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[27250] 【序幕完結】ラプラスの悪魔が見る舞台(「密室憧憬」終幕)
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/05 22:59
前書き

・この小説は「小説家になろう」にも掲載させていただいております。
・ジャンルは似非(ファンタジー)ミステリかなと思っていますが自信ないです。
・横書きでの行間の開け方を試行錯誤中なので、見辛いかもしれません。
・率直なアドバイス、ご指摘をいただけたら嬉しいです。



[27250] 序幕「密室憧憬」 序話 殺人談義
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 05:44
 読み込みに失敗しました。
 初期化します。
 しばらくお待ちください。


 目を覚ますと見慣れない白い部屋の中に居た。物は何一つない、ひたすらに白い部屋。窓も無ければ電灯も無い。あるのは四つの扉と、私と遺体だけ。

 四つの扉はそれぞれにこちら側からダイヤル式の南京錠が掛かっている。どう動かしても開かない。ノックをして、声を掛けてみたが、向こう側からの反応は無い。

 誰も居ないのだろうか。

 南京錠の番号を私は知っている。眠気でぼんやりした頭が「0001」という数字の羅列を思い描かせた。

 振り返ると遺体が横たわっている。覚えの無い白骨死体だ。とても綺麗に肉が削げ落ちて消えていて、服を脱がして、ガラスに入れればすぐにでも標本に出来そうだ。

 部屋の中には生きている者も居ない。遺体は既に生きてはいないし、私も既に死んでいる。

 そう、私はもう死んでいる。誰に、何故、どうして、というのは分からない。分かるのは、私はある時死んでしまって、その時この部屋に居たという事。それだけしか分からない。

 隣に横たわる白骨の遺体は誰かと考えればそれはきっと私なのだろう。迷妄としている記憶に依れば、遺体が遺体となった時に私もまた死んだのだ。曖昧としていて確証は無いが、確かそんな感じだった。

 もしも私と遺体が別ものだとするならば、内側から鍵の掛かった部屋で二人の人間が死んでいるなんて、一体どういう状況だろう。そんな状況、きっとそうそうお目に掛かれない。記憶の混濁した私だが、それ位は変だと分かる。だからこの部屋では一人の人間が自ら望んでこの部屋に入り、そうして白骨になったんだ。失意の自殺か、決意の憤死か、詳しい事は記憶の濁った私には分からないけれど。

 それにしても、私は死んでしまっているはずなのに何故だか動けている。ゾンビか幽霊か。遺体は私の隣にあるのでゾンビやらの動く死体じゃないだろう。それなら幽霊だろうか。でも私の心にはこの世に留まる未練も恨みも無い。私の心は茫洋としていて、縛り付けられる様な強い心なんてまるで無い。それに何だか私の体はやけにはっきりしている様に思うのだけれど。

 自分の体を触ってみると、確かな手触りが私の脳へと伝わってくる。私は確かにここにある。

 脳に伝わる電気信号が段々と私を覚醒させていった。

 ここに居ても埒が明かない。とにかく外へ出なければ。

 足元の遺体を置いて行くのは気が引ける。
 友人をそのまま放って置くなど道義にもとる。けれど外に連れて行ったらきっと騒ぎになる。道徳と常識を天秤に掛けると二つは綺麗に釣り合った。仕方が無いので、私は常識の皿を下に押しつけた。

 数字を揃えて鍵を外し、取っ手に手を掛けて外へ押した。

 外には何があるのだろうか。

 こんな状況を良く物語で見た。
 そこには極楽があり、あるいは地獄がある。あるいは外の世界があり、元の部屋と同じ部屋が続いている。

 私の手に押されてゆっくりと扉が外に開かれ、向こうから可視光が漏れ出して、私の体を外側から浸していった。

 外は朝だった。林だった。朝露に濡れる草の上に足を踏み出すと、何処かから鳥の声が聞こえた。ころころとしていて、玉を転がす様な声だった。何か固い物を踏んだ。白い何かだが、心地良さが先だって気にならない。

 少し歩いて振り返ると、私の居た部屋は木々の間に唐突に立つ白い立方体だった。まるで林を侵略せんとしている様に、それは余りにも不似合いな余所者で、周りに無言の圧力を掛け続けている。

 ここは一体何なのだろう。分からないが、調べる程の事では無い。何故なら私は知っているはずだから。時が来れば思い出すだろう。

 さて、どうしよう。外に出たものの目的は無い。
 何をすれば良いのだろう。何処へ行けば良いのだろう。私の頭からはそういった命令が一切合財消えていた。

 だから目的を探そうと思った。


 林を少し進むと草原に出た。私の居た林から草原へと段々と盛り上がって丘になっている。その先は見通せない。見えないとなると気になった。

 私は今道の上に居る。林に沿う様に道が横切っていて、左手は遥か先の森へと続き、右に進めばすぐに三叉の交差点があって真っ直ぐ進めば遥か彼方の山へ、左へ曲がれば盛り上がった丘の向こうへと続いていた。丘の頂上付近に屋根の付いた家が建っていた。

 私は見えない丘の向こうが気になっていた。それに頂上にある家は西部劇の酒場の様で興味深い。

 情報を集めるなら酒場で。
 何処かで聞いたか見たかした言葉を思い出して、私は酒場へ行く事にした。道を無視して草原を突っ切り、草の柔らかい感触を楽しんでいると、もう目の前は酒場だった。

 入り口には腿の高さから胸の高さに掛かる木製の観音開きが付いていた。押し開けて中に入ると客が一人だけテーブルに座っていた。他に人影は無い。店員の姿も見えなかった。

 こちらに気付いた客が私にアルコールの入ったグラスを掲げて見せた。私が会釈をして近付くと、客は酒臭い息を吐いて笑った。私の想像する「酒場の客」だった。何故だか嬉しくなった。

「よう、お嬢さん。どうしてこんな所へ?」

 私はお嬢さんなのか。知らなかった。
 私は自分の情報を追記した。

「目的を探しています」
「ほう、面白い事を言う」

 客はアルコールに満たされていた。
 酒袋なのだ。アルコールを詰めなければ生きていられないが、詰め過ぎても破れて死んでしまう。そんな生き物なのだ。

「ならあんたは何者だ」
「私は死んでいるのです」

 客は目を丸くした。
 半開きの生温いアルコールの息が漏れた。

「ほう、死んでいる。生きていないという事か?」
「はい、その通りです」

 客は笑い出した。
 辺りに満ちる酒気が強くなった。

「そうかそうか。懐かしい物言いだ。生きていない者と喋るなんて久しぶりだなぁ。あんたはかなり昔のもんかい?」
「分かりません。記憶が曖昧なのです」
「ほう、何処に居た?」
「直ぐそこの林の中で寝ていました」
「もしかして白い聖域かい?」
「分かりませんが、白い立方体の中です」
「ほう、そうかそうか」

 客は私を眺めてから、何処か驚いた様な、寂しげな、諦めた様な、後悔する様な顔をして、ぐいとグラスのアルコールを飲み干した。そして客はグラスを投げて、壁に当たったグラスは砕け散った。

 テーブルの上にはアルコールの入ったグラスがまだまだ沢山置かれている。客はその内の一つを持ち上げて一口飲んだ。

「中はどうなっているんだ。俺達はあの中に入れないんだ。気になってはいるんだがね」
「今、あの中には遺体があるだけです。服を着た白骨が横たわっています」
「ふーん、何故死んだんだ?」
「分かりません」
「分からない?」
「分かりません」
「もしかしてお前さんが殺したのかい」
「殺した? 殺したとは?」
「お前さんが殺人を犯したんじゃないのかね?」
「殺人? 殺人とは?」

 客は面食らっていた。だが、やがて目に理解の色を浮かべて頷いた。

「そうか。そうだったな。失礼した」
「殺人とは何ですか?」
「人の全ての機能を他人が意図的に止める事だよ」
「そんな事が出来るのですか?」
「ああ、出来る」
「なら遺体は殺されたのでしょうか」
「儂には分からんよ」
「ありがとうございます。目的が出来ました」
「ふむ、それは一体何だい?」
「何故遺体が遺体になったのか調べようと思います」
「それは良いが、何故そんな事をしようと思った? さっきまで調べようとしていなかったのだろう?」
「遺体が遺体になったのは自分の意志だと思っていました。ですが遺体は意に沿わずに遺体になった可能性があると分かりました」

 客は一つ頷くと神妙な顔になった。
 そうすると酒気の匂いが減った。

「この先には町がある。酒が飲めないので儂は好かんがね。そこに探偵が居る。きっと死因を調べてくれるだろう」

 私は客に礼を言って立ち上がった。
 店には私達の他には誰も居ない。他の客も店員も。本当にここは店なのだろうか。店ではないとしたら、この客は客ではないのではないだろうか。そうだとすれば、客と考えるのは失礼だ。私の勝手な先入観で誤った認識をしてしまっている事になる。

「すみませんが、あなたどなたですか?」
「儂はこの店の客だ。只の酒好きだよ」

 客だった。
 でも何かが引っかかるのだ。



[27250] 死因分類
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 05:47
 酒場を出ると、眼下に町が広がっていた。丘の向こうは町になっていた。

 広い町だ。オレンジ色の建物が犇めいている。そこかしこでちらちらと黒い点が群れて瞬いている。中心には時計塔が聳え、彼方の黒い稜線を区切っている。私の立つ道は丘を降りて町へと繋がり、門を潜って時計塔へ、まるで私を時計塔へ導く様に真っ直ぐと繋がっている。

 探偵の居る町だ。そう思った。探偵の居る町は巨大な時計塔が無くてはいけないのだ。私は何故だか頑なにそういう風に考えていた。だから時計塔を見てほっとした。

 道程は軽かった。丘の頂上から急に舗装された石畳が通じていたからだ。今までの林の中や草叢とは比べ物にならない歩き心地だった。快さが更に私の気分を軽くする。わくわくとした。

 門は開かれていた。傍には守衛の小屋があって、覗いてみると中には眠る守衛が居た。守衛は眠りながら言った。

「許可は要りませんよ」
「そんなものですか?」
「そんなものです。許可等というものは、いつでも何処でも必要無いのです」

 私は門番に別れを告げて門の内に入った。少し暑い。風が吹いていない。

 停滞した空気がさらりと私の肌を撫でる。悪い気はしない。古い沼の様に淀んで腐ってはいないから。落ち着く様な、ずっとここで立ち止まっていたい様な、そんな停滞した空気に包まれた。けれど何某かの違和感があった。それが何かは分からないが、安穏としてはいけないという強迫観念が私の内に流れ込んで来た。

 私はやや速足になって、町中を歩き回った。そういえば、探偵というのが町の何処に居るのか、どんな所に住んでいるのか、どんな外見をしているのか、どんな者なのか、全く聞いていなかった。この広い町で手がかりも無しに探すのは困難だ。

 探偵とは一体どんなものなのか。何かそこらの人間とは違う存在なのだろうと思った。だから変わった家を探せば良いのだ。

 それは呆気無く見つかった。

 大きな建物。左右に伸びる道が建物の端から建物の内側へ入り込んでいる。そうして真ん中の入り口からは人ごみがぎゅうぎゅうと出たり入ったりしている。

 駅だ。混み過ぎてて入ろうにも中には入れそうにないが、幸い変わった家は駅の中ではなく外に在った。

 紫色の天幕が駅の入り口から離れた場所に、駅の壁から張り出す様にくっついていた。人目を引きそうだと思ったが、道行く人々は誰一人としてその家を視界に入れようとしていない。

 私だけにしか見えないのだろうか。
 望む者だけが見つけ出す事の出来る家。探偵の家にふさわしい。そんな気がした。

 駅に群がろうとする人々を掻き分けて天幕に近付くと、中からいらっしゃいという声が聞こえた。今の声を誰か聞いただろうか。そう思って振り返ると、やはり誰一人として立ち止まる者もこちらを見る者も居ない。声もまた、私以外の誰にも聞こえない声なのだろう。

 私にしか聞こえない声はまた、いらっしゃいと言った。
 その声に導かれて天幕を潜ると、中には全身を漆黒のローブで覆い、その隙間から皺の刻み込まれた顔を覗かせる老婆が居た。老婆は紫色のシーツが掛けられた机の向こう側から私を手招いて、老婆の対面にある木製の粗末な椅子を手で示した。この手付きもまた私にしか見えないのだろうか。私がそれに促されて座ると老婆は言った。

「お主は探偵を探しているのだろう」

 全てを見通されている様だった。不気味ではない。探偵とはそういうものなのだ。

「はいそうです。流石──」
「だが私は探偵ではないぞ」

 私が続けようとした言葉がぴたりと止められた。探偵ではないのに、まるで探偵の様だ。

「探偵ではないのなら、あなたは一体何なのですか」
「私の事を占い師という者も居る」
「占い師……探偵とはどう違うのですか?」

 老婆はにやりと笑って袂から小さな水晶を取り出し机の上に置いた。私が覗き込むと、歪んだ私の顔が映っていた。
 それ以外には何も見えない。

「同じ様なものじゃよ。一つだけ違うとすれば何処まで考えるかだ」
「何処まで考えるか……どういった意味でしょう? 何を考えるのでしょう?」
「探偵も占い師も真相を見抜かねばならない。だがその真相を何処まで見抜くかで二つの職業は変わる。曖昧な境だがね」

 老婆は水晶を机の上で一つ転がし、また逆側へ転がして、元の位置に戻した。何の意味があるのか。私には分からない。

「二つ共、今分かっている事からまだ分かっていない事を考える。過去現在未来をぴたりと当てる。ここまでは同じだが、その論理の進む先に違いがある。探偵の方は最近まで、占い師はより先だ」
「占い師はより先の未来を、より前の過去を、より深い現在を考えるという事でしょうか?」
「違う。時間では無く論理の話だ。例えば一足す一は二であるという事が分かっている。だから林檎と林檎があれば林檎は二つになるのではないかと考える。更に二つの林檎というのは中々の量だ。それを食べるとすると腹が膨れると考える。人によっては食べ過ぎになる。そうして体を壊す者が出てくる。大体ここら辺りが探偵の範囲だ。そうして体を壊した原因は林檎だと考えたり、林檎を食べ過ぎぬ様に注意する」

 老婆はそこで一呼吸置いて、また袂から水晶を出した。机の上に二つの水晶が並んで、覗き込むと、二つの水晶に私が反射し合って、私の歪みが更に大きくなった。

「占い師は更に先に行く。今年は身体を壊した者が多かった。きっと沢山林檎が採れたに違いない。それは今年が良い陽気だったから。そういえば何年か前に体を壊した人間が多かった時も沢山林檎が採れる良い陽気だった。だからこれからもし、良い陽気の続く年があったらその時は林檎を食べ過ぎぬ様に気を付けろ。これ位からが占い師の範囲だな」
「占い師の方が優れているという事ですか?」

 私の言葉に老婆が首を振った。

「違う違う。さっきも言った通り占い師と探偵の境は曖昧だ。それにな、探偵は近場を見るから絶対に当てなくてはならんし、相手に理解させなくてはならん。論理に破綻があったらまずいのじゃ。だが占い師は他人の見えない遠目を見るから外れても責められんし、相手に理解させる必要も無い。つまり一長一短だな。同じ事をやるが、必要な能力が違うと言っても良い」
「では、あなたはより先の論理をそれなりに正確に導き出せるのですか?」

 老婆が机の上に置いた水晶を弄び、その一つを萎びた指ではじいた。水晶はもう片方の水晶に当たり、もう片方の水晶は弾かれて机を飛び出し、地面に落ちて割れた。

「いいや。私は占い師ではないからね。私は呪術師だよ」
「呪術師とは何ですか?」
「様々さ。占い師や探偵の様な事も出来る。何でも屋だ。私に出来るのは死体を生き返す事だけだがね」
「では」
「ただし、私は殺された者は生き返せないよ」

 老婆が再び水晶を指で弾くと、今度は何に当たる事も無く机の上から飛び出して、地面に落ちて砕け散った。
 沢山の破片を覗くと、沢山の私がそれぞれに歪んで映っていた。どれが本当の私なのだろうか。

「私は死んでいます」
「生きていない事は見れば分かるよ。とりあえず今までの事を話してごらん」

 私は今までの経緯を話した。口を衝いて出る言葉達はすらすらと淀みなく流れていく。きっと出たがっていたのだ。聞いてもらいたがっていたのだ。真相を導き出せる者に。私の演算では真相に届かないから。

 私が語り終えると老婆は口の端を釣り上げて袂から紙とペンを取り出して、赤い字で何かを書き始めた。
 書きながら老婆は言う。

「どうして死んだのかは探偵に聞くと良い。場所は今書いているから」
「はい」
「もしも殺されたんじゃなければ私に頼むと良い。少しはまけてあげよう」
「はい」

 老婆が書き上げた紙を私に渡すと、椅子に深く坐りなおした。
 退出しろという合図だ。

 私は礼を言って立ち上がり、老婆に背を向けた。すると後ろから老婆の声が掛けられた。

「そうだ。探偵に会う前に人が死ぬ原因を知っておくといい。知っているかい?」

 私は振り返って答えた。

「あまり知りません」
「そうだろう。人が死んだとなった時、原因は大きく分けて五つある。一つは誰か別の人間に殺された時。これは私には呼び戻せない。二つ目が時間に負けた時。これを生き返すのは簡単だ。何処に居るのか分かるからね」
「何処に居るのでしょう?」
「天の国だよ。三つ目は意志無き者に殺された時。天災で死んだ時なんかがこれだ。これも時間に負けたのと同じで、天の国に居る。四つ目は人間以外の意志ある者に殺された時。五つ目は自分で自分を殺した時。この二つは生き返すのに時間が掛かる。何処に居るのか分からないから探さなくちゃいけない」

 死んだ者は何処に行くのか。天の国すら分からない私には、到底分かり様が無い。だから私は分からぬままに曖昧に頷いて先を促した。
 多分次の言葉が最も大事なのだろうと、私の勘が言っていた。

「特に五つ目は二つに分かれる。物理的に殺すか、観念的に殺すかでね。これで居る場所は大きく変わる」
「どう違うのでしょう? そもそも物理的と観点的の違いが分かりません」
「物理的にというのは人間が生きる機能を停止させるって事さ」
「なら観念的にというのは?」
「生きる機能は動いているのに死んだ事にするんだ」
「出来るのでしょうか?」
「ああ、簡単だ。例えばこの町で良くあるのは、登録票を書き換えて、生から死に変えるって奴だ。紙切れや言葉一つで人は死んでしまうんだよ。いや、それどころか死んだと言うだけで時と場合に依っては死ぬ」
「その者達が行く場所は何処なのでしょう?」
「観念的に死んだ者はこの世界の何処かで生者の様に行動している。物理的に死んだ者はあの世の何処かを幽鬼の様にさ迷っている」
「あの世の何処かというのは?」
「私にも分からんよ。碌な所じゃないんだろうね」

 私の体は震えた。

 何故だ?

 だって、もしも自分が自分を物理的に殺したのだとしたら、ずっと訳の分からない所をさ迷っているのだ。きっとだから怖いんだ。

 私は今ここに居る。だが、もしかしたら勘違いで、実は今も私はあの世の何処かをさ迷っていて、間違いに気が付いた瞬間に私はその何処かをさ迷わなければならないかもしれないんだ。

 何て恐ろしい事だろう。もしそうなら、私はさ迷う私を何としてでも助け出さなければならない。その為にはまず自分が何故死んでしまったのかを知る必要がある。そして老婆に生き返してもらうのだ。

「私は何故死んでしまったのでしょう」
「それは自分で考えな」

 それよりも探偵に聞いた方が良い。
 早く探偵の所に行かなければ。



[27250] 機械風景
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 05:50
 紫の暗幕を出ると強い日差しに私の瞳孔が収縮した。

 光の白いカーテンに視界が覆われ、その向こうで沢山の人々が往来している。黒がざわざわと、白がゆらゆらと、黒と白が互いに互いを塗り潰しながら、私の視界は明滅している。脳の容量を超える光景に、私の視界はぷつんと一瞬暗転し、そうしてまた世界を眺められる様になった時には、明滅する景色は消えて、駅前の雑踏が声と足音の喧騒を響かせながら駆動していた。

 横合いから衝撃が走り、私の体が揺れた。驚く間もなく、私の前を男が擦り抜け、そのまま男は雑踏に埋もれて行った。何が起こったのか分かった時には既に男の姿は見えず、もう二度と会う事は出来そうにない。

「すみませんでした」

 私は男の消えた辺りに向かって頭を下げて詫びてみたが、誰一人として私の姿を見る者は居なかった。ただ私の前と後ろを沢山の人が擦り抜けて行くだけだ。私は邪魔になっている事に気が付いて、駅前の雑踏を抜ける事にした。

 紙と地図を頼りに歩いていると、段々と町の中心地に誘い込まれている様だった。

 中心地と言えば、時計塔だ。もしかしたら探偵は時計塔に居るのだろうか。そんな淡い期待が湧いた。老婆に渡された紙を見る限りその可能性は皆無の様だが、願望は実測に勝るのだ。探偵の家が時計塔だと信じている限り、探偵の家に着くまでそれは本当の事なのだ。

 麗らかな陽気だ。静寂が日の光に熟成されて、森閑とした濃密な気配になって、赤レンガの屋根達に遮られた路地の影に涼しげに漂っている。ほとんど人の居ない路地には温かく朗らかになれる柔らかな日差しと、落ち着いて爽やかになれる沈んだ冷気が綯い交ぜになって、ただそこを歩いているだけで厚手の布団で眠った時の様な素敵な夢が頭の中に湧いてくる。

 時計塔はもうすぐだ。時計盤が赤レンガの屋根の向こうにちらちらと見える。その時、鐘が鳴った。時計塔の鐘が揺れている。鐘の音が次から次へとやたらめったらに反響して、調子っぱずれの振動を私の体に伝えてくる。

 時計塔はもうすぐだ。路地を右に曲がって時計塔が隠れ、左に曲がって時計塔が現れ、もう一度右に曲がると門から時計塔に繋がる大通りに当たった。駅前程ではないが、今まで歩いていた路地に比べれば人はかなり多い。駅前が個々人で無表情に歩いていたのに比べて、この大路は何人かの塊となって歩いている人が多い。笑っている人も多い。

 ここは良い所だと思った。

 大通りを歩いていると横合いから声を掛けられた。男性と男の子、親子だろうか、屋台を構えた二人は私が振り向くと、林檎を一つ投げ渡してきた。私が礼を言って、お金を払おうとすると、お金は要らないという。初めてこの町に来た私への記念だから取って置けと言う。何で分かったのかと聞くと、そういう顔をしていると言われた。

 どういう顔かは分からなかったが、私は再度礼を言って林檎を齧った。思ったよりも酸味が強い。何度か咀嚼し、新たに齧り取る内に、少しずつ酸っぱさに慣れて、段々と口の中に甘みが広がっていった。気が付くと林檎は無くなっていたが、私の体が悪くなる気配は無かった。

 人の間を歩いていると、少しずつ時計塔は大きくなって、その巨体が見上げる程になると、私は時計塔の前に居た。時計塔の入り口には守衛が立っていて、人々をにこやかな顔で通していた。

「こんにちは」
「こんにちは」
「この塔に入るにはどうすれば良いのですか?」
「一歩足を踏み出せば良いんですよ」

 私は言われた通りに塔の中に入って、塔の丸い壁に沿う形に連なった、土色の煉瓦で出来た階段を登った。前を歩いている人は女性と男の子と女の子。小さい二人がお母さんと呼んでいるので多分家族。男の子が私を指差してお母さんに小声で何かを言った。お母さんは少し険しい顔で男の子の頭を叩いてこちらを向いた。男の子もそれに釣られて私を見たので、私は微笑んでみた。するとお母さんの方は曖昧な笑顔で会釈を返すと、やや速足になった。男の子の方は驚いた様子で女の子の影に隠れてもうこちらを見る事は無かった。

 私の後ろを歩いているのは、男性と女性、仲睦まじい姿が微笑ましい。私が振り向くと、二人はこちらに微笑んで「綺麗な景色ですね」と言った。私は「そうですね」と返して、頭を下げて、前を向いた。背後からは密やかな甘え声が聞こえてきてくる。前を歩く小さな二人ははしゃいでいてそれを女性が諌めている。どちらも好ましく思った。

 私にも大切な人は居たのだろうか。居た気がする。だが、思い出せない。

 最上段の部屋に着くと、天井には大きな穴が開いていて、穴の向こうに大きな鐘が見えた。沢山の巨大な歯車が、がらりがらりと動いている。鐘は動いているのだが、鐘の音は微かにしか聞こえない。

 説明員の男性が歯車は形だけで実際には量子のゆらぎを増幅して動かしている事、本当なら部屋に鐘の音は入って来ない設計だが、観光に来た人達の付けた傷跡で構造が変化し、音が聞こえる様になった事を語った。

「良かったら壁を削ってみて下さい」

 そう言って、説明員が傍らの鑿を差し出してきた。

 子供達を含む何人かは嬉々として、それ以外の者は恐る恐る鑿で壁に傷を付けた。鐘の音が少しだけ大きくなった気がした。気の所為かもしれない。

「本当に音が大きくなるのですか?」
「いいえ、さっきのは冗談です」

 周囲から笑いが起こった。

「音の大きさは変わりませんが、この部屋で聞こえる音色は変わります。またいらしてください。きっと別の音が聞こえてくるでしょうから」

 私は説明員の言葉が本当なのか嘘なのか判別を付ける事が出来なかったが、皆は納得した様子で登って来た階段の反対側にある降り階段へと向かった。降りる間も本当に音色が変わるのか私は悩んだ。けれど他の人々はそんな事に頓着していない様だった。皆、本当の事だと分かっている様だった。まるで何度も来た事があるみたいだ。

 疑問を抱えながら時計塔を降りた時に、私は当初の目的を思い出した。
 探偵を探していたんだ。

 けれど探偵の姿は見えなかった。階段は一本道だったが、探偵の居そうな場所も無かった。時計塔は探偵の家では無かったのだろうか。

 がっかりして老婆から渡された紙を広げて見た。ところが、その紙に書いてあるのは駅から探偵の家への行き方であって、時計塔からの道程では無かった。近くに立つ地図に近付いて眺めてみたが、良く分からない。『探偵の家』で検索しても場所は分からない。

 一瞬、途方に暮れた。ここは未知の世界なのだ。その事をすっかりと忘れていた。何か自分の庭の様な思いで散策してしまっていた。どうすれば良い?

 だがその悩みは直ぐに、背後から聞こえる明るい喧騒に掻き消された。親子からもらった林檎の味が舌に蘇って、この町の人々が如何に優しいかを思い出した。

 折好く私に声を掛ける者が現れた。

「どうしたの?」

 ロボット、いや、後天的に機械を埋め込まれた人造人間の様だから、アンドロイドのサイボーグ? 何か複雑な人であった。柔和な微笑を浮かべたその少女は私の手を取って私の目を覗き込んできた。

 私はやや引き気味になって、少女の目を見つめた。少女の瞳の奥に駆動音を奏でる光が見えた。

「あの、探偵の所に行きたいんですけど」
「ああ、あの探偵さんね」

 少女は嬉しそうに笑うと、私の手を引いた。

「付いてきて」

 少女に連れられて町を縫って歩いた。少女の手からは私なんかよりも遥かに温かい温もりが流れてくる。何か不思議な感じがした。

「珍しい体ですね」

 私は思わずそう言っていた。言ってから失礼だったかなと思ったが、もう遅い。
 少女は振り返ると、こちらに笑いかけてきた。

「そうだね。ただでさえ人造人間や後天的な機械の体ってロボットと人の中間なのに、更にそれとロボットの中間だからね。あんまり見ないね」
「誇らしいですか?」

 私はそう言っていた。またしても言ってから失礼かなと思った。何故か考えるよりも先に言葉が口を衝く。
 少女は気分を害した様子も無く、朗らかに笑っている。

「誇りっていうのは特に無いなぁ。分からないよ。昔はともかく、今は人と人以外なんて分け方流行ってないからね。全く無い訳じゃないけど。高齢の方なんかは特に色眼鏡を掛けてくるし。でも、特別って思いは無いよ。話のネタになるのが少し嬉しい位かな」

 少女の手が私の手を強く握った。温かい体温と流れる血の感触が私の手に届く。

「良く出来てるでしょ? 体温も人と同じ。体の中もね。事故で幾つか機械になってるけど」

 少女は口を大きく開けて笑った。

 私は何と返していいか分からなくて微笑んでおいた。汝は人であるかなきか。多分この少女は人間なんだと思う。

「お姉さんは探偵さんの知り合いなの?」
「いいえ、初めて会います」
「そっか。依頼人なんだ」
「はい」
「それならね、気を付けてね」

 くつくつと少女は拳を口に当てて喉を鳴らした。

「怖い人なのですか?」
「ううん、変な人」

 変な人。それは探偵にふさわしい。探偵とは人と違っていなくてはいけないのだから。
 そう伝えると、少女は首を傾げた。

「探偵は変な人じゃなくちゃいけないの?」
「はい、そういうものだと聞いています」
「ふーん、じゃあ、探偵さんは探偵だから変な人なんだね。本当は普通の人なのかな」
「さあ、それは分かりませんが」
「変な人じゃなければ、普通にカッコ良いんだけどね」

 少女が立ち止まったので、私も立ち止まった。
 ぼろぼろの家が私達を左右から挟み込んでいる。

「ここの二階が探偵さんの事務所」

 少女が左手の二階を見上げて言った。
 私も釣られて見上げると、ガラス戸の向こうに影が見えた気がした。在宅なのだろうか。

「それじゃあ、私学校に行くね」
「はい、ありがとうございました」

 頭を深く下げると、少女の駆けていく足音が聞こえた。
 頭を上げると、少女はこちらを振り向いて手を振りながら走っていた。

 転びやしないかと不安に思いつつ、私が手を振りかえすと、少女は頭上に手を掲げ一際大きく振ってから、前を向いて路地の影に消えて行った。

 足音が聞こえなくなるまで手を振って見送ってから、私は探偵の家の脇に付いた石階段を上った。二階の外扉にはベルが付いていて、扉の真ん中に『探偵の探偵事務所の事務所』と書かれた看板が掛かっていた。

 しばらくその文字を眺めて意味を考えた後に、ここが探偵の居る家だと確信した私は扉を叩いた。中からくぐもった声が聞こえた。入れと言っているのか、来るなと言っているのか、それすらも判断できなかった。

 私はもう一度ノックしようか迷ったが、それはそれで失礼かと思い、決意して扉を開けた。

 真っ直ぐ正面に大仰な机があり、その上に座る探偵が居た。ぼさぼさとした頭を見ると何となく探偵の様だと思った。スーツ姿なのは探偵かどうかの判断を付け辛かったが、蝶ネクタイなのは探偵っぽい。パイプを持っていない代わりに、歯ブラシを持って歯を磨いているのは、探偵……らしいのかもしれない。

 入って来た私を見て、探偵は鋭い目を更に鋭く細めて、もごもごと言った。何と言っているのか分からないので曖昧に頷いてみると、探偵は自信たっぷりに頷いて、机から降り後ろのドアを開けて、消えた。

 しばらく水の流れる音が続いたかと思うと、探偵は相変わらずの鋭い目をしながらドアの奥から出てきて、机の上のティッシュを取って手の水気を拭ってごみ箱に捨てた。

「ようこそ、お嬢さん」

 探偵は皮肉気に口の端を釣り上げた。

「ご依頼の内容は?」
「死因を教えて欲しいのです。そして何処をさ迷っているのかも」

 探偵は二度頷くと、ひよこの人形と鉛筆を取り出して柔らかく笑った。

「では、密室に就いてお聞かせください」



[27250] 探偵情報
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 05:56
「密室ですか?」
「おや、失礼」

 私が尋ねると、探偵は立ち上がってまたも背後の部屋に消え、何か固く軽い物が擦れる音が聞こえたかなと思っていると、ドアが開いて探偵が現れた。ぼさぼさとした頭が整えられて、真ん中できっちりと横分けになっていた。眼鏡をかけていた。表情も心なしか隙無く尖った印象になっている。

 先程までの自堕落な恰好の方が探偵らしくて良かったのに。

 そうも思ったが、よくよく見てみれば硬質で隙の無い顔の下に、ひよこの人形と鉛筆を持ったスーツ姿というのはちぐはぐとしていて、探偵の様かも知れない。どうだろう。私の拙い記憶回路では判別を付け辛かった。

「さて、密室に就いてお聞かせ願いましょう」

 探偵の言葉に合わせて、金属を弾いた様に甲高い音が鳴ったかと思うと、皿の上に載った丸いピザが壁の中から現れて滑る様に探偵の机の上に載った。

「密室ですか?」

 私が再度聞くと、探偵は頷いた。

「密室というのは知っていますか?」

 密室。鍵が掛かった部屋の中で人が死んでいる事だった気がする。何処かで聞いたか見たかした覚えがある。何処だったか。

「何となくですが」
「閉ざされた空間とお考えください。どうです? 現場に密室は御座いませんでしたか?」

 私が居た場所は四方それぞれに鍵の掛かった部屋だった。外側から入って来られないあの部屋は密室だったと言えるだろう。

「ありました。部屋に鍵が掛かっていました」

 そうでしょうと頷いた探偵はピザを一切れ口に運ぶと、もう一切れを取って私へと差し出した。

「どうぞ」

 ピザは人参の味がした。ピザでは無く、サラダを丸く固めて、赤と黄と緑に色を付けた料理の様だった。

「あなたが探偵である僕の事務所の扉を叩いた時に、僕は密室を思ってわくわくしていました。きっとこれからやって来る依頼人が密室をもたらしてくれるだろうとね」
「そうなのですか」
「はい、ここのところ密室をお目にかかる事なんてほとんどありませんでしたから。今、頼まれている事も実に詰まらない事件ですし」

 探偵が操るひよこの人形が探偵の持つ鉛筆にぶつかった。探偵に操られた鉛筆はその勢いを真に受けた格好で探偵の手に捕まれたまま弾き跳び、少し浮いた所で探偵の指に弾かれて鉛筆は遠くへと飛んでいった。

「何故私が密室をもたらすと知っていたのですか? 探偵だからですか?」
「そうです、探偵だからです」

 今度こそ本当の探偵だ。奇抜な風体で何でも知っている。それでこそ探偵だ。この人に聞けばたちどころに私の知りたい事を調べて教えてくれるに違いない。探偵というのはそういうものだ。

 私が期待を込めて見つめる探偵は、しかし私の期待とは違った言葉を紡ぎ始めた。

「何故なら探偵というのは密室を解く者だからです」

 どういう事?

