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[27075] 【習作・完結】翔くんとやよ先輩 ほのぼのコメディのようなもの【オリジナル】
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/10 11:38
 オリジナル板でも投稿しているりむるです。チラ裏でもサクラVの二次投稿してます。

 特にプロットもなしにゆるーく書いてます。
 天然二人のゆるーい話です。
 気ままに更新する予定です。


 ※追記
 感想が付いてて嬉しくて更新したわけじゃないんだからね(*´Д` *)
 ありがとうございます。



[27075] 01
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/04/13 17:08

 初めまして、ぼくの名前は鳴海翔太。中学二年生です。誕生日は二月十四日なので、プレゼントはいつもチョコレート関係です。甘いものは結構好きなので特に困ることはありません。
 ぼくは一年生の二学期が終わるまで陸上部にいました。冬休みを終えた三学期からは生徒会のお手伝いを始めました。
 理由は、生徒会長の西野弥生先輩と仲良くなったからです。
 これからぼくとやよ先輩――ああ、弥生先輩のあだ名です。やよ先輩は何故か本名ではなく、『やよ』と呼ばれています。友達には『やよちゃん』後輩には『やよ先輩』という風に。でも幼馴染の二人は『弥生』と本名を呼び捨てです。不思議です。でもあだ名ってそういうものだと思います。
 やよ先輩は、先輩と言うくらいだから年上です。いっこ上です。今は中学三年生です。
 話がそれました。
 えっと……これからぼくとやよ先輩のことを話そうと思います。



 ぼくがやよ先輩と初めて話をしたのは、夏休みが終わって一週間くらいした部活中。グラウンドのトラックを千メートル分を走りきった直後でした。もう少し走りたかったのですが、千メートルと決まっていたので仕方がないことでした。長距離走が好きなぼくには不満です。
 その日はいい天気で、女子が「日に焼ける」とぷんぷんしていました。日焼け止めを忘れたそうです。でもその子はもともと色黒で、日に焼けてもそんなに変わらないと思いました。
「すごいねえ、少年。同じところを延々と走ってるなんてよっぽど好きじゃないと出来ないよー」
 ぼくにそう声をかけてきたのがやよ先輩でした。最初話しかけられたのが判らなくて、後ろを見ましたが誰もいなかったのでぼくになんだ、とのんびりと思いました。親や友達には「翔太はぼんやりし過ぎ」とよく褒められます。
「はい、ぼく走るのが好きなんです」
 のんびりとしたぼくの反応にやよ先輩は気にせず、人懐っこく笑ってくれました。
「へー」
 注意されないことをいいことに、ぼくは聞かれてもいないことを口にしていました。
「歩くのも好きです」
「じゃあ散歩も好きなの?」
「はい」
 なんとなく嬉しくなって笑顔でうなずきました。
「おじいちゃんみたいだね」
「はい、よく言われます」
 本当によく言われることなので腹も立ちませんでした。
 二人でほけーと笑い合い、あることに気がつきました。
「ところであなたは誰ですか?」
 やよ先輩は首を傾げ、不思議そうにぼくを見た後、ぽんと手を叩きました。
「初めまして、次の生徒会長をつけねらう西野弥生と申します」
 そう言って頭を下げたやよ先輩に対してぼくは丁寧な人だと思いました。
「初めまして、鳴海翔太です。陸上部の一年です」
「陸上部なんだー」
 グラウンドのトラックを運動着を着て走るのは別に陸上部だけじゃないので変な発言だとは思いませんでした。基礎体力をつけるためにバドミントン部やテニス部の人たちが走っているのを見たことがあったからです。でも、一人で走っているのは陸上部だけです。
「西野先輩は部活に入っているんですか?」
「ううん、帰宅部。暇だし面白そうだから生徒会長やろうと思ったの」
 生徒会なんて良く判らないものをやる動機なんてそんなものだと思いました。
「ほいじゃあ、私もう行くね。生徒会の選挙のときは、この西野弥生に清き一票を!」
 本物の選挙立候補みたいなことを行って、やよ先輩は笑顔でぼくに手を振って去っていきました。もちろん、他の陸上部の部員にも挨拶を忘れません。
 選挙活動は大変なんだなと思いました。



[27075] 02
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/04/10 23:11
 程なくして、やよ先輩は生徒会長になりました。対抗馬がいなかったのでほとんど自動的です。けど、形式的にでも選挙はしなくちゃいけないらしく、投票は行われました。簡単に説明すると、各役職の欄にマルとバツを書く形式です。マルが信認で、バツが不信任です。バツが多い場合は新たに候補者を出して選挙のやり直しになるそうです。けど、みんな面倒なのか、マルにしたそうです。ぼくもマルにしました。
 もちろん、投票するのは生徒会長だけでなく、生徒会副会長、書記……あと会計も一緒です。他にも何かあった気がしますが、よく覚えていません。
 めでたく生徒会長になったやよ先輩は嬉しそうに挨拶回りした部活に報告に回ってました。だからぼくもそのときのやよ先輩とお話が出来ました。
「いやあ、対抗馬なんて絶対出ないと思ったけど、本当に出なかったよー。びっくりだね」
 ぼくの隣で聞いていた陸上部の先輩が、お前は一体何を言っているんだ、みたいな顔をしていたのを覚えています。
「みんな興味がないんですよ」
「だよねえ。けど内申点は付くんじゃない?」
 内申点というのは……高校受験の推薦の時に役に立つんじゃないかなーというポイントみたいなものです。実際は知りません。
「西野先輩は推薦で高校に行くんですか?」
 ぼくの質問にやよ先輩はまったく関係ないことを言いました。
「私のことは苗字じゃなくて名前で呼んでね。気さくにやよ先輩とかやよ会長と呼んでくれたまえ」
 胸を張って、ふふんと笑うやよ先輩が少し素敵でした。
「はい、やよ先輩」
 陸上部の先輩が「お前対応早いぞ」と呆れ気味に言いました。臨機応変に向いているんです。ちょっと良く判りません。
「推薦は判んないけど、高校は行くよ。少年は行かないの?」
 少年、というのはぼくのことです。陸上部の先輩じゃありません。なぜなら陸上部の先輩はやよ先輩と同学年だからです。
「行きますよ」
「ほら」
 何が「ほら」なのか判りません。もしかしたら法螺なのかもしれません。
「やよ先輩、ぼくの名前は鳴海翔太です」
「うん、知ってるよ。人の名前を覚えるのは結構得意だよ。顔と一致しないけど」
 あまり意味のない特技だと思いました。
「少年じゃありません」
「けど、君が犯罪犯したらA少年になるよ」
「少年Aだと思います」
「そうか、それもそうだね」
 陸上部の先輩が頭を抱えてうずくまりました。
「あれれ? 日射病? 今日もいい天気だもんね」
「先輩、具合でも悪いんですか?」
 ぼくたちの心配をよそに先輩は力なく立ち上がると、ものすごく疲れた顔をして去っていきました。三千メートル走ってもあんな顔にはなりません。何があったのでしょうか。いまだに謎です。
「どうしたのかな?」
「どうしたんでしょう?」
 ぼくたちは顔を見合わせ、首を傾げました。
「それじゃ、そろそろ部活の邪魔になるから帰るね」
「はい、お勤めご苦労様です」
 ぼくの言葉にやよ先輩は照れたように微笑みました。
「これからだよぉ~」
「はい、がんばってください」
「うん」
 嬉しそうに微笑むやよ先輩。すごく嬉しそうに笑うものだから、ぼくまで嬉しくなりました。
「じゃあ、翔くんもがんばってね」
 このとき初めてやよ先輩はぼくを「翔くん」と呼んでくれました。とても嬉しかったです。
「はい」
 嬉しくて笑顔でうなずきました。
「ばいばい、翔くん」
 ぼくの笑顔に負けないくらい、嬉しそうにやよ先輩は笑って、そして手を振って去っていきました。
 やよ先輩は笑顔が似合う素敵な人だ、と思いました。



[27075] 03
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/04/12 00:01
 やよ先輩が生徒会長になってから一ヶ月経った頃、ぼくは陸上部の顧問の先生に怒られていました。
 怒られる理由は簡単でした。
 ぼくの短距離に対するやる気のなさでした。それはぼくも自覚していたので、怒られることに文句はありませんでした。しかし、どうしても短距離は好きになれなくて、手を抜く、とは違いますが、長距離と違って気合が入りません。
「鳴海、お前が長距離が好きなのは判るが、それが短距離に気合を入れない理由にはならないぞ」
「はあ……」
 ガタイがよくて色黒の顧問の先生の言うことは判ります。けど、好きなものとそうじゃないものを比べたら好きなものに気合が入るのは仕方がないことだと思います。ぼくの場合その差がとても判りやすいのでしょう。
「確かにお前は長距離のほうが向いているかもしれないが、お前はまだ若い。可能性があるんだ。一つに集中して他の可能性を見逃すなんてもったいないぞ」
 先生の言っていることはもっともです。けど、ぼくは長距離、または中距離が好きで、短距離は好きじゃありません。
 ぼくは先生との会話を適当に切り上げて、一人短距離のトラックへと向かいました。こうすればしばらく先生に絡まれることはありません。
「…………」
 口を尖らせぼくは空をにらみつけました。
 陸上部は好きです。トラックを何週も走ることが出来るから。けど、先生や部長の言うことを聞いて短距離やハードルをやるのは好きじゃありません。陸上部の部員は結構好きです。タイムを計ってくれる先輩にはいつも感謝しています。
 けど、ぼくは……自由に走りたいです。
「じゃあ鳴海、百のタイム計ろうか」
 いつのまにかそばに来ていた先輩がストップウォッチを見せながら言いました。
「はい、お願いします」
 ぼくは短距離トラックのスタートラインに着くと、表情を改めました。
「位置について、よーい、スタート!!」
 この日から、ぼくは部活に出ると少しだけイライラするようになりました。



 イライラする部活になってから二週間くらい経った頃、やよ先輩とお話する機会が出来ました。
 部活中、ぼくは水を飲みにグラウンドに一番近い水のみ場にいて、やよ先輩はたまたまその辺りを歩いていました。
「翔くーん!」
 水を飲むぼくにやよ先輩は大きな声を上げて、手をぶんぶんと振っていました。水を飲み終えたぼくは顔を上げ、口元をぬぐいながら手を振り返しました。
「休憩中?」
「……はい」
 ふーと息をついてから返事。
「やよ先輩はどうしたんですか?」
「んーとね、生徒会の仕事は終わって暇だから、色んな部活を見てなんかないかなーって」
「診察ですか」
「視察じゃないかな」
「ああ、似てますよね」
「うんうん」
 通りがかった生徒の身体が傾きました。エアひざかっくんという奴でしょう。
「陸上部はなんか困ったことはある?」
 やよ先輩の言葉にぼくは腕を組み、首を傾げました。
「もっとグラウンドを使いたいって先輩が言ってました」
「それは野球とサッカーと平等に交代で使ってるからだめだよ。走るだけなら近所でやればいいじゃん」
 もっともな返事にぼくは何度もうなずきました。
「個人的なことですが、短距離やりたくないです」
「へ? 何で?」
 今度はやよ先輩が首を傾げました。
「短距離の風景はばーって流れすぐに消えてつまらないんです。中距離はそんなことないです。長距離は長く楽しめるので好きです」
「ふーん、全然判らない世界だよ」
「よく言われます」
 やよ先輩は逆の方向に首を傾げます。
「じゃあ短距離やらなきゃいんじゃないの?」
「ぼくもそうしたいんですけど、部活の方針には逆らえません」
 逆らったことはないけど、逆らっていいものでもないと思います。
 ぼくの返事にやよ先輩はきょとんとした顔をしました。
「じゃあ部活辞めたらいいじゃん」
 その言葉にぼくは口をぽかんと開けて間抜けな顔をしてしまいました。十秒くらいそうして、ぽんと手を叩きました。
「それもそうですね」
「でしょー」
 その答えはぼくの中で燻っていたイライラを一掃するには充分な力を持っていました。
「走るだけなら他の場所でも出来ますもんね」
「うん、近所でよくジャージ姿のおじいちゃんがジョギングしてるよ。趣味ならそんなんでいいじゃん」
「そうですね」
 動きやすい格好で近所を気ままに走る自分を想像しました。それはとても幸せなことでした。
「はい、じゃあぼく部活辞めます」
「うん」
 やよ先輩は明るく軽くうなずいて、ぼくの決定を祝福してくれました。



