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[26400] 【東方SS】短篇集 14.君の好きな本を教えて
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/09/24 14:12
※以前に、別サイトに投稿したものをこちらにもあげさせていただいております。
 すでにお読みの方がいらっしゃるかもしれませんので、その点のみ、ご注意をお願いいたします。
 よろしくお願いいたします。




[26400] 【東方SS】眠る八雲家 わかめ編
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/09 00:04

 わが主である八雲紫様の朝は遅い。
 冬は冬眠して起きてこないからしかたないとして(いささかさみしいが)、そうでない季節でもずいぶん日が高くなってからでないと起きてくれない。
 妖怪なので夜型なのかといえばそんなこともなく単純に寝っぱなしなだけだ。たぶん、起こさなければ一日中だって寝てるんじゃないか?
 と思ったので試してみたら三日くらい寝てた。怖くなって起こした。

「紫様は寝ているとき、どんな夢を見てるんですか」
「え」

 そのあと、私は訊ねてみた。あれだけ長いこと寝ているんだから、さぞワンダランドな夢を見ているんだろう、と思ったのだ。
 私をおきざりにして。

「そうねえ」

 紫様は手にした扇子を開くと、口元を隠した。考え事をするときの格好だ。

「改めて訊かれると、なんと答えていいかわからないわね。もちろん夢は見るけれど、忘れてしまうことも多いし」
「たとえば、今日の夢です。たっぷり寝たんだから、さぞかしものすごい夢をみたでしょう」
「刺があるわね」

 あんたが起こさないからでしょう、とジト目で言うが、三日も私に会わないで、平気な顔して寝ていられるのが憎いのだ。こっちは大変だったのに。

「藍と海に行ったわ」

 夢の話。

「海ですか」
「そう、海よ。夕日が沈んでいたから、西を向いた海ね」
「私は海はちょっと苦手です。というか、水が苦手です。式なので」
「そうねえ。でも、私がいるから大丈夫だったわ」

 私は先を促した。どうして海へ?

「覚えてないわ。夢だから、そもそもそんなたしかな理由はないのよ。おおかた水遊びがしたい、とか、魚が食べたい、とかでしょう。幻想郷には海がないしね。それで海に行って、そう、思い出した。あんたがワカメ食べたいっていうから海に行って、それで二人でワカメ探したんじゃない」
「私がですか? そんなこと言ったことないのに」
「言えばいいのに、って思ってるのよきっと」

 すると紫様は扇子を胸元にしまって、空いた手で私を抱きかかえ、服の裾をまくって膝小僧を出させた。

「あんた馬鹿だから岩場で派手に転んじゃって、膝すりむいたのよ。すぐ治るけど痛いのは痛いもんね。よしよし」

 むき出しの膝小僧をすりすりなでられる。気持いいけど、ものすごく恥ずかしい。もう仔狐ではないのだ。

「紫様、私こう見えても白面金毛九尾の狐です。たっくさん国を滅ぼしました。主に色気で。子どもじゃないです」
「でも、私からすれば娘みたいなもんよ。よしよし」
「紫様」
「よしよし」
「くすぐったいです」
「おお、よしよし」

 だめだ、何を言っても聞かない。
 しかたがないのでされるがままにしておいた。力が抜けたので(紫様が起きてこない間、こっちはイライラして眠れなかったのだ)、紫様によりかかって目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまった。


◆ ◇ ◆


 目が覚めたら朝だった。記憶をたどると、たしか昼ごろに寝たはずだったのだが、起きるのはきちんと朝である。さすが私。
 布団に入っていたのはまだしも、きちんと寝間着に着替えさせられていたので、ちょっと恥ずかしかった。紫様が着替えさせてくださったのだろうな。
 式なのに手をかけてしまって申し訳ない。しっかり反省し、その旨お伝えしよう、と思って障子を開くと台所で紫様が朝食を作っていた。

「ゆっ紫様」
「おはよう藍。今日のお味噌汁は、油揚げとわかめよ。あなた大好きでしょう油揚げ」
「大好きです。でっでも紫様」
「いいのよ」

 炊きたての御飯と、お味噌汁と、納豆と、漬物と、鯖の照り焼きが食卓に並んだ。恥ずかしいくらいの純和風の朝食だ。たっぷり食べた。普段料理をすることはない紫様だが、やるとなればまあ私に教えるくらいは上手い。
 それにしても、今日は気合が入っているように思えた。そもそも、私より早く起きていることが不自然だし。

「紫様」

 三杯目をたいらげて、一息ついたところで私は言った。

「今日はどうかしたのですか。何かあったのですか」
「呆れるほど健啖で、問題ないように見えるけど」

 紫様が、こちらを見て目を細める。

「藍。体の調子がおかしいところはないかしら」
「はあ」
「どんな小さなことでもいいわよ。きちんと言うのよ。しっぽが一本足りないとか、頭が痛いとか、目がしょぼしょぼするとか」
「最初のだったらご飯なんか食べてる場合じゃありませんが。いたって健康ですよ」
「ほんと?」
「ええ、寝すぎてお腹が減ったくらいです」

 紫様はちょっと笑った。

「そう、ならよかったわ。もちろん私も念入りに調べたけど、万が一何かあったら怖いからね」
「何かあったのですか」
「藍、あなた、三日間も寝てたのよ」

 驚いた。

「それは紫様でしょう。私がどれだけさみしかったと思ってるんですか」

 紫様は、きょとん、とすると、扇子を広げて口元を隠した。閉じたときには、唇の横っちょについていた米粒がなくなっていた。

「そう。そういう夢をみたのね」
「いやいやいや」
「藍。あなたは三日間寝ていて、私が着替えさせたり汗を拭いたりしたのよ。どうやっても起きないんだもの。トイレもしないし。原因がわからなくて、とても怖かったわ。三日前のこと覚えてる?」
「い、いえ」
「あなたと私は海に行ったのよ。外の世界に出てね。本来、あまり良くないことだけど、あなたがどうしてもわかめが食べたい、それもとりたてのものでないと嫌だというから、私もふだん言われ慣れていないわがままを言われるのがうれしくてね。ついつい出かけたのよ。
 そしたらあんた足すべらせて、わかめって岩場に生えてるでしょ、干潮の時に採れるでしょ。それを採りに行って、つるんって足滑らせて、気を失っちゃったのよ。九尾の狐なのに情けないわねって、私笑ったけど、でもぜんぜん目を覚まさないから、怖くなってマヨヒガに戻ったの。
 それからあんたずっと寝っぱなしだったのよ。ずうっと。どんなに気を揉んだか、わかりゃしない。
 でも、大丈夫みたいでよかった。しばらくはじゅうぶん注意するのよ。ちなみに今日のお味噌汁のわかめはそのわかめよ」

 頭がこんがらかった。
 紫様が膝小僧をなでてくださったのは、夢のなかの出来事だったのだろうか。ずうっと、三日間も寝ていたのは、私のほうだったのか。
 こんなことはいままでなかった。海に行ったことだって、私は覚えていない。紫様の夢の話だったはずだ。いや、あれは私の夢のなかだから、その私の夢のなかで紫様が見た夢のことで……。
 でも、それが現実だったのだろうか。

「紫様」
「はい」
「申し訳ありませんでした。正直、まだ混乱していて、はっきりとは思い出せないのですが、式の勤めを三日間も放棄してしまったこと、お詫びいたします。そのうえ着替えさせていただいたり、汗を拭いていただいたりしたなんて、申し訳ない、恥ずかしい」
「いいけどね。髪やしっぽは洗えなかったから、今日洗いなさいよ」
「はい。仕事の遅れた分をとりかえします」
「そうね。任せていいかしら。ついでにちょっと暑くなってきたから、夏用の服を一着、新しく縫ってもらっていいかしら」
「お任せください」
「牛乳飲みたいんだけど、里に行ってもらってきてくれる?」
「はい」
「今日のお昼ご飯、ハンバーグとチョコパフェとグラタンと味噌煮込みうどん食べたいわ」
「準備します」

 チョコパフェってどうやって作ればいいんだろう、と考えながら腰をあげようとすると、紫様がまた扇子を取り出して口元を隠しているのが見えた。
 長い付き合いなのでわかるが、考えごとをしているのではなく、にやにや笑っているのだった。

「紫様」
「なあに」
「嘘ですね」
「なあにがあ?」

 こらえきれなくなったのか、ちゃぶ台に両手をついて、前かがみになって顔を伏せている。
 私は憤慨した。

「紫様、おふざけがすぎます。私はほんとうに反省したんですよ。こんなことじゃいけない、と思って、紫様の式であることに自信が持てなくなったんです。
 三日間も寝ていたのはやっぱり紫様なんでしょう。海に行ったのだって、嘘なんでしょう。
 ええい、ええい、悔しい。悔しいったらないです」

 私はぷんぷん怒って、後ろを向いてしまった。

「藍」
「何ですか」

 優しそうな声で話しかけてこられるが、許してなんかやらないのだ。

「今日は一緒に寝ましょうか」
「え」
「同じ布団でね。そうすれば、一緒に眠れるし、同じ時間に起きれるでしょう」

 ごめんね、と紫様が言ったように思った。







[26400] 【東方SS】幸せ永遠亭
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/08 23:40
「てゐ」
「はい」

 朝食を食べていると、めずらしく姫様が顔を出して、てゐに白くて丸くてもこもこしてる物体を手渡していた。
 兎の死体だった。

「死んだの」

 と、報告するように、姫様がつぶやく。
 師匠は無言でご飯を食べている。
 私は何を言えばいいのかわからなかったが、とりあえず朝なので、挨拶することにした。

「おはようございます。姫様も、ご飯召し上がりますか」

 姫様がこちらを見る。起き抜けで顔も洗っていないはずなのに、なんとなく気品があるように見えるのは、さすがだと思う。
 おかずを確認すると、姫様はじろり、と師匠をねめつけた。

「海苔とアジと卵だなんて、ありきたりだわ。今朝はハンバーグが食べたかったのに」
「昨日のうちに言ってもらわないとね」

 と言って、姫様のお茶碗にご飯をよそう。
 姫様は不機嫌そうにしながら、それでも座って、たっぷり食べた。
 姫様がおかわりをするとき、兎もおかわりするのかしら、と師匠が訊いた。姫様は、ええ、とこたえる。
 それで新しく兎を飼うんだな、とわかった。
 いつものことだけど。


◆ ◇ ◆


 姫様のペットの兎は(厳密に言うと、私もそうなんだけど)二十羽ほどいる。これらは姫様の部屋の近くで暮らしていて、姫様手ずから世話をされている。いわばエリート中のエリートペット兎といえよう。
 永遠亭全体では数えきれないほどの兎がいるが(てゐが管理していて、私も全体像は把握していない)、そのうちから姫様がよりすぐったのだ。ほんとうは百羽くらい欲しがったんだけど、師匠に「輝夜が世話できるのはいいとこ二十くらいよ。欲張りなさんな」と言われて断念したんだとか。
 良い判断だったと思う。二十羽の兎のうち、すでに三羽が死んだ。理由はわからない。ちょうど寿命だったのかもしれないし、変にストレスがあったのかもしれない。
 兎が死ぬと、姫様は死体をてゐに手渡し、竹林に埋めてもらう。それから新しいものを飼う。常に数は二十で、増えも減りもしない。
 得点がたまったら永琳に言って、もっと増やしてもらう、と姫様は言う。

「得点ですか?」
「そう、得点よ。兎を幸せにする得点」

 私は首をひねった。
 それなら二十羽なんて飼わずに、一羽の兎に徹底的に手をかけてやればいいのに。

「何を言ってるのよ。一羽でもらえる得点なんてたかが知れてるでしょ。二十羽いれば二十倍になるじゃない」
「はあ」

 よくわからない話だった。やっぱり、生まれが違うなあ、と思う。
 とにもかくにも姫様は兎を飼うのに熱中し、妹紅との殺し合いも最近は頻度が減ってきているようで、師匠も私たちも良いことだと思っていた。
 兎に囲まれてモフモフしている姫様はとても幸せそうだった。

 てゐに付き合って、死んだ兎を埋めに行く。横には今までに死んだ二羽のお墓があり、三羽目のが並ぶのを見ると、ちょっと良くない感じがした。
 良くない、と感じたのは何故だったか。後から考えたことだ。
 てゐはめずらしく神妙にしている。同族を埋めるのは、やはり辛い。月の兎である私でもそう思う。

「それもそうだけどね。でもね、私が黙ってるのは、怖いからだよ。朝食の時だって、下手に反応を見せちゃったら、どうなるかわからないから」
「?」

 私はよくわからない、教えて教えて、という顔をした。鏡を見て血の滲むような練習を繰り返した、超媚び媚びの表情だ。これをやると師匠がなんでもやさしく解説してくれる。一時期のように狙ったパンチラを見せなくても良いので、大変助かっている。
 てゐにも効いたようだったが、てゐはやっぱり意地悪だった。

「鈴仙ちゃんには、わっかんないかもなぁ~。永琳様のお気に入りだしね」
「教えてよぅ」
「そうねえ。永琳様、今朝、おかわりする、って言ったでしょ。そういうことなんだよ。取り換えがきくのさ」
「?」
「いや、もうその顔はいいから」
「新しく兎を飼う、ってことでしょう。死んじゃったんだからしょうがないじゃない」
「いやまあ、そうなんだけどね」
「何よ、歯切れが悪いじゃない。気持ち悪いなぁ」
「永琳様に訊いてみるといいよ」

 と言って、てゐはぴょんぴょん跳ねて行った。


◆ ◇ ◆


「てゐがそんなことをね」

 師匠はいつものように、淡々と薬の調合をしている。役に立つもの、立たないもの、あらゆる薬がこの弩級えーりんラボ(師匠命名)にはそろっている。風邪薬や、悪夢を見る薬、摂取すれば数十分は火山に落ちても大丈夫な座薬、なんてのもある。実験体は私だ。

「あの子は長く生きてるからね。健康増進活動にも余念がないし、そういうことには敏感なんでしょう」
「姫様、変なお世話の仕方をしているんでしょうか」

 私はたずねてみた。ふたりの口ぶりからして、姫様はもしかしたら兎を虐待しているのかな、と思ったのだ。そもそも姫様に兎の世話ができるのかどうかもあやしいし。

「輝夜はとてもきちんとお世話をしてるわよ。けちのつけようがないほど、献身的にね。でもやっぱり、生き物だから、どうしてもときどきは調子がおかしくなったりするのよ」
「それはそうでしょうが」
「ウドンゲ」

 師匠が私の名を呼ぶ。師匠がつけてくれた、私だけの名前だ。だいぶ慣れたけど、それでも呼ばれると嬉しくって、しっぽのあたりがぴりぴりとしてしまう。

「私はあなたのことがとても好きよ」
「はい。抱いてください!」
「あとでね。それで、輝夜もあなたのこと大好きなのよ。それはわかってね」
「はい。ときどき耳をモフモフしてもらいます」
「輝夜の兎たちも、そうしてるわね。同じことなのよ。てゐが言った、おかわりする、の意味はね。正確に言うと、あなたたちはお茶碗だ、って意味なのよ」

 さっぱりわからなかった。
 必殺わからないフェイスをすると、師匠は困ったように笑ってから、こう付け加えた。

「お茶碗は、ご飯をいれる容れ物でしょう。輝夜はご飯が食べたいのであって、お茶碗は、割れたら取り替えるの」

 その夜、また一羽の兎が死んで、朝に姫様が死体を持ってきた。やっぱり姫様は、兎を殺しているんだ、と私は考えた。


◆ ◇ ◆


「得点はたまりましたか」

 と、私は姫様にたずねる。姫様は

「なかなかね」

 とこたえる。姫様は、ほんとうに細心の注意をもって、兎の世話をする。でも生き物だから、ときどきは病気になってしまう。一度病気になった兎は、その日のうちに姫様に殺される。

「だって一度でも病気になったら、百点満点の人生じゃないじゃない。幸せ度、ちょっぴり減点だわ。リセットして、はじめからやり直しよ」

 と言って、兎たちをモフモフする。兎たちは気持よさそうにしている。姫様は満足そうだ。

「二十羽っていうのは最初に永琳と決めたからね。一羽死ねば、次の新しいのが飼えるのよ。その兎を目いっぱい幸せにしてあげるの。死んだのの幸せをそのまま引き継いで、しかもこれから満点人生をおくれるチャンスがあるんだから、いいことずくめじゃない。私はほんとうに優しいわね」

 そうでしょう、と姫様が言う。ええ、と私はこたえる。
 私たちは幸せをいれる容れ物なのだ。同じ量の幸せが、いつでも周りにあるのなら、容れ物のかたちなんて、姫様にはどうでもいいこと。

「鈴仙も、私のペットで幸せね。こっちいらっしゃい、耳をモフモフしてあげる」

 私は姫様に膝枕をしてもらう。耳を優しく撫でられて、毛が整っていくのがわかる。

「それとも」

 と、姫様が言う。

「鈴仙は、私が兎を殺しているのを知って、怖くなっちゃったかしら。幸せ度マイナスになっちゃって、もう満点人生をおくれないかしら」
「そんなことないです」

 と、私はこたえる。





[26400] 【東方SS】私の星座
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/08 23:51
「れいむれいむ、湿布貼ってくれ」
「また来たか」

 こたつでみかんを食べながらごろごろしてると魔理沙がやってきた。帽子をおさえて入ってきたところを見ると、外は風が強いのだろう。わざわざ空飛んでここまで出かけてきて他人に湿布を貼らせる神経がわからない、と霊夢は思う。

「背中だと貼りにくいんだよ」
「体固いのね」
「失敗して、はがして、貼りなおして、また失敗して、っていかにも面倒だろ」

 上半身裸になって、畳の上にうつ伏せる。寒くないの、と訊くと、女の子は風の子だ、とかよくわからないような答えが返ってくる。
 裸の背中を見る。ひとつひとつ、指定されたところへ、丁寧に湿布を貼っていく。ひい、と魔理沙が声を出す。

「今度は何したの」
「箒で木に突っ込んで落ちた。速度向上の実験中だったんだ」
「今でもじゅうぶん速くない?」
「そのうち天狗より速くなるぜ」

 打撲以外に、擦り傷、切り傷もたくさんある。風呂には入ってきたようで、汚れはなくなっているけれど、やはり痛そうだ。女の子なんだからもっと大事にすれば、と言いかけて、まるで紫が自分に言うようなことだ、と思って、霊夢は口をつぐんだ。
 左肩にひとつ、背中の真ん中のちょっと右寄りのあたりにふたつ。お尻にほど近いところにもひとつ。数えてみると、十いくつは傷があった。昔の傷で、痕になってしまっているのもある。永遠亭行きなさいよ、きれいに治してもらえるわよ、と何度もすすめたが、あんな宇宙医者にかかっていられるか、と魔理沙は言う。

(きれいにしてもらったほうがいいのにな)

 と思うが、なんだか余計なことのようにも思えるので、霊夢は黙っておく。

 ふと、ひとつの傷からひとつの傷へ、線を書くように、指で背中をなぞってみた。魔理沙が、ん、と声を出す。もう一度。ん、ん、と声を出す。
 何かに似ていた。傷ではなく、傷を結んだ線の形が。魔理沙の黒いスカートを見る。魔理沙で、黒で、夜で……と連想をつなげていくと、この前紫から教えてもらった、夜の星のことだと思い当たった。

「星座っていって、星の形を何かに当てはめて、つながりを覚えるのよ」
「ふうーん」
「ここがこう、ここがこう、なると……えーっと、ペガサス座みたい」
「こら、あんまりなでるなよ」

