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[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ (FF4クロス) <復帰に伴う前書き>
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:c8b2b464
Date: 2010/05/16 11:27
 どうも、初めましての方は初めまして。覚えておいで下さった方はお久しぶりです。

 凡そ9ヶ月に及ぶ更新休止を頂きましたが、この度、復帰する決意を致しました。
 続きを投稿すると共に、これまでの話も、設定などを少し変更した部分がありますので、また最初から読んで頂き、改めてご意見・ご感想を頂きたいと思います。



[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第一話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 14:01
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~







「――ハッ!」

――ここは魔導士の町ミシディアの東、『試練の山』と呼ばれる険しき山。そこで、一人の竜騎士が修行に励んでいた。


 彼の名はカイン・ハイウインド。
 かつて、現バロン王セシル・ハーヴィと共に、世界の危機を救った英雄の一人である。彼がこの山に籠ってから、早三年の月日が流れた……。

――スタッ……

 険しい崖を、竜騎士の技『ジャンプ』で用いる強靭な脚力で飛び移り、一つの岩肌の先に立つ。

「……あれから、もう三年か」

 そう呟くと、カインは遠くを見つめる。その視線の遙か先には、自分の無二の親友にして、生涯のライバルと認めた男が治める国がある。


『セシル……ローザ……。今の俺には、お前達を祝福する権利はない。
 この試練の山で腕を磨き……父を超える竜騎士となった暁には
 バロンに……戻れそうな気がする……。

 それまでは……』

 自らの心の隙を突かれ、ゴルベーザに操られ、親友を苦しめ……想いを寄せた女性を悲しませた自分を、戦いが終わったのちも許すことが出来なかったカインは、自ら試練の山に籠った。
 セシルもこの場所で忌わしい過去と決別し、聖なる騎士――パラディンとなった。自分もここで自らの弱さを見つめ直し、一から鍛え直そうと考えたのだ。


 戦いの後、強力すぎる装備の数々を再び月に封印し、新たな装備――風の力を蓄えた『ウインドスピア』、ミスリル銀製の防具一式を調達し、苦しい修行を繰り返し、自らをいためつけてきた。

「……親父……俺は、強くなれただろうか?」

 時折、食糧やポーションの補充の為にミシディアに戻る度、『英雄王』と褒め称えられる親友の名を耳にする。親友が讃えられている事を嬉しく思い、また「負けてはいられぬ」と己を奮い立たせ修行に励んできた。

 しかし、ふとした拍子に不安に駆られる。自分は、成長出来たのだろうか、と……。

「……ふ……やはり、まだまだだな。俺は……」

 そう呟くと、カインは頭を振って後向きな思考を振り払う。そして、再び跳躍を始める。――が、突如目の前に光の鏡の様なものが現れた。

「――っ!?」

 跳躍の最中のことだったため、カインは避けられず、その鏡に衝突――はせず、鏡の中に入り込んでしまった。

 そして、試練の山からカイン・ハイウインドの姿が消えた……。






――所変わって、ここはハルケギニア……

 トリステイン王国トリステイン魔法学院の中庭に於いて、毎年恒例の『春の使い魔召喚』の儀式が行われていた。これは、二年生に進級するための試験の意味を兼ねており、この儀式に万が一にも失敗すれば、留年となる危険性を孕んでいる。
 それは学院の生徒にとって、この上無い不名誉となる一大事――。

 故に、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは焦っていた。既に、何回も『サモン・サーヴァント』の魔法に失敗しているからだ。

(もう一度よ……大丈夫。今度こそはッ!)

 周りからは、今までの失敗から失笑と共に誹謗が飛び交っている。

 と言うのも、ルイズはこの学院に入学してからこちら、一度としてまともに魔法を行使出来た事がないのだ。

――何の魔法を使っても、全て爆発する。

 当の本人にもその原因が分からない。しかし、その逆境にもめげず、何とかしようと必死に勉強してきた。そのおかげで座学の成績は学年トップクラス。
 だが、周囲はそんな彼女の努力を知らず、魔法が必ず失敗するところしか見ようとしない。魔法成功率ゼロ……そのことから『ゼロのルイズ』と呼び、事あらばその名で彼女を嗤う。


「――宇宙のどこかにいる、我が僕よ! 神聖で、美しく、強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに、応えなさいッ!」

 どこか風変りな呪文と共に、杖を振り下ろす。すると――

――ドッカーーーン!!

 爆発した……。
 辺りは煙に覆われ、周りにいた生徒達はその煙でせき込む。ルイズ本人も咳き込む。

「結局爆発したじゃないか! げほっ! げほっ……」

 そこ彼処から、咳き込みながらルイズを非難する声が上がる。しかし、ルイズはそれどころではなかった。

(使い魔は?! 私の使い魔は!?)

 必死に煙をかき分けようと手を振りながら、杖を振り下ろした場所に目を向ける。

――すると、そこにうっすらと何者かの影が見えた。

「……! や、やった……召喚できたわ!」

 そう声を上げると同時に、突如、物凄い風が巻き起こり、煙が吹き飛ばされた。凄まじい風圧に目を閉じたルイズが、改めてその場所を見ると……そこに居たのは――

「――げほっ! ……まったく、一体何が起こったんだ?!」

――竜を模った兜をかぶり……、
――竜の鱗のような精巧な細工の施された鎧に身を包み……、
――左手に美しく輝く槍を……、
――右手に青白い光を反射する盾を持った……、

――『人間』……だった。先程の風は、どうやらこの男が槍を振るって起こしたものだったようだ。

「ぜ、ゼロのルイズが……竜人を召喚したぞっ!?」

「――い、いやまて? あれは……ちがう! 竜の兜をかぶった騎士だ!」

 周りから驚きの声が上がり、生徒達がざわつき始める。

「…………」

 当のルイズは、固まっていた。召喚が成功した事を喜べばよいのか、人間を召喚してしまった事に焦ればよいのか……わからなくなって、フリーズしまったのだ。
 そんなルイズは眼中になく、召喚された“竜の騎士”は辺りをキョロキョロ見渡していた。

「ここは……何処だ? 俺はさっきまで『試練の山』にいたはずだが……」

 この男も突然の事に混乱しているらしい。
 何とか頭脳を再起動し、ルイズは傍に立っていたコルベールに伺いを立てる。

「あの、ミスタ・コルベール……こういう場合、どうしたら?」

「う~~む……私もこんなケースは初めてだが……」

 尋ねられたコルベールも困った表情をしている。いや、実際に困っていたのだろう。

 ここトリステイン王国に於いてはもちろん、他国に於いても、人間を召喚したなどと言う話は聞いたことがない。

――しかし、召喚の儀式は神聖なもの。

 この使い魔では嫌だから、もう一度やり直し――などと言う事は出来ない。
 それは、魔法を、そして始祖ブリミルを冒涜する行為である、とされている。

「……仕方がない。ミス・ヴァリエール、彼と『コントラクト・サーヴァント』を」

「――ええっ!? でも、人間を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」

「だが、召喚してしまったものは仕方がない。この儀式は神聖なものだ。やり直しは許されない」

「うう……」



「……一体、どうなっている?」

 『試練の山』での修行中に突如出現した“光の鏡”――不可抗力だが、それに飛び込んでしまったと思ったら、いきなり爆煙に包まれ咳き込むハメに……。
 しかも、周りからは人の声……状況が全くわからない。

 辺りを包む邪魔な煙を、槍を振るい、吹き飛ばした。
 すると、そこは『試練の山』ではなく、見覚えのない建物の庭……しかも、周りにはマントを羽織った大勢の少年少女……。

――カインは流石に混乱していた。

 そこへ、何かバツが悪そうな表情をした、ピンクの髪の少女が歩み寄って来た。

「……?」

「あ、あなたには……その、悪い事をしたと思っているわ。でも、これも運命と思って……諦めてちょうだい」

 顔を真っ赤にしてそう言う少女……その口振りから、カインは自分をここに呼び寄せ、今のこの状況は彼女が作ったのだと察した。

「おい、どういうことだ?」

「……後で、説明するわ。それより、今は『コントラクト・サーヴァント』を済ませないと……」

 少女の口から訳の分からない単語が飛び出す。

――『コントラクト・サーヴァント』……?

 聞いた事もない言葉が、カインの混乱に拍車を掛ける。

「と、とにかくッ!! 契約するわ! …………少し、屈んで」

「……は? 何故だ?」

「~~~っ、いいから屈みなさいっ!!」

 突然キレ始める少女。大して迫力がある訳ではないが、どうにも一杯一杯の様子に、どこか気の毒になってしまい、カインは言われた通り屈む。

「い、五つの力を司りしペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔と為せ!」

 そう言い終えるや否や、少女はいきなり唇を重ねてきた。

「――ッッ!!??」

 カインは再び、激しく混乱する。



――なっ!?

 いきなりのキスに顔が“赤”ではなく、“青”くなる。

 正直言って、自分はもう恋を諦めている。想い人……ローザは、親友のセシルを選んだ。だが、自分で言うのもなんだが不器用な男だ。
 ローザへの想いが叶わなかったからと言って、誰か別の女を好きになることなんて出来ない。この先、自分は一人で生きて、老いて死んでゆくのだと思っていた……。

――しかし! それが、よりによってこんな子供に! しかも一方的にキスされたのだ。いかにカインと言えど、ショックである。

「――なっ、何を……ぐッ?!」

 漸く正気を取り戻し、文句の一つでも言おうとした時、左手の甲に焼けるような痛みが走り、カインは俄かに顔を歪める。

「大丈夫よ、使い魔のルーンが刻まれてるだけだから」

 “使い魔”だが“ルーン”だかはよく分からないが、少女の言う通り痛みはすぐに引いた。左手の『ミスリルのこて』を外し、手の甲を見てみると、何かの文字の様な跡が出来ている。

「ふーむ、珍しいルーンだ」

 少女の傍にいた頭の頂点が剥げた眼鏡の男が手の甲を覗き込み、興味深げに観察しそれを手帳に何やら書き込み始める。

「おい、あんた……分かるように説明してくれ。先ず、ここは何処だ?」

「ああ、そうだな。少し待っていてくれ」

 そう言うと、眼鏡の男は他の少年少女達に「これにて儀式は終了とします」と彼らを解散させた。
 その場には、眼鏡の男と、カインと、カインにキスをした少女だけが残った……。

「……」

 少女は先程から黙り込んでいる。しかし、その表情は明るいとは言えない。

「――さて、ではミス・ヴァリエール。そして、そちらの“竜の騎士”殿。今後の事について、オールド・オスマンにお伺いを立てねばなりません。説明もその時にしますので、私に付いて来てください」

「……はい」

「わかった」

 とりあえず、カインはその男に従って歩き出す。少女も同じく歩き出し、三人は巨大な建物の中に入って行った……。






「――――という次第で、どうしたものでしょう? オールド・オスマン」

 先程の眼鏡の男――コルベールは、ルイズとカインを伴い、学院長室にやって来てこの『トリステイン魔法学院』の学院長を務める老メイジ“オールド・オスマン”に事の次第を報告し、伺いを立てた。

「う~~む……」

 コルベールの報告を聞き、眉間に皺を寄せ唸る。そして、カインに目を向けた。

 彼が身に付けている鎧や槍を見ても、精巧な細工が施され、しかも密かに『ディテクト・マジック』で調べた結果、全てが魔法のかかっている一級品の装備である事が分かった。
 何より彼自身が放つ独特の雰囲気からも、卓越した戦闘技能者であることが窺える。

――さぞかし、高名な騎士なのであろう、と。

「そちらの“竜の騎士”殿よ。すまぬが、おぬしの名を聞かせてくれぬか?」

「尋ねる前に、自分から名乗るのが礼儀ではないか、ご老人?」

「ち、ちょっとっ、あんた! オールド・オスマンにそんな口の利き方――」

「ミス・ヴァリエール、良い良い。彼の言う通りじゃ。申し遅れたが、ワシはこのトリステイン魔法学院の長を務めておる、オスマンと言う者じゃ」

「カイン・ハイウインドだ」

 名乗られたからには名乗るのが礼儀である。カインも自分のフルネームを名乗る。
 オスマンは、満足げに頷いた。

「うむ、ではミスタ・ハイウインド――」

「カインで結構」

「ではカイン殿。失礼だが、君の故郷の国の名を教えてもらえるかの?」

「今は修行中の身故離れているが、バロン王国だ。そこで竜騎士団団長を務めていた」

「……『バロン』?」

 オスマンは首を傾げる。次いで、コルベールもまた同じく怪訝な顔をする。
 その反応に、カインもまた怪訝な表情になる。

「ミスタ・コルベール、君は『バロン』という国に聞き覚えがあるかね?」

 表情をそのままにオスマンはコルベールに尋ねる。

「……いえ、少なくとも私は聞いたことのない国名です」

 その言葉に、カインは疑問を覚えた。

「――聞いた事がない? どういう事だ? 軍備が縮小されたとは言え、現在も『飛空艇団』は健在だ。今や軍事国家ではないが、その名を知らぬ者などいない大国だぞ?」

 そう言った時、隣に立っていた少女が声を上げる。

「あんた、何言ってるの? 軍事国家や大国って言ったら南の『ガリア王国』か……癪だけど、あの忌々しい成り上がり共の国『帝政ゲルマニア』しかないじゃない」

「がりあ? げるまにあ?」

――その場にいた全員の顔が、一様に怪訝な表情になる。

 お互いの話が、全くかみ合っていない。
 オスマン達もカインも、お互いが口にした国名に全く聞き覚えがないのだ。

 その時、カインは閃いた。

「――世界地図はあるか?」

 オスマンも「なるほど」と手を打ち、杖を振って、『念力テレキネシス』で脇の本棚から一冊の本を取り出す。
 そして、目的の地図が載っている頁を開きカインに見せた。すると、カインの表情が驚きに変わる。

「……なんだこれは? 俺の知る地形とまったく違う……!」

 そう言うと、カインは懐から自分の持っていた世界地図を開く。それをその場にいた全員が覗き込んだ。
 すると、カインを除く全員が再び怪訝な表情になる。

「何よ、コレ? 大陸も海もデタラメじゃない」

「「……」」

 ルイズは、すぐに呆れたようにそう言うが、他の二人は未だに怪訝な表情をしている。


「……カイン殿。この地図以外に、何か持っていないかね?」

 オスマンにそう言われ、カインは道具袋をひっくり返した。
 入っていたのは『ハイポーション』が五本、『どくけし』が八個、『コテージ』が四個、『ひじょうぐち』が三つ、『エリクサー』が一本。
 あとは、三年の修行中に倒したモンスターが落とした『リリスのロッド』と『のろいのゆびわ』が一つずつ――。

「ふ~む……この杖も指輪も、長らく生きてきたワシも見た事のない品じゃな」

「私もです」

 物珍しそうに、『リリスのロッド』と『のろいのゆびわ』を手に取って見つめるオスマンとコルベール。

「う~む……」

 穴が開くのではないかと言う程、カインの所持品を見つめ倒していたと思えば、今度は何か面倒なことに直面した様な表情でオスマンは唸り始める。

「カイン殿。すまんが、君の故郷の事を少し話してもらえるかの?」

 と、唐突にオスマンはカインに故郷の事を訪ねた。

 カインは所々暈しながらだが、語った。


――自分の生まれ育ったバロン王国の事……。

――元の世界における主要各国の事……。

――セシルやローザを初めとした、苦難を共に乗り越えてきた仲間達の事……。


 あらかた話し終えたところで、オスマンとコルベールはある仮説を導き出す。

「う~~む……もしかすると、カイン殿は、ここハルケギニアとは違う『異世界』から召喚された……のかも知れんのう」

 『異世界』――この言葉は、カインについての疑問を一気に解決させてしまう。
 ここが『異世界』だとすれば、カインの居たという世界と地形、国家形成が全く異なる事にも説明が付く。

 だが、それは同時に、カインの元の世界への帰還が現実的に不可能な事も意味していた。

「しかし、オールド・オスマン。『サモン・サーヴァント』は、ハルケギニアの生物を呼び出す魔法のはずでは……?」

 コルベールの疑問は、ハルケギニアの魔法使いであれば誰もが考える疑問である。だが、オスマンの考えは若干違った。

「確かに、そうとされておる。しかし、それは今までがそうであったということであって、これからもそれが絶対とは限らん。或いは、カイン殿の居た世界とこのハルケギニアには、何かしらの繋がりがあるのかも知れん」

 オスマンの説明で、コルベールも「う~む」と唸り始める。カインとルイズは置いてけぼり状態だった。

「盛り上がっている所、悪いんだが……」

「お、おお~、そうじゃったっ!! で、カイン殿。ちと尋ねるが、君は元いた地へ戻ることを望むかね?」

 カインの突っ込みに、慌てて意識をこちらに戻したオスマンとコルベールが苦笑しながら向き直る。

「無論だ。俺は修行を続け、いつの日か友の元に戻り力を尽くすことを竜騎士の誇りにかけて誓った。いつまでもここにいる訳にはいかん」

 カインは揺るぎなく答える。そこにある確かな意志を感じ取ったのかルイズは、申し訳なさそうにしている。

「うむ……しかし、じゃ。残念ながら『サモン・サーヴァント』で召喚した使い魔を元いた場所に送り帰す魔法と言うのは……存在しないのじゃ」

「何っ……! では……俺は、帰れないというのか……?」

 僅かに動揺し、気落ちした様でそう尋ねるカイン。それを見て、コルベールが慌ててフォローする。

「いや、結論付けるのはまだ早い! 何しろ、これは前代未聞の事態だ。我々が知らないだけで、もしかしたら過去に前例があるかもしれないし、探してみれば、使い魔を元いた場所に送り返す魔法も存在するかも知れない」

「うむ! 我々が責任を持って、おぬしを故郷に戻す方法を模索しよう。――そこでじゃ、カイン殿。物は相談なのじゃが、その間、形式だけでも良いから使い魔としてミス・ヴァリエールの下にいてもらえぬだろうか?」

「――ええっ!!?」

「どういうことだ?」

 オスマンの言葉にルイズは驚きの声を上げるが、カインは冷静にその意図を探る。

「うむ、まあ、理由は主に二つじゃ。まず一つ目は、文献を当たるにしろ何にしろ、相当の時間が掛かる。その間のおぬしの宿舎をワシらが提供するのは、ちと問題があってな。ミス・ヴァリエールの部屋で寝泊まりしてもらえれば、そこが解決する。そして二つ目じゃが、こちらはミス・ヴァリエールの進級に関わる問題じゃ」

「ん? それはまた、どういう事だ?」

 オスマンはこの世界の事情を交えて語った。

――カインを呼び出してしまった『春の使い魔召喚』の儀式は、このトリステイン魔法学院に於いて二年生進級に必須の課題だという。

 そもそも、このハルケギニアでは、魔法を行使する者達が絶対的な権力を握る封建社会で、魔法を使う者達は『貴族』、使えない者達は『平民』とされ、両者の間には大きな格差が存在する。

 これを聞いた時、カインは顔を顰めた。そして、自分が魔法は使えない事を告げた。
 その時、ルイズは驚いていたが、それは余談である。

 このトリステイン魔法学院は、そうした貴族の子息子女が魔法を学びに来る場所であり、トリステイン王国内は元より、ゲルマニアやガリアと言った他国からも留学生が来るほどの有名校である。そんな学院だからこそ、ここを卒業する事は一つの名誉になり、逆に留年などすればこの上無い不名誉として、一生その者に憑いて回ってしまう。

 ルイズは努力家であり、非常に優秀な生徒である。それを留年させてしまうのは学院としても、一教師としても心苦しい。そこで、カインにルイズに付いてやってほしいと言うのだ。


「どうじゃろう、カイン殿? 勝手のわからぬこの地では、流石に不安もあろう。悪い話ではないと思うのじゃが?」

「……いいだろう。あんたの言う通り、どうせ右も左もわからない土地だ」

「――ホントっ!? いいの?!」

 ルイズにしても、カインの返事は嬉しかった。これで、使い魔に逃げられた留年生の汚名は回避できる。

「――ただし、俺にも父より受け継いだ竜騎士としての誇りがある。それを汚されるような事があれば、ただではおかん。それが俺からの絶対に譲れない条件だ」

「と、言う訳じゃが……どうじゃな、ミス・ヴァリエール?」

「は、はいっ! それでいいです!」

 ルイズとカインの契約は、未だ仮ではあるが、ようやく結ばれた形となった。

「よし、とりあえず一件落着じゃな。二人とも部屋に戻りたまえ」

「はい、失礼します」

「俺の帰還の件、くれぐれもよろしく頼む」

 ルイズとカインは学院長室を後にした。







「さて、取りあえず使い魔とやらになった訳だが……」

 ルイズが学院に在学中に宛がわれている寮の一室で、今後の確認をする為にルイズと向き合う。

「俺は一体何をすればいいんだ?」

「それを話す前に、改めて名乗っておくわ。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステイン王国の貴族ヴァリエール公爵家の三女よ」

「俺はカイン・ハイウインド。元バロン王国竜騎士団団長だ」

 改めて、自分達の名前を名乗り合うルイズとカイン。所属までしっかりと言うのはお互い性格の表れだろう。

「それじゃあ、使い魔の役割を説明するわね。先ずは、主人の目となり耳となること」

「使い魔が見聞きしたことを主人が見聞きする、と言う事か?」

「そう」

「では、今おまえは自分の姿が見えているのか?」

「……見えない」

 いきなりの頓挫である。

「……他には?」

「後は、秘薬とか鉱石を見つけてくるとか……」

「悪いが、俺の専門外だ」

 実際のところ、ルイズもそう言った動物型の使い魔が出来そうな事をカインに期待してはいなかった。

「まあ、そうよね……。でもっ! 一番重要なのはこれよ! ご主人様を守ること!」

「……まあ、それなら何とかなるだろう」

 竜騎士として、セシル達と共に数々の困難を越えてきたカインだ。その上、三年間試練の山に籠り、修行を重ねてきた事で、その実力はますます上がっている。大抵の敵ならば問題なく退けられるだろう。

 もちろん、ルイズはそんな事は知らないが、彼が竜騎士――しかも一国の部隊長を務めていたという話もあったし、カインが装備している武具が見るからに超一級品なのを見ても、その実力には期待が持てた。


 大まかではあるが、使い魔と主人としての役割分担が決まった頃には、空に二つの月が輝く時間になっていた。

「今日は、色々あって疲れたわ……。もう寝ましょう」

「そうだな」

 そう言うと、カインは背を向けて歩き出す。

「ちょっと、どこへ行くのよ?」

「俺は廊下で寝る」

 事もなげにそう言うカインに、ルイズは疑問を抱く。

「なんで? ここで寝ればいいじゃない。流石にベッドは貸せないけど、椅子と毛布ぐらい貸すわよ」

 カインは振り返る。

「恋仲でもない男女が同室で眠るのは、倫理上好ましくない」

 カインも中々に堅物である。

「まあ、いいけど……じゃあ、朝になったら起こして」

「……自分で起きればいいだろう。幼児じゃあるまいし」

「誰が幼児よっ! それも使い魔の仕事の内なの! いいから、起こしなさいっ。いいわねっ?!」

「……わかったわかった」

 理不尽な言い分に、カインは内心溜め息を吐きつつも、敢えて突っ込みはしない。こういうタイプは軽く受け流しておくのが最良策だという判断。ルイズから毛布を一枚受け取り、カインは廊下に出て行った……。


 カインを見送った後、色々あって精神的に疲れて果てていたルイズは、着替えを終えると直ぐにベッドに倒れ込み、深い眠りに堕ちていった……。







 一方、その頃…………。


 カインは、毛布をドアの脇に置き、庭に出て空を見上げていた。
 空には、淡い青と赤の双月が輝いている。

「この世界でも、月は二つか……。しかし、色が少し違うな」

 誰に言うでもなく呟くカインは、かつての仲間達の事を思い出す。

――バロンを受け継いだセシルとローザは、元気にしているだろうか?
――幻界に戻って行ったリディアは、どうしているだろうか?
――エッジは、王としてちゃんとやれているだろうか?

 試練の山に籠ってからも時折、空を見上げて考えていた事を、この場でも考える。
 そして、同時に、自分が別世界に来てしまった事を……仲間達から遠く引き離されてしまった事を実感し、僅かな不安を感じる。

 自分は……果たして、バロンに…元の世界に帰れるのだろうか、と……。


「あの……」

 声に振り向くと、黒髪のメイドが桶を抱えてこちらを見ていた。

「俺に何か?」

「いえ、あの……あなたがミス・ヴァリエールが召喚されたという方ですか?」

 もう噂になっているのか、と内心溜め息をつくカイン。軽く頷いて答える。

「ああ、カイン・ハイウインド、竜騎士だ」

「えっ!? あっ、わ、私は、シエスタと申しますっ!」

 自分に向かってペコペコとお辞儀をしてくる様子に、カインはオスマンが言った事を思い出し苦笑する。

「……そんなに畏まらなくて良い。俺は別に貴族じゃないからな」

「えっ……? そう、なんですか? でも、竜騎士だって……」

「俺のいた国では、貴族だなんだは関係ない。腕を磨き、然るべき試験に合格すれば竜騎士になる事が出来る。尤も、言う程容易くはないがな」

 故郷バロン王国に於いて、主力が飛空艇団に移ってから、他の部隊は縮小されていった。竜騎士団もその例に漏れず、先代バロン王の方針で兵士が『暗黒剣』の習得を強いられるようになったことからも、規模はどんどん縮小され、最後には小隊規模にまで人員が削減されてしまった。
 尤も、それはカインが竜騎士団団長を務めていた当時の話ではあり、またカインも長くバロンを離れている為、現在のところがどうなっているかはわからない。


「へえ~、そうなんですか!! トリステインでは考えられませんね」

「……そうらしいな」

 オスマンにしか話を聞いていないが、シエスタの先程の態度から見ても、貴族が優遇され、平民がどこか差別されているというこの国の……いや、この世界の体制が窺える。
 ハッキリ言って、カインには理解できない考え方だ。

――故郷において、『魔法を扱う者』と『武器を扱う者』は役割の違いこそあれど、立場の上下などなかった。魔法が扱えるかどうかは、その人間を見る判断材料の一つに過ぎない。

 しかし、ここハルケギニアでは違う……。
 何故、魔法が使える、使えないの違いで、ここまでの格差が生じるのか? 何故、魔法が使えない者達は、貴族には敵わないと諦めてしまうのか?

 疑問は多々あるが、それはこの国―この世界の問題だ。――自分がつべこべ言う事ではない。


「あ、いけない私、まだ仕事の途中でした!」

「そうか、時間を取らせて悪かったな」

「いえ、カインさんは悪くないです。それに、お話出来て良かったです。宜しければ、またお話聞かせて下さい」

「ふ、つまらない話で良ければ、な」

 カインの言葉に、シエスタは笑みを浮かべ、手を振って駆けて行く。それを見送ると、カインもルイズの部屋の前に戻るため、歩き出した。


 こうして、一人の孤高の竜騎士と『ゼロ』と呼ばれる魔法使いの少女の一日が更けていくのだった。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第二話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:33
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第二話







「…………っ」

 目を覚ますと、見覚えのない廊下だった。

「……ああ、そうか」

 一瞬考え、カインは自分の現状を思い出す。

 竜騎士カインは、修行の途中でルイズの魔法によって、このハルケギニアに召喚されてしまったのだった。そして、そのルイズの使い魔として、ここに寝泊まりすることになったと……。

 外を見ると、まだ夜は明けていない。
 試練の山での修行中は、いつも陽が昇る前に起床し、早朝から修行を始める生活を送っていたおかげで、身体が自然に起きるようになっている。

 カインは毛布を脇に置き、外へ向かった。


「すぅ~~……ふぅ~~……」

 深呼吸をし、身体に新鮮な酸素を取り入れ、完全に覚醒させる。そして、カインは日課としている修行の為、城壁の向こうへ跳んで行った。






「……んぅ……」

 ルイズは体が揺さぶれられている感覚に、寝返りを打って抵抗する。だが、揺さぶりは止まない。それどころか、若干強くなっている。徐々に意識が眠りから覚めていく。

「うぅ~~……何よぉ、もう少し寝かせなさいよぉ……」

 目を擦りながら、寝惚け顔で横を見る。

「やっと、起きたな……」

「…………あんた誰?」

 目をシパシパさせながら、そう言うルイズにカインは呆れる。
 そして、溜め息を吐きながら、槍の柄でルイズを小突いた。カインが扱う槍は、柄の両端に刃が付いているので、刃の部分を外さないと危ないのだ。

「んきゃっ!」

 ポコッ! と軽い音が響くと、ルイズは頭を抑える。

「いつまでも寝惚けているんじゃない。さっさと起きろ、朝だぞ」

「~~~~っ、痛いじゃないっ! もっと優しく起こしなさいよッ!」

 頭の痛みで目が覚めたルイズは、涙目でカインに文句を言う。

「文句を言うな。言われた通り起こしてやったんだ」

「そんなの当たり前でしょッ! 私はご主人様なんだから、あんたは起こすのが普通なのよ!」

「使い魔の立場は受け入れたが、召使いになった覚えはない。騒いでないで身支度を整えろ。俺は、廊下にいる」

「えっ!? ち、ちょっと――」

 それだけ言うと、カインは部屋を出て行った。
 ルイズは、カインに使い魔として自分の身支度を手伝わせるつもりだったが、それを言う間もなく出て行ってしまった為、呆然としてしまう。
 そして、次第に思う様にいかない使い魔に腹が立ち始め、顔を赤くして震え出す。

「ううぅぅぅ~~~……!! バカァーーーーーッッ!!」

 ドアに向かって、子供のように大声で叫び、ドアに枕を投げつけるルイズであった。




 着替えが終了したルイズはしばらく膨れていた。しかし、そうしていても時間は過ぎる。

「…………朝食に行くわ」

 未だ不機嫌さを撒き散らし、ルイズはそう言うとドアに向かって歩き出す。カインもそれについて行く。

 そして、廊下に出た時――

「――おはよう、ヴァリエール」

――と、どこか相手を小馬鹿にするような口調の挨拶が飛んできた。

 その途端、ルイズはこれでもかと言う程に顔を顰める。
 声のする方を見ると、褐色の肌に、炎の様に赤く長い髪、そして……抜群のスタイルを持った少女(?)が壁にもたれかかる様に立っていた。

「……朝から嫌なものを見てしまったわ……」

 ぶつぶつと呟くルイズ。背後に暗黒オーラが漂い始める。

「……おはよう、ツェルプストー。それで、何の用? 私は、朝からあんたの顔なんか見ていたくないの。さっさと済ませて」

 渋々挨拶し、その後はトゲだらけの口調で要件を聞くルイズ。
 カインはその様子に、この2人が互いを敵視していることを悟った。と、同時に強く意識し合っている事も感じ取った。

「別にあなたに用なんかないわ。あたしが用があるのは、そっちの彼よ」

 ルイズが『ツェルプストー』と呼んだ少女は、ルイズからカインに視線を移す。

「へぇ~、本当に人間を召喚したのねぇ~……あら? でも良く見てみると、なかなかいい男じゃない♪」

 自分を値踏みするかのように見てくる少女の視線に、カインは内心不快感を募らせるが、表情は変えなかった。

「あなた、お名前は?」

「……人に聞く前に、自分から名乗るのが礼儀ではないか、お嬢さん?」

 クールに切り返すカインを見て、少女は「ふふっ」と余裕のある笑みを浮かべる。

「失礼。あたしはキュルケ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ」

「……カイン・ハイウインドだ」

「あら~、素敵なお名前ね♪」

 手短に自己紹介をする。カインは、こういう女があまり好きではない。あまり関わり合いになりたくない、というのが本音だった。
 しかし、キュルケの方はどうにも違うらしい。カインの事務的でクールな対応にも、何やら楽しげで妖艶な笑みを浮かべている。流石のカインも、背中に冷や汗が浮かぶのを感じた。

「――ちょっとっ! なに人の使い魔に色目使ってるのよっ?!」

 それまで置いてけぼりにされていたルイズが、我慢の限界とばかりに声を荒げる。

「……野暮ねぇ。まあいいわ。あ、そうだ! ついでだから、あたしの使い魔を紹介するわ、フレイム~」

 キュルケが後ろに向かって声を掛けると、のそのそと真っ赤なトカゲが現れた。

「…………」

 ルイズは、それを見ても驚きはしなかったが、どこかその眼には羨望の色が見える。それを察したかの様にキュルケは再びニヤリと笑い、歩いてきたトカゲに傍にしゃがむ。

「私の使い魔の“フレイム”よ。見て? この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈の『火蜥蜴サラマンダー』よ? ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんかつかないわよ?」

 フレイムと呼ばれた『火蜥蜴サラマンダー』は、キュルケに撫でられて気持よさそうに目を細くする。
 それと逆に、ルイズはどんどん不機嫌になってゆく。拳を握り締め、ワナワナと震えだす始末だ。

「素敵でしょ。あたしの属性ぴったり」

「あんた『火』属性だもんね」

「ええ。『微熱』のキュルケですもの。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなの。あなたと違ってね?」


 そんなやり取りが繰り広げられる中、カインは初めて見る『火蜥蜴サラマンダー』という生き物を観察していた。目は鋭いが、野生の獣のように警戒心や敵愾心でギラついてはいない。どこか人懐こい感じだ。キュルケによく懐いている。

 そこらの一般人ならば、その外観に驚き怯えるかもしれないが、カインは過去にフレイムの十倍はあろうかという『レッドドラゴン』と戦った経験さえある。
 今さら、こんな小さな(と言っても十分デカイが)トカゲ程度に動揺はしない。

「……ルイズ。時間はいいのか?」

 今にもキュルケに噛みつきそうな雰囲気を纏っているルイズに、カインは声を掛ける。

「~~~っっ、わかってるわよッ!!」

 ルイズは肩をいからせ、ズンズンと音がする様に大股で廊下を歩いて行く。
 不機嫌もここに極まれり……。カインはその様子を見て、溜め息を吐く。

「ふぅ……それでは、失礼する」

 カインはキュルケに一言掛けてから、ルイズの後を追う。

 その場に残される形となったキュルケは、非常に愉快そうに笑っていた……。



「くぅ~~~~~、何なのよあの女! 自分が火竜山脈の『火蜥蜴サラマンダー』を召喚したからって~!! しかも、わざわざ人に見せつける為にわざわざ待ち伏せまでして~~ッッ!!」

 女子寮から出るや否や、溜めこんできた怒りを発散するように誰にともなく叫び、地団駄を踏み始める。相当我慢していたらしい……。

「随分、あのキュルケとかいった娘が気に入らないらしいな?」

 カインの問い掛けに、すさまじい形相で「ギュルン!」と振り返るルイズ。その顔に、思わずカインも引いてしまう。

「――当たり前よ! あの女、キュルケはトリステインの人間じゃないの! 隣国ゲルマニアの貴族よ! 私はゲルマニアが大嫌いなの! 私の実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあって、戦争になるといっつも先頭切ってゲルマニアと戦ってきたわ! そして、国境の向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ! だから、戦争の度に殺し合ってるのよ! お互い殺し殺された一族の数は、もう数えきれないわ!!」

 突然、ルイズは矢継ぎ早に自分とキュルケ、双方の実家の確執、更には帝政ゲルマニアとの確執の歴史さえ語り始めた。

 そもそも帝政ゲルマニアとは、トリステインの北東にあるトリステインの十倍ほどもある広大な国土を誇る大国である。割りと若い国で、魔法より冶金などの技術に優れており、ゲルマニア製の刀剣や防具などは他国で高い評価を受けている。
 また、社会風習や政治制度もハルケギニアの他の国とは一線を画しており、金があればメイジではない平民であっても領地を買い取って貴族になることができる。

 一方、トリステイン王国はハッキリ言って小国、しかも古い考えを尊ぶ風潮が強く、平民が貴族になる事は非常に稀だ。

――そう言った国の在り方や考え方の相違から、お互いを快く思っていないらしい。

 まあ、それだけならば、カインも普通に納得したのだろうが……。

「――それだけじゃないわ! ヴァリエール家はツェルプストーに、堪え難い辱めを受け続けてきたの!」

「堪え難い辱め――?」

 ここが本題とばかりに、声をより大きく、より怨念を込めて言い放つルイズに、カインは尋ねる。

「そう! ヴァリエールのご先祖様たちは、ツェルプストーの一族に、自分の奥さんや恋人を寝取られ続けてきたのよ!!」

――カクン……

 カインは思わず倒れそうになってしまった。どんな壮絶な確執かと思いきや、いきなり低レベルな話になった。
 しかし、ルイズは先ほどの国同士の確執のことよりも、激しい怒りを込めて語り始める――。

「――私のひいひいひいお爺ちゃんは、キュルケのひいひいひいお爺さんのツェルプストーに恋人を奪われたし、ひいひいお爺さんは、キュルケのひいひいお爺さんに婚約者を奪われたわ! ひいお爺さんのサフラン・ド・ヴァリエールなんか、あの女のひいお爺さんのマクシミリ・フォン・ツェルプストーに奥さんを取られたのよ!!! いえ、弟のデゥーディッセ男爵だったかしら……って、もうそんな些細な事はどうでもいいわ!!」

――語っている内に怒りで興奮してきてしまったのか、呼吸がどんどん荒くなっていく。

 が、カインはそれに反比例してどんどん冷めていく。もはや、何も言う気になれないほどに、呆れていた。

「――とにかくッ! あのキュルケの実家、フォン・ツェルプストー家は、ヴァリエールの領地を治める貴族にとって不倶戴天の敵だってこと!! だから、あの女に気を許しちゃダメよ! あの女にだけは絶ッ対にダメッッ!!」

「ああ、わかったわかった……」

 つまりはそれが言いたかったのだろう。黙って聞いていただけなのに、カインは非常に消耗していた。

「はぁ……何だか疲れたわ……。早く朝食に行きましょう……」

 自分で興奮して、勝手に消耗してだるそうに歩いて行くルイズの背中を見ながら、カインは自分の先行きを考えてしまい、大きな溜め息を吐いてしまうのだった。




「おい、見ろよ。『ゼロ』のルイズだ……」

「昨日召喚したっていう騎士も一緒だぞ……」

 アルヴィーズの食堂と呼ばれる魔法学院に設けられた大食堂に、ルイズとカインが入った途端、周囲がざわつき始める。
 ルイズはどこか、努めて無視している感じで歩みを進める。一方カインは、視線だけで周囲を見渡し、この大食堂に感心していた。

 そして、ルイズの席らしい場所に辿りつき、ルイズが席に着く。

「ルイズ、俺はどこに座ればいい?」

「そこよ」

 ルイズは自分の脇を指差す。その指の指し示す方向には、床に置かれたパンとスープ……。カインはそこから導き出される嫌な予感に顔を顰める。

「まさか……床で食え、と?」

「し、仕方ないでしょ! 本当なら使い魔は外で食べる所を、あんたは私の厚意で――」

「――外で食った方がマシだ……」

 短くそう言うと、カインは床のスープとパンを持ち、外へ向かって歩いていく。

 ルイズのあまりに理不尽な扱いに、滅多な事では腹を立てないカインも流石にわずかながら怒りを覚えた。顔の半分を隠してしまう形の兜の内側で、カインは眉間に皺を刻んでいた。

「え、あ! ちょっと……!?」

 声を掛けたルイズの方に向き直ることなく、カインは外に出て行った。途端、周囲からは失笑が聞こえ始める。
 その笑いに、ルイズは顔を赤くして俯き、膝の上で拳を握り締める。

(…………何よっ、使い魔のくせに、私に恥をかかせて……! それは、床に食事を置いたのは、ちょっと悪かったと思うけど…………でも、なにも出ていくことないじゃない……!!)

 カインを責めたり、自分の非を認めてみたり、やっぱりカインへの文句を考えたり……。
 ルイズが一人で眉を吊り上げたり、萎んでみたり、ぶつぶつと何かを口ずさんだり……その様子があまりに不気味だった為、周囲からは笑いが消え、代わりにひそひそ話が飛び交う。

――結局、ルイズは一人百面相をしていた事に、朝食が終わる頃になっても気付かなかったという……。




 一方、その頃……

「はぁ、まったく……あれがこの世界の貴族とはな」

 ルイズの態度に腹を立て、外に出たカインは手早く食事を済ませていた。
 と言うよりも、ルイズが用意したカイン用の食事は、パン一個と具の少ないスープだけという、まともな食事ではなかった為、カインがどれだけ行儀よく食べても、すぐに済んでしまったのだ。

「――おや? カイン君じゃないか」

 味気ない食事を終え、空を見上げていると、突然横から声が掛かる。

「コルベール殿か……」

 そちらに顔を向けると、昨日と同じ恰好のコルベールが立っていた。

「ああ、コルベールと呼び捨ててくれて構わないよ。それより、どうしたのかね? この時間ならば、ミス・ヴァリエールと食堂で朝食を摂っている頃だろう?」

「……もう、済んだ」

 カインは脇に置いた食器を指差す。コルベールも状況を察した様で、苦笑いを浮かべる。

「う~む、ミス・ヴァリエールにも困ったものだな……。おお、そうだ! 厨房に行ってみるといい。コック長のマルトー氏に訳を話せば、賄いを分けてもらえるだろう」

「本当か? それは助かる。ルイズが用意した食事では、流石に足りなかったところだ」

 カインは食器を返す手間も省けると、立ち上がり厨房へ向かおうとして、ある事を思い出し、コルベールに声を掛けた。

「そうだ、コルベール。実は、頼みたいことがあるんだが……」

「――うん? 何かね?」


 ……。

 …………。

 ………………。


「――という訳なんだが、頼めるだろうか?」

「なるほど、そういう事なら喜んで引き受けよう! まかせてくれ」

「ありがたい。では、後ほど」

 挨拶を交わすと、カインはコルベールと別れ、厨房に向かった。




 厨房では、貴族の子息子女達への料理の配膳が終わり、手の空いたコック達が休憩をとっていた。

「やれやれ、やっと休憩か。ったく、こっちが必死こいて働いてるってのに! 貴族のガキ共は良い御身分だぜ」

 コック長のマルトーは、ハッキリと貴族への不満を口にする。周囲のコックやメイド達も、うんうんと頷いている。

「コック長っ、ダメですよ、滅多なこと言っちゃっ! 貴族の方々に聞かれたら大変な事になります!」

 その中の若いコックがマルトーを諌める。

――実はマルトーは大の貴族嫌い。常日頃から、横暴な貴族達への不満を募らせながら、ここで働いていた。

「それが気に喰わねぇんだよ! 俺達平民は、貴族の気まぐれで職を失う事だってある――ふざけやがって! てめえらに、俺達みてえな料理が作れるもんなら作ってみろってんだ!」

 無論、マルトーとて、今現在の世界の理は理解している。貴族達の前でこんなことは言えば、自分はただでは済まないのも知っている。
 自分だけならばまだ許容出来る。しかし、その累は往々にして周囲の仲間達にも及んでしまう危険性がある。

 だから、例え不満を覚えても、正面から貴族達に文句を言う事ができない。
 だから、こうした身内だけの時に吐き出して、爆発しないようにしているのだ。


「――すまない。コック長のマルトー殿は、いるか?」

 自分が名指しで呼び出されるのを聞いて「また貴族のボンボンが料理に文句でも付けたか?」と、顔を顰めながら厨房の入り口に向かう。

 と、そこには竜の兜をかぶった青年が立っていた――。



「――すまない。コック長のマルトー殿は、いるか?」

 厨房の奥からやってきたカインは奥に向かって、声を掛けた。すると、奥から恰幅の良い中年の男がやってきた。

「マルトーはオレだが……おめえ、もしかして、シエスタが話してたカインって奴か?」

「確かに、俺はカイン・ハイウインドだが」

「やっぱりそうか! で、俺に何の用だい?」

「実は……」

――カインは、ルイズが用意した朝食では足りず、コルベールに紹介されてマルトーを頼ってきた旨を伝えた。

「そういう事か。よしっ、こっちに来な。今朝の賄いがまだ残ってたはずだ」

 マルトーは、カインを厨房の奥へ連れて行った。

 そこでマルトーによって振る舞われた料理は、ライ麦パン、シチュー(先程とは違い具沢山)、サラダというバランスの取れたメニューだった。


「――馳走になった」

――カインはそれらを、ガッつくことなく行儀よく完食した。

「おう、お粗末さん」

 カインが食べ終わった食器を、別のコックが水をはった桶に入れ、手早く洗う。

「さっき飲んだスープもそうだったが、実に美味かった。大した腕前だな」

「あったりまえよ! こちとら手間暇かけて作ってるんだ。手抜きなんざ、一切無しの真剣勝負! 厨房は俺達の戦場だからな! はっはっはっはっ!!」

 カインの言葉に気を良くしたマルトーは、腕に力こぶを作って豪快に笑う。
 マルトーのその笑い方に、故郷バロンにいた飛空艇技師のオヤジを思い出した。全然似ていないはずなのに、その笑い方には通じるものがあった。

「そう言やぁ、シエスタから聞いたが、おめえ貴族じゃねえんだって?」

「ああ、代々竜騎士の家系だが、貴族ではない」

「へぇ~! そいつは凄え! シエスタの言ってた通りだ!」

 またマルトーは豪快に笑いだす。今度は、豪快な中にも喜色が混ざっている。恐らく、貴族ではなくとも竜騎士になれたという所に、希望に似たものを感じたのだろう。トリステインでは、まず魔法の使えない平民が騎士に――それもエリート中のエリートたる竜騎士になるなど、絶対にあり得ない事だ。

――しかし、カインは竜騎士だと言う。同じ平民でありながら、エリートになれたという。希望を感じずにはいられなかったのだ。

 他のコック達も、そんなカインを尊敬の眼差しで見つめている。

「あんちゃん、何か困った事があったら遠慮なく言ってくれ! 俺達に出来ることなら、何でも力になるぜ!」

 そう言って、背中をバシバシ叩くマルトーに苦笑しながらも、その言葉は嬉しく感じていた。

「――ごほっ……では、早速頼んでもいいだろうか?」

「おう! 何でも言ってくれ!」

「これから食事の時は、ここの賄いを分けてもらえないだろうか?」

「それくらいお安い御用だ! あんちゃんなら、いつでも大歓迎だぜ!」

「ありがたい、感謝する、マルトー殿」

 自分の願いを快く承諾してくれたマルトーに、カインは頭を下げて感謝する。

「“マルトー殿”なんて止してくれよ、背中が痒くなっちまう。“マルトー”で良いぜ」

 そう照れくさそうにそういうマルトーに、カインはふと笑みを浮かべ、改めて言いなおす。

「では……感謝する、マルトー」

 マルトーと握手を交わし、カインは彼をはじめとするコック達と少しの間談笑し、厨房を後にした。




 厨房でマルトーら、コックたちと友好を深めた後、カインは学院の庭で槍を用いた演武で腹ごなしをしていた。

「――やっと見つけたわよっ!」

 演武を止めて振り向くと、眉を吊り上げたルイズ肩で息をしていた。

「……そっちも朝食が済んだようだな」

「そんなことはいいのよ! それより、さっきのアレどういうつもりよっ?! ご主人様をほったらかしにして……、私がどれだけ恥をかいたと思ってんのよっ!!」

――さっきのアレ、とは朝食時にカインが外に出て行った件の事だ。

「ああ、その事か……」

「「ああ、その事か……」じゃないわよッ!! あんたねぇ、少しは私の立場ってものを考えなさいよっ!」

「――ルイズ。俺はオスマン老の前で言ったはずだ。『俺の誇りを汚すような真似をしたら、ただではおかん』と」

「――っ!? そ、それはそうだけど……」

 予想外のカインの迫力に、ルイズは最初の勢いを萎ませてしまう。

「そして今朝、こうも言った。『召使いになった覚えはない』とな。あんな家畜のような扱いをされて、人が納得するとでも思っているのか? 傲慢も大概にしておかんと、その内痛い目を見るぞ」

「え、あ……、うぅ……」

 出鼻を挫かれた形となったルイズは、しゅんと項垂れる。

 振り返ってみれば、確かにあの扱いは、酷過ぎたかもしれない。カインが怒るのも無理はなかった。
 今更ながらに、ルイズは己の行いを反省する。

「……わ、悪かったわよ……」

「……わかればいい」

 物言いは素直ではないが、自分の行いをちゃんと反省できるのは美徳だ。カインも、それ以上責めるのは止めることにした。

「ああ、それで、俺の食事の話なんだが……」

「な、なによっ?」

 まだ立ち直りきっていないところに、再び話が戻ってきたことで、ルイズは僅かに動揺する。

「コック長のマルトーと話をして、厨房の賄いを分けてもらう事にした。今後、俺の食事は用意しなくていい」

「え、あ、そ、そう……」

――考えてみれば、カインは自分の無理に付き合ってくれている。

 そのつもりがなかったとはいえ、カインをここに召喚して、故郷から引き離してしまったのは自分だ。
 しかし、彼はその事で自分を責めるようなことはしないし、自分の進級の為に『使い魔』という立場を受け入れてもくれた。

 それに比べて、カインの人として当たり前の態度に腹を立てていた自分の、なんと幼稚なことか……。

「……そんな顔をするな」

「……え?」

 カインはそう言うと、ルイズの頭にポンと手を置く。

「もう済んだ事だ。気にすることはない」

「き、気になんかしてないわっ、してないもんっ!」

 カインの手を振り払い、顔を背けるルイズの頬は朱に染まっていた。それを見て、カインはルイズに分からないように笑った、いや、微笑んだ……。


「ところで、この後の予定はどうなっているんだ?」

「当然、授業に出るわよ。今日は錬金の授業だったかしら……」

「もしやそれは、俺も行かねばならないのか?」

「別に、あなたは生徒じゃないから、出なきゃいけないわけじゃないけど……」

「ならば、授業とやらの間、別行動をとって構わないか?」

 カインは、先程コルベールにあって頼んだことを伝えた。



 遡ること三十分ほど前――

「そうだ、コルベール。実は、頼みたいことがあるんだが……」

「――うん? 何かね?」

「俺に、この世界の文字や常識を教えてくれないか?」

 カインは、この先もしばらくはこの国――この世界で過ごさなければならない事実から、この世界の事を知らなければと考えていた。

 先日、オスマンに見せてもらった書に書かれていた文字は全く読めなかった。
 この先の事を考えれば、この世界の一般教養を身に付けておく必要がある。そこで、自分の事を知っているコルベールにそういった事の教授を依頼しようと思っていたのだ。

――その旨を伝えると、コルベールは笑顔で快諾した。

「なるほど、そういう事なら喜んで引き受けよう! まかせてくれ」

「ありがたい。では、後ほど」

 そう言って、カインはコルベールと別れた――。



「――という訳なんだ」

「なるほど。いいわ、授業が終わったら私はアルヴィーズの食堂にいるから、迎えに来なさい」

「わかった」

 ルイズは、カインの別行動を許可すると「授業があるから」と言ってその場を後にした。それを見送ると、カインもコルベールから聞いておいた、場所に向かった。





――カインと別れて、教室にやってきたルイズ。周りには他の生徒達も着席し、授業の開始に備えている。

 少しして、初老の若干ふくよかな女性が入って来ると、生徒達は静まる。

「皆さん、おはようございます。無事に春の使い魔召喚の儀を終えたようで、このシュヴルーズ、皆さんの進級を心から嬉しく思います」

 このシュヴルーズと名乗った女性は、今年からトリステイン魔法学院に赴任してきた新任教師である。系統は『土』、二つ名を『赤土』という。
 彼女は生徒達の傍にいる様々な使い魔達を見渡し、優しげな微笑みを湛えている。

 そんな中――

「『ゼロ』のルイズ! おまえ、結局使い魔には逃げられたままか~?」

 小太りの少年が、あからさまにルイズをからかう様に声を掛ける。すると、周囲からも笑いが沸き起こった。

「誰の使い魔が逃げたのよっ、『かぜっぴき』のマリコルヌっ!」

「『かぜっぴき』だと? 俺は『風上』のマリコルヌだっ! 風邪なんか引いてないぞ!」

「あんたのガラガラ声は、まるで風邪でもひいてるみたいじゃないっ! うがいでもして来たらど……っ?!」

 次第にヒートアップして騒ぎ出す、ルイズとマリコルヌという少年。だが、シュヴルーズが杖を振ると、二人は糸の切れた人形のように、すとんと席に落ちた。

「ミスタ・グランドプレ、ミス・ヴァリエール。みっともない口論はおやめなさい。お友達を『ゼロ』だの『かぜっぴき』だの呼んではいけません。わかりましたか?」

「ミセス・シュヴルーズ。僕の『かぜっぴき』はただの中傷ですが、ルイズの『ゼロ』は事実です」

 周囲からクスクス笑いが漏れる。
 シュヴルーズは、厳しい顔で教室を見回し、再度杖を振る。すると、未だクスクスと笑っている生徒達の口が、赤土の粘土で塞がれた。

「あなたたちは、そのままで授業をお受けなさい」

 くすくす笑いが静まるのを見て、シュヴルーズもようやく授業を再開した――。

 先ずはおさらいとして、ハルケギニアの魔法の四代系統の話から始まり、本題の土系統の講義が始まる。
 ハルケギニアの魔法は、基本的に四つの属性――『火』『水』『風』『土』に分けられ、これらを一般に四大系統と言う。それに失われた系統『虚無』を合わせて、全部で五つの系統が存在する。

――そして、『土』系統魔法の話に移っていった。

「今から皆さんには『土』系統魔法の基本である『錬金』の魔法を覚えてもらいます。一年生のときにできるようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう一度おさらいすることに致しましょう。では、実際に私が錬金を実演してみましょう」

 そう言ってシュヴルーズは懐から、数個の石ころを教卓の上に置き、杖を振った。
 すると、石ころは金色の物体に変化した。

「そ、それってゴールドですか!?」

 生徒達が驚き、ざわつくなか、机から身を乗り出してキュルケが訪ねる。

「いいえ、真鍮です」

「なぁ~んだ……」

 シュヴルーズの答えに、がっかりした様子で椅子に座り直すキュルケ。

「ゴールドを錬金出来るのは、“スクウェア”クラスの土のメイジです。私はただの……“トライアングル”メイジですから……」

 “スクウェア”“トライアングル”とは、メイジのレベルを示す言葉である。
 系統を足せる数によって呼び方が変わり、一系統しか使えない者は“ドット”、二系統を足せる者を“ライン”、三系統ならば“トライアングル”、四系統が“スクウェア”となる。

「さて、それでは今度は皆さんの中から、誰かに実際に錬金を行ってもらいましょう」

 シュヴルーズは真鍮をしまい、新しい石ころを取り出して、生徒達を見渡す。

――そして、その視線がルイズに止まった。

「では、ミス・ヴァリエール」

『――っ!!??』

――瞬間、教室内の空気が凍り付く。生徒達は、オロオロしはじめ、困った表情で互いに顔を見合わせる。

「あ、あの~、先生ぇ……」

「何か?」

「その……やめておいた方が……」

――うんっ、うんっ!

 控えめに手を挙げた生徒の提案に、教室中の生徒達が一糸乱れず必死に頷く。

「危険です! ルイズがやるぐらいならアタシが――」

「――ッ!」

――カチン

 慌てて立ち上がったキュルケの言葉に、ルイズの中でスイッチが入った。

「――やりますっ! やらせて下さいッ!!」

 ルイズの言葉で、周囲の生徒達から悲鳴が上がる。皆、一様に脅え、机に身を隠す。
 そんな中、ルイズは席を立ち、教卓に歩いて行く。

――そして、ついに教卓の前に立った。

「――ルイズ! やめて!!」

「黙って、気が散るから」

 キュルケが生徒を代表するようにルイズに懇願したが、もはや手遅れとばかりに、自分も机に身を隠す。
 そんな様子に不思議そうに眉を顰めながらも、歩いてきたルイズに錬金のアドバイスをするシュヴルーズ。

「良いですか、ミス・ヴァリエール? 錬金した金属を強く思い浮かべるのです」

「はい……」

 真剣な表情でゆっくりと杖を振り上げるルイズを見て、生徒達は更に怯え出す。

 そして、ルイズが石ころを金属に錬金しようと、詠唱をはじめ杖を振り下ろした――その時!

――ズガーーーンッ!!!





――時間はルイズが授業を受け始めた頃に遡る……。


 学院内のとある一室――カインはその部屋に足を踏み入れた。およそ30メイルという高さまでそびえ立ち、隙間なく書物が詰め込まれた本棚が並ぶ図書館である。

「……」

 入口にある受付にいた眼鏡をかけた司書が、一瞬読んでいた本から顔を上げ、カインに目を向ける。
 すると、本を置き、立ち上がろうとした。そこへ――

「――おお、カイン君! 待っていたよ」

――入口に程近い場所に座っていたコルベールがカインに気づき、声をかけた。

 それを見ると、若い女性の司書は再び椅子に座り直し、閉じた本を開き読み始める。
 ここには、秘伝書や魔法薬のレシピ等の貴重な文献もあり、盗難などを防止する目的で本来一般平民は入る事ができない。しかしカインの場合、教員であるコルベールの知り合いだと認識された為、何も言われなかったようだ。

「では、早速始めるとしよう」

「ああ、無理を言ってすまない」

「謝ることなどないよ。人に勉学を教えるのは、私の本分だ」

 そう言って笑ってみせるコルベールに、カインはもう一度だけ「すまない」と軽く詫びを入れ、コルベールの隣の椅子に腰掛ける。コルベールは脇に積んであった本の一冊を開く。

――『コルベールのハルケギニア一般教養講座』開講。


 ハルケギニアと元の世界の文字形態は、結構似ていた。例えば、文字は形が微妙に異なるが数はほとんど同じ。しかし、読み方が大分異なる。

「アー、ベー、セー」

 コルベールは、文字の読み方を一つずつ丁寧に教える。そして、一通り文字の読み方が済んだところで、次に簡単な単語を指差し、その意味を教えた。

――そこでカインは不思議な感覚を覚えた。

 コルベールが単語を指差し、その読みを発音して意味を説いているはずなのだが……、その単語さえ翻訳されて聞こえてしまうのだ。
 例えば「『春』は春」「『四月』は四月」「『わたし』はわたし」というような具合である。

 その調子でコルベールに少しずつ言葉の意味を教わる度に、今までただの読めない文字の羅列にしか見えなかった文章が、一瞬見ただけで、その意味が理解できるようになっていった。それがきっかけとなったのか、その後のカインの習得は早かった――。

 一時間もすれば、大抵の文章はすらすらと読めるようになり、コルベールも驚いたほどだ。

「う~む……、どういうことだろう?」

「む? 間違っていたか?」

「いや、そうではない。そうではないのだが……」

 コルベールは、今しがたカインが読み上げた文章を指差した。

「この文章、君は“取り返しのつかない事をしてしまった”と読んだ。しかし、実際ここには“皿の上のミルクをこぼしてしまった”と書いてあるんだ」

 そう言われ、カインはもう一度文章を見直してみるが、やはり先程読んだ通りにしか読めない。

「……先程から、気になっていたんだ。これまでも何度か、カイン君は書かれている文章とは微妙に違う読み方をしていた。しかし、それは間違ってはいない。むしろよく要約されて、意味を的確に捉えて表現している。まるで文章全体を言葉のように捉えているかのようだ。確かに、獣などを使い魔とした時、人語を話せるようになることもある。だが、それだけでは先程のような要約は説明がつかない……」

 コルベールは顎に手を当て、カインを見ながら考え込んでいる。

「ふむ……確かに妙だな。それを聞いて考えてみたんだが、どうやら俺は、正確には文章を“読んで”はいないようだ。コルベールに読みを教わったことがきっかけだと思うが……、文章の意味が直接わかると言うか……それが当たり前のように、そう見えてしまうんだ」

「ふむ……、確かにカイン君は別世界から来たのだから、言語は異なるはず……。しかし、我々と普通に会話が出来ている。つまり、聞いた言葉が頭の中で我々の言語に翻訳されている……。……そうか! 書かれた文章の場合は、その内容が一旦頭の中でカイン君の知る言語に翻訳され、言葉にする時に再びこちらの言語になる事で、微妙に文体が変化するのか!」

――こちらの世界での例として、古代ルーン語を現代の言葉に翻訳して、それを再び古代ルーン語に再変換すると、最初の文章と違った表現になることがある、とコルベールは語った。

 自分なりに納得のいく仮説が出来た事に満足したのか、コルベールはうんうんと頷いている。カインもコルベールの仮説を聞いて納得したが、また別の疑問が沸いてきた。

 それは、言葉が通じている事もそうだが、文章を瞬時に翻訳して読むことのできる現象の“原因”だ。

 それを考えていた時――

――ズガーーンッ!!

「――ッ! なんだッ!?」

 遠くで爆発音が鳴り、図書館全体が僅かに振動した。カインは咄嗟に警戒するが、コルベールは苦笑いを浮かべる。

「ああ……心配いらない。たぶん、ミス・ヴァリールだ……」

 ルイズの名前が出た事で、カインは疑問符を浮かべてコルベールに振り返る。
 コルベールは、苦笑しながらその訳を語った――。

――ルイズは何故か、どんな魔法を使おうとしても爆発し、それで一年の頃は、度々魔法の実演で教室を破壊してきた。

 それ故に、魔法成功率ゼロからとって、彼女が皮肉と侮蔑を込めて『ゼロ』のルイズという二つ名が付けられたらしい……。

「度々耳にする『ゼロ』のルイズというのは、そういう事だった訳か……」

「ああ。しかし、彼女はそれを何とかしようと日々努力を重ねている。自分の家名を汚さぬようにと、勉強を続けている。その証拠に、座学に於いて彼女は非常に優秀だ」

 そう語るコルベールに、カインも頷く。

――カインにも経験があった。実力が伸び悩み、偉大な竜騎士である父リチャード・ハイウインドと比べられ、悔しい思いをしていた時期が……。

 しかし、カインはその悔しさをバネに修行を重ね、その甲斐あって、亡き父の後を継ぎ竜騎士団団長の地位に就いたのだ。

 努力はいつの日か実を結ぶ――カインはそう信じている。だからこそ、ルイズの姿勢には好感が持てた。

「……そろそろお暇しよう。ありがとう、コルベール。おかげで色々と知る事ができた」

「この先も何か困った事があった時は、いつでも頼ってくれ。出来うる限り、力を貸そう」

 握手を交わし、カインは図書館を後にした。




 ルイズの様子を見に、教室へ向かおうと一旦庭に出た時だった――。

「うん、大丈夫……」

 誰かの話し声が聞こえ、その方に目を向けると、6メイル近くあるドラゴンの頭を撫でている少女がいた。

「ほう……」

 自分が見てきた“ソレ”よりも小さく、穏やかな目をしているが、それでもドラゴンとあそこまで仲睦まじくしている少女に、カインは感嘆の声を漏らす。

「――!」

 少し間を置いて、少女がカインに気付く。カインは、僅かに思案したが、少女に歩み寄った。

「そのドラゴンは、君の使い魔、なのか?」

「……」

 少女は無言で頷く。一方ドラゴンの方は、カインに興味津々の様子だ。じーっとカインを見つめている。

「……シルフィード」

「うん?」

「この子の名前」

 紹介され、シルフィードというらしいドラゴンが「きゅいきゅい♪」と嬉しそうに鳴く。そして、カインの方に鼻先を寄せ、カインがそれを撫でてやると、また嬉しそうに目を細める。

「タバサ」

「それは、君の名前か?」

「……」

 少女は頷く。

「カイン・ハイウインドだ」

 カインが自分の名を名乗ったところで、会話は止まった。しかし、カインはタバサを見てすぐに気が付く。

――彼女は、その容姿に似合わぬ程に場数を踏んでいる。自らの戦士の勘がそう告げていた。

 何故こんな少女が……と不思議にも思ったが、雰囲気から尋ねるべきではないことも察したので、口には出さない。
 それに……カインには、少女が意図してそういう雰囲気を放っているようにも感じられた。

「……」

 何を思ったか、タバサは持っていた杖でどこかを指し示す。
 何かと思い、カインがその先を見ると、彼女の杖は塔の最上階を指していた。

「あそこ」

「む? 何がだ?」

「あなたの探しもの」

 カインはタバサが言わんとしている事を察した。そして同時に、自分の目的を瞬時に見抜いた彼女の眼力に驚く。――が、今はルイズの事だ。

「……感謝する。ありがとう、タバサ」

「いい」

 タバサとシルフィードと別れ、カインは彼女に教えてもらった場所に向かう。

 タバサは、そのカインの後ろ姿を彼が見えなくなるまで眺めていた。




 タバサが指示した場所――それは、カインも訪れた事があるこの学院の最高責任者の執務室。そのドアの前まで来たが、カインはドアを叩こうとはせず、壁に寄りかかっている。

――ガチャッ……

「…………」

 しばらくして中から、ルイズが無表情で出てきた。

「――っ!?」

 ルイズは壁に寄りかかるカインに気付くと、一瞬驚いて目を見開いたが、すぐにムスッとした表情に変わり、そのまま階段を降りていく。カインもその後に続く。

「……何よ……?」

「何も言っていない」

「……言わなくたって分かるわよ。どうせミスタ・コルベールから聞いて知ってるんでしょ? 私の事……」

「ああ、聞いた」

 言い淀む事もなく、カインは即答する。

「――っ、どうせあんたも私を嗤うんでしょ? 嗤いたければ嗤いなさいよ! 魔法学院に入学してから、魔法の成功率ゼロ! 付いた二つ名が『ゼロ』のルイズだものね!!」

 ルイズは被害妄想から自嘲気味に騒ぎ出す。しかし、その顔は非常に悔しそうであり、悲しそうである。カインは表情を変えず、ただルイズの“悲鳴”を聞いていた。

「――嗤わんさ」

「同情ならいらないわよ……!」

「――違う。ただ、意欲を持って努力する者を嗤うような恥知らずな真似をしたくないだけだ」

「――っ!?」

 ルイズはそれを聞いてバッと後ろを振り返る。カインはそのまま歩みを進め、すれ違いざまにルイズの頭をくしゃりと撫でた。
 一瞬硬直したルイズだったが、直ぐに頭から湯気を噴出し赤面する。

「な、なな、何すんのよっ! つ、使い魔の分際でっ……使い魔の、くせに……」

 言葉が尻すぼみに小さくなっていく。最後にはゴニョゴニョと何を言っているのか聞き取れないほどの呟きに変わった。

「ふっ、それだけ憎まれ口が叩けるなら、大丈夫だな。その負けん気で、この先も努力を続けるといい」

「――っ! ふ、ふんっ! 言われなくてもそうするわよっ!!」

 そう言い捨てると、ルイズはカインを再び追い越し、急ぎ足で階段を降りて行く。カインもその後を追った。




 正午――カインがマルトーに用意してもらった賄いを平らげ、ルイズを迎えに行こうとしていた時のこと。

「――なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!」

 ふとそちらに視線を向けると、数人の男子が集まって何か話をしている。
 その話の中心にいるのは、金髪の癖っ毛に、フリルのついたシャツを着て、しかも薔薇をシャツのポケットに挿している、見るからに気障な男子のようだ。

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませ為に咲くのだからね」

「…………」

 呆れた事を平然と言い放つギーシュという少年を、カインは冷やかな目で見る。
 あの少年の言葉――要は、不特定多数の女子と付き合う事で自分の欲求を満たしていることへの言い訳だ。
 カインは見るに堪えかね、視線を逸らすと、今度は黒髪のメイドが見えた。

――シエスタだ。

 彼女は、デザートらしいケーキを乗せたトレイを持って、先程の男子達の元に歩いて行く。


 シエスタは、ギーシュ達にケーキを配ると一礼してその場を去ろうとした。が、ふとギーシュのポケットからガラスの小瓶が落ちたことに気付いた。

「あの……落とされましたよ?」

 しかし、ギーシュは振り向かない。シエスタは、聞こえなかったのかと思い、その小瓶を差し出してもう一度ギーシュに話しかける。

「あの……ミスタ? ポケットから、こちらの小瓶を落とされましたよ……?」

 すると、ギーシュは顔を顰めてシエスタに振り向き口を開いた。

「……それは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」

 シエスタは、少し怯えながらも首を傾げる。

――ギーシュは「知らない」と言うが、確かに彼のポケットから落ちるのを見た。彼の物でないはずはない。

 そんなシエスタの困惑を余所に、他の男子達が小瓶を見て騒ぎ出す。

「――おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分の為だけに調合している香水だぞ!」

「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは……、つまりお前は今、モンモランシーと付き合っている。そうだな?」

「――違う。いいかい? 彼女の名誉の為に言っておくが……」

 ギーシュが周りの男子達に言い訳をしようとした時、近くのテーブルに座っていた茶色のマントを羽織った栗色髪の少女が立ち上がり、ギーシュの方に向かってコツコツと歩いてきた。

「ギーシュさま……」

 そして……、ギーシュの傍まで来るとボロボロと泣き始める。

「やはり、ミス・モンモランシーと……」

 怒りか、悔しさか、悲しさか……少女は肩を震わせる。

「彼らは誤解しているんだ、ケティ。いいかい? 僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」

――パチーーンッ!!

 ギーシュが言い終える前に、ケティと呼ばれた少女が、彼の頬を思いきり引っ叩いた。

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 そう言って、涙を零しながら踵を返してケティは走り去った。
 すると、今度は少し遠くの席から、見事なカールが施された金髪の少女が立ち上がる。ケティとは違い、厳めしい顔でカツカツとギーシュの傍までやってきた。

 それに気付いたギーシュは、慌てて彼女が何かを言う前に、言い訳を始める。

「モンモランシー、誤解だ。彼女とはただいっしょに、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」

 平静を装っているが、その額には冷や汗が伝っている。

「やっぱり、あの一年生に手を出していたのね?」

「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 モンモランシーと呼ばれた少女は、テーブルに置かれていたワインの壜を掴むと、無言で中身をどぼどぼとギーシュの頭から掛けた。

「うそつき!」

 そして一言怒鳴りつけると、その場を早足で去って行った。

――僅かに沈黙がその場を支配する。

 ギーシュはハンカチを取り出し、ゆっくりと自分の顔を拭った。そして、首を振りながら芝居がかった仕草で言う。

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 呆れた事に、自分には非がないかのような事を平然と口にするギーシュ。何を思ったか、彼はその場を動けずにオロオロしていたシエスタに視線を向ける。

「メイド君、君が軽率に瓶なんかを拾い上げるおかげで、二人のレディの名誉が傷ついたじゃないか。どうしてくれるんだね?」

「え……も、申し訳ありませんっ!」

 余りにも理不尽な言い草にも関わらず、シエスタは必死で頭を下げた。そこへ――

「――頭を下げる必要などない」

「――え……?」



――普段カインは、余程のことがなければ腹を立てたりはしない。そのカインの精神をもってしても、もはや我慢の限界だった。

 事の一部始終を見ていたが、シエスタに落ち度など皆無だ。
 しかし、目の前のギーシュというらしい小僧は、自分の責任をシエスタに転嫁して訳のわからない難癖をつけている――言いがかりも甚だしい。そして、シエスタがそれに泣きそうな表情で必死に頭を下げているのだ。こんな理不尽な事は無い。

「あの少女二人の名誉とやらを傷つけたのは、他の誰でもない貴様だろうが、小僧。それを、親切にも小瓶を拾い上げたシエスタが悪いだと? 勘違いも大概にしておけ」

 カインの迫力に押されながらも、ギーシュはまた言い訳を口にする。

「い、いいかね? 僕は彼女が香水の瓶を拾った時に、知らないフリをしたんだ。話を合わせるぐらいの機転があってもよいだろう?」

「――笑わせるな。それは何処の世界の屁理屈だ? 第一、貴様が彼女達を傷つけた事実に変わりはない」

 周りの男子達も「そうだそうだ!」とカインの意見に賛同する声が上がる。
 ギーシュも「ぐむむ」と口を噤んだ。だが、シエスタの一言でそれが一変する――。

「――か、カインさん! 貴族の方々に逆らったら……」

「――ん?!」

 ギーシュがシエスタの言葉を耳聡く捉えた。

「『貴族の方々に逆らったら……』? もしや……君は、貴族ではないのか?」

「――あっ!!?」

 シエスタは思わず、手で口を塞ぐ。――が、カインは臆した様子もなく言い放つ。

「ああ、俺は貴族ではない。加えて、魔法も使えん」

「――カインさん……っ!?」

 自らメイジでない事をあっさり白状してしまうカインを見て、シエスタは顔を青くする。
 逆に、ギーシュは口元を歪めて笑いだす。

「ふ、ふふふ……なるほど。そういえば思い出したが、君は確か『ゼロ』のルイズが呼びだした人間だったな。そうか、平民だったわけか。ならば、貴族の機転など分かるはずもないな」

 カインが貴族でもメイジでもないと知るや否や、ギーシュの態度が一転する。明らかに安堵し、強気になっている。

「くだらん。人の心が分からんボンクラに言われる筋合いはない」

「……どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

 カインの言葉に、ギーシュの目が光る。

「礼は知っている。単に、貴様のような馬鹿には尽くす必要がないだけだ」

「……よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」

 ギーシュは立ち上がる。

「ふっ、面白い。ご教授願うとしようか、おぼっちゃま?」

「――ふっ、ふふ……いいだろう。だが、貴族の食卓を平民の血で汚すわけにはいかない。ヴェストリの広場でやるとしよう……。君も覚悟が出来たら、来たまえ」

 カインの挑発で、顔を赤くしたギーシュは背中を震わせながら歩いて行った。その後を、同じテーブルに座っていたギーシュの友人たちがわくわくした顔で追って行く。だが一人はテーブルに残った。――どうやら、見張りのつもりらしい。

「――か、カインさんッ!」

 声に振り返ると、シエスタが縋りつかんばかりに近寄り、ぶるぶると震えている。

「こ、殺されちゃいます……貴族の方を本気で怒らせたら――」

――ぽふっ

 カインはシエスタが言い終わる前に、彼女の頭に手を置く。

「え……?」

 シエスタは、突然の事に困惑する。

「心配はいらん……」

 それだけ言い残し、カインはギーシュの後を追おうと、一人残った男子に歩み寄ろうとする。
 が、そこに一人の少女が駆けてきた――。

「――あんた! 何やってんのよ!? 見てたわよ!」

「……ルイズか」

「『……ルイズか』じゃないわよ! 何勝手に決闘の……っ?!」

――思わずルイズは息を飲んだ。兜の形状で目元は分からないが、それでも分かる程にカインの顔にはすさまじい迫力があったからだ。

「ヴェストリの広場とやらは、何処だ?」

 テーブルに残っていた男子も、カインの迫力を感じ取ったのか、顔を引き攣らせて立ち上がる。

「……こ、こっちだ」

 呆然とするルイズとシエスタを残し、カインはギーシュが待つヴェストリの広場へ向かって行った……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第三話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:34
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第三話







 トリステイン魔法学院の図書館のとある一画……ここで、一人の教師が書物と睨み合っていた。

――彼の名はコルベール。この魔法学院に奉職して二十年になる、中堅の教師である。二つ名は『炎蛇』、その名が示す通り『火』系統の魔法を得意とするメイジである。

 彼は、先刻この世界の文字を教授した青年、カイン・ハイウィンドの事が気にかかっていた。
 春の使い魔召喚の儀からこちら、『ゼロ』と呼ばれるラ・ヴァリエール公爵令嬢が呼びだした彼の事――いや、正確には彼の『左手』に現れたルーンの事がずっと気になっていたのだ。

 その時より、暇さえあれば古い文献を読み漁り、検索に没頭している。
 彼が今いる一画は『フェニアのライブラリー』と呼ばれる教職員のみが閲覧を許される特別貴重な書が収められた一画である。

 空中浮遊魔法『レビテーション』を使い、手の届かない書棚まで浮かび、一心不乱に書を探していた。そして、彼は一冊の本の記述に目を留めた。

「…………これは!?」

 コルベールが手に取った書の名は『始祖ブリミルの使い魔たち』――名の通り、始祖ブリミルが使役したという使い魔達について記述された古文書である。

 その古文書にあった一節に、見覚えのあるルーンが記されていた。そして、青年の左手のルーンのスケッチと見比べる。
 彼は、そこから導き出された事柄に目を見開き、驚いた。一瞬『レビテーション』が途切れ、床に落ちそうになる程に――。

「――おおっ、ととと……!」

 何とか持ち直し、ゆっくりと床に降下するや否や、古文書を抱えて慌てて走って行った……。




――所変わって、ここは本塔最上階にある学院長室。

 このトリステイン魔法学院の学院長を務めるオスマンは、白い口髭と髪を揺らし、テーブルに肘などついて、退屈を持て余していた。そして、おもむろに水キセルをふかそうと手に取る。

――と、同時に部屋の端に設けられた机に座って書類を書いていた秘書のミス・ロングビルが指揮棒の様な杖を振った。

 すると、水キセルがオスマンの手から浮き上がり、ロングビルの手元に移動する。つまらなそうにオスマンが呟く。

「やれやれ、年寄りの数少ない楽しみを取り上げようというのかね? ミス・ロングビル」

「あなたの健康管理も秘書である私の仕事です。オールド・オスマン」

 訴えをスッパリ切られたオスマンは、今度は何を思ったのか、立ち上がりロングビルの傍に歩み寄った。

「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というものが、何より重要な問題になってくるのじゃよ」

「オールド・オスマン――」

 ロングビルは書類から顔を上げず、走らせている羽ペンも止めずに言った。

「――もっともらしい事を言いながら、私のお尻を触るのはやめてください」

 言われた途端、オスマンは彼女の尻から手を離し、今度は奇妙なポーズで踊り始める。

「――都合が悪くなると、ボケた振りをするのもやめてください」

 どこまでも冷静な声で、動揺した様子もなくそう言うロングビルに、オスマンは心底つまらなさそうに溜め息を吐いて彼女から離れる。

――そこへ、何処からともなく、小さなハツカネズミがやってきた。

 それを見たオスマンが跪き手の平を差し出すと、ハツカネズミはその上に乗る。

「おお、我が使い魔モートソグニルよ。お前だけじゃな、気を許せる友達は」

 モートソグニルと呼ばれたネズミは、オスマンが差し出したナッツを持ちながら、何やら、「ちゅうちゅう」と鳴きだした。オスマンは、それに「ふむふむ」と頷いている。

「そうか、白か。うむ。純白とな」

「――ッ!!」

――瞬間、顔を赤くしたロングビルがスカートを抑える。

「うーむ、ミス・ロングビルは白より黒が似合うと思うのじゃが、そうは思わぬか? モートソグニルよ」

「オールド・オスマン。今度やったら、王室に報告します」

 顔を引き攣らせているロングビル。しかし、その言葉にオスマンは素早く振り返る。そして――

「――カーーッ! たかが下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな! そんな風じゃから、婚期を逃すのじゃ!!」

 目を剥いて怒鳴るオスマンには、年寄りとは思えない迫力があった。
 が、ロングビルの怒りの前には無力だった。

「あた。ごめん。もうしない。ほんと。ゆるして」

 ロングビルは、無言でオスマンを蹴り続ける。

――下着を覗かれた事……、何気に気にしていた事実を言われた事……。

 彼女から、先程までの冷静さは綺麗に消し飛んでいた。

――ガタン!

「――オールド・オスマン!」

「なんじゃね?」

 まるで、何事もなかったかのように闖入者コルベールを迎え入れるオスマン。ロングビルも秘書席で書類の処理を行っている。

――驚くべき早業である。

 一方、自分が入る前に行われていたお仕置きの事など露知らず、コルベールは大慌てである。

「たた、大変です! これを見てください!」

「何じゃ、これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。ま~たこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるのなら、たるんだ貴族達から学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……、なんじゃっけ?」

 オスマンは首を傾げた。同時に、コルベールはコケそうになった。

「――っ、コルベールです! お忘れですか!?」

「おお、そうそう。そんな名前じゃったな。君はどうも早口でいかんよ。で、ミスタ・コルベール。この書物がどうかしたのかね?」

「これも見てください!」

 コルベールは、カインの左手に刻まれたルーンのスケッチを手渡す。

――それを見た瞬間、オスマンの目が厳しいものに変わる。

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 オスマンの言葉に、ロングビルは静かに立ち上がり、一礼して学院長室を退室した。
 それを見届けると、オスマンから口を開いた。

「さて、詳しく説明してくれ。ミスタ・コルベール」





 『ヴェストリの広場』――トリステイン魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある中庭がそう呼ばれる場所である。西側にあるため、ここは日中でもあまり陽が射さない。

 今、ここには多くの生徒達で溢れていた。その理由は――

「諸君! 決闘だ!」

 そう高らかに宣言し、自らの杖たる薔薇の造花を掲げる金髪の気障な少年ギーシュ。彼のパフォーマンスに周囲の生徒達から、歓声が巻き起こる。
 今日ここで、彼と“ある男”の決闘があるという噂が瞬く間に広まり、その決闘を見ようと暇な野次馬が集まっていたのだ。

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの使い魔だ!」

 ギーシュの正面には、竜の兜をかぶった騎士が立っていた。
 彼の名はカイン。一時は、『竜人』だという噂も流れたが、今では竜の兜をかぶった人間で、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔である事で知られている。


(ど、どうしよう……)

 周囲の歓声に腕を上げて応えているギーシュは、内心ビビっていた。

 確かに、目の前の男が貴族ではなく、メイジでもないことは彼自身が自ら公言した。しかし、外見は見るからに強そうな鎧兜、手にしている槍も美しく鋭い輝きを持っている。カインが“平民”である事を知って、一時的に強気になり、売り言葉に買い言葉で「貴族の礼儀を教えてやる」なんて豪語したが、もし相手が自分より強かったらと思うと、自分の中から勢いが萎んでしまったのだ。

 だが、ここまで噂が広まり、これだけのギャラリーがいる中で無様な事をしたらいい嗤い者だ。

――もう、後には引けない。


「とりあえず、逃げずに来たその勇気は、褒めてやろうじゃないか」

 目の前の小僧は、薔薇を弄りながらそう言った。

――しかし、カインはギーシュの虚勢を一瞬で見抜いていた。

 余裕のありそうな表情とは裏腹に、眼の奥には焦りと動揺が見られる。
 途端に、カインは先程までの憤りが消え、目の前で虚勢を張るギーシュが哀れに思えてきた。

(しかし、事ここに至っては、もはや俺も無様を晒す訳にはいかんな……)

 哀れと思いつつも、カインは自分が退く案を切り捨てた。ここで引けば、ギーシュは再び横暴な行いを繰り返す。最悪、増長して己を省みる事を完全に忘れ、今まで以上に横暴な行いをしまう可能性も高い。
 カインは結局、お灸を据えるという意味で、この決闘ごっこに応じる事にした。

「勇気などいらん。貴様に対して、恐怖など皆無だからな」

「くっ……そ、その減らず口も、すぐに利けなくしてあげよう。では、始めるとしよう」

 そう言うと、ギーシュは薔薇の造花を振る。その造花から花びらが一枚地面に落ちる。

――すると、甲冑を着た女戦士の形をした金属の人形が現れた。身長はギーシュとほぼ同じ170サント程度。その肌は、淡い陽光を反射して煌めいている。

 大した詠唱も無く、自分の知る『召喚魔法』の類とも違う初めて見るタイプの魔法……。
 金属ゴーレムの出現にカインは一瞬だけ驚いたが、それもあくまで『一瞬』の事――。カインは、元の世界で似たようなモンスターを何体も倒している。慌てる必要などない。

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。文句はあるまいね?」

「好きにしろ」

「……い、言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

 ギーシュの口上で、この女戦士型のゴーレムが青銅で出来ている事がわかった。だからどうということもないが……。
 カインは周囲にわからないように溜め息を吐き、仕方なく槍を構える。

 が、その時――

(――? なんだ……?)

――自分の中に僅かな違和感を覚え、カインは一瞬、ギーシュから意識を逸らした。

 その隙を見逃さず、ギーシュは自分のゴーレム『ワルキューレ』を突撃させる。
 青銅のゴーレムがカインに向かって走り出した――!





――所変わって、ここは学院長室……。

 コルベールは、随分興奮した様子で、オスマンに説明していた。
 春の使い魔召喚の儀の際、ルイズが召喚した青年カイン――彼の左手に現れた契約の証したるルーンが気になり、今日までずっと調べていたことを。そして、今日『フェニアのライブラリー』で文献を漁っていたら……

「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、という訳じゃな?」

 オスマンは、コルベールが持ってきた古文書の一節と件のルーンのスケッチをじっと睨む。

「そうです! 彼の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じです! 彼は『ガンダールヴ』です! これが大事じゃなくて、なんなんですか! オールド・オスマン!」

 コルベールは相当に興奮しているらしく、頂点が禿げ上がった頭の汗をハンカチで拭きながらまくし立てた。
 が、そんなコルベールとは逆にオスマンは厳しい面持ちのまま、重々しく口を開く。

「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。という事は、あの青年は『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃろうな。じゃが、それだけで、そうと決めつけてしまうのは早計ではないかの?」

「……それもそうですな」

 オスマンの冷静な意見に、コルベールも熱を下げ、顎に手を当てて頷く。

――コンコン

「オールド・オスマン。私です」

 双方がどうしたものかと思案しているところ、部屋のドアがノックされ、ドア越しにロングビルの声が掛った。

「なんじゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしようとしている生徒がいるようで、大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒達に邪魔されて止められないようです」

 ロングビルの報告を聞いて、オスマンは顔を顰める。

「まったく、暇を持て余した貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、その馬鹿騒ぎをしとるのは何処の誰じゃ?」

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。父親も色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」

「……それが、生徒ではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の方のようです」

「「――!!」」

 ロングビルのその言葉を聞いて、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。

「教師達は、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

「……アホか。そんな事の為に、秘宝を使ってどうするのじゃ。放っておきなさい」

「わかりました」

 ロングビルが去っていくのを足音で確認したコルベールが、オスマンを促す。

「……オールド・オスマン」

「うむ」

 頷いたオスマンは、杖を振る。すると壁にかかった大きな鏡――『遠見の鏡』と呼ばれるマジックアイテムに、件のヴェストリの広場の光景が映し出された。



 ギーシュは呆然としていた。否、ギーシュだけではない。あれだけ喧しかった野次馬の生徒達さえもが、シンッと静まりかえっている。

(…………何が、起こったんだ?)

 決闘の相手である青年が、一瞬意識を逸らした隙を狙って自分のゴーレム『ワルキューレ』を突撃させた。あの隙を突かれれば、仮にあの男がいくら強いのだとしても倒せる――そう思った。

 が――あの男が一瞬でワルキューレに視線を戻したと思ったら、気付いてみればワルキューレは頭頂部から股下まで、真っ直ぐ半分に分かれて倒れていた。
 よく見てみれば、胸の部分に何かが刺さった様な跡もあった。いや、何かではない――あの男が持つ槍以外にある訳がない。

 予想もしていなかった光景――ギーシュの思考は停止した。


「……」

 呆然と立ち尽くしているギーシュを尻目に、カインは自分の両手を交互に見つめる。
 先ほど、ギーシュが放ったゴーレムを迎撃した瞬間、先程まで感じていた違和感が顕著になった。

(身体が……軽くなった)

 無論、カインはゴーレムの動きを完全に見切っていた。一応は速いのだろうが、カインからすれば非常に緩慢な動きに過ぎない。
 槍でゴーレムの胸部を一突き。引き抜いて、頭上から鋭く斬り裂く……。行ったのは、ただそれだけの動きだった。

――聞けば何でもない動作だ。それが驚くべき速さで行われた事を除けば……。

 何故だが身体が、いつもより軽く感じられた。長きに渡って、鍛えに鍛え抜いてきた身体だが、それだけではない。
 不思議な力で、自分の身体能力が更に向上しているのが感じられた。

――加えて、自分の武器の事だ。

 元々カインは、槍を扱う術に長けた竜騎士であり、今日まで振るい続けてきた自分の武器だ。当然完璧に使いこなしているし、手にも馴染んでいる。
 だがそれとは別に、まるで槍が自分の体の一部になったかのような不思議な感覚を覚えたのだ。

(……これは……一体? いや、後にするか……)

 今、考えたところで仕方がないこと――そう考えたカインは意識を現実に戻す。そして、視線を戻すと、ギーシュがこちらを見てビクリと肩を竦めませるのが見えた。

「――く、くそっ!」

 ギーシュは再び、新たなゴーレムを造り出す。

――しかし、今度はカインの方から仕掛けた。

 跳ぶが如く一瞬で間合いを詰め、ゴーレムの胸に槍を一突きで貫く。
 そして瞬時に引き抜き、反対側の刃で一閃――ゴーレムは上半身と下半身の二つに分かれ、ぐしゃりと音を立てて崩れ落ちた。

 カインはゆっくりと、ギーシュに歩み寄る。

「ひっ!?」

 小さな悲鳴を上げて、ギーシュは慌てて薔薇を振る。花びらが舞い、カインの周りを取り囲むように五体のゴーレムが出現する。

――ギーシュの武器は七体のワルキューレ。既に、二体が倒された今、残る五体を一気に投入した。これが倒されれば、ギーシュにもう成す術はない。

 ゴーレムが、カインに一斉に襲い掛かる――!

――ゴーレムの槍が振り下ろされ、その衝撃で土煙が舞い上がり、カインとゴーレム達の姿が隠れてしまう。


「ど、どうなったんだ?!」

 周囲の生徒達がざわつきながら、土煙が上がる地点を見守る。その中には、自分の身長を超えた杖を握る青髪の少女タバサの姿もあった――。

「……」

「あら? タバサも見に来てたの?」

 彼女に気付いたキュルケが声をかけた。タバサは無言で頷く。

「珍しいわね? あなたが決闘なんかに興味を持つなんて……」

「違う」

「え?」

 タバサの端的で、感情が乏しい否定の言葉にキュルケは首を傾げる。タバサは無言のまま、上を向いた。
 何かと思いキュルケもそれにならって、上を見上げる。

「――え?」

 キュルケはよく目を凝らすと、遙か上空に『何か』が見えた。

「あれって、まさか……!!」

 キュルケ達の様子に気が付いた生徒達も、何事かと上を向き始める。その間にも、その『何か』は徐々にこちらに降りてくる様で、その輪郭がハッキリしてきた。



――ギーシュは、またも己が目を疑っていた。

 自分のゴーレム五体が包囲し、一斉に襲わせたはずのカインの姿が、晴れた土煙の中に無かったからだ。

「――ど、どこに消えた?!」

 慌てて周囲を見渡しても、野次馬達の姿しか見えない。しかし、その野次馬の中にいたゲルマニアとガリアからの留学生で、クラスメイトのキュルケとタバサが何やら上を向いている。周囲の生徒達も同様に上を向いていた。
 何かと思い、自分も空に目を向ける。すると、空から『何か』が降ってくるのが見えた。徐々に輪郭がハッキリしていく内に、ギーシュは目が飛び出さんばかりに剥きだした。

「そ、そんな……あり得ない……」

 口元を痙攣させ、空からぐんぐん降りてくる『ソレ』を見ながら固まる。もう、思考が追いついていなかった。

――ズガァァァァンッッ!!!

 ギーシュが固まっている間に、『ソレ』が先程のゴーレム達が未だ密集している場所に激突した。
 凄まじい衝撃――まるで隕石である。周囲から僅かな悲鳴が上がる中、衝撃でゴーレム達は砕けながら吹き飛び、また土煙が上がった。

 そして、土煙が鋭く振り払われ、この決闘の当事者の一人である青年が姿を現す。

「……」

 カインは得意技である『ジャンプ』でゴーレム達を一蹴すると、再びギーシュに視線を向ける。
 見れば、もう戦意は喪失している様子だ。腰を抜かしたらしく、地面に尻餅をついている。

 おもむろにギーシュに歩み寄る。一歩近づくごとに、ギーシュの顔が引き攣っていく。

――彼の頭の中は後悔で満たされていた。安易に決闘を仕掛けた事、そして相手の力量を見誤っていた事への後悔……。

 この先に待っているであろう、自身の『結末』を想像して、ギーシュは震え上がる。
 貴族に於いて、決闘とは命を賭して行われるものとされている。それ故に、現在はトリステイン王国の国法で、安易に決闘を行う事は禁じられているのだ。

 しかし、ギーシュは先程多くの生徒達の前で『決闘だ!』と宣言してしまった。
 この場にいる者全てを、決闘の証人にしてしまった訳で……例え、今カインに殺されても、それは自業自得とされてしまう状況を自分で作ってしまったのだ。

――カインがギーシュの目の前まで迫った。そして、その手がギーシュに向けられていく……。

「――ま、参った。降参する……!」

 もう、逃げ道はソレしかなかった。恥も外聞もかなぐり捨て、ギーシュは目を堅く瞑り、頭を抱える様にして必死に降参の意志を口に出す。

「…………?」

 しばらく経っても何も起こらないことを不思議に思い、恐る恐る目を開ける。
 すると、カインが掌を返して自分に差し出していた。その行動に、ギーシュは困惑する。

「――つかまれ」

 ただ一言――それだけだった。カインは他には何も言わず、ただギーシュに手を差し伸べる。
 やがてギーシュはおずおずと、その手を取った。するとカインはギーシュの手を握り、力強く引っ張り上げ、ギーシュを立たせる。

「な、何故……?」

「自ら負けを認めた者を弄るような真似はせん」

 そう言うと、カインは背を向け歩いて行く。

「――ま、待ってくれ!」

 カインは無言で立ち止まる。だが、振り向きはしない。その背中に、ギーシュは言葉をかける。

「僕はギーシュ・ド・グラモン。ぜひ、君の……いや、あなたの名前を教えてくれ!」

「……カイン・ハイウィンドだ。ギーシュとやら、一つ言っておくことがある」

 そう言うとカインは振り返り、ギーシュに目を向ける。

「シエスタをはじめ、お前が傷つけた少女達には、きちんと詫びておけ」

「え……あ、ああ」

「それだけだ」

 カインは再び、背を向けて歩き出す。周囲の生徒達から、歓声が沸き起こる。
 ギーシュは、そんなカインの背中を呆然と見つめていた……。

――余談だが、カインのそのクールな姿に、見ていた女生徒達が頬を染め、その口からは溜め息が漏れていた。




――『遠見の鏡』で事の一部始終を見ていたオスマンとコルベールは、騒動が終了したと見て、再び顔を見合わせていた。

 オスマンが眉間に皺を寄せているのに対し、コルベールは若干興奮気味に眼を輝かせている。

「オールド・オスマン……!」

「うむ。まるで勝負にならんかったの。まあ、それはある程度予想できたことじゃが……」

「ええ。彼は物腰一つとっても隙がありませんでしたし、相当の修羅場を潜り抜けてきた強者だろうとは、私も思っていました。そして、何よりあの動き! あんな戦い振りは見たことない! やはり彼は『ガンダールヴ』に間違いありません!」

「う~む……」

 興奮を抑えきれない様子のコルベールが嬉々として語る中、オスマンは難しい表情を崩さない。

「オールド・オスマン。さっそく王室に報告して、指示を仰がなければ……」

「それはいかん」

 コルベールの提案を、オスマンは重々しく首を横に振って否決した。コルベールは驚いた様子で目を見開く。

「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇った『ガンダールヴ』!」

「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」

「その通りです。始祖ブリミルの用いた伝説の四体の使い魔の一角『ガンダールヴ』。その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱の時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」

「そうじゃ。始祖ブリミルは、詠唱を行う時間が長かった……その魔法が強大であるが故に。知っての通り、詠唱中のメイジは無力じゃ。そんな無力な間、己の身を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」

 そこまでオスマンが言うと、コルベールが興奮状態のまま、更に眼を輝かせて続ける。

「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジでは全く歯が立たなかったとか!」

「うむ……。ところで、ミスタ・コルベール。あの青年は、間違いなく『人間』だったのかね?」

「はい。ミス・ヴァリエールが呼び出した際に念の為『ディテクト・マジック』で確認しましたが、正真正銘ただの『人間』でした」

「まあ、あの戦い振りや対面した時の雰囲気を鑑みるに“ただの”とは、ちと言えんがの……。まあ、それはさておき――ミスタ・コルベール。君に尋ねるが、あの青年を現代の『ガンダールヴ』にしたのは誰じゃったかね?」

「ミス・ヴァリエールですが……」

「うむ、そうじゃな。ではもう一つ……、彼女は優秀なメイジじゃったかの?」

「いえ、その……、努力家であり、勉強熱心ではあるのですが……、優秀とは……ちょっと……。」

 多少、言いづらそうにしているコルベール。彼としては、自分の教え子を『無能』呼ばわりすることに抵抗を感じるらしい。

「――て、それはオールド・オスマンもご存知の筈では?」

「うむ……、まあのぅ……。それはさて置き、ここまでの話で、謎が二つある。どう考えても“優秀”とは言えんはずのメイジと契約した“人間の青年”が、何故『ガンダールヴ』になったのか。全く謎じゃ。理由が見えん」

 コルベールも神妙な顔で頷く。

「ここは、もう少し様子を見た方がええじゃろう。下手に王室に報せて、あそこのボンクラ共が『ガンダールヴ』とその主人を求めたらどうなると思う? 馬鹿共が、またぞろ戦でも引き起こすに決まっておるわい。宮廷で暇を持て余している連中は、ほとほと戦が好きじゃからな」

 やれやれと肩を竦めながら、オスマンは皮肉たっぷりに宮廷の貴族たちを批判する。しかし、コルベールも同感の様子だった。

「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」

「それに、じゃ……」

 オスマンは、長い髭をいじりながら椅子に背中を預ける。

「最初に対面した時に彼は言っておった。『自分の誇りを汚すような事をすれば、ただではおかん』とな。あれは、ミス・ヴァリエールのみならず、ワシらにも向けられた言葉だったはずじゃ。あの時、了承の意を示した以上、我々の都合でその約束を覆すわけにはいかん。そうは思わんか? ミスタ・コルベール」

「あ……! そうでしたな」

 歴史的発見に興奮して、肝心なことを失念していたコルベールは、反省の色が伺える苦笑を見せる。オスマンもそれを見て「うむ」と頷く。

「この件は私が預かる。他言は無用じゃ」

「はい! かしこまりました!」

 コルベールは力強く返事をすると、一礼して学院長室を後にした。オスマンは杖を握ると、窓際へ向かい遥か遠い歴史の彼方へ想いを馳せる。

「伝説の使い魔『ガンダールヴ』……。一体、どのような姿をしておったのだろうなぁ」

 文献には、『ガンダールヴ』はあらゆる『武器』を使いこなし、敵と対峙したとある。オスマンはそれを思い出し「腕と手はあったのじゃろうな」と再び呟く。
 だが、オスマンの呟きに答える者は、誰もいなかった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第四話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:36
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第四話







――ギーシュとの決闘騒動から四日……たった四日ではあるが、カインの日常は劇的な変化していた。

 まず、学院内で働くメイドやコックなど平民と呼ばれる者達が、カインの事を『我らが槍』と呼び始めた。最初にこれを言い出したのは、コック長のマルトーである。

 魔法の使えない身で、高慢なメイジを圧倒したという話は、瞬く間に学院中に知れ渡り、彼ら平民は大いに沸いた。誰もが、カインを尊敬の眼差しで見つめ、褒め称えた。マルトーなどは、カインが厨房に来るたびに親愛の接吻をしようとするほど――当然、カインはそれを頑なに拒んだが……。

 そして、先日の騒動の渦中にいたシエスタも、カインの食事時にはなるべく厨房に戻り、貴族達にするよりも丁寧に配膳を手伝うようになった。そんなシエスタを見て、彼女の同期のメイド達は、冷やかしたり、羨ましがったりと大変賑やかである。

 余談だが、ギーシュはあの決闘後、シエスタを初め、一年生のケティや同級生のモンモランシーに謝罪したらしい。
 シエスタにはあっさり許されたが、後の二人は平手打ち一発ずつで、何とか許しを得たという。



――そうして周囲に受け入れられ始めた今日この頃……、カインにも変わらない――いや、変えない日常もある。

 その内の一つが『自己鍛錬』――カインは、日課にしている夜明け前の修行の為、学院から少し離れた森を訪れていた……。

「……ふぅ……。このぐらいにしておくか」

 空を見れば、随分明るくなって来ていた。そろそろ、学院に戻らなければならない。
 カインは汗を拭い、森の外へ向かおうとした――その時である。

――ぶぎいぃぃぃぃぃぃ……!!!

「――っ!!」

 突然聞こえてきた獣のような咆哮に、カインは瞬時に身構える。

――どうやら、少し離れた場所から聞こえてきたようだ。

 カインは、その咆哮が聞こえた方向に向かって走り出した――。


「……この辺りか」

 少し走ったところで、カインは周囲の気配を探る。すると、それはすぐに見つかった。
 身長2メイル前後、豚の頭に肥満した醜い身体のモンスターが七体。それに囲まれたルビーの様な赤い鱗の竜が一匹――。

――カインはまだ知らないが、それは『オーク鬼』と呼ばれるハルケギニアに生息する化け物、亜人である。手だれの戦士5人に匹敵する戦闘力を持ち、鬼の名の通り人間を喰らうモンスターだ。

 見れば竜の方は翼を初め、身体のいたる所に傷があり、力無く横たわっている。未だ身体が動いている所を見ると、死んではいないようだ。
 周囲に何体かの豚頭モンスターが火傷を負っており、また数体が黒焦げで倒れている。恐らく、炎のブレスで応戦したのだろう。

 確認するや否や、カインはその竜を庇うようにオーク鬼の前に躍り出る。突然の邪魔者の出現に、オーク鬼も一瞬驚いたが、すぐに叫び声を上げて邪魔者に襲いかかる。

――しかし、いかに強力な腕力を誇るオーク鬼でも、カインの敵ではなかった。

 その動きはカインから見れば、極めて緩慢――オーク鬼の棍棒を軽々と回避し、その身体を貫き、斬り裂いていった……。


「……こいつで最後だな」

 最後のオーク鬼が完全に息絶えたのを確認してから、その心臓に突き立てていた槍を引き抜き、どす黒い血のりを振り払う。
 辺りを見渡すと、オーク鬼の死体が辺りにごろごろと転がっている。人が見れば、吐き気を催すか、卒倒してしまう光景だろう。

「……少し時間をくったな。あの竜は、大丈夫だろうか……?」

 戦っている間に少々場所を移動していたので、カインはすぐに竜の所へ戻った。


「……まだ息がある」

――カインはそれを確かめると、このハルケギニアに召喚される前から持っていた『ハイポーション』を使って、竜に治療を施す。

 手持ちの『ハイポーション』を全て使い切り、何とか身体の傷は塞ぐことができた。あとは、竜が目覚め、自分で飛び立っていくのを見届ければ大丈夫だろう。
 無論、逆に襲い掛かられる危険性はあったが、目の前で眠る竜を見捨ててはおけなかった。

 しばらく近くの岩に腰を下ろし様子を見守っていると、竜の眼がゆっくりと開いた。

「…………!」

 竜は自分の状況を思い出したのか、目を見開いてキョロキョロと周囲を見渡し、そしてカインに目を向ける。まだ少し怯えているらしく、その目から警戒の色が窺えた。
 カインは苦笑を洩らすと、竜に声を掛ける。

「気が付いたようだな。お前を襲っていた化け物共は片づけた。もう安心していい」

 カインの言葉が分かるのか、竜は安堵した様子で溜め息を吐く。

「お前、もう飛べるか?」

 カインがそう尋ねると、竜は自分も確認するように翼を広げ、羽ばたいてみせる。そして、大丈夫だと言う様に「きゅう♪」と元気に鳴いた。

「そうか。俺はもう行かねばならん。お前も自分の住処に帰るといい。じゃあな」

 カインはそう言って振り返る。

「――あ、待ってなの!」

 突如、少女の声が背中にかかった。少し驚いてカインは振り向くが、そこには先程の竜がこちらをじっと見ているだけだ。
 首を傾げながらカインは周囲を見渡すが、少女などどこにもいない。

「――こっち! こっちなの!」

 声の出所を探していると、再び同じ声が聞こえた。その声を頼りにそちらを向くと、やはり竜がいるだけだ。しかし、竜は首を振って何やら自己主張をしている……。
 カインは「まさか……」と思い、尋ねるように竜に向かって指を指す。すると、竜は「コクコク」と頷いた。

「――そうなの、私なの! お兄さん。助けてくれてありがとうなの!」

 カインは驚いた。

――竜が喋った……。

 確かに、かつて仲間の召喚士の少女が契約した幻獣の神『バハムート』は竜だったし、喋ってもいた。
 しかし、この世界にも喋る竜がいるとは思っていなかった。

「……お前、喋れるのか?」

 まだ多少驚いていたが、カインは彼女(声の質からして雌だと思われる)に改めて向き直る。

「うん! 本当は、人間さんの前じゃ喋っちゃいけないんだけど、お兄さんは私を助けてくれた良い人なの。だから、大丈夫なの!」

 喋り方は多少変わっているし、声の質も若干幼い感じだがしっかりとした性格だとカインには思えた。

「そうか。それで、わざわざ礼を言う為に呼び止めたのか?」

 だとすれば、律儀なことだとカインは思う。しかし、帰ってきた答えはまったく予想外なものだった。

「それもあるけど、ちょっと違うの。私、お兄さんについて行きたいの!」

「……なんだと?」

「お兄さん、さっき私を助けてくれた良い人なの。それに、なんだかとっても良い匂いがするの。あとお父さん達にも言われたの。『恩を受けたら、ちゃんと返しなさい』って。だから恩返しなの! 一緒に連れてってほしいの!」

 愛らしい目をキラキラと輝かせてそう言う彼女(暫定)に、カインは正直困ってしまった。この世界に於いて、カインは言わば『居候』の身である。あまり、勝手な事はできない。

「私、そこら辺の風竜にだって負けないの! 火だって吹けるし、他にもいろんなことが出来るの! きっとお兄さんの役に立つの!」

 翼を広げたり、軽く火のブレスを吐いてみたり、懸命に自分をアピールする彼女の姿に、カインは苦笑する。が、ここで一つの疑問が浮かんだ。

「ふ~む……しかし、さっきはあの化け物共に負けそうになっていたな?」

「――あうっ!? ……それは、その……ちょっと油断してたの。気持ち良く寝てたところを襲われたから仕方なかったの! そうなの! 真っ向勝負なら負けなかったのっ!」

 目が泳いだかと思えば、今度は自信たっぷりにそう言い放つ彼女の姿に、カインは再び苦笑を洩らす。

「ふふふ、そういう事にしておくか。で、いろんなことが出来ると言ったな? どんなことが出来るんだ?」

「うーんと……『念話』って言って、心の中でお話が出来るの。あと、『変化』! 精霊の力で人間の姿に変身することが出来るの!」

 そう言うと、早速見せると言って何やら呪文を唱え出した。

――すると彼女の身体が光り、その光がやむと竜の姿が消え、代わりに一人の少女が現れる。

 身長165サントぐらい、肩まで伸びたセミロングの赤髪、白過ぎず黒過ぎず健康的な肌色、バランスの取れたプロポーション、愛らしい顔立ち、そして――!!

――全裸……。

「――っっ!!?」

 カインは瞬時に首を捻り、顔を背ける。当の彼女はまったく気にした様子がなく、隠そうともしない。

「こんな感じなの……って、お兄さん? どうして、そっち向いてるの?」

「な、何でもない……! も、もうわかったから、元の姿に戻れ……!」

「? うん、わかったの」

 カインの態度に首を傾げるが、彼女は言われた通り再び竜の姿に戻った。カインも首を戻し、大きく溜め息を吐く。

「私、きっと役に立つの! だから、お願いなの。一緒に連れてって!」

「……わかったわかった」

「――! わーいっ! ありがとなの! ありがとなの!」

 彼女は大はしゃぎでカインに鼻先を擦りつける。カインはそんな様子に苦笑しつつも、その頭を優しく撫でてやる。

「……お互い、自己紹介がまだだったな。俺の名はカイン。カイン・ハイウィンドだ」

「私、レフィアなの。これからよろしくなの! カインお兄さん♪」

――竜騎士カインは、異世界の地で喋る竜のレフィアと出会った。




 一方、その頃……

 魔法学院の女子寮のとある一室――

「まったく……あいつったら、どこをほっつき歩いてるのかしら……!」

 その部屋の主、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは不機嫌だった。

――何故ならば、自分を起こすはずの使い魔がいつまで経っても現れず、結局自分で目を覚ましてしまったからだ。

 今もぶつぶつとその使い魔に文句を呟きながら、着替えをしている真っ最中である。

「ギーシュとの決闘の時は、ちょっとだけ……そう、ちょっとだけカッコ良いと思ったけど……。で、でもっ! ご主人様の言い付けを破るような使い魔には、やっぱりお説教が必要よねっ? そうよ、ここら辺でビシッと言って、私がご主人様なんだって事をちゃんと認識させないといけないわっ! うんっ!」

 着替えを終え、一人力強く頷くルイズ。心なしか、その頬には朱がさしているように見える。自分の理想の主人と使い魔の図でも妄想しているのだろう。
 先程までの不機嫌さはどこへやら……今は、どこか不気味な笑いを浮かべているルイズであった。

 妙な意気込みを胸に、ルイズは女子寮塔から外へ出る。

「それはいいんだけど、まずあいつが戻ってこないんじゃどうしようもないのよね……」

 至極当たり前の事を思い出し、また唸り出すルイズ。その時である――。

「――えっ!?」

――突如日光が遮られた。

 何かと思い空を見れば、鮮やかな赤色の竜と、その背中に跨る自分の使い魔の青年の姿が見えた。
 ルイズの姿を確認したのか、飛翔していた竜は一度旋回してからルイズの傍に滑空して着地――。当のルイズは、突然の事に呆然としている。

 地上に降り立つと、カインはレフィアの背から降り、その首を軽く撫でる。

「おはよう、ルイズ。戻るのが遅れてすまなかったな」

「え? あ、ま、まあ、それはいいわ。そ、それより……どうしたのよ?! その竜っ!?」

 ルイズはカインの傍まで歩み寄ると、レフィアを指差して騒ぐ。

「こいつはレフィアという。ここから少し行った森で化け物……『オーク鬼』だったか? それに襲われている所を助けたら、懐かれてな。一緒に行きたいと言うから連れて来たんだ」

「ふぅん……って、あんた竜の言葉が分かるの?」

「いや……なんとなく、な」

 ルイズの思わぬツッコミに、カインは咄嗟に誤魔化す。ここまでの道中、レフィアから彼女達の『種族』の事を聞かされていたからだ。

 レフィア達のように高い知能を持ち、人語や先住魔法を扱う竜は『韻竜』と呼ばれ、既に人間達の間では絶滅したことになっている。
 もしレフィアがその絶滅したはずの『韻竜』であると知れれば、人間達に捕まり、何をされるかわからないという。だから、自分の事は普通の火竜だということにして置いてほしいというのだ。ちなみに、レフィアはそのことを自分の親などから教えられたとのことだ。

 カインはそれに納得し、同意した。それ故、ルイズにも内緒にすることにしたのだ。


「……」

 ルイズは、その竜をちらちらと何か言いたそうに見ていた。カインは、その仕草でルイズの望みを悟り、レフィアに合図を送る。
 すると、レフィアはルイズに鼻先を近付けた。

「撫でていいそうだぞ」

「……」

 ルイズは、少し恥ずかしそうにカインを睨むと、おずおずとレフィアの鼻先を撫でる。

「……結構、可愛いわね」

「きゅう♪」

 ルイズの言葉が嬉しかったようで、レフィアは甘えるように頭を擦りつける。
 レフィアもルイズも、お互い気に入ったようだ。

「それで、ルイズ。レフィアのことなんだが……」

「え? ああ、そうね。オールド・オスマンに報告して、許可を頂けばここにおいておけると思うわ」

「そうか。ならば、その報告は俺からしておこう」

 カインが頼めば、オスマンも嫌とは言えないだろう。
 レフィアの処遇についての問題が解決の目途が立った事に安堵しつつ、カインは未だレフィアとじゃれ合っているルイズを、苦笑を洩らしながら見つめていた。


――その日の午後、カインが話をつけ、レフィアを魔法学院におく事に対しオスマンの正式な許可が下りた。



 翌日、カインがハルケギニアに来て、ちょうど一週間――

 カインもすっかり、ここでの生活にも慣れた。学院で働く平民達はもちろん、一部の生徒たちも、ギーシュとの一件を経てカインの存在を認めるようになった。
 助けてくれた恩返しと称して、カインについて来た火韻竜レフィアも、人懐こい性格が幸いし、またカインの相棒という事で受け入れられた。その愛嬌のおかげで、今やメイドやコック達の人気者だ。

――“天下泰平、事も無し”

 しかしそんな中、カインは得体の知れない不穏な空気を感じていた……。

 ギーシュとの決闘の翌日くらいから、時折自分の背中に感じる視線が気になっていた。その視線の元を探り、目を向けてみると、決まってキュルケの使い魔サラマンダーの“フレイム”が自分をじっと見つめているのだ。
 不思議に思い見つめ返していると、フレイムはのそのそと何処かへ去っていく。――その繰り返しだ。

 そんな事が続き、徐々に不審な思いを募らせていたその日の夜――

 いつものように、ルイズの部屋の前で就寝しようとしていた。その夜は冷えたので、ルイズは部屋で眠る様に勧めたが、やはりカインは首を横に振ったのだ。
 そうして、就寝の準備をしていた時……隣の部屋――つまりキュルケの部屋のドアが開いた。

「……?」

 ドアから出てきたのは、近頃自分の様子を窺っているフレイムだった。のそのそとこちらに歩いてくる。

「……なんだ? 最近、妙に俺の様子を窺っているな。何か用でもあるのか?」

 フレイムは「きゅるきゅる」と人懐こい声で鳴く。恐らく何か言っているのだろうが、さすがにトカゲの言葉はわからない。
 カインが首を傾げていると、フレイムは壁に寄り掛かって座っているカインのすぐ近くまで寄り、左腕を甘噛みしてくいくいと引っ張る。

「……ついて来い、と言ってるのか?」

 カインがそう言うと、フレイムは腕を離し元来た道を戻る。ドアの前でこちらを振り返っている様子から見ても、カインの推察は正しいようだ。

「……」

 しかし、カインは動く事を躊躇った。フレイムが招いている先が、キュルケの部屋だからだ。
 カインは、キュルケのことをあまり好ましく思っていない。嫌悪している、というほどではないが、出来れば関わり合いになりたくないとは思っている。使い魔を寄こしたという事は、自分に用があるのは間違いなくキュルケだ。何か、不吉な予感が漂う。

 しかし……。

「きゅるきゅる~……」

 動く気配のないカインに、フレイムが目をうるうるさせてじっと見つめる。まるで、懇願するような目だ。
 その様子が、なんだか哀れに思えてきてしまい、カインは溜め息を吐きながら立ち上がり、キュルケの部屋に向かった。

 ドアを潜ってみれば、室内は真っ暗だった。フレイムの尾の火が僅かに周囲を照らすだけである。

「扉を閉めて?」

 暗がりから、キュルケの声がした。カインは怪訝に思いながらも、言われた通りドアを閉める。

「ようこそ、あたしのお部屋へ。さあ、こちらにいらして」

「話ならば、ここで聞かせてもらおう」

 キュルケの誘いをキッパリと断るカイン。しかし、次に聞こえたのは指を弾く音だった。

――すると、部屋に立てられた蝋燭に一つずつ火が灯り、部屋が明るくなる。

 室内は淡い灯の光によって、幻想的で、どこか妖艶な雰囲気を醸し出す。
 そして、部屋の奥を見ると、明らかに誘惑目的の薄ら透けたベビードール姿のキュルケが、ベッドに足を組んで座っていた。

「そんなに離れてたら、ちゃんとお話出来ないわ。もっとこちらにいらして」

 キュルケは、色っぽい声でカインを再度誘った。
 カインも仕方がないと思いつつ、キュルケの傍に歩み寄る。

「座って?」

 キュルケは自分のすぐ隣を進めたが、カインは人一人分のスペースを開けて腰掛ける。

「……それで? 俺に何の用だ?」

 極めて無感情な声でカインは尋ねた。燃えるような赤い髪を優雅にかきあげ、キュルケはカインを見つめている。
 しかし、突然キュルケは大きく溜め息を吐き、悩ましげに首を振った。

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「……?」

 突然キュルケは声色を変え、妙な事を言い出す。

「思われても、しかたがないの。わかる? あたしの二つ名は『微熱』」

「……そう名乗っていたな」

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼びだてしたりしてしまうの。わかってる。いけないことよ」

「…………」

 カインはキュルケが何を言いたいのか、よく分からなかったが、これだけは初めからわかっている。

――キュルケは自分を誘惑する為にここに呼び込んだのだ。

「でもね、あなたはきっとお許しくださると思うわ」

 キュルケは潤んだ瞳でカインを見つめる。大抵の男は、キュルケにこのように見つめられれば、胸を高鳴らせ、男の本能を呼び覚ますだろう。

――が、カインはその辺にいる男とは次元が違う。こんな見え見えの誘惑に、心を揺さぶられはしない。

 そんなカインの心中など知らず、キュルケはすっと近づきその手をカインの手に重ね、一本一本カインの指を確かめるように、なぞり始める。

「恋をしているのよ、あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね」

 そう口にするキュルケの顔は真剣だ。が、カインはキュルケの口上をほとんど聞き流している。

「あなたが、ギーシュを圧倒したとき、そして彼に手を差し伸べたときの姿……。かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる? 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!!」

「……」

「二つ名の『微熱』はつまり情熱なのよ! その日から、あたしはぼんやりとマドリガルを綴ったわ……。マドリガル、恋歌よ。あなたの所為なのよ、カイン。あなたが毎晩あたしの夢に出てくるものだから、フレイムを使って様子を探らせたり……。ほんとにあたしってば、みっともない女だわ。そう思うでしょう? でも、全部あなたの所為なのよ」

 熱っぽく話すキュルケの話を所々聞き流しながら、カインは「近頃あのトカゲが自分の様子を窺っていたのはそういうことか……」などといったことを考えていた。

「ねえ? その兜をとって、あなたのお顔をあたしに見せて?」

「――っ! 触るな!」

――兜に伸ばされたキュルケの手を、カインは思い切り掴んだ。

「えっ……?!」

「――! ……す、すまない」

 我に返ったカインは、キュルケに謝罪し手を放す。キュルケは思わぬカインの強い拒絶に困惑した。
 だが、それも一瞬のこと――キュルケは再びカインに擦り寄った。

「……いいえ、あたしの方こそごめんなさい。なら、そのままでいいわ」

 そしてゆっくり目を瞑り、唇を近付けてくる。
 客観的に見て、キュルケは女としての魅力を十二分に備えている。しかも、それを活かす術も心得ている。故に、大抵の男は彼女に夢中になるだろう。
 だが、その魅力もカインには通用しない。

――カインには、かつて想いを寄せた女性がいた。

 カインはその想いを自覚してから、彼女以外を『女』として見ることをしなかった。
 彼女こそが、自分にとっての理想だった。想いが遂げられることはなかったが、それは今も変わっていない。

 だから、カインは自らを律し、その想いを断ち切る為――彼女と彼女が選んだ親友を心から祝福する為、修行に打ち込んできた。

 そんなカインにとって、キュルケはそういった対象の外にいる人間だ。故に、その誘惑もただの芝居にしか感じられない。
 先程の事を気にしていない様子のキュルケの態度は純粋に有り難かったが、それはそれ――カインは、近づいてくる彼女の肩に手を置き、押し戻す。
 同時にキュルケは、「どうして?」と言わんばかりの表情でカインを見つめた。

「……生憎だが、俺にその気は皆無だ。話がそれだけならば、これで失礼させてもらう」

 カインはそう言うと、立ち上がろうとする。が、キュルケは悲しげな表情を浮かべて引き止める。

「待って……! わかってる……、わかってるの。いきなりこんな形で告白なんて、はしたないことよ。時々、自分で自分の恋ッ気の多さが怖いと思うこともあるわ。でもしかたないじゃない。恋は突然だし、すぐにあたしの身体を炎のように燃やしてしまうんだもの」

「ならばその熱は、窓の外の者に向けるといい」

「――えっ?」

 キュルケが目を見開くと同時に、窓の外が叩かれた。見れば、恨めしげに部屋の中を覗く、一人のハンサムな男の姿が……。

「キュルケ……。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……」

「ペリッソン! ええと、二時間後に」

「話が違う!」

 男が反論すると、キュルケは煩そうに胸の谷間から杖を取り出し、彼の方を見もせずに振る。すると蝋燭の一本から、炎が蛇のように伸び、窓ごとペリッソンというらしい男を吹き飛ばした。
 カインは、吹き飛んだ窓を無表情で見やる。

「……」

「か、彼はただのお友達よ……? とにかく今、あたしが一番恋してるのはあなたよ。カイン」

 再び、キュルケはカインに接近していく。
 が、今度は窓枠が叩かれた。見れば、悲しそうな顔で部屋を覗き込む、精悍な顔立ちの男が一人。

「キュルケ! その男は誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

「スティックス! ええと、四時間後に」

「そいつは誰だ! キュルケ!」

 怒り狂いながら、部屋に侵入しようとするスティックスと呼ばれた男に、キュルケは再度煩そうに杖を振る。
 男は火にあぶられ、地面に落ちていった。

「……」

「か、彼は友達というよりはただの知り合いね……! とにかくっ、時間をあまり無駄にしたくないの。夜が長いなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に、太陽はやってくるじゃない!」

 キュルケは再度、カインに近づ……こうとしたが、窓だった壁の穴から、悲鳴が響いた。
 しかも、今度は一人ではない。窓枠で、三人の男が押し合いへしあいあっている。

「「「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!!」」」

 一言一句、ずれることなく見事なハーモニーである。

「マニカン! エイジャックス! ギムリ!」

 今まで出てきた男が全員違う事に、カインは呆れを通り越して感心さえ感じていた。

「ええと、六時間後に」

「「「朝だよ!」」」

「フレイムー」

 キュルケがうんざりした声で、フレイムに命令する。それを受け、フレイムはのそりと起き上がり、三人が押し合っている窓だった穴に向かって、炎を吐いた。
 三人は仲良く地面に落下していていった。

「…………」

 カインは溜め息を吐く。手際の良さや状況に慣れた態度から見ても、あんなことがキュルケにとって日常茶飯事なのが分かり、呆れて物も言えなかった。

「まったく、何なのかしらね? あの連中。――とにかく! 愛してる!」

 キュルケはこれ以上邪魔が入らぬうちにと、奇襲とばかりにカインの顔に手を伸ばす。

――が、その奇襲も空振りに終わった。

 既にカインはベッドから離れ、ノブに手をかけようとしている。が――

――バンッ!!

 カインがノブに触れる寸前に、突如ドアが勢いよく開いた。カインは咄嗟に開くドアを避ける。

「――キュルケ!」

 開いたドアの向こうにいたのは、眉を吊り上げたルイズだった。
 キュルケは彼女の怒鳴り声を聞いて、やっと気が付いたという態度でルイズに目を向ける。

「……取り込み中よ。ヴァリエール」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!?」

 ルイズは見るからに怒り心頭である。が、対するキュルケは余裕だ。

「しかたないじゃない。好きになっちゃったんだもん。恋と炎はツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で焼かれるなら、あたしの家系の本望よ。あなたが一番ご存知でしょう?」

 キュルケが両手をすくめて見せると、ルイズは手を握りしめ、ワナワナと震えだす。

「……行くわよ。カイン」

「ああ」

 じろりと睨んでくるルイズに内心溜め息をつくカインだが、元々出ていくつもりだったので反対する理由はなかった。

――しかし、そんなカインを無視してキュルケがルイズに反論する。

「ねえルイズ。彼は確かにあなたの使い魔かもしれないけど、意思だってあるのよ。そこは尊重してあげないと」

 キュルケの言い分は正論だが、自分がカインの意思を尊重していないことは含まれないらしい。

 その後も、キュルケと付き合ったら十人以上の貴族に闇討ちされる、だの――カインの実力なら大丈夫、だの――不意討されたら、だの――自分が守るから大丈夫、だのと不毛な言葉の応酬が続いた。
 カインは見るに見かねて、ルイズを反転させその背中を押す。

「――ち、ちょっと!? 何すんのよ!」

「夜も遅い。部屋に戻るのだろう。もう行くぞ」

「あら。お戻りになるの……?」

 キュルケは悲しそうに瞳を潤ませてカインを見つめる。が、カインにそんな手は通用しない。

「今も言ったが、もう夜も遅い。お前もさっさと寝ることだ。じゃあな」

 カインはルイズを押して、部屋を出て行った。
 部屋に残されたキュルケは、普段の表情に戻り、髪をかき上げて、閉じたドアに視線を向けて呟く。

「ふん。このぐらいじゃ諦めないわよ……」


 その夜、事情を説明し、ルイズを宥め終えたカインは、寒さによるものとは違う寒気を感じながら、眠りについたという。



 そんな事があった翌日――

「――買い物に行くわ」

――カインは修行から戻って来ると、ルイズにいきなりそう告げられた。

 聞けば、今日は『虚無の曜日』という週に一度の休日で、授業も休みなのだという。そこで、トリステインの城下町まで買い物に行くというのだ。

「わかった。行ってくるといい」

 カインは、そう言ってルイズを見送ろうとした。だが――

「何言ってるのよ? あんたも来るのよ」

「俺も? 何故だ?」

「当たり前でしょ? あんたは私の使い魔なんだから、私がスリとかに合わないように一緒に行って守るの。ついでにあんたの服とかも買ってあげるわ」

 確かに何も用事はないし、別世界の土地を見るのも悪くない。それに、着の身着のままでこちらに召喚されてしまったため、カインは他に衣服を持っていなかった。鎧の下に来ている服や下着は、日々洗濯しつつ、今日までずっと着用し続けている。このままでは、いずれ限界が来るだろう。
 ルイズの提案は、カインにとっても渡りに船だったと言える。

「それに、あの子に乗っていけば、早く行って早く帰って来れるしね」

 あの子、とはレフィアのことだ。確かに馬で行くより断然速い。

「なるほどな。わかった。では行くとしよう」

 ルイズとカインは、部屋を後にした。


 ルイズとカインが外に出た頃、隣の部屋ではキュルケが目を覚ましていた。
 昨日の騒ぎで、窓は吹き飛んだままだが、そんなことは彼女にとって些細なことであった。今、彼女が化粧をしながら考えるのは「どうやってカインを口説こうか」ということである。
 化粧中、彼女は非常に活き活きとした笑みを浮かべていた……。

 化粧を終え、自室を出て、隣の部屋――つまりルイズの部屋のドアをノックする。反応を待つ間、キュルケは顎に手を置いて、妖艶な笑みを浮かべる。

――カインが出てきたら、抱きついてキスをする。ルイズが出てきたらどうしようかしら、と少しだけ考える。

 その後も、あれこれとカインを誘惑する考えを巡らしていたが、いつまで経っても中から返事が来ない。
 キュルケは、躊躇いなくドアに『アンロック』の魔法をかけた。軽く音がして、鍵が開く。本来、学院内で『解錠アンロック』の魔法は、使用を固く禁じられているのだが、キュルケは「恋の情熱はすべてのルールに優先する」というツェルプストー家の家訓に則り、あっさり無視。

 しかし、そうしてドアを開けると、室内はもぬけの殻だった。

「相変わらず、色気のない部屋ね……」

 部屋を見渡し、そう呟いていた時、外から竜の鳴き声が聞こえた。窓から外を見ると、鮮やかな赤色の竜が飛び立っていくのが見える。
 しかもよく目を凝らすと、その背にはカインとルイズの姿があった。

「なによー、出かけるの?」

 キュルケはつまらなそうにそう呟くが、ふと何かを閃いた様子でルイズの部屋を飛び出した。



 タバサは一人、部屋で読書に勤しんでいた。静かに本を読みながら、日がな一日静寂に包まれているのが、彼女の至高の休日の過ごし方だ。

――ドンドンドンドンッ!!!

 突然に激しくノックに、その休日が破られた――。

「……」

 タバサは無言で、脇に立てかけておいた杖を取り、『消音サイレント』の魔法の呪文を唱える。
 すると室内の音が消え、静寂が戻る。彼女は満足して、本に目を戻した。
 しかし、ドアが勢い良く(無音)開き、一人の女性が飛び込んでくる。タバサの数少ない友人のキュルケだ。

 キュルケはタバサに何かを必死に訴えているが、『消音サイレント』の効果がある為、全く聞こえない。タバサは、仕方なしという感じで『消音サイレント』を解く。

「――タバサっ! 今から出かけるわよ! すぐに支度をして!」

「虚無の曜日」

 本から目を離さず、また表情をまったく変えずにそういうタバサに、キュルケは口を尖らせる。

「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知ってるわよ。でも、今はそんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋! あたしね、恋をしたの! でも、その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、どこに行くのか突き止めなくちゃいけないの! わかるでしょ?」

 タバサは首を横に振る。

「そうね。あなたは説明しないと動かないのよね。出かけたのよ! 竜に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないのよ! ねえ助けて!」

 キュルケはタバサに泣きつく。そこまで説明されて、タバサは読んでいた本を閉じ、首を縦に振った。

「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」

 タバサは窓を開け、口笛を吹く。すると、青空の向こうから、翼を羽ばたかせて彼女の使い魔、風竜のシルフィードが飛んできた。


 シルフィードの背に乗り、キュルケとタバサは魔法学院の外に出た。

「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」

 キュルケはシルフィードの背に乗りながら、感嘆の声を上げる。
 シルフィードは、二人を乗せると上空に抜ける上昇気流を器用に捕らえ、あっという間に200メイルの上空に駆け上ったのだ。

「どっち?」

 タバサに方向を尋ねられ、キュルケは一番肝心なことを失念していたことを思い出し、引きつった笑みを浮かべる。

「わからない……慌ててたから」

 タバサは別に文句を言うこともなく、自分の使い魔に命じる。

「赤い竜。二人乗ってる」

 シルフィードは「きゅい」と短く鳴いて了解の意を示す。そして、その優れた視力で周囲を見渡し、ある方向へ進路を向けた。



 トリステインの城下町――レフィアを町の近くで待たせ、カインとルイズは並んで歩いている。

 ここは『ブルドンネ街』と呼ばれるトリステインで最も大きな通り――白石造りの街の通りは大勢の人で賑わっていた。果実や肉、籠などを売る商人達の姿があり、露店などで溢れている。
 故郷バロン王国とは違った風景を、カインも見物しながら歩いた。そして、時折ルイズが目に付いた店に入り、カインも彼女の買い物に付き合う。ちなみに購入した商品の中には、カイン用の服が数着あり、それらと財布はカインが持っている。


「――カイン。次行くわよ」

 そう言うと、ルイズは先を歩く。カインもそれに続く。

「財布、大丈夫でしょうね? スリが多いから気をつけてよ?」

「持っている。スリに気づかんほど、間抜けではない」

「魔法を使われたら、一発よ」

 しかし、カインはメイジと一般人の見分け方を、学院で把握している。見る限りメイジらしき人間はいない。それは別にしても、カインは疑問を抱いた。

「貴族がコソ泥の真似事をするのか?」

「貴族は全員がメイジだけど、メイジの全てが貴族ってわけじゃないわ。いろんな事情で、勘当されたり家を捨てたりした貴族の次男坊や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり犯罪者になったりすることもあるのよ」

「……没落貴族、という奴か」

 故郷でも似たような話を聞いた事があった。何処の世界でも、人間落ちぶれれば、辿る末路に大した差は無いようだ。

「ところでルイズ。買い物はまだあるのか?」

「うーんと……次で終わりよ」

「なら、少し寄ってもらいたい場所があるんだが――」


――カインが寄りたいと言ったのは武器屋だった。この世界の武器にどのような物があるのかを見てみたいと思ったのだ。

 最後の買い物を終え、二人は狭い路地裏を歩いていく。表通りとは違い、ゴミや汚物が道端に転がり、悪臭が鼻をついた。

「……」

 カインは無言で、顔を顰める。だが、溶岩の流れる洞窟や毒沼が広がる洞窟に比べれば、まだマシな方だとも内心思っていた。

――そうしている内に十字路に出た。そこでルイズは立ち止まると、辺りをキョロキョロと見回し始める。

「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺なんだけど……あ、あった」

 見ると、剣の形をした看板が下がった店があった。目的の武器屋に着いたようだ。
 ルイズとカインは羽扉を潜り、店内に入る。店内は昼間だというのに薄暗く、ランプ灯りが灯っていた。壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、甲冑まで飾ってある店内は、何とも怪しげな雰囲気だった。

「旦那。貴族の旦那。うちはまっとうな商売をしてまさあ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」

 パイプを咥えた親父が、紐タイ留めに描かれた五芒星に気づき、ドスの利いた声を出す。

「客よ」

 ルイズは腕を組んで言った。

「こりゃ、おったまげた。貴族が剣を!」

「私が使うわけじゃないわよ。取りあえず、品物を見せてもらうわ」

 ルイズそう言うと、店内の武器を見ていたカインの傍に行く。
 一方店主は、カインが身に付けていた鎧や槍を見やる。従者にあれほど精巧な鎧に美しい装飾が施された槍――店主はルイズが金持ちだと踏み、目を光らせた。

「……こりゃ、久々に大儲けのチャンスがやってきたわい。せいぜい、高く売り付けるとしよう……」

 店主は二人に聞こえない様に小声で呟き、ニヤリと笑う。

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさあ」

 店主が取り出したのは、1メイルほどの長さの細身の剣だ。片手で扱い、斬るよりも突くこと前提に作られた剣である。
 見れば、煌びやかな模様が描かれており、確かに貴族が好みそうな綺麗な剣だ。

「貴族の間で下僕に剣を持たせるのが流行ってる、ですって?」

「へえ、実は……」

――聞けば、最近『土くれ』のフーケというメイジの盗賊が、貴族の宝を盗み、このトリステインの城下町を荒らして回っているという。それを恐れて、貴族達は下僕に剣を持たせているらしい。

 カインは、ルイズと店主の話を聞きながら、店主が出したレイピアを見ていた。
 しかし、ハッキリ言ってそれはナマクラと言っていい代物だ。店内にある品もどれも大した事の無い二流、三流品ばかりである。

「ふむ……まあ、こんなものか」

「……」

 店主は、カインの言葉に少しカチンときた。無言でレイピアをしまうと、奥から立派な剣を油布で拭きながら持ってきて、カウンターにドンと置く。

「これなら、いかがですかい?」

 自信満々に店主が持ってきたのは、1,5メイルはあろうかという大剣である。柄は両手で扱えるように長い拵えになっており、ところどころに宝石が散りばめられ、鏡の様な両刃の刀身が光っている。

「……」

「店一番の業物でさ。貴族のお供ともあれば、このぐらい――」

「――もういい」

「……へ?」

 カインに言葉を遮られ、店主は目を点にする。

「こんなガラクタが店一番の業物では、話にならん。邪魔したな」

 そう言って踵を返すカインを、店主は慌てて引き止める。

「ちょ、ちょっとお待ちなせえ、旦那! 良いですかい? こいつを鍛えたのは、かの有名なゲルマニアの錬金術師シュペー卿ですぜ? 魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ!」

「誰が鍛えたか、など知った事ではない。実戦で使う剣に、そんな呆れた装飾が施されているはずがない。武器と飾り物の区別も付かないのか?」

「――だははははっ!! こいつは傑作だ! おめえ、良い目利きしてるじゃねえか!」

――突如、低い男の笑い声が響いた。

 声はどうやら、乱雑に積み上げられた剣の中から聞こえてくるようだ。ルイズとカインは声のした方を向き、そして何故か店主は頭を抱える。

「……なんだ、今の声は?」

「ここだ、ここ。おめえの目の前だよ」

 声のする方に近づいてみると、一本の錆びついたボロボロの剣があった。

「剣が、喋っている……?」

 カインがそう言うと、店主は顔を上げ怒鳴る。

「やい! デル公! てめえは引っ込んでろぃ!!」

「あれって、インテリジェンスソード?」

 ルイズも喋っている剣が目に入り、指差しながら店主に尋ねる。店主もコロコロと表情を変え、愛想よくルイズの質問に答える。

「そうでさ、若奥様。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が初めたんでしょうかねえ、剣を喋らせるなんて……」

 カインは店主とルイズの会話を尻目に、そのボロ剣を手に持ってみる。すると、剣の方が驚いたように口を開いた。

「おでれーた。相当の腕前だとは思ってたが……てめ、『使い手』か」

「『使い手』? なんだそれは?」

「はん、自分の事も知らねえのか。まあいい。てめ、俺を買え」

 その剣は、唐突に自分を買うよう要求してきた。
 カインはしばし考える。『使い手』という言葉は気になるし、何故だかこの剣からは、見た目からは想像も出来ないほどの強い力を感じる。

 しかし……。

「断る」

「な、なにぃーーーッッ!!??」

――カインはボロ剣の要求を蹴った。

 ここに立ち寄ったのは単なる見物に過ぎない上、今も十分な装備を持っている。このボロ剣……確かに、手にした時に感じた威力は見た目に反して強かった、ウインドスピアを僅かに上回るぐらいには……。
 だが、カインは今、別に強力な武器を欲している訳ではない。そもそも、カインが最も得意とするのは『槍』だ。剣も十分“達人”と呼べるレベルの使い手だが、わざわざ不得手な武器を使う必要性は皆無だった。

――要するに、この喋るボロ剣には購入するだけの魅力がないのだ。

 カインがボロ剣を元の場所に戻そうとする。が、ボロ剣は必死な声で食い下がった。

「――ちょ、ちょっと待て! 待ってくれっ!! 頼むよ相棒!! 俺ぁ絶対役に立つって! 俺には他にない特殊能力があるんだっ!!」

「特殊能力? どんな能力だ?」

「そりゃあ……ええっとぉ…………忘れた♪」

「話にならん」

 カインは止めた手を再び動かし、ボロ剣を元の場所へ……。

「ああぁぁ~~~待ってくれってぇ! いや、ホント! 凄っげえ特殊能力があるのはマジなんだよ! かなり昔のことだから思い出せねえだけなんだっ! いつか必ず思い出すよ! だから頼む! 俺を買ってくれ!!」

 ボロ剣は泣き落としに出た。無論、涙を流す訳はないが……。

「頼むよ~~買ってくれよ~~~!! 買ってくれねえと俺、歌うぞ? 寂しさの余り歌っちまうぞっ? おめえのコト歌にして、歌っちまうんだぞっ?!」

 泣き落としの次は、訳の分からない脅し……しかも、内容は迷惑極まりない。

「…………」

 カインはまた考え始める。無視して置き去ってしまっても構わなかったのだが、こうまで必死に乞われると鬱陶しい反面、僅かに哀れにも思えてくる。

――悩んだ末、カインはルイズに相談を持ち掛けた。

「ルイズ。この剣を購入したいんだが」

「え~~?! そんなのを買うの? 買うならもっと綺麗でしゃべらないのにしなさいよ」

 ルイズは非常に嫌そうな声を上げる。その気持ちは十分理解できたが、カインは頼み込んだ。

「頼む」

「しょうがないわね……あれ、おいくら?」

 渋々ながら、ルイズは店主に値段を聞く。

「へ、へえ……まあ、あれなら、エキュー金貨で六十、新金貨なら八十で結構でさ」

「随分安いじゃない」

「こっちとしてみりゃ、厄介払いみたいなもんでさ。それに……あんなのに歌われた日にゃ、それこそ商売上がったりですんで……」

「……なるほど」

 納得したルイズはカインから財布を受け取ると、中身をカウンターの上にぶちまけた。店主は慎重に金貨の枚数を確かめ、頷く。
 そして、剣を鞘に収めるとカインに手渡した。

「毎度。どうしても煩いと思ったら、こうやって鞘に入れれば大人しくなりまさあ」

 カインは頷いて、剣を受け取る。すると、早速剣が喋り出した。

「いや~良かった良かったぁ! よろしくな、相棒。俺はデルフリンガーだ」

「カイン・ハイウィンドだ。まあ、精々静かにしていてくれ」

 昨日の喋る竜に続き、今度は喋る剣――カインは、この世界に来てからの不思議な出会いを思い返し、苦笑する。

 そうして、新たな仲間(?)デルフリンガーを腰に下げ、カインはルイズと共に店を後にした。



――その時はまだ、武器屋から出てきた自分達を見つめていた二つの影があったことを、ルイズとカインは気付いていなかった。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第五話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:37
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第五話







 最近トリステインで、国内の貴族達に恐怖に陥れている『ある盗賊』が噂になっている。

――『土くれ』のフーケ。土系統の魔法を駆使し、トリステイン国内の貴族の屋敷から、次々と高価な品を奪い取るメイジの盗賊。

 しかも、その力はかなり強力で、貴族達が己の屋敷を『固定化』で強化して防備を整えても、『錬金』であっさり突破され宝物を盗み出され、発見して魔法衛士が取り囲んでも、身の丈およそ三十メイルという巨大なゴーレムを造り出し、あっさり蹴散らされてしまう程である。

 そんな『土くれ』のフーケの正体は未だ不明のまま、性別すらわかっていない。恐らくは土の“トライアングル”か“スクウェア”クラスのメイジであろうと推察されているが、真相はやはり不明である。
 ハッキリしている事は、犯行現場に『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』という、こちら側を馬鹿にしたようなサインを残すこと――そして、強力なマジックアイテムの類を好んで強奪していることである……。


 そして、ここ魔法学院の本塔――ちょうど、宝物庫がある五階部分の外壁に怪しげな人影が、双月によって照らし出されていた。
 長い髪を夜風になびかせ、壁に垂直に立つ影の正体――それは、今世間を騒がせている噂の怪盗“土くれのフーケ”である。

「さすがは魔法学院の本塔ね……。物理衝撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」

 舌打ちしながら吐き捨てるように呟くフーケ。奴は、自分の足の裏で壁の厚さを測っていたのだ。土系統のエキスパートならではの芸当である。

「確かに、『固定化』の魔法以外はかかっていないみたいだけど……、これじゃ私のゴーレムの力でも、壊せそうにないね……」

 フーケは、腕を組み悩んだ。強力な『固定化』に阻まれ、『錬金』で穴を開ける手は通用しない。かと言って、“あるスジ”から仕入れた『物理的衝撃という弱点』を突こうにも、それだけの破壊力を生み出すには根本的に魔力が足りない。
 八方塞がりの状況に、フーケは悔しげに唇を噛む。だが、そこで引き下がるフーケではない。

「かといって、『賢者の杖』を諦めるわけにゃあ、いかないね……」

 フーケは、執念の光を瞳に宿し、再び策を考え始めた。



 一方、その頃……女子寮塔近くの庭では、ルイズとキュルケが睨み合っていた。
 カインが夜の修行をしていれば、突然この状況になった……。

――事の始まりは、数分前……キュルケが何やら大きな包みを持ってやって来て、そこにルイズが滑り込み、カインとの間に立ち塞がり、何やら言い争いをし始めたのだ。

 ちなみに二人が睨み合っている状況で、何故かついて来たタバサは、立ったまま本を読んでいる。

「どういう意味よ? ツェルプストー」

「だから、カインにはあたしが手に入れた剣の方が相応しいって言ってるのよ」

 キュルケは自分が持ってきた大剣を指差す。彼女が包みを開けると、煌びやかな装飾の大剣が現れた。
 それは昼間に行った武器屋で、カインが『ガラクタ』と呼んだ大剣だった。



――話は、ルイズとカインが武器屋を出たところまで遡る。

 武器屋から出てきた二人を隠れて見ていた二つの影――それは、キュルケとタバサの二人であった。
 ルイズとカインが出かける所を目撃したキュルケが、友人のタバサに頼み込んで、彼女の使い魔の風竜シルフィードで後をつけて来たのだった。

 路地の陰で、タバサはちらっとカインの姿を見た後、読書を再開。キュルケはというと、カインが腰にさげていた剣を見て唇をギリギリと噛む。

「ゼロのルイズったら……、剣なんか買って気を引こうとしちゃって……。あたしが狙ってるってわかったら、早速プレゼント攻撃? なんなのよ~~~ッ!」

 キュルケは地団駄を踏んだ。ハッキリ言って勘違いだが、ルイズがカインに贈り物をしたと思った様だ。
 そして、二人の姿が見えなくなると、自分も負けじと武器屋に足を踏み入れた。


「おや! 今日はどうかしてる! また貴族だ!」

「ねえご主人」

 店主はその日の千客万来ぶりに驚いたが、キュルケが色っぽい仕草で語りかけると、その色気に当てられた店主は、顔を赤くし鼻の下を伸ばす。

「今の貴族が、何を買っていったかご存知?」

「へ、へえ。剣でさ」

 だらしのない顔で店主が答えると、キュルケは「なるほど、やっぱり剣ね……」と呟く。

「どんな剣を買っていったの?」

「へえ、ボロボロの大剣を一振り」

 店主の言葉に、キュルケは怪訝な表情を浮かべる。

「ボロボロ? どうして?」

「いえ……まあ、その……剣のヤツが、お供の騎士様を何故かえらく気に入ったようでして……へえ」

 店主が「どう説明したものか」と悩んだ表情を浮かべて説明する。

「? どういうこと?」

「いえね? そのボロ剣は、意思を持つ剣『インテリジェンスソード』でして……これがもう喧しいわ、お客様に喧嘩を売るわで、ウチの店の厄介者だったんでさ。それが、どういう訳か先程の騎士様にえらく懐いてしまいまして。最初、騎士様も買うのをお断りになったんですが、あのボロ剣がやたら食い下がるもんで……『仕方ない』って感じで買い取っていかれたんでさ」

「ふぅ~ん」

 『インテリジェンスソード』なんて、ハルケギニア全土を見渡しても早々お目にかかれない珍品だが、いくら珍しくてもボロボロの大剣なんて好んで買う者はいない。カインも厄介なのに好かれたものだと、キュルケは僅かに彼に同情した。
 しかし、「そんな剣にも好かれるなんて、面白いわ♪」と得意のポジティブ思考を発揮して、好感度を上げる要素に仕立て、ニヤリと笑う。

「若奥様も、剣をお買い求めで?」

 店主が身を乗り出して尋ねてくる。その眼には、商売人の魂の光と若干のスケベ心が宿っていた。キュルケを観察して、羽振りがよさそうだと商魂が疼き、その豊満な肉体に男心が疼いたのだ。

――キュルケは、それを見逃さなかった。

「ええ。見繕ってくださいな」

 店主は、揉み手をしながら奥から剣を持ってきた。それは、カインが一蹴したあの大剣だった。
 キュルケは、その外見の綺麗さを見て気に入った様子を見せる。

「あら。綺麗な剣じゃない」

「若奥様、さすがお目が高くていらっしゃる。それに比べて、先程の騎士様ときたら、この剣を見て『ガラクタ』なんておっしゃいましてねぇ」

「え? ほんとに?」

 溜め息混じりの店主の言葉に、キュルケは、カインがこの剣をガラクタ呼ばわりした事に驚き、目を見開く。
 彼ほどの男が、こんな見事な剣の価値が分からないことが意外だったのだ。「意外に見る目がないのね」と少しだけ残念そうな表情をする。

 尤も……本当にわかっていないのはキュルケの方なのだが……。

「さようで。こいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい。ここにその名が刻まれているでしょう?」

 店主は、カインに言ったのと同じ口上を述べる。キュルケも、カインの言動への疑問はあるが、剣に刻まれた名を見て頷いた。

「おいくら?」

「へえ。エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百」

 店主が述べた値段にキュルケの眉が上がる。

「ちょっと高くない?」

「へえ。名剣は、釣り合う黄金を要求するもんでさ」

 キュルケは少し考え込むと、店主に自分の身体を近付け、カウンターに腰掛ける。

「ご主人……、ちょっと値段が張りすぎじゃございませんこと?」

 妖艶な笑みを浮かべ、店主の顎をそっと撫でるキュルケ。

「さ、さようで? では、新金貨四千……」

 新たな額を言おうとした店主は、突如上がったキュルケの足に釘付けになる。大腿の奥が見えそうで見えない。
 店主はさらに値を下げ始めた。

「いえ! 三千で……」

「暑いわね……。シャツ、脱いでしまおうかしら……。よろしくて? ご主人」

 今度は、キュルケがシャツのボタンを外し始め、熱っぽい流し目を送る。

「おお、お値段を間違えておりました! 二千で! へえ!」

 キュルケがシャツのボタンを一つ外す。そしてまた流し目……。

「千八百で! へえ!」

 また一つ外す。キュルケの豊満な胸の谷間が露わになった。そして、再度流し目……。

「千六百で! へえ!」

 キュルケはボタンを外す指を止めた。そして、スカートの裾を持ち上げようとする。

「千よ」

 非常に悲しげな表情を浮かべている店主に、キュルケは希望価格を告げる。
 しかし、僅かに残った商売人の理性が、店主のスケベ心を抑え込んだ。が、キュルケが更に服装を直し始めるのを見て、彼の商売人の理性も陥落した。

「へえ! 千で結構でさ!」

――店主の負け。

 キュルケはそれを聞くと、さっとカウンターから降り、小切手を書いてカウンターの上に叩きつける。

「買ったわ」

 そして、剣を掴むとさっさと店を出て行った。

 その様子とカウンターに置かれた小切手を見て、店主はやっと自分が色仕掛けでしてやられた事に気が付いたのだった……。



――そんな経緯を経て、現在に到る。

「お生憎様。使い魔が使う武器なら間に合ってるの。ねえ、カイン」

「ああ」

 ルイズに同意するカイン。

「そうそう。相棒にはこの俺、デルフリンガー様が――」

「お前は黙っていろ」

「相棒、そんなつれないこと言うなよ」

 キュルケは、いきなり喋り出した剣を見てわずかに驚くが、すぐに落ち着き僅かに目を細める。

「それが、あなたが買わされたインテリジェンスソードね? ……ねえカイン。あなたほどの人にそんなボロボロで、みすぼらしくて、喋るような変な剣は似合わないわ。それに比べて、見て? この剣を鍛えたのはゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿だそうよ? この剣こそ、あなたには相応しいわ」

「――悪かったな! ボロボロで、みすぼらしくて、変な剣でよっ!!」

 デルフリンガーがカタカタと文句を言うが、キュルケはそれを無視して、煌びやかな装飾が施された大剣を差し出し、熱っぽい流し目をカインに送る。
 だが、カインは動じる様子もなく、差し出された剣を見もしない。

「俺にはどちらでも同じだ。最初から武器は間に合っている。コイツとて、使う予定はない」

「ちょっ!? 相棒、そりゃねえぜ!!」

 デルフリンガーは、カインの言葉にカタカタと縋り付くような声を上げる。

――しかし、カインの言うことは事実。長年の修行によって鍛え抜かれたカインの肉体は、極端な話、ナイフ一本持っても十分な戦闘力を発揮する。故に、新たに武器や防具を購入する必要など全くないのだ。

 キュルケの申し出をキッパリと断るカインの様子に、ルイズは勝ち誇った笑みを浮かべ、胸を張る。

「わかった、ツェルプストー? あんたの持ってきた剣なんてお呼びじゃないのよ」

「わかってないわねぇ……。ねえ、カイン。よくって? 剣も女も、生まれはゲルマニアに限るわよ? トリステインの女ときたら、このルイズみたいに嫉妬深くて、気が短くって、ヒステリーで、プライドばっかり高くって、どうしようもないんだから」

「誰が嫉妬深くて、気が短くて、ヒステリーで、プライドばかり高いのよッ!!?」

 自分を無視した上に引き合いに出され、しかも手酷く酷評されるのを聞いて、ルイズが眉を吊り上げてキュルケに怒鳴りつける。
 そんな様子に、キュルケは余裕の態度で見返す。

「なによ。ホントのことじゃないの」

 それにはカインも内心同意した。何せ、今の癇癪がキュルケの言った事を全て肯定してしまっていたのだから。
 ルイズもそれに気が付いたようで、怒りか羞恥か、顔を赤くして震え出す。

「ふ、ふんっ。あんたなんかただの色ボケじゃない! なあに? ゲルマニアで男を漁り過ぎて相手にされなくなったから、トリステインまで留学して来たんでしょ?」

 ルイズの挑発に、キュルケの顔色が変わる。

「言ってくれるわね。ヴァリエール……」

 先程までの余裕の表情とは違い、その顔には確かな『怒り』が宿っている。キュルケの余裕が崩れた事に、再びルイズが勝ち誇ったように笑う。

「なによ。ホントのことでしょう?」

 間に沈黙が流れ、二人は同時に各々の杖を取り出す。だが、それまで、傍観すらしていなかったタバサが、素早く自分の杖を振った。
 つむじ風が、ルイズとキュルケの杖を吹き飛ばす。

「夜中」

 タバサは、短くそう言った。この時間にドタバタ騒ぐのは近所迷惑だ、と言いたいらしい。
 自分の杖を飛ばされて、タバサに視線を向けたルイズが呟く。

「なにこの子? さっきからいるけど」

「あたしの友達よ」

 ルイズの呟きに、キュルケが答えた。ルイズは、再び視線を彼女に向け、睨みつける。

「なんで、あんたの友達がここにいるのよ」

「別にいいじゃない」

 答えつつ、キュルケもルイズを睨み返す。
 そうして、しばし睨み合っていたが、突然キュルケが不敵な笑みを浮かべて言った。

「ねえ。そろそろ、決着をつけませんこと?」

「いいわ。望むところよ!」

 キュルケもルイズも、顔は笑っているが目は笑っていない。お互いに敵意を剥き出しにしていた。
 そして、二人は同時に怒鳴る――。

「「決闘よ!」」



 場所を変え、キュルケとルイズが睨み合う。

「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切って、それぞれの剣を先に地面に落としたほうが勝ちよ。勝った方の剣をカインが使う。いいわね?」

 ルイズは頷いた。見れば、本塔の上部に二本の剣がロープで吊るされている。一本はデルフリンガー、もう一本はキュルケの大剣である。
 塔の屋根には、審判役のタバサがシルフィードの背に跨っている姿がある。そして、剣を使う当事者であるカインはその光景を冷やかに見ていた。

 最初は、普通に決闘しようとしていたのだが、タバサとカインが止めに入った。いや、タバサは止めに入ったのではなく、別の方法で決着を付けることを提案したのだ。

――それが、先程キュルケが言った対決法である。

「先攻は譲ってあげるわ」

 キュルケは自信満々の態度で、ルイズに先を譲る。ルイズが魔法成功率ゼロなのを知っている彼女は、自分の勝利を一切疑っていない。
 勝負を仕掛けた時点で、自分の勝利は決定したも同然――キュルケは、そう考えている。

 ルイズは、真剣な表情で杖を構え、短くルーンを呟く。使う魔法は『ファイヤーボール』――火系統の初歩的な魔法だ。
 そして、詠唱が完成し、目標を見据え、気合いを入れて杖を振った。


――ドカーーンッ!!