[27075] 04
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/04/15 00:31
 ぼくはすぐに顧問の先生に「部活を辞めたい」と言いました。とても驚かれ、近くにいた部長と一緒に引き止められました。入部したときには歓迎してくれたのに、退部するのにどうして引き止められるのでしょうか? 判りません。
 退部の理由は「短距離をやりたくないから」と正直に言いました。けど先生も部長も判ってくれません。二人で一生懸命色んな言葉を使ってぼくを引きとめようとしてくれました。求められるというのは嬉しいです。でもぼくは辞めると決めていました。
 ぼくも一生懸命話しましたが、結局平行線のまま終わり、その日は解散となりました。
 あんなに引き止めを食らうとは予想外でした。いきなりだったからでしょうか。でもぼくはあんなに引き止められるほどいい選手ではありません。短距離は部で一番遅いし、好きな中・長距離だってそんなに早くないです。部にとってそんなに重要でもなんでもないと思うのです。不思議です。
 この不可解さを伝えたくて、ぼくはやよ先輩を探しました。考えたら名前と学年は知っていましたが、クラスは知りませんでした。選挙のときにクラスも言っていた気もしましたが、記憶にありません。
 ぼくは昼休みに二先生の教室がある三階を歩きました。うちの学校は四階建てで、四階が一年生、三階が二年生、二階が三年生となっています。理科室や音楽室などの特殊教室は色んな階に飛び散っています。
 やよ先輩を求めて各教室を覗きますが、昼休みなのであまり人がいません。空っぽの教室もありました。きっと次の授業が移動教室なのでしょう。
 四クラス全部見て回りましたが、やよ先輩は見つけられませんでした。がっかりです。
「誰か探しているのか?」
 肩を落としていると、後ろから声をかけられました。びっくりして振り返ると、とても大きな男の人がいました。このクラスの生徒でしょう。
「はい、やよ先輩を探しています」
「弥生?」
「確か本名はそんな名前だったと思います」
「うん、西野弥生だ。弥生なら生徒会室にいるぞ」
 背の高い男子生徒はあっさりとやよ先輩の居場所を教えてくれました。やよ先輩のお知り合いの方のようです。
「ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ」
 頭を下げるぼくに彼も頭を下げます。
「では失礼します」
「じゃあ」
 男子生徒にまた頭を下げてぼくは歩き始めました。

 生徒会室の場所は知りませんでしたが、適当に歩いていたら見つかりました。三階の階段のすぐそばでした。
 軽くノックをしました。
「はーい、どーぞ!」
 聞き覚えのある声に頬が緩みました。
「失礼します」
「うわあ、翔くんだ!!」
 入ってきたぼくを見て、やよ先輩は驚きつつ喜んでくれました。
「ここで会うのは初めてだね! ようこそ生徒会室へ!!」
 全力での歓迎にぼくは嬉しくてニコニコと笑いました。室内を見回すとやよ先輩の他に生徒が二人いました。男女一人ずつです。たぶん役員の人でしょう。
 やよ先輩が二人を紹介してくれました。男子が生徒会副会長で女子が生活委員長だそうです。ぼくも二人に自己紹介しました。
「翔くんわざわざ生徒会室まで来てどうしたの?」
「ああ、聞いてください」
 ぼくは本来の目的を思い出し、昨日の部での出来事を話しました。
「それはちゃんと退部届けを書かないからだよ」
 やよ先輩の言葉にイスに座っていた副会長が勢いよく机に突っ伏しました。生活委員長は顔を引きつらせていました。
「ああ、そうですね。忘れてました。担任に言えばいいのでしょうか?」
「そうだと思うよ」
「判りました。あとで貰いに行きます。そうですよね、ちゃんと手続きを踏まないとだめですよね」
 心底感心したぼくはやよ先輩を尊敬のまなざしで見つめました。やよ先輩もまんざらでもないらしく嬉しそうです。
「うんうん、いきなり辞めたいって言われてもそら困るよ」
「ですよねー」
 起き上がった副会長と生活委員長が何か言いたそうな顔をしています。現に口を開けかけては閉じ、の繰り返しです。しかし二人はふうと息を吐き、諦めたように肩を落とすと疲れたように視線を合わせ、小さく笑いました。
 呆れられている、ようにも見えますがぼく、何かしたでしょうか?
 やよ先輩を見るとぼくや副会長たちの反応に気づかず、携帯電話をいじっていました。
 マイペースな人なんだと思いました。



[27075] 05
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/04/20 20:34
 その翌日、ぼくは担任の先生から退部届けを貰い、必要事項を書いて顧問の先生に提出しました。しかし、受け取ってもらえませんでした。顧問は部長と副部長を呼び、三人がかりでぼくを部に残るように説得しました。顧問と部長は熱心でしたが、副部長は二人に比べて一歩引いた感じでした。
 ぼくの心は退部と決まっているので、説得に応じるつもりはまったくありませんでした。だからずっと平行線です。
 ぼく一人にばっかり構ってもいられないので、三人は部活に戻りました。ぼくはもう出るつもりはありません。なので家に帰ろうと思いました。
 でもこのまま帰ってもつまらないので、やよ先輩に報告しようと思いました。もしかしたら仕事中かもしれません。そうだったら素直に帰ろうと思いました。

 生徒会室のドアをノックして、返事がしたから開けました。
 中を覗けば十人くらい生徒がいました。みんな揃ってイスにつき、真剣な顔をしていました。急にきたぼくに驚いています。これは完璧に仕事中です。
「翔くん? どうしたの? あ、それじゃあ今日は解散ね」
 やよ先輩の言葉に室内の空気が緩みました。ちょうどお仕事終了だったみたいです。ぼくはちょっと躊躇ってから室内に入りました。ここまで人がいると部外者感が強くて戸惑います。
「いきなりすみません」
「いいよいいよ、私に会い来てくれたんでしょ? 嬉しいよー。あ、ばいばい!」
 ぼくににはっと笑いかけたあと、帰ろうとする役員に手を振るやよ先輩。役員も笑顔で手を振って去っていきます。何人かはその場に残り、駄弁り始めました。陸上部も終わったらこんな感じです。すぐ帰る人と残って駄弁って、先生に見つかって「さっさと帰れ」って怒られる人と。ぼくはもちろんすぐ帰る人でした。
「どしたの? 部活辞めれた?」
 やよ先輩の言葉にぼくは少しだけ肩を落としました。それで判ったのでしょう。やよ先輩は何も言わずぼくの肩を叩き、イスを勧めてくれました。
「一生懸命引き止められます」
「モテモテだね」
 そう言われるとなんだかちょっと恥ずかしくて少しだけうつむいてしまいます。
「それでもぼくは自由に走りたいんです」
 顔を上げてやよ先輩の顔を見ました。それがぼくの中の唯一譲れないことでした。それをやよ先輩にはどうしても判ってもらいたいと思いました。だからぼくは力を込めて言いました。
 するとやよ先輩は微笑みました。
「じゃあ走ったらいいと思うよ!!」
 力強くやよ先輩は言うと立ち上がり、ぼくの手をとりました。ぽかーんとつかまれた手とやよ先輩の顔を交互に見つめました。
「翔くん行こう!」
「は、はい!」
 良く判らないけど、ぼくはやよ先輩に引っ張られ、生徒会室から出ることになりました。

 連れて行かれたのは四階にある理科室でした。
 やよ先輩はノックもせずに入りました。中にいた生徒に笑顔で歓迎されます。驚きつつ、ぼくは頭を下げ自己紹介しました。ここは科学部だそうです。部活動はそんな科学なことはしていないらしく、大体砂糖水をアルコールランプの火にかけて鼈甲飴を作っているそうです。たくさん作ってしまうのでたまに遊びに来るやよ先輩は残飯処理班として歓迎されているそうです。ぼくも同じ理由で歓迎されました。
 飴の形はさまざまで、やる気のない人はただの円形。もっとやる気のない人はアルミホイルで適当に作った形そのままでした。凝っている人は家からクッキーの型抜きを持ってきていて、ハートや星などとさまざまです。もっと凝っている人は型抜きを使ってさらに短い棒がついています。食べやすいです。
 やよ先輩は科学部の部員と軽く話してから科学室を出ました。
「作る量を控えればいいんじゃないでしょうか?」
「間違って砂糖を大量に買っちゃったらしいよ」
「ああ、それじゃあ鼈甲飴にするしかないですね」
「だよねえ」
 二人で棒つき鼈甲飴をなめながら、今度は音楽室に向かいます。音楽室は理科室の近くだからです。
 またノックもしないで入りました。もっとも、吹奏楽部が練習している音楽室なんてノックしたって気づかれません。
 やよ先輩は科学部から貰った鼈甲飴を配ります。ぼくも大量に持っていたので近くにいた生徒にあげました。その生徒がクラスメイトでお互いに驚きました。
 科学部と同じように軽く話をして、音楽室を後にしました。

 次に美術室に行って同じように美術部の部員と軽く話をしました。次に図書室に行って図書委員とまた軽く話して、次は放送委員会に行って。こんな風にぼくは結局やよ先輩と校内の部活すべて見回ることになりました。
 生徒会室に戻ってきた頃には空がオレンジなっていました。夕日が眩しいです。
「いつも部活めぐりしてるんですか?」
「会議が終わって暇になったらやってるよ」
 帰りの支度の手を止めてやよ先輩はぼく見て微笑みました。ぼくは微笑み返します。
「今日は文化系を見たから、明日は体育会系だね」
「ふうん」
「弥生、行くなら行くって言って」
 冷たい声が、ぼくとやよ先輩の会話を無遠慮に断ち切りました。
「うん? 言わなかったっけ?」
「言ったら関係ない私がこんなとこで時間潰してない」
 やよ先輩と話す女子生徒は冷たい声と目で不満をぶちまけます。それにしてはやたらと落ち着いています。
「ごめん。今度は鍵を置いていくよ」
「私に言ってどうするの?」
 その女子生徒は詰まらなさそうに鼻を鳴らしました。

 生徒会室の鍵をかけ、ぼくとやよ先輩は出ました。
 先ほどの女子生徒はやよ先輩の幼馴染だそうです。生徒会には無関係です。ついでに教えてもらいましたが、以前、昼休みにやよ先輩を求めさ迷っているところを助けてくれた方もやよ先輩の幼馴染だそうです。
「どうしてぼくを連れて部活めぐりしたんですか?」
 今になってようやく不思議に思い、理由を聞きました。
「本当は一緒にそこらを走ろうと思ったんだけど、私は翔くんみたいに長距離走るの趣味じゃないし、疲れるの嫌だし、汗臭くなるのはもっと嫌だから、じゃあこのままいつも通り遊びに行っちゃえとなりました」
「なるほど、納得です」
 ただ、それにしちゃまっすぐに科学室に行った気がしますが、たぶん気のせいでしょう。
「明日も行くんですか?」
「暇になったらね」
「一緒に行ってもいいですか?」
 深く考えずにぼくはやよ先輩にこう言っていました。
「うん、いいよ」
 やよ先輩も特に考えることなく軽く返事をくれました。

 明日、ぼくは部活に行かずにやよ先輩と部活めぐりをすることにしました。



[27075] 06
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/05/03 23:04
 やよ先輩との部活めぐりが楽しみでぼくはずっとにこにこしていたそうです。昨日会った吹奏楽部のクラスメイトに「何かいいことあったの?」と聞かれてびっくりしました。どうやらぼくは顔に出るタイプみたいです。
 放課後になってぼくは生徒会室に向かいました。その途中でやよ先輩に会いました。でもやよ先輩はこれから生徒会の会議だそうです。部外者であるぼくは参加できません。しょんぼりしているとやよ先輩は軽く言いました。
「今日は掲示物の説明だからすぐに終わるよ」
 ぼくは廊下で待つことにしました。
 本当にその会議は短く、五分もありませんでした。すぐにやよ先輩が出てきました。片手に丸めたポスターを数枚持っていました。
「これをね、張りに回るんだ、一緒に行こう」
 ぼくはうなずきました。
「カバンは生徒会室に置いていいよ」
 その言葉に従い、カバンを置かせてもらいました。やよ先輩は残った生徒会役員に行ってくると告げるとぼくを見て行こうとうなずきました。
「ポスターぼくが持ちますよ」
「じゃあ半分こ」
 ぼくたちはポスターを分け持って校内を歩き始めました。

 ポスターの内容は「老人ホームのボランティア募集!」とか「いじめはよくない!」という内容で、生徒の手で作られたものではなく、学校が勝手に貰ったものでした。それを各階の掲示板に張っていきます。この作業は手間もかからないし、そんなに時間はかかりませんでした。
「さて、じゃあ部活めぐりでもしよう」
「はい」
 画鋲の入ったケースをがちゃがちゃと振ってから、やよ先輩はポケットにしまいました。

 体育館に行ってバスケ部とバレー部とバドミントン部を見ました。三つとも試合ではなく、筋トレをしていました。腕立て伏せに腹筋運動その他もろもろ。やよ先輩は顧問の先生と話し、部員と軽く話します。ぼくもバスケ部にクラスメイトを見つけたので軽く話します。何故生徒会長と一緒に着たのかと聞かれました。ぼくの返事は「昨日約束したから」です。クラスメイトは良く判らないと言いた気に首を傾げました。
 程なくしてやよ先輩がぼくのところへ戻ってきました。
「バスケ部はゴールが古くて危険と」
 メモ帳に書いています。生徒会長はこういうことも仕事なんだ、と感動しました。
「じゃ、用務員のおじさんのところに行こうか」
 うなずいて後についていきます。
「生徒会長の仕事ってこんなこともやるんですね」
 感心したように言うとやよ先輩は笑って否定しました。
「ううん、これは顧問が用務員さんに言えばすむことだよ。たまたま私がいたから頼まれただけで、会長とか関係ないよー」
 軽く笑って言いました。
「じゃあどうしてわざわざ?」
「んーどうしてって言われると困る。なんとなく?」
 疑問系で答えられてもこちらが困ります。
「いいじゃん、私人と話すの楽しいし好きだよ」
 また明るく笑うとやよ先輩は用務員室に向かって元気よく歩き出しました。

