういった言葉は聞きたくなかった、です」



 肩を落とし、顔面に何本かの縦線を走らせるリンに対し、ころころと笑うウィリクの内心は、少しの嫉妬が含まれていた。

 リンと九十九、当人達の意思はどうあれ、自分の目の前であれだけ夫婦漫才をやられた日には、拗ねたくもなるというものだ。

 それが―――愛娘の唇を奪った者であれば、なおの事。





 と。





「―――そこまで気落ちするものでしょうかねぇ。その辺りは多少の造形よりも、相性の要素が強いものだと認識していたのですが」



 月光降り注ぐ砂漠に木霊する、鋭く冷たい男の声が。

 純白のサリーに身を包んだウィリクよりもなお白い全身の。元・タッキリ山が主、平天その人であった。



「女心が分からないとは、あなたの奥方達は、さぞ苦労されているでしょうね」



 そこに居たのは知っていたと。

 呆れと挑発の視線を混ぜ合わせた眼光を向けるウィリクに、平天はおどけた風に肩を竦めた。



「おや。一を見て十を知った気で? インドラから千里眼でも授かりましたか?」

「そんなもの無くても分かります。女ですもの」

「……参りましたねぇ」



 どうやら図星であったようだ。

 困った、と吐息を一つ。警戒するリンを他所に、平天はウィリクの横へと並び立つ。

 ……いや。並び立とうとし、足を勧めた直後、対面する形で、彼の進路を塞ぐ形で大柄な人影が現れた。



「ほう。久方ぶりですねぇ。―――睚眦」



 片手に直剣、背に大弓を担ぐ大男の名は、睚眦。九人居るという龍の子の内の一人である。

 壁となって平天の前にそびえ立つ意図は、誰がどう見ても、背後に居る者を守る為。

 これが数刻前、【鬼の下僕、墨目】によって傀儡と化していた時ならば当然のものであった。けれど、今ここに居る睚眦の瞳には、虚ろとは真逆の、力強い意思が感じ取れるもの。



「これはこれは。あなたともあろうものが、まさかヒトに下ろうとは」

「……それはキ……あなたが言えた事じゃあないと思うけどね」



 非難の声。小馬鹿にした物言いであった筈なのだが、それは非難した相手の全身を撫で回すような視線によって封殺されて、リンは慌てて言葉遣いを若干丁寧なものへと修正した……された。

 幾ら立場が上とはいえ、相手はタッキリ山の主であった平天大聖。実力差は日を見るより明らかである。怖いものは怖い。

 そんな平天の視線を挑発と取った睚眦が、その大妖怪の眼前へと直剣を突きつけた。

 かつて配下にいたものの、それは利害関係の一致からに過ぎず、こうして不一致となれば、それは……。



「おっと。冗談、冗談ですよ。怖い怖い、あなたは昔から、冷血でありながら血気盛んで楽しい者ですが……」



 そっと。一枚の紙切れを扱うように直剣の切っ先を掴み―――。



「―――この場で騒動を起こす事は、どちらにとっても不都合以外の何者でもないでしょう? 我らにとって、この小船は、力を受け止めるには小さ過ぎますからねぇ」



 触れている面は人差し指と親指のみ。たったそれだけしか触れていない筈の直剣は、岩に突き立つ聖剣の如く、ピクリとも動かず固定されてしまった。

 ただの人間であればそれも当然かもしれぬ状態であろうが、相手は妖怪の中でも上位に食い込む猛者。そう易々と行えるものではない。

 睚眦の目が僅かに細まり、次いで浮かべる表情は、笑み。龍の顔から牙を覗かせ哂う様は、獰猛な赤に染まっていた。

 直後。

 睚眦が直剣を握る腕が一瞬膨らんだかと思えば、バキリ。金属質の叩き折れる音と共に、直立不動の姿勢へと戻る。その手にあった刃の先端。それが見事に一部を欠けさせた事を除けば、時の巻き戻りを錯覚させる光景であった。



(……これらを監視しきる自信がないよ……)



 危うい、など生温い。傍から見れば一触即発状態であった。

 これが、この先ずっと。

 これから起こるであろうあれやこれを思い浮かべ、内心で頭を抱えるリンを他所に、平天は摘んでいた直剣……の先端部分であった金属片を、興味を失ったとばかりに船の外へと放り投げ、当初の目的通り、睚眦の横を通り抜けて、ウィリクの隣へと移動。

 問い掛けるような、言い聞かせるような。そんな自問自答を呟いた。



「やはりあの男は理解に苦しみますねぇ」



 平天は、願いを託した男を脳裏に画く。

 初めての出会い……印象は、妖怪の総本山たる場所へと雄々しく乗り込んで来たかと思えば、道中は欲に塗れた人と呼ぶに相応しい態度であり、その評価はこうして全てが一区切り付いた後となっても、基本は変わることはない。

 最後まで己が心情に従って欲を貫いた姿勢は、人間を統べている立場の、主に王や皇帝と呼ばれている者に多く見られる傾向ではあったものの、その態度は大よそ人の上に立っている者ではなかった。

 まだあれと敵対する前、ネズミ達と共に【禁忌の果樹園】の実を食していた頃の評価は、ここにきてそれが寸分違わぬ評価であったのだと決まった……決まってしまった。

 余裕を消す事で相手の本性を曝け出そうとしての行いは、それをせずとも、見たまま、感じたままの相手であったのだから。

 初めて見る、チグハグな存在。

 自分やインドラを凌駕する力を持ち、それらを得る為にはまず解脱している筈の境地……一貫性とも言えるそれ―――人という種の欲を抱きながら、たった数日間とはいえ、それをまったく感じさせない程に自然体で居続けられる胆力は驚嘆に値する。

 まるで人という種をそのまま強大にした……仕立て上げたような試作品。古びた剣に、無理矢理人外の力を宿したような歪さ。

 それを何と例えたら良いものかすら、今の自分には思い至らない。



(……いけませんねぇ)



 数百年のこれまで培って来た知識が、かえってあれの認識を歪めてしまっている。

 次に会う機会があるのなら……あの者を正確に把握するには、余計な経験はない方が良い。自分などよりも頭の軽い……そう、最も新しく義兄弟となった岩猿の方が適任だろう。



(まぁ……だからこそ、ですか)



 愚者と蔑んでいた相手……ヒトという種に、羅刹女、玉面公主に次ぐ三つ目の愛が実ったかと思えば、それを奪い去っていったのも同じ種の愚者。





 ―――人の子ではないからと。人外の子であるからと。

 火炎が舞う家屋。それを取り囲むニンゲン。手にした鋤や鍬の先端にこびり付く甘美な赤と、ぶつ切りに解体された肉人形は、最も新しく情愛を交わしたばかりの……ナニカ。

 それの次に視界に飛び込んでくるものは、今まさにその小さく幼い体に刃を突き立てんとする、塵共の姿―――。





 ヒトは、守り、導く対象にあらず。そう思い至るのに、さして時間は掛からなかった。

 他の理由が鬱積していたところに起こった決定打。天界より反旗を翻した頃にあった考えは、今も変わらず胸の中にある。

 事実、タッキリ山などという雑多な神々や妖魔すら寄せ付けぬ根城を築き勢力を広げていたというのに、把握しているだけでも、人の数というのは減るどころか増える一方。まだネズミ達の方が自然を尊重している分、可愛げがあるというものだ。

 その後。残った子への対応は、自分を以ってしても探り探りであったとしか言いようのない程に危ういものであったが、妻を亡き者にした同種は全て噛み砕き消化してしまっている。

 少しは妻の心でも流れ込んでくるかと思えば、味わえたものは恐怖のみ。実に予想通りで、実に期待外れの結果であった。

 ……そして、そんな最愛にして最憎たる種族に再び友好を以って関わろうというのだから、この世の理を鼻で笑ってしまいたくなる。

 それもこれも。



(既に、私はあれの手中にあったのですから)



 あの東の超越者が、情に脆く、情に厚い事は把握済み。

 それがどう叶えられるか……。に対しては不安が鬱積しているものの、仮に最悪の事態になろうとも、死の否定すら軽々と行ってしまうのだ。親として、これ以上の安心感はまずあるものではない。

 あの子以外は、もはや自らの加護がなくとも十二分に世に羽ばたいていける実力は有している。後は残りの手札を全て使い助力を確約させれば良いだけ……で、あったのだが。



(慧音の名を告げた時の、あれの反応ときたら)



 見ず知らずの我が子の名を知らせた時のあれの反応は、もはやそれが既知であるとしか言えないほどの狼狽であった。

 知っていたのだ。自らの秘部を。

 掴んでいたのだ。自らの弱点を。

 ただそれが、今の今まで平天の子であるという事実に結び付いていなかっただけ。口にしなければ良かった弱みを発してしまった事で、自らの墓穴を掘る羽目となり……。



「……降参、ですねぇ」



 数千万は居るであろうヒトという種の中で、よりにもよって、何故自らの子の存在を知っているのか。しかもそれが顔見知り程度のものではなく、あの驚き様からして、既に一定以上の関係を築いているに違いないときた。

 偶然などという単純な答えで片付けられる訳がない。我が子この世に生まれ、まだ百年は経っていないという短い間に、自分に気づかれる事なくあれは、既知の関係を育んで来たのだ。

 ありえない、と。それ以外の何の言葉が出てこよう。

 炎天の地を統べる神々は勿論、配下の妖怪、自らの妻ですら。誰もが知り得なかったそれを把握していたばかりか、既に根回しが済んでいたという、もはや未来を……千里眼を持つインドラすら上回る、先見の眼でも備わっているとしか考えられない手回しの良さ。

 ……もし。それを知らずに、あれを意のままに操ろうと画策した場合の未来は。一騎当千の妖魔の群れを沈め、大聖の大半を大地へと没し、タッキリ山すら埋めてしまった結果を見るに、自らが守るべき全ての死という結果が待ち受けていただろうから。



「あの方は、娘の唇を奪ったのですもの。これくらいはしてもらわないと」



 ―――そんな思い悩む平天の思考を遮る形で、ウィリクが九十九に対する感想を述べた。

 平天の浮ついていた意識が戻り、彼は何故この女が唐突に、そのような事を言い出したのかを考える。

 あれについての熟考が顔にも出ていたのかと思ったが、何の事は無い。



(……おっと。そういえば、問い掛けの形になっていましたか)



 自ら発した、あれは理解に苦しむ。との呟きに反応しての台詞だろう。

 こちらから振った話題であったのを平天が思い返していると、それを皮切りに、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇ってしまったリンは、耳や頬のみに留まらず、顔……いや。もはや全身から湯気が出そうな程に赤く茹で上がってしまっていた。



「ですが、それだけの為に睚眦を傀儡から解放するなど、愚の骨……ちっ」



 ほぼ言い切ったに等しいが、それだけ述べた所で平天は言葉を止めて、忌々しげに顔をしかめた。

 九十九を蔑めば蔑む程に、それに屈した自分を下げる事にしかならないのだから、自虐行為もいいところである。平天にそのような趣味はない。

 先に内心でその者に白旗を振った手前、効果はより大きなものとなっているが故に。



「……まぁ、その辺りは色々と、ね」



 呟きは、ネズミなのに茹蛸となっていた少女の方から。

 睚眦の獰猛な空気は一転。ギョッとしてリンを見る彼であったが、『分かっているさ』と返す少女に、大きな安堵の息をこぼす。



 どう見ても弱みを握られているとしか思えないそれ―――この不透明な関係は、九十九が旅立つ前日にまで溯る。

 完全に。とはいかなかった【ハルマゲドン】によって崩壊した土地の修復を全て完了させるべく奔走していた時の事。出会ってからまだ日も浅いというのに、半ば恒例として周囲に認知されつつあった九十九とリンの漫才の一時であった。

 少しキツく言い過ぎたリンに対して拗ねる九十九に、少女は苦笑しながら、どうすれば許してもらえるのかと問い掛けたのであったが。



『ちゅーしてくれ、ちゅー』



 出来る訳がないと踏んでの男の物言いは、事実、リンが素直に受け入れる事はなかった。それを告げる事で困るリンを九十九が見たいが為の戯言である。

 ……けれど、その体は、別。

【鬼の下僕、墨目】が龍人の睚眦を傀儡と化した時に、九十九は気づいておくべきだったのかもしれない。墨目によって蘇ったクリーチャーは、プレイヤー……彼のコントロール下に置かれるという事に。

 惜しむのならば、この時まで命令やお願いといった言葉を口にしてこなかったのを悔やむべきかもしれないが、時、既に遅し。



『んんっ!?』

『―――んなっ!?』



 幸いにも少女の口と男の頬が合わさっただけで抑えられたハプニング……見るものが見ればスキンシップの一環とも取れる行動が起こした結果が、今のこの状況である。

 その直後のネズミ達の、『よっしゃこれで!』と言わんばかりの歓喜やら、『あらあらうふふ』と無手―――恐らく暗器持ち―――で九十九に接近するウィリクやら、あぅあぅ言いつつ魂ここにあらずのネズミの少女やら。

 そんな、約一名の命の危機が迫りつつあった騒動があった最中。



「……それが原因で、偶発的に睚眦の呪縛が解けちゃったんだよね」



 リンは懐かしみ、疲れた笑いをこぼす。

 その時、羞恥と混乱の最中の思考によって九十九が導き出した答えは、そんな状態の改善。自分が自分の意思で行動出来るようにする、命令権の返上であった。










『家路』

【特殊地形】の一つ。

 タップする事で無色のマナを一つ生み出す能力に加え、タップする事で、各プレイヤーはそれぞれのクリーチャーのコントロール権の再配布を行う能力を有する。要約すると、場に出ている奪った、奪われたカードが元の所有者の下へと戻る。

 この【土地】が場に出ているだけで、対戦相手が使うコントロール奪取系のカードは無力化されたようなもの。そういったカードが用いられる場面が多い訳ではないが、そういったカードを使う相手には、これが出ているだけで強い抑止力となる。










 個別に対象が取れるものではないそれは、当然ながら、全てに効果をもたらすもの。最大範囲は分からずとも、護衛の為にと目と鼻の先に居た睚眦に、その効果が届かない筈がない。

 一瞬で【恭しきマントラ】による【プロテクション(黒)】を付与し、【お粗末】による無力化を狙う九十九であったが……。



『……うん?』



 間の抜けた九十九の呟きは宙に溶けて。

 血風が飛び、剣撃が乱舞する未来を予想していた誰もが、どれだけ時が経っても風が周囲を吹き抜ける音しかしない……睚眦がまったく動かない、魂の抜け殻にでもなってしまった状況に、頭の中を疑問で埋め尽くし、数十秒後―――。



「君に、お姉様は無理だと思うけどね」



 忘れ去りたいような、決して忘れたくないような奇妙な心境を経て、睚眦が意思を宿したままでも付き従っている状況への一言を、リンはそう締め括った。

 途端、龍人の顔が朱に染まる。

 人間の生半可な攻撃では傷一つ付かないであろう新緑色の表皮の上からでも分かる程に赤く色付いた体からは、もう少し追い詰めれば先程のリン同様、湯気でも立ち上るのではと思わせるくらいであった。

 その時の一件を要約すれば、一文……否。たった一言、僅か一文字で事足りる。

 恋。

 それが、他八人居るという龍の兄弟達の中で、殺戮を好み、最も残忍と言われた者がリン達の護衛になっている理由である。



「……なるほど。命を奪われたばかりか、魂までも、とは」



 一触即発の空気、再び。平天のからかうような感心の声は、睚眦の気に触れたらしい。

 先の冷たい闘気ではなく、紅蓮の……薄桃色に見えなくもない滾りが体から溢れ出しそうになる龍人であったけれど、その元上司は、そんな相手を片手で制し。



「分かりますとも。でなければ、この私に妻などおりませんからねぇ」



 口元の嘲る笑いはそのままだが、眼光だけは嘘偽りないとする力強さ。

 舌打ち一つ。睚眦は行き場をなくしたわだかまりを、それに乗せて吐き出した。



「こっちの情勢が落ち着いたら。そういう契約だからね」



 墨目は九十九が呼び出した存在である事。つまるところ、この世をいくら探そうとも会えないのだという事を、九十九当人が説明。

『ならば呼び出せ』と龍人が言えば、『ざんけな。嫌とは言わねぇが対価を払え』と男が反し。

 そんな流れで話は進み、リンやウィリクが会っても良いと判断すれば、九十九が呼び出すという内容で契約する事で落ち着いた。



(……あれ。でも、その場合ってツクモがこっちに来るという事になるのかな?)



 まさか、こちらから行かねばならないのだろうか。きちんとした距離は分からないけれど、九十九が目指している国というのは、決して近いところではなかった筈。

 その辺りがうやむやのままに決め事をしてしまったのだと改めて気づいたけれど、神の助力が期待出来る以上、どちらにしても大きな問題ではないだろう。



(ま、具体的な期間は決めていないから)



 それが百年先か、千年先かは、少女やその母の胸三寸。

 大切な事は、会わせられないと言ってしまう……言ってしまったと同義の行動をしない事。可能性を完全に断ち切る、希望を捨て去る行いは、その命のリミッターまでも奪い去ってしまう。

 早い話、自暴自棄。それだけはさせてはならない。相手の力量的に。



(狡賢くなった気がするね)



 僅かな希望をチラつかせ、それで相手を操ろうというのだから、ある意味でまさに妖怪の本懐を達成中なのであるけれど、それに素直に喜べないのは、母や九十九の影響だろう。

 けれどそれも悪くはないと。首に掛かる、ウィリクより授かったスカイブルーの宝石を触りながら、リンは納得と共に微笑した。



「子供……娘さんは、九十九の国の辺りに居るんだった、かな?」



 そんな影響を発していた相手の一人、今回の件の最大重要人物を思い浮かべ、彼が向かっていったであろう目的地を平天へと尋ねる。



「細部は話すつもりはありませんが。まぁ、そちらの方角かもしれませんねぇ」



 弱味は少ないに越した事はない。ぼかした表現は、そう意図するからに他ならないとリンは察した。

 クベーラやインドラは勿論、妻達にさえも。平天が九十九当人にしか告げていないそれ―――慧音と呼んだ子の居る地は、既に没してしまった元タッキリ山にあらず。この地より遥か遠く、決して平天が率いていた陣営の勢力が及ばぬところであった。

 彼の子供達がタッキリ山で暮らしていたのは間違いないけれど、それが全員だとは一言も発していないのだから、平天と九十九以外がそれを正確に把握するのは、まず不可能。

 しかしながら、第三者へと話してしまった時点で全てを秘匿するのは難しく。

 他人に頼られ、それを了承した九十九が子供の確保―――居場所を隠したがっていた平天の本心に沿うように、目的地へと一直線に向かわない。という気の利いた行動が取れるとは考えられなかったリンであったので、自ずとそのような答えが出て来た。

 そして、それはあまり的から外れていないようである。

 尋ね過ぎたか。

 平天という相手を鑑みて、知り過ぎた者の末路を連想したけれど、今のところは穏やかのまま。これ以上は止めておくのが最善だ。

 思わぬ地雷を踏み抜きそうになったリンではあるが、無事に回避に成功する。

 悪寒を振り払う様に隣に居た母の手を握り、再び考える事は、九十九の事である。



「超越者……か」



 神でも妖怪でもなく、仙人や邪仙でもないとすれば、そういった種族であるのだろう。あの時に初めて耳にした名であるが、呼んで字の如くの存在に違いない。

 何といっても、広大な大地を丸々と消失させたばかりか、死の否定すら容易にやってのけるのだから、納得する他に答えはない。

 超越者という種族を知っていた平天の博識さに感心しつつ、持ち込まれた文献や書物、伝聞くらいしか外の知識を有しない自分を恥ずかしむ。



「まさかキ―――あなたがハクタクだったなんてね」

「くっくっくっ……。世間に散文している認識は把握しておりますよ」



 中々に直らぬ蔑みの口調に笑みを濃くする平天に、またやってしまったと慌てて言い直すリンであった。



 ハクタク。

 人面の白牛であり、計六つの角に加え、体中に眼を持つというそれは、人外の存在ではあるものの、妖怪ではなく聖獣として認知されている。

 世を治める為政者の前に現れ助言を与える事から、王の選定者としての面も持ち、それに出会えば子孫繁栄となり、ハクタクに関わる物品は権力者や延命者達の手元に、こぞって集められている。



「……と。そんな話ならよく耳にするんだけれど」

「希望というものは、見る者の欲によって色を変え形を変え、無駄に膨らむもの。そのような行いは、たった一度しかしていないのですがねぇ」



 一度、人に対して福をもたらした噂が一人歩きし、後は受け取り手の自由に話を膨らませた結果だと。

 ジト目になるリンに、実に愚かだと平天は哂う。



「しかし……」



 そんな妖怪の王へと収まってしまった聖獣を、上から下から。リンは余すことなく観察し。



「……なに。時が来れば、徐々に周知のそれに近づく筈ですよ」



 その意図するところを察した平天は、疑念を氷解させるべく言葉を発した。

 一度だけであるけれど、リンが平天の本体を見た時には、ただの巨大な白牛であった筈。

 それが途方もない巨大さであった事を除いても、人面、六つの角、体中にあるという眼。そのどれも見た記憶は無い。



「自身の欲に身を任せる程に眼の数は減り、清らかであろうと勤めていた心を無視する程に角は減り。まるで自己の醜さが顕現するように、頭部にあった双角だけは物々しい凶器へと変貌していきました。力を持つだけの獣―――妖怪である者に過度なモノは不要だと、自身の体が判断したのかもしれませんねぇ」



 西洋には、聖なる者が邪な者へと変貌する際には、堕天、反転などと呼ばれ、その容姿を大きく創りかえる場合もあると思い出したリンは、それが平天にも起こったのだと判断する。

 好奇心に突き動かされるがままに詳細を尋ねてみたいとは思うが、更に口を開く気はない。



(……これ以上、機嫌を損ねたくない)



 折角和らいだ空気を、再び剣呑にする必要もないし、したくもない。

 自分は、ツクモではないのだ。見えている危険に飛び込む無謀は断固避けるべきである。そう考えるリンであった。



「しかし……他の大聖の位置は掴みましたが……はて……あの岩猿は一体何処へ……」



 夜景を見ながら自らの思考に没頭し始めた平天から視線を切り、同じく夜景に視界を向ける母の手を握り、共にそちらを見つめる。

 すると、これまで見守る事に徹していた小さな友人が、再び自らの肩に駆け上ってきた。

 母や自分と同じ方向へと視線を向ける様は、こちらを仲間外れにするなとでも言わんばかり。



「ごめんごめん。そうだね、これからは君が一緒に居てくれるんだものね」



 そうだ。と断言する風に胸を張……っている気がするチフスに、微笑。どうやらずっと一緒に居る算段らしい。

 それも良いかもしれないと。しかし、今後同行するのなら、移動手段はどうしようかと思い悩む。

 歩幅の問題は大きく、ならばこれまで通り自らが連れて歩くのが最適であろうが……。



「ま、ゆっくりと考えていけばいいさ」



 幸いにも、これから学ぶべき機会―――これまでと比べれば安息に近い時間は多くある。

 母も居て、仲間も居て。友も出来て、目指す未来も出来た。

 実に心躍る。これから訪れるであろう様々な出来事に思いを馳せて。



「―――ははっ」



 感謝の言葉は、これまでの経緯を脳裏に描いた途端、苦笑にも似た―――心の底から晴れ渡る笑みになっていた。

 異形の鉄馬【メムナイト】に跨り、うんうん唸りながら東の地へと旅立って……戻って行った男の後姿を思い描き、その背を後押しするように、小さく。口には出ない感謝の念を、そっと視線に乗せる。



「まずは……私、と言うところから始めようかな」



 これまでの呼び方―――僕、などと。

 神の下僕たるものが、そのような自己の呼称で公の場に出られようか。そんな、愛娘の女らしさの向上を意図する意味合いが強いウィリクの言葉によって、それを改めるに決意する。

 長年それを口にして来たのだ。矯正に一体どれくらいの時間が掛かるものかと……それを成せたのなら、あの男はどのような反応をしてくれるのかと想像し。



「―――♪」



 母にも、平天にも、顔の真横に居るチフスにすら知られないよう。悟られないよう。リンは口元に、柔らかな笑みを浮かべるのだった。




















 ―――西暦、二千と少し。

 中央アジアの一角には、タクラマカンと呼ばれている砂漠がある。

 現・中華人民共和国のウイグル自治区に点在するそれは、ゴビ砂漠、サハラ砂漠に並ぶ大砂漠として世界に知られた、ウイグル語でタッキリ(死)とマカン(無限)を合わせた造語―――場所である。

 死の世界。生きては戻れぬ土地。そんな意味合いが込められたそこは、事実、何人も寄せ付けぬ過酷な環境を有するものであり、西方より吹き込む強風によって運ばれる黄砂は、数世紀に渡ってタッキリの名に相応しい災害をアジア各地で振り撒いている。

 しかしながら、それでも生命の営みの名残はある。付近にある山脈が、夏季の雪解けと共に川を成す、季節河川と呼ばれる生命線の存在も大きいだろう。



 その内一つ。既に砂土へと朽ち果てた遺跡があった。

 八世紀頃に放棄されたとされるその町は、その頃その土地を統べていたウテンなる王国の重要な拠点として存在していたらしいが、その詳細な調査は未だ不明瞭のまま、現在も古き生活の跡を残すばかり。

 そんな未知の可能性を秘めた遺跡の中に、板絵が何枚か残っていた。内容は、人間の軍勢に攻勢を仕掛ける無数のネズミが描かれているものである。

 いずれも人間達を襲うものでなく、剣の柄や鎧の結い紐、弓の弦に馬具などを噛み千切り無力化にしているという―――人間が現実的に考えられる範囲での構図であったが、何でも、ウテンなる国となる前、クシャタナと呼ばれていた古事が残る、現・ホータン王国の一部であった国王が、襲い来る敵国の軍勢に対して劣勢であると悟り、藁にも縋る思いで近くのネズミ塚へと祈りを捧げたところ、その日の夢にネズミが現れ、そのネズミはそれを受諾。撃退は拒否したものの、無力化を約束し、それを成したという逸話が元であるのだとか。

 それ故か。それら地域には、嫌われ者である筈のネズミを信仰する、カルニマタ寺院という建造物すらある始末。何でも、そのネズミは神の子の生まれ変わりであるから、という理由からである。



 ―――そのネズミ塚の名は、ダンダン・ウィリク。



 当時からその名称であったのか、はたまた途中で改名されたのかは定かではないが、西暦二千年と少しの現在。御伽噺や空想上の物語、良くある絵空事の一つだと認知されているそれの真偽がどうであったのかは。

 今もまだ、黄色の大地に眠ったままである。





[26038] 第59話 仙人《前編》
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/02/23 22:28







 辺ぴな地方とはいえ、領主の住まう場所ともなれば、大きさはそれなりになる。

 馬小屋、溜め池、蔵に、屋敷。後は、それらに彩りを添える竹林か。雑多な小民家であれば百は入るであろうその敷地内には、一帯の主としての威厳が備わっていた。

 そんな屋敷の最奥。領主以外には立ち入れないそこの一室は、欲情の色で満ち満ちていた。

 月光差し込み、桃色の香が場を満たす室内で、黒い影達は交じり合う。

 軋みを上げ続ける寝台と、微かに聞こえる鈴虫の声。

 それらを掻き消す……まるで豚の妖怪のような男の荒々しい息遣い。それに与し抱かれるのは、成熟手前の青髪の女。

 他には何も目に入らぬと、一心不乱に体を動かすその男を、年齢不相応な余裕を以って、女は我が子をあやす様に受け入れる。




 ―――そしてそれらを眺めるのは、男と交わっている筈の、青髪の女。

 それはどういう事なのか。

 男によって抑え付けられている女と、月光が差し込む丸窓に腰掛けて微笑む女は、瓜二つ。

 大きな違いは衣服の有無くらいであるが、それ以外は合わせ鏡のように同一のもの。

 髪の色同様、青を基調とした衣服は、月夜に浮かび上がる黒の世界であってもその色を鮮明に映す。

 薄手の絹で編まれた羽衣をその上から纏い、妖艶を絵に画いた微笑を顔に貼り付けるその女は、人にあらず。妖怪にあらず。神でもなければ悪魔でもない。

 女は、仙人。

 俗世との関わりを断ち、霞みを喰らい、仙術を修め、より高みへと至る為に自身を縛る、孤高の者。

 ……で、あるのなら、今その女はとても歪な存在であると言わざるを得ない。

 大よその欲から解脱を図る仙人は、三大欲求たるそれら……食欲、睡眠欲、そして性欲からは、隔絶とまではいかずとも、疎遠となるのが道理であるのだから。

 故に、今この場で欲情にまみれ、浴びせ飲むように貪る光景を見れば、十人が見れば九人が『仙人ではない』と答えるだろう。

 では、仙人ではないと答えなかった残りの一人は、何と言うのか。

 それが女の正確な種族であり、本性であり。



「―――ふふっ」



 在り方そのものへの答えとなっているのだが、それを知る者は、当人以外の誰も居ないのであった。















 何処にでもある村であった。

 山には竹林が広がり、そこから小川が流れ、土壌を育み、田畑の糧となって、人々を育む。

 他に比べれば豊かと言える程度の自然があったものの、それ以外は特筆すべき点のない、人の営みの一つ。

 唯一の欠点は、そこに住まう一帯を統べる領主が、我欲の強い人物であったと言う事。

 どのような観点から見ても、公平や平等とは言えない理不尽を振りかざし、欲しい物は何でも手に入れて、やりたい事は全てやった。

 当然、それは人々からの不平不満となり、その地位を失墜させようとする動きはあった。

 しかし、欲を求める者は欲を知る。

 通常よりも多くの税を納める事で、上との関係を良好なものとしていたその男は、それらを全て封殺。結果、傍若無人
とすら言える振る舞いを押し通す地盤が出来上がった。

 地方であるが故に、その規模は王都と比べれば微々たるもの。だからこそ、その男がそのままの地位に満足する筈も無く、上へ上へと目指すのは必然の流れと言えた。

 かくして、これでこの地の“何処にでもある光景”が完成した。

 民は苦しみ、領主は栄え。これで他より貧しい土地柄であれば、年々の餓死者が雪ダルマ式に換算されていた事だろう。



 ―――そんな中だった。ふらり、女が現れたのは。

 突然も突然。民が……否。領主の屋敷に在中していた召使達ですらも、それがいつであったのか知る者はおらず、気づいた者もおらず。それを知るのは領主と女の二人のみ。

 然も領主の隣に居るのが常であったかのように、付かず離れず。良く出来た妻か……あるいは命を刈り取る死神だと言わんばかりの立ち位置に、周りは戦き、それを見た領主は楽しそうに心を満たし―――月日は流れる。

 女は領主に、様々なものを与え、教えた。

 高値の金品から始まり、贅沢極まる食に、摩訶不思議な物品など。

 女にとって、それらは何ら価値のないもの。人が好むと分かってはいても、そこに自らの食指が動く事はない。

 あるのは、ただ一つ―――。

 










「―――もうすぐ。もうすぐ」



 自然と口からこぼれた渇望が、他に誰も居ない室内に木霊する。

 そろそろ夜が明ける頃合か。誰も彼もが寝静まり、この場には自分しか居ないと知っている筈なのに、それでもドキリと心臓が動く。慌てて周囲を見回すが、やはり何の影も見えるものではない。

 小さく、短く、安堵の吐息。

 分かっているとはいえ、ここは強欲な領主の館。疑心を芽生えさせる言動は、しないに越した事はない。



(二年……。思い返せば……なんて、微塵もありませんね)



 自分と瓜二つの人形が、獣欲によって蹂躙されるのをまじまじと見続けるのは中々に興味深く、見応えがあった。

 それも、仕方のない事。そうしなければ……身近でなければ解けてしまう幻術であるのだから。

 自らの不勉強さにほぞを噛む日は多く、目指すべき高みは、未だ遠く。その頂すら窺い知れない。

 だが、それももうすぐ……。



「―――おぉ、仙人様。こちらにいらっしゃいましたか」



 明るい感情に水を差す、ぐぐもった男の声。せめてもう少しくらいは妄想に浸っていたかったのに、それを邪魔され気持ちがささくれ立つけれど、相手が相手だ。それを表には出さないようにしなければ。

 歳の頃は三十も終わり。脂ぎった体、一般的な大人の男の倍……三倍以上はあろう重量。それによって気道が狭まり、ひゅうひゅうと洞窟を抜ける風のような音が人体から漏れ、それが言葉を成しているというのだから、世は不思議な事で溢れているものだと感心する。

 これが数刻前まで、見かけの鈍重さとは裏腹な俊敏さと持久力を発揮し、他ならぬジブンへと欲情を発散していたというのだから、実は人の形をした妖怪の一種なのではないだろうかと勘繰ってしまいそうになるのは、仕方のない事だと言えよう。

 当たり障りのない、いつもの微笑みを貼り付ける。

 智謀や洞察眼、あるいは直感等に優れた者ならまだしも、欲にしか目が行かぬ者が相手であるのなら、こちらの機微を偽る事など、この程度の表面ごとで充分だ。



「どうしたのかしら。まだ日も開けきらないといいますのに」

「小便を。困った困った。昨晩あれだけ出しても、まだ出るものがあるのですから」



 全身を重々しく揺らしながら笑う男に、優しい仮面を見せ返す。



(本当、底なしの性欲ですね)



 ある種の羨望すら抱きそうになるが、それを見習う事もあるまい。その過程で発生する経験を得るだけで充分だ。

 それに、これはこれで慣れれば愛着も沸くというもの。見掛け倒しの有象無象よりも、分かり易く、力強く、生き物としての輝きに満ちている。着飾っただけの木偶や、見掛け倒しの孔雀よりも、俄然良い。

 尤も、それが周囲とは決して相容れない質なものだから、つくづく自分の感性はずれて来ているのだと分かるものであった。



(初めから、こんな感じだったかしら?)



 こてんと首を傾げ、過去の自分を思い返す。少なくとも幼少の頃は一般の人間と同等の価値観を持っていた筈だが……はて。

 欲望を曝け出し発散し続ける領主を見れば、他の人間ならば一目散に逃げ出す類のものだと、今更ながらに思い至る。どちらかと言えば、自分も長らくの付き合いは避けたいところ。興味があり、学ぶべき事の多い対象なれど、そこに心地良さを感じるかどうかは、また別のところにある答えなのだから。

 しかしそれをしないのは……。



「―――春も間近とはいえ、この寒さはまだ骨身に染みる」



 肉ダルマの指が肩に掛かる。

 そこから更に、自らの腕の中へと抱き込まんとする腕を、微笑と共にするりと抜けた。



「もう。それは無しだと初めに仰りませんでした? 逢瀬は一日一度のみ。それ以上は―――」

「はははっ、これは申し訳御座いませんでした。あなた様の魅力に心を奪われた者の理だと思い、ご寛容下されば助かりますぞ」




 たぷたぷと肉が波打つ男を往なすのも、もう、これで何度目か。

 油断も隙もないと思うと共に、それを回避する為の技術も同時に獲得している身としては得難い経験だ。今後、より高位の人間を相手にする際などには重宝するものだろう。学べる機会に感謝を捧げ、次いでとばかりに、感謝の幅を押し広げる。




「……まぁ、いいでしょう。そうまでして求めて下さるのは、悪い気分ではありませんし」

「おぉ!」



 二年の間、これまで一度として受け入れられなかった願いが聞き届けられたから、だろう。領主は驚きと喜びの眼を見開いた。

 そこに如何な理由があれ、こうまで欲してくれるのは、女と……いや。自分としては、悪い気はしない。ただ、これが自分以外の女であったのなら、その“求め”は悪寒と嫌悪を誘発させる呪詛に他ならない。と、共感の出来ない―――他人の気持ちを察する事は出来るのだが。



「先に向かっていて下さいな。身を清めてから向かいますので」

「では、すぐに湯を沸かしましょう。時間は掛かりますが、なぁにその程度の我慢は逆に刺激となりますからな」

「いえいえ、そんな。水瓶のもので充分です」

「ですが、それでは……」



 こちらの身を案じてか、冷えた体を―――水袋を抱く気は無いという事か。間違いなく後者であるのは分かっているので、そこは深く尋ねぬようにしておこう。これから重なり合うというのに、剣呑となる必要もあるまい。

 巨大ヒルを思わせる唇に人指し指を当て、それ以上何も言わぬよう、口を塞ぎ。



「構いません。だって―――あなたが暖めてくれるのでしょう?」

「ッ! 勿論、勿論ですとも!」






 小躍り……でもしているのか。罠に掛かった豚を思わせる様子で自室へと戻っていく領主の背に、器用なものだと感心し―――嗤いの顔を作る。

 それがどんな相手であれ、既に人としての視線から逸脱しつつある自分からしてみれば、この程度の相手など瑣末事。どんなに醜悪だろうと、どんなに人から掛け離れていようとも、その本質を見抜き、見定めるのは仙人としての到達点の一つ。

 とはいえ、この観察眼。高みに至った先人達と、駆け出しである自分と比肩すれば、雲泥の差であるのは否めない。もう数十年も邁進中ではあるけれど、未だその道は険しく、その頂点は霞がかっていて、輪郭すら把握出来ない。



(ですけど)



 もう少しでこれとの付き合いも一区切りが付くというのだ。代価の先払いも兼ねて、良くしてやるのもいいだろう。

 今までも、今回も。

 どうせあれの相手をするのは、外装のみを整えた、土に還る前のそれ……人の成れの果てなのだから。











 もう、どれくらい昔の事であったか。

 一年の気もするし、百年であったと言われても納得してしまうかもしれない。

 一日に数個の木の実を摂取するだけで過ごせるようになってからは、年月を数える事は忘れてしまったけれど、これといって不自由はしていないので、時の流れなど、実はそう気に掛けるものでもないのだと思う。いずれは霞を食する術を身につけられるよう、精進せねばならない。

 父が、母や自分を……家族を捨て去り、仙道を極めんと喪失した日は、もうそれぐらい過去の事。声は無音。匂いは無臭。霧がかった記憶の顔は、父も母も、幻であったような気分になる。

 失踪を知り泣き崩れる母を尻目に、自分はその時、父に対して怒りや悲しみは湧き起こらなかった。幼心に、そんな母を見て思ったものだ。あぁ、自分は他と違うのだと。

 それから必死な思いで自分に教育を施してくれた母の一念は感心するところはあるけれど、そこに共感するまでには至らなかった。

 ありがとう。

 そう一言呟いて、後はサッパリと忘れられる程度の事であったのだ。










 これが他とは大きくズレた認識であると知ったのは、今の姓になってから。幼い頃に感じた疎外感は、この時決定付けられたと言って良い。

 母が熱心に動いてくれた賜物と言える。父を失った家系では望外な……奇跡的な家柄に嫁ぐ事が出来たのだから。

 家事に始まり、木っ端役人程度なら教授する側に回れる知識や、品格を崩さぬようにいる為の心構えなど、それはもう、貧困に近しい家の者が得るであろうものでは決してなかった。

 下から数えた方が早い貧困具合であった頃とは打って変わり、何をせずとも三食暖かなものが出され、それが一品、二品などではなく、十人掛けの食卓が埋まってしまうほどの種類の多さ。着る者だって、その日身に付ける清潔なものが、高いであろう香をまとった状態で用意される。

 野党に神経を削る事も、旗を折り、獣を狩り、山の幸を集め、それらを市へと流し、時に命を落としそうになる日々とは無縁となった。

 嫁いで来た初日。

 何処ぞの馬の骨とも知れぬこの身を笑顔と共に迎え入れてくれた家族。従順で裏表のない下働き達。何より、自らを選び、娶った夫は、他に何一つ恥じる事のない人格者であった。

 大多数の人としての望みを絵に描いた光景が、何不自由ない未来への道筋が。その時、私の目前には広がっていたのだ。





 ―――だから。

 嫁ぎ、祝言を迎え、カクの性を授かった、その日の夜。

 私は―――死ぬ事にした。





[26038] 第60話 仙人《後編》
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/03/06 13:35






 こんな筈ではなかったのに。

 堪らなく胸を穿つ後悔。久しく抱いてなかった感情に、かつての人であった頃の思いを取り戻した気がして、場違いながらも郷愁の念が込み上がる。





 ―――こうなってしまえば、獣も仙人も変わらりませんなぁ。





 背後からの……否。全方位から木霊する幻聴。それは枯れ草を絶え間なく踏み締め、荒々しい呼吸を繰り返す最中でも聞こえて来る、強制力。

 もう、どれくらい経ったのだろうか。領主が住まう里より大分離れた山中の一角。天を覆うばかりの竹林の間。日の光が射す道なき道を、ただ我武者羅に走っていた。

 これが得を修めた後であれば、霧となるなり宙へ跳ぶなりの術は身に着けていたのだろうが、生憎と今この身にそれは至らず。結果、二本の足で駆けるだけの無様を曝け出していた。

 なれば、ものをいうのは体力であるのだが……。



(そちらはまったく、鍛えておりませんでしたもの、ね)



 怪力無双である訳でも、百戦錬磨の武勲を持っている訳でもない。青銅並みの体躯強度はあるのだが、元より華奢な女の身。ただ体力を使うだけの行為には不向きなのだ。速度も、持久力も。どちらも並み以下である自分からしてみれば、よくぞここまで逃げ切った。と、褒めても良い程の移動距離であった。

 もうどれくらい走ったのかも覚えていない。もうどれくらい体を酷使したのかも記憶にない。あるのはただ、逃げなければと……生きたいという渇望のみ。



「ッ」



 一瞬の浮遊感。

 視界が霞み、線となる。次いで感じる、全身を襲う殴打の感触。肺から空気が全て抜き取られ、ともすれば意識を手放しそうになるのを辛うじて堪える。

 目尻に込み上がるものを耐えながら、何が起こったのかと頭だけを向けてみれば、そこには天を仰ぐばかりの土壁がそびえ立っていた。崖の端と太陽が重なって、こちらを覆うほどの影を作り出している。

 ……どうやら、あそこから足を踏み外したらしい。

 人の身であれば転落死は避けられない高度であったけれど、幸か不幸か、この身は仙人。屈強な戦士と同等かそれ以上の頑丈さを有している。

 ただし、無傷でとはいかなかった。手や足から少量ながらも赤々としたものが流れ出ているのをチラと見て、この程度の傷の具合は問題ないと判断し。



「……ふふっ」



 ピクリとも動いてくれない下半身に驚き―――全てを受け入れる心境へと至ってしまった。

 体力が、尽きた。これっぽっちも動いてくれない足腰が示すのは、そういう事。

 朝露がまだ残っていたのか、肌に感じる冷たさは水気を含むものであった。笹の葉の奥に感じる泥土を掻き分けながら、微塵も動いてくれない足を上半身の力のみで引きずり、諦めの境地へと追い遣ってくれた土壁へと背中を預ける。

 壁を背にし、荒々しい呼吸を整える為に大きく息を吐きながら見上げた空は、青く、青く、ただ青く。吸い込まれそうな程の蒼穹。

 これを見ながらならば悪くはないかと、受け入れ難い現実から目を背けようとしたのだが。



「―――おや、もう逃げるのは止めるので?」



 それを許さぬのは、今、この男に他ならない。

 豚の妖怪……いや。数刻前まで滞在していた地の領主が、何が楽しいのか、いつにも増した笑みを湛えていた。



(……いえ。理由なんて)



 伊達に二年近く傍に居続けてはいない。

 至極簡単、単純明快。ただ単にあれは、こちらの窮地に悦を見出しているだけなのだ。

 散々それを見続けてきたというのに、まさかそれが自分に向けられるとは思ってもみなかったけれど……なるほど。これは中々に悪寒の走るものであったようだ。

 主観と客観の認識の差を改めて実感しつつ、疲労困憊の状態を無視し、努めて明るく振舞いを見せる。でなければ、あれの加虐心をますます煽るだけ。



「ええ。お恥ずかしい話ですけれど、疲れてしまいましたの。少し休ませて下さいな」

「なんとなんと、それはそれは由々しき事態。……しかしながら、先にこちらの用を済ませねばならぬ早急さを、ご寛容いただきたいものですぞ」



 たぷたぷと哂う領主は会いも変わらずの状態で。一体あれの何処に、こちらに追いつける体力があるのだろう。閨の中であれば納得出来るものであったけれど、他の持久力は目を覆うばかりであった筈なのに。



「分かる。分かる。分かりますとも仙人様。そのご懸念は、手に取るように。日頃よりお世話になっていたのです。なればそれにお答えするのも、吝かではありません」



 湿り気を帯びた視線。領主からのそれは、髪の毛から爪の先まで舐め回されているのだと、否応なく理解させられるものであった。



「―――さぁ、御使い様。そのお姿をお見せ下さい」



 何を、と。

 内心の疑問に応えるように、一人の男が、木陰からその姿を現した。

 全身白装束のそれは、人の腕ほどの長さの直刃を片手に握りながら、ゆらゆらと領主の横に並び立つ。顔と思わしき部分には衣類と同系色の前掛けが垂らされ、その全貌を窺い知る事は出来ない。

 それはまるで、ただ業務をこなす為だけに存在しているかのような……命を刈り取る刃が妖怪にでもなったのではと錯覚させる、何か。



「人間。そうも口が軽いとなると、今後の契約に不備すら生じかねない」

「ははぁ。これはこれは失礼をば」



 荘厳と佇む白い男に、平伏しながらも不快な態度を改める事のない領主。

 この両者を視界に収め、導き出された結論は……。



「……使者ッ!」

「如何にも」



 眉一つ動かさず肯定する死の権化は、頷く事すらせずに、一言。まるでこれが……こうなる事こそ運命である、とでも言わんばかりの態度を誇示している。

 通名すら不明のそれは、地獄よりの迎え。寿命を超えんとする者の前に現れる、形ある寿命。



(最近では、死の神……なんて耳にしますけれど)



 話には聞いていた。仙道を―――不老長寿を目指す者の前に立ちはだかるという者の存在を。

 死者の国に引き込まんとするその者は、幾年かの生の後、生ある者の前に年に現れ、あらゆる手練手管を用いて自身の役目を果たすのだという。

 構えるでもなく、携えるでもなく、自然と握り込まれた直剣がゆらゆらと手元で揺らめく様は、先に連想したものが、まさにそれであったかと痛感するに足るものであり、こちらの命を刈り取らんと機を窺う凶刃に他ならない。



「仙人様が予ねてより、こちらの何かを狙っている事は知っておりました。それが何か。までは、こちらの御使い……いえ、使者様でしたか。が、現れるまでとんと分からずじまいだったのですが……」



 朗々と語る領主の口から告げられる内容は、相手が喜ぶと分かっていても、驚きと落胆を隠せぬものであった。

 何という事だ。利用する筈が、いつの間にかされる側に回っていようとは。

 それもこれも、全て……。



「―――汝、霍 青娥カク セイガ



 使者によって自身の名を告げられ、久しく耳にしていなかったなと、はたと気づく。



「母の願いに背き、伴侶の想いを裏切り、それら家中の好意すら無碍とするその心情。魂の赴く先は自ずと見えて来るというもの。然らば、それを導くが我らの使命。その罪、肉が朽ち、霊魂のみとなって清められるまで辛抱めされよ」



 ……何だそれは。それが、自分に下された評価の内訳だとでも言うのか。



「……ふふ」



 満身創痍であった筈の体からこぼれる笑いは、小さいながらも良く通るもので。

 訝しげに眉をしかめる使者と、狂ったか、とでも思っている領主のニヤつきを引き起こす。



「気でも触れたか、為り損ないの仙人よ」



 答えてあげたいのはやまやまであるけれど、今は笑わせてもらおう。

 領主がこの場に居るという事は、どうせすぐに手を下す事はないのだ。死を望む未来は色濃くなって来たものの、今この時だけならば問題はない。

 しばしの嘲笑。

 どちらも止める気配がなかったものだから、心ゆくまで腹を抱えて笑う事が出来た。尤も、生も魂も尽きかけているこの身では、蚊の鳴くようなものであっただろうが。



「何を以って気が触れた、とお答えになられたのかは、尋ねたい心はありますけれど……。あなた、お馬鹿?」



 恐らく、一度として言われた事がなかったのだろう。無機質な死の影を思わせた男に、唖然という、初めての感情を読み取った。

 この次に予期出来る展開とは、激昂の後に殺されるか、一瞬沸き上がる憤怒を押し殺し、じわじわと嬲られ殺されるか、初めから聞いていないと無視されるかの、どれかであると思っていたけれど。



「何故、そう思ったのか。聞かせて欲しい」



 どうやら、そのどれでもなかったようだ。

 しかし、だからこそ使者の感情が分かってしまう。

 あれは純粋な疑問。素朴な懸念による返答だ。そこに不快な色は浮かんでおらず、原因を解明したいという思いのみ。

 それはつまり、こちらの命を奪うという行為に対して、何ら抵抗や葛藤を持ち合わせていないという答えでもあった。



「母は私をみていなかった。親子という感情なんて……。あったのは、ただの自尊心。あれから見たら私など、財産の一つのようなものでした。そこに愛着はあっても、愛情は皆無でしたので」



 自分達の……自分の元から去ったと感じた母の心を占めていたのは、激しい憎しみ。それを払拭せん為に、お前の捨てたものは価値あるものだったのだという、遠吠えにも似た虚勢。



「夫の……霍の家が欲したのは、私ではなく、仙人へと至ったとされる父の力。不老不死は勿論、極めれば山を動かす事も、死者すら息を吹き返す。そんな奇跡が……奇跡へと至れるかもしれない道が目の前に現れたのです。金も名誉も地位も手に入れた者が次に渇望するものなんて、もはや語るまでもないでしょう」

