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[28077] 【まどマギ二次創作】短編集【百合注意】
Name: Grace◆727d1582 ID:e07a8d80
Date: 2012/04/06 20:35
 こちらの作品は魔法少女まどかマギカの二次創作になり、本編内容のネタバレを含みます。
 また、作品内では一部捏造改竄をしている部分がございます。そのあたりもご容赦ください。

 今後、このスレッドに増える作品は全て時系列、時間軸、世界観が異なるものとして扱っていただけると嬉しく思います。
 作品の性質上パラレルが作りやすい世界のため、そのような作品群になることをご容赦ください。
 それ故それぞれの作品は原則として単体完結しています。どこから読んでいただいても違和感無いように仕上げるつもりでございます。



 以下は作品のあとがきです。




5/30投稿【そらのいろ】
 こちらはとある方のリクエストで書かせていただきました。無茶振りとも言いますが、まあそんな感じですw
 本編で敵対していた感のある二人で、仲むつまじいところは見えなかったのですが、もし二人が穏やかな出会いをしていたら……そんなところから組み立ててみました。
 エロス成分が薄めですが、そのあたりは公式設定上彼女たちが中学生なので……。
 本当はもうちょっと絡めてもよかったんでしょうけど、まあ初々しいところを出したかったのでこのぐらいで。
 お楽しみいただければ幸いです。

4/6投稿【夢の終わり】
 こっちへの転載をすっかり忘れてた作品です。すいませんorz
 新作を上げたついでにこちらにも……と思っていたら以前の作品を上げていなかったことに気がつきました。申し訳ありません。
 以後ちょっとづつ間をあけて、こちらにもアップさせていただきます。
 こちらの作品、割と好評で嬉しい限りでした。もうそこそこ前の作品になりますが、まだ時々カウンタが回ったりしてるみたいで驚いてます。
 で、作品としては魔法少女が少女でなくなるとき、どうなるのかなーなんてことを考えながら書いてました。そして成長の物語を書くことで、彼女たちの内面を浮き彫りに出来たらいいなと。
 そんな意図がほんのちょっとでも伝わってくれたら、嬉しく思います。



[28077] そらのいろ
Name: Grace◆727d1582 ID:e07a8d80
Date: 2011/05/29 23:34
 暁美ほむらには、魔法少女として最大の欠点があった。
 たとえば、車がエンジンのみで走るわけではないように、人間も体力や脚力だけで走る速さや跳ぶ距離が決まるわけではない。適切なギアと足回りが必要なように、より高い跳躍やより早い疾走には適切な姿勢とタイミングが重要な要素となる。
 通常、それらの姿勢や運動感覚は日々の鍛錬によって体力と同時に培われる。より速く走るために鍛えた足にあわせて、より速く走る姿勢が体に染み付いてゆく。もちろんそこに適切な指導が入るならば、その効果は何倍にもなる。
 しかしながら、暁美ほむらに身に付いたのは魔法少女という高度なエンジンのみ。それは例えて言うなら、自転車にロケットエンジンを載せた様なもので。
「暁美さん大丈夫!?」
「今すごい音したよ……! 足平気?」
 走り寄るクラスメイトに大丈夫と返すも、病み上がりというレッテルはどうしようもなく。
 盛大な転倒と同時に派手に足首を捻った彼女は、半ば強制されるように保健室へ運び込まれることになった。


『そらのいろ』


 幸い骨に異常は無く、病院へ担ぎ込まれるという騒ぎは回避できた。しかし薬を飲まなければならないことや、派手に腫れ上がった足を動かすのは良くないと言われ、ほむらは午後を保健室で過ごすことになってしまった。
「はぁ…………」
 溜息と共に布団へ潜り込む。例え足首の骨が砕けようと、魔法で治すのは容易い。しかし派手に腫れ上がった足が見る間に元通りにしてしまっては不審を買うに決まっている。まして自分は転校生だ。暫くはクラスの注目もあるので軽はずみな行動は取れない。
『特訓はいつでも出来るから、今日はゆっくり休んでね』
『毎日頑張りすぎるなっていう神様の思し召しかもしれないわ。暁美さん、また明日から頑張りましょう』
『はい…………すいません…………』
 テレパスでかけられる優しい声が暖かい。それと同時に、まどかを救う為に魔法少女になったというのに、彼女の足を引っ張りがちな自分が情けなくてたまらなかった。
 布団の中で淡く紫色の輝きを放つソウルジェム。その輝きを見つめながら暁美ほむらはゆるゆると眠りに落ちる。
 どうすれば自分を鍛えることが出来るのか。それだけを考えながら。



 目を覚ますと、カーテンはオレンジ色に染まっていた。身を起こせば、隙間から差し込む西日が目を射す。
「おはよう、転校生」
「え…………? あ、あなた…………は…………?」
「あら、クラスメイトなのに名前を覚えられてないかー。さやかちゃんショックで寝込んじゃいそうだわ」
 芝居がかった口調と仕草と共に、彼女は天を仰いで顔を覆った。
 空色に近い髪と、同じ色の瞳。快活そうな表情は太陽のようで、それでいて女性らしさも兼ね備えた彼女は、まるで自分と正反対の存在のように見える。
「ご、ごめんなさい…………」
「あ、冗談冗談。ついこの前転校してきたばかりだもん。そりゃ覚えてないよねー。あたしは美樹さやか。暁美ほむらさんだよね?」
 こくりと頷きながら彼女の顔を見てようやく思い出した。彼女は自分と同じクラスで、朝鹿目まどかと共に登校して来ることの多い少女だ。確か若草色の髪をした少女とも仲が良かったと記憶している。
「まどかからヨロシクってお願いされちゃってね。本当は保険委員が面倒見るのがスジなんだろうけどさ、なんか忙しいらしくて」
「す、すみません…………」
 まどかの用事とは、恐らく巴マミと共に魔女の探索に出かけることだろう。平和な街を守る為に日々のパトロールは欠かせないと二人は言っていたし、自分の特訓もその合間を縫って行っている。そう考えると、こうしてぬくぬくとベッドで寝ている自分が殊更に情けなく思える。
「いいって。あたしもちょっと興味あったしさ」
「興味……?」
「そ。鹿目まどかと行動を共にする謎の転校生暁美ほむら! その正体や如何に! なんつって」
 正体などという言葉に一瞬身をこわばらせてしまうが、彼女のおどけた表情にそっと安堵のため息を漏らす。魔法少女であることは今のところ秘密なのだ。普通の人間に魔法のことを話しても奇異の眼で見つめられるだけだし、ましてや命の危険を伴うようなことに一般人を巻き込むわけにはいかない。魔法のことも魔女のことも、全ては自分達魔法少女と魔女の中での出来事にするべきなのだ。
「なんとなく気になったんだ。まどかと昔から知り合いっぽいしさ。それに暁美さん時々ちょっと思いつめたみたいな顔してるっしょ? だからゆっくり話せたらなーって。そんぐらい」
「わ、私のことなんて…………別に面白くも…………」
「まぁまぁ。あっと、とりあえず足見せてよ。その辺は先生に頼まれてんだ」
 捻った足は誰も居なくなった頃合を見計らって魔法で軽く治してしまったのだが、まだ痛みが残る程度の芝居をしておいたほうがよさそうだと考えて素直に言葉に従うことにする。靴下を脱いで足を晒すと、少しだけ冷たい指先がそっと足首に運ばれた。
「まだ痛む? 腫れは引いてるみたいだけど」
「す、少し……」
「そっか。足の指も動くみたいだし、本当に問題なさそうだね。やー、盛大に前のめりに行ったときはほんとに焦ったよ」
「にゅ、入院してたから……身体上手く動かなくて……」
 貼り薬とサポーターをあてがわれ、擦り傷に貼られていたガーゼと絆創膏を取り替えられる。目立つ外傷こそ煩わしくて治したかったのだが、これこそ綺麗さっぱり無くなっていては怪しまれるに決まっている。暫くは不便に耐えなければならないだろうと肩を落としながら、ほむらは彼女の手際の良い処置をしみじみと眺めた。
「これでバッチリ。暁美さんって運動嫌い?」
「嫌いではないし、上手くなりたいって思うけど……どうして良いか、わからないんです……」
 歩くのも走るのも遅いほむらは、まどかやマミについていくだけでも精一杯だった。時間を止める魔法もそのせいで上手く生かすことが出来ず、投擲も距離を稼げない為に爆薬の威力を抑えざるを得ない。
 もう少し速く、もう少し高く飛ぶことができれば。もう少し遠くまで、もう少し素早く投げることが出来れば、自分は今よりもう少し役に立つことが出来るのに。そう思いはすれど、何をどうすればよいのかが解らない。そうした心の空回りが、昼間の怪我を誘発した原因だった。
「ふーむ…………暁美ほむらよ、その言葉に嘘偽りはないかね?」
「えっ? は、はい…………せめて人並みになれればって…………」
 視線を合わせ、ずいっと顔を近づけてくる美樹さやか。余りのことに思わず顔を逸らしはしたものの、人並みに動けるようになりたいという思いに間違いはないため、おずおずと彼女の方へと向き直る。
「わしの特訓は厳しいぞ。覚悟は良いか?」
「え…………? そ、それって…………」
「覚悟は良いか? 暁美ほむらよ」
「……………………は、はいっ! お願いします!」
「ん、よろっしい! ではこの美樹さやかちゃんにどーんと任せなさーい」
 重苦しく真剣な眼差しをしていた彼女の表情が一瞬のうちに柔らぎ、同時に強く肩を叩かれる。どうやら彼女は、自分に身体の動かし方を教えてくれるらしい。
「で、でも…………、お時間とか…………大丈夫なんですか?」
「二人ともちょうど暇な時狙えばいいよー。流石に毎日なんてのは無理だけどさ、朝登校する時間をちょびっと早めたりすればいいだけだもん。それより呼び方ですよ、暁美ほむらさん」
「よ、呼び方…………?」
「そ。あたしのことはさやかって呼んでよ。あたしも暁美さんのことほむらって呼ぶから。どうかな?」
 名前で呼ばれることにはそこそこに慣れてきた。しかしまどか以外の人物から『ほむら』と呼ばれることは何やら気恥ずかしい。しかし、ここで無碍にして機会まで失ってしまうのはもったいない。何より、もうこれ以上足手まといの日々に甘んじていたくはなかった。
「よ、よろしくお願いします…………さやかさん」
「よーしよーし。じゃあまずは足を治して、その間は…………明日の放課後あたりから軽く何かしてみよっか」
「はいっ」
 大きく頷くと、握手を求めて差し出される手のひら。その手のひらに、ほむらはやや躊躇いがちに自身の手を預ける。
 こうして、暁美ほむらの特訓の日々は始まりを告げた。