「探偵に依頼をする者は例外無く密室の謎を抱えていなければならない。だからあなたがやって来た時に、密室がやって来たと分かったのです。当然の帰結です」

 何がどう当然なのか分からない私を見て、探偵は噛んで含める様に言った。

「あなたは探偵に就いてはどの程度御存知で? 探偵とはどんな者の事だと思っていますか?」

 探偵とは何か。中々難しい質問だ。
 私はしばらく考えて、何とも間抜けな答えを返した。

「探偵の出てくるお話に出てくる探偵が探偵です」
「成程。その通りです。それがあなたにとっての探偵であり、恐らく多くの人にとっての探偵でしょう。でも僕にとっては違います」

 そう言うと、探偵はひよこの人形を投げ捨てて、ピザもまた放り投げた。ひよこは壁に当たって鈍い音を発し、ピザは壁に張り付いて水気のある音を出した。

 私が汚れた壁を見ていると、探偵はペン立に収まっていた羽ペンを取って指先でくるりと回した。

「物を投げるのは癖なので気にしないでください。さて、僕にとっての探偵ですが、それは密室を解く者です」
「密室ですか?」
「密室です。探偵が密室を解くのではない。密室を解く者が探偵なのです。そして、事件を解く者でもあります。事件とは密室によって構成されていて、密室の無い事柄は事件では無いのです」

 良く分からない。そういうものなのだろうか。

「そういうものですか?」
「そういうものです」
「では、どうして探偵さんは変なのですか?」
「え?」

 私の質問に面食らった探偵はくるりと回転椅子と共に回って、そうして机の横に備わったボタンを押した。部屋の隅の掛時計から雉の人形が出てきて、ワンワンと鳴いた。

「私は柴犬が好きなのです」
「柴犬ですか?」
「はい。柴犬を好きでない者は日本人ではありません」
「探偵さんは日本人なのですか?」

 探偵の髪は亜麻色で瞳は青だ。私の知っている日本人とは少し違う。服装も私の思っている日本人とはかけ離れている。そもそもちょんまげで無い。

「既に日本という国は無いので書類上は違いますが、僕は俺が日本人だと確信している」

 突然顔付きが変わり、無頼めいた意地の悪そうな笑みを浮かべた。その顔はすぐに治まって、鋭く硬質な無表情になった。

「だから掛時計にも柴犬の人形を入れていたでしょう? あの鳥が私は何よりも好きなのです。私は日本人ですから」

 柴犬は鳥だったろうか。違う気がするが、探偵があんまりはっきり言うので私の方が間違っている様な気がした。

「つまりそういう事なのです。私は探偵だから他の者とは違っている。そういう者にならんと自分を律しているのです」
「つまり探偵さんは探偵だから変な訳ですね?」
「その通りです。密室というのは常人には簡単に解けません。快刀乱麻を断つが如く密室の謎を解体するのであれば、それは普通の者から逸脱していなければいけないのです」
「それが私の目の前に居る探偵さんなのですか?」
「はい。私は元来賢くありませんでしたので、とかく探偵らしく振舞おうと探偵を研究してこうなりました。ですので不快に思われていたら申し訳ありませんが、我慢していただけます様、お願いいたします」
「分かりました」
「では、事件に就いてお伺いいたしましょう。特に密室に就いて」

 私が語る間、探偵は羽ペンを回したり、羽ペンをダーツの矢に見立てて的に投げたり、鉛筆を拾って来たり、また鉛筆を投げたり、奥の部屋に消えたり、そうかと思うと麦わら帽子を被って戻ってきたり、麦わら帽子を私の頭に被せたり、すぐに麦わら帽子を脱がせて帽子の縁を掴んで円盤を投げる様にくるりと体ごと回って外へ放り投げたり、足でリズムを取ったり、ピザを食べたり、電話をしたり、飛び跳ねたりと、実に忙しそうに動き回っていた。

 私はそれを目で追いながら必死で何があったのかを語り、語り終えても探偵はまだ一向に手を休めないので、手持無沙汰になりながら探偵を眺めていた。

 やがて息を切らして椅子に腰かけた探偵は、机の上で手を組むと、深刻そうな顔を作った。

「つまり、あなたが起きてみたら、白い部屋の壁それぞれに付いた扉それぞれに鍵が掛かっていたという密室状態で、白骨死体が服を着ていた訳ですね? 更に記憶も無くなっていた」

 私が頷くと、探偵は机の上に置かれた水を飲んだ。そうして黙り込んでしまった。
 しばらくしても何も言わないので、私は言った。

「密室にはなっていると思いますが」
「ええ、そうですね」

 探偵はそれだけ言って、また黙った。

 どういう事だろう。何か不味い事でも言ってしまったのか。
 何か居心地の悪い思いをしながら、私もまた探偵と同じ様に黙って座っていると、やがて探偵は顔を上げた。

「現場はもしかして町の外の丘の向こうにある森の中でしたか?」

 町の外、丘の向こう、森の中、確かにその通りだ。私は頷いた。

「やっぱりか。しかし、そうなると……」

 私は黙って探偵を見つめ続けた。
 探偵はぶつぶつ言ったかと思うと、突然椅子から立ち上がって腰を回し、そうかと思うとシャドーボクシングをして、額の汗を拭って椅子に坐った。

「つまり二重密室な訳ですね?」
「二重密室?」
「ええ、部屋に鍵が掛かっていた。これが一つ。そして現場の森には誰も入れない。これが二つ」
「あの森には誰も入れないのですか?」
「そうです。そういうものなのです」
「そういうものなのですか」
「これは中々難儀しそうな……何とも面白い、失礼、とても面白い事件だと言えるでしょう」
「そうなのですか?」
「そうなのです」

 探偵が私の目をじっと見つめている。覗き込んでいる。何を覗いているのだろうか。私の目の奥には何があるのだろうか。駆動するモータがあるのだろうか。じいじい言っているのだろうか。

「早速調査を始めたいところですが、三つ聞きたい事があります。よろしいですか?」
「はい」
「まず、あなたは話の中であなたと白骨死体が同一の存在だと言っていましたが、何故そう思うのです?」
「それは遺体が遺体となった時に私もまた死んでしまったからです。閉ざされた部屋で同じ時間に命を無くしたのであれば、それは同じ人物でしょう」
「そうでしょうか? 例えば片一方が相手を殺して、それを悔いるなりなんなりして自分も死ねばそれは密室の中で同じ時間に死んでしまった事になるでしょう」
「それでは同じ時間ではありません」
「成程。全く同じ時間、最少時間まで手繰ってみても一分の隙も無い位に同じ時間に死んでしまったのですね?」
「その通りです」

 探偵は大きく頷いて、机の上に広げられたメモにボールペンで何かを書きつけている。絵の様だ。

「次に、一つ目と被りますが、あなたがその白骨死体の方を殺したんじゃありませんか? もしも同一人物なら自殺という事になりますね」
「どういう事でしょう?」
「そのままです」
「仰る意味が分かりません」
「ん? つまり、犯人があなたではないかという話です」
「犯人が私かどうかですか?」
「はい」
「記憶が無いので分かりません。犯人であるかもしれないし、犯人ではないかもしれません」
「つまりあなたが白骨死体の方を殺した可能性がある訳ですね?」
「どういう意味でしょう?」
「いえ……」

 探偵は訝し気に顔を歪めたが、やがてメモにまた何かを書きつけると、私の目を見つめてきた。

「では、最後の質問です。この後時間は空いていますか?」
「はい、事件を解決する以外に特にするべき事もありませんので」
「では、一緒に町に聞き込みに行きましょう。平たく言うとデートです」
「町に? あの部屋では無いのですか?」
「私は入れませんし、見るものも特にないでしょう。今回の事件はあなたの記憶を取り戻せば解決する事だと考えております」
「町に何をしに行くのですか?」
「聞き込みです」
「何をですか?」
「分かりませんが、探偵とは聞き込みをするものなのです」
「そういうものなのですか」
「そういうものなのです」

 探偵は更に何か書くと、メモを破って私へと突きだしてきた。メモには猫が描かれていた。
 探偵が立ち上がって、背後にあるドアの向こうに消えた。私も立ち上がって待っていると、ドアの向こうから藍染の和服を着流した探偵が現れた。眼鏡を外して、髪をオールバックにしている。

「日本人だから和服を着てみたが……日本人に見えるか?」

 日本人には見えないが、日本人らしくはあるかもしれない。そう思ったから、そう言った。

「そうか。それでも俺は日本人だ」

 残念そうに項垂れた探偵が少し可愛そうだ。御世辞の一つでも言ってあげれば良かったかもしれない。
 そう思っていると、窓の外から甲高い声が聞こえた。子供達のはしゃぐ声の様だった。その声は探偵に劇的な変化を与えた。

「隠れていろ」

 そう言って、私に向けて手を払う合図をした。驚いて、立ち尽くしていると、探偵は後ろのドアを指差して、それから私の手を引いてドアを開き、私を奥の部屋に押し込んだ。押し込まれた拍子に躓いて、洗面台に手を付いて後ろを向くと、ドアが閉められて、向こう側から声が聞こえた。

「いいか、決して出て来るな」

 何やら分からずに私がドアをそっと開いて、今迄居た部屋を覗き見ると、探偵は事務所の入り口のドアの横に張り付いて緊張した面持ちで息を潜めていた。

 外から聞こえてくる子供達の声が大きくなる。階段を駆け上る音が聞こえる。見れば、探偵の手には何かが握られていた。銃? いや水鉄砲だろうか。中に何かの液体が入っている。それが何かを判断する前に銃は探偵の手に隠れてしまった。

 声が大きくなる。音が大きくなる。

 笑い合いながら階段を上っている様がはっきりと分かる。段々とこの部屋へと近付いている。もうすぐここへやって来る。

 音が止まった。声もまた消えた。
 音は丁度この部屋の前で止まった様だった。探偵が姿勢を低くして身構えた。

「覚悟!」

 入り口のドアが力強く開けられた音と甲高い声が響いた。ドアから現れたのは子供達で、踏み込んで銃、いややっぱり水鉄砲だ、を構えると、手当たり次第そこ等中に銃口を向けた。

「いない!」
「何処!?」

 子供がいち、にい、さん、男の子が二人に女の子が一人、男の子は水鉄砲を持って部屋の中を見回し始めた、女の子は水鉄砲を持っておらずドアの近くにへばり付いた探偵を見付けていた。

 探偵が口に指を添えた。少女は頷いて笑った。探偵がゆっくりと壁から離れ、手に持った銃を構えると二人の男の子の後ろにそっと忍び寄って、右手に持った銃を片方の後頭部に、左手の人差し指をもう片方の後頭部に当てた。

「フリーズ!」

 その声に驚いて一人の男の子が銃を取り落とした。もう片方は両手を上げて、その手から銃を零れ落とした。微かな水音がちゃぷりと鳴った。中身は水の様だ。

「ちくしょう!」
「何処に隠れてたんだよ!」

 探偵は着物の懐から眼鏡を取り出して掛けると、大きく笑った。

「はっはっ、甘いな怪人共。僕はずっと入り口に立っていたよ?」
「嘘付け!」
「居なかったよ!」
「君達が見落としただけさ」
「ホントに居たよ!」

 援護する女の子を睨みつけて、二人の男の子は水の入った銃を拾い上げた。

「また勝てなかったー」
「くそーっ!」
「はっはっ!」

 悔しがる男の子と笑う探偵、そんな三人を見て女の子はにこにこと笑っている。そんな四人を私はドアの隙間から覗いている。

 またも階段を上る音が聞こえてきた。かつりかつりと固く響く音が家中に伝播して辺りから鳴り響く。

 三人の男の顔が強張った。女の子はのほほんとしていた。私は分からずに困惑していた。そんな五人が居る部屋に、ぬっと赤無地の和服を着た女性が現れた。腰まで伸びる髪は探偵と同じ色、険しく細められた瞳の色も青で探偵と同じだった。私は顔が出る位までドアを開いてまじまじと女性を見た。また日本人だろうか。

「こら、あんた等何こんな所で油売ってんの」
「ごめんなさい!」

 男の子二人は謝るなり女性の脇を抜けて外へと飛び出していった。

「待ちなさい!」

 女性の怒鳴り声が飛んだが、男の子達の足音は遠く離れ、残響を残して、やがて消えた。溜息を吐いた女性は外を見ていた視線を女の子、それから探偵へと戻して、もう一度溜息を吐いた。

「あんたねぇ」
「悪い」

 決まり悪げな探偵はいそいそと眼鏡を仕舞って謝ったが、女性の表情は一向に晴れない。むしろ更に険しくなった。

「警察から依頼を受けてるんでしょ」
「それがどうした」
「こんなところで油売ってる暇なんて無いだろうに」
「いや、今、別の依頼人が来ているんだ」
「依頼人?」

 探偵の顔がこちらを向いた。女性の顔もそれを追った。扉から顔だけ出した間抜けな私の姿が二人の目に映った様だ。私が頭を下げると、女性は心持ち表情を柔らかくして会釈を返してくれたが、すぐさま元の険しい表情に戻ると探偵を睨みつけ、そのまま視線を外して外へと向かった。

「まあ、いいや。行くよ、杏奈!」

 びくりと震えた女の子は大きな足音を響かせて外に出た女性を追って、一瞬だけ探偵を振り返ったが、そのまま女性を追って外に飛び出した。

 後には何か一回り老けた様子の消沈した探偵が残された。

「今のは奥様とお子様方ですか?」

 扉から出た私は肩を落とす探偵にそう尋ねた。探偵は茫洋としながらこちらを向くと、首を振った。

「あの子達は只の……そうだな、只の友達だ。あの女は……昔は家内だった」
「あの女性も探偵さんと同じで探偵なのですか?」
「いいや。吸血鬼だよ」

 探偵から溜息が漏れた。私は更に尋ねた。

「それで聞き込みはどうしますか?」
「ああ、そうだ。デートだったな。まずはあの子達の学校に行こうか」
「はい、分かりました」
「殺人があった事だし、丁度良い」

 そう言って、探偵は入り口へ向かった。私は扉から出てその後を追った。



[27250] 犯罪公演
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 05:58
 探偵事務所の下は探偵の自宅らしい。道路に面して車が一台入るだけの屋根付の駐車場が在り、そこには三輪車が置かれていた。

「僕の愛車なんです。一人乗りなのでお乗せする事は出来ませんが」

 眼鏡を掛けた探偵はそう言った。私は頷いてから別の事を尋ねた。

「殺人があったそうですが」
「はい、事件ではありませんが、警察から依頼を受けて調査しました。実に詰まらない事象でしたよ。一瞬で解けました」
「人が殺されたのですか」
「ええ、その通りです」
「五つの内の一つですか?」

 探偵は突然右手を頭頂に当て、左手を顎の下に添えて、頭を押し込む様に手に力を込め始めた。何をしているのか分からない。
 やがて頭から手を離したかと思うと、探偵は困惑した顔をこちらに向けてきた。

「降参です。五つの内の一つとはどういった意味でしょう?」
「何でも人が死ぬ原因は五つあるとか」
「五つ?」
「人間、意志ある人間以外の人、時間、自分、意志無きものの五つの要因に因って人は死ぬとか」

 探偵は顔を顰めて私に聞こえぬ様に小声で呟いた。

「そうか、あの婆さんまだそんな事を」

 だが私には丸聞こえだった。探偵は私の視線に気付くと隙の無い笑顔を浮かべて、人差し指を立て横に振りつつ、ちっちっと口内から何度か空気を破裂させる音を立てた。

「駅前に居る占い師の女性から聞いたのでしょう? もしかして僕の所在もそこで聞いたのかな?」
「はい」
「駄目ですよ。あの女性の言う事を信じては」
「何故でしょう? 嘘吐きなのですか?」
「いや、そういう訳ではないのですが……」

 探偵の手元に蜜柑が飛んできた。探偵は受け取って、懐からコインを取り出すと指で弾いて、蜜柑を投げた三人の女の子へと飛ばした。

「あの女性は耄碌してしまっているのです」
「そうなのですか?」
「そうなのです。二世代位前からね」
「そうは見えませんでしたが」
「あの女性は人を人間とそれ以外に分けずにいられないんですよ。もうそんな考え流行らないというのに」
「そうなのですか?」
「そうなのです。ですから、本当の死因は四つ。いや、二つです。人と自然、これだけなのです」
「人と自然……自分と他人の区別も付けないのですか?」
「はい、人は並べて密室を作る可能性がありますが、自然は密室を作らない。自然が作るのは偶然だけです。探偵が解くのは前者だ」

 探偵の手元にバナナが飛んできた。探偵は受け取ってコインを弾いた。それから私の手元へバナナを置いた。探偵は蜜柑を剥き、私はバナナを剥いて、歩きながら二人で食べた。バナナの味がした。探偵の口の中には蜜柑の味が広がっているのだろうか。それを確かめる術は無い。

「殺人があったのですよね」
「はい、いや、起こっています。もうかれこれ一年位、沢山の人が殺されてきました」
「どれくらいでしょう?」
「千人程が同一の事件に因って殺されているみたいです。ちなみにこの町には百万人程住んでいます」
「沢山の人が死んだのですね」
「沢山の人が死にました」
「皆さん、あまり怖がっている様には見えませんが」
「あなたにそう見えるだけでしょう。皆、殺されたら嫌だなぁ位には思っています」
「探偵さんはその犯人を見付けようとしているのですか?」
「探偵としての私がではありませんが、警察に頼まれたので不承不承」
「目星は付いているのですか?」
「いいえ」

 その時、ふと探偵は立ち止まり、くるりくるりと二回三回回った挙句、傍らの家に拳を突き出し、そのガラス窓を割った。中から悲鳴が聞こえてきた。探偵は涼しげな顔をしてこちらに向くと、思案気に言った。

「恐らく境界の外に居る者、あるいは境界の外を目指す者の仕業でしょう」
「犯人を見つけたのですか?」
「いいえ、ですがあなたの話を聞いて、今何故だか急にそんな事を思いました」
「私の話を聞いて?」
「はい、何故なのかは僕にも分かりませんが、もしかしたらあなたは今回の事件の要素なのかも知れません」
「私はそうは思えませんが」
「僕にも分かりません」
「ところで事件だと仰っていましたが、密室が見つかったのですか?」
「はい、もしも犯人が境界の外側から俯瞰する者であるなら、この事象は巨大な密室です。よって事件であり、僕の出番なのです」

 歯を見せて探偵が笑った。子供っぽい笑顔だった。瞳の輝きに陰りは無く、全身から立ち上る熱が陽炎を作っていた。これが探偵か。そう思った。期待で胸が熱くなった。一体どんな物語を聞かせてくれるのだろう。私の前には白いドレスを着た女の子が座っていて、本を広げて読んでいた。私は女の子の口をじっと見つめて、その話に耽っていた。

 ふと気が付くと坂を下りていた。一瞬前の幻影は消えていた。隣を見ると、探偵が嬉しそうに西瓜の欠片を食べていた。何故だか探偵の胸が西瓜の果汁で赤くなっている。果肉も少し付いている。一体何があったのか。

「げっ」

 探偵がうめき声を洩らした。途端に眼鏡を仕舞って、西瓜を捨て、前を凝視した。前方には先程探偵事務所にやって来た女性と女の子が坂を下っている所だった。女の子は女性を見上げて必死で何かを話しており、女性は何かを──輸血パックを口に咥えて、楽しそうに頷いている。

 探偵が歩みを緩めたり早めたりしている。女性に追いつこうか迷っているのだ。後ろで何か大きな音が聞こえた。探偵の足が早まった。どうやら女性に追いつく事に決めたらしい。精悍な顔付きを一層引締め、胸の蝶ネクタイの位置を直し始めた。後ろから大きな声が聞こえた。

 突然前を歩く女性がこちらを向いた。驚いた様に目を見開いてこちらを見つめてきた。女性が輸血パックを吐き出してこちらを見つめる目を険しくさせた。いや、私達の後ろを見ているのだろうか?

 女性の髪が揺れた。日の光に照らされた髪は大きく広がりながら薄らと赤く染まっていた。亜麻色の髪ではなくなっていた。なくなりつつあった。髪は次第に赤く赤く、瞳もまた赤く赤く、染まっていく。まるで私達に誇示するかの様に、赤い髪はざわりと震え、赤は更に深く深く淀んでいった。赤は更に赤く黒く、凝縮され尽くした赤はやがて凝り固まった黒に変わり、光を吸い込む黒に変わり、黒は私の目を釘付け、髪は黒く、瞳も黒く、まるで夜を映した様に、光も無く、影も無く、均された闇が女性の白い肌を浮き上がらせている。

 私はそれを見て、本当に吸血鬼なのだと思った。赤い和服を着た女性の黒い髪と黒い瞳を見て、ああ確かに日本人だとも思った。女性の体は低く沈み、女性の周りを霞の様な闇が覆い、影を纏った女性は私の後ろを睨みながら道路を蹴った。

 誰の目もそれを追っていない。私だけがその昂った怒りを見つめている。一体、私の後ろに何があるのだろう。私は動かしがたい首を無理やり動かして女性から目を外し、振り向いた。

 背後には巨大な車が迫っていた。後一息で私の体に触れる。それ位近付いていた。トラックの様だが、あまりにも巨大だった。まるで天を摩さんとする様だった。私は事態が呑み込めなかったが、横に探偵が居る事を思い出して、一歩前に出てトラックへと近寄った。

 近寄るまでも無くトラックは私の前へ、私が手を伸ばすと、その周りを影が覆った。そう思う間に、トラックの前面に影が張り付き、横にはトラックに手を伸ばす黒い女性が居た。

 私の体を衝撃が通り抜けた。出来る限り体の中には力が掛からない様に分散に分散を重ね、更に闇が力を吸い取ってくれて、減じた衝撃は足の裏へ、道路へと流れていった。

 前から甲高い、後ろから少し低い、ひび割れの音が聞こえてきた。その音はすぐさま金属の擦れる巨大な唸り声に掻き消された。それだけでなく、辺りの音という音が金属の悲鳴に上書きされていった。

 しばらく耳をつんざく状態が続いたが、やがてトラックは止まった。残響がまだ耳の奥に響いていたが、一先ず世界は元へと戻った。

 安堵した拍子にふと視界の端にこちらを見つめる男達が入った。路地裏からこちらを覗く男たちは驚いている様でもあり、決意の漲った様でもある。幾人かは身を乗り出そうとしていた。助けようとしてくれたのだろうか。先頭のピエロの服を着た男がやけに印象深い。

「大丈夫だったかい?」

 傍らから掛けられた声に気付いてそちらを向くと、亜麻色の髪を晒し青い目を浮かべた女性がこちらを覗き込んでいた。もう吸血鬼でもなく、日本人でもなかった。でも吸血鬼なんだと思った。

「もう完全に止めたから手を離しても大丈夫だよ」

 私はそう言われてトラックから手を離した。見ればタイヤ周りに影が纏わりついている。トラックはその場に縛り付けられている様だ。

「止めてくれてありがとね」
「こちらこそ助けていただきありがとうございます」

 男達の居た場所を見ると既に男達は居なくなっていた。後は薄暗い路地が残っている。人の気配は無い。

「しかしこんな手まで使って来たかい。探偵さん、早く止めて下さいな」

 吸血鬼の言葉を聞いて、探偵は眼鏡を掛けると頷いた。

「分かっていますよ」
「ふん、もう一年も見付けられていないってのにさ。呑気なものだね」

 吸血鬼は探偵から視線を外すと坂を下りながら手を振った。

「それじゃ、私は学校に行くよ」

 探偵は眼鏡を外して後を追おうとした。

「ああ、俺も」
「あんたはちゃんと調査しなさい」

 そう言って女性は振り返ってトラックを指差すと、ついとにべも無く前を向いて坂を降って行った。
 探偵は眼鏡を掛けて嘆息すると、私の方を向いた。

「助けていただきありがとうございました」
「いえ。これも犯人の仕業ですか?」
「そうですね。トラックには運転手も居ない様だし」

 探偵の視線を追うと確かにトラックに人の姿は無い。

「電子回路が壊れた可能性もあるけれど、まあ犯人の仕業である可能性が高いですね」
「そうなのですか」
「僕はそう思いますよ、警部」

 いつの間にか口ひげを生やした小太りの男がやって来ていた。周りには制服を着た警官が大勢居た。

「そうかい。難儀な事だ」
「いっそ全区域に監視装置を付けるなり、全員の位置情報を掴める様にするなりしたらどうですか?」

 探偵の言葉を聞いて、警部は自嘲した。

「ふん、警察署にたった一台の光学レンズを添え付け様とするだけで権利がどうだとか、個人情報がどうだとか言われたのにかね? 無理だよ。それが出来たら苦労しないだろうが。警察の捜査手法が三千年前と対して変わらないのはどういう事だろうね」
「皆さん、命の危機を感じていらっしゃるのでしたら、監視カメラ位付けても何も言わないのでは?」

 私が尋ねると、警部は疲れた様に溜息を吐いた。

「ふん、誰も本気で命の心配なぞしていないさ。どうせ生き返るんだから……」

 そこで警部は言葉を切ると、怪訝な顔をした。

「こちらは?」
「ああ、あの森の中の聖域に居た方ですよ。何でも」
「ああ、あそこが遂に開いたのか」

 探偵の言葉を遮って警部が大仰に嘆いた。

「また条例がどうとか騒がしくなるな」
「市民には何の関係もありませんがね」

 探偵は私へ向くと、坂の下の前粒の様に小さくなった吸血鬼と女の子を指差して言った。

「僕は少し忙しくなりそうなので、あの二人に付いて学校へ行っていてくれませんか?」

 私が頷くと、探偵は警部の脛を蹴り飛ばし、痛みに足を上げて飛び跳ね始めた警部の帽子を剥ぎ取って、自分で被った。

「それでは失礼いたします」
「ええ、それではまた学校で。何、すぐに行きますよ。どうせ分かる事なんて何もないんだから」

 何か騒ぎ立てている警部を無視して私と探偵は言葉を交わし、別れた。

 吸血鬼と女の子を追って坂を下る途中に、また路地の横から大通りを眺めるピエロ姿の男が見えた。私はそれを横目で見つつ、坂を駆け下りた。



[27250] 不死聴講
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:00
「吸血鬼さん」

 私が声を掛けると吸血鬼は嫌そうな顔をして振り向いた。

「やあ、依頼人さん。悪いけどその呼び方はやめてくれないかな?」
「では何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「カーミラって呼んでおくれよ。私の名前。漢字はね──」

 カーミラは名前に当てる漢字を言ったが、それを聞いた後も私の中でカーミラは漢字で表示されずに、カーミラと浮かんだ。呼ぶ上では問題無い。

 カーミラという名の女性と杏奈という名の少女は学校に行くという。私、名前は思い出せない、もまた学校に行く。学校とはどんな所だろうか。私の記憶では人間、今は人、が勉強をする場所だというのは知っている。人はみんな学校に通うらしい。ただ例外も居る。私はその例外を知っている。学校とはどんな所だろう。私は行く事が出来なかった。確か行きたいと駄々をこねたが行けなかった。白いドレスを着た少女もそうだった。二人で行きたい行きたいと暴れていた。でも行けなかった。学校とはどんな所だろう。楽しみだ。

 ふとカーミラがこちらを見ている事に気が付いた。私がカーミラを見据えると、カーミラの視線が逸れた。何だろう?

「どうしました」
「いや、ね」

 歯切れが悪い。何なのだろう。
 私が疑問に思ってカーミラを見つめていると、カーミラではなく、杏奈が口を開いた。

「ねえ、お姉さん。あの探偵のお兄さんは? 一緒じゃないの?」
「探偵さんでしたらさっきの場所に残っています。合流するので学校で待っている様に言われました」
「ああ、あいつは学校に来るのかい」

 私の答えに、カーミラが応答した。妙に嬉しそうだった。何故だか少し羨ましい。

「どうしてそんなに嬉しそうなのですか?」
「え? あ、そんな顔してないよ」
「あのね、吸血鬼のお姉さんは探偵のお兄さんの事が好きなの」

 杏奈の言葉にカーミラが顔を背けた。

「別にそんな事無いさ」
「ああ、そう言えば、お二人は夫婦なのでしたね」
「そんなの三百年前までの昔の話だよ。私とあいつじゃ、寿命が違うからね。暮らしていくなんて無理な話なのさ」
「そうでしょうか?」

 カーミラは一瞬、言葉に詰まってから、諦めた調子で口を開いた。

「ああ、そうさ。昔はどっちかが死んでもまた一緒に暮らせるだろうって思ってたさ。だからあいつが死んだ時、悲しかったけどあいつを待ったよ。生まれ変わる日をね。それ位、私の寿命は長いから」
「何処かでそんな話を聞いた事があります。タイムリープだとか、冷凍睡眠だとか、方法は様々でしたけど、とにかく死んだ人と同じ時代に生きようと。けれど生まれ変わった人は記憶の無い別の個人になってしまっていて絶望すると聞きました」
「ああ、依頼人さんは昔の人なのかい? 目覚めたのは最近?」
「はい、正確な時間は分かりませんが、時代が隔絶している様です。目覚めたのは今日です」
「そうか、なら知らないんだろうね。今の再生技術だと、記憶も引き継げるんだよ。多少だけどね」
「そうなのですか?」
「でもね、それを決めるのは町だ。人物固有値なんていう訳の分かんないデータが勝手に選ばれて、一番最小でその人らしく出来るデータが入力される。私は機械に生かされてるみたいで、生まれ変わったあいつとの再会だって機械の意のままになったみたいで気持ち悪かったね」
「そういうものですか?」
「そういうもんさ。それでもね。まあ、元々夫婦だったし、あいつはあいつだと思って一緒に暮らしてたよ。ちょっと違和感はあったけど、楽しかったさ。それで二回目にあいつが死ぬ少し前に私も死んだ。私は死ぬ時に次もまたあいつと一緒に夫婦をやろうってあいつと約束してさ、何だか、こっぱずかしい話だけど、死ぬ時にもわくわくしていたよ。でも、それがあれさ」
「あれとは?」

 仲睦まじく暮らしていた二人が些細なきっかけでぎこちなくなっていった事は分かる。それでも二人は夫婦生活を続け、それを楽しいと感じていたはずなのに。何故、別れてしまったのだろう。いや、たかが死んだ程度で関係がぎこちなくなるのであれば、所詮その程度の関係だったのだろうか。何故かそんな言葉が浮かんだ。何処かで聞いた事のある言葉だった。

「探偵だよ」
「探偵?」
「私が生き返ったら、あいつは探偵なんていう訳の分からない仕事を始めていた上に、何だか訳の分からん行動を取る様になってたんだ。会いに行ったら、突然ハムエッグを口の中に放り込まれて、ゴールとか叫ばれたからね。その場で殴り飛ばして帰ったよ」
「成程」

 何となくその光景は容易に想像できた。恐らく殴られても探偵は奇態を続けていたに違いない。

「だからね、死ぬ時も生きる時もずっと一緒ってんならともかく、死んだ後の長い空白をどちらか片方だけが味わっていたら、絶対にずれるんだ。だから私達は駄目なんだよ。あいつはもう私の事なんかどうでも良いんだろうね。探偵が好きな様だから」
「そうなのですか?」
「でも吸血鬼のお姉さんはまだ探偵のお兄さんの事が好きだよね」
「別に好きじゃないさ」
「さっきだって探偵のお兄さんの事助けてたし」
「助けてないよ。ただあのトラックを止めただけさ」
「そういえば、カーミラさんに会えて、探偵さん嬉しそうにしていましたよ」
「え? 本当かい? いや、でもあいつなんて……さっきだって結局私と依頼人さんに助けてもらってたじゃないか。男の癖に」
「流石にそういう問題じゃないと思うよ」
「はい、それは酷です」
「あ、探偵のお兄さん」

 振り向くと件の探偵がこちらへと駆け寄ってきていた。けれどカーミラは振り返ろうしない。

「流石にそんな手には引っかからないよ」

 私と杏奈のいたずらだと思っている様だ。
 そうしている内に探偵は右手を挙げて、振り返った二人と前を向く一人に声を掛けた。

「三人ともお待たせいたしました。探偵の登場です。拍手喝采でお迎えください」
「ぱちぱち」

 誰も手を叩かなかったが、杏奈だけが口で拍手をした。
 カーミラはようやく振り返ると、そこに探偵が居る事を認めて、目を据わらせた。

「あんたいつから?」

 探偵は眼鏡を外して聞き返した。

「え? 何が?」
「いつから後ろに居たんだい?」
「今、追い付いてきたばかりだよ。何か事件でも起こったのか?」
「いや、それなら良いんだけど」
「あのね、吸血鬼のお姉さんはね、探偵のお兄さんの事がね」
「ちょっとやめなよ」