「だから、何だというのだ。お前が受け取り、身につけてきたものは、大よそ人としての幸福であった。親の思いがどうあれ、お前はそれを糧とした。伴侶ら家中の思惑がどうあれ、柔らかな寝床、美味な食事、煌びやかな衣装、命を奪われる事のない環境があったのは事実。周囲の誰かに尋ねてみるといい。それが幸福か否か、と。自己の内のみで答えが出ているのなら、周りへと意見を求めるのは新たな刺激になり、新たな道への開拓となろう」



 それこそ。



「ですから、そこが私があなたを笑う所以であるのですよ、使者様。他と見比べなければ得られぬ幸福など、山の天気のように移ろいやすいもの。そのような幻影などに興味を持つのは人間くらいなものです。あなた様の言葉を借りるのなら、私はこれでも、為り損ないとはいえ、仙人。その域は既に脱しています」

「だからとて、お前はそれの一切を拒絶するもでなく、甘受し続けてきたではないか」

「拒絶すればどうなるか。私の人としての歩みを知っていらっしゃる使者様から出てくる言葉とは思えません」

「殺されていた、と? ……ふむ、なるほど。故に自らの死を偽って、一切の禍根を断ち切ったのだな。……そうか。そちらの含むところは分かったように思う」



 そう告げられた台詞は事実であり、けれど、こちらが予期せぬ範囲のものでもあった。



「なれば、改めて問おう。―――何故、そのような瑣末ごとを思慮に入れなければならぬ」

「―――そういう事でしたか」



 先程からこちらの会話を興味深そうに……内心でチロチロと覗かせる蛇舌を思わせる顔の領主を視界の隅に捉えながら、自らに死をもたらそうとする者の考察を一段深めた気分になる。

 あちらは使者。その本分とは、死の管理。

 生ある者が死を迎えた“後”が担当であり、“前”の部分は判断材料でしかないのだ。

 聖人となり万の人々に見送られようとも、悪人となり悪辣非道の限りを尽くしたとしても、そこに何ら問題点を見出す事はしない。あくまでそれは、死後の魂をどうするかの基準。過程で口や手を出すという事をしないのだろう。



「馬鹿、と、頭ごなしに言い放ったのは訂正させて下さいな」

「構わぬ。元よりそれで、何が変わる訳でもなし。汝の歩みはしっかりと、その痕跡を己が背に残しているが故」

「つれないお方。少しは手心を加えて下さっても宜しいのですよ?」

「それは我にではなく、これに言うといいだろう。結末は違わぬだろうが、その過程は変わってくるかもしれぬ」



 結末に、過程。

 前者が死であり、後者がそれに至るまでの、という所か。



(とても良い趣味ですこと)



 諦めを含んだ内心の侮蔑を他所に、これ。と呼ばれた領主がひげた嗤いを浮かべながら、待っていましたと、その歩みをこちらに向けて来た。

 のそり、のそり。他人からの見た自分というものを熟知し、それがこうして歩みの遅い接近を成しているという光景が、どのような効果をもたらすのかを分かりきっての牛歩である。



「むふぅー。さてさて。さてさて。早々とお逃げになられないので? こうも易々と掴まってしまいましては、悔やんでも悔やみきれぬでしょう。精一杯足掻くのも一興かと存じますぞ」



 顔にかかる鼻息が、こちらの前髪をはらはらと揺らす。

 体を横たえてから、しばらくは経っている。これが一般的な成人であれば、駆け回ることは叶わなくとも、立ち上がり、走りと歩みの中間ほどの速度で離脱出来る時間であったのだが。



(よもや、ここまで鈍っていたなんて……)



 下手をすれば、病に伏した老人以下なのではないか。

 次からはそちらをしっかりと……少なくとも、人並みの体力は確保しておこうと定め。



(次……か)



 それが訪れるであろう可能性が閉ざされていた現実を直視した。

 こちらを見上げる形で見下ろす領主の口からは、ひゅうひゅうと呻き声にも似た呼吸音。額からは大粒の汗が流れ落ち、こちらの衣服に雫の後を残す。



「長かった。幾度となくあなた様に似た木偶を愛でてきましたが、いよいよ本物を味わえる日が来ようとは。あれはあれで興味深い趣向でありましたが、やはりそこに虚があっては、その喜びは半減致しましょう」



 その言葉に色々と思うところがあり、まずは一つ目の疑問を投げ掛ける事にした。

 応答が拒絶される、という事はないだろう。何せ、今の領主は有頂天。獲物を前に舌なめずりをする獣。その獣は相手の苦悩や絶望が好みであるので、こちらが事情を理解すればする程に、窮地に立っているのだと自覚させる会話は、それだけで領主が好むところであるのだから。

 ……こうして順序立てて特徴を挙手していくと、ますますあれは人などではなく、豚の妖怪なのではないかと思わずにはいられないのだが、さて。



「……あれで、愛でていたつもりだったのですか?」



 こちらの脳裏に浮かぶのは、領主の巨漢によって蹂躙される自分モドキ。大人三人分以上はあろう重量によって寝台は軋み、悲鳴を上げ、ともすれば床が抜けてしまうのではと思える程の重圧であった。これがただの人間であったのなら、男ならまだしも、領主好みの華奢な女の身であれば、数刻後には潰れたウシガエルに変わり果てていた事だろう。

 その点でいえば、用いた人形は自分に似せて造ってあったが故に、青銅に勝るとも劣らない躯体強度。元々が硬直している死体の流用でもあったので、その耐久性は領主の獣欲の捌け口として十全に機能していたのだ。



(……あぁ、通りで)



 合点がいった、と内心で納得する。掘り起こした墓の死体は、どれもが高所からの転落で命を落としたような有様であった。その割には傷らしい傷もなく、代わり、骨という骨、関節という関節が人間のそれとは掛け離れていたのだが、いやはや何とも。既に領主の餌食となった後の残飯であったらしい。

 一度ならず、二度までもあれに貪られようとは。

 同じ女として、小さく同情。次の瞬間にはその心ごと忘れ去り、何やら垂れ流し……喋りだしていた領主の会話へと耳を傾ける。



「―――なので、仙人様がお出で下さいましたのは、感謝感激の涙に溺れるくらいだったのですよ。これまでの女は、脆過ぎましたもので。いくら愛でても壊れぬ体とは、あの頃から今に至るまで、私の夢であり続けておりますぞ」

「……つまり」



 その言葉を聞いたからか。

 後で尋ねようとした質問の一つの優先順位が一気に上昇し、それが口を突いて出た。

 材料は、『あなた様に似た木偶』『興味深い趣向』『いくら愛でても壊れぬ体』。これらが導き出す答えとは。



「つまりあたなは、初めから私ではない何かを……私が作り出した動く“死体”だと知りながら、それを好んで味わっていた、と」



 言葉で答える事はせずとも、ニマリ口を釣り上げる領主の反応のみで、答えは充分に伝わってきた。



「……呆れた」

「恐れ入ります。……なぁに。これが私以外の者でしたら上手く誤魔化せたでしょうが、これでも経験だけは豊富で御座いまして。外面のみならず、内面の限界も大よそ熟知しておりますぞ」



 どうやら領主は元々の趣味が講じて、人体の限界等々をかなり高い水準で把握してしまったらしい。外面のみならず内面からも味わい尽くしてきたコレならでは、といったところか。



(まさか、そんなものに足元をすくわれるなんて)



 死姦趣味とは中々に。人間の数ある性癖の中の、少数派であろう一つをこうして体現する者が、よもやこんなに身近に居たとは驚きだ。

 けれど、呆けている暇はない。

 胸元から絹を裂く音。それが聞こえると同時、破れたそこから何かを掴み取り、引き抜く領主の腕が見えた。幸いにも最低限の箇所までは隠せたが……それが完全に顕わとなるのも、時間の問題でしかないのだろう。



「ッ!」

「ほうほう。閨の中では常に甘えさせていただきましたが、野外で同様の調子は保てぬご様子。それとも、相手をするのがご自身であるからでしょうか? 実に新鮮味があり―――美味しそうだ」



 抜き取られた―――奪い解されたそれは、こちらが二年もの間、求めていた宝具。仙人界では、そうも希少なものではない。ひと振りで山河を平原と化す鞭でも、都市を灰燼に帰す雷でも、空すら黒く焦がす炎でもない、ただ壁に穴をあけられるというだけの、童子の玩具にも似たもの。

 けれど、それは紛れもない宝具。仙人を目指すものとしての、到達点の一つである。持っていればそれだけで箔の付く品であり、一目も二目も置かれる証明書と同義。

 領主の収集癖―――主に天界への尽きぬ興味から、豊富な資金源も合わせ、いずれはそういった品が舞い込んでくるのではと思い、はや二年。集められるものの大半が、紛い物か、宝具の為り損ないのガラクタであったけれど、それもとうとう終わりだと……そう、思っていたのだけれど。



(結局……この程度……でした、か)



 心を通わせぬ方法で得た成果は、それ以上の成果を以って容易く覆される運命にある。逆を言えば、決して覆されぬ力こそあれば、全てが我が意のまま。なればこそ、それを得る為に腐心して来たというのに。



(こんな出だしで躓くなんて……。ふふ……お父様のようにはいきません……ね)



 幼き頃。記憶の奥底に沈んだ、何処にでもある……ただただ人としての温もりがあった日々を思い返す。

 夕暮れ間際、山の幸を籠一杯に背負い、帰宅する父。山菜や薬草を磨り潰し、市へと卸す為に精を出していた母。それを眺め、父の帰りを待つ自分。

 卓を囲み、質素ながらも団欒といえる空気の中で、父も、母も、自分も。口には出さずとも、幸せだと告げていた毎日。





 ―――それがどうだ。

 仙道を知った父の変わり様ときたら―――






 日に日に家に戻らぬ事が多くなり、終いには霞の如く自分達の元から去ってしまった。

 母はそこに、怒りや悲しみを感じ取った。

 それが自然だと思う自分が居たし、そう感じる事こそが普通だと思っている自分も居た。

 けれど、それらの感性を全くと言って良い程に感じ取れなかったのは、ただ純粋に、疑問に思ったからだ。

 あの暖かな思いを。あの心地良い日々を。貧しいながらも満たされていた時を。仙人という存在は、幼い頃に感じたそれら幸せの何倍も素晴らしいものなのだと。仲睦まじかった母も、目に入れても痛くないと言ってくれた自分ですら、切って捨てられる程に渇望するものなのだと。他はどうあれ、我が父は、そう思ったに違いないのだから。

 人という種から解脱しかけている現状では、何らその切欠すら掴めないけれど、完全に仙人へと至ったのであれば、その境地が見えてくる……理解出来る筈……。



(……だったんですけれど、ね)



 こうなってしまえば、人も仙人も変わらぬものよ。

 先に山中に木霊した領主の声を思い出す。

 使者との協力関係にあったという事実が分かれば、あれが領主に力を貸していたのだと察する事が出来る。自分と同じ……けれど自分とは決定的に異なった、人としての種からの逸脱を成した筈だ。

 何故って。それは。



「領主様、お口から可愛らしい白が覗いてましてよ?」



 覗く位置からして、犬歯……に、なるのだろうか。

 まず人間では在り得ない大きさと長さの歯が、口から垣間見える程に伸びている。



「むほ? ……おお、いよいよ表面にまで現れるようになりましたか」



 領主の口振りからして、前々から何かしらの準備をしていたのだろう言動が窺い知れる。

 舌でなぞり、指で触り、あぐあぐと歯と歯を打ち鳴らし、満足そうに目を細めていた。

 それを直立不動のまま見続ける存在へと顔を向け。



「……使者様のお力?」

「然り。汝を輪廻の理に連れ戻す為、これの願いを叶えたまでの事」

「それで領主様を……」



 しばしの溜め。



「……妖怪に?」



 小さく、けれどしっかりと。コクリ頷く使者の返答に、一瞬意識が遠退いた。

 先に『契約』云々と漏らしていた内容が、どうやらそれであるようで。

 大方、こちらの命を奪っていく代わりの妖怪変化、というところか。

 しかし、まぁ……。



「使者様の浅はかさに驚くべきか、人を妖怪に変えられるという力に焦がれるべきか……」

「汝の前に居る我など、夢現の存在。故に幾重もの手間を掛け、時間を掛け、手段を講じ、直接手を下す事なくやり終えねばならぬ。骨の折れるものよ。仮に汝の重ねた歳が二百、三百と増えていったのならば、それも可能であるのだが」



 少し前から均一であった感情を崩したせいか、言葉の端々から苦労の色を感じ取る。仕事一辺倒であった姿勢の綻びから、幾つかの情報を読み取る事が出来た。

 どうにもこの使者という存在は、直接手を下す事が不可能であるらしい。それがどういう理由なのかまでは判断が及ばないものの、少なくとも現状では取りえない手段であるようだ。

 しかしそれも、年齢を重ねるに比例して、その枷は外されていくようで。恐らく、百年周期。より強く、より狡猾に。その力を強めていくのだろう。

 使者の口振りからして、妖怪となった領主にも、相応の生の期間内であれば、善行であれ悪行であれ、何をやっても許容する意思が見受けられた。

 そういえば、人の身で寿命を乗り越えようとする者に対して使者が訪れるという話は間々耳にしてきたが、魔へと墜ちた存在には、そのような事を聞いた覚えはない。

 そこには何か差があるのかと、考えを巡らそうとした矢先。



「―――それでは」



 こちらに延ばされる魔手によって、強制的に意識を現実へと向けさせられた。

 急ぐでもなく、ゆっくりと迫り来る五指が、こちらの恐怖を呼び起こす目的であるのは重々承知しているというのに、それでも背筋が凍る思いをしてしまう。



「財を集め、いずれ人の身から抜け出そうと思っていましたが、仙人様がこうして私を謀ろうとして下さいましたお陰で、予てよりの願いが叶いましてございます。あなたとの日々はとても楽しく―――。じっくり、しっかり。今までの誰よりも、念入りに、丹精込め、愛でて差し上げましょうぞ」



 頭の中で術を思考し、式を組み上げる。

 これから行おうとしているものは、発火。死者を傀儡と化すのが本来の使い方であるものの、それを意図的に破綻させて発動させれば、それは熱を持ち、爆発となってその成果を変貌させる。

 威力も小さく、射程も短く、元より体力と仙力の乏しい現状では雀の涙と同等だろうが、手の平一つ、指一本でも吹き飛ばせれば御の字だ。この領主は、こと痛みという感覚からは遠くに位置してきた。多少の擦り傷ならまだしも、体の一部が欠損しては、動揺の一つでも誘えるだろう。

 妖怪の身になりつつはあるものの、未だ完全ではないのだから、それくらいであれば、傷はつけられるかもしれない。

 人道を外れた……邪な者の末路は覚悟している。

 仙人という境地には至ることは出来なかったが、力への渇望を示した者としての矜持は失いたくはない。でなければ、これまでの生に意味はなく、これからの死すら欺いてしまう。

 それは何と楽な道であり。



「他はさて置き、自分にすら嘘を付く。なんて、したくありませんもの」

「は?」



 伸ばされた手に触れるように、体ごと領主の元へと密着させる。

 触れるか触れないか。いっそ熱いとすら思える体温を肌で感じられる距離にまで近づき―――。



「―――遅いですなぁ」



 腹部に感じる重さ。次いで分かったのは浮遊感。そして、衝撃。

 背中全体が土壁へと減り込んだのだと理解するまで数泊の間があり、今置かれている状況が頭へと染み込んだと同時。



「うっ」



 腹の中から熱が込み上がるものを感じ、懸命にそれを堪えた。

 内臓を中心に全身が強張り、硬直する。痛みを耐える為に全力で瞼を閉じようとするが、それに抗い、何とか片目だけを見開いてみれば、そこには腕を振り抜き、満足そうに微笑む領主の姿が見えた。

 本来ならば五本の指がある筈の腕からは、蹄と思われる硬質物の光沢が。まるで猛牛の突進にでも巻き込まれたような衝撃は、壁へと埋まった体が未だ剥離しない事からも、どれだけの威力があったのかを窺い知る事が出来た。



「むほっ! むほほほっ! これは凄い! これは素晴らしい! 何という俊敏さ! 何という怪力無双! これまで人の身であった事を悔やんでしまいますぞ! なるほど、なるほど! これならば……こんな存在であったのなら、然もありなん。妖怪が人を襲わずに居られましょうや!」



 興奮して捲くし立てる領主の言葉も、半分も耳に入ってこない。

 どうやら自分は、あれに殴られ、壁へと埋まってしまったらしい。脂汗が滲む思考の中で下した答えは、それであった。

 一抱えもある樹木すら一撃で圧し折るだろう拳を受けても無事で居られる体に感謝すべきか、これで命を失わなかった不幸を呪うべきか。



「なにぶん、私も野外でとは初めての試み故、多少の至らなさには目を瞑っていただきたい。……まぁ、誰かに見られる心配はありますまい。何せここは山の奥の、更に奥。獣すらも疎らな、“全く人気のない”土地でありますからなぁ。いくら嬌声を、悲鳴を、助けを叫ぼうとも、何の耳にも届きますまいて。それを期待してこちらへと足を運ばれましたのでしたら、そのご期待に応えなければいけません。……むほっ、むほほほほっ!」



 真冬ではないというのに、口から、鼻から。吐く息が白く見える領主のにやけた顔がのそりのそりと近づいて。



(さ、て。何処まで保てるかしら)



 心か、体か、両方か。

 領主の腕……もはや蹄と腕が一体化した、まさに豚の妖怪へと成り果てようとするそれを見据え―――。










 ―――ぐらり。体を揺らす感覚に囚われた。










(―――……?)



 感じる微震。全身を僅かに振るわせるそれに意識を奪われた。

 体が土壁へと埋まっている現状でのそれとは、この地面全体の振動に他ならない。

 始めは領主の歩行によるものかとも思ったけれど、断続的なものではなく、継続的に感じられるそれは、とても巨大な何かが地面を擦っているような異音であった。



「……むほ?」

「……」



 これには、領主を始め、使者ですらも注意を傾けたようだ。

 竹林全体を揺らす、音と振動。それらの狭間に取り残された自分達には、耳を済ませ、何が起こっているのかを把握する為神経を尖らせる。

 それに気圧されるようにこちらから距離を取り、何か起これば即座に対応しようとする姿勢で周囲を見渡し始めた。

 ずるずると。がりがりと。ばきばきと。

 そんな彼らの思いに応えるように、地面を削り、竹林を薙ぎ倒しながら、山頂から大質量の岩石が滑り落ちてきているのかと思う感覚が徐々に迫り。

 そして。



「―――なぁッ!?」

「ムッ!」



 領主と使者の驚愕の声。

 共々にこちら……の、真上の空を見上げたと同時。



「……え?」



 一際大きな振動。そして、巻き上がる笹の枯葉と土埃。

 視界一面を覆うのは、青。くすんだ蒼玉石を思わせるそれは、地を削り、竹林を踏み散らしながら、こちらの頭上―――土壁の上から領主や使者達の居た空間を押し潰す。

 一瞬どころか、何十秒も経ってようやくそれが終わったかと思えば、流れる青であった何かは今や自分の前に壁となって立ちはだかり、もう数歩前に出ていたのであれば、この壁の真下へと埋没していたのだと確信させる存在感を示していた。

 不幸中の幸いだ。

 これが……今の自分が壁へとめり込んでいなければ、きっと、領主や使者同様の有様となっていたのだから。



「……何、が……?」



 纏まらない思考を何とか動かしながら、この振動によって壁から抜け出しやすくなっていた体を引き抜き、痛みと疲労で悲鳴を上げる体を騙し、新たに出現した青壁の間を擦り抜けて、その全体を見渡した。



「―――龍」



 たった一言。そんな言葉が、口を突いて出た。

 数刻前まで住んでいた領主の大屋敷を、十件繋げてもまだ計り足りぬ胴の長さ。青い壁だと思っていたのはそれの胴体であり、鱗。手の平大のそれは頭から末尾までに隙間なく覆われており、一直線上に時折混ざる紫と橙の鱗が、青い表皮に彩を加えている。

 荷馬車の二、三台はあろう幅の胴体は竹林を押し潰し、その巨漢を悠々と横たえながら、立派な白髭を蓄えた、牛や虎をひと呑みに出来る頭部を支えていた。

 この地に、この国に住まう誰もが知っている。

 神聖にして不可侵。孤高にして崇高。

 崇め、敬い、祭り、願い、そして畏怖を抱き―――しかし、その姿を見た者は殆ど居ないという聖獣だ。それ故に皇帝と同義とされる事もあり、何人もそれを犯してはならないという、禁忌の代名詞にもなっている。

 人間は勿論、仙人ですらも滅多に見ないであろう存在が、今自分の前に出現していたのだった。










甲鱗こうりんのワーム』

 緑で、8マナの【ワーム】クリーチャー 7/6

 コストが重く、【マナレシオ】も心許なく、何の能力すら持ち合わせていない【バニラ】である為に、ゲーム面での性能は目を覆いたくなるものである。

 が、様々な逸話等によって、一部のプレイヤー間ではマスコットキャラ……否。神格化している節さえある。甲鱗様最高。甲鱗様万歳。

【バニラ】故に【フレーバーテキスト】が長文記載されており、その説明文に魅了される者が後を絶たない。長年の増版によって幾通りかの【フレーバーテキスト】が存在するが、下記に記載するものが最も有名。



 //氷河期のあいだに繁栄を極めたこのワームは、キイェルドーのありとあらゆる人々にとって恐怖の的だった。その巨体と狂暴な性格が呼び起こした悪夢は数知れない―――甲鱗のワームはまさに、氷河期の災厄の象徴だった。

 ― 「キイェルドー:氷の文明」//










 様々な考えが頭を駆け巡る。

 何故こんなところに。龍は空を飛ぶのではなかったのか。これをもっとよく知りたい。気づかれたら死ぬのでは。

 結論の出せない選択肢を無数に思い浮かべながら、せめて移動に巻き込まれないようにと、距離を取る。

 そうして視界を広く取った為に、ようやく、それに気づく事が出来た。

 青龍の頭。正確にはその頭上に胡坐を組んでいる、それの姿を。

 龍の鱗にも似た純白の外套を着込み、見た事もない衣服をその下に覗かせながら、遠く、遠く。ここではない遥か彼方へと視線を向ける、男の姿を。

 黒髪の短髪。鷹の目の如き鋭利な眼光。皺の寄った眉間からは、これまでの積み重ねから来る苦悩の重さが伝わって来るようであった。



「―――ふぅ。後二~三十分も持続出来ないだろうけど、実に愉快爽快。“全く人気のない”土地を選んで正解だったなぁ。【リアニメイト】なんかの実験も兼ねて、誰にも迷惑掛けずに甲鱗様は出せるし、高コストクリーチャーを維持する為の経験も積めるし。……後は慧音……さん……ちゃん? と、どう接触するかだけども……はぁ……」



 何やら青龍と会話をしているようだが、それをきちんと聞き取る事は叶わなかった。

 手にしていた宝石……いや。あれは宝塔か。この距離からでも分かる、規格外の力を放つそれをチラと眺めて、その眉間の皺をより一層深く刻み、大きく息を吐き出し、しばしの沈黙。

 一呼吸か、二呼吸か。それだけの間を取ったかと思えば、来た時と同様、再び地響きを轟かせながら、青龍共々この場から去っていった。

 獣の鳴き声も、鳥の歌声も、虫達の囁きですら聞こえない中、遠くなっていく竹林の悲鳴が、いよいよ聞き取りにくくなった頃。私はようやく、意識をしっかりと保つ事が出来るようになった。



「―――凄い」



 一目見るだけでも幸運をもたらすとされる聖獣の一柱を、こうも間近に出会える機会が訪れようとは。

 どうも知識のみで知る龍の姿とは細部が異なっていたようだが、所詮、元となった知識は文献。この目でそれを見てしまえば、そちらの方が偽りであったのだと気づかされるものであった。



「かっ……はっ……」

「……うううっ」



 唸るような……事実唸っていた領主や使者の声に、そういえば。と、顔を向け直す。





 ……埋まっていた。それ以外の何と言葉にすれば良いのだろう。





 青龍の通った後は見事に平らとなっていたものの、元々の土が軟らかかった為に、挽肉となるには叶わず、こちらが土壁へと埋まった時と同様、あちらは大地へとめり込んでしまったようだ。

 どちらも身動きすら叶わず、這い出る事も出来ず、ただ苦痛に耐え、声を出すだけの山の一部と化していた。

 いくら妖怪となっていても、いくら使者といえども。聖獣の進行の前では、命を繋ぎとめる事で精一杯であったようだ。



「……あ」



 少し悩み、はたと気づく。

 辛うじて歩ける体をそこに向かわせて、身動きの取れない領主の懐から、再び鑿を回収した。

 もはやこちらに意識を割く余裕すら無いようで、痛む体に反応し、唸るだけの肉人形となっている。まぁ、あれの進行に巻き込まれ、命を落とさなかっただけでも幸運だ。致命傷ではないようであるし、時が経てば、危険な状態から脱出する事は叶うだろう。それまでが地獄だろうが。



「見事だ。霍青娥」

「……はい?」



 今の今まで唸り声を上げていた使者の口から、数刻前と同じ声色の、平坦な言葉が飛んで来た。

 声に驚き、内心の動揺を隠しつつ顔を向けると、そこには陽炎が如く霞み始めた使者の姿があった。

 その声色に苦痛はない。外見の状態とは裏腹に、とても良く通る喋りである。



「無策と見せ掛け、ここへと誘い込んだ智謀。こちらが油断し切った時を見極めた眼力。そして、我らを一瞬にして無力と化した仙術。残念ながら何の術を行使したのか見定めるは叶わなかったが、あれは上位仙人に勝るとも劣らぬものであった。先に、為り損ない、と言ったものは訂正させてもらおう。……若年でその力とは、末恐ろしい仙人が誕生したものだ」

「いえ、あのですね?」

「偽りを述べようとしても無駄だ。しっかりとこの目で、この身でその力を感じ取ったが故。今回は汝に対し役目を果たせなんだが、次の百年後には必勝を以って、これに―――当ると―――しよ―――う―――」

「あの、もし? それは―――!?」



 聞き捨てならない戯言と共に、使者は風に吹かれ跳ぶ木の葉のように消え去ってしまった。

 開いた口が塞がらない。

 盛大な勘違いのまま死んだ……死者の国へと戻っていたであろう相手に、溜め息と、脱力と、いわれなき誤解による抗議の声を心の中で荒げながら、少しの間、途方に暮れた。

 けれど、それも本当に少しの間。未だに唸り続けている領主の呪詛もかくやな鳴き声に、意識が現実へと引き戻される。現実逃避もままならないと、改めて自分の置かれている状況を鑑みた。

 体に響く鈍痛。疲労によって動く事も困難ではあるけれど、疲労の原因となった使者も、領主も、共に脅威ではなくなっている。



「……ええと」



 そうだ。今は呆けている場合ではなかった。この時ばかりは一刻も早く休みたいと思うけれど、後顧の憂いを断つ為にも、ここで歯を食い縛らねば。

 幾度か痙攣をしながら、とうとう白目を向いて気絶していた領主の元へと向かい。



「えい」

「ぎゃぷ!!」



 意識はなくとも、声は出るようだ。

 脳天に深々と突き刺さる鑿は、どうやら宝具としての性能のみならず、本来の鑿としての機能も一級品であるようで。いくら頭蓋骨の切れ間に差し込んだとはいえ、こうも易々と深部に入り込んでくれるのだから、これからキョンシーを造り出す際に重宝する事だろう。



「あっ…あっ…あっ……」



 グリグリとかき回し、慣れ親しんだ感触を手に、完全にそれを破壊する。それに合わせて跳ねる巨漢に―――クスリ。少しの楽しみを覚える。我ながら、業の深い事だ。

 そうして動きがなくなった後、印を結び、術を組み立て、残りの力を振り絞り、幾度となく行ってきた仙術を施した。

 まさかそれを領主にするとは思ってもみなかったが、これが持つ財力……宝具を収集して来たという実績は惜しい。金も権力も興味はないけれど、収集家として開拓して来たツテやコネは得がたいものだ。これから……使者の言っていた、百年後に訪れるであろう困難を考えれば、力は多いに越した事は無い。

 脅威もなくなり、力も付けられるとなれば、一石二鳥。災い転じて福と成す、という言葉を噛み締めながら、これからの事を考える。



(当面の目標は使者を退ける事。百年後……いえ。百年単位でそれをこなさなければならないのは覚悟しておいて……)



 死の寸前で強運……悪運が転がり込んで来たのだ。折角である。それにあやかるのも良いだろう。

 仙人の……仙道を極めんとする方法は幾通りかあるものの、龍すら使役する者から学ぶ事は多いに違いない。



(それに、いくらこれまでのツネとコネがあるとしても、この地で得るものにも限界を感じてきましたし。領主ですら、私がこちらへ来る二年以上前から収集を始めて、ようやく下級宝具が一つ、という成果ですもの。……手は多いに越した事はない。そう決めたばかりじゃありませんか)



 これは、賭けだ。

 求める力は国士無双。弱体化していたとはいえ、使者すらああも易々と下す……違う。もはや歯牙にも掛けぬ、目にも入らぬと体現して魅せた大仙人。天に仰ぎ見るだけの龍という存在を使役し、あまつさえ飼い慣らしているのだから、これ以上の選択肢は考え難い。



(領主様の件が一段落しましたら、早速弟子入りの……)



 そこまで考えて、内心、頭を左右に振る。

 あそこまで仙道を極めた者が、ただの見習い仙人を弟子として認めるだろうか。そう、思い至ったからだ。



(難しい、でしょうね)



 可能性がない訳ではないけれど、極めて低いと言わざるを得ない。

 かといって、諦めるという選択肢も考え難く。これを逃せば、凡庸な仙人の未来しか訪れないだろうから。



(付かず、離れず。まずはあのお方の事をもっとよく調べて、力を蓄えた後に、確信を得てから頭を下げて……)



 領主の時には、その内面を完全に見抜けず失敗を犯したのだ。同じ轡は踏むまい。焦らず、確実に、助力を請う下地を造る事に腐心しよう。



「方針は決まりましたし、まずは……屋敷へと帰りましょうか。領主様?」

「はい。仰せのマ、ままま、に」



 弄りたてだけあって、少し言葉に支障が出てしまっている。元々洞窟から風が吹きぬけるような声であったとはいえ、このままで居させるのも宜しくはないか。



「その辺りは、帰りましたら修正すると致しましょうか。その牙と、蹄と化してきた手、諸々にね」

「はい。仰せ、の、ノのノ」

「物分りが良い子は好きよ。はい、良い子、良い子」



 若い女の墓は暴いて来たが、男のものは皆無であった。それならば、領主の体の代わりも見つかるだろう。元々が人外の大きさである体に一般的な男のものは合わないだろうが、豚の蹄であるよりはマシの筈。精々、太めの五指を見繕うとしよう。



「待っていて下さいませ、大仙人様。未だあなた様の足元にも及ばぬ非才の身ではありますけれど、いずれ―――」



 そうすれば。もし、それが叶ったのならば。



(……あら?)



 仙人としての歩みの岐路に立ったせいか。ふと、自身の原点に意識が向いた。

 あの方の教えを請えたのならば、より大きな力を得られるのは当然として……。



(何故……私は力、を……?)



 それが……それこそが、力を渇望する糧であった筈なのだが。

 しばしの逡巡。そして。



「だめですわ。すっかり忘れてしまいました」



 あまりに綺麗に記憶から抜け落ちているものだから、我が事ながら、いっそ清々しさすら覚える忘却っぷりである。

 忘れた、と自らの口に出す。これで終わりの意を込めて。

 これまでは待ちの一手であったが、これからは攻め側へと回るのだ。どうでも良い理由に思考を割く時間は、後々の楽しみとして取っておくとしよう。



「帰りましたら、湯を張りましょう。本日は門出。華やかな宴を催して下さいな。領主様」

「は、い。仰せのマま、に」



 行きの時とは打って変わり……などという事はなかったけれど、心の足取りは軽い。

 満身創痍から抜け出しつつある体は、活発という言葉からは掛け離れているけれど、弾む心によって、それすら気にならなくなってきた。

 なるほど。気の持ちよう、とはこういう事か。自己暗示もこの領域まで達すれば、外的な力となって現れてくれるらしい。

 また新たに学べた事実に胸を震わせながら、太陽が真上へと差し掛かる竹林を突き進む。

 願わくば、これからも我が道に乗り越えられる困難が―――更なる力を得る機会が待ち受けている事を。





[26038] 第??話 覚
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/05/24 02:25



 こちらのSSは、息抜きの一環として、メインストーリーの進行速度に影響のない範囲で書き殴ったものであり、本編とは分けてお考えいただければ助かります。













 ■■■■案1■■■■


「あ~……俺、何か気に触る事をしました……か……?」

「……立ち去って下さい。私達は誰とも関わりません。近寄りません、相対しません、遭遇しません、出歩きません。見えず、聞こえず、芳ず。ですから、どうか。―――私達を、そっとしておいて下さい」



 それは。

 心を読める少女と、心を閉ざした少女との出会い。



「何、この思考……ッ!」

「お姉ちゃん?」

「考えが読める……読め過ぎる程に……。悲哀、殺意、我欲、慈愛。まるで……まるであなたの中に幾人もの生命が営みを築いている……歩く街……いえ。国……世界そのもの。あなたは―――何?」

「もはや人扱いですらないのね!?」

「わーい♪おにーさんがまた涙流してるー。私好きなんだー、この人の泣き顔♪」

「こっちもこっちで良い趣味でございます!」



 繋がりを求め、けれどそれを諦めた者は。



「ほらほら。もふもふですよー、ふかふかですよー? 撫で撫でー、撫で撫でー……はい!」

「はっ、はいっ……!」

「硬くなりすぎだよ~、勇丸も体が強張っちゃってるじゃない」

「そっ、そうは言っても……こいし……」

「いきなり接触スキンシップは難易度高かったですか?」

「そうではないのですが……。いえ、いいんです勇丸さん。私が臆病過ぎるのがいけないんですから」

「何で会話出来るのに尻込みしちゃうのかな~なんて、思わんでもないのですが。……時間を掛けるか、短時間でいくか。うぅむ……」

「あっ、また悪い事考えてる♪」

「失礼な! 世の為、人の為、そして何より俺の為と、常日頃から心掛けているワタクシに向かって、なんたる言い草! ここはもう、実姉様が監督不行き届きで責任を負うしかねぇ!」

「えっ、私!?」

「さぁ勇丸! あの大和の軍神を悶絶させた舌技を発揮する時が来たぞ! オチは俺に任せて、ズズズイとやっちゃって下さい!」

「……あっ―――」

「あっ、お姉ちゃん、良いな良いなぁ。勇丸! それ、次は私ねっ!」

「裏切ったな勇丸! ただ隣で静かに寄り添うだけとか、実は俺も結構やってほしい!」

「……あなたの場合、心を読む必要が殆どない、という経験をどう受け止めたらいいものか悩みます……」



 関わりを拒み、しかし、温もりを渇望する性の果て。



「もう、誰も来ないでッ!!」

「逃げて九十九! あれは相手の心にある闇を表に出すものなの! 感情が豊かであればあるほど……激しい気持ちを持てば持つ程にその闇は大きくなる! 自分の影から逃れられないように、ただの人間がそれに敵う訳がないのよ! あなたなんていっぱい力は持ってるけれど、その最もたる人間じゃない! だから、今は!」

「これがサトリ妖怪の……さとりさんが忌み嫌う原因か! 起想シリーズの先駆けって感じだな!」

「何また意味分かんない事言ってるの! 勇丸も黙ってないで、ご主人様の安全を確保してよ!」

「まぁまぁ。ここで尻尾をまいて逃げちまったら、わたしゃーただのお調子者で終わっちまいますので」

「え、違うの?」

「違っ……うとは言い切れないので、ここでその禍根を断つ努力させて下さいお願いします!」

「こんな状況で何言ってるの!」



 その少女の絶望を。

 真っ正面から打ち砕く。



「―――抱え込んだ諦めを、思いつく限りの悪夢を、ありったけのトラウマを。でもそんなものは、全てどうにか出来るものなんだと。全部全部、遥か彼方にふっ飛ばしてやりますから。だから、安心して思い浮かべちゃって下さい。……発動【Eureka(エウレカ)】! さぁ、勝負だ、サトリ妖怪、古明地さとり! ―――調子に乗った俺を、止められると思うなよ!!」










『Eureka(エウレカ)』

 4マナで、緑の【ソーサリー】

 自分から始め、各プレイヤーは自分の手札から、場に存在出来るカードを1枚ずつ、一切のコストを支払う事なく出していく。この手順を、全てのプレイヤーがカードを出さなくなるまで続ける。



 要約すると、全てのプレイヤーは、【インスタント】【ソーサリー】を除く全てのカードをノーコストで手札から場に出す事が出来るもの。出さない、という選択肢もある。

 未だ緑の役割が明確に定まっていなかった、MTG登場初期の頃のもの。然るに、日本語版は存在しない。

 豊富なマナを生み出す事に優れ、それによって各種カードを使用、展開する事が基本となっている現在の【緑】らしからぬ呪文の一つ。あまりに突拍子もない能力であった為、ほぼ全ての公式大会で禁止カードに指定されている。

 凶悪さは為りを潜めたものの、それでも、これを元とした幾つかの亜種が存在し、それらは大会で名を残すデッキのキーカード、あるいはデッキ名となっている。故に、元となった【エウレカ】の異常性が目立つ効果を生んでいる。

 尤も、後にこれ以上の効果をもたらすカードも登場してしまったのだが。















 ■■■■案2■■■■



 音にならない、音。それは他の何にでもなく、目の前の小柄な少女―――古明地さとりにより鳴らされる、拒絶。



「もう―――嫌―――」



 ギチリ、ギチリ、ギチリ。

 軋みを……悲鳴を上げる空間は、もう止めてくれと泣き続け。それでも止まぬ痛みに、ただただ己を歪ませる。

 頭を抱え蹲る女の子は、小さく、小さく。その体のように小さな声で、暗い感情を口から紡ぐ。



「今度こそと思ったのに……今回こそはと、信じたのに……」



 直後、頭の中を覗かれた。

 ……いや、覗かれた。なんて可愛いものじゃない。

 髪を毟られ、頭皮を剥がされ、頭蓋骨を抉じ開けられて、直接ナカミを食べられているような。

 モグモグと、パクパクと、ムシャムシャと。可愛らしい擬音と共に、不可視のスプーンで無くなっていく脳ミソは、紛れもなく俺自身。



「ぎっ―――い”ッ―――!?」

「あなたには感謝しています。忌諱されるばかりだった私に対しても、あんなに優しく、暖かく接してくれたのですから。……嬉しかった。……楽しかった。……これまでの歩みなんて比較にならないくらいに素晴らしく……心が躍る……ひととき……の、夢……でした」



 膝を突き、地面にこうべを垂れる自分の上から告げられる暖かな言葉は、しかし、その行動によって全てが打ち消される。

 殺す気だ。

 反射的に思考したものは、正確に少女へと伝わり。

 クスリ、と。

 小さくも可愛らしい……背筋の凍る声をこぼさせた。



「そんな訳ないじゃないですか。あなたは……あなただけはすっかり忘れてしまっているから、改めて告げておきますけれど」



 幼い容姿に見合わぬ妖艶を。若き姿に見合う無垢を。全てを諦めた絶望に乗せて。



「私―――妖怪なんですよ?」



 頭痛の消失。次いで、視界の正常化。

 サードアイから伸びていた触角のようなものが体から離れるのに合わせ、メチャクチャであった思考が本来の形を取り戻し、徐々にこれまで通りの機能を再起動させてゆく。

 やっと自分が戻って来た気がして、水の中で溺れていた時宛らに、胸いっぱい大きく息を取り込んだ。

 吹き出る汗、冷えた手足、全身を襲う疲労感。痛いくらいの心臓の鼓動と、それに連動する、耳に届く血流の音が自身の存命を教えてくれていた。

 とはいえ、それだけに感けていられない。

 すぐさまこれ以上の事態の悪化を回避すべく【レインジャーの悪知恵】を自身へと掛ける。

 1マナの緑の【インスタント】。選んだクリーチャーに+1/+1の修正を与え、対象に選べない効果を持つ【被覆】よりも柔軟性に富んだ、【呪禁】と呼ばれる、対戦相手にのみ【被覆】効果を発揮するそれを使用した。

 自力の差によってはこれらを掻い潜る可能性もあるが、彼女ではそれも不可能だ。故にこれは、彼女の最大の能力である、思考を読み取る力を完全に封じられる効果を生む。



「もう、いいんです。所詮私は嫌われ者。前のようにひっそりと、誰に知られる事もない場所で過ごせれば、それで」



 足音が遠ざかる。土を擦る軽い重さは、離れれば離れる程に決して埋められぬ溝へと変貌しているようで。

 これはダメだ、これはまずい。

 そう直感が体へと働き掛けて、何とか動くようになった腕を持ち上げ、伸ばし。



「―――来ないで!!」



 他ならぬ、掴もうとした少女の言葉によって止められた。



「……けれど、もう、それも不可能でしょう。心が読めるという……忌諱される存在は、それを周囲へと知らしめたり。かくしてここに、不倶戴天の嫌われ者が、堂々誕生と相成りました」



 叫びと同時に俯いた、その表情は見えない。

 泣いているのか、嗤っているのか、さえ。



「害虫のようなものです。居ると分かっているだけで嫌なもの。在ると分かっているだけで消したくなるもの。それが、意図もたやすく駆除出来る非力さであるとなれば、その結末は言わずもがな。小さな……何処にでもある悲劇の完成です」



 楽しげに語る少女の、努めて明るく振舞う声色は、自虐。

 どうしようもないのだと。変えようのないものだと。

 求め、願い、追いかけて……無理なのだと理解した……してしまった、答え。



「皮肉なものですね。なまじ温もりを知ってしまっただけに、今まで耐えてきたものに耐えられなくなるなんて……。もうイヤなんです。逃げ続けるのも、隠れ続けるのも……嫌われ続けるのも。なので―――」



 悲哀と達観の入り混じる感情のままに、真っ黒の真理が乗り移ったかのような声で。










「―――みんな……みんな。消えてしまえば良いのかなぁ、と」










 俺にとっても、彼女にとっても。誰にとっても最悪であろう回答を口にした。

 

「これまであなたの傍に居たんです。その力の強大さは十二分に実感出来ました。……けれど、足りない。私の願いを叶える為には、それだけでは不十分なんですよ。ですから、あなた自身も全てを把握し切れていないと仰っていたそれに、探りを入れさせていただきました」



 頭の中身をグチャグチャに掻き回されたような感覚は、まさに彼女の仕業であったらしい。

 そこから推察される能力は―――想起。対象の記憶を読み解き、トラウマを再現する力。

 けれど、分からない。

 もしこちらの力を使えるのだとしたら、確かに強大だ、確かに強力だ。海をも割き、山をも砕き、命すら創り出す、集められた魔法の力であるのだから。

 しかしそれに対抗する手段を、全てこちらは持ち合わせている。

 現にもう、俺自身への【呪禁】の付与は実行済み。自力がこちらより圧倒的に上の相手ならいざ知らず、彼女だけでは、もはや能力による干渉は不可能だ。継続してトラウマを読み取る手段は途絶えたと判断出来る。

 そしてそれは、彼女も織り込み済みの筈。

 つまるところそれは、こちらのトラウマに準ずる何かを、先に読み取ったであろうそれ――― 一つしか実行出来ないという事。

 たった一つの呪文で他の全てに対処するなど、MTGでは不可能。それが出来るのならば、MTGはゲームとして成り立たず、その存在意味を失ってしまうのだから。



「普通の方法では、あなたの心を覗くのは不可能でした。無数とも言える他者の意思が邪魔をして、どれがあなたのものなのか、辿り着く事すら叶わないんですから。……けれど、直接触れ合っていたのなら、話は別」



 先程の、サードアイの一端が触れていた事実を思い返す。

 恐らくその事かと当たりを付けていると―――。

 その手をこちらに。まるで、この手取って御覧なさいと―――決して無理だという意思を込め―――差し出して。



「もはや心が読めなくても、あなたの考えは解ります。こんな妖怪ですもの。例え能力が通用しなくたって、これまでの経験から、大概の相手ならば、思考の機微くらいは感じられる。それでなくても、あなたは自分の考えが口からこぼれ出ていたんです。……困りましたよ。何せこれまでずっと……二重の意味で、能力を使う必要がなかったのですから」



 このMTGの能力故か。【被覆】や【呪禁】など無くとも、彼女の力は俺に対して、その効果を殆ど消失させていた。

 効果もあるし、効かない訳でもない。

 ならばどういう事かと問われれば、心を読む力を使った場合、俺を通してMTGに関する何かの思考を覗いてしまうのだと言った。

 無限の欲望を抱く者。激しい怒りで世界を焼き尽くした者。慈愛を以って、自らの滅びすら善しとする者に、ただ大らかであれと体現し続けた者まで。

 木を隠すのなら森の中。砂漠で一粒の砂を見つけるかの如き確立故に、心を読むという能力に対して、鉄壁とも言える防御力を誇っていた、のだが。

 

「今のあなたに思い当たる節はないでしょう。既存の知識の上に思考を巡らせている、その状態でならば」



 彼女が差し出した手の先。その僅かな前方に、周囲の空気が渦巻くように集っている。

 死ぬぞ、と。喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

 過去、この力に目をつけて奪おうとした者の末路は、1マナのものですら満足に発動させる事もなく、一瞬にして干乾びたミイラと化した。

 それはそうだ。そもそもこの1マナという基準は、広大な【土地】一つが生成するであろう力を糧とするもの。それを安直に使おうとすれば、そうなるのは当然と言えた。

 だからこそ、分からない。

 こちらの記憶を読み解いたであろう彼女が、それを知らない筈がないのに。

 可能性としては、呪文を始めとした全ての記憶を把握するには至らなかった、という線が濃厚か。

 だとしたら、それをさせてはならいと。



(【オアリムの詠唱】!)



 1マナで、白の【インスタント】。対象のプレイヤー1人は1ターンの間呪文を唱えられないという、呪文を唱える事を主とする者達には効果絶大のそれを使用した。

 駄目押しとばかりに【キッカー】コストも支払う。本来の呪文コストとは別に、【キッカー】という能力に書かれたコストを注ぎ込む事で、更なる別の効果を付随さるそれが今回発揮する効果は、1ターンの間、対象となったプレイヤーがコントロールするクリーチャーは攻撃に参加出来ないというもの。

 呪文も唱えられず、クリーチャーによる攻撃も出来ず。

 もはや“積み”である状況だというのに、彼女の顔には、微笑が張り付いたまま。

 この状況を理解していないのだろうか。あぁ、そうに違いない。

 ―――という考えに辿り着こうとする、その少し手前で。



「ッ!?」



 絶句。それが俺の口から出た反応だった。

 少女の前方に変化が生じた。少しの砂埃と、微風。それらが凝縮され、四散する。





 ―――そこには、一人の女性が居た。

 風の化身とでも言うべき青白い肌。それらを構成する一部であるかのようにまとわり付く風が、下半身を覆い隠し、地面から轟々と立ち上っていた。

 体は愚か、髪ですらも風で編まれたそれは、悩ましく、不敵に。その顔をこちらへと向け―――哂っていた。



(【大気の精霊】……?)