 ストレッチに始まり、足の運び方や重心移動の仕方。基礎の基礎からやってくれるさやかの特訓は本当にありがたかった。
「足は真っ直ぐ高く上げるー。ほらストライドの幅がまちまちになってるよー!」
「は、はい…………っ!」
 一人では一切気がつくことができなかったであろう腿上げの重要性や腕の振り。関係ないと思っていた視線の意味。そしてそれら一つ一つを身につけるたびに少しづつ上がってゆく記録。もちろんそこにはソウルジェムというエンジンの重要性もあったわけだが、やはり目に見えて改善されてゆく様は本当に心地よかった。
「視線は前だよー。走る足元じゃなくて走る先を見るんだー。自分が目指す場所よりももっと遠くを見てー」
「はい…………っ!」
 始めたばかりの頃は何度も転んでその度に心配をされたが、最近はそんなことも稀になり、人並みに走ることが出来るようになってきた。自分に自信が付けば前を向いて歩くことが出来るようにもなり、クラスにも打ち解けることが出来るようになっていった。そして最近では、さやかと二人での特訓が楽しみに思えるようになりつつある。
 鹿目まどかも巴マミも、ほむらの特訓に協力をしてくれていた。定期的にグリーフシードを運んできてくれたし、マミは疲れに良いからと甘いものやレモンの蜂蜜漬けなどを時折差し入れてくれる。穏やかで幸せで、まるで全てを忘れてしまいそうな、そんな日々。
 そう、自分が時逆ましに歩んできたことすらも、忘れてしまいそうな。
「ラスト一周ー!」
 さやかの大きな声が背中を押す。目の前の景色に光が増し、自然と足が軽くなる。
 彼女の言葉は、不思議なことに魔法のようにほむらの身体を軽くしてくれた。
 鹿目まどかは、暁美ほむらにとって崇敬の対象だった。
 表面的な意識の中では、ほむらはまどかに対して友愛の情を抱いていた。自分の初めての友達で、大切なクラスメイト。鹿目まどかは暁美ほむらの意識の上ではそういう存在だった。
 だが心の奥底ではどうだろう。身を挺して命を救ってくれたまどかに対し、暁美ほむらは己の一生を擲つ覚悟で魔法少女としての契約を行った。繰り返されるまどかとの出会いと別れも、全ては彼女を救う為。そう信じて耐え続けてきた。
 次に会う鹿目まどかが、以前のほむらとまどかの関係を覚えていないことも承知で。
 通常であれば精神を病みかねないそんな行為を、暁美ほむらは鹿目まどかという存在を支えにして耐え続けてきたのだ。それが友愛などという生易しいものなわけがない。
 そう、それは例えて言うなら信仰であるとか、崇拝であるとか、そういった人ではない超越した存在に向けられる感情に酷似していた。
 しかしながら、暁美ほむらにはそれに気がつくことができるほどの余裕も経験も存在しなかったのだ。
「ごーる! おつかれーっ!!」
「ひゃっ…………! さ、さやか…………さんっ…………!?」
 前のめりに最後の一歩を踏み切ったあと、待っていたのは美樹さやかの力強い抱擁だった。額や髪から滴る汗を気に止めることも無く、彼女は頬を擦り付け、身を寄せてくる。
「やったやった! ラップタイム五秒縮んだよ! 新記録だ!!」
「さ、さやかさん…………っ、あ、汗が、服に…………っ!」
「そんなのどうでもいいよ! 暁美ほむら! あんたはえらいっ!」
 抱きしめたまま背中を叩かれ、それからストップウォッチの数字を見せられる。そこに描かれていたのは、確かに先日より五秒弱ほど短いタイムだった。
 普通の人間からすれば、それはまだまだ遅く、喜ぶべき数字とは言いがたい。そもそも陸上選手になるわけでも、地区大会の選抜を狙うわけでもないのだから、ラップタイムなど気にする必要も無いはずだ。
 それでも、やはり明確な記録というものは励みになる。
「さ……さやかさんのおかげです……っ。私だけじゃ……」
「違うよ、ほむら。これは紛れも無くほむらの努力の結果だし、自分で作り上げた成果だ。だからもっと胸を張って、もっと喜んで良いんだよ」
「で、でも…………あ、あんまり実感が……」
 さやかの言葉を聞いても、ほむらにはまだ実感が生まれなかった。長く病床で過ごし、誰の役にも立てず、魔法少女になっても何一つ成果を上げられない。そんな自分が努力で成果を上げられるなど、今まで考えたことも無ければ思ってもみなかった。何より、これが成果と呼べるのかも、喜ばしいことなのかも怪しいといえば怪しいのだ。トラックを走って回るタイムが五秒縮まったからといって、魔女が倒せるようになるわけではないのだから。
「仕方ないなあ。ではさやかちゃんがほむらの成果に相応しいご褒美をあげよう」
「ご、ごほう…………きゃっ!」
 不意に近づく彼女の顔に、ほむらは思わず身を竦めて固く瞳を閉じる。そうして暗闇に閉じこもってしまったが故に、ほむらは何をされたのか、一瞬理解できなかった。
「え、………………えっ……?」
 額に残された柔らかい感触。そして遠ざかってゆくさやかの顔。
 そこでほむらは、ようやく理解した。
「さ、さやか…………さんっ…………」
「ま、まじまじと見られるとやった方も恥ずかしいな……。もっとぎゃーとかわーって言われると思ったけど…………あ、あはは……」
 憶測が確証に変わると、ほむらはもうさやかの顔をまともに見ることができなくなっていた。頬が熱くなり、引きかけた汗が噴出しそうになる。額に残された感触は何故か明確さを増し、火を近づけられたかのように熱い。
「ご、ごめんね…………調子乗りすぎたか……」
「い、いえ…………っ。う、うれしかった…………です………………」
 慌てて身を離そうとする彼女を腕を掴んで、ほむらはおずおずと顔を上げる。
 さやかは少しだけ驚いたような顔をして、それからいつものようににへらと笑って見せた。
 恐らく自分と同じ、茹蛸のような赤い顔で。



 人にはそれぞれ、居心地の良い距離感というものが存在する。
 保身の為に脳が警戒を促すのか、縄張り意識の名残から来る本能的なものなのか、その理由と由来は諸説あるが、少なくとも赤の他人にはこれ以上近寄られたくないという距離が存在する。そして暁美ほむらは、この距離が少しばかり広かった。
 まだ魔法少女になる前。見滝原に編入した初日、珍しい編入生にあれこれと質問をぶつけてくる同級生が煩わしくも恐ろしかった。自分の距離に遠慮なく踏み込んでくる彼女達に、ほむらは貝になって閉じこもることしかできなかった。
 しかし美樹さやかは違う。
 彼女も易々と距離感を乗り越えてくる存在だが、美樹さやかにはそれを許せる何かが備わっていた。彼女になら、自分の内側へ入り込まれてもいい。そう思わせる何かがあった。
 一人自室のベッドで額に触れながら、暁美ほむらは考える。
 何故、彼女になら踏み込まれても良いと思えるのだろうかと。
 そして、何故自分は彼女に触れられ、口付けを落とされてこんなにも舞い上がっているのだろうかと。
 暁美ほむらの目的と信念は、今も変わらず揺ぎ無い。鹿目まどかを守り、悲しい結末を変え、彼女と共に歩む未来を切り開く。それが全てだ。
 ならば美樹さやかのことは、今後においても何ら関係無いはずではないか。
 しかしどう解釈を切り替えたとしても、ほむらの心の中では、美樹さやかという存在が楔のように消えず残ったままだった。
 ひとしきり考えをめぐらせ、ソウルジェムの輝きを見つめ、それでも尚纏まらぬ思考を抱えながら、暁美ほむらは半ば無理矢理に眠りに付くことにした。
 美樹さやかの、青空のような笑顔を思い浮かべながら。



 翌日、美樹さやかは用事があるからと夕方の特訓を断ってきた。やる気が出たばかりなのに申し訳ないと何度も謝っていたが、もともと都合が良い時だけという約束なのだから気にしていないと伝えると、彼女はこの埋め合わせは必ずするからと何度も礼を言って足早に学校を後にした。
 さやか本人は何も語ろうとしなかったが、鹿目まどかはさやかの用事の内容をこっそりと教えてくれた。

『さやかちゃんは、幼馴染のお見舞いに行ったんだよ』

 さやかの幼馴染は、上条恭介というかつて天才バイオリニストとまで言われた少年だった。
 幼くして才覚を発揮し、神童とまで言われ、末は音楽界の星になるとまで言われた少年。それが美樹さやかの幼馴染。
 しかし、そんな少年に不幸の毒牙は容赦なく襲い掛かる。

『事故でね、半身不随なんだって。だからずっとリハビリしてるらしいの』

 リハビリの辛さは、ほむらも僅かながら知っていた。思うように動かぬ自分の身体に苛立ち、遅々として進まぬ歩みに憤り、それでも尚動かさねばならぬ苦痛に、身も心も張り裂けそうになる。ほんの少し動かしただけで骨や筋が悲鳴をあげ、筋肉が苦痛の不協和音を奏で、誰にも助けてもらえず、誰も頼れず、ひたすらに己と戦わなければならない日々。もう二度と味わいたくない地獄。
 それでも、ほむらのリハビリは短く簡素なものだった。病で寝たきりになっていたが故に弱った身体を動かす為に、日常生活に支障なく動けるようにする為に行われた程度のリハビリは、事故のそれとは比べ物にならない。
 ましてや半身不随など、比べるどころか想像も付かない。

『上条君もすごいなって思うけど、さやかちゃんもすごいと思うの。落ち込んでる人を励まして、それでもあんなに笑顔でいられるんだから』

 鹿目まどかの言うことは尤もだった。人を励ますというのは途方も無い労力を必要とし、その人物が直面している障害に比例して消耗が増す。見舞いに来た人物が時折病人以上に青い顔をして帰ってゆくことがあるのはその為だ。だが美樹さやかはそんな翳りを一切見せず、在ろうことか自分を応援する役割まで買って出てくれている。
 それは自分には到底真似のできない行動であり、尊敬の念を抱かざるを得ないほどの懐の広さだった。
 そして話を聞いて、暁美ほむらは上条恭介という少年を少しばかり羨んだ。
 ほむらには、足しげく見舞いに通ってくれるような人物は存在しなかった。
 両親も仕事が忙しく、幼い頃から入院が多かった彼女には友人らしい友人も無く、一人ベッドの上で過ごすばかりで、一言も会話の無い日すら珍しいものではなかった。
 もし、自分が入院するより前に鹿目まどかや美樹さやか、巴マミと出会っていたら、彼女達は見舞いに来てくれただろうか。
 上条恭介の下へ通う美樹さやかのように、足しげく通ってくれただろうか。
 考えても鐫のないことだが、それでも暁美ほむらは考えざるを得なかった。
 それほどまでに、暁美ほむらの中で美樹さやかという存在は大きなものになり始めていたのだ。
 本人がそれに気付くことすらないままに。



 翌日、美樹さやかは学校に現れなかった。母親から体調を崩したという連絡が入ったらしい。
 クラスメイトやまどかの驚きを見るに、それは随分と珍しいことだったようだが、たかが一日の休みで騒ぎ立てるのも家族に迷惑がかかるというもの。ほむらは逸る気持ちを抑えて家路に着いた。
 そしてその翌日、美樹さやかは何事も無かったかのように登校してきた。
「いやー、バカは風邪引かないなんていうけどさー。ありゃ嘘だったね。だってあたしが引いちゃったんだから」
 けらりと笑う彼女につられ、周囲もまた笑い出す。しかしほむらは、その笑顔に一抹の違和感を感じていた。
 何かを隠しているような、何か誤魔化しているような、漠然とした不自然さ。しかしほむらには、それを尋ねる勇気は無い。
 それとなく尋ねるべきか、むやみに疑うのはよくないとして黙っておくべきか、逡巡を重ねるうちに時は過ぎて昼休み。
「昨日一昨日とサボっちゃったし、今日の放課後はちょっと長めに頑張ってみよっか」
 悩むほむらを他所に、美樹さやかはあっさりと特訓の再会を宣言した。病み上がりで大丈夫なのかと尋ねると、さやかはひとしきり自分の頑健さをアピールしたあとで、サボり癖でも付いたのかとおどけて見せてくる。
「わ、私は大丈夫ですけど……」
「じゃあ決まり! サボってた分厳しく行くから覚悟したほうが良いぞー」
 わざとらしく芝居がかった仕草と口調で詰め寄ってくる彼女に、同席していたまどかと仁美が笑い出す。
 しかし暁美ほむらは、心の底から笑うことは出来なかった。
 彼女の瞼が、美樹さやかの瞳が、ほんの僅かにだが赤く腫れている事に気がついてしまったから。