 ちょっと戸惑ったように、魔理沙が言う。
 霊夢の指が次々と魔理沙の傷を探り当て、線をなぞっていく。つつつ、と、右肩の先に来たところで、その指が止まった。

「うん、やはり、ここがひとつ足りない」
「何の話だ」
「ごめんね。ちょっと我慢しなさいね」
「おい」

 霊夢は魔理沙の裸の右肩に口付けると、そのままちゅうううう、と唇をすぼめて吸い付いた。
 うわわ、と魔理沙が情けない声を出す。

「これでよし」

 くっきりと赤い痕が残った。しばらくはとれなそうだ。

「何しやがんだ。レミリアに血を吸われて、吸血鬼になったのかと思ったぜ」
「そんなわけないでしょう。これで完成よ」
「ふん」
「魔理沙座よ」
「ペガサス座じゃなかったのか」
「いやいや、私があんたのことを考えて作ったんだから、魔理沙座よ」

 ううん、と魔理沙は唸った。
 気恥ずかしくなって、慌てて服を着ると、

「あんまり他の人に見せびらかしちゃだめよ」

 と言って、霊夢がにやにや笑った。





[26400] 【東方SS】読書する魔女
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/09 19:38
 テーブルの上に立てられた本を指先でつん、とつつくと、ゆっくり前に向かって倒れて次の本にぶつかって、次の本がその勢いでまた倒れて、その次の本にぶつかって……ぱたぱたぱたぱた順番に本が倒れていった。何度かカーブしたあと、パチュリーの目の前まで行ってそこで最後の本がぱたん、と倒れた。
 呆れた顔をする。

「本は頁を開いて、中の文字を読むものよ」
「んー」

 魔理沙は腕を頭の後ろで組むと、歯を見せて笑う。そういう仕草をすると幼くって、ただの女の子にしか見えないな、とパチュリーは思う。

「行き詰まっててな。気分転換にやってみた」
「そう」

 とだけ言って、改めて手元の本に目を落とす。魔理沙が横からずいっと顔を突っ込んできた。
 近い近い近い。

「パチュリーは何の本を読んでるんだ」
「魔女裁判のやり方の本」
「うわ、お前、やられたほうだもんな」
「んー……」

 名指しで自分自身のことを書かれているわけではないけれど、気が滅入るような本ではある。
 魔女は神を否定し、呪術によって人を呪い殺し、使い魔に自分の血を吸わせ、近親相姦を行って未洗礼の子どもを悪魔に捧げて殺す。家畜を殺し、農地を不毛にして飢饉をもたらし、死体をあばいて肉を喰い血を飲む。
 ものすごい悪者だ。

「そんなことしないぜ」
「しないわね。箒で本を盗んだりはしたけどね」

 と言った拍子に、ちょっとごほごほ咳き込んだ。大丈夫か、と心配そうに魔理沙が言う。それで少し、話を続けてやる気にもなった。

「魔女がどうして悪いことをするか、考えたことがあるかしら」
「だから、しないって」
「昔のことよ。その頃、魔女のおこなう悪行は全能の神から許しを得ていた」

 と、この本に書いてある、と言う。
 魔女は麻薬と各種の薬草、油とヒマワリの種、新生児の肉なんかを混ぜて軟膏を作る。軟膏を塗ると、空を飛ぶことができる。空を飛んで、変身して、女怪と夢魔によって人間を誘惑し、彼らに憎しみを染み込ませる――それらはすべて、神によって与えられた事柄だった。
 人間の世界に悪がひとつもないとすると、その力はすべて魔王に流れこんで、魔王は無限の力を得る。そして世界は滅びてしまう。だから魔女がちょっとずつ、悪の力を使い込んでガス抜きをしてやる。
 この本の著者たちと、異端審問官と、判事と、そして当時のほとんどすべての人々はそう考えていた。だから魔女は絶対に存在して、人に害なす妖術を使う。魔女と妖術を認めないものは、それだけで異端とされた。
 多くの魔女たちが見つけられて、裁かれて、死んでいった。多くの魔女が――魔女とされた者たちが。
 魔女に罪を白状させ、殺してしまうために、拷問や虚偽の証言は判事によって推奨されていたわ、と魔理沙に言う。魔理沙は嫌そうな顔をする。
 もう少し説明が必要かな、と思った。

「私は喘息をかかえているわ」
「そうだな」
「何で自分が喘息じゃなきゃいけないのか、って、考えたことがある」

 喘息は苦しい。喉がぜいぜいいって、呼吸が苦しくなって、死ぬんじゃないかと思う。
 神様がほんとうにいて、全知全能で、常に最善を目指すのだったら、喘息なんかこの世にないはずだった。すべての病気や、犯罪や、戦争や、人をひどい気分にさせる悪いものは、そもそも創りだされなければよかった。

「でも、どうやっても喘息は治らないので……犯罪や病気や天災はなくならないので、悪いことが起きると魔女のせいにされた。
 わかるかしら。許されているのは、魔女じゃなくって神様のほうなのよ。不完全なように、この世界を創った落ち度からね」

 どうして魔女がいるのか。どうして世界にはいつも、一定の不幸が存在するのか。
 神様がこの世を、天国みたいに作らなかったのはどうしてなのか?

「そういう問いに対して、魔王や悪魔、そしてそれらと情を交わした魔女が与えられた。可能なかぎり多くの魔女を殺すことが、この本の著者たちの眼目だった」

 と言うと、ぱたんと本を閉じて、目の前に立てて置く。自分に向かって倒れていた本の、次の順番になるように。

「魔理沙にはまだ早いわ。ドミノ遊びしましょう」
「お姉さんぶる奴だぜ……」

 テーブルの横にあった椅子を持ち上げて、パチュリーの横に置く。本を開いて、先程まで読んでいたあたりを適当に開いて身を寄せ、パチュリーと一緒に読もうとする。体がくっついて、あたたかかった。魔理沙の体温は高い。パチュリーに比べてだけど。

「私は最近煙草をはじめたんだぜ」
「そう。健康に悪いわよ」
「もうやめる。本が汚れるし、喘息に良くないからな」
「そう。ありがとう」

 文字をちょっとづつ読むけど、あんまり頭に入ってこない。魔理沙と一緒に本を読むようになってずいぶん経つ。五十年か、百年くらい経っているかもしれない。でも魔理沙はまだほんの女の子みたいで、パチュリーの方でもまだまだ慣れないところがあって、ときどきこういうふうになる。
 声に出して読んでみた。


『……影濃き谷合いの空き地に、
 小枝を編んで作った粗末な
 小屋があり、壁は土で固められていた。
 魔女はそこに、いやらしい薬草に埋もれ、
 窮乏に悪意をかきたて、なりふりかまわず住んでいた。
 かくて魔女は人里を遠く離れて
 孤独の棲み家を選び、人知れず
 悪魔的な所業と地獄の業を保ち、
 嫉妬を覚える人たちを遠くから害するのだ。……』(※)


 途中から魔理沙も一緒に読みはじめて、最後には二人の声が重なって終わった。
 自分だけの声だとぼそぼそして、あんまり響きが良くないけれど、魔理沙の声と一緒だとちょっと良い感じで、表情豊かな彼女のことだからただ読むだけでも声に抑揚があって音楽的で、頬が触れるほど近くにあるから口の動きもなんだかわかるようで……しんとした図書館に音が通って、そしてなくなるのがわかった。音がなくなると、本や机や本棚が、あらためてはっきりと自分の意識に入ってきたように思った。
 目で読んだ言葉が口から出て、また耳から入ってくること。魔理沙の顔を横目でちらっと見た。真剣な顔をして、本の文字を追っている。魔女は勉強家だから、そのほかに手で文字を書いたり、書かれていることを実際にやってみたりして技術を身につける。魔法と呼ばれるし、妖術とも呼ばれる。
 煙草を吸ったと言ったから、魔理沙にキスしたら煙草くさいのかしら、とパチュリーは思った。だから今日はやめておこうと思った。












(※)スペンサー『妖精の女王』より引用




[26400] 【東方SS】ナズーリンのパンティー
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/10 19:21
「ナズーリン、替えのパンツを忘れてしまいました」
「ご主人……」

 私は戦慄した。
 わがご主人は失せ物のプロフェッショナルとして名高いが、まさか自分の下着までなくしてしまうとは。

「なくしたんじゃないですよ。忘れたんですよ」
「同じことだよ。だいたいご主人は、シャンプーもリンスも石鹸も、全部忘れて私に借りたじゃないか。というか手ぶらで来たんだろう。およそ銭湯に来る格好じゃなかったよ」
「それは、まあ」

 命蓮寺の風呂が壊れた……というかドラム缶風呂のドラム缶に穴が開いたので今日は近くの銭湯に来ていた。私は元が獣なので、二日や三日入らなくても不快になったりはしないが、ご主人がこれできれい好きなので毎日入らないと気が済まない。
 そのわりにはタオルすら持ってこないので、私のタオルを使って体を洗ったんだが。バスタオルもないのでこれも共有だ。
 先にご主人に体を拭かせて、湿ったタオルでやれやれと髪を拭いていたときの衝撃の告白だった。

「しかたないから、来るときにつけていたものをまたはけばいいだろう」
「それが、その……」
「まさか」
「私たちは獣なので、下着をつけるのは、ちょっと馴染みがないですよね。あなただって二日に一日はノーパンティーでしょう」
「私は毎日ちゃんとはいてるよ!」

 私は頭を抱えた。
 じゃあ、ノーパンティーで帰ればいいじゃないか。来る時もそうだったんだから何も問題ない。
 と言うと、

「それはいけません。風呂上りに下着をつけずに外を歩くと、風邪をひいてしまいます」

 と言う。
 どないせえと。

「ご主人は、コンビニに行ってパンツを買ってこい、というのかい?」
「いえ、それには及びません」

 と、私の脱衣かごに目を向けてさらりと、

「ナズーリンがはいていたパンツを貸してください」

 と言った。

「嫌だよ!」
「いいじゃないですか。減るもんではなし」
「なんでそんな変態みたいな真似をしなきゃならないんだ。だいいち汚いだろう」
「ナズーリン。私があなたが身につけていたものを、汚いと思うだなんて、そんなことは天地にかけてありえません。白蓮に誓います」
「私が嫌なんだよ」

 でも、言ってもきかないので、しかたなく貸してあげた。
 体の大きさが違うので、思い切りよく伸びていた。パンツの伸縮性ってすごいなあと思った。

「ほんと、ご主人には困ったものだよ。早く服を着ないとそれこそ風邪をひいてしまうよ」
「ナズーリン」
「ご主人。喋らないで服を着てしまおう」
「いえ、それが」
「牛乳はコーヒー牛乳とフルーツ牛乳、どっちがいいんだい? ご主人は昨晩爪を切っていたから、私が蓋をとってあげるよ」
「ありがとうございます。でも、ナズーリン、聞いてください」
「なんだい。そう立派なものを放り出されていると、こちらも目のやり場に困るよ」
「ええ、そのことなのですが」

 ご主人は上半身裸、というか、パンツだけ身につけた格好で、

「うーん、私のお乳は、そんなに立派でしょうか」
「ああそうだね。早くしまっておくれよ」
「そう、そのことなのですが」

 嫌な予感がした。

「ナズーリン、替えのブラを忘れてきました。あなたのものを貸してください」

 私は泣きながらご主人をボコボコにした。


◆ ◇ ◆


 というようなことがあってから、私はご主人の下着を常に携帯するようにした。
 人の身体的コンプレックスをこれ以上ない形で突いてくるなんて、ご主人はマジデビルだと思う。
 しかしそもそもご主人はほとんど下着をもっていなかったので、里の下着店に行ってそろえるところからはじめた。
 あまりこだわりはないようだったので、私好みのものをそろえられたのは僥倖と言えた。

「ふむ。これでご主人は立派なおしゃれ下着さんだよ。いつでもランジェリーパブに勤められる」
「なんだか恥ずかしいですね」
「ノーパンティーのほうがよっぽど恥ずかしいよ……健康法を気取っているわけでもないんだろう」
「ナズーリン、ノーパン健康法とは寝るときに下着をつけないことであって、常時チンポロリンな状態のことではないんですよ」
「ご主人……」

 叱っておいた。ポロリンって、するものないだろう、と言ったら「女の子だと、マンチラリン?」とか言ったので殴った。
 それからわりとよく二人で銭湯に行くようになった。当然のごとく、ご主人は下着を忘れるので(というか、そもそも持ってくる気がないんじゃないかと思う)、いつも私がチョイスしたものをつけている。
 それで調子に乗った。

 ある日のことだった。魔理沙がやってきて、ご主人の衣の裾を盛大に捲った。
 いわく「あの頃の純粋な気持ちを思い出したかった」だそうだ。どの頃だ。
 折悪しく、ご主人はそのとき、前と後ろのそうとうな部分がスケスケになっているパンティーをはいていた。もうなんかコアの部分だけ隠せればいいのよって感じのやつだった。
 魔理沙は真っ赤になって逃げ帰ると、間髪入れず天狗を連れて戻ってきた。

「さあ!」
「さあ! じゃない!」

 カメラの狙いをつけつつ、天狗は片方の手で扇をかまえていた。
 風を起こすつもりだ。
 ご主人のあんな下着の写真を撮られては、風評被害で命蓮寺がつぶれかねない。
 そうでなくても白蓮の格好が僧侶にはまったく見えなくてなんかやらしいと評判なのだ。
 村紗がとくに理由もなくざんぶざんぶ水をかぶるので、かなりの割合でセーラー服が水に濡れていて、常時見せブラが丸見えになっているのも災いした。
 つまるとこ、命蓮寺は最近なんというかそういうお店みたいな目で見られていた。

「私の調べによると、あなたの獣耳も存外受けがいいですよ。スカートに穴があいててえっちぃですし」
「うるさい」

 私はご主人の前に立ちはだかると、両手を広げてエロフォトグラファーのルッキングレイプ視線をさえぎる。

「ご主人の写真は撮らせないよ。このエロカメラマンめ」
「えい」

 天狗が扇を振り下ろした。
 私のスカートが捲れ上がった。

「あっ」
「星のと色違いじゃないか。この発情期め」
「ち、違う!」

 あわててスカートを押さえるが、時すでに遅し。天狗のカメラにしっかりと私のパンツ写真はおさめられていた。魔理沙と天狗がとてもいい顔をしてパン、ツー、丸、見え、とハンドシグナルを交わしている。殺すか。

「お待ちなさい」

 耳の穴からダウジングロッドを突っ込んで脳みそ掻きだしてやる決意を固めた時だった。障子がババァーンと開いて白蓮が出てきた。あと擬音につられて八雲紫もスキマから出てきた。

「エロカメラマンさん。わが命蓮寺の者のそのような写真を撮られるのは、看過できるものではありません。そのカメラをおよこしなさい」
「私のグラビア写真集なら、出版契約を結んであげても良くってよ」

 ブラジル水着に着替えている八雲紫に極力目を向けないようにして、天狗はカメラを後ろ手に隠し、撤退の機会をうかがった。しかしすでに雲山が命蓮寺のまわりをとり囲んでいる。ここから逃げ出すのは、いかな天狗でも骨だと思われた。

「おとなしく渡さないというのなら……」
「ぼ、暴力をふるうつもりですか。公正明大なジャーナリストにたいして」
「いえ。星」
「はい」

 ご主人が袖を振ると、袂から金塊がごろんと出てきた。

「買い取りましょう」

 みんな平和になった。ご主人の財宝が集まる程度の能力は幻想郷でも最高に問題解決能力の高い能力であると思う。
 なぜか八雲紫も金塊もらって帰っていった。

「ありがとう、白蓮。助かったよ」
「いいえ。これも仏法の導くもの。ところでナズーリン、あなたは破廉恥罪で折檻です」
「え」
「ナズーリン、申し訳ありません。私があなたのパンツをはいてみたいなんてよこしまな考えを起こしたばかりに、いつの間にかこんなことに」
「ちょっと待て」

 仏恥義理でお仕置きをくらった。死ぬかと思った。
 その後三日間くらい、ご主人には少し小さめのブラをあてがってやった。






[26400] 【東方SS】永遠亭の湯たんぽ係
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/18 20:46
 しゅんしゅんしゅんしゅんお湯が湧いていた。私はやかんを火からおろすと、口を傾けてとぽとぽ湯たんぽにお湯を注ぐ。
 姫様の部屋には光回線とPCと、3Dテレビとこたつと石油ファンヒーターが設置されているが、くわえて電気毛布を使うとブレーカーが落ちるとのことだったので湯たんぽを愛用されているのだ。
 同時に使うことってそんなにないだろう、と思うがまあ、姫様のやることだからあんまり深くは追求しない。月人のやることは超越しずぎてて微妙に理解を越えている。
 失礼します、と言って湯たんぽを持って部屋に入ると、姫様はすでに布団に入って寝ていた。寝ているところにうまいこと突っ込んで帰ろうか、と思って注意深く見てみると姫様は泣いていた。
 枕に涙と鼻水をつけて、ぐずぐずの顔をこちらに向ける。鈴仙、と私の名を呼ぶ。

「鈴仙ちょっと手を握っていて」
「はい」

 布団から這い出てきた手を握る。指が長くて、ピアノでもすればいいのにネトゲしかやらないんだからもったいない。
 合わせた手の人差し指を動かして、姫様の手のひらに丸を描いてやった。姫様はくすぐったそうにして笑った。

 どうして泣いているのですか、と訊いた。
 答えは返ってこない。私は黙って座っている。寒くなったので、ファンヒーターを点けた。
 そのまま二時間くらいじっとしていた。姫様は寝てしまったが、手を握ったままでいる。
 こたつの中からてゐが出てきた。

「鈴仙ちゃん、何か食べ物もってこようか」
「あんたにものもらうと全部ドッキリになるからなあ……」

 くっくっく、と笑いながらてゐは部屋を出て行く。何かあったかいものを持ってきてくれればいいんだけど。
 テレビもPCも点いていないこの部屋はとても静かで、時間を強く意識させた。夜だ。冬の夜は朝が待ち遠しくもあるし、朝になれば他の季節よりも太陽が白く、眩しいように感じる。
 姫様は何故泣いていたのだろうか。畏れ多いな、と思いながらも、私はハンカチに唾をつけて、姫様の目のあたりを擦ってやった。涙が乾くと、塩水だから、痒くなる。同じついているなら、唾のほうがいいだろう。姫様は目を閉じて口を開けて寝ていてもとてもきれいで、鼻も高くてかっこいいし、女の私でもどきどきするくらいだった。
 つないでいた手が、ぎゅっと引っ張られて、私は布団の上に覆いかぶさるようになった。

「起きてたんですか」
「一緒に寝よ、寝よ」

 姫様はわがままだから、言い出したら聞かない。一緒に寝た。服を脱げ、と言うので、下着姿になった。おっぱい揉まれたし、他いろんなところをすりすりされた。緊張していたので、気持ちいいどころではなかった。

「濡れないのね」
「怖くて、それどころじゃないんです」
「怖い? 私が?」
「ええ怖いです。殺されちゃうかもしれないし」
「そんなことしないわよ」

 耳を触られると、そこだけは普段から姫様に手入れをしてもらっているところだったので、条件反射でふわーとした気持ちになった。「寝ろ、寝ろ、一緒に寝ろ」と姫様は言う。だったら、他のところを触らなければいいのに。
 てゐが入ってきて、お雑煮を持ってきたんだけど、こたつの上に置きっぱなしにしててゐも布団に入ってきた。両側から姫様をあたためる。てゐの耳もしっぽも私よりもこもこしてるので、私よりあたたかいだろう。てゐ相手にはセクハラしないだろうし。私たちはそのまま寝てしまって、朝になると姫様はいなくなっていて私とてゐが抱き合って寝ていた。お雑煮を食べたらしく、「二日目なのでしょっぱかった」と器の横に書置きがしてあった。


