ゼロの使い魔 ~孤高の竜騎士~
「――ハッ!」
――ここは魔導士の町ミシディアの東、『試練の山』と呼ばれる険しき山。そこで、一人の竜騎士が修行に励んでいた。
彼の名はカイン・ハイウインド。
かつて、現バロン王セシル・ハーヴィと共に、世界の危機を救った英雄の一人である。彼がこの山に籠ってから、早三年の月日が流れた……。
――スタッ……
険しい崖を、竜騎士の技『ジャンプ』で用いる強靭な脚力で飛び移り、一つの岩肌の先に立つ。
「……あれから、もう三年か」
そう呟くと、カインは遠くを見つめる。その視線の遙か先には、自分の無二の親友にして、生涯のライバルと認めた男が治める国がある。
『セシル……ローザ……。今の俺には、お前達を祝福する権利はない。
この試練の山で腕を磨き……父を超える竜騎士となった暁には
バロンに……戻れそうな気がする……。
それまでは……』
自らの心の隙を突かれ、ゴルベーザに操られ、親友を苦しめ……想いを寄せた女性を悲しませた自分を、戦いが終わったのちも許すことが出来なかったカインは、自ら試練の山に籠った。
セシルもこの場所で忌わしい過去と決別し、聖なる騎士――パラディンとなった。自分もここで自らの弱さを見つめ直し、一から鍛え直そうと考えたのだ。
戦いの後、強力すぎる装備の数々を再び月に封印し、新たな装備――風の力を蓄えた『ウインドスピア』、ミスリル銀製の防具一式を調達し、苦しい修行を繰り返し、自らをいためつけてきた。
「……親父……俺は、強くなれただろうか?」
時折、食糧やポーションの補充の為にミシディアに戻る度、『英雄王』と褒め称えられる親友の名を耳にする。親友が讃えられている事を嬉しく思い、また「負けてはいられぬ」と己を奮い立たせ修行に励んできた。
しかし、ふとした拍子に不安に駆られる。自分は、成長出来たのだろうか、と……。
「……ふ……やはり、まだまだだな。俺は……」
そう呟くと、カインは頭を振って後向きな思考を振り払う。そして、再び跳躍を始める。――が、突如目の前に光の鏡の様なものが現れた。
「――っ!?」
跳躍の最中のことだったため、カインは避けられず、その鏡に衝突――はせず、鏡の中に入り込んでしまった。
そして、試練の山からカイン・ハイウインドの姿が消えた……。
――所変わって、ここはハルケギニア……
トリステイン王国トリステイン魔法学院の中庭に於いて、毎年恒例の『春の使い魔召喚』の儀式が行われていた。これは、二年生に進級するための試験の意味を兼ねており、この儀式に万が一にも失敗すれば、留年となる危険性を孕んでいる。
それは学院の生徒にとって、この上無い不名誉となる一大事――。
故に、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは焦っていた。既に、何回も『サモン・サーヴァント』の魔法に失敗しているからだ。
(もう一度よ……大丈夫。今度こそはッ!)
周りからは、今までの失敗から失笑と共に誹謗が飛び交っている。
と言うのも、ルイズはこの学院に入学してからこちら、一度としてまともに魔法を行使出来た事がないのだ。
――何の魔法を使っても、全て爆発する。
当の本人にもその原因が分からない。しかし、その逆境にもめげず、何とかしようと必死に勉強してきた。そのおかげで座学の成績は学年トップクラス。
だが、周囲はそんな彼女の努力を知らず、魔法が必ず失敗するところしか見ようとしない。魔法成功率ゼロ……そのことから『ゼロのルイズ』と呼び、事あらばその名で彼女を嗤う。
「――宇宙のどこかにいる、我が僕よ! 神聖で、美しく、強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに、応えなさいッ!」
どこか風変りな呪文と共に、杖を振り下ろす。すると――
――ドッカーーーン!!
