・ホットドッグマンが女の子にホットドッグを食べさせるお話です。
・中二注意。
・おだてられた豚は木から落ちて死ぬので、過度な期待は禁物です。
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とある地方都市の夜。住宅街といっても、過疎が進んでいるせいか、周囲には誰もいない。世界から切り離されたような不気味さを与えている。
そのなかを一人の少女が顔をぐしゃぐしゃにしながら「それ」から逃げていた。
一目見ただけでその異形の存在感に圧倒された。そして、それの邪悪を本能的に悟った。
体躯自体はさして成人男性と変わりはない。
少し痩せ気味であり、おおむね身長も平均程度。
体躯自体は、である。
異様さの正体は体躯の上にある「ソレ」だ。
逃げながら少女は心の底では絶望していた。その行動が無駄であることを知っていた。
今まで見た怪物のなかでも、とびきりの怪物。テレビのなかでも、空想のなかでも、これほどの圧倒的な存在感を放つ怪物を目の当たりにしたことはなかった。
あんな化物と相対することなんてできるわけがない。――などと乱れ切った息のなかで頭は空回っていた。
息が切れてきた。足の疲労はさっきから限界に近い。もう駄目だと思った。足を止め、呼吸を整えようとする。
最後の勇気のひと欠片を振り絞って、キッと「ソレ」を睨みつける。
それは彼女の全力疾走にも関わらず、すぐ後ろに電灯の光を浴びて仁王立ちしている。
首から上がホットドックの怪物がそこにいた。見間違えは無い。
人の全身程はありそうな巨大なホットドックが横になって、首があるべきところについている。
それが生物であることを伺わせるのは、僅かにパンの部位の脇に、申し訳程度についている「目」のみ。それはあたかも何らかの魚類を思わせた。
何もかもが作り物を思わせる形態のなか、そのギョロリと飛び出ている目だけがやけに生々しく、小刻みに振動しながら中心をこちらに向けている。これがただのオブジェでないことを示していた。
こいつは危険だと、五感が告げる。
圧倒的な恐怖が全身を支配する。私の家業は妖怪退治――妖怪のできそこないの退治ならば、何度もやってきたのだ。腹をくくる。目線を外さないで、睨みつけた。
朗誦の手順を頭の中で再現する。
もしも勝てるのだとしたら――いや、逃亡ができればそれで全く構わない。お互いの手の内を知らないであろう、その一瞬のみ。持っている手札の中から一番のモノをブチ込み、その隙に逃亡するしか無い。
「僕は――」
ホットドックの怪物が話しかけてきた。理性の存在、それはかえって厄介だ。息を飲む。
「ちょっと、どうして逃げるのです。私はあなたに危害を加えるつもりはないのです」
バケモノは両手を上げて、攻撃の意志が無いことを示そうとしている。警戒を解くつもりはない。一歩距離をとる。
「ただ、あなたのお腹が空いているようだったので、僕のホットドックを食べなさい、と声を掛けようとしたら……」
どこから声が出ているのか。口と思しき箇所は無い。念話か、魔術の類か――
奴は一歩踏み込んでくる。わずか一歩だけで、気温が一度に下がったような圧迫感を受ける。
やはりただものではない。口がカラカラになっていくのを感じる。全身の血管が収縮してゆく。血液の循環する感覚、心臓の鼓動の音が耳にまで伝わってくる。少しでも気を抜いてしまったら、一歩も歩けなくなる――圧倒的な緊張が、全身を支配した。
「さあ」
更に敵は一歩距離を詰める。
「僕のホットドックをお食べ――」
ああ、こんな奴に攻撃なんてできるわけがないじゃないか。自分の精神に残ったものは、もはや純粋な恐怖だけだった――その時、心はぽっきりと折れた。
猛獣を、自分の力の範囲を完全に凌駕する存在に、人間はどうして立ち向かうことができようか。
最早、そのホットドッグの怪物は、全き、「死そのもの」の具現、恐怖そのものだった。そんな人間の理知の埒外にある「モノ」に対して、人間は哀れにも命を乞うしか無かった。
「い、嫌ぁ……助けて……お願い……」
更に一歩近づいてくるだけの化物を目の前に、自然と体が崩れ落ちる。
せめて、楽に死にたいと、そう願った。
取り乱した私を目にして、化物は大慌てで頭を下げ、早口で何やら弁解を始めた。
私よりも遥かに激しく動揺したそいつを見て、ひょっとすると、私の壮絶な勘違いなのではないかと、やっとそのときになって気が付いた。
とある魔女から、人間の技術を使い魔に学習させたいとの依頼があったらしく、祖父がお前ちょっと行って来てくれ、と、夜の公園で待ち合わせていたら、怪物が現われた。
「見た目は人間みたいなモノ」というように聞いていたが、全然ちがうじゃん。
その使い魔とは、実はこいつでした、というオチでした。
使い魔、魔女から魔力を供給されることによって生存する、魔女の手足――何とも奇怪な趣味をした魔女だ。
最悪の第一印象。
もちろん、お互いに、である。こちらは人間代表としての権威と威厳を早々に失い、向こうは早々に印象を悪くした。
今は少なくともこいつに権威を見せないといけない。髪の毛をつまんで、くるくるとまわしながら考えた。
もっとも、そんなもの、最早残っているかどうかも分からないのだが……
ホットドックの男と最初に遭遇した公園まで戻る。気まずい。
あいつも、私も口をきかない。そもそも、こんな奴と共通の話題なんて何が考えられるのだろうか?
