青々と生い茂る森林の葉と、額に着けたゴーグルのスモークグレーのレンズを輝かせる太陽の方を茫然と少年は見上げていた。
青を基調としてファイヤーパターンの模様が描かれたボア付きジャケットとクリーム色の短パンを身に着け、無造作かつ四方を向く短髪を薄らと汗濡らしたその少年は、背を折ってとぼとぼと覚束ない足取りで歩いている。疲労し切って犬のように舌を出している事も含めて、さながら墓から蘇ったばかりのゾンビのようにも見える。
「なぁ~、ブイモン~」
太陽の方を向いたまま、少年が誰かに声を掛ける。
その気だるげな声に反応し、やはり気だるげな声が少年の右隣から返って来る。
「なぁに~?」
少年の周りに人間はいない。その代わり、少年と同様に舌を出して太陽を見上げながら歩く生物が少年の隣にいる。
全身がほぼ青一色で口周りと腹が白いその生物の背は少年の腰より少し低い程度で、後頭部から稲妻形に折れ曲った角のような器官が一対伸びている。少年のものより一回り大きい頭部の上半分を占領する赤い大きな目は少年と同様に疲労の色を帯びており、その足取りもやはり少年のそれと同様に幽鬼が彷徨っているようにしか見えない。
「腹減ったぁ~」
「俺もぉ~」
ブイモンと呼ばれたその生物が間延びした返答を返すと共に、少年とブイモンの腹が同時にグルグルと鳴る。その間の抜けた合唱に少年とブイモンが、やはり同時に顔を俯かせて深い溜め息を吐く。
何で俺達こんな目に遭ってんだろ?
一向に終わりの見えない土肌の道を見てウンザリしながらそうごちた後、いよいよ朦朧としてきた頭の中で少年――本宮 大輔は事の発端の回想を始めた。
デジタルモンスター。縮めてデジモン。
生物のデータが実体化することにより生まれる彼らが住む世界はデジタルワールドと呼ばれる仮想空間で、そのデジタルワールドの安定を望む者により、不具合の修正のために選ばれた大輔のような人間は選ばれし子供達と呼ばれる。
最初はただ、そのデジタルワールドに行こうとしていただけだった。
暗黒の種と呼ばれる物質を求めて現実世界に現れたデーモンを暗黒の海へ幽閉し、その後世界を闇に統一、支配しようとしたベリアルヴァンデモンを倒したことで、立て続けに起こったデジモン絡みの騒ぎもようやく一段落着いたので、久々に遊び目的でデジタルワールドに行って羽根を伸ばそうという話になったのだ。そこで、ニューヨークの家族の下に戻っていた太刀川 ミミとセンター試験が近づいてきた城戸 丈の二人を除く、1997年の選ばれし子供達と2002年の選ばれし子供達(以後、前者を旧選ばれし子供達、後者を新選ばれし子供達とする)、およびそのパートナーデジモン達がお台場小学校のパソコン室に集まった。
「よぉし、皆集まったわね。それじゃ……デジタルゲートオープン! 選ばれし子供達、出動!」
いつもデジタルワールドに行く時と同様、6年生で新選ばれし子供達の最年長である井ノ上 京の号令と共にデジヴァイスをパソコンのディスプレイ前に掲げる。そうしてディスプレイが発光し、一瞬の吸い込まれるような感覚の後、その光が収まる頃には彼らはデジタルワールドに転送されているのだ。本来ならば。
ところが、今回は少し違った。
ディスプレイが発光して吸い込まれるような感覚が発生するまではいつも通りだった。しかし、いつもならすぐに晴れる筈の光がなかなか消えず、更には振動するような妙な感覚も走った。
そのいつもとは違う状態を不審に感じ始めたところで、視界を覆っていた光が消えた。