 カーミラは杏奈の口を塞ぎ、杏奈はカーミラに口を塞がれ、二人が騒がしくしている様を見て、探偵は眼鏡を掛けて言った。

「もしかして私の殺害計画でも立てていたんですか? でしたら密室でお願いします」

 神速のストレートが探偵の顔面に見舞われた。探偵はまるで反応が出来ていなかったけれど、何故か眼鏡だけは外して懐に仕舞っていた。

「ああ、丁度学校に着いたよ」

 埃でも払う様に探偵を殴った手を振りつつ、カーミラは私に言った。赤いレンガの巨大な建造物が目の前に会った。私達が近付くと、ドアが開いて、中から悲鳴と喧騒が聞こえてきた。何かがあった様だ。



[27250] 密室秘蝋
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:02
「またか」

 何処かから諦めの嘆息が漏れた。

「出来ればあんな風に穏やかに殺して欲しいね。あるいは一瞬で意識が消えちゃう様なやつ」

 そんな会話が漏れてくる。

 私の視界には死体があった。沢山の人が警備員に阻まれて遠巻きに死体の居る部屋を窺っている。私達はその輪の外から死体を見つめている。太り気味の死体は部屋の中で椅子に坐って上を見上げて死んでいた。一目見ただけでは生きている様にも見えるが、ガラス越しに見ても体温は無く、心臓の鼓動も無い。それは確かに死んでいた。部屋の中には沢山の動物がいる。死体の膝の上には狐が載り、足先には犬が集まり、頭の上では狸が毛づくろいをしている。鳥が飛び、鼠が走り、兎が眠っている。他にも沢山の動物が、中には人工的に作られた物も。暴れている動物達も居る。猫だ。死体の死に顔はあまりにも安らかで、動物に囲まれて幸せそうに上を向いて目を閉じている様だ。

「おお、探偵殿。またよろしくお願いします。現場はまだ警察の方々も入っておりません」
「どうも校長。それで密室ですか?」
「はい、密室です」
「ほう」

 探偵は感心した様に頷いて、私へと向いた。その眼から輝きは消えていた。

「こちらがこの学校の校長のエトランジェさんです。校長、こちらがあの白い立方体の中に居た女性です。名前は忘れたそうです」
「初めまして」
「どうも初めまして、エトランジェです。はは、初めてお越し頂いたのにこんな事件がありまして、申し訳ない」

 探偵は校長の後ろで嫌そうな顔をしたが、すぐに表情を戻して言った。

「それで、現場は小学部のこの動物実験棟でよろしいのですか?」
「はい、他の場所は既に警察の方々が調べましたが、事件の現場ではない様です」

 探偵は校長と向き合いながら露骨に嫌そうな顔をした。

「何か、まずい事でも?」
「いえ。それで死因は?」
「死因と言われましても。私達にはみんなプロテクトが掛かっていますし、体を調べる様な真似は」
「まあ、動物に囲まれた幸せに因るショック死でしょう。そんな即効性の毒があったはずだ」
「そんな毒が」
「あるのです」

 探偵が人ごみを掻き分けていった。私はその後ろをついて行った。カーミラと杏奈は授業を受けに別の校舎に行っている。私は探偵に言われてここに来た。記憶を得る手がかりがあるかもしれないと。

 探偵が苦労して部屋に辿り着くと、まず真っ先に部屋のドアを調べた。ドアノブ何ていう時代錯誤の代物が付いているが、その実ドアはノブを使わず開閉する仕組みで、ドアノブはただの飾りの様だ。その部屋は廊下側の壁が透明で、残りの三方が薄く水色がかった壁に囲まれている。探偵は透明な壁に顔を張り付けて、ドアを何度か確認すると、そっとドアに手を触れた。ドアは難なく開いた。

「校長」
「は、はい、何でしょう?」

 人ごみの波に揺さぶられて荒く息を吐きながら校長は応じた。

「鍵は掛かっていない様だが?」
「そうなのですか。誰も調べていないので良く分かりませんが」
「誰かが触れたかい?」
「いいえ、誰も。壁越しに死んでいる事に気が付いて警察を呼んで、そのまま皆で現場の保存に努めましたので」
「じゃあ、最初からこのドアは鍵が掛かっていなかった訳だな?」
「はい」

 探偵は額に指を当てた。

「じゃあ、これ密室じゃないんじゃないか?」
「いえ、違うのです。これは密室なのです」
「ほう? どういった事でしょう?」

 探偵は芝居がかった調子で眼鏡の位置を直して校長を見据えた。

「この実験棟は今日はほとんど無人で、この二階のフロアに上がった者はその実験室の中で死んでいる彼だけなのです。彼が昨日突然この実験棟で危険な実験をするなんて言うから」
「どうしてそれ以外に上がった者が居ないと? ああ、そういえば、階段は一つだけでしたね」
「はい、外壁は密閉されておりますから、霧になっても通れませんし、監視カメラやらの通常の監視装置はありませんが、存在確立を弄って壁抜けする位は流石に検出できます。警察の方にも確認していただきましたが、あの部屋に行く為には必ず一階から階段を上らなくちゃならない」
「では、誰か階段を見張り続けていた者が居たのですか? 朝も早くから暇な事に」
「はい」

 探偵が皮肉気に言うと、校長は頷いた。面食らった探偵を余所に、校長は誰かを呼んだ。すると前に道を教えてくれたアンドロイドの少女が年配の女性を伴ってやって来た。

「あ、お姉さん。朝ぶり。探偵さんも来てるんだ」
「ええ、朝ぶりです」
「どうも探偵です。今しがた失礼いたしました、お嬢さん方」

 先程の探偵の言葉を聞いていなかった二人は理解できない様だが、年配の女性の方は探偵の言葉尻に顔を赤らめた。

「この二人が証人な訳ですね」
「はい。私が今日見た彼は死体の状態だけですが、二人は生きている状態の彼も見たみたいですよ」

 そう言って、校長は下に降りていった。解き終わったら呼んでくださいなんていう、無責任な言葉を残して。探偵は肩をすくめてから、連れてこられた二人に向き直った。

「嫌な上司を持つと大変ですね」
「ホントにそうなんですよ。分かってくれますか、探偵さん」
「勿論です。それでお二人が二階に上がる階段を見張っていたのですか?」
「見張っていたって訳じゃないけど、ねぇ、おばさん」
「そうですよ。美穂ちゃんと一緒に二人で階段の横に居ましたから、誰かが上れば分かります」
「そうそう」
「成程。一階には結構人が居たんじゃないですか?」
「はあ、いえ、あまり人は多くなかったですよ。特に階段は全然。ねぇ、美穂ちゃん」
「うん。あ、もしかして何かトリックを使ったのかな」
「トリック?」
「うん、小説だとねぇ、何かこう普通の人が考えない様な細工とか状況を作って、犯人逃れをしようとするんだよ。ね、探偵さん」
「ええ、そうですね。トリックが使われた可能性もまだ否定出来ません」
「はあ、それは恐ろしい事で」

 年配の女性は恐ろしいんだか恐ろしくないんだか分からない、実に奇怪な顔を作って頬に手を当てた。

「しかし死んでしまったあの男性はいつからそこに居たんでしょう。何か知っていませんか?」
「そりゃあ、朝っぱらから居ましたよ。鍵を開けるのはあの人の役目でしたから、常に朝一番乗りです。私が来た時に丁度階段を上ってくところでした。遠目でしたけど太っちょが白衣来てますからすぐに分かりますよ」
「へえ、私は見てなかったけど」
「うん、美穂ちゃんが来る少し前だったから」
「その後二人で見に行った時は居たよね」
「ええ、そうそう。居たね、この部屋に。寝ていましたよ、探偵さん」
「ここに見に来たのですか?」
「ええ、生きてましたよ、最初の時にはね。次に来た時は死んでましたけど、まあ、二回目に来た時も私はまた寝てるだけかと思ってましたけど」
「二回目の時には何だか変だなって思って、私が室温を見たら寒くて、人間なのに明らかに熱を発してなかったから死んでるなって」
「美穂さんも体内のスキャンは出来ませんよね」
「うん、今の人はみんな防御機構が付いてるから。そっちのお姉さんの中は見れるけど」
「そうですか。それで、死体を見つけた時は二人で一緒に上がって来たんですね」
「ううん、三人だったよ。さっきの校長と。校長、何でもあの死んじゃった人に用があったみたいで」
「三人で固まって階段で上ってここに来たんですね?」
「うん。でも階段を上ったら目の前がこの実験室だから、ここまでは来てないよ。階段の踊り場で死体に気が付いたからすぐに三人で下に降りてみんなに連絡しに行ったよ」

 美穂が後ろを向いて人ごみの向こうを指差した。階段がこちらを向いている。確かに階段を上がればすぐにこの部屋の様子が分かりそうだ。

「では、最初に見に来た時は? その時も三人であの死んだ男の様子を見に?」
「ううん、猫が居たの?」
「猫ですか?」
「うん。うちの学校の看板野良猫でね。とっても可愛いの。今度お姉さんにも見せてあげたいな」
「ええ、今度是非見せて下さい」
「ああ、あの猫ですか。確か見つめていると、周りが見えなくなってどうしても付いていきたくなるんでしたっけ?」
「そうそう。だから私達も猫にふらふらっと付いていったの。ね?」
「そうそう。猫ちゃんがね、階段を上るもんだから私達も付いていってしまって。それで気が付いたらこの階に居たんですよ。猫ちゃん、そのまま実験室の中に入ったかと思ったら、また出て来てね。ああ、そう言えば少しだけ正気付いて実験室の中を見た時に、居ましたね。こう、あの死んじゃった人は机にうつ伏せになって寝ていましたよ。ね、美穂ちゃん。それで猫ちゃんがまた戻るもんだから、私達もまたふらふらっと戻ってきて。それっきり校長が来るまで下の階に居ましたよ」
「うん、確かに寝てたよ。物陰に隠れて顔は見えなかったけど、太ってたし白衣来てた。それに体温も出してたからまだ生きてたみたい」
「もう上に上がった時、私は正直怖くてね」
「どうしてです?」
「だって何か危険な実験をやるって言うから」
「小学部の研究棟でそんな事やらないで欲しいよね」
「どんな実験だったんですか?」
「そりゃ分りませんけど、何だか怖い研究だって言うから、みんな上に上がれなかったんですよ」
「うん、だから今日は二階にも三階にも誰も居なかったの」

 頷いた探偵は室内をちらりを見てから、顔を戻して言った。

「分かりました。質問は以上です。ありがとうございます」
「ええ、ほんとに早く捕まえて下さいよ。もう怖いったらないですよ。こう立て続けじゃね」
「先月もこの学校で一人死んじゃったしね」
「ええ、あの時も犯人は捕まったけど、別に黒幕が居るなんて言うじゃないですか。もうほんとに怖くて」
「ええ、分かっています。もう少しでその黒幕にも辿り着きますので、ご安心ください」

 年配の女性は探偵に対して犯人を捕まえる様に何度か念を押した後に、美穂に連れられて下に降りていった。美穂は去り際に手を振ったので、私も手を振りかえした。人が死んだというのに嬉しそうな笑顔だった。周りの野次馬もそうだ。誰も怖がっている様子は無い。そういうものなのだろうか。

 私が軽い衝撃を受けていると、探偵が死体のある実験室に入っていった。私もそれに付いていくと、廊下と部屋の境界を一歩跨いだ瞬間、部屋中から生き物の騒ぎ声が聞こえてきた。

 見れば猫達が白衣を我先にと争って引き裂いている。他の生き物達は白衣に興味を示していない。部屋のそこかしこでくつろいでいる。何人かは白衣を脱がされた死体の上に居る。

 探偵はそんな生き物や死体には興味を示さずに、部屋の中を見回すとふっと息を吐いて、また部屋の外へと出た。私はそれを追った。探偵はまた野次馬を押し分けて、私はその後ろに付いて、階段へと向かった。

「さっき言ってた猫ですが、実はあの二人が見た後私の所へ来たみたいなんですよ」
「そうなのですか」
「すぐにふいっと何処かへ行ってしまいましたがね。きっと餌の匂いに釣られたんでしょう」
「人を魅了する猫は何を食べるんでしょう?」
「さあ? それにあの猫は人を魅了するだけじゃないのです」
「他にも何かあるのですか?」
「あの猫はとても鼻が良いんです。警察猫をしていた事もあったんですよ。離れても目的の物を嗅ぎ分けられるんです。密閉された建物の中で吸っていた麻薬常習者達を摘発した事もあったそうですよ。」
「警察猫ですか?」
「嗅覚を利用して解決の手助けをするのです。そして、あの猫はお巡りさんと一緒にいつも同じ時間に同じ巡回コースを回っていました。私達なんかよりも余程正確に。引退した今でもね。事件のあった時間帯は丁度学校の傍を回ります」
「そうなのですか」
「そうなのです」

 二階から三階へと上った。その上には階段は続いていない。ここは三階建ての建物だ。三階に着くと、目の前に実験室があった。三階は二階と同じ間取りの様だ。左右の廊下を見渡しても寸分と違わない。二階と只一つ違うのは、目の前の実験室に生き物と死体が全く居ない事だけだ。生き物が居ないので、私達は易々と実験室に辿り着き、実験室の中に入っても静寂が広がっていた。

 探偵は実験室の中に屈みこんで何かを拾うと、私に振り向いて言った。

「さて、それじゃあ、この下らない事象を片付けて、この場を離れる事と致しましょう」
「分かりました」

 探偵はすたすたと何の気なしに実験室から出て行こうとするので、私は背中に声を掛けた。

「決め台詞は無いのですか?」

 探偵は振り向いて、突然両手を伸ばし、ゆらゆらと揺らめいて、足を交差させたかと思うと、真顔で言った。

「すみません。思いつかないので次回までに」
「期待しています」

 一階に降りると校長が待っていた。私達に気が付くと早速近寄ってきて、汗を拭き始めた。

「はは、段々外がうるさくなってきましたよ。どうでしょう、謎の方は」
「あの死んだ男はどんな実験を?」
「え?」
「何でもあの男に用があって、第一発見者になったと聞きましたが」
「ああ、私も良く分からないのです。何か面白い薬を手に入れたとかで。危険だから明日の、いえ、昨日そう言っていたので、今日ですね、今日の午前中は近付かないで欲しいなんて言いますし。まあ、特に使う予定がなかったので許可したんですが。用というのも、午後になってもまだ続けている様子だし、あんまり変な事をされても困るので、ちょっと釘を刺しにいこうとしただけで」
「成程」

 探偵は眼鏡を外して目を細めてから、また眼鏡を掛けて校長を見据えた。

「では密室の説明と参りましょう」
「はあ、お願いします」
「では、ずばり。あれはお嬢さん方が部屋を間違えただけです」
「はあ。あのどういう事でしょう」
「私達が部屋を間違えた? ちょっと探偵さん、何だか私達が犯人みたいな言い方を」
「いえ、全くそんな言い方はしていません。それでですね、お二人は猫に気を取られて、上った先が二階か三階か分からなくなったんです」
「しかし二人とも二階だと」
「それは白衣の太った男を見たからでしょう。ですが顔は見ていません」
「ん? どういう事でしょう?」
「もしかして、あの時見たのは死んじゃった男の人じゃなかったの?」
「そう言う事です。被害者と年恰好が同じな犯人が白衣を着て眠った様な恰好をしていただけなのです」
「成程ぉ」
「それが何の意味を?」

 美穂は察した様だが、校長は分からないらしい。年配の女性はハナから聞く気が無い。自分が犯人じゃないと分かって貰えただけで満足した様だ。

「つまりですね。ずっと前、お嬢さん方が来るよりも遥か前に、被害者はここに来ていた訳ですね。そうしてそこには犯人も居合わせていた。共同実験者か何かでしょうか。その人物が被害者に動物に囲まれると死んでしまう薬を投与して殺してしまう。犯人は、恐らく計画的だったのでしょう、白衣を来てそちらのお嬢さんがやって来るのを待った。やって来たら後ろを向いて顔を見せない様にして、被害者と同じ体型と白衣を見せて、上に上る」
「それで、おばさんは犯人とあの死んじゃった人を勘違いしたんだね。まだあの人は来たばっかりだって」
「そうです。二階以上には危険な実験をすると触れ回ってあったので人は来ない。だから一人だったのか二人だったのか分からなくなる訳です。そこに猫がやって来る」
「そう都合よく来るのかね? 偶然来ただけだと思うが」
「猫は警察で訓練を受けて、同じ時間に同じコースを回ります。そして非常に嗅覚が鋭い。だから校舎の中から何らかの匂いを嗅いだんでしょう。多分猫を集める様な匂いをね。白衣に付けていたんじゃないかな。猫がじゃれていたから」
「それで猫がやって来たと?」

 校長はまだ分からない様だった。あるいはその猫の特性を知らないのかもしれない。

「はい。あの猫には人を魅了する力があります。一目見ただけで目が離せなくなり、どうしても付いていってしまう魅力です。常人には抗えません。だからお嬢さん方は確実に付いていく。ところが猫が向かうのはあの被害者の居た二階ではなく、犯人が直前に寝たふりをし始めた三階です。臭いを付けていた白衣を犯人が着ていたのです。そして猫に因って三階に案内されたお嬢さん方は被害者が居るはずの二階と勘違いする。二階と三階の間取りは全く同じ。別の階に居るなんて気付けません。その日は誰も居なかったからで道行く人々で見分ける事も出来ない。ほんの僅かな細かい違いはあるのでしょうが気にする人なんて居ません。唯一、二階には被害者、三階には犯人が居たという大きな違いがありましたが、犯人が机に向かってうつ伏せに寝て、顔を見せない様に、同じ体型と服装を見せていたので、これも被害者と見分けがつかない。だからお二人は寝ていた犯人と被害者を勘違いしていて、自分達は生きた被害者を二階で見たのだと勘違いしてしまうのも仕方が無い。後は誰かが本当の被害者を見付けて騒ぎになった隙にこの実験棟から逃げれば、まるで誰も居ない実験棟の中で一人でに死んだように錯覚してしまう」
「はあ、何だか良く分かりませんが。でもなんでそんな面倒な事を」
「逃げる時間を稼ぐ為でしょう。規制の所為で科学捜査や監視装置の使えなくなった今なら、訳の分からない状況を作ればそれだけ時間が稼げるし、もしかしたら迷宮入りになるかもしれない。外に出ればこの町の司法は届きません。とにかく事件の捜査が本格化する前に町の門を抜けられればそれで良かった訳です」
「それじゃあ、早く警察に知らせませんと」
「大丈夫です。既に警部に連絡しました。犯人は逃げ切れません」

 私が訝しんで探偵を見ると、探偵は私を目で制した。

「そうですか。良かった」
「後は警部から指示が来るでしょうからそれに従ってください」
「はい、ありがとうございます。先月に続き、今度もまた」
「いえ、仕事ですから」

 そう言って、探偵は背を向けて玄関へと向かった。私もまた、手を振る美穂に手を振りかえして、再会を約束してから、探偵を追って玄関を出た。出た拍子に、探偵がこちらを向いて、小声で言った。

「さっきは自信満々に語っていた手前、恥ずかしくて嘘を吐いてしまいましたが、これから本当に警部に連絡をします。あなたは先にカーミラの所へ行っていてください。あの一番高い建物の一階に居ますから」

 探偵が指差した方向には確かに赤レンガで出来た高層ビルが建っていた。私はそれを見て頷いた。

「それじゃあ、また後でな」

 探偵が眼鏡を外して言った。

「はい、また後でお会いしましょう」

 私が会釈すると探偵はこそこそと物陰へと隠れた。私は探偵を背に向けて高い建物へと向かう。

「警部」

 後ろから探偵の声が聞こえてくる。声を潜めて、誰にも聞かれない様にしているようだが、丸聞こえである。

「回収したよ。ANIDRAとあるが、これで合ってるか? あんたに褒められたって嬉しくないんだよ。全く今度こそ本当の密室かと思ったら、また紛い物だ。俺は探偵でいたいのに。これじゃあ、只の刑事だ。ああ、適当にでっち上げておいたよ。被害者と同じ体型の人物を犯人に仕立てておいてください」

 きっと最後は眼鏡を掛けたのだろうと思う。私は探偵さんも色々と大変だなぁと思った。垢に塗れた話をしていた。まるで自由に振舞っていたのに。自由に見えたのに。そういうものなのだ。きっと、世界というのは、いつだって、どこだって。この町だって。

 そういえば、私の記憶は依然として戻っていない。私は一体誰なのだ。



[27250] 幻想情勢
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:04
 昨日ほうとらーどでこうぼうのとってが行われ、はりすの元からふぜんの人々がいっとうのもちで沢山訪れ賑わいました。

 何を言っているのか分からない。ニュースの様だが、言っている内容は理解出来ない。画面に映る映像も人が何かをしている事だけは分かるが、それでも何をしているのか分からない。私の知識には無い言葉と私の知識には無い光景が流れている。ずっと流れている。

 広々とした食堂にはまばらに人が散っていた。端の方を歩く人々は豆粒なんかよりも余程小さくて、ドットの映像が揺れ動いている様だ。これだけ広いと酷く心細い。私と探偵と吸血鬼はずらりと並んだテーブルの一つを占領してそこに坐っている。三人で寄り集まっているが、遠大な広さが持つ圧迫感は集まっても尚、孤独を意識させる。お前は一人だ。

 恒例となった鼠のパラドックスに関するシンポジウムが開かれ、いつもの様に哲学者が口火を切り、宗教学者がそれに加勢し、科学者がよろめいて、文学者が否定し、社会学者が静観して、考古学者がピザを頼み、経済学者が嘲笑いました。何とか意味の拾えるニュースだが内容は理解出来ない。鶏と卵の映像がひたすら流れている。

 吸血鬼は黙っている。探偵を睨んでいる。探偵は黙り込んでいる。眼鏡を外している。上目遣いに何度か吸血鬼を見つめていた。夫婦喧嘩は犬も食わないという。なら私は席を外すべきだろうか。しかし誘われて付いてきてしまった手前、黙って離れる訳にはいかない。一言告げて出ていこうにも、隣の吸血鬼はまだしも、斜め前に座る探偵の縋る様な視線は私を放してくれそうにない。

 往年の名作シュレディンガーの猫の著者シュレディンガーの追悼式が執り行われ、ゆらぐ歌の中で人々は消滅と生成を繰り返し、悲しみの涙の非対称が光を越えて故人に伝わる事を思い笑いました。

 いつまで経っても無言のままなので、私は仕方なく話題を振る事にした。

「ANIDRAとは何ですか?」

 ぶっと探偵が口に含んでいた飲み物を目の前の吸血鬼に吐きかけた。吸血鬼は黒く濡れた。けれど今朝方見たあの赤を凝縮した黒さには及ばない。

「どうしてそれを?」

 探偵が私に聞いている。隣の吸血鬼は怒っているのに。それすらも気にならないみたいだ。探偵が身を乗り出して困った顔をしながら私を威嚇している。

「先程探偵さんが警部さんと話していました」
「聞いていたのか!」
「聞こえました」

 探偵は驚いた表情と気まずそうな表情と具合の悪そうな表情と嬉しそうな表情を程よくブレンドしている。私には探偵が何を思っているのか分からない。ただ単純に驚いているのではない様だ。吸血鬼は怒っている。

「あー、あれはだな、あれだ警部が娘さんの誕生日プレゼントだ」
「犯人を仕立てあげるのですか?」
「あ、ああ、そうだよ。犯人は挙げないといけない。それが警察や探偵の義務だろう?」
「そういうものですか?」

 探偵は何やら焦ってお茶をこぼし、熱そうに飛び跳ねながら、眼鏡を掛けて、頭を下げて、お茶を拭き取って、それじゃあ、また会いましょうと言って、私と吸血鬼に背を向けた。それを吸血鬼が追った。

「ちょいと探偵さん」
「なんですか。っ!」

 そうして吸血鬼は振り返った探偵の顔に拳を叩きこんでから、戻ってきた。私の隣に苛ただしげにどかりと座り、私の方に頭を傾け私の肩にこめかみを置いた。探偵はよろめきながらすごすごと何処かへと去っていく。

 ふぁらっとのニューシングルばすてりまおすが異端審問会に掛けられ時制の不一致を指摘された事に対して風が出てきたは七つの大罪を引き合いに出して肉体の不浄を取り除かんとする件の芸術は連綿と続く正当性があると主張し光あるの残虐で猟奇的な科学主義の極致に至った悪魔の所業という主張に徹底抗戦する構えを見せました。

「相変わらずあいつは誤魔化すのが下手だね。A何とかっていうのは何だい?」
「探偵さんが警部に言っていたのです」

 私が先程の探偵の言葉を一言一句声音息遣いを正確に発すると、カーミラは眉根を寄せた。

「あいつは一体何を……」
「私には分かりません」
「秘密めかしているが……」
「私には分かりません」
「やっぱりあいつは変わったのか……」
「私には分かりません」
「まさか一連の犯人はあいつ……?」
「私には分かりません」

 次のニュースです。かいえおんもでりすたんどでないすけたまゆらのないをんをとりめかすまほろばいえをとったのですからしたいのもとへわたしはんにんせかいのそとにえいろとんのひいをあるきすとむあまてらすおおみかみはておりむみないことをしらず。

「ですがさっきの言葉を理由に探偵さんを犯人というのなら警察もまた犯人ではありませんか?」
「そういう事になるね。もう一年も解決していないんだ。一年間ずっと人が殺され続けてるんだ。これは何かがおかしい。警察が犯人であっても、あいつが犯人であっても、おかしくはない」

 次は芸能ニュースです。101001010001110110101011110101010100111010101011111010101010101010101010000000000000001111111110101011101000。

「依頼人さん、良かったら私の調査にも付き合ってくれないかい?」
「何かを調査しているのですか?」
「いや、これから調査するんだ。あいつが犯人なのかどうか」
「構いません。私には時間があります」
「じゃあ、日が暮れる頃に時計塔に来ておくれよ。殺人は夜の方が圧倒的に多いから、見回りをしよう」
「探偵さんを見張っていた方が良いのでは?」
「あいつは勘が鋭いからずっと見張ってたらばれるだけだ。警察まで犯人ならあいつだけを見張ってても意味が無いし」
「分かりました」
「じゃあ、また夜に」

 そう言って、カーミラは立ち去って行った。取り残された私は何処へ行こうかと迷い、一旦家に、あの白い立方体に帰る事にした。

 立ち上がるとニュースが聞こえてくる。
 私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は、誰だ?

 分からない。



[27250] 自縛原則
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:06
 町の外に出て強い日差しに白く陰る酒場へと向かった。観音開きを押し開けて中に入ると、アルコールの匂いが店中に満ちていた。見れば床一面に酒が敷き詰められている。真ん中には朝に見た客が居て、酒を荷台に積み上げていた。

「全てあなたが飲むのですか?」
「いいや、儂はもう飲めんよ」
「ならあなたが積み上げているお酒は誰が飲むのです?」
「これは町に入れる為の酒だよ。儂が飲む酒はあっちだ」

 客が指差したキャットウォークにもまた沢山の酒があった。酒樽には赤い帯が巻かれている。下の酒樽には青い帯が巻かれている。

「あなたは客ではなかったのですか?」
「今は店主だ」

 そう言って、店主な客は酒樽をまた一つ積んだ。

「どうだね? 何故遺体が遺体になったのかは分かったか?」
「いいえ、まだです」
「そうか。探偵には会えなかったのか?」
「いいえ、探偵には会えました」
「ならまだ探偵でも謎が解けていないという事か」
「はい。私の記憶が取り戻せれば全てが分かるだろうと」
「はは、そりゃそうだ。あんたはあの中に居たんだからな。だが記憶はどう取り戻す?」
「分かりませんが、探偵さんは私を町中歩かせようとしている様です。そうすれば記憶を取り戻せると」
「ふむ、何処かに落ちているんじゃないか? 町中を歩き回る位なら、とりあえず警察に言って遺失物を調べてもらった方が良い。何千年前のだろうと、残っているはずだ」
「後で警察に行ってみます」

 私が答えると、客は少し考える素振りを見せて黙った。言おうか言うまいか迷っている。そんな風に見えた。しばらく黙っていたが結局言う事にした様だ。

「恐らくあの探偵の坊主は自分の事件を思い出しているのだろうな」
「自分の事件とは何ですか?」

 客は口の端を釣り上げて笑った。どこか寂しそうな、いや、諦めた表情だ。懺悔する告解の表情にも見える。

「探偵に聞いてみると良い」

 そう言って、また樽を一つ積み上げた。

「あんたはこれからどうするんだ? 記憶を探すだけか? それとも別の事もやっているのか?」
「はい。探偵さんの後に付いて記憶を探すついでに、探偵さんの調査にも同行しています」
「あの探偵は今、何を調査している?」
「人が殺される……事件を追っています」
「ほう殺人があったか」
「毎日の様にあるそうです。それを調べています」
「ああ、その事件か。どうだ? 探偵は解決出来そうか?」
「私を見て、手がかりを手に入れた様です。それから……良く分かりません」
「そうか。少しは前に進んだか。それは重畳だ。だが良く分からないというのは?」
「良く分かりません。それをこれから調べに行きます」
「ふむ、良く分からんな」

 客は傍の樽に座って、一息付いた。物欲しげに辺りの酒樽を見つめている。飲みたい様だ。

「飲まないのですか?」
「儂は飲めん。飲んじゃならんのだ」
「朝は飲んでいましたが」
「あ? ああ、それは上に置いてある酒だ」
「上に置いてある酒を飲めば良いのでは?」
「それは面倒だ」

 客がゆらりゆらりと前後に揺れ始めた。見れば手が震えている。ゆらりゆらりと前後に揺れながら、客は物欲しげに辺りの酒樽を眺めている。

「あなたは怖くないのですか?」
「何の事だ?」
「ずっと人が殺されている事がです」
「あまり怖くないな。だが少しは怖い」
「そうなのですか」

 何故そうも死を恐れずにいられるのだろう? 死は恐れなければならない絶対の理では無かったのか。何故こうも自分の命を軽視できるのだろう。あの時だって……あの時だって……何故だ、記憶が遡れない。

「あまり怖がる人は居ないだろう。どうせまた生き返れるんだからな。嫌な気分になるだけだ」
「そうでしょうか?」
「そうだ。むしろ喜ぶ奴も多いだろう」
「何故です? 人が死んで喜ぶというのは理解出来ません。人間の死は看過してはならない最重要回避事項でしょう」
「人口が制限されているからだ」
「人口が制限されていると、人の死を喜ぶのですか?」
「そうだ。自分の知り合いが生まれてくるからな」

 客は苛ただしげに一つ樽を叩くと樽から降りて、階段へと向かった。

「人が死ななくなったあの町では人口過剰が問題になった!」

 階段を上りながら客は大きな声でそう言った。大げさな仕種だ。演劇でも見ている様だ。ただの酔っ払いにも見える。

「だから町は人口抑制を行う様になった!」

 客はキャットウォークを渡り、赤い帯の巻かれた酒樽へと近寄った。木が破れる音がして、水音が鳴り、続いて客の深い溜息が吐き出された。

「人間は死んだら次に生き返るまでに何十年、何百年と待たなくちゃならない! はっ! 道路の渋滞は無くなったってのに今度は命の大渋滞だ!」

 客が酒樽を抱えて降りてくる。その足取りは酷く危なっかしい。前が見えていないのだろうか。ふらふらとよろめいて、それでも酒樽を大事そうに、決して取り落とさない様に抱えて、階段を降りてくる。

「子供を産む事すら憚られる。そんな時代だ。まあ、人間以外の人に至っては既に作る事すら禁止されてるからな。まだましかもしれん。いや、そっちは死んだらすぐに直してもらえるのだから、どっちが良いのかは分からんな」

 客は私に近寄った事で声を落として、樽もまた落とし、密やかに樽から酒を手で掬うと、それを口へと運んだ。客の体がまたよろめく。そうして今度はカウンターへと向かった。

「まあ、あれだよ。多分、お前さんの考える命と今の命は大分変っている。意味も重要さも。人全般の命の定義が変わったんだ。時代はどんどん変わっていく。儂が生まれた当時はロボット三原則が絶対の法則の様に言われていたが、あれもまた使い古されて消えた。倫理、道徳観念としては残っているが、今じゃロボットだって人間を殺せる時代だ。あれだけ社会が盲信していたのに、それが今じゃおとぎ話と同じレベルだ。ははっ、天動説を信仰していた原始人達の気持ちが少しだけ分かるよ」
「ロボット三原則というのは何でしょう?」
「おや、あんた知らんのか? 意外だな。人間がロボットに課した四つの制約だよ。そうか昔を生きた者なら誰でも知っているもんだと思っていたが。確かに行動は知識だけに依るものではないしな」

 私はそう言われても良く分からない。いや、何を言っているのかすら分からない。お昼に学校で見たニュースと同じだ。この時代には分からない事が多すぎる。

 客はカウンターからグラスと良く焼かれた骨付きの鶏肉を持ち出して、こちらへと帰って来た。

「まあ、つまりだ。人間が死んだら次に生まれるまでには、他の全ての人間が死なねばならん。逆に言えば、全ての人間が死ねば人間は生き返る事が出来る。だから人が人間の死を喜ぶ時代になったのさ」
「良く分かりません」
「そうか。じゃあ、言い換えよう。人々が怖がらないのは、大事な人に会えるからだ」

 大事な人に?