 これで何度目か。

 分からない、と頭が告げる。

 あれは、5マナのクリーチャー。青の【エレメンタル】であり、4/4。特別な【フレーバーテキスト】が記載されているでも、MTGの物語の中で強力無比の力を振るっていた訳でもなく。備わっている能力は【飛行】のみという、中級【フライヤー】以外に説明のない……特筆すべき点が一つもない、ただのクリーチャーであるのだから。

 青のアタッカーとして代表的なクリーチャーとはいえ、他に優秀なカードは五万とある。だからこそ、それを選ぶ意味が分からない。理解出来ない。思い当たらない。



(……違う、そうじゃない)



 疑問は多々あれど、最も初めに考えるべき点は、何故“呪文を唱えられない状況で、クリーチャーが召喚されたのかという事”。

 別に、クリーチャーを出す行為は不可能ではない。けれど、それをクリアする為には他のカードを駆使しなければならないのだ。だが、そういった素振りはしていなかった。



「分からないですか? 分からないですよね。何せ今まで、一度としてこの人を召喚した事がなかったようですから」



 言葉による翻弄を楽しんでいる。

 そんな口調で話し掛ける様は、こちらの不利を……あちらの圧倒的な勝利を確信しているからだと理解させられるもので。



「では、ヒントを上げましょう。たった一つだけですけれど、あなたならこれで、答えに辿り着けるでしょうから」



 恐らく、答えに辿り着いてもなお、それは攻略不可能なものなのだろう。

 絶望を知らしめる事で―――他人の負を好むところが多い妖怪らしい動機からか。

 それとも。



「―――この人。実在しないらしいですよ?」



 それは一体、どういう意味での“実在しない”なのか。様々な憶測が頭を駆け巡り、それが彼女の戯れなのかとすら思い始め。

 馬鹿にしているのか。

 そう、喉元まで出掛かった台詞であったが。



「……ぁ」



 それを寸でで飲み込んだ。

 未完成であったパズル。それの最後の一片が、すとんと絵図にはめ込まれた感覚に似て。



 ……ああそうだ。ああ、そうだった。

 それは実在しない。けれど、それは存在している。

 それはカードではなく、しかし、それはMTGのものとして認知されている。

 現状、救いがあるとすれば、二つ。

 こちらが【呪禁】を発動させている事。そして、相手が他にカードを使えないという事。

 あれは個別対象にしか効果を発揮出来ず、他に使えるカードがあればある程に、その力が加算されていくのだから。





 最強のカードとは何か。





 使われる環境によって。対戦する相手によって。場や手札にあるカードによって。次にデッキから引くものによって。

『そんなもの、所詮は状況次第だ』と。幾千、幾万ものプレイヤーがそう結論付けてきた。

 無駄だと知っている。無意味だと理解している。だというのにその討論をしてしまうのは、もはや愛とすら呼べるだろう、MTGプレイヤーの性のようなもの。

 ああ、しかし。それでも、なお。それは唯一無二の力を持つ―――最強と呼ぶに相応しい。



「安心して下さい。この方の力があれば、あなたを生け捕りにするのは容易です。あなたの知識を。あなたの経験を。あなたの力を。私の為に。私の、為だけに」



 その三つの目がこちらを捉える。

 決して逃さないと。決して離さないと。

 こんな暖かさを教えてくれた事を。こんな木漏れ日の存在を知ってしまった事を。

 決して、ユルサナイと。その目に宿し。



「優しい夢の中で。永久の安らぎを枕とし、とこしえの温もりを子守唄に。この世の果ての、更に果て。世界が瞳を閉じる、その日まで」



 僅かの、間。



「―――共に」



 まるで、誓いの言葉。

 風の女が起こしたであろう大地の崩壊に巻き込まれながら、絶望に折れそうになる自分を見てる別の自分は、そう、場違いな感想を抱いていた。



「加減など不要。配慮など必要ありません。私すら滅ぼす気概でやって下さい。宜しくお願いしますね。―――【Library of Congress】さん」










『Library of Congress(アメリカ議会図書館)』

【土地】【基本地形】

 ●あなたは、あなたが唱える全ての呪文を、コストゼロとしてもよい。

 ●あなたは、あなたのターンに追加で【土地】を最大9枚まで出してもよい。

 以下、全てコストゼロで使用出来る起動型能力(任意で発動出来る能力、の意)。

 ●ゲーム外の、あなたが所有権を持っているカードを最大9枚まで手札に加える。

 ●このターンを終了する。

 ●あなたのライブラリーからカードを1枚探し出し、それを手札に加える。その後、ライブラリーを切り直す。

 ●カードを1枚引く。

 ●クリーチャー1体かプレイヤー1人に、1点のダメージを与える。

 ●場に出ているカード1枚を対象とし、それを【タップ】する。

 ●場に出ているカード1枚を対象とし、それを【アンタップ】する。

 ●あなたは50点のライフを得る。

 ●場に出ているカード1枚を対象とし、それを破壊する。

 ●場に出ているカード1枚を対象とし、それを、そのカードの所有権を有するプレイヤーの手札に戻す。

 ●あなたの墓地にあるカード1枚を対象とし、それを手札に戻す。

 ●【白】【青】【黒】【赤】【緑】のマナを出現させる。

 ●好きな色のマナを一つ生み出す。

 ●対象のクリーチャー1体に、ターン終了時まで【速攻(召喚したターン、【タップ】を要する行為が不可能だが、それを無効化にする)】を持たせる。



 決して、名も知らぬ誰かが考えた『ぼくのかんがえた さいきょうカード』などではない。ならばこれは。と問われれば、オンラインゲーム『Magic Online』に存在するもの、が答えになる。

 つまるところ、テストプレイ用のカードデータ。

 この【Library of Congress】を大量に投入したデッキに、使用したいカードを混ぜ込む事で、デッキの稼働状態を把握しようという目的の為に生み出されたもの。

 何故絵柄が【大気の精霊】であるのかは、MTG登場初期のセットの中で、【大気の精霊/Air Elementel】が、英語のイニシャル順の最初であったから。

 こんなものが実在し、かつ、対戦で使用出来ようものなら、堪ったものではないのである。


























「………………【真髄の針】(ぷすっ)」

「あっ」











『真髄の針』

 1マナの【アーティファクト】

 これが場に出る際、カード名を1枚指定する。指定されたカードの、マナ発生能力以外は、それが起動型能力である限り、使用出来ない。



 通称『針』。

 過去、類似する能力を持つカードは幾つか存在していたが、【アーティファクト】かクリーチャーの二種のみに効果があるだけという、範囲が限られているものであった。

 その点で言えば、これも同上か、それ以上に制限されていると言えるようなものだが、1マナという出しやすさ&【アーティファクト】であるが故にデッキを問わず採用できる&相手のカードデッキの傾向さえ分かれば、という前提の、三重の高い汎用性。そして何より、場に存在していないカード(手札や墓地にあるカード)に対しても効果を発揮するという特性が大きく買われ、幾つものコンボデッキや強力な【プレインズウォーカー】を死地へ追い遣る結果となった。しかしながら、戦闘を鈍足化させるこのカードによって、対戦の幅に広がりが出たのも事実である。

 その性質上、指定カードがマッチしなければ、ただの物置と化す。MTGに対する知識と経験が直接戦闘に左右される為、プレイヤーの腕が問われる瞬間でもある。よって、内部事情を良く知っている者同士が行う対戦―――身内殺しの異名を授かる事となった。とはいえ、数ある身内殺しの中でも控え目の部類であるのだが。

「針があるから」「針さえなければ」。そう呟かれた数は、良い意味でも悪い意味でも、決して少なくはないだろう。





[26038] 第24話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/10/26 18:27






 食器も片付けた。洗濯物も干した(自分のだけ)。掃除も、大雑把にではあるが、とりあえずは終わった。
 そんな、全てが一段落ついた、午前の空白の時間。
 煎餅でも齧りながら、テレビでも見ていたい気分なのだけれど、困った事にそのテレビに値するものがどれなのか、ここ1週間検討もつかず。
 かといって、自分の中でそこまで優先度の高い項目でも無かった為に、永琳さんに聞くといった事もしていない。
 勝手知ったるなんとやら。大体の雑用は覚えてしまい、流石にぼけーっと過ごすには抵抗があるので、ならば、と、前々から考えていた、脱出方法を模索してみる事にした。

(何処から切り込んでいくかなぁ。カード名? フレーバーテキスト? カード効果だとピンと来ないしなぁ)

 そのまま悩む事小一時間。
 頭を抱えたり、うんうん唸ってみたり、貧乏揺すりで室内に地響きを起こしてみたり。
 手元に置いてあったカップから、飲み物が完全に消え去った頃、ようやく考えがまとまった。

(よっしゃ、例の方を召喚してみましょうかね)

 ソファーから立ち上がり、大きなリビングの中央に陣取る形で目を瞑る。
 今までとは全く異なった召喚に、内心で期待と不安が鬩ぎ合う。
【土地】【アーティファクト】【エンチャント】【インスタント】【ソーサリー】【クリーチャー】。新たに呼び出そうとしているのは、それらとは全く別のカードタイプを持つもの。

 その名を、『プレインズウォーカー(略称・PW)』。
 マジック・ザ・ギャザリングにおいて、決して語らずには居られない存在である。










『プレインズウォーカー(ストーリー)』
 MTG界において、世界と世界を行き来する、次元を超えた活動が出来る存在の事。カードゲーム、マジック・ザ・ギャザリングはプレイヤー自身がこのPWになった、という設定で対戦が行われる。
 次元を渡る能力は勿論の事、その保有する魔力は無限であり(放出力は個々で違う)、神の如き存在となる。そのせいか、ほとんど不死とも思える寿命を持つ。
 世界をも変えうる力を手にしたプレインズウォーカー達は、それぞれ自身の決めた道に従って、その力を振るうようになる。例えそれが、世界の破滅を願うようなものであっても。

『プレインズウォーカー(ゲーム)』
 自分の下へ増援として駆けつけて来てくれた、2人目のプレイヤーとも言えるカード。
 召喚されたのなら、3~4つある呪文の中からプレイヤーが選択したものを行使し続け、ライフドレイン、クリーチャー召喚、手札補充などで恒久的に、何かしらのアドバンテージを獲得してくれる、優秀な存在。
 自身が召喚したのなら頼もしく、相手が召喚されたのなら、真っ先に対処したいカードでもある。










 これから召喚しようとするのは、召喚コストの低いPW。
 属性の色は、青。読心術・透視・念動力・テレパシーなど、精神操作系魔法の神童とまで呼ばれた者。
 名を『ジェイス・ベレレン』。
 陰気な性格なれど、非常に強い好奇心と知識欲を持ちあわせせた、自身の力の使い道を悩む者である。

「ジェイス様! いらっしゃーい!」

 某新婚さん応援番組のようにコールしながら、初めてのPWとの対面に心を躍らせる。
 通例通り、瞬間に集まった光が四散。
 久々の3マナ召喚の為に疲労感が一気に襲い掛かってくるが、体力もついたお陰でそこまで気になるような事にはなっていない。
 召喚し続けている勇丸と合わせて、4マナを使用している計算になるけれど、まだまだ余裕が崩れるような事態には陥らなさそうだ。
 俺も進歩しているんだなと実感しつつ、現れたのは全身を青黒いローブで覆った、身長が俺より頭1つ程高めの男。
 ローブと一体となっているフードで目元が見えないが、カードだってそのように表記されているのだから、特別気にはならない。

 ……そう、今までは。

(来た! 生ジェイス様来た! これで勝つる!)

 ―――こう思ったことは無いだろうか。
 テレビやPCの前などで、『も少しカメラをずらしてくれれば』と。
 見切れているあの風景が見れる。全体像が確認出来る。色々な角度から撮影対象を観察出来る。
 そして、もはや察しの良い者なら容易に想像出来るであろう事。

 ………パンツが見える。
 ………。

 生憎と、現状はそういったものではないので、今の考えは無かった事にするとして。
 今の興味の対象は、ジェイス様の生の顔。
 カードでは、顔がフードに隠れた、青の魔法使い、といった印象が強かったけれど、それは雰囲気がそうであったから、という、安直な考えからだ。

 しかし!
 目さえ見たのならそれら印象も変わってくる。
 ベンゾウさんやのび太君の③の目。
 普段はビン底のようなメガネを掛けているけれど、外したのなら、パッチリお目々の美人さんがこんにちは。
 前髪に隠れて見えない、時折奥に見える目が何かを訴えかける設定のキャラ達。キタロー!
 興奮しているのは自覚しているが、いつもストッパー役であった勇丸は、この場に居ない。
 ならば、誰も俺を止める事など出来ないのだ!

(どんな目なんだろうな~。パッチリ系? キリッと系? ……まさか③系じゃないだろうな)

 シリアスな風貌でその目は反則だな、と思いながら、腰を曲げて、ジェイスを見上げる様に体を動かす。

 ……が、彼の手が俺の目の前まで伸び、指を一本立てて、ゆっくりと左右に振る。
 実際には言っていないものの、『チッチッチッ』と声が聞こえてきそうな仕草をされ、そしてそれが凄く似合っていると来た。

(……あれですか、見てはダメなんですか。そのお顔)

 その通りだと言わんばかりに、ジェイスは腕を下ろし、その存在感を放つ様に佇む。
 こりゃ、諏訪子さんや神奈子さんと対峙している時の様だと感じながら、初ジェイスとのコミュニケーションを試みることにした。
 といっても、身体言語(ジェスチャー)をする程でもないので、軽い対話から。
 この辺は『俺が召喚したカードの云々だから』、という意識は完全に切り捨てて、一個人のPWとして彼と接する感じでいく。

 精神・知識・文明を代表する青の属性を持つ、あらゆる面で俺よりも秀でた能力を有している人物。
 始めて出会った時の諏訪子さんよりも若干崩したような、神奈子さんよりも上な態度で、事にあたる。
『調子はどう?』『お腹空いてない?』『したい事ある?』『とりあえず緑茶ですがどうぞ』等々。
 何気に初めての人型でもあったので、対話出来るかとも思ったのだけれど、声に出す言葉はなく、全て念話で内容を伝え合う。
 意外と気さくに話してくれているのに気を良くして、『いやぁー、永琳さんって人がね』など、長々と、全く関係のないところまで話が飛び火してしまった。
 そうして過す事、はや数時間。
 若干ギスギスしながらも、名前を呼び捨てで話せる仲には、親睦を深める事に成功した。
 初めは、ただの利害関係での繋がりで接する事に抵抗があったけれど、話していく内に、彼の思慮深い性格やらが垣間見え、それらに惹かれる様に話へとのめり込んでいく。
 あっという間にお昼頃に差し掛かった頃には、何となくではあるがPWの存在というものが、俺の鈍い頭でも掴めて来た。
 やはりこの存在は特別なようで、ある程度の自由意志と、“第二のプレイヤーの立ち位置”という設定に偽りは無く、MTGでカード化されているものは勿論、されていない呪文まで行使出来るのだそうだ。
 ただし、そのキャラの属性……【色】からあまり外れない、という制約は付くようだが。
 彼だけに限った話ではないが、PWは様々な呪文を行使出来る存在である。
 ジェイスの属性マナは、先にも述べたように、青。
 その色らしい各種トリッキーな呪文を多分に習得しており、呼び出せるクリーチャーも幅が広い。
 小型であるフェアリー種などの妖精クリーチャーや、同じく小型クリーチャーとしていの位置付けにいる、ドラゴンの小型種、ドレイク。
 小~中型に多いのエレメンタル種―――精霊タイプに、知性の獣としての要素が含まれた中~大に多いスフィンクス種など、自身の属性に沿った、多種多様なクリーチャー召喚、使役する一面も持っている。

 大雑把に言ってしまうと、このPWというカードタイプは、“固有の神を召喚する”といったイメージが合っているのではないかと思う。
 そしてここが最も重要だと思うのだが、このPW、強固な意志の持ち主である事は間違いないのだ。
 PWになるには、皆、精神的に大きな切欠が必要らしく、肉親の死、生命に関わる危機的状況など―――中には瞑想の境地の果てに開眼した者もいるようだが―――大半の者が強い精神的負荷を経てからこのクラスになっている。
 よって、例え俺が召喚し、従順にしてくれる存在になっていたとしても、それらを覆して謀反? でも起こされたら一発で人生リセット。それだけならまだしも、最悪、一生傀儡にされてしまうかもしれない。

 特にこのジェイスさん。
 直接的な攻撃力は他のPWよりも低いものの、精神・幻術関係での腕は一級品、を通り越して無双状態。
 MTGは、そも物語の延長線上に点在しているものであり、そのMTG内でのストーリーが進めば、ジェイスは相手の精神を崩壊や形成出来るなど、内政チート―――というより、対人関係無双が、余裕で可能なお方なのだ。
 ただ唯一の救いは、当の本人がその手の精神攻略を忌避している、という事。
 読心術や精神掌握ならば、ある程度はやってくれるようなのだが、『精神崩壊だー』『精神形成だー』『記憶の改竄? 余裕です』、って事には、色々と思うところがあるらしい。
 知識欲が多分に強い、という点を除けば、初対面でも即座に見敵必戦とはならないだろう、と踏んで、ここにお呼びした訳である。
 どこまでPWが自由意志を持っているのかが判断し難いが、それは今後、慎重に調べてみるとして。

(ん、そろそろ本題を尋ねてみようかな)

 ある程度ではあるけれど、これならば問題なく俺の言う事も聞いてくれそうだと判断しながら、彼に尋ねてみる。

「ジェイス……さんって、次元移動ではなくて、星々の間を移動する事って出来ますか? 具体的には……大体40万km位なんですが」

 呼び捨てで良いと本人から承諾は貰っているのに、どうにも畏まってしまう。
 けれど、そんな事は気にもしていないようで、さらっと言ったありえない長距離にも、彼は不敵にニヤリと口元に笑みを浮かべた。
 その反応から判断するに、俺の答えに対しては肯定してくれているようだ。
 おぉう、なんて頼もしい存在なんだPW。
 これは多様する日も近いかも、なんて深く考えずに、そう思ってると、





 ―――唐突にジェイスがソファーから立ち上がり、玄関の方へと顔を向けた。





 下がっていろ、と、意思が伝わって来て、とりあえず指示された通りに、奥の部屋へと移動する。

(永琳さんは今日の夜まで戻らない筈……。誰だ? 防犯設備は完璧だって聞いたから、泥棒な訳は無いだろうし……。となると、永琳さん関係の知人の線が濃厚。……あぁ、別に隠れて住んでいる訳じゃないから、見つかっても良いのか)

 永琳さんに連れられて、俺は何箇所かの研究機関に訪れていた。
『面倒はこちらで見ている』なんて前に施設の人に伝えているのを聞いてもいたし、疚しい事は無い。
 最も、周りがどう思うかは、別問題であるのだけれど。
 その話をした時の関係者っぽい人達の顔といったら、まさに唖然、の一言に尽きるだろう。
 イェーイ! 美人と一つ屋根の下フォー! なんてな! なんてな! ぐはははは!

 ……手は出しませんよ? 死にたくないですからね。

 さて、それならば、ジェイスが俺を逃がす様に行動するだろうか。
 家に用事があるだけなら、心の機微を誰よりも熟知している―――そして、それがリアルタイムで把握出来る彼ならば、そんな真似はしない。
 十中八九、この家―――ないし、俺に敵意を持って訪れる人物が来た、と判断するのが妥当だろう。
 ギクシャクしながらも、何とかジェイスの指示通りに、距離を取った。
 近くにあったソファーに身を隠し、いざとなったら攻撃&防御&脱出のどれでも選択できるよう、脳内にカードを思い描いておく。
 すると、玄関の方から扉が開く音が聞こえ、続いて何人かが室内に侵入してくるのが分かった。
『複数で来るなんて、ますます永琳さんじゃない』と思いながら、ジェイスの方を見てみれば、彼は両手を音の方へと突き出し、何かの呪文を練っているかのようだった。

 詠唱呪文とか聞こえないんだな、とか思いつつ、完全にソファーへと体を滑り込ませ、心を静める。
 室内なのだから、威力の低い熱傷の槍や、お粗末といった相手を無力化させる呪文などが周囲に被害を出さずに済むのではないかと思いながら、

「九十九さん、今帰った……」

 聞きなれた声に、思わず頭の中が真っ白になった。
 高級なガラスを鳴らした様な、澄んだ声。
 もはや誰が、との疑問すら沸かず、断定出来る。
 八意永琳さん、その人である。

(ハッ!? いやいや待て待て。永琳さんの声だけ録音とかで、それに釣られて俺が出てくるのを誘う作戦かもしれないじゃないか!)

 ふふふ、危ない危ない。危うく騙されるところだったぜ。
 気が緩んで『はーい』とか返事をしたり素直に出て行った日にゃあ、即デンジャーコースまっしぐらさ!
 おのれ未知なる侵入者よ、人の情を餌にするとは、何と卑怯な。
 その卑しい心に俺が正義の鉄槌を喰らわして……、って、あ、隠れるも何も、ジェイスがさっきから囮になってくれてるんだったか。
 とか思っている間に。





 ―――何か、重量のあるモノが地面へと接触する振動が響いた―――





(……あん? まるでそこそこ重い湿った肉の塊が床に崩れ落ちるような音が)

 永琳帰宅→ ジェイスが対処→ 何かの魔法で永琳を攻撃→ 永琳昏倒? → ドサッ
 当たっていたのならヤバい図式が脳内で構築されるが、かぶりを振って、嫌な考えを吹き飛ばす。

(いやいや何も永琳さんが倒れたと決まった訳じゃない。ジェイスが返り討ちになった可能性も……)

 ……ん?

(どっちにしたってダメじゃねぇか!)

 現状が分かららないのなら、分かるように行動するだけ。
 混沌としているであろう場を確認する為に、慌ててソファーの陰から身を乗り出してみた。

(……おぅふ)

 飛び込んできた光景に、クラッと意識が消え掛ける。
 予想とは違ったが、状況的には想像通りだった展開に、思わずオーマイゴット、とか洋風に諏訪子さんへの祈りを捧げてみた。
 想像通りだったのは、ジェイスが何かしらの魔法を使って相手を昏倒させ、その相手が床へ倒れている事。
 予想外だったのは、倒れているのが永琳さんだけではなく、金髪と薄紫の色をした長髪の人物が二人、既に倒れている事。

(永琳さんの知り合いで、薄い金髪に、同じく薄い紫色の長髪のポニーテール……綿月姉妹ですね、分かります)

 俺って何でも知ってるなぁ、と軽く現実逃避しながら、あわあわしている間に、永琳さんも彼女達と同じ様に床へと崩れ落ちていた。
 顔だけは何とか上げているものの、今にも昏倒してしまいそうな様子が伺える。

(ってそれどころじゃねぇ!)

 我に返り、声を荒げて静止の意志を伝える。

「ジェイス! ストーップ!!」

 ダッシュでソファーから這い出して、ジェイスと永琳さんの間へと割って入る。
 そのまま、今にも気を失ってしまいそうになっている彼女を抱き抱え、揺すり起こす要領で、体に刺激を与えた。

「永琳さん! 永琳さん! 起きて下さい!」

 次いで、自身の体はそのままに、背後に居るジェイスへと、首を回して視線を向けた。

「ジェイス! この人は敵じゃない! 俺の知り合いだ!」

 一瞬、面を食らった顔―――口元だけしか見えないが―――口をぽかんと開けた彼だったが、こちらの意図が伝わったようで、こちらが割って入った時に降ろしたであろう両の手を、再び掲げ、再度、その手に力を込める仕草をする。
 視線を元に戻してみれば、眠るように意識を手放そうとしてた永琳さんが、朝の目覚めを思わせる動作で、今にも落ちようとしていた瞼を、持ち上げ始めた。
 一度、二度。
 何度か瞬いた後に、その宝石を思わせる瞳を、こちらの視線と合わせて来た。

「九十九……さん……?」
「―――はい、俺です」

 良かった……意識はちゃんと、戻ったようだ。

「これは……一体……」
「ええと……何処から話したら良いものか……」

 いや~、もう、ね。……ここから、なんて説明したもんか(汗

「少し……複雑な事情がありそうね。特に―――後ろに居る方の説明、してくれるんでしょう?」

 うわーい、いきなり本質に迫って来られちゃいましたよ。
 しかも“紹介”ではなく“説明”と言っている辺り、もう逃げ場がねぇ! 的な……。
 色々はっきりしてきてくれたのは嬉しいが、眼光の鋭さに、足が小刻みに震えだしそうになってますよ、俺。

「……ハイ。イマカラ、ゴセツメイ サセテ イタダキマス」

 完全に意識が戻ったようで、倒れていた体を起こし、永琳さんは、両の足で、しっかりと立ち上がった。
 良い匂いだ、とか。華奢な体だ、とか。思ったよりも軽いんだな。なんて感想が……ほんの少し、思考に混ざる。
 これから、溜め息の連続が待ち受けているというのに、僅かながら、得した気分が湧き上がったのは、『俺もまだまだ若いな』と、変に枯れた気分にさせてくれた一コマとして、記憶に残しておこう。

『さて』と直立し、一息整える永琳さんに習って、俺も、重い腰を上げた。
 恐らく、今もリーディングを行使しているジェイスにお願いして、永琳さんと同じく、綿月姉妹に施した精神操作を解いてもらう
よう、意志を送る。

「そう睨まないでくれよ……俺だってテンパってんだから……」

 今の台詞は、逃げだろうか。
 溜め息に近い語彙で紡がれた言葉に、青き者も、若干の不服を見せながら、こちらの意志を汲んでくれた。
 両の手を伸ばし、五指を開く。
 再度行われる精神操作に、本当、便利な能力だ。と思うのは、彼に対して失礼に当たるのだろうな、と、漠然とした感想が、頭を掠めた。

「ん……」
「……ここ……は……」

 重要人物、その一、その二の、意識が戻る。
 それら、ジェイスが行っている出来事を、睨むように、観察するように見つめる、月の頭脳。
 直接見られている訳ではないというのに、こちらの胸が、どんどん不安で押し潰されてゆく。

(でもまぁ、やる事は変わらんよな……)

 とりあえずは、事情説明から。その後の展開は……うん、あれだ。野となれ山となれ。
 仮にもMTGで一二を争うであろう、心の機微に長けている者がこちら側には付いているのだ。多少の事ならば、どうにかなる……と思いたい。

(えっと……)

 ふと、壁に表示されていたものに、目線が動く。
 この世界でも変わることの無い時を刻む指針は、丁度、長短共に針が重なり合った所。つまりは、お昼。
 サンドイッチか、おにぎりか。あるいは中華まん辺りが妥当なところかな、と、段々と自己主張をし始めた胃袋と相談しながら、段取りを組み建てていく。
 これから長くなるであろう、様々なオハナシを考え、重い溜め息を吐きながら、俺は某青たぬきのポケットレベルで重宝している、鞍袋を再びこの手に呼び寄せるのであった。






[26038] 第25話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/10/26 18:28






 作業台兼、食事台兼、物置兼……であったテーブルを綺麗に片付けた―――約十人掛け用の―――場所に、五人の人物が、腰を下ろしていた。

 食卓にはそれぞれ、各人に行き渡る様に配置された、五つの湯呑みと、同じく、五枚の小皿。

 黒茶色の木製である湯呑みからは、豊かな大地の香りが感じられる、深い緑を称えた液体が。

 宇治とは名ばかりの、他から輸入し、その地で加工されているだけでその名が付いた数々の雑多な緑茶などではなく、きちんとその土地で育ち収穫された、通常のものより数倍の値の張る茶葉を使用したものが次がれ。

 小皿には黒真珠を思わせる光沢を放つ、小豆を加工して作られた、長方形の甘味が二切れ。

 飲み物と同色の、神代の森を連想させる緑が着色された、濡れる様な輝きを魅せる皿に盛られており、小脇に置かれたクロモジの楊枝が、黒と緑の彩りに、花を添えていた。

 早い話、緑茶と羊羹である。

 いずれも一般人がおいそれとは手……どころか、目にする事すら無い品々ではあるものの、悲しいかな、それらに口をつけるものは、過半数に届かなかった。





 嵐の前の静けさとも、一触即発の危険地帯とも……。呼び方は、如何様にもあるだろう。

 一人は、この場の主にして、この場の誰よりも立場が上であろう、八意永琳。

 深く目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えながら、その整った顔立ちを若干歪め、眉間に皺を寄せている。

 一人は、月の頭脳の教え子の内の一人であり、近年、政治方面にてその手腕を発揮している、綿月豊姫。

 目尻を下げて何かに困っている表情で、目を見開く事は無く、場の成り行きを見守っている。

 流れるような自然な動作で場の空気を全く乱すこと無く、クロモジで作られた楊枝を使い、口元に茶菓子を運びながら。

 一人は、同じく月の頭脳の教え子の一人であり、持ち前の能力も相まって、軍部にて目覚しい活躍を上げている、綿月依姫。

 この場に居る誰よりも、その表情を苦悶に歪め、隠し切れない不安と不満の空気が辺りに漏れ出している。





 それらの人物の対面。





 一人は全身を青い衣で着飾った、異界より呼ばれし、次元を渡る者、【ジェイス・ベレレン】。

 頭をすっぽりとフード覆い隠し、口元だけしかその表情は確認出来ないものの、何を気にする風でもなく、ただそこに腰掛けて、時間を潰している様子が伺える。

 ただそこに居るだけだというのに、彼からこぼれ出る無限の魔力の残滓が、若干ピリピリとした空気を作り出していた。

 豊姫と同じく、手元に置かれている羊羹を口に運び、それを満足そうに咀嚼しているのは、氷山を思わせる雰囲気を常日頃から纏っている―――彼を良く知る者が見たのなら、目を見開いて凝視していたであろう。

 そして―――。



「―――と、いう訳で、殺気に対抗するべく、こっちはあなた方……綿月さん達や、永琳さんの意識を刈り取った……って流れになった訳で……はい……」



 語尾がどこぞの北国に暮らす人々を描いた番組のナレーションっぽくなっているのにも気づかないくらいに、色んな気持ちが入り乱れテンパっているワタクシこと、九十九であった。










「―――そう。やっと合点がいった。……と、言えばいいのかしら……ね」



 永琳さんが、今までで最も大きな溜め息をついた。

 長年解の出なかった問いが氷解したは良いものの、それが喜ばしくない答えでした。って心境なんだろうか。

『まっくもう』とか幻聴が聞こえてきそうな様子で、小さくかぶりを振る彼女に、その隣に居た依姫の肩が、びくりと震える。

 原因が自身の殺気であるという事を指摘され、たじろぎ→萎縮→物置、の三段移行変形されたようで。

 先程から肩身を狭く、小さくなっていたというのに、今の台詞でさらに萎縮してしまっているのは、これでは遠からず、小さくなり過ぎて消滅してしまうのではないかと思えてしまう。

 ただ空気が抜けていくのを待つだけの風船のような、その辺に投げ捨てられ、風化を待つだけの玩具的な何かと化していた。

 それを何とも言えない視線で眺める、彼女の姉は……ふむ。可哀想な&楽しそうな……そう、いじめっ子気質な瞳を向けている。と、俺には見て取れるんだが、どう判断したら良いのだろう。



(あれ。そういえば、あの二人の情報って、断片的なものしか……)



 一通りの情報―――戦闘能力とか思考パターンなどは大体頭に入っているのだが、細かい性格や、何を是とし、何を非とするのか、などの基準が殆ど分からない。

 ……というか、詳細に関する記述って、何かの作品でやっていただろうか。



(姉が桃好きで……妹が星好きだっけ?)



 前者は木に実った桃欲しさに、二階から手を伸ばし転落していた……ような? 後者は某白黒魔女のスター系シリーズの魔法で出てきたお星様を齧っていたような?

 なんでこう、食べ物に関しての記憶しか残っていないんだろうか。しかも疑問系。

 役に立たない訳じゃあないが、返って微妙な情報のせいで、混乱してしまいそうだ。



(う~む……。ただ、何にせよ……)



 場が場だけに凝視する事は出来ないが、永琳さんと同じく、チラっと見ただけでも、とんでもないレベルの美人さんだってのは良く分かる。



 綿月豊姫。

 赤い大きなリボンがアクセントになっている、真っ白な帽子を被っているのが特徴的な、薄い金髪をした女性。八意永琳の……甥の……いや、ひ孫……いやいや、妹……? とりあえず、親戚の類……だった筈だ。

『海と山を繋ぐ』程度の能力を保持し、その戦闘能力は、未知数。というか、能力が具体的にどんなものなのだか、イマイチ記憶していない。

 ただ、いずれは森を一瞬で素粒子化させる武器を所持し、ある程度の空間を、自由に操作出来る力を持っていた筈。

 性格は温厚……に部類しても良いだろう。

 平時は、ひたすらマイペースなのほほん空間、とでも呼べる空気を展開していた気がする。

 しかし非常時には、あの妖怪の賢者、八雲紫を手玉に取れるだけの立ち回りを演じていた。

 暖かな雰囲気を信じきるのは、得策ではないと仮定しておこう。



 そして、その妹である、綿月依姫。

 祇園様やら愛宕様やら神々の力を借り受け、行使する―――『神霊の依代となる』程度の能力を持つ、最高クラスのイタコさん。

 多岐に渡りその能力を遺憾なく発揮させて、地球側からの侵略に備え、玉兎達の育成に力を入れていたんだったか。

 薄紫の髪は朝露に濡れた紫陽花を彷彿とさせ、剣の切っ先のような空気を纏わせて(こっちにだけ)、チラチラと鞘から刀身を覗かせる、一本の刀のような印象を受けた。

 そして……確か……彼女は……。



「人妻属性あるんだっけ?」

「……は?」



 微生物クラスの小ささにまでなりそうであった依姫が、律儀にも、こちらの言葉に反応し、疑問の声を上げる。

 ……参ったな。要らんトコだけ口スピーカーのスイッチがONになってしまった。



「いえ、気にしないで下さいホント。スルーでお願いします」

「……?」



 状況が飲み込めないようで―――飲み込まれても困るが―――憮然とした表情をしながらも、こちらの発言をスルーしてくれました。セフセフ。



(……でも、まぁ、それを考えると、諏訪子さんだって、人妻属性だったしなぁ)



 ―――あの諏訪子さんに、旦那が居る。

 僅かな年数しか共に居なかったが、それらしい話は、とんと耳にしたことが無い。



(……じゃあ何か? これからお見合いなり祝杯なり……同衾なりするってことなのか?)



 濃縮された重油でも及びも付かない。粘度の枠を超え、硬度の域に達した液体の如き黒い感情が体中を駆け巡る。

 ……しかし、それは、俺が口を挟むような事じゃあ無い。

 当人同士が―――なんて気持ちは全く無いが、少なくとも諏訪子さんが心から望んだのであったのなら、そういった流れも、致し方ない……の……だろう……が……。



(……いや待てよ。それは史実の話であって、東方キャラに当てはまるのか、って聞かれたら、違うんじゃね? って言えるぞ)



 それを言い出すなら、突込み所満載過ぎて、荷崩れどころか雪崩れやら津波でも起こしそうなキャラ達が、わんさか居るのだ。

 詳細な諸々は当初の考え通り、参考にしこそすれ、信じきるのはやめておこう。と、改めて認識する。



 ―――と、言うか、だ。



「あの……永琳さん……」

「? どうしたの? 何処かまだ、痛むところが?」

「疲労はそこそこ溜まってますが、痛いとか、それらしい感覚はありません。それで、ですね……」



 このままスルーして物事が進みそうなのは、彼女達のKYスキルの高さが成せる技なのか。はたまた、永琳さんの纏った空気に萎縮してしまっている為なのか。あるいは全部か。



「一応、これで、こっちの説明は大体終わったんですが……」



 永琳さんの時もそうだった。

 だから、今回も、それを実行しよう。

 人間、初めての顔合わせの時にする事と言えば。



「そちらのお二人……どちら様でしょうか?」



 はたと、今までの空気が一気に四散してしまったのが分かる。

 永琳さんと依姫の目が大きく見開かれ、いつの間にやら羊羹を平らげた豊姫は、ぽやぽやとした印象で、小口で『あ』の字を形作っていた。

 俺が喋っていた事は、ジェイスが綿月姉妹と永琳さんを昏倒させた経緯と理由だけであって、ジェイス自身の紹介や、彼女達の挨拶は交えていない。

 一応、彼女達とは初対面なのだ。

 知っていたとはいえ―――いや、知っているからこそ、相手を理解する為には、何事にも取っ掛かりは大事だろう。



「私ったら、また自分中心で……」

「い、いえ! 永琳様に非はありません! 全ては私の思慮の浅さが招いた結果であって―――」



 ぬ。このままだと、非礼の侘びやら謝罪の嵐が、食卓を行き交う羽目になりそうです。



「永琳様。まずは、彼の期待に答える為にも……自己紹介。してしまいませんか?」

「……そうね。まずは、そこからよね」



 ぽやぽやさん(失礼)がフォローして、どうにか事態が動き出す。

 いやいや、見掛けに騙されるな、俺。

 伊達に、月の頭脳と師弟関係を結んじゃいない筈だぞ。めっちゃ頭良い人の筈なんだ。うん。



「じゃあまずは私から。―――技術研究、学問探求、地上の調査や監視……挙げてみたらキリが無いんだけれど……。この地で様々な役に就いています。八意永琳です」



 当然ながら、既に面識のある俺にではなく、隣で“我関せず”を貫いていたジェイスに向かって、挨拶をした。

 しゃんと伸ばした背筋で、淀みなく紡がれた言葉に、それを言われた青きPWは、息を呑んでいた。

 自然な態度、硬すぎず、柔らか過ぎない口調。そんなただの自己紹介だというのに、こう、胸に迫るものがあるのは、彼女がただの一般人でない事を裏付ける印象であった。

 それに何かしらを感じ取ったのか、やや動揺するジェイス。少し彼の以外な一面を見れた気がして、『へぇ』と内心で感心の声を上げた。



「じゃあ、次は私ね」



 永琳さんの横。

 成り行きを見守っていた綿月の姉が、動いた。

 お茶を一口。唇を湿らせて、柔らかな笑顔を浮かべる。



「主に行政方面の職に就いています。綿月豊姫、と申します。―――初めまして。地上から来られた方々」



 にこりと暖かな表情を作り、こちらの顔までほにゃんとした気分にさせてくれる。

 ただそれは、ジェイスには効果が無かったようで、永琳さんに挨拶される前の、無関心状態に戻ってしまっていた。

 この手の事では、もはや動揺など無い、とても言いたげな態度だ。

 それに対して、豊姫はさして気にした風もなく、自己紹介を終えた。

 何だかなー。彼の事情はそれなりには把握しているので、あの態度も納得っちゃ納得なのだが、それにしたって……もっとこう……。



(……ジェイスってさ)



 念話で、ぼそりと。

 ただ漠然と、他意の全くない疑問を、彼に囁いた。



(結構、人見知りする性質?)



 途端、彼は口に含んでいた液体を、若干吹き出―――す事は無かったが、どこぞ変な場所にでも入ったのか、軽く咳き込み始めた。

 ずっと冷たい威圧感バリバリで居座っていた身長2メートルの巨漢が急に咳をし始めた事によって、月側陣営がビクリと体を震わせた。

 ぬぅ、唐突過ぎたか。

 それに彼の場合、人見知りなどというレベルではなく、人間不信であったのだった。

 幼い頃から誰よりも精神感応者として、その稀有な才能を持て余していた、【ジェイス・ベレレン】。

 それ故に、無着色であった彼の心には、様々な欲望渦巻く者達の内面を見て、所々に暗い色が付いてしまったり、周りの者―――両親すらも、彼の在り方を疎ましく思い、拒絶に近い手段を取られてしまった。

 当然だ。誰だって、自分が思っている事を読まれるのは、好ましくない。むしろ、嫌悪の対象でしかないだろう。

 ならば俺はどうなんだ、と問われれば、安直に言葉にするのなら、“諦めた”の一言で片が付く。

『彼なら仕方ないよね』と思える土台が、既に、俺の中では出来上がっていたのだ。……具体的には、東方地霊殿のキャラである、サトリ妖怪が登場した辺りで。

『あなたっ! 何考えてるんですか!』とか、顔を朱色に染め上げさせてみたり。『この、駄犬―――』とか、絶対零度の蔑みをさせてみたり。

 思うよね? 思ったよね? ……共感出来なかった方はスルーでおながいしあす(ペコリッ)。

 それに何より、彼は男。そして、俺も男。

 ……後はまぁ、察して下さい、みたいな。



(すまんかった。以後気をつけます)



 友人に謝るような軽さで、謝罪の言葉を送る。

 ―――だって、彼、超睨んでますからね(汗

 目の部分にだけ影が入り、そこから爛々と輝く眼光だけが覗いているのだ。軽めに伝えておかないと……逆に重い謝罪の言葉を口にしたのなら、その重みで、どんどんと、どつぼにハマっていきそうな気がした。形無き底なし沼を発見した気分である。



(睨まれるだけで意識が遠のくってのは、そうそう経験出来るもんじゃないね。……こっちに来てからは結構多いけど)



 周りの誰からも疎まれたレベルのトラウマを、『シャイな性格なんですね』レベルにまで貶めた言葉は、流石のジェイスも不意打ちだったのだろう。

 一瞬の混乱は見せたものの、魔法でも使って何かされそうな勢いだったのだが―――その中に少しだけ、彼の心の暖かを、垣間見た気がした。



 ―――俺が彼に示せるものは、偽りの無い、素の自分のみ。



 ある程度の節度は当然だとして、よそよそしい間柄よりも、それなりに毒を吐ける間柄になりたいと―――そうでありたいと願っている。

 これは、それの第一歩。

 たった数時間しか接していないけれど。安直な言葉になってしまうが、彼がとても良い人だ、というのは実感出来た。

 口数も少なく、表情も乏しく、それでも相手へ一定の節度を以って接する彼に、俺は惹かれ、友人になりたいと思った。

 それが彼にも伝わったのか、たどたどしくも、何処か一定の気持ちを寄せて来てくれているのが分かる。

 これが呼び出した直後だったのならば、問答無用で昏倒させられていた事だろう。

 だが今は、真剣に怒りながらも、何処か恥ずかしさを誤魔化すような仕草をするのだ。

 少し不服そうな顔をして、再び寡黙な態度に戻ろうとするものの。……ちょっとだけ、彼を見る月陣営の目線が、暖かくなった気がする。



「では、次は私だな」



 先程まで萎縮していた姿は何処へやら。

 剣の先を突きつけられているかのような視線が、体中(俺だけ)に刺さるのが分かる。

 こちらに来た頃の俺ならば、それだけで顔色を青くしていたであろう……いや。意識を失っていた眼力も、諏訪子さんや神奈子さんに鍛えられた……鍛えられたっけか……? ん”ん”ッ……鍛えられた事で、そこまで気にするものでは無くなっている。



「主に治安、防衛方面の職を担当している。綿月依姫だ。名前から分かるかと思うが、私と姉上は、姉妹だ」



 今の彼女の背景に貼り付ける効果音があるとするのなら、デカデカと、ギンッ!! なんて表示されている事だろう。

 ゲイザーやらメデューサに勝るとも劣らない眼力? にも大分慣れた筈だと言うのに、段々と息苦しくなって来ているのは結構勘弁願いたい。

 ……あれ、これって自己紹介だよね? 冷や汗が止まらないですが。何で俺、威圧のレベルを通り越しそうな視線向けられてるんだろう。



 ―――と、そんなこちらの状況を察知してくれたようで、ジェイスが再び、何かの魔法を行使するかのように、その片手を持ち上げた。

 彼の口元は、横一文字。

 ただ淡々と役割をこなすだけの―――冷血とも例えられそうな機械へと、豹変してしまったかのようだ。

 ただ、その、使おうとしていた精神魔法は、完遂する事は無い。



「―――依姫」



 ビクリと、名を呼ばれた彼女の肩が震える。

 呼び掛けを行った声の主、綿月豊姫は、怒りとも取れれる感情を込めた瞳を、名を呼んだ者に対して向けていた。

 そこに、数瞬前までの朗らかな微笑を浮かべる女性は居なかった。

 今居るのは、瞳の奥に不動の何かが透けて見える、月の為政者としての顔である。



(うっへ、やっぱこんな顔も出来るのか……極力怒らせないようにしよっと)



 まるで先程にまで時間が巻き戻ってしまったかのように、依姫は再びその肩を落とし、背を曲げ、小さくなってしまった。

 敵意が無い、と判断したのだろう。ジェイスも再びその手を下へと下げ、事の成り行きを見守る姿勢をとった。

 それを見ていた永琳さんは、興味深いという風に、彼女達のやり取りに耳を傾け始める。



「……はぁ。依姫ちゃん、まだこの方達の事が気にいらないの?」



 出来の悪い子をあやす様な口調で。けれど、二度とそんな態度は御免被るとでも言う風に。



「いえ……その……」



 口篭る依姫を目にし、もう一度、その姉が溜め息をつきながら、こちらへと顔を向けて来た。



「申し訳ありません、ジェイス様。九十九さん。この子は、あなた方が永琳様と一緒に暮らしている事に、我慢がならないようなのです」



 嫉妬。

 依姫が抱えている感情は、多分、それ。俺はそう判断した。

 知識の中の彼女と現状を照らし合わせて導き出された結論だが、当たらずとも遠からずな答えである、と思う。

 しかし、今の豊姫が言った台詞で注目すべき箇所は、そこではない。



(ジェイス“様”に、九十九“さん”……ねぇ……)



 いやまぁ、当然っちゃ当然ですけどね。

 仮に俺が彼女達の立場になっていたのなら、その力関係は豊姫が言ったとおりの立場である、と考えるだろう。



(そういや、ジェイスは俺が呼びましたって説明は、まだしてなかったなぁ)



 そうだそうだ。それを言っていなかったから、彼女はそう判断したのだろう。そこを理解してくれれば、俺への対応ももっと、こう、羨望とか驚愕とか『キャー、ツクモさん、スゴーイ』とか、そういった素敵な色が混じる事だろう。

 ふふふ、いやぁ今日は暑いねぇ。何かこう、心からしょっぱい汗がちょろちょろ流れて来ましたよ。……汗は元々しょっぱいよなぁ。



「……九十九さん、どうかした?」



 俺の様子に疑問を覚えたようで、永琳さんが心配そうに声を掛けて来てくれた。



「ああ……当然の流れかなぁ、と思いまして」



 答えになっていない答えに対して、彼女は小さく首を傾げた。

 その仕草は見とれてしまうレベルものだが、今はスルーしておいて下さい。と、声にならない願いを胸に。



「じゃあ、次はこっちの番ですかね」



 とりあえず話を進めよう。

 既に彼と俺とのランクが決まってしまっているのは、仕方の無い事なのだ。と、諦める事にした。



(ジェイス、自己紹介とかって出来る?)



 チラと彼を見てみれば、しばらく俯き思考を巡らせた後、再び顔を上げて―――。



「あら」

「まぁ」

「なっ」



 月の者達が、それぞれの声を発した。



(ジェイス、何やったの?)



 この反応は、彼が何かしたからだろう、と当たりをつけて、訊ねてみれば、『自己紹介をした』と、簡潔な返答が戻って来た。

 何でも、簡単な自己紹介文を、相手の頭の中に送り込んだのだそうだ。

 いまいち分かり難いと思ったんだが、その意図を汲んでくれて、彼女達にした事を、俺に対してもしてくれた。



(おお。……なるほど……これは……うん……凄いな……)



 ジェイスという名と、魔法を使う、としか書かれていない紙が、既に頭の中にあり、それを見ながら情報を得ている感覚だった。

 メールというか、説明書を読んできる気分である。



「……ジェイスさん、でしたね。さぞ名のある―――魔法使いだとお見受けしましたが、専攻は、精神・心理辺りを?」



 無限の魔力を有し、神とすら呼ばれる一面を持つ魔法使い―――プレインズウォーカーに専攻を訊ねる、月の頭脳がここに一人。

 彼女にしてみれば、魔法も、学問の一種なのかもしれない。

 しかし、その疑問に彼は答えない。

 一秒、二秒と沈黙が続き、ジェイスが何も返してくれないであろう様子に、永琳さんは眉を顰めた。



「……少し、込み入った事情があるみたいですね。ごめんなさい。変な事を聞いて」



 けれど、これといって気分を害する事は無かったようで、彼女は謝罪の言葉を口にして、質問を切り上げた。

 ……拒絶に近い態度をしている彼と、少し前までそれなりに親しく世間話までしていた俺にとっては、今の彼と、先程までの彼のイメージが、結びつかない。

 一体どうして、ここまで頑ななジェイスと話す事が出来ていたのかは疑問は尽きないが、今は、自己紹介が済んでいない最後の一人として、チャッチャと終えてしまう事にしよう。

 一瞬、男と女の席だから合コン的なノリで。との雑念が頭を過ぎったけれど、場違いも甚だしく、そもそも合コンなんて素敵イベントは一度として経験した事がないのを思い出し、その考えを切って捨てた。



「最後は俺ですね。……えっ、と……地上から来た、九十九です。鳥とか温泉とか料理とか出せます」



 後、ジェイスとか。

 そう最後に付け加えたのだが、あまりにさらっと言い過ぎたせいか、数秒の間、彼女達の反応は、ただ耳を傾けているだけのものでしかなかったのだが―――。



「……え? ジェイス様を?」

「……む? この御仁を、お前が?」

「……あら? 彼って、九十九さんが……出した……え……?」



 いっそ、大声でも出して驚いてくれたのなら、幾らか気分は良かったのだけれど。

 しかし彼女達は、俺の発言に色々と思うところがあるようで、皆が皆、真剣な顔をして―――あの豊姫まで―――それぞれの考えに耽り始めてしまった。



(お~い……リアクション薄いよー……。寂しいっつかー、悲しいっつーか……むしろ怖いですよぉー……)



 態度にこそ出さないが、内心で、よよよと俺は崩れ落ちた。

 ノリ悪いッス。驚かせ甲斐無いッス。マジ不満ッス。そして空気が重くて怖いッス。略してオモコワ。

 そのまま数秒。

 じわりと浮かんだ汗が、肌を伝うほどに大粒になろうか、という矢先。

 何とも言えない沈黙が支配する空気の中で、やっと発せられた一言が。



「……そう。……九十九さんって、凄いのね」



 温度の全く感じられない―――絶対、言葉通りの気持ちが篭っていないであろう、八意永琳さんのお言葉でございました。















 信じられない。

 言葉に纏めるのなら、その一言で済む。

 地上には様々な者が居る……というは、今更語るまでも無い、周知の事実。

 大地を創造した者や、生きとし生けるもの全ての霊魂を管理する者。数多の感情を司っていたり、運命を示す者であったり。

 それこそ八百万の超越者―――神と部類される、その者達は、そのカテゴリに見合うだけの力を持っていた。



 ―――私の前に居る存在は、そんな者達のうちの一人。

 一体何の神なのかは分からないが、私達姉妹や、永琳様を昏倒させ、その永琳様の質問である、『精神、心理』との言葉から推測するに、心を司る神なのではないか。と、考えられられよう。

 あの永琳様の意識を奪った力は、絶大の一言に尽きる。

 幾ら不意打ちとはいえ、ここ月の都市でも、三本の指に入る実力を有しているあの方を、気絶させる寸前まで追い込んでいるのだ。

 それだけも充分に驚嘆に値するというのに、それを短時間で、なおかつ、複数の対象―――私や姉上にも、影響を与えている。

 恐らく地上の神々でも、このような事が出来る存在など、まず居ないだろう。

 驚愕である。驚嘆である。脅威である。

 そう思い、彼―――【ジェイス・ベレレン】の存在に、どう対応していこうかと悩んでいた矢先―――。



(“これ”が―――ジェイスを召喚した……だと……?)