◆ ◇ ◆


 次の日も、湯たんぽを持って行くと姫様は泣いていたので、同じようにした。やっぱり途中からてゐがやってきて、一緒に寝た。その次の日も、そのまた次の日も同じだった。だんだん怖くなくなってきたので、これはそろそろ、貞操が危ないかな、と思いはじめてきた。
 姫様のやることだから、しかたないけど。
 と、てゐに言うと、てゐは呆れた顔をして、

「鈴仙ちゃん、姫様にお茶汲みもしてるでしょ。今度寝る前の最後のお茶のとき、湯のみにお茶の代わりに墨汁を入れていってみなよ」

 と言う。わけがわからなかった。

「やってみればわかるよ。あれは姫様、つっこみ待ちなんだよ」

 私は首をひねったが、おそるおそるそのとおりにしてみた。怒られるだろう、と思ったが、姫様はそれを見てくすくす笑うだけだった。
 いつものように、湯たんぽを持って姫様の部屋に行くと、これまでと同じように姫様は布団に入っていた。枕が黒くなっていた。姫様の目から下の方に、黒い液体の跡が付いている。涙の通り道のところだった。きれいな顔が黒くて汚くなっていた。
 私は呆然とした。

「墨汁はお茶と違って、目に入ると痛いのよ」

 と姫様が言った。







[26400] 【東方SS】ナズーリンのプレゼント
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/19 19:27
 クリスマスである。

「私たちは成年を迎えた立派なレディーですから、プレゼントはもらえませんよね、ナズーリン」
「欲しいんだろう。プレゼント」
「はい」
「どんな下着がいいか……」
「下着以外で」

 断られた。
 けっこう長い時間をかけて、ご主人に似合う下着をカタログ取り寄せたりして調べていたのに、水の泡になった。困った。

「じゃあ、ご主人はどんなプレゼントが欲しいんだい」
「それは」

 と言って、私の頭をなでる。背が高いと思って、偉そうだ。

「ナズーリンが考えてください。私も、ナズーリンが喜んでくれるようなプレゼントを考えることにします。ふふ、楽しみですね」

 と言って、あごに指をつけてフムフムと考えながら行ってしまった。
 困った。
 私は一流のダウザーで、失せ物探しならどんなものだってすぐさま見つけてみせるが、人に贈り物をするとなるとからきし弱い。この前も、一輪の誕生日にグラニュー糖の詰め合わせをプレゼントしてしまってなんか微妙な雰囲気になった。
 あの時の失敗を、ご主人で繰り返すわけにはいかない。
 私は頭をひねった。そもそも、クリスマスとは何の日だったか。そのへんから考えていくほうが、真面目なご主人には受けがいいんじゃないかと思った。

 クリスマスはイエス・キリストの聖誕祭で、サンタクロースというなんかやたら赤くてひげもじゃのおじいさんが幼女の枕元の靴下にプレゼントを入れていってくれるという伝説がある。
 幼女じゃなくても別にいいが、幼女のほうがサンタさんも嬉しいだろう。
 サンタクロースは4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教のニコラウスさんに起源があって、このニコラウスさんがある日貧しさのあまり三人の娘を嫁がせることのできない家を知った。あんまりにもお金がないので、娘は身売りされそうになっていたのだ。かわいそうになったニコラウスは、真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。金貨は煙突を通り、暖炉にかけられてあった靴下の中に見事にじゃらじゃら入った。おかげで娘は身売りから逃れ、無事お嫁に行くことができた。
 いい話だ。
 ここから導きだされる教訓は、

1.贈り物は現金がBest
2.でも現金を贈るとご主人がお嫁入りしてしまう
3.でも現金を贈らないとご主人が身売りしてしまう

「ガッデム!」

 私は叫んだ。何という究極の二択。
 ご主人の身売りなど論外だが、お嫁に行ってしまうのも困る。
 ご主人は永遠に私のご主人であり、おパンツ着せ替え用生体マネキンとして生きていってもらいたい。
 懊悩する私に声をかける者がいた。なんかババくさい声だなと思ってそのとおりに言ったら超人パワーで殴られた。殴られた感じだと、超人強度は4100万パワーはありそうだった。

「君は……サムソン・ティチャー……?」
「白蓮です」

 白蓮だった。へいこら謝って許してもらった。ババくさいというよりは、落ち着いていて、しっとりした声で、それは白蓮の見た目よりかはるかに経験を重ねているように聞こえるのだったが、まあ、実際そのとおりなのだからしかたない。
 やあ白蓮、今日も髪のグラデーションがナウいフィーリングだね、それってまじチョベリグ、と私は言った。
 白蓮はちょっと照れたようだったが、すぐに気をとりなおして、

「あなたはその調子で、星も口説いているのでしょう」
「口説いてなんかいない。私は思ったことを言っているだけだよ。繰り返すがほんとうに口説いていない。微妙なのは謝るが」
「星は、あなたの告白を待っています」
「え」

 ドキドキした。何だそれは。

「新手のドッキリかい?」
「違いますよ。私にはわかるのです。あなたたちふたりはお互いに恋をしています。素直になれないだけ」
「わかったようなことを言うね……」

 顔が熱くなった。
 クリスマスだからかもしれないが、白蓮もテンションが上がっているようだった。宗教違うのにいいのかな、と思ったが、今更だ。
 恥ずかしさをこらえていると、白蓮が私の頭をなでた。ご主人といい、何だってでかい奴らは私の頭をなでるのだろう。

「ナズーリン、心のままに生きなさい。ジレンマを抱え込んでしまってはいけないわ。そのままだと、この前読んだ『NANA』のレンみたいなことになってしまうわ」
「タクミとレイラがやっちゃったのは、正直どうかと思ったね」

 うんうん、と白蓮はうなずく。
 私もうなずいた。察するに白蓮は少女漫画の話をしたいだけだったようだが、ジレンマを抱え込んでいる、というのは、たしかにちょうどそのとおりでもあった。
 それじゃだめ、と、われらが姐さんが言うのだから、そのとおりにしてやろう。


◆ ◇ ◆


 屋根の上を歩く。月が満月から、少し欠けている。
 雪が降らなくてよかった。私はネズミだから、寒さには弱い。猫ほどじゃないけど、寒くなると体がこわばって、何もできなくなってしまう。
 鼻の下に手をやった。自分の息が指にかかった。いつもはもっと静かに呼吸をしているように思う。私はふところに手をやると、今夜何度目になるのか数えるのも馬鹿らしいが、ご主人への贈り物の、小さな袋がきちんとそこにあるのをたしかめた。サンタさんのプレゼント袋としてはかなりしょぼいが、私はみんなのサンタさんではない。完全オーダーメイド、ご主人専用の特注品だ。そのへんは我慢してもらおう。
 サンタ服は白蓮に相談したら、嬉々として用意してくれた。たんすから普通に出てきたのでびっくりしたが、ミニスカだったのでさらにびっくりした。
 全体的に真っ赤な衣装に身を包み、ちょろちょろ進んで私はご主人の部屋の上まで来た。命蓮寺は聖輦船が変形したもので、飛び立つときはがちょんがちょん変形して船の形になるのがかっこいい。村紗だけではなく、白蓮を慕うものみんなの自慢だ。屋根に穴あけるのは気が引けたが、煙突がないんだからしかたなかった。

「せーのっ」

 村紗の部屋から拝借してきたアンカーを背中まで振り上げ、思い切り振り下ろそうとしたそのときだった。

「待てぇーい!」

 と声がして、私の体にしゅるしゅるしゅると何かが巻きついた。自由を奪われて、私は派手にすっ転んでしまった。アンカーが手を離れて庭のほうに吹っ飛んでドラム缶風呂に入ってた一輪をなぎ倒してそのへんに突き刺さった。

「あんた、サンタね。もしやと思ってこちらのほうへ来てみたら、やっぱり勘が当たった」
「観念してプレゼントを渡しな。何、ちゃんと返すさ。私が死んだあと、香典返しでな」
「Alice Margatroid! YES I AM!」

 巫女と魔理沙とアリスだった。
 なんかアリスが半身になってビシッと右手を下ろして人差し指を地面に向けるポーズをとっていてカッコ良かった。
 すると、この身に巻き付いているのはアリスの糸か。見えないくらい細いくせに丈夫で、まったく身動きがとれない。

「いったい何の用だい。すまないがこれ、外してくれないか」

 焦っていたが、つとめて冷静を装って言う。
 あまり騒ぐとご主人に感づかれてしまうかもしれない。

「お前、ナズーリンか? 赤い服を着ていたから気づかなかったぜ。でも、その服を着てるってことは、サンタだよな」
「そうだが、だから何の用だ」
「巫女、魔法使い、人形遣い。この三人が揃って聖なる夜に出歩いて、赤い服の奴を片っ端から狙っている。得られる解答はひとつだな」

 魔理沙は帽子のつばをぴん、と上げてカッコつけると、

「サンタ狩りだ」

 と言った。
 超絶に頭悪そうだった。霊夢は得心したように腕を組んでうんうんとうなずいている。アリスは先程のポーズから移行してマイケル・ジャクソンみたいなポーズになっていた。あいかわらず手足の末端がビシッとしていて一ミリも動かなくてすごくカッコ良かった。

「何なんだそれは。サンタを襲って、どうするんだ」
「知れたこと。プレゼントを奪い、換金して、神社の運営資金にあてるのよ。具体的にはお肉食べるわ……その前にお米」
「お前のことだから、この前の宝塔みたいなお宝を持ってるんだろ?」
「何かカッコイイから参加したわ」

 アリスがカッコ良すぎて好きになってしまいそうだった。ご主人がいなければ、心が動いていただろう。
 こんな馬鹿どもにこの夜を邪魔させるわけには行かない。
 私は唯一自由に動かせたしっぽを使って、縛られたまま何とかバランスをとって立ち上がった。が、その瞬間、巫女の陰陽玉が飛んできて私のあごに当たり、また倒れてのびてしまった。

「きゅう」
「もともとお前は近接戦闘が得意なタイプじゃないだろ。おとなしくよこせ」

 魔理沙が私の体をごそごそまさぐり、ふところに手を入れる。そ、それはまずい。

「や、やめろ」
「へっへっへさわぐんじゃねーよおとなしくしてたほうがみのためだぜ天井のしみでもかぞえてればすぐにおわるしなによりそのほうがきもちいいってもんだぜ」
「ら、らめぇ」

 しっぽでダウジングロッドを操って耳の穴から脳みそ掻きだしてやろうかと思った時だった。

「そこまでです!」

 凛とした声が響いた。よく聞く声の、けれど滅多に聞くことのない声色の、怒気を含んだ厳しい声。
 月に照らされてご主人が立っていた。

「ナズーリンは私の僕。それ以上の狼藉、許しはしません。離れなさい」
「ふん、上役が出てきやがったか。ちょうどいい、干支の終わりに宝物でも吐き出してもらおうか」

 魔理沙は私から離れると、ご主人に向き直った。

(なんてことだ……)

 ご主人に気付かれず、プレゼントを置いてくるのが今回のミッションだったのに。あとサンタ服を着ているのを見られて恥ずかしい。
 それにしても、と私は思った。月光に照らされたご主人は美しかった。冬の月の光はとても冷たく見える。風が吹いていた。金色の短い髪が少し乱され、獣の鬣のようだ。同じように金色の瞳が、揺るぎもせずにこちらを見据える。ご主人はまるで、一枚の絵のように見えた。
 私は少し息を止め、そして吐き出した。口で吐いたそれは少し白くなった。鼻で息をするのと、口でするのと、どちらが静かだろうか?
 こういうご主人を見ると、私はもう、何もできなくなってしまう。
 ご主人が少しずつ、近づいてくる。魔理沙は気圧されたのか、じりじりと後ろに下がる。
 魔理沙の後ろから、アリスが声をかけた。何だか怒っているようだった。

「魔理沙」
「ん? 何だアリス」

 ぼごん、と派手な音を立てて魔理沙が一回転した。
 アリスに殴られたのだった。

「セクハラ野郎には天誅よ」

 ぱんぱん、と手を払う。すごく怖かった。けれど人形が何体かすぐさま気絶した魔理沙のもとへ向かって、様子をみているのを見ると、いろいろ気を使ってはいるんだろうな、と思った。
 巫女を見ると、両手を上げて我関せずのポーズをしていた。
 あっけに取られた私とご主人が顔を見合わせたときだった。

「曲者、死ねえ!」

 怒りに震えた全裸の一輪が声を張り上げ、その命に従い、雲山の巨大な拳が固まっていた私たちを上空から打ちぬいて潰した。
 屋根に穴が空いて、真下のご主人の部屋に私たちはぼとぼと落ちた。
 巫女だけは避けていて、そのままふわふわ飛んで帰っていった。


◆ ◇ ◆


「ひどい目にあったね」
「まったくです」

 私たちは仲良くベッドを並べて永遠亭に入院していた。骨の二三本折れたくらいなら我慢するが、さすがに内蔵のほとんどと頭蓋骨が潰れていたので医者に行くよりしかたなかった。ご主人は丈夫なので頭蓋骨は無事だったが、私に付き合って泊まってくれた。

「明日には帰れるでしょう。それで、ナズーリン」
「ん」
「私にプレゼントを届けに来たんでしょう。いただけますか」
「今ここでそれを言うかなあ……」

 私は頭を抱えた。頭蓋骨が痛かった。でもそれより恥ずかしかった。包帯ぐるぐるで、病院のベッドでなんて、あんまりにもロマンチックじゃないじゃないか。

「といいつつ、実はもう、ナズーリンのふところから落ちたのを拾っているのです」
「ええっ」

 焦って横を見ると、ご主人が私の袋を両手のひらで捧げるようにして持っていた。真面目な瞳でじっくりそれを見ている。まるで凝視すれば、透けて中身が見えるとでもいうように。屋根の上で見た瞳とは全然違って、でも同じくらい真剣なんだろう、と私は思った。

「開けて、いいでしょうか」

 私はため息をつくと、

「開けたいんだろう。開けるといいよ」

 と言った。ご主人は笑顔で、

「はい」

 と言う。開けると、中から銭貨がじゃらじゃら出てきた。銅貨が多いが、中には銀貨、少しだが金貨もあって、けっこうな金額になる。とはいえ財宝を集める程度の能力を持つご主人にとっては数える価値もないくらいの小銭だろうけど、今の私の全財産だ。

「お金、でしょうか」

 ご主人はきょとんとした顔をしている。サンタクロースの由来となった、聖ニコラウスの逸話を教えてあげた。

「そんなわけで、お金をあげると娘はお嫁に行ってしまうし、お金をあげないと身売りをしてしまうんだ」
「ふむ。身売りは嫌ですね」
「だろう」
「だからと言って、お嫁に行く、というのも……もらい手がありません」

 ご主人はさみしそうに言った。

「ナズーリンは、私の面倒を見るのがもう嫌になったんでしょうね。お嫁に行ってしまえ、というのも、わかりますけど、残念ながら愛嬌がなくって、行き遅れの身です。なるべく頼らないようにしますので、今しばらくおいてやってはいただけませんでしょうか」
「ああ、いや、そうじゃないんだ。そう思うと思ったけど。だからここで言うのは嫌だったんだよ」

 私は一息ついて、気合を入れると、

「クリスマスのプレゼントは、お金をあげるのが一番いいみたいで、ご主人が身売りをするなんてのは論外だし、でも、お嫁に行ってしまうのも困るんだ。どうしようかって悩んだよ」
「はい」
「だから、ご主人、私と結婚してはくれないだろうか」

 緊張して、心臓が口から飛び出そうだったが、何とか話を続ける。

「白蓮が言ってたんだ。ジレンマを抱えるのはよくない、って。お嫁に行かせるのが嫌だったら、お嫁にもらえばいいんだ、って思ったよ。どうだろう。甲斐性なしの私だけど、ご主人の失せ物を探すのは得意だよ。似合う下着を見つけるのなら得意中の得意だ。そういえばこの前、よさげなカタログを見つけたから、今度一緒に見よう。ご主人?」

 弾みがつきすぎて、口がぺらぺら回って、止まらなくなりそうだったので無理やり止めた。止めたら恥ずかしさで死ぬかと思ったが生きていた。横を見ると、ご主人が真っ赤な顔でわたわたしながら、

「ふ、ふつつかものですがっ!」

 と言った。
 一緒に入院していた魔理沙とアリスが「やだ、あの人たち、やらしー」みたいな視線でこちらを見ていた。
 私はご主人に負けないくらい真っ赤になりながら、暴れるご主人の手を捕まえて、指をからめてやった。





[26400] 【東方SS】お燐ちゃんのお気に入り
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/20 21:00
(一)


 地上に出て日の当るところでうたた寝でもしようと、場所を探したところ、でかい体の死神が一足先に来て寝ていた。
 閻魔様に叱られるんだろうなぁ、でもこのお姉さんいくら言ってもきかないんだろうなぁ、と思いつつ前足を死神のほっぺたにぽてんとのせた。
 肉球でぽてぽてと頬を叩く。さとり様ならこれで起きる。でも死神のお姉さんは起きないので、人型になってでかい乳を揉んだ。起きない。しかたないので脱がせようとしたらさすがに起きた。
 寝ぼけ眼に目やにがたくさんくっついていたので、ずいぶん長いこと寝ていたんだろう。起き上がって場所をあけてくれたから、今度はあたいが寝ようと思って丸くなると首根っこひっつかまれて話につきあわされた。
 三途の川を渡る死にたての霊の話は聞きあきたので、今日はお前の操る怨霊の話を聞かせろ、と言う。未練を残して死んでその上お前のような妖怪にこき使われているのだから、さぞかし怨みたっぷりのずず黒い話があるだろう、と言う。
 ずいぶんな言い草だ。自分の操る怨霊の話なんてまともに聞くことはない。けどまあ、使役していると少しずつ、未練だか怨みだか知らないが、そんなものが染みでてくることはある。短い話でもひとつして、さっさと寝かせてもらおうと思った。


 男がひとりいて女がひとりいた。夫婦だった。夫婦はちょっと危険なところを歩いていた。どうしても隣村に行かなければならない用事があったんだ。けれど夜に、そんなところをほっつき歩いていては、襲ってくれと言っているのに等しかった。
 相手が妖怪だったら巫女かなんかが助けてくれたかもしれない。けれど相手は強盗だった。強盗は男を殴り倒し、妻を犯した。おもしろいことに強盗は妻を気に入ってしまったみたいで、俺の女になれと言う。妻は拒絶した。ではこの男を殺してしまう、と強盗は言う。女は考えた。
 どちらが得だろうか。
 そういう言葉で考えたのではないにしろ、なにかとなにかを比べて、迷ってしまったのは事実だった。男にもそれがわかって、男は妻を罵倒した。自分の心を知られたのがわかると、妻は恥ずかしくなった。それで強盗と男に、どちらかが死んでほしい、と告げる。生き残った方に私はついて行く、と。
 強盗は了承し、自分の短刀の一本を男に投げ与えた。それで自分とたたかえと言った。男は鞘から刀を引き抜くと、一呼吸も待たずに妻を刺し殺した。呆然とする強盗に踊りかかるが、強盗はなんとかそれを避け、這々の体で逃げ去った。男はその場で自殺した。


 という話を死神のお姉さんにした。お姉さんは、うーん、と腕組みをして、不幸な話だなあ、と言った。それで男の方と女の方、どっちがお前さんの怨霊になったんだい。どっちもかい、と訊く。
 どっちも転生して今じゃあ幸せに暮らしてると思うよ、とあたいは言う。死神は眉を上げて、じゃあその後強盗が死んで、そいつがなったのか、と言う。そうでもない。

