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[26376] けいおん モブSS
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:56
(1)



夢。
夢を見ている。
2年前の冬、みんなで見た初日の出。
夢というよりは、思い出。

元旦の特番の合間に挿入されたニュースで、この冬一番の寒さであると言っていたのを覚えている。

外はとても寒くて。
けれどその分、空気はとても澄んでいて。
寒いねー、なんでこんな寒いのっ、さむ死する、なんて言いながら手をつないで歩いた。

覚えている。
あのときの温かさを、覚えている。
うれしい。
だから、もう少しこのまま――---



「――っ。―かっ、しずかっ」
「へっ?」
「もう起きないと、時間っ」

おかあさん・・・?
時間、て・・・?
目覚ましは・・・?

「と、」
「と?」

「とまってりゅっ」

「・・・学校、今日始業式でしょ」
「・・・あぁっ」
「ごはんできてるから、先に支度しちゃいなさい。式の関係で始業時間がいつもより早いって、学校便りにもあったし」
「うん」
「間に合う?」
「・・・百メートル、十秒で走れば」
「世界で一番速い女の子になれるわねー」

早く降りてきなさいよーのお声とともに階下へ向かうお母さんの背を見送り。
常からあまり回転がよろしくないのに起きぬけでアイドリングすらままならない頭で出発までの手順を反芻する。
まずやるべきは、脱ぐこと。
そして、着る。
顔洗う、ごはん食べる、歯を磨く。
朝食がパンなら、食べながら登校する。
とめさんの散歩は・・・緊急事態につき、帰宅後に振り替え。

「荷物は昨夜準備したから、だいじょうぶっ」

まだ温もりの残るベッドから飛び出して。
私は着慣れた制服に手を伸ばした―-。



やられた。
朝ごはんは予想に反して和食だった。
熱々のお味噌汁が私の猫舌を直撃した。
急いですすりながらも、お残しするわけにはいかなかった。
おかあさんの浅漬けはおいしいし。
納豆を抜かすわけにもいかない。
なんといっても、木下家の家訓は一日三食、なのだ。
長女である私がルールを破るわけにはいかない。
お陰で家から走り始めてトップスピードに乗る頃にはすでに汗をかきはじめていた。
自業自得とはいえ、区切りがある日には何かとツキに見放される私。
それでも身支度に時間がかからなかったのは、くせがなく、ショートボブにしている髪型が功を奏したからだろう。
親しくしている友達からは、うらやましがられる髪質らしい。
さらさらで、ふわふわで、思わずなでたくなる、のだそうだ。
思わずなでたくなるのは、私の低い身長のせいでなでる側にとって頭の位置がちょうどいいから。
という理由も無くはない。
無くは無いのだ・・・。

とにかく今はただひたすらに走って世界新を狙うのみである。


途中止まることなく走り続けて―-。
腕時計で時間を確認。
・・・うん、いける。
世界更新できるっ。
そうして差し掛かった今回のコース一番の難所、開かずの踏み切り。
を見事足止めされることなく渡りきった私は、息も絶え絶えに何とか校門を通過していた。

桜ヶ丘女子高等学校。

校門から昇降口へ一直線に伸びる道の両脇に植えられた桜並木。
その他にも敷地内に多数の桜の木を有することにちなんでつけられた校名だとか、そうでないとか。
春を迎え、満開となった桜が散らす花びらとまるで競争するかのように校舎へなだれ込む。
腕時計で時間を確認。
勝った。
私勝ったよ、世界に勝ったよっ。
たまごかけごはんにして正解だったよっ。
春休み前に持ち帰ってきれいに洗った上履きに履き替え、いつもの教室へ。

廊下まで喧騒が届いている。
久々に会う友達同士、話題に事欠くことはないのだろう、教室は賑やかだ。

間に合った―-。
そう安心したのがいけなかったんだろう。
遅刻しかけていたことを見破られぬよう、上がっている呼吸を整え、一息つく。
ドアノブ式の入り口に手を掛け、何気ない風におはようの挨拶をしながら入った私は。

「おはよー・・・って」

知ることになる。
気づくことになる。

「・・・」
「・・・」

静まる室内。注目を集める私。

「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・あっ」

り、りぼんが―-

「赤いっ?」
「――しずか?」
「えっ?」

呼ばれて振り返れば、そこには、

「どしたの?ここ」


「2年生の教室、だよ?」
「―――っ」


開いた口がふさがらない。
今朝夢の中でおしゃべりした元クラスメイトから告げられた残酷な事実。
打ち上げられた魚のようにぱくぱくとしか動かない口。
口下手な私は、こういうときの切り抜け方が分からない・・・。

「・・・あー、なるほど。えー、おほんっ」

色素の薄い、すこしウェーブのかかった髪をかきあげながら入ってきた元クラスメイトは。
わざとらしい咳払いの後、ぐるりと教室を見渡して言った。

「どうもうちのクラスの人間がすいません。やっぱり3年には上がりたくないっていうか、歳はとりたくないっていうかで」
「・・・」
「ついつい2年生の教室に来ちゃいました」

てへっ、というジェスチャーとともにのたまった彼女はおもむろに私の腕をつかんで引き寄せ。
失礼しましたーと言いながらなでやすいと定評のある私の頭に手を置いて強引にお辞儀をさせ。
まるで借りてきた猫状態の私を引っ張りそそくさと教室を後にしたのだった。


廊下に出て、腕を引かれたまま階段を上りだす。
手を引かれながら下がった視線の先、ひざ下すぐのところまでを覆うのは白のルーズソックス。
踊り場に上がる途中振り返ると、さっきまでいた教室の札を辛うじて視界に入れることができた。

「2年1組…」
「うん?」
「私が間違えた教室」
「うん」
「いつもの癖で入っちゃった」
「見てたけど、躊躇なく入ってったよ」
「姫子ちゃん」
「うん?」
「…ありがとうね」
「どういたしまして」

そうして教室を出るときからずっと握ったままになっていた手をあわててほどく頃には、3年2組と表示のある教室の前に来ていた。

「それにしても、しずかがぎりぎりなんてめずらしいね」
「そ、そうかな」
「うん。いつも朝読書の時間くらいには来てるでしょ?踏み切りで物凄い勢いで追い越してったときはびっくりしたよ」
「えっ?姫子ちゃん追い越してたの、私」
「それはもう。誰が見ても『私遅刻しますっ』ていうくらいの走りだったよ」
「そうだったんだ・・・」

このミニスカルーズなイマドキ女子高生は、立花姫子ちゃん。
一見すると怖いけど、とっても優しくてしっかりしてて。
口下手な私が自然にお話できる数少ないお友達の一人です。
お友達というより、お姉ちゃん、かな?

「そんなだったからさ。余裕かなって思ってたあたしも時間見てみたら結構やばいことに気づいたの。だから走って・・・下駄箱あたりで追いついてたんだよ?」

しずかの力走に感謝だね、などと言いながら2組のドアを開ける姫子ちゃん。
あれ、ということは―――

「ひ、姫子ちゃんっ」
「うん?」
「もしかして、私がさっきの教室に入るの・・・」
「見てたよ?」
「どうして止めてくれなかったのっ」
「あー、ごめんごめん。あたしクラス編成表見に行ってたからさ。しずかを追いかけて見つけたときには、もうドアノブ回してる所だったの」
「うー、でも、でも」
「ごめんごめんって」

くしゃくしゃと今度は少し強めになでられる。
こちらもやはり定評のある髪質のおかげでぼさぼさになることはない。
それに、姫子ちゃんの手はソフトボール部の部長さんを務め上げているとは思えないほど、きれいでしなやかだ。

「もう・・・朝から災難ばっかり、ついてないなぁ」
「だいじょうぶだいじょうぶ。だってね、しずか」
「なに?」
「今日のしずか、たぶんこの世界で一番ついてるんだよ?」
「え?」

ついてるのはしずかだけじゃない、かな?
姫子ちゃんにしてはなんだかめずらしく、浮かれて弾んだような口ぶりで。
そんな言葉とともにまたもや手を引かれて踏み入れた新しい教室。
これから1年間お世話になる、最上級学年の部屋。
そして、1年後にはもう来ることの無い場所。

高校生活最後の教室。
あと1年の高校生活。



今にして思う。
本当に、かけがえの無い時間だったんだと。
きらきらしてて、あったかくて、優しくて。
いつまでも続くんだと信じて疑わなかったあの時。

その最後の年。
私たちはみんな、同じクラスになることができたんだ。



夢。
夢を見ている。
青葉がきらめいていた校庭で。
夕日でオレンジ色に染まる教室で。
寒さにふるえた帰り道で。

おしゃべりして。
笑って。泣いて。
手をつないで見上げた夜空。

覚えている。
あのときの温かさを、覚えている。

うれしい――-



[26376] けいおん モブSS (2)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:44
(2)




信じている。
あのときの私たちは、日本中で。
ううん、きっと世界中でだって。
一番楽しくて、かがやいていたんだって。
そう、今でも信じている――-。






ついてるのは私だけじゃない。

「姫子ちゃん、それって―-」

どういう意――

「しずかぁっ」
「わぁっ」

姫子ちゃんに手を引かれて入った3年2組の教室。
普段から落ち着いている彼女が発した言葉。
ちょっと弾んでいるような、浮かれているのを抑えているような。
そんなふうに滲み出ていた喜色に興味を引かれた私がその理由を尋ねようとした、その矢先。
横手からそれこそ体当たりのように飛び込んできた人物に頭からすっぽり抱きしめられた。

この声は――、

「え、エリちゃんっ?」
「大丈夫っ?姫子にわるいこと、されなかったっ?」
「え?え?」
「おーよしよしっ。こわかったねー、あぶなかったねーっ。でも、もう大乗仏教お釈迦様、だよっ」

とりゃぁっという雄雄しい掛け声とともに、抱きすくめられたまま横に振り回される小柄な私。
勢い、姫子ちゃんとつないだ手が離れる。
するとエリちゃんは戦隊ヒーローもののレッド役の人が悪者を糾弾するかのごとく、

びしぃっ
と姫子ちゃんに指を突きつけると、

「あたしのかわいいしずかにっ。これ以上手出しはさせんぞっ」
「いや、あたしのって」
「このおっぱい如来めぇっ」

・・・エリちゃんって、本当に仏像が好きなんだなぁ。

「はい朝からおっぱいネタ、禁止」
「あだっ」
「あら。おはよ、アカネ」
「おはよー。姫子も朝から大変だね」
「そっくりそのまま返すよ。お勤めご苦労様です、瀧さんの保護者さん」
「いえいえこちらこそご丁寧に」
「だれが保護者かっ」
「・・・うるさい」
「って、いちごっ。あたしたちのしずか明王がピンチなのにどうしてあんたはそんなに冷めていられんのっ」
「別に。私は関係ないし」
「ぬなっ」
「いちご、久しぶりだね」
「うん」
「おはよーいちご。ゆっても私たちは昨日ぶりだけどね」
「うん」
「あら、バトバレって昨日練習だったの?」
「午前練だけだったけどね・・・っていうか、バドバレって久々に聞いたよ」
「そう?桜高じゃぁ共通語のひとつじゃない。英語と一緒よ」
「や、そこまでグローバルじゃないでしょ・・・」
「不愉快」
「せめてバレバドならねー」
「・・・後先の問題じゃない」

エリちゃんに抱きとめられたままの私の頭上で交わされているやりとり。
確か、うちのバレー部とバトン部は伝統的に仲が悪い、んだっけ・・・?

ぼんやり聞き入っていた私が上げた視線は、

「あ」
「・・・おはよ、しずか」
「う、うんっ。おはよういちごちゃんっ」

このお姫様みたいにかわいい女の子は、若王子いちごちゃん。
誰が見ても口をついて出るのはかわいいの一言で、私もいちごちゃんみたいになりたいなあって、ひそかに憧れていたりもします。

あの巻き毛、どうやってセットしてるのかなあ。

「ひさしぶり」
「うん。部室のお掃除以来だよね、元気だった?」
「私はね。あの時は助かった」

口下手な私との会話はいつもつっけんどんで、無表情を地でゆく彼女ですが、

「ありがとうございました。また、よろしく」

こんなふうにちょっと他人行儀に聞こえるかもしれないけれど。
ちょっと誤解されやすいかもしれないけれど。
正義感が強くて、実は恥ずかしがりやさんな一面があることを。
私は彼女と過ごしたこれまでの2年間でたくさん知ることができていました。

「・・・暑くない」
「え?あ、ううん?エリちゃんはあったかい、って感じかなぁ」
「厚くない」
「え?」
「こらーっ、そこっ。いま、いま言ってはいけないことを言ったよっ?言いましたよねっ?」
「だって、ほんとのことなんだから、別にいいんじゃない?」
「ぬなーっ?修羅よっ、あんたは阿修羅よっ」
「・・・まないた」
「むきーっ」

あんたコーラ飲ますよっ、コーラっー――---
どたどたばたた――---

行っちゃった・・・。

「しずか、おはよー」
「アカネちゃん。おはよー」
「朝からおもちゃ、だね」
「あはは。いつものことだし。私は楽しいから」
「しずかは懐が大きいよね。いつもうちの瀧がすいません」
「いえいえこちらこそご丁寧に」

お馴染みのやり取りで思わず笑いあってしまう。

すらりと高い長身のこの女の子は、佐藤アカネちゃん。
桜高バレー部の主将で、普段はおとなしいけれど練習のときはちょっぴり厳しい。
そんな風にしっかりしていて、まじめそうに見える彼女ですが、

「どれどれ、父さんは無事かね?」
「もう、やめてよー」

わしゃわしゃと私の頭がかきまぜられる。
私の髪型があのゲゲゲの主人公に似ていることから、よくこうやってからかわれます。
でも、嫌じゃない。
こうやってお話してくれるアカネちゃんに、私はいつもとっても感謝してるんだよ?
そして、服の上からじゃわからない、その抜群のスタイルも、これまたひそかな憧れです・・・。

・・・同じ、高校生なのに・・・。
どうしてこんなに違うんだろう・・・。

尽きない疑問はさておいて。
スタイルとか、この手の話題になるとゆでだこ状態になるアカネちゃんも、いちごちゃんと同じくらいにかわいいのです。

そして、教卓の前でいちごちゃんとどちらがコーラの一気飲みができるのかを議論?
している女の子が、瀧エリちゃん。
アカネちゃんと同じバレー部に所属していて、いつも元気いっぱいの明るい女の子。
アカネちゃんとは小学校からの付合いで、いわゆる腐れ縁だったと、いつだったかに聞いたことがある。

「まあ、今年はエリも同じクラスだし・・・やっぱり、私が面倒見ないとね」
「ほんとにそうだよ?アカネがいなかったら、エリはただの仏像マニアの問題児なんだからね」
「姫子ちゃん、言い過ぎ言い過ぎ」

そうなのだ。
小学校から高校1年生まで常に同じクラスだったエリちゃんとアカネちゃんは、高校2年生のクラス替えで別々のクラスになってしまったのだ。
しかも、1年生で一緒だった私や姫子ちゃんとも離れ離れになってしまい・・・。
肩を落として落胆していたエリちゃんの表情は、今でも胸が締め付けられます。

「・・・でも」
「うん?」
「しずか?」

でも、と思うのだ。

「こうやってまたみんなと一緒になれて、私、うれしい」
「・・・ふふ、そうだね」
「うん。しずか明王癒されるね」
「もう、アカネちゃんっ」
「ごめんごめん」
「でもねしずか。今日のあたしたちのツキは、まだまだこんなもんじゃぁないんだよ?」
「・・・どういうこと?」
「おおっ。キャプテン姫子、さてをあれを出す気ですなぁ?」
「これが出さずにいられるかっ、って、キャプテンはつけなくていいでしょ」

そんな掛け合いの後、窓側に向かって手を振る姫子ちゃん。

「よっしー」
「え、よしみちゃんもっ?」
「うん、同じクラスだよ」
「わーっ?ほんとに?すごいね、ほんとについてるね私たちっ」
「ねー。これで宿題とかテストとかの心配事が減るもんねー」
「そ、そうだね・・・」

よっしーこと、砂原よしみちゃん。
桜高建学以来の才媛としてその名を校内に轟かす天才少女。
勉学だけでなく、運動もそつなくこなす彼女は家庭部という部活動に所属し、手芸と呼ばれる部門では入学以来、連続で全国高文祭金賞を受賞している。
平凡な私とは対極に位置する、まさにすーぱーではいぱーでぱーふぇくとな女の子。

「おはよふたりとも。しずかは終業式以来だね」
「うん。ひさしぶり、よしみちゃん」
「あれ?今度は何の本読んでるの?さっきおはよーしたときはブックカバーが違う気がするけど」
「さすがバレー部主将。目の付け所が違うよね。姫なんてソフト部のキャプテンのくせにそのへん鈍感だから」
「別にいいでしょ。ブックカバーで読んでた本を見分ける、なんて、ソフトの試合にはいらない技術だし」
「そんなんだからこの前の試合でエラーしちゃうんだよ」
「ちょ、なんで知ってるのっ」
「見に行ってたからね」
「へー。姫子にしてはめずらしいっていうか、想像できないね」
「姫のやつ、最終回で相方のサインを変に勘違いして、しなくてもいい牽制をしちゃったの。そしたら」
「・・・ランナーのいるはずの無い一塁へ送球、しかも大暴投。慌てて捕りに行ってる間に最後のランナーが生還して」
「2点リードだったところを憐れさよなら負け。めでたしめでたし」
「めでたくないでしょっ」
「・・・どんまい、姫子」
「・・・ありがと、アカネ。でも、どうしてかなあ。本番になって追い詰められるとつい緊張しちゃうんだよね」
「・・・姫子ちゃんでもそんなこと、あるんだね」
「あはは。それはもう、女の子ですから」
「そうだよしずか。姫はこれでも恋に恋する女の――」
「ちょ、よっしーっ。なにあること無いことゆってるのっ」
「あれ?無かったっけ」
「ないでしょっ」
「よっしーにかかれば姫子お姉さんも形無しだね」
「あ、あはは・・・」

よしみちゃんとお話している姫子ちゃんは時々子供っぽいところを見せてくれるので、なんだか新鮮です。
よしみちゃんも天才肌の割りにさばさばしていて、そしてとっても友達思い。

「ほんとに夢みたい」
「みんな一緒のクラスになれたこと?」
「うん」
「あーあ。見てご覧よっしー。これが純情乙女の模範的女子高校生ってやつですよ」
「姫の言うことにも一理ある」
「バレー部としても一票を投じたいところね」

え?え?えっ?

きょろきょろする私の頭をなでになでまわす三人のお友達。
これまたやはり定評のある髪質のよさで、私の髪はぼさぼさにならずすぐにもとに戻る。
そうしてアカネちゃんのお父さんいるかチェックがまた入って・・・。
でも、嫌じゃない。
どうしてだろう。
胸のおくが温かい。
なんだかすごく、うれしい。

「しずか」
「え?」
「講堂行く前に出席だけとるって」
「そのときの席は出席番号順」
「そろそろ先生も来るだろうし、もどろ」
「うん」

遅刻寸前の身の上ゆえ、今日の予定や今やるべきことに全くの無頓着な私に、三人がそれぞれ解説してくれて。
そんな小さなことにもいちいち感謝してしまう私。
・・・始業式の校歌はしっかり歌おう。
そんなちいさな気合とともに自分の席を見つけにいこうとした私に、

「しずか」
「姫子ちゃん?」
「ほんとにほんと、今日のしずかはついてるよ」

待ってるから、早く行ってあげてね――。
ウィンクとともに送られたそんな言葉を受け取り、自分の席へと向かう。
これ以上についてることがある?
・・・机とイスが新品、とか?

「・・・あっ」
「おはよ、しずちゃん」
「ふみちゃんっ」

木村文恵ちゃん。
花柄の髪留めが似合う、優しい女の子。
おっとりしていて料理が大得意な彼女とは、中学以来の親友同士。
そして、桜高家庭部に所属する彼女は、あのよしみちゃんと並んで、全国高文祭の創作料理部門で2年連続金賞を獲得している。
どこに出しても恥ずかしくない、私の自慢のお友達です。

「・・なんだか1年生の頃、思い出すね」
「うん」

桜高入学式の日。
今日みたいに桜が舞う青空。
お互い集合時間と集合場所を決めていたのにうまく落ち合うことができず。
講堂で式を迎えてみたら、同じクラスで出席番号も隣同士で。
そこでようやく集合できたことも、今では楽しい思い出のひとつで。

「・・・しずちゃん?」
「あ、ごめんふみちゃん。なんだかうれしくってぼーとしちゃった」
「ふふ・・・しずちゃん、朝から大変だったね」
「それ、教室に入ってからずっと言われっぱなしだよぉ」
「・・・しずちゃん、かわいいから」
「もう。ふみちゃんだってかわいいよ」
「・・・なでていい?」
「今日はもう店じまいですっ」

そんな風に言い合ってお互い小さく笑い合う。
そうして見つめることができる、大切な友達の顔。

「・・・これから1年、またよろしくね」
「うんっ」





信じている。
あのときの私たちは、日本中で。
ううん、きっと世界中でだって。
一番楽しくて、かがやいていたんだって。

そう、今でも信じている――-。



[26376] けいおん モブSS (3)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:45
(3)



目を閉じればいつだって思いだせる。
大丈夫だよ。
無数の思い出が私を支えてくれるから。
私は歩いていけるんだ。




「・・・長かったねぇ」
「ずっと寝てた子が言う台詞じゃないでしょ」
「ああ、校歌のときに聞こえたいびきのような声はエリだったのか」
「いやそんなに寝てないしっていうか何気によっしー聞き捨てならないんですけどっ?」
「自覚症状がないのは危険な状態」
「・・・末期なのかな?」
「いちごはともかく・・・ふみちゃん、そんなに心配されると本気で傷つくからやめて・・・?」
「まぁまぁ。校長の話が長い、でしょ?」

姫子ぉ~。
おーよしよし。

「・・・」

定例のごとくというかなんというか。
いつものとおりに講堂で行われた始業式は滞りなく進み。

「やっぱり如来様の包容力は桜高一だよねっ」
「・・・そこはどうしてか、素直には同意しかねるのよね・・・」

それぞれの場所で満開に咲いている桜を横目に渡り廊下を歩いている。
今月に入ってからちょうど一週間。
急に暖かくなった気がする。
とりわけ今日は雲ひとつない快晴で。
ふうわりとそよぐ風が私のおかっぱ頭をなでていく。
きもちいい・・・。

「しずちゃん」
「・・・え?」

春のそよ風に一瞬だけ目を細めていた私は、ふみちゃんからの呼びかけに一拍分遅れてしまい。
そんなふうにぼけらっとした私を、ふみちゃんはいつものふうわりやわらかい微笑みで待ってくれる。

「どうかした、ふみちゃん」
「あのね」
「うん」
「今日、このあと予定ある?」
「ううん、帰るだけ。ふみちゃんは?」
「私もおなじなの。そうしたらね」
「うん」
「あの・・・あのね・・・」
「うん」
「私、お弁当、作ってきたの・・・」
「えっ、そうなの?でも」

式のあとはショートホームルームで顔合わせだけして今日は解散って、山中先生が言ってたけれど・・・。
思案する私。
それでも、普段物静かでおっとりしているふみちゃんにはめずらしく勢い込んだ様子で、

「だ、だからね・・・?」
「うん」
「お花見しながら、食べれたらいいなって、思って・・・」

みんなの分も、作ってきたし・・・。
最後のほうはほとんど消え入りそうな声だったけれど。
今日一番の勇気を振り絞った様子のふみちゃんを見てると、なんだか心が癒されます。

それはそうと。

授業がない。
お昼から放課後。
みんなでお花見しながら食べるお弁当。

私の予定が一瞬で決まったのは言うまでもない。
歓声を上げる。

「わーっ。い」
「いいねっ、それっ」

エリちゃんに取られた・・・。
そのまま私を両腕に収めたエリちゃんは、その場でくるっと一回転すると。
どこかの金田一さんのきめ台詞のシーンのごとく、びしぃっとふみちゃんを指差し、

「あたしは行くよっ。しずかとともにっ」
「人を指差すの禁止」
「あでっ」
「練習中もこうなのか?」
「うん。この前トス練でやって突き指してたの見た」
「あはは。エリってよく体張るよね」
「・・・げ、芸人、さん・・・?」
「ただのあほだよ。だって面白くないし」
「いちごはともかく、ふみも何気にえぐってくるよね・・・」
「うぅっ、辛いっ。きっとこの世には神も仏も、弥勒も菩薩もいないのよーっ」
「わーっ、え、ええエリちゃんっ、落ち着いておちついてぇっ」

ぶんぶん揺さぶられる小柄な私。
回る視界。
苦しくなる呼吸。
あ、だんだん世界が白く―――

「ちょっ、エリしまってるっ、しまってるからっ」
「へっ?あ、ああっ」

ぱっと開放感。
続く浮遊感の後、ぼふんっと、何かやわらかいものに沈み込むような感覚。
目を開けるとすぐ近くに姫子ちゃんの顔。

「さすがおっぱい如来っ。ないすきゃっちっ」
「しずか投げ禁止」
「あうっ」
「こういうときソフト部入っててよかったって思うよね」
「いや、思わないだろ」
「同感」

アカネちゃんのおかげでエリちゃんのヘッドロックから解き放たれたその先。
着地点は姫子ちゃんの胸の中だったようだ。

「だ、だいじょうぶっ・・・しずちゃん・・・」
「・・・うん。むしろこのままもう一眠りできそう・・・」
「ぇっ、ぇっ?だめだよぉしずちゃんっ」

もどってきてー、というふみちゃんの声を遠くに聞きながら。
私は意識を手放し―――

「手放しちゃだめでしょっ」
「・・・やっぱりだめ?」
「まったく・・・いつからそんな甘えん坊になったのよ」

めってするよ?
そんな姫子ちゃんは将来保母さんとか似合いそうだなあ、なんてすこし場違いなことを考える。

「それにしても」

とよしみちゃんが仕切りなおす。

「お花見、か」
「う、うん・・・どう、かな・・・」
「別にいいんじゃない。先生はホームルームのあとは解散ってゆってたし」
「あ。でも始業式の日って、確か部長会の顔合わせ、いつもやってなかったけ?」
「なかったっけじゃなくて、実際やってるの」
「そうだね。確か終業式のときの部長会で通達あったよ」
「・・・あった?」
「あったよ」
「いちごは部長会いつも寝てるもんねーっ」
「あれは目を閉じてるだけ。一緒にしないで」
「・・・でも、たまに寝てるよね?」
「あ、アカネっ」
「やぁっぱりっ。そんなんじゃぁかいちょーに殴られるよっ」
「いや、真鍋さんそんな凶暴じゃないから」
「やつは桜高唯一の人格者だからな」
「かいちょーはやさしい」

学校生活全般のことごとくを生徒が主体的に運営する校風の桜高では、その推進役たる生徒会執行部は絶大な力を持つ。
と、いつだったかにアカネちゃんから聞いたことがある。
予算運営で教師側とぶつかりあうこともしばしばあるとか。
私たちの生活のまさに心臓部とも言いえる生徒会執行部の要職。
その第五十五代生徒会長の座を戴く、かいちょーこと真鍋和さん。
アカネちゃんから聞くところによれば、知る人ぞ知る我が校軽音部のベース、秋山澪さんのファンクラブ会長も兼任しているのだとか。

・・・会長職が好きなのかなあ?

「・・・しずか、それ、たぶん間違ってるよ?」
「え?」
「まぁ何にせよ、ちょっと時間かかりそうだな」
「うーん。でも、年間の部長会議の日程とか、今年度もがんばりましょーとかで、結構簡単に終わると思うよ?」
「あくまで顔合わせだから」
「そうそう。だから大丈夫だよふみ。ちょっと待たせちゃうかもしれないけど、あたしたちも行けるから」
「私も風紀委員の顔合わせ終わったらすぐ行くよ」
「しずかと先に行って待ってて?」
「う、うんっ。みんな、ありがとう・・・」

ぱあっと明るくなるふみちゃんの横顔。
そんなふみちゃんを見て。
アカネちゃんとエリちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、いちごちゃんに囲まれて。
たゆたうようにやさしい、春のそよ風に包まれるように。
私の心は温かくなって軽くなって。
風に舞う桜の花びらのように。
どこかへ。
どこまででも飛んでいってしまえそう―――

「・・・すー」
「って、しずか寝てるしっ」
「にょ、如来おっぱいおそるべしっ」
「ふふ・・・今朝はがんばって走ったからね、しょうがないよ」
「姫子はしずかにあまい」
「姫は男前だから」

夢見心地にとどく声。
大好きな声。
大好きなみんな。

「それじゃあ、さくっとホームルームして、さくさくっと会議終わらしてお花見行きますかーっ」
「エリは会議出ないでしょ」
「あ、そうでしたぁ、てへっ」






目を閉じればいつでも思いだせる。
大丈夫だよ。
無数の思い出が私を支えてくれるから。
私は歩いていけるんだ。



[26376] けいおん モブSS (4)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:45
(4)




君がいる。
ただそれだけでしあわせ。







翌日。

習慣というものはなかなか抜けないものらしい。
春休みに入ってから昨日に至るまでというもの。
私の起床時間はほぼ毎日、両親が仕事ヘ向かった頃か、弟が部活へ行った頃だったというのに。
いざ学校が始まってみると、私の体内時計は無意識にその時の刻み方を変えていたようだ。
すなわち、オフからオンへ。

窓越しに眺めた、日の出前のまだ薄暗い外。
湿気ている窓ガラスに触れるに、お花見のできる季節になったとはいえ、早朝と呼べるこの時間はまだまだ冷えるらしいと分かる。

ベッドから跳ね起きた私は、そのままの勢いでパジャマを脱ぎ。
保温性の高いトレーニングウェアに袖を通す。
ラップタイムを記録できる腕時計を身につけ。
一応姿見で全身を確認すると、まだ夢の中であろう家族を起こさないよう階下に下りる。
下駄箱にある愛用のランニングシューズを履いて玄関を開けると。
予定調和のようにリビングから顔を出したとめさんを伴って。
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、習慣の早朝ランニングへと出発した。


「おはよーふみちゃんっ」
「あ・・・おはよーしずちゃん」

待ち合わせ場所に選んだのは市内でも人気のパン屋さん。
実はここ、中学の時の待ち合わせ場所と同じだったりもする。

「ごめんね、ちょっと遅れちゃったよね?」
「ううん・・・私も、今来たところだから・・・」
「朝ごはん食べてて時間かかっちゃったみたい。今度から気をつけるね」
「・・・しずちゃん、よく食べるもんね」
「そうかなあ。別に普通だよ?」
「・・・昨日も、私、ほんとう作りすぎちゃったって思ってたのに・・・しずちゃん、全部食べちゃうんだもの」

さ、さすが明王の胃袋、底なしの地獄のようだっ
何わけのわかんないこと言ってるの・・・
とエリちゃんとアカネちゃんが言っていたのを思い出す。

「昨日は朝から走って、おなかすいてたから・・・でも、本当においしかったっ。やっぱりふみちゃんお料理上手だね」
「そ、そんなこと・・・ない、よぅ・・・」

そういって俯いてしまったふみちゃんの耳たぶは真っ赤っかで。
半分は優しさでできているかのようなこの親友は、褒められることにあまり慣れていないことを、私は誰よりも知っているはずなのに。
ついつい、褒めてしまう。
きっと、こんなふうに恥ずかしがってるふみちゃんが可愛いから。
もっと見てみたいって思う、ちょっぴり意地悪な私です。

「・・・でも」と、ふみちゃん。

「・・・昨日は、楽しかったね・・・」
「うんっ。ほんとに楽しかったよねえ」

始業式が終わり、講堂から教室へ向かう途中。
朝のどたばたと校長先生のながあいお話。
そして姫子ちゃんのふわふわの温かさが相乗効果を発揮し、そのまま眠ってしまった私は。
教室に着く手前に目を覚まし、ホームルームが始まる前にふみちゃんから改めてお花見の話を聞いた。
・・・眠った私をおんぶして運んでくれたおかげで、姫子ちゃんの保母さんっぷりが新しいクラスのみんなに定着してしまったのはまた別のお話。

「なんだかんだで、クラスのみんなでお花見になっちゃったもんね」
「・・・うん」

その時の光景を思い出し、二人して小さく笑う。

そうなのだ。
ふみちゃんの小粋な計らい(よしみちゃんがそう言っていた)により、放課後の時間を楽しく過ごせたのは。
何も私やいちごちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、エリちゃんやアカネちゃんだけではなくて。

「平沢さんの嗅覚には驚いたよね」
「うん」

事の発端はホームルーム直前の教室。
席に着いた私とふみちゃんは、出席番号の関係から、私が二列目の一番前、ふみちゃんがそのすぐ後ろという配置になっていて。
ふみちゃんがどんなお弁当を作ってきたのかを聞いていると。
「・・・ぉぃしそぅ・・・」と頭上から降ってくる声が一つあった。
見れば今にもたれてしまいそうな涎を光らせた、ちょっぴり寝癖頭がチャーミングポイントのクラスメイトの姿が。
軽音部のヴォーカル兼ギターの平沢唯さん、その人である。
隣にいたこれもまた軽音部のキーボード琴吹紬さんが「唯ちゃん、これはから揚げの匂いよっ」と合いの手を打ち。
そのうちにこれもまた軽音部のドラム兼部長の田井中律さんとベースの秋山澪さんも「・・・すっごい量だな」「でも、今日って部活とか停止だから、ホームルーム終わったら全員下校じゃなかったか?」
と吸い寄せられるように入ってきて・・・。
それから。

―どれどれ。
―ほんとだいいにおぉいっ。
―でも、どうしてお弁当を・・・?
―え?お花見するの?これから?
―いいねえっ。
―でも、どこでお花見するの?中庭とか?
―あ、うちの部にビニールシートあるよ!
―それじゃあせっかくだし、クラスみんなでやろうよ、お花見!