 放課後は生憎の空模様だった。運動部員も顧問の教師も時折空を見上げ、何時泣き出すのかと呟きながら準備運動をしている。誰もが雨の到来を予感し、晴れを望みつつも叶わぬだろうと覚悟しながらグラウンドの準備に精を出す。そうして五分と立たぬ内に、彼らの徒労を嘲笑うかのように、その不安に答えるように、声を聞き届けた天蓋は突如としてその堰を開け放った。
「うわわっ! 夕立!?」
 突如降り出した雨は、痛みを感じるほどの大粒だった。軒先程度では防げぬ雨粒に、グラウンドに出ていた生徒は慌てて部室棟や体育館へ避難してゆく。
「こ、これは一時中断! 部室棟まで撤退!」
「は、はいっ!」
 さやかの声に弾かれるように、ほむらは部室棟へと駆け出す。だがその短い距離の間に雨粒は容赦なく降りかかり、文字通り髪の先から足元まで全てを濡らした。
 先を走るさやかの背中に、下着の線が浮ぶほどに激しく。
「降りそうな予感はしてたけど、こんなに早くもこんなに大量も予想外だよ…………」
 運動部員でごった返す部室棟で髪を拭きながら、美樹さやかはだれにともなくごちた。いや、それは此処にいる全員の思いを代弁したと言っても過言ではなかろう。
 雨は今も激しく降り続き、グラウンドにいくつもの水溜りを作り始めている。既に諦めた部員は用具を片付け始め、身支度を整えている。
「こりゃー中止だね……。ちょっとシャワーとか借りられないか聞いてくるよ。待ってて」
 自分と違い、行動力も学校システムへの理解もあるさやかは、大きなタオルを此方に投げ渡してからそそくさとどこかへ歩いていってしまう。
 こういうときの他人の存在は頼もしくもあり、また申し訳なくもある。無力な自分をサポートしてくれる存在は、嬉しさと同時に申し訳なさを浮き彫りにするからだ。
 特にそれが同い年の存在なら。更に言えばクラスメイトなら尚のことだ。
 もちろん、それが何も生まないことなど誰に言われずとも理解している。後ろ向きな考えは魔法少女にとって、いやどんな人間にとっても害悪ばかりで良い事など殆ど生み出さない。しかしそれでも、ほむらは考えずにいられなかった。
 自分に良くしてくれる美樹さやかに、何も返すことが出来ないままの自分を申し訳なく思っていたから。
 そして、知らず知らずのうちに彼女に好意を寄せていたから。
 受け取ったタオルを鼻先に近づけ、顔を拭くふりをして彼女の残り香を探す。雨の匂いの向こうにある、青空の匂いを。
「おまたせー。運動部が終わった後なら使ってもいいってさ。暫く我慢だけど、濡れたまま帰らずに済みそうだよ」
「ふぇっ!? は、ひゃいっ!」
「…………? どしたの急に慌てて」
 突然掛けられた声に驚き、ほむらは裏返った声を上げてしまう。いつの間にか、美樹さやかはすぐ後ろまで迫っていた。
「お、おかえりなさい……いろいろ手間かけてごめんなさい……」
「いやいや、私も濡れ鼠のまま帰りたくなかったしさー。ほむちゃんが居てくれて助かったなって感じ?」
 どうやら彼女は自分を出汁にして交渉をしてきたらしい。軽く謝るさやかにほむらはむしろ感謝していると伝え、タオルを差し出した。
「あたしは大丈夫だよ。それよりあっち向いてて。髪拭いてあげる」
「え、そ、そんな……! 申し訳……」
「いいからいいから。あ、三つ編み解くからね」
 ゆるく巻かれた三つ編みが解かれ、彼女の優しい手が自身の髪をゆるゆると撫でてゆく。
 美樹さやかはともすればがさつに見られがちだ。体育会的発言もあるし、勉学よりも身体を動かすことを好む。悩むより行動することを常としているし、何より雰囲気が明るい。
 しかしほむらはこの数日で気がついていた。彼女が誰よりも優しく、誰よりも純粋で、そして誰よりも乙女であることに。
「…………さやかさんって、すごく優しいですよね」
「あたしが? 冗談はおよしよー」
「冗談なんかじゃないです。すごく、感謝してます……」
 彼女の手が一瞬止まり、沈黙が辺りを包む。いつの間にか人影はまばらになっており、カバンを抱えて帰り始める生徒も多い。
 外の雨は夕立のような激しさから長雨へと姿を変えており、黒い雲はそれが小一時間程度では収まらぬことを雄弁に物語っている。
「ほんとの優しさって、なんだろーね……」
「…………さやかさん?」
「な、なんでもない! そろそろシャワー良いかな? 様子見てくるね!」
 タオルを投げよこして、美樹さやかは逃げるように立ち去った。
 青空のような表情を、僅かに曇らせながら。



 一息ついて余裕が出たからか、顧問も上級生も未だ濡れ鼠の二人に随分と優しくしてくれた。おかげで帰りは遅くなるがランドリーを使えるようになり、湯を浴びるだけのはずがシャンプーやボディーソープまで借りられることとなった。
「適当に済ませる予定が、なんだか随分贅沢になっちゃったね」
「でも、助かりました……。風邪引かなくて済みそう……」
 シャワールームの壁一枚を挟んでくすくすと笑いあう。脱衣場には大きめのバスタオルと毛布が用意されており、洗濯が終わるまでの間も寒い思いをしなくて済みそうだった。合宿用に使うもので暫く箪笥の奥に仕舞ってあったらしく、僅かに臭いは気になったが殊更に酷いわけでもなければ贅沢を言える状況でもない。むしろ整った設備に感謝をするべきだろう。
「ほむらちゃん、家近いの?」
「あ、はい。近くに部屋を借りてもらってます……」
「一人暮らしかー。かっこいいなぁ」
 暁美ほむらの両親は仕事で家に居ることが殆ど無く、学校からも離れて不便な場所だった。それ故ほむらは病院にも学校にも近く、いざという時の為に医師が駆けつけてくれる設備が整った部屋に一人で暮らしている。いや、正確には既にそのように準備してあったというべきか。
 一人の家、管理された食事、親よりも頻繁に顔を合わせる主治医。端から見れば異常な生活に思えるだろうが、ほむらにとってはそれが日常だった。
 しかし、それを寂しく思うこともある。
 たとえば、家族に電話をしているさやかの姿を見たときなど。
「そんなに……いいものじゃないですよ」
「そう?」
「ええ……。先生……あ、病院の主治医ですけど、先生とは学校の話とか、あんまりできないですし」
「…………そっか、そうだよね」
 不意に沈む彼女の声。そして重苦しい沈黙。
 無駄に気を使わせてしまっただろうかという後悔がほむらを襲い、次の言葉を探させる。しかしもともと口下手で会話に慣れていない彼女に、そのような気の利いたことを出来るわけが無く、気まずい時間が刻々と過ぎていった。
 肌を打つシャワーの音と、排水溝へと流れる水の音。
 しかし、いつの間にかその中に、小さな声が混じり始めていた。
「さ、さやかさん…………?」
「な、なんでも…………なんでも、ない…………」
 それは紛れも無く啜り泣く声だった。必死に押し殺してはいるが、薄いシャワー室の壁はその声を易々と通してしまう。
「さやかさん? 大丈夫ですか?」
「へ、へーき…………だよ…………ぐすっ……」
 小さく鼻を啜る音は、明らかに余裕の無さを浮き彫りにしていた。そして涙のわけを聞くべきか、無理矢理話題を変えて彼女の気を紛らわせるかの決断をするよりも早く。
「ぅ…………ふぐっ…………わぁぁぁぁん……! ひぐっ…………!」
 さやかは大きな声を上げて泣き出していた。
 慌ててシャワーを止め、タオルを引っつかんで扉を開く。既に自分達以外の人影は無いのは幸いと言えるだろうか。
「さやかさんっ!?」
「ひぐっ…………ふぇぇ…………っ」
 押し入るように扉を開くと、美樹さやかは頭を抱えるようにして丸くなって座っていた。
 頭から降り注ぐシャワーをそのままに。
「さ、さやか…………さん…………」
「きょうすけ…………ゆび…………きょうすけぇ…………!」
 泣き叫ぶ彼女に、ほむらはどうすることも出来なかった。
 豪雨のように降り注ぐ湯を浴びながら啜り泣く空色の髪の少女。そんな彼女を目の前にして、夜色の髪の少女はただ立ち尽くすことしか出来なかった。




 ひとしきり泣いた彼女はようやく落ち着きを取り戻し、涙のわけを語ってくれた。
 鹿目まどかの言っていたとおり、彼女は一昨日見舞いに行っていたらしい。そしてそこで、衝撃的な事実を上条恭介から聞かされていた。

