プロローグ
『さらに、科学者たちはこう述べた。
「われわれは、新しい生命形成が何であるかを発見しなければならない。エネルギーがある場所で分離するとすれば、それはいつもどこかほかの場所で再結合しているということはあり得る」
そして、それ以後のすべての実験で、それが立証されたのである。科学者たちは、エネルギーの再配分は全くロスがないことを発見し、“エネルギー保存の法則”という、物理的宇宙の新しい解釈をつぎのように定式化した。「物理的実験によって、エネルギーは作り出すことも失うこともできないことが明らかになった」と。つまりエネルギーは、保存されているだけでなく、有限なのであり、ひとつの閉じられたシステムなのだ。』――バックミンスター・フラー『宇宙船「地球号」操縦マニュアル』
先崎明尚が息子と手をつないで会場に入ると、内部は活気に溢れていた。沢山の人で賑わってい、外国人も多く目につく。この十年で開発された新素材や電脳、ナノマシンなどの展示が立ち並ぶ。企業向けの専門的な紹介より、それらを日常生活に生かす商品の展示に人が集まる。漂流物を取得してからの十年を振り返った展示もある。
やはり一番の目玉は装着型外骨格、パワードスーツの最新鋭機だ。正午には実動モデルでのダンスパフォーマンスがあるらしい。今までの鉄骨とチューブを組み合わせたような搭乗者剥き出しの骨組ではなく、息子が朝見る特撮が現実になったようなスマートで流麗なフォルム。置いてきたはずの少年心を掻き立てる。
十年前、地球圏に近付く巨大物体が発見された。精査したところ地球外生命由来と思われる宇宙船であり、信号に応答しなかったため強引に回収し中を調べた。その結果、簡素な船内には生命反応は無く、三メートル大の異星人型外骨格だけが装甲を貫く無数の棘で固定されていた。ISSで検疫の後下ろされた地上での調査の結果、船体は大気圏を脱出するのみの簡易ロケット、外骨格には搭乗者も動力源も電脳も欠落していることが判明した。期待された地球外生命体との交流は無かったとは言え、ハード面では船体や外骨格から燃料や建材などの新素材、電脳に人工筋肉やナノマシン、スラスターなどの新技術を獲得し、ソフト面でも外骨格の内部構造や宇宙船が飛来した航路を逆算することにより、異星人の形態や惑星の大まかな位置が予測できた。
二十一世紀になって「NASAと付いていれば売れる」時代が(日本限定で)再来した。
十年の歩みを紹介するブースでは、漂流していた外骨格の構造が解説されていた。外骨格と言うが、元々はあちらの作業着らしきものをベースにしているらしい。インダストリアルな、こちらのツナギに要所を金属で補強したデザインの基本構造を、更に人工筋肉とその先端が結合した装甲が正に外骨格として要所の金属と癒着しているらしい。
放射状にのびた五本の爪は、本来四本指だった異星人が便利なように付けた人工指で、地球上でパンダが持った六本目の指と同じだと説明されている。
まるで爪先立ちのシルエットで一体化したようなくるぶしの無い、ヒレのような脚部といい、陸上生活に不向きな形態と、内部構造から復元された容姿から、異星人は初期鳥類のように爪をスパイクにして樹上生活を送っていた生物の末裔ではないかと推測されていた。機体解説の横には異星人の生活想像図が掛けられており、そこには幾何学的な、フラーレンを複雑にしたようなジオデシックドーム状の建造物の中を、外骨格の素体が壁面にスパイクを食い込ませながら縦横無尽に歩きまわり、足のバーニアから噴射しながら跳躍して別壁面にショートカットする様が描かれている。ダチョウを人間に近付けたような異星人の形態予想図は、子供の頃読んだ恐竜人類を連想させる。
光速に達しない宇宙船が別の星系に辿り着くまでには天文学的な時間がかかり、漂流物の意図も送り出した異星人の存続も分からないが、電波を発信する以外にも宇宙船を送る計画が持ち上がっていた。今回一般公開となる最新型の外骨格は、漂流物の解析した機能を人間用に調整した、彼らの技術を消化し我がものにした集大成なのだ。
イベントブースまで行くと輪をかけて人で埋まっていた。報道の姿も眼に入る。隙間をかいくぐって前列に進むと、ステージ後方には漂流物が飾られている。琢磨を肩車する。今回のイベントのために米国から輸送されてきたそれは、外国では愛称が付けられているが、日本では漂流物またはドリフ、あるいは単に外骨格と呼ばれていた。こうして直に見ても、人間味は感じられない。人間離れした長く太い首と角、全体的に鋭角的でおどろおどろしいフォルムのため、直立したドラゴンか怪獣のようだ。バイザーに光は無く、顎を覆う増加装甲は牙を剥くように逆立っている。