そして光が消えてすぐ大輔の目に入ってきたのは、幾何学的なものを感じさせるデジタルワールドのそれと真逆と言っていい、むしろ現実世界のそれに近い青い空とそこら中に広がる深緑の森林が彩る自然。そして、共に転送されて傍らに立つブイモンと自分を取り囲み、両の前足に付いた大きく鋭利な針を自分達に向ける人間大の巨大な蜂の群れだった。
その後、問答無用で一斉に襲いかかってきた蜂達にブイモンを進化させて応戦することも忘れ、どうして襲われなければいけないのか分からないまま、大輔はその場からすぐに逃げ出した。そのまま、かれこれ3,4時間ほど逃げ回ることで蜂達は撒く事が出来たのだが、今度は朱色の胴体に紫と黄色の線が入った、見るからに毒々しい巨大グモの群れに極太の糸を吐かれ、それからも逃げ切ったかと思えば今度は頭から湾曲した二本角を生やして、口から炎を吐く黒色のドーベルマンの群れに襲われ、結局戦闘はおろか物を食べる事も忘れて、朝まで見た事も無い生物達から逃げ回るハメになった。
結果、碌な睡眠も取れず、碌に物を口に入れないまま、丸い胴体に時計の針のような隈取りを付けた梟らしき生物のホーホーという鳴き声が聞こえる頃には、大輔とブイモンはすっかり疲弊し切っていた。
ようやく落ち着けた二人は、眠気も足の痛みも押し退けて激しい自己主張をする腹の減りを抑えるために食糧探しに出たが、数個の木の実を見つけただけで腹の足しになりそうなものは未だに口にしていない。更に、クリスマスを終えて正月を迎えていた現実世界とは真逆に、これまた太陽が素晴らしいまでに自己主張して夏かと見間違うほどに気温が高く、そこそこ冬の環境に慣れてきていた二人の体力を容赦無く奪っていく。
そうして、陽炎が漂う森林と土の道の中、どうしようもない腹の減りと喉の渇き、身体の節々の痛みと猛烈な眠気にギリギリのところで耐えながら、まともな食糧を探して彷徨い、今に至るわけである。
「「……腹減った~ぁ」」
懇願にも似た大輔とブイモンのぼやき声が重なり、続いて腹の音が再びシンクロして響く。彼らのこの悲鳴も、本日すでに34回目である。
ところで彼らには疑問がある。
「あのハチとかクモとか犬ぅ、何だったんだ~?」
「知らな~い、あんなデジモン見たことな~い」
「つ~かぁ、アイツらデジモンなのかぁ~」
「知らな~い」
まずは自分達を襲った生物達のことだ。夜明け頃に見た梟のような生物も含めて、現実世界はおろかデジタルワールドでもあんな生物達を二人は見た事が無い。
とはいえ、二人ともどのようなデジモンが存在するかを全て知っているわけではない。恐らく、今まであった事の無いデジモンなのだろうと二人は踏んでいた。
「そもそもぉ、ここドコだぁ~?」
「知らな~い」
それに“この場所”だ。デジタルワールドは現実世界のコンピュータ・ネットワークから送られる情報などを基に作られた世界で、その基盤となる情報が伝達されるまで欠損する関係から、現実世界、つまり人間界では有り得ない事象(荒野の真っただ中に存在する自動販売機、奇怪な色に染まった空等)が何かしら起こっているのが普通である。ところが、最初に訪れた森林から今彼らが歩いている道まで、前述の奇妙な生物達の存在を除いて、これといった異常は見られなかった。まるで、現実世界の田舎にでも迷い込んだかのような感じだったのだ。
しかし、今の大輔の服装はデジモンワールドに転送された際に自動的に着替えさせられるそれであり、例の生物達の事も含めて現実世界の田舎というのは有り得ない話だった。恐らくデジタルワールドの、今まで来た事の無いどこかのエリアに飛ばされたのだろうと二人は踏んでいた。
「つ~かぁ、皆どこ行ったぁ~?」
「知らな~い」