 青き者の隣。

 淡々と出来る事を語り終えた地上人―――九十九が、その言葉の最後に、とんでもない事実を上乗せして来たのだ。

 彼が出来る事。それは、様々なモノの召喚だという。現在、永琳様が執筆中の資料には、そう書かれていた。

【ダークスティール】という、“殆ど”欠損しない、漆黒の物質。

【極楽鳥】という、鮮やかな炎の色の、小型鳥。

【ジャンドールの鞍袋】という、煌びやかな袋。一切原理の解明出来ない、食材を主とした物質召喚装置。

 名は知らぬが、同様の能力を使って死の大地と化した月面を、懇々と湯水の湧き出る場へと変貌させていた。

 ざっと目を通したのはそれぐらいだったが、【ジャンドールの鞍袋】は除くとしても、それ以外はまだ、理解の範囲が及ぶところではあったのだ。



 しかし、この【ジェイス・ベレレン】という、神の召喚。

 ―――とても、少し変わった能力を持っているだけの地上人が、行えるものではない。

 ……断じて、ない筈……なのに。



(現に、それは起こっている。―――この地上人は一体、何を代価に、能力を使っているというのだ)



 力には、代償が伴う。

 それこそ千差万別のものだが、神の召喚―――それも、圧倒的に格下であろう者が、それを行うには、さて、どんなものを天秤に乗せれば釣り合うというのか。

 数多の生命か。山の様な財宝か。広大な領土か。

 幾つか思い浮かんでは、けれどそのどれもが、彼の者を呼び出し、助力を得るには役不足に思えてならない。

 改めて、その異常事態を引き起こした地上人を観察してみれば、第一印象と全く変わらず。

 何の力も感じられない……ただの地上人だ、という結論しか出てこない。

 体からは若干、神気を纏っているようだが、これは、この者から出ているものではない。薄らいでいるというのに、それ程の“怨”の色が感じ取れた。

 きっと、名のある祟り神の傍にでも居たのだろう。恐らく、地上ではそういった神に仕えている、神職であったのだと推測出来る。



(面白い―――)



 月に生を受け、云万年。

 代わり映えの無い平和は好きであったが、同時に、物足りなくも思っていた。

 力を持ってしまったからだろう。触れるもの全てが脆弱に見えて、その力は完全に発散出来ずに、蓄積されていく。

 如何なる時にでもじっとしてはいはいられない、幼子のように。

 日々、溜まり続けるストレスと折り合いをつけ、事もなさげな風を装いながらも、何の支障も無く、平穏に過ごしてきた。

 例外を上げるのなら、永琳様は当然として、私の姉や、華奢な体に似合わず剛毅の性である輝夜様達との、指導名目の模擬戦などは心躍るものがある。

 けれど、皆はいずれも私が心を寄せる者達ばかり。心の何処かで、一定のラインを超えられず―――殺してしまうかもしれない、との念が付き纏い、スポーツ以上の展開は見込めそうになかった。

 私自身も、それを仕方のない事だと……そうであるべきものなのだと、諦めていたのだから。



 ―――その前提が、今、覆るかもしれない。

 地上の神々ならば、この悩みを解決してくれそうではあったけれど。

 穢れ云々はさて置くとしても、月の治安を守護する者としては、まず地上に赴く事など出来よう筈もなく、ならばその神々を呼び出すにしては、有効な手段が無い。

 それに、仮にも神とは、いずれかの地に留まり、私と同じく、その土地に居る下々を守護する役割を担っている。万が一の事でも、起こってしまっては宜しくない。

 だが、この者は違う。

 九十九という神は、元来、長い年月を掛けて、魂の無い物体に宿る者であった筈だ。

 しかし、この者はとてもそのような存在には見えず、名が同じだけの全く別の者……と、考えるのが自然であろう。

 だとするのなら、九十九などという神が治めている土地の名など聞いた事が無い。

 これは、好機。

 強大な力を持ち、月とは全く関係の無い者。そして、その力が弱まってしまったとしても、全く問題の無い者。

 そして、万が一の事が起こってしまったとしても、全く影響の無い者。

 この機を逃せば、次は何万年後か……いや、次があるのかどうかすら、怪しいものではないか。



(見つけたぞ)


 
 積年の恨みの篭ったような、長年恋焦がれた相手に出会えたような、熱の入った瞳を向ける。

 それに気づいたのか、その地上人はビクリと肩を震わせ、弱々しい、何かに縋るような顔に―――酷く、嗜虐心を刺激される。

 ……これでは、この男に、それなり以上の感情を抱いてしまいそうになるではないか。

 全く、この様では、永琳様の事を強くは言えないな、と。

 私、綿月依姫は、千載一遇の機会に、初めて恋を知った乙女の如く。熱く胸の鼓動を早め、高鳴らせていった。











 今日は、実に楽しい体験が続いている。

 唖然とする依姫ちゃんや、永琳様を横目に見ながら、湧き上がる愉悦に身を任せていた。

 初めは単なる暇つぶし。それ以上の意味など、皆無だったのに。



(この子、一体何者なのかしらねぇ)



 地上に居る神々と同等か、それ以上には、長く生きてきたと思っていたけれど、こんな存在が居るだなんて、微塵も知らなかった。

 それは永琳様にも該当される様で、親しみある表情が殆ど隠れ、興味の対象―――実験体を前にした時の顔になっているのが分かる。



(あれは、初めて依姫ちゃんと出会った時だったかしら……)



 あの時の永琳様は、それはもう、楽しそうなお顔をされていらっしゃった。

 全てが喜びの色で飾られた表情は、ただ一点、目が薄く開き、ガラス球のような瞳を覗かせていた、というだけで、全く正反対の感情を伝えられるのだ、という事実に気づかされた瞬間でもある。



(あの時の依姫ちゃん、可愛かったわねぇ)



 永琳様と出会う以前から、畏怖に近い尊敬の念を持っていたあの子が、彼女の期待に答えなければ、という忠誠心(理性)と、薄目を開けて微笑みを湛えた表情から来る恐怖(本能)の間で揺れている様は、今思い出すだけでも、静かな笑いが漏れて来そうだ。

 そして、そんな表情を再び見る切欠になった、この地上人―――九十九は、そんな永琳様が浮かべた表情に、口元を引きつらせ、顔色を青くし始めた。



(そうよねぇ。怖いもんね。あの顔)



 同情するわ。地上から来られたお方。

 けれど、謝罪はしないわ。改善もしないわ。静止もしないわ。

 だって。



(―――あなた、地上人どころか……私達の知る生命体かどうかすらも、怪しいし)



 様々なものを呼び寄せる、既存のルールなど歯牙にも掛けない、全く別の法則を持った駆動式。

 きっとこの者は、その力を生まれながらに持ち、その力の強大さ―――異常さを、殆ど理解出来ぬままに、今のこの時まで過ごしてきたのだろう。能力の表し方が、あまりに無防備過ぎる。

 空間の歪曲も、次元の裂け目も、エネルギーの異常発生も、その他諸々、ほぼ全て。

 目を通した資料では、彼が召喚を行う場合には、それらの変動は、一切検知されていない。

 まるで、ただそこにある事が普通であるかのように―――初めからそうであった、と言わんばかりに、唐突に出現するのだ。

 唯一、僅かの間に光が集まる事くらいしか兆候が判明しなかったが、その発せられた光すら、既存の物質ではない、との調べが出ている。

 一体何が発光しているのか。また、その光は何なのか。

 法則も、関係性も、認識の有無に至るまで、一切合財、何もかも。

 そういうものだから仕方ない。

 そうであるのか当然であるもの。

 全てのルールの基本にして、前提にして、根本に位置する、理。



(そう―――これは……概念)



 彼だけの中に存在する、彼だけのルールブック。

 それには、この世界の万物が干渉する余地は無く、ただ一方的な―――高位の次元が、下位の次元に接触でも図ってきているかのようだ。

 絵本で幾ら驚異的な力を持っている存在が登場しようと、それが読者には、何ら危害を与えないように。

 これでは、幾ら見掛けがただの地上人であろうと、全く参考になりはしない。



(……呼び方、間違えちゃったかなぁ)



 気分を害していなければいいのだけれど、と。そう思う。

 この場に居るだけで、常に魂を握られているのではないかと錯覚させる、青き者から溢れる力。

 彼を神と呼ばずに何と呼ぶ、との直感から、自然と自身の中でそれぞれの呼称が変わってしまったのは、仕方のない事だと思いたい。



 初めは冗談だと思った。

 虚勢を張るただの地上人だと。穢れの中に生きる彼らは、その毒に侵されて、様々な欲望に支配されているだけの存在だと。

 しかし、そんな地上人は、仮にも永琳様の客人。

 卑しい者ではあるけれど、それ位の見栄は認めてあげましょう。こちらは、寛大なのだから。

 事前に入手した資料に、目を通していても尚、そう思っていたというのに。



(この、【ジェイス・ベレレン】を見るまでは……)



 永琳様のお言葉を信用するのなら、彼は主に、感情や気持ちを司っている神だと言える。

 私にだって、少しならば精神に介入する手段を有してはいるけれど、あくまで私の能力は、“切断と結合”をメインとしたもの。彼とはそもそも、競う舞台が違う。



(呼び出すんだったら、もっと事前にやってくれていれば良いのに)



 そうすれば、もっとこちらも、礼を失さぬよう努めていた筈だった。

 ……はて。

 そういえば、何故この地上人は、青き神など呼び出したのだろうか。

 彼の話では、ジェイスが対応した理由や経緯までは説明していたけれど、その神を呼び出した理由には一切触れていない。



(ん~? ……実は今、私達、月の民って……結構ピンチかしら?)



 何の理由もなく、強大な存在を召喚するものなのだろうか。

 否。そんな筈など……無い……とは言い切れないのが、より一層、私の思考を掻き乱す。

 何せあちらは、こちらと別のルールによって動いている。何処までこちらの考えを当てはめられるのか、皆目検討もつかない。

 ただ、悪い結果だけは、何通りだって思いつく。

 月の支配だとか、壊滅だとか、そういった悲観的なものが。

 けれどそれらの最悪は、永琳様の思考を刈り取らなかったり、私達の意識を呼び戻した事を顧みるに、いずれも決定打に欠けていた。 

 そして、この思考の流れすら、相手の思惑通りだとしたら、もはや、今の私では、地上人は兎も角として、この青き者には太刀打ち出来ない。

 ―――少なくとも、知略戦においては。



(まずは情報収集。その後は……その時に考えましょう)



 今の段階で、結論を出すのは早計だ。

 これら関係の最善は、彼―――ら―――の力を、月の為に役立ててくれる事だが……。

 仮に、言葉以外の相対をするのなら、もっと戦力を整えてから。

 せめて、全ての軍を動かせるだけの体制が揃うまでは、彼らとの会話が少しでも長く続くよう―――そして何よりも、要らぬ亀裂を生まぬよう、最悪に対する、最善を尽くす。

 剣呑とした妹を目立たせない意図も含めて、その緩衝材の役割を、いつも通りの、周りを和ませる空気で維持しようではないか。



(依姫ちゃん、少しは交渉のイロハを実戦してぇ~)



 一触即発の危険物を取り扱っているかのような気苦労をしているのは、自分だけのようだ。

 実験体を見つけた永琳様とは、また違った瞳―――格好の獲物を発見した狩人を思わせる妹に、早くこの場から、撤退してしまいたい。

 内心で流す涙に、終ぞ、この妹は気づく事は無かった。










 ―――変わってしまった。

 安穏とした空気、潔癖とも言える清浄な空気が淀む、この月の都市に、恐らくかつて無いであろう、事態の変化を起こせるだけの存在を、見つけてしまったのだ。



 良い実験体を見つけたと思ったのに、しかしそれは、回避できたであろう危険を、わざわざ内部へと呼び込む事態に陥ってしまった。

 九十九さんからは、過去類を見ない程に、異常とも言えるだけの異能を見出せた。

“絶対に壊れない”能力から始まり、鳥、袋に食材、温泉と。

 挙句の果ては、私ですらも知らない神ときた。

 未知が増えれば増えるほどに、私は嬉々として研究にのめり込んで行ったけれど、今、この神を前にして、その認識を改めざるを得ないと実感した。

 彼は今まで、それこそ様々なものを呼び出しては来たけれど、そのどれもが、呼び出した時には、自慢に満ちた表情を浮かべ、こちらの驚きや、喜ぶ姿を楽しんでいた節がある。

 楽しかった。

 かつて依姫と出会い、その力を、寝る間も惜しんで調べ尽くした時のように。

 日々訪れる、新しい出会い。

 今私は、生きているのだ、という実感を得ていたのだ。



 それが―――変わってしまった。

 彼が呼び出した、何処の者とも知れぬ、強大な力を秘めた者。

 それを、誰とも知れずに呼び出していた。

 憶測だが、この者の力を上手く活用してやれば、そこれこそ、この月ですらも、如何様に扱えるだろう。

 ―――制御出来ぬ力ほど、魅力的で、恐ろしいものは無い。

 遊んでいた玩具が爆弾であった、と判明したかのよう。

 危険だ、と思う自分が居る。

 面白い、と思う自分が居る。

 いっそ、彼がずっと、そこそこに力があるだけの、ただの地上人であったのなら良かったのに。

 月を管理する者として、月を愛しむ者として、月に生きる者として。

 滅びの一端とも取れる危険を、見過ごす訳にはいかない。

 そう、私の理性が答えを下す。

 不確定要素は完全に排除すべきだ、と。



(でも……)



 けれど、私の感情がそれを拒絶する。

 自分でも言うのもあれなものだが、ここ月の都市では、私に並ぶ能力を持つ者は、知能にしろ、技術にしろ、力にしろ、それこそ片手で数えられるだけしか居ない。

 よって、その他の者達―――ほぼ全ての月の民からは、高嶺の花のような扱いを受け続けてきた。

 ただ一人、それが当てはまらないのが、この月を支配する家系である、蓬莱山の長女、輝夜だけだったのだが、あの子とは、前提として、師弟の壁と、家柄の主従関係が存在している。

 それ故に、どこか一歩、踏み込めずに居る事が多かった。



 しかし、あの子は違う。

 尊敬もあった。礼節もあった。

 だというのに、それらの畏まった態度は、生活と共にする中で、簡単に崩壊し―――意図的かもしれないけれど―――段々と、彼の素が垣間見え始める。

 細々とした出来事は間々あったけれど、最も原因となったものは、彼が滞在し始めて、四日目の朝の事。

 睡眠から覚めぬ私に業を煮やした彼が、こちらの両の頬を摘んだのが切欠だったか。

 いつもの様にソファーで眠る私が、顔に違和感を覚えて目覚めてみれば、自身の口の両端が釣り上がり、ぐにぐにと、彼の手によって前後左右に伸縮を繰り返していたのだ。

『おはよーございまーす』と、何とも意地悪な表情を浮かべて、ニタニタした笑みを見た瞬間、つい、数百万年前に培った技術の粋を凝らした掌低を、彼の顎に放ってしまったものだ。

 脳全体を揺らす衝撃にを相殺し切れずに、木偶人形のように宙を舞い崩れ落ちた彼には、興味深いものがあったけれど……。



(首が引っこ抜けてもおかしくなかったのだけれど……)



 今にして思えば、よく彼は生きていたと思う。

 それ以来だろうか。

 彼の前では、自分を律する事が、難しくなって来ていた。

 帰還までの間、彼が苦に思わぬよう面倒を見るだけの筈であったというのに、気づけば私の行動は、彼の行動を前提にして動いてる。

 ただの居住区は、家と呼べるものになり。

 栄養補給の意味合いが強かった食事は、それを楽しむ為だけに、足早に帰宅を促すようになり。

 彼の能力を知る為だけの実験は、気づけば、彼の一喜一憂を共に味わうものになっていた。

 たった数日で、これだ。

 これが数十日。数ヶ月。あるいは数万年となった場合、恐らく私は、今の私で居られなくなる自信がある。

 興味を埋める事意外の利己的な面が、ここまで自身の中に眠っていたのだろうかと、新たな発見に驚き、そして、その心境の変化を楽しみ、心地良いと感じている自分が確かに居る。

 指示する事はあっても、お願いする事など無かったのに。今ではそれこそ、息をするように、あれをして。これをお願い。との欲望を曝け出しているのだ。



(まだ何とか、最後の一線は保っているけれど……)



 いずれはその一線―――下着の洗浄―――をも越えそうでならない。

 ……そんな考えを。

 取るに足らない、馬鹿馬鹿しいまでの余分な思考を、いつまでも、ずっと。

 それが出来たのなら、どんなに下らなく、時間の無駄で―――楽しい日々が、待ち受けていたのだろう。



 この、どちらとも天秤の傾かない考えは……しかし、現状維持を許さない。

 こうであれば良かったと。そうであれば良かったと。

 束の間の夢は終わりを向かえ、新たな一歩を、刻まざるを得なくなる。



「……そう。九十九さんって、凄いのね」



 変わる為の切欠を作るように、言葉の内容とは裏腹に、失意の感情がそれには込められていた。

 彼との関係が……存在自体が、過去のものになるのか。

 それとも、今後も共に何の懸念も気兼ねも無く、付き合っていける間柄へと進展するのか。

 決して多くは無い、私の大事なもの。

 それらを守る為、私は―――。





[26038] 第26話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/10/26 18:29







 このような出来事は、もう、何十万年も前の事だ。

 月の象徴の一端たる、八意永琳と、その親族である、綿月依姫。

 前者が後者の能力を見たいが為に、実験と銘打った模擬戦闘は、三日三晩、月の大地を揺らした後、詰め将棋のように外堀をじわじわと埋めていった月の頭脳によって、八百万を降ろす軍神は―――敗北した。

 その当時の様子は、未だに高画質の映像データとして、各家庭に一つ以上は保存されているほどの人気を誇り、度々、『またやらないのか』といった要望が沸き起こる程である。

 けれど、それに応える者達ではない。

 互いにそれぞれの理由はあるのだが、その最もたる理由が、その危険性である。

 幾ら悠久の時を生き長らえようと、幾ら強大な力を持ちようと。彼女達は、限りなく不老に近くとも、決して“不死身ではない”のだから。

 悪戯に命を危険に晒すような真似はしない。

 こと、八意永琳に関してはその節が顕著である。

 親しい者を決して失いたくないが故の、臆病とも言える、慎重さ。

 それは、永遠を歩む彼女にとって、絶対に譲れないものの一つである。



 つまりは。

 それらの危険が無ければ、再び行っても良い、という、一種の逆説的な考えが出来る。

 具体的には、身内の安全が保障されている場合。

 そこには、それ以外の者―――例えば、地上から来た人類の一人の命は、含まれては……いない。



「お時間です。永琳様。……今ならまだ、止められますが……」



 一面が無色の壁―――ガラスのような面を有した部屋には、二人の女性。

 窓際で外の様子を伺う、銀髪の月の偉人。

 それに声を掛けたるは、薄い金糸を編み込んだ髪を湛えた、治世の職に就いている者。

 大小様々な電飾が、赤青黄色と、色取り取りの瞬きを繰り返しながら、薄暗い室内を僅かに照らしている。

『ロケットの管制室みたいだ』なんて、とある地上から来た者が見たのならば、そう感想を漏らすだろう。

 ここは、一種の観測室。

 ありとあらゆる事象を観測し、記録し、測定し続ける、月面で最高峰の調査機器が揃っていた。



「……構わないわ。どのような理由があるにしろ、もう、私は見てしまった。知ってしまった。彼の―――地上人、九十九の、異常性を。危険性を。それらを容認出来るほど、私は月に、愛想も尽かしていなければ、達観もしていない。私は私として、ここ、月の都に災いが降りかからない様……そして、九十九さんにも可能な限り危害の及ばぬよう、配慮したつもりよ」

「それが、これですか……」



 彼らの視界の先。

 無色の壁のその奥には、二つの影が、距離を取って相対していた。



「綿月依姫と、地上人九十九との、能力検査という名の、命の掛かった戦闘行為。……考えうる限りの生命の保証はあるけれど、そこに絶対は無い……」



 今回の歌い上げるように、綿月豊姫は、今回の名目を読み上げる。



「彼が……九十九さんが、依姫に負けてくれるのが、最も望ましい展開。そうすれば、幾ら彼の危険性が大衆の目に触れようが、依姫が勝ったという実績が、その不安を取り除いてくれる」

「首輪のついていない猛獣は、容認出来ない……ですか。永琳様がされるのでは、いけないのですか?」

「ええ。……私は命綱。私さえ居れば、まだ私が居るのだから。という、存在自体に意義のある、最後の希望。故に私は、ただの一度たりとも負けてはならず、危険に陥ってはならず。相対する域に何者も達してはならず。絶対の勝者でなければならない……」



 少し、悲しげな眼をして、永琳は豊姫へと、正面へと向けていた視線を戻す。



「勝てる、勝てない、では無いの。もし何かあった時には、『まだ大丈夫』という可能性を、常に残しておかなければならないのよ。そうでなければ、今の月の人々は、簡単に心折れてしまうでしょう……」



 永琳は脳裏に、ここに暮らす者達を思い描く。

 皆楽しそうに。皆嬉しそうに。皆安堵と共に。

 けれど皆、何処か生への渇望を―――生きる気力を失っている。

 与え続けられる平和。それを鵜呑みにするだけの日々。決して自らは何も生まず、ただ日常を回すだけの歯車になる。

 それが悪い事だとは言わないし、思う事も無い。

 そうする事で、穢れから開放されたここ月の都市では、悠久に近い時を生きる我々は過ごしていけるのだ。―――何の危険も存在しなければ。

 穢れの蔓延。地上人達の侵略。非友好的な、未知の生命体襲来の可能性。

 この土地に移住して来て、それらの脅威には未だに一度たりとも出会ってはいないけれど、今後とも絶対に無い、とは、さて、誰が断言出来ようか。

 もし、その時が来たのなら。

 危機回避とは、平時である時にこそ重要視するものだ。

 そうでなければ、そうであらねば、全てにおいて手遅れとなるのだから。



「依姫の方が私より強かったのなら、それでも良かったんだけれど……」

「……あの子、負けちゃいましたもんねぇ」

「そうなのよねぇ……」



 若干緊張が解れる。

 二人の脳裏に思い起こされるのは、数多の神々を呼び出し、その力を借り受け、永琳の知略の数々を、力技で突破していった依姫の姿だった。

 しかし、その力も本人の容量に左右されてしまう。

 能力を行使し続けて、終に依姫は、己の限界を超え、自壊に近い状態にまで陥ってしまったのだ。

 その時の光景は、……あまりに、その……あれであったので、一般映像としては出回っていないが―――血反吐を吐き、体中から出血し、それでも瞳を爛々と輝かせ、直立し続ける依姫は、それはそれは凄い光景であった、と。

 その当時を知る者は、異口同音に、そう感想を述べるだろう。 



「……今更ですけれど、永琳様の能力って、『ありとあらゆる薬を作る』能力でしたよね?」

「ええ、そうよ」

「……本当。どうして殆ど戦闘面で関係の無さそうなお力ですのに、この月でも三本の指に入る戦闘力を有しているのか、不思議でなりません……」

「そうかしら。私からすると、この『○○する』能力って、弱点なんじゃないかと思ってしまうくらいなんだけれど」

「……と、言いますと?」

「だって、名前が判明した段階で、それ系の能力を使えます。と、公言しているようなものじゃない? 囮として使う手段もあるけれど、情報は少ない方が好ましいわ」



 ……通常なら、その項目は脅威になりこそすれ、弱点には成り得ないのだけれど。

 永琳の弟子たる豊姫は、口には出さずに飲み込んだ。

 確かに言っている事は最もなのが、それを補ってなお、能力持ちというのは絶大である……筈なのに。

 この人の思考の異常性は、今に始まった事ではない。

 この方の基準で他の物事を計っては、色々と綻びが出てくる事だろう。

 そう思っていると。



「それに……」

「?」



 この理論には、まだ続きがあるようだ。

 再び耳を傾けてみれば、信じられない言葉が飛び出した。



「そもそも、能力を使わなければならない事態に陥るのが良くないわ」



 一瞬、体中の力が抜けそうになった。

 能力という強力な武器を、強者の証などではなく、手段の一つ―――と言うよりも、弱さの一種だとと考えているような、その胆力。

 決して短くない間、このお方の教えをこうて来たが、まだまだ自分の理解は及びそうにも無い。と、豊姫は改めて考え直した。



「……あぁ、でも、ジェイスさんの力には対抗し切れなかったのよね。……今後は精神面を鍛えなきゃ。怠っていたつもりじゃあ無かったのだけれど、まだまだでした。って事かしらね」



 自力のみで名だたる神々を相手に勝利を収められる者が、その成長に、さらなる躍進を視野に入れたようだ。

 どうにも……その……。そんなお方が、同じ月の民である事が段々と疑わしくなって来てしまうのは、致し方のない流れではないだろうか。

 そう、自分自身に言い訳する豊姫であった。



「そういえば……」

「何かしら」



 ふと疑問に思った事を、永琳へと問い掛ける。



「あの者が、全力を出してくれる、とは限らないのでは?」



 あの地上人の相手は、この地でも最上位に部類する戦闘能力を有している者。生半可なものでは戦闘と呼べる行為になるかどうかすら怪しいだろう、と。可能性は薄そうではあるが、もしかしたら、の懸念事項を豊姫は口にする。

 それに対し、永琳は少々考え込む仕草をした後で、こう答えた。



「ん~、大丈夫だと思うんだけれど……」

「……勝負事に熱くなりやすい性格、などですか?」

「いいえ。彼に、勝負に勝ったら『依姫を好きにして良い』って伝えてあるのよ」



 しばしの間。

 一瞬のみとはいえ、時の止まった状態が続き……。




「―――はぁ!?」



 普段の豊姫からは想像も付かない声が発せられた。

 当然だ。

 当の彼女にだって、こんな声が自分で出せるものかのかと、困惑している節がある。

 数えるのも億劫になるほどに生きてきたけれど、何せ、今まで一度もこのような声を出した事など無かったのだから。



「……あれ、言ってなかったかしら?」

「聞いておりません! 何を考えていらっしゃるのです!?」



 室内に響く怒号も何処吹く風。

 永琳は飄々とした顔で、再び目の前の依姫と九十九の相対する場へと顔を向けた。



「一応、あの子も了承済みよ? 『手加減されるかもしれない相手に勝って満足?』って聞いたら、こちらを飲み込まんばかりの勢いで口を大きく開けて、了解の返事をしてくれたわ」



 豊姫は、眉間に寄せた皺を伸ばすように、片手を額に当てる。

 そう言われ、あの子が肯定の意を示さない訳がない。依姫の性格を良く理解し、けれどその真意を把握していない、このお方らしい物事の運び方であると思った。



「彼、幾ら特異な能力を持っているとしたって、生物学上はオスじゃない? 基本だけを見れば男性って、性欲とかには滅法弱いから。観察していた限りでは男色の毛は無さそうだし、あなたもそうだけど、依姫もかなり求婚されていたでしょう? 一定以上の効果は見込めるんじゃないかしら?」



 年甲斐も……。と、誰が思ったのかは定かではないけれど。

 支配階級のほぼ頂点に君臨する者は、妙齢の女性が口にするにはやや危険な内容で、仄かに頬を染めながら、気恥ずかしげに言葉にした。

 その手の関係にあまり頓着しないお方であるとの認識が豊姫にはあったが、まさかここまでであったとは。

 新たに生まれた要素……。それが異国の者を招き入れてしまった責任なのか、異性という点から生ずる問題なのかは、未だ追及には至らないが、少なくとも、悠久にも等しい年月を過ごして来たこれまでの生活の中では、まず見る事の無かったであろう面を、彼女は我が師に垣間見る。

 貴重な体験ではある筈なのだが、これっきりで終わりにしたい。

 心の内で、そう締め括りながら。



「やめてあげて下さい……」



『かしら』ではありません、と。

 もはや、そう反論する気力も無い。否定に近い言葉を口にするだけで綿月の姉は精一杯だった。

 この師は、いつも何処かが抜けている。完璧に見えて、完璧に抜けている。それが、今回はここで現れてしまったようだ。

 一応、万が一の可能性も考慮して、何とかこの事態を回避出来ないものかと提案を投げ掛ける。

 何とかならないかと思って言ってはみたものの、どうにも難しいようだという事だけは判明した。

 要らぬ答えだと思いながら、豊姫は考えの続きを口にする。



「周りに証明するためだけならば、九十九さんには、それこそ手加減をして頂いて、それを記録として残せば良いのでは?」

「さっきも言ったけど、それじゃあ、周りが良くても、私がダメなの。私は彼の能力を知ってしまった。そして、危険と判断してしまった。……この思考に決着をつけなければ、最悪、私が彼を処分してしまう」



 物騒な事この上ない台詞の後、永琳は少し遠い眼を虚空へと向けて。



 ―――それだけは、嫌なのだ、と。



 殺しても構わない。殺める事は避けたい。

 近くに居た豊姫ですらも聞き取れない小声で、そのチグハグな心中を呟いた。










 眼下に広がる、巨大なドーム。

 荒野に近い空間は、月の大地をそのまま利用した地面を除く、周りの全てが白い壁で囲まれて、一切の出入り口―――逃げ場が無い。

 そこに流れる空気は張り詰めて、大地の下を脈動するマグマを連想させる、それは、表面では判断出来ない高温を伴っている戦気に満ち満ちていた。

 音声伝達装置を起動させる。

 これで、今から話す言葉全ては、彼らの元へと、しっかり届く事だろう。



「依姫、九十九さん。準備は良いわね」



 空間に響く、月光を編みこんだ銀髪の女性の声。

 それを聞いた名を呼ばれた二人は、声には出さず、互いに小さく頷くのみ。



「制限時間は無し。行動の制限も無し。どちらかが行動不能になるか、降参の意を表した場合まで、戦闘を続行します。お互い―――全力で挑みなさい」



 それが合図であった。

 両の目を見開いて、それぞれの暴力を具現化する。

 それは―――。















 最近のトレンドは、熱血青春ドラマよろしく、殴り愛なんだろか。どうなんだろか。教えて偉い人。

 殺し愛……なんかだったら、某キノコな人などが製作を手掛けている、F○teやら月○姫やらを手掛けているゲームメーカーで散々お世話になったジャンルでもあるので、理解出来るんだけど……。



(殴る方のコミュニケーションは、男同士しか知らんぞなもし)



 師弟の絆やら戦闘描写が色々と濃いロボット同士のGガン○ムであったり、日本に突如として現れた異能者が生まれる土地ロストなんちゃらを舞台にしたスクラ○ドあれであったり。

 七つ集めると夢を叶える玉を散策する旅なんかを描いた超有名な作品ドラゴンボ○ルは、個人的には何か違うな、と思うので、除外する方針で。

 

 身に着けているものは、こっちで貰った衣類のみ。他には寸鉄一つ帯びてはいない。諏訪で貰った外套だって、破れてしまったら嫌なので、控え室に置いてきた。

 ある意味、裸一つで挑んでいるようなものだ。



「―――逃げずに良く来た。と、褒めてやろう。弱き者よ」



 ―――この、月の軍神様に。



「おいおい、どんだけ上から目線なんだよ。……間違っちゃいないけどな」



 認めよう。俺“だけ”が弱いのは。

 挑発的な台詞は、挑発的な言葉遣いで対応しましょう。

 ……そう思って、謙虚なところは抑えつつ、言葉を返してみたのだが、返された側の依姫は、怪訝な表情を作ってしまった。



「……地上の者達の間では、こういう話の流れの後で、戦闘に及ぶものでは無いのか?」

「いや違ぇよ!? 誰だよ! このお姫様にどこぞの魔王みたいな知識教えたの!」



 目尻を下げて、不安に揺れる表情を作ったと思ったら、これだ。



(……ん?)



 ……永琳さんの研究所に顔を出すようになった際に、研究員の人(男)達と娯楽についての話で、ジャパニーズなRPGの話……ドラ○エやF○なぞの話題を零し、そんな台詞を俺自身が漏らした気もするが、些細な問題だろう。ふと気づいた事実から、全力で顔を背けようと思います。

 一瞬、依姫がショボーン(AA略)的な顔をしたものの、すぐに気持ちを切り替えたようで、今の腑抜けた空気は、一瞬で四散した。



「……ジェイス殿は、無事に戻られたのか?」

「あ、あぁ。あの後、しばらくしてな」



 具体的には、今朝方に。

 壁に表示されている時計に目をやれば、時刻はもうすぐ、正午に指しかかろうとしていた。

 正直、今回の戦闘で、彼の助力を得られれば、と思っていたんだが、【プレインズウォーカー】には様々な制限が掛かっていたようだ。



 判明した制限は三つ。

 一つ。彼が使う能力は、一日しか行使出来ず、効果を維持出来ない。

 一つ。彼が使う能力は、ものによっては、こちらの体力をさらに使う。

 一つ。PWは……一度召喚したのなら、再度、召喚は出来ない。

 大雑把に分かった事は、これくらい。



 彼の能力が使えないと分かり、再度召喚すれば元に戻るか、と思って試してみたのなら、それが出来ませんでした、という流れである。

 あまりに早過ぎた別れに、それなりに大きな穴が、心にぽっかりと開いてしまったが……別にこれが、今生の別れになる、と決まった訳では無いのだ。と思う事にした。

 よって、今回の戦闘では見送る羽目になってしまったが、またいつか、能力的に余裕が出来たら―――制限が解除されたのなら、、戦闘云々もそうだが、今後は一緒に、酒でも飲みたいと思う。




「その、だな……」

「あん?」



 ぽつり。

 こちらにしか届かないであろう音量で、目を閉じながら、月の軍神様が語りだす。



「始めは、お前を真っ二つにしようと思っていたんだ」

「……うん、まぁ、それはジェイスから聞いたよ」



 それが原因で、色々と面倒な事になったのだ。

 切欠くらい覚えている。



「あれから一睡もせずに考えたんだが……あの時の気持ちは大分薄れて来たが―――私は未だに、お前が嫌いだ」



 おぉう……そんなカミングアウトいらねぇ……。



「私が幾年、お前の立ち位置に憧れ、渇望し、精進を続けて来たのか……」



 ……それを俺に言われても。と思うんだが、とりあえずは、話を最後まで聞く事にしよう。

 ぶっちゃけ、今ここでこの感情を、そのまま言葉にしたのなら、この先色々とコミュニケーションが取れなくなるだろう、と予想しただけの結論なのだが。



「だがな」

「ん?」

「お前を見て分かったよ。私には、その位置には辿り着けそうにない。そこまで自分を曝け出す事も、主張する事も、我が侭を言う事も……な。私には、無理だ」

「……遠回しに馬鹿にしてんのか」

「誤解しないするな。お前が羨ましい、と言っているんだ。少なくとも、私はそのつもりで言っている」

「お前、ホントに上から目線だな!」



 誤解を与えておいて“するな”とか、思い上がりも甚だしい。



 ―――と。普通ならば思うんだろう。時と場合と相手さえ違えば、そう感じる事の方が、当たり前な筈なのだ。

 だが。こいつ―――この月の軍神様は、それを何の嫌味もなく、こちらに伝えて来るときた。

 自信に満ちた瞳。言葉に偽りなど無い、と断言する表情。

 羨望と諦めの色が見え隠れを繰り返し、本当に残念そうに、羨ましいそうに、それらを言ってのけたのだ。



(……なんかもう、言葉の揚げ足取りみたいな事でムキになってる、こっちが馬鹿なんじゃないかと思えてくるんだが)



 所詮。言葉など、意志を伝える為の手段の一つ。

 例えそれを間違えようとも、伝えたい何かが全て伝わるのならば、それら手段は形骸化する。

 依姫の本心を理解してなお、先程の言葉に拘り続けるのは、少しだけ……ほんの少しだけだが、何とも大人気ない気がしてならなくなってくる。



「……で、その俺の事が嫌いで、羨ましいと思っていらっしゃる軍神様は、一体なんでこんな話を切り出したのでしょーか?」

「ああ。それなんだがな」



 少し息を吸い、呼吸を整えて、言葉を続ける。



「私は私で、私のままに、私が望むものを手に入れようと思う。私は私だ。お前じゃあ無い。その位置へは辿り着けないが、また別の、違う場所を目指す事にしたよ」

「……それを俺に言って、何だってのさ」

「ああ、だから―――」



 そう言って、姿勢を正し、服装を正し。

 先程とは全く別の……表情を真剣なものに変えたかと思えば、



「ありがとう、九十九。お前のお陰で、私は先に進めそうだ」



 彼女の頭はこちらに垂れて。きっかり、しっかり、九十度。

 土下座とまでは行かずとも、直立で出来る最高位の謝罪&感謝の姿勢に、たまらずたじろぎ、困惑に後押しされた音量で、疑問の言葉を口にする。



「お前、俺の事が嫌いじゃなかったのかよ!?」

「ん? 先程、そう言ったではないか。何だお前、痴呆の気でもあるのか?」



 ……今のはこっちが呆れられるもんなんだろうか。



「お前が嫌いな事と、お前に感謝している事は、別だ。私はお前が嫌いだ。だから」



 ニマリと釣り上がる口。不敵に細められる目。

 ふふん。とでも幻聴が聞こえてきそうな表情のままに、ともすれば、そっち系にも聞き取れる言葉を口にした。



「―――これからお前の足腰が立たなくなるまで、取り分け念入りに扱いてやろう」

「……今までの会話を聞いてて思ったけど、お前、少しは言葉に頓着しろよ。今のは要らん誤解を生むぞ」

「……? まぁ、それは置いておいて、だ」



 置いておくんかい。



「私はお前が嫌いだ。で、私はお前に感謝もしている。―――あれだな、『それはそれ。これはこれ』だ。確かそんな言葉だった」



 理解が、追いつかない。



(……何なんだ、こいつは)



 気持ちの切り替えが早いとか、そういったレベルのものじゃあ無い気がする。

 もっとこう、全てを受け入れてなお、混同する事は無く、別々の感情を同居させるかの如く。

 感謝には感謝を。敵意には敵意を、あます事無く反射する、感情の鏡。

 ここまで極端ではなくとも、俺自身にもそういった面があるし、そうと考えれば多少は理解も深まる……とは思うのだが。

 ―――人間、一つの対象に、好き嫌いの考えが入り混じって、その対象を見続ける。

 あの人のココが好き。でも、あそこは嫌い。

 そんな思いなど、それこそ万人が抱いているものに違いない。

 それが当たり前。それが普通。それが常識……の、筈だった。



(こいつを見るまでは……)



 あまりに真っ直ぐな、その信念。

 良いものは良い。悪いものは悪い。

 何の感情にも流されず、完全な白黒をつけられる人物が、一体どれだけ居るというのだろう。

 そういう考えは、白黒付けるのが得意な閻魔様くらいだと思っていたが。

 そんな判断を下す相手が、こうも滑稽で、愚直で、視野の狭いだけとしか思えない、そんな相手が―――



(うん、何か……)



 ―――羨ましいと。

 そう思えてならないのは、何故なんだろうか。



「はははっ―――。お前、馬鹿だろう」

「ぬ、何を言うか。これでも勉学において、他のものに遅れを取った事は、そうそう無いんだぞ?」



 そう言って、再び自信満々な表情を浮かべ、不敵に笑みを浮かべる。



(違うさ……そういう意味の“馬鹿”じゃ無いんだ……)



 こいつは、言葉に頓着しない。

 伝えたい事、教えたい事、知ってほしい事を、考えるより先に言葉にする。

『分かってくれるだろうか?』という疑問すら挟まずに、伝えなければ伝わらないという、至極当たり前の理念を実践するのだ

“分かってくれる”などという、受動的な選択肢など、はなっから存在していないのだろう。

 自分で傷つく事を恐れずに、自分で決めたルールに則り、それを行い、突き進む意志の強さ。

 何処か鬼と通ずるそれに、尊敬にも似た念が胸に芽生えるのを実感しながら……。



「そろそろ時間だ」



 依姫の言葉に反応し、顔を遥か遠くの壁に備え付けられた、大きめに作られた時計へと向けた。

 予定の時間まで、後数分。これから起こるのは、この世界に訪れてから最も激しい戦いになる。

『神々の依代となる』能力は、汎用性、戦闘力、etc。多種多様の面で、脅威以外の言葉が出てこないだけの代物だ。普通に戦闘すれば、まず間違いなく、打ち負かす事は出来ないだろう。



「九十九。もしお前が望むなら、多少は手心を加えてやっても良いぞ」



 侮るでも、馬鹿にするでなく。純粋に、こちらと自分の力量を比較した後の発言なのだろう。

 淡々と告げられた弱者宣言に、『言葉には注意するように』との忠告は、全く無意味であったのだと実感させられる。



「おぉ……。そりゃあ……ありがたいな……」



 現状の、自分の状況を省みる。

 使用最大マナ、6。

 維持マナ、【今田家の猟犬、勇丸】の1のみ。

 使用最大カード枚数、9。

 気力、体力、共に上々。

 永琳さんとの実験で分かった、新たなカードルールも幾つかある。

 つまりは、全力を出せる、といっても過言ではない。



(勝利条件は、対象を戦闘不能状態に持っていく事、もしくは降参宣言。の二つ)



 カチリカチリと、巡りの悪い頭を使い、脳内で多種多様のカードを組み合わせ続ける。

 あの【シナジー】はどうか。この【コンボ】は効くだろうか。

 他のプレイヤーが居たのならば、それこそ他に、もっと効率の良い組み合わせを思いつくんだろうが。



(……うん、この戦法は、面白いかな)



 相手が手加減までしてくれるというのだ。その心意気を汲んでもバチは当るまい。

 ―――最も、単純に『手を抜いてくれ』という気など、サラサラ無いのだが。



「よっちゃん」

「何だ……ん? よっちゃん?」



 ちょっと好意を持ったので、フランクな呼び方を口にしてみる。相手に拒否権は無い。今のところは。敵みたいなもんだし。

 一方、呼ばれた方は反射的に反応したものの、今の呼称には思うところがあるらしい。疑問の声を上げた。



「まぁ気にするな。で、さっきの手加減云々って奴なんだがな」

「……まぁいい。で、何だ。やっと決まったのか。両手を使わないでも、目を閉じてやるでも、それなりの事なら聞き入れてやるぞ?」



 はっ。随分と下に見られたもんだ。

 間違っちゃいない。俺自身の力なんて、誰がどう評価したって、一般人止まり。

 むしろそれ以上の評価をしようものなら、俺はその相手の正気を疑うだろう。



「違ぇよ」



 ……それに。

 舐めていてくれた方が、それを負かした時の爽快感は、より格別なものになるだろう。



「―――逆だ。月の軍神、綿月の依姫。御託はいい。最初の一合から、全力で来い。手加減なんて、真っ平御免だ。手を抜くな、油断をするな、“出し惜しみをするな”―――その慢心、根元から圧し折ってやる」



 戦姫の目が爛々と輝き、その顔が、牙を剥く猛禽類を連想させながら、獰猛に歪む。

 受ける重圧に拍車が掛かり、チリチリと肌を焦がす闘気を肌で感じる。



「良く吼えた! 地上から来た者よ! 良かろう! お前の期待に応え、そして―――その応えた期待ごと、圧し折ってやろう!」



 背筋を伸ばし、両の手に力を込めて。

 こちらが告げた『圧し折る』を、更に『圧し折る』気概を感じながら。



(……あれは、例の能力発動しました、ってところか)



 こちらの期待通り、一合で全てを決める勢いで、体に何処かしらの神を降ろそうとしている。

 それは強大で、絶大で、壮大で。

 諏訪の神。大和の軍神。妖怪の纏め役、鬼。

 それらを見ていても、なお、最強と呼ぶのはこういった存在なのだと予感させるだけの何かである。



「依姫、九十九さん。準備は良いわね」



 永琳さんの声が響く。

 それに答えるのは、互いに僅かに頷くのみ。

 どちらも、臨界点一歩手前なのだ。

 今何か、一言でも言葉を洩らそうものなら、すぐにでも爆発し兼ねない。



「制限時間は無し。行動の制限も無し。どちらかが行動不能になるか、降参の意を表した場合まで、戦闘を続行します。お互い―――全力で挑みなさい」



 それが、始まり。

 依姫の体に、何かしらの神が降りて来るのが分かる。

 頑丈そうなドームの内壁が悲鳴を上げて、パラパラと、白い粉のようなものが、辺り一面に降り注ぎ始めた。





 ただ、それを成しているのは、彼女だけではない。





 俺の背後。

 いつものように集まりだした光は、その光量が、今までの規模とは段違いであった。

 広大な空間である筈なのに、既にそれには収まりきらないとばかりに、後ろのスペースは、その光によって埋まってしまった。

 四散する光。

 そこに現れるは―――巨大で、長大な首の、龍。

 首幅、数メートル。その全長は、百メートルをゆうに越えるであろう。

 祟り神の統括者が従えていた巨大な蛇を思わせる、ぬめる様な灰色の光沢の鱗を持つ、灼熱の眼力を湛えたその顔立ちに、見る者全てが平伏すであろう存在である事が確信出来た。



 けれど、それは依姫も同じ。……いや、むしろ、それ以上だ。

 何の神を降ろしたのかは不明だが、あれは紛れも無く唯一無二の力を持つものである事が、その姿を見ずとも、存在感だけで理解出来た。

 これでは及ばない。まだ、届かない。

 あれは、遥かな高み。決して人では絶対に辿り着けぬ、神の名の頂点に君臨する者。彼女が全力と宣言するのに相応しい、人知未踏の絶対者。



 ―――だがそれは、俺には当てはまらない。

 もう一つ。新たな長首の龍が出現する。

 姿形は先程出現した龍首と同様だが、唯一、異なる点がある。目だ。

 その瞳は、白。

 純白でも尚足りぬ、満天の輝きを伴った―――光がそのまま塊になったかのような瞳を備えていた。

 流石に二体目の召喚は予想外でったのか、僅かながらに、依姫の表情が、驚きに彩られる。

 それでもまだまだ力不足である、とは思っているようで、未だにこちらを脅威とは認識していないようだ。

 しかし。



(まだだ。これだけじゃねぇぞ)



 まだ、首が出現した。

 これも同様に見た目は同様で、その目の色だけが、他の二体とは別である。



「なっ―――!?」



 けれど、それ“だけ”に驚く間は、依姫には残されていなかった。

 その色を確認する間もなく“また”現れる、新たな首。

 さらに、それに意識を集中する事も出来ずに出現する、首。

 首、首、首、首、首。

 依姫が、一体どのタイミングで驚きを表せば良いのか分からないままに、全部で五つのそれが出現し切ったところで、その現象は止んだ。

 五指が俺をボールでも握り込むかのように、その首達は展開し、それぞれの指先―――龍の頭が、絶対者となった依姫を見下ろす。

 黒、青、白、緑、赤の眼をそれぞれに備え、確固たる者としてこの場を支配する、目前の絶対者とはまた違った、五色の象徴たる絶対者。



 ―――動揺する依姫に好機を見出し、静かに、さり気なく、とあるカードを実行する。

【インスタント】呪文であるそれは、時間が経てば経つ程に。相手が力を使えば使う程に効力を発揮する事だろう。100%は掛からないだろう、という不安要素があるものの、半分でも効果が現れてくれたら御の字だ。

 それに彼女は気づいた様子もなく、不敵に、その表情を浮かべた。



「―――はっ!」



 面白い。

 言葉に出した訳ではないが、獰猛である依姫の顔が、そう哂って、こちらに訴えかけて来ていた。

 周囲に起こる、帯電現象。

 漫画やアニメでよく見られる光景を、こうして体験出来る日が来ようとは夢にも思わなかった。

 強大な存在を目の前にして、後ろへとひっくり返そうになる体を、後ろにいる存在が、触れてはいないというのに、背中をそっと押さえてくれている気がする。

 

「消えてくれるなよ、九十九!」



 依姫が腰を深く落とし、何もない空間を掴むように、その指先を閉じた。

 それに連動して現れる、炎。

 足から、胴体、から、特に腕から噴出すかの如く輝きを発し……それの影響だろうか。その炎達が、閉じられた依姫の掌に結集し、巨大な―――あらゆるものを一刀両断の名の下に切り裂くであろう、灼熱の剣を形成した。

 空間が悲鳴を上げるように嘶き、一瞬後には次元崩壊でも起こしそうな音源となって、辺りを蹂躙する。



(世界を裂いたレヴァンティンってか!?)



『炎の剣』に該当する知識が、それ位しか知らないのを少し悔やむ。

 後ろの存在が居なかったのなら、こんなにも思考に余裕など生まれなかっただろう。



(フランちゃんと被ってますよー!)