爆発した……。
辺りは煙に覆われ、周りにいた生徒達はその煙でせき込む。ルイズ本人も咳き込む。
「結局爆発したじゃないか! げほっ! げほっ……」
そこ彼処から、咳き込みながらルイズを非難する声が上がる。しかし、ルイズはそれどころではなかった。
(使い魔は?! 私の使い魔は!?)
必死に煙をかき分けようと手を振りながら、杖を振り下ろした場所に目を向ける。
――すると、そこにうっすらと何者かの影が見えた。
「……! や、やった……召喚できたわ!」
そう声を上げると同時に、突如、物凄い風が巻き起こり、煙が吹き飛ばされた。凄まじい風圧に目を閉じたルイズが、改めてその場所を見ると……そこに居たのは――
「――げほっ! ……まったく、一体何が起こったんだ?!」
――竜を模った兜をかぶり……、
――竜の鱗のような精巧な細工の施された鎧に身を包み……、
――左手に美しく輝く槍を……、
――右手に青白い光を反射する盾を持った……、
――『人間』……だった。先程の風は、どうやらこの男が槍を振るって起こしたものだったようだ。
「ぜ、ゼロのルイズが……竜人を召喚したぞっ!?」
「――い、いやまて? あれは……ちがう! 竜の兜をかぶった騎士だ!」
周りから驚きの声が上がり、生徒達がざわつき始める。
「…………」
当のルイズは、固まっていた。召喚が成功した事を喜べばよいのか、人間を召喚してしまった事に焦ればよいのか……わからなくなって、フリーズしまったのだ。
そんなルイズは眼中になく、召喚された“竜の騎士”は辺りをキョロキョロ見渡していた。
「ここは……何処だ? 俺はさっきまで『試練の山』にいたはずだが……」
この男も突然の事に混乱しているらしい。
何とか頭脳を再起動し、ルイズは傍に立っていたコルベールに伺いを立てる。
「あの、ミスタ・コルベール……こういう場合、どうしたら?」
「う~~む……私もこんなケースは初めてだが……」
尋ねられたコルベールも困った表情をしている。いや、実際に困っていたのだろう。
ここトリステイン王国に於いてはもちろん、他国に於いても、人間を召喚したなどと言う話は聞いたことがない。
――しかし、召喚の儀式は神聖なもの。
この使い魔では嫌だから、もう一度やり直し――などと言う事は出来ない。
それは、魔法を、そして始祖ブリミルを冒涜する行為である、とされている。
「……仕方がない。ミス・ヴァリエール、彼と『コントラクト・サーヴァント』を」
「――ええっ!? でも、人間を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」
「だが、召喚してしまったものは仕方がない。この儀式は神聖なものだ。やり直しは許されない」
「うう……」
「……一体、どうなっている?」
『試練の山』での修行中に突如出現した“光の鏡”――不可抗力だが、それに飛び込んでしまったと思ったら、いきなり爆煙に包まれ咳き込むハメに……。
しかも、周りからは人の声……状況が全くわからない。
辺りを包む邪魔な煙を、槍を振るい、吹き飛ばした。
すると、そこは『試練の山』ではなく、見覚えのない建物の庭……しかも、周りにはマントを羽織った大勢の少年少女……。
――カインは流石に混乱していた。
そこへ、何かバツが悪そうな表情をした、ピンクの髪の少女が歩み寄って来た。
「……?」
「あ、あなたには……その、悪い事をしたと思っているわ。でも、これも運命と思って……諦めてちょうだい」
顔を真っ赤にしてそう言う少女……その口振りから、カインは自分をここに呼び寄せ、今のこの状況は彼女が作ったのだと察した。
「おい、どういうことだ?」
「……後で、説明するわ。それより、今は『コントラクト・サーヴァント』を済ませないと……」
少女の口から訳の分からない単語が飛び出す。
――『コントラクト・サーヴァント』……?