 用務員さんにバスケ部の伝言をした後、グラウンドに出ました。
 すぐに陸上部の部員に見つかりました。ぼくが退部したいという話はすでに全員が知っているようです。理由を知らない人もいたので何人かに声をかけられました。ぼくは素直に「短距離が嫌だから」と答えました。大体の反応が「……それだけで?」でした。充分すぎる理由だと思います。
 そうこうしているうちに顧問の先生がやってきました。また引き止めです。少しうんざりしました。
 こうやって何度も引き止めてくれるのは嬉しいですが、ぼくは自由でいたいんです。だから説得には応じません。相変わらず話は平行線です。見かねたのかやよ先輩が口を挟みました。
「本人がいやだって言ってるんだから辞めさせてあげてくださいよ。無理して続けたって楽しくないですし」
 でも顧問は納得してくれません。ぼくの可能性とか、将来とかを語り引き止めます。……顧問がこんなにしつこい人とは知りませんでした。
 これ以上話をしても無駄だと思いました。それはやよ先輩も同じだったらしく、適当に話を切り上げてぼくの手を引きました。顧問に何かを言われる前に「今、翔くんに生徒会のお仕事手伝ってもらってます」と言ってここを去る理由を作ってくれました。感謝です。
「どうしてあんなに引き止めるんだろうね? うちの中学って別に生徒全員強制部活制度なんてないのに」
 十年位前には生徒全員が部活に入らなくてはならないという規則があったそうです。でも今はそんなものありません。時代の流れでしょうか。
「本当ですよ。まったく訳が判りません」
「ね?」
 ぼくらはうなずき合うと、そのまま手をつないだまま生徒会室に帰りました。
 その日はこれ以上部活めぐりをするような気分にはなれませんでした。



[27075] 07
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/06/02 11:38
 次の日、ぼくはやよ先輩に会わずにさっさと家に帰りました。とても天気がよくて良いジョギング日和だと思ったからです。何より今日は教育委員会だとか何とかで午前授業だったのです。
 カバンを自室において、動きやすい服に着替えて外に出ました。
 ぼくは青空が好きです。見ているだけで気分がよくなるからです。
 ぼくは家の前で軽く柔軟体操をしてから走り始めました。

 自分のペースでのんびり走ります。場所は出来れば自然公園みたいにジョギングコースがあるところがいいです。でこぼこ道は走りにくいから嫌いです。青空は好きですが、長時間いると日に当たりすぎて暑くなります。それは嫌です。あ、帽子をかぶってくればよかったのか。うかつです。ちょっとだけ落ち込みましたが、すぐに気を取り直して走ります。
 十分くらい走っていると河川敷に着きました。ここにはジョギングコースがあるので休みの日によく走りに来ています。平日に来るのは初めてかもしれません。ぼくは少し嬉しくなってジョギングコースに向かいました。
 自動販売機でスポーツドリンクを買ってそれを飲み干します。それから少し休憩してからまた走り始めます。天気がよくて、川からの風が吹いて気持ちいいです。ぼくはこうやって自由に走っていたいです。タイムなんてどうでもいい。ぼくはぼくのペースで走っていたいです。
 幸せを実感しながら走っていると、後ろから自転車のベルが鳴る音が聞こえました。ぼくは道の端に移動しました。でもここはジョギングコースであってサイクリングコースではありません。ちょっとむっとしたので、抜かれるときに顔を見てやろうと思いました。
 自転車に乗っている人の顔を見ました。女の人でした。同い年くらいで、麦藁帽子をかぶっています。長い髪をなびかせています。その人はぼくを見ました。ぼくもその人も驚きました。
「翔くんだ!」
「やよ先輩!?」
 ぼくの三メートルくらい前で自転車が止まり、やよ先輩がびっくりして振り返ってぼくを見ました。ぼくも驚いて立ち止まってしまいました。でもすぐにやよ先輩の下へと走っていきました。
「わ、ホントに翔くんだ! 偶然だね」
「はい、やよ先輩。ここジョギングコースでサイクリングコースじゃないですよ」
「……? ここただの道じゃないの?」
 首をかしげるやよ先輩。そこにのんびりこちらへ歩いてくるおじいさんがいたので二人で道を空けました。川が近くなって風が少し強くなりました。すごく気持ちがいい。やよ先輩は自転車をとめて、芝生に腰掛けました。隣を手でぽんぽん叩いているのでぼくはその隣に腰掛けました。
「風が気持ちいいねー」
「はい」
 二人でほけーと川を眺めました。やよ先輩も午前授業だからさっさと帰ったみたいです。でもどうしてここにいるんでしょうか?
「ジョギングコースか。サイクリングコースじゃないんだ。私は近道だから通ったんだけどね」
「へー、どこに行くんですか?」
「うん、向こうにペットショップあるでしょ? そこにね、行こうと思って」
「犬か猫を買うんですか?」
「ううん、伯母さんから子犬一匹貰うんだー。それでね、いるもの見に行くの」
「買うんじゃないんですか?」
「それは親がいるときにね。下見というか、もうわくわくしちゃって」
 そういってやよ先輩は嬉しそうに微笑みます。言葉で表すと「にはには」という感じです。
「へえ、いいですね。うちは母親が犬も猫も苦手なのでペット禁止なんです」
「それはそれは」
 ご愁傷様です、と続きそうな神妙な口調でやよ先輩は言いました。
「翔くんは犬猫好きなの?」
「可愛い動物は何でも好きです。ヒヨコも好きですけど、鶏になられるとちょっと……って思いますね」
「ああ、判る、食べたくなるもんね」
「ええ、鶏の末路はそれですよね」
 川の流れを見つめ、風を受ける。横を見ればやよ先輩の長い髪が風を受けてなびいていました。いつもやよ先輩は長い髪を無造作に一本にまとめています。下ろさないのは校則違反だからです。きっと生徒会長が先頭切って校則違反するわけにいかないからでしょう。
「翔くんは本当に走るのが好きなんだね。学校の外で見ると、お、こりゃマジだぜって思ったもん」
「嘘なんかついてません」
 口を尖らせてそういうとやよ先輩はぱたぱたと手を振って立ち上がりました。
「嘘なんて思ってないよ。実際見るとやっぱそうなんだって納得したって言うか確信したって言うか」
 なんとなく言わんとすることは判ります。
「好きなんだねー」
 呆れた風にじゃなくて寒心した風にやよ先輩は言って微笑みました。この人は本当によく笑う人だなと思いました。
「ほいじゃあおねいちゃんはとっとと行くよ」
「下のきょうだいがいるんですか?」
「宇宙一可愛い妹がいるよ!!」
 やよ先輩は幸せではにゃーんと緩んだ顔を見せてから、ぼくに「いぇい♪」と言ってガッツポーズをとりました。そして自転車に乗って去っていきました。去り際に大きく手を振ってくれたので、ぼくも大きく手を振り替えしました。
「ジョギングコースなのに」
 やよ先輩が走り去った道はやはりジョギングコースです。まあいいかとぼくは立ち上がり、再び走り始めました。ジョギング再開です。楽しいです。幸せです。
 五分ほど走った頃に気づきました。
 やよ先輩の私服を見たのは初めてでした。
 水色と白のストライプの半そでのTシャツに水色のキュロットスカートを穿いていました。制服姿とまた違って可愛かったです。やよ先輩は水色が好きなんでしょうか? たまたまなのかな?
 そんなことを考えながら走っていると、くらくらしてきました。汗もだらだらです。喉もからからです。足もふらふらして視界も歪んできました。
 気がついたときにはぼくは病院にいて、お医者さんとお母さんに「日射病で倒れた」と教えてもらいました。やはり帽子を被っていくべきでした。
 家に帰る車の中で、ぼくはお母さんにめちゃくちゃ怒られました。ちょっと反省です。



[27075] 08
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/06/26 23:17
 陸上部を退部するためにぼくは考えました。しかしこれといった案はなく、仕方なしに担任の先生に相談してみました。昼休みだと時間が足りなさそうなので放課後に行きました。
 担任の先生はちゃんとぼくの話を聞いてくれました。そして顧問から返された退部届けを受け取って、話をしてみると言ってくれました。安心するのはまだ早いですが、ほっとしました。
 さて、どうしようかなと思っていると、前方に見覚えのある女子生徒がいました。やよ先輩でした。武士みたいに細い棒をくわえています。たぶん鼈甲飴です。
「こんにちは、やよ先輩」
「やあ翔くんこんにちは、よく会うね」
「はい」
 やよ先輩はポケットに手を入れ、鼈甲飴を取り出しました。
「あーん」
 そう言われたら口を開けるしかありません。
「あーん」
 ぼくの口の中に平べったい鼈甲飴が入れられました。口の中で転がすと、甘さがじわーっと広がっていきます。おいしいです。
「退部できるよう、担任の先生に相談したら、話をしてくれると言ってくれました」
「へえ、良かったね」
「良かったです」
 にはにはと二人で笑い合います。
「やよ先輩はこれから部活めぐりですか?」
「そうだねー、今日は野球部の顧問がいないから、バントの練習に混ぜてもらうのだ」
「楽しそうですね」
「じゃあ一緒に行こう」
 やよ先輩はぼくに向かって手を差し出しました。ぼくはその手を取ると昇降口に向かって歩きました。


 野球部のいるグラウンドに到着するとやよ先輩はまず部室であるプレハブ小屋に自分のカバンを置きました。生徒会室に戻るつもりはないようです。ぼくも置かせてもらいました。
 ぼくも参加したいと言うと快く受け入れてくれました。うちの野球部は明るく楽しく、がモットーで勝敗には興味がないそうです。やよ先輩は「弱者のいい訳だ」と言っていました。でもぼくにはそのスタイルがとても心地よく感じました。
「翔くんはそのカッコでやるの?」
「はい、ジャージ持ってませんから」
「そう、私は着替えるよ」
 ぼくは慌てて部室から出て行きました。

 ジャージに着替えたやよ先輩と野球部の練習に参加しました。
 バントの練習と聞いていましたが、やよ先輩はバスターばっかりやっていました。十回くらいしましたが成功したのは一回です。ぼくは盗塁の練習をしました。タイミングを取るのが難しく、何度もアウトになってしまいました。何度もスライディングをしたので靴もズボンも泥だらけです。でも楽しいからいいです。
 練習を堪能したあと、五回までの紅白戦を観戦しました。観戦中のやよ先輩はとても口が悪かったです。
 0-0の引き分けを見届けた後、ぼくたちは帰路に着きました。
 制服の泥は大体落としましたが、家に帰ってお母さんに怒られました。洗うのはお母さんなので怒りはもっともです。
「誰が洗濯すると思ってるの!?」
「お母さんです。でも野球の練習は楽しかったです」
「なに小学生の読書感想文みたいなことを言っているの!?」
「嘘じゃないです」
「馬鹿たれ!!」
 こちらとしては被害を少なくしたつもりでしたが、それは判ってもらえませんでした。
 洗濯した制服は幸い、一晩で乾きました。



[27075] 09
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/07/10 01:40
 陸上部を辞めることが出来ないまま、文化祭の時期になりました。
 中学校の文化祭は小学校とは違い、そこそこ生徒の自主性にゆだねられています。でも、基本は同じです。本番よりも、準備期間のほうが楽しい、です。
 ぼくはクラス展示の手伝いをする合間に生徒会室に行って、やよ先輩のお手伝いをしていました。こっちのほうが楽しかったです。こうやって何回も生徒会室に顔を出していると、役員の人たちに顔を覚えられ、やよ先輩がいなくとも仕事をくれるようになりました。たまにぼくはここに何をしに着たんだろうと思いますが、楽しいので問題ありません。

 文化祭当日は友達と校内を回りました。真面目なテーマを取り扱ったクラス展示は案の定人気がありません。ぼくのクラスもそれだったので、受付の女子が暇そうにぼーっとしていました。暇なら放っておいて出かけてもよさそうですが、展示物を壊されたら困るので、一応いなくちゃいけないみたいです。ぼくの担当時間も人が五人くらいしか来なくて暇でした。
 人気があるのはアイドル特集を組んだクラスでした。他校の生徒が喜んでいるのを見かけました。しかしぼくたちは興味がないので部活発表のほうへと行きました。