と。
あれよあれよという間に。
私たち七人組で予定していたお花見はいつしか。
「三年二組はじめましてこれからよろしく交流会!in中庭」
へと大発展してしまったのだった。
・・・ちなみに、会の命名はオーラルコミュニケーション部の松本美冬さん。

それからホームルームが終わり。
軽音部のみんなが顧問でもある山中先生(軽音部のみんなからは「さわちゃん」と呼ばれていた)を強引に誘ってひと悶着あったり。
部長や各種委員会の委員長を勤めているクラスメイトの集合を待つ間。
ふみちゃんのお弁当では足りない分を補うべく、みんなで手分けして近くのコンビにへお弁当やお菓子や飲み物の買出しに行ったり。
中庭のお花見場所を確保したりと。
とてもできたばかりのクラスとは思えないほどの連携ぶりで。
お花見の準備は着々と進んでいったのだった。

「秋山さんの乾杯の挨拶、可愛かったよねえ。すごい恥ずかしがってたけど」
「・・・出席番号一番の人がっていうのが、なんだか可愛そうだったね・・・」
「あはは、そうだね」
「・・・でも、学園祭で歌ってるときは人前とか全然平気そうだったけど・・・意外だった・・・」
「歌といえば平沢さんの即興っ。盛り上がったよねー」
「ギター、すごい上手だった」
「ほんとにねっ。そのうち岡田さんなんかフランクフルトをマイクにして歌い出しちゃうんだもん。歌はすごくうまかったけど。みんなもすごいハイテンションだったし」
「・・・みんなジュースしか飲んでないはずなのに、酔っ払ってるみたいで、ちょっと怖かった・・・」
「あはは、そうだね。でも、掘込先生が来たときはちょっとひやっとしたね」
「・・・真鍋さんがうまく言ってくれたお陰で助かったね・・・」

話している間に校門をくぐる。
昨日よりもすこしだけ強めの風にゆられ、桜が花を散らしていく。
昨日のお花見中も何度か、こうした桜吹雪を目にした。
その一片をふと目で追っていると。
登校する生徒の中、見慣れた後姿を見つけた。
あれは―――

「・・・」

ふみちゃんと一緒に追いかける。

「・・・」
「おはよ、いちごちゃ」
「おはよぉっしずかぁっ」
「わぁっ」

例のごとく抱きすくめられる小柄な私。

「エリってほんとしずかを捕獲するのが好きだよね」
「捕獲言うなっ」

スキンシップだよ、すきんしっぷ。

呆れたようなため息。
降ってくる明るい声。
アカネちゃんとエリちゃんだ。

「・・・おはよ、エリちゃん、アカネちゃん」
「おはよ、ふみ」
「おはよーっ」
「しずかもおはよ」
「ぅ、うん、おはよーアカネちゃん、エリちゃん」
「いやー。やはり一日一回、これをやらないと、今日が始まらないよねぇ」
「え、エリちゃんっ、くすぐったいよぉ」
「まったくこの子は・・・あ、ほら、いちご行っちゃったよ?」
「ぬなっ?あんの阿修羅っ子めぇっ。今日という今日は逃がさんぞーっ」
「って、結局捕獲するんじゃない・・・あ、ちょっと、エリ」

いちごーーっ、コーラだーーっ――――---
だだだだだだだだ―――---

・・・行っちゃった。
ルパンを追いかけるとっつぁんのような声を上げて昇降口へなだれ込んでいくエリちゃんを見送り。
・・・あ、いちごちゃん、ちょっと小走りして・・・もしかして、逃げてる?

余韻でふいた風が私の頭をなでると、くしゃくしゃになった髪はすぐ元通りに。
ふみちゃんはぽかんとしている。

「朝から元気だな、あの仏像娘は」
「・・・よっしー、そのネーミングはどうかと思うよ」

後ろから聞こえた声に振り返ると、

「あ、よしみちゃん。姫子ちゃんも」
「おはよ、しずか」
「おはよ、姫子ちゃん。よしみちゃんも」
「ああ、おはよう」
「ふみもおはよー」
「うん、おはよう姫ちゃん」
「二人ともめずらしく早いね。っていうか姫子、昨日夜勤とか言ってなかった?大丈夫?」
「うん、店長が早めに上がらせてくれたからね、そんなに寝てないわけじゃないよ」

そっか、と少し安心した様子のアカネちゃん。
学校から少し離れたところにあるコンビニでアルバイトをしている姫子ちゃん。
社会勉強も兼ねてと言っていたのを聞いたことがあるけれど、夜勤シフトまで入ることもあるのだとか。
学校ではソフト部の練習もあるし、成績だっていい姫子ちゃんのことだから、いつか無理がたたって身体を壊しちゃうんじゃないかと。
私やアカネちゃん、ふみちゃんでこっそり心配していたりもします。
・・・そう、あのいちごちゃんも、実はちょっぴり心配気味。

「ふふ、そんな顔しないの」

くしゃっとなでられる頭。
そんなに心配そうな顔をしていただろうか?

「やばくなったらちゃんと休むから」
「・・・ほんと?」
「ソフト部部長の名にかけて」
「・・・きっとだよ?」
「りょーかいです明王どの」

おどけたように敬礼する姫子ちゃん。
となりのよしみちゃんは、心配するだけ損だよ、まるでそんなふうにいいたげなジェスチャーをしている。

「ほら、そろそろ行かないと」
「そうだな」
「また遅刻しそうになって、教室間違うわけにはいかないもんね?」
「えっ、アカネちゃんどうして知ってるのっ?」
「ごめんごめん、姫子から聞いたの」
「なるほど。昨日の短距離走の選手みたいな走りっぷりのあとに、そんなドラマが」
「しずかったらなんの躊躇も無く入っちゃうんだもの。あまりに自然だったから、声かけられなかったよ」
「・・・ふふ・・・」
「もぅっ、ふみちゃんまで」
「ほらほら、行くよ?しずか」
「あ、アカネちゃん、あんまり人には言わないでねっ?」
「えー、どーしよっかなー」
「慶子に言えばすぐに広めてくれるんじゃない?」
「確かに。やつは桜高の歩くゴシップと呼ばれてるからな」
「・・・ご、ゴシップって、歩くの・・・?」
「お願いそれだけはやめてぇー」

きゃあきゃあ言いながら昇降口へ入っていく私たち。


今日から通常授業だ。






君がいる。
ただそれだけで生きていける。
今はそれだけで、しあわせ。



[26376] けいおん モブSS (5)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:46
初めに。

東北地方太平洋沖地震において被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた多数の方々のご冥福をお祈りすると共に。
未だ安否の分からない多数の方々の無事を、心よりお祈りしております。
このSSや他の作者様の作品が、被災地の方々の心に、少しでも明るくあたたかい何かを灯すことができたなら。
これほど幸甚なことはありません。




(5)




走ること。
走り続けること。
その先に道なんてない。
だって。
走り続けたその後に、道はできるのだから。




「新入生の勧誘?」

朝のショートホームルームが終わってすぐのこと。
教室移動をしようと席を立った私に話しかけるクラスメイトが一人。

「うん。できれば、今年も手伝ってくれると助かる」

平坦な口調に動かない表情。
そんな状態の人間からお手伝いを乞われる側にしてみれば、否応なしにも感じ取れてしまう冷淡さととっつきにくさ、なのだけれど。
話しかけてなお、桜高女子憧れのひとつであるその巻き髪をいじる、その仕草が。
実は照れ隠しのときにでる彼女の癖のひとつであるということを。
この二年間、同じ教室で過ごした私は知っている。

答えの是非もない。
二つ返事でうなずく。

「もちろんっ。いちごちゃんのお手伝いなら私、大歓迎だよっ」
「・・・そう。そうしたら、早速今日の放課後――」
「いーっちごっ」
「きゃっ」
「へっへっへ、やぁっと捕まえたぜこの巻き髪娘っ。これでやっとコーラいっきの恨みを・・・っ」
「いちご捕獲も禁止」
「いにゃ゛っ」
「エリちゃん、アカネちゃん」
「ごめんねしずか。いちごも、話の腰、折っちゃったりした?」
「・・・別に。もうお願いしたから、後ででいいよ」
「そっか。でも、お願いって?」
「・・・秘密」
「えー、なにそれー。きぃになぁるなー」
「ちょっ、かお、顔ちかいっ」
「いいじゃない。バレー部部長とバトン部部長の仲でしょー?」
「・・・別に。うちとバレー部は、伝統的に仲、悪いし」
「・・・そんな状態で言われても、説得力ないけどね?」
「・・・」
「あ、ちょっと、いちご・・・って、行っちゃった。もう、しょうがないなぁ」

しずか、後で教えてねっ

そう言い残し教室を出て行くアカネちゃんを見送る。
…いちごちゃん、エリちゃんをくっつけたまま出て行っちゃったけど。
よっぽど、恥ずかしかったんだね…。
エリちゃんはきっと、舌、噛んだんだね…。

「・・・私たちも行こう、しずちゃん」
「あ、うん、そうだね」

気がつけば人もまばらな室内。
ホームルームで配られた、三年生の進路決定に至るまでの授業カリキュラムについて、と銘打たれた少し厚みのある冊子を片手に。
中学からの親友であるところのふみちゃんこと、木村文恵ちゃんを伴って。
次の授業コマに割り当てられた学年オリエンテーションに出席するべく、私たちは教室を後にしたのだった。



階段を下りて、二年生の教室がある一階へ。
途中見かけた一年生の教室がある二階の廊下では。
まだ真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、できたばかりの友達集団なのだろう、お互いちょっぴり緊張した面持ちで談笑していた。

「・・・しずちゃん、今年も大抜擢だね」

トレードマークである花柄の髪飾りでまとめられたおさげをゆらして。
隣を歩く親友はそんなことを言う。
大抜擢、というと―

「いちごちゃんのお手伝いのこと?」
「うん」

なぜかは分からないけれど、大仰な表現に少し照れる。

「だ、大抜擢だなんて・・・。それに、去年と一緒で、私なんかじゃきっと、なんにもできないから・・・」
「そんなことないよっ」
「ふ、ふみちゃん・・・?」

常からおっとり物静かで、ちょっぴり気の弱い彼女にしては珍しく強い調子で遮られる。
月に何度見られるかわからない強気にちょっぴり驚いていると。
半分は優しさでできている(よしみちゃんが言っていた)と思われる親友は、自分の出した大きな声に、むしろ自分でびっくりしたようで。
はっと口元を押さえると、それでもこれだけは譲れない、という意思をその瞳に乗せて私をみつめるふみちゃん。

「・・・去年のしずちゃん、すごいがんばっていたの、私、知ってるもん・・・」
「ふみちゃん・・・」
「ふみの言うとおりだぞ、しずか」
「よしみちゃん」
「バトン部の新入生、創部以来一番多かったって、若王子部長さんも言ってたもんね?」
「・・・よしみちゃん姫ちゃん、ありがとう」
「なに言ってるのこの子は」

いちいち可愛いんだから。

そうやってふみちゃんをなでた姫子ちゃんは。
悪いことをした子供を叱る母親のように腰に手を当てたポーズで、今度は私に向き直ると、

「・・・だれがお母さんだって?」
「ご、ごめんなさいっ?」

こ、声に出してたのかな・・・っ

「まったくこの子は・・・。いい、しずか?」
「は、はいっ」
「・・・しずかが思ってるよりずっと、いちごはしずかに感謝してるんだよ?」
「そう、なの、かな・・・」
「そうなのっ」
「う、うんっ」

めっ、とされる私。
そんな私たちの後ろから、よしみちゃんが言う。

「全国大会常連のバトン部の中で、いちごは一年生の頃からエースを張ってきた。三年生が引退して、ただ一人の二年生部員だったあいつにとって、去年の新入生勧誘活動は大きなプレッシャーだったに違いないからな」

愛想がいいわけでもないし。
・・・でも、可愛いよ?
そう言って苦笑をこぼしあうよしみちゃんとふみちゃん。

そう。
わが桜高のバトン部は、創部以来、全国大会の常連として全国的にも有名だ。
学校の生徒募集要項の表紙やホームページで、その雄姿が飾られることも良くあるほど。
桜高といえばバトン部、と言われるくらい、学校のイメージとしても定着している。
そんな由緒ある伝統を持つ部の、それも部長を務めるいちごちゃんと私は、一年生と二年生を同じクラスで過ごしている。
今ではきっと。
親友同士だと誰に説明しても納得してもらえる、そんな間柄で。
私やふみちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、エリちゃんやアカネちゃんのみんなで。
いちごちゃんが出場する大会の応援に、何度も行った。
エースのみが着ることを許されると言う、桜色のレオタードを身にまとい。
紅のバトンと共に優雅に舞う親友の姿に。
私たちは息を飲み、感動し、手が真っ赤になるほどの拍手喝采を送った。

来るなら先に言ってよね―。

そう言いつつ、巻き髪をいじるいちごちゃんの姿が、ふっと脳裏に浮かんで。

「―そう、だよね」

そうだ。
私がしっかりしなきゃっ。

「姫子ちゃん」
「うん?」
「私、がんばるよっ」
「ふふ、そうこなくっちゃ」
「ふみちゃんも、ありがとうねっ」
「…ううん。がんばって、しずちゃん」
「よしみちゃんも」
「私は何もしてないよ。それより、しずか」
「え?なに?」
「去年に引き続き今年も、ということは…明後日の新入生歓迎会もエントリー、と言うことでいいんだな?」
「…あ゛」
「エリもそうだけど、しずかも身体をはるのが好きだよねえ」
「…愛のなせる業、だね」
「ちょ、ちょっとふみちゃん、なに言ってるのっ?」
「おーおー、熱いね熱いねー」
「しずかはいちご一筋だもんねえ」
「ちょ、ふたりともっ」
「まあでも、今年もしずかの雄姿が拝めるんだし」
「眼福眼福」
「…カメラ、もっていかなきゃっ」
「ふ、ふみちゃん、そんなところに力入れなくていいからっ。ねっ、ねっ?」

何はともあれ。

「今年もバトン部の新入生、たくさん勧誘するぞーっ」
「おー」
「お、おー…」
「三人ともっ、どうして私より盛り上がってるのーっ」

そうして到着した特別講義室はほとんど席が埋まっていて。
先に来ていたエリちゃんたちのお陰でなんとか席を確保できた私たち。
オリエンテーションの間中しばらく。
いちごちゃんの顔をまともに見られなかったのは、私の中だけの秘密。




走ること。
走り続けること。
その先に道なんてない。
でも。
どうしてだろう。
怖くなんかない。
だって。
走り続けたその後に、道はできるんだ。
走り続けるその先に、みんながいるって、わかるんだ。
だから私は、走り続ける―――
みんなに会える、その瞬間を夢見て。



[26376] けいおん モブSS (6)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/06/13 23:30
(6)




願いごとをしよう―。




授業オリエンテーションが終わって束の間。
お昼休み前の授業はロングホームルームに割り当てられていた。

「それではまず初めに」

出席番号順により最前列となっている私の席。
その左前方に見える教卓のすぐ後ろには教室の端から端まで段差が設けられている。
今は担任の山中先生に代わりその壇上に立つ少女は。
彼女の代名詞として全校生徒から認知されているところの赤のアンダーリムメガネを押し上げてから言った。

「一年次から継続して活動する管理統括系委員会の、クラス内における所属状況を把握したいと思います」

黒板には流麗達筆に踊る、三年二組第一回学級会、の文字。
桜高生徒会執行部第八十五代会長、兼、本日付で私たちのクラス長を任命された真鍋和さんである。

「自分の所属する委員会名を呼ばれたらその場で挙手をお願いします」

クラス長選出の場面。
田井中さんが放った、まなべさんでいいとおもいまーす、という一言が教室に流れる時間を止めたのはほんの一瞬で。

さすがりっちゃん隊員っ
名案ねっ
生徒会長も兼ねてるしそうしてくれると担任としても楽ね~
…先生、そういう問題ではないと思いますけど…

というような軽音部(顧問含む)のみんなの後押しもあって。
クラスの誰一人意見することなく、全会一致で拍手による承認が下りたのがついさっきの出来事。

「では、広報委員会から確認します――」

学校生活全般を生徒会執行部が主体的に運営する桜高には、その運営の手足となる各種委員会が多数存在する。
委員会の系統は二つに大別され、生徒全員が何かしらの委員会に所属するよう校則で定められている。

「…クラス長と生徒会長って、兼任できるんだね…?」
「…確かに。どうなんだろうね…」
「…山中先生うれしそうだもんね…」
「そ、そうだね…」

すぐ後ろのふみちゃんとの内緒話を余所に、真鍋さんによる確認作業は着々と進んでいく。

「――風紀委員長は、砂原さん、でよかったわよね?」
「ああ」

管理統括系と称される委員会群。
校則遵守の啓蒙と学内の治安維持を行う風紀委員会を初めとして。
学内外の広報業務を一手に担う情報宣伝委員会。
全学の膨大な蔵書の管理保存を目的とする図書委員会。
清掃活動の計画運営と教員を含む桜高関係者全員の健康管理を司る美化衛生委員会。
以上四つの委員会がこれにあたる。

「情報宣伝委員長が風…高橋さん」
「…対外呼称は情宣部長、だけど」
「図書委員長が宮本さん」
「は、はいっ…」
「そして医局長…じゃなかった…美化衛生委員長が巻上さん」
「うん」

こうしてみると…

「…管理統括系のトップが全員揃ってるなんて、すごいクラスですね」
「生徒会長の真鍋さんもいるし。クラス運営とか内申評価とか、担任冥利に尽きるわね~」
「…先生の意図は何となく読めました…」
「体育局の責任者も大体揃えてあるし、体育祭も期待できるわよっ」
「いえ、わかりましたから」

握りこぶしと共に力説する山中先生に肩をすくめる真鍋さん。
堂に入ったその仕草を見るに、軽音部サポーター(秋山澪ファンクラブ会長も兼任していることからきている、らしい)としても気苦労が絶えないようで。
見ているこちらまでなんだか苦笑してしまう。
と、横手から上がる声がひとつ。

「ちょっとちょっとさわちゃん先生っ」
「さ、さわちゃんせんせいっ?」

山中先生の愛称が、さわちゃん、であることはわたしが一年生の頃からわりと周知の事実だ。
その原因は言うまでも無く軽音部なのだけれど…。
真鍋さんが拾う。

「…はい、野島さん」
「全学新歓長のあたしも忘れてもらっちゃこまるなーっ」

野島ちかちゃん。
本人曰く、体温が高い、とのことから、ブレザーやジャージなどの上着をよく腰巻にしているいつも笑顔の明るい女の子。
そのさばさばした性格と人柄から何かと話題の中心にいる人だ。
わたしもある時期とってもお世話になったことがある。

「そ、そうね。新歓長も重要なポストね」
「新入生の歓迎と監督を一手に引き受けていますからね。新入生歓迎会の運営も彼女たちが主体ですから」
「えっへんっ。あたしがいるからにはクラスのみんなにも何かと協力してもらうことがあるかもだから、改めてよろしくねっ」

―もちろんっ
―ちかがやるならあたしもやるよー
―歓迎会、がんばって成功させようねっ
―にしてもさわちゃん、タレント揃えすぎだよね…
―職権濫用ってやつ?
―クラス間のバランス大丈夫なのかなあ

ちかちゃんの呼びかけに盛り上がるクラス内。
一部の声にはふみちゃんともども、ただ苦笑するしかないけれど。

「…時限系委員会も合わせて、所属状況の確認は以上、ね」
「ご苦労様」
「残りの時間は先生から、ですよね」
「ええ。修学旅行の班決めや進路のことなんかはまた来週のロングでやるから。ありがとう真鍋さん」

一礼して席に戻る真鍋さん。
スムーズな進行により、授業終了までにはまだ時間に余裕がある。

「さて、と…お昼休みまで時間もあることだし。何かこの時間中にやっておくべきことは他にあるかしら?」
「はーいっ」
「あら、田井中さん?」

びしっと挙手をしたのはまたもや軽音部長の田井中さん。
クラス中の注目を浴びた田井中さんは、自身もぐるりとあたりを見回してから、

「席替えしたいでーすっ」
「えっ?」

…と、いうことで。

「隣の席なんて、中学以来だねっ」
「うんっ…なんだか、うれしい…」
「もう、ふみちゃんおおげさだよお」
「しずちゃんだって…」

右隣に見る、照れ笑いの親友の姿。
中学以来のお隣さん同士になれたわたしとふみちゃん。

「あらあら、お熱いことで」

わたしの左後ろからは姫子ちゃん。

「一年のときのことを考えても、すごい確率だな」

ふみちゃんの前からはよしみちゃん。

「あ、アカネに背後をとられるなんてっ。あたしの頭、いつか割れちゃうよぉ」
「…なんなら今すぐかち割ってあげようか?」

わたしの左隣にはアカネちゃん、その前がエリちゃん。

「いちごちゃんは…」
「…」

秋山さんの前。
ちょっと、遠い…。

「ふふ…昼休み、一緒にごはんしてあげましょ」
「…うん。そうだねっ」

姫子ちゃんのこれ以上ない提案にうなずく。

「それにしても一番後ろの席だなんて、絶好のポジショニングね」
「あはは、そうだね」
「…わたしとしずちゃんも最後尾だね…」
「しずかは目、悪いんだろ?黒板、文字見えそうか?」
「あ、うん、大丈夫だよ。普段はコンタクト入れてるから…ありがとうよしみちゃん」
「そうそう。何かの拍子に意識不明に陥っていたとしても、授業のノートはよっしーのを見ればおっけーだしねっ」
「それはただの居眠りでしょ。それに、よっしーは授業の内容ノートにとらないよね?」
「ぬなっ?そ、そんなんでどうやって勉強をっ?」
「ん?ああ、まあ、大抵のことは目で見て耳で聞いて、さらに心で聴けばだいたい理解できるからな」
「て、天才っ、天才がここにいるっ」
「言葉以上の天才スキルだよね…」
「…うん。よしみちゃんはすごいね…」
「…あたし、ちゃんと卒業できるかな」
「いや、当てにしすぎだから」
「あの、わたしので良ければいつでも大丈夫ですよ?」
「えっ、いいの琴吹さんっ?」
「ええ、もちろん」
「やたーっ、これで卒業できるっ」
「だから当てにしすぎっ」
「…明日終わる頃には、エリの頭ぱっくりいってるんじゃない?」
「…脳天唐竹割り…」
「あ、あはは…」

席替え発起人の田井中さんは、例によって最前列の教卓の目前になっちゃったけれど。
この布陣はわたし的には願ってもないくらいに最高だ。
…エリちゃんの頭部は別枠として。

「はーい、みんな、席の移動は終わったわね?」

教卓から教室を見渡して山中先生。

「それじゃあついでだし、このまま生活班も決めちゃいましょうか」

―て、適当だ…っ
―以外とざっくりしてるね…

「えーと、こうしましょうか」

おもむろに手にしたチョークで、黒板に教室の俯瞰図を描いた山中先生は。
黄色のチョークに持ちかえると、前の三列三人のグループを縦に二列分になるよう囲っていく。

「…あ…」
「…班は離れちゃったね、ふみちゃん」
「…うん。でも、お隣さんだから、大丈夫…だよね…?」
「もちろんっ」

合計六つのグループを囲い終えた山中先生が向き直ったところでちょうど鳴り響くチャイム。

「―あら、ちょうど時間ね。それじゃあこれからこの生活班を基本にして提出物の集計や連絡網などを設定することにします。午後からは早速必修科目の授業だから、みんながんばってね」

これでロングホームルームを終了します、という先生の言葉を合図に。
真鍋さんの号令と共に答礼を終えたわたしたちはお昼休みを迎えた。
鞄からお弁当を取り出そうとしているいちごちゃんに、一緒に食べようと言うべく。
わたしは彼女の元へ歩を進めるのだった。




願いごとをしよう。
今は遠くに離れてしまった君が寂しくないように。
今は空いてしまった君の手を誰かが握っていてくれるように。
小さくて簡単な願いごとを、ひとつ。



[26376] けいおん モブSS (7)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:47
(7)




つみ重ねた思い出とか。
メモリいっぱいの写真とか。
同じ道を歩いているようでも目指す先は違っていて。
それでもなお。
願って望んだその場所にたどりついてからも私の心を掴んで離さない、ただ愛おしい記憶。




放課後。

「…」
「…」
「…」
「…」

今朝方他でもない、いちごちゃんたっての願いということで、バトン部の新入生勧誘のお手伝いを頼まれた私は。
六時間目の数学の授業が終わるやいなや、

体育館で待ってるから

とこちらの返事を聞くことなく一言だけ寄こして教室を出て行ったいちごちゃんの後を追うべく。
翌日の身体測定のために用意していたジャージに、人目をはばかることなくいきなり着替えだした私。
目を丸くして驚くふみちゃんや、そんなに焦らなくてもいいんじゃないと苦笑する姫子ちゃんの机やら椅子やらにぶつかりながらも。
制鞄と体育館シューズを抱えて、言葉通り、体育館に向けて全力疾走を敢行した。

「…」
「…」

小柄な、青い猟犬のごとき俊足で(別クラスで授業を受けていた帰り、すれ違ったというよしみちゃんに、後日そう言われた…)たどり着いた体育館は二階建て構造になっている。
一階部分は剣道部と柔道部が活動する武道場。
二階部分はバレー部、バスケ部、そしてバトン部が活動する。
三部間では、バスケットボールコート二面分の広さを、一面ずつ使用するローテーションが組まれており。
全国大会常連であるところのバトン部は、使用頻度においても他より優遇されている、とはバレー部長であるアカネちゃんの談。

「…」
「…」
「…」
「…」

授業が終わったばかりで人もまばらな屋内では、バレー部と思しき生徒達がネットの設置作業を行っている。
かくいうバトン部の人たちは、というと…、

「…」

部長であるところのいちごちゃんと、

「…」

お手伝い要員の私以外、まだ、その姿を見ていない…。

「…」
「…」
「…」
「…え、と」

体育館に入って、ジャージ姿のいちごちゃんを見つけて、声をかけてから、というもの。
私たちはただの一言も発することなく、見つめあっている。
…というには、語弊があるかもしれない。

「…」
「…」

ネットを設置し終えたバレー部の二年生達の(ジャージの色が赤い場合、二年生のカラーだ)、

なんだか緊迫した雰囲気だね…
こ、こ告白するのかなっ?