あそこのケーキ屋さんが美味しくてねー、とか、あの芸人はつまんないよねー、とか……。
ムズムズする。そんなキャッキャした話題は人間同士ですら難しい私が、異形の化物相手に何を話せと?
というか、食べモノの話題なんてあいつに意味があるのだろうか。というか口はどこだ。
どこかの本で読んだ記憶をたどる。
会話のはじめに警戒を解くのは、どうでもいい話題。どうでもいいから、互いの立場が対等になる、そんな話題だ。
鞄を左肩にかけると、右手で中身を取り出しやすくなるから、そうした方がいいよ、とか、そんなことを言っていた小説の登場人物がいた気がした。
そこだけがやけに印象に残っていて、その他の場面は特に記憶が無い。
横を歩いているそのホットドックの異形に目を向ける。何かいい話題はない?――あ、そうだ。
「あんたさあ……」
「はい、何でしょう?」
奴が待っていましたと言わんばかりに勢いよく振り向く。
「あんた、さっきから喋ってるけど、口、どこにあるの?」
「ああ、口ですか――」
そう、答えると、また前を向く。
…
……
………
奴は再び黙りこくった。
そもそも何も聞いていなかったかのように、沈黙に戻る。
こいつは一体何だ? 会話を成立させる気があるのか?
無いんだな、そういう人(?)種なんだな、と混乱するやらムカムカするやらする頭を整理する。
こいつに関する情報が増えたと思って納得することにした。
「僕は――」
「人間ではないので――」
「え? 見ればわかるわよ。そんなこと」
「あ、ホットドックでも食べますか?」
「唐突に話題を変えるなというかお前のセリフはそれだけなのか」
「お腹が空いているようでしたので」
確かに小腹がすいていないこともないのだが、こいつから何かを貰うということに対する抵抗の方がはるかに大きい。
というか、こいつはホットドックの妖怪のようだし、私に食べろというのは共食いを勧めるようなものなのではないだろうか。
――まあ、食べるのは私なので「共」食いではないのだけれども。
「あんたはホットドックの妖怪なの?」
「似たようなものだと考えていただければ」
「ホットドックを無限に生みだせるとか、そういうヘンな性能でもついてるのかしら?」
「似たようなものだと考えていただければ」
……話が続かない。
ツッコミどころは山のようにあるのだが、いかんせんこいつの回答が簡潔に過ぎる。
こいつは人と話をすることがあまり得意ではないのだろうか。
そんなことを考えているうちに、あいつが最初に現れた、つまり、私の逃亡の起点である公園まで戻ってきた。
ここで、私は今日からやってくるという見学者を待っていたのだ。
祖父曰く、一目見れば分かるから、とのことで、どのような奴が来るのか見当もつかなかった。
さすがにこの事態は祖父を責めてもいいと思う。妖怪退治の見学者が妖怪だとは誰も思わないだろうから。
**ホットドッグマン**
「改めまして。私は春日りりす。D高校2年、これからあなたの先輩として、妖怪退治の基礎を叩きこむから、よろしくね」
他に人っ子一人いない公園の電灯の元、彼女は僕に自己紹介をした。
黒髪のショートで、ぱきぱきとして利発そうな印象を受ける。
しかし、彼女は少々落ち着きに欠けるようでもある。僕を見るなりいきなり逃げ出すのはちょっとショックだった。
待合場所は彼女の祖父と、僕の主人との間で連絡が取れていたはずだと聞いていたのだが。
やはり、アレだろうか。服装がラフ過ぎたのだろう。
もっといかにも「魔女の使い魔」然としたゴテゴテしい格好で登場するべきだったのだ。
夜中の公園で、普通の格好の人の若い男が少女に声を掛ける。
そうだな、確かに彼女の貞操観念などを考慮に入れるべきだった。そこは年上である僕の落ち度であろう。
僕が魔女、シャシャカさまの使い魔になってから一年弱といったところだろうか。
いきなり、人間界に行って妖怪退治の手伝いをしてこいと命令され、僅か数日の間で全てを準備し、再びここに舞い戻ることになった。