 クラス展示のほかにクラス発表があります。簡単に言えばステージ発表です。ぼくのクラスは無難に劇をやりました。一年生はみんなそういうので、二年生はちょっとおちゃらけた劇が多かったです。三年生となると、最後なんだからということなのか、ダンスをしたりバンドを組んで歌を歌っていました。ダンスはともかく歌は酷かったです。
 クラス発表のほかに生徒会発表と言うものもあります。文字通り、生徒会役員が何かをします。何をやるのか何回かやよ先輩に聞きましたが、教えてくれませんでした。当日のお楽しみということでしょう。
 その、生徒会発表。
 これは伝説になりました。
 はっきり言って酷いです。
 内容は単純です。やよ先輩が一人で歌を歌いました。たぶん、流行歌です。
 すごかったです。
 ものすごい音痴なんです。メロディが完璧に破壊され、誰もが知っている歌なのに誰もが知らない歌と化していました。
 耳をふさぐ生徒が多数、やめろと懇願する元気のある生徒が少数(でもやよ先輩は最後まで歌いきった)。貧血気味だった二人の生徒が保健室に運ばれました。
 何故他の生徒会役員は止めなかったのでしょうか。後日それをたずねると副会長が辛そうに顔を歪め教えてくれました。
「止まらなかったんだ」
 練習中のやよ先輩を見て、役員全員で止めたそうです。それでも止まらなかったようです。曲そのものを止めようと思ったそうですが、それならそれで構わず歌いきるだろう、ならせめて伴奏くらいあったほうがという苦渋の決断をして当日は決行したそうです。迷惑です。
 このやよ先輩の暴走に、平気だった人が二人いました。幼馴染の二人です。二人とも耳栓をして時が過ぎるのを待っていたそうです。
 生徒会役員の何人かも同じく耳栓をしようとしたのですが、それは何も知らない生徒たちへ申し訳なくて出来なかったそうです。責任ある言葉に感動したというより、同情しました。
 当のやよ先輩は実に清々しい笑顔でした。
「いやあ、大声出すのってすっきりしていいね!! あー楽しかった」
 楽しかったのはやよ先輩だけです。そう言いたかったけど、その笑顔を見たらそんなことを言う気が失せました。
 なんだかんだ言って、初めての文化祭は楽しかったです。



[27075] 10
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/07/27 01:22
 ぼくが陸上部に行かなくなってから結構経ちました。でもぼくはまだ陸上部に所属しています。退部届けが受理されていないからです。
 担任の先生は陸上部の顧問の先生と何回か話をしてくれたそうですが、顧問の先生は納得してくれませんでした。だからぼくと担任の先生と陸上部の顧問の先生と話すことになりました。
 時間は放課後。部活の時間です。顧問の先生は部に行きたいでしょうに。少し申し訳ないです。
 三人でじっくり話し合いました。担任の先生は「本人がやる気がないのだから辞めさせてあげたらどうですか?」という意見なのでぼくの味方でした。顧問の先生はそれを固辞します。そこまで頑なになるのが不思議で聞いてみました。
 顧問の先生は、ぼくの走りに才能を感じたと言いました。今はまだ良い結果を残せていないが、将来はきっと良い選手になれる素質を持っていると。だから辞めずに続けてほしいと。
 それを聞いたらさすがに困りました。というか、先に嬉しいと思いました。才能があるって言われたらやっぱり嬉しいです。少しやる気も出てきます。
 でも、とぼくは急いで冷静になります。
 顧問の先生の言葉は嬉しいです。しかしそれはあくまで顧問の先生の目から見たものであって、別にプロの選手やトレーナーから言われたわけではありません。……それでも嬉しいですけど。顧問の先生は体育の先生で、他の先生よりはそういう目が肥えているとは思います。それでもやっぱり素人です。
 少し気持ちが揺れましたが、はっきりとぼくは言いました。
「先生の言葉は嬉しいですが、やっぱりぼくは辞めたいです」
 ぼくの結論は変わりません。この前、河川敷を倒れるまで走って判りました。ぼくはただ走っているのが好きだと。タイムを計ったり誰かと競ったりするのが苦痛だと。
 それを正直に顧問の先生に話しました。ぼくの固い意思を感じ取ってくれた担任の先生も口添えしてくれました。すると顧問の先生はしゅんと肩を落として「だめか……」とつぶやきました。悪いことをしている気分になりました。でも、それでもぼくは自分の意思を貫き通しました。
 数十秒の沈黙の後、顧問の先生は諦めたようにため息をつき、肩の力を抜きました。小さく笑ってぼくに「しつこく言ってすまなかった」と頭を下げてくれました。判ってもらえたようです。でも「せめて二学期が終わるまで名前だけは置いておいてくれ」と頼まれました。理由を聞くと、もうすぐ二学期も終わるし、何より細かい事務手続きが苦手だからだということでした。そういうことは長い休みのときにまとめてやってしまいたいとのこと。簡単なことかと思っていましたが、先生からすると案外そうでもないようです。……面倒なだけじゃないでしょうか?
 少し疑問に思いましたが、ぼくはうなずき、それで話は終わりました。
 担任の先生にお礼を言い、顧問の先生にはお世話になりましたと頭を下げました。
 それからぼくは生徒会室に向かいました。やよ先輩に報告するためです。仕事中だったらやっぱり諦めて帰ります。
 やよ先輩に会う。そう思っただけでなんだか嬉しくなりました。
「わ、翔くん、嬉しそうだね」
 気持ちが顔に出ていたみたいです。それをいきなり指摘されました。急な声にびっくりしてぼくは声の主をまじまじと見詰めました。
 やよ先輩でした。なにやら物がたくさん入ったダンボールを抱えています。
「やよ先輩! すごいです、会いに行こうと思ってたんですよ」
「ええ、そうなの? いやあ、嬉しいなあ」
 ぼくの言葉にやよ先輩はにこにこと微笑むと身体を揺さぶりました。ダンボールの中のものがガチャガチャと音を立ててちょっと怖いです。音からしてこれはガラスでしょうか。
「ん? これ?」
 ぼくの視線に気づいたやよ先輩はダンボールの中身を見せてくれました。そこには少し欠けたビーカーや試験管、それと名前の判らない理科室にありそうな実験道具がありました。
「理科の先生にばったり会って、暇ならこれを捨ててきてくれって頼まれたのだ」
「やよ先輩は雑用ですか?」
「あはは、そうかもね。でも暇だからいいんだよ」
 やよ先輩は先生の使いっ走りにされてもまったく気分を害しないようです。よっぽど暇だったのか、それともお人好しか。きっとやよ先輩なら後者だと思います。
「でも重そうですね、ぼくが持ちますよ」
「へ? いいよ、頼まれたの私だよ?」
「でも重いでしょう?」
「うん」
「じゃあぼくが持ちます」
「重いけど、持てるから大丈夫だよ」
「じゃあ半分持ちますよ」
 妥協案を出してみました。やよ先輩は少し考えた後、ダンボールを床に置きました。
「じゃあ、翔くんはそっちを持って」
 採用されました。嬉しいです。
 やよ先輩の指示に従い、二人でダンボールを持ちました。二人で持っているからそんなではないですが、結構重いです。女子一人に持たす量じゃないです。
「じゃあ足元に気をつけてね」
「はい」
 ぼくたちは気をつけながらゴミ捨て場へと運びました。
 適当に分別するともと来た道を戻ります。その途中で言いました。
「ぼく、退部できそうです」
「へえ、良かったね!」
 やよ先輩は言葉少なく、でもぴょんぴょんと飛び跳ねて自分のことのように喜んでくれました。
「でも事務手続きが面倒なので二学期が終わるまでは陸上部です」
「そっか、もうちょっとだもんね」
 文化祭が終わり、あとは二学期最後の試験を終えれば冬休みです。
「冬休みは何をするんですか?」
「だらだら遊んで最後の三日で宿題を泣きながらやっていると思う」
「判っているならコツコツやればいいと思います」
「放っておいてほしいんだよう」
 人には向き不向きがありますが、やよ先輩はコツコツという作業が苦手みたいです。
「翔くんは? やっぱり走るの?」
「そうですね……早朝ジョギングに挑戦したいです」
「何で朝?」
「やったことないからです」
「好奇心が旺盛なんだね」
 そうかな? と首を傾げました。やよ先輩の言うことはちょっと不思議です。
 その後もだらだらと会話を続け、十七時になったので帰りました。
 やっぱりやよ先輩とお話するのは楽しいです。



[27075] 11
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/07/28 12:04
 早朝ジョギングのことを親に話すと「それなら新聞配達でもしたら? 今、バイトを探してるらしいよ」と言われました。これなら早く起きれるし、ジョギングも出来る。しかもお金になる。いい案です。
 ぼくは納得して翌日学校側に許可を求めました。中学生が出来る唯一のバイトと言ってもいいのがこの新聞配達です。ですが、学校の生活で精一杯なのか、やっている人は見たことがありません。友達と一度バイトの話をしたことがありますが、決まって「高校生になったらやるかな」でした。高校生だと出来る種類も増えますからね。
 話を戻します。許可は簡単に貰えました。家庭の事情がないとだめかなと思っていたので拍子抜けです。でもこれで第一関門突破です。第二関門はもちろん、面接です。母の知り合いが配達員をやっているそうなのでそこから話をつけてもらいます。コネがあるならば使うべきです。これは就職活動をしている従兄弟の言葉です。肖ります。
 バイトをするかもとよく遊ぶ友達(クラスメイトでもあります)に伝えると理由を聞かれました。隠すことでもないので正直に「朝からジョギング出来て、お金ももらえるから」と言ったら「お前らしいな」と笑われました。「バイト代楽しみにしている」とも言われましたが、冗談なので気にしていません。続けて「生徒会長に言わなくていいのか?」と聞かれたので「もちろん言うよ」と答えると友達はにやにやと気味の悪い笑顔を浮かべました。不思議というより不気味です。
「仲がよろしいですなあ~」とどこかカチンとくる口調で言われました。少し腹が立ちましたが、ぼくとやよ先輩は他の先輩に比べたら仲が良いことは事実なので反論しませんでした。その事実が嬉しくて自然と頬が緩みました。「鳴海くん、嬉しそうだね」とぼくと友達の会話を聞いていた女子が少し呆れた笑顔で言いました。ぼくはその指摘に笑顔でうなずきました。
 ぼくとやよ先輩が仲良し。それだけでぼくは嬉しいんです。


 ゆっくり話したかったので昼休みではなく放課後に生徒会室に向かいました。もちろんやよ先輩に報告するためです。
 掃除当番もなく、まっすぐに来たので会議があってもその前に会うことが出来ます。会議だった場合はそこいらを散歩しながら時間を潰すつもりです。
「しょーーーーーーーーーーくーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」
 やよ先輩しか呼ばないぼくのあだ名が聞こえたと思ったら、背中にどん! と衝撃がきました。次に重みがきて、そのまま前に倒れそうになりましたが、踏ん張って耐えます。
「やよ先輩」
「やあやあ翔くんやっほー!」
 振り返ればやよ先輩がぼくの背中に張り付いてました。嬉しそうににこにこ微笑んでます。
「嬉しそうですね、何かいいことあったんですか?」
 大声を上げてぼくに抱きついたやよ先輩は当然ながら注目を浴びていました。すぐそばにいるぼくも見られています。でもぼくはこんなに近くにいるやよ先輩が新鮮で、何より嬉しくて、他の事なんてどうでも良いと思いました。
「うん、翔くんに会いたいなって思ったら翔くんがいたの」
「――!」
 至近距離からのやよ先輩の言葉よりも、その口からこぼれる息が耳をくすぐります。
「くすぐったいです」
「んー? 翔くん耳が弱いんだね」
 言うや否や、やよ先輩はぼくの耳に暖かい息を吹きかけます。
「わあああ」
 くすぐったくて仕方ありません。背筋がぞくぞくして身震いします。しかし暴れたらやよ先輩が離れてしまうのでぐっと我慢です。
「はははっはっはっ。翔くん面白い!」
 ぼくはそれどころじゃありません。
 周囲から好奇やなんやらの視線を感じますが、やよ先輩はまったく気にしていません。ぼくはやよ先輩からの攻撃(?)から耐えるのに精一杯でそれどころじゃありません。
 そんなことを五分くらいしていると、生徒会役員の人がやってきて止めてくれました。「公衆の面前でなにイチャついてやがる」と吐き捨てられました。びっくりです。少なくともぼくにはそんなつもりはこれっぽっちもなかったからです。
 同じように驚いたやよ先輩を見て、同じ考えなんだと安心しました。

「やよ先輩はぼくを探していたんですか?」
「へ? ああ!! そうそうそうそうそう! そーなの」
 やよ先輩は懐から二枚の紙切れを出しました。
「映画の割引券を貰ったのだ。翔くん一緒に行かない?」
「へー。何の映画ですか?」
 少し驚きつつ重要なことを聞きます。
「んとね」
 聞いたことのないタイトルでした。やよ先輩いわく「最近の話題作」らしいです。よく考えたらぼくはテレビをそんなに見ないので知らないのは当然かもしれません。
「どう?」
「はい、観ます」
「じゃあ、土曜日に行こうか」
「はい」
 ぼくたちは軽く約束すると、連絡のために携帯電話のアドレス交換をしました。
 やよ先輩のアドレスゲットです。
 ……あ、バイトを始めることを報告し忘れました。