という、本人達は囁きあっているつもりかもしれないけれど、こちらまでまる聞こえな声は、この際、気にしないことにするとして。

「…」
「い、いちご、ちゃん…?」

堪らず声を漏らしたところで、はたと気づく。
彼女の視線の先。
その終点を追うところ、私の目というより、顔というよりはもっと下。
私が山のように抱えている、その手元を凝視しているようで。

「…」
「あ、こ、これのこと?」
「…」
「ここに来る途中でたくさんもらっちゃった…。おかしいよね、私三年生なのに、新入部員勧誘のビラもらっちゃうなんて」
「…童顔」
「はぅっ」
「ちび」
「はぅぅっ」
「…鬼太郎」
「き、鬼太郎は関係ないでしょーっ」

じたばたじたばた

「ふ…冗談」

そ、そんなふうには聞こえなかったんだけど…。
でも、口の片端をつり上げて笑う、そんないちごちゃんを見ていると。
三年生なのに躊躇無く新入生勧誘のビラを渡されてしまうのも、別に気に病むことじゃないのかな、と。
そんなふうに思えるから不思議です。
…このビラは数学の計算用紙にでも使うとしよう。

「中庭、今年も騒がしいんだ」
「え?あ、うん、そうだね。運動部の勧誘、すごい盛り上がってたみたいだよ?」
「部活棟の廊下も、人でいっぱいだったしね」
「そうなんだ…。あれ?いちごちゃん、そっちから来たんだね」
「うん。だってこっちのほうが、二階から直接入れるし」
「あ、そっかぁ。エリちゃんの屋内練に付き合ってたから、なんだかこっちのルートが身についちゃってたみたいで」
「仏像中毒女の自主練?」
「う、うん」

桜高のバトン部とバレー部は伝統的に仲が悪い、なんて言うけれど。
良い意味で、いちごちゃんはエリちゃんに容赦がない。
その逆もまた然り。
ちょっとだけ。
ほんのちょびっとだけ。
そんな二人の関係がうらやましいな、なんて、思わなくもない、かな…。
ふみちゃんや姫子ちゃんに言ったら、きっと苦笑されるけど。

「でも」といちごちゃん。

「私が着替え終わった時点で着いてるなんて」
「え?…うん、走ったからね」

中庭も駆け抜けようとしたはずなのに…。
勧誘につかまってしまう私って、いったい…。

「流石は全国レベルのスプリンター。鍛え方が違うよね」
「…元、だけどね」

いちごちゃんにしては珍しく、素直に評価してくれる言葉に。
はにかむ、というよりは、どうしても苦笑気味に返してしまう私。
そんな困惑したような、萎縮したような私を見て、いちごちゃんはつり上がった口端を元の角度に戻すと、

「ごめん」と短くつぶやいた。

「しずかにはこんな言い方、気まずいだけだよね」

分かってるはずなのにね

その無表情の中にも様々な感情の色を感じることができるようになった私は。
ただ純粋な悲しみに色どられてしまった親友の瞳を。
それでも。
違うんだよって、ひたむきにみつめ返すよう自分に課すことしかできなくて。

そんな顔、させたくないのに。

思うことをうまく伝えられない口。
無闇に動かそうとすれば、それこそ場違いな何かが飛び出してしまいそう。
どうにかして「いちごちゃん…」と一言。
親友の名前を呼ぶことでしか、今の私には応えられない。

なにか。
なにか、いわないと。
でも、なんていえばっ

「だいじょうぶ」

平坦な言葉と共に、ふうわりとやさしい香りに包まれる。
少し控えめな、それでも私よりかはあるふくらみに押し付けられる鼻先。
いちごちゃんに、抱きしめられている。

「だいじょうぶ」と繰り返される声。
背中に回ったすらりと長い腕にこめられた力が、今は不思議と心地よくて。
いちごちゃんの不思議な、優しい、熟したいちごのように甘い香りも相まって。
私の胸の中に立ち込めた薄暗い何かが、すっきりと晴れていく―。

「一年生のときのこと、覚えてる」
「…うん」
「しずかはあのとき、私たちのために必死で走ってくれた」
「うん…」
「しずか」
「…うん」
「しずかは、いつも誰かのために走ってる」
「…」
「私は、そんなしずかが好き。かっこいい」
「いちごちゃん…」
「でもね」

遠ざかる香り。
頭ひとつ分上から見つめられる。
肩に置かれた手に、きゅっと力がこめられたのが分かった。

「自分自身のために走るしずかも、見たいよ」
「…私は…」
「だいじょうぶ。ひとりじゃないから。みんながいるから」

だから、自分のために走りなさい。

それは私に向けても。
そしていちごちゃん自身にも言い聞かせるような、そんな言葉で。
どこまでも深い、優しさのたゆたういちごちゃんの瞳は、ただただ綺麗で。
やっぱりいちごちゃんは可愛いなぁ、なんて、少し場違いなことを思った。

「―えー、ぅぉほんっ」
「えっ?」
「きゃっ?」

すぐ横でわざとらしい咳払い。
驚いた拍子に再度抱き合ういちごちゃんと私。

「おーおー、お熱いですなーお二人さんっ」
「見てるこっちが恥ずかしかったよ…」
「え、え、ええエリちゃん、アカネちゃんっ?」
「やっほー」
「邪魔してごめんね二人とも。…ほらほら、見せ物じゃないんだから、早く勧誘に行ってきなさい。あなたたちは見学に来る子たちに練習見せられるように、アップっ」

は、はいっ
いってきますアカネ先輩っ
いいなーあたしも若王子先輩に抱きしめられてみたいなー
木下先輩かわいかったーっ

三々五々に散ってゆくバレー部員たち。
数が、増えて、る…っ。

「まったく」とため息混じりにアカネちゃん。

「人目っていうものもあるんだから。その辺のこともちょっとは考えなさいよね」
「え、あ、わ、私たちは、べつにそういうっ」
「あー、はいはい、分かってる分かってる。冗談だよ冗談」
「しずか、それ以上は反則。かわいすぎ」
「えっええっ?」
「いちごも。歓迎会の出し物の練習するんじゃなかったの?」
「…」
「いちご?」
「あぁーれぇー?そんなに顔真っ赤にして、どうしたのかなぁいちごちゃーん?」
「ちょ、かお、顔近いっ」
「なんかあたしのことも仏像狂いやらコーラ中毒やら好き勝手言ってくれちゃったりしちゃったりしてるみたいだしーっ?」
「別に。ほんとのことなんだからいいんじゃない」
「い、いいわけないでしょっ。この阿修羅娘、どの口がそれを言うかっ」
「…貧乳教(ヒンドゥー教)」
「にゃにをぉーっ」

アーユルヴェーダなめるなよこんにゃろーっ
どたどたばたた――

…い、行っちゃった…。

「…こういうの、なんて言うんだっけ」
「え、と…お、お約束、かな…?」

新入生歓迎会まで、あと、二日っ。




つみ重ねた思い出とか。
メモリいっぱいの写真とか。
同じ道を歩いているようでも目指す先は違っていて。
交わっては離れてを繰り返す、君と私の進む道。
それでもなお。
願って望んだその場所にたどりついてからも私の心を掴んで離さない、ただ愛おしい記憶。



[26376] けいおん モブSS (8)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:47
(8)




空の青さに、雲の白さ。
もしも。
思い出に付ける色があるとしたら。
私たちのそれには、どんな色を付けようか――。




『――あー、てすてーす…』


『新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。軽音部ですっ』


『私たちは放課後ティータイムというバンドを組んでて、毎日お茶とかしてるんですけど』


『音楽ってとっても楽しいです』


『よかったら、是非軽音部にっ』


『それじゃ最初の曲、いきますっ』


『わたしの恋はホッチキスっ』







『――はい、軽音部のみなさんありがとうございましたーっ』


新入生歓迎会、当日。
オープニングの幕開けは軽音部によるバンド演奏。
去年の学園祭で聞いた曲や、今日初めて耳にする曲。
そのどれもが彼女たちらしさに彩られていて。
講堂で聞いている新入生も含めて、舞台袖で出番を待つ私たちまでもがその演奏に引き込まれ、気づけば体を揺らしていた。


『実は彼女たち、あたしのクラスメイトなんですよー。普段はおかしばっかり食べてるみたいだけど、桜高祭の軽音部のライブは我が校の名物だから、必見ですよーっ…あ、唯っ、ナイスライブっ。よかったよーっ』


下りていく幕の向こうで機材の片付けをしている軽音部に、再度送られる拍手。
司会を務めるちかちゃんは、観客をのせるのがうまい。


『あたしからも改めて言わせてもらいます。新入生のみなさん、ご入学、おめでとうございますっ』


「…ちかのやつ、生き生きしてるな」
「大舞台に強い子だからね、あの子は」
「むむっ。ちかりんばっかにおいしいところをもってかせるわけにはいかないよっ」
「いや、そんなところで張り合ってもしょうがないでしょ…ちょっとエリ、落ち着きなさいって」
「さすが新歓長の座を勝ち取った女。普段から上着を腰巻にしているのは伊達じゃないね」
「…腰巻きしたら、私もあんなふうに大勢の前で話せるようになれるかな…」
「…えと、ふみちゃん、そこはちょっとだけ冷静に考えよう?」

舞台袖では活動紹介にエントリーした各部の出場者達が段取りの確認や出し物のリハーサルを行ったりしている。
かくいう私もそのうちの一人。


『あたしは全学新入生歓迎監督委員会、通称全学新歓の委員長を務める野島ちかっていいます。これから見かけることがあったら、新歓長とか監督って呼んでくださいね。あ、でも、呼びにくかったらちか先輩、とか、ちかりん先輩って、かわいく呼んでねーっ』


新入生の笑いを誘うちかちゃん。
姫子ちゃんの言うとおりのところもあるけれど、いつも笑顔で明るいちかちゃんはクラスを問わず学年を問わずみんなから好かれている。
私も含めてどんな人とも分け隔てなく仲良くなれて、親身になって話を聞いたり相談に乗ってくれる彼女のまわりには自然と人が集まってくる。
そんな彼女だからこそ、学校生活における新入生の牽引役として矢面に立つ全学新歓のリーダーを安心して任せられる。
同じ生活班になった生徒会長であるところの和はそんなふうに言っていた。
私も同感だ。

…それにしても、和、だなんて。

「…どしたの、しずか?」
「…えっ?」

「顔、赤いよ?」と姫子ちゃんに指差され、自分の両頬にふれると…。
確かに、ちょっと熱い。

「…いちごとハードな特訓しすぎて体調崩した、とか?」
「う、ううんっ、だいじょうぶだよっ」

先日の席替えと班決めのあと。
席の近い同士の私たちから一人だけ離れてしまったいちごちゃんとお昼ごはんを一緒に食べようとした私は。
姫子ちゃんの隣の平沢さん…唯が発した「班のみんなで食べようよ~」という言葉にあやかって、いちごちゃんも含めてできたばかりの班で机をくっつけあわせての昼食になった。
始業式の日の顔合わせでお互い自己紹介を済ませていたけれど、改めて行われたそれでは。
私が平沢さんのことを“唯ちゃん”と呼ぶことを、彼女自身は良しとせず。
頑なに“唯”と呼び捨てにすることを望まれた。

「だって、しずかちゃんは私のこと“唯”って呼ぶほうがしっくりくると思うんだよ~」
「…唯ちゃんは私のことちゃん付けなのに?」
「うんっ。だって、その方が萌えるから~」
「唯ちゃんその気持ちわかるわ~っ。しずかちゃん、私のことも“ムギ”って呼び捨てにしてねっ」
「む、むぎ…?」
「はいっ」
「…あんたたち…」
「阿呆がいる」
「まともなのはあたしたちだけだねー」
「…ごめんエリ、なんとなく納得いかない」
「えっ、なんでっ?」
「…まともなのはかいちょーだけだね」
「…多恵も結構辛辣だね」

そんなこんなで。
私の班の軽音部に対する呼称は、唯、ムギ、と決められてしまったのだった。
…おまけでかいちょーの真鍋さんも、和、と呼び捨てにすることになった、そんなオプションも付いてきたけれど。

「…アカネからどんなふうに聞いたか知らないけど、」いちごちゃんの言葉に回想から引き戻される。

「変な想像しないでよね」
「私は事実をありのままに伝えただけだけどね」
「ありのままの事実から想像できることが、どぉんな変なことなのかなぁ?ねー、いーちごちゃんっ」
「…うるさい年中般若心経。仏陀に蹴られてどっかいけ」
「ふっ。ザ・サンスクリット・マスターのこのあたしにっ。そなたの罵詈雑言は毛ほどもかゆくないわぁっ」

びしぃっ

「…かっこいいのか悪いのか、判断に迷うところね」
「…かっこいい、か?」
「サンスクリットは“フリダヤ”という、心臓、重要な物を意味することの訳語であると同時に、陀羅尼や真言をも意味する語のことだから、ザ・サンスクリット・マスター略してTSMと称したところでエリが六百巻に及ぶ“大般若波羅蜜多経”の心髄を治めているとは言えないがな」
「…なにその明らかに役に立たなそうな知識」
「…きっと突っ込んだところでなんの意味も無いんでしょうけど、これだけは言わせて。…略す必要ってあるの?」
「…私も、TSMになれば、エリちゃんみたいになれるかな…っ」
「だめだよふみちゃん、もどってきてーっ」

よしみちゃんの般若心経講座にどっぷりつかりそうになっているふみちゃんを必死に繋ぎとめようとする私をよそに。
歓迎会は着々と進行しているようだった。


『――とまあ、一年間を通して楽しい行事、熱い行事が桜高には目白押しだから。みんな何か分からないことがあったら遠慮せずに私を含めた先輩たちに聞いてねっ』


『あ、でも』ちろっと舌を出してちかちゃん。


『あんまり詳しいことは分からないかもだから、そういうときはかいちょーに聞いてねー』


困ったときのかいちょー頼みっ

「…全学新歓の予算、ちょっとカットしようかしら」

舞台袖でタイマー役を務める和の呟きに戦々恐々としたのは私だけではないだろう。


『とりあえずは今月末の球技大会…今年は、バスケ、だっけ…?…うんっ。それに向けてクラスで練習がんばりましょーっ。あ、もちろん、授業もしっかり受けてねっ』


舞台の上では次の出番である部がスタンバイしたところのようである。
和から合図を送られたちかちゃんが親指を立てて応える。


『それでは時間も無いことだし、ここからは桜高が世に誇る部活をどんどん紹介していきまーすっ。それではバスケ部の皆さんからっ。どうぞーっ』


三年二組からは慶子ちゃんと信代ちゃんが出場している。
いちごちゃんと私のバトン部は、バスケ部の後のバレー部の紹介に続いて、四番目の予定。
ふみちゃんが落ち着いたところで。
私は出し物の最終確認をするべく部長のいちごちゃんを伴って、一旦舞台袖から通用口を伝って外に出ることにした。
…もうすぐ、本番だ。




空の青さに、雲の白さ。
夕暮れは赤と橙が空と混じった黄昏色。
雨上がりは虹色。
――もしも。
思い出に付ける色があるとしたら。
私たちのそれには、どんな色を付けようか。
その作業はきっと。
どんな思い出の品を作るよりも楽しくて。
きっといつまでたっても終わりは来ないんじゃないかって。
そんな気がしていたんだ。



[26376] けいおん モブSS (9)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/27 23:54
(9)




――また明日ね

そう言ってこれからもずっと続いていくんだと思っていたあの頃。




中学生も半ばになる頃には、自分の得手不得手というものが分かってくる。
自然と、それ相応となるように身体が順応していくのだと思う。

それは私の場合も例に漏れることなく、中学生になって初めて部活動という環境に身を置くことでほぼ体得できていたと言ってもいいと思う。
こんなふうに断定的な表現で終わることができない理由として唯一挙げるとするのであれば、それは、小学校最後の運動会の全員リレーで“アンカー全員をごぼう抜き”という荒業をやってのけたことだろう。
この経験が、今も昔も平凡でどこにでもいる、“ちょっと”背の低い女の子であった私に、陸上部という道を選択させた(私の母校であるところの中学校では、部活動全員所属が原則だったのだ)。

そこへいくと、いちごちゃんの場合、私なんかとはまるで違う。
今に至る経緯も、動機も、理由も。
なんていうかすごいのだ。

すごい、という表現の仕方にももっといろんな比喩修飾が加えられるべきなのだろうけれど。
“バトン演技中の若王子いちご”を評する上で、“なんていうか”という前置きは、それこそなんていうかしっくりくる。

中学校から陸上のキャリアを積み始めた私に対して、いちごちゃんのバトン歴は小学校入学時から続いている。
バトン教室に通い始めていた当時のことを、“習わされていた”と振り返る彼女だが、いわく、


お母さんがそういうこと、めちゃくちゃ厳しくて
一度やり始めたことは最後までやり通せって
だからやってたんだけど
それでも、小学校三年生の時に初めて演技大会に出ることになって
それなりに練習してたと思うけど、結果は最下位
出場者には年下の子だっていたのにね
控室ですごく泣いた
お母さん、すごく怒るだろうなって思って
だから、怖かった、けど


結果を出せずに泣きじゃくっていた娘に母がしたのは、お手製の金メダルを首にかけてやることだった。
その時の様子を教えてくれたいちごちゃんの穏やかな表情は、私の中の若王子ベストショットランキングの上位にランクインしている。


うれしかった
いちごの演技はママだけの金メダル、って言ってくれて


それが、私がバトンを続ける理由のひとつ―そのいちごちゃんの言葉に続きはなかったけれど。
今この時、舞台の上で、ふと、聞こえるのだ。

しずかはどう、と。

私が陸上部を選んだ理由。
短距離を選んだ動機。
走ることを選んだ経緯。
そして、走ることをやめてしまった現在。
これまでの高校二年間を共に過ごし、卒業までの時間を同じ教室で共有できる親友が放ったバトンの軌跡を目で追いながら、そんなことを考えていたのだった…。
…あれ?ばとん?

「―しずかっ」
「―へ?…あだっ」

固い何かが頭頂部を打ち付けた。
衝撃に目がくらむ。
瞼に星が飛び散るという現象を実体験した私は、それでも何とか踏みとどまると。
直後、差し出されていた両手にひんやりと冷たい感触。
少しの重みとともに降ってきたそれは、いちごちゃんから放られ、私の頭を打ったバトンだった。

水を打ったように静まり返る講堂内。

「…」
「…」

司会のちかちゃんからは何やらサインが。
舞台袖の姫子ちゃんからは手のひらを倒すジェスチャーがそれぞれ送られてきて。
…アカネちゃんに羽交い絞めにされているエリちゃん、という図はきっと見間違いだろう…。

目を見合せた私といちごちゃんが慌てて一礼すると。
割れんばかりの拍手と。
舞台袖からは演技に対するおしみない称賛の声(もちろん笑い声まじりだったけれど)をいただいた。
でも、これで終わりじゃない。
ここからが私の仕事だ―


『―あ、え、えっとっ…あ、ありがとうございましたっ、いちごちゃんの演技でしたっ』


『しずか、しずか、部長が抜けてる部長が』


『えっ?あっ。あぅ、あのっ、ごめんなさいっ。いちごちゃんもとい、いちごちゃん部長さんでしたっ』


『まざってるまざってる』


『い、いいいちごさんちゃんっ?』


『って部長はどこ行ったーっ』


…絶妙なかけあい…とは、言ってはもらえないだろう。
盛り上がる会場とは裏腹に。
もう、恥ずかしくって何が何だかっ。


『あははっ。もう、しずか、落ち着いてっ。ちなみに新入生の皆さん?これが桜高名物、“あたふたしずか”ですよー。行事の合間合間にはよく見ることができるし、普段の教室移動中とかにもたまーに発生するから、お見逃しなくっ。発見できたあなたはきっと可愛さ余って更に可愛がりたくなるからっ。みんなで“しずしず”しようねーっ』


名物っ?私が名物っ?


「…珍獣扱い」
「はぅ」

いちごちゃんのつぶやきが、今はただただ心に染みわたる…別の意味で…。

「…しずか」
「うぅ」
「大丈夫。しずかならできるよ」

そうしてぎゅっと握られる手のひら。
伝わるいちごちゃんの体温。
私が一緒にいるから。
そう、言われた気がした。

深呼吸。
吸って、はく。
呼んで、吸う。
エリちゃんがいつも言っているではないか。
心頭滅却すれば、恥もまたおいしい、って。
深呼吸。


『―あのっ…えと、バトン部です。今演技をしていたのが部長の若王子さんで、クラスメイトの私はただのお手伝いなんですけど…。部員は二年生が十人いて、三年生は若王子さん一人です。練習は厳しいです。部長さんの指導は特にそうです。でも、だからこそ全国大会でも上位に入るし、練習しているみんなはとっても真剣で、格好よくて、だからこそ私にはとっても楽しそうに見えます。二年生は皆いい子だし、部長の若王子さんは無愛想だけど実は桜高で一番可愛いって評判で…いたいっ、いちごちゃん痛いよっ、つねらないでよぉ』


「…照れたな」
「…照れたね」
「あたしもしずかをつねりたいっ」
「エリはちょっとだまってなさい」
「…がんばって、しずちゃんっ」

そんなふうに、よしみちゃんと姫子ちゃんとエリちゃんとアカネちゃんとふみちゃんのつぶやきが聞こえた、ような気がした。
き、気を取り直してっ。


『な、なのでっ。新入生の皆さん、気軽に入部してみてください。初心者も大歓迎です。手とり足とり教えます。健康とか、美容とかにもいいんですよっ。その証拠がこのいちごちゃんですからっ。見てください、この巻き毛っ』


『やや、髪の毛は関係ないでしょ』


『さっきの華麗な演技の後でも乱れないロールっ。そしてこのキューティクルっ』


『なにっ?バトン部のスポンサーはジャパネットなのっ?実演販売なのっ?』


『…入部した人には若王子巻き毛教室無料受講の特典が』


『タダより安いものはないっていうもんねーっ』


『ですから、新入生の皆さんっ』


新生活のスタートは、是非、桜高バトン部でっ

そんなふうに舞台上の三人、声を揃えて締めくくったところでちんっというベルの音。
タイムキーパー役の和が鳴らした音だ。
…これでもちゃんと打ち合わせ通りですよ?


『おぉーっとーっ、ここでバトン部タイムあーっぷっ。お二人さんありがとうございましたーっ』


『ありがとうございましたっ』
『ありがとう』


終わった…。
いちごちゃんの演技はいつもどおり完璧だったし。
ちょっとアクシデントはあったけれど、それもご愛嬌の範疇、というやつだろうし。
うん。
いちごちゃんのお手伝い、みっしょんこんぷりーと、かな?


『ところで木下さんちのしずかさんや?』


『はい?』


『なんでしずかだけレオタードなの?』


『え゛っ』


ちかちゃんからの無用で容赦のない指摘に。
写真部が手にした一眼レフカメラのシャッター音の嵐と。
新入生たちの視線と喜色にとうとう耐えかねた私は。
恥ずかしさのあまり気絶してしまったのだった。
意識を手放す直前に映った、顔を赤らめて自前のデジタルカメラを握りしめるふみちゃんの姿がやけに印象的だった。





――また明日ね
――うん、また明日ね

それは明日への言葉。
また会うための合言葉。
今日と同じ明日が。
今週と同じ来週が。
今月と同じ来月が。
そして、今年と同じ来年が、いつまでも続いていくんだって。
そう、思っていたあの頃。



[26376] けいおん モブSS (10)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/05/30 23:18
(10)




「それでは、今月のまとめを行いますっ」

言葉通りの文言が可愛らしくレトリックされたフリップを正面にかかげ、そう切り出したのはエリちゃんだった。

「エリが仕切りだすなんて珍しいな」
「っていうかどこから持ってきたのそのフリップ…」

よしみちゃんの言うとおり、エリちゃんがこういうふうに切り出すことは意外と珍しい。
しかしながら公認保護者であるところのアカネちゃんは特に意に介さず、「あ、ねえいちご、ガムシロップとって?」と言って、注文の品であるアイスコーヒーの味付けに余念がない様子で。

「店長さんに言ったら出してくれたっ」と、エリちゃんがすかさずその由来を説明する。

「言えば何でも出てくるよねこのお店って」と、これまでの経験を踏まえたうえで私も同意する。

「…HEROみたいだね」
「それはきっと、“あるよ”の一言で一世を風靡した、田中要次さん演じるバーテンダーがいた、東京地検城西支部いきつけのバーSt.George's Tavernのことを言っているんだよね、ふみ?」
「…姫ちゃんは欲しいところに欲しい解説を入れてくれるから、私、感激…」
「ふ、ふみちゃん…?」
「木村拓哉ふんする久利生公平が寿司を注文して“あるよ”と返してしまった要次涙目」
「いちごちゃんもっ?」

桜ヶ丘高校の最寄り駅からすぐの喫茶店内のボックス席、である。
私立という性質上、電車通学をする生徒も多いということもあるけれど。
駅の周辺が一番の繁華街ということもあって。
放課後の学生たちはもちろんのこと、界隈の若者がよく利用するお店でもあり。
店主が桜高のOGということもあってか、利用者の大半は桜高生だった。
かくいう私たちも、球技大会という新年度最初の行事を終えた帰りに立ち寄ったところだった。

「…いちごぉ、シロップぅ…」

私の眼前では、いまだガムシロップをとってもらえていなかったアカネちゃんが、甘えたような声でいちごちゃんにねだるという珍しい図が展開されている。

今年の球技大会の種目がバスケットボールということもあり、二組のバスケトリオである信代ちゃん潮ちゃん慶子ちゃんの八面六臂の活躍の裏方で。
アカネちゃんを始めとする“球技経験者”もかなりの運動量を要した大会だった。
消費した糖分を補うため、アカネちゃんたちはこのお店の看板的メニューである“女子パフェ”を平らげ、アフタードリンクとして注文したアイスコーヒーが人数分運ばれてきたところだった。
…でも、その言い方だとなんだか…、

「その並びだと“いちごシロップ”という別物を要求しているように聞こえるぞ?」と、私の思いを代弁するようによしみちゃん。

手にしたガムシロップを弄びながら、いちごちゃんが応じる。

「っていうかアカネ、ダイエット中でしょ」
「い、いいのっ。甘いものは別腹なのっ」

普段は大人しいアカネちゃんがむきになる数少ない瞬間である。
女の子としては、体重という数的指針は、世にあふれるどんな数字よりも気になるもの。
もちろん、平均よりサイズミニマムな私とて例外ではない。
いくら食べても太らない家系である木下家ではあるけれど、甘い物の取りすぎというのは、女子的に流石に気にすることだった。
その点、身長やら胸やらへ十分に栄養が行き届いているアカネちゃんが、スタイル維持のためにダイエットをするというのは至って普通であると思うのだけれど。
同級生でこれほどまでに発育の異なる私にしてみれば、なんとなく面白くない発言だったので…。

「…それは私へのあてつけなの、アカネちゃん…」
「えっ?ち、違うよしずかっ。ほ、ほらっ、しずかはいくら甘いもの食べても太らないし」
「大きくもならないけど」
「ちょ、いちごっ」
「…いいの、アカネちゃん。わかってるから。球技大会で三年生カラーのジャージ姿でいながらも、後輩のみならず同級生からも先生たちからも、生徒の誰かの保護者が連れてきた妹さんが紛れ込んだと勘違いされて観覧席に連れて行かれそうになった私は、きっとちびで童顔で鬼太郎なんだって…自分の身体のことは自分がよくわかってるから」
「いやいやっ。あたかも不治の病で床に臥せっているヒロインが絞り出しそうな諦観の一言を、そんな悲壮感漂う表情で言われてもっ?」
「…わかってるって言う割に、大抵のヒロインが最後には無茶をして感動のフィナーレなんだよね?」
「それはもうヒロイン病死のフラグ立ちまくりですよね文恵さんっ?」
「生涯という名の“幕を閉じる(=フィナーレ)”?」
「よっしーがうまいこと言ったっ」
「死に際になってようやく自分の気持ちに気づいて告白したってもう遅い。さっさと死ねばいいのに」
「出たっ、いちご死ロップっ」

突っ込みマシーンとしても大活躍するアカネちゃんだった。
しかし、そんなやりとりをもってしても、私の傷はふさがらない。
拠り所は、最早この世にただひとつ…。

「うぅ、早く大きくなりたいよぉ」
「おーよしよし。大丈夫、あたしたちはまだ成長期なんだから、しずかだってこれから大きくなるよきっと」
「姫子ちゃぁんっ」
「はいはい」
「ミルクちょうだいぃ」
「誰がお母さんかっ…ちょっ、しずかっ、顔ぐりぐりしないでっ、くすぐったいからぁっ。はぅっ」

ふかふかの姫子ちゃん。
やわらかい姫子ちゃん。
いいにおいのする姫子ちゃん。
幸福を感じる瞬間とは、まさに今この時のことをいうのだろう。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
平和というものが仮初の休息でしかないということを、私たち人間は知っている…。

「ってシリアス展開に持ち込もうったってそうはいかないよーっ」

ずがしゃあっ
とテーブルクロスをひっくり返す勢いでエリちゃん。
実際、某巨人の星のお父さんの得意技であるちゃぶ台返しのようにひっくり返され宙を舞った机上のドリンク類だったけれど。
それぞれがそれぞれの飲み物を一滴もこぼさず受け止めていく光景は、他のテーブル席の桜高生にとっても圧巻だったようだった。

「ぉほんっ」

咳払いをしたエリちゃんを神妙な面持ちで見つめる私たち。
するとエリちゃんはこれまでのやりとりが無かったかのように、

「今月のまとめを行いますっ」

冒頭のように改めて宣言したのだった。
それぞれの反応を記載すると以下のようになる。

「…えーと、まとめって?」首をかしげる私の横で、

「…今月っていうと、四月のこと、だよね…?」意図を確かめるふみちゃんの隣で、

「何を今さらって感じだけど…そういえば、毎月そんなことやってたよね、ここで」思い出したようなアカネちゃんの正面で、

「今月のイベントと言えば、クラス替えとか新入生歓迎会とか、今日やった球技大会とかだよね?」指折り数える姫子ちゃんの隣で、

「まとめるって一言で言うけど、一体なにをまとめるつもりなんだ?」疑問を投げかけるよしみちゃんの横で、

「ふっふっふ。決まっているではないか諸君っ」何やら含むところのあるエリちゃんが叩いた自身の胸板を横目に、

「やっぱり、まな板だといい音鳴るね」いちご死ロップという毒を吐いたいちごちゃん。

すかさず、いちごちゃんの口を押さえる私とエリちゃんを羽交い絞めにするよしみちゃん。
バトバレ現役生による不毛な言い争いが始まる前に、姫子ちゃんがその真意を問うようにすすめてみると…。

「決まってるじゃないっ」と勢い込んだエリちゃんは、握りこぶしを作って天井に向かって高らかに突き上げると、

「今月のMVPを決めるのよっ」

…えー、と?