 しかし、目的の魔法は発動せず、一瞬遅れてデルフリンガーの後方の壁が爆発――本塔の壁にヒビが入った。

――本来、強固な『固定化』に守られている筈の壁に……。

「ゼロ! ゼロのルイズ! あなたってどんな魔法を使っても爆発させるんだから! あっはっは!」

 キュルケは、ルイズの失敗に腹を押さえて大笑いする。ルイズは悔しそうに膝をついた。

「さて、あたしの番ね……」

 キュルケは、狩人の目で標的のロープを見据える。余裕の笑みを浮かべつつ、短くルーンを呟く。
 そして、手慣れた杖を突き出すと、杖の先から人の顔程度の大きさの火球が飛び、まっすぐにロープに向かっていく。キュルケは、勝利を確信した。

 だが――

「――っ?!」

――異変は、突如として起きた。

 塔と自分達の間の土が盛り上がり、巨大な土のゴーレムとなって立ち上がり、キュルケのファイヤーボールがその背中に阻まれたのだ。

 良く見ると、その肩に誰かが乗っていた。ゴーレムは、その巨大な拳を振り上げ、ヒビの入った塔の壁に拳を打ちつけようと振り上げる。

「きゃぁああああああ!!」

 この事態に、キュルケが悲鳴を上げて逃げ出す。ルイズは、突然の事態に困惑し、その場を動けずにいた。

「ルイズ!」

 そこへカインが素早く駆け寄り、彼女を抱えて安全な位置まで運ぶ。

――そして、すぐさま踵を返し、ゴーレムに向かって行った。

 矢のように素早くゴーレムの股を潜り、塔の壁に沿って跳躍――通り過ぎざまにデルフリンガーを回収する。

――その際、ゴーレムの肩に乗っていた人影と一瞬目が合った。

「――ッ!!」

 すぐにカインは、壁を蹴ってゴーレムの頭上を飛び越える。

――そしてカインが地面に着地する直前に、ゴーレムはその拳を壁に叩きこんだ。

 目を向ければ、壁に穴が空き、その腕を伝って先程の人影が中に入っていくのが見えた。
 この隙にカインはデルフリンガーを握り、再びゴーレムに向かって行く。瞬く間にその足下に辿り着くと、カインはデルフリンガーを振るう。

――その斬撃で、ゴーレムの足はまるでバターのようにスッパリと斬り裂かれた。

 バランスを崩したゴーレムが倒れ込み、カインは跳躍して倒れる巨体を避ける。
 すると、壁の穴から人影が何かを抱えて飛び出し、ゴーレムを修復――復活したゴーレムは、その人影を肩に乗せると城壁を跨いで、歩き去って行った……。

 カインは口笛を吹いて、レフィアを呼ぶ。その時ようやく我に返ったルイズが、自分も行くと言い出したので、彼女を抱えて上空に飛んできたレフィアの背に飛び乗る。
 シルフィードに乗ったタバサも、キュルケを回収してカインらに続いて、ゴーレムを追った。


「……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、“トライアングル”クラスのメイジに違いないわ」

 カインの後ろで、ルイズが見解を述べる。

「盗賊」

 横を飛ぶシルフィードの上でタバサが呟いた。それを聞き取ったカインが同意する。

「そのようだな。奴が、何かを抱えて出てくるのが見えた」

 そう言ってカインは、一定の距離を開けて後を追っている土ゴーレムに……そして、その肩に乗っている人影に目を向ける。

――だが、突如追跡中のゴーレムが、ぐしゃりと崩れ落ちた。

 その現場に降りて見ると、ゴーレムは土の山になっており、その肩に乗っていたはずの人影は消え失せていた……。




――翌朝

 魔法学院は大騒ぎとなった。巷を騒がせている土くれのフーケが学院に侵入し、宝物庫に収められていた秘宝『賢者の杖』が盗み出されてしまったのだ。

 教師達は、穴のあいた宝物庫に集まり、議論を交わす。

――しかしその内容は、主にこの不始末の責任が誰にあるかについてだった。

 真っ先に責任を追及されたのは、その夜の当直の当番であったシュヴルーズであった。彼女は、魔法学院に侵入する者などいないと高をくくり、当直をサボって自室で寝ていたという。その責任を追及されたシュヴルーズは、泣き出し、床に崩れてしまう。

 だが、そこへやってきたオスマンの言葉で、教師全員が静まった。

「――この中でまともに当直をしたことのある教師が何人おられるかな?」

――シュヴルーズだけではなく、ほとんどの教師が彼女同様に考え、まともに当直をしたことなど、ほとんどないのが現実だった。

 オスマンは「責任は、自分を含めた教師達全員にある」と、話を纏めた。

「で、犯行現場を見ていたのは誰だね?」

「この四人です」

 コルベールが進み出て、後ろに控えていた四人――ルイズ、カイン、キュルケ、タバサを指して言う。

「ふむ……君達か」

 オスマンは彼女達より、むしろ横にいたカインに目を向けている。

「詳しく説明したまえ」

――ルイズが前に出て、昨晩の状況を説明した。



「むぅ……これは弱ったのぅ」

 ルイズの説明を聞いて、オスマンは髭を撫でながら唸る。後を追おうにも、手がかりが全くない。困ったことになった……。

 その時、オスマンが気付いたようにコルベールに尋ねる。

「時に、ミス・ロングビルはどうしたのね?」

「それがその……今朝から姿が見えませんで」

「この非常時に……、何処に行ったのじゃ」

――そうして噂をしていた所へ、ミス・ロングビルが現れた。

「ミス・ロングビル! 何処へ行っていたんですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

 興奮して捲くし立てるコルベールに対し、ロングビルは極めて冷静である。

「調査?」

「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこの通り。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査を致しました」

「仕事が早いの。ミス・ロングビル」

 ロングビルのあまりの迅速ぶりに、オスマンが感嘆の声を上げる。次いでコルベールが慌てて促す。

「で、結果は?」

「はい。フーケの居場所がわかりました」

「な、なんですと!」

 コルベールを筆頭に、集まっていた教師達がどよめく。

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

「はい。近在の農民に聞きこんだところ、近くの森の廃屋に入っていく黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 オスマンの問いに答えるロングビルの言葉に、ルイズが叫んだ。

「黒ずくめのローブ? それはフーケです。間違いありません!」


「…………」

 カインは、ルイズを初めとして情報を迅速に収集したロングビルに感嘆の声を上げている教師陣のやり取りを冷やかに見ていた。

――その胸中には、確信に近い疑惑があった。

「そこは近いのかね?」

「はい。徒歩で半日。馬で四時間といったところでしょうか」

 オスマンの問いに対するロングビルの回答に、その疑惑は完全な確信に変わる。カインはロングビルを一瞥して、視線を逸らした。

「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 コルベールが叫んだが、オスマンが目を見開き、年寄りとは思えぬ迫力で怒鳴る。

「――馬鹿者! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上、身に掛かる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! この件は、魔法学院の問題じゃ! 当然、我らの手で解決する!!」

 オスマンは一喝の後、咳払いをすると改めてその場の全員を見渡す。

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 しかし、教師陣は誰も杖を上げない。周り同士、顔を見合わせるだけだ。この強固な宝物庫を破るような使い手を相手にする危険を冒したくないのだ。

「おらんのか? ほれ、どうした! フーケを捕え、名を上げようとする貴族はおらんのか?!」

――オスマンの言葉に、自らの杖を挙げる者が現れた。その人物とは……

「ミス・ヴァリエール!」

 シュヴルーズが、驚愕の声を上げる。他の教師達も同様に驚愕の表情でルイズに注目していた。

「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」

「誰も挙げないじゃないですか」

 ルイズの指摘に、教師陣もバツが悪そうに視線を逸らす。

――そして、ルイズが杖を挙げるのを見て、キュルケも杖を挙げた。

「ミス・ツェルプストー! 君まで!」

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

――続いて、タバサも杖を掲げる。それを見て、キュルケが声を掛ける。

「タバサ。あんたはいいのよ。関係ないんだから」

「心配」

 キュルケは感動した表情で、タバサを見つめる。ルイズも、タバサに感謝を述べる。

「ありがとう……タバサ……」

 そんな三人の様子に、オスマンは笑みを浮かべて「うむうむ」と頷いた。

「そうか。では、君たちに頼むとしようか」

「オールド・オスマン! 私は反対です! 生徒達をそんな危険にさらすわけには!」

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ」

 オスマンがそう言って視線を向けると、シュヴルーズは再び困ったように俯き、視線を逸らした。

「彼女達は、実際に敵を見ておる。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だとも聞いているが?」

 教師達を含め、キュルケとルイズも驚いた表情でタバサに注目する。

――『シュヴァリエ』とは、王室から与えられる爵位としては最下級の称号であるが、他の爵位とは違い、純粋に業績に対してのみ与えられる爵位である。即ちそれは、実力を明確に証明する称号なのだ。

 当然それは、普通タバサの年齢で与えられるものではない。それ故の驚愕である。

 続いて、オスマンはキュルケに目を向ける。

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力であると聞いているが?」

 キュルケは、オスマンの褒め言葉に得意げに髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべる。
 そして、最後にオスマンはルイズに目を向けたが、そこで少し言葉を濁す。

「ミス・ヴァリエールは……その、数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジと聞いておるが? しかもその使い魔は!」

 何とかルイズを褒めることに成功したオスマンが、声を上げてカインに目を向ける。

「卓越した槍の使い手で、あのグラモン元帥の息子であるギーシュ・ド・グラモンと決闘し、圧倒したという噂を聞いておるが」

 カインは、ふいと顔を逸らす。彼としては、ギーシュとの決闘ごっこなどで自分を評価されても嬉しくも何ともない。寧ろ、不名誉だった。

「この面子に勝てるという者がいるならば、一歩前に出たまえ」

 オスマンの威厳のある声で言った言葉に、反応する者は誰もいなかった。オスマンは、カインを含む四人に向き直る。

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する。では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地に着くまで温存したまえ。ミス・ロングビル!」

「はい。オールド・オスマン」

「彼女達を手伝ってやってくれ」

「元よりそのつもりですわ」

 ロングビルはオスマンに一礼し、準備に取り掛かると言ってその場を後にした。



 ルイズ・カイン・キュルケ・タバサの四人は、ロングビルの案内の元、『賢者の杖』と呼ばれる秘宝奪還、そして土くれのフーケ捕縛に出発――今は荷車に似た馬車に揺られ、ルイズ達はフーケの隠れ家に向かっている。手綱を握るのは、情報を仕入れ、唯一詳しい場所を知るロングビルである。
 彼女らから少し離れて、先日カインについて来た火韻竜のレフィアと、タバサの使い魔の風竜のシルフィードが上空を仲良く戯れながら飛んでいる。竜同士だからか、いつの間にか友達になっていたようだ。

「ミス・ロングビル……、手綱なんて付き人にやらせれば良いじゃないですか」

 風景を眺めるのに飽きたキュルケの問いに、ロングビルは笑みを浮かべる。

「いいのです。私は、貴族の名を無くした者ですから」

 その言葉に、キュルケは疑問符を浮かべた。

「だって、貴方はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

「ええ、でも、オスマン氏は貴族や平民だということに、あまり拘らないお方ですので」

「差支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 キュルケは興味津々の様子で身を乗り出し、ロングビルに近づく。だが、ロングビルはただ微笑むだけで、答えようとはしない。

「いいじゃないの。教えて下さいな」

「そのくらいにしておけ」

 背中にかかった声に、キュルケは振り返る。――声の主は、カインだった。

「彼女は暗に『話したくない』と言っているんだ。それはお前も察しているはずだ。やめておけ」

 有無を言わせないカインの静かな迫力に、キュルケは何も言えなかった。そして、不貞腐れたように口を尖らせ、荷台の柵に寄りかかり、頭の後ろで腕を組み黙ってしまう。
 キュルケとしては、話の種にと軽い気持ちで談笑しているつもりだった。だが、思わぬところから自分の行為を非難する声が上がったことで、不機嫌になってしまったのだ。とはいえ、カインが言った通り、ロングビルが話すことを嫌がっていることは察している。だから、子供のように不貞腐れはしたが、文句を言う事はしなかった。

 キュルケが口を閉ざし、タバサは読書に夢中。ロングビルは御者の役目があり、ルイズもこの面子では話題もないので周囲の風景を眺め、カインは何かを考えるように黙っている。

 結果、一行は道中、実に静かだった――。



 しばらくそうして進み、やがて一行を乗せた馬車は、深い森に入っていった。木々が鬱蒼としており、昼間だというのに薄暗く不気味な雰囲気である。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 ロングビルはそう言って、馬車を止めた。全員がその言葉に従い、荷台から降りる。
 先を見れば、獣道にも似た小道が続いている。物理的に馬車ではこの先には行けないらしい。

――先頭はロングビル。その後をカイン、キュルケ、ルイズ、タバサの順に並んで進む。

「なんか、暗くて怖いわ……、いやだ……」

 キュルケはそう言って、カインの腕に手を回す。

「纏わり付くな」

「だってー、すごくー、怖いんだものー」

 明らかに怖がっている声色ではない。その様子を真後ろで見ていたルイズは、眉を吊り上げ、拳を握りこみ、ワナワナと肩を震わせる。


 しばらく進むと、開けた場所に出た。その中央に、一件の古びた小屋が建っている。

――ルイズ達は、小屋の近くの茂みから様子を窺う。

「私の聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 ロングビルが廃屋を指差して言った。そこから、全員で作戦会議――進行役はタバサとカインである。
 タバサが地面に枝で図を書き、作戦を説明する。

――まず、偵察と囮を兼ねて誰か一人が小屋に近づき、中の様子を探る。

 中にフーケがいた場合、これを挑発して外に誘き出す。土のゴーレムを得手とするフーケならば、必ず土のある外に出てくるはずだ。そこを、待ち伏せていた他のメンバーの魔法で一気に撃破する。
 いない場合は、周囲を警戒しつつこの場所まで戻る。そして、改めて小屋に近づき、今度は中に侵入し『賢者の杖』を捜索する。あれば、警戒しつつそのまま確保。なければ速やかに外に出て、仲間に合図する。

 これが、タバサとカインが立てた作戦であった。

「偵察兼囮役は、俺がやろう」

――カインの立候補に、誰も異論をはさまなかった。この中では、一番適任であることは全員が知っている。

 カインは槍を左手に構え、姿勢を低くして小屋に近づく。ちなみに、昨夜キュルケが持ってきた大剣は、フーケの襲撃の際に砕け散った……。

 それはさて置き……カインは小屋の壁に背を付け、内部の気配を探る。――しかし、気配はない。
 そこで、慎重に窓から中の様子を窺う。中には、酒瓶の転がったテーブルや床に倒れた椅子、崩れかけの暖炉などがあったが、誰もいない。天井まで見たが、隠れられる場所は無かった。

――カインは、一旦ルイズ達の元に戻る。

「どうだったの……?」

「誰もいない」

 ルイズの問いに、端的に答えるカイン。
 そこで、作戦はもう一方に切り替える。今度小屋に近づくのはルイズ、キュルケ、タバサの三人だ。

「なんで、私とキュルケが一緒なのよ?!」

「そうよ。ゼロのルイズなんか足手まといだわ!」

 ルイズとキュルケは、人選に不満を訴えた。しかも、お互いの言葉で睨みあう。

「……いい加減にしろ。これは遊びじゃない。真面目にやる気がないなら、今すぐ帰るがいい。邪魔になるだけだ」

 二人は、カインの底冷えする声に身を竦ませ、渋々ながらも了承した。カインは、今度はタバサに顔を向ける。

「タバサ、いつでも動ける様、シルフィードを近くで待機させておいてくれ。何かあった時の対処を頼む」

「……」

 タバサは、無言ながらしっかりと頷く。最後にカインは、ロングビルに振り返った。

「ミス・ロングビルは、俺と斥候を務めてもらう」

「承知しました」

 各々の役割が決まり、行動に移る。
 ルイズ、キュルケ、タバサの三人は、廃屋に向かって歩いて行き、そして、慎重に中に入っていった。

「私は、少し辺りを偵察してきます」

 三人が中に入るのを確認すると、ロングビルがカインの傍を離れようとした。――だが、その足が止まる。

「……」

――カインが、無言で槍の切っ先を彼女の眼前に突き出していた。

「な、何をなさるのですか……!?」

 狼狽した様子でカインに目を向けるロングビル。だが、カインは冷たい声で答える。

「……下手な芝居はその辺にしておいたらどうだ? 『土くれのフーケ』……」

「…………何を言っているんですの? 私は――」

「――!」

 ロングビルは素早く杖を取り出すと、地面に向かって振る。すると、地面から岩の槍が迫り出してきた――!

――カインが岩の槍をかわすと、ロングビルとの間に距離が生まれる。見れば、ロングビルは先程までとは全く質の異なる笑みを浮かべていた。

「ふふふ……、なかなか鋭いじゃないか。よくあたしがフーケだって気が付いたねぇ?」

 ロングビル……いや、フーケは口元こそ吊り上げ笑っているが、険しい眼つきでカインを睨んだ。カインは動じた様子もなく答える。

「ふん……貴様の行動も、持ってきた情報も矛盾だらけだったからな」

 この場所と魔法学院との距離は、馬でも四時間近く……往復で八時間はかかってしまう。オスマンら、教師達がフーケの犯行現場で騒いでいた時間から八時間前となると、早朝というよりは深夜と言える時間になる。しかも、彼女の話では、周辺住民に聞き込みまでしたという。いくら農民でも、そんな時間に聞き込みが出来るほど大勢起きだしているわけがない。

 また、フーケは「近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男……」と言っていたが、自身の性別すら掴ませなかったほどの怪盗が、人に目撃されることも目撃されるような格好をしていたことも考えにくい。

 加えて――

「ついでに言えば、貴様のその『眼』だ……。装っていたつもりだろうが、俺にはすぐにわかった」

 昨晩――カインは一瞬ではあったが、フーケと目が合った。独特の感情の光が宿っていた瞳が、カインの印象に残っていた。

 それらの情報が積み重なり、カインはロングビルがフーケだと気が付いたという訳だ。

「ふん……。まったく、学院のボンクラどもは疑いもしなかったっていうのに……こういうところも流石は『ガンダールヴ』と言うべきかしらね?」

「『ガンダールヴ』……?」

――初めて聞く単語にカインの思考に僅かに隙が生まれてしまった。

 フーケはそれを見逃さない。目を光らせ、再び杖を振ると、フーケの足元の土がどんどん盛り上がってゆく。フーケの十八番――三十メイル余りの巨大な土ゴーレムだ。

「――ッ!」

 フーケの操る土ゴーレムが、その拳をカインに向かって叩きつける。派手な音を立て、木々が倒れ、地面が抉れる――が、カインの姿はない。

――そこへ、ゴーレムに向かって強力な炎がぶつかる。

 いつの間にか火竜のレフィアが上空を旋回していた。先程の炎は彼女のブレスだ。
 そして、そのレフィアの背から、カインがゴーレムに向かって飛び出した――。



「――何!? 今の音?!」

 大きな音に驚き、ルイズ達は小屋の外に出る。すると、昨夜見た巨大な土のゴーレムが立っており、その周囲をレフィアが飛び、カインが戦っていた――。

「――あれは、昨日のゴーレム!」

 キュルケが叫ぶ。瞬時に反応したタバサが、杖を振った。巨大な竜巻が舞い上がり、ゴーレムにぶつかる。

――だが、ゴーレムの巨体はびくともしない。

 キュルケも自分の杖を取り出し、得意の炎でゴーレムを包み込むが、やはり目立った効果はなかった。

「無理よこんなの!」

「退却」

 自分達の魔法が効かないことで、瞬時に判断。タバサがシルフィードを呼ぶ。

――しかし、同時にその横をルイズが駆け抜け、ゴーレムに向かって行く。

「――ちょ、ちょっと、ルイズッ!?」

 キュルケの叫びはその耳に届かず、ルイズはゴーレムの背後まで近づき、ルーンを呟いて杖をゴーレムに向かって振り下した。



――ドンッ!

「――!?」

 ゴーレムと正面から対峙していたカインは、そのゴーレムの背中が弾け飛んだ瞬間を見た。ゴーレムに生じた隙に、カインは空いた右手でデルフリンガーを引き抜き、抜刀の勢いでその太い腕を斬り落とす。
 そして、再び跳躍してレフィアの背に跨った時に、ゴーレムに向かって杖を振っているルイズの姿が見えた。

「ルイズ、よせ! 逃げろ!」

 カインが叫ぶと、ルイズはこちらに顔を向ける。

「いやよ! あいつを捕まえれば、誰ももう、私をゼロのルイズとは呼ばないでしょ!」

 そう叫ぶルイズの目は真剣だった。――しかし現実、ルイズの魔法では、ゴーレムに致命傷を与えられない。

「敵をよく見ろ! その巨体に、その程度の魔法では効果はない! 退け、ルイズ!」

 カインの説得にも耳を貸さず、ルイズは杖を握り締め、ゴーレムを睨みつけている。

「私は貴族よ。魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ。敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 ゴーレムは振り返り、ルイズを正面に捉える。どうやら、煩わしいルイズから先に片付ける腹積もりのようだ。
 ルイズは一瞬怯んだが、気を持ち直し、杖を振り続ける。その度に小規模の爆発が起こり、ゴーレムを穿つが、やはりその巨体には全く通じない。そうしている間にもゴーレムがルイズに迫る――。

「――いかん! レフィア!」

 瞬間、カインはレフィアに指示を飛ばした。

――レフィアがルイズの方に向かって、滑空する。

 土ゴーレムは、ルイズを踏み潰そうとその足を持ち上げる。ルイズは、目前に迫った『死』の恐怖に目を閉じる。

「――っ!?」

――しかし間一髪、踏み付けられる寸前でカインがルイズを抱え、ゴーレムの足下から救い出した。

 ルイズが目を開けると、カインの顔が見えた。……その顔は、怒気を纏っている。

「……ルイズ。俺は貴族ではないから、お前の言う貴族の有り様は知らん。だがな……」

「…………」

「――勇気と無謀を履き違えるな。今のお前は、ただ功を焦り、死に急いだだけの……ただの馬鹿だ」

 その言葉に、ルイズはびくりと肩を震わせ、その瞳から涙をこぼし始める。

「…………だって、悔しくて……。私……いっつもバカにされて……」

「…………」

 子供のように泣き出したルイズの言葉を、カインは無言で聞く。

――彼女の気持ちが分からないカインではない。

 貴族……貴族の家に生まれた者……、そうでありながら魔法をうまく使えない――そのことで周囲から罵倒され、それでも自分の所為で家名を汚さぬようにと、気丈に振る舞い、悔しさに……重圧に耐えぬいてきたルイズだ。汚名返上の好機に、気が焦るのも仕方がないのかもしれない。

――だが、死に急ぐことは間違いだ。

 一人の人間の『死』は、多くの人間の哀しみを生む……。カインは過去の経験から、それをよく知っている。
 だからこそ――目の前で、この少女を死なせる訳にはいかない。

「……!」

 カインはレフィアから飛び降り、ゴーレムの前に立ちはだかる。

「カイン!?」

 レフィアの背に跨ったルイズが、身を乗り出し叫ぶ。

 カインは手にした槍を構え、土ゴーレムの巨体と対峙する。ゴーレムはその巨大な腕を振り上げ、迫る――!

「――ッッ!!」

 次の瞬間――振り下ろされたゴーレムの腕を、カインが斬り裂いた。
 ゴーレムが、戸惑うように動きを止める。……どこかに隠れてゴーレムを操っているフーケが、その光景に驚愕しているのだろう。

――何しろ、今のカインの動きが見えた者は、ただの一人もいないのだから……。

 誰もが驚愕に思考を停止させる中、カインは止まらなかった。
 三十メイル余りのゴーレムの頭上に飛び上がり、落下と共にデルフリンガーを引き抜き、切っ先をその頭頂部に突き立てる。

「――おおおぉぉぉッッ!!!」

 突き立てたデルフリンガーを強く握りしめ、ゴーレムの背を走りながら斬り裂いていく。
 背の終点に至り、刃を勢い良く振り抜くと、再び空高く跳躍――今度は槍を構え、切れ目からヒビ割れたゴーレムの背中目掛けて落ちる。

――そして、轟音と共にカインの一撃が、ゴーレムの胴を貫いた。

 頭から股下にかけて斬り裂かれ、胴に大きな穴を穿たれたゴーレムはもはや再生も利かず、音を立てて崩れ去り、唯の土くれに還っていった。

「……フゥ」

 ゴーレムが完全に崩れ去ったのを確認して、カインは構えを解き、デルフリンガーを鞘に戻す。
 そこへ、レフィアとシルフィードが降りてきた。シルフィードの背からキュルケが飛び降り、カインに抱き付く。

「――カイン! 凄いわ! やっぱりダーリンね!」

「抱きつくな、離れろ」

 はしゃいでいるキュルケを引き剥がすカイン。そんな二人を余所に、タバサはゴーレムのなれの果てを見つめながら言う。

「フーケはどこ?」

 全員が一斉にハッとし、周囲を見渡す。カインを除いて……。

――そこへ茂みから人影が現れた。

「ミス・ロングビル! フーケはどこからあのゴーレムを操っていたみたいですけど、見つかりまして?」

 キュルケが声を掛けるが、ロングビルは目を閉じるだけで答えない。それを否定と取ったのか、キュルケ達は土ゴーレムの残骸を調べ始めた。
 そんな中、カインはただ一人、ロングビルと向かい合っている。その様子に、ルイズは首を傾げた。

「……? どうしたのよ? カイン」

 カインは答えない。しかし、その雰囲気は緊張感が漂っている。ルイズは、カインとロングビルを交互に見た。

――そして、気付いた。ロングビルの目が、カインを険しく睨みつけている事に……。

「……え? ……ま、まさか……」

 ルイズがそう呟くと、ロングビルの口元が歪む。

「ふん……やっと気が付いたようだね? 主人より使い魔の方がよっぽど鋭いじゃないか」

 ロングビルの声色が変わった事に、キュルケが驚く。

「ミス・ロングビル……まさか、あなたが……?」

「……!」

 ニヤリと笑うロングビルの態度に、キュルケとタバサも事の次第に気付いた様で、杖を構えて警戒する。

「そう。『土くれ』のフーケ」

 そう言って、ロングビルは……フーケは眼鏡を外し、キュルケ達を嘲笑うような視線を向ける。しかし、瞬時にカインに視線を戻し、苦々しさを露にして睨みつけた。

「よくもやってくれたねぇ……竜騎士の使い魔さん? おかげで、計画がすべてパーだよ」

「計画というには、随分とずさんだったと思うがな」

 カインの挑発に、フーケの目が更に吊り上がる。

「え? なに、どういうことよ?!」

「察しの悪い娘ねぇ……、まあいいわ。説明してあげる」

 叫んだルイズを煩わしそうに一瞥し、フーケは鼻で笑った。

「私ね、この『賢者の杖』を奪ったのはいいけど、使い方が分からなかったのよ」

 そう言って、フーケは後ろ手に持っていた『杖』を取り出す。それを見て、キュルケとタバサが驚き、自分達が持っていた箱の中身を確認すると、唯の土くれになっていた。

――そして、何故かカインもフーケの持っていた杖を見て多少驚いていた。

「それは私が作った偽物よ。良く出来てたでしょう? まあ、それはさて置き……この杖、振っても、魔法をかけても、うんともすんとも言わないんだもの。困ったわ。いくら手に入れても、使い方がわからないんじゃ、宝の持ち腐れでしょ? そこで、私はあなた達にこれを使わせて、使い方を知ろうと考えたわけよ。魔法学院の人間だったら、知っててもおかしくないでしょう?」

「……私達の誰も、知らなかったらどうするつもりだったの?」

「その時は、全員ゴーレムで踏み潰して、次の連中を連れてきたわよ。まあ、今となってはそれも出来なくなったわけだけど……」

 ルイズの質問に答えたフーケが、再びカインを睨みつける。

「そこの使い魔さんのおかげで正体がばれちゃったし、彼がいたんじゃあなた達を消すのも無理でしょうね。だから……ここで、おサラバさせてもらうことにするわ!」

――そう言ってフーケが地面に向かって杖を振ると、先程の土ゴーレムが再びルイズ達の前に立ち塞がった。

「じゃあね! あなた達はそいつとでも遊んでなさい!」

 そう言って踵を返し、走りだそうとした。が――

「――っ!?」

――いつの間にか飛び上っていたレフィアの炎のブレスで退路を断たれた。炎の勢いに、フーケが一瞬怯む。

「――くっ!!?」

 思わず振り返ると、目の前に竜鱗の鎧が立ち塞がっていた。

「――なっ……ぐぁっ?!」

 反応した瞬間に、鳩尾に強烈な衝撃を受け、フーケの意識はそこで途絶えた――。

 握り固めた拳の一撃で、フーケが気を失った事でゴーレムも崩れ落ち、ただの土に戻る。
 カインは、フーケの手から『賢者の杖』を取り上げ、それを見つめた。

(これは……まさか)

「カイン?」

 ルイズが怪訝な表情で、『賢者の杖』を見つめているカインに声を掛けた。カインは、我に返ったように振り返る。

「いや、何でもない……。これで任務は完了だ。学院に戻るとしよう」

 取り戻した『賢者の杖』を見せて、カインはそう言った。ルイズ、キュルケ、タバサの三人はカインの傍に駆け寄り、それぞれ安堵と喜びの笑顔を浮かべる。

――しかし、喜び合う彼女達を余所に、カインは『賢者の杖』と呼ばれた杖に複雑な思いを抱くのだった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第六話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:39
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第六話







「ふむ……。ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな……。美人だったもので、なんの疑いもせず秘書に採用してしまった」

――魔法学院の学院長室にて、任務を達成して帰還した四人の報告を聞いたオスマンが、重々しい口調でふざけた発言をした。

「一体、何処で採用されたんですか?」

 隣に控えていたコルベールが呆れ口調で尋ねる。

「街の居酒屋じゃ。私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」

「……で?」

――コルベールが無表情で先を促す。オスマンは照れたように告白を続ける。

「おほん。それでも怒らないので「秘書にならないか?」と言ってしまった」

「……なんで?」

 その場にいた全員がオスマンを白い目で見始めていた。理解に苦しむと言った口調でコルベールが全員の総意を口にする。

「――カァーッ!!」

――何を思ったか、いきなりオスマンが凄まじい迫力で怒鳴った。が――

「……」(ジロッ)

「うっ……! あ、あ~……こほん」

 カインの更に桁違いの威圧感に気圧され、オスマンは冷や汗を流しながら誤魔化すように咳払いをする。

「おまけに魔法が使えると言うもんでな」

「死んだ方が良いのでは?」

 コルベールが呟くと同時に、全員が「うん、うん」と頷く。

「今にして思えば、あれも魔法学院に潜り込むためのフーケの手じゃったに違いない! 居酒屋でくつろぐ私の前に何度もやって来て、愛想良く酒を勧める。魔法学院学院長は男前で痺れます、等と何度も媚を売り売り言いおって……。終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 オスマンの必死の言い訳を聞くうちに、何故かコルベールの顔色が悪くなっていった。そして――

「そ、そうですな! 美人はそれだけで、いけない魔法使いですな!」

「その通りじゃ! 君は上手い事を言うな! コルベール君!」

――何を思ったか、オスマンの言い訳を肯定するような事を言い出し、オスマンと同調して頷き合う。何か後ろめたいことがあるのだと、自ら公言しているようなものだ。

 結果的に、ルイズ達四人は、コルベールにも冷ややかな視線を向けるようになった。

 彼女達の冷たい視線に気づいたオスマンは、また誤魔化すように咳払いをすると、真面目な表情でルイズ達に向き直る。

「さてと、君達はよくぞフーケを捕え、『賢者の杖』を取り戻して来た。フーケは、城の衛士に引き渡した。そして『賢者の杖』は、無事に宝物庫に収まった。一件落着じゃ」

 オスマンの褒め言葉に、ルイズとキュルケはどこか誇らしげに胸を張る。

「君達の『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。ミス・タバサは、既に『シュヴァリエ』の爵位を持っておるから、精霊勲章の授与を申請しておいた」

「本当ですか!?」

 キュルケが驚いた声を上げた。オスマンは笑顔で頷く。

「本当じゃ。良いのじゃ、君達は、そのぐらいの事をしたんじゃから」

 オスマンの言葉に、ルイズ達はそれぞれ喜びの笑顔を浮かべる。
 そこで、ルイズはふと浮かない顔をしているカインに気が付き、オスマンに尋ねた。

「……オールド・オスマン。カインには、何も無いんですか?」

 ルイズの問いに、オスマンもすまなさそうな表情になる。

「……残念ながら、彼は貴族ではないからのぅ……」

 視線を向けられたカインは、首を横に振る。

「気遣いは無用だ。俺は、恩賞などに興味はない」

 カインの言葉に安心し、オスマンは頷き手を打って、全員の視線を集める。

「さて、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。この通り、『賢者の杖』も戻ってきたし、予定通り執り行う」

「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」

 キュルケは瞳を輝かせる。

「今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意して来たまえ。精々、着飾るのじゃぞ」

 ルイズ達三人は、一礼すると扉に向かう。だが、カインはその場を動こうとしない。ルイズも立ち止まり、振り返る。
 それに気付き、カインが僅かに振り向く。

「先に行け。俺は、オスマン殿に尋ねたいことがある」

 ルイズは心配そうな表情で見つめていたが、カインの言葉に頷き、学院長室を後にした。
 それを確認して、カインがオスマンに向き直る。

「……して、ワシに尋ねたいこととは、何じゃね? 爵位を授けられん代わりと言ってはなんじゃが、ワシに答えられる事ならば、可能な限り答えよう」

 カインは、一呼吸置いてから尋ねたかった事を口に出した――。

「――あの『賢者の杖』と呼ばれている杖は、どういった経緯でここの宝物庫に収められたのか、聞かせて頂きたい」

 コルベールは不思議そうな表情で首を傾げ、オスマンに視線を向ける。それを受け、オスマンは重々しく口を開いた。

「……あれは、ワシの命を救ってくれた恩人の遺品なのじゃ」

 遺品――この言葉で、持ち主が既に死亡していることが分かる。オスマンは、当時を思い出しているのか、その表情は暗く、哀しみが混じっている。

「……三十年前の事じゃ。森を散策していたワシは、ワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのが、あの『賢者の杖』の持ち主じゃ。彼は、見た事もない強力な魔法を操り、ワイバーンを倒すと、その場にばったりと倒れおった。酷い怪我をしていたのじゃ。ワシは彼を学院に運び込み、手厚く看護した。しかし、その甲斐もなく……」

「……死んだ、か」

 オスマンは目を閉じて、頷く。

「ワシは、彼を手厚く埋葬し、彼が持っていた杖を、彼への敬意を込めて『賢者の杖』と名付け、宝物庫にしまい込んだ。恩人の形見としてな……」

 その恩人を想い、オスマンは遠い目で虚空を見つめた。

「彼はベッドの上で、死ぬ間際までうわ言のように繰り返しておった。『ここはどこだ。ミシディアに帰らなければ』とな……」

「ミシディア……。やはりそうか……」

 カインは自分の想像がある意味的中していたことを知り、呟く。それを聞いたオスマンがカインに視線を向ける。

「やはり、とはどういう事じゃ?」

「ミシディアは、俺の元いた世界に存在する魔道士達の街の名だ。その男は、恐らくそこの魔道士だったんだろう」

 カインの言葉に、オスマンとコルベールは驚き、顔を見合わせる。

「ちなみに、『賢者の杖』の本来の名は『ミスリルのつえ』と言う」

 この杖は“ミスリルの村”という小人族・ブタ族・カエル族が暮らす村で、彼らがミスリル銀を加工して作る武器の一つで、特定の状態異常を正常に戻す魔法が封じ込められている。ちなみに、現在カインが装備している防具もそこで作られた品である。
 使い方は基本的に、ただ念じれば良いだけだ。しかし、封じ込められた魔法は、効果がなければ何も起こらない。恐らくフーケは、手近な物で試してみてたが、使用出来た事に気付いていなかったのだろう。

――カインの説明を受け、コルベールが興味深げに瞳を輝かせる。

「ほう、この杖は全てミスリル銀で出来ているのですか! 随分と贅沢な杖ですなぁ。しかも、そのような魔法が込められているとは。ふ~む……」

 コルベールは“ミスリルのつえ”を手に取り、様々な角度から観察している。研究者としての血が騒いでしまった様だ。
 対してオスマンは、杖よりも、自分の恩人のことがわかったことに、僅かながら喜びを感じている様子だった。

「……そうじゃったか。彼は、おぬしと同じ世界からやってきた者じゃったか」

「ああ。……その男も、誰かによってこちらの世界に召喚されたのだろうか?」

「それはわからん。どのような方法で彼がこちらの世界にやって来たのか、最後までわからんかった」

「……そうか。手がかりには、ならなかったか……」

 オスマンの回答に、カインは僅かながら落胆する。しかし同時に、元の世界とハルケギニアには何かしらの繋がりがあるという可能性は高くなった。

――まだ、諦めるのは早い。カインは気持ちを切り替えて、次の質問に映る。

「もう一つ聞きたい。『ガンダールヴ』とは、何だ?」

――その言葉にオスマンの表情が厳しくなり、夢中で杖を観察していたコルベールも振り返った。

 カインは左手の“ミスリルのこて”を外し、二人にルーンを見せる。

「フーケが俺をそう呼んでいた。それに、以前から気になっていた。ギーシュとか言った小僧と戦った時、そして、フーケと戦った時もそうだった。武器を手に取り、闘争本能が高ぶると、左手が光り、身体能力が高まる。それに武器の特性が頭に流れ込んでくるような妙な感覚も覚えた。……あんた達なら、何か知っているんじゃないか?」

 オスマンは俯き、しばし悩んだが、やがて意を決したように顔を上げた。

「……おぬしのその左手のルーンは『ガンダールヴ』のルーン。伝説の使い魔の印じゃ」

「……伝説の使い魔?」

 オスマンは頷く。

「うむ。古い文献には『ガンダールヴはあらゆる武器を使いこなし主を守った』とある。恐らく、先程おぬしが言った“妙な感覚”はそれに依るものじゃろう」

 カインは、自分の左手の甲を見つめながら呟く。

「……何故、俺がその『ガンダールヴ』とやらになった?」

「わからん」

――オスマンはきっぱりと答えた。カインは、溜め息を吐く。

「結局、何もわからん……という訳か」

「すまんのう。ただ、もしかしたら、おぬしがこのハルケギニアに来た事と、その『ガンダールヴ』の印は、何か関係があるのかも知れん」

 オスマンが言った事は、カインにとって何の参考にもならないことだった。わかったのは、自分が伝説とされた使い魔『ガンダールヴ』になったこと。戦いの際に感じた、あの感覚がそれに因るものだったこと……それだけだった。

「責任を持って帰る方法を探す、等と言った矢先に力になれんで、すまんのう。だが、これだけは言っておく。ワシらはおぬしの味方じゃ。『ガンダールヴ』よ」

「――俺の名は“カイン・ハイウインド”だ。それ以外の何者でもない」

 カインの言葉に、オスマンは「はっ」と自分の失言に気が付き、頭を下げる。

「……重ね重ねすまんのう。そうじゃった……。カイン君、よくぞ恩人の杖を取り戻してくれた。改めて礼を言わせておくれ」

 カインは「ああ……」と短く答えるだけだった。

「引き続き、ワシとミスタ・コルベールでおぬしが故郷に戻れるよう調べを進めよう」

 オスマンの言葉に、コルベールも強く意志を込めて頷く。

「礼を言う。オスマン殿、コルベール……」

「うむ……じゃが、何もわからなくても、どうか恨まんでくれ。なあに、こっちの世界も住めば都じゃ。何なら、嫁さんも探してやる」

「――結構だ」

 その場の空気を和らげるように、オスマンは軽口を叩く。そして彼の目論見通り、その場の緊張感は和らいだ。
 それを見て、オスマンは机の引出しから小さな袋を取り出し、カインの元に歩み寄った。

「これは僅かじゃが、心ばかりのお礼じゃ。受け取ってくれ……」

 オスマンはそう言って、カインにその袋を渡した。中を見てみると、エキュー金貨が百枚近く入っていた。

「――っ! オスマン殿、これは……」

「……」

 オスマンは、皆まで言うなとカインの言葉を手で遮り、「受け取ってくれ」と笑って見せる。
 カインは、オスマンの意を汲み取り、それを受け取ることにした。そして、もう一度軽く頭を下げ、学院長室を後にした……。





 その夜……

 アルヴィーズの食堂の上の階にあるホールでは“フリッグの舞踏会”が催され、着飾った生徒達や教師達で賑わっている。会場には、豪華に盛り付けられた料理がテーブルに並べられ、高級なワインが何本も用意されていた。参加している者達は、一様に楽しげである。

――そんな中、カインは一人、バルコニーの枠に腰かけ双月を眺めていた。

 傍の枠には、シエスタが気を利かせて持って来てくれた肉料理の皿とワインの瓶が置いてある。それで、舞踏会が始まってからずっと手酌で飲んでいた。
 カインは元々、宴の類はあまり好きではない。舞踏会の様な騒がしい雰囲気は性に合わず、こうして一人で静かに過ごしていたのだ。

「――どうしたい、相棒? 折角の舞踏会だってのに、黄昏ちまって」

――否、一人ではなかった。傍らにお喋り好きのインテリジェンスソードのデルフリンガーが立て掛けられていた。

「ああいった雰囲気はあまり好きじゃない……」

 そう答えて会場に目を向ければ、綺麗なドレスに身を包んだキュルケがいた。彼女はパーティが始まる前に、踊りに誘ってきたのだが、カインはそれを丁重に断った。その時は、渋々引き下がっていったが、今は大勢の男達に囲まれ談笑している。テーブルでは、黒を基調としたパーティドレスを着たタバサが、盛り付けられた豪華な料理を相手に格闘している。彼女も先程、カインに分厚いロースト肉が乗った皿を渡しに来た。人との関わりを避けていた彼女にしては、珍しい行動だった。

――各々、この舞踏会を満喫している。カインは壁に寄り掛かりながら、彼女達を見て微笑する。

 そして双月に視線を戻し、グラスのワインを飲み干した――その時だった。

『ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~~~~り~~~~!』

 門に控えた衛兵がルイズの到着を告げると、ホールの扉が開き、ルイズが姿を現した。

「ほう……」

 その声に視線を移したカインは、素直に感嘆の声を漏らす。白に近い薄い桃色の清楚なパーティドレスを身に纏うルイズには、普段とは違う、気品を感じさせる。
 その美貌に驚いた周囲の男達が、さかんにダンスを申し込んできたが、ルイズはバルコニーに一人で佇むカインに気付くと、彼らの誘いを全て断わって、カインの元に近寄った。

「楽しんでるかしら?」

「それなりにな」

 手に持っていたワイングラスを掲げて、カインは答える。

「おお、馬子にも衣装じゃねえか」

「うるさいわね」

 デルフリンガーが冷やかすように言うと、ルイズは彼を睨みつける。その様子を見て、カインは僅かに笑い、再び双月に目をやりながら尋ねた。

「お前は、踊らないのか?」

 カインが示した方を見れば、会場では、貴族達が優雅にダンスを踊り始めていた。ルイズは、それをチラリと見る。

「相手がいないのよ」

「随分、誘われていたようだが?」

 ルイズは答えず、少し頬を染めながら、カインに向かって手を差し出す。

「……?」

「お、踊ってあげても、良くってよ」

 ルイズの遠まわしのダンスの誘いに、カインは苦笑する。

「生憎、俺はダンスの経験も心得も無くてな」

「そ、そう……。そ、それなら! わ、私がリードしてあげても良いわよ……?」

 無理やりな言い回しで、食い下がるルイズを見て、カインは苦笑しながらその手を取った。

「あ……」

「ステップも知らぬ無骨者でよろしければ、お相手しよう」

 カインの言葉に、ルイズの表情が明るくなる。――だが、ふと気が付いたことを口にした。

「ねえ、こんな時ぐらい、その兜を外したら?」

「――!」

 ルイズの何気ない言葉に、カインは息を飲む。しかし――

「……そう、だな……」

 僅かな沈黙を持って、カインは決心した。そして、両手で兜に手を掛ける。

「…………」


――彼が、その兜で自らの顔を隠すようになったのは、もう何年も前の事……。

 ある女性に特別な想いを抱いた。……そして、すぐにその女性の心が求めていた人物を……その人物が、長年の親友でありライバルである男だと知った。
 その時――自らの暗く、醜い感情を自覚した。

――それは、『嫉妬』……そして、『憎悪』……。

 彼は、そんな感情を親友に抱いた自分を恥じた。
 誰かに……二人に、それを悟られる事を……自分の醜さを知られる事を恐れた。
 だから、表情を隠すためにこの形の兜をかぶり、人前では外さなくなった。
 いつの間にか、それが当たり前になってしまっていた……。その事すら忘れてしまっていた。

――だが……もう良いだろう。いつまでも、この仮面に頼っていてはいけない。乗り越えなくてならない。

 邪悪なる心は消えはしない……。どんな者でも、聖なる心と邪悪なる心を持っている

 かつて、ある月の民が言った言葉――

 しかし、邪悪な心がある限り、聖なる心もまた存在する

 一歩、踏み出してみよう。向き合ってみよう――己の中の邪悪な心に……。


 ゆっくりと兜が外され、カインの素顔が露わになる――。

「――っ!」

――ルイズは息を飲んだ。今まで見た事の無かった……そして今、初めて見た、彼の素顔に。

 青く澄んだ瞳、後ろで纏められた金色の髪――美しく、そして凛々しい“カイン・ハイウインド”という男の素顔が、そこにあった。

「…………」

 ルイズの頬は赤く染まっている。だが、その顔から目が離せずにいた。カインは、当人は否定するだろうが、正しく“美男子”である。
 ギーシュの様な、ただ顔立ちが整っているだけとは違う。その顔には、確かな“頼もしさ”がある。瞳一つ取ってみても、男らしい力強さがあるのだ。

 ルイズでなくても、女であれば誰もが見惚れることだろう。――惜しむべきは……当のカイン本人が全く無自覚なことであろう。

「……どうした? ルイズ」

 ぼーっとした表情で自分を見つめているルイズに、カインは首を傾げながら声を掛ける。その声に、我に返ったルイズは慌てながら、顔を逸らした。

「――な、なななっ、なんでもないわ! さ、さっさと行くわよっ!!」

 自分の手を掴んで、引っ張りながら先を行くルイズの様子に、カインは苦笑しながらもついて行く。
 会場の中央に躍り出た、奇妙なペアが周囲の者の視線を集めた。そして、音楽に合わせてダンスが始める。

 カインは、確かにダンスの心得は無い。だが、公爵令嬢としてダンスの英才教育を受けてきたルイズのリードもあって、二人の踊りは中々様になっていた。しかも、鎧姿の美青年と小柄で可憐な少女という奇妙な組み合わせもあって、それは自然と周りの目を集めた。そして主に女性はカインを、男性はルイズを見て溜め息を吐く。


「ねえ、カイン」

「なんだ?」

 そんな周囲の視線を余所に、カインとルイズは踊りながら会話を交わしていた。ルイズは、僅かに表情を暗くして口を開く。

「……帰りたい?」

 僅かに俯きながら、そう尋ねてくるルイズにカインは本心を語る。

「まあな。しかし、今はその方法がない。見当もつかん。もうしばらくは、ここで生活することになるだろう」

「……そうよね……」

 カインの返答を聞き、ルイズはそう呟き、しばし口を閉ざす。そして、ぽっと頬を赤くし、しばらくモジモジしていたが、意を決したようにカインを正面から見つめて、口を開いた。

「……ありがとう」

 カインは突然の感謝の言葉に、それが何に対してなのか分からなかった。それを表情から読み取ったルイズは、赤い顔のまま恥ずかしそうに目を逸らす。

「……その……、フーケのゴーレムに、潰されそうになった時、助けてくれたじゃない」

 ルイズの呟くような声に、カインは「そんなことか……」と微笑する。ルイズはそれを見て、不貞腐れるように頬を脹らます。

「な、何が可笑しいのよ?」

「いや、何……。まだ気にしていたのか、と思ってな」

「き、気になんか……してないわよっ」

 プイっと顔を逸らすルイズ。その様子にカインは、微笑を湛える。

「俺は、当然のことをしたまでだ。助けられる命を見殺しにするのは、竜騎士の名に恥じる行いだ。それに……」

「……?」

 言葉を切ったカインに、ルイズが顔を戻して見つめた。それを見て、カインは再び微笑する。

「……俺は、お前の“使い魔”なのだろう? ならば、お前を護るのは、当然のことだ」



「おでれーた! 相棒はホントにてーした奴だぜ! 主人のダンスのお相手を務める使い魔なんて、初めて見たぜ!」

――その夜の舞踏会の光景……そこで踊る二人を眺めながら驚きの声を上げるデルフリンガーの横で、双月に照らされた竜の兜が静かな輝きを湛えていた……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第七話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:41
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第七話







――ルイズは夢を見ていた。それは、まだ自分が幼かったころの懐かしい夢……。

 ルイズの実家、ラ・ヴァリエール公爵家の屋敷の今はもうあまり人の寄りつかない中庭。
 周りには季節の花々が咲き乱れ、石のアーチとベンチが置かれた池――その中央には、白い石で造られた東屋が建っている小島がある。

 その島のほとりに、一艘の小舟が浮いている。ルイズの二人の姉たちは既に成長し、母もその娘達への養育に躍起になっている今、舟遊びを楽しむ者はいない。

 ここが、ルイズにとっての『秘密の場所』――幼いルイズが唯一安心できる場所。

 幼いルイズは、出来の良い姉たちと魔法の実力で比べられ、母によく叱られた。その時、ルイズは決まってここに隠れる。


「泣いているのかい? ルイズ」

 ルイズが小舟の中で毛布に包まって泣いていると、小島にかかる霧の中から、一人の青年が現れた。

 つばの広い、羽根付きの帽子を被っていた為、顔は見えない。だが、ルイズにはそれが誰なのか、すぐにわかった。彼は、最近近所の領地を相続した、年上の貴族……憧れの子爵である。

「子爵さま、いらしてたの?」

 幼いルイズは慌てて顔を隠し、目元を拭う。みっともない姿を見られた恥ずかしさから、俯いたまま動けない。

「今日は君のお父上に呼ばれたのさ。あのお話の事でね」

「まあ!」

 彼とルイズの父との間では、ある約束が交わされていた。彼の言葉でそれを思い出したのか、夢の中のルイズは頬をほんのりと赤く染める。

「いけない人ですわ。子爵さまは……」

「ルイズ。僕の小さなルイズ。君は僕のことが嫌いかい?」

 どこかおどけた調子の子爵の言葉に、ルイズは首を振る。

「いえ、そんなことはありませんわ。でも……。わたし、まだ小さいし、よくわかりません」

 ルイズは、はにかんで言った。そんなルイズに、子爵はにっこりと微笑み、手を差し伸べてくる。

「子爵さま……」

「ミ・レディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって」

「でも……」

 自分が逃げ出してきた事を思い出し、ルイズはその手をつかむ事を躊躇う。それを察したように、彼は再び微笑む。

「また怒られたんだね? 安心しなさい。僕からお父上にとりなしてあげよう」

 彼の言葉に、ルイズは顔を上げ、その手を見る。大きく、そして憧れの手……ルイズはおずおずとその手を取ろうと、自分の手を伸ばす。

――ルイズと彼の手が重なった時、風が吹いた。

 突然の風に、ルイズは思わず目を瞑る。
 風が治まり、目を開けると、池の対岸に立っている竜燐の鎧の青年が視界に入った。自らの使い魔である竜騎士のカインである。

「あ……」

 ルイズは、カインが自分達を見ている事に気付くと、何故か見られてはいけないモノを見られてしまったと思い、俄かに焦りだす。

「どうしたんだい? ルイズ」

 子爵の彼は、ルイズの様子に首を傾げている。

「え、えと……その……」

 次第にオロオロと慌て出すルイズ。もう一度カインの方を見れば、彼は脇に抱えていた兜をかぶり、踵を返して立ち去ろうとしていた。

「――あっ! ま、待って! 待ちなさいっ!!」

 その姿に、引き止めようとルイズは必死に叫ぶ。しかし、その声が聞こえないかのように、カインは歩みを止めない。そして――

「あっ――!!」

 どこからか飛んできた火竜に跳び乗り、そのまま飛び去って行ってしまう。

「ま、待って……どこ行くのよ!? 待って! 待ってぇーーー!!!」



「……なんだったんだ、今のは?」

――室内から聞こえてきた悲鳴に目を覚まし、何事かと中に踏み込んだカインが見たのは、何やら天井に向かって手を伸ばし「う~ん、う~ん」とうなされているルイズの姿だった。

 カインは怪訝な顔で首を傾げたが、ただの寝言だと分かると、大きな溜息を吐く。

「まったく……。なんて喧しい寝言だ……」

「本当だな……。一体どんな夢見てんのかねぇ?」

 カインのぼやきに、デルフリンガーが同意する。そうしている間にも、ルイズはうなされ続けており、ベッドの上で寝返りをうっている。

「まあ……大丈夫じゃねえか? どうせ夢のことなんだしよ」

「……そうだな」

 デルフリンガーの意見に、カインは一度ルイズの様子を確認して頷く。そして、踵を返し、ルイズを起こさない様に部屋を出ようとした。
 その時――

「――待ちなさいって言ってるじゃないっっ!!!」

「――っ!?」

 突然叫び声が響き、驚いたカインは振り返る。すると、ベッドの上で立ち上がっているルイズの姿があった。

「「…………」」

――室内を沈黙が支配する。

 どうやら、ルイズも完全に目を覚ましている様子だ。そして、次第に自分の状況を認識してきたのか、顔がどんどん赤くなってゆく。

「……………………」

 額から汗が垂れ、全身がふるふると震えだした。

――しかし、カインは何も言わずに再び踵を返し、ドアに向かって歩いて行く。

「……え?」

 カインの予想外の行動に、ルイズは呆気に取られた。

「まだ夜中だ。静かに寝ていろ……」

 唖然としているルイズに向かって一言、二言言うと、カインは部屋の外に出て行った。

 しばらく、その場で呆然としていたルイズだが、見ていた夢の事もあって、次第に沸々と沸いてきた怒りに震え始める。

「う、ううぅぅ~~~~~~っっ!! なによ、この冷淡男! バカーーッッ!!」

 未だ双月が天に輝く深夜に、ルイズの叫びが木霊した……。




 どれだけ悪夢にうなされようと、使い魔に理不尽な怒りを抱こうと、朝日は上り、一日は始まる。

 その日のルイズは、朝からずっと、見るからに不機嫌な様子で教室の席に着いていた。先日の舞踏会に於いて、その隠れた美貌を惜しみなく発揮し、男子の好感度を一気に上げたのに、ちょっと時間が経てばいつも通りである。男子は声をかける事を躊躇い、他の生徒も何事かと怪訝な顔をするが、とても尋ねられる雰囲気ではない為、放置している。

 そして、今日もいつもの様に講義が行われる。

「最強の系統を知っているかね? ミス・ツェルプストー」

――教卓に立っているのは、ギトーという名の教師。

 長い髪に漆黒のマントを羽織ったその姿は不気味で、しかも彼は非常に偏った“ある思想”の持ち主である為、学院内に於ける人気は低い。

「『虚無』じゃないんですか?」

「伝説の話をしている訳ではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

 キュルケの答えに、ギトーはどこか引っかかる物言いで返す。キュルケは、内心カチンときた。

「『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

「ほほう。どうしてそう思うのかね?」

 互いに、挑発的な物言いと笑みで相手を煽っている。そのやり取りに生徒の多くは冷や汗をかく。

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」

「残念ながらそうではない」

 ギトーは脇に差していた杖を引き抜き、キュルケに向かって言い放つ。

「試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてみたまえ」

「……火傷じゃすみませんわよ?」

 どこまでも相手を煽り、小馬鹿にするような態度のギトーに、キュルケは杖を抜きながら目を細める。

「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りでないならね」

――ギトーの言葉に、キュルケから笑みが消える。

 杖を構え、呪文を詠唱する。杖の先に小さな炎の球が浮かび、キュルケの更なる詠唱でそれは直径一メイル程の大火球となる。
 周囲の生徒達がその火球の大きさに驚き、巻き添えを恐れて机の下に避難する中、ギトーは眉ひとつ動かさず、その場を動かない。

――そして、キュルケの大火球がギトーに向かって放たれた。

 しかし、ギトーは慌てることもなく呪文を詠唱し、杖を剣のように振る。ギトーの杖から烈風が巻き起こり、キュルケの火球をあっさり掻き消すと、その向こうにいた彼女自身も吹き飛ばす。

 吹き飛んだキュルケを見て、勝ち誇った顔で語り始める。

「諸君、『風』が最強たる所以を教えよう。簡単だ。『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も、『水』も、『土』も、『風』の前では立つ事すらできない。残念ながら試した事はないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

 それが彼――『疾風』の二つ名を持つギトーの持論だった。彼は自身の系統こそが最強であると信じて疑わない“風系統至上主義者”なのだ。キュルケもそれに近い気質を備えているが、ギトーの場合は彼女の比ではない。しかも質の悪いことに、彼は授業中も度々その事を持ち出しては、横柄な態度を取る。

――これが、彼の人気を低下させている最大の要因であった。

 しかし、どんなに性格が歪んでいようとも、彼は教師であり、それ相応の実力も持っているため、生徒達は文句も言えない。

――そんな重苦しい雰囲気の教室に、それを一瞬で吹き飛ばす闖入者が現れた。

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

 教室に入ってきたのはコルベールである。しかも、その格好は実に奇妙だ。

――頭にはやたらと大きな、ロールした金髪のカツラを乗せ、胸にレースの飾りやら刺繍やらが縫い付けられたローブを羽織っている。

 教室中の誰もが、コルベールに注目し、首を傾げた。

「おっほん。今日の授業は全て中止であります」

 コルベールの宣言に、生徒達から歓声が上がる。その歓声を、両手を上げて抑え、コルベールは言葉を続ける。

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 そう言って、コルベールが仰け反った拍子に、頭のカツラが滑り落ちた。教室中から、堪えるような笑いが漏れる。

――しかし、それは一番前の席に座っていたタバサの言葉で破られた。

「滑りやすい」

 コルベールの禿げた頭を指差してのタバサの言葉に、教室中が爆笑に包まれた。あのギトーですら、口を押さえて笑いを堪えている。

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童どもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族は可笑しい時は下を向いてこっそりと笑うものですぞ! これでは王室に教育の成果が疑われる!」

 生徒達の行儀云々より、自分でも密かに気にしている頭の事で恥をかいた事が、コルベールとしては大きかったに違いない。
 そのコルベールの剣幕に、生徒達もとりあえず静まった。コルベールは、気を取り直すように咳払いをする。(カツラは放置したまま)

「えーおほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

「姫様が……?」

 コルベールの言葉に、ルイズが呟く。周囲の生徒達も、思ってもいなかった事態にざわついている。コルベールの言葉が続く。

「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。その為に本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

――コルベールの指示を受け、生徒達は頷き、その日の授業は中断され、各々支度の為教室を後にした。




 魔法学院の正門をくぐり、王女の一行が現れると、整列した生徒達が一斉に杖を掲げる。王女の出迎えの為に、学院中の生徒達が列をつくっている。
 その中に、ルイズとその脇に控える様にカインの姿もあった。図書館でこの世界の知識の収集に勤しんでいた所に、突然ルイズが現れ、引っ張られ、連れてこられて現在に到る。

――ちなみに、今カインは兜をつけている。

 舞踏会を堺に、カイン眠る時や読書の時など、腰を落ち着けて何かをする時は、兜を外すようになった。
 余談であるが、食事の時も外しているため、シエスタを初め、メイド達は食事時になると厨房に詰め掛けるようになってしまったとか。


「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな~~~り~~~ッ!」

 衛士の声で、馬車の扉が開く。生徒達の視線が一気に集まる。が――

「……」

――出てきたのは司祭のソレに似た帽子をかぶり、灰色のローブに身を包んだ老齢の男であった。トリステイン王国枢機卿のマザリーニである。

 期待を裏切られた生徒達は一斉に鼻を鳴らしたが、マザリーニはそれを意に介さず、馬車の横に立つと続いて降りてきた女性の手を取る。

――今度こそ、と言わんばかりに生徒達から歓声が上がる。

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」

 キュルケはつまらなそうに、鼻を鳴らす。
 そう、馬車から出てきて、今にっこりと薔薇の様な微笑を浮かべ、出迎えた生徒達に優雅に手を振っている女性こそ、トリステイン王国王女“アンリエッタ姫”その人なのだ。

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

 そう尋ねてしなを作ると、キュルケはすぐ近くにいたカインに擦り寄る。

「さあな……」

「さあなじゃわかんないわよ。ねえ、どっち?」

 興味なさげなカインの返答に、キュルケは追及するように尋ね密着してくる。
 しかしカインの興味は、纏わりついてくるキュルケや生徒達が騒ぐ『麗しの王女』よりも、彼女を警護している一団にあった。

(なるほど……あれはこの国の“近衛兵”と言ったところか。隊長は……あの男か。まあまあ出来るな……)

――カインは、一団を率いている一人の男を目にとめる。

 彼はつばの広い羽根付き帽子をかぶり、鷲の頭に獅子の胴体をもった幻獣に跨っていた。カインは、捉えた瞬間その男の実力を直感的に見抜く。
 立ち居振る舞いや仕種を見ても、その青年には隙が少なく、それなりの鍛練を積んでいる事がわかった。他の衛士達とは、格が違う。


 そうこうしている内に、アンリエッタはオスマンに出迎えられ、学院内に案内されて行った。それを見届けて、周囲の生徒達も各々解散していき、騒ぎはあっという間に終わりを告げた……。



 その日の夜……。

 カインはいつもの通り、修行を終え、ルイズの部屋に戻ってきた。しかし、ドアの向こうからルイズ以外の気配を感じ立ち止まる。
 耳を澄ましてみると、僅かながら楽しげな声も聞こえてくる。

「珍しいな……。こんな時間に、来客か……」

 誰もが眠りに就くかどうかという時間に加えて、普段ルイズを尋ねてくる者などいないこともあって、カインは首を傾げた。
 しかし、ここで立ち聞きしている訳にもいかず、自分の帰りを伝えるためドアをノックする。

「――誰っ!?」

「俺だ、ルイズ。カインだ」

 カインの答えから、ほんの少しの間を置いてドアが僅かに開く。隙間から顔を出し、ルイズは警戒するように辺りを窺う。
 そして、カインの他に誰もいない事を確認すると、ドアを開き――

「早く入って」

――そう言うと同時に、ルイズはカインの手を引いて部屋に引き込み、素早くドアを閉める。

 何事かと、カインが部屋を見れば、一人の少女が立っていた。

「……ルイズ、此方の方は?」

 少女が、ルイズに尋ねる。その口ぶりからして、ルイズとは親しい間柄のようだ。

 その顔を見て、カインは昼間見たある人物を思い出す。
 少女に視線を向けられたカインは、ゆっくりと膝をつき、兜を外して幼少時代に必要だとして親に仕込まれた王族への礼をとる。

「お初に御目にかかる、アンリエッタ王女よ。私はカイン・ハイウインドと申す者。宜しければ、以後お見知り置きを……」

「まあ、ご丁寧に。トリステイン王国王女、アンリエッタと申します」

 カインの礼に対し、アンリエッタも名乗る事で礼を返す。ルイズは、カインが作法に通じている事に僅かながら驚いていた。

「ところで、ミスタ・ハイウインド? 失礼ですけれど、あなたはどちらの出身の貴族だったかしら?」

 どうやら、アンリエッタはカインを貴族と勘違いしたらしい。ルイズは頬を掻きながら、アンリエッタに告げる。

「姫様。彼は貴族ではありません。私の使い魔です」

「……使い魔?」

 アンリエッタはきょとんとした表情で、カインとルイズを交互に見つめる。そして、もう一度ルイズに向きなおり、おずおずと口を開く。

「人にしか見えませんが……」

「人です。姫様」

 アンリエッタの驚きが分かるのか、ルイズも目を伏せて答えた。それを聞いたアンリエッタはしばし沈黙した後、くすっと笑う。

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

 納得したように微笑むアンリエッタに、ルイズは僅かに顔を赤くする。

「す、好きで彼を使い魔にした訳ではありません! そ、それに……一応、そこそこ、結構腕は立ちますので、護衛としては……まあまあというか、それなりに凄いと言うか……」

 褒めているのか疑問に思える微妙な物言いだったが、ルイズは一応褒めたつもりらしい。
 尻すぼみに声が小さくなり、最後の方はごにょごにょと呟くルイズに、アンリエッタは楽しそうな笑みを浮かべる。

「わたくし、彼がとても立派な鎧兜を着ていたものだから、てっきりどこかの貴族の方で、ルイズの恋人かと思ったわ」

「――なっ?!!」

「お戯れを」

 ルイズは顔を瞬時に真っ赤にしたが、カインは眉ひとつ動かさずに答える。その様子に、ルイズは不満げな表情になり、「即答することないじゃない……」等とブツブツ呟き始めた。
 アンリエッタは、それを見て更に楽しげな笑みを浮かべ、カインに向き直る。

「ふふふ……、カインさん。わたくしの大切なお友達、ルイズをこれからも宜しくお願いしますね」

 微笑みながらそう言うと、アンリエッタは手をそっと跪くカインに差し出す。それまで暗いオーラを背負っていたルイズが、それを見て、慌てたように叫ぶ。

「――い、いけません! 姫様! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」

「良いのですよ、ルイズ。この方はこれから私のために働いてくださるのです。忠誠には、報いる所がなくてはなりません」

 ルイズの言葉に、アンリエッタは優しく微笑み、カインに向き直る。

――しかし、カインは顔を上げ、アンリエッタの眼を見据えた。そして、その口を開く。

「――畏れながら、アンリエッタ王女に申し上げる。我が忠誠は、我が誇りと共に、遥か遠い我が故郷に捧げている。失礼ながら、あなたにも、この国にも忠誠を捧げる事はできない」

「「――っ!?」」

 毅然とした態度でそう言い切るカインに、ルイズもアンリエッタも驚く。

――これは、カインにとって譲れない信念。

 父の遺志を継ぎ、バロン王国と前バロン王への忠誠を誓い、そしていつの日か、現バロン王である親友を支えること――それが、己の竜騎士の誇りを懸けた“誓約”。故に、他の国――まして異世界の国に忠誠を誓うのは、その誓いに反する行い。
 些細なことかも知れないが、カインにとっては重要なことなのだ。

 しばらく呆然としていたルイズだったが、すぐに立ち直ると、カインを怒鳴りつける。

「あ、あんたっ!! 姫様が自らお手を許されてるのに、それを断るなんて、何様の――」

「――ルイズ。良いの、やめてちょうだい」

 噛みつかんばかりの剣幕のルイズを、アンリエッタが静かに、そして威厳を込めた声で遮った。その声と雰囲気に、ルイズも思わず言葉を止める。
 アンリエッタは、そっと差し出した手を胸の前に引き寄せ、暗い表情で俯き呟く。

「……あなたのような方に忠誠を捧げられる国が羨ましいですわ。きっと……良き王が治める良い国なのでしょうね。……それに比べて、わたくしは……」

「姫様……」

 アンリエッタは、僅かに目を伏せると静かな声でそう言った。
 カインの仕種や言葉から、彼がどこかの国に仕えていた騎士であることを悟った彼女は、カインの揺るぎない意志と忠誠心に感銘を受けると同時に、自分とこの国の在り様を思い、僅かな羨望を抱く。

 アンリエッタの哀しげな表情に、ルイズは先程までの怒りが消え失せ、彼女を気遣うような表情を見せる。

「……姫様、一体どうなさったのですか?」

「……いえ、なんでもないの。ごめんなさい……、いやだ、自分が恥ずかしい。本当なら、あなたに話せるような事じゃないのに……わたくしったら……」

 自らを恥じ入る様に顔を伏せるアンリエッタに、ルイズは何か事情があることを察して、その両手を握る。

「仰って下さい、姫様。人目を避けてまで、お一人で私を訪ねてくださったのは、きっと誰にも相談できないほどのお悩みがおありだからなのでしょう?」

「……いえ、話せません。先程言った事は忘れてちょうだい。ルイズ」

 その言葉に、ルイズはアンリエッタの両手を握っていた手に力を込める。

「いいえ! 仰ってください、姫様! 昔は何でも話し合ったではございませんか! 私をお友達と呼んで下さったのは姫様です。そのお友達に、悩みを話して頂けないのですか?」

 真っ直ぐに自分を見つめるルイズの言葉に、アンリエッタは瞳を滲ませてルイズを抱きしめる。

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね……。ルイズ・フランソワーズ。とても、とても嬉しいわ……」

 ルイズを話し、目尻をそっと拭うと、アンリエッタはカインに視線を向ける。

「……カイン殿も、聞いて頂けますか? わたくしの愚かな願いを……」

「内容次第だ」

「……わかりました、お話します……」

 アンリエッタは頷き、そして決心したように表情を引き締める。
 そして、口を開こうとした瞬間だった――。

「――待て!」

 カインが突然、アンリエッタを手で制し、ドアに向かって静かに歩き出した。

――そして、ドアの横に立つと、勢いよく開け放つ。

 すると――

「――うわぁっ!?」

――開け放たれたドアから、誰かが倒れ込んで来た。ルイズは、咄嗟にアンリエッタを庇う様に前に出る。

 が、ドアを開けたカインは呆れ顔で、倒れてきた人物を見下ろす。

「……何をしている? ギーシュ」

 よく見てみれば、それは以前カインと決闘を演じたギーシュ・ド・グラモンだった。
 ギーシュは、床に打ちつけた鼻を摩りながら起き上がると、引きつった愛想笑いを始める。

「ギーシュ! あんた! まさか、立ち聞きしてたの?!」

 ルイズの剣幕に、ギーシュは僅かに腰が引けながらも言い訳を始める。

「あ、い、いや……。薔薇のように見目麗しい姫様の後をつけて来てみれば、ルイズの部屋に入っていくじゃないか。何事かと思って、鍵穴からまるで盗賊のように様子を窺えば、何やら只ならぬ雰囲気で……」

「どんな言い訳をしようと、お前が立ち聞きしようとしていた事……そして婦女子の寝室を覗き見ていた事実は変わらん」

「うぐ……」

 カインの正論に、ギーシュは言葉を詰まらせる。しかし、立ち上がるとアンリエッタに視線を向けた。

「――姫殿下! 姫殿下の願い、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンにもお聞かせ下さいますよう」

「――誤魔化すな」

 芝居がかった仕草で礼を取るギーシュに対し、カインは足を払う。再び床に顔面から倒れるギーシュだったが、直ぐに顔を上げて、今度はカインに懇願し始める。

「お願いだ! ぼ、僕も仲間に入れてくれ! アンリエッタ姫殿下のお役に立ちたいんだ!」

 必死でわめくギーシュに、カインはルイズとアンリエッタに視線で「どうする?」と尋ねる。
 ギーシュの顔を見れば、アンリエッタに良いところを見せようという下心がある事は明白だ。ルイズもそれが分かるのか、眉間に皺を寄せている。

 しかし、アンリエッタはギーシュを見つめて、首を傾げる。そして、おずおずとギーシュに尋ねるように呟く。

「グラモン……? もしや、あなたはグラモン元帥の……」

「息子でございます! 姫殿下」

 即答し、立ち上がって恭しく一礼するギーシュ。

「あなたもわたくしの力になってくださるというのですか?」

 尋ねてくるアンリエッタに、ギーシュは顔を上げた。

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」

 どこまでも芝居掛かった口調のギーシュの言葉に、アンリエッタは微笑む。

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助け下さい、ギーシュさん」

――こうして、ギーシュもこの場の面子に加わる事になってしまった。


 そして、カイン、ルイズ、ギーシュの三人は、アンリエッタの説明に耳を傾ける。その内容は、内戦が続くアルビオンの地に潜入し、アンリエッタがアルビオン王国王子に宛てたある手紙を極秘裏に回収してくるというものだった。

 アルビオンは現在、国内の貴族が『貴族派』『王党派』の二つの派閥に分かれ、争っている内戦状態にある。『聖地』奪還を掲げ、アルビオン王族に代わり、有能な貴族による共和制をうち立てようと者達が『貴族派』――アルビオン王族を中心に、その古い臣下の貴族達で構成されているのが『王党派』である。

 聞けば、アンリエッタは帝政ゲルマニアとの同盟を結ぶ為、ゲルマニア皇帝に嫁ぐことが決まったという。
 アルビオンの内戦は、近い将来、貴族派の勝利で終結する事はもはや確定的である。そうなれば、その後のアルビオンがトリステインに侵攻してくることは火を見るより明らか。それに対抗するため、大国であるゲルマニアと同盟を結ぶことになったのだ。
 無論、アルビオンの貴族達にとって、それは望むところではない。その為、奴等はその婚姻を妨げる材料を血眼になって捜しているらしい。

――悪い事に、それは確かに存在していたのだ。

 アンリエッタが、以前アルビオン王国皇太子プリンス・オブ・ウェールズに宛てた一通の手紙――アンリエッタは明言しなかったが、それは恋文である。そんなものがゲルマニア皇室の目に触れれば、婚姻もそれに伴う同盟も全て反故にされてしまう。さらに、それは現在アルビオンのウェールズ王子の元にある。
 背水の陣に追い込まれている王党派が敗れれば、その手紙も明るみに出てしまう。

 こんなことを信用のおけない周囲の貴族達に話すわけにもいかず悩んでいた所へ、土くれのフーケ捕縛の件でルイズの事を耳にし、悩み抜いた末、無二の親友であるルイズを頼ってきた、という訳だったのだ。

 内戦中のアルビオンへの潜入という任務内容に、ギーシュは若干尻込みした様子だったが、ルイズは一も二もなく承諾した。

――だがその時、カインはアンリエッタのある問いを投げかけた。

「アンリエッタ王女よ、あなたに一つ聞きたい事がある」

「……なんでしょう?」

 カインの鋭い口調に、アンリエッタは緊張した面持ちになる。

「あなたは、自分が友と呼び、また自分を友と呼んだ者を“死地”に送ろうとしている自覚があるか?」

「っ……はい」

 それは、アンリエッタも分かっていた。だからこそ、先程この願いを口にするのを躊躇ったのだ。
 苦しげに肯定したアンリエッタに対し、カインは更に問いかける。

「では……この任務の果てに、どんな“結果”が待っていようと、それを受け入れる“覚悟”はあるか?」

「…………」

 沈黙……、アンリエッタは黙りこむ。

 カインが言う『結果』とは、あらゆる結末が含まれている言葉だ。当然、“最悪のケース”もそこに含まれている。
 目的の手紙を回収できなかったら……、そして、ルイズが命を落としてしまったら……。後者は、極論すれば“アンリエッタがルイズを殺した”という事になってしまう。その時、アンリエッタはそれを受け止められるか否か……恐らく、否だろう。

 カインもそのぐらいは分かっている。だが、それでもこの問い掛けをしない訳にはいかなかった。

――結末に至ってから『こんなことになるとは思わなかった』などという甘ったれた言い訳は、“現実”には通用しない。

 『覆水盆に帰らず』――事が起きてから後悔しても遅いのだ。

「今すぐに“覚悟”を決めろ、とは言わん。俺も、最悪の結果とならんよう力を尽くす。だが、自覚だけはしておくことだ。それがいずれ“覚悟”となる」

「……わかりました。カインさん、わたくしの大切なお友達を、どうかお守りください」

「心得た」


――こうして、一行のアルビオン行きが決定し、明朝出発することになった。

 アンリエッタは、ルイズの部屋の机に座り、羽ペンと羊皮紙を使って、ウェールズ王子への手紙をしたためる。書き終えたところでペンを止め、ふと悲しげに考え込んだが、何かを決心したように頷き、文末に何かを付け足していた。
 そして、その手紙を包み、ルイズにウェールズ皇太子に会えたらこの手紙を渡すよう告げて渡し、次いで自らの右手の薬指の指輪を外し、ルイズに手渡す。

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 ルイズはそれを受け取ると、深々と頭を下げる。

「この任務にはトリステインの未来が掛っています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを護りますように」




 明朝――朝靄の中、カイン、ルイズ、ギーシュの三人は旅支度を進めていた。旅の足として、火竜のレフィアを使う。最初、ヒト三人に加えて、旅の荷物まで背負って飛ぶのは、流石に無茶かと思いカインが尋ねたところ――

「う~ん……途中で休憩すれば、多分大丈夫だと思うの」

 という返事が返ってきたので、カインは二人に出来る限り荷物は減らすように言い、レフィアに乗っていく事が決まった。


「お願いがあるんだが……」

 レフィアを気にかけながら、カインが出発の用意をしていると、ギーシュがおずおずと声をかけてきた。

「なんだ?」

「僕の使い魔を連れて行きたいんだ」

「別に構わんが……お前の使い魔とやらは何だ?」

「この子さ」

 そう言うと、ギーシュは足で地面を叩く。すると、地面が盛り上がり、そこから人程もある巨大なモグラが姿を現した。
 ギーシュはさっと膝を着くと、そのモグラを抱きしめ頬擦りし始める。

「ヴェルダンデ! ああ! 僕の可愛いヴェルダンデ!」

「…………」

 目の前で抱き合うモグラとギーシュを、カインは無言、そして冷たい目で見る。

「あんたの使い魔ってジャイアントモールだったの?」

 ルイズがそのモグラを指差して、ギーシュに尋ねた。するとギーシュは、モグラを抱きしめながら頷く。

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」

 何やらモグラと語り合っているようだが、カインからすれば……否。おそらく誰の目にも異様な光景に映るだろう。
 しかし、ルイズは果敢にも一歩前に出て、ギーシュに声を掛ける。

「あのね、ギーシュ。私達が向かうのは、あのアルビオンよ? 地面を進むモグラなんか連れていけるわけないでしょ。ダメよ、却下よ」

「ギーシュ。まさか、とは思うが……そのモグラをレフィアに乗せろ、等とは言わんだろうな?」

 カインの言葉を聞いたのか、レフィアがギクリと身体を震わせる。そして、こちらを見てぶんぶん首を横に振って、「嫌」という事をアピールしてくる。
 人間三人に加えて、ルイズとギーシュの荷物まで背負えば、如何に韻竜とは言え、まだ幼竜であるレフィアには載積限界量ギリギリである。荷物が全くなければ何とかなったかも知れないが、この状態でいかにも重たそうなジャイアントモールなど乗せれば、途中で力尽きて墜ちてしまうだろう。

「そんな……お別れなんて、辛すぎるよ……ヴェルダンデ!」

 二人と一頭の拒否で、ギーシュはがっくりと膝をつく。だが、渦中の巨大モグラは、何やら鼻をひくつかせている。
 そして、そのままルイズの方ににじり寄っていく。

「な、何よこのモグラ!?」

「主人に似て女好きか? モグラのくせに……」

――そうこう言っている内に、ルイズがモグラに押し倒された。モグラは鼻をルイズの身体をつつき回し、その所為で服が乱れてしまっている。

 その様子に、カインも仕方なくモグラを引き剥がす。解放されたルイズは服装を整え、カインの後ろに隠れる。

「まったく! 主人に似て、なんて破廉恥なモグラなのかしらっ!!」

「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。ヴェルダンデは宝石が好きだから、ルイズのしている指輪に興味を持っただけさ」

 モグラを撫でながらギーシュは語った。ジャイアントモールは、土中の鉱石や原石を探し当てる習性があるらしい。
 それを聞いて、ルイズは指輪を背中に隠し、モグラを睨みつける。

――カインはやれやれと肩を竦めていたが、突然現れた気配に気づき、朝霧で隠れた道の方に顔を向けた。

 ルイズとギーシュは、カインの行動に疑問符を浮かべる。

「カイン、どうかしたの?」

「……誰かこちらに来る」

 カインの言葉に、彼の視線を追う様に朝霧に目を向けるルイズとギーシュ――するとカインの言葉通り、朝霧の中から一人の長身の青年貴族が現れる。
 広いつばの羽根付き帽子に黒のマント――三人ともその姿には、見覚えがあった。

「おはよう、諸君。僕は姫殿下より、君達に同行することを命じられた、王宮魔法衛士隊グリフォン隊隊長のワルド子爵だ。此度の任務は極めて重要であるが故、君達だけでは心許ないが極秘任務故である為、一部隊を付ける訳にもいかぬ。そこで僕が指名されたって訳だ」

 ワルドは帽子を取り、一礼すると自分が来た経緯を説明した。魔法衛士隊の隊長という事で、ギーシュはある種の尊敬の眼差しを向けている。そして、カインの後ろにいたルイズは彼を見ると、震える声でその名を呼んだ。

「ワルドさま……」

 それを聞くと、ワルドは人懐こい笑みを浮かべる。

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 そして、カインの背後から出てきたルイズに駆け寄り、その身体を抱き上げる。
 二人の様子に、カインは彼らが顔見知りであることを察した。しかも、どうやら只の知り合いという訳でもなさそうだ。その証拠に、抱き抱えられたルイズは頬を染めている。

「お久しぶりでございます」

「相変わらず軽いな君は! まるで羽のようだね!」

「……お恥ずかしいですわ」

 ルイズは、照れたようにそう言う。ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び帽子をかぶり直し、カイン達に顔を向ける。

「ルイズ。彼らを紹介してくれたまえ」

「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、私の使い魔のカインです」

 ルイズは交互に指差して紹介した。ギーシュは深々と頭を下げ、カインも軽く会釈する。するとワルドは、カインに歩み寄る。

「君がルイズの使い魔かい? 人とは思わなかったな」

 ワルドは友好的な笑みを浮かべて、カインに手を差し出す。

「僕の婚約者がお世話になっているよ」

「いや、大したことではない」

 カインはワルドの手を、一応の社交辞令として握る。彼がルイズの婚約者というのは驚いたが、別に口に出す程のことではなかったので触れなかった。
 握手が済むと、ワルドはカインの後ろのレフィアに目を向ける。

「そちらは君の竜かい? いやいや、なかなか見事な火竜じゃないか」

 ワルドはレフィアに触れようとしたが、珍しくレフィアが嫌がった。
 カインは、レフィアがこれほどはっきり人を拒絶したところを初めて見て驚き、心の中で尋ねる。

(どうした? レフィア)

(この人、何か嫌……。なんだか、とっても気持ちが悪いの)

 不快感と嫌悪感を露にするレフィアの言葉に、カインは怪訝に思い、ワルドを見る。

「おやおや、どうやら嫌われてしまったようだ。やはり、竜は気難しいようだな。はっはっはっ」

 愉快そうに笑っているワルド。不審なところなどいない様に見えるが、レフィアは韻竜――何か感じるところがあるのかも知れない。
 しかし、確信もないことで疑っても仕方がない。そう考え、カインは取りあえず、その事は頭の片隅に置いて置くことにした。


 ワルドは、口笛を吹いて自らが騎乗するグリフォンを呼ぶ。
 程なくして朝靄の中から現れたグリフォンに跨ると、ルイズに手招きする。

「おいで、ルイズ」

 その誘いにルイズは僅かに躊躇い、俯き、チラッとカインの方を窺う。見ればカインは、レフィアに荷物を固定し直している最中で、こちらを見ていない。
 それが何やら腹立たしく、ルイズはぷいと顔を逸らすとワルドのグリフォンの方へ歩いて行った。

 荷物を固定し終えてカインが振り返ると、ルイズがグリフォンに跨っている。
 ワルドの事は気になったが、その違和感の正体が掴み切れない内から疑っても仕方がないと考え、ギーシュに早く乗るよう指示した。


 そして、出発の準備が整うと、ワルドが手綱を握り、杖を掲げて叫ぶ。

「では諸君! 出撃だ!」

 グリフォンが駆け出し、翼を羽ばたかせて空に昇る。カインが駆るレフィアも空に舞い上がり、ワルドに続き飛び立っていった――。



 出発する一行を、アンリエッタは学院長室から見送っていた。そして目を閉じ、胸の前で手を組んで祈る。

「始祖ブリミルよ……。彼らの旅路を、どうかお守りください……」

「なに、心配には及びますまい。彼が付いております。彼ならば、道中どんな困難があろうとも、必ずやってくれるでしょうて」

 オスマンの言葉に、アンリエッタは首を傾げる。

「彼……とは? あのギーシュ殿のことですか? それとも、ワルド子爵?」

 オスマンは首を振った。

「では、あのルイズの使い魔さん……カイン殿が?」

 オスマンは頷く。

「オールド・オスマン。それはどういう――」

――バンッ!!

「オールド・オスマン! いいい、一大事ですぞ!!」

 アンリエッタが言葉の真意を訪ねようとした時、学院長室の扉が開け放たれ、大慌てのコルベールが飛び込んできた。

「コルベール君、ちゃんとノックをしたまえ。どうも君は慌てんぼでいかん」

「そんなことを言っている場合ではありません! 城からの知らせです! なんと! チェルノボーグの牢獄から、土くれのフーケが脱獄したとのことです!!」

「ふむ……」

 オスマンは、僅かに真面目な顔をすると髭を扱きながら唸る。

「門番の話では、さる貴族を名乗る怪しい人物に『風』の魔法で気絶させられたそうです! 魔法衛士隊が、王女のお供で出払っている隙に、何者かが脱獄を手引きしたのですぞ! つまり、城下に裏切り者がいるということです! これが大事でなくてなんなのですか!」

 コルベールの報告を聞いて、アンリエッタの顔から血の気が引く。
 それを横目で見たオスマンは、手を振って、コルベールに退出を促す。

「わかったわかった。その件については、後で聞くとする。下がりたまえ、ミスタ・コルベール」

 コルベールが退出すると、アンリエッタは蒼白な顔のまま机に手をつく。

「城下に裏切り者が!? 間違いありません。アルビオン貴族の暗躍ですわ!」

「そうかもしれませんな」

 オスマンは水キセルを吹かしながら言った。その余りの余裕ぶりに、アンリエッタは呆れた顔で尋ねる。

「トリステインの未来がかかっているのですよ? 何故、そうも平然と……」

「すでに杖は振られたのですぞ。我々に出来るのは、もはや待つことだけ。違いますかな?」

 オスマンの言葉は正論で、アンリエッタも俯くしかなかった。しかし、例えそうでも、案じずにはいられないのが人間の性である。
 アンリエッタの「理解は出来るが納得は出来ない」という表情を読みとり、オスマンは笑みを浮かべながら口を開く。

「時に、姫。先程のお話ですがの……」

「? 先程のお話、とは……」

「ミス・ヴァリエールの使い魔の青年……カイン君のことです」

「ああ……」

 その話の途中で、コルベールが乱入してきたのを思い出し、アンリエッタが頷く。

「姫は始祖ブリミルの伝説をご存知かな?」

「はぁ、通り一遍のことなら知っていますが……それがどう関係するのですか?」

 何が言いたいのかわからず、アンリエッタは首を傾げるばかりだ。その様子にオスマンは、にっこりと笑う。

「では『ガンダールヴ』のくだりはご存知か?」

「始祖ブリミルが用いたという、最強の使い魔のこと? まさか彼が?」

 驚きの表情を浮かべるアンリエッタに、オスマンは唇に人差し指を立てる事で返した。――その意味を理解したアンリエッタは口を閉ざす。

「……彼は、異世界から来た青年なのです」

「異世界?」

「……ハルケギニアではない、何処か。『ここ』ではない、何処か。そこからやって来た彼ならばやってくれると、この老いぼれは信じておりますでな。先程からの余裕の態度もその所為なのですじゃ」

「そのような世界があるのですか……」

 アンリエッタは、既に見えなくなった一行を見るように窓の外に目を向ける。昨晩、あの凛々しく立派な騎士殿が揺るぎなく言った言葉を思い出す。そして、自らに“覚悟”を促した時の彼の力強い瞳を思い出し、表情を引き締める。

「ならば祈りましょう。異世界から吹く風に」

 先程までの不安に揺らぐ表情とは違う。どこか力の宿った瞳で空を見上げ、アンリエッタはもう一度、彼らの無事を祈るのだった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第八話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:46
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第八話







――魔法学院の視察に訪れたトリステイン王女アンリエッタの依頼を受けて、アルビオンへ向かう事となったカイン・ルイズ・ギーシュの三人。出発の朝、アンリエッタから彼らの護衛として派遣された魔法衛士隊グリフォン隊隊長ワルドを加えた一行は、魔法学院を飛び立った……。


 一行は、ワルドのグリフォンにルイズ、カインの火竜レフィアにギーシュがそれぞれ別れて騎乗し、先ずアルビオンへの連絡港ラ・ロシェールの街に向かう。

「……」

 ワルドに抱えられるようにグリフォンに乗っていたルイズは、後ろからついて来ているカイン達に目を向ける。
 その眼に映るのは、火竜に跨るカインの姿――彼は特にルイズの方を気にする事もなく、レフィアの制御に努めている。それを見ると、ルイズは眉間に皺を寄せ、再び前を向いた。

――実はここまでの道中、ルイズは何度となくカインに目を向けていたのだが、当のカインはルイズの視線に気づくことはなかった。それを見る度に、胸の中に不快な何かがチラつく。その度にルイズは眉を吊り上げたり、何やら悲しげな表情をしたりを繰り返している。

「どうしたんだい? ルイズ」

「え! な、なんでもないわ……!」

 ワルドに指摘されて、ルイズは慌てて視線を戻し、前を向いた。しかし、ワルドは全てお見通しだった。

「やけにあの二人の事を気にしているね。もしや、どちらかが君の恋人なのかい?」

「こ、恋人なんかじゃないわ!」

 ルイズは顔を赤くして俯きながら、ムキになって否定する。

「そうか。ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」

「っ! もう、ワルド様ったら……」

 おどけた調子で言ったワルドの言葉に、ルイズは頬を染める。しかし、照れこそするものの、ルイズの心中は複雑だった。

 正直に言えば、十年ぶりに再会して、いきなり婚約の話を持ち出されても、どうしていいのかわからなかった。好きか嫌いかで言えば好きだが、『愛している』かどうかを問われれば、答えに詰まる。何せ、夢で見るまでワルドの事を忘れていたくらいだ。

――「結婚したい愛しい人」と言うよりは「思い出の中の憧れていた人」

 漠然とではあるが、ルイズの中でのワルドの立ち位置はそれである。そして、前者を考える時、何故か自分の使い魔が頭に浮かぶ。

「――っ!」

 それを自覚したルイズは、頭を振ってその考えを払い落そうとする。そして、頬を染めたまま、再びカインに目を向けるが、やはり気付いてはくれない。
 ルイズは一瞬ムッとして、また前を向いた。

(なによ……。人がこんなに悩んでるのに……。ふんだ! もう知らないんだから!)


――ルイズがそんな理不尽なことを考えている一方で、レフィアの上ではギーシュがはしゃいでいた。

「いや~、遠乗りでラ・ロシェールの近くまで行ったことはあるけど、竜に乗っての旅は初めてだよ。なかなか快適なものだね!」

 カインの後ろで気楽な調子で感想を述べるギーシュ――彼は何もわかっていない。

 確かに揺れも少なく、安定した飛行で快適な空の旅になっているが、それは“レフィアだからこそ”であって、普通の竜ならばこうはいかない。普通の竜ならば、こうした安定飛行をさせるには、騎手の腕と訓練が必要になる。カインは別段、竜を操るのが上手い訳ではない。レフィアも人を乗せたのはカインが初めてである。

――だが、レフィアは高い知能を持つ“韻竜”だ。加えてそんな韻竜の中でも、比較的レフィアは幼いながら賢い。カイン達に揺れが伝わらないように飛ぶことを常に心がけている。

 しかし、そのように気遣うのは大変なことだ。
 カインはレフィアがそのように気を使ってくれているのがわかっていた。だからこそ、彼女に対する気遣いを忘れはしない。

「レフィア、大丈夫か? 疲れたら遠慮なく休んでいいぞ」

「きゅう♪」

 大丈夫だと言うように一鳴きすると、僅かに速度を上げて見せる。あっという間にワルド達を追い越し、左右に揺れながら飛び始めた。

「うわっ!? わわわぁ!!」

 ギーシュは突然の揺れに驚き、カインにしがみつく。

「こら、わかったからもうよせ。本当に休まなければならなくなるぞ」

「きゅう~」

 カインに窘められたレフィアは、素直に速度を落とし、元の安定飛行に戻る。韻竜で賢いとはいっても、レフィアもまだまだ子供のようだ。カインに良い所を見せたかったのだろう。
 それがわかっていたカインは苦笑していたが、ギーシュは顔面を蒼白して息を切らしていた。




「――ラ・ロシェールの街が見えたぞ!」

 ワルドの声で前方を見ると、山の谷間に街が見える。夕刻に差し掛かり、カイン達はラ・ロシェールの街の入り口に辿り着いた。

 何故港町だと言うのにどう見ても山なのかと言うと、この世界には空を行く船と海を行く船の二種類があり、今回彼らが乗るのは、空の船だ。故に、港も山にある。
 カインの故郷にも飛空艇があったし、王となった親友セシルの政策で、それらを人や物の運搬に利用していたので、それを聞かされた時も特に驚きはしなかった。尤も、この世界の空を行く船は、ただ宙に浮かぶ帆船程度のもので、飛空艇とは比べられるものではないのだが……。

 カイン達が街に入る為、山道に降下しようとしたその時――突如、何かが飛んできた。

「――な、なんだ!?」

――飛んできたのは矢だ。

 ギーシュはそれに驚きただけだが、カインとワルドは瞬時に各々の武器を構えて臨戦態勢に入る。すると、今度は無数の矢がこちら目掛けて飛んでくる。

――回避は不可能。

 そう悟ったカインは叫ぶ。

「――レフィア!」

 レフィアは強力な炎のブレスを吐き出し、飛んでくる矢を焼き尽くす。そして、そのまま敵目掛けて急降下――カインはその勢いに乗って加速し、崖の上の敵に向かって飛び出す。

 思いがけないカインの行動に、動揺した敵は攻撃を止めてしまい、その隙に飛び込んできたカインの槍の一撃による衝撃で、多数の敵が吹き飛び、何人かが崖から落ちていった。残った者達も吹き飛ばされて気絶した者や呆気にとられて動けなかった者ばかりで、戦闘はあっけなく終了――。

 反撃する間を与えず、さっさと男達を叩き伏せたカインの鮮やかな手並みに、デルフリンガーが痛快そうにカラカラと笑う。

「いや~流石だね、相棒! あっという間にカタが付いちまった!」

「こいつらが弱すぎただけだ」

 カインが武器を収めたところで、レフィアとグリフォンが近づいてきた。

「大丈夫か!」

 グリフォンに跨ったワルドの声に、カインは片手を軽く振り、無事である事を伝えた。


――襲ってきた男達を武装解除し、動けないように纏めて縛り上げると、彼らを見ながらワルドが呟く。

「夜盗か山賊の類か?」

「もしかしたら、アルビオン貴族の仕業かも……」

 ルイズが縛られた彼らを睨みながら言う。しかし、ワルドはその意見には否定的だった。

「貴族なら、弓は使わんだろう」

「だが、そいつらに雇われた傭兵の可能性はある。例えそうでなくても、これを機に俺達の動向は察知されていると考えて動いた方がよかろう」

 慎重とも取れるカインの見解だが、それは正しい。今回の任務は、とにかく慎重に事を進めなければならないのだ。
 ルイズも、カインに同意するように頷いた。

――その時、突風と共に大きな羽音が一行の元に響く。

 振り返ってみると、夕陽をバックによく知った風竜の姿があった。

「きゅう~♪」

「きゅ~いっ♪」

 その姿を確認したレフィアが挨拶するように親しげに鳴き、その風竜も同様に挨拶を返す。その姿は、まるで親しい女の子同士のようだ。

「――シルフィード!?」

 驚きの声を上げるルイズの言う通り、それはタバサの使い魔風竜のシルフィードであった。

――その背中を見れば、当然のようにタバサとキュルケがいる。

「お待たせ」

 シルフィードの背中から飛び降りたキュルケは、優雅に髪をかき上げてそう言ったが、ルイズが即座にツッコむ。

「――誰も待ってないわよ! っていうか、何しにきたのよ! キュルケ!」

「朝方、窓の外を見てたらあんた達がどこかに出かけようとしてるもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけて来たのよ」

 いつもの余裕の笑みを浮かべて経緯を説明するキュルケ。その説明を聞いてシルフィードの方を見れば、パジャマ姿で本を読んでいるタバサがいる。
 どうやら寝込みを叩き起こされたらしい。当人は気にした様子はないが、カインは巻き込まれた彼女に同情を禁じ得なかった。

「ツェルプストー。あのねえ、これはお忍びなのよ?」

「お忍び? だったら、そう言いなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない」

「お忍びなのに言えるわけないでしょうがッ!」

 悪びれた様子が全くないキュルケの態度に、ルイズは猫の威嚇の如く怒鳴る。しかし、キュルケは威嚇してくるルイズを無視すると、妖艶な笑みを浮かべてワルドの方に歩み寄った。

「お髭が素敵よ。あなた、情熱はご存知?」

 しかし、ワルドはキュルケから視線を逸らし、そっと手で彼女を制す。

「悪いが、それ以上近づかないでくれたまえ」

「なんで? どうして? あたしが好きって言ってるのに!」

 ワルドの完全な拒絶に、キュルケは驚愕する。今まで、自分に言い寄られてこんな態度を取った男などいなかった。カインでさえ、割と冷たいとは言え、少なくとも相手にはしてくれる。「自分にかかればどんな男も忽ち虜に出来る」という自信を持っていただけに、ワルドの態度はキュルケにショックを与えた。

 キュルケが思わぬショックに呆然としていると、ワルドがすっと視線をルイズに移す。

「婚約者が誤解するといけないのでね」

 ワルドの視線に気づき、その言葉を聞いたルイズは頬を染めて俯く。キュルケはそれを見ると、つまらなそうに顔を顰める。

「なあに? あんたの婚約者だったの?」

「……」

 ルイズはモジモジするだけで答えようとしない。そこでワルドを見ると、彼は頷いた。キュルケは「ふん」と鼻を鳴らすと、改めてワルドを観察する。
 そして、彼女の観察眼がある事を見抜いた。

――それは、ワルドの目だ。彼の目は、まるで感情が感じられない氷のような冷たい瞳をしている。

 それに気づいた事で、ワルドへの興味が消え失せ、キュルケは肩を竦めて踵を返した。彼女の情熱も、感情の無い男には燃え上がらないようだ。
 そして、振り向いた先にいたカインを見つめる。腕を組んで佇むその姿が、何やら格好よく見える。

――あっという間にターゲットを切り替えたキュルケは、カインに抱きついた。

「ダーリン♪ さっきの敵に飛び込んでいくあなたの雄姿、素敵だったわ~!」

 カインは抱きついて来たキュルケに一瞬驚いたが、すぐに煩わしそうに彼女を引き剥がしにかかる。

「離れろ、キュルケ」

「ああん、ダーリン。そんなつれないこと言わないで~」

 引き剥がそうとするカインの手をかわし、キュルケはより密着する。カインはその態度に疲れたように溜め息を吐き、肩を落とした。

――しかし、逆に肩をいからせた者がいた。……言うまでもないだろうが、ルイズである。

「~~~っっ!!」

 カインにべたべたとくっつくキュルケに腹を立てるのは今に始まった事ではない。いつものように、我慢の限界が近づき、キュルケを引き剥がしに向かおうとした……のだが、その肩に制止の手が置かれた――。

「ワルド?」

 ルイズが振り返ると、ワルドは無言で微笑む。その顔に怒気を抜かれたルイズは、もう一度だけカインとキュルケを見ると、ぷいと拗ねたように顔を逸らす。


「――子爵」

 しばらくして、拘束した男達を尋問していたギーシュが戻って来た――。

「彼らは、自分達はただの物盗りだと言っています」

「そうか。まあ、どちらにせよ問題ない。ここに放置していこう」

「よろしいのですか? 衛兵あたりに引き渡した方が……」

 ギーシュの意見は、普通ならば正当な対処法と言えるだろう。

――しかし、今回は事情が違う。ワルドは首を横に振る。

「僕達は、大事な任務の途中だ。野盗などに構っている暇はないよ」

 そう言われてギーシュも納得した。結局、男達は拘束したまま放置となり、カイン達は改めてラ・ロシェールの街に降りて行った……。



 一行は、ラ・ロシェールで一番上等な宿、『女神の杵』亭に宿泊することになった。ここは一階に酒場、二階に宿泊部屋があり、内装も豪華な貴族御用達の大きな宿である。

――今、一行はその一階の酒場で食事を取っている。

 貴族御用達なだけあって、料理もなかなかに美味である。タバサは気に入ったらしく、黙々と料理を口に運んでいる。ギーシュやキュルケはワインを飲みながら、各々異性に声をかけて楽しげにしている。……そんな中、ルイズだけはどこか不機嫌だった。

「急ぎの任務なのに……こんな所で足止めなんて……」

 料理を口に運びながら、ぶつぶつと呟くルイズに、ワルドが嗜めるように言う。

「仕方がないさ、ルイズ。船乗り達にも都合があるのだから」

 一時間ほど前のことになるが、一行はこの宿に入る前に、桟橋で乗船の交渉をした。

――しかし、明後日までは船を出すことができないと言われたのだ。

「あたしはアルビオンに行ったことないからわかんないけど、どうして明日は船が出ないの?」

 キュルケが不思議そうに尋ねると、ワルドがそちらに顔を向ける。

「明日の夜は月が重なるだろう? 『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく」

 アルビオンは、空を漂う浮遊大陸である。それ故に、ラ・ロシェールとの距離は日によって異なり、かの地への船はアルビオンが最も近づく時でなければ出ない。というのは、空を行く船には“風石”という燃料に当たる鉱石が必要なのだが、最短距離分の量で航行しないと、船乗り達が赤字になってしまうのだ。

 それが、先程ワルドが言った“船乗り達の都合”である。

――説明を終えると、ワルドが席から立ち上がった。

「さて、じゃあ今日はもう休もう。部屋を取った。キュルケとタバサ、カインとギーシュでそれぞれ相部屋だ」

 そう言って、テーブルの上にそれぞれの部屋の鍵を置く。そして、おもむろにルイズに顔を向けて言った――。

「そして、僕とルイズは同室だ」

「――えっ?!」

 驚き振り向いたルイズに、ワルドは微笑む。

「婚約者だからな。当然だろう?」

「そんな、ダメよ! まだ、私達結婚してる訳じゃないじゃない!」

 ルイズの抗議に、ワルドは首を振ってその顔を近づける。

「大事な話があるんだ。二人で話したい」

 そう言われて僅かに頬を染めるルイズだったが、自然とカインの様子を窺ってしまう。しかし――

「「――お待ちどうさま~!」」

――ルイズの意識は、二人のウエイトレスの声で遮られてしまった。

 彼女達の手には、大きな塊肉が乗った皿とスープの入った鍋をそれぞれ持っている。――それを見てカインが立ち上がる。

「な、なに? それ……?」

 ルイズはその料理のデタラメな大きさに唖然としながら、カインに尋ねた。

「ん? ああ、これは先程頼んでおいたレフィアの夕食だ。今日はよく飛んでくれたからな。その労いだ」

 そう答えると、カインはウエイトレス二人を先導して外に出ていった――。


 ルイズはそれを呆然と見つめていたが、次第に哀しくなってしまった。……今日一日、自分が何度となく視線を向けたというのに、それに気付いてくれなかった。今も、自分の気も知らずに火竜の労いにさっさと外に出ていってしまった。自分の事などどうでもいいのか、と思えて、何故だか哀しくなってしまう。

 しかし、変にプライドの高い彼女がそれを口に出せる訳もなく、ルイズは見つめていた扉から目を逸らして立ち上がり、ワルドに連れられて部屋に引っ込んでいってしまった……。


「不器用ねぇ……」

 その背中を見送ったキュルケは溜め息混じりに呟く。ルイズに、その声が届くことはなかった……。



 一方、外に出たカインは、待っていたレフィアに料理を差し入れていた。ウエイトレス二人は、カインが差し出した料理の代金とチップを受け取ると満面の笑みで宿に戻った。
 レフィアは、こちらも満面の笑みで大好物の巨大肉にかぶりついている。

「ん~~~! 美味しいの~~!」

 レフィアがうっかり声を出してしまい、カインは周囲を見回す。幸いにも、周囲には誰もいない。
 カインはほっと息を吐くと、心の中でレフィアに注意する。

(レフィア……。正体がばれると大変だと、自分で言っていただろう)

(えへへへ……ごめんなさいなの。このお肉がすっごく美味しいから、つい感激して声が出ちゃったの)

 念で会話するカインとレフィアは、傍から見れば、ただ無言でそこにいるようにしか見えない。この会話法は、戦闘中もリアルタイムで対話できるため、非常に重宝している。それに加えて、カインが慣れたこともあって、会話も自然に出来るようになった。その為、こうした日常会話の場面でも活用している。

 レフィアは、まだ三分の二ほど残っている肉に再びかぶりつく。――その時、宿からタバサが出てきた。その手には魚の料理が乗った大皿を両手で持っている。それに気づいたように、シルフィードが顔を上げ、嬉しそうに「きゅいきゅい♪」と鳴く。

――タバサが皿を置くと、シルフィードも魚料理にかぶりついた。

 赤と青の二頭の竜が、それぞれ肉と魚を頬張る。カインとタバサはその光景を、傍で見守る。

「……」

 ふと、カインがタバサの様子を窺うと、タバサは何故か自分の使い魔ではなく、レフィアをじっと見ている。

「……どうした?」

 怪訝に思ったカインが尋ねると、今度は自分の方を向き、じっと見つめてきた。タバサの眼は、何か観察でもしているようである。

――そうしてしばらく見つめた後、タバサはレフィアを指差し、呟くように尋ねた。

「この子、韻竜?」

「……!」

 思わぬ図星を指され、カインは驚いた。

――しかし表には出さず、平静を装ってタバサの目を窺う。元々感情の読み難いところはあるが、それでもタバサの瞳に悪意は感じられない。

 そこで、カインは当事者であるレフィアに尋ねてみた。

(レフィア、どう思う?)

(ん~~……、たぶん、大丈夫だと思うの。シルフィちゃんのご主人さんなら、きっとお兄さんと同じで良い人なの)

 念話でレフィアに確認を取ると、カインはタバサにゆっくりと頷いて見せた。

「そう」

 そう言うとタバサは、シルフィードの方に歩み寄り、何やら語りかけ始める。すると、シルフィードが何やら瞳を輝かせてこちらを見つめてくる。
 そして、おもむろに首を上げ、周囲に他に人がいない事を確認すると、カインに顔を近付けると、その大きな口を開き――

「――きゅい! はじめましてなのね!」

――喋った。

「――なっ!? ま、まさか……」

 カインは再度驚くことになった。

――目の前の竜の口から、割と可愛らしい女性の声が発せられた。

 予想外の事態に、カインは多少混乱してしまう。しかし、それに反してシルフィードは、非常に嬉しそうだ。

「きゅい~~~! これでまた、おしゃべりの相手が一人増えたのね! お姉さまとレフィちゃんとカインで三人! きゅ~い♪ きゅ~――い゛っ!?」

 最後の「い゛っ!?」は、不意打ちでタバサに杖で叩かれて軽く舌を噛んだようだ。

「はしゃぎ過ぎ」

「うぁ~~痛たたたぁ……、頭も痛いけど舌も痛いのね~……。んもうお姉さま~、いきなり叩くのは酷いのね! ちゃんと周りに誰もいないの確かめたから、大丈夫なのね! きゅいきゅい!」

「……シルフィードも、韻竜だったのか」

 目の前で口論を繰り広げる一人と一頭を見て、カインは身近にレフィアの同族がいた事に驚いた。しかし、レフィアからこの世界における彼女達の現状を聞かされていたおかげで、タバサが今まで、シルフィードの正体を隠していた理由はすぐに理解することが出来た。

 しかし、逆に何故自分にあっさりばらしたのか、という疑問が残る。そこで、カインはその真意を尋ねてみることにした。

「タバサ、聞いてもいいか?」

「なに?」

「何故、俺にシルフィードの正体を明かした?」

 タバサは、振り返ってカインを正面から見つめる。

「あなたもその子の正体を隠していた。だから、あなたならこの子の正体をばらしたりはしないと思った」

 タバサはそう言うと、カインに微笑して見せた。それは、タバサなりの信頼の笑みだったのだろう。カインはそれを見ると、自分もタバサに笑ってみせる。

――カインとタバサが『友人』になった瞬間だった。




――翌朝

 カインは陽が昇る前に目を覚ました。染み付いた習慣から、どれほど疲れていて眠りに就いても、この時間帯に目が覚めるように身体が出来あがっているのだ。
 隣のベッドでは、ギーシュがいびきをかきながら、ぐっすりと眠っている。何だかんだで、旅の疲れが出ているのだろう。

――カインは彼を起こさないように部屋を出た。



 このラ・ロシェールは渓谷の山道に設けられた街であるが故に、少し離れれば険しい岩山がそびえ立っている。修行にはもってこいの環境であった。
 ただし、“カインにとって”は……。

「――ふっ!」

――岩から岩へ飛び移り、山を登っていく。強靭な脚力を備えたカインは、常人には到底不可能な速さで岩山の頂上に辿り着く。

 剣の切っ先の様な細い岩山の先端に立つカインは、そこから見える風景に“試練の山”を思い出していた……。

「……あの時も、こうしていたな」

 ハルケギニアに来るほんの少し前……自らの強さを亡き父に問いかけ、そしてルイズに召喚された時のこと。周囲の風景は似ている。

――しかし、今はその時とは違う気分だった。

「フッ……、強くなったかはわからんが……何かは、変わったんだろうな」

 その“何か”が何なのかはわからない。だが、それを考える時悪くない気分だった。そんな表情のまま、真っ直ぐ前を向いていると、朝陽が顔を出し、地平線が輝き始める。
 兜を外し、風に髪を靡かせ、朝陽を見つめる。そして……そっと笑った。

「……セシル、ローザ。……今なら或いは、お前達にも胸を張って会いに行けたかも知れんな」

 遠く離れた親友達にそう呟くと、再び兜をかぶり、カインは山を駆け下りていった……。




――今日一日は、完全に自由行動となった。

 キュルケやタバサは既に街の散策に出かけている。正確には、キュルケがタバサを引きずって行ったと言うべきなのだが……。ギーシュも一人でどこかに行ったらしい。恐らく、ナンパでもするつもりなのだろう。

 一人部屋に残ったカインは、簡単に装備の手入れをしていた。これが終わったら、もう一度修行に行くつもりだ。

――そうして、最後に槍を軽く布で拭き終えた時、部屋のドアがノックされた。

「誰だ?」

「僕だ。ワルドだ。ここを開けてくれないか?」

 その声で椅子から腰を上げ、カインはドアを開ける。――ドアの向こうには、羽根帽子をかぶったワルドが立っていた。

「おはよう。使い魔君」

「おはよう、ワルド子爵。俺に何か用か?」

 カインがそう尋ねると、ワルドはにっこりと笑う。そして、いきなり驚くべきことを口にした――。

「――君は、伝説の使い魔『ガンダールヴ』なんだろう?」

「……何のことだ?」

 カインは咄嗟にとぼけて見せた。ワルドの言葉に一瞬驚愕したが、何とか顔に出さずに済んだ。

――『ガンダールヴ』の事を知っているのは、自分を合わせても“四人”しかいないはずである。オスマン、コルベール、自分……そして、土くれのフーケの四人。オスマンとコルベールは、この事を王室には報告していないはずだし、フーケはロングビルとして潜入していた時に、二人の会話を盗み聞きした事で知ったはずだ。

(この男……。どこでその事を?)

 カインは、怪訝な表情で見つめていると、ワルドの表情に僅かな動揺の色が浮ぶ。しかし、ワルドは咳払いを一つすると、にこやかに口を開いた。

「はははっ、誤魔化さなくても良い。君の事は、土くれのフーケを尋問した時に知った。彼奴が漏らしたのさ。『ガンダールヴ』がどうの、とね」

「……なるほど。それで?」

――尋問なんて仕事を、仮にも一部隊の隊長を務める男がやるだろうか?

 と、多少不審な点はあるが、一応話の筋は通っている。カインは取りあえず、ワルドに先を促した。

「僕は歴史と、兵に興味があってね。その関係で君にも興味を抱き、王室図書館で調べたのさ。その結果、始祖ブリミルが用いた最強の使い魔『ガンダールヴ』に辿り着いた」

「ほう。……で? 結局、何が言いたい?」

 ワルドの口ぶりからすれば、本当に言いたい事はそんなことではないのは明白だ。カインが本題を尋ねると、ワルドは不敵に笑いながら言った。

「あの『土くれ』を捕えた腕がどの位のものか、知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

「……フッ、それはちょうどいい。俺もあんたの実力には興味があった所だ」

 このトリステイン王国の魔法衛士隊を束ねる男の実力がどの程度のものか、カインは最初に見た時から興味を持っていた。それは、純粋な戦士として本能からくる好奇心である。

 カインがにやりと笑ってみせると、ワルドも同じ様に笑いながら頷く。

「どこでやる?」

「この宿は昔、アルビオンからの進行に備える為の砦だったんだ。中庭に練兵場がある。そこへ行こう」



――カインとワルドは、『女神の杵』亭の中庭で対峙した。ワルドが言ったように、ここはかつての練兵場であった場所である。今は宿の物置場となっており、端の方に樽や木箱が積まれている。だが、それでも十分な広さがあり、“手合わせ”には適切な場所だ。

「昔……、と言っても君にはわからんだろうが、かのフィリップ三世の治下には、ここでよく貴族が決闘したものさ」

「……」

 レイピアの様な杖を片手に、自分にとってどうでもいい事を語り出すワルドに対し、カインは溜め息を吐く。ギーシュの時もそうだったが、戦いの前にべらべらと語り出すのは貴族共通の癖なのだろうかと、内心うんざりな気分になる。

 そんなカインの胸中など知らず、ワルドは語り続ける――。

「古き良き時代、王がまだ力を持ち、貴族達がそれに従った時代……、貴族が貴族らしかった時代……、名誉と誇りをかけて僕達貴族は魔法を唱え合った。でも、実際はくだらないことで杖を抜き合ったものさ。そう、例えば女を取り合ったりね」

「……その語りは、あとどれくらいで終わるんだ?」

 心底うんざりした口調で、カインはそう尋ねた。本心は「さっさと終わらせろ」と言いたかっただけだが……。ワルドはそれを気にした様子もなく、笑みを浮かべる。

「まあ、そう焦るな。立ち会いには、それなりの作法というものがある。介添人がいなくてはね」

「……ただの“手合わせ”ではなかったのか?」

「ちょっとした演出さ」

――ワルドがおどけたように言うと、ちょうど物陰からルイズが現れた。

 ルイズは、二人を見て驚いたように目を見開き、ワルドに問いかける。

「ワルド、来いって言うから来てみれば、何をする気なの?」

「彼の実力を、ちょっと試したくなってね」

 それを聞いて、ルイズは眉を顰める。

「もう、そんなバカなことはやめて。今は、そんなことしている時じゃないでしょう?」

「そうだね。でも、貴族という奴は厄介でね。強いか弱いか、それが気になると、もうどうにもならなくなるのさ」

 説得しても思いとどまってくれそうもないワルドの様子に、ルイズはカインに顔を向ける。

「やめて、カイン」

「悪いが、俺もそいつの実力に興味があるんだ。邪魔をするな」

 ワルドは杖、カインはデルフリンガーをそれぞれ構え、戦う気満々である。

「なんなのよ! もう!」

 二人の様子に、双方やめる気が全くない事を悟ったルイズは、ヤケになったように叫ぶしかなかった。



「では、介添人も来たことだし、始めよう」

「ああ」

 ワルドは杖をフェンシングのように構え、突きの体制を取る。カインも構えた。

「「…………」」

 二人は微動だにしないが、彼らを取り巻く空気はどんどん緊張感を高めていく。その様子を見守っていたルイズも、緊張から思わず唾を飲み込む。

――カインもワルドもピクリとも動かない。いや――動けないのだ。……ワルドの方が。

(……隙が、ない……)

 思わぬカインの隙のなさに、ワルドは動揺し、攻めあぐねていた。一見無造作に長剣を構えているように見えるカインだが、実際は全くと言っていい程に攻め入る隙がない。むしろ、一瞬でも隙を見せれば攻め込まれてしまうと思わせるほどの迫力がある。ワルドも魔法衛士隊隊長になる程の男だ。相手に隙があるかどうかを見極める目ぐらい持っている。

 ワルドは、俄かに焦りだしていた。

――それに対して、カインは冷静そのものだ。相手を見据え、その心理を分析する余裕さえ持っている。

(……攻めて来ない、か。俺の隙を窺っているようだが、見つからず焦りだしているようだな)

 カインは、ワルドの焦りを見抜いた。加えて、この“決闘紛い”は腕試しが目的ではない事も同時に悟る。

 純粋な腕試しというならば、ルイズをここに呼ぶ必要がない。それに、カインの実力を僅かでも見抜いて、遠距離攻撃魔法を使ってこないのもおかしい。どちらも、『貴族としてのプライド』で説明が付くが、カインはどこか違う様に感じた。

(婚約者のルイズに良いところでも見せたいのか……或いは、自分の実力を誇示したいのか……。だが……)

――どちらにせよ自分には関係ないことだ。

 と、カインは思考を打ち切る。そして、この無駄な戦いを終わらせるべく、動き出した――。

「――っ!」

 地面を蹴り、矢のように飛び出したカインは、瞬く間にワルドを射程に捉え、デルフリンガーを叩きこむ。

――ガキーーンッッ!!

 金属の衝撃音が響き、火花が飛ぶ。間一髪、ワルドは杖でカインの一撃を防いだ。
 普通、杖など粉々になりそうな強烈な一撃だったが、ワルドの杖は一般のメイジが持つ杖とは違い、それ自体が武器として使用できるようになっている。その上、固定化の魔法によって強度を上げているため、カインの強烈な一撃にも折れる事はなかった。

「――くっ!!」

 ワルドは何とかカインを押し戻すと、今度は自分から攻めに転じる。

――風を切る音と共に、彼の二つ名『閃光』の所以たる高速の突きを見舞う。しかし、カインはステップや体を捻る事で全て回避した。

(ば、バカなッ!? この僕の突きが当たらないっ?!)

――一瞬の動揺が隙を生んだ。カインはそれを見逃さない。すかさず、鋭い斬撃を叩きこむ。

「――ぬぅッッ!?」

 ワルドは身体を捻り、ギリギリで回避すると、間合いを保つように飛び退いた。カインも追おうとはせず、息を整える。

――しかし、ここで決定的な差が現れた。

「はあっ、はあっ、はあっ……」

「ふぅ……」

 肩で息をしているワルドに対し、カインは一息吐くだけで呼吸が回復している。これは、一重に鍛錬の差であった。

――カインは“試練の山”で三年間修業に明け暮れていた。高い山の山頂付近は、空気が薄い。そこで修行をしたことによって、カインには驚異的なスタミナが備わっている。

 肉体の能力も同じく鍛えられているため、カインは今や“超人”と言っても良いぐらいの身体能力を保有しているのだ。

 対してワルドは、魔法衛士隊の隊長と言う肩書もあって、基本的な訓練は行っているが、カイン程の苛烈な訓練はほとんどしていない。魔法使いにとって、魔法の腕を磨くことこそが全て――故に、身体能力は必要なだけしか鍛えていなかったのだ。これはワルドに限らず、王宮の魔法衛士という職につく人間のほとんどがそうだ。この点は、カインの故郷の魔道士達も同じようなものである。

 しかし、ワルドはそんなことを気にしている余裕はなかった。既に額からは汗が垂れ、表情も厳しくなっている。

「……どうやら、君を侮り過ぎていたようだ。ここからは、本気でやろう」

――そう言うとワルドの目つきが変わった。そして、今度は自分から攻め込んだ。

 先程よりも格段に速い超高速の突きを繰り出す。流石のカインも、今度は避けるだけではなく剣も使って防ぎ、躱し切れない分を剣で防ぎ、自身への直撃を避ける。

 その間、ワルドは突きを繰り出しながらも、呪文の詠唱を低く呟いていた。

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……!」

――詠唱が終わった時、ボンッとカインの前の空気が撥ねた。

「――ぐっ!」

 密度の高い空気の塊に弾かれ、カインが大きく吹き飛ぶ。――今、ワルドが使ったのは、風の魔法『エア・ハンマー』。空気の鎚で相手を攻撃する魔法だ。

「――危ないっ!」

 カインが壁に向かって吹き飛んでいくのを見てルイズが叫ぶ。が――

「――何っ?!」

 あわや壁に激突かと思われたカインが、壁に衝突する手前で身体を回転させ、壁に足を付いた。そして、次の瞬間――その壁を蹴って、ワルドに向かって一直線に飛んだ。予想もしなかった光景にワルドは驚き、咄嗟に呪文を詠唱しようとしたが、間に合わない――。

「――ぐあぁっ!!!」

 カインの峰打ちが脇腹に綺麗に入り、ワルドは叫び声を上げながら吹き飛んだ。積んであった木箱に突っ込み、派手な騒音を立て、粉砕された木箱に埋もれてしまう。

「大丈夫か、あいつ? もしかして、死んじまってたりしねえか? 相棒」

 着地したカインの左手で、それを見ていたデルフリンガーが口を開く。

「この程度で死にはせんさ。まあ、肋は砕けたかもしれんが……」

「おいおい……。洒落に聞こえねぇぞ」

 引きつったような声のデルフリンガーのツッコミだが、カインは別に洒落を言ったわけではない。

――実際、打ち込むときは刃を返したし、手加減もした。本当なら、身体を真っ二つに斬り裂ける間合いとタイミングだったのだから……。

 カインは、ワルドの元に歩み寄ると砕けた木箱の残骸を取り払う。すると、呻き声を上げて横たわるワルドが出てきた。

「う、ううう……」

「大丈夫か?」

 カインが声を掛けると、ワルドは薄らと目を開けた。

「う……悔しいが……どうやら、僕の負けだな……うぐっ!!」

 ワルドは自らの負けを宣言すると、脇腹を押えて顔を歪ませながら、立ち上がる。

「無理をするな。医者を呼んでやる」

「ぐっ! ……いや、必要ない。これぐらいならば、ポーションを使えば……自分で治せる」

 よろよろと壁に手を付きながら、ワルドは宿に戻って行った。


「…………」

 ルイズは、その光景に呆然としていた。

 カインが強いということは、フーケの一件や先の襲撃の事で認識していたつもりだった。しかし、カインは魔法を使えない平民の身でありながら、エリートである王宮魔法衛士隊隊長であるワルドまでも圧倒してしまった……。

――平民は貴族には、メイジには絶対に勝てない。

 カインは自分の目の前で、その概念をあっさり打ち砕いて見せた。昨晩、ワルドに言われた事を思い出す。

『……彼は『ガンダールヴ』だ。始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔さ。誰もが持てる使い魔じゃない。君はそれだけの力を持ったメイジなんだよ』

 言われた時は、信じられなかった。――しかし、目の前の光景を見れば、その言葉も信じられるような気がする。

(でも……だったら、どうして私は……)

「――ルイズ」

「――えっ!?」

――呼ばれていることに気付いたルイズは、思考を中断し、慌ててその声に振り返る。すると、カインがこちらを見ていた。

「な、なによ?」

 ルイズが尋ねると、カインは宿の方を指差す。

「行ってやらなくて良いのか? 婚約者なのだろう?」

「あ……」

 ルイズは、カインが言わんとしていることを察して宿の方を見る。そして、少し迷ったが、もう一度振り返った時にカインが頷くのを見て、宿の方に歩いて行った。




 その夜……、カインは部屋のベランダで月を眺めながらワインを傾けていた。ギーシュ達は、一階の酒場で飲んで騒いでいる。明日アルビオンへの船出という事で、景気付けのつもりらしい。先程キュルケが誘いに来たが、カインは「月を眺めていたい」と断り、ベランダで一人、手酌で飲み続けている。

 淡い赤と白に輝く二つの月を眺めながら、静かに過ごすのが近頃のカインのお気に入りだ。兜を外して月を眺めていると、故郷の事を思い出し、懐かしく穏やかな気分になれる。

「……」

――今夜は『スヴェル』の月夜という、二つの月が重なる夜。今赤い月が白い月の後ろに隠れ、一つになった月が青白く光っている。

 この光景は、かつての大戦後の故郷の夜空に似ていた。
 そして、故郷の仲間達を思い出し、カインは穏やかで優しい笑みを浮かべる。

「カイン」

 不意に名を呼ばれ、その声に振り返ると、ルイズが立っていた。

「どうした?」

 カインがそう尋ねると、ルイズは少し俯いて、モジモジし始める。そして、おずおずと口を開く。

「……あんた、よくそうして月を眺めてるけど……なんで?」

 予想外の問いに、カインは思わずきょとんとしてしまう。それを見て、ルイズは少し頬を赤くして喋り出す。

「――べ、別にどうでいいんだけど! ……あんた、この前の舞踏会の時とかもそうしてたじゃない? そ、その時も、その……今みたいな顔してたから、ちょっと気になっただけよ!」

 ルイズにそんな所を見られていたこと気が付かなかったカインは思わず苦笑した。それを見て、ルイズは軽くカインを睨む。

「――な、何が可笑しいのよ?」

「ふっ……いや、良く見ているな、と思っただけだ」

「べ、別にいつも見てたわけじゃないわ。その時、偶然! たまたま、気が付いただけよ!」

 顔を真っ赤にして「偶然」という事を強調し、顔を逸らすルイズ。カインはもう一度「ふっ」と笑うと、月に目を戻す。

「……故郷の事を、思い出していた」

「……」

 カインの言葉に、ルイズは顔を上げる。見れば、カインは先程と同じく穏やかな笑みを湛えながら月を眺めている。その姿が、何故かとても綺麗に見えて、ルイズは再び頬を染めた。
 そして、少し迷った様に目を泳がせると、カインに今まで聞きたかったことを尋ねてみた。

「……ねえ、帰りたい?」

「……ああ」

 カインはゆっくりと頷く。それを見て、ルイズは表情を曇らせて俯く。

「……悪かったと、思ってるわ」

「……気にするな。別に恨んでなどいない」

「えっ……?」

 予想していなかった言葉に、ルイズは顔を上げる。

 カインは残っていたワインを煽り、グラスを空にした。

「お前とて、故意に俺を呼び出した訳ではないだろう。何より、元々、俺は修行のために故郷を離れていた。その場所も、ここも……俺にとっては大して変わりはしない」

「でも……!」

 反論しようするルイズを、カインが視線で制する。

「――それに、だ。この世界に来たことで得られたものもある」

「……得られたもの?」

「ああ。それは、一人で修行していただけでは決して得られなかった……。その意味では、俺はルイズに感謝している」

 そう言ってカインが笑いかけると、ルイズは再び顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「……今なら、故郷に戻った時、あいつらに胸を張って会いに行ける――そう思えるんだ」

「……!」

 カインが呟くように言った言葉に、ルイズは心が冷えていくのを感じた。

――いつかはわからない……。だが、いつの日か、カインが自分の傍から居なくなってしまう。

 そう考えると、何故か胸の奥が痛くなった。そしてゆっくりと気分が落ち込んでいく。

 ルイズは、上目でカインを窺う。――すると、カインは先程までとは違う鋭い目つきで、何かを睨んでいた。
 何かと思い、ルイズもカインの視線の先を追ってみる。すると、一つに重なった月を隠すように何か巨大な物がそびえ立っていた。

「な、何あれ!?」

「どうやら、ゆっくり月見をしている場合ではなくなったようだな」

 良く見れば、その影は動いている。その正体がやがてハッキリした。

――巨大な岩のゴーレムだ。

 そして、その肩には見覚えのある女の姿があった――。

「――! フーケ!」

 ルイズが叫ぶと、フーケは口元を吊り上げニヤリと笑い、立ち上がる。

「感激だわ。覚えててくれたのね」

「脱獄したか、盗賊。まあ、貴様一人では無理だろうから、協力者にでも助けられた、といったところか?」

 落ち着いた様子でカインが言った皮肉混じりの推理に、フーケはこめかみをビキリと痙攣させる。しかし、すぐに何かに気付いたように表情を変えた。

「……誰かと思えば、使い魔さんじゃないの。へえ、中々良い男じゃない」

 素顔を見た事が無かったフーケは、すぐにそれがカインだと気付けなかったようだ。だが、カインだと気が付くと、再び笑みを浮かべ、皮肉っぽい口調で語り始める。

「親切な人がいてね。私みたいな美人はもっと世の中の為に役に立たなくてはいけないと言って、出してくれたのよ」

「つまりは飼い犬に成り下がった訳だ。惨めだな。それに何が“世の中の為”だ。“アルビオン貴族派の為”の間違いだろう。あとどうでもいい事だが、自画自賛は見苦しいぞ」

「ぐぐぐっ……なん、ですってぇ……っ!」

 カインの挑発で、フーケの眉間に深い皺が寄る。ぶるぶると身体を震わせているのを見ても、どうやら相当頭に来ているらしい。

――しかし、カインの注意は既に、フーケには向けられていない。その横に立っている黒マントの男……恐らくコイツが、フーケの脱獄を手引きしたのだろう。残念ながら白い仮面で隠しているため、顔はわからない。だが、気配から漠然とだが只者ではない事が分かる。

「……それで、俺達に何か用か?」

「ふ、ふふふ……! 素敵なバカンスをありがとうって、お礼を言いに来たんじゃないのぉっっ!!」

 血走った眼を見開き、狂気的な笑いを浮かべて、フーケが杖を振り上げる。直後、ゴーレムの拳が唸り、ベランダを木っ端微塵に粉砕し、その拳は部屋までめり込んだ。

――しかし、既にカインとルイズの姿はない。

「ちぃっ! 中に逃げたね! でも、あんた達はとっくに袋の鼠だよッ!!」



――カインがルイズを抱えて下の階に下りると、そこも修羅場だった。玄関から武装した一団がなだれ込み、キュルケ達が応戦していた。

 敵の数は多く、キュルケ達は、テーブルを立ててそこに身を隠しながら何とか持ちこたえている状態。しかも相手は対魔法使い戦に慣れているらしく、キュルケ達の魔法の射程を見極め、その外から弓矢で攻撃と牽制を同時に行っている。

 その為、キュルケ達は魔法を撃つ為に立ち上がることも出来ず、防戦一方の状態だった。

――カイン達もそこに素早く合流する。

「面倒なことになったな」

 カインが呟くと、キュルケが頷く。

「昼間の連中、やっぱりカインが言った通り、ただの物盗りじゃなかったわね」

「あのフーケがいるということは、アルビオン貴族が後ろにいるのはほぼ確実だな」

「……奴らはちびちびとこっちに魔法を使わせて、精神力が切れたところを見計らって、一斉に突撃してくるわよ。そしたらどうすんの?」

 キュルケの言う通り、襲撃者達はある一定の距離を保ったまま、こちらに攻めてこようとしない。脅し程度に矢が飛んでくる程度だ。カインが見る限り、まともに戦える人間は、自分を含めても三人しかいない。魔法衛士隊隊長の肩書を持つワルドと、もう一人はタバサである。

 ワルドに関しては、確認済みなので間違いないが、タバサはあくまで憶測であるため、正確に戦力と言えるかどうかはわからない。ただ、初見で感じた気配から察すると、キュルケやギーシュより強いことは確かである。……ちなみに、まともに魔法が扱えないルイズは戦力外だ。

 そこで、カインは改めて襲撃者達を見る。確かに数は多い。後ろにはフーケのゴーレムも控えている。だが、どうにもならない程の脅威には感じられない。とはいえ――

(アルビオンに向かう船が“出港できない”のでは、ルイズ達を逃がしても意味がない……)

 そう――船は出ないのではなく、燃料不足で“出られない”。それでは、ここで囮を買って出る意味はない。

「せめて、アルビオンへの船が出港できるのなら……なんとかなるんだが……」

「不可能ではないよ」

 カインの呟きに、ワルドが答えた。

「どういうことだ? 船は“風石”とやらが足りなくて出られないはずだろう」

「その風石の不足分を、風の魔法で補えば良い。そして幸いなことに、『風』のスクウェアたる僕なら、それが可能だ」

 カインの中で、作戦の穴が埋まった。――ならば、とカインは全員に声をかける。

「――二手に別れよう。俺がここで奴らを食い止める。」

「カイン、何言ってんのよ!?」

「いくらカインでも、あの数にフーケまでいるんじゃ、さすがに無理よ!」

 反対するルイズとキュルケに対し、カインは首を振った。

「良く聞け。任務を果たすためには、何としてもアルビオンへ辿り着かなければならん。ならば、馬鹿正直に奴らにつき合ってやる道理はなかろう。俺が囮になって引きつけている間に、お前達はアルビオンに向かえばいい。幸い俺にはレフィアがいる。上手くいけば、後から合流できる」

「で、でも……やっぱり、ダメよ! そんなこと――」

「――いや、彼の言う通りだ」

「ワルドっ!?」

 尚も反対しようとするルイズを、ワルドが遮った。

「いいかい、ルイズ。このような任務は、半数が目的地に辿り着ければ、成功とされる。そしてこの任務には、トリステインの未来が掛っているんだ。敵にフーケがいる。当然彼奴は僕の事を知っている。ここで僕達が足止めされれば、桟橋を抑えられてしまう危険性もある。迷っている暇はない」

 有無を言わせぬ口調のワルドに、ルイズも反論できずに俯く。

「はあ……仕方ないわね。あたしも残るわ」

「キュルケっ!?」

 溜め息混じりに囮役を買って出たキュルケに、ルイズは驚きの声を上げた。

「勘違いしないでね? ヴァリエール。あたしはあんたの為に囮になるんじゃないわ」

 そう言うと、キュルケは自慢の赤毛をかき上げて、不敵な笑みをルイズに向ける。

「な、ならば、僕も残ろうっ!」

 キュルケに続いて、ギーシュが名乗りを上げた。――が、彼に対し向けられた視線は微妙だった。

「――な、なんだね、その目は!?」

「ギーシュ、意気込むのは結構だけど、あんたの『ワルキューレ』じゃあ、一個小隊が関の山。相手は手練れの傭兵よ?」

 キュルケは冷静且つ客観的な見解を述べる。

「バカにするな! 僕だって今日まで遊んでいた訳じゃない! 僕の“新たな”『ワルキューレ』で、あの卑しい傭兵どもを蹴散らしてやるさ!!」

 ギーシュにしては珍しく強気な発言。……しかし、実力が伴わないことの多い故に、イマイチ信用を得られていない。

――と、そこへ敵から矢が連続して飛んできた。

 カインは、敵を睨みつけながら決断する。

「――迷っている時間はない。ここは俺とキュルケとギーシュで何とかする。タバサ。お前は念のため、ルイズ達に着いて行ってくれ」

 タバサは、読んでいた本を閉じて頷く。それを見て、ワルドがルイズを促す。

「よし、決まったな。僕達は早速裏口から脱出し、桟橋に向かうとしよう」

 ワルドの先導で、ルイズも渋々ながら移動を開始する。途中、カインに不安そうな視線を向けるが、カインが頷くのを見ると、自分も頷き返し、厨房の奥に入っていった……。



「……行ったな。では、俺達もさっさと連中を片付けて後を追うとしよう。ギーシュ、頼みたいことがある」

 テーブルに身を隠しながら、依然玄関側を占拠している傭兵達を見据えているカインがギーシュに声を掛けた。

「なんだい?」

「厨房に揚げ料理用の油の入った鍋があるだろう。それをゴーレムで取ってきてくれ」

「お安い御用だ」

 ギーシュはテーブルの影で薔薇の造花の杖を振るい、自慢の戦乙女を造り出す。しかし、現れたゴーレムの姿は、以前とは違っていた――。

「……ギーシュ。その色は……もしかして……」

 キュルケが僅かに驚きの混じった声で尋ねると、その言葉を待っていたとばかりに、ギーシュの顔に笑みが浮かぶ。

「気が付いたようだね。そうとも。これが僕の新たなゴーレム――“鋼鉄”の『ワルキューレ』だ!」

――ギーシュが造り出したのは、以前の青銅製ではなく鉄製のゴーレムだった。いつの間にか、ラインクラスにレベルアップしていたらしい。細部の造りも精巧になり、より戦乙女の名に相応しい出来になっている。

 ギーシュが薔薇の造花を振ると、鋼鉄のゴーレムがテーブルの陰から飛び出し、厨房へ走っていく。傭兵達は、ゴーレムめがけて矢を撃ったが、鏃と同じ鋼鉄で出来たワルキューレには、当たっても僅かに傷が付くだけで、弾かれてしまう。

 そうしてゴーレムが、カウンター裏の厨房に辿り着き、油の鍋を掴むのを確認すると、カインが指示を出した――。

「――よし、それを入り口に向かって投げろ」

「了解だ!」

 ギーシュがゴーレムを操り、鍋を入口に向かって投げる。カインは、瞬時にキュルケに合図する。

「――キュルケ!」

「――オッケー!」

 カインの意図を理解したキュルケは、油を撒き散らしながら空中を飛ぶ鍋に向かって杖を振る。すると、油が炎を上げ、入口付近で燃え広がった。

――突然現れた炎に、傭兵達は大混乱。さらにキュルケが呪文を詠唱することで、炎は勢いを増し、激しく燃え上がっていく。炎は、入口付近にいた傭兵達に燃え移り、炎に巻かれた傭兵達がのたうちまわる。

――その混乱に乗じて、カインが雷の如く飛び込んだ。混乱した傭兵達を、両手に持ったデルフリンガーと槍で薙ぎ払う。

――ギーシュも、ゴーレムを七体に増員して突撃させる。

――キュルケは後方から炎の魔法を撃ち出す。

 ある者は鋼鉄の拳で殴り倒され、ある者は飛んできた炎に焼かれ、ある者は腕が飛び、胴を裂かれ、胸を貫かれ……。傭兵達は次々と倒されていき、加速度的に数を減らしていった。

――カイン達の予想外の戦闘力に、傭兵達の中から怖じ気づき、後退りする者が現れ始める。それが次第に伝染することで、彼らの統率は見る見るうちに崩れていった。


「おっほっほ! おほ! おっほっほ!」

 キュルケは浮足立って総崩れになっていく傭兵を見て、勝ち誇ったように笑い声をあげる。

「見た? わかった? あたしの炎の威力を! 火傷したくなかったらおうちに帰りなさいよね! あっはっは!」

「僕の『ワルキューレ』の活躍も、忘れないでくれたまえ!」

 ゴーレムを操りながら、懸命に自己主張するギーシュを無視して、キュルケはまだ愉快そうに笑い続ける。

 入口付近で戦っていたカインは、二人を見てやれやれと肩を竦めた。が――

「――っ!」

――身体に走った悪寒に、咄嗟に飛び退くと、その瞬間に轟音が鳴り響いた。キュルケとギーシュも凄まじい衝撃と音に目を閉じる。

 ゆっくりと目を開けて見ると、建物の入口が無くなっており、土埃の中から、巨大なゴーレムが現れた。

「あちゃあ~。忘れてたわ。あの業突く張りのお姉さんがいたんだっけ」

 そう呟くキュルケの言葉を、フーケは地獄耳で聞き取ったらしい。目を吊り上げて、怒鳴る。

「調子に乗るんじゃないよッ! 小娘どもがッ! まとめて潰してやるよッ!!」

 ゴーレムの肩に立ったフーケは、目を血走らせ、凄まじい形相でこちらを睨む。元々の綺麗な顔立ちが台無しである。

「……どうする? ダーリン?」

「問題ない。すぐに片付ける」

 顔を引き攣らせて尋ねてきたキュルケに対し、カインは即答する。それを聞いていたフーケは、青筋を立てた。

「へぇ……、この状況で大した余裕じゃない? ガンダールヴ。言っておくけど、前の様にはいかないよッ!!」

 額に血管を浮き上がらせ、狂気的な笑みを浮かべながら、フーケが杖を振り上げると、巨大ゴーレムも拳を振り上げる。

 と、その時――巨大ゴーレムとフーケを横から凄まじい炎が襲った。

「――っなぁ!?」

 まったく予想していなかった方向からの攻撃に、流石のフーケも驚き、燃えた服を千切りながらゴーレムの肩から飛び降りる。ゴーレムは黒く焦げているが、形は崩れずに保っている。

 炎が来た方向を見れば、見た事のある赤い竜がいた。

――言わずと知れたカインの相棒、レフィアだ。先程の炎は、彼女のブレスだったのだ。

「ちぃっ! またあの火竜か!! けど残念だったね。私のゴーレムはまだ健在よ!」

 苦々しく舌打ちをしたフーケの姿は、長く美しかった髪がちりぢりに焼け焦げ、服もボロボロ、顔は煤で真っ黒という、何とも可哀想なことになっていた。しかし、フーケはそれにめげる事無く、ゴーレムを操ろうと杖を握り締める。が、それと同時に視界の端を何かが通り過ぎた――。

――慌てて振り返って見ると、カインの剣を振り上げてゴーレムの頭上高く飛び上がっている。フーケの中で、苦い記憶がリフレインする。

「は……ははは、は……」

 フーケは目尻に涙を溜めながら、引きつった笑みを浮かべるが、カインの無情の剣閃がゴーレムを縦に両断した――。

 いつかのように轟音が響き、縦半分に割れたゴーレムは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた……。

――雇い主のゴーレムが崩れる様を見てか、カインが放った光に怖気付いてか、傭兵達は蜘蛛の子を散らすように、一斉に逃げて行った。

「やったわ! 勝ったわ! あたし達!」

「ぼ、僕の『ワルキューレ』で勝ちました! 父上! 姫殿下! ギーシュは勝ちましたよ!」

「ダーリンのおかげで勝ったんじゃないの!」

 調子のいい事を言い出すギーシュの頭を叩きながらも、キュルケも勝利の喜びを噛みしめるように会心の笑みを浮かべている。キュルケとて、自らの実力に自負があったとはいえ、実際に敵と戦ったのは、これが初めてなのはギーシュと一緒だ。

 初めて何かを成し遂げた時、人間は喜びを噛み締めて、はしゃぐ。二人にとって、今はその瞬間だったのだ。

――そこへ、見るも無残な姿のフーケが物凄い形相でやって来た。

「あ、あんたらよくも、一度ならず二度までも、このフーケに土をつけてくれたわねぇ……」

 ドスの利いた低い声だったが、格好が災いして全く迫力がない。キュルケは憐れみを込めて鼻で笑い、ギーシュも口元を押さえて笑いを堪えている。そんな中、キュルケが優雅に髪をかき上げて言った。

「あ~ら、素敵な化粧じゃない。おばさん。あなたには、そのぐらい派手な化粧が似合ってよ? なにせ“年”だしね」

――ブチッ……

「――ん?」

 カインは、紐が両側から力任せに引かれて千切れたような鈍い音が聞こえた気がした。フーケを見れば、身体をぶるぶると震わせながら俯いている。

――そして、突然「グワッ」と勢いよく顔を上げた。

「――だぁれが“おばさん”だ小娘コラァァッッ!! 私はまだ二十三だあぁぁッッッ!! 婚期だって逃してないわぁぁ!!!」

 訳のわからないことを叫び散らすフーケの姿は、迫力はあるのだが、どこか哀愁が漂っている様にも見える。そのままキュルケに飛びかかろうとしたが、カインが立ちはだかって止める。

「――くッ!」

「まだやるか?」

 カインがそう言って睨みつけると、フーケは先程までの勢いを萎ませ、後退りを始める。冷静さを取り戻し、この状況を正確に把握したようだ。

 そして、フーケは苦々しそうに言う。

「ぬぐぐッ……覚えてなさい。この屈辱は、必ず十倍にして返すからね! ――特にそこの小娘ッ!!」

 よく耳にする捨て台詞の最後に、「その視線だけで人が殺せるのでは?」と思えるほどの鋭い目つきでキュルケを睨みつけ、踵を返すと足早にその場を去って行った……。

 その後ろ姿が見えなくなると、カインは「ふぅ」と息を吐いてから振り返る。

「さて、やっと片付いたな。俺達も急いでルイズ達に合流しよう」

 宿から出てきていたギーシュと、すぐ後ろにいたキュルケが頷く。カインが口笛を吹くと、すぐにレフィアが飛んできた。

――カイン達はレフィアの背に跨り、先に脱出したルイズ達を追って飛び立った……。




 一方、フーケ達の奇襲から脱出し、桟橋に向かったルイズ、ワルド、タバサの三人は、アルビオン行きの船を何とか出港させることに成功する。船長は最初ごねていたが、ワルドが貴族だと分かると、料金を上乗せすることを条件に出港を承諾。話では、明日の昼過ぎにアルビオンの港スカボローに到着するだろうとのことだ。

 ルイズは、出港してからずっと、甲板からラ・ロシェールの方向を見つめていた。その傍には、タバサもおり、また本を読んでいる。

「……大丈夫かしら」

 ルイズは不安そうに呟く。しかし、その時真っ先に心に浮かんだのはカインのことだった。無論、キュルケやギーシュの事も心配ではある。
 しかし、カインに万が一の事があったら……――そう考えると、心が震え、とても不安になった。カインが強い事はわかっている。一度はフーケを捕え、あのワルドさえも圧倒したのだ。それでも、不安は尽きない。どうしても、悪い方向に考えが向かってしまう。

「……大丈夫」

「――っ!」

 突然、掛けられた声に振り向くと、さっきまで本を読んでいたタバサが隣にいた。彼女はルイズと同じ方向を向く。

「彼は、強い」

 タバサの言葉で、ルイズはハッとする。

――タバサはカインを信じている。他人であるはずのタバサが信じているのに、何故自分は不安になっているのか……。

 主人である自分こそ、使い魔を信じなければならなかった。それに気づいたルイズは頭を振って、自分の中からネガティブな思考を振り払う。
 そして、先程までとは違う顔つきでラ・ロシェールの方向を見つめる。

(そうよ……信じなくちゃダメ。カインは私の“使い魔”なんだから……)

――そう考え改めた時だった。

「――っ!」

 ルイズの耳に、聞き覚えのある竜の鳴き声が聞こえた。その声に振り返れば、赤い竜がこちらに飛んできている。

――竜は船に追いつくと、甲板に着地した。その背中から、青年が降り立つ。

「――カイン!」

 ルイズが駆け寄る。見れば、キュルケとギーシュも、多少疲労の色が見えるものの目立った怪我もなく、無事な様子だ。それを確認して安堵していると、カインが声を掛けてきた。

「心配をかけたようだな」

「し、心配なんかしてないわ! してないもん!」

 赤くなった顔をぷいと逸らすルイズを見て、カインは苦笑する。

「フーケは?」

 タバサが短く尋ねると、ルイズも気になったのか、カインに視線を向ける。――それを見たキュルケがニヤリと笑う。何か悪い事を思いついた時の顔だ。

「あたしとダーリンの華麗な連携の前に、尻尾を巻いて逃げて行ったわよ♪ やっぱり、ダーリンとあたしの相性は最高ね♪」

「――なっ!?」

 いきなりカインの腕に自分の腕を絡めたキュルケに、ルイズの眉が吊り上がる。が、ルイズが何か言おうとした時、忘れられていたギーシュが叫んだ。

「僕の活躍をまるで無かったかの様に無視しないでくれたまえっ!! 僕だってちゃんと戦ったんだぞ!? 」

 自身の活躍を必死に主張するギーシュに、女子一同が呆れ顔になる。――だが、カインは違った。

「安心しろ、ギーシュ。お前がよくやったことは、ちゃんとわかっている」

 自ら先頭を切って戦いながら、周囲の状況に目を向けていたカインは、ギーシュのゴーレムが善戦していたことをちゃんと見ていた。ギーシュの自己顕示欲には少々呆れたが、その事実は認めている。故に、素直に賛辞を送る。

「えっ? そ、そうかい? そ、それならいいんだ……」

 頬を掻きながら照れるギーシュ。彼にしてみれば、あれは初めての実戦だ。無論、戦争に比べてみれば序の口もいいところだが、それでも命を懸けて戦った事には違いない。故に、それを乗り切った自分を褒めて欲しいという願望があったのだろう。

 それはカインも理解できた。――が、ここで調子に乗れば、何もならない。故に――

「――フッ、だが賛辞を自分から要求するようでは“まだまだ”だがな」

「ええっ!?」

 持ち上げられた後のカインの手厳しい一言で、ギーシュは「ガーンッ!」と表情を変える。そして、ガックリと肩を落とす。その姿に、ルイズ達が笑いだす。


――甲板に少女達の笑い声が響く。そうして笑顔を見せ合うカインら一行を乗せた船は、アルビオンを目指し、空を進む……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第九話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:47
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第九話







――『土くれ』のフーケ率いる傭兵隊に襲われ、足止めの為に宿に留まったカイン達は、見事フーケを撃退し、火竜レフィアに乗って先行していたルイズ達に追いついた。

 そこで、一行はワルドからアルビオンの現状を伝えられる。

「船長の話では、王党派は相当追い詰められているようだ。反乱軍の圧倒的な戦力に包囲され、現在はニューカッスルの城に立て篭もっているらしい。陥落は時間の問題だろう」

「ウェールズ皇太子は?」

 ルイズの問いに、ワルドは首を振る。

「わからない。取りあえず生きてはいるらしいが……」

「――ねえ? そのアルビオンの王子様に、一体何の用があるっていうの? そろそろ、あたし達にも教えてくれて良いんじゃない?」

 ワルドが重々しく言ったところで、キュルケが口を挟んだ。
 興味が湧けば、とことん知りたくなってしまうのがキュルケの性である。自分の欲求に忠実な彼女は、臆することなく伐り込んできた。

――しかし、それでルイズが言う訳がない。

「そうはいかないわよ。これは極秘の任務なんだから」

「え~!? ちょっとルイズ。ここまで手伝ってあげたのに、それはないんじゃない?」

「無理やりついて来た癖に、何言ってるのよ!」

 不満を言うキュルケだが、今度ばかりはルイズの言うことが正しいだろう。これはトリステインの未来が懸っている極秘任務――そして、キュルケ達は強引について来ただけ。その上、キュルケもタバサも外国人だ。彼女達が密告するとはルイズも思っていないが、それでもどこで漏れるか分からない以上、ここで内容を明かすわけにはいかなかった。のだが――。

「――アルビオン皇太子ウェールズ・テューダー殿下に、密書を届けに行くのさ」

「――わ、ワルドっ!?」

 意外にも、ワルドがキュルケに任務内容を教えてしまった。「何故ッ!?」という視線をルイズが向けると、ワルドが耳打ちする。

「何も教えずにごねられた方が面倒だ。この程度ならば、問題ないよ」

「……え、ええ」

 どこか納得しきれないルイズだったが、ワルドの言う事も一理あると思い、それ以上は文句を言わなかった。

「悪いが、これ以上は教えられない。君に貴族としての分別があるのなら、それは理解してもらえるだろう?」

「……はいはい」

 どこか棘のあるワルドの物言いが気にくわなかったらしく、キュルケは鼻を鳴らすとそっぽを向く。そんなキュルケを無視して、ワルドが話を続ける。

「話を戻そう。包囲されている王党派と連絡を取るには、多少無理をしてでも反乱軍の陣を突破するしかない」

――ワルドの提案に、全員が驚きの表情になった。

「じ、陣中突破、ですか……?」

 全員の心中を代表するように、引き攣った声で尋ねるギーシュに、ワルドは頷く。

「先程も言ったが、王党派の陥落は時間の問題だ。船は明日の昼過ぎにはスカボローの港に到着する。そこからニューカッスルの城まで馬で約一日だ。幸い、こちらには僕のグリフォン、使い魔君とそちらのレディの竜がいる。上手くいけば、その日の内にウェールズ殿下に謁見できるだろう」

「……危険だな」

 あまりにも無謀な策を強行しようとするワルドに、カインが意見を挟む。戦場を渡った経験もないルイズ達を連れての強行突破など、現実的ではないと思ったからだ。だが――

「しかし、他に方法はない。それに何度も言ったが、時間がないんだ。こちらの身の安全を優先している余裕はない」

「わかっている……」

――ワルドの言う事が正論なのは、わかっていた。

 しかし、カインはどうにも気に入らなかった。

――この男……陣中突破がどれだけ危険なのか、十分にわかっているはずだ。なのに、それを僅かも躊躇わず決断している。表情、声、仕草……どれを取っても、当然だと言わんばかりの態度。

 軍人として任務に忠実とも取れるが、仮にも婚約者をそんな危険に晒すことに何の躊躇いも見せないことが、気になった……。

 しかし、それを言ったところで、アルビオンの事など聞く限りでしか知らないカインには、ワルドが言った策を覆せる優れた代案などあるはずもなく……結局はワルドの策に乗るしかなかったのだ。

「では、決まりだ。隙を見て、反乱軍の包囲線を突破し、ニューカッスルに向かう」

――作戦が決まり、全員が緊張した面持ちで頷く。

 既に夜が更けていることもあって、その場で解散――各々、宛がわれた船室に入り、明日のアルビオンを想いながら、一行は眠りに就くのだった……。




 翌朝――陽が昇る前に目を覚ましたカインは、槍で演武を行っていた。その槍捌きは凄まじく、まるでカインの前に相手がいるかのような錯覚に陥る程に激しい。

「――はッ! せぁッ!!」

――相手を貫く様に鋭く槍を突き出し――薙ぎ払う様に振るい――高くジャンプして――着地。

 そして、もう一度、槍を突き出した体勢でピタリと止まると、深く息を吐いて構えを解いた……。

「……このぐらいにしておくか」

 そう呟くと、カインは脇に立てかけておいたデルフリンガーの元へ歩み寄ると、手拭いで汗を拭く。ずっとカインを眺めていたデルフリンガーは、いつもの軽い口調で声をかけた。

「こんな時でも、朝の訓練を欠かさねえとは、全く恐れ入るぜ、相棒」

「当然だ。目指す“高み”は遙か遠い。これでも、足りんくらいだ」

「か~~~、今度の相棒は、勤勉だねぇ! 頭下がっちまうわ」

 デルフリンガーの茶々を聞き流し、汗を拭きながら、カインは水平線を見た。

――薄らとだが、向こうの空が明るくなってきており、白い雲海が、朝陽を浴びて輝いている。

 その幻想的な美しさに思わず笑みをこぼしながら、カインはその場に腰を下ろす。

「…………」

 静かに目を閉じ、自然な姿勢を取る。修行で高ぶった心を落ち着けるため、瞑想に入ろうとしているのだ。

――ただ腕力を付け、俊敏に動けるようにするだけが修業ではない。

 こうして、瞑想による精神の修練を欠かさず行う事で、感覚を研ぎ澄まし、自らの持てる力を最大限に引き出せるようにすることも重要な修行だ。
 デルフリンガーもそれを本能的に察したのか、鞘に収まり、静かに眠りについた。



「――アルビオンが見えたぞーッ!」

 太陽が完全に姿を現した頃、見張り台の船員の声が響く。その声を聞き、カインは瞑想を中断し、立ち上がった。

――そして、船の進行方向に目を向け、目に飛び込んできた光景に息を飲む。

「…………」

 雲を纏った巨大な大陸――『白の国』の名の体現する壮大かつ優美な姿。

――あれが、目指すアルビオン王国。

 カインは、浮遊大陸というものを初めて見た驚きと、その美しさに心を奪われた。

「――驚いた?」

「……!」

 声に振り返ると、いつの間にかルイズが隣に来ていた。ルイズは、得意げに持てる知識を披露する。

「浮遊大陸アルビオン。ああやって、空中を浮遊して、主に大洋の上を彷徨っているわ。でも、月に何度か、ハルケギニアの上にやってくるの。大きさはトリステインの国土ほどもあるのよ」

「ほう……」

 ルイズの説明に耳を傾けながら、再びアルビオンに目を向けているカイン。二人はしばらく、その光景を眺め続けた……。

――しかし、それも長くは続けられなかった。

「――右舷上方の雲中より、船が接近して来ます」

 突如、見張りから謎の船の接近を知らされ、船内は慌ただしくなる。見張りの言った方角に目を向けると、確かに、一隻の黒塗りの船がこちらに近づいて来ていた。

――カインは、その船の異様さに瞬時に気付く。

「……妙だな。大砲を装備しているくせに、所属を示す旗を掲げていない」

「え? それって……、まさか――!!」

 ルイズが驚いたように振り向くと、カインが頷く。

「恐らく、海賊――いや、ここは空だから“空賊”か。とにかく、その類だろう」

 カインの言葉を肯定するように、こちらの船も黒船から逃げようとしている。船長もあれが空賊であることに気付いたようだ。しかし、その決断は僅かに遅かった。

――ドォォンッッ!!