[27075] 12
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/07/29 19:59
 約束の土曜日。約束の時間は十時で場所は駅前。映画の時間は十時半。駅前は人通りが多いので、色々な店が集まります。映画館だってその一つです。
 ぼくは約束の場所――駅前にある変なオブジェ前――に時間ぴったりにつくように家を出ました。ぼくは五分前行動ということはしません。理由は特にありません。
 携帯電話で時間を確認すると十時二十八分。二分早く来てしまったようです。
「翔くーん!!」
 大きな声で名前を呼ばれました。声の主は視線を動かせばすぐに見つかりました。当然ながらやよ先輩です。大声にやよ先輩の近くにいた人がぎょっとしていました。
 今は冬なのに黒いミニスカートをはいています。膝上十センチ以上です。寒そうです。ハイソックスの色も黒。上の服はコートを羽織っているので判りません。コートの色は白です。長い髪は下ろしていて、冬用の布の厚い帽子をかぶっています。そういえば前に外で会ったときもやよ先輩は帽子をかぶっていました。あの時は夏らしく麦藁帽子でした。それと小さなカバンを背負っています。色は薄い茶色です。
「おはようございます」
「おはよう翔くん」
 とことことぼくの元に走ってくるやよ先輩。
「待ったかな」
「いいえ、今来たところです」
 二分は待ったうちに入らないのでこの返答は間違ってはいません。
「そっかそっか。ほいじゃ、見に行こう」
「はい」
 ぼくたちは並んで近くにある映画館へと歩きました。

 映画が始まる前に飲み物とポップコーンを買いました。やよ先輩いわく「ポップコーンを食べないと映画を見た気になれない」とのことです。それに対し、ぼくは「パンフを買わないと映画を見た気にはなれません」と返しました。やよ先輩は納得してくれました。
 二人でポップコーンを食べながら上映までの時間を潰します。そこでぼくは先日言い忘れたバイトを始めたことを報告しました。
 始める、じゃなくて、始めた。
 ぼくはあっさりとバイト少年になれました。面接は形だけで、すぐに仕事を教えてもらいました。もっとも教えてもらったことは配る家についてです。
「へええ、朝に走れてお金も貰えて一石二鳥だね」
「はい」
「最初のバイト代は、お母さんになんか買ってあげるんだよ」
 その言葉にぼくはきょとんとしました。
「どうしてですか?」
「だってお母さんが紹介してくれたんでしょ? それに翔くんが頑張ったお金で買ったものだよー? お母さんめちゃくちゃ嬉しいよ」
「そういうもんですか?」
「そういうもんらしいよ。友達のイトコがね、それやってお母さんを泣かしたのだ」
「なるほど」
 特に考えていなかったバイト代の使い道が見つかりました。最初の一回限りですが。なにがいいでしょうか。でもまだ給料日までたっぷりあるのでゆっくりのんびり考えることにしました。
「ところでやよ先輩、帽子はとったほうが見やすいですよ」
「へ?」
 ぼくの指摘にきょとんとして、ああと言ってから野球帽をはずしました。かぶっていたことをすっかり忘れていたようです。

 映画は約二時間。終了すればちょうどお昼時です。ぼくたちは込み合うファーストフード店に入りました。ぼくが席を確保し、やよ先輩が注文してきます。もっと空いている店が良かったのですが、時間とお金の関係で中高生があふれるこの店となりました。
 やよ先輩が買ってきたのはセットメニューです。ちゃんと二つとも違う種類でした。
 映画の感想を言い合いながらお昼ご飯です。
「ところで、どうしてぼくを誘ったんですか?」
 今気づいたことをたずねました。後輩というより顔見知りのぼくよりももっと近しい人を誘うのが普通です。クラスメイトの友達や、幼馴染さんが二人もいます。
「馬鹿じゃないのって言われたんだよねー」
 一人目の幼馴染さんに冷たくそういわれたそうです。返事としておかしいと思います。
「ああ、えっとね、『あとでもっと安く見れるようになるのになんで高い金出して見なくちゃいけないのよ。馬鹿じゃないの?』という意味なんだー」
 言葉をはしょりすぎです。でもちょっと理解出来るので言い返せません。
「あとはね、『暗いところは危険だ』って」
 これはもう一人の、背の高い男の人の幼馴染さんの断り文句だそうです。
「暗所恐怖症じゃないんですか?」
「認めてくれないんだよー」
 自分の弱さを認めたくないのでしょうか。
「それでね、他に誰がいいかなって考えたら翔くんの顔が浮かんできたの」
「へー」
 やよ先輩にとってぼくは幼馴染さん二人に次ぐ位置、なのでしょうか。だったらとっても嬉しいです。
「翔くんがうなずいてくれて良かったよ」
 はにかむやよ先輩は無邪気です。
「そんなに見たい映画だったんですか?」
「ううん。うーんとね? なんてかね、翔くんとお話するの私、楽しいんだ」
「――」
 予想していなかった言葉にぼくは目を丸くしました。
「いや、楽しい……楽しいもあるけど、何て言うのかなー、落ち着くってか、癒されるっていうか……よく判んないけど、一緒にいて心地いいの。ああ、これだ、翔くんのそばは居心地がいいの」
「…………」
 言葉の意味を時間をかけてかみ締めました。
 嬉しい。
 嬉しい。
 やよ先輩の言葉が、胸にじーんと沁みこんでいきます。
「嬉しいです」
 だからぼくは素直にそう言いました。でもなんだか少し恥ずかしくなって、頭を掻きながらやよ先輩の視線から逃げます。
「ぼくもやよ先輩とお話するの、楽しくて好きです。先輩のそばにいると幸せです」
 それでもぼくは正直に言いました。ぼくの嘘偽りのない言葉にやよ先輩は嬉しそうに笑ってくれました。
 そうしたら、隣の席の高校生らしき男子が飲んでいたジュースを噴出しました。ぼくとやよ先輩は顔を見合わせ、何事かと首を傾げました。



[27075] 13
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/07/30 10:31
 映画を一緒に見たその日、たくさんお話をしました。学校のこと、趣味のこと、家族のこと、色々なこと。
 やよ先輩は十歳も離れた妹さんがいて、とても可愛がっているのですが、最近は犬にかかりきりで「お姉ちゃんに構ってくれない」としゅんとしていました。たくさん妹さんの可愛さについて語ってくれました。口を挟むことなんて出来ません。相槌を打つことしか出来ませんでした。これが噂に聞くシスコンかと思いました。

 冬休みに入る前にまた少しでいいからお話をしたかったのですが、なかなか時間が作れず、叶いませんでした。廊下ですれ違って一言二言くらいなら何回かあったのですが、満足できません。ぼくはもっと長く話したいのです。
 バイトに行くために朝起きるのがちょっと辛いこととか、バイトの朝、必ずお母さんが作ってくれたおにぎりがあってすごく嬉しいとか、そういうことを話したいです。
 でもぼくの願いは叶わず、冬休みに入ってしまいました。

 雨の日の午後、ぼくは自室のベッドの上で読書をしていました。雨が屋根を叩く音が心地よいです。そんな空気を引き裂くようにぴぴぴ! と携帯電話が鳴りました。設定が面倒だったので、音は初期設定のままです。
 音が短いのはメールです。誰からかな? とメールを開くとクラスメイトの友達でした。内容は、年が明ける前に一回遊ぼう、でした。
「あ」
 今気づきました。やよ先輩の携帯電話のアドレスを知っているなら、それで連絡を取れば良かったと。何で今まで気づかなかったんだろう。
 友達に都合の良い日を書いたメールを送った後、やよ先輩に送るべく、メールを作成し始めました。
「……えーと」
 でも、何て書いたらいいのかさっぱり判りません。
「お久しぶりです。鳴海翔太です……あ、メールが来た時点でぼくって判るか……えっとじゃあ……」
 ぶつぶつと独り言を言いながら文章を考えます。

 お久しぶりです。
 元気ですか? ぼくはバイトも慣れてきました。
 最近は寒いですね。さすが冬ですね。
 ところで、都合がよければ遊びませんか?

「…………」
 なんだか変な文章な気がする……。
「うーん」
 しばらく携帯電話とにらめっこしながら文章を考えましたが、なかなかうまくいきませんでした。悩んでいると母親の大声が響き、夕食の時間と気づきました。
 ぼくは携帯電話を置いて居間に向かいました。


 翌日、ぼくは友達の家に遊びに行きました。昨日メールをくれた友達の家です。
 やよ先輩に送るメールについて相談しました。両親に相談しようかと思ったのですが、それはちょっと親に話すことじゃないと思い直しました。
 相談した友達は最初、ぽかーんとして、次に顔を引きつらせました。しばし沈黙した後、「とりあえず狩ろうぜ!」と元気よく言ったので、ぼくはうなずき、携帯ゲーム機を取り出し、起動しました。
 共に狩りをすること数時間。日が暮れて晩御飯の時間に迫ってきました。ぼくは時計を見て「もう帰らなくちゃ」と友達に告げました。友達もそうだなとうなずき、玄関まで見送ってくれます。今日の成果を二人で熱く語ります。満足出来る狩りでした。
「会長に送るメールだけどさ」
「うん」
 急に話が飛んで驚きました。ぼくはすっかり忘れていたのに、彼は覚えていてくれたようです。感謝です。
「俺や他の友達と同じようなメールでいいんじゃないの?」
「そうかな」
「そうだよ、先輩ったって友達だろ? 要するに年上の友達だろ?」
「でも女の子だよ」
「お前、女子にだって同じようなメール送ってるだろ……」
 女子だからって別にぼくはメールの文面を変えたりはしません。友達の指摘はもっともでした。
「そうだね」
「だろ?」
 納得できますが、何でだろう、どこか納得できません。首を傾げていると友達がにやにやしていました。そんな顔をされることをぼくは言ったのでしょうか? それともそんな表情をしていたとか? 今度は逆方向に首を傾げました。
 問い詰めようと思いましたが、時間もないし、なんとなくですが、話してくれそうもないと思ったので帰ることにしました。



[27075] 14
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/01 22:43
 年が明け、いつも通りのお正月が過ぎ、何事もなく新学期となりました。
 結局ぼくはやよ先輩にメールを送れず、ぐだぐだと冬休みを過ごすことになりました。一番無意味な冬休みだと思いました。
 ですが、新学期です。学校に行けるということはやよ先輩に会える確率がぐんと上がります。ぼくは気合を入れて登校しました。


 からっと晴れた寒空の下で、ぼくはマフラーに顔を埋め、歩いています。マフラーからこぼれる息が真っ白です。
 てくてく歩いていくと、途中で友達に会いました。クラスメイトで狩り仲間です。軽い挨拶をし、狩りについての話し合いをします。
 学校の敷地内に入ってからはやよ先輩の姿を探しました。うーん、いません。今まで見たこともなかったのだから、そもそも登校時間が違うのでしょう。
 ふと視線を感じました。隣りにいる友達です。にやにやしています。最近こんな顔ばっかり見ています。どういうことでしょうか? でも聞いても答えてくれなさそうなので、聞きませんでした。

 始業式が終わり、HRの後は授業もなく、そのまま終わりです。午前で学校が終わるのはいつもだったら嬉しいですが、それはやよ先輩が校内にいる時間も少ないと言うことなのでちょっと嬉しくないです。
 どこにいるか判らないので、とりあえず生徒会室に向かいました。そうそう、ぼくは晴れて陸上部を辞めることが出来ました。朝のHRが終わったあとに担任の先生から退部届けが受理されたことを教えてもらいました。晴れてぼくは自由の身です。
 放課後特有の喧騒の中、ぼくはカバンを背負っててくてくと歩きました。すると――

 ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ

 と初期設定のままの携帯電話が鳴りました。すぐに止んだのでメールです。あ、マナーモードにしておくのを忘れていました。基本、学校に携帯電話は持ち込み禁止です(誰も守っていませんが)。だからマナーモードにしておくのが基本なのですが、すっかり忘れていました。
 カバンから携帯電話を取り出し、メールを開きました。

 件名:やっほ☆
 本文
 あなたの(笑)やよ先輩です♪
 まだ学校にいるかな?
 いるなら生徒会室に来てー。
 ちょっくら頼みごとがあるですたん。

「――――」
 びっくりしました。やよ先輩からです。しかも目的地にいるなんて。やよ先輩の役職を考えれば簡単にたどり着く答えですが。
 ぼくは携帯電話を閉じ、早足で歩き始めました。もうすぐにつくんです。返事は不要です。
 嬉しくて頬が緩むのが判ります。けど、スキップを自重する自制心はまだ残っています。
 ぼくはるんるん気分で生徒会室に向かいました。


 生徒会室の扉を軽くノックして、返事が来る前に開けました。
「お、翔くん早いね。来てくれてありがと、こんにちはあけましておめでとうございます」
 やよ先輩はぼくを笑顔で迎えると全部一緒くたに言いました。少し頭が混乱します。
「えっと、えっと……」
「鳴海、いいから」
 返事に困ったぼくを生徒会副会長が呆れたようにフォローしてくれました。
「まあ、とにかく座ってくれ」
 促され、ぼくはカバンを置き、席に着きました。