 テンションに任せた心の叫びとは別に、呼び出した召喚コストの高さから、急激に失っていく体力に、“時間制限”の四文字がチラチラと脳裏を掠める。

 炎の剣の見た目は、吸血鬼の妹が所持していたものとは全くの別物なのだが、性質的には似たようなものだと思われる。違うかもしれないが。

 それに、年代的にはよっちゃんのが最初だ。今の発言は筋違いというものだろう。なんて、どうでもいいことを考えてしまった。



 ……ただ、彼女はそんな力など使えたであろうか。

 日本の神様しか使っていないイメージだったが、北欧なんかの辺りもいけるのかもしれない。……というか、地上の神様、全部。

 驚きと同時に零れる、ほんの少しの絶望感。

 ……この上から目線も、いい加減もう慣れた。

 しかも、“死んで”などではなく、“消えて”とは。

 さて、この戦姫は一体何をカマしてくれるつもりなのだか。

 挑発し過ぎたか、と、若干後悔するけれど、これも作戦の内なのだ。

 彼女には、常に全力を出し続け、疲労困憊レベルにまで陥ってもらわなければならないのだから。

 雰囲気も上々、気分もノリノリ。後はドンパチするだけで。

 相手がそれなりの台詞を吐いたのなら、こちらだって、答えない訳にはいかないだろう。





 ―――ずっと前に、卒業したとばかり思っていたのだが。

 これでは、俺の邪気眼も疼き出すというものだ。





「哀れ。そして、愚かだ、小さき者よ。

 幾千の神を従えようと、幾万の力を総べようと、所詮は星にすがる者。

 活目せよ。その眼に映るは、無数の次元世界において上位に座する、終極の一端の顕現である。

 ―――力の差を、知るがいい」










 ―――雰囲気に流されてモノを言うのは止めましょう。

 それっぽい単語を並べて口に出した言葉に、我ながら『何言ってんだ俺』と羞恥心が襲う。

 それがたった今学んだ、俺の教訓である。





[26038] 第27話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/10/26 18:29







 ―――星々の光が降り注ぐ月面に、また一つ。眩い花が一輪咲いた。



 既に、彼らを覆う敷居は無い。

 開始数分で粉微塵となった―――かつて壁や天井と呼ばれていた物らは、殆どその役割を果たす事は無かった。

 一合交われば大地が割れ。一合交われば宙が輝き。形在るものは寿命を迎え、形無きものは元から存在などしていなかったかのように。

 場所が郊外であり、月の都市からかなり離れていたから良いようなものの、そうでなければ大打撃……どころか壊滅……を通り越し、跡形も無く消し去ってしまっていたであろう、この戦い。

 否。もはやそれは、個人対個人の戦争に他ならない。

 月の都ではそれらの余波を可能な限り抑えるよう、フェムトファイバーを使った防御陣を引き直しているというが……さて、そもそのフェムトファイバー製であったドームを破壊し尽くした怪物の攻撃を、一体どう防ぐと言うのだろうか。

 月の軍神たる片方は問題無い。

 幾ら攻撃の規模が大きかろうが、威力が高かろうが、高位の神格を有していようが、彼らの技術の結晶である須臾の連続体によって、しっかりと防がれている。

 だが問題は、もう片方。

 根元の見えぬ五指に似た首を持つ龍は、威力こそ、もう片方と勝るとも劣らないものだが、その攻撃全てが、こちらのありとあらゆる防衛機能をすり抜けて、破壊の爪痕を淡々と各所へ刻み付けていた。

 不可解である。不明瞭である。摩訶不思議なのである。

 硬度というカテゴリを逸脱し、時間固定の域にすら達した物質を、一体、どのような効力を持たせれば突破出来るというのだろうか。

 何の捻りもなく答えを出すのなら、同様の性質―――時間操作系の効力を持たせた攻撃を放っているのだろうが、観測の結果、そういった能力は付随されてはいない……というのが、辛うじて判明した。




「永琳様。西地区の退避、完了しました。……他の地区も避難完了。これで、あの子達の攻撃射程か戦闘地区の変更がない限りは、問題はありません」

「そう……」



 カリカリと独特の音を立てる機器達が、灯るランプで控えめな自己主張を繰り返す。

 どの機材も、既に稼動限界ギリギリの水準で働き―――けれど、その役割は殆ど果たされてはいない。



 攻撃の余波が、月の絶対防御を誇っていたドームを破壊し尽くし、都市部へと拡散してから、はや数刻。

 流れ弾であったそれが、都市に張られていたフェムトファイバーを突破し、郊外へと着弾した時には、これを見ていた月の誰もが我が目を疑い、思考を停滞させてしまった。

 最も回復の早かった永琳が、即座に九十九と依姫へ対戦の中止を呼び掛けるものの……設備が壊れたせいか、熱中して耳へと届いていないのか。彼女の言葉は届くことは無く。

 ならばと即座に都市へと避難勧告を発令。

 戦闘を止める事よりも、避難を促す方が“色々と都合が良い”と判断した月の頭脳は、今も事の成行きを見守り続ける。



「……ダメです。全ての測定機器が、あの五つ首の龍を測定しようとすると、『認識出来ない』との解答が返って来ます」



 永琳の手足として機能していた豊姫は、初めの頃と変わることの無い状況を、再び報告した。

 ぼやけた画像。

 解析どころか、ライブ映像ですら対象を映す事に不備を来たしているという、異常事態。

 この度の事態によって、都市側―――軍部へと映像を転送しているのだが、そこで、また一つの異常が判明した。

 その龍が見える者と、見えない者が出て来たのである。

 この判明した事態に、彼女達は解決に努めようと、解明に努めようと、解析に努めようと試行錯誤を繰り返し―――今し方、それは全て不可能である、との解を、月の偉人二人は下した。

 状況判断ではあるが、ある程度の力を持つ者でなければ認識すら許さないと思われる、不可視にして不可侵の龍。

 地上どころか、彼女達が生まれてから一度たりとも、そのような存在は、見たことも聞いたことも無かった。



「豊姫」

「はっ」



 顔はモニターに向けたまま、喜怒哀楽の、どれともいえない声色で、永琳は指示を出した。



「私の正装を用意させなさい。最高のものを。最良の状態で」



 正装。

 ここ数千年は着衣していなかったが、重要な式典や催しで間々見かけていたなと。豊姫は思う。

 月夜を写し、太陽の色を溶かし込み、満天の星雲を散りばめたドレスは、月の誰もが見惚れるほどの出来栄えであり―――最大級の礼節を以って接する、敬意と誠意の現われでもある。

 少しの間、乾いた喉を湿らせるように唾液を飲み込んだ彼女は、言葉を続ける。



「―――そして、私の戦闘兵装も用意させなさい。……最強のものを。最高の状態で」



 何の感情も映さないガラス球になった眼球で、永琳は、モニターの奥の出来事を見続ける。



「永琳様……」



 呟く豊姫に、永琳は応えない。

 ごく自然体で直立し、優雅に腕を組むその佇まいにはただ一箇所、似つかわしくない部位がある。

 組まれた腕。

 互いの腕を掴む指先は、その肉に減り込んでしまいそうな程に、強く握り込まれていた。

 それを見た豊姫は、無言を通す。

 恐らくこの方は、今、自分の考えの甘さに打ちひしがれているのだろう、と。

 分かる訳が無い。

 億の年月を過ごしてきても尚、それらは前例が無いのだから。

 それはもはや可能性すら皆無な、存在しない事象であった、と言ってもいいだろう。

 不穏分子や不確定要素などという、生易しいものではなかった。

“あれ”は、決して無下に扱っていい対象では無い。むしろ、近づいてはならないレベルの存在であったのだ。

 依姫でも、豊姫でも、永琳ですらも、その力は強大であるものの、様々な条件をクリアしなければ、月の都市を壊滅に追いやれるだけのものでは無い。

 だが、あれにはそれが出来る。

 唯一の弱点は、その五龍の召喚に、九十九の体力の殆どを費やしてしまっているようだが、この戦闘行為は既に数十分に及び、それだけの時間があれば、あの龍ならば、都市の一つ位は易々と壊滅させられるだろう。

 そも、本当に彼が疲労しているのかどうかも疑わしい。

 龍の方は相変わらず、視野に入れる事すら神経を使うというのに、それを呼び出したる者は、『本当にお前が?』と首を傾げてしまう。

 これでは、今のあの様子は擬態か演技であり、こちらの油断を誘っているだけなのでは。との考えが浮かんで来るのも、致し方ないだろう。



 ―――決断は、今において他に無い。

 本当に疲労しているのかも疑わしくなるが、それすら考慮に入れ始めたのなら、もはやこちらは何も出来なくなる。動けなくなる。

 故に、今。

 このチャンスを逃せば、全ては手遅れになるかもしれないと。

 不退転の決意を以って、意思を固める彼女に、その弟子も、心の中で追随の意を固めた。



 未だ戦闘は激しく。

 息つく間もなく変わる展開に、有効な対策を練れないまま、時は過ぎる。

 月の誰もが事の成り行きを見守りつつ、古えに決別した筈の恐怖を感じながら。

 同時、彼らは少し……郷愁の念にも駆られていた。

 それは遥か昔。

 その者達が、地上で暮らしていた時の記憶。

 皆一様に、天災が終わるのを……通り過ぎるのを、肩身を寄せ合い、ただ待つだけの心境に似て。





 ―――最も。

 どんなに強大な存在を呼び出そうとも。

 どんなに圧倒的な力を見せつけようとも。

 それらを行った原因は―――その原因の心境は。

 彼女達が始めに抱いた感想である、“何処にでも居る地上人”から、決して外れるものでは無かったのである。



 この戦闘の後。建国以来、過去最大級の誠意と警戒を以って、再び彼と相対した、永琳含む月側の人々であったのだが。

 あたふたと。ばたばたと。おたおたと。

 ただひたすらに右往左往するばかりで……。思考力の限界に到達した結果、“とりあえず謝る”を選択&実行。終いには土下座までした地上人を見た事で、見た目と力のあまりの落差により、肝心な何かを色々と見誤っていた月側の行き過ぎた警戒心は、徐々に薄れていく事になるのだが。

 ……悲しいかな。それはまだ、今しばらく先のお話。















 ―――唐突だが、このような者をご存知だろうか。



『不動明王』



 左手に、何人も逃れられぬ、絶対拘束の注連縄を持ち。右手に、あらゆる災いを弾き、一刀の元に穢れを祓う無名の宝剣を備えた、鬼神悪鬼の如き形相を湛える善の神。

 直接的な戦闘描写が記載されている文献は少ないが、その力は、破壊と再生を司るインドの最高三神が内の一神、シヴァを正面から無傷で捕らえるだけの力量と、それら破壊神を踏み潰し、圧殺出来るだけの力があった。

 絶対拘束の注連縄は、あらゆる降り掛かる不幸を退け、悪即斬を体言する宝剣は、敵のみならず、どんな困難をも打ち据え、切り裂く能力を有していた。

 絶対正義の名の下に、須らくを断罪する、善の剣。

 地上でこれに力で勝るには、それこそ世界を焼き払うアレであったり、混沌を切り裂き天地を創造したコレなどが要る事だろう。

 派手さこそ無いものの、世界において最強の神の候補に上げてもおかしくないこの者は、事実、それだけの力があるのだから。










 話は変わり―――










 こう、思ったことはないだろうか。

『時と空間を操る』能力を持つ者と、『永遠と須臾を操る』能力を持つ者は、どちらの能力の方が強いのであろうか、と。

 前者は呼んで字の如くな力である為、とても分かり易い。説明は不要であろう。

 後者は言葉の解釈の幅が広い為に、若干難しいところはあるものの、この能力を創造した偉大なる酒好きの創造主曰く、要約すればこちらも前者と同様、時間を操る能力なのだという。

 力関係は、それこそ使い方次第、状況による、前提条件の有無。と、何かしらの追加ルール一つで、容易く覆る。



 だが、あえてここは一つの解を提示してみよう。

 それは、“自力”が勝っているものが、同条件の他の能力よりも優れているのではないか、という身も蓋も無いものだ。

 先に上げた例ならば、どちらも同じ、時を操る能力。つまりは同条件。

 そして、その者達が能力によって働き掛ける対象は、当然“時”という事になる。

 方や十数年程度しか生きていないであろう、能力以外は特出すべき点の無い生命体。

 方や数百万年を優に超える時を過ごしてきた、心・技・体、どれもが前者よりも遥かに上回っている、絶対種。

 この二者から“命令”された“時”は、さて、どちらの指示に従うであろうか。

 自力の差は、火を見るより明らかである。





 ルールとルールの潰し合いではない。如何に相手よりも多くのルールを従えさせられるのか。の戦いが、そこにはあった。

 あらゆる悪を断つ剣は、けれど完全に効果を発揮する事なく、対象の肌を浅く傷つけるだけに止まり。

 全ての災いを退ける注連縄は、辺りに漂う濃密な害意の悉くを払うことは出来ずに、決して無視出来ない程度の被害を受け続けていた。

 一方は、一つの星の中で最高位に君臨する者。

 一方は、数多の星々の中で最高位に屯する者。

 後者を呼び出した地上人にとっては、それは当然の結果であり。

 前者を呼び出した月の軍神や、それのみしか知らない月の民にとっては、それは儚い幻のような、受け止めきれない現実そのもの。

 けれど、それを知るのは前者―――綿月依姫を含む月に住まう者達のみ。

 後者―――九十九は、この出来事が終わるまで結局、それらの考察に行き着くことは無かった。









「はあああ!!」



 視界が熱い。腕が重い。足が鉛のようだ。

 振るう右手の感覚は希薄で、辛うじて何かを握っているという神経だけは繋がっているが……まだ余力はあるものの、それが途切れるのも、時間の問題だろう。

 既に、幾人もの神々の力を借り受け、振るい続けている。

 炎を、雷を、氷を。

 神気を、妖力を、魔力を。

 力を、技術を、経験を。

 渾身とも言える一撃達は、その悉くが当たる事すら無く、仮に届いたとしても、その殆どが従来より数段劣った効力しか発揮していない。

 最初に降ろした愛宕(あたご)の神はやけに―――“全くの力を消費せずに依り代にする事が出来た”のが不可解だが……それは後に考えるとしよう。

 詰め将棋の如く、刻々と攻撃手段が―――逃げ道が塞がれて行く錯覚に襲われながら、けれど、それは間違いではないのだろうと確信する。

 攻守共に自身が知りえる中で最高位の神、不動明王を最後の砦とし、先の見えない、終わりの無い戦闘行為を踏襲し続けていた。





 また一首、五色の内の一色が襲って来た。

 目の色は……黒。

 闇色の穢れを纏いながら飛来する首を回避しながら、それでも当たりそうになる場合には、本来捕縛用である注連縄を盾代わりにして、決定打を避ける。

 コレの攻撃には、継続ダメージがある。

 毒のようにじわじわといつの間にか攻撃を受けていた、という場面が間々あった事で判明したそれは、呼び出した神の特性によって、取り返しのつかない事態こそ避けてはいるものの、決して蔑ろに出来るものではない。

 雑多な妖怪や邪な存在など、触れるどころか近づくだけで消滅する神気の壁は、初めから存在していないとばかりに無視され続けている。

 それも当然か。こいつはあのフェムトファイバーですら易々と破ってみせたのだから。



「ぐっ!」



 巨大な黒い瞳を持つ首が頭上を通過する最中、突然、背中からとてつもない衝撃が、四肢をバラバラにせんと襲い掛かって来た。

 だが、そこには何も見えない。何も居ない。何の存在も感じ取れない。



(今度は、青か!)



 故に、思い当るのだ。

 襲来する首達には、それぞれ扱える力が異なっている。

 大まかな基準ではあるが、判明した能力の概要は、こうだ。



 黒い瞳を持つ首は、毒や疫病といった、状態に変化を与えるもの。

 赤い瞳を持つ首は、雷や炎などの、直接的な攻撃力の高いもの。

 緑の瞳を持つ首は、身体能力の強化や、活力の操作。

 白い瞳を持つ首は、光や浄化に、何かしらの行動の制約。

 そして、この青い瞳を持つ首が得意にしているものが、幻術や催眠。現実の改竄。



 どの首も独自の視点、思考、能力を有し、時として共有さえしているかのような行動に、こちらは何とか豪雨のような攻撃を凌ぎながら、辛うじて傷と呼べるだけの外傷を刻み続けるしか無かった。

 確かに目を見張る威力―――炎や雷―――を伴った攻撃はあるのだが、それらは単純な破壊力だけならば、そうそう脅威になるものではなかった。



(一番の問題は、物理以外での防御が殆ど無効化されているという事だ)



 都市部に着弾した流れ弾によって判明した事。

 触れたものを分解する障壁も。

 近づくものの意識を逸らせる結界も。

 あらゆる穢れを防ぎ、時間停止の域にまで昇華した物質、フェムトファイバーですらも。

 全ての防衛手段が、全くといって良いほどに役割を果たすことは無かった。



(唯一の救いは、“あまり”直接的な攻撃力が無い事だが……)



 それでも小さな居住区画ならば数刻の間に灰燼に帰するだけの威力はあるのだが、ここ月ではその程度ならば、結界も障壁も無かったのなら、軍用車両数台レベルのものである。

 この首達の攻撃は、一瞬で島を蒸発させたり、虚空に次元断層レベルの風穴を開けるような代物では、無い。

 ……無い、筈であるというのに。



(―――こやつには、根本となる能力がある)



 濁流の如く迫り来る五指の首と、それらの能力による猛攻を往なしながら、私が考え付いた結論はそれであった。

 大したものでない筈の攻撃が、絶対の信頼を寄せていたフェムトファイバー製の壁や天井を崩落させ、攻撃の余波の一端が町を覆っているフェムトファイバーの防御を突破してしまっているのだ。

 恐らく、何かしらの加護や防御を無効にする能力“も”有しているのだろう。

 絶対拘束を約束する注連縄は、そも相手に狙いを定める段階で意識が他所に向かってしまう、という事態に陥り。

 こちらの攻撃も同様に、それでいて、仮に当てられたとしても何かの壁に阻まれたかのような手応えを感じ。

 決して触れるな。目を向けるのもおこがましいと。

 力を借受たる者が不動明王でなければ、恐らく傷一つどころか、視線すらも向けられないであろう、犯されざる聖域の具現化。自我を持ち移動する不可侵領域。

 八つの首を持つ大蛇など比べようも無い―――龍種の頂点に立つであろう龍神は、依然と、その力を見せつけるかの如く悠々と動き、こちらを翻弄し続けていた。



 ただ―――



(龍神の足元に居る九十九を攻撃すれば、全て終わりそうな気はするが……)



 紙一重を連続する依姫が、“弱点”を視界に捕らえながら、内心で、他意の無い感想を漏らす。

 悠然と大地に“崩れ落ちている”地上人に視線を向けて、依姫は―――しかし。

 絶対の勝利にではなく、悠然たる強者と出会えた喜びに突き動かされて、自然と、『変身中には攻撃しない』系の“お約束”に身を投じるのであった。

 それに、『手加減してやる』と宣言した手前、あまりにあからさま過ぎる弱点を突く行為に、敵意ある天変地異に襲われても、彼女はそれを活用する事は無かった。





 ―――ふいに。私の足は何かに囚われた。

 何かに掴まれた訳でもなく、それが原因で致命傷を受けるようなものでもない。

 本当に。

 ただ私は、“何も無い場所で、何かに躓いた”だけであった。



(―――?)



 いや、そんな問題など瑣末事。

 今はそれよりも、目の前の龍神について意識を向けるべきであろう。

 そうして、その出来事は私の中に、全く考慮しない案件として、深く沈殿していくのだった。









(やっべ……。これならまだ、大和の国で勇丸先導の片道10km強行軍してた時の方がマシだわ……)



 ……いや、今のは言い過ぎであったかもしれない。あれはあれで、死ぬかと思ったんだった。訂正致します。はい。

 もはや四肢は完全に力が抜けて、過呼吸に近い状態で居続ける事、はや数分。合計で十分超えて少し経過した位かと思うのだが、生憎とそれを知る術であった壁に埋め込まれた時計は、とっくの昔に破壊してしまった。

 腕時計の存在を、この時は切に願う。これが終わったら是非、メイド・イン・月な代物が欲しいものだ。



 ―――【プロテクション】

 条件に合うのなら、あらゆる攻撃を防ぎ、あらゆる防御をすり抜け、個人対象の全ての術や能力から選択肢にすら上らない状況を作り出す、絶対の加護。

 過去に出した【クリーチャー】である【霊体の先達】に付与されていた、【プロテクション(黒)】が最初に出した【プロテクション】持ちの【クリーチャー】であったが、あの時の効果は、天使達の自力の攻撃力不足を除けば、絶大の一言であった。

 鬼からの攻撃を受け付けず、確実にダメージを与え、一人たりとも掠り傷すら負う者は居なかった。

 条件さえ合えば強力な【プロテクション】であるが、それ故に、その条件を合わせる事が、これまた難しい。

 まず当然の条件として、相手に詳しくなければならない。

 鬼=【黒】、と安直に考えた末の【霊体の先達】だったが、もし鬼を部類する色に【黒】が含まれていなかったのなら。……俺自身は逃げ切れたかもしれないが、村は全滅していた可能性が高い。

 それに、よくよく考えてみれば、MTGにおいて鬼という種族は、【赤】を代表する色であって、【黒】を含んでいる奴は、そうそう居るものではなかったのだ。

 一歩間違えば自身の死は勿論、全滅、蹂躙、虐殺のオンパレードな展開が待ち受けていた事に恐怖した俺は、その経験を踏まえて、この、後ろに鎮座している【クリーチャー】を呼び出した。



【クリーチャー】、タイプ【伝説】【アバター(化身・権化の意)】の二つを持つ、召喚コスト初の二桁。ジャスト10マナ。

 そしてこれも初である【マルチカラー】と呼ばれる、二種類以上の色が混ざった混色カード。

 パワー&タフネス、どちらも過去最高である10/10の存在。

 本来ならば、維持は兎も角、召喚など出来様筈も無いカード。

 よって例の如く、他のカードを使用してルールを覆す。

【シナジー】から【コンボ】の域へと昇華した、とあるデッキを使用した。

 組み合わせは幾通りでも。

 巨大な【ファッティ】を難なく召喚するこのカードこそ、単体のカード名がそのままデッキ名となってしまった―――



(切り札その3で、コスト踏み倒しコンボその1。【Show and Tell】ってなもんよ)









【実物提示教育/Show and Tell(カード)】

 3マナで、【青】の【ソーサリー】

 全てのプレイヤーは自身の手札の中から好きな【クリーチャー】か【エンチャント】か【アーティファクト】か【土地】を一枚、場に出しても良い。

 召喚出来るカードの種類が多い為、この汎用性の高さ故に様々なデッキに組み込まれ、多種多様の派生の根源に、あるいは、一端を担うに至っている。とあるカードの調整版。



【実物提示教育/Show and Tell(デッキ)】

 数あるコンボデッキの中で、正規のカードコストを支払う事無く使用するコンセプトのデッキの一つ。ここでは【クリーチャー】による蹂躙を前提とした説明を記述する。

 このカードを使えば如何なる高コストカードをも、【インスタント】【ソーサリー】【プレインズウォーカー】を除けば使用出来るという、一瞬、我が目を疑う能力を持つ。

 しかし、この効果は全てのプレイヤーに影響がある為、迂闊に使用しようものなら、途端に不利になる可能性がある。

 自分の持っているカードこそ最強、もしくは、使用したターン中に勝負を決するだけの準備が整っている。との気概でもなければ使用を躊躇う、一種のギャンブル要素を兼ね備えている。

 これを必勝の域までに到達させる為には、単純に考えるのなら、それこそオーバーキルとでも呼べるカードをそれなり以上に採用しなければならないが、多く入れすぎれば序盤に腐る(使用出来ないカード)可能性が高く、少なくすれば、いざ使おうとしても、手札に強力なカードが無い場合が多くなるので、それらの兼ね合いがこのデッキを使用する際の肝。

 即死コンボデッキでもない限りは、他のデッキと同様、使ったからといて必ず勝利出来るものでは無いので、他にも多種多様なサポートカードを盛り込み、勝率の安定性を高めるのである。










 コスト無視のカードは幾つもあるが、これはその中でも、特に制限の薄いカードであり、コンボである。

『これ使う位なら他のカード使えばとっくに勝ってる』といったカード達を使用して勝利を掴みに行く、一種の浪漫カードであり、ギャンブルデッキであったのだが、近年登場し出したパワーカード達の影響によって、決して無視出来ない領域へと到達した。

“使えれば強い”と“使えないから弱い”が両立してしまっているカード達を、後者を解決する事で、一気に主役へと押し上げた、このコンボ。

 この効果によって使えるカードはそれこそ数多もあるが、実際の勝負―――大会で“使われている”カード達は、片手で数えられるだけのものしか確認されていない。



 ―――これは、そんなパワーカードの内の一枚。

 MTGにおいて、『最強のカードとは』の考案に一度は上がるであろう、このカード。その能力故に、数々のデッキのメインアタッカーの一端を担うこの【クリーチャー】こそ、公開当初、誰もがその目を疑い、最強という名の一端を垣間見た……、



(唯一無二の能力を持つ【大祖始】様の力、存分に楽しんでくれ)



 色とりどりの攻防を、疲労の極みで霞み始めた視界に収めながら。

 襲い来る天災とも言える中、舞を披露するかの如く優雅に踊る彼女へと向けて、心の中で呟いた。










【大祖始(だいそし)】

 10マナ、10/10の、【青】【黒】【赤】【緑】【白】の全ての色を持つ、【伝説】【アバター】クリーチャー。

 保持する能力は二つ。

 墓地に置かれる場合は【ライブラリー】へと自動的に戻る機能が一つ。

 そしてもう一つが、あまりに短文、あまりに簡潔。故に一目でその効果が分かる、【プロテクション“全て”】を有していた。

【プロテクション(全て)】とは、MTGのルール上ならば、

 如何なるダメージも受けず。

 ほぼ確実に相手の防御を掻い潜り、プレイヤーに直接ダメージを与えることが可能であり。

 全ての呪文や能力の対象にならない【被覆】を備えている事になる。

 究極的な【回避能力】の一種と考えられる。



 召喚されたならば、対戦相手の寿命は秒読みに入ったようなもの。

『ぼくのかんがえたさいきょうカード』の一片が伺えるが、それでも絶対的な存在では無いので、召喚出来たとしても、油断は禁物である。










 ―――だが、このデッキは相手へのメリットをも与えてしまう。

 今回の場合、八百万の神々の力を行使する存在相手には、あまりに分の悪い性質ではないだろうか。

 太陽神ラー。主神オーディン。全知全能たるゼウス。極東の大神アマテラス。

 仮にこれらを呼び出されていたのなら……。との考えが浮かぶものの、その為の【大祖始】であり、その為の【プロテクション(全て)】なのである。




(それに、全力を出し続けてもらわなきゃ困るしな)



 もうそろそろ、【大祖始】との戦闘中、どさくさに紛れて使ったあるカードが、効果を発揮してきても良い頃合だ。

 ……頃合でなくては、困る。というか死ねる。



(もっと早くに決着が付いてる筈だったんだが……よっちゃんマジ半端ねぇ)



 月人の……依姫の自力を甘く見ていた報いか。自分の思い描いたとおりの展開にはなってくれていない。

【大祖始】の 猛攻を掻い潜りながら、隙を見て反撃を加える彼女の真剣な表情には、やや愉悦の色が見て取れる。

 まだまだ余裕だ、とも取れる様子に焦燥に駆られ、この選択肢は間違いであったのか、との後悔が脳裏を掠めた。

 

(どうする……残りのマナは、後1。カード枚数的にはまだまだ余裕あるけど……肝心のスタミナがこれじゃあ、なぁ)



 そろそろ体力という名のタイムリミットが迫って来ている。

 多分、もって後数分。

 光の巨人が地上に居られる時間と、どっこいどっこいな感覚だ。

 ここでさらに他のカードを使おうものなら、カップメンどころかコンビニで弁当を温めるレベルにまで時間が短縮されそうで。

 コストの高い【ピッチスペル】は除外。3……いや、2以上のものを使おうものなら、一瞬で意識を手放すだろう。

 

(こっちの事態の好転か、あっちの事態の暗転か……)



 数ある選択肢の中で思いついた、とある【インスタント】カード。

 丁度、初めに使用したカードの能力との【シナジー】が見込める為、条件的にも悪くは無い。

 ただ、それは呪文である為に、何処まで相手に効果を及ぼしてくれるのかに疑問が残る。

 天の軍神、八坂神奈子を対象に使用した【お粗末】は、後に本人から聞いた話と比較して、大体、6~7割方、効果を発揮していた。

 今回使おうとしている相手は、その天の軍神様よりも、色々な意味でさらに上な、月の軍神様。

 良くて半分、この相手なら二~三割程度の効果、と考えておく方が妥当な線か。

 ならば100%の効果が現れる、自身を対象にした方が最善ではないだろうか。



(……いや、こっちの全力に近い状態での現状がこれなんだ。ここでこっちが―――俺が“体力を回復したって”、状況を打破出来るとは思えない)



 それに、俺が召喚した者達は、こっちの体力(制限時間)などお構いなし。あちらにはあちらの体力(スタミナ)が存在している。

 様々な条件を照らし合わせ、俺は相手の“体力を減らす”方を選択した。

 相手の体力が減れば、動きにも切れが無くなる事。

 そうすれば、こちらの攻撃がより避け難く、裁き難くなる事。

 よって、ほぼ拮抗状態に見える状況が、一気に新展開を迎えてくれるだろうと踏んでの決断だ。

 そうなれば、もはや王手。

 約束された勝利って奴だ。

 だって、



(お前の体力―――“回復しない”だろうからな)



 対象を視界に捉える。

 未だ激しい攻防を繰り広げる場面に横槍を入れる形で……何となく、片手を上げて、人差し指を依姫へと向けた。

 文字通り彼女を指差したこの指を、小さく、ゆっくりと、トンボでも捕まえるみたいに、くるりくるりと数回転。

 残り少ない体力を消費して、しなくてもいい事をしている、との自覚と共に、こうさせるのはカードが悪いんだ、と決め付けて、誰に聞かせるでもなく、残り1マナを使って、呪文を行使した。

『まさかこんなカードを使う日が来るなんて』との思いと一緒に発動した呪文は……彼が思っていたよりもほんの少しだけ、効果覿面だったようである。



「廻れ廻れ。くるくるクルクル―――発動【ぐるぐる】ってか」



 効果が対象を補足した感覚に少しの満足感を覚えながら、山場に差し掛かったであろう状況に、より一層の神経を研ぎ澄ます。急速に目減りする、体力という名の砂時計の砂と睨めっこをしながら。ここが根性の入れ時だと、自分自身に活を入れて。





[26038] 第28話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/10/26 18:30






 奇妙な感覚であったのは、前々から、薄々感づいてはいた。

 ただしそれは、いつもよりも疲労の度合いが激しい。といったものでしかなく、それ位の感覚ならば慣れ親しんだもので、大して気に掛ける程度の事ですらないだろうと判断していたのだが。



(なるほど……あやつが使った能力には、こういう狙いがあったのか)



 戦闘中、不意打ちとばかりに使われた、地上人の力。

 龍神との戦いの最中に使われたそれは、その場では何の効果か全く不明であった為に、記憶に留めるだけにしておいたのだが、なるほど、これは面白い力だと考える。



 ―――体力が、回復しない。



 初めはただ疲労の度合いが極端に上がっていただけだと思い、『体力の消費を増進させる』といった力かとも思ったが、随所にあった体を休められる間に全く回復が行えなかった事で明確になり、今し方振るわれた力によって、それは判明した。



(あれがこちらに向けて指を回すだけで、こちらの疲労が一気に蓄積されてしまった……そろそろ、まずいな)










『ぐるぐる』

 1マナで、青の【インスタント】。

 クリーチャーか【アーティファクト】か【土地】を一つ対象とし、それを【タップ】、あるいは【アンタップ】する。



 相手のクリーチャーを攻撃前に【タップ】させる事で攻撃不可能に。攻撃が済んでいるクリーチャーを【アンタップ】させ、奇襲防御に。効果を使い終えた各種カードを再起動させ使用するといった、数々の使い処がある……器用貧乏なカード。

 使い処は多々あるのだが、及ぼす効果が弱い事や、MTGでは一極集中型の方が性能が強い傾向にあり、あまり使用は見られなかった。

 しかしながら、マナコストが1という軽さ。【インスタント】呪文である事が理由で、呪文を多く唱える事がメリットへと繋がる【コンボ】デッキ、【ぐるぐるデザイア】と呼ばれるデッキでの使用が確認されている。





『タップ&アンタップ』

 MTGの基本ルールの一つに、【タップ】【アンタップ】と呼ばれる行為がある。

 これらはカードを横(【タップ】)にしたり、横になったカードを縦に戻したり(【アンタップ】)する行為を指す。

 これによって、【クリーチャー】の攻撃の有無が一目で判断出来たり、【土地】がマナを出したかどうかが分かるのである。

 余談だが、カードを横にしたり戻したりする行為(タップ&アンタップ)。実は特許が必要。権利はMTGの生みの親が持っていたりする。














 何の力も感じられないままに、初めの頃と同様に、既にこちらには、何かしらの力の影響を受けていた。

 ただ我武者羅に動かしていた四肢も、とうとう限界が来たようで、こちらの命令を全く聞き入れてくれない。

 それでも何とかあちらの攻撃を回避し続けてくれているが奇跡のようなものだった。

 だが……。



「っ!!」



 突如吹き上がる大地。

 五種ある首の中で、最も機敏に動く緑の瞳を持った頭が、大地ごと、こちらを上空へと跳ね上げた。どうやら、大地の中を掘り進み行ったようである。

 辛うじて奴の顎からは逃れられたものの、同時に巻き上げられた大小様々な礫によって、体のあちらこちらを強打した。

 空高く放り投げられた体は、どの箇所にも神経が繋がっていない。

 どうやら、今の衝撃で全ての伝達回路が切断されてしまったようだ。

 僅かに動く首を回して、龍神の方へと視線を向けた。

 睨み付ける、五つの頭。十の眼球。

 後数瞬の後、私の四肢はバラバラに喰い千切られるのが、容易に想像出来た。



 ―――仕方ない。



 身体の隅々まで神経を行き渡らせ、僅かにこびり付いている体力を掻き集める。

 全体から見れば、そこまで上位の神では無いが、この状況―――私が瀕死であればあるほどに、あれを呼び出した時の力は増す事だろう。

 ただし、その力には、ここ月では禁忌とされる影響も伴っている。

 それ故に今まで一度として降ろした事は無いが……状況が状況だ。後で処理をがんばろう。この際は仕方の無い事だ、と、自分の中での正当性を、自身に向けて主張した。

 しかし。



(―――もっと鍛えておけば良かったなぁ)



 そうすれば、もっと“今”を味わえたというのに。

 楽しかった。

 一瞬先に死が待ち受けているかもしれない状況にも関わらず、場違いな思考に笑いが込み上がる。

 気兼ねなく全力を振るえる相手がいるというのは、こうも心が躍るものであったのかと。

 同期の者達では話にならず、姉上相手でも、輝夜様相手でも、何処か本気にはなれなずに、完膚なきまでに敗北を期した永琳様ですら、心の何処かにストッパーがあった事は否めなかった。

 何せ、私の力はそこまで繊細なものではない。

 一歩間違えば命の百や千など簡単に吹き飛ばしてしまえるだけのもの。



(……ぁ)



 ……そもそも、威力や反映速度の訓練は行って来たが、精密さに関しては全く手付かずであったのを、今更ながらに痛感する。



(祇園様が……確か細かな攻撃を行いやすい力を持っていた、か……)



 今から呼び出したる神と同じく、その神は懇意な間柄ではあったのものの、全く力を借受たる事は無かった。

 改善案は山の様に。

 また自分の新しい面を発見出来た喜びに目覚めながら……。



「―――この意に答えよ。この意に応えよ。そして示せ、その力」



 成功だ。

 依り代となる慣れ親しんだ感覚が、慢心創痍であった身体を動かす。

 指一本どころか瞬きすら億劫であったというのに、そんな状況とは裏腹に、この身は別の力―――借受たる神の力によって、突き動かされて行く。

 隅々にまで行き渡る、黒い力。

 食い殺さんと顎を開く龍達に向けて、私は―――















 成功したようだ。

 地面から、【大祖始】の頭が大地を巻き上げながら出現する。

 先程とは打って変わり、明らかに機敏性を失った依姫の体が巻き込まれ、宙に放り投げられた人形みたいに打ち上がった。




















『つまずき』

 青で2マナの【ソーサリー】

 プレイヤー1人を対象とし、そのプレイヤーがコントロールするクリーチャーを1ターンの間、【アンタップ】フェイズに【アンタップ】させなくする。



 上手く決まれば相手のクリーチャーを全て1ターンの間行動不能にする威力を秘めているが、そんな状況になる事は稀。意図的にフル【タップ】させる方が確実である。



 //足に目はついておらぬ。

 ―――サプラーツォの諺//










 一定以上の効果があった【ぐるぐる】に満足しながら、最後の一歩まで追い詰めたであろう彼女の様子と、それを食い殺さんと睨みを利かせる【大祖始】の姿に、数秒後に起こるであろうスプラッタ映像を連想し、慌てて静止の言葉と意思を送る。プレイヤーでもありクリーチャーでもあるという俺の性質は、しっかりと他の相手にも当てはまっていたようだ。



(【大祖始】! ダメ! 待って! 殺人カッコワルイ!)



 そういや何気にこれが初めのコミュニケーションか。と今更ながらに後悔の念が過ぎる。

 だからだろうか。返って来る意思はなく、言葉も無い。

 これは最悪の状況を考えて、送還も考慮しないとダメかなと思った矢先……。

 宙に浮いた依姫の体から、真っ黒な―――何処か慣れ親しんだ力が溢れ出るのが分かった。



(……あれって)



 けれど、その事を最後まで考察する間は無かった。

 全てが依姫の方を向いていた【大祖始】の首の内、突然、緑と白の瞳が俺の周囲を取り囲み―――。



「―――」



 呼吸が止まる。

 緑の眼の首が俺の体を持ち上げ、白の瞳の首が周囲を囲むように、壁になるように展開したと思ったら、



(白い……蛇……?)



 大きさはまちまちだが、水道ホース程度の慣れ親しんだものから、ビルの5~6階分はあるんじゃないかと思う【大祖始】程では無いにしろ、大樹を思わせる大きさのものまで、大小様々な蛇が地面から生え、こちらに襲い掛かってきたのだ。

 恐らく依姫の……最後の一手であろうこの現象は、悲しいかな、【大祖始】の前に何の効力も発揮しないまま、地面を埋め尽くし、俺を守護している存在に掠り傷一つすら与えられずに、蠢くだけに留まっている。



 ―――と。辺りを黒い風が吹き抜けた。



 白い瞳の首が張ってくれたバリアのような障壁をなぞる様に……ガラス越しに台風でも眺めているかのような心境になりながら、何一つ生命の居なかった月の大地が……黒い風の吹き抜けた後には、無機物ではありえないというのに、腐敗臭を撒き散らす存在へと早変わりしてしまった。

 そんな死ね死ね風の影響を直で受けたというのに、白い蛇達は未だ健在。

 体を揺らすだけで同胞を無数に踏み潰している【大祖始】に向けて、愚直な攻撃を繰り返し行っていた。




(リアル【疫病風】みたい……)



 黒で9マナの【ソーサリー】である、広域クリーチャー破壊呪文を思い出す。あれは自軍以外に効果を及ぼすものであったけれど、これもそのような感じなのだろうか。

 今度は一体何の力なのか。

 それを確認すべく俺の頭上へと首を動かし、この現象を引き起こしたであろう者を視界に収めた。



(うげっ、何という暗黒闘気ッ!!)



 先程の、纏うように体の随所から噴き出していた炎が、今度は変わりに黒いガスへと変貌していた。

 留めるような、拘束されているかのような黒い気に気圧されながらも、宙に浮き続けている依姫は、その表情を苦悶のものへと塗り替えて、やっとの思いで力を使っているのだと、その顔が物語っている。



【大祖始】の赤い瞳を持つ首から神速の雷が放たれ、碌な防御もしないまま直撃した依姫は、少し離れた位置へと吹き飛んだ。

 地面を擦りながら着地した彼女は、立つのもやっと。と、力の抜けた体に鞭打ち、こちらへと向きなおる。

 けれど周囲へと漏れ出す黒い気は、その力を増していた。

 傷つけば傷つくほどに、感じる脅威は増えてゆく。



(【死の影】的な能力、って考えとくと良いかな……。って……あれ……?)



 ちょっと待った。

 少し状況を整理してみよう。

 白い蛇、黒い風。瀕死であればあるほどに増す、その力―――の方向性。





「……ぁ」





 ……何というサプライズ。

 もはや疑問の挟む余地の無いそれは、確信に到達した。

 どこぞのヒーローなら力を使われた初めの段階で気づくんだろうが、こちとら、その手の感覚は一般人。

 むしろこの僅かの間で、この怪獣大決戦の最中に気づけた事を褒めて欲しいくらいだ。





 ―――満身創痍の依姫が動く。





 その力に押し潰されそうになりながら、片手を上げて、例の腐敗風を放とうとでもしているのだろうか。

 彼女の前方に、黒い塊が集まっていくのが伺える。





 ―――満身創痍の俺が動く。





 今までの疲労など忘れてしまったかのように―――なんて事は無かったが、指一本動かせないでいた筈の体には、何とか歩行出来るだけの活力が沸いて来た。心の持ちよう一つで、力というのは結構湧くものだな、と。現金な自分の性格に苦笑しながら。

【大祖始】に命じて、俺の行く手を阻む一切合財を除去してもらう。

 誰に頼ることもせず、自分の足で、一歩一歩、確実に距離を縮める。

 今度はこちらの意志を汲んでくれたようで、返答こそ無いものの、俺と依姫との間に居た白蛇達を排除し始めた。

 足元に湧き出るものは蒸発し、道中に出現したものは、五つの首の内のどれかが噛み砕き、あるいは各々の力を使って取り除いて行く。

 そんなに距離は無い。それこそ【大祖始】の首の長さ程度のものしか。

 こちらに攻撃の意図があれば、そこれそすぐに決着がついてしまうだろう。

 そんな距離を、ふら付く足元を叱咤しながら、一歩一歩距離を詰める。

 依姫との距離が半分を切ったところで、黒い風が再びこちらを襲って来た。

 腐り落ち、腐敗の煙を上げる大地。

 鼻がもげそうな臭いを『良い気付けになる』と思いながら、またも【大祖始】によって守られた道を、一歩一歩、確実に。

 再び力を使う体力は残っていなかったようで、とうとう依姫がその場へと膝を突いた。

 顔こそこっちに向けているものの、瞼すら重く閉ざしているようで、開く気配は無い。

 それでも闘気だけは轟々と体中に滾らせているのだから、いやはや何とも―――尊敬に値する女性だと思う。



 一週間程度。

 時間にしてみれば、たったそれ位。

 それがいやに長く感じられ、つい昨日の出来事であったようにも感じられ。

 時間の認識なんて、気分一つてコロコロと変わるもんだと思った。





 ―――依姫の前に立つ。

 本来の彼女なら、それこそ瞬きをする間にこちらを捻ってしまえるだけの距離だ。

【死への抵抗】による【ダークシティール】化もしていない俺では、無抵抗のままに全てが終わる距離。

 しかし、依姫は動かない。

 こちらと同様。荒く呼吸を繰り返し、クラウチングスタートみたいな体勢で固まっている。回復しない体調と闘っているようだ。



「……降伏でも促しに来たか?」



 呼吸すら満足に行えないであろう状態だというのに、こちらの気配に反応でもしたのか。伏せた顔はそのままに、依姫が言葉を投げ掛ける。



「まぁ、そんなとこ。……どうする? とても続行出来る状態じゃあ無いと思うが」



 後一分もしない内に、俺の体力は底を尽きる。経験による確信めいた未来予知だったが、多分当たっているだろう。

 切羽詰っている様子など御くびにも出さずに、こちらは絶対強者を装う。我ながら、面の皮が厚くなった……演技力が上達したものである。

 だから、余裕の仮面が剥がれ、昏倒という名の素顔を晒す前に、色々と済ませておかなければ。



「確かにお前の言う事は尤もだ。今の私は精魂共に尽きかけて、顔を上げる事すら、億劫―――。だが、まだ折れた訳じゃない。最後の一手を下せ。それで決着が付く」



 白黒はっきりつけましょう。止めを刺せ的なニュアンスなんだろうか。……なんだろうな。戦闘中はそんな顔してたし。



「とりあえず、だ。……依姫、こっち見ろ」



 数十倍に重くなった頭を持ち上げるかのように、依姫が顔を向ける。

 上下する肩。球のような汗。喘ぐ様に漏れる、荒い息。

 濡れるような瞳には、俺の姿がしっかりと映り込んでいるのが分かる。



「……なん、だ……!?」



 疲労で音量こそ控えめだが、依姫が驚愕の声を上げる。

 それはそうだ。

 だって、本人の意思とは全く無関係に、ピクリとも動かなかった両の手がゆっくりと持ち上がってきたのだから。

 けれど当人の困惑とは別に、俺の心には当然の流れだ、という確信があった。

 そも、この予感が無ければ、こんなにも無防備に依姫へと近づいていない。



(あぁ……やっぱり間違いじゃなかった……)



 何だったかな、この気持ちは。

 少し前までずっと心にあった筈なのに、今こうしてその気持ちを目の前にすると、随分と懐かしい印象を受けた。



「くっ! これはどういう……」

「なぁ、依姫」



 何をした、と疑惑の目線が俺を射抜く。

 だが、それは誤解だ。

 何かしたのは俺ではなく―――。



「普段はこんな事、絶対にしないんだが……。恨むなら、俺と戦った事。最後に呼び出した神が不味かった事。何より、負けた自分を恨んでくれ」

「それはどういう……」



 すまん。もう返答する体力が残っているのかも怪しいんだ。そんな僅かにしか残っていないものは、俺の望む事に有効活用しなければ。

 一歩前に出る。

 互いの距離はほぼゼロに。

 それぞれが手を伸ばせば互いの体に触れられる、間。

 依姫が疲労の極みにある体に鞭打って、足腰は立たずとも、何とか両の手だけはこちら掴もうと伸ばされる。神託を授かる神父かシスターみたいな格好だった。

 それに応えるべく、俺も自分の腰を落とし……そのまま腰砕けでぶっ倒れそうになった体を、他の誰でもない―――依姫が優しく包み込む様に、こちらを支えてくれた。

 互いが互いを抱き合うような形になりながら、当の依姫は言葉にこそ出さないものの、困惑の色を示す。

 何かに操られる様に四肢が動く感覚に、どうすれば良いのか模索しているかのようだ。

 けれど、そんな依姫に構っている余裕は無い。

 多分、後数十秒で意識が途絶しそうなのだ。それまでには……。



「何だ……何故……体の自由が効かない……」



 混乱する彼女を他所に、事態は刻々と進行中。

 綿月依姫、神々の依り代たる能力は―――なるほど、こういう使い方もあるのだと納得する。

 抱き合う依姫の体から、先程と同じように、絡み付く様な怨恨の力が漏れる。

 だが、それは害意を持ったものでなく、この場に降り立つ際に、どうしても零れてしまう力の一端なのだろう。





 ―――八百万の神々を呼び出す者は、恐らく初めて、呼び出した神によって、その体を奪われた。

 降したる神は、怨念の統括者。

 恨み辛みの象徴であり、最も暗き感情の代弁者。

 それはとても怖いものであり、忌むべきものであり―――。





 こちらを包む依姫の腕が、よりいっそう力を増した。

 憎しみを込めて……なんてものではなく、こちらを二度と離さない、との意思が煤けて見えるような抱擁だ。

 それに応えてこちらも腕に力を込めれば、触れる感覚は依姫の筈なのに、その後ろにとても懐かしい存在を感じる事が出来た。



「―――久しぶりだね、九十九」

「お久しぶりです。―――諏訪子、さん」



 耳にした声は、宿主のものではなく、宿を借受たる者。

 交わす言葉には、周囲に漂う邪な気配を微塵も感じさせない。

 そこには、ただただそれらと対極の熱を持った感情があった。





[26038] 第29話 Bルート
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:15






 時刻は、朝と昼の間くらい。

 吹き込む風が心地良い。真っ白な天井を見上げ、寝心地の良いベッドへと体を横たえながら。ぼんやりと、全く他意の無い感想を思う。

 窓の外から差し込む日光は、暖かな春の麗。これで小鳥の囀りでも聞こえてくれば完璧なのだが、生憎と、ここ地上数百メートルの高さでは、それは期待出来そうになかった。



(そもそも、月に季節なんてものがあるのかすら知らないんだけども)



 辺りを見渡せば、何処も彼処も真っ白な面ばかり。

 窓……っぽい片面全てが無色の壁は、初めの頃は恐怖以外の何者でも無かったんだが、数時間も見ていればある程度は慣れるもので、今では良い暇潰しの一つへと落ち着いていた。

 ……ぶっちゃけ、病室で缶詰状態です。



「……うーん」



 テレビも、パソコンも、ラジオも本も携帯も。俺が知る室内娯楽の一切がない、そんな場所。

 何もする事が無くて、ただただ時間を持て余しながら、眼下に広がる月の都市を眺める。いっそヒューマンウォッチングな趣味でも開拓してみようかと考えるけれど、残念な事に、人影は米粒程度にしか視認出来ない高さ。



(お手上げッス)



 起こしていた上半身を、再びベットへとリクライニング。一切の硬さを感じず包み込んでくれるものだから、これまでゴツゴツ寝床が殆どであった身としては、どうにも違和感が拭えない。

 飽く事無く見下ろすそれらに思いを馳せながら、あの決着の行く末はどうなったのだろうと、事後処理に追われているであろう綿月の姉&永琳さんを心配する。

 能力を使えば怪我や疲労も一瞬なのだけれど、これには永琳さん直々に、絶対安静とのお言葉を頂いていた。何でも【大祖始】の危険性が月の理解の上限を超えたらしく……。つまり先の絶対安静を意訳すれば、しばらくは何の力も行動も起こさないで欲しい、と解釈出来る。

 とはいえ、疲労とか怪我とかなものは全て回復済み。MTGの力を借りる事態でもないので、ただただ暇を持て余している今日この頃である。



「……はぁ~」



 早い話、入院という名の軟禁状態。体に何ら異常がなく、事態が刻々と変化していっているのであれば、今は大人しく監禁されているのが最善への道か。

 と。



「……?」



 何気なく室内を見渡すと、そこには黒い染みが。スライド式な扉の出入り口の表面に、醤油か墨汁でも一滴こぼしたような跡が付着していた。

 目の錯覚かと何度か瞬いてみるものの、やはりポツンと染み一つ。そこそこな時間この室内を観察していたのだ。あそこには、白以外の何の色も付いていなかったと断言出来る。



(何だあ……れッ!?)



