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[28285] 亡き王女のためのパヴァーヌ【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】【完結】
Name: 大内たすく◆8c1da007 ID:b51ec5d9
Date: 2011/06/12 21:31

この作品は「魔法少女まどか☆マギカ」の二次創作です。

が、イントロにちょろっとキュゥべえが出てくるくらいでほぼオリ主の半生の物語といった感じです。

キュゥべえに勧誘されて魔法少女になった、あまたの少女たちの中の一人の物語といった具合です。

【この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、国情とは一切関係ありません】





[28285] 【前編】
Name: 大内たすく◆8c1da007 ID:b51ec5d9
Date: 2011/06/12 21:19
「僕の名前はキュゥべえ! 君の願いを何でも一つだけ叶えてあげる。だから僕と契約して、魔法少女になってよ!」

白いぬいぐるみのように愛らしい生き物が軽く小首を傾げながら人の言葉を口にして、一人の少女にそう囁いた。
それが悪魔の囁きであるとも知らず、なんでも願いが叶うという魔法そのものの言葉に胸躍らせた少女の名前をエイメという。
ただし彼女は一介の平凡な少女というわけでもなかった。欧州の片隅にある古い歴史を誇る小さな王国の、王太子の一人娘であり彼女自身も王女の身分を有していた。

王女ならば魔法の使者に頼らずともどんな願いでも叶いそうなものだが、それは決してそうでもない。むしろ王女の身分ゆえに叶わないことの方が多かった。
まず自由が無い。自由に遊ぶことも、遊び相手を好きに選ぶことも、気ままに遊びに行くことも叶わない。将来的にも結婚や就職など全てががんじがらめに制限を受けるだろうし、その心の赴くままに行動することは決して許されないだろう。
だからもし一国の王女が魔法の使者から『なんでも願いを叶えてあげる』と言われたら、おそらく望む事は平凡な一少女になることだろう。

しかしエイメの場合はそうでは無かった。確かに彼女は王女ゆえに、憂い多い日々を送っていた。だが彼女はその憂いを晴らすため必要な事は、自分が平凡な一少女になることではないと固く信じていた。
だからエイメは彼女がそう信じるままに、彼女と彼女を取り巻く状況を改善するために必要な事はこれしかないのだと信じて、心の底からの願い事を口にした。

「それなら、私が王太子になれるようにして。私が立派な王太子になれれば、きっとママだって元気になるわ!」

実はこの王国は王位継承にサリカ法典を採用しており、男児にしか王位継承権が発生しなかった。エイメは王太子の一人娘とはいえ女児ゆえに王位継承権は無く、いずれどこかに嫁ぐという形で王家から離れることが見込まれていた。
そしてエイメ以外に子供を持たない今の王太子パトリックが国王として即位した暁には、王太子位はその弟でありエイメの叔父にあたるエドワール第二王子に受け継がれていくのが今の王位継承法の決まりである。

しかしそれゆえにエイメは王女であり王太子の一人娘でありながら、王家での扱いは軽くならざるを得なかった。
結局、王家というのは続けていくことに意義があり、その継承に関われない者に大した意味は無いのである。
かつて、長らく子供に恵まれなかった今の王太子夫妻の間にエイメが授かった時、心中では男児を期待していた国民は表面上は祝福したものの、密かに肩を落としていたのがありありと分かるほど何とも言えない気まずい雰囲気が国中に漂ったという。

その事によって、エイメの母親であり王太子妃であるグレースの立場も終始微妙なもので有り続けた。
王家は続けていくことに意義があり、続けていくためには後継者が必要なのだ。だから今だ後継者を産んでいない王太子妃など、王太子と結婚していなければ元々はただの一般人にすぎないのだから、お妃様と尊重することさえ馬鹿馬鹿しいということになる。

徐々にグレースは王室での居場所を無くしていった。元々大企業の社長令嬢とは言え民間から嫁いできただけに、王室の旧弊さには馴染めないところがあったのかもしれない。
しだいにグレースは気鬱の色を濃くし、エイメが三歳になるかならないかの頃には、何やかやと理由をつけては公式行事から足を遠のかせ、今では完全に公の場から姿を消していた。

後継者を産まないどころか公務さえも満足に果たせない王太子妃に、最初は病気なのだからと同情的だった国民の視線も徐々に厳しさを帯び、さらには夫である王太子のパトリックも表面上は取り繕い妻を気遣う風を見せながらも、家の中では途端に豹変して役立たずになった妻を疎んじ、冷たい目で見下していた。
エイメの暮らす家であり父パトリックが王太子として与えられていた豪奢な離宮は、見かけばかりは立派でもその内実は冷え切り、冷たい氷の城と化していた。
そんな暮らしに少女のエイメはもう耐えられなかった。冷たい父も、陰鬱な母も、国民から落胆される自分も大嫌いだった。