 生徒会室には生徒会長のやよ先輩、生徒会副会長のほかに書記と生徒会の顧問でいいのでしょうか、先生がいました。生徒会の偉い人が集まっています。何事でしょうか?
「あのね、翔くん、部活やめたでしょ? だから時間が空いたわけじゃない。新聞配達のバイトは朝だし。でね? 良ければなんだけど、生徒会のお手伝いしない?」
 やよ先輩はぼくを見ながら早口に言いました。副会長が「せめてゆっくりしゃべれ」とつっこみを入れていました。心の中で同意をしつつ、ぼくはゆっくりじっくりやよ先輩の言葉の意味を考えます。
「お手伝いって、具体的に何をするんですか?」
「雑用」
 即答でした。でも判りやすいです。
「別に毎日仕事があるわけでもないし、今でも充分人は足りてるけど、たまに足りないときがあると言うか、翔くん、結構生徒会の仕事知ってるじゃん? 学校祭のときに手伝ってもらったからさ。だったらさ、正式にメンバーになってもらったらどうかなって話なの」
 やよ先輩の言葉に先生が軽くうなずきました。そんなに強い拘束はないし、基本は自由参加。なんちゃって生徒会役員で、別に内申点がつくわけじゃない。と補足してくれました。忙しいときの助っ人要因ってことでしょうか。
 それをそのまま伝えると全員がうなずきました。
 またゆっくりじっくり考えます。時間はやよ先輩が言ったとおり問題ありません。部活を辞めた今はフリーです。バイトも朝です。拘束もない、参加は自由。やることは雑用で、気楽。何よりやよ先輩と一緒にいれる。
 うん、別に問題ない。
「やります」
 ぼくは一人一人の顔を見てから言いました。
「ありがとう」
 やよ先輩が微笑んでそう言いました。他の皆さんも、ぼくを受け入れるように微笑んでくれました。

 この日から、ぼくはなんちゃって生徒会役員になりました。



[27075] 15
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/03 20:00
 なんちゃって生徒会役員になってから変わったことは、暇になったら生徒会室に行くようになったことと、生徒会室に入るときにノックをしなくなったことです。
 放課後、生徒会室に行けば必ず誰かがいる、ということなく、鍵がかかっているときもあります。そういう日は諦めて家に帰ります。開いているときは役員の皆さんのお手伝いが三割で、七割が楽しくおしゃべりです。三学期は学校祭のような大きなイベントがないので基本暇です。生徒会室に集まる役員も暇だから、ということで集まっている節もあるそうです。すぐに帰って遊べばいいのに、と思いますが、人それぞれ事情があるんでしょう。
「やよ先輩も暇つぶしにここにいるんですか?」
「うん」
 生徒会室でだらーっとしていたやよ先輩に尋ねました。部活巡りは寒いので中止だそうです。今、ここ生徒会室にはぼくとやよ先輩、それと書記さんがいます。書記さんは仕事があるそうです。
「家でゲームとかやらないんですか?」
「興味ないもん」
 こっそり暖めていた「やよ先輩を狩りゲームにお誘いして共にハンティング計画」が今潰れました。これなら気楽に休日にお誘い出来ると思ったのに。
「ぴこぴこ黙々とやるの性に合わないんだよー。私は外で遊ぶのが好きなの」
 男子小学生みたいなことを言ってます。
「公園のジャングルジムとかー、ブランコに乗って靴飛ばしとかー」
 やんちゃさんです。
「肉体派なんだよ」
 なんとなく違う気がします。
「妹さんとそうやって遊ぶんですか?」
 確か十歳くらい離れていると聞いています。年齢を合わせて遊ぶのなら、問題ないです。もしやよ先輩が妹さん関係なくそういう遊びをしていると言うのなら……すごく似合ってると思います。ただ、遊具は子供用なので、中学生のやよ先輩には小さいだろうなと思います。
「前まではねえ……」
 だらーっとしていたやよ先輩が、しゅんとしてしまいました。
「どうしかしたんですか?」
 悪いことを聞いちゃったのかな? と思いましたが、気になったのでたずねてしまいました。
「前はね……良くうちの宇宙一可愛い妹とその幼馴染と公園で遊んだりしてたんだけどさ……。
 子犬を貰ってからね……うちの次元を超えて可愛いと言う言葉が自信をなくするくらい可愛い妹が子犬にかかりっきりになってしまってね……。おねえちゃんに構ってくれないの……」
 前もそんなことを言っていました。状況は変わっていないようです。
「寂しいんですね」
「うん。それでね? 張り切ってうちの時空を超越して世界が滅亡するレベルに可愛い妹が子犬の世話をしてね、私も子犬に構いたいからちょっと手伝おうとするんだけど、そしたら『おねえちゃんはだめ!』って怒られるの」
「ああ、独占したいんですね」
「そうそうそう。子犬のほうもさ、全部世話してくれるうちの……えーと」
 視線を天井に向け、言葉を捜しています。
「とにかく可愛い妹が大好きで相思相愛で子犬も私に興味なくて寂しいから、おねえちゃん学校で暇潰して帰ることにしたの。早く帰っても虚しいだけだからね」
 打ち止めのようです。
「寂しいですね」
「うん。寂しいの。けどここは翔くんがいるからそうでもないよ」
 嬉しいことを言ってくれます。
「ぼくはやよ先輩と一緒にいれるだけで幸せですよ」
 隣でごん! と机を叩く音がしました。見てみると、書記さんが机に額を打ち付けていました。痛そうです。
「そうそう、やよ先輩。相談があります」
「なんだい翔くん、おねえさんにどんと言いたまえ」
 お互いに演劇みたいな口調でちょっとおかしいです。
「バイト代でお母さんに何か買おうと思うんですが、何を買ったらいいでしょうか? カーネーションは違いますよね」
「それは母の日だね。でもチョイスとしては悪くないね」
 書記さんが顔を勢いよく上げ「どこかだ!」とつっこみを入れました。
「花を貰って喜ばない女の子はいないって言うけど、あれ嘘だから」
 やよ先輩は腕を組んでしみじみとうなずきます。書記が「お前は一体何を言っているんだ!?」と再度つっこみを入れています。
「うーんと、季節的にマフラーとか手袋でいんじゃないかな?」
「なるほど、使えるものはいいですね」
「そだ、今の季節って手が荒れるからハンドクリームもいいかも」
「うーん、でもそれってお手軽に買えますよね」
「じゃあやっぱりマフラーに手袋かな?」
 意見を出し合っていると、書記が手を上げました。
「どうぞ?」
 ぼくとやよ先輩の声が重なりました。なんか嬉しいです。
「何でお母さんにだけなの?」
 書記さんの疑問は生徒会室に静寂をもたらしました。
「…………」
「…………」
 そうですよね……お父さんにも感謝しなくちゃだめですよね。毎日こうやって何事もなく学校に通えるのは、お父さんが頑張って働いてくれているからです。お母さんにだけってのはおかしいです。
「ですよね」
 ぼくがしみじみとうなずくとやよ先輩も遅れてぼくと同じようにうなずきました。
「お父さんにはネクタイがいいよ。父の日に冗談であげたらめちゃくちゃ喜ばれたもん。あれは一生の不覚だね」
「不覚って」
「だってさ、変な柄のと、まあ普通かな? ってのをあげたんだ。そしたら両方とも喜んじゃってさー。んで、普通のはお母さんいわく、値段にしちゃいいものだったんだよね。それは喜ぶかなと思って、ちょっとギャグも入っていたから、すごく喜ばれると嬉しいは嬉しいんだけど複雑なの」
 複雑なのはやよ先輩だと思います。
「えっと、そうしたらお母さんにはマフラーか手袋で、お父さんにはネクタイと……結構かかるかな」
 バイト代が吹っ飛ぶほどではないでしょうが、結構な出費です。どれもピンキリで抑えればなんとかなりそうですが……でもプレゼントにそれはおかしいと思います。けど、初めてのバイト代、自分のためにも使いたい。
「無難にそこそこ高いケーキでも買っていったら?」
 ぼくの表情を見てやよ先輩は言いました。
「なんだかんだ言って自分のために使いたいじゃん。それならちょっと高いケーキ買って家族で食べたらいいじゃん」
 やよ先輩の言葉に書記さんが「モノより思い出って奴ですか」と肩を竦めていいました。うーん、それもありですね。幸い、お父さんもお母さんも甘いものは嫌いでも苦手でもないです。
「じゃあケーキにします」
「うん!」
「ところで、おいしいケーキ屋さんを知っていますか?」



[27075] 16
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/05 00:04
 土曜の晴れた昼。ぼくはまた駅前の変なオブジェの前に立っています。前にやよ先輩と映画を見に行ったときの待ち合わせ場所です。
 ぼくはここでまたやよ先輩と待ち合わせています。
 おいしいケーキ屋さんのことをたずねたところ、やよ先輩は携帯電話で友達に連絡を取り調べてくれました。それで教えてもらい、せっかくだからというか、ケーキ食べたいから、とやよ先輩も一緒に行くことになりました。
 またやよ先輩と休日を一緒できます。嬉しくて天にも上る気持ちです。
 待ち合わせ時間は十四時。おやつの時間まであと一時間です。お昼に近い時間だと、お腹が減りすぎて舌に迷いが出るそうです。だから適度にふらついて、そこそこ空腹になってからケーキ屋に突撃する予定です。
「翔くん翔くん翔くん!」
 やよ先輩がどたどたと走ってきます。今日のやよ先輩は紺色のミニスカートです。スカートと同色のハイソックスをはいていますが、寒そうです。この前とコートを着ています。帽子も前回同様冬使用の分厚いのを被っています。
 やよ先輩は走り回ったと言いた気に頬を上気させ、肩を上下させていました。
「早く着ちゃったからケーキ屋さんを見てきちゃったよ!」
「下見ですね」
「いやあ! ガン見だね!」
 全力で否定されました。
「じゃあすぐに行きますか?」
「ううん、服を見たかったんだけど、……いい?」
 上目遣い、なんてことはしません。ぼくらは身長が同じくらいです。やよ先輩は申し訳なさそうに、でもどこか必死に訴えてきました。断る理由がないので快くうなずきます。正直、女性向けの服を見るのはつまらないので、嬉しいです。あ、これはもちろんやよ先輩には内緒ですよ?
「それじゃあ行きましょう。えっと、どっちですか?」
「こっちだよー」
 語尾に音符が付いてそうな口調と、満面の笑顔でやよ先輩は左手で道を指し、右手でぼくの手を取りました。寒空の下にいたからでしょう、冷たい手でした。
「翔くんの手は暖かいね」
 ポケットに手を突っ込んでいたのでぼくの手はそこそこ暖かいです。やよ先輩の手を温めたくて、ぼくは少しだけ力を入れて握り返しました。
「このまま歩いていい?」
 無邪気に微笑んでやよ先輩が言います。ちょっとだけ恥ずかしくなったぼくが馬鹿みたいな無邪気さでした。でも特に怒りや何かを覚えるわけもなく、寒いより暖かいほうがいいと思ってうなずきました。


 ケーキ屋への道中はずっと無言でした。いつもは世間話をしながら歩くのですが、今日はそういうふうには出来ませんでした。なぜならやよ先輩が必死の形相でずんずん進むからです。話しかけるのを躊躇う真剣さでした。どれだけ楽しみにしているのでしょうか。
 しかしやよ先輩と手をつないで歩くのは久しぶりです。たぶん、ぼくが部活を辞めたいと顧問に言って聞き入れてくれなかった頃です。懐かしい。
 まあ、それはともかく。
 噂(じゃないですが)のおいしいケーキ屋さんです。寒い外から中に入ります。カウベルが優しい音を立てます。連動して店員さんの「いらっしゃいませ」の言葉に歓迎されます。ざっと店内を見回すと、食事が出来るスペースがありました。といっても二席で、しかも二つとも小さなテーブルにイス二脚と些細なものです。幸い、今は食事をしているお客さんはいません。お持ち帰りのお客さんはいますよ。他にもケーキを前にして悩んでいる人もいます。
 やよ先輩はぼくの手を離し(残念です)、ショーケースを見ています。その目はとてもきらきらしていました。気持ちは判ります。ぼくも隣りに並んで見てみます。
「…………」
 値段は普通でいいのかな? それとも高いのかな? ショートケーキが二百十円です。ちょっと手間のかかってそうなケーキはその手間分値段が上がっている感じです。さて、まずは味を確かめないと。やよ先輩の友達を信じていないわけじゃないですが、万が一もありますし、なにより好みもありますからね。
 何を食べようかな。イチゴのショートケーキにチーズケーキ、モンブラン。チョコレートケーキ。それにシュークリームもプリンもあります。迷います。
「うう……」
 やよ先輩が明らかに「迷ってます」という表情をしてショーケースの中を見ています。
「……うう……うう……」
 苦しそうなうめき声が徐々に悲しみが混じってきました。
「いくつ食べるつもりですか?」
「胃の容量は別腹なので問題なし、経済的にもは三つが限度で、四つまで絞り込みました」
 一つを切り捨てる決断が出来ないようです。さて、ぼくはいくつ食べるかなんて考えていません。食べ盛りですし、三つ四つはいけると思います。あ、普段はそんなに食べませんよ。出された分しか食べません。
「ショートケーキとチーズケーキとプリンとシュークリーム」
 ベタな選択だと思いました。けど、味を確かめるにはいい選択だと思います。でもそれをするのはぼくの役目だと思うのですが……。ま、いいか。
「ならぼくがチーズケーキを頼みますから、半分こしましょう」
 ぼくの提案にやよ先輩はとても輝いた目をしました。
「い、いいの!?」
「はい、だからそれぞれ一口ください」
「交渉成立だよ!」
 やよ先輩はぼくの手をつかむとぶんぶんと振りました。とてもいい笑顔をしています。良かった。
「えっとじゃあ――」
 ぼくらを温かく見守ってくれていた店員さんに注文しました。