 一滴、二滴、三滴と。

 倍々か、上乗か。疑問の言葉を最後まで思い浮かべる間もなく、蟻の巣穴に水でも流し込んだかの如く、その黒い染みは瞬く間に扉全体へと波及し、とうとう全てを飲み込んでしまった。

 黒い水の上に真っ白な布でも落としたような光景は、純白の壁の一角に、黒い縦型の長方形を生み出した。そして音もなく動き始めたスライドドアによって、こちらの心境は、疑問、驚愕、恐怖の順に三段変形を遂げる。ホラー映画の主人公にでもなった気分である。

 逃げ場はない。

 もしや永琳さんの懸念が最悪の形で。などの考えを沸きに退けながら、こりゃ能力使わねばと、腰を浮かして臨戦態勢へと移行しようとした矢先―――。
















 時刻は、日暮れ。もうそろそろで、完全に夜が訪れる時間帯。

 そんな時刻の某一室。そこには、机に突っ伏す、薄い金糸の髪を持つ者が一人。

 月の都市の平均値を大きく上回る豊かな母性。それがむにゅりと押し潰される形になっているのだが、当人はそれを気にしない。……気にする余裕が無い。

 築かれた巻物型のデータベースの山を床にまで散乱させ、糸の切れたマリオネットの如く事切れている綿月の姉は、身じろきすら億劫な程に、その身を死体に擬態させていた。



「豊姫……生きてる?」



 その死体に声を掛ける彼女の師の言葉ですら声で答える事はせずに、伸ばされた片手を若干上げて生存をアピールした後……パタリ。再び死体へと戻ってしまった。



「……ちょっと待ってなさい。今、飲み物でも用意させるから」



 空中に浮いた光る文字に向かい、飲み物を二つ注文する八意永琳。宙に光る文字盤はどうやら通信端末の一種のようだ。何気なく振舞っているようではあったが、彼女を良く知るものが見れば、所々に疲労の一端が見え隠れてしているのが分かるだろう。

 注文を終えた彼女は、死体となっている者の後を追うかのように、その四肢から力を抜き、脱力。今までの疲労が全て凝縮されたような、深い深い溜め息を吐いた。



「施設補修の手配、軍部や行政含む、各部署への報告。民衆への説明。今回の補填分の予算確保……。とりあえず、これで一先ずは全て片付いた……筈よね」



 永琳とて、ここまでの量の事務をこのような短時間で処理した事は記憶にない。

 過去の同様の量を捌いた時には、ゆうに二ヶ月前後は費やしていた。それが、二日に差し掛かるか否かの間に終えたのだから、オーバーワークを通り越し、デスマーチもかくやな作業内容であったのは、自身の限界を知る良い機会でもあり、二度と経験したくない出来事であった

 再確認。自身に言い聞かせるように虚空へと言葉を紡ぐ彼女に刺激されたのか、先に死んでいた豊姫の死体が、その独り言に反応し、言葉を返す。



「……ええ。これでひとまずは、全て片付きました。……我ながら、ルーチンワークが常であったこの月で、よくここまで早急に対応出来たと思います。……二度とこのような事が無いよう、今後は全力でこういった出来事を回避する決意すら沸いて来る程に」



 顔を起こす事もなく、美しき骸が疲れを残した声を出す。

 良好な返答であったのに満足しながら、今回で最大限に注意しなければならない事項の結果を尋ねた。



「……輝夜の耳には届いていない、と?」

「はい」



 おそるおそる……とまではいかずとも、怪訝を顔に作りながら問うた永琳に、間髪を入れず豊姫は答えた。

 それを聞かれるのは予想済みだ、と読み取れる程に小気味のいい返答であった。



「現在、輝夜様は奥の宮で勉学に励んでいらっしゃられます。内容は、治安と防衛。軍部の最高指揮官である、高御産巣日様が直接教鞭を振るっております」

「あの方なら指導に手を抜くという事はないでしょうけど、それなりに忙しい立場でしょうに、よくそんな時間が取れたわね」

「高御様は月の現状を嘆いておられましたから。これを機に、この国の舵を取るであろう者に少しでも訴え掛けたいところがあったのでしょう」

「それで、それ一辺倒になられても困ってしまうけれど、まぁ、あの子なら大丈夫でしょう」

「ええ。飽きっぽいですから」



 そういう意味ではないのだが。と言いたげな永琳の苦笑に、豊姫は笑顔で応えた。冗談だ、という事である。

 彼女らがいずれ支える月の姫―――蓬莱山輝夜、唯一にして最大の欠点が、その飽きの早さである。

 永琳ですら舌を巻く才女の中の才女であるその少女は、一度覚えた事を忘れず、それ故に、二度目という行為に多分の億劫を含む傾向にあった。



「表面的なものはこれまで散々おこなってきましたが、月の内情まで含めた講義は初めてですから、輝夜様も退屈せずに学ばれていらっしゃるようです」

「あの子の場合、次がない。という点をどう克服すれば良いのか悩むのよねぇ」

「はい……。それ以外は、これ以上望むべくもないお方なのですけれど……」



 二人からこぼれる溜め息は、綺麗な程に重なっていた。



「高御様には事情を説明し、なるべく講義を……九十九さんが帰られるまで伸ばすよう便宜を図っていただいております。了解も得られましたので、目的の日取りまでは時間を稼げるのではないかと」

「従者達には?」

「無論、言い含んでおります。ただ……」

「……ただ?」

「高御産巣日様より、帰還してしまう前に、彼との会談の場を設けるよう。との要望を受けています」

「……はぁ」



 願望を持つ者が、それを叶えられる可能性を秘めた者との会談を望む。何を目的としているのかは明らかだ。

 しかし、それが月に不利になる事はないだろう。二人の会合の際に、色々と条件を付け足さなければいけないが。



(まぁ、それはまだ、一般的な常識内での話に収まってくれる筈。問題は……)



 永琳の脳裏には、もし今回の件を知った場合の輝夜の行動が画かれていた。

 講義を途中で放り投げ、道行く障害物を全て排除して会いに……玩具で遊びに行くのだろう。

 そこに、加減という文字はない。あるのはただ、己の欲求を満たすのみに行動する絶対者。それが己と何ら関係のないものであれば、その熱は苛烈を極める筈だ。無視出来るものではない。



(あぁ、でも、九十九さんならあの子の相手も勤まりそうな気がするわね)



 何だか良さそうな案に思えてきた―――面倒を押し付けられる相手の意味で―――思考を、瞑目と共に切り離す。

 しばらく先ならまだしも、今それを選択してしまえば、その場のセッティングや事後処理などによって、過労で死んでしまう。

 たった一度の模擬戦闘でさえ、他の全ての予定を脇に退け、三日三晩に近い時間を費やしてまで対応しなければならなかったのだ。

 それを。





 ―――私、この大地が水で満たされたら素敵だと思うの。

 ―――月の空がクリーチャーで埋め尽くされるのを見てみたいわ。

 ―――太陽って前々から眩し過ぎると思っていたのよね。半分くらいの大きさで良いんじゃないかしら。というか良い筈よ。





 ……などと、ワガママ月姫が降臨してしまう事だろう。

 しかも、その願いは叶ってしまう可能性があるというのだから、タチが悪い。

 なんだかんだで、彼も男だ。初めの印象こそ良好なものを受け付けられれば、あれが色目を使うだけで、簡単になびいて……引き受けてしまう事は容易に想像出来る。



(もし出会ってしまうのなら、絶対二人きりにはしないようにしないと)



 永琳は、そう硬く決意しながら既に遠い過去になってしまったような、それでいて今も脳裏に焼き付いている事の発端を思い返した。



「豊姫。……今回の事、どう思う?」



 これまでの会話の流れとは繋がらない、あまりに漠然とした質問は、本当に月の頭脳から発せられた言葉なのかと疑ってしまうものだ。

 だがそれは、それだけ今回の出来事が、理解とは遠くのところにあるというものでもあった。

 答える気力が無いのか、それとも聞こえていなかったのか。

 しばらくの沈黙の後に豊姫は考えをまとめたようで、ぽつりぽつりと、永琳からの質問に自分の意見を述べ始めた。



「【大祖始】……でしたか。我らの有史以来、地上は勿論、外宇宙にすら確認された記録はありません。何処から呼び出されたのかも、彼が創造したのかも不明。……ですが、その力は紛れも無く本物。あらゆる攻撃を受け付けず、跳ね返し、視界に映す事すら困難。こちらの防御を紙切れ―――どころか、存在すらしないように透過させ、影響を及ぼす」



 しばし、視線を宙へと這わせ。



「―――永琳様、フェムトファイバーが通用しない相手、というのは記憶に御座いますか?」



 今回、最大の懸念材料となる問題を切り出した。



「……いいえ。主神の一角たる天照ですら傷一つ与えられなかった物を、ああも易々と無力化させている存在は過去に類を見ない。―――私でも、あれを使われれば対処に頭を抱えてしまうのに」



 暗に『時間を掛ければどうにか出来る』とのニュアンスが含まれている言葉は、けれどそれ以外の問題が大き過ぎて、そこに疑問を持ち、解説を求めるだけの域には至らない。

 月で絶対の信頼が置かれている、あらゆる穢れを排除し、防御する物質フェムトファイバー。

 それは実際、その信頼に答えられるだけの実績と効果を発揮して、今まで月の民の心の拠り所として応えて来た。



「……絶対は無い。か」



 九十九が戦闘直前に放った言葉を思い出す。

 哀れだと。愚かだと。

 録音機が辛うじて記録し、残っていたそれ―――月の最強クラスの戦力を、たった一言で切り捨てて、その力をまざまざと魅せつけた結末は、多忙を極めるこの現状を知らなければ、真実だとは勿論、冗談とすら思えなかった事だろう。



「検査の結果は……やはり何処にでも居る、地上人そのものです。生物的特徴は、あの島国の人々と類似している―――と。それだけの結果しか現れておりません。魔力も、妖力も、神気も、その他、超能力の類の傾向も、何もかも、一切検出される事はありませんでした」



 永琳の呟きに、豊姫がそう返す。

 その言葉には、少し省略されている部分がある。

 実際には、彼からは多少の神気が検出されているのだが、それはあくまで付着レベルのものであって、彼自身から湧き出ているものでは無い。時が経てば、消え去ってしまう程度のものだ。故にそれはカウントに値しない。



「軍部ではその力を脅威と認識して、懐柔するよう要請が来ています。政治家達も同様で、新たな月の象徴として据えるべきだとも」

「―――それが叶わなければ排除してしまえ、との声も一緒に。でしょう?」



 呆れるように洩らす永琳に、豊姫は言葉を返さない。

 けれどそれは、如実に彼女の言葉を肯定していた。





 ―――永琳の目論見は、完膚なきまでに破綻してしまった。

 押さえ込める存在をアピールする筈が、依姫ですら―――永琳自身ですら対処に窮するであろう存在を露見させてしまったのである。

 ほぼ全ての面で突出した能力を披露する事になったあの地上人は、そんな事とは露知らず、今も暢気に真っ白な病室で、月の都の風景を眺めているのだろう。

 月で五本の指に入る最強候補に勝利したというのに。あれだけ尊大な言葉を宣言したというのに。

 事が終われば、そんな態度はなりを潜め、最初に出会った頃のように、何処にでも居る一般人へと豹変していた。

 見えてこない。

 一体何が目的で、どのような考えに基づいて、あのような態度を取っているのだろうか。

 唯一の救いは、月に対して明確な敵意が無い事である。これでこちらを滅ぼす気概があったのなら、応戦どころか対抗手段を考え付く間もなく、この国の文明は幾億年の歴史に幕を降ろしていたかもしれない。



(出てしまった結果は変えようが無いわ。……今は、この状況を、どう最善へと着地させるか)



 ふわふわと浮いた地上人の扱いに、綿月の姉と月の頭脳は、可能な限りの対応を行い、月側にも、地上人側にも要らぬ不安を与えぬよう最善を尽くしている。

 猫の手も借りたい状態だが、事が事だけに、初めから全てを知っていた者にしか任せることが出来ず。必然、九十九を除けば三人だけという結果になってしまう。

 それは永琳は勿論の事。綿月豊姫は当然であり、最後の一人が。



「そういえば。依姫は今、どうしているの?」



 永琳はその最後の一人である、優秀な愛弟子を思い出す。

 昨日の時点ではしばしの休息を必要としていた筈であるが、今はどうなっているのだろうか。

 もし叶うのならば、この書類の山の一角でも担ってくれれば大分楽になるのだけれど。労力的な面もそうだが、特に気力的な方面で。



「それが……その……」



 困惑する豊姫の態度に、永琳は疑問を覚える。

 命に別状はなく、後遺症も確認されず、精神的な負荷も見受けられなかったと、そう記憶しているのだが。

 よもや検査の後で、症状が悪化したのか。

 時間差による状態異常など、数世紀前に克服したものだとばかり思っていた事で失念していた。

 自身の血の気が引くのを感じ、すぐにでも彼女の元に向かう為にと腰を浮かせる永琳であったけれど、それは、他ならぬ姉の手によって止められた。



「お待ち下さい。恐らく、永琳様のお考えになられている事は杞憂です」



 その言葉に永琳は体を止める。

 向き直り、詳細な説明を求めるべく、豊姫へと体を向けた。



「……」



 けれど、当の本人は沈黙したまま。

 時折何かを言おうとはするのだが、どうにも頭の中でまとまらないような仕草を取っている。

 口を開きかけ、また噤み。飴玉でも頬張っているかのように考えを口内で転がせながら、どうにかそれをまとめ上げようとしている風であった。



「……豊姫?」



 あまりに答えが返ってこないものだから、とうとう永琳も痺れを切らした……というのもあるのだが、あの豊姫がこうも言いよどむ姿に困惑を覚えたからでもある。続きを促す為、催促の言葉を口にする。

 これに対し、まとめる、という行為を破棄する事で、豊姫は説明を開始する。

 状況のみを口にすれば、そこに思案という時間は存在しない。



「……一時間程前の時点では、地上人九十九、並び綿月依姫の両名は、中央通の繁華街を散策中。それに対し、監視と護衛を兼ねた玉兎の先鋭小隊一つを秘密裏に付けております」



 休養中かとばかり思っていた考えであったので、予想外の回答に、やや思考が乱れた。

 けれど、それは一体どういう状況なのだろう。

 九十九は疲労困憊で、依姫は過度の疲れに加え、そこそこの手傷を負っていた筈。ここの医療技術を以ってすれば両者の完治にあまり時間が掛からない―――もう治っているのかもしれないが―――とはいえ、それでも繁華街へと足を運ぶだけの余力があるとは考え難い。

 しかも、中央通とはこの都市で最も賑わいを見せる場所。それは義務の方面にではなく、娯楽の方面へと進化した憩いの場だ。二人が向かう必要性が見えてこない。

 更に付け加えれば、あの地上人には静かにしておいて欲しいと告げておいた。これまでの行動や性格からして、自らの言葉を反故にされる事は考え難いのだが……。



「……待って豊姫。今、九十九さんと依姫の二人“だけ”で行っていると、そう言ったの?」

「はい……」



 渋る豊姫に感じるところがあったようで、永琳は確信を得たいとばかりに事実の再確認を行う。



「……」



 豊姫の沈黙に追随する形で、永琳も言葉を失った。

 片方は呆れであり、もう片方は熟考というものではあるけれど、共に静寂を作っているのだから、そこに大きな差異はないだろう。

 そして。



「……逢引?」



 月の頭脳らしからぬ長考の果ては、思春期の者達であれば、ものの数秒で出すだろう答えであった。



「違います!!」



 机を叩き、巻物が跳ね、幾本かが床へと落ちた。

 反射的に応えた豊姫であるが、その表情はみるみる内に陰りを見せる。力強く言い切ったわりに、段々と自身の回答が間違いであったのだと察せられる弱り具合だ。



「……あ……いえ、その……行為自体は永琳様の仰る通り……では、あるのでしょうけれど……そこにあの子の本意はないと申しましょうか……。ではなかった、と過去形として報告すべきなのでしょうか……」



 一向に要領を得ない話し方に、永琳は浅い息を吐く。



「豊姫、落ち着いて。あなたの本意でない状況であるのは分かったけれど、事実は正確に。客観性を重視し、主観は除外するか、後に付け足すだけ。それが情報伝達の基本です」

「は、はい……」



 豊姫は、大きく深呼吸。

 数秒の思案の後、自身のざわつく心を諌めながら、告げたくない……認めたくない事実を口にするのだった。















 俺も男だ。美人さんとキャッキャする構図は憧れていたし、何度妄想したのかも分からない。

 そんな思考とは別に、A4サイズの分厚いクリアファイルみたいな……棚に添えられた無色透明なパネルを一枚取り出し、テキトーに操作。すると衣服のサンプルデータがパネルに浮かび上がり、こちらの姿と衣類を合成したものを投影してくれた。便利なものだ。



(合成カメラ……の、完成形って印象だなぁ)



 ドラえ○んの道具で似たようなのがあった―――あっちのが高性能だったような―――気がするが、その真相は記憶の彼方。さっさと流す事にする。

 衣類を取り扱う店、というコンセプトが技術革新により用を成さなくなって、はや数千年。未だこのような店舗があるというのは、ここ月でも数える程しかないのだという。

 ならば何故廃れたものが存在するかといえば、早い話、趣味だとか。

 農業体験だとか、日光江戸村だとか、伝統工芸に触れようだとか。色々と間違っている気がするけれど、温故知新なんかの意味合いとかを含んでいるのかもしれない。

 現にこの店に入る時には、自動ドアなどという便利なものではなく、ドアマン……ガール? ……が二人、重厚そうな木製の観音開き板チョコレートを開けてくれたのだから。

 ようはこの趣味、金持ちの道楽なのである。中華と西洋の入り混じる店内は、ダークブラウンを基調とした造りの、シックなバーのよう。……いくら文化が違うとはいえ、間違っても、病院内で着る病衣やら検査衣やらで訪れて良い場所ではない筈だ。



「たまには悪くないな。こういう場所には疎かったが、存外楽しめるものだ」



 片足に深いスリットが入った、例の特徴的な服装はそのままに。

 アメジストの長髪、凛とした佇まい。動く度に微かに香る、落ち着いた匂い。陳列された品々を興味深く観察していく様は、楽しんでいるという言葉を裏付けるには充分であった。

 帯刀こそしていないものの、こちらの葛藤やら羞恥プレイやらをものともしない……してくれない彼女、綿月依姫は、素晴らしいくらいに我が道をまっしぐら。こちらに対する配慮が微塵も……あぁいや、あるにはあるのだが、抜けている箇所が多過ぎる。俺の衣服の事とか、特に。



(ぶっちゃけ、未だに病衣でございます)



 心の中の誰かに言い訳しつつ、不満を吐き出す事で、少しでも心の平穏を望んでみようか。……効果が無いので止めにする。

 ここに訪れるまでの道中、こちらが疑問に感じたあれやこれやに全て答えてくれているのは、とても在りがたいし、助かるし、嬉しいしで、その点ではモリモリと感謝の念が沸いてくる。でなけれな、ここが服屋である事も、服屋という存在が希少であるという事も知らないままでいたのだから。

 ……など前向きに考えてはみるが、やっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしい。出来れば即アバヨートッツァンしたい気分であるのだが、ここに来たのは俺の為であるというし、そういう訳にもいかないだろう。

 唯一の救いは、場所が場所だけに、辛うじて二桁に届くそれ―――視線の絶対数が少ない事か。これが大衆向けの店であったのなら、百や二百の野次馬根性という名の熱視線によって、体中穴だらけになっていた筈だ。



(……えぇい。あぁ、もう)



 ここまで来れば今更か。彼女の調子に付き合う事にし、溢れ出る好奇心を隠し切れない店員やらお客さんやらの視線によって生まれる羞恥心から目を背ける事にした。

 なに。こういうものは、恥ずかしがるから恥ずかしいのだ。これが普通! と言わんばかりに自身満々で居れば、周囲も何とはなしに受け入れてくれるものである。……そう、信じる事にする。



「たまには、ねぇ。久々っぽい台詞の割りには色々と詳しいんだな。ここに来る前とか教えてくれたお菓子も美味しかったし。景色も眺めの良さそうなところばかり通って来たし」



 ここに来るまでの道中を思い返し、良かった点を上げてみる。

 悪かった点―――客寄せパンダ的な意味で―――を上げればキリがないので、前向きに事に当たると致しましょう。

 所々に前世の……馴染みのあるあれやこれの名残を見たのは、ここの文化が、いずれは地上に根付いていくからだろうか。

 いやはや、どこぞのウルク王の宝物庫を覗いた気分である。原点的な意味で。



「玉兎達の話を覚えていて良かったよ。何度か……いや、“も”。か……。誘われる事はあったのだが、他にやる事、やりたい事があったので、全て断りを入れてきた。……彼女達には悪い事をしたものだ。次からは優先的に受諾するとしよう」

「……その玉兎達の事は知らないけど、好意を受ける受けないを、業務の一環みたいな調子で言うんじゃありません。遊びとか娯楽とかの方面で考えなさい」

「? そのような気はないぞ?」

「なら受諾とか言うなっつーの」

「……?」



 あ、こいつ分かってないっぽい。

 辛いんだぞー、きっと。好意を寄せてた異性に『ずっと友達』とか笑顔でサラリと言われた日にゃあ、俺なら何日か立ち直れない自身がある。



「依姫。九十九はね、きちんと相手の真意を汲んで上げなさいと言っているの。今の応答じゃあ、まるで仕方がないから付き合う、と取られちゃうよ」

「そう、なのですか……。ありがとうございます。教えていただき、感謝致します」

「九十九も九十九さ。この子が愚直なの、もうある程度分かっているでしょうに。もっと直球で言ってあげないと、伝わるものも伝わらないよ?」

「うっ……」

「自分が傷つきたくないのは分かるけれど、度が過ぎると宜しくない。尤も、そこまでしてあげたくない相手。というのであれば、話は別だけれど」



 ふふん、か。ニマリ、か。

 背後にそんな疑問符が浮かび出そうな素敵笑顔を浮かべるのは、こちらの心情を分かっての仕草だろう。

 途端、周囲から静かな桃色の声が上がるのだが、まぁ、気持ちは分からんでもない。普段はこの手の表情を見せないであろう人物が、からかいの度合いが強いとはいえ、妖艶に近い顔をしたのだ。とても理解出来る感情だ。

 というか、一番ダメージを受けているのは間違いなく俺。何せその表情は、こちらに対して向けられている。これが戦闘とかお仕事とか、別の何かに集中している最中であれば被害は軽微であるのに、生憎と―――嬉しい事に……? ―――そうではない。



「諏訪子様……。そう唐突に表情をつくられますと、こちらも対応に困ります。お声のみで自重して下さればありがたいのですが」

「ふふん。神様ってのは、我が侭なものなのさ」

「一応、私も同族なのですが……」



 和気藹々と行われるやり取りは、一人二役、俺の横に居る同一人物がしているもの。

 不思議なもので、口を開いているのは依姫だというのに、時折聞こえる諏訪子さんの声は、紛れもなく月の軍神様から発せられている。



「……なんかこう……傍から見てると、出来の悪い一人漫才を観戦している気分になります」

「失礼な。これでも演舞には自身があるのだぞ?」

「そうじゃねぇよ!? 俺が突っ込みたいのはそこじゃないからね!?」

「むっ。九十九ってば、目上に対する接し方がなってないね。私達と居た時はそこまででもなかったのに、国から離れたら、敬う心まで離れちゃったのかな?」

「あっ、いえっ、そんな事は」

「まぁ、そう改まる仲でもあるまい」



 優しい笑み。とても満ち足りた表情のままに……特大爆弾が投下された。



「―――あれだげ激しくヤりあったのだ。今更、言葉遣い程度で腹は立てんさ」



 直後。周囲から上がる黄色い悲鳴。

 それなりにセレブな方々であろうに、恥も外聞もなくキャピキャピしていらっしゃるのは、それだけインパクトが強い為か。

 反応は神速。

 両の肩に手を置いて、依姫をこちらへと向き直らせる。

 人の身でありながら、よくぞここまで機敏に動けたものだと自画自賛。

 目を丸くする依姫を前に。



「―――何言ってくれちゃってんですかこの人はー!?」



 叫ぶ以外の選択肢が、俺にあるわきゃないのです。

 この場合、『この人』などでなく、『お前』とか『あなた』とかな単語が適切なんだろうとは思うけれど、口を突いて出た台詞はそれであった。恐らく、依姫へと言い聞かせるよりも、周囲への言い訳づくりを意識していた為なんだろう。

 それでも、一応はやるだけやってみるかと。

 正面から伝えねば。という気持ちが合わさっての行動であったけれど……どうやらそれでもダメっぽい。まんまるオメメから変化せず、背後に疑問符が浮かび上がって見えそうなキョトン顔をされてしまった。




「……?」

「はははっ。依姫ってば、意外と大胆なんだね」



 殺気と、歓喜と。

 前者は案の定、野郎のものであり、後者はげんなりする事に、女郎のものである。ただ若干ながら、後者も殺気を含んでいるのは依姫らしいといえば依姫らしい、とても納得のいく反応であった。



(宝塚とか入団したら、一躍時の人とかになりそうだもんなぁ)



 ……まぁ、その辺りは個人の趣味だ。趣味は他者を冒さぬ限り、神聖にして不可侵。何も言うまい。俺個人としても似合うと思うし。



「けど、依姫……さ「依姫で構わん」……うぃ……。依姫は、その状態で大丈夫なのか? その、色々と」



 これまでのチグハグなやり取りの正体は、依姫が降ろした洩矢諏訪子という神が、未だ彼女に宿り続けている為である。

 どんな状態なのかと聞いてみると、自分という船の舵を、もう一人の別の者が握っているようなもの……らしい。

『神霊の依り代となる能力』とは、艦長は自分のまま、他の管制……エンジンだとか照明だとか通信だとかの機器を、まるっとその神様の持ち物と交換する感覚に近いのだという。

 場合によっては持ち主(神様)ごとそれに換装するそうなのだが、今回はどういう訳か、危うく舵を乗っ取られそうになった……ようで。



「なにぶん、これまでそういった力を使用してこなかったからな。悪意、害意が自身の内面から発生するという経験はなかったし、対策も講じていなかった。勉強になる」

「まぁ、あの時は私も驚いたね。あまりに驚き過ぎて、つい自分の感情を優先させちゃったよ。『力を貸してほしい』なんて言われて頷いてみれば、目の前には九十九が居るんだもん。いやぁ凄いものが見れたよ。【大祖始】って言ったっけ? あんな奥の手があるなんて……もしかして九十九、神奈子とやり合った時には手を抜いてたの? というか、人間?」

「一応人間ですって……。手抜きどころか全力でしたよあの時は……。死にかけてましたし……」

「ほう。お前が死に掛け……る姿が容易に想像出来てしまった……。……すまない、忘れてくれ」

「最後まで言ってくれよ! 少しは褒めてくれてもバチあたりませんよ!?」

「あぁ、その、何だ……。……すまない……」

「そこまで言葉に窮するもんなのか俺を褒めるのは!」



 これは泥沼だ。早急に脱出するのが吉だろう。

 月の軍神様に謝罪の一択しか選ばせない俺の行動は、この際目を瞑る事にして。



「……これ」

「ん、決まったか。良し良し」



 先程手に取った、サンプルデータの収められたパネルを依姫へと突き出しながら、ぶっきらぼうに答える。





 ―――今回こんな店に来ている理由の一端は、依姫が降臨させた諏訪子さんが、代価として、ここ月での行動の自由を要求した事を発端とする。

 通常であれば神気なり霊力なりを対価として支払っていたそうなのだが、諏訪子さんはそれを拒否。強引に……半ば体の自由を乗っ取る形で、こちらの病室へと突撃して来た、という事だとか。

 オラオラなスタンドさながらの、霊体風な形を取る事も出来るらしいのだが、何でも、それだと味気ないとかで。



(病室にロック掛かってたからって、何も力を使って抉じ開けんでも……)



 文字通りの監禁状態……とまではいかずとも、部屋の出入りには管制室やらの承認が必要であったらしく、依姫がそれを行おうとした際、諏訪子さんの我慢が爆発したらしい。

 結果、自動ドアを諏訪子さんの力でもって侵食させ、強制オープン。その足で賑やか外出コースと相成った……と。



「しかしまぁ、依姫はよくそれを了承したよな。こういうのは規則に沿って、ガチガチな行動を取るもんかとばかり思っていたけど」



 レジというものが無いのか、依姫は一番近くで佇んでいた―――興奮冷めやらぬ目で―――女性の店員に声を掛け、こちらが差し出したパネルを渡していた。多分それが、会計します、という行為なんだろう。

 受け取った店員は頭を下げ、店の奥へ。言葉こそないものの、『かしこまりました』とか幻聴が聞こえてきそう。実に高級感が漂う……堅苦しい事この上ない空間である。

 だったら、少しでも気を逸らす事にしようか。

 そう思い、依姫の方をチラと見れば。



「……む、むぅ」



 目を逸らされ、頬を朱に染められて。言葉短く唸っている。



(照れてる?)



 一体どうしてその反応なのか。思わず内心で首を傾げていると。



「……月の法は勿論、軍規に照らし合わせても、私がした行動は処罰の対象になるものだ。何せ、今のお前はこの月で、最大の重要と警戒を持つ人物。それを強引に連れ出し、連れ回しているのだ。いただけない事は重々に理解して……しては……いる……」



 尻すぼみ、とはこの事か。

 口数どころか音量すら絞りに絞られる依姫からは、自分の中の何かと激しく葛藤している印象を受ける。多分、自分で悪い事をしていると自覚があるんだろう。反応を見るに、悪戯程度のものだろうが。



「……だが、お前と良好な関係を築ければ、月は無論、姉上や永琳様が喜ぶのは間違いない。上層部も概ねその意見で一致している。事後承諾は容易だろう。後は、如何に友好を結ぶかの一点に尽きるのだが」



 目を瞑り、何かを思案する素振りをし。



「―――なるほど。そこで九十九と懇意にしているであろう我ならば。と考えたが故……で、御座いますか」



 これまでの親しみのある雰囲気など嘘のように。そこにはもはや綿月依姫ではなく、俺が出会った頃と同様の、人々に崇め奉られる存在の神、洩矢諏訪子が降臨していた。

 口調こそ目上の者に対するそれだが、腹に一つ、抱えているものがあると察するには充分な声色。自分を、俺とのダシに使われているのが我慢ならないといった風であった。



「これまで一度として会わずとも、あなた様が私より格上であらせられるのは明白。然らばと此度の要求にもお応え申したが、それがこのような意図であれば、首を横に振らざるを得ませぬ」

「洩矢の神が自我を持つに至ったのは、我らがこの地に訪れ、地上に人が営みを築くようになり、幾分か後の事。綿月を知らぬのも無理からぬというものだ。が、神有月の出雲には、月の民の誰かが顔を出していた筈だが……」

「お恥ずかしい。私は土着神故、そちらには使者を」

「そうか。得心した。―――ただ」



 言葉を区切り。



「洩矢様、私は始めに言いました。こやつと同様の扱いで構わないと。その言葉に偽りはなく、撤回する気もありません。ならば……」

「……はぁ~……。ま、願われればそれに応えるのが私であるんだけど、格上の相手からそう低姿勢で来られると、どうにも調子が狂っちゃうよ」

「すいません。どうにもこの手の関係は性分に合わず」



 ……ならば俺はどうなのだと問いただしたい気持ちがフツフツと込み上がるが、客観は勿論、主観でも敬語&尊敬語とは縁遠い自分であるので、仕方ないかと思っていると……どうやら凄く顔に出ていたらしい。依姫が、サトリ妖怪もかくやな読心術を披露して下さった。



「立場の問題だ。敬う相手と、導く者達と。お前は間違いなく後者だろう」

「……」



 その二択以外の選択肢はないのだろうか……。まぁ、どちらかと言えば、そうだ。そこには大いに同意する。

 間違っちゃいない。間違っちゃいないのだが、こうもスパンと言われた日にゃあ、例え不平不満を抱こうが、返す言葉もなくなるというもの。

 疑問符すら挟まぬナチュラルな断言に、理解はしたが納得はしていない。との視線だけで抗議する。

 ただ、そんなものはサラリとスルーされ、依姫は諏訪子さんとのやり取りへと、再度没頭し始めるのだが。



「口調についてはさて置くとして。―――依姫、九十九の事はどうするつもり?」

「友好を。叶うのならば、こちらに永住していただければ助かります」

「害を成す行為はしない。と解釈していいのかな?」

「はい。私は勿論、上の意向も……永琳様と姉上が是とすれば、どうとでもなるでしょう」

「……ふーん。……そうなってくれるよう、がんばってね? じゃないと、ほら。私って」



 しばしの間の後。



「―――“事が起こった後”が本分だから」



 こちらに向けられている言葉ではないというのに、ジワリと大粒の汗が一筋。ツゥと頬を伝い、落ちる。

 間近とはいえ、第三者でこの威圧感。それが内面から生じているものであれば、それは当人にとって、喉元に死神の刃が添えられているに等しい。

 そう、思っていたのに。



「我が御霊に誓い、決して」

「うん。宜しくね」



 諏訪子さんの口調こそ軽やかなもの。けれど、依姫がその言葉の奥に潜むものを察知出来ない訳がない。

 何せ、その手の感覚が愚鈍な俺ですら分かったのだ。この判断基準は自分の心にクルものがあるが、正解率は高めな自信がある。

 だというのに、冷や汗どころか動揺の一つもせずに諏訪子さんの神気に耐えているのだから、綿月依姫という存在のスペックの高さを改めて意識するには充分であった。

 ほんと、よくこんな御仁相手に一本取れたものである。【大祖始】様マジ感謝。母国のオロチな神話に習い、首の数だけ酒樽を振舞ってみようか。

 と。



「……あ」



 目の前の冷戦から視線を背けると、そこには今にも卒倒しそうな店員さん。両手に抱えている真っ白な袋は、頼んでいた商品か。足は勿論、今にも落としてしまいそうな程に体が震えていらっしゃる。それでも表情は一応笑顔を取り繕っていたので、プロ意識のハイレベルさに心の中で賞賛を贈っておく。

 何度かこの手の重圧を経験している俺とは違い、あちらは月の民とはいえ、一般人に相違ない筈。店員さんの心情を否応なく察せられる。

 ならばこのツンドラ空間と化した店内を、一刻も早く改善するべきか。



「……依姫、あっちあっち」

「ん? あぁ」



 店員に近寄り、依姫は感謝の言葉と共に商品を受け取った。

 踵を返し、その足で店の出口へと。それに習い、俺も後に続く。

 ドアガールが開く扉を潜り、それが閉まる直後。つい最近耳にした、ドサリと何かが地面へと接触する音を聞いたが……床は柔らかい絨毯だった。ここは店員さんの名誉を優先し、見て見ぬ振りをしておこう。



「さて。……謝罪と、感謝と。言葉にすれば容易いが、こういうものは、行動で示すのも大切だ。故に私はお前が地上へと帰還を果たすまで、お前と諏訪子様の行動を黙認する。月に害のない限り、お前達の自由は私が保証しよう。そう長くは掛からんだろうしな」

「……そっか。だから私が依姫の体を動かそうとした時にも、抵抗はしなかったんだね」

「【大祖始】との戦いによって、私は満身創痍。然らば、祟り神の統括者に体の主導権を明け渡してしまった事もやむなし。地上に然したる脅威無しと判断し、永琳様に全てを押し付け、それ以上余力を割かなかった上層部の慢心こそ此度の原因ではなかろうか。と、そのような建前が出来ております。問題はありません」



 ……なんか色々と酷い建前だと思うのですが。



「うわぁ……詭弁にしか聞こえねぇ……」

「無論、詭弁だ。だがそれを発するのは、八意永琳その人。大衆がどちらを支持するかは明白だろう」



 全くの嘘という訳でもないしな、と。

 実に爽やかに言い切って下さった月の軍神様に、今のは聞かなければ良かっただろうかと逡巡。永琳さんの支持率の高さに内心頷きながら、それを採用した。

 自宅と研究室の往復くらいしかこの月の都市を見ていないけれど、それでも、彼女がどれだけ大衆から好意を寄せられているのかが分かる程に人気者であった。

 ……お陰で、その横に付随していたワタクシは、興味と嫉妬と殺意のいずれかの視線が、常時刺さりっぱなしだったのだが。



「地上への転送装置の起動準備まで、まだ幾日かは掛かる。それまで、ここを楽しんでくれれば幸いだ」



 豊姫さんの力使えばすぐに帰れるのでは。

 そんな考えが頭を過ぎるが、折角穏便に事は集束へ向かっているのだ。幾日かの我慢で済むのなら、それを選んでも問題は少ないだろう。



「んーっ! ここの空気は綺麗過ぎてちょっとどうかと思うけど……たまにはこういうところも悪くはないかな。神奈子なら喜びそうな聖域だねぇ」



 それに、最も気に掛けている問題は、既に解決しているのだ。

 一番現状を報告したかった諏訪子さんが、こうして目の前に居る。次は僅差で勇丸へと報告しておきたかったけれど、その忠犬を始め、地上への面々の報告は、もう諏訪子さんがおこなっているのだとか。神霊の特徴だとか神の特性だとか色々言われたが、詳細はサッパリです。

 などと考えていると。



「ほら」



 すっと差し出される手は紛れもなく依姫のものだというのに、一瞬視界に映ったのは、紛れもなく諏訪子さんのもので。

 何度か目を瞬き、事実を確認。



(疲れてんのかな……)



 どう見ても依姫のものであるそれに、やはり先のは錯覚であったかとかぶりを振って、おずおずと手を重ねた。

 暖かな感覚と、柔らかな感触と。それらを十全に感じる間もなく、こちらの体ごと依姫の方へと引っ張られる。彼女が主導権を明け渡したようには見えない。この行動は、純粋に諏訪子さんが取っているものだろう。



「ここは凄い。いつかは民達も、この叡智に辿り着けるだろうかと。そう思わずには居られない。だから、さ」



 その表情は、祟り神の統括者とは程遠い。夏の向日葵さながらの眩しさを伴った、見た目通りの無邪気な笑顔。



「私がそれを知らないんじゃ話にならない。故にここは、十全に把握するまでしっかりと学ぶべきだと思うんだ」

「……本音は?」

「楽しそう!」



 威厳と尊厳に満ちた雰囲気は微塵もなく。代わり、これまで得られなかった何かを無我夢中で吸収しようとする少女の姿がそこにあって。

 こちらに促されてもらした本音に聞こえるが、冗談めかして付随されたそれなので、本音と建前の比率は半々くらいだろう。

 その態度は、俺が望んだが故か。

 それとも。



「……ん、了解です。……うっし! じゃあまずは……だだっ広い敷地の、あそこ。公園っぽいところから行ってみますか!」

「あぁ、あそこは一応軍の施設だ。今は……玉兎達が訓練を行っているのであったか。見学するのなら、許可を取っておこう」



 依姫の助言を横に、『こうえん?』と疑問に思う諏訪子さんに応えつつ。依姫の―――諏訪子さんの手をより強く掴み、追いつけ追い越せと宣言するように、駆け出した。



「思ったより時間が掛かりそうだというのは分かったから、折角だし、地上の方の私には腰を据えて子づ……」

「こづ?」

「うっ、ううん! 何でもないよ! 九十九は案内役をきちんとこなしてね!」



 何かの言いかけを強引に流す物言いに、まぁそこまで言うのなら。と、忘れて上げる事にする。

 驚きの比率が高い周囲の喧騒をBGMに、じんわりと汗ばみ始めた手の平は……さて、どちらの……誰のものなのか。

 足取りは軽く。今なら風になれると思いながら。



「……ただ、まずは着替えてからでいいッスか」

「?」



 未だ病衣である事実に立ち返り、とりあえず、そこから始めようと提案するのだった。








[26038] 第30話 Bルート
Name: roisin◆defa8f7a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:15






 青き星、地球を背にし、一片足りとも生命の生存を許さぬ大地と、落ちて来そうな眩い恒星の光の中に、それは現れた。

 真横に引かれた一筋の切れ目。何もない空間―――月面上にポツンと出現した一本の線は、瞬く間にその長さを伸ばし、百の人が同時に通れるだろうものに達する。

 それを押し広げ、あるいは引き裂くように這い出でるのは、妖怪。

 身の丈以上の黒い鴉羽を持つ者。ヒグマの倍以上もの巨体を有する者。何本もの腕を持つ者や、頭部に角が生えた者まで。

 その数、百を超え、千に届こうか。もはや何が何の種族であるのかも分からぬ程に埋め尽くされたその一帯は、まるで、完成を望みながら周囲に散らばるジグソーパズルさながらに。

 もはや、ただの砂地であった面影はない。物珍しさから周囲をくまなく観察するそれらの様は、そこのみを見れば、旅行者の一行でるのだが……。中には東洋のみならず、西洋の妖怪たる悪魔すら混じっているのだから、この集団の異様さは、傍から見れば理解不能の域であろう。





 誰かが声を上げる。あれがそうなのかと。

 誰かがそれに頷く。そうだ、あれこそがそうなのだと。





 それら意見を集約するかの如く、自然、視線は一箇所へと集った。

 この一団の最後方。言葉で答える事をせずに、その視線を一身に受けるその者は、口元を隠していた扇子をスイと、彼らの目の前―――砂地の奥に佇む、煌びやかな都市へと向けた。

 年の頃は、人の十三~四程度か。高貴を示す紫の法衣。腰まで届く、僅かに波打つ黄金色の長髪。宙に浮き広がった亀裂の線に腰を掛け、肩に担ぐ西洋傘で日と星の光を遮りながら、お前の望むものはあそこだと。純白の手袋に包まれた魔手を持ち上げ、その行動のみで指し示す。

 沸き上がる歓喜。立ち上る狂喜。

 この場に居る者達のほぼ全てが、地上では探すのも困難となった新天地への渇望と、そこで行われるであろう、ありとあらゆる行動―――虐殺、蹂躙、激闘、捕食、支配といった、魔としての欲求に満ち満ちていた。

 全ては、この時の為に。

 神々の支持を受けた人間達に追いやられ。地上は勿論、魔界からも、地獄からも爪弾きとされた悪鬼達は、己の欲望の捌け口をただただ求めていた。

 そこに現れたるは、一人の少女。

 未知なる亀裂を虚空に創る力を有し、類稀なる智謀から、現在は賢者などと呼ばれているそれは、いずれ来る侵攻の為に、その力を貸せとのたまった。

 その地、一度として魔に冒された事もなし。穢れなき者達が住まう聖域は、殺し、犯し、奪いつくすにはうってつけである。その味わいは、極上と同義であろう、と。
 
 上位へと挑み、玉砕する覚悟もなく。けれど蹂躙する事に喜びを覚える者達の返答は、もはや語るまでもなし。

 結果。

 とある小さな結界内の拡張に加担し、基本構造を作り上げた頃合に、その少女の確約通り、こうしてこの穢れなき聖地へと足を踏み入れたのだった。





 目指すは、光の都。

 いにしえより存在する月の都市ではないそれ―――黄金と称するにはやや暗みがかった色で覆われたそこは、この世ならざる雰囲気をまとっていた。

 彼らは知らない。

 それはただ一人、この場に招き入れた紫色の少女を除き。本来、この月には無かったものである事を。

 それが、この時を予期していた者によって幾年も前に用意された、見た目が華やかなだけの、ただの狩場である事を。



 ―――そしてこれは、その少女も預かり知らぬ事ではあるけれど。

 そこは、遥か以前。

 とある人物達の……月の軍神と五龍との模擬戦闘によって、荒野と化していた場所である。















『真鍮(しんちゅう)の都』

【土地】【特殊地形】

 好きな色のマナを1つ生み出す。【タップ】した際に1点のダメージを受ける。



 全ての色を継続的に生み出せるという非常に高い汎用性を持つものの、この1点というダメージが後半になればなるほど響いてくる。

 しかし、ようは自分が死ぬ前に相手を倒せば良いだけの話。これを積極的に用いて90年代後半のアジア大会で好成績を残したチームがおり、それと対戦したプロの日本人プレイヤー曰く、【白】のクリーチャー無効化、【黒】のクリーチャー破壊、【赤】の【火力】、【青】の妨害、【緑】の【マナレシオ】が高いクリーチャーと、あらゆる色の優良カードが襲い掛かってきたらしい。



 MTG上の【真鍮の都】は、とある女王が魔術によって創り出した魔法都市。

 都市どころか周囲の土地すら真鍮で覆われたそこは、存在する場所が砂漠という事もあり、常時灼熱に支配された、真鍮人間達が住まう、魔力が豊富な魔境である。

 















 全ての者達がそこへと向かったのを確認し、ただ一人の例外―――紫色の少女も、小川にたゆたう木の葉のように、ゆらゆらとその歩み始める。

 それは、幼子達を見守る母のようでもあり。

 ―――何人も後退は許さぬという、死神の刃のようでもあった。



















 ―――然るに。

 この結末も、当然のもの……と、言えるかもしれない―――。




















 もはや、最後の一人。

 千体は居たであろう妖怪の群れは、その数を指一本で表せられるだけのものへと減少させていた。

 飴細工のように捲れ上がった地面、破壊され尽くされた無人の家々。それらを彩るのは、何かが上げる黒煙と、形容し難きものと化した妖怪の骸達。

 閃光が走る度に仲間が死に絶え、突如として爆炎を上げる地面や建物に巻き込まれ。体を細切れに、あるいは穴だらけにされ。

 敵の姿らしい姿こそ見られぬままに、彼は、とうとうそれ―――恐らくこれらを成した人物であろう女を見つけた……出会ってしまった。



【真鍮の都】の中心部。そびえ立つ神殿を背に瞑目するのは、月の軍神。

 充満する悪臭に若干の不快感を眉間に刻みながら、ただただ自らの役割を―――最後の穢れを排除すべく、鞘に収められた十拳の剣を杖代わりに、直立不動を貫いている。

 それに相対する彼は、鬼。

 筋骨隆々の体は鋼の如く。天を突く二本の角は、言わずとも彼の種族を誇示しているようであった。目の前の女の三倍以上の体躯を有するその妖怪は、未だ傷一つ負っていない万全の状態ではあるものの、それは体力面での話。精神は既に擦り切れる寸前であり、薄氷の上を歩く旅人さながらの危うさで、辛うじて月の軍神と対峙している状態であった。

 千差万別という言葉があるように、鬼という種族にも、例外はあった。

 大よそ鬼らしからぬ傍若無人な振る舞いと、幾年にも渡った弱者に対する悪辣非道な行いは、勝負を好み、豪気を友とし、強敵との決闘を望む鬼からは逸脱した、下種、と断言しても良いもので。

 その行いがあまりに酷いものだから、その弱者―――人の中での鬼の印象は、ほぼそれら一派に対するもので刻まれてしまったのも無理からぬ事。

 尤も、『自分の心に嘘をつかない』という、ある意味で最も鬼らしい動機であったので、殆どの同胞からは眉をしかめられたものの、敵対以上の関係へと発展する事はなかった。

 ……どちらにしろ、彼ら人間にとってみれば、自らの種は弱い立場でしかなく、翻弄される側に変わりはないのだから、それらの差は瑣末ごとではあったのだが。

 しかし、その鬼が一時期は鬼の四天王などと呼ばれ、意気揚々とお山の大将など気取っていたのは、とうに昔。

 二本角に、栗色の長髪。童子のような背格好の……幼女と言っても差し支えのない女の鬼に真正面から挑まれ、完敗し、その地位から蹴落とされ。されどその座に再び挑む事をせず、過去の栄光に思いを馳せるのみの生涯を送る過去を持つ。

 全てを見下していた地位に返り咲く機会は失われ、その心中は、今目前で相対する者への恐怖と、ここへと招き入れた少女への恨みと、自らの軽率さに対する後悔の念で渦巻いていた。



「―――全ての負傷兵は後方へ。加え、第一小隊から第四小隊までは退避し……」

「依姫様、退避のみは既に完了しております」

「そ、そうか……。迅速なのは良い事……だな? うん」



 種族が玉兎とはいえ、幾らなんでも脱兎過ぎはしないだろうかと逡巡する依姫であったが、とある人物を地球へと転送する―――蓬莱山家の姫君が進撃してきた際にも同様の速さであったのを思い返し、こんなものかと答えを出して、その思考を終わらせた。



「んんッ……。ではそれに追加だ。それら小隊は使用した火器は新たなものへと換装し、その場で待機。第五、第六は周囲の警戒。第七は……無駄だとは思うが、あの女の発見を最優先とし、行動に移れ」



 了解。との子気味良い返答に満足し、互いの声は止む。

 それが通信だと知らぬ鬼は、独り言を呟き始めた依姫に好機を見い出した。

 何かが光ったと思えば、体の何処かに穴が空く。脳裏に、閃光と共に仲間が血溜まりへと崩れ落ちる記憶が蘇る。誰も彼もが不思議そうな……理解出来ない自らの死を前に、呆けた顔のままに果てて逝った。

 死ぬのは御免だが、何が起こったのかも分からぬままに息絶えるなど、もっと御免だ。

 もはや、ここは生きては戻れないものと理解している。これまで散々好き勝手やって来たのだ。だからこそ、自らの最後は、自らが知る範囲で……。



「業の深い事だ」



 駆け出そうとした刹那。止まる気など全くなかったというのに、鬼はその言葉で静止した。

 向けられる、凛とした瞳。先程の虚空へと呟く様とは打って変わり、真正面から月の軍神の眼力が突き刺さる。

 それは紛れもなく、こちら向けて投げ掛けられたもの。淡々と、景色の感想でも述べるかのような口調は、自分など脅威でも何でもないと言わんばかりの態度である。





 ―――痒い。





 左目の奥に疼きを覚えながら、鬼は女の言葉に耳を傾ける。いや、傾けざるを得なかった。

 如実に分かってしまう力量の差。なまじ鬼の四天王などと呼ばれる地位に居た為か、相手と自分の埋めようのない溝は、嫌という程理解してしまったからだ。

 死にたがりな訳ではない。しかし、死ぬのが怖い訳ではない。ただ、無意味に朽ちていくのが許容出来ないだけ。

 目の前に居るのは、もはや壁などと例えるのもおこがましい。

 あれは天。あれは星。あれは、終わり。

 決して届かない座に君臨する、人知未踏の、何か。

 一種の達観だろう。憎々しい声とは裏腹に、何処か悟った頭で鬼は問うた。

 俺を殺すのか、と。



「いいや。私はもう、何もする気はない」



 一瞬の間。

 心にストンと落ちてきた言葉。その宣言は、相手が敵ではないと表明している事と同義。





 ―――かゆい。





 こめかみの辺りを掻きながら、鬼は紫髪の女の言葉を反芻する。



 あれは何と言った?