自分は何一つ悪いことをしていないのに、ただ女児に生まれたというだけで落胆され、母は役立たずのように思われ、父はそんな自分達母子を内心では疎んじる。
だからエイメは思うのだ。もし自分が男児だったら。いや、男児で無くとも王国の次期後継者として認められれば、全ては好転するのではないかと。
だから目の前に現れた不思議な魔法の使者に、エイメは一も二も無く願いを告げ、奇跡を祈った。

そしてキュゥべえと名乗ったその魔法の使者は莞爾と微笑んで、エイメのその願いを受け入れる。

「それが君の願いだね。大丈夫、君の祈りは間違いなく遂げられる」

その言葉を合図に、やがてエイメの胸から光輝く宝石が浮かび上がってきた。

「受け取るといい。それが君の運命だ」

エイメはそれを希望と信じて、虚空に浮かぶ宝石をその手に取った。



次の日、奇跡は間違いなく起こった。

突如として、国民の間に王位継承法の改正を求める運動が巻き起こったのだ。
欧州の他の王家では既に男児女児を問わない継承法が採用されていることが多いのに、この国ではそれが認められないのはおかしいと、男女平等の今の世の中にそぐわないと、国民達は声高に主張した。

一部の識者などは、この国はすでに一千年以上の長きに渡り王統を父系で繋げており、むしろこれは他の欧州王家と比較して貴重な存在である。その貴重性を自ら投げ捨てて他の王家と同じ凡百の存在に成り下がるなど、王家の貴重性・神聖性を損ない存在意義を無くす愚かなことだと、男女平等にしたところでそもそも王家という存在自体が不平等によって成り立つものなのだから、その概念を王位継承に持ち込む方がおかしいと必死になって主張したのだが、熱病に浮かされたように暴走し続ける国民はその言葉に耳を貸す事は無く、やがて真っ当な反論の声はそれらに呑まれ、かき消されていった。

そして立憲君主制のこの国では、主権は国民にあり実際の政治は国民に選ばれた政治家が担う以上、王位継承法の改正も政治家の手に委ねられていた。
その政治家は選挙という枷があるために、大多数の国民が王位継承法の改正を望むのであればその声を無視することなどできなかった。
それは王家とて同じことである。国民あっての国であり、彼らがそれを望むのであれば王家もまた無視はできない。

もし伝統にこだわり女児継承を拒絶して旧弊な面を見せつけるようなことをすれば、王家はたちまち国民から軽蔑され見放され、場合によっては王制の廃止という事態さえ考えられた。
伝統と存続を秤にかければ、それは存続の方が優先されるだろう。王家は深く政治に関わりを持たないだけに積極的に賛成するような態度も見せなかったが、もちろん反対するような行動も起こさず、それが国民の意思ならばと王位継承法の改正を黙って受け入れた。

かくて王位継承法は男女を問わない長子相続に改正され、これに則り王太子の一人娘であるエイメは、父である王太子パトリックに続いて王位継承第二位が与えられることになった。これで彼女は王国の後継者に名を連ね、いずれ次々世代の女王となることがほぼ確定的となった。

「ありがとう! キュゥべえ! 本当に奇跡だわ!」

エイメは狂喜乱舞し、キュゥべえを抱きしめて最上級の感謝の意を示した。キュゥべえはと言うと、いつも通りの愛くるしさながらも常の通りの無表情で応じる。

「感謝するには及ばないよ、これは契約だからね。それに奇跡には代償があることも忘れないようにね」

「分かっているわ。私はこれから王女として、次々期女王として、そして魔法少女として、この国を守ってみせるから!」

今まで何の足しにもならない用無しの王女から大きな使命を帯びた存在になれたことは、その責任感に重圧を感じるどころかむしろやりがいを覚えることであり、エイメは歓喜の絶頂にあった。そして、この時が彼女の人生の絶頂とも言えた。

―――絶頂とはすなわち、そこから先は転落しか無いということでもある。

破滅の序曲はじょじょに、しかし確実にエイメの周りに不吉な旋律を奏で出す。



最初の悲劇は唐突に訪れた。

王位継承法の改正が行われエイメに王位継承権第二位が与えられて数日も経たないうちに、エイメの父であるパトリック王太子が突如としてこの世を去ったのだ。
まだ壮年であり若い方の部類に入る年齢だったが、国内企業の視察に赴いた折りに人々の前で突然胸を抑えたかと思うと床の上に崩れ落ち、そのまま意識を失って帰らぬ人になってしまった。

死因は心筋梗塞による心不全ということで決着し、大勢の国民と王族の涙に見送られて盛大な国葬が執り行われた。
王太子であり第一王位継承者の死によって、改正法に則った新しい順位に従い継承権は繰り上がり、エイメが第一王位継承者すなわち王太女に擬せられた。

だがせっかくの王太女の地位であったが、エイメの心は晴れなかった。
今まで用無しの王女として空気のような扱いだったが、継承法の改正を受けて王国の後継者の一人となりその地位に重さが加わって、これで自分を見る国民の目も、なによりも父パトリック自身に自分を認めてもらえると期待に胸を膨らませていたのに、それは当の父の死により、もう二度と永遠に自分を見て貰うこと自体が叶わなくなってしまったのだから。

なによりも突然の父の死を目の当たりにして、エイメの心に疑念がわき起こって来たのだ。

(パパの死は、本当に自然死だったの?)