聞いた事もない言葉が、カインの混乱に拍車を掛ける。
「と、とにかくッ!! 契約するわ! …………少し、屈んで」
「……は? 何故だ?」
「~~~っ、いいから屈みなさいっ!!」
突然キレ始める少女。大して迫力がある訳ではないが、どうにも一杯一杯の様子に、どこか気の毒になってしまい、カインは言われた通り屈む。
「い、五つの力を司りしペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔と為せ!」
そう言い終えるや否や、少女はいきなり唇を重ねてきた。
「――ッッ!!??」
カインは再び、激しく混乱する。
――なっ!?
いきなりのキスに顔が“赤”ではなく、“青”くなる。
正直言って、自分はもう恋を諦めている。想い人……ローザは、親友のセシルを選んだ。だが、自分で言うのもなんだが不器用な男だ。
ローザへの想いが叶わなかったからと言って、誰か別の女を好きになることなんて出来ない。この先、自分は一人で生きて、老いて死んでゆくのだと思っていた……。
――しかし! それが、よりによってこんな子供に! しかも一方的にキスされたのだ。いかにカインと言えど、ショックである。
「――なっ、何を……ぐッ?!」
漸く正気を取り戻し、文句の一つでも言おうとした時、左手の甲に焼けるような痛みが走り、カインは俄かに顔を歪める。
「大丈夫よ、使い魔のルーンが刻まれてるだけだから」
“使い魔”だが“ルーン”だかはよく分からないが、少女の言う通り痛みはすぐに引いた。左手の『ミスリルのこて』を外し、手の甲を見てみると、何かの文字の様な跡が出来ている。
「ふーむ、珍しいルーンだ」
少女の傍にいた頭の頂点が剥げた眼鏡の男が手の甲を覗き込み、興味深げに観察しそれを手帳に何やら書き込み始める。
「おい、あんた……分かるように説明してくれ。先ず、ここは何処だ?」
「ああ、そうだな。少し待っていてくれ」
そう言うと、眼鏡の男は他の少年少女達に「これにて儀式は終了とします」と彼らを解散させた。
その場には、眼鏡の男と、カインと、カインにキスをした少女だけが残った……。
「……」
少女は先程から黙り込んでいる。しかし、その表情は明るいとは言えない。
「――さて、ではミス・ヴァリエール。そして、そちらの“竜の騎士”殿。今後の事について、オールド・オスマンにお伺いを立てねばなりません。説明もその時にしますので、私に付いて来てください」
「……はい」
「わかった」
とりあえず、カインはその男に従って歩き出す。少女も同じく歩き出し、三人は巨大な建物の中に入って行った……。
「――――という次第で、どうしたものでしょう? オールド・オスマン」
先程の眼鏡の男――コルベールは、ルイズとカインを伴い、学院長室にやって来てこの『トリステイン魔法学院』の学院長を務める老メイジ“オールド・オスマン”に事の次第を報告し、伺いを立てた。
「う~~む……」
コルベールの報告を聞き、眉間に皺を寄せ唸る。そして、カインに目を向けた。
彼が身に付けている鎧や槍を見ても、精巧な細工が施され、しかも密かに『ディテクト・マジック』で調べた結果、全てが魔法のかかっている一級品の装備である事が分かった。
何より彼自身が放つ独特の雰囲気からも、卓越した戦闘技能者であることが窺える。
――さぞかし、高名な騎士なのであろう、と。
「そちらの“竜の騎士”殿よ。すまぬが、おぬしの名を聞かせてくれぬか?」
「尋ねる前に、自分から名乗るのが礼儀ではないか、ご老人?」
「ち、ちょっとっ、あんた! オールド・オスマンにそんな口の利き方――」
「ミス・ヴァリエール、良い良い。彼の言う通りじゃ。申し遅れたが、ワシはこのトリステイン魔法学院の長を務めておる、オスマンと言う者じゃ」
「カイン・ハイウインドだ」
名乗られたからには名乗るのが礼儀である。カインも自分のフルネームを名乗る。