 もう、何もする気はないと言った。



 それはどういう意味だ?

 既に、何かをしたという意味だ。



 ならばされた事は何だ?

 それは……。



「紹介しよう」



 女の声が響く。こちらに説明する以上の感情が読み取れぬ……哀れみ満ちた、二つの眼で。



「お前の種族が住まう地ならば、幾らか馴染みはあるだろう」



 女の前に集る、黒い泥。

 それは蝿のようでもあり、蟻のようでもあり、蜘蛛のようでもあり。

 それらが徐々に折り重なり、漆黒の少女の形を作り上げた。



「大和の二神が一人。祟り神の統括者―――洩矢諏訪子の神だ」



 闇夜の衣を脱ぎ捨てて現れたのは、直立する金糸の少女。

 言葉にするのが困難な帽子を被り、並々ならぬ神気を纏い出でるは、生命を育む大地の化身、怨恨の体現者。

 その神と直接面識はないが、それが治める大和についての話題には事欠かなかった。遠方から入る話題の半分が、それで占められていたと言っても過言ではないだろう。

 曰く、万食の国。

 曰く、あらゆる傷や病を治す医術の都。

 曰く、他の大陸の主神すら退ける力を有する。

 ……曰く、七日に一度は白い男が宙を舞い、それを白い狗神が連れて戻るとか、なんとか。

 一部の噂だけを思い返してみても、どれもコレもが夢物語。特に最後から一つ手前、他の大陸の主神すら退けるなど、妖怪という自らの種族を棚に上げて考えてみても、現実味があまりに薄過ぎた。信じ切れるものではない。




「―――汝、幾千の無辜の民を手に掛けたのみならず、それを悪戯に弄び、散らせた怨。我が信仰に掛けて、もはや看過出来ぬ域となった」




 前髪に隠れ目元が見えぬ洩矢の神は、罪状を読み上げる閻魔が如く、鬼の所業を謳い上げる。

 しかし、それが何だというのだ。

 鬼は笑う。

 今更だ。今更過ぎる。妖怪として生まれ、妖怪として生きてきた。そんなもの、取るに足らない些細な事だ。

 告げられた内容があまりに素っ頓狂なものだから、終ぞ、くつくつと嗤いまで込み上げてくる始末。

 だが。



「裁くだけなら閻魔で事足りる。屠るのみなら、その首を刎ねるだけで十分だ。しかし、我も神。一片の慈愛を示すのも役目の内」



 すとん、と。

 棒立ちであった祟り神の統括者は、その姿勢を、胡坐のそれへと移行させた。



「故に……汝には、機会を与えよう」



 まるで、神託を授ける八坂の神のように。片膝を立て、片肘をそれに乗せ。ここから動く気はないのだと、その行動で言い表した。



「我に触れる事が出来れば、洩矢の名に掛けて、汝を地上へと還し、溜めに溜めたその怨恨を引き取ろう」



 少女の背後に佇む月の軍神は、直立不動のまま、瞑目の姿勢を崩さない。自ら動く事はないという事か。

 それが示すは、肯定。諏訪の神の言葉が真実であると判断出来る態度であった。

 一瞬我が耳を疑ったが、しばしの間を経て、鬼は得心に至った。





 ―――醜悪だ。





 侮蔑を含んだ笑みを浮かべながら、二人の神に言い放つ。

 一筋の救いがあるように見せかけて、それが不可能であると確信しているから、そのような一方的な取り決めを口にしたのだ。

 そこにこちらがすがるように。そこに希望を見い出すように。そしてこちらが、絶望するように。

 高みに昇れば昇るほど、希望を望めば望むほど。それが裏切られた時の落差は、遠大なものになる。





 乗ってやる。





 口には出さずとも、鬼はその取り決めを是とし、了承の意思を、己の疾走という形で表した。

 到達までは、人の足で約百歩。ならば、鬼の足ではその半分も掛かるまい。ましてやこの鬼ならば、その距離は更に埋まる。

 風を切り、大気を押し退け。地よ砕けろと、下を蹴る。

 光陰矢の如し。鬼が光を……魔が聖を纏うなど冗談染みているが、これの速度を例えるならば、それが最も適切であった。実際の光の速度には比較にならぬ程に遅いとはいえ、それでも、人間は勿論、雑多な妖怪ですらも視界に捉える事は不可能であろう。





 ……ふと。

 鬼の疼いていたコメカミ側の目が、突然、黒で覆われた。






 完全に、ではない。何者かの手……指で目隠しでもされたかのように、片側の視界がほぼ閉ざされ、陰ったのだ。

 ジクジクと疼く脳髄。圧迫感を覚える眼球。声を漏らすほどではないにしろ、今、鬼は確かな痛みを覚えていた。

 無視するか、振り払うか。

 未だ諏訪の神との距離がある事を考慮し、万全の体制で挑みかかるにこれは邪魔だと判断し、後者を選ぶ。

 誰の仕業かは知らないが、この程度の些細なものしか行わぬ者が相手ならば、簡単にその手から離れられるだろうと。

 そう思い、目に掛かる前髪を払い除けるような仕草をし―――。



「ッ!?」



 振り払った腕に釣られる形で、自らの顔が強制的にそちらへと向けられた。

 まるで、自らの目を、自らで払い捨てた感覚に似て。

 揺れる視界。崩れる体勢。あまりに突拍子もない不意打ちであった為に、情けなくも、土煙を上げながら、地を滑る羽目となる。

 転げた事による痛みこそ皆無であるものの、そこに意識を向ける余裕は、鬼には残されていなかった。

 這い蹲りながら顔を起こしてみて見れば、未だに視界を覆う、指の形をした、黒。





 ―――カユイ『―――憎い』―――





 幻聴の類か。呪詛の如き男の声が、どうにもこの、視界の黒から聞こえて来るような気がして。

 振り払うでなく、毟り取る、を選択。未だ眼球に影を作る何をむんずと掴み、力任せに引き千切る。

 ブチブチと、目の奥から何かが引き抜かれる痛みと共に、自身の血も流れ出す。どうやら今引き抜いたコレは、本当に……自分自身の体から生えていたものらしい。

 ここで鬼は理解した。顔も動く筈だ。自らの顔から生えていたものを、自らの力で殴り飛ばしたようなものだのだから。

 そして、引き抜いたそれがきちんと見えるよう、顔の前へとさらし……ようやく、それの正体が分かった。

 指のようだと影は、事実、指であったのだ。

 人間のひと指し指。恐らく男のものであろうそれが、どういう理屈か、自身の眼球と頭蓋の間から伸びて……生えていたらしい。

 まず間違いなく目の前の神の仕業であろうが、こちらにとっての致命にはほど遠い。しばし休めば回復してしまうだけの傷である。不気味であり怖気の走る現象ではあるものの、こんなものが一体何だと……。



『―――憎い』



 今度は、女の声。

 再度聞こえる別の呪詛に、直感めいた予感が、確信に変わる。

 呆けている暇はない。

 毟り取った男の指を放り投げ、再び駆け出すべく、体を起こそうとし。



「―――」



 繊維質の何かが千切れる音と共に。とうとう、左目から光が消えた。

 何事か。

 残る右目に映るのは、地面を転がる白い玉。

 かつて目玉などと呼ばれていたそれは、砂の大地を転がりながら、何が起こったのだと尋ねるように、こちらに目を向け停止した。

 ぐちゃぐちゃと、ねちゃねちゃと。次いで聞こえる、肉を抉る音。ポカリと空いたでろう目の穴から……いや。体中から何かが這い出てて来る感覚が、焼けるような痛みと、背筋の凍る思いと共に駆け巡る。





『憎い』



 腸を掴み。



『憎い』



 肺を締めつけ。



『お前が』



 胃を引っ掻き。



『お前だけは』



 臓器を圧迫し。



『絶対』



 食道を埋めて。



『絶対に』



 喉へと至り。



『―――ユルサナイ』



 口から、耳から、鼻から、目から。溢れ出そうになる……何か。




 もう、何の声かも分からない。

 ポツリポツリと聞こえるだけであった声は、ヤマビコのように脳内を埋め尽くし、それでも足りぬと鼓膜を震わせる。それが実際には聞こえていないものであったとしても、ここまで恨み辛みで頭の中を掻き乱されれば、そこに然したる差は存在しない。





「―――止まったな」





 確信。

 祟り神の統括者は、そう感じさせる言霊を呟いた。



「往々にして、物事には勢いというものがある。千の悪徳を積み重ね、万の業を背負おうが、勢いの付いた者は、それに縛られる事はない。……当然だな。それに縛られるくらいであれば、そもそもが恨み辛みを生む前に、返り討ちになっているのだから」



 最後まで、それを静寂のままに聞き入る事は叶わなかった。

『物事には』辺りから。鬼は込み上げる吐き気に、堪らず、胃の中を全てぶちまける。

 吐瀉物は、ここに来る前に食べた人間かと思っていたのだが、そうではなかった。

 一面の赤。【裏切り者の都】の乾いた石畳の道に吸い込まれても、それすら覆いつくして溢れ出る、自らの血液。

 体中の内臓を吐き出さんと嗚咽し続け、しばし。いよいよ心の臓が出て来るかという思いが頂点に達した時、それは表れた。

 喉の奥が熱くなる。火箸でも差し込まれたのか、胃袋から舌の先までを激痛と灼熱が走り抜ける中、残る右目で、それが見えた。





 人の手……いや、それはもう、腕か。

 自分の口から、人間のものであろう腕が、丸々一本生えて……とうとう、抑えていたものがこぼれ始めた。





『―――憎イ』



 呆気にとられている暇もない。

 その腕は何度か虚空を掻き毟り、思い出したかのように、残る右目へとその五指を突き立てようとした。

 これは拙い。反射的にそれを掴み、力任せに引き千切る。

 先に対処した指以上の、内臓ごと引きずり出してしまったのではと錯覚する痛みに気を失いそうになりながら見たものは、紛れもない人の腕。

 握り潰し、地面へと投げ捨てる。肩までありそうな長さのものが、陸に打ち上げられた魚の如く、二度三度大きな痙攣をした後で動かなくなった。

 けれど、安心する間は存在しない。

 更にもう一本……いや。それはもはや、八本に達しようか。ぞぶり、ぞぶりと。今後は女や子供の腕であろう細身のそれらが、再び口から伸びていた。

 元々大きな鬼の口とはいえ、人間の腕八本分の幅はない。必然、強靭であった筈の鬼の顎を無理矢理外し、筋を断ち切らんばかりに生えそろうのは、老若男女の腕の華。

 それらは鬼が抵抗する間も与えずに、一瞬にして、耳に、鼻に、牙に、角に。掴めるだろうあらゆる場所へと掴み掛かる。

 傍から見ればそれは、鬼の顔から人の腕が咲き乱れている風にも映るだろう。



「―――だが、止まってしまったものは別だ。恨みはすぐに追いつくぞ。憎しみは背後に迫っているぞ。決して逃れられるものか。決して、逃れられるものか」



 謳う様に。告げる様に。



「さぁ、さぁ。鬼よ。我が住まう地にて、強き妖怪の長として君臨する、鬼よ。すぐそこだ。もう、すぐそこだ。汝を捉えんと怨嗟の意思と共に現れたものが、もはや我慢ならないと、己が体から溢れてしまったのだから」



 鬼は自分で自分の体を傷つけている感覚と激痛に囚われながら、我武者羅にそれらを掴み、引き千切る。

 掴み、千切り。掴み、千切り。

 それでも、それでも。後から、後から。

 一拍の間に再び腕が生えてくるのは、まるで、これまで喰い散らかしてきた命達が逆流でもしてるかのようで。

 鈍痛が鬼の口内に走る。

 ミチリミチリと繊維の断ち切れる音は、自らの口から生えた手によって、自らの牙が奏でるもの。後数十秒もすれば、それは無残に奪い去られてしまう事だろう。

 更に口だけでは飽き足らず、空洞となった左目からも幾本もの指が生えてきた。

 と、思えば、それらも他と同様、周囲の皮膚や頭蓋までも抉り取らんと爪を突き立てる。

 声を荒げる為の気道も何かで埋まり、鼓膜は呪詛で染められて。

 内も、外も。触感の全てが指という指、手という手、腕という腕で蹂躙される中で、口から一際太い男の腕が、他の腕達を押し退け現れ、鬼の顔面を握り込む。

 指や手とは、突き刺す為でも、殴りつける為に生まれてきた訳でもない。

 あれは、掴む為のもの。

 絶望の中の希望を。決して放したくない大切なものを。

 ―――絶対に逃したくない、怨敵を。



「ならば後は―――」



 声にならない声。口の端から泡立つ流血がこぼれ、断続的な呼吸音だけが漏れ出した。

 もはや人の力ではない。五指に握られて軋む頭蓋に合わせ、右の眼球が飛び出さんばかりに瞼を押す、その最中。血涙を流す、その残った眼球が見たものは、こちらについと向けられる、洩矢の神の人差し指。



「―――墜ちるのみぞ」



 熟れた果実の結末は、もはや語るまでもない。喰らいに喰らった命を散らし、万に迫る命を貪ってきた果肉は、上顎から上を失い、大地へと倒れ込む。

 それら肉片を丁寧に……あるいは我武者羅に掻き集めるのは、鬼より伸びた、幾本もの腕や手達。宿主が骸となってもなお健在であるそれらは……そう。魚の死骸に付着する、イソギンチャクのようで。鬼の体内に異界への門でもあるのか、せっせと掴み、引きずり込む。

 髪の毛一本、肉の一片、血の一滴たりとも逃がす気はないと。

 腕だけの亡者達は己が体のみでそれを言い表し、幾許かの時間の後、真鍮製の皿に乗る血溜まりを、その大地までも削りながら平らげ、夢か幻でも見ていたかのように、何の痕跡も残さず消えていった。



 ―――畜生め。



 魂からこぼれた……そんな、鬼の最後の負け惜しみと共に。







[26038] 第31話 Bルート
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:16






(これが、怨恨の体現者。乾の神……洩矢諏訪子の本質……か)



 地獄絵図であったこれらの光景を見続けた綿月依姫は、思考の外。本能的な悪寒を、驚異的な精神力で押し殺し。



「―――そろそろ姿を見せたらどうだ」



 そう、周囲へと言葉を飛ばす。

 この場に居るのは、彼女自らが呼び出した、祟り神の統括者、一人のみ。己を含めれば二人だけの空間であるそこに、先の言葉は違和感を覚えるものであったのだが……。



「―――」



 依姫の視界の先。鬼が朽ちた場所より、やや後ろ。

 するり、と。

 言葉で応える事をせず、唐突に、空間の切れ目から紫の少女が現れた。

 歩み出て、何の前触れもなく出現した、虚空に浮かぶ線の上へと腰掛ける。気負った様子のない、自然体。静かな敵意を胸に秘める月の軍神と、祟り神の統括者を前にして、その光景を当然といった風に淡々と受け入れながら。

 それら二人の視線とは、精神を、魂を、心をを削り抉るものに他ならないというのに。気でも狂ったかと思わせるほどの胆力である。



「……第七小隊、目標はこちらで発見した。以降は第五、第六と同様、周囲の警戒へ移れ」



 眼前の相手から一切の視線を動かさず、依姫は通信を終えた。

 その目に油断の文字はない。体内で脈打つ血流すら視認してしまうのではないかと思える程に、並々ならぬ眼力が籠められていた。



「あの程度の騒動で我ら月の民の目を欺こうなど、片腹痛い。……何の為の時間稼ぎかは知らないが、貴様はそこまで巡りの悪い者ではなかったと記憶していたのだがな」



 既に顔見知りである事を会話に混ぜながら、依姫は紫の少女へと語り掛ける。

 一連の騒動―――侵略計画を仕掛けた―――立案した張本人であるところの少女は、仲間が全て死に絶えたというのに、それを気にする素振りがない。

 虚空に浮かぶ線の上に腰掛けて、扇子で口元を隠しながら、無言のままに、その目のみで相手を嘲笑する。

 その仕草、その態度。それらは全て、元より、この状況が予測の範囲内であると物語っていた。



「……理解した。貴様、端からそれが目的で」



 依姫は、周囲に散らばる妖怪達を見回して。



「我らに、これの処理を任せたな?」



 ―――始めから、紫の少女はこれが目的であった。

 とある結界の拡張と保持に尽力した者達は、元々が我の強い……少女が望まぬ、安定を欠く要因。恭順を見込めぬのならば、そんなものは排除してしまえばいい。

 別に、自ら手を下す必要はないのだ。

 信用とは、築きにくく、崩れやすいもの。少女はこれから数多の者達を束ねる立場に収まるのだから、そんな者が自らが望まぬ者達排除する―――信用出来ぬ者だと知れ渡れば、下々が付き従う筈もない。信頼は出来ないが信用は出来る、と。最低でもその域に留めておかなければならない。

 よって、彼らの望みを叶えるという最もらしい理由と共に、弱兵を戦場へ送るよう、ただ道案内にだけ務めれば、今回はそれで事足りる。

 とはいえ、それが出来なかったのも、その今回だ。とった行動は上等とは言い難いが、時が迫った現状では、それも仕方のない事。

 本来ならば、案内役すらしたくはなかったとはいえ。

 地球から月という真空の遠大な距離に、重力の檻。そして、穢れを持つ者が自らの意思では決して足を踏み入れられぬように張り巡らされた、フェムトファイバーの結界。それらを全て掻い潜り、月へと乗り込む為の術を、終ぞ、あれら妖怪達は取得出来なかったのだから。

 要因となってはいけない。要因の要因にならなければ、策略としては二流止まり。

 それを押してまで勧めなければならなかったのは、大結界の作成が、次の段階を迎えた為。時が経てば経つほどに人と魔のバランスは崩れ、その速度は右肩上がり。妖怪達の助力が不要となり、それらの我慢に限界が訪れた今を逃しては、目指すものの安定は望めない。





 ニマリ。少女の目尻が、より一層釣り上がる。隠していた筈の口元から、もはや隠せぬと口の端が扇子からはみ出した。

 紛れもない肯定。

 それを見た依姫は吐き捨てるように鼻を鳴らし、刀―――九十九神の宿る、神剣十拳を抜き放つ。

 正眼に構え、静止。攻防一体の構えであるところが大きいそれは、一部の狂いもなく切っ先を相手の眼前に向ける事で、その刀身の長さを……斬撃射程を計らせないという、単純にして、攻略困難な奥義でもある。

 僅かな視線の挙動に刀の先端を合わせ、修正。対峙する者が見れば、鍔だけを向けられていると錯覚に陥ってしまうだろう。

 一挙手一投足の比ではない。瞬き一つ見落としたら最後、音速を超える斬撃が繰り出され、対象の首と胴……どころか、剣撃が通過した箇所の、一切合財が吹き飛ぶだろう。



「依姫」



 ここで、沈黙を貫いていた諏訪子が口を開いた。

 体についた土埃を払いながら、胡坐から直立へと姿勢を移す。

 諏訪子が依姫へと話す姿にかつての敬称はつけられておらず、見る者が見れば、それなり以上の親しさが見て取れる空気があった。



「……そうでしたね。元より、そういう契約でした」



 スイと刀を下げたかと思えば、流れるような動作で鞘へと入れ、その牙を収めた。

 鬼と対峙していた時同様、刀を杖代わりに前方へと突き立て、直立不動のそれへと戻る。手を出す気はないという事だ。

 月の軍事力を始め、あらゆる点で、あの程度の妖怪の群れ相手に、洩矢諏訪子を呼び出す必要はない。

 それでも依姫が彼女を降臨させたのは、過去に結んだ洩矢諏訪子との契約故に、である。



「さて、こうして顔を合わせるのは初めてになるか。まぁ、コソコソ我の……いや。あれの周りを嗅ぎまわっていた汝の事だ。我の事など、今更語るまでもないか」



 帽子のツバに隠れていた瞳が現れ、黄金色の眼を見開きながら、ともすれば、それだけで魂魄が吹き飛んでしまう眼力を向けた。

 空間が淀む。穢れなき地に充満する怨恨が、内に囚われた紫の少女を食い殺さんと絡みつく。

 しかしそれを……数瞬前に消え去った鬼であっても心が軋みを上げるその視線を、然も平然と受け流す少女は、更なる深い笑みでこれに応えた。



 ―――と。

 出現する、黒い裂け目。

 歪に縫合されていた空間が抜糸されたように剥がれ落ち、まるで舞台に立つ役者に何重もの幕が下りるように、少女の姿を徐々に覆い隠す。

 そんな幕に画かれた―――爛れ、捲れた空間の奥に見えるのは、目。

 動物がある。魚類がある。鳥類がある。昆虫がある。

 それ以外にも、幾つも、幾つも。古今東西、大よそ地上に存在しているであろう種類の瞳が、その空間の奥に無数に浮かび上がっていた。

 辺り一帯を飲み込もうかという勢いで広がる裂け目のからは、十、百、千、万。もはや数えるのも馬鹿らしい程に膨れ上がった無数の視線が、たった一人の小さな神へと突き刺さる。



「―――小賢しい」



 ところが、並み居る大妖怪ですら尻込みするであろう光景を、洩矢諏訪子はたった一言で切って捨てる。

 その言葉の直後。……ふと、紫の少女の左の頬を風が撫でた。

 優しく、優しく。愛おしい人に触れる手のように、一瞬だけだが、不可視の手がそこを通り―――。



「ッ!」



 ―――紫の少女に、悪寒が走った。

 目前に両の手を突き出し、自身が持つ能力の中で最も堅牢な、結界という名の防壁を張る。

 数ある用法の中でも遮断や隔離という点に秀でているそれは、外界からの干渉のすべからくを分け隔てる壁と化す。

 そして、その数瞬の後。少女の周囲を暴風が襲った。

 何処からともなく発生した、【真鍮の都】の道に敷き詰められた真鍮まで巻き上げんばかりの勢いで荒れ狂う黒い大気の流動が、聖域へと逃げ込んだ少女を除く、その周りの全てを舐め尽くす。虚空に出現した無数の裂け目と、その目玉達を。



「……酷い、な」



 直立の姿勢はそのままに、眉を顰める依姫は、目前に広がる光景に畏怖を覚えながら呟いた。

 それらは元々、氷ででも出来てたのか。

 周囲の家々も、空間の裂け目も、その内部にあった瞳達も。その全てが融解し、もはや原型は保てぬと、その形を蕩けさせていた。

 既に死体となった妖怪達も例に漏れず、骨すら崩れかけている程に見境がない。

 酸の海で溺れる生き物さながらに、白煙を上げてドロドロと崩れ落ちる有象無象の中心に居る紫の少女は、再度、その口元に―――片頬が抉れ、綺麗に整った歯が覗くそれで、これまでで一番の笑みを湛えた。

 華の咲くような、と表現するのが適切であろう微笑は、しかし、欠落した左頬の為に毒々しさを振り撒くものへと変貌している。微風を受けた箇所がそこのみで留まっていなければ、周囲に散らばる蕩けた目玉と同様、既に体中を腐敗した液体へと変化させていた事だろう。

 人であれば、激痛でのた打ち回っている外傷のまま。痛々しく、赤々と爛れた頬を歪めながら、堪らなく愉快だと、少女は視線で告げる。

 何せ、目的の……真の目的の、その一端を味わう事が出来たのだ。いずれそれを我が手にと思えば、その喜びは怖気を催す程に冷たく、脳を溶かす程に熱く、甘美なもの。 



「……しかし、諏訪子様。今の黒い風は、私諸共巻き込んでいたのは承知の上ですか?」



 常人なら……否。死体であったとはいえ、上位の妖怪ですら原型を留める事が不可能であった死の暴風を受けても、髪と衣類をはためかせるだけに留まった―――平然と佇む月の軍神の瞳には、不満と呆れの感情が浮かんでいた。

 ジト目と言えるそこに満載の抗議の意を籠めながら、軽率な行動は止めてくれ。と、視線に言霊を乗せたのだが、それを諏訪子は飄々と受け止め、言葉で反す。



「問題はなかろう? 豊姫の持つ例の扇子に比べれば、可愛いものではないか。……今のお前が、あの黒き神の力を宿しているのは知ってる。二神同時降臨を成せるようになった今のお前ならば、これの風はただの黒い暴風でしかないのだから」

「仰るとおり、【マリッド・レイジ】の力は宿してはいますが……。だからといって、この地でああも易々と穢れを振り撒かれても困ります。高御産巣日様の忠告通り、辺り一帯を三重にフェムトファイバーで覆っているとはいえ、ただでさえあなたの力はそれに特化しているのです。幾ら姉上の扇子より威力で劣ると言っても、あれは一時のもの。終わってしまえば、後は楽なのです。……何よりも……」



 一際強い眼光。



「今のそれは―――あやつの力でしょう? 諏訪子様が似通った暴風を起こせるのは、過去にあやつと対峙した時に存じておりますが、この惨状はあの時の比ではない。下手をすれば、我が国は生きながらにして死国と化してしまいます。ハッキリ申し上げて、滅亡の危機です。最優先排除の対象が、あれでなく、あなたへと変わりかねない程に」



 あれと呼ばれた―――憮然とする紫の少女の機嫌など知った事ではないとする、二人のやり取り。

 ニマリと返す諏訪子に、依姫は先ほどの質問が肯定であった事を理解する。

 あの風は本来、洩矢諏訪子には起こし得ぬもの。けれどそれを起こしたという事は……。



「【疫病風】……でしたか。やはり、あやつの力は脅威ですね。……過去、あやつと対峙した時にこれを使われずに済んだ幸運を噛み締めてしまいますよ」










『疫病風』

 9マナで、黒の【ソーサリー】

 あなたがコントロールしていない全てのクリーチャーを破壊する。それは再生出来ない。



 //昇天の第二の風は、もぎ取る者の風なり。価値なき物を破壊する風なり。

 ―――輝かしきケルドの書//



 発売サイクルの一つにあった、各色ごとに存在する、風シリーズの中の内の一枚。クリーチャー破壊を得意とする【黒】らしい能力であり、自軍以外の全てのクリーチャーを墓地へと叩き込む、単純にして強力なリセットカード。

 しかしながら、コストが重く、【除去】よりも幾分か威力が劣る【破壊】である点や、呪文を打ち消す、という概念のあるMTGでは、【ソーサリー】タイミングでしか撃てないという点も相まって、確実性に難点が残る為、黒を主体とした【コントロール】デッキ以外での運用は殆ど使用は見られない。










「この【色】は我に対し親和性が高い故、そうも乱用は出来ないが、後二~三ならば、同様の術を行使出来るくらいに信仰と国力は付けたつもりだ。あれの……この力は特性の差があり過ぎる。熟考の後に使わなければ、たちまちの内に自身にすら牙を向く諸刃の剣となろう。……まぁ、その前に力を使おうとした瞬間、魂も魄も干上がってしまうだろうがな」

「それでも、この規模のものをまだ幾つか唱えられる、というだけで勘弁願いたいものです」



 ほんの少しの呆れを言葉に乗せながら、次の台詞に、依姫は己が目的を上乗せするのだが。







「大分、あやつの力の扱いにも慣れたようで……。では、いよいよ次は私の「イヤ♪」ば……ん……」







 それは、最後まで言い切る前に遮られた。

 体は前方に向けたまま。諏訪子は顔だけ振り返り、とても良い笑顔で、何かの問いに拒絶する。

 引き攣る頬を隠そうともせず、それを非常にイイ笑顔で応える依姫に、これまでの真剣な……真面目な空気は……さて。ひゅるり、ひゅるり。何処かへと流れていってしまっていた。

 こちらを無視したようなやり取りに、紫の少女も怪訝な顔は浮かべているものの、自らは事を起こす気はないようで、静観を貫いている。むしろ、依姫や諏訪子の交わす言葉に聞き耳を立てて、一言一句すら漏らさぬように集中しているくらいであった。



「それに、依姫はもう【マリット・レイジ】を……【暗黒の深部】だっけ? “例の方法で”それを譲り受けているじゃない。これ以上求めなくたって、力は十二分に持っているじゃないか。あれはあいつの、最上級の信頼の証。それを不服とするような物言いは、褒められたものじゃあないと思うけどね」










『Ante/アンティ』

【飛行】や【プロテクション】などのMTG内の能力(ルール)の一つ。あるいは墓地や手札といった、領域の名前。MTG登場初期の頃に存在していたもので、正式な意味は、ポーカーの掛け金を指す。



 詳細なルールを省いて説明すると、これが記載されたカードを使用し、ゲームに勝ったor負けた場合、何かしらのカードを奪うor奪われる事になる。

 ようは、賭博行為。

 この能力が記載されたカードは全九種あり、【アンティ】ルールを採用しない場合は事前にこのカードをデッキから抜いて戦う、という【アンティ】の能力がある。

 その副次効果を狙い、【アンティ】の採用されない対戦であえてこれら投入し、『デッキは最低でも六十枚以上で構築しなけれなばらない』という条件をクリアして、デッキの圧縮を図る事もあった。これによって、欲しい(使いたい)カードを引く確立を、少しでも上げる為である。

 当然ながら、現在は……そして今後も、禁止カード(能力)であり、再登場する事はないだろう。法的に怪しい意味も含めて。










「ジャンケン……でしたか。まさかあのような単純な遊戯で、ああも易々と、あやつの力の片鱗を得るとは夢にも思いませんでしたが」

「『お前パーな! 俺はグー!』とか、毎度毎度意味がよく分からない発言や行動だったから流していたけど、あれはあれで、しっかりと意味があったんだねぇ」

「砂漠の中の一粒。大海の一滴。森の中のひとひらの木の葉。その殆どが無意味なものでありますので、真意を測るのは不可能かと。……まぁ、あやつなりの信頼の証だとは思っています」



 小さく、咳払い。



「高みに天上はありません。弛まず、止まらず、慢心せず。あやつとの戦いで思い知らされました。ですので―――」



 不満な表情を一転し、清々しい顔を浮かべ。



「あやつの秘中の秘―――あなた様が終えた、あれの能力全てを共有する儀式とやらを、早く体験してみたいものです」



 そう言い切る依姫に、洩矢諏訪子は慌てふためいた。



「ッ!? だっ、だめっ! それだけは絶対にダメッ!!」



 どういう訳か、その頬は綺麗な朱に染まっている。何か、平常心ではいられない記憶を思い出したようであった。



「……この話題になると、何故そうも拒絶なさるのですか。始めこそ、あやつの力を渡したくないから、との考えでしたが……今では、行為そのものを嫌がっている、と推測出来ます」

「……え、えぇ~……と……」



 目が泳いでる。

 心なしか、当人のもののみならず、形容し難い帽子に付随されているそれすら泳いでる風であった。



「懐の広さを見せるのも、神格を高める要因になりましょう。これにはかなりの利が含まれていますので。それに……」



 額にジワリと汗を浮かべ、依姫は苦々しい表情を作る。

 攻守一転。これまでの攻勢が嘘であったかのような変わり様に、諏訪子は抗議の声を静止させ、言葉の続きを促すよう口を噤んだ。



「その……そろそろ一例を作っておきませんと、他の側室達の制御が困難になっておりまして……」

「それって、作った時点で行き着くところまで行く道じゃない!」

「しかし、もはや八意や蓬莱山、綿月の家々で取れる手段はあらかた出し尽くし、今は高御様個人がこれを担っている始末。此度の妖怪達の侵略計画の的中により、あの方の罪の払拭や、その発言権がある程度は強まるのは確かでしょうし、今しばらくは、どうにか手綱を握れている状態ではありますが……。これをしなかった場合、蓬莱の国指折りの……折るには多すぎな気はしますが……おほん。指折りの百八の名家が、各々の方法であやつへと接触を図るでしょう」



 あらゆる点において突出した能力を持つ、綿月、八意、蓬莱山の御三家ではあるものの、それ以下が皆無であるという事はない。

 人が増えれば増える程に生まれる多様性。それに伴い、それらを担う人物が生まれるのは必然。欠く事の出来ない存在からの頼みを無碍に出来る筈もなく、御三家は身銭を切る行為を続けるしかなかった。

 尤も、その切り売りを続けていた身の部分は、とある地上人モドキによって、ここ数百年で急速に肥えた箇所。それを考慮したのであれば、痛手とすら言えない程度の出費ではあるのだが。



「あーうー……」



 目を閉じて、困ったような呟きをもらした後。



「……でもそれ、意図的に手綱を緩めているよね?」



 薄く目を開き、洩矢諏訪子は、依姫のそれまでの発言を、全て嘘だと告げるよう尋ね返した。



「当然です。かつて、あやつにも言いました。『側室の管理は私に任せるが良い』と。それを反故にする気はありません。手に余る状況であるのに違いはありませんが、御し切れぬ訳ではありませんので」

「……さっきの話のままだと、それも不可能になる、と取れるんだけどねぇ」

「確かに、そのままでは難しいでしょう。しかし、私が言ったのは“家”としての手段のみ。高御様のように、個人で動く分にはその限りではありません」

「わー……依姫ったらズっこいんだー」

「何を。諏訪子様ならこの程度の言い回しを見抜けずして、負の面を担う神などやってはいないでしょうに。これくらいの言葉遊びは、神の寛容な御心で、平にご容赦の程を」

「もう……。今はちょっと違うとはいえ、自分を棚に上げ過ぎじゃない? 種族的な意味で。それに、ちょっと前の依姫ならこんな言い回しなんてしなかったよね?」

「ええ。月面騒動の頃より、姉上や永琳様に、政や交渉術についての教鞭を振るっていただきましたから。付け焼刃でお恥ずかしい限りではありますが、このくらいならば、どうにか」

「だからって、それを私に対してやらなくても良いでしょうに……」



 呆れ顔の諏訪子に対し、依姫は満足気に胸を張る。学んだ事を実践出来たので、充実感を覚えたらしい。

 態度こそ控えめながらも、とても嬉しそうにする依姫に、諏訪子はこれ以上の追求を避ける事にした。

 許容する事には慣れている。不快な思いをするのなら話は別だが、神各的にも年齢的にも実力的にも。殆どの点において上位である筈の依姫であった為か。諏訪子は悪い感情を持ち合わせていなかった。

 一生懸命に学び活かす姿勢が、自らが治める国の民達と重なる。

 それがとても、微笑ましくて。愛おしくて。



(やれやれ……)



 一体、どちらの方が年上なのやら。

 さて。と内心呟いて、割り切るように、小さく溜め息。

 そして。



「―――返してもらおうか」



 その温度、極寒の如く。

 依姫から視線を切った諏訪子はそう投げ掛けながら、目の前で沈黙を貫いていた紫の少女に向き直る。

 返してもらう。その言葉から推測出来るのは、目の前の者が、何かを奪ったという事に他ならない。



「あれが、近年懇意となった宝物神への使者としてあの地を離れ、行方知れずとなり、はや一月。我が眷属達が直前まで、お前があれの近くに居た事は見ている。……何かに巻き込まれれば、年単位で戻らぬ事に慣れたとはいえ、それを易々と見逃す気概は持ち合わせてはいない。何より、あれは我が半身となった者」



 一拍の間。

 これまでの飄々とした雰囲気は、既に無い。

 あるのはただ、極東の地を治める、上位神の姿のみ。



「素直に応えるなら良し。さもなくば―――」



 カチカチと、キチキチと。大よそ生物が出せぬであろう鳴き声が、一つ、二つ、三つ、四つ。

 何処から現れたのか。どうやって這い出て来たのか。

 ありとあらゆる地の影から姿を見せるのは、大小様々な神白蛇の祟り神。真紅の眼球を見開きながら、たった一人の存在へとそれを向ける。

 先に出現した無数の目、同様か、それ以上か。その数を上乗式に膨れ上がらせ、紫の少女の周りを囲み、覆い、頭上以外の逃げ道を塞いでしまった。

 赤と白の入り混じる壁は、蠢き、嘶き、脈動し。

 まるで巨大な生物の体内に囚われてしまったかのような錯覚すら……いや。事実それは、怨という形なき獣の腹の中なのかもしれない。





 ―――ああ、祖は神、坤の神。

 崇め、讃え、畏れ、伏せよ。

 汝の目に映るのは、怨の結晶、負の権化。

 生きとし生けるもの全てに潜む、最も暗き闇の象徴である。





「長くは待たぬ。早々に―――……?」



 けれど、その厳かな雰囲気もそこまでであった。

 何故なら、紫の少女の反応が、諏訪子の予想していたどれでもなかったのである。

 恐怖に顔を引き攣らせるでも、嘲笑と共に構えるでも、能面の如く居直るでもなく。



「ぇ……?」



 初めて聞く、小さな……本当に小さな声をこぼした。

 丸々と見開かれた少女の顔には、呆気の二文字がクッキリと。

 数瞬前の大胆不敵な態度は成りを潜め、代わりに現れたのは、外見相応の無垢な驚き。

 ぽかんと明けられた口を隠そうとも……隠す事すら忘れ、信じられぬと、理解出来ないと、その表情が物語る。ともすれば、手にしていた扇子すら落としそうな勢いであった。

 このあまりの変わり様に、さしもの諏訪子も訝しげな顔を作る。

 それは依姫も同様で、緊張だけは解かないようにしつつ、怪訝に眉を潜めていた。





 ―――そして。

 その疑問に答えるように―――。





『―――依姫ちゃん! 聞こえる!?』



 依姫の耳に取り付けられた受信機から、その姉、綿月豊姫の切羽詰った声が鳴る。

 今回の作戦では裏方に回り、フェムトファイバーや『海と山を繋ぐ能力』によって、あらゆる穢れと敵対者の逃走経路を阻害しようと待機していたのだが、仕事モードの真面目さは何処へやら。その口調は既に、最愛の家族へと向ける―――最も呼び慣れたそれへと戻りきってしまっていた。



「何が」



 普段ならば、公私の切り替えは完璧におこなっている姉の豹変ぶりに並々ならぬものを感じ取った依姫は、疑問や抗議を置き去りにし、何があったのかと、先を促すよう言葉を返す。



『上を―――地球を見て!』



 躊躇はない。

 一部の隙も見逃さぬとの気概を以って対峙していた敵対者からの視線を完全に切り、依姫は頭上に輝く青き星を仰ぎ見る。

 釣られる形で、残りの二人も後に続く。たった今、殺すか殺されるかの雰囲気をなかったものとする行いに、これを他の者が見ていたのならば、その切り替えの速さと判断力に、常人では不可能なものを感じ取るだろう。

 三人の視線の先。そこには、青い海と、白い雲と、緑や茶が散りばめられた大陸に……。



「……黒い……人……?」



 それは誰の呟きか。

 大小存在する大陸の一つに、ぽつんと一人。黒い人型が佇んでいた。

 黒い色をしていたのは全身を覆う毛であり、頭部より生える幾本かの角の内、特に巨大な二本には、それぞれ一対。アクセサリの類だろう何かがぶら下がっていた。

 別に、それだけならば兎角注意を向けるものでもない。



 ―――ただ唯一……。そう、唯一にして最大の問題は。

 この月からでも容姿がしっかりと確認出来る程に…………いっそ馬鹿げているとすら思える程の、その途方もない大きさであった。










『B.F.M(Big Furry Monster)/巨大なけむくじゃらの怪物』

 15マナで、黒の【The-Biggest-Baddest-Nastiest-Scariest-Creature-You'll-Ever-See(史上最強最凶最驚最恐生物)】クリーチャー 99/99

 二枚で一組のカードであり、左右に並べると一枚の絵が完成する仕様となっている。片方が15マナ、もう片方がゼロマナ。場に出す際には両方同時に出さなければならず、どちらか片方が場を離れた場合、もう片方は墓地へと送られる。

 三対以上のクリーチャーでなければ、これの攻撃を防げない。



 //大きい。実に、本当に大きい。あれより大きなものはまず存在しないわ。もっともっと大きいの。それ以上ないほど。見て、話してたクラーケンやドレッドノートを飾りにしてるわ。とにかく大きいの!

 ―――― 飛空騎士、アーナ・ケネルッド//



【フレーバーテキスト】に登場する【Polar Kraken (極地のクラーケン)】(11/11)と【ファイレクシアン・ドレッドノート】(12/12)は、当時登場していた中で最大級のパワー&タフネスを持つクリーチャー。ただそれも、【B.F.M】にとっては単なる角飾りの一つでしかなかったようだ。

 20/20という、攻守にておいて最強クラスであった【マリット・レイジ】ですら足元にも及ばぬパワー&タフネスであったり、最高クラスに激高な召喚コストであったり、あまりに長くてカード枠に綺麗に収まり切らなかったクリーチャータイプ名であったりと、能力的にも、カードの絵柄的にも、あらゆる点で既存のMTGから逸脱しているクリーチャ-。通常の公式大会ではこれを使用出来ない。

 あまりに規格外―――ふざけたカードであるところのこれは、事実、ふざけたカードセットの中に収録されていたもの。

 その名も、【アングルード】。

【ジョーク・エキスパンション】として部類されるそれは、大の大人が大真面目に大馬鹿……もとい、エンターテイメントの本質を追求した結果である。

 これを取り扱う大会では、

・人が奇声を上げたり(ニワトリの鳴き真似&羽ばたく仕草をすると【飛行】を持つクリーチャーが居る為)。

・対戦相手が服を脱ぎ始めたり(相手がデニム生地の衣類を身に付けているとダイレクトアタック扱いになるクリーチャーが居る為)。

・ジュースを買いに、コンビニや自販機へダッシュするプレイヤーが現れたり(プレイヤー1人に指定したジュースを買ってこさせる呪文がある為。料金はこちら持ち)、等々。

 カードゲームの枠を超え、もはや何をしているのか分からない、非日常的な光景が散見されること受け合い。

 決して生半可な気持ちでこのセットをプレイしてはいけない。

 やるからには忠実に。馬鹿は、全力でやるから楽しいのである。












 いくら諏訪子ら彼女達が人間を遥かに凌ぐ視力を有しているとはいえ、月から地球までの数万キロを、そう易々と埋められるものではない。けれど三人が目にしたそれは、きちんと人型を保っているのみならず、その頭部に付いた付属品まで確認出来る程に鮮明であった。

 小部屋に立つ人を、真上から見ている気分だ、と。

 縮尺を度外視した、かなり無理矢理な例えだが、祟り神の統括者は、大陸にそびえ立つ怪物を、そう、頭の中で……自身の理解に収まる形で捉える事にした。

 一体どれだけの大きさがあれば、しっかりと人の形を視認出来るのか。位置の関係で主に頭上しか見えないものの、それでも、鼻で笑ってしまいたくなる体躯であるのは疑いようもない。我が目を疑う、を地で行く光景である。

 紫の少女はいざ知らず、諏訪子や……特に依姫は、遠大とも言える生を謳歌して来た者達だ。

 しかし、誰もがそんな生物を過去に見聞きした例もなく。

 よって、それが突如として現れたとなれば。



「九十九だな……」

「九十九だね……」

『九十九さん……よねぇ……』

「……」



、必然、答えはそこへと辿り着く。

 三者……否。四者四様のそれに対する反応は、三人の呆れと、一人の更なる唖然であった。

 ……ただそれも。



「あ」



 すぐに、別の反応へと移行してしまうのだが。

 先程同様、誰が発したのか分からない声は、黒い巨人が高々と腕を振り上げた事に起因する。

 大きさとは、それだけで脅威。

 それが明確な意思を以って振るわれた場合……どうなるか、は。



「あああっ!?」



 振り上げた拳の行く末など、火を見るより明らかである。

 何に対して振るったのかは分からないものの、それがもたらす結果だけは、彼女らは月面という特等席のお陰で、とてもしっかりと確認出来た。





 巨人の足元に拳が突き刺さり―――。

 ―――天が裂け、海が割れ、地が砕けた。





 周囲に漂っていた雲は消え、足元を支えていた大地は割れた大皿の如く線を走らせて、そこに海水を呼び込んだ。

 あまりの威力に飛散する無数の礫は方々へと撒き散らされ、海面に絨毯爆撃でもしているかの様に、幾重もの波紋を海面へと刻み込む。

 あの分では、すぐにではないだろうが、大なり小なりの津波が起こり、広範囲の沿岸部を襲うのは必須であろう。



『………………お姉ちゃん……ちょっと急用が出来たから……。依姫ちゃん、後、お願いね……』



 一方的にプツリと切れる通信は、当人がこの場に居ないというのに、憂鬱な空気を周りに振り撒いていた。

 依姫は考える。

 多少の災害ならば沈黙を貫く月ではあるけれど、あれは世界レベルでの危機。それを黙って見過ごすのは、地上との交流が完全に途絶えていない事もあり、得策ではない。

 よって、自分の姉は恐らく、あの人災……津波を最小限へと抑えるべく、地上の主だった神々へと連絡を入れるのだろう。然も『私の連絡がなければ危ないところでした』という風を装って、相手へと恩を売る為に。

 職場放棄は如何なものかと思うが、起こった事が事だ。これくらいの無理は許容出来るよう準備は整えてきた事でもあるし、まだ容認出来る誤差の範囲内。

 鎮痛な面持ちの依姫は皺の寄る眉間を揉みながら、何故だか心が挫けそうになっている自分と比較し、我が姉は何と切り替えの早い事だろうと、その尊敬を一層深めていたのは、また別の話として。

 色々と、考えなければならない事があるようだ。

 たった今その面積を半分以下に減らした大陸の名などは、後で報告書に記すとして……。



(アト……アトランタ……アトラン……ティス?)