 女の腹の中には赤子がいたんだよ。まだ目立ってはいなかったけど。けれどそれもね、夫婦はその子を流産させちまおうって考えてたんだよ。金がなかったのかなんなのかは知らないが、堕胎の薬をもらいに行くところだったんだ。だから夜に、そんなところを歩いていたんだよ。
 女が死んだ後も赤子は腹の中で少しだけ生きていて、それで死んだよ。それがこいつさ。

 と言ってお気に入りの怨霊を呼び出してお姉さんに見せると、死神はちょっと難しい顔をした。





(二)


 地上に出て日の当るところでうたた寝でもしようと、場所を探したところ、でかい体の死神が一足先に来て寝ていた。
 閻魔様に叱られるんだろうなぁ、でもこのお姉さんいくら言ってもきかないんだろうなぁ、と思いつつ前足を死神のほっぺたにぽてんとのせた。
 肉球でぽてぽてと頬を叩く。起きない。人型になってでかい乳を揉み、間髪入れず速攻で脱がせようとしたところ下まで辿り着く前に起きた。
 寝ぼけ眼に目やにがたくさんくっついていたので、ずいぶん長いこと寝ていたんだろう。起き上がって場所をあけてくれたから、今度はあたいが寝ようと思って丸くなると首根っこひっつかまれて話につきあわされた。
 この前は暗い話を聞いたから、今度は陽気な話をしろ、と言う。あんな話を聞かされた後じゃ、ついつい仕事に身が入っちまったよ、不甲斐ないことだとかなんとか。無茶苦茶だ。あたいは火焔猫で、死体集めが生業なんだ。怨霊どもから笑い話でも聞き出せってのか?
 しかしまあ面倒くさい。この前程度の話で満足するならお安い御用だ。短い話でもひとつして、さっさと寝かせてもらうことにした。


 女がひとりいてもうひとり女がいた。覚妖怪だった。さとり様とこいし様だね。地霊殿の寝室でお二人はあれやこれや洋服をとっかえていた。どこに出かけるんだか知らないが、普段しない正装をいくつもためしているので、きっと大事な用事なんだろう。もう一時間もあれでもない、これでもないとたくさんの服を脱いだり着たりしていた。
 お姉ちゃん髪の毛が桃色だからこっちの色のほうが合うわ。
 こいしは色が白いからもう少し派手なものを着なさい。
 なに、肌の白さじゃさとり様だって一緒だ。そしてあたいに言わせれば、服は黒色のロングドレスで決まりだ。レースやフリルを使うのもいいし、コルセットをつけてもいい。薄い色の洋服なんて、やってられないね。
 かねてからそう考えていたあたいはつかつか歩いて、自分の部屋からお気に入りのドレスを二着持ってきた。さとり様もこいし様も、きょとんとした顔をしてたね。だけどものはためしと思ったんだろう。すぐにふたりともそれに着替えた。鏡を見ると素敵な黒いドレスに身を包んだ地獄の当主様とその妹様が、驚いたような顔つきで自分を見ていた。あたいの服なんて着たのはじめてだから、見慣れなくて戸惑っていたんだ。けれどほら、想像してご覧よ。さとり様とこいし様が二人揃ってあたいのドレスを着てるんだよ。うれしくって、きれいで可愛らしくて色っぽくって、鼻血が出そうじゃないか。
 ひとしきり鏡を見つめて、それから向い合ってお互いの姿を心ゆくまで検分して、それからおずおずと、こいし様があたいに尋ねたよ。

 あのー、お燐、似合うかな。
 あたいは答えたね。


「にゃあう」













(※)似合う





[26400] 【東方SS】ナズーリンのお正月
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/21 20:25
 お正月である。
 前作、『ナズーリンのプレゼント』(作品集133)にてつつがなく結婚した私とご主人だが、とくに生活が変わることもなく年を越して新年を迎えておせちを食べた。
 ふたりきりではないとはいえ、一応ずっと同居しているし、私がご主人のお世話をするのも変わらないのでべつだん気合を入れて何かする必要もない。
 と考えながら私はずっとトイレにこもっていた。

(おせちデストロイ)

 という言葉が頭の中をぐるぐるする。
 一輪が作ったおせちはふつうに美味しかった。村紗が作ったおせちはカレー臭かった。白蓮が作ったおせちは昔の人らしく味付けが濃くってしょっぱかったが、まあ、美味しかった。ぬえが何故かメガてりやきバーガーを持ってきたのでそれも食べた。ご主人の作ったおせちは、「ナズーリンのために作ったんですよ」と言って煮物にも鮭にも高野豆腐にも黒豆にもたっぷりチーズがかかっていて、最後にそれを食べきったところで直腸に限界が来た。

(メガてりやきがカロリー高すぎたのかな)

 と私は思った。何せ、903キロカロリーある。メガマックの754キロカロリーを上回る驚異のデブバーガーと言えた。その他に六段重ねのおせちを四つたいらげていることもあり、多少節制しないと太ってしまいそうだった。

(太った私ではご主人に嫌われてしまうからね……はうっ)

 乙女なので詳細は語れないが、ドイツ語ふうに言うとイッヒ・フンバルト・デルベンという感じだった。
 すごかった。
 落ち着いたので、出ようと思ったら紙がなかった。


◆ ◇ ◆


(これはピンチだね)

 私は冷静に考えた。困った時こそ落ち着いてよく考えること。私はこのようにして、常に正解を選んできた。
 カランカランカラン、とトイレットペーパーホルダーが無常な音を立てて回った。どこの誰だか知らないが、紙を使い切ったあとに補充もしないで去るなんて、人間のする所業と思えない。妖怪だけどみんなそういうのはちゃんとすると思う。悪魔の仕業だ。紅魔館ではどのようにしてお尻を拭いているのだろう。
 とそこまで考えて自分があまり冷静でないことに気づいた。いけないわ、と普段使わない女言葉で自分を戒めてみた。何も解決しなかった。

(トイレットペーパーの芯をうまく剥いで、紙状にして、揉んで柔らかくすれば……)

 とも考えた。悪い案ではないと思ったが、やはり正規品ではないのでお尻がざらざらになってしまうかもしれない。
 私の可愛いお尻がざらざらになっては、ご主人が悲しむだろうと考えた。だからこれは、最後の手段としてとっておこう。
 次に私は最も安全な策を実行することにした。

「おーい、誰かー」

 人を呼ぶ。ちょっと、かなり恥ずかしいが、しかたないだろう。背に腹は変えられない。

「誰かー、来てくれないかー、紙がないんだよー」

 けっこう大きな声で呼んだ。誰か来てくれないかと、耳をすませた。宴会やってる部屋の方からちゃんかちゃんか鳴り物の音が聞こえた。オウシット、今は白蓮のアナーキー獅子舞踊りの時間だ。人里に行ったとき、阿求とかいう可愛い子から教えてもらったのを披露する、と宣言していた。紅白歌合戦の幸子を見ながら「私のほうが上です」と言っていたので宴会芸としてそうとうの自信作なんだろう。私も見たい。すごく見たい。

(こうなっては、芯を使うしか……)

 決心しかけたときだった。トイレのドアがどんどん、とノックされた。

(助かった!)

 と私は思った。ここぞとばかりに声をかける。

「やあ。入ってるよ。私としては、すぐに出ていきたいんだけどね。実は紙がないんだ。すまないが、トイレットペーパーを持ってきてくれないか。紙さえあれば、私は光の速さでうんこを拭いてみせるよ」

 反応がなかった。困った。もう一度声をかけようとしたときだった。ドンドンドン、と、またドアがノックされた。

「だから、紙がないんだ。持ってきておくれよ」

 ドンドンドン。

「なんだい?」

 ドンドン、ツー、ドンドンドン。ドン、ツー、ツー、ドン、ドドン。

 私は気づいた。
 これは……モールス信号?

「雲山か!」

 ドン! とひときわ高くノックの音が響いた。
 さすがに男性に紙を持ってきてもらうわけにはいかない。
 顔が熱くなった。

(よりによって雲山に聞かれてしまうなんて……なんて確率だい……)

 頭をかきむしった。それから、

「一輪を呼んできてよ!」

 と大声で怒鳴った。


◆ ◇ ◆


「というようなことがあったんだ」
「大変でしたねえ。というか、雲山ってトイレに入るんですね」

 数日後、こたつでみかんを食べながら、私はご主人に事の顛末を話した。新年早々最悪だった。

「今後は同じことがないように、きちんと紙を確認してから用を足すよ」
「ナズーリンはきれい好きですねえ」
「……まさか、ご主人」
「ご、誤解しないでくださいよ。私だって、ちゃんと拭いてますよ」

 私はほっとした。
 ノーパンティーに大きく傾倒しているご主人のことだから、今回も私の想像を越えることを言い出すんじゃないかと思った。

「ところで、お尻の穴、のことですけど、そのまま言うのは乙女としては恥ずかしいですよね。アナルから連想して、ダニエル、とでも呼んではどうでしょうか」
「あまり使うあてのない単語だよね……」

 とかどうでもいい話をしていたときだった。
 トイレのほうから一輪の、恥ずかしそうな声が聞こえてきた。
 またなくなったのか。

「悪魔の所業ですね」
「今度紅魔館の連中に話を聞いてみるよ」

 私はとてとて走って助けに向かったが、トイレットペーパーを常備している場所を確かめると、在庫がないことがわかった。しかたないので、ドア越しに一輪に芯の有効活用をするようにすすめてみた。
 数分後、平気な顔して一輪が出てきた。
 芯を使ったんだな、と思って確かめるとトイレットペーパーホルダーにまだ芯は残っていた。
 ポケットティッシュでも持ってたのか、と思ったがそれならわざわざ呼ぶこともないはずだ。
 Mysteryだった。一輪に訊いたが答えてくれない。
 歩き去る一輪を後ろから見て、ご主人がつぶやいた。

「私にはわかります……一輪は今、ノーパンティーです」


















~Fin~



[26400] 【東方SS】お伽噺を聞かせて
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/22 22:56
 師匠を手伝って薬の調合をしていると、庭のほうから音がした。がさがさ、草がかきわけられて、こすれあう音だった。
 とても大きな音で、少し離れた診療所にいても、聞こえるくらいだった。
 師匠を見ると、行ってきなさい、と目で合図する。
 走って見にいくと、永遠亭の庭の先の竹林から姫様が姿をあらわした。妹紅さんの髪の毛を片手でつかんで、そのまま地面の草の上をずるずる引っ張って運んでいる。
 髪の付け根の肌がひきつって、痛そうだ。生きていれば、妹紅さんも文句を言うんだろうけど。

「おみやげよー」

 と姫様が言う。にこにこ笑っていた。
 頬のあたりを少し火傷しているけど、その他はいつもどおりのきれいさで、着物にもほとんど乱れがない。今日は、圧勝だったみたいだ。
 いたずらっぽい目をして、姫様が言った。

「鈴仙、今、もこたんの下の毛を見たいって思ったでしょ。白髪なのかどうか。見てみる? 確かめてみる?」

 見たくない。
 妹紅さんの腹が破れていた。内蔵が見える。左腕は折れていて、右腕は無事なようだ。
 顔を見ると、目玉がなくなっていた。両目とも抉り取られたようになっている。思わず、まじまじと見てしまった。すると姫様が袂から、妹紅さんの右目の眼球を取り出した。おみやげってこっちよ、もこたんは私のだからね、と言う。
 左目は、その場で食べてしまったんだとか。左目のほうが、そのときの体勢からは食べやすかった。喰いつきやすかった。アクション混じりで教えてくれた。
 私はおかえりなさい、と言って、お風呂を用意した。そうするように姫様から言いつけられたのだ。
 姫様があがった後に妹紅さんを運んで、体を洗ってあげようと思ってたんだけど、姫様と一緒に私もお風呂に入るように言われて、姫様の髪を洗ったり耳を洗ってもらったりしているうちに妹紅さんは生き返って帰ってしまった。
 姫様宛の伝言をてゐに残していて、「次は絶対勝つからなバーカ」だったそうだ。



 それで、そのとおりになった。次の日は、姫様が負けた。
 ちょうど役割を逆にして、妹紅さんが姫様を引きずって、永遠亭まで運んできた。
 妹紅さんは姫様よりも乱暴だ。引きずってくるうちに、私が見ている前で姫様の髪の毛がぶちぶち抜けたり、ちぎれたりした。着物もぼろぼろで、焼け焦げて穴が開いて下の肌が見えていた。
 昨日の妹紅さんと同じように、腹には大きな穴があいていて、血溜まりみたいになっていた。でも、昨日見た様子よりも、内蔵の数が少ないように思えた。質問すると、「昨日のお返しに食ってやった」と言う。
 何で、そんなことをするんだろう。
 目玉は食べなかったみたいで、そのままそこにあった。かわりに鼻から下が潰れていて、あごが吹っ飛んで唇から喉がそのままつながったみたいになっていた。真っ赤だった。

「陰毛見るか?」

 と言って妹紅さんは笑った。昨日一緒にお風呂に入って、見たので、別にいいです、と私は返した。そっか、と言って、妹紅さんはさらに笑った。
 死体の姫様に触ると、血とか煤とかで私の体が汚れた。そのまま生き返るまでそばにいた。食事はいつも、私が作ることになっているんだけど、その日は気を利かせたてゐがかわりに作ってくれた。夕食の時には姫様は生き返っていて、元気いっぱいになってもりもりご飯を食べた。私は食事をする前に手を洗って、服を着替えた。




◆ ◇ ◆




 蓬莱の薬って何なんだろう。
 師匠に訊いてみた。

「そうねえ」

 師匠はペンを持って、手元の紙に何か書きだした。薬の組成でも書いてくれてるのかと思って覗きこんだら、師匠のオリジナルキャラクターの「ナイトメアうさちゃん(殺意ver)」だった。師匠はうさぎがとても好きで、ときどきバニーガールのコスプレをする。次の日は姫様がやたらお疲れになっている。
 じゅうぶん陰影をつけたイラストを描き終わると、師匠は椅子を回して、こちらに向き直った。

「では、うどんげ。イメージしなさい」
「はい」
「イメージは重要よ。あなたのパンツの柄と同じくらいに」
「はあ」
「考えるな、感じるんだ。と外の世界の偉い人が言ったわ。みんなそれぞれ、これだ、と思う、自分だけのパンツを探している」
「わかりましたって」

 ペンを指先でくるくる回しながら、座ったまま足を組む。長いスカートの先から足首がにゅっと見えて、なんだか色っぽかった。

「体を楽にして、両手を膝の上に軽くのせて……静かに目を閉じて、全身の力が徐々に抜けて、リラックスするのを感じなさい。
 頭と額の筋肉がだんだん、気持よくほぐれていく。いいかしら。
 あなたがそう思うだけで、実際に筋肉がほぐれるわ。ただ、背筋だけはぴんと伸ばしていてね。
 今、あなたの右肩に蚊が一匹とまっている」

 催眠術師みたいな口調になった。私は師匠の言葉に従って、蚊をイメージした。

「とても軽いので、重さは感じとれない。でも、確実にそこにいる。羽音がとてもうるさかったので、ずっと前からあなたはその蚊を殺したくて殺したくてたまらなかったのよ。いいかしら。
 では、左手でその蚊を叩き潰しなさい」

 私は肘を曲げて、左の手のひらで右肩をぱぁん、と叩いた。けっこう力を入れて叩いたので、手のひらが痛くなったし、自分の右肩に骨があって、硬いのがよくわかった。

「やりました」
「はい。そのままにしてね。今、腕は胸に触れていないわよね」
「はい」
「胸にパッドを入れていると、このとき当たっちゃうのよ」
「はあ……って何ですかそれ」

 目を開けてつっこむと、師匠が解説してくれた。
 なんでも、人は自分の胸の大きさを、自分で思うよりもはるかにきちんと把握しているから、こういう動作をする場合、無意識に手が胸に当たらないような動かしかたをするんだとか。胸の大きな女性は、肘を大きくまわして遠回りをする。男性や、胸の小さな女性は、ぎりぎりまで小さな動作で素早く叩く。
 ほんとうの乳房の大きさに合わせた軌道で叩くから、パッドを入れていると手が膨らみに触れてしまう。女性のパッドを見抜くにはこれがいちばんの方法よ、とのことだった。

「そういうことなのよ」
「さっぱりわかりません」

 蓬莱の薬について訊いていたんだった。

「ボディーイメージといって、胸に限らず、誰もが自分の体の正確なサイズについて、無意識で理解している。心のなかの内なる目、というふうに考えなさい。蓬莱の薬はそれに従って、破損した体を再構成するのよ」

 だから薬を飲んだ当時の体型にしか戻れないし、そこで固定されてしまうから、変化することもないの、と言う。
 私は感心したけど、何故だか、つい、

「不便ですね」

 と口にしてしまった。
 まずったかな、と思って師匠を見ると、師匠はとくに怒った様子もなく、そうね、と短く言った。



 その日の午後、私は姫様に膝枕をされて、耳を撫でられていた。
 姫様は私の耳をいじるのがお気に入りで、一日一回はこうして手入れをしてもらうのだ。
 障子が開いて庭が見えていて、天気が良くて空気が澄んでいた。冬なのでとても寒かったが、たまに換気をしないと体に悪い、と師匠が言うのだった。

(体に悪い、ねえ)

 師匠の言葉を思い出して、ゆっくり意識すると、変な気分になった。
 顔の左側がべったり、姫様の太ももにくっついている。姫様の太ももは、余分な肉がついていないのに、何故だかとてもやわらかく感じる。いっぱい着込んでいる着物のせいかもしれないし、ぜんぜん力が入っていないからかもしれない。
 私は手を伸ばして、姫様の長い髪に触った。黒くて細くて、真っ直ぐで、濡れたみたいにつやつやに輝いていた。指で梳くとするすると指の間を滑っていった。
 黒い髪の毛は、他のどの色よりも美にはっきりと優劣をつける、と聞いたことがある。
 気持ちいいはずの耳の手入れが、一瞬、何だかそうでもなくなったように感じた。
 私は手の中の、姫様の髪の毛から一本を選ぶと、それをつまんで、一気に引っ張って引っこ抜いた。

「痛っ」

 と姫様が声を出した。

「何するの?」

 困ってしまった。
 自分でもどうして、そんなことをしてしまったのかわからなかった。なんとなく、としか思えなかった。

「蓬莱人でも、新しい毛は、すぐには生えてこないんですね」

 口から出た言葉は、そういうものだった。他人がしゃべったみたいだった。

「当たり前よ。死ななきゃ、もとに戻らないわよ」

 姫様はぷんすか怒って、私を置いて部屋から出て行ってしまった。
 変な気分が、ずっとつづいていた。
 少しして落ち着くと、

(耳の手入れも、膝枕も、おしまいになってしまって残念だったな)

 と思った。




◆ ◇ ◆




 夕方になって、ご飯を作る時間になった。
 この前一度、てゐにまかせちゃったので、埋め合わせに今日の夕食はちょっと凝ったものを作ろう、と思っていた。
 寒いので、手を洗うのにもお湯を使ってしまう。お湯を使うと手荒れをするんだけど、あんまりにも冷たいので、しかたがない。
 手を洗っていると、死体の姫様を思い出した。
 あの日も、何度も手を洗った。
 今日は変わりご飯にしよう、と考えていた。具材は、にんじんはまず外せない。あと、てゐがどこからか牡蠣を持ってきたので、それとしょうがとしめじでも使ってご飯に炊きこんで、牡蠣ご飯にしようと思っていた。
 牡蠣なんてすごくめずらしい。たぶん、八雲さんのところからもらってきたんだろう。幻想郷には海がないので、海産物を食べられるとしたら、あそこを通すしかないわけだし。
 てゐはときどき仕事をさぼって、博麗神社あたりで橙ちゃんと遊んでいるのだ。
 今年の牡蠣は、あんまり太っていなくて、小さかった。まあ、ぜいたくは言わない。
 私は包丁を持つと、自分の腕をじっと見つめた。
 にんじんを切らなければいけない。
 だからにんじんを切って、細かくして、食べやすい大きさにした。
 それから自分の腕を切ることを考えた。私の腕を切ったら、すぐには治らない。