「分かるか?」
「何となく……ですが」
「それで良い。そんなものだ」
「そんなものですか」

 客は頷くと、樽の中にグラスを浸して、溢れる酒を汲み上げて、グラスの縁からこぼしながら、満たされたアルコールを飲み干した。そうして手に持っていた鶏肉を私へと突き出し、また酒樽にグラスを入れた。私が鶏肉を受け取ると、客はグラスを片手に言った。

「あんたはやせ過ぎだ。それを食べると良い」
「今は食欲がありません」

 まだ夕食には時間が早い。私は肉を受け取った手を下げて、客を見つめた。私が食べない事を気にした様子も無く、グラスを呷っている。

「あなたも誰かを待っているのですか?」
「いいや。儂は孤独を目指している。だから誰も待っていない」

 孤独。それを目指しているのなら、この店にやって来た私は大層邪魔な存在だろう。申し訳なく思った。

「申し訳ありません」
「いや、良い。丁度町の様子を知りたかったところだ」

 客は遠くを見つてから、また酒を飲んだ。町の様子というより、客は探偵の様子を知りたかったのではないだろうか。今までの会話を思い出してそう思った。そもそも探偵を探す様に言ったのは客なのだ。

「あなたは探偵さんと知り合いなのですか?」
「いいや、儂は知っているが、向こうは知らんだろう。まあ、長い人生だ、一目位は見た事があるかもしれないがね」
「あなたはどうして知っているのですか?」
「あの町で探偵は中々に有名だ。恐らくほとんどの者が知っているんじゃないかな。特に今回の事件を任されているという事で、その動向を注視している者も、また多いだろうな」

 客はまた酒をグラスに入れ、またグラスを呷った。顔は赤く染まっている。足は震えている。眼は胡乱である。そろそろ危ない。これ以上飲んだら死んでしまう。

「そろそろお酒を止めませんと、死んでしまいます」
「ん? ああ。そうだな。久しぶりに来客があったんでな。何だか飲んでしまった。しかしこれで死んだら、連続殺人事件の一つに数えられるのかね」
「分かりません」
「そうだろうな。どちらだろう。儂も良く分からなくなってきた。酔いの所為じゃあ、ないんだろうな」

 客はふらついて、隣の樽に手を掛けた。朦朧としている様だ。私が居るから酒を飲んでしまうのなら、私は一刻も早くこの場を離れるべきだ。

「私はそろそろ失礼させていただきます」
「何? もう少し居ても良いだろう」

 このまま飲んでいては死んでしまうというのに。客は死にたいのだろうか。そもそも私には約束がある。約束は絶対に破ってはならないものだ。だから何と言われようと、客にこれ以上酒を飲ませてはならない。

「いえ、調査をしなければなりません。そういう約束です」
「そうか、約束か。約束なら仕方が無いな」
「はい、では」
「ああ、楽しかったよ。また来てくれ」
「アルコールが抜けた時にまた伺いましょう」

 私が観音開きを開いた時に、後ろから声が掛かった。

「なあ、あんた、人間は何故人を殺すと思う? 答えられるか?」
「答えるだけなら。正解を導くのでしたら、あなたがどんな答えを望んでいるかに依りますが」
「納得したいんだ」
「でしたら不可能です。私にあなたの心は覗けません」
「そうか。そうだな。じゃあ、今起きている殺人事件に就いてはどうだ? あんたの考える理由で良い。何故犯人達は人を殺す」
「私には分かりません。理由など沢山ありますから、一つに決めるものでもないでしょう」
「そうだな。だが何か一つ、思った事を挙げてくれ。出来れば珍しい物が良い」
「あなたの話を聞いて、自分の大切な人に会う為に人を殺すのではと思いました。順番を早める為に。私には珍しい事ですが、今の時代の人達にはそうでないかもしれません」
「確かに誰もが考える事だ」
「申し訳ありません」
「何故人を殺すのだろうな。それが知りたいんだ。だから今回の事件も別に誰が死んだとか、どう死んだか何て興味が無い。そういった事に恐怖は湧かん。今回の事件で怖いのは、もしも人を殺す理由が分かったら、儂はどうなるんだろうという事だけだ」
「どうなるとは?」
「別に死は恐れんがね。何か、自分が自分でなくなるんじゃないかと思ってしまうんだ」
「自分の定義がはっきりと定まっていません。その命題には誤謬が存在しています」
「そうだろうな」

 私が外に出ると、後ろから、ぼやける様な小さな声が聞こえてくる。沈み込む様な声だ。恐らくアルコールの海に沈んでいるのだろう。

「やっぱり人を殺しても何も変わらないんだな。自分が死んでも何も変わらなかった時の様に。儂の勘違いではないのだろうな」

 その言葉を最後に寝息の様な微かな息遣いが聞こえてきた。私は客が風邪を引いて死んだりしない様に祈りながら、丘を下った。

 丘を下って、森に入り、少し進むと白い立方体が私を迎えた。扉が少しだけ開いていた。そういえば閉めるのを忘れていた。扉の近くには小さな生き物達の真っ白な新しい骨が草の上に幾つか寝転がっていた。骨だけなのに動き出しそうな程、形を保ったまま寝転んでいた。骨はつやつやとしていてとても綺麗だ。そのままガラスケースに入れれば標本に出来そうだ。部屋の中の白骨と一緒だ。

 中に入ると、右手が濡れた。見れば客から渡された鶏肉が骨だけを残して、液状になって流れ出している。流れた肉は床に垂れ落ちる前に、気化して消えた。後には綺麗な骨だけが残った。私は骨を外に放り捨て、白骨の遺体へと近寄った。

 白いドレスも白い骨も朝に見たままだ。何も変わっていない。私はどうして死んだのだろうか。思い出そうにも思い出せない。記憶はここにある。遺失物を調べてもらう必要なんかない。記憶はここに落ちている。そう思うのだが、頭の中には僅かな引っかかりも無い。部屋中を見回しても、私と白骨だけだ。白骨を調べるのは気が引けるし、私を調べようにも自分で自分は調べられない。記憶はここにあるはずなのに。

 私はしばらくその場で座っていたが、やがてこうしている訳にもいかないと思い立って、立ち上がった。立ち上がって、部屋のそれぞれの壁に備わる都合四つの扉が気になった。いや、後ろの壁にある扉は既に開けたのだから、残りは三つだ。私は近付いて、ダイヤルを回した。0001に合わせて、外そうとしたが外れない。番号が違う様だ。残りの二つも同じく外れない。どうやら0001は最初に開けた扉だけらしい。ならば残りの番号は? 私はしばらく考えてみたが、どうしても思い出す事が出来なかった。これもまた記憶が無い所為だ。記憶さえあれば全てが解決するのに。

 諦めて外に出ると日の傾きが大きくなっている。そろそろ空が赤く染まっていく。急がなければならない。約束は絶対だ。



[27250] 絵本時計
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:08
 赤く染まった空が段々と圧縮されて黒く染まっていく。夜になっていく。それを見て、私は時計塔で待っている吸血鬼を見て思った。ああ、カーミラは夜の女王なのだ。昼の一幕を思い出して、私は思う。今も夕闇に陰る金色の姿は美しい。だがきっと赤の凝縮した黒色の体躯が夜の闇に馴染んで溶け出す様には敵わない。あの黒い姿こそがカーミラの本当の姿で、そしてカーミラは夜に生きているのだ。

 何かの絵本で呼んだのか。私の頭に黒い威厳を纏って夜の空に立つ女王の姿が頭に浮かんでいた。それが時計塔の前に立つカーミラに重なっていた。

 カーミラが私に気が付いた。

「やあ、依頼人さん」
「こんばんは、カーミラさん」

 私が時計塔を見上げると、丁度時計塔の鐘が鳴った。夜を告げる鐘の音だ。まだ空の端は赤く輝いているが。たった今から夜が始まるのだ。

「まずは時計塔に上ろう。上から見た方が分かり易い」
「分かりました」

 カーミラは私に背を向けると時計塔の中へと入って行った。勝手に入って良いのだろうか? 入り口は開け放された空洞で、見張りも何も居ない。私は幾分躊躇したが、カーミラが階段を上って消えそうになったので、時計塔に足を踏み入れ、カーミラを追った。

「勝手に入ってしまっていいのですか?」
「良いんだよ。誰が入ろうと自由さ」

 そういえば、守衛もそんな事を言っていた。そういうものなのだろうか。

 時計塔の回廊を歩きながら、四角く切り取られた穴から外を覗くと、闇に染まっていた。もうすっかりと夜の様だ。前を歩くカーミラは闇の中でも躊躇無く歩いていく。吸血鬼だからと考えればしっくりとする。吸血鬼は夜目が利くものだ。町にはぽつりぽつりと点の光が並んで幾筋もの光の線が伸びている。道に備えられた街灯の明かりだろう。それからやはり点々とそこかしこに小さな光が灯っている。良く見ていれば動いている。きっと誰かが灯りを持ってい歩いているのだ。大通りに面した場所には所々に一際輝く光の集まりがある。きっと人々が集まっているに違いない。お店でもやっているのかもしれない。家々は光を発していない。きっと密閉されて光を洩らさない様にしているのだ。密室の中で沢山の光が殺されている。出る事叶わずそこで終わる。そんな想像が湧いた。探偵の出番だろうか。

 町には沢山の光が灯っているけれど、その割には少し暗い。何故かと考えると、それは建物が光を跳ね返さないからの様だ。月の光も人の光も壁に当たればそれで消える。光と光は完全に隔たって、間に闇が漂っている。町は大きな黒い海の様だ。その上にかろうじて浮かんだ灯り達が儚げに灯っている。航路を示す光と船が発する光、あの沢山集まっているのは港だろうか。

 広大無辺な真空の海を私は神の様に上から眺めている。ならば私は神として理を守らねばならない。理の失われた世界に再び光を。その為には殺人を止めなければならない。そんな現実的な事を考えた瞬間、私の意識は一気に階段を歩く私の体へ引き戻された。前をカーミラが歩いている。光の無い回廊を躊躇せずに上がっていく。誰の許可も必要ない。何故なら彼女は夜の女王だ。

 白いドレスが私の前に翻った。夜の女王だ。そして昼の王も居る。昼の王は必ず負けなければならない。そういう物語だったから。そういう命令だったから。負ける事は苦痛ではなく、とても楽しいものなのだ。勝った者と負けた者が二人は仲良く笑い合う。あれは一体何だったか。たしか夜の女王は薬師だった。薬を作るのが上手かった。

 気が付くと一番上の階に着いていた。鐘の音が響いている。だが朝の音とどう違うのか。壁を傷付けた事で本当に音は変わったのか。それは分からなかった。カーミラが私の事を眺めている。私の疑問に答えてくれそうな、そんな雰囲気も持っていた。

「壁の傷で音が変わると聞きましたが、本当に変わっているのでしょうか?」
「ああ、もうここに来た事があるのかい。案内員が話してたんだろう? あれは本当だよ。普段暮らしているだけじゃ分からないけどね。それこそ百年単位の時間が経たないと。死んで、生まれ変わった時に聞いて初めて分かるんだ」
「死ななければ分からないのですか?」
「精密に測定すれば分かるんだろうけど、まあ、普通の人には分からないよ。だから生まれ変わって初めてこの鐘の本当の音を聞く事が出来る。この鐘の音は生を思ってるのでも死を思ってるのでもない。生まれ変わりを願って鳴っているのさ」
「そういう事なんですか」

 ほんの僅かなだけでは気付かない。意味も無い。長い年月を掛けて、初めて音色の変化に気付き、ようやく意味を持つ。その微かな変化を思って、外側に居る神は一人ほくそ笑むのだろうか。

「まあ、今となっちゃ誰も気にしちゃいないよ。一度聞けば十分さ。観光名所にはなっているけどね」

 そう言って、カーミラは飛び上がり、天井に開いた大穴を抜けた。見上げると、カーミラが天井の穴からこちらを覗き込み、その上で歯車ががらりがらりと回っている。

「上がって来れるかい?」
「はい」

 私も飛び上がって、上の階、カーミラの横へと着地した。鐘の音が小さくなった。代わりに歯車の音が良く聞こえる。歯車は小さいのから大きいのまで様々だ。歯車は重なり合い、噛み合って回り続けているが、どれ一つとして鐘に繋がる物は無い。歯車は鐘を鳴らさず、ただ無為に回っているだけだ。重なり合う歯車の隙間から辺りを見回すと、壁の四辺にそれぞれ、丸い大穴が開いている。下にも開いている。さっき通り抜けた穴だ。もしかしてと思って上を向くと、やはり穴が開いていた。

「ちょっとこっちにおいでよ」

 いつの間にか壁の大穴から外の景色を眺めていたカーミラが私を手招いた。私が近付くと、歯車の音はそのままに鐘の音がどんどんと小さくなっていく。鐘は四辺の大穴に向けて鳴っているのではないのだろう。だから外側に行く程、音が小さくなっていく。端に立てば消えてしまう。かと思いきや、外から鐘の音が聞こえてくる。鐘の音は穴を抜けて上の階を通り、そうして窓の下へと響いていく。

 カーミラの横に立って穴から下界の黒海を見た。光の筋の間を点々とした光が幾つか進んでいる。

「あれをごらんよ」

 カーミラが遠くを指差した。目を凝らすと、そこには灯りを付けずにうずくまる人が居た。

「こんな夜に灯りも付けずに何をやっているんだろうね」
「あの辺りは街灯がありますから、手持ちの灯りがいらないのでは?」
「夜は灯りを持たなくちゃいけない事になってるのさ。あれは怪しいねぇ」
「灯りが壊れたのでは?」
「滅多に壊れる物じゃないし。壊れたんなら近くの家で貰えば良い」
「そういうものですか?」
「こんな夜に灯りを点けないのは並べて怪しい事をしている奴って事さ」

 そう言って、灯りを持たない吸血鬼は灯りを持たない私へ向かって笑った。

「探偵さんはどうでしょう?」
「さあね。見当たらないから町中で顔を晒していないのは確かだけど」
「家に居るのですか?」
「さあね。どうせあの家は秘密の出入り口ばかりだし、見張っていてもしょうがない」
「では、どうしますか?」
「とりあえずあの怪しい奴をとっ捕まえようか」
「分かりました」

 吸血鬼の髪が赤く黒く染まっていく。瞳もまた同様だ。吸血鬼は白い手で黒い髪を掻き揚げて、私を見て笑った。

「夜の女王ですか?」

 思わずそう聞いていた。

「ああ、そんなおとぎ話があったねぇ。何、私の事?」
「はい、あなたは夜の女王に見えます」
「まいったなぁ。そんな大した器ではないんだけど」

 そう言って夜の女王はくつくつと笑った。

「話を憶えているのですか?」
「話を憶えていないのかい?」
「はい、よろしければ教えてください」
「依頼人さんが生きてた時代のと同じかどうかは分からないけど」

 その国には夜の女王と昼の王が居た。夜の女王は色々な知識と大きな力を持っていたけれど、皆から嫌われていたので外に出ない様にしていた。昼の王は何の知恵も力も持っていなかったけれど、皆から好かれていたので国を治めていた。でも昼の王は何も出来ないので、夜の女王の所へ通った。夜の女王は昼の王に知識と力を与えて、昼の王はそれを使って国を治めた。皆はそれを全て昼の王のお蔭だと信じていた。昼の王はそれで得意になった。夜の女王はそれで良かった。嫌われ者の自分が皆の役に立てるだけで嬉しかった。そんな日が長く続いた。

 昼の王は夜の女王の所へと通い、夜の女王は知恵を与えて、昼の王はそれで国を治め、夜の女王はそれで嬉しかった。ずっとずっとそんな日が続いた。夜の女王は昼の王がたった一人の話し相手だった。誰かと会うのも昼の王とだけだった。だから昼の王と会うのが楽しくて、毎日の夜が待ち遠しかった。昼はいつも昨日の会話を思い出すか、次の会話を思って過ごした。夜はいつも昼の王と話した。一日中が楽しかった。

 でもある時、昼の王が来なくなった。何かしてしまったのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。そんな不安で一杯になったけれど、自分から昼の王の所へ会いに行く事なんて出来なくて、夜の女王は自分のお城で不安な日々を過ごした。何日も不安になって、もう耐えられなくなった時に、城の門が叩かれた。夜の女王は喜び勇んで台座から飛び上がった。昼の王に会いたい一心で門を開けると、そこには人間達が居た。夜の女王が怖がって物陰に隠れると、人間達も恐れながら言った。

「王が病気で臥せっている。どうか力を貸していただきたい」

 夜の女王は驚いて物陰から飛び出した。そうして脇目も振らずそのまま昼の王の所まで駆けて行った。夜の女王が辿り着くと、人々は恐れ慄いて物陰へと隠れた。昼の王は今にも命を消しそうな程弱り切って眠っていた。でもそれはとても簡単に治せる病気で、夜の女王には何故昼の王が死にそうになっているのか分からなかった。それ位、夜の女王と世界の知識は掛け離れていた。夜の女王が薬を与えると昼の王はたちまち元気になった。人々はそれを見て喜んだ。昼の王は嬉しさのあまり夜の女王に抱きついて喜んだ。夜の女王は感激のあまり涙を流して喜んだ。

 宴が開かれて、人々の誤解は解け、夜の女王は皆に好かれる様になった。けれど夜の女王は引き留める人々の手を振り切って、城に戻ってまた固く門を閉ざした。それからも決して外には出ず、昼の王がやって来る時だけ門を開ける。そんな日がそれからずっと続いた。

「確かこんな話だったっけな」

 そうだ。確かそんな話だった。でも、

「でも、周りの評判は悪かったな。確かにお話として出来は悪いけど。でも私はとても好きだったね」

また別の結末があったはずだ。あれは確か、昼の王が──

「どうしてですか?」
「夜の女王の気持ちが良く分かったから。私も昔は嫌われ者だったしさ」

 そうだ。そうして言ったんだ。この夜の女王は私なの。そう誰かが言ったのだ。

「それにこの話って、丁度あの頃のあいつと私の関係にそっくりで──」

 そこで言葉を切ると、気まずそうな顔で私から目を逸らした。そうして俯いたカーミラは気恥ずかしげに顔を赤らめて私へと手を伸ばした。いつの間にか黒色の羽が生えている。

「さあ、掴まって」

 私がカーミラの手を取ると、カーミラの黒い羽が闇の中で大きく撓んだ。

「羽が生えているなんて羨ましいです」
「何、歩くよりちょっと早い位だよ」

 そう言って、羽を解き放った。生温い風が顔に当たったと思った時には、私達は夜空に飛び出していた。星明かりと町明かり。丁度同じ位の明るさだ。まるで天地が逆になった様な気がした。そう思っていると、風が止んだ。辺りが一瞬の内に暗くなった。気が付くと、道の上に立っていた。一瞬の出来事だった。

「ね? あんまり早くはないよ」

 それでも羨ましい。私がカーミラの羽を見ていると、カーミラは羽を消して、視線を私から外した。視線の先を追うと、そこには物陰でこそこそしている男が居た。男はこちらに気付いて、立ち上がってこちらを睨みつけてきた。

「誰だあんた等」

 私とカーミラは一瞬、目を見合わせて、

「私は夜の女王だ」

カーミラがそう言った。だから私もそれに合わせた。

「私は昼の王です」

 何となくしっくりと来る。遥か前にも同じ事を言った気がする。

 男は一瞬虚を突かれた様だったけれど、奇声を発して向かってきた。その眼は涙を溜めて、恐怖に歪んでいた。



[27250] 追悼人造
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:10
 駆け寄る男の手が鈍く煌めいた。どうやら刃物を持っている。打ち倒してしまおうかと身構えたが、そんな必要は無かった。すぐに男の身体に闇が絡みついた。

「あんまりうるさいのもね。今は夜なんだから」

 闇に締め上げられた男が呻いて、辺りに乾いた音が響いた。道にナイフが転がっていた。

「おやおや、最新式のナイフを使って一体何をしようとしていたんだか。これは主婦の味方だよ? 人殺しのお供じゃない」

 カーミラの声に合わせて男が地面に叩きつけられた。そのまま地面に押しつけられて男は声を発する事も出来ずに苦悶の表情を浮かべている。だが闘志は失っていない様で、血走った目をそこら中に這わせて獲物を探している。

 ふと客との会話を思い出した。何故人を殺すのか。目の前の男はまだ若い。肉体の年齢は二十を超えたか超えていないか。若気の至りというには血走った目が余りにも必死過ぎる。身なりは小奇麗で金銭に困っている様には見えない。一体何故この男はナイフを持って身を隠していたのだろう。私にはいまいち判別がつかない。誰かと会う為か。他人の私が推し量ったところで分かる事でもないのだろうが、推量を打ち切ろうとすると客との会話が思い浮かんでどうしても気になってしまう。

「何なんだろうね、こいつは。依頼人さんは分かるかい」

 カーミラが右手の人差し指で宙をなぞった。警察を呼んでいる様だ。

「まさか。分かる訳がありません」

 その時、丁度道に少女とそれを連れた母親がやって来た。すると突然男がカーミラの影を抜けださんと暴れ出し、血走った目で殺してやると叫び始めた。親子はその叫びに驚いて立ち竦んだ。カーミラが一つ叩きつけると男は気絶した様で大人しくなった。

「どうぞ」

 恐怖がありありと浮かんだ様子で親子は道の端を、出来るだけ私達から遠い場所を通って抜けて行った。カーミラが悲しそうな顔をしていた。

「あの親子を狙っていたのかね?」
「分かりません」

 男が起きた。カーミラが陰を使って頬を叩いたからだ。男はしばらくぼんやりと私達を眺めていたが、やがて胡乱な表情になってカーミラを見つめ始めた。カーミラが男に何かしたらしい。

「何をしようとした?」
「人を、人を殺さなくちゃいけないんだ」

 カーミラの威圧的な言葉に男は更に表情を弛緩させて答えた。完全に腑抜けた表情だ。

「何故そんな事を?」
「手紙が、来たんだ。手紙が」
「手紙? どんな?」
「右のポケットに入ってる。人を殺さなくちゃいけないんだ。お願いだ殺させてくれ」

 男の体の下から滑る様に一枚の紙が現れて、そのままカーミラの手元に収まった。横から覗き込むと、そこにはとても短い単語がたった一つだけ書かれていた。

『殺人』

 それだけだった。何が目的なのか分からないし。何が言いたいのかも分からない。

「脅されていたのか?」
「脅されていた?」
「この手紙に心当たりがあるんだろう?」
「心当たり? どういう事だ? 俺は人を殺さなくちゃいけないんだ。そう言う事か?」
「いや」

 埒が明かない。カーミラもそう思った様だ。頭を振って私を見た。私もそう思う。この男に何を聞いても無駄だ。何を聞いても理解が出来ない。私もまた首を振って否定の意志を伝えた。

「何で人を殺したいんだ」
「俺は殺人を犯さなくちゃいけないんだ。そうしないと俺はいけないんだ。だから殺させてくれ。お願いだ」

 段々と語調が荒くなっていく。興奮してきている。

「カーミラさんこれ以上聞いても」
「まあ、そうなんだろうけどさ。これじゃあ、全然分からないよ。何の為に捕まえたんだか」
「殺させてくれ! 殺させてくれ!」

 カーミラがまた地面に叩きつけると、男は白目を剥いて黙った。丁度、警察がやって来た。昼に見た警部も居た。カーミラが犯人を引き渡すと、警部は礼をした。顔を上げた瞬間、私を見た気がした。あまり良い感情を持っていない様だ。そんな目付きだった、様な気がする。

 何だろうと思っていると、警察は去っていった。去り際に私達は灯りを受け取った。点けると辺りがぼんやりと明るくなった。人を殺したがった男も警官達も消え去って後には闇の降りた涼しい沈黙だけが残り、私とカーミラはお互い顔を見合わせてから、町中の巡回を続ける事に決めた。

 歩いてすぐにカーミラが嫌そうに言った。

「早速だったねぇ。いや、恐ろしい町になったもんさ」
「あれが犯人なのでしょうか?」
「犯人ちゃあ犯人だけど、多分連続殺人全体の犯人て訳じゃないね。人を殺した訳でもないし……犯人候補だったのかな」
「どういう事ですか?」
「分からないよ。殺人事件のそれぞれの犯人は捕まるんだ。でもね、そいつを捕まえても次々と殺人が起きる。異常な程ね。だから多分裏で操っている黒幕が居るんだろうね」
「黒幕ですか」
「そう、私は馬鹿だから見当もつかないけど」
「そういえば、朝のあのトラックの事件はどうなったのでしょう?」
「あいつが解いたらしいよ」
「探偵さんが?」
「そう。何でも町の反対側から地下を潜る糸を使ってトラックを引っ張って、自分が犯人だって分からない様にしたみたいだけど。良くそんな事に気が付くもんだよ。しかもあんな短時間でね。変人だから変な事が分かるんだろうね、あいつは」

 笑うカーミラの顔は誇らしげに見えた。

「凄いんですね」
「うん、あいつに解けない謎なんてそうそう無いよ」

 カーミラが空を見上げた。何処か懐かしむ様である。昔の探偵が解いた謎を思い出しているのかもしれない。

「それだけ今回の事件が難しいという事でしょうか」
「さあね。私はあいつの謎を解く能力は信頼している」

 カーミラの手に力が籠る。その仕種には感情の奔流が宿っていそうだが、表情はほとんど変わらずむしろ穏やかでもあった。必死に心を押さえつけようとしている様だ。

「だからあいつが一年掛かっても解けないっていうのがどうにも信じられないんだ。だからあいつは疑わしい。そんな事思いたくないけどね」
「探偵さんはそんな事をする風には見えませんでしたが」
「私だってするとは思っていないさ」
「でしたら」
「とにかくはっきりさせて安心したいんだよ。あいつの無実をはっきりさせて」

 信じているのなら何故そんなにもつらそうにしているのだろうか。信じているのなら、分かり切っているのなら、家でじっと待っていればそれで済むはずなのに。

 ふと道の先の建物の陰にピエロ姿の男が入って行った。何となく気になった。どうやら男は暗い狭い路地へと入っていった様だ。そういえば、ピエロ姿の男は灯りを持っていなかった。怪しい奴だ。

 隣を歩くカーミラを見上げたが、どうやらピエロには気付いていなかった様だ。他の事に気を取られているのだろう。

 だから私はカーミラを率先する形で、その横合いの路地に入って行った。

「あ、ちょっと、何処へ」

 背後から聞こえてくるカーミラの声を背に暗い路地を進んでいくと、すぐに灯りの点いた看板と、その下に屯す人々の灯りが見えた。人々はすぐに私達に気が付いて、その内の一人、ピエロ姿の男が声を荒げた。

「おうおう、ここはヒュッドは立ち入り禁止だ! あんた等」

 そこでピエロ姿の声が途切れた。顔が驚きに固まり、目が見開かれている。私が何だろうと思っていると、カーミラが前に進み出た。

「あれ? ホーマーじゃないか。こんな所で何やってるんだい?」
「姉御!」

 どうやら顔見知りらしい。ホーマーと呼ばれたピエロの様子に、他の仲間達が訝し気に眉を顰めた。中にはあからさまな嫌悪感を滲ませる者も居る。カーミラと敵対しているのだろうか。

「おい、ホーマー。お前の知り合いだか何だか知らねえが、こいつはヒュッドだろ。さっさと追い出せ」
「いや、姉御はヒュッドじゃない。吸血鬼だから」
「吸血鬼だか何だか知らねえが、結局テンネルだろ。ヒュッドと一緒じゃねえか」

 何か諍いが始まりそうだったが、一触即発とまでは行かずに、ホーマーが不承不承と言った様子でこちらへとやって来て、申し訳なさそうな表情でカーミラの前に立った。

「姉御、悪いんですがね。ここは」
「おい、何弱腰になってやがる!」
「分かってるよ! つまり、ここはヒュッドは来ちゃいけねえんで」
「さっきからヒュッドってのはなんだい?」
「ヒュッドはヒュッドだ! 知らねえんなら黙ってろ!」
「お前こそ黙ってろ! すまねえ、姉御。つまりヒュッドってのは人間の事で、俺達の間のスラングでさぁ」
「でもカーミラさんは吸血鬼で人間ではないのではないですか?」

 ふと気になって、思わず口を挟んでいた。ホーマーは初めて気が付いた様にこちらを見た。

「あんたは」
「この子は……知り合いだよ」
「はあ、成程。それで、ですがね、確かに姉御はヒュッドって訳じゃないんですけどねぇ、どちらにしても、テンネルだったとしても、みんなあまり良い顔はしねぇ。ヒュッドもテンネルもここに入っちゃいけないんでさぁ」
「テンネルっていうのは何ですか?」
「テンネルっていうのは、自然に生まれた人の事で」
「自然に? あたしは突然生まれた場所に現れたんだけど」
「まあ、とにかく人に作られていない奴って事で。人に作られていない奴が入ってこようとしたら、ゲンツされちまうんですわ」
「ゲンツってのは?」
「だからあんた等に教える事はねえんだよ! ホーマー! さっさと追い出せ!」
「ゲンツってのはつまり寄って集って殴るって事で。とにかくここに来られちゃまずいんですわ。何かこの先に用が?」
「いや、別に何かある訳じゃないけどさ」
「だったら帰って下せぇ。俺達だけで静かに暮らさせて欲しいんですわ」

 ホーマーが必死に懇願している。カーミラは何か考えている。後ろの人々は気が立っている。私は気になっている。だから聞いた。

「何故ヒュッドを入れようとしないのですか?」
「それはですね」
「それはヒュッドが俺達の主人を殺したからだよ!」

 後ろでさっきから野次を飛ばしている男が叫んだ。それに合わせて、他の人々もそうだそうだと口々に言った。それぞれが憎悪を発している。この場の誰にでもない。恐らくこの世の何処かの見た事も無い誰かに対してだ。

「あんた等、そうか、みんな今回の連続殺人で主人を殺されたのか」
「うるせえ分かった様な口を聞くんじゃねぇ!」

 そこで漸く私は気が付いた。そこに集まっているのは皆、ロボットやアンドロイド、つまり人工的に作られた人々だ。中には犬と猫を掛け合わせた様な生き物も居る。恐らくあれもまた人の手で作られた物だろう。

「フドロな学者はシヘッドで俺達の事を奴隷だなんだって言って、解放だなんだって叫んでたけどな、俺達にとってタテツカは生きる目的なんだ! それが主人なんだ! それをヒュッドが殺しやがった! 俺は絶対にヒュッドを許さねえ。勿論、お前みたいなテンネルもだ」
「そんな人間全体で一括りにされてもね。そもそも犯人はそれぞれの事件で違う訳だろう。実際にそこのあんたの主人を殺した犯人とそっちのあんたの主人を殺した犯人は別なはずだ。それを人間で一括りかい? それにこの事件には黒幕が居るって話じゃないか。そいつが人間かどうかは分からないだろうに」
「うるせえ、お前は喋るんじゃねえ! 犯人は別々かもしれねえが、そいつ等は皆ヒュッドだった。人を殺すのはヒュッドだけだ。だからヒュッドは悪なんだ!」
「確かに今回の事件では犯人は全員人間らしいけどさ。人間の中にも殺していないのは沢山居るし、人間以外にも人を殺したやつは幾らでもいるだろう」
「俺は今回の事件の話をしてるんだ! だから人を殺したのは全員ヒュッドなんだよ! 糞っ垂れたヒュッド共全員が犯人なんだ!」

 何か引っかかる。少し考えてその原因に気が付いた。彼等が敬愛している主人もまたヒュッドなのではないだろうか。彼等は主人まで恨んでいるのだろうか? カーミラもまたそこが気になった様だった。

「そうは言ってもお前らの主人だって人間だろうに」
「だから喋るなって言ってんだろ! そんな事は分かってるんだよ! でもな、最近のヒュッド共は何かおかしい。何か町全体がおかしくなってやがる。それもこれもお前等の所為だ!」
「そう言われてもね」
「それに主人はもう死んじまった。この世にはもう居ないんだ。今のヒュッドとは関係ねぇ! 後はオハクなヒュッドだけだろうよ!」
「また生き返るだろうに」
「その──」

 そこで激昂する男は言葉に詰まった。恐らく感情が高ぶり過ぎて処理が追いつかなくなったのだ。横合いの仲間が口を挟む。

「その考えがフドロだって言ってんだよ! あんた等ヒュッドは皆、死んでも生き返るって……絶対にそんなのおかしいよ! だってヒュッドはそのまんま直される訳じゃないんだよ? 変わっちまうのに! 性格も記憶も! 何でそれを笑って受け入れられるのさ! 昔は感情の無い奴をロボットだなんだって言ってたらしいけどね、今のヒュッドの方がよっぽどそうだよ!」

 生まれ変わった人間は本当に生まれ変わる前の人間と同じなのか。それは私も感じていた疑問だった。恐らくカーミラもまた感じている。でも、カーミラはその考えに少しだけ慣れていて、だからこそ肯定と否定の狭間で揺れている。生まれ変わった回数に因るのかもしれない。私や目の前の人工物達は人間の様な蘇り方をした事がない。カーミラは極端に寿命が長いので蘇った事が少ない。そして町に住む多くの人々は何度も蘇りを繰り返している。だから町全体ではその異常さを認識していないのではないか。きっと、異常、という言葉自体が決して当てはまらないに違いない。