 過去に九十九から、その大陸の名を耳にした記憶はあるのだが、その詳細が霞んでしまっている。



(いかんいかん。まだ全てが終わった訳ではないのだ)



 目の前の事も終わっていないのに事後のあれこれに思考を巡らせるのは、我ながら思い上がった考えだ。諌めなければなるまいと。

 現実逃避し掛かっている意識を辛うじて引き止め、手繰り寄せる。

 普段ならばまずならない思考状態に、引かれる後ろ髪を振り払いながら、大きく一息。意識を元の状態へと入れ替える。

 ……の、だが。


「む」



 それが、遅すぎたものだと知ったのは、目前にいた紫の少女が忽然と姿を消していたからである。

 無人も無人。視界には洩矢諏訪子以外、人っ子一人見つけられるものではなかった。

 コロコロと、どこからともなく回転草―――タンブルウィードなどと呼ばれる、西部劇で見られる枯れ草の集合体が幾つか横切るのみ。

 そんな植物、月面はおろか、【真鍮の都】ですらあり得ないもの……光景を前に、“こめでぃぱーと”を理解している依姫には分かった。……分かってしまった。

 あぁ。これはもう、色々と台無しになったんだな、と。



「あ~……やられたね」

「やはり、あの少女は油断ならぬ者です。我らすら呆けている間を突き、冷静にこの場からの離脱をしたのですから」

「というか、あいつの事をよく知っている私達だから。の、間だったって感じだけどねぇ」

「……むぅ」



 現状を放り投げたくなって来た諏訪子の口調に、もはや威厳は……気力はない。

 デフォルメされた汗を貼り付けんばかりの坤の神に、頭上にこんがらがった線の吹き出しが現れそうな月の軍神。

 その二人の視線の先には、再度拳を振り上げる黒い巨人。どうやら、残りの大地も同様に破壊するらしい。



「九十九はあそこだろうけど……今行ったら……危なよねぇ?」

「そう、ですね……。あやつが何をしたいのかは検討もつきませんが、周囲にまったく配慮していない様子でありますので、仮に我らがあそこへと転移した場合、ともすれば、一瞬の内にあの巨人の稼動範囲に巻き込まれて……はい……」



 みなまで言うまい。

 言葉を濁す依姫に同意する形で、諏訪子は大きく息を吐く。



「とりあえず、九十九が行方不明なのはアレのせいじゃなくて、他の何かが原因。と考えて良さそうだね」

「まぁ、その何かの原因もたった今、大陸ごと粉微塵になったような気はしますが。……しかし、あやつは確か、インドへと旅立っていった……の、でしたよね?」

「そうだね。間違っても大海のど真ん中にある……あった、あそこへは行かないよね」



 洩矢諏訪子が住まう島国から見て左側が目的だとすれば、今、騒動が起こっている大陸は右側。正反対もいいところである。

 はぁ、と一つ。重なる吐息。

 何かを諦めた代わりに手に入れた冷静さを糧に、依姫と諏訪子は、吐き出した空気を再び胸にと入れる為、大きく息を吸い込んだ。



「―――よしっ。じゃあ私は戻って、事が落ち着いた頃合に向かおうと思うけれど、結果はこんな感じだったから、契約は継続ということで」

「はい。今後ともあやつに関わる事が起き次第、諏訪子様をお呼び致します」

「うん、よろしくねー」



 ひらひらと手を振り背を向ける諏訪子に、依姫は思い出したように静止の声を掛ける。



「おっと、そうでした。もしあのお二方と会う機会がありましたら、レイセンを遣いとして向かわせると。そう、お伝え下さい」

「ん、りょーかい。……でもあの二人、顔を合わせる機会もそうそうないし、何処に居るのか……そもそも、国内に居るのかすら、まったく分からないよ? 特に依姫のお師匠様の方。仮に私の治める国に訪れたとしても、まず気づけない。坤の神様が地に足を付けた者を微塵も把握出来ないってどうなのさ。ホント、何者?」

「私の……いえ。月の誉れです。レイセンの件は、こちらで勝手に進めている事ですから、大して問題はないでしょう。が、事前報告はするに越した事はありません。不安要素はなるべく消去しておきませんと」

「そうなんだ。……そういう根回しというか気配りというか事前準備というか、その辺りは是非とも、あいつに依姫の爪の垢を煎じて飲んでもらいたいかも」

「爪の垢……何かの言い回しですか?」

「ふふん。我が国の言葉に対して些か不勉強だな、月の軍神よ」



 冗談めかして話す諏訪子に、目元だけが笑った真面目さ……芝居がかった態度で軽く会釈をしながら、依姫は応えた。



「面目次第も御座いません。つきましては、あの騒動が治まるまで、どうか」



 国語を……日本語を教えて欲しい。

 意図的に中身を抜いた依姫の言葉に、諏訪子はそう解釈を示した。



「……まぁ、すぐ戻ったところであれの騒動に巻き込まれるだけだし……鎮圧は出来るだろうけど、私単体の力じゃあ足りない。ならばあいつの力を使わなきゃ、だけど、そうすると必要以上に国力を使っちゃうし……。……良いよ。ここであれが終わるまで、語学への理解を深めるとしようか」

「感謝致します。実は、あやつの出した【森】への研究を重ねていた副産物として、少量ながら、穢れを含まない地上の動植物の生産に成功しました。が、我が綿月の名に掛けて、下手なものを流通させる訳には参りません。ですので」

「切り替えが良いのか、元からそのつもりだったのか……。分かった分かった。地を熟知した、この乾の神、洩矢諏訪子がそれらの評価をしてやろうじゃないか。神奈子ほどではないが、我の品評は中々に厳しいぞ?」

「頼もしいかぎりです」



 踵を返し歩き始める両名の背には、宇宙空間を挟んでいても幻聴として鼓膜を震わせる程の光景……ドカン、バキンと、冗談じみた擬音が乱舞していた。

 間違いなく大災害。下手をすれば、地球滅亡の危機。

 だというのに、どういう訳か。まぁ大丈夫か、と思い浮かべた両名の歩みは軽い。

 過程はどうあれ、勝手に良い感じの落とし所へと落ちていくあれの事だ。悪いようにはなるまい、と。そう思えてならないのだ。何の事はない、単なる経験則によって。



「……まったく。うちの旦那様は、ホントにもう」



 立ち止まり、最後に一度振り返る。

 案の定、完全に粉砕されてしまった大陸に溜め息をこぼし、口元に緩い笑みを浮かべながら、『知~らない』と内心で呟き、それら大惨事を視線と共に思考から切り離し、その歩みを再開した。

 皮肉な事に、あれが騒動に巻き込まれれば巻き込まれる程、あれの背後に居る事になってしまった諏訪子への信仰が増えていくのだから、当人はそれを褒めれば良いのか咎めれば良いのか悩むところであった。

 圧倒的な力による畏怖と、それによって捻じ伏せられた不条理から生じる憎悪と。あれが救ったであろう、ほんの少しの笑顔によって。

 尤も、過去に自分を下した神奈子が相対的に力を得てしまっているのは、諏訪子にとってみれば思わぬ誤算ではあったけれど。

 九十九は強い。それが使えている神(自分)はもっと強い。ならその神に打ち勝った神(神奈子)は更に強いだろう、といった具合に。





 さて。今度はあれの口から、どんな物語が聞けるのだろう。

 場合によっては、また自ら出張る必要もあるだろうと思いながら、小さな神様は月の都市へと向かうのだった。




















 一方。その頃。



「―――もう! いい加減、大人しくして頂戴っ!」

「いやです! そうしたが最後、また魔界に逆戻りじゃないですか!」

「えっ? 当たり前じゃない。そうしたくてやってるんだから」

「キョトン顔して、何しれっと言っちゃってくれてんですか! だーかーらーっ! 俺はお使いの途中なんです! アイアムジャパニーズ代表! クベさんに会って、インドラ様とか交えながら、極力宗教対立を起こさないようにしましょうね、ってお話しなきゃいけないんですから!」

「? それをやられると私達が困るから、こうしてるんじゃない。魔族的な意味で」

「……あ」

「ツクちゃんって、そういうところがホント抜け抜けよねー。頭が緩いってよく言われない?」

「ぐはっ!」

「でも大丈夫! こっちに来ればそれも長所だから! そしたら魔界神の権限で、ツクちゃんに相応しい立場を……七つの大罪にもう一つ役職を加えてみるのも吝かじゃないわ!」

「あれって職業だったのか……。嫉妬とか暴食とかでしたっけ? ……ちなみに、どんなのを?」

「馬鹿」

「ぜってーいかねぇーーー!!」

「えっー! なんでなんでー!」



 話の内容だけを見てみれば、どこにでもありそうな、ただの戯れ。

 けれど、その周辺の悲惨さと、現在進行中な現状の苛烈さは、言葉とは裏腹もいいところであった。

 男がとある場所より逃げた先。そこにあった大陸は、今やその面積の半分以上を海面へと没せしめていたのだから。

 そんな原因をつくった要因の片方である、天を覆い隠す黒い巨人の攻撃を、往なし、交わし、逸らし、防ぎ。時に押し返すかの者は、三対六翼、紅染めの法衣を纏う、白銀髪の女。赤々と脈動する漆黒の羽をはためかせ、その体躯からは考え付かない豪の力を振るう者。

 神綺(シンキ)。

 前後はない。それが、この黒い巨人と互角に渡り合う、人外の超越種の名前である。



「なんでもいいから……」



 力を、溜めて。



「戻って、来なさーい!!」



 その六翼から放たれる、六筋の閃光。真っ直ぐに【B.F.M】の頭上にいる弱点―――九十九へと襲い掛かる。

 まともに受ければ人間の軍隊の1つや2つは消し飛ぶであろう威力を持つそれであったのだが、それは黒い巨人にとってみれば、攻撃の域にすら届かぬ、ただの輝き。その巨体からは信じられぬ程の俊敏さで、日の光を遮る程度の仕草が成され、意図も容易く防がれてしまう。

 けれど、その余波までは完全に消し去る事は叶わなかった。

 大地を赤い海と化す熱量が空間を埋め尽くし、大気に舞っていた土埃を発火させ、瞬間的に空を紅に染め上げた。

 本来ならば、土が燃える事など在り得ない。放たれた光線の威力がどれほどのものかが窺える。

 ともすれば見惚れてしまうような光景ではあるのだが、それが通り過ぎた箇所は文字通りの灼熱地獄へと変貌させられるだけの力を持っていた。

 しかし、その熱量も一瞬にして四散してしまう。

 小指一本で大型輸送タンカーや超高層ビルに比肩する巨漢の生物が、機敏に動く。それの一挙手一投足は、もはや本人の意思とは無関係の攻撃―――天災の域だ。

 腕を動かした事によって発生した大気の流動は、嵐。周囲に留まる筈であった灼熱を、あっという間に方々へと散らし、かなりの熱量が低下した。



「あっぶねッ! いくら今が破壊不可っつっても、怖いもんは怖いんですよ!?」

「えー? だってツクちゃん、その程度なら全然効果ないでしょ? 外からはもちろん、内からも。『何でも食べられる能力』だったかしら? それの恩恵で、口から取り入れるもので有害なのは全部が無力化されちゃっているじゃない。普通の生き物だったら今ので内臓が火傷しちゃって、それはもう悲惨な事になってる筈なんだから」



 その台詞に何かを思い出した神綺は、ふつふつと腹の奥底より込み上がって来る不満を言葉へと変換する。



「……そのせいで魔界の瘴気とか睡眠薬とか媚薬とかまったく効果なかったんだから! 死体でさえ跳ね起きて三日三晩はっちゃける秘伝の薬まで仕込んだのに、『おぉ、あっという間に体がポカポカして来ます! 凄い料理ですね!』とか言われた夢子ちゃんの気持ち、分かる!? 魔界でも最強クラスの魔人メイドのプライドが粉々になったの! 『お暇を……』とか言い出したあの子慰めるの大変だったんだからね!」

「分からんわ! というか、分かりたくもないわ! ってか、いつのまに一服盛られてたんだコンチクショウめ!」

「え、うちに来てからずっとだけど? ……分からないって、それは、知能が足りない的な意味で? やっぱり大罪に一つ追加するなら、馬鹿しかないんじゃないかなーって思うんだけれど」

「全部ひっくるめて一言で感想言ってやる! ―――あんたマジ最悪です!」



 ―――後はただ、荒れ狂う天候が在るばかり。

 当然ながら、その地が後の世に残る事はなかった。






[26038] 第32話 Bルート
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:17






 いつかの、時。どこかの、空。

 星が落ちてきそうなくらい大きく、月が太陽と見間違えてしまう程に眩い……明るい夜。名も知れぬ小高い丘の頂には、二つの影。

 小さな影と大きな影は、互いに向き合い、何やら話をしていた。

 それ以外、周囲に人影はない。

 あるのはただ、その二つの人影を遠方で見続ける、純白の四獣のみ。

 僅かな寒さを含む微風が、もう間もなくの、秋の到来を告げていた。



「―――という訳で、今だけで構いませんから、諏訪子さんのニックネームはリリーって事で。『春ですよー』の方じゃありませんよ? あ、ちなみに俺はリチャードです」

「ですよー……? ……色々と突っ込んでおきたいところではあるんだけど……にっくねーむって、何?」

「スルーしていただき、感謝感激。ニックネームっていうのは……えっと、愛称とか、別称とか、あだ名とか。そんなもんだと思っておいて下さい」

「その割には、名前は勿論、何一つ私とは関係なさそうな呼び名だけど」

「そもそもが、和名どころか、おもっくそ外国語ですしね~……。ただ、今回ばかりはその辺りどうかご勘弁を。そこんとこ納得していただかないと、先に進み難くなりますんで」

「はいはい。釈然としないけれど、それで納得してあげようじゃないか。りちゃー、ど?」

「ありがとうございます。リリー、さん?」



 一体、何のやり取りなんだか。

 どちら共に苦笑。しばし、二人は芝居がかった空気を楽しんだ。










「……うっし」



 男は咳払いを一つし、瞑目。

 大きく深呼吸を繰り返し、唇を湿らせ、何度も手を開き、握り、自らの意思を研ぎ澄ます。

 少女も、既に何が行われるのかは感づいている。

 頬が熱い。男の仕草に自身の胸の高鳴りを感じながら、静かに、静かに。何かを待ち望む風な視線を向けながら、その顔に柔らかな微笑みを浮かべていた。



「―――初めての時は、ただただ圧倒されるばかりでした」



 そう、ポツポツと語り出す。



「息も出来ないくらい苦しくて。指一本も動かせないくらい荘厳で。卒倒しそうなくらい神々しくて。それまでは、神様はもちろん、妖怪どころか、猛獣にすら遭遇しない生活を送っておきましたから。今更ながら、あの場で意識を失わなかった自分を褒めてやりたいくらいですよ」

「まぁ、あの時は私も威嚇というか、そっちに合わせたところはあったからね。ギリギリを見定めて、精神を追い込んで、その心中を吐露させるのに……えっと、なんて言ったっけ。さむち? を削るのは常套手段な訳さ」

「ありゃ。元々が意識が保てるくらいに調整されてたんですね。……うへぇ、初見で神様の眼力を耐え切った自分に自信持ってたんですが、今の発言でそれもボロボロッス。心の支えが一転して恥部に早変わりとか……泣けるぜ……」

「ははは。落ち込まない落ち込まない。取ってつけたようであれだけど、それでも、この乾神の神通力を乗り越えたんだ。自分の限界に挑み、それに勝った。それは誇って良いものだと思うけどね」

「唐突に挑まれた身にもなって下さいよ……。勇丸なんて、決死の覚悟で事態の回避を計ってましたし」

「大丈夫。それは既に謝罪済みだから」

「それ俺知らない……ん? 俺だけ何のフォローも無しだった訳ですか!?」

「だって、つく……チリャードだし」

「凄く理不尽なのに、凄く納得出来るのが悔しい」

『―――これも日頃の行いというものだ、人間』

「……だから、急に神様モードにならんで下さいって。頭ん中に声が反響してビビるんですが」

「えへへへ」



 ガクリと肩を落とす男に、後ろで手を組みながら、少女は無垢な笑みを向ける。

 本筋から話が逸れてしまった事実に気がついた男は、軽く咳払い。それに少女も習い、声を止めた。

 和んだ空気に、鋭くも熱い色が取り込まれ、話し始めた頃の雰囲気へと戻る。

 けれど、完全に。とまではいかなかったようだ。男の頬には、緊張による朱以外の、気恥ずかしさによる赤い色が混じり込んでいた。



「あぁ、もう。今ので寝る間も惜しんで考えてきた台詞、全部飛んじゃいましたよ……」

「……かっこわるーい」

「……すんません」



 一拍の間。

 気まずそうに肩を竦める男に、少女はジト目を向けた。



「……それで?」

「……うっす」



 少女の言わんとしている事を、男は分かっている。

 ならば止めてしまうのか。

 そう口には出さず、どうするのかと、続きを促す事で先を求めた。



「……切欠は、神奈子さんとの大戦で、胸を貫かれてるのを見た時です。

 自分でも信じられないくらいに感情が沸き立って、痛みとか辛さとかが全部どうでもよくなって。心頭滅却すれば、なんて。まさか自分が経験する日が来るとは思ってもみませんでした。この先が無くなったっていい。ただただ、この胸に滾った怒りをぶつけたくて仕方ありませんでした。

 苦しくて。悲しくて。辛くて。そして、生きていてくれていた事が何より嬉しくて。

 あの頃から今この時まで、色んな問題にぶち当たって来ましたけど、あそこまで感情を爆発させた事なんて、あの時の一回こっきりで。

 ……もう、イヤなんです。あんな思いは。あんな気持ちは。

 失ったもの。手放してしまったもの。過ぎ去ってしまった時。それらの殆どを取り戻せる力はあります。

 ―――でも、失ったという記憶はいつまでも俺の中に残り続けますから。いくら蘇るとはいえ、いくら巻き戻せるとはいえ、そんな経験はもう二度と許容できそうにありません。……ほら、俺って、すっごく我が侭ですから」



 だから。



「朝起きたら隣に居て下さい。眠る前には傍に居て下さい。

 歩く時は手を握って。ご飯を食べる時には向かい合って。

 笑う時は二人で。泣きたい時も二人で。

 下らない理由のケンカもいっぱいしましょう。どうでもいい事で喜び合いましょう。

 一言足りないだけの些細なすれ違いも、一緒に居るだけで感じる胸の温かさも。

 同じ場所に在るだけで息苦しくなる辛さも、同じ景色を見ているだけで心が弾む楽しみも。

 たくさんの……数え切れないくらいの多くの思い出を、二人で創っていきましょう」



 男は腰を落とし、片膝を突きたてながら、目線の高さを少女よりやや下へと合わせ。



「―――健やかなる時も、病める時も。

 喜びの時も、悲しみの時も。

 富める時も、貧しい時も。

 あなたを愛し、あなたを敬い、あなたを守り、あなたを支え。

 この命ある限り、真心を尽くす事を誓います」



 言葉を区切り、胸いっぱいに、大きく息を吸い込んで。

 既に、愛称で呼び合う。との考えは頭から抜けていた。

 あるのはただ、己の本心を、嘘偽り無く伝えるという気持ちのみ。








「洩矢諏訪子さん。俺と―――結婚して下さい」










 それは、誓いの言葉。

 幾千、幾万もの人々がそれを口にしてきた……使い古され過ぎて、擦り切れてしまっているのではないかと思えて成らない程に耳にする、誓約の文言。

 しかしそれは、どれだけ年月を重ねても、どれだけ環境が変わろうとも、万人の心の奥底に語り掛け、感銘や共感をもたらす―――人々の心に響き続けているという、真理の一つに違いない。



「……―――ッ」



 二人の間を、夜の穏やかな風が吹き抜ける。

 分かっていたはずなのに。予測していたはずなのに。

 春の訪れが冬の雪を溶かすように、ゆっくりと。告げられた言葉の意味が、胸の奥底にまで染み込んでいく。



「ぁ~……ぅ~……」



 口を開けば先に進めるかと思ったけれど、それも尻すぼみで終わってしまう。

 少女の顔から火が出そうなほどに熱が集る頬は、朱。

 さらに熱はそこだけに留まらず、頭の天辺から爪先にまでじわりじわりと広がりをみせ、これまでの、どこか優しく見守るような慈愛の瞳は変容し、恋する者の、それとなる。

 何をしている。早く、返事をしなければ。

 頭ではそう理解しているのに、それが口から出てくれない。

 決して短くない生を歩んで来た。故に、様々な色恋沙汰も知っているし、その手の信仰は司っていないとはいえ、相談も受けてきた。応えもした。

 なのに。なのに。なのに。



「―――……」



 それが我が身に起こった途端、この体たらく。

 なまじ長年見聞きしてきた故に、“こういうものだろう”という憶測の……根拠の乏しい強固な安心感は、一瞬にして雲散霧消と化す。

 何も応えられるまま、とうとう視線を下げて、両の手で被っていた帽子を深くかぶり直してしまった。

 嬉しくて。恥ずかしくて。嬉しくて。でもやっぱり恥ずかしい。

 民の命が掛かっている訳でも、国の命運を分ける訳もない。気負う必要などまったく無い筈だ。

 一言でいい。たった一言でいいのだ。

 だというのに、それが出来ない自身の不甲斐無さ。何たる事か。

 培って来た経験など、積み重ねてきた人格など、今のこの場では、如何程の役にも立ってはくれなかった。





 ―――故に。

 その変化は、外よりもたらされた。










「―――んっ」











 重なる影。少女からこぼれる吐息。

 月の光が照らし出すのは、二つの影が一つへと合わさった光景であった。



「ぁ……」



 少女の名残惜しげな声。瞬きほどの時間。

 触れ合うだけの温もりは。しかし、少女を冷静にさせ、痛いくらいの胸の鼓動を落ち着かせる効果を生んだ。

 不思議なものだ、と少女は思う。

 話に聞いていたところでは、これは、胸を高鳴らせる効果があるものだと思っていたのに。

 涙となって零れ落ちそうなくらいであった心の大波が、小波へと収まっていくのを感じながら。



「……九十九ってば……そんなに強引な性格だったっけ?」



 いくらか冷静になった頭で、何とかそう返事をする。

 目尻にわずかな涙を溜めつつ、離した顔に小さな笑みを浮かべ、そう、若干の困惑を含む口調で目前の男へと投げ掛けた。



「いえ、まったく。……ただ、これでも男ですから。好きな人の前では、そりゃあもう格好つけたい訳でして」



 本来ならば、男もこの手の行為には奥手であった。相手が違ったのであれば、上擦った声で右往左往の道化を演じている事だろう。

 けれど、目の前に自分以上に困っている人が居て、それが最愛の者であれば、その限りではない。

 いつだって、カッコつけたい場面では見栄を張ってきた。

 それがどちらに転ぶのかまでは……あえて追求はすまい。

 だが、懲りずに、諦めずに、何度も、何度も。そういう機会が訪れた時、男はそれをやってきた。

 その方がカッコイイから。

 そんな、男なら誰しも持ち得ている小さな小さな……しかし、絶対に拭い去れない信念に基づいて。



「……」



 ……最も、それが貫き通せないのもまた、その男である。

 無言のまま、どこか余裕を持っていた男の態度は徐々にその姿を変えてゆき、少女が持っていた熱を丸々と移し変えられてしまったのではないかと思える程に、その顔が赤く染まっていく。



「……?」



 額が汗ばんでいる。呼吸が不規則になってきた。顔だけは向き合ったままなものの、視線が上へ下へと泳ぎに泳ぎ、明らかに冷静ではなくなっていく様が手に取るように分かる。

 一体、どうしたというのだ。

 男の変化に一瞬疑問を持った少女であったが……。



(……うん?)



 数瞬前の自分の様子を思い返し。



「……恥ずかしい?」

「…………………………かなり」



 もしかして。と思い尋ねてみれば、その答えはまさに、であった。



「ぷっ」



 小さく噴出す。

 なんだかもう、色々と馬鹿らしくなって来た。

 一度崩れた流れは、山を転げ落ちるように勢いを増して。

 腹を抱えてワッハッハ。満天の星空に響き渡る幸せの声。

 もう少し気を抜けば、そのまま地面に寝そべり笑い転げてしまいたくなるのを我慢しつつ、何とかそれをやり過ごす。



「……諏訪子さん?」



 突然笑われた事に不安を覚えた男が、その気持ちの乗った言葉を向ける。

 赤から一転、青色へ。その顔からは、段々と血の気が引いていく変化が見て取れた。

 よくもまぁ、そうコロコロと顔色を変えられるものだ。

 小さな罪悪感。それのお陰で、手放してしまった落ち着きを取り戻す。 



「はははっ―――。うんうん。やっぱり九十九は九十九なんだなー、と思っただけだよ」



 それを悪い意味で解釈した男の顔が、みるみる内に曇ってゆく。

 悲しみを通り越し、呆然の文字が見て取れる表情へと移りつつある顔色は、白。

 人間の秘めた可能性を、こんな場面で見る事になるとは。

 ただ、それを悠長に観察している時間はないだろう。

 この分では『そう、ですか……』などという言葉の後に、諦めを受け入れる発言をしかねない。

 それを変化を察した少女は、男が次の行動に移る前に。



「―――んっ!」

「んんっ!?」



 乾の―――怨恨を司る神が、受けた恥辱を抱えたままでいるなど、在り得る筈もなく。

 一瞬で重なり、一瞬で離れた。

 あまりに自然に。あまりに迅速におこなわれた行為に、男は呆気に取られる。



「―――不束者ですが、どうぞ、宜しくお願いします」



 腰に手をあて、堂々と胸を張り。満天の笑顔で、態度からは真逆の言葉を言い放つ。

 そこでようやく、男は我が意が叶った事実を受け入れた。



「へぐっ……うぅ……」



 張り詰めていた心に亀裂が入り、とうとう涙を流し始めた男に、少女は苦笑を浮かべる。

 その様子に文字でも書き加えるのだとすれば、やれやれ。などと付け足されていた事だろう。



(真剣に……やるつもりだったんだけどなー)



 途中までは良かったのに。

 隣に寄り添い、よしよしと男の背を擦りながら、少女はこの締まり切らない現状を、胸の奥から込み上がる幸福感と、少しの諦めと一緒に噛み締めた。

 まぁ、九十九だし。

 そう、男の全てを受け入れながら。



(……ま、私が妻になったからには、この辺もキッチリ直しておこうかな)



 そんな、恐らくこれまでで最大の命題になるだろう覚悟と共に。















 そして。















「何というか……その……ご迷惑をお掛けしまして……」

「私の胸の高鳴りを返して!」



 再び肩を落とす男に、追撃だとばかりに少女は言葉をぶつける。

 カラカラと笑う少女であったので、その意味合いには、からかいの色が顕著に現れていた。

 遠方で見守っていた……周囲から“お目付け役”などと称されている忠犬、【今田家の猟犬、勇丸】の頭をグシグシと撫でながら、「酷いよねー?」と、同意を求めている。

 その意に肯定を示す形で、勇丸も言葉にこそしないものの、目を細めて男を見る。色々と言いたい事はありますよ、と。その眼力が如実に物語っていた。



「うぅ……すいません……」

「うむうむ。以後、精進するように。私じゃなかったら、まず断られていたかもしれないんだからね」



 暗に、『他の女では無理だ。私だからお前の全てを受け入れられたのだ』とのニュアンスが含まれているのを、男は素直な謝罪という形で返す。早くも、少女の独占欲が顔を現し始めていたのだが、男にはそこまで読み取る事は出来なかったようだ。



「ん?」



 と。

 クイクイとシャツの裾を加えて一度引く勇丸に、何か言いたい事があるのかと男は顔を向ける。

 この両名の間でのみ、会話―――もとい、念話での意思疎通が出来る筈なのに、わざわざ行動でする意味とは何だろうか。

 そこまで考え。



「……あ」



 ここに来て、男はようやく目的の一つが達成されていないのではないかという可能性に思い当たった。

 最大にして最重要な告白は果たした。受け入れられもした。

 素晴らしい。最高だ。今なら有頂天を通り越し、外宇宙にまで飛び出していけそうなほど。

 感無量。俗物的に言うのなら、ヘヴン状態というヤツだろう。

 しかし、その次いでである―――大多数にとってはそれが喉から手が出る程に欲しい―――ものの達成の有無が確認出来ていない。



「諏訪子さん、自分の体に変化とか違和感とかって感じます?」



 その言葉に、少女は僅かに思案を巡らせる。

 こてんと小首を傾げ、少し。

 これといって思い当たるものはないのだが……。



(あっ)



 尋ねられた問いとは別の……。何やら、良からぬ事を思いついたようだ。

 意味有り気な笑いを口元に作った後。

 その、触れれば蕩けてしまいそうな薄紅色の唇にひとさし指を当てながら。



「……体が……」



 小さく顎を引き、上目遣い。

 何かをねだる視線を向けて。



「―――火照ってるくらい……かな?」



 言葉の裏に別の意図が透けて見える、蟲惑的な声色で囁いた。



「ほてっ!?」



 声が裏返る。男の脳内に一瞬にして桃色の思考が充満するが。



「あ”あ”ッ! うぉッほんゲフンゲフン!!」



 強引に咳き込み、それを無理矢理捻じ伏せる。

 嘘は言っていない。ただ、それは先程、少女が混乱の極みに陥った時の名残なだけである。

 けれど、それをどういう形で伝えるかで、その意味は状況報告にも殺し文句にもなるのだから……それが分かってやっている少女は、とてもイイ性格をしているのだと分かるものであった。

 咳き込む男。それをニマニマとした薄い笑いで楽しむ少女に、男はからかわれているのだと―――そのままいくとこまでいけそうな気もするが―――思う事にして、何とか先程の会話の続きを再開する。



「……あの、さっきのリリーとかリチャードとかの下りを思い返してもらって、それを含めてもう一度告白させてもらって良いですか……?」



 一風。

 桃色に突入しかけた空気は変わり。



「ぇー……」



 少女の耳には、国民的アニメちび○子ちゃんで見られる、顔や背景に縦線が走る効果音が辺りに響いた気がした。

 グダグダながらも満足な内にまとまった思い出を穢される気がして、その顔にはありありと、やるせなさが浮き上がる。

 それを拝み倒し、何とか了解の貰い。



「リリーさん、俺と結婚して下さい」

「……分かった。受け入れよう。リチャード」



 とりあえずは真面目にこなしたものの、何だかなー。と言いたげな少女であったのが。










「―――――――――ッ!?!?」



 一瞬にして、自分の中に一つの世界が創られたのを理解した。

















『Proposal/プロポーズ』

 4マナで、白の【ソーサリー】

 Richard(リチャード)はLily(リリー)にプロポーズする。このプロポーズが受け入れられた場合、両方のプレイヤーが勝利する。戦場に出ているカードと、双方の【ライブラリー】と、双方の墓地を混ぜ合わせ、共有のデッキとする。



 ・経歴

 MTGの原案者であり、製作者であるリチャード・ガーフィールド氏が、後のリリー夫人にプロポーズをするために製作したカード。実際にカードとして存在するわけではなく、既存のカードに貼り付けて使用するシールの形で製作された。

 リチャード氏の希望によって、その画像は公開されていないものの、「私がQuinton Hoover(絵師)氏にオーダーしたのはお姫様のように着飾ったリリーの前に、正装の私が膝まずいて『結婚してください』とプロポーズしている絵」とのコメントを雑誌の取材で漏らしている。

 画像検索などでそれらしい絵柄は表示されているのだが、「どう見てもQuinton氏の絵柄じゃない」という意見もあり、おそらくはデータの据わりをよくするために適当なイラストを当てはめただけのニセモノであろうと思われる。あるいは本物かもしれないが、真相は誰にも分からない。

 リチャード氏は実際にこのカードを忍ばせたデッキでリリー女史と対戦してプロポーズしようとしたものの、対戦が不利になる構成はゲーマー魂が許さず1枚しか入れなかったため、引き当ててプレイしたのは3ゲーム目であったと言われている。もちろん、リリー女史は快諾したとのこと。

 合計9枚が製作され、1枚はガーフィールド氏本人が所有、1枚はイラストを描いたQuinton Hooverに送られたが、盗難により紛失している。 残りの7枚は結婚パーティで友人に配られ、現在も大切に保管されているという。



 ・ゲーム性能

 額面通りに解釈すれば、あなたがリチャードで対戦相手がリリーでなければ意味は無い。しかし“本名でなければならない”とは記載されていないので、ニックネームだとでもしておけばゴールインである。

 また、リチャードとリリーは【プレイヤー】でなければならないとも書いていないので、横にリチャードとリリーという観戦者が居たりしたら、その人達にプロポーズをさせる事もできる。物凄く迷惑な使い方ではあるが。

 そして、受け入れられたら受け入れられたで、戦場のカードがその人達のデッキとなって没収されるのである。

 リリー側は「プロポーズを受けるか受けないか選択可能」なのに対し、リチャード側は「プロポーズすることは強制」である。ただし投了はいつでもできるため、リチャード側は「プロポーズより敗北を選ぶ」事が可能。このカードの効果はあくまでプロポーズまでなので、その先にある実際の結婚まではこのカードは関知しない。

 プロポーズが成功したあとで、前言撤回して結婚しなかったとしても、あくまでMTGのルール上においては適正。ただし世間のルール(法律)的に適正かどうかが問題になる。いくらMTGでは「カードはルールに優先する」と言っても、各国の裁判所が許してくれるかは保障できない。

 同じく、婚姻が実行不可能である場合(年齢的な問題、近親者である、同性である、など)にも、世間のルールが優先される。もっともこちらの例の場合は、MTGのルールでも「不正な対象になにか実行させることはできない」が適応される。……かもしれない。

 何はともあれ、これを使うからには、自身が一生を幸せに過ごせるよう、また、パートナーが生涯を幸福に送れるよう、弛まぬ努力を続けていく覚悟を持つ事が大事。

 これを使う者の未来に、幸あらんことを。
















 何が何かも分からぬままに誕生した新たな自分とでも言うべき内面に、自分で自分を抱き抱えるように腕を回し、それでも弾けそうになる内なる何かに耐え切れず、とうとうその両膝を地に突いた。



「大丈夫です。落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり。まずは深呼吸から始めましょう」



 その体を優しく、しっかりと抱き込みながら囁く男の言葉に、辛うじて残っていた自我を保ちながら、焦点の定まらぬ視線のまま、何をしたのだと、その視線で男に問い掛ける。



「前々から……出会った頃から、勇丸とか【ジャンドールの鞍袋】とか【稲妻】とか、俺が使って来た色んな力を疑問に思っていたじゃないですか」



 僅かに、溜めて。



「それを、これからお話します。……ただ、まずは落ち着いてからにしましょう。時間は……たくさんありそうですから」



 それから、しばらく。

 二人は小高い丘の近くにあった岩へと移動し、男はそこに背を預け、両の足を放り投げて座る。

 少女を抱き抱える様に乗せながら、説明というよりは何処か、思い出話を語る風な口調で。





 ―――さてと。何処から話そうか。





 手を伸ばせば届きそうな程に、真ん丸で大きなお月様。手を伸ばしてみれば、やっぱり届かなくて。

 それでもそれを掴んでみようと、五指を開いたり閉じたり。考えを纏めながら詮無き行為を一頻り。

 今後どうなるのかは分からない。ただ、これをしてしまったからには、自分の知識のそれから大きく外れる道に向かう事になるだろう。

 けれど、構わない。この幸せがあるのなら。

 批判や糾弾の声があるとするのなら、地獄にでも言った時に聞くとしよう。だから、今は押し通す。

 そこまで考え、男は一端の思考を止め、しばし。



(星……綺麗だな……)



 告白をし、それが受け入れられたという幸福感もあってか。目に映る全てが輝いて見えた。



(だったら)



 こんなに綺麗な夜なのだ。それら照明達の美しさに敬意を表し、気取った風に始めてみるの一興だろう。

 そうだな。まずは―――そう―――。



「―――ようこそ。多次元宇宙へ」



 そう、切り出す事から始めた。






[26038] 第??話 スカーレット
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:22

 こちらも過去のネタSS同様、執筆速度に影響のない範囲で、設定とか年代とかキャラ関係とか殆ど考えずに書き殴ったものになります。本編と分けてお読み下されば助かります。
 MTG成分は少なめです。


 ■□■□■□■□













「さぁ勇者様! 悪魔の根城はあの山を越えた奥にあります!」

「さぁさぁ勇者様! あなた様のそのお力で、あの憎っくき悪魔めを打ち倒して下さいませ! ―――では我々はこれで!」

「いやあの……俺、それどころじゃ……ってか逃げるんかい……」





 悪魔の中の悪魔。それが統べるは欧州随一の豊国。





「あぁ、スカーレット様だべか。それなんば、こげん道ばまっつぐいけば、日が落じる前までにゃつくんべ」

「他の国じゃあ神の子を崇めてるー、聞きますけんど、オラたぢぁそげんもんは必要なか。みーんなスカーレット様がお知恵を授けてくれんだかんね」

「んだんだ」

「あぁ、噂をすればだがね。あの馬車がスカーレット様だんべ」

「なぁに他所じゃあこげん憎らしか悪魔だっづども、ここは別だぁ。しっかり挨拶しておきんしゃい」

「……ここ、日本じゃねぇよなぁ……?」





 居並ぶ魔族は精強にして優美。従う配下は千に届く。





「よく参られた、旅の者よ。私がスカーレット城が当主、レミリア・スカーレットだ。まずは持て成しを受けてくれ。いつもいつも相手側の用件を済ませてしまうと、その相手が塵一つ残さず居なくなってしまうんだ。たまにはこちらの都合を優先させようと思うのさ。機が悪かったと思って、我が意に従ってくれるなら、スカーレットの名を以って、相応の対応をさせて―――……」

「スカーレッド様ぁ、うづの畑で取れたブドウですんだ。どうぞ召し上がって下せぇ」

「オラんとこは良い麦が実ってなぁ。こっづみだいにすぐんは無理ですんが、寒くなる前にゃあ金色の畑をお見せ出来ると思んまず」

「―――……旅の者、まずは城に行こうじゃないか」

「は、はぁ……」





 吸血姫が統べる都市。

 それは一つの、人魔共栄の理想郷。






「何コレうまッ! レミリアさん、俺こんな美味しいワイン飲んだ事ないですよ!」

「ほう? 人間でもこの味が分かるのか。とっておきだぞ? 私の血が混じっている一品ものだからな」

「ぶほっ!?」

「きゃあッ!?」





 なんやかんやで和気藹々。





「つまりあれか? たまたま木っ端悪魔に襲われていた人間を助けたら、それを担がれて、あれよあれよと言う間にお前はここに来てしまった、と」

「ええ、そうなります……」

「まぁ、このところは人間達の訪問もご無沙汰になって来たからね。少し前までは、やれヴァインパイアハンターだー、エクスソシストだー、聖騎士だー、と賑やかだったんだが……」

「それ、対・悪魔さんな方々を片っ端から返り討ちにしているように聞こえるんですが……」

「自分の領地に引き篭もって、悠々自適にやっているだけなんだけどねぇ」

「領民のおっちゃん達は活き活きしてしましたね。それに、慕われてもいる。凄く良い関係と思いますよ? これで悪魔だから~、なんて理由で討伐とかされてちゃあ、盲目過ぎるったらありゃしないと思いますし」

「やはり、背丈が足りないと威厳も伴ってくれないのね……」

「馬鹿にされているとか、怖がられているとか、そんな風には見えませんでしたけど。今のままで……それじゃあ駄目なんですか?」

「あぁ、駄目だね。私はスカーレット。泣く子も黙る、レミリア・スカーレットだ。夜を従え、悪魔を統べる、化け物の中の化け物。ロードオブヴァンパイア。それが威厳のイの字もないんじゃあ、お父様にも、世の悪魔達に顔向け出来ないさ。……客人くらいだよ。私の配下以外で、私に敬意を見せているのは」

「溢れ出てる力とか、領地の統率具合とか、配下の力量とか、そんな点なんかが、凄いなぁ。と思っている理由ですかね。年下の子供なんかには大体タメ語なんですが……。悪い言い方になりますけど、その辺りは相手を見て。ってな感じでして」

「……その言葉の中身……私の容姿に対する観察眼が含まれていないところに、理由の一端を垣間見た気がするわ……」





 当主の日常。

 これも一種の信頼関係。





「お城って遠巻きに見るだけで、一度も中に入った事なかったんですよ。主直々に案内してもらえるなんて、すっごい嬉しいです! いやぁ、お城とか要塞とかでっかい建物はそれだけで胸躍るなぁ!」

「ふふん、元気の良い男の子だ。いいかツクモ。領主たるもの、民の期待に応え、義務をまっとうする責務がある。しかも私は純血種たるロードオブヴァンパイア。ただこなせば良いというものではないんだ。常に優雅に、強者の余裕を以って―――」

「レミリアお嬢様。そこはまだ清掃中なので、資材が散乱しており、宜しくありません。こちらへ」

「ん、うむ」

「あの……お嬢様……。その……足を退けていただけませんと、布巾が……」

「む。す、すまない」

「あっ、居ましたねレミリア様! また血を残されて! 領民の方々のご好意を無駄になさるおつもりですか!?」

「あ、い、いや、どうにもあれとは相性が悪いらしくてな。エネルギッシュというかアブラギッシュというか……。この前の、裁縫屋の娘のはとても美味しかったんだが……」

「好き嫌いはいけないと、何度申し上げれば良いのですか! 確かに今日のは鍛冶屋の頭からいただいたものですが、『今回は俺の番か! 是非ともレミリア様に!』っていっぱい差し出して下さったんですからね!」

「う、うん。私が悪かった。後で必ず飲んでおくから……」

「―――スカーレット様! またナプキンを着けずにお食事を召されましたでしょう!? 洗濯中の女中が涙流しながらドレス洗ってますよ! 血液って落ちにくいんですから! 領主たるスカーレット様お召し物を買い換えるのに、いくら血税を使うのかお分かりにならないのですか!? 今すぐいらして下さい!!」

「ご、ごめんなさ」

「―――当主! 何処に行かれたのですか!? 今年分の農産物の合算がまだ終わってないではありませんか! 急いで政務室までお戻り下さい! 当主! 当主ーーー!!」

「う、うー!」

「……優雅?」






 最強VS最凶。







「―――あなたが、今度の私の玩具?」

「はんっ、見た目だけじゃなく中身までガキときたか。ノックは城門を破壊するものじゃあないんだがね。……魔法狂いな老いぼれ共の最高傑作だと言うから期待してみれッ―――」

「あぁ!? レミさんがマミった!! 後、その言葉は軽くブーメラン入ってます!」

「あはっ! 凄い凄い! もう殆ど治って……いいえ! 巻き戻っているのかしら! “壊れても壊れない”! 何て素敵なお人形! ゾクゾクしちゃう!」

「……このレミリア様の話を最後まで聞かないなんて、良い根性しているじゃない。―――かかって来いやクソガキャー!」

「出たー! レミさん十八番のカリスマブレイク! そこに痺れる憧れるゥー! ……って一度は言ってみたかったけど斬撃とか衝撃波とかが洒落にならんですよこれは! 動体視力の限界を実感出来るぅうううおおおお!?」






 決着。そして。





「がっ……ふっ……。制御魔力の暴走……。ふん、くたばり損ない達め。使い捨ての火矢じゃあるまいし、紛い物とはいえ、賢者の石をそれだけ連結させていれば、こうなる事は目に見えていたろうに」

「……たの、し、かった。……どうもありがと。レミリア……さま……」

「何だ。あれだけ我を通しておいて、事が済んだら、はいサヨナラか?」

「自分の体……ですもの。どんな状態なのかは……よく……分かる、わ……」

「……おい、お前。名前は何と言う」

「……さぁ……何だったかしら……。あれ、とか。これ、とか。お前、とか。……ドール……なんて言われてもいた、かしら」

「……人形、か。まったく以って忌々しい。……ふん。だが、なら丁度良い。おいお前。今から私の妹になれ」

「何を……言っているの……?」

「妹だよ、妹。このレミリア様の家族になれ、と言っているんだ。あぁ、言っておくが慈悲などではないぞ? そこの力を持て余したビックリ道化師のせいで、私の心の安らぎはどこへやら。慰み者として飼ってやる、と言っているんだ。だが奴隷を侍らせる趣味はないし、女中の真似をお前が出来ると思えん。忠義の臣下という柄でもなく、道化の枠は既に埋まっている。身近に置く理由としては、その辺りが無難だろうしな。それに、名前も付けてやるぞ? ―――フランドール、とな。人形にしては分不相応な……しかし優雅な名前になったろう?」

「……ふふっ。ありがとう、お姉様。でも、お気持ちだけいただいておきます、わ。私……もうすぐ、壊れちゃうし」

「ふざけるな愚妹。そんな運命、このレミリアが認めるものか」

「止めておいた方がいいと思う。力が暴走して、誰彼構わず、今の私に近寄ったもの全てを壊してしまうから。枷の外れてしまった今なら、人や物の区別なんてない。それこそ、風や炎なんて、形のないものですらクシャリと潰してしまいそうなくらい」

「それくらい何だというんだ。全ての運命はこの手の内に。生かすも殺すも我が意のままに。私の決定は、絶対だ」

「でも……」

「まぁ、口だけなら何とでも言えるからな。―――確認だ。お前の今のその力、自分の意思が介入していない……無差別に振るわれているんだな?」

「え、ええ……そうだけど……」

「よしよし。つまりそれは……“運が良ければ当らない”という事か」

「あっ」

「散々味わっただろうに、まだ味わい足りないようだ。さぁ、歯を食いしばれ、妹よ。運命が扉を叩く音を聞かせてやろう」





 漁夫の利を狙う者。





「お姉……様……」

「下がっていなさい、フラン。……ふん、雑兵を束ねて、お山の大将気取りか、教皇。……まったく以って反吐が出る」

「それに仕留められたお前の親は、さぞ愚昧だったのであろうよ。……あの時しとめ損なった悪魔の娘が居ると聞いたが、まさかそれが後を次ぎ、領主になっていようとは。……決めたぞ。お前を殺した後は、この地に住まう悪魔に心を売り渡した者共を浄化しよう。やはり一部の者達だけではなかったのだ、堕落者達は。あの時全て粛清していれば、このような面倒は経験せずに済んだのだがな」

「レミリア様! ここは我らにお任せを! まだあの小娘……妹、様、を相手になされた傷が癒されてはいないのです! ご無理はなさられないで下さい!」

「無駄だ、魔族共。全ては、この時の為に。魔法使い達の手を借りねばならんのが癪ではあったが、それももう、終いよ。対魔に特化した我が軍勢相手に、スカーレットの力なき貴様らは、もはや取るに足らず。早々に逝くがいい」

「我が領民を人質にしておいて父を殺した口が、よくもまぁ、粛清だの浄化だのと抜かすものだ。……おい、ツクモ」

「……何ですか」

「我が事に憤りを感じてくれているのは嬉しく思うがな。先程までと同様に、お前は決して手を出すな」

「なっ」

「これは我がスカーレット家の問題。部外者は黙っていてもらおうか」

「馬鹿じゃないですか!? いくら運命操作の能力があるといっても、そんな満身創痍な状態で、何が出来るっていうんですか! 切り札とかがある訳じゃあないんでしょう!?」

「出来る、出来ない、の問題じゃあないのさ。これは、誇りの問題。我が体に流れるスカーレットの矜持を守る為の戦いだ。邪魔をするな」

「それで領地を……仕えてくれている方達や、領民達を失ってもですか!?」

「そうだ」

「ッ」

「独善、傲慢、大いに結構。自己満足? そうだろう。独り善がり? その通りだ。 ―――しかし! 誇りの一つも守れぬような弱者に成り下がった覚えはないぞ!! 舐めるな人間! そのような綺麗ごとは教会の神父や、魔王に挑む勇者にでも言わせておけばいい! 我は魔を統べる者、ロードオブヴァンパイア、レミリア・スカーレット! 慢心の上に立ち、それを崩さぬ力を持つ者なり!!」

「……」

「分かってもらえたようで嬉しいぞ。……妹を、頼むわね」

「……頼まれました」

「あっ……」

「よっ、と。大丈夫か? 何処か痛いところとか、あるか?」

「だ、大丈夫……だけど……」

「うん?」

「その……誰かに抱っこなんて、された事なかったから……その……」

「ははっ。まぁ恥ずかしいとは思うけど、今だけ我慢して頂戴な」

「……うん」

「よしよし。素直な子は大好きですよ~」

「あぅぅ、グリグリしないでぇ……」

「……何か犯罪臭がして来たな、止めよ……。レミリアさん。ちょっと確認をば」

「……なんだ?」

「俺は“手を出さなければ”良いんですね?」

「そうだ。……あぁ、足でも頭でも一緒だぞ? あれらに攻撃魔法とかぶち込むとか、召喚魔法を使うとかもナシだからな」

「ええ、分かりました」

「……お前、何をする気だ?」

「いやぁ、“あいつらには”何もしませんって。あっ、ほら。進軍して来ましたよー。レミさん、前、前」

「ッ! いくぞお前達! ―――覚えてなさい、ツクモ!」

「いってらー……あっ、レミリアさん!」

「なんだ!」

「最後に、お願いです。相手は誰でも構いません。―――戦闘の始まり。最初の一合は必ず“ブロック”して下さい」

「……分かった」

「頼みますよー! それやったら、俺ホントに唯の一般人になっちゃうんですからねー!」

「ちょ、ツクモ! 今“やる”って公言したわよね!?」





 ルールブレイカー、ここに在り。





「教皇! た、太陽が!」

「有り得ん! 日食だと!? そんな時期ではない筈だぞ! ……日の当らぬところで魔族と事を構えるなど……これでは日の出まで時間を稼いだ意味が……。いや、だが、それでもスカーレットデビルが瀕死の今であれば、我が方の有利は……」

「たっ、大変です!」

「何だ!」

「へ、兵達が……兵達が煙を上げ、悶え苦しんでおります!」

「ッ!? どういう事だ!」

「はっ! 原因は分かりませんが、対魔の加護を与えた武具が、我らに対し牙を向いているようなのです!」

「馬鹿なっ! 神の威光が我らに対し害となる筈がない! あの悪魔めが何かをしたに決まっておる! ……ええい、すぐにそれらを外すよう命ずるのだ!」











『真に暗き時間』

 1マナで【黒】の【エンチャント】

 これが場に存在する限り、全てのクリーチャーは【黒】である。



 単体では何ら意味を成さないカードではあるが、これによって他の色のデッキを相手にした時に、【色】による【シナジー】や対策を狙った企みを挫く事が出来る。【プロテクション】の回避。【色】修正(全ての【白】のクリーチャーは+1/+1の修正を受ける)など、使い処はいくつかあるものの、汎用性は高くはない。

 しかし、【黒】は同色に対して無力なところが間々あるので(例・【黒】でも【アーティファクト】でもないクリーチャーを破壊する。等)、これを使う事で逆に【黒】としてのメリットを失う場合もあるので、使い処は慎重に。











「レミリア様、あれは!?」

「はんっ、まず間違いなくツクモの仕業だろう。我が契りの誠意を汲まず、その裏をかく行い。全く以って不愉快だ」

「ですが、それは「―――ゆえに!!」―――ッ」

「ゆえに。我は……我らは、あの裏切り者に対して報復をしなければならない。命尽きるまで、馬車馬の如く扱き使うでも良し。城を埋めつくほど財宝をねだるでも良し。淫魔達の餌にするも良し。神の子の血を受けた杯に願うより、何とも現実味のある……夢のある話ではないか」

「は……はッ!!」

「然るに! その願いを秘めたまま朽ちる事は、スカーレット家の名折れ! 後悔を叫び滅ぶ魔族は五万とあれど、我らはそれにあらず! 優雅に、強靭に、敵を踏みにじり、蹂躙し、屍山血河の上で声高らかに嘲笑するが我らなり! 強者の誇りを忘れるな! スカーレットの矜持を噛み締めろ! 苦境であればあるほど、己が魂の真髄を磨く娯楽である!
……楽しめ! 生とはこれ、愉悦の追及である! ―――さぁ、狂乱の宴を始めよう!! スカーレットの名に相応しい、血沸き肉踊る狂乱を!!!」









 ―――的な。





[26038] ご報告
Name: roisin◆78006b0a ID:ad6b74bc
Date: 2014/12/31 18:39
駆け足で恐縮ではありますが、大まかな完結までの流れは綴ったかと思います。

12月分の試験は無事終了しました。しかし、次回の試験が4月になりますので、年明けから、そちらに向けての勉強を開始すべく、各所参考書を眺めつつ、購入するものを検討している昨今です。

当SSについてのご意見やご感想、間々あるかと思われます。
お時間は掛かりますが、それらにつきましては個別にお返事させていただきたいと考えてはおります。
とはいえ、確約出来るかと問われれば、口を噤まざるを得ない現状であり、汗顔でありますが、あくまで予定として頭の片隅に残しておいていただければ幸いです。





ここで綺麗な言葉で長々とまとめてしまいますと、筆者幻想郷入りフラグな気もしますので、簡潔に。

ひとまず、ではありますが、どうもありがとうございました。
良いお年になりますよう、皆様の無病息災を、2015年の初日の出に願って参ります。富士のお山から。


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