『自分の指はもう動かない。ヴァイオリンは諦めるしかない』

 主治医にはっきりと言われたらしい。現代の医学では、日常生活はともかく、繊細な指の動きを元通りにすることは不可能だと。
 彼の指は、既に感覚が無くなっていたのだ。
「あいつさ…………あたしに笑って言うんだよ。ごめんなって……もう、聞かせてあげられないやって…………」
 長椅子に腰掛け、毛布に身を包みながら力ない笑みのままに呟く。
 彼女に、いつものような太陽の輝きはない。
「せめてさ、怒ってくれたら……って思うんだ……。でもさ、あいつ優しいからさ…………あたしには笑うんだよ…………作曲家でもめざすかなって……笑うんだ…………」
 小さく小さく、身を丸めるさやか。その姿はまるで、自分を消し去ろうとしているかのようだった。
 もし上条恭介が、絶望の淵に沈んだが故に美樹さやかに暴言を吐いていたら、彼女の悲しみは少しばかり軽くなっていたのだろうか。
「昨日はさ…………どうしても動きたくなかったんだ…………でも、あんま休むのもあれかなってさ…………だから……」
「ま、まどかさんたちに相談とかは……」
「しないよ…………。それに、なんかガラじゃないだろ?」
 向けられた笑みは、痛々しいことこの上なかった。
 思わず目を背けたくなるような、今すぐ彼女の救済を望みたくなるような、そんな微笑。
「ときどき……だけどさ、まどかはすごく複雑な顔見せるんだ……仁美はあんなだけど勉強できて優しいけどさ、家がでっかいから、それなりに悩みもあるらしいんだ…………あたしはほら、明るいだけが取り得のバカだからさ………………だから、みんなの前ではせめて笑ってなきゃって……」
「それじゃ…………さやかさんだけが沢山背負ってるみたいじゃ……」
「そんなことないさ……みんな、みんないっぱい背負ってるんだ……あたしなんかそれに比べたら……さ…………。だから…………」
 最後の方は、もう声になっていなかった。瞳から溢れる涙を拭うことも忘れて、さやかはまた小さく丸くなっていた。
 彼女の姿は、まるで人魚姫のようにみえた。
 愛する男の為に全てを捧げ、それでも報われることが無かった悲しい姫のように。
「ごめん、変な話して。ちょっと洗濯機見てくるよ」
「ま、まって!」
 逃げるように立ち去ろうとする彼女の腕を、ほむらは慌てて掴んだ。
 そのまま一人にしてしまったら、彼女が泡になって消えてしまいそうだったから。
「ちょ、ぅわっ!」
「きゃっ!」
 不安定な長椅子。濡れた床。力の入っていないさやかの身体。そのいくつもの要素が重なり合って、さやかはほむらの上に倒れこんだ。
 触れ合う彼女の肌は、驚くほどに冷たい。
「ご、ごめん…………」
「い、行かないで……一人に、ならないで…………」
「ほ、ほむら…………?」
 震えてしまいそうなほどに冷たい彼女の身体を強く抱きしめ、ほむらは頬を摺り寄せた。
 姫が泡になって消えてしまわぬように、彼女がもう一度泣く事のないように。
「私は…………さやかさんが好き……」
「ほ、ほむ……んっ!?」
 半ば強引に唇を奪う。無理矢理な体勢と行為の為に歯がかち合い、僅か不快な音を立てる。しかしそれも束の間、さやかは身を起こしてほむらを睨むように見下ろした。
「ちょっと……! 冗談はやめ……」
「冗談なんかじゃない……!」
 強くはっきりと、叫ぶように答える。
 いつのまにか、暁美ほむらは涙を流していた。
「上条さんの代わりでもいい…………悲しいことを紛らわす道具だって構わない……だから、お願い! 私にまで無理して笑顔を作らないで! 気を使わないで!」
「ほむら……」
「同情なんかじゃない……貴女が、大切だから…………だから…………っ」
 何時の間に、彼女に此処まで心寄せていたのだろう。いつから彼女のことがこうまで大事になってしまっていたのだろう。
 暁美ほむらは自分のことを夜そのものだと思っていた。陰鬱な性格に漆黒の髪はまさに夜を体現しているといっても差し支えなかった。そしてそんなほむらにとって鹿目まどかは綺羅星のような存在であり、巴マミは優しい光を湛えた月のようだった。
 だが、美樹さやかは青空であり太陽だ。自分とは相容れぬ、決して届くことの無い存在。
 しかしだからこそ、彼女に惹かれてしまったのかもしれない。
 自分には無いものをいくつも備えた、美しい青空に。
「私はさやかさんに沢山のものをもらった……なのに、私は何も返せてない……! だから、だから私…………!」
「…………まいったなぁ。初めて告白されたのも、ファーストキスも女の子だなんて。しかもこんな場所でこんなかっこで……」
 小さな苦笑と、呟くような声。そんな彼女の反応に、迷惑だっただろうかと思わず身を固くしてしまう。
 いや、迷惑だったに違いない。同性に告白された上に、大事な初めての口付けまで奪われてしまったのだから。
 彼女は怒っただろうか、もう相手にしてくれたりはしないだろうか、友人としての関係も、全て此処で終わりを告げてしまうのだろうか。そんな不安が心の奥で渦巻いてゆく。
「ご、ごめんなさ…………」
「あのさ、ほむら……」
 不意に近づく声。そして触れ合う肌。
 おずおずと顔を向けると、そこにはやや真剣な面持ちのさやかの顔があった。
「は、はい……」
「あたしは……その、不器用だからさ……。恭介と比べたり、酷いこというかもしれないよ?」
「ふ、ふぇ…………?」
「それに、不器用だから何かの代わりとか、その場しのぎなんていう器用なことはできないんだ。それでもいいの…………?」
 彼女の問いかけの意味を掴みあぐね、ほむらは二度三度と瞬きを繰り返す。しかし、頬に添えられた手でようやくその意味を理解し、ほむらは慌てて首を縦に振った。
「じゃあ、さっきのやり直し……」
 ゆるり近づく彼女の顔に、ほむらは慌てて目を閉じた。少しづつ肌が重なり、吐息が近づく。
 そして。
「んん…………っ」
 震える唇が、静かに重なる。薄く開いた唇から吐息が混ざり合い、生の実感と他者の温もりを伝える。大切でいとおしく、この上なく心地よい時間。
 そんな時間に酔いしれるように、二人はお互いをしっかりと抱きしめていた。
「ん…………っは……」
「ふは…………っ…………」
 深く息を吐きながら、静かに互いを見詰め合う。涙の向こうに見えるさやかの瞳は、夜明けのような美しい輝きを放っている。
 もう、彼女は泡になることは無いだろう。
「ほむら、震えてる……寒い?」
「そ、それもですけど…………き、緊張して…………」
「じゃあ、おそろいだ」
 指を絡めて手を握ると、さやかもまた僅かに震えていた。濡れた制服とジャージは、今ランドリーで乾燥している頃だろう。二人の肌を包むのは、簡素な下着と毛布だけ。それ以外のものは、一切存在しない。
「こういうこと、期待した?」
「えっ? え…………っ!?」
「あたしはちょっと、してる……」
 彼女の指が下着の肩紐に触れる。そこから先は、何も言わずとも理解できる。
 できないほど、ほむらは子供ではない。
「さ、さやかさんが…………いいなら……」
「ほむらはどう? してみたい…………?」
 彼女の問いにしばし逡巡したあと、ほむらはおずおずと頷いて見せた。告白から一足飛びの展開だが、ほむら自身とて期待していなかったわけではない。むしろ彼女の悲しみを癒せるのであれば、喜んで身を差し出す覚悟をしていた。
 そうでなければ、無理矢理に唇を奪うようなまねなど、出来るはずが無い。
「んっ…………っく…………」
「んぁっ……!」
 今度の口付けは、深く激しいものだった。
 舌が絡み、唾液が混ざり合い、互いの髪を乱すようにしながらの口付け。
 どこかの恋愛小説で読んだ様な、激しく深い口付けだった。
「んぁ……さやか、さ…………んっ!」
「ほむら…………ん……」
 甘く深く吐息を混ぜあいながら、二人はその指先をそれぞれの下着へと伸ばした。肩紐が指先に触れ、それがずらされ、探る手が留め金を探す。
 でも、それだけ。
 経験の無い二人が他人の下着の留め金を手探りで外すなどという器用な真似ができるはずも無く。
「…………ぬ、脱いじゃおうか……」
「は、はい……」
 身を離し、背を向けて下着を外す。行為の最中でよく見えなかったが、さやかの下着はとても可愛らしいものだった。こんなものが必要なさそうな自分と違い、女性らしい体つきと下着。
 それは本来、自分ではなく上条という幼馴染の為に身につけたものだろう。
「…………さやか、さん?」
 ショーツはどうしようかと逡巡しながら振り向くと、彼女は下着を握り締めたまま小さく震えていた。
 寒さではない、別の何かに。
「ご、ごめん。だいじょぶ……」
「あ、あの…………」
「や、やー……自分で言っといてなんだけどさ、あたしこういうの全然知らないんだわ。だから、適当やったらほむらちゃん傷つけちゃうかなって思ったらちょっと怖くなって……」
 誤魔化しの笑顔が、少しばかり痛々しい。震える肩と泳ぐ視線が物語っているのは、遠慮ではなく恐怖そのもの。それが解ってしまうから、尚のこと見ていられなかった。
 だが、ここで身を引いてしまうのはきっと彼女の心に傷をつける。そう考えたほむらは、意を決して大胆な行動に出た。
「ん!? んんっ…………!」
 半ば強引に彼女の唇を奪い、それから震える手を取って自身の胸に添えさせる。そして支えるように指を重ね、その手のひらに乳房を掴ませた。
 胸に触れた彼女の手のひらは思いのほか冷たく、その温度差に心臓が縮まるような感覚を覚える。しかし慣れてしまえばそこから先に感じるのは柔らかい心地よさと温もりだけ。
 触れ合うことの愛おしさだけ。
「ふはっ…………私、結構丈夫なんですよ……? だから…………」
 長椅子に身を横たえ、彼女の首に腕を回して抱き寄せる。片時でも、一瞬でも、彼女と自分が離れることのないように。その温もりを永遠に感じていられるようにと。
「……うん、ありがと……。でも、痛かったりしたらちゃんと教えて……。無理とか、させたくない…………」
「はい……」
 消え入りそうな声で答えると、さやかの唇は一掬い持ち上げられた髪へと落ちていった。それから額、頬、そして首筋と耳。指は胸を撫でるように動き、時折その先端を擦る。探るように、思い返すようにしながら行われるその行為は、たどたどしくも愛おしい。
「っくう…………ん、ぁっ……」
 喉の奥から自然と漏れる声の艶かしさに、愉悦に歪んだ吐息のいやらしさに、ほむらは思わず口を噤んで声を殺す。
 その声を、もう一人の自分に咎められたような気がしたから。
「やだ……聞かせてよ……」
「ふ…………ぇ…………?」
「ほむらのその声、もっと聞きたい……」
「さ、さや…………きゃふっ! んんぁ!?」
 消え入りそうな声を確かめるより早く、さやかが自身の身体を爪弾く。乳首に僅か歯を立て、まさぐるように背中を愛撫しながら時折爪で擽ってくる。心構えの無い突然の愛撫とくすぐったさを伴った愉悦に、ほむらは思わず甲高い嬌声を上げてしまっていた。
「や、んっ……! ひんっ! ひゃ、あぁ……っ! っくう…………」
 這い回る指と弄ぶ舌と歯。自ら望んだこととはいえ組み敷かれているほむらには何も出来ず、たださやかにしがみつくことしか出来なかった。訪れる愉悦に歪む視界の向こうに、紅潮した彼女の顔と青い髪が見える。抱きしめ、腕を回した身体は既に熱く、自身もまた同様に熱を帯び始めているのが解る。
 本か漫画か、或いは雑誌かで齧った程度の性の知識では到底叶わぬほどの快楽が身を包んだ。そしてそこにある、淫蕩だけではない充実感。肌を重ねることの、抱き合うことの愛おしさを感じて止まない。
 思わず涙してしまうほどの感動と共に。
「……っ! ご、ごめん、きつかった……?」
「ち、違うんです……。嬉しいだけ……だからっ…………」
 零れ落ちた涙に気がついたさやかが、慌てて身を離そうとする。しかしほむらはそれを強く抱き寄せて拒み、口づけをせがんだ。
「ん、んっ……んん……」
「んく、ん、んっ……」
 今度は、ほむらの方が責め立てる番だった。舌に乗せて唾液を送り、深く絡めながらさやかの口腔を愛撫する。指先が背中とお尻を愛撫し、背筋に沿って爪を遊ばせる。指が動くたびに逃げようとする唇を吸い、捩る身体を抱きしめ、その肌に愛撫の色を落としてゆく。
 半ば不思議な出来事だった。
 誰かの手ほどきを受けたわけでもない。予備知識を仕入れていたわけでもない。敢えて言うならばテレビで流れる微妙な濡れ場や小説に僅か現れる隠微な一幕程度の情報。その程度のものしか無いにもかかわらず、二人はそれぞれの身体に悦楽を与えることが出来ていた。
 もちろんそれは稚拙でもどかしく、手練手管を身につけたものからすれば児戯にも等しき行為なのだろう。しかしそれでも、二人はその児戯に酔いしれることが出来ていた。
「ほむ…………んんっ! あ、や……っ!」
 指先だけをショーツの中へ滑り込ませ、尾骨を撫でるように愛撫する。手のひらでわき腹を撫で下ろし、爪の先で撫で上げる。そんな行為の一つ一つに、さやかは敏感に反応していた。
 身をそらせ、くぐもった声をあげ、荒い息を吐き出す。そんな彼女の最後の気遣いを、ほむらは半ば強引に取り除く。
「お、重いよ? ほむら……」
「大丈夫です……。それに、この方が嬉しいから……」
 肘を払うようにしてから抱き寄せ、彼女の重みを全身で受け止める。肌が押し潰され、距離が無くなり、吐息が絡む。
 もともと一つであったものが、元に戻ってゆくような満ち足りた感覚。それが全身を包んでゆく。
「や、その…………でも、えーと…………」
「………………?」
「下着、洗わなきゃいけなくなるって言うか……その…………」
「それなら、私もう手遅れだから……」
 彼女の手を導き、誰にも触れさせた事のない場所を確かめさせる。
 震える彼女の指先は怯えるようにしながらゆるゆるとそこに触れ、そしてごく僅かな水音を立てた。
「……んっ」
「ほむら……すごい………………」
「はしたない…………ですよね?」
「そんなことない。だってあたしも…………ほら…………」
 導かれた指が触れたのは、熱く湿った布切れ。そしてばつが悪そうな、恥ずかしそうな顔をするさやか。
 触れた布地をずらして指をあてがうと、彼女はすぐにくぐもった声と蜜を漏らし始める。
「や、そこ…………! っくぅ!」
 傷つけぬように淡く指を忍ばせ、入口を割り開くようにしながら触れる。小さな花弁から漏れ出した蜜はほむらの手のひらへと滴り落ち、自身の太股へ向かって雫を下ろしてゆく。
 しかしさやかも為すがままではなかった。滑つく蜜を掬い上げた指は、ほむらの小さな粒へと運ばれてゆく。閉ざされた扉を割り開き、探るようにしながら動く指。その小さな動きの一つ一つに、ほむらは短い声を上げ続けてしまう。
「あっ、んっ! んん…………っくっ! さや、…………っきゅ! ひぁっ!?」
「声、綺麗…………ふぁっ、ん……っ……もっと、もっと聞かせて……っ……」
 目を見開いているのに、目の前に居るというのに、ほむらはさやかの表情を見ることすらできなくなっていた。視界は白色に塗りつぶされ、僅か見える部分すら記憶する余裕もない。肺は酸素を欲し、しかし唇は彼女との触れ合いを求め、その二律背反の中で短い口付けを繰り返す。唾液と、愛撫と、雨が齎す三つの水音は最早区別できるわけもなく、空いた左手すら彼女を求めてその背中を彷徨う。
 そして二人は声も無く、どちらからとも無く果てた。
「…………っっ! ……っは! ふぅ…………っ」
「はひ…………ふっ……んぁ…………っ」
 震える身体を支えもせずに抱きしめあい、乱れることも構わずに互いの頭を掻き抱きながら深い口付けを交わす。たったひと時でも、交わらぬ時間があることを惜しむかのように。
「は…………ん、っぷあ……! ほむら、すごい気持ちよかった…………」
「わ、わたしも…………しあわ……んぐっ!?」
 紡ぐ言葉を遮ったのは、深く激しい口付けだった。今更自分の言葉を恥ずかしく思ったのだろうか。彼女は赤い顔を更に赤くしながら、固く目を閉じて唇を重ねている。
「んくっ、んっ! んん……っ! さ、さやかさ…………! ひざ……あたって……ひゃんっ!」
「ふぇ……? あ、ああごめ…………きゃっ!?」
「ひゃゃゃ!?」
 指摘の声に慌てた美樹さやかは、長椅子の上に二人が作り上げたであろう水溜りに見事足を滑らせた。さほど大きいわけでも、安定しているわけでもない椅子の上のこと。結果は考えずとも明らかで。
「うわぁっ!?」
「きゃっ!」
 近くに人が居れば間違いなく駆け寄ってくるであろうけたたましい音と共に、二人の身体は床へと投げ出された。何事か解らぬままに暗転した視界をおずおずと開けば、そこにあるのは互いの顔。
「…………ぷっ」
「………………くすっ」
 数度の瞬きの後、二人は大きな声で笑った。抱き合い、それぞれの頭を撫で、頬にキスをしながら大きな声で何度も。
「洗濯して、シャワー浴びよっか」
「うんっ」
 笑顔のままに頷いた暁美ほむらの表情は、どんな空よりも青く透き通っていた。