「―なるほど、そういうことか」
「えっ?今のでわかったのよしみちゃんっ?」
「―つまり、四月の学校行事で一番活躍した人を決めようってことね」
「姫子ちゃんは本当に欲しいときに欲しい解説をしてくれるよね…」
「―…一人一票の原則ってことでいいのかな…」
「ふ、ふみちゃん?か、顔が怖いよ…?」
「―ふっ。エリも味なことをしてくれるわ」
「アカネちゃんのこんなにいい顔、試合中にも見たことないよ…?」
「―私の気持ちは端から決まっている」
「いちごちゃんも全国大会レベルで格好いいよっ?」

な、なんだろう。
拳を握りしめた皆の姿に、ただならぬ気配を感じるのだけれど…。
そして、なんだかとっても嫌な予感がするのだけれど…っ。

「―よーしよし。皆の衆、心は決まったみたいだな」
「「「「「もちろんっ」」」」」
私以外の皆がシンクロする。
その具合がこわすぎるよーっ。

「それでは…っ、せーっ、のっ」

「始業式の日っ。教室を間違えたしずかの慌てっぷりに一票っ」
「新入生歓迎会っ。恥ずかしさのあまり気絶したしずかに一票っ」
「新入生歓迎会、の前日。私の胸の中のしずかに一票」
「し、新入生歓迎会…バトン直撃後のしずちゃんに一票…」
「球技大会っ。全試合フル出場の上ラン・アンド・ガンの要となったしずかの走りに一票っ」

開票の結果。
上から姫子ちゃん、よしみちゃん、いちごちゃん、ふみちゃん、そしてアカネちゃん。
って、ふみちゃんその片手の写真はなにっ?
しかもこれってっ、

「出ましたっ。新年度第一回、木下杯争奪人気投票卯月賞っ、その結果はーっ?」

ででんっ

「おめでとーございますっ。新入生歓迎会の木下しずか嬢、得票数三票による当選ですっ」

「くぅっ。やっぱりレオタードしずかには勝てなかったかーっ」
「ふっ。姫もまだまだ甘いね。気絶したしずかを受け止めるいちごっていう絵に需要があったんだよ」
「ハグ二回の私が一番の役得」
「ず、ずるいよいちごちゃんっ…わ、私だってその気になれば、しずちゃん気絶させられるもんっ…」
「球技大会の熱さは番外編で語るしかないようね…」

三者三様の一喜一憂の姿を見て。
いろいろもろもろと言いたいことや考えるべきことがあるけれど。
取り急ぎ確認しなければならないこと。

「ふ、ふみちゃんっ。その写真って、もしかして他にもあったりして…?」
「…え?うん、よくわかったねしずちゃん。写真部さんと撮り合いっこして、歓迎会の他にも球技大会のとか…デジカメのメモリカード全部埋まっちゃったの…」
「そんなにっ?」
「見る?」
「う、うんっ。ぜ、是非確認させてほしいかなっ?」
「あ、でも…」
「な、なに…?」
「データ、さっき下校する前に、写真部さんに全部あげちゃったんだった…」
「ええーっ?」
「ごめんね、しずちゃん。今度、一緒に写真部さんに見にいこう…?」
「そっ、そんな悠長なことは言ってられない…っ?…は、放してエリちゃん…?」
「だいじょーぶ。大乗仏教だよしずか。しずかの成長の記録はちゃーんとあたしたちが保管しておくから」
「っ。写真部を操ってるのはエリちゃんなのっ?」
「あっははー、まっさかーっ」
「っ?」
「なんと、黒幕はちかりんですっ」
「呼んだ―っ?」
「ええっ?ち、ちかちゃん、なんでっ?どーしてっ」
「んー?なになに、なんのこと?」
「…相変わらず面白いことやってるわねあなたたち」
「あら美冬。オーラル部は今日休み?」
「ええ。ソフト部もでしょ?球技大会でもうくたくただし、写真部との打ち合わせもあったしね。今日の私はこの子の付き添い」
「…なるほど。全学新歓の参謀が黒幕とは、しずかも浮かばれないね…」
「あら、なんのことかしらバレー部長さん」
「凸参謀恐るべし」
「バトン部長さんも。どうやらバトバレの責任者さんとは一度じっくりお話しする必要があるようね」
「「ひぃっ」」
「…美冬、その顔は放送禁止レベルだぞ?」

そんなこんなで、あれやこれやで。
一抹どころか無数の泡沫レベルの不安を胸一杯に抱えて。
三年生最初の月、四月は過ぎていったのだった。

…来月は修学旅行があるけれど…。
私、無事に行って帰ってこれるのかな…。


<四月・了>



[26376] けいおん モブSS (11)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/06/12 16:34
2-(1)



夢。
夢を見ている。

二年前の体育祭。
頭上に広がる青空はどこまでも抜けていくように高くて。
額を伝う汗が首筋へと流れていく。

つないだ手と手から伝わる皆の鼓動が共鳴する。
ひとつの大きな生命のように。
どくん、と跳ねる心。
私たちの、決意。
走り切る、覚悟。

プラスチックのバトンに託された思いのすべてが私に届く、その時。
その刹那を。
今か今かと待ちわびる。
音の領域を歓声だけが占めた世界の中で。
アンカーのバトンが今、私の掌に届いた―――





ものの見方や考える視点を少し変えただけで、気の持ちようは変わってくる。
その変わり具合に色を付けて誰にも分かりやすく表現しようとするのならば。
私にとってそれは、陽光を照り返すシャボン玉がもっともイメージしやすいもののひとつだ。
もっとも。
私の視界に映るそれはもちろんシャボン玉ではなくって。
早い朝特有のもやにけぶる太陽を背にした、どこかのお寺の五重塔で。
ランニングシューズが踏みしめていくものは、確かに、私たちの町にだってあるアスファルトと、その構造や成分に大差はないはずなのに。
目に映るいつもと違う風景が、非日常の光景として知覚されたことをもってして。
早朝ランニングといういつもと変わらない習慣を営む私に、ようやく、今が修学旅行中なんだという現実を知らせてくれたのだった。

「―なんか、うれしそうだね」

すぐ隣から届く、聞きなれた声。
登校前のランニング中、両耳をふさぐお気に入りのイヤフォンとウォークマンは今はなくって。
変わりに、物心ついたときからを互いに共有する幼馴染の、規則正しい呼吸音が私のリズムを作っていく。

「―圭ちゃん、つきあわせちゃってごめんね」
「―なんのなんの。あたしも部活の朝練、出るとこだったしね。ちょうど良かったって」
「―でも」
「―それに、フリーランのしずかに伴走できる人なんて、あたしを置いていないっしょ」

佐野圭子ちゃん。
幼馴染、である。
どれくらい幼い頃からの馴染であるのかといえば、それこそ、”どれくらい”などという秤を私たちの時系列のどこに持っていけばいいのかさえあやふやだ。
しかしてその不確かさなんていうものは、私と圭ちゃんのいわゆる幼馴染歴を語る上では“野暮”というもので。
通ってきた学校も。
持っている友達も。
進んでいるその道のどれをとったって、交わることの少ない私たちだったけれど。
こんなふうに、ランニング中に呼吸を乱すことなく会話できるくらいに、私たちは幼馴染だったのだ。

「―あ、またにやけた」
「―に、にやけてなんかないよぉ」
「―いーやにやけてたね。ゆるゆるほっぺにたれたれ瞼。昼寝中のとめさんみたい」
「―と、とめさんはそんなに目たれてないもんっ」
「―飼い主は犬に似るって、ほんとのことだったんだねー」
「―逆だよ、圭ちゃん…」

通りを駆け抜けていく。
深紅の格子がはめどられた町屋が立ち並ぶ。
アスファルトとは違う感触で返ってくる石畳の反発。
この道が千年の時を刻んできたのだと思うと、なんだかそれだけでわくわくする。
目前に迫る階段を視界に収め、予定調和のように顔を見合わせた私と圭ちゃんは。
互いにシンクロした一拍の手拍子を合図に、両足の回転数を上げたのだった。



「―ごーっるっ」

感覚的に捉えるところ、約三十段ほどの石階段を駆け上り、ゴールテープを切るようにフィニッシュする私と圭ちゃん。
途端、目を差す朝日がまぶしくて、思わず目を閉じる。
階段ダッシュで流石に上がった呼吸を整えがてら、歩いてクールダウン。
そうしてたどり着いたのは、

「―鴨川だぁ」
「―鴨川だねぇ」

京の都を南北に流れる鴨川の河川敷だった。

「…気持ちいいね、圭ちゃん」

川のせせらぎが生んだそよ風に髪を遊ばせて、私。

「…なんかそれ、じじむさいよ、しずか」

嵐山から顔をのぞかせたお日様に目を細めて、圭ちゃん。

「…なんか、このまんま寝ちゃいそう」
「ふふ、そうだね。あったかいもんねぇ」
「まぁ、それもあるけど。昨夜は隣がうるさかったし」
「隣って…ああ、唯たち」
「ほんっと軽音部って元気だよね。あのどたばたからすると、まくら投げでもやってたのかな?」
「私はもう寝てたから、あんまり覚えてないけど…でも、途中で突然静かになったような…」
「ああ、それ、さわちゃんが怒鳴りこんできたからだよ」
「さ、さわ子先生が?」
「うん、“はやくねなさいっ、ぴしゃっ”って感じで」
「そうだったんだ…」
「そのあとまたうるさかったけどね」
「に、二回戦?」
「大方、りっちゃんあたりがもう一回って言い出して、ムギがよしきたーって感じじゃない?」
「…圭ちゃん、まるで見てきたように…」
「ムギのスイングがまたいい角度で決まるんだわこれがっ」
「やっぱり乱入してるっ?」

程度の良い筋肉の緊張。
スプリントで刺激された足裏から上昇した血液が頭のてっぺんまで巡る。
全身を上向けて大きく伸びをして。
私の意識は完全に覚醒した。

「…にしても、」

伸びをする私の様子をひとしきり眺めて、圭ちゃん。

「信代たち、全然来ないね」

修学旅行二日目の朝。
桜が丘女子高等学校三年生百八十余名、そのおよそ四分の一を占める運動部員たちは、旅行出発前の示し合わせにより、日の出前の五時AM、宿舎である旅館の玄関前に集結した。
各部が新体制となって、早一月。
三年生にとっては部活生活最後の年。
間近に控えた県総体を、あるものはさらなる高みへと続くインターハイを見据えて。
あるものは部活生活の集大成をぶつけるラストステージとして捉えて、修学旅行中だってその集中力は途切れない。
桜高女子のモットーは“初志貫徹“。
“徹頭徹尾”。
“豪華絢爛”。

“桜が丘の女子たるもの、初なる志を徹して貫き、雷桜の如く絢爛豪華に舞い咲かん”

唱和する部員たちに私が混ざっていたのは、やはり習慣というものは恐ろしい、ということくらいしか理由が思いつかなかったのだけれど。
これも確かに、修学旅行の一つの楽しみだったんだと。
朝日にきらめく鴨川の流れを見て、そんなことを思う。

「まぁ、エリに至ってはしょうがないかもしれないけど」そう苦笑交じりに言う圭ちゃんの言葉に、今朝の一こまを振り返る。

“修学旅行中の運動部の朝練”という、“夜中の騒ぎを注意されて廊下に正座”くらいの定番メニューを億劫がっていたバレー部員であるところの瀧エリちゃんだったけれど。

『―ルゥァアストスパァアトォーッ』
『―ええっ、もうっ?』

ご近所迷惑も顧みない(しかもここは私たちの町でさえないのだ)朝のしじまを突き破る叫びとともにスタートダッシュしたエリちゃんの背中を追い抜いたのが、体感するところ十分前くらいの話。

『―玄関をスタートしてからあんたたちに抜かれるまで、あたしは一位であり続けた。それだけで本望よ―』

そんなセリフをいい顔で言ってのけたエリちゃんは、日も差さない薄暗い町屋通りでひときわ輝いて見えた。
だから、っていうわけじゃないけれど。

「―そうでもないよ」
聞こえるのだ。

「え?」と聞き返す圭ちゃんに、自然、私の口元はほころんだ。

千年を刻む石畳に、新しい時を刻む音が、聞こえるのだ。

もう一度そうでもないよ、と繰り返した私は。
河川敷で予定されているメニューに備えて、オリジナルのトレーニングサイクルであるところのストレッチを行う。
視界の隅で肩をすくめる幼馴染の横で。
石階段を登り切った仲間たちの息遣いが聞こえた。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ」両手を膝につけて呼吸を整えようとしているアカネちゃんの隣で、

「もっ、し、しずかたち、は、速すぎるよっ」額の汗をぬぐう潮ちゃんの横で、

「なんなのあの階段っ」腰に手を当てて背後の石段をにらみつける三花ちゃんの前で、

「が、合宿の朝練よか、きっついっ」歩いてクールダウンする信代ちゃんのその先で、

「なめてたっ、京都なめてたっ」頭を抱えて悔しがる夏香ちゃんの後ろで、

「やるな京都っ」
「やるな鴨川っ」肩を組んで敵を称賛する姫子ちゃんと春子ちゃんの姿があった。

まだまだ余裕のありそうな、三年二組が誇る運動神経の塊な人たちの、すぐ後ろ。

「…」呼吸を整える間も表情の動かないいちごちゃんの隣で、

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ぁぅっ」打ち上げられた金魚のように口をパクパクさせるわじまきちゃんの横で、

「つ、つるっ、全身がつるっ」息も絶え絶えに膝まづく慶子ちゃんの背に、

「つ、つるのはっ、足だけで、十分、だよぉ」自身の背を預けるとし美ちゃん、そして、

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…ぅ、ぅきょぇっ」ひっくり返ったカエルのような声を出しているエリちゃんだった。

他の同級生たちも、状況は似たり寄ったり。
朝練の次のステージへは、もうワンクッション必要のようだったけれど。

「―よっしっ。それじゃあみんなー、ストレッチからはじめよっかっ」

運動部を統括する任を負う体育局部長であるところの信代ちゃんが音頭をとる。
フィジカルトレーニングに必要な要素である、負荷の継続性をよく分かっている。
まだ少し苦しそうないちごちゃんとペアを組んでストレッチをする。
クールダウンでふきだした汗で少し湿った背中同士をくっつけて、まずは私がいちごちゃんを背負う。

「―やっぱり、速いね、しずか」

次は、いちごちゃんの番。

「―こんなに、軽いのに」
「―そ、そんなこと…い、いたいっ、いたいよっいちごちゃんっおろしてぇっ」

なにか怒っていらっしゃるっ?
周囲を包む笑い声をよそに、信代ちゃんの練習メニュー指示は着々と進んでいく。

リズムスキップ。
ダッシュ。
ジャンプタッチからのダッシュ。
クロスステップ。
バックダッシュ―。

「―よっし、今日はここまでっ。それじゃあみんな」

おつかれさまでしたーっ

声をそろえる。
運動部特有の終わりのあいさつと一緒に、拍手。
ハイタッチしながら、みんなで朝練一回目の打ち上げ。

「さあて。それでは戻りましょうか我らが本部へ。戻り方は木下先輩、ご指示をお願いします」
「ええっ?わ、私っ?」
「トラックアンドフィールドの申し子が何をいまさら」
「えっ?えっ?」
「お、お願いだからしずか、きついのはやめてね?ね?」
「エリちゃん、そんな涙目で見つめられてもっ?」
「気にするなしずか。一発激しいのでいこっ」
「な、なっちゃん…。えと、じゃあ、お言葉に甘えて…」

私の出発前の予定メニューでいい、かな?

そうして提案した、清水さんの赤鳥居にタッチしてから旅館へダッシュする、というメニューのおかげで。
その日予定していた班別行動中に足をつった友達が続出したことは、また別のお話。




思いを託すのがバトンなら。
その思いを握って走るのが私なら。
止まってなんかいられない。
後ろになんかいられない。
誰よりも速く。
誰よりも先に。
ただ、なによりも、その先に。
走れ。



[26376] けいおん モブSS (12)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/06/12 15:43
2-(2)




きれいなものを見つけたから
見えなくなる、その前に




「…大仙院とは、正式には、京都府京都市北区にある臨済宗の大徳寺内にある塔頭寺院のことを指し、永正六年―西暦で言うところの千五百九年だな―に大徳寺七十六世住職の古岳宗亘によって創建された。なんとこの人は大聖国師でもあったんだ」

修学旅行二日目。
クラスごとに編成された少人数のグループで京都を巡る、いわゆる班別研修の日。

「そして現代。二十二にも及ぶ大徳寺塔頭中、ここ大仙院は北派本庵として最も尊重重視される名刹として昔と変わらない佇まいを見せている…まあ、」

こうしてお抹茶をいただけるくらいには、開かれてきたということだろうけどな

そう締めくくったよしみちゃんの手にも、私の手にも、ざらりとした感触を伝える茶入が握られている。
中身はまだ温かい。
境内に注ぐ陽光がその濃い緑色にコントラストを与えている。
その水面に微かに映る自分の顔が、時折ふくそよ風に揺らめくのを見ながら、よしみちゃんの話に耳を傾けている―

「…ずず…っ。に、にがぁっ」
「ちょっ、口付けたままでしゃべらないでよ、抹茶が飛ぶじゃない」
「だってだってぇ…にがいんだよアカネぇ、これものすごぉく苦いんだよぉ」
「そりゃ、お抹茶は苦いものだもの、あたりまえでしょ」
「でもでもっ。同じお抹茶でも、抹茶コーラは甘いよっ?」
「あれは風味が抹茶なだけであって、大元がコーラだからでしょ…」
「ふ、ふんっだっ。だからあたしは嫌だったんだよっ。オリジナルに勝るものはオリジナル意外に無いっていうのにさ。抹茶味のコーラ、だなんて、ジンギスカン味のハイチュウくらいにタチが悪いよっ」
「…監督が出張先の北海道でわざわざ買ってきてくれたお土産にいちゃもんつけたくなるのは分かるけどね…」
「これがほんとの二番煎じってやつよねっ」
「…ほんともなにも、全然うまいこと言ってないからね…エリ、やめなさいそのどや顔。いいかげんぶつよ?」
「暴力っ。暴力が振るわれようとしていますよっ、お寺の境内でっ」
「武力を行使するお坊さんのことを、中国では僧兵と呼んだ時代もあったわ」
「日本で平成っ。日本で平成ですから今ここっ」
「少林寺映画の種類の多さには正直辟易としていたところなの」
「僧兵ってどんな人たちなのかを理解するのにもってこいな映画をそんなふうに批評されてもっ?」
「どうして桜高には少林寺拳法部がないのかしらね…」
「やる気だっ。映画以上のことを自分でやる気だよあたしの友達っ」
「少林サッカーならぬ、少林バレー」
「恐怖っ」

「えっ?ちょっ?茶碗っ、茶碗はやめて痛いからっ」という悲鳴をBGMに、よしみちゃんの解説は続く。
…続いていいんだよね?

「抹茶つながりで言えば、千利休のエピソードはあまりにも有名だな」目前に広がる庭園を見るともなく見て、よしみちゃん。

「…千利休って、お茶室の入り口をくぐって入った豊臣秀吉が、“最高身分の自分に、腰を折らせて入らせた無礼”によって切腹させられた人…?」少し悲しみを帯びた声色でふみちゃんが相槌を打つ。

「なんでも、」茶入に落としたよしみちゃんの物憂げな視線。「切腹した利休の首を、秀吉公は加茂の河原で梟首にしたんだそうだ」

「…ひどい…」
「ふみちゃん…」

その光景を想像してしまったのか。
目を伏せたふみちゃんの横顔が心配で。
私は、ふみちゃんの制服の袖を片手できゅっと握る。

大丈夫?
…うん、大丈夫…
そんなアイコンタクト。

今朝方、運動部の皆との朝練で訪れたあの鴨川の河川敷のどこかで、そんなことがあった。
駆け抜けた石畳が刻んできた時の中にはそういう悲劇だって、もちろんあったんだろうってことくらい、頭では分かっていてもなんていうか。
ぞっとしない。
隣でよしみちゃんが身じろぎする気配がした。

「…まあ、当時の三世古径和尚が山の中に持ち帰って、手厚く葬ったらしいけどな。それに、暗い話ばっかりなわけじゃないんだぞ?漬け物の「たくあん」を考案したとされる七世沢庵和尚が、あの宮本武蔵に剣道の極意を教えた道場でもあったんだ、ここ。ほら、まさにそこの庭園でさ」

「それにしたって“沢庵和尚”って、どんなネーミングだよって話だよなー」明るい声で言うよしみちゃんの片手が、ふみちゃんの頭にぽんぽんっと触れるのを見て。
胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
きっと、ふみちゃんの心も。
よしみちゃんのそういう友達思いのところが、私は好きです。
私も便乗する。

「ふふ、そうだよねー」
「…親の顔が見てみたいね…」
「もしかしたら、ムギが和尚の子孫なのかも」
「…む、ムギちゃんが…?」
「…よしみちゃん、それってもしかして、ムギの眉毛の話だったり?」
「お?なんだしずか、知ってたのか。流石、毎日ムギをよく見てるだけのことはあるなー」
「…あつあつだね、しずちゃん…」
「か、顔を赤らめて何を言ってるのかなふみちゃんっ?そ、それに私の席からじゃ真後ろで、ムギの顔なんてたまにしか見られないしっ」
「むきになることろがまた怪しいよなー?」
「…しずちゃん、私というものがありながら、ひどい…」
「っ。も、もうこうなったらっ」

そうして一気にお抹茶を煽る私がむせたのは言うまでもないことで。
よしみちゃんとふみちゃんに、盛大に心配されてしまった。

「―まったく、何やってるんだかあの子たちは」
「…姫子」
「ん?どしたの、いちご」
「…足、しびれた」




きれいなものを見つけたから
形が無くても、きれいなものを
瞬きの時間しか与えてくれない
流れ星のようなそれを
また見えなくなる、その前に
皆にも見せてあげたいって
そう、思ったんだ



[26376] けいおん モブSS (13)
Name: 名無し◆432fae0f ID:12503c65
Date: 2011/09/17 00:49
2-(3)




星が瞬くこんな夜は
すべてを投げだしたって君に会いたい
そう思ったんだ




世の人々が送る日常の中で。
普段から身につけている何かしらの“物”が、その人にとってみたらとある特殊な条件下でしか使われない品だったりする。
そういうことはないだろうか?
お財布、めがね、ヘアピン、腕時計、指輪、ピアス――“自由な校風の女子校”とは言っても、桜高も一応は旧名があるほどの伝統校なので、指輪もピアスも校則の許すところではないのだけれど――。

私にとってのそれが腕時計である。

それこそ私だって(自分で言うのもなんだけれど)お年頃の女の子であるので、可愛らしいアンティーク調のだとか、姫子ちゃんがしているようなブランドもののだとか。
そんなふうにファッションの一つとして腕時計で着飾ることだってできる。
と、思うのだけれど…。
あいにく私のそれは、そういう“女の子”した種類とは一線を画している。
別物といってもいい。
タラコと明太子くらい違う…と、まあ、何が言いたいのかというと、

「…しずちゃん、時計、格好いいね…」
「そ、そうかなあ」
「…うん。とっても、しぶい…」

し、しぶいってっ。
花柄おさげの親友、ふみちゃんこと文恵ちゃんの(ふみちゃんのことだから、それはきっと率直な感想であったことが分かるだけに)もっともな評価に少しだけ傷つく私の小さな自尊心。
背丈はもっと小さいけれど、などとは、特にこの局面では間違っても言ってはならないフレーズ、なのだけれど…、

「ちびっ子しずかと、シンプルなデザインがまたミスマッチでいいよね」
「ち、ちびっ子じゃないもんっ」

話題の時計の巻かれている私の手元を見ながら言うアカネちゃんの言葉には即座に反応することにした。
ここで黙っていたらそのうち“ちびしず”などというへんちくりんな呼ばれ方をされかねない。

「…ちびしず…くす…」
「笑ったっ?ふみちゃん笑ったよね今っ?」
「ちびしずかー。さすが桜高家庭部の創作料理長、ネーミングセンスが伊達じゃないねー」
「もうっ、アカネちゃんっ」
「まあまあいいじゃないしずか…ほら、このお社に祭られている神様は成長を司ってるんだって。お願いすればまだまだおっきくなれるって」
「ううー、姫子ちゃーんん」
「おーよしよし」
「でました伝家の宝刀姫子ハグっ」
「…いいなあしずちゃん…」

おなじみのやり取りで落ちもついたところで。
…京都にまできて私たちはいったい何をやっているんだろう…。

「郷に入りては郷に従え」
「いちごちゃん…」
「ほら」

ちゃりんちゃりん

無造作に放り投げられた人数分の五円玉がおさい銭箱に吸い込まれていく。
柏手の形を作り、いちごちゃんから一言。

「お参り」
「あ、うん」
「折角だし、やることはやっておかないとね」
「これで今日だけで五回はお祈りしてるけどね」
「…ご利益、ご利益…」

ぱんぱん

二拍手、一礼。

五人そろって顔を上げたところで。
気になって腕時計を見やる。
…そんなにしぶいかなー。

「もう四時半かー。時がたつのは早いねー」
「…アカネちゃん、おばあちゃんみたい…」
「あたしたちのコースじゃここが最後だし、旅館に戻るにはちょうどいいくらいじゃない?」
「通りに出てタクシーつかまえれば五時くらいには着けそう」

私の腕時計を覗きこみながらアカネちゃん、ふみちゃん、姫子ちゃん。
会計担当のいちごちゃんはタクシー代を確認しつつ私の腕時計に視線を向ける。
「しずか、その時計って」と始まったいちごちゃんの言葉の続きに(さっきの一件もあったので)わずかながら警戒していると、

「何ていうんだっけ」
「え?」
「そういう時計」

どうやら、私がしている腕時計の種類が気になったらしいいちごちゃんは。
もはや専売特許となった無表情ではあるけれど、その瞳には好奇心の色が見てとれた。

「…だれが専売特許の鉄仮面か」
「いっ、いっひぇないっ、いっひぇないよぅっ」

いちごちゃんのしなやかな指が私の頬をつまんでは伸ばす。
アカネちゃんがやりたそうにうずうずしてるから、早く許していちごちゃんっ…。

ぱちんっ

「あうっ」
「…何ていうんだっけ」
「うぅ。え、えと、これは、」

はじかれた頬をさすりながらしどろもどろに答えようとした私をさえぎって、

「クロノグラフ」

と、頭上から声が降ってきた。

「クロノグラフというんだ、そういう型の時計は」
「よしみちゃん」
「よっしー。もういいの?」
「うん。神主さんの計らいで予想以上の収穫だったよ。やはり百聞は一見にしかず、だな。昔の人はうまく言ったもんだ」

手元のメモ帳をためすがえす見返して満足そうなよしみちゃん。
いつもしっかりしている天才タイプのよしみちゃんのそんな様子がなんだか微笑ましくって、皆で顔を見合わせてちょっと苦笑い。
今日はグループで行動する自由研修だったので、見学する場所の候補のほとんどは知的好奇心を満足させたいよしみちゃんによって選ばれ。
そこに自他共に認める仏像マニアのエリちゃんの希望がブレンドされて、京都を北から南下していくコースが計画されていた。
…あれ?そういえば、

「よっしー。エリは?」

アカネちゃんの問いかけに、メモから顔をあげたよしみちゃんが答える。

「中にいるよ。ご神体の仏像とらぶらぶタイム中」
「だれが仏像と蜜月を過ごすか―っ」

どーんっ

堂内から飛び出すように戻ってきたエリちゃんの勢いに押され、宙へその身を投げだされるよしみちゃんとそのメモ帳。

「ああメモっ、私のめもーっ」
自身を顧みず、宙を舞ったメモ帳を捕まえるべく今にも宙を泳ぎかねない動きのよしみちゃんを、

「ちょっ、よっしーっ」
「よっしーパンツっ、ぱんつ見えるからっ」
二人がかりで受け止めようとする姫子ちゃんとアカネちゃんを余所に、

「…あのメモ帳に、一体どれほどの素敵レシピが…」
「ふ、ふみちゃん違うよあれはレシピじゃないよ―っ」
冷静に勘違いをするという器用なふみちゃんを引き戻す私を尻目に、

ぽすん
とメモ帳を受け止めるいちごちゃん。

「…漁夫の利?」
「や、いちご、それちょっとっていうかだいぶ違う」
突っ込みだけは冷静なエリちゃんだった。


(続く)



[26376] けいおん モブSS (14)
Name: 名無し◆432fae0f ID:ac8148ba
Date: 2012/02/24 04:27
2-(4)




「クロノグラフっていうのは、元々はレーサーやパイロットが時間を正確に計るために作られた腕時計で、ストップウォッチ機能を持っていることが最大の特徴なんだ」

最後の見学地の神社での騒動の後。
騒ぎを聞きつけてやってきた巫女さんや神主さんに七人そろってお詫びをし(そのタイミングがあまりにそろっていたものだから変にウケをとってしまった…恥ずかしい)。
旅館へ戻るべく、大通りへと出る道を歩いている。

「文字盤の中に小さな時計があるだろ?」

よしみちゃん以外の全員が私の腕時計を覗きこんでくる。
…額をつつきあわせるくらいの距離なので、歩きにくいことこの上ない。

「順番に時、分、秒のそれぞれを刻んでいて…そして、この時間を刻む時計の秒針部分がストップウォッチになっていて、普段は止まっているけど、この」

かち

「ここを押すと動き出すんだ」

おお~

どよめく一同。
おそらく買い物帰りと思われる近所の方々が何事かと注目している。
正直言って恥ずかしい。
それでも。
よしみちゃんの解説は続く。

「これはシンプルなクロノグラフだけど、ラップタイムを記録できるデジタルエンジンも入っている最新式のやつだから、スプリントスタイルのしずかには合ってるかもって思って買ったやつなんだ」
「ということは、」時計から顔をあげて姫子ちゃん。

「よっしーがしずかに買ってあげたってこと?」
「…うん、まあ、そうなる、かな」
「あれあれ?よっしー歯切れわるーい…って、顔真っ赤じゃんっ」
「やだよっしー、耳たぶまで赤いよ」
「よしみが照゛れた」
「でれてないっ」

変な所に濁点を入れるなっどんなレトリックテクだよっ

あさってのほうを向いて頬をかくよしみちゃんに、やいのやいのと茶々入れするエリちゃんたち。
ぼそっとつぶやかれたいちごちゃんの一言に、ものすごい勢いで反論(?)している姿が、なんだか…、

「可愛いね、よしみちゃん」
「~!」
「…しずか」
「…しずちゃん」

ぼんっ
と蒸気を吹き出しそうなよしみちゃんを尻目に、私の肩にぽんっと手を置くふみちゃんと姫子ちゃん。
あ、この流れは、もしかして…、

「お幸せに」

二人同時に言われてしまった。
…まあなんにせよしみちゃんは男前だし。
天才だし。
美人だし。
うん。
私としても異論はない。

「いやっ、そこは全力で異論しろよっ」

いつものよしみちゃんからは想像できないほどの狼狽ぶりが、ちょっとおかしくて。
“いつもと違う友達の一面を見ることができるのも、修学旅行の醍醐味よっ”
握りこぶしを作って力説していたさわこ先生の言葉どおり。

「修学旅行って楽しいね~」
「…前からそうじゃないかって思ってたけど」
「…それ、間違ってないと思うよ、姫ちゃん…」
「間違いどころか大当たりでしょっ」
「っていうか、しずかの場合はデフォルトって感じはするけどね」

え?え?

「天然」

そんなふうにいちごちゃんにばっさりと切られた頃。
車一台でやっとの広さの路地はいつの間にか開けていて。
いく台かのタクシーが停まっている大きな通りにたどりついていた。

「へい、タクシー…」と、よろよろと手を挙げるよしみちゃんの姿に、皆して笑ったのだった。



あとから思えば。
そんなふうな話出だしというか語りだしがまさにぴったりだと自分でも思う。
そう、あとから思えば、だ―よくあんな入り組んだ路地から出てこられたものだと。
その回想にたどりつくのは、修学旅行の最終夜、つまり今日の寝る前のおふとんの中だったのだけれど。
もちろんそのおふとんにたどりつくまでにも、そこには、ドラマがあったのだ。
それは。
誰にも語られることのなかった、とある少女たちの記憶。
そして、

「とある少女たちの、友情の物語…」
「…いきなりモノローグ入れるの禁止」
「いだっ」
「…シリアスな流れに持っていこうとして、逆に恥ずかしい感じになっちゃった感じ、かな…?」
「か、辛口だねふみちゃん」
「文恵はエリに辛口」
「ふみもいちごには言われたくないだろうさ…」

三者三様に好き勝手言いいながら通りを歩いていく。
帰りのタクシーを拾える目処が立ったところで、それでも旅館の“門限”にはまだ余裕があることを確認した私たちは。
たまたま近くにあったお土産物屋さんでちょっとしたお買いものタイム。
部活動の後輩たちへのお土産を選ぶ運動部組であるところのエリちゃんやアカネちゃん、いちごちゃんに混じって、私とふみちゃんは、今夜のお菓子を物色中。
夕食の後の甘いものは、女の子の嗜みというやつで。
決して寝る前の間食なんかじゃないです。
必要悪なんですっ。

「それでも寝る前のお菓子は女子の敵だと思うけどね…」
「…そんなこと言う姫子ちゃんには酢昆布の刑だからね?」
「うそ嘘っ、酢昆布だけはやめてっ、っていうか刑って怖っ」
「ずっと酢昆布のターンですっ」
「酢昆布の刑ってターン制だったのっ?っていうか必要悪って言ってたのはしずかでしょっ」
「あはは」

姫子ちゃんとそんなお話し。
まあ、旅館のご飯はおいしいし、量も多かったけれど(前日の夕食は覚えている限りで十五品近くもあったのだっ。流石の私もおなかいっぱいになった。ご飯を五杯くらいおかわりしたからかも知れないけれど)、それでも。
夜、寝る前に皆とお話しするときに、お菓子の存在は欠かせない。
あ、やっぱりポッキーは“極細”だよねっ。

「それで?」
「え?」

ポッキーよりトッポの方がチョコがぎっしり?