オスマンは、満足げに頷いた。
「うむ、ではミスタ・ハイウインド――」
「カインで結構」
「ではカイン殿。失礼だが、君の故郷の国の名を教えてもらえるかの?」
「今は修行中の身故離れているが、バロン王国だ。そこで竜騎士団団長を務めていた」
「……『バロン』?」
オスマンは首を傾げる。次いで、コルベールもまた同じく怪訝な顔をする。
その反応に、カインもまた怪訝な表情になる。
「ミスタ・コルベール、君は『バロン』という国に聞き覚えがあるかね?」
表情をそのままにオスマンはコルベールに尋ねる。
「……いえ、少なくとも私は聞いたことのない国名です」
その言葉に、カインは疑問を覚えた。
「――聞いた事がない? どういう事だ? 軍備が縮小されたとは言え、現在も『飛空艇団』は健在だ。今や軍事国家ではないが、その名を知らぬ者などいない大国だぞ?」
そう言った時、隣に立っていた少女が声を上げる。
「あんた、何言ってるの? 軍事国家や大国って言ったら南の『ガリア王国』か……癪だけど、あの忌々しい成り上がり共の国『帝政ゲルマニア』しかないじゃない」
「がりあ? げるまにあ?」
――その場にいた全員の顔が、一様に怪訝な表情になる。
お互いの話が、全くかみ合っていない。
オスマン達もカインも、お互いが口にした国名に全く聞き覚えがないのだ。
その時、カインは閃いた。
「――世界地図はあるか?」
オスマンも「なるほど」と手を打ち、杖を振って、『念力』で脇の本棚から一冊の本を取り出す。
そして、目的の地図が載っている頁を開きカインに見せた。すると、カインの表情が驚きに変わる。
「……なんだこれは? 俺の知る地形とまったく違う……!」
そう言うと、カインは懐から自分の持っていた世界地図を開く。それをその場にいた全員が覗き込んだ。
すると、カインを除く全員が再び怪訝な表情になる。
「何よ、コレ? 大陸も海もデタラメじゃない」
「「……」」
ルイズは、すぐに呆れたようにそう言うが、他の二人は未だに怪訝な表情をしている。
「……カイン殿。この地図以外に、何か持っていないかね?」
オスマンにそう言われ、カインは道具袋をひっくり返した。
入っていたのは『ハイポーション』が五本、『どくけし』が八個、『コテージ』が四個、『ひじょうぐち』が三つ、『エリクサー』が一本。
あとは、三年の修行中に倒したモンスターが落とした『リリスのロッド』と『のろいのゆびわ』が一つずつ――。
「ふ~む……この杖も指輪も、長らく生きてきたワシも見た事のない品じゃな」
「私もです」
物珍しそうに、『リリスのロッド』と『のろいのゆびわ』を手に取って見つめるオスマンとコルベール。
「う~む……」
穴が開くのではないかと言う程、カインの所持品を見つめ倒していたと思えば、今度は何か面倒なことに直面した様な表情でオスマンは唸り始める。
「カイン殿。すまんが、君の故郷の事を少し話してもらえるかの?」
と、唐突にオスマンはカインに故郷の事を訪ねた。
カインは所々暈しながらだが、語った。
――自分の生まれ育ったバロン王国の事……。
――元の世界における主要各国の事……。
――セシルやローザを初めとした、苦難を共に乗り越えてきた仲間達の事……。
あらかた話し終えたところで、オスマンとコルベールはある仮説を導き出す。
「う~~む……もしかすると、カイン殿は、ここハルケギニアとは違う『異世界』から召喚された……のかも知れんのう」
『異世界』――この言葉は、カインについての疑問を一気に解決させてしまう。
ここが『異世界』だとすれば、カインの居たという世界と地形、国家形成が全く異なる事にも説明が付く。
だが、それは同時に、カインの元の世界への帰還が現実的に不可能な事も意味していた。
「しかし、オールド・オスマン。『サモン・サーヴァント』は、ハルケギニアの生物を呼び出す魔法のはずでは……?」