継承法改正から間を置かずして突如として訪れた凶事だっただけに、そのタイミングはあまりにも際どすぎた。
もしこれが継承法の改正以前に起こった出来事だったとすれば、旧継承法では男児にしか王位継承を認めていなかったため、そのままではエイメは王太女になれなかったのだ。
そしてその代わりに王太子になっていたのは、パトリックの弟でありエイメの叔父にあたるエドワールになっていただろう。

エドワールが王太子になった後で仮に継承法の改正が行われたとしても、その次の王位継承者はエイメでは無く、エドワールの長女でありエイメの従姉妹に当たるヴェロニクということになり、さらにその次はヴェロニクの妹のベルティーユということになるため、エイメの順番は後回しになってしまう。パトリックの死のタイミングは本当に際どすぎたのだ。

だから一部には、継承法の改正を急ぎすぎたのではないかという意見と共に、エイメがまるで叔父エドワールから正当な王位継承権を奪ったように見る向きさえあるのだ。もし改正がなされていなかったら、確かに今頃はエドワールこそが王太子だったのだから。
さらには、パトリックの死さえもエイメを推す人間の陰謀ではないかと影で噂する者さえ現れた。エイメに王位継承権が与えられることが決定したので、用済みになった前王太子パトリックは消されてしまったのではないかと言うのだ。

エイメを推す人間、すなわちエイメが王位を継ぐことになって得をする人間ということになるが、そんな人間は王国の中でも限られている。
その人物とはエイメの外祖父でありエイメの母・グレースの父でもある、国内有数企業の会長職にあるリシャール・シャノワーヌに他ならない。
だがエイメはその噂を馬鹿な事だと心の中で一蹴した。確かに王国の次期女王の祖父ともなれば、リシャールに取ってこれほど名誉なことは無いだろうが、それは別にパトリックが居ても変わりは無いのである。

むしろエイメはパトリックの死の背後に、叔父エドワールの影があるように思えてならなかった。
確かに王位継承法の改正が成った今、このタイミングでパトリックが死んでも叔父には何の得も無い。しかしこのタイミングが予期せぬものであったとしたらどうだろうか? パトリックの心筋梗塞は、それこそ薬か何かを常に盛られていて心臓が弱まらされていたということは無いだろうか? 本当ならパトリックを王位継承法の改正が成る前に暗殺したかった者がいたのではないかと、エイメは心の底の疑念を捨て切れずにいた。

そう、エイメは叔父エドワールを、王位を窺う者として以前から疑いの目を向けていたのだ。
そもそも王位継承法の改正が試みられたのは、何もごく最近の事ではない。キュゥべえに奇跡を願う前、エイメがまだ幼かった頃に継承法の改正が政治の俎上に上ったことがあるのだ。

その頃、現国王の孫世代にはエイメを含めエドワールの長女ヴェロニクと次女ベルティーユといった具合に王女しか生まれておらず、このままでは王朝の存続が危ぶまれるとして、女児しかいないのだから女性にも王位継承権を与えるのも仕方ないのではないかという雰囲気が醸成されつつあった。
そういった空気の中、新進気鋭のフォンテーヌ首相がその強力な指導力を発揮して継承法の改正に着手し、改正案を議会に提出する寸前にまでこぎつけていたのだが、そこに思わぬ事態が勃発した。

次女ベルティーユを産んだ後、長らく子に恵まれていなかったエドワールの妻、レジーヌ妃が突如懐妊したという知らせが議会に届いたのだ。
その突然の知らせに議会は継承法の改正審議を中断し、レジーヌ妃が産むであろう子の性別を見守ることにした。もし生まれる子が男児であれば『女児しかいないのだから仕方が無い』という理由で進められてきた改正法はその根拠を失ってしまうからだ。
そして王国中が固唾をのんで見守る中、レジーヌ妃は見事男児を出産した。

エドワールにとって第三子となるその男児はウジェーヌと名付けられ、現国王の孫世代唯一の男児として次世代の王位継承者と見なされ、そして継承法の改正は必要無しとして廃案になった。
後嗣の無い王家の救世主たらんとしていたフォンテーヌ首相は、この顛末に面目を失ったと感じたのかその後すぐに政界を引退し、その様子を見ていた他の政治家達も、王家に不用意に手をつける事は政治家生命を賭けるものだという認識を強くして、以来誰も継承法の改正を言い出さなくなっていた。エイメがキュゥべえに奇跡を願うまでは。

以前の継承法の改正の時はエイメはまだ幼かったのでピンと来ていなかったが、今になって思い返せば、エドワールとその妻レジーヌ妃の意図は明らか過ぎるほどだ。
王位継承法改正論議の最中に王国の後継ぎになりうる可能性を持った子供を作るなんて、どう考えても継承法の改正を阻止したかったからとしか思えない。