「そうそう、サクサクで香ばしいプレッツェルの中にはマイルドなチョコレートがたーっぷりっ…って違うでしょっ」

ノリ突っ込みである。
立花さんのノリ突っ込みであるっ。

「もう…ほら、それ」

姫子ちゃんの指先が差す、それ。

「クロノグラフ。それの由来、聞いてたところでしょ?」
「あ、うん…えへへ、そうだね」

そっ、となでる。
はずしているときは何とも思わないけれど。
こうして、左手首に巻いているときには、いつも身につけているわけでもないのに、とてもしっくりくる、感覚。
違和感とも違う。
いわゆるフィットしている…そういう感じとも違う、なんだろう、うまく、言えないけれど…、

「―大切、なんだね」

姫子ちゃんの声。
優しい、穏やかな声。
時計から顔をあげて見やる、姫子ちゃんの優しい顔。
大切なものを見る、それはきっと、姫子ちゃんへ抱くイメージそのものの、見ているこっちも優しくなれる、アルカイックスマイル。
こんなふうに見つめられると。
だから、ぽつり、と言葉がこぼれてしまうんだ。

「…プレゼントなんだ」

誕生日でも、クリスマスでもない、ただのプレゼント。
よっしー―砂原よしみちゃんが私に買ってくれた贈り物。


桜高に入学する前の三月の終わり。

中学生を卒業して、高校生になるまでの、“何者”でもない時間。
木下しずかが、ただ木下しずかだった短い春休み。
そんなことに特に思い入れがあったわけではないけれど。
中学三年間の修了という一つの区切りとして。
卒業という区切りとして。
私と同級生の人たちが迎えていたであろういろいろな区切りの内で。
私のそれのひとつには、“走ること”が含まれていた。
…いや、ひとつにはだなんて言うと、いかにもたくさんの区切りがあって、節目があって、「この歳で人生経験豊富そう」なんて言われかねないので。
訂正しなければなるまい。
私の場合には、走ることそのものが、私がつけた区切りのすべてといってよかったと思う、と。
一区切り。
走ることへの、一区切り。

「全国トップのスプリンター、電撃引退っ、って感じだね」
「あはは…それは、でも、なんだか悪いよ。恥ずかしいっていうか、情けないっていうか…」
「でも、本当のことは、本当のことでしょ?そんなの、あたしたちが分かっていればいいことだよ」
「…うん…そうだね。ありがとう、姫子ちゃん」
「どういたしまして」
「でも、でもね…」

やっぱり、私は走っていたんだ。

それが三月末のいつのことだったかは、正確な日にちは、実のところ良く覚えていない。
もしかしたらその日は、四月の初めだったのかもしれない。
こんなに素敵な贈り物をもらっておいて、その日がいつだったかを思い出せないなんて、本当に、情けないにもほどがあるよね。
それでも、よく覚えている。
その日は、風がちょっぴり強い日で。
陸上部の送別会の帰り道で。
独りきりで。
いつものランニングコースの公園を歩いていて。
もちろん、お供のとめさんだっていなくて。
一瞬吹いた強い風に、舞い散った桜の花びら。
目で追っているだけなら、いつか視界から消えてしまうのに。
それでも私の目に映り続けるその一枚。
走っていた。
桜の花びらを追いかけていたんだ。

「それで気がついたらその時計の置いてあるお店の前にいたと」
「うん」
「…よく交通事故とかさ、段差とかにつまづいたり電信柱にぶつかったりしなかったよね、あのしずかが」
「そ、そんなにいつも何かにぶつかったりしてないよっ」
「そう?だってこの前のお花見の帰り、歩きながらゴミ捨て場のゴミに突っ込んだって、ふみが…」
「…酢昆布の刑」
「わ、わっーうそ、嘘ですっ。どうかこの通り、お許しくださいしずか大明神っ」
「もうっ」
「ごめんごめんって」

わしゃわしゃわしゃ

「いいなーこの髪質、うらやましいっ」
「あ、あの、姫子ちゃん…」
「うん?」
「く、くすぐったいよぉ」
「まあまあ良いではないか良いではないか~」
「あうぅ~」

閑話休題。

「―はぁ、堪能したー」
「もう…」
「あはは。いいじゃん、減るものじゃないし」
「そうだけど」
「それでそれで、ほら、そのお店にいたんでしょ?若き日のよっしーがさ」
「若き日のって、本人が聞いてたら怒られるよぉ」

でも。
確かに、その日会ったよしみちゃんは今から数えれば三年前のよしみちゃんで。
私たちのようなイマドキの女子高生(…やはり、自分で言うのもなんだけれど)から言わせれば、三年という時間は老い若いで表現するのに十分な時間だ。
もっとも。
あの日出会った砂原よしみちゃんという女の子は、私からしてみたら、高校生のお姉さん―いや、大学生のお姉さんくらい年上に見えた。
大人びて、見えた。
桜高に入学してからもう一度知り合った時の、同い年だったんだっていうあの衝撃は今でも鮮明に覚えているくらいだから。
―よしみちゃんは、そのお店でアルバイトをしていた。
お店といっても、腕時計が置いてあるくらいだから、そのまま時計屋さんかと思っていたのだけれど。
店先のショーケースに飾られているそれらは、私が今しているクロノグラフのほかにも、素人目にも一目で年代物だとわかるカメラやら、英語とも違うでもどこかヨーロッパ調の言語でメッセージがつづられた絵葉書やら。
とにかくそういう、古めかしいもの、いわゆる、骨董のようなものたちだ。
お店の中は、それらの骨董の品々の種類を、さらに広げた世界で。
それはもう所せましだった。
そして。
お店の中に入るきっかけになったのが、

「そのクロノグラフだった、と」
「うん」

そんなに気になるんだったら、してみるか、そのクロノグラフ

琴線を張ったような、凛とした声だった。
降ってきたその声に、ショーケースの腕時計に縫いとめられていた私の視線はあっさりほどけ、その声の主へとスライドする。

くろのぐらふ…?

きっと、間抜け面をしていたんだろう。
目を合わせた私に、ふっと一息ついたよしみちゃんは、「ま、入んなよ」と気安い調子で私を店内へと招き入れたのだった。

「昔っからキザっぽいからねーよっしーは」
「き、キザっぽい?」
「ほら、なんかさ…よっしーはよくあたしのことを男前だっていうけど、あたしから言わせればよっしーのほうがよっぽど、だよ。この前なんかさ、あたしの部屋に出た家蜘蛛を素手でつかんだと思いきや、いきなり蜘蛛類のウンチクを言い出して、わきわきと恐怖におびえる蜘蛛ちゃんをそれはもう実験モルモットを扱うかのような手つきで…」
「あ、あの、姫子ちゃん?」
「もうどこの世界のマッドサイエンティストだよって感じで…え?どしたの、しずか」
「あの…」

指差したその先。
姫子ちゃんの後ろからにゅっと伸びた手は、次の瞬間。

わしぃ

「ひゃんっ?」
「言うにことかいて、人のことをマッドサイエンティスト呼ばわりとは、姫のここもたわわに実ったもんだなー、うんうん?」
「ひゃっ、やんっ、ちょ、よっしーっ、どどこ触ってるのよっ」
「胸だね」
「どこからどう見ても胸だねーっ」
「きゃんっ、ちょ、アカネっ、エリっ、見てないで止めてっ、助けてっ、揉ませないでっ」
「…交通標語みたいだね…」
「ふみちゃん、冷静だね…」
「Gプラス。仏像娘の二まわり上どころじゃないね」
「…いっちごちゃーん、なに、それ…もしかして、ケンカ売ってる?」
「安売りはしない主義」
「へんっだ。あんただっておんなじようなもんじゃないっ。豊胸ぶったってそうはいかないんだからねっ」
「成長期をなめないほうがいい。私は成長している。それをしずかが証明している」
「な、なん、だとっ?し、しししずかっ、ど、どういことっ?えっ、そ、そういうことなのっ?そうなのねっ?」
「えっ?えっ?」
「…大丈夫よエリ、落ち着きなさい」
「あ、アカネっ?」
「…女の魅力は、胸だけじゃないわ」
「うわーーんっっ」

だだだだだっ…

「い、行っちゃったよっ?」
「別に、お腹がすけば戻ってくるんじゃない」

そんな野良犬みたいなっ。

「―まったく。これに懲りたら二度と人のことを悪く言うもんじゃないぞ?」
「はぁはぁはぁ…は、い…すいませんでした…」

満足げなよしみちゃんと息も絶え絶えの姫子ちゃん。
…姫子ちゃんの顔が真っ赤で色っぽ過ぎて直視できませんっ。

「まあ、一区切りついたところで」とよしみちゃんが仕切りなおす。
…全然区切れてない気がするのは私だけじゃない、よね…?

「クロノグラフの話は寝る前にでもしてやるから」
「ほ、ほんと?」
「いいねいいねー。実は私も気になってたんだよね、さっきのその話」
「…私も…聞きたい…」
「いいはなしだなーで終わる流れは寸断されたけど、聞くのはやぶさかじゃない」

よしみちゃんの言葉に期待を寄せるアカネちゃん、ふみちゃん、いちごちゃんの御三方。
エリちゃんは夕飯までに帰ってくるだろうか?

「それじゃそろそろ時間だし、タクシー乗ろっか」

アカネちゃんの仕切りで二台に分かれて乗るころ、いつの間にやら戻ってきたエリちゃんをどうにかなだめて。
ちょっぴり恥ずかしい、けれどとっても優しくて、大切な思い出話が語られるイベントが寝る前に設定されてしまったけれど。
私たち七人は、無事に門限を守って旅館に帰ることができたのだった。

―無事に帰りつけていない、とある友達たちを、京の迷路に残して。


(続く)



[26376] けいおん モブSS (15)
Name: 名無し◆432fae0f ID:ac8148ba
Date: 2012/02/24 04:27
2-(5)




『―次の信号を、右』
「―はいっ」

かち

クロノグラフのラップメモリを押す。
“通話”があった時点での時間間隔をつかむために。
そして、私自身のペース配分を確認するために必要な作業でもある。

『―曲がったら直進。―約、百メートル』
「―うんっ」

吐いて吐いて、吸う。
千五百メートルを想定した呼吸法を軸に、ランニングペースを組み立てていく。

『―しずか』
「―なに?」

ゴールデンウィークに新調したランニングシューズは、修学旅行に来るまでの間の早朝ジョギングと、旅行中の運動部組の朝練の甲斐あって、だいぶ足に馴染んできているようだった。
足のサイズは小さくても、やはり、ソールはフラットに限る。

『―大丈夫』

ヘッドセットのイヤホンを通じて届く沈着で冷静そのものの声。
機械という媒体のせいで、いつも近くで聞くのよりも平坦で淡白で。
それでもその落ち着いた冷声が、走って温まった身体に不思議と心地よくて。
何よりも。
私のことと皆のこと、心配してくれているのがわかるから。

「―うん。―大丈夫だよ、いちごちゃん」

こんなふうにして走るのも楽しいな

こんな時に何をのんきな―って言われるかもしれない。
でも、そんなことを思いながら。
ヘッドセットマイクに向かって、自分でも驚くくらいの確信を持って言い切る。

「―必ず、見つけ出してみせるから」

だから私たちの夕ご飯、ちゃんととっておいてね

ふっ
―と。
いちごちゃんの笑んだ気配がイヤホン越しに伝わってきた―



ことの発端はほんの十数分前。
私たちのグループが旅館に帰りついたとき。
“その事態”は露見した。

「―唯たち、まだ帰ってきてないんですか?」
「そうなのよ」

手元のしおりに私たちのグループの帰り時間を書き込みながら、溜息混じりにさわこ先生。
ロビーには既に帰ってきているクラスメイト達や、他の組の生徒たちが思い思いにくつろいでいて、自由行動の終わった余韻に包まれている。

ああ帰ってきたんだな―そんなふうにひと心地つける余裕は、今の私にはなくって。
耳に届いたさわこ先生からの肯定と、視界に入る未だ埋まる様子のない彼女たちの帰り時間の欄が、私の小さな体のどこか奥に、得体の知れない感情を募らせる。
首筋のあたりがちりちりする。
知っている。
私は、この感情を、その正体を知っている―

「平沢さんと真鍋さん、どっちのグループの最終的な目的地もあなたたちと同じだったから、てっきり皆一緒に帰ってくると思ってたんだけど…」

焦燥感。
不安と心配とが焦りと共に私の身体を駆け巡っていく。
強張っていく身体とは裏腹に、私の意識が外へと訴える。

どうして、あの時、和たちには会ったのにっ―

「―さわこ先生」

ぽんぽん

突然置かれた手のひらが私の頭を柔らかく叩いた。

ぽんぽんぽん

“大丈夫”

そんなふうに言われた気がして―

「あたしたち、タクシーに乗る前に和―真鍋さんたちの班に会いました」

そう前置きした姫子ちゃんは私の頭をぽんぽんしながら、その時の様子を話していく。

「真鍋さんたちも帰るところだったらしくて…。“あたしたちはタクシーで帰るけどどうする?”って聞いたら」
「“電車で帰りながら風景を見るのも計画のうちだから、電車で帰る”って、なっつーが言ったんだよね?」

背後から私の両肩を抱き込むようにしてエリちゃんが二の句を継ぐ。

ちなみになっつーとは桜井夏香ちゃんのこと。
夏香だから“なっつー”。
私や他の仲のいい子たちはもっぱら“なっちゃん”とかそのまま“夏香”って呼んでいるけれど…。

なっつーなっつー、ねーなっつーったらー
なっつなっつ言うなっアーモンドかあたしはっ

エリちゃんとなっちゃんの、そんないつものやり取りがふと脳裏に浮かんで。
今はそんな場合じゃないのに…。

「あの班にはお母さん―じゃなかった」

さわこ先生のしおりに班長のサインをしながらアカネちゃん。

「佐久間さんもいるし…しかも真鍋さんと高橋さんのコンビだし、時間にはきっちりしてそうなんですけど…」
「…もしかしたら、もう近くに来ているのかも…」

ふみちゃんがそう言うものの、あの四人に限ってここまで時間を過ぎているということは、まだ付き合いの浅い私にも“何かあったんじゃないか”と思わせるのに十分だった。
それに、

「平沢さんたちも帰ってきてないというのがなんだか妙ですね」

よしみちゃんの指摘は私も思っていた通りで。

「どちらの班も帰りは電車利用」

しおりを確認しながらいちごちゃん。

コースの最終目的地が同じで。
帰り方も一緒で。
門限を過ぎても未だ帰らない、二つのグループ。

「…道にでも迷ったのかしら…」

眼鏡の奥に心配の色を滲ませながらのさわこ先生のつぶやき。

「まあ、平沢さんたちならありえそうですけどね」

苦笑しながら少し明るい声でアカネちゃん。
確かに、一番あり得そうなことだし、事故とか事件とかよりもそっちの方がむしろ安心だっていう気さえするけれど、でも…。

「先生はどちらかの班に電話してみました?」
「ええ。班長と、軽音部の子たちにはね。でも…」

姫子ちゃんに問われたさわこ先生の表情がさらに曇る。

「真鍋さんも田井中さんも電波が届かないところにいるみたいで…。平沢さんのはコールはしたんだけど、すぐに話し中になっちゃうのよ」

最近の携帯電話は機能が進歩しているとはいえ、住宅街やビルがたくさん建っているところだとたまに電波が悪くなる。
今日、最後にお参りしたあの神社の周りの住宅街を歩いているときも、そういえば電波はそれほどよくなかったような…。

「そうですか」とうなずいた姫子ちゃんは、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出すと(今流行りの“すまーとふぉん”というやつだ。ボタンの類いはほとんどついておらず、なにやら画面をタッチするだけで本も読めてしまうとか…時代は進歩したものである)、

「あたしもかけてみますね」

そういって携帯電話を操作する姫子ちゃんの手元を覗きこむ。

電話帳検索。
“平沢 唯”をタッチ。
電話番号をタッチ。
スピーカーモードをタッチ。
コール中…―…―…―…―

ぷつ

つながったっ?

「―もしもし?唯?あんたたち今どこにい」
『姫子ちゃ~んっ』

きぃーん

感度のよいスピーカーを内蔵しているのか、電話に出た唯の開口一番の声はそれだった。
その声には切羽詰まっている感というよりは、嬉しさのほうが色濃く出ているようで。
続いて聞こえてくる楽しそうな笑い声。
…笑い声?

「…秋山さんの声だ」
「さ、佐々木さんっ?」
『もう聞いてよ姫子ちゃん。澪ちゃんがさっきからずっと笑いっぱなしで大変なんだよぉ~』

電話口で唯がそう言っている間も、向こうでは哄笑とでも表現したほうが適切なんじゃないかと思えるような笑い声が響いている。
「秋山さん楽しそうでいいなぁ」と頬に手を添えて、溜息混じりの佐々木さん。
…秋山さんの声に聞き惚れてる…?

『ほら澪ちゃん、落ち着いて。あっ、ねぇねぇ姫子ちゃんっ』
「なに?唯」
『私たち猿山に行ったんだよっ。お猿がたくさんいて~、餌もあげて~。可愛かったんだよぉ。あとで写メ見せてあげるね~。あっ、そういえばムギちゃんがね~』
「…もしもし?律?」

切り替えの早い姫子ちゃんだった。

『―ん…その声、姫子か?どしたの?』

すぐ近くにいたのか、田井中さんが電話に出たようだ。
後ろでは電話をとられて不満そうな唯と、秋山さんの笑い声が響き渡っている…。

「どしたの、じゃないでしょ。あんたたち今どこにいるの?門限もうとっくに過ぎちゃってるよ?あ、和たちも一緒にいるの?」
『そんな一辺に聞かれたって困るってっ。…ええっと、まあ、どこって聞かれれば』
「聞かれれば?」
『ど』
「ど?」
『どこだここはっ』

がくっ

いちごちゃん以外の全員がずっこけた。
よくテレビとかのお笑い番組でそういうシーンを目にするけれど。
まさか自分が当事者になるなんてっ。

「つ、つまり道に迷ってるんだね?」

いち早く体勢を立て直した姫子ちゃんが確認すると。
しかし電話越しの田井中さんは、本人がそう言っている姿を聞いている私が思い浮かべることができるほどの剣幕で『失礼なっ』と声を張り上げると、

『あたしたちは実りある京都の自由研修の最後を飾るべく駅への道を歩いていてだなー』
「なんだ、駅への道のりは分かってるんだ。それなら」

大丈夫だね―という姫子ちゃんの言葉は、

『いや』と携帯電話からの田井中さんの声に遮られた。

緊張感の滲むその声に、携帯電話の周りの空気が張り詰める。
もしかして。
何か、急を要する事態が…っ?

『―迷子になったっ』

どどっ

皆して二度ごけ。
フロントにいる番頭さんの奇異の視線がひたすらに恥ずかしい。
けれど、今は恥じらっている場合ではない。
通りすがりの仲居さんからくすくす笑われようと、他の組の子たちに“また二組がおもしろいことやってる”と思われようと。
今は、それどころではないのだ。
緊急事態なのだっ。
…そう思うことで、なんとかして再び体勢を立て直す。

「やっぱり迷ってるんじゃないっ」

携帯電話に喰らいつく勢いで姫子ちゃん。
ゆるく波打ったきれいな髪の毛を振り乱さんばかりだ。

『だ、だってしょーがないだろっ。なっつーの言うとおりに歩いてたらこうなっちゃったんだから』
『ちょっなにてきとーなこと言ってるんだっ。あたしは何も言ってないよっ。っていうか先頭切って歩いてたのは和とりっちゃんでしょっ。あとなっつー言うなっ』
『そ、それは言わない約束だろうなっつーっ』
『だからなっつなっつ言うなーっ』

ぎゃーぎゃーぎゃー
あはははははははは

少し遠くに聞こえる秋山さんの笑い声のトーンが増した。
“なっつなっつ”にハマっちゃったのかな…?

「…誰か話の分かる人はいないの…?」

姫子ちゃんを始めとして諦めかけていた、まさにその時。

『もしもし』

京都におわす神様たちが手を差し伸べてくれた。
この落ち着いた声は…、

「お母さん?」

真っ先に反応するアカネちゃん。

『はい。こちら三年二組のお母さんこと佐久間英子です』

「いや自己紹介はいいから」
「っていうか迷子になってる本人からお母さんって言われても説得力ないからねっ?」

とすかさずエリちゃんも応答する。

『秋山さんは田井中さんのくだらない一発ギャグを聞いてから笑い上戸が出てしまって、皆も聞いてのあり様よ』

マイペースに状況説明する佐久間さん(私は“お母さん”って呼んだことはこの二カ月一度もない。だって、なんだか恥ずかしいから…)。
それにしても。
くだらないと断ぜられた田井中さんはちょっぴり可哀想かもしれない。
なっちゃんたちの言い合いやら秋山さんの笑い声をBGMに、佐久間さんの解説は続く。

『真鍋さんと高橋さんはそんな秋山さんを介抱中。このままじゃ笑い死にしてしまいそうだから』
「あ、ああ秋山さん死んじゃうのっ?」
「死なないっ。死なないから落ち着け曜子っ。英子もてきとーなこと言わないっ」
「…曜子ちゃん落ち着いて…っ」

姫子ちゃんの携帯電話にかぶりつく佐々木さんを必死で抑えるよしみちゃんとふみちゃんだった。
佐々木さん…曜子ちゃんが、桜高に非公式ながら存在する“秋山澪ファンクラブ”の会員だったことを私が知るのはもう少し後のことである。
―といっても、それはこの迷子騒動がひと段落した夜のことだったのだけれども(ファンクラブが生徒会公認であることも含めて)。

「それで」

これまで沈黙を守っていたいちごちゃんが口を開く。

「迷子になって、どのくらい」
『あら、その声はひょっとして若王子さん?えぇとね…』
『同じとこに戻ってきて、澪がおかしくなったのがついさっきだから、んー…二十分くらいは経ってるかな』

思案するような佐久間さんに代わる形で、田井中さんが答える。
私たちがタクシーで帰ってきたのがほんのちょっと前ということを考えると…、

「あたしたちがなっつーたちと別れてちょっとしてから、りっちゃんたちが合流して、その辺りから迷ったって感じだねっ」
「エリにしては珍しく察しがいいね」
「ということは、旅館からはそんなに遠くないのかしら」

エリちゃんの予想には、私も近いものを感じていた。
私の感覚的にも、さわ子先生が言うように、旅館からはそんなに離れていないと思われる。
あくまで勘だけれど。

「律」
『ん?いちごか?どしたの?』
「周り、何が見える」
『へ?周り?えーと、何が見えるってーと』
「京都タワー、見える」
『京都タワー…?』
「英子」
『はいはぁい。いきなりファーストネームで呼ばれると、お母さん照れちゃうな~』
「…近くに、番地が分かるものがあれば、見て教えて」
『はいはい、番地ね~』
「…なるほどそういうことか。英子、電柱とか近くにないか?あれば多分、そこに表記してあるはずだ」

いちごちゃんのしようとしていることに見当がついたのか、よしみちゃんも電話口の向こうへ指示を飛ばす。
おそらく、二人の考えでは、

「唯たちがいる迷っているところを、番地と京都タワーの見え方から予測しようってわけね」
「ああ」
「…」

顔を見合わせるよしみちゃんと姫子ちゃんに軽く相槌を打ったいちごちゃんは、「地図が要る」と言ってアカネちゃんに視線を送ると、

「なるほど、地図ね」

心得たとばかりに、今度は私を見てアカネちゃん。
その意を汲み取れない私ではない。
ロビーを見渡すと―、

「アキヨちゃんっ」

宮本アキヨちゃん。
桜高の知識の要、図書委員会の委員長。
“歩く図書館”の異名を持つ彼女なら、きっと…、

「アキヨちゃん、突然でごめんねなんだけど」
「…ううん、大丈夫だよしずかちゃん。どうしたの…?」
「京都の地図、ないかな?」
「…あるよ?」

どすん

“京都市全図”というタイトルの分厚い本を事も無げに取り出したアキヨちゃん。

「…毎度のことだけど、アッキョどこから出してくるのそういう本」と目を丸くして問うエリちゃんに、

「き、企業秘密、です」

人差し指を唇にあてたいわゆる秘密ですポーズをとるアキヨちゃん。
本人はお茶目のつもりでやっているのだろうけれど、恥ずかしさがぬぐえていないのでむしろ余計に可愛らしい。

『―番地、分かったわよ』

ほどなくして携帯電話からの応答。
佐久間さんから告げられた番地を、地図の索引から探し当てる。

『京都タワーも見えてるぞ』と田井中さんからの情報も入ってきた。

「状況から察するに」

地図上に置かれたよしみちゃんの指がコンパスの形を作り、旅館の位置と彼女たちの位置とを結びつける。
こういう手際は流石桜高始まって以来の才媛といったところだ。

「―って、駅と逆方向じゃんっ」
「ほんと、駅があるほうから遠ざかってるね」
「確かにあの辺の道、結構入り組んでたけど、これはひどいね」
「方向音痴」
「にも程があるけどな」

そんなふうに散々な言われようの彼女たちだったけれど、

「…でも、無事みたいで、よかった…」
「うん、そうだね」

何かの事件や事故に巻き込まれたわけじゃなくって。
唯も和も、秋山さんも田井中さんも、なっちゃんも佐久間さんも高橋さんも。
そして。
ムギも。
とにかく、無事だったということが分かって―

「―迎えに行こう」

知らず、口を衝いて出ていた私の言葉に。
私の顔に。
集まった皆が視線を向ける。

「迎えに、って言っても」
「大体の位置は分かったけど、ここからだと距離あるぞ?」
「タクシー呼んだほうが早いんじゃ」
「それでも」

姫子ちゃん、よしみちゃん、アカネちゃんのもっともな指摘に。
それでも、と思うのだ。

これからは私の背中はしずかちゃんに任せるね―
何か困ったことがあったらいつでも言ってね―

いつも楽しそうなムギの背中を見ていて。
私はいつも穏やかな気持ちになれたんだ。
だから。

「私が迎えに行かなきゃ」

それが、背中を預かった友達として、今私にできる一番のことだと思うから。

「―もう…こうなったしずかはてこでも動かないんだから」溜息混じりの姫子ちゃんの隣で、

「しずかって意外にこういうときは頑固だもんね」同意するようにお手上げポーズのアカネちゃんの横で、

「それでこそのしずか大明神さっ。女に二言はないっ、てねっ」親指を立てて満面笑顔のエリちゃんを、

「それを言うなら男に、だろ」とたしなめるよしみちゃんの隣で、

「しずかは友達思いだから」目を細めるいちごちゃんと、

「…かっこいい、しずちゃん…」うるんだ瞳で私を見つめてくるふみちゃんの言葉はちょっぴり気恥ずかしい。

でも、大丈夫。
私には、こんなにも素敵な仲間たちがいるから。
だから。

「そういうわけで、行ってきます、さわ子先生」

言いがてら、玄関に向かう私に。
というより、ことの成行きについていけてないさわ子先生は目に見えて狼狽すると、

「ええっ?ちょっと、だめよ。もう門限も過ぎているし、夕食の時間だって」
「さわ子先生」

いつの間にか来ていた美冬ちゃんが機先を制した。

「私たち全員そろって三年二組ですから」
「もちろん、さわちゃんも入れてねっ」

ウィンクと共に送られたちかちゃんの言葉に。

「あなたたち…」

ふっ、と息をついたさわ子先生は私たち一人ひとりの顔を見て、一言。

「いいわ。行ってらっしゃい。二組の担任として教頭先生には私から言っておきます。平沢さんと真鍋さんの班、頼んだわよ木下さん」
「はいっ」

そうと決まれば早いのが私たち二組だ。

「さっすがさわちゃん、話が分かるーっ」
「よしっ。ふみちゃん、しずかのシューズとか持ってこよっ」
「…うん、エリちゃんっ…」
「何やら熱い展開になってきたねーっ」
「確かに、あのグループは方向に弱そうだもんね」
「あたしたちにも何かできること、あるかな」
「三花、とし美、それにまきも」
「じゃあバレー部組でしずかのストレッチ手伝ってあげて。アップなしでスタートはきついでしょうから」
「アキヨ、この辺をもっと拡大した地図とかないのか?」
「あ、あるよ」
「これ…医局特製のエナジーチャージゼリー」
「この時期でもまた帰ってくる頃には汗で冷えるだろうから、着替えるなら長袖にしたほうがいいよ」
「ありがとうキミ子ちゃん信代ちゃんっ」

ゼリーで持久力チャージ。
続いてバレー部の皆とストレッチ。
そうしている間にランニングシューズと体操着が届けられる。

「しずか」

制服の上から着替え終わり、シューズの靴ひもを締めなおす私に声をかけたいちごちゃんは、

「持っていって」
「これは?」
「ヘッドセット。私の電話にジャックして、無線モードにしてあるから、こっちとリアルタイムで通話できる」

イヤホンとマイクが一体化したヘッドホンを私の頭にのせながら、黒いほうのスマートフォンを手渡される。
白いほうのもう一台(二台のスマートフォンを持っているいちごちゃんである。黒いほうが電話とかメール用、白いほうはもっぱらインターネット用だとか)は示しながらの解説。

「これでしずかを皆のところまでナビゲーションできる」
「いちごちゃん…。うん、ありがとうっ」

とんとんとつま先をつめてめいっぱい伸びをする。
続いて屈伸。
ジャンプ三回。
返ってくるソールの反発に知らず口許がほころんだ―うん、いい感じ。

スターティングポジションは、レギュラースタンス。

がらがらがら

ふみちゃんとエリちゃんが玄関を開ける。

「―木下しずか、行きますっ」

いってらっしゃーい
気がつけば二組以外のクラスの子たちもロビーに集まってきていて。
たくさんの声援に送り出される形で。
私は夜の京都へと走り出したのだった。



[26376] けいおん モブSS (16)
Name: 名無し◆432fae0f ID:ac8148ba
Date: 2012/02/24 04:27
2-(6)




思い出すのは桜色の光
ねえ、おぼえている?
いつか一緒に帰った道で
あのとき君が、私の名前を呼んでくれたんだ
初めて見た、満開に咲いた桜が風に揺れていて
―あれからどれくらい、変われたんだろう?





「ごはんに間に合ってよかったね~」

迷子の疲れを全く見せない。
そんなムギの声はとっても楽しそうで。

「うんっ」

相槌を聞くだけでわかってしまう。
そんな唯の向日葵のような笑顔。

「まったく…。心配させないでちょうだい」

軽音部の四人を叱る声は、教室で聞くのとはちょっぴり違う。
そんなさわこ先生は、なんだか歳の離れたお姉さんみたい。

「ごめんなさい…どす」

申し訳なさとか。
京都弁の優雅さとか。
そんなものは微塵も感じられない唯の謝罪の言葉は、

「ごはんどすっ」

田井中さん…りっちゃんのワルノリを誘発する起爆剤。

「私はベースの秋山どすっ」

そうして噴出した秋山さん…澪ちゃんの笑い声は、もうとどまることろを知らない。
今夜いっぱいにかけて、京都弁“的”な発言は澪ちゃんにとっては“NGワード”というわけだ。
“笑い死に”という一生お目にかかれそうにない最期に立ち会いそうになった私には、澪ちゃんのこんなに元気な(あるいは愉快な)姿を明日も拝めることを、ただただ京都の霊的な何かに祈るばかりである。

「―もぉっ、笑えないっ―」

―それにしても、と思うのだ。

「…軽音部って本当に元気だよね」

迷子になった彼女たちのもとへ文字通り駆けつけた私の言葉に妙な説得力を感じたのか。
隣で箸を進める姫子ちゃんも「ふふ、そうだね」とちょっぴり苦笑い。

…どうでもいいけれど、お膳を前に正座する姫子ちゃんのお淑やかさというか箸さばきというか。
それら一連の所作が重なり合って醸し出される女性らしさというか。
見た目はイマドキ女子高生な姫子ちゃんなのに。
着物を着せたら美人若女将が完成する域だ。
同じ高校生なのに。
走ることと小さいことと髪質の良さくらいしか取り柄のない私と比べたら雲泥の差だ。
これは同じ女の子として見習うべきかもしれない。
特に、私の目の前でご飯をかきこんでいるエリちゃんあたりは…。

「むぐ?」
「どうしたのエリ」
「むぐむぐ…ん、や、なんか今、ものすごく失礼な電波を受信したような気が」
「気のせいじゃない?」
「そんなっ。数々の試合を乗り切ってきたあたしの第六感を疑うというの三花っちっ?」
「エリの十八番の“山カンレシーブ”のこと?」
「な、なんと失礼な物言いかねアカネくんっ。キミはこれから“失礼キャプテン”と呼ばれて打ちひしがれて、とっしーやまっきーにコートの隅っこで慰められてればいいんだっ。ぷんっ」
「まぁ、あのレシーブはバレー部代々のお家芸らしいしね。私も先輩から教えられたし」
「さすがとっしーっ。そうだよねっ、伝統は大事だよねっ。まっきーもそう思うでしょっ?」
「うん、そうだねぇ。でも」
「なになにっ?」
「ほっぺにご飯粒、ついてるよぉ」

奥から三花ちゃん、エリちゃん、アカネちゃん、俊美ちゃん、わじまきちゃん。
横並び一線のバレー部の面々である。

「…バレー部も元気だな」
「…うん、そうだね…」

元気だなと言いつつちょっぴり疲れの滲んだ声のよしみちゃんに相槌を打つふみちゃん。
煮魚の食べ方がとても綺麗です。
さすが家庭部の二強。

「…おいしい」

デザートの抹茶プリンにとりかかっているいちごちゃんのお膳はきれいさっぱり。
全然おいしそうに見えない表情にも、嬉しくって今にも小躍りしそうないちごちゃんの喜色を見いだせる私はきっと“若王子学”の天才、だ…?