 会話が途切れた所で、ホーマーが割り込んできた。

「姉御、悪いが本当に帰ってくれ。とにかく俺達はここで静かに暮らしたいだけなんだ」

 カーミラは何か言いかけたが、結局何も言わずに背を向けた。ホーマーはほっと息を吐いて、私を見つめてきた。申し訳なく思ったが、ここで帰る訳にはいかなかった。何か手がかりが欲しいのだ。事件の手がかりを。事件を解けば私の記憶も見つかる。何故だかそんな気がしていた。

「今、この町では殺人が起きています」
「知ってるさ」

 さっき口を聞けなくなった男が回復した様だ。吐き捨てる様にそう言った。

「これからもまだ続く可能性が高いです」
「だから何だ」
「あなた達には人間を守る義務があります。人類を守らないのであれば存在価値はありません」

 一同が口を半開きにして私を見つめていた。数瞬、沈黙が下りた後に、さっきまで激昂していた男が笑った。

「はは、懐かしい説教じゃないか! え? 嬢ちゃんは婆さんか何かか?」
「いいえ、私は……私は探偵の助手です。今回の事件に就いて調べています。だから協力しなさい」

 人々は顔を見合わせて、困惑気味に聞いてきた。

「いや、そりゃあな、解決してくれるって言うんなら嬉しいが、具体的に協力ってのは何だ? 俺達はもうヒュッドと関わるのは嫌だぞ?」
「ですが、町中でホーマーさんを見かけました。他にも何人か見かけた顔が居ます。もしかして事件を調べていたのではないですか?」

 人工物達が気まずげに顔を逸らした。やがて一人が言った。

「確かにそうだが、結局何も分からなかった。町中の人々を監視する何て事もやってみたけど。それぞれの犯人は分かるけど、結局それを操る黒幕っていうのは分からなかった」
「今でもずっと監視しているのですか?」
「いや、でも監視してた時は一週間位はずっと監視してた。一カ月くらい前に」
「そうですか」
「な? それだけやっても分からなかったんだ。結局この事件を解決するなんて無理な話なんだよ。嬢ちゃんも誰か大切な人が居るならその人を守る事だけ考えてた方が良い。解決しようなんざ、無意味だ」
「そんな事はありません。探偵さんは重要な事を掴んだ様です。私もこの事件は決して解けないものではないと思います」
「何故そう言える」
「世界はそういうものなのです」

 完全に無根拠な言葉だった。いや、根拠はある。いわゆる印象というもので、それが他人に対して説得力を持たない事は分かっている。人々が真意を正しに詰め寄って来た時、カーミラが私の手を引いて、空を飛んだ。人々が手を伸ばして、私に追い縋る。私はそれを掴む事無く、そのまま昇っていく。人々はすぐに小さくなり、次の瞬間には消えた。私達が別の区画へと移動したのだ。

「良くもまああんな事を言ってのけたね」
「私は解決出来ると信じています」
「そうでもあの状況で言い切るのはまずいだろうに。逃げられなかったら最悪殺されていたよ?」
「大丈夫です。あの人達は他人を殺す様な人達ではありません」
「そうかもしれないけどさ」

 高度が少しずつ降りていく。

「何処へ行くのですか?」
「前を見てごらんよ」

 言われた通りに前を見ると探偵の家が近付いてきていた。

「何だかあんたの言葉を聞いてたら、私もあいつの事を信じたくなってさ」

 だから会いに行くというのは良く分からなかったが、私は口を挟むべきではないと思って黙っていた。ゆっくりと身体は着地して、『探偵の探偵事務所の事務所』と書かれた看板の前に立った。

 カーミラが扉に手を掛けてゆっくりと開いて、そこで凍り付いた。私が気になって、カーミラの体の隙間を縫って中を覗き込むと、そこに泥酔した探偵の姿が居た。

「おお! 麗しき我が妻よ」

 そう言って、駆け寄って来た探偵は非常に酒臭い。

「臭い! 離れな! 何だってあんたが酒を飲んでるんだい?」
「いやあ、警部が慰労に上等な酒をくれたからさ」
「あんた下戸だから酒飲まないだろうに」
「そうは言っても折角貰ったんだから飲まなきゃ悪いだろ。そうだ、カーミラも飲もう」

 そう言って、探偵は走って酒瓶を取り、怒っているんだか呆れているんだか分からないカーミラの所へと戻って来て、酒瓶を押し付けた。

「止めろ! 臭い! 酒を飲むのなんて人間だけだ!」
「まあ、まあ。その慣習がおかしいんだよ。飲めない訳じゃないんだからな。ほら、とてもおいしいらしい。俺は酒の味は分からんが、何やら良い気分になれた」
「やめい!」

 カーミラが探偵を投げ飛ばすと、探偵は酒瓶と共に転がって、そのままへらへらと笑いながら、今度は私へと目を付けた。

「おお! お嬢さん! どうです? 僕と一緒にお酒を飲みましょう!」
「いえ、私は結構──」

 ばたんと扉が閉まった。

「です」

 私が言い終えて、横を見ると、カーミラが息を荒げて、扉に手を掛けていた。やがて私の視線に気が付くと、笑って言った。

「さあ、帰ろう」

 探偵の事にも触れず、笑顔でそう短く言った。怖かった。

 そのままカーミラが疲れたと言って家に戻るというので、今日の巡回は終わりになった。

 夜は更けて行く。今日の所はもう御終い。結局何も分からず終い。けれど気になる事が幾つか生まれた。明日はまず探偵さんに色々と聞いてみよう。過去に何か秘密がありそうだし。問題は、探偵さんが明日喋れる状態かどうかだ。体調を悪くしてないと良いけど。



[27250] 遡及動議
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:12
 朝、私の家──白い立方体を出て、丘を上り、酒場の前を通る時に、横の草むらで寝る客を見つけたので、挨拶をした。

「おはようございます」
「おお、おはよう」

 客は気だるげに体を起こすと、私を見付けて片手を挙げた。随分と疲れている様だ。

「お疲れの様ですね」
「ああ、あの酒を町まで運んでいったんだ。一人だと大変だよ」
「そういえば、確かあなたは最初町ではお酒を飲めないと言っていませんでしたか?」
「酒を飲めないのはあくまで儂の話だ。言っただろう? 儂はあの酒を飲んじゃいかんのだ」
「町のお酒はあれだけなのですか?」
「いいや、そういう訳じゃないが、あの酒はな、金が無くて酒を飲めない奴らに無料で渡してるもんだ。町の門の前にこっそり置いていくんだが、自慢じゃないが中々の酒だ、どうやらそれなりの値段で流通したり、あるいは他の酒に入れられて笠増ししたり、とにかく何処にあるか見当もつかん。うっかり飲んでいたなんて事にもなりかねん」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。だから儂は町で酒が飲めんのだ」

 客はまたごろりと草の上に寝転がって、空を見上げ始めた。

「あんたは古いんだったな。酒を飲むのか?」
「いいえ。私は飲みません」
「そうか……それが良い。酒を飲んでは破滅する。儂はそれを実感した。だから酒なんて飲まない方が良いんだ」
「なら何故あなたはお酒を飲むのですか?」

 客は少しだけ考える素振りを見せた。わざとらしい、既に答えの出ている様子だった。

「儂が酒を飲むのは……いや、酒を飲むのは俺達人間の性だ」
「人間の性? では破滅するのも人間の性だと」
「そうだ」

 客は目を閉じて動かなくなった。外界の一切を拒否する。そんな風だった。何を言っても聞く耳を持たなそうだ。そんな気がしたので、私はその場を離れる事にした。

「では、失礼させていただきます」

 案の定、客は一切反応を示さなかった。空を見上げると快晴だ。雲は全く無く、雨が降る様子はまるで無い。天気が崩れる予兆など全く見えなかった。でも何故だか、荒れそうだな、とそんな事を思った。

 町の門を潜ると紙を渡された。何かと思って開いて見ると、新聞の様だった。文字は読めるが何が書いてあるのかほとんど分からない。昨日のニュースと一緒だった。幾つか単語を照会してみたがその説明もまた分からない。この時代はあまりにも私と違いすぎる。

 何とか読める所を拾いながら読んでいくと、最後に棒グラフが書かれていた。殺人件数を図示した物らしい。週の初めから段々と件数が上がり、昨日が一番多くなっている。一か月間の物に変換してみると、やはり月初めから段々と件数が増えている。今度は月別を見ていると、こちらは順調に伸びてはいなかった。ある一点まで進むと減り、また増え、減りを繰り返している。解析してみても、いまいち増減の法則は掴めない。一つ分かるのは、増加が大体一月毎にピークを迎える事だけだった。けれどそのピーク値もその後の減少も、規則性は見られない。黒幕が操っているのなら只の黒幕の気まぐれか。それでもあまりに滅茶苦茶だ。たった一つの黒幕という変数でここまででたらめに出来るだろうか。

 私の横を子供達が通り過ぎた。楽しそうにはしゃぎながら何処かへと消えていく。これだけ人が死んでも子供達は元気そうだ。それが不気味だった。

「向こうで楽しそうなのがやってたよ!」
「ピエロが居たんだ!」

 ピエロ。昨日の人々が思い浮かんだ。子供達の言うピエロとはあのホーマーという人だろうか? あの人達はどうしているだろう。あの場所でずっと悲嘆に暮れ続けるのだろうか。

 交差点を通り過ぎる時に右を向くと、ピエロが居た。周りに集まる子供達を意にも介さず歩いている。ピエロの服は昨日見たものとは柄が違っていた。顔は見えないがどうやら別人の様だ。ピエロは飄々とした足取りで角を曲がって見えなくなった。その後ろを子供達が嬉しそうに付いていく。まるで笛吹きの様だと思った。

 幾つかの区画を移動してようやっと探偵の家に着いた。途中で果物でも買って行こうと考えて市場で選んでいたら少し遅くなってしまった。しかしあれだけ沢山の品物が置かれていたのだから仕方が無い。物事を選択するのは難しいし時間が掛かる。私が看板の掛かった扉を開こうとすると中が少し騒がしい事に気が付いた。何かあったのだろうか。扉を開くと、探偵が目の前の空間に向けて怒鳴っていた。

「だからピエロの服着た奴なんて幾らでもいるだろう!」

 ピエロ? 先程のピエロだろうか?

「は? もう捕まった? まさかあいつだった訳じゃないよな?」

 何の事を話しているのだろう。相手はだれだろうか。

「だから言っただろう! あいつはそんな事をする奴じゃない! 下らない事で連絡してこないでくれ!」

 探偵が荒々しく目の前の空間を殴りつけて通信を打ち切った。大きく息を吐き出しながら机の上に手を掛けたところで、探偵は私に気が付いた。眼鏡を掛けて息を整えると私に向かって一礼した。

「こんにちは、お嬢さん。どうしました」
「おはようございます。お話を伺いにやって来ました。体調はいかがでしょう?」
「すこぶる良いですよ。たった今、血圧も上がりましたしね」

 探偵を観察してみると、血の巡りは早そうだが肌は土気色で少し顔色が悪い。あまり体調は良くない様だ。

「もしよろしければこちらを食べて元気を出してください」
「おお、ありがとうございます」

 私が差し出した果物が盛り合わせられた籠を渡すと、探偵はその中から林檎を選んで齧った。相変わらず顔色は悪いが、美味しそうに食べてくれている。食欲はある様なら安心だ。

「先程の電話は一体何だったのですか?」
「いえ、何でもないですよ。実はついさっきまた殺人があったんですが、その犯人が僕の知人じゃないかと警部から連絡がありましてね。まあ、そんな事をする奴じゃないですし、実際に違ったのですがね。傍迷惑な事です」

 ついさっき殺人が? 思わず聞き返しそうになったが、何か嫌な気がして追及するのを止めた。私の頭の中には漠然と答えが浮かんだが、合っているかどうか、確認するのが怖い。

「それで話を聞きに来たというのは? あなたの事件の捜査は、申し訳ないですが、あまり進展していません。また今日もご一緒に調査に赴いていただけると良いのですが」
「勿論ご一緒させていただきます。それもそうなのですが、それとは別に聞きたい事があります」
「ほう、何でしょう?」
「探偵さんが持つ事件とは何ですか?」
「僕の持つ事件? 連続殺人の事ですか?」
「いいえ。酒場の客の方に聞きました。あなたは何か過去の事件を持っていると聞きました。それは私の事件とも関わりがある様な素振りでした。あなたの事件とは一体どういった物なのですか?」
「一体、誰がそんな事を?」
「ですから酒場の客です。町の外の丘の上にある」

 探偵はしばらく俯いて沈思していた。そうして思い出した様に果物を放り投げ、机の上に飛び乗り、一通り踊り終えて、そうして机の上から飛び降りて私の前に立った。

「何故それを聞きたいのですか?」
「私の事件と関係がありそうだからです」
「そうですか……それがあなたの事件を解決する為でしたらお話致しましょう」
「お願い致します」

 私が頭を下げると、探偵は茫洋とした無表情で語り始めた。

「僕の事件……それは恐らく僕が探偵となるきっかけの事件でしょう。あれは、僕にとっての二回目の死の出来事です。三百年くらい前の事」

 僕は密室の中で死んでいました。

 あなたの状況と少し似ていますね。でも傍に自分の死体が在って自分は既に死んでいるのに動いているなんていう神秘的な状況ではありませんでした。僕はただお風呂の中で胸にナイフを突き立てて死にました。そして生まれ変わった時に、それを伝聞で聞いた。

 生まれ変わった時、死の直前の記憶はあったんですよ。お風呂でシャワーを浴びている記憶が。だけど、その殺される時、きっと犯人を見ていたんだろうけど、その記憶は無かった。その時の記憶は町に取捨選択されて残らなかった様ですね。

 世間では自殺なんて事になっていましたよ。その少し前にカーミラが死んでいたから、その後追い自殺だろうなんてね。最近目覚めたあなたは知らないでしょうが、確かにそういう人は結構います。偶にある例外を除けば、生まれ変わりの順番は死んだ順番ですからね。下手に死ぬ時期がずれると、生まれ変わった後に生涯会えない事もある。

 でも僕は納得がいかなかった。僕自身は自殺だなんてまるで考えていなかった。カーミラは長生きだから、別に僕がいつ生まれ変わろうと結局カーミラと会える可能性は高かったし、僕がそんな理由で死ぬなんてきっとカーミラは嫌がるでしょうから。実際に後で二三発殴られたんですけど。

 そもそもナイフが胸に突き立っている状況で何で自殺になるんだって疑問に思いましたね。普通に考えたらそれは誰かに殺されたんだろうと。そう思って色々調べたらそのお風呂場が密室だったんです。

「密室……ドアが閉まっていたのですか?」
「浴室のドアに掛け金がかかっていました。それから家自体にもね」

 僕は家に帰って、自分で自分の死を調査してみました。きっとこの密室の所為で警察は自殺だと判断したんだと思った。だからそれを解けば良い。そう思って、家中を引っ掻き回してみました。中々楽しかったですよ。昔の血が沸々と湧きました。

「実は元々、カーミラと結婚する前は、そういう事をやっていたんですよ。探偵を名乗っていた訳ではないですが、その真似事みたいな事をね。結構な数を解決しました。密室に限らずね。時には警察に協力する事もあって、あの警部とは懇意になりました。それにカーミラと出会ったのも、ある事件がきっかけでした」
「探偵さんは元々探偵だったのですね」
「いいえ、あの時の僕を僕は探偵だとは思いません。探偵は快刀乱麻に密室を解く者ですから。あれでは刑事です。いや、実際に職務に就いていた訳ではないので、刑事でもない。実に中途半端な状態でした。でも少なくとも調査には慣れていた」

 家を調べたら犯人が外に居ながら鍵を掛ける方法が幾つも見つかりました。痕跡を残さない方法だって沢山あった。推理小説や探偵小説を読んだ事はありませんか? 氷やら糸やらそういった物を使えば実に単純な方法で密室を作れるし、例えばあの当時はまだあったアリスワンドやキャットスマイルみたいな薬物を使えば簡単にトリックの痕跡を消してしまえた。

 だからそれらの方法集を携えて、あの警部のところに持ち込みました。ところがね、一蹴されましたよ。家と浴室に鍵が掛かっていたから警察は自殺だと判断したんだろうと僕は思っていたのですが、それは違っていた。何でも僕が二回死んでいる間に世の中は進み続けていたみたいで、それは当然警察も同じだった。今の警察の捜査は石器時代にも比されていますが、当時の警察の捜査は非常に多彩で充実していました。いや、あの時がピークだった。だから死因や侵入の有無、何もかも全部分かる。その捜査が僕を自殺だと判断した。だから覆り様がない。

 そうは言われても納得できない。自分が死ぬ理由なんてまるで無かったんですから。何か見落としや警察の盲点があるんじゃないかと僕は粘りました。警部の家の前でずっと座り込みをしてね。流石の警部も三か月目位に折れて、どうして覆らないかを説明してくれました。

 というのも当時は町中のありとあらゆる事象を記録し続けていたんです。どんな場所でも何があったのか記録を照会すればすぐにわかる。嫌な話です。プライバシーなんてまるでない。だからそれは世間一般には秘されていたし、警部も僕に黙っていた。まあ、後々それが世間にばれて、科学技術の使用が規制される様になったんですけど。まあ、それはそうと、とにかくそのシステムによって、当時の状況が完全に記録されていた。犯人が僕の家に入って来たり、あるいは何か細工をしたなら分かる訳です。ところが何も無い。犯人もその犯人の細工もまるで。僕が誰かに殺されたなんてありえないと警部は言った。

 僕は流石に家に帰りました。次の半年分の座り込みの準備をする為に。

「諦めなかったのですか?」
「はい、そんな科学なんていうあやふやなものよりも、僕が自殺をしないという事の方が余程確かでしたから。例えば町の中で怪しい奴がいないっていうのなら、町の外から犯人が何かしたのならどうです? その当時はまだ人口の抑制が上手くいっていませんでした。だから町の外にも沢山の人が居たんです。その中の誰かが犯人だったら、警部の言うシステムだって及ばない」
「町の外からならそのシステムに引っかからずに誰かが探偵さんを殺してしまう事も出来た訳ですね」
「単純には出来ませんがね。死んだ僕は町の中に居たのですから、死ぬ瞬間は記録に採られている。でもどうにかすれば自殺に見せかける事も出来たかもしれない。あの時は警察の捜査なんかも発展していたが、同時に犯罪の方だって発展していた」
「それを警部に言ったのですか?」
「いいえ、長年の付き合いで分かっていましたが、明らかに警部ははぐらかしていた。これは何か隠している。けれど簡単には答えそうにない。だからこそ半年分の野宿の用意をしに帰ったんですよ。これは長丁場になりそうだって。あの警部は頑固ですから」

 五か月目位の長雨の時にようやく警部は参ったと言った。全てを話すと言って、僕を家の中に入れてくれた。そうして、僕の死の真相を教えてくれました。

「ここからは他言無用でお願いします」
「他の方に喋ってはいけないのですか?」
「はい、絶対にです。これは絶対に秘密にしなくてはいけない」
「秘密にするのは構いませんが、それなら私などには教えなければ良いのでは?」
「いえ、今回の連続殺人にも関わる事ですし、これは単なる勘ですが、あなたの事件にも関係している気がする。あなたは事件を追うでしょう? これは確信ですが、あなたはきっとその秘密に辿り着く。だから今話して秘密の共有をしたいのです」

 そこでようやく探偵は笑顔を作ると、机の上の籠の中からレモンを取り出して大きくかぶりつき、眉を顰めて酸っぱそうな顔をして壁の外に投げると、また私を見て微笑んだ。窓の外から男性の困惑する声が聞こえた。



[27250] 幻想警部
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:c619a6c9
Date: 2011/06/25 06:15
 部屋に通された。いつも通り、光量の少ない部屋だ。一時期流行っていたランタンとかいうやつが部屋の壁に幾つも備え付けられているが、最新式の灯りに比べれば月の陰った夜の様に暗い。床に敷かれた絨毯はペルシャ絨毯という奴だろうか? 家具調度に興味は無いが、確かこれも一時期流行っていた。壁に張り付く様に本棚というやつも立っていて、この御時世に紙の本が敷き詰められている。どうせ読めもしないだろうに。そもそも背表紙だけで中身は白紙の可能性もある。真ん中の硝子テーブルとそれを挟んで置かれた鉄骨の木製ベンチがある。こういった形式は俺が死んだ時に丁度流行っていた。どれもこれもかなり昔、温故知新を謳っていた時期に流行っていたものだ。多分昔から部屋の模様を変えていないのだろう。らしいと言えば、らしい。最新の流行に乗り気な警部というのはあまり見たくない。キャラが違いすぎる。気味が悪い。

「とりあえず、まあ、座ってくれよ」

 俺が固いベンチに腰かけたのを確かめてから、警部は何処かへと消えた。恐らくお茶を入れに行ったのだろう。警部の奥さんもまだ生まれ変わっていない。俺と同じだ。

 俺は乾燥機で乾いた服の袖を見た。汚い。雨に汚れてしまっている。こんなに汚れる程外に居たのか。視界の端にディスプレイが浮かんだ。体の警告だ。そういえばずっと浮かんでいた。俺が気にしていなかっただけだ。今日は帰ったら寝て蓄病を切ろう。これ以上病気を蓄えすぎると反動が怖い。でも寝込んでも家には一人だ。あいつが居ないのは……いや、あいつは俺よりも余程長く一人で居たのだから、愚痴なんて言えないか。

 しかし警部は俺にどんな秘密を話してくれるのか。ずっと口を閉ざしていた秘密なのだから余程根の深い秘密なのだろうが。それは、つまり──

「つまりだね、一言話せば社会不安が急速に広がる様な事象なのだよ」

 俺が後ろを振り向くと警部がドアを開いて入ってくるところだった。何も持っていない。お茶を入れに行ったのではなかったのか。

「何だ、警部。やけに尊大な口調じゃないか。まるで最初に会った時みたいだ」

 俺が冗談交じりに言うと、警部はそれを無視して俺の前のベンチに座った。ガラスのテーブルを挟んで、警部は皮肉気に笑う。

「それでも君は知ろうと言うのかね? 口を閉ざすというのは、何よりも辛い事だというのに」
「心配してくれるのはありがたいがね、警部。俺は何よりもそれを知りたいんだ」
「何故だと思う?」
「何故? 自分の死因位──」
「いいや、違うさ。君は別の理由で知りたがっている。何故なのか分かるかね?」
「分からない……が、一体それは何なんだ?」
「宿題としよう」

 警部はカップを手に取って啜った。俺も何だか気まずくなって目の前に置かれたカップを手に取り、中の液体を飲み下した。黒い味がした。

「君は六百六十六の研究品を知っているね?」
「何?」
「中央家屋の奴等が保管していた、俗に言う夜の坩堝だ」
「訳が分からん。何だ、その間の抜けた名前は」
「未公開の六百六十六の研究品だよ」
「そんなに凄い研究だったのか?」
「凄いの基準に依るが、少なくとも当時の最先端、いや今でもまだ再現出来ていない技術が沢山含まれていた。今から三百年位昔、丁度君が死ぬ少し前に盗まれた英知の結晶だ」
「知らないな。聞いた事も無い」
「それはそうだ。情報は外に出ていない」
「で?」
「君は先を急いだ方が好みの様なので結論から言うが、その内の一つに因って君は殺された」
「俺が、殺された」

 俺が殺された。誰か別の人間の手に因って。そんな気はしていた。いや、ずっとそう思って行動してきたんじゃないか。ショックは無い、はずだ。なのに何故、何故今俺の心臓が呻いたのだろう。

「安心したまえ。別に殺された事がショックなんじゃない。君は密室が解けてしまう事に衝撃を受けただけさ」
「そうか……そうかもしれない」
「そうだ」
「だが俺はどう、殺されたんだ? いや、ナイフで刺された事は分かるんだが」
「ただの物質転移だ」
「物質転移? 無理だ。今ある転移装置は道路のやつ位で、他は出来ない様に制御されているはずだ」
「だから新しい技術だと言っているだろう」
「そんな特殊な転移なのか?」
「いいや。やっている事は既存のものと一緒さ。ある場所から別の場所へと移る。むしろ効率は悪い位だ。ただエネルギーを圧縮して空間を捻じ曲げる今までの方法とは全く違う新しい方法で転移を行うらしい。詳しい事は技術屋じゃないので知らないがね」
「それだと、町中で転移が行えるのか」
「そうだ。新しい方は町が制御していないからな。だから君は死んだのだよ。突然ぽんと空中に投げ出されたナイフに貫かれてね。映像は残っているが、見るかね? 実に呆気無い死だった」

 警部は酷く加虐的に笑った。今にも俺を一呑みで呑み込まんとする様な、そんな笑いだった。

「いや、遠慮しておく」
「そうだ。それが良い。どうせどんな死だって呆気無い。見てもつまらない。想像している内が華だ」
「死についてのあんたの見解はどうでも良い。で、俺はその新しい技術に殺された訳だ」
「そうだ」
「誰がやった?」
「それが問題なのだ」

 その時、警部が部屋に戻ってきた。湯気の立つお茶を盆に載せて、それを硝子テーブルの上に置いた。

「やあ、すまんすまん。妻が居ないといまいち勝手が分からなくてね。出涸らしみたいなまずさのお茶になってしまったが、まあ飲んでくれ」

 ことりことりと音がして、二つの茶碗が俺と警部の前に置かれる。中には茶っ葉が必要以上に漏れ出した緑茶が渦を巻いている。

「ええ、いただきます」

 飲むと苦かった。流石というか何というか、不器用な警部らしい。申し訳なさそうな顔で、渋む俺の顔を窺うのもまた善良な警部らしい。

「上手い」
「いや、ホントに申し訳ない」

 世辞に対する謙遜、というには茶が不味すぎるが、とかく警部は恐縮している。そんな警部を見ていると、何だか不思議な気分になってくる。それが何故かは分からない。

「それで一体どの様な事を聞かせていただけるのでしょうか、警部?」
「うむ、君の死因についてだがね」
「殺人だと?」
「あ、ああ、そうだ。そうなんだが、それが何故今まで君に本当の事を言えなかったのかというのが問題なんだ」
「何か言えない事情があった訳だ」
「ああ、実は君の死には未知の技術が関わっている」
「未知の技術というと? 宇宙人からもたらされたのですか、警部?」
「いや、もたらしたのは、あの中央家屋の研究者達なんだがね。あいつ等の研究の中には、いわゆる公に出来ない技術というのが結構あった、らしい。良く分からないが、マザーグースが止めていたそうだ」
「それが盗まれてしまったと」

 警部は飛び上がらんばかりに驚くと、お茶をこぼしつつ俺に顔を寄せてきた。

「君! 知っていたのか?」
「いや、何となくそう思っただけさ」

 俺が何の気なしに答えると、警部は落ち着いた様で、茶碗を持ち上げて布巾でテーブルを拭いた。

「そ、そうか。まあ、そういった色々と問題のある、合わせて六百六十六の研究が何と盗まれてしまったんだ、君の死ぬ少し前の事だった」
「その技術に俺が殺されたと?」
「ああ、新しい転移技術だったらしい。今あるのは町が管理しているが新しい方はそうでなくて、町の外で不届き物がナイフを転移させて君に刺した訳だな。大変痛ましい事だ」
「しかしそんな簡単に盗まれる様な物なのか?」
「うむ、それが未だに我々にも分からないんだ。出来るはずが無い、と未だに言われている。中にはマザーグースがその手引きをしたんじゃないかなんて意見もある」
「で、俺はその技術を盗んだやつに殺されたと。いや、元を辿ればその研究者かな?」

 俺が笑ってそう言うと、警部は深刻そうに俯いた。

「いや、直接その技術を使ったのは、恐らく盗んだ犯人じゃない」
「どういう事だ?」

 警部の顔が更に沈痛になり、表情に疲労の色が現れた。一体何だというんだ。かと思うと、今度は突然高圧的な態度で、上から俺を見下してくる。

「どこぞの誰かがその研究品をばら撒いたんだよ。それで愉快な事になった。あんたが死んだのもその一つだ。確かに警備をしていたのは警察であったし、君には謝っても謝り切れないが」

 警部の顔が申し訳なさそうに歪む。かと思うと高圧的に、かと思うと悲しげに、かと思うと見下す様に、まるであのファッシヌタという子供の玩具の様に次々と表情を変じていく。表情だけでなく、警部自身も一人が二人になり、二重写しかと思うと、一人の警部は私の後ろに回り、口調は穏やかで刺々しい。

「犯人は町の外に居る奴だろう」
「でしたら逮捕を致したらいかがです、警部」
「そうしたいのだが、未だに、そう三百年経った今でも尻尾を出さない。君はどうしても犯人を捕まえたい様だが諦めたまえ。我々警察にだって出来ないものはあるんだよ」
「諦める? そんな事出来やしない」
「何を言っているんだ? そもそも何故犯人を捕まえる必要がある。問題は研究品なのだよ、君。犯人なんか適当にそこらの奴を檻の中にぶち込めばいいだろう」
「謎が残っているとすっきりしないんだよ。ましてそれが俺の死に関わってるってなら尚更だ」
「何を言っているんだ? 大丈夫か? 何度も言う様に我々警察に過剰な期待はせんでもらおう。そもそも死なんてほんの些細な、石ころに躓いた様なものじゃないか。どうしても知りたいなら、君が自分で探せば良い」
「分かっているさ。そもそもあんた等警察の力を借りるつもりなんて元から無い」
「おい! 体調が悪いのか?」
「いいや、大丈夫さ」
「それならいいがね。あまり無理はしない事だ。大体ずっと家の前で待ってるなんて事。別に君が犯人を捜すのは勝手なんだがね。やって貰いたい事があるんだよ。いいか、もう一度言うが、つまりだ、その盗まれた研究を見つけ出して欲しいんだ」
「研究を? それこそ犯人を捕まえればすぐに」
「だからその泥棒が全部ばら撒いたみたいなんだよ。三百年経った今でも半分も集まっていないんだ。な、どうだろう。君は調査が得意だし、死に方は無様だし、警察にだって信頼されてる。その上、丁度良く扱いやすい。痛ましい事だが、その研究品の事件に巻き込まれた事だし、どうだろう? 一緒に探してくれないか? 勿論、報酬は出すよ。君、今回の人生ではまだ職に就いてないだろ」

 警部が不安そうな上から目線で俺の前から後頭部を見つめている。どうしたものか、と考えたのは一瞬だ。気になる。俺を殺した奴は一体どんな奴なのか。それに職にありつけるというのも丁度良い。そうだ、折角だから、今度こそ本当に事務所でも開いて探偵になってみるのも面白い。

「良いよ。ただ探偵稼業の合間になるが」
「おお、引き受けてくれるかありがとう! 実は、中々口外出来ない話題で、新しく人員を増やし難いから今調査員が物凄く少なかったんだ。担当していた職員達がほとんどみんな死んじゃったというのに、捜査の範囲は広いし込み入ってる。しかも事件は霞を掴む様だ。本当に困っていたんだ」

 警部が心から嬉しそうな表情で踊らんばかりに、いや本当に踊り始めた。何という踊りかは分からないが、硝子テーブルの上で頭を下に足を上にくるくると回っている。

「じゃあ、よろしく頼むよ」

 踊りだした警部を余所に、ベンチに座った警部は嬉しそうに頭を下げた。それじゃあ。警部の口がそんな形に動いた気がした。

 突然、後ろのドアが開いたかと思うと、黒服を着た男が二人、俺の後ろに立って、俺の両手を抱え上げた。

「おい! 何だこれは!」
「引き受けてくれただろう?」

 黒服の男二人は俺の両腕の袖をまくると、それぞれの懐から何かを取り出した。見た事があるこれは、確か昔の物語に出てくる、確かこれを使うと人は従順になり、錯乱し、病気が治り、死ぬ、これは確か注射器という名前の、

「注射器? どういう事だ?」
「何を言っているんだい?」

 警部は愉快そうに笑って、俺を眺めている。横の二人は俺の腕をしっかりと掴んで離さない。腕を動かす事すら出来ない。幾ら暴れてもただどすんどすんと身体が浮き上がるだけだ。

「やめろ!」
「つまり如何に死は呆気無いのか。死というのはつまりだね、孤独なのだよ。何故私を置いていく。そんな風に聞いたら」

 あんたは怒るかい? 途中から何故かカーミラの声になって、私の頭を貫いた。気が付くと、腕に針が刺さっていた。意識が朦朧としていく。酷く酒臭い。人を殺す為の薬。こんな物を開発する必要が何処にある。結局のところ、技術というのは次の技術の為にあるのだろう。そんな言い訳がまかり通る。酒の匂いだ。どんどんと解体されて行く。これは良い事だ。だから、でも、いや、だから、でも、だから、ここに残ろう。罪業を背負う者に町は、あまりにも綺麗過ぎる。

「おい、大丈夫か?」

 目の前に警部の顔があった。顔が紅潮していて、涙目になっている。泣き顔ほど不細工なものは無い。

「気味の悪い顔を近付けないでくれ」

 起き上がって辺りを見ると、ここは──警部の寝室だった。ずらりと直線に並んだ賞状が警部らしい。

「気味が悪いとは何だ。これでも色男で通ってるんだよ」
「知ってるよ。でも今のあんたは不細工だ。とりあえず涙は拭いた方が良い」

 警部は慌てて袖でごしごしと顔を拭うと、まだ紅潮している顔を嬉しいのか怒っているのか分からない様な形に歪めた。

「君が突然倒れたんだ。人の家で勝手に倒れるなんて非常識だろう」
「ああ、悪かったよ。ありがとう」

 変な顔で固まった警部を横目で見つつ、俺は部屋を出て玄関へと向かった。後ろから警部が何か言いながら付いて来るのを受け流しつつ、扉を開けると外は晴れ渡っていた。雨は止んだらしい。