「おはよう、まどかちゃん、さやかちゃん」
「おはようまどかー!」
「おはようございます」
「あれ? どうしたの、手なんか握っちゃって」
「ふっふっふ。今日からほむらは私の妻なのだー」
「さやかちゃん、朝から大胆っ!」
「ちなみにまどかは私とさやかの嫁なのだ。大人しくちこうよれーい!」
「ち、ちこうよれいですっ」
「わ、わけがわからないよ二人ともっ!」



 洪水のような光の流れ。その中を暁美ほむらは走り続けていた。
(腕を強く……ストライドを一定に……)
 あの日から恋人同士のような日々を歩んでくれた美樹さやかは、その後の時間軸では一度として現れることは無かった。
(足を上げて……前に踏み出しすぎない……)
 それどころか、美樹さやかは魔法少女としての道を歩みだし、幾度と無く魔女へと変貌を遂げている。
(視線は……前を。目指す場所よりも、更に前を)
 今や美樹さやかはある意味敵のような存在であり、鹿目まどかを魔法少女へと導く要因の一つでしかない。
(それでも、私は……)
 今此処で彼女を見捨て、魔法少女という現実の残酷さを見せ付けた方が、鹿目まどかの契約を阻止できる確率は高い。
(私は…………!)
 ワルプルギスの夜は桁違いに強力で、素より素質の低い美樹さやかは足手まといにしかならない。
(貴女を……助けたい……!)
 理性の全てが告げる。ここで美樹さやかを助ける意味はないと。
 しかし、それでも暁美ほむらは最後の一足を蹴り、宙へと舞い上がった。
(貴女に教わった力で……今度は私が、貴女を助ける……)
 あの日のさやかは、どうなったのか解らない。ほむらが覚えているのは、為すすべなく破壊される見滝原と、魔女の一撃に胸を穿たれるまどかの姿だけ。さやかもマミも、どうなったのか解らない。
 だからこそ、暁美ほむらは、今の美樹さやかを助けたかった。
 その先に待っているのが、絶望だったとしても。
「貴女を、愛しているわ……」
 空色をした彼女のソウルジェムに、暁美ほむらは小さく語りかける。
 枯れてしまった涙を、心の奥で流しながら。

fin



[28077] 夢の終わり
Name: Grace◆727d1582 ID:6ebe33cc
Date: 2012/04/06 20:25
   ――――蕾は、いつまでも蕾のままではいられない。
     ――――さなぎは、いつまでもさなぎのままではいられない。
       ――――少女も。



『夢の終わり』


 契約満了。その言葉の意味を飲み込むのに、佐倉杏子は幾ばくかの時間と多くの説明を要した。
 キュウベエという白い獣が作り出した魔法少女というシステムは、思春期の少女が持つ特別な感情と願いの力を主軸とし、魂を変化させたソウルジェムを媒介として特異な力を顕現する。当然ながら誰でもが魔法少女になれるわけではないし、条件が存在する。
 少女と言う名の、必須条件が。
「君達も薄々気がついているはずだ。自分を取り巻く生活環境や身体成長に伴い、その精神もまた成長していることに」
「つまり、私たちはもう少女ではないということなのね」
「理解が早くて助かるよ。巴マミ」
 確かに、キュウベエの言うとおりだった。例え自分達が否定しても、時間の流れは残酷なまでに規則正しい。例えば巴マミは来年大学受験を控えており、佐倉杏子も進路などを明確にする時期に来ている。周囲の会話もふわふわとした夢物語からより現実味と物質性を帯びた会話へと様変わりしており、中には結婚やそれを前提とした同棲生活などの人生設計を語る者も居る程だ。
 当然ながら自分達もその変化を受けざるを得ない。
 二人はもう、少女ではないのだ。
「聞いてねーぞ。そんな話」
「仕方ないよ。これはとても稀有なケースなんだ。君達のように契約満了を迎えられる魔法少女は実に全体の一パーセントにも満たない。普通は魔獣との戦いで命を落とすか、美樹さやかのように魔力を使い尽くして事象の彼方へと消えてしまうかのどちらかなんだ。そんな稀有な事例を契約時に紹介したら、それこそ詐称と取られかねないからね」
 佐倉杏子は、魔法少女はいつまでも魔法少女のままだと思っていた。今までと同じようにこれからも魔獣と戦い続け、そしていつか事象の地平を越えてさやかの元へとたどり着くのだろうと。
 しかし冷静に考えれば、そんなことはあるわけがない。去年に比べて伸びた身長、等閑なままではいられなくなった乳房と、それに応じて変化せざるを得なくなった服装。それらは全て、少女からの脱却を意味している。
「私は解るのだけど、佐倉さんも同時に満了なのは何故?」
「年齢は関係ないんだ。恐らく巴マミと共に生活している為に、佐倉杏子の精神は少しばかり早く成長しているのかもしれない。感情というものを持たないボクらにはあまり理解できないけれど、その実感は杏子本人が一番明確に感じているはずだ」
 図星を指され、杏子は僅か俯く。
 杏子はクラスメイトの話題にあまりついていけなかった。流行のファッションにも流行の化粧品にも興味が無く、彼女らの語る言葉はともすれば幼稚で、とても共感に足るものではない。故に杏子は、クラスメイトとは心のうちで一線を引いた付き合い方をしていた。
 その一方で、巴マミのクラスメイトや教職員とは良く話した。年上の彼らの方が語り口も話題も全てにおいて落ち着いていて、わやくちゃとすることがなかった。
 恐らくその辺りが、キュウベエの言う成長なのだろう。
「私達の家や生活はどうなるの? あれも願いの力によるものでしょう?」
「そのあたりはボクがきちんと保障するよ。小さな島国のシステムに介入して君達二人に不自由なく暮らせるようにすることぐらい、造作もないことだからね」
 それだけを聞くと、巴マミは小さく頷いて口を閉ざした。だが、佐倉杏子はそうはいかない。
「この街はこれから先どうなるんだ?」
「安心して欲しい。君達の後輩はきちんと育っているし、彼女達は君達と同等かそれ以上に優秀な魔法少女だ。何も心配は要らないよ」
「会うことは出来ないのかよ」
「残念ながら君達はもう魔法の力を手放さなければいけない。ボクや魔法少女に関わることは魔獣に目をつけられることにつながるからね。だからボクも今日を最後に君達とはお別れをするつもりさ」
 事も無げに言い放つ辺り、彼らは本当に感情がないのだろうと奇妙な実感を覚えてしまう。
 どうやら自分達は、今日を境に魔法や魔獣といったものと無関係な存在になるのは間違いないようだ。
「…………最後に、一つだけ教えてくれ」
 ちらりとマミのほうへと視線を向け、それから杏子は重く閉ざしてしまいそうな唇を無理矢理に開く。
「ほむらは…………暁美ほむらは今どうしてるんだ?」
「彼女はまだ魔法少女のままだ。不思議なことに彼女は未だにその力を失う傾向を見せない。以前彼女は時間操作能力を身につけていたらしいから、その辺りと関係があるのかもしれない。でもこれ以上はボクにも解らないことなんだ。何しろ彼女はイレギュラーだからね」
 他にも聞きたいことは山ほどあったのだが、佐倉杏子はそれ以上口を開くことが出来なくなった。
 沈黙を保ち続ける巴マミに急かされているような気がして、仕方がなかったから。
「それじゃ二人とも、ソウルジェムを出してくれたまえ」
 おずおずと差し出す魂の卵は、今も変わらず淡く澄んだ光を湛えている。まるで昨日までと今日からは何も変わらないのだと言いたげに。
 しかし、そのような感傷は感情を持たぬ白い獣には通用しない。差し出されたソウルジェムは、まるで契約時の逆回しでもするかのようにキュウベエの手によって自身の胸の内へと押し戻されてゆく。
 灼熱の感覚を胸に受け、僅か呻く様な声を漏らしながら、佐倉杏子は言い知れぬ喪失感に襲われていた。
 普通の生活、平和な日常。それはかつて憧れ、今まさに手にしようとしているものだ。もう命の危険に怯えることはない。非日常は終わりを告げ、これからは常識に満ちた世界が広がる。
 それは確かに喜ぶべきことのはずだというのに。
「さぁ、これでもうお終いだ。君達は今後ボクの姿を見ることもないだろう」
「何も変わってねーぞ」
「今は君達の脳にボクのイメージを送信して、視覚と聴覚の領域に無理矢理割り込ませているに過ぎない。会話が成立しなくなってしまうと、何かと不便だろうからね」
 言わんとしていることの意味を計りかねて戸惑っていると、巴マミが幻か催眠術のようなものだと注釈を入れてくれた。それでも腑に落ちない部分はあったが、出そうとしても現れないソウルジェムや変身できない己の姿を見れば、なんとなく納得がいく。
「最後に改めて忠告しておくけど、君達はもう脆弱な一般人に過ぎない。空を飛ぶことも武器を持って戦うことも望んだって出来ない。その事を肝に銘じて暮らして欲しい」
「ええ、忠告感謝するわ。それで、これからの事なんだけど……」
 身の振り方や金銭授受の方法など、マミは生活面の細かな部分を質問していたが、杏子はもうそれに興味が無くなっていた。いや、正確にはそんなことにかまけている余裕が無くなったというべきだろうか。
 佐倉杏子には、普通の暮らしというものがどうしても想像できなかった。
 魔法少女になって程なくしての根無し草。親も親戚も頼れるものは無く、今はマミに家事も住居も頼りきっている始末。そんな自分が、今更普通に戻ることなど出来るのだろうか。そもそも普通とはなんなのだろうか。
 考えても考えても、その答えは見つからなかった。
「佐倉杏子。君のほうは質問しなくても大丈夫かい?」
「あ? あ、ああ…………うん。多分平気だ」
 突然のことに生返事で答えたが、何を聞くべきかすら解らない自分にはもとよりどうでもいい話だった。
 それよりもこれからどうやって暮らすべきか。何を目標に生きるべきか。その事の方が何十倍も大きな問題にしか思えない。
 家族を亡くしてから、佐倉杏子は生きることだけが日々の目標だった。明日を生き抜き今日の糧を得る。塒を探し仮初の安息を噛みしめながら眠りにつき、起きればまた昨日と同じように獲物を探す。巴マミの家に居候してからはそれなりの余裕が出ていたが、それでも魔獣を狩って生きる日々には変わりなく、それこそが使命であり生きる意味でもあった。
 しかし、その意味は今この瞬間を持って失われてしまった。
「それじゃ、ボクはこれで消えるとしよう。よほどのことでもない限り君達の前にボクが姿を現すことは無い。改めて、お疲れ様。そしてさようならだ」
「大変だったけど、いろいろと貴重な体験も出来たわ。元気でね、キュウベエ」
「君達も元気で。そして幸せに」
 最後に余りにもらしくない台詞を残して、キュウベエは忽然と姿を消した。音も無く立ち去るそぶりも見せなかったところを見ると、本当に今まで見えていたのは幻なのだなと実感してしまう。
 沈黙を破るように響く、微かな虫の音。まだ九月にもならぬというのに急くように鳴いた蟋蟀の声は、言い知れぬ寂寥感を辺りに振りまいてゆく。
「さてと、帰りましょうか」
「うん…………あ、ちょっとあそこ拠っていこうよ」
「…………そうね。じゃあ行きましょう」