「――ッ!?」

 轟音にルイズが怯む。船の進路上に打ち込まれた威嚇砲弾だ。黒船がこちらの船を止めようとしている。

――それを察したカインは、すぐさま行動に移った。

「――レフィア!」

 カインの呼びかけで、すぐにレフィアが飛んできた。走りだそうとするカインを見て、ルイズが目を見開く。

「カイン? なにする気よ!?」

 その行動に嫌な予感がしたルイズが叫ぶ。カインから返って来た答えは、ある意味ルイズの予想通りだった――。

「――食い止める。お前は船長にこのまま進むように伝えろ」

「なっ! 何言ってんのよッ!? そんなの無理に決まって――あっ!」

 ルイズの抗議を無視して、カインはレフィアに跳び乗って空賊船に向かって行ってしまった。レフィアの速度で、カインとの距離はあっという間に離れてしまう。

「ちょっとカインっ!! ~~~っんもうっ! 勝手なことばっかりッッ!!」

 自分の話をちっとも聞かない使い魔に文句を言いながらも、ルイズは船長の元に駆けて行った――。



「――レフィア、頼むぞ!」

「――きゅッ!」

 レフィアは、力強く返事をすると黒船の大砲に向かって炎のブレスを吐きかける。

――ズガァァンッッ!!

 火韻竜であるレフィアのブレスは、並の火竜のブレスとは熱量のケタが違う。その熱で、大砲内の火薬が暴発し、その余波で傍に置いてあった火薬にも引火した。

 大砲が沈黙すると同時に、甲板に空賊達が慌ただしく集まり出す。――その内の何人かが杖を持っている。どうやらメイジらしい。

 カインは後ろを振り返り、乗って来た船の様子を窺う。見ると、船は大分遠ざかってはいるが、もう少し時間を稼ぐ必要がありそうだった。

「……よし、もう少し奴らの相手をしてやるか」

 そう言うと、カインは槍を左手に構え、レフィアの背から飛び降りた。空賊も動揺はしたが、すぐに持ち直すと、落ちてくるカインに向かって矢やメイジの魔法を飛ばす。が――

――ゴオオォォォッッ!!

 レフィアのブレスに阻まれ、カインに届く事はなかった。
 その隙に空賊船の甲板に降り立ったカインは、デルフリンガーで周囲の空賊を薙ぎ払う――。

『――うわあぁぁぁッッ!!』

 槍の一閃に吹き飛ばされた空賊達が悲鳴を上げる。カインが立ち上がりギロリと睨むと、周囲の男達が顔を引き攣らせて後退りした。

「……な、何してやがるっ! 相手は一人だ! やっちまえッ!!」

『お……おおぉぉぉぉッッ!!』

 一人の号令で、全員が勢いを取り戻し、武器を手にカインににじり寄る。しかし、カインは不敵な笑みを浮かべた。

「一人、だと? それは、違うな――ッ!」

――カインは高々と跳び上がる。

 空賊達も視線でそれを追うが、そこに再び激しい炎が降り注いだ。

――レフィアの炎のブレスだ。

 空賊と睨み合いながら、カインは『念話』でレフィアとコンタクトを取っていたのだ。カインが高々と跳び上がると同時に、黒船の甲板が炎に包まれる。

『――ぐああぁぁぁッッ!!?』

 炎に巻かれ、混乱する空賊達だったが、その中のメイジの何人かが、魔法で消火を始める。そんな中、カインは飛び乗ったマストの上から、空賊達の様子をよく観察した。すると、一人だけ他の空賊に庇われている派手な恰好の男を発見する。
 その瞬間、カインの目が光った――。

(――あいつだ!)

 ヤツがこの空賊の頭――瞬時にそう判断したカインは、その男目掛けて飛び込む。

「――っ!」

 その男も気づき杖を抜こうとしたが、カインに槍で弾かれ、腕を極められて動けなくなってしまう。

「――お、お頭っ!!」

 それを見た空賊達が助けに入ろうとするが、カインが“お頭”と呼ばれた男の首に槍の切っ先を当てると、ぴたりと足を止めた。

――彼らを見据えながら、カインは全員に怒鳴り付けるように言い放つ。

「――全員動くなッ!! この男の命が惜しければな」

 カインにしてみれば、これは“賭け”だった。「賊」と名が付く“ならず者”相手では、人質は意味を成さない場合もある。――いや、むしろその可能性の方が大きい。だが、分の悪い賭けではない。

――自分の目的は『時間稼ぎ』だ。

 少しでも、ルイズ達を乗せた船が遠ざかるまで、空賊達を足止めできればそれでいい。いざとなれば、自分はレフィアで脱出できる。
 結局どう転んでも、カインに損失はない。故に、空賊達がいきり立って向かって来たのなら、この男の首を貫いて、脱出するつもりだった。

――しかし……

「……わ、わかった」

 意外にも、空賊達はあっさりカインの言葉に従った。これには、カインも驚く……というか、拍子抜けする。

(ここまで部下に慕われる空賊というのも珍しいな……ん?)

 ふと、人質にした男を見ると、黒髪から違う色の髪がはみ出ているのに気が付いた。
 不審に思ったカインは、槍を持った手で男の髪を引っ張る。

――すると、黒髪が男の頭から外れ、中から金髪が現れた。

「――なっ!? これは……カツラ?」

「ぐっ……!」

 カツラを取られた男は、カインの気が逸れた隙を突こうと抵抗したが、腕を更に捻りあげられ無駄な足掻きに終わった。

――空賊が変装……。怪訝に思ったカインは、再び男に目を向け、尋ねる。

「おい。貴様、何者だ? ただの空賊ではないな」

「…………」

 男は答えようとしない。しかし、無言ということは、少なくとも“ただの空賊ではない”ということは肯定しているということだ。
 そこで、カインは視線を他の空賊に移す。

「……おい、貴様」

 カインに声をかけられた空賊が、驚いた表情で自分を指差す。

「な、なんだ……?」

「貴様らは何者だ? 答えろ」

「そ、それは……」

 自分の質問に男が言い淀み、仲間に視線を向けるのを見て、カインは再び切っ先を人質の首に近付ける。喋らなければ……という脅しだ。

――すると、空賊達が慌てだす。

「――や、やめろっ! 頼む! やめてくれッ!」

 男が必死に止めて来るのを見て、やはり彼らがただの空賊ではないことを確信するカイン。その正体を暴く為、再び質問を投げかける。

「ならば、先程の俺の質問に答えろ。お前達は、何者だ?」

「…………我々は」

「……私達は、アルビオン王党派だ。そして私は……アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダーだ」

『――ッッ!?』

――なんと、空賊が答える前に、人質にしていた男が自ら正体を明かした。それは、周りの空賊達にも、そしてカインにも衝撃を与える事実だった。

「……貴様が、アルビオンの王子、だと?」

「ああ、そうだ」

――驚愕の事態だ。空賊だと思っていた連中はアルビオン王党派で、自分が人質にしている男はそのアルビオンの皇太子だと言う。

 しかし、ウェールズと名乗った男は、相変わらず金髪と不釣り合いの薄汚れた顔だったが、その表情にはどこか気品を感じさせるものがある。
 そこで、カインは確信を得るために、ウェールズと名乗った男に問い掛けてみることにした。

「……証拠は?」

「君が掴んでいる右手の薬指の指輪だ」

「指輪? ……っ! これは」

 カインは、その指輪の形に見覚えがあった。

「それは、我がアルビオン王家に伝わる“風のルビー”。偉大なる始祖ブリミルより、祖先が与えられた秘宝。代々王位継承者に受け継がれてきたものだ」

 宝石の色こそ違うが、確かにそれは――

「……アンリエッタ王女が付けていたものと、同じ形……」

――そう、アンリエッタがルイズに、御守り代わりに渡した“水のルビー”と同じ形状の指輪だった。

 ウェールズと名乗った男は、カインがアンリエッタの名を口にすると、驚いた表情で振り返る。

「――アンリエッタ? 君はアンリエッタを知っているのか?」

――どうやら間違いないらしい。

 カインは、彼らの言っている事が真実である事を確信し、捻り上げていたウェールズの手を離す。

 拘束を解かれたウェールズは振り返って、カインと向かい合った。

「……今度は、私にも教えてほしい。君は何者だ? 何故アンリエッタが、私の指輪と同じ形の指輪をしていることを知っているのだ?」

「俺は、アンリエッタ姫からあんたに密書を届けるよう頼まれた者の連れだ」

「……なにっ? アンリエッタから密書を?!」

 ウェールズを初め、周りの空賊達も驚いた顔になる。次いで、ウェールズは顎に手を当てて考え込んだ。

「うぅむ……。君の話が本当なら、先程の船にはトリステインの大使殿が乗っていた、という事か……。これは困ったな」

――実際、幸運なのか不運なのか、微妙な状況だった。

 貴族派の軍勢を突破するという危険を冒さずに、ウェールズに出会えたことは僥倖だ。しかし、結局密書を持ったルイズが遠ざかってしまっている。密書を持っていないカインが彼に会えても意味がない。
 だからと言って今から追っても、追いつく事は恐らく不可能。既に、ルイズ達を乗せた船はカインの視力でも点にしか見えない程に遠ざかっている。

 しかし、カインがレフィアで迎えに行こうにも、あまりこの船でうろうろしていると貴族派の軍艦に見つかってしまう恐れがあるので、ウェールズ達はこの空域に留まっている訳にはいかないのだそうだ。

 加えてウェールズ達の拠点は、ニューカッスル城の地下深く――アルビオン大陸の裏側に抜けられるように作られた隠れ港であり、その周囲は年中深い霧に覆われているという。長年アルビオンの空を飛んでいる王立空軍の航海士ならば、その中を測量と僅かな明かりだけでも辿り着く事ができるのだが、不慣れな者ではあっという間に突き出た岩肌に激突してしまうだろう、との事だ。

 八方塞がりかと思われた、その時だった。

(――お兄さん、お兄さん! レフィアにお任せなの!)

(――レフィア?)

 突如頭の中に直接響いてきた声に、考えを巡らせていたカインは上を向く。そこへ、上空で待機していたレフィアがゆっくりと降り立った。

――彼女はカインを見つめると、自分の作戦を伝える。

(レフィアが、桃色の人達を追っかけて、背中に乗っけて連れてくるのっ! 精霊に誘導してもらえば霧の中でも迷わず飛べるし、レフィアはお兄さんが何処にいても見つけられるから大丈夫! だから、レフィアにお任せなの!)

「……」

 カインは頷くと、褒める様にレフィアの頭を撫でた。レフィアは嬉しそうに目を細め、「きゅうきゅう♪」と嬉しそうな鳴き声を上げる。

――レフィアに礼を伝えると、カインは自分達の様子を見守っていたウェールズに向き直った。

「ウェールズ王子、紙とペンを貸してくれ」

「ん? 構わないが、どうするんだね?」

「密書を持っている者に手紙を書き、レフィアに持たせて迎えに出す」

 カインはレフィアが韻竜である事は明かさぬまま、このまま船で拠点であるニューカッスルの隠れ港に戻っても、自分達の後を追ってルイズ達を連れてくることが可能であると説明した――。

「なるほど……よし、わかった」

 説明を聞いたウェールズは頷き、部下の一人に紙とペンを持って来させた。ウェールズからその二つを受け取ると、カインは覚えたてのハルケギニア文字で、ルイズに手紙を書き始める。

――自分が無事である事と、先程の空賊はアルビオン王党派が化けていた姿だった事……そして、ウェールズと接触できた事などを書いていく。


 書くべきことを全て書き終え、その手紙を折り畳んで自分の右手の“ミスリルのこて”に詰め、レフィアに持たせる。

「では、頼んだぞ。レフィア」

「きゅっ!」

――短く鳴き、力強く頷くと、レフィアは飛び立って行った。

 それを眺めていたウェールズは、感嘆の声を上げる。

「あの火竜は賢いのだな。君の言うことを全て理解しているようだ。それに、君との息も合っている」

「ああ。少し、やんちゃだがな」

「はははっ、なるほど。――よしっ! ニューカッスルに帰還するぞ!!」

 ウェールズは僅かに笑うと、部下達に帰還の指示を出す。男達は素早く持ち場に戻り、黒船は、彼らの拠点に向けて進路を取った。



 一方、その頃……

 カインのおかげで、危機を脱した商船『マリー・ガラント』号は、ルイズ達を乗せてスカボローの港に到着しようとしていた。その甲板では、ルイズが浮かない顔で来た空を見つめ続けている。

「……なにモタモタしてるのよ……。早く戻ってきなさいよ……」

 誰にも聞こえないほど小さな声で、ルイズは視線の先にいるであろう使い魔の青年に呼び掛けた。当然、答えが返ってくるわけはない。

――必ず戻って来る。でも、もしかしたら……

 矛盾した二つの考えが浮かび、ルイズは葛藤する。ラ・ロシェールを出た時、カインを信じ切っていたタバサに負けぬようにと、カインを信じようと決意したつもりだった。しかし、いざこうした事態になると、どうしても不安になってしまう。こんな風にオロオロしてしまう自分が、どうにも情けなく思え、ルイズは落ち込む。

「……ズ。ルイズ!」

「――っ!?」

 呼ばれていることに気づき、振り返ると、キュルケとタバサがこちらを見ていた。タバサは無表情だが、キュルケはどこか心配そうな表情である。

「な、なによ……?」

「“なによ……?”じゃないわよ。ボーっとしちゃって……」

「……うるさいわね」

 ルイズは誤魔化すように顔を逸らす。キュルケも、ルイズの気持ちはわかっているので、からかうような事は言わなかった。肩を竦めながら、溜め息を吐き、ふとタバサの方を見ると、彼女はルイズでも本でもなく、若干斜め上を向いて何かを見ていた。

 その様子に、キュルケは首を傾げる。

「タバサ? 何を見てるの?」

「あれ」

 タバサは自前の長い杖で、方向を示す。そちらに視線を向けると、確かに何かが飛んでいるのが見えた。
 いや正確には、何かがこちらに飛んで来ているのが見えた。次第に、姿がハッキリしてくると、その正体もわかってくる。

 キュルケは、嬉々として叫んだ――。

「――あれはレフィアよ! ダーリンが戻って来たんだわ!」

「――えっ!!」

 その声に、ルイズが顔を上げ、キュルケが見ている方向に目を向ける。すると、確かにレフィアがこちらに向かって飛んで来ているのが見えた。

 喜びと安堵に、表情を明るくしたルイズだったが、喜びも束の間――大分近づいているレフィアの背には、待ち望んでいた青年の姿がない。

――ルイズの顔から、さっと血の気が引いた。

(……まさか……)

 最悪の事態を思い、身体が震え始める。キュルケやタバサも、カインがいない事に気付いたのか、表情が暗くなっていた。

――そうしている内に、レフィアがルイズ達の前に降り立つ。

 ルイズは、真っ先にレフィアに駆け寄った。

「――レフィアッ! カインはっ、カインはどうしたのッ?!」

「――きゅきゅッ!?」

 走り寄って来たルイズの剣幕に、レフィアが驚いたように仰け反る。それを見て、キュルケがルイズを嗜めた。

「ちょっと、ルイズっ。そんな風に詰め寄ったらダメよ! その子も驚いてるじゃない」

 キュルケに諭され、ルイズは渋々引き下がる。レフィアもホッとした様に息を吐くと、手に持っていた物をルイズに差し出す。

「これは……カインがしてた籠手じゃないっ!――って、あら? 何かしら、この紙?」

 受け取ったルイズは、最初こそ驚いたが、籠手に括り付けられた紙に気付くと、取り出して開いてみた。肩越しにキュルケとタバサも手紙を覗き見る。

「手紙、みたいね? ダーリンから?」

「え、ええ……」

 最初、カインが無事な事に安心していたルイズ達だったが、読み進めていく内に次第にその顔が驚きに変わってゆく……。


「――はああっ?! あの空賊が、王と――もがッ!?」

 叫ぼうとしたルイズの口に、タバサが自分の杖の先を押し込んだ。彼女は、首を横に振る。

「大声はダメ」

「――っ!」

 タバサが言わんとすることを理解したルイズは、ハッとした表情になってコクコクと頷く。
 それを確認すると、タバサも杖を引き抜き、その先をハンカチで拭う。

――手紙には以下のように書かれていた。

『ルイズ。最初に書いておくが、俺は無事だ。そして、驚くだろうが、あの空賊だと思っていた連中、実は変装したアルビオン王党派だったことがわかった。だがおかげで、ウェールズ皇太子に接触できた。俺はこのまま彼らと共に、ニューカッスルに向かう。この手紙を読んだら、お前達もすぐにこちらに来てくれ。そこまではレフィアが案内してくれる』

 手紙を読み終わると、ルイズはレフィアに顔を向ける。

「レフィア。本当に、あなたがカインの所まで連れて行ってくれるの?」

「きゅうっ!」

 ルイズに尋ねられて、レフィアはしっかりと頷く。それを受けて、ルイズはキュルケとタバサに振り返る。二人も頷いた。

「ワルドにも話してくるわ」

「え~、別に良いんじゃない? ここに置いてっても」

「そんなわけにいくはずないでしょうっ!」

 適当なことを言うキュルケに怒鳴ると、ルイズはワルドに知らせに走って行った。それを眺めながら、キュルケは肩を竦める。

「やれやれ……。あんな冷たい男のどこがいいのかしら?」

「……」

 キュルケが横を見ると、タバサは既に「我関せず」と言った様子で本を読んでいた。

――ちなみに、ギーシュの事が完全に忘れ去られていたのは、ご愛嬌だろうか?




――ルイズ達は、レフィアの案内でアルビオン大陸の裏側、濃い霧の中を進んだ。

 レフィアにはルイズとギーシュ、シルフィードにはタバサとキュルケ、そしてグリフォンにワルドがそれぞれ騎乗し、雲の中の障害物を縫うように飛行していく。
 ここまで衝突はゼロ――韻竜は、精霊の声を聞き取れるほど言語感覚に優れた古代の竜である。レフィアはその能力をフル活用しているからこそ、この霧の中でも障害物を避けて飛ぶことができるのだ。

「凄いわね、レフィア。この霧の中で、全然ぶつからずに飛べるなんて……」

「……」

 レフィアが韻竜であることを知らないキュルケは感嘆の声をあげるが、正体を知っているタバサは無反応だ。

――しかし、キュルケの言葉に反応した者がいた。

「きゅいきゅいッ!」

 声を上げたのは、もう一頭の韻竜であるシルフィードだ。まるで、「それくらい私だって!」と言わんばかりの鳴き声に、キュルケは最初きょとんとしたが、すぐに吹き出すように笑い出す。

「あっはははっ! シルフィードったら、レフィアに嫉妬してるわ!」

 腹を抱えんばかりに可笑しそうに笑うキュルケ。それに対しても、タバサは無反応。シルフィードは頬を膨らませると、速度を上げてレフィアを追い越そうとする。が――

――ポコッ!

「――きゅいっ!?」

 タバサに杖で叩かれた。彼女は本から顔を上げることなく、静かに釘を刺す。

「ちゃんとついて行って」

「きゅ~い……」

 主人のお叱りを受けて、シルフィードは渋々元の速度に戻した。キュルケはそんな一人と一匹の様子を見ながら、これまた面白そうに笑うのだった。


――一方レフィアは、後ろでのやり取りなど目もくれず、精霊の誘導とカインの居場所を感じる事に集中していた。

 終着点を感じ取り、そこまで精霊に導いてもらいながら飛ぶのは、レフィアにとって、かなり神経を使う作業だ。しかも、背中にはルイズ達が乗っているのだから、なおさら慎重且つ正確な飛行を心がけなければならない。

――耳を澄まし、精霊の声の導きに従う。

(……もう少し、右)

 微妙に進路を修正する。カインが待つ場所まで、あと少しであった。

――しかし、それがわかるはずもないルイズは、レフィアに声をかけてしまう。

「ねえレフィア。まだ着かないの?」

「……」

――レフィアは何も答えない。否、それどころではないので答えられないのだ。

 先程も言ったが、精霊の声を聞きながらカインの居場所を探るのは大変神経を使う。そんな時に、背中から声をかけられても、答えている余裕はない。
 しかし、これまた、そんなことなど知る訳がないルイズは、焦れたように再び声を掛け、背中まで叩いてくる。

「ちょっとレフィア! 聞いてるのっ!? 何とか言いなさい!!」

(――ああん、もうっ! うるさい、桃色の人!! 静かにしててくんなきゃ、精霊の声が聞こえないじゃないのッ!!)

 と、声に出して文句を言いたいところだが、喋れることがばれて、自分が韻竜だと知られては面倒だ。父と母から教えられたことを順守しているレフィアは、苛立ちを押さえながら作業に集中する。

――そこに、救いの女神が現れた。

「――ちょっとルイズ! タバサがレフィアに話しかけるなって~!」

 少し追い付いて来たシルフィードの背中で、キュルケが声を張り上げた。ルイズは、その声に不服の言葉を返す。

「――はあ? なんでよ?!」

「――わからないの!? いいこと!? この濃い霧の中で障害物を避けながら飛ぶのが、レフィアにとってどれだけ気を使うことなのかをよく考えてみなさいッ!!」

「――あっ!」

 言われて自分の配慮の無さに気付き、ルイズはレフィアに謝罪する。

「……ごめんなさい、レフィア」

「きゅきゅう♪」(わかってくれればいいの♪ でも、もうしばらく黙っててね)

 聞こえないと知りつつも、内心で釘をさし、レフィアは再び集中を始める。ルイズもそれ以降騒ぐことはなく、大人しく到着を待った。


 そうして、しばらく飛んでいくと、大陸の裏に穴があいた場所に辿りついた。
 レフィアがその穴に向かって上昇していく。それを見たタバサとワルドも、シルフィードとグリフォンで後を追う。

――中に入り、眩い光に晒されたかと思えば、先程の黒塗りの船が停泊している場所に出た。

 そこは、白色の光を放つ発光性のコケに覆われた巨大鍾乳洞の中に造られた秘密の港だった。

「きゅう~♪」

 嬉しそうな声を上げながら、レフィアは鍾乳洞の岸壁に向かって飛んでいく。
 その先には、一人の青年が立っていた。その姿を確認したルイズ達の顔が晴れ上がる。

「――カイーン!」

 ルイズが叫びながら手を振ると、カインも手を上げて応える。

――二頭の竜と一頭のグリフォンが降り立ち、ルイズ達もそれぞれその背中から降りる。身軽になったレフィアは、カインの元に顔を寄せた。

「レフィア。ご苦労だったな」

「きゅう♪」

 カインが頭を撫で、労いの言葉を掛けると、レフィアは嬉しそうに鳴く。

――が、そこにルイズの怒号が落ちてきた。

「――ご苦労だったな、じゃないわよっ!! ご主人様に心配かけるなんて、どういうつもりっ!? 大体あんたは使い魔の癖に私の言うことなんて聞きもしないで勝手なことばかり――」

 心配していた分の裏返しか、ルイズはカインを責めるようなことを捲くし立てる。本当に言いたいのは、そんな事ではなかったのだが、根付いた天の邪鬼気質が、素直に心配していたことを口から出るのを妨害し、こんな調子になってしまう。

 カインを初め、キュルケ達もそんなルイズにやれやれと肩を竦める。

「――はははっ! トリステインからの大使殿は、随分と元気な方のようだな」

――ルイズがぎゃあぎゃあ喚き立てているところへ、良く通る青年の笑い声が響く。

 その声に振り返ると、皇太子の正装に着替えたウェールズがこちらに歩いて来ていた。ルイズも、彼がウェールズ皇太子であることに気づき、慌てて礼を取る。

「――た、大変お見苦しいところをお見せ致しました! こほんっ……お初にお目にかかります。わたくしは、トリステイン貴族ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに御座います」

 仰々しく名を名乗り、頭を下げるルイズに対し、ウェールズは優しげな笑みを浮かべた。そして、王族らしく姿勢を正す。

「名乗らせておいて、こちらが名乗らないのは無礼だな。私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……と言っても、既にそこの『イーグル』号しか存在しないから、艦隊とも呼べないがね。それよりこちらの方が通りもいいだろう。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 ウェールズが名乗ると、キュルケ達も王族への礼を取って頭を下げる。その中からワルドが一歩進み出て、ウェールズの前に跪いた。

「トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊長、ワルド子爵に御座います。我らは、アンリエッタ姫殿下より密書を言付かって参りました」

「ああ、彼から大体の事情は聞いている。遠路遙々、よく来てくれた。さあ、こんなところではゆっくり話も出来ない。城の方に案内しよう。ついて来てくれたまえ」

 ウェールズに促され、ルイズ達は港と城を繋ぐ階段に歩いて行く。


――ようやく、目的の人物との接触を果たし、ルイズ達は任務達成に向けて、大きく前進したのだった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:51
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十話







――トリステイン王女アンリエッタより、滅亡寸前のアルビオン王党派の中心人物ウェールズ・テューダー皇太子に密書を届ける依頼を受けたルイズ達は、アルビオンへ向かう途中の船で、空賊に襲われるというハプニングに遭遇してしまう。しかし、カインの活躍により、なんとかその難を逃れることができた。

 一方、空賊の足止めをしていたカインは、偶然にもその空賊がアルビオン王党派の変装である事を知る。そして、ルイズ達を秘密の港に呼び寄せることで、当初貴族派の陣中を突破するはずだった一行は、危険を冒すことなく、王党派への接触に成功するのだった……。


 その後、大使として受け入れられた一行は、ウェールズの案内でニューカッスルの城に招かれ――今、ルイズとカイン、ワルドの三人は、城の一室でウェールズと向き合っている。

「お茶の一杯も出せない無礼を許してほしい。何せ、我ら王党派は貧乏なものでね」

「いいえっ! 滅相もありませんわ! どうぞ、お構いなく」

 自嘲ぎみの苦笑いを浮かべるウェールズに、ルイズは慌ててフォローを入れる。

「ありがとう、ラ・ヴァリエール嬢。して、密書とやらは?」

 人懐こい笑みを浮かべながらウェールズが尋ねると、ルイズは胸のポケットからアンリエッタの手紙を取り出し、彼に差し出し目を伏せる。

「こちらに御座います。ウェールズ殿下」

 ルイズから手紙を受け取ると、ウェールズは愛しげにそれを見つめ、花押に接吻する。慎重に封を開き、中の便箋を取り出し、読み始めた。

――しばし、真剣に手紙に目を通していたが、ふと顔を上げる。

「姫は結婚するのか? あの愛らしいアンリエッタが……。私の可愛い……従妹は……」

 そう尋ねられ、ルイズは目を伏せて頷く。それを見たウェールズは、一瞬寂しげな表情を浮かべたが、再び手紙に目を戻し、続きを読む。

――そして、最後の一行まで読み終えると、手紙を閉じ、微笑みと共に頷いた。

「了解した。姫は私に手紙を返してほしいと告げている。何より大切な、姫より貰った手紙だが、姫の望みは私の望みだ」

 ウェールズは、机の引出しから小箱を取り出し、首に掛けていた鍵でそれを開いた。

「宝箱でね……」

 ルイズがその箱を覗き込んでいることに気付くと、ウェールズは、はにかみながら言った。そして、箱から取り出した一通の手紙を優しげに見つめ、愛しげに口づけをした後、手紙を開いて読み返し始める。

――既に、何度も読み返したのだろう。便箋の端々は痛み、すでにボロボロの状態だった。そこからは、彼のその手紙へ……いや、アンリエッタへの想いが窺える。


 ウェールズは古い手紙を読み終えると、それをそっと畳み直し、封筒に戻してルイズに手渡す。

「これが、姫から頂いた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、ルイズはその手紙を受け取る。そして、ウェールズは先程までの笑みを消し、真剣な表情を浮かべた。

「明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号がここを出港する。君達も、それに乗ってトリステインに帰りなさい」

「あの、殿下……」

 ルイズは、しばし受け取った手紙を見つめていたが、意を決したように口を開いた。

「……先程耳にしたのですが、本当にもう王軍に勝ち目はないのですか?」

――ウェールズ達王党派は、明日貴族派との最終決戦に挑む。

 栄光ある敗北――自らの貴族の矜持を貫く為、せめて勇敢な死に様を見せると……。ウェールズの侍従を務める老貴族は、そう誇らしげに語っていた。

「無いよ。我が軍三百に対して、敵軍は五万。万に一つの勝機もありはしない。もはや我々に出来る事は、せめて一人でも多くの敵を道連れにして、勇敢な死に様を連中に見せることだけさ」

 やはり、ウェールズの口からも同じ言葉が出てきた。それでも、ルイズの問い掛けは続く――。

「殿下の討ち死にも……その中に含まれているのでしょうか……?」

「もちろんだ。私は、アルビオン王族最後の一人として、真っ先に死ぬつもりだよ」

 笑みを浮かべ、そう言い切るウェールズに迷いはない。ルイズもそれを感じてか、悲しげに顔を伏せる。カインも、二人のやり取りを見ていて、やりきれない思いを抱く。

――彼らが『誇り』の為に、アルビオン王族に殉じようという気持ちは分かる。自分も、祖国に忠誠を誓った竜騎士だ。自らの誇りの為に命を投げ出さんとする姿勢には共感が持てる。

 だが、カインは知っている。――一人の人間の『死』というものが、どれほどの悲しみと憎しみを生むかということを……。

「殿下。畏れながら、失礼を承知で、申し上げたいことがございます」

 顔を伏せていたルイズが、顔を上げ、真っ直ぐにウェールズを見つめる。その真剣な眼差しに、ウェールズも表情を引き締めた。

「申してみよ」

「姫様は……アンリエッタ様は、密書の中で、殿下に亡命をお勧めになったのではありませんか?」

「……いいや。そんなことは書かれていないよ」

「そんなはずはありません! 私は幼少の頃、恐れ多くも姫様の遊び相手を務めさせて頂いたことがございます。ですから、姫様のことはよく存じております。私の知っている姫様が、愛する人を見捨てるはずがありません! どうか、仰ってくださいな! アンリエッタ様は、手紙の末尾で、殿下の亡命をお勧めになったはずですわ!!」

 ルイズは必死に食い下がった。――しかし、ウェールズの答えは変わらない。

「もう一度言う。手紙には、そのような文句は一行たりとも書かれていない。私は王族だ。嘘は言わぬ。そして、アンリエッタも同じく王族であり、王女だ。自分の我が儘を、国の大事に優先させるわけがない」

――嘘だ。

 例えアンリエッタを知らない者でも、ウェールズの今の表情を見れば、彼が嘘をついていることが分かるだろう。現にカインにはわかった。何故なら、彼が苦しげな顔をしていたからだ。表面上は、王族として威厳のある表情に見える。しかし、その瞳の奥には、愛する人の望みを叶えられないことへの悲しみを湛えているのがわかってしまう。

 彼は恐らく、アルビオン王族として――そしてアンリエッタを愛する男として、自らの願いを、国の都合に優先させてしまったアンリエッタを庇おうとしているのだろう。

 ウェールズの意志は途方もなく固い。ルイズもそれを察したのか、もはや何も言えず、目に涙を湛えながら俯いた。ウェールズは震えるルイズの肩に手を置き、微笑みかける。

「ありがとう、ラ・ヴァリエール嬢。君は本当に、正直で、真っ直ぐな人だ。アンリエッタが君を信頼するのも頷ける。だが、忠告しよう。そのように正直では、大使は務まらぬ。手紙……、しかとアンリエッタに返してやっておくれ」

 ウェールズはそう囁くと、カイン達の方に振り向いた。

「そろそろ、パーティの時間だ。君達は僕たちが迎える最後の客人だ。是非とも参加してくれたまえ」

「……そうさせて頂こう」

 カインは俯いているルイズを促し、ウェールズの居室を後にしようとする。

――しかし、何故かワルドは動こうとしない。

 怪訝に思い視線を向けていると、ワルドがこちらを向き、口を開いた。

「僕は少しウェールズ殿下に話があるので、先に行っていてくれ」

「……ああ」

 ワルドの態度を多少不審に思いながらも、ルイズをこのままここにいさせるわけにもいかず、カインはルイズを連れて退室した。




 その夜――ニューカッスルの城のホールでは、盛大な宴が催された。

 贅を尽した料理がテーブルに所狭しと並び、上質の酒が振る舞われ、これでもかと言う程に着飾ったアルビオン貴族達が、ダンスに興じている。
 彼らの顔には、悲壮感など欠片もありはしない。ただ、最後の晩餐を心から楽しんでいる。

――それが、客分として参加しているルイズ達の悲しみを煽る結果になっていた。

 ルイズは雰囲気に耐えきれず、既にホールを後にした。ワルドもそれを追って退場している。キュルケやタバサ、ギーシュでさえ、酒にも料理にもほとんど手を付けていない。キュルケは、アルビオン貴族にダンスを申し込まれても、やんわりと断り続けているし、タバサはキュルケの隣で本を読み続け、宴の方にはほとんど目を向けていない。
 いつもなら、真っ先に婦女子に言い寄るはずのギーシュでさえ、ワインをちびちびと煽りながら隅の方でじっとしているだけだ。

――そんな中、カインはホールの片隅で壁に背を預けながら、一人宴の様子を見つめていた。

 元々、騒がしい席を好まない質に加えて、この宴に込められた意味を考えると、もはや微塵たりとも楽しむ気にはなれない。ただ、無表情にそこに立っているだけだ。

 そこへ、他の貴族達と歓談していたウェールズがやってきた。

「やあ、騎士殿。こんなところでどうされた?」

「……パーティという奴は、どうにも苦手でな」

「ははははっ! なるほど! あ、そうそう。さっき聞いたのだが、君はラ・ヴァリエール嬢の使い魔だそうだな。いや、人を使い魔にするなど、聞いたことがなくてね。いやはや、トリステインは変わった国だな」

「……俺はあの国の人間ではないからよくは知らんが、トリステインでも珍しい事らしいぞ」

 楽しげに笑いながら話し掛けてくるウェールズに対して、終始感情の起伏の少ない声でカインは答えていく。その様子から、彼の心中を察したのか、ウェールズも一息吐くと、カインに倣って壁に背を預けて、先程まで自分がいた場所を眺める。そして、ワインを一口煽ると、静かに語り始めた……。

「……生き延びる者も、明日散る者も、等しく今宵のパーティが、アルビオン貴族でいられる最後の場となろう。明日、『イーグル』号に非戦闘員を可能な限りの詰め込み、アルビオンを脱出させる。本当なら、空賊として拿捕するはずだったあの商船も使えればよかったのだが、それは叶わなかったからな。――おおっと! 別に君を責めている訳ではないよ?」

「わかっている。俺も詫びる気はない」

 ウェールズは軽く笑いながら「そうか」と呟くと、手にしていたワインを再び煽った。

「……貴族派は、ハルケギニアの統一と『聖地』の奪還という理想を掲げている。それに魅せられた貴族達は、古いしきたりを重んじる我らアルビオン王家を離れ、貴族派の勢力に加わっていった。別にそれを責める気はないし、理想を掲げることにも文句はない。だが……、その理想の為に、民を苦しめてよい道理はない……!」

 僅かな憤りを見せるウェールズ。彼は壁から離れ、カインに背を向けた状態で語り続ける。

「……我々はここに残り、明日、貴族派との最後の戦いに赴く。決して勝てはしないだろう。しかし、我らは勇気を示さねばならない。例え、命を落そうとも、せめて勇気と名誉の片鱗を奴らに見せつけ、ハルケギニアの王家が弱敵ではないことを示さねばならぬ」

「――愛する者を、悲しませることになろうとも……か?」

「――っ!」

 カインにそう尋ねられた瞬間、ウェールズの顔が強張る。しかし、彼は僅かな沈黙の後、笑みを浮かべながら振り返る。――その笑みは、確かな哀愁の色が浮かんでいた。

「……愛するが故に、さ……。僕の存在は、徒に混乱をもたらすだけだ。亡命などしようものなら、貴族派にトリステインを攻め入る口実を与えてしまう」

「だが、これまでの貴族派の評判を考えると、口実などなくとも平然と攻め込んで来るのではないか?」

 ウェールズはその言葉に笑みを崩し、初めて、どこか物憂げな表情を見せる。

「確かにね……。だが例えそうだとしても、彼女の周囲の者達が黙っていない。トリステイン貴族達は、私情を優先し、国家を危機に晒そうとしたアンリエッタを激しく非難するだろう。……僕の所為で、彼女がいらぬ責めを受けるなど、とても堪えられない……」

「……」

――ウェールズの意志は固い。例え、どれほどの言葉を尽くしても、彼の意志は曲がらないだろう。最初からわかっていたことだ。だから、今のは“説得”ではなく、“確認”――彼の意志の強さを確かめただけ……。

 カインは静かに息を吐くと、ウェールズに背を向ける。

「……そうか。……ならば、好きにするがいい。だが、これだけは言っておく」

「……?」

「……その選択が、彼女を最も苦しめることになる」

 それだけを言い残し、カインはウェールズの傍から、そしてパーティ会場から立ち去った。後に残ったのは、パーティを楽しむ貴族達の喧騒と、自らを嘲るような笑みを浮かべるウェールズの姿だった……。



 パーティ会場を後にしたカインは、自分達に宛がわれた部屋に向かおうとした。

――だが、通路に出たところで背後に気配を感じ、振り返る。すると、ワルドがこちらに歩み寄って来ていた。

「……何か用か?」

「君に言っておかねばならぬことがあってね」

「なんだ?」

 突然何を言い出すのか、と怪訝に思っていると、ワルドから信じられない言葉が飛び出した――。

「――明日、僕はルイズと結婚式を行う」

「なんだと?」

 カインは驚く前に、目の前に立つこの男の神経を疑った。明日は戦場となるこの場所で結婚式を挙げようなど、あまりにも不謹慎である。

「……貴様、気は確かか? こんな時に、一体何を考えている? 結婚式など、トリステインに戻ってからにすればよかろう」

「是非とも、僕達の婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。皇太子も、快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる」

「……呆れた男だ」

 カインは侮蔑の態度を隠そうともせず、吐き捨てるように言い放つ。その言葉で、余裕のある表情だったワルドの顔に苛立ちの色が表れる。

「……何だと?」

 目つきを鋭くしてこちらを睨んでくるワルドに、カインも睨み返す。

「この非常時に、明日には戦場になる場所で結婚するなどと抜かした挙げ句、ウェールズ王子の手を煩わせようと言うその神経が理解できん、と言っているんだ」

「……ふっ、それは当然だ。君は貴族ではないのだから、貴族の考えなど、理解できるはずがあるまい」

 今度はワルドが、侮蔑がありありと込められた態度と口調で、言い返してきた。しかし、貴族かどうかなど気にした事もないカインには、侮辱にすらならない。

 程度の低い挑発だと、カインは鼻で笑う。

「ふん、そんな考えを理解する気はないし、したくもない。大体聞くが、ルイズはその話を承諾したのか?」

「無論だ。僕とルイズは元より、婚約者同士だ。ルイズが、僕との婚姻を拒むなどあり得ない」

「ほう……」

 自信にあふれた調子で肯定の言葉を述べるワルドを、カインは胡散臭そうに見つめる。

 先程のルイズの様子から考えても、そんな馬鹿げた話を承諾したというのはおかしい。自分の知るルイズという少女がそこまで愚かではないことを、カインは知っている。加えて、アルビオンに向かう船の上から、ずっとこのワルドという男の態度が気に入らなかった。

――今までの一連の言動を考えると、どうにも不審な気配を感じる。

「何なら、君も式に出席するかね?」

「……良かろう。そうさせてもらう」

 結婚式への誘いを受けると、カインは最後に射抜くような視線をワルドに向け、踵を返して歩き出し、その場を離れた……。



 ワルドと別れ、カインは部屋に向かって廊下を歩いていく。廊下には所々窓があり、そこからは双月の光が差し込んでいる。いつもならば、その双月の美しさを楽しむところだが、今はそんな気分にはなれなかった。

 いつも通りの双月から視線を外すと、今度は人影が目に入る。小柄な体に、桃色のロングヘアー――誰なのかはすぐにわかった。ルイズだ。

「…………」

――ルイズは、涙を湛えた瞳で双月を眺めていた。月の光に照らされた頬には涙の跡があり、目も赤い。表情も暗く、悲しげだった。ホールを飛び出してから、恐らくずっと泣き続けていたのだろう。その様はあまりにも儚く、小さい……。

 声をかけずに見守っていると、ルイズがこちらに振り向いた。

「……!」

 ルイズは、カインに気付くと目元を服の裾でゴシゴシと拭う。しかし、いくら拭っても涙は湧いてくる。次第にルイズは顔をくしゃりと歪め、抑えきれない涙を隠すようにカインの胸に飛び込んだ。カインは、何も言わずにルイズを抱きとめる。

 しばらくそうしていたことで、ルイズもいくらか落ち着きを取り戻したらしく、ぽつりぽつりと呟き始めた……。

「……どうして? どうして、ウェールズ皇太子は死を選ぶの……? 姫様が逃げてって……、自分を頼ってって言ってるのに……どうして聞き入れないの?」

「……大切なものを護るためだ」

「……何それ? 愛しい人より大切なものなんて、この世にあるって言うの?」

「……だからこそ、ウェールズ王子はそうするのだろう」

「……え?」

 ルイズが顔を上げると、カインは窓の外に目を向ける。

「……お前が言った様に、ウェールズ王子とて、愛する者が何より大切だという気持ちはある。しかし、彼は王族として、多くの臣下達の命を背負っている。私情で逃げ出すことはできない。だから、命を賭して戦う事で王族としての責務を果たし、そうすることでアンリエッタ姫をも守ろうとしているんだ。それが、彼なりの姫への想いなのだろうと、俺は思う……」

「……そんなの……勝手すぎるわよ……」

 声を震わせ、溢れ出た涙で頬を濡らしながら、ルイズは呟く。

「……早くトリステインに帰りたい。もう嫌よ、こんな国……。誰も彼も自分勝手で……他の人の気持ちなんて、これっぽっちも考えてない。貴族派の恥知らずな奴らも……あの王子様もそうよ……。残される人の気持ちなんて、どうでもいいんだわ……」

 小さく、悲しげにそう呟きながら、ルイズは溢れ出る涙を拭おうともせず、カインの胸に縋りつく。ルイズの言った事は事実であり、間違いでもある。だが、それはルイズも良く分かっているはずだ。だから、カインは何も言わない。ただ黙って、ルイズを抱きとめるだけ――それが、カインなりの慰め方だ。


 やがて、ルイズはカインからそっと離れた。相変わらず目は真っ赤だが、涙が枯れたのか、もう泣いてはいない。
 それを見て、カインも安堵の溜め息をついた。

――しかし、同時に嫌なことを思い出してしまう。

 今、それを聞くのは気が引けたが、もうそんなに時間はない。ここで聞くしかないと、カインは思い切って聞くことにした。

「ルイズ。聞きたい事がある」

「……ん? なに?」

「先程ワルドから聞いたのだが、明日ウェールズ王子の媒酌の下、奴とお前の結婚式を挙げるというのは本当か?」

「――はあ? 何よそれ!? 私そんなこと一言も聞いてないわよ?!」

「……」

 ルイズの慌てぶりからして、本当に何も聞かされていないようだ。カインの中で、ワルドへの不審感がどんどん大きくなっていく。

 一方、衝撃の告白を受けたルイズは、無言で考え込んでいるカインに、確認するように尋ねる。

「……ねえ、カイン。本当にワルドがそんなことを言ったの?」

「……ああ。確かにな。しかも奴は、お前が承諾したとまで言っていた」

「そんな! 確かに、ラ・ロシェールの宿で結婚を申し込まれたけど、その時は答えてないし、ワルドもプロポーズを取り下げたもの! 一体……どういうこと?」

 ルイズは訳がわからないといった表情で俯き、考え込んでしまう。しかし、いくら考えても答えなど見つかるはずがない。おかしな話だが、古い知り合いとはいったものの、長らく会うことがなかったワルドの事を、ルイズはほとんど何も知らないのだ。知っているのは、幼い時の記憶の中の優しいワルドのみ……。

 それと余りにもかけ離れた今回のワルドの行いに、ルイズは困惑してしまう。

 カインは、考え込むルイズの肩に手を置いた。それでルイズも顔を上げる。

「奴が何のつもりなのかはわからん。だが、奴の行動が不審なことは間違いない。ルイズ、この事は黙って知らぬふりをしておけ……」

「――えっ? どうしてよ!」

「下手に藪を突いて、蛇が出ては不味いからだ……。取りあえず、様子を窺おう。何も無ければ良いが、万が一の時は、俺が護る」

 ワルドの事など、ルイズ以上に知らないカインは、ただあの男が不審だということしか分からない。何が目的か不明である以上、迂闊な行動を取るのは危険なのだ。ルイズも最初はワルドの不審な行動と、元々持っていた彼に対する印象の間で揺れていたが、カインの『お前を護る』宣言を聞いて、最後には頬を染めながら頷いた。




 翌日――

 アルビオン貴族達が、最後の決戦に向けて準備を進め、非戦闘員達が『イーグル』号で脱出している頃、カインはニューカッスルの敷地内に建てられた礼拝堂にいた。その隣には、ウェールズが皇太子の礼服に身を包み、ハルケギニアの神たる始祖ブリミルを模った像の前に立っている。

――彼らは、ある二人が来るのを待っているのだ。

――ガチャッ……

 礼拝堂正面の扉が開き、彼らが待っていた二人――ルイズとワルドが現れた。ワルドは魔法衛士隊の正装、ルイズはいつもの黒のマントではなく、純白のマントを羽織り、頭にはウェールズから借り受けた新婦の冠を乗せている。

――これからここで、二人の結婚式が始まろうとしている。

 ゆっくりと歩いてきたワルドとルイズが、ウェールズの前で立ち止まった。

「――では、式を始める」

 ウェールズが厳かに宣言して、式が始まった――。彼はそのまま、婚姻の誓いの為の詔を読み上げていく。

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」

「誓います」

 ワルドは重々しく頷き、杖を握った左手を胸の前に置いて、迷うことなくそう告げた。それを見てウェールズは頷くと、今度はルイズに視線を向ける。

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵家三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして夫とすることを誓いますか」

「……」

 ルイズは答えない。彼女は詔を聞きながら、ずっと考えごとをしていた。

――朝、ワルドが部屋を訪ねて来て「これから結婚式をする」と告げられ、部屋を連れ出された。

 昨晩、カインが言っていた通りだ。お芝居は苦手なルイズだが、幸いワルドには、彼女がいきなりのことに驚いて戸惑っていると見えたらしい。
 それまで、心の隅で「何かの間違いではないか」という思いがあったルイズだが、今朝のワルドの行動で、カインの言っていたことが真実だと知ると、その思いも萎んでしまった。それに、ルイズ自身のワルドに対する想いのこともある。

 既に、ルイズの中で答えは出ていた――。

「――誓いません」

「――っ!?」

 一切の揺るぎなく言い切ったルイズの拒絶の言葉に、ワルドの顔に動揺が浮かぶ。

 ウェールズも、予想していなかったルイズの言葉に驚いたが、彼女の顔に迷いがない事を悟ると、再び表情を引き締める。

「……新婦は、この婚姻を望まぬのか?」

「はい。お二方には、大変失礼を致すことになりますが、それを承知で申し上げます。私は、この婚姻を望みません」

 一切の迷いも揺らぎもなく、ルイズはそう宣言した。今、ワルドとルイズの結婚は、花嫁の拒否によって破談となったのだ。
 ウェールズは、残念そうに眼を伏せ、ワルドに語り掛ける。

「子爵。誠に残念だが、花嫁はこの婚姻を望んでいないようだ。これ以上儀式を続けることはできぬ」

 気遣うように声をかけたウェールズだったが、視線を向けてすぐに、ワルドの異変に気付いた。まるで自分の言葉が届いていないかのように、目を見開いてルイズを見つめている。それだけならば良い。問題は、その“眼”だ。――不気味なほどに冷たく、そして濁っている。

 そんなワルドが、ルイズの手を取りながら、呟くように言う。

「……緊張しているんだ。そうだろルイズ? 君が、僕との結婚を拒むわけがない」

 強く握りしめられ、鈍い痛みが走る手に顔を歪ませながらも、ルイズは首を横に振る。

「……ごめんなさい、ワルド。確かに、幼いころは憧れていたわ。もしかしたら、恋をしていたのかも知れない。でも、今は違うのよ。こんな気持ちで、あなたと添い遂げることなんて出来ないわ」

 “思い出の中の憧れていた人”――それが、今のルイズにとってのワルドだ。そこに“愛情”はない。ルイズは誠意を持って謝罪し、ワルドに自分の気持ちを知ってもらおうと考えていた。

――しかし、当のワルドは呟くにようにルイズに語り掛け続ける。

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる。その為には君が必要なんだ!」

 突如態度を豹変させたワルドにも驚いたが、ルイズはその言葉の方が引っ掛かった。

「……“その為に”私が必要? じゃあ……まさか、あなたは、その為に私と結婚しようなんて言ったの?!」

「――っ!」

 ルイズの言葉に、ワルドは動揺し、一瞬言葉を詰まらせる。それがルイズの言っていることを肯定する何よりの証拠だった。

――ルイズはワルドの手を振り払い、彼から離れて睨みつける。

 何のことだかはわからないウェールズだったが、ワルドの様子がおかしい事はわかった。カインもルイズを背に庇う様に立塞がる。

「今、ハッキリわかったわ。あなたは私を愛してなんかない! あなたはただ、あなたが私にあると言った“魔法の才能”が欲しいだけじゃない!! 私を利用するつもりだっただけじゃない!! そんな結婚、絶対に嫌! 死んでもお断りよ!! そんな理由で結婚しようだなんて……こんな侮辱はないわッ!!」

 カインの背に隠れながら、ルイズは怒りと共に言い放った。対するワルドは、呆然とその場に立ち尽くしている。

 少しの間、そうして動かなかったが、ゆっくりと天を仰ぎ、再びルイズに目を向けた。何故か、その顔に優しい笑みを浮かべながら……。今までの様子から、一転してのその笑みが、さらにカイン達の警戒心を煽る。カインもルイズもウェールズも、ワルドを睨みつけながら、身構えていた。

「どうしてもダメかい? ルイズ。僕のルイズ」

 ワルドの声は優しげだったが、もはやその言葉も白々しいだけである。それがルイズの心を逆なでする結果となり、彼女は怒りと屈辱に震えながら叫んだ。

「当然よ! 誰があなたなんかと結婚するもんですか!」

 ハッキリと言い放ったルイズの拒絶の言葉を聞くと、ワルドは溜め息を吐きながら再び天を仰ぎ、呟き出した。

「……この旅で、君の気持ちを掴むために、随分努力したつもりだったが……。こうなっては仕方がない。目的の一つは諦めるとしよう」

「目的ですって?」

 何のことだ、と尋ねるようにルイズは疑問を漏らす。

――それを聞き取った瞬間、ワルドは口元を吊り上げ、禍々しい笑みを浮かべる。

 ワルドへの警戒心が、既に敵愾心に変わったカインは、ルイズとウェールズを庇いながら、両手に武器を構える。そんなカインの事など、目に入っていないかの様に、ワルドは語りだした。

「そうだ。僕には、この旅に於いて三つの目的があった。その内の一つはルイズ、君を手に入れることだ。だが、それはどうやら果たせないようだ」

「当たり前よ!!」

 ルイズが叫ぶと、ワルドはそれを鼻で笑いながら肩を竦める。そして、不快な笑みを浮かべたまま、今度はルイズを――いや、正確には“ルイズの胸のポケット”を指差した。

「目的の二つ目は、ルイズ、君のポケットに入っているアンリエッタの手紙だ」

 ルイズは思わず、自分の胸ポケットを手で押さえる。そこで、ルイズも目の前で笑っている男の本性に気が付いた――。

「――ワルド、あなた……まさか!」

「そして三つ目……それは――貴様の命だ。ウェールズ・テューダー!」

――瞬間、ワルドは杖を構えて飛び上る。しかし――

――ガキンッ!!

「――チッ!」

 鋭い金属性の衝突音の後、憎らしげに舌打ちをして、元いた場所に着地するワルド。それとほぼ同時に、カインも着地する。

――ワルドの動きに瞬時に反応したカインが、その攻撃を阻止したのだ。

「……ついに本性を現したな、ワルド」

 武器を構えながらカイン話しかけると同時に、ワルドの頬から一筋の血が垂れ落ちる。それを指で拭うと、ワルドは忌々しげにカインを睨みつけた。

 そこへ、その行動で疑惑が確信に変わったルイズが叫んだ。

「貴族派! あなた、アルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」

「……そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員さ」

 ワルドは冷たく感情のない声で即答した。

――ルイズは愕然とする。

 トリステイン王宮衛士隊の隊長という公職にありながら、ワルドはアルビオン王家転覆を目論む『レコン・キスタ』に寝返っていた。表面上で真面目で忠義に厚い貴族を装いながら、内心は自分を、アンリエッタを、トリステイン王国を裏切り、嘲笑っていたのだ。そう思うと、腹の底から止めどなく怒りが沸いてくる。

――悔しさと怒りで、ルイズはワルドを鋭く睨みつけた。

「なんということだ……! 『レコン・キスタ』はトリステインにまで手を伸ばしていたのか……っ!!」

 ルイズと同じく、ウェールズが怒りを露にした顔で、絞り出すようにそう言うと、ワルドは嘲笑うかの様な冷たい笑みを浮かべる。

「フッ……我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境などない。このアルビオンを始まりとして、ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「――貴様らの主義主張など、どうでもいい」

「……」

 カインがあっさりと切り捨てると、ワルドの顔から、先程までの嗤いが消える。

「……所詮は平民か。我らの崇高なる理想が理解できぬとはな」

「昨夜も言ったはずだ。“理解したくもないし、する気もない”とな」

 何を言ってもあっさりと言葉を返してくるカインを、ワルドは激しい憎しみと深い殺意を宿した瞳で、目の前の男を射貫くように睨みつける。

「……君とは、もう話すことはなさそうだ」

「奇遇だな。俺もそう思う」

――それで、二人の会話は打ち切られた。互いを見据え、その手に武器を構え、戦闘態勢を取る。

「「…………」」

 ルイズとウェールズも、二人から発せられる気迫に圧され、呼吸すら忘れるほどに緊張していた。強者同士の戦いは、空気からして違う。その場に居合わせた者にさえ、重圧を与える。

――そうして時間の感覚さえ忘れそうになった時、ルイズがある事に気付いた。

「……」

 良く見れば、ワルドの口元が微妙に動いている。そして、その口元が僅かに歪むのを見て、気が付いた。

「――カイン! ワルドは呪文を詠唱してるわッ!」

「――なに!?」

 カインが驚いた表情を見せると、ワルドは歪んだ笑みを浮かべる。

「――相棒、やばいぞ!!」

「――遅い!」

――気配に気付いたデルフリンガーが叫ぶのと同時に、ワルドは杖を振り下ろした。その瞬間、空気が震え、ワルドの頭上から稲妻が伸びて、カインを直撃する。

「ぐうっ!!」

「――カインッ!!」

 ルイズが悲鳴を上げるように叫びながら駆け寄ろうとしたが、ウェールズがその腕をつかみ止める。

「放してッ! 放してくださいッ! カインがッ!!」

「ダメだ、ミス・ヴァリエール! 動いてはいけない!」

――ワルドの狙いはルイズとウェールズ。今は、障害となっているカインを排除しようとしている。そこに飛び出して行っては、ワルドの思うつぼだ。

 ウェールズは暴れるルイズを抑えつけながら、カインに雷撃を放ち続けているワルドを睨みつける。やがて電撃が止むと、ワルドは勝ち誇ったように嗤い出す。

「ふっ、油断したな? ガンダールヴ。煩わしいのでね。しばらくそこで大人しくしていたまえ。ふっはっはっはっ!!」

「……クッ! 姑息な真似をッ――!!」

――ダッ!

「――な、なにっ?!」

 瞬間、それまで高らかに笑い声を上げていたワルドが、驚愕に目を見開いて固まった。

 ワルドが放ったのは、雷撃の魔法『ライトニング・クラウド』――受けた相手が誰であれ、死なないまでも、戦闘不能に陥る威力を誇る強力な『風』系統の魔法だ。それを、カインはまともに受けたはずだ。

 しかし、カインは倒れるどころか、ダメージすら感じさせない様子で驚くべき速度で間合いを詰める。

 その場にいた者、全員が唖然とする中、当のカインはそれこそ雷の如く飛び込んだ――。

――ザシュッ!

「――がはっ!!?」

「「――っ!?」」

――突然のワルドの叫び声にルイズとウェールズが我に返ると、カインが手に持った槍でワルドの胸を刺し貫いていた。

 その光景に、二人が驚愕に目を見開いていると、ワルドも我に返ったようで、血を吐きながら呻くように言葉を絞りだす。

「ぐっ、く……き、貴様……っ!? 何、故……!?」

「……」

 カインは答えない。ただ、冷たくワルドを一瞥すると、槍を引き抜き、とどめとばかりにデルフリンガーで斬り払う。

「――があぁッ!! ……お……のれ……、この……俺、が……こんな、ところ、で……」

 傷を押さえながら、よろよろと後退りしていたワルドだったが、負った傷は致命傷だった。最初の一撃は心臓を貫いていたし、最後の斬撃も深い。

――どっ……。

 やがて力尽きたように膝をつくと、ワルドはその場に倒れた。

――横たわったワルドを中心に血溜まりが広がっていく。そして、その眼から光が消え、完全に息絶えた……。

「……ふぅ……」

 カインは高ぶった闘争本能を排出するかのように大きく息を吐くと、肩から力を抜いてゆく。
 そこへ、ワルドの脅威が去った事で、ようやく緊張状態から解放されたルイズが、おずおずと声をかける。

「か、カイン……? あんた、どうしてワルドの魔法が……?」

「……効いていない訳ではない。大したダメージは負っていないがな」

 そう、カインは特別何かをした訳ではなく、単純に肉体の強靭さで堪えただけなのである。当然、全身が焼けるような痛みがあったし、痺れる感覚もちゃんとある。しかし、受けたカインの感覚では、ワルドの『ライトニング・クラウド』は、かつての仲間である召喚士リディアが放つ中級雷撃魔法『サンダラ』に僅かに及ばない程度の威力だった。

 その程度の魔法一発で戦闘不能に陥るほど、カインはヤワではない、ということらしい。

――ドォォォン!!

 ワルドを倒し、安堵したのも束の間――遠くから爆発音が聞こえ、僅かに地面も揺れる。次いで兵達の怒号が響き始め、全員がその方向に振り返った。

「――っ! どうやら、戦いが始まってしまったようだ! 君達も早く脱出したまえ!」

 そう言って、外に走りだそうとするウェールズを、ルイズは慌てて引き止める。

「――っ! ウェールズ様! やはり……やはり、行かれるのですか?」

「……」

 ルイズにとって、それは最後の未練だった……。何とか、思い止まってほしい。アンリエッタの為にも――。

 それを感じたのか、ウェールズは振り返り、ルイズの元に歩み寄る。そして優しく微笑み、その頬に手を添える。

「……ありがとう、ラ・ヴァリエール嬢。君には、随分辛い思いをさせてしまったね。すまなかった」

 そう言うと、ウェールズは自分の薬指から指輪を抜き取り、ルイズに手渡す。

――アルビオン王家に伝わる“風のルビー”だ。

 渡された指輪を見て、ルイズはウェールズの顔を見上げる。

「ウェールズ様、これは……」

「それを、アンリエッタに渡してくれ。頼んだよ、大使殿」

 それだけを言い残すと、ウェールズは今度こそ、外に飛び出していった……。


「……」

 ウェールズの姿が見えなくなると、ルイズはその手の中の指輪を見つめ、ぎゅっと握りしめる。カインがそっと肩に手を置くと、ルイズがゆっくり顔を上げた。

「……行こう」

「……」

 ルイズは無言で頷き、カインも頷き返し、二人は急いで礼拝堂を後にした――。




「~~~~~っ! んもう! ルイズ達はまだなのっ!?」

 戦いが始まり、戦火に飲み込まれかけているニューカッスルの地下――『イーグル』号が脱出し、空になった秘密の港で、キュルケが叫んだ。タバサは脇で本を読んでおり、ギーシュは響いてくる轟音に怯えてオロオロしている。

――彼女達は『イーグル』号には乗って脱出しなかった。船一隻に乗り込める人間には限りがある為、シルフィードがいるキュルケ達は、アルビオンの非戦闘員の脱出を優先して、『イーグル』号には乗らなかったのだ。

 しかし、乗りこそしなかったものの、彼らは船と一緒にここを脱出するつもりだったのだが、今朝になってカインから――

『野暮用が出来た。お前達は先に脱出してくれ』

――と言われた。

 しかし、それで「うん、わかった」と帰るキュルケ達ではない。「カイン達が来るのを待っている」と言って、港に残っていたのだ。(ギーシュは脱出したがっていたが、キュルケが迫力と炎で黙らせた)

 避難船と化した『イーグル』号を見送り、カイン達を待ち続けているキュルケ達だが、上から響いてくる轟音で戦いが始まったことを知ると、流石に慌てた。幸い、ここはその入口が巧妙に隠されているため、ここの存在を知らない貴族派がなだれ込んで来る可能性は低い。

 だが、今も城の方にいるルイズとカインは、既に敵と遭遇している可能性もあるのだ。ワルドやカインが付いているのだから、大丈夫だろうとは思うが、こう時間が経つとさすがのキュルケも落ち着いてはいられなかった。

「……いつまで待たせるのかしら? ダーリンやあの隊長さんがいるんだから、そう簡単にやられたりはしないはずだし……。レフィアがここにいるんだから、少なくともダーリンはこっちに来るはずだし……。ああんッ! もうっ!」

「…………」

 やきもきしながら、その場で行ったり来たりを繰り返すキュルケに対し、タバサは終始無言で本を読み続けている。それを見たキュルケが、眉を顰めながら声をかけた。

「ねえ、タバサ。あなたってこんな時でも、いつも通りねえ。ちょっとだけ、羨ましいわ」

「……私達が慌てても仕方がない」

「それは、そうだけど……」

 本から顔を上げようともせずに答えたタバサに対し、キュルケは眉を顰める。タバサが言った事は正論なので、反論のしようがないのだが、それでも納得できないのが人間というものだ。しかし、タバサにそれを言ったところで、また正論を返されるのがオチ……。

 長い付き合いで、その事をよく知っていたキュルケは、渋々タバサから離れようとした。その時だった――。

「――皆っ! 待たせたなっ!!」

「「「――っ!」」」

――待ちかねていたカイン達が到着した。キュルケ達は表情を明るくして出迎えたが、一人足りない事に気づき、首を傾げる。

「ねえ、ダーリン? あの隊長さんはどうしたの?」

「……」

 キュルケの問い掛けに、ルイズが暗い表情で俯く。それを見たキュルケは再び首を傾げ、カインに視線で尋ねたが、彼は首を振ってそれを制した。

「――説明は後だ。すぐにここを脱出するぞ!」

 脱出を急かすカインの様子に、時間がない事を悟ったキュルケが頷く。

 カインはルイズを連れてレフィアに、キュルケ達もシルフィードにそれぞれ乗り込み、ニューカッスルの城から脱出した――。



 霧に覆われた大陸裏から抜け出したカイン達は、揃ってアルビオンを振り返る。もうニューカッスルは見えないが、彼らはウェールズ達の最後の戦いを思い、見つめ続ける。


――トリステインへ向かう空の上で、ルイズは何度もアルビオンを振り返り、哀しげな表情を浮かべていた……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十一話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:54
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十一話







――アルビオン皇太子ウェールズ・テューダーから目的の手紙を受け取り、自らの意志に従って最後の戦場に向かって行った彼を見送ったルイズ達は、アルビオンを脱出……。

 ルイズ達は、その日のうちにアンリエッタに報告すべく、トリステイン王宮へ向かった。


 トリスタニアの街は、数日前からアルビオンの内戦の噂で持ち切りである。

――王宮は厳戒態勢が敷かれ、出入りする者は、身分を問わず、厳しく調べられるようになり、更に王宮の上空一帯は飛行禁止令が出されている。城のあちこちでも、魔法衛士隊のグリフォンやマンティコアが闊歩し、緊迫した雰囲気が広がっている状態だった。

――そんな所に、所属不明の竜が二頭降り立ってきたものだから、大騒ぎだ。あっという間に騒ぎは広まり、集まって来た衛士達に取り囲まれてしまう。

 取り囲んでいた衛士達と、キュルケが一悶着起こしそうになったが、運良く近くを通りかかったアンリエッタの取り成しで、事なきを得た……。



――そんな経緯を経て、ルイズ達はトリステイン王宮の一室――アンリエッタの私室に通された。例によって、キュルケ達は別室で待機である。


「姫様、こちらがご依頼の手紙にございます。それと……こちらはウェールズ皇太子様よりお預かりした品にございます……」

 ルイズが跪いて、手紙とウェールズから預かった“風のルビー”を恭しく差し出した。指輪を見せられた時、アンリエッタは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに微笑みを浮かべてそれらを受け取る。

「……ありがとう、ルイズ・フランソワーズ。やはり、あなたは一番のお友達だわ」

 そう言うアンリエッタは確かに微笑んではいたが、やはりどこか哀しげだ。

――無理もないだろう。アンリエッタは中庭での騒動の時に、“待ち人”がルイズ達と共にいない事に気付いていたのだから……。その時は、他の衛士達の手前、口に出すわけにはいかなかったので、何とか平静を装っていたに過ぎない。

 私室にルイズとカインしかいない今、装う必要のなくなったアンリエッタは、感情をそのまま表情に浮かべ、手紙と共に受け取った“風のルビー”を見つめながら呟く。

「……あの方は、やはり父王に殉じられたのですね」

「……姫様」

「……ねえ、ルイズ。ウェールズ様は、わたくしの手紙を最後まで読んで下さったのかしら?」

「は、はい……。確かに、最後までお目を通されておりました」

 それを聞くと、アンリエッタの目に涙が浮かべ、ぽつりと呟くように言う。

「……そう。ならば、あの方は……わたくしを、愛しておられなかったのね……」

「――それは違う」

「……?」

 自分の言葉を強い口調で否定してきたカインに、アンリエッタが涙を浮かべたまま顔を向けた。カインは一歩前に進み、アンリエッタを正面から見据える。

「彼も、苦しみ抜いた上で決断したのだ。己に出来る精一杯の決断を……、王族としての使命を果たし……あなたを護る為の決断を」

「わたくしを……?」

 カインは頷く。

「ウェールズ王子の亡命は、この国に混乱をもたらす。貴族派に嗅ぎつけられれば、奴らがトリステインへ侵攻する格好の口実となる。王子もそう言っていた」

「ウェールズ様が亡命しようとしまいと、攻めてくる時は攻めて寄せて来るでしょう。そうでなければ、沈黙を保つはず。個人の存在だけで戦は起こるものではありませんわ」

 アンリエッタの主張は、ニューカッスルにてカインがした、ウェールズへの問い掛けと同じだ。

「確かにな……。だが、それだけが理由ではない」

 その時のウェールズの言葉を思い出しながら、カインは首を振って否定する。

「仮にレコン・キスタとやらが沈黙を保っても、この国の貴族達はそうはいくまい。事が露見すれば、ウェールズ王子は無論の事……あなたも『厄介事を呼び込んだ』『私情を国の都合に優先させた』と非難されるだろう。王子は、自分の為にあなたをそんな目に合わせたくなかった。迷惑を掛けたくなかったのだ……」

 カインはウェールズの想いを代弁するように言った。――そして、それは確かに伝わった。

「あ、あぁぁ……ウェールズ様……。ごめんなさい……。あなたは……そんなにまで、わたくしを想ってくださっていたのに……わたくしは……う、うぅ……!」

 ウェールズの想いと苦悩を知ったアンリエッタは、遂に大粒の涙を流し始める。肩を震わせ、膝を着き、両手で顔を覆いながら……、ウェールズへの懺悔の言葉を呟く。

――自分の事しか考えていなかった……。なんて自分は愚かなのだろう……。

 アンリエッタは、ウェールズが自分を愛してくれていた事を知り、それを自分勝手な想いを押し付ける事で否定しようとしたのだと悟り、自分を深く恥じた。溢れ出た後悔が、涙となって零れ落ちていた……。

 その姿を見たルイズは、アンリエッタの傍に駆け寄り、その身体を強く抱きしめる。

「姫様……。申し訳ありません……! 私が、もっと強くウェールズ皇太子を説得していれば……!」

 自身も涙を流しながら、後悔の言葉を口にするルイズ。アンリエッタもルイズの背中に手を回し、そして静かにルイズを慰めるように優しく語りかける。

「……いいえ、ルイズ。あなたは、立派に役目を果たしてくれました。手紙がわたくしの手に戻った今、アルビオン貴族派に、我が国とゲルマニアの同盟を阻む手段はなくなりました。同盟は無事結ばれるでしょう。そうなれば、アルビオンも迂闊には攻め入ることはできないはずです。あなたのおかげで、我が国の危機は去ったのです。ルイズ・フランソワーズ」

「姫様……」

 アンリエッタが抱き締めていた手をそっと離し、涙を拭ってルイズを見つめた。そして、ルイズの手を握りながら、表情を暗くして俯く。

「……むしろ、謝らなければならないのは、わたくしの方……。あなたの身を案じてワルドを護衛に付けたつもりだったのに、逆にあなたを脅かしてしまったなんて……。ごめんなさい、ルイズ……」

――ここに来る前に、既にアンリエッタはワルドの裏切りを聞かされた。

 信じていた者に裏切られたことで、彼女は顔を蒼白にした。
 よかれと思ってしたことが、完全に裏目に出てしまったのだ。彼女のショックは大きかっただろう。

 自分に深く謝罪の言葉を述べるアンリエッタに、ルイズは首を横に振って、その言葉を強く否定する。

「いいえ! それこそ、姫様がお気になさることではありませんわ! 憎むべきは、貴族の誇りを忘れてトリステインを裏切ったワルドであり、レコン・キスタです! 私は、姫様が私如きの身を案じて下さったことを、心から嬉しく思っておりますわ」

「ルイズ……」

 運命に裏切られ続けてきたアンリエッタにとって、ルイズの言葉は何よりの救いだった。

 歓喜に瞳を潤ませながら、縋りつくようにルイズを抱きしめるアンリエッタ。それを抱きしめ返すルイズ。

――互いの悲しみを共有する二人は、互いを慰め合う様に抱きしめ合った。


 しばらくして感情が落ち着いた二人が、どちらからともなくそっと離れる。

――と、ルイズが思い出したようにポケットから指輪を取り出す。任務の前に、アンリエッタから手渡された“水のルビー”だ。

「……姫様。お預かりしていた“水のルビー”、お返しします」

 ルイズが差し出した指輪を見て、アンリエッタは微笑むと、ルイズの手をそっと押し返した。

「それは、あなたに差し上げます。せめてものお礼です」

「いけません! こんな高価な品を……」

「忠誠には、報いるところがなければなりません。いいから、とっておきなさいな」

 やんわりとした口調だったが、その言葉には、どこか有無を言わさないところがあった。それを感じたのか、何度も指輪とアンリエッタを交互に見つめていたルイズも、最後には恭しく一礼して、“水のルビー”を受け取ることにした。そして、自分の右手の指にそれを嵌める。

 ルイズは、自身の指に収まった水のルビーを見つめながら「これは、何よりも大切にしなければ」と心に強く誓う。

――それを見届けると、アンリエッタは、カインの方に歩み寄った。

「カインさん。あなたにも、お礼を言わせて下さい。逆臣ワルドの手から、わたくしの大切な人達を護ってくださり、本当に、ありがとうございました……」

 アンリエッタは、深々と頭を下げる。それを見て、ルイズも驚いたが、自分の身をカインが守ってくれたのは事実だったこともあって、口は挟まない。むしろ、カインが認められたことにどこか誇らしげだ。

 しかし、当のカインにしてみれば、それは誇る程のことではない。ワルドのやり口が気に入らなかった――結局は、その結果なのだから。

「頭を上げてくれ、アンリエッタ姫。礼には及ばん」

「いいえ。あなたがいなければウェールズ様も、そしてルイズも、あの裏切り者の手にかかり、わたくしは大切な人を二人も失ってしまうところでした。どれほど感謝しても足りません」

「……気の済むにしてくれ」

 その言葉に、カインは兜の下で困った顔をしていたが、懸命に頭を下げ続けるアンリエッタに、「仕方ないな」と内心肩を竦めながら、その礼を受け入れる。

 するとようやく、アンリエッタは顔を上げた。
 そして、二人に背を向けて窓の方に歩いて行くと、再び自らの指に嵌めた“風のルビー”を見つめて呟く。

「……あの人が、勇敢に戦い、死んでいくことで王族の責務を全うなされたならば……わたくしは、勇敢に生き抜く事で、王族の責務を全うしてみようと思います」

「姫様……!」

「……」

 振り返った時のアンリエッタの表情は、まだいくらか悲しみが残っていたが、どこか清々しさを感じさせる、さっぱりとした笑みだった。それを見て、ルイズは顔を明るくして――カインは無言で、それぞれ強く頷いた。





――報告を終え、ようやく任務を完了したカイン達一行は、魔法学院への帰路についた。

 途中キュルケが、任務の内容やら、手紙に何が書いてあったのか、などをカインやルイズから聞き出そうとしたが、二人とも喋ろうとしないので不貞腐れたが、それ以外は何事もなかった。

 レフィアの背に揺られながら、ルイズはアンリエッタのことを想う。
 最後に見せたアンリエッタの気丈な表情は、もしかしたら強がりだったのかも知れない。だが、少なくとも強がれるだけの気力はあったということ。

――ならば、自分の知るアンリエッタの強さを信じよう。そして、もし彼女がくじけそうになった時は、自分が彼女を支えようと強く心に誓う。

 そして……

(もし……私がくじけそうになった時は……)

 ルイズは、ワルドから自分とウェールズを守ってくれた自分の使い魔の雄々しい姿を思い出し、ポッと頬を染める。
 僅かに振り返り、後ろで自分を支えてくれている青年を見る。顔を隠すような作りの兜の所為で、口元以外の表情は窺えないが、その姿は大きく、頼もしく思えた。

――すると、ほのかに胸が高鳴る。

(――っ!? ち、ちがうわっ! ちがうもん……っ! 私は貴族だし、カインは私の使い魔で……平民だし……。そりゃ、強くて冷静で、ちょっとだけ……カッコ良いけど……。でも……)

 心に浮かんだ感情を自覚した瞬間、ルイズは戸惑い、心の中で誰にともなく言い訳する。声こそ出していないものの、表情はコロコロと変化している為、傍から見れば『一人百面相』である。幸いだったのは、ルイズが騎乗しているレフィアが先頭を飛んでいることで、キュルケ達がその奇行に気付いていないことであろう。


――一方、カインは……、心の中でウェールズの事を考えていた。

(……まさか、この世界でも“ああいう人間”に出会うとな……)

 誰かの為に、何かの為に、命を投げ出す人間――故郷に於いても、カインの周りには、そういう気質の人間が多かった。

――命を奪われた愛娘の仇討ちに命を懸けた老賢者
――ドワーフ達の命を救う為に巨大砲を粉砕したモンク僧
――自分達を敵の手から逃す為に自爆した飛空挺技師

 長らく記憶の底に沈んでいた感覚……。それが、ウェールズを思い出すと蘇ってくる。

(……どいつも……死に急ぎやがって……)

 ウェールズとは二、三、言葉を交わしただけの間柄なので、仲間とは言い難いが、それでも目の前で死に向かって行く様を見れば、そう毒づかずにはいられない。確かな悲しみを生むと知っていれば、尚更だ。今さら、どうしようもないことだとはわかっていても、カインは、歯がゆさを感じずにはいられなかった。


――それぞれの複雑な想いを胸に、ルイズ達は、自らの学び舎――トリステイン魔法学院に帰還した。






 それから三日後――トリステインを初めとする主要各国の情勢は大きく動いた。

――まず、トリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との婚姻が正式に発表されたこと……。

 式は一ヶ月後に行われるとのことだ。それに先立ち、ゲルマニアの首都ヴィンドボナで両国の軍事同盟が締結。締結式には、トリステインを代表して宰相マザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名した。

 そしてその翌日、両国に緊張が走る事態が発生する。長らく続いていたアルビオンの内乱が終結し、勝利した貴族派による新政府樹立が公布されたのだ。

――新たな国の名は『アルビオン帝国』。

 その初代皇帝を名乗る『クロムウェル』という男は、新政府樹立を宣言すると同時に、トリステインとゲルマニアに特使を派遣し、不可侵条約の締結を打診する。両国は協議の結果、この条約を受け入れることを決定――軍事同盟が締結されたと言っても、未だ軍備が整っていない両国にとって、アルビオンの申し出は願ったり叶ったりであった。


――そんな国家の思惑によって、ハルケギニアには一応だが平和が訪れていた……。


 ここトリステイン魔法学院もその恩恵を受け、多少の緊張感が漂いつつも何事もない日々が続いている。

 学生たちはいつも通り魔法の講義を受け、メイドやコック達はそれぞれの仕事をこなして日々を過ごす――カインもまた、そんな日々を過ごしていた。

 陽が昇る前に起床 → 修行 → 朝食 → 図書館で読書、または修行 → 夕食 → 寝る前の修行 → ルイズの部屋の前で就寝――カインはこの三日間、このスケジュールの繰り返しであった。

 そんな色気のない日々を過ごすカインが、ある日の昼過ぎ――久しぶりにコルベールの研究室を訪ねた。

――コンッ、コンッ。

「――誰だね?」

「コルベール、俺だ。カインだ」

「――おおっ、君か! 少し待ってくれ。……っと……お、おわぁぁぁっっ!!」

 室内からコルベールの慌てた調子の声が聞こえたと思ったら、「ドサササァーッ!」と凄い音が聞こえてくる。どうやら、積み上げた本なり資料なりが雪崩を起こしたらしい。

 そして……、中でゴソゴソという音が五分程続き、ようやくドアが開いた。

「い、いやぁ……。待たせてしまってすまない。どうぞ、入ってくれたまえ」

「あ、ああ……」

 ドアから顔を出したコルベールは、ハンカチで汗を拭いながらカインを招き入れた。覗いてみると、室内は埃っぽく、微妙に鼻を衝く異臭が漂っている。
 思わず顔を顰めるカインだが、意を決して中に踏み込んだ。

「いやぁ、汚い部屋で申し訳ない」

 禿げた頭を掻きながら、苦笑を浮かべるコルベールに、カインは同じく苦笑を浮かべながら肩を竦める。

「別に構わん。予測の範疇だ」

「はははは……」

 何とも言えない乾いた笑いのコルベールであったが、気を取り直したようにカインに椅子を勧め、座るのを確認してから、自分も椅子に腰掛ける。

「――おほんっ! それで、今日はどうしたんだね?」

「どうした、という訳でもないが……例の件の調査は進んでいるのかと思ってな」

「ん? 例の件と言うと?」

 その反応に内心「やれやれ」といった気分になり、溜め息を吐きたくなったが、とりあえず態度には出さず、カインはコルベールに答えた。

「……俺の帰還方法の調査の件だ」

「――あっ!」

 案の定、コルベールは忘れていたらしい。彼は「しまった!」という表情を見せる。

「どうやら……進んでいないようだな」

 溜め息を吐く様に言ったカインに対し、コルベールはすまなそうに俯き、頭を掻く。

「……申し訳ない。『責任を持って調査する』なんて豪語しておきながら……」

「気にするな、コルベール。気長にやってくれればいい」

「……本当に、すまない」

 深々と頭を下げたコルベールに対し、カインも苦笑を洩らす。そして、ふと脇に視線を移すと、奇妙な物が目に付いた。

 長い金属の筒に、同じく金属のパイプが伸び、それが鞴のような物に繋がっている。筒の頂上にはクランクらしき物も付いており、それが脇に立てられた車輪に繋がっている。車輪は扉のついた箱に、ギアを介して付いている。

(……何かの装置だろうか?)

――疑問に思ったカインは、コルベールに尋ねてみた。

「コルベール。それは一体何だ?」

 そう聞いた途端、俯いていたコルベールがばっと顔を上げた。そして、妙な物体を傍に寄せてきて、含み笑いを始める。

「――うふ、うふふふふ。よくぞ聞いてくれました! これは私が発明した、油と火の魔法を使って、動力を得る装置です!」

「あ、ああ……」

 先程までの神妙な顔はどこへやら……。瞳を輝かせて、気味が悪い程に嬉々とした表情で語るコルベールに、カインは思わず引いてしまう。

 が、そんなことは意に介さず、コルベールの解説は続く。

「先ず、この『ふいご』で油を気化させる。すると、この円筒の中に、気化した油が送り込まれる」

 解説と共に円筒を指差すと、コルベールは筒の横に開いた穴に、杖の先を差し込み、呪文を唱えた。
 断続的な発火音が聞こえ、その後、気化した油に引火したらしく、小さいながら爆発音が響く。すると、筒に取り付けられていたクランクが動きだし、車輪を回転させた。

「ほら! 見て御覧なさい! この金属の円筒の中では、気化した油が爆発する力で上下にピストンが動いておる! 動力はクランクに伝わり車輪を回す! ほら! するとヘビくんが! 顔を出してぴょこぴょこご挨拶! 面白いでしょう!」

「ふむ……」

 コルベールが言う通りに動いているカラクリを見て、カインは「なるほど」と頷く。それを見て、コルベールは興奮気味に語り出す。

「今はまだ愉快なヘビくんが顔を出すだけだが、例えばこの装置を荷車に載せて車輪を回転させると、馬がいなくても動く荷車が! 海に浮かぶ船の脇に大きな水車を付けて、この装置で回せば、帆のいらない船が出来上がる! 更に、もっともっと改良すれば、なんとこの装置は魔法がなくても動かすことが可能になるのだ! 今はこのように点火を『火』の魔法に頼っておるが、例えば火打石を利用して、断続的に点火する方法が見つかれば……」

 自分の発明に興味を持ってくれた事が嬉しいのか、コルベールは自らの発明を発展させる方法などを延々と語り続けた。

――一方カインは、コルベールの語りを聞き流しながら、コルベールの発明品を興味深そうに観察していた。そして、ふとある事に気付き、呟く。

「なるほど……。これ自体は玩具同然だが、これはエンジンの原形か……」

「えんじん?」

 語り続けていたコルベールも、カインの口から出た未知の単語に反応して、その単語を復唱した。

「ああ。俺の世界では、これを発展させた物で、“飛空艇”を飛ばしている」

――カインは、自分が分かる範囲で“飛空艇”について説明し、故郷バロン王国がその技術の先進国であること、そして知り合いの飛空艇技師のオヤジのことを語って聞かせる。

 コルベールはそれを聞き終えると、感動した様にうっとりと息を吐いた。

「おぉ……なんと素晴らしい。私が考え着いたこの装置の原理が、既にそこまで進んだ技術に昇華している世界があるなんて……! 興味深い……! いつか、私も行ってみたいものだ。特に、そのシドという人物とは、是非話がしてみたい」

 自分が見出した技術が発達した世界に想いを馳せるコルベールは、子供のように無邪気な笑顔だ。その顔を見て、カインは僅かに笑いながら、思っていたことを口にする。

「……この世界の魔法使いにしては変わってるな、あんたは」

「ん? はははっ! やはり、君をそう思うかね?」

 コルベールは苦笑し、困ったような表情を浮かべる。しかし、彼はそれをすぐに神妙な表情へと変えた。

「……私は、常々思っていたんだ。ハルケギニアの貴族達は、魔法をただの便利な道具程度にしか考えていない。何をするにも「魔法を使えばいいじゃないか」と言うばかりだ。私は、それは違うと思っている。魔法には無限の可能性が眠っている。だから、伝統に拘らず、様々な使い方を試すべきだと考えているのだ」

 コルベールが、先程の装置に手を置く。その表情は、確かな信念を感じさせる力強さがある。

「この装置も、その考えの元で考案した。私の系統は『火』――『火』が司るものは破壊……普通のメイジならば、大抵そう答える。だが、私はそれでは寂しいと考えた。『火』にだって、他の使い道がきっとあるはずだ。私は、そう信じているんだ」

 そう語るコルベールは、意欲に満ち溢れており、輝いている。

 カインは、随分昔に飛空艇について熱く語っていた男も、同じ様な顔をしていたことを思い出す。やはり、何かに情熱を持っている男は、どこか似るものなのかもしれない。

「なるほどな……」

「うむ。君と話をして、その信念はますます強くなった! ハルケギニアの理だけが、全ての理ではないのだな! ありがとう、カイン君! おかげで、意欲が湧いて来たよ! 君も何か困ったことがあったら、遠慮なく私に相談してくれたまえ。今度こそは、君が故郷に帰る為の方法も、ちゃんと調査しておく。この『炎蛇』のコルベール、いつでも君の力になるぞ」

「フッ、ではその時がきたら頼む」

 立ち上がり、ドアに向かおうと振り返るカイン。――だが、その目がまた別の物を捉えた。

「ん? コルベール、これはなんだ?」

 そう言ってカインが手に取ったのは、古ぼけた感じの紙の束だ。他の本や資料とは印象が違ったため、目に付いたのだ。

「おお、忘れていた! いや、それはだね。以前、城下町に買い物に出かけた時に商人から購入した“宝の地図”だよ」

 カインに問われて、コルベールがそれを見ると、思い出したようにポンと手を打つ。

「……“宝の地図”?」

 そう呼ばれた紙の束を、胡散臭そうに見つめるカインに、コルベールも苦笑を浮かべる。

「あははは……。君の言いたい事は大体わかるよ。無論、私とてそれを鵜呑みにしている訳ではない。恐らく、それは“ただの地図”を彼らがそう言って売っていただけの紛い物だ」

「そこまでわかっていたなら、何故買ったんだ?」

「うむ、私は先程のような研究の他に、そう言った歴史的な物にも興味があってね。フィールドワークとして、いわゆる“宝探し”に時々行くんだ。それは、その目的地を定める為に購入したのだよ。もしかしたら、本物があるかも――という、僅かな期待を込めてね」

 似合わないウインクなどして、おどけた様にそう言うコルベールだが、ふと何か思いついたような表情を見せると、カインに顔を向ける。

「そうだ! カイン君。良かったら、一緒に行かないかね?」

「宝探しに、か?」

「うむ! 学院にずっと籠りっきりでは、退屈だろう? 気分転換にちょうど良いと思うのだ。あ~……それに、だ。私としても、君に来てもらえると大変心強いのだが……」

「ふむ……」

 後半の本音は聞き流すとして……確かに、コルベールの言う事にも一理ある。

 つい三日前にアルビオンには行ったが、あの時は任務と言うこともあって、見物どころの騒ぎではなかったし、一連の騒動で気分が悪いところもあった。それに近頃、決まった修行ばかりでイマイチ張りがないと思ってもいた。この際、何も気にせず、ただの冒険をしてみるのも悪くない。

――だが、それを実行するには、一つの障害がある。

「悪くない提案だが、ルイズが何と言うか、だな。断りなく何日も留守にすると、後でうるさそうだ」

 カインが言った通り、障害とはルイズのことだ。

――忘れがちだが、ここでのカインの扱いは彼女の“使い魔”という事になっている。

 好き勝手に行動することは、原則禁じられてしまっているのだ。無論、強制的に連れてこられたカインにしてみれば知った事ではないが、一応は世話にもなっていることもあって、彼女の顔を潰すような不義理な真似は出来れば避けたかった。

 それを聞いたコルベールは、「確かに」と納得したように頷く。そして、顎に手を当てて少し考え込むと、再び顔を上げる。

「それならば、私がミス・ヴァリエールに“依頼”という形で取り成してみよう。それならば、彼女も納得してくれるかもしれない」

「まあ、そういうことならば、構わんが」

「よし! そうと決まれば『善は急げ』だ! 早速オールド・オスマンに休暇の申請を出しに行くとしよう」

 そう言うと、コルベールは愛用の杖を手に取り、カインと共に部屋を後にした。





――一方、その頃……

「私が……“巫女”の役に、ですか?」

――学院長室では、オスマンとルイズが向かい合っていた。

 ルイズが言った“巫女”というのは、トリステイン王室の伝統で、王族の結婚式の際、貴族の中から選ばれる詔を読み上げる役割を担う者のことである。ルイズが呼び出しを受けて伝えられたのは、彼女がその役に選出された、という内容だったのだ。

――オスマンの話では、アンリエッタとゲルマニア皇帝との結婚式の日取りが正式に決定したのに際して、その役を選出する時に、アンリエッタがルイズを指名したらしい。

 それを聞かされたルイズは、驚きの表情を浮かべて、オスマンに尋ねる。

「姫様が……私を?」

「うむ……」

 オスマンは重々しく頷くと、宮廷から届けられていた『始祖の祈祷書』を取り出して机の上に置く。

「巫女は式の前より、この『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩き、詔を考えねばならぬ」

「えええっ!? 詔を、私が考えるんですか!?」

 驚きの声を上げるルイズに、オスマンは溜め息を吐きながら頷く。

「そうじゃ。宮中の連中が、いくつか草案を推すじゃろうが……。伝統というのは面倒じゃのう。じゃがな、ミス・ヴァリエール。姫殿下がそなたを指名したのは、あの方の強い信頼の証に他ならん。これは、大変に名誉なことじゃ。王族の婚姻に立ち会い、詔を詠みあげるなぞ、一生に一度あるか無いかのことじゃしな」

 真剣な面持ちに変わったオスマンの言葉に、ルイズの顔から動揺が消える――。

 アンリエッタの信頼の証――この言葉が、ルイズを奮い立たせた。愛する者を亡くし、また愛してもいない男に嫁がなければならない悲しさを抱えているに違いないアンリエッタが、自分を頼ってくれているのだ。

――その信頼に応えるために、ルイズは毅然とした表情でオスマンに告げた。

「わかりました。巫女の役、謹んで拝命いたします」

 ルイズの色良い返事を聞いて、オスマンは朗らかな笑みを浮かべながら、「うむうむ」と頷く。

「快く引き受けてくれるか。よかったよかった。姫もお喜びになるじゃろうて」

 話が決まり、オスマンがルイズに『始祖の祈祷書』を手渡した。その時だった――。

――コンッ、コンッ。

「――む? 誰じゃね?」

「――オールド・オスマン。私です。コルベールです」

「なんじゃ君か……。鍵は掛かっておらん。入って来たまえ」

 扉の向こうから聞こえてきた声に、オスマンは溜め息を吐く様に来訪者を招き入れる。それを受けて、「失礼します」と一声かけて、コルベールが入室してきた。何故か、カインも一緒に――。

「あら? カイン。なんであんたがミスタ・コルベールと一緒にいるのよ?」

「――ああ、ミス・ヴァリエール。それについては、私が説明するから、少し待ってくれるかね?」

「え? は、はあ……」

 コルベールに遮られたルイズは、疑問符を浮かべつつ祈祷書を抱えて少し下がり、道を開ける。すると、コルベールが進み出てオスマンと向かい合う。

「で、何か用かね? コンドルフ君」

「――コルベールです! って、オールド・オスマン。わざとやってるでしょう!」

 コルベールの指摘に、オスマンは「ホッホッホッ♪」と白々しく笑う。それを見たコルベールが小さく「このクソジジイが……」と小さく呟いたのは、オフレコである……。

「んんっ! オールド・オスマン。今日は、休暇の申請に参りました」

 咳払いを一つして、気を取り直したコルベールがそう告げると、オスマンが水キセルを吹かしながら「ふむ……」と呟く。

「ふぃ~……。また例の“宝探し”かね? 相変わらず君は、見かけに寄らず、そういうのが好きじゃなぁ」

「“歴史探究”と言って頂きたいですな。古い遺跡などを調べることは、それだけでも確かな意義があり――」

「――あ~、よいよい。その講釈は前にも聴いたわい。良かろう、休暇を許可する。で、どの位休むつもりかね?」

 長くなりそうなコルベールの語りを、蠅を払う様に手を振って遮ると、オスマンは杖を振って書類にサインをしながら尋ねた。コルベールは、少し顎に手を当てて考え始める。

「そうですなぁ……。一週間もあれば、十分かと」

――ちなみに、ハルケギニアにおける「一週間」は八日間である。

「うむ。じゃあ、それで」

 適当な相づち一つで、あっさりと許可を出し、書類をコルベールに渡してしまうオスマンに、ルイズやカインは驚きと呆れ半々と言った表情を浮かべるが、コルベールは休暇申請が通ったことに満足げだった。

 そして、コルベールは、今度はルイズの方を向く。

「さて、ミス・ヴァリエール。先程の話なのだが……」

「はい」

 ようやく説明がもらえると、ルイズは安堵の表情を浮かべる。だが、次にコルベールから出た言葉に驚愕する事となった――。

「――カイン君を、一週間貸してもらえないだろうか?」

「え?……ええええっっ!!??」

 驚きの声を上げるルイズに続き、オスマンが髭を弄りながら真顔でとんでもない事を口にする。

「コルベール君……。いくら女にモテないからと言って、“そっち”に走るのはいかがなモノかのぅ?」

――瞬間、コルベールは笑顔で呪文を唱え、顔より一回り大きい火球を作り始めた。すると、オスマンは真剣な表情で頷く。

「――うむ。少し黙っていよう。話を続けてくれたまえ」

「ありがとうございます」

 冷や汗を流すオスマンに対し、コルベールはどこまでも朗らかに礼を言った。その時の彼は、二つ名『炎蛇』の名に相応しい迫力だった――。そんな恐ろしげな雰囲気を霧散させて、コルベールは再びルイズに向き直る。

「さて――呆けたジジイの戯言で、逸れてしまった話を戻しましょう。それで、どうだろう? ミス・ヴァリエール」

「え……? あ、あの……一体どういうことなのでしょうか……」

 若干怯えを残しながら、おずおずと尋ねるルイズに、コルベールは苦笑する。

「いや、実はだね。先程、カイン君と話していた時に、私の“歴史探究”の趣味についての話をしましてな? 私が「一緒に行かないか」と誘ったのです。それで、ミス・ヴァリエールが良いと言えば、ということになった訳ですよ」

「は、はあ……」

――そう言われ、ルイズは、少し迷う。

 元々、独占欲の強い彼女は、ここであっさりと自分の使い魔を貸し出すことに抵抗を感じていた。しかし、だからと言って自分も一緒に行くわけにはいかない。なにせ、先程、巫女の役を引き受けたばかりで、これから詔も考えなくてはならないのだ。“宝探し”など行っている暇はない。

 これで、カインを誘っているのがキュルケ辺りだったなら、ルイズは一も二もなく拒否しただろう。しかし、相手は男で、先生で、コルベールだ。先程のオスマンの戯言ではないが、“間違い”なんて起こるはずもない。何せ、コルベールが実はムッツリスケベだという事は、それなりに知られている。

――そこで、ルイズはカインの意思を問う事にした。

「ねえ、カインはどうしたいの?」

「うん? まあ、ここに居ても退屈だからな。気分転換にコルベールについて行くのも、悪くないと思っている」

「そう……」

 それを聞いて、ルイズは少し考え、顔を上げてコルベールの方を向く。

「わかりました、ミスタ・コルベール。一週間だけなら、カインをお貸ししますわ」

「おお! ありがとう、ミス・ヴァリエール! では、カイン君。私は色々と準備もあるので、出発は明日の朝でいいだろうか?」

「俺はいつでも構わん」

「よし、決まりですな!」

 そう言うと、コルベールはウキウキした表情で、学院長室を後にした。ルイズとカインも、オスマンに一礼すると、同じく部屋を後にするのだった。




――その夜

 いつものように、カインは眠る前の修行に励んでいた。槍を振り回し、まるで見えない敵がいるかのように飛翔し――回転し――着地し――構えを取ってピタリと静止する。

 カインは一連の動作を繰り返した後、ゆっくりと息を吐いて構えを解く。

「いつもながら、精が出るねぇ、相棒」

 鎧と上着を脱ぎ、水で濡らした手拭いで身体の汗を拭っている所に、デルフリンガーが声をかけてきた。

「今でもとんでもなく強えってのによ~。お前さん、どこまで強くなりゃ気が済むんだい?」

「気が済む、なんてことはない。どこまでも、強くなりたいんだよ、俺は……。親父のようにな」

「はあ~! おめえの親父ってのは、おめえより強えってのかい!? こいつはおでれ~た!」

 感嘆の声を上げるデルフリンガーを余所に、カインは月を見上げる。故郷と繋がっている訳ではないが、月を見ているとやはり落ち着く。

――カインは元より太陽より月の光を好んだ。陽光のように眩しい程に強く照らす光と違い、月光は穏やかで優しい光だからだ。しかし、別に太陽が嫌いなわけではない。あくまで嗜好の話だ。

 そうして月を眺め、カインは遠い故郷に想いを馳せる。

(……セシルとローザは、元気でやっているだろうか? もしかしたら、そろそろ子供の一人ぐらいは、出来ているかもしれんな)

 穏やかな笑みを浮かべながら、故郷の親友夫妻の事を考えている時だった――。

「――ん?」

 カインはふと、背後に視線を感じた。

 何かと思い振り返ると、ティーセットを抱えたシエスタが、何やら頬を染めて、惚けた様にこちらを見ていた。しかも、カインが振り返っても、気にせずじっと見つめ続けている。まるで、こちらの視線にも気付いていないようだ。

――さすがに怪訝に思ったカインは、声をかけることにした。

「シエスタ?」

「――えっ!? いえ、あのっ!」

 呼ばれて、ようやく我に返ったらしいシエスタは、頬を染めたまま慌て始める。

「べべべ別に! ずっと覗いていた訳じゃないんですよホントですよ!! 実はとても美味しい紅茶を頂いてカインさんにもご馳走したいなぁって思ってそれで来てみたらカインさん裸で月に照らされた姿がなんだかとっても綺麗でそのっ!!」

「……取りあえず落ち着け」

 シエスタが大慌てだったおかげで、カインは冷静でいられた。手拭いを桶に戻し、手早く上着を着込む。

 カインの肌が隠れた事で、ようやく、シエスタも(頬はまだ赤かったが)落ち着きを取り戻した。

「ご、ごめんなさい。私、親や弟以外の男の人の裸って、初めてで……つい、慌てちゃって」

「構わんさ。気にするな。それより、茶を馳走してくれるとか、聞こえたが?」

「――あっ! そうでした! これ、マルトーコック長も一押しのとっても美味しい紅茶なんですよ。今、淹れますから、ちょっと待って下さい」

 カインが頷くのを見て、シエスタは近くのベンチに移動すると、慣れた様子でティーセットの準備を始める。カインも、鎧とデルフリンガーを回収するとそれらを抱えて、シエスタの元に向かった。



「……ほう。確かに美味いな」

 シエスタが淹れた紅茶は、勧めるだけあって、良い香り、良い味わいがして、なるほど上質の茶葉だとカインにも分かった。特に紅茶の嗜みもないカインがそう思うのだから、間違いないだろう。

「はい。内緒の話なんですけど、実はこれ、貴族の方々にお出しする為の物を、ちょっと失敬した物なんです。コック長が「どうせ貴族様は、出されたものを飲むだけなんだから、茶葉を少し貰うぐらいどうってことねえ」って。カインさんにご馳走したいって言ったら、「我らが槍になら」って喜んで分けてくれたんです」

「はははっ、マルトーらしいな」

 豪快に笑い、「我らが槍よ!」と言って背中を叩いてくるコック長の親父の顔を思い出し、笑うカイン。シエスタも、その顔をじっと見つめ、楽しげに笑う。

 傍から見て、非常に良い雰囲気であった。

――と、そこで、マルトーに関連してカインは“ある事”を思い出す。

「ああ、そうだ。シエスタ、俺は明日から一週間ほど出かけることになった」

「え? また、ミス・ヴァリエールのご用事ですか? つい三日前にお帰りになったばかりなのに……」

「いや、今回はルイズではない。コルベールの付き添いだ」

「ミスタ・コルベールの、ですか?」

「ああ」

――カインは、コルベールに誘われて、“歴史探究”と称した“宝探し”に出かける事になったと説明し、その旨をマルトーにも一応伝えておいて欲しいとシエスタに頼んだ。

 先程思い出した“ある事”とはその事で――実は、カインはその事をうっかり失念していたのだ。

 シエスタが来なければ、何も言わずに出かけてしまい、いつも食事を用意してくれているマルトー達に失礼なことをしてしまうところだったと、内心安堵していた。


「……あの」

「ん、なんだ?」

 説明を受けて、何かを考え込んでいたシエスタが勢い良く顔を上げて、カインに「ずいっ!」と近づける。

「――私も、その宝探しについて行っちゃダメですか!?」

「……な、何?」

 予想外のシエスタの言葉に、カインは思わず間抜けな声が出てしまう。が――シエスタは構わず、捲くし立てる。

「“宝探し”って、野宿とかするんですよねっ? と言う事は、お食事はきっと保存食ばっかり――それじゃ、きっと物足りないと思うんです! 私、こう見えてもお料理得意なんです! 連れて行ってくれれば、いつでも美味しい料理を提供できます!」

 必死で自分を連れていく利点をアピールするシエスタに、カインは困ってしまう。

――自分は別に保存食でも不満はない。と言うか、セシル達と別れてから三年間、日々の食事は約九割が、栄養を重視し味を二の次にした保存食ばかりだった。

 元々、カインは食事に対して無頓着で『腹が膨れて、栄養が補給出来れば良い』という人間である。シエスタの言う『美味しい料理』というのにも、大して魅力は感じていなかった。

 なんとかシエスタの申し出を断ろうと、カインは頭を絞る。

「しかし……そうだ、仕事はどうするんだ? 突然一週間も休むわけにはいくまい?」

「大丈夫です! 『カインさんのお手伝いをする』って言えば、コック長は喜んでお休みをくれますから!」

――いきなり当てが外れた。確かにマルトーならば、やりかねない。否、間違い無くやる。

 そこでカインは作戦を変えて、別口で攻めることにした。

「だが、危険があるかも知れん。化け物や野獣に襲われる可能性もある。そうなったら、命にも関わる。俺も、絶対に君を守れるとは言い切れん」

 カインは、重々しく言った。危険性をアピールして、思い止まらせる作戦である。

――とはいえ、全部が演技と言うわけではないし、その場しのぎで嘘を言っているわけでもない。偽りなく、本心を告げる事でシエスタに理解してもらい、諦めてもらおうというのが狙いだった。

 しかし――

「――大丈夫です! 私、カインさんを信じてますから……」

――シエスタは退いてはくれなかった。しかも、自分にとって重い言葉を平然と口にする。

 “信じている”……カインはこの言葉が苦手である。過去に、この言葉を自分に言ってくれた仲間を、不本意だったとはいえ、裏切ってしまったことがあるからだ。だから、どうしてもその言葉を向けられると、心が重くなった。

――だが、それに気づいた時、カインは思った。このままではいけない、と。いつまでも逃げていてはいけない、と。

「……仕方ないな。そこまで言うのなら、好きにするといい」

「! ありがとうございます! カインさん! 私、一生懸命お役に立ちます!」

 カインの答えに、表情を明るくするシエスタ。それを見ながら、カインは、自分を変える第一歩として、この旅で自分を“信じる”と言ってくれたこの少女を全力で護ろうと決意する。

 そして、月を眺めながら、カインは「これも試練か……」と、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた……。



「それじゃあ、私、早速コック長にこの事を伝えてきます!」

「ああ。出発は明日の朝だ。それまでに準備をしておけ」

「はいっ! それじゃあ、カインさん。おやすみなさい」

 そう言って、片づけたティーセットを持って、小走りに去っていくシエスタを見送ったカインは、少しの間、また一人で月を眺めると、寮に戻っていった。


――思いもよらぬシエスタの参加で、明日からの冒険は、はてさてどうなることやら……。カインは、先程とは別の意味で不安を抱えながら、眠りに就くのだった……。






続く……かも





[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十二話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:55
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十二話







――カイン達は任務を終え、トリステイン魔法学院に帰ってきた。その後、何事もなく三日が過ぎたある日、カインはコルベールから、宝探しへの誘いを受ける。コルベールの依頼と言う事もあり、話を聞いたルイズもカインの外出を認めた。そして、明朝の出発に向けて、カインとコルベールは準備することとなったのだが――その夜、予想外の出来事が起きる。

 なんと、その話を聞いたシエスタが、自分も着いて行きたいと言ってきたのだ。何とか断ろうとしたカインだったが、シエスタの意思は固かく、やむなくカインはシエスタの同行を承諾し、“宝探し”はメイドを一人加え、三人で赴くことになったのだった……。



――早朝、魔法学院を出発したカイン達が、レフィアに乗って先ずやって来たのは、放棄された小さな農村であった……。

 そこにある、村と同様に放棄され、廃墟と化した教会が、最初の地図が示す宝の在り処らしい。

「う~ん、人が居なくなってから……およそ十年と言ったところだろうか……」

 目の前の建物を見ながら、コルベールが顎に手を当てて見解を述べる。傍にいたシエスタは、そんな知識など皆無なので、「そうなんですか」と相づちを打つしかない。

――そこへ、周囲の偵察に行っていたカインが戻ってきた。シエスタが明るい顔で駆け寄る。

「カインさん、おかえりなさい!」

「どうだったかね? 周りの様子は?」

 出迎えと同時に尋ねてきたコルベールに、カインは首を横に振る。

「特に何も。危険な気配も感じないし、何かが住み着いている様子もない」

「そうか。では早速、中を調べてみるとしよう」

 そう言うと、コルベールは意気揚々と廃教会に歩き出した。

「俺達も行くぞ」

「は、はいっ!」

 カインが呼び掛けると、駆け寄ってきたシエスタが自分の腕にしがみ付いて来た。それには少し驚いたカインだが、シエスタは不安なのだろう、と考え、引き剥がそうとはしない。

――しかし、カインはシエスタを見くびっていた。彼女、怯えてなどいない。その胸中には、別の感情があったのだ。




――話は昨夜、シエスタが、カインに自分の同行を認めてもらった後に遡る……。

 あの後、真っ直ぐ厨房に向かったシエスタは、調理器具の手入れをしていたマルトーに事の次第を伝えた。すると、予想通りマルトーは快く休みをくれた。それどころか、自分への応援の言葉さえ貰えた。

 そして、直ぐにシエスタは自室に戻り、必要な物の準備を始める。

――その途中、同僚のローラがシエスタに激励の言葉をかけたのが、事の始まりである。

「シエスタ! 頑張ってね♪ これはまたとないチャンスよ!」

 同じ部屋で寝起きしているローラは、同い年の女の子としては、“その道”にかなり精通している。しかし、何故か当人に恋人はいない(メイド達の間では、その事に触れることは禁忌とされている)。

――そんな同僚の言葉に、シエスタは瞳に炎を宿して頷く。

「ええ! 今度は、あのミス・ヴァリエールもミス・ツェルプストーもいないんだもの……。わ、私だって……!」

 妙な闘志を燃やし、鞄に荷物を詰めるその姿は、中々迫力がある。そんなシエスタを見て、ローラは「うんうん」と満足げに頷く。

「いい、シエスタ? 隙を見てガンガン攻めるのよ。でも、あからさまじゃダメ。さり気なく、それでいて大胆にいくのよ!」

「うんうん……。それで?」

「そしたら…………」

 ローラのアドバイスをシエスタは真剣に記憶してゆく。

――その後も、遅くまで乙女の秘密作戦会議は続いた……。



 その時にローラから伝授してもらった作戦のひとつが、この“密着作戦”である。廃墟の雰囲気に怯えていると見せかけて、自然に腕に抱き付き、結構自信がある胸を押し付けて誘惑する。これで意識しない男は先ずいないだろう。どこかの、女の魅力は胸だ、などと考えるスケベ男なら、それで完全にノックアウトだ。

 まあ、それがカイン相手に通用するかどうかは……触れないでおこう。



――それはさて置き……教会の中に足を踏み入れたカイン達は、その内部を見渡す。埃だらけではあるが、殆ど破損個所も無く原型を止めていた。

「この地図によれば、この教会には、始祖ブリミルが用いたというマジックアイテムが納められており、当時は神器として奉られていたそうだ」

「ほう……。で、それがお宝という訳か。どんなアイテムなんだ? そいつは」

「さあ……? この地図には、そこまで詳しい記述はないのだ。それに、本当にあるかどうかも、まだ定かではありませんしな。とにかく、探してみよう!」

 そう言うと、コルベールは“宝の地図”を懐にしまい、祭壇に向かって歩いて行く。カインもシエスタを右腕にぶら下げたまま、同じく教会の奥に入っていく。

 奥に辿り着くと、流石にカインもシエスタを離れさせ、二人も捜索に加わった。


――しかし、祭壇周辺を隈なく捜索したが、コルベールが言ったアイテムらしき物は発見できなかった。

「う~む……。どうやら、この地図は、正真正銘紛い物だったようだな……」

 若干の落胆の色を見せつつ、コルベールは地図を広げて眉を顰めて残念そうに唸る。

「しかし、調べていく内に、少しだけこの場所のことがわかったよ」

 そう言うと、コルベールは脇に持っていた一冊の古いノートを取り出した。それを見て、シエスタが首を傾げる。

「あの、ミスタ・コルベール。なんですか、そのノート?」

「これは、この教会に赴任していた司祭の日誌だよ。これによると、当時この村は酷い流行り病で、村人が次々に命を落としていったらしい。そして、司祭自身もその病に侵されたようだな。日誌は、その後の闘病生活が僅かに記されて終わっている……」

 ノートを閉じ、司祭の冥福を祈るように目を閉じるコルベールに倣って、シエスタも祭壇に向かって膝まずき祈りを捧げる。



「――さて。もうこの場所には、何も無いようですな。あまり騒がしくしては、死者達にも失礼だ。そろそろ立ち去るとしましょう」

 しばらくして、祈りを捧げ終えると、コルベールがそう言って外に向かって歩き出す。カイン達も頷くと、コルベールに続いて、廃教会を後にした……。




――一方、その頃……。

「…………」

 魔法学院に残っていたルイズは、心底不機嫌な様子で授業に出ていた。原因は、今朝出かけて行ったカイン達である。いや正確には、カイン達の“宝探し”に――シエスタが着いて行った――という事実である。

(……ミスタ・コルベールと二人で、って言うから許したのに……!! 何で、あのメイドが一緒に行ってるのよ~~~ッッ!!!)

――朝食の時、偶然シエスタの姿が見えないことに気付いたルイズが、気になってマルトーに尋ねると、シエスタはカインの手伝いに行くために休暇を取ったと聞かされた。

 それから、ずっと嫌な予感と腹立たしさに苛まれ、不機嫌状態が続いているのだ。
 ワナワナとうち震えるルイズに、周囲の生徒達はもちろん、教卓に立っている教師でさえ怯えていた。それほどまでに、凄まじい殺気を放っているのだ。

――“巫女の役” 引きうけ、結婚式までに詔を考えなければならないというのに、今のルイズは、それどころではなくなってしまっていた……。







――それから七日が過ぎた……。

 コルベールの持っていた地図を頼りに、多くの場所を巡って来たが、結局、大半の地図が偽物であることがわかった。

 行ってみて、洞窟や廃墟があるのはまだマシな方で、地図が全くのデタラメだった事さえあった。しかも、何かがあっても、収穫などほぼ皆無――それどころか、オーク鬼や凶暴な野獣の棲み家と化していた場所もある始末だ。

――まさに「骨折り損のくたびれ儲け」だが、当人達にはそれほど苦になっていないようだ。

 コルベールは、多少なりとも歴史を感じさせるものに触れることが出来て満足しているようだし、シエスタも、ただカインに着いて行き、自分の魅力をアピールすることが目的だったし、旅をするという初めての体験を純粋に楽しんでいた。
 カインも様々な場所に行くことで気分転換になり、時折ある猛獣との戦闘が程良い実戦修行になって満足しているし、レフィアも元々活発な性格ゆえに、あちこち飛び回る事が出来てご満悦だ。



――そんなこんなで、現在一行は、最後の地図を頼りに目的地に向かっている。

「最後の目的地は、うち捨てられた開拓村にある寺院ですぞ。その寺院には、かつて司祭が隠した、金銀財宝と伝説の秘宝『ブリーシンガメル』が眠っているという話だ」

「『ブリーシンガメル』って、何ですか? ミスタ・コルベール」

 地図を広げながら語るコルベールに、シエスタが首を傾げて尋ねた。それを背中で聞いていたカインも、始めて聞く単語に僅かな興味を持ち、振り返る。

 すると、コルベールが自らの知識を引っ張りだし、解説を始めた。

「『炎の黄金』と呼ばれる、特殊な黄金で作られた首飾りだよ。言い伝えによれば、それを身に付けた者は、あらゆる災厄から身を守ることができるらしい。本当なら、是非ともお目にかかりたいものですなぁ!」

 期待に胸を膨らませるコルベールに対し、カインは話半分で聞いていた。理由は簡単――これまでも、そのパターンで期待して損をしているからだ。

「……それで、そこへはあとどれくらいだ?」

「そうだなぁ……、この速度なら、あと三十分程度で着けるだろう」

「わかった。レフィア、頼むぞ」

「きゅっ」


――そして三十分後……カイン達は、雑草生い茂る廃村に到着した。


 最初に訪れた場所よりも、遙かに荒れ果てた状態で、放棄されてから相当の年月が経過しているのが分かる。

「この村は、うち捨てられてから既に数十年は経っているようだ。しかも、家が所々壊されている……。どうやら、ここを放棄せざるを得ない事情があったようですな……」

 そう言って周囲を警戒するように見回すコルベールに、シエスタが不安そうに尋ねる。

「一体、何なんですか? その事情って」

「……恐らく、近くに凶暴な亜人が住み着いたのだろう。家屋にある破壊の跡は、彼奴らの仕業と見て、間違いなさそうだ」

 コルベールが険しい表情で答えた。それを聞くと、シエスタは怯えた表情(今度は、演技ではない)でカインに寄り添う。カインも、周囲を警戒し始める。

――その時だった!

――ドオォォンっ!!

「「「――っ!?」」」

 少し離れたところから、何かの爆発音が響き、それと同時に森から鳥達が叫び声を上げて逃げだし始める。

「――な、なんだ!?」

 コルベールが、音がした方に目を向けると、僅かに煙が上がっている。ただ事ではない。カインは武器を構える。

「――行ってみよう」

 コルベールが頷く。

――三人はレフィアに乗り、爆発が起こった場所に向かった。



――上空から観察すると、自分達が目的としていた寺院があり、その門柱の隣の木から煙が上がっている。しかも、寺院の中から出てきたのか、多数のオーク鬼の姿まであった。

「あれが、この村が放棄された原因のようだな」

 カインがオーク鬼を睨みながら言った。よく見てみると、三体ほど既に倒されて横たわっている。

――一体は全身を氷の槍で串刺しにされ、一体は頭が黒焦げに、最後の一体は全身をズタズタに切り裂かれて息絶えていた。

 残ったオーク鬼達は、上空のカイン達には気付いておらず、一方向を睨みながら騒いでいる。その視線を追うと、意外なものが目に入った――。

「――あれは! ミスタ・グラモンじゃないかっ! なぜこんな所に!?」

 コルベールも、カインと同じものに気づき、驚きの声を上げる。

「奴が一人でこんな所に来るはずはない。オーク鬼の死体が三体だったのを見ると、最低でもあと二人いるな。まあ、大体想像はつくが……」

 最後に呆れたように呟くと、カインは周囲を見渡す。が、見える範囲にギーシュ以外の人影は確認できない。どこかに身を潜めているようだ。

――そうしている間に、オーク鬼達は耳障りな叫び声を上げて、ギーシュに向かって突進しようとしていた。

「――チッ! 仕方ないなっ!」

 カインは舌打ちすると、レフィアの背から飛び降りた。





――ギーシュは、後悔していた。“彼女”の口車に乗せられて、こんなところまで来てしまった事に……。そして、恐怖に焦り、打ち合わせを無視して飛び出してしまった事に……。

 いくら“ライン”クラスに昇格したとはいえ、相手は人間の戦士五人分に匹敵する強さを持つと言われるオーク鬼――最近、パワーアップした自慢の鋼鉄のゴーレムで、一体は何とか倒すことができた。だが、油断した隙に、後からやってきた別の個体に叩き壊されてしまった。

 そして、今――何かの相談を終えた奴らは、叫び声を上げながら、こちらに走って来る――。

――しかし、貴族が後ろを見せる訳にはいかない。……というか、足が震えて動けない。

 オーク鬼が、巨大な棍棒を振り上げて迫って来る。

――もうダメだ。ギーシュは涙を滲ませて、ぎゅっと目を閉じた。

「――びぎぃぃぁがぁぁぁああッッッ!!」

「――ひぃっ!!」

――ザシュゥッ!!

「…………“ザシュッ”?」

 棍棒が振り下ろされる音にしては、おかしい……。それに、自分もまだ死んではいないようだ。
 確認してみようと思い、恐る恐る目を開けると、信じられない光景が飛び込んできた。

――棍棒を振り上げて自分に向かって来ていたオーク鬼が、脳天から棒状の何かで貫かれ、白目を剥いて痙攣している。そしてその頭上には、ここにいない筈の、自分も良く知った人物の姿があった。

 その人物が、オーク鬼から槍を引き抜くと、その頭上から飛び降り、そして、僅かにこちらを振り返る。

「――無事か? ギーシュ」

「……か、カイン……」

――ギーシュは我が目を疑う。

 かつて申し込んだ決闘を切っ掛けに、何かと付き合いが多かった青年が、何故かこの場所にいて、自分を助けてくれた。
 あまりの出来事に驚きすぎて、思考が追い付かず呆然としていると、カインが不敵に笑う。

「フッ、無事なようだな」

 それだけ言うと、カインは再び前を向き、武器を構えて歩き出す。
 死の恐怖から解放された安堵と、カインの背中の頼もしさに、一気に力が抜けてしまったギーシュは、その場に尻餅をついて座り込んでしまった。




 ギーシュを救い終えたカインは、残りの敵を一掃するべく、オーク鬼の群れに向かって歩み寄る。
 突然現れ、仲間を一撃で葬った得体の知れない人間に、オーク鬼達は戸惑った。しかし、それが彼らの命取りとなる。

――オーク鬼達が浮足立っている隙に、カインは一番前に出ていた一体を串刺しにし、素早く槍を引き抜くと、剣でその首を刎ねる。頭を失ったオーク鬼の巨体が、バッタリと地面に倒れ込んだ。

「――ふぎぃ! ぴぎぃぃいッ!?」

 気付いてみれば、また仲間が殺されている――目の前で起きた信じられない事態に、オーク鬼達は騒ぎ出す。

――後は、もうワンサイドゲームである。浮足立ったオーク鬼達は、一匹……また一匹、と倒されていき、上空から、レフィアの援護ブレス攻撃もあって、彼らは恐怖を感じる暇もなく、僅か一分足らずで全滅することとなった。



 最後のオーク鬼が息絶えるのを確認すると、カインは上空に待機していたレフィアを呼び寄せる。
 それとほぼ同時に、緊張が解けて腰を抜かしているギーシュの後方――木の陰から現れたタバサと、別の木の上から降りてきたキュルケが、こちらに駆け寄ってきた。

「――ダーリンっ! こんなところで会えるなんて! これはもう運命ねっ!」

「やはり一緒にいたのはお前達だったか……」

 抱きつこうとしてくるキュルケをひらりと避けると、余りの予想通りの展開にカインは呆れて溜め息をつく。と、ちょうどそこへ、レフィアが翼を羽ばたかせて降りてきた。

――そして、地面に着地しようとしたその時、キュルケが慌てて叫んだ。

「――ああっ!! そこに降りちゃダメぇッ!!」

 しかし、レフィアは着地してしまう。その刹那――

――ドザァァァァッ!

「きゅうぅぅぅぅッッ!!??」
「のわあぁぁぁぁッッ!!??」
「きゃああぁぁぁッッ!!??」

 なぜか着地した地点の地面が抜け落ち、悲鳴と共にレフィアがその穴の中に落ちていった。突然の事態に、カインが驚く。

「――なっ!? なんだ!?」

「ああ~……」

 駆け寄って行くカインを目で追いながら、キュルケがバツの悪そうな表情で頬を掻く。穴の中を見ると、レフィアとコルベールとシエスタが、揃って目を回していた。しかも、全身油まみれになって……。

「な、何故……こんな所に落とし穴が……?」

「え、ええっと……」



「なるほどな……っ!」

 オーク鬼の亡骸を、先程レフィア達が嵌った穴に放り込みながら、カインが頷く。

――キュルケの説明によると、彼女達も“宝探し”でここにやって来たらしい。

 しかし、地図を頼りに、宝を求めてやって来てみれば、オーク鬼達が居座っていて、宝を探すどころではなかった。そこで、邪魔なオーク鬼を安全且つ効率的に排除するために、作戦を立てた。その作戦とは、外に掘った油たっぷりの落とし穴に、奴らを落として、まとめて焼き尽くしてしまう、という、大がかりな割にはシンプルな内容のものだ。

 そこまで説明したところで、全てのオーク鬼の死体が穴に集まった。そこで、キュルケが穴に向かって火を放つ。火は油に引火し、集められたオーク鬼の亡骸が、炎に包まれていった。

――それを見届けると、キュルケは足もとに落ちていた木の棒で、ギーシュの頭を殴る。

「――ぐあっ!! な、なな、何をするんだいっ!?」

 いきなりの攻撃に、ギーシュは殴られた箇所を押さえ、涙目で抗議した。キュルケは木の棒を放り捨てると、鼻を鳴らしてギーシュを半目で睨みつける。

「あんたが打ち合わせを無視して勝手なことしたからよ! ダーリンが来てくれたから良かったけど、ひとつ間違えばあたし達まで危なかったのよ?! それを、この程度で済ませてあげたんだから、感謝しなさい!」

「ふんっ! そんな都合よく、穴に落ちてくれるもんかね。戦は先手必勝。僕はそれを実践しただけだ」

 ギーシュは拗ねたようにそっぽを向いて、ブツブツと文句を呟く。

「あ~、まあまあ……。二人とも、それくらいにしなさい」

 ギーシュとキュルケがお互い顔を逸らし合ったところで、油を落としに行っていたコルベール達が戻って来た。服を着替えたコルベールが、二人を宥める。

「それよりも――ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、ミスタ・グラモン。授業をサボって、生徒だけで“宝探し”とは感心しませんな?」

 突然教師の顔になったコルベール。その言葉を受けて、ギーシュがばっと立ち上がる。

「――ミスタ・コルベール! 僕はキュルケに無理やり連れて来られたんですっ!!」

 必死で「自分は被害者だ」と訴えるギーシュ。だが――

「あら、人聞きの悪い。あたしはただ、「素敵なお宝を見つけてプレゼントしたら、姫様も見直すかも」って言っただけよ? そしたら、あんたが「諸君、行くぞ」とか言って勝手に着いて来たんじゃないの」

「――うっ! そ、それは……」

「実にギーシュらしいな……」

 キュルケの言葉に、ギクリと肩を震わせたギーシュの様子から、彼女の言葉が真実であることがわかる。カインが呆れたように呟くと、コルベールとシエスタ、おまけにレフィアまでが「うんうん」と頷いた。

 それを見て、自分の信頼の無さを痛感したギーシュが、しゃがみ込んで地面に「の」の字を書いて落ち込んだ。

「――さ~て、そんなどうでもいい事より、お宝よ♪ お宝~♪」

 完全無視を決め込み、キュルケが鼻歌混じりに寺院に向かって駆けていく。タバサも、本を読みながら歩いてそれを追う。
 それを見て、コルベールが肩を落として溜め息を吐いた。

「はあ~……。やれやれ、仕方がないな。カイン君、シエスタ君、我々も行くとしよう」

「ああ」

「はい!」

 カインとシエスタが、頷いて歩き出す。一行が寺院の中に入り、姿が見えなくなると、置き去りにされたことに気付いたギーシュが慌てて立ち上がる。

「――ぼ、僕をこんな所に置いて行かないでくれぇ~!!」

――本人にとっては悲痛でも、傍から聞けば情けない……そんな微妙な叫び声が、一帯に響き渡るのであった……。




 その夜……一同は、寺院の中庭で焚火を囲んで座り込んだ……。

 タバサはいつもの通りだが、キュルケとギーシュはあからさまに肩を落としている。その原因は、発見した“お宝”にあった。

――後になってわかったことだが、実はキュルケ達もコルベールが持っていたのと同じ地図を頼りに、同じ“宝”を求めていたらしい。

 ギーシュが恨めしげな眼差しで、キュルケを見る。

「……なあ、キュルケ。君が言った“秘宝”とやらは、これかね?」

 ギーシュが指差したのは、くすんだ黄土色の首飾りと数枚の銅貨、それに薄汚れた耳飾りなどの装飾品……。それらは、とても“宝”とは呼べない代物だった。

「まさかこの真鍮で出来た安物の首飾りが、伝説の秘宝『ブリーシンガメル』で……、一緒に出てきた銅貨やガラクタが“金銀財宝”だと言うんじゃないだろうね?」

 キュルケは答えず、黙々と爪の手入れをしている。その態度に、ギーシュが叫び出す。

「何とか言いたまえよっ! これで七件目だぞ!? 地図を頼りにお宝が眠るという場所に苦労して来てみれば、有ると書かれた秘宝はおろか、宝石のひとつもありゃしない! せいぜい見つかるのは銅貨が数枚! “宝の地図”なんて嘘ばっかりじゃないか!!」

「うるさいわねぇ……。だから言ったじゃない。“中”には本物があるかも、って」

――苦労した割に手に入る報酬が少ない事に不満を訴えるギーシュだが、事如くキュルケに飄々とあしらわれ、最後には地面に敷いた毛布で不貞寝してしまう。

 そんな彼らを尻目に、カインはコルベールに話しかけた。

「結局……、最後の地図も偽物だったな。これで、今回の旅での収穫は、この『スキルニル』とかいう、人形だけか……」

 そう言ってカインが手に取ったのは、小奇麗な箱に収められた二つの人形だった。

――『スキルニル』とは、そのボディに人間の血を付着させると、その血の持ち主と同じ姿になるというマジックアイテムである。姿だけでなく、能力や思考までコピーするという優れ物で、大昔の権力者達が、これを大量に用いて、『戦争ごっこ』という野蛮な遊びに興じたと言う逸話がある。

 カイン達が、これを発見したのは、五件目の場所――昔の魔法使いが使っていたと言う古い屋敷である。結局、そこにも求めた秘宝などなく、代わりにこの『スキルニル』があった、と言う訳だ。

「う~む……、今回“も”外れだったか……。いやはや、世の中、思う通りにはいかないものだ」

 今回“も”、という部分や、コルベールの発言から察するに、どうやら今まで当たりだったことはないらしい。そう思った時、ふとカインは、コルベールとキュルケが意外と似ていることに気付いた。

――二人とも、『火』系統のメイジな上、「何かに情熱を燃やしている」という点が共通している。

 その「何か」は大きく違うが、根本の気質は似通っている。もしかしたらこの二人、適合さえすれば結構気が合うのかも知れない。

――そんな事を考えていた時、鍋を見ていたシエスタからお呼びがかかった。

「――皆さ~ん! お食事が出来ましたよ~」

 その声で、キュルケ達が目を輝かせて鍋の方へ駆けて行く。カインとコルベールも腰を上げて、そっちへ歩いて行った。



 キュルケ達は、三人ともシエスタのシチューを夢中になって口に運んだ。まるで、何日も食べていなかったかのような食欲である。

「これは、なかなかの美味じゃないか! 一体何の肉を使っているのかね?」

 皿に盛られたシチューを頬張りながら、ギーシュがシエスタに尋ねた。すると、カインにシチューを手渡しながら、彼女がにっこりと笑う。

「――オーク鬼の肉ですわ」

 それを聞いた瞬間、ギーシュはシチューを噴き出した。キュルケも口の一サント前まで持って来ていたスプーンを止める。あまりに顔を引き攣らせた彼らを見て、シエスタが慌ててフォローを入れる。

「じ、冗談です! 本当は、野うさぎの肉です! さっき罠を張って捕まえたんです」

「オーク鬼はさっき全て燃やして埋めただろうが……」

 肉を咀嚼しながら、カインがスプーンで地面を指す。そこは、燃え尽きたオーク鬼達の亡骸を埋めた地点である。
 二人のフォローを受けて、ギーシュとキュルケは、胸を押さえながら盛大な溜め息を吐いた。

「もう……脅かさないでよ。でも、あなたって器用ね。森から取って来た材料だけで、こんなに美味しいシチューが作れちゃうんだから」

「うむ。特に、このハーブの使い方や野草を入れるところなどが独特だ。これは、何と言うシチューなのかね?」

 空になった皿を差し出して、おかわりを要求しながら尋ねるコルベール。シエスタはその皿を受け取ると、シチューを盛りながら答える。

「私の村に伝わるシチューなんです。最初は名前なんて無かったんですけど、今は村の名前を取って「タルブ・シチュー」って呼んでます」

 シエスタに差し出された皿を受け取ったコルベールが、彼女が口にした地名に反応した。

「タルブというと……確か、ラ・ロシェールの近くにある、有名な葡萄の名産地ですな。君は、そこの出身だったのかね?」

「はい。このシチューの作り方は、父に教わりました。父は、ひいおじいちゃんに教わったそうです。私の村の名物なんです」

「――やっぱりそうだわ!」

「「「「――っ!?」」」」

 シエスタは嬉しそうに故郷の事を語っていた時、キュルケがいきなり地図を取り出して、叫んだ。タバサを除く全員が、その声に驚く。

「……どうしたんだ?」

 何事かと思い、カインが声を掛けると、キュルケが全員に見えるように、持っていた地図を広げて地面に叩きつけた。

「――これよ! これ! 持ってた地図の中に、タルブ村の近くに隠されたお宝の地図があったのよ!」

「それは、なんというお宝だね?」

 シチューを食べながらギーシュがそう尋ねると、キュルケがゆっくりと顔を上げて呟く。

「『月夜の箱舟』」

「――えっ!?」

 それを聞いた瞬間、シチューをかき混ぜていたシエスタが驚きの声を上げた。今度は、シエスタに視線が集まる。

「知ってるの? さすがに地元の人間ね」

「あ、いえ、その……私が知ってるのは、ちょっとだけ名前が違う物なんですけど……」

「あら? じゃあ、何て言うの?」

「はい……『月の箱舟』って言います」

――その言葉に、カインはわずかに振り返る。

 “月”――この言葉に、かつての大戦を思い出す。その胸中に、まさか、という思いが燻る。真剣な面持ちで耳を傾けると、シエスタが、説明を始めた――。

「実は、それの管理しているのが私の実家で……私のひいおじいちゃんの持ち物だったんです。ひいおじいちゃんは、旅人だったらしくて、旅の途中で私の村に立ち寄って、村の人達と仲良くなって、そのまま住み着いたんだそうです」

「へえ~」

 そこまで語ると、感心したようにキュルケが相づちを打った。シエスタの説明は続く。

「さっきのシチューの作り方の他にも、たくさんいろんな事を知ってて、私の村で良質の葡萄が取れるようになったのも、ひいおじいちゃんが新しい育て方を教えてくれたからなんです。他にも、お薬を作って病気の人を治したり、便利な発明品を作ったり……。働き者で、優しくて……亡くなった時なんて、村の人達が大泣きして悲しんだって、父が言ってました」

 シエスタは、当人に会った事はないそうだが、曽祖父のことを語るその表情は、どこか嬉しそうで、キュルケ達も穏やかな笑みを湛える。

「――そんなひいおじいちゃんが、ある日、まだ小さかった父を連れて、ある所に連れて行って見せてくれたのが『月の箱舟』だったんです。父の話では、ひいおじいちゃんはその時『私はこれに乗ってやって来たんだ』って話していたんだそうです」

(――まさか……)

 あまりにも似通った話をかつて聞いた事がある。

――カインの胸の内で、一つの“仮説”が浮かび上がる。シエスタの話を聞けば聞くほど、その“仮説”の現実味は増していくのだった……。





 翌朝――カイン達は、『月の箱舟』を求めて、シエスタの故郷、タルブの村に飛んだ。昨夜のシエスタの話を聞いて、『月の箱舟』に興味を惹かれたコルベールが、キュルケ達に同行することを決めたのだ。

 キュルケとコルベールは、それぞれ違った意味で、『月の箱舟』への期待に胸を躍らせているが、そんな二人にシエスタが言い難そうに説明した。

「あの……秘宝って言っても、アレは持ち出すのは……無理だと思います」

 その言葉に、二人は首を傾げた。シエスタは、困ったような笑みを浮かべる。

「その……凄く大きくて、動かせないんです。それに、箱舟があるのは、村から少し離れた場所だから……。見るだけなら出来ると思うんですけど……」

 その言葉に、キュルケは僅かに落胆の表情を見せる。何せ、彼女は宝を見つけ出して、それをお金に換えることが目的だ。シエスタの言う通りなら、それは売れる代物ではない。しかし、コルベールは、更に瞳を輝かせた。彼の目的は、歴史的な遺物に触れること――故に、見ることが出来れば、十分なのだ。

 一方、カインは……

「……」

 昨夜のシエスタの話を聞いてから、ほとんど口をきかなくなっていた。心配したシエスタが何度か声を掛けてきたが、短く「大丈夫だ」と答えるだけで、それ以外はほぼ無言でいる。

――カインは考えていたのだ。シエスタの曽祖父の事……そして、『月の箱舟』の事を……。もし、それらが自分の想像通りのものならば――帰れるかもしれない。しかし、同時に疑問も残る。なぜ、シエスタの曽祖父は、この世界に留まったのか?