コルベールの疑問は、ハルケギニアの魔法使いであれば誰もが考える疑問である。だが、オスマンの考えは若干違った。
「確かに、そうとされておる。しかし、それは今までがそうであったということであって、これからもそれが絶対とは限らん。或いは、カイン殿の居た世界とこのハルケギニアには、何かしらの繋がりがあるのかも知れん」
オスマンの説明で、コルベールも「う~む」と唸り始める。カインとルイズは置いてけぼり状態だった。
「盛り上がっている所、悪いんだが……」
「お、おお~、そうじゃったっ!! で、カイン殿。ちと尋ねるが、君は元いた地へ戻ることを望むかね?」
カインの突っ込みに、慌てて意識をこちらに戻したオスマンとコルベールが苦笑しながら向き直る。
「無論だ。俺は修行を続け、いつの日か友の元に戻り力を尽くすことを竜騎士の誇りにかけて誓った。いつまでもここにいる訳にはいかん」
カインは揺るぎなく答える。そこにある確かな意志を感じ取ったのかルイズは、申し訳なさそうにしている。
「うむ……しかし、じゃ。残念ながら『サモン・サーヴァント』で召喚した使い魔を元いた場所に送り帰す魔法と言うのは……存在しないのじゃ」
「何っ……! では……俺は、帰れないというのか……?」
僅かに動揺し、気落ちした様でそう尋ねるカイン。それを見て、コルベールが慌ててフォローする。
「いや、結論付けるのはまだ早い! 何しろ、これは前代未聞の事態だ。我々が知らないだけで、もしかしたら過去に前例があるかもしれないし、探してみれば、使い魔を元いた場所に送り返す魔法も存在するかも知れない」
「うむ! 我々が責任を持って、おぬしを故郷に戻す方法を模索しよう。――そこでじゃ、カイン殿。物は相談なのじゃが、その間、形式だけでも良いから使い魔としてミス・ヴァリエールの下にいてもらえぬだろうか?」
「――ええっ!!?」
「どういうことだ?」
オスマンの言葉にルイズは驚きの声を上げるが、カインは冷静にその意図を探る。
「うむ、まあ、理由は主に二つじゃ。まず一つ目は、文献を当たるにしろ何にしろ、相当の時間が掛かる。その間のおぬしの宿舎をワシらが提供するのは、ちと問題があってな。ミス・ヴァリエールの部屋で寝泊まりしてもらえれば、そこが解決する。そして二つ目じゃが、こちらはミス・ヴァリエールの進級に関わる問題じゃ」
「ん? それはまた、どういう事だ?」
オスマンはこの世界の事情を交えて語った。
――カインを呼び出してしまった『春の使い魔召喚』の儀式は、このトリステイン魔法学院に於いて二年生進級に必須の課題だという。
そもそも、このハルケギニアでは、魔法を行使する者達が絶対的な権力を握る封建社会で、魔法を使う者達は『貴族』、使えない者達は『平民』とされ、両者の間には大きな格差が存在する。
これを聞いた時、カインは顔を顰めた。そして、自分が魔法は使えない事を告げた。
その時、ルイズは驚いていたが、それは余談である。
このトリステイン魔法学院は、そうした貴族の子息子女が魔法を学びに来る場所であり、トリステイン王国内は元より、ゲルマニアやガリアと言った他国からも留学生が来るほどの有名校である。そんな学院だからこそ、ここを卒業する事は一つの名誉になり、逆に留年などすればこの上無い不名誉として、一生その者に憑いて回ってしまう。
ルイズは努力家であり、非常に優秀な生徒である。それを留年させてしまうのは学院としても、一教師としても心苦しい。そこで、カインにルイズに付いてやってほしいと言うのだ。
「どうじゃろう、カイン殿? 勝手のわからぬこの地では、流石に不安もあろう。悪い話ではないと思うのじゃが?」
「……いいだろう。あんたの言う通り、どうせ右も左もわからない土地だ」
「――ホントっ!? いいの?!」
ルイズにしても、カインの返事は嬉しかった。これで、使い魔に逃げられた留年生の汚名は回避できる。