もう二度と戻ることはないだろうと思っていたのだが。
彼女の祖父と我が主とは旧知の仲らしく、最早現役を退いた彼の代わりに、その孫娘である彼女に僕のディレクターとしての白羽の矢が立ったという訳である。
「あー、聞いてると思うけど、妖怪退治と普通にいうほど、大変なことはありません。二週に一回くらいのペースで思念の溜まりやすいところを見て回る程度で、何も問題なかったりします」
彼女は髪の毛をクルクルと人指し指に巻きつけながら、あまり目を合わせないで話した。
ちらちらと目が合う度に、すぐに目線を逸らされる。ちょっとショックだ。
この風貌は、やはり他人に恐怖を与えないではいられないらしい。
「思っていたより、大変そうではないのですね」
何とかして打ち解けなければいけないと思い、こちらから会話を振ってみる。
「ええ。切った張ったのヤバイやつなんてそもそも起こりえないのよ。妖怪っていうのは、まあ、大体死んだ人間の感情の残りカスだと考えてもらって構わないけれど、死んだ人間の感情が生きた人間に干渉できることなんてそもそも無いんだから」
「たまに強大な妖怪が出てくるとは聞きますが」
「まあ、ほんのたまに、ね。私達みたいな掃除屋が怠け続けていると、出てくることはあるかも知れないけれど、そうなったら私なんかじゃ手に負えない」
「では、どうするのですか?」
春日さんはこっちを見据えて言った。これが一番大切なことだというように。あるいは、それが当然であるというように。
「逃げる。少数では絶対に立ち向かわない。助けを呼ぶ」
その言葉には力があった。いつもは単純作業で、基本的に安全であったとしても、根本のところで緊張を失っていないのだろう。
「私達のやることは、あくまで監視。それ以上のことはやる必要はないし、やる意味もない。自分達の存在意義を履き違えたら何の意味もないから、これだけは憶えておいてね」
さてと、と、彼女はつぶやき、姿勢を崩すと、ついてくるように促した。
これは真面目なことなのだ、と僕も気持ちを引き締め、口元をキッ、と一文字に結ぶ。これからが妖怪退治の実習だ。
「……っていうか、あんた、どこに口があるのよ……」
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結論からいうと、あまりにもあっさりと仕事は終わった。
霊脈だか何だかわからないが、近くに妖怪が出現するとしたら、そこしかない、という場所があるらしい。
公園から徒歩5分ほどの祠である。
コンクリートで整備されていた。その祠の外には、町内会の掲示板があり、ゴミの分別をきちんとやれ、近所で近々バザーが行われる等々の極めて世俗的な色彩が踊っていた。
四畳半程度の面積しかない、小さな聖域である。
普段は景色のなかに溶け込み、誰もここだけを取り出して眺めようとはしないだろう。
かといって手入れが滞っているかと言われれば、煙草の吸殻などのゴミ一つないし、子供が遊んだところには必ず落ちているBB弾も、雑草もない。
しっかりと手入れされているのが窺える。
彼女たちの一族がきちんと整備しているのか、それとも信仰がしっかりと根付いているのか、いずれにせよ、外から見ただけでは分からない清潔感と神聖さを醸し出していた。
そこで、彼女はポケットから一枚の紙切れを取り出し、その文章を読み上げた。
意味は分からなかったが、日本語ではないようだった。
それを僕は眺めているだけで、それで終わりだった。
選ばれた家系により、家業として営まれる妖怪退治。正直な話、勇んでやってきただけに拍子抜けだった。
「お終いっ」
彼女が読み終わり、こちらを振り向く。
「いつもよりも溜まってないみたいだったわ。朗誦も簡易バージョンで大丈夫ね。」
「普段はもっと長いのですか?」
「まあ、多くて大体三十分くらいかな」
「かなり時間が違うのですね」
そうすると、特に感情を感じさせないような声で彼女が問うてきた。
「ひょっとして、あんまし大変そうに見えないとか、ある?」