 小さなテーブルに、四つのケーキが並んでいます。全部で八つ頼んだのですが、テーブルに乗り切らないので、あとで運んでもらうことにしました。今あるのは、ショートケーキとプリンとチョコレートケーキとモンブランです。
「――――」
 やよ先輩が祈りをささげるように指を組み、とてもキラキラした瞳でケーキを見つめていました。ケーキが嫌いな女の子なんていません!! って感じです。実際はケーキが嫌いな女の子っていると思います。甘いものが苦手な女の子もいますしね。
「じゃあ、食べようか♪」
 嬉しさ全開の笑顔と声でやよ先輩はフォークを取りました。そしてぼくの返事を待たずにショートケーキにフォークを突き刺し、一口分取って口へ運びます。
「おいしいよう」
 幸せいっぱいの表情で感想を言っています。ぼくはそれを口をぽかんと開けて見ていました。
「やよ先輩、一口ください。約束です」
 ちょっと口を尖らせて言うと、少し驚いた顔をしました。そして「あ」と声を上げ、誤魔化すように笑います。
「ごめんごめん」
 そういうとやよ先輩はショートケーキを一口分取って、ぼくへと差し出しました。
「はい、あーん」
「あーん」
 あーんと言われて、口を開けないという習慣がないので、ぼくは素直に口を開き、ケーキを食べました。
「うん、おいしいです」
「でしょ~?」
 まるで自分が作ったかのようにやよ先輩は胸を張って言います。ぼくはうなずくに留め、チョコレートケーキに手を出しました。一口食べます。
「ん、これもおいしいです」
「本当?」
 目の前にあるんだから、食べてもらったほうが早いです。ぼくはやよ先輩がそうしてくれたようにチョコレートケーキを一口分とって、やよ先輩へと差し出しました。
「あーん」
「あーん……んーこれもおいしい!」
 また幸せそうににこにこします。喜んで貰えて嬉しいです。

 こんな調子でぼくたちはケーキを平らげました。
 お父さんとお母さんへのケーキもちゃんと買いました。そのとき対応してくれた店員さんの視線が妙でした。なんといいましょうか、暖かい視線とでも言うのでしょうか。何でそんな目で見られるのでしょうか? 良く判りません。



[27075] 17
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/08 20:14
 晩御飯を終え、ぼくは買ってきたケーキを出しました。冷蔵庫に入れるところをお母さんに見られているので、お父さんもお母さんも嬉しそうにしていました。
「バイト代で買ったケーキです」
 そう言って二人にケーキを出しました。皿とフォークを忘れたので台所に戻りました。なんか締まりません。
「お父さん、お母さん、えっと……その、いつもありがとうございます」
 いざ二人を目の前にして、感謝の気持ちを口にするのは、とても照れくさいです。
 けど、こういう機会は滅多にないので頑張りました。二人の顔はまともに見れなかったけど、ちゃんと言いたいことは言えました。
 そうしたら、お母さんが涙ぐん「ありがとう」と言ってくれました。お父さんは微笑んで、ぼくの頭をちょっと乱暴に撫でてくれました。喜んでもらえたんだと思います。

 三人でケーキを食べた後、お母さんがお茶を淹れてくれました。
 まったりとしていると、お父さんが咳払いをしました。
「翔太、大事な話がある」
 ぼくは首を傾げてからお父さんを見ました。
「実はお父さん、海外に行くことになった」
 カイガイ。外国のことですね。ほへーと聞きます。
 何でもお父さんが勤めている会社で、新しく支店を作ることになったそうです。その責任者としてお父さんが選ばれ現地に向かうことになったとのことです。
「左遷ですね」
 ぽんと手を打ちました。
「栄転だ馬鹿たれ!」
 二人は声をそろえて言いました。息がぴったりです。余談ですが、うちの両親は友人の間では「ツッコミ担当」だったそうで、結婚するとなったときに「ボケ役がいなくて大丈夫か?」と冗談交じりに心配されたそうです。確かにツッコミ気質の人にはボケ役がいないとストレスが溜まりそうですが、息子のぼくが見る限りでは特に問題がなさそうです。きっと二人の共通の知り合いでボケ役がいるのでしょう。
 すみませんと謝り、話の続きを待ちます。
「少なくとも三年は向こうに住む予定だ。お母さんも一緒に行くと言ってくれている」
 外国の単身赴任は辛いでしょう。ん? その前にどこの国に行くんだろう?
「待ってください。どこの国に行くのですか?」
「オーストリアだ」
 ユーカリの葉をもしゃもしゃと食べる動物の姿が目に浮かびました。
「コアラのいないほうね」
 すぐにお母さんがぼくの誤解を直してくれます。
「はあ……じゃあ、英語ですらないんですね」
「そうだな、ドイツ語だ」
 ぼくはどうも実感できなくてぽかーんとしてしまいます。
「翔太が高校生なら、どうしたい? って聞く。けど、中学生だ。まだ義務教育中だ。けどだからってそれを理由にしている訳じゃない。
 翔太、一緒に行こう」
 お父さんは真面目な顔でそう言いました。
「…………」
 高校生の一人暮らしはたまに聞くけど、中学生は聞かないです。一人暮らし同然の生活をしている人もいるかもしれないけど、一人暮らしとは違います。
「いきなりの話で混乱していると思う。すまない」
 お父さんはぼくに向かって頭を下げました。
「待って、待ってください」
 自分の声がいつもより高くて驚きました。動揺しているみたいです。
「この家はどうするんですか?」
 貸し家ではありません。お父さんがローンを組んで買った家です。
「買った家だからな、売りはしない。けど同期の仲のいいのが貸してほしい言っているから、そちら方面で考え中だ」
「そこに厄介になることはできませんか?」
「駄目だ。高校生の娘さんがいるし、奥さんがちょっと身体の弱い人で迷惑はかけられない」
 年頃の娘さんと、全然知らない中学生男子は一緒に住めませんか……普通に考えてアウト、何でしょうか。ぼくの表情を見て「娘を溺愛している奴でな」とお父さんが教えてくれました。仮に一緒に住んだら娘さんの操よりもぼくの身のほうが危ないそうです。……小さく笑いながら言ったので半分は冗談だと思います。けど、もう半分は本気なんですよね。ぼくもちょっと、そんなとこには住みたくないです。加えて少しだけど身体の弱い奥さん。他人がいるだけで気を使うし、ストレスになると思います……。ストレスは万病の元と言うし……。いちゃいけないですね。
 ということは一緒に行くしかないのでしょうか?
 この土地を、日本を離れ、遠くオーストリアへ。
「…………」
 転校は当然で、あちらの学校に行くことになります。
 そんな当たり前のことが頭の中を駆け巡り、一つの事実をはじき出しました。

 転校したら、やよ先輩に会えなくなる。

 初めて出会ったときの、人懐っこいやよ先輩の笑顔を思い出しました。
 生徒会の仕事を頑張ってくださいって応援したら、嬉しそうにうなずくやよ先輩を思い出しました。
 部活が苦痛だと相談したら、あっけらかんと答えを出してくれたやよ先輩を思い出しました。
 河川敷で、私服のやよ先輩と他愛のない話をしたことを思い出しました。
 やよ先輩と一緒に映画を見て、ご飯を食べたことを思い出しました。
 学校祭でのやよ先輩のとんでもない歌声を思い出しました。
 やよ先輩と一緒に食べたケーキの味を思い出しました。

 やよ先輩との色々なことが、一気にあふれてきました。
 そうしたら、言葉が出てこなくて、ぼくはただお父さんとお母さんの顔を見つめることしか出来ませんでした。
「四月から向こうの学校に通うことになると思う」
 すまなそうにお父さんは言います。でもぼくは何も返すことが出来ません。
「ごめんな、翔太。急にこんな話をして。友達もいるし、困るよな。けど、お父さんもお母さんも、翔太のことが好きだから一緒に向こうで暮らしたいんだ」
 親の権利をかざすのではなく、家族三人で暮らしたいから一緒に来てくれというお父さんの言葉に誠意を感じました。頭ごなしに「お前は子供なんだから従え」と言われるよりずっといいです。
 けど、ぼくはまだ中学生で、子供だから、親の監視下にいなくちゃいけないんです。
 もちろん苦痛なんてありません。ぼくはこの人たちの子供で良かったって思ってます。今だったそうです。
「今日はこの辺にしておきましょう?」
 お母さんがそういうと、ぼくはのろのろと立ち上がり、自室へと向かいました。
「翔太」
 お父さんがぼくを呼び止めました。ぼくは緩慢に振り返りました。
「ケーキ、美味しかったよ。ありがとう」
 ぼくはこくりとうなずいて、自室に戻りました。

 暗い部屋の中で、ぺかぺかと何かが光っていました。ベッドの上に置いてある携帯電話でしょう。
 ぼくは明かりもつけずにベッドに向かいました。ぼすんとベッドに座り、携帯電話を開きました。
 やよ先輩からメールが届いていました。

 件名:どうだった?
 本文
 ケーキで親孝行大作戦どうだった?
 喜んでくれた?
 あそこのケーキ、おいしいね!
 また一緒に食べに行こう!!

「…………」
 画面がゆがんで文字が読めなくなりました。
 ぽたぽたと水滴が携帯電話の画面に落ちてきました。
 ぼくは暗い部屋の中で、両手で携帯電話を握り締めて、声を押し殺して泣きました。



[27075] 18
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/10 11:14
 どうあがいたってぼくはこの土地を離れなくちゃいけない。それは理解しました。父方母方どちらかのおじいちゃんおばあちゃんの家に、とも思いましたが、ここにいなくちゃ意味がないので、口にはしませんでした。どちらもここから遠く離れた場所です。
 そう、ここじゃないと意味がない。
 ただ、日本にいるだけじゃ意味がないのです。
 だから、ぼくはオーストリアに行くことを決めました。

 ぼくは二人に答えを出してから登校しました。お父さんは「ありがとう」と言いました。
 学校へ向かう道をてくてく歩いていると狩り仲間である友達に会いました。彼ともしばらく会えなくなるのか、と思ったら気持ちが沈みました。
 友達はすぐにぼくの様子に気づき、聞いてきました。ぼくは正直にオーストリアに行くこと、転校することを伝えました。彼はとても驚いてショックを受けていました。
 ぼくたちはしばらく無言で歩きました。信号待ちしているときに、友達は心配そうな声で言いました。
「生徒会長に何て言うんだ?」
「…………」
 ぼくは友達の顔を見つめ、うつむきました。
「君に言ったとおりに言う」
 隠し事はしたくないです。大事な人なら尚更。友達は「そうか」と言い、「寂しくなるな」とぽつりとつぶやきました。
 うん、そうだね。
 寂しくなるね。


 学校の敷地内に入って、ぼくはやよ先輩を探しました。朝からこんな話をするのはちょっと気が進みません。けどずっと黙ったままでいるのは嫌です。
「しょうくん♪」
 後ろから声をかけられて、背中をぽんと叩かれました。
「おはよう」
 いつも通りの笑顔のやよ先輩がいました。
「おはようございます」
 泣きそうになるのをぐっとこらえ、挨拶を返しました。
「この前はどうだった? メール送ったんだけど気づかなかった?」
「あ、え、っと。メールは見ました。ごめんなさい」
「ううん、いいよいいよ気にしないで。で、どだった? 喜んでくれた?」
 無邪気な笑顔。ぼくはなんだか気まずいです。
「はい。とても喜んでくれました」
 ちらりと周囲を見れば、友達は気を使って先に教室に行っていました。やよ先輩の友達もいないようです。他の知らない生徒もいますが、ぼくたちには無関心です。
 ぼくはうん、とうなずいた後、意を決してやよ先輩を見ました。
「お父さんが海外に行くことになりました」
 昨日聞いたことそのまま伝えました。するとやよ先輩はうんうんとうなずきました。
「左遷だね!」
「栄転です」
 似たもの同士です、本当に。
「場所は、コアラのいないオーストリアです」
「…………オーストラリアとオーストリアの区別くらい出来るよ。えーと、ヨーロッパのほう」
 その割には間がありましたね。それにえーとって何ですか。
「お母さんも一緒に行きます」
「うん」
「ぼくも一緒に行きます」
「うん」
「だから、転校です」
「うん」
 やよ先輩の声が、どんどん沈んでいきました。
「うん」
 またやよ先輩はうなずきました。
 ぼくたちは止めていた足を動かして、玄関に向かいました。その間はずっと無言でした。
 靴箱で分かれるところでやよ先輩は言いました。
「びっくりして、何て言って良いか判んない。だからちゃんと考えてから言うね」
 そう言ってやよ先輩はぼくの返事を待たずに背を向けました。