そのあからさまな懐妊に、人工的な手段を用いたのではないかと周囲から囁かれていたこともあるが、これはいささか認識不足である。いかに科学が発達しても生命の領域はまだまだ人の及ぶところでは無い。
要するに人工授精と自然懐妊ならば、実は自然懐妊の方がまだ受胎確率は高いのだ。自然に懐妊することのできない確率0%の夫婦だけが、10~20%の確率に縋って人工授精を試みるものであり、自然懐妊が出来る夫婦ならば自然に任せた方がよほど妊娠しやすい。

エドワールとレジーヌは結婚後すぐに長女ヴェロニクを授かっており、どう見ても自然に任せた方が懐妊の確率の高い組み合わせの夫婦と言えた。
ただ、自然だろうがなんだろうがすることをしなければ子供は生まれない。エドワールとレジーヌは明らかに、このタイミングしかないという固い意志の下に子供を作ったのだけは間違いないのだ。それすなわち、エドワールには王位への野心があるという事ではないだろうか。

エドワールの改正法阻止の意図は一旦は成功したが、エイメがキュゥべえに奇跡を願ったことによりそれは覆った。
しかしそれでエドワールが野心を捨ててくれたとは、エイメには到底思えなかった。むしろその野心は歪に形を変え、パトリックへと牙を剥いたのではないだろうか。

そしてパトリックの死が意図的に仕組まれたものであったとすれば、次にその野心の牙の標的になるのはエイメと言うことになる。継承法が改正されたとはいえ、その改正された継承法に置いてもエドワールはエイメに次ぐ継承権を保持しているため、もしも今ここでエイメも亡くなってしまうことになれば、今度こそエドワールが王太子になれるのである。
父の死をただの自然死と思えず、陰謀の影があるのではないかという疑惑に取り憑かれた時、エイメはその陰謀が自分にも及ぶ可能性を思って我知らずその身体を震わせた。

そしてそう思ったのは何もエイメだけでは無かった。王族に関わることだけに大っぴらには言われなかったが、エドワールの真意を疑い、声を潜めてではあったが疑惑を囁く者は絶えなかった。
それは時の政府も感じるところがあったようで、パトリックの喪が明けきらないうちにとある発表が行われた。それは帝王教育と称してエイメをイギリスに留学させるという決定だった。

その留学には付き添いとしてエイメの母・グレース前王太子妃も付いてくるのだが、エイメは少し釈然としなかった。
叔父エドワールの野心を疑い、暗殺の恐怖に脅えていたが、だからと言って自分の方が外国に留学させられるのは何か違うような気がした。これではまるで自分達が不利を認めて逃げ出すようなものではないか。
それにキュゥべえとの契約によって人々を脅かす魔女を人知れず退治するという魔法少女としての使命を授かったのに、母国を離れてしまってはどれだけがんばっても直接自国の国民を守ることに繋がらないのも残念だった。

そうは言っても留学は政府の決定であり、王太女とは言えまだまだ未成年のエイメと、今だ気鬱の状態から脱しきっておらず強気の主張など出来るはずもないグレースでは、この決定に異議を唱えるだけの力も人脈も無く、ましてや政府の決定は自分達母子を思っての措置であるだけに結局は受け入れる以外無く、エイメはイギリスへと旅立っていった。



イギリスでの生活はまずまず順調だった。

母国では何かと落胆の眼差しで見られることが多くてそれゆえに引きこもっていたグレースも、娘が無位の身から王太女という重々しい身分になったことでそういった視線から解放され、なによりそういった視線で見る者さえいない他国に来られたことは良い気晴らしになったようで、私的な外出であったが出歩くことが多くなった。

ましてやイギリスのロンドンは高級デパートのハロッズに、連日連夜催される舞台劇やダービーなどの賑やかな催し物も多く、出歩く理由には事欠かない。
母が元気な兆しを見せてくれたことで、これも自分が王太女になれたからだと思い、キュゥべえに奇跡を願ったかいがあったとエイメも喜んだが、母が遊興に出歩くことは結果として未成年であるエイメは付いて行けずに取り残される事でもあり、それによる一抹の寂しさは拭えなかった。

その寂しさを、エイメはイギリスでの魔女退治に励むことで忘れようと務めた。昼はイギリスでも有数のお嬢様学校に通って未来の女王としての研鑽を積み、夜は部屋をこっそり抜け出して、魔女を探し歩いては退治して回った。
命がけとは言え自分が何事かを成し遂げているという実感はエイメの人生にやりがいを与え、彼女のイギリスでの生活は充実していたが、それでもどうしようもない不安が影を落とさないわけでもなかった。

エイメ達がイギリスでの長期に渡る滞在を続けている間、自国では国民達の注目は自然と残された王族達に集まっていた。すなわちエドワールとレジーヌの間の娘と息子達、特に男児継承者としてのウジェーヌに人気が集中していた。
ウジェーヌは一番最近になって生まれた王族だけに、まだ小学校に入ったばかりと幼く、その愛くるしさで国民の人気を集めていた。

