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[26265] 東方終年記(東方Project×終わりのクロニクル)
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/06 04:33
 初めまして、mayと申します。
 東方Project×終わりのクロニクルのクロスSSを書かせていただきます。
 クロスSSとか初めて書くので、至らないところもありますがよろしくお願いします。

・更新は不定期です。
・クロニクルサイドの説明は全部してると長いので、本編中では説明不足かもしれません。
・要望が多ければ別記事でクロニクル未読者用の簡単な用語説明を作ろうとも思います。
・誤字・脱字は気づき次第修正します。もし見つけたらプギャーしつつ脳内変換お願いします。
・感想掲示板は目を通しまくるので、ご感想ご意見ご要望はあると喜びます。

---

※お知らせ

 このSSは

『東方projectと終わりのクロニクル原作の設定に自分なりのアレンジを加えたクロスオーバー作品』

 を作り上げていく事を明記しておきます。

 何が言いたいかと言うと、作中の様々な事象に対してギミックを仕掛けていくと言う事(……になるのかな)
 
 つまり「両作品の二次創作として、自分なりの東方×終わクロを今の調子のまま書いていく」と言う事です。
 それを受け入れて頂き、その上でご意見ご要望ベタ褒めダメ出しその他諸々を頂けると幸いです。
 
 ですので
・東方Project または 終わりのクロニクル 原作の世界観を忠実に望む方
・お気に入りのキャラクターに対するこちらのアプローチが不快な方
・その他、様々な事象に対して我慢のならない方

 等々の方々は、至極残念ですが不快に思われた時点で読文を止めて頂きます様お願い申しあげます。

 
 クロスSSと言う事なのでどちらかの作品を知らないと言う方がいると思います。
 もしこれを読んで興味を持たれたら、原作の方もプレイするなり読んでみるなりしてみてください。
 きっと損はしないと思います。

 始章まで読んでお気づきの方もいるかと思いますが、
 東方緋想天 及び 東方非想天則
 をプレイしているとニヤッとできるかもしれません。

---

※記歴

11.2/28 初投稿
11.3/29 祝・一ヶ月経過
11.4/6~ 一話~最新話までの加筆修正中。大分読み易くなっていると思います

---

※追記 

3/29
投稿から丸一ヶ月経過しました。
これからもよろしくお願い致します。

---

※初見の方へ

 まずはいらっしゃいませ初めまして。
 初クロスオーバーと言う事もあり両作品の雰囲気や矛盾を出さないように努力する所存です。
 もし頭の片隅にでも記憶して頂ける程の興味を持たれましたら、気長に更新をお待ちください。
 お話を脳内で転がしている間でも感想の返信くらいは出来るので、気になったことがあれば是非ご一報をお願いします。

---

※終わりに

 この記事はちょくちょく加筆・修正されます。

---



[26265] 序章「異世界への招き手」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/06 04:00
「……仮眠から目覚めてみれば、何処かねここは一体」

 上下も左右も手前も奥も無い、ただただ広いと感じさせるその無間封所の空間で、
 
 少年――佐山・御言は、意識を覚醒させた。
 
 学生にしてはやや大きめの背丈に釣り合いの取れた体格。
 白髪の混じったオールバック風の髪型に、母校である尊秋多学園の制服であるブレザーで身を包んだその少年は、現在自分が置かれている状況を確認する。

「……概念空間では無い様だが、現実世界とも言い難い」

 佐山の立っているその空間は、およそこの世のものとは思えない様相を呈していた。
 まず佐山の目に入ったのは。

 否、佐山の姿をその視界に捉えた『モノ』は。

 天と地の区別が無いこの無間空間を縦横無尽に埋め尽くしている、無数の『眼球』だった。
 
 人体の眼球をそのまま人間大に等倍したかのような巨大なサイズの目玉が、佐山を取り囲む様にして空間内に無数に存在している。
 しかしその位置は、佐山から見て近くも無く遠くも無く。
 一種のトリックアートのような錯覚を見る者に与える、不思議な存在感を纏っていた。
 
 その内の一つに触れてみようとして、佐山はそこから一歩を踏み出す。
 前へ出した右足が空間を踏みしめ、そこから『歩ける』と言う情報を取得した佐山は、
 二歩三歩と歩みを止めず足を動かしながら、そのまま声に出して思考の整理を再開する。

「貘もいないか」
 
 佐山がいつも連れている霊獣の姿も見えない。
 仮眠の時には遠くに置いておいたはずの貘だが、
 有事の際には定位置である佐山の頭の上か、制服の胸ポケットの中に存在しているはずであった。
 が、佐山には今、その姿を確認する事は出来なかった。
 慣れた重量感が無い事に若干の違和感を感じつつも、佐山は冷静に考えを進める。
 空間を漂う眼球はそんな佐山を目で追うものの、それ以上の行為を仕掛けては来なかった。

「そして何より――新庄君がいないね!」

 言うが早いか、佐山はいきなり制服の内ポケットに手を突っ込み、中にあるはずの『あるもの』の所在を確認する。
 あった。佐山は瞬速でそれを抜き取ると、自分の顔前――それもかなりの至近距離に展開した。
 
 それは、一枚の写真だった。
 汚れないようにラミネート加工されたその写真の中には、ある人物が写りこんでいる。

「ふふ、危うく日課である起床後の礼拝を忘れる所だったよ。私もまだまだ未熟だね新庄君」

 写真に写った人物――新庄と呼ばれたその人物の本名は新庄・運切と言う。
 
 腰まで伸びた長髪を持つ中性的な顔つきの新庄は、佐山と同じ尊秋多学園の生徒であった。
 そして佐山と同じく『ある機関』に所属しており、双方共に無くてはならない、かけがえの無い存在である。
 その名コンビ具合は学園でも機関でも有名であり、変人揃いの佐山の関係者からも満場一致で祝福の声が上がるほどであった。

 曰く、『末永くお幸せにですよー。主に先生の見えない所でですけど』
 曰く、『今度良い病院紹介するわ。脳外科と精神科と佐山科どれがいい? オススメは断然三番だけど』
 曰く、『式には呼ばないでくれよな、絶対! いやホントマジで、勘弁してください』

「絶賛だね新庄君! ああ、写真からでも君の愛が伝わってくる様だよ。直に触れられないのが残念だ……」

 そう言って佐山が人差し指で撫で回している写真の中の新庄は、変わらずの無表情。
 写真を撮られている事に全く気づいていない、不自然なまでの自然体は表情どころか目線にまで表われている。
 宙を進む新庄の目線が行き着く先は、湿気を防ぐために防水加工を施された壁掛け時計へと伸びている。
 その時計には明朝体のプリント文字で、小さくこう書かれていた。

『祝・女子大浴場 開場一周年記念贈呈品 ※持ち出し厳禁』

 よく見ると写真の中の新庄は、女性用の下着を着けたままの状態で椅子に座っていた。
 そしてその手には、IAI製スポーツドリンク『エネル減(コーンスープ味)』が握られている。

「ご老体から押収した光学迷彩付き接地式超小型カメラ『最前線くん』とも、長い付き合いになる……」

 佐山は感慨深げにしみじみとそう口にしながら、礼拝の時間を終えた。
 色々と考えつつもかなりの歩を進めた佐山であったが、いざ周りを見渡してみても風景は依然として変わりは無かった。
 その後も様々な思考を巡らせてみたが、事態が好転する事は無く。
 そして佐山はそこで、ある結論に達した。
 ふむ と一言つき、手を打ちながらに至ったその結論は、

「つまりこれは……夢だね?」

 夢。そう結論を出した佐山は刹那の速さで他の全ての思考を捨て去り、力の限り叫んだ。



「新庄君ー!! 裸にYシャツ1枚の姿で私の胸に飛び込んでくる新庄君ー!!」

 

 かなりの声量を込められて叫ばれたその言葉は四方八方に響き渡り空間を震わせたが、それだけだ。
 三秒待って、佐山ははて と首をかしげ、

「……おかしい。私の夢ならばここで間髪いれずに新庄君が大量発生して私を取り囲むはずなのだが
 ……気合が足りなかったかね?」

 最後に投げかけた佐山の問いに答える者は、誰一人としていない。
 空間に浮かぶ無数の眼球も、佐山が顔を向ける度に目を合わすまいと不自然に視線を明後日の方向に向けていた。



「では今一度」

「その必要はありませんわ」


 
 再度の欲望を吐き出すべく佐山が息を吸い込もうとしたその時、
 いきなり佐山の近くの空間から声が生まれた。
 佐山が特に驚いた様子も無く声の方向に顔を向けると同時、
 佐山の視線の先の空間に突然、引き裂きながらこじ開けたような、粗い楕円形の穴が出現した。
 そして、その歪な円の上方と下方に紫色のリボンをつけて開かれたその穴から、

 一人の女性がゆっくりと、しかし優雅な足取りで現れた。

「誰だね貴様。……新庄君ではないようだが」
「ご挨拶が遅れました。
 私は紫。八雲・紫と申す者ですわ」

 紫と名乗ったその人物は、長い金髪に白い帽子を乗せ、紫色を基調としたドレスに身を包んだ女性だった。
 手に持った日傘を頭上に掲げゆっくりと歩いてきた紫は、佐山の正面まで来ると佐山に対して一礼する。
 その礼を受けた佐山も、姿勢を正して一礼を返した。
 対面が終わり、二人の周りが静寂に包まれる。
 きっちり十秒経過した後、ふむ と言う前置きを置いて佐山が言葉を発し、その静寂を破壊した。



「新庄君ー!! 裸にYシャツ1枚の姿で私の胸に飛び込んでくる新庄君ー!!」
「えええ!? まだ続けるのですかそれ!?」


 
 紫が慌てて佐山のシャウトを止めると、佐山が不満そうな顔と声で抗議をした。

「何かね一体。私の目下の任務はこの佐山インザ夢空間に新庄君を召喚する事なのだよ裸Yシャツで!! 
 多ければ多いほどよろしい何故なら夢なのだから。わかったら部外者は退いていたまえ」
「ここは貴方の夢でも無いし新庄氏は召喚出来ませんし裸Yシャツも着せませんし人間は増えません。わかったら私の話を聞きなさい」

 紫が口調を崩して気だるそうに諭すと、佐山はしぶしぶと召喚儀式を止めて紫と視線を合わせる。
 お互いが視線を合わせたままの状態が続いた後、今度も佐山から言を切り出した。

「新庄君を知っている様子だが、どういった塩梅かね?」
「変わり無く無事です。……が、ここにはいません」


「私の夢では無いとするとここは何かね? 納得の行く説明を要求するが」
「ここは空間と空間の境界の空間。正式な名称は教えられないのでスキマとでも呼んでくださいな」


「なぜ私はスキマとやらにいる? 私は尊秋多学園寮の自室で仮眠を取っていたはずなのだが」
「私が招き入れました。このスキマは私が作り出したモノですから」


「……貴様は人間――LOW-G所属の者か?」
「貴方がLOW-Gと呼ぶ貴方の世界に属している者ではございません。別の世界の住人です」

 そして紫は言葉を繋ぎ、

「貴方の世界で起きている騒動に被せて言うなら、こうでしょうか。
 ……私はLOW-Gではない、違うGの住人です、と」

 佐山が聞く問いに間を置く事無く紫は答えた。
 ここまで聞いて佐山は押し黙り、少ししてこう切り出した。

「色々と尋問したい事もあるが、先程貴様はこう言ったな? 『私の話を聞け』と。
 聞いてやるから次は貴様から話をしてもらおうか」
「……私の名前は八雲・紫だとも、先程言ったつもりでしたが?」
「残念ながら私のいた世界では新庄君以外は全て『貴様』で通じるのだよ。
 そちらの流儀に合わせて欲しくば、まず信頼出来る情報を開示したまえ」

 視線を外さずに、務めて自然体で切り出す佐山に紫は嘆息し、
 やがて再度、口を開いた。

「わかりました。後で色々と説明し合うとして、

 まずは単刀直入に――願いましょう」

 紫は出会い頭の会釈とは違う、頭を深く下げた礼節作法に則った一礼を佐山に行った。
 
 三秒かけて頭を元の位置までゆっくりと上げた紫の顔には、笑みがあった。
 その表情は、佐山がLOW-Gで行っていたある『交渉』のさなかに幾度も見せ付けられた、対峙した交渉相手に浮かんでいた表情。
 
『信用してはならない』と佐山の持つ直感と経験が自身に告げる、含みのある笑みだった。

 そんな疑惑の表情を崩さずに、紫は二言を繋げて佐山に告げる。



「機密組織UCAT所属、佐山・御言率いる『全竜交渉』関係者に……私達の世界を救って欲しいのです」



「私達の世界。
 私達のG。

 全竜交渉と言う物語の平行線上にある幻想のG――Ex-Gを」





[26265] 始章「幻想への誘い手」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/06 04:31
「エクストラギア……番外のGだと? トンデモ話はTOP-Gの連中だけにして欲しいのだがね」
「しかしそのTOP-Gは実在した。……貴方は存在を主張する異世界の住人の嘆願を無碍にするのですか?」

 幻想世界――Ex-Gの存在を提唱した紫のその言葉に、佐山はしばし押し黙る。
 
 そこで佐山はふと、自身の手首に巻きついている物体を見た。
 
『自弦時計』と呼ばれるその黒い腕時計型の装置は、今は何の反応も示していない。
 それが意味する事とは、この場所に何らかの概念空間が展開されている事は無い、と言う事だ。
 今ここにいるのは佐山と紫の二人だけ。全竜交渉部隊はおろか、UCAT関係者の姿も見当たらない。
 ともすれば、これは異G間の事前交渉ではない。
 言質も映像も記録されない場所で行われる、紫と名乗る怪しい女性との単なる仮定の与太話だ。
 
 ここまでの思考を僅か数秒で組み立てた佐山は、再び口を開いた。

「貴様はLOW-Gでの全竜交渉の顛末を知っているようだが……どこでその情報を?」
「さぁ、どこでしょう? それはまだ、言える段階ではありませんわ」
「なるほど。情報源は教えられない、か。
 ……しかしその口振りだ。ほぼ、全てを知っていると見ていいのかね?」
「ええ。
 概念も、十二の異世界の事も、UCATの事も。全竜交渉の事も。

 そして……過去の事も」

 過去。
 その単語を聞いた佐山は反射的に胸を押さえそうになるが、表には出さずに踏み止まる。
 幸いにも、軋みは来なかった。
 その事を悟られまいと、佐山は質疑を再開する。
 先程の会話の中で、気になる事があったのも事実だった。

「今、十二の世界と言ったが……全てを知っている上でEx-Gとやらを含めるのなら、十三の世界と言うべきではないのかね?」
「このEx-Gは本来、貴方達の知る十二のGとの接点を持ちません。
 現に今、そちらの世界の時の流れは止まっています」
「どういう事かね?」
「Ex-Gを救っていただけるのならば、貴方達をすぐに元の世界にお帰しします。
 その際、貴方が仮眠を取った直後の状態から、世界は動きだすでしょう」
「それは助かる。なにせ世界の消滅まで時間が無くてね……チョー急いでいた所なのだよ」

 ハッハッハッとわざとらしく笑う佐山だったが、すぐに真顔に戻り目を細め、

「貴方達と言ったな貴様。新庄君を含め、何人このEx-Gに連れてきた」
「……ふふ。流石は交渉役、佐山・御言。わずかな隙も見逃しませんわね」
「敵がわざと見せている隙に殴りかかるのは相応のリスクを伴うものだと知れ。
 尤も、私はリスクよりリターンを取る主義だから躊躇わず突いて行くがね」
「ではその勇敢な気概に敬意を表し、リターンを返しましょう。
 
 ……声をかけたのは関係者全員。連れて行くのは貴方を含めて未定です」
「もっとわかりやすく答えたまえ」
「貴方を含め全員に、このEx-Gを救っていただく件について拒否権があります」
「その権利を行使したらどうなる?」
「すぐに元の世界にお帰ししますわ。元通りの状態で」

 笑みを崩さずに言う紫に対し佐山が返答せずに考え込んでいると、紫の方から質問が飛んできた。
 
 それは新たな内容では無い、先程聞いた言葉と一言一句違わず。

「それを踏まえて今一度問います。

 ……貴方は存在を主張する異世界の住人の嘆願を、無碍に切り捨ててしまわれるのですか?」

「――私をあまりナメるなよ幻想世界の住人」

 その言葉を聞いた瞬間、佐山は反射的にではなく自らの意志で、反射に勝る速度で答えを返していた。



「無碍になどするものか。世界をこれ以上なく平等に寛大なる大佐山帝国の合併領土とするのが全竜交渉部隊の仕事だ
 そこには一切の不平不満差別遺恨を許さん。お互いが手に手を取って日に五回は私を崇め奉る素晴らしい世界だ
 私の心は瀬戸内海より広いので予定外のGの一つや二つウェルカムだとも。どんどん私を頼りたまえ。
 しかし檻から出ずに餌をねだる不届き者がいるのなら、引っ叩いて連れ出して地に立たせるのも仕事だがね!!」

 


 一息でまくし立て、しかし微塵も息を切らさずに佐山は紫に言い放った。
 
「……とまぁ程度の差こそあれ、少なくとも全竜交渉実働部隊の面々はこれくらいの事を言うだろうね。
 否、言って貰わなくては私が困る」

 紫はしばし目を丸くして硬直していたが、やがて先程と同じ笑顔を顔に浮かべ、

「試すような言い方をしてごめんなさい。Ex-G代表として謝罪いたしますわ」
「LOW-G代表としてその謝罪を受けよう。
 ……そして、君達の世界を救おう。ただし私のやり方で、だが」

 佐山はそう言って、目前の代表者を通してEx-G全住人に対し、



「今ここに、Ex-Gとの全竜交渉の開始を宣言する!! 

 続けて誓おう。佐山の姓は、悪役を任ずると!!」



---

「宣言したはいいが、肝心の情報がまだ全然集まってないのだがね」
「説明してあげたいのは山々なのですけれど、時間があまりありませんわ」

 佐山は今、先導する紫の後ろを歩いている。
 スキマ空間の中をほぼ直進で歩いている紫が言うには、まずは急ぎ、この空間から出るのが先決との事だった。

「先程の時間は止まっているという話は嘘かね?」
「八雲・紫」
「……先程八雲君が言っていた、時間は止まっているという話は嘘かね?」
「LOW-Gと関係はありませんが、Ex-Gとこの空間の時間はリンクしています。こうしている間にも事態は進んでいるのですわ」
「Ex-Gに対して、具体的に何をすればいいのかね?」
「道すがらお話しますが、まずは貘を探しましょう。ご一緒にお連れするはずだったのですが邪魔が入りまして」

 貘の名を出した紫の言葉を聞き、佐山は思う。

(……敵対する勢力がいて、過去を見たいと言う事か)

 情報を濁してこちらに提示するのは何か考えがあっての事だろうと、佐山は当たりを付けた。
 こちらの技量を測るとしても、撹乱を目的としても、仕掛け方が稚拙過ぎるからだ。

「ここですわ」

 と、紫が先導を止めて立ち止まると同時。
 到達地点であった目の前の何も無い空間を、その右手で軽く薙いだ。
 
 すると、空間を泳いだその手の軌跡に沿ってひびの様な線が入り、
 上下にリボンのついた、あの楕円形の穴が出現し、広がった。
 
 紫が出現したときよりいくらか大きいのは、佐山の体格に合わせたからだろう。

「この穴が私達Ex-Gの世界――幻想郷に繋がっています。準備はよろしいですか?」
「……何の準備、かね?」

 佐山も薄々気づいていた事だが、あえて紫に断言させるべく聞き返した。

「概念の準備です。Ex-Gにも当然、概念は存在するのでしてよ?」

 そう言って紫はその視線で佐山の腕に巻かれた自弦時計を促す。
 
「……幻想の竜を垣間見る用意はいいかと、そういう事か」
「この先、私は助言はしますが行動は起こしません。私の持つ権限全てを佐山・御言に預けます」
「任せておきたまえ。
 
 ……ああそれと、八雲君に一つ、言っておく事がある」
「……なんでしょう?」



「幻想の竜と交渉を終える時は、全員揃って私の下に集まる時だ。
 一人の欠けも、許さんぞ」

「……役者は揃いて竜は舞う。幻想の年代記、刮目させて頂きますわ」

 

 言って、応じ、二人は同時にスキマを出る。

 

 そして、ここではないどこかの空間からも、同時に幻想郷へと身を投げる者がいた。
 
 全ての役者の共通点となるのは、身に付ける自弦時計。
 
 自弦振動を感知し震えるその時計の液晶に文字が浮かび、装着者に力ある言葉が世界から告げられる。
 


『そうあるのだから仕方ない』と言う、世界を構成する究極の理論。
 異なる世界と会話する為に適応し、対応し、順応し、理解する必要がある、絶対の領域――概念空間。
 
 佐山達はスキマをくぐり抜け意識を失いながらも、Ex-Gの概念に触れた。





・――世界は幻想である。
・――気質は力を持つ。








[26265] 第一章「草原の迷い人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/06 04:59
「ねぇ、ブレンヒルト」
「……」

「あんまり言いたくないんだけどさ、でも事実だから言うよ? 僕は文字が書けないから」
「……」

「もしかして僕達、完全に迷子なんじゃないのかな?」
「だったらどうだって言うのよナメてんじゃないわよアンタ」
「すいませんでしたごめんなさい以後気をつけまあひゃひゃひゃひゃ!! ダメダメそこかさぶた剥がれちゃうのー!!」

---

 草原。そうとしか表現できないほどの見渡す限りの大草原を横断するのは、一人の少女と一匹の黒猫だった。
 
 少女――ブレンヒルトと呼ばれたプラチナブロンドの少女は、整った顔いっぱいに不満の色を露にしながら自分の足元を平歩していた黒猫を持っていたもので小突いた。
 小突かれた黒猫は人語を扱い抗議しながらも、ブレンヒルトに腹を向けて服従の意を表現しながら草原で身悶えている。

 

 十二の世界が一つ、文字を概念とする1st-Gの少女、ブレンヒルト・シルト。
 
 彼女もまた、佐山と同時にEx-Gに足を踏み入れていた。
 
 どこぞの独逸魔女と同じ口調で話す八雲紫とか言う金髪に挑発され、この幻想郷を救うと宣言したのがつい先刻の事。
 ブレンヒルトは全竜交渉部隊に属してはいないが、異G代表の全竜交渉監査と言う立場を使い、理由を付けて幻想郷に入る事となった。
 概念条文が聞こえたと同時に意識を失い、気づいた時にはお供である黒猫と二人仲良く、この大草原に放り出されていた。
 紫がスキマと呼んでいたあの眼球だらけの空間とは違った意味で無限とも呼べる広大な土地を、かれこれ一時間近くも彷徨っていた。

「そもそも私は尊秋多学園の美術室で絵を描いていた筈なのに、どうしてこんな目に」
「それはブレンヒルトがディアナのパチモンみたいな奴の挑発に乗るから……無視して帰ればよかったのに」
「それに服もいつの間にか魔女服になってるし。『これ』だっていつの間に持ってたんだか」
「ねぇブレンヒルト。無視するのは紫とか言うヤツであって僕じゃないんだよ? ねぇ聞いてる?」

 黒猫を完全に黙殺し、ブレンヒルトは自らの服装と持ち物を再度確認した。
 今身に付けているのは現実世界で着ていた尊秋多学園の女子制服では無く、1st-Gで魔女を名乗る彼女の正装だった。
 三角帽子に黒のワンピースと言ういでたちのブレンヒルトは、続けて手に持った自らの武器に目を向ける。
 
 その武器は、ブレンヒルトの背丈以上もある巨大な大鎌だった。
 
 鈍く明滅を繰り返すその大鎌はブレンヒルトの言葉に反応し、刃の周囲に蛍色の光を集めて主人に答えた。

「『鎮魂の曲刃』。ロッカーにしまっておいたはずなんだけど」
「完全装備に切り替わってるね。何か一騒動あるって事じゃないのかな」
「私はあくまで監査としてここにいるのよ? 有事なんて知ったこっちゃ無いわ……売られたら買うけど」
「いい加減その性格直そうよ。全竜交渉終わってから特に顕著だよブレンヒルト」

 うるさいわねと一蹴して、ブレンヒルトは歩き出す。
 黒猫もそれに続くが、しばらくして疑問の意図を含んだ言葉をブレンヒルトに投げかけた。

「でも『鎮魂の曲刃』さ、何か反応凄くない? いつもそんなに光ってなかったはずだけど」
「そうねぇ。『聞けば』わかるだろうけど、こんな異世界でうかつに振るう訳にもいかないし……」

 幻想郷に入ってからというもの、鎮魂の曲刃は不定周期での発光を繰り返し、ブレンヒルトに何かを知らせようとしていた。
 
 1st-Gの概念兵器であるこの大鎌は、死神の鎌とも呼べる現世と冥府を繋ぐ力を持っている。
 死者の魂と対話し、場合によってはその力を借りて攻撃出来る、ブレンヒルトの専用武装である。
 鎌が統べる冥界には1st-Gの住人達の魂が管理されており、その表れとして蛍色の光が周囲に漏れるのであった。

「僕何かイヤな予感がするよ。やっぱり帰ろうよブレンヒルト」
「ま、もう少し歩いてみましょう。こんな見渡す限りの草原を快晴の下で歩けるなんて、LOW-Gでも居留地でも出来ない体験だもの」

 そういってブレンヒルトは身体を伸ばした。
 ここ数日、長時間椅子に座って絵を描く動作が続いた為か関節が軋みを上げてほぐれていく。

「ん゙~……っと。あぁ気持ち良い、生き返るわ」
「ババ臭いよブレンヒル」

 黒猫が余計な一言を付け加えたが、言い切る前に言葉が途切れた。
 
 ブレンヒルトが伸びを終えて下げた手を使い、空間――黒猫の足元を対象として文字を書いたのだ。
 
 

『文字は力を持つ』と言う1st-Gの概念を、1st-Gに属するブレンヒルトは完全とも呼べるレベルで扱う事が出来る。
 指先で空間をなぞり紡ぐその線は、歴史の初期に1st-Gで使われていた古代文字。
 
 点と線の集合が文字として昇華する条件は、そこに意味があるかどうかだ。
 そしてその存在に意味を持たされた文字を、1st-Gの住人はさらに1段階――力として昇華させる。
 
 ブレンヒルトが黒猫の足元に書いた文字は罰と躾の感情が込められたやや強めの筆跡で、こう書かれていた。



『ジャンプ台』と。
 
 

「トおおおおおおぉぉぉぉ!?…………ぁぁぁぁああああああごめんなさいごめんなさい受け止めてええええええええ!!」

 書き終えた瞬間に文字は力を発揮し、黒猫を突っ込みの末尾ごと飲み込み、その身体を遥か高空へと連れ去った。
 地上十数メートルをゆうに超える最高点まで飛び上がった黒猫は、物理法則の存在しているこの世界に従って自由落下を開始する。
 必死な形相で空中で力を込めた黒猫は、落下点を少しずらす事に成功した。
 
 即ち、ブレンヒルトの頭上へと。

「あら靴紐が」

 ブレンヒルトは受け止める体勢を欠片も取っていなかった自らの身体を前屈させ、微塵の緩みも無かったブーツの靴紐をとりあえず締めなおした。
 すると何故かすぐ前方の草原に、猫サイズの物体が高空から落下するような音と振動が響き渡たる。
 響きが収まると同時にブレンヒルトは上半身を上げ、大の字にのびている黒猫の尻尾を掴んで宙に引き上げた。

「反省した?」
「あのねあのねブレンヒルト昇ってる途中は寒くて落下すると熱いんだ!! 大気圏突入ってこんな感じなのかな!?」
「質問したのだから答えなさい」
「したした超した!! こんな蒼天の青空二度と見たくないよ!! 1st-Gの雲が懐かしいなぁ!!」

 そこでふと、ブレンヒルトは黒猫の最後の言葉に引っかかるものを感じた。
 尻尾を掴んでいた右手を離し、自分の顎に手を当てて思案する。自由落下で黒猫は再度地面に激突するが、ブレンヒルトは完全に無視。

(そうね、快晴と言うより……これは蒼天というべきかしら。異常なまでに雲が無い)

 見渡す限りの大草原を覆う空は、やはり見渡す限りの青空だった。
 そこには三百六十度どこを見渡しても青空しか無く、細かな雲などは一つとして存在しない。

「……ブレンヒルト、どうしたの?」
「黙って。……なにかおかしいのよ、この空」

 復活した黒猫が疑問してくるが、ブレンヒルトは静止の意を返す。
 喉下まで出掛かっている疑問に気づけない自分に苛立ちつつ、ブレンヒルトは思考を早めた。
 黒猫は心配そうにブレンヒルトを見上げながら、おずおずと小さめの声で言葉を発した。



「空? ……こんな蒼一色の空、描いてもつまらなそうだけどさ」

 
 
 その言葉を聞いたブレンヒルトは黒猫を物理的に黙らせようと右手を動かそうとして、



 ぞくり と背筋を震わせながら、己の動きを完全に止めた。
 


 黒猫の言葉をトリガーに疑問が意味として成立し、
 意味は回答へと昇華して、ブレンヒルトの口から言葉となって飛び出す。



「そうよ!! 雲一つ無い見渡す限りのこの青空……やっぱりおかしすぎる!!」
「な、何が?」



「わからないの!? 見てみなさい、この空。

 ――太陽が無いわ!!」


 
 日中の穏やかな空を表現する頭上の蒼天には、太陽が存在しなかった。
 どう言う事かとブレンヒルトが警戒の色を強めると同時、

 背後から強烈な殺気が飛んできた。

「……っ!!」

 ブレンヒルトは即座に黒猫を引っつかんで前方に飛ぶと、空中で向き直り殺気の正体と対峙する。

 そこには、草原にたたずむ一人の少女の姿があった。
 
 短い白髪に緑色の衣装を纏ったその少女は、ブレンヒルトが遠目から見てもわかるほど幼く、小柄だ。

「その場から動かずに私の質問に答えてください。抵抗しなければ斬りません」
「抜き身の剣を振りかざして近づきながら言う台詞とは思えないわね」

 ゆっくりとブレンヒルトに近づき、きっちりと手に持った長尺の日本刀の間合いで歩を止めながら、少女は警告する。
 ブレンヒルトは文字概念をいつでも使えるよう臨戦態勢を取りながら、少女の言葉を聞く。



「私の名前は魂魄妖夢。貴方達をお連れするよう、我が主から命を受けて参上しました」

「ご丁寧にどうも。私は名乗らないし貴方の誘いにも乗らないわ。わかったらさっさと立ち去りなさい」
「ブレンヒルト・シルトと我が主から聞いておりますが、間違いありませんか?」
「……気が変わったわ。ご主人様の所に案内なさい。
 知ってる事、全部吐いて貰うわよ」
「……結構です。ならば、実力行使で連行させていただきます」

 肩に黒猫を乗せた魔女は、鎮魂の曲刃を妖夢に突き出して言い放った。
 妖夢は蛍色の光を纏う大鎌の刃を見据え、刀を構える。
 
 その時、ブレンヒルトは妖夢の肩口辺りを漂う、あるものの存在に気づく。
 鎮魂の曲刃も明滅を繰り返して反応するそれは、ブレンヒルトがよく知っているもの。
 白い半透明の球体が、鎮魂の曲刃の明滅に合わせて身体を揺らしながら同じ様に反応している。

「……魂!? 貴女、幽霊……いや、違う」
「――白玉楼剣術指南役兼庭師。『半霊』魂魄妖夢、参ります」
「なるほど、白玉楼の妖夢ちゃんね……貴女、抜けてるって周りからよく言われない?」
「……参りますっ!!」

 頬を若干紅に染めた妖夢は長尺の刀を手に突進してきた。
 腰に差したもう一刀の存在はとりあえず置いておき、ブレンヒルトは刀を受けるべく大鎌を引く。
 
 その時だった。

(……何!?)
 
 ブレンヒルトは、自身の手首が身体に告げるその振動に意識の全てを持っていかれた。
 
 振動源は黒い時計。
 自弦時計が、概念の展開を告げる振動と声を発した。





・――蒼天   連携は鋭くなる。





(これは……!!)

 力ある言葉は果たして世界を構築する。
 LOW-Gでは聞き慣れた概念条文の宣言だったが、今回は条文の頭に冠詞が付いていた。
 
 一瞬強く震えた自弦時計。打ち下ろされる妖夢の長刀。展開する世界。
 
 三つの事象を受け入れたブレンヒルトは、Ex-Gでの初戦闘を開始する。



[26265] 第二章「蒼天の断迷者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/06 05:40
 ブレンヒルトは妖夢の振るう長刀の連撃を鎮魂の曲刃で受け流しながら、状況を整理する。
 先程聞こえた条文――『連携は鋭くなる』という概念の意味の理解を第一に置き、攻めではなく受けに徹した。
 
 刃線が十を超えた辺りからブレンヒルトは蒼天という概念を、その身をもって理解し始める。
 ブレンヒルトの理解の糸口となった鍵は、妖夢の攻撃速度と、それをいなす自身の疲労の蓄積だった。
 体格に不釣合いな長刀を振るいながらも速度の衰えを微塵も見せぬ妖夢に対し、ブレンヒルトが反射で作る即興の防御は徐々に崩れつつあった。
 武器と言う重量物のぶつけ合いで片方のみが疲労を請け負う不平等な状況を覆すべく、ブレンヒルトは防戦の最中にある行動を施行する。

「……なる、ほど、ねっ!! 大体飲み込めてきたわよ蒼天!!」

 斬撃の雨を大鎌の刃で受け流していたブレンヒルトは、その防御方法を切り替えた。
 だが長刃の速度は依然として変わらず、受ける場所は依然として変わらず、両者の行動に大きな変更は無い。
 
 ブレンヒルトが切り替えたのは、防御行動を行う際の、自身の気の持ちようだった。
 
 それまで刃の軌道の確認から反射的に動かしていた防御行動を捨て、次に来るであろう斬撃を予測し、対応し、
 自分の中で防御行動の系統樹を綿密に組み立てていく。
 
 連続する防御行動を一つの連携として自身の内部で組み立てた瞬間、ブレンヒルトの速度が上がった。
 妖夢の振るう長刀と同等の速度まで追いついた大鎌がブレンヒルトに襲い掛かる斬撃の全てを防ぎきる。
 瞬間とは言え余裕の出来たブレンヒルトは、その空いた時間をあらかじめ連携の最後に組み込んでいた行動へと当てた。
 ブレンヒルトは妖夢の斬撃と斬撃の隙間を縫うようにしてその右足で妖夢の身体を蹴り抜く。
 その反動で背後へと飛び距離を取ったブレンヒルトは一息つき、概念に対する手ごたえをそのまま言葉として紡いだ。



「つまりこう言う事ね。
 己の内で組み立てた、連携として行う動作に限り……終了後の隙を無視して即座に次の行動に繋げられる。行動短縮系の概念ね」
「理解が早くて羨ましい限りですが……同じ土俵に立ったとでもお思いですか?」

「同じ土俵? 笑わせないで頂戴、三段飛ばしで私が見下してるの。
……泣いて謝れば許してあげるわよ? 嘘だけど」
「ブレンヒルトブレンヒルト、久々に自分より小さい獲物だからって態度まで大きく出るのは、僕、感心しないなぁっ」

 肩に乗った黒猫が余計な茶々を入れるが、ブレンヒルトは黙らせなかった。
 その代わりに、鎌を持っていない方の手で黒猫の尻尾を握り力任せに引っ張った。
 本日何度目かの宙吊り状態にされた黒猫は、冷や汗を掻きつつブレンヒルトに問う。

「……あの、僕をどうするつもり?」
「これからあんたに連携って言葉がどういう意味を持つか、身をもって思い知らせてやるわ」

 黒猫の問いにブレンヒルトは答えず、妖夢に向けてそう言い放った。
 怪訝な顔でいぶかしむ妖夢の目線の高さに黒猫を持っていき、ブレンヒルトは逆の手に持つ大鎌の先端を黒猫に当てた。
 尋常じゃない量の冷や汗を流す黒猫の背に、ブレンヒルトは鎌の先端で概念の力込めた文字を書きつつ口を開く。

「連携ってのは個人の行動の他にも、多人数によるコンビネーションって意味もあるのよね」
「……それはどういう」

 意味ですかと妖夢が問う前に、ブレンヒルトは行動を終える。
 
 黒猫に書かれた文字はその力を発揮し、意味通りの力を書かれた対象である黒猫に与えた。

『……これは、何と書いてあるのですか?』

 妖夢と黒猫の疑問が一言一句違わず、重なった。
 
 ブレンヒルトは待ってましたと言わんばかりの顔で黒猫を引き寄せ、尻尾を持った手に力を込める。

「この前、尊秋多学園の衣笠書庫で面白いDVDを見つけたのよね。『非道戦士・癌駄無』だっけ。
 仲間内で陰湿にハブられたムシロ君が怨恨エネルギーで動かす癌駄無に乗って復讐を繰り返すロボットモノ。痛快娯楽復讐劇って銘打ってたけどあれ嘘よね」

 意味がわからずぽかんと口を開けている妖夢を置いていきながら、ブレンヒルトは力を込めた手を頭上に持ち上げ、黒猫を振りかぶった。
 そのDVDを一緒に観ていた黒猫は大よそ察しが付いたのか、全身を総毛立たせて精一杯の抗議の意を見せている。

「その時最終局面で癌駄無が使ってた武装をね、ちょっと、試してみようと思うのよ。
 ……いい? 連携が命よ? 具体的には私の動きに合わせなさい。死ねと言われれば素直に死ぬのが良い兵隊よ?」

 最後の一文を最早観念した感じの黒猫に投げかけ、返事も待たずにブレンヒルトは黒猫を妖夢に投げつけ、

 放たれた矢の如く加速する黒猫を追いかける形で、自身も妖夢へと躍り出た。



「さぁ反撃開始よ半霊!! 私と黒猫の完璧な連携、しかとその目に焼き付けなさい」
「とりあえず私が勝ったらその黒猫さん引き取らせてもらいますからね!! 可哀想だと思わないんですか、この魔女!!」



 背に『ファンネル』と書かれ、ブレンヒルトの意志で動く遠隔兵器と化した黒猫と、大鎌を振るう魔女。
 蒼天直下の遭遇戦はその概念に従い、ブレンヒルトの連携攻勢を極限まで研ぎ澄ました。



---

 

 ファンネルと言うものの存在の意味がよく解からなかった妖夢だったが、ブレンヒルトの攻勢を受けてすぐにその特徴を感じ取った。
 ブレンヒルトの武器は大鎌である。妖夢の長刀と比べてもその大きさは異常であり、威力は高いが攻撃の入りと戻りの動作が起こす隙は甚大だ。
 しかし両者が抱える、それぞれに生まれる隙の問題は現在、蒼天の概念がその一切を解決している。
 連携として組み立てた動作は生まれる隙を零にまで減衰し、高速の連続行動が可能となる。
 現に現在進行でブレンヒルトの攻撃を凌ぐ妖夢も、先程ブレンヒルトが行っていた『防御行動の連携化』を使用して攻撃を凌いでいた。
 
 先刻の場面の攻守をひっくり返したかのようなこの状況で明確に違う所は、やはり黒猫の存在であった。

 ブレンヒルトは大鎌が生み出す隙を消す方法として、黒猫と言うパートナーとの連携を使用して概念に適応させた。
 ブレンヒルトの攻撃の隙を狙う妖夢の反撃の悉くを、その身を弾丸と化した黒猫が的確に妨害する。
 鋭くなった連携は黒猫の動きを鋭敏にし、戦闘空間を縦横無尽に駆け巡らせる。

 厄介なのはこの連携はブレンヒルトと黒猫との連携なので、ブレンヒルト自身の攻撃に連携としての組み立ては必要無いと言う事だ。
 組み立ての思考に回す分の処理能力を他に回せるアドバンテージを、ブレンヒルトは見逃してはいなかった。

「ぶぶぶぶブレンヒルト、僕達これ息合ってるって言うのかなぁ!? 連携取れてる!?」
「勿論よ。妖夢も対応しきれてなくて焦ってるわ。見なさいあの困惑の表情」
「困惑と言うより何かこう、目の前の人でなしを哀れんでるような……ちょっとブレンヒルト今何書き足したのさ!?」
「お喋りはおしまい。……一気に決めるわよ!!」

 大鎌を操り空間を踊るような動きで攻める魔女は、引き寄せた黒猫に瞬速の動きで文字を三語追加して攻撃の手を増やした。

『加速』『頑丈』『必死』と書き足された黒猫は、硬化した身体を必死の形相で加速させて妖夢に対してぶつけて行った。
 
 一者一猫の乱舞は相互に絡み合い、その速さを増す。
 じりじりと、しかし確実に妖夢が押され、ブレンヒルトが空いた思考で勝利の文字を思いかべる直前、事態は大きく動いた。

 堅牢だった長刀の防御が崩れてつつあった妖夢は、ブレンヒルトにも黒猫にも気づかれぬ程の微笑を口元に浮かべ、ある行動に出る。
 防御として組み立てていた連携の思考を割き、対峙している者に疑問を投げかけたのだ。
 
 当然連携の精度は落ち、概念化で鋭くなった妖夢の防御はその分鈍くなる。
 捌き切れない鎌閃が妖夢の身を薄く切り裂き、流れ出た血が霧散して周囲に漂った。
 血を流しながらも微笑を見せる妖夢に対し、
 その甘くなった防御を単純な好機として取れなかったブレンヒルトは警戒しながらも、妖夢の言うその疑問を耳に入れた。

「ところで黒猫さん。貴方もしかして、本当は戦いたくないのでは?」
「よよよよくわかったね!! でもそんな事言うとブレンヒルトが怒るからしぶしぶイヤイヤ働いてるのさ!!
 わかるかなぁこのどっちつかずの板挟みの苦悩。あ、これブレンヒルトには内緒ね!?」
「今日一番の大声で主張していただきありがとうございます」