――僅かな期待と疑問の間で揺れ動き、カインは村に到着するまで、ずっと難しい顔をしていたのだった……。



――一方、その頃……

 魔法学院の女子寮の一室――

「…………」

 その部屋の主たるルイズは、ベッドで毛布に包まって寝込んでいた。そうやって、もう四日も授業を休んでいる。食事の時と、入浴の時のみ、部屋から出てきて、用が済むとさっさと部屋に引き籠る――という生活を送っていた。

――その原因は……

「……はぁ~~。姫様の為に、詔を考えなきゃいけないのに…………あのメイド、カインに付いて行ってちょっかい出してないでしょうね……? その上、キュルケ達まで、どこかに行ったって言うし……はぁ……」

 と、言う訳だ。

――巫女の役目を引き受け、大切なアンリエッタの為、トリステインの伝統を汚さぬような立派な詔を考えなければならない。だが、シエスタがカインに着いて行き、何か間違いが起こらないかと思うと気が気でなく、集中できない。

 その上、キュルケとタバサ、おまけでギーシュも、無断でどこかに行ったらしく姿を消した。教師達はカンカンで、帰ってきたら三人には罰を与えると息巻いていた。それは余談だが、もしキュルケ達がカインと何処かでばったり鉢合わせしたりしたら……。


――そんなことが頭の中でぐるぐる回り、ついには気分が悪くなって、授業を休んで部屋で不貞寝してしまったのだ。

「……もう……なによ。ご主人様がこんなに悩んでるのに……、どうして、傍にいないのよ……、あの馬鹿使い魔は……。って……私が行っていいって言ったんじゃない……」

 ここにいないカインに恨み事を呟くが、次の瞬間には自分が外出の許しを出したことを思い出して落ち込む。うつ病状態――というには大袈裟だが、精神的に相当参ってしまっているようだ。

 ルイズは深い溜め息を一つ吐くと、寝返りをうって毛布を被り直す。その時――。

――コン、コン

 部屋のドアから控えめなノックが聞こえた。ルイズは、ドアの方を向く。

「……誰?」

「――ミス・ヴァリエール。ワシじゃが……」

「――お、オールド・オスマン!? し、少々お待ち下さい!」

 思いも寄らぬオスマンの来訪に、ルイズはベッドから飛び降り、大急ぎでガウンを羽織るとドアに向かった。


「体の具合は、どうじゃな?」

 ドアを開くと、オスマンは心配そうな表情で尋ねてきた。ルイズは、気不味そうに頭を下げる。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません……。でも、大したことはありませんわ。ちょっと、気分が優れないだけですから……」

「うむ……」

 オスマンは、室内に招き入れられると、ゆっくりとした動作で椅子に腰掛けた。その対面の椅子に、ルイズも腰掛ける。

「随分長く休んでいると聞いての。ちと心配しておったのじゃが、顔色は悪くなさそうじゃの」

 ルイズは微笑を浮かべながら頷く。次いで、物憂げな顔で窓の外に目を向けた。

「時に、詔の方は出来たのかね?」

 ギクリという擬音が聞こえるかのように肩を竦ませると、ルイズは表情を暗くして首を横に振る。

「そうか……」

「申し訳ありません……」

「ああ、良い良い。咎めておるのではない。まだ、式までは二週間ほどあるのじゃ。ゆっくりと考えればよい。そなたの大事なお友達の式じゃ。じっくり考え、言葉を選び、祝福してあげなさい。それが、その後の彼女にとって、何よりの支えとなろう」

 オスマンは優しげな笑みを浮かべる。ルイズは、その穏やかな言葉に救われた気がしていた。心に重く圧し掛かっていた暗い物が、少し軽くなった気がする。
 それが表情にも表れ、ルイズの顔に精気が戻る。それを見たオスマンは、満足そうに頷くと、部屋を後にした。



「……そうよ。いつまでも塞ぎ込んでばかりじゃダメだわ。雑念を捨てて、姫様に捧げる詔を考えなきゃ!」

 オスマンが帰った後、ルイズは拳を握り締めると、机に向かい、しばらく放置していた“始祖の祈祷書”を取り出す。そして、今までの無駄な時間を取り戻そうと、目を閉じ、精神統一を行う。そうして心のざわめきが治まり、頭の中が透明になった所で、ゆっくりと目を開く。

「……あら?」

――おかしい。

 この“始祖の祈祷書”は、本来全て白紙のはずだ。なのに、自分の眼には、薄らとだが文字のようなものが書かれているように見える。

 ルイズは、目を擦る。そして、改めて祈祷書のページを見てみる。すると、そこに文字などなく、白紙が広がるのみであった。

「……目が疲れてるのかしら?」

 ルイズは目頭を指で揉むと、再びベッドに入り、目を閉じる。少し眠って、目が覚めたら改めて詔を考えよう――そう思いながら静かにしていると、いつしかルイズは、静かな寝息を立てて眠りに就いていた……。




――同刻……

 カイン達は、シエスタの故郷タルブの村に到着し、シエスタの父親の許可を取って『月の箱舟』を目指して、洞窟の中を進んでいた。この洞窟は、村から歩いて二十分程の距離(カイン達には竜がいたので四、五分ほどで着いた)の場所にある。
 洞窟の内部は入り組んでおり、まるで迷路のようだ。

「ちゃんと付いて来てくださいね? 道を間違えると、大変ですから」

「た、大変って……、ど、どうなるんだい?」

 恐る恐るギーシュが尋ねると、シエスタはその場に立ち止まった。

「……道に迷って、二度と出て来れなくなるかも知れません」

「ま、またまた~! 昨日のシチューの時みたいに、僕達を驚かそうって魂胆だろう? そ、そんな子供騙しには、引っかからないよ!」

「いいえ、今度は冗談じゃないんです……。実際に、知らずにこの洞窟に入り込んで、飢え死に寸前になった旅の人を助けたことがあるって、父が言っていました……」

「……え?」

 ビビり腰でも、何とか笑い飛ばそうとしていたギーシュの顔が、一気に蒼白になった。それを見て、シエスタが微笑みを向ける。

「ご安心ください、ミスタ・グラモン。村の人間の私がいるんですから、迷ったりしませんよ」

「そ、そうだなっ! あは! あははははっ! ――しっかり案内頼むよ!!」

――必死の様子で懇願するギーシュには、もはや貴族としての威厳など皆無だった。

 仮に迷ったとしても、土系統のメイジであるギーシュなら、洞窟を脱出する方法など幾らでもあるのだが……。

 まあ、それはさて置き――シエスタの先導で、しばらく洞窟を進んでいくと、先の方に光が見えてきた。

――出口だ。

 洞窟を抜け、太陽の眩しさに目を細め、一行が見たもの……それは――

「おおぉぉぉ~~!!」

 コルベールはその姿に歓喜の声を上げ、目を爛々と輝かせる――。

「ふぅ~ん、これが『月の箱舟』……」

 キュルケは値踏みするようにそれを眺める――。

「なるほど……。確かにこれでは持ち出せないね」

 ギーシュはさほど興味もなさそうにそれを眺め、シエスタの言った事に納得している――。

――そして……カインは……。

「…………これは」

 それを見た瞬間、身体が硬直した。それは、かつて見たものと余りにもよく似ている――。

 そう、全ての元凶たる者を打倒すために、仲間と共に乗り込んだ……“あの船”に――。

「カインさん? どうか、しましたか……?」

「……間違いない。これは……!」

「えっ!? ど、どうしたんですか? カインさん」

 シエスタの声は聞こえていても、カインに答えている余裕はなかった。ゆっくりと、『月の箱舟』に歩み寄り、そして、ぽつりと呟く……。


――この船の名は――。


「…………魔導船」


――かつての大戦で現れた、大いなる眩き船……。カインは異世界にて、再び、その船と相見えることとなった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十三話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:56
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十三話







――コルベールに誘われ、シエスタと共に“宝探し”に出かけたカインは、結局ほとんど収穫がないまま、最後の目的地に向かった。そこで待っていたのは、オーク鬼と戦うキュルケ、タバサ、ギーシュの三人であった。彼女達に加勢し、オーク鬼を片付けて話を聞いてみると、彼女達も“宝探し”に来たのだという。

 その後、キュルケ達が持っていた地図で、タルブの村にあるという『月の箱舟』なる宝を探しに行くと言うので、シエスタがそこの出身という事もあってカイン達も同行することに……。

 そして現地にて、シエスタの案内で、目的のそれにはすぐに見つかった。

――その姿を見た瞬間、カインは驚愕の余り、思わずその船の名を呟いていた。

『…………魔導船……』

 カインは、過ぎ去った運命と、異世界の地で再会することとなるのだった――。



 一行は、巨大な『月の箱舟』を前に、思い思いに“それ”を見上げている。

 コルベールは、興味津々といった様子で箱舟に触れたり、至近で凝視したり、出来得る限りの方法でこの巨大船を調査しているらしい。
 キュルケは、先程までは巨大な船体を眺めていたのだが、今は興味なさげに爪を弄っている。自分の趣味に合わない上に、『月の箱舟』が売れる代物ではないことを悟った事で、あっさり興味が失せたようだ。
 タバサとギーシュは、最初から興味がないらしく、タバサはいつものように読書を、ギーシュは近くの岩に腰かけて頬杖を着いている。

――一様に興味を無くしているキュルケ達を尻目に、カインはゆっくりと箱舟の周りを歩き、その姿を確認していた。

「…………」

 よく観察してみると、所々外装に違いがあるが、やはりその姿はかつて自分も乗った、星々の間を渡る技術を備えた巨大船――『魔導船』に酷似している。

――故郷の飛空艇や、前に乗った空船の二回り以上もある巨大な船体。帆は無く、後部にはまるで鯨の尾のような物が付いているが、それは舵の類ではない。魔導船を見た事のあるカインから見ても、やはり不思議な形をしている。

 そんな『月の箱舟』を見上げながら、カインはぼんやりと考えていた。

(もし、これが魔導船だとすれば……本当にシエスタの曽祖父がこれに乗って来たのならば……その男は『月の民』ということになる……)

――『月の民』……太古の昔、火星と木星の間にあった星に暮らしていた住人達。故郷の星が滅亡し、カインの故郷『青き星』に逃げ延びてきたが、そこにはカイン達の祖先というべき先住民がいた。青き星の民との共存を望み、青き星の民の進化を見守るためにもう一つの月を造り出し、そこで永き眠りに就いた人間達――それが、『月の民』である。

(それが、何故こんな所に……?)

「――あっ、カインさん!」

――考え事をしている内に一周して戻って来ていたらしい。シエスタが、こちらに向かって手を降っているのが見えた。

 カインが最初の場所に戻って見ると、キュルケとタバサも、ギーシュのように手頃な岩に腰掛け、それぞれ爪の手入れと、読書に勤しんでいた。
 しかし、コルベールは相変わらず、少し離れた所で持ち前の好奇心と集中力を最大限に発揮して箱舟を調査・観察を続けている。

「……」

 カインは再び、無言で『月の箱舟』を見上げ、思考を巡らす。

――まだ、これが『魔導船』だと決まった訳ではない。よしんばそうだったとしても、動かすことはできない可能性の方が大きい。“あの時”と今とでは、この船が求められる“願い”の重さに、雲泥の差がある。こんなちっぽけな願いで、この船が目を覚ますとは考えにくい……。

 例え、これが動かせたとしても、ここが宇宙のどこにある星で、故郷の『青き星』がどの方向にあるのかもわからないのだ。

 冷静に考えれば、この船を見ながら抱いた淡い希望など、所詮は夢想でしかなかった。まして、月の民の物を自分が勝手に使って良い道理などない――そう思い到り、カインは自嘲的な笑みを浮かべる。

「あの……カインさん、どうしたんですか? 私、何かまずい物を見せてしまいましたか……?」

 ずっと無言で『月の箱舟』を見上げているカインの様子に、シエスタが心配そうに声をかけた。昨夜、この箱舟の話をしてから、カインの様子が変わった事に気付いていた彼女にしてみれば、その原因が『月の箱舟』で――そして、その話をした自分なのではないかと、不安だったのだ。
 その心中を察したカインは、首を横に振って、シエスタの言葉を否定する。

「いや、そういう訳ではない。ただ……これとよく似た物を、故郷で見た事があってな。少し、思い出していただけだ」

「えっ? カインさんの……故郷で、ですか?」

 カインは無言で頷くと、再び『月の箱舟』を見上げる。その眼は、動かぬ巨大船の姿を通して、遠い故郷と過去の記憶を見つめていた。

――と、そこへコルベールが息を切らして走って来た。

「はあ、はあっ……。――皆! 向こうに扉らしきものを発見したぞ!」



 コルベールに導かれて行ってみると、確かに扉らしきものがあった。
 扉と言っても、長方形を二つ合わせて、およそ3メイル四方の正方形にするように走っている筋であって、辛うじて扉に見える程度のものだ。本当に扉なのかは、わからない。
 そう思ったキュルケが、首を傾げながらコルベールに尋ねる。

「本当にこれが扉なんですの? ミスタ・コルベール?」

「間違いありません! ほれ! この中央の水晶が、恐らく錠になっているのだ!」

 コルベールが指差したのは、扉のちょうど中央に埋め込まれている透き通った青色の球体だった。彼はこれを『錠』だと断言している。
 しかし、そこまで自信満々に言っておいて、彼は眉を顰めた。

「……ただ、『解錠(アンロック)』の魔法を試してみたのだが、魔法とは違う不可思議な力で弾かれてしまったのだ……。うぅむ、“先住の魔法”の類だろうか……?」

「仮にこれが錠だとしても、開けられないのでは意味がありませんわ」

 顎に手を当てて球体を凝視するコルベールに対し、キュルケは肩を竦めて身も蓋もない事を言う。しかし、それは事実であり、タバサやギーシュも同意を示している。確かに、魔法による解錠も不可能ならば、彼らには手の打ちようがない。
 その言葉を受けコルベールは、しばし唸っていたが、次の瞬間思い出したようにシエスタに視線を向けた。が――

「ええ、と……、私も詳しくは知らないんですけど、多分開けるのは無理だと思います」

 シエスタが引き攣った笑みを浮かべて、コルベールの希望の視線を打ち砕いた。
 彼女が言うには、これは確かに扉らしい。なんでも――かつてシエスタの曽祖父が、幼かった父親にせがまれて、一度だけこの扉を開いて見せたのだが、箱舟の中に入る事は決して許さず、またそれ以降はどんなに頼まれてもこの扉を開くことはなかったと言うのだ。

――その話を聞いて、キュルケが怪訝な表情を浮かべた。

「どうして、中を見せたがらなかったのかしら? 別に、見るくらい、どうってことないでしょうに……」

「父も、ひいおじいちゃんにそう尋ねたそうです。そしたら、ひいおじいちゃんは、『この中には危険な物がたくさんあるから、お前は入ってはいけないんだ』って答えたって、前に言ってました」

「『危険な物』って?」

「……わかりません。ひいおじいちゃんも、そこまでは教えてくれなかったみたいです……」

 それを聞いて、コルベールは眉間に皺を寄せながら、扉に顔を向ける。

「……う~む。この船の内部には、一体何があるのだろう。『危険な物』だと言うのならば、触れない方が良いのかも知れんが…………ああっ、ダメだっ! 益々気になって来てしまった!! この中はどうなっているのだ?! 一目で良いから見てみたいっ!!」

 研究者としての情熱に引火・炎上してしまったコルベールは、扉に張り付いて叫び出す。その姿は、まるっきり危ない人だ。
 キュルケ達は、顔を引き攣らせてコルベールから離れる。そんな冷たい反応を気にもせず、コルベールは何とか扉を開けないものかと、調査を再開した。

――そんな温度差が発生している中、カインは問題の“扉”を見つめる。

「……」

 もはや、この船に対する希望は持っていない。だが、疑問は残る。

――この船とその持ち主は、どうしてこの世界にやってきたのだろうか? 自分と同じように誰かに召喚されたのだろうか? それとも、何か別の原因があったのだろうか?

 いくら考えても、疑問が解消されることはないが、頭の中に自然に浮かんできてしまう。もしかしたら、それは未練なのかもしれない。
 それに気づき、カインは思わず苦笑してしまう。そして、小さく頭を振り、つまらない考えを払うと『月の箱舟』を見上げる。そして、ポツリと呟いた。

「……魔導船、か」

――ボォォ……

「――っ!? なんだ?」

 カインが小さく呟いた瞬間、なんと、今まで沈黙していた球体が鈍い光を放ち始めたではないか。しかも、光を放っているのは球体だけではない。カインの全身が淡い光を放っている。船の扉とカイン――まるで“共鳴”している様な光り方である。

「こ、これはっ!?」

 コルベールをはじめ、その場にいた全員がその光景に驚き、カインの傍に集まる。
 当のカインは、一体何が起こったのかと困惑していた。だが、次の瞬間――

『――あっ!?』

 全員が一斉に小さな悲鳴を上げる。

「な、なに? どういうこと!?」

「か、カインが……」

「……」

「そ、そんな……馬鹿な……」

――キュルケが、ギーシュが、タバサが、コルベールが……困惑と驚愕の目で、その場所を見つめながら硬直する。

 そして……シエスタが口元を手で覆いながら、力無く呟いた――。

「か……カインさんが……消えちゃった……」






「……一体……何が起こったんだ?」

――強烈な光に閉じていた目を開くと、目の前は真っ暗だった。明らかに、さっきまでいた場所とは違う。

 しかし、心当たりはあった。

「ここは……まさか、魔導船の中か?」

 周囲を見ようとするが、真っ暗で何も確認できない。だが、あの光の後にこの状態なのだから、他には考えられないだろう。
 この船には、外光を取り入れる窓が無い。よって、動力が動いていないと、自然に内部は暗黒に包まれる。

「完全に真っ暗闇だな、こりゃ。それにさっきの光は、人間が使う魔法とも、先住の魔法とも違ったみたいだし……どうなってんだ?」

 腰から声が掛る――声の主はデルフリンガーだ。カインが腰に下げていたおかげで、そのまま一緒について来たらしい。しかし、今は彼に構っている場合ではない。
 カインはその場を動かず、暗闇の中で目を閉じ、周囲の気配を探る。幸い、動く存在の気配は感じられない。どうやら、ここはそれほど広い空間ではないようだ。ある程度の状況を把握したところで、次の問題はこの闇だ。これでは動くに動けない。

 そう思って、カインがなんとか明かりを点けられないかと思案していた、その時だった――。

「――っ!?」

――まるでカインの思考を読み取った様に、照明がつき、内部が明るくなった。突然の明るさに、目を瞑ったカインだったが、すぐに慣れて目を開く。

 周囲を見てみると、自分が金属の壁に覆われた細長い通路の真ん中に立っているのが分かった。カインの視線の先には、入口と同じタイプの扉がある。

 程無くして、その扉が開いた――。

「……誘っているのか……」

 カインは、敢えてその誘いに乗ることにした。ここで立ち止まっていても、仕方がない。ここが魔導船の内部ならば、操縦室があるはずだ。そこに辿り着けば、もしかしたらこの船を動かせるかもしれない。

 外に出るにしろ、進んでみるしかないのだ。カインは、ゆっくりと通路を進んで行った――。


――カツン、カツン、カツン…………

 自分の足音だけが響く通路を歩く。随分長いこと歩いたようにも感じる。警戒しながらゆっくり歩いていたから、そう感じたのかも知れない。
 或いは……ここまでの道程で見てきた“モノ”の所為なのかも知れない。

(…………“あんなモノ”が積まれているとは……。どうやら、俺が乗った魔導船とは根本的に別物らしいな……)

――カインが、開く扉に導かれて進んだ先で見てきたのは、夥しい数の『機械モンスター』達だった。

 身長2メイル程の人型で、両手足がまるで剣のように鋭い形状をしている『機械兵』――。
 下半身は馬、上半身は人型という形状。全身が金属で覆われているその姿はまるで、全身甲冑のケンタウロスと言った風貌の『鉄騎兵』――。
 およそ20メイルはあろうかという金属の巨人『巨人兵』――。
 鈍い輝きを放つ、金属の鱗に覆われた『機械竜』――。

 しかし……何よりカインを驚かせたのは、たった一体だけ、格納庫の一画に納められていた“別格のモンスター”の存在。

 身長はおよそ30メイル程、全身を筋肉にも似た異様な装甲が覆い、その場にあるだけで全てを威圧する程の存在感……、サイズこそ大分縮小されているが、その姿は、正しく『バブイルの巨人』そのものだった――。


 かつて、真の『バブイルの巨人』の内部を徘徊していたモンスター達が、百や二百では済まない数――もしかしたら、万単位は積まれていたかも知れない数で格納庫らしき場所に並べられ、極めつけは小型の『バブイルの巨人』である。

――シエスタの曽祖父が言った『危険な物』とは、あの“兵器達”の事だったのだ。

(……あんなモンスターがこの世界で作り出せる訳がない。この船が俺と同じ世界からやって来たのは、もはや確実だ。だとすれば……何故……)

 あのモンスター軍団を見た事で、疑問は増えていた。

――何故、あんな機械モンスターが大量に積まれているのか? その目的は?

 それらの答えは、恐らく“この先”にある。カインは、確信に近い予感を抱きながら、更に歩みを進めていく。

――そして、最後の扉を潜ると、広い部屋に出た。

 一度だけだが、同じ様に魔導船の操縦室を見た事がある。カインは、見た瞬間に直ぐにわかった。

「――ここが……操縦室だな」

 魔導船の操縦は、飛空艇や通常の船のような舵を取って行うのではない。パネルの様なものがあり、それに操縦者の意思を伝える事で船を操作する。そして、操縦室中央に静かに光を湛える水晶――『飛翔のクリスタル』を用いる事で、宇宙空間を航行することさえ出来る。

(とは言っても、果たしてこの船が動くかどうか……。飛べないにしても、ここから出られるのかどうか……)

――ざわ……

「…………」

 考えを巡らせていた時、背筋に悪寒が走った。カインは、槍を強く握りしめ、臨戦態勢を取る。だが、どこか妙だ。

――相手は確かに、こちらに殺気を放っている。その癖、一行に向こうから仕掛けてこようとはしない。まるで、こちらに自分の存在を教えているかのようにさえ感じる。

「相棒……」

「わかっている……」

 デルフリンガーも、その違和感に気付いているようだ。しかし、このまま背後を取られたままでは埒が明かない。ならば……と、カインはこちらから仕掛けてみることにした。

「…………ハァッッ!!」

 裂帛の気合を込めて、カインは振り向きざまに渾身の一撃を叩きこむ――つもりだった。だが、その相手を見た瞬間、槍を持った左手が止まってしまった。
 驚愕のあまり、息をするのも忘れて目を見開く。何故なら、その視線の先にあった顔は――

「――っ、せ……セシル……?!」

 槍の切っ先とカインの視線の先に在ったのは、無二の親友にして、最大の好敵手たる『聖騎士セシル』の姿だった。

「ば、バカな……!? セシルがこんな所にいる筈がない! 貴様ッ! 何者だッ!!?」

 セシルと思しき男は、無言のまま手にしていた剣で槍を払い除ける。
 カインは、咄嗟に跳び退り、男から距離を取った。すると、相手もこちらを見据えながら構える。長年競い合い、共に戦ったカインには分かる。その構えは、間違いなくセシルのそれだ。

(あれが、セシルの筈がない。どういうカラクリかはさっぱりわからんが、とにかく戦うしかない……!)

 二人は、各々の得物を構えて睨み合う。双方、ピクリとも動かず、互いに隙を窺い合う。しかし、その緊張感さえ、カインにとっては懐かしさを感じさせてしまう。それほどまでに、目の前にいるセシルは、気配も迫力も、記憶の中の彼と同じだった。
 偽者と頭ではわかっているものの、懐かしい好敵手を前にして、次第にカインの戦士の闘争心に火がつき、燃え上がっていく。

 いつの間にか、先程までの動揺や混乱が鳴りを潜め、高揚感が身体を包み込み、

(……フッ)

 カインは笑っていた。目の前のセシルが本物か偽物かなど、どうでも良くなった。

「……行くぞ、セシル!」

 二人の男は、同時に飛び出した――!!



――一方、その頃……。

 魔導船の外では……忽然と姿を消したカインを探して、シエスタ達は、魔導船の周囲を駆けずり回っていた。

「カインさぁーーんっ!! どこですか~~~っっ!!」

 シエスタは、声を張り上げて、カインに呼び掛ける。彼女は、カインが消えてから、ずっとこうして叫び続け、走り回っていた。
 その額からは珠のような汗が浮き上がり、息も随分と荒い。

「うぅむ……、これだけ探して見つからないとなると……やはり、カイン君は『月の箱舟』の中にいると考えるべきかもしれんな……」

 扉の水晶体が輝いた後に、カインが不思議な光に包まれて消えた。ならば、あの船の中にいると考えるのが自然ではないかと、コルベールは腕を組んで思考する。

 その直後、上空から大きな羽ばたきの音が響いた。見上げると、竜が二頭降りてきている。

「シルフィードがレフィアを連れて来たわ! これでダーリンの居所もすぐにわかるわよ」

 別の場所から彼女達の姿を確認したのだろう。キュルケ達が駆け付けて来た。

――レフィアが着地すると、キュルケは早速彼女に尋ねる。

「ねえ、レフィア。ダーリンが今、何所にいるかわかるかしら?」

「きゅう?」

 あまりに端的かつ簡潔な質問に、レフィアは、キュルケの意図を掴みきれなかったようで、首を傾げる。その様子に自分の説明不足を感じたキュルケは、改めて詳しく事情を説明し始めた。

――実は先程、消えたカインを捜索している途中で、キュルケがある事を思い出したのだ。カインのパートナー、火竜のレフィアの事である。

 レフィアはアルビオンで、離れた場所にいたカインを感じ取り、そこへ向かって飛んだことがある。つまり、何かしらの方法でカインの居場所を察知できる能力があると言う事だ。そこで、その能力でカインを見つけてもらおうと思い付き、タバサにシルフィードと連絡を取ってもらい、レフィアをここに呼んだのである。

 キュルケがその旨を説明すると、先程の質問の意味を理解したレフィアは、頷いて了解の意を示した。そして、早速意識を集中して、カインの存在を探り始める。
 目を閉じたレフィアを、キュルケ達が取り囲み、じっと静かにその様子を見守る。

「……きゅっ!」

 しばらくして、レフィアは目を開き、ある方向へ顔を向けた。その先には――

「……『月の箱舟』?」

 シエスタが呟く。レフィアは、真っ直ぐに『月の箱舟』を見つめていた。
 つまり……。

「ふむ。やはり、カイン君はあの船の中にいるようですな」

――コルベールがそう言った時、シエスタは弾かれたように駆けだした。

「お、おい! 待ちなさい、シエスタ君!」

 コルベールの制止も聞かず、シエスタは凄い速さで走って行ってしまった。

「あたし達も行きましょう。カインの居場所は分かったんだから、こんな所にいても仕方ないわ」

 そう言ってキュルケが駆け出すと、タバサもシルフィードに跨り、後を追う。コルベールもキュルケの言った事に理があると判断し、彼女達の後を追った。

「――ぼ、僕を置いて行かないでくれたまえ!」

 後に残されたギーシュも、相変わらず情けなく叫びながら駆けて行った……。



 その頃、魔導船の操縦室では――二人の騎士が、壮絶な戦いを繰り広げていた。

――ガギィィンッ!!

 互いの武器が激突し、高い金属音が響き渡る。既に、何十合目の打ち合いかも分からないが、凄まじい戦いは今もなお続いていた。

――力では若干セシルが上、早さはカインが上だが、二人の実力はほぼ互角だ。

「……はぁ……はぁ……」

 あまりの壮絶な戦い故に、さすがのカインも息が切れ始めていた。これが、元の世界の一般兵士やこの世界の魔法衛士だったなら、既に疲労で倒れてしまっていることだろう。
 だがカインにとっては、この疲労感さえも懐かしく、心地よかった。

――相手が幻だとしても、その実力は間違いなく好敵手セシルそのもの。故郷で彼と腕を競い合った頃、こうして打ち合っては息を切らし合ったものだ。

 そしてその度に、実力が拮抗しこのままでは決着が付かない、と互いの考えが一致し、互いにそれを目で伝え合って笑うのだ。

「……」

 今まさに、目が合った二人は、その頃を再現するように不敵な笑みを浮かべ、それぞれ武器を構え直す。

――それは、決着を付ける為の構え……。大袈裟な名前など付けていないが、渾身の“力”と“魂”を込めた、最強の一撃である事に間違いはない。

「「……」」

 再び、竜騎士と聖騎士は互いを見据え、動かなくなった。しかし今度は、お互いの隙を窺っているのではない。そんなものは存在しないからだ。

――それは、力を溜め、一撃をより高い威力に昇華させる為の時間……。

 そして、限界まで溜めこんだ力を、二人は同時に解放した――。

「「――!!!」」

――ガギィィィッッッ!!!

「「……」」

 耳を劈く激突音が止んだ。その時、二人は互いに背を向け合い、最初と線対称の位置に立っていた。

「……」

 カインは、自分の手に視線を向ける。そこに、握っていた筈の槍の姿は無かった。

「フッ……さすがだな、セシル」

 武器を弾かれたというのに、カインは清々しい笑みを浮かべ、セシルの方に向き直る。
 セシルも、同様に爽やかな笑みを浮かべてこちらに向き直っていた。その手を見て、カインは肩を竦める。

「……また、引き分けだな」

 セシルの手も、握っていた筈の剣が消え、素手の状態だった。双方の武器は、二人から少し離れた床に突き刺さっている。
 最後の一撃まで、完全に互角だったという訳だ。

「フッ、……次こそは、俺が勝つぞ」

 カインが不敵にそう言うと、セシルはにっこりと微笑み、すぅっと霞のように消えていった。カインはそれを、同じく微笑みながら見届けた。

「――かぁ~~~! 凄ぇ戦いだったなぁ!! あんなのは、六千年生きてきた俺も初めて見たぜ!! 心底おでれ~たぜ!!」

 床に放られた状態のデルフリンガーが、興奮気味の声を上げた。それでようやく、カインは彼を放り捨てた事を思い出した。
 腰にベルトで下げていたのだが、戦いの最中に動きの邪魔になって、ほぼ無意識に放り捨ててしまったのだ。

 バツが悪そうな表情を浮かべて、カインはデルフリンガーの元に歩み寄った。

「……すまん、デルフリンガー。戦いに夢中になって、つい……」

「ああ、最初は酷ぇことしやがると思ったさ。けどまあ、いいってことよ。あんな凄ぇもん見れたんだからな。いや~、長生きはしてみるもんだね!」

 カインとセシルの戦いに、痛く感激した様で、デルフリンガーの機嫌は良かった。その様子に、カインは内心でホッとし、彼を拾い上げる。

『――見事だった』

「――っ! 誰だ!?」

 突然聞こえてきた声に、カインは周囲を見渡す。

――だが、辺りには誰もいない。

 不思議な事に、先程の声もどこから聞こえてくるのか分からなかった。

『そなたを試すような真似をして、すまなかった……。許してほしい。そなたが、真に正しき心を持つ者か否かを見極めたかったのだ……』

 どうやら、声は何処から聞こえてくる訳ではなく、直接頭なり心なりに響いてくるものらしい。

――そんな芸当が出来るのは、『彼ら』しかいない。そう悟ったカインは、声の主を探すのを止め、こちらから語りかけることにした。

「……お前は……月の民だな?」

『如何にも……。私は『月の民』であった者……』

 予想通り――この声の主は『月の民』、そして、シエスタの曽祖父の魂。
 何の因果か、このハルケギニアに迷い込んだ人物――カインと同じ境遇を持つ者……。

「……何故、俺をここに招き入れた?」

『……私は……待っていたのだ。同じ世界を故郷とし、この異世界に迷い込んだ者――そなたが、この地を訪れる時を…………間に合って良かった……』

「どういうことだ?」

『…………限界が、迫っているのだ……』

――彼は語った。

 この地に降り立ち、寿命を迎えた彼は、自分と同じ境遇の人間がこの地を訪れる事を予見し、自らの魂をこの魔導船に宿した。しかし、人としての天寿を全うした彼の魂は、長く留まるには衰え過ぎていた。肉体を失い、衰えた魂は消滅へ向けて時を刻む。そして、その時が間近に迫っているのだと……。

『……我が故郷を離れ、この世界に流れ着き、我が魂の消滅が間近に迫ったこの時に……そなたが訪れた。これも……運命なのかも知れぬ』

「……」

『これから……私に残された魂を力に変えて、そなたに委ねよう……。そうすることで、私が備えていた力、知識、経験がそなたに受け継がれる……。この船も……そなたを主と認め、目覚めるだろう……』

「なんだと!? ま、待て! 待ってくれっ!!」

 次第に遠退いてゆく声を、カインは慌てて呼び止める。だが、

『……そなたが……無事、故郷の青き星へ、戻れることを…………祈っている……』

 その言葉を最後に、彼の声が聞こえなくなった。

「――っ!?」

 その時、カインは体に大きな力が流れ込むのを感じた。同時に、脳裏に浮かぶ彼の記憶が沁み込んでゆく。

「……そうか。そうだったのか……」

 彼の魂を受け入れてゆく中で、カインは全てを知った。彼がここにやって来た経緯も……この魔導船の事も……その“背負ってきた罪”も……。


「……あなたも……俺と同じだったのか……」






「カインさーーんっ!! 中にいるんですかっ!? いたら返事をしてくださーいッ!!」

 先程の扉の前に立ち、シエスタは腹の底から大声を張り上げて、カインに呼び掛ける。既に、何度も大声を出しているため、シエスタは喉を痛め始めていた。それでも、彼女は諦めずに声を出し続けている。
 しかし、いくら叫ぼうとも、その声が虚しく響き渡るだけで、中から返事は来ない。

「……全然返事がないわね」

「う~む……、壁が厚くて、外の音が聞こえないのかも知れませんな」

 キュルケの呟きに、冷静な分析を述べるコルベール。二人とも、「この中にカインがいる」というレフィアを信じ切っている。

 コルベール達は知らないことだが、レフィアはただの火竜ではなく、高い能力を有する伝説の竜“火韻竜”である。だから、カインの居場所を感じ取るという芸当もこなせるのだ。しかし、その事実は当人(いや、当竜か?)とカインによって、隠蔽されている。つまり、コルベールとキュルケの認識は、「レフィアは“ただの火竜”」ということになっているはずだ。
 レフィアの高い能力を一度見ているキュルケはともかく、コルベールは僅かに行動を共にしているだけなのに、微塵も疑ってない辺り、人の良い性格をしていると言えるだろう。

 それは余談として――現実、中にカインがいるとわかっても、コルベール達には打つ手がない。結局、彼らに船の扉を開ける方法はないのだ。

 結局振り出しに戻り、全員が何か方法が無いものかと頭を捻った。その時だった。

――ボオォォ……

『――っ!?』

 突如、何をしてもウンともスンとも言わず、沈黙を保っていた扉の水晶が、青白く光り出した。全員が、何事かと目を見開く。
 全員が固唾を呑んで見守る中、数秒ほどで光は消えた。そして、次の瞬間――

――プシュゥ

 軽い音を立てて、扉が左右にスライドして開いた。そして、中から人影が現れる。

「――カインさんッ!!」

 その顔を確認すると、シエスタはその人物の名前を叫びながら飛び付いた。
 一方、中から出てきたカインは、いきなり飛び付いて来たシエスタに驚いていたが、原因が自分であることを察すると、彼女の背中を優しく叩きながら謝罪の言葉を述べる。

「……心配をかけてしまったようだな。すまない」

「……いいえ。カインさんが無事なら、それで良いです。本当に、良かった……」

 目に涙を湛えながら微笑むシエスタに、カインはもう一度「すまない」と謝罪した。次いで、扉の前にいたコルベール達にも同様に謝罪を述べる。

「皆も、すまなかった。面倒を掛けてしまったな」

「いやいや、君が無事で何よりだ。安心したよ」

「いきなり消えちゃった時は、どうしようかと思っちゃったけどねぇ」

「……」

 口々にカインの無事を喜ぶ一行。タバサでさえ、その顔に笑みを湛えている。一同がカインの生還……と言うには大袈裟だが、とにかく彼の無事を喜び合う。

――そんな中、コルベールが控えめに口を開いた。

「ところで、カイン君。中から出てきたという事は……君はこの『月の箱舟』の中を見たのかね?」

「ああ。実はその事で……シエスタに話がある」

「え? なんですか?」

 首を傾げるシエスタに、カインは顔を向ける。そして、おもむろに口を開いた。

「――この『月の箱舟』、俺に譲ってくれないか?」




 カインは、自分の申し出に驚くシエスタ達に『月の箱舟』――魔導船の中での出来事を、中で聞いた声の事は上手く誤魔化して話した。何故かと言うと、彼の想いを託されたカインは、彼がそう望んでいることが分かっていたからだ。

――シエスタの曽祖父は、しがらみのない『平民』としての生き方を選択し、自らの魔法を封印した。

 それ故、シエスタ達はその身に魔法を扱う遺伝子を受け継いでいる事を知らない。
 過ぎた力は、人の心を狂わせる――常日頃、『貴族』との格差の中で生きてきた『平民』達に、月の民の魔法は強大過ぎる。そんな魔法を扱える血など、平穏な生活の邪魔にしかならないと考えた彼は、シエスタ達に知らないままでいて欲しいと願っていたのだ。

――カインの話を聞いたシエスタは、自分には決められないからと、実家に戻り父親に掛け合った。

 予定よりもずっと早い娘の帰省に驚いていた父親だったが、シエスタの話を聞くと、一枚の古い紙を取り出し、カインに見せて言った。

「この紙に何て書いてあるか読んでみてくれ。読めたら、『月の箱舟』は君にあげよう」

 見せられた紙には、カインにとっては懐かしい文字で、こう書かれていた。

『我が船が、せめて汝の旅路の支えとならんことを祈っている』

 読み上げた時、シエスタの父は驚いた表情をしていた。

 その手紙は、彼の祖父――つまり、シエスタの曽祖父が、『その文章を読むことができた者が、あの船を求めた時、譲り渡すように』という遺言と共に残したのだと言う。カインにとってはなじみ深い故郷の文字も、この世界では全く未知の文字である。同じ世界の住人でなければ、解読など出来ない。
 恐らく、それを判別する為に、そのような遺言と遺書を残したのだろう。

 ともあれ、淀みなく読み上げた事で、シエスタの父親も、遺言に従いカインに『月の箱舟』を譲ることを承諾した。正直、管理が面倒になっていたのだと、彼は笑いながら語っていたが、それは余談としておこう。


 その日はもう夕方に差し掛かっていたため、一行はシエスタの実家に泊まる事に――キュルケが提案したのだ。
 貴族が泊まりに来たという話が忽ちタルブの村中に伝わり、村長が挨拶に来るほどの騒ぎになったが、何とか彼らを嗜め、キュルケ達は宛がわれた部屋で思い思いに寛いでいる。

 カインは曽祖父の同郷の人間と言う事で、シエスタの親や弟たちや村人に大歓迎を受けたが、その喧騒から離れ、今は村の傍に広がる草原に佇んでいた。草原に、夕陽の赤が移り、穏やかで美しい光景が広がっている。それは、シエスタの曽祖父が生前こよなく愛した風景だった。

「……」

 その風景を眺めながら、カインはシエスタの曽祖父の事を考えていた。

――遙か昔、青き星の民の成長を見守る為、永き眠りに就くことを決めた月の民の中に、その眠りを拒絶する者がいた。

 その者の名は『ゼムス』――彼は、青き星の先住民を滅ぼし、自分達がそこに住めば良いと、一方的な“侵略”を主張した。当然、他の月の民がそんな事を認めるはずもなく、ゼムスは月の奥深くに封じ込められた。しかし、長い年月が、ゼムスの思念と憎しみを増大させてしまう。

 それが、後に数々の悲劇を生み出すこととなるが、その正真正銘最初の被害者が彼だった――。

 およそ七十年前――彼はゼムスの強力な思念に侵され、青き星の生命を滅ぼす為に、あの魔導船で送り込まれた。しかし、青き星に到着間近の所で、突如現れた光に包まれ、気が付いてみれば、この世界に来ていたのだ。
 次元を隔てた異世界に来たおかげなのか、彼を侵していたゼムスの思念は途切れ、彼は自分を取り戻した。同時に自らの過ちを深く後悔した彼は、月の民としての名を捨て、この地で果てる決意をする。

 そして、魔導船を封印し、世界を知る為に旅に出た。その十年に渡る旅の中で、“この世界の理”を学んだ。

――魔法を扱える者が『貴族』を名乗り、扱えない者達を『平民』として、支配する者・される者に分かれているハルケギニアに於いて、異質な自分の魔法は無用な混乱を招くと考えた彼は、自らの魔法を封印し、一人の平民として生きてゆくことを決め、魔導船を隠した場所に程近かったタルブの村に身を寄せる。

 そこで、暮らしに役立つ様々な技術を伝え、村の発展に貢献し、村人達に快く受け入れられ、やがて一人の女性と恋に落ち、結婚して子を成した。その血筋に当たるのが、シエスタとその一族である。

 しかし……村人に、家族に愛され、幸せな生活を送る中でも、彼は自らの罪を忘れた事はなかった。罪悪感に苛まれ続けた、彼の苦悩と後悔の七十年――カインはそれを思い、彼の為に祈りを捧げる。

(あなたは、十分に苦しんだ……その罪が、あなたを責めることは、もうない。全ての嘆きと苦しみを忘れ、どうか安らかに眠ってくれ……)

 カインは、非常に近しい境遇を持った彼の気持ちがよく分かった。

――共に、邪悪な思念に操られ、仲間を裏切ってしまった者同士……
――共に、それを深く悔み、己を責め続けた者同士……

 しかし、彼がカインと違ったのは、その罪を償う機会を得られぬままに寿命を迎えたこと……死の瞬間まで、後悔を背負い続けたままだったことだ。

 だからこそ――カインは彼の魂に刻まれた思いを受け止め、その魂の安息を……『もう一人の自分』の冥福を祈らずには、いられなかった……。

「ここにいたんですか。お食事の支度ができました。父や弟達が是非一緒にって」

 そんな事を考えていると、シエスタが隣にやって来た。

 シエスタはカインと同じ様に、目の前に広がる草原に目を向ける。夕焼けに染まった草原は、吹き抜ける風に揺れて、まるで揺らめく炎のようだ。

「この草原、とっても綺麗でしょう? 私、これをカインさんに見せたかったんです」

「ああ……」

 カインが頷くと、シエスタはモジモジと指を弄りながら言った。

「父が言ってました。ひいおじいちゃんと同じ国の人と出会ったのも、何かの運命だろうって。良かったら、この村に住んでくれないか、って……。そしたら、その、私も奉公をやめて……一緒に、帰ってくればいいって」

 カインは、何も言わない。ただ、吹き抜ける風に揺れる草原を見つめている。

――これでも、カインは鈍感な男ではない。

 敏感とも言えないが、シエスタが自分に好意を寄せていることは、一応認識していた。
 だが、カインはその想いに答えることはできない。

――いつか故郷に帰らなければならない。

 例え、今は帰る方法が無くとも、見つかるまで探し続ける。それが、カインの心にある固い意志である。

――何より……自分は、もう誰かを愛する事も、幸せにすることもできない。その資格も、もはや無い……。

「……俺は、この村に暮らすことはできない」

 カインがそう告げると、シエスタは寂しげな笑みを浮かべた。

「……きっと、そう言うと思いました。カインさん、いつもどこか遠くを見てるから、何となくわかってました。カインさんにも、故郷があるんだって」

「……俺も、君のひいじいさんも、この世界の人間ではない」

「え?」

「こことは違う、別の世界。俺は、そこからこの世界に来た」

「……からかってるんですね。イヤなら……、私が嫌いなら、そうはっきり言ってくれればいいのに……」

 口を尖らせ、拗ねたような口調でそう言うシエスタに、カインは小さく笑った。

「そうか……、からかっているように聞こえたか」

「え……、か、カインさん?」

 シエスタは、その言葉に驚き、カインの顔を見た。その表情は、決して冗談を言う人間のそれではない。カインは紛れもなく、彼自身の真実を語っている。
 それを悟った時、シエスタは自分の失言に気が付き、顔を青くした。

「あ、あの……ごめんなさい! 私、からかってるんだろう、なんて失礼なこと、言っちゃって……!」

 申し訳なさそうに俯き、シエスタは頭を下げる。

――自分はなんて事を言ってしまったのだろう。お伽話のような話だから――そんな理由で、彼の言葉を踏み躙ってしまった。

 大きな後悔が、心を包み込み、軽率な自分が許せなくて、悔しさに涙が滲んでくる。馬鹿な自分が、堪らなく嫌いになる。

 しかし、カインは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。

「構わんさ。別に怒っている訳じゃない。その事は、もう忘れてくれ」

「……ごめんなさい……」

 最後に一度だけ謝り、シエスタは泣くのを止め、目尻を拭った。

「……カインさんの故郷には、誰か、カインさんを待っている人がいるんですか?」

「待ってくれているかはわからんが、仲間がいる。こんな俺を、仲間だと言ってくれた……かけがえのない戦友達が」

 カインは空を見上げ、懐かしい戦友達を思い出す。

「あいつらの元に、戻らねばならない。だから、俺はこの世界に留まる訳にはいかない。この命がある限り、故郷へ帰る方法を探し続ける。例え、何年掛ろうとも……」

「……それでも、待っててもいいですか? 私はただの、何の取り柄もない女の子だけど、待つことぐらいはできます。カインさんが頑張って、帰る方法を探して……探し続けて……もし、探すのに疲れた時……ここに休みに来てくれれば……」

「……」

 シエスタは、その先は言わない。カインも何も答えなかった。
 彼女が言ったのは、“もしも”の話だ。だが、だからこそカインは、それを現実にすることは決してないだろう。

――例え方法を探すのに疲れたとしても、この村に……シエスタの元には、現れることはない。彼女の想いは、断ち切らなければならない。ずるずると引き摺れば、その傷はより深いものとなってしまう。

 そうするのは、早い方が良い――カインは口を開く。

「シエスタ。俺は――」

「――そう言えば、さっき伝書フクロウが学院から届いたんです」

 カインの言葉を遮るように、シエスタは微笑みながら口を開いた。

「ミスタ・コルベールが、学院にミス・ツェルプストー達の事を報告したんだそうです。サボりまくったおかげで、先生方はカンカンだそうで、ミス・ツェルプストーやミスタ・グラモンは顔を真っ青にしてました。あと、私のことも書いてあったんです。学院に戻らず、そのまま休暇を取っていいですって。そろそろ、姫さまの結婚式ですから。だから、休暇が終わるまで、私はここにいます」

 取り付く島もない調子で事情を説明し終えると、シエスタはカインに背を向けた。

「……カインさん。私は、田舎者ですけど……これでも、女の子です。好きな男の人が、どこを見てるのかぐらい、わかります」

 そう言ってシエスタはクルッと振り返ると、笑顔でカインを見つめる。その笑顔は、とても魅力的な輝きを放っていた。

「だけど私、忍耐強くて、諦めが悪いんです。――だから、カインさんの事も諦めません」

 ハッキリとそう言い放ち、シエスタは来た道を駆けて行った。
 その背中を見送ったカインは、再び沈みかけの夕陽に目を向け、夕陽が沈みきるまでそこで立ち尽くしていた。


 その夜――明日学院に戻ることを決めた一行は、シエスタの実家のもてなしを受けた。素朴ながら味わい深い料理と村の名産品である上質のワインに舌鼓を打ち、半ば宴のように盛り上がる一行――そんな中で、シエスタは、いつも通りカインにワインをお酌したり、料理を勧めたり甲斐甲斐しく世話を焼いた。
 その姿を見て、彼女の家族達に冷やかされ、終いには公認のカップル扱いまでされてしまった。終いにはシエスタの父親に「娘を不幸にしたらただではおかんよ?」と、酔った勢いと相まって凄まじい迫力で釘を刺されたほどである。

 カインは正直申し訳ない気持ちで一杯だったが、非常に上機嫌のシエスタの父親に振り回されて、伝えることは出来なかった。

 そんな騒がしくも楽しいひと時を過ごし、一行は騒ぎ疲れもあって直ぐに就寝し、カインも僅かに双月を眺めると、宛がわれた部屋で眠りに就いた……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十四話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:a297c174
Date: 2010/05/16 11:58
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十四話







――カイン達が留守にしてから一週間が経過したある日の昼前、トリステイン魔法学院は大騒ぎであった。

「――騒がしいのぉ……。一体何の騒ぎじゃ?」

 騒ぎを聞きつけて、学院長室から出て来ていたオスマンが、廊下を大慌てで駆けていた教師の一人に声をかける。

「――あっ! これはオールド・オスマン! 一大事でございます!」

「んん? 何かあったのかね?」

 片方の眉を吊り上げ、怪訝な表情を浮かべるオスマンに、教師は依然慌てたまま答える。

「――戦艦が攻めてきたのですッ!!」

「寝言は、夜眠っている時に言うものじゃぞ。こんな昼前から……」

「――違います! オールド・オスマンと一緒にしないで下さい!! 突如、上空から巨大な戦艦が現れ、学院の敷地の隣に降り立とうとしているのです!! オールド・オスマンも外に出て御覧になって下さいッ!!」

 教師は凄まじい剣幕で怒鳴りつけると、そのまま外に飛び出して行った。さすがにオスマンも、只ならぬ様子に真剣な表情になり、何げに失礼な発言を聞き流して教師の後を追う。


――そして、空を見上げてその眼を力一杯見開くことになった。

「――な、なんじゃ、あれは……!?」

 オスマンの視線の先に、ゆっくりと降下してくる巨大船の姿があった。先程の教師は『戦艦』と言っていたが、見た事もない異様な風貌のその船は、ハルケギニアのいずれの国の船とも違う。

――一体どこの船なのか?

 オスマンは眉間に皺を寄せながら、船の着陸地点に急ぐ。


 学院の城壁を『飛翔(フライ)』の魔法で飛び越えて駆けつけて見ると、既に教師達が警戒態勢で揃っていた。その周りに、好奇心からか生徒の姿も見える。
 オスマンが溜め息を吐きながら歩いて行くと、その姿を見とめた生徒達が道を開け、教師達が振り返った。

「――オールド・オスマン! 御覧下さい! 船が!」

「見ればわかる。騒ぐでない。ひと先ず、生徒達を学院の中に戻しなさい。何が起こるかわからんからな」

「はっ、承知しました」

 オスマンの指示で、教師達が見物に出て来ていた生徒達を追い払いにかかる。
 程無くして、生徒達が学院に戻り、その場にはオスマン率いる魔法学院教師陣だけが残った。そこへ、巨大船がどんどん降下してくる。

「……まさか、あの船は地に降りようというのか?」

 オスマンが信じられないという口調で呟く。一般的な空船は、船底で地面に着陸することなどない。本来は、高所に設けられた港に停泊するか、空中で停止して錨を下ろし、竜やグリフォン等の幻獣で降下するかのどちらかである。

 しかし、巨大船はその常識を無視し、オスマン達の目の前で着陸した。

 掟破りの着陸を果たした船に、オスマン達はゆっくりと近づいて行く。
 しかし、それまで沈黙を保っていた巨大船側面の扉?が開いた事で、教師陣の間に緊張が走る――。

 そして、教師達が杖を構える中、その扉からある人物が姿を現した。

「――いやぁ~、全く素晴らしい体験だった! まさか、このような物が――ん? おや? これはオールド・オスマン!」

「――ミスタ・コルベール!?」

 巨大船から出てきたのは、こっ禿げ頭が眩しいこの学院の教師の一人――『炎蛇』のコルベール、その人だった。
 オスマンを初め、その場にいた教師全員が呆気にとられる。そんな中、コルベールに続いて、赤毛の少女が姿を見せた。

「はぁ、もう最高だったわ~! あんな光景が見れるなんて、感激しちゃった!」

「――ミス・ツェルプストー! それに、ミス・タバサ! ミスタ・グラモンも!」

 何やらうっとりとしているキュルケの後ろには、青髪の少女タバサと、以前決闘騒ぎを起こしたギーシュがいた。
 無断で欠席を続けている問題児達が全て揃っている。その顔触れに、オスマンは昨日コルベールから送られてきた手紙の事を思い出した。

「ミスタ・コルベール。もしや、この巨大な船が……君達が発見したという『月の箱舟』なのかね?」

「――その通りです! オールド・オスマン! これは、正しく世紀の大発見ですぞ!!」

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、嬉々とした表情で語るコルベール。その後ろに、ルイズの使い魔となった竜の騎士カインの姿が船から出てきたのを見とめ、オスマンはやれやれと安堵の溜め息を吐くのだった。




「なるほどのう……。事情はわかった」

 場所を学院長室に移し、カインはコルベールと共に、オスマンと向かい合っている。

――あの後、オスマンは訳が分からないと言った表情で呆けていた教師達に魔導船についての口外禁止を言い渡し、その場を解散させた。ちなみに、キュルケ達も、その時教師達に捕まり連行されて行った。

 その一方で、オスマンもコルベールの勧めで、魔導船の性能を実体験することになった。

 そして今、カインはオスマンにあの魔導船のことを打ち明ける。

――あれが、カインの世界から来た代物であることや、空の彼方――『宇宙』を飛べること。その所有権がカインに移譲されていること。そして、あの船に積まれている『超兵器』の存在のことも……。

 話を聞いただけでは信じなかっただろうが、さすがのオスマンも実際にその眼で見ては信じざるを得なかったようだ。

「……まさか、あの星空と双月を間近で目にし、ワシらの住まうこの大地をあのような形で見ることになるとはのう……。長生きはしてみるもんじゃ」

 オスマンは、船から出てきた時のコルベールが興奮していたり、キュルケ達がうっとりしていた理由を知り、自分もまた深い感動を噛みしめていた。
 空を飛ぶことが当たり前の彼らでも、『星』というものをあれほど近くで見るなど、本来ならば絶対に出来ない経験である。よほど感性が鈍い人間でなければ、誰でも感動するはずだ。

「あい分かった。あの船……“魔導船”じゃったか。あれは、王宮指定の重要研究資料として学院預かりの許可を取り、学院で責任を持って保護しよう」

「――待て、魔導船をこの国の管理下に置かれては困る。あれは、この世界の人間の手には余る代物だ」

「無論、それはわかっておる。あれが王宮のボンクラ共の手に渡れば、決して良い使い方はすまい。じゃが、この学院に置いておく以上、王宮に然るべき正規の申請を出さねばならん。学院を任された立場上、それは避けられんのじゃ。なに、案ずることはない。このワシの目が黒い内は、宮廷貴族共の好きにはさせんて」

「……信用するぞ」

 オスマンの“目の黒い内”というのが、あとどの程度残されているのかは疑問だったが、カインは取りあえず信用することにした。ちなみに、同じ体験をしたキュルケ達には、既に緘口令を敷いてある(特にギーシュには、厳しく)。

――どうせ、あの船を操れるのは、この世界に自分唯一人――仮にトリステイン王国が接収でもしようとしたら、今もやっている様に、彼らには辿りつけない遥か上空――俗に言う衛星軌道上に隠しておけばいい。(カインの意志に応じて、ある程度の遠隔操作ができるのだ)

 そう割り切ったカインは、オスマンの提案を受け入れ、魔導船の受け入れは完了となり、学院長室を後にした。



 屋外に出て、カインがふと塔の方に目を向けると、雑巾で窓ふきをしているキュルケ達の姿が見える。

――無断欠席の罰として、魔法無しで学院中の窓ふきを命じられたのだ。

 キュルケは面倒臭そうに、タバサは無表情で、ギーシュは心底不服そうに窓を拭いている。
 その光景に、思わず吹き出してしまうカインだったが、あまり笑っても悪いと思い、その場を立ち去った。

 そして、次にカインが向かったのは厨房であった。顔を出した途端、マルトーにいつも通りの暑苦しい……もとい、熱烈な歓迎を受けたが、何とかマルトーを引き剥がし、カインはシエスタがタルブの村に残った旨を伝え、今日の夕食からまた賄いを分けてもらう約束を取り付ける。
 マルトーの快い了承をもらい、カインは厨房を後にした。



「……なんだ、この有り様は……?」

 自分の帰還を告げようと、(一応の)主人であるルイズの部屋に戻って来て、カインの第一声はソレだった。

 室内のあまりにも悲惨な様に驚愕し、それ以外の言葉が出てこない。

――床に丸まった紙が散乱し、何冊もの本が机やベッドにまで山積みにされ、室内はまるで、凄まじいこだわりを持つ小説家の書斎の様に散らかし放題になっている。

 最後に見た部屋の様子と現状が余りにもかけ離れていた為、カインは一瞬、「部屋を間違えたか?」と思ってしまったぐらいだ。しかし、部屋に置かれた机の上でうつ伏せになって寝息を立てているルイズの姿が、カインが間違えていない事を証明している。

 そのまま寝かせておく訳にもいかなかったので、カインは仕方なくルイズの元に歩み寄り、その肩を揺すった。

「おい、ルイズ。起きろ」

「……ぅ……んぅ~…………すぅ……」

 一瞬だけ身動ぎして、ルイズは再び寝息を立て始める。そこで、今度は強めに揺さぶる。

「ルイズ。起きろ!」

「……んんぅ……うるさいわねぇ…………くぅ……」

「……しぶといな。こうなったら……ん?」

 こうなったら冷水でもかけてやろうかと考えた時、机に置いてあった紙が目に入った。何かと思い、手に取って見てみると、何やら文章が書かれている。

「……これは……」

 読んでみると、それは『儀式の詔』らしかった。それを見て、カインはオスマンが言っていた事を思い出す。

『――ミス・ヴァリエールが、アンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝の婚姻の儀に於いて、巫女の役に選出されたのじゃ』

 それに際して、詠み上げる詔を考えていると聞かされた。また、根を詰め過ぎて体調を悪くし、授業を何日も休んでいるとも言っていた。
 本当は、カインがシエスタに誘惑されていないかが心配で、気分を悪くしただけなのだが、本当の所を知らなかったオスマンは、『ルイズが巫女の役目のプレッシャーで体調を崩してしまった』と思っているのだ。それもあながち間違いでもないが……。

 無論、今まで留守にしていたカインも、ルイズの胸の内などわかるはずもない。故に、現状を見て、オスマンから聞かされた話が真実だと受け取った。

 カインは起こすのは止め、ベッドの邪魔な物を退かし、眠っているルイズを抱えてその上に横たえた。
 余程疲れていたのか、それだけ動かされたにも関わらずベッドの上で安らかな寝息を立て続けるルイズを見て、カインは思わず苦笑する。

「やれやれ……仕方のない奴だ。ここまで根を詰めていたとは……。……ゆっくり、休むといい」

 最後にそっとルイズの頭を撫で、一度部屋を後にした。




「…………ん、んぅ……」

 頭の覚醒により、重たい瞼が自然と開く。

「んっ~~~、っはぁ! 良く寝たわ」

 固まった体を伸ばし、心地よい脱力感に浸る。外は既に暗く、窓からは双月の明かりが差し込んでいた。

「もう夜か……。随分寝ちゃったわね……って、あれ?」

 寝惚けていた頭が覚醒し、ルイズはようやく、いつの間にか自分がベッドで眠っていた事に気付く。しかも、図書館から借りてきた書籍類、部屋に散らばっていた(自分で散らかしたのだが……)紙ゴミが綺麗さっぱり無くなっている。

「……なんで?」

 疑問符を頭に浮かべて、首を傾げるルイズ。

――ガチャッ……

 その時、前触れもなく部屋の扉が開いた。驚いたルイズが、開いた扉に目を向ける。

「――ん? ルイズ、ようやく起きたか」

「――カ、カインっ!?」

 入って来たのは、自分の使い魔たるカインだった。その事が、ルイズを更に驚かせる。

「なんだ、どうした?」

「……あ、あんた、いつ帰って来たのよ?」

「昼前だ。お前が眠りこけている間に戻って来た。ちなみに、その間に部屋もメイドに頼んで片付けてもらった」

 痛いところを突かれて、ルイズは顔を赤くする。

「う、うるさいわね……。仕方無いじゃない。……疲れちゃったんだもの」

 ルイズは恥ずかしそうに顔を背け、ぼそぼそと呟く。その様子にカインは苦笑するが、一応その理由は知っているのでそれ以上は何も言わずに、手に持っていた盆をテーブルに置いた。
 気付いたルイズが首を傾げて、尋ねる。

「? なにソレ?」

「お前の夜食だ。夕食の時間は当に過ぎているからな。マルトーに無理を言って、用意してもらったんだ」

 置かれた盆の上には、澄んだスープと艶やかなソースのかかった鶏肉が盛られた皿、そしてパンが二つ乗っている。
 漂ってくる美味そうな香りに、ルイズは喉を鳴らした。

――クゥ~……

「――っっ!!!」

 ついでに腹も鳴った。ルイズは慌てて自分の腹を押さえるが、時既に遅し――。
 恐る恐るカインの方を見れば、彼は目があった瞬間に「フッ」と笑いながら肩を竦めた。

「~~~っっ!!! しょうがないでしょッ! 朝から何にも食べてないんだからッ!! お腹だって鳴るわよ! 人間だものッ!!」

「別に何も言ってない。そんなことより、また腹が鳴る前に早く食ってしまえ。冷めても美味いらしいが、やはり温かい方が良いだろう」

 逆ギレして、開き直った様に言い訳を捲くし立てるルイズを、カインは笑みを浮かべながら軽く受け流す。
 自分の言動に動じた様子もなく、大人の余裕を感じさせるカインの態度に、ルイズは「う~~」と悔しげに唸っていたが、温かな食事から漂ってきた香りに食欲を刺激され、拗ねた様にムスッとした表情で椅子に座ると、無言で料理を口に運び始める。

 しかしそれも最初だけ。一口、二口……と食す内に表情は明るくなっていき、食べる速度も加速――結局ルイズは料理をあっという間に平らげてしまった。

「ふぅ~……」

 ルイズは満足げに溜め息を吐き、椅子の背に寄りかかる。先程の拗ね顔とは打って変わって、今は非常に満たされた幸せそうな表情だ。

「満足したか?」

「うん。姫様に捧げる詔も出来たし、これでやっと落ち着けるわ……」

 そう言った割には、ルイズの表情は暗かった。いや、「詔が出来た」と口にした辺りから、どこか陰りのある表情になったと言うべきか。
 しかし、その理由は察することができる。

「……やはり、姫の事が心配か?」

「……当たり前じゃない。姫様は愛しい人を亡くされて、その上好きでもないゲルマニア皇帝なんかと結婚しなくちゃいけないのよ? きっと、今も悲しんで、苦しんでいらっしゃるはずだわ」

 窓から外を……夜空の双月を見上げ、同じく自らの運命を見つめているであろうアンリエッタを思い、ルイズは哀しげな表情を浮かべている。
 アンリエッタの事を、まるで我が事のように悲しむルイズを見て、カインは二人の友情の深さを痛感した。

「……あんたが出かけている間に、オールド・オスマンに言われたの。私の大事なお友達の式だから、じっくりと考えて、言葉を選んで祝福してあげなさいって……。それが、姫様にとって、何よりの支えになるだろう、って……。だから私、必死になって詔を考えたの。少しでも、姫様のお心の支えになるようにって……。それで何とか満足がいく詔は出来たわ。でも……」

 ルイズは、言葉を切り、僅かに俯く。そして、呟くように続けた。

「……でも、やっぱり考えちゃうの。……せめて、ウェールズ皇太子が生きていらっしゃれば……姫様の悲しみも、少しは軽くなってたんじゃないかな、って」

「……そうか」

 物憂げな表情で語ったルイズに、カインは短く答える。

 ルイズが言ったのは、既に終わった事……今さらどうにもならない過去の事だ。彼女の心の中で、後悔がぶり返してしまったのだろう。頭で無意味とわかっていても、心はどうしても考えてしまう。
 しかし、カインは知っている。それも全てはアンリエッタの心を想えばこそ――ルイズの優しい心があればこそだと。

「ルイズ。お前に見せたいものがある」

「え?」

 突然そう告げ、窓から外に向かって口笛を吹くカイン。ルイズは、訳が分からず困惑する。
 そこへ、レフィアが飛んで来た。

「行くぞ」

「え? ど、どこによ?」

 困惑のままに尋ねるルイズだったが、カインはそれに答えず、レフィアの背に移る。そして、振り返り、ルイズに向かって手を伸ばす。
 何の脈絡もなく自分を連れだそうとするカインに、困惑するばかりのルイズだったが、疑問符を浮かべながらも最後にはカインの手を取り、レフィアに飛び乗った。



「――ちょっと、いったいどこに行くつもりなのよ? それに、何でこんなに高く上がって飛ぶのよ?」

「じきに分かる」

 ルイズの問いに対して、カインは明確な答えを言わない。

 部屋を飛び出してから然程時間は経っていないものの、カイン達を乗せたレフィアは、雲を遙か眼下に見下ろす程の高度を飛行していた。およそ、彼女に飛行可能な限界高度である。

「……うん、そろそろ良いか」

 カインはそう呟くと、目を閉じて黙ってしまった。カインが何をしたいのかさっぱり分からないルイズは、眉を顰め、首を傾げるしかない。

「……ルイズ」

「……なによ」

 黙っていたカインが自分を呼んだので、ルイズはちょっと不機嫌そうな声で答える。
 説明もなくここまで引っ張り出され、しかもいくら尋ねても答えてくれないカインの態度は、ルイズは少し拗ねていたのだ。

「見てみろ」

 ムスッと膨れながら振り向いて見ると、カインは背を向けたまま、何故か上を指差している。ここまで高い場所に上がりながらまた上かと、ルイズは呆れたような表情でカインが指し示す方向に目を向ける。

――そして、そのまま固まった。

「………………ナニアレ?」

 驚愕の余り、尋ねる言葉がカタカナになってしまうルイズ。

――カインが指し示した方向を見れば、なんと空から巨大な船が降りてくるではないか! しかも、見た事もないような不思議な形をした船だ。

「コルベール殿達と見つけた“お宝”だ。『月の箱舟』などと呼ばれていたが、本当の名は『魔導船』と言う」

「マドウセン?」

 驚愕冷めやらぬ内に、巨大船の名前を告げられ、脳内がフリーズしていたルイズはオウムの様にその名を繰り返した。

「……あれは、俺の世界からやって来た船なんだ」

「へぇ…………って! なんですってッ!?」

 カインの衝撃の言葉に、ルイズの頭がフリーズから覚める。

「レフィア」

「きゅ~い」

 カインの指示に軽い返事を返したレフィアは、その船に向かって羽ばたく。
 驚愕に驚愕を重ねたルイズは、情報を整理する間もなく、カインに連れられるまま魔導船の中に入っていった。


――数分後……


「わぁ……!」

 魔導船の壁に投影された外の光景に、ルイズは感嘆のため息を漏らしていた。

 煌く星々、輝く双月――いつも遠くに見上げていた光景がこんなにも近くにある。
 そして何より下に目を向けると、青と緑に彩られた、まるで宝石のように美しい惑星――自分達がついさっきまで立っていた大地ハルケギニアが見える。

 いつも当たり前に感じていた自分の生まれた大地が、こんな形をしていて、こんなに大きくて、こんなに美しいなんて知らなかった。
 大きな感動が、ルイズの胸を満たしていた。

「どうだ、感想は?」

「素敵……。まるで夢を見ているみたい……」

 うっとりと感想を述べるルイズを見て、カインは言った。

「……この船は、深い後悔を背負った、とある男の遺産なのだ」

「えっ……?」

 突然のカインの言葉に、ルイズは振り返る。カインは、壁面に移る星空を見上げながら語った。

「その男は、俺の故郷の地を侵略しようと目論んだ者に洗脳され、操られるままにこの船で飛び立った。しかし、何故かこの世界に辿り着き、そのおかげで自分を取り戻し、自らの行いを深く後悔した。そして……その命が尽きる瞬間まで、己を責め続けた」

「……」

「……俺にはその気持ちがよく分かった」

「……どうして?」

「……俺も……その男と同じだからだ」

「――えっ?!」

――カインは、これまで誰にも語らなかった自らの忌わしい過去をルイズに語った。全ては自らの未熟さと愚かさが招いた……忌わしい過去の出来事を……。

 語り終えたカインは、「ふう」と小さく一息吐くと、ルイズを正面から見据えた。

「……ルイズ。後悔は絶えるものでは無いし、過去の過ちや失敗はそうそう忘れられるものではない。だが、それに捉われ、歩みを止めてはいかん。肝心なのは、“その先をどうするか”だ」

「カイン……」

「お前は、ウェールズ皇太子を亡命させられなかったことで、未だに自分を責めているのだろう。それは仕方ない。だが、お前には“これから”出来る事がある。アンリエッタ姫を支えられるのは、もはやお前だけだ。臣下ではなく、一人の“友”として……お前の心からの言葉と行いが、彼女の大きな支えになるはずだ」

「……」

 ルイズは、何も言わず背中を向ける。カインも敢えて声は掛けず、その背中を見守る。

「……カイン」

「……なんだ?」

 やがて、ゆっくりと振り返ったルイズは、おもむろにカインを指差して言った。

「あんたって、不器用でしょ?」

「と、突然なんだ?」

 いきなりルイズが、笑みを浮かべながら図星を突いて来た。カインは僅かに動揺し、怪訝な表情を浮かべる。

「言いたい事があるのに、それを言うまでの前振りが長いのよ。それから、私は姫様のお心を支えて見せるわ! そんな分かり切ったこと、あんたに言われるまでもないの! さっきのは、ちょっと言ってみただけなんだから。私は落ち込んでもいないし、あんたが言ったみたいに後悔に捉われてもいないわ。勘違いしないで頂戴!」

 そう言い放つと、ルイズは再び背を向け、星空に見入り始める。
 その姿を見て、カインは苦笑を浮かべるが、いつもの威勢の良いルイズに戻ったことに安堵していた。

「……フッ、そうか。それは悪かったな」

 そう言うと、カインも彼女とは別の壁面から、ここしばらくじっくり見ていなかった双月を眺める。


 ルイズは、カインの様子を横目でチラチラと見ながら、「きゅっ」と手を結びながら、

「…………ありがとう」

 と、頬を染めて小さく呟く。その言葉がカインの耳に届くことはなかったが、ルイズの心はとても晴れやかになった。

 カインが自分を気遣ってくれたこと、そして自らの事を語ってくれたことが、何故かとても嬉しく、先程までの落ち込んだ気分が嘘のように軽い。

――自分のすべきこと、出来ることを思い出したルイズは、穏やかな笑みを浮かべ、心ゆくまで星空を堪能するのだった。






――時間は流れ、ウルの月29日……。

 ゲルマニアの首都、ヴィントボナにて行われるゲルマニア皇帝アルブレヒド三世とトリステイン王女アンリエッタの結婚式まで三日と迫った本日、ラ・ロシェール上空にトリステイン艦隊旗艦『メルカトール』号が艦隊を率いて停泊していた。
 その後部甲板には、正装し居住いを正している貴族が二人、空を睨んで立っている。艦隊指令長官ラ・ラメー伯爵とフェヴィス艦長である。

「奴ら、遅いではないか。艦長」

 ラ・ラメーが吐き捨てるように呟いた『奴ら』とは、新生アルビオン政府の大使とそれを乗せたアルビオンの艦隊の事である。約束の刻限をとうに過ぎているというのに、アルビオン艦隊は一向に現れず、トリステイン艦隊は待ち惚けを喰らわされていたのだ。

「自らの王を手に掛けたアルビオンの犬共は、犬共なりに着飾っているのでしょうな」

 フェヴィスはありったけの侮蔑を込めて呟く。彼は、大のアルビオン嫌いなのだ。

「――左舷上方より、艦隊接近! アルビオン艦隊です!」

 見張りの水兵が大声で告げる。そちらに目を向けると、巨大な艦を先頭にしたアルビオン艦隊が静かに降下してくるのが見えた。先頭の巨艦があまりに大き過ぎて、後続の戦艦が小さなスループ船のように見える。
 その威風堂々たる姿に、流石のラ・ラメーとフェヴィスの二人も感心してしまう。同時に、「戦場では会いたくないものだ」と恐怖にも似た感情を抱いていた。


『貴艦隊ノ歓迎ヲ感謝ス。アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号艦長』

 降下してきたアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊に併走するように横に付くと、旗流信号を掲げてきた。

「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、これまたコケにされたものですな……」

 フェヴィスはそう呟くが、それは何処か自虐的だった。何しろ、眼前のアルビオン艦隊に比べて、トリステイン艦隊の陣容はあまりに貧弱……。
 政府が変わっても、空軍力は未だ健在ということだ。

――直接対峙すれば、まず勝ち目はない。ここが戦場でないのが救いか……。

 現実を見せつけられては、誰でも自虐的になろうというものだ。
 だが、いつまでも悲観している訳にはいかない。ラ・ラメーは、『レキシントン』号に対し返信するよう指示を出す。

『貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』

 こちらのマストに、返信の旗流信号が昇る。すると――

――ドン! ドン! ドン!

 アルビオン艦隊から大砲が放たれた。弾は込められていない、空砲による礼砲である。しかし、流石は『ロイヤル・ソヴリン』級巨艦『レキシントン』号から放たれる大砲――空砲とは言え、凄まじい迫力である。
 その迫力に若干圧されながらも、ラ・ラメーは答砲を指示する。

「何発撃ちますか?」

 礼砲の数というのは、相手の書くと位で決まる。最上級の貴族であれば、十一発と決まっている。フェヴィスはそれをラ・ラメーに尋ねているのだ。
 すると、ラ・ラメーはニヤリと笑ってみせた。

「七発でよい」

 子供の様な意地を張る艦隊司令長官に、フェヴィスは苦笑するが、おおよそ気持ちは同じであった。故に、その命令に異論は挟まない。

「答砲準備! 順に七発! 準備出来次第撃ち方始め!」

 指示してから程無くして、答砲が放たれ始める。

――ドン! ドン! ドン!……

 そして、数発の空砲が発射された時、ラ・ラメーとフェヴィスは驚くべき光景を目の当たりにする。

――なんと、アルビオン艦隊最後尾にいた一番旧型の小さな艦から、火の手が上がったのだ。

「なんだ? 火事か? 事故か?」

 フェヴィスがそう呟いた次の瞬間――その旧型艦が炎に包まれ、空中爆発を起こした。
 残骸となったアルビオン旧型艦は、燃え盛る炎を纏いながら、地面に向かって墜落していく。その光景に『メルカトール』艦上は騒然となった。

――そんな中、『レキシントン』号から驚くべき手旗信号が送られてきた。

『『レキシントン』号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦。我ラアルビオン艦隊所属『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦隊の意図を説明セヨ』

 水兵から読み上げられた信号の内容に、ラ・ラメーは驚愕する。

「撃沈だと? 何を言っているんだ! 勝手に爆発して勝手に堕ちたのではないか!」

 ラ・ラメーはすぐさま、返信するよう指示を出し、通信兵が手旗で信号を送る。

『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニ非ズ』

 しかし、『レキシントン』号からの返答は――

『タダイマノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニ非ズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス』

 聞く耳持たぬというような返信と共に、『レキシントン』号の無情の一斉射撃の轟音が鳴り響く。


――遂に、アルビオンのトリステイン侵攻が、始まった……。






続く……かも






[2653] ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十五話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/17 12:58
 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ 第十五話







――神聖アルビオン帝国、トリステインに宣戦布告。

 この報がトリステイン魔法学院に届けられたのは、アルビオン艦隊がトリステイン艦隊を殲滅した翌朝のこと……。
 結婚式に出席する為の準備をしていたオスマンの元に、王宮よりの使者が大慌てでやって来て、アルビオンの宣戦布告の旨とそれに伴う結婚式の無期延期、加えて学院職員及び生徒達の禁足令の発令要請を伝えた。

「宣戦布告とな? 戦争かね?」

「いかにも! タルブの草原に、敵軍は陣を張り、ラ・ロシェール付近に展開した我が軍と睨み合っております!」

――使者の話では、アルビオンは巨艦『レキシントン』号を筆頭とする戦列艦十数隻、上陸総兵力三千という大戦力。対してトリステインは、主力艦隊が奇襲によって既に全滅しており、総兵力は僅か二千。

 敵の圧倒的な兵力に加え、制空権を完全に奪われ、艦隊からの一方的な攻撃が可能な現状では、もはやトリステインに勝ち目は薄い。いや、皆無といってもいい。王宮はこの絶望的な状況に際し、ゲルマニアに援軍を要請したが、その先陣が到着するのは三週間後になるらしい。

 明らかにゲルマニアはトリステインを見捨てようとしている。

――オスマンと使者の話に聞き耳を立てていたカインは、現状を聞き終えると同時に外に走り出した。

「ちょっと……! どこに行くのよ!?」

 同じく会話を盗み聞きしていたルイズが、叫びながらカインの後を追って走って来る。カインは立ち止まり、振り返る。

「――タルブの村だ。『魔導船』で行けば僅かな時間で着ける。今あそこにはシエスタがいる。見捨てる訳にはいかん!」

 そう言うとカインは口笛を吹き鳴らす。すると、すぐに羽音と共にレフィアが飛んで来る。
 カインは足に力を込めて跳び上ろうとしたが、後ろからしがみ付いてきたルイズに邪魔された。

「――ダメよっ!! 戦争してるのよ!? あんたがいくら強くても、一人じゃどうにもならないわ!! 王軍に任せておきなさいよ!!」

「使者の話を聞いていたはずだ。トリステインの艦隊は全滅、敵兵三千に対しこちらの兵力は僅か二千。このままでは王軍に勝ち目などない!」

 カインの言った事は、紛れもない事実――このまま王軍とアルビオン軍がぶつかれば、全滅は必至。ルイズもそんなことは百も承知だった。

「それは……、そうかも知れないけど……。あ、あんたが行ったって同じことじゃない!」

「……俺はあの穏やかな土地を愛した男から、その意志と共にあの『魔導船』を譲り受けた。ここでタルブ村の住人達を見捨てれば、俺を信じて『魔導船』を託した者に……、そして故郷の仲間達にも顔向けできん。……俺は竜騎士の誇りに懸けて、彼の意志に応える。タルブとそこに住まう者達を護る為に、必ずアルビオン軍を退けてみせる!!」

 カインが力強くそう宣言した時――その声に応える様に上空から『魔導船』が降下してきた。

「いくら止めようと、俺は行く。悪いが譲る気はない」

 そう言ってカインは踵を返す。

「――ま、待って! だったら私も行く!」

――ルイズの驚愕の言葉に、カインは再び振り返る。

 見ればルイズは、何かを堪える様に微かに震えている。その様子に、カインは首を横に振って、嗜める様に言う。

「……お前は来るな。さっき自分で言っただろう。これから向かうのは命の危険が付き纏う『戦場』だ。フーケの一件やアルビオンの時とは訳が違う」

「――わかってるわよ! だけど、今ここであんたを一人で行かせたら、私は貴族として胸を張れなくなるの!! それは私にとって、死ぬのと同じことよ! いくら止めても無駄よ。絶対、私も行くんだからっ!!」

 先程自分が言った台詞が意外な形で返って来た事に、俄かに驚いたカインだったが、ルイズの眼を見てその驚きもすぐに消える。

――その瞳には“揺らぎ”が無い。その奥には、確かな“気概”がある。

 ルイズは……、本気だ。ならば――

「……ならば、覚悟しろ。お前が考える以上に、戦場は過酷な場所だぞ」

「……っ!」

 ルイズがしっかりと頷くのを確認すると、カインは彼女を抱えて跳び上がる。
 そして空中でレフィアに跨り、『魔導船』へと向かう。


――『魔導船』は、タルブ村に向けて空を行く。アルビオンの魔の手から、かつての主の“故郷”を守る為に……。





――タルブの村は、『戦場』と化していた。

 村の家々は無残に焼き払われ……、村自慢の葡萄畑は踏み荒らされ……、夕陽に輝いていた草原は我が物顔で駐屯しているアルビオン軍によって踏み躙られ、上空には巨艦『レキシントン』号を旗艦とするアルビオン艦隊が停泊し、天下無双と謳われたアルビオンの竜騎士隊が飛び交っている。

 その空の上、哨戒する竜騎士の一人が、上空からの敵接近を察知した。すぐに竜を鳴かせ、味方に警戒を促すが、内心その敵を嘲笑っていた。

――近づいてくる敵は、たった一騎の竜騎士だったからだ。

「たった一騎で我らに挑もうというのか。随分舐められたものだ」

 アルビオン竜騎士はそう呟くと、周囲の仲間二騎を伴い、敵竜騎士の迎撃に向かおうとした。が――彼らは、その眼に飛び込んできた光景に驚愕する。

――仲間の竜騎士二騎が、瞬きする間に撃墜されたのだ。しかも、魔法でも竜のブレスでもなく――竜から飛び出した竜騎士自身の手によって。

「――な、なんだとッ?!」

 動揺は、そのまま他の竜騎士たちにも広まっていく。
 そうしている間に、敵はこちらに向かって来ている。竜騎士たちは動揺を抑えながら、迎撃の為に杖を構えた。

しかし、その相手は途中で上昇すると、太陽の中に入り込んでしまった。逆光に目がくらみ、敵を見失う。

――次の瞬間、勝負が決まった。

「ぐあぁぁぁぁ!!」

 一人の竜騎士が悲鳴と共に、竜諸共堕とされ――

「う、うわっ――ぎゃあッ!!」

 もう一人が胴を切り裂かれ、竜も首を槍で貫かれて落下していく。

「……ば、化け物か……?」

 最後の一人はそう呟きながら、自分に向かって来る竜騎士を冷静に見つめる。それが、彼の死に際の一言となった……。




「――すすす、凄いじゃないの! 天下無双と謳われたアルビオンの竜騎士が、まるで相手にならないなんて!」

 五人目の竜騎士を撃墜し、レフィアの背に戻って来たカインに向かって、ルイズが興奮気味に叫ぶ。

「騒ぐな! 舌を噛むぞ!」

 自分達に向かって来る敵を見据えたカインは、浮かれているルイズを叱る。

――ここは戦場なのだ。浮かれている隙など一瞬たりとも無い。

「無理やりここまでついて来たんだ。気を引き締めろ! 振り落とされても知らんぞ!!」

「わわわ、わかってるわよっ!」

 カインが言う様に、ルイズは無理を通してここにいる。魔導船で待機しているようにカインが言ったが、自分も行くと言って譲らなかったのだ。

――正直に言えば、ルイズは足手まとい以外の何物でもない。

 魔法で援護が出来る訳でもなければ、戦況を見定める眼も持っていない。
 今も始祖の祈祷書を抱えながら、アクロバット飛行を繰り返すレフィアから振り落とされないようにしがみ付くだけだ。

 しかし、ルイズも馬鹿ではない。自分が役立たずだ、ということぐらい自覚している。だから出撃する際、ルイズはカインにこう言った――。

「私はいない者と思って。自分の事は自分で何とかする。振り落とされても、拾わなくていい。私は、私の出来ることをするわ」

 覚悟の言葉――それが、カインがルイズを連れてきた理由だ。

――故に、カインは自らの戦いに集中する。

「――相棒、右下から十ばかり来やがるぜ!」

 右手のデルフリンガーが、敵の襲来を告げる。
 見れば、編隊を組んだアルビオン竜騎士隊がこちらに向かって来ていた。

――火竜のブレスをこちらに見舞うつもりの様だ。

「――レフィア!」

「――きゅっ!」

 カインはレフィアの背に立ち上がり、敵を見据える。そして――

「――っ!」

 レフィアが力強く羽ばたいたと同時に、敵目掛けて飛翔する。
 跳躍の反動を羽ばたく事で中和することで、カインは地面と同じ要領でジャンプ出来るのだ。カインとレフィアの絶妙なコンビネーションの成せる荒業である。

 ぐんぐんと敵集団に向かって飛ぶカイン。しかし、敵竜騎士隊の攻撃の方が早い――

――縦横に並んだ竜の口から、一斉に炎のブレスが吐き出される。

「――危ないっ!!」

 反射的にルイズは叫んだが、空中のカインに回避は不可能――火竜のブレスの束が、カインに襲いかかる。

――ボオォォォッッ!!

「――カインっ!!?」

 ルイズの悲痛な叫びが木霊する。

――しかしカインは驚くべき行動に出た。

「――えっ?!」

 それを見たルイズは、己が目を疑う。

――なんと、敵のブレスに飲み込まれる寸前、カインは槍を高速で回転させて炎をふり払い、直撃を回避したのだ。

 突進の勢いをそのままに、カインは炎を突き破り先頭の竜騎士を仕留めた。

「――ば、バカなっ?!」

 全く予想だにしない事態に、敵に混乱と動揺が一気に広がる。

――それが命取りとなった。浮足立った竜騎士達は、宙を舞うカインの動きを全く捉えられず、次々と墜とされていった。

 そして、最後の竜騎士を倒したカインが舞い戻って来た。

「あ、あんた……ホントに人間なの!?」

 戻ってくるなり、ルイズはカインに疑いの目を向ける。割と失礼な物言いだが、ルイズの疑問は尤もである。

 カインは装備の端々が焦げてはいるが、火傷はなく大したダメージも負っていない。ワルドの時も『ライトニング・クラウド』をまともに受けて平然としていた。ライトニング・クラウド、火竜のブレス……どちらも相手を死に至らしめる威力がある攻撃だ。

 しかしカインは――片や、肉体の強靭さで堪え切り……片や、槍を回転させるなどという荒業で回避……。

――どちらも、人間離れしているとしか言いようがない。

「……くだらんお喋りをしている時間はない」

「――相棒、また来たぜ」

「分かっている――!!」

 デルフリンガーの声を受けて、カインは再び敵に向かって飛び出していった。

「…………」

――レフィアの背に残ったルイズは、敵に立ち向かうカインの後ろ姿を見送りながら、今更ながらに後悔する。

 今、自分は完全なお荷物になっている……。
 カインは口では「落ちても助けには行かない」と言ったが、それ以前にルイズが振り落とされたりしないよう、レフィアと共にさり気無く注意を払っている。

――私は、私の出来ることをする。

 そんなことを豪語しておきながら、結局ただ余計な面倒をかけているだけの自分が情けなく感じていた。
 しかし、ルイズは自分のネガティブ思考にハッとし、その思考を振り払うように頭を振る。

(何、弱気なこと考えてんのよ私! 自分で覚悟を決めてここまで来たんじゃないッ! きっと私にだって、出来る事があるはず。そうでなきゃ、あいつの主人だなんて……いえ、それ以前に貴族だなんて胸を張れないわ!! ――私は、貴族よ! ラ・ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!! 敵にも、自分にも、背中を見せてたまるもんですかッ!!)

 心と瞳に決意の炎を燃やし、持ってきた『始祖の祈祷書』を持つ手にグッと力を込める。

 すると――

――ボォォォ……

「――えっ!?」

 なんと、『始祖の祈祷書』とアンリエッタから預かった『水のルビー』が、まるで互いに共鳴するように淡い光を放ち始めた。

「な、なに?!」

 ルイズが困惑しながら両手で持ち直すと、祈祷書がひとりでに開き、頁が捲れていく。

――そして、ある一頁で止まる。

「…………え?」

 その頁を見た時、ルイズは思わず目を見開き、身体を硬直させた――。





「全滅……だと? 僅か十分足らずの戦闘で、我らアルビオン軍が誇る精鋭竜騎士隊が全滅だと?」

 アルビオン軍旗艦『レキシントン』の後部甲板――伝令からの報告を受けたトリステイン侵攻軍総司令官サー・ジョンストンは、信じられないと言った表情で繰り返した。

「敵は何騎なんだ? 五十か? 百か? 一体トリステインの何処にそんな竜騎兵が残っていたと言うのだ?」

「そ、それが……、報告によれば、敵は……一騎、との事であります」

「……一騎、だと?」

 ジョンストンは、呆然と伝令に顔を向ける。そしてその直後、目を血走らせて伝令の兵を怒鳴り付ける。

「――ふざけるなッ!! 二十騎もの竜騎士が、たった一騎の竜騎兵に全滅!? 冗談も休み休み言えッッ!!」

「ひッ?! て、敵の竜騎兵は、自ら飛竜のように飛び回り、しかも……信じられない事に、火竜のブレスを受けても物ともせず、我が方の竜騎士を次々打ち取ったとか……」

 ジョンストンの余りの剣幕に身を竦ませながらも、伝令は報告を続ける。それが神経を逆撫でしたのか、ジョンストンは額に血管を浮き上がらせて、伝令に掴みかかろうとする。
 しかし、それは横から出てきた手に止められた――。

「――落ち着きなされ。そのように取り乱しては、兵の士気に関わりますぞ。司令官殿」

 そう言ってジョンストンを諌めたのは、『レキシントン』号の艦長ヘンリー・ボーウッドであった。

――彼は、アルビオン内戦に於いてレコン・キスタの蜂起時に貴族派の艦を指揮した戦功で昇進し、この船の艦長の座に収まった男である。心情的には王党派支持側なのだが、軍人は政治家に従うべきという考え故に、心ならずもレコン・キスタに与し、現在に到る。

 そんな冷静な軍人に対し、政治家上がりのジョンストンは激昂し、怒りの矛先をボーウッドに向ける。

「――何を申すかッ! 竜騎士隊が全滅したのは艦長、貴様のせいだぞ! 貴様の稚拙な指揮が貴重な竜騎士隊の全滅を招いたのだ!! この事はクロムウェル閣下に報告するぞ!」

 責任転嫁も甚だしいジョンストンの言葉に、ボーウッドは溜め息を吐きながら、杖でジョンストンの意識を刈り取る。
 腹部に強烈な当て身を喰らわされたジョンストンは白目を剥いて倒れ、ボーウッドの指示を受けた従兵に連れ出されていった。

――喚くだけの無能な司令官が居なくなった後部甲板で、ボーウッドは不安そうに自分を見つめる伝令に声を掛ける。

「竜騎士隊が全滅したとて、本艦『レキシントン』号を筆頭に、艦隊は未だ無傷だ。その正体不明の竜騎士の力は確かに驚愕に値するが、たった一騎で艦隊まで墜とせるはずもない。諸君らは安心して職務に励むがよい」

 冷静沈着で頼もしい指揮官の言葉に、伝令は敬礼し、ボーウッドを尊敬の眼差しで見つめる。それを見て、ボーウッドも薄い笑みを浮かべ、改めて命令を告げる。

「艦隊全速前進。左砲戦準備」

 命令を受け、アルビオン艦隊は前進を開始――目標はタルブの草原の向こう、岩山に囲まれた天然の要塞ラ・ロシェールの港町。

 程無くして、艦隊はラ・ロシェールの港町を、そこに布陣するトリステイン軍の陣を捉える所まで来た。

「艦隊微速。面舵」

 艦隊は速度を落とし、左舷をラ・ロシェールに向ける形で展開する。

――全艦の展開が完了した所で、ボーウッドは命令を下す。

「――左砲戦開始。以後は別命あるまで射撃を継続せよ」

――アルビオン艦隊は、トリステイン軍に向けて砲撃を開始。連鎖的に鳴り響く砲撃の轟音に、空気が揺れる。

 そんな中、ボーウッドは別の命令を出す。

「上方、下方、右砲戦準備。弾種散弾」

 それは、アルビオン竜騎士隊を全滅させた、一騎の竜騎士への対処であった――。





――ラ・ロシェールに布陣したトリステイン軍は、大混乱に陥っていた。

 アルビオン艦隊からの砲撃で、人が、町が、岩が舞い上がり、その圧倒的で一方的な攻撃に味方の兵達は浮足立ち、今にも総崩れに陥りそうな状況となっている。

 そんな中に、ユニコーンに跨った戦装束のアンリエッタと、いつもの球帽ではなく白い布切れを頭に巻いたマザリーニの姿があった。


――話は、少し遡る……。

 アルビオンの宣戦布告を受けて、王宮の貴族達は対策を論じ合った。
 しかし、貴族達の会議は一向に纏まらず、不毛な議論が繰り返されるだけ……。あのマザリーニですら、その論議に収拾を付ける事ができずにいた。

――その議論を収めたのは、可憐なウエディングドレスを身に纏ったままでその会議に出席していたアンリエッタであった。

「――あなたがたは、恥ずかしくないのですか?」

 アンリエッタの凛とした声に、貴族達は息を飲み沈黙する。

「国土が敵に蹂躙されているのですよ。同盟だなんだ、特使がなんだ、と騒ぐ前にするべきことがあるでしょう」

 その言葉に、貴族の中から「誤解から発生した小競り合いだ」という意見が出る。
 しかし、アンリエッタはそれを「誤解の余地などない」とスッパリと切り捨てた。

 そして、未だ穏便に事を収めようとするマザリーニを初めとする貴族達に向かって、アンリエッタはテーブルを叩き、大声で叫んだ。

「――わたくし達がこうしている間に、民の血が流されているのです! 彼らを守るのが貴族の務めなのではないのですかッ!? 我らは、何の為に王族を、貴族を名乗っているのですか? このような応急の際に、彼らを守るからこそ、君臨が許されているのではないですか?!」

 今までになかった王族の威厳を纏うアンリエッタの気迫に、貴族達は何も言えなくなった。アンリエッタの言葉は止まらない――。

「あなた方は怖いのでしょう。なるほど、アルビオンは大国。反撃を加えたとしても勝ち目は薄い。敗戦後、責任を負わされるであろう、反撃の計画者になりたくないと言う訳ですね? そして、このまま恭順して命永らえようと言う腹積もりなのでしょう?」

「姫殿下」

 流石にマザリーニも、アンリエッタを諌めようとする。だが、それでもアンリエッタの言葉は止まらない――。

「もう結構。ならばわたくしが軍を率います。あなた達はここで会議でも何でも続けていなさい」

 そう告げると、アンリエッタは会議室を飛び出していく。それを見て、マザリーニや数名の貴族達が慌てて押しとどめようとする。

「姫殿下! お輿入れ前の大事なおから――ぶあっ!?」

 マザリーニは、顔に投げつけられた布切れによって言葉を遮られる。

――それは、ウエディングドレスの裾だった。アンリエッタが破り投げつけたのだ。

「――そんなに同盟が大事なら、あなたが結婚なさればよろしいわ!」

 アンリエッタはそのまま中庭に走り出て、ユニコーンに跨り、魔法衛士隊に号令を掛け、彼らを率いて駆けだして行ってしまった。

「…………」

 それを呆然と見つめていたマザリーニは、手に残ったドレスの切れ端を見つめる。そして、アンリエッタが向かった先を見据え、その布切れを握り締める。

――姫殿下の言われた通り。もはや、外交でどうにかなるような状況ではないのだ。私の今までの努力は水泡に帰した。ならば、しがみついてなんになろう。

 すべきことは、既に決まっている――マザリーニは被っていた球帽を床に叩きつけ、代わりにアンリエッタが投げつけたドレスの裾を頭に巻く。

「各々方! 馬へ! 姫殿下お一人に行かせたとあっては、我らは末代までの恥ですぞ!!」

 今度はマザリーニが、自ら馬に跨ってアンリエッタの後を追って駆けだす。国の総意が、決した瞬間であった――。





 砲弾が飛び交い、轟音が響き渡るラ・ロシェール。生まれて初めて味わう『戦場の空気』に、アンリエッタの心は急速に恐怖に覆われていく。

「落ち着きなさい! 落ち着いて!」

 恐怖を紛らわすように、浮足立つ兵達に向かって叫ぶが、気休めにもならない。
 そんな時、隣にやって来たマザリーニが、そっと耳打ちする。

「先ずは殿下が落ち着きなされ……。将が取り乱しては、軍は瞬く間に潰走しますぞ」

 その言葉が、アンリエッタの心に僅かながら平静を取り戻させる。
 マザリーニは近くの将軍たちと素早く打ち合わせる。

――先ずはこの砲撃に耐え抜かなければならない。

マザリーニの号令の元、貴族達は風の障壁を展開させ、砲弾への防御を固める。砲弾が障壁とぶつかり砕け散るが、やはり全てを防ぐには至らず、障壁の隙間から入り込んだ砲弾によって被害は減りこそしたが、止まらない。

 マザリーニは呟くように言う。

「この砲撃が終わり次第、敵は一斉に突撃してくるでしょう。とにかく迎え撃つしかありませんな」

「勝ち目は、ありますか?」

 アンリエッタの問いに、マザリーニは――

「五分五分、と言ったところでしょうな」

――嘘を吐いた。

 自分が忘れていた何かを思い出させてくれたアンリエッタに現実を突き付ける気になれず、敢えてそんな事を言った。

 残酷な真実を、痛感しながら……。

――敵は空に陣取り、絶大な支援を受けた三千。自軍は地に足を着け、砲撃によって崩壊しつつある二千……。

 兵力、戦力、装備、彼我の位置関係――あらゆる面に於いて、もはやトリステイン軍に勝ち目は……ない。





「…………」

――ルイズは、『始祖の祈祷書』を食い入るように見つめていた。

 突然光り出し、勝手に頁が捲れたと思ったら、ある一頁で止まり、そこには驚くべきものが見えた――。

(白紙だったはずなのに……、これは……古代ルーン文字だわ)

 淡く光る頁には、埋め尽くすように古代ルーン文字が書き込まれている。


――序文

 これより我が知りし心理をこの書に記す。この世のすべての物質は、小さな粒により為る。四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四の系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。



「…………」

 ルイズは無言で文章を追い、頁を捲っていく。


> 神は我に更なる力を与えられた。四の系統が影響を与えし小さな粒は、更に小さな粒より為る。神が与えしその系統は、四の何れにも属さず。我が系統は更なる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。四にあらざれば零。零即ちこれ『虚無』。我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名付けん。


(虚無……虚無の系統……。伝説じゃないの……。伝説の系統じゃないの!)

 記されている内容に、心臓が高鳴り、驚きすぎて声も出ない。ルイズは瞬きすら忘れて、祈祷書の頁をめくり続ける。

――遠い遠い祖先、始祖ブリミルに導かれるように……




「いかんな、あの調子では、トリステイン側が瓦解するのも時間の問題だ……。だが、あの船を何とか出来れば、逆転のチャンスもある」

 上空で、ラ・ロシェールに向けて艦砲射撃を行うアルビオン艦隊を睨みカイン。しかし、如何せん相手がでか過ぎる。いかにカインと言えど、一人で船を墜とすのは至難の業――それを、カインの右手に握られた古ぼけた魔剣が指摘する。

「いくら相棒でも、そりゃ流石に無理だね。『蜂』が『ドラゴン』に挑むようなもんさ」

――『蜂』と『ドラゴン』

 敵とカインの戦力を分析したデルフリンガーの揶揄――それは、非常にわかりやすく戦力差を表していると言える。
 同時に……可能性が『ゼロ』ではない事も表している。

「……『蜂』の一刺しも、時として巨大な相手を死に至らしめることもある」

「おいおい、相棒。おめぇ、正気かい? 槍や俺じゃ、船は壊せねぇぜ?」

 デルフリンガーが呆れた風にそう言うと、カインは「フッ」と鼻で笑う。

「――俺は仲間と共に、あんな艦隊より遥かに強大で恐るべき敵と戦った。『奴』に比べればあんなモノ、物の数ではない」

――そうだ。あの恐るべき敵……『ゼロムス』と相対した時のプレッシャーに比べたら、あんな戦艦など何だと言うのだ。

「あの艦隊が『物の数じゃねえ』ときたか……。なんちゅうか……、今度のガンダールヴは、ホントとんでもない野郎だぜ……」

 感心とも、呆れとも取れるデルフリンガーの呟きを聞き流し、カインは改めてアルビオン艦隊を――その旗艦たる『レキシントン』号を睨みつける。


 その後ろでは、ルイズが未だ『始祖の祈祷書』にかじり付いていた――。

「…………」

 その耳には、周囲で鳴り響く轟音はもはや届いておらず、ただ自身の心臓の鼓動だけが響いている。


 これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり。またその為の力を担いしものなり。『虚無』を扱うものは心せよ。志半ばで倒れし我とその同胞の為、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。『虚無』は強力なり。また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。従って我はこの書の読み手を選ぶ。例え資格無き者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。されば、この書は開かれん。

                                                     ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ


 以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。
 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』



 その後に続く古代語の呪文を眼で追いながら、ルイズは小さく呟く。

「……ねえ、始祖ブリミル。あんた抜けてんじゃないの? この指輪が無くちゃ、その読み手とやらも『始祖の祈祷書』は読めないんでしょ? ……注意書きの意味がないじゃないの」

――先ほどの驚きと胸の高鳴りは鳴りをひそめ、こんな時にも関わらず些細な事へのツッコミが口から出るほどに、ルイズの頭の中は落ち着いていた。

 今、ルイズが考えていることは、一つだけ……

(信じられないけど……間違いかも知れないけど……。見つかった……かもしれない……。私の……“出来ること”……)




――艦隊を相手にするより、あの旗艦となっている戦艦を叩くのが、手っ取り早い。

 敵は、左舷をラ・ロシェールの港町に向け、艦砲射撃を継続中――カイン達はそのアルビオン艦隊の右舷側にいる。
 艦隊の周囲を飛び回っていた敵の竜騎士はすべて始末した。その後、艦隊から竜騎士が投下されてくる気配もない。恐らく冷静な指揮官がいるのだろう。

――自軍の竜騎士隊を、一騎で全滅させたとはいえ、所詮はたった一騎の竜騎士。艦隊、いや戦艦まで相手にできる訳がない。

 いかに強い力を持っていようと、所詮“個人”――出来ることには限界があるものだ。そう考え、カイン達を積極的に相手にしようとはせず、当初の目標――トリステイン軍を攻め滅ぼそうと砲撃を繰り返しているのだろう。

(……だが、そこまで考えられる程の指揮官が、俺達が船に乗り込もうとする可能性を考慮しないとは……考え難い)

 何もしてこないからと言って、馬鹿正直に正面から近づくのは愚策。
 ならばどうするか?――カインはアルビオン艦隊と一定の距離を置き、その様子を注意深く観察する。

――基本的に、空船――飛空戦艦というものは、バロンの飛空艇団『赤き翼』を参考に考えると、側面に大砲を搭載し、その面を標的に向けて砲弾を発射する。後は、船底部からの爆撃。

 こちらの空船も、それら装備の点に関しては“飛空艇”とそれ程変わらないはずだ。故に、船は側面から底面に掛けて武装が施され、見張りの目も光っていると考えられる。

(――攻めるならば、やはり直上か)

 船にとって、真上は死角――大砲は上に向けて撃つには適さないし、外れた時、砲弾がマストや帆に当たる危険性もある。メイジによる魔法での迎撃も考えられるが、上空を飛び回る標的に当てるのは至難の業だ。まして、それがレフィアとカインのコンビではまず当たらない。

 とはいえ、その真上に行くまでが骨が折れる。大砲なり、魔法なりで、こちらの上昇を邪魔してくる可能性は極めて高い。上空の的に当てるより、横か下にいる的に当てる方が遥かに難易度は低い。
 自分はともかく、万が一レフィアや後ろのルイズに流れ弾や魔法が当たりでもすれば大事だ。確実に、敵の上を取る方法が必要になる。

――そこまで思考を巡らせて、カインはある方法を思い付き、眉を顰める。が、響き渡る艦隊の砲撃音と着弾の爆発音に、迷っている時間がないことを悟った。

(……あまり気が進まんが、他の方法を考えている時間はなさそうだ。やむを得ん)

 カインが方針を固め、行動に移そうとした……その時――

「――カイン、あの巨大戦艦に近づいて」

 今まで沈黙していたルイズが、突然声を掛けてきた。

「突然どうした? 言われんでも近づくが……ルイズ?」

 振り向いて気が付く。ルイズの様子がおかしい。
 一見冷静だが、どこかソワソワしているし、何かに戸惑っているようにも見える。しかし、その眼には何か不思議な輝きが宿っているようにも感じられる。

「……何か、策があるのか?」

 カインがそう尋ねると、ルイズはゆっくりと呟くように話し出す。

「いや……、信じられないんだけど……、うまく言えないけど、私、選ばれちゃったかもしれない。いや、なんかの間違いかもしれないけど」

 自分でも要領を得ない言葉――ルイズは、静かに戸惑っていて、うまく表現できずにいた。だから、独り言を呟くようにぽつりぽつりと、自分も確認するかのように続ける。

「実感があるわけじゃないんだけど……、ひょっとしたら……あの戦艦、やっつけられるかもしれない……。いいえ、多分これ以外に方法はないと思う……。だから、力を貸して! 私に、『私が出来ること』をやらせて! 私を、あの戦艦の近くまで連れてってッ!!」

 『始祖の祈祷書』を強く握り、真剣な眼差しで訴えるルイズ。それを見て、カインは頷く。

「わかった。では少し待て。――もうすぐ、好機がやってくる」

 そう言って上空を見上げるカイン。その視線の先からは、“あの船”が降りて来ていた――。




「――艦長! 見張りの兵からの急報ですッ!!」

 艦隊の指揮を執っていたボーウッドの元に、伝令が駆け込んできた。

「何事だ?」

 ボーウッドが怪訝な顔で尋ねると、姿勢を正して告げる。

「――右舷上空より、所属不明の巨大な艦が出現ッ!! 本艦隊に向かって降下中とのことですッ!!」

「――なんだとっ!?」

 ボーウッドは慌てて右舷側の上空を見上げる。すると、確かにこちらに向かってくる一隻の船が、上空の雲の隙間から確認できる。

(――なんだ、あの船は?! 一体どこの船だ!? あんな高度を飛べる船が存在するというのか? しかし、あんな形の船は見たことがないぞ……!!)

 普段冷静なボーウッドが、この時ばかりは激しく動揺していた。
 グングン近づいてくる異様な船に、他の船員たちも気づいたのか、『レキシントン』号が俄かに騒がしくなっていく。動揺が広がっているのか、砲撃も徐々に弱まっている。

――そして、その船は、艦隊上空を占位し、静かに停止した。




――『魔導船』の出現によって、『レキシントン』号の砲撃が止んだ。

「――今だ! レフィアッ!」

「――きゅいッ!!」

――この機を逃すわけにはいかない。弾丸のようなスピードで、レフィアは『レキシントン』号の真上に躍り出る。

「――私が合図するまで、ここでぐるぐる回ってて」

 そう告げ、ルイズは杖を取り出し、精神を集中する。そして、祈祷書に書かれていた古代語の呪文の詠唱を始める。


 エオロー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ


 ルイズの口から、淀みなく紡がれる呪文の調べ……


 オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド


 その調べは、リズムを生み、ルイズの体と心を巡る。古代のルーンを呟くたびに、リズムはうねり、精神が透明になっていく感覚に包まれていく。


 ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ


 どんどん強くなるうねりが、体の中で行き場を求めて暴れだすのを感じる。

「カイン」

「――よし!」

 アイコンタクトのみで意思を交わすルイズとカイン。そして、レフィアが『レキシントン』号目掛けて急降下を開始する。


 ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……


 長い詠唱が完了し、呪文は完成した。
 その瞬間、ルイズは己の呪文の威力を理解した。その呪文は、目に映るすべての人を巻き込み、消し去ってしまうだろう。

――しかし、自分の『やるべきこと』は“殺戮”ではない。『出来ること』は“滅ぼすこと”ではない。

 初めて、自分の意志を組み込んだ呪文と、それを紡いだ自分の心を信じて――ルイズは、宙の一点に向けて杖を振り下ろす。その呪文の名は――

「――『エクスプロージョン』ッッ!!!」




――アンリエッタは、奇跡を見ていた。

 自分たちに、砲弾の雨を降り注がせていたアルビオン艦隊――その更に上空に、巨大で、ハルケギニアのどの国の物とも異質な船が出現したと思えば、今度は巨大な『光の球』。
 その姿はさながら“空から落ちてきた小さな太陽”――その光がアルビオン艦隊を包み込み、一層光り輝く。

 そして光が収まり、閉じていた目を開いたアンリエッタが目撃したのは……あれほどの恐怖を振りまいていたアルビオン艦隊が、旗艦『レキシントン』号を筆頭に炎上し、船首を落として地面に向けて墜落していく姿だった。

――地響きと轟音を響かせながら、艦隊は地面に堕ちる。

 アンリエッタを初め、誰もがその光景を呆然と見つめている。恐らく、そこにいた全てに人間が、この言葉を考えたことだろう――。

――“奇跡”――

「――諸君! 見よ! 敵の艦隊は滅んだ! 伝説の“神の箱舟”によって!」

 そう叫んだのは、枢機卿マザリーニであった。一番早くに我に帰ったマザリーニは、空に鎮座する“謎の巨大船”を指さして、大声で叫ぶ。

「――“神の箱舟”だって?」

 マザリーニの言葉によって、軍団に動揺が走る。たたみ掛けるようにマザリーニは叫び続ける。

「――さよう! あの空に浮かぶ船を見よ! あれこそはトリステインが危機に陥った時、現れるという、伝説の神々の舟!! 各々方! 始祖の福音は我らにあり!!」

『――うおおおおおぉぉーーッ!! トリステイン万歳! “神の箱舟”万歳!!』

 歓声が轟き、トリステイン軍の士気が一気に高まり、兵たちの表情に気力が蘇る。


「枢機卿、“神の箱舟”とは……真ですか? わたくし、そんな伝説は聞いたことがありませんが……」

 兵達の歓声が響く中、アンリエッタはマザリーニにそっと問いかける。するとマザリーニは、彼には珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

「――真っ赤な嘘ですよ」

――誰もが冷静な判断力を失っている今、自分の言葉が嘘か本当かなど、気にもしない。現実に敵の艦隊は墜落し、見慣れる巨大船が宙に浮いていれば、それを軍の鼓舞に利用しない手はない。

 マザリーニはそう説明すると、アンリエッタの目を覗き込みながら言う。

「――使えるものは、何でも使う。政治と戦の基本ですぞ。覚えておきなされ殿下。今日からあなたは、このトリステインの王なのだから」

 アンリエッタは頷き、そして表情を引き締める。
 艦隊を失った今、アルビオン軍は浮足立っているに違いない。そして、我が軍の士気はこれでもかと言うほどに高まっている。

――今こそが、最大の好機!

 ならばと、アンリエッタは自らの水晶の杖を掲げ、高らかに宣言する。

「――全軍突撃ッ! 王軍ッ! 我に続けッ!!」

――トリステインの怒涛の反撃が始まった。



 一方その頃……、カイン達は、魔導船の内部に戻って来ていた。

 内部のモニターには、艦隊と共に統制を失ったアルビオン軍を踏破らんと突撃するトリステイン軍の姿が映し出されている。

「あれを見る限り、トリステイン軍が敗北することはあるまい。俺達の出番はここまでだな」

 映像を見ながら、カインが呟く。

「そうね……、よかった……」

 ルイズも映し出されたトリステイン軍の優勢を見て、ほっと安堵の息を吐きながら答えた。

――彼女が今、どういう状態かと言うと、カインの腕にいわゆる“お姫様だっこ”の態勢で抱き抱えられている。

 あの呪文『エクスポロージョン』を放った後、ルイズは突然脱力して、ほとんど力が入らないほどの疲労に襲われた。どうやら、呪文の発動で膨大な精神力を消耗した反動らしい。

 いつものルイズならば、顔を真っ赤にして大慌て間違いなしの状況だが、体を包む疲労感でそんなことに気が回らないのか、カインの胸に寄りかかっている。
 その表情は、『自分に出来ること』を成し遂げた達成感に満たされ、とても晴れやかだった。

「ルイズ、聞いてもいいか?」

「なに?」

「先程のあの光……あれは、なんだったんだ?」

「伝説よ」

「伝説?」

 カインは怪訝な顔で尋ねると、ルイズは穏やかな笑みを浮かべて目を閉じる。

「説明はあとでさせて。疲れたわ」

 そう言うと、小さく溜め息を吐くルイズ。それを見て、カインは苦笑する。

「そうだな。では、今はこれだけにしておこう」

 カインは、片手でルイズの頭を撫でて言った――。


「――ルイズ、よくやった」






――突然のアルビオンの奇襲から始まった“タルブの攻防”は、トリステイン側の勝利で終結した。

 アルビオン軍はトリステイン軍の突撃によって潰走。多くの兵が投降したらしい。
 その奇跡を呼んだ“謎の巨大船”は、戦いの最中に空の彼方に消えていったという。マザリーニの嘘のおかげで、伝説の“神の箱舟”などという話で定着してしまったらしく、その話は“意外な形”で広まっていった――のだが、それはまた別の話。後に語るとしよう。

 さて――とりあえず、トリステインはアルビオンの蹂躙を免れ、国土防衛に成功した訳だが、これは『始まり』にすぎない。アルビオンが明確な敵意を示し始めたことで、ハルケギニアは『開戦』に向けて大きく動いてゆくことになるだろう。


 その背後に隠れた『狂気』の存在に、誰も気づかぬまま……ハルケギニアは、激動の時代に突入する――。







 『第一章』 ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~ <完>

『第二章』に続く……





[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第一話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:02
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第一話







――タルブの戦いから、数日……トリステインは、王軍の奇跡的勝利に沸いていた。

 誰もが王軍を、それを率いたアンリエッタを褒め称えた。
 数で勝るアルビオン軍を打ち破った事が称賛に拍車を掛け、今ではアンリエッタは『聖女』と崇められ、民衆から高い支持を集めている。

 そんな中で、アンリエッタは『女王』に即位した。しかも、“ゲルマニア皇帝との婚約解消”と“国同士の同盟成立”というオマケ付きで――

 一国でアルビオンを破ったトリステインは、既に列強の一角に数えられている。もはやゲルマニアも強硬な態度を取ることはできず、またアルビオンの脅威から自国を守る為にはトリステインとの同盟は必要不可欠とあって、アンリエッタはゲルマニア皇帝アルブレヒト三世に嫁ぐことなく、トリステインはゲルマニアと対等の立場として軍事同盟も成立。

 結果的に、アンリエッタは自らの手で“自由”を手に入れたのだ。


――そんなある日、トリステイン王宮の一室……、そこでアンリエッタは、何やらソワソワしていた。

「……まだかしら?」

 そう呟いては扉の方を振り返る。外に控えた者から声が掛からないとみると、再び窓の外を眺める――そんなことをずっと繰り返していた。
 因みにここは、謁見の間ではない。言うなれば、女王の執務室――アンリエッタの私室である。

 女王に即位してからというもの、アンリエッタの毎日は多忙を極めた。

 朝から晩まで、国内外を問わず客がやって来ては応対しなければならず、また、その時も女王としての威厳を常に見せ続けなければならない。マザリーニが多少補佐してくれるのでまだマシな方だが、慣れない仕草や緊張を強いられ、アンリエッタは大変気疲れしていた。

 しかし、今待っている客は『女王の威厳』など見せなくてもよい、アンリエッタ個人として話が出来る、唯一の相手だ。故に、“こちらから呼び出した”とは言え、アンリエッタは今日の客の到着を楽しみにしていたのだ。

――コンコン……

「――女王陛下。お客様がご到着されました」

「――!」

――待ち侘びていた報せである。

「通してください」

 扉が開き、待ちに待った客が恭しく頭を下げて、中に入ってくる。
 アンリエッタは堪らず駆け寄って、客人に抱擁した。

「――ルイズ、ああ、ルイズ! よく来てくれたわね!」

――アンリエッタの元にやって来たのは、幼少時代からの無二の友人ルイズと、その使い魔、竜騎士カインであった。

 今朝方、二人の元に王宮からの使者を名乗る者がやって来て、アンリエッタからの呼び出しが掛った旨を伝えてきたのだ。そこで、ルイズは授業を休み、カインと共に王宮に参じたのである。

「お久しぶりです、姫様。いえ……、これからは“女王陛下”と御呼びせねばなりませんね」

 ルイズがそう言うと、アンリエッタはムッと眉間に皺を寄せる。

「そのような他人行儀な呼び方をしたら承知しませんよ、ルイズ・フランソワーズ。あなたはわたくしから、最愛のお友達を取り上げてしまうつもりなの?」

「……でしたら、これまで通り“姫様”とお呼びしますわ」

 そう言うルイズに、アンリエッタはパッと笑みを浮かべる。

「そうして頂戴。ああもう、聞いてルイズ。全く、女王になんてなるんじゃなかったわ。退屈は二倍、窮屈は三倍、おまけに気苦労は十倍よ? ホント、嫌になっちゃう!」

 年相応の口調でアンリエッタは、愚痴を語り始める。ルイズは苦笑しながらも、大事な友人であるアンリエッタの苦労を感じてか、彼女の気が済むまで聞くつもりでいた。

――が、愚痴の途中でアンリエッタは思い出した様に、扉の近くに佇んでいるカインの方に目を向ける。

「カインさんも、よく来て下さいました」

 アンリエッタが柔らかな笑みを向けると、カインは恭しく跪く。

「お招きにより参上致した、アンリエッタ女王」

「そのように畏まらないで下さいな。この場には口煩い枢機卿もおりませんし……、何よりわたくしは、女王とは名ばかり、冠を被っただけのただの小娘ですもの……」

「――姫様! そんなこと――!」

 自虐的なアンリエッタの発言に、ルイズが横から異論を唱える。が、アンリエッタは目を伏せて首を横にふった。

「いいえ、ルイズ。それが真実なのよ……。巷では『聖女』だなんて呼ばれているけど、あの戦いでわたくしはただ騒いでいただけ……。勝利できたのは、わたくしの力ではないわ」

 そこでアンリエッタの視線はカインを見つめ、次いでルイズの方を向く。
 ルイズは思わず気まずい顔をしてしまうが、それを見てアンリエッタは微笑みながら言った。

「――あの勝利は、あなたとカインさんの二人がもたらしてくれたんだもの。ね、ルイズ?」

「わ、私……何のことやら……」

 目を泳がせ、下手な誤魔化し方をするルイズに、アンリエッタはクスクスと笑う。

「わたくしに、隠し事はしなくて結構よ。ルイズ」

 そう言うと、アンリエッタは執務用の机の引き出しから書類を取り出し、ルイズに渡した。
 それを読む内に、ルイズの顔が驚きに変わる。

「……ここまでお調べになったのですか?」

――書類は、調査報告書であった。タルブに於ける周辺住民の目撃情報と、投降したアルビオン将兵からの証言の数々が記されている。

「あれだけ派手な活躍をしておいて、隠し通せるわけがないじゃないの」

 ルイズの問いに笑いながら頷くと、アンリエッタはカインの方に歩み寄る。

「カイン・ハイウインド殿。たった一騎にて敵の竜騎士を全滅させた、あなたの武勇も聞き及んでいます。心より、厚く、厚く御礼申し上げますわ。本当に、ありがとうございました」

「……礼には及ばない」

 カインがそう言って目を伏せる。が、アンリエッタはそれを強く否定する。

「――いいえ。あなたとルイズがいなければ、わたくし達王軍は敗北し、トリステインは今頃アルビオンによって蹂躙されていたことでしょう。それに、あの異国の……いえ、“異世界”の巨大船を操っていたのはカイン殿、あなたなのでしょう?」

 アンリエッタの口から飛び出した驚きの発言に、カインが伏せていた目を開く。するとアンリエッタは、机の引き出しから別の書類を取り出した。

「こちらは、魔法学院のオスマン学院長から送られてきた親書です。そこに、“あの船”の事も記されていました」

 今度はカインの表情が険しくなる。その心中を察したのか、アンリエッタはその親書とやらをカインに手渡した。

「…………」

 その親書を見て、カインは一先ず安堵する。

――そこには、“魔導船”の『異世界で造られた事実』を含む詳細、特にその素晴らしくも恐ろしい“技術力”については強調されて記されていた。

 アルビオンとの間に緊張が走る現状において、それほどの船の存在が他の貴族達に知れれば、戦争に利用されることは必至。
 しかし、あの船の建造主はそのようなことを望んでおらず、その遺志はカインが引き継いでいる。故に、他の貴族達の手に渡ることの無いよう、その所有権を保障してほしい旨が書かれていた。

 オスマンは、カインとの約束を忘れなかったようだ。

「以前オスマン学院長から、カインさんが異世界より召喚された人物であることは聞いておりました。そして、あの船――“魔導船”もまた、カインさんと同じ世界からやって来た存在だとか……、であるならば、わたくし達がどうこうして良い代物ではないでしょう。――ご安心下さい。“魔導船”の所有権は、このアンリエッタの名に於いて保障致します」

 アンリエッタは、一枚の羊皮紙を取り出し、カインに手渡す。書面には花押されており、正規の公文書であることを示している。

「わたくしが発行する正規の権利書です。それを提示すれば、あの船に関わる事に限定してではありますけれど、あらゆる命令に対して絶対的な特権を行使できます」

「陛下のご理解に、感謝申し上げる」

 感謝の言葉と共に、頭を下げるカイン。だが、アンリエッタは少し憂鬱な顔で首を横に振る。

「いいえ……、寧ろこの程度のことしか出来ず、心苦しい思いですわ。出来ることなら、あなたに爵位と領地をさしあげ、貴族になって頂きたいくらいなのですが……」

「――い、いけません、姫様! メイジじゃないカインを貴族になんて……!」

 アンリエッタの発言に、ルイズは慌てて押し止めようとする。
 しかし、アンリエッタはそんなルイズに首を横に振ってみせる。

「話は最後まで聞いて頂戴、ルイズ・フランソワーズ」

「あ……も、申し訳ありません、姫様」

 ルイズは恥ずかしげに頬を赤らめ、俯く。アンリエッタはその様子に僅かに笑みを浮かべたが、直ぐに表情を引き締める。

「……今回の一件、真相がどうあれ、公表はしないことが決まりました。その為、あなたに表だって褒賞を差し上げる訳には参りませんの……」

 そう言うと、アンリエッタは徐に語り出した。

――調査を進める内に、今回の勝利の立役者がルイズとカインであることがわかり、同時にアルビオン艦隊を一瞬で壊滅させた“奇跡の光”の正体がルイズ、或いは“魔導船”のどちらかの力によるものではないか、という推測が立った。

 二人を呼び出したのは、それを確認する意味もあったらしい。

 今回の勝利によって、結果的にアンリエッタは国民の支持とゲルマニアとの同盟を一挙に獲得できたが、裏を返せば、全てはあの“奇跡の光”があればこそ――。万が一、その事実が知られれば、最悪の場合、せっかく得られた物を全て失うかもしれない。そんな事情に加え、マザリーニの提案もあり、今回の事の真相は“非公表事項”となったのだ。


 アンリエッタはそこまで話すと、ルイズに事の真相を尋ねた。

 流石にそこまで見抜かれては、ルイズもそれ以上隠し通すことはできず、ゆっくりと真相の説明を始める。

――戦いの最中、『始祖の祈祷書』と『水のルビー』が共鳴し、祈祷書の頁に古代ルーン文字が見えたこと。

――それを読み進めるうちに、始祖ブリミルが記した『虚無』の魔法の記述を見つけたこと。

――あの光は、そこに書かれた呪文を唱えた結果発現した、自分の魔法だということ。

 あの時の事を自分でも整理するように、ルイズはアンリエッタに全て明かした――。

「……そうだったの。では、あの光はあなただったのですね、ルイズ?」

「はい……」

 俄かに自信なさ気に頷くルイズ。

「……祈祷書には、始祖ブリミルの著名と共に、“『虚無』の系統”と書かれていました。でも……それが本当なら、何故私にその魔法が使えたのでしょう……?」

 ルイズの言葉を聞いて、アンリエッタは何かを考えるようにスッと目を閉じる。

 彼女は僅かに考え込むと、閉じていた目を開き、ルイズの顔を見つめた。

「ねえルイズ、始祖ブリミルに三人の子と一人の弟子がいたのはご存知?」

「え? は、はい……」

 突然の問いに、ルイズは戸惑いつつも肯定の意を示す。

 アンリエッタが言った“ブリミルの三人の子と一人の弟子”とは、ハルケギニアに存在する四つの国――トリステイン・ガリア・アルビオン・ロマリア――を創った四人である。
 そして、各王家には『始祖の秘宝』と『始祖のルビー』の指輪、そして“この言葉”が伝えられている。

――始祖の力を受け継ぐ者は王家の血筋より現れる

 四人の祖はそれぞれ始祖ブリミルの力を継承しており、その血筋には『虚無』の魔法を扱う素養が備わっている。故に、王族としての権威を持ち、他の貴族や平民達を治めてきた。

 アンリエッタがそう語ると、ルイズは首を傾げる。

 紛れもない王家の血を引くアンリエッタならいざ知らず、唯の公爵家の血筋である自分がどうして……

「……あ!」

 そこでルイズは“ある事”に思い到り、ハッと顔を上げる。

 アンリエッタがそんなルイズの様子に、微笑みを浮かべて頷く。

「気が付きましたね。そうよ、ルイズ。あなたのご実家――ラ・ヴァリエール公爵家の祖は、王の庶子。つまり、あなたも王家の血を引いているということ。あなたには、十分に始祖の力を受け継ぐ資格があるのです、ルイズ・フランソワーズ」









――アンリエッタとの会談を終え、トリステイン魔法学院に戻ったルイズとカインは、とりあえずそれまで通りの日常を送っていた。

 しかし、変わったことも幾つかある。

 まず、ルイズがアンリエッタの専属の女官になったこと――これは、ルイズ本人の“自分の力『虚無』をアンリエッタに捧げたい”という強い希望によるところが大きい。

 アンリエッタは最初、ルイズに『虚無』の事を一刻も早く忘れ、二度と使用しないよう告げた。しかし、ルイズはようやく開眼した自分の魔法を、貴族として、また友として、アンリエッタの為に役立てたいと願い出た。その忠誠心と友情に心を打たれたアンリエッタは、ルイズに王宮を含む国内外への通行、警察権を含む公的機関の使用許可を認める権利書を与えた。

『――あなたにしか解決できない事件が起こった時は、必ず相談いたします。表向きは、これまで通り魔法学院の生徒として振舞ってちょうだい』

 その言葉に従い、ルイズ達は魔法学院に戻ってきた。ルイズが女王専属女官になったことは秘密ということだ。

 ついでに言うと、カインもその時に“魔導船の権利書”の他に、かなりの額の報酬を渡された。最初は断ったカインだったが――

『どうか受け取ってくださいまし。救国の英雄たるあなたに、わたくしが差し上げられるせめてもの感謝の気持ちなのです。この程度の報奨で感謝の意を表そうなど、おこがましい限りですが……』

 そんなことを言われては、さすがに受け取らざるを得ず、渋々ながらアンリエッタからの報奨を受け取った。それに、カインにも『思惑』というものはある。すなわち――いずれ元の世界への手掛かりを探す旅に出るにあたって、路銀はあるに越したことはない、ということだ。

 飛空艇が飛び交うのが日常と化した元の世界ならいざ知らず、この世界の情勢を鑑みるに“魔導船”を使って東方の地『ロバ・アル・カリイエ』や、その手前、現在エルフ達の領域となっている『聖地』に向かう訳にはいかない。無用な混乱を招くのは目に見えている。行くとすればレフィアに乗るか、徒歩になるだろう。
 どちらにせよ、今は情報が不足している上に、新生アルビオンの宣戦布告の所為で各国が緊張を高めている為、東はおろか、気軽に国境を越えることすら難しい。

 カインは修行と情報収集を続けながら、旅立ちの機会を待つしかなかった。



――そして三日が過ぎたある日……、ルイズとカインは、再び王宮に呼び出された。


「……“水の精霊”の調査、ですか?」

 ルイズの問いに、アンリエッタは頷く。

「ええ。わたくしが新たに組織した親衛隊……“銃士隊”に各地の調査を命じたのです。そして、届けられた報告の中に『ラグドリアン湖の水位が異常に上昇し、周辺の農村が水没している』という報告があったのです。恐らく、湖に住まう“水の精霊”が原因のはず……。そこで、ルイズに調査をお願いしたいの」

――ラグドリアン湖は、ガリア王国との国境沿いに位置する巨大な湖で、その景観の美しさはハルケギニア随一と謳われるほどの名所である。そこに住む“水の精霊”は、トリステイン王家と旧い盟約によって結ばれており、国内には“水の精霊”との交渉役を担う貴族も存在する。

 しかし、盟約を結んでいると言っても、基本的に“水の精霊”はプライドが高く、しかも強力な力を持った存在。少しでも機嫌を損ねようものなら酷い目に遭う。実際、先代の交渉役だった“ある貴族”は、“水の精霊”の力を借りて自分の領地を干拓しようとしたが、見事に“水の精霊”の機嫌を損ね、干拓に失敗――領地の経営は傾き、さらにその事で交渉役の任を解かれ、現在は貴族としても大分落ちぶれてしまっているらしい。

 今回も、何かしらの理由で“水の精霊”が機嫌を損ねているのではないか、と言うのがアンリエッタの推測だった。
 だとすれば、交渉役でもないルイズとカインがここに呼ばれるというのは妙な話だ。それをカインが指摘すると――

「本来であれば、交渉役の貴族に調査を命じるのが筋なのですが……」

 そこまで言って、アンリエッタは溜め息を吐く。その表情に、ルイズとカインは顔を見合わせる。

――わずかな間を置いて、アンリエッタは重々しく口を開いた。そして、ルイズ達は先程、彼女が吐いた溜め息の原因を知る。

 今回判明したラグドリアン湖の増水だが、調査の過程で周辺の農村民に事情聴取を行ったところ……、なんと実際に水位が上がり始めたのは、二年も前からだったことが同時に判明したのだ。更に、その周辺を治める領主が、住民達の嘆願を無視し、宮廷との付き合いに夢中になって、この問題を放置していた事も……。悪い事に、精霊との交渉役を現在担っている貴族も、今日までその責務をほったらかしにして……、後は先程の領主と同じである。

 と、そんな事情からアンリエッタは、もはや彼らは信用できないと判断し、ルイズに相談を持ちかけたのだ。無論、ルイズがアンリエッタの願いを断る訳がない。

「――お任せ下さい、姫さま。この私、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが必ずや、この問題を解決してご覧にいれます!」

――という二つ返事を持って、ルイズはアンリエッタの頼みを快諾。かくしてカインとルイズは、“水の精霊”の調査、及び問題解決に乗り出すことになった。






――アンリエッタの依頼を受諾したルイズとカインは、すぐさまラグドリアン湖に急行した。まずは、現状の確認からという訳だ。

「……姫さまが仰った通りね。水位があんなに上がってるわ」

 レフィアの背に跨りながら、ルイズはラグドリアン湖の様子を観察する。
 風に揺らめく水面に陽光が反射するその光景は、噂に違わぬ美しい湖――ハルケギニア一の名所の名に相応しい。しかし、その水面を注視してみるとその異常にすぐ気が付ける。

――水面からは民家の屋根が突き出し、目を凝らせば水中に民家の壁が見えるのだ。

 恐らく、そこも元は岸辺でそれなりの農村があったのだろう。が、今はその民家の周りを魚が泳いでしまっている。

「こんな状態になっても放置とは……。呆れ果てた大莫迦者だな、ここの領主とやらは……」

 水没した農村の様子を見つめながら、カインは溜め息を吐くように言った。アンリエッタも、今のカインと似たような心境だったのだろう。
 面倒な領地の管理より、自分個人の出世のことしか頭にないのだ。

「~~~ったく! 誇り高くあるべきトリステイン貴族がこんな体たらくだからっ、トリステインは他の国に馬鹿にされるのよ!! 貴族の面汚しもいいところだわ!」

 憤りを露わにし、眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべるルイズ。同じ“貴族”の名を冠する者として、この現状を放置した怠慢領主が許せないようだ。

「で、現状を確認した訳だが、次はどうするんだ?」

「取りあえず、ここの職務怠慢領主に会いに行くわ。一言言ってやらないと気が済まないもの」

「……わかった。レフィア」

「きゅ~い」

 ラグドリアン湖に背を向け、カイン達は領主の館へ向かった。




――数時間後……

「~~~~~~っっ!! な・に・よッ、あの領主!! あんなのが領地を与えられて貴族を名乗ってるだなんてッ!! 例え始祖ブリミルが認めても、私は絶対認めないわ!!!」

 ラグドリアン湖の押し上げられた畔で、ルイズは地団太を踏んでいた。原因は、先ほど会って来た件の領主である。

――はっきり言って、この上ない程の愚人であった。

 今回のラグドリアン湖の一件に関してルイズが抗議を入れたところ、「私も頭を悩ませていた」だの「“水の精霊”と交渉できる貴族と中々連絡が取れない」だのとダラダラと言い訳をした挙句、「そもそもこれは我が領地の問題だ。口を挟まないで頂きたい!」などという逆ギレまでして見せた。

 その瞬間にルイズもキレて杖を抜こうとしたが、カインが止めた。

 もう話すだけ時間の無駄だと判断し、ルイズとカインは領主の館からここに戻ってきたのだ。ちなみに、館を去る前にルイズは領主にこう言い残した。

「――この件は、あなたが言ったことも含めて全て、女王陛下にご報告申し上げるわ。出世なんて、もう不可能だと思いなさい!」

 領主が顔を青くしたのは言うまでもない。


 それで少しは気が晴れたとは言え、問題は何一つ解決していない。湖に戻ってきた頃には、既に日が沈み、空に星が見え始めていた。

「さて、戻って来たはいいが、これからどうする?」

 未だ機嫌の悪いルイズに、カインは今後の方策を尋ねる。

「交渉役の貴族に直接会って協力してもらうしかないけど……、今日はもう無理ね。これから向かうと真夜中になるわ」

 ルイズは、アンリエッタから渡された現交渉役の貴族の資料を見ながら答えた。その貴族の住む領地は、ここからだと少し遠く、レフィアがいるとは言ってもこれから訪ねるには時間的に難しい。

「となると、今日は近くの村で……ん?」

 “村で宿を探すか”と言おうとした時、カインは視界に“気になるモノ”を捉え、言葉を切る。

「……カイン? どうかしたの?」

 カインが途中で言葉を切ったことを怪訝に思ったルイズは、首を傾げて尋ねた。すると、カインは視線の先を指差す。

「ルイズ、見てみろ」

 言われてそちらを見てみると、何やら人影が二つ見える。しかも、何やら言い合っている様子だ。少し距離が離れているので姿も声もハッキリしないが、どうやら男女の二人組らしい。

「――な、ななななぁッ!?」

 頬を赤らめ、声を上ずらせるルイズ。真っ赤になりながら顔を逸らすが、その視線はチラチラとそのカップルを見ている。

――ラグドリアン湖は、いわゆる『恋人達の語らいの場』としても有名で、「その湖畔――“水の精霊”の前で愛を誓った恋人達は永遠に結ばれる」という伝説も存在する。

 あの様なカップルを目撃することは、滅多にないが不思議ではない。
 ルイズも一応その逸話は知っていた。しかし、まさか自分がその場面に出くわしてしまうとは夢にも思わなかった。どうしても乙女の好奇心が抑えきれず、顔を逸らしきれない。

――が、愛を語り合う恋人達の割にはどこか様子がおかしい気がする。

 男が何やら大げさな身振りで女に語りかけているのはわかるのだが、女の方は男を無視するように背を向けている。普通なら、見つめ合い、よい雰囲気を振りまきながら身を寄せ合ってもよい筈だが……。

「……なんだか、様子が変ね……?」

「ああ……。それに、あの二人……」

 徐に口を開くカイン。その口から出てきた言葉は、予想外のものだった――。

「女の方は知らんが……男の方、――あれはギーシュだな」

「…………え?」






「――ああ、駄目だ! 僕はもう我慢できない! 愛しい君とこのラグドリアン湖の畔で二人きり!! 愛を交わす事に何の障害もないッ!!」

「…………はぁ」

(……なんて言うか……、我ながら早まったことをしたものだわ……)

 熱に当てられたような目で迫ってくるギーシュを見て、少女は自分が“したこと”を思い返して溜め息を吐く。
 そして、片手に杖をそっと構え、呟くように呪文を詠唱する。

「さあ、今こそ僕の愛を受け入れて――」

 程無くして呪文が完成――

「『眠りの雲(スリープ・クラウド)』」

 振り向き様に振るった杖の先から、薄い雲が吹き出し、迫っていたギーシュの頭をすっぽりと包み込む。すると――

――ぱた……

「くか~~……」

 地面と接吻をかましながら、ギーシュがいびきを掻いて眠りこける。それを見て少女が今度は安堵の混ざった溜め息をついた。

「はぁ……、また余計な精神力を消費したわ……」

 眠らせたギーシュを見下ろしながら、少女は呟く。

――彼女が使ったのは『水』系統の魔法『眠りの雲(スリープ・クラウド)』。名前の通り、睡眠効果のある雲を発生させ、相手を眠らせる魔法だ。

 『眠りの雲(スリープ・クラウド)』自体は大した魔法ではないので疲れはしなかったが、少女は内面の――心の疲労感がどうにも拭えなかった。

「……本当に、付き合いを考えるべきかしら?」

 独り言を呟いたその時――

「――モンモランシー?!」

「――え?」



――ルイズが『モンモランシー』と呼んだ少女が、掛けられた声に振り向く。

「――ル、ルイズッ?! な、なんであんたがここに!?」

「――それはこっちの台詞よ! なんであんたが、選りにも選ってギーシュと二人でこんなところにいるのよ!?」

 驚き目を見開くモンモランシーが少し大きな声を上げる。対するルイズも驚きの表情で言葉を返す。

 ここで二人が『友人』とでも呼び合えるような間柄ならば、特に問題なかったのだが……残念ながら二人は、『険悪』とまでは行かなくとも『仲良し』とは言い難い関係だった。そして、お互いに気位が高い『ツンデレ気質』――ここでギャーギャー言い合いが始まるのは、必然か……。


 カインは少し後ろの方で腕組をして二人の少女の言い合い――もとい会話が終わるのを待ちながら、モンモランシーを観察していた。

(あの少女は……、以前ギーシュが二股を掛けていた少女の一人か……。なるほど、確かにあの時、ギーシュがそう呼んでいたな)

 記憶の片隅に引っ掛かっていたその顔と名前を思い出し、彼女の傍らで眠っているギーシュに目をやる。地面に突っ伏しているアレと二人でいるところを見ると、どうやら二股の件を許し、寄りを戻したようだ。
 人の好みは千差万別――こんなギーシュでも、モンモランシーには魅力を感じる部分があるということだろう。

 そんな考え事をしている内に、二人はいつの間にか肩で息をしながら睨み合っていた。

――互いに現状と関係ないことで言い合っていた二人だったが、どうやら言い合いにも疲れて馬鹿馬鹿しくなり止めたようだ。

「――はぁ、はぁ……で、結局あんたはここで何してたのよ? ただ『伝説』で有名なラグドリアン湖を、ギーシュと“二人で”見に来たにしては、何だが様子がおかしかったわ」

(――ギクッ)

 ルイズの指摘に身を竦ませるモンモランシー。次第にその両目が泳ぎ出し、額から汗を滲ませ、そわそわと落ち着きがない。

「――え、え~と……」

 モンモランシーが何故かカインの方を一瞥してから顎に手を当て、何か悩んでいるような仕草をする。おまけに、何やらぶつぶつ呟いてもいる。

「「?」」

 その不審な様子に、ルイズとカインは揃って怪訝な表情を浮かべる。
 今モンモランシーは、明らかにカインを見てからあの状態になった。――何故、カインを見てそうなる?

 ルイズのそんな疑問を余所に、モンモランシーは意を決したように顔を上げる。

「――ルイズ、ちょっと相談に乗ってくれないかしら?」

「は? 何よいきなり……」

――ガシッ!

「――手伝って欲しいのよっ!!」

「え、え……? な、なんなの……?」

 両肩を掴んで顔をズイっと近付けてくるモンモランシーの迫力に圧され、ルイズは僅かに怯み、そして困惑する。
 モンモランシーは、顔を離して深刻な表情で語り出す。

「実は……」


 ……。

 …………。

 ………………。


「――と言う訳なのよ……」

「「…………」」

 事情を聞かされたルイズとカインは、心底呆れた。もはや、嫌味の一つも出てこない……。
 モンモランシーが語った今この場に至るまでの事情は、それほどに馬鹿馬鹿しいものだった。

――何のことはない。ただの“自業自得”だ。

 ある日、治る気配の無いギーシュの浮気癖に遂に我慢の限界を超えたモンモランシーが“惚れ薬”を作って彼に飲ませたのだそうだ。
 しかし、モンモランシーの誤算は飲ませた後のギーシュの“変化”だった。言ってみれば、『効き過ぎた』のだ。

 モンモランシーも飲ませて当初は、薬の効果とは言え自分だけを見つめてくるギーシュに満足していた。だが、時間を追うごとに“ソレ”はどんどんエスカレートしていった……。

――四六時中付き纏って来るわ……

――夜は「片時も離れたくない。一緒に寝よう」などと言って自分の部屋にまで押し掛けて来るわ……

――追い返したはずなのに、朝起きてみればいつの間にか自分のベッドに潜り込んで添い寝していて、心臓が飛び出すくらい驚かされるわ……etc、etc。

 とにかく鬱陶しいことこの上なく、更にはあの状態が続いて、万が一誰かに自分が“惚れ薬”を精製したことがバレ様ものなら……(ガクガクブルブル!)。

――と言う訳で、危機感を覚えたモンモランシーは“解除薬”の作成を決意し、泣く泣く衣服や装飾品を金に換え、再び材料集めに奔走した。

 だが、ここで問題が発生。何と、“解除薬”を作る時に欠かすことのできない材料“水の精霊の涙”が在庫切れの上、今後の入荷は絶望的との事で手に入らなかったのだ。

――“水の精霊の涙”とはラグドリアン湖に住む“水の精霊”の体の一部の事で、“惚れ薬”やその“解除薬”、“自白薬”と言った人間の心に影響を及ぼす薬の原料となる。

 余談だが、トリステイン王国ではそういった“人の心を操る”類の薬や魔法の開発・使用は法で禁じられている。が、外国や没落貴族のはぐれメイジ、モンモランシーのような事を考える連中が後を絶たないため、裏では商品としてそれなりに取引されているのが現実である。


 で、諦めようかどうしようかと悩み抜いた末、結局苦労の道を選んだ。すなわち、直接 “水の精霊”と 交渉して、“涙”を分けてもらうという選択を……。

「……なんて言うか、無謀にも程があるわね……」

「……言わないでよ。自分でもわかってるんだから……」

 ルイズの静かなツッコミに、モンモランシーは背中に影を背負いながら肩を落とす。
 しかし、モンモランシーにも一応の考えはあった。モンモランシーの実家――『水』のモンモランシ家は、“水の精霊”との交渉役を何代も担っていた『水』系統メイジの一族だという。しかし現在は、“水の精霊”の力で領地を干拓しようとして失敗してから、その役からも外されているらしい。

――アンリエッタが話していた『“水の精霊”を怒らせて落ちぶれた貴族』とは、モンモランシーの実家の事だったようだ。

 で、いざラグドリアン湖までやって来て――おまけにギーシュも無理矢理ついて来て――、使い魔を仲介して“水の精霊”と対話することには成功……したのだが、“涙”を分けてもらうことは出来なかったらしい。
 しかし、ただ無下に断られた訳ではなく精霊が提示する『条件』をクリアすれば分けてもらえるらしい。
 曰く――

『――我に仇なす貴様の同胞を退治してみせよ。我は今、水を増やすことで精一杯で、襲撃者の対処にまで手が回らぬ。その者共を退治すれば、望み通り我の一部を進呈しよう』

――だそうだ。どうやら、“水の精霊”は何者かに攻撃を受けているらしい。

 荒事が不得手なモンモランシーは、“水の精霊”が出した条件に正直途方に暮れていた所だった。

――だがそこに、ルイズとカインが現れた。『ゼロ』のルイズに期待など皆無だが、その使い魔であるカインならば期待できる。

 竜騎士だし、以前のギーシュとの決闘の時に見た跳躍は凄かった。少なくとも戦いには長けているはず――と、言う訳で……

「……で、俺にその襲撃者とやらを退治してほしい、と?」

(コク……)

 モンモランシーが無言で頷く。しかし、ルイズは渋い顔を見せる。

「なに勝手なこと言ってんのよ……。どうしてあんたの為に私達が――」

「――良かろう」

「――ほ、本当っ!?」

 ルイズの言葉を遮るように了承と答えたカインに、モンモランシーが顔を輝かせる。対して、ルイズは驚愕と怒りの混ざった顔になる。

「――ちょ、ちょっと! なんであんたが勝手に答えてんのよっ!? 私達には大事な任務が――モゴっ?!」

――瞬間、カインがルイズの口を塞ぐ。

(馬鹿……! お前が女王の命を受けて動いているのは秘密だろうが……!)

(そ、それはそうだけど……。でも……! なんでわざわざモンモランシーを手伝うのよ……?! そんなことしてる場合じゃないでしょう……!?)

 モンモランシーに背を向け、ルイズとカインは小声で話し合いを始める。

(いいか、ルイズ……? ここであの娘が言った襲撃者とやらを倒せば、“水の精霊”に接触するチャンスができる……。上手くいけば、その時にこちらの問題も片付くかもしれん……)

(えっ……!?)

(あの娘が報告と交渉の為に“水の精霊”を召喚した時に便乗して、こちらの要件を伝えるんだ……。それで水位を上げている訳だけでもわかれば、解決の糸口が掴める……)

(なるほど……!)

 そこまで説明されて、ルイズはようやくカインの意図を理解した。要するに、モンモランシーを“交渉役”代わりに利用しようということだ。
 モンモランシーとて、自分達を手伝わせるのだ。等価交換――ギブ&テイクである。

――話は決まった。いざ、襲撃者狩りだ――。




 古人曰く「善は急げ」――カイン達は早速、謎の襲撃者撃退の準備(と言っても、要は待ち伏せの為に身を隠して待つだけだが)に掛った。“水の精霊”が示した場所――湖のガリア側の岸辺近くの木陰に身を隠し、カイン達は襲撃者が現れるのを待っている。

 モンモランシーが“水の精霊”から得た情報に寄れば、“襲撃者”は二人組。夜ごと湖の中に侵入してきて“水の精霊”を攻撃しているらしい。

――“水の精霊”は湖底奥深くを住処としている、例えれば『コケ』に近い性質の生命体である。千切れようと、繋がっていようと、総ては一つの意志によって存在している。そして、その体は『液体』である限り何度でも繋がり直すことが出来る。しかも、“水の精霊”は水を通して攻撃を仕掛ける。つまり、僅か一瞬でも水に接触したが最後、その心と肉体を侵食され意のままに操られてしまう。最悪そのまま殺されてしまうことあり得る。

 しかし、そんな恐るべき力を持つ“水の精霊”にも弱点はある。それは『火』――強力な炎によって炙られ『気体』にされてしまうと、再度結合することが不可能になる。肉体としている水を全て蒸発させられてしまえば、“水の精霊”とて死ぬ。いや、この場合『消滅』と言った方がいいかも知れない。

 ルイズとモンモランシーの推測によれば、相手は『風』と『火』のメイジだろうとのことだ。
 襲撃者達は、片方が『風』の魔法で空気の球を作り出し、それに入って湖に侵入し、もう片方が『火』の魔法で“水の精霊”の体を蒸発させる――と言う手口で、少しずつ“水の精霊”を追い詰めているという訳だ。

「それにしても……、いくら空気の球に入っているからって、“水の精霊”のテリトリーである水中に入り込むなんて……、その襲撃者もとんでもない命知らずね」

 ルイズが感心するようにそんな事を言った。モンモランシーも、同意見なのか「うんうん」と頷いている。確かに、それは一つの事実だろう。
 だが、カインの考えは少し違った。

「……その命知らずな事を、平然とやってのける程の『実力者』なのかも知れんぞ」

 カインの言葉に、二人は引き攣った表情で「ごくっ……」と唾を飲み込んだ。その片隅で――

「すか~~、ZZZ……」

「「…………(怒)」」

 緊張感皆無のいびきが響き、ルイズとモンモランシーは額に青筋を浮かべてさっきから寝たままのギーシュを睨み付ける。咄嗟に杖に手が伸びるが――

「――襲撃者に気付かれたら厄介だ。やめておけ」

「「…………(悔)」」

 カインに止められ、悔しさに肩を震わせながらも、二人は杖を収めた。

(……解除薬で正気に戻したら、覚えてらっしゃいギーシュ!!)

(……私の『虚無』で吹き飛ばしてあげるわ……)






――一時間経過……。

「――! 来た……!」

「「――!!」」

 一同に緊張が走る。
 見れば、確かに岸辺に近づいていく人影が二つ――。黒のローブを身に纏い、フードを深くかぶっている為、顔も見えなければ男か女かもわからない。

 しばらく様子を窺っていると、二人は岸辺に立つと杖を掲げる。呪文の詠唱を始めたようだ。
 どうやら、あの二人が件の襲撃者で間違いなさそうだ。が――襲撃者の片方、小柄なメイジが掲げた杖……、カインはそれが目に付いた。

(あの杖の形……、どこか見覚えが……)

 この世界に来てから、魔法使いが持つ杖なんてそう多くは見ていない。大体はルイズ達が使うような指揮棒タイプか、魔法衛士隊が使うようなレイピアタイプである。しかし、あの襲撃者が使っている杖はそのどちらでもない。

――先が大きく曲がった形状、持ち主の身長ほどもある長さ。今まで見た中に、そんな杖を使っていた人物は……ただ一人だけ……。

(……まさか、な……?)

 気にした途端に、あの襲撃者が“頭に浮かんだ人物”では?という疑惑が浮かぶが、それは確証のないことだ。カインは頭を振って雑念を振り払う。そして、再度二人組に視線を戻した。

――幸い、相手はこちらに気づいていない。奇襲には、絶好の好機である。

(よしっ、先制攻撃だ……! 仕掛けるぞ……! 二人とも、援護を頼む……)

((コクッ……!))

 ルイズとモンモランシーが頷くのを確認して、カインは槍とデルフリンガーを構える。

――陣形はカインが前衛で敵と戦い、ルイズとモンモランシーは後衛として援護に回る。

 カインは持ち前の俊敏さと強靭な肉体、そして卓越した戦闘技能がある。

 加えて、最近『虚無』に目覚めたルイズが狙った場所を爆破できるようになったので、多少の援護はできる。荒事は苦手と言っていたモンモランシーも、一応援護くらいはできるだろう。無論、戦いに身を置いた事などほぼ皆無の二人に大した期待はしない。

 結局、カインは一人で戦うようなものなのだ。

 ならば……、彼是悩むだけ時間の無駄だ。

――ダッ!!

――先手必勝! カインが俊足を持って敵に突撃を仕掛ける――!!

「――っ!」

 あと10メイル程の所まで近づいた時、流石に敵もこちらに気付いたようだ。直ぐに一人がこちらに杖を振り、火球を放ってくる。

――が、カインは右手に装備した盾で火球を受け、同時に弾き散らす。当然、カインは無傷だ。

「――っ!?」

 速度を一切緩めずに突っ込んでくるカインに、二人組が困惑する。が、次の瞬間――

「――ちょっ、ちょっと待って!! ストップ!! 降参するからストップ!!」

「――何?」

――いきなり割と背の高い方のメイジが、両手を挙げて叫んだ。その聞き覚えのある声に、カインも思わず地面を削るように急停止する。

「その声……、まさかお前は……!?」

 驚いたようにカインがそう言うと、二人組はフードを外して顔を見せる。そこには、よく見知った顔があった……。

「キュルケ、それにタバサも……。何故お前らがここに……?」

――フードの中から現れたのは、燃えるような赤髪のキュルケと蒼い髪に眼鏡を掛けたタバサの顔だった。

「それは私達が聞きたいわよ、ダーリン。どうしてダーリンがここにいるの?」

「……」(コク)

 どうにもわからない状況になってしまい、カインも流石に困惑する。しかし、件の襲撃者がキュルケとタバサであったことに驚くと共に、この二人ならば話し合いが通用するので、若干安堵もした。
 とにかく、相互の状況を照らし合わせる必要がある――そう判断したカインは、背後の木陰に潜んでいたルイズとモンモランシーを呼び寄せた……。




――落ち着いて話をする為に全員で焚火を囲みながら、カインは自分とルイズの“任務”の事はうまくはぐらかし、モンモランシーと出会ってからの経緯を、要点を纏めて簡潔に説明した。

「……なるほどねぇ、そういう事だったの」

 カインの説明に納得したキュルケが頷く。次いで、直ぐに意地の悪い笑みを浮かべてモンモランシーを見やる。

「まったく、惚れ薬なんてつまらないものに頼るなんて。自分の魅力に自信のない女って、最低ね~」

「う、うっさいわね! 仕方ないじゃない! このギーシュったら浮気ばっかりするんだから! 惚れ薬でも飲まさなきゃ病気(浮気癖)が治んないの!」

「それで別の病気(依存症)を引き起こしてちゃ、世話ないわよ」

「――うぅっ!?」

 キュルケの容赦ない突っ込みがモンモランシーの胸にグサリと突き刺さる。正論なだけに反論できず、モンモランシーも項垂れてしまう。

「まぁ、そんなことはどうでもいいわ」

「――そんなこととは何よっ!?」

「それにしても、困ったわねぇ……。まさかあなた達と戦う訳にもいかないし……」

 モンモランシーが不服を唱えるが、キュルケは相手にしない。

「多分、勝てない」

 タバサは読んでいる本から顔を上げずに呟く。

「そうよね。ダーリンたら、あたしの炎に平然と向かって来て、しかも弾いちゃうんだもの。改めて思うと、正直ちょっと悔しいわ」

 これでもキュルケは『火』の“トライアングル”メイジ。先程の火球も、咄嗟に撃ったとはいってもそんなに弱い炎ではなかった。彼女にも、それなりの自負があったのだろう。悔しい、と語った時のキュルケの目は、僅かに鋭い光を宿していた。

「……脱線はそこまでで良かろう。話を戻すぞ――キュルケ、タバサ。お前達はなぜ“水の精霊”を攻撃していた?」

 カインがそう尋ねると、キュルケは困ったような表情を浮かべる。

「そ、その、タバサのご実家に頼まれたのよ。ほら、“水の精霊”の所為で、水位が上がっちゃってるじゃない? おかげでタバサのご実家の領地も被害が出てるらしいの。それであたし達が退治を頼まれたってわけ!」

「……なるほど」

 キュルケの説明は、一見すると筋が通っているようにも聞こえる。だが、カインは奇妙な点を幾つも見つけていた。

――先ほどのキュルケの表情と声色を見ても、全部が全部嘘という訳ではないだろうが、何かを隠そうとしているのは明白だった。

 それに、“水の精霊”が敵に回せば恐るべき相手であることは、それなりに知れた事実であるはず。なのに、如何に“トライアングル”とはいえ、年端もいかぬ娘二人にそんな一歩間違えば命の危険さえあるような仕事を頼まれるというのも、妙な話である。

 しかし、カインは疑問に思いながらもそれを追求しようとはしない。

 説明の最中、キュルケが一瞬タバサの様子を窺っていたのを、カインは見逃していなかった。恐らく、この“水の精霊”退治の背景には、タバサに関係する複雑な事情があるのだろう。それを追求するのは礼儀に反する。

 加えて、今は別に優先しなければならない問題がある。
 困ったことに、カイン達とキュルケ達は“水の精霊”を間に挟んで利害が完全に対立してしまっている。

 カインからすれば、ここでキュルケ達を蹴散らしてしまうのは不可能ではない。だが、それではキュルケ達の立つ瀬がなくなるだろう。それに何より、敵でもない相手に怪我を負わせるのは不本意だ。

「ふむ……では、こうしたらどうだ。お前達は一旦“水の精霊”を襲うのを中止する。そして、俺達が“水の精霊”に水かさを増やす理由を尋ね、その上で水かさを増やす行為を止めるよう“水の精霊”を説得する」

「でも、精霊があたし達の言うことなんて聞いてくれるかしら?」

 キュルケがそう言うと、全員の視線がモンモランシーに集中する。

「え、えっと……、一応交渉には応じてくれる、と思うわ。でも……、こっちのお願いを聞いてくれるかどうかまでは責任持てないわよ?」

 モンモランシーの時も、この襲撃者退治を条件に自身の体の一部を分けてくれると言っていた訳だから、可能性は0ではないだろう。ここで戦うよりも、遥かに建設的と言える。

「ねえ、タバサ? 結局は、水浸しになった土地が元に戻れば良いわけなのよね?」

「……」(コク)

 タバサが頷くのを確認して、キュルケもカインに頷いてみせる。

「よし、決まりだ。では明日、精霊に交渉を持ちかけてみるとしよう」

 こうして一行は、キュルケとタバサをメンバーに加えて“水の精霊”との交渉に臨むこととなった。







続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第二話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:04
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第二話







――朝の湖畔……。

 朝日に煌めくラグドリアン湖の水面、清涼な空気、そして聞こえてくる――

「――いやあぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

――ザバァァーーンッッ!!