翻ってエイメは、生まれた直後は継承権の無い女児として国民から落胆を持って迎えられただけに注目も薄く、また母グレースの引きこもりに伴ってその娘であるエイメ自身もあまり公の席に出る機会が無く、気が付けばつい最近の王位継承法改正が成るまでは、エイメは国民から半ば忘れ去られたような状況になっていた。
そして今はと言えば、母国を離れて遠くイギリスにまで来ているため、やはり国民の目に触れる機会が無く、どちらかと言えば国民の関心は薄いままだった。

それでもこの状況はまだいい方だった。どれほど国民的関心が薄かろうとも、それでも今現在のエイメは改正法に保障された王国の次期後継者なのだ。その地位が揺らぐことなどまずありはしない。
それなのに、エイメが国民の前に姿を表わす機会が無いのをいいことに、信じがたい噂が国民の間に流布していると知った時、エイメの怒りは爆発した。

『エイメ王女には知的障害があるらしい』

『それを隠すために今まであまり公の場に出て来なかった』

『今もそれをひた隠しにし、海外留学と称して国から離れているのもそのためだ』

『ふざけている。国民を欺く行いだ』

『母親のグレース前王太子妃は、そうまでして次期女王の母妃としての地位を守りたいのか』

『パトリック前王太子も既に居ない以上、その配偶者として王妃にもなれなかったし、子供は女児のエイメ王女だけ。継承法改正前だったらエイメ王女が結婚して王家を離れると同時に、元王太子妃なんて名前だけは大層な何の役目も無い存在に成り下がる。本来は王家との繋がりなんて何も無い平民も同然の存在なんだから、それはエイメ王女を女王にしようとやっきにもなるさ』

『本国を離れて、遠くロンドンで俺達の税金を使って遊興三昧の放蕩未亡人ってだけじゃ飽き足らないってか』

『こんなのが次期女王の母妃として大きな顔をするのかと思うとぞっとする』

『それ以前に、エイメ王女が次期女王でいいものか』

『知的に障害があっては、女王は務まらないだろう』

『やはり王統はエドワール王子殿下、ひいてはウジェーヌ王子殿下の父系でいくべきだったんだ。それが今までの王国の伝統だったんだから何も問題無いじゃないか』

『本来なら王女殿下に王位継承権なんて無かった。しかも知的障害で王位継承が困難な人間を、わざわざ女王に担ぎ出してどうするんだよ。国民や側近の負担が増えるだけじゃないか』

『そんな負担なんか必要無い。男児の王位継承者がちゃんといるのにな』

そんな噂が、ネットの世界を中心に駆け巡っていることを、エイメはパソコンを通じて知った。

「ひどいわ…こんなの…あんまりよ…!」

ネットの世界は顔を見せずにできる遣り取りなだけに、王家への敬意や遠慮などもどこかに置き捨てて、皆下世話な好奇心をむき出しにし、電脳の架空空間で赤裸々な会話を弄んでいた。その容赦の無い言い様に、エイメの心は深く傷つけられる。
世の人々の知るところでは無いが、エイメは契約に従って魔女を狩り、人々をその脅威から守るために必死になって戦っているのに、誰もそれを知ろうとはせずにネットの世界ではこうやって呑気にエイメをあげつらい、馬鹿にし続けている。

それにしてもどうしてこんなひどい噂が立ったのだろう。いくらエイメが国民と触れ合う機会が少なかったとはいえ、これはあまりにひどすぎた。

(…もしかして、エドワール叔父様の差し金なの…?)

エイメを貶める噂を流し、彼女に王位継承が困難だと国民に思わせる事で、彼女を王国の継承者の座から引きずり降ろそうとする手の込んだ陰謀なのではないかと、またしてもエイメは叔父エドワールを疑った。

(そうまでして、王位が欲しいの!? パパを殺して、ママを困らせて、私の悪い噂をばらまいてまで自分が国王になって、ウジェーヌを王太子にしたいのね!)

そんな証拠など何一つ無いというのに、エイメは叔父エドワールを完全に疑ってかかり、見えぬ脅威に神経を尖らせる。そして、この無遠慮な噂を放置しておく気も全く無かった。
エイメの英国留学に伴って付き添いとして付いてきたのは母グレースだけではなく、宮内省からの職員や侍従が何人かいたため、彼らにこの不名誉な噂をマスコミを通じて否定するように王太女として命令したのだ。しかし、彼らの返答は芳しいものでは無かった。

「所詮はただの噂です」

「それに噂の大元がネットでは、雑誌やTV番組のような明確な責任者が存在する媒体ではありませんから訂正させようがありません」

「むきになって否定し、こちらが火消しにやっきになるような所を見せれば、かえって噂が図星だったからに違いないと国民に間違った確信を与えてしまいます」

「噂など所詮、噂。王女が本国にご帰国あそばして、知的障害など微塵も感じさせない振る舞いを国民の前でただ一度見せるだけで、あっという間に霧散する程度のものですよ」

現状では打つ手が無いと言われて、エイメももどかしい思いをしたものの、それでも『国民の前に姿を見せさえすれば噂などかき消える』と言われたことで、それもそうだと思い直し、早く本国に戻れる事を切望するようになった。
だが、エイメの帰国の機会はなかなか訪れなかった。
学校の長期休暇だってあるというのに、本国政府はエイメの帰国を認めなかったし、促してくることも無かった。仕送りだけはたっぷり送ってくるがそれだけで、留学と称して厄介払いさせられているような気さえしていた。