そして更に気になるのが、共にデジタルワールドに転送されたはずの他の選ばれし子供達のことだ。デジタルワールドに転送されると、基本的に選ばれし子供達はある一カ所の地点に全員纏めて転送される。ところが、今回大輔が転送された場所にはブイモンしかおらず、他の選ばれし子供達はおろか、そのパートナーデジモンさえ誰一人としていなかった。
また、大輔を含めた新選ばれし子供達が持つ新型デジヴァイス――D-3の名称で呼ばれるようになったそれは他のデジヴァイスの信号をキャッチして位置を確認することが出来るのだが、どういうわけか今のところ反応が無い。更にメール機能を搭載した携帯端末Dターミナルもどういうわけか電波状況が圏外になっており、メールの送受信が出来なくなっている。
つまり、他の選ばれし子供達の居場所も状況も知る方法が無く、また大輔とブイモンも見た事の無い生物が存在するエリアで孤立状態になっているということである。これは考えるまでも無く危険な状態であり、早急に事態の回復を図らなければならない状況である。
最も、そんな重大課題さえも今、大輔とブイモンは頭の隅に置いていた。
否、置いておかざるを得ない。何故ならば、そんな問題よりも更に深刻で早急な対応を施さねばならない問題に直面しているからだ。
「「……腹減った~ぁ」」
ずばり、空腹である。
更にいえば喉の渇きも、である。
仲間の心配や危険な状況を置いて考えるべきことか、と第三者がそんな彼らを見れば文句や叱咤の一つでも言いたくなるかもしれない。だがしかし、他の選ばれし子供達を探すにも、危険な状況を回避するにも、まず先立つ物が必要だ。
そして、一晩中森林の中を逃げ回り、熱い光を送る太陽に晒されている現状の大輔達にとっての先立つ物は空腹と乾きを満たす食糧なのである。
最も、少々残念なことに大輔とブイモンの食糧探しは仲間の心配と状況回避の問題を解決するために仕方なく選んだ手段というわけでは無く、純粋な動物的本能から起こした行動であるのだが。
「「……腹減った~ぁ」」
そしてその成果は未だに実らず、二人の36回目のぼやきが腹の音と再度シンクロする。
かれこれもう何時間経っただろう? 太陽はすっかり南中し、二人の頭は覚醒と半覚醒をしきりに繰り返す危険な状態に入っており、ほぼ無意識で「腹減った」の台詞を喋り、足腰を立たせる事でどうにか歩いている状態である。
つまり、このどちらかの行動が取れなくなった時、二人は限界に達し、歩みを止めざるを得なくなるといえる。そして、その時はすぐにやってきた。
「「……腹減っ」」
37回目のぼやきを二人同時に漏らそうとした時、ブイモンが小石に蹴躓いたのだ。
べしゃりと顔面から地面に突っ込む形で斜め向きに倒れたブイモンの胴体に、続いて大輔が上がらない足を引っ掛け、そのままブイモンと×を描くように倒れ込む。
先ほども言った通り、無意識下で足腰を立たせる事で二人は覚醒と半覚醒の間を行き来しつつ歩く事が出来たので、それを止めてしまえば限界が来てしまう。更に悪いことに、二人は地面に倒れこんでしまった。つまり、横になってしまった。疲れ切った状態で横になれば、その後どうなってしまうかは考えるまでも無い。
「……腹減……た」
食いモン探さなきゃ。そう思うも、急激に重くなり、下がっていく瞼に大輔は抗う事が出来ない。
それまで彼らを突き動かし、支配していた生理的欲求の順位が食欲から睡眠欲にとって代わられたのだ。もはや大輔とブイモンは湧き上がる眠気により、夢の世界へと誘われるのみだ。
大輔とブイモンはめのまえがまっくらになった。
延々と続く森林だらけの薄暗い情景の奥に、薄らと光が見えた。それが、生い茂る森によって昼間でさえ薄暗いとされるウバメの森の終わりを示していると理解するや、彼は一目散にその光目掛けて駆け出した。