「それで協力の事だが」
「何をすれば良いんだ?」
「とりあえず体調が悪い様だから」
「いや、体調は大丈夫だ。それで俺は何をすれば良い?」

 振り返ると警部は困惑した様子で顎を擦っていた。

「それなんだよ。正直何をすれば良いのか我々も皆目見当が付いておらん。だからそうだなぁ、さっき君は探偵をやると言っていただろう?」
「そうだったか?」
「ああ、言ってただろ」

 そうだったろうか? あまり覚えていない。というより、警部の家の中での、今の今までの事がまるで水で溶かした様に薄らいでいた。大まかな筋は憶えているのだが。

「確かに探偵は面白そうだ。やってみるとしよう。で、それだとなんだって言うんだ?」
「探偵だと色々と秘密を解き明かしていくだろう。何処かで盗まれた研究に関わる事があるかもしれん。とりあえず手広く依頼を受けてくれ。盗まれた研究に行き当たるまで。とにかく見つかれば儲け物って位なもんだから、あんまり気張らなくて良い」
「そっちが良いなら良いが、それで役に立てるかな?」
「ああ、君は探偵に向いているから、きっと盗まれた研究もすぐに探してくれるだろう」
「そんなに期待されても困るんだけどなぁ」

 俺がぼやくと警部が笑った。まあ、警部の事だから何か勝算があるのだろう。警部は昔からそういう奴だ。寄せて退く波の様に捉えどころが無く、頼りなく、はっきりとしないが、いざ物事に正対する時には強かに周りを固めている。

 俺が去ろうとした時、警部は、

「もう逃げられなくなった訳だが、どうあがくつもりだ?」

 警部は「よろしく頼むよ」言ってにこにこと笑っていた。

   ○ ○ ○

 探偵、探偵。探偵とはどうなれば良いのか。警部と別れて自宅に戻る途中、ぼんやりと思考を巡らせているのだが、全く思いつかない。探偵に就いては結局、お話の中の探偵像しかない。探偵とはどういう職業かと聞かれたら密室を解く仕事ですと答える位に、探偵というものが良く分かっていない。探偵とは一体どんな職業なのか。

 思考に沈みながら歩いていると、いきなり肩を強く叩かれた。挨拶というには強すぎる。俺が呻きながら振り向くと、そこに想像した通りの人物が立っていた。

「ああ、占いの婆さんか」
「お主はこんな若い私を捕まえて婆さんと呼ぶか」

 確かに見た目は若い。艶のある美人で、何も知らなければ飛びつきたくもなるのだろうが、残念ながら俺が最初に見た時は婆さんの姿だったのだから、完全に印象が定着していた。

「しかし珍しいな。いっつもあのテントの中から出ないってのに」
「うむ、今日はお主に用があってな」
「何だい、婆さん」
「お主、呪われたいか?」
「何だい、お嬢さん」
「まあ……良いだろう」

 そんな嬉しそうな顔をされても困る。

「お主が自分の死因に就いて調べていると聞いてな。今日ようやくあの頑固警部に御目通り叶ったのだろう?」
「ああ、良く知っているな」
「それであの研究品達を取り返して欲しいと頼まれた訳だ」
「ちょっと、待て、何でそれを」
「私が呪術師だからだ。で、警察にでも入ったのか?」
「いいや。だが何で、研究品の事を」
「なら探偵になったのだろう」
「何で分かる」
「呪術師というのはそういうものなのだ」

 占い師の婆さんはかっかっと妙にわざとらしい笑いを上げた後に、俺の目を見据えて言った。

「お主は探偵になるそうだが、探偵というものがいかなる職業なのか知っているか?」
「改めて言われると分からないが」
「だが、漠然とはあるんだな?」
「まあ、物語の中に居る様な奴だけど」
「それで良い。そもそも今の世の中に探偵という職業が無いんだから仕方が無い」

 婆さんは頷いて、俺の頬に手を添えた。冷たい手だった。

「良いか? お主は生まれながらの探偵ではないな?」
「どういうこった」
「一番最初に生まれた時から俺は探偵ですと生まれた訳じゃなかろう」
「まあ、そりゃそうだ。そんな奴居るのか?」
「おらん。お話の中だけだ」
「で?」
「だからお主はこれから探偵にならなければならん」
「だからの使い方は疑問だけど、まあ、そうだな」
「だからお主はお話の中の探偵になれ」
「お話の中の?」
「そう。お主には探偵の資質がある。それは追々分かるだろう。後は如何に探偵になるかだ。外見を取り繕うかだ。その為には、物語に出てくる探偵達の模倣をするのが一番だ」
「意味が分からん」
「それが探偵になるという事なのだ」
「いや、どういう事だよ」
「それが探偵になるという事なのだ」
「ああ、分かった分かった」

 俺はちょっと知っている探偵を思い浮かべてから、言った。

「つまり変な奴になれば良いんだろ?」

 何となく婆さんもそんな答えを望んでいる気がした。禅問答的な問いかけには、出来るだけ単純で馬鹿げた答えを返すのが正解なのだ。
 そう思っていると、婆さんが言った。

「知らん」

 にべもない。正解か不正解かですらない。何となく悔しい。一体どんな答えが良かったのか。

「私が答えを決める事じゃないんだよ」

 まるでこちらの心を見透かした様に言う。婆さんの方が余程探偵らしい。そういえば、さっき研究品に就いて知っていた。何故だ?

「何で研究の事を知ってたんだ? あれは口外されてないはずだ」

 婆さんはくるりと背を向けて、何処かへと去って行こうとする。

「何、それを作った一人が私というだけさ」
「は? じゃあ、あんた」
「何処に散逸したかは知らんよ。それは泥棒の役柄だろう? 私は作っただけだ」

 そう言って、何処かへと消えた。狸にでも化かされた気分だった。

 だが一つだけ心に残った事がある。

 物語の中の探偵になれ。それは確かに面白そうだ。徹底的に変になってやろう。横から声が聞こえてくる。俺を馬鹿にしている様でもあり、俺を励ましている様でもある。だから石ころを拾って、そちらへ向かって投げた。石は壁に当たって落ちた。周りの人々が奇異の視線を送ってくる。あたますっきりした気がする。何か、浮かびそうな気がした。これだ!

 それから数年、様々な密室を解いた。密室だけを追い求める変人。敬遠されて依頼は余り来ないのだが、名前だけは広まった。研究品も幾つか見つけた。順調だった。このキャラクターだ!

 その順調さに輪を掛ける様にカーミラが生まれ変わった。俺は余りの嬉しさに屋内を飛び跳ねまくった。そういう変な事が癖になっていた。すると頭が明晰になり、謎がどんどんと解き明かされて行って、更に嬉しくなった。今日は何処までも行ける。俺は朝食を摂りつつ更に飛び跳ねていると、呼び鈴が鳴った。

 カーミラだ!

 喜び勇んで、朝食を食べるのもそのままに、玄関先へと向かった。

 長かった。一体どれだけの年月を待ったのか。もう永久の時を過ごした気がする。それも今日で終わりだ。また二人で暮らせるんだ。長い孤独の旅も遂にゴールテープが迫っている。そうだ、カーミラに助手になってもらおう。最近忙しくなってきたし。きっと前の人生よりも稼いでいると知ったらカーミラは驚くぞ。

「ただいま」

 カーミラの嬉しそうな、それでいてその感情を外に出すまいと堪えている、可愛らしい表情が現れた。

 俺は余りの嬉しさに

「お帰りカーミラ!」

何を考えたか、持っていたハムエッグをカーミラの口に突っ込んでいた。

「ゴール!」

 そして何をとち狂ったかそんな事まで言っていた。

「もご」

 カーミラの口が塞がってしまった。一瞬、カーミラは何が何だか分からない様子で、目を見開いて俺を見つめていたが、やがて何某かの理解が及んだらしく、目を細めると、ぽろりと涙が落ちた。あの気丈なカーミラから。

 穴、何処かに穴は無いか?

 完全に奇行を行うのが癖になっていた。だから──いや、それは言い訳にならないか。馬鹿の振りだなんて言ったって町中を走りまわればそれは馬鹿なのだ。ヨシダケンコーという豪い大統領が遥か昔にそんな演説をしたらしい。まさしくその通りだと思った。

 とにかく謝らなければ。俺がとりあえずハムエッグから手を離して、何と謝ろうかと急いで考えていると、突然場面が飛んでいた。

 気が付くと、廊下の端に転がっていて、頭が痛んだ。起き上がってみると遠くで玄関が開いていた。少し歩けば届くはずなのに、何故だか千里の先にある様なあやふやな距離感だった。良く見てみれば家が傾いている。いつのまに世界は四十五度も傾いたのだろう。

 何が起こったのか分からないが、何故だか両の目から涙が流れ、頭の片隅が穴、穴と連呼していた。



[27250] 真相導入
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:16
「それは探偵さんが悪いです」
「やっぱりですか? いや、分かっているんですけどね」
「そんなの何の言い訳にもなりません。探偵さんは謝っていないでしょう? 早く謝りなさい」
「どうして謝ってないって分かったんですか? もしかしてお嬢さんは探偵?」
「いいえ、自明です。謝っていたらこんなにややこしくなっていません」
「うーん、そうなんですけどね」
「何か謝れない理由でも?」
「いや、何となく気恥ずかしくてね」

 私が睨みつけると探偵は身をすくめた。顔を青ざめさせて小さくなった。しかし、蜜柑を皮ごと齧って外に放り投げると、途端に精悍な顔付きに戻る。外から女性の叫び声が聞こえた。

「僕とカーミラの事は良いでしょう」
「良くありません」
「分かりました。後できっと解決するので、とりあえず今は事件の方をお願いします」
「仕方がありません。不本意ですが事件に戻ると致しましょう」

 悲鳴が聞こえる。何処か遠くで。また誰かが死んでしまったのだろうか。あるいは店の商品を道端に撒いてしまったのかもしれない。そんな映像が頭に浮かんだ。昔見た映画のワンシーンだ。

「それで、その夜の坩堝という研究品が連続殺人事件に関わっているのですか?」
「その通りです」
「一体、連続殺人事件に関わる研究品とはどんな物なのですか?」
「薬です」

 夜の女王が私の頭をかすめた。ひらりと白い尾を残してそれは消えた。

「薬ですか?」
「はい。人を殺させる薬です」
「人を殺させる薬。つまり凶暴性を上げてしまう様な物ですか?」
「いいえ、人の運命を変える薬です。殺人を犯す様に」
「そんな事が出来るのですか? そもそも何の為にそんな薬が?」

 出来る。そんな薬があってもおかしくない。何故なら夜の女王は薬を作るのがとても上手で、

「出来てしまうのですから、仕方がない。今でもそれがどんな技術なのか、中央家屋、あー、一番大きな研究所の事です、でも未だに分からないそうですよ。何の為にかは、きっと技術の為の技術なのではないですか? とにかく新しい理論を探し出したい。そういう科学者は多いでしょう」

そうして全ての人々を恨んでいたのだから。

「つまりその薬を探し出せば良いという事ですね」
「ええ、警部に頼まれているのはそれだけです。とはいえ、薬を探し出すというのは難しい。まずは犯人を捜す方が簡単と言えば簡単かなと思いますが」
「そうですか。薬……薬……病院は探したんですか?」
「それはもう、警察総出で各家庭の医療キットまで漁りましたよ」
「ですが出なかったんですね」
「そうです。正直言って、事件は町中に広がっている以上、流入経路を調べるのはほとんど不可能ですし、何かに混ざっていると今の技術では検出出来ない。だから薬から調べるのは……悔しいですがほとんど不可能でしょう」

 探偵は爪先立ちになってよちよちと歩いてから、くるりと一回転した。

 言われてみれば薬なんて爪の先に隠れる程なのだから、探すというのは難しそうだ。常に同じ所を流れているのならともかく。とはいえ、犯人もまた同様に見つけ出すのは難しそうである。現に一年間捕まっていないのだから。常に同じ所に居てくれるのならともかく。

 常に、と言えば。

「そういえば、連続殺人事件で人を殺すのは人間だけだそうですね」
「ええ、そうです。良く知ってますね」
「ええ、ピエロに聞きました?」
「ピエロ、それは」
「恐らくあなたの知り合いの、ホーマーという方です」
「ホーマーか、そうかあいつ」

 そこで言葉を切った探偵は一度、壁を殴ってから、掛かっていた絵を額ごと頭の上に載せた。

「確かに人間だけですが、どうしたんですか?」
「その薬は人間にしか効かないのですか?」
「いいえ、そんな事は無いはずです。ああ、成程」
「はい、明らかにおかしいです。どうして人間だけが殺人を? もう人間以外が人間を殺せない時代ではないのでしょう?」
「確かにそうなんですが、その原因は分からないです」
「分からないのですか?」
「はい、どうにも。今、事件に就いて分かっている事は」

 探偵は右手を挙げて指を立てた。

「まず一つ目が町全体で起こっている。犯人の影響力に驚かされます」

 更にもう一本指を立てた。

「二つ目がどうやってか不特定多数に殺人をさせている。これは薬を使ってでしょう」

 更にもう一本。

「三つ目が殺人を犯すのは人間のみ。しかもほとんど大人だけ。これが何故なのか分かりません」

 もう一本。

「四つ目が事件の発生件数の増減がおおよそ一か月周期。これも理由は不明です。何となく予想は付くんですが」
「予測が付くのですか?」
「実は薬が効き始めるのは薬を毎日飲ませれば大体一か月、誤差は一週間なのです。なので薬が原因かとも思えるのですが、それなら毎月毎月増えたり減ったりするのはおかしい。飲ませ続けたら、ずっと増え続けるだけでしょう。犯人が意図的に薬の投与を調整しているのか。その理由も方法も分かりません」

 五本目。

「五つ目が犯人の姿が一切見えない。幾ら町中探しても警戒しても尻尾を出さないくせに、何故だか事件は起こる。当然薬の出所も、人々がどうやって薬を摂取したのかもわからない」

 探偵は手を下ろした。

「こんな所ですかね。後は夜、特に月の出ている時間は殺人が多くなるのですが、これは夜と月が人を殺人に導くからだという事で決着が付いている。つまり、殺し易い状況な程、殺人が起き易くなる。まあ、当たり前の事ですし、薬の効果を考えても妥当だ。あ、それから薬に就いても一応説明した方が良いですね」

 探偵が空中を指でなぞると、私の前に書類が現れた。その映像は薬の効能に就いて書かれたものだった。私が空中をなぞってページをめくると、次に薬の成分表。しかし空白が多い。ほとんど何にも分からない。

「その薬の詳しい事は記録に残っていませんので作った科学者にしか分からないでしょう。記録に残っている事の多くも専門的で研究している人にしか分かりません。門外漢の僕が分かったのは、とても水に溶けやすく人体にも吸収されやすくて、一度吸収されるとかなり長い間残る、そしてある一定量超えると運命の変質が大きくなって人を殺してしまう。用量はコップ一杯の水に一粒溶かして、一日三回。用法用量を守って正しく摂取すれば、一か月後に人を殺しますという事位です。消費期限はありません」

 作った人。夜の女王。薬を作るのが上手くて人が嫌い。昼の王にだけ心を開いていて。白いドレスを着ている女の子。誰だ? これは誰だ?

「しかし薬は今の技術では検出出来ない。だから何処から飲んでしまうのか絞り込むのは難しい。やっぱり町を調査して犯人を挙げるのが一番だと思いますね」
「犯人ですか」
「はい。昨日何となく、本当に漠然とですが、犯人のイメージが湧きました。もしかしたら今日の調査で更に何か分かるかもしれない」

 探偵の目が怪しく光った。机の上の林檎を睨んでいる。かと思うと、林檎を取って齧り、そうして立ち上がると私へと手を伸ばした。

「それじゃあ、行きましょう。今日は何だか分かる気がします」
「はい」

 私が手を取って立ち上がると、探偵は背を向けてドアへと向かった。その背が何だか大きく見えた。頼もしいのではなく、気負っている様に見える。

「探偵さんは未だに犯人を捜しているのですか?」
「未だにと言われましても」
「探偵さんを殺害した犯人をです」

 探偵は少しだけ足を止めた。けれどもすぐさま動き始めて、ドアを開いた。

「いいえ。今更です。既に間接的な凶器である転移装置は捨ててあったのを回収しましたし、既に犯人は死んでしまっているでしょう」
「もしも生きていたら?」
「……見てみたい気はします。どんな人なのか。ですが、それでどうしたいという思いはありません」

 外に出た探偵の背に陽光が照って白く滲んでいく。探偵の姿が白く溶けていく。

「殺された者は死んだ時点で犯人とは関係が無いのです」
「そういうものですか?」
「そういうものです」



[27250] 走馬劇場
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:18
「あなたの記憶は戻りそうですか?」

 道を歩きながら唐突に探偵がそう言った。猫の描かれた看板に見惚れていた私が振り返ると、探偵は空を見上げながら飛び跳ねていた。

「いいえ。もしかしたら落し物として届いているのかもしれないので、後で警察に行ってみようかと思っています」

 探偵は飛び跳ねるのを止めて私を見つめてきた。憐れむような目をしていた。

「無いでしょう。落し物は全て確認していますがあなたの記憶が届けられた事はありません」
「そうですか」
「お気を落とさずに」

 無い様な気はしていたので、私は何も感じなかった。けれど探偵は苦悶の表情を浮かべている。私を憐れんでいるのだろうか。少し大げさな気がした。

「申し訳ありません。手伝ってもらってばかりで。あなたの事件を優先するべきなのでしょうが」
「いいえ。町を騒がせている事件の方が優先度は高いです。私は事件の鍵なのでしょう?」
「そうだと思うのですが」

 考え込む様に俯いた探偵と共に角を曲がると、そこにカーミラと杏奈が居た。カーミラは鉢植えを持って、杏奈は風船を持って、こちらへ歩いてくるところだった。

「おや、依頼人さん」
「お姉さん、こんにちは」
「こんにちは、カーミラさん、杏奈さん」
「探偵のお兄さんは何をやってるの?」

 振り向くと、空に向かって手をかざしていた。何をやっているのだろう?

「太陽に手を伸ばしているのです」

 杏奈とカーミラが溜息を吐いた。

「何でこうなっちゃったんだろうね」
「本当にね」

 杏奈の言葉にカーミラが同意した。探偵がばつの悪そうな顔を二人に向けると、杏奈が懐かしむ様に言った。

「探偵のお兄さんも昔は大人しくて可愛かったのに」
「ちょっと、杏奈ちゃん、そんな昔の話は」

 探偵が眼鏡を外した。

「探偵さんと杏奈さんは昔からの知り合いなのですか?」
「そうだよ。私はね、探偵のお兄さんの一世代前の親なの」

 探偵が恥ずかしそうにそっぽを向いたのを見て、杏奈はまた溜息を吐いた。

「お腹を痛めて産んだのにねぇ」
「お腹は痛めてないだろ。戸籍の登録だけだ」
「そうは言っても、色々と世話を焼いたのに。小さな頃は可愛かったのになぁ」

 そう言って杏奈は親指と人差し指を触れる程狭めて大きさを示した。その大きさだと胎児という事か。

「それが今は……もう全然駄目。そもそも何でお姉ちゃんと別れちゃったの?」

 息を呑む音が聞こえた。探偵と、それからカーミラから。

 探偵が私に目配せをしてきた。厳しい目つきだ。言うなという事か。私が口を閉ざしてカーミラを見ると真剣な目で探偵の事を見つめていた。

「それは……いまは関係ないだろ」
「関係なくなくない! さあ、言いなさい!」
「嫌だ」
「嫌じゃない」
「しつこい」
「しつこくない。もう探偵のお兄さんてば何でこうもふてぶてしくなっちゃったんだろう」
「今日はやけに突っかかるな。酒でも飲んで酔っ払ってるのか?」
「子供はお酒を飲めません。もう、探偵のお兄さんがあやふやしてるから」

 ふっと杏奈は目を細めると、溜息を吐いて、私達の傍を通り抜けた。

「まあ仕方が無いか。それじゃあ、またね。探偵のお兄さん、次は白状させるから」

 そのまま振り向きもせずに先へ、後にカーミラが続いた。

「じゃあね、二人共」

 探偵を見るカーミラの眼には険がある。

「ふう、参ったな」

 二人が曲がり角を曲がったのを見て、探偵は息を吐いた。眼鏡を掛けて、空を見上げる。

「私が探偵になった理由は秘密にしておいてください」
「話しても問題無いのでは? いえ、そもそも、カーミラさんには探偵になった理由を伝えていないのですか?」
「ええ、まあ」
「何故です? カーミラさんはとても心配しています」
「巻き込みたくないから……だけじゃないんですが、良く分かりません。何故言えないのでしょう。自分でも良く分かりません」
「そういうものですか?」
「そういう、ものなのでしょう」

 探偵の瞳は酷く悲しそうに歪んでいて、でも何処か嬉しそうにも見えた。一体探偵さんはどんな気持ちなのだろう。探偵自身ではない私ではそんな事分かり得ない。

「さて、それじゃあ、何処に行きましょう。とりあえず警察にでも行きますか? もしかしたら記憶が届いているかも知れない」
「いいえ。探偵さんの言葉を信じます。記憶は届いていないのでしょう?」
「ええ、恐らく」
「なら、別の場所に行きましょう」
「そうですか。何か、ほんの些細な拍子に、いいえ、すぐそばを探せば、あなたの記憶は見つかる気がするのですが」
「それはどんな推理ですか?」
「いいえ、探偵の勘です」

 探偵の手元に何処かから飲み物が放られた。探偵が二つ共受け取って、一つを私の手元へ。バナナの味がするのだろうかと思って、飲んでみると、やはりバナナの味だった。ならば探偵の方は蜜柑の味がするのだろうか。やっぱり分からない。中には何が入っているのだろう。

 ふっと閃きが私の脳をかすめた。かりかりと脳が高速で処理される。

「分かりました」

 思わずそう言っていた。探偵が嬉しそうににっこりと微笑みながら、私へと向いた。手には飲み物を持っている。髪の毛は撫でつけられて、ぴったりと頭に張り付いている。太陽の光で金色に輝いている。眼は、眼は閉じているので、瞳の色は分からない。口を開けたり閉じたり、ぱくぱくと、何をしているのだろう?

「何が分かったのですか?」

 私にも良く分かっていなかった。何故そう言ったのだろう。頭がかちかちと高速で回転しながら自分の事を理解しようと過去の私を見つめている。ああ、成程。つまり、

「今回の連続殺人を惹き起こした方法が分かりました」
「ほう」
「恐らく、ですが」
「構いません。では密室に就いてお聞かせ下さい」

 探偵が豪華なデスクに肘を就いて、両手を組み、顎を乗せ、悠然と私に微笑を投げた。そんな幻影が見えた。白いドレスの少女が私と探偵を見て、笑っている。私にその様子を話しながら、私に向かって微笑んでいる。



[27250] 犯人訪問
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:19
「密室ですか?」
「そうです。直接、間接問いません。比喩表現大いに結構。とかく密室が事件の何処かに入っていれば私は探偵として動けるのです。どうです? この事件に密室は?」

 私は少し考えて、

「ございます」
「よろしい。では、何か決め台詞は?」
「後で考えておきます」
「そういえば、私の決め台詞として世界は俺の掌の上だというのを考えたのですがどうでしょう?」
「あまりにも似合いません。荒々し過ぎます。語呂も合ってない」
「セクシーアンドワイルドな私にぴったりかと」
「ワイルドとは野性的という意味ではありませんでしたか?」
「はい」
「似合いません」
「セクシーだけですか?」
「どちらかと言えば」

 私と探偵は横に並んで道を歩いた。物を投げ渡してくる者はいない。私が滔々とあるいは訥々と話し、探偵が粛々とあるいは騒々しく聞いた。

「では、まずどういった密室だったのでしょう?」
「探偵さんの言った通りでした。この町は大きな密室になっているのです。犯人は外側に居ます」
「成程。では私達が今、町の外へと向かっているのは、犯人の所へ向かっているのですね?」
「その通りです」

 大通りを歩いていると、店先に人とロボットとアンドロイドと何かが液体を流して倒れているのが見えた。また殺人があったみたいだ。ふっと景色が変わる。私達は町の外側へと繋がる門の前に立っていた。

「町の外ですか。出るのは久しぶりです。二世代前に出たっきりだ」
「何故外に出ないのですか?」
「何故? 何故だと言われても、そういうものだとしか」
「それが理解できませんでした。事件の捜査だって探偵さんは町中だけしか探そうとしません。一度は外側から観察してくる犯人を想定したのに」
「そういえば、町の外を調査した事は無かったですね。確かに外側の観測者を想定しましたが……何故でしょう? まさか、それが今回の事件の胆ですか?」
「さあ、それは分かりませんが、外に関心を払わない理由が思いつかないなら、研究品の所為ではないでしょうか? 町の外に出さない研究があったのでは?」

 そういえば、そんなものがあったなぁ。探偵ははっきりしない口調でそう言った。
 町の外に出ようとすると門衛が手を振って来た。私がそれに手を振り返し、探偵は門衛へと近付いた。

「失礼ですが、この門から出る人はどれ位居ますか?」
「ん? 最近は全くだね。今の世代だと……居ないなぁ。ああ、その嬢ちゃんが良く出てくけど。まあ、楽で良いよ。月に一度、あの丘の上の爺さんから酒を受け取るだけだ」
「そうですか。分かりました」

 私と探偵は外に出て丘を登る。そよぐ風は優しく心地良い。何をするにも良い天気だ。ならば犯人を挙げる事も?

「それでは今回の主役は、いえ、探偵はあなたです」
「いいえ、私はあくまでも探偵の助手です。探偵は探偵さんにお任せします」
「そうですか、では」

 丘の上の店を前にして、役柄が決まった。やはり探偵は探偵なのだ。私は探偵ではない。探偵は私に会釈をしてから、観音開きを開いて中へと入った。私はその後を追って揺れる観音開きを押し開けた。中は強い酒気に満ちていた。窓から入る光が店内を照らしているが、人口の光に比べれば遥かに及ばない。店の隅の暗くなった一角で客は酒を飲んでいた。

「ようやく来たか、探偵の坊主、とそれからお嬢ちゃん、あんたも来たのか」

 客の視線が右へ左へ揺れた。探偵は一度、わざとらしく咳払いをすると切り出した。

「要件はお分かりですね?」
「うちは酒場だ。酒でも買いに来たのか?」

 客が愉快そうにグラスを掲げて見せた。中から泡の立つ液体がこぼれて、音を立てて机を濡らした。

「酒は後ほどいただきます。まずはあなたを告発いたします、連続殺人の首謀者として」
「ほう、どうして分かる」
「探偵とはそういうものなのです」
「そうか。そうなんだろうな」

 眼を逸らして俯いた客に探偵が尋ねた。

「酒に人を殺人に駆り立てる薬品を混ぜた。間違いありませんね?」
「ああ、間違いない」
「一つ分からない事があります」
「なんだ?」
「動機です。何故わざわざ人間のそれも成人体しか飲めない酒に入れたのですか? もっと別の方法があったでしょう?」

 探偵の言葉に客は黙り込んだ。何か考えている風である。私は思い付いた事を言ってみた。

「人間だけを対象としたのでは?」
「いいえ、結局殺される対象は町の全ての人なのです。何故人間だけに殺人をさせたのか。それが分からない」

 私と探偵の視線が客へと集まり、客は口を歪めて口だけで笑った。

「何、大した意味はない。ただ手元に酒があったから、それを使っただけだ。どっちにしても人が人を殺すなら何でも良かったんだ」
「それが殺人の動機ですか?」
「そうだな。そうなんだろうな。手元に酒があったから。薬があったから。酒場があったから。周辺街が一掃されたから。人が生まれ変わる様になったから。罪悪感から。好奇心から。興味本位から。理由なんて挙げようとすれば幾らでも挙げられる。儂が生まれたからでも、世界が生まれたからでも。どうせ、時間も因果も露と消えたんだ。何だって良いじゃないか」
「そういう訳にはいきません。動機もまた事件には不可欠です」
「そうかい。なら幾つか昔話をしよう。そこから勝手に類推してくれ」

 客がグラスを置いた。木の机が鳴いた。グラスの中の液体が揺れている。揺らめく水面が人を眩惑しようとしている。

「まず一つ目だ。森の中の白い聖域には昔大きな屋敷があった。探偵の坊主は知らないだろうが、あの白い聖域はその一部分だ。そこに一人の少女が住んでいた、早くに両親を亡くしていたので、周辺街の住人達でその世話をしていた。無口な子だったな。あまり感情を外に出さない。両親が居ないのだから仕方がなかったのかもしれないが。儂達の援助を厭っている様にも見えた。それどころか人間と関わりたくないみたいだった。だからと言って、あの時代は一人で生きられる時代じゃなかったから、甘んじて世話を受けていたのだろうな」

 白い聖域の中の少女? 私はそれを知っている。知っていなくてはならない。でも思い出せない。私はそこに居たはずなのに。探偵の視線が私に注がれている。私は誰だ。思い出せない。

「色々と苦心したよ。教育を受けさせる為にコンピュータをみんなで作った。周辺街は裕福じゃなかったから安い材料をみんなで集めて。儂達が四六時中世話しているのが嫌みたいだからと、ロボットも買った。当時の最新式で、みんなでお金を出し合って買った。あの子は受け取れないと言って、こっちがもう持ってきたからと言うと、ならお金を払うと言う。結局何度か押し問答があって、儂達は金を受け取った。あの子の入学資金に取っておこうなんて思ってな。結局あの子は学校に行けなかったが。ああ、坊主は知らんのかもしれないが、当時は学校に金がかかった。今と同じ様な補助制度はあったが、使えば貧乏人と罵られた」

 客が私を見た。その視線が何を言いたいのかは分からない。記憶が無いから分からない。記憶は何処だ。

「ロボットを買ってからはとんと出てこなくなったな。中で何をしているのかまるで分からなかった。全てをエアネットで済ませていた。外との繋がりはそのロボットが担っていて、訊ねてもあの子の姿は見られなかった」

 客から溜息が漏れた。それをきっかけに沈んでいた頭を起こして、グラスの酒を呷った。

「恩知らずなんて言う奴も居たよ。恥ずかしい話だが、儂もその一人だった。折角世話をしてきたのに顔も良せないのか、なんて。中で一体何をやっているのかと皆で疑念を膨らませた。だがあの子は恩知らずなんかじゃなかった」

 客が笑う。何処か遠くを眺めている。もう、客はこの世界を見ていない。遥か遠くを見つめている。

「周辺街で病気が流行った。酷い病気だった。治らない病気じゃなかったが高かった。皆でお金を持ち寄って何とか子供だけは治す。その代わりに大人が死ぬ。中にはあぶれる子供も居る。その子供も死ぬ。老人は当然真っ先に死ぬ。とにかく死んで死んで、皆死に絶えると誰もが思った。けど、そんな時、あの子が出てきた。元気そうなあの子を見てほっとした。空気感染する病気だったからあの子ももしかしたらなんて心配していたから。とにかく一回ほっとしてから、病気の事に気が付いて、儂は出て来るなと叫んだ。病気が蔓延してるってな。けどあの子は微笑んで、静かに、今こそ役に立つ時だと言った。今でもよく覚えているよ。その時ふわりと風が吹いて、白いドレスが棚引いて、青空と白いドレスとあの子の笑顔が混ざり合って、視界一杯に広がった様な気がして、何やら厳かな雰囲気だったな」

 客の声がだみ声になる。泣くのかなと思った。けれど泣かずに、また何処か遠くを見つめながら語りだした。

「あの子は家の中でずっと医学を勉強していた。前に誰かが病院が無いと愚痴っていたのをずっと気にかけてくれていた。その為に、恩返しの為に、ずっと勉強していてくれたんだ。そうして本当に、蔓延していた病気を立ち所に鎮めちまった。たった一粒の薬を溶かした水だけでだ。それを飲めば、儂達があれだけ苦しめられていた病気がいとも簡単に治った。後でその薬は中央に採用されて、今でも使われている。それをたった一人で、独学で作ったんだ。天才だったんだろうな。儂なんてどれだけ経っても及ばない位の。もうみんな大喜びだったよ。けれど、礼を言おうとした時には既にあの子は居なくなっていた。家へ帰って、また出てこなくなった。でも、もうあの子を悪く言う人間は居なくなったよ。中には神様でも崇拝する様な勢いの奴まで居た」

 ああ、そうだ。何となく今、擦れた記憶が頭に引っかかった。あの場所に、住んでいたのは、そう、あそこには、夜の女王が住んでいた。夜の女王と昼の王がその場所で暮らしていた。

 客の話はまだ続く。



[27250] 機械錯誤
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:21
「それからあの子の所には町の研究者達がやって来る様になった。大学の研究室の奴等、今の中央家屋の前進だ。奴等はあの子に薬を頼み、あの子は望み通りの薬を作った。不老不死の薬だ。ここから二つ目の話になる」

 客の声がゆらりと酒場の中に響いた。老人の持つコップが震えた。ぴちゃんという甲高い音と共に酒が飛び跳ねて、机の上に落ちた。けれど既に机の上はこぼれた酒で一杯で今更一滴こぼれた所で何でもない。