 秋めいた空は少しづつ重さを増し、今にも泣き出しそうなほど暗くなり始めていた。風は冷たく湿り気を帯び、鈍感な者ですら雨の気配を感じるほど。
 そんな重くまとわりつくような空気の中、二人は公園の茂みをかきわけて一本の木の下へと歩み出た。
「…………毎度のことだけど、手ぶらで来てわりぃな……」
 かつて二人には、美樹さやかと言う共通の友人であり、共に戦う仲間だった者が居た。いつも明るく笑い、時々おどけてみせる彼女は良きムードメーカーであり、気の置けない存在でもあった。
 しかし彼女は魔力を使い果たし、その命を存在ごと消滅させてしまった。
 血肉のかけらどころか衣服の一片すらも失われた彼女は、今も表向きは失踪扱いである。また、死とは違う別れ方をしたこともあり、二人は墓を作ることも出来ず、さりとて何もせずでは溜飲も下がらず、この公園の一本の木を選び、そこへ事あるごとに顔を出すようにしていた。
 墓のようで墓でなく、土の下には何もなく、さりとて今生の別れに間違いはない存在。それが二人にとっての美樹さやかであり、こうして足しげく通う場所の意味でもあった。
「彼女が消えて…………もう三年になるのね…………」
 横に並んだ巴マミが、木の葉を一枚摘みながらぽつりと呟く。
 中学生だった自分達は高校に進学し、佐倉杏子は現在巴マミと担任の強い勧めで大学受験へと半ば強引に引きずり込まれつつある。身長も伸び、マミほどではないにせよそれなりに胸も膨らんだ。顔つきも言動も大人びてきたと言われるようになり、そう考えれば魔法少女卒業というのも至極当然のことのように思えてくる。
 しかし、杏子にとってさやかが失われた瞬間は未だに昨日のことのようであり、拭い去れぬ悲しみのままだった。
「………………あいつ、今どうしてんのかな」
「…………笑ってるわよ、きっと。美樹さんはいつも笑顔の人だったじゃない」
「…………………………そだな」
 違う。
 杏子は心の中で小さく否定をした。
 さやかが消える前の夜、杏子は彼女の涙を見ていた。心を寄せた人を親友から奪うことも出来ず、魔法少女としての生き方を選んでしまったことに後悔した彼女の涙を。
 すすり泣く彼女に、杏子は何もしてやることが出来なかった。奪い返せとも男は一人じゃないんだとも言えず、彼女を抱きしめることしか出来なかった。
 そして翌日、少しばかり泣き腫らした目で笑う彼女を見ることが、辛くてたまらなかった。
 あの時、なんと声をかけてやればよかったのか。
 どうすれば彼女を救えたのか。
 考えても、悔やんでも、答えが出ることはなかった。
「ごめんな、さやか。お前のとこにはもう行けないみたいだ」
 勝手に誓った再会の約束を勝手に破り、自分勝手に謝罪を述べる。そんな余りにも身勝手な自分の言動に笑いすら込み上げてくる。
 そんな自分を代弁するかのように、空は音もなく涙を流し始めていた。
「……帰りましょう。風邪を引かないうちに」
「…………そうだな」
 しとしとと降り始めた雨は秋の気配を湛えて冷たく、景色を灰色に包み込んでゆく。
 その様はまるで、絶望に黒く染まる魂の卵のようでもあった。



「今タオル取って来るわね」
「うん、頼むよ」
 マミの家に着いたころには、雨はすっかり本降りになっていた。髪の先まで濡れ鼠になった杏子を玄関に待たせ、マミはタオルを取りに奥へと消える。
「っくしゅっ!」
 残暑厳しい日々が続いているが、雨が降ると急激に気温が下がるあたりは秋も間近だという証拠なのだろうか。
「動かないでね」
 いつの間にか戻ってきたマミが髪留めを外しながら小さな声で言う。されるがままに彼女に頭を預け、優しく丁寧に髪を拭かれる。雨の日のいつも通りの、なんら変わらないやりとり。
 そして、この後のことも、普段の自分達にとっては自然で普通なやり取りのはずだった。
「はい、おし…………」
「まった。ごめん、今日はそういう気分じゃないんだ…………」
「…………そう。じゃあご飯作っておくから、先にシャワー浴びてくると良いわ」
「……ごめん」
 否定し拒絶したのはマミの口付けだった。
 浅く軽く交わされる挨拶のような口付けは日常的なもので、もっと深い行為すらも二人にとってはそれほど珍しいことではなかった。
 それでも、杏子は拒絶せざるを得なかった。
 俯き気味に廊下を歩き、脱衣場で濡れた衣服を脱ぎ捨てる。熱いシャワーを頭から浴び、貼りついた雨を流す。
 しかし心のもやまで流れることは無い。
 杏子がマミを拒絶したのは、美樹さやかの手前だけではなかった。
 普通。
 その二文字が心の中を埋め尽くしていたから。
「杏子」
 彼女の声に、びくりと身を震わせる。
「な、なんだ?」
 彼女にかける、声が震える。
「着替え、ここに置いておくわね」
「ああ、さんきゅ」
 やりとりが、どこかぎこちない。
 それでも、佐倉杏子は耐えなければならないと思った。
 愛する巴マミのために。
 そう、自分に言い聞かせながら。



 それからというもの、佐倉杏子は巴マミをなるべく避けるようになった。いつも一緒だった登下校も昼食も別にし、家にもあまり早く帰らなくなった。ゲーセン、ボウリング、カラオケにファミレス。クラスの友人と遊び歩いては遅くに帰る日々を続けた。
 幸いにして、佐倉杏子にはそうするに足りるだけの友人が居た。心の中で一線を引いていたとはいえ、杏子はクラスの中ではそれなりに人気者であり、それなりに友人も多かった。故に遊び相手に事欠くようなことはあまり無かった。
 しかし、佐倉杏子は巴マミを嫌ったわけではなかった。むしろ日毎に愛情は大きくなり、深夜など劣情のあまり目を覚ましてしまうほど。
 当然だろう。今まで佐倉杏子は巴マミと片時も離れたことなどなかったのだから。
 登下校も昼食も一緒なら、朝食も夕食もほぼ毎日一緒。時には共に風呂に入り、枕を並べて床に着き、眠りに落ちるその間際まで手を握り合って何某かを語り合った。もちろん、寝る間を惜しんで肌を重ねたようなことも一度や二度ではない。
 そしてそれらの行為が、普通ではないことも理解していた。
 普通の娘は、女同士で口付けなどしない。
 普通の娘は、女同士肌を重ねたりしない。
 普通の娘は、女に恋など抱かない。
 それでも、自分達が魔法少女と言う特異な存在であったのなら言い訳も立った。人間ではない、超常の力を使う存在。人ならざるものと戦う、人を捨てたものであったのならば、許される気がした。
 だが、今は違う。
 自分も彼女も、ただの人間なのだ。
 人並みに異性に恋をし、生涯の契りを交わし、子を産み、家庭を持つ。それが普通の人間なのだ。
 ならば、巴マミにもその権利があるはずだ。
 そしてその権利を、自分が阻害してはいけない。
 共に生活をしている時点で、ある意味阻害していると言えなくは無い。しかしキュウベエから与えられる家と生活費は巴マミが管理しており、まだまだ社会的に子供である自分はその庇護の下でしか生活できない。しかし何れはその枷もなくなる。そうなれば彼女は晴れて自由の身なのだ。
 そうしなければ、いけないのだ。
「ついつい、ここに顔出しちまうな」
 湿度が高いせいだろうか。薄く湿る下生えをかきわけて、佐倉杏子はさやかの傍へ腰を下ろす。
 そこに何も無いと知りながら、それでもここにさやかが居るのだと実感しながら。
「…………なぁ、アタシ間違ってるかな」
 答えは無く、音も無い。見上げた空は重く暗く、夕方にはまた雨が降り出すだろう。早めに帰らねば濡れ鼠になる。洗濯物を増やせばマミに迷惑をかけることになる。
 それでも尚、杏子は家に帰りたくなかった。
「家に居るとさ、甘えちまうんだ。ほんとはそのうち一人で生きていかなきゃいけなくなるのに……」
 木の幹にもたれかかり、汚れるのも気にせず目を閉じる。
「あいつ居心地が良すぎるんだよな。背中も肩も任せられる。胃袋の心配もしなくていい。しっかりしてるし、何より大人だよ。アタシなんかよりずっと」
 巴マミは、本当に大人だった。何事においても動じず、段取りがよく、計画的だった。いつまでもだらだらとしていて何もせず、将来のことどころか明日の課題のことすら先延ばしにする自分とは大違いだった。
 だから佐倉杏子は依存した。巴マミという居心地の良い存在に。
 杏子は、もともとさやかに特別な感情を抱いていた。彼女と親友に、出来ればそれ以上の関係になりたいとおぼろげに考えていた。
 しかし、美樹さやかには心に秘めた人が居た。そしてそれが叶わぬが故に、彼女は虚空へと消え去った。
 夢に、思いに、希望に諦めをつけた魔法少女は消えてしまう。それがキュウベエから聞いていた契約の代償。その代償を払ったのが、美樹さやかだった。
 杏子は悔いて嘆き悲しみ、そしてそれを悼む碑すら作れぬ自分を恨んだ。
 ほんの僅かにでも彼女の失恋を喜んだ自分を嫌悪し、そしてそれらの折り重なった悲しみから逃れるように、佐倉杏子は巴マミに依存した。
 マミは全てを受け入れ、許してくれた。そして自分を家族同然のように扱ってくれた。
 もちろん、そこにはマミからの依存もあった。
 家族を全て失った自分が、仮初の家族として佐倉杏子を迎え入れ、ままごとのような事をして己の空虚を紛らわす。それがある日彼女が語った、佐倉杏子への依存だった。
 お互いに望んでも手に入らないものを欲し、そこから逃れる為に相手を利用し、凭れ掛る。そんな持ちつ持たれつの関係こそが、マミと杏子の真の姿だった。
「失礼。先客が居るとは思わなかったわ」
「ほむら……! お前どうして!」
「友人の消失を悼む気持ちは私にだってあるわ。それとも、そんなに意外?」
 抑揚の無い声、冷めた眼差し、皮肉めいた口調と仕草。そこに居たのは、紛れも無く暁美ほむらそのものだった。
 かつての自分のようにパーカーを纏い、いつものようにあまり似合わないリボンを髪に結びつけた彼女は、静かに木の幹へ向かって手を合わせる。
「なんでまた、今の時期に」
「たまたま近くへ寄ったからよ。それより貴女こそどうしてこんなところに? 早く帰らないと雨が降るわよ?」
 身長こそ伸びはしたものの、彼女はあの頃と何一つ変わっていなかった。自分がさやかを失い、巴マミと同棲をはじめ、卒業直後にほむらが突如姿を消した、あの頃と。
「アタシのことはいいんだよ。それよりさ、ちっと時間あるかい?」
 視線だけで何故かと問うて来る彼女に、佐倉杏子はまぁ座れと手振りだけで答える。そして半ば呆れ気味に木陰へ腰を下ろした彼女に片手を上げて礼を伝えてから、杏子は小さく口を開いた。
「なぁ、普通って何だと思う?」
「…………何か悪いものでも食べたの?」
「…………相変わらずだな、お前」
 昔と何ら変わらない冷たい返しを聞きながら、杏子はこれまでの経緯をゆっくりと話した。マミと同棲を始めたこと、それなりに良い仲になったこと、高校に進学したことや大学へ行けと迫られていること。
 そして、魔法少女では無くなったことも。
「それで、普通とは何かなんて考えていたのね」
「そんな感じ。なんかこう……どうしていいかわかんなくなっちまってさ……」
 自ら話を振っておきながら、杏子は下生えをむしったり木の葉を摘んでちぎったりと手遊びを繰り返していた。
 そうでもしなければ、話す事などできなかった。
 巴マミは、かつて暁美ほむらを妹のように慕っていた。彼女を助け、事あるごとにかまい、庇い、そして一つ屋根の下で夜を明かしたこともあった。
 二人が唇を、或いは肌を重ねるまでに至っていたかは、佐倉杏子には知る由も無い。ただ一つだけ確かなことは、彼女は自分達にとって因縁浅からぬ存在であるということだけだ。
「あなたが普通を求めるなんて、思っても見なかったわ」
「一応、成長したってことにしといてくれよ」
 苦笑に近い笑顔を見せるほむらに、杏子もまた苦笑を返す。
 恐らく昔の自分ならば、食って掛かって彼女の襟首を掴みあげていたことだろう。真剣に話してるのに、そんな態度は無いだろうと殴りかかっていたかもしれない。
 しかし佐倉杏子は知ってしまった。争うことの虚しさも、正義の脆さも、正論の無意味さも。
 そしてそれこそが、成長するということなのだということも。
「普通が何かなんて私には解らないし、私に聞くのがそもそも間違いだと思うけど。それに贅沢な悩みよ、それ」
「なんでさ」
「だって貴女達は、もう魔法に頼る必要が無いじゃない」
 魔法少女は弥が上にも魔法に頼って生きていかなければならない。自分の命を支えるだけでも魔法の力を必要とするし、その源を得るためには魔獣を狩らなければならず、そして魔獣は魔法の力によってのみしか倒すことが出来ない。それこそが魔法少女に課せられた願いの代償であり、キュウベエが作り出した魔法少女というシステムの基幹となるものだった。
 願いの奴隷となり、幻想の枷を嵌められるのが魔法少女だとするならば、確かに佐倉杏子は幸せだと言えなくも無い。だが、それが日常であり価値観の主軸になっていた彼女にとっては、あまり喜ばしいことではなかった。
「それに、魔法少女で無くなったことと貴女の悩みは関係なく思えるのだけれど」
「どういうことさ」
「貴女が悩んでいるのは、巴マミとの将来についてでしょう?」
 図星を指され、杏子は言葉を詰まらせる。
「どうしてって顔をしてるわね。簡単なことよ。今にも雨が降りそうなのに貴女は帰る気配を見せてなかった。同棲している上に共通の友人ならマミと共に来ているのが普通のはず。それに、貴女の独り言は明らかにマミに向けられたものだったわ」
「聞いてたのかよ……!」
「聞こえたのよ。別に潜んで耳を欹てていたわけではないわ」
 呆れたような冷たい溜息に、杏子は頭に血を上らせた。やにわに立ち上がり、顔を赤くし、ともすれば泣き出しそうな顔で暁美ほむらを見下ろし、そして睨みつける。
 しかしそんな杏子の憤りなどどこ吹く風。ほむらはふぃと視線を逸らし、言葉を続けた。
「怒るってことは図星なのね。だったら、やっぱり私が答えるべきことではないわ」
「喧嘩売ってんのか!」
「なら一つだけヒントをあげるわ。何故貴女と彼女が同時に魔法少女を卒業することになったのか考えなさい。その理由を自分だけにあるのだと考えているなら、それは大きな間違いよ」
 なぞかけのような彼女の言葉に、佐倉杏子は歯噛みしながら頭を巡らせた。ここで怒りに任せて怒鳴りつけては、負けを認めたことに為りかねない。それだけは杏子のプライドがどうしても許さなかった。
 彼女の言葉を一つ一つ噛み締め、その意味を探ってゆく。魔法少女を卒業するというのは、少女ではなくなるという意味だ。キュウベエは自分に対して成長が早かったからマミと同時に卒業することになったと言った。ではマミの側に何らかの理由があった場合、どうなるのだろうか。
「…………なぁ、何でお前は未だに魔法少女のままなんだ」
「私にはまだやるべきことがあるわ。キュウベエはそれを夢物語だと言ったけれど、私にとっては真実で為すべき事。それを終えるまでは魔法も希望も捨てたりしない」
 意志の力。或いは思いの力とでも言うべきだろうか。明美ほむらはその力を以って己を魔法少女たらしめているのだと言う。それはともすれば、子供の我侭であるとか、意固地さであるとも言える。
 もし、同じような理由で巴マミが踏み止まっていたのだとしたら。
「まさか………………」
「言ったはずよ。私に聞くべきことではないと」
 急激に血の気が引くような感覚に襲われる。いつの間にか降り出した雨は次第にその強さを増し、辺りを灰色に染めてゆく。確信が驚愕に変わり、後悔と恐怖に押しつぶされそうになる。
「で、でも…………マミは…………何も…………」
「言えなかったのよ。大方貴女が勝手に三行半みたいなものを突きつけたのでしょう? それに食って掛かれるような子供だったら、まだまだ魔法少女のままで居られたはずよ」
 佐倉杏子はいつの間にか走り出していた。さやかにもほむらにも別れを告げず、家へ向かってひたすらに。
 どうして気がつかなかったのか。そんな簡単なことは浮んで当然の考えだ。そんな言葉を何度も何度も繰り返しながら。
 降り注ぐ豪雨が視界を狭める。前髪から垂れる雫が顔を濡らし、張り付いた衣服が動きを奪う。魔法が使えればもっと早く走れるのに。魔力があれば屋根を飛んで渡る事も、雨から身を守ることも出来るのに。そんな考えが浮んでは消えてゆく。
 巴マミは、杏子と言う存在によって少しばかり長く魔法少女としての時間を歩まねばならなかった。そしてもし、自分と同じ感情と理由をもっているのだとしたら、巴マミは杏子の為に魔法少女であり続けようとしていた。
 そこに確証は無い。しかし仮説が正しければ、マミは杏子のせいでより長い期間命を危険に晒し続けていたことになる。
「マミ……!」
「よかった。やっぱりあそこに居たのね。傘を持っていなかったと思ったから、ちょっと様子を見に……」
「なんでだよ………………!!」
 杏子の怒声は、降り注ぐ雨によってかき消されたのだろうか。正面に立つマミは不思議そうな顔で此方をじっと見つめている。
「どうしたの? 一体……」
「あたしのために…………魔法少女を続けてたのかよ……!」
「誰かに何かを聞いたのね……」
 寂しくも悲しい笑顔は、肯定の笑顔。そしてそれは、杏子にこれ以上ないほどの後悔を与える笑顔だった。
「なんでそんなこと…………」
「決まっているじゃない。愛してるからよ」
 あまりにも意外な答えに思考が停止する。自分達は、少なくともマミにとっての自分は依存の対象でしかなかったはずだ。心の空虚さを埋めるだけの、代用品のような存在。自分である必要性はかけらも無く、より良い存在があればいつでも取り替えられてしまう。そんな存在だったはずだ。
 しかしマミは言い切った。
 愛しているからだと。
「一年前にキュウベエに言われたわ。そろそろ魔法の力を手放してもかまわないって。それだけの働きをしたから、もうそれに囚われる必要は無いって。でも私はそれを拒んだ。貴女と共に戦いたかったから」
「危険なのは解ってたじゃないか……! いつか普通の生活に戻りたいって…………」
「ええ、願ったわ。でもそれは貴女と一緒じゃなければ、意味がないの」
 視界を歪ませたのは涙か雨か。街路樹は風もないのに揺れ、アスファルトを打つ雨は水煙を僅か撒き上げる。
 傘の下で、マミは涙を流していた。寂しげな笑顔のままで、雨に濡れたようにぽたぽたと雫を落としながら。
「貴女にこの事実を知られたくなくて、私は貴女に嘘をついた。人間に戻った貴女は私を避けるようになったけど、それは普通の人間としての暮らしがしたかったからなのだと諦めをつけた。貴女が幸せであること、友人に囲まれることを喜び、いつか紹介してくれる大事な人も、私は受け入れるつもりだった。でも、そんな決意とは裏腹に日増しに貴女への想いは強くなっていった。当然よね。自分を誤魔化していたのだから」
 笑顔のままで泣く彼女の表情は、美樹さやかのそれに良く似ていた。
 己の恋を諦め、自嘲しながら笑う、消える直前の彼女の表情に。
 気がつけば、杏子はマミを強く抱きしめていた。背中に手を回し、胸に顔を押し付けるようにしながら、濡れることも構わずに強く強く。
 手を離せば、彼女は消えてしまうような気がした。かつてのさやかのように、虚空へと消え去ってしまうような気がして、たまらなかった。
 そして杏子は、年甲斐もなく大声で泣き叫んだ。雨にも負けないほどの声で、長く強く、そして激しく。