なにしろフォンテーヌ元首相の引退の件以来、王家に不用意に手を触れることは政治家生命を危うくする事だという共通認識が政治家達の間にあるようで、王国初の女性王位継承者であり王太女のエイメは何かと議論を呼びやすく、面倒事を嫌う政治家や政府は、エイメが留学課程を終えるか即位寸前になるまで本国に戻す気が無いのかもしれなかった。

「…どうして、何もかもすっきり解決というわけにはいかないのかしら」

そう言って、エイメは自室で深く溜め息を吐いた。
キュゥべえに『王太子になりたい』と奇跡を願った時は、自分が王太子になりさえすれば何かもかもがうまくいき全てが解決すると思っていた。

でも実際には、自分が無意味な存在では無いと見せたかった父パトリックは既に亡く、自分が王太子になっても国民の間で議論は絶えず、そして分裂した世論はエドワールやウジェーヌに心を寄せてエイメを必要以上に貶めて、厄介事を恐れる政治家は自分達母子を相変わらず遠巻きにして距離を取ろうとする。
結局エイメを取り巻く状況は、彼女が奇跡を願う前とさして変わりが無いように思われた。

「それでも…留学が終わりさえすれば、帰国さえすれば、きっと何もかもうまくいくはずなのよ…!」

それだけを心の支えに、エイメはままならない今の状況を耐え忍ぶのだった。



だが時と共に解決するはずだと信じて忍従を続けていても、エイメを取り巻く状況の悪化は止まらなかった。
あともう一、二年でエイメの英国留学も終わろうかという頃に、その凶報は届いた。

「リシャールお祖父様が亡くなった!?」

エイメの祖父であり、エイメの母・グレースの父でもある大企業会長のリシャールが突然の事故で亡くなったという知らせが英国に届いたのだ。

「それじゃ一刻も早く国に戻って、せめてお葬式でお別れを…」

突然の事故は痛ましいことだったし、死に目に会えなかったのは残念だが、それでもお葬式くらいには当然出席すべきだろうと思ってのエイメの発言であったのに、それは侍従からの意外な言葉で遮られた。

「いえ、その必要はありません」
「え? なぜなの!?」

エイメの外祖父であり、母グレースに取っては実の父でもあるというのに、その近親者の葬式に列席できないというのは明らかに異常な事態だった。

「リシャール・シャノワーヌ氏は莫大な借金を残して亡くなられました。国の内外にはその返済を求める債権者が大勢います。そういった者達は当然、王族ながらもシャノワーヌ氏の親族でもある両殿下にも返済を求めるでしょう。しかし固有の財産を持たない王族が借金返済をするには、税金を使うしかありません。それでは国民の理解は得られず、王家への反発を生むだけです。ですから今回の事態に際し、政府はグレース妃殿下にシャノワーヌ氏の相続を放棄して貰うことで決着することにしました」

「それとお葬式に出られないことと一体何の関係が…」

「相続放棄をして借金返済の義務から逃れたとしても、債権者はそれで納得はしないでしょう。葬儀のために帰国した両殿下に詰め寄ってでも金を払えと迫るかもしれません。金銭が絡んでいるだけに彼らも切実なのですから。しかしそういった醜態を晒す事は国家の体面に関わります。それを避けるためにも、事態が沈静化するまで両殿下方には葬儀への参列はもちろんのこと、当面のご帰国も控えていただかねばなりません」

当面の帰国も何も、エイメ達は英国に来てから一度も母国に帰らせて貰えた事が無い。この上、祖父が亡くなってさえも帰ることが叶わないなんてひどすぎた。

「こんな事が許されていいの? ママも何とか言って! お祖父様はママのお父様でもあるんだから、お葬式に出られなくてもいいの?」

エイメはそう言って母グレースの方を振り返ったのだが、彼女は気まずそうに顔を反らし、思うような返事を返してはくれない。

「…仕方ないわ、事情が事情ですもの。お父様の冥福を祈るならここでだって出来るでしょう? それでいいじゃない」

「でも、ママ!」

「お願いだから、エイメ。我儘言わないでちょうだい。…少し、気分が悪くなったわ。部屋で休ませてもらいます」

そう言って、グレースは面倒事から逃げ出すようにして自室に下がってしまった。パタンと音を立てて閉ざされた扉を見つめながら、エイメは悔しそうに唇を噛む。

いつも、そうだ。

グレースは少しでも面倒な事態に遭遇すると、すぐに気分が悪くなったと言いだして自室に籠るのだ。それはエイメが小さい頃からずっと変わっていなかった。
幼いエイメが母に甘えたくてその側に近付こうとしても、彼女は部屋に籠り切りになっているか、体調が悪いと言っては女官に命じてエイメを別室へやったりして、エイメとまともに向き合ってくれたことなど殆ど無かった。