(姫様みたいなふうにはいかない)

 血が流れるだろうから、まずそれを止めて、消毒して、薬を塗って、ガーゼを当てて、包帯で巻いて、という手順だ。
 傷を治すにはそうする。
 今度は姫様ではなくて、死体の妹紅さんを思い出した。腹が破けて穴があいていて、血が流れていて、私が見たときには、まだ止まっていなかった、姫様も同じだったけど。
 仰向けで運ばれてきたから、たっぷたっぷ血が溜まって、血と内蔵の容れ物みたいになっていた。
 あの傷も、すぐに治ったんだろうか。
 生き返れば治る。

(死ねば治る)

 私は包丁を置くと、台所の壁を思いっきり蹴りつけた。
 漆喰に穴があいて、ぼろぼろと崩れ落ちた。そのまま台所を出て、廊下の壁や襖をいちいち蹴って壊しながら進んだ。
 兎たちが驚いて出てきた。私はそのとき、どんな顔をしていたんだろうか。遠巻きに見つめられて、するとますます壁を蹴る足に力が入った。
 このまま進めば、姫様の部屋がある。
 廊下の先からてゐが出てきた。いつもどおりのピンクのワンピース姿で、私よりもはるかに年上なのに幼い容姿で、十歳くらいに見える。
 てゐの髪の毛は黒く、肩までくらいの長さで、ちょっと癖が付いている。
 手でつかむのに都合が良さそうだな、と思った。
 そう思った瞬間、頭がくらっとして、めまいがした。
 すると、何故だか落ち着いた。深呼吸をして頭をかいて、台所へ戻った。料理の続きをした。
 壊したところはてゐに謝って、直してもらうことにした。てゐは何も言わなかったけど、私を見つめて、料理の間じゅうそばを離れなかった。
 その日は早めに寝た。よく眠れた。



 夢を見た。
 永遠亭の庭は迷いの竹林とつづいている。姫様も妹紅さんも、いつもそこから庭に入ってくる。
 私は何度もそれを見た。永遠亭に来てから、繰り返し見た場面だ。
 夢のなかで、私は姫様と縁側に座っていた。夜だった。雲がなくて、背の高い竹のてっぺんよりもっと上に月が輝いていて、暑くも寒くもなくて、いい雰囲気だった。
 十五夜の日だったと思う。昔のことを、夢に見ているんだ、と思った。いつあったことなのか、はっきりとはおぼえていない。
 私は姫様に寄り添って、姫様の語るお伽噺を聞いていた。

(むかし、むかし、あるところに……)

 お伽噺だったんだと思う。姫様がそう言っていた。
 竹から女の子が生まれて、大きくなって、美しくなって、たくさんの人に結婚を申し込まれるけど、女の子は実は地上の人間ではなくて月の人だったので、最後には帰ってしまう。
 月へ。
 最後に帰っちゃうところが、お伽噺なのよ、と言って姫様は笑った。
 首を持ち上げて、上を見た。月の光があった。丸い月の輪郭が、目の端っこにひっかかっていた。
 下を見た。草がぼうぼうに生えていて、風が吹いて、草どうしがこすれあって大きな音を出す。



 起きると、夜のうちに少しだけ雪が降っていて、庭の木に積もっていた。
 寒いのは苦手だ。もう少しすれば、あったかくなると思うんだけど。
 朝食を作って師匠とてゐと一緒に食べた。姫様は起きてこなかった。
 片付けと、今日の分の薬の整理を終えると、私は姫様の部屋に行こうと考えた。とくに仕事がない日は、そうすることが多い。
 いつものことだ。
 永遠亭は広いので、廊下も長い。てゐに訓練された兎たちが、パンツ丸出しで雑巾がけをしていた。寒そうだな、と思った。自分も年中ミニスカだけど。師匠の趣味だ。
 姫様の部屋に着くと、姫様はこたつに入って背を丸めて、ラーメンを食べていた。てゐもいて、よく知らないけど、パソコンの画面をテレビに映してシューティングゲームをやっているようだった。

「あのさ、思いっきり近づいて、青弾を右、左、右、左ってチョン避けするのよ」
「えぇー何それ、知らなきゃわかんないですよ」

 ふたりとも画面を見ていて、私に注意を払っていない。
 食べているラーメンは味噌ラーメンだった。朝、召し上がらなかったので、おなかがすいたのだろう。でもこの時間に食べると、お昼がはいらないんじゃないかと思った。

「姫様、だめですよ。ちゃんとした時間に食べないと」

 こたつに入りながら、私は言った。

「鈴仙はうるさいわねえ。いつ食べてもいいじゃない。一緒に食べる?」
「はい。でも、ラーメンはいらないです」
「ふーん」
「姫様、そこの冷蔵庫からアイスクリームをとってください」

 姫様は、面食らったような顔をした。
 姫様の右手側に、冷蔵庫が置いてある。姫様専用のもので、中にはいつもジュースとか、アイスとか、ビビンバとかが入っている。電子レンジもある。
 手を伸ばしただけでは取れないので、立ち上がってこたつから出て、歩いて扉を開けなければいけなかった。
 私はこたつに入ったまま、テレビの画面を見つめて動かなかった。
 てゐの操るキャラクターが、弾に当たって、画面が止まった。

「ふーん」
「鈴仙ちゃん?」
「いいのよ。どうしたのかしらね」

 姫様は立ち上がって、冷蔵庫を開けて、アイスクリームを私に手渡してくれた。
 コーンの上にバニラアイスとチョコが乗ってるものだった。私はありがとうございます、と丁寧にお礼を言った。
 それから紙を破いてアイスクリームをむき出しにして、手を突き出して、姫様の顔の真ん中に思い切りなすりつけた。姫様の鼻から口までアイスまみれになった。
 驚く姫様の手を引っ張って、上から手刀を叩きつけて、腕を折った。ぼきん、と音がする。
 てゐが叫んだ。
 私はこたつをひっくり返して、姫様の着物の裾をつかみ、引っ張って脱がせた。うまく脱がせられないところは、無理矢理にびりびりと引き裂いた。私は月の兎で、訓練も受けているから、普通の着物なら破れるくらいの力はある。
 姫様のむき出しの足を見ると、一緒にお風呂に入ったことを思い出した。床に転がったままのむこうずねを蹴っ飛ばした。それから飛び上がって、足の上に乗った。腕とおんなじに、折れたかもしれない。
 頭をがつん、と殴られた気がした。振り向くと、てゐが弾を撃ったんだとわかった。目の前が暗くなって、そのまま私は意識を失った。




◆ ◇ ◆




 気がつくと、診療所のベッドの上だった。師匠が側の椅子に腰掛けて、こちらを見ていた。

「元気?」
「はい」

 返事をする。私は入院着の上だけを着せられていて、下はパンツだけの姿だった。師匠の趣味だろう。
 ベッドのシーツは白くて、清潔で、肌触りがよかった。薄着だったけど、室温が調整されていて快適だった。薄いグリーン色のコットンタオルが一枚だけ、上からかけられていた。
 患者扱いだな、と思った。でも、私はすごく健康で、どこもおかしいところはないんだから、こんなふうにされるいわれはないのだ。
 それはわかる。
 そう言った。

「そう」

 師匠が座っている椅子をよく見ると、普段使っているものとは違って、ちょっとゴージャスで、座り心地がよさそうなものだった。片側だけに丸い筒状の肘掛がついていて、革張りで、深く使い込んだような色味があった。
 この椅子は前からあっただろうか。いつからあったんだろうか。
 思い出せなかった。
 師匠は私にベッドから下りて、立ち上がるように言った。私はそうした。
 椅子が四つあって、どれもが他のものと違っていた。二人掛けの椅子に、師匠と同じような革張りの椅子、樹脂製の、硬そうなものもあった。
 四つの椅子はそれぞれが適当な距離を開けて置かれている。師匠はそのひとつを指さして、私を座らせた。肘掛けが両方についていて、よく体が沈み込む、高級そうなものだった。
 師匠が立ち上がって、私のそばに来た。

「楽しかった?」

 と訊く。私は、はい、とこたえた。
 楽しかった。
 怒られるだろうな、と思った。もしかすると、永遠亭を追い出されてしまうかもしれない。
 月から逃げてきた自分には、なんとなく、それもふさわしいように思った。

(ここを出たら、どうして生きていこうか)

 と考えたら、妹紅さんの顔が目に浮かんだ。浮かんだ顔がすぐに焼け焦げて、目玉をくり抜かれた死に顔になった。

(あの目玉は、どうしたんだろう)

「うどんげ」

 ぼーっとしてしまった。
 師匠の声が聞こえた。

「何か、今、したいことはある?」

 私は、今座っているこの椅子を壊したり、さっきまで寝ていたベッドのシーツを破いたり、壁を壊したりしたいです、と言った。
 それを聞くと、師匠はうん、とうなずいて、机の上にあったペンケースをつかんだ。
 何をするのかと思って見ていると、私の目の前で、師匠はそのペンケースを思い切り振りかぶって、窓ガラスに向けて投げつけた。
 ガラスが割れて、大きな音がした。神経に障るような音だった。それから師匠は私が寝ていたベッドに向かって、シーツを引っ張り出して、両手でびりびりと破りはじめた。

「手伝うわ」

 と師匠が言った。私に向けられた言葉だった。すぐには、そうとわからなかった。
 はあ、と生返事をした。

「一緒にやりましょう」

 それで、私も一緒になって、壁を壊したり、椅子を壊したりした。
 師匠のキック力は私よりも強いので、すぐに診療所の壁がぼろぼろになった。私も負けずに、椅子を壁や床に叩きつけて、壊した。
 とても楽しかった。けれどどこか、変な気持ちがした。

「うどんげ、今日はちょっと寒いわね。暖房の機械を璧からはがして、パイプをもぎとってしまいましょう」

 私は床に座って、師匠は立って、二人でぐいっと引っ張った。私たちはパイプをもぎとってしまった。

 師匠は部屋を見渡すと、

「ここではもうできることがないわね。次の部屋へ行きましょう」

 と言って出て行った。
 ほんとうにこんなことしていいのかな、と思った。
 訊いてみた。

「もちろん。おもしろいでしょ? 私はおもしろいわよ」



 歩いて行くと、姫様がいた。いつもの着物を着て、手にはジュースの入ったコップを持っていた。
 お茶に飽きたのだろう。こたつに入っていると、喉が乾くんだ。
 師匠は姫様の襟元をつかむと、そのまままっすぐ手を引き下ろして、着物をびりびりに破いた。姫様はすぐに裸に近い格好になって、転んでしまった。
 コップが廊下に落ちて、ジュースがこぼれた。コップは割れて破片になった。それを上から踏んだので、師匠の足が血まみれになった。
 姫様はつま先をこちらに向けて、仰向けに転がっている。足の間が見えた。でもすぐ、私の視線の先に師匠が立ちはだかった。右足を上げて、姫様の下腹部を勢いをつけて踏みつけた。姫様が、ぐええ、と呻いた。
 思う存分そこを踏みにじってから、放り出されている姫様の右足に狙いを定めて、容赦なく蹴りつけた。爆発したようにはじけて、骨が折れたのがわかった。
 倒れている姫様の髪の毛をつかんで、体を起こさせた。顔面を殴りつけると鼻血が出て、顔の下半分が赤黒く染まった。前歯が廊下に落ちて、転がってからからと音を立てた。
 姫様が、あがが、と、声にならないような音を喉から出した。呼吸するのも苦しそうだった。目には涙が浮かんでいた。
 私はそれを見ていた。師匠も、同じものを見ていた。
 師匠は口を大きく開けると、姫様の右目に喰らいついて、歯と舌で眼球を抉り取ってしまった。
 口が真っ赤になった。師匠はそれを、破れた姫様の着物で拭った。
 姫様も、そうしたんだろうか。
 そのときになって、ようやく私は言うことができた。

「師匠、やめてください。それはいけないことです」

 私は診療所に駆け戻って、破れたシーツと救急箱を持ってきた。シーツで姫様の体をくるんで、手当をしてあげた。




◆ ◇ ◆




「まあ、昔からあるやり方なのよ」

 姫様はつづけて、鈴仙は簡単でよかったわ、と言った。もう、体は治っていて、新品みたいにきれいになっている。いつもの姫様だ。
 私は急須を傾けて、姫様の湯のみに新しいお茶を注いだ。罰として、しばらくの間姫様のお茶汲み係になったのだ。
 あんまり、いつもと変わらない気もするけど、お茶のほかにいろんなジュースやお酒も用意しておいて、姫様の目配せを読み取っていれてあげなければいけないので、けっこう気を使う。
 何で自分があんなふうになったのかは、よくわからない。鏡で自分の眼を見ちゃったんじゃないの、とてゐが言ったけど、そこまで間抜けな能力でもない。
 例によって師匠に訊いてみると、「原因って複雑な事柄で、問題解決には必ずしも必要じゃないのよ」とか何とか言って教えてくれなかった。それで、では姫様に訊いてみようと思ったんだけど、

「さあね」

 教えてくれなかった。思わせぶりなことを言うくせに、はっきりとした答えは出さない。師匠も姫様も、月人はいつもそうだ。私はやきもきした。

「あのね、あなたの事情なんて、私は知らないわよ。永琳じゃないんだから。あ、でも、いいこと教えてあげようか」
「えっ、何ですか。何ですか」
「永琳だけど、ときどきバニーガールのコスプレをするじゃない」
「はい」
「あいつ、ずっと前からそういう趣味なのよ」
「……そうですか」

 興味はあったけど、自分の問題とは関係がなかったので、冷めた返事になってしまった。

「ずっと前って、並大抵の昔じゃないわよ。ものすごく昔からよ」
「はあ」
「あいつ、この世に兎って生物が産まれる前から、あのかっこしてるのよ」
「ええっ」

 さすがに驚いた。
 もっと詳しく訊こうと身を乗り出したところで、テレビで「戦国鍋TV」が始まったので姫様はそれに見入ってしまった。話を中途半端にされたので、もやもやした気持ちになった。
 お気に入りのコーナーの、戦国ヤンキー川中島学園が終わると、姫様はようやく口を開いた。

「まあ、さっきも言ったけど。昔からある方法なのよ」
「でも、今は歴女とかブームですし、そのへんを差し引いてもこの狂いっぷりは楽しいですよ」
「お馬鹿。何言ってるのよ。永琳がやったことについてよ」
「バニーガール」
「違うって」

 師匠がシーツを破いて、暖房装置を壊して、姫様の目玉を喰らったことについてだった。
 あれ以来、私はすっかり……姫様の言葉でいうと「よい子」になったのだ。

「永琳もよくやるわね。私はまあ、痛かったけどね」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいけどね。私は私で、同じことしてるんだから」

 姫様はにやにや笑うと、鈴仙は簡単だったわね、よい子ね、と言った。

「あなたが言えたことを、永琳は、千年経ってもまだ言えない。ますます悪事を重ねるばかり。比べると、鈴仙のなんと素直なことか」
「何のことですか?」
「お伽噺をしてあげようか」

 竹から女の子が出てきて、大きくなって、結婚を申し込まれて、月に帰って……というお話を、姫様はした。
 以前にも、聞いたことのある話だった。よく思い出せないから、きっとずっと昔に聞いたんだと思う。
 でも、ほんとうは月に帰らなかったのよ、と姫様は言った。それは知っている。
 だから姫様は、永遠亭にいるのだ。
 月からの迎えが来たとき、その中の一人だった師匠が、邪魔をして、月の使いをすべて射殺してしまったのだ。

「そうよ。でもその前から、永琳は悪いことばかりしてるのよ。ひどい悪党なんだから、あいつ」

 こたつから体を出すと、折られた方の足を伸ばして、裾を捲って私に見せた。傷ひとつついていなかった。右目の下を引っ張って、あかんべえをする。きれいな目が、きちんとはまっていた。

「死なない体になってしまった」
「姫様」
「だからまあ、私も見せてやってるわけよ。永琳があなたに見せたようにね。自分のやった行いが、実際にどういうものなのか」

 と言うと、姫様は伸びをして、立ち上がって腰をひねった。ぼきぼき音がした。番組はもう終わっていたので、そのまま靴を履いて庭に出て、竹林に入っていった。







[26400] 【東方SS】くるくる迷路
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:b15e2896
Date: 2011/05/20 21:45


大嫌いなお姉さま
レミリア・スカーレットへ



 おひさしゅう。
 私が地下室を出てから一ヶ月になります。まずはまわりのことを書きます――今は夜で、雨が降っていて、空から落ちてくる雨の粒が家の屋根や、扉や、まわりの森の木の葉や枝を叩く音がいくつもかさなって、ザーッとかゴーッとかの音がしています。風も吹いています。もちろん吸血鬼に雨は大敵だから、私は家の中でおとなくしてる。雨と風がすごいいきおいで同時にやってくるのを、えーっと、嵐といいます。お姉さまは知ってたかな。もちろん知ってただろうな。でも、私に教えてくれなかったね。

 家の屋根は粘土をこねたものを硬く焼いたものでできていて、雨漏りはしないから、大丈夫です。魔理沙はいろんなことを教えてくれます。風にだってそよ風とか、葉風とか夕立風とかたくさん種類があるのを教えてくれたし(葉風は木の葉をかさこそ吹き鳴らす風で、夕立風は夕立の前に吹く生暖かい風です。夕立は雨です)、星の名前とか、キノコの見分け方とかを一日の間にたくさん教えてくれました。私が地下室にいて考えたことや、やったことの全部より何倍も多くのことを、ここにいて見聞きできたと思う。

 わかるかな。私はうらみごとを言っています。お姉さまは、偉そうにするだけで、ちっとも良いことをしなかったんだ。一ヶ月前に喧嘩したときに、ほんとにもう、全部のぜーんぶを壊しちゃえば良かったって、そう考えてた。
 でも、魔理沙はそれは良くないと言います。レミリアはいろいろやっかいな奴だが芯まで悪い奴じゃないから、飽きたら帰って仲良くしてやれとか、そういうことを言うんだけど、じゃあ魔理沙が実家に帰るかっていうと、そんなことはないんだから勝手なもので、じゃあって言って魔理沙の親の話をしようとすると、うまいぐあいに別の話をはじめられて、またその話が面白いから、私は聞き入ってしまいます。この前は、恋愛について教えてもらったの。

 お姉さまは、恋愛ってしたことあるかな? 私はないです。ずっと地下室にいたんだから、あたりまえだと思う。お姉さまは、霊夢が好きなのかな。それとも咲夜? パチュリー? どれにしたって、恋愛っていうのはずいぶん大変なことみたいだから、心してものごとをすすめるよう、注意しておきます(こういう偉そうな物言いは、お姉さまから学びました)。
 魔理沙によると、ほんとうにむかしのむかしは、かぎられた立派な人しか恋愛ができなかったそうで、というのも、むかしのむかしは修道院に入っている女の人を、何にもしなくっても生活に困らない脳天気な男の人が「ああ、あの人としたい! でも(修道女だから)できない!」ともんもんとして愛の詩をつくることが、すなわち恋愛だったからだそうです。よくわかんないけど、できない、というのは、つまり、できないんだそうです。魔理沙がいうには、つまるとこ愛についての詩を書くことから恋愛ははじまったんだって。はじまりがそうだったから、そのふたつは切り離せないもの。恋愛ってようするに、愛の歌のことなの。