 妖夢が投げかけた疑問は、ファンネル化した黒猫に投げかけられたものだった。
 脳内の折檻シートにチェックを一つ追加したブレンヒルトは、同時に不穏な空気を感じ取る。

 この状況で、ブレンヒルト本人ではなく黒猫に問いかける。その理由は何か。
 
 答えが見つからぬままの時は長くは続かなかった。



「では……その迷いを断ち切りましょう」

「……っ!! だめ、戻りなさい!!」

 
 
 ブレンヒルトはその言葉を聞き、反射的に遠隔操作の黒猫を引き戻そうとする。
 が、その動作が反射的なものである限り概念の影響を受ける事は無い。
  
 予め連携に仕込んでいた妖夢の動きは蒼天の加護を受け、コマ送りのような動作で次の動きに繋げた。
 加速を乗せて突進していった黒猫を、妖夢は言葉と同時に迎え撃つ。
 だがそれは、今までの防御とは違う全く新しい方法での事だった。
 
 妖夢は持っていた長刀を片手持ちにシフトし、
 空いた片手を素早い動作で動かし、腰に差していた短刀を引き抜いた。
 
 そしてその速度を殺さぬまま、向かってくる黒猫を逆手持ちで切り裂いた。

 短刀と黒猫が交差し、そのまま黒猫は妖夢の脇をすり抜ける。
 しかし黒猫が再び宙を舞う事は無く、そのまま力無く落下し草原の土を撫でた。

「……ちょ、ちょっと!?」

 ブレンヒルトは予想外の事態に戸惑いながら、攻撃の手を止めて動かない黒猫に駆け寄った。
 妖夢の追撃を警戒したが、黒猫に意識を向けるブレンヒルトを討つ事は無く、両手にそれぞれ二振りの刀を持ったまま見据えているだけだった。
 追撃無しの反応を余裕と取ったブレンヒルトは舌打ちをしつつも、黒猫を抱きかかえて容態を確認する。
 黒猫はぐったりとしているが外傷は無く、出血箇所も見当たらなかった。
 その事に安堵したブレンヒルトは黒猫の頬をぴしゃぴしゃと叩きながら声をかける。

「大丈夫? 喋れる?」
「……うーん……」
「起きなさい、起きなさいってば、ねぇ」
「……あと5分……」
「鍋にするわよアンタ」
「やぁおはようブレンヒルト、いい朝だね!! ……いてて」

 飛び起きた黒猫にとりあえず蹴りを入れつつブレンヒルトは妖夢に向き直り、片手に持つ短刀を見る。
 姿を見せた短刀はよく手入れをされているようで、切れ味もその光沢と遜色無さそうな代物だった。
 確実に斬られたはずの黒猫に外傷が無い理由を妖夢に聞いても、答えが返ってくるかはわからない。
 だからブレンヒルトは、黒猫自身に聞いた。

「何か身体に異常は無い? ああ、頭が悪いのはいつもの事だから今更カミングアウトしなくてもいいわよ」
「後半無視して答えるけど平気だよ。……ただ」
「何よ、ハッキリ言いなさい」
「その……ハッキリ言ったら、多分君は怒る」
「怒らないから言いなさい。張り倒すわよ?」
「常時怒ってるから関係無いのかもしれない!!」

 黒猫は尻尾を縮め、丸めながら神妙な面持ちで、



「じゃあ言うけど……
 
 あのねブレンヒルト、僕はもう、君と一緒に戦えない。
 ……少なくとも、この戦闘中は」



 そう言った。

「……アンタ何言ってんの? 本気?」
「黒猫さんを攻めないであげてください」

 勢いでまくし立てようとしたブレンヒルトの言を遮るようにして、妖夢が会話に入ってきた。
 黒猫はバツの悪そうな顔をしてうなだれ、ブレンヒルトの足元に座っている。

「……アンタが何かしたのね。その刀、機殻剣には見えないけれど……
怪しい。いえ、妖しいわね」
「ご明察。この短刀は白楼剣と言うものです。ちなみに長刀は楼観剣と言います。
 そちらの世界で言う所の機殻剣……いえ、機殻刀とでも呼ぶ物でしょうか」
「って事は、何らかの概念が働いた訳ね」
「正確には概念ではありませんが、今の所はそう理解していただいて問題無いかと」

 含みを持たせる妖夢の言い方に不快指数を上げたブレンヒルトは苛立ちつつ、本題に入る。

「アイツに何をしたの」
「白楼剣は迷いを断ち切ります。人間用の儀式短剣ですが、人間以外の生物に無力という訳でもありません。
 先程私が黒猫さんに対して行った問答……覚えていらっしゃいますか?」
「本当は戦いたくないのでは? とかなんとか言ってたわね」
「ええ、そして黒猫さんはこう答えました。

『こんなセメント魔女の下にいたら命がいくつあっても足りないよ!! 早くコタツで丸くなりたい!!』と」
「勝手に話をつくらないで頂戴」

 妖夢はあれ? と首をかしげたが、すぐに咳払いを一つ挟んで会話を再開する。

「まぁともあれ、黒猫さんは戦闘に望む気概が薄く、内心迷ってた状態でしたので……斬らせて頂きました。
 
 迷いを断たれた黒猫さんが戦闘を拒否したと言う事は、黒猫さんの中で戦闘を中止する方針が過半数を占めていたと言う事でしょう」

 ブレンヒルトは黒猫を睨みつけてやろうとしたが、その姿は既に足元には存在しなかった。
 黒猫は草原の向こう、十分に距離を取り安全を確保した場所でブレンヒルトに腹を見せて謝罪の意志を見せている。

「……まぁいいわ。ともかくこっちの武装が使い物にならなくなったって事ね。
 これで条件は対等。仕切り直しって所かしら?」
「いえ。真に残念な事ですが……対等では、無い」

 妖夢はそう言って、白楼剣を鞘に収める。

「あら、しまっちゃうの? 私に使ってみてくれてもよかったのに」
「基本的にブレて無い人には無意味な武器です。貴方を斬ってもむしろ、攻撃の手が激化するだけでしょう」

 言いながら妖夢は、空いた掌をブレンヒルトに向ける。

「……何?」
「連携と言う言葉のもう一つの意味を教えてくださった貴方に敬意を称し、私も一つ、お見せするものがあります」

 ブレンヒルトはその言葉を聞きながら、こちらに向けた妖夢の掌に淡い光が集まるのを目撃した。

「大分戦闘が長引きました……次で終わりにしましょう。
 これを破れたら貴方の勝ち、破れなければ私の勝ちです」

 集まった光は次第に密度を濃くし、掌と同サイズの長方形を形成する、



「これはこの幻想郷――Ex-Gの住人なら誰でも使える力であり……決闘手段として古くから用いられてきました。
 いつの頃からか、この決闘技法は住人達の間でこう呼ばれるようになりました。

 ――スペルカードルール、と」

 

 形成された長方形の物体は、一枚の絵札だった。
 何が書いてあるかはブレンヒルトには特定できないが、何か不穏な力を感じさせている。

「概念とは違う各者固有の決闘技法。貴方達異世界の来訪者はこれを破らぬ限り、この世界の住人を救う事は出来ないでしょう。
 
 ……改めて参ります、ブレンヒルト・シルト。

 この戦闘は、札名の宣誓を合図として開始されます」
「もったいぶらないでさっさと来なさい幻想の担い手。
 全竜交渉監査としてその力を打ち破り、参戦権をいただくわ」

 妖夢は言葉で答えず、表情の変化をもってブレンヒルトへの返答といした。
 
 

 笑み。
 
 

 力を示す事とその力を受け入れ、破ろうとする者のがいると言う、決闘者として感じる事の出来る喜びを表し、堂々と力を誇示した。





「スペルカード――魂魄『幽明求聞持聡明の法』!!」








[26265] 第三章「冥府の鎌操者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/07 03:26
「……はん、面白い手品じゃない」
『お覚悟を』

 そう言い放ち、ブレンヒルトに飛び込んでいく妖夢の姿は今、二重の質量を持っていた。
 
 スペルカードの宣言をした妖夢は一瞬で幽玄な光に包まれ、
 光が収まると同時に、その身を二つに分けた。
 
 片方の姿は、依然として変わらぬ白髪に緑色の衣装。
 対してもう一方は全ての色素を取り除いたかのような、透明色の身体をしていた。

 分身の術だと、ブレンヒルトは自分の中の知識から言葉を拾い上げる。
 一目でわかる程の違いを持つ、本体と擬態。
 ご丁寧に色まで抜いてある、己と同一の傀儡を作るその技法は、日本の神秘とまで言われているNINJUTSUの中では極メジャーなものだった。
 
 しかしブレンヒルトは自分が知識として知っている分身の術と、
 眼前の妖夢が行ったスペルカードの能力を、単純に結びつける事が出来ないでいた。
 
『はぁっ!!』
「……ちっ」

 戦闘開始時の凌ぎ合いで行った手数の倍以上の猛攻で攻めてくる妖夢の連携を、ブレンヒルトは防御の連携で攻撃を相殺する。
 本体と分身体の二重の剣戟を受けるブレンヒルトは、妖夢のスペルカードによる分身のカラクリを疑問として相手にぶつける暇も無く、二歩三歩と後退しながら大鎌を振るう。
 そんな中、一切の隙を無くした怒涛の攻めを見せる二人の妖夢が、ブレンヒルトの疑問を代弁する形で口を開いた。

『このスペルカードは簡単に言ってしまえば分身――移し身を作り出すものですが……今、貴女が感じている通り、生半可なものではありません』

 ブレンヒルトに答える余裕は無いと理解している上で、妖夢は続ける。

『私の半霊を使用して作り出す分身の本質は、やはり私自身なのですよ。
 属性は霊体なので色は付いていませんが、それ以外は魂魄妖夢と言う存在を全て継承しています。
 身も心も武装も、何もかもです。
 つまり本体も分身も独立した思考を持ち、双方の意志疎通を経て連携を取ります。……この意味がお解かりですか?』

 妖夢は疑問するが、ブレンヒルトは答えない。
 
 答えられない。

『攻撃量だけではなく、思考に割く処理能力も倍加していると言う事です。
 私が私と息を合わせるのに、一体何の苦労が必要ありますか?
 貴女が他者との連携を教授してくださった返礼として、私は自己との連携と言うものを貴方に教え……幕を下ろします』

 合間に飛び散る無数の火花で戦場を彩る妖夢の攻撃は、点から線、線から面の攻撃へとシフトしてく。
 
(……やられっぱなしじゃ、私のプライドが許さない!!)

 双方の連携密度を保ちながら空間の支配範囲を広げる妖夢に対し、ブレンヒルトは断腸の思いである行動へと出た。
 防御の連携に自ら割り込み行ったブレンヒルトの行動は、連携に取り入れていない独立した行動だった。
 概念の影響を受ける事が出来なかった代償として、その動きは無防備ではないにせよ無視出来ない隙を生む。
 
 その結果として、二本の刀が織り成す高速の斬撃がブレンヒルトの身を浅く、しかし無数に切り裂く。
 ブレンヒルトは苦痛に顔を歪ませるが致命傷は避けたと直感で判断し、予定していた行動を完了した。

「……ここよっ!!」

 大鎌の柄尻を背後の地面に突き立てたブレンヒルトはその位置を中心点として自重の全てを大鎌に預け、両足の力をもって跳躍した。
 その跳躍はブレンヒルトの身を妖夢から逃がす後方転回となり、詰められていた間合いを大きく開ける。

 だが、ブレンヒルトの英断が作り出した行動はこれだけでは終わらなかった。

 後方転回の頂点を過ぎ、落下と同時に支えの大鎌に預けていた自重を取り戻したブレンヒルトは、その着地点まで計算に入れていた。
 
 
 
 その着地点は妖夢と対峙する以前に足を付けていた所であり、
 
 さらに言えば、ブレンヒルトが1st-Gの文字概念を最初に使用した場所でもあった。



『……なんと、高い……』
 
 

 猫の足跡と共に『ジャンプ台』と書かれていたその地面は、その意味を力として発揮する。
 
 空中からの荷重となったブレンヒルトの身を受け止めたその文字は、物理法則を用いてブレンヒルトの身を再度空中へと送り出した。
 黒猫の何倍もの質量を持ったブレンヒルトは、結果として黒猫が飛んだ距離以上の高度で最高点を作り出す。
 呆然と見上げる妖夢達の視線と、無数の切傷から薄く血を流しながらも微笑を浮かべるブレンヒルトの視線が重なった直後、
 ブレンヒルトはそれまで妖夢によって抑えられていた、己の言葉を声に出した。

「好き放題やってくれたわねアンタ……こっちも切り札、使わせてもらうわよ!!」

 ブレンヒルトは高度の最高点を堺に上昇を静止し、やがて地上へと落下する。が、



「――我は汝と共にあるものなり」

 

 その落下位置を妖夢の頭上へと調整したブレンヒルトは、その高度が作り出す接地までの数秒間で詠唱を開始する。

「失われても失われぬものよ」

 詠唱に反応した大鎌『鎮魂の曲刃』は、その刃と柄に彫り込まれた文字に光を灯す。

「其は汝が誇り」

 光の色は青になり、白になり

「其は汝が記憶」

 黄色になり、赤くなり、紅色になり

「其は汝が御霊」

 黒色になったその時、ブレンヒルトは大鎌の刃を後方へと向けた。
 蒼天の空に引っ掛けるようにして配置された大鎌はかすかに震えながらも、
 自由落下を生んでいたブレンヒルトの身体を宙に縫い付けるように停止させた。
 
 その位置はブレンヒルトの大鎌も、妖夢の白楼剣も双方に届かぬ距離。
 しかし妖夢は鎮魂の曲刃が放つ黒色の光を眼に入れた瞬間、本体と分身の二刀を交差させる形で眼前に展開した。
 
「――開け」 

 防御。
 それまでの攻勢から一転、切り替える形で障壁の護陣を組む妖夢に対し、ブレンヒルトは詠唱を完成させ、

「開け深淵の門!!」
 
 後方の宙空に向けていた鎮魂の曲刃を、一気に真下へと引き裂いた。
 紙を破るような音が響き渡り、蒼の空に長さ一メートル程の黒線が引かれる。

 ブレンヒルトは自分の肩口まで来ていた大鎌の刃を離し、ゆっくりと地上の妖夢へと向けた。
 その瞬間、宙に引かれた黒線がその内から光を生み、上下左右へ拡大しながら歪な円へと姿を変える。
 
 そして円が拡大しきると同時に、空間の中から『それ』が姿を見せた。

『……これは……』



『それ』は、光で出来た巨大な騎士だった。 
 
 

 全長にして六メートル程もあるその騎士はその上半身だけを空間から出し、空から覆い被さるようにして妖夢に対峙する。
 そしてその右手が空間から引き抜かれると同時に、その拳に騎士の武器である大剣が出現した。
 大きさにして騎士の倍近くを誇るその剣を、妖夢に向けて振りかざす。

「鎮魂の曲刃は冥界を切り開き、1st-Gの英霊を召喚する」
『これほどの霊を管理するとは……貴女は一体!?』

 驚きを隠せない妖夢に対し、ブレンヒルトは務めて冷静に告げる。

「私が他者との連携を見せ、貴方が自己との連携を見せた。
 
 ……なら次は当然、私の番よね」

 ブレンヒルトは光の騎士に呼応するかのようにその大鎌振り上げ、



「1st-Gは我が故郷。世界との連携、受けてみなさい」

 下げた。



「討て遺恨の騎士よ!!」





[26265] 第四章「冥界屋敷の当主」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/07 03:40
 ブレンヒルトの令を受けた光の騎士は、遺恨の大剣を妖夢に向けて振り下ろした。
 少女とも言うべき妖夢の身体と比べてその剣はあまりにも大きく、
 剣が落下する軌道上で既に、騎士の肩口に位置していたブレンヒルトの視界からは妖夢の姿は消えていた。

 いくらその身が二つに分かれていようとも。
 いくら二刀を交差し防御の体制を整えていようとも。

 ブレンヒルトが召喚した圧倒的な力を誇る冥界の騎士の一撃は、濁流の如くその全てを悉く飲み込み、穿つ。
 
――はずだった。

「耐えるのね、これを!!」
「……その騎士が、生前の性質であったならば、勝敗は決していたでしょう……」

 大剣が振り下ろされ、地上の妖夢にその力を解き放つ。
 姿の見えぬ妖夢の位置を空中から見下ろしていたブレンヒルトは、しかしその表情を喜に変えず、緊から険へと移行させる。
 
 騎士の剣は二人の妖夢が防壁として組んでいた楼観剣と交錯していた。
 妖夢の二刀に、騎士の一剣。
 合計三振りの刀剣類が一点に接合した瞬間、異なる霊力が合一点を中心に渦のようにうねり合いながら爆発的な力を撒き散らす。
 衝撃波となった霊力がブレンヒルトの視界を一瞬遮るが、すぐに状況を確認したブレンヒルトはあるものを見た。
 
 信じられないもの、では無く。
 予測していたものであった。

 霊力の押し合いとなった騎士と妖夢の刀剣は、周囲に力を無作為に拡散させながらも均衡を保っていた。
 最早二体で喋る余裕など無くなった妖夢は、霊体側の妖夢がその意識全てを防衛行動に回している。
 そして肉体側の妖夢もまた苦悶の形相で耐えながらも、たどたどしく口を開いた。

「私の刀は二刀一対。迷いを断つ白楼剣に対し、楼観剣は通常の切れ味の他に霊に対する殺傷力も併せ持っています……。
 スペルカードで身を分けた今、霊体の私が持つ楼観剣も、その効果を十割の力で発揮する……!!」
「成程ね。本当の意味での二重の防護、か」

 そう言ってブレンヒルトは、召喚の集中力を切らさぬままゆっくりと地上へと降り立った。
 上半身だけの騎士の腹部下へと位置取ったブレンヒルトは、その視界に再び妖夢の姿を捉える。
 眼前の騎士の対応に全力を尽くしている妖夢は、ブレンヒルトに視線を向けずに言葉を搾り出す。


「これほどの霊の召喚操作など、もって一体!! ……耐え切れれば私の勝ちです!!」

「……そうね、耐え切れれば貴方の勝ち。だけど貴方、色々忘れてない? そんなんだから半人前扱いされんのよ」
「だっ、誰がいつどこで何回半人前扱いされましたか!? 訂正を……って、……え?」


 妖夢は歯を食いしばりながら言い切り、ブレンヒルトの思わぬ言動に顔を紅潮させながら否定を返し、疑問した。
 
 己が忘却の彼方に残したものは何かと。
 
 己の理解が足りなかったものは何かと。

 

 己の敵――ブレンヒルトの表情が、
 険から緊へと、
 緊から喜へと、
 喜から一足飛ばしに悦へと変わった理由は何かと。

「やっぱり君はそういうのが似合ってるよ……不本意だけど」

 聞こえる言葉は、妖夢の遥か後方。
 白楼剣の一撃によって退場した後、ただ静かに戦況を見守っていた黒猫が自身の毛繕いをしながら呟いた。
 その顔を自分の身体に埋めながら汚れを取る黒猫の本位を、妖夢は自分の第六感で悟る。



――目を合わせたら、やられる

 

 悟った時には、既に遅く。
 
 騎士の剣と対峙していた横目でブレンヒルトの表情を一瞬確認してしまったその時、妖夢は自分が犯した過ちの一つに気づく事となった。
 呪縛のように動かす事の出来なくなった妖夢の目に映る魔女は、手に持った大鎌を不気味に振り回しながら呪詛の様に言葉を紡ぎ出す。



「忘却が一つ。此処は蒼天の概念下である」

 

 連携に対するあらゆる負荷が零になる概念下である事を、妖夢は再度確認する。
 だが、これは忘却ではないのではないかと心の中で訂正する。自分の概念を忘れていた事など、一度たりとも無かった筈だ。



「忘却が二つ。私は世界との連携を貴方に見せると言った」



 1st-Gの世界。この騎士の具現がそうでは無いのかと再度確認しようとして、妖夢は唐突に気づく。

(この騎士は世界であって……連携では無い!?)

 ブレンヒルトは騎士を召喚しただけであって、攻撃そのものは騎士単体の一撃だけだ。
 そこに連携を見出せない妖夢は、自分の失態を自覚し始める。



「不理解が一つ。耐え切れれば勝つ、そう言ったけど……耐えてる間、貴方に勝機は無い」

 

 騎士の剣を刀に受けながら、妖夢は自分の犯した過ちを完全に理解した。
 回避ではなく防御と言う選択を選んだ妖夢は今、地に縫い付けられている。

 切り札と切り札の最後の勝負と思い込んでいた妖夢の、その思考自体が間違いであり、



「前言を纏めて傲慢が一つ。――アンタは私をナメた」

 
 
 敵は、ジョーカー。『死神の絵札』を隠し持っていた。



「蒼天の概念下だから出来る魔女の舞踊を垣間見て……反省しなさい!!」

 
 
 ブレンヒルトは妖夢に最後の宣告を告げ、鎮魂の曲刃を振り上げ、
 
 踊った。

 空中に。地面に。近隣に。遠方に。
 前方に。後方に。原点に。虚空に。

 ありとあらゆる方向にその身を踊らせ、戦闘空間に大鎌の刃を刻み付ける。
 ブレンヒルトの脳内で作り出される即興の舞踊は、しかし完成されたある種の儀式の体を持つようであり、
 綿密な連携を描きながら、蒼天の概念を受けた。

 ブレンヒルトが行う鎮魂の曲刃の召喚は通常、呼び出しも制御も一体が限度である。
 が、連携の負荷を消し去るこの概念が、不可能を可能にする。
 体力、腕力、集中力、決断力、適応力、対応力、精神力。
 ありとあらゆるマイナス要素を取り払われたブレンヒルトの舞踊は高速の動作をもって終了し、



「奏でよ咆声。
 爪弾け剣線。
 踊れ、異界の英霊達よ!!
 
 鳴り響くは蒼天直下の鎮魂歌。一切の悔い無く遺恨を晴らせ!!」



 妖夢の周囲に展開された1st-G冥府の道穴から、無数の英霊が召喚された。

 手に手に武装を持つ大小様々な英霊は高速化された概念を正確に受け継ぎ、
 召喚後即座に、己のなすべき事を実行に移した。


『……見事です!!』


 無数の騎士達が振り下ろす武器群に姿が飲まれる直前、
 霊体と人体。二人の妖夢は同時に声をあげ、異世界の魔女に敬意を表した。
 その言葉には妖夢の本心からなる感情が二重に篭っており、一切の雑念は存在しない。
 
 結果として騎士の大剣を受けていた防御は崩れ去り、
 
 無数の英霊の波状攻撃をその身に受けた妖夢と、戦闘空間を覆っていた蒼天の概念と。
 鎮魂の曲刃を妖夢に向けたブレンヒルトとその両目を自らの両手で覆っていた黒猫は、
 
 膨大な霊力の爆発に飲み込まれ、大草原からその反応を消した。



---



「よっとと。……ブレンヒルト、大丈夫?」
「毎回毎回役に立たないけど、今回は特別だったわね」
「よかったいつものブレンヒルトだだだだだ痛い痛い痛い!! 迷いが断たれちゃう!!」
「ふん……それにしても、また位置が変わったわね。今度は何処よココ」

 英霊の攻撃によって決着がついたその瞬間、ブレンヒルトは何者かに身体を引っ張られるような妙な感覚を得た。
 身体が他人の手で宙に浮かべさせられたと一瞬思うと同時に地に足がつくと、黒猫共々見慣れぬ場所へと飛ばされていた。

「……家屋?」
「みたいだねぇ」

 そこは、屋敷の縁側だった。
 左右に延々と襖続きの廊下が伸びるその縁側は、外側の砂利道を彩る古風な作りをしていた。
 大草原でいくらか距離感の感覚が鈍ったブレンヒルトだったが、よくよく見るとこの屋敷も相当な大きさだと言う事に気づく。
 目の前の随所に灯篭の立つ砂利道も、左右に伸びる廊下も、終点が見えぬほど深く遠くに広がっていた。

「草原の次はお屋敷ね。人の手が入ってるだけマシって所かしら。あの半霊もいなくなっちゃったし」
「でもここ、人の匂いがしないよ。……気配も」

 二人が佇むその屋敷は、異様な静寂に満ちていた。
 人の姿が見えない広大な屋敷は、そこに突如放り出されたブレンヒルトの黒猫の存在が薄まり消え去るような虚無感さえある。
 
「無間空間はもうゴメンよ。とっとと出口を探しましょう」
 
 そう言ってその場から動き出そうとするブレンヒルトの動作を、止めるものが生まれた。



「……お待たせいたしました」


 
 一切の音が存在しないその廊下に透き通るように響く、聞きなれない女性の声。
 その声がブレンヒルト達に刺さると同時に、背後の襖がゆっくりと開いた。

 開けられた襖の中は、広い和室だった。
 様々な装飾で彩られたその畳敷きの部屋の中に、二人の男女が存在していた。

 一人の女性は見知らぬ顔。
 正座でこちらに身体を向けながら襖を開けたその女性は、どこか幽玄な雰囲気を出していた。

 そしてもう一人の男性。
 和室の中央に設置された炬燵の上にある急須に手をかけていた初老の男性は、ブレンヒルトのよく知った顔だった。



「………………何してんのアンタ」
「こちらの給仕が不在でな。目下、湯飲みに茶を注いでいる」

 
 
 初老の男――ジークフリート・ゾーンブルクが平然とそう言うと、そのやりとりを見た見知らぬ女性がくすりと笑った。

「お知り合いのようですし、まずはこちらに来て暖を取りませんか? 

 ……外は、寒いですから」

 そう言われた瞬間、ブレンヒルトの背後をいきなり寒気が襲うと同時に、腕の自弦時計が反応を見せた。





・――雪 生物は霊体である。








[26265] 第五章「炬燵部屋の雪見人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/07 03:52
「妖夢を退けた一件ですが……お疲れ様でした」
「嘘でもいいからお手数おかけしましたとか言えないわけ?」

 居間に通されたブレンヒルトは今、中央に設置された炬燵に入り、同じく対面に座る女性と対峙していた。
 誰よりも早く炬燵に駆け込んだ黒猫は尻尾を掴んで引きずり出し、よく折檻した上で部屋の隅に転がしてある。
 尻を押さえてすすり泣く黒猫の声をBGMに、女性が湯飲みに口をつけ会話を再開する。

「妖夢との勝負は貴女にこの幻想郷がどういう所なのかを知っていただくための、言わば洗礼ですわ。こちらに非はありません」
「良い性格してるわね……。で、その洗礼とやらの結果は?」

 ブレンヒルトが問うと女性は、んー と可愛らしく首をかしげ、
 ややあってブレンヒルトを指差して、虚空に円を二度いた。

「……なんのつもり?」
「お花はあげられませんけど、上々の成果でしたわ」
「人に向けて指差しちゃいけないって教わらなかったのかしら」
「問題無いんじゃないかしら。今の貴女は、人では無いのだから」

 いくらか口調を崩した対面の女性をブレンヒルトは半目で睨むと、女性は子供の様な笑みを浮かべて返答とした。

「いい加減名前くらい教えて欲しいものね……。
 
 『これ』もどうせ、アンタの仕業でしょう?」

 ブレンヒルトが半目で睨むと、女性は今気づいたとばかりに目を丸くしながら、



「あら、言ってなかったかしら?
 私の名前は西行寺幽々子。この屋敷『白玉楼』の主をやっている者ですわ」



 そう言って女性――幽々子は再度、無邪気な顔で微笑んだ。
 寝間着の様な姿に帽子を乗せた幽々子の姿は、うっすらと透けており、
 
 

 それは、『これ』と言って自分の姿を指したブレンヒルトについても同じ事だった。



「流石に経験者は概念についての理解が早いですわ。
 その通り。私の持つ雪の概念下では、全ての生物が霊体となります」

 

 その言葉を聞いてブレンヒルトは、先程自弦時計が概念を感知した瞬間に猛烈な寒気と共に雪が降り始めた事を思い出した。
 寒さからか、はたまた別の事情か。全身の毛を逆立てている黒猫の姿も現在、半透明である。

「どうやらEx-Gの概念は天候に何らかの影響を及ぼすものみたいね」
「厳密には違いますけど、まぁ大体そんな感じなんじゃないかしら。うん、多分、きっと」
「キャラ崩れるの早いわねアンタ……で、霊体ってのは?」
「読んで字の如く、ですわ。説明しようがありませんけど……全ての生物は肉体を失い、死を経験した後、霊体となります。概念下限定ですけど」



「バカ言ってるんじゃないわよ。死を経験した生物は魂となり冥界に管理される。
 それが霊体のまま残り、自分の意識で自律行動出来ている事についてどんな意図があるのかって聞いてんのよ」



 一息でブレンヒルトが言い放つと、幽々子は目を白黒させて言葉を止めた。
 居間に言葉の音が消えブレンヒルトが温くなった茶を啜っていると、やがて幽々子がクスクスと笑い出した。

「流石は1st-Gの冥界を受け継いだ者。魂の在り方については一家言ありますわね。
 これについては謝ります。幻想郷の冥界住人として、魂と言う存在を試行した事について謝罪致しますわ」

 笑みのまま、幽々子は深々と頭を下げた。
 霊体の頭が炬燵に飲み込まれ、三秒経って元の位置に戻る。

 謝罪を受け、今まで起きたいくつもの不条理故に溜まっていたストレスゲージをいくらか下げたブレンヒルトだったが、

「道中大変だったようだな、ブレンヒルト・シルト君」

 廊下側ではなく隣室へと続く襖を開けて入ってきたジークフリートの声を聞いた瞬間、倍加とも言える加速をもってゲージが増えた。

「学校じゃないんだからその呼び方止めて」
「道中大変だったようだな、ナイン」
「止めて」
「仲が良いんですのね」

 幽々子が笑い、ブレンヒルトは顔の温度を上げながら口を閉じる。
 と同時に、泣き声をいつの間にか笑い声に変えて必死で堪えていた黒猫の尻尾を掴んで乱暴に炬燵の中へぶち込んだ。
 抗議の声を黙殺し、その背に両足を乗せてチェスト代わりにすると短い悲鳴が聞こえたが、当然のように聞き流した。

「炬燵は足を伸ばして入るものではないぞ、ブレンヒルト・シルト」
「うるさいわね。どうせあんたも霊体じゃない、何の不都合があるって言うの」
「霊体同士では相互に影響し合うと、たった今君と黒猫君が証明したようだが?」
「邪魔なら畳にでも足突っ込んでろって言ってんのよ」

 襖や湯飲みに触れられている以上、本人の意識である程度の自由が効く事は証明済みだ。
 が、逆を言えば本人の意思で存在を希薄に出来ると言う事でもあった。

「あー大変だったわよ。大草原に放り出されるわどこぞの辻斬り侍に襲われるわ……衣笠書庫の呪いなんじゃないの?」
「あのシリーズは常に返却待ちが後を絶たない。憑喪神が宿るならまだしも、呪詛の類が生じるとは思えん」
「あっそ……。で? 私があの半霊女にヤキ入れてる間、アンタはのんびりメイドの真似事をしてたってわけ?」
「ここの給仕と喧嘩をしていたのは君だ、ブレンヒルト・シルト。それに、私も幽々子君からもてなしを受けていた」

 ブレンヒルトはそこまで聞いて、片眉を動かした。
 妖夢が白玉楼の関係者だと言う事はわかっていたが、ジークフリートが幽々子と一戦交えていた事は初耳だった。

「へぇ。で、結果は?」
「まぁ、合格と言った所でしたけど……この不思議な飲み物に免じて今回限り、花丸ですわ」

 幽々子がそう言うと、ジークフリートは新しく持って来た急須をまず幽々子の湯のみに注ぐ。
 ブレンヒルトが飲んでいた湯飲みの中身は、普通の緑茶。
 それに対して幽々子の湯飲みに注がれるそれは、湯気を立てた黒い液体だった。

「衣笠書庫で淹れていたらいきなりここに呼ばれてな。和製の道具で作っても、意外とイケるものだ」
「飲んだ事無い味ですけど……珈琲と言うんでしたっけ、これ? 甘味が欲しくなるわね~」

 ブレンヒルトは突っ込む気力も失い、さっさと本題に入る事にした。

「で? 1st-Gを二人も試してボロ負けして……。
 何が目的にしても、何らかのご褒美をくれるはずよねぇ?」
「私はともかく妖夢のかませ犬っぷりは目に余るものがあったので、とりあえず白玉楼の端っこに落としてきましたわ。
 今頃必死に二百由旬くらい走ってるでしょうから、それで勘弁してもらえないかしら?」
「それはナイス判断だけど……連れてきたって何? それが貴女の能力なのかしら?」
「そうねぇ……私からのご褒美としては、貴女達に情報をあげましょう。
 まず貴女が『能力』と言った力ですが……」
 
 ブレンヒルトとジークフリートは声を出さず、幽々子が言葉を切り出すのを待つ。



「ぶっちゃけよくわかりませんの」
「オイ」

 

 ブレンヒルトが眉間に筋を走らせて言葉を挟むが、幽々子は笑ってどこからか取り出した扇子をぱたぱたと振るだけだった。

「気質から展開される概念。
 決闘技法スペルカード。
 そして幻想郷住人が固有に持つ『能力』。

 これらは全て、違うものです」
「妖夢は能力なんて使ってなかったみたいだけど? 手加減されてたのかしら、私」
「あの子の能力は地味ですから。【剣術を扱う程度の能力】なんて聞いても、パッとしないでしょう?」
「それであのサイズの長刀をバカスカ振り回せるのなら、大したものね」



「ええ本当に……地味でパッとしないだけで、『能力』は理解次第で色々な事が出来ますわ。
 
 これ、概念と似てると思いません?」

 

 幽々子は微笑を浮かべたまま、炬燵の籐籠に入っていた茶菓子を一つ口に入れる。

「ん。おいしっ」 
 
 それを見て、言葉を聞いて、ブレンヒルトは思う。



 顔を綻ばせて味わっているその姿は、とても無邪気で、子供のようで、



「先程から思っていたのだが、どうもEx-Gの住人達は言動と態度に含みを持たせるのが好きなようだ」
「あら……それは単なる推測かしら? ゾーンブルクさんは私の態度だけで幻想郷の住人全てにレッテルを貼るつもり?」
「ジークフリートで良い。……なに、ブレンヒルト・シルトも同じ事を言いたげだったからな。代わりに代弁しておいただけだ」

 切り出そうと思っていた事を先に言われ、ブレンヒルトは開きかけていた口を再び閉ざす。
 ブレンヒルトとジークフリートの視線を同時に受けた幽々子は扇子を扇いでやり過ごそうとしたが、やがて扇子をたたんで観念したように口を開いた。

「わかりました。多少順番が前後しますが……全竜交渉部隊の信頼を得るために一つ、お見せしましょう」
「私は全竜交渉舞部隊じゃないわ。監査よ監査」
「同じ事ですわ。舞台に立てばみな役者……私の台本に、貴女達の名前は載っているのですもの」

 幽々子がそう言うと、不意に崩していた姿勢を正して表情を変える。
 
 それは何かを懐かしむような。
 誰かを慈しむような。
 どこか影のある笑み。
 
 と同時に、ブレンヒルトの座っていた側の炬燵布団から、もぞもぞと這い上がってくる物体があった。
 
 その動きは一塊であるが、居間に生えた頭部は、二つ。



「猫は炬燵で丸くなるって嘘だよあれどこにそんなスペースあるんだよ責任者出て来いよ!! あとこれ食っていい!?」

 

 最初に飛び出てきたのは、いつの間にかブレンヒルトの足下から抜け出していた黒猫。
 そして、黒猫が引っ張り出してきたもう一つの生物は、



「――貘!?」


 
 黒猫の引っ張るがまま、無抵抗に姿を見せた霊獣の姿を見てブレンヒルトは驚く。
 


「見せましょう。西行妖と呼ばれた妖怪桜を巡り、私が行った顛末の一端を。
 
 冬を延ばし春を奪い、妖々の亡霊がこの世界を掻き乱した夢物語――妖々夢を!!」



 幽々子の発言と同時、
 宙に持ち上げられていた貘がその両手をゆっくりと頭上にかざす。

 

 その直後、ブレンヒルトとジークフリートは幻想世界の過去に包まれた。





[26265] 第六章「妖々夢の花見人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/07 04:07
 ブレンヒルトとジークフリートは過去に来ていた。
 しかしその風景は、ブレンヒルトやジークフリートの知っている世界とは全く違うものであった。
 
 夜の帳に包まれた名も知らぬその空間は、その地面を土で、その空を夜色とは違う黒で形取り、
 
 その空間を、無数とも言える程の桜の花弁で彩っていた。

(西行寺幽々子の過去……)

 ブレンヒルトは思う。これは幽々子が二人に見せた、彼女自身の過去なのだと。
 どのようにして幽々子が貘を見つけ出していたのかは不明だが、幽々子は貘の能力を知っていた上で、ブレンヒルト達の意識を過去に飛ばした。

 

 7th-Gの霊獣、貘は第三者の過去を他者に映像として見せる力がある。
 
 
 過ぎ去った過去であり再現された映像なので、見せられた側から過去に対してアプローチを仕掛ける事は出来ない。
 出来るのは、事実としての再確認だけである。

 その事を知っているブレンヒルトは無駄な動きをせず、とりあえず視界だけを展開して過去の映像を情報として取得し、
 思案として別の事象について考えていた。

 貘が過去を見せる条件として、一つは過去を持つ人物もしくは残留思念の存在する場所に、見る側の人物が存在する事。
 そしてもう一つは、見る側の人物が過去を持つものに対して理解を見せる事だった。

 貘が行う過去の映像化は、近づいた理解への答え合わせであり無理解者への回答提示では無い。
 ブレンヒルト達が幽々子の過去を見ていると言う事は、二人が幽々子に対する理解の兆しを見せたか、あるいは、

(幽々子の方が、『この二人には過去を見せる資格がある』と言う理解を得たと言う事ね)

 どちらの資格を得たのかは今のブレンヒルトには決断のつかぬ事だったので、とりあえずと言う事で判断を後に送る。
 思考を止めたブレンヒルトはその処理能力を幽々子の過去に回すべく、進み続ける過去の歴史に神経を集中させた。



---



「あーもー、いい加減にして欲しいわ」
「何が不満なんだ? 桜が綺麗な良い夜じゃないか。いや朝か?」
「その分神社に春が来てないんだっつーの。結局こんな所まで来て……何がしたいんだか全く」
「本当だな。ここは陰気で暖かいが、森が寒いのは御免こうむる。冬は茸の入りが悪くてなぁ」
「半分はアンタに言ってるんだけどね。こんな所までついてきて……もう帰れば?」
「半分は聞き流してるから大丈夫だぜ。それに、帰りたくても帰れない」

 ブレンヒルトの左後方から、女性の声が聞こえて来る。
 数は二つ。どちらも年端も行かぬ少女のものだった。
 
 やがて桜舞う暗闇から、声の主が姿を見せる。



 一人は紅白の巫女装束でその身を包んだ黒髪の女性。
 
 一人は、黒白の軽装な魔法使い風のドレスを着て三角帽子を頭につけた金髪の女性だった。


 金髪の魔法使いは、童話のような魔女の箒にその身を預け、
 黒髪の巫女はその身一つで宙に浮き、空を飛びながら前方に向かっていく。

 ブレンヒルトが慌てて追いかけ、飛びながらも続ける二人の会話に耳を傾けた。

「ここは地獄の何丁目だ? 幽霊ばっかで人間がいない。ちょいと道を尋ねたいんだがなぁ」
「地獄じゃなくて冥界じゃない? こんなだだっ広い所で一体どこの何の道を聞くつもり? 魔理沙」
「当然、桜の木の場所だよ。お前は何しにここへ来たんだ? 春度がどうとか言ってる奴らを片っ端から倒していった気がしたが」
「桜の木は賛成だけど、アンタの場合は花見でしょ? 私は春を返してもらいにきたのよ」
「おお、そうだったのか。いやまぁ、霊夢の神社で花見をしないと春の実感を得られないのも事実だけどな」

 会話の流れから巫女の名前が霊夢、魔法使いの名前が魔理沙だと言う情報を得たブレンヒルトは、聞き慣れない単語を耳にする。
 春度。この無数に舞う桜と関係があるのかと考えているうちに、過去の歴史は事態の加速を持って展開した。



「人の屋敷に勝手に上がりこんで……一体どんなご用件かしら?」
「春を返してもらいにきたのよ」
「桜を見に来たぜ」
「前者は却下、後者は許可……でも不法侵入だから、やっぱり二人とも却下かしら?」
「結界張ってる奴って、大抵中で悪い事してるのよね。不法侵入とかどの口が言うか」
「死人に口無し、ってな。食事も出来ないとは亡霊たぁ不憫だねぇ。いや不便か?」
「ここにいる時点で貴女達も人間じゃないのだけれど……亡霊同士、後でお茶でも一杯いかが? お団子は私のもの」

 

 霊夢と魔理沙、二人を相手に一歩も引かぬ軽口の押収を繰り出しているその声は、ブレンヒルトに聞き覚えのある声。
 
 居間にいた時と変わらぬ姿で、突然両者の行く手を阻む位置に現れた幽々子は、
 その顔にいつもの微笑を浮かべながら、二人に問いかけた。

「ああ、もしかして春度を運んできてくれたのかしら? うちの妖夢にも頼んだのだけど、貴女達何か知らない?」
「あの半霊の事? ちょっかい出してきたから札貼ったら逃げてったわよ、西行妖がどうとか言って」
「あの半人の事か? ちょっかい出してきたから軽く炙ったら逃げてったぜ、西行妖がどうとか言って。」

「……あの子は後で仕置くとして。
 
 ともあれようこそ。これが冥界、白玉楼が誇る妖怪桜――西行妖ですわ」

「これって、どれよ?」
「だから、これ」
「……あー、これかー……こいつはまた、立派に咲いた事で」

 幽々子がこれと言って差す指は、天を向いていた。
 霊夢と魔理沙、そしてブレンヒルト達が差された方向である天に向かって顔を上げると、視界にそれが飛び込んできた。

 