「―」
「!(に、睨まれたっ?)」

美人が睨むとこんなに怖いのっ?

「―ともあれ」

箸を置いてお茶で一息ついた和いわく、

「なんだかんだで無事に帰ってこれて良かったわね」
「…迷子の先導者が言うセリフ?」
「…それを言うなら風子だって同罪じゃん?」
「う…な、なっつーだってなんにも言わずについてきたくせに」
「なっ…そりゃコンパスまで取り出してずんずん歩いていかれたらついてくしかないだろっ。しずかが迎えに来てくれたから良かったものの…。っていうかいつの間にかなっつ呼ばわりですか高橋さんっ?」
「なっつーなっつーなっつっつー」
「やめろいちごっ。リズムをつけるなっ」
「あらあら…三人とも、喧嘩するなら外でしなきゃだめよ~」

英子ちゃんの仲裁むなしく(もちろん、外でするならいいのか、というつっこみはともかくとして)。
なっつというNGワードを聞いてしまった澪ちゃんの哄笑は深刻化していくばかりだった。

「秋山さん、夏香ちゃんのニックネームで大爆笑…と」

食事の片手間に白と青の縞模様の手帳になにやらメモしている曜子ちゃんは、本当に澪ちゃんファンクラブの人なんだなと。
感心というか、寒心というか。
そんなふうに友達の新たな一面を知ることのできた迷子騒動でもあった。
…なっちゃん、泣かなくてもいいんだよ…私なんか“しずしずしよう”なんていう動詞めいたキャッチフレーズまでつけられているんだから…。

迷子になった当事者たちや、捜索に携わったクラスメイト含めて。
和の言うとおり。
なんだかんだでみんな元気である。
…まぁ、今夜は修学旅行の最後の夜だもんね。

「―ふふ」

知らずこぼれた笑みに、

「どうしたの、しずかちゃん?」

背中合わせのムギが首をめぐらせて聞いてくる。

「ううん…なんでもない。ただ、ね」
「うん?」

体操着越しに伝わる体温。
ムギってあったかい。
本当に体温高いんだね。

「…ただ、ね」
「な~に?」

寄りかかってくるムギの背中を支えつつ、思うんだ。

「…修学旅行って楽しいなー、って」
「うふふ、私もそう思うっ」

そんなふうにしてお互いの背中でお互いを押し合う私たち。
隣では唯が真似をして和の背中をぐいぐい押している。
あれじゃあおしくらまんじゅうだ。

「ふふ、なにやってるんだか」

和も大変だね、と苦笑する姫子ちゃんもやっぱり楽しそうで。
私もそんなふうに、柔らかく微苦笑するという女性スキルを身につけたいと願いながら。
四杯目のご飯のおかわりをお願いするべく、仲居さんを呼ぶのだった。





思い出すのは桜色の光
ねえ、おぼえている?
いつか一緒に帰った道で
あのとき君が、私の名前を呼んでくれたんだ
初めて見た、満開に咲いた桜が風に揺れていて
―あれからどれくらい、変われたんだろう?



[26376] けいおん モブSS (17)
Name: 名無し◆432fae0f ID:b0be7351
Date: 2012/02/24 04:28
2-(7)




ありがとう
私の隣にいてくれた、あなたへ





木下しずかのお風呂は女子にしては短いほうである。
…いや、別に自宅にある浴槽のサイズの話をしているわけではない。
いくら私でも、自身の体躯の指標として自宅の浴槽を持ちだしたりはしない。
我が家には長女の私以外にも、父母、そして弟だっているのだから、私ぴったりの浴槽があってたまるかとも思う。
なんだったら弟の身長は既に私を、お母さんを、そしてお父さんをも追い越して、もはや我が家で一番高いし。
そういえばお父さんだってそんなに身長の高いほうではないのに(クラスで言えば、そう、まめちゃんこと遠藤未知子ちゃんとちょうど同じくらいだ)。
あの弟ときたら、まぁ、育ち盛りの男子という時期的な要素があるにしても、それでも高い部類に入るだろう。
なにせ身長百七十オーバーの弟である。
現在中学二年生。
木下家の例にもれず、食べても太らない体質。
私と同じで身体を動かすことが好きで、学校では部活にも精を出しているから、身体も程良く締まっている(元・陸上部の私が言うのだからまぁそれなりだ)。
幼馴染であるところの圭ちゃんに言わせれば“顔立ちも姉弟で似ている”とのことで。
二人並んで歩くと、その身長差が手伝って、私の方が年下、つまりは妹に見られてしまうこともままあることだ。
そんなことを経験するたびに思う。
切実に思う。
私にもまだ成長期が残っていてくれと―そう言えば弟には私と同じくらいの身長の友達がいるらしい。会ったことはないけれど、その子の将来が心配である。
…何がって身長が。

「あれ?りっつんたちもう出るの?」
「唯のやつがのぼせそうだからさ。エリたちは今から入るのか?」

とにかく、長さやサイズの話なのではない。

「うん。あたしたちが一番最後のグループだからねー」
「あーそうだっけ。あ、けど、まだ澪とムギが入ってるぞ?あいつら髪の毛長いから時間かかるんだよなー」

そう。
お風呂にかける時間が女子にしては短いと、私は言いたいのだ。

「―二人とも綺麗な髪してるもんね」

姫子ちゃんの言うとおり。
二組の中でも、いや、三年生の中でもとりわけロングヘアー組であるところのムギと澪ちゃんである。
腰まで届く長さ、なんて、漫画か何かでしか目にしたことが無かった私だったから(それこそ陸上部ではまずありえなかったヘアスタイルだ)。
一年生の頃に二人の姿を初めて目にした時などは、その長さと綺麗さに、同じ女の子として羨望のまなざしを送ったものだ。
陽光にきらめく澪ちゃんの艶やかでまっすぐな黒髪。
色素の薄いムギの髪はそよ風くらいで波打って、真後ろに座る私にふうわりと届く、春の花のようなどこかやさしい香り。
服を脱ぐ私の隣で水泳体操で準備体操しているよしみちゃんやなっちゃんでいうところの私たち―いわゆるショートヘア組にしてみれば、どうしてそんなに艶があるのか、どうしてそんなにいい匂いがするのか、甚だ不思議だった。
…お風呂に入るのに水泳体操第一を全て行う必要があるのかという疑問は、この際水に流すとしよう。
ちょうどお風呂場だし。

「おっ」
「なに?」
「いや、髪の毛まとめてる姫子ひさびさに見たなーって。…うんうん、うなじが綺麗でよろしおすな~」
「ちょ、京言葉でなにおやじ臭いこと言ってるの…」

自分の髪の毛をそんなふうにするには、どれほどの手間がかかるのだろう?
どれほど手入れすればよいのだろう?
ましてやお風呂などは?
ムギの後頭部を四六時中愛でている―否、眺めている私にとって。
ショートヘア組の中でも短いほうである私にとって。
お風呂が短い私にとって。
それはここ最近抱いている、小さな不思議の一つで。
お風呂上がりで前髪をおろしているりっちゃんと、日に焼けて色素の薄れたゆるふわヘアーをタオルでまとめあげている姫子ちゃんのやりとりを見て、そんなことを思う。

「ところで」
「ん?」
「…どちらさま?」
「あたしだあたしっ」

ばばっ

「なんだ、律か」
「なんだとはなんだっ」
「てっきり前髪お化けかと」

確かに。
長い前髪で目元全部まで隠れてしまったりっちゃんは、正面から見ると誰だかわからない。
こうして前髪をあげてもらって。
トレードマークであるところの、形のいいおでこがあらわになって。
田井中律は、初めて田井中律たりえるのだ。
やっぱりりっちゃんはこうでなくっちゃ。

「ちょっ、言うにことかいて姫子までそれを言うかっ」

私のそんな思いをよそに、姫子ちゃんに食ってかかるりっちゃんは案の定だったけれど。

「ふふ、ごめんごめん」

姫子ちゃん十八番のアルカイックスマイルを向けられては、

「むぅ」

さすがのりっちゃんもこう唸るにとどめるほかないみたい。
それにしても。
“姫子まで”というのを聞くにつけ、“前髪お化け”というのは過去に誰かに言われたことがあるのかもしれない。
それは他でもない、軽音部の誰か、それも唯あたりじゃないだろうかと。
予想をつける、そんなことをするのもちょっと楽しくて。
拗ねた子供のように唇をとがらせるりっちゃんの隣でふらふらと揺れている、顔を真っ赤にした唯はぐっと親指を立ててグーサイン。
明らかにお風呂にのぼせたふうである唯の、えもいわれぬ達成感に満ちた表情には、なにかこみ上げるものがあった。

「…コーヒー牛乳、飲む…?」
「わ~い。ありがと~ふみちゃ~ん」

どうやら正解。
唯の様子からそう合点がいく頃には、ふみちゃんの粋な差し入れによってまたたく間に復活を遂げた唯の姿があった。

「でもりっつんてほんとに前髪長いよねー。切らないの?」

腰に手を当ててラッパ飲みをする唯の隣から覗きこむようにしてエリちゃんが。

「私はむしろ切らないでおろしたほうがいいと思うな。そしたら物凄いイケメンなんだよ律って」

言いながら件の前髪を手櫛で流し整えていくアカネちゃん。
その手つきは滑らかで、「―うん、できた」とつぶやいたアカネちゃんの満足そうな横顔を見て。


―私、美容師になりたいんだ


いつの日かに聞いた、アカネちゃんのそんな声が、ふと脳裏によみがえった。
あれは、あの日は、いつのことだっただろう―脱いだ服をおざなりに畳みながら、少しの間の追憶に意識が向いたその瞬間、

おお~

というどよめきに意識を奪われた。
声のほうに目を向けると、

「あはは、まあ、こういうのにも需要あるかもしんないしな。…放課後ティータイムがデビューするときは、メンバーの分もアカネにお願いしよっかなー」
「それって放課後ティータイム専属ってこと?…ちゃんと食べていけるかな…」
「なんだとーっ」
「あははっ」

脱衣所の大きな鏡に映る、今をときめくアイドルユニット顔負けのイケメンとその専属ヘアメイクアシスタントがそこにはいた。

「ほんとだ、イケメン」

目を丸くして驚く姫子ちゃんの隣で、

「もういっそそれで売り出していきなよー」

意地の悪い口調でりっちゃんの肩に手をまわすエリちゃんの向こうで、

「―あれで男子の制服でも着せて一年生の廊下を歩かせようもんなら、ファンクラブの一つや二つすぐにできるな」

未だ水泳体操を続けるなっちゃんの隣で、

「ついでに澪ちゃんと腕を組ませたら最高のカップリングだねっ」

いつの間にやってきていたのか、同じく水泳体操をしながらのちかちゃんの隣で、

「…写真部との取引、早めに動いたほうがよさそうね」

絶対何か企んでいる表情なのだけれど顔から下は水泳体操をしているというちぐはぐな美冬ちゃんの隣で、

「イケメン田井中さんとツーショットで歩くお嬢様然の秋山さん、すてき…」

その光景を想像しながら水泳体操をしている曜子ちゃんの、恐るべきはそれが水泳体操第四であるというところ。
分かってしまう私もどうかと思うけど、さすがに面食らうよ…。

「でもでもっ。かわいいのほうがうれしいかにゃー、なんて」

この期に及んでわがままを言い出すイケメンりっちゃんだった。

「…なあ、そろそろ風呂、入らないか…?」

よしみちゃん、もっと言ってあげて!
そもそもどれだけ広いのこの脱衣所!
そして男子の制服って!
桜高って女子校だったよね!
え、まさか、さわこ先生がっ

「二兎を追うものは一兎を得ず」

ぽん、と。
突っ込みどころにすら混乱している私の肩におかれた手の主は、冷ややかな声でそう告げると。
鏡を前にその巻き髪をタオルでまとめ始めた。

「ちぇっ。いいよなーいちごは。そのキューティクルをあたしにも分けろぉーっ」
「え、やだ」
「ですわよねー」
「あらあら二人とも。仲が良いのはいいけれど、素っ裸でやっていたら風邪をひくわよ~。そこのみんなもね~」

―はいすいませんお母さん

脱衣所の人間すべてが英子ちゃんに頭を下げる様は、滑稽以外のなにものでもなくって。
決して広くはない、どこにでもある脱衣所でも。
私たちの修学旅行は、こんなにも楽しくておもしろい。

「さて、それじゃ行きますか」
「お風呂は命のすすぎ洗濯脱水機、って言うしねっ」
「いや、そこはさすがに洗濯だけでいいだろ…」
「あたしもこの際、髪の毛切ろうかなー」
「はいはい有料ね、カットオンリーで五千円」
「たかっ」
「最近の美容院はどこも高いわよねー」
「あ。あれいいらしいよ、炭酸スパ」
「私このまえそれやった」
「秋山さんに髪の毛の洗い方、教えてもらおう…っ」

騒がしくかしましく。
浴場へ向かう皆の背中を見送りながら。
お風呂セットの中に何故か入っていた小さなアヒルのおもちゃを手にとる。

「…私たちも行こう、しずちゃん…」
「うんっ」

ふみちゃんと二人。
浴場へ向かう私の足は、さっき走ったばかりとは思えないほどに軽かった。





ありがとう
私の隣にいてくれた、あなたへ



[26376] けいおん モブSS (18)
Name: 名無し◆432fae0f ID:a084c8af
Date: 2012/02/24 04:42
2-(8)





頬を伝って ただ 一筋に流れる感情の雫
ごめんね
なんだかうまくいえないよ







明るい―
淡い、真綿のような光に包まれている。
そんな感覚をまぶたに感じて。
ゆるゆると開いた目に映りこんできたのは、

「…つき…?」

月。
月明かりが一筋、差し込んでいる。

「…あ」

もう、二時だ―
そう、独りごちて。
次いで、枕元に目をやると。
月光に照らされて鈍く光る腕時計―よしみちゃんプレゼンツのクロノグラフの示すところ、ずいぶんと珍しい時間に目が覚めたみたい。

「…」

毎朝のランニングを習慣にする木下しずかにとって、これはとても珍しいことだった。
自慢というわけではないけれど、睡眠というのは、私が得意とする数少ない事柄のひとつだ。
それも、いつでもどこでも、というふうに時間にも場所にも制約を受けないというオプションつきで。
もちろん、早朝ランニングとか、そういう“体内時計にインプットされた習慣”には正確な身体なのだけれど。
一度寝たら、余程のことがない限り、(程度はさまざまであれど)ちゃんと起こしてもらわない限り、起きない。
I can sleep everywhere, every time !
起きぬけなのにそんなふうに英語でアピールできるほど、なぜか頭が冴えている。
英語であることに意味なんてない。
ただ私が言いたいのは、だ。
寝る子は育つ、だなんて。
昔の人、ぜんぜんうまく言えてないよっ…。

あたりはとても静かだった。
…いや、耳を澄ますと、みんなの寝息が聞こえてくる…って、寝息?

「―あ、ごめん。起こしちゃった?」

かたん、と引き戸の閉まる小さい音がして。

「アカネちゃん?」

身体を起こした私を見て、その責任の所在を自分の所作に求めたのだろう。
アカネちゃんはささやき声で謝りながら、目の前で仰向けになって寝ているエリちゃんを一瞥するや、「しょうがないなぁ」とため息混じりに呟いて、豪快にずれている掛け布団を直してあげている。
なんだか、弟の寝相を直すお姉ちゃんみたい。
…私も昔よくやってあげたな。

「どうしたの?」

月明かりを背にする私は、アカネちゃんからは逆光だったけれど。
小さい頃の弟の布団を直す、そんな昔の自分を思い出して笑んだ気配は、暗闇を伝ってアカネちゃんに届いてしまったようで。
とりあえず首をふっておく。

「ううん。なんでもない」
「えー。なに、気になるじゃない」
「ほんとになんでもないよ」

ふるふるふる

「むぅ。…まぁいいや。いいにしとこ」
「ありがたき幸せー。…おトイレ行ってたの?」
「うん。…まったくエリのやつ、明日起きたらただじゃおかないんだから」
「あはは。まぁ、あれだけコーラ飲めばね」
「笑い事じゃないよもう。付き合わされる身にもなってよね」
「そうは言ってもほら、エリちゃんのコーラ好きはアカネちゃんが原因なわけだし」
「それこそそうは言っても、だよ。だいたいあれだけの種類のコーラ、いったい今日のどのタイミングで買ってたっていうのよ」
「あ、あはは…」

それはきっと、私たちが旅館に帰ってくるときに使ったあのタクシーに乗る前だろう。
とある事情で泣き喚きながら(その事情というのがこの“コーラ事件”の発端なのだろうけれど)、おみやげ物の売店から走り去っていったエリちゃん。
よしみちゃんがタクシーをつかまえた直後にどこからともなく戻ってきた彼女のショルダーバックには、今部屋の隅っこでまとめられているさまざまな様相のコーラの缶が、中身満タンの状態でこれでもかと詰め込まれていたのだろう。

―アカネにはぜっっったいに内緒ねっ

閉まりきらないチャックからその様を覗いた私に。
エリちゃんは片目をつぶる千手観音よろしく、邪気の無い顔で人差し指を唇に当てたのだった。
…絶対あれだよね…。

「うー、口の中が甘ったるい…」言いながら抜き足差し足で姫子ちゃん、ふみちゃん、いちごちゃん、よしみちゃんをまたいで来たアカネちゃんはそのまま私の枕元までやってくると、

「お月様でてるね」
「うん」

月明かりの差し込むふすまを静かに開けて、次の間の椅子にちょこんと腰掛ける。
片方の膝を抱きかかえて、その形のいいあごを乗せた姿を、月明かりが照らすと。
桜高三年生カラーの青色ジャージが淡く蛍光して、なんだかちょっぴり、幻想的。

「…しずか?」
「…え?」
「寝ないの?」

布団から見上げる格好の私を見るアカネちゃん。
ささやく声は優しいのに。
その瞳がなんだか少し。
ほんの少し、寂しそうに見えて。

「…うん。アカネちゃんとお話してたら、なんだか目が覚めちゃったみたい」

私にしては珍しく、そんな意地悪を言ってみたりして。

「よく言うよ。よっしーのいい話、主役のくせに聞いてるうちにすぐ寝てたくせに」
「あはは」

どうやらそういうことみたいです。

「…寝る前に、ちょっとだけお話、しよ?」

誘われるままに布団から立ち上がった私は。
寝ているみんなを起こさないよう、静かにふすまを閉めたのだった。


***


「まま、いっぱいどうぞ」

かしゅっ

「これはご丁寧に…って、こ、コーラ?」

いつの間に冷蔵庫から取り出していたのだろう。
オーソドックスなカラーリングのコーラの蓋が小気味よい音を立てて開けられていた。
断る間もなく、これもまたいつの間にかに置いてあった湯のみ茶碗に注がれてしまう。
しゅわーっと気持ちのいい音とともに淵ぎりぎりで止まる泡。
コーラを注がせたらアカネちゃんの右に出る者はそうはいないだろう。

「それじゃ、かんぱーい」

かつん、と硬い音を立てて茶碗で乾杯。
月明かりを鈍く照り返す琥珀色の炭酸飲料・コーラ。
私は一口含むくらいを、アカネちゃんはくいっと一息で飲んでしまう。

「っくぅぅ」と、控えめながらこみ上げる何かをこらえるようなアカネちゃんは、「やっぱりコーラはこの味でなくっちゃね」と満足そうな表情。
そのままコーラのCMにでも起用できそうないい顔だ。
空になった茶碗に、今度は私が注いであげることにする。

「あ、どうもすいませ、って、おっととと」
「あ、ごめんねっ」

底の浅いこのお茶碗ではすぐにいっぱいになってしまって。
加減のわからない私のお酌(コーラだけど…)のせいで、泡があふれてこぼれてしまった。
時間も時間だったから、声を抑えて謝る私に、アカネちゃんは気にしたふうもなく「だいじょうぶだいじょうぶ」と言ってくれる。
「この泡がおいしいんだから」と、まるでコーラ専門家と言わんばかりの講釈を述べて、ぺろりとコーラのかかってしまった指を舐めた。
そんなお茶目な仕草を見るにつけ、こんなことを思う。

「…アカネちゃんの指って、きれいだよね」
「え?」

思うだけでなく声に出てしまっていたりした!
なにゆってるの私っ?
すると案の定、アカネちゃんは素早く人差し指をかばって、怯えた様な視線を私に向けると、

「ま、まさか、しずかにそういう趣味が…?」
「あ、アカネちゃん、違うのっ」
「そ、そうだよねっ。しずかは普通の女の子だよねっ」
「うんっ。そうだよ、普通の女の子だよっ」
「普通の指フェチの女の子だよねっ」
「お願いそこは普通の女の子でいさせてーっ」

しかも普通の指フェチってどんなのかなっ?
そんな余計な思考の海に漕ぎ出そうとする私をアカネちゃんは、「あはは。ごめんごめん」と言いながらいつものようにくしゃくしゃと私の頭を撫ぜる。

「もぅ」
「だから、ごめんって」

私のふくれっ面に気を良くしたのか、おとなしくてもノリのいいアカネちゃんのことである、そのまま私の頭をかき回しつつ、いつもの“鬼太郎お父さん探し”が始まるのかと思いきや、

「…しずかの髪、相変わらずさらさらだね」

こういうときのアカネちゃんには珍しく、真剣な声音でそう言うものだから、私としてはちょっと驚き。

「あ、アカネちゃん?」
「エリも姫子もムギもいちごも、澪ちゃんだって…。うちのクラスはきれいな髪の毛の子が多いよねー」

これもさわ子先生の職権乱用のなせるワザなのかな?

と、なにやら穏やかではない口ぶりでそんなことを言うアカネちゃんである。
…アカネちゃんの髪だってきれいなのに。

「アカネちゃんの髪だってきれいだよ。指だって」
「…しずか、ほんとのところやっぱり、指好きなんじゃないの?」

またもや口に出してしまいましたよっ?
夜だからっ?
頭が冴えてるなんて思った私がいけませんでしたーっ。
怪訝な表情で問うアカネちゃんに、必死に弁解(?)する。

「だ、だってっ」
「だって?」
「その、えと」
「うん?」
「あ、ぅ」

小首を傾げられてもっ。
こんなとき、やっぱり口下手だなって思う…。
…それでも下手は下手なりに、言わなくっちゃ。
こんな私を待ってくれている、優しいお友達に。

「えと、その…。…さ、さっきね、お風呂のとき」
「え、お風呂?」
「う、うん…。ほら、りっちゃんの髪、とかしてあげてたでしょ?」
「律の、髪…?…ああ」

ぽむ、とぐーの手を打つアカネちゃん。

「律がイケメンになった数少ない瞬間ね。あれがどうかしたの?」
「どうかしたっていう、大げさなことでもないんだけど…」

そう。
りっちゃんの髪の毛を手櫛で整えるアカネちゃんの姿に。
その指の、動きに。
きれいさに。

「…美容師になりたいんだ」
「え?」

ふと思い出したのだ。
いつか聞いた、アカネちゃんのそんな言葉を。
夢を語る、私にとってはうらやましい声の響き。
目の前できょとんとしているアカネちゃんに言葉を重ねる。

「アカネちゃんがね、言ってたんだ。美容師になりたいって。確か、一年生のときのお正月だったかな。ほら、みんなで初詣行ったとき」
「あー、行ったよねー、寒かったよねー。エリが寒死するーとか言ってたっけ」

年が明けたばかりの、寒くて、真っ暗な夜空。
満天の星空だったことをよく覚えている。
みんなで手を握り合った。
あの温かさも。

「―うん。そのときだよ」
「そっか」あの頃を思い出すように、月を見上げながらアカネちゃん。

「あのときみんなで絵馬を書くことになって…。そうだね、私、美容師になりたいって書いたよ。しずかには、これが私の夢なんだって話、した気がする」
「うんっ」

二人とも覚えてた。
そんな、なんでもないことなのに。
なんだか、すごく、うれしい。
だからかもしれない。
知らず、私の口は勝手に動いていて。

「前からね、不思議に思ってたんだ」
「なにが?」
「アカネちゃんは美容師さんになりたいんでしょ?美容師さんて、はさみとか使ったり、シャンプーしてあげたりするから、まさに指が命ってお仕事じゃない」

なんといっても、最近の美容師さんはマッサージだってできてしまうのだから、すごい。
なにがすごいって。
マッサージの気持ちよさで、またたく間に眠りに落とされてしまうところが…。
…私だけじゃ、ないよね?

「でも、アカネちゃんは小学校からずっとバレー部でしょ?」
「…エリのお母さんのママさんバレーに入ってやってたから、まさにずっと、だね」
「うん。だからほら、バレーもスパイクとかトスとかレシーブとか、とにかく手とか指とか激しく使うでしょ?怖くないのかなって」
「なにが?」
「あ、えと、その、怪我、とか…」
「あー。うん。そうだね。確かにそう言われてみれば」

私に今こうして指摘されるまで気にも留めていなかった。
そんなふうな口ぶりのアカネちゃんは、「ふふ」と小さく笑うと。
もう一度私の髪に触れてくる。
優しく。
慈しむように。

「…アカネちゃん…?」
「…昔話、してあげよっか」


***


昔って言っても、私とエリが小学校の二年生だか三年生の頃の話だけどね
…喧嘩したんだ
―え?言っても小学生の喧嘩だからね、今思えばほんと、他愛も無いことでよく喧嘩してたよ
去年みたいな大喧嘩、じゃなくってね
あのときほど三花がうちの部のキャプテンでよかったと思ったときはなかったよ
もちろん、しずかもね、大活躍だったし
―その辺の話は恥ずかしいから先に進めって?
あはは、そうだね、確かにその辺の話は、番外編でこそふさわしい話だね
―うん、とにかく、喧嘩したんだよ、そのとき
何が原因だったかはいまいち覚えてないんだけど、でも
私、すっごく泣いたから
だからよく覚えているのかな
私の家の近くにある美容院、わかるでしょ?
―そう、しずかに紹介して、今やしずかを始め、私たち御用達のあそこのこと
私、物心ついた頃からずっとあそこで髪の毛切ってもらっててね
髪を切りに行く以外にも、ことあるごとに遊びに行ってたの
店長さん、美人でしょ?
ほかの店員さんも、古い人が辞めたり、新しい人が入ってきたりもしたけど、きれいで可愛い人たちばっかりで
だから、私も小さいながらに、こんな大人になりたいなあって思ったりしてたんだ
―うん、憧れてたって言うのかな
その喧嘩したときにね、店長さんいわく、わんわん泣きながら店の中に入ってきたと思ったら
『わたしの髪の毛切ってくださいっ』って、ものすごい剣幕で言ったらしくて
そのときの私は髪の毛伸ばしてて、そうだなー、今の澪ちゃんくらいあったかな
だから、そんなに伸ばしててきれいなんだから、切ったらもったいないよって、店長さんたちは言ってくれたみたいなんだけど
―うん、そう
聞く耳もたずだった私は、とにかく切って切ってって
店長さんが代表で、お母さんに連絡して確認した上で、切ることになったの
そのときかな
店長さんに切ってもらったことはそのときまでに何度もあったんだけど
そのときのカットは、シャンプーした後から、はさみの入れ方から、髪の毛のとり方から、切り方から
とにかく私の髪を切るその一挙手一投足に目が釘付けで
子供ながらに、思ったんだよね
『すごいな、かっこいいな、わたしもこうなりたいな』って
それが、きっとこの“思い”のスタート
美容師になりたいっていう、私の夢のきっかけ


***


「まぁ要するに、憧れなの、私の夢はね」

残りのコーラを飲み干して、そんなふうにまとめるアカネちゃん。
空になった茶碗を、大事な宝物のように包んでいるアカネちゃんの、しなやかできれいな指先。

「バレーもね、店長さんからもすすめられたんだよ?」
「え、そうなの?」
「『美容師の仕事は指が命。だから今のうちに指を鍛えておきなさい』って」
「な、なるほど」

スパルタなんだね…。

「最近はカットだけじゃなくて、頭皮のマッサージとかそういう新しいことも美容に取り入れられてるからね。確かに指は大事だけど、指が丈夫で強いっていうことも必要なんだよ」

「そうは言っても、骨折とかしないように注意はしてるけどね」笑顔でそう言うアカネちゃんは、月明かりの中で優しく輝いていて。
美容のことも少しずつ勉強していると言う、夢に向かって地に足をつけて進んでいる親友。
その輝きにあてられた私は。
立ち止まったままの、私は。
どんな顔で、アカネちゃんの指を見つめているのだろう―

「―しずか」
さら、と。
アカネちゃんの指が、私の髪の毛に触れて。
す、と、いろいろな方向へその毛先を手櫛で梳いていく。
ちょっぴりくすぐったくって。
とても、優しい。
言葉が、ぽつりと、こぼれる。

「…私たち、三年生なんだよね」
「…うん」
「来年は、もう、高校生じゃないんだよね」
「うん」
「桜高、卒業、するんだよね」
「うん」
「…みんな、自分の道に進むんだよね」
「しずか」

ふうわりと、石鹸の香り。
柔らかい温もりに包まれて。
頭ごと、アカネちゃんに抱きしめられている。

「止まってなんかいないよ」
「…」
「それはね、準備をしているの」
「…準備?」
「クラウチングスタート」

足と重心との位置の差によって加速への突入を促し、両手の指で体重を支える短距離種目のスタート方法。
私の最も得意とする距離のスターティングポジション。

「しずかは今、ぐぐっと力をためてる」
「力を…ためて」
「身体を支えるその指に。先を目指すその足に」
「…」
「力がたまらなければ、どんな加速も生み出せない。どんな距離も走りきれない。その覚悟を持つことができないから」
「…うん」
「あとはスタートするだけ。その合図はいつかやってくる。だけどね」
「え?」
「練習すればいいんだよ」
「れん、しゅう」
「練習して、自分のタイミングをつかんで、ベストコンディションに持っていって」

しずかにしかできない、ほかの誰にもまねできない、しずかが一番得意なんだよ?

私の小さな胸の中へすっと入ってくる、温かくて強いアカネちゃんの言葉。
お腹の底が温かい。
指先に、足先に、全身に血がめぐるのを感じる。
走り出す、決意。
走りきる、覚悟。
どくん、と跳ねる、心。
そうだ、私は、ベストコンディションなんだ…っ。

「―ふふ」

ぽん、と私の頭に置かれた手のひら。
優しく、慈しむようになでられる。

「しずか、今すぐ走りたいって顔、してるよ」
「そ、そう、かな」
「朝練、もう始めちゃう?」
「え、ええっ?」
「―のった」

がらっ

「わっ?い、いちごちゃんっ?」
「話は聞かせてもらったよーっ」
「エ、エリちゃんもっ?」
「まったくもう…そろそろ朝練の時間よ」
「姫子ちゃんまでっ?」

そんなに話し込んでいたとはっ?