「出口だー!」
草むらと森を掛け抜けて土の道に降り立った少年は、興奮のあまりつい叫び声を上げる。南中高度から少し西に降り出した太陽の光が、そんな彼を出迎え、持て成すように照らし上げた。
手を加えた形跡の無い、ボサボサの黒髪の大半を内部に収めているであろう赤と白のキャップが目立つ少年だ。黒いシャツの上から半袖の青いジャケットを纏い、下は薄水色の長ズボンを身に着けている。
ふと、風が通り過ぎて少年の鼻を撫でた。燦々と降り注ぐ太陽光と暑めの気温によってカラッと乾き上がった風は、湿気が強くジメッとしたウバメの森の空気とのギャップもあり、とても気持ちの良いものだった。
ジャケットの袖から伸びた両腕を上げ、う゛~と唸りながら少年は背伸びをしようとする。
そこへ突然、強烈な衝撃を後頭部が襲った。
「いてっ! 何すんだ!」
後頭部の痛む部分を撫でつつ、怒鳴りながら少年は後ろを振り返った。
見ると、ウバメの森の出口付近に置いて行った仲間の一人である少女が、彼女の荷物を詰め込んだバックを両手で持ちながら、怒りの形相を浮かべていた。
「何すんだ、はこっちのセリフよ! このバカサトシ!!」
オレンジ色の髪をポニーテールに纏めた少女は上にほっそりとした腹を出したタンクトップ、下にサスペンダー付きのホットパンツを履いており、頭一つ分高い位置から繰り出されるその怒鳴り声は、まるでスピーカー越しに叫んでいるのかのような凄まじいボリュームである。
思わず少年――サトシは両耳を塞いで怯んでしまう。
「アンタ何先走ってんのよ! 勝手なことしてんじゃないわよ!!」
「勝手なことって何だよ! 別に迷惑掛けたわけじゃないだろ!!」
少女が息継ぎのために一旦顔を引いたのを見計らい、あらん限りの声を出してサトシは怒鳴り返した。
すると、少女が一旦息継ぎし、すぐにボリュームの上がった怒鳴り声がサトシの耳を突き抜けた。
「そういうところが迷惑だしガキだってのよっ!」
「何ぃッ!」
「何よッ!」
互いに怒りの唸り声を上げ、鼻先を突き合わして睨みあう。一触即発の状態である。
そんな触れたら飛び火してくるだろう状況の二人の間に、敢えて介入する存在がいた。
「サトシ、カスミ、そのくらいにしておけ」
呆れたような、しかし落ち着いた声が二人に掛けられる。
互いに互いに向けていた険相と睨みを、サトシとカスミと呼ばれた少女が一斉に声のした方向へ向ける。
「何だよ(何よ)タケシ! 邪魔すんなよ(しないでよ)!!」
同時に放たれたサトシとカスミの怒号を浴び、しかしそれに対しタケシと呼ばれた少年は動じる事が無かった。
オレンジ色のシャツの上から緑色のライフジャケットを身に着けた褐色の肌の少年で、腕に青と赤の△や□模様が入った巨大な卵を抱えている。面長の顔の中心よりやや上の糸目はつり上がり気味の眉と同じラインを描き、彼が若干怒っている事を示していた。
「こんなところで喧嘩したって仕方無いだろ。それにサトシ。今のはお前が悪い」
諭すような口調でそう言ったタケシに対し、即座にサトシは噛み付いた。
「タケシまで俺が悪いって言うのかよ!?」
すると、聞き分けの無い子供の意見を聞いて呆れたように、はぁとタケシがため息を吐いた。
「サトシ、お前は何で先走った?」
「何でって……出口が見えたからに決まってるじゃないか!」
「そうか? 俺には“森の奥に光があるように”しか見えなかったぞ?」
そう言われ、頭に?マークを浮かべるサトシに、タケシは言葉を続ける。
「そうだな……例えば、光の奥に崖があるかもしれないとか、そういうことは考えなかったのか?」