 場違いな悲鳴と凄まじい水の衝撃音……。

「……ギーシュが目を覚ましたようだな」

 離れた波打ち際で、モンク僧の知り合いに教わった座禅を組んでいたカインは、音がした方にスッと目を向ける。

 水柱の残滓か、そっちには霧が立っている。先程の悲鳴と合わせて察するに、あれはモンモランシーの仕業だろう。

「ふぅ……、やれやれ……」

 軽く溜め息を吐くと、カインは立ち上がり、そちらに向かって歩き出した……。



「まったく……、最低の目覚めだわ。ほんと、トリステインの女は落ち着きってものが足りないんだから……」

「――しょうがないでしょっ! 妙な感じがして目を覚ましたら、目の前にギーシュがいたんだからっ!!」

 キュルケの文句にモンモランシーが抗議するが――

「自業自得でしょうっ! 付き合わされるこっちの身にもなりなさいよ!!」

「……(怒)」

「ぅぅ……」

 キュルケ同様、悲鳴に叩き起こされ機嫌が悪いタバサとルイズにも睨まれ、結局は押し黙る。

――ちなみにギーシュは、モンモランシーの『水』で吹き飛ばされた後、縄でギチギチに縛り上げられた挙句、また眠らされた。


「いいから、さっさと“水の精霊”を呼び出せ。そいつがいなければ全ては何も始まらん」

「……わかったわよ……」

 憮然とした表情で頷くモンモランシー。「どうして私がこんな目に……」とか「惚れ薬一つでどうしてここまで……」とかブツブツと言っているが、誰も気にはしない。

 波打ち際に進み出たモンモランシーは、腰に下げた袋から何かを取り出す。

「――ひっ! カエルッ!?」

 ルイズが顔を青くして悲鳴を上げる。――ルイズは、カエルが嫌いだった。

「ふぅん、それがあんたの使い魔ね。……何とも、毒々しい色のカエルねぇ……」

 肩越しにモンモランシーの掌に乗った小さなカエルを観察して、キュルケが感想を洩らす。

「毒々しいとか言わないでよ! これでも私の大事な使い魔なんだから!!」

 モンモランシーはそう言って抗議するが、キュルケの言う通り、そのカエルはオレンジ色に黒い斑点という如何にも「毒があるぞ」という外見をしている。
 とはいえ、彼女にとってはパートナー。ギーシュのモグラ然り……、“使い魔”というパートナーには愛着もあるのだろう。

 彼女は人差し指を立て、カエルに命令を伝える。

「いいこと? ロビン。またあなた達の古いお友達と話がしたいの。昨日と同じように、旧き“水の精霊”を見つけて呼んで来て頂戴。頼んだわよ」

――ぴょこん

 ロビンと呼ばれたカエルは小さく頷くと、モンモランシーの掌から跳ねて、湖に潜っていった。

「今、ロビンが“水の精霊”を呼びに行ったわ。多分、そんなに時間はかからないと思う」


――10分後……


「――! 来たわ」

 水面を見ていたモンモランシーから、声が上がった。

 それぞれ思い思いに暇を潰していた面々が集合し、湖の方に目を向ける。すると、少し離れた水面下が輝いていた。陽光の反射ではなく、水中が光っている。
 その水面がぼこぼこと盛り上がり、粘土のように様々な形を取っていく。そして、最後に人の姿――モンモランシーを模した姿に落ち着く。ただし、本物より一回りほど大きいが……。

 “水の精霊”に少し遅れて、カエルのロビンが戻ってきた。

「ご苦労様、ロビン」

 使い魔を労い、腰の袋に戻すと、モンモランシーは“水の精霊”と向き合う。

「“水の精霊”よ。あなたを襲う者は、もういなくなったわ。約束通り、あなたの一部を分けて頂戴」

『…………』

 しかし、何故か精霊はモンモランシーの言葉に答えない。じっとこちらを見つめながら、水の波紋のように揺らめいている。

「……? どうしたの? “水の精霊”よ。確かに襲撃者を退治はしてないけど、もうあなたが襲われることはないわ。微妙に約束が違うけど、結果は同じはずでしょ。だから、あなたの一部を分けて」

『…………』

 やはり、精霊は無言のままだ。モンモランシーに、焦りの色が浮かぶ。

「ど、どうしよう……。やっぱり、きっちり退治しなきゃ駄目だったのかしら……?」

 後ろを振り返り、尋ねるような視線を向けるモンモランシーに、ルイズ達も困った表情を浮かべる。

――その時、困惑する一行の中から、カインが進み出た。

「おい、“水の精霊”とやら。先程から黙り込んでいるが、言葉が通じているならば、何とか言ったらどうだ?」

「ちょちょちょ、ちょっとっ!? やめなさいよ! 精霊が怒ったらどうするのよ?!」

 カインの物言いに、モンモランシーが焦ったように口を挟む。そして、恐る恐る“水の精霊”に振り返る。

『…………』

 やはり、黙ったままだ。特に機嫌を損ねた様子はない。モンモランシーは、胸に手を当てて安堵の溜め息を吐く。

――しかし、“水の精霊”の予想もしない行動に、再度驚愕した。

 なんと、“水の精霊”がこちらに近づいて来たのだ。それを見て、モンモランシーは顔を青くして後退る。

「た、大変……!  “水の精霊”、きっと怒ってる……! 彼の言葉が気に障って、怒っちゃったんだわ……!!」

 その言葉で、ルイズ達は杖を取り出し、臨戦態勢を取る。

「カイン、下がって! 心を奪われるわよ!?」

――しかし、カインは微動だにしない。

「ちょっと、カイン!?」

「心配するな」

「――え?」

 カインの意外な発言に、ルイズを初め、一行は戸惑いの表情を浮かべる。

「敵意や殺気は感じられない。俺達を攻撃しようという訳ではなさそうだ」

 そうこう言っている間に、カインと“水の精霊”との距離は2メイル程に縮んだ。すると、精霊はそこで止まる。

「……な、なんなの? “水の精霊”は何をしようとしてるのよ?」

「私にわかる訳ないでしょう……!」

 ルイズは後退って戻ってきたモンモランシーに尋ねるが、彼女は首を横に振る。

『……お前は……』

――ようやく“水の精霊”が言葉を発した。しかも、どうやら言葉を向けているのはカインのようだ。

『……お前は、一体何だ?』

「……? 言っている意味がわからん。「何だ?」とは、どういうことだ?」

 カインが尋ね返すと、精霊は僅かに体を揺らす。

『お前から感じられる“波”を、我は覚えている。あれは、月が一千ほど交差する前の晩のことだ。我の前に、一人の単なる者が現れた。その者は自らの心と魂を開き、我と通わせた。その時、我はその者を理解し、その者は我を理解した。我らはその時より、互いを「友」と呼び合う。――誕生してより最初にして、唯一の我が「友」だ』

――『月が一千回交差する前』というのは、およそ六十七年前になる。

『お前からは、友と同じ“魂の波”を感じる。しかし、お前は我が友とは形が違う。故に尋ねた。「お前は何だ?」と』

「……なるほどな。そういうことか……」

――カインは“水の精霊”の意図を理解した。

「先程の質問に答えよう。俺はカイン・ハイウインド。訳あって後ろの連中と行動を共にしている竜騎士だ。そして……、お前の「友」の魂を引き継いだ男でもある」

『引き継いだ……? 単なる者よ。お前達は“魂の波”を譲り渡せるのか?』

「いいや。だが、その男……その一族には出来るらしい。その男は……、既にこの世を去った。そして、その魂を俺が譲り受けたんだ」

 カインの答えを聞いた精霊は、体を揺らし、様々な形をとった後、再びモンモランシーの姿に戻った。

『なるほど、我が疑問は氷解した。単なる者よ、我はこれより汝を「友」と呼ぶことにする』

「「「――ええっ!」」」
「……!」

――“水の精霊”の突然の爆弾発言に、後ろで傍観していたルイズ達が驚きの声を上げる。あのタバサでさえ、声こそ上げなかったが、やはり驚きの表情を浮かべている。

 そんな小娘達を尻目に、カインは“水の精霊”に問いかける。

「何故、俺をそう呼ぶ? その男の魂を継いだとは言っても、結局俺は俺だ。その男ではないぞ?」

『承知している。しかし、旧き友が自らの魂を譲り渡したのは、汝を信用してのことと思う。故に、我も汝を信用する。我が“新しき友”よ』

「……好きにするがいい」

――自分が魂を受け継いだ、今は亡き“月の民”の男が、この場所を訪れ“水の精霊”と交流をもっていた。

 奇しくも、自分が彼と同じ場所を訪れ、同じ存在と交流を持ち「友」と呼ばれた事に、カインは不思議な縁を感じていた。

『新しき友よ。汝にこれを渡そう』

――精霊がそう言うと、カインとの間の一点が光り輝く。

「――っ! ……こ、これは」

 眩い光がやみ、そこに現れたのは――穏やかな光を放つ、膨大なエネルギーの結晶――かつて元の世界で見た『クリスタル』であった。

『それは旧き友がこの地を訪れた時、我に託したもの。いずれ来たる再会の時、旧き友に戻す約束であったが、旧き友亡き今、新しき友たる汝に渡すのが良かろう』

 精霊の言葉と共に、『クリスタル』がカインの前にやって来る。それを前にして、カインは思いを巡らせる。

(……“魔導船”に“月の民”、そして今度は『クリスタル』か……。こんな異界の地で、よくもこれだけ記憶を刺激するものに巡り合うものだ……)

 自分と同じくこの世界にやって来たものとの遭遇を思い返すと、カインは思わず苦笑する。

――これだけ多くの物や人が流れて来ているのだ。このハルケギニアと元の世界は、やはり何かしらの繋がりがあるのは間違いないようだ。

『どうした? 新しき友よ』

「……いや、何でもない。少し考え事をしていただけだ」

 精霊に呼びかけられて我に返ったカインは、再び目の前に静かに浮かぶ『クリスタル』に視線を戻す。

「……来い」

――カッ!

 カインの声に応えるように一瞬強く輝くと、『クリスタル』は小さな光のキューブに姿を変え、カインの胸に吸い込まれた――。

「――っ!」

 自分の中に巨大なエネルギーが流れ込む感覚に、思わず顔を顰めるが、それも一瞬のこと。元々、“魂”の受け皿があったことで、『クリスタル』の“力”もすぐに馴染んだようだ。

「……っ、ふぅ~」

「――あ、あのぅ……?」

 カインが深く息を吐いた時、置いてけぼりにされていた者達を代表してモンモランシーが話し掛けてきた。

「え~と……何が何だかさっぱりなんだけど……、どういうこと?」

「気にするな。こっちの話だ。それに、もう済んだ」

 自分の事情をモンモランシー達に説明する訳にはいかないし、語ったところで、後ろで呆然としているキュルケやタバサは別としても、モンモランシーなどはまず信じないだろう。時間と労力が無駄になるだけだ。

 そんなことより――

「――“水の精霊”よ。今度はこちらから、お前に聞きたいことがある」

『なんだ? 新しき友よ』

――カインは、話を本筋に戻す。

「何故湖の水位を上げる? おかげで付近の村が水没して、住処を追われた住民が大層迷惑しているんだが?」

 カインが尋ねると、“水の精霊”は身体を緩やかに震わせる。

『汝らの同胞に盗まれた秘宝を取り戻すためだ』

「秘宝?」

 精霊の回答に、カインは首を傾げる。

『そうだ。数えるほども愚かしいほど月が交差する時の間、我が守りし秘宝――『アンドバリの指輪』。我が共に、時を過ごした指輪』

「それ……聞いたことがあるわ」

 横で聞いていたモンモランシーが呟く。

「『水』系統の伝説のマジックアイテムで……確か、偽りの生命を死者に与えるっていう……」

『如何にも。旧き水の力を蓄えし秘宝。しかし、彼の指輪がもたらすは所詮“偽りの命”――真に終を迎えた魂を蘇らせる訳ではない。『死』の概念がない我には理解できぬが、限られた命に執着する単なる者には、例え“偽り”であっても『命』を与える力は、なるほど魅力と思えるやもしれぬ』

 死者を操る――元の世界にも、ゾンビやスケルトンのような、『アンデッド』が数多くいたし、カインはそいつ等を操る『死霊使い』を一人……いや、“一体”知っている。

「……その指輪で偽りの生命を与えられた死者は、どうなる?」

『指輪を使った者に従うようになる。そして、この力が及ぶのは死者に限らぬ。その力に侵されれば、生ける者も同じく指輪を使った者に従うようになる。個々に意思があるというのは、まったく厄介なものだな』

「……」

 カインが知る死霊使いは、朽ち果てた死体を邪悪な魔力で操り、ゾンビに作り変えて操っていたが……『アンドバリの指輪』は、人間を生きたまま洗脳することも可能だという。

――操るゾンビに人間を襲わせて殺し、ゾンビを増やすか……
――生きた人間をそのまま操るか……

 若干の違いはあるが、両者とも恐るべき『魔』の力であることは間違いない。

「……で、それを取り戻す事と湖を増水させる事と、どう繋がる?」

『ゆっくりと水が浸食すれば、いずれは秘宝に届く。水がすべてを覆い尽くすその暁には、我が体が秘宝の在り処を知るだろう』

「……秘宝の在り処を突き止める為だけに、世界全土を浸水させるつもりか?」

 何と身勝手で、非効率的な探し方だろう……。カインは、驚きを通り越して呆れた。
 そんな事をすれば地上の生き物は、住処を追われるどころの騒ぎではないし、その方法では秘宝に辿り着くまでに何千年掛かるかもわからない。

――しかも、その策には大きな見落としもある。

「……聞くが、その秘宝がアルビオンにあったらどうするつもりだ? あの土地は空中に浮いているぞ?」

『ならば、それすらも侵食するまで水を増やすまで』

「…………」

――もはや言葉もない。どうやら“水の精霊”は、時間に対する概念すら人間とは全く異なるらしい。

 ならば、これ以上その話を引っ張るのは不毛だ。カインは、当初の問題解決を優先することにした――。

「わかった……。では、俺がその指輪を取り戻してやる。盗んだ奴のことは何かわからんのか?」

『風の力を行使して、我の住処に侵入してきたのは数個体。眠る我には手を触れず、秘宝のみを持ち去って行った』

「『風』系統のメイジがいたってことね。でも、それだけじゃ情報としては曖昧ねぇ……」

「名前とかわからないの?」

 後ろで聞いていたキュルケが見解を述べると共に、ルイズが精霊に詳しい情報を尋ねる。

『確か個体の一人が、他の個体に『クロムウェル』と呼称されていた』

 精霊は体を震わせ答えた。その名前を聞いてと、キュルケは顎に手を当てる。

「あたしの聞き違いか記憶違いじゃなければ、アルビオンの新皇帝の名前ね……」

「……」

 タバサも同意するように頷き、皆が顔を見合わせる。

「クーデターを起こし、国を乗っ取った男に、他者を意のままに操る秘宝、か……。犯人がそいつと決まった訳ではないが……いずれにせよ、その指輪を手に入れた人間は、相当『良からぬこと』もできるということだな……」

「「「「…………」」」」

 カインの言葉で、一同が表情を硬くする。『良からぬこと』に対して、全員がおおよそ同じ発想をしたことだろう……。

「……まあ、それは俺達が考えても仕方ない。話を戻そう。――ともかく“水の精霊”よ、指輪は俺が責任を持って探し出す。だから、湖の水位を元に戻してくれ」

『わかった。指輪が戻るのならば、水を増やす必要もない。友たる汝の言葉を信じよう』

 精霊のその言葉に、キュルケとルイズが表情を明るくする。これで、それぞれが当初の目的を果たせた訳だ。


 その後“水の精霊”は、カインに「指輪はカインの寿命が尽きるまでに返してくれれば良い」と言い残し、湖に戻ろうとした。が、その時――

「待って」

――タバサが“水の精霊”を呼び止めた。

 これには、カインを除く全員が驚く。普段の彼女ならば、他人を呼び止めるようなことはしない。学院でのタバサからは、想像もできない行動だった。

「“水の精霊”。あなたに一つ聞きたい」

『なんだ?』

 湖に戻りかけていた体を水面に戻し、精霊はタバサに尋ねた。

「あなたは、私達の間で『誓約』の精霊と呼ばれている。その理由を聞きたい」

 タバサの問いを受け、精霊はしばし身体を震わせる。恐らく、質問に対する回答を模索しているのだろう。

『単なる者よ。我はお前達とは根底より異なる存在ゆえ、お前達の考えを深くは理解できぬ。だが察するに、お前達が我をそう呼ぶ理由は、我の存在の“在り様”にあるのではないかと思う』

「“在り様”……」

『我に決まった形はない。しかし、我は過去から現在に至るまで変わらぬ。お前達が目まぐるしく世代を入れ替える間も、我は変わらずこの水と共にあった。故に、お前達は我を『永久不変』の象徴とし、変わらぬ何かを祈りたがるのだろう』

 なるほど、と思える“水の精霊”の見解に、カインは思わず頷いていた。見れば、タバサも同様に頷く。そして、地面に片膝を着き、静かに目を閉じて何かを祈り始める。
 何に、どのようなことを誓約しているのかはわからない。ただ、その祈りの姿からは真っ直ぐなものが感じられる。

 そんなタバサの直向きな姿を見ながら、カインも己の信念を貫き通すことを誓約する。

――“水の精霊”にではない。他の誰でもない“自分自身”の心に……。

 “水の精霊”はタバサが立ち上がるのを確認し、今度こそ湖に消えて行った。それを見届けた後、カイン達もその場を立ち去った……。



「……って、ちょっとっ!? 私との約束は?! “水の精霊の涙”は~~っっ??!!」

――モンモランシーの叫びに答える者は、誰もいない……。






――夜……

 アンリエッタへの任務報告を済ませ、ルイズとカインは昼の内に学院へと戻ってきた。キュルケ達は、タバサが一度任務報告の為に然るべき場所に赴かなければならないとの事で、ラグドリアン湖で別れた。

 モンモランシーとギーシュも、夕方には学院に戻ってきたようだ。何とか“水の精霊の涙”も手に入れたようで、今頃は解除薬を完成させてギーシュに飲ませていることだろう。

 さて、ルイズとカインはと言うと――ルイズは時間が時間な事もあり、自室で休んでいる。そしてカインは、学院の広場にある水汲み場にいた――。

「…………」

――シャッ、シャッ、シャッ、シャッ……

「……何故だ?」

 規則正しいリズムで、何か固い物同士が擦れる音をしばし響かせた後、カインは手に持ったモノを眺めて首を傾げ唸る。

「……これだけ“研いで”いるのに、お前から一向に錆が落ちないのはどういうことだ、デルフリンガー?」

――右手に持った錆びだらけの大剣デルフリンガーに、溜め息を吐くように尋ねるカイン。

 先程の、“固い物同士が擦れる音”は研ぎ石でデルフリンガーを研いでいた音だったのだ。しかし、彼此一時間は研いでいる筈なのだが、デルフリンガーの刀身を覆う錆びは、さっぱり落ちていない。幾らなんでも、これは異常なことだ。

「……」

 しかし、デルフリンガーはカインの問い掛けに答えない。研ぎ出してからずっとこの調子だ。じっと黙りこんだまま、口を開こうとせず無言でいる。

「おい、デルフリンガー。お前にしては珍しく黙り込んでいるが、どうかしたのか?」

「…………」

 カインは再度問い掛けてみるが、やはりデルフリンガーはこちらに反応を示さない。

「……」

――ザスッ

 カインはデルフリンガーを脇の地面に突き立てると、徐に立ち上がり、研ぎ石を片付け始める。

――別に機嫌を悪くした訳ではない。これ以上闇雲に研いでも研ぎ石が一方的に削れるだけで、デルフリンガーの刀身は変化しない。デルフリンガーが何も喋らない以上、その原因が何なのかもわからない。ならば、もうこの錆びだらけのボロ剣のまま使うしかないと判断した。

 デルフリンガーは、こんな状態でも何故か非常に強い強度を誇っている。考えられる原因として『固定化』という状態を保存し強度を上げる魔法があるが、それが掛っていて錆びているのはおかしいし、錆びた状態で『固定化』を掛けるような馬鹿もいないだろう。

(……考えても仕方ないか)

 いろいろ考えはしたが、やはり憶測の域を出ないことである。カインはその思考を打ち切り、借りた研ぎ石をマルトーに返そうと立ち上がった。

 その時――

「――思い出したッ!」

「――っ!?」

――先ほどまでだんまりを決め込んでいたデルフリンガーが、唐突に叫び声に近い大声をあげた。

「そうだ、そうだった! いや~、ようやく思い出しだぜ。あ~スッキリした!」

「……突然喋り出したと思えば、訳の分からんことを……、何を思い出したと言うんだ?」

 不覚にも驚いてしまったことに軽い羞恥を感じながら、カインはデルフリンガーに尋ねた。すると、デルフリンガーはカタカタと音を立る。笑っているのだろうか?

「いやね、相棒もさっき言ってたろ? 何で俺の錆がいくら研いでも落ちねえんだって。相棒に研がれ始めた時からずっと引っ掛かってたんだが、その理由を思い出したんだよ」

「ほう。で、その理由とは何だ?」

「なに、前のガンダールヴがくたばってからこっち、まともな使い手に巡り合えねえもんだから、世の中つまんなくてよ。半端な剣士にたらい回しにされるのもうんざりだったからな、自分で自分の姿を変えてたのさ。この錆びだらけのボロ剣の姿にな」

「お前、そんなことができたのか?」

 カインは、僅かに関心を示す。

 喋るだけでも十分すぎるほど珍妙な剣なのに、この上、自身の姿を変えられるという。ここまで来ると、他にも何かデルフリンガー自身も忘れている“特殊能力”があるのかも知れない。

 故郷にはこんな珍妙な剣は存在しなかったので、カインの興味をそこそこ引いた。

「おう。そんで、こいつがこの俺――魔剣デルフリンガー様の真の姿だぜ!」

――カッ!

 デルフリンガーの言葉と共に、その姿が光を放つ。

 その光が止み、再び夜の闇が辺りを包む。そして――

「……それが、お前の……」

――カインの視線の先には、月明かりに照らされ白銀に輝く刀身の大剣の姿があった。

「おうよ! ついでに、俺の特殊能力も思い出したぜ」

――あるのではと思ってはいたが、本当にあったようだ。

 デルフリンガーが言うには、何でも刀身で魔法を受け止めることで、それを吸収することが出来る『魔法吸収能力』というのがあるらしい。

 カインは、デルフリンガーにそんな能力があったことに確かに驚いた。が――そんなことより、カインには気になることがあった。

「……デルフリンガー」

「あん?」

「さっき、お前は『前のガンダールヴ』がどうと言っていたが、あれはどういうことだ?」

「ああ、そのことか……。なに、大したことじゃねえさ。六千年前、俺は昔のお前さん――初代ガンダールヴに握られてたのさ。いや~、思い出してみると懐かしいねぇ」

(初代ガンダールヴ……六千年も前に、俺と同じ様に“使い魔”となった者がいた、ということか……)

 他の使い魔のように千差万別なのに対し、『ガンダールヴ』は世代を越えて“継承”されている。この特異性は、恐らく『虚無』の系統に関係があるのだろう。
 そして、始祖ブリミルが使役した使い魔は『ガンダールヴ』を含めて四人……。他の使い魔もまた、継承され現代に蘇っている可能性は高い。

(『虚無』とは一体……)

――そう考えていた時……

「――むっ?」

 不意に耳に入った慌ただしい馬の蹄で、カインは意識を戻す。見れば、一人の騎士らしき者が学院の敷地に駆け込んで来ている。
 騎士の表情は焦燥感に満ちており、徒ならぬ雰囲気だ。


――そして、騎士はカインの前で馬を止めた。

「――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、カイン・ハイウインド殿とお見受けするが、如何に?!」

「如何にも。俺がカインだが……、何事だ?」

 カインが頷くと、騎士も頷き返す。

――良く見てみれば、その騎士は女だった。

「――緊急事態なのだ! 女王陛下が何者かに誘拐された!」

「――な、何だと!?」






「ふ……わぁぁぁぁ……」

 読んでいた本から顔を上げ、欠伸をするルイズ。そして徐に体を伸ばす。

「っんんぅぅ~~~! っはあ……。そろそろ寝ようかしら?」

 窓の方に顔を向けると、夜も随分と更けている。ルイズは本にしおり挟んで閉じると、寝巻に着替える為、クローゼットの方に向かう。


 着ているシャツのボタンに手を掛けた――その時。

――バンッ!!

「――ルイズッ!!」

「――きゃあっ!?」

 壊れるほどの勢いで窓が開き、怒鳴り声が飛び込んできた。ルイズは思わず開きかけた胸元を隠し、身を竦める。

 そして、恐る恐る振り返ると……カインが窓枠に立っていた。それを認識すると、ルイズは抗議を開始する。

「――か、カイン!? あんた、窓から入ってくるなんて、どういうつもりよ?!」

 しかし、カインはそれを意に介さず、彼にしては珍しく慌てた様子で衝撃の事実を告げる――。

「――そんなことを言っている場合じゃないっ!! 緊急事態だ!! アンリエッタ女王が攫われたらしいぞッ!!」

「…………ええっ?!」

 ルイズは一瞬、カインの言ったことが理解できなかったが、しばし間を置いて思考が追き、驚きの声を上げた。

「――本当なのっ!?」

「――ああ、王宮から知らせが来た! 詳しくは後だ! 行くぞッ!」

「わ、わかったわ!」

 カインの徒ならぬ雰囲気から、事態が切迫していることを悟ったルイズは、椅子に掛けてあったマントを羽織り、カインと共に窓から飛び出し、レフィアに飛び乗る。


――レフィアは真紅の体を翻し、夜の空へ向かって飛び立った。






――ゴォォォォォォ!!

 魔法学院を飛び出してから一時間余り……

 レフィアは、翼を羽ばたかせ、出せる限りの最大速度で飛翔していた。通常の火竜では及びもしない、上等の風竜に匹敵するほどの飛翔速度によって、カイン達の体を凄まじい風圧が襲う。

「~~~っっ!!」

 ルイズは風に飛ばされまいと、必死でカインにしがみ付いている。

 しかし、ルイズを気遣って速度を落とすわけにはいかなかった。

――女王誘拐の急報を伝えた女騎士――彼女の名はアニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン。アルビオンのタルブ侵攻の際の功績により、『シュヴァリエ』の称号を賜り、新設された女王直属親衛隊『銃士隊』の隊長を務める女性である。

 馬ではレフィアの速度について来れないという理由から、彼女もレフィアに同乗している。

――アニエスの話によれば、アンリエッタが誘拐されたのは今から凡そ二時間前……。

 異変に気づき駆け付けた警備の衛士を蹴散らし、王宮から脱出し馬で街道を南下。予測進路はラ・ロシェール――この事と、タルブでの戦いからの時間的タイミングを考えると、犯人はアルビオンの手の者と見て間違いない。
 既に主要な街道及び港は封鎖され、周辺にも警戒令が発令されており、竜騎士隊に次ぐ移動速度を誇るヒポグリフ隊が犯人を追跡してはいるが、追いつけるかどうかは怪しいらしい……。

 急がなければならない。だが――

「きゅきゅっ! きゅいい!!」

「――っ!?」

 レフィアが何かに気づいた様に鳴き出した。ルイズはそれを見て、もしやと思いカインに尋ねる。

「何?! 姫様を見つけたの!?」

 だが、カインからの答えは期待していたものではなかった。

「――いや、後ろから何かが追って来ているそうだ」

「……後ろから?」

 言われ怪訝に思い、後ろを振り返ってみる。すると――

「――ハァ~イ♪」

 状況と空気を読まない平和な声が聞こえてきた。今のルイズにとって、これ以上ないほどに神経を逆撫でする声だ。

 その声の主に対し、ルイズはあらん限りの大声で怒鳴る。

「~~~~~っっ!! な・ん・でッ! あんた達がついて来てんのよッ、キュルケッ!!」

 もはやお馴染みと化した、キュルケ&タバサの二人組が、シルフィードで追いかけて来ていた。

「あんた達が大慌てで飛び出していくのが見えたから、何事かと思って追いかけて来たのよ」

 シルフィードがレフィアの横に並び、キュルケが事も無げな声で答える。

「――ふざけないでッ!! こっちはあんたなんかに構ってる暇はないのよッッ!! 緊急事態なんだからッ!!!」

「あら~? だったら、そう言いなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない」

「~~~っっ!! あんた、いい加減に……」

「――ルイズ! そんな問答をしている場合か! 放っておけ!」

 埒が明かないと見て、カインがルイズを諌める。

 次いでカインは、キュルケ達を僅かに振り向く。

「――説明している時間がない! ついて来るなら勝手にしろ!」

 そう言い放つと、カインは前に向き直り、レフィアに改めて指示を出す。

「――レフィア、街道に沿って低く飛べ! 上空から頭を押さえるぞ!」

「きゅッ!」

 レフィアは速度を維持しながら高度を下げ、シルフィードもそれを追って降下。月明かりでぎりぎり街道が見える位置を飛行する。


――長年鍛え抜いたカインの視覚とレフィアの竜としての触覚による、闇夜の追跡が始まった。









「…………」

 アンリエッタは、まるで感情を失った人形のような瞳で、目の前で起きた現実を見つめていた。

――自分を取り戻しに来たであろうヒポグリフ隊の隊員達……、その変わり果てた姿……。

 そして……、それを行った……愛していたはずの人……。

 “彼”は倒れているアンリエッタに手を差し伸べ、アンリエッタは無言でその手を取る。そして、“彼”に抱えられ再び馬に跨る。


 “彼”の腕に抱かれ、駆ける馬の背に揺すられながら……相反する二つの心が、彼女の中で対立する。


――駄目よ、アンリエッタ! 目の前にいるのは、“あの方”なんかじゃない! “あの方”が、こんな酷い事をする訳がないっ! 目を覚ましなさいっ!!

――でも……この方は、“あの言葉”を覚えていたのよ? わたくしと“あの方”だけしか知らない……、秘密の言葉を……。顔も、声も……、間違えるはずがないわ……“あの方”よ……。


 否定すべき現実……、しかし望んでしまう。

――これが、幻なのだと受け入れたくない。

 亡き父に代わり、新たなトリステインの王となってから、アンリエッタの『現実』は辛く、苦しいことばかり……。
 国の為、国民の為……そう思って無理やり納得しようと努め、自分なりに『女王』を演じてもみた。

――しかし、誰も自分の努力など認めてくれない。苦しみを分かってくれない。周りに自分を味方してくれる存在はなく、心には常に『孤独』が付きまとう……。

 辛い『現実』は、彼女の心に影を落とし、絶えず追い詰め続ける……。


――そんな『現実』に戻るぐらいなら……、間違いだとわかっていても……この甘美な『幻』を選んでしまいたい。


 心の天秤が『願望』に傾きかけ、揺れ動く。――それを狙いすました様に、耳元で夢魔が囁く。

「心配しなくていい、アンリエッタ……」

「――っ!!」

 囁きが、最後の理性を奪っていく……。

「君は辛いことなど考えず、あの“誓い”の言葉通り、行動すればいい。ラグドリアンの湖畔で、君が口にした誓約の言葉……、“水の精霊”の前で君が口にした言葉だ。覚えているだろう?」

「……忘れるわけが、ありませんわ……」

 そう……、忘れる訳がない。アンリエッタにとって、あの誓約があればこそ、今日まで生きて来れたようなものなのだから……。

「もう一度、聞かせてくれ。アンリエッタ」

「……トリステイン王国王女アンリエッタは、“水の精霊”の御許で……誓約、いたします……。あなたを、永久に……愛することを……」

 “彼”は、アンリエッタの誓約の言葉を聞いて、満足げで優しげな微笑みを浮かべて頷く。

「ありがとう、愛しいアンリエッタ。どんなことがあろうとも、“水の精霊”の前でなされた誓約が違えられることはない。苦しむことはない。悩む必要もない。君は己のその言葉を信じていればいい。――全てを、僕に委ねなさい」

「……はい」

――もう、抗えない……。

 最後の返事と共に、アンリエッタの心からこの甘い幻を振り払う気力は、失われた……。









「……酷い」

 目の前に広がる光景に、思わず目を逸らすルイズ。

――アンリエッタを攫った賊を追う途中、カイン達は街道に複数横たわる死体を発見し、地に降りた。

 人に馬、ヒポグリフ……恐らく、先行して追跡していたヒポグリフ隊であろう。焼け焦げた死体、バラバラに裂かれた死体、胴を貫かれた死体……人と獣の区別なく、無残な姿の亡骸が散乱し、辺りは壮絶な光景だった……。

「――生きてる人がいたわ!」

 キュルケの声で、全員がその場に集まる。
 生存者の男は、どうやらヒポグリフ隊の生き残りらしく、腕に深手を負っていた。しかし、深手と言っても直接命に別状はなさそうだ。むしろ問題なのは、出血の方である。

「大丈夫?」

 ルイズは傷口を縛り、応急処置を施しながら声を掛ける。

「ああ、大丈夫だ……。あんた達は……?」

「我々も女王陛下を誘拐した一味を追っている。一体何があった? 犯人の一味にやられたのか?」

 アニエスが尋ねると、男は苦悶の表情を浮かべる。

「……倒したはず、なんだ……」

「なに……?」

「……致命傷、を負わせ……奴らは、確かに……倒れた……。だが……、奴らは、また……立ち上がって……」

「な、なんだと?!」

 アニエスは、男の証言に怪訝な表情を浮かべる。その言葉が確かなら、敵は一度死んで蘇ったということになる。

――しかし、カイン達はハッとした表情で顔を見合わせる。

「……それに驚き、油断した我々は……次々に殺られて……しまった……。隊、長も……仲間、達も……、……くッ……そ……っ」

 男は悔しさに顔を歪ませ、わなわなと震え出したと思ったら、そのまま気を失ってしまった。多量の出血による消耗で、意識を保てなくなったらしい。

「おい、しっかり――」

――アニエスが声を掛けようとした、その時!

――バチィッ!!

 耳をつんざく音が響き、火花に似た光が散った。草むらの影から飛来した攻撃魔法を、カインが槍で弾き飛ばしたのだ。

「……囲まれているぞ」

 カインが静かに告げると、草むらや木の蔭から、ゆらりと人影が姿を現す。
 キュルケとルイズが身構え、アニエスも腰の剣を引き抜く。上空からタバサも降りてきた。

 しかし、彼等はそっと道を開けるように左右に分かれる。そして、その先の暗がりから顔を全て覆う仮面をつけた騎士風の男が現れる。

「……貴様が、そいつ等の指揮官か」

 ルイズ達を庇うように前に出るカイン。

――仮面の男とカインは、3メイル程の距離を置いて睨み合う。

 だが……男は、自分も道を開けるように横にずれ、そして臣下の礼を取って跪く。

『……?』

 カインを初め全員が、男の不可解な行動に怪訝な表情を浮かべる。

――サクッ、サクッ……

 草を踏みしめる音と共に、再び暗がりから人影が現れた――。

「――っ!? あ、あなたは……!!」

「やあ、ラ・ヴァリエール嬢、そしてその使い魔殿。随分、久しぶりだね。最後に別れたのは……そう、ラ・ヴァリエール嬢とワルド子爵の結婚式の時だったな。あの場から無事脱出出来たようで、何よりだよ」

 和やかな笑みを浮かべて、そう語るその男の顔を見て、ルイズは驚愕し目を見開く。


――そして、震える声で、確かめるように彼の名を呼んだ。


「……ウ、ウェールズ……皇太子……?!」








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第三話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:05
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第三話







「……ウ、ウェールズ……皇太子……?!」


――ルイズは己が目を疑う。

 目の前に現れた人物は、紛れもなくアルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダーだった……。

「やあ、ラ・ヴァリエール嬢、そしてその使い魔殿も。久しぶりだね、ニューカッスルの礼拝堂で別れて以来だ。君たちも無事あの場を脱出できたようで、何よりだよ」

 にこやかに挨拶の言葉を口にするウェールズ。

――ルイズ達は、あまりの衝撃に言葉が出ず、呆然と立ち尽くす。

 確かに、ルイズ達は直接彼の死を見届けた訳ではないが、レコン・キスタによる神聖アルビオン帝国の樹立に伴い、王党派のほとんどが殺されたはずだ。アルビオン王家最後の一人であるウェールズは、真っ先に殺されてもおかしくない。いや、寧ろレコン・キスタにとって、彼は最も生かしておきたくない人物のはずだが……。

「ウェールズ・テューダー……、生きていたのか。それとも……“一度死んで蘇った”か……」

 カインの問いと共に、ウェールズを見つめるルイズ達の表情が険しくなる。しかしウェールズは笑顔を絶やさない。


――その笑顔が逆にカイン達の警戒心を煽る。


「使い魔殿、“死んで蘇ったのか”とは、随分と物騒なことを言うね? 死者が蘇るなど、そんな恐ろしいこと、あるわけが――」

「――俺は、貴様の事を聞いているんだ」

 カインは、ウェールズの言葉を遮るように言い放つ。

「……フッ……」

――途端、ウェールズの笑顔の質が変わった。それまでの和やかな笑みではなく、どこか禍々しい雰囲気が漂う……寒気すら感じるほどの冷たい笑みに……。

「……せっかちだな、使い魔殿は。まあいい、答えは前者だよ。ニューカッスルから落ち延びて、今日まで姿を隠していたんだ」

「――そ、それなら、どうして姫様をかどわかす様な真似をするのですか?!」

 ウェールズの答えを聞いて、ルイズは思わず叫ぶ。

――あの勇敢なウェールズが、アンリエッタを誘拐紛いな手で連れ出したり、追って来た魔法衛士隊を惨殺するような非道は絶対にしない。

 僅かに顔を合わせ、言葉を交わしただけだが、それでもそのくらいはわかる。目の前にいる男は、姿形こそウェールズだが、やはり中身は別物に思える。

「“かどわかす”などという言い方は心外だな。アンリエッタは、彼女自身の意思で僕に同行してくれたのだが?」

 ウェールズはそう言うと、ゆっくりと後ろを振り返る。すると、彼の後ろからゆっくりとアンリエッタが現れた――。

「――姫様!」
「――女王陛下!」

――ルイズとアニエスがほぼ同時に声を上げる。

「姫様! お迎えに参りましたわ! どうか、こちらにいらして下さい! その男は、姫様が知っているのウェールズ皇太子ではありません! あの勇敢でお優しいウェールズ様が、こんな卑劣な真似をするはずがありません。これはきっと、レコン・キスタの……クロムウェルの謀略に違いありません!」

「…………」

 しかし、アンリエッタは動こうとせず、自分を説得するルイズから顔を背ける。寒さに耐えるように肩を震わせ、顔を垂れ下がった髪で隠すように俯いている。

「……姫様?」

「これでわかっただろう、ラ・ヴァリエール嬢。これが彼女の意思だ」

 そう言うとウェールズは、アンリエッタの肩を抱き、自分の胸に引き寄せる。アンリエッタは抵抗もせず、その胸にもたれ掛かる。

「――さて、それでは取引といこう」

「取引ですって……?」

 ルイズが怪訝な顔で聞き返すと、ウェールズは口元を歪める。

「なに、簡単なことだよ。君達は何もせず、僕らに道を開けてくれればいい。アンリエッタの目の前で君達と戦うのは、さすがに忍びないからね」

「――なっ!?」

 ウェールズの提示した取引の内容に、ルイズは目を見開く。

 彼はつまり、アンリエッタを取り戻す為に飛んで来たルイズ達に、自分達をこのまま見逃せと言っているのだ。

 あまりにも屈辱的なウェールズの提案に、ルイズは憤りを感じたが、アンリエッタを人質に取られているような状況で、迂闊に手出しはできない……。


――悔しさにルイズの肩が震える。

「……っ、姫様っ! あなたの知るウェールズ皇太子が、あなたを盾にするようなことを言う様な卑劣な方でしたか?! どうか……、どうか目を覚まして下さいましッ!」

 ルイズは必死にアンリエッタを説得しようとする。だが、アンリエッタは顔を上げると、虚ろな瞳をルイズに向ける。

「……わかっているのよ、ルイズ」

「え……?」

「……わたくしだって、分かっているの……。この方は、わたくしの知っているウェールズ様じゃない……。最初にわたくしの居室で再会した時から……、気づいていたわ……。でも……」

「――っ!? 姫様……」

――虚ろな笑みを浮かべるアンリエッタの瞳から、涙が零れ落ちた……。

「……抗えないの。……あの方の姿が、……優しい声が、わたくしの心に入り込んで来てしまう……。あの方を求めてしまうわたくしの心は、それに抗うことができない……。ふふっ……、笑って頂戴、ルイズ。あなたにあんな危険な事をさせておいて……、『勇敢に生き抜く』なんて、大層なこと言っておいて……、実際のところはこれだもの……! ……本当に、なんて弱いのかしらね……わたくしって……」

「姫様……」

 アンリエッタは、大粒の涙と共に自嘲の言葉を零した。その姿が、余りにも不憫で……ルイズは胸を締め付けられる。

――同時に、孤独に耐え心を擦り減らせていた可哀想なアンリエッタの純粋な想いを土足で踏み躙り、弄ぶレコン・キスタに、激しい怒りが湧き起こる。

「――ッ! ウェールズ皇太子ッ!! 今の姫様を見て、あなたは何も感じないのッ!? 一体どれだけ姫様を苦しめれば気が済むのよっ!!?」

 ルイズの悲痛な叫びが響き渡る。しかし――

「――苦しめる? ラ・ヴァリエール嬢、勘違いはやめてもらいたいな。僕と共に来る事が、アンリエッタにとっても幸せなのさ。辛い現実の全てから解放され、ただ僕に従うだけでいい……。余計な事を考える必要もない、重い責任に押し潰されることもない……。――ただ僕だけを信じ、ただ僕と共にあればいいんだ」

「――っっ!!?」

――ウェールズの答えで、ルイズの心は絶望で埋め尽くされた。自分の言葉では、希望を失ったアンリエッタも、操られたウェールズも動かすことはできない。

 戦うことも、アンリエッタを救うこともできない……。自分の真の力『虚無の系統』に目覚め、アンリエッタから女官の地位を貰い、これからようやくトリステイン貴族として胸を張ることができると思った……。大事な友であるアンリエッタの役に立てると思っていた……。なのに……。

(何が『虚無』の担い手よ……。私は、仕えるべき女王陛下を守ることも……大切なお友達を救うこともできないじゃない……っ!!

――ルイズの腕から力が抜け、掲げていた杖が下がろうとした……。だが――

「――しっかりしろ、ルイズッ!!」

「――っ!?」

 カインの鋭い一喝で、ルイズはビクリと肩を竦ませる。背中を向けたままのカインは、ウェールズとアンリエッタを見据えながら言う。

「――お前が絶望し諦めてしまったら、誰が姫を救ってやるんだっ!? 今、姫の目を覚まさせてやれるのは、この世界にお前だけなんだぞッ!!」

「――っ!!」

 ハッと息を飲むルイズ。

――頭を鉄鎚で殴られたような感覚だった。

(……そうだわ。ここで諦めて、このまま姫様を行かせてしまえば……、姫様は、本当に“一人ぼっち”になっちゃう……!)

 一時の衝動に身を任せ、全てをかなぐり捨ててしまえば、アンリエッタにもう帰る場所はなくなる。その先の唯一の心の拠り所となるであろうウェールズは、卑劣なるアルビオンの簒奪者クロムウェルの傀儡――与えられる愛情は、全て偽り。

 いずれ彼女の心は、後悔と絶望に埋め尽くされ……最後には、アンリエッタの心は完全に壊れてしまうだろう――。

(――そんなこと……絶対にさせないっ!!)

――ルイズの瞳に光が戻り、下がった腕は再び上がり、杖の先が真っ直ぐにウェールズ達に向けられる。

「……それが、君の答えかね? ラ・ヴァリエール嬢」

「――そうよ。姫様が、ご自分であなたを振り払えないと言うのなら、暴走する自分の想いを抑えられないと言うのなら……、私が止めて差し上げるわ。トリステイン女王アンリエッタ陛下に不滅の忠誠を捧げる“貴族”として……、何より姫様の“お友達”として……。――ここであなたから、姫様を取り戻してみせる!!」

――ルイズは毅然と言い放った。

「あたしはゲルマニア貴族だから、トリステインの事は正直どうでもいいんだけど……。女の恋心に付け込んで利用するような無粋な輩は、少しお仕置きが必要よね」

「……」

 ルイズの言葉に触発されたように、キュルケとタバサも杖を掲げ、不敵な笑みを浮かべて周囲を囲む敵を睨みつける。

「女王陛下直下『銃士隊』隊長の名にかけて、貴様らアルビオンの手の者に屈する気など毛頭ない!」

 アニエスも手にした剣を握り直し、切っ先を敵に向ける。

「――交渉は決裂のようだな……。……残念だが、やむを得ない。押し通らせてもらうとしよう」

 ウェールズがアンリエッタを左腕で抱え、杖を持った右手を掲げる。それを合図に、周囲を取り囲んでいたメイジ達が杖を構えた。

――それを見て、カイン達も臨戦態勢に入る。

 互いの戦闘態勢が整い、しばし睨み合いが続き……、そして――

「――いくぞッ!」

――カインと仮面の男が互いに飛び出し、激突したのをきっかけに、戦いの火蓋が切って落とされた。





 戦いが始まると同時に、各々の対戦相手は決まっていた。

――カイン VS 仮面の男
――ルイズ・キュルケ・タバサ・アニエス VS 『不死』のメイジ

 しかし、各々苦戦を強いられることなる。

――カインは仮面の男が放つ高速の突きを、巧みな槍捌きで防ぎ、そして相手の攻撃の隙を突いて幾度となく反撃を加えた。

 しかし……相手は『アンドバリの指輪』で操られた“不死者”。斬ろうが貫こうがすぐに再生してしまい、こちらの攻撃が通用しない。
 完全に“解体”してしまえば違うのかも知れないが、仮面の男も生前はそれなりの実力者だったらしく、カインの実力を持ってしても思う様にダメージを与えられない。

――いや、相手が通常の人間であったなら、そこまで苦戦する相手ではない。

 だが、相手は『不死』を盾に、防御を無視して攻撃のみに集中出来る。そのため、カインも迂闊な攻撃が出来ないのだ。

 『隙』とは、主に攻撃の瞬間に発生するものである。例えどれほど鍛練を積もうとも、それを完全に無くす事は不可能だ。だからこそ、カウンターという攻撃法は、成功すれば絶大な威力を誇るのである。

 こちらから攻撃を仕掛けても、相手はノーダメージ。そればかりか、そこで隙が生じて仮面の男に手痛い反撃を受けるのでは、攻めるのは極めて難しい。

 今の相手は、カインの知る『アンデット』とは違い、生前の戦闘力を遺憾無く発揮出来る上に、不死によってあらゆるアドバンテージを獲得している。純粋な戦闘力ならばカインの方が遥かに上だが、あらゆる要素から総合的に見ると、勝負はほぼ互角だった。




――一方ルイズ達も、敵の巧みな連携攻撃に苦戦していた。

 “不死者”のメイジは、いわば主の命令で動くゴーレムのようなもの。個々の意思はほとんど排除され、攻撃のタイミングやサポートは、ほぼ完璧に近い精度で行える。

 対してルイズ達は、はっきり言えば“烏合の衆”――『連携』という点では、敵に大きな差をつけられている。とはいえ、キュルケ・タバサのペアは“つき合い”の長さと『系統』の相性から、それなりの連携は取れている。アニエスとルイズも、『剣士』と『メイジ』という役割上“守り、守られ”の形で、なんとか連携を取ろうとしていた。

 戦いの最中、キュルケの『炎』が有効ということが判明してから、彼女をメインに他が支援に回って連携を取ろうと努めたが、敵も然る者――瞬時に、キュルケの射程から離脱し、体制を立て直されてしまう。

――状況は、6:4でこちらが劣勢、と言わざるを得なかった……。

 そして、その状況不利をさらに加速させる事態が発生する。それに、最初に気づいたのは、タバサだった。

「――っ!」

 上空を見上げると、いつの間にか、空が分厚い灰色の雲に覆われていた。そこから落ちてくる水滴の数が、どんどん増えていく。

――ザァァァァァ……

 降り出した雨は、一気に本降りとなり、その場にいる全ての者を濡らしていく。

「……はぁ、まいったわねぇ。この雨じゃ、あたしの炎はもう使えないわ。タバサの風やそっちの隊長さんの剣はあいつ等には効かないし……、カインはあの仮面男の相手で手一杯……。お手上げだわね」

 肩を透かして言うキュルケだが、その顔には危機感が満ちている。状況は6:4どころか、もはや10:0の敗北必至の事態まで追い詰められたと言うことだ。

「これでは私の銃も使えん……。出来るなら一時撤退し態勢を立て直したいところだが、こう囲まれてはそれすら不可能だ……くそっ!」

 悔しげに奥歯を噛みしめるアニエス。皆も同様に悔しさを滲ませている。

「――あ~、思い出した」

 そんな中――緊張感のない声が上がった。声の主は、デルフリンガーだった。――戦いが始まる前に、カインがアニエスに貸し与えていたのだ。

「こんな時に何よ、ボロ剣! 何を思い出したって言うのよ?!」

 彼のとぼけた声に、苛立ったルイズが怒鳴る。しかし、デルフリンガーは気にした様子もなく、そのままの口調で語り始める。

「そう怒鳴りなさんなって。思い出したってのは、あの死体共を操ってる『力』の事だ。奴らを動かしているのは、お前らの使う四代系統魔法とは根本から違う魔法の力――俗に『先住』の魔法なんて呼ばれてる力なのさ。あれにゃあブリミルも苦労したもんだ。あっ、ちなみに俺も、根っこはあいつ等と同じ魔法で動いてんだぜ」

「だったらどうだっていうのよ! そんな事思い出したって、この状況がどう変わるって言うのよ!? 役立たずね!」

「お前さんに言われる筋合いはねえよ。せっかくの『虚無』の担い手なのに、バカの一つ覚えみてえに『エクスプロージョン』連発しやがって。確かにそいつは強力だが、知っての通り精神力の消耗が激しい。今のお前さんじゃ、この前みてえなドでかいやつは、一年に一回撃てるかどうかだ。今の弱っちいヤツじゃ、あの“不死者”共相手にゃあ有効じゃねえ」

「じゃあどうしろって言うのよ!?」

 終始怒鳴り散らすルイズに、デルフリンガーはこっそり溜め息を吐くが、今はそんな時ではない。冷静にルイズの行動を導く。

「――祈祷書の頁を捲れ。ブリミルはこういう時の為の対策を、ちゃんと練ってる筈だ」

 言われルイズは、祈祷書の頁を捲る。だが、『エクスプロージョン』が記された次の頁は、相変わらず白紙のままだった。

「何にも書いてないわ! 真っ白よ!?」

 期待を裏切られ焦るルイズだが、デルフリンガーは冷静に告げる。

「何か書いてある頁を見つけるまで捲りな。必要があれば、祈祷書は必ず応える」

 再度祈祷書に向かい、ルイズは更に頁を捲る。すると、デルフリンガーが言った通り、古代ルーン文字が浮かび上がった頁があった。『エクスプロージョン』の時同様、光を放つ古代語のルーン――ルイズはそれを読み上げる。

「……『ディスペル・マジック』?」

「見つけたな。そいつは『解除』の魔法さ。あらゆる魔法の効果を打ち消すことができる。もちろん、『先住』の魔法もな。――唱えろ、ルイズ! 今の状況をひっくり返せるのは、その呪文だけだ!」

 デルフリンガーの言葉に頷く前に、ルイズは詠唱に取り掛かっていた。


 ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……。


――始まった詠唱を聞いて、デルフリンガーが全員に声をかける。

「おめえ達、時間を稼げ。貴族の娘っ子の魔法が完成すりゃあ、今の状況を一気に逆転できる」

「どういうこと? ルイズったら、どうしちゃったの?」

 突然雰囲気が変わり、聞いた事もない呪文を詠唱し始めたルイズを見て、キュルケが怪訝そうに尋ねる。

「なに、ちょいと『伝説』を再現してやがんのさ。この詠唱にはやたら時間が掛かっちまうが、効果の方はこの伝説の魔剣デルフリンガー様が保証するぜ!」

「ふぅん、『伝説』ねぇ。そりゃ良いわ。あなたの保証はともかく、『伝説』の一つぐらい持ってこないと、あいつ等に勝つのはちょっと難しそうだし」

 キュルケの言葉にタバサも頷く。続いてデルフリンガーは、アニエスにも言葉を向ける。

「剣士の娘っ子よ、相棒はあの仮面野郎を抑えるので手一杯だ。貴族の娘っ子を死守しろ! 奴らに詠唱の邪魔をさせるな!」

「これが『虚無』の魔法と言うやつか……。いいだろう、心得た! ミス・ヴァリエールの詠唱が終わるまで、彼女には指一本触れさせん!!」

 全員の意思が統一され、ルイズを中央に据えて、彼女を囲み緊密な円陣を組む。


 ギョーフー・ニィド・ナウシズ……。


――ルイズは、皆に護られながら、ただひたすらに呪文の詠唱を続けていく。





 アンリエッタは、ウェールズの腕に抱かれながら、ルイズ達を見つめていた――。

(どうして……? この雨では、もう勝ち目がないのはわかっているはずなのに……、どうして逃げてくれないの……?)

 逃げるどころか、新たに陣形を組み替えて戦う姿勢を崩さないルイズ達に、心の中で問いかける。だが、アンリエッタはその問いの答えを、最初から知っている。

――自分がここにいるから……。ルイズ達は、自分を救いに来たから……。

 考えるまでもない……。こんな不甲斐ない自分を……、無様な自分を……、見捨てず、諦めず、その身を賭して正道に引き戻そうと奮闘しているのだ。しかし――

(このままでは……、皆、死んでしまう……。わたくしなんかの為に……、けれど、わたくし……どうしたら……)

「――アンリエッタ」

「――っ!」

 何度となく自分の心を緩やかに束縛してきた声に、アンリエッタの思考は遮られた。

「さあ……、彼女達に見せてあげようじゃないか。僕らの『絆』を……、深く繋がった『王家の力』を……」

「…………はい、ウェールズ様……」

 自分を見つめるウェールズの冷たい笑みを見ても、アンリエッタの胸の奥は熱く潤む。そして、その熱に正常な思考を阻まれたアンリエッタは、促されるままに呪文の詠唱を始める。
 その詠唱に合わせて、ウェールズも詠唱を開始する。

――二人の呪文は重なり、『水』と『風』が絡み合い巨大な竜巻となって、二人の周りに吹き荒れ始めた。

 アンリエッタの『水』の三乗とウェールズの『風』の三乗が合わさり、『水』と『風』の六乗――『ヘクサゴン・スペル』を生み出したのだ。

 通常の『トライアングル』同士では凡そ不可能な合体魔法――選ばれし王家の血がそれを可能にさせる。詠唱同士が相互に干渉し、増幅し合い、城壁すら一撃で粉砕する恐るべき破壊力を秘めた超魔法を生み出す。


――地を薙ぎ払う暴虐の六芒星が、今まさにその姿を現した……。





――ガガガガガガガッッ!!!

「ぬぅ……ッ!」

 四方八方から繰り出される仮面の男の連続攻撃を、カインは自らも槍を高速で突き出すことで捌き続ける。

――ジャキィィンッッッ!!!

 槍を強く振るい、相手を杖ごと弾き飛ばし、自らも飛び退って距離を取る。

(おのれ……。このままでは埒が明かん……!)

 自分を取り囲む“五人の仮面の男”を睨みながら、カインは舌打ちする。

(こんな魔法もあるとはな……。よもや分身するとは……!)

――仮面の男が使った魔法の名は『偏在(ユビキタス)』

 大気を操り、己の分身を作り出す『風』系統の魔法だ。分身は唯の幻ではなく、一つ一つが意思と力、実体を備えており、本体から離れての活動も可能。その力と活動範囲は術者の精神力に比例する。

――最高ランクの『スクウェア・メイジ』でさえ、扱える者の少ない非常に高度な魔法である。

(……くそっ! 俺に『黒魔法』が使えれば……)

 “無い物強請り”――と言ってしまえばその通りだ。『炎』が有効だとキュルケ達が発見したのは良かったが、竜騎士であるカインに魔法は使えない。その効果があるアイテムも持ち合わせていない。
 レフィアのブレスがあるにはあるが、ここは森の中――レフィアの強力な『炎』のブレスは、周囲の木々まで焼き払い、大惨事になりかねないので使えない。

「――むっ?!」

――八方塞がりな現状に再度舌打ちした所で、カインは大気の異常に気付いた。

 風がざわめき、降り注ぐ雨が“何か”に引き寄せられるように横殴りになっている。

「――な、何だっ!?」

――カインは向けた視線の先にあるものを見て、驚愕する。

 天に届かんばかりの凄まじい竜巻――それに包まれ、杖を掲げているウェールズとアンリエッタ。二人の様子から、あれが彼らの魔法なのだとわかる。

「なんという竜巻だ! ルイズ達があれを喰らったら、ひとたまりもないっ!」

――ルイズ達の応援に向かおうとするカインだが、仮面の男が周りを取り囲み、それを阻んだ。

「ちっ、邪魔を……!」

 一瞬止まりはしたが、カインは次の瞬間には突進を再開していた。もはや消極的に相手の出方を窺っている余裕はない。全力で戦うしかない。

――そう決意した瞬間、カインは自身の全力を呼び覚ます。

「――ッ!!」

――次の瞬間、正面にいた二体のユビキタスが胴を両断され、霞のようにその姿を霧散させた。

 この世界の人間の眼では、気が付いたらその状況を見ていたとしか映らなかっただろう。ほぼ一瞬で間合いを詰め後、カインは双頭の槍を回転させて薙ぎ払い、その身体をまるで紙屑のように瞬断したのだ。

 これが――カイン・ハイウインドという竜騎士の本当の実力なのだ。

「そこをどけぇっ!」

 咆哮と共に、カインは道を塞ぐ仮面の男に突進する。脇にいた二人――恐らく残ったユビキタス――が割って入るが――

――ドガッ!

 今のカインの勢いは抑えることは出来なかった。槍の一振りで弾き飛ばされ、正面奥にいた本体も横に薙ぎ払われる。
 障害を排除し、カインの前に道が開ける――。戦いの間に、随分と距離が開いてしまっていた。

 カインは、巨大化を続ける竜巻からルイズ達を守るべく、全力で駈け出した――。






「――ちょっと、ヤバいんじゃない?」

 目の前でどんどん巨大になっていく水の竜巻を見上げ、キュルケが顔を引き攣らせる。

「ああ、やばいな。この調子じゃ、向こうの詠唱の方が先に終わりそうだ」

 アニエスの手元で、デルフリンガーがいつもの調子で呟く。

「なんだと? では、どうすればいいのだ!?」

「どうもこうもねえよ。あの竜巻を止めて、貴族の娘っ子の詠唱を邪魔させねえようにするしかねえだろが。ここに相棒がいない今、それが出来んのはこの俺を握ってるお前さんだけだ」

 自分の問いに対し、さも当たり前だと言わんばかりに答えたデルフリンガーに、アニエスは苦笑いを洩らす。

「……簡単に言ってくれる」

「嫌なら逃げな。別に俺は止めねえぜ? まあ、逃げられたらの話だけどよ」

 アンリエッタとウェールズの『ヘクサゴン・スペル』は完成間近――あの巨大な竜巻が解き放たれれば、人の足はもとより、竜の翼とて逃げ切れないだろう。

――元から、退路など存在しない。

 その場にいた全員が、理解している事だった。

「ふん! 逃げるつもりなど、毛頭ない! どこまで耐えられるかわからんが、やってやろうじゃないか!」

 竜巻を睨みつけ、デルフリンガーを構えるアニエス。

 そして遂に、ルイズの新たな『虚無』の完成より早くウェールズ達の『ヘクサゴン・スペル』が完成してしまった――。

「……さて、覚悟はいいかな?」

 ウェールズは残忍な笑みを浮かべ、ルイズ達に語りかける。

「……受けるがいい。僕らの絆の証――王家の血が可能にする、奇跡の『ヘクサゴン・スペル』を!」

――その言葉と共に、巨大な水の竜巻がルイズ達目掛けて解き放たれた!

 竜巻は激しく回転しながら、その巨体見合わぬ恐るべき速度でルイズ達に迫る――。

「くぅぅっ……!!」

 迫り来る強風が、足を踏ん張っているアニエスを押し下げる。


 エイワズ・ヤラ……


 ルイズの詠唱はまだ続いている。しかし、そうしている間にも、竜巻はこちらに迫って来ている。

――このままでは、間に合わない。

 誰もが敗北を予感し、目前に迫った竜巻の衝撃を予測して目を閉じた――その時!


――ブワアァァァッッッ!!!


 間一髪、カインが竜巻の前に割って入り、その身を盾にして竜巻を食い止めた――!

「――うおおおぉぉぉぉぉっっ!!!」

 両足を地面にめり込ませ、全てを打ち砕かんとする竜巻を食い止めるカイン。
 頑強な鎧をすり抜けて、水流が体を切り刻む。暴れ狂う暴風が、体を引き千切らんばかりに叩きつけられる。

「――カイン!!」

「っ!」

「カイン殿!」

「相棒!」

 キュルケ達の声を背中で受け、カインは竜巻を押し返さんばかりに全身に力を込める。

「――むっ! やべえ!」

――デルフリンガーが、迫る別の危険を察知した。

 カインがここに来る前に叩き伏せた仮面の男が立ち上がり、こちらに杖を向け、『ウインド・ブレイク』の魔法を放ってきていた。

「――させるかぁぁっ!!」

 それに気づいたアニエスが、デルフリンガーで『ウインド・ブレイク』を受け止め阻止する。


 ユル・エオー・イース!


――そして遂に、ルイズの詠唱が完了した。

 ルイズの意識が現実に戻り、自分の目の前で荒れ狂う巨大な竜巻と、それを全身を盾にして受け止めるカインの姿を目の当たりにする。

「……!」

 胸に熱いものが込み上げるのを感じる。その熱さを全て自分の杖に託すように、ルイズは杖を振り上げ、高らかに唱える。

 その魔法の名は――


「――『ディスペル(解除)』!!」


 その瞬間、眩い白色の光が辺り一帯を包み込んだ――。






――ザァァァァァ……

 眩い光が止み、辺りは雨音に包まれていた……。

 見渡せば、あちらこちらに物言わぬ屍が倒れている。先ほどまで、ルイズ達を襲っていたメイジ達だ。
 ルイズの『ディスペル・マジック(解除)』によって、彼らを動かしていた『アンドバリの指輪』の力が消滅し、本来の姿に戻ったのだ。

 戦いが終わり、ルイズ達は今、精神力の消耗で気を失ったアンリエッタを介抱している。

「……ぅ……」

 しばらくして、アンリエッタが目を覚ました。彼女は、自分を心配そうに見つめるルイズに気づき、ふと首を動かして辺りを見渡す。
 ルイズと共に、自分を救おうと奮戦してくれた面々が自分を囲む様に立っていた。

――燃えるような赤い髪のキュルケ……、小柄なタバサ……、銃士隊隊長のアニエス……、ルイズの使い魔であり竜騎士のカイン……皆一様に傷付いているが、カインが最も酷い怪我を負っていた。

 無理もない……。あの巨大な竜巻をその身を盾にして食い止めたのだ。五体満足で立っていられるだけでも驚愕に値する。

 そして最後に、地に倒れ伏すウェールズの姿を見とめた瞬間、その瞳から止めどなく涙が溢れ、それを隠すように両手で顔を覆う。

――こんなにも自分が許せないと思ったことはなかった。幼い頃からの親友であるルイズに合わせる顔がない……。自分は、自分を信じてくれた全ての者を裏切ろうとしていたのだ。

「……わたくしは……っ……、何という、罪深い事を……」

「……目は覚めましたか?」

 ルイズは、どこか冷たさを感じる声で尋ねる。アンリエッタは、両手で顔を覆い隠したまま頷く。

――キュルケも、タバサも、アニエスも……自らの罪の重さに涙する今の彼女を責めようとはしなかった。

「……ぅっ……、わたくしは、なんと言ってあなた方に謝ればいいの……? わたくしの為に、傷ついた人々に……何と言って、赦しを乞えば……。あ……ぁぁ……っ」

「……泣いたところで、死んだ者達は生き返らん」

「――っ!」

 カインの言葉に、アンリエッタはビクリと体を震わせる。

「…………わたくしが、愚かだったばっかりに……」

「己を卑下するのは、後にしろ……。俺達以外にも生き残った者達がいる。もし罪の意識を感じるならば、彼らを癒してやることだ。それが今、お前に出来る唯一のことだ」

「……はい」

――アンリエッタは生き残ったヒポグリフ隊の隊員達を自らの魔法で『水』の魔法で次々に癒していった……。


 その後、カイン達の傷も癒し、全員で死体を木陰に移した。敵であった者達だが、彼らもアンリエッタ同様、アルビオンの謀略の犠牲者である。そんな彼らを、ぞんざいに扱うことはできなかった。

 そして最後に、ウェールズを運ぼうとアンリエッタが彼の元に歩み寄り、跪いた――その時。

「……ぅ……」

「……え……?」

――ウェールズの体が僅かに動き、その口から微かな呻き声が漏れ……、その閉じていた両目が、ゆっくりと開いた。

「……ぅぅ……、こ……こは……」

「……ウェールズ、様……?」

 信じられないと言うように、目を見開き、体を震わせて呼びかけるアンリエッタ。その声に反応し、ウェールズは視線を向ける。

「……アン……リエッ……タ……?」

 弱々しく、掠れた声であったが、ウェールズは確かにアンリエッタの名を呼んだ――。

「――っ! ウェールズ様っ! 本当のウェールズ様ねっ!?」

――なんと、ウェールズは操られた死者ではなかった。生きながら『アンドバリの指輪』によって操られ、正気を失っていただけだったのだ。

 操られていた時の偽りの人格ではない、本物のウェールズであることを確信したアンリエッタは、溢れ出る涙を拭おうともせず、彼の身体を優しく抱き起こす。

「おぉ……、これは、夢か……? 二度と、会えぬと……思っていた……君が、こんなに……近くに……っ!?」

 涙に濡れるアンリエッタの頬をそっと撫でた時、ウェールズはここに至る経緯を思い出し、悲痛な表情を浮かべ肩を震わせる。

「――っ! あぁ……っ! 僕は……、僕はなんと言うことを……!! すまない……っ、すまない、アンリエッタ……っ!!」

「――言わないでっ!!」

「――っ!?」

 自らの行いを懺悔するウェールズを遮り、アンリエッタは彼の体を固く抱きしめた。

「……何も、言わないでください……」

「……アンリエッタ」

「……わたくしに、あなたを責める資格などありません。わたくしも、十分に愚かだったのですもの……。でも……これだけの愚行を重ねたにも関わらず、愚かなわたくしは……」

 ウェールズから体を離し、涙を零し続ける瞳で、彼の顔を見つめ――アンリエッタは、微笑みを浮かべる。


「……あなたが生きていてくれて……、あなたとまた会えて……、他に何も考えられないくらい、嬉しいの……」


――そう語ったアンリエッタの顔は、涙でぐしゃぐしゃではあったが……その笑みは、心からの笑みであった。


「――! アンリエッタ……、すまなかった……!」

「ウェールズ様……!」

――涙を流し、互いに強く抱きしめ合うアンリエッタとウェールズ。


 悪夢は去った……。

 いつしか雨は上がり、星空が広がっていた。そして、晴れた夜空に顔を出した双月は、奇跡の再会を果たした恋人達を祝福するように、穏やかに夜の地上を照らしていた……。








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第四話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:07
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第四話







――アンリエッタ誘拐事件から一週間が経過した……。


 騒動も鎮静化し、王宮内に緊張感を残しつつ、いつも通りの日々が戻って来ている。

 ニューイの月(六月)もそろそろ終わりが近づき、ここトリステイン魔法学院は、明日より“夏の長期休暇”が始まる。生徒達はそれぞれ思い思いに約二ヶ月半間の休暇を過ごす。故郷の領地に帰る者、学院に残り静かに過ごす者、どこぞの避暑地でバカンスを楽しむ者……と様々だが、皆、休暇の準備に勤しんでいる。

――そんな中、カインは学院の図書館で書物を読み漁っていた。

「……」

 カインがハルケギニアに召喚されてから早二ヶ月が経った――。
 しかし、元の世界に帰る方法、或いはそれに関する情報は、未だに掴めていない。

 様々な騒動に巻き込まれたことも手伝って、情報収集はさっぱり進んでおらず、代わりに方法を探ってくれると言ったコルベールとオスマンも、正直アテにならない……。

 いや、彼らとてそれぞれに仕事があり、調査に割ける時間が限られているのは、カインもわかっている。

 だからこそ、オスマンから特別に『フェニアのライブラリー』の閲覧許可を貰い、こうして暇を見つけては書物を漁り、自分で調べているのだ。

 これから二ヶ月、生徒達はほとんどいなくなる。静かにじっくりと調べ物をするには、まさに絶好の好機である。その為に、既にルイズの了承も取り付けてある。

――相談を持ちかけられた当初は渋っていたルイズだったが、カインの説得に渋々ながら結局折れた。
 尤も彼女も二ヶ月半丸々、故郷で過ごす気はなかったらしい。一ヶ月半くらい滞在したら学院に戻ってくるつもりだと語り、カインの学院残留を許可した。


 それでカインは今まで、心置きなく調べ物に没頭していた訳なのだが……

「――カイン!」

――その時間も長くは続かなかった。

 帰郷の為の荷造りをしていたはずのルイズが、何やら真剣な表情でこちらに駆け寄ってくる。その様子に、カインは怪訝な表情を浮かべる。

「どうした?」

「帰郷は中止するわ」

 そう告げると、ルイズは一通の手紙を差し出した。見れば、その手紙には花押が押されている。

――トリステイン王家の百合模様……すなわち、これはアンリエッタからの手紙だ。

 視線で尋ねると、ルイズは頷く。

 カインは手紙を受け取り、記された内容に目を通す。

「…………なるほどな」

 カインは、ルイズが帰郷を中止した理由を知る。

――任務だ。

 手紙によれば、今回の依頼はいわゆる『情報収集活動』である。

 身分を隠して平民達に混ざり、彼らの間で流れる噂話など、ありとあらゆる情報を集め、アンリエッタの元に届ける――と言う内容だ。

――加えて、この活動は、治安強化の一環でもある。

 先日の誘拐騒ぎ然り……、今や何処にアルビオンの間者が潜んでいても不思議ではない。民衆に紛れて、また何か不穏なことを企んでいる可能性もある。
 無論、それを探して炙り出せ、とまでは書いていないが、監視の眼は多いに越したことはない。もしかしたら、民衆の噂話から、それが発覚するかもしれない。

――一見取るに足らない情報とて、塵も積もれば山となり、それはいずれ強力な武器となる。

 大袈裟に聞こえるかも知れないが、それくらい『情報』とは重要であり、それを収集する今回の任務もまた重要なのだ。



――そんな訳で、荷物を纏め直し、二人は早速学院を発ったのだが……

「…………」

 アンリエッタから直々の任務依頼に張り切るかと思いきや、ルイズは不満そうな顔をしていた。

「……何を不満そうな顔をしている?」

 カインは、どこか呆れ気味に尋ねた。ルイズの答えは、おおよそ見当が付いているからだ。

「だって……、地味じゃない。こんなの」

「……」

――余りに予想通りの回答に、カインは溜め息を吐く。ルイズはこの任務の重要性をまるで理解していないらしい。

「……だったらいっその事、今回の依頼は断ったらどうだ?」

「そんなこと出来る訳ないでしょ! 姫様は私のことを信頼して、この任務をお与えになったんだからっ!」

 ルイズは眉を吊り上げ、語彙を強めて捲し立てた。が――カインはそんなルイズに、若干鋭い視線を向ける。

「――それがわかっているなら、『地味だ』なんだと文句を垂れるな」

「うっ……」

 痛いところを突かれ、ルイズはバツの悪そうな顔で顎を引く。

「……あ、あれは、その……、ちょっと言ってみただけよ……」

「俺に言い訳しても仕方なかろう。さっき自分が言ったことをよく肝に銘じ、今後は真剣に任務にあたることだな」

「わ、わかってるわよ……!」

 ルイズはそう答えた後、後ろめたさからか街に着くまで口を噤んだままであった――。




――途中でレフィアから降り、徒歩に切り替えて街に到着したルイズとカイン。これから平民に紛れようというのに、竜に乗っているところを人目に付いては意味がない。
 事前にマルトーやシエスタに留守中の世話を頼んでおいたので、レフィアはそのまま学院に帰した。

 二人はまず、手紙に同封されていた手形を持って財務庁に向かい、今回の任務で支給される活動費の引き落としを行った。

 アンリエッタから支給された活動費は、新金貨六百枚――400エキュー。宿代、食費、その他諸経費を全てこの中から捻出し、ルイズとカインはこれから二ヶ月半の間、何らかの形で情報収集を行いながら生活することになる。

 一応、カインの所持金が凡そ100エキュー程ある。ちなみに、以前アンリエッタから受け取った褒賞金の総額は約1000エキュー。以前フーケの一件でオスマンから受け取った金貨の残りと合わせて、所持金の総額は約1080エキューになるが、手元にある分を引いた残り980エキューは、コルベールに預かってもらっている。

 さて――活動資金を引き落とし「いざ任務開始!」となる訳だが……、ルイズが学院の制服そのままの恰好で来ていたので、最初の出費は“ルイズの服代”となった。カインは普段の鎧姿ではなく、以前に購入しておいた――地味な黒色のズボンに長袖のシャツ、その上に茶色のチョッキ――という格好だったので、新たに服を買う必要はなく、出費は『0』である。


 さて、二人とも“平民風”の姿になったところで、今度こそ「任務開始!」――となるかと思ったのだが、ルイズは難しい顔をしていた。

「……どうした? まだ、服装に納得できないのか?」

 先程仕立屋で今の服を買った時に、ルイズが不満げにしていたのを、カインは思い出す。だが、問いに対しルイズは首を横に振る。

「違うわ。それはもういいのよ。それより問題なのは……頂いた活動費の事よ。これじゃ、足りないわ」

 ルイズはやれ「満足な奉公には良い馬が必要」だの、「泊まる宿も安宿ではよく眠れないからダメ」だの、幾らでも妥協できることを、さも絶対必要かのように語った。

 何度も言うが……任務内容は『平民に紛れての情報収集』である。何処の世界に、400エキューもする馬を買い、二ヶ月半で400エキューもする高級宿に宿泊する“平民”がいると言うのか……。

――カインは、心の底から呆れた。

「……ルイズ」

「なに……って、何よその呆れた目は……」

「……呆れてるんだ。何を考えているんだ、お前は?」

「なっ、どういう意味よっ!?」

「本当に、自分に与えられた任務を理解しているのか、と言っているんだ。活動費を、お前の都合で浪費してどうする……。費用が足りないのではなく、お前が贅沢を言い過ぎなだけだ」

 平民は500エキューもあれば、一年は不自由なく暮らすことができる。それを考えれば、“400エキューで二ヶ月半”なんて、宿代と食費を何とかすれば、余裕で生活できるはずだ。

「贅沢なんかじゃないわ! 必要なんだもの!」

 あくまで考えを改めないルイズに、カインは顔を顰める。
 ルイズが言う“必要”なものは“贅沢”以外の何物でもない。「安宿ではよく眠れない」など、言語道断である。

――やはり、ルイズは今回の任務の“主旨”を微塵たりとも理解していない。

「……いいか、ルイズ。活動費は、『任務の為』と言えば好き勝手に使っていい訳じゃない。任務を遂行する上で、必要な場合のみ使用を許される金だ。だがお前の言う、馬も、やたら高い宿も、この任務には必要ない」

 何事に於いても、時間や資金といった“制限”が無ければ、良い結果を生むのは容易であり当然のことだ。限られた条件の中で、目標を達成することこそ“能力”である。

 カインは、故郷バロン王国で一部隊――しかも、小規模の竜騎士団の団長を務めていた男だ。少ない予算をどう割り振るかには、良く頭を悩ませた。

――だからこそ、こういう面には結構厳しいのだ。

「……もういいわよ! だったら、私一人で何とかするからっ!」

 そう言い放ち、ルイズは踵を返して歩き出す。

「……おい、何処へ行く? どうするつもりだ?」

「ついて来ないで! 別行動よ! 後で広場に集合っ!!」

――怒鳴るように言い残し、ルイズは駆けて行ってしまった。

 彼女を見送ったカインは、敢えて追い掛けようとはせず、溜め息を一つして肩を竦める。

「おい相棒。いいのか、追い掛けなくて……?」

 カインの背中に背負われたデルフリンガーが尋ねた。

――何故デルフリンガーがここにいるかと言うと……、本当は、装備と一緒に置いて行こうとしたのだが、彼がごねてうるさかったので仕方なく『用心の為』と、建前を付けて持って来たのだ。

「追ってどうしろと? ああなったルイズは、何を言ったところで聞き入れはせんさ。頭が冷えるまで、放って置くしかない」

「まあ、それもそうだな」

 ルイズの性格を思い出し、デルフリンガーも納得する。

――今まで何不自由なく暮らしてきたルイズが、平民達の生活の苦労など知る訳もない。まして、彼女は公爵家の令嬢――そこらの下級貴族でもやっている“倹約”や“節約”と言ったものとは無縁に生きてきたのだから、欲求を抑えるという行為が出来ない。おまけに生まれ故のプライドの高さも手伝って、なかなか素直に人の言うことを受け入れることも出来ない

 つまり、癇癪を起したルイズには理詰めの説得は通じない。だから、頭が冷えるまで放っておくしかないのだ。

「ふぅ……、仕方ない。俺も少しだけ、情報とやらを集めてみるか」

 このまま立ち尽くしているも時間の無駄と考え、当初の目的を果たすべく、カインもその場を後にした。




――四時間後……

 街の中央に設けられた広場――カインはそこにある噴水の端に腰掛けていた。

「……」

 ルイズを待つ間、カインは集めた“情報”を思い返す。主に街で立ち聞きした平民達の会話だが、『民衆の噂話』と馬鹿には出来ない。
 いろいろと、興味深い話を聞くことが出来た。やはり、市民達も今後のトリステインの動向は気になっているようだ。

 まとめると、話題は大きく分けて二つである。

――先ず、若くして王となったアンリエッタについて……

 あちこちで立ち聞いてわかったのだが、どうやら民衆は、若過ぎる“女”の王に不安を抱き始めているようだ。
 若い彼女にちゃんとした政治を行えるのか……、周りの貴族や同盟を結んだゲルマニアにいい様に操られてしまうのではないか……。

 タルブにおける『奇跡の勝利』の“酔い”が覚め、平民達も冷静に女王を観察できる様になってきたのだろう。もはや『聖女』の通り名も、あまり好意的には語られていない。
 あの勝利についても、『奇跡』という名の“偶然”だと鼻で笑う者も多かった。

――それに加えて、アルビオンとの開戦への不安……。

 アルビオンの宣戦布告、ゲルマニアとの軍事同盟の成立……、そして今度は、遠征軍を編成するために軍備を強化する動きがあるという。平民達の会話は、軍備強化云々の話よりも、それに伴う税金の上昇の方が深刻なようだが、やはり否定的な意見が多い。

 あれだけ『アンリエッタ万歳』『聖女万歳』と叫んでいた癖に、少し時間が経てばこの通り……、『大衆』とは何処の世界でもこういうモノらしい。


「……ん?」

 ふと近付いてくる気配に気付き、顔を上げる。
 すると、向こうの方からルイズが歩いて来ている……のだが、何やら様子がおかしい。 何か……“全てを無くしてきた”という様な顔をしている。

「…………」

 カインの前まで来たルイズは、力なく項垂れる。

「……随分と憔悴しているようだが……、何かあったのか?」

「……どうしよう」

 カインの問い掛けを受けて、ルイズはポツリと呟く。 要領を得ない発言に、カインが疑問符を浮かべる。

――ルイズは、言い難そうに事の次第の白状を始めた。


 ……。

 …………。

 ………………。


「――活動費を全額、賭博でスッた、だと……?」

(コクリ……)

 ルイズの口から語られた衝撃の告白に、カインは開いた口が塞がらなくなった。

――話によれば、カインの説教をどういう解釈をしたのか、ルイズは自分が必要だと言ったモノを揃える為には、活動費を増やせば良いと考えたのだという。
 そんな時、道でやっていた賭博場の“呼び込み”が「やれば必ず儲かる」という露骨に胡散臭い触れ込みをしているのを聞き、世間知らずなルイズは、疑いもせずに誘い込まれてしまい……

 その後は、言わずもがな……


「………………」

 カインは頭を抱えた。呆れ果て、文字通り“物も言えない”状態に陥るのも、人の行動で眩暈を起こしたのも、生まれて初めての経験だった。

「……」

 ルイズも今更ながら、自分のしでかしたことの重大さを自覚したのか、背後に影を背負いながら項垂れている。

――任務開始直後……いきなり活動費『0』。

 果たしてこれは、ルイズの世間知らず振りを責めるべきか……、それともアンリエッタの人選ミスを責めるべきか……、迷うところである。
 だが、今はそれどころではない。このままでは、任務の続行は不可能となってしまう。

「…………どうするつもりだ」

 どうにか声を絞り出し、カインは尋ねた。無論、まともな答えが返ってくることは期待していないが……。

「……今、考えてる」

 ポツリと呟くように答えるルイズ。返って来た答えは「考え中」――つまり、何も打開策はないということ。

 カインの持ち合わせを使えば、とりあえず宿代と食費ぐらいは(と言っても、二ヶ月半丸々は厳しいが)何とかなるだろう。だが、ルイズが活動費を全て溝に捨てるも同然の行いをした事実は消えない。

 だからと言って、活動費の追加を要求する訳にはいかない。こんな情けない事をアンリエッタに報告する訳にもいかない。
 ただでさえ日々の公務で、心労が溜まっている彼女に、これ以上余計な負担をかけるのは余りに酷というものだ。

――その思いだけは、二人とも同じである。


 陽が沈み始め、辺りが段々と暗くなり始めた頃――

「ふぅ……、ここでずっと途方に暮れている訳にもいかん。今日の宿を探すぞ。宿代は、俺が出す」

――こうしていても埒が明かないと、カインは立ち上がる。

「え? で、でも……」

「文句は聞かん。いいから立て、行くぞ」

 何かを言おうとするルイズを遮り、未だ座り込む彼女を促した。その時――

「――トレビア~ン!」

――ぞわっ……!

 背後から響いた妙に生温い感じの男の声に、カインの背筋に悪寒が走る。

「…………」

 カインは思わず振り返ってしまい、その瞬間に己の行為を後悔した。

――視線の先にいたのは、一人の中年の男である。

 やたらとテカテカとした黒髪に厳つい身体つきに、大きく胸元の開いた紫のサテン地のタンクトップ――そこからのぞく胸毛が、感じるはずの無い臭気を漂わせる。
 鼻の下と割れた顎に、整えられた髭を生やした非常に濃い顔だち……。おまけに、微妙に内股……。

 明らかに……、明らかに“普通”の男ではない。

「うぅんっ♪ 突然ゴメンなさいね? わたくしの名前はスカロン。見たとおり、怪しい者じゃないわ」

((……見たとおり、怪し過ぎて言葉もない……))

 カインとルイズは、図らずも全く同じ事を考えた。だが、スカロンと名乗った怪しさ大爆発の男は、そんな二人の心情などお構いなく妙なポーズを次々に繰り出し続ける。

「何やらお困りの様子だったものだから、つい声をかけちゃったの。で、どうしたの、あなた達。良ければ相談に乗るわよ?」

 朗らかに微笑み、スカロンは親切にそう言った。……口調と格好とポーズの気色悪さを除けば、悪意も感じないし、悪い人物ではないようだ。
 が――それでも、人間には生理的に受け付けないという事もある。

「……親切には礼を言う。だが心配無用だ。単に今日の宿をどうするかと相談していただけだからな」

 カインは手早く話を切り上げるべく、詳細は大きく省き、手短に話を伝えた。ルイズも「コクコクッ!」と勢いよく頷き、肯定の意を示す。

――だが、何故かスカロンは、カインの説明を聞いて瞳を輝かせた。

「――んまっ! それならちょうどいいわ! うちにいらっしゃいな。実はわたくし、宿を営んでいるの!」

 そう言って腰をクネクネと動かすスカロン。その気色悪さに、ルイズとカインは思わず顔を引き攣らせて一歩退く。

 なんと都合の悪い……、スカロン自身が宿の経営者であったとは……。いくら親切な申し出でも、道の往来で人目を憚ることなく妙なポーズを取る、この危ない中年男の営む宿に泊まるのは……、正直、ご免被りたいところである。

「い、いや……、気持ちは有難いんだが……。か、金が、ないんだ……。流石に、タダで泊まらせてもらう訳にはいかんしな!」

 苦肉の言い訳で、自分達が払う宿代がないかのように話してみたが――

「心配しないで。たった一つだけ条件を飲んでくれたら、お部屋をタダで提供するわ♪」

――逃げられなかった……。





「――いいこと! 妖精さん達!」

 ポージングを決めたスカロンの声が響く。

『はい! スカロン店長!』

 彼の声に、色とりどりの衣装に身で着飾った少女達の一糸乱れぬ返事が返る。

――ここは、スカロンが経営する宿屋『魅惑の妖精亭』、その一回で兼営している酒場である。今そこで、スカロンと店員の彼女達は、夜の営業に向けて開店準備を行っているのだ。

「――違うでしょぉおおおお! 店内では、“ミ・マドモワゼル”とお呼びなさいって言ってあるでしょお! はい、もう一度!」

『はい! ミ・マドモワゼル!』

「トレビア~ン」

 彼女達の改めての斉唱に満足したようで、スカロンは身体を抱きしめるようにしながら身震いする。

 ひとしきり身悶えすると、スカロンは少女達に色々と伝達を始めた――。


――その様子を店の端で見ていたルイズとカインは、揃って顔を引き攣らせる。
 何しろ、あの異常なスカロンを、少女達はさも当たり前のように受け入れているのだ。彼女達は既に慣れたのかも知れないが、慣れていない二人にしてみれば、それは異様な光景に他ならない。

「――さて、それじゃ最後に、妖精さん達に素敵なお知らせ。今日は何と新しいお仲間ができます」

 少女達の拍手がする中、スカロンがまた違うポーズを取ってこちらを向く。

「じゃあ、紹介するわね! 二人とも、こっちへいらっしゃい!」

 呼び掛けに応え、ルイズとカインはスカロンの隣まで歩いて行った。
 ルイズは、他の少女達と似通ったデザインのきわどい白のキャミソール――、カインは白ワイシャツに、シックな黒の蝶ネクタイと黒のベスト、黒のスラックス――

――それぞれ、スカロンに着用を命じられた服装である。

 二人は、半ばスカロンに押し切られる形で、今日からこの『魅惑の妖精亭』に住み込みで働くことになってしまったのだ。

「先ずは、お仲間になる妖精さん達に自己紹介から始めましょ! はい、どうぞ♪」

「……カインだ。まあ、よろしく頼む」

 スカロンに促され、やむを得ず先に挨拶するカイン。
――すると、少女達の何人かが頬を赤く染めた。

 それを見たルイズは、持ち前の独占欲の強さから、目を吊り上げてムッとした顔になる。だが――

「――さっ、ルイズちゃんもご挨拶して」

「っ! あ、え、と……。ル、ルル、ルイズですっ。よ、よよよ、よろしくお願いなのですっ」

 スカロンに遮られる形で、ルイズはなんとか怒りを押し止め、顔を引き攣らせながらも笑顔で挨拶した。

 しかし、ルイズは単純に我慢しただけではない。彼女には彼女なりの“計算”というものがあった――。

 古くより酒場とは、人が日頃のストレスを解消する為に集まってくる場所とされる。そして酒は、人の理性のタガを外し、口を軽くするものである。
――ならば、それらを利用してアンリエッタが望む情報を集めることができるかも知れない。そうすれば、活動費をスッてしまった失態も取り返せる――!

 状況に追い詰められることで、ルイズは初めて『滅私』の精神というものを発揮して、任務に対して頭を使ったのだ。


「――さあっ! 挨拶も済んだところで、『魅惑の妖精亭』開店よ!」

 スカロンの宣言により、羽扉が景気良く開き、客達がどっと店内になだれ込んで来る。

――ルイズとカインの、『酒場でアルバイト』のスタートである。



 開店後、カインは厨房で皿洗いの仕事を与えられた。

 ここ『魅惑の妖精亭』は、ただ酒と料理を提供するだけの居酒屋ではなく、きわどい衣装に身を包んだ少女達による給仕サービスが売りの店である。極端に悪く言ってしまえば“風俗店”だが、俗にそう呼ばれる店とは違い、破廉恥で如何わしい行為はしていない。
 あくまで、少女達が酒を注いで客と楽しげに談笑したりするだけの、境界線ギリギリで健全なサービスを売りとする人気の酒場なのだ。

 それ故か、店は中々の盛況ぶりで、次から次へと客が食べ終わった皿が運び込まれてくる。

――カインは生まれて初めての皿洗いに悪戦苦闘していた。

(……まさか、この俺が酒場で皿洗いとは……。ぬぅ……しかし、皿洗いも意外と難しいものだな……)

 単純な作業だと思っていたが、実際にやってみると、その認識が大きな間違いであったことが分かる。

――料理の油汚れがこびり付いた皿は、一度拭った程度では“ヌメり”が残ってしまい、中々厄介である。かと言って、それらを落とそうと、念入りに磨けば今度は時間が掛ってしまう。

 カインは持ち前の体力と集中力で、作業を急ぐが、それにも限界がある。また、先ほども言ったとおり皿洗いなど生まれて初めての経験だ。どうしても、効率が悪くなってしまう。

「――ちょっと! もっと急がないと、皿がなくなっちゃうわよ!」

 何とか効率良く出来ないものかと、皿と格闘しながら考えていた時、一人の少女が現れた。長い黒髪の、活発そうな少女である。

「す、すまない」

 腰に手を置き、作業を急かす彼女に、カインは皿を洗い続けながら謝る。

 黒髪の少女は、話しながらも止まらないカインの手つきを見て、「ふぅ」と溜め息を吐く。

「ちょっと貸して」

 そう言うと、彼女はカインから皿洗い用の布を取り上げ、慣れた手つきで皿を洗い始めた。
 無駄のない、スムーズな動きで、カインより断然早く皿を片づけていく。しかも、汚れはしっかりと落ちている。見事な手並みだった。

「手を動かし続けてたのは良いけど、さっきみたいに片面ずつ磨いてたら時間かかるでしょ? だから、こうやって布で両面を挟むようにして、ぐいぐい磨くの」

「ほう、なるほどな」

 その迅速な仕事ぶりに、カインは感嘆の声を洩らす。それを聞いた少女は、誇らしげに微笑む。

「あったしー、ジェシカ。あんたは、え~と……カインだっけ?」

「そうだ」

 ジェシカと名乗った少女の問いに対し、カインは教わった洗い方を実践しながら答えた。
 何しろ、皿はまだまだ溜まっている。――手を止めている暇などない。

「あんたさあ、新入りの子のお兄さんなんでしょ?」

――ここに来る時、スカロンに二人の関係を尋ねられ、取りあえず無難に『兄妹』と言う事にしておいたのだ。

「……ねえねえ、ルイズと兄妹って、ウソでしょ?」

 突然小声になったかと思えば、ジェシカはあっさりとこちらの虚偽を見破ってみせた。

(……中々鋭いな、この娘。……それとも、やはり無理があったか……)

 カインは皿を洗いながら、そんなことを考えていたが、ジェシカは構わず話を続ける。

「あんた達は、まあ似てない事もないけど、やっぱり雰囲気とかが兄妹って感じじゃないのよねぇ」

「……さて、どうだろうな」

 話し方から見ても、ジェシカは自分の仮説が正しいと確信しているようだが、カインは取りあえず、とぼけてみる。

「ああ、心配しなくて大丈夫よ。ここにいる娘は、みんな大なり小なり訳ありなんだから。他人の過去を詮索する奴なんかいないよ。安心して」

「……」

 その言葉には、カインも多少驚く。あれだけ明るく楽しげにしている少女達が、何かしら事情を抱えてこの店で働いているというのは、少し意外だった。
 だが、ジェシカが嘘を言っているようには感じられない。恐らく事実なのだろう。

(あのスカロンという男……、意外に懐は広いのかもしれんな)

 客席の方で、給仕の娘達に混じって動き回っているスカロンを一瞥する。

――相変わらず気色悪い姿と立ち居振る舞いだ。人は見かけに由らない、とはよく言ったものである。

「――ねえねえ」

 声に振り向くと、いつの間にかジェシカがずいっと顔を近づけて来ていた。

「……なんだ?」

「あたしにだけこっそり教えてよ。二人はさ、ホントはどういう関係なの? どんな事情があってここに来たの?」

 ついさっき「他人の過去を詮索する奴などいない」と言った張本人が、いきなり前言を無視してこちらの事情を詮索して来た事に、カインは呆れる。

「……自分が言ったことにくらい、責任を持ったらどうだ?」

「だってー、気になるんだからしょうがないじゃん。なんか、あんた達の事情って、他の娘達とは“匂い”が違う感じなのよね」

 その妙な“嗅覚”はともかく、ジェシカはどうやら、好奇心の塊のような娘らしい。瞳をキラキラと輝かせ、「ワクワク」という擬音さえ幻聴させるほど楽しげな顔をしている。
 ある意味、あのキュルケと同類なのかもしれない。

「で、どうなの?」

「……語りたくない」

「えー! いいじゃない、ちょっとくらい」

「君が期待するような大層な事情などない。語るのが嫌になるほどに、くだらない事情だ……」

 そう言うとカインは、心底呆れたという風な、疲れた表情を浮かべる。
 何しろ、ここに来る直前の出来事が“アレ”だ。カインのそんな表情を浮かべるのは無理もない。

「ふ~ん……、街まで出てきた直後に有り金全部賭博でスッた、とか?」

「……さあな。とにかく俺の口からは何も言いたくない」
(この娘、侮れん……)

 ジェシカの鋭さに内心驚愕するカインだったが、動揺を表に出さない。

 カインの顔や口ぶりから何も読み取れなくなると、ジェシカはつまらなそうに口を尖らせる。

「ちぇ、つまんないの……。ま、いっか。じゃ、皿洗い頑張って。お店が忙しくなるのはこれからだからね!」

 表情をコロコロと変え、ジェシカは最後にウインクを一つして、客席の方へ戻って行った。


――一方、ルイズは……

「……ご、ご注文の品、お持ちしました」

 引き攣った笑みを浮かべて、たどたどしい仕草でテーブルにワインの壜とグラスを置く。すると――

「ねえちゃん。じゃ、注げよ」

 テーブルに座っていた男が、ニタニタと下卑た笑みを浮かべて、グラスを差し出してきた。

 貴族の自分が、何故平民の男に『酌をしろ』と命令されなければならないのか――と、ルイズはその余りの屈辱に、肩を震わせる。

「あん? どうした? 注げって言ってんだろ? さっさとしろや」

 ルイズの内なる怒りなど知らない男は、グラスを突き付けて、ややイラついた口調で酌を要求した。
 その横柄な物言いに、ルイズは更なる屈辱に腹の底を沸騰させるが、「これも任務」と心の中で何度も何度も繰り返すことで、どうにか怒りを抑え込んだ。

 相変わらず引き攣った笑みを浮かべたまま、ルイズはワインの壜を手に取る。

「で、では、お注ぎさせていただきますわ……!」

 そう言って男のグラスにワインをゆっくり注ごうとする。が、怒りに手が震え、グラスから壜の口が外れてしまった。

「うわ!? 溢しやがったっ!」

「す、すいませ、ん……」

「すいませんで済むか!」

 ルイズとしては、謝ったつもりだった。しかし、男は苛立ちを隠そうともせず顔を顰める。

「ったく、ワインもまともに注げねえのか?! 折角気分よく飲みに来たってのによ~、胸はねえし、色気もねえし……、白けるったらねえぜ」

(ブチッ)

――ダンッ!

「ひえ?!」

 突然響いた鋭い音に、男が思わず身を竦ませる。その音の原因は、ルイズがテーブルに叩きつけた足だ。

――男の嫌味ったらしい物言い(特に後半部分)に、ついにルイズはキレてしまった。

 テーブルとイスに片足ずつ置く形で、ルイズは男を睨み下ろす。その迫力に、男は思わずたじろく。

「げげげげ、下郎っ! あああ、あんた私を誰だと思ってんの?!」

「は、はい……?」

「おおお、恐れ多くも、こここ、こうしゃ――」

――ドンッ!

 “公爵家”と言おうとした瞬間、ルイズの体がテーブルの上から弾き飛ばされた。

「ご~~~~めんなさぁ~~~~い!」

 そう叫びながらどっかりと男の隣の席に、スカロンが滑り込む。

「この娘、まだお店に来たばっかりで慣れておりませんの。お詫びにこのミ・マドモワゼルが、濃厚なサービスをお届けしちゃいま~~~す♪」

「――なっ!? ちょっ、そんなんいらね……、い、いやあぁぁぁぁあああ!!!」

 店内に男の悲鳴が響くが、これもこの店ではよくある事なのか、常連客は愉快に笑うだけだ。

――その一方で、“濃厚なサービス”とやらを実施するスカロンは、ルイズに厨房に下がるように視線で指示を出す。

 ルイズはそれでやっと我に返り、客の注意がスカロン達に向いている間に、慌てて厨房に逃げ込んだ――。




「――はい、『魅惑の妖精亭』本日の営業はここまで。妖精さん達、みんな、お疲れ様!」

『お疲れ様でした~!』

 空が白み始めた夜明け前――ラストオーダーから、残っていた最後の客が帰った後、スカロンの号令で、その日の営業は終了となった。

「…………」

 ルイズは眠気と心身の疲労で、ふらふらしていた。カインは取りあえず疲れてはいないものの、慣れない仕事をしたと言うのはルイズと同じだ。やはり、多少気疲れはしている。

「みんな、今日も一生懸命働いてくれたわね。今月はちょっと色をつけといたわ」

『きゃ~~~♪』

 スカロンの言葉に、少女達から歓声が上がる。
 その日はどうやら給料日だったらしく、店で働く少女達や厨房のコック達に、給金が配られていく。

――そして最後に、スカロンはルイズ達の前にやって来た。

「はい、ルイズちゃん。カインくん」

 そう言って、スカロンはルイズ達にも給金の入った袋を手渡す。

 ルイズは、たった一日働いただけの自分達にも貰えるのに一瞬驚き、次いで顔が輝いた。

――早速開けて、中身を確認する。

「…………」

 しかし、期待して見てみれば、入っていたのは銅貨が数枚だけ……。

 たった一日分とは言え、余りの少なさに呆然とするルイズ。その様子を見て、スカロンの顔から真面目になる。

「ちなみにそれは、カインくんのお給金からルイズちゃんの分をさっぴいた額よ」

「なっ!?」

 つまり、ルイズは給料を受け取るどころか、逆に賠償を請求されたと言うことだ。

「当然でしょ? ルイズ、あんた今日、いったい何人のお客を怒らせたと思ってんのよ」

 ジェシカが前に出て、腰に手を当てながら不服そうなルイズをたしなめる。まあ確かに、今日のルイズの働きぶりからすれば、無理もないだろう。
 最初ムッとしたルイズも、今日の自分の働きぶりを思い出し、俯いて溜め息をついた。

 落ち込んだ様子のルイズの肩に、スカロンが手を置く。

「いいのよ。初めは誰でも失敗するわ。お仕事もこれから覚えればいいの。明日から、頑張ってね!」



――『魅惑の妖精亭』では、夜の仕事を終え、夜明け前にようやく就寝の時間となる。

 ルイズとカインが与えられた部屋は、客室がある二階の廊下の突き当たりに架けられた梯子から上がる屋根裏部屋である。
 恐らく……元々は物置にでも使われていたのだろう。一応の掃除はされているようだが、部屋のあちこちに埃が積もり、壊れたタンスや椅子、酒瓶の入った木箱に空樽が置かれている。

 そして……、用意されたのか、元々あったのかは分からないが、粗末なベッドが一つ置いてある。ルイズが腰掛けると、ギシギシと今にも壊れそうな不吉な音を立てた。

「なによこれ!」

「ベッドだ。見ればわかるだろう」

 答えつつ、埃っぽい空気を入れ替える為、カインは部屋に付いている小窓を開ける。すると、どこからともなく蝙蝠が三匹、こちらに向かって飛んできた。

――バシッ!バシッ!バシッ!

 カインは素早く、蝙蝠を叩き落とした。床に落ちた蝙蝠達は、ピクピクと痙攣しながら失神している。

「なによそれ!」

「騒ぐな。ただの蝙蝠だ」

 叫ぶルイズに事も無げにそう答えると、カインは失神した蝙蝠達をつかみ上げ、窓の外に放り出す。

「どうして貴族の私がこんなところで寝なきゃなんないのよ!」

「文句を言うな。元はと言えば、お前が原因だろう。自分が昼間やらかしたことを思い出してみろ」

「うぅ!」

 痛いところを突かれ、ルイズは言葉を詰まらせる。それを言われては、さすがのルイズも返す言葉がない。

「……で、でも! お金ならあるんだから、何もこんな部屋に泊まらなくたって!」

「あるのは俺の金だ。活動費は底をついている。今の俺達にとって、この状況はむしろ歓迎するべきだろう。費用を一切使わず、望む情報を得られるのだからな」

 これでもし、本来の目的に全く関係なかったなら、仕事の内容が分かった時点でキッパリ断っている。

――だが、酒場のウェイトレスというのは、客から情報を収集するには非常に効率的な職業だ。おまけに、少ないながら給料まで貰えるのだから一石二鳥である。だからこそ、カインはスカロンの“条件”を飲んだのだ。

「うぅ~~っ!」

 正論で包囲され反論できなくなり、ルイズは悔しげに唸るが、カインはそれを黙殺する。

「唸ってないで、さっさと寝ろ。昼からまた仕事が待っている。体が持たんぞ」

 それだけ言うと、カインは椅子に腰かけて目を閉じた。

「ちょ、ちょっと! まだ話は終わってないわよ!?」

「…………」

 慌てて声を掛けるが、カインは反応しない。

 さすがにまだ眠ってはいないはずだ、とルイズは更に声を掛け続ける。

「ご、ご主人様を無視するなっ!」

「…………」

「な、何とか言いなさいよ……」

「…………」

「ね、ねえ……。もしも~し……?」

「…………」

「うぅ~~~!!」

「…………」

「……わかったわよ。寝ればいいんでしょっ、寝ればっ!!」

 何を言っても終始反応しないカインに、ルイズは不貞腐れ、勢いよくベッドに潜る。

――最初こそ、ブツブツ文句を呟いていたが、慣れない仕事の疲れからか、ルイズは意外にあっさり眠りに落ちていった……。


 ルイズとカイン……、二人の予想外だらけの任務初日。こんな調子で、この先一体どうなる事やら……








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第五話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:08
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第五話







――『魅惑の妖精亭』は、街でもそれなりに名の通った酒場だ。

 街の平民――主に男、九割九分が男――が、昼間働いた疲れを癒し、日々の鬱憤を晴らしに集う憩いの場。店長はちょっと“アレ”だが、そんな事では男達は遠退かない。

 今夜も“満員御礼”――。最近では、“東方”から輸入された『お茶』を提供する“カフェ”に客を取られ、若干売り上げが落ちているという話だが、それでもここは十分に繁盛している。


――バチィ~ンッ!


 そんな店には似つかわしくない、乾いた音が響く。まるで、掌で何かを引っ叩いた様な……。

 そちらに目を向けてみると、ピンクの髪に白のキャミソールの給仕娘と床に倒れた男の姿。

――おっ、男が立ち上がった。頬には、くっきり真っ赤で見事な手形が付いている。

 そこへすかさず、この店の店長が滑り込み、謝罪する。そして“お詫び”と称して、ある意味この店の名物となっている“店長直々濃厚サービス”が行使された。
 悲鳴を上げる男に対し、常連客達は冷やかすように囃し立てるか、愉快に笑うか、はたまた同情の視線を向けるか……。

――そうして客の注意が逸れた隙に、ピンクの髪の給仕娘は厨房に引っ込んだ。


 ピンクの髪の給仕娘=ルイズの接客態度は、はっきり言って落第点だ。

 拙い接客をするルイズを見て客がする反応は、彼女を子供扱いするか、逆にその女性としての発育が乏しい容姿に興奮しセクハラするか、の二種類。
 そして、それに対するルイズの対応は……酒や料理を客にかけるか、平手打ちか……悪い時には蹴りも出る。

――ついさっきので、本日十三回目のバイオレンスである。

 その度にスカロンや他の娘達がフォローに入るのだが、さすがに度が過ぎている。

 店の信用に危機感を覚えたスカロンは、ルイズに脇に立って他の娘を手本にやり方を見学するように命じた。

「…………」

 一応悪いとは思っているルイズは、言われた通り他の娘の接客を観察する。

 他の娘達はルイズとは違い、ぎこちなさなど欠片も感じさせない微笑みを絶やさず、何を言われようとされようと怒りはしない。また、スケベな客が自分の身体を触ろうとしても、その手をやんわりと握って巧みに避ける。男達は、そんな娘達の仕草の一つ一つに魅了され、気を引こうとチップを奮発する。

 見事な手並みだ。が――ルイズにそれをやれ、と言うのは無理な話。

 平民に媚びるなんて、ルイズの無闇に高いプライドが許さない。染みついた貴族体質が、どうしても抑えられない。
 いくら“アンリエッタのため”“任務のため”と自分に言い聞かせてみても、結局長続きはしない。すぐに綻び、ボロが出る。

(……どうして、私が……、恐れ多くもラ・ヴァリエール公爵家の三女たる私が、こんな事しなくちゃならないのよ……)

 自分の置かれた状況に不貞腐れるルイズは、ふと厨房に目をやる。
 次々運ばれてくる皿を、黙々と洗い上げているカインの姿が見えた。

 その姿を見て、ルイズは先日のやり取りを思い出し、また不満を募らせる。

――自分が何を言っても慰めることはなく、正論ばかり口にして冷たく突き放したカイン。

 そんな事を考え始めてしまった事で、結果的にルイズの中には不満ばかりが、どんどん募っていった……。




「――カインく~ん、お疲れ様♪ ここらでそろそろ、休憩してらっしゃい」

 と、スカロンから休憩の指示を受け、カインは店の勝手口から外に出た。そして横の壁に背を預ける。

 夕方の開店から既に約六時間――既に深夜の時間帯だが、『魅惑の妖精亭』はこれからが本番の時刻だ。

 開店からの時間は、そのままカインが皿を洗い続けていた時間でもある。体に疲れなど感じていないが、やはり慣れないこと故、気疲れはする。
 だが、ジェシカに教わった“皿洗いのコツ”のおかげで、今日は随分スムーズに作業ができた。

 とはいえ、カインは竜騎士――戦いこそが本分だ。例え、新たなアビリティ『皿洗い』が身につこうと、そんなもの嬉しくも何ともない。

「ふぅ……」

 この任務に同行したのは自分の意思だが、現状を思い返すと、どうしても溜め息が漏れてしまう。

「――な~に溜め息吐いてんの!」

――気分直しに夜空でも見上げようかと考えたその時、横から活発な声が聞こえてきた。

「ジェシカか、そっちも休憩か?」

「まあね~。これからもっと忙しくなるから、その前にちょっと一息入れにね」

 ジェシカはそう言うと、カインの隣の壁に寄り掛かった。そして、いつもの気さくな調子で話しかけてくる。

「さすがに疲れた?」

「いや。多少手間取ったが、あれくらいで疲れはしない」

「へえ~、体力あるのねぇ」

 ジェシカは楽しげな笑みを浮かべ、ウンウンと頷く。カインはその笑みに見覚えがあった。

――昨晩、自分とルイズの関係について詮索してきた時と、同じ笑みだ。

「ねえねえ、あったしー、わかっちゃった!」

「……何がだ」

 口で尋ねはするが、何を言うかは大体予想が付く。どうせ、ルイズか自分のことだ。

「ルイズ。あの子、貴族でしょ?」

――やはりか。しかも、あっさりバレている……。

「何故そう思う?」

 参考までに聞いておこうと、カインはジェシカに尋ねてみた。

「だってあの子ってば、お皿の運び方も知らなかったのよ? その上妙にプライド高いし……。それにあの物腰……あれは貴族のソレね。あたし、こう見えても人を見る目には自信があるのよ。お客さんを何人も相手にしてきたし、パパから女の子の管理も任されてるしね」

 大した観察眼だと、カインは内心感心する。先日から、彼女の洞察力は侮れないとわかってはいたが、改めて聞くとやはり大したものだ。
 ジェシカは、この店の人気NO.1を誇る給仕娘である。来る客の六割……いや七割は、彼女目当てだ。

――その眼で見てきた『人間の種類』の数ならば、おそらくカインより上だろう。

(なるほど、納得のいく話だ…………ん?)

 納得しかけたカインだったが、何か信じ難い言葉が聞こえた気がして、思考が止まった。

「……ジェシカ、一つ聞いていいか?」

「ん? なになに?」

「……今、“パパ”と言ったが……、それは……まさか……」

 “パパ”……つまり父親と呼ぶ以上は、男だ。その上、店の娘達の管理云々を誰かに任せられる人物……

――思い当たる人物は、一人しかいない。

「うん、スカロンのことよ」

「……そうか」

 なんということだろう……。確かに考えてみれば、二人ともハルケギニアでは珍しい黒髪だが、まさかジェシカと“あの”スカロンが親娘だったとは……。
 余計な突っ込みを入れるつもりはないが……世の中、分からないものである。

「ふふ♪ 意外だった?」

「……正直、な」

「まあ、そうよね。パパ“あんな”だし。でも、あれで優しいパパなのよ? お母さんが死んじゃった時に「じゃあパパがママの代わりも務めてあげる」って言いだして……」

「そうだったのか……」

 “あの振る舞い”にそんな事情があったことを知り、カインは密かにスカロンを見直した。

――母を失った娘に、寂しい思いをさせまいとする父親の深い愛情。

 あの発想には疑問を挟みたい所だが、訳ありの娘達を自分の店で引き取って面倒を見ていることも合わせて鑑みると、やはりスカロンという男……ああ見えて、中々の人物のようだ。

「良い父親を持ったな」

「……うん、まあねっ! けど、パパも結構、あの恰好とか素で気に入ってたりもするみたいだけど~」

「ふ、そうか」

 照れ隠しか、少しばかり話に落ちを付けようとするジェシカに、カインは穏やかに微笑む。

「っ! ……」

 その笑みを見たジェシカは思わず赤面してしまい、それを隠すために顔を逸らす。

「パ、パパとあたしのことはいいのっ! 問題はルイズよっ、ルイズっ!」

 少し頭を振ると、ジェシカは気を取り直したようで、話を本題に引き戻した。

「で、どうなの? 貴族の娘がこんな街の酒場で給仕なんかして、何を企んでるの? もしかして、あんたも貴族?」

「いや、貴族ではない」

「そうなの? ルイズは貴族で間違いないとして、あんたは貴族じゃないとしたら……、従者か何か?」

「さあな」

 ルイズが貴族だということには、自身の勘を疑わないジェシカだが、カインについてはうまく読み取れないらしい。

 カインが肩を竦めてとぼけると、ジェシカは拗ねた様に口を尖らせる。

「むぅ~、少しくらい教えてくれてもいいじゃない!」

「昨日も言ったぞ。語りたくない程、くだらない事情だと」

 カインは、嘘は言っていない。本来、カインもルイズもこの『魅惑の妖精亭』で働く必要はなかった。
 先日のルイズの大失態さえなければ、もう少しスマートな方法も取れたはずだ。

――だが、ルイズのそんな行動を予測できず、放置してしまった自分にも責任がある。ルイズばかりを責めることはできない。

 ジェシカの興味本位の詮索に応じないのは、カインなりのルイズへの気遣いでもあるのだ。


「ね~え~、ちょっとだけ~、ちょっとだけでいいから~。誰にも喋ったりしないからさ~」

 いくら聞いても口を割ろうとしないカインの腕をつかみ、体を左右に揺すって、子供のように駄々をこね始めるジェシカ。

 ここまで来れば、もう少し黙秘を続ければ諦めるだろうと、カインはされるがままでいた。のだが――

――バンッ!

――その時、勝手口が壊れるほどの勢いで開いた。

 カインとジェシカが何事かと振り向くと、中からルイズが肩をぷるぷると震わせて現れる。

「な、ななな何してんのよ! ああああ、あんた等!?」

 憤慨か羞恥か、顔を真っ赤に紅潮させ怒鳴るルイズ。
 どうやら彼女の眼には、カインとジェシカが腕を組んでイチャイチャしているように映っているらしい。

――惨めな思いをしている自分を放っておいて、こんなところで給仕娘とイチャイチャ!

 積もりに積もった不満も相俟って、ルイズの自制心は既にパンク寸前状態になっていた。

「はぁ……。ちょっと、ルイズ」

 溜め息と共にカインの腕を離し、ジェシカは腰に手を当ててルイズと向かい合う。

「あんた、接客はどうしたのよ? まだ、仕事の途中でしょ?」

「ううううっさいわね! いいい忙しくなってきたから、呼びに来たのよっ!!」

 無難だが、明らかに取ってつけた理由だ。大方、途中でカインとジェシカの姿が両方見えなくなったことに気づき、スカロンか厨房のコック辺りにここだと聞いて、慌てて駆け付けたのだろう。

「へえ~。どうしてあんたが呼びに来るのよ?」

「な、なによっ、私が呼びに来ちゃいけないっての!?」

「そんなに店が忙しいなら、あんたも接客で忙しいはずよね? 本当に忙しい時って、店長が呼びに来るもんなんだけど」

「うぐ……」

 ルイズは言葉に詰まる。確かに店の方は相変わらず忙しいのだが、あくまで二人が休憩に入る前と同程度――。慌てて二人、或いはジェシカに戻って来てもらわなければならないほどではない。

 この店で働いて長いジェシカは、どの時間帯にどの程度客が来店するかを把握している。だから、ルイズの嘘をあっさり見破った訳なのだが――

「――ああ、そっか。考えてみれば、あんたが呼びに来てもおかしくないわね」

――何故か突然、ジェシカは前言を撤回し、ルイズが呼びに来た事を納得し始めた。

 いきなり態度を豹変させたジェシカに、ルイズは怪訝な顔になる。するとジェシカは、今度はまるで憐れむ様な視線を向けてきた。

「あんた、チップ一つ満足にもらえない“ダメダメちゃん”だもんねぇ~? そりゃ、あたしらを呼びに来るぐらいの暇があるわけよね~?」

 ジェシカの挑発するような口調に、ルイズは眉を吊り上げる。が、ジェシカは余裕の態度を崩さない。

「あら~? なんか文句でもあんの? 言い忘れてたけど、あたし、ここの女の子達の管理を任されてるの。はっきり言ってね、あんたみたいな子、迷惑なの。常連のお客さんは怒らせるわ、注文はとってこないわ、お客さんを殴るわ蹴るわ……。あんたそれで、「真面目に仕事してる」とでも言うつもり?」

 正論ではあるのだが、挑発的な口調と見下すような視線に、ルイズは頭の奥がチリチリしてきた。悔しさに、奥歯がギリリと擦れる。

「まっ、しょうがないか。あんたみたいなガキに、酒場の妖精は務まらないわよね~」

「だだだ、誰がガキですってっ! 私は十六よ! ガキじゃないわっ!!」

 子供扱い発言に、それを密かに気にしているルイズは敏感に反応する。

 だが、ルイズの噛み付かんばかりの反論を受けたジェシカは、きょとんとしていた。

「へ? あんた、あたしと同い歳だったの?」

 ジェシカは顎に手を当てると、じーっとルイズの身体を見下ろす。

「な、なによ……?」

 いきなりじろじろと自分の身体を見つめてきたジェシカに、ルイズは顔を赤くする。が――

「……ぷ」

――ジェシカが口を押さえて吹き出すのを見て、怒り再燃焼――再び眼を鋭く尖らせる。

「わ、わわわ、笑ったわね?! 今、笑ったわねッ!?」

「べっつにぃ~?」

 ワザとらしく視線を逸らすジェシカだが、その眼は余裕の笑みを浮かべている。それで、ルイズは遂に臨界点に達した――。

「ふ、ふふふ、ふんっ! なによ! 胸がちょっとデカイくらいで、良い気になっちゃってっ! あああある意味哀れねっ!!」

「……」

 突然、噛み付くような攻撃的な発言を止め、相手をバカにするような物言いに切り替えたルイズ。

――これは、ルイズがキレた時の行動パターンの一つ。彼女はキレると、怒りに任せて魔法を暴発させるか、こうして相手を挑発して怒らせようとするのだ。

 と言っても、ジェシカはこの程度の挑発で怒りはしない。寧ろ、これからルイズが何を言い出すのかと、少し期待している様ですらある。

「――女の魅力は、気品よっ!」

「「…………」」

 まあ、間違いではない……。それも、魅力の一つだろう。だが……

(気品、ねぇ……)

(それは、そうなのだろうが……)

 ルイズにそれがあるのかどうか――これまでのルイズを振り返ってみて、ジェシカとカインは何とも言えない複雑な思いを抱く。

「あんたに、それを教えてあげる! 私が本気を出したら、チップぐらい城が建つほど集められるってことを証明してやるんだからっ!!」

 そう声高に宣言するルイズ。彼女のその言動には、はっきり言って彼女が言う『気品』とやらは微塵も感じられないが、取りあえず“やる気”は出たようだ。

――ジェシカはニヤリと笑う。

「へぇ~、その言葉に二言はないわね?」

「当然よ! あんたなんかに誰が負けるもんですかっ!」

「そう。じゃあ、ちょうどいいわ。来週、チップレースがあるの」

「チップレース?」

――チップレースとは、『魅惑の妖精亭』の伝統行事。ひと月に一度開催される給仕娘達の競争である。一週間という期間内に、それぞれが集めたチップの総額で番付を行う。

 ちなみにオフレコだが、ジェシカはこのレース上位入選の常連である。その上、何度も一位をとったこともある実力派なのだ。


――ジェシカから「そのチップレースで勝負しよう」と持ち掛けられたルイズは、不敵な笑みを浮かべてその勝負に応じた。

「せいぜい頑張ってね。チップレースであたしに勝ったら、あんたのことガキだなんて二度と呼ばないわ」

「その言葉、忘れるんじゃないわよ!」

 そう告げると、ルイズはさっさと店内に戻って行った――。


「……わざと挑発して煽ったな」

 ルイズの姿が見えなくなった後、カインはジェシカにそう声を掛けた。それを受け、ジェシカはペロッと舌を出し、悪戯っ子の笑みを浮かべる。

「てへ♪ わかった?」

「わからいでか」

 ジェシカがああして挑発したのは、ルイズの仕事に対するモチベーションを上げる為――。ルイズはまんまとその策に掛り、ジェシカへの対抗心という形でモチベーションを上げた。

 これは、ルイズの性格を効率的に利用した、非常に有効な作戦と言える。仮にチップレースで敗北したところで、ジェシカはただルイズをガキ呼ばわりしない“だけ”で済む。それどころか、そこまでルイズが仕事をこなしてくれれば、それはそのまま店の売上に繋がるのだから、ジェシカにとっては逆に儲けものである。

――結局のところ、勝とうが負けようが、彼女に損失など一切ないのだ。

 たった一日でそこまで人の性格を掴み、それを踏まえた上でこんな策を考え付く辺り、ジェシカはかなりの“策士”だ。

「でも、あたし嘘は言ってないわよ? いつまでもあんな調子でいられたら、お客さんホントに減っちゃうもの」

 そう言うと、ジェシカはウインクを一つして店に戻って行き、カインも軽く溜め息を吐くと彼女に続いて店内に戻って行った――。






――そして、チップレース開催初日。

「妖精さん達! いよいよ、お待ちかねのこの週がやって来たわ! はりきりチップレースの始まりよ!」

『はい! ミ・マドモワゼル!』

 給仕の少女達の拍手と歓声が、店内に響き渡る。スカロンはそれを手で制すると、この『魅惑の妖精亭』創立の歴史の様なものを語り始めた。

 それを半ば聞き流し、カインは一番後ろの壁際からルイズの様子を観察する。
 ルイズは眉間に皺をよせ、拳をギュッと握りしめ、これでもかという気迫をその背中に燃え滾らせている。“やる気”があるのは良い事だが、少々力み過ぎている様にも見える。

――ジェシカの挑発を未だに根に持ち、対抗心を剥き出しにして意気込んでいるのだろう。

 そのジェシカは、ルイズより前方左横に立っていた。その表情からは、余裕と揺るがぬ自信が覗える。

 現在の二人の状態を見ただけでも、既に勝負は決まった様に思える。そもそもジェシカとルイズでは、経験値に差があり過ぎるのだ。
 巧みに男心を捉える技を身につけているジェシカに対し、ルイズは基本すらまともに出来ていない。そう考えると、寧ろ勝負になるのかどうかさえ怪しい……。

 そんな事をぼんやりと考えていると、不意にジェシカが振り向き、彼女と目が合う。

「……♪」

 軽く手を振ってくる彼女に対し、カインはそっと片手を上げることで応えた。その時――

「――さあ、みんな注目よ!」

――スカロンの一際大きな声が響き、カインとジェシカはそちらに視線を戻す。

「わたくしのご先祖は、アンリ三世陛下と給仕の娘の悲恋に激しく心を打たれ、そのビスチェに因んでこのお店の名前を変えたの。美しいお話ね……」

『美しいお話ね! ミ・マドモワゼル!』

 どうやら聞き流している間に、話は終盤に差し掛かっていたらしい。
 そろそろ終わりか、とスカロンに目をやって、カインはふと違和感に気づいた。

――何故か、スカロンが着ている衣装が、不自然に膨らんでいるのだ。まるで、“何か”の上に無理やりあの衣装を着こんでいるかの様に……

 だが、その答えはすぐに判明することとなる――。

「――それがこの『魅惑の妖精のビスチェ』!」

――ガバッ!

「――ぅッ!?」

 その瞬間、カインは一気に血の気が引き顔面蒼白になるが、視線を逸らし、苦しげに眼を瞑り、何とか平静を保とうとする。
 しかし、一瞬とはいえ見てしまった“衝撃映像”が脳裏に焼き付き、瞼の裏に浮き上がることで、カインの精神を苦しめる。

――スカロンが勢いよく脱ぎすてた衣装の下から出てきたのは、一着のビスチェだった。

 スカートの丈が短く、黒を基調とした色っぽいビスチェ……のはずだが、着ているのが筋骨隆々のスカロンであったため、その肉体にぴったりとフィットしたビスチェは、本来の美しさと妖艶さを失い、まさに“この世の地獄絵図”を体現してしまっている。

 その姿で語ったスカロンの話によれば、その『魅惑の妖精のビスチェ』はこの家の家宝で、着用者の体格に合わせて大きさを変える魔法と、見る者を惹きつけ好意を抱かせる『魅了』の魔法がかけられているらしい。

 毎回このチップレースの優勝者には、『魅惑の妖精のビスチェ』を一日着用できる権利を与えられるという。

 ビスチェにかけられた『魅了』の魔法は、あくまで着用者に“魅力”を上乗せし、見る者を惹き付ける効果しかなく、スカロンが着ると元のマイナスを幾らか打ち消す程度になってしまうが、逆にそれだけのマイナスを打ち消す程の“魅力”が、普通以上の少女に加われば、相当の効果が期待できる。

 故に、これを着用して接客すれば、チップは貰い放題――、チップは全て貰った者の物――。昨年行われたチップレースの優勝者の中には、それで儲けに儲け、それこそ一年間遊んで暮らせる程のチップを集め、田舎に帰ってしまった娘も何人かいたらしい。

「――そんな訳だから、みんな頑張るのよ!」

 そう話を締めくくると、スカロンは全員にグラスを持つよう指示する。

 店に勤める全ての者がグラスを掲げたのを確認すると、スカロンもグラスを掲げた。

「チップレースの成功と商売繁盛と……」

 スカロンはいつものおネエ言葉ではなく、本来の男性的な渋い声と表情で音頭を取る。

「女王陛下の健康を祈って……、乾杯」

 厳かな音頭によって、店内の全員が厳かにグラスを空け、『魅惑の妖精亭』恒例――『魅惑の妖精のビスチェ』一日着用権争奪チップレースが開始された。


 そして、給仕娘達は各々いつも以上の接客スマイルで接客を行っていく。そんな中に混じって、ルイズも懸命に接客にあたっていた訳なのだが……

――グシャッ!

 チップレース一つで、そんな簡単に態度を変えられる程、ルイズは柔軟ではない……。ちなみに今のは、ルイズに張り倒された客が、とどめに顔を踏み潰された音である。

 その日のルイズは、終始口を開かないよう心がけていた。口を開けば、客に対して暴言を吐いてしまうと言う事に気付いたからだ。そこで、何を言われても口を開かず、無言で微笑んでいれば何とかなるのではないかと考え、それを実行――。

 しかし……結果は前日までと変わらないか、寧ろ酷くなった。

 言葉で相手に文句を言えない所為か、ルイズは足の裏で文句を伝えるという恐るべき行動に出てしまう。
 結果、ルイズは接客した相手の大半を蹴り倒し、踏み躙っただけでその日の営業を終えた。

――当然、チップなど貰える訳がない……。『0』である。

 さすがに反省したのか、その日の営業終了後、ルイズは自分の行動を説明し、何か対策はないだろうかとカインに相談した――のだが……

「……知らん。そんなことは自分で考えろ」

 ルイズ本人の気持ちはどうあれ、相談を受けたカインからすれば戯言に過ぎない。カインは心底呆れ果てた様子でそう告げ、その後ルイズの声に応えようとはしなかった。

 一応真剣に悩んでいた(つもりの)ルイズは、自分の相談にまともに応えようとしないカインに腹を立て、何も言わない彼に罵詈雑言を叩きつけ、不貞寝でその日一日を終えた……。




――チップレース2日目。

 今日も『魅惑の妖精亭』は、満員御礼――。給仕娘達が、料理とワイン、エール酒を運び、客からチップを貰う為、愛想良く接客している……はずなのだが……。


――ガシャーンッ!


 この様な激しい音も、もはや日常になりつつある。無論、喜ばしいことではない……。

 その日もルイズは相変わらず、客に対して乱暴を押さえられていなかった。今も、少し気にしていることを言われた程度の事で、客の頭にワインを掛け、それに激怒した客を酒瓶で殴り倒してしまったところである。
 口も開かず、笑みも絶やさず、足も出ていないが……手が残っていたのだ。自分の中で、明確に“封印”した部位に関しては徹底しているのに、ルイズのプライドは『ここならまだ封じてない』という場所を探し出し、そこを使って屈辱を晴らそうとするらしい。

――結局、根本の問題は何一つ解消していないままだったということである。

 こうして、今日も連日通りの営業になるかと、誰もが思っていたのだが――

――バタンッ

 羽戸が開く音が響くと、自然と一瞬、店内中の注目が集まる。だが――

「ふむ、ここが巷で有名な『魅惑の妖精亭』か。何とも妙な雰囲気じゃのぅ。のう、コゼット?」

「お、奥様ぁ、やっぱり帰りましょう~……? ここは、奥様が御気に召す様にお店ではありませんよぉ……」

 “予想外”の客の来店で、店内は一気に静まり返ることとなった。

――入って来た客は、この店には滅多にやって来ないはずの女性客――しかも、貴婦人とメイドの二人組だ。

 貴婦人は、控え目ながら気品漂うドレスと口元を隠すような扇子を携えている。シワやたるみなど一切ない美肌、妖艶な雰囲気が漂う美貌、豊満で女性的なボディ――。
 漂う気品からは洗練された“大人”の気配を感じさせるが、外見は若々しく、年齢はイマイチ掴めない。

 対して、“コゼット”と呼ばれたメイドの少女は、身長は婦人より十サント程低く、腰まで届く栗色の髪を後ろで三つ編みにしている。容姿は調っているが、“美しい”と言うよりは、寧ろ“可愛らしい”印象である。歳も、ルイズやジェシカと大して変わらないだろう。

――オドオドと退店を促すメイドの少女に対し、貴婦人は愉快そうに笑う。

「ほほほ、何を言う。試してもみん内から、そんなことが判るものか。ほれ行くぞ、ついて参れ」

「は、はいぃ……、ぁぅぁぅ……」

 悠然と席に向かう貴婦人に、コゼットは恥ずかしそうに俯いてついて行く。自分達の場違いな装いに、居た堪れない気持ちで一杯なようだ。

――確かに、二人の姿は店の雰囲気から、かなり浮いてる。

「いらっしゃいませ~!『魅惑の妖精亭』へようこそ♪ こちらがメニューになりま~す!」

 誰もが戸惑う中、店のエース給仕娘ジェシカが果敢に注文を取りに行った。さすがに肝が座っている。

――だが、貴婦人は差し出されたメニューに手をかざし、やんわり押し返した。

「メニューは良い。注文は決まっておる。この店お勧めの肉料理とサラダを一品ずつ、そしてそれに合うワインを三本、見繕っておくれ」

 どうやら貴婦人はこういう酒場に慣れているらしい。

――『お任せ』という注文は、それにどう応えるかによって、店のレベルが知られてしまう。店にとっては、試されているに等しい。

 ジェシカはそれを敏感に感じ取った。

「畏まりました~♪」

 にこやかにそう言うと、オーダーを通しに厨房に入って行く。

「オーダー! お勧め肉料理とサラダ! 相手は手強そうよ。皆頑張って!」

『おう!』

 ジェシカの応援に、厨房のコック達が威勢良く応える。彼らの反応に満足げに頷くと、ジェシカは接客に戻って行った。


――と、彼女と入れ替わりに今度はスカロンが厨房に入って来た。

「――カインくん、ちょっとちょっと!」

「む?」

 スカロンに手招きされ、カインは皿洗いを中断し、そちらに向かう。

「何か?」

「ちょっと、お客様のお相手をしてほしいのよ」

――スカロンはそう言うと、カウンター越しにある席を指し示す。

「ほら、あちらの貴婦人。あれのお相手は、わたしや妖精さん達じゃ、ちょ~っと厳しそうなのよ」

「そんなもの、俺も同じだ。……いや寧ろ、俺では尚更無理だ」

「んん~、大丈夫!」

 スカロンの気色の悪いウインクに引くカインだが、絞り出す様に尋ねる。

「……根拠は?」

「ミ・マドモワゼルの“女の勘”よ!」

「……」

 男のスカロンの“女の勘”など、欠片も信用できない。加えて、ルイズ同様接客の経験など皆無のカインには、自分があのような貴婦人の相手を務めるのは無謀に思えた。

――下手をすれば、ルイズの二の舞になってしまう可能性もある。まして、相手は貴族……身なりからして相当の大物である。拙い接客に怒って二度と来ない程度では済まないかも知れない。
 万が一、難癖を付けられて店が営業停止にでもなれば、スカロンを初めとしたこの店の従業員達は、職を失い路頭に迷うことになりかねない。

 それを考えると、迂闊に頷くことはできない。初めての接客で、あの相手は少し難易度が高すぎる。

「――カインくん」

 やはり断ろうと考えていた時、スカロンが声を掛けてきた。その声は、チップレース開始の乾杯の時と同じく、真剣な声である。

「――失敗を恐れていたら、人間、進歩しない。困難だからと逃げていたら、何も成長しない」

 出てきた言葉は、思わず感服する程の説得力を備えた言葉だった。こんな時でなければ、素直に感服し、スカロンを尊敬する気持ちも湧いた所なのだが……如何せん、状況的にそんな気持ちは湧いてこない。単に、自分を何とか言い包めて接客をさせようという魂胆が見え見えだからだ。

「……」

「ねぇ~ん、お願いよ~、カインく~ん。ボーナス~はずむから~」

 カインの目から、自分の魂胆がバレているのを悟ったスカロンは、ついさっきまでの真剣な表情と声を止め、猫撫で声で懇願し始める。
 その余りの気色悪さに、また血の気が引き、顔を青ざめさせるカイン。

「そ、その猫撫で声はやめろ……! わかった! やればいいんだろう、やればっ!」

 結局、スカロンの気色悪さに圧し負け、承諾してしまった……。巨大なドラゴンをも打ち倒す竜騎士を怯ませるスカロンの気色悪さ……恐るべし。

――『北風より太陽』とはよく言ったものである。

「……ええいっ、どうなっても知らんぞ!」

「うんうん♪ 頑張って~!」

 嬉々としたエールを受け、カインは気乗りしないまま、右手にグラスが乗ったトレイを、左手にワインの壜が入った籠をそれぞれ持ち、客席へと進み出る。

(……くそ、こうなっては致し方ない。さっさとワインを置いて、裏に戻るとするか)

――コツ、コツ、コツ……

『…………』

 貴婦人の席にゆっくりと歩み寄っていくカインに、店中の客と給仕娘達の視線が集まる。

「お待たせしました」

「……」

――人々が固唾を飲んで見守る中、遂にカインが貴婦人の席に辿り着いた。

 貴婦人は扇子で口元を隠しながら、横目で給仕に来たカインを観察している。

「食前のワインになります」

「うむ」

 貴婦人とメイドの前に、順にグラスを置き、ワインのコルクを抜く。そして、こぼれない様ゆっくりとグラスにワインを注ぐ。

「では、ごゆっくり」

 ワインの壜をテーブルに置き、カインは軽く会釈をすると、その場を立ち去ろうと踵を返した。しかし――

「――待て」

 貴婦人が、背を向けたカインを呼び止めた。

――周囲の緊張が一気に高まる。

 何しろ、貴族は何を理由に機嫌を損ねるか分からない。些細なことでも難癖をつけてくる可能性があり、またそれは周囲にも飛び火する危険がある。
 多少大げさかもしれないが、それほど平民にとって貴族とは『恐ろしい存在であり、近寄りがたいもの』として認識されているのが現実なのだ。

「……何か?」

 振り返り尋ねるカイン。その態度は堂々としたもので、それが余計に周囲の緊張を煽る。

「ワインを運んですぐ、「ごゆっくり」はなかろう。そなたもここに座り、わらわ達の相手をせよ。ここは、“そういう”酒場であろう?」

――貴婦人の予想外の発言に、周囲が一様にきょとんとした表情に変わる。

 だが、貴婦人の言う事も一理ある。確かに『魅惑の妖精亭』のコンセプトは“それ”だ。

 カインも他と同様に一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに気を取り直す。

「……それは失礼した。では……」

 そう言って席に着こうとした。だが――

「これこれ、待たぬか。どこに座ろうとしておる?」

「は?」

 貴婦人の不可解な言葉に止められ、カインは疑問符を浮かべて制止する。
 テーブルには貴婦人の右手側にメイドが座っており、カインが座ろうとしたのは貴婦人の左手側の席――ちょうどメイドの正面に位置する席であった。

――別段、おかしな位置でもないはずだ。一体、何が気に入らないと言うのだろうか?

 カインが怪訝な表情を浮かべていると、貴婦人は扇子を閉じ、その先で自分の“右隣”――つまり自分とメイドの間のスペースを指示した。

「客はわらわだけではない。わらわ専属メイドのコゼットも、今は立派な客じゃ。見るからに貴族と分かるわらわを優先したのは良い心掛けじゃが、わらわ達には無用な気遣いじゃ。のう、コゼット?」

「え、えと……奥さま? わ、わたしも平民ですので、わたしの口からは、何とも……」

 唐突に同意を求められ、困ったような笑みを浮かべるメイドの少女コゼット。しかし、貴婦人はそんなコゼットの困り顔に、満足げな笑みを浮かべる。

「ふふふっ、お前のその困り顔が、愛しくてたまらぬ♪」

「奥様~……あうぅぅ……(泣)」

 どうやらこのコゼットは、度々こうして貴婦人にからかわれているらしい。コゼットは泣き笑いの表情を浮かべている。

「まっ、コゼットの困り顔は屋敷に帰ってからゆっくり愛でるとして――」

「奥様ぁ~っ!?」

 嘆くコゼットを黙殺し、貴婦人はカインに向き直る。

「ほれ、さっさと椅子を持ってこちらに来ぬか。女を待たせるものではないぞ」

 テーブルを軽く二度叩いて催促され、カインは仕方なく、椅子をそちらに移動させて座る。すると、貴婦人は近くにいた給仕娘を呼んだ。

「グラスをもう一つここへ」

 注文を受け、給仕娘がグラスを持ってくると、それを受け取りカインの前に置く。そして、それにワインを注ぐと、自らのグラスを持ち上げる。

「さて、先ずは乾杯とゆこうではないか。わらわ達の今宵の出会いを祝してな」

 促され、コゼットとカインも控えめにグラスを持ち上げると、貴婦人は愉快そうな笑みを浮かべて高らかに音頭をとった。

「――我らの今宵の出会いを祝し、乾杯っ!」

――その声によって、宴が始まった。



――約三時間後……

「あっはっはっはっ! カイン! カ~イ~ンっ! ほれ~、グラスの中身が減っておらんぞ~? さっさと空けて、わらわに次を注がせよ~!」

「は、はあ……」

 貴婦人は、ほろ酔い気分で大いに満喫していた。

――ワインを飲み、運ばれてきた料理をつまみ、酔いが回ってくるとコゼットをからかい、カインに絡み、愉快そうに笑い声を上げた。周囲も次第に、戸惑いから解放され、今では元の喧騒を取り戻している。

 この貴婦人の名は、アンナ・マリーア・ド・マウリシア――トリステインの東に位置するマウリシア侯爵領を治めるマウリシア侯爵の妻であり、領地の運営全てを取り仕切る才女でもある。

 本来の領主であるマウリシア侯爵はと言うと、前マウリシア侯爵の息子と言うことで家督を継いだ男で、特に目立った才能がある訳でもない平凡な貴族である。だが、強気な妻に頭が上がらず、そのクセ影で王宮内の貴族と結託して金儲け(賄賂、横領、etc……)を企て、あろうことかそれが世間にバレる前に妻にバレて“粛正”され、その後実権のほとんどを没収されたという愚人でもある。
 現在は、さすがに“粛正”が効いたのか、運営を取り仕切る妻の秘書的な立場で、地道ながら真面目に働いているらしい。

 しかし、マウリシア侯爵夫人は、決して夫から全ての自由を奪った訳ではない。やるべき事をきちんとこなし、法に触れるような事さえしなければ、夫が余所で娯楽に興じることには寛容である。また貴族としては珍しく、平民にも寛容で、屋敷で働くメイドや使用人、領地に住まう領民達にも慕われている。

 そんな彼女が日々の楽しみにしているのが、専属メイドのコゼットを連れての“トリスタニア酒場巡り”なのだ。

「ふぅ~、ふふふ~♪ 時にカイン~?」

 唐突にカインの腕にしな垂れかかるマウリシア夫人。そして、カインの耳元に顔を寄せて囁いた――。

「――何故こんな酒場に、ラ・ヴァリエール公爵家の三女殿がおられるのじゃ……?」

「……!」

 無防備になっていたところで、いきなり図星を突かれたことで、さすがのカインもギクリとしてしまう。

――彼女はルイズの素性を知っている。正体を初見で見抜かれた挙句、その事情をカインに尋ねてくる辺り、二人に何らかの関係がある事も悟られている。

 そう確信したカインは、視線のみでマウリシア夫人に「何故分かった?」と尋ねた。

「ふふ、我が家の領地はラ・ヴァリエール公爵領と隣接しておってな……。加えて、わらわはラ・ヴァリエール公爵夫人殿とは旧知の仲……。あの娘のことも、昔屋敷に招かれた折に何度か目にしておる……。まさか、このような場所であの娘の成長した姿を見ることになるとは、思わなんだがな……」

 小さな声でひそひそとカインの疑問に答えるマウリシア夫人。傍目には、酔っぱらった彼女がカインに絡んでいるように見える。
 周囲の客の喧騒も手伝って、二人の会話の内容を知る者は誰一人いない……。

「そして、そなたじゃ……。そなたの持つ“空気”は、唯の平民とは明らかに違う……。幾多の戦を潜り抜けた者だけが持つ、卓越した“戦人”の気配……。数多の騎士を見てきたわらわも、これ程の手練れを見たのは、そなたで二人目じゃ……」

「……」

 カインは黙したまま、夫人の囁きに耳を傾けていた。
 ほんの僅か、見ただけでそこまで見抜く夫人の慧眼――それだけでも、彼女が只ならぬ人物であるのが分かる。

――だが、それ故に警戒もする。

 只者ではない事はわかっても、果たして彼女がこちらの敵か、味方かはわからない。ルイズの実家と懇意にしていると言う話も、その真偽はカインにはわからない。仮に本当だとしても、それがルイズやアンリエッタの敵ではない証にはならない。

――あのジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド然り……、疑えば誰もが疑わしいのが、今のトリステインの現状なのだ。

「ふふ、警戒しておるな……。まあ、無理もない……。今のトリステインの現状を鑑みれば、当然じゃな……」

 こちらの考えを見抜いてみせた夫人に、カインは黙秘を貫く。だが、そんなカインを見て、夫人は穏やかな笑みを浮かべる。

「そなたは、やはり見所がある……。『裏切り』という行為の醜さ……、そして裏切られた者の絶望……。その両方を、そなたは知っている……。その若さで、大したものじゃ……」

 そう口にする夫人はとても愉快そうで、その笑みからは嬉々とした様子が伺える。

「ふむ、これ以上の詮索はやめておこう……。三女殿が先程からずっとこちらを睨んでおるし、そもそも興味本位で首を突っ込んで良いことではなさそうじゃ……。だが、わらわはそなたが気に入ったぞ! 見よ、コゼット! この酒場は大当たりじゃ!」

「は、はい、奥様!」

 突然、音量を上げて腕に抱きつく夫人に、先程までの奥深い雰囲気はなく、話を始める前の陽気な雰囲気に戻っていた。

 そんな夫人の切り替えの早さにカインは、最初抱いた彼女への警戒心が、若干薄れていくのを感じ、「ふっ」と苦笑を漏らすのだった……。



――そして、閉店時刻。

「申し訳ございません、マダム。本日の営業は、ここまでとなります」

「む~? もうそんな時間か~……」

 閉店を告げるスカロンに、酔いで目をトロンとさせ、カインの腕に寄りかかっていたマウリシア夫人が顔を上げる。

――結局夫人は、コゼットと共に注文した料理を全て平らげ、ワインはほとんど一人で飲み干してしまった。最後のワインを開けた時、もう一本追加注文しそうになったので、コゼットが必死に説得して止めさせた。
 余談だが、その時のコゼットの焦った顔を見て、夫人はまた満足げに笑い、どこか悦に浸っていた……。

「ふむ、もう少しカインと語らいたかったがのう……、刻限では仕方あるまい。名残惜しいが、帰るとするか。コゼット」

「はい、奥様」

 呼び掛けに頷くと、コゼットは立ち上がり夫人の椅子を引く。次いで、持っていたバックから、料理とワインの代金を取り出しスカロンに手渡した。

「良い夜を過ごさせてもらった。この店、贔屓にするぞ」

「ありがとうございます」

 スカロンは恭しく頭を下げ、空いた皿とグラスを持って厨房に向かって行く。

――するとコゼットは、今度はカインに金貨が入った袋を差し出した。

「む? それは?」

「はい、これは……」

「――そなたへのチップじゃ」

 カインが尋ねると、コゼットが答える前に夫人が答えた。コゼットも夫人の言葉に頷いている。しかし……

「いや、折角だが……」

――給仕娘ならばともかく、自分はチップを貰おうとしていた訳ではないし、店に代金を支払うならばそれでいい。

 そう思っているカインは、チップを断ろうとするが、夫人は目を細めてカインの言葉を遮る。

「――馬鹿者、わらわの礼が受け取れぬと申すか? これは、わらわがそなたに受け取ってほしいから渡すチップなのじゃぞ。差し出したチップを断られるなど、お笑い種も良いところではないか。そなた、わらわに恥をかかせるつもりか? 素直に受け取るがよい」

 夫人は、チップを受け取るようカインに申し付ける。見れば、コゼットも穏和な笑みを浮かべて金貨の袋を差し出し続けている。

――言い回しは妙だが、夫人は何が何でもカインにチップを渡すつもりの様だ。

 何故そこまでチップを渡したがるのかはわからないが、少なくとも断れない雰囲気なのはわかる。下手に断り続ければ、夫人は機嫌を損ねるだろう。

「……そこまで言う程のことではない気はするが、仕方ありませんな。では、お受けするとしよう」

 確かにこちらとしては余り望むところではないが、カインは夫人の配慮として、その気持ちを受け取ることにした。

 カインがチップを受け取るのを見て、夫人はニッコリと微笑む。

「うむ、最初からそうしておれば良いのじゃ。では、そろそろ引き上げるとするか。行くぞ、コゼット」

「は、はい! それでは、失礼します!」

 コゼットはこちらに一礼すると、入口に向かって歩いて行く夫人を追って駆けて行く。

――と、入口目前で、夫人が振り返った。

「カイン、また明日、存分に語らおうぞ♪」

 そう言ってウインクを一つすると、コゼット共々店を後にした。


――彼女が去り際に残した言葉を、カインは思考する。

(……明日も、来る気か……)

――つまり、自分はまた夫人の相手をさせられるということ……

 彼女の言葉は、恐らく冗談ではないはずだ。あの夫人は、冗談のように冗談じゃないことを言う女性だということは、今日相手をしてみて大体分かった。

 それを考え、頬を引き攣らせるカイン。と、そうして呆然としていた時――

――ポンっ

――不意に、両肩を後ろから軽く叩かれた。

 振り返ってみると、スカロンとジェシカを初めとした給仕娘達が勢揃いで笑っている。

「な、なんだ……?」

 カインがそう尋ねると、スカロンがまた妙なポージングをしながら言った――。

「――みんな、今日からカインくんも、妖精さんの仲間入りよ~っ!!」

『きゃ~~~っ!!』

 少女達の盛大な拍手と黄色い叫び声の元、カインは『酒場の妖精』に仲間入りをさせられたのだった――。

「……やめろ」








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第六話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:11
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第六話







――チップレース3日目。


 ……その日から、ルイズの様子がおかしくなった。

 いつにも増して不機嫌なオーラを撒き散らし、誰とも口を利こうとしない。特にその態度はカインに対して顕著に現れており、呼びかけに応じない上にわざと視線を逸らして、見ようともしない。
 結局その日、見かねたスカロンがルイズに謹慎を申し付けたが、それがルイズの引き籠りの始まりとなってしまった……。



――4日目……、

 ルイズは「気分が悪い」と言って自ら休みを取り、部屋に引っ込んで出て来なかった。実際彼女の顔色は酷く、スカロンは快く承諾したが、ジェシカはそんなルイズの様子を怪訝に思い、また心配していた。


「――ねえねえ、カイン」

 厨房で皿洗いをしていたカインの元に、向かったジェシカは心配そうに眉を潜めて、ルイズの事を尋ねる。

「あの娘、今日も休んでるけど、大丈夫なの?」

 自分で挑発してチップレースの舞台に引き込んだ手前、それで追い詰めてしまったのでは、という心配と多少の罪悪感があったジェシカは、先日ルイズが休み始めた時から気にしていた。

 心配そうな表情を見せるジェシカに、カインは笑みを見せる。

「心配するな。慣れないことをして、少し精神的にまいってしまっただけだ。気持ちが落ち着けば、また仕事に戻れる」

「そうだと良いけど……、あの娘、何だかんだ言って弱いところあるみたいだから、そこんとこ気を遣ってあげてよ、お・兄・さ・ん♪」

 ウインクと共にそう言い残すと、ジェシカは接客に戻って行った。
 その後ろ姿を見て、カインは彼女の気配りの良さに感心する。さすがに「人を見る目は一流」と豪語するだけあって、ジェシカは的確にルイズの“精神的未熟さ”に気づいているようだ。

――ルイズが引き籠った理由は、言ってしまえば“ヒステリー”だ。

 アンリエッタから直々の依頼と意気込んでみれば、任務内容は平民に扮しての『情報収集活動』――そして、任務初日で活動費を全額博打で失い、そこをスカロンに拾われ、この『魅惑の妖精亭』で給仕をする破目に……。酒を飲みに来る平民達に、貴族である自分が酌をし、売りたくもない媚を売り、時に無礼なことも言われる。
 任務の関係上、自らが貴族であることを明かす訳にはいかないが、それでもプライドと暴力が抑えきれず、客に手を出せばスカロンにお叱りを受け、チップが貰えないことでジェシカには馬鹿にされる。また、自分はチップ一枚貰えないと言うのに、自分の使い魔であるカインは、ひょっこり現れた貴族のご婦人に気に入られ、先日、一昨日と多額のチップを貰っている。

 平民の上に立つ“貴族”――その高みに座する“公爵家”の一人であるはず自分が、平民に叱られ、馬鹿にされ、使い魔には遅れを取る――これらの度重なる屈辱が心に溜まり、それを晴らす術を持たないルイズは、遂に部屋に引きこもり不貞寝に走った、と言う訳だ。

 ルイズは唐突に『虚無』という強大な力に目覚めてしまったことで、“出来ること”と“出来ないこと”の区別がつかなくなり、それまでの『ゼロのルイズ』と罵られてきた鬱憤もあって「自分にはこれから、『虚無』を生かした華々しい任務が待っている」と期待していた。だが、現実は『虚無』の活かし所は皆無……。ルイズにしてみれば『裏切られた感』があっただろう。

 確かに、その気持ちは分からないでもない。カインとて、元はバロン王国の誇り高き竜騎士の頂点に立った男――皿洗いや接客などやっている現状に不満がない訳ではない。だが、だからと言って一度引き受けたことを放り出して良いことにはならない。

 一国に忠誠を誓う者には、国の為、主君の為――そして国民の為に献身する“覚悟”が必要だ。ルイズはその“覚悟”がまだ出来ていない。

 その意味で、この任務はルイズにはちょうど良かったと言える。現実を知った今、これをきっかけにルイズが覚悟を決められれば、彼女はこれから大きく成長を遂げるだろう。しかし、もし現実の厳しさを受け入れられず、このまま任務を放棄するようなことにでもなれば……貴族ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの成長は、ここで終わる……。

――辛さに負けて立ち止まるか、乗り越えて更に先に進むか――ここは、ルイズの“器”が試される時である。



――5日目

「…………」

 ルイズは、その日もベッドの上で毛布を頭から被り、部屋に引き籠っていた。仕事を休んで今日で二日……、スカロンに休む旨を伝えた時以外、カインともジェシカとも、誰とも口を利いていない。

「…………」

 毛布に包まりながら、ルイズは一人考える。

――どうして、こうなってしまったのだろう?