ドキリ、とした。そんなことはない、と言えば、嘘になると思った。だから、こう答えた。
「簡単ならば、それに越したことはないと思いますよ」
きょとん、とした顔で、春日さんはこちらを覗きこむ。
「別に、苦しさと正しさの間には、何の関係もありません。不必要である苦労をする必要なんて、どこにもないと思いますが」
「そっ」
彼女が笑った気がした。
チクリ、と、痛みがした。
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近くのファミレスで私の歓迎を兼ねて時間を潰そう、という話になった。
僕は曲がりなりにも魔女の使い魔だ。
自分の姿が、春日さん以外の人にはホットドックマンに見えないようにすることくらい容易だ。
彼女は目をまるくして驚き、では一体他の人にはどのように見えるのか、と言ってきたが、実は僕もよくわからないので、今度我が主に聞いてみる、とだけ答えた。
自分がどう見られるか、ということにはあまり興味が無かったために、今までは気に止めることは無かった。
完全な憶測であるが、どのようにも見られないのではないかと思う。
街中の全ての人の顔を一々注意しないのと同様に、誰からも注意を払われない、群衆の一人として、その他の一人として普通に溶け込む魔術。
認識の操作と言えば、結構凄いものかも知れないが、この姿を取っていなかったら、かけられていたところで何の意味もない技術であったことは間違いないだろう。
その後で、少々沈黙が続いた。
僕はこういう沈黙が苦手なので、とりあえず何かを話さなければと思った。
「自分のことを特別だと思ったことはありませんか?」
「まあ、特別と言えば、特別なんだろうけどさ……」
彼女は、顎に指を当てて、何かを考えているようだった。
「非日常だって、そのなかに居れば日常なんだよね」
「刺激に満ち溢れた生活、というわけでも無いですか。やっぱり」
「刺激ね。自分が何でもないから、周りに何か特別なことが起こってほしい、ってだけじゃないの。あんまり好きな言葉じゃない。変わっていって、それで最後に何に行き着きたいのかな。私はとりわけ何になりたいっていうのは無いから」
「何か違った自分になることが『刺激』なのですか?」
「そうなんじゃないの?」
座席におっかかりながら、少し饒舌に、それでいて何でもないことのように春日さんが喋る。
それにしても、近年の教育からすれば信じられないような達観した世界観を持っている子だ。
「あなたの言っていることは難しいな……。変わっているって言われません?」
「そう? 難しいことは苦手だけど。私」
それにバカだし、と、春日さんは呟いた。
僕は取りあえず、学生時代から頻繁に利用している、一番安いドリアを頼む。
金はある程度あるのだが、そんなに重いものを食べる気分ではなかった。
「何か怖いなあ。ホットドックがウエイターさんと話してる」
「良くあることですが?」
「ある拍子に魔法が解けたりはしないのかしら」
僕のドリアが運ばれてきた。ちなみに、春日さんはドリンクバーしか頼んでいない。
僕が奢るから、と言っても、それでは歓迎にならないと言ってフラれてしまった。
「それは無いですよ。このお客さんのなかにも、実は僕と同じような使い魔がいたとしても、僕も、春日さんも気付かないでしょうね」
「じゃあ、ひょっとしたら、このなかに他にもホットドックの妖怪がいることも?」
「否定はできないかと」
うあー、と、春日さんは机に突っ伏した。
**春日りりす**
なんともゾッとしない話だ。
私は机に突っ伏しながら、自分の常識がガラガラと崩れていく音を聞いていた。
私もホットドックマン、あなたもホットドックマン。
そんなシュールな世界に住みたくない。いや、世界は望むと望まないとに関わらず、ずっとシュールだったのだ! な、なんだってー! あー、魔法ってすげえ。
正直な話――。
昔は特権意識が無かったわけではなかった。選ばれた家系、選ばれた職業。