 それでね。魔理沙は恋愛には詳しいの、と訊いたら「そりゃエキスパートだぜ」だって。誰に恋してるの? って訊いたら「そりゃ秘密だぜ」って、そんなのないよ。そしたら「甘いものおごってくれたら教えてやる」って言うから、夜中だったけど魔理沙の家を出て飛んで人里に行って、でもお店が開いてなくって、そもそも私はお金をもってないしで、ひどい気分になった。だから興奮して目につくもの何でもかんでも壊しちゃうところだったけど、思い出したんだ。お姉さまと喧嘩したとき、お姉さまの体が壊れるのを見て、私はものすごくひどい気分になったの。それを思い出したから、だから――やっぱりやめようと思って、急いで帰った。そしたら魔理沙は勝手にもう寝てて、ひどいなあと思った。魔理沙もお姉さまとおなじで、口ばっかで自分勝手なんだ。
 魔理沙が起きるまでそばで待ってた。そしたら朝になって、私はすごく眠いのに、魔理沙が目を覚まして、起き上がると窓から射す朝の光が魔理沙の金髪にきらきら降り注いで、魔理沙が頭を振ると光の粒があたりに散らばったみたいになってすごくきれいで――お姉さまは私の髪を褒めるけど、魔理沙のほうがきれいだと思うな――ふわーって大あくびした。

 私はそれを見て、頭にきちゃった。こっちが苦労してるのに、ひとりだけ絵みたいにきれいになっちゃって、そんなとこもお姉さまといっしょなの。だから前の晩のいらいらが、いちどに爆発しちゃって――だから魔理沙の家は今、半分壊れてる。魔理沙はなんだっけ、竹やぶの中の家に入院してるんだけど、魔理沙も家も半分は大丈夫なので、雨も風も私がいるところには入ってこないから、大丈夫です。私だってがまんできるところはできるのよ。だからね、今、私はひとりっきり。ひとりっきりで魔理沙の家にいる。

 ひとりっきりなのは昔もそうだったから、別にいいし、ぜんぜん何も感じないけど、でも、あのころは上にお姉さまや、パチュリーや、咲夜が上にいるのがわかっていたから、だから怖くなかったんだって、そういうふうに、今考えています。魔法の森は雨と風の音のほかにいろんな音がするみたいで、紅魔館とはちがいます。紅魔館では、何も音が聞こえなくっても、ぜんぜん心配することなかったし、ずっとそこにいても飽きることがなかった。魔理沙の家は、音がいっぱいして、賑やかで、いろんなものがあって、でも時々、何だかわからないんだけど、とつぜん泣きそうな気持ちになるし、でもいろんなことが起きて騒がしいから、その気持ちもずんずん後ろのほうに押し流されていくみたいで、まるで去年のお誕生日、お姉さまがはじめてお酒を飲ませてくれたときのような、あんな感じで、ちっとも心がはっきりしないの。

 で、今夜はひとりっきりになっちゃったから、やることがなくって、それで私は、がんばってひとりで頭の中をすっきりさせようと思ったの。するとずっと前に考えたことや、こっちで聞いた話なんかが混ぜこぜに思い出されて、それが少しずつ順番に並ぶようになって、それで私は、どうも、自分の心のなかからある種のきわめて大事なことを、見つけだしたように思う。いちど見つけだしてみると、ずっと前からそれがあたりまえだったように感じました。

 お姉さまは水色の髪をしていて、黒に赤を混ぜたような色の目をしていて、紅い色が大好きで、私よりも少し背が高い。でも咲夜と比べるとすごくちっちゃいから、ちっちゃいようにしか見えない。咲夜はいつもお姉さまのそばにいて、いろいろとお世話をしてる。パチュリーは紫色で、ずっと本を読んでいて、ぼそぼそしゃべるから暗い感じがするけどとても物知りで、お姉さまの親友である。私がひどい気分になったときに、方法はわからないけど、どうやってか助けてくれる。美鈴は門の前に立っていて、眠ってたり武術の訓練をしていたり、魔理沙にやられたり庭の手入れをしたりしてる。美鈴はお姉さまが見つけてきたんだった。パチュリーも、咲夜もみんなそう。魔理沙だって、お姉さまが起こした異変のせいで、やってきたんだったね。

 霊夢もそうだった。お姉さまは、よく神社に行ってるのかな。あの日だって、お姉さまがいなくって、訊いたら神社に行ってるっていうから私も行こうとして、そしたらみんなに止められて、頭にきていたところにお姉さまが帰ってきたの。だから、お姉さまが悪いんだよ。謝ってほしかったのに、お姉さまったらいつもみたいに偉そうに私のことをたしなめるもんだから、それでこっちもひっこみがつかなくなって、それでああなったわけだよ。やっぱりお姉さまが悪いよ。これを読んだら、謝ってほしいな。
 お姉さまはいつも偉そうで、かっこつけで、でも怒るととても乱暴で、わがままで、どうしようもないと思います。咲夜だってパチュリーだって、困っています。私もそうです。外に出てからわかったんだけど、かわいい妹を495年も閉じ込めておくなんて、正気のさたではありません。反省してね。

 でも、それはもういいや――それよりも、やってほしいことがあるんだ。私にやり方を教えてほしい。何のやり方かって、恋愛のやり方よ。魔理沙から恋愛のことを教えてもらって、いろいろわかったつもりになったけど、やっぱり、やってみないとわからないな。すごく大変です。でも、魔理沙によると、簡単な恋愛なんてにせもので、恋愛ってとにかく苦労して苦労して苦労して、その苦労が恋愛なんだそうなの。問題がなんにもない恋愛なんて話にならないんだって。で、思うんですけど、私とお姉さまのあいだでなら、問題はいっぱいあると思わない?

 さて、何だか音が少なくなって、まわりが明るくなってきたように思います。書くのにいっしょうけんめいで、気づかなかったけど、雨はザーッという雨から霧雨に変わっていて、空には少しずつ太陽が昇ってきているみたい。朝です。吸血鬼は朝を嫌うものなので、もう寝ようと思います。その前に、いちばん大事なことを書きます。お姉さまはいろいろわかってるから、このことも、もう、わかってるんだろうけど、つまり、これは私がはじめて書いたラブ・レターです。ラブレターとは、愛の手紙のことで、この手紙がすなわち恋愛そのものってわけ。ね、ちょっと教えてもらっただけなのに、もう書き方を知っているところが、おもしろいでしょ。



 大好きなお姉さまへ
 フランドール・スカーレット




[26400] 【東方SS】新難題「嶋田隆司と中井義則の合同ペンネーム」
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:b15e2896
Date: 2011/06/06 21:39
(一)


 おくうが見ているのは卵だった。自分が産んだものではない(産んだことはない)。
 ゆで卵と生卵が合わせてよっつ、目の前のテーブルに置かれていて、ふたつがゆで卵、ふたつが生卵、とのことだった。卵を割らずに、そのふたつの種類を見分けること。
 しゃがみ込んでテーブルの縁に目線をあわせて、真正面から卵をみてうむむとうなった。大きな黒い羽根が痙攣するようにぴくぴくと動き、一度大きくばさっと上がって、でもすぐにぺたりと下がって、しょんぼりした様子になった。
 蓬莱山輝夜がくすくすと笑った。


「新難題『嶋田 隆司(しまだ たかし、本名同じ)と中井 義則(なかい よしのり、本名同じ)の合同ペンネーム』」


 とのことだった。長い名前のスペカだなあ、とおくうは思った。
 弾幕を撃ってくるなら、自慢の火力で燃やして蒸発させる。でもこういう、どうやって物事を見きわめるか、なんてお勉強みたいなことを言われると、おくうはどうしていいかわからなくなってしまう。
 時間はいっぱいあるから、よく考えてね、と言って輝夜は笑った。
 だから、考えるのが苦手なんだっていうのに。
 おつかいで永遠亭に来て、輝夜に捕まって、殺されるのかと思ったら台所に連れてこられてこんなふうになった。用事は済んだから(さとり様のために、新しいペットとして兎を一羽もらったのだ)、帰っちゃってもよかったけど、月の姫様とかいうこの人は強引で、さとり様とはまたちがった感じで、人に命令するのに手馴れていた。ついつい、言うことを聞いてしまう。それに言うことを聞いていると、なんだかよくわからないけど、自分か高級になったような気持ちがするのだ。
 おくうはじっと、卵を見た。にわとりのだけど、同じ鳥類の卵なんだから、なにがどうかくらいわかると思った。
 ひとつは真っ白で、支えるものがないから自然に横向きになっていて、手で触ると冷たくも熱くもなく、テーブルと同じ温度だった。指でつつくところころ転がった。もうひとつも真っ白で、全部の点でひとつめと同じだった。もうひとつもそうだった。最後のもそうだった。

「うにゅにゅにゅにゅ」
「わからない?」
「わかんない!」
「だめねえ」

 輝夜はおくうと同じ黒髪で、でもおくうのようにぼさぼさではなく、指で梳いたらほとんど抵抗なくするすると流れる、水みたいな髪の毛だった。頭をちょっと動かすと、それにつれて髪も動く。まつげも瞳の色も黒色で、肌は真珠のようになめらかな白色だった。指先は少し血色が良く、真珠色の中にうすい赤色を閉じ込こめて、その赤色が内側から真珠をほんのり明るませているような風情で、伸ばした指先が卵に触れると、卵にもいっしょにその明るみがうつっていくようだった。
 つつ、と手を伸ばして、輝夜は卵をひとつ手に取ると、そのまま床に投げつけた。
 ぐしゃっと潰れて、中身が出た。生卵だった。

「おおお……」
「これ、生卵ね。残りは、ゆで卵ふたつと、生卵ひとつ」
「私も投げていい?」
「だめよ。割っちゃったら、ルール違反でしょう」

 それもそうだ。おくうはまたじっと卵を見つめた。
 ちっともわからなかった。



 見つめたまま、時間が過ぎた。おなかが減っているので、もうお昼時だろう。
 おなかすいたからやめたい、と言おうとして輝夜を見ると、また卵をひとつ、手に持っていた。

「もういい。やめたい」
「だーめ。おくうは鳥だから、卵のことをよく知らなくてはいけないわ」
「それ、新しい卵?」
「ううん。さっきの卵よ」

 さっき割って、床でぐしゃっとなったはずの卵が、中身もからも、きれいになくなっていた。片付けたのかな、と思った。でもちがうと言う。

「もとに戻したのよ。割れる前の卵に」
「うにゅ?」
「私はいろんなことができるの」

 手からそのまま下に落として、卵を割った。また割ったぁ、と言おうとした瞬間、輝夜の手に、割れていない卵が前とまったく同じ状態でもとに戻っていた。割れたはずの中味もからも、なにもなかったようになくなっていた。おくうは目をぱちくりさせた。ずっと見ていたはずなのに、なにがどうなったのかわからない。
 永遠と須臾とか、まあ、あるんだけど、気にしないで。お腹すいたならそこにある卵食べてもいいわよ。でも、あきらめちゃだめよ。疲れたら休んでいい。でも決してあきらめるな。と、ビリーズブートキャンプでも言っていたわ。
 そう言うと、輝夜は手にした卵をテーブルの上の卵の横にちょこんと置いて、出ていってしまった。卵はまたよっつになった。おくうはその卵を、よっつとも食べた。ふたつはゆで卵たっだので、そのへんにあった塩をかけて適当に食べた。もうふたつは生卵だったので、慎重にやるつもりで、上を向いて口の上で割るようにしていたけど、割るとやっぱり口からこぼれて、べちょべちょになってしまった。






「できたあ?」
「だめ」

 輝夜がまたやってきた。
 帰ればいいのに、おくうはまだ永遠亭の台所にいた。むずかしくて、頭が混乱して、いやんなっちゃったけど、なぜだかここは居心地が良かった。
 そっか、と輝夜は言った。別に残念そうな様子も、面白がる様子もなかった。お昼前と同じような調子で、椅子にかけておくうと話そうとする。

「おくう、卵食べちゃったんだ。それじゃあ何もできないわよ」
「だって、おなかすいたんだもん。食べていいって言われたし」
「そうだけど、しかたないわねえ」
「また戻せばいいんじゃない」
「戻す、戻すねえ」

 ばらばらになって、テーブルの上に散らばっている卵のからを見つめて、

「これを戻しちゃったら、おくうのお腹から、食べちゃった卵が飛び出てくることになるんだけど」
「うええ」
「嫌でしょう」
「嫌! せっかく食べたのに」
「じゃあ、違うのを用意しましょう」

 冷蔵庫から新しい卵を取り出した。今度もよっつで、けれどひとつだけ、赤い卵が混じっていた。

「これ、高級品」
「そっちを食べたかった」
「難題をクリアしたら、食べさせてあげるわよ。さあ、どうする」
「ううー、ヒント!」
「くるくる回してみて」
「うにゅ?」
「違う、そうじゃない、手で持って腕を回すんじゃないのよ。テーブルの上に置いたまま、指ではじくようにして、くるくるーって横向きに回してみなさい」
「うにゅにゅ」

 回してみると、ふたつの卵はその場でくるくる勢い良く回った。もうふたつの卵は最初は回ったけど、すぐに勢いがなくなって、ゆっくりになって止まってしまった。

「ぐるぐる回るほうがゆで卵。回らないほうが、生卵よ」
「へええ。何で?」
「ご主人様に聞いてみなさい。じゃ、罰ゲームよ」
「へ?」
「おくうは私の出した難題を解けなかった。だから、罰を受けてもらうわ」

 と言うと、輝夜はひとつだけの赤い卵を拾い上げて、窓の外に放り投げた。
 おくうの腕から制御棒が消えた。それから右足の象の足も、なくなってしまった。胸の中心にあった、丸くて赤い大きな眼も、徐々に縮んでなくなってしまった。
 髪の毛が短くなって、背が低くなって、羽根も手足もどんどん縮んでいって……おくうは小さな烏になった。八咫烏の力を得る前の、ただの地獄烏だ。何も考えられなくなった。いつも忘れっぽいけど、今度はそれとはまったく違って、ここ何年かにあったことが、すっぽり抜けていってしまうような感覚だった。

「だめですよ」

 扉を開けて、赤と青の服を着た、銀髪の人が入ってきた。黒髪の人に、卵を手渡した。赤い卵だった。思い出した。目の前にいるのは蓬莱山輝夜で、入ってきた人は八意永琳だ。
 ん? と思って、気づくと、手足がもとに戻っていた。制御棒も、羽根も、八咫烏の力も、ここに来る前と同じようになっていた。よかったぁ、とおくうは思った。







(二)


 夕食をごちそうになったあと、輝夜といっしょにお風呂に入った。永遠亭のお風呂は香りのよい木を使っていて、それほど広くないけど、湯船の底が床より低くなっていて、入りやすかった。輝夜はお風呂好きで、とくに死んだ日などは、一日に二回も三回もお風呂に入るという。
 輝夜はよく死ぬのだという。死ぬということは、もういなくなってしまって、決して会えなくなることだ、とおくうはわかっていたので、不思議な感じがした。輝夜は死んで、けれど死にっぱなしじゃなくて生き返ってしまう。頭がおかしくならないのだろうか。
 体を洗うのは嫌だったが、今回は輝夜が入念に、手のひらを使ってすみずみまで洗ってくれた。おっぱいを触るときはいやらしい手つきになったし、お股を洗うときはおくうのそこを見て、

「あら意外」

 と、面白そうに言った。何のことだかわからなかった。
 あがると、うさぎの耳をつけた女の人が(鈴仙・ウドンゲというのだと、あとで教えてもらった。初対面ではなかったらしい)、おくうがあまりに体を拭くのが下手なのを見かねて、大きなバスタオルをおくうに巻きつけて、水気をぜんぶ拭きとってくれた。
 服は洗濯しちゃったから、今日は泊まって明日帰りなさいね、と輝夜は言う。さとり様に断らないで、いいのかな、と思ったけど、

「大丈夫よ。さとりとはメル友だから、さっきメールで伝えておいたわ」
「ふうん」

 なんだかわからなかったけど、いいなら、いいんだ、と思った。
 お風呂あがりにはアイスを食べて、テレビを見た。シャンプーは何使ってるの、とか、カレーにじゃがいもは入れる派? 入れない派? など、どうでもいいことを輝夜とぺちゃくちゃしゃべっていたら、眠くなってしまった。口を閉じて、うつらうつらしていると、突然目の前が暗くなった。
 目を閉じちゃったのかな、と思って、ぱっちり開けたけど、暗いままだった。手で、目をごしごしこすった。ひとつも明るくならなくて、目をこすった自分の手も、まったく見えなかった。
 ブレーカーが落ちたのよ、と声が聞こえた。輝夜がそばにいて、ちっともあわてず落ち着いていた。灯りが点った。電気の光ではない、ゆらめくような橙色の光で、輝夜の顔が下から照らし出された。
 ろうそくの炎だった。輝夜はろうそくをつけた燭台を手に持つと、障子を開けて、廊下に出て雨戸も開けた。竹やぶのてっぺんよりもさらに上に、月が輝いていた。影絵を見せてあげましょう、と輝夜が言った。
 両手のひらと指を組み合わせて、絡みあわせるように複雑に動かすと、ろうそくの灯りに照らされて、開かれて二重になったところの障子に影がはまり込んだ。影は犬になり、蝶々になり、鳥になった。橙色のゆらめく灯りの中に黒色の影が踊るようにうごめき、犬が吠え、蝶や鳥が羽ばたいては止まるのだった。おくうは目をまんまるくしてそれを見ていた。
 影が輝夜の手から離れて、勝手に動いているみたいだった。おくうは思わず正座していた。洗濯中の服の代わりに借りた薄手の着物のすそがからげて、長い足の膝も太もももまる出しになっていた。
 輝夜の全身が闇の中に消えて、ただ手だけが灯りの中にある。月を、と輝夜が言った。月を見て。おくう――



 月の中に街があった。都、というのかもしれない。うさぎの耳をつけた人たちがたくさん歩いていた。鈴仙・ウドンゲと同じ耳で、けれどみんな真っ黒で、影のようだった。大きいのも小さいのもいた。年をとっているのも、まだ幼いのもいた。
 おくうもその中にいた。人と建物は黒く、道と空は白かった。だから昼なのか夜なのかわからなかった。何かが動くたびに、白と黒がすごい速さで入り組んでいって、見ていると目がちかちかした。月の都には、色がついていないんだ、と思った。

「そこを右」

 声がした。おくうはそれにしたがって、曲がり角を右に曲がった。せまい道だった。気づかなければ、素通りしてしまうような通りだった。そのまま歩くと急に視界が開けて、出し抜けに大きな建物が建っていた。地霊殿と同じくらいか、それ以上に立派な建物で、けれどやっぱり真っ黒だった。
 建物の右と左に、細い塔が建てられていた。ひとつはとても背が高く、もうひとつはそれよりも低かった。建物のうしろから光がさしている。高い塔のてっぺんまで目を上げて、それから上から舐めるように視線を降ろすと、黒い塔の下から黒い影が生えていて、その影がおくうの足元まで迫っていた。低い塔の影は、まだそこまで達していない。
 影が曲がっている、とおくうは気づいた。それぞれの塔の影は、光を背にしてまっすぐ伸びておらず、根元から折れ曲がって、少し角度をつけて地面を這っている。