首や掌に震えを感じ、見上げると琢磨が泣いていた。
「おい、どうした?」
やがて決壊し、火がついたように泣き出す。あやしながらその場を離れる。
ステージを離れ、やや落ち着いた息子に自動販売機で買ったコーラを差し出す。周囲を見渡すと同じように幼い子供を宥めている大人が目立った。なんとなく胸騒ぎがするが、動く外骨格はこの目で見たい。軽快な音楽が聞こえてくると明尚は親心と好奇心の間で板挟みになった。
「あの、どうしました?」
声をかけられ顔を上げると、見知った顔があった。
「淀海さん家の……」
「紬です。先崎さん達もいらしてたんですね。どうかしましたか?」
近所に住む家のお嬢さんだった。詳しく覚えていないが、高校生だったか。目尻の垂れた優しげな顔をしている。
「ああ、琢磨の奴が急に泣き出してね。新型を見にわざわざ来たのにどうしたんだか」
「どうしたんでしょう。他にも泣いている子供が目につきますが」
そう言いながら彼女はしゃがみ込み琢磨と目線を合わせ、微笑みかける。
「どうしたの?」
明尚はイベントブースのほうに目が行ってしまう。
「琢磨君は私が見てますから、行ってらしたらいかがですか?」
「いいんですか?」
「私もちょうど休みたいところでしたし、あとで感想を聞かせてください」
「ではお言葉に甘えて」
人ごみをかき分けていくと、色別にペイントされた機体が軽快にヒップホップを踊っているところだった。解説で見た漂流物の基本構造に似ている。元々は人間とは異質なプロポーションを、人間向けに調整したのだ。
漂流物が立ち上がる。観客たちからどよめきが起こる。ついに稼働させることに成功したのか。心憎い演出だ。
観衆の全員が全員、一緒に踊り出すことを期待したそれは、挙動不審になった黒いペイントの機体に接近し、爪で貫き、観客席に投げつけた。
あちらこちらで炎が燃えている。開放型ドームは熱がこもり、唯一の逃げ場である青空に黒煙が昇っていく。初夏の熱い日差しに白い雲が空を渡っている。涼しげで清浄な大気を見上げるのは、もの言わぬむくろの群れだ。ある者は引き裂かれ、ある者は逃げ惑う人々の足で踏み潰され、ある者は炎に焼かれた。
殺戮の坩堝を徘徊するのは鋼の巨人だ。三メートルを超える巨体は角張った装甲で形を成し、その隙間、関節には毛羽立って黒縄じみた人工筋肉の束が蟠っている。鋭い角や牙、爪を持ち、鬼を連想させる。力強い部分部分が全体に集まると奇妙に歪み、生きた者とは思えない。そんな異形が、酸鼻な風景を歩む。
一歩一歩、刻々と巨体が近付いてくるのを先崎琢磨は息を殺して見つめていた。未だ十を数えない出来ていく途上の体は、崩落したガレキの隙間に、姉だろうか、少女と共に収まり、非力な身を脅威から隠していた。少女は後ろから抱き締めながら涙目で自分と少年の口を押さえている。泣いているのは悲嘆と恐怖からばかりではない。辺りに散らばり、至近にもある数分前まで生きていた死体からは、血臭とと糞便臭が物理的な刺激として目鼻を蹂躙する。
奇怪に揺れて化物が歩く。揺れるのは足首が無く、爪先立ちのシルエットで一体化した下肢を持つためで、動作はともかくその理由は奇怪ではなかった。少年はそれを見ている。凝視している。間断なく涙は流れて血走った目に最低限の視界を確保し、激情のままに溢れた鼻水は嗅覚からの過負荷を遮断して明晰な思考を補助する。鼠が誰に習わなくても巣穴の奥深くに隠れる如く、気配を殺し、威嚇を殺し、被食者に残された最後の武器、情報を逃すまいと捕食者を見つめ続ける。その視線の熱を感じたのか、化物の首が少年の隠れている方を向く。
次の瞬間、化物は雄叫びをあげて飛来した何者かに殴られ、押し飛ばされる。飛来したのは別の外骨格であり、こちらは大柄だが人間サイズで、化物と対照的に突起が無く、曲線的で均整のとれたフォルムは人を落ち着かせる効果がある。鮮やかな赤で流麗なマーキングがされており、企業名と機体名を図案化したものと知れた。先程までステージ上で踊っていた一機だ。化物を殴打したのは建材の一部だったと思しき鉄骨である。外骨格から化物へ怒号が飛ぶ。低く、どっしりした男の声だ。
「言葉が通じるなら動きを止めろ。お前が何者だろうとこれ以上殺させない」