[27075] 19
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/10 11:16
 放課後になりました。昼休みは先生に呼ばれたので職員室にいました。
 だからやよ先輩には会っていません。なんとなく、今日はもう会えないんじゃないかなと思っています。
 転校すると伝えたときの、やよ先輩の表情は……驚いてて、でも沈んでて、そんな顔でした。ぼくがいなくなるということでそうなったんだから申し訳ないです。けど、それは寂しさを感じたということだから、嬉しいです。ぼくもとても寂しいから。
 生徒会室には……今日はちょっと行きにくいです。たまには真っ直ぐ帰りましょう。ドイツ語の勉強もしなくちゃいけないし。
 そんなことを考えながら教室を出ました。廊下をてくてく歩いて玄関へ。
 この時間の玄関はとても人がたくさんいます。少々苦労しながら自分の靴箱へと進みます。

 ぶー、ぶー、ぶー…………

 カバンの中から変な音が……ああ、携帯電話のバイブレーションだ。ぼくはカバンから携帯電話を取り出しました。

「しょーーーーーーーーーーーーーくん!!」

 大声で名前を呼ばれました。
 あまりの大声に、辺りは水を打ったように静かになりました。ぼくの手の中にある携帯電話の振動音が間抜けに響いています。
「翔くん翔くん翔くん翔くん翔くん!!」
 ぼくを呼ぶ声はどんどんぼくに迫ってきました。
「翔くん!!」
 ぼくを呼ぶ声はぼくの姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきました。
「やよ先輩!」
「やった、翔くん!」
 には、と微笑み、やよ先輩はぼくの手を両手でぎゅっと握ってくれました。
「翔くんのクラスに行ったらもう帰ったって言うから慌てて追いかけてきたんだよ」
「え、そうだったんですか。すみません」
「んでね、その電話は翔くんの友達が気を利かせてかけてくれたんだよ」
「そうですか」 
 携帯電話を確かめると友人から着信が続いています。ぼくは迷わず切りました。あとでメールを打っておこう。
「あのねあのね!」
 握った手をさらにぎゅっと握り締められました。とても暖かいです。
「あのね! 今度のお小遣いでカメラ買うから! でね、マイクも買う! そんでパソコンも使えるようになるから!」
「はい?」
 言っていることが良く判らなくてぼくは首を傾げました。
「うん、あのね、カメラとマイクをパソコンにつなげたら、テレビ電話みたいに出来るんだよ」
 ああ、インターネットでそういうサービスをやっていますね。
「だからね、翔くんがオーストラリアに行っても、時間を合わせればお話できるよ」
「オーストリアです」
「うん、そうそうそうそう! オーストリア。でね」
 やよ先輩は真っ直ぐにぼくを見て言います。
「手紙も書くし、電話もするよ! でもメールが一番お手軽だね!」
「そうですね。メールが一番安いです」
「でも手紙って貰うと嬉しいよ!」
「じゃあぼくもやよ先輩に手紙書きます」
「うん!」
 うなずき合いました。
「ところでこれは何の話ですか?」
 いきなりまくし立てられたらさすがに混乱します。
「翔くんが、オーストリアに行っても寂しくならないようにする話!」
「――!」
 胸が詰まって、いっぱいになりました。
「でもね、いつかきっと必ず!」
 さらにやよ先輩はぼくの手をぎゅっと握り締めました。少しだけ痛いくらいに。
「手紙でも、メールでも、電話でも、テレビ電話でも、それでも足りなくて、寂しくて寂しくてしょーがなくなるときがくるから!」
 ぼくもやよ先輩の手を握り返しました。

「そのときがきたら、私、翔くんに会いに行くから!!」

 静かな玄関にやよ先輩の声が響きました。
「私も新聞配達のバイトしてお金貯めて、翔くんに会いに行くから!!」
 そう言って、やよ先輩は手の力を抜いて微笑みました。

 ――会いに行くから。

 その言葉がじーんと胸に沁みて、身体全体に溶けていきます。
 嬉しい。
 嬉しい。
 何て返したらいいんだろう。何て言ったらやよ先輩は喜んでくれるんだろう。
 必死になって考えているのに言葉がまったく思い浮かびません。
「で、でもオーストリアは遠いし、飛行機代だって高いから、そんな」
 よりにもよって出た言葉がこんな言葉でした。テンパっていたとはいえ、自分が嫌になります。
 でも、ちょっとだけ本音でもあります。やよ先輩の気持ちは嬉しいけど、現実は……。
 中学生のぼくたちがお金を貯めるのは大変です。貯めた後も大変です。外国は当然ながら日本語ではありません。言葉の壁があります。英語ならともかく、オーストリアはドイツ語です。それに何より、未成年の一人旅(とも限りませんが)が海外なんてハードルが高すぎます。ご両親が許してくれるでしょうか?
「大丈夫!!」
 やよ先輩は片手をぼくの手から離し、胸をどんと叩きました。強く叩きすぎたのか咳をしています。

「誰かをね、大好きって思う気持ちはね、無敵なんだよ!
 空だって飛べる、海だって越えられる!
 私は翔くんのことが大好きだから。だから、会いに行くよ!
 私は翔くんに会いに行く。
 翔くん、君に会いに行く!!」

 ぼくは大きく目を見開いて。
 笑顔で言い切るやよ先輩をぽかーんと見つめて。
 どうしようもないくらいの安心感に包まれました。それから、頼もしさも。
 何て言うんでしょうか。ああ、この人ならちゃんとやってくれるなという、根拠もないのに確信を得たというか。

 やよ先輩は、どんなに遠くに行ってもぼくに会いにきてくれる。

 そんな確信が持てました。
 嬉しくて仕方ありません。
 それなのにどうしてでしょう? ぼく、なんだか泣きそうです。
 目の前のやよ先輩もなんだか泣きそうな顔をしています。
 笑顔だったやよ先輩の目がどんどん潤んでいきました。
「――うう……」
 まぶたに涙が溜まって、瞬く間に零れ落ちました。
「そんなこと言ったってやっぱり翔くん遠くに行くのやだあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 やよ先輩は、再びぼくの手を痛いくらいに強く握り締めて泣きました。
 子供みたいに。
 駄々っ子みたいに。
 小さな子供みたいにわんわん泣くやよ先輩を見てぼくは、やっぱりこの人の近くにいたいと強く思いました。
 気が付いたときにはぼくもやよ先輩の手をぎゅっと握り返していました。
「ぼくも遠くに行きたくないです。やよ先輩と離れるのは嫌です」
 ぼろぼろと涙があふれてきました。片手は携帯電話を持っているし、もう片手はやよ先輩がきっちり握り締めているから涙をぬぐうことが出来ません。
 でも、構いません。
 やよ先輩と離れるのが悲しくて泣いているんだから、誰が涙なんてぬぐってやるもんか。
 そんなよく判らないことを思いながら、ぼくらはしばらく泣き続けました。


 蛇足ですが、衆人環視のところでこんなことをやらかしたので、後日ぼくらは時の人となっていました。



[27075] 20
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/10 11:20
 それから、ぼくは引越し準備をしつつ、時間を見つけてやよ先輩と色んなところへ行きました。生徒会の仕事(雑用)もたくさんしました。
 携帯電話でですが、たくさん写真も撮りました。それはちゃんと現像して、二人で持っています。
「二人で行った場所、景色が変わったこととか、教えるね」
「はい。だったらぼくはこれからぼくが見る場所をやよ先輩に教えます」
「うん♪」
 短い時間で出来る限り色んなところに行きました。おいしいケーキ屋さんにもまた行きましたよ。
 あ、もちろん、他の仲の良い友達とも同じことをしました。ただやよ先輩とののほうが圧倒的に多いです。

 新聞配達のバイトはやよ先輩に引き継いでもらいました。ぼくとやよ先輩のお家はそこそこ離れているので担当する家は違いますが……これは引継ぎというのでしょうか? 人手が足りてなかったのでたぶん良いのでしょう。

 クラスではお別れ会を開いてくれました。オーストリアに行っても頑張ってねと大きく書かれた色紙を貰いました。それにはクラスメイト全員からの短いメッセージが書かれてあって、その一つ一つが暖かくて、嬉しかったです。
 やよ先輩と離れるのも嫌ですが、このクラスから離れるのも嫌だなと思いました。


 ――そして旅立ちの日がやってきました。

 空港での見送りは、仲の良かったクラスメイトが数人と、仲の良い親族……お母さんがお相手しています。それと偉そうな人がいました。それはお父さんの会社の人だそうです。
 ――あと、やよ先輩もいます。
「翔太、着いたら連絡しろよ」
「身体に気をつけてね」
「手紙書くから落ちついたらでいいから返事ちょうだい」
「たまには帰ってこい。また一緒に狩りしようぜ」
「向こうでもちゃんと狩りをしておくように。ああ、それと狩り仲間も増やしとけよ」
「ドイツ語覚えたら帰ったときにちょっと教えてね」
「可愛い女の子と知り合いになって紹介してくれ」
 友達の言葉一つ一つにうなずき、返事をしました。最後のは無視しました。
 見送りにきてくれた友達全員と行ってきますと握手を交わしました。特に狩り仲間でもあり、長いこと友達をやっている彼とはがっちりと、長く。
 彼とは無言の握手を交わし、うんとうなずき合いました。これで充分です。
 手を離して、彼はぼくの背中をどんと叩きました。というより押されました。
 押された先にはやよ先輩がいました。
「行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
 いつものようににはっと笑ってくれます。
 ぼくが手を差し出すと、やよ先輩はきゅっと握り締めてくれました。
「長いお休み入ったら会いに行くね」
「はい。ぼくもやよ先輩に会いに帰ってきます」
「すれ違わないようにちゃんと連絡しようね」
 うなずいて、手を離して。
「約束」
 そう言って、小指を立てました。
「指きり」
 やよ先輩の小指にぼくの小指を絡めました。
「ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん、のます♪」
 リズムに合わせて揺れます。
「ゆびきった!」

 これは旅立ちで、お別れじゃありません。ちょっと寂しいけど。
 ぼくはまた、ここに戻ってくるから。
 だから、へっちゃらです。

 ぼくはやよ先輩、友達に手を振って、お父さんとお母さんのところへに行きました。
 二人はぼくとやよ先輩のやり取りを見ていたようです。ちょっと恥ずかしいです。
 お母さんは何か言いたそうでしたが、小さく笑うに留めてくれました。良かったです。何て答えたら良いか判らないからです。
 ほっとしつつ、ちらりと後ろを見れば、やよ先輩をはじめ、クラスの友達が残っていて、ぼくに手を振ってくれました。ぼくも振り返します。
「行ってきます」



 ――以上が今日のお誘いを断る理由です。
 わざわざ遠くから来てくださったのに申し訳ありません。あと、今後は事前に連絡お願いします。連絡先は今日あなたを案内したあんちくしょうが知っています。仲が悪いのかって? 人の話を聞かないで予定を入れてくる奴ですが、なかなか良いハンティングをする奴ですよ。え? ゲームの話です。
 景色の良い散歩コースはまた今度にしてください。えーと一週間くらいは遠慮願います。だってやよ先輩がそのくらい滞在しますので。
 ようやくなんです。やよ先輩、お金貯めたのはいいけどパスポートを取り忘れて夏休みには来られなかったんです。そして、取ったら取ったでご両親から反対されたりで、大変だったんです。今回は成人しているイトコさんと一緒に来たそうですよ。さすがに一人旅は許されなかったようです。
 え、紹介してほしいって? やよ先輩をですか? 日本人だから? ……日本人学校に通うぼくが知り合いなのに、何で学校の人じゃなくて、ぼくの先輩をわざわざ紹介しなくちゃいけないんですか? せっかく知り合ったから? 意味が判りません。
 とにかく、ぼくはこれからやよ先輩に会いに行くので失礼します。
 え? もう、そろそろ時間なんです、勘弁してください。
 質問ですか? 手短にお願いします。 ……やよ先輩のことをどう思っているのって?
 そんなの決まってます。

 ――世界で一番大好きです。



[27075] あとがき
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/08/10 11:38
 翔くんとやよ先輩、完結です。

 最初は気晴らしに気軽にプロットとかすったら難しいことは考えないでやろーと書いていました。
 順調にさくさく書いていたのですが、途中から人に寄っちゃ翔くんむかつくだろうな、とかやよ先輩も同じだろうなとか、この二人の会話は明らかにつっこみ待ちだろとか思うようになりました。
 それでもまー完結できればいいかなーとやはり気軽に書いていました。
 中盤くらいに最後が見えてきてそこに向かって頑張ればいーやとまた気軽に書いていたのですが……。
 最初の話を見たら翔くん自己紹介してるじゃないですか。なんで? しかもなんでその人にやよ先輩のこと話してるの? 訳が判らないよ。誰だこんな最初書いた奴!! と思いながら奥歯をかみ締めつつ、私だよ!! といわんばかりに手を上げていたものです。この行為のほうが訳が判りませんな。

 プロットはともかく、ラストくらいは決めて書かないと大変なことになるということを今回学びました。
 小さな矛盾はいい(いくない)として、大きな矛盾はないようにと書きました。あったら指摘お願いします。

 一話一話が短い話でしたが、こつこつ20話まで続き完結できました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。感想くれた方、本当にありがとうございました。すごく励みになりました。お返事はろくにしていませんが本当に感謝しております。

 そして作者の私から見て翔くんとやよ先輩は微笑ましすぎて恋愛関係に見えませんw お互いのことは大好きなんだろうけど、なんか違う、みたいな感じです。

 それでは最後までありがとうございました(*´Д` *)


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