 遥か頭上。漆黒の天空に広がる無数の木々に花咲かせるそれは、想像を絶する大きさを誇る桜の樹だった。
 
 

 その花弁を雨、その枝々を雲、その樹幹を御柱として、空を通して幽々子の背後にある縄杭で聖地化された地面に生えている。

「貴女達が妖夢達から集めたその春度があれば、西行妖は満開となるのです」
「いやもうこれで十分じゃないか? 十二分に綺麗だぜ」
「アンタが幻想郷の春を奪った目的は……それを完全に咲かせる為?」
「ええ。実は、実はね、実話なんだけど……これを満開にさせるとね?」
「満開にすると?」
「何者かが復活するらしいのよ」
「実話じゃないじゃん」
「又聞きだな」

 あとどれくらい付き合えばいいんだろうとブレンヒルトが本気でげんなりしていると、
 霊夢がちらりと、背後にうっすらと見える西行妖の幹部分に目を向けて言った。

「見た所封印されてあるみたいだけど……満開にしない方がいいんじゃないの?」
「でも封印されてあるって事は、開けてみたくなるじゃない? ……結界を破って入って来た貴女達のように。それに…」
「それに?」



「死を操る力を持つ私が蘇らせる事の出来ない存在なんて、あってはならない事だわ」

 


 そう言って幽々子は手に持つ扇子を霊夢と魔理沙に向けると、己の背後を自身の力を以って装飾した。
 開いた扇子を何倍にも大きくしたかのような扇状の陣は、ブレンヒルトの鎮魂の曲刃が作り出す冥府の道穴に似ていた。
 禍々しく明滅するその陣から飛び出してくるのは、桜の花弁に負けずとも劣らぬ程の美しい光を放つ、七色の蝶だった。
 
 冥界の反魂蝶を従えて霊夢と魔理沙に対峙する幽々子は、優しさを含んだ声音で言った。

「とりあえず貴女達を殺して春を頂く。その後みんなでお花見しましょ?」
「アンタを倒して幻想郷に春を取り戻す。その後みんなでお花見だわ」
「お前を倒して生きてる春を取り戻す。その後みんなでお花見だ!!」

 言葉を返す二人も同時に笑い、三人は無手のその手を眼前にかざす。
 各々が異なる名を宣言し、具現するのは力ある絵札。
 
 二対一からなる、変則スペルカードルールの開始の合図だった。



『花の下に眠れ!!』


 
 三人の言葉が重なり、スペルカードの力がぶつかり合う。
 合成された力が光の余波となってブレンヒルト達に襲い掛かると同時にその意識は闇に包まれ、落ちた。



---



「如何でしたか? これが私の起した異変……妖々夢の顛末です」

 言葉が聞こえ、ブレンヒルトの意識は覚醒した。
 場所は白玉楼の居間。
 己の位置も、対面の幽々子の姿も、横位置のジークフリートの姿も、炬燵布団から顔を出す黒猫も、何もかもが過去へ飛ぶ直前と同じだった。
 唯一違うのが、いつの間にか黒猫の手から抜け出していた貘がいつの間にか空になっていた籐籠の中で四肢を放り出して寝そべっている事だ。

「なんか一番良い所で途切れた気がするんだけど」
「実は私もよく覚えてないのよ」
「……鎮魂の曲刃を下ろしたまえ。ブレンヒルト・シルト」

 本気でぶったぎってやろうかと思っていたブレンヒルトは寸前で己を取り戻し、大鎌を下ろして代わりに問う。

「覚えて無いなりにでいいから……この結末はどうなったのよ」
「負けましたわ。かなり良い所まで言ったんですけどね。ええ接戦でした。二対一にしてはよくやったんじゃないかしら私」
「そーいうのはいいから……で? 私達に過去を見せて、どういうつもりなの?」
「逆に聞きますけど……この妖々夢を見て、1st-Gの担い手はどう思いましたか?」

 聞かれ、ブレンヒルトはしばし考える。
 過去を見せられたと言う事は、これがEx-Gとの全竜交渉の結果に直結すると言う事だ。
 ヘタに答えれば理解不足と見なされ、交渉結果に亀裂が生じる事となる。
 監査と言う立場でならばいくらでも言える事が1st-Gを前提に出される事で途端に言いづらくなる。
 LOW-Gを認めた以上、1st-Gの言は世界の言と同等の意味を持つからだ。
 横目でジークフリートを見ると、彼は何も言うまいと沈黙を決め込んでいた。
 問われたのは、あくまで1st-Gの代表であるブレンヒルトであり、ジークフリートではない。
 
 言うべき事は決まっていたのだが、立場が邪魔をして決断を妨害しているブレンヒルトに対し、
 幽々子はいつもの微笑を浮かべて、こう付け加えた。



「……率直な意見で構いませんのよ?」
「馬鹿じゃないのアンタ」



 だからブレンヒルトは、率直な意見としてこう返した。



「なー!?」

 その言葉を聞いた黒猫は慌ててブレンヒルトの肩にのし上がり、
 その両手でブレンヒルトの頬を挟んで首をがっくんがっくん揺らしながら叫んだ。

「ななな何言ってるんだよブレンヒルト!? これ一応Ex-Gとの交渉に入ってるんだよ!?」
「わかってるわよそんな事。率直な意見を聞かれたから返したまでよ。どれだけ考えようとも答えは変わらなかったけど」

 いつの間にかブレンヒルトの膝の上に陣取っていた黒猫が言葉を聞いて慌てるが、ブレンヒルトは冷静に言い切る。

「……バカ……」
「そうよ馬鹿よ。でなければ大馬鹿だわ。よくわからん存在を見てみようなんて好奇心で世界の春を奪うなんて、馬鹿の所業よ」
「少々口が悪いなブレンヒルト・シルト」

 ジークフリートが窘め、ブレンヒルトは口を閉ざす。
 ブレンヒルトは言うべき事は言ったとばかりの表情で、幽々子の判断を待った。
 馬鹿と言われ顔を俯かせていた幽々子は、その体勢のまま十数秒の時を過ごし、
 やがて肩を震わせ、その顔を勢いよくあげると同時に、



「――あっははははははははははは!!」

 
 
 笑った。
 随時浮かべていた、あの心の奥底を見せぬ微笑などでは無く、
 大声で、子供のように、全身で喜びの感情を表現するようにして満面の笑みで笑ったのだった。

「……ふふふっ、合格ですわ。文句無しの花丸をあげましょう。
 今この瞬間、1st-Gは私、西行寺幽々子の持つ妖々夢の理解に足る人物だと判断致しました」
「……こんなんでいいの?」

 黒猫が理解出来ないといった表情でブレンヒルトを見上げるが、ブレンヒルトはつまらなそうな表情で教えてやった。

「いいのよ、要するに馬鹿が馬鹿らしく馬鹿な事をやった馬鹿物語なんだから。何がそんなに可笑しいのかは知らないけど」
「いえいえ、これは思い出し笑いと言うものですわ。……忘れっぽいだけに、よくあるんですのよね」

 未だ涙目であるが落ちつきを取り戻した幽々子は、その身を炬燵から出して縁側の襖に手をかけると、ゆっくりと開けた。

「この調子で他の方々も、幻想郷に理解を見せてくれるといいですわねー……」

 のんびりとした調子で言う幽々子は、その言葉を白玉楼の外に向ける形で呟いた。
 外は依然として雪が降り積もり、降雪時特有の静寂が辺りを包み込んでいた。

「幻想って言葉に中二病御用達みたいなファンタジーな幻想を抱く奴は案外少ないわよ?
 とりわけウチは馬鹿揃いだから、馬鹿同士、意外と理解が早いんじゃないかしら」
「まぁ他の者達は私とは違った意味で異変行事が大好きですから……退屈はさせませんわよ?」
「いいじゃない。7th-Gの連中に言ってやりなさいよそれ。泣いて喜ぶわよあいつら」
「7th-G……中国神話の国でしたっけ。それなら既に相対者は決定してますので、ご心配なさらず」

 幽々子はそう言うと、両の掌を打ち鳴らして会話を転換させる。



「交渉も無事終了しましたし、そろそろお帰りの時間ですわね」
「やっと帰れるの? やれやれだわ」



 言って、ブレンヒルトはその身を炬燵から出して地に足をつけて立ち上がる。
 ジークフリートもそれに続き、黒猫がブレンヒルトの肩に乗った。
 
 が、ブレンヒルトが籐籠の中にいる貘をつまんで持とうとする瞬間、幽々子の手が一瞬早く伸びて貘を掴んで持ち上げた。

「貴方はこっち」

 ブレンヒルトが抗議の声をあげようとしたその時、幽々子が思い出したかのように呟いた。



「そうそう。貴女達はこれから貴女達の身体を取り戻してもらうために……地獄へ行ってもらいますわ」



 突然、近所に使いを頼むような気軽さでそんな事をのたまった幽々子に
 ブレンヒルトも黒猫もかける言葉が見つからず唖然としていたが、

「……霊体になっているのは幽々子君の概念のせいなのだが」

 沈黙を続けていたジークフリートが先陣を切って口を開く所を見ると、彼にとっても相当に予定外の事態であるらしかった。

「そうよ、そもそもまだ十分に説明がされてないわ。
 概念ともスペルカードとも違う『能力』って、何?」



「私の能力は【死を操る程度の能力】。
 説明は地獄で行ってもらいます……Tes?」

「……あんた、それ!?」
「一度使ってみたかったのよね~。クセになりそうだわ」

 契約の意を持つ言葉を唱えた幽々子はブレンヒルトの驚きを意にも介せず、
 二人に気づかれるより先に、その両手をブレンヒルト、ジークフリート両者の眼前にまで持っていった。



「理解を終えた貴女方は裏方へ回ります。
 
 その為にまずは……超特急であの世へ送って差し上げますわ」


 
 ブレンヒルト達がその手を払うより速く幽々子はそう言い残すと、計六つの瞳と視線を合わせた。
 吸い込まれるようにして幽々子の目を見たブレンヒルトと黒猫、ジークフリートは、一瞬だけ身体を揺らせ、



 白玉楼の居間から、その姿を完全に消し去った。



---



「ただ、いまっ、戻りっ、ましたっ!!」
「あらお帰りなさい」

 幽々子と帽子に乗せた貘以外の姿が消えた居間の隣室側の襖を勢いよく開け放ち、妖夢は帰ってきた。
 ボロボロになったその身は満身創痍といった体であり、妖夢は憔悴しながらも姿勢と礼儀に気をつけながら主人である幽々子に帰還報告を告げる。

「あの二人は!?」
「予定通り旅立ったわよ~。今頃彼岸か、はたまた黄泉路か……死神にでも聞いてみたら?」

 幽々子は炬燵に入って湯飲みに口をつけながら、いつもと変わらぬ様子で言う。
 依然として湯気立つそれを喉に通して一息つくと、幽々子は頭上の貘を優しくつまんで妖夢にそっと差し出した。

「な、なんですかそれ?」
「可愛いでしょ~? 貘ちゃんって言うんだけど……ちょっと妖夢に、お使い頼みたいのよね」
「……なんなりと」

 ブレンヒルトとの戦闘後に白玉楼の端から端まで走らされた妖夢は、しかし庭師としての根性を見せ笑顔で了承する。

「貘ちゃんをね、今から言う所に届けて欲しいのよ。渡す人は行けばわかるわ」
「はぁ、わかりました」

 あえて理由は聞かず、妖夢は差し出された貘を受け取る。
 完全無抵抗の獣をどこにしまうか考えていた妖夢は、やがて躊躇いがちにその頭上にそっと乗せた。

「に……似合ってる……わ、よ……っ!!」
「――行って参りますっ!!」

 笑いを噛み殺して賛辞を送る幽々子に対して、顔を真っ赤にした妖夢は出発の意を残して縁側に出ようとする。

「……あ!! 待って妖夢」
「まだ何か?」

 頭上の貘を落とさぬようにゆっくりと振り返る妖夢を小動物を愛でるような目で見ながら、幽々子は追加の注文をした。




「この珈琲に合うような茶菓子を買ってきてちょうだいな。
 
 ……帰ってきたら久し振りに、外でお花見でもしましょうか」



---
1st-G×Perfect Cherry Blossom.
END



[26265] 第七章「通り雨の散歩者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/07 04:27
「……とまぁ、そんな事があった訳なのですよ」
「なるほど、冥界を跨ぐ大スペクタクル巨編だったのだね。
 ……ところでこの話に八雲君の姿が出てきてないみたいなのだが、君は傍観者だったのかね?」
「そんなようなものですわ。
 あくまでこの妖々夢は冥界の亡霊・西行寺幽々子の物語。私が行った事と言えば……語るのも億劫な、つまらない後始末です」



---
 
 

 人気の無い幻想郷のあぜ道を歩く佐山・御言は、同じくして追従する八雲紫から妖々夢の顛末を簡単に説明されていた。

 スキマから幻想郷に身を落とした佐山は紫の忠告通り、貘を探すべく広大な大地を放浪していた。
 それは決して当ての無い旅では無かったが、紫の

「こっちの方向に行けば何か良い事がありますわ。たぶん」

 と言う無責任かつアバウトな助言による適当なものだった。
 小一時間も歩いた所で、それまで雑談しかしていなかった紫がわざとらしく唐突に切り出してきた話題が、
 この幻想郷で過去に起きた事件である妖々夢の顛末であった。

「この様な、住人が時として起こす迷惑極まりない厄介事を……私達は『異変』と呼びます」
「過去に起きた異変を、私に話す理由は何かね?」
「一番の理由としては、全竜交渉前の予備知識として知っておいて欲しかったのです。
 気質の事、スペルカードの事、そして……能力の事を」

 紫がそう言うと、おもむろに開けた空間のスキマから愛用の日傘を取り出した。
 そしてその日傘を己の頭上に掲げ、開く。
 
 展開した日傘が紫の身を隠すと同時に、幻想郷の空から音の無い雨粒が落ちてきた。

 その空は雲こそあれど、高く昇る太陽から日が差す晴天であった。
 晴天の空から降る雨が佐山の身に当たるその瞬間、
 紫がその身体を佐山に預ける程に近づけ、日傘の下に二人の身体を入れて雨粒を遮った。

「相合傘とは……八雲君も随分と積極的だね?」
「これが気質と呼ばれる力ですわ。大体が天候何らかの異変を与え、周囲を概念で包みます」

 完全に無視して紫がそう言うと、佐山はふむ と頷きながら、手首に巻いた自弦時計を指差す。

「八雲君の気質は……天気雨かね。しかし現在、概念の類は出現していないようだが?」
「私は概念空間を抑える程度に、自分の気質をセーブ出来ます。大抵の者は制御出来ずに展開されてしまいますが」
「八雲君の概念を見る事が出来ないのは残念だ。積極的かつ消極的なのだね君は……ダブルSだね?」
「濡れて行きますか?」
「それは困る」

 紫は溜息を一つ。気を取り直して会話を再開する。

「スペルカードについては……今はお話だけで。あれは見せるだけと言う訳にはいきませんから」
「決闘技法とは、また物騒な話だね」
「これ以上無い安全な話ですわ。このルールが無いと、私達妖怪が行う戦闘など殺し合いにしかなりませんから」
「……八雲君は、人間では無いのかね」

 紫はあら と自分の口に手を当ててわざとらしく失言の意を見せた。

「まぁ、亡霊の類が闊歩する世界だ。妖怪がいても今更驚かんよ」
「適応能力が高くて助かりますわ」
「褒められついでに言及するが……最後の能力と言うのは、八雲君のスキマの事だね?」
「Tes.」

 紫が契約を意味する言葉を口にする。
 挨拶から肯定までを一手に意味するこの言葉は、全竜交渉部隊が属する組織・UCAT内部の人間が日常で使う言葉であり、

「便利な言葉ですわね、これ」
「便利であるが故に、色々複雑な意味を持つ言葉でもあるがね。興味本位で口にしない方が無難だ」
「心に留めておきましょう。ともあれ私の能力は【境界を操る程度の能力】。スキマもこの能力の一端ですわ」

 佐山は幻想郷の住人が扱う三種の力の説明を聞き、思案する。

「双方に影響のある概念。Ex-G住人のみが扱うスペルカードに能力、か。どうにも私達に不利な状況だね」
「私達のホームですもの。アウェイの参加者にハンデがあるのは当然ですわ。
 しかし貴方達はそれを乗り越え、必ずやEx-Gとの交渉を終えてくださると信じております」
「期待に答えられるよう善処する所存だよ」
 
 紫が微笑み、佐山は無表情で応じる。

「しかし私が頑張る為には新庄君が必要不可欠なのだがね。そろそろ会わないと私の中の新庄君成分が尽きてしまうのだが」
「……新庄君成分……?」
「知らないのかね? 私を構成する要素で一番大事なものだよ」
「尽きるとどうなるのかしら」
「恐ろしくて考えた事も無いが、おそらく神をも恐れぬ所業に出る」
「全力でお断りしたいので会わせてあげたいのは山々なのですが……現時点では無理ですわ」
「何故かね?」
「彼女もまた、参加者としての役割を全うする義務があるからです。今頃はどこにいるのかしらねぇ……」

 紫はそう言って、佐山に向けていた顔を前に向きなおした。
 
 しかしその瞳はどこか、ここではない遠くを見ているようで、



「魔があり、夢があり、夜があり、花があり、
 風があり、天があり、地があり、星がある。
 
 萃めた想いが異変を起こし、かくて幻想は竜となる。
 過去の異変に触れ、理解を示し、その真意を刻む事が、私達の願いですわ」

「Tes. 今の言葉、忘れないでおこう。新庄君は自他共に認めた私の分身だ。
 姿は見えずともわかる。必ずや己の交渉を成功させている事だろう」

 紫の視線を追い、佐山が返す。
 
 しばし無言となった空間に再び言葉の音を作ったのは、佐山だった。

「先程八雲君は『一番の理由』と言ったが……二番目の理由は何かね」
「ああ……まぁ、大した事ではありませんが。
 私が妖々夢の話を、終盤から話したのは、その理由があるからですわ」

 紫はその表情をいくらか曇らせ、細々と話しだした。

「霊夢と魔理沙が冥界に乗り込み異変を解決する前に、まぁ前哨戦とも言うべき戦いがあったのです。
 妖精やら人形使いやらが出張って、道行く二人に襲い掛かったのですわ」
「ふむ、話に出てこなかった者達だね。それで? その者達に気をつけろと、そう言う事かね」

「全くの逆です。いいですか? 異変の大筋に関わらない、興味本位の者達に構ってはいけません。
 その者達も気質を持ち、スペルカードを扱い、能力を司りますが……相手をするだけ無駄です」

「また随分と邪険に扱うものだ。彼らも舞台に立つ役者なのだろうに」
「台本通りに動かない役者程扱いづらい者も無いですわ」
「その気持ちはよく分かる……が、こちらの人員もそれについては相当なものでね。
 それ故に……惹かれあうものだよ」
「まぁ、一応忠告までに、と言う事で」
「うかつに藪をつつくな、と言う事か」

 佐山がそう言うと、紫はしばし考え、やがてくすりと笑ってこう返した。



「藪を突くのはオススメしませんけど……あるのですよ。どこかの竹藪にも、異変の残滓が」
「竹藪に根付く物語か。まるでどこかの童話のようだね」
「神話の時代から続く、月が語る物語ですわ」
「神話か。それなら適役の者達がちゃんといるから安心したまえ。惹かれあうが故に、対応も心得ているはずだ」

 佐山は言って、その歩を早める。

「私は私で惹かれるままに動くとするよ。さぁ行こうか八雲君、日が暮れる前に『進撃せよ』、だ」
「……それは、どう言う意味なのかしら?」
「何でも知っているくせに変な所だけ知らないね。
 これは奮起と行動のキーワードだよ八雲君。耳にし、口にすればどんな者でも実行に移す」
「それも、一種の概念ですの?」
「違う。極々当たり前の、人の持つ可能性だよ。……最近は、そんな当たり前が出来ない馬鹿も多いがね」

 様々な過去に向けるようにして佐山は言い、いつの間にか止んでいた雨に濡れたあぜ道を足を動かし前へ進む。
 その意味をしばらく考えていた紫だったが、
 
 やがてたたんだ日傘を持った拳を前に突き出し、誰とも無く呟いた。

「……ごー、あへっど……」

 誰にも気づかれる事無かったその言葉を紫は心の中で反芻し、気恥ずかしさから来る笑みを隠すようにして急ぎ佐山へと追いつくように身体を動かす。

 

 時は進み、いつの間にか陽が沈みかけていた世界は夕暮れに包まれた。
 
 沈んだ太陽の反対側からは、天秤のようにして月が顔を覗かせる。
 その月は薄い線で弧を描きながら、黄金律とも言える程の美しい図形を描いていた。



 今夜は、満月になりそうだった。





[26265] 第八章「竹林の案内人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/09 23:54
 幻想郷の何処かに群生するその竹林は、住人の間からは迷いの竹林と呼ばれていた。
 
 正確な広さは不明であり、今となっては測量に望む住人が出ると言う事は間違っても起きない。
 そんな未知の面積を持つ竹林が迷いの竹林と呼ばれる所以は、至極簡単であった。
 この竹林に足を踏み入れた人間はみな迷い、彷徨い、心身共に絶望を味わうまで抜け出せないからだ。
 
 間違って入る者はいても、
 間違っても出口を見つける事は出来ない。

 そんな危険地帯の代名詞として噂されている迷いの竹林だったが、迷い人の明確な死亡が確認されたケースは非常に少なかった。

 ある者はさんざん迷ったあげく、気づいたら入り口に戻っていたと言い。
 ある者は竹林の中で見たことも無い屋敷を見つけ、気づいたらそれまでの記憶を失い入り口に立っていたと言い。
 ある者は人間の子供ほどの大きさの妖怪ウサギを追いかけていたら、脱出できたと言い、
 ある者は竹林で不思議な少女に出会い、入り口まで護衛付きで案内されたと言う。

 不運にも死体が出ず帰らぬ人となった者は神隠しか妖怪に食われたか、どちからだとされている。
 いずれにせよ、迷いの竹林は幻想郷に住む者なら一度は聞いた事のある、いわく付きの場所となっていた。

---

「……もうすぐ陽が沈むな……」

 そんな迷いの竹林の、中心部分に近く位置する開けた場所。
 背の長い竹々に囲まれ、夕陽の放つ橙光の大部分が遮られた薄暗いその空間に、一人の少女が立っていた。

 長い白髪を飾布で縛り紅白の混じるもんぺ袴を着たその少女は、竹葉で覆われた空を見上げながら呟いた。
 少女はその長身と言える背丈をゆうに超える長さの竹に背を預け、両手を袴のポケットに突っ込み大きな動きを見せないでいる。

「今日は迷い人が特に多かったな。珍妙な格好してる奴がほとんどだったが……なんだったんだろうか」

 少女の名前は、藤原妹紅。
 迷いの竹林に隠れ住む少女にして、竹林で遭難した者の案内役を生業とする、噂話の人物本人だった。
 
 幻想郷の生まれではない妹紅だったが、ある事件から各地を転々としながら幻想郷に身を隠してからは、
 この竹林を自らの生き場として自給自足の生活を送っていた。
 流浪の民としての生活が長かった為に他者との関係を作る事を苦手とする妹紅は、
 迷い人を案内する時も必要以上の会話をせず、送り届けたら早々とその姿を消してしまう。
 故に住人からは人間か妖怪の区別がされぬまま、徐々に幸運な『現象』と言う存在として確立をされてきていた。

(現象ねぇ……ま、あれこれ余計に詮索されるよりはよっぽどマシよ)

 その事について妹紅は、事実の隠遁と言う評価に対し喜びを感じると同時に、
 存在の隠蔽と言う観点に対して悲しみを感じていた。

(よそうよそう、考えるのはよそう。いくら考えても答えは出ないし)
 
(いくら考えても、後悔でしかない)
(いくら悔やんでも……もう元には戻れない)

 妹紅は思考をかき消すようにして首を振り、落ちかけていたその頭を向き直して視線を前に伸ばした。

 その視界は先刻より明らかに狭く、伸びる竹々の本数が視認出来る限りでは明らかに減っている。
 いつの間にか、陽が完全に落ちようとしていた。

「さて、と……たまには山菜でも探してみようかな。別に食べなくても死にはしないけど」

 誰とも無くそう呟いて、妹紅はその場から立ち去ろうともたれていた竹から身を起こす。
 しなった竹が反動で妹紅に対してその身を近づけたが、妹紅はそれを片腕一本で止めて位置を固定した。
 
 その時、顔の高さに伸びていた小枝が空間を走ると同時に、妹紅の右頬を掠め浅く切り裂いた。
 鋭利な刃物と化した枝に切られた箇所には細い線が引かれ、一瞬の時間を置いて赤い液体が流れ出す。

「……ふん」

 妹紅は指す様な痛みを覚えるが、傷跡に視線を送るとつまらなさそうに息をついた。

 
 その一息の刹那をもって、少量の出血が蒸発したように消え去り、赤線の傷跡は逆再生の如く色を消失して完全に塞がれた。

 
 妹紅は一瞬で完治した頬の傷に手を当てて二、三度撫でると、
 
 まるでその傷を惜しむように、消えた傷口に対して不快感を露にした。

(……帰ろう……)

 想いが顔に出てしまい哀に歪んだ表情を隠すようにして、妹紅はその場を離れようとする。
 寝倉に帰り、憂鬱な時を日付と共に清算しようと足をのばした、
 その時だった。

「……何だ?」
 妹紅は立ち止まり、おもむろに背後に振り向く。
 己の背後は変わらぬ竹々からなる空間であり、その視野は狭く、奥は闇で彩られている。
 しかし妹紅が最初に感じた違和感は、視覚から生まれるものでは無かった。

(人の声……)

 聴覚が竹藪の奥から響く音を感じ取り、妹紅に停止の命令を下す。
 
(ん?) 

 閉塞空間に絶望しかけている人間……では無いと、妹紅は思う。
 泥酔した人間……では無いと、妹紅は思う。
 妖怪ウサギを見つけ興奮している人間……でも無いと、妹紅は思った。

 その理由として、彼らはそれぞれがそれぞれの理由で、かなり程度の差こそあれど
 意味のある言葉を叫びながら現れる事が常であったが、



「迷子の迷子のぉ~マーライオンん~、あなたのぉおうちわぁあああ……タマセクぅぅぅ」

(……んんんん~~~!?)


 強烈なシャウトをかけて聞こえてくるその声は、妹紅が聴く上で完全に意味不明の大音量で近づいてきたのだった。

---

「おうちを聞いても海の底ぉ、なまえを聞いても水嘔吐~」

 理解不能の呪文を唱えながら妹紅の前に姿を現したそれは、長身の男の姿をしていた。

 白いスーツに身を包んだその男は、金髪を短く刈った頭を低くし、手に持った大型の剣の柄をマイク代わりにして熱唱している。
 それでも歩みを止めずに近づいてくるその男に対して、妹紅はコミュニケーションを取るのも忘れて呆然としていた。
 妖怪の類かと一瞬考えたが、決め付けるのは人間であるかどうかを確認してからでも遅くないと考え直す。
 もし人間だった場合、この時間に竹林を彷徨い歩く事は危険だと妹紅はよく知っていた。

「キ、メ、ラぁのおまわりさん。こまってしまってぇぇぇぇぇ……」

 なおも経らしき言葉を口にするその男に対し、妹紅は意を決して話しかけた。


「なぁ……あんた」

「ワンニャーガウグルキーワオーンウホッホギョッギョーケーン!!」

「うぉああああああああああ!?」

 
 妹紅が声をかけた瞬間、
 目を見開きながら大絶叫を上げる男の声量をモロに受け、本気で驚きながら妹紅は尻餅をつきながら後ずさった。

「ワンニャーガウグルキーワオーンウホッホギョッギョーケーン……と、誰だお前」

 きっちり二回言い切り余韻を含ませながら握り拳を決めた男は、程無くして眼下の妹紅に気づく。

「………………」
「もしもーし、聞こえてやがりますかこの野郎」
「………い……」
「い?」

「いきなりなにするのよこの馬鹿野郎ー!!」

 ショックから立ち直った妹紅は平然と聞いてくるその男に対して抗議の意を込めて怒鳴り返した。

「なんだテメェ、俺様の会心の一曲に対してなんか文句あんのかコラ」
「曲!? 今のが歌と言い張るつもり!? 何それ宇宙人との交信じゃないのまともな言語使いなさいよこの馬鹿!!」
「あァ!? 今のが日本語に聞こえないってのかこのガキ。テメェどこ中だよ、逆さに振るぞ」
「追いはぎかー!!」

 頭に手を乗せて乱暴に掴んでくる男の手を払いのけ、妹紅は急ぎ立ち上がる。
 土の付いた袴を手で払い、妹紅は警戒の色を強めながら距離を開けつつ聞いた。

「で、あなた何? 人間?」
「まぁそんなようなもんだ。説明すると長いからしねぇ」
「……で、なんであなたこんな所にいるの?」
「竹が俺を呼んでいたからだ」
「…………こんな時間までなにしてたの?」
「寝て起きて歌って斬って寝て歌って斬って寝て寝て寝てた」
「………………あなたもしかして馬鹿なんじゃないの?」

 心底面倒くさそうに妹紅が小声で聞くと、男は額に青筋を立てて怒鳴り返してきた。

「なんだとこの野郎、テメェなんかあれだ。そうあれだよあれ……ほら、なんだ……馬鹿野郎!!」
「やだもうほんと面倒くさいコイツ」

 妹紅が身体を半ば男の逆側に捻りつつ全身で帰りたいオーラを発しながら、一応といった感じで聞いてやる。

「あなたは竹林で迷ってる訳じゃあ無いのね?」
「俺がこの程度の竹藪に負ける男だとでも思ってんのか。失礼極まり無い奴だなオメェ」
「あっそう。じゃあさようなら」

 全てを無かった事にして踵を返す妹紅だったが、
 帰路の一歩目を踏み出す前に後ろから襟を捕まれた。

「まぁ待てよ」
「はなして」
「落ち着きの無ぇガキに、これをくれてやろう」

 男の手を振りほどくべく身をよじる妹紅の手に、中指ほどの大きさの板切れのようなものが差し込まれた。
 訳もわからず妹紅が不審そうな目を男に向けると、男は自分の手を指で口に放り込むような動作を取りつつ、

「なんだ、ガムも知らねぇのか? 食ってみろ、美味いから」
「……がむ?」

 妹紅の知らない言葉であったが、どうやら携帯式の固形食糧のようだった。
 怪しさ全開であったが、自分の体質と好奇心が勝り、美味いと言う言葉が後押しして躊躇いがちに口に入れ、一気に噛み、

「多分だけどな」

 むせた。

 今までに経験した事の無い味が妹紅の舌を襲い、口に入ったものを慌てて外へと吐き出す。
 ガムが口から出た後も今までに経験した事の無い後味が妹紅の口内を襲い、しばらく声にならない声を上げてのたうち回った。

「……『痴漢者トーマス禁煙ガム・魅惑の七色焼肉フレーバー』か。
 シークレットでプルコギ果肉入りとか相変わらず何考えてんだウチのおめでたパパは」
「あんたが何考えてんのよ!!」

 なんとかダメージから復帰した妹紅が、未だ息荒く上下する上半身を片手で押さえつつ、よろよろと立ち上がった。

「どうだった?」
「死ぬかと思ったわ」
「天国に行きかけた所で、ありがたい体験をくれてやった俺様の話に付き合いつつ出口まで付き合いやがれ。迷ったわけじゃねぇぞ?」
「連れてってあげるからもう喋らないで」

 げんなりとして妹紅は言うが、聞き忘れていた事があったのを思い出した。



「あなた、名前は?」
「ああ? ……仕方ねぇ、特別サービスだ。一度しか言わないからよく聞けよ?
 俺の名前は熱田・雪人。全てにおいてハイセンスな、2nd-Gの剣神様だ」



 人生のブラックリストに載せるべく聞いた妹紅に対し、
 男――熱田は、ドヤ顔でそう答えた。



[26265] 第九章「迷宮の開拓者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/09 23:54
「そういやテメェ、名前はなんつーんだ?」
「……妹紅」
「名前聞いて馬鹿正直に名前だけ言うんじゃねぇ。姓からちゃんと言いやがれ」
「あなたには教えたくない。あと馬鹿って言うなこの馬鹿」
「このガキ……!!」

 背後から掴みかかろうとしてきた熱田の手を避けた妹紅は今、
 嫌々ながらも先導して熱田を竹林の出口へと案内していた。

 適当な所で放り投げて帰ろうかともかなり本気で思っていた妹紅だったが、
 こんな訳のわからない危険人物を放置しておくと色々と良くないと考え直す。

 可能な限り迅速に出口まで送り届けて今日の日の出来事を無かった事にするのが最善と判断した妹紅は、
 自ら進んで口を開く事も無く一直線に、可能な限りの早足で歩を前へとのばしていた。
 途中、妹紅の後ろをついて歩く熱田は自身が歌と言い張る不協和音を大音量で独唱していたが、
 十八曲目を歌い終えた辺りから、その全てを無視していた妹紅に対して世間話を始めてきた。
 これ以上関わり合いになりたくなかった妹紅はぶっきらぼうに答えて会話を中断させる方向に持って行きたかったが、
 熱田が茶々を入れ→妹紅がたしなめ→熱田がキレると言う悪循環のループを延々と繰り返すだけであった。

「おいガキ、まぁだ出口につかねぇのかよ?」
「もう少しだから黙ってて。馬鹿が感染るわ」
「ケッ、余計な言が多いガキだぜ……どっかの妖怪ババァの子供かテメェ」
「私は人間よ!!」
「どーだかな」

 もう何度目かもわからぬループになっている事に妹紅は気づき、舌打ちを交えて強制的に会話を終わらせる。
 その分の労力を歩行速度に回した妹紅は、もはや競歩に近い速度を出して竹林の土を踏み荒らしていった。
 そんな自分の速度に大型の剣を持った手を頭の後ろで組みながら平然とついてくる熱田を鬱陶しく思いつつ歩いていた妹紅だったが、

「……この道はダメね。迂回しましょう」

 獣道とも言える細さのその道を、竹々が複雑に絡み合いながら形成していた突き当たりにぶつかった妹紅は足を止めてそう言った。

「あ? なんだこの不自然なトラップは」
「残念、自然のトラップよ。ここの竹は成長が著しく早いから、環境次第で半日程で伸びきってしまう。
 昼間に使えてた道が夜間で塞がり形成するその姿はまるで迷宮……故に迷いの竹林よ」

 妹紅は溜息をつきつつそう言うと、来た道を引き返すように身体を反転させて呟いた。

「戻るわよ。ついて来なさい」
「何で戻るんだよ。俺はさっさと帰りてぇ」
「私だって一刻も早く迅速にあんたと別れて高速で寝倉に戻って亜光速で眠りたいわよ」
「そんなにか……」
「それとも何? あんたみたいな大男がその隙間を通れるとでも言うつもり?」

 その隙間 と妹紅は言って、道を塞ぐ竹の壁を顎で指す。
 大小の竹が混ざり合ったその障壁は完全な密閉こそ無いが、熱田と言わず妹紅ですら頭部を通すスペースが無いほどだった。
 しかし、

「そのつもりだ。テメェちょっと退いてろ、邪魔だ」

 熱田はぶっきらぼうにそう言うと、半身を向けていた妹紅を押しのけて竹の壁に対峙する。
 
 そして今までマイク代わりにしか使っていなかった大剣を、ゆっくりとした動作で眼前に構えた。

「まさかその剣で切り拓くつもり? 止めときなさい、怪我するわよ」

 竹は植物の中でもかなりの硬度と、それに加えたしなりやすさを持つ。
 ヘタな斬撃を試みればその刃は深く喰い込み、ヘタな打撃は反動で襲い掛かられる危険を伴ってしまう。
 ましてあれ程までに密集した竹々に正面から切りかかるなど、本来であれば自殺行為でしかなかった。

「んな事するか馬ぁ鹿……まぁ見てろ」

 熱田は自信を多大に含めてそう言うと、大剣の柄を返して『そのまま』頭上に持ち上げた。

 妹紅が熱田との初遭遇から気にしていたその大剣は、無数の符が貼り付けられた鞘に収まっていた。
 その符は暗闇が支配する竹林の中で薄青く光っていて、持ち上げられると呼応するようにその輝きを強くする。
 鞘のついたままの大剣を振り上げる熱田の行為を理解できなかった妹紅は、何も言わぬまま熱田が行う行動の一部始終を目に捉えた。

 その作業は妹紅が思っていたよりも迅く、そして静かに、工程の全てを終えた。


「剣神様のお通りだ……道を開けな」

 
 熱田は行く先を塞ぐ竹に命を下すようにして言うと、壁の中心を裂くようにしてその大剣をゆっくりと振り下ろした。
 斬撃では無く、儀式のような雰囲気を纏い終えたその行為の数瞬後、

 壁を形成していた竹々が身を震わすと同時に、逆再生のようにその身を縮めて根元へと引っ込んでいた。

 全てが終わると熱田は大剣を逆手に持ち替えて地に突き立て、呆然と口を開けていた妹紅に振り返った。

「おら行くぞ。……なに大口開けて見つめてんだテメェ、虫歯か?」
「い、いや違くて!! なんだ今のは!? さ、さては妖怪かおまえ」
「寝言は寝て言え馬鹿野郎。言ったハズだぜ、俺は2nd-Gの剣神様だってな」

 熱田は地に立てた大剣を妹紅に見せるように傾け、言った。

「機殻剣クサナギ・完成型。封印用の符で抑え付けられてはいるが……これぐらいの事なら造作もねぇこった」

「これぐらいって……何をしたって言うのよ」
「名を表せば『草薙』。意味は違えど、その名前には草を薙ぐ力がある。……わかるだろ?
 竹と言う草本を、『どけ』って言いながら薙いだんだよ。その結果がこれだ」

 これだ、と言われて指されたその空間にもはや竹の壁は存在せず、謁見の間に敷かれる絨毯の如く伸びる獣道の先は闇で染まっていた。

「ただの馬鹿だと思っていたが……意外な才能があるんだな」
「褒めるなら素直に褒めろ」
「こんな力があるなら適当に進んでも竹林から抜け出せたんじゃないか?」
「それじゃ爽快感ってもんが無ぇだろ。テメェに会うまでは普通にへし折りながら歩いてたよ。
 折れるだけで手ごたえの欠片も無かったが、良い運動にはなった」

 凄まじい環境破壊を平然と語る熱田を、少しでも認めた自分を悔やみながら妹紅は半目で睨む。
 気にも留めずに早く行けと目で急かす熱田に嘆息すると、妹紅は拓いた道を先導するべく歩き出した。

「しかしまぁ切っても切ってもスカしか出ねぇのな。昔話のようにはいかねぇか」 

 しかし、背後の熱田がふいに放った一言に対して妹紅はここぞとばかりに口を挟んだ。

「昔話? ふん、ガキだガキだと自分に言っておいて、随分と幼稚な物が好きなんだな」
「なんだとコラ、何にも知らねぇガキがナマ言ってんじゃねぇぞ」
「昔話くらい知っているよ。里の子供でも嗜む作り話さ」

 馬鹿にするようにそう言って、妹紅は相手の反論を待たずして先に進もうと足を速め、



「作り話じゃねぇ、実話だ。
 かぐや姫は、な」



 その言葉を聞き、動かしたその身体を完全に静止させた。

---

 時は夕刻まで遡る。

「……もう一度聞きます」

 迷いの竹林に一番近く一番の活気を見せる、番外の全竜交渉とは無縁の人間達が住まう、名も無き人里。
 にわかに騒がしい夕暮れ時の里の一角に、人家にしてはやや大きめの敷地を持つ一軒の建造物があった。

『白沢塾』と表札のかかるその建物の、応接室としての役割を持つ畳敷きの和室には今、
 三人の人物が茶卓を境として二対一の割合で、正座で向かい合っていた。
 
 割合が一の方。上座に座るのは、紺色の服を着用し長い白髪に特徴的な帽子を乗せた、落ち着いた雰囲気の女性だ。
 その女性は凛とした面持ちで冒頭の言葉を区切り、やがて一息で言い放った。


「先刻、迷いの竹林の方向から大群を率いて里に襲来し、
 たまたま里の市場に買い物に来ていた頭に不思議な生物を乗せた童女に対して強引に話しかけ、
 抵抗するにも関わらず、露出の多い肌着同然の衣装を何らかの呪術を用いて無理矢理に着用させ
 手に持った怪しげな道具から怪しげな光を放ち、怪しげな用紙にその姿を転写させた後に逃走した、
 意味不明の言語を扱う白い服を着た老人を頭に置く集団と、
 
 貴方達は、全く関係の無い人物だと言う事で……間違いないですか?」

『間違いありません』

 
 かなりの尋問口調で聞く女性の問いに答えるのは、対面に座る、割合の二の方。

『日本UCAT開発部主任 鹿島・昭緒』と書かれたネームプレートを胸につけるのは、眼鏡をかけた男性であり、

『日本UCAT開発部部長 月読・史弦』と書かれたネームプレートを胸につけるのは、白髪を縛った初老の女性だった。

 鹿島と月読は出された茶に手をつけず、身に付けている白衣を見られぬまいと顔を伏せて神妙に身体を小さく丸めていた。

(月読部長。僕達がEx-Gに踏み入れて、やっとの思いで人里を見つけたと思ったらいきなり連行された理由がわかりましたね)
(黙りな鹿島。私達とあいつらは全くの他人。私達は2nd-G代表としてEx-Gとの事前交渉に望む為に来ただけ……いいね?)
(あの、先程からあちらの女性の目つきが某名探偵のように鋭いんですが。なんかこう、死神的な)
(死ぬ気でやりすごすんだよ。あの日本UCATの恥部との関係がバレたら私はあんたを置いて逃げる)