 『虚無の系統』に目覚めて、これから自分の日常は変わると思っていた。“ゼロ”のルイズと馬鹿にされ続けてきた日々はもう過去のもの――親愛なるアンリエッタに『虚無』を捧げ、これから大いに活躍し、貴族として輝かしい日々を送れるはずだった。

 なのに……現実はどうだろう。アンリエッタが自分に依頼したのは『情報収集』――こんな地味な任務、虚無の担い手たる自分がやるべきことじゃない。
 貴族である自分が、平民を相手に給仕をしたり、酌をしたり、同じ給仕娘のジェシカには「チップ一つも貰えない」などと馬鹿にされたり……。そして、何より、失敗続きな自分を差し置いて、使い魔であるカインは、突然やってきた貴婦人に気に入られてチップを手に入れていた。

――こんな惨めなことはない。どうして、自分がこんな目に遭わなければならないのか……。

 ルイズは胸に渦巻く不満から、段々と悲しさが込み上げ、思わず涙を滲ませる。その時――

――バタッ

「――!」

 今のは、この部屋の出入り口の床板が開いた音だ。カインが戻って来たのだ。

「食事だ。少しくらい食わんと、体に毒だぞ」

 カインは持っていたシチューとパンが乗ったトレイをテーブルに置くと、ベッドで毛布に包まったルイズに声を掛けた。しかし、ルイズは毛布の中でもぞもぞと動くばかりで顔を出そうとはしない。

「……いらない」

 ようやく声を発したかと思えば、その声にはまるで元気がない。これでは本当に病人である。

「そう言ってこの二日間、まともに食事を取っていないだろう。そんな調子でいると、本当に体を壊すぞ」

「おいしくないんだもん……」

「この期に及んで贅沢を言うな。それに……それが“本当の理由”ではないだろう?」

 カインがそう言うと、盛り上がった毛布が「ビクッ」と動く。

「……もうやだ。学院に帰る」

「……」

 ルイズはポツリと呟き始める。その声は、どこか震えているように聞こえた。

「どうして私が、こんな思いをしなきゃならないのよ……。情報収集だか知らないけど、こんなの私がする仕事じゃないもん……。私は伝説の『虚無の担い手』なのよ? それがどうして、こんな酒場で給仕なんてくだらない仕事をしなくちゃならないわけ……? 私は、もっと大きな仕事がしたいのに……」

 心に溜め込んで来た不満を漏らすルイズには、普段の覇気は一切感じられず、感じられる気配は小さく弱い。ルイズは今までと違う環境と仕事、そして理想と現実のギャップにすっかり参ってしまった様だ。

――だが……、それは『甘え』だ。

「……言いたい事は、それで終わりか?」

「…………」

 ルイズが黙り込むのを見て、カインは椅子を傍に寄せて座った。

「――ルイズ、起きろ。起きてこっちを向くんだ」

「……」

 しかし、ルイズは動こうとしない。もぞもぞと、毛布を引き絞るだけだ。だが――


「――起きろと言うのが聞こえんのかッ!!」


「――ひっ!?」

 部屋全体が揺れたと錯覚するほどの強烈な怒号に、ルイズは思わず身を竦ませる。そして、恐る恐る毛布から顔を出すと、目に入って来たものに再び身を竦ませる。

――そこには、今まで見た事もないほど凄まじい形相のカインがいた。

「……四度目はない。起きろ。そしてこっちを向いて座れ」

「……」

 その迫力に恐れをなしたルイズは、やや躊躇いがちではあったが、毛布を取ってベッドの端に座る。そうすると、ちょうどカインと正面から向かい合う形になった。だが、カインが発する威圧感から、その顔を直視することができず、両膝に両手をついて俯く。

「――ルイズ」

「――!」

 名前を呼ばれるだけで身体がビクリと震える。カインの声は静かだが、先程の怒号に劣らない迫力が込められているようにルイズには感じられた。

「ここに来る前、学院から街に向かう途中……、任務を断ることを勧めた俺に、お前は何と言った」

「……」

「――何と言った」

 語彙を強め、黙秘は許さないという意思を示すカイン。

「…………」

 ルイズは俯いたまま、両膝に置いた手をきゅっと握る。

「…………この任務は姫様が、私を信頼して……お与えになった、任務だから……断るなんて、出来ない……」

「覚えていたようだな……」

「…………」

 任務を引き受けた時の自分の発言を思い出し、ルイズはカインの言わんとしていることを、大凡理解していた。

――今言ったように、任務を引き受けたのは自分だ。そして、それをアンリエッタが依頼してきたのは、自分を信頼してのこと……。

 先の誘拐未遂事件を境に、メイジ不信に陥ったアンリエッタは、王宮仕えの貴族達を信じることができず、その心は今もなお、孤独に苦しんでいる。そんな中で唯一、メイジでありながら絶対の信頼を寄せ続けているのが、ルイズだ。『女王』という立場にあっても、幼き日の友情を忘れず、孤独の闇の中でも輝きを失わない信頼――

――だが、自分はそれに報いてきただろうか?

 ルイズはそこで気が付いた。いつの間にか、アンリエッタへの“友情と忠誠心”が、自分の中にあった「人から認められたい」という欲求を満たすだけの“虚栄心”にすり替わっていたことに……。

 『虚無』の系統に開眼し、自分が伝説の『虚無の担い手』であることに浮かれ、今まで『ゼロのルイズ』と馬鹿にされてきた鬱憤を晴らすことばかり考え、無意識にアンリエッタの依頼をその為に利用してしまっていた……。「女王の為、アンリエッタの為」と散々自分自身にも言っておきながら、結局は自分の為だった……。

 ルイズは指先が白くなるほど服の裾を握り締める。瞳から、ポロポロと滴が零れ落ち、握りしめた両手の甲に落ちて弾ける。

「……っ、……ひっく……」

 こんな不誠実な自分が情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて……、ルイズはただ涙を流す。先程の不平不満を巡らせ、不貞寝していた時とは違い、この涙は目尻では止まらなかった。

「……」

 その様子を見て、カインは安心する。

 ルイズは、自分で気付くことができた。そして、それを思い涙する気持ちを持っている。
 もう大丈夫――この涙を流しきった時、ルイズは本当の意味での“貴族の誇り”を手に入れる。自らの虚栄心に惑わされず、アンリエッタの友情と信頼に応えることができるようになる。

――自分に出来るのは、もうここまでだ。

「ルイズ」

 そう確信したカインは、ルイズに歩み寄り、その震える肩に優しく手を置く。

「自分で気付くことができたなら、もう俺から言うことはない。後は自分で『自分がやるべき事』を考え、実行するといい。俺は、その意志を尊重する」

 そう言い残し、カインは一旦部屋から出て行った……。



 一人残ったルイズは、涙を拭い、カインの言い残した言葉を考える。

(私が、やるべき事……)

 それは決まっている――情報収集活動を続けることだ。先ほど自分で言った通り、アンリエッタの信頼を裏切ることなど考えられない。

――では、その為にこれから何をするべきか?

 それも決まっている――気持ちを切り替え、この『魅惑の妖精亭』での仕事を続けるのだ。

(客に失礼なこと言われるのは、腹が立つけど……酒場には情報が集まる。姫様の信頼に応えるためにも、我慢しなくちゃ……!)

――ルイズの瞳には、ここ二日の間失っていた光が戻っていた。

 平民の悪態ぐらいに負けてなるものか、とルイズはぐっと右手を握り込んで立ち上がる。

「――それに……チップレースも負けられないわ! 二日も休んじゃったけど、まだ負けが決まった訳じゃない。敵に後ろを見せるのは貴族の名折れ――見てなさい、ジェシカ! 私は、一歩も引かないんだから!」

 どうやら、完全に立ち直ったようだ。
 ルイズはいつもの調子を取り戻し、闘争心をみなぎらせ、誰にともなく力強く宣言する。

 が、その時――

――クゥ~~……

「――っ!?」

――ルイズの腹が、空腹を訴えて鳴った……。

 考えてみれば、不貞寝を続けていたこの二日、水以外何も口にしていなかったのだ。腹が鳴るのも当然である。

「…………」

 誰かが聞いている訳でもないが、ルイズは顔を真っ赤にして、辺りをキョロキョロ見渡す。そして、ふとその眼が捉えたのは、テーブルに置かれたシチューとパン――先程、カインが持って来たものだ。

「……」

 次の瞬間には、ルイズはテーブルに飛びつき、シチューをかき込んでいた。

――彼女が食べ終わった後のシチュー皿は、まるで洗ったかのように綺麗になっていた……。



――その日を境に、ルイズは復活を果たした。

 しかも、今までのぎこちない作り笑いを捨て去り、自然な微笑みを浮かべ、客に手も足も出すことなく、見違えるほど愛想良く接客に努めたのだ。さすがに多少のぎこちなさは未だ拭い切れないが、それでもきちんと接客が出来ているのだから、これまでとは雲泥の差である。

 この変化には、ジェシカを初めとした店内の誰もが驚いた。スカロンは、ルイズの働きぶりを見て「トレビア~ン♪」と喜びのポージングを決めた。

 カインは、その光景に(スカロンのポージングは除いて)微笑みを浮かべる。“覚悟”云々についてはまだ何とも言えないが、少なくとも辛さに負けて任務を投げ出してしまう事はなさそうだ。それだけでも、確かな進歩である。


 そして向えたチップレース最終日――開店前、スカロンは全員を集めた。

「――さっ、いよいよチップレースも今日で最終日っ! 妖精さん達っ、チップはたくさん貰えたかしら~?」

『は~い、ミ・マドモワゼル~!』

「――んん~トレビアン! それでは、ここまでのトップ3を発表するわよ!」

――ゴクッ!

 給仕娘達が一様に固唾を飲む中、スカロンは取り出した手帳に書かれたチップ獲得額番付に書かれた名前を読み上げる。

「――第三位! ジャンヌちゃん! 獲得チップ、94エキュー20スゥ5ドエニ!」

――パチパチパチパチ!

 栗毛の少女ジャンヌが、微笑みを浮かべて会釈する。

「続いて、第二位!」

『…………』

 拍手が止み、再び少女達がスカロンに注目する。

「――第二位は…………カインくん! 獲得チップ、120エキューぴったり!」

『きゃ~~っ!』

――パチパチパチパチ!

「…………」

 拍手が巻き起こる中、カインは疲れ切った表情を浮かべて軽く溜め息を吐く。無論、順位や獲得額にガッカリした訳ではない――チップレースに加えられていることに、改めてげんなりしてしまっただけだ。

 実は事前に、ジェシカから最終日に順位が発表されることを聞かされ、同時に自分が上位に食い込んでいることを聞いていた。厄介な事に今日までの四日間、あのマウリシア侯爵夫人が毎日来店しており、その度にカインを指名しては閉店まで飲み食いし、30エキューのチップを押し付けて帰る、ということを繰り返していたので、結構チップが溜まってしまっていたのだ。

 そこでカインは、スカロンに自分を番付から外してくれるよう頼んだのだが――

「――んもう~! カインくんたら、何言っちゃってんの~! お客様からチップを貰った以上、カインくんも立派な“妖精さん”の一員よ! チップレース参加は、妖精さんの義・務! 最終日まで、しっかりと順位を付けるんだから~!」

――と言って、聞き入れてもらえなかった。カインも、自分を指名してくる客がマウリシア侯爵夫人ただ一人なこともあって、仕方なく番付に加わることだけは了承したのである。


「さあさあ! そして、栄えある第一位の発表~!」

 ここまで来ると、もはや少女達は誰が一位なのか大体分かっているらしく、その者を横目でチラチラと見ていたりする。カインも大凡予想は付いているので、少女達と同じくそちらに目をやっている。

 スカロンは少女達をぐるっと見渡し、ある方向で顔を止め、そちらに向けてバッと手を伸ばした。

「――第一位! 不肖、わたくしの娘! ジェシカ! 獲得チップ、160エキュー76スゥ4ドエニ!」

『わぁ~~!!』

――パチパチパチパチッ!

 さすが、店の一人娘――キャリアが違う。今日一番の拍手喝采を浴び、きわどいドレスに身を包み気合十分のジェシカが優雅な仕草で一礼する。

「……」

 周りに合わせて、軽い拍手を送っていたカインは、拍手を止めて隣に視線をずらした。そこには、仕事着に身を包んだルイズが静かに立っている。

――チップレース期間中、ルイズが今日までに獲得したチップは、20スゥ6ドエニ……。ちゃんとした接客をしたのがここ二日だけでは、無理もないが……。

 “今まで”を考えれば、大した進歩と言えない事もないが、これではまず優勝は無理だろう。しかし、不思議とルイズに気落ちした様子はなく、寧ろ挑戦的な眼で少女達に褒め称えられているジェシカを見つめていた。
 いつもなら眉間に皺を寄せて、悔しげに睨みつけていそうなものだが、今のルイズにはそれがない。どうやら、まだ優勝を虎視眈々と狙っているようだ。

(この表情……、まだ勝利を諦めていないか……。その心意気は立派だがな)

 立ち直りやる気が出たのは良いことだが、これだけ歴然とした差があって尚勝つつもりでいるルイズに、カインは感心するが同等に呆れもする。

――一度落ち込んで立ち直ったことで、以前より負けん気が強くなっている。

 しかし、ルイズが真剣に仕事に取り組めるようになったのならば、それは良い事だ。加えて、ルイズは本来の任務の事も忘れてはいない。
 昨夜、給仕をしながら客から話を聞き出し、それを伝書フクロウでアンリエッタの元へ送っていた。

 チップレースにやる気を出しながらも、本来の目的を見失わない辺り、ルイズも確実に成長しているようだ。

――そんなカインの考え事は、スカロンの号令で中断された。

「さあ、妖精さん達! 泣いても笑っても、今日でレースは最終日! 今日はティワズの週ダエグの曜日! 月末だから、お客様はいっぱいいらっしゃるわ! 頑張ればチップもじゃんじゃん貰えちゃうかも! まだまだ上位は射程圏内よ~!」

『は~い! ミ・マドモワゼル!』

「トレビア~ン♪」

 店内の全員がそれぞれの持ち場へと向かい、開店前の準備にかかっていく。

――そして、『魅惑の妖精亭』チップレース最終日の営業が始まる。

 開店と同時に、客がぞろぞろと流れ込み、あっという間に満席――ルイズやジェシカを初め、給仕の娘達が忙しく料理や酒を運び、カインも皿洗いに、厨房のコック達も注文が入った料理の調理に奮闘している。

 スカロンが言ったとおり、月末とあって客の来店数は通常よりだいぶ多く、店内は目が回るような忙しさとなった。

 そんな中、ルイズは微笑みを浮かべて接客に勤しんでいた。
 店に復帰してから、彼女は客に対し、常に優雅な物腰で接することを心がけた。今までの経験から、自分に向いていない“酒場の給仕娘”の接客を真似ようとしたことが失敗の要因だと考え、自分なりのもてなし方を模索し、思い至ったのが今の接客方法である。

 公爵家の三女として生まれたルイズは、幼いころから貴族としての礼儀作法を徹底的に教え込まれている。
 その中には“客人に対する礼”と言うものがあり、それを応用して自分なりにアレンジして実行したのだ。

 またルイズは、ある程度身なりの良い客に狙いを絞ることで、この接客の成功率を高めていた。
 それが功を奏し、ルイズの“貴族風”接客はなかなか好評で、そのおかげで少しずつチップも溜まってきている。

――もちろん、本来の目的である『情報収集』も忘れていない。

 会話の端々に、現在の“国内外の情勢について”を織り交ぜることで、客から話を引き出す。そうすることで、少しずつ情報も集まった。
 大半がアンリエッタへの批判的意見だったので、あまり気分は良くなかったが、それはそれ――ルイズは今までの不調を取り返す勢いで仕事をこなしていた。

――だが、それでもやはりジェシカの“集めっぷり”には及ばない。

 ジェシカは巧みな演技で、客にあたかも「自分に惚れている」と思わせる。やきもちを焼いている様に不機嫌を装い、客が慌てて彼女をなだめ始めると、段々と機嫌を直していき、客がご機嫌取りに差し出したチップを受け取ると、最後には適当な理由を付けて客からのデートなどの“誘い”を避けて離れる。
 その手法もワンパターンではなく、いくつもの演技を臨機応変に組み合わせることで、そのバリエーションは無限とも思える手練手管っぷりだ。

 二人の獲得チップの差は縮むことなく、寧ろ緩々と広がる一方であった……。


 そんなこんなで、給仕娘達が思い思いに客からチップを巻き上げていた、ある時――

――バタンッ

 羽戸が開き、三人の客が貼って来た。

 しかし、ただの客ではない――貴族だ。でっぷりと肥え太り、薄くなった頭を隠すように細い髪をぴっちりと張り付けたナマズ髭の男と、その護衛と思わしきレイピア型の杖を携えた男が二人の計三人。

 その姿を確認すると、店内の楽しげな喧騒が静まり、客も従業員も一様に戦々恐々といった表情に変わる。

「――これはこれはチュレンヌ様。ようこそ『魅惑の妖精亭』へ……」

 チュレンヌと呼ばれた男は、スカロンの出迎えに髭をいじりながら後ろにのけ反る。

「うむ、むぉっほん! 店は流行っているようだな? 店長」

「いえいえ、とんでもない! 今日はたまたまと申すもので――」

 スカロンは額から冷や汗を流しながら、必死でチュレンヌに対応する。その姿は、普段のスカロンからは考えられないほど、腰の低いものだった。

――丁度皿を下げに来ていたルイズは、カウンターからその光景を見つめる。

「何者かしら、あの男……、嫌な感じ……」

 チュレンヌの嫌らしい顔や、高慢な態度に嫌悪感を露わにするルイズ。

 そうしている内に、チュレンヌの取り巻きによって店内の客達が追い出され、チュレンヌの一行は悠々と店の中央の席に陣取った。

「チュレンヌ……。確か、この辺りを管轄する徴税官の名だが……」

 皿を受け取りに来ていたカインが答える。

「――そう、そのチュレンヌよ」

 すると、いつの間に来ていたのか、カインの隣に立っていたジェシカが肯定した。
 そして、カウンターの陰に身を隠すように寄りかかり、悔しげにチュレンヌを睨みつける。

「ああやって管轄区域のお店にやってきては、あたし達にたかるの……。ほんっと嫌な奴! 銅貨一枚だって払ったことないんだから!」

「…………」

 ジェシカの話を聞いて、カインは先日マウリシア侯爵夫人から聞いた話を思い出す。


『チュレンヌ?』

『うむ、わらわも噂で聞いただけで見たことはないが……、何でもこの辺り一帯を担当する徴税官で、これがまたどうしようもない愚か者らしい。官の立場を盾に、管轄区域の酒場に押し掛けては散々飲み食いしておいて代金は一切払わず、挙句店側がなんぞ不服を申せば、不当な税を掛け、その酒場を廃業へと追いやるのだそうな……。そんな輩が“貴族”を名乗っておるなど、虫唾の走る話じゃ……』

 最後に吐き捨てる様にそう語った夫人は大層不快だったようで、苦虫を噛み潰したような表情で煽るようにワインを飲み干していた……。


――カインが記憶を振り返っている間にも、チュレンヌは自分に誰も酌をしに来ない事に苛立ち、難癖をつけ始める。

「おや、この店は大分儲かっているようだな? このワインは、ゴーニュの古酒ではないかね? そこの娘の着ている服は、ガリア仕立てだ。ふ~む、どうやら今年の課税率を見直さねばならない様だなぁ?」

 チュレンヌが嫌らしく目を細め、ニタリと笑う。「それが嫌なら、わかっているな?」という雰囲気がありありと伝わってくる言い方である。

「…………」

 ルイズは、眉間に深く深く皺を寄せてチュレンヌを睨みつけている。その姿からは、耐え難い“怒り”の感情が伺えた。

「――そらっ! “女王陛下”の徴税官に酌をする娘はおらんのか! この店はそれが売りなんじゃないのかね!」

「――っ!」

――ブチッ……!

 チュレンヌが「女王陛下」と口に出した瞬間――ルイズの怒りは臨界点を突破した。

「……」

「……ルイズ」

 幽鬼の如くゆらりと厨房に入って来たルイズに、カインは声を掛ける。
 すると、ルイズはそこでピタリと立ち止まった。

「一応聞くが……、何をする気だ」

「……決まってるじゃない」

――ゴゴゴゴゴ……

「……仕事よ♪」

 振り返り、そう告げたルイズは“笑顔”だった……。

――片方の眉と口の端が痙攣し、何やら凄まじいオーラを背負っている事を除けば……。


「……ね、ねえちょっと、カイン」

「……なんだ?」

 直ぐ横で、その光景を見ていたジェシカは、血の気の引いた顔でカインに尋ねる。

「な、なんかあの娘……、メチャクチャ怒ってない? あの笑顔、正直ゾッとしたんだけど……」

「……色々と、思うところがあるのだろう」

 そう言うと、カインもその場を離れようとする。それを見て、ジェシカは僅かに慌てる。

「ちょ、ちょっとカインっ? どこ行くのっ?」

「……なに、後片付けの準備をするだけだ」

 それだけ言うと、カインもまた厨房の奥に消えて行った……。

 “後片付け”という言葉の響きに、後に残されたジェシカは再び顔を引きつらせていた。


「――お待たせ致しました~♪」

 その軽やかな声に、店内の誰もが驚愕する。
 誰も近寄ろうとしないチュレンヌに、店で最も接客下手のルイズが、盆にワインとグラスを乗せてにこやかに向かって行ったからだ。

「うん? なんだ、お前は?」

 胡散臭そうにルイズを見つめるチュレンヌ。この男は典型的なエロオヤジ――好みはやはり、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる娘である。
 ようやく来た給仕娘だが、出るところが出ず、引っ込むところだけが引っ込んでいるルイズでは、やはり不満なようだ。

 だが、ルイズはそんな視線を受けても、まるで気にしていないかのようにニッコリと微笑むと、グラスをチュレンヌの前に置く。

「なんだ! この店はこんな子供を使っているのか?!」

 例によって、チュレンヌはその小柄さ(と胸の無さ)から、ルイズを年齢より幼く見たようだ。
 しかし、当のルイズは馬鹿にされたにも関わらず、一切笑みを崩さずにキャミソールの端を持って一礼する。そんないつも通りのお愛想が出来るルイズが余りにも不自然で、従業員達も正体不明の不気味さにハラハラしている。

「む? よくよく見れば子供のような体だが、子供ではないな……。ただの胸の小さい娘か」

 ルイズをジロジロと観察すると、チュレンヌは好色そうに醜い笑みを浮かべる。

「ふむ……。どれ、このチュレンヌ様が大きさを確かめてやろうじゃな――んがぁッッ!!?」

 ルイズの胸に手を伸ばし、そして触れる寸前のところでチュレンヌの頭に酒瓶が炸裂した。

「うふふふっ、お客様ったら~♪ おイタが過ぎますわよ~?」

 割れた酒瓶の端を握り締めたルイズは、変わらぬ笑顔でテーブルに突っ伏したチュレンヌを見下ろす。
 その猟奇的な光景に店内の誰もが顔面蒼白となり、恐怖に打ち震える。が、チュレンヌの取り巻きの貴族達の立ち直りは早かった。

「――き、貴様っ!」

 一斉に腰の杖を引き抜く貴族達。多少、ルイズに恐れ戦いてはいるものの、やはり平民が貴族を酒瓶で殴り倒すなど、許せることではないのだろう。

「ぐ、ぬぐぅ……!」

 剣呑な雰囲気が漂う中、チュレンヌが頭を押さえながら起き上った。

「お、お、おのれぇ……! 平民の、給仕娘の分際で、この、徴税官にして貴族たるこの私を殴るなど、許されると思うなぁ! お前達、この小娘を捕えろ! 縛り首にしてやるっ!」

「「ははっ!」」

「……!」

 ルイズはそこでようやく笑みを消し、チュレンヌ達を鋭い眼で睨みつけて身構える。
 スカートの下、ふとももの辺りにバンドで止めておいた杖を取ろうと手を伸ばそうとした。だが――

――スッ

 カインが、ルイズを背中に庇うように立ち塞がった。

「なんだ、貴様!」

「平民の分際で、貴様も我らに反抗する気かっ!?」

 自分に威嚇してくる貴族達を無視して、カインはルイズに声を掛ける。

「ルイズ」

「なによ?」

「気持ちはわかるが、些か無茶が過ぎるぞ」

「仕方ないじゃない。許せなかったんだもん」

 ルイズはきっぱりとそう答えた。無茶は承知の上での行動だ、と言わんばかりの態度に、カインは「ふっ」と笑いを洩らす。

「やれやれ、お前らしいな」

「なによ、何か文句ある?」

 カインが笑いながら肩を竦めたのを見て、ルイズも不敵な笑みを向ける。

「――いいや、ない」

 そう答え、カインは用意した得物の“代用品”を構える。

――それを見た貴族達は、嘲るように大笑いを始めた。

「ぷっ、ぶははははっ! おいおい、平民。貴様まさか、その“モップ”で我々に挑もうというのか、ええ?」

「だっはははははっ! 剣を使ってすら貴様ら平民と、我ら貴族には越えられない壁があると言うのに! 無謀を通り越して、最早ただの馬鹿だなぁ!」

 貴族達が可笑しさの余り、腹を抱えた――次の瞬間!

――ビュッ! キキンッ!

「――なっ!?」
「――にっ!?」

 わずかな風切り音に刹那遅れて、二つの金属音、そして貴族達の驚きに満ちた悲鳴が響く……。

――見れば、貴族達の手から持っていたはずの杖が消え失せていた。彼等は杖を探して辺りをキョロキョロしている。

 その光景を見守っていた従業員達は驚くと同時に、「何が起こったのか?」と疑問符を浮かべる。
 視線をカインに移すと、彼はモップを左手で弄ぶ様に振り回している。

 そして、彼はおもむろにモップを止めて握り直すと……

――パシ、パシっ

 右手で上から落ちてきた“何か”をキャッチした。

「……探しの物はこれか?」

 そう言ってカインが貴族達に見せたのは、先ほど消失した彼らの杖だった。

――それを見た貴族達は驚きに目を見開き、そしてすぐに怒りの表情を浮かべる。

「き、貴様、いつの間にっ!?」

「お、おのれっ! 貴族の杖を盗むとは、この不届き者めっ!!」

 どうやら、彼等はカインが自分達の杖を素早く掠め取ったと思っている様だ。
 まあ、無理もないだろう。これら程度の使い手では、あの一瞬でカインが何をしたのかなど分かる筈もない。

――カインは、貴族達が馬鹿笑いを始めた瞬間、正に“目にも留まらぬ”速さで手にしたモップを振るい、隙だらけの彼らの手から杖を弾き飛ばしたのだ。

「……何が貴族だ。下衆共が……」

――ベキキキッ……!

『――ッッ!??』

 貴族達の目の前で、カインは彼らの杖を握り潰し、へし折る。その光景に、貴族達を初め、店内のルイズ以外全員が驚愕で飛び出さんばかりに目を見開く。

 ハルケギニア各国に於いて、『騎士』などの戦闘に携わる貴族達が持つ杖は、ルイズが持つような木製の『指揮棒』タイプではなく、金属製の『レイピア』タイプが一般的である。“金属製”と言うだけでも、ある程度頑丈な造りであるのは言うまでもない。そして大抵、“状態保存”と“強度補強”の為に『固定化』の魔法が掛けられているものだ。これには自ら掛ける場合と、金を払って他のメイジに依頼する場合があり、その貴族の財力によって、杖そのものの品質と魔法の精度が変わってくる為、最終的な強度はピンからキリまでである。

――ただ一つだけ、一貫して言えるのは『少なくとも人間が“片手”で握り潰したり、へし折ったりできるような強度ではない』ということだ。

 カインの眼前で間抜け面を晒している二人は下級貴族だが、影で“色々”やって私腹を肥やしているチュレンヌに付き従っている事でその恩恵を受け、懐もまあまあ豊かである。
 故に、杖自体も掛けてある『固定化』も平均よりやや上等で、例え馬車に轢かれても曲がらないぐらいの強度があった。

――しかしカインは、そんな杖を二本まとめて片手でへし折って見せたのだ。ハルケギニアの人間からすれば、そんな光景を見て驚愕せずにはいられないだろう。

 そんなハルケギニア人の驚愕を余所に、カインは折れた杖を床に放り捨て、貴族達を睨みつける。

――ぎろ……!

「「――ヒッ!?」」

――『魔法使い、杖がなければ、ただの人』

 杖を失い、最大にして“唯一”の武器である魔法が使えなくなった貴族達はたちまち青ざめ、腰を抜かして尻もちをついた。

 それを見てチュレンヌは、自身も顔を引き攣らせながらも彼らに怒鳴り付ける。

「な、何をしておる、バカ者共どもっ! 早くその無礼者どもをひっ捕え――」


――ボオォォンッッ!!


「――んぎゃあぁぁ~~、へぶふぅッッ!!??」

 チュレンヌは台詞を言い終える前に、何の前触れもなく発生した爆風で吹き飛ばされ、取り巻き共々店の壁に叩きつけられた。

「…………」

 カインが視線を横に移す。
 そこには、杖を構え、口の端をこれでもかと吊り上げ、額に血管を浮き上がらせて狂的な笑みを浮かべるルイズの姿があった……。

――ゆらり……

 ルイズは、幽鬼の如くチュレンヌ達に歩み寄る。

「ひ、ひぃぃっ!! な、何者――い、いえっ、あなた様はどなた様でっ!? どちらの高名な使い手のお武家さまでっ!??」

 その形相に恐れおののいたチュレンヌ達は、体の痛みも忘れて床に平伏し、あらん限りの敬語で尋ねる。
 ルイズは、ポケットからアンリエッタから受け取った権利書を突き付けた。すると、チュレンヌの顔からみるみる血の気が引く。

「じょ、女王陛下の……許可証?!」

「私は女王陛下の女官で、由緒正しい家柄を誇るやんごとない家系の三女よ。あんたみたいな、無礼で、恥知らずな木っ端役人如きに名乗る名前はないわ」

 ルイズの言葉に、チュレンヌは薄い頭から滝のような冷や汗を流し始める。

「――し、しし、失礼致しました!! そうとは露知らずご無礼をッ!! 平に、平にご容赦を~!!」

「「――も、申し訳ありませんでしたぁッッ!!!」」

 チュレンヌと取り巻き達は、先程の高慢な態度が嘘のように震え上がり、床に頭を擦りつけた。
 ルイズは、急に謙った態度を取り始める彼らを睨む。

「……随分、あっちこっちで好き勝手やってるそうね?」

「め、滅相もありませんです! わ、私は徴税官として、日々管轄内の酒場の経営状態を確認しようと――」

「――お黙りっ! また吹き飛ばされたい!!?」

「――ひ、ひぃぃっ!! すみませんすみません! い、命だけはぁ~!」

 ルイズの怒号にビビったチュレンヌは、情けない悲鳴を叫びながら上げかけた頭を再度床に落とす。
 そして、彼は床に頭をくっ付けたまま、器用にもそのまま懐を漁り、取り出した財布をルイズの足もとに放った。

「どうか! どうかそれで! お目をお瞑り下さいませ! お願いでございますっ!」

 チュレンヌに習うように、他の貴族達も自分の財布を差し出して来た。

 この期に及んで“賄賂”で事無きを得ようとしているチュレンヌ達に、ルイズは汚物でも見るような嫌悪の目を向ける。こんな浅ましい事を平然とやってのける彼らが、格の差はあっても自分と同じ“トリステイン貴族”だと思うだけで、吐き気がするほど気分が悪かった。

 ルイズは足もとの財布をチュレンヌに蹴り返し、彼らの前に歩み寄る。

「今日見たこと、聞いたこと、一切合切全て忘れなさい。万が一、欠伸にでも漏らそうものなら……わかるわね?」

 そう言うと、ルイズはチュレンヌの頭の上に杖の先を押し付ける。その意味を察して、チュレンヌは恐怖でガタガタと震える。

「――ははははいぃぃっ! 誓ってっ!! へ、陛下と始祖の御前に誓いまして、本日のことは誰にも口外いたしませんっ!!」

 全身と声を震わせて誓ったチュレンヌを見て、ルイズは杖を下げた。

「――消えなさい」

「は、はいぃぃ!! 失礼いたしましたぁ~!!」

 チュレンヌ達は我先にと扉に向かって走り出す。

「――待て」

「「「――っっ!?」」」

 背中に掛ったカインの声に、三人は直立不動で止まり、錆付いた歯車の様に振り返る。

「「「な、なんでしょうか……?」」」

「忘れ物だ」

 そう言ってカインは、先ほど床に捨てた貴族二人の杖を放り投げる。

「「…………」」

 折れた杖を受け取って、貴族達は顔を青くする。

「――さっさと失せろ。そして二度と、この界隈をうろつくな」

「「「わかりましたぁぁぁッッ!!!」」」

 チュレンヌ達は脱兎のごとく逃げて行った。すると――

『きゃぁぁぁ~~!!』

――パチパチパチパチ!!!

 貴族の脅威が去り、店内が割れんばかりの拍手と喝采に包まれる。

「すごいわ! ルイズちゃん! カイン君!」

「あのチュレンヌの顔ったらなかったわ! 胸がすっとした!!」

『――ルイズちゃん、最高~~~!! カイン君、素敵~~~!!』

 スカロン、ジェシカ、給仕の娘達――店の従業員達が一斉に二人を取り囲み、口々に賛辞を送る。

 ルイズはそこで急に我に返ると、恥ずかしげに俯き、次いで今まで秘密にしてきたことを全て暴露してしまったことに気づき、「あちゃ~」とばかりに額に手を当てた。

――が、そうやって落ち込みかけているルイズの肩を、カインが軽く叩く。

「ルイズ、正体の事なら気にするな」

「ふぇ?」

「お前が貴族だということは、既にバレている」

「――なっ!?」

 ルイズは目を見開き、バッとスカロン達に振り返る。すると、スカロン達は困ったような笑みを浮かべていた。

「だって、ねえ? そんなの……」

『態度や仕草を見ればバレバレじゃない!』

「あう……」

 自分では隠し通せているつもりだったルイズは、バレバレだった事実に軽くへこんだ。
 だが、そんなしょぼくれたルイズの肩に、スカロンが手を置く。

「こちとら何年酒場やってると思ってるの? 安心なさい。ここには仲間の秘密をバラす娘なんていないんだから」

 この『魅惑の妖精亭』で給仕として働いている娘達は、皆それぞれ何かしらの事情を抱えている者ばかり。
 その事情が何なのかは、ノータッチ&アンタッチャブル――だからこそ、彼女達は仲間意識がしっかりしており、ルイズもその輪の中にいる。スカロンはそう説明すると最後に「これからもチップ稼いでね♪」と言って締めくくる。

 ルイズが頷き、この一件が落着すると、スカロンはパチンと手を打って注目を集める。

「はい! お客さんも全員帰っちゃったので、チップレースの結果を発表しま~す!」

 給仕娘達の歓声が沸き、彼女達の視線はルイズに集まる。

「ま、数えるまでもないわね!」

 見れば、いつの間にかテーブルの上に、先程チュレンヌ達が置いていった財布が置かれていた。ルイズは蹴り返したつもりだったが、チュレンヌ達は慌てて持って行かなかったようだ。
 よくよく見れば、その財布はどれもずっしりとしており、金貨がたっぷりと詰まっているのが分かる。

「で、でも、それはあいつ等が勝手に……」

「勝手に置いてったんなら、チップでしょ?」

 受け取るのに気乗りしないルイズの言葉を、ジェシカが遮りように言った。
 そしてすかさず、スカロンがルイズの手を握って掲げる。

「チップレース優勝は! ルイズちゃんで~す!」

『わあぁぁ~~!!』

――パチパチパチパチ!!

 店内に歓声と拍手が鳴り響き、初め呆然としていたルイズだったが、次第に恥ずかしそうだがどこか達成感のある微笑みを浮かべる。

――様々な騒動を経て、『魅惑の妖精亭』恒例チップレースは、ルイズの逆転優勝で幕を下ろした。



――そして、翌日……

 その日、ルイズはまた休みを取った。
 優勝特典の『魅惑の妖精のビスチェ』が貸し出されるのはその日一日のみ、着ればチップを貰い放題とあって、スカロンは「もったいないもったいない」と呟いていた。

 そして、今日の営業が終わり、カインは屋根裏部屋に戻って来た。そこで、部屋から僅かに明かりが漏れているのに気付く。
 夕刻「今日は休む」と言った時は、ベッドで毛布に包まっていたが、今は起きているのかも知れない。

「ルイズ、起きているのか? 入るぞ」

 そう声を掛け、カインは床戸を開けて中に入る。

――すると驚いた事に、あれほど散らかっていた屋根裏部屋が見事に整頓されていた。
 室内は掃き清められ、雑巾までかけたのか埃一つ見当たらない。無造作に積み上げられていたガラクタ類は部屋の端に纏められ、室内はちゃんと人が生活できる部屋に変わった。

「ほう……、変われば変わるものだな。それにしてもルイズ……!」

 ふとルイズの方を見て、カインは言葉を途中で止める。

 ルイズは髪を後ろでまとめ、『魅惑の妖精のビスチェ』で着飾った姿で、テーブル隣の椅子に足を組んで腰掛けていた。
 いつもの接客時の恰好に近い姿だが、着ている物が黒を基調としている事で、テーブルに置かれた蝋燭の淡い光も相俟って、非常に魅惑的な雰囲気を醸し出しており、いつものルイズとは違っている。

「お前、その格好……」

「別にいいでしょ。今日一日は借りられるんだから」

 ルイズは少々はにかんだ顔で言うと、カインを手招きする。

「ほら、いつまでもそんなとこにいないで、こっち来て座んなさいよ。ご飯にしましょ」

 テーブルには、御馳走と呼んで良い料理が並び、脇にはワインの壜とグラスも用意されていた。

「その料理は?」

「ジェシカに教えてもらって、私が作ったのよ」

「ほう」

 今日休んだのはこの為かと、カインは苦笑した。それを見たルイズは、少し拗ねたように尋ねる。

「何笑ってんのよ」

「いや、スカロンも言っていたんだが、もったいない奴だと思っただけだ」

「いいのよ。私は『魅了』の魔法なんかに頼らないの。チップぐらい、自分の魅力で集めるんだから」

「ふふ、そうか」

 ルイズは淀みなく毅然と言い放ち、その精神の成長の証を示した。その事に思わず笑みをこぼすカイン。

――二人はそのまま、明け方の晩餐会を楽しんだ。残念ながら料理は美味くなかったが、ワインと雰囲気を楽しむことで二人は久しぶりに穏やかな時間を過ごし、お互いを労い合ったのだった。








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第七話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:333d69f9
Date: 2010/05/16 12:12
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第七話







『いらっしゃいませ~、『魅惑の妖精亭』へようこそ♪』

 チップレースが終了し、ここ『魅惑の妖精亭』は平常通りの盛況ぶりである。レース開催中は、少女達も気合いを入れているため客の入りもいつもより多くなったものだが、やはり通常の営業に戻って多少落ちついた感がある。

 カインは皿洗い時々接客、ルイズは接客(と情報収集)に専念してそれぞれ仕事をこなしていた。二人の仕事ぶりも、大分慣れたものでルイズももう客を怒らせることはなくなり、加えて先のチュレンヌの一件が「偉ぶった貴族を華麗に追い返した少女」という噂が広まって人気が上がり、今では固定客のようなものまで出来始めているので、スカロンが非常に上機嫌である。

 それなりに順調な日々を過ごしていたある日――

「いらっしゃいませ~~!」

 娘達が接客に回っていたので、スカロンが訪れた客を迎える。

「――あら! こちらはお初? しかも貴族のお嬢さん! まあ綺麗っ! なんてトレビアン! 店の女の子達が霞んじゃうわ! 私は店長のスカロン。今日は是非とも楽しんでって下さいまし!」

 厨房で皿洗いをしていたカインは、「貴族のお嬢さん」がこんな酒場に来るとは珍しいと思い、カウンターから覗き込んだ。

――すると、意外な顔が目に飛び込んできた。

(……何故、あいつ等がここに……)

 スカロンが案内していたのは、キュルケ、タバサ、ギーシュにモンモランシーという魔法学院の知った顔四人だった。
 席に案内されると、ギーシュはキョロキョロと顔を動かし、辺りを――辺りの給仕娘達を夢中で見つめ、隣の席のモンモランシーに耳を引っ張られている。

 そこへ、選りによってルイズが接客に向かわされてしまった。キュルケ達に気づいて、ルイズも慌てて顔を盆で隠しているが、察しの良いキュルケのこと……直ぐに見破るだろう。

 現に、テーブルに注文を取りに行った時点で、その接客態度にギーシュやモンモランシーが怪訝な顔を浮かべており、キュルケに至ってはもう確信したというように悪戯っぽい笑みを浮かべている。タバサだけは無表情のままだが、恐らく気づいていて気にしていないのだろう。

(これは、助けに入った方がよさそうだな……)

 短く溜め息を一つ吐くと、カインはルイズのフォローに向かった。


「――あはははは! やめて! くすぐったい! やめてってば!」

 僅かの間にルイズはテーブル上にあげられ、何故か身体をくねらせて悶えていた。

「どんな事情があって、ここで給仕なんかしてるの?」

 笑い転げるルイズに、キュルケは余裕の態度で尋問している。他の面々はその光景をただ傍観しているだけで、率先して尋問しようとはしていないが、やはり気になるらしく二人の問答に注目している。

「――い、言うもんですか! あははははっ!」

「そのくらいにしておけ」

 ルイズが笑い過ぎでぐったりし始めた頃、カインがフォローに入った。
 カインの言葉を受け、タバサが杖を振ると、ルイズは息も絶え絶えと言った様子でテーブルから降りた。ルイズが笑い転げていた原因は、彼女の魔法だったようだ。

「あら、ダーリン♪ 給仕姿のあなたも素敵ね」

「一応、礼を言っておく」

 カインは肩で息をするルイズを支えながら、キュルケ達に目を向ける。

「で、今日はどうしたんだ? お前達がこんな店に来るとは」

「それはこっちの台詞よ、ダーリン。どうしてあなた達がこんな酒場で給仕なんかしてるの? ルイズったら、口が堅くて教えてくれないのよ~」

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……ど、どうして、あんたに教えなくちゃ、なんないのよ……」

 肩で息をしながら、ルイズはキュルケを睨みつける。だが、キュルケは全く気にしていない。

「そんなのあたしが知りたいからに決まってるじゃない♪」

「…………(怒)」

 平然と傍若無人ぶりを披露するキュルケに、呆れと怒りの余り声も出ないルイズ。

 そんな二人を見て、カインは小さく溜め息を吐く。

「……女王の依頼で、民衆の意識調査をしているんだ」

「――ちょっとっ、カインッ!?」

 あっさりとバラしてしまったカインに、ルイズは声を荒げる。が、それを聞くとキュルケはつまらなそうに溜め息を吐いた。

「な~んだ、そんなことだったの……。隠す程のことじゃないじゃない」

 カインが話したこと、そしてルイズが過剰な反応を示したことでキュルケはそれが事実であることを悟ったのだろう。彼女は興味を失ったように頬杖をついた。

「じょ、女王陛下の依頼だって! ど、どうして僕に声を掛けてくれなかったんだね!?」

「……(怒)」

――ガシ、ガンッ!

 ギーシュの抗議は、モンモランシーが彼の頭をテーブルに叩きつけて黙殺された。


「――な、なんで喋っちゃうのよっ!! これは秘密――!?」

 自分を責め立てるルイズの口を、カインは瞬時に塞いだ。

「大声で騒ぐな。周囲に聞こえる」

「――もが! もががっ!」

 恐らく何か文句を言っているのだろうが、カインにガッチリ口を塞がれていて言葉にならない。

「キュルケが言った通り、こんなこと隠す程のことじゃない。下手に秘密にしておく方が面倒になる。――それに」

 そこでカインはルイズの口から手を離し、キュルケ達に視線を向ける。

「――こいつ等なら、周りに触れまわるような卑劣な真似はすまい」

 カインがそう言うと、キュルケは妖艶な笑みを浮かべる。

「あ~らダーリン。信頼してくれるのは嬉しいけど、あたしは気紛れだから、あっさり喋っちゃうかも知れないわよ?」

「――なっ!?」

 キュルケの挑発的な言葉に、ルイズが敏感に反応して目を吊り上げるが、カインは不敵な笑みで返す。

「ふっ、本当に言い触らすような輩は、そういうことは言わんものだ」

「あら~、んふふ♪」

 キュルケは満足げな笑みを浮かべると、ルイズに視線を向ける。
 二人のやり取りに取り残されていたことが不満だったようで、彼女は口を“へ”の字にして拗ねていた。

「……何よ」

「注文」

 キュルケは短くそう言うと、メニューを指さして「これ」と一言告げた。

「……『これ』じゃわかんないわよ」

「ここに書いてあるの、取りあえず全部」

「……は?」

 キュルケの注文に驚き、ルイズはきょとんとした表情になった。

「いいから全部持ってきなさいな」

「はぁ、お金持ちね……。羨ましいわ……」

 溜息と共に肩から力が抜けたルイズだが、次のキュルケの言葉が彼女を再び力ませた。

「あら? あなたのツケに決まってるじゃないの。ご好意はありがたくお受けしますわ。ラ・ヴァリエールさん」

「――はぁ?!」

 つまりキュルケは、暗にルイズに「奢れ」と言っているのだ。ルイズが驚くのは無理もないだろう。

「交換条件、という訳か」

「んふふっ、察しの良いダーリンも素敵よ。――あっ、そうだわ! あたし達のお相手はダーリンにお願いするわね♪」

「ふぅ、やむを得んな。少し待っていろ、酒とグラスを取ってくる」

 カインがそう言うと、ルイズが話に割り込んで騒ぎ始める。

「――わ、私を無視してなに勝手に話を進めてんのよっ!! なんで私がツェルプストーに奢んなくちゃならないのよっ!?」

「学院のみんなに、ここで給仕やってること言うわよ?」

 ルイズは「うぐっ」と言葉を詰まらせると、悔しげに歯を食いしばる。

「言ったら……、こここ、殺すわよ」

「あら嫌だ。あたし殺されたくないから、早いとこ全部持ってきてね」

「………………」(絶句)

――ルイズの負け。

 ルイズはがっくりと肩を落とすと、おぼつかない足取りでふらふらと厨房に歩いて行く。カインもその後を追って行った。


 で――キュルケ達に酌をしながら、カインは彼女らの相手を務めた。時折、キュルケが「酔った」と言ってしな垂れかかって来たが、その都度ルイズが料理の皿を叩きつけるように運んで来て牽制した。ギーシュはワインを煽ってほろ酔いとなり、モンモランシーはちょこちょこと文句を言いながらもワインと料理を楽しんでいた。

――ただ、そんな彼らを相手にしながら、カインが気になっていたのはタバサだった。

 彼女は、運ばれてきた料理――特にハシバミ草のサラダ――を黙々と口に運びながら、度々こちらに視線を向けて来ていた。
 気付いたカインと目が合うと、彼女は少し間を開けてから視線を逸らし、また料理に集中する――ということを繰り返す。その時の顔は、無表情ながら何か言いたい事があるように感じられる表情だった。

――そんな彼女のいつもと違う態度を、彼女の親友を自負するキュルケも敏感に感じていた。

 普段、そう言った感情を誰かに向けることの余りないタバサが、カインに何かを訴えかけている。自分の得意とする“恋愛”的なものとは違うのがわかったし、何より彼女がこの場で何も言わないのは、周りに人が大勢いる場所で話せるような事ではないからだろうともわかったので、キュルケは気付かないフリをしている。


――そうして、飲み、喰い、談笑し、ギーシュとモンモランシーのどつき夫婦漫才に笑い、キュルケ達が楽しいひと時を過ごしていた時、店に新たな客が入って来た。

 広いつばの羽根付き帽子に、マントの裾から覗くレイピア状の杖――間違いなく貴族、それもどうやら王軍の士官達のようだ。

 アルビオンとの睨み合いが続く昨今、王軍の士官ともあれば休みもそう取れないのだろう。彼らは陽気に騒ぎながら席に着く。そして、店内を見渡して給仕娘達の評論を始めた。
 給仕娘達も貴族の客と見て、入れ替わり立ち替わり酌をしに行くが、どうやら貴族達は彼女達がいまいちお気に召さないらしい。

――そんな時、貴族の一人がキュルケに気づいた。

「あそこに貴族の子がいるじゃないか! 僕達と釣り合いが取れる女性は、やはり杖を下げていないとな!」

「そうだとも! 王軍の士官様が、女王陛下からやっと頂いた非番だ。平民の酌では、慰めにならんと言うものだよ、君」

 貴族達はどうやら、キュルケに自分達の相手をさせるつもりらしい。キュルケが目を付けられたことで、同席しているギーシュとモンモランシーはやや萎縮してしまっている。だが、当のキュルケはこんなことには慣れている様で、気にした様子もなくワインに口を付けている。

 やがて、貴族の一人がこちらに歩み寄って来て、キュルケの横で優雅に礼を取った。

「我々はナヴァール連隊所属の士官です。恐れながら美の化身と思しき貴女を、是非とも我らの食卓へとお招きしたいのですが」

「失礼、わたくし今……」

 台詞の途中で、キュルケはカインを見てニヤリと笑みを浮かべる。それを見たカインは、猛烈に嫌な予感がしていた。自分を見た時の彼女が「いい事思い付いたわ~♪」という表情をしたからだ。

「んふっ♪ ええ、お相手しても宜しくてよ?」

「おお、それは光栄の至り! ではレディ――」

「――ただし」

 自分の口説きが成功したと勝ち誇り気味の笑みを浮かべ、手を差し出そうとした貴族に対し、キュルケは言葉を遮るように切り出す。

「条件がありますの」

「――む? 条件……?」

 怪訝な顔で首を傾げる貴族に対し、キュルケは悪戯っぽくどこか妖艶な笑みを浮かべ、隣に座るカインの腕を取って言った。

「彼と決闘して勝つことが出来たら、あなた方のお相手をして差し上げますわ♪」

「……は?」

「…………」

 貴族は片眉を上げて拍子抜けした表情を浮かべ、カインは心底ウンザリしたように深々と溜め息を吐く。

 カインにしてみれば、予想通りの展開――キュルケが自分を見て笑みを浮かべた時から、こうなるような気はしていたのだ……。

「……キュルケ。俺を巻き込むな」

 俄かに声を低くして抗議するカインだが、キュルケは抱き抱えた腕に更に身体を押し付ける。

「ああん、いいじゃないダーリン♪ あなたの勇ましい姿をまた見たいのよ~」

「……レディ。もしや貴女は、我らがこの平民に劣るとでも思っておいでか……?」

 若干、剣呑な雰囲気を漂わせる貴族。テーブルでこちらのやり取りを見ていた貴族達も、やや眉間に皺をよせてこちらを睨んでいる。
 王軍士官のプライドか、彼らはキュルケの言葉を「自分達に対する侮辱」と受け取ったようだ。

「あ~ら、そんなつもりはありませんわ。あたしは、強い殿方に惹かれますの。彼はそんなあたしを惹きつける“強さ”を持っている。だから、あなた方が彼より強ければお相手すると言ったまでですわ」

 カインの腕により密着し、キュルケは貴族に向けて挑発的な視線を送る。すると、テーブルに着いていた他の貴族達も立ち上がり、こちらに歩み寄って来た。

――その瞬間、店内の空気がピンと張りつめる。

「……よもや酒にお誘いして、このような侮辱を受けるとは思いませなんだ。よろしい、我らは貴族であり軍人です。かかる侮辱、かかる挑戦を見過ごすは軍人の名折れ――レディ、貴女がお忘れになった“現実”というものをお見せしよう!」

 貴族はそう言い放つと、カインを睨みつける。

「さて、そこの平民。不幸なことに、貴様はそちらのレディに代理として指名されてしまった。本来、我らは陛下の禁令により私闘を禁じられておるのだが、それも“貴族同士”に限った話……。些か気の毒ではあるが、これも運命と思い諦めることだ。――表に出るがいい」

(……煩わしい)

 すっかりキュルケの挑発に乗って闘る気満々の貴族達に対し、カインはとても、非常に、心底ウンザリしていた。

――しかも、この状況を招いた元凶であるキュルケを初めとして、店内はやけに盛り上がっている。

 先のチュレンヌの一件以来、人気が上がっているのはルイズだけではない。カインもまた、ルイズと並んで噂が広まっており、巷では「『魅惑の妖精亭』の凄腕用心棒」だの「数多の戦場を渡り歩いた歴戦の傭兵」だのと話に尾ひれがついて知れ渡っているのだ。
 そんなカインを一目見たいといって店に足を運ぶ客もいて、客数が増えたことで、店長のスカロンは極めて上機嫌だったのは余談である。

――それはさておき……。

 連れ立って表に歩いて行く貴族達を尻目に、カインは隣のキュルケを睨む。

「……キュルケ」

「そ、そんなに睨まないで、ダーリン。悪かったと思ってるわよ~……」

「……」

 カインの鋭い眼光に、さすがのキュルケも怯んだ。そして同時に、些か自分勝手が過ぎたことを反省する。彼女も、自分を口説きに来た貴族の態度が気に入らず、いくらか冷静さを欠いていたのだ。

「……ふぅ、今回限りだぞ」

 殊勝な態度を取るキュルケに、カインもそれ以上強く言う事はせず、厨房の方に“武器”を取りに行った……。



――『魅惑の妖精亭』の店先――カインと三人の貴族士官達が、およそ10メイル程の距離を取って対峙する。彼らを取り囲む様に、野次馬がぐるりと周囲に集まっていた。

 その最前列にキュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシー、そしてルイズが陣取り、始まろうとしている決闘の様子を見守っている。

「諸君。相手は平民だ。これでは“弱い者いじめ”といわれてしまうであろうな。勝っても負けても、我らの名誉は消え失せる。なんとしたものかな?」

 カインと対峙した貴族が、おどけた調子で仲間に尋ねている。それに対し、他の貴族達もそれぞれ答えるが、誰一人として自分達の勝利を疑っていない。
 弱い者いじめを嫌うような事を言っているが、内心では「自分達の力をどう誇示しようか」というような事を考えているのが、ありありと伝わってくる目をしている。

「――平民、せめてものハンデだ。先に仕掛けて来るがいい」

――貴族達の余りの醜さに、カインが苛立っていた時、相談を終えた貴族が杖を構えて悠然と言い放った。

 その声に、カインは閉じていた目を開き、溜め息を一つ吐く。

「……では、そうさせてもらう」

――シュンッ! ドスッ!!

「――ごぶっ……!」

 短く答えた刹那、カインはモップの柄の先を、隙だらけの貴族の鳩尾にめり込ませた。

――ドサッ……

 次の瞬間――貴族は泡を吹き、白目を剥いて前のめりに倒れる。

「……へ?」
「……あ?」

――何が起きたのか分からないという表情で、仲間の貴族達と周囲の野次馬達は硬直する。

 カインの姿がブレたと思ったら、気が付いてみれば彼は貴族のすぐ前にいて、そして貴族が鈍い呻き声をあげて倒れた――彼らの目にはそう映っていた。それは余裕で観戦していた貴族達も同様で、彼らの場合は“仲間が倒れた”即ち“仲間が倒された”という事実が、思考の硬直に拍車を掛けている。

「――おい」

「「――っ!?」」

 貴族達は、カインの声で我に返るが、同時にその顔には焦りの色が浮かぶ。

「まだやるか?」

「――っ! あ、当たり前だっ!! 平民風情が、まぐれで勝ったくらいで良い気になりおって!!」

「そ、そうだっ! 今のは偶然が重なっただけだ! そうでなければ、平民が我ら王軍の士官に勝てるはずがないっ!」

「……」

 カインは内心「鬱陶しい……」と思いながら溜め息を吐き、半ば投げやりに騒ぐ貴族達にモップを突き付ける。

「……面倒だ。まとめてかかって来い」

「「――っ!??」」
『――っ!??』


――その後、カインの言葉に激怒した貴族達は、二人掛かりで襲いかかるも呆気なく敗北――最初に目を覚ました者が仲間を背負って逃げ去って行った。

 そして、この界隈に『軍人をも退ける屈強のウエイター』という新たな伝説が生まれることとなった……。




 そして、その日の営業終了後……。

――コン、コン……

「あら? 誰かしら……」

 屋根裏部屋に引き上げていたルイズが、ノックの音に気付く。こんな時間にこの部屋を訪ねて来る者など、今までになかったので首を傾げる。

「どうぞ、開いてるわよ」

 そう声を掛けると、ゆっくりと床板が開き、訪問者が顔を見せた。

「……」

「タバサ? どうしたのよ、こんな時間に……?」

 そう、訪問者はタバサだった。普段、自分から他人の部屋を訪ねることはおろか、積極的に人と関わろうしない彼女だけに、ルイズは驚いた。

 何故タバサがここにいるかというと、あの決闘騒動の後、キュルケが「帰るのが面倒」と言ってここに一泊し、彼女も一緒に泊まることになったからだ。ちなみに、ギーシュとモンモランシーも泊まっており、宿代は自腹を切っている。キュルケ曰く――「面倒に巻き込んだ上に更にタカる程、あたしも図々しくないわよ」――だそうだ。

――それはさておき……、

「ハァ~イ♪」

 部屋を訪ねて来たのはタバサだけではなかった。続いて現れたのは、彼女の相方キュルケであった。

――その顔が見えた瞬間、ルイズはあからさまに態度が変わる。

「……で、何の用?」

「あ~ら、随分とあからさまねぇ~。でも、安心なさい。あんたに用はないし、用があるのはあたしじゃなくてこの娘だから」

 ルイズを受け流すと、キュルケはタバサの頭をポンと撫でる。
 タバサは動じることなく、部屋に入った時からカインをじっと見つめていた。

「……俺にか?」

「ええ、そうらしいの」

 キュルケが促すと、タバサは徐に口を開き始める。

「あなたに、聞きたい事がある……」

「……なんだ?」

「――心を失った人間を正気に戻す方法。あなたがそれを知っているかどうか……」

「――っ!?」

「……どういうことだ」

 “心を失った”とは、穏やかではない。タバサの語り口に、並々ならぬものを感じたカインは、表情を引き締めて尋ねる。

「タバサ、いいの?」

「……」(コク)

 少し慌てた様子のキュルケが尋ねると、タバサは無言で頷いた。どうやら、キュルケは何か事情を知っているらしい。

――そして、タバサは自らの過去と共に事情を語った。……それは、余りに哀しい物語であった。


 タバサの真の名は“シャルロット・エレーヌ・オルレアン”――ガリア王国の現王ジョゼフ一世の弟にして、オルレアン公シャルルの娘であるという。

 オルレアン公シャルル――僅か十二歳という若さでスクウェアクラスに達した天才メイジであり、様々な能力に優れるのみならず、魔法の素質に恵まれぬ兄ジョゼフを励ますなど、高潔で思いやりのある人柄から、宮中の人々の多くに慕われ、次期国王と目されていた。だが、タバサの祖父に当たる先代ガリア王が次期王に指名したのはジョゼフであった。しかし、シャルルはそれに不服を述べることなく、兄を祝福し一緒に国を支えることを誓った。

――だが、ジョゼフはそんなシャルルを暗殺した……。

 ジョゼフの凶行はそれに留まらず、シャルルの忘れ形見たるタバサにまでその魔手は及んだ。その時、タバサの母親が彼女を庇い、エルフの先住魔法によってその心を壊されてしまったのだという。タバサは難を逃れるも、母親はそのままオルレアンの屋敷に人質として軟禁され、“北花壇騎士団”という表沙汰に出来ない汚れ仕事を担う騎士団の一員に任命され、しばしば危険な任務を押し付けられてきたのだという……。

「……もしや、以前にお前達が“水の精霊”を襲っていたのも……」

「……」(コク……)

 タバサの肯定によって、カインは確信を得た――。

 つまり、ガリア王国――そしてガリア王ジョゼフは、敢えて危険な任務をタバサに命じることで、彼女を亡き者にしようとしているということだ。

「そんな、酷い……酷過ぎるわっ!」

 話を聞いたルイズは、悲しさと怒りで震える声で、絞り出すようにそう言った。キュルケも眉を顰め悲痛な面持ちでタバサを見つめている。

「……なるほど、そっちの事情は分かった。だが……」

 そこで言葉を切り、カインはタバサに視線を向け、思った疑問を投げ掛ける。

「何故、俺にそんなことを尋ねた? そういったことは寧ろ、お前達の方が詳しいんじゃないのか?」

「……シルフィードから話を聞いた」

 タバサはそう言うと、徐に説明を始める……。


――それは夏季休暇が始まった日の夜こと……、突然シルフィードが部屋まで飛んで来て彼女に告げたのだと言う。

『――お姉さま、お姉さま! レフィちゃんから良いこと教えてもらったのね! これでお姉さまのお母様も元に戻せるのねっ! きゅいきゅいきゅい!』

 その言葉に内心非常に驚愕したもののそれを表には出さず、興奮するシルフィードを(杖で殴って)落ち着かせ、詳しく聞いてみたところ、何でもその日の夕方頃に魔法学院に戻る途中のレフィアとばったり出会い、自分の住処に呼んでおしゃべりしていたのだという。その話の中に、カインとレフィアが出会った時のエピソード――傷を負っていたレフィアをカインが『ハイポーション』で癒した時のこと――があったそうだ。

『酷い大怪我してたレフィちゃんを治せたカインなら、きっとお姉さまのお母様も治せるのね! レフィちゃんも『お兄さんならきっと治せる』って言ってたのね! 韻竜、隠し事はしても嘘は吐きません! これで、お姉さまもこれ以上苦労しなくて済むのね! きゅいきゅいっ!』

 その時は話半分で聞いていた上に、当のカインが魔法学院から居なくなっていたので確認できなかったし、進んでしようとも思わなかった。

――だが今日、キュルケに連れられて来てみた酒場でカインを見つけて、その時の話を思い出し、半ば藁にも縋る思いで相談した――という訳だ。

「私は……母を取り戻したい。例え、どんなことをしてでも……!」

 タバサは強い決意を感じさせる表情で語る。

「どんなに些細なことでも構わない。心当たりがあれば、どうか教えてほしい……」

 そう言うと、タバサは深々と頭を下げた。

「……話はわかった」

 どんな苦労も厭わない、という彼女の覚悟は確かに伝わった。だからこそ、カインは考える。

(……とは言え、どうしたものか……)

――出来る事なら、力になってやりたい。だが、自分は竜騎士――こと“戦闘”に関してはそれなりの自負もあるが、“医療”に関しては素人に毛が生えた程度、外傷の応急処置ぐらいで精一杯だ。毒や病気の対処ですら正直手に負えないのに、魔法による精神崩壊を治す方法なんて……。

「……!」

――その時、カインの頭に閃きが走った。

「……何とかなるかも知れん」

「「「――!?」」」

 その言葉に、タバサ達が目を見開く。

「――カイン! それ本当っ!? 本当にタバサのお母様を助けられるの?!」

「……ふふ」

 何故か逸早く口を開いたルイズの姿に、キュルケは僅かに驚いたが、直ぐに可笑しそうに微笑む。そして思う――これだから、この娘は面白い――と。

「……」

 タバサも、長年の望みに差し込んだ光明に、身を乗り出してカインを見つめている。

――だが、カインは浮足立つ三人を「落ちつけ」と言ってなだめた。

「……最初に断わっておくが、確実に治療できるという保証はない。それは頭に留めておいてくれ」

「「「……」」」

 その言葉で落着きを取り戻した三人に、カインは徐に説明を始めた――。





――翌日……。

「ここが……、タバサのご実家……」

 ルイズが、目の前に建つ屋敷を見上げて呟く。――カイン達は今、揃って旧オルレアン領のタバサの実家に来ている。タバサの母親の様子を見る為、そして先日話をした“治療”を試す為だ。

 屋敷は、旧い立派な造りの大名邸……なのだが、その門に刻まれていた紋章には、タバサが先日語った彼女の事情を如実に表していた……。タバサが持つ物と似た杖が二本交差し、その傍に書かれた“さらに先へ”の言葉――ガリア王家を現す紋章……それだけであれば良かった。
 問題なのは、それを切り裂くように刻まれた十字傷――王族を追われた者に負わされる“不名誉印”。疑っていた訳ではないが、やはりタバサは、ガリア王家の系譜に連なる少女だったのだ。

「――っ!? シャルロットお嬢様!」

 門前で立ち止まっていたルイズ達の元へ、館の扉から出てきた執事服の老人が駆け寄って来た。

――彼の名はペルスランと言い、タバサの実家オルレアン家で執事を務めている男である。平民の出であるが、タバサの父オルレアン公シャルルに召し抱えられ忠義を誓い、現在この屋敷の管理とタバサの母の世話を任されている。

 彼もタバサの急な帰宅に驚いたようだ。タバサが執り成すとカイン達は客人として屋敷に招き入れ、応接間に通された。ルイズ達にお茶を渡しつつ、ペルスランは徐に口を開く。

「それにしても驚きました、シャルロットお嬢様。此度は一体如何されたのでございますか? 今は王家から指令の方も来ていないはずですし、それにお連れ様……ツェルプストー様は、以前にお会いしましたので存じておりますが、そちらの御二方は初めてお目にかかりますな。お許しいただければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「トリステインのラ・ヴァリエール」

「カイン・ハイウインドだ」

 順に名を名乗り終えると、タバサがゆっくりと立ち上がる。

「連れてくる」

 そう言い残し、タバサは応接間を足早に出て行った。

 タバサを見送る形で部屋に残ったペルスランが、怪訝な表情を浮かべる。

「……恐れながら、皆さま方にお尋ねいたします。一体、お嬢様は何を……“連れてくる”とは……?」

 今までにないタバサの態度に戸惑いを隠せない様子のペルスランに、キュルケはウインクを一つして笑い掛ける。

「心配しないで。タバサの長い間の夢を、実現させようとしてるだけだから♪」

「お、お嬢様の夢……っ! そ、それはもしや!?」

 ペルスランが、タバサが何をしようとしているのかを察した時――。

――ガチャッ……

「お待たせ」

 タバサが戻って来た。その背後には一人の女性が眠ったまま宙に浮いており、その姿を見たペルスランは目を見開いて驚く。

「――お、奥様!? お嬢様、やはり……!」

「……」

 どうやら、あれがタバサの母親らしい。やせ細り、肌の血色も悪く、髪も伸びるに任せてボサボサ……、お世辞にも健康とは言えない痛ましい姿だ。それが、彼女の心を犯したという先住魔法の影響なのか、それとも副次的なものなのかはわからないが、その姿はタバサの受けてきた苦痛そのものに見えてならない。

 ペルスランの言葉にタバサは頷きこそしなかったが、少しだけ、ほんの少しだけ微笑みを向ける。そして、直ぐに表情を引き締めるとカインに視線を移す。
 その視線を受け、カインも頷き、立ち上がる。

「……では、行くか」

「……」(コク)

 タバサが頷くと同時に、ルイズとキュルケも飲みかけのお茶を置き立ち上がると、カインに続いて応接間を後にする。



 そして、屋敷の外に出て、タバサがシルフィードに母親を乗せていた時――

「――ハイウインド様」

 見送りに後ろから付いて来ていたペルスランが、カインを呼び止めた。カインが振り返ると、彼は深々と頭を下げる。

「どうか……どうか、お願い致します! 奥様をお救い下さい! 」

 腰が折れんばかりに頭を下げるペルスラン……。

「お嬢様は……シャルロットお嬢様は、今でこそあのように表情と言葉を失っておられますが、奥様がお元気であられた頃は、それはそれは活発で明るく、太陽の様な温かな笑みを浮かべるお方でございました……」

 言葉を切るペルスランの目尻に、薄らと涙が滲む。

「奥様がお心を取り戻しさえすれば、きっとお嬢様にあの頃の笑顔が戻るに違いありません! 私はそう信じております! ですから……どうか、どうかお願い致します。奥様を……そしてシャルロットお嬢様を、お救い下さい……!」

 そう言って再び深々と頭を下げる彼の姿からは、タバサとその一族への並々ならぬ忠誠心が窺える。
 カインはそっと振り返り、シルフィードの背で母親をしっかりとその腕に抱くタバサの姿を見た。

「……絶対に助ける、と約束することは出来ないが……」

 未だ頭を下げ続けているペルスランに向き直ると、カインはその肩に手を置く。

「出来るだけの事はするつもりだ」

「……お願い致します……!」

 ペルスランの懇願に、カインはその肩を軽く叩くことで了承の意志を示し、自らもレフィアに飛び乗る。

 そして一行は、タバサの母を連れオルレアン邸を飛び立った……。





――旧オルレアン領からレフィアとシルフィードで飛ぶこと数時間……。

 カイン達は現在、トリステイン領内の上空にいる。ただし、“レフィア達で飛行を続けている”ということではない。

「……こんな時でなければ、また“星空”を楽しみたい所だけどねぇ」

 キュルケが残念そうに外を眺めて呟く。
 彼女の視線の先にあるのは、四方を囲む星の海――彼らがいるのはトリステインの上空凡そ500リーグ、一般的に“成層圏”と呼ばれる大気圏域である。

 ルイズ達がそんな場所にいられる理由はただ一つ――そう、彼等は今“魔導船”に乗り込んでいるのだ。



――話は、先日に遡る……。

『……最初に断わっておくが、確実に治療できるという保証はない。それは頭に留めておいてくれ』

 『魅惑の妖精亭』にて、そう切り出して始まったカインの説明。タバサの母親を治す可能性としてカインが提案した方法――それは、“魔導船”に搭載されている『回復カプセル』を使用すると言う方法だった。

『――回復カプセル?』

『ああ。短い時間で使用者の状態を正常に回復させる装置だ』

 ルイズの疑問に簡潔に答えると、カインは説明を続けた。

『あの船には、負傷や毒などによって搭乗者が動けなくなることを想定して、そういう治療用の装置が備えられているんだ。――それを使って、タバサの母親の治療を試みる』



――そして今、カイン達はタバサの母親を治療すべく、魔導船内の通路を歩き、目的の『回復カプセル』がある部屋に向かっている。

「それにしても、この船……。星空を間近に見られるのは素敵なんだけど、内装はすごく無骨よねぇ……」

 歩く度に硬い足音が響く通路を歩きながら、金属で覆われた通路を見まわしてキュルケが感想を呟く。

「……この船は本来、客をもてなす目的で造られた物ではない。だから、そういった仕様は一切施されていない」

 先頭を歩くカインが、振り返らずに説明した。それを聞いて、キュルケは首を傾げる。

「それじゃあ、何の為に造られた船なの?」

「――“侵略”」

「「――えっ!?」」
「……!」

 キュルケの疑問にカインが一言で答えると、彼に続いて歩いていたルイズ、タバサ、キュルケの三人は思わず立ち止まった。

「……し、“侵略”って……」

 動揺を抑えきれない様子で尋ねてくるルイズに対し、カインは振り返ることなく答える。

「言葉の通りだ。この船は、俺の故郷を侵略する目的で造られた。尤も、“ちょっとした事故”によって侵略は未遂に終わり、こいつに乗っていた人間も己を取り戻してタルブの村に身を寄せ、既にその生涯を終えている。こいつも今や、唯の“星空まで飛べる”だけの船だ」

――この話はこれで終わりだ、とカインは再び歩き出す。

 その背中が「これ以上は聞くな」と言っているのは誰の目にも明らかで、ルイズ達もそれ以上の詮索はせず、黙ってカインに付いて行った……。



「――此処だ」

 通路の終点――前を塞ぐ扉を前に、カインがそう呟いた。

「……っ……」

 この先に、目的の『回復カプセル』がある――それを察して、『レビテーション』で母親を運ぶタバサの顔にも緊張が走る。その胸中に、希望と不安が渦巻く。

――いよいよ、母を取り戻せるかもしれない。でも……何も変わらないかもしれない……。

 どちらが現実となるか……その時が、目の前に迫っていた。


「開けるぞ」

 そう言ってカインが手をかざすと、滑るように扉が横にスライドして開く。そして、その部屋に入っていく彼にルイズ達も続く。
 部屋は、およそ10メイル四方の広さ。周囲は今まで通って来た通路と同じ金属の壁で覆われており、その中央に人間一人が入るサイズの透明な円柱状のガラスケースの様な装置がある。

――それが目的の『回復カプセル』である。

「……本当にこんな物で、人を治療できるの?」

 その形状からでは治療とイメージが結びつかず、いまいち半信半疑なルイズがカインに尋ねた。

「ああ、大抵の傷や毒ならばな。……タバサ、その中に母親を寝かせてくれ」

「……」(コク)

 タバサは頷くと杖をゆっくりと振って、宙に浮かせた母親を蓋が開いた状態のカプセルの中に移動させ、丁寧に横たえた。

――すると、カプセルの蓋がひとりでにゆっくりと閉じ、カプセル内が青白く光り出し、タバサの母親を包み込んだ。

「……治療は、どのくらいかかる?」

 カプセルに手を当て、心配そうに母親を見守りながらタバサが尋ねた。

「そうだな……、多分三時間ぐらいで完了するはずだ」

 カインは、自分の中にある“月の民の魂”から装置に関する知識を探り、大体の見当を付けて説明した。
 そもそも、タバサの母親の治療に『回復カプセル』を使うことを思い付いたのも、その“月の民の魂”が教えてくれたようなものだった。“彼”も、魔導船が『戦い』以外の事で役立つことを、強く望んでいるのだろう。

――“彼”の魂と同化しているカインには、それが良くわかった。

「治療が終われば光が収まり、カプセルの蓋が開いて彼女も目を覚ますが……、それまでどうする?」

「ここで待つ」

 タバサが即答すると、キュルケとルイズも「付き添う」と言い、タバサの母親の治療が完了するまで全員その部屋で待つこととなった……。




――そして、三時間後……。


「……そろそろだな」

「「――っ!」」

 カインの声に、今まで暇を持て余していたキュルケとルイズが反応し、タバサがずっと傍に付いているカプセルに近づく。すると――

「――! 光が消えていくわ!」

 ルイズが声を上げ、全員が見守る中、カプセル内の光が徐々に収まっていく。そして、光が完全に消えると、カプセルの蓋が開く。
 中で横たわっているタバサの母親は、オルレアンの屋敷にいた時に比べて血色も良くなり、表情も安らいでいるように見える。

――だが問題は、先住魔法で病んだ心が治っているかどうか、だ。

「……! 目を覚ます」

 母親をずっと見守っていたタバサが、目覚めの気配を察知して声を発した。

 そして、全員が緊張して見守る中、タバサの母は目を開いた……。

「…………」

 彼女は、瞬きを数回すると徐に口を開く。

「……ここは……何処、かしら……?」

 そう言って、ゆっくりと体を起こす。その背中を、タバサが支える。

「あ……、ありがとう……。あなたは…………?」

 彼女は自分の背を支えるタバサを見て、言葉を止めてその顔をじっと見つめる。

――そしてすぐに、ハッとした顔に変わった。

「あなた……シャルロット……。シャルロットね……!?」

「――っ!! ……母……様……っっ!!」

――瞬間、タバサは大粒の涙を流しながら母の胸に飛び込んだ。母もまた、涙を流しながらタバサをきつく抱きしめた。

「――母様……母様! 母様ぁ!」

「ああ、シャルロット! 私のシャルロット! ああ、こんなに大きく、綺麗になって……。ごめんね……、貴女に辛い思いをさせて……本当に、ごめんなさいね……!」

 “感動の母娘の再会”――ありふれた言葉だが、それがこの場の光景を表すに相応しい。
 永い間、離れ離れだった時を埋めるかのように、抱擁を交わし、頬をこすり合わせる二人の姿を、ルイズ達は感動の涙を流しながら見守った……。


――距離こそ近くに居ても、そこに見えない悲劇の壁が立ちはだかり、決して二人が出会う事はなかった……。その壁が、今まさに取り除かれ、二人は本当の意味で“再会”を果たしたのであった……。







続く……





[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第八話 前編
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:13
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第八話 前編







――トリステイン王宮、アンリエッタの私室兼執務室にて……

「…………」

 部屋の主、アンリエッタは部屋の窓から外を眺めていた。その胸中では、つい先ほどまで繰り広げていた“論争”と“その相手”の事を考えていた。



 数十分前……

「陛下……、今一度お考え直し頂けませぬか? これ以上税率を上げては、平民どもから怨嗟の声があがりましょう。乱など起こっては、アルビオンとの戦どころの話ではありませんぞ」

 執務の机を挟んでアンリエッタと対峙しているのは、この国の司法機関である“高等法院”のリッシュモン高等法院長である。

――高等法院は、劇場で行われる歌劇や文学作品などの検閲、街の市場や各商店などの取り締まりをも行う機関である。王国に於いてはかなりの重要機関である為、かなりの権限を有しており、政策を巡って王政府と度々意見対立することさえある……。

 その法院の長であるリッシュモンは、アルビオンとの開戦に反対する人物の一人だった――。

「――戦列艦五十隻の建造費! 二万の傭兵! 数十もの諸侯に配る一万五千の国軍兵の武装費! それらと同盟軍の将兵達を食わせる為の糧食費! どこからかき集めれば、このような莫大な額を調達できるとおっしゃるのですか? 遠征軍の建設など、お諦め下され」

 リッシュモンは、資金面の問題から軍備の増強が困難であると主張し、アンリエッタに開戦を諦めるよう進言した。――だが、アンリエッタは毅然と反論を述べる。

「先のタルブの一件をお忘れですか、リッシュモン殿。今のアルビオンは、婚姻の儀への参列に託けて奇襲を仕掛けてくるような国です。仮にわたくしが遠征を断念しても、彼の国の方から攻めて参ることでしょう。アルビオンを打倒できるか否か……、それが我がトリステイン王国の存亡を左右すると、わたくしは考えているのです」

「仰ることは、理解できます。……しかしですな、陛下。かつてハルケギニアの王達は、幾度となく連合してアルビオンを打倒せんと試みましたが……、その度に敗北を喫しておるのです。空を越えて遠征することは、ご想像以上に難事なのですぞ」

 リッシュモンは身振りを加えて大仰に説明をするが、アンリエッタは一歩も引かない。

「存じておりますわ。しかし、これは我らが為さねばならぬこと。財務卿からは『これらの戦費の調達は不可能ではない』との報告が届いております。それに……尤もらしい事を仰っていますが、あなた方は単に、戦によって己の財が減り、以前のような贅沢が出来なくなるからご不満なのでしょう? やたらとお金の話を持ち出しておりましたけれど、あなたを見ていると酷く空虚に聞こえます。……その衣装、随分と豪華な仕立てですわね?」

 アンリエッタは、リッシュモンが身に付けている衣装に鋭い視線を向けながら言い放った。

「わたくしは、近衛の騎士に杖を彩る銀の鎖飾りを禁じ、自らも進んで倹約に努めているつもりです。上に立つ者が模範を示さねばなりませんから。――今は団結の時です。貴族も平民も王家もないのです、リッシュモン殿」

「ぬ……、……こ、これは一本取られましたな。承知しました、陛下。しかしながら、高等法院の参事官達の大勢は、遠征軍の編成には賛成できかねる、という方向で纏まりつつあります。それは現実としてご了承頂きたい」

 今までにない気迫を纏うアンリエッタに、僅かに気圧されたリッシュモンだったが、すぐに気を取り直してそう告げた。

――今回の会談は、一応リッシュモンが折れた様な形で終わったが、実際のところ話は平行線のままだったと言えるだろう。



 リッシュモンとの会談を終え、自分一人だけとなった執務室で、アンリエッタは“ある人物”の到着を待った……。

――コン、コン……ガチャッ

「――失礼致します、女王陛下。銃士隊隊長のアニエス殿が参られました」

 部屋の外で見張りに立っていた魔法衛士隊員が、一礼と共に入室するとそう告げる。それは、アンリエッタの待ち侘びていた報せであった。

「――すぐに通しなさい」

「はっ!」

 隊員は再び一礼して退出すると、彼と入れ替わりにアニエスが入室した。彼女はアンリエッタの前まで進み出ると、膝をついて一礼する。

「――アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参上つかまつりました」

 アンリエッタは、顔を上げるよう促す。

「ご苦労様、アニエス。……早速ですが、調査の方はお済みになりまして?」

「はっ、こちらに」

 アニエスは懐から書簡を取り出し、アンリエッタに差し出した。

「…………」

 それを受け取り、内容に目を通す内に、アンリエッタの眼は鋭く細くなっていく。
 やがて全てを読み終えると、アンリエッタは短く溜め息を吐いた。

「……“獅子身中の虫”とはよく言ったもの……、そうは思いませんか、アニエス」

「はい。“例の男”……、即刻逮捕し、お裁きになりますか?」

 呟くように問うたアニエスに対し、アンリエッタは目を伏せて首を横に振る。

「まだ証拠が足りません。相手が相手ですし、これだけでは犯罪を立件することは難しいでしょう」

「なれば……、この私めが率いる“銃士隊”にお任せ下さいますよう」

 恭しく頭を下げるアニエスに、アンリエッタは自らも膝をついてその肩に手を置く。

「……“例の計画”を近々実行に移します。あなたは引き続き、“あの男”の行動を追ってください。わたくしの見立て通りであれば、必ず尻尾を出すでしょう。その場所を突き止め、フクロウで知らせなさい。――頼りにしておりますよ、アニエス隊長」

「――ははっ!」

 アニエスは深く一礼し、退室した。

「……」

 再び一人になった執務室にて、アンリエッタはまた窓の外を見やる。

(……わたくしは、あの夜起こった事に関わった全てを許さない。国も……人も……)

 いつの間にかアンリエッタの眼は、普段の彼女からは想像も付かないほど鋭い光を宿していた。拳を肌が白くなるほど握りしめ、湧き上がる感情を表すように震わせている。

(……いつまでも弱いままでいたくない。あんな過ちを、二度と犯さない為にも……わたくしは、強くなってみせる……!)

 静かな決意を胸に、アンリエッタは虚空を睨みつけた……。


 一方……アンリエッタの執務室を後にしたアニエスは、自らの君主に感謝の思いを抱いていた。

(感謝いたします、陛下。あなたは平民であった私に、地位と苗字をお与えになっただけでなく……“復讐の機会”をも与えて下さった……)

 馬を走らせ、自らの任務に向かう最中、アニエスはその眼に復讐の炎を滾らせ、口元を歪める……。



――それぞれの思惑が交錯し合い、トリステインの内側で『何か』が動き始めていた……。




――一方、その頃……

「…………」

 ここはチクトンネ街の通り――ルイズとカインは、そこを歩いている。
 カインは普段着だが、ルイズは最近街娘の間で流行っている胸元の開いた黒のワンピースに黒いベレー帽――目立ち過ぎず、貧相過ぎない適度なおめかし、見た目は紛れもなく“生粋のタニアっ子”である。

 今日は週半ばのラーグの曜日――『魅惑の妖精亭』の定休日だ。そんな日に、何故ルイズ達が街中をめかし込んで歩いているかと言うと――

――話は二日ほど前に遡る……。


 カインはその日、久しぶりに店を訪れたマウリシア夫人の相手を務めていた。夫人は小一時間程飲み食いをすると、カインにある物を差し出してきた。

『――芝居のチケット?』

『うむ、友人から勧められて頂いたのじゃが……、どうも最近、この『タニアリージュ・ロワイヤル座』の歌劇は質が悪いらしくてな。観劇に行く気がしなくて、処分に困っておったのじゃ』

 夫人が差し出した二枚のチケットを前に、カインも正直困った。
 自分にだって観劇の趣味なんて持ち合わせていない。そんなものとは無縁に人生を送って来たのだから、そんなもの渡されても今度はこちらが処分に困るだけだ。

 そんな困り顔をするカインに、夫人はそっと耳打ちをしたのだ。

『……あの三女殿も女には違いない。男に誘われて、悪い気はしないはずじゃ。劇の内容はともかくとしてな』

『……はあ』

 夫人が暗に「ルイズを誘って行ってこい」と言っているのだろうことを、カインは察した。そして結局、半ば押し付けられる形でチケットを受け取ることとなった……。



――で、カインは他に誘える人もいなかったので、労いのつもりでルイズを誘った。

 ルイズもその時は「ま、まあ、あんたがどうしてもって言うなら!」だの「かかか、勘違いしないでよっ?! 私は別に行きたい訳じゃないんだからねっ!!」だのと、ツンデレ風味の言い訳をしながらも喜んでいた……はずだった。

――しかし……。

「…………」

 今、カインの横を歩いているルイズは、極めて不機嫌である。

――その原因は、カインを挟んでルイズの反対側を歩いている二人にあった。

「……」

「『トリスタニアの休日』って、どんな話なのかしら? トリステインの歌劇って初めてだから、少~し楽しみだわ~♪」

 何も言わずに黙々と歩く小柄な青髪の少女と、楽しげに喋るグラマラスで燃え盛る炎のような赤髪の少女――もはやお分かりだろう……、タバサとキュルケの二人だ。


――何故この二人がいるかと言うと、タバサの母親を治療したあの日……。

 魔導船の『回復カプセル』が効を奏し、タバサの母親は先住魔法の呪縛から回復することができた。
 タバサとその母は、ひとしきり再会の喜びを分かち合うと、揃ってカインに感謝の言葉を贈った――。

「あなたのおかげで、母様を取り戻せた。本当にありがとう……」

 泣き腫らして目元を真っ赤にしていたタバサが、深々と頭を下げる。

「私からも、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました」

 タバサと同じく、母もまた深々と頭を下げた。

「……心を失っていた頃の事は、夢の中のことのように、全て覚えています。その記憶の中の娘の顔は、いつも辛そうで、悲しそうな顔ばかり……。愛する娘を庇ったことは後悔しておりません。ですが……、娘にあのような顔をさせていたのが自分だと思うと、やはり胸が痛みました。ですが、あなたはそんな私と娘を解放して下さいました。本当に、何度お礼を申しても足りません……」

 自らの今までを思い出し、涙を滲ませながらタバサの母は、一度上げた頭を再び深々と下げる。
 カインはそんな二人に、頭を上げるよう促す。

「俺が直接治療した訳ではない。全ては、この船のおかげだ。感謝するならば、この船の元の持ち主にするが宜しかろう」

 そう言ったカインに対し、タバサは首を横に振る。

「それでも、あなたのおかげなのは間違いじゃない。だから、あなたに感謝する。これは、私の気持ちの問題」

 タバサはそう言うと、カインの前に膝を着く。

「――あなたは母を救ってくれた。だから、今度は私があなたを助ける。この恩に報いる為に、私の命をあなたに捧げる」

「な、なんだと?」

 突然の申し出にカインが困惑する中、タバサはまるで忠誠を誓う騎士の如く言葉を綴った。

「――我が杖にかけて誓約する。命を懸けてあなたを守る。“雪風”のタバサは、あなたの騎士になる」



――と、そんな事があり、その日以来タバサはずっと『魅惑の妖精亭』に宿泊し続けており、カインの傍を離れない。キュルケも彼女に付き添う形で宿泊しており、開店時には二人で食事をしながら過ごしている。ちなみに、ギーシュ達は一泊してすぐに帰った。
 しかも、タバサは初め『カインを手伝う為に自分もこの店で働く』とまで言っていたのだ。その上、キュルケまでもが『それ面白そうね♪』などと言いだしたので、カインが「血迷うんじゃない!」と、全力で説得して思い止まらせた。

 で、このラーグの曜日にカインがルイズと観劇に出かけると聞き付けて、タバサとキュルケも自費でチケットを購入――そして現在に至る。

「……なんで、あんた達まで付いて来んのよ?」

 ルイズは眉間に皺を寄せながら、やや低い声でタバサ達に尋ねた。すると、キュルケが悪戯っぽく目を細める。

「あ~ら、何か問題ある? あたしとタバサは、自費でチケットを買って観劇に行くのよ。あなたに文句を言われる筋合いはないんじゃなくて?」

「……」(コク)

 ぴらぴらと自分達のチケットを見せびらかすキュルケの言葉に、タバサは無言で頷く。それを見たルイズは、今度はタバサに噛み付いた。

「~~っ! た、タバサ! あんた、お母様の傍にいなくて良いの?! 折角お元気になったんだから、一緒にいて差し上げた方が喜ぶんじゃないの?!」

「大丈夫。これは母様も納得済み。それに、母様にはペルスランがついてる」

「~~~~っっ!!」

 あっさり切り返されたルイズは、何も言えなくなり悔しさに打ち震える。

――ちなみにタバサの母親は現在、ゲルマニアのキュルケの実家で秘密裏に保護されている。

 ガリア王家が今までオルレアン家にしてきた仕打ちを考えると、タバサの母が心を取り戻したことを気付かれると危険だという事で、彼女を匿える安全な場所はないかと思案していた時、キュルケが自分の実家を提案したのだ。

 これには最初、タバサがキュルケの実家が危険になると言って断ろうとした。だが――

『――親友のあなたの為なら、危険ぐらい何ともないわ。それより、カインに美味しいところを持って行かれて、ちょっと悔しい気分なの。だから、あたしにもこの位はさせて頂戴』

 キュルケはウインクと共にそう言った。

『借り、これで二個』

 タバサが微笑みを浮かべつつそう言うと、キュルケも微笑みを浮かべて彼女を抱きしめる。

『いやね、良いのよ。これはあたしが勝手にすることなんだから』

『……だったら、私も勝手に借りておく』


――こうして、母はツェルプストー家で匿ってもらうことが決まり、タバサ達は急いで諸々の作業に奔走した。

 先ずガリア王家への隠蔽工作として、タバサはマジックアイテム“スキルニル”を使って母親とペルスランの偽物を作成――これには、タバサ自身が持ち合わせていた物と、カインが以前コルベールと共に宝探しに出かけた先で発見した物を使用した。
 オルレアンの屋敷に戻ると、老執事ペルスランに事の次第を説明して、屋敷に偽物を配置――本物の彼と母を連れて、タバサ達はそこからツェルプストーの領地に直行――普通ならば国境侵犯の罪に問われそうなものだが、ゲルマニア人であり領主の娘であるキュルケが「良い」と言ったので良いという事になった。そして、キュルケの実家の屋敷にペルスランと母親を預けて、一行は再びトリステインに帰って来て、現在に至る――。


 そして一行は、目的地の『タニアリージュ・ロワイヤル座』に到着した。

「へえ~、まあまあの劇場ねぇ」

 キュルケが目の前の劇場を眺めながら感想を述べる。『タニアリージュ・ロワイヤル座』は貴族が足を運ぶ劇場とあって、なるほど豪華な石造りの劇場であった。

――着飾った紳士淑女が階段を上がり、入口に吸い込まれるように入っていく。

 カイン達も、その流れに乗って劇場に入り、あらかじめ持っていたチケットを劇場のモギリに見せて客席に向かった。


「……ふむ、どうやらここのようだな」

 夫人から貰ったチケットに書かれている番号と席に振られた番号を見比べ、カインは自分達の予約席を発見する。
 そこは舞台からやや離れている席で、最悪とは言わないが、正直あまり良い席とは言えなかった。

「……ちょっと遠いわね」

「仕方あるまい。譲り受けたチケットだ、贅沢は言えん」

 やはりここは予約席にしては遠いらしく、ルイズが少しだけ文句を言ったが、カインがたしなめると大人しく席に着いた。
 そしてルイズの隣にカインが座り、カインを挟んでルイズと反対側にタバサ、キュルケの順に席に着く。

――程なくして幕が上がり、舞台が始まった。

 演目は『トリスタニアの休日』――トリスタニアを舞台にした、姫と王子の恋物語である。それぞれ別々の国から身分を隠してやって来た二人は、この街で出会い、お互いの正体を知らぬまま恋に落ちるのだが……、なんやかんやあってお互いの正体がわかり、その仲が引き裂かれる――というどこにでもありそうな悲恋のお話だ。


「……」

 カインは若干鋭い目つきで、舞台上で繰り広げられる劇を眺めていた。

――マウリシア夫人が言っていた通り、芝居の出来はお世辞にも良いとは言えなかった。

 脚本は恐らく良いのだろうが、役者が揃いも揃って三流以下だ。台詞の途中で声が裏返る……、歌の場面では音程を外す……。はっきり言って、金を払ってまで見る価値はない。
 横を見れば、タバサはもう劇を見ておらず、こんな暗がりの中で持参した本を読んでいるし、キュルケは座席に背を預けて寝ている。
 反対側に座るルイズも、最初の内は劇を食い入る様に見ていたのだが、今は瞼を閉じて寝息を立てている。観劇は初めてというルイズでさえこの有り様なのだから、結局のところ、この劇は誰が見てもつまらないのだろう。

――だが……。

「……」

 芝居がつまらないこととは別に、カインは気になっている事があった。

(……やはり妙だな)

 今舞台上で繰り広げられているシーン――王子と姫、それぞれの国の騎士達が戦う場面なのだが……それを見て、カインは更に不審を抱く。
 先程まで大根だった役者達が、何故か今は打って変わって、迫真の名演技を披露しているのだ。

 こういう演技の方が得意な役者もいるのだろうが、卓越した戦士であるカインには、彼らの“異質さ”が分かってしまう。

(……あの足運びや剣捌き……いや“杖捌き”か……、そしてあの身のこなし……、唯の役者にしては達者すぎる……)

 彼らの動きは、まるで演技に扮した“実戦”の技だった……。見れば見るほど、カインの中で不審感が膨らんでいく。
 だが……それだけだ。

――通常の演技は三流以下のくせに、戦いの場面では実戦の技を匂わせる妙な役者……

 どれだけ奇妙に感じようが、違和感を覚えようが、別世界の竜騎士であるカインには、それ以上のことはわからない。
 結局、カインはその不審感を抱えながら、ただ芝居を見続けるしかなかった……。



――その一方で……カイン達がいる場所から遠く離れた席では、ある密談が行われていた。

「……で、艦隊の建設状況は?」

「……少なくとも、後半年はかかるでしょう」

 商人風の男が尋ねると、隣に座る身なりの良い初老の貴族が答える。
 貴族は、続けて王宮内の状況を語る。

「……女王は、あくまで遠征軍の建設を強行する姿勢を崩しておりませんが、その辺りは“院長”殿が時間を稼いでいます。今しばらくは、大丈夫でしょう。一度、“院長”殿ともお会いになり、詳細をお尋ねになるとよろしいでしょう」

「……了解しました。では……これが今回の分です」

 そう言うと商人風の男が、金貨が詰まった袋を貴族に渡す。それでひとまず話は終わりと、商人風の男は話題を変える。

「……しかし、劇場での接触とは考えましたな」

 囁くように商人風の男がそう言うと。貴族は軽く笑うように答えた。

「……なに、密談をするなら人ごみの中に限ります。ましてここは芝居小屋……客席でひそひそと話すのは当然です。舞台の喧騒もあり、他の客の話など誰も気に留めませぬ。どこぞの小部屋などで行うより、寧ろ安全なのですよ」

「……ははは、なるほど。我らが親愛なる皇帝陛下は、卿の情報にいたく関心を寄せられています。雲の上までお越し下されば、勲章を授与するとの仰せです」

「……アルビオンの御方は、豪気でいらっしゃる」

――アルビオン……。男は、商人に化けたアルビオンの間諜で、隣の貴族は金で祖国を売らんとする所謂“売国奴”……。

 そんな輩の密談は、歌劇の喧騒に覆い隠され、気付く者は誰もいなかった……。






――三日後……。

 今日もルイズとカインは『魅惑の妖精亭』で仕事に励んでいる。“酒場の妖精”ことウェイター、ウェイトレスも、(二人にしてみれば嬉しいことではないが)今ではすっかり板についてきた。

――がちゃりっ!

「……ふぅ」

 店の裏手に空き瓶の詰まった木箱を出しながら、カインは溜め息を吐く。

――あの劇場で妙な役者を見て以来、その時感じた違和感のことが気になり、カインはふとした拍子に難しい顔をするようになってしまった。

 一応、ルイズ達にはその話をしたし、またルイズには一応アンリエッタにその事を伝えておく様にも言ってある。
 だが、正体が掴めない違和感はカインの頭に、べっとりとへばり付いて離れない。

 何か、不穏な空気が漂っている……そんな感覚が消えない。今日は、まるでそれを表すかのような灰色の曇り空であった。

「……ん?」

 カインが空を睨むように見上げていた時、背後から人が走る足音が聞こえた。その音に振り返ると、フードを深々と被った人影が自分にぶつかってくる。

「――きゃっ!」

「――おっと!」

 カインは咄嗟に、衝撃で倒れようとしていた人影の手を掴み、自分に引き寄せる。

――先ほど聞こえた声からして女性のようだ。しかも、その声はどこか聞き覚えがあるような……。

「すまない、大丈夫か?」

「はい……、大丈夫です。こちらこそ、とんだ失礼を……、え……?」

 気遣うカインに対し、自らも謝罪しようとしていた女性が、ふと何かに気づいた様に顔を上げる。

「……あなたは、カイン・ハイウインド殿……!」

「――!? その声……まさか!?」

 女性が自分のフルネームを呼んだ時、カインはその声が“ある人物”の声と一致することに気付く。

――すると、女性はフードを持ち上げ正体を明かす。やはりカインの想像通り、女性はアンリエッタであった。

「やはり、アンリエッタ女王……! ここで何をしている?!」

「――シッ!」

 アンリエッタは自分の口元で人差し指を立てると、素早くフードで顔を隠す。

――と、その直後。

「――向こうを探せ!」

 表通りの方から叫ぶような声が聞こえ、見れば、表通りを兵士達が慌ただしく走っていた。アンリエッタは咄嗟にカインの背に隠れる。

 やがて兵達が通り過ぎて行くと、カインは振り返りアンリエッタに声を掛けた。

「……どういうことか、説明してもらいたい」

「……その前に、どこか身を隠せる場所はありませんか? ここでは、人目に触れる危険があります」

「……こっちへ」

 カインは裏口から、アンリエッタを連れて店の中に入った。



「……とりあえず一安心ですわ」

 カインはとりあえず、自分達が寝泊まりしている屋根裏部屋に連れて来た。ここ以外に、店内で彼女を匿える場所がなかったからだ。

「……一安心は良いが、そろそろ説明してくれないか? さっきの兵士達の動きは、ただ事ではなかった……。一体何があった?」

 ベッドに腰掛け安堵の息を吐いたアンリエッタに、カインは問いかける。

「ちょっと、抜け出してきたのですけれど……、騒ぎになってしまったようで……」

 アンリエッタは言い難そうに言葉を濁しながら答えた。それを聞いて、カインは思わず目を細める。

「……当たり前だ。ついこの間、誘拐騒ぎがあったばかりだぞ。騒ぎにならん方がどうかしているだろう。何を考えている?」

「仕方がないのです……。とても大事な用事があったものですから……。……今日ここに参ったのは、その事であなたのお力を貸して頂きたかったからなのです」

 カインの言葉に一度は俯いたアンリエッタだったが、すぐに顔を上げ真剣な表情でカインを見つめた。

「? ルイズではなく、俺なのか?」

「はい。ルイズには申し訳ないのですが、この“任務”はあの娘には不向きですから。……それに、がっかりさせたくもありません」

「……そうか。で、任務とは?」

 彼女の口調からすると、危険な上にルイズには知られたくない任務なようだ。
 深くは追求せず、カインは任務についての説明を促すと、アンリエッタは真剣な表情になって口を開いた。

「――明日の昼まで、わたくしを護衛して頂きたいのです」

 そう切り出し、アンリエッタは“任務”の概要を説明する……。





「――カイン君! カイン君ってばっ! んもう~、営業中だっていうにどこ行っちゃったのかしらん?」

――所変わって店の厨房では、スカロンが戻ってこないカインを探していた。

 そこへルイズが皿を下げにやって来た。すかさずスカロンはルイズを呼び止める。

「――あ、ルイズちゃんちょっと!」

「は、はい?」

 いきなり呼ばれたルイズは、戸惑いながらもスカロンの元に駆け寄る。

「ねえ? カイン君、どこ行ったかご存じなぁい?」

「え……? 知りませんけど……、カインがどうかしたんですか?」

 スカロンに言われて厨房を見渡してみると、確かにいつも皿洗いをしていたカインの姿がない。

「裏にゴミを置きに行ったきり、いなくなっちゃったのよ~。いつも真面目なカイン君が仕事中にどっか行っちゃうなんて……珍しいこともあるものねぇ」

 確かにスカロンの言う通り、カインは今まで仕事を途中で抜け出す様なことはなかったし、彼の性格から考えて、もし抜けるとしたら誰かにその旨を伝えるはずだ。

「表の方では、なんだか兵隊さん達が慌ただしく走り回ってたし……、今日は変な日ねぇ」

 そう言うとスカロンは厨房を後にした。後に残されたルイズは、表の方を見つめる。
 ルイズも接客をしているとき、スカロンが言った兵隊の姿は見た。その時は少し気になった程度だったが、カインが消えたと聞いた今、何やら胸騒ぎを感じている。

「……どこ行ったのかしら、カイン」

 ルイズの呟きは、誰の耳に届く事もなく、その場の喧騒に飲み込まれていった……。




――一方、その頃……

 カインとアンリエッタは、裏口から『魅惑の妖精亭』を抜け出し、路地を歩いていた。

『――明日の昼まで、わたくしを護衛して頂きたいのです』

この言葉で始まったアンリエッタの護衛任務――何でも、彼女は銃士隊と共に“ある計画”を実行中で、その為明日のその時まで平民に交じり、身を隠さなければならないのだそうだ。計画については、落ち着いてから詳しく話すということになり、カイン達は街に出た。

 そして現在カインは、ルイズの着替えで変装させたアンリエッタを連れて、どこか隠れられる適当な場所を探している。

「……」

 大通りに差し掛かり、カインは陰から通りの様子を窺う。すると、チクトンネ街の出口には既に兵士によって検問が敷かれていた。

「……検問が敷かれている。避けては通れそうもないな」

 カインがそう伝えると、アンリエッタも頷く。

「仕方がありません。なんとか通り抜けましょう」

 アンリエッタは今、ルイズのシャツとスカートを着て、髪をポニーテールに纏めて“街女”に変装している。
 それに加えて、一般の兵士達が自分の顔を完璧に覚えていることもなく、またこの世界の人間の常識として、まさか女王ともあろう高貴な人物が“街女”の恰好をしているとは思わない。だから、敢えて堂々とする方がバレないと彼女は説明した。

 カインとしては、少し楽観的な気がしていたが、他に方法もなさそうだと考え頷く。

――まさか彼女を抱えてジャンプで屋根に上る訳にもいかない。

「では、参りましょう。カインさん、腕を貸して下さい」

「ああ……いや、少し待て」

 カインは少し考え、自分のシャツの胸元を開け、後ろで纏めていた髪を解く。

「まあ……!」

――すると元々の精悍な顔立ちに加えて、長い髪を垂らし、引き締まった胸元が見える事で、どこか野性的な遊び人風の姿が出来上がる。

「待たせたな。では、行くぞ」

「は、はい……!」

 アンリエッタは少し顔を赤くしながら、カインの腕に自分の腕を絡ませ、身体を密着させた。
 そのまま路地を出て、検問している兵士達の方へ進む。

「――ん?」

 兵士達が、歩いてくるカインとアンリエッタに気付く。だが……

「……ケッ」

 悔しげにカインを睨みつけ、すぐに視線を逸らし、別の通行人を呼び止めに向かう。
 アンリエッタの思惑通り、兵士達は彼女に気付く事はなかった。ただし、兵士がさっさと他に行った原因が美女を侍らした優男への“嫉妬”』なことは、思惑の外だったが……。

 それはともかく、検問を無事抜ける事が出来た事にアンリエッタは安堵し、そして余裕が出てきたのか、笑みをこぼす。

「ふふふ……、愉快なものですわね」

「……何がだ?」

 密着によって距離が近かった為、アンリエッタの呟きはカインの耳に届いた。突然可笑しそうに笑いだしたアンリエッタに、カインは怪訝な顔を向ける。

「こうして粗末な服を着て、髪形を変えただけで、誰もわたくしに気付かない……。わかっていたつもりだったのですが、実際にそれを目の当たりにすると、なんだか可笑しくて、ふふっ」

 楽しそうに笑うアンリエッタに、カインは思わず呆れた表情になる。

「……余裕があるのは大いに結構だが、油断はするな。さっきのは運が良かっただけだ」

「……ええ、心得ています」


――周囲に悟られぬよう気をつけながら、二人はじゃれ合う男女を装いながら夜の街を歩いて行った……。





「はぁ、はぁ……たくっ、何でこんな大変な時にいなくなるのよ、あいつは!」

 道の真ん中でルイズは息を切らしながら、この場にいないカインに悪態を吐く。ルイズは今、いても立っても居られない状態だった。

――事の始まりは、スカロンの許しを得て、カインを探しに店の外に出た時だった。近くを通りかかった兵士に自らの身分を明かし、この騒ぎについて尋ねたところ、なんと、アンリエッタがいなくなったと言うのではないか。話に寄れば、シャン・フォ・マルス練兵場の視察からの帰り、突如としてアンリエッタが馬車の中から忽然と姿を消したらしい。

 ルイズはまたレコン・キスタによる誘拐かと疑ったが、詳細は不明とのことだった。あと、その時アンリエッタの警護を務めていたのは先の誘拐事件の時に共闘したアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランが隊長を務める“銃士隊”だったとも聞いた。

 そして事情を知ったルイズは現在、王宮へと走っている――。

(姫様……、どうかご無事で!)

 ルイズはアンリエッタの無事を祈りながら、息を整え再び王宮へ向かって走り出した。






――その頃、カイン達は……。

「……こんな部屋で金を取るとは……、ふざけた宿だ」

 部屋を見渡し、カインは眉間にしわを寄せる。夜も更けてきたので、手近なところでボロ宿に入ったのだが……元々外観からして期待していなかったとはいえ、酷いボロさだ……。ベッドが一つと、簡素なテーブルと椅子が一組あるだけの簡単な部屋……、掃除などしていないらしく隅の方は埃だらけ、天井にはクモの巣、布団は微妙に湿っている上にシーツも継ぎはぎ、ランプは煤で真っ黒……こんな部屋、必要でなければ例え無料だとしても泊まろうとは思わない。

 だが――

「素敵なお部屋じゃありませんか」

――アンリエッタはそんな部屋でも、気にした様子はなく、軋むベッドに腰掛けながらそんなことを言う。

「……そう思うのか?」

「はい、少なくともここには……、寝首をかこうとする毒蛇はいませんから」

「……確かにな」

 “毒蛇”は隙を見せれば毒牙を剥いて襲いかかってくる……。あの裏切り者ワルド然り……どこに裏切り者が潜んでいるかもわからない。そんな中で、アンリエッタは女王としての立場を余儀無くされている……。その苦しみは、計り知れない。

「……とは言え、やはり落ち着かないんじゃないか? ……っ……これではまるで“あばら屋”だ」

 一体どれだけ放ったらかしなのだろうか……。煤を払って黒く汚れた手に、カインは思わず顔を顰める。
 シーツの端を千切り、それで手を拭いながら、カインは軋むボロ椅子に座った。

「いいえ、寧ろちょっぴりワクワクします。市民にとっては、これが普通の生活なのだから不謹慎かもしれませんけど……」

 そう言ってアンリエッタは足をブラブラさせる。その仕草は、年頃の娘相応の可愛らしいものだ。

「自分が生活する部屋であれば、もう少しマシに整えているだろうよ」

 カインはアンリエッタに返答を返すと、ポケットに入れていたマッチでランプに火を灯す。

 すると、ランプの淡い光が部屋を照らした。アンリエッタは頬杖をついてその灯りを見つめる。

――その姿を見ながら、カインはふと思う。

(……こんな少女が、王という重責を背負わねばならないとは……)

 女王という立場にあっても、アンリエッタはまだ若干17歳の少女……。同じ年頃のルイズ達は、未だ書生の身分で悠々と日々を過ごしているというのに、彼女の日常には自由も安息もほとんどない。……何という、待遇の差だろう。

「……どうかなさいました?」

「……いや、何でもない」

 視線に気づいたアンリエッタが顔を上げて尋ねたが、カインは敢えて何も言わなかった。

――下手な同情は、慰めにもならないし、何よりこれはアンリエッタ自身の問題であって、他人がどうこう言うことではない。

「そういえば……ルイズが送った情報は役立っているか?」

 多少強引だが、カインは話題を変えた。

「はい、あの子のおかげで、わたくしは市民達の本音を知ることができました。誰にも色を付けられず、わたくしの耳に心地良いようにも……誰かの都合が良いようにも改竄されていない、生の声……わたくしが求めていた真実が……」

 なるほど、やはり今回の任務、“治安強化”や“潜伏捜査”は二の次だったらしい。市民の声は、市民が為政者の逆鱗を恐れて口を閉ざしたり、仲介する者によって改竄或いは隠滅されたりで、為政者の耳には届き難い。だが、だからこそ為政者は積極的に、市民の声に耳を傾ける必要がある。
 政策の影響を直接受けるのは、国民の大多数を占める市民達なのだから。

「ですが……現実というものは、厳しいもの……。『聖女』などと言われても、実際に聞こえてくるのは手厳しい言葉ばかり。アルビオンを下から眺めるだけの無能な若輩と罵られ、遠征軍を編成するために軍備を強化しようとすればきちんと指揮が出来るのかと罵られ、果てはゲルマニアの操り人形なのではないかと勘繰られ……、正直を言えば、女王になったことを後悔しない日など、ありませんでした……」

「……」

 カインも、巷でアンリエッタがどう評価されているかは既に知っている。確かに、彼女には辛い現実だろう。

――だが、これは当たり前の評価だ。アンリエッタは、王冠を被るには若過ぎる……。

 上に立つ者は、“威厳”と“存在感”が必要である。下にいる者は、自分がつき従って行く人物に「この人にならついて行って大丈夫だ」という“頼りがい”を求めるからだ。上に立つ者が浮ついて、自信がなさそうにしていれば不安が生まれ、それはやがてその人物への不信へと変わり、最終的には見限られたり、裏切られたりする。

 アンリエッタの場合、王女時代に、外交やら政策を打ち出すやらの重要な仕事をこなして能力をアピールしていればまだ良かったのだが、残念な事に、彼女が当時してきたと言えば、王国の行事などで遠くから人々に手を振るぐらい……これでは周囲に“威厳”や“存在感”など示せるはずもない。

 それに加えて――今はアルビオンとの開戦が間近に迫っている。市民達もそれを感じている筈だ。

「……市民達がお前に不満を抱くのは、不安の表れでもある。言っては悪いが、若くて弱そうな女の王が指揮する軍が、強国と呼ばれるアルビオンに戦を仕掛けようと言うのだ。万が一、トリステインがアルビオンに敗れるような事になれば、自分達もどうなるかわからんからな。不安にもなるだろう」

「……確かに、そうですわね」

 残念な事だが、民衆はアンリエッタの気持ちも努力を知らない。女王を間近で見ることなど出来ないのだから、あくまで噂話や政策で彼女を判断するしかない。
 自分達の見えないところは想像するしかないから、人間は知らないものには大なり小なり不安を抱く。それが、自分達に影響を及ぼすものなら尚更である。

――アンリエッタも、それは理解しているはずだ。

「あなたのお言葉は、いつも手厳しいですわね」

「下手な同情や遠慮は、相手の為にならんからな。お前も、そう思ったから市民の本音を知ろうとしたのだろう」

「ふふふ。ええ、おっしゃる通りです」

 カインの厳しい指摘に、アンリエッタは何故か可笑しそうな笑みを浮かべる。不思議に思ったカインは、アンリエッタに尋ねてみた。

「……何が、そんなに可笑しい?」

「ごめんなさい、気に障りましたか?」

 やんわりと謝罪してくるアンリエッタに、カインは首を振ってその認識を修正する。

「いや、そうではない。ただ単に、不思議なだけだ」

 問いかける視線を向けるカインに、アンリエッタは微笑んだまま自分の思っている事を話した。

「お言葉は手厳しいですけど、カインさんが仰って下さることはとても為になります。それでなんだか、“お兄様”に叱られているような気分になって……それがちょっとだけ新鮮で、心地よく感じているのです」

「お、お兄様……だと?」

 アンリエッタの口から飛び出した驚くべき言葉にカインは戸惑う。
 お兄様――そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。レフィアには“お兄さん”と呼ばれているが、それとはまた何かが違う。

 どう反応すればいいのか分からず、カインは「むぅ……」と唸る。

「うふふっ、カインさんもそのようなお顔をなさるのですね?」

「む、ぅ……」

 戸惑いを隠せない様子のカインを見て、アンリエッタは口元を押さえながら噴き出すように笑う。
 逆にカインは、バツが悪そうに頭を掻き「ふう……」と溜め息を吐いた。

「まさか、お前にからかわれるとはな……。辛い現実を知って落ち込んでいるのかと思ったが、案外余裕があるじゃないか」

「ふふ、辛いのは確かですが、これくらいで落ち込んでなどいられません」

 そこで言葉を切ると、アンリエッタは笑みを引っ込め、真剣な表情を見せる。

「若輩の小娘にすぎないわたくしですが、今はこの国の女王です。いつまでも……弱いままでいることは許されません。わたくしは今まで、自分の立場をちゃんと自覚せず、自分を甘やかして……、周りの人たちに甘えて……、ただ状況に流されてばかりいたから……あのような愚行を犯してしまいました。――二度とあのような過ちを犯さないためにも、何よりこの国の民の為にも……わたくしは強くならねばなりません。今度こそ……!」

 アンリエッタの力強い言葉には、確かな“覚悟”と“気概”があった。
 今もきっと、彼女はあの夜死んだ者達のことを忘れてはいないだろう。だが、それによって後ろ向きな感情に囚われるのではなく、自ら踏み出し前へ進もうとしている。罪を背負い、責任を背負い、例えどれほど苦しもうと、女王として生き抜く決意を決めたようだ。

――サァァ……

 アンリエッタが決意の言葉を告げた直後――外から、僅かに雨音が聞こえてきた。カインが立ち上がり、窓から外を窺ってみると、雨が降り始めていた。
 通りを歩いていた人々が、頭を腕や上着で庇いながら走る姿も見える。次第に雨足が強くなっていく。

「…………」

 アンリエッタは何かを堪えるように目を瞑り、両手を握りしめて肩を震わせている。振り返ったカインがそれに気づく。

「どうした?」

「……ごめんなさい。雨の音を聞くと……“あの夜”の事を思い出してしまって……」

 “あの夜”――操られたウェールズによって誘拐されかけた時も、こうして雨が降っていた。雨音を聞くと、自分を助けようとした衛士隊の死に姿や、駆けつけてきたルイズやカインに杖を向けた時の事を思い出してしまう。
 あの事件は、アンリエッタに決意と覚悟を芽生えさせたが、同時に心に深い傷跡も残していたのだ。

「……わたくしの為に、何人も死にました。……わたくしが殺したも同然です。その上、駆けつけて来てくれたルイズやカインさんにも、わたくしは杖を向けました……。きっと、わたくしは生涯赦されません。いいえ、例え神が御赦しになっても……わたくしは、わたくしを絶対に赦しません。……雨は、その罪を思い出させてくれます。その度に、わたくしは自分を戒めることができます。……だから、大丈夫……、この恐怖もまた、わたくしが負うべき罰ですから」

 震える身体をきつく押さえ、気丈に振る舞うアンリエッタ。自らの罪と心の傷跡すらも、受け止めようとする姿勢からも、彼女の覚悟が感じられる。だが――

「……」

「――! カインさん……?」

 カインは黙ってアンリエッタの隣に腰掛け、その震える肩をそっと抱く。カインの突然の行動に、アンリエッタは瞑っていた目を開く。

「焦ることはない」

「……!」

 カインは静かに呟く。

「一人で、何もかも抱え込もうとするな。一人で、何もかもやろうとするな。そんなことをしていると、いつかその重みで潰れてしまう。お前は決して一人ではないはずだ。今は少なくとも、信頼できる味方は必ずいるはずだ。そいつらを頼れ――仲間を頼ることは恥じではない」

「…………」

 カインの言葉の一つ一つが、アンリエッタの胸に沁み込んでゆく。いつしか身体の震えも止まり、心の緊張もほぐれていた。

「心に決意と覚悟がある限り、お前は必ず善き女王となるだろう。焦らなくていい……、一歩ずつ、ゆっくり前に進み続けろ」

「…………はい……!」

 はっきりと頷くと、アンリエッタはそっと目を瞑り、カインの胸に頬を寄せる。そして心から安心しきった表情を浮かべて、そのままアンリエッタは眠ってしまった。
 体にも心にも、相当の疲れが溜まっていたのだろう。自分に寄りかかるアンリエッタの肩を、カインはあやす様に軽く叩く。ベッドに横にさせられれば良かったのだが、アンリエッタが服をしっかりと掴んでいた為、動かせなかった。

 世話が焼けると思いつつ、カインはアンリエッタに胸を貸し続けた……。







――貴族達の屋敷が建ち並ぶ高級住宅街の一角……銃士隊隊長のアニエスはここに建つ、とある大きな屋敷の前にいた。そこはつい先日、アンリエッタと遠征軍建設の件で議論を交わした、高等法院長リッシュモンの屋敷であった。

「――夜分遅く御免! 女王陛下の銃士隊、アニエスが参ったとリッシュモン殿にお伝え下さい! 急報です! 是非ともお取次ぎ願いたい!」

 門を叩き、大声で来訪を告げたアニエス。喧しい呼び掛けに、門から出てきた小姓が怪訝な顔をしたが、急報ということもあり中に通される。

 そして、通された応接間で待つこと十分余り……。

――ガチャッ……

 応接間の扉が開き、寝巻姿のリッシュモンが現れた。

「急報とな? 高等法院長を叩き起こすからには、余程の事件なのだろうな」

 寝起きの不機嫌と平民上がりのアニエスを見下した態度を隠しもせず、リッシュモンが呟く。するとアニエスは、極めて無感情な声で要件を告げる。

「――女王陛下が、お消えになりました」

 その言葉に、リッシュモンの顔に驚きの色が浮かぶ。

「なんだと? かどわかされたのか?」

「調査中です」

「全く、なんという事だ。前にも似たような誘拐騒ぎがあったばかりではないか。当直の護衛は、一体どこの隊だね?」

「我ら、銃士隊でございます」

 あくまでも淡々と答えるアニエスの態度に、リッシュモンは眉間に皺を寄せ彼女を睨みつける。

「ふんっ、護衛一つ満足にこなせんとは……。君達は無能を証明するために、新設されたのか?」

「汚名を雪ぐべく、目下全力をあげて陛下を捜索中であります。街道と港の封鎖許可をいただきたく存じます」

「ちっ……!」

 苦々しげに舌打ちをするとリッシュモンは杖を振り、手元にペンを引き寄せ、書類にサラサラと走らせてアニエスに手渡す。

「全力を挙げて陛下を探し出せ。見つからぬ場合は、貴様ら銃士隊全員、法院の名において縛り首だ」

「はっ」

 敬礼して、部屋を後にしようとするアニエス――だが、彼女は扉に手をかけて立ち止まった。それを見たリッシュモンは怪訝な表情を浮かべる。

「なんだ、まだ何か用があるのか?」

「閣下……」

 振り返りはせず、背を向けたままでアニエスはリッシュモンに声を掛ける。

「閣下は、二十年前のあの事件に関わっておいでと仄聞いたしました。……“ダングルテールの虐殺”は、閣下が立件なさったとか」

 そう話すアニエスの声は、氷のように冷たかった……。だが、リッシュモンはそれに気づくことはなく、彼女の言葉をつまらなそうに鼻を鳴らしてあしらう。

「ふん……、虐殺だと? 人聞きの悪いことを言うな。アングル地方の平民どもは国家を転覆させる企てを行っていたのだぞ? あれは正当な鎮圧任務だ。……そんなくだらん昔話をしている暇があったら、さっさと陛下を探し出せ!」

 最後のリッシュモンの怒鳴り声に動じる様子もなく、アニエスは応接室を後にする。

――リッシュモンからは見えなかったが、その時のアニエスは、凍てつくような冷酷な表情を浮かべていた……。



 アニエスは屋敷を出ると、馬に跨り駈け出そうとする。
 しかし、突然後ろの方から誰かに呼び止められた――。

「――待って! そこの騎士! お待ちなさい!」

 何事かと振り向いて見ると、そこには意外な人物が意外な姿でこちらに駆けて来ていた。

「――ミス・ヴァリエール?」

「――あ、あなたは……アニエスっ!?」

 こちらを呼び止めたのは、己の主君が絶対の信頼を置く少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだった。しかも、何故か酒場女のような白のキャミソール姿……、最初戸惑ったアニエスだったが、今はそれどころではないとすぐに頭を切り替える。

――一方、ルイズの方は目の前の騎士がアニエスだとわかった途端、目を吊り上げて彼女に詰め寄る。

「――あんた! 一体何やってたのよ! 聞いたわよ?! 姫様がお消えになったって!? しかも当直の護衛はあなた達銃士隊だったそうじゃないの!? 護衛を忘れて昼寝でもしてたわけ!!?」

 取り付く島もない調子で捲し立ててきたルイズに、アニエスは「ふう……」と溜め息を吐く。

「……少し落ち着け、ミス・ヴァリエール。そのように捲し立てられては、事情を説明することも出来ん。……ひとまず安心しろ、陛下はご無事だ」

「な、なんですって!?」

 状況が全く理解できず、ルイズはただ困惑するばかり。
 埒が明かないと判断したアニエスは、ルイズを自分の後ろに引き上げ、そのまま馬に拍車を入れる。


――降りしきる雨の中、二人は夜の闇へと消えていった……。








続く……





[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第八話 後編
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:14
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第八話 後編







――トリスタニアのとある宿、その一室にて……。

 アンリエッタはいまだ、カインの胸に身体を預け、安らかな寝息を立てていた……

「……ん、ぅ……」

「……」

 あれから三十分余り……、カインは自分の胸で眠るアンリエッタを起こさないよう、ベッドに腰かけた状態でじっとしていた。何しろ、あれからずっとアンリエッタは自分の服を、まるで赤ん坊が母親にしがみつく様にしっかりと握りしめて放さないので、身体を離して横たえる事もできない。かと言って、一緒に横になるのはいろいろと問題がある。
 結局、身動きが取れないまま、じっとしているしかなかった。

 外に目をやると、相変わらずの雨模様である。恐らく、今夜はもう止むことはないだろう。


――と、カインが窓から視線を外したその時。


(……お兄さん! 聞こえてる? お兄さ~ん!)

「――!」

 頭の中に、少女の声が響いた。その声の主に、カインはすぐに悟り、空いている左手で左耳を塞ぐ。

(レフィアか、一体どうした? 急に連絡してきて……何かあったのか?)

(それはこっちの台詞なのよ、お兄さん。何かあったの? 私いま、シルフィちゃんと、シルフィちゃんのご主人さんと、大きなお胸の赤色の人と一緒に、お兄さんがいる街の外にいるんだけど)

(タバサ達と? どういうことだ?)

(ん~とね……)

 レフィアは少し頭を整理しながら、順を追って説明する。


――事の始まりは、今日の夕刻……。

 レフィアが夕食を終えて、魔法学院の庭先でのんびりしていた時……なんの前触れもなく、タバサの使い魔風竜のシルフィードが自分の元を訪ねて来たのだという。
 そして、来るや否や――

『――レフィちゃん、レフィちゃん! 今お暇? お暇なのね? これからシルフィと一緒にお姉さまのところへ行くのね! きゅいきゅい!』

 訳も分からぬまま、強引にシルフィードに連れ出され、行く途中で詳しい説明を求めたところ、彼女の口からカインが行方不明になった旨を告げられた。シルフィードは主人であるタバサに、レフィアを連れに来るよう言われたのだという。
 そして街の外に着いてみると、そこにはタバサとキュルケが待っていて、以前魔導船の一件でそうしたように、またカインの居場所を突き止めてほしい、と頼まれた。


(――とまあ、そういうことで現在に至るの。で、お兄さんの居所はすぐに分かったから、私がこうして連絡をとったって訳なの)

(なるほどな)

――カインは、突然いなくなってしまった自分をルイズ、タバサ、キュルケの三人があちこち探し回っていることを知った。

(あ、でも、桃色の人はここにはいないの。今は、全然見当違いの方にいるみたい……って、あら? 傍に誰かいる……。この気配は、覚えがあるような……え~とぉ……)

 何やらレフィアが念話しながら、考え込んでいる。どうやら誰かルイズの傍にいるようだが、レフィアの話しぶりからして危険人物ではなさそうだ。

――補足しておくが、レフィアは別にカインの気配しか感じ取れない訳ではない。探知可能圏内にさえいれば、命を持っている者なら誰であろうと位置を掴むことができる。ただそれを、自分が見知っているかどうかで、区別しているに過ぎない。故に、何度も会っているルイズ達の位置も把握できるのだ。

(う~~~ん……?)

 未だ考え込んでいるレフィアに、カインは念を送る。

(レフィア、ひとまずその事はいい。事情があって詳しくは言えんが、俺は明日の昼までそちらには戻れん。タバサ達に、宿に戻るよう伝えてくれ)

(う~ん……え? あ、はいはい、了解なの)

 レフィアの交信は途絶えた。結局、ルイズの傍にいる人物が誰かはわからなかったが、これで取りあえず、タバサ達に無駄な手間を取らせる事もなくなるだろう。

「んぅ……」

 その時、ようやくアンリエッタが目を覚ました。彼女は目をしぱしぱしながら、ゆっくりと顔を上げる。

「……」

 眠気眼でカインを見上げ、パチパチと瞬きをすると、アンリエッタは目を見開き、湯気が上がるような赤い顔になった。
 そして、握りしめていた服を放し、カインから離れる。

「ご、ごめんなさい……! つ、つい安心したら気付かない内に眠ってしまってっ!」

「別に謝ることはない。疲れていたんだろう、休める時に少しでも休んでおいた方がいい」

「は、はい……」(赤面)

 アンリエッタは羞恥から真っ赤になって縮こまってしまう。そんな姿を見て、カインは静かな笑みを湛える。

 そのまま部屋が静寂に包まれるかと思われた、その時――!

――ドンドンドンッ!!

「――開けろ! ドアを開けるんだ! 王国の巡邏の者だ! 犯罪者が逃げていてな、順繰りに全ての宿を当たっているんだ! ここを開けろ!」

「「――!!」」

 乱暴にドアが叩かれ、次いで男の怒鳴るような声が響いた。アンリエッタを捜索する兵士達が、この宿を調べに来たようだ。

「……わたくしを探しているに違いありません」

「……わかっている。……シーツを被って寝ていろ」

 カインはそう言うと、無造作に上着を脱ぎ捨て、上半身裸になった。そして、ベッドから立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。

 その間も、外では兵士がドアノブを乱暴に回しおり、ガチャガチャとやかましく音を立てている。

「ここを開けるんだ! 非常時故、無理やりにでもこじ開けるぞ!」

「――うるさいぞ。騒がなくても、今開ける」

 苛立ったような声で兵士達にそう言うと、ドアノブを回す音が止んだ。カインは鍵を開け、ドアを開ける。

「……何の騒ぎだ」

 外には兵士が二人――軽く睨みつけるように彼らを見るカイン。
 兵士達はカインが半裸だったことに、一瞬驚いたようだが、直ぐに気を取り直して厳しい表情で怒鳴る。

「――聞いていなかったのか?! 我々は逃げた犯罪者を追って、順繰りに全ての宿を当たっているんだ!」

「そうか。だが、この部屋には俺の他は……アイツしかいないぞ」

 カインは気だるそうにドアを全開にして、親指で後ろのベッドを指す。
 すると二人は、そちらを覗き込んだ。すると――

「「――!?」」

――彼らは思わず頬を染めた。

 ベッドを見れば、アンリエッタがいつの間にか被ったシーツから素肌の肩と脚を出す格好になっていた。

――すると、兵士達はすぐさま渋い顔をなり、うち一人が呟く。

「……チッ、こっちは雨の中捕り物だってのに……。お楽しみかよ、ちくしょう……」

「ぼやくなピエール、終わったら一杯やろうぜ」

 カインの恰好も相俟って、兵士達には“情事”の後のように映ったようだ。嫉妬混じりの一瞥をカインに向けると、兵士達はアンリエッタを確認することなく去って行った。


「……」

 廊下に顔を出し、兵士達が完全に立ち去ったのを確認すると、カインは静かにドアを閉め、安堵の息を吐く。
 取りあえず、咄嗟に打った作戦は成功したようだ。兵士達に、こちらを疑う頭がなかったことを感謝しなければならない。

「……行きましたか?」

 アンリエッタは、シーツを被ったまま小声で確認を取る。

「……行った。もう大丈夫だ」

「はぁ~……」

 カインが頷くと、アンリエッタも盛大に安堵の溜め息を吐いた。どうやら、内心かなり緊張していたようだ。
 誤解の無いように言っておくが、アンリエッタはシーツの中で裸になった訳ではない。上はシャツをはだけて肩だけが出るようにして、下はスカートからも見えている足の部分をシーツからはみ出させていただけに過ぎない。

 ともあれ一難が去り、カインは再び椅子に腰掛ける。

「……さて、そろそろ詳しい説明をしてもらおうか。女王が自ら逃げ回り、失踪事件をでっち上げてまで一体何を企んでいる?」

「……そうですわね。きちんとお話しなければなりませんね」

 カインの鋭い視線を受けて、アンリエッタも真剣な表情になり、声にも威厳が戻る。

「“狐狩り”をしておりますの」

「“狐狩り”……」

「はい、狐は利口な動物です。猟犬をけしかけても、勢子が追い立てても、容易には尻尾を掴ませません。ですから……“罠”を仕掛けたのです」

「……なるほど、陰で“狼”に取り入り、己だけ無事でいようと画策している“狡猾な狐”を誘き出そうという訳だ」

 “狼”とは即ちアルビオン……、そして“狡猾な狐”は恐らく、トリステイン王国内の貴族だ。しかも、ここまで大掛かりな仕込みをしなければならないことから考えて、真っ当な方法では捕えられないほどの権力を持つ人物だろう。

 カインの揶揄を用いた見解に、アンリエッタは厳しい表情で頷く。

「……入り込んだ“狼”の方は、アニエスが追っています。そして“狐”も、明日になれば巣穴から出てきます。……出てきたところを、わたくし自ら、“狐”の首に縄をかけて捕えます、必ず……!」

 その顔に覇気と怒気をみなぎらせ、アンリエッタははっきりと言い切った。




――一方その頃……

 アニエスとルイズは、駆ける馬に跨っていた。

 その前方には、リッシュモンが使いに出した小姓を乗せた馬が同じく駆けている。
 小姓はそのまま高級住宅街を抜け、繁華街の方に入っていく。小雨と言え、未だ雨は降り続いていると言うのに、辺りは酔っ払い達の喧騒に包まれていた。チクトンネ街を抜け、さらに奥の路地へと進んでいく。そして、彼は一軒の宿に入っていった。

 後を尾行していたアニエスは、小姓が宿に入るのを確認すると、馬を下り、ルイズを連れて自分もその後に続いて宿に向かう。

「一体、何が起こってるの……?」

 事情が呑み込めないルイズが問いかけるが、アニエスは答えようとしない。ただ、今しがた小姓が入った宿の入り口に歩を進めるだけだ。

 ここに来る前、そしてあの小姓を尾行する前に、アニエスに事情の説明を求めた。だが、その時アニエスから返ってきたのは「“ネズミ捕り”だ」というよく分からない回答だった。
 なんでも――

『――王国の穀倉を荒らすばかりか……、主人の喉笛を噛み切ろうとする不遜な“ネズミ”を狩っている最中なのだ』

――という話だ。

 話していた時のアニエスの雰囲気から、何か大きな事態が動いているのは、ルイズも何とか察している。だが、やはり詳しい事情が分からないのは不安だった。そして何より、アンリエッタが今どこでどうしているか、が気掛かりだった。ただ「陛下は無事だ」と口で言われても、それだけで納得が出来るほど、ルイズは物わかりが良くない。

 だが、今自分の手を引くアニエスは、詳しい説明を求めても答えてくれそうにない。何しろ、尾行などしている時点で、恐らくそれどころではないだろう。

――ルイズが考え事をしている内に、アニエスは宿に入った。

 そして程なく先ほどの小姓を見つけ、アニエスがその後を追う。
 一階の酒場の人ごみを掻き分け、二階へ上がる階段の踊り場から小姓が部屋に入るのを確認すると、アニエスがルイズを抱き寄せ、情人といちゃつく騎士を装い、その部屋を見張る。

 やがて、部屋から小姓が出てきた。そのまま歩いてこちらに来る。そこでアニエスが取った行動にルイズは目を見開く。

「~~~っっ!!?」

 なんと、いきなりアニエスが自分の唇を押し付けて、ルイズの唇を塞いだのだ。あまりの出来事に、ルイズは混乱してしまい、暴れることも出来ず目を白黒させる。

 小姓はすれ違いざまにアニエスとルイズを一瞥したが、すぐに顔を背けて通り過ぎて行った。
 彼の目には恐らく、『騎士と愛人の酒場女と接吻』という酒場ではありふれた光景に映ったのだろう。不審がることもなく、彼はそのまま酒場を後にした。

 そこでようやく、アニエスはルイズを解放する。その瞬間、ルイズの硬直が解け、アニエスに掴みかかった。

「――な、なにすんのよっ!??」

「……安心しろ、私にそのような趣味はない。これも任務だ」

 アニエスはルイズの手を軽く振り払う。その顔は、若干だが羞恥に赤らんでいたが……。


 それはさておき――アニエスは先程小姓が出入りした部屋に忍び足で近づく。そして部屋の前に立つと、ルイズに小声で尋ねる。

「……ミス・ヴァリエール、この扉を吹き飛ばせるか?」

「……随分荒っぽいことするのね」

「……やむを得んさ。がちゃがちゃやっている間に、中の“ネズミ”に逃げられては敵わんからな。頼む」

 詳しい事情はわからないルイズだったが、任務と言うなら仕方ないと割り切る。
 太もものベルトに差しておいた杖を引き付き、短くルーンを口ずさみ、杖をドアへと振り下ろした。

――ドオォォンッ!!

 簡易式小規模エクスプロージョンが炸裂し、ドアは爆音と共に砕け散る。間髪入れず、アニエスは剣を引き抜き爆煙の中へ飛び込んだ――。



「……なるほど。“さる筋”から劇場が怪しいとは聞き及んでいたが、やはり貴様らは劇場で接触していたのだな。さきほど貴様の元に届いた手紙には“例の場所で”と書かれている。例の場所とは、この見取り図の劇場に間違いないな? どうなのだ」

「……」

 アニエスは右手に剣、左手に手紙と劇場の見取り図を持ちながら、完全に拘束され、床に転がされた男を見下ろす。男はじっと黙ったまま顔を逸らしている。

――中にいたのは商人に変装したメイジで、アニエスが睨んだ通りアルビオンの間諜だった。多少抵抗したが結局、アニエスとルイズによって取り押さえられた。

「……そうか。答える気はないか……」

 何も反応を示さない間諜に対し、アニエスは冷笑を浮かべる。そして次の瞬間……

――ザスっ!

「――っ!? んぐぅぅぅぅうっっ!!??」

 アニエスが無言で男の足の甲に剣を突き立てた。その激痛に、間諜は猿ぐつわの中で悲鳴を上げ、悶絶する。

「……貴様に、一つ選択肢をくれてやる」

 その様子を絶対零度の瞳で見下ろしながら、アニエスは撃鉄を起こした銃を間諜の頭に押し付け、静かに問い掛けた……。

「――選べ……。『命』か、『誇り』か」

――間諜に、逃げ場はない……。




 そして、それぞれの長い夜が明け……、時刻は午前十一時……。

「…………」

 『タニアリージュ・ロワイヤル座』の前に止まった一台の馬車から、高等法院長リッシュモンが降りてきた。
 リッシュモンは一人、劇場に入っていく。芝居の検閲も一職務としている彼は、この劇場では顔パスで通れる。彼はそのまま劇場の奥へと消えて行った……。

――その姿を路地から見ていたアニエスとルイズは、リッシュモンが劇場に消えたのを確認してから、劇場前に出る。

 鋭い目つきで劇場を、そこに入っていった男を睨むアニエスに対し、あの宿での一件以降、アニエスに連れ回されて今まで一睡も出来なかったルイズはぐったりとしていた。
 しかし、しばらくして姿を現した懐かしい人影を見て、ルイズの疲れは吹き飛ぶ。

「姫様、カイン!」

 駆け寄り、二人の名を呼ぶルイズ。
 二人は、今朝方アニエスからの伝書フクロウでこの場所の報せを受け、時間を見てここにやって来たのだ。

「ルイズ……」

 アンリエッタは駆け寄って来たルイズの両手を握る。ルイズもその手を握り返し、二人は互いに見つめ合った。

「心配しましたわ! 一体今まで、どこに消えておられたのですか?」

 ルイズが本当に心配したという表情で問いかけると、アンリエッタは和やかに微笑み、後ろに下がっていたカインに視線を向ける。

「カイン殿のお力をお借りして、街に隠れておりました。黙っていたこと、そしてあなたのパートナーを勝手に連れ出したわたくしを許して頂戴。あなたには、知られたくない任務だったのです……。でも、アニエスとあなたが行動を共にしているとの報告を受けて、驚きました。でも……嬉しかったわ。こんな時でも、あなたが駆けつけて来てくれて……。やっぱりあなたは、わたくしの一番のお友達ね」

「姫様……!」

 感極まったルイズに、アンリエッタはゆっくりと頷く。だが、すぐに真剣な表情を浮かべると、ルイズの後ろに控えているアニエスに目を向ける。

「アニエス、首尾は?」

「はっ、万事抜かりなく。用意万端、整いましてございます」

 アニエスの返答に、アンリエッタは頷く。

 そこへ、マンティコア隊を中核とする魔法衛士隊がやって来た。先頭で隊を率いていた隊長と思しき男が、アンリエッタの姿を見ると、目を見開いて驚く。

「――こ、これはどうしたことだ!? 報告により飛んで参ってみれば、行方不明であったはずの陛下がおられる?! アニエス殿、これは一体どういうことなのだ??!」

 マンティコア隊長は、慌ててマンティコアから降り、アンリエッタの元に駆け寄ると、片膝をつく。

「陛下! 何が何やらわかりませぬが、とにかくご無事で何より! 心配致しましたぞ! 今までどこにおられたのです?! 我ら、一晩中陛下を捜索しておりましたぞ!」

 聞き様によっては涙声にも聞こえる声で、マンティコア隊長は捲し立てる。
 その声の大きさと、魔法衛士隊が勢揃いしていることも相俟って、次第に見物人が集まり出してしまう。

 アンリエッタは、騒ぎになることを避ける為にローブを被り、隊長に手短に用件を伝える。

「心配をかけて申し訳ありません。ですが、説明は後でします。隊長殿、あなたに命令します」

「はっ、なんなりと」

「――貴下の隊で、この『タニアリージュ・ロワイヤル座』を包囲しなさい。蟻一匹たりとも、外に出してはなりませぬ」

「……御意!」

 命令を聞いた時、隊長は一瞬怪訝な顔をしたが、アンリエッタの威厳に満ちた声と表情から、すぐに真剣な表情で頭を下げ、命令に従った。

 衛士隊が配置を開始すると、アンリエッタは振り返り、ルイズとカインに声を掛ける。

「それでは、わたくしは参ります。カインさん、ここまでの護衛、ありがとうございました」

「ああ。それより……、気をつけろ。中には恐らく“仲間”が潜んでいるはずだ」

「心得ております」

 そう言うとアンリエッタは踵を返そうとした。

「お供いたしますわ」

 そう言ってルイズはついて行こうとした。だが、アンリエッタは首を振る。

「……あなたはここでお待ちなさい。手出しは無用です。ここから先は、わたくしの仕事ですから……」

「ですが」

「――これは命令です」

 喰い下がろうとしたルイズに、アンリエッタは毅然と言い放った。そう言われては、ルイズも引き下がるしかなく、渋々頭を下げる。

 そしてアンリエッタは劇場へ、アニエスも馬に跨りどこかへ駆けて行った……。


「ねえ、カイン」

 後に残されたルイズは、同じく残されたカインの袖を引く。

「……なんだ?」

「いったい、何がどうなってるの? それに、さっき言ってた『“仲間”が潜んでいる』ってどういう意味?」

「……“狐狩り”だそうだ」

「“狐狩り”? アニエスからは、“ネズミ捕り”って聞いたわ……」

 ルイズは、まだ事情がよく呑み込めていないようで、首を傾げている。カインは魔法衛士隊が包囲する劇場を見据えた。

「……なんにせよ、俺達に出来るのはここまでだ。後は、信じて待つしかない」

「で、でも……!」

「――むやみに不安がるな。それは、相手を信頼していない証拠だぞ」

「――なっ!!」

 カインの鋭い一言に、ルイズは思わず息を飲んだ。そして、悔しげに唇を噛んで俯く。

――カインの言う通り、不安になるのはアンリエッタを信じ切れていないからだ。そして、それをまたカインに指摘されてようやく思い至ったのが、悔しい……!

 ルイズは勢いよく顔を上げて、キッと劇場を睨みつける。

「――不安がってなんかないわよっ! 私は姫様を心の底から信頼してるもの! 不安なことなんて、何もないんだからっ!!」

(フフ……)

 自分の前に立って叫ぶルイズの姿がどこか微笑ましく、カインは密かに笑った……。





――一方、劇場内では、今まさに舞台が始まろうとしていた……。

 観客の半数以上を占める若い女性達が「きゃあきゃあ!」と黄色い歓声を上げる中、リッシュモンは一人席に着き、人を待っていた。だが、約束の刻限になっても一向に待ち人は姿を現さない。

(妙だな……。今までこんな事はなかったのに……)

 今回のアンリエッタ失踪の報を聞き、待ち人にしなければならない質問が山のようにあった。返答次第では、すぐに自分も何かしら行動を起こさなければならない可能性があるからだ。

(……全く、面倒なことになったわ。あの小娘め……、あれこれと手を焼かせよる)

 内心で毒づくリッシュモン。と、その時、リッシュモンの隣に客が腰掛けた。

 待ち人かと横目で見たが、違う……。フードを深々と被った若い女性だ。リッシュモンは舌打ちを堪え、女性に声を掛ける。

「失礼だが、マドモワゼル。連れが参りますので、余所にお座り下さい」

「……わたくしは、そのお連れの方の代理ですわ。リッシュモン高等法院長」

「――っ!?」

 その声を聞いてリッシュモンは目を見開く。それを尻目に女性はフードを取り、正体を現した。

――そこにいたのは、失踪していたはずのアンリエッタだった。しかも、以前建設軍の事で対峙した時と同等以上の迫力がある。

「……驚きましたわ、リッシュモン殿。あなたにこんな、女が見るような芝居をご覧になる趣味がお有りだったとは」

「……つまらぬ芝居に目を通すのも、仕事の一つです故……。そんなことより、私こそ驚きましたぞ、陛下。お隠れになったとの噂を聞きましたが……、ご無事で何より」

 リッシュモンが動揺を隠してそう言うと、アンリエッタは鋭い視線を向ける。

「白々しい真似はお止めなさい、リッシュモン。先程言ったはずです、わたくしは“あなたのお連れの方の代理”だと……。このまま芝居が終わるまで待とうと無駄なこと……、待ち人は現れません。彼は全てを自白し、今ごろはチェルノボークの監獄です」

「……!」

 普段のアンリエッタからでは想像もつかない程の冷たい声と視線に、リッシュモンは気圧されていた。だが、すぐにそれを気の迷いと振り払う。

――こんな……アンリエッタ如き小娘に、自分が気圧されるなど……そんなことは、認められるものか!

「……ふ、ふははは! なるほど、お姿をお隠しになられたのは、この私を燻り出す為の作戦だったと言う訳ですな! ははははっ! 私は陛下の手の平の上で踊らされたというわけだ!」

「…………」

 開き直った様に高笑いを始めたリッシュモンに、アンリエッタは強い不快感を覚える。

「――お黙りなさい。王国の権威と品位を守るべき高等法院長の職にありながら、アルビオンの者と手を結び、わたくしを……そして祖国を売り渡さんとした卑しき売国奴――反逆者リッシュモン。あなたを女王の名において罷免します。その心に貴族としての矜持が欠片ほどでも残っているのなら、抵抗せずに逮捕されなさい」

 もはや、その声を聞くのも不快だと思ったアンリエッタは、凛とした声で宣告した。だが、リッシュモンは動じない。

「野暮を申されるな。まだ芝居は続いておりますぞ。始まったばかりではありませんか。中座するなど、役者に失礼というもの」

「……戯言も大概になさい。外はもう魔法衛士隊が包囲しています。あなたに逃げ場などありません。これ以上、くだらない問答を続けるおつもりならば、それ相応の報いを覚悟して頂きますわよ?」

 自分の挑発にも耳を貸さず、あくまで強気の姿勢を崩さないアンリエッタに、リッシュモンもとうとう苛立ちを露わにする。苦々しい表情で、アンリエッタを睨みつける。

「……王冠を冠っただけの、無知な小娘風情が、下手に出ておれば調子に乗りおって……!」

 リッシュモンは立ち上がると、パァン!と手を打った。すると、舞台上で芝居を演じていた役者達が、一斉に着衣に隠していた杖を引き抜き、アンリエッタに向けて突き出した。

『――きゃあぁぁっっ!!?』

 突然の役者の変貌ぶりに、周囲の女性客達が悲鳴を上げる。

「――黙れッ! 芝居は黙って見ろ!」

 先程までの余裕の態度とは打って変わって、激しい激情を露わにしたリッシュモンの怒号が劇場内に響き渡る。

「騒ぐ奴は殺す。これは芝居ではないぞ」

 その言葉で、誰もが巻き添えを恐れて口を噤む。おかげで、辺りは一気に静寂に包まれた。場が静かになり、リッシュモンは再び余裕の笑みを浮かべる。

「ふふふ……、陛下自らいらしたのが、ご不幸でしたな」

 リッシュモンは口元を歪め、明らかに馬鹿にした調子でそう言った。もはや、自身の勝利を確信し、まるで疑っていない。アンリエッタは、自分が呆れた目で彼を見ている事を自覚していた。

「……不幸、とはわたくしのことですか?」

「如何にも。私の脚本はこうです。陛下、あなたを人質に取る。アルビオン行きの船を手配してもらう。あなたの身柄を手土産に、アルビオンへと亡命。大団円ですよ」

「……この期に及んで、お芝居ごっこですか。本当に、どこまでも見下げ果てた人だこと……」

 アンリエッタは心底呆れた風に、溜め息混じりに呟く。

「ふふふふ、何とでも言うがいい。命が惜しければ、私の脚本に従い我が喜劇のヒロインを演じることですな」

「――お断りします」

「なに?!」

 きっぱりと即答したアンリエッタに、リッシュモンは意表を突かれ目を丸くする。そして、リッシュモンが何かを言う前にアンリエッタは言葉を続ける。

「だってそうでしょう? “逆臣”の脚本に、“アルビオン”の大根役者……、こんな三流以下の猿芝居に付き合うなど、時間の無駄ですもの」

「っ……、ふ、ふふふ! 全く、贅沢を申される陛下だ……。あれなるは、いずれ劣らぬアルビオンの名優達だと言うのに……!」

 眉間に皺を刻み、こめかみに血管を浮かび上がらせるリッシュモン。何を言っても動じないばかりか、こちらを小馬鹿にしたようなアンリエッタの態度に、相当頭に来ているようだ。

――だが、アンリエッタはその態度を変えない。

「何が名優なものですか……。――あのような大根役者には、早々に退場願いますわ」

 そう言うとアンリエッタはまるで羽虫を払うように左手を軽く振る。その瞬間――

――ドーンッッッ!!!