「崖って……何言ってんだ! 普通に出口だったじゃないか!」
サトシがそう言い返したところで、タケシとサトシの間にカスミが割り込む。
「結果的にそうだったってだけでしょ! それに崖っていうのは例えで、先に危ないものがあったらどうするんだって話よ! 本当にバカなんだから!」
「何ぃッ!」
「二人とも、喧嘩は止めろ!」
再び火が付き出そうとした二人をタケシが一喝する。
「一言多いぞカスミ。だが、カスミの言う通りだ。サトシ、もし光の先が出口じゃなくて、崖みたいに危険な場所だったらどうなったと思う?」
「どうって……」
もし光を潜った先が崖だった場合を、サトシは想像してみた。
あの時、ようやくジメジメとして陰気なウバメの森からようやく抜け出る事が出来ることに目を囚われていたサトシは、危険に対する注意を含めたそれ以外の事を何も考えていなかった。もしそんな状態で崖に出れば突然のことに止まる事も出来ず、そのまま真っ逆様に落ちていただろうことが簡単に予想できる。それどころか、ヘタをすれば追い掛けて来たタケシやカスミ達も一緒に落ちてしまうことになっていたかもしれない。
そこまで想像して、あ、と声を漏らしたサトシの怒りはすっかり収まっていた。
「分かったみたいだな」
「ああ。俺、知らないうちに皆に迷惑掛けてたんだな」
代わりに湧き上がってきた申し訳ない気持ちのままに、サトシは二人に頭を下げた。
「カスミ、タケシ、ゴメン」
「ふん。分かればいいのよ」
腕を組み、カスミが鼻を鳴らす。
「そうだな、分かればいいんだ。だけどサトシ。謝るのは俺とカスミだけじゃないだろ?」
糸目を下ろしたタケシがそう言うや、タケシが抱えていた卵がモゾモゾと動き出し、更にサトシの足元から黄色い何かが飛び出してくる。
「ピカ!」
「チョゲ、プリリリィ」
足元の黄色い鼠のような生物とタケシの腕の中の卵のような生物が、それぞれの鳴き声を上げて、サトシに自分達の存在をアピールする。
「あ、いけね。ピカチュウ、トゲピー、ゴメンな」
腰の辺りに前足を当てて仁王立ちする鼠のような生物と、タケシからカスミに渡される途中の卵のような生物にも、サトシはそれぞれ謝罪した。
黄色を基調に背中に黒い筋が入り、円錐状の耳と稲妻形の尻尾の先を黒く染めたピカチュウはサトシが謝った事を確認すると彼の身体を駆け上って右肩の上に乗る。また、□や△模様が入った卵の殻で胴体を覆い、頭部を幾つかの角状の突起で彩ったトゲピーは、カスミの腕の中でチョゲチョゲと鳴きながら円錐状の前足を軽く振った。
「よし。じゃあそろそろ行こうか。次はコガネシティだったな」
「コガネシティって確かジョウトシティ一の大都会なのよね。あ~、楽しみぃ。デパートでショッピングしたり、美味しいもの食べたり~」
「コガネシティかぁ。確か三つ目のジムがあるんだよな。く~っ、楽しみだぜぇ!」
次の目的地に待つであろう様々な楽しみを想像し、カスミは目を輝かせ、サトシは興奮のあまり武者震いする。そして、その興奮のままに、拳を作った右腕を振り上げてサトシは叫んだ。
「いよぉーし! 改めて、コガネシティに向けて、しゅっぱあーつ!」
「おーっ!」
「ピカピー!」
サトシの号令に、彼と同様に腕を振り上げて、カスミとピカチュウが声を上げる。いずれも次の目的地への期待に胸が昂り、打ち震えていた。特に、三つ目のジムが待っているサトシとピカチュウはちょっとした闘争心さえ燃え出している程だった。
だが、そんな彼らに燃え上がる心は、すぐに水を掛けられて鎮火してしまうのであった。
「あ、ちょっと待ってくれ」
ふとそんなことを言い出したタケシに、出鼻を挫かれる形になったサトシとカスミ、ピカチュウは批難を浴びせる。