『お母様は御気分がすぐれないのですから、いい子にしていましょうね、エイメ様』

女官達は決まり文句のようにそう言って、エイメに我慢することを要求し、良い子であることを義務付けさせた。
そしてエイメは母が辛い思いをしているのなら仕方無いと、自分がいい子でいればいつかきっとそのうちに母は自分と遊んでくれると信じて、いい子である事を、グレースに振り向いてもらえるような娘になることを目指して頑張り続けてきた。

それでもその頃は、王位継承者を産めずに王太子妃としての役目を果たせない人間だと周囲から侮られていて、それに苦しんでいたからだろうと思って我慢してきたのに、エイメが王太女になって問題が解消されたはずの今になっても、事態は少しも変わらないのである。

「…いつまで…こんな事が続くの…?」

キュゥべえに奇跡を願った時には、きっとこれからは幸せな日々が始まるに違いないと確信していられたのに、未来は彼女の思い描いたようには全くならず、夢と希望はいつになっても叶うことが無い。

ままならない気持ちを抱え、エイメは悄然として自分の部屋に戻った。そうしてパソコンを立ち上げて、今回の事態に際してのネットの世論を垣間見てみる。
ネット世論は、エイメが見た事を後悔するほどに相変わらず赤裸々で先鋭的で攻撃的に過ぎた。

『借金踏み倒しかよ』

『借金を踏み倒した人間が次代女王なんて大変な汚点だ』

『じゃあ、税金を投入しろと?』

『そうは言ってない。エイメ王女はこれを理由に王太女の地位を辞退すべきなんだよ』

『母親のグレースともども平民になって、自分で働いて借金返済すればいい』

『実の祖父が作った借金なんだからな』

『しかしシャノワーヌも王家の外戚なのを笠に着て、調子に乗ってくれたよな』

『国がケツ拭いてくれると高を括っていたんだろうな』

『ふざけんなよ。グレース妃といい、国の税金はシャノワーヌ家の私物じゃねえ』

『税金投入断固拒否を貫いたアルベール首相GJ』

『でもシャノワーヌ家の血を引く王女が次世代女王なのは厳然たる事実だぞ』

『頭痛いよな…』

『国の恥だ』

ネットの世論をそのまま全体の意見であると鵜呑みにするのは危険だが、それでも例え一部であってもそう見られているかもしれないと思う事は、エイメの心を深く抉る。

「どうして…どうしてなのよ…!」

どうして自分の周りには悪いことしか起こらないのか。それともこれもまた誰かの仕組んだ事なのだろうかと、エイメは疑心暗鬼に囚われる。

そもそも、大企業の会長職にあったリシャールに莫大な借金があるのもおかしな話だ。
侍従の話では、高利率だがかなり危ない証券に手を出して、それがつい先程の世界的金融危機を受けて一瞬にして紙切れと化し、その穴埋めのために借金が借金を呼んで収拾がつかなくなったと言う事だが、その発端である、危ない証券に手を出さなければならないほどの事情がリシャールにあったというのだろうか。
祖父は何か悪辣な罠にかかり、嵌められた挙句に死に追いやられたのではないかとまでエイメは思い始めた。

リシャールの死に方からして不審な点があった。
彼は川で溺死して浮かんでいるところを発見されたのだという。莫大な借金があった事が死後明らかになり、そこから推測して借金返済のための心労が重なって足元が疎かになっていたか、あるいは思いあまっての自殺か、もっと極端な話ではリシャールに借金返済が不可能と判断した債権者の中の強硬派が、彼を殺してその借金をグレースかエイメに被せる事で国に払わせようとしていたのではないかとまで囁かれていた。

どちらにせよこんな非業の死を遂げて、それなのに死体に鞭打たれるか如き有様で噂話で揶揄され続け、近親者は葬儀にも参列できない。
そしてこの顛末はエイメ自身の汚点として、いつか彼女が女王として即位する日が来てもいつまでも影で囁かれ続けることだろう。『借金を踏み倒した女王』『自分の身可愛さに外祖父の葬儀にも出なかった冷血女』と。

それをエイメだけの不名誉のみならず国の恥として、彼女の女王即位を断固として阻止すべきだとの過激な意見までネットでは散見された。
以前から厳然として存在し続けた彼女の知的障害の噂と相まって、彼女の即位に難色を示す動きがさらに加速していることに、またしてもエイメはそこに意図的な匂いを感じ取らずにはいられなかった。

(…これも…何もかも…私を女王にさせまいとする陰謀なんじゃないかしら…)

リシャールはエイメの外祖父であると同時に、国内有数の大企業の会長であり政財界に強い影響力を持っていた。そんな人物を祖父に持っていることで、エイメは下劣な噂から次期女王としての資質を疑われながらも、それでも表立っては何も言われてこなかった。リシャールの強い影響力によってエイメは守られていたのだ。しかしその心強い盾は無惨にも失われた。
死んでしまったからと言うだけでなく、莫大な借金を残して亡くなったというスキャンダルに塗れてしまった事で、リシャールが政財界に持っていた人脈や影響力は木端微塵に消滅してしまった。