 折り重なり、一つに纏まった何十丁もの拳銃の音が、残響を残しながら劇場に轟き、黒煙が立ち込めた。
 辺りを見れば、先ほどまで怯えていた女性客達が目つきを変え、その手にマスケット銃を構えている。劇場の客は、全員アンリエッタ直属の“銃士隊”の隊員達だったのだ。

 黒煙が晴れると、役者に扮したアルビオンのメイジ達が、舞台上で絶命していた。

「――本当の名優とは、こういうものを言うのです」

 隣の席に座るリッシュモンに、アンリエッタは皮肉を言う。そして、すぐに真剣な表情を浮かべて告げた。

「如何ですか? ご自分が言った『王冠を冠っただけの、無知な小娘風情』に出し抜かれた気分は? ――さあ、カーテンコールです。お立ちなさい、リッシュモン」

「……く、くくく……っ!! はーっはっはっはっはっはっ!!」

 リッシュモンは無言で立ちあがったかと思えば、突然高らかに笑いだした。それを見て、アンリエッタは視線を鋭くし、周囲の銃士隊員達は一斉に短剣を引き抜く。

「――はーっはっはっはっ……くくくっ、あーはっはっはっはっ!!」

 高笑いを続けながら、突き付けられた短剣を恐れもせず、リッシュモンはゆっくりと舞台に上がる。そこをすかさず、銃士隊が取り囲む。だが、それでもリッシュモンは高笑いをやめなかった。

――その前に進み出て、アンリエッタはリッシュモンと正面から対峙する。

「……その馬鹿笑いをお止めなさい。聞いていて大変不快です」

「おお、これは失礼……! くくっ、ふははっ! いや、ご成長を嬉しく思いますぞ! なるほど、陛下は立派な脚本家であられる! この私をこれほど感動させる芝居をお書きになるとは……!」

「戯言に付き合うのも、そろそろ限界です……。いい加減に観念なさい、リッシュモン。先ほども言いましたが、あなたに逃げ場など『どこにも無い』のですよ」

 今度はアンリエッタが苛立つ番だった。この期に至って、まだ無駄話をするつもりなのか……。リッシュモンの余裕の笑い声が酷く神経に障り、アンリエッタの目が鋭くなる。

「陛下……、陛下がお生まれになる前よりお仕えした私から、最後の助言です」

「……おっしゃい」

 にやにやと下卑た笑みを浮かべるリッシュモンの言葉に目を細め、アンリエッタは先を促す。

「昔からそうでしたが、陛下は……」

 その時――リッシュモンが足で床を思い切り踏み叩いた。すると、その床板が左右に開き、リッシュモンの真下に穴が開く。

「――詰めが甘い!」

 そう言い残し、リッシュモンは穴に吸い込まれるように落ちて行った。そして、すぐに床板が元に戻る。
 銃士隊が慌てて駆け寄るが、床板は押しても引いても、叩いても開きはしなかった。

「陛下……!」

 隊員の一人が、指示を仰ぐように見つめる。だが、アンリエッタは落ち着いていた。

「心配はいりません……、既に策は講じてあります。あなた達はこのまま、劇場の後始末をなさい」

「ははっ!」

 一瞬怪訝な表情を浮かべた隊員だったが、すぐに頭を下げると他の隊員に指示を飛ばし、アルビオンの間諜達の後始末に掛った。

 アンリエッタは一人、リッシュモンが逃れた舞台の床を見つめる。

(……リッシュモン。あなたはそれで逃げおおせたつもりかも知れないけれど……、わたくしは言ったはずよ。あなたに逃げ場など『どこにも無い』と……)





 舞台の仕掛けの穴は、地下に設けられた秘密の通路に通じている。いざという時の為に、脱出経路として『タニアリージュ・ロワイヤル座』に用意していた抜け道である。
 リッシュモンは『レビテーション』を使って、緩やかに着地し、次いで杖の先に魔法の明かりを灯す。

「ふん……、よもやこのような事態になるとは……。些か、アンリエッタを侮り過ぎたか……」

 最後に「小娘め……」と毒づき、リッシュモンは通路を歩きだす。この通路は、自分の屋敷へも通じている。そこへ戻り、全ての金を持ち出して、アルビオンへ亡命するつもりであった。

(見ておれよ、アンリエッタ……。亡命した暁には、アルビオンの一個連隊を借り受け、今度こそ貴様を捕え、この屈辱を何倍にもして返してから、殺してやる……!)

 アンリエッタに追い詰められた屈辱に顔を歪めるリッシュモン。その時――。

「――どこへ行く? リッシュモン」

「――ぬっ!?」

――暗闇の先から声が響き、待ち伏せかと思い、リッシュモンは慌てて前方を照らす。

 そこにいたのは、銃士隊隊長のアニエスであった。その顔を見て、リッシュモンは安堵の表情を浮かべる。

「ふぅ、なんだ貴様か……。驚かせおって……」

 メイジの強者の立場を絶対的に信じて疑わないリッシュモンにとって、平民の剣士であるアニエスは恐れるに足りぬ相手であった。
 魔法衛士隊に待ち伏せされたかと一瞬焦ったが、そこにいたのが平民のアニエス唯一人とあって、最初の余裕を取り戻す。

「どけ。貴様と遊んでいる暇はない。この場で殺してやってもよいが、面倒だ」

 しかし、アニエスはどこうとはせず、小銃を抜いてリッシュモンに向ける。

「やめておけ。私は既に呪文を唱えている。後はお前に向かって解放するだけだ。20メイルも離れれば銃弾など当たらぬ。命を捨ててまでアンリエッタに忠誠を誓う義理などあるまい。貴様は平民なのだから」

「……」

「たかが虫を払うのに貴族の魔法はもったいないわ。去ねい」

「愚か者め、貴様は既に陛下によって罷免された身……今の貴様は、魔法が使えるだけの小悪党に過ぎぬ。それに、私が貴様を殺すのは、陛下への忠誠だけではない。……最大の理由は、私怨だ」

「私怨?」

 その言葉にリッシュモンは怪訝な表情を浮かべる。アニエスは、その瞳に憎しみを滾らせてリッシュモンを睨みつける。

「ダングルテール」

――ダングルテールは、トリステイン西部の海岸沿いに位置する数百年前にアルビオンから入植してきた人々が築いた土地で、時のトリステイン政府とたびたび悶着を起こしながら、百年程前には一種の自治区となっていた地域である。

 しかし、二十年前……かの地は、平民達がトリステイン王家に反乱を起こそうとしていたとして、その鎮圧を名目に住民もろとも焼き滅ぼされた……。

 その当時、アニエスは三歳……幼いながらに、故郷を、家族を、友人達を全て失った。アニエスだけは誰かに救い出され命拾いしたが、彼女に残ったのは果てしない喪失感とそれを引き起こした者達への激しい憎悪だけだった……。

 その怨みを込めて、アニエスが自らの故郷の名を口にした。だが、リッシュモンは、『ダングルテール』の名を聞いた途端、見る者を不快にさせる嫌らしい薄ら笑いを浮かべる。

「なるほど! 貴様はあの村の生き残りか!」

 次いでリッシュモンは下卑た高笑いを始める。同時に、アニエスの表情はどんどん険しくなっていく。

「貴様に罪を着せられ……、なんの咎なく我が故郷は滅んだ……! 貴様は金欲しさに、我が故郷が“新教徒”というだけで反乱をでっち上げ、焼き滅ぼした! その見返りにロマリア宗教庁からいくら貰った、リッシュモン!!」

「ふん、額を聞いてどうする? 多少なりとも気が晴れるか? 生憎だが、賄賂の額などいちいち覚えておらぬ」

 悪びれもせずに言い放ったリッシュモンに、アニエスの瞳は急速に凍り付いていく……。もはや彼女は、リッシュモンを貴族とも人間とも見ていなかった。

「クズが……。もはや問答無用だ……、殺してやる。貯めた金は、地獄で使うがいい」

「お前如きに貴族の技を使うのはもったいないが……、まあ良い。これも運命だ――地獄へは、貴様が一人で逝けぃっ!」

 リッシュモンは杖を振り、アニエスに向けて巨大な火球を放つ。

「……っ!」

 まっすぐに自分に向かって飛んでくる大火球を見据え、アニエスは拳銃を放り捨て、なんと自ら炎に飛び込んだ――!

「――ぬ?!」

 てっきり銃を撃って、無駄な足掻きをすると思っていたリッシュモンは、アニエスの予想外の行動に怪訝な顔になる。だが「どうでもいいことだ」と考え、すぐに勝ち誇った笑みを浮かべ、炎が収まるのを待とうとした。

 しかし、次の瞬間――

「――うおおおおおおおおおおッッ!!」

「――なっ?!」

――アニエスが雄たけびを上げ、マントで身体を庇いながら炎を突破してきた。

 意表を突かれたリッシュモンは、呪文を詠唱するのが遅れる。それが、命取りとなった。

――ザシュッ!!

「――があっ!!??」

 アニエスの剣がリッシュモンの腹を刺し貫く。自らの腕も貫き通さんばかりに、アニエスは渾身の力を込めてその傷を抉る。

「がはっ! ……メ、メイジが……平民、如きに……! 貴族の私が……、こんな剣士、風情に……っ」

「はぁ、はぁ……。貴様は、日頃、剣や銃を“玩具に過ぎぬ”と抜かしていたな……」

 アニエスは剣を刺したまま持ち上げ、リッシュモンの傷口を広げていく。そして、苦痛に叫び声を上げるリッシュモンを見上げて言った。

「――玩具などではない。これは“武器”だ。我らが貴様ら貴族にせめて一咬みと、磨いた“牙”だ。その牙に引き裂かれて死ね、リッシュモン!」

「ごぽっ……!」

 アニエスが勢いよく剣を引き抜くと、リッシュモンは大量の血を口と傷口から流し、前のめりに崩れ落ち、絶命した……。


「――うぐっ……! はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 炎が治まり、辺りに静寂が訪れる中、地下通路内にはアニエスの荒い息遣いだけが響く。

――『火』のメイジであるリッシュモンを殺す為、魔法の対策としてマントに水袋を仕込んでいたが、それでもやはり炎の全ては防ぎ切れなかった。むき出しの顔や手はもちろん、鎖帷子にも熱が伝わり、恐らく帷子の下は酷い火傷になっているだろう。気を失いそうな程の激痛に、アニエスは驚異的な精神力で堪えていた。

「はぁ、はぁ……まだだ。まだ、残っている……! ここで、倒れるわけにはいかん……!」

 痛む身体を引き摺り、執念で意識を繋ぎ止め、アニエスは出口に向かって行った……。





――捕り物騒動から、三日後……。

 ルイズとカインは、『魅惑の妖精亭』でいつも通りの生活を送っていた。店に戻った時は、さすがにスカロンに叱られたが、現在は普段通りに働いている。


「……」

 ルイズは、事件の詳細についてアンリエッタから未だ何の説明もない事に少しモヤモヤしていた。それに、カインと何処かの宿で一夜を明かした事にも、モヤモヤしていた。まあルイズも、カインとアンリエッタの間に何か“間違い”があった、などとは考えていない。アンリエッタにはウェールズがいるし、カインもそういう事をする男じゃないのはわかっている。

――だが、そこは独占欲の強いルイズ――いくら何もないと頭でわかっていても、どこか心に引っかかるものがあるのだ。……人はそれを“嫉妬”と言う。


――バタッ

 とまあ、そんな感じでルイズが不機嫌なところに、羽扉が開き、二人の客が来店した。何故か二人とも深くフードを被って顔を隠している。

「いらっしゃいませ」

 ルイズが対応に行くと、客はそっとフードを持ち上げ顔を見せた。
 その人物に、ルイズは驚きの声を上げる

「アニエス!」

 アニエスは「シッ」と口に人差し指を当てる。そして、ルイズの耳元に顔を寄せて囁く。

「……二階に部屋を用意してくれ」

「あなたがいるってことは……、もう一人は……」

「……わたくしよ、ルイズ」

 アニエスの後ろに控えていた人物が、フードを持ち上げてルイズに囁いた。やはり、アンリエッタであった。
 ルイズはすぐ頷いて二階の客室の用意に向かう。

 そして用意を整えると、カインを呼んでアンリエッタ、アニエスと四人で二階に上がって行った……。



「……ねえねえ、タバサ。さっきのフードの客、どこかで見たことあると思わない?」

 酒場のテーブルで酒と料理をつまんでいたキュルケが、ルイズ達が上がっていった階段を見つめながら言った。タバサは、食べていたハシバミ草のサラダを飲み込むと端的に答える。

「……女王と銃士隊隊長」

「ああ、言われてみればそうね。そう言えば、ルイズとカインは女王の依頼でここにいるんだったわね。本人が直接二人を訪ねて来たってことは……、やっぱりこの間の騒動のことかしら?」

「多分そう」

 タバサが肯定すると、キュルケは悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。

「なんだか面白そうだわ! ちょっと覗きに行ってみましょうよ、タバサ!」

「――駄目」

 キュルケの提案を、タバサは即座に却下した。それを受けてキュルケは拗ねたように唇を尖らせる。

「え~~、どうしてよ? あの騒動の真相を聞けるチャンスじゃないの?!」

 キュルケはごねるが、タバサは再び首を振って却下する。

「駄目」

「どうしてよ~?」

 次に返って来たタバサの答えに、キュルケは固まることとなる――。

「彼に迷惑が掛かる」

「…………」

 キュルケは思わず言葉を失い、ぱちぱちと瞬きを数回した。そして、少し間を置いて、今度は笑い出す。

「――あっははははっ! んもう、この娘ったら! すっかりカインにご執心なんだから!」

 そう言って笑いながらタバサの髪をすくように撫でる。タバサは特に嫌がる様子もなく、されるがままになっている。

「……」

「ふふっ、はいはい。それじゃ、親友のあなたの顔を立てて、覗きに行くのは諦めることにするわ」

「……」(コク)

 その後、タバサは黙々と食事を続け、キュルケはそんなタバサに笑いかけながら、終始上機嫌なままワインを飲み続けたのだった……。




 二階の客室で、ルイズ、カイン、アニエス、アンリエッタの四人はテーブルを囲んで座った。

「さてと……ルイズ。まずはあなたにお礼を……」

 面々を見まわし、アンリエッタはそう切り出した。

「あなたが集めてくれた情報は、本当に役に立っていますわ」

「あ、あんなのでよろしかったのでしょうか?」

 ルイズは自信なさげにそう尋ね返す。
 政治についての話題だったとはいえ、全て街の噂話に過ぎない。それに加えて、市民の意見や批判なども書いて送ったが、アンリエッタの役に立つ情報とは正直思えなかった。

 しかし、アンリエッタは微笑みを浮かべて頷く。

「あなたが送ってくれた情報こそ、正にわたくしが求めていたものです。何の色もついていない国民の本当の声……、わたくしが知りたかったのはそれなのです。もちろん、耳に痛い言葉ばかりでしたが……未だ若輩の身、批判はきちんと受け止め、今後の糧としなければいけませんからね」

「……姫様」

 とにかくアンリエッタへの批判は多い。ルイズも聞いた時は、知らせるべきかどうか散々迷ったのだが、そのまま報告していた。
 それがアンリエッタにとっては、望むところだったようだ。

「それと、カインさんにもお礼を言わせて下さいまし」

「? なんのことだ?」

 いきなり話を振られ、カインは疑問符を浮かべた。

「あなたがルイズを通じて送って下さった“情報”が、此度の計画を成功に導いて下さったのですわ」

 その言葉に、アニエスも頷く。未だ疑問符を浮かべ続けるカインに、アンリエッタが詳しく説明した。

――アンリエッタが言った“情報”とは、三日前カインがルイズ達と観劇に行った際に感じた『役者の不審感』の事だった。何でも、今回のリッシュモンを炙り出す計画を近々実行に移そうと思っていた矢先に、ルイズからの報告書でその情報が届いたのだと言う。

 そして、それは絶妙のタイミングだったと言える。何しろ『タニアリージュ・ロワイヤル座』を初めとした劇場は、法院の管轄――即ち、リッシュモンの膝元――関連付けるのは簡単だった。
 情報を元にアニエスが調査したところ、怪しげな抜け道――アニエスがリッシュモンを仕留めたあの地下道――を発見し、それで計画の実行が決定したのある――。

 あの劇場の役者が、リッシュモンが招き入れたアルビオンの貴族だったと聞き、カインは抱いていた違和感の正体を知った。睨んだ通り、あれは役者の“演技”ではなかったのだ。

「……なるほど。そういうことだったか」

 何となく感じた違和感が、こんな事件に繋がるとは正直思わなかったと、カインは軽く笑う。

 そして、説明が終わった後、アンリエッタは申し訳なさそうにルイズに謝罪する。

「で、次はお詫びを申し上げねばなりませんね。ルイズ……、何ら事情を説明せずに、勝手にあなたの使い魔さんをお借りして、申し訳ありませんでした」

「……本当ですわ。私を除け者にするなんて、酷いですわ」

 ルイズは口を尖らせて言った。

「あなたには、あまりさせたくなかったのです。此度の様な……、裏切り者に罠を仕掛けるような汚い任務は……」

「高等法院長が、裏切り者だったのんですよね……」

 この三日の間に、街では既にあの捕り物騒動の事が噂として流れていた……。どこから情報が漏れたのか、高等法院長リッシュモンがアルビオンの間諜と通じていたことまで、街の平民達の間でまことしやかに囁かれている。あの事件の後、アンリエッタから何の知らせも受けていなかったルイズ達は、今回の事件の真相はほとんど噂話から知ったようなものだった。

 ルイズはそれが歯痒かったのだ。――故に、今この場でアンリエッタに己の思っていることを言う。

「でも、私はもう子供じゃありません。姫様に隠し事をされる方が辛いですわ。これからは、すべて私にお話し下さいますよう」

 そう言ったルイズの真剣な態度に、アンリエッタは頷く。

「わかりました。そのように致しましょう。何せ、わたくしが心の底から信頼できるのは……、もはやここにいる方々だけなんですもの」

「姫様……」

「……水を差すようで悪いが、余所者の俺を勘定に入れるのは、どうかと思うが」

 自らを“余所者”と称したカインに、アンリエッタは首を振る。

「信頼できるか否かに、その者の出自や階級など関係ありませんわ。ルイズと同様、わたくしはカインさんを心より信頼しています」

「やれやれ……、迂闊な女王陛下だ」

 淀みなく言い切るアンリエッタに、カインは諦めた様に肩を竦める。

「ふふふ。さあ、仕事の話はこのくらいにして、早速祝杯を上げるといたしましょう」

 部屋には既にワインとグラス、そして簡単な料理が運び込んである。カインがそれぞれのグラスにワインを注ぐ。

「では、先ずは乾杯しましょう」

 全員にワインが注がれ、アンリエッタがグラスを持ち、全員を促す。

「始祖ブリミルに、そしてこの場の皆さんに感謝を……。乾杯」

「乾杯っ!」
「乾杯!」
「乾杯」

 ルイズは誇らしく高らかに、アニエスは凛とした声と態度で、カインは控えめに……、三者三様にグラスを掲げてワインを煽り、始まったささやかな祝宴――それは、アンリエッタにとって女王の重責を一時忘れさせる安らぎの時間だった。

 たった四人だけの小さな宴は、夜遅く――アンリエッタとアニエスが王宮に帰るまで続けられた……。








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第九話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:15
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第九話







――騒動だらけの夏季休暇が終わり、二ヶ月が過ぎたケンの月――

 あと二ヶ月で、ハルケギニアの一年が終わろうというこの月に、アルビオンへの侵攻作戦が魔法学院に発布された。
 同時に、遠征軍編成に伴い、王軍の士官不足を解消するための非常措置として、学院の生徒が士官として登用されることになった。これには一部の教師、そしてオスマンらが反対したが、アンリエッタにマザリーニ枢機卿、王軍の将軍たちによって抑えられた。

 それに先駆け……ルイズとカインは、アンリエッタに呼び出されていた……。

――アンリエッタが二人を呼び出した理由は他でもない。アルビオン侵攻作戦のことである。

 まず初めに一同が聞かされたのは、アンリエッタの前線行きの話であった。彼女自ら前線に赴き、兵達を鼓舞するというのである。

――これを聞かされた時、真っ先にカインが反対した。

 王国の要である女王が、前線に出て行ってその身を危険に晒し、万が一の事があった時、仮に戦に勝利してもトリステインは崩壊することになる。実際、同様の反対意見が内部から相当上がったそうだ。

 しかし、アンリエッタは毅然とした態度で、次のように言い返してきた。

『多くの貴族や兵達に苦役を強いておきながら、わたくしだけ王宮に籠っている訳には参りません。わたくしはこの戦の当事者です。一番近くで、戦の行く末を見届ける義務があるのです』

 アンリエッタは他の反対意見も、そう言って退けたらしい。その様子に、カインは『説得は無駄』と悟った。
 だが、臣下の者達の意見を取り入れ、取りあえず双方の折衷案として、アンリエッタが前線に向かうのは、攻略の足がかりとなるアルビオンの軍港を確保した後ということに決まったという。

――そこまで説明すると、アンリエッタは本題を切り出す。

『――ルイズ、カイン殿。あなた方に、今回の侵攻作戦において、特別な任務に就いていただきたいのです」

 彼女が語った『任務』とは、ルイズは“虚無の担い手”として王軍の加わり、カインは “魔導船”を用いての作戦参加であった。
 これには、流石のカインも即座に抗議した。何しろ“魔導船”を戦争に利用しないという約束を反故にして、遠征軍に加われと言うのだ。絶対に承諾する訳にはいかない。

――だが、アンリエッタはこう切り返した。

『――わたくしは、“魔導船”で敵軍を討ってほしいと申している訳ではありません。あくまで、ルイズの護衛の範疇であの船の力を貸して頂きたいのです』

 アンリエッタの説明によれば、前線の指揮を任せる将軍の一部にはルイズの“虚無”の力について開示しており、それに伴ってルイズは困難な任務を命じられることが予想されるという。それは、場合によっては命の危険に晒されることも十分あり得る。
 また、以前のタルブ戦の際“神の箱舟”の名で知られ、王軍の中には未だあの時の奇跡に希望を持っている者達もおり、“魔導船”を軍に加えることで、ルイズの安全性を確保すると共に、王軍の士気を向上させたいと言うのだ。

『勿論“魔導船”の運用は、カイン殿の裁量にお任せいたします。カイン殿が意に反すると判断した命令は、拒否して構いません。ルイズを護ってくださるだけで良いのです。……勝手を承知でお願い致します、カイン殿。この国に……この愚かな女王に、あなたの力をお貸しください』

 そうアンリエッタに懇願され、カインは“絶対に魔導船の戦闘力を使わないこと”を条件に、渋々その願いを受け入れた。

 従軍を承諾したカインに、アンリエッタは心から感謝の言葉を送り、そして一着のマントを手渡す。それは、貴族であることを示す為のマントだった。
 何でも、あれほどの巨大船の船長が貴族の証たるマントを羽織っていないと、周囲から懐疑の目を向けられる怖れがあり、無用な衝突を避ける為の処置なのだそうだ。

――カインがマントを受け取ると、アンリエッタは次のように言って、話を締め括った……。

『――トリステイン・ゲルマニアの連合軍編成には、今しばらく時間が掛かります。戦の準備はわたくし達に任せ、ルイズとカイン殿は魔法学院で待機していてください。詳細が決まりましたら、フクロウで連絡致します』






 そして、それから一ヶ月が経ったある日――ちょっとした事件が発生した……。


「……ふぅ」

「きゅう? どしたの、お兄さん?」

 溜め息を聞き付けたレフィアが、自分の背に乗るカインに尋ねた。

「いや、何でもない……」

 レフィアにそう答えると、カインは地上を見下ろす。
 その視線の先では、街道を二台の馬車が走っていた。四人乗りの小さな馬車と、一回り大きい二頭立ての豪華なブルームスタイルの馬車である。

「ん?」

 突然、前を走る馬車の窓から、少女が顔を出し、笑顔で手を振ってきた。

――学院メイドのシエスタだ。

 カインは軽く手を挙げて、彼女に応える。

「きゅう~……お兄さんもメイドの人も大変だよね~。いきなり桃色の人のお家まで付いてかなくちゃならないなんて」

 シエスタとカインを順に見て、レフィアはしみじみとそう言った。

――レフィアが言うように、カインとシエスタは現在、ルイズの故郷ラ・ヴァリエール公爵領に向かっているのだ。


 そして当のルイズは今、二台の馬車の内、後ろを走るブルーム馬車の中にいた――。

「…………」

 ルイズは強張った顔で俯き、膝の上で両手をきゅっと握り締めながら、固まっている。

(……どうして、こんなことに……?)

 ルイズはガチガチに緊張しながら、そんなことを考えてしまう。しかし、突如横から伸びてきた手にルイズは頬をつねりあげられ、その痛みによって現実に引き戻された。

「ふみぃぃ~~! いだいいだい~!」

 頬の痛みに悲鳴を上げるルイズ――普段の彼女からは、想像もつかない光景である。抓りあげたのは、ルイズの隣に座る見事な金髪の女性だった。歳の頃は二十代後半……、ルイズに似た顔立ちをしているが、彼女より更に気が強そうな、割ときつめの美人である。

「ちびルイズ。私の話は、終わってなくってよ?」

「あびぃ~~~、ずびばぜん~~~、あでざばずびばぜん~~~」(はいぃ~~~、すみません~~~、姉様すみません~~~)

 頬をつねり上げられたまま、半泣きでルイズは必死に謝る。女性は、「ふん」と鼻を鳴らして手を放した。

――彼女の名は、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ラ・ヴァリエール公爵家の長女にして、ルイズの十一歳年上の姉である。王立魔法研究所“アカデミー”の研究員を務めており、その優秀さと見た目通りのきつい性格で、知られている女性だ。

 昔からルイズは、このエレオノールには絶対に逆らえない。幼い頃から厳しく躾けられた結果、エレオノールへの反抗心はほぼ完全に折られており、頭が上がらないのだ。他に頭が上がらない相手として、アンリエッタや両親がいるが、それらとはまた別格であった。

 ルイズにとってエレオノールは、自らの上に君臨する“恐怖の大王”的存在なのだ。

「まったく……、使い魔とはいえ竜騎士を従者にして、少しはラ・ヴァリエール家の娘としての自覚が出てきたのかと思えば……、相変わらず落ち着きのない子ね!」

 エレオノールはきつい目をさらに鋭くして、ルイズを睨みつける。“蛇に睨まれた蛙”宜しく、ルイズはしゅんと縮こまった。

「あ、あの……、エレオノール姉様……?」

「なに?」

 ジロッ、という擬音が聞こえそうな目つきでエレオノールはルイズの方を向く。その鋭い視線に反射的に身を竦ませるルイズだが、恐る恐る顔をあげて、疑問に思っていたことを尋ねる。

「……ど、どうして学院のメイドなんかを、連れてきたの、でしょうか……?」

 シエスタは、偶然洗濯物の籠を抱えて通りがかった所を「道中の侍女はこの子でいいわ」と呟いたエレオノールに捕まり、学院に用意させた従者用の馬車に放り込まれ、ほとんど“拉致”と言っていいやり方で連れて来られた。ただ、ルイズとエレオノールの道中の世話をさせるという為だけに……。

「いいこと、おちび? ラ・ヴァリエール家は、トリステインでも名門中の名門のお家よ。あなただってそれはわかっているでしょう?」

「はい、姉様」

 頷くルイズに、エレオノールは人差し指を立てて説明する。

「従者があなたの使い魔だけでは示しがつかないでしょう? ルイズ、貴婦人というものはね、どんな時でも身の回りの世話をさせる侍女を最低一人は連れて歩くものよ」

「……」

 言われて、ルイズは思い出す。

――夏季休暇の時、『魅惑の妖精亭』で見たマウリシア侯爵夫人も、メイドのコゼットを連れて来ていた。

 それで姉の言うことに納得がいった。しかし、そう言う割にエレオノールは侍女を一人も連れていないことに疑問を感じる。
 だが、余計な事を言うとまた頬をつねられるのは必至――ルイズは黙って俯くことにした。


 何故ルイズがこうして姉に連れられて、急遽帰省することになったかと言うと……事のきっかけは、ルイズが実家に送った『手紙』であった――。

 一か月前のアンリエッタとの対談により、王軍に加わることになったルイズは、実家に『祖国の為に、王軍の一員としてアルビオン侵攻に加わります』と手紙で報告したのだ。これに対し、実家から『従軍はまかりならぬ』という返事が届いたのだが、ルイズはそれを無視した。

 そうしていたら今朝になって、トリスタニアのアカデミーに勤めるエレオノールが魔法学院に乗り込んできて、有無を言わさず連れ出されてしまったのである。

――ルイズはこの扱いを不服に思い、機嫌を損ねていた。

 今や各地の魔法学校の生徒達が即席の士官として登用され、国中の練兵所や駐屯地で軍事教練を受けている。そのほとんどは男子であるが、自分は女子とはいえアンリエッタの名誉ある女官だ。その事は実家に伝えていないが、ルイズの中には祖国とアンリエッタの為に力を尽くしたいという思いがある。

 王軍に志願し、祖国への忠誠を示すことは名門ラ・ヴァリエール家にとっても誇るべきことのはずなのに、何故実家は自分の従軍に断固反対するのか?――ルイズはそれが分からなかった。

「まったくあなたは勝手な事をして! 戦争に行く? あなたが行ってどうするの! いいこと? しっかりお母様とお父様に叱ってもらいますからね!」

「で、でも……」

「――ふんっ!」

 言い返そうとしたルイズの頬を、エレオノールは千切り取らんばかりにつねり上げる。エレオノールの前では、ルイズは完全に子供扱いだった。

「“でも”? 返事は“はい”でしょ、おちび! ちびルイズ!!」

「ひうぅぅ~~!! あでざま、ほっべいだい、いだだだ~~!! あう~……」

 頬の痛みと、エレオノールの剣幕に情けない悲鳴を上げるルイズ。

 結局、道中ルイズは何も発言させてもらえなかった……。



――一方、その頃……

 アルビオンの首都ロンディニウムの南側、ハヴィランド宮殿の一室――

「よく来てくれた、メンヌヴィル君」

 部屋の主、現アルビオンの支配者オリヴァー・クロムウェルは、自分の向かいに立つ男に声を掛けた。

 白髪と顔の皺で、歳は四十くらいに見えるが、鍛えぬかれた筋骨隆々の肉体はまるで年齢を感じさせない。剣士を思わせるラフな出で立ちだが、メイスのような鉄拵えの杖を下げている。

――彼の名はメンヌヴィル。“白炎”の二つ名で恐れられる、伝説の傭兵メイジである。戦場に於いて、冷酷に炎を操り、立ち塞がる敵のみならず、恐れ逃げ惑う者でさえ、平等に焼き尽くし死を与える炎の死神……、それがこの“白炎”のメンヌヴィルという男だった。

 彼の顔には額の真ん中から、左眼を包み、頬にかけて火傷するの跡がある。右眼にも眼帯を付けており、過去に相当の修羅場を潜ってきたことが窺える。

「早速だが、君と君の部隊に仕事を頼みたい。これは、極めて重要な任務だ」

「つまらん前置きはいい。内容を簡潔に話せ。……俺は何処を、誰を燃やせばよいのだ?」

 “燃やす”という単語を口にした時、メンヌヴィルの左眼に狂喜が宿る。クロムウェルはそれに動じる様子もなく、大仰な身振りを交えて、任務内容を告げる。

「君達にはトリステイン魔法学院へ赴き、貴族の子弟を人質に取って貰いたいのだ」

 それを聞いた瞬間、メンヌヴィルの眼がつまらなそうに冷える。

「ふん……、つまらん仕事だな。……まあいい。俺は政治だの戦略だのはどうでも良い。俺の望みはただ一つ……」

 手に持った杖を見つめ、その眼に再び狂喜の火を宿すメンヌヴィル。その口元を歪ませ、彼は言った。

「生きた人間を焼きたい……! それだけだ……!」




――場所は変わって、トリステイン魔法学院……。

「いやはや、ほんとに“戦争”って感じね。ここも静かになったわ」

 魔法学院の庭を歩きながら、キュルケは周りを見渡して呟いた。
 今は授業の合間の休み時間――いつもなら、生徒達で賑わう時間だが、戦争でほぼ全ての男子学生が、王軍に志願し、学院から姿を消している為、周りは女子生徒しかおらず、静かなものである。

「……」

 キュルケの隣を無言で歩くタバサ――彼女は居残り組であった。
 祖国ガリア王国は、中立宣言を発して今回の戦には関わらない構えでいる。ガリアの伯父王に復讐を果たさんと密かに狙っているタバサは、表向き祖国に忠誠を誓った振りをしている為、祖国が関与しない戦に関わることが出来ないのだ。
 キュルケも祖国の軍に志願したのだが、女子ということで認められず、居残りとなった。

 男性教師も大半が出征したために、授業も半減した。おかげで暇を持て余した女子生徒達は、恋人や友人達が無事でいるかどうかを噂し合っている。その中に、ベンチに座り、物憂げに肘をついて虚空を見つめているモンモランシーの姿があった。

 キュルケ達は彼女に近づく。

「あらら、恋人がいなくなって退屈なようね」

「……別に。いなくなってせいせいするわ。やきもきしなくていいもの」

 からかうようなキュルケの言葉に、モンモランシーは前を見つめたまま呟いた。口ではそのようなことを言っているが、その表情はどこか寂しげだ。

「そう言う割に、寂しそうじゃないの」

「あのお調子者ってば、臆病なくせに無理しちゃってさ……。あんなのでも、いないとちょっとは寂しいものね」

 その声に、いつもの張りはない。ほとんど溜め息のような声だった。
 キュルケはモンモランシーの肩を軽く叩く。

「ま、始祖ブリミルの降臨祭までには帰ってくるわよ。親愛なるあなたのお国の女王陛下や、偉大なる我が国の皇帝陛下は、簡単な勝ち戦だって言ってたじゃない」

「……だといいんだけどね」

 結局、モンモランシーは終始物憂げな表情のままだった。そんな彼女や周囲の空気に、キュルケも何となく切ない気分になり「戦争って嫌ねぇ」と呟き、タバサと共にその場を後にした。


 次いで通りかかったのが、火の塔の隣にあるコルベールの研究室の前……。その時、ちょうどコルベールが何かの資料を抱えて研究室に戻ろうとしていた。ほとんどの男性教師が出征したというのに、コルベールは出征を拒み、いつもと変わらずマイペースに研究に没頭し、戦争などどこ吹く風といった具合である。

――キュルケは、同じ『火』のメイジとして、彼のそんな態度が気に入らなかった。

「お忙しそうですわね」

「ん?」

 嫌味を込めたキュルケの声に、コルベールは顔を上げる。そして、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべた。

「おお、ミス・ツェルプストー。君にはいつか、火の使い方について講義を受けたことがあったな」

 以前、コルベールは授業の際、カインに見せたエンジンの原理を使った発明品を用いて“火の使い方”“火の見せ場”について語った事があった。

――破壊するだけではない。戦いだけが『火』の見せ場ではない。

 そう語った彼の言葉を、「トリステイン貴族に『火』の講釈を受ける道理はない」とキュルケは一笑に付した。

 その時の事を思い出し『今更それが何だと言うのだ?』とキュルケは不快感を露わにする。

「どうしたね? ミス……」

「ミスタ。あなたは王軍に志願なさいませんでしたのね」

 冷たい視線を向けたまま、キュルケは尋ねた。それを受け、コルベールは顔を逸らす。

「ん、ああ……。戦は、嫌いでね」

 コルベールの答えに、キュルケは軽蔑の色を浮かべて鼻を鳴らす。彼女の目には、コルベールが目の前の戦から逃げているようにしか見えなかった。どの系統よりも戦いに向く『火』の使い手でありながら、“炎蛇”の二つ名を持ちながら、戦が嫌いだと言ったこの男の態度が、キュルケは気に入らなかった。

「同じ『火』の使い手として、恥ずかしいですわ」

「ミス……、いいかね? 火の見せ場は……」

「――戦いだけじゃない、と仰りたいのでしょう? 聞き飽きましたわ」

「そうだ。使い方次第だ。破壊するだけが……」

「臆病者の戯言にしか聞こえませんわ」

 キュルケはコルベールを一睨みすると、ぷいと顔を逸らし、タバサを促してその場を立ち去った。

 後に残されたコルベールは、彼女の背中を見守りながら、寂しそうな溜め息を漏らし、研究室に入っていった……。






――魔法学院を出発して二日目の昼――カイン達はようやくラ・ヴァリエール公爵領に到着した。

 しかし、屋敷までは更に半日以上かかるらしく、到着は夜遅くになるとのことだ。考えてみれば、とんでもない広さの領地である。カインとレフィアだけならば、あっという間に到着する距離だが、馬車のルイズ達はそうはいかない。

 そんな訳で、一行は途中の村で小休止を取ることになった――。

 ルイズ達を乗せた馬車が止まったのと同時に、先に到着していたシエスタが駆け寄り、馬車のドアを開ける。

「……」

 その光景を、カインは少し離れた場所から眺める。そして、一応自分も馬車の近くに行こうとした、次の瞬間――

――どどどどどどどどッッ!!

「――っ?!」

 旅籠から凄まじい勢いで村人が飛び出してきた――!
 村人達は馬車から降りてきたルイズ達の前に滑り込むと、被っていた帽子を取ってぺこぺこと頭を下げ始める。

「――エレオノール様! ルイズ様! お帰りなせえましっ!!」

 口々に喚いて、大げさな歓迎の意を示す村人達。次いで彼らは、傍で見ていたカインに向き直り、今度はこちらに頭を下げてきた。
 そんな彼らに、カインは首を振る。

「俺のことは、構わなくていい」

「いんや、エレオノール様かルイズ様の御家来様に粗相があってはならねえだ」

 一人がそう言うと、他の村人達も頷きあう。そうして村人達は「背中の剣と槍をお持ちしますだ」「長旅でお疲れでしょう」と次々カインの世話を焼こうとして、カインを困らせた。

――そんな中、エレオノールが村人に告げる。

「ここで少し休むわ。お父様に私達が到着したと知らせて頂戴」

 それを受け、一人の少年が馬を駆ってすっ飛んで行った。一行は旅籠の中に案内されるが、カインは「竜の世話がある」と言って中には入らず、村人にレフィア用に桶を貸してもらえるよう頼んで外に残った。

「ぎゅ~~~っ! きゅふぅ~……」

 レフィアは「ググ~」と翼を伸ばし、一息吐いて身体の力を抜く。走ることと同じで、速く飛ぶのも疲れるが、遅い相手にペースを合わせて飛ぶのもそれなりに疲れる。
 貴族の馬車は特にペースが遅いので、レフィアにとって今回の飛行は大変だった。

 地面に身体を預けて楽な姿勢を取るレフィアの前に、カインは水桶を置く。

「ご苦労だったな、レフィア」

「きゅう」(ありがとなの、お兄さん)

 器用に鳴き声と念話で礼を言い、レフィアは水を飲み干す。
 カインはその横に腰を下ろすと、ルイズ達が入っていった旅籠に目を向けた。


――旅籠の中では、ルイズとエレオノールを囲んで、村人達が口々に久しぶりに帰って来たルイズを誉めそやしていた。

「いや~、ルイズ様も大きくなられただ」

「んだな~。随分とお綺麗になられただ」

 そんな会話が飛び交い、旅籠はしばらく和やかな雰囲気に包まれていた。が、一人の村人が呟いた一言で、一瞬にして空気が凍りつく――。

「そういや、エレオノール様はご婚約なされたんだっけか?」

『――っ!?』

 瞬間、その者は口を塞がれ、他の村人達に旅籠の隅に引き摺られて行った。

「……っ……」

 エレオノールの眉が「ピクッ」と動き、旅籠は緊迫した空気に包まれる。明らかに機嫌を損ねているエレオノールに恐れをなし、村人達は誰も喋らなくなってしまう。

――しかし、そんな空気が読めない少女がいた。

「ね、姉様……。エレオノール姉様」

 ルイズが恐る恐るエレオノールに声をかけた。村人達は嫌な予感に顔を強張らせ、その光景を固唾を飲んで見守る。

「……なに?」

「――ご婚約、おめでとうございます」

『あちゃあ~……』

 村人達は目元を手で覆い、溜め息を吐いた。次の瞬間、エレオノールは眉を吊り上げてルイズの頬をつねり上げる。

「あだ! いだだだ! でえざま(姉様)! どぼじで(どうして)!? ひだだだだ~~!!」

 素直にエレオノールを祝したつもりだったのに、エレオノールは機嫌を直すどころか、さらに機嫌を悪くして自分をつねり上げてくる――訳が分からず、ルイズは涙目で悲鳴を上げた。

「あなた、知らないの? っていうか知ってて言ってるわね」

「だんどごとでずが(何の事ですか)?! わだじなんじぼじりまぜん(私なんにも知りません)!!」

「――ふんっ!!」

 エレオノールは頬から手を放し、ルイズを鋭く睨みつける。そして、その怒りの原因を語った――。

「――婚約は解消よ! か・い・し・ょ・う!!」

「えぇ!? な、なにゆえにっ!?」

 まさに『寝耳に水』――頬の痛みも忘れてルイズは驚愕に目を見開く。

「さあね?! バーガンディ伯爵様に聞いて頂戴っ! なんでも『もう限界』だそうよ。どうしてなのかしら!」

 エレオノールはこめかみを痙攣させながら、自分でも原因はわからないと話す。
 ルイズもよく分からないと言った顔をしていたが、周囲の村人や傍に控えていたシエスタは、揃って納得の顔をする。

((そりゃぁ、“アレ”じゃあ『限界』もすぐ来るだろうなぁ……))

 その場の平民達の心が、一つになった瞬間だった……。


――そして、エレオノールの叫び声とルイズの悲鳴は、旅籠の外のカインにも届いていた。

「やれやれ……、騒がしい姉妹だ」

 恐らく今頃は、ルイズがエレオノールに説教でもされているだろう。

「きゅぅ~、ZZZ……」

 横を見れば、レフィアが疲れと退屈からか、首を丸めて寝入っている。

「……軽く訓練でもするか」

 そう呟くと、カインは立ち上がり槍を構える。

――ヒュンッヒュンッヒュンッ……

 片手で槍を回すと、回転に合わせて空を切る音が断続的に響く。同時に、カインは感覚を研ぎ澄ましていく。

――その時、近くの木から風に流されてきた。

「……っ!」

――シュンッッ!!

 カインは一瞬の内に槍を振る――!

――やがて木の葉は、地面に落ちると同時に、葉脈にそって綺麗に縦に割れた。

 舞い落ちる木の葉の動きを瞬時に捉え、間合いの難しい槍の切っ先で、木の葉を弾くことなく瞬断する――卓越した竜騎士のカインだからこそ可能な技である。

「……ん?」

 構えを解いたところで、後ろから馬の蹄の音が聞こえ、カインはそちらに振り向く。
 すると、一台の大きなワゴンタイプの馬車がこちらに向かって来ていた。そして馬車は、旅籠の前で止まる。

「……なんだ?」

 カインが呟いたのとほぼ同時に、馬車のドアが開き、中から一人の女性が降り立つ。

――その女性は腰がくびれたドレスを優雅に着込み、羽根のついたつばの広い帽子を被っていた。その帽子の隙間からは、ルイズと同じ、長く艶やかな桃色の髪が揺れている。

「もし、そちらの騎士様?」

 女性はカインを見つけると、近くに寄って話し掛けた。

「俺のことか?」

「ええ、見慣れない馬車を見掛けたもので、立ち寄ったのだけど、あなたはあちらの馬車で来られたお客様の、お連れの方かしら?」

「そうだが……、君は?」

「いけない、私ったら! お客様なんて珍しくて、ついご挨拶が遅れてしまいましたわ。失礼いたしました。私はカトレア、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌと申します」

「俺はカイン・ハイウインド。こちらこそ、失礼した。聞く前に、こちらから名乗るべきだった」

 相手に名前は聞く前に、己から名乗るのが礼儀というもの――基本的な礼節を忘れていたことを恥じ、カインが謝罪を述べた。
 すると、カトレアと名乗った女性はにっこりと微笑んで首を振る。

「先に話しかけたのは私ですもの。あなたが謝ることじゃないわ。……でも、あなた、なんだか不思議な感じね」

「……?」

 突然の何を言っているのかと、カインが怪訝に思っていると、カトレアはそっと近づいてじっと見つめてきた。

「な、なんだ?」

「ねえ、不躾なお願いですけど、お顔を見せていただけて?」

「? 別に、構わないが……」

 彼女が何をしたいのかは分からないが、顔を見せるぐらいなら構わないだろうと、カインは徐に兜を外す。

「……これでいいのか?」

「……」

 すると、カトレアは再びじっと見つめてきた。
 その鳶色の瞳に見つめられると、まるで自分の心まで覗いているような感じがしたが、カインは不思議と目を逸らせなかった。

「綺麗な瞳……、力強くて、とても優しい色。でも……、どこか寂しそう……」

「……」

「……ねえ、あなたは何者? ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」

 そう尋ねてきた時のカトレアは、先程までの微笑んだ顔ではなく、どこか真剣な表情を浮かべていた。

「……」

「どうしてわかるんだって顔ね。自分でも説明はできないのだけど私、そういうのが不思議とわかるの」

 自分の心を次々に読み取っているかのような彼女の言動に、カインは内心驚愕する。一目で自分を『ハルケギニアの人間ではない』と見抜いたことを見ても、彼女の慧眼はもはや『鋭い』などというレベルではない。

「……っ」

 無言で彼女の視線を受け止めていたカインだったが、ついに視線を逸らしてしまった。このままでは、自分の全てを見透かされてしまうような気がしたからだ。

「……ごめんなさい」

 視線を逸らしたカインを見て、カトレアがすまなそうに口を開いた。

「……話せない事もあるわよね。少し調子に乗ってしまったわ」

「……いや、話せないのはその通りだが、別に謝ってもらうほどのことじゃない。気にしないでくれ」

 カインがカトレアにそう言った時、旅籠から老人が一人出て来た。

「やや! これはカトレア様!!」

 老人はすぐにカトレアに気付き、慌てて駆け寄るとぺこぺこと頭を下げる。

「こんにちは、お爺さん。お客様みたいだけど、どなたがいらしてるの?」

「へえ、エレオノール様とルイズ様がお戻りになられまして」

「まあ! そうだったの!」

 二人の名前を聞くと、カトレアは顔を輝かせて旅籠に駆けて出そうとした。が、ふと足を止めて振り返り、カインの方に駆け寄る。

「カインさんもご一緒に参りましょう」

 そう言ってカトレアはカインの手を取る。

「いや、俺は……」

「さあさあ」

 口調がやんわりだが、どこか強引に言葉を遮り、カトレアはカインの手を引く。
 振りほどけない程力強く引っ張られた訳ではないが、何故か彼女には抵抗し難く感じ、カインはされるがままにカトレアに引っ張られて行った。


「エレオノール姉様! ルイズ!」

 カトレアは旅籠のドアを開くと、喜々とした声で叫んだ。呼ばれた二人はもちろん、中にいた村人達もこちらに注目する。

「カトレア」

 エレオノールが呟く。心なしかその顔から、少し険が取れたように見える。

「――ちいねえさま!」

 ルイズは喜色満面の輝くような笑みを浮かべて、カトレアの胸に飛び込んだ。

「ルイズ! 私の小さいルイズ! お久しぶりね! 帰って来てくれて嬉しいわ」

 カトレアは飛び込んできたルイズを受け止め、ぎゅっと抱き締める。そのまま、辺りをはばからず大声ではしゃぎ、二人は再会を喜び合う。エレオノールの時とはえらい違いだ。

「……」

 カインはふとエレオノールに目を向ける。一見分からないが、抱き合う二人を見つめるその目には、羨望の色が見える気がする。
 態度は少し刺々しいが、やはりエレオノールもルイズを愛しているのだろう。そう思うと、なんだか微笑ましく感じられ、カインは笑みを浮かべた。

「――ああ、そういうこと」

 不意に、カトレアは声を上げると、カインの方を向いた。そして、にっこりと微笑むと、その口から思いもよらぬ言葉が飛び出す――。

「あなた、ルイズの恋人だったのね?」

「「――なっ!?」」
「は?」

 カトレアの発言に、ルイズとシエスタが驚きの声を上げ、カインが疑問符を浮かべる。

「た、ただの使い魔よ! 恋人なんかじゃないわ!」

「あら、そうなの」

 ルイズが顔を真っ赤にして叫ぶように否定すると、カトレアは子供をあやす様に楽しげに笑う。次いで、カインに微笑みを向ける。

「ごめんなさい。私、すぐに間違えるの。気になさらないで」

 カインは何も言わず、ただ肩を竦めた。



――その後、休息を終えたルイズ達は、カトレアのワゴン馬車で屋敷に向けて出発した。

 カトレアが、シエスタとカインも一緒にと誘ったが、カインは「竜がいる」と言って断った。その時、シエスタも「カインと一緒に行く」と言い出したが、ルイズとカインによって却下された。

「……なんか、あの馬車の中、凄いことになってるの」

 眼下を走る馬車を見下ろしながら、レフィアはそう呟く。

「凄いこと?」

「うん……、あの中、いろんな獣達がいっぱいなの。犬とか猫とか熊とか虎とか鳥とか蛇とか……」

「……」

 確かに凄いことだった。自然界で喰う者と喰われる者同士が争う事もなく、あの狭い空間に同居しているというのだから……。っていうか犬や猫や鳥はともかく、熊に虎に蛇って……。

――これも、あのカトレアの不思議な雰囲気のおかげなのだろうか?

「あ、メイドの人が気絶したの」

「なに? なぜだ?」

「多分、近くにいる蛇に驚いたの」

「……」

――“混沌(カオス)”だ……。

 考えると疲れそうなので、カインは軽く頭を振って、気分転換に風景に目を向ける。

――辺りは緩やかな丘と、広大な田園が広がり、秋の刈り取りが終わったばかりなのか、あちこちに藁の塊が積んであった。

「……」

 心落ち着く、牧歌的な風景は、戦が近い事を忘れてしまいそうな程のどかだった。




 夜もふけた頃……。

「……あれか」

 月の明かりだけが辺りを照らす中、前方の丘の向こうに城が見えてきた。

――高い城壁の周囲を深い堀が囲み、城壁の向こうには高い尖塔が幾つもそびえ立つ、見事な城だ。周囲に何もないこともあって、トリステインの王宮より若干大きく見える。

 堀の向こうに門が見えた。
 馬車が手前で停止すると、巨大な門柱の両脇に控えた巨大な石像が、跳ね橋の鎖をおろす。

――ドスンッ!

 大きな音を立て、跳ね橋がおりきると、馬車は橋を渡り、城壁の内に進んで行く。

「レフィア」

「きゅい」

 カイン達も、その後に続いた――。



 屋敷内に入り、エレオノール、カトレア、ルイズ、そしてカインの四人はそのままダイニングルームに通された。シエスタはすぐに召使達の控え室に向かわされたが、カインはルイズの使い魔であり、『竜騎士』と認識された為、晩餐会への同伴する事となった。

――とは言っても、食卓に同席する訳ではない。カインはルイズの椅子の後方に立ち、“護衛”の形で彼女らの様子を見守るだけだ。

 30メイルはある長い食卓の上座には、ルイズ達の母親、ラ・ヴァリエール公爵夫人が座っている。

――彼女を一目見た時、カインは直感的に悟った。

(あのご婦人、できる……。かなりの実力者だ……)

 ただそこに静かに座っているだけなのに、公爵夫人には隙が無く、圧倒的な存在感がある。その身に纏う“強者のオーラ”は、あのワルドなど比較にならない。
 長女のエレオノールが二十七歳という事から考えると、恐らく彼女は四、五十歳ほどだろう。だが、その瞳には、衰えを感じさせない他者を圧倒する鋭い光を湛えている。

――公爵夫人は間違なく、カインがこのハルケギニアで出会った中で『最強』の人物だった。

 彼女の雰囲気が全てを掌握しているかのように、晩餐会は沈黙のまま進んだ。銀のナイフとフォークが、食器と触れ合う音だけが響く。

「……あ、あの……、母様」

――やがて、そんな沈黙を破るように、ルイズが口を開いた。

「……」

 だが、公爵夫人は応えず、黙々と食事を続けている。

「――母様! ルイズに言ってあげて! この子ったら、戦争に行くだなんて馬鹿げたこと言ってるのよ!」

 今度はエレオノールが口を開いた。彼女の言葉に、ルイズがテーブルを叩いて立ち上がる。

「馬鹿げたことじゃないわ! どうして陛下の軍隊に志願することが、馬鹿げたことなの?!」

「あなたは女の子じゃないの! 戦争なんか殿方に任せておきなさい!」

「今は女性も男性と対等の身分が与えられる時代よ! だから魔法学院だって男子と一緒に席を並べてるし、姉様だってアカデミーの首席研究員になれたんじゃない!」

「それとこれとは話が別よ! 努力して、結果を出した者が性別に関わらず評価されるようになったというだけ! 軍に志願する、しないの話じゃないの!」

 エレオノールは叫ぶようにそう言うと、「はぁ」と溜め息を吐いて首を振る。

「……だいたい、戦場がどんな所だかわかっているの? 少なくとも、あなたみたいな女子供が行くところじゃないのよ」

「で、でも私、陛下に信頼されているし……」

「どうしてあなたなんかを信頼するの? “ゼロ”のあなたを!」

「……っ」

 エレオノールの言葉に、ルイズは唇を噛んだ。

――自分が“虚無”に目覚めた事は、家族にすら話せない機密事項だ。それに、仮に話したとしても、カトレアはともかく母やエレオノールは絶対信じないだろう。

 結局、ルイズは黙る以外に無く、俯いてしまう。黙りこくるルイズに、エレオノールは言葉を続けようとした。だが――

――パンッ、パンッ!

「――エレオノール、ルイズ、食事中ですよ」

 それまでじっと黙っていた公爵夫人が、よく通る威厳のある声で二人を諫めた。

「で、でも母様……」

「……」

 エレオノールは食い下がろうとしたが、公爵夫人は彼女を視線で制する。

「ルイズのことは、明日お父様がお帰りになってから話しましょう」

 夫人のこの言葉で、話は打ち切られた。



「……」

 カインは案内された客室の窓から、双月を眺めていた。
 客室と言っても、ここは元々、予備の使用人部屋らしく、簡素なベッドとテーブル、それにクローゼットかあるだけのシンプル部屋だ。
 尤も、カインは部屋の内装や家具には殆ど興味がないので、別に問題はなかったが……。

(月はいつもと変わらず穏やかだが……、俺の周りは、ここ数日やたらと騒がしかったな……)

 カインは、月を見つめながら今までの事を振り返る。

――突然、エレオノールがルイズを連れにやって来た二日前の朝……、二日かけてルイズの実家の領地に飛び……、途中の村でルイズの次姉カトレアと出会った今日の昼……、そして、異様なオーラを放つ彼女らの母親を見た晩餐会……。

 思い返すと、改めて目まぐるしく思える。

 しかし、ルイズはこれからどうするつもりだろうか?
 あの晩餐会を見た限り、到底従軍の許しが得られるとは思えない。そもそも、送られた手紙に『従軍はまかりならぬ』と書いてあった時点で、ルイズの両親が戦争行きを許可する可能性は、ほぼ皆無に近い。
 それは、単に『ルイズは魔法が使えない』という認識だけが理由ではないはずである。
 家族として、ルイズを愛しているからこそ、誰もがルイズの従軍を止めようとしているのは間違いないはずだ。

――正直な話、カインもルイズの従軍には反対だった。

 いくら“虚無”に目覚めたと言っても、ルイズはまだ、その力を完全にコントロール出来ていない。ルイズ自身が言っていた事だが、“虚無”の魔法は消費する『精神力』が大き過ぎて、乱発は出来ないらしい。また、タルブでアルビオン艦隊を吹き飛ばした程の『エクスプロージョン』は、次にいつ撃てるかわからないという。デルフリンガーが言うには、あの威力は、十年以上の間蓄積されていた『精神力』が一気に開放された結果だそうだ。

――つまり“虚無”の魔法は、扱う人間のコンディション次第で威力が大きく上下する、という事だ。

 そんな不安定な力――しかも使えるのが『エクスプロージョン』と『ディスペル』だけでは、到底戦力にはなり得ない。

 何より、晩餐の席でエレオノールが言った通り、ルイズは戦争の本質――戦場の現実を理解していない。
 頭にあるのは、ただひたすら『アンリエッタの役に立ちたい』という想いだけであり、それさえ有れば自分はどんな事でも出来ると思い込んでいる。

 心意気としては立派かも知れないが、想いだけで何でも上手くいくほど、現実は甘くない。それだけでは、いつか越えられない『壁』に突き当たる。

 仮に戦争に行くことを許されても、果たしてルイズが戦場の現実に耐え切れるか……、そして壁に突き当たった時、それを乗り越えられるかどうか……。
 そんな事を考えていた時だった――。

――コン、コン

「――?」

 突如鳴ったノックの音に、カインは我に返る。

「誰だ?」

 振り返り、ドアに向かって声を掛ける。すると――

「……わ、私です。シエスタです」

「シエスタ?」

 予想外のシエスタの来訪に、カインは首を傾げるが、取りあえずドアを開けに向かう。

 ドアを開けてみると、その向こうには、はにかんだような笑みを浮かべたシエスタが立っていた。

「あ、あの……、来ちゃいました。その……、眠れなくて」

 そう言いながら、シエスタは部屋に入ってこようとする。カインはそれを手で制した。

「ベッドに入り、目を閉じて静かにしていればいずれ眠れる。出歩いていては眠れるものも眠れんぞ。部屋に戻れ」

「……そうですよね。こんな時間に押し掛けて……、ご迷惑ですよね……」

 頬を赤くして俯き、切なげな声でそう言うシエスタ。

「……ひっく」

 肩を震わせ、シエスタがしゃくり上げる。その寂しげな姿と仕草は、男心に訴えかけるものがある。

――だが、カインはシエスタの異変に気づいていた。

 部屋に入ろうとするシエスタを止めた時、不意に鼻を突いた異臭――それは……。

「……シエスタ。どこで“酒”なぞ飲んだ?」

――そう、酒を飲んだ人間が吐き出す息特有の臭いだった。

 カインの問いにシエスタは顔を上げる。その顔は異様に赤く、目もとろんとして焦点が合っていない。

「ヒックっ! んぅ~、夕食に一本ついたんです。『長旅お疲れ様』とか言って……ウィックっ!」

 確定だ――シエスタは酔っ払っていたのである。どうやらシエスタは、この城の召使たちに客人として扱われ、もてなしとして酒を振舞われたらしい。

「――ふんっ! どうせ、私なんか、ただのメイドれ、平民の田舎もんれすよ!」

 先程までのしおらしい態度は何処へやら……、突然目が据わったかと思えば、微妙に呂律の回らない口調で喚き始める。
 よほど飲んだのか、それともシエスタが酒に弱いだけなのかは知らないが、これだけはハッキリしている。

――シエスタは……『酒乱』だ。

「なな、な~にが貴族れすか。女の魅力なら私らって負けてません! 少なくともミス・ヴァリエールより、むむむ、胸は確実に勝ってますもん! ……ウィックっ!」

「…………わかったから騒ぐな。そのまま部屋に戻って静かに休め。きっとすぐに眠れる」

 内心呆れていたカインだったが、シエスタをこのまましておく訳にはいかず、何とか宥めて部屋に帰るよう促す。
 だが、シエスタはキッと顔を上げてこちらを睨んで来た。

――そして、酔いに任せてとんでもない事を口走る。

「――嫌れす! 私、カインさんの部屋れ寝ます!」

 ひと際大きな声で叫ぶと、シエスタはカインを見つめながら、今度は脅迫めいた事を言い出す。

「……もしダメって言ったら……、私、カインさんのお部屋の前で寝ちゃいますから……。――それも裸で!」

「……」

 酔い任せのシエスタの暴走発言に、カインは大きな溜め息を吐く。
 シエスタは恐らく、今自分が何を言っているか分かっていないだろう。だが、酩酊で理性のタガが外れているシエスタなら、本当にやりかねない。

(気は進まんが……、やむを得ん)

 カインはもう一度溜め息を吐くと、遮っていた手を下ろした。

「仕方ないな……」

「……え? そ、そそそ、それじゃあ……?」

「そんなことをされては堪らんからな……、入れ」

「――わ~い! ありがとうございます~!」

 喜色満面の笑みを浮かべて跳び上がるシエスタ。彼女はそのまま、スキップのような軽快な足取りで部屋に入る。

 そして、カインの脇をすり抜け、後ろを見せた……その瞬間――!

――トンッ!

「――はうっ!」

――カインはシエスタの首筋に手刀を見舞った。

――ドサ……

 カインは、気を失ったシエスタを抱える。

「やれやれ……、世話を焼かせてくれる」

 ぼやきつつ、カインはシエスタをベッドに運んだ。




 その頃――ルイズは、次姉カトレアの部屋にいた。

 カトレアの部屋は、床には幾つもの鉢植えが置かれ、天井には幾つもの鳥籠がぶら下がり、部屋中到るところに犬や猫、熊や虎など大小様々な動物や植物で溢れている。
 さながら植物園と動物園が同居したような部屋である。

「ルイズ、小さいルイズ。あなたの髪って、ほんとに惚れ惚れするぐらいに綺麗ね」

 そんな賑やかな部屋で、ルイズは姉に髪を梳いてもらっていた。

「ちいねえさまと同じ髪じゃないの」

 自分の髪を褒めるカトレアに、ルイズはそう言った。
 ルイズとカトレアは、同じ母親譲りの桃色のブロンド髪である。ルイズの言葉を聞いて、カトレアは優しげに笑う。

「うふふ、そうね。あなたとお揃いの髪。私、この髪が大好きだわ」

 ルイズは嬉しそうに微笑むが、すぐに唇を尖らせて呟く。

「私も、ちいねえさまと同じこの桃色の髪が好き。……エレオノール姉様みたいな父様似の金髪でなくて良かったと思うわ」

「そんなこと、エレオノール姉様や父様に聞かれたら大変よ。きっと気を悪くするわ」

「……いいのよ。父様はともかく……私、エレオノール姉様苦手だもの」

「あら、どうして?」

 拗ねたような、寂しそうな表情を浮かべるルイズに、カトレアは優しく問い掛ける。

「だって……、意地悪なんだもの。小さい頃からずっと私のこと『おちび』『ちびルイズ』って馬鹿にして、いじめて……。私、エレオノール姉様に優しくされた事なんて、一度もないのよ?」

 そう言ってルイズは、哀しげな表情を浮かべて俯く。カトレアはそんなルイズの頭を優しく、愛しげに撫でる。

「エレオノール姉様も私と同じで、あなたが可愛くて仕方ないのよ。可愛くて、心配で……、だからついつい構ってしまうのよ」

「そうなのかな……?」

――ぎゅっ……

 俯いたままそう呟いたルイズを、カトレアは後ろから抱き締めた。

「そうなの。父様も母様も、エレオノール姉様も、もちろん私も、みんなあなたのことが大好きなのよ。小さなルイズ」

「……うん。でも、そう言って優しくしてくれるのは、ちいねえさまだけよ」

 その言葉に、カトレアは抱きしめる腕に力を込め、ルイズの髪に顔をうずめて目を瞑る。

「ルイズ、小さいルイズ。いつの間にか、大きくなったのね」

「……そんなことないわ。今でも、魔法はあんまり上手じゃないし……、それに……」

 ルイズは徐に視線を下に落とす。そして、切なげに溜め息をついた。

――姉のカトレアとは比べ物にならないくらい小さい……。と言うより、学院の同年代女子の中でも小さい方だ。

 女としてはやはり、小さいよりは大きい方がいい……。『そこ』はルイズが抱えるコンプレックスであった。
 何やら落ち込み始めたルイズの視線を追って、カトレアはすぐにその原因を悟り「プッ」と小さく吹き出し、抱きしめていた手をルイズの胸に当てる。

「ひゃん!」

 不意打ちで胸を触られ、ルイズは悲鳴を上げる。しかし、気にせず触り続け、カトレアは笑いながら言った。

「うふふふ、大丈夫よルイズ。平気、あなたもすぐ大きくなるわ」

「え、ほんと?」

「ええ、私もあなたぐらいの時は、このぐらいだったもの」

 言われてルイズは、記憶を遡ってみる。カトレアは二十四歳なので、自分と同じ年齢の時と言うと八年前だ。
 だが、イマイチ鮮明に思い出せない。当時ルイズは八歳……幼かった頃のことなので、はっきりと覚えていなかった。恐らく、その頃は『胸の大小』など気にして見ていなかったので、記憶に残っていないのだろう。
 しかし、カトレアが言うと、不思議と信じられるルイズである。取りあえず「ほっ」と安堵の息を吐き、ルイズはカトレアに頷いてみせた。

「ふふ、でもねルイズ? 姉さんが言ったのは、そういう意味だけじゃないのよ?」

「え?」

「うふふふ。あなたも恋をする年頃になったのね、ってこと」

「なっ!?」

 ルイズは瞬時に顔を真っ赤に染める。

「なに言ってるの! 恋なんかしてないわ!」

「私に隠し事をしても無駄よ。あなたのことなら、全部わかっちゃうんだから」

「ほほほ、ほんとに恋なんかしてないのっ!」

 この上ないほど恥ずかしそうに叫び、凄い勢いで首を振って狼狽するルイズの姿に、カトレアは楽しげに微笑むのだった。



――その後、ルイズとカトレアは二人で同じベッドに入った。カトレアが「久しぶりに一緒に寝ましょうか」とルイズを誘ったのである。

 小さい頃から、母もエレオノールも厳しく、甘えられるのはカトレアだけだった事もあり、ルイズはよく彼女のベッドにもぐり込み、一緒に眠っていたのであった。
 ふかふかのベッドの中で、ルイズは子供の頃を思い出し、少し恥ずかしく思いながらもカトレアに寄り添う。カトレアはそんなルイズを、子猫を抱くようにして抱きしめる。

「……」

 昔ならば、姉の香りに包まれるとあっさりと眠ることのできたルイズだが、今日は色々と考え事をしてしまい、中々眠れなかった。

――考えるのは主に、アルビオンとの戦争のこと……

 自分は“虚無の担い手”としての力を見込まれ、王軍の切り札としてカインと共に従軍することになった。
 もちろん、自分の力が祖国とアンリエッタの為に役立つのであれば、それは望むところである。しかし、戦争に行くということは、“死の危険”に飛び込むということだ。

――今、自分はその危険に飛び込む許可を貰いに、実家に帰って来ている。

 両親も長姉エレオノールも、自分の戦争行きを反対している。それは自分の身を案じてのこと……、先ほどカトレアが言ったように、皆が自分を愛してくれていることは、ルイズも承知していた。
 愛する家族の一員が戦争に行くことになったら、例えそれが男であろうと、心配するのが当然である。まして、自分は“虚無”の系統に目覚めた事を知らせていない。家族の皆には未だ『“ゼロ”のルイズ』と思われているだろう。

 仮に逆の立場なら――そう、例えば自分が大人になって子供が出来て、その子供が戦争に行くことになったら……。

 そう考えると、ルイズは両親やエレオノールの気持ちが理解できた。
 以前のルイズが同じ事を考えたなら、きっと『貴族の誇りと名誉のために、しっかりと戦ってこい』とでも言って、喜んで自分の子供を送り出す姿を想像していただろう。

(……私、少し変わったわね……)

 ルイズは、ふとそんなことを思う。その理由を考えた時、使い魔のカインが頭に浮かび、思わず頬を染めた。
 そこからルイズの思考は、カインの事にすり替わっていく。

――そういえば、ここ数日の間、エレオノールの目が光り続けていて、碌に話をしていない。今頃、また月でも眺めているのだろうか?

 いつの間にかカインの事ばかり考えるようになり、ルイズはカトレアに密着しているのにも関わらず、もぞもぞと落ち着きなく動いてしまう。

「どうしたの? 眠れないの?」

 ルイズの様子に気づいたカトレアが尋ねる。すると、ルイズは恥ずかしそうに「うん……」と呟いて頷いた。

「うふふ。今、誰のことを考えていたのかしら?」

「だ、誰のことも考えてないわ……!」

 図星を突かれて慌てるルイズに、カトレアは笑みを浮かべて問いかけ続ける。

「あなたが連れて来た、あの竜騎士さん?」

「どど、どうしてそこであいつが出てくるの?! あいつは唯の使い魔よ! 好きなんかじゃないもの!」

 カトレアは別に好きかどうかを聞いた訳ではないのに、ルイズは自分から『好きじゃない』と否定した。カトレアは少し意地悪な笑みを浮かべる。

「あら、そうなの? それじゃあ……姉さんがあの人のこと好きになっちゃおうかしら?」

「――なっっ!!?」

 ルイズは思わず布団から飛び起きた。カトレアもゆっくりと身体を起こし、ルイズをじっと見つめて語りだす。

「昼間に旅籠の前で会った時にね、ほんの少しだけあの人とお話ししたの。その時、お顔を見せてもらったわ」

「……」

 ルイズはどう反応すればいいか分からず、黙ってカトレアの話を聞き続ける。

「とても綺麗な目をしていたわ。力強くて、優しそうで……、でもどこか寂しそうで……。きっとあの人は、過去に色々なことがあったのね。楽しい事、嬉しい事、それに辛い事や悲しい事も……たくさん、たくさん経験したんだと思う。姉さん、あんな目をした男の人、初めて見ちゃった」

「……そ、それは……」

 ルイズは思わず口籠る。以前、魔導船に乗せてもらった時に、カインから彼の過去を――壮絶な戦いと、後悔の記憶を聞かされた事があった。

――そんなカインの過去を、目を見ただけで漠然とでも読み取ることができたカトレアに驚きはしたものの、今はそれどころではない。

「で、でも! カインは私の使い魔で……」

「あら、ルイズの使い魔だったら、好きになっちゃいけないの? ルイズは好きなんかじゃないんでしょう?」

「そ、それは……、その……、うぅ~……っ!」

 ルイズは徐々に追い詰められ、何も言い返せなくなってしまい、最後には泣きそうな顔で唸る。
 その姿を見て、カトレアは意地悪な笑みではなく普段の優しげな笑みを浮かべて、ルイズを抱き寄せた。

「ふふふ、ごめんねルイズ。姉さん、ちょっと意地悪しすぎちゃった」

「ふえ?」

「大丈夫よ、ルイズ。あなたの大切な人を、取ったりなんかしないわ」

「じょ、冗談……?」

 目尻に涙を湛えたまま、ルイズはきょとんとした表情を浮かべる。カトレアはゆっくり頷くと、抱き寄せたルイズの頭を優しく撫でる。

「だって、あなたがあんまりムキになるんだもの。つい、悪戯したくなっちゃったの」

 そう言って、ぺろっと舌を見せるカトレアに、ルイズは頬を膨らます。

「もう! ちいねえさまの意地悪っ!」

 ルイズはカトレアの腕からすり抜けると、布団を引っ被ってしまう。カトレアは「あらあら」と楽しげに笑いながら、その肩に手を置く。

「ルイズ、大きくなったルイズ。あなたはきっと、もう私の隣では眠れないわ。……行ってらっしゃいな。あなたの、“今”の居場所に」




「……」

 ルイズは引っ被った毛布を引き摺りながら、廊下を歩く。向かうは、カインが泊まっている部屋である。

(べ、別にね? 会いたい訳じゃないのよ? これは……、そう! 明日、どうやって父様を説得するか話し合いに行くだけ! そうよ、これは使い魔との秘密作戦会議なのよっ!)

 一人で頻りに頷くルイズの姿は正直滑稽だったが、それは置いておこう。ともかく、ルイズは目的の部屋に到着し、徐にドアをノックする。

――コン、コン……

「――誰だ?」

 すぐ、中からカインの声が聞こえてきた。ルイズは囁くように答える。

「……私よ」

 すると、中から足音が近付き、ドアが開かれ、カインが顔を出した。

「……どうした? こんな時間に」

「……ちょっと、眠れなくて、その……話を、しに来たのよ……」

 ルイズはモジモジしながらそう言うと、カインは怪訝な表情を浮かべる。

「……まさか、お前も酔っている訳じゃなかろうな?」

「は?」

 訳の分からないカインの言葉に、ルイズは首を傾げた。が、すぐに別の疑問が浮び、それを口にする。

「……私“も”?」

 するとカインは呆れ顔になり、自分の後ろを親指で指示す。

「?」

 疑問符を浮かべながら体を斜めにずらして見てみると……

「すや~……」

 何故かシエスタがベッドの上で寝息を立てていた。

「……なんでメイドがあんたのベッドで寝てんのよ?」

 低い声でそう呟き、ルイズはカインを睨む。

「何を想像いるのか知らんが……、酔っ払ったシエスタが突然押しかけて来たんだ。何でも、夕食にワインが振る舞われたそうでな。で、酔いに任せて喧しく騒ぐんで、当て身を食らわせて強制的に眠って貰った」

(――チッ、あんの色呆けメイド!!)

 カインの溜め息混じりの説明に、ルイズはベッドで涎を垂らして眠るシエスタを睨みつける。カインの冷静で的確な対応(?)に安堵すると同時に、自分が出来ないような事を(酔っ払っていたとは言え)平然とやってのけるシエスタが、何となく憎たらしかった。

 そんなルイズに、カインは溜め息混じりに尋ねる。

「……で、どうするんだ? 部屋はこの有様だが、此所で話すのか?」

「絶対いや」

 ルイズは、幸せそうに寝こけているシエスタから視線を外すと、「ついて来て」と言ってカインを連れ出した。




 そして、やって来たのは屋敷の一室――ルイズの自室である。

「ここなら、落ち着いて話が出来るわ」

 そう言うと、ルイズは部屋の明りを灯し、置かれた椅子に腰掛ける。

「それで? 話とは、一体何なんだ?」

 カインも部屋の壁に寄り掛かると、本題を尋ねた。

「……明日、お父様が帰って来るって、あんたも聞いてたでしょ?」

 部屋に向かうまでは、単なる自分への言い訳だったのだが、落ち着いて考えると、本当に何か作戦を考えた方が良いような気がして、ルイズはその話題で話をすることにした。

「ああ」

 カインが頷くと、ルイズは俯き気味に話を続ける。

「……このままじゃ、従軍の許しは貰えそうにないわ」

「だろうな。娘を喜んで戦場に行かせる親はいないだろう」

 カインの言葉に、ルイズは頷く。

「うん……、母様やエレオノール姉様、それにちいねえさまも……皆、私を心配してくれてる。……それはわかってるのよ。でも……」

 申し訳なさそうな表情で俯きながら、ルイズは自分の想いを告げる。

「私だって、いつまでも一人じゃ何も出来ない子供じゃないわ。自分の事は自分で決めたい」

「……ならば、明日父親から許可を得られなくても、出征を強行するのか?」

 そう問われると、ルイズはためらいがちに頷いた。

「……でも、出来れば賛成して欲しいわ。皆に、私のすることをわかって欲しいの」

「……気持ちは分かるが、難しいだろうな。お前が“虚無”とやらに目覚めた事を明かせたなら、まだ可能性もあったろうが……」

 勿論、そんなことは出来ない。アンリエッタとの約束があるのだ。
 それに言ったとしても、ヴァリエール公爵達は信じない可能性の方が高い。仮に信じたとしても、ルイズが愛する娘であることは変わらない以上、やはり反対されていただろう。

「……どうしたら良いのかしら?」

 悩むルイズに、カインは選択肢を提示する。しかし、それは選択とは言っても、過程が違うだけで結果は同じものであった。

「出征することを決めているなら、選択は二つに一つ――“何としても両親を説得して出征する”か、“反対を押し切ってでも出征する”か、だ」

「……それ、選択って言うの?」

――ルイズもそこに突っ込むが、カインはいつもと変わらぬ口調で核心を突く。

「結局はお前の“覚悟”次第という事だ。親の理解の有無に関わらず、アンリエッタ女王への友情と忠誠を貫けるか否か……、それは他の誰でもない、お前自身の意志で決定する他ないんだ」

「……」

 ルイズは俯き黙る。しかし、その表情は暗いものではない。カインが言った事を噛み締め、自分自身に問い掛けている――そんな顔だった。

「……うん」

――自分にその“覚悟”があるか、否か……『答え』は、決まっている。

 決意を胸に、ルイズは頷いた。それを見て、カインは声をかける。

「決まったか?」

「ええ、明日は頑張って父様達を説得する。もしダメだったら、その時は仕方ないわ。レフィアで脱出しましょう。――お叱りは、戦争が終わって帰って来てから甘んじて受けることにする」

「わかった」

 打ち合わせ、と言う程でもなかったが、大まかな段取りは決まった。

――『そうと決まれば、明日に備えて早く眠ろう』という事になり、ルイズはカトレアの部屋へ、カインは自分に用意された部屋へそれぞれ戻って行った。




「あら? どうしたのルイズ?」

 しばらくして部屋に戻ってきたルイズを見て、カトレアは僅かに驚いた顔になって尋ねた。だが、ルイズは首を振る。

「どうもしないわ。やっぱり今夜は、ちいねえさまと一緒に寝ることにしたの」

 事も無げにそう言うと、ルイズはカトレアのベッドにもぐり込んだ。
 そんなルイズを見て、カトレアはその心の変化を悟り、優しい笑顔になって妹を抱きしめる。

 そのまま二人は抱き合ったまま、ゆっくりと眠りにおちていった……。




 一方、カインは……。

「……」

 部屋に戻り、カインは椅子に腰掛けてベッドを見る。

「すぴ~……」

 そこでは、未だシエスタが気持ちよさそうに眠っていた。

――部屋に戻る途中でシエスタの事を思い出し、どうするかと悩んだカインだったが、やはり部屋に戻ることを選んだ。

 気絶させておいてシエスタをそのまま放置では、いくらなんでもあんまりだと思ったのと、他人の屋敷の廊下や庭で夜を明かすのは無礼だと考えた結果の選択であった。
 同様に、眠っているシエスタを廊下に放り出すわけにもいかず、部屋に送ろうにも、彼女に割り当てられた部屋が何処かわからない。床に転がすなどは論外だ。


 結局カインは、シエスタは明日の早朝にでも起こして部屋に帰らせる事にして、そのまま椅子に腰かけた体勢で腕を組み、その状態で眠りについた……。




――翌朝……ラ・ヴァリエール公爵が帰宅した。


「お戻りなさいませ、旦那様」

「うむ……、ルイズは戻ったか?」

 公爵が尋ねると、ラ・ヴァリエール家の執事ジェロームは恭しく一礼して答える。

「昨晩お戻りになられました」

「朝食の席に呼べ」

「畏まりました」

 やり取りの後、公爵とジェロームはそれぞれその場を後にした。




 屋敷に設けられた日当たりの良いバルコニー――ラ・ヴァリエール家では、朝食はこの場所で取るのが習わしである。

 置かれたテーブルには、上座にラ・ヴァリエール公爵が、その隣に夫人がそれぞれ並んで腰掛ける。そして、滅多に揃わない三姉妹が、歳の順にテーブルを囲んで座った。

「全くあの“鳥の骨”め!」

 突如、公爵は機嫌の悪さを全開にして吐き捨てた。“鳥の骨”とは、マザリーニ枢機卿の事で、彼を侮蔑を込めて呼ぶ時の呼び名である。

「どうかなさいましたか?」

 夫人が表情を変えずに、公爵に問う。ルイズも、朝食を進めながら、父の言葉に耳を傾けていた。

「どうもこうもない! この儂をわざわざトリスタニアに呼び付け、何を言うかと思えば『一個軍団編成されたし』などと抜かしおった! ふざけおって!!」

 思い出すとまた腹が立ったのか、公爵は激昂し怒鳴り散らす。

――聞けば、公爵は自身の軍務退役と世継ぎの不在を理由に軍団編成を断ったそうだ。それに、公爵は今回の戦争に反対だという。

「……でも、良いのですか? 祖国は今、『一丸となって仇敵アルビオンを滅すべし』との女王陛下の御触れが出たばかりじゃございませんか。ラ・ヴァリエールに逆心あり等と噂されては、社交もし難くなりますわ」

 そう言う割りに、夫人は涼しい顔である。公爵はさらに眉間にシワを寄せた。

「どうせそれも、あの鳥の骨めが陛下を唆したに決まっておるわ! 鳥の骨も憎たらしいが、お若い陛下にも困ったものだ!」

――ピクっ……!

 公爵の発言に、ルイズは頬を強張らせる。いくら父とはいえ、アンリエッタをそんな風に言うのは納得いかない。

「――父様」

 ルイズは手に持つスプーンを下ろし、意を決して父に声を掛けた。

「む? 何だ、ルイズ」

「父様に伺いたいことがございます」

 公爵はルイズを見つめた。

――気の所為か、どこか以前のルイズとは雰囲気が違う。

 そう思い怪訝に思った公爵だったが、それは一先ず置いておき、久しぶりの娘に応じる事にした。

「……いいとも、だが娘よ。その前に、久し振りに会った父に接吻してはくれんかね?」

 ルイズは席を立つと、父の元に歩み寄り、その頬にキスをした。そして、まっすぐに父を見つめ、尋ねる。

「どうして父様は、戦に反対なさっているのですか?」

「この戦は間違った戦だからだ」

「先に戦争を仕掛けてきたのはアルビオンですわ。迎え撃つことの何が間違いなのですか?」

「こちらから攻めることを『迎え撃つ』とは言わん。いいかね?」

 そう言うと、公爵は皿の料理を切り分け、戦の講釈を始めた。

「『攻める』という行為は、圧倒的な兵力があって初めて成功するものだ。敵軍の兵力は五万、対する我が軍はゲルマニアと合わせても六万程度だ」

「我が軍の方が一万も多いじゃありませんか」

 ルイズの意見に、公爵は首を振る。

「全く足りぬ。勝利する為には、攻める側は最低でも、守る側の三倍の数が必要なのだ。拠点を得て、空を制して尚、この数では苦しい戦いになるだろう」

「でも……」

 何か言おうとするルイズの顔を、公爵は覗き込む。

「我々は包囲すべきなのだ。空からあの忌々しい大陸を封鎖し、日干しになるのを待てばよい。そうすれば、いずれ向こうから和平を言い出して来るわ。戦の決着を、急いて白と黒で付けようとするからこういうことになる。もし攻めて失敗したらなんとする? その可能性は低くないのだ」

 ルイズは言葉を返せない。父の言う事は分かりやすく「なるほど」と思える。戦争についての知識に乏しいルイズにも、父の言うことは正論だとわかった。

「タルブでたまたま勝ったからといって、慢心が過ぎる。驕りは油断を生む。おまけに魔法学院の生徒を士官として連れて行く? 冗談ではない。付け焼き刃の軍事教練で戦える訳がない。足りぬからと言って、数だけ揃えればよいというものではないのだ。その意味では、先程言った我が軍の『六万』と言う数字も、当てにならぬ」

 公爵はそこで言葉を切ると、さらに険しい顔になった。

「――そして何より愚かしいのは、陛下御自ら前線に立ち、戦に立ち会う事だ」

「――なっ!? 父様は、自らも兵と共に戦おうという陛下のお気持ちを“愚か”だとおっしゃるのですか?!」

 これにはルイズも我慢出来なかった。
 父に食って掛かるルイズの様子に、一同が驚く。だが、公爵はすぐに平静を取り戻し、ルイズの両肩に手を置く。

「ルイズ、父の言うことをよく聞きなさい。陛下が前線に行き、御身に万一の事があったら何とする? そんなことになれば、トリステインは大混乱に陥る。最悪、そのまま王国が崩壊する可能性もあるのだ」

「…………」

 ルイズは口を噤む。またも、父の言う事は正論だった。

「儂は最後まで、陛下に前線行きをお考え直し頂くよう上申するつもりだ。まだお若くとも、あの方はこの国の女王……。一国の主であることを、自覚してもらわねばならぬからな」

「父様……」

 公爵はそこまで言うと立ち上がる。

「さて、朝食は終わりだ。ルイズ、お前には……」

「――待って!」

 ルイズは叫び、父の言葉を遮る。

「まだ話は終わってないわ、父様」

 毅然と言い放つルイズに、一同が再び驚愕する。そんな中、ルイズは懐から取り出したアンリエッタの許可証を公爵に差し出した。

「――こ、これはっ!?」

 公爵はそれを見た瞬間、顔色を変え、許可証とルイズを交互に見る。その様子を、夫人やエレオノールが怪訝な顔で見つめる。
 そして、公爵はわななきながら口を開いた。

「ルイズ、お前……いつの間に女王陛下の女官に?!」

「――!?」
「――な、何ですってぇ!?」
「まあ、凄いわルイズ!」

 公爵の口から告げられた事実に、残った家族がそれぞれ驚いた。家族の驚愕を知りつつ、ルイズは語った。

「私、ずっと馬鹿にされてきたわ。魔法の才能がないって、姉様達に比べられて、いつも悔しかった。今だって、そんなに魔法は上手じゃないけど……それでも、もう昔の私じゃないの。アルビオンの卑劣な手口や、ワルド、リッシュモンといった貴族達の度重なる裏切りで、メイジ不信に陥った陛下が、私のことを信頼して下さってる。私を必要だと、はっきりおっしゃってくれているの!」

 ルイズの告白に、公爵も動揺を鎮める。そして膝をついて娘の顔を覗き込み、静かな声で尋ねた。

「……お前、得意な系統に目覚めたのかね?」

「……」(コクリ)

 ルイズは頷く。

「四系統のどれだね?」

「……『火』です」

 ルイズは公爵から目を逸らさずにそう言った。勿論、それは嘘だが“虚無”の事は話せない以上やむを得なかった。
 公爵はしばしルイズを見つめていたが、ゆっくりと頷く。

「お前のお祖父様と同じ系統だね。なるほど、『火』か……、ならば戦に惹かれるのも無理はない……」

「父様、違います。私は戦に惹かれているんじゃありません。私は戦いに行くのではなく、陛下の為に力を尽しに行くんです」

「……ルイズ」

 あくまで毅然とした態度で自分に反論してくる娘の姿に、公爵は哀しげに呟き、力なく頭を垂れる。

「……陛下は、お前の力が必要だと、確かにそうおっしゃったのだね?」

「はい」

「良いかねルイズ? 大事なところだ。間違えてはいけないよ。他の誰でもなく、確かに陛下が、お前の力が必要だと、そうおっしゃったのだね?」

 何度も念を押してくる父に、ルイズはキッパリと告げた。

「――はい。陛下は、私の力が必要だとおっしゃって下さいました」

 その言葉に、公爵はゆっくりと頷く。

「そうか……、そう言えばお前は幼い頃、アンリエッタ様の遊び相手を務めていたのだったな。なるほど、確かに陛下が信頼なさるのも、頷ける。……名誉なことだ。大変名誉なことだ」

 一瞬納得したかに見えた公爵だったが、彼はそこまで言うと、首を横に振った。

「だが……、やはり認めるわけにはいかぬ」

「父様!?」

「お間違いを指摘するのも、忠義というもの。陛下には儂から上申する。ジェローム!」

 呼び付けに僅かの間も置かず、ジェロームが公爵の元にやって来た。
 公爵は執事に、紙とペンを用意するよう命じ、そしてルイズに向き直る。

「――ルイズ、お前は婿をとれ」

「は? どうしてそうなるんですか!?」

 ルイズは叫び反論するが、公爵は全く聞き入れようとしない。

「戦の参加は認めぬ。断じて認めぬ。お前が女王直属の女官となり、陛下に信頼されている事はわかった。ならば、何としても陛下には前線行きを思い止どまって頂く。さすればお前も、前線に行く必要はなくなるであろう。お前は屋敷で謹慎し、婿を取るのだ。そうすれば心も落ち着き、二度と戦に行きたいとは思わなくなろう。これは命令だ。違えることは許さぬ」

「父様! そんなの横暴だわ!!」

 ルイズは叫ぶが、やはり公爵は首を振るばかりである。

――結局、公爵は娘の言い分を完全に無視し、執事にルイズを城から出さないよう命じて、朝食の席から退場していった。


「……」

 一方的に謹慎を言い付けられたルイズは、拳を握り締めて、父が去って行った方を見つめる。

――“婿をとれ”と言われたのは予想外だったが、おおよそ反対されるであろうとは予想していた。

 その予想が当たってしまったのは哀しいが、こうなったら仕方ない。望んでいた結果が得られなかった以上、本当に覚悟を決めるしかない。

(――このまま、家に監禁なんかされてたまるもんですか!)

 ルイズがそう考えた時、同じくバルコニーに残された夫人と姉達が、彼女を取り囲んだ。

「お父様はもうお若くないのよ。あまり心配をかけないで」

「父様にあれだけ心配をかけたのだから、あなたは婿をとって家でおとなしくしてなさい」

 母と長姉はルイズを責めるが、次姉カトレアはその様子を心配そうに見つめている。

「……」

 ルイズは二人の責めを受けながら俯き、ゆっくりと歩き出す。

「ちょっとルイズ! どこへ行くつもり?!」

 エレオノールが肩を掴んで止めるが、ルイズはその手を振り払い、弾かれたように駆け出す。

「――っ!? こ、こらっ! お待ちなさい!!」

 動揺混じりのエレオノールの叫び声を背中に受けながら、ルイズはその場から逃げ出した。




 昼過ぎになった頃、カインは愛竜レフィアと共に、屋敷の庭に佇んでいた。
 先程から屋敷の方を何やら騒がしく、庭でも使用人やメイド達が慌ただしく駆けずり回っている。

「……どうやら、駄目だったようだな」

 カインは、ルイズが父親の許可を得られなかった事を察する。と、その時――

――ザッ!

「……何か用か?」

 数人の使用人がカインの元にやって来た。しかも、その手には剣や槍が握られている。

「……何の真似だ?」

「奥様のご命令です。申し訳ありませんが、竜騎士殿。ルイズお嬢様が見つかるまでの間、この場で貴方の身柄を一時拘束させて頂きます」

 リーダー格と思しき使用人がそう言うと、他の使用人達も各々武器をカインに向ける。

「……」

 カインは冷静に、自分を囲む使用人達を見渡す。見る限り、彼らもそれなりの腕前のようだが、自分には遠く及ばない。
 その気になれば、蹴散らすのは容易い。

(さて……、どうするかな?)

 と、彼らへの対応を考えていた時だった――。

――フワァ~……

「――?!」

 突如、使用人達の周りに薄い雲のようなものが漂い始めた。

 そして、次の瞬間――

――バタリッ!

 使用人達が一斉に膝から崩れて、倒れた。

「何だ?」

「こりゃ、水の系統魔法『眠りの雲(スリープ・クラウド)』ってヤツだな」

 『眠りの雲(スリープ・クラウド)』は睡眠効果のある雲を発生させる魔法――見れば、確かに彼らは寝息を立てて突っ伏している。

「……む」

 一体誰の仕業かと考えた時、カインは後ろに気配を感じ、そちらに振り向く。

「――誰だ?」

 呼び掛けてみると、木の陰から指揮棒タイプの杖を持ったカトレアが現われた。

「ミス・カトレア……」

「そんな畏まらず、カトレアでいいわ」

「……ならば、カトレア。これは君の仕業か?」

 倒れている使用人達を指してカインが尋ねると、カトレアは微笑みながら頷く。

「ええ、いくら母の命令だからって、ルイズの大事な人に刃を向けるのは良くないもの」

 カトレアはそう言うと、カインを手招きした。

「ここだと、また他の使用人がやって来ちゃうわね。こっちへいらして」

「……あ、ああ」

 戸惑いつつもそう答え、カインはレフィアに上空で待機するよう指示を出してから、カトレアについて行った……。




 カインは屋敷の一室――カトレアの私室に招かれた。動植物だらけの不思議な部屋に、カインは辺りを見渡す。

「あなたのこと、カインって呼んで良いかしら?」

 カトレアは開口一番、そう尋ねてきた。

「好きにしてくれ」

 カインがそう言うと、カトレアは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「それじゃあ……カイン、先ずはお礼を言わせて。あの我が儘なルイズを助けてくれて、どうもありがとう」

 そう言うとカトレアは深く頭を下げた。その行為にカインは少し驚くが、こちらが何か言う前に彼女は言葉を続けた。

「あの子が陛下に認められるようになった手柄は、あの子一人で立てた訳じゃない。きっとあなたが手助けしてくれた。そうでしょう?」

「……さあな」

 カインがとぼける様に言うと、カトレアはコロコロと笑みを浮かべる。

「ふふふっ。さて……、ここで残念なお知らせがあるの」

 その言葉には思い当たる節があり、カインは彼女より先に言った。

「『ルイズは父親から、従軍の許しを得られなかった』……だろう?」

「ええ、正解。しかもそれだけじゃなくて、父様に『婿をとれ』なんて言われちゃって。姿を消しちゃったの」

「なるほど……」

 先程の使用人達は、ルイズが火竜――つまりレフィアに乗って、城を脱走出来ないように、公爵夫人が手を回したらしい。

「あの子も大変よねえ。折角、女王陛下の女官になったのに、一方的に謹慎させられた上に、縁談だなんて。まだ幼いのにねえ」

「……なんだか、他人事の様に聞こえるが?」

 どうにもそう聞こえてしまう口調にカインがやんわりと突っ込むと、カトレアは悪戯っぽく笑う。

「そうかしら? 私、ずっとこの領地に閉じ籠っていて世間知らずだから、もしかしたら少し感覚がずれているのかも知れないわね」

(“閉じ籠っている”?)

 声には出さなかったが、カインはカトレアの言葉に疑問を感じた。
 彼女程の美貌ならば、社交会等で大層人気が出そうなものである。それに、確か彼女は“ラ・ヴァリエール”ではなく、“ラ・フォンティーヌ”と名乗っていたはず……などと考えていたら、カトレアはまた微笑んできた。

「私が“ラ・フォンティーヌ”と名乗っているのは、フォンティーヌという家に嫁いだからじゃないのよ」

「……本当に心が読めるのか、君は?」

 自分の疑問を的確に捉えたカトレアに、カインは驚愕を通り越して感心していた。

――だが、彼女は笑みを絶やすことなくカインの問いに首を振る。

「そんなことは出来ないわ。ほんの少しだけ、動物達の気持ちが分かったりはするけど、人の心はとても複雑だもの」

「……ならば、俺の心は動物並みに単純ということか。参ったな」

「違うわ。あなたはきっと、心がとっても綺麗なのよ。でも、だからって何でも分かる訳じゃないわ。どんなに綺麗な湖だって、水面からの水の底は見えないみたいにね」

「……とんだ思い違いだ。俺は、そんな高尚な人間じゃない」

「うふふ、そんなことないわ」

 カトレアは変わらずコロコロと笑いながらそう言う。その笑みに毒気を抜かれ、カインは肩を竦めた。

「うふふふ、話が逸れちゃったわね。えぇと……、何故私が“ラ・フォンティーヌ”と名乗っているか、だったわね」

「無理に話す必要はない。人の事情を詮索する趣味はないからな」

 カインはそう言うが、カトレアはにっこりと微笑んで首を振る。

「そんなに大した事情じゃないわ」

 そう言うとカトレアは、まるで世間話をするかのように自らの事情を語った――。

――カトレアは、生まれつき原因不明の病を抱えているらしい。

 ちょっとした事で身体のどこかが悪くなり、そこを薬や魔法で抑えると、今度は別の箇所が悲鳴をあげる――幼い頃から今日まで、延々そんなことを繰り返してきた。
 そして現在も病状は改善せず、様々な薬や魔法で症状を緩和し続けている状態だ。ラ・ヴァリエール公爵らが、国中から呼び寄せた高名な医師の強力な“水”の魔法や薬を何度も試したが、結局効果はなかった。

 そんな病の所為で、カトレアは学校にも行けず、嫁ぐことも出来ない。
 難病を患う娘を憐れんだ公爵は、娘がせめて心穏やかに過ごせるようにと、彼女に領地の一部を分け与えた。それにより、名目上ではあるが、カトレアの性は“ラ・フォンティーヌ”となったのだという。

 そんな事情を抱えているというのに、カトレアは全く悲観している様子がなかった――。

「私は幸せよ。家族に気遣わせてしまうのは申し訳ないけれど、それはみんなが、私を愛してくれている証拠だもの。私も、家族を愛しているわ。もちろん、ルイズのことも」

「……」

「だから、正直を言うと私も、ルイズに戦になんか行ってほしくはないの。どんな理由があっても、戦は感心出来ないもの」

「……そうだな。俺もそう思う」

 やはり、皆考えることは同じらしい。
 ルイズの能力を知るカインでさえそうなのだ。知らぬ家族からすれば、そう思うのが当然である。

「でも……」

 カトレアは静かに言った。

「あの子がそう決めて、その行為を必要とする人がいる。だったら行かせてあげるべきだと思うの。それは、私達が決めることじゃない」

 カトレアは家族にあって唯一、ルイズの決意に理解を示した。
 恐らく、ルイズの先に待ち受ける困難と、命の危険を承知の上で……それは並大抵のことではない。よほどの“勇気”がなければ、そんな風には思えないはずである。

 カインは、慈愛の奥に潜むカトレアの“心の強さ”を見た気がした。

 と、その時――

「――カイ~~ンッッ!」

 外からルイズの叫び声が聞こえてきた。
 その声に微笑みを浮かべ、カトレアがベランダの窓を開く。するとその先には、ルイズとシエスタを乗せたレフィアが空中で羽ばたいていた。

「――早く乗ってっ! 使用人に見つかっちゃってるのよ!! 急いで!!」

 叫ぶルイズの下の方では、確かに使用人達が集まっている。
 この分だと、すぐにこの部屋にも使用人が駆け付けて来るだろう。カインはカトレアを見る。

――すると、カトレアはカインを真摯な瞳で見つめ、その手を握った。

「私の可愛い妹を、どうか宜しくお願いします。騎士殿」

「……心得た」

 確かな約束としてそう答え、カインはレフィアに跳び乗る。その時、ふとある事を思い出し、カトレアに振り返った。

「――カトレア!」

 自分達を見送るカトレアに、カインは懐から取り出した“小瓶”を放る。

「――あらあら!」

 カトレアは慌ててキャッチすると、「これは?」という視線を向ける。それを受け、カインは短く答えた。

「――世間話の礼だ。後で飲んでみると良い」

 それだけ言い残し、カインはレフィアに指示を出し、彼方へと飛び去って行った――。



 それから少し遅れて……

――どどどどッ、バァーンッッ!!

「――ルイズーーッ!!」

 公爵が使用人達を率いて部屋になだれ込んできた。しかし、そこにルイズの姿はなく、居たのはベランダから外を見つめるカトレアだけ……。

「ルイズなら、もう行ってしまいましたわ」

 カトレアが空を指差すと、公爵は慌ててベランダの手摺から身を乗り出す。すると、遠くの方に飛行している火竜の姿を捉えた。

「おのれぇ~~……!! 追え! 皆の者、追うのだぁーー!!」

 公爵は叫びながら部屋を飛び出して行き、それに続いて使用人達も出て行った――。



 騒がしく出て行った父に微笑み、カトレアは振り返った、妹達が去って行った空を見つめる。
 もう、その姿は見えなくなっていた……。

「……」

 ふとカトレアは、手の中の小瓶に目をやる。カインから受け取ったその中には、澄んだ色の液体が入っていた。

「ポーションかしら?」

 “飲んでみるといい”というカインの台詞を思い出し、カトレアは徐に蓋を開けて中身を飲んでみた。

――すると次の瞬間、驚くべきことが起きる。

「――え?」

 飲んだ瞬間、カトレアは自分の身体の変化に気付く。
 今までどんなに調子が良い時でも、常に付き纏って消えなかった怠さが消え、全身に活力が満ちていた。分厚く重たいものから解放されたように、心身が軽やかになったのである。

「まあ……!!」

 カトレアは戸惑いながらも、今まで感じた事のない清々しさに感動する。

――カトレアが飲んだのは、カインの故郷に存在する希少薬『エリクサー』。

 それを飲めば、どれほど衰弱していようと、どんな重傷を負っていようと、たちまち全快させてしまうという夢のようなポーションである。
 血色が良くなり、興奮も相俟って彼女の頬は薄紅色に染まり、初めて味わう踊り出したくなるほどの爽快感を、カトレアはしばしの間噛み締めた。

――その余韻を残しつつ、カイン達が去って行った空を振り返る。

(……素敵なお薬をありがとう、カイン)

 カトレアは微笑みを浮かべて空を見つめ、そしてハルケギニアの神たる始祖ブリミルに、彼らの無事を祈った――。

(――始祖ブリミルよ。どうか、私の愛しい妹と、この喜びをもたらしてくれたあの人に、あなたのご加護をお与えください……)








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:16
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十話







――トリステイン王宮は東の宮に設けられた王軍資料室……そこには、過去の部隊編成や任務内容などの極秘資料が保管されており、王軍でも限られた高位の人間しか立ち入ることを許されない。

 アニエスはこの部屋に、二週間もの間、籠り続けていた……。

――アンリエッタが前線行きを表明した事で、アニエスの銃士隊も護衛の為にアルビオンに赴くことになった。しかし、その扱いは極めて変則的である……。

 銃士隊は隊を二分割され、一方はアンリエッタの護衛に当たるのだが、もう一方はトリステインの守護に回されることになっているのだ。

 これは、遠征軍最高司令長官に任命されたド・ポワチエ将軍の発案によって決まった運用法であった。
 表向きは『国の守りをおろそかにしない為に、近衛の銃士隊に守備を任せる』という事になっているが、真相は違う。

 この戦で手柄を上げ、“元帥”の地位を狙うポワチエは、アンリエッタに気に入られている銃士隊に手柄を取られまいと、隊の半数以上をトリステインに『祖国を守る』という名目で置き去りにし、随伴させる隊員を少数に限定することで、アンリエッタの警護に専念せざるを得ないように仕向けたのだ。


 普通ならば憤慨しそうな不当な扱いだが、アニエスにとってはどうでもいい事だった。
 元より彼女は、手柄や名誉に興味がない。今の地位とて、故郷を滅ぼした者達への『復讐』を果たす為に手に入れたようなものだ。この資料室にいるのも、その仇の情報を得る為だ。

 そして今日、遂に仇に繋がる有力な手掛かりを見つけた――。

――『魔法研究所[アカデミー]実験小隊』

 それが、アニエスの故郷を焼き滅ぼした実行部隊の名前……。三十名程のメイジのみで構成されたその部隊は、公にはされていない極秘裏に組織された隊であった。

 その実験小隊がダングルテールを燃やした時の命令内容の項目を発見し、アニエスはそこに書かれた内容を見て驚愕する。

「――疫病?!」

――資料には、次のように記されていた。

『アングル地方において、危険な疫病が発生。その蔓延を防ぐ為、発病した住民を村ごと速やかに焼却処分せよ』

 恐らくこれは、『新教徒狩り』や『叛乱鎮圧』では体裁が悪いと考えたリッシュモンが、実行部隊を納得させるためにでっち上げたのだろう。
 だが、そんなことは今更どうでもいい事だ。アニエスが知りたいのは、この小隊の隊長が誰かということだ。

 アニエスは頁をめくり、その項目を探す。だが――

「――っ!? 無いっ! 隊長の名前が書かれた頁が破られている!!」

 慌てて室内を隈なく探すが、破られた頁も、他に手がかりになりそうな資料もどこにもなかった……。

「――くそッ!!」

 アニエスは、悔しげに資料を机に叩きつける。

――結局、この二週間で得られた情報は、実行部隊の名前だけ……。

 前線に赴くまで、まだ幾らか時間があるとは言え、あと一歩のところで手掛かりが途絶え、悔しさに歯ぎしりしながら、アニエスは資料室を後にした……




――一方、その頃……

 トリステイン魔法学院では、コルベールが自身の研究室で設計図とにらみ合っていた。

「う~~むむむむ……」

 以前、カインからバロン王国の“飛空艇”の話を聞かされてよりずっと、コルベールは『エンジン』の研究を続けている。
 己の“炎”を平和的に利用するために辿り着いた、熱の力を何かを動かす力に変換する“動力”の研究――その過程で、今までに幾つかの蒸気を利用する機関を作り上げたが、満足できなかったコルベールにとって、“飛空艇”――そして『エンジン』は正に求め続けてきた“動力”の理想的具現化だった。

 その存在を知って以来、研究により一層打ち込むようになり、ゆくゆくは自分で独自のエンジンを完成させ、“飛空艇”をこのハルゲキニアで再現したいと本気で考えている。

 その夢を実現させようと、コルベールは『エンジン』の再現に力を注いだ。あれこれと試行錯誤を繰り返し、前に作った“愉快なヘビ君”のような試作品も幾つか作ってみた。
 しかし、どれも巨大な船はおろか、小さな舟一つ浮かせることも出来ないような失敗作ばかり……。

 そこで先日、カインから飛空艇技師の“シド”という人物が考案したというエンジンの理論(カインは耳にタコができるほど聞かされたらしい)を教えてもらった。それを聞いた時、コルベールは“目から鱗が落ちる”思いだった。

――大胆かつ合理的な動力伝達方法……、自分には到底思い付けなかった発想。

 感動と共にその理論を吸収し、それを基に新たなエンジンの設計図を引いた。だが、ここで一つ大きな壁にぶち当たる。

――意気揚々と設計した“コルベール式飛空艇エンジン”が、ある“問題”から再現は不可能であることが判明したのだ。

 その“問題”とは……ハルケギニアの工業技術の低さである。エンジンを組み立てるには、それなりの強度を持つ鉄を製鉄する“冶金技術”と、その鉄を一定の品質で加工し、細かな部品を量産する“加工技術”が必要だ。
 しかし、魔法に依存した文化形態のハルケギニアでは、“製鉄”や“加工”と言った職人の手による技術の発達が著しく遅れており、それに伴って“量産”という概念も存在せず、エンジンに必要な部品を製造することができないのだ。

「……ふぅ」

 コルベールは残念そうに設計図を机においた。

 いつまで眺めていても、再現できない事実が変わる訳はない。
 一度気分をリフレッシュさせようと、コルベールは椅子の背もたれに上体を預け、眼鏡を外して目をマッサージする。強張った肩をゴキゴキ鳴らし、緊張した首を回してほぐす。

 そしてふと、窓の外に目をやると、真紅の火竜に餌を与えているカインの姿が見えた。
 コルベールは、先日カインから聞いた、もう一つの話を思い出す――。

(……戦争か……)

 カインは、ルイズと共に女王の密命を受けて従軍すると言っていた。生徒と友人が、国同士の“殺し合い”に赴く――それを思い、コルベールは顔を曇らせる。平和を愛し、争いを嫌う彼にとって、知り合いが戦争に行かなければならないのは、とても悲しい事だった。

「…………」

 コルベールは、懐から一つの“指輪”を取り出し、じっと見つめる。それは二十年前……ある“最悪の惨劇”によって命を奪われた“ある人物”から託された品物だ。

――そして同時に、コルベールにとっての“罪の象徴”でもある。

「……私は……」

 誰の耳にも届かない声で呟き、コルベールは指輪をぎゅっと握りしめ、目を閉じ、ハルケギニアの神たる“始祖ブリミル”に祈る――。

(――偉大なる始祖ブリミルよ……、罪深き我が魂に罰をお下しください。そして、罪無き我が生徒達を……どうかお守りください……)







――そして、一ヶ月後……、運命の日が訪れた。

 年末はウィンの月、第一週マンの曜日――トリステイン・ゲルマニア連合軍六万を乗せた艦隊は、アルビオン侵攻に向けてラ・ロシェールを出港した――。
 戦力は両国合わせて、戦列艦六十、補給ガレオン船四百四十――総隻数五百の大艦隊、空に浮かぶアルビオンを打倒せんがために総力を結集した連合軍は、一路アルビオンを目指す。


 そして……、出港から少し経った頃、遥か上空より連合艦隊に一隻の“巨大船”が合流した。

――マザリーニ枢機卿の虚言により、『神の箱舟』の名でトリステイン軍に知られた異世界の船『魔導船』である。

 その存在を知るトリステインに所属する艦から、士官達の歓声が上がり、艦隊全体を包み込む。

 怒涛のような歓声の中――魔導船は、艦隊中央の上空に付いた。
 そして魔導船から、一人の竜騎士と一人の少女を乗せた赤い火竜が飛び出し、新鋭竜母艦『ヴュセンタール号』に着艦した……。



 指定された船に乗り移ったカインとルイズは、レフィアから降りるなりすぐ、護衛の兵を引き連れた将校に出迎えられた。

「甲板士官のクリューズレイです」

 そう名乗った士官は「こちらへ」とカインとルイズを促すと、それ以降一言も口を利かなくなった。振り返りもせずに先を歩く。

 細い中甲板を通って二人は先ず、それぞれの個室に案内された。学院寮の部屋に比べて四分の一くらいしかない狭い部屋に、小さな寝台とテーブルが置かれただけの部屋だ。
 カインとルイズは、そこに荷物を置く様に指示され、その後再びついて来るよう士官に促される。

 外見の巨大さに反して、狭い艦内通路を士官について歩いて行くと、二人はあるドアの前に辿り着いた。士官がノックすると、中から返事があり、ドアが開かれカイン達は中に招かれる。
 その部屋はどうやら会議室らしく、そこで二人を出迎えたのは、トリステイン・ゲルマニア両国の将軍達であった。ずらっと居並んだ将軍達は肩に金色のモールが付いた、如何にもそれらしい服装をしている。

 ルイズとカインが、従者に勧められた椅子に腰掛けると、上座に座った将軍が口を開いた。

「アルビオン侵攻軍総司令部へようこそ、ミス・“虚無(ゼロ)”、ミスタ・ハイウインド。私が総司令官のド・ポワチエだ」

 彼は自分の身分を述べると、次いで他の将官達の紹介を始めた。

――ポワチエの左隣に座る皺の深い小男が、“参謀総長”ウィンプフェン。右隣に座る角のついた鉄兜をかぶったカイゼル髭の男が、“ゲルマニア軍司令官”のハルデンベルグ侯爵である。

 その他、会議室に集まった参謀や将軍達の紹介が終わると、今度はルイズとカインが紹介される番となった――。

「――さて各々方。我がトリステインが誇る、此度の我らが連合軍の切り札、“虚無の担い手”と彼女を守護する竜騎士にしてあの『神の箱舟』の操り手を紹介しますぞ」

『…………』

 ポワチエの紹介に、会議室の面々は声こそ上げないが、興味深そうにルイズとカインを見つめる。

――しかし、その時見られていたのはカインだけであった。

 伝説の系統“虚無”という曖昧なものよりも、実際に間近に存在する見た事もない船を操るカインの方が、将軍達の興味を引いたようだ。

「タルブの空で、アルビオン艦隊を吹き飛ばしたのは彼女達なのです」

 その言葉で、それまでカインだけに注目していた将軍達も、ようやくルイズに関心を持ち始めたらしい。

 会議室が俄かにざわつき始めた所で、ポワチエがルイズに笑いかけた。明らかに、こちらのご機嫌を取ろうとしている演技の笑みである。

「いきなり司令部に通されて驚いただろう。いやすまん。しかし、この船が旗艦ということは極秘なのでね。見ての通り、竜騎士を搭載するために特化して建造された艦でな、大砲も積んどらん。敵にバレて狙われては面倒なことになるからな」

「はぁ……、しかし、どうしてそのような艦を総司令部になさったのですか?」

 ルイズが可愛らしい声でそんな質問をしたことが可笑しかったのか、辺りが笑い声に包まれた。隣に座ったカインが、ルイズに説明する。

「通常の艦には大砲やその砲弾、火薬を積まねばならないから、このような広い会議室を設けるだけのスペースが確保できんのだ。それに今言ったような艦は、戦闘が始まればどうしても前衛に展開せねばならず、将軍を集めて会議を行うには向かない。あの将軍が言った様に、万が一墜とされでもしたら大事だからな」

「……なるほど」

 カインの説明に、ルイズは納得する。大軍を指揮する旗艦に必要なのは、戦闘力より情報処理能力――それに、竜騎士の搭載に特化したこの『ヴュセンタール』号は、艦隊戦においては後衛に回って竜騎士の発着を行う艦だ。そう考えると、この船に総司令部を設けたのは合理的と言える。

「雑談はそのくらいにして、軍議を続けましょう」

 ルイズが納得していた時、ゲルマニア側の将軍が促す。

「うむ」

 ポワチエが頷くと、将軍達の顔から笑みが消え、改めて軍議が開始された。

――軍議の焦点は“連合軍をどうやってアルビオンに上陸させるか”である。

 これには、二つの障害がある。
 まず一つ目――未だ有力な敵空軍艦隊。先のタルブ戦で『レキシントン号』を筆頭に、戦列艦十数席がルイズ達によって撃墜されているとはいえ、アルビオン空軍には未だ戦列艦が四十隻近く残っている。対するトリステイン・ゲルマニア連合軍は、六十隻の戦列艦を保有しているが、二国混合艦隊であることの弊害で、指揮系統に若干の不安がある。
 “攻撃側は防御側の三倍の兵力を要する”という法則と、錬度の差を考えた時、戦力差二十隻は当てにならないどころか、総合的にはこちらが不利とも思える。

 次に、上陸地点――アルビオン大陸に、六万の大軍を上陸させられる要地は二つ――首都ロンディニウムの南部に位置する空軍基地ロサイスか、北部の港ダータルネスである。
 港湾整備の規模から考えるとロサイスの方が望ましいのだが、流石に空軍基地だけあってそれなりの敵戦力が配備されている。それだけならば大した事はないが、問題は後方に控えたアルビオンの主力大部隊である。このまま真っ直ぐ進軍し、ロサイスに強襲を掛けた場合――連合軍はすぐに発見され、その情報はロンディニウムに控えた部隊に伝わり、ロサイスに配備された部隊と交戦している間に、後方の主力部隊が救援に駆けつけて来てしまう。ロサイスの部隊は、援軍が来るまで持ち堪えることだけに集中できるので、連合軍の苦戦は間違いない。

――つまり、強襲制圧するにはこちらも相応の犠牲を覚悟しなければならないということだ。

「強襲で兵を消耗すれば、ロンディニウムを墜とすことは叶いません」

 参謀長は冷静に兵力を分析して一同に告げた。
 多大な損害を被ってロサイスを制しても、こちらが態勢を立て直す前に他から増援が送られ、呆気なく潰されるのは目に見えている。戦力差もぎりぎりの連合軍にとって、強襲は現実的ではない。

 連合軍に必要なのは“奇襲”である。敵の抵抗を受けず、一方的に損害を与え、六万の兵をロサイスに上陸させなければならない。
 その為には敵軍を何とかして欺き、上陸目標地点のロサイスから引き離す必要があるのだ。

――それが二つ目の障害であった。

「どちらかに“虚無”殿らの協力を仰げないか?」

 会議室がざわめく中、一人の参謀がルイズとカインを見ながら言った。その言葉に、会議室が静まる。

「タルブで『レキシントン』を吹き飛ばした様に、今回もアルビオン艦隊を吹き飛ばしてくれんかね」

「『神の箱舟』を使えばいい。あれは、戦闘力は無くとも常識では考えられん程の高度を飛行できるという話ではないか。その能力を使えば、発見されぬよう港に近づき、敵を一掃することができるだろう」

 どうやら、アンリエッタが魔導船の情報を一部改編し、将軍達に伝えていたようだ。
 参謀たちは、俄かに期待を込めた目でルイズとカインを見つめる。だが、カインは腕組みをして、目を閉じたまま沈黙し、ルイズは躊躇いがちに首を振った。

「無理です……、あれほど強力な『エクスプロージョン』を撃つには、よほど精神力が溜まっている状態じゃないと……。それには、あとどれ程時間が掛かるのか、分かりません」

 ルイズがそう言うと、一同は落胆したように首を振った。

「そんな不確かな“兵器”は切り札とは言わん」

「……」

 一人の将軍が漏らした皮肉に、カインは鋭い視線を向ける。と、その時――

「――オホン!」

――会議室が将軍達の口から漏れる失笑に包まれようとした時、ポワチエが咳払いを一つして注目を集める。

 それにより、再び室内が静けさを取り戻す。それを見計らって、ポワチエは口を開いた。

「艦隊は我らが引き受けよう。“虚無”殿らには陽動の方を引き受けてもらおう。できるか?」

「陽動とは?」

「先程議題に上がった通りだ。我が軍の上陸目標地点はロサイスと決まった。よって、我々が『ダータルネスに上陸する』と敵軍に思い込ませ、ダータルネスに引き寄せればよい。伝説の“虚無”なら、簡単なことではないか?」

「……」

 ルイズは考え込んだ。
 今のところ、使える魔法は『エクスプロージョン』『ディスペル』のみ……。しかし、これらは“虚無の系統”における基礎に過ぎない。また、以前デルフリンガーが言っていたように、“始祖の祈祷書”は必要な時が来れば、新たな魔法が浮かび上がり、読むことが出来るようになるはずであった。

 そう思い到り、小さく頷き顔を上げる。

「明日までに、使用できる呪文を探しておきますわ」

『おお~!』

 会議室が俄かに活気づく。ポワチエも「頼もしい」とルイズに微笑む。だが、その後すぐに「もう用済みだ」と言わんばかりに、ルイズ達はさっさと退室させられた。


「嫌な感じ」

 廊下に出たルイズは、会議室に向かって舌を出した。

「あの人達、私達をただの駒としてしか見てない気がするわ」

「だろうな」

 カインは相槌を打つと、会議室の扉に視線を向ける。

「俺の目には、奴らは戦争に勝利することよりも、自分が如何に手柄を挙げて出世するかを考えているように見えた。特に……あのド・ポワチエとか言う将軍は、それが取り分け顕著だった」

 戦争においては、確かに兵を数で捉えることや、人間を道具のように扱うことが必要な場合もある。
 だが、その分を差し引いても、ポワチエの眼には強い出世欲が宿っていた。戦争を、あくまで自分の出世の為の手段だと思っている……、いけ好かない印象だった。

 余計ないざこざを起こすのは得策ではないと、沈黙を貫いていたカインだが、内心は反吐が出る思いであった。

「どうでもいいわ。あの人達がどう思おうと、私には関係ないもの。それより……、早いとこ“陽動”に使える魔法を探して、作戦を考えないと……」

 そう言って顎に手を当て考え込むルイズ。

――しかし、ルイズを“兵器”呼ばわりしたあの将軍ではないが、いくら強大でも不確実な力を織り込んで作戦を立案するのは、確かに無謀に思える。これで明日までに有効な策が思い付かなければ、それこそ上陸どころの騒ぎではなくなるのだ。

 将軍達やアンリエッタ……それにルイズも『負けられない戦』と言っている割にはどこか“楽観視”しているように思える。

「……いずれにせよ、一度部屋に戻った方が良かろう」

「そうね」

「先に行け。俺は一度上甲板に戻り、レフィアを竜舎に入れてくる」

「わかったわ。早く戻りなさいよ」

 そう言葉を交わすと、ルイズは部屋へ――カインは上甲板へとそれぞれ向かい、その場を後にした。





「ぎゅう~~……」

 カインに中甲板の竜舎に連れて来られたレフィアは、不満げに頬を膨らませた。

「……そうむくれるな」

「ぎゅう~」(だって~)

 宥めるカインに、レフィアは隣近所に首を向けてみせる。そこには、『ヴュセンタール号』に搭載されている竜騎士隊の騎竜が繋がれていた。
 いずれも風竜の成獣らしく、レフィアやシルフィードより二回りは大きい竜である。比例して翼も大きく、それに繋がる筋肉も発達しており、相当の速度で飛行できることが分かる。

「ふむ、見事な竜だな」

「――ぎゅいーーッ!!」(――違うのーーッ!!)

 カインの呑気な感想に、レフィアは吠える。レフィアが言いたいのは、そういう事ではなかった。

「きゅいきゅいきゅいきゅいっ! きゅきゅっ、きゅう~~きゅきゅきゅきゅいッッ!!」(レフィアはまだ小さいけど、火の韻竜なのっ! なのに、こんな唯の風竜達と同じ“獣みたい”な扱いなんて納得いかないのッ!!)

「……」

 レフィアはここぞとばかり不満を大暴露――ぎゃあぎゃあきゅいきゅい、喚き立てる。それを黙って聞くカインだが、本当はレフィアの言いたい事はわかっていた。

――確かにレフィアは竜だが、人間並みの知性と感情がある。

 通常の竜は、頭が良いとはいえ所詮“上等な獣”……“韻竜”とは根本的に違う種族だ。レフィアにとって今の状況は、例えるなら……人間が“猿”と同じ扱いを受けて檻に入れられているようなものなのだ。
 だが、カインについて此処に来ている以上、レフィアにはこの状況を我慢してもらわなければならない。“韻竜”の存在を隠匿する為には、ただの火竜という扱いで通すしかないのだ。

「……我慢しろ」(お前が韻竜だとバレては拙いのだろう?)

「きゅうぅぅぅ」(それはそうだけどぉ~)

 声と念話を駆使して、秘匿会話を繰り広げるカインとレフィア――。
 結局、レフィアはカインに説き伏せられ、この竜舎で大人しく待つことを了承した。無論、承諾はしても納得はできないレフィアは、最後まで不満げに頬を膨らませていたが、それに付き合っていたらキリがないと、カインはノータッチを決め込んだ。

「……それじゃあな。ちゃんと大人しくしていろよ」

「きゅいきゅい……ぎゅぅ」(はいはいなの……ぶぅ)

 若干の不安を残しつつ、カインは竜舎を後にした。



 一方、部屋に戻ったルイズは――

「……」

――祈祷書を目前に精神を集中していた。作戦に使う魔法を『始祖の祈祷書』から引き出すためだ。

 会議室でポワチエ将軍に「連合軍がダータルネスに上陸すると、敵軍に思い込ませれば良い」と簡単に言われ、ルイズは頭を悩ませた。

 どうやって敵軍を騙し、ダータルネスに誘き寄せるか……。どんな魔法を使えばそれが可能か……。その魔法が祈祷書に記されているか……。決まっているのが「ダータルネスに敵軍を誘き寄せる」という漠然とした内容だけだった為、ほぼ暗中模索といった状態だった。

 しかし、カインと別れ部屋に戻る途中、思わぬ幸運が舞い込んで来たのだ――。


 部屋に戻る途中の事――ルイズは、船に搭乗していた若い貴族のグループとすれ違った。耳に入って来た彼らの会話から、彼らが竜騎士であることが分かった。

――しかし、重要なのはそこではない。

 その時彼らは、こんな会話をしていた――。

「――どうだい? 今夜、酒盛りでもやらないか?」

 そんな一人の提案に、別の者がその提案を窘めた。

「いやいや、甲板士官の見回りがある。夜中に部屋から抜け出したりしたら、直ぐにバレてどやされちまう」

 その言葉で彼らは一斉に悩みだしたのである。ルイズはそんな彼らを「不謹慎な」と思いながら一瞥し、その場を立ち去ろうとした。だが、その時――一人が聞き逃せない事を口走ったのである。

「う~ん……、『遍在』でも使えればそいつを“カカシ”にして、幾らでも誤魔化せるんだけどなぁ……」

「――っ!?」

 その言葉で、ルイズは閃いた。

(そうだわ……! “カカシ”……六万の“カカシ”を作ってやればいいのよ!)


――そして今、その時の閃きを元に、ルイズは精神を集中して祈祷書の頁を開く。

「……!」

 そして程なくして、一枚の光る頁を見つけ、ルイズは微笑んだ……。




 翌日――アルビオンとトリステイン・ゲルマニア連合の運命を決する朝がやって来た。

 時刻は八時を過ぎた頃、『ヴュセンタール号』の総司令部にある報告が届く。

『――敵艦見ゆ』

 予想よりもずっと早い敵艦隊の捕捉に、総司令部は急ピッチで開戦の準備を進めていた。そんな中、ポワチエは一人の参謀に声を掛ける。

「“虚無”は?」

 ポワチエが聞いたのは、ルイズの事であった。昨日の会議で、陽動の任務を与えたルイズが、どのような魔法を使う事になったのか、まだポワチエには伝わっていなかったのだ。

「昨晩の内に、使用する呪文を決定しました、それ受けて、参謀本部で作戦を立案しました」

 参謀はそう説明すると、ポワチエに作戦計画書を手渡す。

「して、その呪文とは?」

 ポワチエが呟くと、参謀が耳に口を寄せ、周囲に声が漏れないように魔法の内容を伝えた。

「……ほう、面白い。上手くいけば吸引できるな。伝令」

 ポワチエが呼び付けると、伝令兵が駆け寄って来た。

「――“虚無”を出撃させる。作戦目標“ダータルネス”。仔細は任す。復唱」

「“虚無”を出撃! 作戦目標“ダータルネス”! 仔細自由!」

 伝令兵が復唱を終えると、ポワチエは頷く。

「よろしい。駆け足」

「了解!」

 伝令兵は素早く敬礼すると、総司令部を掛け出て行った。

「これで我々は心置きなくロサイスを目指せますな」

「うむ」

 続いて、ポワチエは捕捉した敵艦隊を迎え撃つべく、戦艦隊に命令を発した。

「――各戦列艦の艦長に通達しろ。体当たりしてでも、上陸部隊を満載した輸送船団に敵艦を近づけるな、とな」




――カイン達は、上甲板で出撃の指示が来るのを待っていた。

 ルイズは既にレフィアの背に跨り、目を閉じて精神を集中させている。カインは、手元にある作戦計画書の写しを眺めていた。

 昨晩の内にルイズが使用する呪文を見つけ、それを受けて参謀本部が立案した作戦が書かれた羊皮紙には、アルビオンの地図と目的地、そして作戦の概要が記されていた。ここからダータルネスまでは、魔導船ならばあっという間に到着できる。地形も上空から、魔導船の機能を使って確認できるので、問題はない。

 後は、昨日ルイズが見つけた新たな呪文を利用した作戦が、うまくいく事を祈るのみである。

 と、その時――。

――カンカンカンカン!

 激しく鐘が打ち鳴らされ、その音が響き渡り、辺りが俄かに慌ただしくなる。
 空を見上げると、遠くの雲の隙間に、明らかに味方とは違う動きの艦隊が、こちらに向かって急降下してくるのが見えた。

――アルビオン艦隊である。

 連合艦隊の六十隻の戦列艦隊が、現れた敵艦隊に向かって進路を変えて上昇していく。

 その様子に、いよいよ戦闘が始めることをカインが悟った時、伝令が駆け寄って来た――。

「“虚無”出撃されたし! 目標“ダータルネス”! 仔細自由!」

「了解した」

 思ったよりも早い出撃命令だったが、カインは慌てることなく了解し、レフィアの背に跨った。

「行くぞ」

「きゅい!」

 返事の一鳴きの後、レフィアは羽ばたき上甲板から飛び上げる。そして、『ヴュセンタール号』から少し離れた時、敵艦隊から分派した三隻程の船が、急速にこちらの艦隊に向かって来るのが見えた。それらの船は全体に激しい炎を纏いながら突っ込んで来ている。

「――いかんッ!」

 炎上する船の正体に気付いたカインは、レフィアを急がせる。そして、再び『ヴュセンタール号』との距離が開いた時――

――ドカァァァァンッ!!

 盛大な爆発音を響かせ、『ヴュセンタール号』の近くで一隻が爆発した。幸い、『ヴュセンタール号』に直接の損害はないようだが、爆風で船体が大きく揺れている。

 カイン達は大分距離が開いていたおかげで爆風の影響も少なく、無事魔導船に戻ることが出来た。船底の開口部から内に入り、ハッチを閉鎖して遠隔制御で上昇を開始する。

「ひとまずこれで良い。ルイズ、降りろ。艦橋に行くぞ」

「…………」

 しかし、ルイズはレフィアの背から降りようとはせず、また身動ぎもしない。『始祖の祈祷書』を手に集中している為か、こちらの声が聞こえていない様だ。
 仕方なく、カインは大声を張り上げて再度呼び掛けた。

「――ルイズ! 起きろっ!!」

「……え? な、なによ! なになに!?」

 ようやく顔を上げたルイズは、きょろきょろと辺りを見渡す。カインは、密かに溜め息をつくと、状況を説明した。

「魔導船に戻ったのだ。既に目的地のダータルネスに向けて飛行している。程なく到着するだろう。艦橋に行くぞ」

「え、ええ、わかったわ」

 ようやく状況を理解したルイズは、レフィアの背から降り、カインの傍に駆け寄った。

「レフィアはここで待て」

「きゅい……」(うん……)

 カインの指示に一応頷いたものの、レフィアは不安げに周囲を見渡す。

――そこには、身体を丸めて壁に収まった“機械竜”の姿があった。

 ここは、この船に搭載された“機械竜”の格納庫なのだ。そして、先ほどカイン達が入った開口部は、“機械竜”を発進させる為の射出口だったのだ。
 レフィアからすれば、“機械竜”は鋼鉄で出来たやたら精巧な竜型のゴーレムである。生きている気配がないのに、今にも動き出すのではないかという不安と気味の悪さから、レフィアはここが嫌いだった。

「きゅいきゅい……、きゅうきゅきゅい」(動かないよね……? って言うか動かないでなの)

「何度も言ったが、そいつらは絶対に動かん。おとなしく待っていろ」

 祈るように呟いたレフィアにそう言うと、カインはルイズと共に艦橋に向かうべくその場を後にした。


――通路を歩き、二人が艦橋に到着する頃には、魔導船は成層圏に到達していた。もはや地上から、魔導船を視認することは不可能な高度――ここから一直線に、ダータルネスに向けて降下するのだ。

 魔導船のパネルに、連合艦隊から離脱・上昇した際に観測した地図情報を引き出す。そこに現在位置と目的地が、それぞれ異なる色の光点で示された。

「……」

 カインが無言で操縦パネルに手をかざすと、魔導船はダータルネスに向けて降下を開始する。内部に振動は伝わってこないが、外の様子を映し出しているスクリーンを見れば、地上がどんどん近くなっていくのが見え、魔導船が降下しているのが分かった。

「……この速度ならば目的地には、十分と掛からず到着するだろう。用意は出来ているか?」

「とっくに終わってるわ。後はこの“呪文”を、ダータルネスで炸裂させるだけよ!」

 ぐんぐん近づく地表の映像を見つめながら、ルイズはぐっと杖を握り締める。その画面中央に、作戦目標地点ダータルネスの港が、徐々に見え始めた。
 切り開かれた広大な丘の上に、空船を係留するための“桟橋”が何本も建ち並んでいるのが見える。

「外に出るわ」

 ルイズが港を睨みながら言う。この作戦の為に見つけた新たな“虚無”の魔法も、他と同じく魔導船の中から放つことは出来ないのである。

「よし、行くとしよう」

 カインが促すとルイズはその後に続き、二人は艦橋を出る。魔導船には“甲板”という物がない為、飛行中に外に出るには、再びレフィアで飛び出すしかない。故に、二人は来た時の通路を通ってレフィアの元に向かった。




――ダータルネスの港

「そんな……馬鹿な……!」

 そこに配備された空中哨戒中のアルビオン竜騎士達は、信じられない光景を目にしていた……。

 その日は灰色の雲が広がる曇り空であった。
 トリステイン・ゲルマニア連合軍が侵攻を開始したことが報じられ、周辺には竜騎士隊と“哨戒カラス”が放たれている。使い魔の視点を通して、駐屯所に待機するメイジはすぐに敵の存在を察知できる仕組みだ。それによって、ダータルネスの広範囲に渡って密度の濃い哨戒網が敷かれていた。駐屯する竜騎士隊もそれなりの数が揃っている。

 警戒は厳重――万が一、敵の接近があろうものなら、すぐさま邀撃に出られる態勢は整っていたはずであった。しかし……

「て、て……敵襲だぁーーッッ!!」

 雲を吹き払うようにして現れた巨大戦列艦の群れ……、ここから何百メイルも離れた場所にいるはずの、トリステイン侵攻艦隊の姿――予想外の敵襲に、哨戒中の竜騎士達は動揺し、悲鳴にも似た叫び声をあげた――。


――艦隊の姿に慌てふためくダータルネスのアルビオン軍を、ルイズとカインはから見下ろす

「やった……! 成功だわ!」

 右手に杖を、左手に『始祖の祈祷書』を持ったルイズが、新魔法の成功に歓声を上げる。

――新たなる“虚無”の魔法……その名は、初歩の初歩“イリュージョン”。

 光る祈祷書の頁にはこうある――。


描きたい光景を強く心に思い描くべし。

なんとなれば、詠唱者は、空をも作り出すであろう。



 ルイズが見出したのは、その名の通り幻影を作り出す呪文であった。その魔法で、ルイズはイメージした連合艦隊の姿を、現実の迫力をそのままに、ダータルネスの空に描きだしたのだ。

「……」

 カインは、ルイズと共にレフィアに跨りながら、周囲に映し出された幻影の大艦隊を見渡す。

(こんな事もできるとは……、こちらの魔法にはつくづく驚かされるな……。だが……、効果的な魔法だ。これなら、無駄に敵を殺めずに済む)

 “虚無”の魔法の異常性に驚く一方で、カインは結果的に直接アルビオン軍と戦わなくて済んだ事に安堵する。

――カインは、自分がこの戦争に関わることを快しと思ってはいない。

 このハルケギニアに干渉すること――国同士の戦争に関わり、挙句一国に肩入れをして戦力の一端を担う事などは、本来ならば極力避けるべきだとカインは考えている。にも関わらず、不本意ながらもこの戦争に関わる理由はルイズにあった。

――“情が移った”“愛情が芽生えた”などという理由ではない。一言で言うならば、ルイズの“名誉”を守る為だ。

 現在、カインは『ルイズの“使い魔”』という立場にある。それはカインの意思ではなく、この世界における古くからの“しきたり”でほぼ強制的に決められてしまったことだ。だが、そう言ったところでハルケギニアの人間の認識が変わる訳ではない。
 トリステイン貴族であるルイズの使い魔が、祖国の危機に非協力的な態度を見せれば、その責任は主人であるルイズが負う事になるのだ。

――使い魔も御せない無能なメイジ……、貴族にあるまじき不忠義者……、降りかかり得る世間の非難は幾らでも考えられる。

 もはや戦争云々に限らず、カイン一人の問題ではなくなってしまったのだ。それにラ・ヴァリエール公爵領の屋敷で、カトレアとも約束を交わした――。

『私の可愛い妹を、どうか宜しくお願いします。騎士殿』

 一度した約束を違えれば、それはもはや騎士ではない。だが……、引き換えにこうして他国に肩入れし、己の信念を捻じ曲げている……。

――カインはハルケギニアの理に縛られ、己の内にある誇りと信念を汚している自分に、一人苦悩し始めていた……。




「――ダータルネスだと?!」

 トリステイン・ゲルマニア連合軍と自軍の交戦を知り、敵の上陸目標地点と思われていたロサイスへの出撃準備を進めていたホーキンス将軍は、届けられた急報に驚愕の声を上げる。
 彼は、アルビオン軍三万を率いて、ロサイスで連合軍を迎撃する心算であった。そして、出撃準備も九割方整ったところであった。

 しかし、敵軍が現れたのは、首都ロンディニウムの北方に位置するダータルネス――

(……まさか、今ロサイスへの進路上で我が軍と交戦しているのは陽動部隊だったというのか?)

 一体どこにそんな兵力が? という疑問はあるが、目の前に迫られた決断より優先するべきことではない。ロサイスに向かっている連合軍が“囮”、ダータルネスに現れたのが本隊であるならば、敵軍はほぼ無傷でアルビオンに上陸して来ることになる。

「――くっ! 全軍に通達せよ! 直ちに出撃する!! 目標変更――進路、ダータルネス!!」

 ホーキンスは、ダータルネスへ向かう事を選択した。



 アルビオンの大部隊は、ルイズの“虚無”によってダータルネスへと吸引され、連合軍は手薄になったロサイスの占領に難なく成功した。

――これより、ハルケギニアの歴史に残る“泥沼の戦”が始める……。








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十一話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:18
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十一話







――カイン達の活躍により、連合軍がロサイスを占領した翌日、早朝四時過ぎ……。

 トリステイン魔法学院の上空――未だ日も昇っていない暗い空に、一隻の小さなフリゲート艦が、どこからともなく飛行してきていた。


 甲板には、数名の傭兵メイジが立ち並び、その先頭に……“白炎”のメンヌヴィルが佇んでいる。

「ガキばっかりの魔法学院なんざ、襲っても面白くねえな」

「ああ、しかも今、男はほとんどアルビオンに行っちまってるから、残ってるのは女ばかりだそうだぜ。おまけに、女ばかりの部隊が駐留してるって話だ」

「女か! そいつはいい! 生け捕りにしてやろうぜ!」

『ぎゃははははは!!』

 傭兵メイジ達が下品な笑い声を上げると、メンヌヴィルはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「ふん、下賎な奴らだな。女だろうと男だろうと、そんな事は関係ない」

 そう言うと、メンヌヴィルは眼下の魔法学院を、冷徹な目で見下ろす。そして、人の温度を感じさせない声で、言い放った――。

「……平等に“死”を与えてやる」




 魔法学院の庭には、マスケット銃を担いだ銃士隊の隊員が見張りに立っていた。


――主だった教員達が軒並み出征してしまい、まともな授業が減った魔法学院に銃士隊がやって来たのは、連合軍がアルビオンへ向けて出港した翌日のことである。

 アニエスが率いる銃士隊の面々は、学院に居残っている女子生徒達に軍事教練を施すべく派遣されたのであった。女子生徒も予備士官として確保し、アルビオンでの戦で士官が消耗すれば、逐一投入する構えなのである。この王政府のやり方にオスマンは疑問を持っていたが、王政府からの勅命とあっては反論もできず、銃士隊の駐留を認めざるを得なかった。


 そうして学院に駐留した銃士隊は、こうして夜ごと歩哨を立てて、一応の警戒に当たっている。

 そんな時――

「――ん?」

 月明かりの下、何かが動く気配に、隊員の一人が気付いた。年長の隊員は無言で、銃を構える。その動きに気づいたもう一人の隊員も、同様にマスケット銃を準備した。
 だが――

――バシュッ!

「かは……ッ!」
「げぇ……!」

 一瞬の風切り音の後、二人は同時に喉を裂かれ、崩れ落ちる。だが、地面に倒れ込みそうになる直前、隊員達の身体が横から現れた無骨な手によって支えられた。

――メンヌヴィル率いる、傭兵メイジ部隊である。

「ふん、他愛もない。所詮は、平民の銃兵部隊か……、つまらん」

 音を立てないようゆっくりと地面に転がされた銃士隊員を見下ろし、メンヌヴィルが吐き捨てるように言った。
 そして、興味が失せたとばかりに視線を外すと、メンヌヴィルは部下達に命令を下す。

「……よし、手筈通り動け」

『――はっ』

 傭兵メイジ達は、四手に別れてそれぞれの受け持つ塔に向かって、駆けて行った。



――女子寮塔

――コンコン……

 タバサは、中庭から漂ってくる妙な気配に目を覚まし、キュルケの部屋のドアを叩く。

――コンコン……

 何度目かのノックの後、眠気眼のキュルケが目をこすりながら起き出してきた。

「なによタバサ……、まだ陽も昇ってないのに……」

「外が変……」

 短く告げたタバサの言葉に、キュルケは軽く耳を澄ます。使い魔のフレイムが、外に向かって唸っているのに気付くと、眠気もすぐに吹き飛んだ。

「みたいね」

 そう言ってキュルケは手早く服を身につける。そして、杖を手に持った時、下の階から扉が破られる音が聞こえてきた。
 キュルケとタバサは顔を見合わせる。

「一旦引く……」

「賛成……」

 敵の戦力が不明な今は、一時退却して態勢を立て直す――戦に基本に則り、キュルケとタバサは、窓から飛び降りて茂みに身を隠し、辺りの様子を窺った。



――火の塔二階、銃士隊臨時宿舎

 時を同じくして、アニエスも外の気配に気づき目を覚ましていた。

「……」

 枕元に置いておいた剣を手に取り、扉の脇で息を潜めて敵を待つアニエス。と、その時、部屋の隅に布を被せられた姿見鏡が目に付いた。
 銃士隊が仮住まいとしているのは、元々学院の物置として使われていた部屋を少し片付けてベッドを置いただけのものである。故に、運び出し切れなかった物が、部屋の隅に追いやられているのだ。

 そしてアニエスの目が捉えた姿見鏡は、『嘘つきの鏡』というマジックアイテムで、醜い者を美しく、美しい者を醜く映し出すという、しょうもない鏡である。何となく嫌で、覗いた事はなかったが、アニエスはその鏡を見つめて考え込む。

「……!」

 そして、一計を案じた――。



 メンヌヴィルの部下の傭兵メイジ四人は、火の塔の螺旋階段を上り、二階へと躍り出た。そこには部屋が二つ――リーダー格のメイジが指示を出し、奥の部屋に二人行かせ、自分は部下一人を連れて手前の部屋を担当することにした。

 そして、扉の前に立ち、一気に蹴破る――

――バンッ!!

「――っ!?」

 勢いよく開いた扉の向こうには、美男子のメイジがこちらに向かって杖を構えていた。予想外の相手の存在に、傭兵メイジは慌てて魔法を放つ。だが――

「――がぁッ……!?」

 逆に、心臓を魔法の矢で撃ち抜かれ、傭兵メイジは床に倒れた。

「ど、どうした?!」

 もう一人が慌てて、部屋に突入する。が――

――ザシュッ!

「げぇ……ッ!?」

 彼は目の前の美男子メイジに気付くことなく、横から喉を剣で貫かれ、そのまま息絶えた……。


「フッ、思いの他上手くいったな」

 床に倒れた二人の傭兵メイジを見下ろしながら、アニエスは口元を歪めて笑う。
 タネは簡単――傭兵メイジは、アニエスが扉の前に引き出して置いた『嘘つきの鏡』に映った逆転した己の姿を“敵”と勘違いし、鏡に反射した自分の魔法で自爆したのである。

 アニエスは内心で、鏡に反射する魔法を使ってくれた傭兵メイジに、皮肉を込めて感謝した。

「――アニエス様! 大丈夫ですか!」

 そこへ、隣の部屋にいた隊員達が飛び込んで来た。アニエスは鎧を身に着けながら頷く。

「平気だ」

「我々の部屋にも、二人忍び込んできました。片付けましたが……」

「賊は、こちらと合わせて四人か……」

 塔内に他に怪しげな気配が無い事から、アニエスは火の塔に忍び込んできた賊は、全員始末出来た事を悟った。

「……アルビオンの狗のようだな」

 アニエスは息絶えた侵入者のなりを見て呟く。
 部下の報告を合わせると、賊は四人全員がメイジだ。その統率の取れた動きからしても、ただの物取りの類ではありえない。現在が戦争の真っ最中である事から見て、彼らはアルビオンが雇った傭兵部隊に違いない。

(拙いな……、今の学院には女子供しかいない)

 ここに賊が来たという事は、他の塔にも敵の手が回っているはずである。アニエスは部下達に命令を下した。

「――二分やる。完全武装して私に続け!」




 その頃、メンヌヴィル達は既に他の塔を制圧していた――。

 貴族の娘や女教師達は、抵抗の素振りすらみせる事なく捕らえられ、食堂に集められた。

「まず申し上げよう。我らが困るような事さえしなければ、危害は加えない。ご安心めされい」

 椅子に腰掛けたメンヌヴィルが、穏やかな声で一同に告げる。だが、極度の緊張からか女生徒の一人が泣き出してしまった。

「静かにしなさい」

 優しい声で諫めるが、女生徒は泣き止まない。
 メンヌヴィルは立ち上がると、その女生徒の元に歩み寄る。しゃがみ込み、氷の様な眼で女生徒を見つめ、先程とは違う底冷えする声で言った。

「……消し炭になりたいか?」

「ひっ……」

 女生徒は余りの恐怖に息を飲むと、そのまま泣き止んだ。周囲の生徒達も、同様に恐怖に顔を引き攣らせるが、固く口を閉ざした。

「あー、君達」

 そんな中、生徒達と同様に捕えられていたオスマンが声を上げる。

「なんだ?」

「女性に乱暴するのは、よしてくれんかね。君達はアルビオンの手の者で、人質が欲しいのだろう? 我々を何らかの交渉のカードにするつもりなのじゃろう?」

「ほう、さすがの慧眼だな、ご老体。伊達にトリステイン魔法学院の長を務めてはいないな」

 メンヌヴィルが感嘆の声を上げる。オスマンは、構わず話を続ける。

「なに、単に長く生きて経験が豊富なだけじゃよ。それより、人質が欲しいのなら、このワシで我慢してくれんかの? 生徒達は解放してほしい」

「ジジイ、自分の価値わかってんのか?」

 自分と引き換えに生徒達の解放を求めたオスマンに、周りの傭兵達がゲタゲタ笑い出す。

「残念だが、そういう訳にはいかん。貴様一人の命で、国は動くまい? ここにいる生徒全員が必要なのだ」

 立ち上がったメンヌヴィルは、オスマンにそう告げた。オスマンは「むぅ……」と唸り、首を竦めると、食堂に集められた人間を見渡す。そこで、生徒と教員の中に何人か知った顔がいない事に気付いた。

(……ふむ、“あやつら”がおらん。これなら、なんとかなるかも知れんの……)

「おいジジイ、これで学院の連中は全部か?」

 傭兵の一人の問いに、オスマンは頷く。その時、別の傭兵がメンヌヴィルに話しかけた。

「隊長、火の塔に向かったセレスタンの班が、まだ戻って来ません」

「……やられたか」

 メンヌヴィルは考えることなくそう判断した。
 手間取るくらいならば、一度引いて増援を仰ぐぐらいの判断が出来る連中だからこそ、メンヌヴィルは分派したのだ。いつまでも戻ってこないのは、即ち火の塔にいた誰かに返り討ちにあったという事だ。

「――食堂に籠った連中! 聞けッ! 我々は女王陛下の銃士隊だ!」

――突如、外から聞こえてきた声に、食堂中の人間の視線が扉に集中する。

「銃士隊か……。どうやら、セレスタン達は奴らに殺られたようだな」

 メンヌヴィルは、淡々とそう言った。同時に、傭兵の一人がオスマンを睨みつける。

「……おいジジイ。『これで全部』じゃねえじゃねえか」

「銃士隊は“学院の者”ではない」

 涼しい顔でそう答えたオスマンに、傭兵は舌打ちした。

 部下とオスマンのそんなやり取りを尻目に、メンヌヴィルは銃士隊との交渉に臨むべく、食堂の扉に近づいていった。


「――聞け! 賊ども! 我らは一個中隊で貴様らを包囲している! 人質を解放しろ!」

 アニエスは、本当は十人程度しかいないところを『一個中隊』とハッタリをかました。

「――銃兵ごときが一個中隊いようが、痛くも痒くもないわ! 加えて、こちらには人質がいるのだ! どれだけ兵がいようが脅しにすらならんぞ!」

「くっ……!」

 食堂内から聞こえてきたメンヌヴィルの返答に、アニエスは苦虫を噛み潰した様な顔をする。相手の言う通り、向こうに人質を取られている現状では、こちらにどれだけ戦力があろうと無意味だった。

「さて、ここからは交渉の時間だ。アンリエッタに使いを出せ。こちらの要求を伝えて、ここに呼ぶんだ」

「陛下を? ……要求とはなんだ?」

「なに、簡単なことさ。アルビオンから全ての兵を撤退させる――ただそれだけだ」

「――なにっ!?」

 通常、人質程度で軍が引き返すことなどない。だが、九十人もの貴族の子女が人質にとられていれば、話は別だ。本当に侵攻軍が撤退することもあり得る。

――このままでは、銃士隊の失態で連合軍が無条件に撤退することになってしまう。

 自分の見通しの甘さに、アニエスは唇を噛んだ。

「念の為に言っておくが、増援を呼ぼうなんて思わんことだ。もし新たな兵を呼んだりしたら、兵一人につき、人質一人を焼き殺す。ここに呼んでいいのはアンリエッタ、またはマザリーニ枢機卿だけだ。いいな?」

 先を読んだ相手側の宣告に、アニエスは返答に詰まった。すると、再びメンヌヴィルの声が響いた。

「――五分で決めろ。五分経って返答がない場合は、一分経過する度に一人ずつ殺していく」

「く……! おのれぇ……っ!」

 アニエスは悔しさに唇を噛み締める。その瞬間……。

「――隊長殿」

 後ろから声が掛った。アニエスが振り返る。

――そこに立っていたのはコルベールだった。

「……貴様か。首を出すな」

 アニエスは自らも壁の陰に身を隠し、コルベールを引き込んだ。

「貴様は捕まらなかったのか」

「ああ……。私の研究室は、本塔から少し離れていてね。……どうやら、事態は極めて深刻のようだな」

「あ、ああ……」

 真剣な表情のコルベールに、アニエスは少し驚いていた。
 最初に会った時、コルベールは自分が突き付けた剣を見て腰を抜かしていた。その姿を見て、相手が自分の嫌いな“火”のメイジということもあって、これでもかと言うほど軽蔑したものだが……今目の前にいる男には、アニエスがたじろぐほどの迫力がある。

「――ねえ、銃士さん」

「――っ!」

 またも不意に後ろから声が掛った。
 振り返ると、赤い髪と青い髪の少女二人組が立って、こちらに微笑んでいた。――キュルケとタバサだ。

「ミス・ツェルプストー! ミス・タバサ!」

「お前達は、生徒か? よくもまあ、無事だったな」

「ねえ、あたし達に良い考えがあるんだけど……」

「考え?」

 アニエスが怪訝な顔をすると、キュルケは笑みを深め、タバサと共に練り上げた“作戦”を説明した――。

「……なるほど、面白そうだな」

 二人の作戦を聞いて、アニエスはニヤリと笑う。
 それが首尾よく行けば、敵を一掃し、人質を解放できると判断したからだ。

 しかし、その作戦に反対意見を述べる者が一人いた……。

「――危険すぎる。相手はプロだ。そんな小技が通用するとは思えん」

 口を開いたのはコルベールだった。しかし、キュルケ達は聞く耳を持たない。

「何もしないでここにいるよりずっとマシでしょ。先生」

 キュルケは軽蔑を隠すことなく、コルベールに言い放った。アニエスに至っては、彼を視界にも入れていない。

「あいつらはあたし達の存在を知らないわ。奇襲のカギはそこよ」

 コルベールを無視して、キュルケ、タバサ、アニエスの三人は作戦を煮詰めていく。

「…………」

 もはや、自分が何を言っても、彼女達は思い止まってはくれないと悟ったコルベールは、彼女達から視線を外し、生徒達が捕えられているアルヴィースの食堂を睨む。

(……もう二度と、使うまいと思っておったがな……)

 人知れず、杖を強く握りしめ、一つの決意を固めるコルベール――その時の彼の眼は、まるで“蛇”のように鋭かった……。




「……時間だ」

 椅子に座ったメンヌヴィルは、テーブルの上に置いた懐中時計の針が動いた瞬間、ゆっくりと立ち上がった。
 その姿に、生徒達は震えあがり、互いに身を寄せ合う。

「さて……残念だが、銃士隊の連中は諸君を見捨てたようだ。可哀想だが、ここで一人死んでもらう」

『――ヒッ!?』

 そこかしこから悲鳴が上がり、生徒達の顔に絶望と恐怖が浮かぶ。

「ワシにしなさい」

 生徒達を庇おうとオスマンが進み出るが、メンヌヴィルは表情一つ変えずに言い放つ。

「あんたは交渉の仲介役として最後まで残す。さて……誰がいいかな?」

 その言葉に、生徒の誰もが自身に当たらぬようにと、身体を縮め、顔を伏せる。

「ふむ、まあ誰でも同じか……。よし、お前にしよう」

「――っっ!??」

 運悪くメンヌヴィルの目に留まってしまった女生徒が、絶句する。
 あまりの恐怖と絶望に、全身を小刻みに震わせ、見開かれた目から涙を流した。

「恨むなら、外でグズグズしている銃士隊と、俺達を雇ったアルビオンを恨むんだな」

 その表情を見ても、メンヌヴィルは無表情のまま、全く変わらぬ声で言った。
 そして、杖を女生徒に向けようと持ち上げた、その時――!