それにも増して、他の人が知らない世界の秘密を、自分たちだけが知っているのだと思うと、いつも胸が弾んでいたものだった。
今ではそんなことはないけど。実際、代わりなんていくらでもいる。父さんと母さんも、妖怪退治をやってるわけじゃないし。
確かに妖怪退治は無駄にお金が入ってくるけれどもさ。
特権意識というモノは、周りの人間に対して、バリアーを張るらしく、私にはあまり友達はいない。
人と違うことを知っていたからと言って、別に偉いわけではないし、人に好かれるわけでもない。
知識に関しては全くの平々凡々とした人が他人に好かれることもあるように、結局のところ、性格が良ければ寂しくは無いのだ。
顔をバッ、と上げる。何か暗くなった。それは良くないことだ。これは歓迎会を兼ねているのだ。
目の前には人間ホットドックが鎮座している。奇怪な光景だ。
良く見れば、こういうのが目の前にいるなんて、ユーモラスといえばユーモラスと言えないこともないじゃないか。
そして、その妖怪の座っているテーブルの側には空になったドリアのお皿が。
食べるのが早いなあ、と感心する。これも魔法の力なのだろうか。
「……というか、口はどこ!? どうやって食べたの……??」
彼は沈黙していた。いつもボーっとしているようだけれども、何故か、今回ばかりは雰囲気が違って感じられた。
ただ、気が付かないのではなく、もっと深刻で、重大な事柄が間に挟まっているように感じた。
「おーい、聞こえてますかー?」
どこを見ているのか分からない目には、何が映ったのか。
――まさか、他の人間ホットドックに類するモノが!?
私も周りを見回してみるが、他に仲のよさそうな、父、母、中学生くらいの子どもの3人連れの家族と、それからちょっとガラの悪そうなスーツの男たち。
少し観察してみても、別に変な感じは見受けられない。
「あっ……すみません。ボーっとしていました」
「何かあったの?」
「いえ、特には、何も……」
そういったものの、こいつの様子は明らかにおかしかった。
表情に(そもそも顔はどこだ?)動揺が現われているのを隠し切れていない。こちらにまで不安が伝染する。
「ごめんなさい、ちょっと……失礼します」
そう言うと、彼は苦しそうに席を立つ。
足元がおぼつかないように、立ちあがるとバランスを崩していた。ただ事ではないようだ。
彼は急いで会計を済ませる。その様子はやはり異様さを与えたのだろうか、家族連れの客が不思議そうに異形の方をちら、と見ていた。
それでも、私以外にはホットドックの姿には見えないようで、その点だけを少し安心する。
ふらつくようにして外に出る。冷たい風が吹いていた。空気の密度が変わったような、そんな気がした。
「ちょっと、どうしたのよ!」
彼はじっとして動かない。少し上を見て、ぼう、としているように見えた。彼の目には、恐らく何も映っていないに違いない。
「……いえ、すみません。落ち着きました」
「いや、それはいいからさ……」
あまりの雰囲気の違いに頭が混乱する。こいつに一体何があった? こいつは一体何を感じた?
「少し、用事ができたかもしれません。一人でどうにかなりますので、私はここで失礼します」
こちらに向き直り、丁寧に礼をする。自分が一人だけ取り残されたような不安を感じた。声を掛ける前に、トン、と彼は地面を蹴ると、空高く跳び上がった。
「すご……」
呆然として、あの怪人が消えて行った空をじっと見つめる。
気を取り直そう。
人間ホットドックには、人間ホットドックの理屈があるのではなかろうか?
今日は色々なことがあり過ぎた。帰って寝ることにしよう。
また二週間後にあいつはやってくるのだろう。
どうしようもないことを心配したって、どうしようもない。
ふと、気が付く。あいつは私の分までお金を支払った。
別にお金はあるので、奢る必要などないと私は言ったのだが、結果的にはあいつに支払ってもらったことになる。
借りが一つ増えてしまった。借りをいつか返さなければなるまい。
面倒くさいのは嫌なのだが、仕方ないだろう。次に会った時でも、何か奢ってやろう。