化物が起き上がる。顔面を強打して数メートル吹っ飛んだのに平然としている。足首が無いので踏ん張りが利かない代わり、激突したエネルギーがそのまま運動に流れたのもあるが、そもそも苦痛を感じる器官を持っていないようにも見える。
三メートルを超える巨躯に対し、人間の範疇の外骨格はあまりに非力。男が鉄骨を腰だめに構えると同時、別の外骨格が数体駆けつけた。男の赤に対し、他も各々別の色で差別化されている。
「リーダー!」
「動ける人々の避難が終了しました」
「よし、次はこいつを取り押さえるぞ。……ウム!」
化物がリーダーと呼ばれた赤い機体に突進する。予期していた以上の速さで接近し腕を振りかぶる化物に、フルスイングしていた鉄骨を無理矢理軌道を変えて迎撃するが、支えきれず後ろに倒れ、覆いかぶさられてしまう。太いH形鋼に爪が食い込み、じわじわと裂け目を広げていく。その光景に、緑の機体が武器を探す。
「離れろ!」
男の声で黄色の機体が馬乗りになっている化物の背を更に駈け上り、角を掴んで首をへし折ろうとする。だが全身の力に倍力機構を加上しても、首はわずかに反るだけだ。化物が空いている左手で貫こうとする。それをのけぞって避けるとバランスが崩れ、咄嗟に跳躍する。ただし、手は放さずに。強化された全身のバネに加えて大重量の慣性が加わり、化物の背ものけぞる。しかし、そのまま倒れると期待された巨躯は数瞬動きが遅くなったと見えた後、轟音と共に逆方向に折れ曲がり、同時に振り落とされた手刀は鉄骨を両断して赤い機体のヘルメット、中身はおろか下の床面まで切り裂いた。轟音は亜音速に達して音の壁を叩いた証であり、角を握っていた黄色の機体がゆっくりとくずれおちる。急激なGに脳が頭蓋骨に激突したのだ。
立ち上がった化物がその無防備な背中に足を上げる。
「させるか!」
目の前の光景に理解が追い付いていなかった青い機体が本能的にもう一本の足に体当たりする。踏ん張りの利かない体は容易にバランスを崩した。
「足!」
新たな鉄骨を見つけてきた緑が膝に杭のように突き立てる。しかし一体化した膝当てに阻まれた。
「足だ!足を潰せば動きが鈍る!」
見出した活路に声が裏返る。対抗し得ない怪力と頑丈さを相手にする以上、このチャンスを逃したら確実な死が待っているのだ。か細い希望が恐怖に拍車をかける。蛮声をあげて左足の人工筋肉に腕を突っ込む。数束を掴み、渾身の力で千切ろうとする。もがく爪の襲撃を、青が鉄骨で弾く。毛羽立った束が伸び、足が曲がる。次に来る動作に総毛立ちながら脛を両足で蹴りつける。瞬間、体験したことのないGが圧し掛かり、視界が赤くなる。自分とは比較にならない力で蹴られたのだ。しかし手は放さない。収縮で硬化した人工筋肉は同時に最も脆くなり、負荷が一点に集中したため千切れ飛んだ。黄色が行った跳躍に、それを阻んだ化物の怪力そのものを利用したのだ。
「人間舐めんな……っ」
ガレキの塊に落下して弾き飛ばしながら拳を握る。限界以上の負荷がかかった指部は剥落し、露出した素手も所々黄色や白が混じっている。だが動くし、脳内麻薬が分泌されているのか麻痺しているのか、痛みを感じない。着地し、前を向いて愕然とした。中学生ぐらいの少女と小学生ぐらいの少年がうずくまっている。姉弟だろうか、少女は自らと少年の口を塞いでいる。自分が激突したガレキの間に隠れていたらしい。新たな生存者を見つけたことで、朦朧としていた意識に活が入る。ここで寝ているわけにはいかない!
目を動かすと、起き上がろうとする化物を青が必死に邪魔しているところだった。仰向けなことと片足が不自由なことからなんとかなっているが、その左足も千切れた束の一つ一つが繋がりなおそうと悶えている。緑は駆け出し、途中である物を拾って蠢く束に押し通す。貫いたのは先の尖ったH型鋼、赤い機体が使い化物が切り裂いた半分である。もう一本を手に取り、右足にも突き刺す。ひしゃげながらも貫通し、怪力の筋繊維も邪魔のせいで全力を発揮出来ない。自由を奪い、余裕が出来たことで気付いたことが口をついた。
「中に誰もいない。無人機だ」
青は無言で上半身を捌いている。話す余裕がない。構わず思考をまとめるために緑は喋った。
「疲れる筈がない……。手足を切ってバラバラにしよう。無理なら串刺しだ」
鉄骨を用意し、化物の爪で尖らせ関節を貫く。左肘も刺してルーチンワークの予感に化物に対する侮蔑も生まれた頃、化物の動きがピタリと止まった。
すると、化物は今まで振り回すだけだった掌で肘のH形鋼を掴んで抜き、寝そべってから倒立して起き上がると、両腕で移動しながら二人に襲いかかった。