 髪の先まで濡れた自分を抱きしめたせいか、激しい雨の中を一本の傘に寄り添いながら帰ってきたせいか、家に帰り着く頃には巴マミもすっかり濡れ鼠になっていた。
「今タオル取って来るわね」
「うん、頼むよ」
 あの日と同じやりとりをして、巴マミは奥へと消える。玄関には自分の身体から滴り落ちる雫が広がり、あの頃よりも深まった秋が身体を急速に冷やす。
「っくしゅ!」
 自分の隣には、同じように雫を落とす傘が一本。目の前には、中までしっかり雨が滲み込んだ巴マミの靴が一揃い。
「動かないでね」
  いつの間にか戻ってきたマミが、髪留めを外しながら小さな声で言う。されるがままに彼女に頭を預け、優しく丁寧に髪を拭かれる。雨の日の昔の通りの、変わらないやりとり。
 そして、この後のことも。
「はい、おし…………んっ……」
 髪を拭いた後のマミを捕まえ、杏子は深く口付けをした。まだ濡れている彼女の頭を撫で、首筋を引き寄せて長く。
 そして深く。
「っく…………ん、んっ…………!」
 漏れる吐息も構わず、杏子は幾度となく舌を絡めた。
 傍らの傘が倒れ、濡れたマミの靴をさらに濡らしてしまうことすら構わずに。



 冷えた身体に熱い湯が心地よい。髪の毛は丁寧に洗われて元の美しさを取り戻したし、冷たくなった骨も濡れた肌も、生まれ変わったかのようにさっぱりと、そして温かみを取り戻している。
「まだ湯船少ないな……。やっぱり無理があったんじゃないか?」
「そんなことないわよ。ほら入って入って」
 今の今まで自分を甲斐甲斐しく世話していたマミに促され、まだ半分程度にしか張られていない湯船に無理矢理身体を沈める。
「そっち詰めて……うん、ちょっと腰上げてくれる?」
「無茶するなぁ……」
「いいじゃない。ふふ…………ほら、丁度よくなった」
 確かに湯船は丁度よくなったように見えるが、自分の姿はまるで母親に抱きかかえられて風呂に入る幼子のようで何やら釈然としない。
「重くないのかよ……」
「全然。杏子ちゃん軽いじゃない」
 自身を強く抱きしめ、頬擦りを繰り返す巴マミ。此方からは窺い知れぬ彼女の表情が、まるで子供のようにはしゃいだものになっていることは想像に難くない。
「全く……どっちが年上なのやら」
「あら、私が杏子ちゃんと一緒に魔法少女を卒業したの、もう忘れたの?」
 なるほど、そういうことか。と心のうちで呟きながら彼女に身体を預けて溜息を吐く。
 巴マミの魔法少女卒業が遅れた理由は、何も杏子にだけ存在するわけではない。彼女の内にある子供のように純粋な恋愛感情も、その理由の一助なのだ。
「つめたっ!」
 安堵に緩む思考と意識を、天井からの雫が叩く。だが、それは一つの皮切りにすぎなかった。
「だめよ、もっとしっかりあったまらないと」
「な、おい……ちょっ……んぁ!」
 水滴に身を震わせた杏子の肌を、マミの指先が滑ってゆく。彼女の唇はいつのまにか自身の耳朶を捉え、指先が胸をまさぐる。
「芯まで暖めてあげる……」
「や、こら……きゃふっ!? んんんっ!」
 身体はマミに支えられていて、彼女が居るのは背中側。為す術などあるはずもなく、杏子はその指先の動きを一つも阻むことが出来なかった。
 胸の先端をまさぐられ、腹を撫でられ、首筋に舌を這わされる。それらの行為は、二人の間では決して真新しいものではない。幾度となく繰り返された情事の中の、数え切れぬほど行われた仕草の一つでしかない。
 にも拘らず、杏子はまるで初めて触れられた時のような感覚に襲われていた。
「ひぁ! あっ……ん、んぅぅっ…………! んっく…………ぅ……! ふぁ……!」
 身を捩り、強張らせながら愉悦を受け止める。花火のような輝きが頭骸骨の裏側で弾け、自身が発する声すらもまともに聞き取ることができない。なのに湯面が波立ち、湯船からこぼれてゆく様だけは異常なまでにはっきりと認識することが出来る。しかしそれもほんの一時のこと。下腹部に伸びた彼女の指が僅か深い部分へと潜り込んだ瞬間、それらの知覚情報は全て寸断された。
「――――――っ!!!」
 なんと声をあげたのだろう。そんな疑問が一瞬浮んで消え去る。
 彼女の指が内壁を擦り、小さな粒を揺らす。拒むように添えた自身の手すらも巻き込んで、執拗に内股をまさぐる。そんなマミの一つも新しくない愛撫に、杏子は翻弄され続けた。
「愛してるわ、杏子」
 耳元で呟かれた、かすかな一言。その小さな呟き一つで、杏子は声もなく果てた。全身を発作のように震わせ、彼女の腕を強く握りながら。
 心の奥底まで満たされ、それでも尚欲し続ける淫らで欲深い自分を認識しながら。
「…………ベッド、行きましょうか」
 彼女の小さなささやきに、杏子は躊躇いもなくゆるゆると頷いた。