「あれ?もうそんな時間?」
「そんな時間もこんな時間も、すでに朝練は始まっているのだよアカネくんっ。我々がこの布団に入ったときからなっ」
「いや、そこはむしろちゃんと寝ておきなさいよ…」
「むむっ?キャプテン姫子ともあろうものがなに甘いこといってるんだっ」
「甘いのはしずかとアカネの話で十分」
「そうだっ。よく言ったいちごっ」
「あ、そういえばその甘い話で気になったんだけど。ねえ、アカネ」
「なに?」
「その髪をばっさり切ったときの、エリとの喧嘩の原因って、結局なんだったの?」
「っえっ、そ、それはっ」
「あー聞いちゃう?聞いちゃうその話聞いちゃいますかーっ?」
「ちょ、エリっ」
「いやー思い出すなー。あのときのあたしってば髪の毛短くって、見た目は泣く子も黙る美少年って感じみたいでね。そこへ来て当時は乙女パワー全開だったアカネが思い余ってあたしに愛の告白をっていだぁっ」
「さーさー朝練朝練いきましょねー」
「あ、ああアカネ、アガネさん゛っ、絞まってる、絞まってるから゛っー」

い、行っちゃった…。

「…結局、いつものパターンだったね」
「…ふみちゃん、起こしてごめんね」
「…ううん、大丈夫だよ。…それより、しずちゃん」
「え?」

「…行ってらっしゃい、しずちゃん」

起き抜けの、ちょっぴり寝癖がチャームポイントなふみちゃんの笑顔に。
大好きな友達みんなの元気に送り出されて。

「うんっ。行ってきますっ」

だから私は、走り出すことができるんだ。






頬を伝って ただ 一筋に流れる感情の雫
ごめんね
なんだかうまくいえないよ



[26376] けいおん モブSS (19)
Name: 名無し◆432fae0f ID:b0be7351
Date: 2012/04/10 01:58
2-(9)





あの頃は楽しかった
だからね
これからもきっと楽しいよ





レム睡眠、という睡眠用語がある。

“桜高きっての才媛”という肩書を恣にしている砂原よしみちゃん曰く、


『―レムス移民?なんだしずか、いつの間に民族歴史学を専攻する気になったんだ?』


しかもこんな高等教育の途上で…と、最初こそ訝しげであったものの。
勉強音痴な私にしては珍しい問いかけだったたことが災いしたのか、よしみちゃんは読みかけのハードカバーをぱたんと閉じると。
身体ごと私に向き直りながら、おもむろに取り出した眼鏡をかけて、瞬きを一つ。
スクウェアのツーポイントフレームはシンプルなシルバー。
通称“よしみプロフェッサーモード”が発動された瞬間だった。


『―まずもって、日本の社会学においても民族集団についての研究はようやく増えてきたところなんだ。特に千九百八十年代半ば頃から注目されるようになったのが“ヤンキー”という民族集団でな?語源は定かではないけれど、米国において“エスキモー”がみずからを“イヌイット”と呼びかえたように、“ヤンキー”も彼ら自身によって提唱されはじめた呼称であると推察されているんだ。皮膚や眼球の色はほかのモンゴリアンとかわりはない。けれど頭髪の色は黒色はほとんどみられず、赤みがかった茶褐色がもっとも多い。また、モンゴリアンとしては極めて珍しいことに金髪が混在しているケースが少なくない。加えて、男性を中心として“パンチパーマ”と称される堅く縮れた毛質をもつ者が多い…。この点、長髪直毛を特徴とする少数民族“サーファー”とは対照的で…』


私が目と口を三角にして抗議したのは言うまでもない。

プロフェッサーモードのよしみちゃんを元に戻すのは文字通り骨の折れる作業なのだけれど。
この時ばかりは私の剣幕に我を取り戻したのか(…相手の目と口が三角になれば、誰だって正気を取り戻すだろうけれど…っていうか自分の正気を疑うけれど…)、


『わかったっ、わかったっ。私が悪かったっ。だからもう目と口を三角にするのはやめろっ。それ以上三角にしてたらデフォ絵がひどいことになるぞっ?』


よく分からないことを言うよしみちゃんである。


『…それで、レム睡眠、だったか?』気を取り直したように咳払いを一つついて、よしみちゃん。


『確か、シカゴ大のクライトマンとアゼリンスキーの共同研究によって提唱された睡眠用語だな。睡眠中の状態のひとつで、“身体は眠っているのに、脳が活動している”ってやつ。夢を見るのはこのレム睡眠中であることが多く、この期間に覚醒した場合、夢の内容を覚えていることが多いらしいぞ?』


―まあ私に言わせれば、睡眠用語、っていう単語語自体が、なんだか夢見がちな言い方だけどな

そんなちょっと呆れたふうな。
苦笑いをともなったよしみちゃんの言葉をすぐ耳元で聞いていたように感じて。


かしゃっ


「…ん…」

そこで目が覚めた。





眠気眼を指でこする。
よしみちゃんと、ついさっきまでおしゃべりしていた気がする。
話題は、なんだっけ…たしか、ヤンキーさんとサーファーさんが親戚だとか何とか―

かしゃっ

「わっ」

まぶしいっ?

「―あちゃ、フラッシュたいちった」
「???」
「ごーめんしずかっ。でも、おかげさまで起きぬけのしずか、げーっとっ」

グーサインを突き出したほうとは逆の手で握られるそれは、悪戯っ子の笑みを浮かべたメガネっ娘とは不釣り合いなほど無骨な一眼レフカメラ。

「ち、ちずる?」

島ちずる。
桜高写真部きってのホープとは彼女本人の談である。

「エリとアカネと圭子も撮ったし…。あとは軽音部の面子からクラス全員制覇しますかっ」
「…寝顔、撮ったの?」
「良く寝てたからねー」
「…はんざいだよ?」
「寝るほうが悪いっ」

びしぃ

「それもあたしの前で寝るなんて、寝顔を撮って飾って送ってってお願いされてるようなもんだよ」

…どこに送るつもりなのか気になるけれど。
とっっても気になるけれど。
ここは敢えて突っ込むまい。
藪をつついて蛇が出てくるのは、何も今回に始まったことではないのだから…。

「んん?どうしたのしずか…あ、さてはこの写真の送り先が気になって仕方がないんじゃない?」
「そ、そんなことないよっ」
「あっ、そのうろたえてる感じ、すっごくいい感じっ」

かしゃっ、とシャッター音。
相変わらずマイペースな私の親友である。
自分の琴線に触れた瞬間は、TPOに関わらずシャッターを切る生粋のフォトグラファー。
その腕前は小学校のころから培われてきたものらしく、桜高写真部に入部してからはいろんなところでいろんな賞を獲ってきている。
もっとも当の本人にしてみれば、表彰とかそういう周りからの評価には全く頓着が無いようで。
被写体の一挙手一投足を、まるでその時間を切り取ったかのように写真に収めてしまう。
そんなちずるが一番得意とするのが、動いている被写体、だった。

「んーっ。走ってるときのしずかもいいけどさー。やっぱ、こんなふうにしていつもあたふたしてるしずかもいいよねっ」
「い、いつもあたふたしてないもんっ」

どうやらその得意には、私も一役買ってしまっていたようで…。

陸上と写真。

そんな動的なことと静的なことを結びつけたのが。
彼女の持つ、ごつっとしたこの真っ黒いデジタル一眼レフカメラだった。
知り合った当時からはもちろんとして、現在の私たちに至るまでに数度モデルチェンジをしたそれは。
今となっては世界最高数値である三十六とんで三メガピクセルの有効画素数を実現したセンサー搭載の最新モデルである。

「そのふくれっ面もいいねーっ」

かしゃっ

「…」
「あっははー…。ま、トラックをスパイクでかっ飛ばすしずかも、最近はとんと御無沙汰だしねー」
「…ちずる」
「けどさ」

モードダイヤルを調節しながら、液晶画面を覗きこむ。
フォーカスリングを回しながら。
静止画として写った私は、どんな表情をしているのだろう。
ちずるのファインダーにフォーカスされた、今の私は―。

「被写体が逃げるわけじゃないしね」
「…え?」
「んふふー」

窓から差し込んできていた西日を、ちずるの形のいいおでこが淡く照り返している。
飴色に染まった親友の柔和な表情は、なぜだか、私の心を軽くしてくれた。
そんな気がして。

「…ちずる」
「ん?」
「…顔、気持ち悪いよ」
「な、なんですとーっ?」

自分の顔をぐりぐりと手もみするちずるをひとしきり眺め。
はたと気づく。

「…なんだか静かだね…」
「え?ああ、そりゃあ」

「みんな寝てるからね」ウィンクと共にささやかれた言葉には、これから皆の寝顔を許可なく撮影するという少しの悪意と。
この三日間の旅の疲れへの労いが含まれているようで。

「…旅が、終わるんだね」

ふと、溜息混じりのそんな言葉が口を衝いて出ていた。
「ん」とカメラを下ろしたちずるは車窓へと目をやると「なんだかしんみりしちゃうね」と感傷に浸る。

車外を流れていく知らない風景。
瞬きの間に後ろへと遠ざかっていくオレンジ色の景色に。
あっという間だった修学旅行の日々が、なんだか重なっていくように思えて。
ちずるの言うとおり、なんだか、しんみり。

「…あ、そうだしずか」
「…なに?」
「見る?見る?」
「え?」
「ほら、あたしのお役目は記録係りだからさ。こんなんでも一応、卒アルに載せるための写真とかも撮ってるんだよ」

これなんか我ながら傑作だよー?
そんなふうに目とおでこ(は余計か)を光らせるちずるの手元を覗きこんで。
一眼レフに収録された、私たちの修学旅行の一こまを見るたびに。
一瞬一瞬の感情の機微が、ダイレクトに伝わってくる。

新幹線の集合にまとめて遅れそうになって走ってくる軽音部の四人とか。

出発式であいさつするさわ子先生の横顔とか。

新幹線でトランプする和たちとか。

バスの中のゴミを拾ういちごちゃんとか。

大食い競争している春子ちゃんと信代ちゃんとか。

旅館のロビーで語り合うまめちゃんと多恵ちゃんとか。

玄関で再会を喜び合う二組の皆とか。

見ているだけで伝わってくる。
聞こえてくる、皆の楽しい笑い声。
素敵な、楽しさいっぱいの旅の思い出。

「―また」
「ん?」
「また、こようね」
「もっちろんっ…と、その前に」
「え?」

大事な任務必ず完遂してみせますですっ

そう、いい顔で宣言したちずるは自慢の相棒をシャッターポジションで固定すると。
二組全員の寝顔を撮影するべく、機敏な動きで高速走行中の新幹線車内を縦横無尽に動き回るのだった。

無許可撮影に憤慨した一部のクラスメイトにより、写真部の某ホープが、そのフォトグラファー生命に終止符を打たれそうになったのは、また別のお話し。





あの頃は楽しかった
だからね
これからもきっと楽しいよ



[26376] けいおん モブSS (21)
Name: 名無し◆432fae0f ID:f98ba2a0
Date: 2012/05/11 22:54
3-(1)



夢。
夢を見ている。

二年前の夏休み。
課題に出された天体観測。
数十年に一度の流星群の年だったことを覚えている。

忍び込んだ校舎の屋上は夕暮れ色に満たされて。
日暮らしの声を聞きながら、沈んでいく太陽を惜しんだ。
…夕立に降られた服が乾いてよかったね。

訪れた夜は思っていたよりも、暗く、深くて。
遠目に見える街明かりは心もとない。
つないだ手と手が温もりを伝えても。
私たちの心までは、引き結べない。

―あれがデネブ アルタイル ベガ

夜空を三角に結んだ、君の細い指先。
軌跡を追う、視界の端を流れた、一瞬のきらめき。
光の尾を引く流星群。
それはまるで魔法のような…君の人差し指が降らせた星の雨。
視界を埋め尽くすまばゆい光の帯に、私たちの心ごと包まれる。
皆、同じ、星空の下。

―ああ 神様

この空はこんなにもひとつなのに。
私たちはこんなにも一緒です。

―どうか 神様

いつまでも、ただひとつのこの夜空を、皆と一緒に見ていられますように。









『―Raindrops 降り出す雨 なんてキレイなの―』

長い距離を走り続けるのに必要な要素。
それはリズムである…というのが私の持論だ。
腕の振り、歩幅、上下運動、呼吸、心臓の鼓動。
走るということを実行するために動かす身体のあまねく部位を、ある一定の律動で支配することができた時。
その人の走る力、すなわち走力を、潜在するポテンシャル以上に引き出すことができるのだ。

早く、速く。
走る、奔る。
昨日よりも、さっきよりも、一分一秒でも“はやく”だ。

…けれど。
いつまでもどこまでも“走り続ける”ためには、実は、とあるコツがいるということを私は知っている。
それはなんだか秘密めいた、小さな子供同士がその場限りで決めあった遊びのルールのようなものなのだけれど。


それでも私は。


―そうだよっ…、しずちゃんが走ってくれたからっ…、今の私があるんだよ…っ


記録のために走ることをやめた私は。


―そんなの…こっちから願い下げだよ。あたしは“走っているしずか”を撮るのが好きなだけなんだから


誰かのために走ることを課した私は。


―だから、自分のために走りなさい


そんな些細な約束のおかげで、ずっと走り続けることができた。


ただ走ることが好きな、木下しずかでいることができた。
…でも、その先は…?


『―三粒 数えて 大粒のを おでこでキャッチ―』

そう。
コツとは言ってもどうということはない。
防水仕様のトレーニングウェアのフードから額に滴り落ちた雨粒の感触を楽しむように。
それは自分の身の回りの出来事をも、自身のリズムにしてしまおう、ということなのだ。

『―きっと 五粒目はね 小鳥のミニティアラ―』イヤホンから流れる軽音部の新曲。

『―そうね七粒目は 電線のペンダントトップ―』ばしゃっと踏みしめた水たまり。

『―八粒 まつげに 九粒目は 葉っぱとダンス―』身体を叩く、土砂降りの雨。

『―恋しちゃったのかな 十粒目じゃまだわからないの―』そんなの私だってわからないよっ。

五月雨とぅえんてぃーらぶ。
…澪ちゃんってすごいなぁ。
何て思いながら。
青や紫の顔をたくさんのぞかせる紫陽花の通りを横目に。
その日の早朝ランニングは、コースの終盤である自宅近くの公園に差し掛かっていた。



六月。

梅雨、である。





[26376] けいおん モブSS (22)
Name: 名無し◆432fae0f ID:f98ba2a0
Date: 2012/05/13 21:19
3-(2)




ねぇ 次の夏休みは どこへ出かけようか?
ねぇ 次の冬休みは 何をして遊ぼうか?
ねぇ 
もしも 次の春休みがあったなら
高校四年生があったなら
私は 何を望むだろう?









「おはよー」
「はよー」
「にしてもよく降るねー」
「今日の練習もまた筋トレかー」

いつものパン屋さんの軒先から眺める朝の光景。
通学や通勤の途を歩む人々の喧騒が、昨晩から続く雨の音を縫って聞こえてくる。
ざー…、と。
未だやむ気配を見せない雨音は強くて。
屋根から落ちる大粒の滴と、その向こう側にはいく筋もの透明な雨の線が絶え間なく注ぎ、遠くの景色をぼかしたものにしている。
私の目前に広がるのは、さながら雨のカーテンといったところだ。

「…ほんと、よく降るな」

そう、ひとりごちて。
肩に掛けた制鞄を背負いなおす。
次いで、今朝のランニング時から装着しているクロノグラフを、ちらり。

「………」
…待ち人、未だ来ず。

どうしたんだろう―と思いながら。
パン屋さんのおばちゃんからもらったばかりのメロンパンを一口頬張る。
焼きたてのそれから染み出す芳醇なメロンの甘さと。
外はかりっと、中はしっとりとした食感との絶妙なコンビネーションにほっぺが落ちそうになっていると。
雨にけぶる曲がり角の向こうから、ご近所では見かけたことのない、白い大型犬が散歩されてやってくるのが見えた。
その隣を歩いているのは私と同じ制服だったけれど、桜が丘女子高等学校へ至るこの通りではさして珍しいものではない。
しかしながらその人が差している傘にはどこか、見覚えがあったので。
なんとか思い出そうとしているうちに、メロンパンをもう一口。
その傘の人物は散歩している人とやや手前でお別れの一言を交わしている様子で。
やがてこちらに近づいてきた傘の下から、三年生であることを示す青色のリボンと。
見慣れた花柄の髪留がのぞいた。

「ほひはんっ」
「…おはよう、しずちゃん」

閉じた傘の向こうから現れた表情は、物を食べながらの私の呼び声にちょっぴり苦笑気味。
それでも、私の隣にそっと立つ彼女の全景はあたかも。
こんな雨の世界に端然と花開いた紫陽花のような上品さと、ほんの少しの憂いを醸し出していて。
思わず、食べながら見惚れてしまう。

「…しずちゃん?」
「…むぐむぐ…んく…。どうしたのふみちゃん」
「…ううん。…なんでもない」

くすっと小さく笑うクラスメイト。
木村文恵ちゃん。
待ち人きたれり、である。

「…それ、朝ご飯?」
「うん。お母さんがね、おばちゃんに頼んでくれてたみたいで」
「…おばさんとおじさん、今日から出発だっけ、旅行」
「そ。今度はアンコールワットだって。さっきメール来てた」

ほら、と携帯電話の画面を見せる。
まじまじと見つめたふみちゃんは、形のいい眉を笑みの形に変えて、一言。

「…相変わらずらぶらぶ夫婦だね」

待合室の一角で、外で待機している飛行機を背景にして腕を組んで写るアベックを見れば、誰もが抱く感想だろう。
実の娘であるところの私にとっては、ふみちゃんの言う“らぶらぶ”という部分には正直、辟易としているのだけれど。

「まぁ、それはね、そうなんだけど…。自分で言うのもなんだけど、年頃の娘と息子をほっぽっといて、自分たちは遺跡ハントだよ?この梅雨の時期に留守番する身にもなってほしいよ」

洗濯ものが乾かないうえに、溜まる一方なのだ。
あの弟が家事を手伝うわけもなし。
もちろんその辺のところは、たとえ不満をのたまったところで事態が好転するわけでもないということを、それこそ実の娘だからこそわかっている。
例えば将来するかもしれない独り暮らしとか、花嫁修業とか…まぁそんなところで手を打つしかないだろう。
とりわけふみちゃんには、そう遠くはない以前に同じようなことがあった時、よくお弁当やらお菓子やら、作ってきてもらっていたし。

「…この時期はどうしても、お洗濯しても、部屋干しになっちゃうよね」

今でさえ、愚痴、聞いてもらっているし。
感謝はしても、間違ってもこれ以上、新たに愚痴をこぼしていい相手ではないはずだ。
…そんな訳で。

「―それじゃぁおばちゃん、私たち行くねーっ」気を取り直すように、両親が不在の間、木下家の朝ご飯(というか朝パンか)を担当してくれるパン屋さんのおばちゃんに声をかけて。
いくつかの言葉と、メロンパンを咀嚼しながら、通学の途へと復帰することにした。
店内から手を振るおばちゃんに応えて、小さく手を振り返したふみちゃんをひとしきり眺めて。
もう元のサイズの半分以上が欠けてしまったメロンパンを咥えた私は、ビニル傘を差しながら土砂降りのただ中へと歩み出た。

ざーっ…

途端、傘を叩く雨の強さに思わず顔をしかめる。

「―はむはむ…うわっ、雨すごい強いし」
「―…食べるか驚くか、どっちかにしないと、しずちゃん」
「―う、すぃません」
「―…ふふ」

隣に並んで歩くふみちゃんとそんなやりとりをしていて、ふと。
「―あれ?」と気がついたことがあった。
それというのも、

「―ねぇふみちゃん。もしかしてその傘」
ふみちゃんの差しているその傘に、ようやく思い当たるところがあったのだ。

「―…うん、修学旅行で買ったやつなの」と、私の思い当たりに先回りしてふみちゃんが答えを寄越してくれたので。
まだ記憶に新しい、修学旅行でのとあるひとこまを一瞬のうちに思い起こすことができた。

「―蛇の目傘、だっけ、たしか」
「―…うん。でもね、私のはちょっとだけ違うの」
「―というと?」

「―…ここのね、骨の数がね…」と気持ち傘を持ちあげながらのふみちゃんの解説によれば。
ふみちゃんのそれは、傘の布部分を通る親骨の数が世間一般に言われるところの蛇の目傘よりも幾本、少ないのだそうで。
一見、骨ばってごつごつとしたふうに見える傘の全体。
けれどその柄は、淡い青系統で統一された布地に、濃い青や紫で描かれた小さな花模様が可愛らしくて、なんともふみちゃんらしい。

「―それでも結構丈夫なんだよね。柄もふみちゃんに合っててすごく可愛いし」
「―………うん…」

あ、あれ?
こんなときだからこそ拝める、照れ照れふみちゃんじゃないよ…?

返ってきた声の調子が予想に反して沈んでいたので。
思わず訝しんでしまった私の視線が、図らずも彼女のそれと交差すると。

「―…おじいちゃんがね…」と、傘を打つ雨音にかき消されてしまうくらい小さな声が、間近で見る、彼女の艶やかな唇を割って漏れた。

…照れた様に定評のある親友へ叩いた私の軽口はどうやら。
なにやら重量感のある湿っぽい話を引き出してしまったことが、うつむき加減の彼女の表情から知ることができた。

「―ふみちゃん…」
「―…」
「―…」
「―…」

彼女を呼ぶ私の声は続かなくて。
それでも、登校するための足は、止まることはない。

「―…」
「―…」

…こういうときは、待っているのが一番。
そんなふうに自分に言い聞かせて。
歩くこと、しばらく。

「―…」
「―…」

ざー…
ぱしゃ ぱしゃ ぱしゃ

「―…」
「―…」

待てども聞こえてくるのは、傘を叩く雨の音と、雨の道を行く足音ばかり。

「―…」
「―…」

…ふみちゃん…。
もう一度彼女を呼ぶ声はしかし、声にはならなくて。

「―…」
「―…」

次の角を曲がれば、校門まであと少しというところで。
…私は、意を決した。

「―ね、ねぇ、ふみちゃんっ」
ど、どもってしまったっ。

「―…なに、しずちゃん」
やっぱりちょっと元気ない…。
だったら私が、なんとかしてあげなくちゃ…っ。

「―おじいちゃんが、どうしたの?」

瞬間。

「―…っ!」

かぁーっ
という音が聞こえてきそうなほど上気した彼女の頬を見るにつけ。

「―ふ、ふみちゃん?」

どうやら、そんなにまずいお話じゃ、ない、みたい…?
ふみちゃんのそんな様子に戸惑っていると、

「―…もう、しずちゃんたら」と、なにやら熱っぽい溜息をひとつつくと。
今度は困ったような視線と共に私との距離を近づけて、

「―…女の子が黙して語らないときは、むやみに詮索しちゃいけません」

め、と。
人差し指を私の鼻先にきゅっと押しつけて。
どこか芝居じみたことを言うふみちゃんだった。

「―あ、う」

と反応に困る私はと言うと。
すぐ鼻先に見えるふみちゃんの指先を見て。

「―えと…ふみちゃんの爪、相変わらずきれいだね」
「―…え?」

いつぞやのアカネちゃんとおしゃべりしたときのように、思ったことを口に出してしまっていたりしたっ。
するとふみちゃんは一瞬、何を言われたのか分からないといったふうにぽかんとしていると、

「―…っ。…やだ、しずちゃんっ…」

押しつけた指先をさっと引っ込めて。
さっき頬を上気させた時とは別種の、
ぽっ
という擬音と共に朱が差した頬を両の手で挟むと、

「―…しずちゃんが指ふぇちのちっちゃい女の子だなんてこと、私、ずっと前から知ってるよ?」
「重ねてお願いだから、そこはちっちゃくてもいいからただの女の子でいさせてっ。ねっ?」

っていうかずっと前からっていつから―っ?
思わず彼女の両手をがしっと取って懇願する。

「―しずか、やっぱり指ふぇちだったんだ」
「―朝から決定的瞬間、げっと、ってね」かしゃっ
「―ちがうの~っ」

じたばしゃじたばしゃ
と地団太を踏む私だったけれど。

「―…しずちゃん、濡れちゃうよ」

笑いを含んだふみちゃんの言葉でなんとか自分を落ち着けると(いつまでも駄々をこねていたら、二人の足元はずぶ濡れだ。そんなことくらいはいくら私でもわかる。わかるけどっ。こうまで言われたら暴れたくなるのが筋というものではないだろうかっ)。

おや、と思うところがあった。

何せ私たちは、校門を通ったところまでは二人で歩いていたのに。
確かに今、ふみちゃん以外の人の声が、聞こえたような…?
振り返る。

「―はよー、しずか」
「―多恵ちゃん?」
「―おはよしずか。文恵もおはよ」
「―…おはよう、未知子ちゃん」

ふわっとしたくせ毛を揺らして片手を挙げる多恵ちゃんと。
にかっと人懐っこい笑みを浮かべて携帯電話を片手に朝の挨拶をする未知子ちゃん。
二人のクラスメイトが仲良く相合傘してそこにいた。
…なにゆえに相合傘?

「―あー、しずか、今なんであたしたちが相合傘してるんだろ、って思ったでしょ」
「―あ、うん…。すごいね多恵ちゃん、どうしてわかったの?」
「―しずかは考えてることがすぐ顔に出るからね。あたしじゃなくっても分かるよ。ねーふみちゃん」
「―…うん。そこがしずちゃんの可愛いところなんだけど…ね?」
「―確かに…可愛く写ってるよ、ほらっ」
「―っ!ちょっ、まめちゃん、いつの間に撮ったのそれっ?」
「―えーっと、いつだっけお多恵さん?」
「―『ふみちゃんの爪、相変わらずきれいだね』」
「―はうっ」
「―『おしゃぶりしてもいい?』」
「―言ってないっ。そこまでは言ってないよっ」
「―観念しろいっ。証拠はこの写メにあがってんでいっ」
「―いつの間にか警察沙汰っ?っていうかそのキャラ付けは勢い余りすぎじゃないですか遠藤さんっ?」
「―てやんでぇいっ」

ふみちゃんのおじいちゃんエピソードを聞こうとしていたはずなのに。
ど、どうしてこうなったっ?

「―…そろそろ行かないと、濡れちゃうよ?」

昇降口で件の傘をたたむふみちゃんの、苦笑の滲むそんな声に。

「「「はっ、今すぐまいりますっ」」」

私たち三人、声をそろえて敬礼しつつ、昇降口へと走りこんだのだった。




[26376] けいおん モブSS (23)
Name: 名無し◆432fae0f ID:f98ba2a0
Date: 2012/08/03 00:32
君はここにいない
君はここにもういない

君がここにいてくれたらいいのに









登校する生徒で賑やかな桜高の昇降口。
各々の傘から滴り落ちた雨粒で濡れたタイル敷きの床を踏みしめるたびにきゅ、きゅっという音が響く。
弱まる気配を微塵も見せない雨線との境界線となる出入り口は、始業前の予鈴二十分前でまさしく登校ラッシュの時間帯だった。
傘をたたむ生徒やひと時の談笑に憩う生徒たちの間を苦もなくくぐり抜ける。
一年生や、混雑時を避けて登校する子たちには容易に真似できないであろうこの器用さは、二年かける登校日数分の時間、昇降を繰り返してきた故に得られるものである。
“それに費やしてきた時間は、決して自分に嘘をつかない”。
陸上と一緒だ。
…などと、格好をつけてはみたものの。
真実、昇降口において重要なポイントは、言うまでもなくそこにはない。
では、どこにあるのか?
学校に来て、昇降口に入ってまずやるべきことがる。
それはすぐ左手のところ。
学年別に靴箱が並ぶこの玄関の特徴と言えば、校内の警備や施錠を管理する守衛所があることが挙げられる。

「―守衛さん、おはようございますっ」
「はよーございます」
「…おはようございます」
「今朝もお勤めご苦労様でありますっ」

銘々がそれぞれの挨拶をする中で、あたりに立ち込めた湿気を吹き飛ばすほどからっと元気なまめちゃんの、

びしぃっ

とした敬礼に相好を崩し、樫の木作りの枠口の向こうから朝の挨拶と共にこちらは柔らかい敬礼を返す守衛さん。
私たちの学び舎を守ってくれていることへの感謝と。
この人たちも私たちと同じ桜高の一員であることへの親愛を込めて。
下駄箱へと向かう前のこの挨拶が、私たち―桜高生の習慣になっていた。

「まめちゃんの敬礼って、なんだか気持ちいいよね」
「え、そう?」

ありがたきお言葉っ
びしぃっ

と。
思ったままの感想を漏らした私に嬉々として敬礼するまめちゃんこと遠藤未知子ちゃん。
クラスでは佐藤アカネちゃんと並ぶ長身。
おさげでまとめられた髪は艶のある黒で、左目じりのほくろがチャームポイント。
肩から下げた臙脂色の竹刀袋を見るにつけ、今朝も剣道部の乱取り稽古(この時期のうちの剣道部では創部以来からの伝統と言われている、一人に対して複数の人間が五分間、間をおかずに次々に打込みを入れるというそれはもう荒々しい練習である)に付き合ってきたのだろう。
その腕は正しく一流であるらしく、その道の大会では老若男女とにかく腕に覚えのある者を問わず打倒し、幾度も頂点に上り詰めるほど比類なき剣の使い手である、とは、自称・桜高一の情報通こと飯田慶子ちゃんの弁。
曰く、毎回大きな大会でいいところまで進むうちの剣道部などは彼女を入部させるのにやっきなのだとか。
曰く、実家も剣道の道場を営んでいて、年の頃は幼稚園生から中学生の門下生達に文字通りびしばしと稽古をつける容赦のなさと、その清廉な容姿もあり、界隈のおじいちゃんおばあちゃん達からは“剣術小町”などとも呼ばれているのだとか。
そのうちどこかの流浪人が住みついた挙句にスリで捕まった少年を刃止め刃渡りしそうである…いや、特に深い意味はないけれども。
っていうか慶子ちゃんの情報網は桜高内限定ではなかったのだろうか…。

「…今朝も剣道部の乱取り相手?」
「ん、まぁね。そういうしずかも走ってきたんっしょ?雨の中お疲れさんっ」

びしぃっ

「うん。でも、私のはなんていうか、染みついちゃった習慣みたいなものだし…。その辺まめちゃんは部員さんじゃないのに練習相手を買ってでてるんだもん。私よりまめちゃんのほうがよっぽどお疲れ様、だよ」

口下手な私にしては珍しく長い台詞。
同じ朝練習をする者同士、どこか通じ合うものがあるのだろうか。
感嘆すべきはまめちゃんのその体力だ。
ランニングに置き換えたとしても、私だったらあんな練習をした朝にはもう、本日の営業は終了しました状態、である。

…それにしても、とも思う。

慶子ちゃんの情報が話し半分としても、まめちゃんの剣道の腕前のほどは、私も実際にこの目で乱取り稽古を目にしたことがあるので、素人感覚的にも“そうとう強い”ことが分かる。
それに、同じクラスになって日は浅いけれど、クラスでのやりとりや球技大会を通して知った、頑張り屋さんな一面を持つ彼女ほどの人が、部活という場でその剣を振るわないのはどうしてなのだろう?
もっと言えば、まめちゃんが剣道部に加入することで、それこそいちごちゃんのバトン部並みのパフォーマンスを発揮するのではないか?
私の中に突如としてふってわいた疑問を知ってか知らずか。
お互いに労いの言葉を掛け合う間にたどり着いた靴箱の割と高い位置から自身の上履きを取り出したまめちゃんは、「剣は振るってこそ剣、だかんね」と格言めいたことを言ってにかっと笑みを浮かべると、

「―剣道部、今年はもっといいとこまでいけそうだよ」
「そうなんだ…まめちゃんが言うんだから、間違いないねっ」

同じくにかっと笑みを返して今度は割と低めの位置にある自分の上履きを取り出す。
卒業アルバムに掲載する写真撮影を一任されているというちずるには期せずして良いお土産話になったのかもしれない。
彼女なら喜び勇んで試合会場まで駆け付けて、アルバムを飾るのにふさわしい雄姿を一眼レフにおさめてくれるだろう。

「―前から思ってたんだけどさ」
「…どうしたの、多恵ちゃん」
「未知子のこと、“まめ”って呼んでるの、しずかだけだよね」
「「えっ?」」

後ろから聞こえてきた多恵ちゃんとふみちゃんのそんなやりとりに。
上履きに履き替えていた途中の私とまめちゃんが同時に振り返る。
勢い、反動のついたまめちゃんの竹刀が下駄箱にがつんっ、とあたり。
その軌道が私の頭上すれすれを回っていったことが、耳元で鳴った風切り音からうかがい知れた。
こんなときは己の低身長という境遇に感謝せねばなるまい…って、

「どうしてまめちゃんまで驚いてるの?」

この場合、驚くのは私だけでいいんじゃないかな…。
「大丈夫かっ相棒っ」と、物言わぬ竹刀に心配の声をかけているまめちゃんが、私の声にきょとんとした目を向けてくると、

「…ま、分からないでもないけどね、未知子の考えてること」

と、まめちゃんを支えにして上履きのつま先をとんとんと床に打ちながら言う彼女は、今度は逆の手で(竹刀が下駄箱にぶつかった音にびっくりしていたのであろう)ぽかんとしているふみちゃんの手を取ると。
湿気でいつもよりもボリューム感のあるくせ毛をふわりと揺らして板張りの廊下へと歩み出る。
菊池多恵ちゃん。
元気突進型のまめちゃんとブレーキ役である彼女は私から見ても良いコンビで。
六月にして既にアクの強いことで関係各所に有名な我が三年二組の中でも限られた常識人であることころの彼女を常識人たらしめている所以は、ひとえに、何事をも泰然と受け止めてくれるその器の大きさにあると私は思っている。
自分で言うのもなんだけど、私と同じく小さくて細身な多恵ちゃんのどこにそんなに入るのか。
と言うくらいに騒動の絶えない二組をただ平然と、そして整然に受け入れて。
かつ過酷に冷酷に一言のもとに切って捨てるその思い切りの良さは、授業中に堂々と居眠りする様にも表れている。
もちろん居眠りはいけないのだけれども。
視界に入る多恵ちゃんの(ある意味では)雄姿を見ていると、“あ、この授業は寝てもいいんだ”と素直に思えるから不思議だ。
そうやって居眠りこんでしまった授業を数えるには進級三カ月にしてもはや両手では足りないくらいなのだ。
…私たち、ちゃんと卒業できるよね…?