 お互いを肘で突きながらぼそぼそと小声で話す二人を、女性は咳払い一つで黙らせる。
 嫌な汗を全身にかく二人をじっと見つめていた女性は、やがてふぅ と溜息をつくと、

「まぁいいでしょう……貴方方を信じます」

 目つきと口調を幾分和らげ、二人に言った。

「ありがとうございます……ええと」
「慧音です。上白沢慧音」
「上白沢、ですか。……表の表札には確か、『白沢塾』と」

「他人に見せる表札に、自ら『上』を付けるのは驕りであると考えております。
 そうは思いませんか? ……名を統べる竜が住む世界の住人方」
 
 鹿島が礼を言うと女性――慧音はそう答え、言葉の最後に笑みを加えた顔を見せた。
 
 里での騒動の後に足を踏み入れた鹿島と月読は村人達に取り囲まれ、この寺子屋に叩き込まれた。
 そこで待っていたのが寺子屋で教師を務める慧音であり、騒動の関係者と容疑を持たれた二人は自らの身分を明かして必死に弁明した。
 その弁明と、全竜交渉の顛末を一度の説明で理解したらしい慧音を見て、二人は安堵の表情を見せる。

「それでその、事前交渉の件なのですが」
「それなのですが……私はあくまで仲介役。ある妖怪が用意した交渉役は別にいるのですが……」
「ですが?」
「その者達に会う前に、ここに私の知人が送った使いの者が来るはずなのです。
 貘と言う生物を連れてきて、その生物と貴方方を連れて望む手筈となっていたのですが……遅いですね」

 貘と言う単語を聞き、鹿島と月読はお互いに顔を見合わせる。
 三人が三人、それぞれの思惑で思案していると、やがて慧音が口を開いた。

「仕方がありません。私達は先に行きましょう……日が暮れる前に終わらせなければ」
「……夜に、なにかあるのですか?」
「……夜は、なにかと危険ですから」

 慧音が一瞬顔を曇らせ、言葉を濁しながら呟く。
 何かあるな と鹿島は思ったが、続けて口から出た言葉は別の懸念事項だった。

「しかし、貘はどうしましょう。私達も存在は知っていますが、確かにあの生物がいないと交渉は難しいかと思うんですけど」
「心配要りません。私達が不在の間使いの者がここに来たら彼女が応対し、急ぎ向かわせましょう」

 慧音がそう言うと同時に、外で待機していたかのようなタイミングを持って襖を開けて入ってきたのは、


「出かけます。留守を頼みますよ、阿求」
「いってらしゃい慧音。私も興味はあるんだけど……今回は大人しく留守番してるわ。
 そして、いってらしゃい2nd-Gの担い手達よ。よりよい歴史をこの地に刻む事を、心から願っておりますわ」

 
 慧音に、そして鹿島と月読に言葉をかけつつも一礼を忘れない、礼儀正しい和服の女性だった。

「晴美に似てる……晴美が大きくなったらあんな清楚な感じになるんだろうなぁ!! あぁPCが無いのが無念すぎる!!」
「こらっ鹿島!! 座ってなさい!!」

 自分の娘を阿求と呼ばれた少女の面影に合わせ、身体を捻りながら身悶える鹿島を月読は一喝する。
 そんな様子を阿求はくすくすと笑って見ていたが、すぐにその顔を真剣な表情にすると、
 部屋の障子を中程まで開け、夕暮れの空を見上げながら言った。

「でも気をつけてね慧音。今夜は満月……良くない事が起こりそうだわ」
「……ああ、わかっているよ」
「つかぬ事をお聞きしますが、上白沢さんは満月の夜に、何か……」
 
 含みを持たせる二人の会話を耳に入れた鹿島は、先程の懸念を思い出して今度こそ問いただそうと口を開きかけた、
 その時だった。開け放たれた障子が応接室と庭を繋ぎ、垣根を通して外の道とを結ぶ。
 そして夕暮れの冷たい風と共に室内に入ってきたのは、興奮冷めやらぬ様子で話す村人達の速報だった。


「おいおい聞いたか。さっき迷いの竹林から飛び出てきた奴が言うには、
 なんでも竹林の中で呪詛を撒き散らしながら竹をなぎ払う金色の髪の大男を見たんだと!!」
「うわぁおっかねぇ。しかしよく生きてたなソイツ」
「馬鹿野郎馬鹿野郎と連呼するその妖怪を見て慌てて逃げたら、例の大きなウサギを見つけたらしく無事帰ってこれたんだってよ」
「しっかし今日はえらい日だな。白い服には注意するべしって瓦版でも回すか」

 それがいいそれがいいと話しながら遠ざかる男達の会話が、残響として応接室に響く。
 急ぎ玄関に向かおうとしてた慧音がゆっくりと鹿島と月読に向きなおり、張り付いた能面のような笑顔を浮かべて同じくゆっくりと問う。

「…………あの、もう一度だけ聞きますが……関係無いんです……よね?」

『関係ありません』

「神に誓って?」

『神に誓って』

 滝の様な汗を顔に浮かべた、白衣を羽織る二人は己の手を胸に当て慧音とは目を合わせずに誓った。
 そして慧音の答えを聞かぬまま応接室から飛び出し、玄関を抜けて外に出る。
 
 しばしお互いに顔を見合わせ、はっはっは と乾いた笑いを乾いた喉からひり出して、
 未だ二人の前に姿を見せぬ、最後の2nd-G代表である剣神に対して叫んだ。



『……あの馬鹿!!』






[26265] 第十章「熱風の激昂者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/09 23:55
「かぐや……姫、だと? おまえ今、確かにそう言ったな?」
「ああ? 言ったがどうした。LOW-Gじゃよくある架空の童話の一つになっちゃいるが、
 俺らのいた2nd-Gじゃ大昔に起こった、有史に記載されているれっきとした事実だ」



 クサナギによって拓かれた道を進もうとしていた熱田は、歩みを止めて問う妹紅に若干苛立ちながらもそう答えた。
 陽は完全に落ち、空まで茂る竹林がその大部分を遮りつつも、微かに差し込む月光が二人の足元を照らしている。
 そんな月の光を拒絶するかのように妹紅は竹葉の影へと身体を動かしながら、詰問口調で熱田に聞く。

「どんな話だ」
「いきなりどうしたお前。いいからさっさと前に進……」
「いいから話せ!!」

 妹紅が感情を込めた強い叫びで熱田の不満の声を遮る。
 その言葉の感情は怒りと言うよりは、早く先を知りたいと言う探求としての焦りが顔を覗かせていた。
 熱田はわけがわからないと言った表情で額に手を当てるが、やれやれと前置きをして語りだす。

「そんなに知りたきゃ話してやるよ……。
 
 
 昔々ある所に竹マニアのジジィとババァがいてだな。
 ある日ジジィの方が日常的に摂取していた竹エキスによってヒャッハーしながら竹林を闊歩していると、世にもゴールデンなバンブーを見つけた訳だ。
 ジジィ喜びながら半狂乱で竹を割ったら、中から超絶美少女マジカルバンブーが出現した。
 ジジィは第一発見者の当然の権利として主張しながら、マジカルバンブーを拉致。その後自宅へ監禁する。
 マジカルパワーによって急成長を遂げたマジカルバンブーは当時のリア充共に目を付けられるが、必殺技のデストロイ・クエスチョンによってこれを撃退。
 最早向かう所敵無しとなったジジババはその力によって国家転覆を目論むが、
 ある日胸元のカラータイマーの鳴ったマジカルバンブーは、当時月と呼ばれていた惑星・マジカル78星に電撃帰国。
 当てにしていた最終兵器を失う事になったジジババはリア充共のお礼参りに合うが実力でこれを撃退した」


「………………」


「次回、超絶美少女マジカルバンブー第二話『ここはどう頑張っても一人……いえ二人までです!!』
 ガキ向けの特撮にしては燃える展開だよな。確か製作総指揮が風見んとこの親父じゃなかったか?」
「知らないわよっ!!」

 妹紅は拳に力を入れて語り部口調で説明してきた熱田に対して突っ込みを入れた。

「何なのよ今のは、意味がわからない!!」
「LOW-Gの童話、かぐや姫を基にして作られられたガキ向けの教育番組だ。
 企画書持ってったらその場に居合わせたIAIのトップが妙に気に入ったらしくてな。グッズなんかも売ってるぜ」
「そうじゃなくて……」

 背を丸めてげんなりとした妹紅が振り払うようにして手を振り、熱田に再度問い詰める。

「それは作り話の方でしょう!? 私が聞きたいのは事実……史実として残された話の方よ!!」
「あんだよそう言う事は先に言えよ。ったく」

 ぶん殴ってやろうかと拳を固めた妹紅に嘆息しながら、熱田はその場にヤンキー座りで腰を落とし、言った。


「俺らの世界のかぐや姫はな、竹取物語と呼ばれる神話の一つとして、歴史にその名を刻んでんだよ」


---


「竹取の翁・讃岐造が竹林で輝き光る竹を切ると、中から赤子が現れた。子に恵まれなかった翁達は赤子を自分の子供として育てる。
 異常な速度で成長を遂げ、『輝夜』と名を与えられたそいつは豊穣を呼ぶ神童として大切に育て上げられた。
 そんなある日、神童としての力と共に絶世の美貌を持つ輝夜に対して求婚する当時の皇族達が現れたわけだ。
 輝夜はそんな皇族達を盛大にフるべく、それぞれに半ば伝説の宝具と化していた未発見の宝物を持ってくるよう難題をふっかけた。
 持って来れば結婚してやると言われたアホ共は必死になって2nd-G中を駆けずり回ったらしいが……まぁ見つかりっこ無いわな。
 さんざんコケにされて酷い目にあったらしいが……
 まぁともかく、2nd-Gの大地を満喫した輝夜は置き土産として不老不死になる薬をバラ撒いてご満悦で月の世界に帰国。
 後には不老になったり不死になったりしたアホ共だけが残りました……って訳だ」

 
 最初こそ荘厳な語り口で緩急をつけながら語りだした熱田だったが、徐々に面倒臭くなって来たのか適当な表現でその話を終えた。
 所々大幅に省略したような部分があり完全に納得とは言えない感じの妹紅だったが、
 先程のトンデモ魔法少女よりは幾分マシだと考え、おずおずと質問を切り出した。

「それが……おまえの世界の実話なのか」
「2nd-Gは神話の世界。八百万の神々が統べる世界に存在する木っ端な物語の一つだよ。
 LOW-Gでは童話となっている様に、他の世界の『かぐや姫』が事実か虚構かなんてのは、その世界の住人にしかわからねぇこった」

 Ex-Gも例外じゃねぇぞ? と言い加え、熱田はヤンキー座りから立ち上がり妹紅を見下ろす。

「これで満足か? 満足したならさっさと前へ進め。無駄な時間を使っちまった」
「……最後に。最後に、もうちょっとだけ聞かせて欲しいんだけど……」

 熱田に急かされる妹紅は、両の拳を力強く握りながらその顔を伏せつつ、決心したようにそう言った。
 その肩は震えており、搾り出すように問われたその言葉の本心には『聞きたい』と『聞きたくない』が入り混じっているようだった。
 
 その様子を熱田は怪訝な顔で見下ろしていたが、やがて妹紅が口を開き、地に落とすように発したか細い声が、



「輝夜にコケにされた皇族の中に、藤原の姓を持つ者はいたか?」


 
 熱田に、そう問いかけた。

「藤原ァ? ……あー、どうだったかな……」

 思案する熱田に、妹紅はそれ以上何も言わぬまま口を閉ざす。
 数十秒の時が流れ、やがて熱田は思い出したように片手で指を鳴らして言った。

「あーいたいた!! 思い出したぜさすが俺。確かにいたぜ藤原って奴は」
「……そうか、やはりいたのか……」

 妹紅は安堵とも諦めとも付かぬ吐息を漏らしながら熱田の言葉を聞く。

「それだけ聞ければ十分だ。呼び止めて悪かったな、先を急ごう」

 まだ何かを言いた気だった熱田を遮るようにして、妹紅は急ぎの姿勢を見せつつ熱田に言う。
 
 その姿は、続く言葉を己の耳に入れないようにも見え、
 その歴史を汚点として否定するようにも見えた。

 熱田に背を向け、先導を再開しようとその右足を一歩前に出す妹紅だったが、



「輝夜に一番派手にフられた、面目丸潰れの馬鹿野郎の事だな」



 後に続いた、熱田のあっけらかんとした物言いを耳に入れたと同時に、ぎしり とその身体を強張らせた。


「……なんだと?」
「身の丈を省みねぇ馬鹿は身を滅ぼすって良い見本だありゃ。ああはなりたくねぇってな」

 振り向きもせず低い声で問いかけた妹紅を気にも留めずに、熱田は軽く言い放つ。

「……」
「輝夜に弄ばれて地団駄踏んで悔しがってたみてーだが、ざまぁみろだアホめ」
「……」
「馬鹿は死ななきゃ治らねぇってか。どっかの交渉馬鹿に聞かせてやりてぇぜ。大体――」



「もういい」 

 

 その瞬間。
 妹紅と熱田を中心とした、竹々が作り出す空間の温度が、急激に下がった。



「……なんだぁ?」

 熱田は、感情の色が失われた言葉を発した、妹紅の背中ではなく、
 空間を支配するその不自然な冷気の波を敏感に感じ取り、己の足元を見た。


 通常空気が作り出す層は、低温の層が土台となってその上に高温の層が重なる二重構造を持つ。

 熱田の足元を急激に冷やした空気が突如として出現したその理由は、
 夜の竹林を覆っていた冷気が、何物かによって急激にその層を下方へ圧縮されたと言う事であり、



「おまえは今ここで死ね、熱田・雪人!!」



 妹紅の怒号と共に頭上に出現した熱波の層が、加速を伴って周囲の空気もろとも熱田を飲み込んだ。

 熱田はとっさの判断で手に持ったクサナギを頭上に掲げ、その大型の刃を水平にして傘のように持ち防御する。
 封印符の青い光を伴いながらも剣神の力を得たクサナギは襲い掛かる熱波に対し、熱田を含む空間に防護の為の切断の力を走らせた。
 熱波の余波が地に触れた瞬間、大気の震える音と共に暴風が巻き起こり、周囲の竹々を激しくしならせた。

「……いきなり何しやがんだテメェ」

 熱田がもはや敵と認識した妹紅に静かに問いかける。
 妹紅は息荒く上下するその身体を熱気で包み込み、陽炎を揺らしながらゆっくりと熱田に歩み寄り、言った。

「おまえ、さっき私の姓を聞いたわよね……その問いに今、答えてあげるわ」
「……」

「私の名前は藤原妹紅。
 こことは違う別の世界の、おまえの世界が語る竹取物語に名を残す、藤原の眷属だ!!」

 妹紅は熱田に言い放ち、怒りを以って見開くその眼で睨みつける。
 その視線を導火線にして空間に力が走り、一拍を置いて新たな熱波が熱田に伸びた。
 

「親子揃って、馬鹿ばっかりか!!」
 
 
 熱田は線を描く熱波を身を翻してかわしながら、その勢いを殺さぬままクサナギの鞘を引き抜き、着地と同時に両手で構える。
 封印の鞘から姿を表したその剣は、熱が支配するその空間に刃を置きながらかすかに震えて応じる。
 
 しかし、その空間で震えるのはクサナギだけでは無かった。
 熱田の利き腕とは逆の手首に撒かれた自弦時計が、熱波に反応するようにして振動している。

(概念空間だと!?)

 熱田が驚きながら横目で見る時計の字盤には、デジタル表示でこう書かれていた。



・――風炎 感情は比熱を持つ。



---

「……ここはどこですか……」

 数刻前の竹林の中で弱々しく生まれたその声に答える者は、誰一人として存在しない。
 
 自分の身長の倍以上もある竹々時折頭をぶつけ、
 自分の足首ほどの、成長途中の竹々に時折足を取られ、

 ふらふらと迷いの竹林を彷徨い歩くのは、冥界の庭師、魂魄妖夢だった。

「どうしてこんな目に……」
 
 自らの行いを省みながら、しかし答えの出ない妖夢は紅潮した顔で浅く自分の身体を抱く。
 
 
 頭に貘を乗せながら、満身創痍の体で竹林をよろよろと歩く妖夢は今、バニースーツに身を包んでいた。


 歩行の振動と連動しぴこぴこと動く兎の長耳の間に貘が鎮座しており、時折落ちそうになるその身体を動く耳でガードする。 
 上下半身共に肌面積の方が多いレベルのその服装は竹林での負傷により所々が破れており、露出面積の領土拡大に成功していた。

(今日は厄日だ……)
 
 妖夢は最早声として紡ぎ出す気力も無く、心の中で思う。
 心配そうに追従する自分の半霊を撫でながら、妖夢は望まずして竹林に身を投じる結果となったそもそもの発端を呪った。

---

「大丈夫大丈夫、すぐ終わるでなっ」
「部長キサマ役職だけで優先順位の全てが決まると思うなよ!! 最後に勝つのは愛だ!!」
「男の勲章は女性への功績によって称えられる事を知らんのかお前、彼女にバニスー着せられたのは誰のおかげか言ってみろ!!」
「劣化複製概念『・――転身、コンパクトフルオープン!!』はウチの部署のテスト品だ、勝手に手柄横取ってんじゃねぇ」
「あーあー喧嘩は良くないでな。よろしいならば公平にジャンケンで決めるのがよかろ」

 妖夢に突撃をしかけ街中で怪しい機械を手に口論を始めた白服の集団に捕まったのが妖夢の運の尽きだった。
 最終的に白衣の老人が『大城奥義・グーチョキパー』なるものを用いて最前列を確保し、あれよあれよと言う間に列が形成されていった。
 
 そして手に持つ『かめら』と言うもので妖夢に怪光線を発射しながら、にじりよってきたのだった。

 怖くなった妖夢はその場から逃走。
 『ふぃぎゅあ化』がどうとか言いながら追ってくる集団を振り切り、安堵の息を吐いた時には既に竹林に身を落としていた。

---

「幽々子さまぁ……助けてくださぃぃ」

 完全に迷子となった妖夢ががくがくと揺らしながら歩くその頭上では、貘がその動きを揺篭代わりにして寝息を立てている。
 その姿を愛おしくも恨めしくも感じながら神経を刻一刻とすり減らしていた妖夢だったが、

「うひゃう!?」

 獣道の脇から突如として草を掻き分けて向かってくるような音が響き、身体を強張らせた。
 霊障が人一倍苦手な妖夢は登山杖と化していた楼観剣を逃げ腰で構えながら、音の出所に身体を向ける。

「くくく来るなら来なさい!! 妖怪が鍛えたこの楼観剣に切れないものなど、あんまりない!!」

 震える声で言い放ち、半ばヤケクソで楼観剣を振り回す妖夢に応じるかのように、音を止めて飛び出してきたそれは、


「…………えーと……お仲間?」

 
 竹林で出会うと幸運が訪れると噂されている妖怪ウサギ――因幡てゐが、
 楼観剣を放り投げ、貘ごと頭を抱えて座り込み震えていた妖夢を見て小首をかしげた。

---

「姫様ー、永琳ー、変なの連れてきたー」

 てゐがそう言って妖夢を連れてきたその先は、竹林の開けた窪地に建つ大きめの日本家屋だった。

『永遠亭』と表札のかかる玄関ではなく、そこから回り込んだ場所に存在する縁側へとてゐは駆ける。
 遅れて妖夢が辿り着くと、そこには一人の女性が縁側に腰をかけていた。

「あれ、姫様だけ?」
「永琳は先に行ったわ。……私は少しお月見してから、ね」

 長くつややかな黒髪を和服で彩る『姫様』と呼ばれたその女性は、てゐの頭を優しく撫でながら妖夢に気づくと微笑んだ。

「あら……てゐのお友達? 随分と人間臭い風体のウサギねぇ」
「違いますっ」

 妖怪ウサギの仲間にされかけた妖夢が全力で否定すると、女性は妖夢の頭に乗った貘に気づき、

「あら、それ貘じゃない。って事はあなたが紫の言ってた使いの者ね」
「魂魄妖夢です。幽々子様の命で寺子屋に運ぶように言われたのですけど……どうしてあなたが?」

 知っているのですか という意味で問いかけた妖夢だったが、女性はくすりと笑いながら言う。

「何だっていいじゃない。どうせ行き着く先は同じ……森羅万象は須臾を通じて移ろい流れているのですから」

 意味がわからず言葉につまる妖夢だったが、女性は返答をまたずに縁側から腰を上げて妖夢に近づき、

「ともあれご苦労様。貘は私が引き取りますから、てゐの先導で竹林を出て帰りなさいな」
「えー、また案内すんのー? もう疲れたよ。鈴仙にやらせればいーじゃん」
「あの子は今お使い中よ。帰ってくる頃にはズタボロだろうから、ベッドに寝かせておきなさいな」

 てゐと会話をかわしながら、妖夢の頭上で寝息を立てる貘をそっとつまみ上げた。
 
 妖夢は思う。
 やっと終わった。当初と予定は違うしなにやら肉体的にも精神的にもありえないくらい疲れたけどとにかく終わった。
 茶菓子は買えなかったけど、帰ったら幽々子様に謝罪の意味も兼ねてとびきりのお菓子を作ってあげよう。
 その後外でお花見とか言ってたなぁ。幽々子様のなにやら上機嫌だったし、楽しみだなぁ。
 ともあれもうこんな迷惑な話はこれきりなんだ!! 私は解放されたんだ!!

 襲い掛かってきた受難の全てに終止符を打つべく、貘の譲渡に満面の笑みをもって望む妖夢だった。
 が、


「あっ」


 貘が自分の頭頂部から身を浮かせた瞬間、妖夢の口から反射的に漏れた言葉は、本来あるべきものが突如として失われた時のような不満の声であり、
 ついでに言うと、その視線は名残惜しそうに離れていく貘に釘付けであり、
 さらに言うと、妖夢の右手は貘に対しての別れを惜しむように前方へと伸びていた。

 全ての行動が刹那的に起きた後、妖夢はハッと我に返り慌てて姿勢を正して顔を下げる。
 貘をつまみ上げたまま目を丸くしていた女性は数秒硬直していたが、やがてつまんでいた貘を無言で妖夢の頭にそっと戻す。
 兎耳の間に落ち着いた貘は身をよじっていつもの体勢を取ると同時に、妖夢は顔を上げた。
 その顔には照れたような、罰が悪いようななんとも言えない表情が浮かんでおり、女性と視線を逸らしながらもはにかんだ笑顔を露にしていた。

 が、女性は今度は何も言わぬまま、若干のスピードを乗せて貘をいきなり取り上げた。
 妖夢も無言で抵抗せずに成り行きに身を任せていたが、その表情は先程の不満気なオーラに満ちていた。

 再度定位置に戻し、フェイントを交えて取り上げ、また返す。

 ころころと玩具のように表情を喜哀に変える妖夢で遊んでいたその女性は、やがて溜息を一つついて、

「あんたも来なさい」

 と言って、貘を乗せた妖夢の襟首を掴み、引き摺りながら出かけていった。

 いってらっしゃーい と手を振るてゐを視界に入れつつ、妖夢は背後の女性に声をかける。

「あっ、ああああああの私、そんなつもりではっ」
「いいから歩く」

 言われ、妖夢は慌てて身に力を入れて自分の足で歩き、女性に追従する。
 道を知っているかのように早足で歩く女性に対し、妖夢はおずおずと話しかけた。

「あ、あの……これから何処へ? ……えーと」
「輝夜よ。蓬莱山輝夜」

 輝夜と名乗った女性は、妖夢の質問にこう答えた。



「永遠の夜が作り出した物語……。幻想の史実に刻む一夜の神話を、貴方にも詠み聞かせてあげましょう」






[26265] 第十一章「月光の射手」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/10 01:18
「意味がわからねぇな。何で俺が死ななくちゃならねぇんだ」
「我が父を罵倒し、あまつさえその歴史を軽々しく口にする者を生かしておく理由など、無い!!」
「それはテメェんとこの世界の話だろうが。ウチの歴史をとやかく言われる筋合いは無ぇぞ」
「……っ、同じ事だ!!」

 激怒する妹紅と、至って冷静な熱田が対峙する竹林内部の戦闘空間は今、熱気の充満する概念空間と姿を変えていた。
 
 放出された感情が熱量を持つこの概念空間の中で、妹紅は具現化されたその力を惜しみなく熱田にぶつける。
 妹紅が吼え、その身を爆ぜる様に飛ばして熱田に殴りかかる。
 速度と概念が乗った拳を熱田は身を翻して避けるが、背後にある太い竹に妹紅の拳が当たると同時に、熱波の爆発が生じた。
 竹を中心から焦折した熱波は喰い足りないとでも言うかのようにその力を周囲に拡散させ被害を増大させる。
 熱田は舌打ちをしつつクサナギを抱えて跳躍し、妹紅との距離を一定に保ったまま着地した。

「環境破壊は大概にしとけよ」
「ぬかせ!!」

 熱田の言葉に対し、妹紅は一蹴の意味を持つ視線が生んだ衝撃波をもって返答とする。
 高温の暴風が妹紅の視線を道として走るが、熱田はその視線を手に持つクサナギで塞いだ。

 片手持ちから両手持ちに切り替えた熱田は己の膝を浅く曲げ、クサナギを頭上に振りかざす。
 それは今までその大剣をぞんざいに扱っていた熱田が初めて取った、構えらしい構えだった。


「仕方ねぇなぁ。気は進まねぇが……出番だ、クサナギ」

 
 暴風が熱田の目の前で逆巻き、暴れるがままにその身体を飲み込む寸前の所で、
 熱田は振りかざしたクサナギで、切断の意志を持って眼前の空間を叩き斬った。

 熱田が切断の意志を込めたのは、振り上げたクサナギの先端を始点とし、振り下ろした竹林の地面を終点とした線の空間。
 熱田の眼前に展開されたクサナギが作り出す剣線の領域は、暴風が走る射線が熱田に到達するより一瞬早くその力を具現化させる。

 表現として、クサナギの剣線が暴風を上から斬り下ろす形となり、
 結果として、熱波が作り出す弾丸は二つに断たれ、熱田を挟み込む形で背後へと通り過ぎた。

 双の風となった熱風は熱田の背後の竹々にそれぞれ着弾し、爆音と共に薙ぎ倒して戦闘空間を拡大させた。
 
 爆風が収まり、概念空間に再び静寂が訪れる。
 竹々すらもその身を震わせる事を止め、存在を確立させたクサナギを垣間見るようにして動きを止めている。
 封印の鞘から開放されたクサナギが切り下ろされたまま接合していた大地を震わせるようにして、一度だけ鳴動した。
 柄尻から吐息が漏れるように響いたその響音は最早金属の塊では無く、単一の生物のように妹紅と熱田にその存在を教えるようだった。

 クサナギの声を聞いた熱田は満足そうに口端をゆがめ、振り下ろしたクサナギを再び己の下へと引き寄せる。 
 一方の妹紅は、概念の作り出した感情の熱波を容易く断ち切ったクサナギに対し、目を見開いて口を開いた。

「なんだ、それは……剣か?」
「へぇ、テメェには剣に見えんのか。
 だが、俺にはこの機殻剣は、クサナギと言う存在を現象として空間に生み出す召喚機のようなモンにしか見えねぇ」
「何を言っているんだお前は!?」

「わかんねぇのか馬鹿。だが今の俺様は気分がいいから教えてやろう。
 
 
 クサナギは、振る事によって威圧した空間を剣化する。
 今俺が目の前に振り下ろした事で、テメェの生温い風にブチ当てたんだよ。『風邪引いたらどうすんだボケ』ってな」

 
 意志を込めた切断をトリガーにその存在を露にするクサナギの正体を、熱田は教授するように妹紅に説明した。
 幾らか温度の下がった戦闘空間を教室とし、熱田の抗議は続く。

「感情を凶器と化する概念か。小細工ばっかの面倒くせぇ、しみったれた概念よりは俺向きで好感持てるが……
 この天才、熱田様の灰色の脳細胞もってしても、どうにもわからねぇ事が一つあるんだよな」

 いくらか感情を抑え押し黙る妹紅に対し、
 熱田は概念空間の展開からずっと思っていた疑問を口にした。



「お前、なんで怒ってんの?」



 熱田の言葉が妹紅の耳に届いた、その直後。
 
「おまえは、私の逆鱗に触れた……!!」

 妹紅は概念の力で再び周囲に怒熱の風を巻き起こしながら、無手の右手を前にかざした。

「私はおまえを許さない」 

 怪訝な顔の熱田に向けられた掌に、光が集まる。

「私はおまえを認めない」

 光が作り出したそれは、幻想の力が宿る妹紅の剣。

「私はおまえを帰さない」

 手中に生まれた絵札―スペルカードに感情の全てを込め、妹紅はそれを振り上げる。



「満月の下で灰と化せ、歴史の冒涜者!!」


 
 叫ぶ妹紅に対し、熱田はクサナギを向けながら低い声で呟く。

「逆鱗は竜の秘部。撫でるなんて優しい事は出来ねぇぞ? 死ぬ覚悟がテメェにあるか藤原妹紅」

 死と口にした熱田の言葉を、妹紅は一瞬の表情の変化で受け止める。
 
「……は」 

 それは苦痛に歪ませるような、救いを求めるような悲しい顔であり、

「……っはははははは!! いいだろう、私を殺してみろ剣神。
 だがそれでも。……それでもおまえに、私の永遠の輪廻を断ち切る事など出来ない!!」

 その全てを隠すかのように笑うその顔で、妹紅はスペルカードを発動させる。



「スペルカード――不死『火の鳥 -鳳翼天翔-』」



---

「全竜交渉部隊の目的は、過去の遺恨の払拭と聞きました」

 人里から離れた迷いの竹林を進む鹿島と月読は、先導する慧音にそんな事を問われた。

「そうですね……僕達2nd-Gとの全竜交渉の際にも彼らは見事に役目を果たしてくれました」
「色々と問題多い連中だけど、何事にも全力で取り組む姿勢は評価するべき所なのかねぇ」
「ええ。先日の『1/8HG鹿島・奈津』製作の過程でも、彼らは材料の提供と生産ラインの確保という大儀を果たしてくれました」
「………………一応聞いておくけど、HGって何?」
「えっちぐれーどです」
「……評価する所なのかねぇ……」
「あの、一応私、真面目な話をしたつもりだったのですけど……」

 困惑する慧音に対し、月読は慌てて取り繕う。

「え、あ、そうだねぇ。私達も2nd-G代表として、全力で取り込む所存だよ」

 月読に後ろ手で背中をつねられた鹿島も慌てて頷き、慧音に笑いかける。
 半眼で返した慧音だったが、やがて諦めたようにして会話を続ける。

「私達の物語の代表も、やはり貴方達に過去の理解を望んでいる事でしょう」
「しかし、僕達はまだ、貴方達から何も知らされてないんですが……」
「私達2nd-Gの代表に対し、あんたたちが望む理解とはなんだい?」

 鹿島と月読が重ねて聞くと、慧音はすぐには答えずに己の頭上を見上げた。
 二人がその視線を追うと、竹葉の隙間から姿を表す物があった。

「……満月……ですねぇ」
「綺麗なもんだね」
 
 天空に浮かぶ月に眼を奪われた二人だったが、

「……くぅっ!!……」

 うめき声を発して月から眼を背けた慧音が二人の視線を奪った。

「ど、どうしたんですか上白沢さん!?」

 鹿島が慌てて駆け寄り手を伸ばす。
 慧音は荒く呼吸しながらその手に捕まり、倒しかけていた身体を起こして鹿島に言った。

「……大丈夫です。満月は私の身体に変化を与える……後ほど貴方達にも説明致します」

 回答になっていない慧音の言葉に鹿島と月読は疑問符を浮かべたが、慧音は体調の変化を隠すようにして話を戻した。

「私達の望む理解……それは、一つの問いに集約できます。
 言葉にすれば短い一文ですが、その中にはとても深い業がある……」
「……問い?」

 鹿島はその言葉を聞いて、月読と顔を見合わせた。
 
 過去に遺恨を持つ者が、それを解決せんと名をあげた者に対して一つの問いを投げかける。
 その行為は、かつてLOW-Gでの全竜交渉の際に、2nd-Gが全竜交渉部隊に対して行った行為そのものだった。

「その問い、とは?」
「……それは」

 慧音が問いの内容を答えようとした、その時だった。



「――その問いを投げかける役目は、貴方ではない」



 竹林の奥から聞き慣れない女性の声が響くと同時に、慧音の背後から細く長い物が高速で飛来してきた。
 
 矢だ。それが風を切り裂きなが一直線に飛ぶ鉄尻の矢だと言う事を、鹿島はその動体視力を持って理解した。
 が、理解が追いついていても、とっさの判断で動いたその身体と慧音との距離は、あまりにも遠すぎた。
 
「くっ!!」

 鹿島は矢を掴み取ろうと手を伸ばしたが、目標までのタイミングは合っていてもその空間を埋める事は出来なかった。
 鹿島のとった行動で慧音は事態に対する警鐘を理解するが、月光に影を縫い付けられたかのように、その身体は動かない。
 
 一秒にも満たないその時間で、焦る鹿島と、目を見開く慧音と、加速を止めぬ矢がそれぞれの行いを完了させる。
 
 次の瞬間、鹿島は伸ばしていた手首を下に落とし、いつの間にか止まっていた息をゆっくりと吐き出しながら言った。


「……ナイスです。月読部長」


 矢尻が慧音の肩口を貫く音ではなく、
 飛来する矢と真逆のベクトルの力を持ったものが、矢を真正面から叩き落す乾いた音が響いた。

 その音は金属と金属がぶつかり合ったような澄んだ残響音を、月光が差し込む空間に残す。
 響きが止んだ時、矢に背を向けていた慧音は月読の姿を見て、鹿島は地に落ちたひしゃげた矢を見た。

 
 慧音の視界に入った月読は、その歳相応の小柄な体格に不釣合いな程大型の弓を構えていた。
 弧を描く2m超の大きさを誇るその黒弓は、機殻が施された2nd-Gの概念兵器。

「月天弓。月読と言う、2nd-G皇族の姓を持つ者だけが扱える……月の加護を受ける弓ですね」

 安堵の声で言う鹿島の視界に映るのは、地に落ちる鉄尻の矢。
 その矢に絡みつくようにして光るのは、淡く明滅する月光の帯だった。
 
 月読が矢に番えて放った月光の矢が、飛ぶ鉄矢を正確に撃ち落したのだ。

「……出て来なさいな。ブチ抜かれたいの?」

 差し込む月光を身体に浴びながら次弾を番える月読のその声に応じるようにして、慧音の背後から現れたのは、



「手荒な真似をしてごめんなさい。まぁ……2nd-G代表の力量を伺ったと言う名目で、許してもらえないかしら?」
「……八意永琳!!」



 身体を鹿島達の方に引きながら言う慧音の睨眼を意にも介せず、姿を現した女性――永琳は微笑んだ。



 



[26265] 第十二章「炎翼の再生者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/11 08:01
 スペルカードを発動させた妹紅は今、風炎の概念が作り出す怒りの熱波と同時に、


「火の鳥……具現化された神鳥、鳳凰か!?」
「我が炎で塵となれ、熱田!!」
 
 
 眼前の敵を焼き尽くす、焼尽の意志を持つ炎をその身に纏っていた。

 鳳凰を象る燃え盛る二枚翼が妹紅の肩口から生え、熱田を威嚇するようにして空に伸びている。
 月光を受けた炎翼を上下に動かした妹紅は、その場で軽く跳躍し、
 
 鳳凰の力をもって概念が作り出す熱風を支配し、跳躍をそのまま飛翔へと昇華させた。

「はぁっ!!」

 繊細かつ大胆に竹林の戦闘空間を低空で旋回した妹紅はそのまま熱田へと突進し、その両手に燃え盛る炎を出現させて練り上げる。
 朱色の炎は妹紅の意志でその密度を上げ、徐々にその形を変えていった。
 
 火の粉を舞い上げながら練成された炎が作り出すのは、妹紅の手刀の延長直線状に伸びる高熱の双刀。
 鳳凰の爪として具現した二本のブレードを振りかざし、妹紅は空中から熱田に強襲を仕掛ける。

「剣神相手に接近戦とは、良い度胸だなクソガキ!!」
 
 熱田はクサナギを腰溜めに構え、高速で襲い掛かる妹紅のブレードに刃を合わせた。


 熱田は、熱田と言う2nd-Gの剣神の最高位であるその名が持つ加護として、低級の刀剣類から傷をつけられないと言う力を持っている。
 その為大量生産の市販品等の、名前の加護を持たない武器で熱田に対して攻撃を仕掛けると言う行為自体が、不毛の極みとでも言えるものだった。


 しかし現在妹紅が扱う炎のブレードは、それ自体に名前は無くとも、

「中国神話の四霊が一つ、神鳥・鳳凰の爪……それ自体が既に剣神と同格って訳だ!!」

 妹紅の連撃を受けるクサナギからは打ち合う度に火花が散り、その飛び火は熱田の皮膚を蝕み、焦がす。
 手の甲に走る熱痛を振り払うようにして、熱田は両手に持つクサナギを袈裟斬りして妹紅を押し返す。
 概念の熱風とぶつかり合ったクサナギの剣風はその中心で暴風を生み出し、妹紅の炎翼が乗る気流を乱した。
 身体をよろけさせながら空中で体勢を立て直した妹紅はすかさず、距離の離れた熱田にクサナギを振る隙を与えないように追撃を仕掛ける。

「火鳥の嘴に貫かれるがいい!!」

 妹紅は叫びながら両手のブレードを頭上に振りかぶりその刃を交差させ、一気に大上段から振り下ろす。
 周囲を包む熱波を擦りながら空間を裂く×字の刃は、空気の層が作り出す悲鳴を合図に、あるものを生み出した。

 クロスされたブレードの中心点から弾ける火花を火種にして生まれたそれは、熱田の倍ほどの大きさを持つ巨大な火の鳥だった。
 
 ブレードが奏でる熱波との鳴音に共鳴するかの様に啼く火の鳥は、妹紅の眼前から一直線に熱田の元へと飛来する。
 
 加速を重ねる火の鳥の身体は橙色から朱色へと
 朱色から紅色へと
 紅色から金色へと己の格を上げ、その存在に神性を帯びていく。

「……やれやれだぜ」

 その嘴を頂点に高速の吶喊を仕掛ける火の鳥を目の前にしてもなお、熱田は表情一つ変えずにぶっきらぼうに言い切った。

 今、クサナギの刃は妹紅の初撃を打ち払った反動で地面へと向いている。
 大剣というカテゴリ相応の重量を持ち、なおかつ剣神である熱田でさえその制御に時間を割いたクサナギを再度振り上げ火の鳥を迎撃する時間は、熱田には無い。
 その事を理解し、火の鳥の嘴が熱田の胴体を貫く事を確実のものとしていた妹紅だったが、

「……な!?」

 衝突までのわずかな時間で行った熱田の取った行動に、絶句する。
 熱田は地に刃をつけるクサナギを持っていた両の手首を返し、大剣の持ち方を逆手持ちへとシフトする。
 
 そしてそのままクサナギを受ける地面を鞘に見立てて力の限り擦り上げ、地摺りの居合いを行って火の鳥に一閃を叩き込んだ。
 
 熱田の足元から引き抜かれるようにして振り上げられたクサナギは、激突寸前の火の鳥の顎を巻き込む形で剣線が作り出す道に、己を体現させる。
 剣線によって威圧された空間にクサナギの刃が走り、一撃を叩き込まれた火の鳥は甲高い悲鳴を上げて霧散した。
 
 火の鳥を作り上げていた圧縮された炎が弾け爆発を起こし、妹紅は爆風から守るようにして目を瞑る。
 風が止み妹紅が再び目を開けると、クサナギを振り上げたままの格好の熱田が笑っていた。

「名付けて必殺・ヴォルカニックヴァイパーver.俺。
 旅先で入ったしなびた温泉宿にあったゲームコーナーで、イカした男が使ってた技だ」

 妹紅は熱田の言っている意味を理解出来なかったが、目の前の現実は理解せざるを得ない。
 渾身の一撃で放った火の鳥の天翔が熱田に防がれ、妹紅の動きが無防備の言葉をもって一瞬、止まる。

 そして、その隙を逃す熱田では無かった。



「痛みもそうだが……怒りってのも自分自身を不用意にさらけ出すんだぜ?
 沸点低いテメェの足りない脳味噌を恨んで……ワケわかんねぇままやられちまえ」



 言って、熱田はゆらりとその身体を陽炎のように揺らす。
 妹紅がハッとして意識を熱田に戻すが、その瞬間に信じられない事が起きる。

 
 熱田の姿が、一瞬の知覚の切り替えをトリガーとして、妹紅の知覚から消えた。


---

 今、熱田は妹紅の意識からその姿を完全に消し去っていた。

 しかしその事実は、妹紅の視覚から来る情報が自身に伝える信号が発する警鐘であり、
 現実には、熱田は先程の位置から半歩身を引いただけで依然として妹紅の視界の延長上に立っている。

 熱田は別段に急がず、ゆっくりとした歩調で空中の妹紅に近づいて行く。
 それに対し妹紅は、熱田という存在と、歩行してこちらに近づいて来るという認識が出来ないでいる。

 目の前の空間に熱田はいるし、その足で地を踏み均しながら歩いているし、熱田の歩行が生む微弱な風が妹紅の翼を押している。
 しかし、妹紅はその視覚でも、聴覚でも、触覚でも、その他全ての感覚でも、熱田の存在を知覚出来ない。
 妹紅から己の存在を奪い去った熱田の行動は、概念でも能力でもない、純粋な体術だった。

 
 2nd-Gが生み出した、対異G用戦闘体術――歩法。
 
 
 そのメカニズムは、相手が無意識に持つ全知覚と相手が無意識に仕掛ける全タイミングから己の気づかれない程度に『ズラす』事にあった。
 一つ一つは小さくても、全てが重なればそれは大きなズレとなって認識に対するノイズへと姿を変え、襲ってくる。
 相手の集中力や感情の変化を逆手に取り隠れ蓑にするその体術は、誰でも誰に対してでも簡単に行える訳ではない。
 