「――ただし、俺にも父より受け継いだ竜騎士としての誇りがある。それを汚されるような事があれば、ただではおかん。それが俺からの絶対に譲れない条件だ」
「と、言う訳じゃが……どうじゃな、ミス・ヴァリエール?」
「は、はいっ! それでいいです!」
ルイズとカインの契約は、未だ仮ではあるが、ようやく結ばれた形となった。
「よし、とりあえず一件落着じゃな。二人とも部屋に戻りたまえ」
「はい、失礼します」
「俺の帰還の件、くれぐれもよろしく頼む」
ルイズとカインは学院長室を後にした。
「さて、取りあえず使い魔とやらになった訳だが……」
ルイズが学院に在学中に宛がわれている寮の一室で、今後の確認をする為にルイズと向き合う。
「俺は一体何をすればいいんだ?」
「それを話す前に、改めて名乗っておくわ。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステイン王国の貴族ヴァリエール公爵家の三女よ」
「俺はカイン・ハイウインド。元バロン王国竜騎士団団長だ」
改めて、自分達の名前を名乗り合うルイズとカイン。所属までしっかりと言うのはお互い性格の表れだろう。
「それじゃあ、使い魔の役割を説明するわね。先ずは、主人の目となり耳となること」
「使い魔が見聞きしたことを主人が見聞きする、と言う事か?」
「そう」
「では、今おまえは自分の姿が見えているのか?」
「……見えない」
いきなりの頓挫である。
「……他には?」
「後は、秘薬とか鉱石を見つけてくるとか……」
「悪いが、俺の専門外だ」
実際のところ、ルイズもそう言った動物型の使い魔が出来そうな事をカインに期待してはいなかった。
「まあ、そうよね……。でもっ! 一番重要なのはこれよ! ご主人様を守ること!」
「……まあ、それなら何とかなるだろう」
竜騎士として、セシル達と共に数々の困難を越えてきたカインだ。その上、三年間試練の山に籠り、修行を重ねてきた事で、その実力はますます上がっている。大抵の敵ならば問題なく退けられるだろう。
もちろん、ルイズはそんな事は知らないが、彼が竜騎士――しかも一国の部隊長を務めていたという話もあったし、カインが装備している武具が見るからに超一級品なのを見ても、その実力には期待が持てた。
大まかではあるが、使い魔と主人としての役割分担が決まった頃には、空に二つの月が輝く時間になっていた。
「今日は、色々あって疲れたわ……。もう寝ましょう」
「そうだな」
そう言うと、カインは背を向けて歩き出す。
「ちょっと、どこへ行くのよ?」
「俺は廊下で寝る」
事もなげにそう言うカインに、ルイズは疑問を抱く。
「なんで? ここで寝ればいいじゃない。流石にベッドは貸せないけど、椅子と毛布ぐらい貸すわよ」
カインは振り返る。
「恋仲でもない男女が同室で眠るのは、倫理上好ましくない」
カインも中々に堅物である。
「まあ、いいけど……じゃあ、朝になったら起こして」
「……自分で起きればいいだろう。幼児じゃあるまいし」
「誰が幼児よっ! それも使い魔の仕事の内なの! いいから、起こしなさいっ。いいわねっ?!」
「……わかったわかった」
理不尽な言い分に、カインは内心溜め息を吐きつつも、敢えて突っ込みはしない。こういうタイプは軽く受け流しておくのが最良策だという判断。ルイズから毛布を一枚受け取り、カインは廊下に出て行った……。
カインを見送った後、色々あって精神的に疲れて果てていたルイズは、着替えを終えると直ぐにベッドに倒れ込み、深い眠りに堕ちていった……。
一方、その頃…………。
カインは、毛布をドアの脇に置き、庭に出て空を見上げていた。
空には、淡い青と赤の双月が輝いている。
「この世界でも、月は二つか……。しかし、色が少し違うな」
誰に言うでもなく呟くカインは、かつての仲間達の事を思い出す。
――バロンを受け継いだセシルとローザは、元気にしているだろうか?