「何だよタケシ! いいところだったのに」
「早くしてよ! ショッピングに美味しい食べ物があたしを待ってるのよ!」
「ピカピー!」
各々勝手な事を述べる二人と一匹にばつの悪そうな表情を浮かべつつも、
「いや、だけどなぁ、人が倒れているのを見過ごすわけにはいかないだろ?」
と言いながら、前方を指で指示した。
え? と同じ反応を返し、タケシが指差す方向をサトシとカスミは見やった。
タケシが指差す方向は、丁度彼らの進行方向と同じで、木が立ち並び、延々と続くような土肌の道が陽炎を立たせている。その奥の方を良く見ると、確かに倒れている人らしき物体が見えた。
「ちょ、何でこんなトコで倒れてんのよ! ていうか、大変じゃない!」
「だろ? だからちょっと待ってくれって言ったんだ」
突然の事に動揺するカスミとは対照的に、最初に見つけたせいかタケシはそれなりに落ち着いている。
そしてサトシはというと、
「すぐに助けなきゃ! いくぞピカチュウ!」
事を確認して即座に地面に降りたピカチュウに指示を与え、その場から駆け出していた。
「あ! おい、サトシ!」
「先に行ってるから後から来てくれ!」
何か言おうとしたタケシにそれだけ伝えて、土肌の道を全速力でサトシは掛け抜ける。
あっという間に距離が縮まり、倒れている人間の姿が明確に確認出来るようになってきた。どうやら倒れているのはサトシとそれほど歳の変わらない少年らしく、青が基調のファイヤーパターンのジャケットと短パンを身に着けている。
「! ポケモンか?」
更に近づいて分かったが、どうやら少年の下で青い生物が下敷きになっているらしい。こちらも早く助けねばならないと、サトシは足を急がせた。
「おい君、大丈夫か!?」
少年に駆け寄り、肩を揺さぶりつつ声を掛けるが、反応は返ってこない。同様にピカチュウも少年の下敷きになっている青い生物の頭を叩くが、やはり反応は返ってこない。どうしたものかと逡巡し出したところに、丁度よくタケシとカスミが追いついた。すぐにタケシが少年の容体を聞いてくる。
「倒れていたのはその子か? 具合はどうだ?」
「気を失っている。俺が声を掛けても全然反応しないんだ。それに、ポケモンも下で倒れているみたいで」
少年の右側から顔を出す青い生物の頭にサトシは顔を向け、ピカチュウが一鳴きする。
「分かった。それじゃあ、そこの木陰に彼らを運ぼう。俺とサトシはこの子を運ぶから、カスミはそのポケモンを頼む」
道のすぐ右側の木陰を指差し、タケシが指示する。その指示にサトシとカスミ、ピカチュウは頷き返し、すぐにサトシは少年の左腕を、タケシは右腕をそれぞれの肩に抱え上げる。
その途中、少年の下敷きになっていた生物の姿がサトシの目に入る。
仰向けに倒れているので後ろ半分しか見えないが、途中で段差状に曲った後頭部の一対の角のような器官と、下半身から生える太い円錐状の尻尾が印象に残った。
見た事無いポケモンだな、ドラゴンタイプかな? と何気なくそんな思考が浮かんだが、
「よし、運ぶぞ」
というタケシの掛け声に応答したことで、すぐにその思考は中断された。
選ばれし子供達が一人、本宮 大輔。
ポケモンマスターを目指す少年、マサラタウンのサトシ。
これが本来出会うことの無かった二人の少年の最初のコンタクトであり、ポケモンとデジモン、住む世界も生態系も、起源さえも違う二つの種族が織り成す物語の始まり。そしてジョウト地方を舞台に巻き起こる、この世界を賭けた戦いの、開幕の合図であった。
サトシ達の旅は、そして一度は終わりを迎えたと思えた大輔達の冒険は、まだまだ続く。
TO BE CONTENUED……