「――むっ?」

 突然食堂内に無数の紙風船が飛んできた。
 生徒、傭兵の区別なく、食堂内にいた全員の視線がそれに集中する。その次の瞬間――

――ボボボボボボンッ!!

『ぐわぁっ!!??』
『きゃあぁぁぁっっ!!??』

 紙風船が一斉に爆発し、激しい炸裂音と閃光が食堂内に広がる。
 その光をまともに見てしまった傭兵メイジ達が、強烈な閃光に目を痛め、顔を押さえてよろめき、女生徒達からも悲鳴が上がった。


「――上手くいったわ!」

 僅かに開けた食堂の扉の隙間から中の様子を窺い、キュルケは歓声をあげる。
 先程の紙風船を飛ばしたのは彼女らであった。タバサが風で紙風船を食堂内に飛ばし、タイミングを見計らってキュルケが爆発させたのだ。

――紙風船の中には、“黄燐” を粉末にしたものがたっぷりと仕込まれていた。黄燐はちょっとした摩擦でさえ火がつくほど発火性が強く、結構な発光も伴う。ちなみに、黄燐は毒性が強く、万が一にも体内に入れてしまうと、極々僅かな量でも人間を死に至らしめるほどの超有毒物質である。

 キュルケ達の作戦はこうだ――先ず、黄燐仕込みの紙風船で敵の目を潰す。そして、敵が混乱している隙を突いて、銃士隊が突入、傭兵メイジを素早く無力化し、人質を解放して決着――。

――そして今、当初の目論み通り、敵は目を潰され混乱している。

 キュルケ、タバサ、そしてアニエス率いる銃士隊が突入を開始――誰もが作戦成功を疑わなかった……。
 しかし……。

――ボンッ! ボンッ! ボンッ!

『――ッッ!?』

――なんと、混乱しているはずの敵から、無数の火炎弾が飛んで来た!

 予想だにしなかった敵の反撃に、油断していたキュルケ達は火炎弾を食らってしまう。

「――ぐあぁぁッッ!!?」

 激しい炎は、銃士達のマスケット銃の火薬を暴発させた。

――ある者は指が弾け飛び、叫び声を上げて地面をのたうち回り、ある者は顔面に銃の破片と暴発の爆炎を浴びて息絶えた。

「う……くぅ……!」

 キュルケはなんとか立ち上がろうとするが、手足に力が入らず立てずにいた。直撃した訳ではないが、火炎弾が腹の前で爆発した事で、その爆風と衝撃を至近距離で受けてしまい、無防備だった彼女の全身は大きなダメージを負ってしまったのだ。

「……っ……!」

 同様に吹き飛ばされたタバサも、よろめきながら立ち上がったが、すぐに地面に倒れた。
 彼女の額からは、一筋の血が流れている。どうやら、吹き飛ばされた時に頭を打ったらしい。

(そ、そんな……)

 タバサや周囲で倒れた銃士達の姿を見て、キュルケの中にジワジワと後悔と自責の念が広がり始める。

――ザ……!

「――っ!!」

 足音に顔を上げると、白煙の中からメンヌヴィルが現われた。
 その光景がキュルケの目には、まるで煙がこの男を恐れて逃げたようにさえ見えた。それは、キュルケが本能的に悟ったメンヌヴィルの危険さの表れだったのかもしれない。

 反射的に杖を探すキュルケ――その行動の源は、本人すら気付かぬ“恐怖”であった。

「……っ!」

 ようやく自分の杖を見つけ、拾うと手を伸ばした瞬間――

――ガッ!

 その杖は、メンヌヴィルに踏み付けられた。

「……!」

 キュルケは震えを押し殺して、顔を上げる。すると、自分を見下ろしていたメンヌヴィルと目が合った。

「閃光でこちらの視力を奪い、隙を作り出して突入……子供が考えたにしては悪くない作戦だったが、惜しかったな……」

 そう言ってメンヌヴィルは目を細めて微笑み、自分の目に手を伸ばす。

――そして、徐に自分の眼球を取り出した。

「――っ!?」

 キュルケはそれを見て気付いた。メンヌヴィルは、義眼だったのだ。

「オレは昔、“ある男”に目を焼かれて視力を失っていてな。光がわからんのだよ」

 メンヌヴィルはまるで、世間話でもするかのように自身を語った。
 しかし、彼の動きは目が見える者のそれだ。いや、むしろそれより以上に正確にこちらの位置を捉えていた。

「ど、どうして……」

 キュルケの言葉を受けて、メンヌヴィルはニヤリと笑う。

「オレは長年炎を使う内に、随分と温度に敏感になってな。視力を失った影響もあってか、今では微妙な温度の違いで人の見分けさえつく。周囲の人間や物の距離や位置を正確に知覚することさえ出来るようになったのさ。そう……まるで“蛇”のようにな」

――ぞわ……!

 キュルケは身の毛がよだつ恐怖を自覚した。目の前にいる男が、もはや人間には思えなかった。
 人の形をした“何か”……そう思ったことで、キュルケの恐怖は加速する。

「お前、恐がっているな?」

「――ッ!?」

 図星を突かれ、キュルケの顔が強張る。

「感情が乱れると、温度も乱れる。なまじ見えるより、温度の変化は相手の状態を正確に教えてくれるのだ」

 そう言ったメンヌヴィルの顔に、狂気の笑みが浮かぶ。

「嗅ぎたい」

「え……?」

「お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」

――瞬間、キュルケは恐怖に体を震わせた。

 生まれて初めて感じる、純粋な恐怖……命の危機に晒された弱者の感覚――。

「や、やだ……」

 その恐怖は、心をたちまち支配し、キュルケを“炎の女王”から唯の少女に変えてしまった。

「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」

 口元を吊り上げながら、杖を向けてくるメンヌヴィルを見て、キュルケはぎゅっと目をつむる。

――ボオゥッ!

 メンヌヴィルの杖の先から、炎が巻き起こりキュルケを包み込もうとした――その時だった。

――ゴオォォッ!!

――突如飛んできた別の炎が、メンヌヴィルの炎を押し返した。

「――なにっ?!」

 メンヌヴィルは驚きの声を上げ、その炎が飛んできた方に顔を向ける。その声に、キュルケも閉じていた目を恐る恐る開き、メンヌヴィルの視線の先を追った。

「……ミスタ、コルベール?」

 キュルケが見たものは、杖を構えて自分の側に歩いて来るコルベールの姿だった。
 コルベールは、普段の彼からは想像出来ないような険しい表情である。

「……私の教え子から離れろ」

「お、おお……! お前は……! お前はお前はお前はぁ!!」

 突然歓喜に顔を歪め、メンヌヴィルは先程までの冷徹ぶりが嘘のように興奮し、抑え切れないといった風に叫び始めた。

「捜し求めた温度だ! お前は! お前はコルベール!! なんと懐かしい!」

「……」

 コルベールは表情を変えず、無言でメンヌヴィルを睨み付けている。

「オレだ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長殿! おお~!! 久しぶりだ!」

 メンヌヴィルは両手を広げ、叫ぶ。しかし、コルベールはやはり表情を変えない。

「……忘れてなどおらんよ、副長」

「おお、覚えていてくれたかぁ!! 何年ぶりだ? なあ、隊長殿! そうだ二十年だ!!」

 隊長殿に副長……互いをそう呼び合う二人の様子に、生徒達の間に動揺が走る。

「なんだ? 隊長殿! 今は教師なのか! これ以上ない冗談だ! あんたが教師とは! 一体何を教えるのだ? “炎蛇”と呼ばれたあんたが!! ハハハハハッ! ハーッハハハハハハッ!!」

 心底おかしい、というようにメンヌヴィルは笑う。
 食堂内の生徒達は訳が分からず、怪訝な顔でコルベールを見つめていた。それに気付いたメンヌヴィルは、笑いを抑えて語りだす。

「お前達に教えてやろう。この男はな、“炎蛇”と呼ばれ恐れられた炎の使い手だ。昔、オレも属していた特殊な任務を行う部隊の隊長を務めていてな……、命令とあらば、女だろうが子供だろうが躊躇なく燃やし尽くした男だ! そして……」

 メンヌヴィルは自らの顔を震える手で押さえる。

「このオレから両の目を……光を奪った男だぁ!!」

 怒りとも狂喜とも取れる表情を浮かべて叫んだメンヌヴィル――彼の言葉を聞き、キュルケは戸惑いながら、傍らに立つコルベールを見つめた。

――その姿からは、今までの彼から感じたことのない空気が漂っていた。

 味方をも燃やし尽くす、と言われた火のメイジの名門ツェルプストーの生まれであるキュルケだが、所詮は若干十八歳の少女――本物の戦、殺すか、殺されるかの死闘というものを経験したことはない。
 しかし、今のコルベールからは、迂闊に近付けば塵も残らず、文字通り焼き尽くされる――そんな気配が発せられている。肉の焼けるような、死の香りが……。

「……」

――ボオォォッッ!!

 コルベールが無造作に突き出した杖の先端から、人すら丸呑みにできそうなほど巨大な炎の蛇が躍り出た。
 炎の蛇は、食堂の陰でこっそりと呪文を唱えようとした一人のメイジの杖に噛みついた。食われた杖は一瞬で燃え尽き、メイジの手には握りの部分だけしか残らなかった。

 “炎蛇”の二つ名に相応しい、爬虫類を思わせる感情のない冷たい笑みを浮かべるコルベール。彼は、傍らで呆然と自分を見つめているキュルケに尋ねた。

「……なあ、ミス・ツェルプストー。『火』系統の特徴を、この私に開帳してくれんかね?」

 感情の起伏が少ないコルベールの表情と声に戸惑うキュルケだったが、恐怖に固まっていた身体を奮い立たせ、口を開く。

「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」

 自分で言っていて、キュルケはどこか白々しさを感じていた。

――実力上位の相手に恐れをなし、身体を震わせていた無様な自分に、それを口にする資格があるだろうか?

 以前と言葉は同じだが、そこに込められた気持ちは明らかに弱くなっている。それを自覚すると、キュルケは自分への怒りと悔しさが込み上げ、唇を噛み締めた。

「……情熱はともかく『火』が司るものが破壊だけでは寂しい。私はこの二十年間、そう思い続けてきた。だが……」

 コルベールは、いつもの声で、寂しそうに呟いた。

「やはり……、君の言う通りだ。『火』は、破壊の業から逃れられんらしい」

――ゴオォォ……!

 コルベールの周囲で炎が燃え盛り、その熱風で彼のマントが揺れる。

「クックックッ……! 今日はなんと良き日だ! オレは……この時が来るのを待っていたぁ!!」

――ボオオオッ!

 歓喜に打ち振えるメンヌヴィルの周りにも、激しい炎が渦巻く。

――桁違いの熱量同士が対峙することで、その場の温度は一気に上がった。

「あ、あ、ああ……!」

 同じ『火』のメイジであるキュルケには、対峙する二人の実力が、自分とは雲泥の差がある事が、はっきりと分かった。

「……ミス。友人を連れて、安全な所に下がっていなさい」

 コルベールの指示に、キュルケは素直に頷いて、気を失っているタバサを抱えて走り出した。

「フッ、大切な教え子との別れは済んだか? コルベール“元”隊長殿」

「ああ……、待っていてくれるとは意外だな。少しは成長したのかね? メンヌヴィル“元”副長」

 互いに皮肉を込めて“元”と呼び合うメンヌヴィルとコルベール――そうしている間にも、周囲の温度はぐんぐん上がっていく。

「あんな殺るに足らん小娘など、もはや眼中にない。オレが何より燃やしたいのは……燃やしたかったのは……、コルベール! 貴様だ!」

 叫びと共に、メンヌヴィルは炎の球を高速で飛ばす。
 しかし……。

「……!」

――ボゥッ!!

 コルベールは自らの炎で難なく炎の球を迎撃――それを見たメンヌヴィルは笑みを深めた。

「クックックッ! さすがだ、隊長殿! そうでなくては面白くない!」

 互いに杖を向け合うメンヌヴィルとコルベール……。

――炎の死闘が、始まった。



 コルベールとメンヌヴィルの戦いから離れた場所で、負傷者の救護をしていたアニエスは、部下に気を配りながら、二人の戦いを見つめていた。
 炎が飛び交い、弾け、荒れ狂う様は、アニエスの忌まわしい過去を呼び起こす。そして、先程のメンヌヴィルの言葉が、アニエスの頭にリフレインする。

『昔、オレも属していた特殊な任務を行う部隊の隊長を務めていてな……』

 炎……特殊任務を行う部隊……炎の使い手……
 そして、『隊長』……。

(まさか……)

 急速に頭の中で仮説が組上がっていく。
 アニエスは、加速する自身の鼓動を感じつつ、炎の死闘を見つめ続けた。


 コルベールとメンヌヴィル、二人のメイジとしての実力はほぼ互角――しかし。

「くっ……!」

 何故かコルベールは、積極的な攻勢には出ず、ジリジリと押され始めていた。

「クハハハハッ!! どうした隊長殿! あんたの炎は、そんなもんではなかろう!!」

 対して、コルベールを焼き殺す事だけに執着しているメンヌヴィルは、次々と無遠慮に炎球を撃ち込む。優位は、メンヌヴィルにあった――。

「ぬぅ……!」

 迎撃しきれなかった炎球を、コルベールは横飛びでかわす。
 何とかマントの端が燃える程度で済んだが、完全に塔から離れてしまった。もはや塔の明かりも届ききらず、月も雲に隠され、周囲は闇で覆われている。

「ワハハハハッ!! 隊長! 益々不利になったなぁ! これで貴様はオレが見えん。だが、オレには貴様がはっきり見えているぞ!!」

――ゴゥッ!

「くぅッ……!」

 闇の中から正確に自分目掛けて飛んでくる炎を、コルベールはギリギリの所でかわし続ける。
 そして、炎が飛んできた方向に炎を撃ち、反撃を試みるが――

「ハハッ! どこを狙っている? オレはここだぁ!」

――ボゥ!!

「ぐあッ?!」

 声と共に、まるで見当違いの方向から炎が飛んできた。
 狡猾なメンヌヴィルは、自らの位置をコルベールに悟らせない為に、魔法を撃つとすぐに移動していたのだ。視力を失い、温度を感知して相手を見るメンヌヴィルには、周りが暗かろうが明るかろうが関係ない。

――この闇夜は、メンヌヴィルに絶対的な優位を与えていた。

――ドォォンッ!!

「ぐわっ!!?」

――ドサッ!

 足元で爆発した炎球に体勢を崩し、コルベールは倒れ込む。

「最高の舞台を用意してやったよ、隊長殿。もう逃げ道も、身を隠す場所もない。観念するんだな」

 戦いの間に、コルベールは広場の中央に来ていた。確かにメンヌヴィルの言う通り、これだけ開けた場所では、逃げようがない。

「これまでだな、隊長殿」

 倒れ伏したままのコルベールに、メンヌヴィルは闇の中から語り掛ける。

「断っておくが、オレはあんたを恨んでなどいない。むしろ感謝しているんだ。あの時……あんたに炎を向けたオレを、あんたが虫を払うようにあしらい、燃やしてくれたおかげで、オレは……こんなにも強くなれたのだからなぁ!! ハーッハハハハハハァ!!!」

 狂気を帯びた笑い声を上げ、自らの勝利を確信しているメンヌヴィル。

――だから気付けなかった。倒れ伏したコルベールが、小さく呪文を唱えていたことに……。

「……フ」

 そして、詠唱の完了と共にコルベールは小さな笑い声を漏らす。それは、メンヌヴィルの耳にも届いた。

「……何がおかしい?」

 この期に及んで、鼻で笑うコルベールに、メンヌヴィルは高笑いを止めた。

「……メンヌヴィル君。君は、自分が『強くなった』と言ったな?」

「ああ、言った。今のこの状況が何よりの証明だろう。貴様は倒れ、オレはこうして立っている」

 メンヌヴィルは両腕を広げながら、優越感に浸る。闇の中なので、コルベールにはその姿は見えなかったが、思い浮かべることは出来た。

――故に、コルベールは冷笑を浮かべる。

「……お前は、何も変わっていない」

「……なに……?」

 予想しなかったコルベールの言葉に、メンヌヴィルの顔に険が走る。

「……慢心は……あの頃のままだ!」

――コルベールは杖を上空に向け、小さな火炎弾を打ち上げた。

「……偉そうな事を言ったわりに、なんだ今のは? 照明のつもりか? 生憎と、その程度の炎で、この闇を照らすことなど適わぬわ」

 確かにメンヌヴィルの言う通り、小さな火球は僅かに周囲を照らすだけだ。

――しかし、コルベールはそんなことは重々承知している。彼の狙いは、そんな事ではなかった。

 次の瞬間――

――カッ!!!

「――なっ?!」

 突如、上空から降り注いだ閃光に、メンヌヴィルはバッと顔を上げる。

――するとそこには、まるで太陽と見紛うばかりの巨大な炎の球が浮かんでいるではないか! しかも、その球は見る間に膨れ上がっていく!!

「な、なんと……ぐっ!? が……は……ッッ??!」

 大火球を見上げていたメンヌヴィルは、声を出そうとした瞬間に呼吸困難に陥る。

「け……ぇ……っ……」

 自身の喉を掴み、口から泡を吹き、苦悶の表情を浮かべ、やがてメンヌヴィルは絶命した――。


「……」

 僅かな時間を置き、地面に伏せていたコルベールが、徐に立ち上がった。そして、倒れたメンヌヴィルの元に歩み寄る。
 先程、コルベールが撃った火球は照明などではなかった。あれこそ、最後の仕上げだったのだ。

――コルベールが使った魔法の名は『爆炎』……

 『錬金』により、空気中の水蒸気を気化した燃料油に変え、空気と攪拌――そこに点火して、巨大火球を作る。
 火球は周りの酸素を燃やし尽くし、無酸素状態にすることで、範囲内の生物を見境無しに窒息死させる……。

 火・火・土のトライアングルスペル――残虐無比の恐るべき攻撃魔法である。

 苦戦を装って、わざわざ広場の中央に移動したのは、他の人間を魔法に巻込まない為……、炎弾の爆発で転倒してずっと起き上がらなかったのは、敵の油断誘い、同時に自身が窒息して自滅するのを防ぐ為……。
 全ては『爆炎』を使う為の布石――メンヌヴィルは最初からコルベールの掌の上で踊らされていたのだ。

「……蛇になりきれなかったな、副長」

 苦悶の表情のまま事切れたメンヌヴィルを冷たい目で見下ろし、コルベールは冷たい声で呟いた。

――蛇は、獲物を捕らえるのに無駄なことは一切しない。ただ冷徹に獲物を待ち構え、冷酷に獲物を捕らえ、殺し、食らうのみ。

 二十年の月日が経っても埋まる事のなかった、コルベールとメンヌヴィルの絶対的な差であった……。


「そ、そんな……」

「お頭が……殺られちまった……」

 自分達のボスが敗れ、メンヌヴィルの部下達の間に動揺が走る。

――彼らの統率は、完全に失われた。アニエスはその好機を見逃さない。

「――敵は動揺している! この機を逃すなッ! 突入ーーッ!!」

『おおーーーッ!!!』

 アニエスの号令により、重傷を免れた銃士達が怒号を上げて突入した。

――士気を上げた銃士隊と、士気を一気に下げた傭兵メイジ――勝敗は火を見るより明らかだった。

 食堂内に立てこもっていた傭兵達は、一人、また一人と倒されていく。

「――ハアァッ!!」

――ザシュッ!!

「――ギャァッ!!」

 戦いの先頭に立つアニエスが、床に倒れた一人のメイジの胴を剣で貫いた。
 その時――

「ち、畜生めッ!!」

「――っ!?」

――アニエスの後ろにいた別のメイジが、自棄になって魔法を撃った。

 咄嗟に振り向こうとしたアニエスだが――

「くっ!」

 先に仕留めたメイジを貫いた剣が、床に食い込んで抜けない。
 その間にも、敵の魔法がアニエスに迫る――!

(――ダメだッ! 避けられん!!)

 アニエスがそう悟った――その時!

――バッ! ドォォンッ!!

「――っ?!」

――アニエスと魔法の間に人影が割って入り、彼女を庇った。

「お、お前……!」

 アニエスは信じられないものを見たように目を見開く。
 彼女を庇ったのは、コルベールだった――彼が自身を盾にして、敵の魔法を受けたのだ。

「う、く……。っ、ハアッ!」

――体の痛みを堪え、コルベールは炎の蛇を放つ。蛇は、アニエスを攻撃した傭兵メイジの杖を焼き尽くした。

 無力になり立ち尽くした傭兵を、銃士が斬り捨て、危険は去った……。

「…………」

 アニエスは呆然とコルベールを見つめていた。

「……大丈夫か?」

 振り返り、自分を案じる言葉を口にするコルベールに、アニエスは思わず頷いた。

「そうか……、良かっ、た……」

――ごぽ……

 瞬間、コルベールは血を吐いて倒れた。

「――先生ッ!!」
「――コルベール先生ーッッ!!」

 解放された生徒達が、倒れたコルベールの元に駆け寄る。そして、彼に治癒の魔法をかけ始めた。

――しかし、魔法を正面に受けたコルベールの傷は、深い……。

「…………ッ!!」

 ほんの僅かの間、呆然とその光景を見つめていたアニエスだが、コルベールの顔を見て我に返った。
 メイジから剣を引き抜き、血糊を払う事もせずに切っ先をコルベールに向ける――。

「ちょっと! 何してるのよっ?!」

 アニエスの行動に誰もが驚愕して目を丸くする中、キュルケが怒鳴った。

「……」

 その声を聞いてか、コルベールが弱々しく目を開け、アニエスを見上げた。

「貴様が……、魔法研究所実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破り捨てたのも、貴様だな?」

「……そうだ」

 アニエスの問いに、コルベールは苦しそうな顔で頷いた。

「教えてやろう……。私は、貴様らが焼き滅ぼしたダングルテールの生き残りだ」

「っ……そう、か……。そうだったか……」

「資料庫で見つけた命令書には、疫病の蔓延を防ぐ為とあった。だが、そんなものは真っ赤な嘘だ! ダングルテールで疫病など発生していなかった!!」

「……ああ。後になって、私も……知った」

「――コルベール先生! 喋っては駄目です! あなたも、先生を喋らせないで!! 重傷なのよッ!!」

 学友達と必死に水の治癒魔法を掛け続けていたモンモランシーがわめく。だが、アニエスは追及を止めない。

「――“後になって知った”だと? それでは貴様は、事実確認もせず、命令を鵜呑みにして言われるがままに我が故郷を滅ぼしたと言うのかッ!?」

「……その通りだ。少し、考えれば……“新教徒狩り”に利用された、事など……気付けたはず、だったのに……愚か、だった私は……疑いもせず、君の故郷を、焼き払った……! 女性も、子供も……若者も年寄りも、見境なく焼き殺した……!」

 コルベールは、握りこんだ拳を震わせる。

「軍を辞め、この学院に身を置いてからも……あの時の事を忘れることは、なかった……。二度と炎を……破壊の為には、使うまいと誓い、せめてもの償いにと……火の力を、人を活かす為に使う方法を模索してきたが……」

「――ッッ!! 償い?! 償いだとっ!? ふざけるなッ!! そんなことで、貴様が手にかけた人々が帰ってくるのかっ?! 私の家族や友人達が、生き返るのかッッ!!?」

 激しい怒りと悲しみの限りを乗せたアニエスの叫びに、コルベールは悲痛な面持ちで首を振った。

――トサッ……!

 必死になって、治癒の魔法を掛け続けていた女生徒の一人が、気を失って床に倒れた。
 それを皮切りに、一人、また一人と、次々に気を失っていく……。

 今のコルベールが負っている重傷を癒すには、治療用の秘薬と魔法を併用して治療するのだが、ここにそんなものはない――故に、女生徒達は精神力を酷使することで、治療薬の分を補おうとしていた。だが……、所詮は未熟な書生達の力……補い切れるはずもない。

「うぅ……く……!」

 そして、最後まで残っていたモンモランシーも、遂に堪え切れずに意識を失った――。

「……っ!!」

 そうして倒れた女生徒達に、囲まれるようにして横たわるコルベールを睨み下ろし、アニエスは剣を振り上げる――。

「――やめてっ! お願いッ!!」

 コルベールを庇うように、キュルケが覆い被さり、アニエスに懇願する。

「――邪魔するなッ! どけッ!!」

 しかしアニエスは、激情に目を剥き、空気を裂くような声で怒鳴りつけた。

「私はこの日の為に生きてきたのだ!! 二十年、二十年だぞ!? 二十年もの間、この日が来るのを待っていたんだッ!!」

「止めてっ! お願いだからっ!!」

「ミス……ツェルプストー……。どいて、くれ……」

「「――っ!?」」

 振り絞るように発したコルベールの言葉に、睨み合っていた二人が振り返る。

「アニエス……殿には……、私、を……殺、す……権利、が、ある……」

「なっ?! 何言ってるのよッ!?」

 息も絶え絶えに、言葉を絞り出すコルベールの姿に、キュルケが涙を浮かべて叫んだ。

「わ、たしは……それだけの、事を……した……のだ……。殺……され、て……当……然……だ……」

「コルベール先生……」

 その瞳に涙を湛えたキュルケにそっと微笑みかけると、コルベールはゆっくりと瞼を閉じた。その時――キュルケがハッ! とした顔になり、コルベールの手首を握る。

「――ッ!! この……よくもぬけぬけとッッ!!」

 憎いコルベールの潔さが心を掻き乱し、アニエスは怒りと苦しさを織り交ぜた表情を浮かべた。
 指先が白くなるほど強く剣を握り締め、振り上げた手を震わせる――。

 しかし……

「……お願い……剣を収めて」

 力なくうなだれたキュルケが、呟くように言った。

「――ふざけるなッ!」

 叫ぶアニエス。だが、次の瞬間――

――ポタ……

「――!?」

――その目が、コルベールの手の甲にこぼれ落ちた雫を捉えた。

 そして、キュルケが肩を震わせながら呟く――。

「……死んだわ」

「…………」

 アニエスはしばし呆然と立ち尽くし、そして……。

「……ッッ!!!」

 振り上げた剣を床に深々と突き立て、それにもたれるように膝をついた。

「……」

 今のアニエスに、かける言葉が見つからなかった。
 声もなく肩を震わす彼女を、キュルケは哀しげな顔で見つめるしか出来なかった……。

 やがて、アニエスは力なく立ち上がり、踵を返してゆっくりと歩き出し……その場を後にした。



 アニエスの後ろ姿を見送った後……キュルケは、ずっと握り締めていたコルベールの手に、紅く光るルビーの指輪を見つけた。

――力を失った彼の指に光る、燃え盛る炎のような紅い光を湛えた、真紅のルビー……。

「……っ……」

 キュルケは泣いた。

――何も知らずに彼を『臆病者』と罵った自分が恥ずかしくて……、それでも自分を『私の生徒』と呼び、守ってくれたコルベールが……愛しくて……。

 指輪をはめたコルベールの手に頬を擦りつけ、ただ涙を流し続けた……。


 その翌日――トリステイン魔法学院から、“炎蛇”の二つ名をもった一人の教師が、その姿を消した……。








続く……





[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十二話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:29e7285a
Date: 2010/05/16 12:19
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十二話







――トリステイン・ゲルマニア連合軍が、ロサイス占領を果たし、アルビオンに上陸してから十日が過ぎた。

 今は年末、ウィンの月第二週。ハルケギニアの気候では、未だ季節は秋……。
 この十日、連合軍は未だ本格的な侵攻を開始していない。十日の間にあった事と言えば、一週間前――つまりロサイス占領の三日後に、アンリエッタがアニエス以下護衛の銃士隊を引き連れて、このアルビオンの地にやって来たぐらいである。
 それによって、その時は軍の士気も一時的に上がったが、それから一週間も動きがなければ、兵の士気も盛り下がろうと言うもの……。

 何故十日もの間、連合軍がロサイスに燻り続けているかと言うと――簡単に言えば『肩透し』を食わされたからだ。

 当初、連合軍は上陸後すぐに敵の反撃があると予想していた。
 そこで軍の揚陸後、すぐさまロサイスを中心に円陣を築き、万全の迎撃態勢を整えた。そして、ロサイス周辺で“決戦”を行い、敵の大軍を撃滅し、その勢いで一気呵成にロンディニウムに進軍する心算であった――のだが……。

――アルビオン軍の反撃は、行われなかった……。

 完全に予想が外れた事で前提が崩れ、このロンディニウム攻略計画はいきなり頓挫を来してしまったのだ。
 連合軍――特にトリステインは、経済的な問題もあって、長期戦を行うのは何としても避けなければならなかった。理由は簡単――金が無いからだ。
 この戦の為に、連合軍が用意していた兵糧や軍需物資は、六週間分……これでも、ギリギリの財政で用意された限界すれすれの量だ。万が一、戦が長引いて物資の追加が必要になったりしたら……それは両国にとって、考えたくない事態である。
 だと言うのに、そんな貴重な兵糧を、無駄な陣地の構築によって、一週間半分も無駄に消費してしまったのだ。

――この現状に、連合軍司令部は焦り始めていた。

 そして今、ここ――ロサイス空軍基地二階ホールでは、連合軍の今後を決める為の会議が行われている。
 円形のテーブルを両国の将軍達が囲み、上座にはトリステイン王国女王アンリエッタ、その次席にトリステイン王国将軍にして連合軍総司令官のド・ポワチエが腰掛け、今後の方針を論じ合っていた。

「――進軍です。進軍! 進軍! 我らには残り四週間半分の兵糧しかないのですぞ!」

 そう言って当初の予定通り、短期決戦の強行を主張するのはゲルマニア将軍、ハイデルベルグ侯爵。

「もはや、一刻とて無駄には出来ぬのです! 途中の砦や城など迂回して、とにかくロンディニウムを目指すのです! 幸いな事に、我らは空を制している。始祖ブリミルの降臨祭までに戦は終わる、と言って兵を連れてきた以上、降臨祭を過ぎてしまったら士気が下がりますぞ!」

 如何にもゲルマニアらしい主張である。

「降臨祭までに終わる、と言って終わった戦がハルケギニアの歴史にありましたかな?」

 そう冷ややかに反論したのは、参謀総長のウィンプフェン。
 彼の発言によって、室内に険悪なムードが漂い始める。

「だったら、我らが先例となればよい」

 ハイデルベルグ侯は、ウィンプフェンを睨み付けて言った。しかし、ウィンプフェンは気にもとめずに、眼鏡をくいっと上げて反論する。

「ロンディニウムを包囲したはいいが、途中の砦や城に後ろを晒すのは……、上策とは思えませぬ。その上進軍すれば補給路も延びる。横から補給路を突かれては、お手上げです。面倒ですが、ここは飛び石を慎重に踏んでいくように、途中の城や要塞を一つ一つ攻略しながら進軍すべきです」

 ウィンプフェンが主張したのは、ハイデルベルグ侯とは真逆の慎重策であった。

「街一つ、城一つ攻略するのにどれだけの損害が出ると思っているのだ! 補給路? 降臨祭までにロンディニウムを落とせばよい!」

「侯爵がおっしゃる通り、我らは空を制しているではありましたか。攻略時の損害は最低限に抑えられます。降臨祭までにロンディニウムを落とす? またそのような寝言を!」

 ハイデルベルグ侯とウィンプフェンの主張は平行線のままだ。
 しかも、互いが互いの主張を否定し合っている形になっている所為で、場の空気は更に険悪さを増していく。

「……なまじ系統が“風”だと、すぐに臆病風が吹くようだの」

「威勢ばかり良くって、あっと言う間に燃え尽きる“火”の数倍マシかと」

――遂には、互いの系統を持ち出して、直接侮辱合戦を始めた。二人は睨み合い、杖に手を伸ばす。

「臆病者のトリステイン人に勇気を教えてやる」

「野蛮人から教わる作法などありませぬ」

 一触即発の両者の様子に、室内の緊張感が高まった――その時。

「――いい加減になさいッッ!!」

「「――っ!?」」

――上座に座ったアンリエッタが、我慢の限界とばかりに怒号を発した。

 予想外のアンリエッタの怒号に驚いたハイデルベルグ侯とウィンプフェンの二人は、杖を抜きかけた手を止める。

「今という時を何と心得ているのですか! 我らの敵はアルビオンでしょう! 味方同士で争ってどうするのです!!」

「陛下のおっしゃる通りだ! 侯爵! ゲルマニアの勇気は戦場で示されい! ウィンプフェン! 貴様、陛下と私に恥をかかす気か!」

「「…………」」

 二人が杖をおさめ、何とか事なきを得たところで軍議再開となった。
 ポワチエが咳払いを一つしてから口を開く。

「んんっ……とりあえず、当初の計画は崩れた事を認める必要があるようだ。アルビオン軍主力を決戦で打ち破り、余波をかってロンディニウムに進撃。クロムウェルの首をあげ、ホワイトホールに百合の旗を掲げる……。やはり計画通りに進む戦などありえんな」

 ぼやくように言いつつ、ポワチエは内心、自分達の予想を裏切ってくれたアルビオンに毒づいていた。

――この戦には、とにかく自分の出世がかかっている。この戦に勝たねば、元帥にはなれない。

 決して口には出さないが、彼の最優先事項は、常にそれだった。
 故に、こちらが望んでいた決戦を回避したアルビオン軍が憎らしかったのだ。同時に、アルビオンを乗っ取り、その玉座に着いたクロムウェルが、何を考えているのかに疑問が沸く。

 革命を起こしてまで手に入れた国土を敵に蹂躙されて、何故打って出てこないのか?
 ここまで無抵抗でいれば、閣僚や貴族に対して示しが付かないし、民意とて離れていくだろう。一国の王としてクロムウェルは、何一つ自らの責務を全うしていない様に思えた。

「……!」

 ポワチエはふと我に帰る。そして、アンリエッタを除いた、同盟国の将軍とウィンプフェン達が、心配そうに自分を見ていた事に気付いた。

「ゴホンっ!」

 ポワチエは咳払いで気を取り直すと、自らの考えを語った。

「……決戦はなくなったが、計画は実行されねばならん。とにかくロンディニウムのハヴィランド宮殿に、女王陛下と皇帝陛下の旗を翻さねばならんからな。だが、一気呵成にロンディニウムを攻めるのは危険が過ぎる。かと言って、一つずつ城を落としていけばこの戦、終結に十年はかかるだろう」

「「……」」

 侯爵も参謀総長も、先ほどの一喝で冷静になったのだろう。二人とも、苦い顔で頷いた。

「双方の意見は一長一短、良くもあれば悪くもある。――そこで、だ」

 ポワチエは円卓に広げられた地図を示し、ロサイスとロンディニウムを結ぶ線上の一点を叩く。

「アルビオンの観光名所と名高い古都“シティオブサウスゴータ”――ここを取って、ロンディニウム攻略の足掛かりとする。五千をロサイスに残し、補給路と退路を確保――残りは攻略に参加する。空軍は全力を持ってこれを支援。勿論、敵の主力が出てくれば、決戦に持ち込む」

「ふむ……」
「なるほど……」

 侯爵とウィンプフェンが共に頷く。要は二人の意見の折衷案――しかし悪くない作戦である。
 シティオブサウスゴータは大都市であり、街道の集結点でもあるので、ここを支配下に置ければ、他の城や街にも睨みをきかす事が可能になる。加えて、もし降臨祭までに決着が付かなかったとしても、大都市ならば持久戦もある程度可能である。現状、最も現実的な作戦と言えるだろう。

「如何でしょう、女王陛下。この作戦、ご裁可頂けますか?」

 ポワチエは、アンリエッタに伺いを立てる。一応、臣下として君主たる彼女を立てているらしい。

「よしなに」

 アンリエッタはただ一言そう言って、ポワチエの作戦を承認した。
 元々、軍の作戦指揮はポワチエに一任してある。また、聞く限り、今の作戦に文句の付け所は見当たらなかった。戦に関しては自分が非才である事を自覚しているアンリエッタだが、そのくらいの判断は出来た。

――こうして、軍の方針は決まった。

(さて……、作戦が決まったは良いが、作戦を成功させるには、サウスゴータの正確な情報が欲しいところだな……)

 軍議が作戦の詰めに入る中――ポワチエは、如何に作戦を成功に導くか――ひいては己の手柄にするかを考えていた。

(そうだ……、こんな時に使い勝手のよい“切り札”が、我が軍にはあったな)

 考えを巡らせていた時、ポワチエは連合軍の“切り札”――“虚無”の事を思い出した。

(ちょうど良い、あれに働いてもらうとしよう)

――ポワチエは密かにそう決めると、次の瞬間には、何事もなかったように軍議に加わっていた。



――一方、その頃……

 ルイズは、与えられた専用の天幕の中でベッドに腰掛け、寂しげな表情で、ぼんやりと天幕の入口を見つめていた。
 女王直属の女官であり、伝説の“虚無”の担い手である彼女は、将官に等しい待遇を受けている。

――藁束の上に布を敷いただけの簡易ベッド、折り畳み式のテーブルに身の回りの物を入れるチェスト、従兵を呼ぶ為の鈴、そしてそれなりに豪華な調度品……。

 そんな豪華な天幕の中には、ルイズ一人しかいない。彼女の使い魔であり、パートナーであるはずの竜騎士カインは、天幕に入ろうとはせず、大抵の時間は外で過ごしている。ルイズの表情の原因はそこにあった。この十日、ルイズはカインと殆ど話していないのだ……。

 アルビオンに上陸してから、カインは常に何かを考え込んでおり、元々少ない口数が更に少なくなった。
 カインが何かに悩んでいるのかと思い、数日前に一度、ルイズは思い切って尋ねてみたのだが……

『……お前には関係ないことだ』

 カインから返ってきたのは、半ば“拒絶”に近い冷たい反応だった――。

 カインにそのつもりはなかったかも知れない。だが、少なくともルイズは拒絶されたと感じ、ショックを受けた。
 その原因が自分にあるのか、そうではないのかも分からないまま、ルイズはそれ以来、カインの反応を恐れ、話し掛けることが出来ずにいるのだ。

――ほんの少しずつ、二人の間に亀裂が生じつつあった。


 時を同じくして、天幕の外では、カインが地面に座り込み、槍を真横にして膝の上に持ち、瞑想に耽っていた。

(……俺は、何故ここにいる……?)

 そう自らに問い掛けるのは、今までの自分の在様……そして、この先の自分の進むべき道について……。

――自分はこれまで、状況に流されている事を、自分に“言い訳”してきたのではないだろうか?

 このハルケギニアに来てからと言うもの、故郷バロンに必ず帰ると思いながら、なんだかんだでルイズに付き添い、中途半端にトリステインに……このハルケギニアに関わってきてしまった。

――まだ王女であったアンリエッタに乞われ、アルビオンに赴いた時も……。
――タルブで、攻め入って来たアルビオン軍を、ルイズと共に撃破した時も……。
――女王となったアンリエッタの頼みで、国の反逆者の燻り出しに協力した時も……。

――そして、極めつけはこの戦争への従軍……。

 事ある度に――ルイズやアンリエッタといった者達を見捨てるのは、騎士の恥……弱き者を護る事こそ騎士の誉れ……元の世界に帰還する為にも、しばしここに留まりその方法を探さなければ……この世界にいる内は仕方がない……。

――思い返して見れば、言い訳ばかりではないか。何故、こんな事になる前に気付かなかったのか……。

 この戦争への参加とて、ルイズへの非難を回避する為、またラ・ヴァリエールの屋敷でカトレアにルイズの事を託されたから、と言ってみたところで……結局は状況に流されているに過ぎない。

――全ては言い訳だ。

 本来、別世界の人間である自分が、この世界に干渉することは、出来得る限り避けるべきだと分かっていた筈なのに……。

(……無様な……。何をやっているんだ、俺は……)

 考えれば考えるほど、カインは自己嫌悪の渦に陥っていった。己の誇りは何だったのか……その答えすら、見失いかけるほどに……。

 そんな時――。

――ブワッ!

 天幕とカインの近くに、突風が巻き起こった。
 カインが目を開き、そちらを一瞥すると――一頭の竜が降り立って来たのが見えた。その背には、女と見紛うばかりの、美男子が跨がっている。

――すらりと伸びた脚にスマートな長身、透き通るような金髪……何より特徴的なのは、左右で色が異なる眼である。左眼は鳶色、右眼は碧……。

 カインも故郷バロンで――極々稀に、虹彩の異常でそういう眼を持って生まれてくる人間がいる――と聞いた事はあったが、実際に見たのは初めてだった。
 トリステインの竜騎士とは、どこか毛色が違う。雰囲気……と言えばいいのか、漂う気配が違うのだ。

 だが……今のカインに、他人の事を思考する余裕はない。再び眼を閉じ、カインは瞑想に戻ろうとする。が――

「――失礼。ミス・ヴァリエールの天幕は、こちらでよかったかい?」

 青年は竜から降りると、向こうからカインに話し掛けてきた。

「……」

 カインは無言のまま、親指で後ろの天幕を指示す。

「ああ、よかった! 間違ったりしたら、大変だからね! あっ、という事は、君が噂の使い魔カイン・ハイウインド殿だね?」

「……だったらなんだ?」

 やたらと話し掛けてくる青年が煩わしく、カインの声に苛立ちが滲む。

――だが、青年はそんなカインの様子などお構いなしに喋り続ける。

「すまない! 大変失礼をしたよ! 僕はロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。以後お見知りおきを……。人間が使い魔だなんて、珍しいからね。君に一度会いたいと思っていたんだよ」

「……」

 矢継ぎ早に話し掛けてくるジュリオと名乗った青年の馴々しさに、カインは不快感を募らせていたが、敢えて無視を決め込んだ。

「おやおや、どうやら嫌われてしまったかな? 精神統一を邪魔したのは悪かった、謝るよ。だけど、君に会いたかったってのは本当だぜ?」

「……」

 内心「鬱陶しい奴め……」と毒づいていたが、カインは徹底して無視を決め込む。
 怒鳴るにしろ何にしろ、反応を返せばとにかく絡んでくる人間がいる。カインは、このジュリオという青年がそのタイプの人間であることを、直感的に悟っていた。そういう人間には、反応を返さず、向こうから離れていくのを待つのが最良策――だからこその“無視”だ。

「……騒がしいわね」

――その時、天幕からルイズが出て来た。

「おや、あなたは」

 ルイズに気付いたジュリオは、人懐こそうな、無邪気ささえ感じさせる特大の笑みを浮かべた。

「貴女がミス・ヴァリエール? 噂通りだね! なんて美しい!」

「えっ?」

 いきなりの賛美に、ルイズはぽかんとした顔になった。
 ジュリオはそんなルイズに近寄ると、その手を取って口付けをする。

「い、いけない人ね……」

 ジュリオの不意打ちに、ルイズは思わず頬を薄紅色に染め、はにかむように視線を逸す。

「申し訳ない! 僕はロマリアより、新たな美を発見しに参戦したのです! 貴女のように美しい方に出会う為に、僕は存在しているのです! マーヴェラス!」

「……」

――スッ……

 ジュリオがやたらにルイズを褒めちぎる中、カインは立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。――それを見たルイズ、慌ててカインを呼び止める。

「――ちょ、ちょっと! 待ちなさいよっ!」

「……」

 カインは、二人に背を向けたまま立ち止まった。

「ど、どこ行くのよ……?」

 恐る恐る尋ねるルイズ。何とか勢いで話し掛けることは出来たが、数日前のカインの反応のショックが残り、声に普段の覇気はなかった。
 カインは振り返ることなく、感情の起伏に乏しい声で答える。

「……静かな場所へ。……ここではやかましくて、考え事もできん」

 そう端的に言い捨てると、カインは再び歩を進めようとした。だが――

「――おっと、それは待ってくれないかい?」

 ジュリオはそう言って、カインの前に立ち塞がる。

「……」

「おいおい、そう威圧しないでくれよ。話が逸れてしまったが、僕は君達に、ド・ポワチエ将軍閣下の伝言を届けに来たんだ。聞いてくれないと、僕が将軍に叱られてしまう」

「――えっ?!」

 ジュリオの言葉に真っ先に反応したのはルイズだった。

「内容は知らないけど、頼みたいことがあるから、至急総司令部に来るように、だってさ」

「早く言いなさいよっ!!」

 ジュリオを怒鳴りつけ、ルイズは慌てて走り出す。

「……」

 その後ろ姿を見つめ、小さく溜め息を吐くと、カインは徐にルイズの後を追って歩き出した。


「……ふぅん、あれが現代(いま)の“ガンダールブ”か」

 一人、天幕の前に残ったジュリオが呟く。

「……何とも、不器用そうだねぇ」



――連合軍総司令部

「はぁ、はぁ……」

 会議室の扉の前で、ルイズは息を整えていた。天幕と司令部は、そう距離がある訳ではないが、ここまで大急ぎで走って来た為、ルイズは息を切らせていた。

「はぁ~……ふぅ~……」

 深呼吸をして、息を整える。ゼーハー息を切らせたまま部屋に入るのは、体裁が悪いからだ。

――コツ、コツ、コツ……。

 ルイズが息を整えている間に、歩いて来たカインが追いついた。

「……行くわよ」

 足音に振り返り、カインの姿を確認したルイズは、会議室に入る前に彼に声を掛けた。そして、扉をノックする。

――コン、コン……。

「――誰だ?」

 中から聞こえてきたのは、凛とした女性の声――アニエスの声だった。

「私です。女王陛下の女官、ラ・ヴァリエールです」

 中にポワチエがいる事を考え、ルイズは丁寧な言葉遣いで名乗る。すると、すぐに扉が開き、アニエスがルイズ達を招き入れた。

「……参上致しました。女王陛下、ド・ポワチエ将軍閣下」

 会議室の上座に座るアンリエッタと、その傍らに立つポワチエに対し、ルイズは恭しく礼をとった。

「……」

 カインも、口を開きはしなかったが、一応立礼をとる。

「よく来てくれたな、ミス・“虚無(ゼロ)”。急に呼び付けてすまんな。実は、君らにやってもらいたい事があるのだ」

「なんなりと、お申し付けください」

「うむ、先ほど今後のアルビオン侵攻における連合軍の方針を決定する会議を行い、次の侵攻目標を決定した。目標地点は、古都“シティオブサウスゴータ”――ここを占領し、ロンディニウム攻略の足掛かりとする」

 ポワチエは、テーブルに広げられた地図を指揮棒で示しながら、軍の方針を大まかに説明した。

「さて、ここからが本題だ。この作戦に先駆け、君らに、シティオブサウスゴータへ飛び、この街に配備されているアルビオン軍の正確な情報を探って来てもらいたい」

「……なぜ、我々に? 軍の竜騎士を使えばよかろう」

 任務内容を聞いたカインが、疑問を口にした。それを受けてポワチエは一瞬眉を顰めたが、気を取り直して説明を補足する。

「……我々が欲しいのは、敵軍の“正確な情報”だ。以前、このロサイスを占領する際に、ミス・“虚無”が使用した魔法――幻影を作り出す魔法だったか? それを用いて、シティオブサウスゴータの様子を我々に見せてもらえれば、より正確に敵戦力を分析し、それに対する有効な戦略を練ることができる。――それが理由だ」

「……敵に捕まる危険があるが?」

「それこそ、タルブでの戦いにおいて、たった一騎でアルビオンの竜騎士隊を壊滅させた貴殿の実力があれば、どうとでもなるだろう」

「…………」

 まるで皮肉のようなポワチエの言葉に、カインは無言で返す。

 ポワチエが言うことは、一見軍人として筋が通っているようだが、結局のところは自分の手柄の為だ。
 ルイズはトリステインの貴族――そして、その運用を考えたのは自分――これでシティオブサウスゴータを落とせば、連合軍における自分の権威と、目指す“元帥”への道は確固たるものとなる。アンリエッタの女官であろうと、ここは戦場――従軍している以上は、どう扱おうと文句は言えない。
 とにかく、自分が出世出来れば良し。その為ならば、伝説の“虚無の担い手”とはいえ、たかだか小娘一人とその使い魔一人――どうなろうと構わない訳だ。

「――わかりました。必ず、成功させます!」

 ポワチエの思惑を恐らく理解しているであろうルイズは、そう言って任務を受諾した。
 意地か、それともある種の反抗心か……あるいは、純粋に祖国の為ならどんなことでもやるという忠義なのかも知れない。

「――ルイズ」

「女王陛下……」

 沈黙を続けていたアンリエッタが、ルイズに声を掛けた。

「気を付けて……。決して、自身を軽んじてはなりませんよ」

「はい……!」

 この時、アンリエッタは見抜いていたのかも知れない。ルイズが、“虚無の担い手”であることで、この戦争に追い詰められていることに……。
 逆に、ルイズは理解していなかった。自分が追い詰められていることを……そして、アンリエッタが掛けてくれた言葉の意味を……。

 ルイズは、アンリエッタとポワチエに一礼すると、会議室を後にする。カインもそれに続いて部屋を出ようとした。

――その時。

「――カイン殿」

 アンリエッタが、背を向けたカインを呼び止めた。

「……」

 カインは背を向けたまま、歩を止める。

「どうか、ルイズを……守ってあげて下さい」

「…………」

――コツ、コツ……バタン……。

 アンリエッタの言葉に、カインは何も答えなかった……。




 ルイズとカインは、赤レンガの司令部から外へ出た。
 建物の前には、既にレフィアが待っていた。彼女は、カインがルイズと共にこの建物に向かっていくのを見て、ついて来ていたのだ。

「……早速、シティオブサウスゴータに飛ぶわ」

 レフィアの姿を見たルイズが、“善は急げ”とばかりに言った。

「……わかった」

 カインも特に異論を挟むことなく、ルイズをレフィアに乗せ、自分も跨る。

「レフィア、頼む」

「きゅう~!」

 レフィアは一声鳴くと、翼を羽ばたかせ空に舞い上がった。

「きゅ、きゅきゅきゅい?」(で、どっちに飛べばいいの?)

「北に真っ直ぐ飛べ」

「きゅい~」(了解なの~)

 カインの指示を受けて、レフィアは意気揚々と翼を煽り、北に向けて進路を取った。



――そして、空を行くことおよそ一時間……。

 二人は、シティオブサウスゴータの上空までやって来た。
 この街は、円形に配置された城壁の中に、色とりどりのレンガで組まれた家々が建ち並ぶ、人口約四万人の大都市である。

 街を視界にとらえ、カインは高度を下げた。すると、街ゆく人々がこちらに手を振っているのが見えた。どうやら、味方と勘違いしているようだ。

「ルイズ、急いで敵情を調べろ。街の上空を飛んでいられる時間はほんの僅かだ」

 長時間飛び回っていれば敵も怪しむ。しかも、これだけ街の住民が騒いでいては、敵軍に見つかるのも時間の問題だろう。
 恐らく、何らかの方法で敵味方の識別を行っているだろうから、少し凝視されればすぐにアルビオンの竜騎士でないことはすぐにバレてしまう。行動は迅速に進めなければならない。

「わかってるわよ!」

 ルイズはそう言うと、身を乗り出して街の情景を眺めた。
 幻影を作り出す虚無の魔法“イリュージョン”は、使用者の記憶した物や光景を正確に投影する呪文である為、ルイズは街の様子を頭に刻みつけているのだ。

 その時、街の広場を闊歩する“化物”の存在に、ルイズは気付いた。

「オーク鬼だわ」

 よくよく見れば、街の至るところに亜人の姿があった。オーク鬼のみならず、身長5メイルという巨体を持つトロル鬼やオルグ鬼までいた。
 それに対し、人間の兵が極端に少ない。亜人達を指揮するメイジの姿はあるが、一般の兵士はほとんど見当たらなかった。

「……化け物を手懐けて、自軍の兵力を水増ししているのか」

「そうみたい。でも……よくあの凶暴な亜人達が人間に従っているわね……」

「何らかのカラクリがあるのだろうが……今はどうでもいい事だ。敵情の把握を急げ」

「わかってるわ! 焦らせないでよっ!」

 そう言ってルイズは、精神を集中して眼下の光景を脳裏に焼きつけ始める。と、同時に、持って来ていた羊皮紙のノートとペンを取り出し、街の情報を書き留めて行く。
 “虚無”の魔法は精神力の消耗が激しい為、一度大きく使ってしまうと、再び精神力が蓄積するまでに時間がかかってしまう。ルイズはつい十日前に、大規模な“イリュージョン”を使ったばかりなので、あまり広範囲の風景を映し出すことはできない可能性が高く、その不足分は、紙に書くしかないのだ。

「もう一度、街の上を旋回して」

「そろそろ敵に気づかれる。次が最後だ」

 再び旋回を始めるレフィア。ルイズも必死に、記憶とノートに情報を刻んでいく。だが――

「……時間切れだ。引き返すぞ」

 旋回を始めて十分もしない内に、カインが撤退する旨を告げた。

「早いわよっ!! まだ、書き切れてない! もうちょっと――」

「――敵に発見された」

 ルイズの言葉を遮るように、カインが端的にそう告げた。竜騎士を乗せた風竜が九匹、上空からこちらに向かって急降下して来ている。ルイズは呆然とした。
 が、そんな彼女を無視して、レフィアは急旋回し、シティオブサウスゴータ上空から離脱する――。

 しかし、敵は風竜な上に、上空にいる。落下速度をプラスしてこちらに向かってくるため、速度では向こうに分がある。カインもレフィアを地面に向かって滑空するように飛ばせる事で、何とか速度を稼いでいるが、それでも敵竜騎士隊との距離はグングン縮まっていく。

「お、追いつかれちゃうわっ!」

 ルイズは震えを押し隠して叫ぶ。後ろから迫ってくる風竜を振り返ると、急速に“死”の恐怖が膨れ上がっていく。

「……っ!」

 自分の中の恐怖を、首を振って振り払う。唇を噛みしめ、杖を取り出す。
 こうなれば、魔法で反撃するしかない――意を決して杖と祈祷書を握り締めるルイズ、だが……

「――余計なことを考えるな」

 すぐ後ろから、カインの鋭い声が飛ぶ。

「よ、余計なこととは何よッ!?」

「黙っていろ。喋っていると舌を噛むぞ。――レフィア!」

「きゅいっ!」

 カインが言うとほぼ同時に、レフィアは急上昇を始める。
 すると、敵とカイン達の上下が入れ替わり、今度は上空を飛ぶレフィアを、敵部隊が下から追いかける形になった。

「今だな」

――カインは、槍とデルフリンガーを両手に持ち、レフィアの背から敵竜騎士隊に向かって飛んだ。

「――な――」

――シャッ!

『グギャアァッッ!!?』

「――おわあぁぁッッ!!?」

 先頭を飛んでいた風竜は、翼を斬りつけられて暴れ出し、跨っていた竜騎士は振り落とされて地上に落下していった。

『――っ?!』

 仲間が瞬く間に墜とされるという事態に、残った八騎に動揺が広がる。

――そこで生じた隙は僅かだったが、カインにとっては、残りを倒すのに十分だった。

 主人を失い暴れる風竜の首筋に峰打ちを叩き込み、その背を踏み台にして跳ぶ。

――ザシュザシュ!!

「ぎゃあッ!?」
『ギィッ!!?』

 今度は左後方を飛んでいた一騎が、騎士、竜の順に斬りつけた。――バランスを失った風竜が墜ちる。

 以前のタルブ戦の時と同様に、カインの有り得ない空中戦法に動じたアルビオン竜騎士は、浮足立ちまともな対処が取れない。

――勝敗は既に決まっていた。

 竜を足場に縦横無尽に飛び回るカインに、アルビオン竜騎士は一騎、また一騎と撃墜されていく……。時折、魔法を撃つ者もいたが、外れるか、誤って仲間に当たるばかりで、肝心のカインには掠りもしなかった――。

「――わ、わわわ! く、くく、来るなぁ!!」

 最後の騎士は、焦りでデタラメに手綱を引いてしまい、竜を混乱させ、空中でジタバタとモタついてしまい、それが命取りとなった。

――シュッ!

「――ああっ?!」

――ゴンッ!

「――んがっ!?」

 カインは焦って手間取っている竜騎士の前に降り立ち、手綱を切り、ガラ空きの頭に槍の柄を叩き込んで意識を刈り取った。同時に竜の背を蹴り、空中に飛び上がる。

――ビュンッ!

「きゅッ!」

 空中に跳んだカインを、回り込んで来たレフィアが背で受け止めた。
 その下には、カインに墜とされた竜騎士達が、どうにか体勢を立て直して墜落を免れている姿がある――カインは竜騎士一人、風竜一頭たりとも殺してはいなかったのだ。

「殺さなかったのね……」

 それを見たルイズは、安堵の表情を浮かべる。

「俺に奴らを殺す理由はない。その必要もない。戻るぞ」

 デルフリンガーと槍を納めたカインは、レフィアに指示を出す。レフィアは、今度こそロサイスに向けて羽ばたいた。

――戦闘の開始から決着まで、僅か三分弱……相も変わらず驚異的な強さを見せたカインだが、彼の身には“ある異変”が生じており、戦闘の最中、カインはそれを“違和感”として自覚していた。

「……」

 ロサイスに向かう空の上で、カインは己の“左手”を見つめていた。



「いやはや……、恐れ入ったね」

 カインとアルビオン竜騎士の戦闘があった場所の更に上空――そこに、一頭の風竜に跨ったジュリオの姿があった。彼は、ルイズとカインがロサイスから飛び立った時にその姿を見とめ、こっそり後を付けていたのだ。そして、カインとアルビオン竜騎士の戦闘をずっと観察していた。

「自分自身がまるで風竜のように空を舞い、本物の風竜を翻弄し叩き落す、か。現代の“神の左手(ガンダールブ)”は、大層腕が立つようだ。なあ、アズーロ?」

「きゅい」

 自分の問い掛けに、風竜がまるで肯定するかのように一声鳴くと、ジュリオはニッコリと微笑みを浮かべる。そしてアズーロと呼んだ風竜の手綱を引いて、自分達もロサイスに向けて進路を取った。

「ふふっ、これからどうなるのか、少し楽しみになってくるねぇ」

 その独り言は、アルビオンの風に流されて、誰の耳に入ることもなかった……。








続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十三話
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:c8b2b464
Date: 2010/06/02 19:04
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十三話







――アルビオンの首都ロンディニウム、ホワイトホールでは出撃を巡って激論が戦わされていた。

 ルイズの『幻影イリュージョン』によって、まんまとダータルネスに主力艦隊を吸引されてしまったアルビオン軍は、水際で敵軍を叩く好機を逃した。ロサイスで、上陸してくる連合軍を迎え撃てていれば、空に浮かぶアルビオン大陸の地の利を活かして、戦局を有利に進めることも可能だった。しかし、連合軍にロサイスを取られた今となっては、後の祭りである。

――アルビオン軍は、確実に追い詰められていた。

 四十隻を残していた空軍艦隊は、先の艦隊決戦で半数が大破、残りの艦も深刻なダメージを負っており、出撃可能な艦は十隻にも満たない。
 対して連合艦隊は、十二隻が大破、八隻が深刻なダメージを負ったが、未だ四十隻近くの艦が戦闘可能である。制空権は完全に連合軍が掌握した状態だ。

 その上アルビオン軍は、タルブの敗戦で三千を失い、先日の敗北でさらに軍全体の士気が下がり、離反する隊が現れるなどで、その数をどんどん減らしている。現状四万数千の兵を残すのみで、革命時の勢いを完全に失っていた。

 全てが後手に回り、もはや反撃など出来るはずもない。

 この事態に、ホワイトホールに集まった面々は、座の中心に控えた、神聖アルビオン共和国議会会議長にして、初代アルビオン皇帝クロムウェルに非難の視線を向けていた。

 数々の謀略――アンリエッタの誘拐、トリステイン魔法学院の子弟を標的とした人質作戦――それらに失敗した挙句、まんまと敵の上陸を許してしまったのだ。全ての事の発端であるクロムウェルに、非難が集中するのは当然の成り行きだ。
 だが、当のクロムウェルは涼しい顔のまま……非難など気にも留めていない表情である。

 そんな中、アルビオン軍主力の実質的な指揮をとっているホーキンス将軍が、口を開いた。

「反転は小官のミスです。初動で敵を殲滅できる好機を逃しました。詫びの言葉もありませぬ」

「ボロボロだな、我が軍は」

 悲痛な表情で頭を下げたホーキンスに対し、クロムウェルはにっこりと笑みを浮かべて、事も無げに言った。
 まるで危機感が感じられないクロムウェルの態度に、ホーキンスは溜め息混じりに告げる。

「……敵が使用する魔法兵器は、こちらの想像を超えております」

「ミス・シェフィールド」

 クロムウェルの呼び掛けに、後ろに控えていた黒ずくめの秘書が頷き、羊皮紙の報告書を取り出す。

「ダータルネス付近に突如出現した敵艦隊の“幻”は、十三時間に亘って遊弋し、その後忽然と消失しました」

「たかが幻を浮かべるだけの姑息な魔法にすぎん。何を恐れることがある?」

「現実に、効果は甚大です」

 失笑を漏らすクロムウェルの言葉を、ホーキンスは呆れたように、即座に反論した。
 クロムウェルは、まるで現実が見えていない。例え姑息な魔法だろうと、実際それによって軍が引き戻され、現状を招いているのだ。つまりは数万の軍勢がそこにいたのと変わらぬ効果をあげている。更に――

「それだけではありません。タルブで、突如として天から現われたあの巨大船……、それが敵軍の艦隊にいたと、兵の目撃情報があります。タルブでの戦いにおいて、我が艦隊はあの船の出現で足下をすくわれ、その後……あの魔法の光によって吹き飛ばされました……。その巨大船が敵の軍勢に加わっている事で、また『あの光が降り注ぐのでは』と、軍内にもじわじわと動揺が広がっております……」

「……」

 クロムウェルはシェフィールドに向かって頷く。シェフィールドは再び、ホール内によく響く声で報告書を読み上げた。

「敵軍は……かつてタルブで我が艦隊を殲滅した、あのような光は撃てない状態であると判断致します」

「根拠は?」

「使用するなら、先日の上陸前の艦隊決戦のおり、使用しているはずです」

「温存の可能性は?」

「敵軍は、あの艦隊戦で負ければ、後がない状態でした。使用できるものならば、確実に“奇跡の光”を投入したはずです。しかし、敵は通常の艦隊戦を行いました。衆寡敵せず、それでも我が艦隊は敗北致しましたが」

「――陸で勝てばよい」

 シェフィールドの説明を、クロムウェルが引き取る。
 その言葉を受けて、参謀本部の将軍が立ち上がった。

「閣下、参謀本部は敵の次なる攻略予定地を、シティオブサウスゴータと推定しました」

 そう言って将軍は卓上に広げられた地図を、杖の先で示す。

「ここは、街道の結束点であり、重要な大都市です。推定を裏付ける要素として、この辺りの敵の偵察活動が活発になっている事が挙げられます。先日も偵察目的と思われる竜騎士が飛来し、我が軍の竜騎士隊と交戦致しました。我々はシティオブサウスゴータに主力を配置し、陣を構え、敵を迎え撃つべきです」

 この提案に、他の将軍達からも賛同の声が上がる。現状と彼我の戦力を考えれば、拠点をもって防衛戦を展開するのが最良策である。
 しかし……。

「まだ、主力はロンディニウムから動かさぬ」

――なんとクロムウェルは、その作戦案を切り捨てた。

 予想だにしなかったクロムウェルの言葉に、将軍達がどよめく。

「閣下、座して敗北を待つおつもりか?」

 ホーキンスは、ことごとく道理に反する言葉を発するクロムウェルに眉を顰めた。
 しかし、やはりクロムウェルは意に介した様子はなく、ホーキンスの言葉に首を振った。

「将軍、サウスゴータは取られても構わぬのだ」

「敵にみすみす策源地を与えると申されるか。敵は大都市で少ない兵糧を補給し、休養を取り、拠点と補給路を確保することになります。そうなれば、いよいよ手が出せなくなりましょう」

 ホーキンスの尤もな意見に、将軍達も頷く。

――だが、クロムウェルはここで驚くべきことを口にする。

「――兵糧など与えぬ。住民達から丸々食料を取り上げ、サウスゴータの食料庫は事前にカラにしておくのだ」

『――なっ!!?』

 これにはホーキンスのみならず、クロムウェルとシェフィールドを除いた全ての者が驚愕した。

「敵は数少ない食料を、住民達に与えねばならぬ羽目になるだろう。いい足止めだ。なまじ防衛戦を展開して損害を被るより、よほど賢い方策と言えよう」

 なんと言う事だろうか。クロムウェルは、シティオブサウスゴータの住民達を、利用しようと言っているのだ。

――これには、さすがのホーキンスも声を荒げた。

「馬鹿なッ!! 敵が見捨てたらどうなさる!? 大量の餓死者が出ますぞ?!!」

「それはない」

 クロムウェルはあくまでも、冷静な姿勢を崩さない。それどころか、微笑みすら浮かべている。

「なに、敵が見捨てたとて、たかが都市一つではないか。国の大事の前には、些細な犠牲だ」

 サウスゴータほどの都市を、クロムウェルは『たかが都市一つ』『些細な犠牲』と言ってのけた。

――クロムウェルは更に言葉を続ける。

「ついで、サウスゴータの水に、我が“虚無”の罠を仕掛ける」

「“虚無”の罠ですと?」

 将軍の一人が尋ねると、クロムウェルは笑みを浮かべて頷いた。

「そうだ。面白いことになるだろう。ただし、効果を発するまでに、時間がかかる」

 そう言ってクロムウェルは立ち上がると、拳を振り上げる。

「――諸君、降臨祭だ! それまで敵を足止めするのだ! 降臨祭の終了と同時に……、余の“虚無”と交差した二本の杖が驕り高ぶる敵に鉄槌を下す!」

『おお! 遂にガリアが!』

 交差した二本の杖は、ガリア王家の紋章――大国ガリアの参戦を示唆するクロムウェルの宣言に、ホール内は一気に色めき立つ。

「その時こそ、我が軍は前進する! 驕る敵を粉砕するために! 約束する!」

『――おおぉぉ!!!』

 先程までの凍り付いた空気が嘘のように、ホールは熱気と高揚が包み込んだ。

――そんな中、ただ一人……ホーキンスは、その光景を冷ややかに見つめていた。

(……条約を破り、何度となく姑息で卑劣な謀略を巡らせ、この上卑劣な手段で己の国の民すら裏切ろうという……。……今や私も、この男の手先……。何たる無様……)

 ホーキンスは初めて、己が軍人であることを後悔した。誇りを持って務めてきたはずの軍人職を、嘆くことになるなど夢にも思わなかった……。

「――神聖アルビオン共和国万歳!」

『――神聖アルビオン共和国万歳! 神聖アルビオン共和国万歳! 神聖アルビオン共和国万歳! 神聖アルビオン共和国万歳!』

 目の前で繰り広げられる、クロムウェルの大演説と親衛連隊の大歓声が、耳障りな騒音にしか聞こえない……。

(……我らは、一体どこで道を踏み外したのだろうな……)

 そこに、ホーキンスの苦悩を知る者は、誰もいなかった……。





――アルビオン上陸から十六日目……連合軍はやっとのことで攻勢を開始した。

 その攻略目標は、シティオブサウスゴータ――小高い丘の上を利用して建設され、円形の城壁で囲まれた、『城塞都市』とでも言うべき難攻の大都市である。
 中には五芒星の形に大通りが造られており、その形から始祖ブリミルが初めてアルビオンに築いた都市だとも言われている。真偽は定かではないが、そういった伝説がまことしやかに囁かれ続けるほど、都市としての歴史が古い事は間違いない。

 そんなサウスゴータの街にも人々の暮らしがあり、内部に入って見れば、立ち並ぶ建物によって出来た細い道やごみごみした裏路地が無数に入り組み、さながら迷路のような複雑さ、雑然さが目立つ。

 しかし、それもあくまで“地上”から見ればの話……。

――サウスゴータの五本の大通りが描く五芒星……それを取り囲む円形の城壁……。二つが合わさり、一つの巨大な魔法陣のような幾何学模様を描いている街の姿を、地上の如何なる生物の眼も届かぬ空の彼方から見つめる、二対の眼が存在した。


「……さすがシティオブサウスゴータね。観光の名所として有名なだけあるわ」

 魔導船のスクリーンに映し出されたサウスゴータの街の姿を見たルイズが、感想を述べた。

「……戦争の真っ最中でなければ、ゆっくりと観光でもしたいところなんだけどね……」

 などと、割りと呑気な事を言うルイズ。だが、その視線は、傍らに立ち、魔導船を操縦するカインをチラチラ見ていた。

「……」

 ルイズの視線に気付いているのか、いないのか……カインは無言のままである。

――何故二人が、魔導船でサウスゴータ上空にいるかと言うと、例によってまた軍司令部から任務を言い渡されたからだ。

 その任務とは――『幻影イリュージョン』による敵戦力の撹乱――主力の突撃に呼応して上空から接近し、幻の艦隊を作り出して敵を混乱させる、という内容である。
 要は「ダータルネスでやった事をまたやれ」という事だ。

「……そろそろ、攻撃が始まる時間よ」

「わかっている……」

 ちょうどその時、サウスゴータの城壁に向けて、連合軍の艦隊の砲撃が始まった。
 残念ながら、さすがの魔導船もこの高度から地上の音を拾う事は出来ないが、地上は恐らく凄まじい砲撃音と、兵士達の歓声が響き渡っていることだろう。

「……頃合だ。降下するぞ」

 カインが言うと同時に、魔導船は地上に向けて降下を開始した。
 同時に、ルイズも杖と祈祷書を手に出番を待つ――。

 事前の打ち合わせによれば、艦隊が砲撃で城壁を粉砕した後、“トライアングル”メイジの巨大土ゴーレムによる瓦礫の撤去作業が行われ、そしていよいよ突撃が開始される手筈となっている。

 降下時間及びルイズの詠唱時間を考慮すると、このタイミングと速度で降下するのがベストなのだ。が……

「……」

 カインは、この作戦に一つの懸念があった――。
 それは、ルイズの精神力の問題である。

 ハルケギニアのメイジが魔法を使う際に用いる精神力は、故郷の魔道士が用いるマジックパワーとは性質が若干異なる。
 マジックパワーは、一晩グッスリ眠れば全快する。一方精神力は、そもそも“全快”という概念がない。強力な魔法を使って精神力が切れたからと言って、一晩眠れば翌日また同じ魔法が使えるとは限らないのだ。更に、個人差はあるものの、どうやらその保有量に“上限”というものが無いらしい。精神力の消耗を抑えて日々を過ごしていれば、少しずつ蓄積していく仕組みになっているようだ。

 ルイズの場合――アルビオン上陸の際、大規模な『幻影イリュージョン』を使用した、その十日後、サウスゴータの偵察で再び使った『幻影イリュージョン』は、極めて小規模のものだった。

――十日間で、ルイズの精神力はその程度しか回復しなかった……。にも関わらず、今回は前に『幻影イリュージョン』を使ってから、一週間も経っていない。

 回復量が一定ではないにしても、とても充分に回復しているとは思えない。そんな状態で任務に臨むなど、はっきり言って無謀だ。
 カインはそのことを、任務を受けた時にルイズに話した。しかし――

「出来る、出来ないの問題じゃないわ。やれと言われたからには、やるしかないのよ。これは、私にしか出来ない任務なんだから」

 そう言ってルイズは作戦実行の意志を曲げなかった。
 意地を張って後に退けなくなると、更に意地を張る――ルイズの悪癖だ。

――しかし、もはや後戻るには遅過ぎる。

 魔導船は、もうすぐ地上から視認可能高度に到達する。無謀でも、やるしかないのだ。

 カインは溜め息を漏らしつつ、ルイズを連れてレフィアの元へ向かった。


 降下を続ける魔導船から、カインとルイズを乗せたレフィアが飛び出す。

「……」

 魔導船と並走するように地上へ降下するレフィアの背でルイズが『幻影イリュージョン』の詠唱を開始する。
 そして、呪文が完成し、ルイズが魔法を発動させようとした……その時!

「イリュージョっ……!」

「――ルイズッ!?」

――魔法を放とうとした瞬間、ルイズは唐突に気を失った。

 カインはダラリと力が抜けたルイズの体を捕まえる。

「こりゃ精神力切れだな。使おうとした『幻影イリュージョン』の規模に対して、娘っ子の精神力が足りなくて気絶しちまったんだ」

 カインの背に担がれたデルフリンガーが、ルイズの気絶の原因を説明した。

――結果的に、カインの懸念は見事に当たってしまったのだ。

「……やむを得ん。レフィア、魔導船に戻れ!」

「きゅい! ふきゅ~、きゅきゅきゅい……(はいなの! はふ~、出たり入ったり忙しいの……)」

 ぼやきつつレフィアは、魔導船に向かう。


――ルイズの『幻影イリュージョン』による陽動作戦は失敗した。だが、突如上空から出撃した魔導船の姿に、サウスゴータのアルビオン軍は一応動揺したので、結果的に陽動は成功したとも言える。

 しかし、正直な話、元からこの陽動作戦の成否は、大局に然したる影響はなかった。
 トリステイン・ゲルマニア両軍は優勢により士気が上がり、逆にアルビオン軍は劣勢により士気が落ち込んでいる上、サウスゴータのアルビオン軍は亜人ばかり。慣れぬ市街戦でその巨体が仇となり、割りとあっさり撃破されていった。

――結果、連合軍は攻撃開始から僅か数日でシティオブサウスゴータを制圧。

 連合軍総司令官のポワチエによって都市の解放宣言が出され、シティオブサウスゴータの戦いは、連合軍の勝利に終結した……。





――シティオブサウスゴータの一等地に位置した宿屋、その二階ホール……。

 そこは現在、街を完全に掌握した連合軍の司令部となっている。
 カインはそこで、アンリエッタ、ド・ポワチエの両名と対面していた――ただ一人で。

「――呼び出しに応じて参上した。俺に用と聞いたが?」

 カインの元に、司令部からの伝令がやって来たのは数刻前の事……。
 何故かルイズを介してではなく、カインに直接召喚命令が伝えられた。しかも、用があるのはカイン一人だけだとの事……。
 怪訝に思いながらも、カインは司令部に出頭したのだ。

「お呼び立てして、申し訳ありません。実は、カイン殿にお願いしたい事があるのです」

 そう話すのは、上座に腰掛けたアンリエッタである。

「カイン殿、シティオブサウスゴータの食料庫が空になっていた件は、お聞きになりましたか?」

「ああ、聞いている」

 都市を占領した後の調査で判明した事実であった。既に、その情報は街に駐屯する連合軍に知れ渡っており、カインの耳にも届いていた。

「住民達から事情を聞き調査したところ……どうやら、我が軍が攻め入る前にアルビオン軍が食料を残らず持ち去ったらしいのです……」

「なるほど……。敵軍を足止めする為に、都市一つを利用するとは……狡猾な連中だ」

 カインは……いや、少し冷静に考えられる者ならば、誰でもその結論に達するだろう。
 飢えた住民を、連合軍が、アンリエッタが見捨てられない事を見越しての策略……。ここで住民を見捨てるような真似をすれば、戦争に勝利した後の統治に支障を来すことになる。

 戦況が連合軍に傾いている今だからこそ、戦後の事も視野に入れて行動しなければならないのだ。

「はい……。仮にも自国の民だと言うのに、まるで盤上の駒の様にあっさりと切り捨てるなんて……許しがたい行いです」

 静かな憤りを滲ませた声で、アンリエッタは呟く。

「……それで、俺にどうしろと? 魔導船で食料の輸送をしろ、とでも?」

「――推察の通りだ、ハイウインド卿」

 カインの問いに答えたのは、脇に控えたポワチエであった。

「……詳しく聞かせて貰おうか」

「知っての通り、先日アルビオンから、降臨祭の終了までの期間、休戦の申し入れがあり、こちらはそれを受け入れた。しかし、条約破りを平然とやってのけるアルビオンの事、いつまた奇襲してくるとも限らん。ただ手をこまねいて、休戦終了を待つのは愚策と言うものだ。そこで、何よりも兵糧の補給を済ませる事が肝要という事で、司令部の見解が一致した」

「なるほど……、それで軍のどの船よりも早くトリステインとアルビオンを往復出来る魔導船に、白羽の矢が立った訳だ」

 カインはポワチエに先んじて、結論を口にした。

「話が早くて助かる。貴殿は、魔導船に我ら軍人を乗せる事を嫌っているようだが、兵糧ならば構うまい?」

「……確かに、それは構わん。――だが、一つ疑問がある」

「疑問?」

 ポワチエが怪訝な表情を浮かべる。

「……何故、今回の任務に限って俺を名指しし、『一人で来い』などという伝令を寄越した? 俺は立場上、ルイズの“使い魔”という事になっているはずだ。なのに何故……、この任務にルイズを関わらせない?」

「……」

 カインが口にした疑問に、アンリエッタが表情を沈ませ俯いた。ポワチエは冷めた表情になり、徐に口を開く。

「簡単な話だ。この任務に、ミス・ヴァリエールは必要ない。彼女には“守りの力”として、ここに残ってもらう。一応は、我が軍の“切り札”だからな」

「……」

 ポワチエの最後の一言が、軍がルイズに下した評価を、雄弁に物語っていた。

――司令部は、ルイズの“虚無の力”に見切りを付け始めている。

 当初は、タルブにおける功績から、僅かながらも成果を期待していたが、今日までに軍に貢献した事と言えば、ダータルネスにおける陽動とサウスゴータの敵情偵察のみ……。言っては悪いが、確かに“切り札”と呼ぶには物足りない成果ばかりだ。
 ルイズを“兵器”扱いしている軍上層部からすれば、使えない兵器に用はないということなのだろう。

「……よかろう。どうせ、することもなく暇を持て余していたところだ」

「――ああ! ありがとうございます! カインさん!」

 表情を明るくしたアンリエッタが、カインに頭を下げる。

「礼には及ばん。……一国の王たる者が、軽々しく頭を下げるな」

「いいえ、我が軍の将兵の命に関わる事とはいえ、無理を申しているのはわたくし達です。お礼を申し上げるのは当然の事です」

「……好きにしてくれ」

 カインは短く溜め息を吐いた。
 話が一段落すると、脇に控えていたアニエスが、カインに書簡を渡す。トリステイン王家の押印がされた公文書である。

「既にトリステインではこちらの知らせを受け、補充の兵糧の用意が始まっているはずだ。直ちにトリステインへと飛び、マザリーニ枢機卿にその書簡を渡せ。さすれば、話は伝わるだろう」

「了解した」

 ポワチエの説明を聞き、カインは書簡を受け取って、懐に入れる。

「では、失礼する」

 カインはすぐさま体を翻し、司令部を出て行った。





――アルビオンとの休戦が発効した日から五日目。

 あと四日ほどで、ハルケギニアは新年を迎える。そうすれば、『始祖の降臨祭』が始まるのだ。
 まだ戦争の最中であるが、街は降臨祭を目前にして浮ついた雰囲気に包まれていた。それは、戦時故の反動なのかもしれない。戦の真っ只中におかれ続けていたサウスゴータの住人達にしてみれば、この一年は心休まる日はなかっただろう。

 休戦期間を得て、シティオブサウスゴータの市民も、トリステイン・ゲルマニア両国の兵士も、この安息の時間を謳歌するつもりの様であった。
 季節は冬……。街を行く人々の装いは、随分と厚着になっている。特に、高度三千メイルの空の上に位置する浮遊大陸であるアルビオンの冬は早く、突然の様に寒さがやってくるのである。

 そんな中――連合軍が接収した宿屋の一室の中、ルイズは暖炉の前で膝を抱えていた。

「…………」

 痩せ型のルイズは寒がりだ。初めて体験するアルビオンの冬は、彼女にはたまらなく辛いはずである。

――だが、彼女を震えさせているのは、何も冬の寒さばかりではなかった。

「…………私、何してるんだろう……」

 赤々と燃え盛る暖炉の火を見つめながら、ルイズは沈んだ声で呟く。
 その心に浮かぶのは、先の陽動任務における自分の失態……。

――『幻影イリュージョン』の途中で気を失い、結局、任務は失敗……。カインのフォローがなかったら、陽動そのものが失敗に終わっていただろう。

 大局に然したる影響はなかったとは言え、失態は失態……。以降、ルイズの評価は著しく下がった……。
 面と向かって非難された訳ではないが、将軍達の目付きや口振りからは、失望と軽蔑の色がハッキリと感じられた。
 さらに、それに追い討ちを掛ける様にカインが単身任務を与えられた。補給物資の輸送という簡単な任務ではあったが、ルイズはサウスゴータに残るよう司令部から指示され、任務に同行することさえ許されなかった。

 軍は、つい先日カインが運んできた兵糧によって、サウスゴータの住民への供給で不足した物資を補充し、万全の態勢を整えている。将兵の気構えは別としても、連合軍はいつでもアルビオンとの決戦に臨める状態だった。

 だが、それが反ってルイズを惨めな気持ちにさせていた。

「……っ……」

 余りの惨めさに、ルイズは目に涙を滲ませる。
 こんなはずではなかった……。“虚無の力”に目覚め、ようやく親愛なるアンリエッタと祖国トリステインの為に、力を尽せると思っていたのに……現実は、理想とは程遠い。

『……だいたい、戦場がどんな所だかわかっているの? 少なくとも、あなたみたいな女子供が行くところじゃないのよ』

 実家でエレオノールに言われた事を思い出す。
 姉の言った通りであった。覚悟を決めてこの戦場に来たつもりだったが……、本当に“つもり”なだけだった……。

――戦場は無情……。

 力無き個人の覚悟など、いとも簡単に押し潰す。力はあっても、御しきれぬ者のソレも、また然り。

(……私は、自分の事も……“虚無”の事も……、何も、分かっていない……)

 ルイズは、ここに至って初めて、自分が知らぬ間に“虚無”という力に踊らされていた事に気付いた。

――強過ぎる力と思いは、人を狂わせる。

 その事実が今、ルイズの心に重くのし掛かっていた……。



――一方、その頃……。

 カインはサウスゴータの城壁の外で、瞑想の真っ最中であった。

「…………」

 街では、連合の兵士やサウスゴータの市民達が、戦勝の歓喜と、これから始まる降臨祭への期待で浮かれている。
 さらに、カインの物資輸送の後続として、『慰問隊』と称して何軒ものトリスタニアの酒場が出張してきていた。
 故郷の料理とワインで、連合軍の将兵達の英気を養おうという意図なのだろうが、カインはそんな彼らと一緒になって浮かれる気にはならなかった。

――戦争はまだ終わっていないというのに、軍は既に戦勝気分でいる……。

 万が一、こんな状態でアルビオンの奇襲でも受けようものなら、連合は多大な犠牲を被ることになるだろう。
 更に言えば、この休戦とてあからさまに怪しい。幾ら降臨祭の間は戦わないのが慣例だからと言って、住民から食料を取り上げ、連合軍を足止めした直後というタイミングで、休戦を申し込んでくるなど……。これまでのアルビオンの行いを鑑みれば、何かを企んでいるのは明白だ。

(……嫌な予感がする)

――嵐の前の静けさ……、という言葉がある。

 この不自然な程に平穏な時間に、カインは不審感を募らせるのだった……。




 沈んだ気分を少しでも晴らそうと、宿を出たルイズは、サウスゴータの中央広場でベンチに腰掛け、道行く人々を眺めていた。
 連合の将兵達は、誇らしげに胸を張って歩き、サウスゴータの市民達は現アルビオン政権の支配から解放された喜びと、降臨祭への期待に顔を綻ばせている。

「……はぁ」

 ルイズは溜め息を吐いた。街はこんなに景気が良いというのに、暗い顔をしているのは自分だけ……。
 戦勝ムードで騒ぐ兵士達を見て、思い出すのはシティオブサウスゴータの解放宣言が出された日の事……。

 あの日……サウスゴータの市長を初め、街の市議会員や市民達、アンリエッタを筆頭とした連合軍の首脳陣が集まり、解放戦において武勲を立てた士官達への表彰式があった。

――その中になんと、魔法学院の同級生、ギーシュ・ド・グラモンの姿があったのだ。

 彼はド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊にて、第二中隊を率いて街への一番槍を果たした功績で、『杖付白毛精霊勲章』を授与された。
 ド・ポワチエ将軍の演説によれば、ギーシュの部隊はオーク鬼の一部隊を片付け、解放した建物は数十余りに上るそうだ。

 割れんばかりの拍手が鳴り響く中、アンリエッタが微笑む前で、ポワチエに勲章を首から下げてもらった時のギーシュは、照れの中にも誇らしさを感じさせる笑みを浮かべていた。
 しかも、その場にグラモン家の次男――彼の兄も駆け付け、彼に祝福の抱擁を送っていた。

――その時の光景を思い出すと、ルイズの胸に羨望の思いが沸き起こる。

 手柄を立てて軍に称賛され、家族にも祝福されたギーシュ……。ルイズとて、彼以上の戦果を挙げてはいるが、公には出来ない類のものであるし、先の失態によって今や帳消しも同然……。
 仮にこの戦争が終わり……、平和になったとしても……、家族に報告できる戦果ではない。家族の反対を押し切り、あれ程の啖呵を切って出征したというのに、こんな無様を晒したと知れれば、今度は家族にまで失望されてしまうかもしれない。
 そう思うと、心にぽっかり穴が開いたように寂しさが込み上げてきた。カインは物資輸送の任務から帰って以来、一日の大半の時間、外に出掛けていて、会話も殆どしていない。慣れぬ異国の街で、ルイズは孤独感に苛まれ、切ない気持ちに包まれていた。

 と、その時――

「ミス・ヴァリエール?」

 ルイズは、不意に後ろから掛けられた声に驚き、振り返る。

――そこにいたのは、魔法学院のメイドのシエスタだった。

「あ、あんた……! なんでこんな所にいるのよ!?」

 予想だにしなかった人間の出現に、ルイズは驚き戸惑う。
 さらに――

「あらん? シエスタちゃん、お知り合い?」

 シエスタの背後から、野太い声が響き、またも予想外の人物が現われた。

「ス、スカロン店長?」

 かつて、トリスタニアの『魅惑の妖精亭』で一夏世話になった、ピッチリした革の衣装に身を包んだオカマ店長のスカロンが、身をくねらせていた。

「あっれぇ~!? ルイズじゃん! 久しぶり~!」

 スカロンの隣には、彼の娘、ジェシカもいた。

――ルイズは驚きの三連続に、先程までの孤独感が吹き飛び、目が点になっていた。




「へぇ、あんた達、慰問隊としてアルビオンに来たの」

 広場に設けられた仮設店舗のテントの中で、ルイズはスカロン達から事の経緯を聞いた。ルイズも、慰問隊の話は一応聞いていたので、すんなりと納得できたのである。

「そうなのよぉ! 王軍の兵隊さん達に、英気を養ってもらおうって事でね! 何せアルビオンときたら……」

 スカロンは「やれやれ」といった風に首を振る。

「料理は不味い! 酒は麦酒ばっかり! 女はキツい! で有名なんだから!」

 女はともかく、料理と麦酒に関しては、確かにスカロンの言う通りだ。

――言っては悪いのだが、アルビオン人は味音痴が多い。

 僅かな上流貴族は、外国からワインを取り寄せて飲むこともあるが、残る大半のアルビオン人は、ワインをあまり飲まないのだ。
 それ故、街に立ち並ぶ酒場には、ワインが置かれていない。スカロンは、眉を顰めて体をくねらせる。

「全く! 酸っぱいだけで不味い麦酒ばっかり飲まされたんじゃ、舌の肥えたトリステイン人は堪らないわ! そこで、私のお店にも白羽の矢が立ったというわけ。何せ王家とは縁の深い『魅惑の妖精亭』であるからして。ああ、名誉なことだわ!」

『名誉なことね! ミ・マドモアゼル!』

 スカロンに続いて、連れてきた店の娘達が、元気良く唱和する。
 相変わらずの妖精亭の面々に、ルイズは冷や汗を垂らしながら引く。しかし、僅かながらも孤独感が和らいだ事で、その表情は明るかった。

「あの、ミス・ヴァリエール」

 そこで、シエスタが口を開いた。

「なによ?」

「ミス・ヴァリエールがこちらにいらっしゃるという事は……カインさんもいらっしゃるんですか?」

「――!」

 ルイズは顔を強張らせる。孤独感と共に和らいでいた寂しさが、俄かに甦ってしまったのだ。

「……あ、あいつは……今ちょっと、用事で出掛けてんのよ……」

「じゃあ、やっぱりいらっしゃるんですね!?」

「……」

 喜色を浮かべるシエスタに、ルイズは浮かない顔で頷いた。
 それを見て、ジェシカがニヤ~っと笑う。

「なになに~? ルイズあんた、カインと喧嘩でもしたの~?」

「け、喧嘩なんかしてないわよ! たまたま用があって出掛けてるだけだったらっ!!」

 本当に喧嘩などしていないのだが、アルビオンに来てからカインとの会話が激減したこともあって、ルイズは慌ててしまう。

「へぇ~~?」

 ジェシカはニヤニヤ笑いを浮かべて、ルイズを見つめる。

「――そそそ、そんなことよりッ!! なんであんた達とシエスタが一緒にいるのよ?!」

 彼女の追及から逃れようと、勢いで誤魔化すように話題を変えるルイズ。

――しかし、その質問が新たな驚愕を呼ぶ。

「親戚なんです」

「……はい?」

 ルイズは目が点になった。そして、スカロンとシエスタを交互に見る。
 このスカロンとシエスタが、親戚だと言う……。確かに、二人……いや、ジェシカも含めて三人とも、ハルケギニアでは珍しい黒髪である。

「……ホントに?」

「ええ。母方の叔父でして……」

 苦笑いを浮かべ、恥ずかしそうに呟くシエスタ。やはり、スカロンの有様に対して思うところがあるようだ。

「……そういうミス・ヴァリエールこそ、どうしてスカロン叔父さんやジェシカをご存じなんですか?」

「えっ?! そ、それは……」

「ああ、それはね。今年の夏に、カインと一緒にウチで働いてたのよ」

「――ああっ!?」

――自分が答えるより先に、ジェシカが答えてしまった。

 思わず慌てるルイズ。

「え……? どうして、ミス・ヴァリエールが叔父さんのお店で……?」

 貴族が、平民の経営する酒場で働くなど、普通は絶対に有り得ない。
 シエスタは首を傾げる。

「え、えと、それは……」

「なんか、女王陛下のご命令とかで、街の様子とかを調査してたらしいよ。それで、ウチにたかりに来たバカ徴税官を追い払ってくれたりしたのよ」

 またもジェシカが先に答えてしまう。だが、間違った事は言っていない。
 なのでルイズも――

「――そ、そういうことなのよ!」

 と、肯定した。

「――と、ところで! あんた、学院のメイドの仕事は良いの? 休みを取ったんなら、何もわざわざこんな戦地に来なくても良かったじゃない」

 再び話題を変えようと、ルイズがシエスタのことに触れる。

「あ……そうか、ミス・ヴァリエールはご存じないんですよね……」

 だが、シエスタは表情を沈ませ、言い難そうに切り出した。

「……実は、ミス・ヴァリエールとカインさん達が出発してすぐに……、学院がアルビオンの賊に襲われたんです」

「――な、なんですって?!」

 ルイズはまたも驚愕した。
 軍の士気を考慮してか、戦地にいると本国の出来事は殆ど伝わってこない為、シエスタの告白はまさに『寝耳に水』だった。

「私たちは何がなんやら分からなくって、宿舎で震えてたんですけど……、大変な騒ぎだったみたいで……。何人か人死にも出たみたいで……」

 シエスタは哀しげな顔で話した。ルイズは、卑劣なアルビオンに憤ると同時に、学院の学友達の身を案じた。

「……それで、一体誰が犠牲になったの?」

 ルイズの問いに、シエスタは首を振る。

「……分かりません。私たち平民には、詳しい事は教えてくれなかったものですから……」

「……そう」

 考えてみれば、尤もな話だ。解決したとはいえ、貴族の子女を人質に取られかけた等、恥以外の何ものでもない。
 只でさえ公に出来る話ではないというのに、平民達に詳細が伝えられる訳がなかった。もしかしたら、アンリエッタならば、事の詳細を知っているかもしれないが、休戦中とは言え今は戦時……。公務の邪魔をする訳にはいかない。
 ルイズは心の中で、学友達の無事を祈った。

「それで、戦争が終わるまで学院は閉鎖になっちゃったんです。で、どうしようかなって思って……それで、叔父さんのお店を手伝おうと思って……」

「シエちゃんには、昔っからお誘いかけてたのよ」

 スカロンが説明した。

「そんなわけで、トリスタニアのお店に行ったら、スカロン叔父さんやジェシカが荷物を纏めてて……。アルビオンへ行くって言うもんですから」

「……で、くっついて来ちゃったってわけ?」

 ルイズが確認の意味で尋ねると、シエスタは何故か頬を染めて頷いた。

「え、ええ……。だって……」

「……だって、何よ?」

 シエスタの様子に不穏なものを感じたルイズは、僅かに声に険が走る。

「カ、カインさんに会えるかも、って思ったんです……」

――ピキ……。

 そういえば、シエスタはカインに色々ちょっかいを出していたな、とルイズは思い出し、眉間に皺を寄せる。
 そこで、二人の様子を見つめていたジェシカが身を乗り出した。

「え? なになに? ひょっとして、シエスタが前に言ってた、『一度はフラれたけど、諦め切れなくて片思い中の相手』って、カインの事だったの?」

「…………」

 シエスタは紅潮した頬に両手を当てて頷く。

「はぁ~、我が従姉妹ながら、チャレンジャーだね~。ハッキリ言っちゃうけど、アイツを落とすのは並大抵じゃないよ? 見るからにお堅い感じで、女の色気とか誘拐なんか全然通じそうにないしさ」

「いいんです! 好きなものは好きなんですからっ!」

 シエスタは真っ赤になりながらも言い切った。

「~~……ッ!」

 ルイズはコップを持った手に、握り潰さんばかりに力を込める。
 と、その時――

「――そこにいるのは、ルイズじゃないか?」

「え?」

 突然の呼び掛けに振り向いて見ると、そちらから金髪の少年が歩いて来ていた。

「ギーシュっ!?」

 ルイズは思わず立ち上がる。やって来たのは魔法学院のクラスメイト、ギーシュ・ド・グラモンであった。
 彼はいつもの恰好ではなく、少々着飾り、めかし込んでいる。その上、その胸には白毛の飾りが施された勲章をつけていた。

「あんた、それ……」

「ん? 何のことだい? ああっ、これか! これは『白毛精霊勲章』だよ。ま、大したことはないが、大きな功績を挙げてね。ド・ポワチエ将軍自ら、僕の首に下げてくれたんだ」

「知ってるわよ……。表彰式、見たもの……」

 ギーシュのワザとらしくも誇らしげな様子に、ルイズは少し冷めた反応を返す。すると、ギーシュは得意げに笑い、勲章をハンカチで磨き始める。

「なんだ、そうだったのかいっ? いや~、それは少しばかり恥ずかしい気もするな。しかし貴族にとって、これ以上の名誉はないよっ! はっはっはっはっ! あ~っはっはっはっ!!」

「…………」

 相変わらずのお調子者っぷり……、ルイズは呆れた。だが、功績を挙げて称えられているという点は、やはり羨ましく思っていた。

「――ところで、カインは? 一緒じゃないのかい?」

「――っ! ……ちょ、ちょっと用事で、出掛けてるのよ……」

「はぁ~。なんだ、そうなのかい。折角勲章を見てもらおうと思ったのに……」

 ギーシュは勲章を磨きながら、本当に残念そうに言う。不意打ち同然にカインの名前が出てきたことで、ルイズは一瞬動揺したが、幸いギーシュにはバレなかったようだ。

 そこでふと、ルイズはギーシュの言葉が気になった。

「何? あんた、カインに勲章を見てほしかったの?」

「ん、ああ……ここだけの話だが……僕はこれでも、カインを尊敬しているんだ。彼と決闘して負けたおかげで、僕は自分が一皮剥けたと思っている。彼は僕に、成長する切っ掛けをくれたのさ。だから是非、カインにこの勲章を見てもらいたかったんだ。何しろこれは、僕が初めて自分の手で挙げた功績の証だからね」

「…………」

 ギーシュの言葉に、ルイズは感心していた。以前は、ただの好色なお調子者だった彼が、他人を……カインを尊敬していると言った。しかも、元帥である父親の名前に頼ることなく、自らの手で功績を挙げたことに誇りを持っている。

――ギーシュは、確かに成長していたのだ。今の彼は、間違いなく“貴族”だった。

「だが、まあ……いないのでは仕方がない。取りあえず、乾杯といこうじゃないか!」

 先程の真面目な表情が一転して、いつものお気楽なギーシュに戻り、ルイズは肩を竦めて苦笑する。

「ふふ……結局、あんたはどこまで行ってもあんたなのね」

「ん? 何のことだい?」

「別に。ジェシカ、シエスタ、あんたたちも付き合いなさいよ」

「お誘いとあらば、お相手するよ~!」

「ええっ? で、でも……」

 突然誘われても余裕のジェシカとは逆に、シエスタは遠慮気味にギーシュを見る。

「構わないとも! 今日は無礼講といこう! さあ、諸君! 僕らの祖国に、乾杯!」

「「「乾杯っ」」」

――カチャン!

 四つのグラスが音を鳴らす。二人の貴族と二人の給仕が乾杯――普段ならば奇妙に映ったであろう光景も、その日ばかりは咎める者はいない。

「んん~~! トレビア~ン!」

 咎める者は…………、いない……。






 夜空に満開の花火が打ち上がる。シティオブサウスゴータの広場に張られた天幕の下、人々が歓声を上げる。

――今日は、一年の始まりを告げるヤラの月、第一週の初日。

 ハルケギニア最大の祭り、降臨祭が始まったのである。

 街は、駐屯する連合軍の兵隊や彼らに物を売るために集まってきた商人達でごった返し、シティオブサウスゴータはかつてない活気に満ち溢れていた。
 今日から十日間ほどは、連日飲めや歌えの大騒ぎが続く。この活気も、しばらく続くだろう。

 ルイズは、広場に設けられた『魅惑の妖精亭』の天幕にいた。周りでは、先程出会ったギーシュを初め、王軍士官の面々も、酒を飲み騒いでいる。

 軍上層部が所属の士官達に、街の酒場で飲み食いすることを禁じた。これは、士官達が酔って住民たちと揉め事を起こさない様にすると同時に、纏めておいて監視をしやすくするという狙いだった。その為、出張してきた酒場は、どこも満員である。
 ギーシュの勲章自慢に延々付き合わされて、げんなりしてしまったルイズは、一人で黙々と、舐めるようにして酒を飲んでいた。
 酒と言っても、少量のワインを、果汁や蜂蜜や水で徹底的に薄めたものなので、どちらかと言うと“ワインを垂らしたジュース”と言った方が正しい。

「……」

 横目でギーシュの方を見る。彼は、際どい衣装の女の子達をはべらせて、実に楽しそうに騒いでいる。
 どうせまた、勲章やら立てた手柄の話を繰り返しているのだろう。最初、羨ましくも感じていたルイズだったが再会してからこちら、散々聞かされ続け、もはや食傷気味……、羨む気持ちも萎えた。
 ルイズは、残った酒を飲み干し、コップを持ち上げる。

「おかわりー。りー」

 すると、妖精亭の給仕服に着替えたシエスタが駆け寄ってきた。

「ミス・ヴァリエール。少し、飲み過ぎじゃないですか? お顔、真っ赤ですよ?」

「ダイジョブよ。私は飲むとすぐ赤くなる体質なの。いいから、おかわり!」

「……はいはい、ただいま」

 溜め息を漏らしながら、シエスタはルイズのコップにワインを注いだ。
 その時……、パラパラと何かが天幕に当たる音がした。そのすぐ後に――

「――雪だ! 雪!」

 という声が聞こえてきた。
 飲んでいた者の何人かが、天幕の隙間を広げて外を見る。椅子に座っていたルイズからも、はらはらと降る雪が見えていた。

「雪の降臨祭かぁ……」

 ルイズは頬杖を突いて呟く。

「わぁ……! 私、雪の降臨祭って夢だったんです……」

 シエスタが、うっとりした顔で呟いた。

「そうなの?」

「ええ。ほら、タルブの辺りは冬でも暖かいものですから。あんまり雪なんか降らなくて……」

 そう言って、シエスタはまた天幕の外の雪を見つめる。その顔は、まるで子供のように無邪気で、目がキラキラと輝いている。
 その顔を見て、ルイズは穏やかに笑う。

「ねえ、座ったら?」

「え?」

 シエスタはきょとんとした顔で振り返った。そんな彼女に、ルイズはコップを差し出す。

「折角の降臨祭なんだから、あんたも飲みなさいよ」

「……それじゃあ、お言葉に甘えて」

 頷いてシエスタは、ルイズの隣に腰掛ける。ルイズに酒を注いでもらい、シエスタはぺこりと頭を下げた。

「「乾杯」」

 二人は杯を触れ合わせ、コップを傾けた。

「おいしい。貴族の方にお注ぎしていただくなんて、感激ですわ」

 酒で頬を染めたシエスタは呟く。そして、天幕の隙間から見える雪に目を向けた。

「綺麗……、雪が建物にかかって……、まるで砂糖菓子みたいですわ」

「そうね」

 ルイズもまた、雪化粧の街を見て頷く。

「こんな綺麗な土地なのに、どうして戦争しようなんて思うのかしら……」

 そう言ってから、ハッとシエスタはルイズの方を向いた。

「す、すいません……。別にミス・ヴァリエールを責めてるわけじゃないんです……。お国の為に頑張っている、そうですよね……」

「……」

――頑張っている……。

 この言葉に、ルイズは頷く事が出来ず、無言で下を向いた。

「……ホント言うと、私、こんな戦争反対です。って言うか戦争は嫌い。いっぱい人が死ぬし……」

 シエスタは、コップに残ったワインを見つめて呟く。

「……どうしてですか?」

「どうして、って?」

 ルイズは首を傾げた。シエスタは顔を上げ、ルイズの方を向く。

「どうして戦争なんかするんですか? 父は……、結局、お金の為だって言ってました。敵の国を占領して、自分達の言う事を聞く王様を据えるためなんだって。それか、自分の出世の為だって……。そうなんですか? そんな理由で、殺し合いをするんですか?」

「…………」

 ルイズは考えてみた。

――確かに、シエスタの……シエスタの父親の言う事も、残念ながら事実だ。

 将軍や士官達にしてみれば、戦争は、武勲を立てて出世する絶好の機会となる。

 しかし、アンリエッタは違う。彼女にとって、この戦は愛する人の為の戦だ。
 アルビオンは、生き延びていた最愛の人、ウェールズの祖国……。アンリエッタは、彼の為に簒奪者クロムウェルを――レコン・キスタを打倒せんとしている。そして、それがひいては、トリステインの民の為にもなる。

――少なくとも、アンリエッタは自身の欲望の為にこの戦争を始めた訳ではない。

 それだけは確かだ。

「ミス・ヴァリエールは、どうして戦っているんですか?」

 考え込んでいるルイズに、シエスタが尋ねた。

「私?」

「はい」

「それはもちろん、姫様……女王陛下のお役に立つ為よ」

 これは、従軍を承諾した時から変わらない意志だった。ルイズは澱みなく答える。

「そうですか……、そうですよね。ミス・ヴァリエールも、貴族ですものね」

 その言葉に、ルイズに反応してシエスタの方を向く。

「勘違いしないで。確かに私は貴族だけど、それだけが理由じゃないわ。女王陛下は若くして王位を受け継がれたせいで、信頼できる味方が少ないのよ。私はそんな陛下の数少ない味方の一人として、陛下の信頼に応えて差し上げたくて、ここに来たの。それがひいては、私の家族や大事な人達を守る事にも繋がる。だから、私は戦うの。……結果は別として、ね」

「え……?」

 ふっと寂しげな表情を浮かべるルイズに、シエスタは戸惑う。するとルイズは、何とも自嘲気味な笑みを浮かべて呟いた。

「……理想と現実は違う、ってことよ……」

「……ミス・ヴァリエール」

 余りにも寂しげな雰囲気を漂わせるルイズに、シエスタは何も言えなかった。

「…………飲みましょう」

「はい?」

「飲みましょう! ミス・ヴァリエール! 今日は降臨祭です! 暗い顔してちゃダメですっ! お酒飲んで、お料理食べて、楽しみましょうっ!」

――言うやいなや、シエスタは自分とルイズのコップに、なみなみとワインを注ぎ入れた。

「え、ちょ、ちょっとっ!? そんなに注いだら零れる! 零れるったらっ! ねえっ!」

「さあさあ! ミス・ヴァリエール! グイッと逝っちゃって下さいっ!!」

「なんか不穏なニュアンスに聞こえたわよっ?!」

「――問答無用の無礼講ですっ! それっ!!」

「――ムゴグッ!? んごぎゅっ、んごぎゅっ?!」

 有無を言わさず、言っても聞かず、シエスタはコップを押しつけてきた。強制的に口の内に流し込まれるワインを飲み下しながら、ルイズは目を白黒させる。


――その後、酔いが回ったルイズとシエスタは、二人で遅くまで騒いだ。

 そして最後には酔い潰れて気を失い、スカロンやジェシカ、ギーシュ達によってそれぞれ宿に運ばれたのだった……。



――一方、その頃……。


――ザッ、ザッ、ザッ……。

 シティオブサウスゴータから三十リーグ程離れた、雪深い山中を歩く二つの人影……。一人は、アルビオンの士官……、そしてもう一人は、黒のフードを深々と被ったシェフィールドだった。

 山の中腹に到った辺りで、先を歩いていた士官が振り返る。

「ミス・シェフィールド、ここがシティオブサウスゴータの主水源の一つになります」

 士官が示した場所は、雪が積もった岩場の隙間である。そこからは、清水がこんこんと湧き出していた。シェフィールドは僅かに顔を上げる。

「そうですか……。この水源、シティのどの程度の範囲に水を?」

「はっ、全ての井戸とまでは参りませんが、大凡シティの三分の一程の井戸は、ここから水を引いております」

「十分ですわ」

 そう言うと、シェフィールドはポケットから指輪を取り出す。

「ミス、その指輪は?」

「……貴方は知らなくて良いことです」

「――ハ、ハッ! 失礼致しました!」

 射貫くような鋭い視線を受けて、士官は背筋に芯を入れられた様に直立した。
 シェフィールドは視線を水源の泉に戻し、指輪を握った手をその上に突き出す。

――すると、彼女の額が光り出した。

 そして、シェフィールドの額の光に呼応する様に、指輪の石がぼんやりと光り、溶け出したのだ。

「う……ああ……!」

 側に立つ士官は、シェフィールドが放つ、冷たさすら感じさせる光……その光景に恐れ慄く。溶け出した指輪の石は、シティオブサウスゴータに流れ込む水源の泉に落ち、溶け込んだ……。

――その指輪こそ、水の精霊の元より盗み出された、水の秘宝アンドバリの指輪。

 他者を意のままに操り、死者に仮初の命を与える恐るべきマジックアイテム……。その凝縮された水の力を持ってすれば、街一つを操ることすら可能……。


 悪意は、音もなく蠢き、忍び寄る……。





続く……






[2653] [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十四話<最新話>
Name: カンブリアン◆b99d1cb4 ID:c8b2b464
Date: 2010/06/02 20:05
 [第二章] ゼロの使い魔 ~試練の竜騎士~ 第十四話







「……ぅ……ぅぅ……」

 サウスゴータの一角に立つ宿の一室にて、ルイズは唸りながら目を覚ました。

「……わ、私……どうしたんだっけ……あぅぅ~……!」

 痛む頭を押さえながら、ルイズは記憶を辿る。そして、『妖精亭』の出店で、シエスタに無理矢理ワインを飲まされ、酔い潰れたことを思い出した。

「痛たた……全く、あのバカメイド……」

 恨み言を呟きつつベッドから降り、ふらつく足でテーブルに置かれた水をコップに注いで飲み干す。それで少しはマシになった。

「ふぅ…………カイン、結局帰って来なかったのね……」

 部屋を見渡しても、カインが戻ってきた様子がないことに気付くと、ルイズは表情を曇らせ、窓から外を見た。
 いつしか雪はやんでおり、降り積もった雪が二つの月に照らされ、街を銀色に染め上げている。

――今頃、カインもどこかで、この綺麗な景色を見ているのかしら……?

「……」

 ルイズの心に、それまで紛れていた孤独感がよみがえる。

 メイジと使い魔は一心同体――その筈なのに、自分とカインの心は離れるばかり……。考えれば考えるほど、ルイズの心は沈んでいった。
 そんな時――

――コンコン。

 部屋の扉がノックされた。
 カインが帰ってきたかと、振り向いたルイズだが、その期待は裏切られる形となる。

「起きているかい? ミス・ヴァリエール。僕だ、ジュリオだ。起きてるなら、ちょっといいかな?」

 聞こえてきたのは、ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレの声だった。

――コンコン。

「ミス・ヴァリエール? まだお休み中かい?」

 二度目のノックの後、再度ジュリオの声が響く。口では尋ねているが、彼はルイズが起きていることに気付いている様だ。
 ルイズは僅かに眉を顰めるが、居留守を使うのも気が引けたので、扉を開けた。

「……何か用? こんな時間に」

 今の時刻は、もう夜明け間近である。

「やあ、ミス・ヴァリエール。君が酔い潰れて運ばれたと聞いてね。お見舞いに来たんだよ」

 ジュリオはニッコリと微笑み、優雅に一礼した。が、二日酔いの不快感と落ち込み気味の気分で、頭が冷えているルイズの心は動かなかった。

「……そう、ありがと。でも、まだ気分が良くないの。帰ってくれる?」

「それは失礼。だけど、ちょっとだけ待ってくれ。尋ねたいことがあるんだ」

 ルイズの冷たい対応にも、ジュリオは微笑みを崩さず答えた。

「尋ねたいこと?」

 聞き返すのとほぼ同時に、ジュリオは無言でルイズの手を取った。

「――っ!?」

 不意のことにルイズはビクッと身を震わせ、ジュリオの手を振り払う。

「安心して。変なことをするわけじゃない。君が嵌めた指輪に興味があってね」

 ルイズは警戒したが、無下に断るのも怪しまれると思い、ゆっくりと右手を突き出した。
 その薬指には、アンリエッタから預かった『水のルビー』が光っている。

 ジュリオは指輪を見つめながら口を開く。

「綺麗な青だ……。不思議に思ったことはないかい?」

 突然何を言うのか、とルイズは首を傾げる。

「どうしてこんなに青いのに“赤石ルビー”なんだい?」

「それは……」

 ルイズは口篭もる。正直、考えた事もなかったが、言われてみれば確かに不思議だった。

「これが『水のルビー』と呼ばれる宝玉だからだ。そうだよね」

「っ!」

 ルイズはハッとして、ジュリオを見つめた。

「ジュリオ、あなた……」

「各王家に伝わる四つの指輪、『水のルビー』は鮮やかな青、『風のルビー』は淡い緑、『土のルビー』は透明な茶色……」

「……」

 ルイズは一歩下がり、杖を構えた。

「あなた……何者?」

 ジュリオはまたニコリと微笑む。

「ただの神官だよ。正真正銘、ロマリアの神官さ。教皇の任命状を見せたって構わない。さて、講義を続けるよ。どうしてそれらの伝説の宝玉が『ルビー』と呼ばれるかというと……“赤”が関係してるからさ。始祖の血で、その宝玉たちは作られたと言われているんだよ。ホントかどうかは知らないけどね」

「……随分と詳しいのね」

「ああ。ロマリアには研究熱心な神学者が多くてね。自然と学問も身についた。そう言うことにしておいてくれよ。で、宝玉は大昔にハルケギニアの各王家に伝えられた……。『水』はトリステイン、『風』はアルビオン、『土』はガリア……、そしてロマリアには『火』というわけさ」

「……で?」

「ロマリアの神官たる僕は『火のルビー』を探してる。その名の通り、火のように赤い宝玉だ。変な話だが、一番ルビーらしい“赤石”さ。かつてロマリアから盗まれたが……、トリステインにあるというもっぱらの噂でね。聞いたことはないかい?」

「……知らないわ」

 ルイズは首を振った。そんな石など、見たことも聞いたこともなかった。

「嘘じゃないだろうね?」

「ええ。嘘をついたって仕方ないでしょ」

「そうか、ならいいや」

 ジュリオはあっさり諦めると、ベッドに腰掛けた。

「まだ何かあるの?」

「君の話をしてよ」

「私の話?」

「興味があるんだ」

 そう言うとジュリオは、蕩けるような笑みを浮かべる。

――だが、今のルイズには効果がなかった。

「……ねえ、ジュリオ。私、さっき言ったわよね? 気分が良くないって。さっきも結構我慢して、あなたの話に付き合ったのよ。いい加減寝たいの。もう帰ってくれない?」

 ルイズは心底嫌そうに言うが、何故かジュリオは笑みを深める。

「一緒に寝ても構わないよ」

 その自信に満ちた態度に、ルイズはカチンときた。

「帰って」

「分かった。じゃあ僕の話をしよう。実はね、ジュリオ・チェザーレってホントの名前じゃないんだ。大昔、ロマリアに王様がいた頃の、偉大な王様の名前さ」

「……いい加減にして。あんたの名前になんか興味ないわ。……これが最後よ。今すぐ出てって」

 ルイズはジュリオに杖を向けて言い放った。その目には、本気の光が宿っている。
 それを察したのか、ジュリオは肩を竦めて立ち上がった。

「きっとそのうち……、僕に興味を持つよ。約束してもいい」

――ガチャ……。

 ルイズが無言で扉を開けると、ジュリオは最後に一礼して、部屋を出て行った。

「はぁ……」

 扉を閉め、深い溜め息を吐くルイズ。話をしただけで、随分と疲れてしまっていた。同時に、二日酔いの頭痛がぶり返す。
 ルイズは再びベッドに潜り込むと、そのまま眠りについた。

 しかしその晩、カインは部屋に戻っては来なかった……。





――長らく続いた降臨祭も、最終日を迎えた。

 サウスゴータの街は、連日降り続いた雪で白銀の世界に変わっている。そんな朝の街にトリステイン軍の警邏兵が二人、街を巡回していた。

――その内の一人が、奇妙な光景を見つける。

「ん? おい、あそこにいるのは、ロッシャ連隊の奴等じゃないのか?」

 彼は相方に声を掛けた。

「ああ、そうだな。あいつら、何をしているんだ?」

 二人の視線の先には、一個小隊ほどの兵士達が、宿屋の前に集まってコソコソと何かしている。
 怪訝に思った警邏兵は、彼らに声を掛けた。

「おい、そんなところで何してるんだ?」

 だが、彼らは応えようとせず、黙々と動くばかりだ。

「……おい、あれってもしかして、火薬の袋じゃねえか?」

 片方が、彼らが運ぼうとしている袋に気付く。それは正しく、火薬が詰まった麻袋だった。

「おいおい、そこは倉庫じゃねえぞ。ナヴァール連隊の士官が借りてる宿だ。そんな物騒なもん運び込んだら……っ!?」

 近寄って、兵士の肩を叩いた時、警邏兵は異変に気付いた。

――振り向いた兵士は、まるで魂を抜かれたような生気のない表情をしていたのだ。

 その顔に不吉なものを感じた二人は、担いでいた槍を構える。

「――おい! 袋を置け! 置くんだ!」

 しかし……

――ドンッッ!!

 返ってきたのは、別の兵士が放った銃弾だった。

 撃たれた警邏兵はドッと倒れ、事切れる。

「う……う、うわあぁぁ?!!」

 相方の死に動転したもう一人は悲鳴を上げ、槍を放り捨て逃げ出す。
 だが――

――ヒュッ! ドスッ!

「ゲエェッ!??」

 別の兵士が投げた短剣に貫かれ、彼もまた息絶えた……。

『…………』

 二人の警邏兵を殺害した兵士達は、まるで何事もなかった様に、再び宿に火薬袋を運び入れる。そこに火縄を差し込み、火打石で着火した。

――数秒後、巨大な爆発音が起こり、着火したロッシャ連隊の兵士共々、宿屋は吹き飛んだ。



――一方、その頃…… 連合軍首脳部は、サウスゴータの宿に移した司令部にて、今後の侵攻作戦について話し合っていた。

「明日で休戦は終了ですな。補給物資の搬入と、各隊への配分は既に完了しております」

 参謀総長ウィンプフェンが、羊皮紙の目録を見ながら報告した。

「うむ、我が方の態勢は万全だな。しかし、休戦期間中、アルビオンが何かしら仕掛けてくるかと思ったが……」

「向こうも余裕がないのと違いますかな? 敵は準備が整わず、時間を稼ぐ必要があったのですよ。だからこそ、早期に決着をと……」

 不満げな顔で呟くハイデルベルグ侯爵。そんな彼に、ウィンプフェンが鋭い視線を向けるが、ポワチエがすかさず取り成したので、前の様な口論にはならずに済んだ。

「ポワチエ将軍、よろしいですか?」

――そして、ある程度方針が纏まったところで、アンリエッタが口を開いた。

「女王陛下、私に何か?」

 ポワチエが振り向くと、アンリエッタは椅子から立ち上がり、アニエスが恭しく運んできた木箱を受け取った。

――王室の紋章が掘られた豪華な作り……それを見て、ポワチエの顔色が変わる。

「将軍、こちらへ」

「ははッ!」

 ウィンプフェンやハイデルベルグが緊張した面持ちで見守る中、ポワチエはアンリエッタの前に跪いた。

「今朝、王室より書状が届きました。予てより審議中でありました貴方の元帥昇進が、此度、正式に決定しました」

「「おおおお!!」」

 二人が目を見開き、声を上げた。跪いたポワチエの顔にも、歓喜の笑みが浮かぶ。

「任命式はこの戦争が終結した後になりますが、今この場で、貴方にこの元帥杖を授与します。残る戦、この杖で軍を指揮して下さい。お願いします、ド・ポワチエ元帥」

「ははっ!」

 ポワチエは深々と頭を下げた後、アンリエッタから箱を受け取り、蓋を開けた。中には、黒檀に王家の紋章が金色で彫り込まれた見事な杖――元帥杖が収められていた。

「おおぉ……!」

 ポワチエは歓喜の声を漏らす。彼はこの瞬間の為に、今まで軍を指揮してきたのだ。
 実のところ、今回のポワチエの元帥昇進は、マザリーニ枢機卿の提案によって進められた人事だった。戦争はまだ終わっていないが、連合軍は現在連戦連勝――敵軍は首都に閉じ篭り、連合軍の勝利は時間の問題である。
 そこで、士気の向上と今までの労をねぎらう意味を兼ねて、最後の決戦を元帥杖で指揮させてやろうというのだ。

「おめでとうございます。閣下」

 ハルデンベルグとウィンプフェンが拍手を贈る。

「なに……、まだ最後の大仕事が残っている。喜ぶのはその後だ。油断はならぬぞ。油断は」

 そんなことを澄して言うポワチエだが、溢れ出る笑みを抑えきれていなかった。

 しかし、次の瞬間――

――ドォーーーーンッッ!!!

「な、なんだあの音は!?」

 部屋にいた全員が、窓の方を向く中、ポワチエが怪訝な顔で窓に近付いた。 窓の外を見れば、何やら兵隊が走って来て、こちらを指差している。

「あいつらは、ラ・シェーヌ連隊の兵ではないか」

 羽織った上着に大きく描かれた紋章で、ポワチエは彼らの所属を思い出す。ラ・シェーヌ連隊は、街の西側に駐屯していた連隊である。
 ウィンプフェン、ハルデンベルグらも、ポワチエの隣から外を見た。

「我が軍の兵もいますな。移動命令など出していないのだが……」

 ハルデンベルグが呟く。窓の側で三者が、顔を見合わせた時――

――バタンッ!

「――大変ですッ! 我が軍の兵士達が反乱を起こしましたっ!!」

「「「「「――っ!?」」」」」

――飛び込んできた銃士達の隊員の急報に、部屋の全員が驚愕する。

「な、何をバカなことを!」

 信じられない、と言う顔でポワチエが怒鳴る。

――だが、それと同時に外の兵士達は持っていた銃をこちらに向けた。

「――ッ!? 危ないッ!!」

 逸早く危険を察したアニエスが、叫びながらアンリエッタを庇いに跳ぶ。


――次の瞬間、幾重にも重なった銃声と共に窓が破れ、側に立っていたポワチエ、ハルデンベルグ、ウィンプフェンの三人が蜂の巣となった……。


 同時刻――シティオブサウスゴータの各所で爆発音が響いた。
 先日まで自分達の戦勝を祝っていた兵士達が、全く何の前触れもなく叛旗を翻し、同胞達に武器を向け始めたのだ。
 突然の反乱に、混乱は軍のみならず、街全体に広がった。

「これは、一体……?」

 爆音を聞き付け、街に戻ってきたカインは、そこに広がる光景に困惑する。

――街の至る所から響く、銃声、爆音、怒号、悲鳴……。連合軍の兵士達は互いに武器を向け合い、住民達が恐れ慄き逃げ惑う。

 平和的だった街は、一転して戦場と化していた。
 これはどうした事だ、と困苦するカインだが、悠長に考えている暇はなかった。

――兵士の一人が、剣を振り上げてこちらに迫って来る。

「っ!」

――ブンッ!

「ふッ!」

――ガッ!

 振り下ろされた剣を、体を捻ることで避け、ガラ空きになった兵士の首筋に、肘を叩き込む。兵士は倒れ、そのまま気を失った。

「……なんだ、こいつは?」

 カインは倒した兵士を見下ろす。

――今この兵士は、感情が窺えない無表情のまま、剣を振り下ろす時さえ声もあげずに襲いかかって来た。

(まさか……)

 カインは辺りを見渡す。すると思った通り、攻撃を仕掛けている兵士は全て、虚ろな表情をしていた。

――正気を失っている。何らかの力によって、操られている人間の顔だ。

 この尋常ではない事態に、カインはルイズの安否が気に掛かった。

「……ルイズ、無事でいろよ」

 カインは呟くと、建物の屋根に跳び上がり、ルイズが宿泊しているはずの宿へ走った――。




「はぁ……はぁ……、何……? 何が起きているの……?!」

 ルイズは息を切らしながら、必死に通りを走っていた。
 宿で眠っていたルイズは、突然の爆発音で目を覚まし、外に出た。そこで見たのは、連合軍の兵士同士が戦っている光景だった……。その時、ルイズは困惑し立ち尽くしていたが、仲間に倒された兵士の亡骸を見て、その場を走って逃げ出したのだ。

――ルイズが泊まっていた宿が爆破されたのは、そのすぐ後の事であった。

 あちこちから聞こえてくる戦いの音に混乱しながら、ルイズは走り続けた。
 驚愕と恐怖が心を締め付け、ルイズは震えた。そして、この場にいないカインの姿を求める。

「はぁ、はぁ……カイン……! どこにいるの……!?」

 段々と息が苦しくなり、胸が痛くなってくる……。ルイズは息を整える為、目についた路地に入る。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 壁に寄り掛かり、膝に手をついて荒く呼吸するルイズ。
 しかし――

――ザッ

「――っ!?」

 不意の足音にルイズは顔を上げる。
 路地の向こう側から、剣を持った兵士が一人、こちらに歩いて来る。その表情は虚ろで、とても正気とは思えない。

「……」

「……な、なによ……。さ、下がりなさい! 下郎!」

「……」

 なけなしの勇気を振り絞ったルイズの怒鳴り声にも、兵士は何の反応も示さない。足を止めず、こちらに歩み寄ってくる。

「こ、来ないで……!」

 常軌を逸している兵士の様子に、ルイズは体を震わせる。恐怖が冷静な思考を奪い、杖を構える事さえ出来ず、立ち尽くす。
 そうしている間にも、兵士は剣を振り上げて迫って来る――!

「……あ……あ、ぁ……きゃっ!?」

 ルイズは後退ろうとしたが、足がもつれて後ろに倒れてしまう。
 その間に兵士は目前に迫り、手にした剣をルイズに向かって振り下ろした――。

「――い、いやあぁぁぁぁッッ!!!」

――ゴキャッ!!

「ッ……え……?」

 何故か来るべき斬撃はやって来ず、代わりに何かが折れた様な鈍い音が聞こえてきた。ルイズは本能的にギュッと閉じた目を、恐る恐る開く。

――すると……

「……が……ぁ……」

 兵士は白目をむき、泡を吹いて倒れ込んだ。そして、その向こう側には――

「――大丈夫かっ? ルイズ!」

「……あ」

――求めていた姿……竜騎士カインが立っていた。

「――カインッ!」

 ルイズは、安堵の涙を溢れさせてカインに飛びつく。硬い鎧の上からでも、ルイズは構うことなくしがみつき、泣きじゃくる。

「バカっ、バカバカっ! どこ行ってたのよぉっ!!」

「すまん。もう大丈夫だ」

 泣き喚くルイズの背を、あやす様に軽く叩くカイン。
 しかし、大丈夫とは言ったものの、事態は極めて深刻だった。街のあちこちで正気を失った兵士達が暴動を起こし、連合軍は完全にパニック状態である。

「――ミス・ヴァリエールっ! ミスタ・ハイウインドっ! ご無事ですか!?」

 立ち尽くしていた二人の元に馬で駆けて来たのは、アニエス配下の銃士隊員であった。

「ああ、無事だ」

「い、一体何が起きているのっ?! 姫様は? 女王陛下はご無事なんでしょうねっ!?」

「ルイズ、落ち着け」

 混乱が抜けきらず、矢継ぎ早に問い掛けるルイズを、カインが宥める。

「それで、状況はどうなっている?」

「我が軍の兵士の一部が、突然叛乱を起こしたのです!」

「な、何ですって!? 一体どうしてっ?!」

「原因は不明です! この事態を受け、司令部はシティオブサウスゴータの放棄を決定! 全軍にロサイスへの退却命令が発令されました!」

「――!?」

――退却……。

 つい先日まで、勝利は目前とされてきた連合軍が、ここに来て撤退するという……。ルイズは言葉を失った。

「それに伴い、お二人には司令部への出頭命令が出されています! 時間がありませんので、お急ぎを! 私は他に命令を伝えねばなりませんので、これにて! ハァッ!」

 隊員はそう告げると、別方向に駆けて行った。

「……俺達も行くぞ」

「……ええ」

 銃士を見送ると、二人は司令部に向かった――。




――一部兵士の不可解な叛乱によって、半数の三万まで数を減らした連合軍は、撤退を余儀なくされた。さらに叛乱の混乱に乗じて、アルビオン軍の主力が進撃を開始。離反した兵三万と合わせた敵軍七万が、こちらに迫って来ている。

 トリステイン女王アンリエッタの指揮の下、ロサイスへと退却した連合軍三万は、もはや態勢を立て直す暇さえなく、アルビオン大陸から退却する為の脱出船に次々と乗り込み、ロサイスは混乱状態である。

――そんな中、アンリエッタの身を案じたマザリーニ枢機卿がトリステインから、ここロサイスにやって来ていた。

「陛下! よくご無事で……!」

 アンリエッタの元に赴いたマザリーニは、まず彼女の無事に安堵した。次いで、傍らに控えたアニエスに尋ねる。

「一体何があったのだ? 我が軍の兵達が叛乱を起こしたと聞いたが……」

 その問いを受け、アニエスが跪いたまま報告する。

「敵が、一部の井戸に何らかのマジックアイテムを使ったものと思われます」

「なんとっ?! では、敵に操られて……?」

「混乱に乗じてアルビオン軍が攻めて来た為、調査をする余裕がありませんでしたが、タイミングから考えてほぼ間違いないかと」

 休戦終了の前日に兵が突然叛乱を起こし、更にその混乱に合わせての進軍――これが偶数である訳がない。

「敵はシティオブサウスゴータを奪還したばかりか、離反した兵と合わせ、七万もの大軍でこちらに迫っております!」

 しかも悪い事に、敵軍の進軍速度はこちらの予想よりも早く、このままだと明日の昼には、ここロサイスに到達する見込みである。対して、連合軍の撤収には急がせたとしても明日の夕方まではかかる見込みとなっている。
 ロサイスは軍港である為、港湾施設は巨大だが、兵を乗せるための桟橋の数が少ない。それ故、大人数を乗船させるのは時間がかかってしまう。

――このままでは間に合わない……。

 アニエスの報告を聞き、マザリーニはアンリエッタに向き直る。

「陛下! もはや一刻の猶予もありませぬ! すぐに脱出の船にお乗り下さい!」

 しかし、アンリエッタは首を振った。

「いいえ、わたくしは最後の船に乗ります」

「陛下!?」

 困惑するマザリーニを横目に、アンリエッタは窓から脱出船に乗り込む連合軍を見つめる。

「わたくしは、トリステインの女王です。全員の脱出を見届けるまで、ここを動く気はありません」

 彼らを連れて来て、敵と戦わせたのは自分……なのに、彼らより先に逃げ出す道理はない。
 アンリエッタは、例え敵が目前に迫ろうとも、この場に踏み止どまり、兵士達の脱出を優先する覚悟を決めていた。

「陛下……」

 彼女の意志を察したマザリーニは、それ以上何も言えなかった。

――しかし、祖国の為、民の為……指導者たるアンリエッタをここで失う訳にはいかない。

 マザリーニも、一つの“覚悟”を決めた――。






――連合軍が撤退を続けてから一日が経過し、昼が過ぎて夕方に差し掛かろうという時刻……軍はまだ無事だった。

 昼の到達が予想されていたアルビオン軍の主力は、何故か一向に現れなかった。既に竜騎士も船で脱出しており、偵察に出る者もおらず原因は不明であるが、連合軍はこの幸運に歓喜した。同時に、いつ来るかもわからぬ状況が不安を煽り、それが結果的に軍の撤退を急がせることになった。

 その甲斐あって、脱出船も残すところあと三隻――最後に出港予定の脱出船にアンリエッタとルイズが乗り込み、出港を待っていた。

「……」

 ルイズは一人、脱出船の中を歩いていた。
 昨日の夕刻から、またカインの姿が見えなくなってしまったからだ。脱出船への避難誘導を手伝いに行っていたはずだが、どの船にもその姿はなく、また誘導を行っていた銃士隊員に尋ねても「見ていない」という返事ばかり……、ルイズは何か底知れぬ不安に駆られていた。

 この船の出港まであと僅か……。

「――ルイズ」

 カインを探し回っていたルイズの元へ、アンリエッタが駆け寄ってきた。

「カインさんはいましたか?」

「……いいえ」

 ルイズは首を振る。それを見て、アンリエッタは心配そうに表情を曇らせた。

「そう……でも安心して、ルイズ。カインさんを置いて、この船は出港したりしないわ。それに今、アニエスにも探してもらっていますから、きっとすぐ見つかるでしょう」

「姫さま……、ありがとうございます」

 二人が話す間にも、最後の脱出船には誘導に出ていた銃士隊を中心とした兵士達が乗船してくる。

――その中に、アンリエッタの命でカインの捜索に降りていたアニエスがいた。

 彼女は列から外れ、二人の下に駆け寄る。

「アニエス、どうでしたか?」

 アンリエッタが尋ねるが、アニエスは首を横に振った。

「申し訳ありません……港中を探し回ったのですが、彼の姿はどこにも……」

「そんな……」

 ルイズが呟いた時、別の銃士隊員が駆け寄ってきた。

「――アニエス隊長! 銃士隊の撤収、完了いたしました!」

「なに?」

 アニエスは怪訝な顔になる。部隊の少数をカインの捜索に出しており、撤収の命令は出していない。

「私は撤収の命令など出していないぞ! 一体誰の命令だ!?」

「わ、私は、アニエス隊長のご命令だと伺ったのですが……?」

 どういうことだ? と、その場にいた全員が怪訝に思った時、更に驚くべきことが起きた。

――なんと、船が勝手に港を離れ始めたのだ。

「ど、どういうことっ? どうして船が……っ!?」

 ルイズが慌てた声で叫ぶ。
 まだ、予定の出港時間には早い上、アンリエッタが出港を遅らせる手配をしていたはずだ。

「一体、誰が出港の命令を?!」

「――私です、女王陛下」

 アンリエッタが困惑した声で叫んだ時、ある人物の声が掛った――。

「――マザリーニ枢機卿っ?!」

 アンリエッタが声を上げ、ルイズとアニエスが一斉に振り返る。そこには、厳しい表情を浮かべたマザリーニが立っていた。

「どういうことです、枢機卿! まだ、出港時間には早いはず!」

「我が軍の兵の収容が、予定よりも早く完了したのです」

「何を言っているのです!? まだ、カイン殿が乗船していないではありませんか!!」

 アンリエッタは食い下がるが、マザリーニは静かに目を閉じ、首を横に振った。

「……彼は……戻りません」

「「え……?」」

 ルイズとアンリエッタの声が重なる。二人は、マザリーニが何を言っているのか、わからなかった。

 カインが戻らない――その意味に逸早く気づいたのは、アニエスであった。

「マザリーニ枢機卿! 貴方は、まさか……!?」

「…………」

 マザリーニは、僅かな沈黙の後、その口を開いた――。



 昨日の夕刻――マザリーニは、スカロン達慰問部隊の避難誘導を行っていたカインの元に伝令を送り、彼を呼び付けた。

「……ミスタ・ハイウインド、貴公に頼みがある。……陛下の御命を救うために、貴公の力が必要なのだ」

 マザリーニは、カインの前で膝を着き、頭を垂れた。

「……これは、私の身勝手な頼みだ。これを知れば、ミス・ヴァリエールは勿論、女王陛下も私を激しく憎むだろう。だが……もはや、これ以外に陛下の御命を救う手立てがないのだ」

 マザリーニが断腸の思いで、カインにした頼み……。

――それは、迫る敵軍を足止めし、アンリエッタが脱出するまでの時間を稼いでほしい、という誰が聞いても無謀な頼みだった。



「……………………」

 ルイズは目を見開き、表情を失った。頭の中が真っ白になってしまった。

「枢機卿……!! 貴方は……貴方という人は、何という事をッッ!!?」

「……」

 ルイズ同様、言葉を失っていたアンリエッタが、マザリーニのローブの胸元を掴み、詰め寄る。しかし、マザリーニは目を瞑り、顔を逸らすばかり……。
 アンリエッタは彼の服を放し、アニエスに命じる。

「――アニエスっ! 直ちに出港を中止させなさいッ! カイン殿を迎えに参ります!!」

「陛下っ!」

 自らも船を降りようとするアンリエッタを、マザリーニがその手を掴んで止める。

「放して! 放しなさいっ!!」

「今行けば御命はありませんぞ!!」

「だからこそ行くのですっ! カインさんをわたくしの身代わりになど出来ません!! 放してっ! 放してくださいっっ!!」

 強引にマザリーニの手を振りほどくアンリエッタ。しかし、振り返った時、先程までの激情が一気に鎮まった。
 マザリーニが両手と頭を床につけ、その細い体を折りたたんで平伏していたのである。

「陛下……ッ! どうか……お願いでございます……ッ!! 今この場で、陛下の御命が失われれば、単なる戦略上の失敗では済みません! 我が国は大混乱に陥りましょう!」

「マザリーニ……枢機卿……」

「陛下が今飛び出して行かれれば、ミスタ・ハイウインドの行為も……無駄になってしまうのです……ッッ!!」

「――っ!?」

 マザリーニが床に付けた手を、真っ白になるほど握りしめ、その身体を震わせたのを見て、アンリエッタは愕然としその場に崩れおちた。そして、自らも床に手を置き、身体を震わせる。

「……そんな…………そんなッ……っ!」

「陛下! お気を確かにッ!」

 アニエスが慌てて、アンリエッタの肩を支える。
 そうしている間にも、船はどんどん港を離れて行ってしまう。

「……カ、イン…………!」

――ダッ

「あっ!? ミス・ヴァリエール!!」

 その時、我を失っていたルイズがぽつりと呟き、弾かれたように船尾の方へ走り出した。しかし――

――バサッ!

「きゃッ!?」

 突如、目の前に降り立った赤い鱗に阻まれ、ルイズは立ち止まる。
 甲板に降り立ったのは、レフィアだった……。カインと共にいたはずの彼女がこの場にいることで、ルイズは再び驚愕する。

「レ、フィア……!? あんた、何でここにいるのっ!!? どうしてっ!?」

「…………きゅう」

 消え入るような僅かな鳴き声を漏らすと、レフィアは口に咥えていた物をルイズの前に落とした。

――ガシャン!

「おい! 乱暴に扱うんじゃねえよッ!」

「っ!? デルフリンガーッ!?」

 ルイズが驚きの声を上げる。彼もまた、カインと共にあったはずのインテリジェンスソード……それが、どうしてこの場にいるのか、ルイズは訳が分からなかった。

「なんで……!? なんで、レフィアもあんたもここにいるのよっ?! カインはっ!? カインはどうしたのよッッ!!?」

「……俺達ぁ、その相棒に言われてここにいんだよ」

「……え?」

――デルフリンガーは語った。

 カインが自分とレフィアに、ルイズの元へ行くように命じた事……。そして、自分に代わってルイズを守ってほしいと頼んだ事……。最初は、自分もレフィアも拒否したが、それでもカインは退いてくれず……結局、彼の嘆願を受け入れた事……。

 自分達がこの場にいる理由を、全て語った……。彼にしては珍しく、悲痛な声色で……。

「……ちきしょう……相棒のヤロウ! 俺ぁ武器じゃねえか……! 『使い手』に使われてなんぼじゃねえか……っ! なのに、どうして……どうして俺を連れてってくんねえかなぁ……っ!!」

 まるで、泣いている様なデルフリンガーの声が響く。

「きゅ……きゅぅぅ……! きゅぅ、ぅ、ぅぅぅ……っっ!!」

 レフィアは、その両目から大粒の涙を流し、その赤い身体を震わせている。

「………………」

 その光景に、ルイズは声も出せず、ただ茫然と立ち尽くす。再び、頭の中が真っ白になっていた。

「……ルイズよ」

「……!?」

 その時、デルフリンガーがルイズを呼んだ。いつもの「貴族の娘っ子」ではなく、彼女の名前を呼んだのだ。
 ルイズは、そのいつもと違うデルフリンガーの様子に、心を恐怖で震わせる。

――何も聞きたくない……その先を聞きたくない……!

 耳を塞ぎたい衝動に駆られているのに、身体が言う事を聞いてくれない。

「相棒から、お前に伝言がある……」

「…………」

――聞きたくない……。

「聞いてるか……? まあ、聞いてなくても言うがね……。じゃあ、言うぜ……」

――キキタクナイ……!!

「『――お前は生きろ』……だとよ」

「――っっっ!!!??」

 その瞬間――ルイズの中で、何かが弾けた。

「――カインッ!! カインッッ!!!」

 再び弾かれた様に船の船尾へ走ろうとするルイズ。しかし、レフィアが服を咥え、ルイズを摘まみ上げて止めた。

「やめろルイズッ! もう遅えんだッ!!」

 既に今頃は、カインとアルビオン軍は交戦している……。デルフリンガーがその事を叫ぶが、ルイズは聞き入れない。

「――いややめて! 降ろしてッ! 遅くなんかないッ!! カインと一緒に私も戦うッ!! カインだけ死なせるわけにはいかないのッ!!」

 ルイズは宙に浮かされながらも、手足をばたつかせて暴れる。それでも、レフィアは決してルイズを放さない。
 それが、カインとの約束だから……。

「――放してッ! 行かせて!! お願いィッ!! カインーーーーーッッ!!!」

――既に港から遠く離れた脱出船の上で、ルイズの悲痛な叫びが、遠ざかる白の国に向けて響いた。



 夕刻……日が落ち、空に星が見え始めた頃……。

――ザッ、ザッ、ザッ……

「…………」

 ロサイスとシティオブサウスゴータを結ぶ街道……カインは一人、そこを歩いていた。
 その後ろには、意識を失い、倒れ伏した大勢の兵士達の姿があった……。シティオブサウスゴータで正気を失い、叛乱を起こした連合軍の兵士たちである。その数、およそ三万……。

――時間にして、ほぼ丸一日……カインは昨日からずっと、たった一人で戦い続けていたのだ……。

 だが、倒れている兵達は死んでいない……。全員が、戦闘不能の重傷を負ってこそいるが、それでも辛うじて命を取り留めている。

――彼らは操られているだけだ……。

 故に、カインは一人として殺さず、意識を失わせるに留めたのである。しかし、その代償は決して小さくはない……。

「……っ……」

 カインは立ち止まり、痛みを堪える。

 如何に相手が力量の低い雑兵であろうとも、万を超える数を相手にすれば……如何にカインが強くとも、無傷ではいられない。
 例え、敵一人がカインに与えられるダメージが仮に『1』だったとしても……敵の攻撃がカインに当たる回数が数回――いや数十回に一回だったとしても敵は三万……。

 しかも、相手はかつて戦ったアンドバリの指輪で蘇った“不死者”と同じく……、正気を失い、死の恐怖を感じることなく襲いかかって来る狂戦士……その上、カインは彼らを殺そうとはしない。

――大きなハンデを背負った状態で戦った結果……カインは全身に決して小さくないダメージを負ってしまったのである。

 それでも、カインはすぐに歩みを再開する。
 今は、休む時ではない……この先には、まだ四万のアルビオン軍が待っているのだ……。

「……あれが……アルビオンの主力か」

 小高い丘を越え、その先を見据えたカインが呟く。
 その視線の先には、平野一面を覆う篝火の群れ……。砲兵士、弓兵、槍兵、銃歩兵、メイジ、竜騎士、幻獣に跨った騎士、オーク鬼、トロル鬼、オグル鬼……総数にして四万を超える大軍が、緩い地響きを上げて迫って来ていた。

「……フッ」

 カインはその大軍を見つめ、笑った。不思議な高揚感と、清々しい解放感が心を満たしていた。

 竜騎士としての本分――戦いの道に立ち戻った。しかし、ただ敵を打ち倒すだけではない。
 今ここで戦うことが、誰かを救う事に繋がる高揚感――それが、カインの闘志を燃やしている。

 守る為の戦い――今、自らが望みながらも辿り着けずにいた境地に、やっと立つことができた。
 長く胸に痞えていた楔が抜け、抑圧された自分自身が解き放たれた解放感――それが、カインの魂を震わせている。

――今の自分ならば、どこまでも戦い抜ける。

 そう思った時、カインは傷の痛みも、疲労感も感じなかった。握った槍を振り、腰溜めに構える。

「俺は……バロン王国竜騎士団団長カイン・ハイウインド――」

 誰に告げるともなく、自らの名を口にするカイン。その両足で、地面を踏みしめる。

「――ここから先は、通さんぞッ!!」

――ダンッッ!!

「――おおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」

――大気を震わせるほどの気迫と共に、カインはアルビオン軍へと突っ込んだ。



「――っ!? て、敵しゅ……ッ?!」

――ズガァァッ!

「ぐああああッッ!!?」

 突然の咆哮に身を竦ませながらも、敵の接近に気付いた前衛の騎兵隊が、敵襲を告げる途中で薙ぎ払われた。
 その手の槍を振るう間もなく、次々と落馬する騎兵達――その光景に、周囲でも「敵襲!」の叫び声が上がり、じわじわとアルビオン軍が戦闘態勢に移行する。

 瞬く間に前衛の騎兵、歩兵が薙ぎ払われていく。その敵目掛けて銃弾が、矢が、魔法が放たれる。
 しかし、敵は怯むことも、速度を緩める事もなく前進を続ける。飛来する銃弾を避け、矢を弾き落とし、魔法を切り裂き――風の如き速さで迫り、銃兵も弓兵もメイジも、等しく叩き伏せられ、薙ぎ払われた……。

 それでも、その敵に攻撃が当たらない訳ではない。数十回に一度くらいは、刃が敵の皮膚を裂く。銃弾が掠める。矢が突き刺さる。魔法が穿つ。

――しかし……それでも敵は止まらないのだ。当たっているはずなのに、まるでダメージを受けていないかのように、速度が衰えないのだ。

 幻獣に騎乗する騎士が、騎乗した幻獣をけしかけても、一撃のもとに叩き伏せられ、薙ぎ払われ……そしてその騎士も倒される。
 槍隊が槍ぶすまを作り、一気に包囲しようとするも、敵は包囲を軽々と跳び越え、槍兵は次々蹴散らされる。
 弓兵隊は、それらの光景に焦った指揮官のミスにより、放たれた弓は敵ではなく、味方に降り注いでしまう。

――軍内に混乱が広がりつつあった。

 様々な情報が錯綜する。

――曰く、敵は単騎である。いや、十数騎の一部隊である。
――曰く、敵はメイジである。いや、エルフの魔法戦士である。いや、不死身の狂戦士である。

 そうした虚偽入り混じった情報の広がりが、敵の正体を分からなくさせ、正体不明の敵への恐怖心が伝染し、やがて全軍の前進は止まり、それどころか逃げ出す者さえ現れ始めた。

――逃走者は逃走者を生み出し、いつしかアルビオン全軍が、敗走状態に陥った。


「……信じ難い事態だな」

 先程まで前進を続けていた全軍が、今は一転して敗走状態――その光景を、護衛のメイジに囲まれて眺めていたホーキンスは、冷静に呟いた。
 アルビオン歴戦の将軍であるホーキンスは、長年の経験と勘から、敵が単騎であることに薄々気づいてはいた。しかし、それが事実ならば今のこの光景も、たった一人の敵によって引き起こされたことになる。故に、俄かには信じられなかった。

 ただ、同時に……彼は、自分がこの光景を、心のどこかで望んでいたことを自覚もしていた。
 外道を進む自分達を、誰かに、何かに、止めてほしかった……。

――その願いが今、現実となっていることは信じ難かったが、それでも……心の奥では嬉しかったのだ。

(っ! あれは……!)

 津波が引くように一斉に敗走を始める自軍の先に、ただ一人、両の足で大地を踏み締め立つ騎士の姿を見つけた。
 そして瞬間に気付く――あれが、この事態を引き起こした者なのだと。

「……初めて見た」

「は? な、何をでありますか?」

 ホーキンスの言った意味が理解出来ず、副官は怪訝な顔になる。
 そんな彼に、ホーキンスは眩しそうに目を細めて呟く――。

「――『英雄』という存在を、だ」

 そう言ってホーキンスは、そっと指差す。副官も、それでようやく、カインの存在を見つけた。

「――あ、あれは……! ま、まさか……本当にただの一騎のみとは……!!」

「単騎よく大軍を止める……あれこそ、『英雄』の姿だ。真の意味は、歴史の向こうに消えてしまった言葉だが……いたのだな、『真の英雄』は……」

 ホーキンスは最後に「私も……英雄になりたかった」と呟いた。
 副官も「私もです」と答え、頷く。

「……だが、我らはもはや英雄になることはかなわん」

 ホーキンスはふっと自嘲すると、軍人の表情に戻り、号令を下す。

「――全軍撤退ッ!! シティオブサウスゴータまで後退するッ!!」

「――ハッ!!」


――ホーキンスの撤退命令によって、元から敗走状態だったアルビオン全軍は、完全に退却していった。


「……名も知らぬ英雄よ。貴公の勇気を、私は命ある限り、この心に刻もう」

 撤退する部隊の隙間から、ホーキンスはカインに向かって、アルビオンにおける最上級の敬礼を贈り、その場を後にした。



――後に、この時の戦いは、アルビオンの伝説として語られる事となる。


 誇りを失いし白の国、道を外れし兵の群れ……その悪行や諌めんと、天より舞い降りし騎士あり。

 その者……ただの一騎にて、七万の兵を打ち滅ぼし、天空に座する白の国に、失われし誇りと心を呼び起こさん……。

 彼の者……『猛き風ハイウインド』の名を冠する者なり……。







続く……





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