「―無許可で失礼なことを考えている子には酢昆布の刑」
「―っな、なななっ、なんのことかな多恵ちゃんっ?」
「訂正。無許可で失礼なことを考えているしずかには酢昆布の刑」
「訂正どころか名指しになっちゃってるよっ?」
「そもそもあれは寝てるんじゃなくて、目を閉じてるだけであって」
「で、でも、多恵ちゃんのあれはもう完全に机に突っ伏しているよね…?」
「ほう。誰が堂々と居眠りしてるって?」
「はぅっ?」

ゆ、ゆうどうじんもんっ?
すると多恵ちゃんは“ベイビィ”が口癖の清水のとある花輪家のお坊ちゃまがするように、「まったく」と両手を広げると、

「許可の無い上に己の失態をもあたしの居眠りに転嫁しようとはなんと不埒な」
「み、認めてるよっ?居眠りしてるって認めちゃってるよっ?」
「―しずか」
「ま、まめちゃんっ?」

がしっと私の肩をつかんだまめちゃんの手は毎日竹刀を握っているとは思えないほど滑らかに見えて。
私しか使っていないというまめちゃんという呼び名で呼ばれている彼女の目は固く閉じられ。
次の瞬間、

くわっ

と見開かれた…っ。

「―居眠りに、許可など関係ないっ」
「そりゃそうだよっ」

思わず天を仰ぐ。
もちろん、見えたのは天ではなくて板張りの天井なのだけれども。
コンマ何秒かで繰り出された私の突っ込みは、その道のプロ(?)であるところの姫子ちゃんとよしみちゃんにならきっと一定程度の評価を頂けたことだろう。
視界の隅でまめちゃんの言葉に我が意を得たりとばかりにうなずいている多恵ちゃんの姿をとらえながら、そんなどうでもいいことを思った。
…えっと。
何のお話をしていたんだっけ…。
と思い返しているところへ、

とんとん

と、まめちゃんが握っている方とは逆の肩をつついていくる、そんな控え目ではたからみれば可愛らしいであろう所作に振り返れば、

「…しずちゃん」
「ふみちゃん…?」

小首をかしげることで一緒に揺れたおさげは、今日は紫陽花を象った髪留めで結われている。
いつも小さな機転を利かせるふみちゃんの口をついて出た次の言葉に。
私が天井を拝むのは登校してから早二回目となったのだった。

「…もう、お漫才、終わり?」

そんな残念そうに見つめられてもっ。
しかもお漫才ってっ。

「「ぷ、くっくくくくっ」」

私の背後から噛み殺したような二つの笑い声が聞こえてきたのは、言うまでもない。
も、もうっ。
こうなったらっ。
まめちゃんの呼び方のことも、ふみちゃんの傘のこともせーんぶぜんぶまとめてっ。

「聞いてやるんだからぁっ」

うなーっ

と。
天を衝く勢いで両手を上げてまめちゃんの手を振り払う私の剣幕にくすくすと笑いながら通り過ぎていく他の組の生徒たちや下級生たち。
…三年二組のアクの強さに既に一役買っている私がそこにはいた。







[26376] けいおん モブSS (24)
Name: 名無し◆432fae0f ID:4daad748
Date: 2013/03/18 00:55
思うんだ
ただ 私たちがいる
それだけで十分だったって
そんなことが大切だったって
それが一番の宝物だったんだって








板張りの廊下を進むほど、ついさっきまで聴覚の大半を占めていた雨音が遠ざかる。
木は、コンクリートよりも音を吸収しやすい素材だという。
吸音率、という言葉として世間に認知されている―
いや、少なくとも私の頭の中のどこをつっついたってそんな数学的な匂いのする単語は出てきはしないのだけれど…とにかく吸音率だ。
字が体を表している通り、音を吸う率。
音をどれだけ吸収するかを推し量るその指数が高いのが木材である。
桜高の校舎に使われているそれらは殊更にその比率が群を抜いて高いということを、桜高始まって以来の才媛と誉れ高いよっしーこと砂原よしみちゃんのいつだったかに聞いた講釈で知っていた。
よしみちゃんはこういったお話を世間話をするかのようにふってくるので、知的レベルが一般人であるところの私は気の利いた相槌を打ってあげることもできず…。
ふーん、とか、そうなんだー、とか。
そのあたりで反応してあげるのがせいぜいの私だった。
日頃からその隣を占める姫子ちゃんはそのあたり、どうしているんだろうか。
ちょっと素朴な疑問かも。

「だいたいねー」

と降ってくる声は板張りの階段に吸いこまれることなく耳に届いてきた。
呆れの色が滲む、こんなふうに多恵ちゃんが何かにつけてうんちく的な下りを述べるときに特有の、間延びした調子につられて上向けた視線の先。
こちらはぴょんこぴょんこと、階段の一段ずつを飛び跳ねるように上るまめちゃんの姿がある。
その動きがリズミカルではなくって、どことなく不規則なのは…。
きっと、ふわふわと揺れる多恵ちゃんの毛先を追いかけているからなのかもしれない。
さらにその後ろから歩を進める私とふみちゃんにしてみれば、まめちゃんの足がいつ気まぐれに踏み外されるか気が気ではないのだけれど。

「苗字が遠藤だから、まめ、だなんて…短絡的じゃん?名前がかぶるところ、ひとつもないし」

「遠い藤原氏の美を知る子、読ませてまめっ」

「や、読まないし」

歌うように言うまめちゃんにとりつく島もない多恵ちゃんである。
頭上のそんなやり取りに、ふみちゃんと二人で小さく吹き出してしまう。

「そもそもなんでまめなの?」

階段の踊り場でくるりと振り返った多恵ちゃんがもっともな疑問を投げかけてくる。
桜高を形作る木々は私たちの笑い声をしっかりと吸収してくれたようだ。
吸音率はちゃんと仕事をしてくれている。
木造の手すりに鎮座するブロンズ製の亀の甲羅のひんやり感。
手のひらに感じたそれをなぞり歩を進めた私は。
踊り場への最後の一段を飛びぬかして多恵ちゃんの隣に着地したまめちゃんの、「こりゃぁ明日まで止みそうにないなー」と感心したような声を聞きながら。
私が未知子ちゃんのことをまめちゃんと呼ぶ、その発端となったいつかのことに思いを巡らせる。
それはつい昨日のことのようで―。
あれからほんの、二カ月しか経っていないんだね。
それとも、もう二カ月、かな。
そんな感慨を言葉に添えて言ってみる。

「…まめちゃんが、そう言ったんだもん」

「…未知子が?」

「うん…」

説明になってない私の言葉に怪訝そうにする多恵ちゃんは、なんていうかさすがだ。
私の口調に滲んだ、小さなしみのような不満を、点のようなそれを。
ひとつとして見逃さない。
もふっとした毛先が湿気でさらにもふもふっとなっている所をひとつまみしてくるりと指先に巻きつける所作は、何か考え事をする時の彼女の癖で。
何か、といえば、つまるところが私と共通しているはずである、いつかの思い出であるのだろうけれど…。
伊達にこの二ヶ月、後ろの席からクラスを俯瞰していた私ではない。
ムギの頭だけじゃなくって。
あの席で過ごしていると、クラスのいろんなことが見えてくるのだ。
…ただ。
あんなふうに言ったのも、意識してそうしたわけでは、もちろんなくって。
なんとなく言い訳がましい言い方になってしまうのは、私にとってはむしろ仕方のないことだと思うのだ。

「…しずちゃん、あのとき大変だったもんね…」

私の隣を占めるふみちゃんが苦笑をもらす。
どうやらあの日のことに思い当ってくれたらしい。
せっかく同情してくれる友達がいるのだ。
ここは素直に甘えておいて損はないだろう。
「なんかあったっけ?」「…さぁ?」顔を見合わせるまめちゃんと多恵ちゃんにほんの少し申し訳ないなと思いながら。
多恵ちゃんの横に並んだ私は、踊り場の窓からのぞく濃い灰色の空に目を向ける。
雨が止む気配は、一向にない。

「顔合わせのときのこと、覚えてる?」

「顔合わせって、四月の?」

「姫がしずかをおんぶしてあやしてたときのことっしょ?ばっちり覚えてるさっ」

怪訝そうにする多恵ちゃんの横で、あんときの写真はたまに壁紙にしてたりするんだよねー、と何やら携帯電話をかちかち操作するまめちゃん。

「…まめちゃん、あとで携帯電話の待ち受け、見せてもらってもいいかな…?」

「いいけど、今は別のしずかのやつだよ?」

「別の私のも確認しておきたいなっ?」

そう念を押しながら、事も無げに階段を行く黒髪お下げに追いすがる。
携帯の待ち受けにしている、などというのを聞くにつけ、嫌な予感しかしない。
具体的には、私にとっては恥ずかしい写真でしかないだろう。
特定の嗜好を持つ者には“眼福”なのだとか…それはそれで役に立っているからいいのだろうか…いやないっ。

「…ふみは覚えてるの?その顔合わせのときのこと」

「…うん…。…ふふ…」

「なに?」

「…ううん…。…ほら、私としずちゃんにとっては、二人とは初対面だったから…すごい印象的だったの…。…だから…」

「ふーん。そんな思い出し笑いするほどおもしろいことあったかなー」

「…とにかくね…そのときの未知子ちゃんが自己紹介で言ったの…。…さっき多恵ちゃんが言ってた下りで、自分のことはまめって呼んでください、って…」

「…んー、だめだっ。全然思い出せない…あたしちゃんと教室にいた?」

「…全校集会からのホームルームだったからね…、…いたにはいたけど…ふふ…」

「あ、ちょっと、なにその笑い方。さては何か隠してるわね木村さんっ?」

「…ふふ、そんなことないよぉ…」

ふみちゃんの頭を抱え込んで何やら絡んでいる多恵ちゃんである。
なにせふみちゃんのふうわりいい匂いのする頭だ、抱え込みたくなるのは女子として仕方のない、性分というやつなのかもしれない。
きっとあの花柄の髪留めが、そのいい匂いの発生源なのだ。
仮説でしかない、中学から数えて六年間の歳月を費やしてきた私の疑問に答えを出す瞬間ではもちろん、今はなくって。
階段を上り終えた二人の楽しげなやり取りに振り向いた私は、しかし嬉々としてこの一言を送りつけてやるのだった…っ。

「ふふふー、それはね、多恵ちゃんがね、寝」「多恵爆睡してたからねー、あたしのせんせーしょなるな自己紹介を聞き逃すとは大損もいいところさっ」

送りつけてやるのだったのにっ?
無い胸をせっかく張ったのにっ?
待ち受けすら確認できていないのにっ?
あんまりだよまめちゃん…。

「ん?どったの、しずか?」

「…なんでもないもん」

しょぼん

「んん?」

「あーらら、しょんぼりしちゃって。未知子もそういうとこ、もうちょい気を使ってあげないとね」

「気は使うものではなく、当てるものだがっ?」

「…未知子ちゃん、普段どんなお稽古してるの…?」

「剣を抜かずして、物事の端を断つようなことをっ」

びしぃっ

「断たれたのは、私の文脈だったんだけどね…」

「しずか、誰がうまいことを言えと…?」

「諸悪を断ちて多生と成すっ。是即ち―」

「…活人剣なり…?」

「おおっ。流石は木村嬢、博識だねっ。どうだい、今度うちの道場の門下生にその料理の腕の程を振るってくれないかいっ?」

「…機会があれば、喜んで…」

「んふふー。これで稽古にも一層身が入るってもんよっ。かっかっかっかーっ」「…ふふふ…」そんなふうにして手と手を取り合って二組の教室へと入っていく二人だった。

あとに感じるのはそこはかとない置いて行かれた感と。
ぽむ、と頭の上に乗る温かい重み。

「まぁ、そーいうことで」「…ことで?」

そのまま私の小さい肩に腕を回した多恵ちゃんと、この二カ月、何度交わしてきたか分からない苦笑をお互いに交換して。

「今日も一日、いっちょがんばりますか」

ふんわりもふもふの毛先に頬をくすぐられながら。

「ふふ…そぉですなぁ。でも、居眠りはしちゃだめですぞ?」

「あ、言ったなこいつー」

湿気ていてもすぐに元に戻る髪の毛をくしゃくしゃにされた私は多恵ちゃんと二人、梅雨入りの今日も何かと騒動の雨を降らせるだろう私たちの教室へと入っていくのだった。

―雨は。
降り続ける雨は、私たちの楽しい喧騒のように、未だやむ気配はない―。







[26376] けいおん モブSS (25)
Name: 名無し◆432fae0f ID:5cd5b5fe
Date: 2018/02/11 22:48
雨音の中に佇む
今もそこから
動けないでいる





木という自然素材を使用している物が多いから、楽器のコンディションは湿度に大きく影響を受けるらしい。
晴れでも雨でも、ランニングシューズを通じて地面から走力を得るランニングにおいては、湿気と気温もさることながら、少しの風が及ぼす影響も計り知れない。

「これは…?」

私の席の後ろの壁に立てかけられた、黒のギターケース。

「ああほら、唯の彼氏」

弦楽器は特に湿度の影響を受けやすく、ネックと呼ばれる部分が反ったり、サイズが縮んでしまうこともあるのだとか。
おはよーの挨拶を交わしながら何やら衝撃的な紹介の仕方をしてくれた姫子ちゃんのウンチクである…もちろん、よしみちゃん譲り。
…っていうか、

「彼氏っ?」

「かばってきたんだってさ、この雨の中」

「愛ゆえの献身、ってやつだよね」

呆れの色がにじむ苦笑を寄越す姫子ちゃんとアカネちゃんの向ける視線の先。

「かゆいところはございますか~?」
「ありませーん、ってそれはちがうよ~」
「なんだいきなりのそのノリは…」
「びようしさんごっこ~」

雨でぬれた唯の髪をタオルで乾かすムギと突っ込むりっちゃんと澪ちゃん。
梅雨入りしても平常運転な軽音部の面々だった。

「それにしてもよく降るねー」
というアカネちゃんの声に視線を戻し、席に着く。
隣の席では机に乗せた鏡を前に桜高女子垂涎のウェーブヘアを手櫛する姫子ちゃんの姿がある。

「梅雨は湿気が多いから、ほんと大変」

何やら格闘しているご様子。

「姫子ちゃん、髪ふわふわだもんね」

「癖っ毛だから、朝とか大変だよ。しずかは?」

「私は、ほら」
ふるふるふる。

「ね、すぐ元に戻るの」

「いいなー、それ。私も鬼太郎ヘアにしようかなー」

「鏡、ありがとねムギ」「どういたしまして~」
と姫子ちゃんがムギに借りていたであろう手鏡を返す間に抗議の声を上げるほど、私も狭量ではない。
聞けば自身も癖っ毛であるというムギであるし、姫子ちゃんを始め、癖っ毛な人たちにとっては梅雨の時期だけが特別に大変というわけではなく、お風呂の後とか、朝とか、髪の毛のセットには気を使うことだろう。
それでも、長くてきれいな髪の毛を持つ人すべてが梅雨に苦労しているわけではないようだ。

「そんなことしたら桜高女子の半数がキュン死するから、やめたほうがいい」

「キュン死って何よ…。っていうか、いちごじゃん」

「ん、はよ。しずかも」

「うん、おはよーいちごちゃん」

と見上げるいちごちゃんは今日も完璧な縦ロールがセットされていて。
湿気の影響など微塵も感じさせない彼女だけれど、その瞼はいつもよりも幾分下がっている。
じめじめした空気にほとほと、嫌気がさしているのかもしれない。
そんないちごちゃんもやっぱり、桜高で一番かわいいのだけれども。

「いーっくし」
いちごちゃんの可愛さで湿気を紛らわせていた矢先、窓の方から聞こえてきたのは唯のくしゃみだった。

「大変っ。服乾かさないと風邪ひいちゃうわ」

「部室で干すか」

ムギとりっちゃんのそんなやり取りを聞いて、今朝のランニングから帰った後に浴びたシャワーの温かさを何となく思い出しながら、
「バケツとかにお湯でも張って、足からあっためるといいよ」
とアドバイスを送っておくと。

「お湯なら、うちのやかん使う?」
バレー部長のアカネちゃんからも提案が。

「私も部室に行かなきゃだから、付き合うよ」
席を立ちながら髪をかきあげて姫子ちゃん。

「じゃあ、ムギのカバン持ってくよ」
私にできることって言ったら、これくらいだし。

「箸より重いもの持ったことないちびっこしずかには文字通り荷が重そうですなー」
と机の下からひょこっと顔を出して失礼なことをのたまうエリちゃんだったので。

「…エリちゃん放課後酢昆布の刑だからね」
じとっとした目と共に釘をさしておく。

「うそっ、やめて割とマジでっ」

「タキエリどんまい」

「タキエリ言うな般若娘っ」

エリちゃんといちごちゃんのお約束なやりとりはさておいて。

「ありがとね、みんなっ」

ムギのこんなにいい笑顔が見れたんだから、お湯を作りに行くなんて安いもの。
肩に背負ったカバンから香るムギの匂いを感じつつ。
私たちは教室を後にした。





慣れ親しんだ、でも久し振りにも感じる運動部の匂い。
バスケ部ならバッシュ。ソフト部ならスパイク。
勝つために、闘うために練習して。
鍛えて、耐えて、そうして滲み出る汗を吸い込んだ布やら何やらの匂いが占める部室棟の廊下を歩く。
木造校舎であるところの桜高ではあるけれど、私立の例に漏れずその設備には相応の投資がなされている。
とりわけ運動部では全てのクラブに部室があり、吹きっさらしにドアが面することもないので、中学の時の部活を思えば雲泥の差だ。
…もっとも。
私がこの恩恵を預かることは、そもそもないんだけれど…。

「じゃあ、ちょっと取ってくんね」

「ありがとうアカネちゃん」

「私は荷物取ったら、家庭科室の鍵、借りてくるよ。いちごは?」

「一緒に行く。姫子がガス爆発起こしそうだから」

「私どれだけ物騒かっ」

「まあまあ姫子ちゃん…いちごちゃん、私も一緒に行くね~」

お湯を沸かす段取りを着実につけていくみんなを、なんとはなしに歩いて見やる。

「…あ」

と思わず漏れ出た声が、目の前の張り紙に吸い込まれる。
やはり見慣れた、数字の羅列。
カンマで区切られた桁数四桁が意味するところ、それはゴールラインを割った際の計測タイム。
四百メートル予選会出場者一覧表と銘打たれている。
その最上位に位置する見知った名前を見るにつけ、素直にすごいなと思いつつ、自然と目が、結果タイムを追ってしまう。

「…懐かしい?」
「えっ?」
「こんなさ。わざわざ部室の前に張り出さなくてもいいのにね」
「あ、うん…そう、だよね」
「まあ、陸上って特に個人で競うこと多いし、刺激しあいましょう、みたいなね?
他の部もやってるから…あ、これが社会で流行りの異業種コラボレーションってやつ?」
「それはちょっと違うような」
「まあそーだよね」
「夏香ちゃん…」
「ん?」
「1位出場、すごいね」

桜井夏香ちゃん。
言わずと知れた、桜高陸上部のエース。
そして。

「中、入る?」
「え?」
「部室、しずかの古巣みたいなもんじゃん?」
「桜高のは、違うと思うけど…」

得意種目は私と同じ、四百メートル走。

「ま、入んなよ」





「しずか、さ」

桜高陸上部の部室に足を踏み入れた私に背を向けて。
夏香ちゃんはそう切り出した。

「いつも走ってるね、朝」
窓を開けながらの言葉に、少し驚く。

「なんで知ってるの?」

「しずかのランニングコース、たぶんあたしんちの前通ってるから」

「部屋から見えるんだ」と言う夏香ちゃんの表情は見えないけれど。
きっとなんてことのないカミングアウトとはいえ、本人としてはなんだか面映ゆい訳で。

「そ、そうだったんだっ」と少し動機を早くしながら返答する。

「雨でも走ってるし…。ほんと走るの好きだよね、しずかは」

「うん…。走るの、好き。それに」

「それに?」

「―雨の日ほど、走りたくなっちゃうの、私」

今日みたいな雨足の強い日は、特に。

「…しずか、陸部入んない?」

「…三年の、今から?」

「これから夏の大会あるし。最後だけど。しずかなら今からでも、かなり上まで行けると思うし」

「それは、でも…」

「あたしもしずかいてくれると張り合い出るし。後輩たちもしずかが入ったなんてことになったら小躍りして喜ぶと思うし」

「でも、その、あの…」

「しずか?」

「…ごめん」

「そっかーっ。むしろごめん、あたしこそなんか、空気読まずに」

「…ううん、そんなことない。誘ってくれたの、嬉しかったし」

「…まだ、ダメなんだ」

「…え?」

「しずかはさ。ずっとあそこに、いるんだね」

「っ」

ひゅっと、息を飲む音は一段と強さを増した雨音に一瞬で掻き消された。
横を通り過ぎる夏香ちゃんのシトラスレモンの香り。
仰ぎ見た夏香ちゃんはなんだか申し訳なさそうな、泣き笑いのような顔をしていて。
それを追いかけて振り向くことができない私の視線を、ただ窓の外を降りしきる雨線が縫い止める。

「もう、大丈夫だと思うよ?誰も、しずかが止まったままなんて望んでない。あの日の誰も、そんなこと望んでないよ?」

そう、言っていたのだろうか。
そう、言ってくれていたのだろうか。
自分の体調管理がなってないせいで風邪をひき。
これで中学最後の大会だからと無理して出場して。
結果、熱で浮かされた意識の中で四百メートルを完走できるわけがなくて。
コースアウトしながらあの人たちのレースを台無しにしてしまった私に。
確かめる術もなく、勇気もなく。
あの日のことを受け止める事さえできないままの私が、トラックに立っていいわけがない。
闘いの舞台に、上がっていいはずがない。
今も昔も私は。
あの雨のトラックで、うずくまっている。

「…勝負しようよ」

「えっ」

夏香ちゃんの、聞いたことが無い真剣な声音に思わず振り返る。
すると何かに気がついたのか。
「あー、違うか」と表情を崩して浮かべる苦笑いと共に、夏香ちゃんが言う。

「あたしと勝負して、しずか」

「な、え」

「あの日しずかと一緒に走った友達から、仇討ち、頼まれてるから」

「っ」

「今月末の土曜日。インハイの予選会あるから。それ、終わった後に」

「ちゃんと、トラックでさ」と伝えることだけを伝えて。
夏香ちゃんは部室を出て行った。
雨の音がやけに。
耳について離れない―。



[26376] けいおん モブSS (26)
Name: 名無し◆432fae0f ID:5cd5b5fe
Date: 2018/02/12 01:43
誰よりも深く
君を知っていたはずなのに





勝負して、と夏香ちゃんは言った。
陸上部ではよくあることである。
何せ、ひと勝負するのに特別な準備など必要ない。
適度な距離とゴールを決めて。
競い合う者同士が二人いれば成り立つ。
見届け人すら必要ない。
どちらが早かったのか。
ただそれだけが、勝敗を決めるのだ。
それを。
陸上部に所属する学生なら誰もが経験するであろう、日常的で、気軽で、手軽な勝負を。
競技の舞台から退場しておよそ四年の私に、現役バリバリの陸上部員であるところの夏香ちゃんが挑んできた。

「…四百で、だよね」

確認する相手はもうおらず、そう独りごちる。
言われずとも、そうであることは分かっている。
彼女は言ったのだ。
友達の仇討ちだ、と。

「…まさか、友達だったなんて」
思わず呟いてみて、しかし込み上げてくる感情に罪悪感の類いは無い。
不思議だ。
あるいは、予感していたのだろうか。
いつかこんな日が来ることを。
あの雨の日の贖罪の機会が訪れることを。

…いや、違う。

「あたしと勝負して、しずか」
勝負しようよ、という誘いを言い直す形で。
ただ静かに放たれた夏香ちゃんの言葉に、一切の感情は無かった。
少なくとも仇討ちだなんて憎しみめいたものは、何も。
部室の窓から吹き込む土砂降りを見て、何故だかそう思える。
あれからずっと、雨の日ほど走りこんできた。
雨脚が強ければ強いほど、踏み込む一歩一歩に力が入った。
視界が雨粒で滲むほど、もっと先へと追いすがった。
ひどい雨の中を走ることで、自分を追い込んだ。
それは、自虐でも贖罪でもない。
焦燥。
あの雨の日への焦燥が、私を雨の中へ駆り出していった。

立ち止まったままだと思っていたのに。
うずくまったままだと思っていたのに。
走ることさえできればいいと思っていたのに。
なんだろう、私。
夏香ちゃんに勝負を挑まれて。
私、うれしい―――。

願ってやまなかったあの日の再戦。
それが。
こんな形で目の前に現れるなんて。

窓を閉めて、出口へ向かう。
薄暗くなった室内に無造作に転がるテーピングやボトルが、部員たちの生活感をにじませている。
視界に映る、出口の扉にかかった桜高陸上部のユニフォーム。
桜色の生地に白抜きで書かれた「一走入魂」の達筆を見上げながら。
「勝てるかな」という不安を胸に抱く。
同時に、勝ち負けにどんな意味があるのかと思い当たったところで。
部室の外へ出た私の頭を、何か柔らかくて温かい物が包み込んだ。

「―きっと、勝てるよ」

降ってくる穏やかな声を聞くだけで、どんな表情をしているか分かるほど、私たちの付き合いは長い物となっていた。
豊かなふくらみの間から上向けた視線の先。

「しずかなら大丈夫」
できの悪い妹を心配する、困ったように眉根を寄せた姫子ちゃんの微苦笑に迎えられ。
だんだんと気恥ずかしくなった私は、再びそのクッションに顔を埋めることにした。
応じて、私の頭を包み込む両腕に少し、力がこもる。

「後は宜しく」
平坦な声に顔を向ければ。
「って、なっつーが言ってた」
珍しく物憂げな感情を瞳に写したいちごちゃんがいる。

「…心配、させちゃった?」

「別に。私は関係ないし」

「あ、うん」

「…しずかは、なっつーが何であんなこと言ってきたのか、何となく分かってるんでしょ」

「…まあ、なんとなくは」

「それなら、やっぱり私の心配は関係しない」

「そう、なの?」

「うん。だってしずか、気づいてる?」

何に、と聞く前に寄せられたいちごちゃんの顔は近くて。
でも、あまりにも綺麗なその双眸から目が離せなくて。

「…あんなに楽しそうに、勝てるかな、って言うしずか、私、初めてみたよ」
そう言って微笑んだいちごちゃんに。
私はぽかんと口を開けることしかできなかった。

「まったくこっちの気も知らないで…」

「…姫子ちゃん?」

「ムギなんてどうしよう、どうしようってずっとあたふたしてて…。きっと夏香としずかが喧嘩してるって思ったんだろね」

「ええっ、ムギがっ?」

「せっかく沸かしたお湯が冷めちゃうと唯が風邪ひくから、アカネに軽音部まで引っ張っていってもらったけど…」

ほわほわしているほうがムギには似合うのに。
余計な心配掛けちゃったな…。

「あとでちゃーんと、フォローしとくんだよ?」

「…はい」

抱擁から解放した私に向けて、姫子ちゃんのめっポーズが炸裂する。
これは割と、ちゃんと言いつけに従わないとだめなやつだ。
もちろん。
従わなくったって、ムギをフォローすることに変わりはない。

慌てふためく琴吹家の令嬢めしうまだった
そんな感想を抱くのはあんただけだよ、いちご…

前を歩きながらそんなやりとりをする二人を追いながら。
どんなふうにムギをフォローしようか、考える。

「勝算は?」
振り返って、いちごちゃん。

「ブランク四年の元全国トップスプリンターさん?」
こちらも振り返って、姫子ちゃん。

「…わかんない」
振り返った拍子に香ってきた二人の髪の花のようないい匂いに鼻をくすぐられて、私。
ふるふると、頭をかぶる。
部室の前で見た、予選会のタイム。
今の私でも、夏香ちゃんと同じ領域にいることは判断がつく。
でも、それはあくまで予選会での話で。
恐らく、中学からずっと陸上部を続けている夏香ちゃんの本気の走りがどれほどのものなのか。
想像する材料はあまりにも少ない。
加えて私は、タータンで四百メートルを走ったのは中三の七月が最後だ。
スパイクを履いて。
ユニフォームを着て。
クロノグラフを巻いて。
クラウチングスタートを決めて。
これまでの私が、どこまで通用するだろうか。

それでも。
勝てるかどうか、わからないけど。

「わかんない、けど」

この勝ち負けに、どんな意味があるのか、わからないけど。

「「けど?」」

両手を後ろに組んで前かがみ。
上目遣いで覗きこんでくる親友二人に返す言葉は決まっている。

「…けど、私、めっちゃわくわくしてるっ」

ふっ、と笑んだ美人二人の真ん中に割り込むようにして並び立つ。

「On your mark」
せっかくのお膳だてを無碍にするほど、私と姫子ちゃんの付き合いは浅くない。

「Get set」
クラウチングスタートに重心を落とした私に始まりの音を告げるいちごちゃんの冷声が心地いい。

「「Go!」」

それにしても、やけに発音がいいな二人とも。
と思ったのを置き去りにして。
夏香ちゃんとの勝負に向けて、私はスタートを切った。





こらーっ廊下をはしるなーっ
ご、ごめんなさいぃぃぃぃっ

「…次、古文だったっけ?」

「…ん、ティーチャー堀込」

「とりあえず、私たちもいこっか」

「いわんやしずおかをや」

「何それ?」

「別に。特に意味はなし」


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