 仕掛ける相手を理解しその上でその知覚から逃げる歩法はその性質上、いくつかの問題点がある。

 まず、対象となる人物の知覚とタイミングを理解しなくてはならない事。
 次に、多人数に対して仕掛けるには相応の技術が必要となる事。
 
 そして、自ら相手の知覚から身を隠すこの技は、他者の全てから逃げる哀しい技だと言う事だ。

「……へっ」

 だが、熱田は常人が使う歩法とは比べ物にならない精度で軽々と行い、妹紅を不知覚の世界へと誘った。
 漏らす笑いも、妹紅の耳には届かない。
 否。届いてはいるが、それが何なのか理解出来ていない。

「結局キーキー怒ってただけだったが……まぁ、痛い目あって反省しろや」

 たっぷりと時間をかけて低空に浮く妹紅の足元まで来た熱田は、クサナギの先端で妹紅の腹部に狙いをつけ、両手持ちで引き絞った。

「刺突――突きと月をかけた俺様のセンスを崇めながら……墜ちやがれ」

 熱田は冗談を言いつつクサナギの突きを妹紅に当てる直前で、歩法を解いた。
 
 
 そのタイミングは、突きを完全に避けるには余りにも少なく、しかし致命傷から己を避けるには十分過ぎる瞬間であり、
 熱田が珍しく妹紅にかけた、憐れみとしての情けでもあった。


 歩法の呪縛から解かれた妹紅は、熱田の台詞と同時にクサナギを構えるその姿を一気に情報として取得する。
 瞳孔が動き、いきなり眼下にその姿を現した熱田に焦点が合う。
 
 歩法の終わりから刺突の始まりまでのその限られた時間で、常人が取る行動は致命の一撃からの回避であり、
 そして同時に、腹部を引き裂く大剣が作る裂傷が生む、戦いの閉幕でもあった。

 次の瞬間、終わりを告げる熱田の突きが風を纏って妹紅へと伸びた。
 剣神の一撃は、先刻火の鳥を霧散させた一撃を打ち上げから刺突へと置き換えただけであり、
 同時にその対象を火の鳥から妹紅へと置き換えただけで結果は何も変わらない


――はずだった。

 
 身を穿つ突きに対して、妹紅は用意された時間を回避には当てず、



「言ったはずだぞ熱田、私を殺してみろと!!
 それでもおまえは……何も断ち切ることは出来ないと!!」



 熱田とクサナギに対して叫ぶと同時に、自らの身体を弾く様に急降下させてクサナギへと吶喊させた。


「何!?」


 自殺行為とも言うべき行動を取った妹紅に、熱田は相対後初とも言える、感情を含めた声色で叫んだ。

 不理解と、結果が生む結末に対する動揺だ。

 風炎の概念が熱田の感情を比熱として生成する。
 己の内に生まれた動揺が低温となって熱田の内部から生まれ、その身体を冷やしていった。
 冷えた身体はクサナギの突きを鈍化させるが、威圧された直線状に生まれたクサナギの剣圧は止まらない。
 
 
 
 そしてその結果、クサナギの刃が妹紅の腹部をその中心から削り取った。


 
 鈍化された分だけ速度を落としながら、妹紅は腹からクサナギの刃を生やしつつゆっくりと降下していく。
 肩口の炎翼と鳳凰爪のブレードが火の粉を振りまいて消滅すると同時に、妹紅は口から大量の鮮血を吐き出した。
 霧散する血が熱田の白服に付着し、不気味な紋様を描く。
 ずるずるとクサナギの刃に沿って力なく下がる妹紅の身体は、やがてその柄まで到達して動きを止めた。

「な、何やってんだこの馬鹿野郎!! 自分から死にに来てどうすんだ!?」

 熱田に抱きかかえられる様にしてもたれかかる妹紅からは、返事が生まれない。
 クサナギが穿つ腹部からは大量の血が流れ出し、妹紅の身体を急速に冷やしていく。
 
 熱田は未だ不理解の脳が発する警報を振り払い、妹紅の身体からクサナギを引き抜くべく両手に力を込める。
 もはや微弱にも動かない妹紅が崩れ落ち、血に濡れるクサナギの刀身が月光を受け妖しく光る、

 その瞬間。



「――つか      まえ    た」



 力を入れた熱田の両手から伸びる腕。
 その腕にさらに繋がる、己の肩。

 その肩に突然、刺す様な痛みが走った。

「!?」

 熱田は激痛に顔を歪めながらも、反射的に痛みが告げた右肩に顔を向ける。

 そこでは、寄りかかる妹紅の手が抱きしめるように熱田の両肩を掴んでおり、
 その掌から音も無く伸びていた炎のブレードが、熱田の右肩を貫いていた。

「よくも、よくもまぁ盛大に殺してくれたわね熱田・雪人。
 だけどそれでも、それでも何も変わらないよ熱田・雪人!!」

 血の混じる喉から声を出したのは、数秒前まで冷たい身体となっていた妹紅であり、その後半を叫びと変えて、己の力を解放するキーワードとした。
 妹紅の身体に力が戻り、概念の影響を受けて己の身体を含めたその周囲に熱を戻していく。
 消えた炎翼が倍以上の熱量をもって再び生えると同時に、撒き散らした自らの血液を燃料として、その全てから炎を巻き上げた。

「うぉっ!?」

 それは熱田の服に付着していた血液も例外ではなく、熱田は熱に押されるようにしてクサナギを妹紅の身体から慌てて引き抜く。
 同時に、その反動を活かして妹紅を蹴り飛ばした熱田はバックステップで距離を取り、肩の痛みを無視して眼前を睨んだ。

 支えの無くなった妹紅は、しかしその身体を自らの両足で地に立たせている。
 燃え盛る炎の中心に存在している妹紅は、上半身を曲げて前屈の姿勢を取りその左手を地に当てた。

「おおおおおおおおお!!」

 妹紅が左手に灯した炎の火力を上げると、その炎に導かれるようにして妹紅の血火が周囲に集まり、炎の壁を形成していく。
 そしてその火が集まりきった瞬間、炎壁が瞬間の上昇をもって金色に燃え上がり、頭上に生い茂る竹々を飲み込んだ。


 炎が収まり、息荒く肩を抱く熱田の視界に展開されたのは、もはや遮るものが無くなった竹林に姿を見せた満月と、
 


 月光を全身に受け、傷一つ無くなった身体に陽炎揺らめく金色の炎を纏う、儚く哀しげな表情の妹紅だった。






[26265] 第十三章「慧涙の理解者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/11 08:21
「輝夜は月に帰り、しかし地上には輝夜の残した蓬莱の薬がいくつか残った。
 当時の帝はこの薬を危険視して処分を命じたが、その勅命から逃れ、薬を飲んだ者が何人か出てしまった。
 蓬莱の薬は服薬者に不老と不死と与える禁断の薬。
 飲んだ者は永遠に生き彷徨い、今もどこかにその身を潜伏させている……」

「2nd-Gの神話と私達の歴史はやはり差異がありますが……大筋は変わりませんわね」

---

 竹林を行く鹿島達はそのメンバーに永琳を加え、慧音の先導で道を急いでいた。
 いきなり慧音を射撃し、なおも微笑む永琳を鹿島達は敵と見なしていたが、

「……彼女は、貴方達2nd-Gが相対する幻想郷代表の側近です。
 味方ではないが、敵でも無い」

 と言う慧音の言葉を信じ、相対の立会人として事前交渉の場に同席する事を許可した。
 
 その数を四人に増やした一行が竹林を歩く中、鹿島が語ったのは2nd-Gに伝わる史実・竹取物語の後半部分。
 蓬莱の薬が地上に残された話に同意したのは、一行の最後尾につける永琳だった。

 後ろを歩く永琳に対し、慧音は特に反論をする事も無く前を向いたまま先導を続けている。
 間に挟まれた鹿島が先程から慧音の様子を伺っていたが、それに気づくそぶりを見せず、一心に前を目指していた。
 だが、鹿島は先を進む慧音の微小な体調の変化に気づいていた。
 
 その足取りは極僅かな違いではあるが、何かに追われ、気が急いているように早く
 その息遣いは、位置として一番近い鹿島の耳ですら聞き逃すほどであったが、確実に荒い。

 先刻、苦しそうに胸を押さえてその身体を折っていた慧音は、後ほど説明すると口にした。
 が、鹿島はその説明の時を待たずして慧音の身を案じようと、先を行くその肩に手をかけようとした、
 その時だった。

「ちょっといいかい?」

 疑問の声は、鹿島の背後から聞こえた。
 月読だ。
 月天弓を肩にかけながら歩く月読が声を投げかけたのは慧音では無く、己の後ろにいる人物。

 問われた永琳は目を伏せ、無言の笑みをもって了承の意を示し、月読の発言を促す。
 月読はその顔と右手を空に向け、月の光を掬い取るようにして拳を握りつつ聞いた。


「さっきあんたが言ってた『私達の歴史』ってのは……このEx-Gの世界の事を言っているのかねぇ?」
「……? 月読さんの質問の意味が、わかりかねますわ」

 
 永琳の返答に対し、鹿島の心中も同意見だった。

「何を言っているんですか月読部長? 永琳さんが言う私達とは、この世界の住人の総称……つまりEx-G全体の代名詞と言う事でしょう?」

 当然の事をあえて言及する月読に対し、鹿島は同じく当然の事実をもって反論する。
 Ex-G所属の永琳が言う私達という言葉は、Ex-G住人の複数形の意なのだと。
 
「違う。違うんだよ鹿島」

 だが、月読はその首を横に振り鹿島の言を否定した。
 違うと言い切る月読に、鹿島はそれ以上の言葉が出ず口を閉じる。
 紡ぐ声を持たない鹿島は月読に対し、説明の要求を求む視線を投げかけた。

 目が合った月読はわかっているよ とばかりに頷き、そして視線を元に戻す。
 
 即ち、竹葉の隙間から見える月――満月へと。

「私の姓は月読。2nd-G皇族が持つその姓が持つ力は……やはり月を統べるんだよ。
 月と対話し、波長を合わせ、場合によってはその力を変換し、穿つ。
 月面は私の骨子であり、月影は私の頭脳であり、月光は私の神経である。
 名を司るとは、そう言う事」

「それが……何か?」

 己に、月に。そして永琳自身へと語るように話す月読に対し、永琳は表情を変えずに切り返す。
 言葉を返された月読は身体を永琳へと向けなおし、差し込む月光を背負いながら言った。

「月光が言っているんだよ。この月は不安定だと。
 過去に……そう遠く無い過去にこの世界の月に異変を起こし、世界の在り方を変えた者がいると。
 そして、永琳。あんたからは……その異変と同じ匂いがするってねぇ」

「……月読部長、彼女はまさか……」

 永琳を見ながら言う鹿島に月読は頷き、その言葉を繋げて疑問として投げかけた。



「あんたが言う『私達』とはあんたを含めて……本来Ex-Gの者では無い、違う世界の者達を指すんじゃないのかい?」



 背を照らす月光に、その姓が生む威圧の意志を込めて月読は問いただす。
 その圧力は永琳だけで無く周囲の竹々をも飲み込んで、一陣の風も吹かぬその空間の竹を一斉に揺らした。
 ざわめきが収まり、鹿島と月読の疑惑の視線を浴びていた永琳は顔を下に向けて表情を悟られないようにしていたが、

「……ふふっ」

 漏らした声とともに顔を上げると、弦の様に曲げた口元に意図の読めぬ含み笑いを浮かべていた。

「何がおかしいんだい」
「いえ、月読の姓の力を計り間違えてた自分が恥ずかしかっただけですわ。
 よろしいでしょう。その質問にはまだ答えられませんが……代わりに私の持つ情報を一つ、貴方方に提示します」
「情報?」

 自らの質問に答えず、代わりの情報を代替とする永琳に月読はいぶかしむが、


「竹取物語の後日談にその名を残す蓬莱の薬。
『私達の世界』に実在したその薬を服用し、不老不死となり千年以上の時を過ごした者が……この竹林に存在します」

「……な!?」


 永琳の冗談とも取れるその発言に、月読は言葉を失った。

「馬鹿な!?」
「あら、貴方達の世界には実在した物でしょう? それが何故、この世界には存在しないと?」
「……それは……」

 否定する鹿島に対し、永琳は務めて冷静に言葉を返す。
 告げられた情報への正誤判断がつかずに戸惑う鹿島と月読に、永琳はさらに状況を前へと進める。

「貴方達が信じられなくても……彼女はどうかしら?」

 言われ、鹿島は気づく。
 
 先程から全く会話に入ってこない、道を先導する女性の事を。
 相対の立会人として絶対に会話に参加してくるはずの女性の事を。

「――慧音さん!?」

 慌てて振り向いた鹿島の眼に飛び込んできたのは、
 地に膝を付きながらその手で胸を押さえ呼吸を乱す、苦悶の表情を浮かべる慧音の姿だった。

「やめ、ろ……彼女は、関係、な……い……!!」
「そう。あの子は私達の作り出した幻想郷の異変には直接関係は無い。
 それなのに……それなのに物語に首を突っ込んでくるその姿はとても醜く、酷く儚い」
「……勝手な、事をっ……」 
 
 息も絶え絶えに慧音は言葉を絞り出すが、永琳は平然と鹿島達が名も知らぬ『彼女』を冷たくあしらう。
 鹿島は慧音に駆け寄り状態を調べるが、別段外傷も見えず、何故慧音が苦しんでいるのかわからない。


「彼女の力は【歴史を食べる程度の能力】。
 事実として行われた事象は他者の手で編纂され、見聞録となった時点でその意味を歴史へと変える。
 彼女はそんな歴史を『食う』事によって世界から隠蔽し、無かった事にするのです。
 歴史を抹消するのではなく、世界の記憶から歴史に紙を被せるようにして、一時的に隠遁するのですわ」 

 
 そんな鹿島に教授するように、永琳が口を開いた。
 口上は、なおも続く。


「彼女は、貴方達と人里で会ったその瞬間から能力を発動させ、『竹林に不老不死者が潜む』という歴史を消し去りました。
 能力の対象が貴方達でしたので『竹林に案内人がいる』と言う住人の噂話は以前として残りましたが、
 歴史を抹消されている貴方達はその話と消し去った歴史を結びつける事が出来なかった」

「では……では何故、今この瞬間に僕達は消された歴史を貴方から伝聞されているのです!?」
 慧音さんが貴方の姿を確認したのならば、すぐに貴方にも歴史を食う能力を発動させたはずだ!!」
 
 鹿島の疑問は、慧音が初遭遇の際に使用したであろう歴史を消す力に対して、
 永琳が容易くそれを打ち破り、鹿島達に消された歴史を伝えたと言う事に対して向けられた。
 慧音が自分以外に能力を使用したのならば、そもそも不老不死者の話が浮上するはずが無いのだ。

 だが永琳は事実のみを告げるだけで、その疑問に易々と答えた。

「簡単な事です。彼女は今日のような満月の下では、私達に能力を使う余裕が無かった。
 陽が沈み、月が浮上するそのわずかな時間を利用して、己の能力を全て自己の制御に費やしていたのですよ」
「自己の……制御?」

 そう と永琳は言い、視線だけで慧音を促して告げた。

「そう……『自分が満月の夜にある姿に覚醒する』と言う歴史を自身の能力で食い隠し、今まで無理を続けていたのです。
 ……そんな無茶がいつまでももつ筈が無いでしょう、慧音」

 問われる慧音に、答える余裕は最早無かった。
 月光を浴びて昂ぶる身体を必死に抑え付けるが、鼓動を早める体内の血液が執拗に精神を刻んでいく。



「我慢せず、彼らに見せなさい。歴史の隠匿と創造を担う半人半獣のその姿を。
 
 幻想の月に狂う四聖の化身……ワーハクタクの、その姿を!!」


 
 ドクン と心臓が強く鳴り、慧音は一瞬、己の意識が飛んだのがわかった。
 そして意識を戻した時、その感覚が覚醒後のものだと知る。

 鹿島と月読は呆然と、目の前でその姿を異形のものへと変える慧音をその眼で見ていた。
 
 そしてその呆然から二人の意識を巻き取ったのは、それぞれが手首につける自弦時計。
 慧音が作り出す、覚醒を引き金とした概念空間が展開される。



「そして伝えなさい。貴方が理解し、その上で隠し通してきた……ある人間の歴史を。
 千年前、蓬莱の薬を強奪し世界の理から外れこの地に身を落とした不死者――藤原妹紅の歴史を」



・――慧月 歴史は理解を善とする。



 永琳が静かにそう告げると同時に、自弦時計が概念条文を表示した。
 今、概念空間の中心には、四肢を下げその顔を月へと向ける一人の少女がいる。

 
 長い白髪が乱れるその頭部から、天を貫く二本の角を生やし、
 その眼に紅の色を宿して月を睨むのは、歴史を創り語る人獣ワーハクタクの少女。


 
 少女――慧音は頭上に輝く満月を飲み込むようにその口を開け、咆哮の二文字をもって月に吼えた。



---

「この竹林に身を隠す妹紅は……先程永琳が仰った通り、竹取物語の時代に蓬莱の薬を口にした……不老不死者です」

 ワーハクタクの姿に変身した慧音は、しかしその性格や口調を変えずに鹿島達にに歴史を語りだす。

 
 満月下でワーハクタクへと姿を変える慧音は、普段は一夜というその限られた時間を歴史の編纂に当てる。
 隠蔽から創造へと能力を転換させ、虚構の歴史として伝えられた事実やその虚構に埋もれた真実をまとめ、正しき歴史へと導くのだ。

 
 だが今夜、変身した慧音がすべき事の優先順位として、歴史の編纂よりも先にするべき事があった。

「蓬莱の薬を服用した彼女は不老不死となった。
 しかし、その代償として身体の成長が止まり、一定の場所に長く身を置ける立場では無くなってしまった……」

 慧音の説明に割り込んだのは、鹿島達とはやや離れた所に身を置く永琳であった。
 史実の理解度が概念と直結しているこの空間で平然と語るその言葉は、嘘偽りが無い事実である事を意味する。

「各地を転々と放浪しながらも、やはり畏怖の対象となってしまった彼女が最終的にやってきたのは、この地――幻想郷でした。
 人間以外の魑魅魍魎が跋扈するこの地では、不老不死者が存在した所で大した影響は出ませんから」
「……それでも彼女が竹林に身を潜める理由は、やはり……」

 鹿島の思惑に、永琳はええ と前置きして言った。

「彼女は千年の時を孤独と共に過ごしてきた結果、心に傷を負っています。
 他者との関わりを避け、生と死の永遠の輪廻に囚われるその傷跡は……ひどく膿んでいます」

 医者の様な発言をする永琳の言葉に、慧音は唇を噛んで拳を震わせる。
 永琳はそこで言葉を切って数秒待つが、声を出さない慧音を横目で見ながら自らで続きを語る。

「慧音はそんな彼女の理解者となるべくその能力を使い、心の支えとなってあげた。
 しかし……長い時が過ぎた今でも、彼女は心を開きません」
「Ex-Gを己が在るべき場所と選ぶと同時に、Ex-Gの住人を己と関わるべきでは無いと拒絶する……ですか」
「悲しい……いや、哀しい歴史だね」

 鹿島と月読は永琳の話を聞いて、その意味を理解しようと己が内で思案する。

――が、


「ですが……先程申し上げた通り、彼女は私達が起こした異変騒動とは無関係です」
「っ!! そんなことはっ……!!」
 
 はっきりと言い放った永琳のその言葉に反応したのは、弾ける様に立ち上がった慧音だった。
 だが、続く慧音の言葉を遮るようにして、永琳は言を早める。

「私の言動に概念からの妨害が無いのがなによりの証拠。私達の起こした永夜の物語に、彼女の残滓はありません」

 く と言葉に詰まる慧音を、口論の場から外そうと畳み掛ける姿勢を取る永琳に対し、



「――そうでしょうか?」



 口を挟んだのは、鹿島だった。
 言葉を止めて鹿島を見る永琳と慧音に対し、鹿島は困ったように笑いながら、

「あ、いや……僕がこう言う事を言うのもあれなんですけどね」
「続けてくださいな」

 永琳の促しに咳払いを一つ置いて、鹿島は語りだす。

「確かに……確かに彼女は、永琳さん達の持つ異変の歴史においては部外者なのかもしれません。
 だけど、私達2nd-Gが担当する永琳さん達との交渉においては、その限りでは無い」
「……何を根拠にそんな」

 事を と一蹴する永琳の言葉は、



「全竜交渉とは、歴史の作り出してしまった過去の遺恨を断ち切るために行われるものなんですよ。
 彼女は正に、あなた達の歴史が作り出した史実の被害者なのではないですか?」
「………………!!」


 
 鹿島の言葉に、沈黙へと書き換えられた。

 反論を殺された永琳は、やがて別の言葉をもって返答へと繋ぐが、

「……仮にそうだとしても、彼女の遺恨は自業自得が生み出した結果です」
「その通りかもしれない。いや、きっとその通りなんでしょう。
 でも、だからと言って、彼女の歴史はその結果を望んではいなかったはずです」

 柔らかい笑みを重ねて言う鹿島に対し、やはり言葉を失ってしまう。
 鹿島は続ける。



「彼女がどこで何を間違えたか……それを理解し、出来る事ならその哀しみを祓う。
 それが、慧音さんと僕達2nd-Gが行うべき……彼女との交渉です」

「鹿島……さん……」


「まぁ……永琳さん達の起こした異変の顛末を理解するのと平行して、ですけれどね。
 柄に合わず器用な事しようとしてますかねぇ、僕」

「自分で決めた事だろ? 有無を言わさずついてこさせりゃ良いんだよ。
 ……その姓は飾りかい? 軍神、鹿島・昭緒」

 
 唇を噛んで押し黙る永琳から視線を外し、鹿島は月読へと顔を向けてお互いに笑い合う。

 そしてその後、鹿島は慧音へと身体を向けて、その手を差し伸べた。



「2nd-Gは、不死者・藤原妹紅との相対と理解を望みます。
 ……案内をしてくれますか? 彼女の理解の先達者よ」



「……彼女を……妹紅を……どうか解ってあげてください……
 きっと……きっと寂しがってるからっ……」



 慧音は震える声で、差し伸べられた鹿島の手を取る。


――そして立ち上がる拍子にその眼から流れたのは、一筋の涙であり、


「……これは……?」
「……どうして、私のスペルカードが!?」


 零れた涙粒を月光が照らすと同時に、その微細な光が中心から無数に断ち割れると弧を描きながら触れ合う鹿島と慧音の手に絡みついた。
 
 そして重なるその手に現れたのは、慧音の力が宿る一枚のスペルカード。


「……慧月の概念が、鹿島さんの理解に喜びを見せたのでしょう」

 
 言うのは、諦めたかのようにゆっくりと立ち上がる永琳だった。

「スペルカードは幻想郷の決闘技法。慧音に理解を見せた鹿島さんに、その力をもって私達の歴史との決着を望んでいる」
「鹿島……それは、まさか……」
「ええ、月読部長。これはちょっと……凄いですよ?」
 
 静で答える永琳に対し、鹿島と月読が放つ答えは、震えが混じる動であった。
 慧音が鹿島の手から離れ、慧音のスペルカードが鹿島の手へと渡る。

 光を纏うその姿を絵札から棒状の物に変えたスペルカードの名を、鹿島が口に出そうとした、その時だった。



・――風炎 感情は比熱を持つ。



 慧音の概念に上書きするようにして聞こえた概念条文が、一瞬で鹿島達をその概念空間へと取り込んだ。
 上書きの理由は、風炎の概念空間内部の質量が慧月の概念空間の質量を大きく上回ったと言う事であり、


「――妹紅!?」
「近いですよ!!」


 事態にいち早く気づいた慧音と永琳が叫んだ次の瞬間、彼女達の周囲に概念の熱波が巻き起こった。

 腕を前に出して熱風から身を守る二人に対し、鹿島と月読は顔を見合わせて、

「……この気は、熱田とクサナギかい!? こんな所でなにしてるんだいあいつは!?」
「どうやら、僕達より先に辿り着いてたようですね……」
「な、何を落ち着いているんですか!! はやく、はやくしないと妹紅が!!」
 
 気まずそうに言い合う鹿島と月読を見て、体勢を立て直した慧音は焦りを含めた声をあげて鹿島の袖を掴んで引っ張る。
 鹿島は、そんな慧音に視線を合わせるようにして中腰になると、いつもの困ったような笑顔で言った。

「慧音さん。今、妹紅さんと相対しているのは2nd-Gの……剣神です」
「……2nd-Gの……?」
「ええ。そして、彼女の理解を望むなら、まずはあいつ……熱田の、やりたいようにやらせてあげては貰えませんか」

 鹿島の言っている意味がわからない慧音を安心させるようにして、鹿島は慧音の角の間に手を差し込んで、優しく撫でた。
 


「熱田を……2nd-Gの担い手の一人を、信じてください。
 
 あいつはまぁ、やり方に色々と問題はあるけれど、人の痛みを――哀しみを理解するのは、誰よりも上手いんです」

 


 そして、痛みの味を知っているかのような口調で、そう言った。



[26265] 第十四章「風炎の理解者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/20 14:18
 
 妹紅は今、七度目の死を迎えようとしていた。

---

「腹ぁ貫かれて、血反吐まで吐いて……それでもなお生きてるってのは、一体全体どういう手品だこりゃ」
「手品? 随分と幼稚な発想に行き着くんだなお前は」

 数分前に熱田のクサナギによって腹部を穿たれた妹紅は、しかしその事実を否定するかのように傷口を完全に消し去っている。
 蘇生を果たした妹紅の力を手品と称した熱田だったが、その力の正体には薄々気づいていた。
 
「言っただろう? 私は竹取物語に名を残す藤原の娘。……その娘が、お話の後に取った行動をお前は知っているか?」
「さてな」

 しかし熱田はわざと答えをはぐらかして言葉を濁し、妹紅に説明を促す。
 
 熱田の方から説明を仕掛ければ、妹紅は嬉々として乗ってくるだろう。
 だが、それでは意味が無い。

 妹紅の口から言わせなければ、意味が無い。

「……ふん、なら無知なお前に教えてやる。
 私は不死者だよ。死と再生を永遠に繰り返す、生命の倫理から逸脱したはぐれ者さ」

 熱田が黙っていると、妹紅は苦々しく唇を噛みながら熱田に教授するかのようにその事実を口にした。
 
 嫌そうに。
 疎ましそうに。
 妬ましそうに言いながら、月光を浴びる身体を浅く抱く妹紅を熱田は見る。

「……不死……ああ、成程なぁ。そうかそうか合点がいったぜ。いや考えてみればそうだよなぁ」

 わざとらしく呟き、頭を掻きながらはっはっは と笑う熱田は、

「お前、蓬莱の薬を飲んだのか」
  
 いきなりその表情から感情を消し去り、妹紅を睨んだ。

「ご名答、その通りだよ熱田……そしてこれで、全てが繋がっただろう?」
「ああ。お前の持つ遺恨は蓬莱の薬を地上に残した輝夜に対して残っているもので、同時に、お前のオヤジを馬鹿にした俺に対しても生まれたものであるって訳だ」

 
 竹林に潜む妹紅と史実の繋がりを確認した熱田は、やれやれと大げさにかぶりを振って頭を抱え、



「……あー、面倒くせぇ」
 
 

 今まで持っていた、妹紅に対する全ての感情を捨て去った。

 
 2nd-Gとは違う世界の、もう一つの竹取物語。
 その物語の残滓として世界に残った禁薬・蓬莱の薬を飲んだ忌み子、藤原妹紅。
 
 怒れる不死者に対峙し命を削りあう熱田だったが、その口から漏れたのは心底面倒臭いと言う意思が詰まった、嘆息だった。

「……面倒臭い、だと?」
「あーあーあーあー、何で俺はこう貧乏くじばっか引かされるのかねぇ。
 ガキの駄々に付き合うのはこれで何度目だって言ってるんだよ。……面倒くせぇ、本当に面倒くせぇ話だ」
 
 睨みつける妹紅だったが、既に熱田は妹紅の言葉を聞かずに、明後日の方向に向いて毒を吐いていた。
 
「お前……私を馬鹿にしているのか?」
「さっきから何回も言ってるじゃねぇか、『馬鹿野郎』ってな。
 喜べ小娘、お前の馬鹿さ加減は飛場のガキ以上だ……誇っていいぜその頭。あと俺、帰って寝ていいか?」

 面倒臭い。眼中に無い。興味が無い。
 不死の秘密を明かした途端に豹変した熱田の態度に、

「…………」

 妹紅は絶句し、

「…………はっ」

 声にならない声を上げ、

「お前は永遠の眠りにつくんだよ、熱田・雪人!!」

 今までとは比べ物にならない程の声量と熱量を纏い、妹紅は熱田に突進した。
 
 金色に燃え盛る炎の翼を振り上げて強襲する妹紅に、熱田はクサナギを軽く構えて対峙する。
 その表情にはやはり力は入っておらず、気だるげな顔を隠しもせずに半目で妹紅を見据えていた。


「わーったわーったわーったよ……正直かなりダルいがお前の遺恨を祓ってやる。ただし俺のやり方で、だがな。
 ……方法は実に簡単。3ステップで終了だ」

 
 飛来する鳳凰に言い聞かせるように呟く熱田の言葉は、しかし妹紅には届かない。



「まずステップ1。テメェに概念ってものがどういう意味を持つのかって事を、叩き込んでやる」

 

 感情が比熱を持つ、風炎の概念。
 激昂する妹紅が纏うのは、己のスペルカードが生む金色の炎だけであり、

 概念が生むはずの熱波の風は今、妹紅の周囲には巻き起こってはいなかった。



---

 蘇生後、熱田の肩口を貫いた妹紅はその隙を逃すまいと熱田に対して攻めの手を激化させて攻撃を継続させる。
 穿たれた肩に繋がる右腕をだらりと下げた熱田は、しかしなおもその両手でクサナギを握り締めて応戦する。
 滴る血を鬱陶しそうに振り払いながら妹紅のブレードを最小限の動きで避け、熱田は反撃を繰り出す。

 反撃として生まれた熱田の一撃は必殺の一撃では無く、妹紅との距離を開けて仕切りなおす為の布石としての一撃だった。
 威圧した空間に刃を具現させるクサナギの性質上、小回りの効く妹紅のブレード相手に距離を詰めて得する事は、熱田には何一つ無い。
 
 
 しかし、妹紅はその布石の一撃を、己の身体で喰らっていった。


 熱田が払うクサナギの刃を自らの手に、腕に、肩に、脚に。
 時には修復した腹部に再度押し込んで、自分の身体を鞘に見立てて具現化しようとするクサナギを無理矢理『封印』する。
 
 後は喰い込んだクサナギの刃をレールとして己の身体を滑り込ませて、接近戦を継続していくだけだった。

 クサナギの刀身が妹紅の身を切り刻んでいき、血が流れ、肉が削がれ、意識が落ちていく。
 しかし不死の身体は、流れた血を炎に、剥離した肉を灰に、暗闇の意識に灯を点し、その全てが逆再生の様に集まって妹紅を蘇生させた。

「は。どうした熱田、その大層な剣で早く私を殺してみなさいな。さぁ早く早く早く!!」
「…………」

 特攻を仕掛けながら上げる妹紅の叫びに、熱田は答えない。
 ただ黙ってクサナギを操りながら、自ら刃に飛び込んでは命を散らす妹紅の姿を視界に収める。
 
「何とか言ったらどうなの? さっきまでのお喋りはどうしたのよ」
「…………」

 四回目の蘇生を行った妹紅は、ブレードを振り回しながら熱田に問う。
 しかし熱田は答えない。


「こんな身体になったのも全てアイツのせいだ。永遠に生き、永遠に死ぬ……永遠の呪縛を、アイツは私にかけた!!」
「…………」

 五回目の死を迎えた妹紅は、蘇生途中の血の混じった喉から声を絞り出して怒りを露にする。
 しかし熱田は答えない。


「我が父を侮辱したお前も同じだ、熱田。お前と私は死んで……だけど私は生き残る!!」
「…………」

 六回目の蘇生を行った妹紅は、身体に纏う金色の炎を揺らめかせながら叫んだ。
 しかし熱田は答えない。

 
――応えない。



「……何とかいいなさいよ……。何で黙っているのよ!! さっきの威勢はどうしたのよ!!
 
 軽口を叩きながら殺してきなさいよ。
 激昂しながら風炎の炎を浴びせてきなさいよ。
 歩法を使って私の知覚外から攻撃してきなさいよ。

 
 ……何でなにもしないで、そんなっ……何で、何で何で何でっ!!」


 紡ぐ言葉に感情が篭り、風炎の炎を周囲に撒き散らしながら妹紅はブレードを振り回す。
 
 
 その姿は、子供が周囲に対して意志を伝える際に使う、感情表現としての駄々のようであり、
 永遠の輪廻からの救いを求めるような、悲しみを纏う彷徨者の姿でもあった。



「……何で、そんな顔で私を見るのよ……!!」
「…………」
 
 

 滅茶苦茶に振り回されるだけのブレードを避け、熱田はクサナギに力を込めて振り上げる。
 
 妹紅はその行為を視界に入れたその瞬間、七度目の死を覚悟した。
 
 だが一瞬で蘇生が行われ、その全てが元通りとなる。
 今まで何度も繰り返してきた事だからと、妹紅はその死に対して別段感情を抱かない。
 
 ただ、繰り返してきた数だけ知っている、死に伴う痛みを受け入れる準備として
 意識が闇に落ちる前の、視界が赤に染まる激痛に対する準備として

 クサナギが妹紅を切り裂くその瞬間、妹紅は静かに目を伏せた。
 
 生と死の変更点。
 光と闇の狭間。
 輪廻から外されるその一瞬に応じるべくして取った妹紅の行為。
 
 だが、その行為によって生まれるはずであった自然の流れ。
 妹紅が迎えるはずだった、七度目の死は、



「……目を開けろ、藤原妹紅」



 
 耳元に近い位置から発せられた熱田の声によって、中断された。

 その声の前にも後にもクサナギが妹紅を穿つ事は無く、妹紅は閉じていた目をおそるおそる開く。
 滲んだ視界に最初に写ったのは、熱田の顔。
 手を伸ばせば届く位置まで迫った熱田の手には、こちらに突き出すようにしてクサナギが握られており、
 しかしその刃は、妹紅の肩口に触れるギリギリの所で止まっていた。

「藤原妹紅。なんでさっきっから周囲に風炎の概念が働いていないか、テメェにわかるか?」
「……え?」

 眼前にいる敵から距離を取る行為すらも許さぬような熱田の有無を言わさぬ言動に、妹紅は戸惑う。
 先程からの気だるげな表情を変えずに淡々と言い放つ熱田に顔を合わせる事が出来ず、
 妹紅は視線を逸らすようにして顔を下に向けて言われた事実を確認した。

 こちらに対する興味を失った熱田に対して激昂した妹紅は、ほんの数分前まで怒り狂っていたはずだった。
 今現在も、少しは落ち着きを取り戻してはいるものの熱田を殺してやろうという気持ちは心の奥で渦巻いている。

「……あれ? ……え、嘘、そんな……何で……」 

 が、その感情を具現し巻き起こるはずの風炎は、沈静を保っていた。

「俺はテメェが怒る前から自分の感情を抑えていた。つまり風炎が起こるとすればそれはテメェの感情が作るもののハズなんだが……
 何も起こらねぇよなぁ? どういう事だこりゃ?」

 聞かれる妹紅に答えは生まれず、疑問として残るだけだ。
 
 無言で返す妹紅に対して、熱田はこめかみを少しだけ動かして教えてやった。


「テメェ、さっきっから何に対して怒ってんだ?」
「な、何って、もちろんお前に対してに決まっているだろう!?」

「いーや違うね。テメェの怒りが向かった先は、……テメェ自身だ」
 
 言う熱田の額には、青筋が何本か浮かび上がっていた。

「『怒り』ってのは相手に対してぶつけるもんだろ?
 生まれた熱が相手に向かうベクトルを持つから同時に風を生むんだよ。だから熱波になって相手に襲いかかるんだ。
 だが……自分の内に生まれた比熱はベクトルを持たない。ただ温度となって自分の中に溜まるだけだ。
 そうして蓄積していった熱がテメェのスペルカードと噛み合わさって、結果として不必要にボーボー燃えてた訳だ」

「ば……馬鹿な!! 私が私に対して怒っていただと? で、デタラメを言うな!!」

 熱田の言葉を信じない妹紅は事実を一蹴して否定する。
 そんな妹紅に対して、額の青筋を増加させた熱田は多少声を上擦らせて言葉を続けた。

「信じようが信じまいが関係ないけどな。……すぐに嫌って程わかるさ」

 
 そう言って熱田は、おもむろに握っていたクサナギから手を離した。


「……お前、何を……?」

 支えを無くしたクサナギは妹紅の肩口から離れ、自重のある刀身を下にして地に落ち、突き刺さった。
 剣を捨てた剣神は、空いた両手の骨を軽く鳴らして改めて妹紅に対峙する。
 至近距離で背筋を伸ばした熱田を見上げる形となった妹紅は、嫌な予感がして後ずさろうとするが、

「な!? こ、こら、何をする、放せ!!」

 一瞬で伸びた熱田の腕が妹紅の胸倉を掴み上げ、その動きを止めた。

「さて、それじゃステップ2だ」
「はぁ!?」

 無表情で言う熱田だったが、その額には最早無数とも取れる程の青筋が浮いている。
 熱田は自分の感情を抑えて、怒りを自分に向ける妹紅に風炎の概念とはなんなのかを教えていたはずだった。
 
――が、

(……風?)

 胸倉を左腕一本で掴まれつつ宙に持ち上げられた妹紅は、ある違和感を覚える。
 その違和感は、風炎の概念が作り出すものであり、

「テメェが信じないっつった風炎の概念を再確認すると共に、テメェにありがたーい話を聞かせてやろう。それがステップ2だ」

 熱田と妹紅の周りを、暖気の風が上昇気流となって二人を囲むようにして渦巻いていた。
 巻き起こる風は次第に強くなり、集まった上昇気流は熱田の頭上を中心点として乱流を作り上げている。

 
――それは、今まで抑えてきた熱田のある感情が作り上げるものであり、


「あ、ありがたい……話?」
「わかんねーか? わかんねーなら教えてやるよ。……それはな?」


 逆巻く暖気が比熱を持ち、
 熱田は妹紅の身体を己の下へ引き寄せ、
 同時にその頭部をゆっくりと後方へと引き絞り、



「――お説教だよ馬鹿野郎!!」



 抑えていた感情を怒りとして放出した熱田は、妹紅に頭上の乱流が作り出した風炎を纏ったヘッドバッドを喰らわせた。



[26265] 第十五章「馬乗りの説法者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/08 04:54
「がっ!?」

 熱田の頭突きを喰らった妹紅は、死の瞬間とは違う意識の飛びを自覚した。
 解き放たれた熱田の怒りを感知した風炎の概念が乗り、熱風纏う頭突きと化したその一撃が妹紅の視界を黒に染める。
 生まれた熱痛と鈍痛が重なり、一瞬遅れて後頭部にも激痛が走る。
 
 刹那の時間を経て意識を戻した妹紅は、最初に自分の視界に飛び込んで来たのが月だという事に驚く。
 それは、ヘッドバッドの一撃と共に打ち下ろしで襲い掛かってきた熱風が妹紅を地面に叩き付けたと言う事であり、

(風炎の概念は……熱田の言っていた通りだった。……じゃあ、やはり私の怒りが向かった矛先は……)
 
 その思いを否定する事は、最早妹紅には出来なかった。
 妹紅は視界に写る満月を忌々しく睨みつけ、歯を鳴らす。

(……私は、私はどうすればいい!?)


「……まーだウジウジ考え込んでるような顔してるな、テメェ」

 
 聞こえた声に妹紅は思考を中止し、身体を起こそうとするが、

「……どけ!!」
「やなこった」

 視界に写る月を遮る様にして姿を見せた熱田は、そのまま倒れている妹紅に馬乗りに飛び乗った。
 そしてまたも妹紅の胸元を左腕で掴み、妹紅の上半身を力任せに引き上げる。
 そして妹紅の額に自分の額を乱暴にこすり合わせて、溜めた怒りを隠さずに怒鳴った。


「いいか!! テメェが隠れるのも、悩むのも、特攻仕掛けるのも、死ぬのも、生き返るのも自由だけどなぁ……その理由を、人のせいにしてんじゃねぇぞ!!」
「っ……お前に、お前に何がわかる!!」

 押される頭部に力を込めて、負けじと妹紅も怒鳴り返す。
 だが、接触する部分には風炎の概念が作り出す比熱が生まれ、周囲には熱風が巻き起こっている。
 
 その熱も、風も、全て熱田が妹紅にぶつける怒りが生み出すものである事はお互いにわかっていた。
 妹紅が生み出す感情の比熱は、全て自分自身の心の内にある事も。

 熱風が熱田の言を通して妹紅に襲い掛かり、肩から生える鳳凰の炎を飲み込むようにして削っていく。
 
 萎縮するスペルカードの炎を絶やさぬ様にする妹紅だったが、

「大体なぁ、馬鹿やらかしたのもテメェのオヤジ自身のせいだし薬飲んだのもテメェが勝手にやった事だろうが!!
 それを逆恨みであっちこっちに飛び火させやがって……放火魔かテメェは!!」
「……くっ!!」
 
 熱田の言葉に反論出来ず、口を閉じてしまう。
 だが、熱田は口撃の勢いを緩めない。



「俺が!! 何で!! ここまでテメェに対してムカついてるかわかるか!?」



「……私がっ、お前に、殺し合いを仕掛けたからか!?」

 問いかけに、何とか声を絞り出す妹紅だったが、



(……違う……)



「死なない私がお前に、私じゃ勝てないお前に、無意味な喧嘩を吹っかけたからか!?」
(……違う、違う……)



「自業自得な父を罵倒され、怒りの矛先を違えたからか!?」
(……違う!!)