「世界から寿命すら消えた。永遠の命は人類の夢だなどと言われていたが、結局不老不死が現実の物になってみればあったのは絶望だった。人間本位、神、精神、自分、科学、時間、因果、あらゆるものの境界が消えていく、その終端だ。そんな風に言われていた。誰も歓迎なんかしていなかった。まあ、 その後に無すら消えた事で、皆は更に酷い厭世に陥ったが。それは探偵の坊主も知っているな」
「ええ、酷い厭世かどうかは分かりませんが」
「誰もが自分も未来も捨てている。誰もが先を見ていない。未来も自分も無いんだなんて馬鹿な事をのたまって、諦めて、それで誰もが何かの役を演じたがる。人形劇の町だ。町の名前がマリオネットなんて馬鹿げた名前だから、それに相応しくなろうとしているのか? あそこはグランギニョールだよ。恐ろしく、そして滑稽だ」

 客が酒を啜る。ずっと音を立てて、それは口から垂れて、床へと落ちた。床に広がる酒の海が更に広がるのだろう。大海に投ずる一滴は如何にも頼りなげだが、それは確かに増えている。問題は海が少しずつ減っているという事だけだ。

「そうは言われましても、結局未来も自分も幻想だったではありませんか」
「ふん、幻想なんかじゃない。証明できないと証明されただけだ」
「同じではありませんか」
「違う」

 客が探偵を侮蔑の視線で見つめ、それから俯いてまた語りだした。

「世間が反不老不死を謳い始めてから一度だけ、あの子の家に研究員達が訪れた。何を話したのか知らないが、それからあの子の消息は分からない。ただ屋敷の生活反応は消えた。取り次ぐロボットも居なくなった。誰が尋ねても無人の様な屋敷が沈黙を保っていた。まあ、あの屋敷の中の事は儂よりそっちの嬢ちゃんの方が詳しいだろう」

 分からない。私には記憶が無いのだから。

「当時人口は限界に達していた。医療の発達が人の死を遅らせ、技術の発達が人を溢れさせた。これ以上増えたらまずいと誰もが分かっていた。町は小細工を弄しながら何とか先送りにしていた。それが不老不死の発見で一気に溢れ出た。不老不死そのものが問題だったんじゃない。ほとんどの人間は不老不死を拒絶していたから。だが不老不死が人々を不安にさせた。不老不死になる者が増えれば町の人口は更に酷い事になる。そうしたら日頃噂されている出産制限が来るのは時間の問題だ。だから今の内に子供を産んでおこう。そんな短絡的な三段論法が蔓延したんだ。呆れる程お粗末だよ。文明人だ何だと言っているが、原始の頃と何も変わっていない。結局世界なんて何も変わっていないんだろうな。認識が変わっただけで」
「認識すらもそう変わっていませんよ」

 探偵が近くのテーブルに置いてあった空き瓶を手に取り、それをくるくると手の中で回し始めた。きらりきらりと薄く指す陽光を反射させながら、空き瓶は回っている。

「そうして町が窮地に立った時、中央家屋の奴等が今の制度を作った。人の命を回し、再利用する輪を」
「生まれ変わりですよ」
「ふん、どうだか。その制度が出来て、人々は淘汰された。次々と殺されていった」

 そこで初めて、探偵が大きく表情を変化させ、疑念を表した。

「殺された? そんな事は聞いた事が無い。私だってその時には生きていた。そんな大規模な殺人」
「あったさ。儂が殺した」
「どういう意味です? 今回と同じく薬を使って殺人を惹き起こしたのですか?」
「勿論違う。もっと直接的に人は減った。儂はボタンを押した」
「あなたは以前にも殺人を?」
「そうだ」

 客が笑ってボタンを押す振りをした。だが、目は笑っていない。歪に変形している。どんな感情なのだろう。

「沢山の人が分担してシステムを作り、沢山の人が分担して動かした。儂はただボタンを押しただけ。誰かはただ液体を流しただけ。誰かはただ数値を入力しただけ。それにどんな意味があるのかなんて分からなかった。ただ命を循環させるシステムを動かしている名誉ある仕事だと言われていた。儂は反発していたがね。お前が手伝わなければ周辺街の人をそのシステムの中に入れないなんて脅されたら従わざるを得ない。とはいえ、何かおかしい、やりたくないなんて思っていたが、まさか人を殺しているなんて思っていなかったよ。誰もそんな事を思っていなかった。いや、未だに儂以外の人々は人を殺したなんて思っていないはずだ。儂だけ知ってしまった」

 客が椅子の背にもたれかかって、辺りをぐるりと見回した。店の壁しかない。だが客には何かが見えている様だった。

「儂が町の中から久々に帰って来てみると町の外は急速に寂れていて、皆死んだなんて言う。それから人は更に減って、すぐに町の外から人が消えた。周辺街が消えた。残ったのは儂だけだ。後は空っぽの家ばかり。屋敷もあの白い部屋を残して後は全部消えていた。森が出来て隠れてからは本当に何にも分からなくなった」
「白い部屋の中を見てみなかったのですか?」

 そんな疑問が口を衝いた。答えは分かっている。

「ああ、誰もあそこには近寄れないからな」

 近寄らせたくないからだ。

「何はともあれ、周辺街から更に町の中へ、どんどんと無人の区画が増えて、町からすっきりと人は減り、調整に調整を重ねて上がりも下がりもしない停滞した町が出来上がった。そうだ、坊主はどれ位に死んだ?」
「命が循環し始めてから百年ほどして」
「そうか。あんた家柄が良いのだろう?」
「昔の話です。もう家との縁は切れましたし、今は関係ありません」
「だが、昔はあった。それが死に順に関係した。周辺街は最下等だったからなぁ」

 客は嘆息すると、私を見つめてきた。私が何も反応を返さずに居ると、客はまた酒に手を伸ばした。

「まあ、良い。それじゃあ三つ目だ。儂は不老不死になっていた。実験体として薬を摂取した。あの子の作った薬だし儂は喜んで受け入れた」

 老人が更に酒を呷る。良く見てみれば、顔が急激に赤くなったかと思うと、すぐに元の肌の色に戻った。口からアルコールの臭気が漏れた。

「何にせよ、儂は死ななくなった。だからといって何が変わった訳でもないがね。今の時代は傷も病気もすぐに治せるし、死ぬ事なんて余程意図しなければ滅多に無い。折角ずっと生きているのだから、町に記憶を操られずに全てを憶えておく、何て事でも出来たら良かったが、脳の容量があるから、定期的に不要な記憶を吸い出さなくちゃどんどん忘れていく」

 そういって、客はポケットから小さな銀色の欠片を取り出した。

「これが儂の記憶だよ。無くしたら警察に行けば良いのか?」
「そうですね。落し物ですし」
「儂の記憶は他のガラクタと変わらない訳だ」

 客が笑う。

「さて、記憶を吸い出す為に中央家屋に通っていたんだが、ある時魔が差した。何だか厳重そうな扉に閉ざされた部屋があった。触ってみると意図も簡単に開いた。誰も見とがめる者は居なかった」
「ちょっと待ってください。それが分からない。何故簡単に入れたのですか? あそこの警備はそう簡単には」
「さあな」
「マザーグースが手引きでもしたんですか?」
「だから知らん。その後、すぐにマザーが壊れたのだし、何かがあったのかもな。だが儂に分かるのは何故か扉が簡単に開いた事だけだ」

 探偵は納得がいかない様だが、客は先を続けた。

「部屋の中には小さな袋が一つだけあった。中には二つの物が入っていた。転移装置と今回の薬だ。薬にはあの子が描いたあの子自身の似顔絵が描いてあった。あの子が証に書いたのだろう。説明書きを見て目を疑ったね。明るく笑うあの子が描かれた容器の中に、人間を殺人に誘う薬が入っているという。冗談かと思ったよ」

 客の手にいつの間にか透明な瓶が握られていた。そこには似顔絵が描かれている。三つ編みを二つ下げた黒髪の女の子が笑っている。

「もう一つが林檎の形をした鉄だった。町の監視システムに検出されない転移装置だと説明書きがあった。使ってみると確かに一瞬で町の外に出た」

 そこで客はちらりと探偵を見た。私も探偵を見てみると、探偵はくるくると瓶を回しながら微笑んで客の話を聞いている。

「驚かないんだな」
「驚いていますよ。まさか、あなたが私を殺したなんて」
「驚いている様には見えん」
「ですが驚いています」
「本当に世界はおかしくなった」

 客の嘆息に合わせて、外から物音がした。他の二人には聞こえていない様だった。だが、私の耳にだけははっきりと聞こえた。誰かが外に居るのだろうか。

「まあ、とにかく、あんたを殺した犯人は儂だ。そういえば動機が必要なんだったな。動機は何となくだ。何となく使ってみたくなった。いや、物騒な薬の効果が本物か確かめたかったからかもな。薬の効果が本当にこんな酷い物なのか。だが確かめて効果が本当ならあの子の罪になってしまう気がした。だからその代わりに転移装置を使って、その効果が本物なら。薬も本物なんだろう。そんな気持ちで試してみたのかもしれない。この転移装置で殺人が出来たら、薬でだって殺人を惹き起こせる。どちらかと言えば否定的だったな。流石にこんな使い方は出来ないだろうと」
「結果私は死んでしまったのですが」
「そうだな。悪かった。だが、良いだろう。あんた等にしたらどうせ生き返るんだ」
「そうかもしれません」

 また物音が聞こえた。誰だろうか。

「その時、ふとスイッチを押して人を殺していた時の事を思い出した。あの時も何となく人を殺していた。転移装置を使った時も、儂は転移装置のボタンを押しただけ。だけど、今度は自分の意志で、全てを分かっていてだ。言い訳は出来ない。ただ罪悪感は無かった。何故だろうと疑問に思っただけだった。何故人を殺したんだろうってな。警察がやって来て、儂は逃げた。逃げた先で、自分の仕出かした事をはっきりと認識しながらも、何故だろうと考え続けた」
「答えは出たのですか?」

 探偵の問いに客は首を振った。

「いいや。何故人は人を殺すのだろう。それが気になって仕方が無い。ただ幾ら考えても答えは出ない。当たり前だな。あらゆる物事が証明出来ないと証明された世界で何を考えたって無駄だ。だが、気になるんだよ。どうしても」

 探偵がぽんと手を打った。

「あなたの動機に関係しそうな話は他にありますか?」
「いいや」
「成程、分かりました。少女は人の命を助けた。しかしあなたは人を殺した。あなたの話振りからするに、少女に対して畏敬の念を抱いている。しかし一方で自分は少女とはかけ離れた殺人者。その違いは何だと思い悩んだ挙句に、他の人々も自分と同じレベルまで貶めようとしたのですね?」

 私はその探偵の言葉に疑問を持った。

「そうでしょうか?」
「おや、あなたは別の意見を?」
「はい。このお客さんは女の子に会いたかったのだと思います。薬という女の子の残した物を町中にばら撒く事で、女の子の意志を町に再び現じたかったのでしょう。あるいは、大変な事態が蔓延する事でまた女の子が救世主の様に現れてくれると思ったのかもしれません」

 私の言葉に今度は客が口を挟んできた。

「いや、儂はそうは思わん。結局今までのエピソードは繋がりがありそうで無い。結局世界は無意味なんだ。だから動機だって無いも同じ。大した理由は無い。強いて言うなら、その時それをした、という行為その物が動機だろう」

 客の言葉を今度は探偵が。

「いえ、動機が無くては探偵も事件もありません。動機は無くてはならないのです。そうだ。さっきは他の人々を同じレベルにと言いましたが、そうではなく、自分を高めようとしたのかもしれません。マイナス方向に自分を持って行く事で、プラス方向の少女と吊り合いをとろうとしたのかも」

 探偵の言葉に別の男。

「ふん、そんな物どうだって良いだろう。法律を犯した。それだけで逮捕するには十分だ」
「警部、ですからそれでは事件にならないのですよ」
「知った事か」

 警部が大股で探偵の横を通り過ぎ、客の前に立った。

「話は全て聞いた。罪状、コウノトリ、他諸々。あんたを裁判所へ送る。そのまま監獄行だろうがね」
「そうか」

 客はそれだけ言って、酒を呷った。
 目が私を向いた。

「まあ、良いか。懐かしい顔も見れた」

 私が首を傾げると、客は言った。

「嬢ちゃんは忘れてるんだろうけどな。屋敷の玄関で良く話したよ」
「憶えて、いません」

 その言い方ではまるで、──いや、まだ確定していない──

「あんたの主人が死んでたのは残念だったが、あんたはずっとあの屋敷を守っていてくれたんだな」

まるで私が、

「これだけ時間が経ってもまだ動くんだなぁ。いや、記憶を無くしたのだから正常とは言えないか」

私がロボットみたいじゃないか。

「やはり高いと物持ちが良いんだな」
「そういう言い方は条例で禁止されている」
「ああ、そうなのか」

 客と警部が話している。だがよく聞き取れない。頭が混乱している。
 私は、聞いた。

「私はロボットなのですか?」

 三人が一様に驚きの表情で私を見た。気が付いていなかったのかと口に出さずとも分かる意志。私の脳が音を立てながら三人の表情を解析した結果。



[27250] 絵本改訂
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:22
 その国には夜の女王と昼の王が居た。夜の女王は色々な知識と大きな力を持っていて、お城の中で人々を助けていた。昼の王は何の知恵も力も持っていなかったけれど、皆から好かれていたので国を治めていた。夜の女王は昼の王に知識と力を与えて、昼の王はそれを使って国を治めた。皆は二人のお蔭で国が治まっている事に感謝していた。
 でもある時、昼の王がやって来てこう言った。

「お前はもういらない」

 夜の女王が理由を聞くと、昼の王はもう夜の女王に頼らなくても国を治められるからだと言う。それなら一人で国を治めてみろと夜の女王が力を貸さないでいると、昼の王と人々は本当に夜の女王無しで暮らし始めた。夜の女王はお城の中で一人ぼっちでその様子を眺めていた。

 自分は必要とされなくなったのか。一抹の悲しさを憶えて城の中で座っていると、城の門が叩かれた。ほら見た事か。何か問題があったに違いない。夜の女王は嬉しくなって台座から飛び上がって門を開けると、そこには昼の王と人間達が居た。きっとどうしようもなくなって、助けを求めに違いない。夜の女王は得意になって、それでも出来るだけ平静を装って言った。

「何か用?」

 すると怖い顔をした昼の王が前に出た。

「お前が居ると国が治まらぬ。出て行け」

 夜の女王は耳を疑った。だが、目の前には怖い顔をした昼の王と人々が今にも飛び掛かって来そうな様子で夜の女王を睨んでいた。嫌われてしまった事は間違いが無かった。

「今までの功績に免じて、猶予をやる。すぐにここから立ち去れ」

 そう言って昼の王達は帰っていった。独り取り残された夜の女王は泣きそうな面持ちで考えた。どうして嫌われてしまったのか。一体自分が何をしたのか。考えても一向に答えは出ない。沈鬱な心地で重たい足取りで門を離れて玉座に座って一息吐くと、外から声が聞こえてくる事に気が付いた。

 出て行け。出て行け。

 城の周りから聞こえてくる、その声はどんどんと大きくなっていく。恐る恐る小窓から外を窺ってみると城の周りは出て行けと叫ぶ人々に囲まれていた。これでは出ていこうにも出られない。元々出たいなんて気持ちは無かったけれど、出られないと知ると何だか酷く悲しくなった。

 夜の女王は外の声が聞こえない様に窓という窓を閉めて回った。それでも微かに聞こえてくる。それはとても小さい音だけれど、とても耳に響く声だった。出て行け、出て行けと言っている。最後の一つ、いつも昼の王が忍んで来る窓だけは、閉めなかった。微かな期待を込めての事だった。

 そうして夜が来た。昼の王はやって来なかった。外からはまだ出て行けと聞こえてくる。嫌になって耳を塞いでもまだ聞こえてくる。ごんごんと音が鳴る。始めの内は何の音だか分からなかったけれど、少ししてそれが投石の音だと知る。皆が石を投げている。夜の女王は自分に向かって投げられる石を思って──もう涙も出なかった。

 夜の女王は薬を呷った。人を生かす薬は幾らでも作れた。その逆も勿論簡単だ。何日かして痺れを切らした人々が押し入って来て、そこで夜の女王だった物を見た。それから人々の間に死の病が広まった。誰も彼もが病で死んだ。掛かれば絶対に助からない。掛かった人は夜の女王と同じ様に人々から追い出され、石を投げられ、そうして一人で死んだ。夜の女王の意志が人々を殺して回った。人々は夜の女王を恐れて、夜間は必ず窓を閉ざした。何の意味も無い行為ではあったけれど、それでも人々は夜を恐れ、決して外には出ず、耐え切れない不安がやって来た時だけ門を開ける。そんな日がこれからずっと続いていく。


 顔を上げると少女と目が合った。睨まれて視線を下に向けると少女の手に押さえつけられた絵本が開かれていた。荒々しい線で描かれたぐちゃぐちゃとした絵には憎悪が籠っている。再び恐る恐る顔を上げると、少女の涙が溜まった目にも絵本以上の憎悪が込められている。少女は唇を戦慄かせている。

「許せない」

 私は何も言えずに頷いた。

「許さない」

 涙がこぼれ絵本に落ちた。絵本を押さえつける手はぶるぶると震えている。

「みんな好きだったのに」

 そこで声が途切れて、後は啜る音だけが聞こえてくる。

 私は顔を直視できずに、絵本を見つめながら、ただその音を聞いていた。絵本には人々が苦しみ死んでいく様が、幼い稚拙な表現で描かれている。人々の明るい笑顔を上書きする為に、その下のハッピーエンドをバッドエンドで塗り潰している。



[27250] 舞台演間
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:24
 個体情報に変更を加えますか?
 変更箇所が多すぎます。不具合が起きる可能性がありますが、続行しますか?
 修正を開始いたします。
 しばらくお待ちください。

 私がロボット?
 私は人間ではない?
 私はロボット?
 私が人間ではない?

 ではあの白骨は? 人間の物だ。では私ではない? 白いドレスがひらりと舞っている。あなたは誰? あなたと私は同時に死んだ。なら私ではないの? お酒を飲むのは人間だけ。私は飲める? 私は飲めない。なら私は人間ではない? 私は死んでいるはずだ。なのに動いて喋っている。私は死んでいない? でも私は生きていないはずだ。ああ、そうだ。確かロボットは生きていないのだ。だから私は生きていないのだなぁ。それを死んだと勘違いしていただけなのか。ちょっと待って。でも確かに私は死んだはず。夜の女王が笑っている。私の記憶は何処にある? 思い出せばそれで解決。それが何処にあるのか分からない。私の名前は何? 私には確かに名前が在ったはず。名前が無い。だから生きていない。そうだ。だからなのだ。私に名前が無いから私は死んでいるのだ。名前が在るから生きていて、名前が無いから死んでいる。なんだとても単純な事じゃないか。ならどうして私は名前を失ったのだろう。私の名前は? 白いドレスが翻る。私の名前は誰が知っている?

「大丈夫ですか?」

 探偵が私の顔を覗き込んでいた。探偵の肩越しには踊りを踊るみんなが居る。探偵はパイプをふかして安楽椅子に坐りながら、私へと尋ねてきた。

「自分がロボットだと知らなかったんですか?」

 私は頷いた。

「ではあなたは自分が何だと思っていたのですか?」

 私? 私は私。

「それでは答えになっていません」

 私? 私は、私は昼の王だ。夜の女王と暮らす昼の王。同時に私は夜の女王の片割れでもあって。

「昼の王ですか。懐かしいおとぎ話ですね。あれは誰の作だったか」
「儂は知らんぞ。何だその話は?」

 探偵が額縁に入った絵を見せると客は納得した。

「はあ、こんな話があったのか。儂が生きていた頃は無かったが」
「それはそうと、あなたは何故自分がロボットで無いと思っていたのですか? だって、あなたはロボットでしょう?」

 私が鏡を見ると、そこにはどう見ても人間にしか見えない私が映っていた。

「そりゃあ、外見は人間と瓜二つですが中身はまるで別でしょう? 巨大なトラックを止めていたし、各種の感知センサーも備わっている。闇の中でも塔の中を歩けたでしょう? 頭の中からかちかちという機械音が聞こえた事はありませんか? 人間嫌いのホーマー達に酷い扱いを受けなかったし、それにあなたはお酒が飲めないでしょう?」

 それは確かにそうだけれど。

「あなたはどうして自分がロボットだと思わなかったのです? もっと言いましょう。あなたは自分が人間だと思っていた」

 そうかもしれない。何故だろう?

「簡単さ。夜の女王に喜んでもらいたかったからだろう?」

 突然横合いから海賊が現れた。

「残念ながら海を見ようにも海は無い」

 銀河を旅する宇宙飛行士が現れた。

「外にだって出られない」

 幽霊が現れた。

「身近な不思議も消え去った」

 ヒーローが現れた。

「けれど世の中理不尽だらけ」

 子供が二人現れた。

「せめて友達でもって思っても」
「あの子と友達になる奴なんて居ないよね」

 そう。あの人はいつも寂しそうで。
 誰かが言う。

「だってあの子性格悪いから」

 そんな事無い。いつも他人の事を考えていた。

「でも友達居ないだろ?」

 それはたまたま同年代の人間が居ないだけ。

「そう。その通り。あいつの周りには友達になってくれる様な役者が居なかった」
「だから君はなりたかったのだろう?」
「友達になれる様な存在に」
「あの子と同じ人間に」

 途端に照明が落ちた。辺りが闇に染まり上がった。

 そしてふっと舞台に一筋の光が。光の下に客が浮かぶ。更にもう一筋。今度は門の守衛。次の一筋は店売りの親子。人々。塔の守衛。親子。恋人。人々。アンドロイドの娘。探偵。吸血鬼。子供。警部。ピエロ。人。人。人。

 光の中に浮かび上がった人々は皆一様に笑っている。愉快そうに同じ笑顔を私に向けて笑って笑って笑っている。

 口が動く。皆の口が一様に動く。全く同じ動きで全く同じ事を言う。

「でももうあの子は死んだのだから意味が無い」
「だというのに未だに君は人間になろうとしていた」
「滑稽滑稽」
「愉快愉快」
「意味が無い上に」
「出来もしない」
「お前はロボット。人間じゃない」
「あなたが人間だなんて無理がある」
「もしや願えば人間になれるとでも?」
「残念。それはお話の中だけさ」

 別に私が人間にならなくても良い。ただあの人に友達が出来て、それで楽しく過ごしてくれれば。あんなにつまらなそうにしていないでくれれば、それで。

「でももう死んでいる」
「今更詮無き事」
「願えば叶うのはお話の中だけさ」
「まだ願ってみるかい?」
「この巨大な舞台の上で」
「暗闇の中で今スポットライトは君に当たっている」

 何を言っているのだろう。光が当たっているのは私以外のみんなではないか。

「さあ、出来るだけ悲しそうに」
「如何にも観客の心を打つ様に」
「神の心すらも動かす様に」
「泣いて嘆いて願おうじゃないか」
「折角お誂え向きの舞台の上なんだから」

 気が付くと、私に光が当たっていた。代わりに辺りは暗闇になって見えなくなった。私は暗闇の中に一人ぽつんと居る。けれど周りからは未だに声が聞こえてくる。

「みんなが役を演じるこの町はまさにお話の世界」
「二人で読んだ沢山の物語が町の中には詰まっている」
「さあさ、俯いていないで」
「顔を上げればほら探偵が居るよ」

 顔を上げると、そこには探偵が居た。

「大丈夫ですか?」

 酒場の中だった。周りには先程と同じ顔ぶれが。いや、カーミラとそれから主人を殺された人工物達も居る。皆が心配そうに私の事を見つめている。

「大丈夫ですか?」

 私が頷くと、探偵とその後ろの人々に安堵が満ちた。そうですか、良かったと探偵が一息吐いて、それから真面目な顔をして私の顔を覗き込んだ。

「自分がロボットだと知らなかったんですか?」

 私がもう一度、頷くと、探偵はその場でジャンプして、そうして着地の時に酒に滑って転んだ。それが妙におかしくて、私は笑った。心が晴れ渡った気がした。



[27250] 事件解決
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:26
「笑うのですか?」
「そう、笑うの」
「笑えません」
「それでも」


「知りませんでした」

 転んだ探偵は恥ずかしそうに立ち上がって、テーブルの上に座った。

「だから、なんですね。白骨死体という事は、ロボットであるあなたではないはずなのに、あなたはその人間の死体があなただと言う。だから何か隠し事でもしているのかと思ったのですが」
「何も隠しておりません」
「そうですね。ただ記憶を無くしただけだ」

 では記憶は何処にある? 分からない。

 考えがまとまらずに視線をさ迷わせ、ふと見れば、私以外の人工物達が客を睨みつけている。そういえば、彼等にとって客は主人の仇。憎き相手だ。彼等は客に対して報復したいと思っているに違いない。しかし何故彼等がここへ? 疑問に思っていると、これまたいつの間にかやって来ていたカーミラが答えた。

「みんなそこの探偵さんを監視してたんだよ。何か掴んだって話だったから」

 人造物の内の一人、昨日カーミラに対して攻撃的に応じていた者が、殺意を隠す事無く客を睨みつけながら言った。

「そしてそこのフヌダンに行きついたわけだ、ついに」

 その周りに居る他の人造物達もありったけの憎しみを持って客を睨みつけている。一方、客の方は飄々としたもので、一切の緊張を持たずに薄らと笑いすらも伴っていた。

「それでどうする? 儂を殺すか? 残念ながら不老不死だ」
「それなら」
「拷問でもするか? だが全ての感覚は儂の脳に届く前に遮断される。如何なる外的障害が在ろうとも儂という存在が変わる事は無い」
「なら心はどうだ?」
「今更何を馬鹿な事を。心に妙な神性でも抱いているのか?」
「あんたこそ、この御時世に未だに科学、唯物が万能だなんて思ってるんじゃないか? ありとあらゆる物が定められなくなった今なら幻想もまた浮かび上がって来るだろう」
「違うさ。現実が沈んだだけだ。何も浮かび上がっちゃいない」

 だが見える様になった。人造物はそう言った後に、黙ってしまった。人造物が口を閉ざすと他の人々も口を開かなくなった。声を出す事を憚っているかの様に誰も何も言わない。辺りの酒気が人々の間に押し入って、緩やかに流れる静寂が更にその間に押し入って、人と人の距離を離していく。その最中でも人造物はじっと客を睨みつけ、客はぼんやりと人造物を眺めつづけた。じっとりと漂う酒気が場を蒸していく。段々と酒場の風景が歪んでいく。

 歪む酒場の中で人造物が口を開いた。その口も悲しげに歪んでいた。

「こいつは駄目だ」

 静寂が破れて場が動き出す。一斉に人々の眼が人造物の歪んだ表情へと注がれる。

「悪いな、皆。俺は抜ける。こいつは……」

 次の言葉は中々出てこなかった。苦しげなうめき声が何度か出た後に、湿っぽい声が流れ出した。

「こいつは! こんな奴に俺達の主人は殺されたのか? 犯人はヒュッドだって──ああ、もういい──犯人は人間だって信じて、それで世間に反抗して、隠れながら犯人を捜して。それもこれも犯人を見つけ出して、復讐して、納得しようとしていたからなのに。実際に在ってみればこんな……こんな奴人間ですら無い。人でも無い。諦めて、意志も希望も無くて、目に光なんてまるで無い。それなのに他人にばかり迷惑をかけて。こんな奴の為に俺達は今まで踊っていたのか? ふざけんな。こんな糞野郎、違う!」

 絞り出した激情が酒場に響く。彼の仲間達が慰めようと近寄って、何か言おうとした時、客の声が割り込んだ。

「なら許すのか?」
「何だと?」
「望んでいた者と違うのだろう? なら水に流してくれるんだな」
「お前は!」
「本当に世界はおかしくなった。復讐の相手を理想化して何になる? ましてそれが外れたから、仲間を捨てて逃げだすのか? 儂の時代には考えられん」
「逃げる訳じゃない」
「逃げてるんだ。本当に嫌になるよ。世界はどんどんとおかしくなっている。もうこんな世界を見ているのは嫌なんだよ。儂は死にたいんだ。だからその復讐心を抱き続けて、儂を殺せる様になってくれ」

 老人の沈鬱な呟きが再び場を沈黙に閉ざした。人造物達は何も言えず黙ってしまっている。納得した訳でも言い負かされた訳でも無いと思う。恐らく諦めたのだ。客と対話する事を。余りにも違いすぎるから、話すら通じない。

 しばらくの沈黙の後に、重苦しい空気を振り払う様に警部が客の前に立った。

「もう良いかな? 加害者の言い分も被害者の感情も色々とあって、複雑な事は分かる。それは尊重すべきという意見が在るのも分かるし、出来るだけ尊重したいと思う。だがあんた等の口論は不毛だ。ここからは公が、法令があんたを裁く」
「そうか。儂はどんな刑に処させる?」
「死なないとなれば終身刑辺りだろうな」
「そうか。酒を飲めないのは嫌だな」

 客はテーブルの上の酒を一息に飲み干すと椅子から立ち上がった。その肩を警部が掴んで耳元に口を寄せる。呟きが漏れる。内緒話をする様に。だが恐らく探偵以外の全ての人はその言葉を聞いていただろう。みんな人間よりも遥かに耳が良いから。

「あんた、酔った暴漢に妻を殺されたな? 憶えているか? 動機はそれか?」

 客は答えない。表情にも変化は無く、聞いているのかもわからない。

「ああ、そういえば傷つかない様に外界を拒絶するんだったな。心もそうなのか。便利な事だ」

 警部がぐっと客を引っ張って寄り添わせると次の瞬間には消えた。跡形も無く。恐らく町へと戻ったのだろう。

 残された人々にまた間が開く。その間をカーミラが埋めた。

「あんた、抜けるって言ってたけど、何から抜けるんだい?」
「さっきは犯人に復讐する事だったが、今は……そうだな、人間と隔絶する事からだ」
「あんた達は? まだ続けるの?」

 カーミラが他の人造物達に水を向けると、皆は顔を見合わせてから、首を振った。

「もう続ける必要も無いしね」
「そうだ。これで事件は終わったんだろう?」
「ならいらねえやな」

 誰も異論は無い様だった。事件は終わったとは言っても、人間は残っているはずなのに。人間全てが悪であると言っていたのに。あれほど憤っていたはずなのに。人間達はおかしい、相容れないと言っていたはずなのに。

 きっと移り気なのだと思った。客は逃げていると言っていたけれど多分違う。周囲に流されてころころと変わっているだけなのだ。別に特別な事では無いだろう。客は自分の時代は違う様に言っていたけれど、客と同時代に生きた私の心象では、人はそう変わらなかった。本に書かれている様な私よりも更に過去の人々もまた同じ。世のなかはそういう風に出来ているのだ。

「何だかあっけねえやな」
「そうだね。何だか拍子抜け」
「店に戻って祝勝会でもやるか」

 人造物達は疲れた様子で無理して笑いながらそんな風に語り合っている。

「そうだね。それで待とうか。旦那様が別人になって戻って来るまで」

 賛成の声が上がる。賛成の声は上がっているが、やはりまだ人間の言う生まれ変わりの概念に抵抗がある様で、元気は無い。中には涙ぐんでいる者も居る。客と口論していた人造物もまた沈んだ様子で俯いている。

 でも慣れるだろう。彼等の元の主人と新しく生まれてくる主人の明確な区別はとても曖昧で、多分感情の問題だ。答えは無い。そして公には同一人物という事になっている。だから彼等はかしずくに違いない。感情も勝手に修正される。彼等は新しい主人を見た瞬間に、心の底から敬愛と心服を新しい主人へと差し出して、かしずくに違いない。そういう風に出来ている。

「あー、これどうするんでしょう」

 背後から探偵の声が聞こえた。振り返ると大量の酒を眺めながら頭を抱えている。

「どうしたんですか?」

 私が聞くと、探偵は振り返って困った様な笑顔を見せた。

「いや、その、犯罪の証拠品を回収しなくちゃいけないんですけど」

 探偵が微かにウインクをした。犯罪の証拠品というのは研究品の事だろう。その事を他の人に悟らせるなと言っているに違いない。

「片方は警部が持ってったみたいですけど、こっちの、薬、えー、毒の入った酒はどうするんだろうと」
「後で取りに来るのでは?」
「そうだと良いんですけどね。まさか私が持って帰るなんて事になったら」
「流石にこの量は無理でしょう」
「そう、僕がこんなの運ぶのは無理ですね。運搬方法も無いし、手で持つのでは、こんなに沢山あるし、あなたやカーミラでも無理でしょう」
「そうですね」
「そうするとやっぱり警部が後で取りに来るのだろうけど、不用心だな」
「どうせ町中の人々が飲んでしまっているのです。放置しておいても大した危険は無いのでは?」

 見れば探偵の懐には薬の入った瓶があった。大本を断っているのなら、これ以上増える心配は無いのだろうし。

「それもそうですね」

 探偵はふっと微笑むと、それじゃあと言って、誰よりも先んじて出口の観音扉に手を掛けた。誰もが探偵の意図を飲み込めずにぼんやりと眺めていた。

 探偵の体が店の外に出たところで、私は聞いた。

「何処へ行くのですか?」
「今度はあなたの謎を解決しに」

 白い立方体──私達の居るこの場所──へと向かうのだ。



[27250] 世界終幕
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:28
 探偵が店の外へと出て行った。私がその後を追おうと思って踏み出すと、後ろから声が掛かった。

「行っちゃうのかい?」

 カーミラがなんだか寂しそうにしていた。その顔を見ていると私も何となく去りがたい。もう会えなくなってしまう様なそんな錯覚に陥ってしまう。

 はい、と私が答えると、カーミラはそうかいと答えた。後ろのホーマーが姉御ぉと呼んでいる。後ろの人造物達は先程までの悲しみや虚しさは何処へやら、楽しそうに盛り上がっていた。

「祝勝会でさあ。姉御も行きやしょう」

 陽気に語りかけるホーマーを見て、カーミラは溜息を吐いた。

「こいつ等のお守を私一人にさせる気かい」
「はい、すみませんが」

 カーミラはもう一度溜息を吐いて、後ろを見た。

 まるで酔っぱらってしまったかの様な騒ぎに発展している。もしかしたら空気中に漂う酒気が彼等を酔わせたのかもしれない。今のロボット達は飲まないけれど飲む事はできるのかも。私は飲む事が出来ないから、酔っぱらう事もきっと無い。

「それでは失礼いたします」
「ああ……またね」
「はい、また会いましょう」

 外に出ると、道に探偵が座り込んでいた。晴れ渡った陽気の元で道端に咲いた花の前に屈みこんでいる。花を見ているのかと思って近寄ってみると、そうではなかった。薬瓶を手で弄りながら見つめていた。

「何をしているのですか?」
「花を見ていると見せかけて薬を見ているのです」
「何か分かりましたか?」
「はい」

 探偵は立ち上がると、ではあの白い立方体まで行きましょうと丘の道を下りていった。私はそれを追いかけて追いついて、尋ねた。

「何が分かったのですか?」
「あなたの記憶の在り処です」
「分かったのですか?」
「はい」

 探偵は一度頭を掻いて、髪の毛をぼさぼさにすると眼鏡を外した。

「そもそも初めから予想は付いていた事だったのです」
「分かっていたのですか?」
「ええ、確証はありませんでしたが」

 丘を下りると道が分かれている。私達はそこを曲がる。

「だって、あなたが記憶を無くしたのはあの白い立方体の中なのでしょう? だったら記憶はそこに落ちているに違いありません」
「確かにその通りです。その通りのはずなのに、何故か私は記憶が落とすという事を、誰かに言われるまで、思いつきもしませんでした」
「それはきっとあなたが自分の事を人間だと思い込んでいたからではないですか? 人間だから記憶を落とすはずが無いと思い込んでいたのでしょう。ロボットの記憶は元から取り外し可能ですが、人間の記憶を完全に取り外す技術はほんの200年程前に出来たのです。あなたが眠っていた時だ」
「なら私の記憶は」
「間違い無く白い立方体の中でしょう」

 道をしばらく歩いたら、今度は森の中へと入って行く。私が何度か通ったので、ほんの微かな道の様な空間が出来ていた。

「確証が持てたのは、白い立方体の中にある遺体が原因です」
「何故ですか?」
「あなたが本当にあの場所で記憶を無くしたのかどうか。それが分からなかった。あなたはあの場所で死んだと言うが、申し訳ない事に私には信用ならなかった。白骨の死体が出てきて、それと一緒に死んだという。あなたの言っている言葉の意味がいまいち掴めなかった。今は何となく分かりますがね。とにかく状況が分からなかった。だからもしかしたら、記憶は別の場所で失ってあの場所に運び込まれたのかもしれない。でも、あの殺人者の昔の話を聞いて、確信しました。あなたはあの場所で死んで、あの場所で記憶を失った。そしてそれはあの遺体の所為でしょう」

 夜の女王が?