「それは時計」

 声がした。

「月は時間を目に見えるものにする」

 先に進むと、建物の扉が開いていて、おくうはその中に入った。たくさんの部屋があった。多くの影が、そのなかで働いていた。影は光を受けると反射するようにきらきらと光って、けれどなくなることはなく、ずっと影のままだった。おくうは最後の扉を開けた。
 蓬莱山輝夜が豪奢な着物を着て部屋の中央に座っていて、こちらを見ていた。輝夜には色がついていた。何色もの布を折り重ねた着物も、影そのもののような髪の毛も瞳も、真珠のような肌の色もそのまま同じだった。けれど今よりも少しだけ、幼いように見える。
 輝夜が手を伸ばした。
 おくうは正座して、その手の上に手を重ねた。合わせた手の人差し指が動いて、おくうの手のひらをくすぐった。おくうはどきどきして、何もできなかった。
 輝夜はおくうの、拡がった着物の奥を見ると、

「パイパン」

 と言って笑った。そんなに髪の毛が多いのに、こっちは生えてないなんて、と言ってくすくす笑うけど、おくうにはどうしようもないのだ。
 水の流れる音が聞こえた。部屋の外を、床の下を、川のように水が流れているみたいだった。舟に乗っているようだった。窓から星が見えて、地上に出るようになってから覚えた星とちがっていた。それで、ここは月なんだ、とあらためておくうは思った。
 輝夜はおくうの手を引っ張ると、自分の左胸に押し当てた。
 心臓の音がわかる、と訊く。首を振った。

「そうか。着物が分厚いものね」

 輝夜はいちまいいちまい着物をはだけて、裸の胸をおくうに晒した。それからおくうの頭をつかんで、おくうの耳を自分の乳房にぴったりとくっつけた。

「聞こえる?」

 聞こえた。とっくんとっくん脈打っていた。やわらかくてあたたかくて、きちんと生きているとわかった。

「私は蓬莱の薬を飲む前の私」

 輝夜の指がおくうの髪の毛を撫でた。ぼさぼさで、輝夜のものと比べるとぜんぜん通りが良くないけど、同じ色をしているし、おくうにとっては自慢の髪の毛だ。
 指が通ったところから、光が入ってくるように思った。

「聞こえる?」
「うん」
「ねえ、私は、次はあなたみたいに鳥として生まれてくるのも、いいかと思っているのよ。楽しそうだもん」
「ふうん」
「鳥っていうか、卵ね。卵から生まれてくるの、卵生よ。鳥みたいに蛇みたいに生まれてくるの。おもしろいでしょう」
「ふうん」
「何よ、ふうん、ばっかりで、張り合いがないわね」

 目を閉じていたおくうが目を開けると、水が部屋の中に入ってきていた。墨を流したように真っ黒な水で、おくうの足も、腰も、輝夜の着物も濡れて、ひたひたになっていた。そのまま水は増えて、口元までいっぱいになると、おくうは溺れてしまった。水の中では何も見えなくて、羽ばたこうと思っても飛べず、手も足も役に立たなくて、ただ影のような水の中に取り残されてしまった。






 灯りがついた。突然明るくなったので、目が痛くなってしまった。障子が閉まっていて、輝夜はもう影絵をつくっていなかった。いたずらっぽく笑っている。おくうは輝夜に抱きついていて、胸に顔をうずめて下から輝夜の顔を見上げていた。輝夜の指が、おくうの髪の毛をくるくる絡めとって、弄んでいた。同じようにおくうも、輝夜の髪を触っていた。水のように澄んでいて、真っ黒な髪の毛だった。

「ほんとかわいい子」
「……うにゅ?」
「鳥のように蛇のように、生まれてくることができるか……永琳がなあ」

 と言うと、輝夜は立って、冷蔵庫を開けて卵を取り出した。真っ白で、昼に食べたのと同じようなものに見えたけど、冷蔵庫から出したばっかりなので冷えていた。

「おくう。障子と雨戸を開けて」

 おくうはそうした。月が輝いていた。目を凝らして見たけど、もう都は見えなかった。後ろから、えい、と声がして、おくうの肩を越えて、庭に卵が飛んでいった。竹やぶの中まで飛んで、ゆくえがわからなくなった。

「月は時間を目に見えるものにする。あなたたち地上の人妖は、月の満ち欠けを見て、最初の暦を手にしたのよ」

 輝夜の声だった。後ろを振り向けば、今までの輝夜ではなくて、あの月の都にいた、色とりどりの着物を着た、幼い輝夜がいるのかと思った。きちんと生きていた、蓬莱の薬を飲む前の、美しい輝夜が。
 竹やぶの中から、赤と青の服を着た八意永琳が出てきて、卵をもとに戻してくれればいい、と思った。なぜだか恐ろしかった。ちょっと若返るくらいならいいけど、自分がそうなったように、何もわからない子どもに戻ってしまったら、どうするのだろう。いや、もっと、もっと巻き戻ってしまって、生まれる前に戻ってしまったら、どうなってしまうんだろうか。
 竹やぶの中で何かが光った。竹が光ったようにも見えるし、それとは関係のない、なにか別のものがそこで生まれて、地面や空気に光を与えたようにも思った。真珠のような光だった。うすい白色の中に、ほのかな明るみが閉じ込められていて、あたりを優しく照らし出している。
 これは地上にある、もうひとつの月だ。

「鳥のように蛇のように……」

 おくうは輝夜の言葉を、口の中で繰り返した。それから、

「姫様」

 とはじめて、輝夜を呼んだ。答えは返ってこなかった。





 



[26400] 【東方SS】私は毎日あらゆる面でどんどんよくなっている
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:9d9efeab
Date: 2011/09/24 14:11
 地霊殿の自室に入ると、こいしがいた。
 姉の顔をまっすぐ見つめて、この写真あげる、と言う。
 さとりは驚いたが、表情には出さなかった。妹と顔を合わせるのもひさしぶりだった。いつもふらふら、あてもなくどこかをうろついていて、たまに帰ってきても、ちょっと目を離すとまたいなくなってしまうような子なのだ。会話の機会自体が少ないんだから、たまに話すときくらい、うるさいことを言わず、相手がすることを受け止めてやるべきだと考えていた。
 両手で差し出されたのは、こいしの自分自身の写真だった。カメラに目を向けて、こいしは少し笑っていて、いつも何を考えているかわからないような妹が、どこか、はにかんでいるように見えた。
 とてもかわいかった。さとりは写真をまじまじと見つめて、それから目の前の、薄ら笑いをしている妹に目を向けた。両者をかわりばんこに、繰り返し繰り返し検分した。やっと気が済むと、

「ありがとう。大事にするわ」

 と言って、写真を胸のポケットに入れた。こいしはうれしそうに見えた。一応、お姉ちゃんの部屋に勝手に入っちゃだめよ、めっ、とも言っておいた。



 それから二三日経ったあとのことだった。地霊殿の執務室で、前の日の仕事のつづきをやっていると、お燐がやってきて、

「はい、さとり様、どうぞ」

 口の端っこをくいくい持ち上げるような笑みを浮かべて、さとりに写真をいちまい手渡した。
 お燐が写っていた。普段着の黒のゴシックなドレスではなくて、色はやっぱり黒だったけど、もっとゴージャスな、大人っぽいドレスを着ていた。体にぴったりしていて、膝から下の裾がきれいに広がっている。肩はむき出しで、胸元が見えた。お燐の小さなゴムマリみたいな胸の、谷間が見えていた。髪の毛はいつもの三つ編みをほどいて、上のほうでまとめている。
 結婚式みたいに見えた。さとりは驚いて、どうしたのこれ、ついに結婚するの(おくうと)、と訊いた。

「ちがいますよ。こいし様が写真に凝って、地底じゅうの住人を撮りまくってるんです。私も撮ってもらって、それでちょっと、おめかししたんです。どうですか」

 そうなの、とこたえた。どうですか、と重ねて訊くので、すごくきれいでびっくりしました、でもあなたには、ちょっと早いんじゃないかと思う、と正直に言った。きれいだったけど、お燐が着るとまだまだ幼い部分が強くて、背伸びをしているように見えてしまう。でもそんなところが魅力でもあるので、逆に言うと、今しか撮れない素敵な写真かもしれない。
 そう言うと、お燐はいったん、複雑そうな表情をしたけど、すぐに上機嫌になって、そうですか、ですよねえ、ですよねえ、とうれしそうに写真を持って帰っていった。
 次に来たのはおくうだった。灼熱地獄跡の床にぺたりとおしりをつけて座って、足を前にほうり出しているおくうをななめ上から撮った写真で、服装はいつもと同じだったけど、構図が凝っているからか、常よりも全体的に整っているように見えた。ぼさぼさの髪も、ところかまわず寝転ぶからしわがついてしまっている服も、ちゃんと見れば今と変わらなかったが、写真の中だと、それが計算ずくでそうなっているような、おさまりのよいものに見えるのだった。
 それに背が高くて美人なおくうが、年相応に幼く写っているように、さとりには見えた。わずかに口が開いていて、きょとんしている。大きく目を開けて、カメラを注意して見ているようだった。写真と実物を見比べると、おくうはほんとうにあどけない女の子なんだから、もっと大事にしてやらなければいけない、という思いがこみ上げてきた。いつもは自分よりも大きくて、丈夫なところばかりが目立つから、ついつい体を使った仕事ばかりをさせてしまうけど(頭を使った仕事は、できないんだけど)。
 おくうが帰ると、さとりは机の上に肘をつき、手の上にあごを乗せて悩んだ。

「どうして、私のところには来ないんですか」

 見当はついていた。おおかた、修行して良い写真を撮れるようになってから、お姉ちゃんを撮ってあげよう、という算段だろう。あの妹に限って、遠慮しているというのは考えにくかった。自由極まりない生き方をしているのだ。
 それならそれで、こちらも準備を整えておこう。さとりはそう考えて、ひとまず衣装を確保するため、地霊殿を出て地底と地上の境目あたりに向かった。仕事はほっぽりだした。どうせいつやってもかまわないような仕事なのだ。











 黒谷ヤマメのおしりは丸い。衣装のせいでそう見えるのもあったけど、実際にもそのおしりは大きくて、けれどデブではなく、男心をそそるような形をしているし、女にとってもうらやましいようなおしりだった。さとりは手を伸ばして、ヤマメのおしりを撫でた。

「きゃんっ」

 と声を出して、ヤマメは飛び退いた。振り返って、じとっとした目でさとりを見つめる。

「すいません。あまりにいい形なもので、ついつい手が伸びてしまいました」
「地底のアイドルのおしりは、それほど気安くないのよ……何しに来たの」

 妹の最近の趣味について告げると、ヤマメは、あぁ、という顔をした。自分も撮ってもらったのだという。

「彼女、なかなかやるわね。センスがいいし、トークも上手いわ。人の服を脱がすフォースがある」
「え? いつの間にヌードカメラマンに?」
「ともかく、それで、どうしたの。私の写真見たいの?」
「いえ、それはあとにして、折り入ってお願いがあるのです」
「何かな」
「地底のアイドルトップチャートを驀進しているヤマメさんに、私をProduceしていただきたいのです」
「Produce……衣装揃えたりとか、髪型整えたりとか、そういうこと?」
「はい。なんかこう、私の、なんかこう、この身からあふれでる、地底に降りたエンジェル的なところを、あますことなく演出していただきたいのです」
「園児」
「ちがいます」

 それは普段着だった。
 ヤマメはけっこうのりのりになって、リクエストにしたがい、さとりに天使の羽根をつけてみたり、白いキャミソールに水玉パンツを履かせてみたり、ちょっと癖っ毛なさとりの髪の毛を、もっとくるくるにしてみたり、逆にサラサラのストレートにしてみたりした。そのどれもがかわいくて、けれどさとりがやるとどことなくうす暗い雰囲気を引きずっているのでへんに扇情的になったりした。
 方向性を変えてみよう、ということで、猫耳をつけてみたり、ミニスカで大きな黒い羽根になんかよくわからない大きなマントをつけてみたりもした。面白いけど、べつにペットのコスプレがしたいわけじゃないですし、という結論になった。
 最終的には、ひとつの衣装でまとまった。ヤマメの目から見ると、それは最初はかなり意外だったけど、少しするとかなりはまっているように思えたし、こいしがこのさとりの写真を撮るのかと思うと、胸の底からにやにや笑いが出てきて、おさえきれなくなってしまった。

「ありがとうございます。パーフェクトですね」
「パーフェクトでミラクル! さとりん、キュートだよ」
「プリティですか」
「キュートよ」
「ありがとうございます。それでは、帰ります」
「その格好で地底を歩くの?」
「ええ。見せびらかしたいですし」

 さとりはほんのり頬を染めて、くすくすと笑った。
 ヤマメはそれを見て、抱きつきたい衝動に駆られたが、演出が乱れてしまうかもしれない、と思って我慢した。報酬ということで、こいしが撮るさとりの写真を、焼き増しして分けてもらうことにした。それから自分の写真をさとりに見せた。大きくて形のよい乳房や困ってしまうほどうらやましいおしりが、まずいところぎりぎりまであらわになっていて、さとりはさらに頬を赤くした。いいですね、と言うと、女だからね、と言って、ヤマメもまた頬を染めて笑った。











 電話が鳴った。こいしが携帯電話を取ると、姉からだった。

「こーいしっ」
「はーい」
「お姉ちゃんね、着替えたの」
「はい?」
「こいしに写真を撮ってもらおうとして、いろいろ用意したのよ。今家にいるから、早く来て。いっぱい撮ってほしいの。ねえ、早く、早く、我慢できなくなっちゃう」
「お姉ちゃん、えろいよ」
「サービスです。でも、準備完了なのはほんとうなので、すぐにでも撮ってほしいのよ」
「お姉ちゃんは後回しにするつもりだったんだけど……ほら、ラスボスだからさあ」
「順番でいうと、あなたのほうが本編クリア後でしょ。いいから、ハリー、ハリー」
「といってもなあ」

 電話を耳に当てながら、勇儀とパルスィを見た。本番写真を撮っている最中だった。パルスィのほうは、まだ抵抗していたけど、勇儀のほうが盛り上がりきってしまっていて、もうこいしの力ではどうしようもなかった。

「ああ、ああ、パルスィ、パルスィ」
「ちょっ、やめっ……あんっ」

 すごかった。発売すれば、三四年は遊んで暮らせそうな写真がすでにいっぱいたまっていた。
 いっぱいあるから、もういいか。
 そう考えて、こいしは一応ふたりに向けてぺこりとお辞儀をし、地霊殿へ向かった。立ち去る背中から、「ああん、ああん、パルぅい、パルぅい」といったような色っぽい声が聞こえてきて、後ろ髪をひかれたが、平たく言うと変態的な行為につきあってはいられないと思った。



 地霊殿に着いた。こいしにとっては、なつかしい住居でもあり、なかなか足が向かない、ちょっと気まずい場所でもあった。
 第三の目を閉じて以来、言葉には出さないけど、姉が怒っているのはよくわかったし、地上に出るようになってからは時間をつぶせるところがいくつもあるので、ついついそちらのほうを優先して、実家にはかまわなくなってしまう。
 重たい最初の扉を開けて、中に入った。しんとしていた。女の子ばかりが住んでいるくせに、荘厳としていて、キャピキャピしたところのまったくない建物だった。地底なので地上よりも暗く、ところどころの窓にはまっているステンドグラスも、美しいというよりは圧迫感がある。意識を外に向けると、そういうところが感じとれた。いつもは無意識に、ふらふら歩き回る。

 感じることに蓋をしているのは、外の世界がおっかないからだ。
 こいしにとって、姉も、自分の家も、同じように外の出来事で、それが自分の中に入ってくるのは、喉からビー玉を飲み込むみたいな、息が詰まってしまうようなことだった。
 趣味で写真を撮るようになって、少しはましになったかな、と思っていたけど、やっぱり家に帰ってくると、緊張してしまう。

 とんとん、とノックをして、しばらく間を置いて、姉の部屋の扉を開けた。姉がこちらに背を向けて立っていた。
 黄色い上着に、丸い形の帽子、緑色のスカートに黒いブーツ、ハイソックスをはいていた。こいしと同じ衣装だった。
 こいしはびっくりした。

「お、お姉ちゃん」
「ふふふ……」

 さとりが振り向く。口元を猫みたいにして、にんまり笑っていた。桃色の髪がかすかにゆれて、綿菓子のように見えた。

「驚いたようね。してやったり」
「そりゃ驚くよ。何で私のコスプレしてるの」
「ペアルックです」

 さとりはつかつか、こいしに近寄ってきて、呆然としているこいしの手をいきなり、ぎゅっと握った。

「さ、撮って。撮って。自分で言うのもなんだけど、似合っているでしょう」
「似合ってる」
「そうでしょう、そうでしょう。だって、私はあなたの姉なんだもん。鏡を見て思ったけど、私たち、そっくりね。ついつい笑っちゃった」
「……私のほうが似合ってるもん」
「あら、そうかしら」
「私の服だもん。お姉ちゃんは、いつもの服のほうがいいよ」
「むむ」

 さとりは落ち込んだ。良かれと思ってしたことなのに、はじめに驚かすのは成功したけど、そのあとはあんまり受けが良くなかった。
 もう一度鏡を見て、やっぱり、似合ってると思うけどなあ、と考えてこいしの方に向き直ると、こいしは自分の上着のボタンをはずして、服を脱いでいるところだった。

「こ、こいし。何してるの」
「脱ぐんだよ」
「何で。あなたは脱がせるほうじゃなかったの」
「みんなが脱ぐのは、変態だからだよ。私はお姉ちゃんの服を着るの」
「え?」
「ほら、そこにあるでしょう。お姉ちゃんが脱いだ服。私がそれを着るの。お姉ちゃんが私の服を着てるんだから、それでおあいこでしょ?」
「成程……で、でも」
「何」
「何だか恥ずかしい」
「でしょう」

 けっきょく、服をとりかえっこしたような感じになった。写真を撮るとき、どうしても自分の服を着ているこいしを見てしまって、さとりは恥ずかしいような、でもうれしいような気持ちがした。こいしのほうでも同じだった。
 ぱちぱち写真を撮りながら、ふたりとも黙っていた。何を話せばいいのかわからなかった。もくもくとシャッターを切っている妹はなんだかとても真剣そうで、声をかけるのがためらわれたし、ファインダー越しに見る姉は新鮮で、肌の色や髪の色、こくこくと変わる表情なんかのすべてが、とても貴重で、いとおしいものに思えた。
 写真を撮るとき、常にうっすらと、自分はそういうことを考えているんだ、とこいしは思った。
 しばらくはそうやって、シャッターの音だけがさとりの部屋に響いていた。先に口を開いたのは、やっぱり姉のほうだった。

「こいし」
「ん?」
「写真撮るの、好き?」
「好きだよ。おもしろいもん」
「良かった」
「お姉ちゃんのことも好きだよ」
「……うん」

 さとりは泣きそうになってしまった。その表情も、カメラに写った。

「こいし」
「うん」
「あなたは毎日、あらゆる面で、どんどんよくなっている……どんどん成長している。困ったわね、私のほうが、置いていかれそう」
「……何言ってるのかわからない。お姉ちゃんのほうが、どうしたって偉いよ。私を守ってくれる」
「あなたの撮った写真を見たわ。モデルになったみんなの、心の声を聴いた。みんなとてもうれしそうで、満足していた。私は誇らしかった。それから、うらやましかった」
「……」
「いいわね、あなたは」
「そうかな」
「あのね、こいし」
「うん」
「外の世界が怖いのは、私もいっしょなの」

 カメラが勝手に下を向いて、姉の足だけを撮ってしまった。調子が狂った。たかだか写真を撮ってるだけなのに、お姉ちゃんは何を言ってるんだろう。涙がじんわり、目の下のほうから出てきて、うまく撮れなくなってしまった。
 ペアルックとかなんとか、頭のネジがゆるんだようなことをする姉だけど、私を泣かすことができるのは、やっぱりお姉ちゃんだけなんだ、と思った。
 こいしは、はい、と言って、カメラをさとりに手渡した。