「私が蓬莱の薬を飲み、永き時を渡り歩く咎人だからか!?」
(……そうじゃない!!)



 心の中ではわかっている事が、言葉に出来ない。
 紡ぎ出る言葉の意味が、本心が持つ意味とは違う。

(感情が……制御出来ない)

 口に出し、ぶつけるはずの思いが本来の役割を持てないでいる。
 感情の暴走とも言えるその行いは、妹紅が先程熱田に言われた事実と同じだった。

 風炎の概念が、己の感情を認識出来なかった事。

 隠すはずの感情が外に出る、外部崩壊の暴走ではなく。
 放出するはずの感情が内に溜まる、内部破壊の暴走だ。



(……やだ……)



 自らが口にする言葉が全てを裏切るような、感情の疑念に押し潰されそうになった妹紅は思う。

(怖いよ……)

 恐怖。
 敵を恐れず、死を恐れず、生を恐れず、世界を恐れなかった妹紅がとうの昔に捨て去ったはずの感情。
 妹紅が自分に抱く恐怖と言う今までに経験した事の無い感情を、正確に捉えるものがあった。

 
――風炎の概念が妹紅の恐怖に、相応の比熱を与えた。


 それは、今まで内に溜まっていた自分への怒りが生んだ熱量を一瞬で掻き消し、
 スペルカードの作り出す鳳凰翼までもを凍りつかせるような、超低温の感情だった。

「……あ……」

 冷え切ったような感覚を持つ喉からは、最早声と言う声が出ない。
 怒りの理由を妹紅に問うた熱田は、今は何も言葉を発さない。
 
 質問をしたのは熱田で、答えるのは妹紅。
 妹紅が答えない限り、熱田が口を開く道理は無い。


(何か言わなきゃ……答えなきゃ)
(熱田が……何に対して怒ってるのか……)


 考える妹紅に対し、答えを授けるのは妹紅自身だ。
 だが、感情の暴走が生んだ恐怖が理解しているはずの答えを掻き乱す。

 妹紅は焦点の定まらぬ視界に滲む熱田に対し、氷壁から剥がす様にして動かした手を伸ばした。
 スペルカードの作り出した鳳凰爪のブレードは消え、その翼も消滅しかかっている。

 死を克服した妹紅だったが、自分と言う存在が信じられなくなるこの現象に打ち勝てるとは思えなかった。
 ならば自分が自分でなくなってしまう前に、

「あ……つ、た……」

 伝えるべき事を、伝えなければ。

 先程の問いの答えでは無いかもしれない。
 今更自分が言える立場では無いのかもしれない。
 輪廻の枠から外れた罪人の台詞では無いのかもしれない。

 でも、それでも。
 今まさに己を内から消し去ってしまうような恐怖に包まれる前に、妹紅は熱田に願った。



「……助けてよぉ……」



――恐怖の比熱に、完全に意識を奪われるその瞬間。



「正解だ馬鹿野郎!!」



 伸ばした妹紅の腕を掴み、熱田は妹紅を恐怖の淵から這い上がらさせた。



---

「ガキが好き勝手やって周りに迷惑かけんのは勝手だがな……死ぬほどツラいならそう言えってんだ、バカが!!」

 伸ばした手を掴んで妹紅を引き起こした熱田は、妹紅に対して風炎の概念をぶつけた。
 
 しかしその意思は先程から巻き起こしていた、妹紅の身体を押し付ける怒りの熱波では無く、
 問いに対して理解を見せたものに与える、内に巣食う妹紅の恐怖を消し去る為の熱量だった。

 掴んだその手を媒介にして、熱田は己の比熱を妹紅の内に対して送る。
 恐怖が生んだ低温と熱田の意思が生んだ高温が相殺され、妹紅の心に正常な温度が戻る。

 意識を取り戻し、焦点が定まった妹紅の視界に写るのは、

「今、怖かったか?」

 先程とは違う怒りを見せながら半目で問う、熱田の顔だった。

「答えろよ」
「……うん……」
「返事は『はい』だ馬鹿!!」

 声を荒げ、熱田は空いた手で妹紅の頭頂部に手刀を振り下ろした。

「は、はいっ!!」

 怒鳴る熱田に従順し言う妹紅の答えに、最早本心との矛盾は無い。

「……殴られたら、痛いだろうが」
「……とっても痛い」


「死ぬ時は、苦しいだろうが」
「……すごく苦しい」


「それでも生き返った時、テメェは何を思う」
「……哀しいよ。とても」


「だったらその感情を溜め込むな!! 言いたい時に言える奴に適当にブチかませば良いんだよ!!」
「……そんな奴は、今まで一人もいなかった……」
「それはテメェが後ろ向き思考全開で悲劇のヒロイン気取ってたからだろうが!! 自分の努力が足りないのを人のせいにすんじゃねぇ!!」

 激しい言動を続ける熱田だが、掴んだ手は決して放さない。

「今のテメェに足りないのは努力と根性と行動力だ。待ってればどなた様かが救いの手を差し伸べてくれるってのか?」
「……」
「んなもん千年待っても来やしないんだよ!! 理解者が欲しけりゃテメェで動いて勝手に見つけろ、わかったか!!」
「……お前は……」
「あぁ!?」
 
 妹紅は掴まれていない方の震える手を地面につけ、自らの力で上半身を上げ、自らの意思で熱田に視線を合わせ、



「お前は、私の理解者になってくれるのか……?」



 自らの言葉で、熱田に問いかけた。
 言葉と同時に、妹紅の目尻から涙が溢れた。
 熱田の答えを待たずして流れ出る涙は妹紅の頬を伝い、水滴となって地面を濡らす。

「ケッ。……本当にテメェが必要とするのなら、この概念空間で俺にぶつけてみろや。
 それでステップ3の『テメェから行動を起こさせる』をもって、俺の講義は終了だ」

 熱田はそう言って、掴んだ手を妹紅の眼前に持ってきた。

「言ってみろ!! テメェは俺に何を望む!?」
「……けて」
「ああ? 聞こえねぇな」
「私を、助けて」



「声が小せぇ!!」

「――助けて!!」



「大丈夫か妹紅!?」
「うるさいわねぇ……助けてって何よ一体」 

 妹紅の叫びと同時に、竹林の奥から生まれる声があった。

 声の出所は、二つ。

 
 一つは妹紅の足側から飛び出してきたワーハクタクと化した慧音の物であり、
 一つは妹紅の頭側から姿を見せた、頭に貘を乗せた妖夢を引き連れた輝夜の物だった。


 円形に拓いたその空間に集まった者達は、空間の中心に位置していた熱田と妹紅の姿を確認し、



『あ』

 

 と声を上げた。

「……慧音? 何があったの?」
「まさか熱田の馬鹿が何かやらかしたのかい?」
「月読部長、熱田ももういい大人なんですから、やって良い事と悪い事の区別くらいは……」

 遅れて慧音側から、永琳、鹿島、月読が顔を出すが、



『あ』

 
 やはり熱田と妹紅の姿を確認すると、声を上げた。


 
 今、熱田は妹紅に対して馬乗りになっており。
 手を握り締めながら真剣な顔をしており。
 妹紅はその目から涙を流しており。
 大声で救助を求めていた。



 完全に動きを止めたのは、輝夜、慧音、永琳、妖夢の四人。
 鹿島と月読は、顔を見合わせて一度アイコンタクトを取り、小さく頷いた。

「……よぉ鹿島にババァ。……言っておくがこれは違うぞ? 信じろよ?」 

 訳のわからないまま惚ける妹紅を尻目に、熱田は嫌な予感を全身で感じつつ弁明をする。
 
 が、それに答えるのは動きを止めた四人が大きく息を吸い込む音であり、
 鹿島と月読が拍子を合わせてさん、はいと手を振り上げると同時に、





『レイパーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!』



 

 四重奏からなる絶叫が、風炎の熱波を伴って熱田を物理的に押し潰した。



[26265] 第十六章「幻月の出題者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/24 13:23
「妹紅、大丈夫か妹紅!?」
「あ、あれ、慧音? どうしてここに……?」

 地面に陥没している熱田には目もくれずに駆け寄った慧音に対し、妹紅は戸惑いを見せる。
 その疑問に答える声は、慧音の後方から生まれた。
 月読だ。

「私と鹿島。それとそこで潰れてる熱田が2nd-Gの代表なの。
 慧音さんの案内でこのEx-Gとの事前交渉の場に来たのだけれど……」

 月読はそこで言葉を止め、ちらりと熱田に視線を投げて、



「なんかうちの馬鹿がまた取り返しのつかないミスを犯してしまったみたいねぇ」
「て、テメェこのババァ!! 誤解だっつってんだろうが!!」



 嘆息しながら言う月読の言葉に、土を撒き散らかしながら復活した熱田が講義の声を挟む。
 が、

「動かないでください。撃ちます」

 弓を引き絞りって熱田の眉間に狙いをつける永琳の警告に、動きを止めざるを得なくなった。

「こ……こいつら……、鹿島!! 何とかしろ!!」
「んー……すまないが、熱田」
「あ?」

「こんな所まで来て二度ネタかますような奴にかけるフォローの言葉が見つからないんだ」
「テメェも敵かぁ!!」

 最早味方がいなくなったかのように見えた熱田だったが、

「ま、待ってくれ!!」

 永琳が狙う弓の射線を遮るようにして、立ち上がった妹紅が事態を理解したかのようにして熱田の擁護に入る。

「妹紅……こんな男をかばう必要は無いんですよ? どきなさい」
「だから違うんだってば。私はコイツに何もやましい事はしてないし、されてもいない」
「だってさっき、『助けて』って……」
「それは……その……」

 永琳と慧音からの視線を受け、口篭る妹紅だったが、



「――2nd-G代表、『剣神』熱田・雪人と藤原妹紅の交渉は終了した。ついさっき、な」



 いきなり響いたその声は、目を見開いて驚きを見せる永琳のすぐそばで生まれた。

 その声の主は、熱田だった。

「!? あ、あなた……いつの間に!?」
「人を弓で狙っておいて、随分と大層な口を利きやがる」

 土と血で汚れた白のコートを揺らしながら言う熱田の手には、いつの間にか地に刺さっていたはずのクサナギが握られている。
 一瞬で妹紅の背後から永琳の隣にまで移動した熱田の動きを知覚したのは、ただ一人。

「……歩法は止めておきなよ熱田。警戒だけ周りに与えて……君は誤解を解く気があるのかい?」
「けっ、もういいよ何でも……、ガキの相手はもうごめんだ、俺は疲れた」
「……どうだった? 彼女との交渉は」
「あー? さっき言っただろうが」
「終了としか言ってなかったはずだけどなぁ……隠すなよ熱田。

 ……理解を得る事は、出来たかい?」

「ま……一応は、な。いいか? 大事な事だからもう一回言ってやる。
 手のかかるガキの相手はもうごめんだ。今度こういう事が起きたら、問答無用で叩っ切るからな」

 そう言って熱田は鹿島に背を向け、




「それより鹿島……テメェ、なーんか面白そうなもん持ってんじゃねぇかよ?」



 いきなり背後に予備動作無しでクサナギを振り回し、鹿島を巻き込む形で直線状の空間を『威圧』した。
 剣神の力で具現化されたクサナギの刃が奔り、鹿島を斬撃する、

 その瞬間。

「……うん、いやまぁ僕も驚いてるんだよ? Ex-Gの世界に『こんなもの』が存在してるなんて、ね」

 金属同士が擦り合う、澄んだ凛音が響くと同時。
 慌てた様子も無く手に持った『それ』でクサナギの刃を受け止めた鹿島が言った。
 
 誰もがその音に動きを止めた直後、鹿島は厳かに言葉を続ける。



「慧音さんが僕に託したスペルカードさ。国符『三種の神器 剣』……僕達はこう呼ぶべきだろうか。

 ――機殻剣ムラクモ。熱田の持つクサナギと対をなす、……天叢雲剣、そのものだ」



 クサナギの刃を押しとめるその剣は、クサナギと完全に同一と見られる形状をしていた。
 
 白枠に寒色をちりばめたクサナギに対し、黒枠に暖色という色彩を持つムラクモ。
 交差する二本の剣がせめぎ合いながら生むのは、火花ではなく、

 炎。
 極少ながらもうねりを上げて巻き起こる紐のような炎が、八つの首を擡げ小さな竜となって具現化した。

「……私が使う時とは、形状がまるで違う……」
「スペルカードの詳しい原理は私にはわからないけど……ここはEx-G、幻想の世界。
 今の使用者は軍神、鹿島・昭緒であり……加えて、これは全力を用いて決着を付ける決闘技法なんだろう?
 ならばムラクモと言う形を取ったのも、私から言わせてもらえば必然な感じがするんだけどねぇ」

 妹紅に肩を貸しながら近づいてきた慧音の疑問に答えるのは月読で、
 クサナギとムラクモをお互いに引き、刃と同時に小さな炎竜を払った鹿島が熱田に言う。

「熱田、悪いけど君にはもう一仕事してもらうよ」
「いやだ」
「……さっきの『誤解』の詳細を、後で諸所の方面に伝えると言ったら?」
「て、テメェ……脅迫する気か!?」
「人聞きの悪い事言うなよ熱田。……ただ黙って首を縦に振ればいいだけだよ」
「それを脅迫って言うんだ!! ……おいババァ、この満点鬼畜パパに何とか言ってやれ」
「手間取らせるんじゃないよ熱田。さっさと働きなこの給料泥棒」
「お、お、お、お、ま、え、ら、なぁ……!!」

 歯を軋ませて睨みつける熱田を鹿島は無視し、



「さて。何と言うか……お待たせしました。
 改めて自己紹介を。私が2nd-G代表、鹿島・昭緒です」

「……ああ良かった。忘れられてはいなかったのね。
 私は蓬莱山輝夜。貴方達2nd-Gの相対者ですわ」



 鹿島とは逆側に位置していた、輝夜へと対峙した。

「あ? 蓬莱山ん? ってー事はまさか、あいつ」
「……そうだ。竹取物語の主人公、かぐや姫そのものだよ……」

 いくらか怒りを落ち着かせて疑問する熱田に対し、答えるのは妹紅であり、

「……あら妹紅、いたの? 随分とボロボロになっちゃって……今日は何回死んだのかしら?」
「……貴様!!」

 熱田の怒りを吸収し倍増する様にして、嘲け笑う輝夜に対して肩を震わせていた。
 今にも飛び掛らんとする妹紅を慧音が抑える。

 今、満月を天壁とし円形に口を開く竹林の中心に身を入れているのは輝夜、鹿島、熱田の三人であり、
 他の者達は皆、端に位置して事の成り行きを見守っていた。

「熱田が先程、不死者・藤原妹紅との相対を終えました。
 次は私が貴女との相対を終え、それを以って2nd-Gの事前交渉とさせていただきます」
「へぇ? 妹紅との相対を、ねぇ……ふぅん」

 含みを持った輝夜の言い方に、鹿島は若干疑問を覚えるが、

「あの……何か問題が?」
「いえいえ、こちらの話ですのでお気になさらず。ええ、じゃあ交渉を始めましょうか。……永琳!!」

 了承の意思を見せた輝夜は、永琳に呼びかけた。
 何事かと振り向く鹿島と熱田だったが、

「……な、何してるんですか月読部長!?」
「この子に聞いてよ。いきなり人に弓向けるんだもの、びっくりしちゃったわ」
「俺の目にはババァもおんなじ事してるように見えるんだがな……」

 そこには、至近距離で互いに手持ちの弓に矢を番えて相手に狙いをつける永琳と月読がいた。
 永琳は鉄の矢を。
 月読は月光の矢を番え、いつでも発射出来るような状態を保っている。

「姫様は月を好ましく思ってはいません。ですので……月の姓を司る貴女には、ここで大人しくしていて貰います」
「元々手を出す気なんか無かったから安心しな。あくまで交渉は鹿島主導の下で行うつもりだったんだから。
 でもまぁ……余計な喧嘩ふっかける出来の悪い部下がいるなら、お仕置きするのもやぶさかじゃあないよ?」 

 一触即発の状態から説明の為に口を開いたのは、永琳だった。
 応じる月読も、絶え間なく差し込む月の力を矢に蓄えながら威嚇する。

「永琳ったら……私はね、月を見るのは好きなのよ?……この幻想郷から見る月は、本当に好き」

 言う輝夜に鹿島と熱田は視線を戻す。
 輝夜は頭上に輝く夜の満月を、愛おしそうに見上げ、

「でも同時に、心から憎むべき月と言うのも、存在するの。
 ……私の物語は、そういう話だったのよ」

 そう言った。
 そして、

「……妖夢」
「は、はいぃっ!!」
 
 輝夜が呼び、竹林の影から飛び出したのは、

『……貘!?』

 鹿島と熱田が叫んだ通り、ウサギ耳の間に貘を乗せた妖夢だった。

「そこで見てなさい。貘と一緒に、ね」

 輝夜は妖夢に優しく微笑み、すぐに鹿島達に向き直った。

「さて……相対を始めるに当り、まず私から貴方達に言っておく事があります」

 そして、輝夜はそう切り出した。
 
 
 一呼吸置いて告げられた、その言葉は、



「私は、この物語に対して貴方達が祓うような遺恨を、何一つ持ち合わせてはおりません」



---

「……い、遺恨が無いとは、どう言う事です!?」
「あらごめんなさい、言い方が悪かったかしら……。
 私の起こした永夜の物語には今現在、思い残した事が何一つ無いの。あれは解決した話なのよ」

 慌てて聞き返す鹿島に対し、努めて冷静に輝夜はそう言い直す。
 
 相対者を前にして、交渉する懸念が何も無いと言う。
 交渉のテーブルを用意しておいて題を出さない相手を前に、鹿島が何を言うか考えていてると、


「……輝夜、テメェが竹取物語の輝夜だってんなら、どうしてこんな所にいる?
 テメェの居場所は月だろう? ……未だ地上にのさばってる、その理由はなんだ?」


 黙っていた熱田が口を開いた。
 月人である輝夜が地上にいる理由。それこそが遺恨の残滓なのではないかとも取れるその言動だったが、

「ふふふ……残念。それももう終わった事なの。
 私と永琳は確かに月の民だったけど、今はもうこの幻想郷の一員。月に対して未練は無いわ」
「ワクワク地球ツアーが終わって、迎えのバスに乗って帰ったんじゃなかったのかよ」
「……? それは貴方達の世界のお話でしょう? 私達の話とは分岐点が異なるのよ」

 微笑を浮かべながら淡々と話す輝夜の言動に、熱田は再び押し黙る。
 そして沈黙が生まれたその空間に、今度は外から入る声が生まれた。

「姫様と私は貴方達が言う竹取物語の騒動が原因で、この幻想郷にある異変を起こしました」

 永琳だ。
 矢を月読に向けつつ、言葉だけを紡いで交渉に介入する。

「詳細は省きますが、結論だけ言えばその異変は全くの徒労に終わりました。
 私達がこの幻想郷に身を置く以上、何もせずとも平和に過ごせる事が解かり……そこでこの物語は終了したのですよ」
「なんだそりゃ。しまらねぇ話だ……騒ぐだけ騒いで無駄骨かよ」
「……それも含めて、真実です。一夜限りの異変は解決され、私達はこの幻想郷で永遠の時を生きるのです」
「永遠ねぇ……テメェらも蓬莱の薬を飲んだクチか?」

 熱田が言うと、永琳はクスリ と笑って、

「ええ、飲みましたし……その気になれば作れますわよ? 
 私の能力は【あらゆる薬を作る程度の能力】……貴方もお一つ、いかがです?」
「寝言は寝て言え馬鹿野郎。んなもん要らん」

「あら、貴方達は永遠の時を生きたいとは思わないのかしら?」

 続けて聞くのは輝夜だったが、

「……貴女達と同じように、永き時を生きた者達を僕は知っています」
 
 代わりに答えるのは鹿島であった。
 そして続ける。

「そして、その者達が命永き故に苦しんだ理由も」
「……それは?」

 輝夜がそこで、初めて興味を示すようにして鹿島に聞き返した。
 聞かれる鹿島は、微笑を浮かべて答えた。



「――退屈ですよ」

「…………!!」
「彼らは退屈に苦しみ、世界の中に自分が興味を持てる物を探し……その一連の行動を相対として全竜交渉部隊と理解を重ねました」
「……その人達は……」

 輝夜は微笑を消し、月下に翳る真剣な表情を見せた鹿島に聞いた。


「その人達は、永遠を生きたその世界に、何かを見出す事が出来たの?」
「ええ……。彼らは自らの力を全竜交渉部隊に見せつけ、こう言いましたよ。


『焦がれる世界だ』と」

「…………」 
 
 鹿島の言った『彼ら』の言葉を聞き、輝夜は絶句する。
 顔を伏せ、表情を見せぬ輝夜に対し、鹿島は困ったように頭を掻き、

「しかし……どうしたもんかなぁ、これ」
「あんだよ鹿島」
「いや、だって熱田。交渉が進まない以上やる事が無いだろう? 僕達」
「だから俺は何度も何度も何度も何度も言ってるがな……帰りゃいいんじゃないかと、思うわけだ」
「……うーん、でもなぁ……」

 問答を繰り返す二人だったが、

「……その通りです。お帰りください」

 響く永琳の言葉に、再び動きを止めた。

「私が慧音と共に貴方達をここまで連れてきたのは、姫様の口から交渉の懸念が無い事を貴方達に伝える為です。
 ……去りなさい異世界の相対者。私達は現状に満足しています。差し伸べられる手を取る理由がありません」

 にべも無く言う永琳の言葉に、鹿島は渋い顔をするが、



「……しょうがないですね。ならばこれで――」
「待ちなさい」



 輝夜が言ったその言葉に反応し、薄い微笑を戻した。

「……何か? 輝夜さん」

「妹紅とは相対を終えたのに……私に対しては何も無しってのは、やっぱり何か納得がいかないものがあるわね」
「……姫様?」

 何か悪い事を思いついたような、不穏な空気を纏う輝夜の言動を不審に思い、永琳は口を挟む。
 が、輝夜はお構いなしに言葉を続ける。

「いいわ。遺恨を持たない私が貴方達に、一つの言葉を与えます。それを以って、私達の相対としましょう」
「……言葉……?」
「そう。そしてその言葉とは……」
 
 鹿島は言っている意味が解からず聞き返すが、



「――『問い』よ」
「……!!」



 その言葉を聞いて、目を見開いた。

 問い。
 それは、鹿島達2nd-Gが全竜交渉の際に佐山に投げかけた言葉であった。

「姫様」
「黙りなさいな永琳。言う程思いつきだけでもないのよ?
 2nd-Gが理解を示し、私達の世界を救う意思が本当にあるのなら……すぐに解ける易しい問題よ」
「ハッ、かぐや姫がふっかける問題なんてロクなもんじゃねぇって、相場が決まってんだよ」
「……そうね。ペナルティは甚大よ?
 もし解けなかったら交渉は決裂。私達永夜の住人は、LOW-Gの者達を世界に理解を見せない不穏分子と認識する。……どう?」

 袖で口元を隠しながら笑う輝夜に対し、

「受けましょう」

 鹿島も笑みで返し、即答とも言うべき速さで返す。

 その時だった。



・――幻月 理解の意思は実体を持つ



 鹿島と熱田、月読の持つ次弦時計が震え、円形の空間包むように概念空間が展開された。
 
 
 
 そして重なるようにして響くのは、輝夜の問い。
 
 空間に浮ぶ満月今、は波打つようにして揺らぎ実体と剥離して存在する幻となって輝夜を包んでいる。




「――私と妹紅。永夜の地を統べるのにふさわしい存在は……どちら?」



 幻月を背に受け、両手を広げた輝夜は、その問いを口にした。





[26265] 第十七章「永夜抄の詩詠み人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/24 00:50
「――輝夜!?」

 問いを口にしたその者の名を叫んだのは、永琳だった。
『姫様』とは言わず、輝夜と呼んだその言葉には、明らかな疑問と動揺の意思が篭っている。

「……どうしたの永琳? そんなに慌てて」

 だが、輝夜は努めて冷静に言葉を返す。
 冷静の中に笑いを加味し、目を弓にして言う輝夜に対し、

「どういうつもり? ……何故、ここで妹紅の名が出るの?」

 そう聞いた。
 
 どちらが物語の壇上に立つのに相応しい存在なのかと問うた輝夜は、不敵な笑みを浮かべつつ言う。

「何故? 何が何故なのかしら」
「妹紅は私達の物語とは直接関係は無いはずでしょう?」
「そうねぇ」
「蓬莱の薬を飲んで不死者となり、その事を理由に輝夜を恨むのは妹紅の勝手。
 でもそれは妹紅自身の問題で……本来、永夜の月に照らされる事象では無い!!」
「そうねぇ。私もそう思うわ」
「だったら何故!?」

 永琳は輝夜が告げた問いに込められた思いの説明を求めるように叫ぶが、輝夜は依然として自分のペースを崩さずに告げた。



「私にもわからないわ。本来舞台袖に位置するはずの妹紅が私より先に相対を終え……更には今、この場に参加を許されているその理由が。
 
 ……だから私は『問うた』のよ? わからない事はわかる人に聞くのが一番。

 永琳が何故と聞くその答えを口にするのは、私ではなくて……」

 

 輝夜が口元を隠していた自分の袖口を動かし、指差すのは、

「彼らよ」

 鹿島と、熱田だ。

「答えは出たかしら?」
「……どうなんだよ鹿島」

 輝夜と熱田、二人に聞かれた鹿島は頬を掻きつつ、困った様に言った。

「……うん、これは何と言うか。凄いプレッシャーだなぁ」
「答えになってねぇぞ。まさかわかってねぇのかテメェ」
「いやいや、答えがわかるわからないの問題以前の話だよ、これは」
「あ? どういう事だ?」

「自分とは違う世界の根幹とも言える事象に触れ、その運命を分かつ分岐点となる問いに答える……。
 かつて自分が出題者となった身からすれば、回答を見せる側……理解を見せる側のこの気持ちはなるほど、世界の持つ重圧に押し潰されそうになる」

 鹿島は言葉の途中で震えを見せた自分の手を、ムラクモを強く握ることで押さえつける。
 深い一呼吸を置いて、だが と鹿島は言葉を続ける。

「だが……とてもとても重く深いこの気持ちの中に、とてもとても興奮する気持ちが混ざってるのも事実だ」
「オイオイ、どっかの馬鹿みてぇにいきなりよがってクネるなよ? 反射的にキモがって斬っちまうかもしれねぇ」
「大丈夫、僕はまだそこまで染まってないよ。
 世界の運命に介入する戦慄。難問に対し自らの意思で答えを紡ぐ勇気。そして理解を見せ、過去との遺恨を祓う事が出来る喜び。
 
 ……彼も、こんな気持ちで十拳を握ったのかなぁ」

 鹿島は握ったムラクモをゆっくりと上げ、概念空間の空に浮ぶ幻月の光を迎受する様に頭上に固定させた。
 幻の月光はムラクモを透過し、剣の刃を通して鹿島を照らす。
 
 その光に急かされるようにして、鹿島は感慨深げに頷くと剣を下ろし、



「じゃ、答えようか。永夜の姫が出した難題の、その答えを」
「……けっ、さっさと答えちまえ鹿島。
 そして言ってやれ。八百万の名を統べる2nd-Gに名の在り方を聞いた、その意味を」
 

 
 隣で待つ熱田が持つクサナギに、その刃を交差させた。

 二人の神が持つ二本の神剣の交差点から生まれるのは、炎。
 先程概念空間外で競り合った時に生まれた物と同じ輝きを持つその炎は、鹿島と熱田の制御を以ってその質量を徐々に増やしていく。

「……これは……」

 事の成り行きを見守る永琳が漏らした感嘆の声をも糧として成長する炎は、火種から伸びる炎縄へ。
 炎縄巻き上げる火渦へ。
 火渦から生まれる火神の化身へとその姿を変えていった。
 
 焼尽の風を吹き上げながら形を作り上げたそれは鹿島と熱田の背後に位置取り、幻月を背に受ける輝夜と視線を合わせて対峙する。
 
 その視線の数は、合わせて十六。
 


「2nd-G概念核兵器・神剣十拳に封印されし炎竜・八叉。
 慧音さんのスペルカードの力にによってクサナギとムラクモが揃った事で、その魂を剣に宿し……
 そして理解の意思を形作る幻月の概念によって、LOW-Gからその姿を借り受け……このEx-Gに姿を見せた。
 本物よりはちょーっとサイズが小さいけれど、意思の強さは相変わらずってとこかしらねぇ」



 口端に笑みを浮べ、懐かしいものを見るような目をしながら月読は言った。
 その直後、八首八尾を持った炎の大竜・八叉が、幻月の概念空間に完全に姿を現す。
 LOW-Gでは全長一キロをゆうに超えるその巨体は、今は概念空間内に収まる程度に留めている。
 それでも竹林に生える竹々を眼科に押さえ、天空高く踊るその首を震わせる八叉は大竜と呼ぶに相応しい神格の威厳を纏っていた。

 八叉は輝夜に対し、自分の存在を知らせるようにして一度低い唸り声を上げ、
 
 その視線を、空に浮ぶ幻月に移した。

「永琳さん。あたしがいつからこの弓――月天弓を引き絞っていたか、覚えてる?」

 そして唐突に月読が言葉を発し、永琳に疑問を投げかけた。
 八叉の存在を目の当たりにしていた永琳は我に返り、その質問に答える。

「え……確か、姫様が交渉を始める瞬間のはずでしたが?」
「そうね。あの時はまだ、幻月の概念が出る前だった。
 ……そして今、天空に浮ぶ月は……幻月だね?」
「何が言いたいのです?」

 いぶかしむ永琳に、月読は、



「月天弓は月光を放つ弓。あたしが弓を構えてる間、月の光を随時矢として蓄えているんだよ。
 そして今、あたしの手に番えている矢は……Ex-Gの月と概念の幻月、両方の光の意味を知っている」



 そう言って、構える弓の狙いを一瞬の動きで変更させた。
 
 即ち、永琳から八叉へと。

「貴女、何を……!?」
「月読は皇族の姓。その意味は月を司るだけじゃない……神と対話する、理解の力も持っているのさ。
 ……あたしの仕事はこれが本命。蓄えていた月の持つ意志を今、世界の理解の資料として八叉に伝える!!」

 弓の弦を極限まで引き絞り、月読は射出の態勢に入った。
 番えられた光の矢はその先端部に灯る光の光量を上げ、青白い幻影を纏って震えだした。

 光の制御に力を割き額に汗筋を浮かべる月読は、しかし顔に微笑を浮べて永琳に言った。

「あたしの弓には貴女に真似出来ない機能が一つ、ついてるのよねぇ」
「……それは?」

 聞く永琳に、月読は一呼吸おいて、



「た・め・う・ち」



 答え、矢を持つ手を放した。

「――響け月光の弓琴!! 月読の姓をもって、八叉に月の意思を呈せ!!」

 月読の叫びに応じるようにして、概念空間の夜空を駆ける一条の光の奔流がその姿を変えた。
 一筋の光矢がホップをかけて八叉の持つ八首の頭上まで高速で駆け上り、
 最高点まで到達したその瞬間、一際大きく輝くと同時にその数を八つへ分けた。
 八叉の首と同じ数に分かれた矢は、それぞれが弧を描きながら踊り、八叉の頭部へと突き刺さった。
 
 光の矢が八叉の頭部を穿ち、光りを散らさぬままその奥へと入り込む。
 八本目の矢が入り終えた後、一瞬の静けさが辺りを包み、

『――■■■■■■■■!!』

 十六の瞳に宿る炎を青白く燃え上がらせ、八叉は幻月を飲み込むようにして咆哮を上げた。

「……暖かい炎だ……これが、意思の力……」

 漏れる言葉は、妹紅の声。
 慧音から離れ、ゆっくりと八叉に近づく妹紅はその立ち位置を舞台袖から壇上に移していた。
 
「優しく、そして厳しくもある炎竜ね。
 世界の意思を持つ大竜は失敗を許さない……覚悟はいいかしら?」

 熱田、鹿島、そして妹紅と並んだその舞台で生まれる声は、月の姫が放つ台詞。
 決着の刻を告げる最終確認とする、輝夜のその言葉を受けた鹿島と熱田の顔に、

 迷いは無かった。

 その顔を見た輝夜は満足そうに笑い、着物の裾を振りかざして盛大に両腕を広げ、



「問いましょう。
 終わらない夜の物語――永夜抄に相応しい存在の名は……蓬莱山輝夜・藤原妹紅、どちらか!?」



 問うた。

 八叉の眼下。審判の咆哮を五感全てで受け入れ、鹿島が口を開いた。
 聖罰の炎が一段強く揺らめき、轟音を立てて答えを待つ。

 その音に抗うように凛として響く、その声は、



『答えよう。2nd-Gが理解を以って決着とする、その者の名は!!』

 熱田と鹿島が同時に叫び、それぞれの剣に意思を込めて天高く掲げる。
 二本の剣が尖塔の如く聳え立ち、その切っ先を導にして八叉の首がそれぞれ四本ずつ集まり、渦を巻いた。
 
 

 そして、答えを口にする。



「――藤原妹紅!!」




 言うは熱田で、




「――そして、蓬莱山輝夜!!」



 続くは鹿島。




『二人の少女がその名を残し……共に悩み、戸惑い、憂い、怒り、哀しみ、戦い、喜び、笑い……
 
 ――詠い上げていくのが、終わらぬ夜の物語……永夜抄だ!!』



 二人の答えを聞いた輝夜は、

「本当に、その答えでいいのかしら?」

 満足そうな優しい笑みを依然として絶やさずに、聞いた。

「ナメるな!! 男に二言は無ぇんだよ!!」
「妹紅さんも輝夜さんも、それぞれがそれぞれの想いを抱き、このEx-Gに辿り着いた。
 そこに様々な感情、感傷はあれど、永夜に浮ぶ月下に身を置く存在として変わりは無い!!
 例え永遠の時間がかかろうとも、その意思をぶつけ合い、そして理解し合うその日を迎える事こそが……終わりの満月であり、始まりの新月だ!!」

 鹿島が叫び、




「2nd-Gはこの答えを以って理解とする!!」

「――合格よ!!」



 輝夜が答えた。

 そして、八叉がその場にいる全ての者達に、
 月に、
 そして天に向かって、意思の受諾を告げる最大の咆声を上げ、

 
 堕ちてきた。
 
 
 四本づつ、二手に分かれたその首を揃って高く擡げ、一瞬の動きの停止をもって加速した。
 宙で八条の炎の渦を描きながら落ちてくるその先は、鹿島達と輝夜との距離の中間地点。

 理解の意思を得た竜は最後の試練として、相対する者をその余熱で焼き尽くす。
 
 概念空間を焦土と化すべく炎熱の質量と化した八叉の吶喊に対し、



「――『パゼストバイフェニックス』!!」



 刹那の動きを持って飛び出した妹紅が、スペルカードの発動と共にその身体で八叉の炎を受け止めた。

---

「妹紅!?」
「妹紅さん!!」

 驚愕する熱田と鹿島だったが、妹紅に答える余裕は無い。

 妹紅の不滅の魂を糧に燃え盛る金色の鳳凰翼を前面で閉じ、八叉の炎を抑える。

(私の存在を認めてくれたのならば……
 私にはこの炎を受ける資格と義務と、覚悟がある!!)

「っおおおおおおおおおおおお!!」

 全身を焼き尽くす業火に絶えながら、声にならない声を上げて妹紅は思った。
 八叉の炎と妹紅の炎がせめぎ合い、飲み込み飲み込まれながら拮抗する。

 消え去る直前の試練として燃える八叉の炎はだんだんと収束していくが、

(……ぐっ!?)

 妹紅の右肩の鳳凰翼が八叉の炎に飲まれ、根元から消え去った。
 防護の力が半減した妹紅の右半身に防いでいた炎が押しかけ、妹紅の意識を焼尽の意思で削り取ろうとする。

 魂を燃すスペルカードの力によって、本来の再生力が追いついていない妹紅の意識が闇へと落ちる、

 その瞬間。



「――神宝『サラマンダーシールド』!!」



 妹紅の耳に輝夜の声が届き、妹紅は伏せかけたその目に力を戻した。
 
 そして、一瞬のズレをもって妹紅の身体を包むのは、淡い暖色に煌く皮一枚の薄さを持つ障壁だった。
 八叉の炎から妹紅の身を護るように展開された障壁がうねるようにはためき、しかし確実に八叉の炎の勢いを弱める。

「何をしているのよ、さっさと消してしまいなさいな。……貴女の炎は、飾りかしら?」 

 姿の見えぬ輝夜の言葉に呼応するかのようにして、スペルカードの障壁が明滅する。
 妹紅はその言葉を聞き、しばし呆然としながらも、

「……私をナメるな輝夜!! 
 お前を殺すまで、私は死なない!!」

 消えた鳳凰翼を倍の質量を持って復活させ、魂の炎を燃え上がらせた。

--- 

 熱田と鹿島はクサナギとムラクモに力を込め、八叉の制御を行おうとしていた。
 が、

「……これは私と妹紅が引き受けるから、貴方達はやるべき事をやってきなさい!!」

 スペルカードを火中の妹紅に全力で展開しながら、輝夜は叫んだ。

「やるべき事……」
「しっかりしなさいよね。私が問い、貴方が答えた。なら残っている事は……」

 輝夜は舞台袖に控えている、その人物に向けて言った。



「……答え合わせ、でしょう?」
「――!!」



 鹿島と熱田が同時に気づき、視線を輝夜を越した竹林の奥へと移す。

「……あ」

 視線の先にいるのは、事態をただ静かに見守っていた妖夢と、
 
 妖夢の頭上で八叉の炎を同じく見守っていた、貘だった。
 
 視界に貘を収めた鹿島と熱田は、一瞬の知覚でその視界を白に染める。



 妹紅を飲み込んだ八叉の炎が強い光を放ち爆音を上げるその瞬間、
 
 鹿島と熱田は、それぞれの過去へと飛んだ。



---

 鹿島と熱田が意識を戻すと、その身体は空へと浮いていた。
 視覚だけが生きる過去世界に映るその景色の大部分を占めるのは、

(月……随分と大きく、美しい満月ですね)

 鹿島が夜空に燦然と輝く満月に目を奪われていると、その月明かりを同じくして受けている人物がいる事に気づいた。

 意識だけの鹿島と同じように平然と空に浮ぶその人物は三人。
 その内の二人は、見知った顔だった。

「……あのねぇあんた、えーと……輝夜だっけ? 随分とまぁ余計な事してくれたけど」
「言ってやりなさい霊夢。それはもう厳しく、手厳しく」
「紫うるさい。……で、えーと……なんだっけ」
「ちょっとちょっと、しっかりしてよね。せっかく負けてあげたのに」
「あーもー調子狂うなぁ……つまりね? あんたたちがしてた事は全くの無駄なのよ」

 会話を続けているのは、鹿島達をこのEx-Gに連れて来た張本人である八雲紫。
 そしてその紫と並ぶようにして浮いている、巫女装束の霊夢という少女。
 服のあちこちをボロボロにして霊夢の話を聞いているのは、輝夜だ。

「え、無駄ってどういう事?」
「だからー、あんたらがいくらこの月をいじくりまわしても意味が無いんだってば」
「え? え?」
「幻想郷から見える月をどうしようと外から見えるわけないじゃん」
「……そうなの?」

 目を瞬かせて聞く輝夜に、代わりに紫が答える。

「そうなの。だから貴女達月の民がここにいる以上、追っ手は永遠にここには来れません」
「……本当に?」
「本当に」
「ずっとここにいてもいいの?」
「余計な事しなけりゃね」

 心底疲れた様子で霊夢が最後に付け加えると、

「永琳に報告しなきゃ!!」

 と言って輝夜は踵を返して帰ろうとする。

「待ちなさい」
「なに?」
「何か言う事は無いの? 私に」
「私にもよ」
「紫うるさい。……で、えーと……なんだっけ」
「霊夢ひどい」
「そうそう思い出した。ほら、早く言いなさいって」

 急かす霊夢に輝夜は五秒ほど考え、やがて思いついたように手を打って、言った。

「今度みんなで肝試ししましょうか」

「いや……なにそれ」
「楽しいわよ? 肝試し。お詫びも兼ねて私がセッティングしてあげるわ。
 場所は……そうねぇ、迷いの竹林なんていいんじゃないかしら」
「……あーもーいいわ。うん、いいんじゃない? 肝試し」
「せっかくだからみんな誘って来なさいな。二人一組でスタートよ」
「みんなって、魔理沙とか? 来るかなぁ……」
「来てもらわなきゃ困るわ。二人一組で」
「なんでそこ強調?」

 聞く霊夢に、輝夜は当然といった様子で、

「危ないからよ。それに、退治にかかる人手は多い方がいいわ」

 と言った。

「……退治? 肝試しじゃなかったの?」
「ついでよついで。倒してくれたらみんな幸せ、私も幸せ」
「何が出るって言うのよ……。ウサギ? 熊?」
「竹林に出る怪物なんて言ったら、決まってるじゃない」
「パンダ?」
「霊夢、あなた何か勘違いしてるわ」

 突っ込む紫をよそに、輝夜は意地悪く笑って言った。


「――不死者よ」


 直後、過去が切り替わる。



---

 次に鹿島達が目を開けた時、そこは見慣れた竹林だった。
 
 そしてその中に響く声も、やはり聞き慣れた女性の声で、

「こんな満月の夜に、一体ここに何の用?」
「んー……肝試し?」
「肝試し? こんな夜に肝試しって……貴女もしかして馬鹿?」
「だってさ紫」
「霊夢……あなたに言ってるみたいよ?」

 もんぺ服に両手を入れて半目で見据えてる妹紅に立ち向かうのは、霊夢と紫だ。
 月の光に照らされるその場所は、やはり見慣れた場所であった。

「二人に言ってるのよ。見逃してあげるから帰りなさい」
「私達以外に誰か来た?」
「だーれも来やしないよ。普通の奴ならこんな夜には出歩かない」
「よかったわね霊夢、貴女は普通じゃないみたいよ?」