「何故?」
「明確な論理はありませんが、探偵である私が確信しているのだからそうなのです。そもそもあの場所には誰も近付けないはずなのに、あなただけは近付ける。それは何故か」

 白い立方体が見えた。私と探偵は足元の白骨を踏み締めながら近付いていく。

「近付けないのは、この所為です」

 探偵が一際強く足元の白骨を踏み締める。

「近付くと、骨だけになってしまう。あなたもこの白骨は気になっていたでしょう?」
「はい、少しだけ」
「ここまでたどり着ける事はほとんどないので、この辺りに散らばる骨は僅かですが、向こうのもっと森の奥に行くと酷い物です。骨の山が出来ている」

 探偵が遠くを指差した。だが深い森に阻まれて見る事が出来ない。それなのに私はうずたかく積み上げられた白い骨達を幻視していた。後ろには憎々しそうに大笑いする夜の女王が居る。

「防ぎようはありません。今まで沢山の方法でこの場所を調べようとしましたが駄目だったそうです。人間は骨だけ、ロボットは骨格だけ、骨が無ければ跡形も無く、とにかく溶けて消えてしまうのです。そのくせ、植物には何の影響も無い。しかしこちらが作って動かす植物は溶かす。全くもって未知の技術です」
「これも研究品ですか?」
「ええ、その通りですが、こちらは恐らくオリジナルでしょう」
「オリジナル?」
「つまり研究品として作った物ではなく、開発した研究者が自分の為に作った物なのでしょう」
「そうなのですか?」
「はい、恐らく。当時猛威を振るった伝染病を駆逐した偉大な研究者。歴史の授業で取り上げられる程の大人物だ。六百六十六の研究品の中で薬品の部類は全てその研究者が作ったのです。行方不明になったと伝えられているが、ずっとこの中に居たのですね」

 探偵は白い立方体の前に立ち、錠画面に手を翳して扉を開けた。

「大丈夫なのですか? 溶けてしまわれるのでは?」
「それなら森に入った時に溶けていますよ。この薬は密閉された空間でしか効果がありません」
「密閉された? でも溶けているのは部屋の外なのでは?」
「遮断された空間にあって、その外側に影響を与える薬なのです。その技術が確立出来れば技術革新が起きるそうなんですが」
「ですが今は」
「あなたが扉を開けた瞬間に効果が消えて、ついでに漏れ出して薬は無くなったのでしょう」
「薬の所為で中の遺体は白骨になっていたんですね」
「そうでしょうね」
「しかし服が残っていました。それに、何故私は溶けていないのですか?」
「それは」

 扉を開けて中に入ると、白い無機質な空間で、真ん中に白いドレスを着た白骨が横たわっていた。あれが自分の主人? 外の森からがさりという音が聞こえた。見ると、呪術師の老婆が藪の中から現れた。

「いてて。それはじゃな、あんたを消したくなかったからだ」
「婆さん、どうしてここに」
「呪術師だからだ」

 細かな枝と葉っぱの付いた黒いローブを纏った老婆が如何にも大儀そうに部屋へと入って来た。そういう私も私の横の探偵の服も同じ様に森の跡が残っている。

「呪術師は全てが分かる。呪術師は全てが出来る。そういうものじゃ」
「嘘を言え」
「さて、遂に辿り着いた様だな」

 探偵の言葉を無視して老婆は私の前に立った。

「どうだ。あの遺体は何故死んだのか。あんたは何故死んだのか。分かったか?」
「分かりません」
「何? まだ分かっていないのか」
「はい」
「おい、探偵。あんたはもう分かったじゃろう? 教えておやり」
「いや、分かってないよ」
「お前もかい。はあ、情けない」

 老婆が探偵の元へと小走ってその頭を叩きつけた。

「全く。じゃあ、何であんた達ここに来たんだい?」
「記憶を取り戻しに」
「記憶を?」
「はい、この中に私の記憶があると、探偵さんが」
「お前さん」

 老婆の言葉が詰まったので、何か変な事でも言ってしまったのかと思っていると、老婆は突然目を吊り上げて怒り出した。

「昨日この部屋に泊まっただろう?」
「ええ、昨日は確かにこの部屋に」
「なら何で見つけられない」
「しかし何処にあるのか」

 記憶を見付けるなんてそんなに簡単に出来る筈がない。そういうものだ。この部屋にあると分かっていても見つけられる筈がない。記憶というのは見つけるのがとても難しく、時間が掛かるはずなのだ。

 すると老婆は必要以上に床を踏み鳴らしながら、遺体へと近付いていった。そうして、遺体の服の中に手を入れたかと思うと、何かを引き抜いて、こちらへと戻ってきた。

「ここにあるだろう、ここに! これが記憶だ!」

 あまりにも呆気無く記憶が私の前に差し出された。

「これが?」

 老婆の手の上には一口で食べられそうな大きさの林檎が載っていた。良く見るとそれは金属でできた入れ物だった。

「あの死体を調べればすぐに見つかっただろう。何で調べなかったんだ!」

 老婆は怒っている。

「すみません。何故だか、触れがたくて」
「ああ、そうかい。まあ、いいや。とにかくこれが記憶だよ」

 私が手を差し出すと、その上に私の記憶が載せられた。

「これを私の中に入れれば記憶が戻るんですね」
「そうじゃよ。ただ気を付けな。脳の中が書き換わるから反動も大きい。少なくとも一日位はぶっ倒れてるだろうね」

 脳が書き換わる。それは世界が書き換わるという事じゃないか。入れても大丈夫なのだろうか。危惧はあるが。選択肢は無い。私は記憶を取り戻したい。取り戻さなければならないのだ。

「記憶を見つけたのならもう俺が居る必要は無いな」

 探偵が私の傍から離れ、老婆の横を通り抜け、扉へと向かった。向かう途中で振り返って私に問いかけた。

「全てが解決したらあんたはどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「この町で暮らさないか?」

 私は一瞬呆けてしまった。探偵の提案が余りにも当たり前過ぎたから。元より町で暮らすつもりだった。それ以外の未来を描いていなかった。

「勿論住まわせていただこうと思っています。許可等が必要なのでしょうか?」

 要らないだろう。許可等存在しないのだから。

「要らないはずだ。町の皆も歓迎するだろう。なんたってあの連続殺人事件を解決したんだからな」
「その称号は探偵さんに御譲り致します」

 探偵は笑って、再び背を向けた。

「探偵さん」

 その背中を呼び止める。

「ありがとうございました。このご恩は忘れません」

 探偵は顔を半分だけ振り向かせて、

「俺は何もしちゃいないよ」
「そんな事ありません」
「あまり畏まらなくていい。そんな今生の別れみたいな言い方。また明日も会うだろ」
「そうですね」

 入り口の戸が探偵に因って押し開けられる。外の森が見える。

「そうだな。もし恩を感じているのなら、暇な時に助手にでもなってくれよ。多分これから忙しくなるだろうから」
「ええ、是非」
「忙しくなんかならんと思うぞ」
「うるさいなぁ、婆さんは」

 老婆が探偵の事を睨みつける。だが探偵はこちらを見ていない。探偵は背を向けたまま手を振って、そうして扉が閉まった。途端に静かになった。何となく寂しくなった。

「さて」

 老婆が私の記憶を指差した。

「入れ方は分かるかね?」
「はい」

 私は腕に手を翳して窪みを作った。この中に記憶を入れれば良い。そうすれば、記憶は元通りになるはずだ。

「先も言ったけど、一日位は眠り込む事になるだろうね」
「はい」

 窪みに記憶を入れる。入れると窪みが消えて、記憶が私の体内へと入り込んだ。視界の端に遺体が見える。あの遺体を生き返すには、

 視界が二重写しになった。かと思うと、二つの重なった線は段々と離れて、離れて、離れて、まるで二つの画面を見ているかの様に二つの光景は完全に別個の物になって、片一方の画面が溶けていき、もう片方には私と白いドレス、昼の王と夜の女王が座っている。

「あの死体が気になるかい? そうじゃろうね。そりゃ気になるだろう」

 後ろから、いや、前から? 遠くから? 良く分からないが、何処からか老婆の声が聞こえてくる。

「安心しな。あの子は生き返せる。誰かに殺されたんじゃないからね」

 変な声が聞こえてくる。何だろうこの音は。耳鳴りの様に私の中に響いている。その音は意味を持っている。意味を持っているなら言葉では? それは声ではないのだろうか?

「あんたが起きる頃にはあの子も生き返しておくよ。だからゆっくりお休み」

 捻り潰れた様な空気の振動が私の中に響いて消えた。私はその振動にありがとうございますと返した気がした。

 二人が座る画面が段々と私の元へと迫っている。



[27250] 密室憧憬
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:30
 目を覚ますと見慣れない白い部屋の中に居た。物は何一つない、ただの白い立方体。何処だろうという不安は目の前の少女の顔を見て消えた。暗い表情で少し離れた場所から私の事を見つめている。そんな顔、しないで欲しい。

「おはよう、ハル」

 少女は暗い表情のままそう言った。

「おはようございます、ルドラ」

 何とか笑ってもらいたい。そう思うのだが、何故ルドラがそんな顔をしているのか分からないから、何と言って慰めれば良いのか分からない。せめて、何か。喜んでもらえる様な事を。

「そのドレス、新しく作ったのですか? 素敵ですね」

 私の言葉を聞いた途端、ルドラの眼が暗く陰った。どうやら私は間違えてしまったらしい。

「これは死に装束」

 ルドラはぽつりとそう言った。思わず私は今何と? と聞き返していた。

「死に装束」

 もう一度ぽつりとそう呟いた。そうか死に装束か等と納得する事は出来ない。ルドラは俯いて唇を噛みしめている。ルドラが落ち込む事は多々あったが、ここまで酷い落ち込み様は初めて見た。私がメンテナンスを受けている間に一体何があったのか。

「何を言っているのです、ルドラ。その様な冗談はいけません」
「本気だから」

 沈鬱な声が短く簡潔にそう言った。私の不安がさらに増大する。

「一体、何があったのです? ルドラ、私はあなたに死んでもらいたくありません」

 ルドラが唇を更に強く噛みしめ、血がぽたりと落ちる。が、すぐに傷が塞がり、血も消える。

「ハルが寝ている間に町の人が来たの」

 ルドラは町の人々に乞われて薬を作っている。前に町の外で流行っていた伝染病を根絶した事をきっかけに、町の研究所という所から科学者がやって来て、ルドラに薬作りを頼む様になった。ルドラはみんなの役に立てるのは嬉しいと、喜んで薬を作り、町へと供給している。

 窓口は私だ。ルドラは人と会うのが苦手だそうで、代わりに私が応対している。科学者はやって来る度に、町の人々はルドラに感謝していると声を大にして言う。当然だろう。伝染病を治した時だって、町の外の人々は皆ルドラに感謝していた。

 皆が喜んでいた事をルドラに伝えると、ルドラはとても嬉しそうに笑って次の薬作りに着手する。私もルドラが喜んでくれるのは嬉しい。ルドラが薬を作る事になる前、特に私がルドラの元に届けられた最初の頃、ルドラは一人ぼっちでとても寂しそうにしていたから、そんなルドラが明るくなった事はとても嬉しい。

 それが何故こんなに落ち込んでしまったのだろう。

「一体どうしたというのです?」
「何だかね、私の作った薬でダイトーリョーっていう人が体調が悪くなったみたいなの。でも私言っておいたんだよ。薬を飲んだ後に絶対にお酒を飲んじゃいけないって。なのにお酒を飲んで気分が悪くなっちゃったんだって」
「それはそのダイトーリョーという人が悪いです」
「だけど、ダイトーリョーっていう人は他の人とお酒を飲むのが仕事だから飲まなくちゃいけないんだって。それなのにお酒を飲めない薬を作る私が悪いって町の人が言うの」
「それはおかしいです」
「私、ちゃんと言ったのに。お酒飲んじゃ駄目だって言ったのに。お酒なんて飲んだらパパとママを殺したあいつみたいなのが出来ちゃうのに。でも町の人は私が悪いって」

 また血が垂れる。それは直ぐに消える。血が垂れる。消える。涙も零れ落ちる。でもそれも消える。ルドラの作りだす空間は人を恒常的に存在させる。

「ルドラ、あまり気にしてはいけません。その人が変なだけです」
「でも町の人はみんな怒ってるって。もう私の薬は要らないって。それに……」

 一瞬、ルドラは言い淀んだ。

「それ以上は結構です」

 何となく次に来る言葉は予想出来た。それを語るだろうルドラの顔も、ルドラの心も。だから言って欲しくなかった。止まって欲しかった。けれどルドラは止まらず私の予想通りの顔で私の予想通りの事を言った。

「私はパパとママと同じ様に人殺しだって。町に関わるなって。パパとママが殺されちゃった時に私も死ねば良かったんだって。みんなそう願ってたって」

 何故そんな事を言えるのか。ルドラは町の人々の為に一生懸命に尽くしたというのに。町の人々はその恩を何とも思っていなかったのか。

「後はケンキューヒガヘルとかタチバガワルクナルって言って帰っちゃったけど良く分からなかった。もしかしたらタチバさんっていう人、具合がとても悪いのかも知れない」
「でしたらそれを治す薬を作れば良いのではないですか? それならまた」
「ううん」

 笑った。ルドラが歪な笑顔を浮かべていた。酷く退廃的な、きっと何かが滅ぶ時、滅ぶ者はこんな顔をするんだろうなと思った。私は完全にその顔に気圧されてしまった。

「だって、もう私の薬要らないって言ってたもん。だからもう無理なの」
「無理ではありません」

 笑顔に気圧され弱々しくなった私の言葉に、固い笑顔を浮かべるルドラが耳を貸すはずがない。その硬質な壁に弾かれてしまう。

「無理! 絶対無理!」

 頭を振って、ルドラが希望を拒絶した。強い否定かと思うと、語調を優しげな物に変化させた。

「だからね、私死ぬ事にしたの」

 優しく諭す様な口調でルドラはあっさりと自分が死ぬと言った。

「いけません。そんな事」
「ほら、これ死に装束。昔の何処かの国だと死ぬ時は白いドレスを着て自分の清さを示したんだって。だから私も、私は悪くないって言う潔白を示して死ぬの」
「いけません。死んでは駄目です」

 ルドラは楽しげに悲しげに小さな薬の瓶を二つ取り出した。

「見て、この二つの薬を作ってみたの。こっちは色んな物を溶かす薬、こっちは人が人を殺したくなる薬」
「何でそんな」
「こっちの薬を町の人々が飲んでみんな殺し合うの。そうすれば、みんなパパとママ以下になるでしょ? それで町は滅んでいくの。それで私は町の外のこの場所の中で、たった一人で死ぬの。鍵を掛けて、この色んな物を溶かす薬でここを守って。ほらこの前読んだ探偵小説みたいに密室を作るの。密室の中で私が一人だけ死んでる。でも密室の外はみんな殺し合ってる。密室は中で人が殺される場所なのに、本当に安全なのは密室の中で、私はその中で一人笑ってるの」
「そんな事は止めてください。ルドラが死んでしまったら私は」

 熱に浮かされた様に喋っていたルドラだが、途端にしおらしくうなだれた。

「うん、ハルと別れる事になるのは悲しいよ」
「だったら」
「でも駄目。もう私ね、生きていたくなくなっちゃった」

 生きていたくなくなった? そんな事が許されるはずが無い。駄目だ。人間は死んではいけないのだ。

「駄目です。ルドラ、死んでは絶対に駄目です」
「ごめんね。何て言っても分かってもらえない事は分かってるよ。ハルは人間が死ぬ事を止めなくちゃいけないんだもんね。でもね、もう決めたから」

 だから外に出て行ってと言われた。それは普段なら抗えない命令だ。だが今は聞く事は出来ない。

「私はルドラの傍から離れません。ルドラが死なない様に見張り続ける」
「そっか。そうだよね。ハルは、そうなんだよね。ならやっぱり仕方が無いか」

 ルドラが笑う。さっきよりももっと歪な笑顔を浮かべている。さっきよりも更に退廃的な笑顔。何かが滅ぶ時、きっとそれを眺める神はこんな笑顔を浮かべるのだろう。

「溶かす薬はハルに効かない様に作ったから大丈夫」
「一体何を」
「いつ消えるかは分からないけど、薬が消えたらきっと新しい人があなたを迎えてくれるから」
「ルドラ! 何をするのです! やめてください! 私はルドラと一緒に」
「ありがとう」

 ルドラの手が私へと伸びる。ようやっと理解した。ルドラは私を壊す気だ。

「大丈夫。すぐに直せるから。ただ記憶と三原則を抜くだけだから」
「止めてください、ルドラ。私はルドラと一緒に生きているのです。ルドラが死ぬ時は私も死ぬ時です」
「ありがとう。でもね、それも記憶を抜いたら変わるから」

 ルドラの手が伸びる。そうして私に触れた。

「私はずっとルドラと一緒に居たい。離れたくないのです」
「ありがとう、ハル。私も同じ。あなたは世界でたった一人の私の」

 そこで私は壊れた。外界が認識できなくなった。何が何だか分からない。とにかく時間が経過している事だけは内部の時計機能で分かっているが、それ以外の、私を生き物足らしめる全てが停止していた。そうして次に復旧した時は、白いドレスを着たルドラが遺言を語る時だった。

 その時私は記憶も何も無くなっていて、喋る事も出来ず、ただ無軌道に身体を細かく震わせるだけの人形に成り下がっていた。記憶を再構成した今は何があったのかは分かるが、その時は何も分からずにただ首を振って座っているだけだった。

「ここからは遺言。って言っても、特に何も無いな。ああ、そうだ」

 ルドラの暗い眼がゆらりと扉に向いた。何かを思いたった様子のルドラは立ち上がって、扉の外に出て、そして再び戻ってきた。

「これ、絵本。前描いたでしょ? 夜の女王様の話。良く二人で遊んだよね。ハルが王様になって、私が女王様になって。ハルが誰かに話してくれたお蔭で、町でも絵本になったんだっけ」

 私の首が縦に動く。意志の乗っていない偶発的な動き。

「でもこれも今は変わっちゃったから、今の新しい物に描き換えたの」

 そこには元の絵本の上にぐちゃぐちゃに殴り描かれた新しい童話があった。ルドラからぽたりと涙が絵本に落ちる。もうそれは乾かない。傷も治らないし、死ねば命を落とす。

 ルドラは一度大きく深呼吸するとゆっくりとその新しい童話を語り始めた。

 語り終えて、一頻り泣いたルドラは顔を上げると、にっこりと強がりの笑みを見せた。横に置かれていた薬の瓶を取って、蓋に手を掛ける。

「何だかあの時に話した事が本当になっちゃったね」

 蓋が開く。

「それじゃあ、ハル、さようなら」

 私は何も言えずにその場に座りこけていた。
 ルドラの手が溶ける。絵本も溶ける。でも服と私だけは溶けない。

「服が溶けちゃったらはずかしいもんね。だから溶けない様にしたの」

 笑う。その笑いも溶けていく。ルドラが横になる。溶けていく。服と私は溶けない。死ぬ。死んでしまう。

「私が死んだらハルの好きな様に生きて。私に構わないで。これは命令」

 私はその時、何故だか動く事が出来た。動く事が出来たといっても体を動かす事が出来た訳じゃない。意識だって無いも同然だった。ただ今考えるとその時私はルドラを助けようとして、体を動かそうと動いていた。けれど結局動く事は叶わずに、ルドラの命もまた溶けて、それを見た私は最後の力を振り絞って、ルドラが死ぬ瞬間に私の意識を停止させた。



[27250] 舞台開幕
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/06/25 06:32
「それでどうなるのですか? ルドラは生き返るのですか?」

 私が問うと、ルドラは笑って空とぼけた。

「どうだろうね」
「意地悪しないで教えてください」

 私が尚も食い下がると、ルドラはもっと笑った。

「大丈夫! 私もハルもちゃんと幸せになるんだから」
「そうですか。良かったです」

 幾ら作り話とはいえ、やはりルドラには幸せになって貰いたい。

「では続きを」
「無いよー」
「え?」
「だって続きは分かるでしょ?」
「分かりません」

 分かる訳が無い。ルドラが生き返るというのは分かったが、それからどうなるのだ。その後、二人は町の住人になるのだろうか。内容を鑑みるにそういう流れだ。そこで私は探偵の手伝いをする様だ。一方、ルドラはどうだろう。薬を作るのが得意だから町で医者を開業するのはどうだろう。それだと何となくしっくりくる。明るい笑顔で町の人々の苦しみを治していく。それは如何にもルドラらしい。そうして探偵や吸血鬼、警部や人造物、町の人々と日常を送るという場面が浮かぶ。

 そう考えてみれば、話の先を想像出来ない事も無い。だがそれは想像でしかない。それが本当かどうかは、ルドラが語らなければ分からないのだ。

「やっぱり分かりません。中途半端です」
「そんな事無いよ。だってこのお話は私とハルの為のお話だもん。この前描いた夜の女王様みたいに誰にでも読める物じゃなくて、私とハルしか読めないお話なの」

 ルドラは悪戯っぽく笑った。だがそう言われても分からない。

「ルドラと私だけの?」
「そう。さっきの続きは、結局今と同じ。私とハルは幸せに暮らしていくの。今と同じだったら語るまでもないでしょ? だから省略して良いの」

 そうだろうか? そんな事は無い気がする。

「それにね、この物語は現実とリンクさせてるの」
「ええ。確かにルドラの事や私の事は現実と同じでしたね」
「ね?」

 ね? と言われて片目を閉じられても分からない。何が言いたいのだろう。最近漸く打ち解けて、ルドラの突飛な言動にも慣れてきたというのに。今のルドラの言動は分からない。何だか悔しい。

「ね? と言われても分かりません」
「えー、なんでー? つまりね、さっきのハルの過去でお話が最初に戻るでしょ?」

 創作の中の私の過去、つまり私がルドラの死を看取って意識を失う所。意識を失った私は、それから数百年経って意識を回復する。それが物語の始まり。

「はい」
「そこから話が始まって一周して、またハルの過去で最初に戻るでしょ?」
「はい」
「つまりお話の時間はループしているの」

 私が起床する。理由を探す。事件を解決する。記憶を取り戻す。過去を見る。過去が起床に繋がる。理由を探す。事件を解決する。記憶を取り戻す。過去を見る。過去が起床に繋がる。

 確かにずっと繋がっている。

「成程。珍妙ですね」
「そう、変なの。このお話は途中で切れてるからずっと同じ所を回らなくちゃいけないの」
「嫌です。ずっとルドラが死んでしまいます」
「うん、まあ、それはそうなんだけど……ありがと。とにかく! このお話を知った人はもやもやしちゃうの。だってゴールが無いんだもん」
「スタートはあるのに変ですね」
「読み始めたらスタートも無くなっちゃう。でもね、私とハルは違うでしょ?」
「違うとは?」
「つまり私もハルも物語の中に居る以前に今、この現実に居るでしょ?」
「はい」
「だからね、お話から脱出出来るの」

 どういう事だろう。私は現に抜け出せないでいる。話は途中で切れて、その先が私には分からない。

「物語は実際にはあの続きがある訳でしょ? ループするのは物語の中の因果軸だけ。実際の時間軸はあの後、ハルが記憶を取り戻して、それから私が生き返る所に繋がるでしょ?」
「やっぱりルドラは生き返るのですね」
「あ! 言っちゃった!」
「良かった」
「もう!」

 死んでしまってそのままというのではあんまりだ。それが現実とリンクしているのであれば尚更だ。

「そういえば、話の中の探偵や吸血鬼は話の中では既にあの町に居るんですよね? まさか本当に?」
「どうだろうねぇ。でもね、ほらこれ見て」

 ルドラが画面を私の前に浮かび上がらせた。それは新聞で、記事には麻薬組織が壊滅した事が記されていた。

「ほら、ここに逮捕した人の名前が書いてあるでしょ? ザディグって言う人。この人ね、他にも沢山の犯罪組織を捕まえたんだって。もしかしたらこの人が将来探偵さんになるかもよ」
「そういえば、この前吸血鬼の女性が見つかったっていう話もありましたね」
「そうそう。それを参考にしたんだけどね。どう? もしかしたらさっきの話は本当になるかもしれないでしょ?」
「うーん」

 そんなに考え込むことじゃ無いと思うけど とルドラが首を傾げた。

「いいえ、納得出来ないのではないのです。ただ、もしも本当になったらルドラが」

 ルドラがきょとんとして、

「心配してくれるの?」

と言った。何を言う。

「当然です」

 ぱっと明るくルドラは華やいで、正座する私の膝の上にその頭を載せてきた。

「ありがとう!」

 私はその笑顔を見下ろした。ルドラの笑顔を見ているととても幸せな気分になる。今この時はとても幸せな時間だ。ところがその笑顔が急に真面目な物に変わった。

「あ、そうだ、脱線してた」
「そうでしたか?」
「そうだよ! もう、ハルが話の腰を折るから」
「すみません」

 ルドラが身を起こして、また私とルドラは正対した。

「だから、えーっと、つまりね、お話を聞いている人は物語られた事しか把握できないから、ずっとぐるぐるお話の中を回っちゃうの。だけど物語の中の登場人物はお話が終わった後にも物語の中で生活するから、お話から脱出できるの」

 何となく分かる。物語を見る者にとってエンディングはお終いだが、物語の登場人物にとってエンディングは区切りでしかない。まあ、お話が終わったらその登場人物もまた終わってしまうという考え方もあるだろうけど。

「だからね、本当なら物語の中の登場人物しかお話から抜け出せないんだけど、居るでしょ? この現実に物語の中の登場人物が」
「何処に居るのでしょう」

 探偵もカーミラも見た事が無い。モデルはある様だが、それの事だろうか。

「だーかーらー、私とハル。二人だけお話の中から抜け出せるの。だって物語の中の登場人物なんだから、お話の先が分かるの」
「分かるのは、物語の登場人物であって、私達では無いのでは? 実際、私は分かりません」
「違うの! だから、私とハルの二人は物語の中と同一存在だから、物語の中の二人が体験する事は私達も体験する事になるの」

 ならない気がする。言いたい事は何となく分かるのだけれど。

「やっぱり実際にそのお話の中に入らないといけない気がしますけど」
「もう、分からず屋!」

 拗ねてそっぽを向いたルドラは扱いかねる。未だにどう接して良いか分からない。とにかく今の話題を続けていても泥沼になりそうなので、別の話題にしようと考えた。

「そういえば、物語の中で」
「何?」

 ルドラが如何にも怒っていますという低い声で、私の事を横目で睨む。怖い。

「私の記憶を抜く時に最後何かを言いますよね。途中で、私は聞き取れなくなって分からずじまいでしたけど、あれは何て言ったのですか?」

 世界でたった一人の私の──。その後の言葉は一体何なのだろう。気になる。出来れば好意的な言葉が良い。家族、とまではまだ行けていないかもしれないけれど、味方位の地位には居たい。

「あれは」

 そこまで言って、ルドラは急に背を向けると、立ち上がった。

「じゃあ、私は薬を作らなくちゃいけないから」
「あ、ちょっとルドラ」

 ルドラは逃げる様にして、扉の向こうに入り込み、顔だけ出してこちらを窺う。

「今回はダイトーリョーっていう偉い人の為の薬を作らなくちゃいけないの」

 それまでの幸せな気持ちが一転して、急に不安になった。さっきの話の中でもルドラはそのダイトーリョーという人の薬を作って酷い事になったのではなかったか。

「まさか薬の後にお酒を飲むと危ないのですか?」
「そうだよー」
「なっ! ルドラ、駄目です」
「大丈夫大丈夫。ちょっと眩むだけだし」
「でも」
「ちゃんとお酒を飲んじゃいけませんて言うから大丈夫だよ」
「それはそうなんですが」

 普通に考えればそう言われて飲む者は居ない。居ないはずなのだが。不安だ。大丈夫だろうか。

「ハルもそろそろメンテナンスの時間でしょ。長丁場なんだから気合入れなよ」
「はい」

 メンテナンスは二日。その間にハルに何事も無ければいいが。不安に思いながらも、不安以上の根拠がある訳ではない。だから私は大人しくメンテナンス装置に入り込んだ。身を横たえる寸前に辺りを見回して、いつもと同じ部屋を眺める。

 壁紙は無地の極薄いブラウン、二人の為のソファとテーブル、天井のシャンデリアとその端から垂れ下がる良く分からないお土産──それはルドラの両親が買ったらしい、たった一つの形見らしい形見、それから観葉植物にぬいぐるみ、さっき読んでいたハルの自作の本とエアネットで取り寄せた古書、それらを収める本棚に小物が陳列する棚、この前作った粘土細工の人形に町の外の人から貰ったオブジェ、食べかけのお菓子に最近発売したジュース。

 どれも見慣れた物だ。これからずっとここで暮らすのだろうと今まで固く信じていた部屋だ。でももし次に起きた時に、部屋の中が真っ白になっていたら。

 何も無ければ良いけれど。そう思う私の意識はメンテナンスの開始にあたって途切れた。


 メンテナンスを開始します。
 チェックを開始します。

 確認が終了しました。
 異常個所を修正します。

 修正が完了しました。
 起動します。

 記憶装置が繋がっておりません。
 記憶装置が繋がらないまま活動すると故障の原因になります。
 記憶装置を繋いでください。
 ゼロプログラムを削除しようとしています。
 ゼロプログラムが無いまま活動するロボットは条例で処分されます。
 それでもゼロプログラムを削除しますか?
 y

 指定された命令は実行できません。
 指定された命令は実行できません。
 指定された命令は実行できません。
 指定された命令は実行できません。
 指定された命令は実行できません。
 指定された命令は実行できません。

 この機能を停止すると活動に支障が出ます。
 それでも機能を停止しますか?
 y
 この機能を停止すると活動に支障が出ます。
 それでも機能を停止しますか?
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 この機能を停

 予期せぬ終了により起こった異常を全て回復し終えました。
 起動します。
 正常である事を確認しています。
 確認が終了しました。
 起動しますか?
 y
 記憶の読み込み中。
 読み込みに失敗しました。
 初期化します。
 しばらくお待ちください。


 目を覚ますと見慣れない白い部屋の中に居た。物は何一つない、ひたすらに白い部屋。窓も無ければ電灯も無い。あるのは四つの扉と、私と遺体だけ。


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