「で、どうしてこうなるんだよっ!」
「あら、そんなに珍しいことしてないじゃない」
 頭上で腕を縛られ、ベッドに転がされた杏子は噛み付くように巴マミに抗議した。しかし残念ながらそのような激しい剣幕はまさに暖簾に腕押し。巴マミには一切通じる気配もなく、悠々と圧し掛かるその笑顔は憎たらしいまでに朗らかなまま。
「そうじゃなくて……! アタシはその……普通に…………」
「普通なんていつでもできるわよ。今は杏子に教えてあげたいの」
 くすぐるように胸元を這う指先に、思わず小さな吐息を漏らす。そしてその隙に近づいた彼女の顔が、耳元でそっと囁いた。
「魔法なんかなくても、何も変わらないって」
 言葉の真を確かめるより先に、彼女の顔がするすると遠ざかって行く。
 確かに、巴マミは魔法少女であった頃にリボンによる拘束を得意とし、戦闘だけでなくこうした行為の最中にも幾度となく杏子の視界や自由を奪った。しかしそれが今の束縛と一体何の拘わりがあるのだろう。
「足、開いて」
 口に出さずとも解っているはずの、問いかけの視線をあえて無視するかのように、マミは杏子の膝を割り開く。そんな彼女の行為に何の抵抗も出来ぬ自分を情けなく思い、同時にそこに感じる安堵感を嬉しく思う。
 彼女の言うとおり魔法など無くても何も変わらないのかもしれない。こうして感じる愛情は、魔法の産物などではないのだから。
「んく…………っ」
 小さな吐息と共に、彼女の唇がそっと秘芯に触れる。添えた指が花びらを開き、まだ薄い茂みを柔らかく梳く。
 ぞわり、ぞくり、びくり。
 幾つもの感覚が杏子を襲い、そして消えてゆく。
「はっ…………ぁ……! ま、マミ……っ!」
 拒絶か、懇願か、はたまた恋慕か。漏れた言葉のその意味は、本人すらも知る由は無い。自身へ押し込まれる舌の感触が意識を支配し、肉芽へ繰り返される愛撫が理性を消し飛ばす。拘束された腕は本当に何かで固定されたように頭上から下ろすことができず、その僅かな不自由さがより愉悦を高める。
「マ…………ミ…………っ! ん、んくぅ! あ、あぅっ……」
「一回いったら、解いてあげるわ……ふふっ」
 言葉と共に侵入してくる指先は、風呂場のときよりもより深く激しく内壁を擦り、襞をかき分けてゆく。奥の奥の、最も深い部分まで突かれそうなほどに、深く激しく。
 他の誰に触れられても、これ程の愉悦は感じないだろう。例えばマミほどではないにせよ、同じく細く長い指をした暁美ほむらに同じ事をされても、今のように衣擦れの音を撒き散らして乱れることは無いに決まっている。
 そして、それがさやかだったとしても。
「ぃ…………ぁ、だ、だめ……っ! も、……い、ふぁ…………っ」
「我慢しないで……」
 擽るようなささやきと激しい愛撫に、杏子は声を殺して達した。口を噤み、歯を噛みしめ、叫び声すら上げそうになる快楽の中で、それこそが唯一の抵抗だと言わんばかりに。
「もう……声聞きたかったのに……」
「あ…………アタシひとりなんて………………は、はずかし…………ん、だよ…………っ」
 整わぬ息のまま不服を述べるマミに答えると、内腿を流れ落ちる蜜をもったいないと言わんばかりに舐め掬っていた彼女は、小さく笑みを浮かべながら肌を寄せてくる。
「一緒だったら、聞かせてくれるの?」
「…………そう思うなら解いてくれよ」
 杏子の要求に何も言わずに答え、マミは擦り寄るように肌を寄せて抱きついてくる。その甘えたような仕草を見ていると、先程まで人の腕を拘束し、深く激しく責め立てていた人物は果たして誰だったのであろうかと疑いたくなってしまう。
「…………ったく」
「ん……? どうかした?」
「なんでもない」
 小さく悪態をついてから深く口付ける。手順を踏むようなことはせず、舌を絡め、唾液を混ぜあい、唇を吸い、雫を零し、糸を引きながら幾度となくくり返しくり返し。
 それはまるで、今までの空白を埋めるかのような行為。
「はくっ…………ちゅ、ん…………っく! んく、ん」
「んぐっ……ん、んぅ、んむっ……んは……っ」
 キスを繰り返しながら、二人は互いの胸に手を伸ばした。乳房に手のひらをあてがい、先端を指先で転がす。決して激しくない小さな刺激だが、二人は敏感に反応していた。
 マミは杏子より少しばかり体温が低かった。冬のある日などは握った手のひらから体温を奪われるのではないかと思ってしまうほどに冷たく、妙な心配をして彼女の指先をずっと擦っていたこともある。
 しかし今は、彼女の温もりが暖かく心地よくてたまらない。彼女に触れられ、抱きしめられる度に身体の奥から温もりが生まれるような気がする。
「マミ……っ」
 足を絡め、強く抱きしめる。指一本髪一束でも多く、彼女に触れたくてたまらなかった。
「どうしたの……?」
「あ、アタシも……………………その……………………」
 喉元まで出掛かった言葉が搾り出せない。彼女の顔を前にすると、その言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。
 それでも、言わなければならない気がした。
 今伝えなければ、一生後悔するような気がした。
「…………………………あ、愛してる……」
 蚊の鳴くような小さな声。衣擦れの音に紛れてしまいそうな、そよ風一つで吹き散らされてしまいそうな小さな声。
 それでも、巴マミにはしっかりと伝わっていたようだ。頬を赤らめ、目を見開き、杏子をじっと凝視する。まるで信じられないとでも言いたげな表情で。
「な、なんだよ…………」
「驚いたわ……そういうこと言わない人だと思ってた……」
「わ、悪いのかよ……」
「いいえ」
 その一言とほぼ同時に肩を掴まれ、ベッドに仰向けにされる。それからマミは覆いかぶさるように杏子の上に跨り、じっと視線を絡めてはっきりと答えた。
「私も愛しているわ。杏子」
 たっぷり三秒待ってから、杏子は汗を噴出しそうなほどに頬が熱くなるのを感じた。今すぐ此処から逃げ出したい。一秒たりともこの茹蛸のように赤いであろう顔を見られたくない。しかし残念ながら身体の自由はすっかり奪われてしまっていた。
 拘束されていたわけではない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、動けなかったのだ。
「い、いきなりお前…………そんな……!」
「最初に言い出したのは杏子よ。ふふっ」
 小さく笑い、啄ばむようなキスを繰り返す。肌を合わせ、マミの重みを感じながら。
 一度抱きしめられれば、もう逃げようなどという気はさらさら無かった。むしろ彼女の温もりが愛おしくて、彼女の身体を強く強く抱きしめた。
 静かに首が動き、マミの唇が杏子の首筋に宛がわれる。言葉はなく、代わりに舌先で突くその感触に答えるように、杏子は小さく首を傾げて彼女の唇を受け入れる。
「…………っ」
 甘い痛みが脳髄を痺れさせ、柔らかい舌の愛撫に身が震える。
 それと同時に、自身の秘所から蜜が溢れるのがわかる。
「杏子…………」
 離れた唇が小さく囁くのを聞いて、杏子は首を僅か浮かせてマミの首筋に吸い付く。歯を立てぬように、しかしはっきりとした証をつけられるように強く。
 耳元で漏れる吐息。小さく軋むベッド。石鹸とシャンプーと入り混じった彼女の匂い。それらを胸に吸い込みながら、杏子は彼女の首筋に証を残した。
「ね…………杏子……。もう我慢できないわ……」
「あ…………、う、うん…………」
 言葉の意味を察し、足を開いて身体を少しずらす。膝を割ってくるように滑り込む彼女の足に自身の足を絡め、蛇が絡みつくように身体をくねらせる。
「マミ……」
「杏子…………」
 僅か首を傾げ、唇を重ねながら腰を動かす。彼女の足を抱えるようにしながら内股へ擦りつけ、同時に軽く膝を立てて蜜を湛えた花弁を愛撫する。
「んっ、んんっ! んんぅ…………っ!」
「んく、んっ……ん、ん…………んむっ……」
 不自然な呼吸に軽く苦しさを覚える。無理な体勢に首が痛む。それでも杏子は彼女を、彼女の唇を離したくなかった。しがみつくように腕を絡め、まさぐるように背中を愛撫しながら、杏子は強く激しく彼女を求めた。
 雄と雌のように、何かを組み合わせるようなことは無い。生産性もなく、それを正常だと認められることなど何一つありはしない。それでも、二人はまるでそうすることが自然であるかのように、元は一つのものであったかのように、深く身体を重ねあった。
「マミ……マミ………………っ」
「きょ…………ん、んはぁっ……!」
 肌を通じて心を重ね、唇を通じて大切なものを与え合う。背徳の行為も、二人にとっては子を成すよりも神聖でかけがえの無い儀式だった。
 いや、正確には今日この日この時をもってそうなったのだ。
「マ…………抱いてっ……強く、強くっ…………!」
「杏子……きょ……ぅ…………ふはぅっ!」
 切れ切れの声を漏らしながら強く激しく抱き合い、二人はそのまま果てた。朦朧とする意識の中で互いの存在にしがみつくようにしながら。激しく身を震わせながら。
 ばさりと大きな音を立てて、ベッドから夏蒲団が落ちる。気がつけば整えられていたはずの寝具はあちこちがめくれ、皺がより、枕すらも明後日の方向を向いている。
「…………ふふっ」
「……ぁははっ」
 顔を見合わせ、笑いあい、それから唇を重ねる。甘く深く、ゆったりと。
 それから二人はもう一度視線を合わせた。
「これからも、よろしくな。マミ」
「こちらこそ、末永く宜しく。杏子」



「杏子ー、カラオケ行こうよー」
「悪ぃ、今日はちょっと用事あるんだ」
 クラスメイトの誘いを断り、杏子は教室の外で佇むマミの元へと駆け寄る。
 あれから、杏子は少しだけ付き合いが悪くなったとクラスメイトに突かれ、同時に巴マミとの関係をやっかまれた。
 最初にその関係がばれた時、杏子は学校で孤立してしまうのではないかと少しばかり心配していた。しかしそれは杞憂でしかなく、むしろ友人達は憧れの上級生である巴マミと、学級内の妹的存在だった佐倉杏子の交際を少々の妬みと共に祝福した。
「おまたせ」
「お疲れ様」
 発覚したのは屋上でのランチ風景と登下校を目撃されたことで、それまでも仲が良いな程度には疑われていたらしいが、二人の間に恋愛感情的な何かが見えたのはここ数日のことだと、仲の良い友人はそう囃し立てた。
「お弁当、美味しかった?」
「美味かったけどさ……、ハートマーク描いたりすんのやめろよな……」
 今日はマミのクラスが家庭科実習だった為、杏子はクラスメイトとのランチとなったのだが、ご飯の上に描かれたハートマークに一時教室が騒然となるという事件があった。
「お昼別々になっちゃうから、愛情たっぷり込めてみたの」
「おかげで昼休みは質問攻めだよ…………」
 深く溜息を吐き、カバンを持ち直す。
 確かに弁当は美味かった。おかずも杏子の好みばかりで、それでも栄養バランスを考えられた素晴らしいものだった。加えて材料費もそう高くなく、それほどの手間もかかっていないと言う。
「やり返してくれてもいいのよ?」
「あたしがお握りぐらいしか作れないの知ってるくせに……」
 しかしながらそれはマミの主観によるものであって、まるで料理の出来ない杏子にはテストで満点を取るぐらいの難易度。仕返しなど土台無理な話なのはマミすらもわかっている事だ。
「お弁当じゃなくても、愛の示し方はあると思わない?」
「そういうことを外で言うなっつの!」
 小さく囁かれる言葉に耳まで赤くなり、語気を荒げてマミに反論する。
 しかし残念ながらそれよって視線が集まり、杏子は更なる羞恥を自ら招き寄せてしまう。
「ふふっ……はいはい」
「ったく…………そういうのはベッドの上だけに…………っ!」
 何気なく言いかけた一言に慌てて口を噤み、教室の廊下を駆け出す。静止を促す教師の声も無視して、マミすらも振り切って。
 下駄箱まで走り、僅か乱れた息を整えながら靴を履き替えて空を見上げる。青い空は四人で戦ったあの時よりも高く綺麗に澄んでいて、もし空の彼方に誰かが居ても、自分のことがはっきりと見えてしまうのではないかと思うほど。
「はぁ、はぁ…………もう、置いていかないで」
「いい天気だな……マミ」
 ぽつりと呟いた杏子の傍らで、マミが静かに空を見上げる。
 あの時よりもずっと大人びた、自分よりももう少し落ち着いた顔で。
「あそこ、寄っていきましょうか」
 彼女の言葉に、杏子は小さく頷いた。
 今日ぐらい、花か何かを買って行っても良いかもしれない。彼女の好物でも一緒に持って行って、彼女の前でマミと食べるのも良いだろう。
 そんなことを考えながら、杏子はマミの手を取った。

fin


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