「え?」
「お姉ちゃんが変なこと言うから、うまく撮れなくなっちゃった。今度はお姉ちゃんが私を撮って」

 さとりは少し、口の中でもごもご言ったあと、意を決したようにカメラを構えて、自分の服を着ている妹を撮りはじめた。いろんなポーズをした。落ち着いてやるようにがんばっていたけど、そのうち撮りながら顔が真っ赤になってしまった。シャッターを切る度、こいしが直接自分の心に飛び込んでくるようで、けれど自分の服を着ているから、なんだか種々のことがごちゃまぜになって、よくわからなくなってしまった。
 それから何度か、役割を交代しながらふたりはお互いの写真を撮りつづけて、いいかげん頭がぼうっとなったところでやめた。自分たちはもしかすると、とてもえろいことをしてしまったのかもしれない、と思って、ふたりとも死ぬほど気恥ずかしかったが、それでもその日はずっと、お互いを見ながら過ごした。



 その日からしばらくの間、ふたりは服をとりかえっこしたまま暮らした。お燐やおくうは驚いたが、そういうプレイなんです、と言うと深く納得してくれた。こいしは微力ながら、地霊殿の財政に貢献しよう、と考えて、勇儀とパルスィの本番写真を写真集にして出版しようと画策したが、機関の審査にひっかかって発禁をくらった。



[26400] 【東方SS】君の好きな本を教えて
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:9d9efeab
Date: 2011/09/24 14:11
 ふとした拍子に、私とパチュリーとアリスでそれぞれ「いちばん好きな本」を持ち寄って、発表することになった。

 何のことはない。パチュリーの奴が、ずっと探していた稀少本をやっと手に入れたとかで、いつになく興奮して自慢してきたから、何だこんなの、私の持ってる本のほうが面白いぜ、とついつい言い返してやったのだ。そしたらパチュリーの奴、沼の底みたいな目をして「どうせ私の図書館から盗んでいった本でしょう。サノバビッチ」なんて言いやがる。
 実際その通りだが、ほんとのことを言われても面白くない。ちょっと喧嘩になった。するとアリスが仲裁に入った。ところでアリスは仲裁が下手だ。私たちの間に入って、なんとか両方の顔を立てようとがんばっていたが、私もパチュリーも生来強情で、その上にパチュリーは陰険なのでどうにもうまくいかない。そのうちアリスは泣き出してしまった。

「ちょっと、あんたたち、いいかげんにしなさいよねっ、ぐす」

 アリスの泣き顔を見ると、ほんわかした気持ちになった。それで私たちは顔を見合わせて、いったん矛をおさめたが、なんだか空気が重くなってしまった。そこで私が、どうせなら各々でいちばん大事な本を持ち寄って、比べっこしよう、と言い出したわけだ。

「うちの本じゃないでしょうね。というか、それは返しなさいよ。ファックオフ」
「安心しろ。お前の本なんか盗らなくても、うちにはすごい本がたくさんあるんだ。ガッデムシット」
「まだ喧嘩してる……」
「アリスの本も楽しみだな。いつも持ってるそれでもいいんだぜ」
「えっ、私も参加するの?」
「当然よ」
「当然だな」
「そう……」

 その日はそれで解散して、明日また図書館に集まり、発表することになった。咲夜の飯が食えなかったのは残念だが、早いとこ家に帰って探さないと、私の家のことだから、どこになにがあるかわからず、恥をかくかもしれなかった。
 連れ立って魔法の森へ戻る途中、アリスはずっと「あんたたち馬鹿。ほんと馬鹿」とかつぶやいていた。何が馬鹿なんだ、と訊くと、各々研究している分野がちがうんだから、本の価値だってそれぞれじゃない、と言う。そういうつまんないこと言ってるから、お前の人形はいつまでたっても完成しないんだぜ、と言ってやったら本気で怒ったので最高速で逃げ帰った。











 家に着いた。ドアを開けると、われながら雑然としたうえに雑然としたものが積み重なってエロいくらいに汚くなっている様子が目に飛び込んできて、ちょっとうんざりした。しかしこうなっているのがいちばん安心するのだから仕方ない。
 ひとまずお湯を沸かして、お茶を飲んだ。落ち着くと、まずは台所の引き出しに入っているはずの魔法書を探して、一冊引っ張り出した。黒ミサのやり方をいくつかのパターンに分けて詳細に解説している本だった。図版や呪文の発音が充実しているのが実用的な、使える良書だ。
 しかしこれはパチュリーの図書館からパクッてきた本だった。条件に合わない。

 居間に戻り、テーブルの上に積み重なっている本の背表紙をざっとながめて、下から二番目の本を気合を入れて抜き出す。なんとか崩れなかった。教会関係の古い文書で、こういう分野の用語索引には必ず載っている、かなり重要なものだった。頁をぱらぱらめくる。私たちの使う、妖術(言葉はいろいろあるが、この本では妖術と定義されるもの)について、悪魔崇拝であると決め付ける一方、それが馬鹿げた幻想であるとも宣言している、わりと軸がぶれた本だったが、それでも当時の教会法に定着し、その後200年にわたって影響を与えつづけた。この領域を学習するなら外せない本のひとつだった。
 これも図書館の本だった。私は本を後ろに放り投げた。何かに当たって、どんがらがっしゃん、と不吉な音がしたが、気にしないことにした。
 時が解決するだろう。
 そのあと、研究室に入り、寝室に入り、トイレに入り、風呂の脱衣所に入り……そこかしこに置かれている本をひとつひとつ手にとって、確認していった。私のコレクションだけあって、どれもこれも貴重で、研究に役立つ、値打ちものだった。しかしどうもぴんとこない。図書館から借りているものが多かったし、自分自身で集めたものについても、これぞというものはなかなか決められなかった。

 本を一冊だけ選ぶ、というのは、言葉から受け取る印象ほどやさしくない。
 ひとつの本を読む。すると、他の本を参考にして理解しなければいけない部分があるのに気づく。それで次の本を読む。もうひとつの本が、また導きだされる。そんなふうにして、本はいくつもいくつもつながっているもので、読めば読むほど世界が広がり、読むべき本が増えていくのだ。
 嫌になってしまった。通常、次から次へと本をたどっていくことは、私の趣味に合っているし、喜ばしいことなんだが、こういう場合、困ってしまう仕様だ。自分の中でいちばん大事な、ひとつの本を選び出せ。今回はそういうミッションだから、何冊も持っていくわけにはいかない。しかしこの本を選ぶと、必然的にこっちの本も必要になるので……きりがない。
 頭がこんがらかってきたので、飯を食ってトイレに入って風呂に入った。髪を拭いていると、やっぱり家中に散らかっている、厚かったり薄かったり、大きかったり小さかったり、古かったり新しかったりする本の群れが一様に目に入ってきた。
 小悪魔みたいな司書を雇おうか、と考えてしまった。パチュリーはずっと本を読んでいる。
 百年間ずっとそれしかやってないんだから、私よりもはるかに多くの本を読んでいるだろう。しかしそれだけつづけても、あの図書館の本の洪水に対しては、蟷螂の斧って奴で、まったく太刀打ちできそうにない。読んでるはしから新しい本が増えていく。興味のある分野だけにしぼっても、すべての本を読むなんてことははなから不可能なのだ。



 一度、訊いてみたことがある。パチュリーほどの魔力を持っているなら、わざわざ自分で手と目を使って読まなくても、本の内容を何らかの方法で圧縮して、直接脳みそに送り込むこともできるんじゃないか。そのほうが時間の節約になるし、お前の望む真理や何か、よくは知らないが、そういった目標にもとっとと到達できるんじゃないか?

 そういうことを質問した。あわよくば、私にもその方法を教えてもらうつもりだった。そのとき私は忙しくて、何とか速く本を読む方法を探していたのだ。本から力を引き出して、自分の技術にすること。そのことばかりを考えていた。パチュリーやアリスとよく話すようになって、自分の未熟さが身に染みていたのもあるし、霊夢相手の勝負で、負けが込んでいたのも一因だった。

 私の言葉を聞くと、パチュリーは、はあ、とため息をついて、読んでいた本から目を離し、私を見据えた。いつもどおり水の底みたいな目だったが、その底には何か、危険だけど美しい生き物が潜んでいて、寝ていたそれがわずかに目を覚ましたような、ちょっとした気配があった。


「魔理沙。あなたには教えてあげる」
「何をだよ」
「本を読むとは、ただ単に書かれていることを解釈して、自分の言葉に置き換えることではない。それは知識を身につける手段。けれど本を読むとは、それだけのことではないの。私は本を読んでいる。図書館にいる。お茶を飲んで、窓の外は暗く、ランプの灯りがテーブルを照らしている。あなたがいて、あなたと時々話しをする」
「だから、何だよ。いつもと変わらないじゃないか」
「聞いて。本を読むとは、その本を読んでいる時間を体験することなの。私は今一冊の本を読んでいる。もうすぐ読み終わるわ。読み終われば、この本は小悪魔に整理されて、本棚のどこかにしまわれてしまうでしょう。でも、私はこの本の内容を覚えていて、いつかふとした拍子に、または何か必要があるときに、それを思い出すのよ。そのときには、この図書館、この灯り、今飲んでいるお茶の温度や味も、思い出す。あなたとしているこういう会話も、いっしょに思い出すでしょう。……思い出さないかもしれない。忘れてしまっていて、細かいことはもう一度読むか、頭をひねらないと、出てこないかもしれない。でもね魔理沙。わかるかな」
「あ?」
「この本を読んだ、その時間は、けっしてなくならないの。それはあなたといっしょに過ごした時間。魔理沙とこの本は、整理されて、ずっとどこかにしまわれてしまうのよ。魔理沙。わかるかな」
「ああ。わからないな」
「馬鹿ね」
「あいにくこっちは、そんなに余裕がないんだぜ。早く本を読めるなら、すぐに次の本に移れる。そのほうが経済だろ?」
「ま、いつかわかるでしょう。もとより期待してないわ」
「ふん」
「魔理沙」
「何だよ。めずらしくよくしゃべるな」
「今あなたが読んでいる本、あげるわ」
「何だって? おいおいどうしたんだ、そんなこと言うのはじめてだぞ」
「いいのよ。その本を思い出すとき、私の言ったことも思い出すでしょう。感謝しなさい」
「魔女先生の高尚な話題にはさっぱりついていけないがな。ありがたく、本はいただいてやるぜ。必要なんだ」
「また霊夢とやるの? 勝てっこないのに」
「関係ないだろ。新しい魔法を準備中なんだ。できたら、お前にも見せてやるぜ」
「そうね。見習い魔女がどれだけやるものか、観察させてもらうわ」
「ああ、とくとごろうじろ、だ」


 その日は図書館に泊めてもらった。夜が更けると、私は眠くなってしまったが、パチュリーはまだ起きている、とのことだったので、パチュリーのベッドを使わせてもらった。夜中に目を覚ますと、こちらを見ていたらしいパチュリーが、あわてて目をそらすのが見えた。まだ眠かったが、私はそれから起きだして、朝までまたパチュリーといっしょに本を読んだ。











 トイレにあった本が、そのときにもらった本だった。これを持って行ってやろうか、と少し考えたが、やめた。さてどうするか。
 私は記憶をたどった。この本を読む前、私はどの本を読んでいたんだったか。霊夢に勝とうとして、別の爆発系の呪物を研究していたんだった。その本の名前がわかる。読んだ本について交わした会話も、少し覚えている。図書館にパチュリーがいて、アリスがいて、いつも薄暗い図書館だから、小さな灯りが点いていた。お茶の味を思い出した。静かな図書館で、けれど私が口を開くと、アリスがこたえて、ときどきパチュリーも会話に乗ってきて……完成した魔法はそれ自体ではそれほど効果があるものではなかったが、かなり応用が効くので、それから作ったいくつかのスペルカードの基礎のひとつになった。
 その前はどんな本を読んでいたか。その前は? だんだん遡っていくと、私は子どもの頃に戻った。魔法の森に住みつく前の、何もできない子どもだ。私はお茶を飲んで、ゆっくりして気を落ち着けた。それから寝室に入ると、ベッドの下に置いてある箱を引っ張り出して、その中から一冊の本を取り出した。







 






「早かったわね」

 アリスといっしょに図書館に着くと、パチュリーが出迎えた。まだ朝のうちで、いつもよりも少し早い時間だった。パチュリーはもしかすると、まだ寝ているかもしれない、と思ったが、いつもどおりテーブルに座って大きな本を読んでいた。あの本が、パチュリーの選んだ本なんだろうか。
 訊いてみた。

「ちがうわ」
「そうか。お前が選ぶ本、興味あるぜ」
「めずらしいのね。なんだか殊勝だわ。魔理沙はどんな本を持ってきたのかしら」
「まあ、楽しみにしてろ。アリスはどんなのだ。いつも持ってる本、読ませてくれるのか」
「う、ううん。えっとね」

 アリスは照れているようだった。両手を後ろに回して、もじもじしている。

「いろいろ考えたのよ。最近読んだ本だと、人形づくりにとても役立つ新しい技術が細かに解説されていて、いくつも発見があったわ。それを使って上海に改良を加えたら、上海が半目で眠るようになったわ。すごくかわいいのよ。でも、その本がいちばんかというと、どうもちがうと思った」
「上海、眠るのか? そもそも」
「半目って、むしろ不健康なんじゃないの」
「それで、家にある本をざっと整理して、ひとつひとつ順番に評価を与えていったわ。でもそれも、うまくいかなかった。あまり高い点をつけなかった本が、別の本との関連で、絶対に必要になることがある。ものすごく役に立った本でも、同じくらい使える本はたくさんあるし、ものすごく興味深くて、面白くて、夢中になって読んじゃった本でも、研究にはちっとも関係のなかった本がある。悩んだわ。悩んで悩んで、ついついお菓子作っちゃったわ。はいこれクッキー」
「おお、いいもの持ってきたな。アリスのお菓子はうまいからな。パチュリー、お茶出せ」
「本の話をしなさいよ。あとさりげなく自分のぶんを多めに取らない」

 お茶が出た。今日は小悪魔じゃなくて、咲夜が淹れてくれた。本の発表会のことをどこからか聞きつけて、興味を持ったらしい。咲夜は本なんか読むんだろうか?
 誰だって読む。ことに私の持ってきた本は、きっと咲夜だって読んでいるはずの本だ。けっきょくのところ、それがいちばん大事な本だった。私にとって、人生を決定づけるだけの力があったのだ。

「私もアリスと同じようなことを考えたわ」

 パチュリーが口を開いた。

「私はあなたたちより数百倍、数千倍の本を読んでいる。それだけしかしていないんだからね。どれも内容を覚えていて、その少しずつが、私の一部になっているわ。もぐもぐ、ほんとおいしいクッキーね」
「えへへ」
「アリス、結婚しましょう」
「えっ」
「本の話をしろよ」
「一冊の本は、それだけでは完結しない。一部が必ず別の本とつながっていて、それに拠って知識を構成する性質を持っている。そうやって次々と本を読み続けて、一部と一部が集まってできているのが私。だからどの本だって、役割にちがいはあれど、同じように大切だった」
「ああ」
「それでも、魔理沙、あなたが言い出したことだから、私は一冊の本を選ばなければいけなかった。それで、私は考えた。私のはじまりの本を。私がどうして、魔女になったかを」

 いつもどおりのぼそぼそした口調だったが、少し力がこもっているように思えた。顔を見ると、病的に白い肌に、血が通ってほんのり赤くなっていた。恥ずかしがっているようだった。

「笑えばいいわ。私はこの本にあこがれて、魔女になることを目指したの」
「ちょ、ちょっと待て」
「何よ」
「あのな、私も同じことを考えたんだ」
「そう」
「そうだ。だから私も、その、恥ずかしいんだ。お前のだけ先に見るのは嫌だ。私もいっしょに出す」
「わかったわ」
「あのう……実は私も、同じようなものなの。みんないっしょに出さない? 笑うのはなしで」
「お前もか。いいぜ、いっぺんに出そう」
「何で魔理沙が仕切るのよ」
「うるさい奴だな。いいから用意しろよ」

 せーのっ、で同時に出した。私はまずパチュリーの本に目を向け、それからアリスの本を見た。
 全員が、絵本を持ってきていた。表紙の絵柄はそれぞれちがったが、どれも同じ物語だった。
 私の本の表紙では、金髪のきれいな女の子が、お姫様のようなドレスを着て、お城を背景にして王子様と手をとりあって踊っていた。アリスの本も、女の子の髪の毛が栗色など、細かな意匠のちがいはあれど、同じシチュエーションだ。パチュリーのは――つぎはぎだらけの汚い服を着た女の子のところに、魔女がやってきて、泣いている女の子に話しかけている場面だった――

 『シンデレラ』の絵本だった。



「……ぷっ」
「くっ、くくくっ、くくっ、げほげほ」
「は、ははははは」

 私たちは目を丸くして、各々のシンデレラを見つめると、顔を見合わせて、同時に笑ってしまった。パチュリーにいたっては、つぼに入って、喘息の咳が出てしまうほどだった。アリスがうれしそうに、絵本を見つめながら言った。

「何よ、これ。みんないっしょじゃないの」
「お前らも、シンデレラじゃなくって魔女にあこがれたくちか。アリスはともかく、パチュリーは意外だったな」
「何とでも言いなさい。私がはじめて使った魔法は、かぼちゃを馬車に変える魔法だったわ」
「あ、それ、私も試したことある」
「成功したのか」
「当然よ。と言いたいところだけど、何故だかうまくいかなくって、ジャック・オ・ランタンになったわ」
「あぁ……」
「あぁ……」
「何よ」

 拗ねるように口を尖らせた。でも目は笑っていて、今ならちゃんとできるわよ、やってみせましょうか、と面白そうに言った。
 私たちはそれから、それぞれの絵本を交換して読んだ。同じ物語だけど、絵と文章がちがうとけっこう印象がちがった。しかしやっぱり私の本がいちばんいいな、と言うと、パチュリーとアリスがむきになって反論してきた。最後にはアリスがまた泣いた。



[26400] ※補遺
Name: アン・シャーリー◆6e7f11da ID:c510df88
Date: 2011/03/09 19:45
慣れないうちに別スレッドとして投稿してしまいました「幸せ永遠亭」にて、以下のコメントをいただきました。
こちらに転載させていただきます。
手際が悪くて申し訳ありませんが、何卒ご容赦のほどを。。。

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[4]宮毘羅◆3e00961a ID: 614a7fa3
考えさせられる内容でした。
最初はどんな下らない話かと思って読んだ事を謝罪いたします。

感想は、消すのが勿体無い場合はあとがきにコピペしてみては?

2011/Mar/09(Wed) 12:37 am
編集削除 Pass:
[3]アン・シャーリー◆6e7f11da ID: c510df88
>くっくる 様
>あなや 様

コメントありがとうございます!
ですが、申し訳ありませんが、こちらの記事は他スレッドに統合することにしましたので、しばらく経ちましたら削除したいと思います。
感想を頂いた上で消すのはほんとうに失礼で、申し訳ないのですが、
できればそちらのほうで、またお読みいただければと思います。
よろしくお願いいたします。

2011/Mar/08(Tue) 11:48 pm
編集削除 Pass:
[2]あなや◆67cf998c ID: f026d75a
物語の締めへのもって行き方は良かったけど最後がブツ切りの文章みたくなってしまっているのが残念。
もうちょっと自然な感じで着地してほしかった。

2011/Mar/08(Tue) 11:33 pm
編集削除 Pass:
[1]くっくる◆dd489f4e ID: 0a30a55a
上手く言えませんが、考えさせられる作品でした。
3回ほど読み直してしまいました。

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