「私だって来たくなかったわよ。でも、輝夜が行けって言うからさぁ……」

 霊夢がその名前を出したその瞬間、

「……輝夜? 今、輝夜って言った?」

 半目だった妹紅の眼に、憎しみの炎が宿った。

「え? ……うん、言ったけど」
「そうか……お前達、輝夜の差し金でここに来たのか」
「いやだから肝試しに来たんだって。あなた誰よ」

「私は藤原妹紅。この竹林に住む……不死者だよ」

 不死者と言った瞬間、霊夢と紫が顔を見合わせて、

『あー』
「輝夜の知り合いなら、このまま帰す訳にはいかないな」
「どうしろって言うのよ」
「どうする? お前達は肝試しに来たんだろう?
 ……私がお前達の肝を、試してあげる」

 妹紅はそう言って、服に突っ込んでいた手を引き抜いた。
 
 霊夢達に向けられたその手に宿るのは力ある光りであり、

「輝夜を殺すその前に、お前達の肝をあいつに食わせてやる!!」

 光が象るのは、不死の炎を司る鳳凰の絵札。
 
 妹紅のスペルカードが力を発揮する光に飲まれるようにして、鹿島達の意識が過去から呼び戻された。



---

「――っ!!」

 鹿島が意識を戻すと、そこには月があった。
 それは過去で見た不気味なほど美しく輝く満月でも無く、
 概念空間に展開していた幻月でもない、極ありふれたEx-Gの満月。

 静寂に包まれた円形の場所には今、概念空間も八叉も存在していない。
 無音となっていたその空間だったが、鹿島が円形に空く竹林の中心にいた人物を見つけると、

「輝夜さん!! 妹紅さん!!」

 静寂を壊し、声を上げて駆け寄った。

 二人は仰向けに地に大の字に這って、荒く息を上下させて虚ろな眼で天空に浮ぶ月を見上げていた。

「……八叉は、どうなった?」
「妹紅が、その身で封じましたよ。いや、打ち勝ったと言うべきですか」

 遅れて駆けつけた熱田の疑問に答えたのは、永琳だった。
 そして、

「――妹紅!!」

 倒れた妹紅に声を上げて駆け寄ったのは、慧音だ。
 永琳は嘆息しつつ遅れて歩みを作り、輝夜の元へと歩き出す。

 倒れた二人にそれぞれの理解者となる者が付き、介抱する。

「……どうだった?」

 そんな様子を見ていた鹿島と熱田に、月読が尋ねてきた。

「ええ、まぁ……確かに輝夜さんの起こした騒動については、やはり既に終わった話でした」
「藤原妹紅についても同じだ。俺が聞いた通りだったよ」

 鹿島は微笑を、熱田は疲労を顔に浮かべて返す。

 熱田の持つクサナギに対し、鹿島の手には今、何も無い。
 慧音のスペルカードで作り上げたムラクモが消えたという事は、決着が着いたという事であり、

「色々ありましたけど……これで一応、相対は無事終了ですかね」
 
 鹿島の言葉に、月読は安堵の笑みを浮かべる。

 が、


「妹紅!?」


 慧音の驚愕の声に鹿島達は何事かと振り向いた。

 視線の先には、倒れていたはずの妹紅が片膝を付きながらもゆっくりと立ち上がっており、

「無事終了? 冗談じゃない、まだ終わってないよ。
 ……輝夜、お前さっき炎の向こうで私の事馬鹿にしただろう?」

「……あら、覚えていたの?
 私の助けが無かったら貴女、今頃消し炭だったのに……ここは感謝する所じゃなくて?」

 同じくして起き上がっていた輝夜と視線を合わせ、お互いに敵意を飛ばしていた。

「お前の助けなんか無くてもあれぐらい余裕だったよ。余計なお世話だ」
「あらあら強がっちゃって。足元ふらふらなのによくそんな大口叩けるわね」
「お前こそ手が震えてないか? スペルカードを制御しきれてなった証拠だな」
「貴女こそ一日で死にすぎじゃない? 体力尽きるまでに後何回死ねるのかしら?」

「よ、よすんだ妹紅。もうそんな事はどうだっていいだろう!?」
 
 火花を飛ばして口論を始めた輝夜と妹紅を、慧音は妹紅を宥めて場を抑えようとするが、

「永琳」
「なぁに?」
「妖夢を連れて先に帰ってなさい」
「はいはい」

 永琳は素直に言われた通りにし、踵を返して妖夢の元へと歩き、

「さ、帰るわよ」
「え……でも、その、いいんですか?」
「いいのよ。ああなったら何を言っても無駄だから」

 動揺する妖夢の襟首を掴んで、竹林の奥――永遠亭へと進路を取った。

「ああ、忘れてました」

 竹林の闇へと消える直前に、永琳は思い出したかのようにそう言って歩みを止め、

「お返ししますわ。貴方達が次に必要とする者へと渡してくださいな」

 妖夢の頭の上に鎮座していた貘を摘み上げて、鹿島へと投げ渡した。
 そして少しだけ不満そうな顔の妖夢を連れて、今度こそ姿を消した。

 貘を受け取った鹿島は消えた空間に一礼をし、振り向く。
 そこには依然として一触即発の状況を作る輝夜と妹紅の姿があった。

「か、鹿島さん達も何とか言ってください!!」

 竹林の中心で距離を取って睨み合う両者の仲裁を慧音は提案するが、

「お前も先に帰っててくれ、慧音」
 
 視線を輝夜からは外さず、妹紅は声だけで慧音を促した。

「し、しかし……!!」
「大丈夫、大丈夫だよ慧音。私はもう、感情の使い方を間違えない。
 ぶつける相手にぶつけ、怒る相手に怒り……頼れる奴はちゃんと頼るって、決めたんだ」
「……妹紅……」



「だから、さ。慧音。
 私はここで輝夜を倒して、お前に報告しに行くよ。……後でお邪魔しても、いいかな?」

 

 顔を見せぬままの妹紅は、上擦った声で躊躇いがちに慧音に告げた。
 慧音は言葉を聞いて押し黙り、やがて無言で妹紅から離れ背を向ける。
 
 そして震える手を握り締め、



「……絶対勝てよ。勝たなきゃ家に入れてあげないからな」



 そう言った。

 その言葉を合図に、輝夜と妹紅のそれぞれの手に光が集まる。
 
 その光景を見ていた鹿島と月読は、肩を震わせる慧音に歩み寄りつつ誰とも無く呟いた。

「あれがあの子達の、一般的な意思疎通手段なのかねぇ」
「永遠を生きる者同士だから出来る、愛情表現かもしれませんよ」
「殺し合いがかい? 物騒だこと」



「……一光さん達四兄弟と一緒ですよ。
 輝夜さんは永遠の時を退屈で埋めぬよう、永夜の世界を通して妹紅さんに……焦がれているんでしょう」



 鹿島はそう言って、慧音の肩に優しく触れてその震えを止めた。

「妹紅の方は、どうなんだい?」
「それは……あれ、熱田? どうしたんだい、帰るよ?」
 
 その後ろに続きながら月読は聞くが、鹿島は熱田の所在を確かめた。
 それまで口を挟まなかった熱田は、クサナギを地に突き立てて、太い竹を背にもたれ掛かって座っていた。

「先行ってろ。俺ぁもうちょっとここで見てく」
「……何をだい?」
「馬ぁ鹿、決まってんだろ。……月だよ。良い夜だしな、新しい歌のフレーズも生まれるってなもんだ」

 鹿島を見ずにぶっきらぼうに呟く熱田の視線は、空ではなく平行の先。
 
 妹紅に合っていた。

「……はいはい、わかったよ」

 鹿島と月読は苦笑しつつ、慧音と共に竹林を後にする。

 何も言わぬ熱田が見守る中、月光の差す竹林で輝夜と妹紅のスペルカード戦が静かに幕を開けた。



---

「……終わったか?」

 熱田は戦闘開始直後に眠りに落ちていた。
 響く輝夜と妹紅の叫び声と弾幕の音を耳に入れながら寝ていた熱田が眼を覚ますと、辺りは不気味なほどに静まり返っていた。

 熱田は欠伸をしつつ、涙の混じる目で戦場を見る。
 生い茂る竹々の半分以上が折れ砕かれ焦土と化していたその地面に、妹紅の姿があった。
 やはり仰向けの大の字に倒れている妹紅に歩み寄り、熱田は口を開く。

「輝夜は?」
「……泣いて帰ってったよ」
「ホントかよ」
 
 目を伏せ、息が止まっているかのように動かなかった妹紅だったが、熱田の言葉に反応を見せた。
 身体は動かさず目だけ薄く開け、疲労困憊の体だった妹紅だが、口調ははっきりとしている。

「どうだったよ?」
「……何が」
「トボけんな。
 ……勝ったのかって、聞いてんだよ」

 妹紅に背を向けて地面に座り込んだ熱田が聞く。
 その言葉に、妹紅は若干言葉を詰まらせながらも、

「勝った。私の方が多く殺したし、最後はあいつの方が先に帰った。敵前逃亡含めて私の勝ちだ」

 そう返した。
 
「さよか。それならいいわ」
 
 熱田は苦笑しながらそう告げて、黙り込む。
 風が残った竹を揺らすざわめきが二人を包み込むが、やがて妹紅が口を開き沈黙を破った。

「なぁ」
「あんだよ」
「何でお前、まだここにいるんだ?」
「アホかお前。俺を出口まで案内する約束はどこいったんだよ」

 当然の権利のように主張する熱田のその言葉に、妹紅は、

「……ああ、忘れてたよ。だけど身体が動くまで待っててくれ」
「情けねぇな、もっと身体鍛えろ身体。山とか海とか無ぇのかよここ」
「山はあるけど海は無いよ」
「じゃあ山でいいか……海はこの前行ったしな」

 山まで案内する段取りを勝手に作り上げた熱田を無視して、妹紅は話を戻す。

「……本当の理由は、そんなんじゃないんだろう?」
「…………」
「隠すなよ」
「……月見てた」
「…………」

 白々しく言う熱田に妹紅は無言で返す。
 再び生まれた静寂を、今度は頭を掻きながら熱田が口を開いて破る。


「……喜べ。勝者のテメェに俺から、ありがたーい言葉を送ってやる」
「…………はぁ?」

 心底嫌そうに妹紅は言った。

「またあの変な歌か?」
「変とは何だクソガキ。俺の魂篭った歌を馬鹿にするとぶった斬るぞ」
「何でもいいけど……先に言っておくと要らない。どっかで一人で歌ってろ」


「違ぇーよ馬鹿。歌じゃなくて、詩だよ。
 
 歌ってのは歌うもんだが……詩ってのは詠むもんだ」

 
 熱田はそこで言葉を切り、一呼吸置いてから、




「――生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」




 月を見上げ、詠った。

「…………それは…………」
「どっかの偉い奴が作った詩だよ。意味、わかるか?」
「……お前は、わかるのか?」
「わかる訳無ぇだろ」
「……じゃあ何で詠んだんだ……?」

 妹紅が当然の疑問を口にするが、熱田は気にせず、



「詩に込められた意味なんてもんは、詠み手次第で変わるもんだ。
 藤原妹紅、テメェはこの詩の意味を……どう受け止める?」

 

 そう聞いた。

 妹紅は顔を合わせずして聞く熱田が見ている視線を追う。
 そこには不変の姿で浮ぶ満月があり、熱田は妹紅の答えを待つようにしてぼーっと見上げていた。

 そして妹紅は熱田に気づかれぬ程度の動きで指先を動かし、小さな炎を作り出した。

 

 妹紅の魂から作り出したその炎は金色に輝きながら、月光を受け煌く煙の帯を天へと伸ばす。

「……お?」

 熱田が伸びる煙の帯に気づき、その行き先を目で追った。

 
 
 煙が吸い込まれるようにして伸びるその先は、煌きと同じ色を以って燦然と輝く満月。

――天まで届く不死の煙に乗せるようにして、妹紅は微笑を浮かべて口を開き、



「明けない夜は、無いんだよ」


 
 熱田の問いの答えを、そう詠んだ。



---
2nd-G×Imperishable Night.
END



[26265] 第十八章「街道の情報屋」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/30 03:37
「どうしたのかね八雲君。……月が、そんなに気になるかね?」
「……あら御免なさい。少し、思い出していただけですわ」
「先程言っていた月が語る物語、と言うやつか」

 

 紫と佐山は今、満月の光りが照らし出す無人の街道を並んで歩いていた。
 気質によって降り注いでいた天気雨もいつの間にか収まり、翳る物が存在しない月はその存在を誇示するようにして燦然と輝いている。
 そんな月を視界の延長直線状に収めながら歩く佐山は首を曲げて、右手側に併走する紫の姿を越す様にして辺りの風景を確認した。
 
 人工的に作られた街道には標識や街灯などは一切無く、延々と続く無限回廊のような錯覚を視覚的に与えてくる平坦な道路であった。
 
 そんな無機質な街道を彩るようにして道の脇に生えるのは、極彩と呼んでも差し支えない程の種類で固められた花々だった。

 街道に沿った田園のような広い空間を、しかし街道と世界を隔てるようにして咲き誇る花は、
 佐山も知っているありふれたものから名も知らぬ見たことも無い色彩を持つ花まで、無限に等しい品種が己の美しさを競うようにして存在している。
 佐山の左手側には静かにせせらぐ川が追従して流れており、街道の下を通じてその花達に潤いを与えているようだった。

 夕暮れから歩いている時にぽつぽつと花が点在していた事には気づいていた佐山だったが、月が昇ると同時にこの花の空間に迷い込んだような感覚を得て、
 先刻までの空間と花の空間の境目が視覚が得た記憶情報から辿る事が出来ない事に違和感を覚える。

「貴方は、この花達が気になるようですわね」

 そんな佐山の思いを見透かしたかのようにして、紫が声をかけてきた。

「いつからこんな美しい風景を目に入れていたか、どうにも思い出せなくてね。……八雲君の能力のせいではないかと思えてきた所だ」
「まぁ、それは言いがかりですわ。私は何もしていません」
「……確かに。八雲君は大体の方向を示しただけで、道を選んだのも先行したのも私の決定だったね」
「きっと貴方が、この花の持つ力に無意識に呼ばれたのでしょう」
「ここまで雑多に群生しているとなると、自然の力だけとは考えづらいね。いくつか知っている種類もあるが……季節も気候もまるで無視して咲いている」

 佐山はふと立ち止まり、その身体を終点が地平線へと消える街道から花の空間へと90度向け直す。
 自身の中に沸く興味と探究心から、極彩の花畑に足を踏み入れようとしたその時、

「止めておきなさい。……最悪、二度と帰っては来れなくなりますわ」

 畳んだ傘を佐山の前へと突き出した紫が、行動と言動で二重の静止をかけた。

「どう言う意味かね?」
「そのままの意味ですわ。貴方はこの一面の花畑を見て、どう思いました?」

 質問を質問で返され、佐山は口に手を当てて思案し、やがて答える。

「美しいね」
「………………もう一度」
「? 美しいと言ったのだが」
「………………もう一声」
「とても美しい、と」

 紫からされた質問だったので、佐山は礼節の観点から紫の眼を真っ直ぐに見つめながら真剣な顔で答えた。

 答えを受け取った紫は佐山から目を背け、数秒押し黙ってから咳払いを挟んで会話を続ける。

「……そう、この花畑はとても美しい。貴方と同じ人間も私と同じ妖怪も、鬼でも妖精でも、その感覚は変わりません」
「……だから」
「だからこそ、私を含む彼らは、絶対にこの花畑には足を踏み入れません」

 佐山の言を奪い、紫は一言づつ区切りを入れて佐山に忠告を与えた。

「……言われてみると、先程から人の気配がまるで無いな。これほどの名所なら観光に現れるものがいてもおかしくは無いものだが」
「人間は噂話で。私達妖怪は本能でこの場所の危険性を理解している」
「危険性?」

 佐山が問うと、紫は花畑を見据え、

「この場所は美し過ぎる。この魅力は最早、生物の持つ感性から仕掛けられる呪いの域です。……これも、妖怪の仕業なのですよ」
「妖怪……八雲君以外の者、か。一度見てみたい気もするね」

 佐山がそう言うと、紫は佐山に顔を向けずに呟く。

「うかつに藪を突くなと、言ったはずですよ? まずもってロクな事にはなりませんから興味本位は捨てなさい」

 断言をもって言い切る紫の言に、佐山は口には出さず、

(……彼女は、まだこちらの知らない情報を隠しているな。
 知る必要の無い情報か、知ったらマズい情報か。……さて?)

 正面から聞いても口は開くまいと悟った佐山は懸念を一度しまいこみ、話題を変える。

「……しかし呪いとは、また非科学的な話だ。Ex-Gは私が思っている以上にファンシーな世界のようだね」
「ファンシーではありますが……メルヘンではありませんのよ? 童話のように最後に救いがあると思ったら大間違いですわ」

 意地悪い笑みを浮かべて言う紫に、同じく底の見えぬ笑みで佐山は返し、

「救いとは待つ物では無い。自らの力で勝ち取る物だよ八雲君」
「……知ったような口を叩きますのね」
「知っている者が知らぬ人に教えた事であり……そうして知った人がまた知らぬ者に教えていく事でもある。
 ……世の中はギブアンドテイクで成り立つと言う素晴らしいサイクルだとは思わないかね?」
「貴方が他人に教授する姿が、想像出来ませんわ」
「当然だ。私は神だよ八雲君? 人間用の物差しなどではとてもとても測り切れぬ存在だ。およそ一光年程私が上回っている」
「……それはもう尺度からして違いますわねぇ……」

 紫が呆れ顔で嘆息し、



「――だが、そんな貴方を『量る』権限と力を持つ者が、この幻想郷に一人だけ存在する」



 知る者が知らざる者に教授するような口調で、そう言った。

「……何?」
「正確には幻想郷自体には存在していませんが……幻想郷に身を置く者は例外無く、彼女の目からは逃れられません」

 紫は事実をそのまま告げるようにして淡々と言葉を作っていく。
『彼女』と言った言葉からその人物が女性であると言う情報を得た佐山だったが、それ以外の所の言葉の真意を掴み取れずにいた。

「私の……何を量る、と?」
「罪」

 紫が佐山の問いに、その一言をもって返答として押し黙る。
 互いの間に沈黙が生まれ討議に膠着が生まれるが、両者の表情が語る意思には明確な差があった。

 紫は沈黙の中に、識者としての余裕を持ち、
 佐山は沈黙の中に、懸念から来る疑惑を持つ。

 議論の場において、手持ちの情報量は多ければ多いほど良い事は佐山もよく知る所ではあった。
 同時に、情報量の底を相手に看破される事はアドバンテージを失う事も知っている。

 佐山は未だ底の掴めぬ紫と立場を対等にするべく、質疑を踏まえて情報を引き出そうと口を開くが、


「……情報が欲しいと、そう言う顔をしていますわね」


 先に言葉を発したのは、紫であった。
 
 佐山は喉まで出かかっていた言葉を飲み込み、先に言った紫に応答するべく切り替える。

「欲しいと言えば、いただけるのかね?」
「救いは自らの力で勝ち取る物、なのでしょう?」
「ギブアンドテイクと、そうとも言ったはずだよ。いただけるのであれば、こちらもいずれ利子をつけて借りを返そう」
「信用出来ませんわねぇ」
「私は神、君は妖怪。……どちらも常識の物差しで測るのは無意味な存在だ。信頼など端から無理だよ……お互いに、ね」

「信頼出来ぬ者が……同じく信頼出来ぬ者の世界を救う、と?」
「約束は守るとも。私は私のやり方でこのEx-Gを救うと言ったはずだ。
 全竜交渉部隊や他面々が、それぞれが各々勝手に衝突して勝手に理解して勝手に助けるので、その結果を吟味した上で勝手に私達を信頼したまえよ」

 佐山は途切れぬように言葉を作り、紫と会話を続けていく。
 佐山自身の言葉を紫がどう受け止めようと、今は関係無かった。
 本心と捕らえようが虚言と一蹴しようが構わない。
 
 重要なのは、紫が佐山の言葉に返答を作る事だ。

 返答を返すという事は、即ちどんな感情であれ紫は佐山に対し興味を抱いていると言う事であり、
 飽きさせなければ必ず、こちらに対し何らかのアプローチをかけてくるはずと佐山は踏んでいた。

(八雲君が何かを隠している事は明白。
 
 人形を踊らすのは簡単だが……ゼンマイを巻かなければ、人形は動かんぞ)

 自らを人形に見立てた佐山は微笑を浮かべる紫を黙って見据え、返答を待つ。
 時が止まったかのような二人の会話には、月の光も、花の色も、川の水音すらも、その存在を潜めて様子を伺っているようだった。

「……」
 
 未だ口を開かない紫を、視線だけは外さないようにして佐山は無言で対峙する。

 そのまま、五秒。
 十秒。
 
 二十秒経過した時、街道に立つ佐山の皮膚感覚を叩くある事象が生じた。


(――雨?)

 
 天空からの落下を経て佐山に触れたそれは、雨粒だった。
 
 低温の水滴が鼻先濡らすと同時に、止まっていた時が動き出す。


「……よろしい」

 
 雨粒に気を取られていたその瞬間に生まれたその言葉を聞いて、佐山は意識を視界の中央にいる紫に戻す。
 刹那の間意識から外れていた紫は、いつの間にか畳んでいた傘を再度頭上に展開しながら、不穏な笑みを浮かべていた。
 
「佐山・御言。貴方は情報を得る媒体として、どのようなものを望みますか?」
「……何を……?」

 紫の言動に対し疑問を投げかけた佐山だったが、
 現在、この空間に起きている事象についても同様かそれ以上の疑問を持っていた。

 佐山の身に降ってきた雨粒が一瞬の加速でその数を無数に増やして降り注ぐと同時に、空間に『あるもの』が生まれた。

 
 風だ。

 
 今まで無風に等しかったその場に突如として吹き始めた風は雨脚とリンクするようにしてその強さを増し、佐山と紫を中心に吹き荒れる。
 
「この幻想郷には貴方の世界にあるような高度な情報技術は存在しない……が、」

 雨を含んだ風が花を揺らし、川面を揺らし、紫の持つ傘を揺らす。
 その傘では横殴りとも言える風に乗る雨を完全には防げてはいなかったが、特に気にした様子も無く、紫は言葉を続ける。
 
 佐山は突如として起こったこの気象を、紫の気質である天気雨かとも一瞬思ったがすぐに自身の内で否定する。
 昼間に紫が佐山に見せたそれとは明らかに違う、異様な雨である事を佐山はEx-Gを覆う気質の概念を通じて本能で理解していた。

 佐山が理解を得たその瞬間。
 言葉を区切る紫の追言を待つ佐山を、一際強い向かい風が襲った。

 スーツを濡らしていた雨が弾丸となって佐山の顔を襲い、反射的に佐山は両腕を顔の前に合わせて防御姿勢を取る。
 
 佐山の視界が自身のスーツの生地で覆われた、その時だった。



「貴方が望んでようと望んでまいとやってくる、幻想郷唯一の紙面媒体としての情報が……貴方の進む道を指し示すでしょう」



 聞こえた言葉と同時に、佐山は腕の防御を解いて前を向くと、
 

 
 佐山と紫の中間地点に、一人の女性が立っていた。



 紫よりも幼く見えるその少女は、短い黒髪に赤い帽子を乗せ、満面の笑みでこちらを見ていた。
 風と雨の妨害を受けたとはいえ、気配無く現れたその少女に対して佐山の目が惹かれたのはしかし髪でも顔でも無く、

 山伏のような白い服に黒のスカートと言うその衣装と、
 少女の背中から生える、烏のように黒い巨大な一対の翼だった。



「――毎度おなじみ射命丸です。本日は『文々。新聞』の号外を持って参りました」



 射命丸と言うのが少女の名前であると佐山が理解するまでに数秒を必要とし、
 その数秒で少女は下駄の音を響かせて佐山に詰め寄り、一瞬の動きで佐山の手に紙束をねじ込んできた。

 佐山の知覚が追いつかぬ速度で動く射命丸と名乗った少女は、既に佐山から離れ、

「ささ、紫さんもどーぞ」
「ありがとう、文。……でも気質は抑えなさいな。これじゃ新聞が読めないわ」
「あやや、これは失礼を」

 文と呼ばれた少女が紫に一礼をすると、一帯に生まれていた風雨が高速に規模を縮小していき、やがて収まった。
 一時の異常気象が嘘のように霧散するが、咲き誇る花々に付着した水滴が月光の反射をもって作る輝きが現実の物であった事を証明していた。

 佐山はオールバックの髪型を手櫛で直し、

「色々言いたい事はあるが……誰かね君は」
「色々取材したい気持ちはありますが……まずは記事をどーぞ。情報にも鮮度がありますので、撮れたてを産地直送でお届けです」

 営業用と一目でわかる笑みを絶やさず言う文に佐山はそれ以上の言を抑え、言われた通りに手に持たされた新聞を見た。


『文々。新聞』と銘打たれたそれは、佐山がよく知る普通の新聞だった。
 雨で湿ったわら半紙に書かれる文字は不思議と滲んでおらず、大きめの写真を添えて一面に号外の見出しで記事が載っていた。
 
 佐山はその見出しの言葉と、写真を視界に収め、意味を理解し、



「……何……!?」


 
 驚愕の二文字を体言し、その動きを止めた。


 
 記事に添えつけられたモノクロの写真に写るのは、佐山が知らぬ一人の少女と、佐山の知る三人の男女の顔。
 
 知った顔の三人は、色のわからぬ一種類の花が一面に咲き誇っているその地に、その足先を不鮮明にぼやけさせながら低空に浮いていた。
 
 知らない顔の少女にはピントが合っておらずその姿が見て取れなかったが、



「……『楽園の最高裁判長、異世界からの来訪者に電撃裁判を開始。
    
    その者達の名はブレンヒルト・シルト。ジークフリート・ゾーンブルグ。……』」

 
 佐山は見出しの一文をそのまま声に出して読み、





「『……新庄・運切。』!?」




 最後に書かれたその人物の名を、口にした。






[26265] 第十九章「花畑の管理人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/03/30 05:53
「文の新聞の記事に書いてある通り……貴方がお探しの新庄氏は今、ある場所で裁判を受ける立場に立たされていますわ」

 文の差し出した『文々。新聞』の一面を掌で軽く叩きながら、紫は佐山にそう告げる。
 
「書いた私が言うのもなんですけど……あの人のアレを裁判と呼べるのか、疑問が残る所ではありますけどねぇ」
「……そうね。彼女が行うのは一方的な罪状の通達と一方的な説法と……一方的な判決だけ。
 全てが彼女から相対者へと単一のベクトルを経て与えられる過程と結果に、控訴や上告を挟む余地などは微塵たりとも存在しない」

 文の言葉に続いた紫はそこで一度口を閉ざし、佐山を見る。
 
 佐山は先程、新聞の見出しを口にした後から大きな動きを見せてはいなかった。
 ただ静かに目を見開き、一面記事に添えつけられたモノクロの写真を食い入るようにして見つめている。
 新聞を持つ手はかすかに震えており、時が経つにつれて佐山の目と紙面との距離がゆっくりと、しかし確実に狭まっていった。

 文と紫が無言で視界に映す佐山のその姿は、二人に対して全く同じ印象を与えていた。

(明らかに動揺していますわね)

 紫は口には出さずに心中で、佐山のその姿を評価する。
 良い意味でも悪い意味でも、ここまで一切自分のペースを崩さなかった佐山が棒立ちで紙面を眺める姿を見て、
 紫は自らの仕掛けたアプローチから生まれた結果に軽い驚きを得た。


(……ここまで明確に態度が変わるとは。
 新庄・運切はこの男にとってアキレスの踵となりうるか。……それとも……)



「……この写真を撮影したのは……射命丸君かね?」



 紫が思案を巡らせていると、それまで黙っていた佐山がふいに言葉を発した。
 一切の予備動作無く作られた言葉に紫はおろか、事態を観察していた文までもが、

「え? あ、はい。そうですが……」

 若干の狼狽をもって返答を返す。

 佐山の前に新庄の存在を吊り下げた事に対する言及を、佐山は紫では無く文に対して先行した。
 食って掛かるならまず自分だろうと踏んでいた紫はその事に疑問を持ったが、
 当の佐山は紫を無視し、言葉を発するやいなや皺の付いた新聞を片手に、大股で歩いて文に近づく。

 数歩で己の眼前まで詰め寄った佐山に、文は首を上に向けて視線を合わせる。
 身長差から生まれる高低と、佐山本人から生まれる謎の重圧に文は気圧されながらも、

「な、なんでしょうか? 私の記事に何か、ご不満な点でも……?」

 営業スマイルを欠かさずに、眼前の佐山に聞いた。

「……まず聞くが、この記事に虚構は無いね?」
「ええ、事実です。私がちゃんと現地まで赴いて撮影したその写真も含めて、嘘偽りはありません」
 
 返答を質問をもって返してきた佐山に、文は真実のみを告げた。

 
 射命丸文は、幻想郷の天狗である。
 その天狗の一部が作成する新聞は製作者の数だけ種類が存在するが、どれも製作者の持つ性格が色濃く出る物であった。
 
 文の作る『文々。新聞』が持つ最大の特徴は、写真を付ける事である。
 単純な文章だけでは表現しきれない真実が持つ説得力があるとして、新聞の中でも一際異彩を放ちながらも異才があるとして人気を博していた。


「つまり、この写真は射命丸君が撮影したもので間違いないのだね」 

 そんな『文々。新聞』の特徴たる写真を佐山は指差しながら、文に確認を取った。
 不思議なプレッシャーを纏いながら問う佐山に、文が無言でコクコクと頷くと、

「……そうか……」

 佐山は呟き、大げさにかぶりを振って首を下に向け、



 瞬速と言える速度で己の手を動かして、虚空に浮く文の手を強く握った。



「………………へ?」



 突然の握手に事態が掴めず、素の声を出す文だったが、



「――素晴らしい!! これは見事な手腕と評価せざるを得ないよ射命丸君……職人芸だね!?
 新庄君のガードの固さは私もよく知る所ではあるが、これ程まで至近距離かつローアングルからの一枚を苦も無く収めるとは!!
 隠し撮りにおける被写体の条件として『視線がカメラに向かっていない』があるのだが、これは完璧だ。
 見たまえよこの新庄君の危機迫る表情を……嬉々迫るものがあるだろう!?
 今時珍しい白黒写真と言うのも評価が高い。新庄君の肌の色とか、爪の健康状態とか、色々想像力をシェイクされるね。
 
 ……ともかく素晴らしい一枚をありがとう。この一面は然るべき加工を加えた後に日々の日課に活用させてもらうとしよう。
 
 ああ、目を閉じ……やがて開ければ、そこに新庄君がいるような感覚だ。こうして、こうして、こうすると…………ああ、ああ!!」



「えっ? ……ちょっ、待っ、止め……ああー!?」
「な、何をやっているんですか貴方は!?」



 
 恍惚の表情を浮かべて身体をくねらせながら文に襲い掛かる佐山に、必死な文と困惑の紫がそれぞれ相応の言葉と一緒に静止をかけた。

---

「失礼。私とした事が取り乱してしまった。すまなかったね射命丸君」
「………………いえ、別に」

 佐山の抱擁から脱出した文は初期位置から三歩ほど身を引きながら、咳払いをして謝罪する佐山に引きつった営業スマイルで返答を返した。
 新聞の皺を伸ばして小さく畳んでスーツの内ポケットに仕舞う佐山を、紫は信じられないと言った表情で眺めていた。

「む? どうしたのかね八雲君……そんな狐につままれたような顔をして」
「どうしたのか じゃありません!!
 あ、貴方……新庄氏が心配なのでは無いのですか!?」

 平然と聞いてくる佐山に、紫は語気を高めて問いただす。
 が、佐山は特に気にした様子も無くいつもの調子で、

「心配だとも。新庄君の安否を思うと胸が張り裂けそうな気持ちでいっぱいだよ。
 だが、窮地に立たされた新庄君が当社比三割増しで美しい事とは別の話だ。故に、片方ずつ処理していったまでだよ」
「……当社、比……?」
「知らないのかね? ㈱新庄君への AIが止まらない コーポレーション。略してS.A.Cだよ。
 社員は私一人の完全スタンドアローン企業だが、そこにはコンプレックスなど一切無い。ついでに言うと面接の予定も無い。残念な事だが……」
「な、何を勝手に人を哀れんでますの!? しかも㈱って何ですか!!」
「今の所100%を私が保有しているので必然的に私が筆頭株主だ。新庄君にはいくら投資しても惜しくは無い……私の世界の、有望株だからね」

 虚偽の年が一切感じられない瞳で言い切る佐山に、紫も己の身体を三歩引かせながら、

「……貴方の新庄氏に対する愛は、とてもよくわかりました」
「それは何より。……では、もう一つの懸念事項を処理するとしようか」

 佐山は緩んだネクタイを締めなおし、
 
 花が見守る月下の空間。その全体に響かせる様にして、聞いた。



「新庄君の所へ案内したまえ」

「……お断りしますわ」



――問われ、しかし否定を返す紫の表情には、
 いつの間にか、真意の底が見えぬ微笑が戻っていた。

---

「……断る、だと?」
「ええ。貴方を今、新庄氏と会わせる事は出来ません」
「何故かね?」
「新庄氏が現在直面している状況を含めて……彼女自身が相対し、解決へと導く物語だからです。……貴方の出る幕では、無い」

 紫は最後の言葉を強調し、事態に介入しようとする佐山の前に拒絶の壁を作り出した。
 かつて一度行った問答の再現ともなったその展開に、しかし佐山は言を続ける。

「新庄君の動向を、指を咥えて見てろと言うか」
「事態に対して吠えるのも、彼女を信頼するのも貴方の勝手です。
 どうしてもと言うなら写真の場所を目指して当ても無く迷走するのもまた、勝手ですが……無駄ですから、止めておきなさい」
「……それは忠告か?」
「警告ですわ。写真の場所はとてもとても近く……しかし、とてもとても遠い所。何も知らない貴方が目指すには荷が重過ぎる」

 紫の『警告』を耳に入れ、佐山は一度口を噤む。
 だが一瞬の間を置くだけで、佐山は次に言うべき言葉をあらかじめ用意していたかのようにして口にする。

「八雲君は、あの場所に行こうと思えば行けるのかね?」
「……私なら、可能ですわ」

「そう、君なら可能だろうね。……そしてそれは、射命丸君にも出来る事だ」

 言って、佐山は視線を文に向ける。
 自前の手帳に高速の動きで文字を書き連ねていた文は佐山に呼ばれると顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

「ええ、私も行けますよ。でなきゃ号外なんて作れません」

「そう。射命丸君はあの場所に行き、写真を入手し、私に見せた。
 つまりその場所は一方通行では無く、私が今立っているこの場所と相互に何らかの形で繋がっていると言う事だ」

 淡々と論じる佐山に、文は今まで一心不乱に向かっていた顔を手帳から佐山へと固定する。
 手は相変わらずの動きで文字を作り出しているが、視線の持つ興味が議論の場へと向けられていた。

「私は辿り付く事すら出来ず、しかし君達は自由に行き来する事が出来る……この違いは何だろうね?
 例えば新庄君がいる場所へと向かう道程の途中に聳え立つ壁を打ち崩す為の、一定以上の力が必要だと言う仮説はどうだろうか?」

 佐山は紫では無く、文に聞いた。

「私如きが往来出来る場所ですから、それ程力を望む必要も無いとは思いますがねぇ」

「……射命丸君が現れた際に巻き起こった風は八雲君の天気雨と同じ、気質の持つ概念だ。……だがあの時、概念空間は展開してはいなかった。
 自らの気質を空間展開しない程度に抑え、コントロール出来る事自体が、一定以上の……いや、このEx-Gでも上位の存在だと言う証だと言う仮説は……どうかね?」

 佐山は文を真っ直ぐに見つめながら己の仮説を披露した。
 自らを強者と呼ぶその仮説を聞き、文は手帳に走らせる筆の動きを停止させた。

「私の仮説が正しく、写真の場所への往来の難易度が個人の力量に左右されるとしたら……紫君の警告の意味もわかるという物だ」

 言葉と共に顔を紫に向け直して言う佐山に、紫は思う。



(この男……新庄・運切への道のチケットを賭けて、手持ちのカードで私に勝負を挑んできた!!)



「どうだろう。識者である八雲君に採点を頂きたいのだが……私の仮説は、間違っているかね?」

 悠然と聞く佐山に対し、紫は心中を悟らせまいとしながら言葉を作るが、

「……ええ、確かに。知識とそれに見合う力を備えていれば……その場所の持つ危険性も、いくらか緩和出来る事でしょう」
「その言葉、裏を返せば新庄君が危険と言う事になるのだがね。私も新庄君も、君達から見れば個人の力量としてはそう変わらん」
「貴方には私がついていますし、新庄氏が心配でしたら……そうですね、文を新庄氏の護衛に向かわせましょう。
 彼女の力は貴方の仮説に則るなら私と同帯域ですし。それで安心してくださらない?」

「確かに八雲君も射命丸君も強い。君達がそれぞれ私と新庄君に付いていれば、例え相対の結果がどうであれ最悪の事態は回避出来るかもしれん。
 
 ――が」

「……が?」



「そこに、愛は無いね?」



 佐山の言葉を聞いて、紫はその思考を完全に停止させた。

「? どうしたのかね八雲君、口が半開きだよ?」

 怪訝な顔で覗いてくる佐山だったが、ふざけてる様子は一切無い。
 紫は何とか平静を保ちながら、いきなりな事を言い出した佐山の真意を確かめるべく口を開く。

「いえ、その、ええと……愛?」
「そう、愛だとも。……先程、八雲君はこう言ったはずだ。
 『貴方の新庄氏へ対する愛は、とてもよくわかりました』と。……あの言葉は嘘かね?」
「あれは……」
「愛と言う言葉が気に入らないのなら、絆、友情、……信頼とでも好きに置き換えてくれればいい」

 佐山はいいかね? と前置きをして、

「私は君達に、新庄君への護衛や救出を求めている訳では無いのだよ。
 新庄君が置かれている状況が世界の理解を得る為の相対の場だと言うのならば、私は何も言わん。それは新庄君が解決するべき事だ。
 
 だが……新庄君はああ見えて寂しがり屋でね。交渉中だろうがなんだろうが、私の抱擁を無意識に求めてしまう難病を患っている。治す必要は全く無いのだが」

(……それは貴方の事では?)