――幻界に戻って行ったリディアは、どうしているだろうか?
――エッジは、王としてちゃんとやれているだろうか?
試練の山に籠ってからも時折、空を見上げて考えていた事を、この場でも考える。
そして、同時に、自分が別世界に来てしまった事を……仲間達から遠く引き離されてしまった事を実感し、僅かな不安を感じる。
自分は……果たして、バロンに…元の世界に帰れるのだろうか、と……。
「あの……」
声に振り向くと、黒髪のメイドが桶を抱えてこちらを見ていた。
「俺に何か?」
「いえ、あの……あなたがミス・ヴァリエールが召喚されたという方ですか?」
もう噂になっているのか、と内心溜め息をつくカイン。軽く頷いて答える。
「ああ、カイン・ハイウインド、竜騎士だ」
「えっ!? あっ、わ、私は、シエスタと申しますっ!」
自分に向かってペコペコとお辞儀をしてくる様子に、カインはオスマンが言った事を思い出し苦笑する。
「……そんなに畏まらなくて良い。俺は別に貴族じゃないからな」
「えっ……? そう、なんですか? でも、竜騎士だって……」
「俺のいた国では、貴族だなんだは関係ない。腕を磨き、然るべき試験に合格すれば竜騎士になる事が出来る。尤も、言う程容易くはないがな」
故郷バロン王国に於いて、主力が飛空艇団に移ってから、他の部隊は縮小されていった。竜騎士団もその例に漏れず、先代バロン王の方針で兵士が『暗黒剣』の習得を強いられるようになったことからも、規模はどんどん縮小され、最後には小隊規模にまで人員が削減されてしまった。
尤も、それはカインが竜騎士団団長を務めていた当時の話ではあり、またカインも長くバロンを離れている為、現在のところがどうなっているかはわからない。
「へえ~、そうなんですか!! トリステインでは考えられませんね」
「……そうらしいな」
オスマンにしか話を聞いていないが、シエスタの先程の態度から見ても、貴族が優遇され、平民がどこか差別されているというこの国の……いや、この世界の体制が窺える。
ハッキリ言って、カインには理解できない考え方だ。
――故郷において、『魔法を扱う者』と『武器を扱う者』は役割の違いこそあれど、立場の上下などなかった。魔法が扱えるかどうかは、その人間を見る判断材料の一つに過ぎない。
しかし、ここハルケギニアでは違う……。
何故、魔法が使える、使えないの違いで、ここまでの格差が生じるのか? 何故、魔法が使えない者達は、貴族には敵わないと諦めてしまうのか?
疑問は多々あるが、それはこの国―この世界の問題だ。――自分がつべこべ言う事ではない。
「あ、いけない私、まだ仕事の途中でした!」
「そうか、時間を取らせて悪かったな」
「いえ、カインさんは悪くないです。それに、お話出来て良かったです。宜しければ、またお話聞かせて下さい」
「ふ、つまらない話で良ければ、な」
カインの言葉に、シエスタは笑みを浮かべ、手を振って駆けて行く。それを見送ると、カインもルイズの部屋の前に戻るため、歩き出した。
こうして、一人の孤高の竜騎士と『ゼロ』と呼ばれる魔法使いの少女の一日が更けていくのだった。
続く……かも