 口には出さず、紫は思った。
 佐山は半目で見てくる紫の視線を意にも介さず、続ける。

「新庄君が顔を上気させて身体を不自然にくねらせているその時、私がいち早く気づき然るべき療法を処置するとだ、
 新庄君は元気百倍となって完全回復し、相対を十全の結果をもって終わらせる事が出来るのだよ」
「…………」
「八雲君は私が出る幕では無いとも言ったが……とんでもない勘違いだ。
 今、私が行かなくて一体誰が行くというのかね?」

 佐山はそこで言葉を区切り、



「今一度聞こう。
 想い人を裁こうとする幻想世界の法廷に、私と言う傍聴者を案内しては貰えないだろうか」
 


 声のトーンを上げて、花々が見守る空間へと問うた。

 答えはすぐには生まれず、辺りが数秒、静寂に包まれる。
 
 そして、



「わかりました」

 

 紫が了承の意を口にすると同時、
 己の横の空間に縦になぞり、佐山の体格に合わせた大きさのスキマを作り出した。

「スキマで、新庄氏の下へと繋がる連絡通路を作りました。
 貴方がここを通れば望み通り、新庄氏と対面する事が出来るでしょう。……ただし」

 紫はそこで目を伏せ、

「その場合、私は同行しません。勝手に行って……勝手に帰ってきなさいな。
 私の警告を聞き入れずしての行動なのですから、それくらいのリスクは背負っていただきます」

 突き放すように佐山に告げた。

 佐山は道を用意した紫の行動を見据え、しかし動かない。

「身の危険を押してまで届けようとする貴方の覚悟……私に見せて御覧なさいな」

 目を伏せた紫の代わりに佐山を見るのは、スキマの奥に蠢く無数の眼球。
 視線に込めた誘いの意思を受け、佐山はその身体に動きを見せる。

 
 
 己の身体の前方に直線状に伸びる、スキマを通して繋がれた新庄への道を踏みしめた佐山は、



「――私を試すか、八雲紫」




 半身をズラして己をスキマへ続く道の軸から外し、その身体を真後ろの花畑へと向けた。

---

「……何故……」

 自ら用意した想い人へと続く扉に、しかし背を向け拒絶の意思を示す佐山の背中を、紫は伏せていた目を開けて見た。

「そのスキマに入れば私は新庄君と会う事が出来るだろう。……しかしそれは、答えが合っているだけの不完全な回答だ。
 問いへの解法過程が根本的に間違っている場合、そこには理解など微塵も存在しない」

 佐山は答え、背を向けた紫に見せるようにして後ろ手に持っていたあるものを展開した。

 それは、文が佐山に手渡した『文々。新聞』の一面。

「八雲君は、この新聞が私の進むべき道を指し示すと言った。
 そしてこの新聞に添えつけられている写真だが……花が、咲いているね?」

 写真に写る新庄達の足下には、色の無い、単一種類の花が一帯を覆い隠すように群生している。

「色が無いのは当然、写真がモノクロだからだが……例え色が無かったとしても、こんな特徴的な花弁を持つ花は二つとして存在せん」
「……それは……」

「そう、写真に写るこの花は……彼岸花だよ」

「……彼岸花が、どうかしたのですか?
 毒性があると言うだけで、別段珍しい花でも無いと思うのですが」
 
 佐山の言葉に疑問を投げかけたのは、文だ。
 しかし佐山は予測していたとばかりに即答を披露した。

「そう、別に珍しい花ではない。写真のような群生はそうそう見られるものではないが……彼岸花それ自体は極普通の、ありふれた花だ」 

 そう言った佐山は、眼前に展開されている彩色兼備の無数の種類の花が咲く花畑を見渡して、



「……その彼岸花が、この花畑には一本たりとも存在していない。
 これだけ四季折々の花が咲く異常な空間に、彼岸花が姿を見せない……その理由は何か?」



「唯の……偶然では?」

 佐山の言葉に、文はきょろきょろと花畑に目を飛ばしながら言った。
 言われて気づき彼岸花の姿を探しているようだったが、目に留まっている様子は無かった。

「赤を基調とした彼岸花はとても美しく、それが故に別名として様々な異名を持つ。
 そのほとんどに共通するのが……魂を誘い、かどわかす魔性の魅力を持つ花としての意なのだよ」

 佐山はそこで言葉を切り、文では無く紫へと言葉を飛ばす。

「八雲君は、この花畑は妖怪の手によって作られた物だと言った。
 ……その妖怪の真意は定かではないが、不特定多数に対する罠として作られたものだとしたら、狙いはどうであれ彼岸花を咲かせない理由は、無い」



「……ならばその妖怪が、あえて彼岸花を『咲かせなかった』理由は、何か?」



 問う紫の声は、佐山のすぐ横で生まれた。

 新庄へと続くスキマを消し、佐山の傍へとその能力で無音の瞬間移動を行った紫が、佐山に聞く。

 突然の出現にしかし驚くそぶりも見せず、佐山は新聞の再び内ポケットにしまって薄く笑い、



「あるべき花が存在しない……その違和感に気づく事が私に向けられたメッセージだった。
 私は、新庄君の下へと案内してくれと二度聞いた。
 そしてその言葉は、まやかしの道を私に作った八雲君『だけに』放った訳では無い。

 ……この花畑の主を含む、二人に聞いたのだよ」



 言って、



「――答えを頂こうか、花畑の管理者よ」

 佐山はその足を前に出し、花畑の土を踏む。



――その瞬間、



「……!!」 

 

 周辺一帯に咲く全ての花々が、その花弁を眼球として、一斉の動きをもって佐山を『視た』。

 

 葉のこすれる音を響かせ、花畑の侵入者たる佐山を花々が捉えるその異様な光景に、佐山は内心で息を呑む。
 紫と文が見守る中、佐山はゆっくりと足を動かし、一歩づつ静かに花畑を進んでいく。
 歩みを作るたびに全ての花々が顔を動かし、前へと進む佐山を逃すまいと視界に収め続ける。

 佐山が土を踏みしめ、十歩目を数えた
 
 その時だった。



「――ストップ」



 佐山の耳に聞きなれる女性の声が響くと同時、
 眼前の空間に、無数の色を持つ花弁が作り出す竜巻が巻き起こった。

 花びらの壁を伴って局地的に発生した竜巻は、豪風の中に花の匂いを混ぜて佐山の視界を強引に奪う。

 香りに嗅覚を、
 風に視覚を遮られた佐山だったが、程なくして風が収まり、佐山は閉じていた目をゆっくりと開く。

 


 竜巻が起こっていたその空間に咲いていた花々は、しかし死んではいなかった。
 原型を保ったままその身を茎から折れ下げて、低頭するようにして謁見の姿勢を保ち、円形の空間を作成している。

 

 そしてその空間に、日傘を差す一人の女性が優雅に佇んでいた。



 彼岸花の如く赤いベストとスカートに白いシャツで身を包んだ、その女性は、



「初めまして、全竜交渉の担い手よ。
 
 ……私の名前は風見幽香。
 
 彼岸に行きたいのは、あなた?」


 
 優しい口調で自己紹介すると同時に、暴力的な殺意を込めた視線で佐山を見た。



 佐山はその女性――幽香の持つ明確な敵意に背筋を凍らすと同時、
 幽香の持つ、『あるもの』の存在を視界に収め、二重の意味で驚愕した。

 

 幽香の持つ日傘とは逆の手。
 
 幽香の右腕に抱えられるようにして収まっていた、それは、



『――さやま!!』

「……!? 何故、君がここに!?」



 細長い緑色の身体を幽香に預けながら佐山を見て歓喜の声を上げるそれは、
 
 4th-Gの世界を支える動化植物、草の獣だった。





[26265] 第二十章「花罠の仕掛人」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/03 11:29
 紫と文と、周囲の花々が見守る中、佐山と幽香は無言で視線を合わせ、対峙する。

 佐山は無言の中に、いくらかの戸惑いを見せながら。
 幽香は無言の中に、不敵な笑みを魅せながら。

「どうしたのかしら? ……呼ばれたから、出てきてあげたのだけれど」
「……まずは私の前に姿を現していただけた事について、礼を言おう」

 笑みの分だけ余裕を得ていた幽香が生まれた静寂を壊し、小首をかしげて佐山に聞いた。
 聞かれた佐山は自身に生まれた戸惑いを脇に置き、幽香に会釈を送る。

 だが、幽香はそんな佐山の態度を見るやいなや、クスクスと声に出して笑いを作り、

「この子、貴方のお知り合い? 可愛くて賢い子ね」

 佐山の持つ疑惑の当事者でもある、幽香の腕に抱えられて収まる草の獣の頭を撫でる。

「……色々と聞きたい事があるが、なぜ君が草の獣と行動を共にしているのかね?」
「私の名前は風見幽香。……一度で覚えなさいな。殺すわよ?」

 言葉の後半部に隠さぬ殺意を込めて、幽香は佐山を睨んだ。

「失礼した。……風見君でよろしいかな?」
「はい、よろしい」

 佐山が名前を呼ぶと幽香はまた元のにこにこ顔に戻り、持っていた傘の柄をくるくると回す。
 その動きに追従して周囲にやわらかな風が通り、花の匂いを伴った柔らかな空気が一帯を包み込む。

『いいにおい。いいかんじ』 

 その穏やかな匂いに、草の獣は落ち着いた面持ちで幽香の胸に顔を埋め、



(……隠し通す気をまるで持たない、明確な好意と殺意を瞬時に切り替えてくるな。
 気分屋……対象の存在意義を自分にとっての価値観のみで判断している、のか?)



 佐山は緊張を解かず、目の前の妖怪、風見幽香の危険性を心中で改めた。

 幽香の思考を『周囲の事象に対し『自分にとってどうであるか』が判断の全て』とする仮説を立てた佐山は、
 新庄の下へと続く扉の管理人を紫から幽香へとシフトした事について、

「正解ではあったが……いささか、攻略の難易度が跳ね上がったようではあるね」
「あら、何のお話?」
「こちらの話だ。……無論、風見君にも大いに関係のある話でもある」

 そう口に出し、幽香の興味を引いた。

「改めて礼を……私の前へと降り立っていただき感謝する、花畑の管理人よ」
「意味も無く花畑を踏み荒らす侵入者は種別問わず挽き潰して肥料にするのだけれど……貴方は、どうなのかしら?」
「……私の名前は佐山・御言。全竜交渉を受け継いだLOW-Gの交渉役だ」

 佐山は自らの役割を名乗り、それを聞く幽香の反応を待つ。が、

「知ってるわ。幻想郷を救う為にやってきたのでしょう? そして貴方は今、目指すべき場所へ行く手段を捜し求めている」
「……やはり姿は現さずとも、私の事を観察していたのだな」
「この子と一緒に楽しく見せて貰ったわ。……紫のスキマに入っちゃえば良かったのに」

 幽香はそう言って傘を閉じてその先を地に突き立ててその手を離し、身体を一歩、前に出した。
 右足が地を踏み抜く瞬間、そこに咲いていた花達は己の茎を自ら折って花弁を倒し、幽香の足裏が乗るスペースを作る。
 対して、右足が離れた地面で身を伏せていた花はその行為の逆再生をゆっくりと行い、離れていった幽香を惜しむようにして後ろから見つめていた。

「……仮に私が八雲君の道を選んでいたとしたら、どうしていたかね?」
「別にどうもしないわ。ただ、貴方と私が出会う機会が永遠に訪れなかっただけ……。それは嬉しい事かしら? それとも悲しい事かしら?」
『かざみ あったかい かざみ いいにおい さやまも うれしい』
「あら有難う。でも他人行儀は良くないわ。私の名前は風見幽香よ?」
『……かざみ? かざみ あってる でも かざみ ちがう?』
「ゆ・う・か」
『……ゆうか!! かざみ ゆうか!!』
「Tes. 良い子ね」
 
 我が子のように草の獣と会話する幽香を見ながら、佐山は咳払いを一つ挟み、


「で、だ。幽香」
「ブチ殺されたいのかしら」
「……なかなかままならないものだね、風見君」

 
 微笑みながら言う幽香の言に率いられるかのようにして、足元の花々がその花弁で威嚇するかの如く佐山の革靴を乱打する。
 
「私はこの出会いに感謝しているよ。私の進むべき道が開けると同時に……友人との再会も果たせたのだから」
『さやま』
「元気そうでなによりだね。4th-Gの担い手よ」

 佐山は草の獣と視線を合わせ、片手を上げて会釈を送った。
 草の獣もその六足の一本を上げて佐山に振り、自分の存在を教えてきた。

「風見君が保護していてくれたのかね?」
「森で妖精に突っつかれていたから助けてあげたのよ」
『さむかったの』

 身体を震わせる草の獣を幽香は宥め、

「そしたら懐かれちゃって。それから一緒にお散歩してたのよ……ね?」
『ゆうか いいひと おはなし いっぱい はなした おはなし いっぱい きいた』
「ふふ。あったかいのね、この子」


 4th-Gの住人である草の獣は、周囲の生物が発する余剰加熱を吸い取る事を能力とする生物であった。
 他者の疲労を吸収して酸素として吐き出すその能力は、数ある世界の持つ力の中でも稀有な『癒し』の力を司っていた。


「とっても身体が軽かったから、ついつい遠くまで出掛けちゃったわ。おかげで日が暮れちゃったけれど」
「草の獣にとっても、Ex-Gを知る良い機会となっただろう。……後で私にも聞かせて欲しいものだね」
『さやま しりたい? なにを? おはなし おはなし!!』
「そうだね……差しあたって、なのだが」

 佐山はそこで言葉を切り、



「君が私の知らぬ間に行動を共にした風見幽香は、君が信頼するに足る人物だったかね?」



 幽香を見据えて、草の獣に問うた。

---

『ゆうか?』
「そう。君が思う風見君に対しての話を、私に聞かせてはくれないだろうか」

 佐山は聞く。答えるのは、

「……私の事が知りたいのなら、私に直接聞くべきじゃないのかしら?」

 幽香だ。
 だが佐山は笑いながら、

「もちろん風見君も交えての話だよこれは。嘆願するのは私で、是非を決めるのが君だ。
 私より君をよく知る私の友人と、その話を聞いて私の双方が君との信頼を確かな物にしたのならば……私は聞こう。

 私を、新庄君の待つ彼岸花の下へと運んでくれ、とね」
「貴方とこの子が私を信頼するのは勝手。……だったら、私が貴方を信頼するのも殺すのも勝手、よねぇ?」
「その通りだとも。私を信頼してくれるのならば道をつけてくれればいい。
 そうでなければ持てる力を奮ってきたまえ。拳を通じて分かり合う事もあるからね」

 佐山は己と幽香、そして草の獣の三者の間で交渉の場を作り上げた。

 佐山と幽香の間に接点を作る鍵となるのは、両者の間に繋がりを持つ草の獣であると佐山は考え、

「Ex-Gに赴き風見君と出会って、何か思う事はあったかね?」
『おもうこと?』
「君は今、どんな感じかね?」
『いいかんじ』
「具体的には?」

 草の獣は佐山を見、幽香を見、もう一度佐山を見て、



『ふかふか』

 
 
 幽香の腕に抱えられながら、その顔を胸の間に埋められている己の感情を、そのまま佐山に告げた。

「ありゃー……これはまた、珍しいもの撮れちゃいましたねぇ」

 佐山の後ろでは、紫が笑いを堪えながら肩を震わせており、
 いつの間にか手巻き式のカメラを手にした文が、せかせかとフィルムを回しながら呟いていた。

 文が珍しいと表現した幽香の表情は笑顔のままぎしりと凍らせているが、ほのかに頬が紅い。

「…………いや、そう言う事ではなくてだね」
『ちがう? ふかふか なのに ふかふかじゃ ないの? あったかくてふかふか? あってる?』
「わかった、質問の仕方を変えよう。……すまないね風見君。何分、意思の疎通が難しい種族なのだよ」

 幽香の顔から上がる上気を吸収した草の獣が、気持ち良さそうに身体を震わせる。
 握り拳を作って張り付いた笑顔のままこちらを見ている幽香に佐山は謝罪をし、聞き方を変えた。

「風見君に対して『いいかんじ』と取った理由は、今の事以外に何があったかね?」
『ゆうか 助けてくれた ゆうか いいひと』

 妖精を追い払った一件に対してだろうと、佐山は思う。

「他には?」
『ゆうか おはなし してくれた』
「何の話だったのかね」
『きしつ のうりょく すぺるかーど おやしき やま ふね じしん たいよう そら まほう』

 単語の羅列が続く草の獣の話を聞き、佐山は怪訝な顔をする。
 幽香は草の獣の言葉を黙って聞きながら、佐山を見据えてうっすらと笑みを浮かべていた。

『それと』
「それと?」

『さいばん』

 草の獣の最後の単語を聞き入れ、佐山は幽香を見る。

「……やはり風見君、君は……」
「百聞は一見にしかず。天狗の新聞よりは正確な情報をお届けするわよ?」

 笑う幽香に佐山は嘆息し、草の獣との会話を続けた。

「後は何か、あったかね?」

 問う佐山に、草の獣は頭上を見上げて幽香の顔を伺った。
 幽香は口元に人差し指を立たせるジェスチャーで返すと、

『やくそく いえない けど ゆうか やくそくした』
「約束?」
『やくそくだから いえない けど ゆうか いいひと』

 佐山はふむ と頷きながら考える。
 
(草の獣は風見幽香と何らかの約束を交わし、信頼を得た、か。
 その約束は果たされたのか……それとも、これから果たすものか……)

「私がこの子に思う所は今更言わなくてもいいかしら?
 4th-Gの事も、貴方の世界の事も、貴方自身の事も……色々聞かせてもらったわ」
「草の獣が話した事は、嘘偽りの無い真実である事と同義だ。今更確認しなくても疑いはせんよ。
 
 ……今、確認すべき事は……君達二人は、お互いの事をどう思っているのかね?」

 佐山は二人に対して聞き、

『ともだち』

 幽香と草の獣は、同時に答えた。

 佐山はその言葉を聞いて満足気に頷き、

「ならば私が異議を唱える事は何も無い。君達の間に友情と言う名の信頼が芽生えた事を祝福させてもらおう」
「あら、ありがとう」
『ともだち!! ゆうか ともだち!!』

 喜び、笑いあう幽香達を見て、佐山は一度間を置き、



「……では次に、私と風見君との交渉を始めようか」

 

---

「単刀直入に聞こう。君は私の事をどう思っているかね?」
「常識と思慮と言動と倫理を脱ぎ捨てた裸の王様って所かしら」

 佐山が聞き、幽香が答える。
 一切の思考時間無く答えたその言葉が『おはなし』の中から導き出されたものだと佐山は直感で感じ取る。

「…………草の獣は、私と言う人物を何か誤解しているようだ」
「この子の言う事は、嘘偽りの無い真実なんでしょう?」
「馬鹿には見えない服なのだよ。大方、出雲辺りが風呂で吹聴したのだろう。草の獣共々、忘れてくれたまえ」

 平然と言い切る佐山に幽香は呆れ顔で微笑みつつも、

「まぁでも、なかなか楽しい英雄譚だったわ。その行動力を霊夢に分けてあげたいくらい」
「草の獣から私の話を聞いたのならば、新庄と言う名がいくらか出てきただろう?」
「いくらか? ……貴方の名前と同じくらい出てきたわよ。耳にタコが出来ちゃったわ」

「その新庄君は、私の大切な人だ。
 そして今、新庄君が私と君と、草の獣の助けを必要としている」

 だがそこは、私の行動力をもってしても辿り着けない、高い壁に覆われた場所であると知った。
 しかしそれは……風見君、君の協力があれば打ち崩せる壁だ」

 佐山は己の胸に拳を当て、



「風見幽香……4th-Gとの理解を得た、世界の意思に通じる者よ。
 どうかこのこの私を、導いて欲しい」



 視線と態度に一切の妥協無く己の気持ちを込め、幽香に願った。

「……どうしよっか?」

 幽香は佐山の言葉を聞き、ややあって草の獣に問いかける。
 草の獣は己の六肢をばたばたと振りながら、

『さやま しんじょう ゆうか みんなともだち
 しんじょう こまる さやまも こまる だから ゆうかも こまる』

 自分の、草の獣と言う存在が持つ思考を全身を使って幽香に伝達する。

『さやまとしんじょう やくそく まもった ゆうかも やくそく まもって』 

 草の獣は幽香を見、佐山を見、もう一度幽香を見て、



『さやまを たすけて』

「……そうね。約束、したものね」



 幽香が優しく微笑み、草の獣を抱きなおして姿勢を正し、佐山に一礼をする。

「私が、彼岸への道をつけましょう」
「――感謝する」

 佐山が同じく一礼をもって返答としようとした、その時、



「……ただし」

 

 幽香がそう付け加え、優しい微笑から含みの持つ笑みへと表情を戻した。

「これから行く所は幻想郷であって幻想郷では無い場所。
 今までや今みたいに……交渉だけでどうこう出来る程甘い場所ではありません」

(……なんだ?)

 幽香が言葉を作るにつれて、次第に辺りを包む雰囲気がその形を変えていく。
 足元の花々がざわめき、身を震わせて、草木という自然が作る鳴動が佐山達を囲む。

「無駄死には御免ですし、足手纏いのお守りなんてしたくない。
 ……だから彼岸へ行く前にちょっと予行練習を兼ねて……私に貴方の力を見せてみなさい」
「……なんの、練習かね?」

 徐々に高まる幽香から生まれた重圧が、佐山を中心にして空から圧し掛かるように降り注ぐ。
 
「これから行くのは彼岸花の咲き乱れる三途の彼岸。
 
 なら、練習メニューなんて決まってるじゃない」



――それは比喩表現では無く、



「ちょっと、死ぬ気で避けてみなさい」



 風を生みながら文字通り宙に浮いた幽香は、佐山の頭上から言葉を投げかけた。

「――文!!」
「ええっ、私もですかぁ!?」

 佐山が何事かと身を構えていると、背後で一部始終をただ見ていた紫と文が佐山の下へと駆け寄りながら叫んだ。

「……そうね。最初だし、貴方達が教えてあげなさい」
「風見幽香、勝手な真似を……!!」

 幽香と紫が睨み合いながら、ゆっくりと場所を移していく。
 同じく身体を宙へと浮かせた紫と幽香が動きを止めたのは、先程幽香が地に突き立てた傘を中心とした花畑の空間だった。

「射命丸君、これは一体……」
「話は後で、やりながら説明します。……いいですか? 痛い目見たくなければ、さっさとコツを掴んでくださいね」

 文はそう言って持っていたカメラを懐にしまうと、代わりにその両手に二つの物を取り出した。
 
 一つは、佐山のよく知る天狗が戯画の中で持つような、鳥の羽で作られた大き目の扇。
 


――もう一つは、



「風符『天狗報即日限』!!」



 文の宣言と同時に手に持ったスペルカードが光を放ち、その力を発揮した。
 光が一度四散すると、向けられた対象である佐山の爪先から脚部全体を包むようにして飛んだ光が再び集まる。
 そして光が収まると、代わりに佐山の足を包んだものは、

「……風?」
「それで一時的にですが空を飛べるはずです。
 私がついていますけど、姿勢制御を第一に考えて……なるべく自分で避けてください」
「避けるだと……?」
「来ますよ!!」

 文と紫が緊迫した表情で見つめる先は、手に持った傘の先端を向け不敵に微笑む幽香の姿。
 その片腕に守られるようにして抱きかかえられた草の獣が、幽香を心配そうに見つめ、

『らんぼう だめ ゆうか さやま ともだち』
「ふふ、違う違う。ほら、さっき貴方にお話したでしょう?」
『……?』



「スペルカードを使って行う『お遊び』って、なーんだ?」

 

 幽香が意地悪く舌を出しながら、草の獣に聞く。
 
 同時に幽香の身体の周囲に色とりどりの花弁が壁のように列を成し、虹色の光を纏う傘の先端の動きに追従する。
 草の獣は幽香の胸に手を乗せてしばらく考え、

 やがて嬉々とした声で、自ら辿り着いた答えをその場にいる全員に公表した。




『――だんまく!!』

「――正解!!」



 幽香は高らかに叫び水平に構えていた傘の柄をいじり、その傘羽を佐山達に向け一気に開く。

 

 直後、澄んだ音を立てて開いた傘の勢いに押されるようにして花々が舞い、

 

 虹色の光を纏う花弁の形をした『弾』が、横殴りの豪雨のようにして佐山達に襲い掛かった。






[26265] 第二十一章「弾幕の修得者」
Name: may◆8184c12d ID:fb444860
Date: 2011/04/05 01:18
「――!!」

 佐山は己の視界を通じて身体に溶け込んでくるかのような虹彩の弾幕に、一瞬の間だけ目を奪われた。
 幽香が放つ狂気を孕む凶器となって襲い掛かる花弁の弾丸に見蕩れ、立ち尽くす佐山だったが、

(……いかん!!)

 渦のような曲線を描いて降り注ぐ弾幕が激突する瞬間、佐山は自らの五感全てが告げる危険信号を頼りに
 魅了されていた意識を己の四肢に戻し、回避行動を取った。

 回避の始動が遅れた為、前方より飛来する花の弾雨をかいくぐるのは不可能と瞬時に判断した佐山は、反射的な動きをもってその身を後方へと投げ出した。
 足を地に強く踏み込みその反動を殺さぬようにして身体に乗せた、強烈な反発力を利用したバックジャンプだ。

 本来ならば身体に相応の荷重が掛かるその行動は入りと戻りに身体を抑制する動作を必要とする為、若干の隙が出来てしまう。
 佐山としても望んだ行為ではなかったが被弾するよりはマシだと判断し、震脚とも言える力を足に込め力任せに跳躍した。

 宙を浮き、やがて着地する際の代償として掛かるであろう、身体への負荷を受け入れるため、佐山は歯を噛み受け入れる体勢を整える、
 
 はずだった、が、



「……これは……」

 

 佐山は地を蹴り、宙に浮き、
 
 
 しかし着地の時を待つ事は無く、佐山は宙に浮き続けた。

 
 文のスペルカードを纏った足が生んだ佐山の跳躍は、離陸の際に爆発的な風を生んで佐山の身体を気流が作る浮力で空へと押し上げた。
 そして佐山が数秒前に踏んでいた地面に、瞬間の時を置いて幽香が放つ花弁の弾が刺さる。
 地に生えた形となった無数の弾は瞬時に爆ぜ割れ、周囲に採光が作る色鮮やかな花を咲かせながらやがて消えた。
 そんな光景を中空から見ていた佐山は、自らの後方へと移動ベクトルを作り続ける風の流れに逆らう様にして、身体に静止の力を掛けた。

 佐山は舞う羽の様に軽い己の身に力を込めて枷をかけ、着地を試みる。
 だが、後方跳躍の動きが鈍ったその身体が踏みしめるたのは、大地では無く空だ。

 
 佐山は今、両足に風を纏って空を飛んでいた。


「飛ぶと言うよりは、まだまだ浮くのがやっと。と言う感じですが……直撃コースを回避したのは褒める所ですわね。
 ……どうですか? 空中の世界は」

 幽香と同じく傘を広げた紫が佐山の右手側に身体を滑らせながら聞く。
 その傘には幽香の放った弾がいくつも突き刺さっていたが、紫が柄を回して傘布を躍らせると傘から剥がれ、掻き消えた。

「感覚としては、厚い綿に足を突っ込んでいるようだね……余計な力を入れてはもがくだけでロクに進めん」

 佐山は空で足を軽く振りながら答える。
 言葉を拾うのは、紫とは逆。
 佐山の左手側に現れた文だった。

「貴方を空へと導いているのは風の力です。推進力は風の流れに身を任せて得るように。とにかく軽い動きを意識してください」

 紫と文に助けられ、佐山は徐々に己の感覚で空と言いフィールドに適応していく。

 だが、


「飲み込みの良さはとても素晴らしいけれど……お喋りの時間は与えないわよ?」

 
 笑いながら言う幽香が言葉と同時に、傘を軽く振る。
 右手側から左手側に。横移動で空間をなぞる様にして傘の石突で描かれた曲線が幽香の前方に半円を描き、

 その軌跡を追うようにして生まれる、隙間無く整列した扇状の花の弾幕が、

「GO!!」

 幽香の号令と共に、佐山達に第二波の弾幕として襲い掛かった。

「何が練習よ……けっこう本気の弾幕じゃない!?」
「勘弁してくださいよ、本当に!!」

 紫と文が言葉を残した頃には、その姿は既に消えていた。
 残響となって両耳に入る二人の声に押されるように、佐山は神経を研ぎ澄ませて弾幕の雨へと立ち向かう。


(まず第一に、この弾一つ一つが致命の威力を持つ一撃。……防御や相殺を狙えるものでは無い)

 
 佐山は姿勢を低くして身構えながら考える。
 弾に込められた幽香の意思が放つ虹色の光の打撃力を試算するが、自身の防御力とはケタが違う事は明白だった。


(第二に、今私がいるのは動きの慣れぬ空中空間。大きな動きで弾幕面積自体から離れる事も、また不可能)

 
 宙に浮く佐山を飲み込むかの如く空を走るそれは、弾と言う無数の点の集合で出来た一枚の波だった。
 地上の戦闘ではおよそ考えられぬ、足下の方向から飛来する攻撃も加味すると先程のような大跳躍での回避は時間的に間に合わない。


(そして第三に……風見君は『死ぬ気で避けてみろ』と言った。
 
 己の身の安全を第一に考慮する回避など、彼女の望みうる事では無い!!)


 佐山は幽香の仕掛けてきた弾幕と言う『遊び』のルールを暫定的に理解し、己の意識を視界に写る弾幕へと集中する。

 そして、



「……これが弾幕と言う名の勝負に対する、真っ当な攻略方法だと判断する!!」



 幽香の仕掛けた勝負への理解として佐山は叫び、

 推進力を前へと生んで、弾幕の作る高波へと身を投じた。


---


「――Tes!! 『弾幕を避ける』とは、そう言う事よ!!」

 前方から嬉しそうに叫ぶ幽香の声が、佐山の耳に入ってくる。

 だが、耳が拾う幽香の声の大部分に混じるのは、雨風が窓を叩くが如き神経を逆撫でるノイズであり、

「これは、中々に危険な遊戯だな!!」

 ノイズの正体である、四肢の周りを数センチの誤差範囲で過ぎ去っていく弾幕の雨を肌で感じながら、佐山は返答を捻り出した。
 上下左右を縦横無尽に飛び回り、四方八方からその身を穿たんとする弾幕の嵐の中で、佐山は踊る。
 
 だがその動きに優雅さなどは微塵も無く、
 一撃喰らえば墜とされる過酷な条件下で紙一重で避け続ける、一瞬の判断が幾重にも試される極限の舞台であった。
 
 そんな舞台に立つ佐山は幽香の言葉通りに、被弾と言う運命を必死の二文字をもって回避していく。
 
 身長や肩幅、一歩辺りの歩幅や視界の広さなど、己を構成する様々な要素を客観的に見つめながら、
 弾幕の中にわずかに存在する隙間に身体を滑り込ませて命の手綱を掴み、手繰り寄せていく。

 スーツや肌を弾が擦れる度、佐山の嗅覚を花の持つ香りが死へ誘う芳香となって刺激する。
 そんな誘惑の花畑を縫う様に抜けながら、佐山が拙い動きで一歩づつ着実に目指していくのは、命の手綱が導き繋ぐ、彩色の発光源。

「蛹を破り蝶は舞う……。花々の誘惑に負けず、ここまで辿り着けるかしら?」
『ゆうか たのしそう』

 姿の見えぬ幽香の挑発に、同じく姿の見えぬ草の獣が感想を漏らす。
 その一言で幽香の浮かべる表情を想像出来た佐山は苦笑し、緩急をつけながら弾幕を避け続けていく。

 佐山は弾幕を抜けて幽香の元へと辿り着く事を目標としながらも、別の事案について懸念を持っていた。
 その懸念に答えを出せるのは、現在盤上を支配しているゲームマスターである幽香だけだ。

「風見君!! 私の敗北条件がこの弾幕の雨に飲まれ、溺れる事だとして……私の勝利条件は何だ!?」

 だから佐山は聞いた。
 問いながら開く口内に弾が入り込むような錯覚に陥るが、意識の続く限り避け続ける佐山の動きには迷いは無い。

「私の勝利条件は貴方を花のベッドに寝付かせる事。……そして私の敗北条件は、貴方の理解を受け入れる事」

 佐山の声が弾幕を抜け、幽香の返答が山彦の如く返ってきた。


「貴方のやり方で、私に理解を見せてみなさい!!」
「そうさせてもらおうか!!」


 佐山は弾幕を躱しながら相対を交わし、己が為す事の方針を固めた。
 だが、それは独力では不可能だと言う事も理解している。

 だからと、佐山は息を吸い込み、

「――八雲君!! 射命丸君!!」

 答えを待たずして、佐山は言葉を続ける。

「君達の力を貸して欲しい」

 弾幕の空間を抜けた佐山の嘆願に答える声は、



「……どーにも、私のメリットが見えて来ないんですけどねー……」

 

 佐山の眼前に突如として現れた、文の背中が生み出していた。

 音も無くいきなり視界一杯に文の持つ黒い羽が出現し、佐山は一瞬、呼吸を止めた。

「中々粘りますね、人間の癖に」
「粘り強さの秘訣は毎日の朝食にある。田宮家では和食が基本でね」

 後ろを向いて佐山と視線を合わせる文に言う佐山の言葉の意味が解からず、文は頭上に疑問符を浮かべる。
 顔をこちらに向けながらも弾幕を容易く避け続ける文に佐山は思う所がありながらも、己の動きを文の取る回避行動と同調させる。
 狭い空間で弾を避け続ける二人だったが、やがて佐山の方から交渉を持ちかける。

「話を戻すが……射命丸君、この弾幕の雨を抜ける為に……君の力を貸して欲しい」
「話を戻しますが……私が貴方を手伝って、私に何の得がありますかね?」

 頬を掻きながら困った様に言う文に対し、佐山は不敵な笑みを浮かべて、



「得ならあるとも。
 私に協力する対価として……私がEx-Gにいる間、私に関係する全ての存在に、君の『文々。新聞』の購読契約を結ぶと約束する」

「……!! そ、それは本当ですか佐山さん!?」

 目の色を変えて食いついてきた文に、佐山は然り、と首を縦に振る。

「本当だとも。私に二言は無い。なぜなら私は神だから、勝手に契約を結ばれた他者の憤りなど笑ってスルーする無敵の力がある」
「おおお!! その力とは一体!?」
「うむ。毅然とした態度で誠意を持って全力で三日程無視すれば、大抵の者はそれ以上何も言って来なくなる」
「………………」

 それ以上何も言ってこなくなった文に佐山は満足顔で頷いて、しかしすぐにかぶりを入れて表情を険しくした。

「しかし……射命丸君。新聞の契約と言う物は古来より、契約の際に様々な供物を購入者に奉納する義務がある事を知っているかね?」
「く、供物ですか? それは知りませんでした……」
「ビール券とか洗剤とか、野球のチケットなんかが一般的だね」
「……やきゅう……?」
「無論ここはEx-Gなので私の世界の一般常識とはかけ離れている事は承知している。……そこで、だ」

 佐山はそこで言葉を区切り、



「私達が行うEx-Gとの全竜交渉。その報道全権を、君と君の作る『文々。新聞』に委ねようではないか。
 そして私達が得た理解の一部始終を面白おかしく脚色し、真実を望む者全ての下へ颯爽と登場してその新聞を授けるのだ。
 人間妖怪妖精月人。天も地も山も空もいかなる者にも平等に、君の記す情報紙を余すとこなく開示したまえ。
 
 そして全てが終わったその時、私は世界の理解を。君は名実共にEx-G一のブン屋としての地位を得る事だろう。どうかね?」
「………………」

「……返事はどうした?」



「Tes!! 素晴らしい提案です佐山さん!! 私は貴方と言う人に出会えて本当に良かった……!!」

 拳を握り締めて感動を露にする文は、佐山から視線を外して花の雨へと立ち向かう。
 利害の一致を得た佐山と文は、弾幕の先に悠然と佇んでいるであろう目標に定めを付け、

「私が幽香さんへの道を作り、貴方を導きます。それから先は……」
「わかっている。それから先は、私の仕事だ」
「紫さんの気配がありませんが……スキマに引っ込んじゃいましたかねぇ」
「大丈夫だとも。彼女もきっと、私の声を聞いているはずだ。
 ……今は、私のやるべき事をやるまでだ」

 文と佐山はそこで言葉を切り、お互い無言で頷き合う。


「……お喋りの時間は無いと、言ったはずよ?」


 幽香の静かな声が響き渡り、


「――花符『フラワーシューティング』!!」


 幽香が宣言したスペルカードの放つ光が、花の嵐の向こうの空間に灯台の様に小さく光る。、
 そして、その光が周囲を照らし、弾幕の花々を照らし、佐山と文を照らすと同時に、

「!!」

 今まで佐山を襲っていた微細な弾幕を塗り潰すが如く巨大な弾丸が、その大きさに合わぬ高速を纏って飛来してきた。

 それは、小さな弾の集合が作る線で描かれた、七枚の花弁を持つ花だった。
 花が作る花の弾丸が周囲の弾幕を飲み込みその密度を増やしながら、佐山と文に迫り来る。
 
 縫い躱す隙間の一切を持たぬ花の弾が閉幕を下ろすように。佐山との距離を縮める。
 もはや回避など不可能となったそのスペルカードが作る弾幕にたち向かう佐山は、しかし慌てず、そして恐れずに、

「……頼んだぞ、射命丸君!!」
「任せてください!!」

 佐山の力強い言葉を受けた文は同じく力強く呼応し、服の内側に手を入れた。
 
 そして瞬時の動きで引き抜いたその手に持っていたのは、手巻き式の黒いカメラ。
 そのカメラを慣れ親しんだ手つきで高速の動きで構え、被弾直前の弾幕をレンズに収め、


「幽香さんの弾幕は、花弁の優雅と棘毒の誘蛾が組み合わさった。とてもとても芸術的な素晴らしい弾幕です。
 
 隙間無く、荒々しく、潔く、心地よく、愛しく、狂おしく……そして美しい」



 佐山の前に立つ文のすぐそこまで花の弾丸が迫り、花弁の刃にその身体を寸断される。

――その瞬間、



「――その『弾幕』、いただきです」



 文は言葉と同時に、シャッターのスイッチを押した。
 焚かれたフラッシュで佐山の視界が白に染まり、黒に染まり、すぐに色を取り戻す。

 視力が戻り、佐山の開けた視界に飛び込んできた光景は弾幕に飲まれた文の身体では無く、



 フィルムを巻き上げながら悠然と立つ文の後ろ姿と、
 撮影されたスペルカードの弾幕が忽然と姿を消し、弾の嵐が消え去った空間の先に見える、驚きの表情の幽香の姿だった。



---

「……面白い手品ね!!」

 姿を表した幽香はすぐに表情を悦に戻し、傘を降って弾幕を連続で生成する。
 初弾よりいくらか小さいその花弁はしかし数を増やしながら飛来する。
 が、

「行きますよ、佐山さん!!」

 文が言葉を残し、カメラを片手に弾幕へと突っ込んだ。
 佐山は文の動きに続き、背中を追う形で幽香へと身を飛ばす。

 やはり同じように、文の身体が弾幕と接触しそうになる、その瞬間、

「このカメラは空間を切断する形で『弾幕』を撮影し、切り抜きます。撮られた弾幕は……ご覧の通り」

 文が言いながらシャッターを切ると、フィルムの音と同時に弾幕が撮影外の空間を残して掻き消えた。
 撮影外の位置にあった花弁の切れ端はあらぬ方向へ飛んで行き、やがて霧散する。

「フィルムの巻き時間やらレンズの合わせやらいろいろと難点はありますが……
 様々な修羅場を共にかいくぐってきた、私の大切な『仕事道具』です」

 文は手を休める事無くフィルムを回し、二写、三写と弾幕を撮影し、切り取っていく。
 佐山は避けるまでも無く拓かれて行く幽香への道を疾走しながら、弾幕ではない『あるもの』が顔に付着したのを肌で感じ取る。

(これは……雨粒?)

 弾幕の嵐が消え遮る物が無くなったその空間に、気質の力が作り出す雨が降り出した。
 文と佐山のの囲に巻き起こる風が弱い雨を運びながら、幽香の元へと気流の道を作り出す。

「さぁ、佐山さん!!」
「感謝する!!」

 幽香へ数メートルの距離まで迫った所で、佐山と文はその位置を逆転させた。
 文がその場で急停止をかけ、佐山がその分の加速を奪うかのようにして高空に身を躍らせる。

 俄かな雨を受けながら突進をかけるは、直線上に浮ぶ幽香。
 一瞬の加速で距離を詰めた佐山に対し、幽香は弾幕の密度を上げて迎撃を試みるが、

「はい、チーズ!!」 

 文が射出寸前の弾幕を幽香ごとファインダーに取り込み、展開前の花弁を消滅させた。

「……鬱陶しい力ね!! 雨まで降らせて、迷惑な天狗だわ」
「はてさて、何の事やら……。そして残念、今のでフィルム切れです」

 文はカメラごと両腕を頭上に上げて降参の姿勢を取る。
 幽香はそんな文には目もくれず、眼前へと迫り来る佐山にのみ意識を集中させた。

 佐山は加速の中で体勢を変え、幽香との接触への準備を作り上げていた。
 右腕を引き絞り、狙いをつけるその姿は、

「殴りかかるつもり!?」

 幽香の疑問に答えずに、佐山は無言でその距離を零へと近づけた。

 弾幕の消えた幽香は、片手に傘を、片手に草の獣を抱き無防備な姿と見て取れたが、



「あら残念」



 傘を盾の如く自らの前へと展開し、佐山との間に即興の防御壁を作り上げた。
 
「この傘はとっても丈夫なの。あなたの打撃程度じゃあ……壊れないわよ」

 傘布で覆われ見えなくなった幽香の言葉と同時、佐山を指す傘の石突に光が灯る。
 防御壁の展開と同時、弾幕として放つ光が佐山を穿つ攻防一体の傘による迎撃だ。

「涙の雨に打ちひしがれながら……花の棺桶に埋もれなさい!!」

 幽香の声が佐山への死刑宣告となって響き渡る。
 だが、佐山は突撃のスピードを一切緩める事無く、



「傘と言う物は雨風からその身を守る為にあるものだよ風見君。
 
 ……君は今、その傘布を私に向けているが……守りを疎かにはしていないかね?」

「何を……!?」



 傘で隠れ、姿の見えぬ佐山の声を聞くと同時、

『さむいの』

 抱えていた草の獣が雨に濡れ、身を震わせた。
 
 その振動が幽香の思考を揺らすと同時に、戦線を離脱したはずの文から言葉が生まれ、



「私は、これっぽっちも気質を発現してませんよ。なのに何で……雨が降ってるんですかねぇ?」



 そしてその瞬間、佐山の持つ次弦時計に概念条文が走った。





・――天気雨 防御は怪しくなる。





「な……」



 幽香の口から短い言葉が漏れると同時、
 
 傘の柄を持つ手が雨で滑り、幽香は攻防一体だったその傘から手を離してしまった。



 傘が重力に従いゆっくりと地に落ちて行き、幽香の視界が広くなる。

 傘布のジャミングが外れたその視界に映るのは、雨に濡れた身体を眼前まで迫らせる佐山の顔と、



 その背後の宙空に出現したスキマに上半身を出しながら悠然と傘を差す、紫の姿だった。



「雨は花々に潤いを与えるが、長い雨は毒にもなる。……貴女は雨を浴びすぎたわね」



 紫の言葉に反応する時間を与えず、佐山は引き絞った右腕を幽香へと解き放つ。
 
 高速の動きで弾けた佐山の拳は、反射的に目を瞑った幽香を身体を打ち抜く、



――事は無く、



「私の……いや、私達の勝ちだね。風見君」



 傘を手放し宙を彷徨っていた幽香の右手を、優しく握った。


「………………」
「練習試合にしては中々にハードだったが、ともあれ貴重な経験を与えてくれて感謝する。
 私はこれからこの経験を生かし、弾幕という行為に恐れず立ち向かうと誓おう」
「………………」
「君は自らの敗北条件を理解を見せる事だと言った。しかしそれは君の敗北条件であって私の勝利条件ではない。
 
 いつかまた、今度は全力の弾幕勝負を行おうではないか。その時まで私の勝利は預けておく。
 
 今は、風見君が私の手を取り彼岸への導きを頂くことを理解としたいのだが……いかがかね?」

 
 惚けた顔で黙ったまま、佐山の顔と手を何度も見比べていた幽香だったが、

『さむかったけど あったかいの ……ゆうか どきどき? どきどき?』

 幽香の胸で身体を震わしていた草の獣の言葉に、顔に笑顔を戻して、



「Tes. 行きましょう、悪役の姓を担う者よ。私達の始まりの物語、彼岸の岸へと。
    逝きましょう、運を切る者の下へと。彼らの終わりの物語、花映の塚へと!!」



 言葉の残響を残して、佐山と幽香と草の獣は、雨の降る花畑からその姿を消した。















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 全ての話を見直しつつ、誤字脱字・表現・重大なミスなどの修正作業をしております。
 簡単な後書きなんかも書こうかどうしようか迷ってますので、続きはまったりとお待ちください……
4/5 追記
某想定科学ADVに手を出してしまったので、更新が少しばかり遅れるかも……
とりあえず両立を目標に、クリックとキーボードを連打する日々


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