かつてリシャールによって引きたてて貰った事のある者さえ、もう彼との繋がりを好んで口にしたがるものなどいない。政治家も財界人も亡きリシャールの傘の下から凄まじい勢いで離れ始め、引いてはエイメからも距離を取り始める。
リシャールの存在は死した事により国内では禁忌となり、エイメの王位継承に疑問符をつける更なる汚点へと変わり果ててしまった。

王太子であった父を無くし、母は相変わらず頼りなく、政財界からエイメを支えてくれていた祖父はもういない。
エイメの王太女としての地位はいよいよ不安定なものになりつつあった。今や彼女の身分を保障してくれるのは、数年前に改正された王位継承法だけとなってしまったのだ。

(…それでも…法律だけとなっても…法律を守ることこそが文明国の証なのだから、誰が何を言おうともこれを侵すことだけは出来はしない。どんな陰謀が張り巡らされようとも、それでも私は王太女で有り続ける。負けるものですか!)

『王太子になりたい』

それが彼女のたった一つの願いであり、祈りだった。その祈りのために彼女は戦い続け、そして諦めるまいと歯を食いしばり続けるのだ。それが幸せに繋がると信じているから。






[28285] 【中編】
Name: 大内たすく◆8c1da007 ID:b51ec5d9
Date: 2011/06/11 21:15


ようやくエイメの留学課程が終了し、本国へと帰国する日がやってきた。

政府専用機に乗り空港に到着した途端、大勢の報道陣が待ち構えていて、エイメの一挙一投足を全て記録せんばかりの勢いでカメラを向け続ける。
彼らの意図が何なのか分かっていたエイメだったが、それを鷹揚に受け止めると軽い微笑と共に手を振り、報道陣のカメラに向かって応えて見せる。
ある意味、エイメはこの瞬間を待ち望んでいた。やっと国民の前に真実の自分を見せつける事ができ、汚い噂によって傷つけられた彼女の名誉も回復するだろうからだ。

彼女の意図した通り、帰国早々のエイメの初々しくも若さと知性に溢れた所作を映した映像は、TVを通じて国民の下に届けられ、それを見た彼らは今までの噂が全く根拠の無いものだったことを思い知る。

『誰だよ、王女が知的障害だなんて言ったやつ』

『懺悔します。今まですっかり噂に踊らされていました』

『俺も』

『俺も俺も』

『ナカーマ』

『お前らそろってジャパニーズ☆DO☆GE☆ZAで王女に謝れ。……俺もナー』

ネット世論は面白いほどに様変わりしていった。そんな彼らの変わり身の早さに、エイメは呆れるよりも先に胸がすく思いだった。ようやく今までの忍従が報われる時が来たのだと。
心配されていた相続放棄に伴うリシャールの借金の件についても、その件が発覚してから少し時間が経過していたこともあり、今はそれよりもエイメの知的障害の噂が根も葉もない事だった衝撃の方が人々の関心を集めているらしく、これといって問題視されている様子も無かった。

(ようやくみんなも分かってくれた…! これならゆくゆくは私が女王に即位しても、その頃にはもう誰も何も言わなくなっているに違いないわ!)

英国滞在中は本国の不穏な動きにやきもきしていたエイメだったが、そんな不安を一瞬で吹き飛ばすほどの国民の態度の変わり様に、不安に思っていた過去さえ笑い飛ばしたくなるほどに浮かれ切っていた。
その浮き立つ気分につられて、エイメはつい先日の晩餐会の様子を思い出し、くすりと思い出し笑いをする。

エイメは曲りなりにも第一王位継承者の王太女であるため、長い留学を終えて帰国した事を祝い、王族だけの内輪の集まりではあるが王宮で晩餐会が催されたのだ。
王族の集まりなので、当然エイメに次いで第二王位継承権を持つ叔父のエドワールもレジーヌ妃やその子供達を連れて出席していた。だが、そのエドワールもレジーヌもどこか浮かない顔をしている。

エドワール達のその浮かぬ顔つきとは裏腹に、エイメは気分爽快だった。
彼らの浮かぬ顔つきは、どう考えても彼らの企みがうまくいっていない事に対する焦燥によるものとしかエイメには思えなかったからだ。

(王位が欲しくてあれこれ小細工を弄してきたのでしょうけど、それが一瞬で覆されてさぞかし残念な事だったでしょうね)

彼らのそんな無駄な努力を思うと、我ながら意地が悪い事だと思うが忍び笑いが止まらなかった。
下劣な噂をばらまかれ、エイメが今まで散々嫌な思いをさせられてきたのは、エドワールの策謀があったからに違いないと信じてきただけに、そのエドワールが困った顔をしているのは彼女に取って何より痛快な事だったのだ。

そしてふとエドワール達の隣に座る男の子に目がとまった。王族でこの年代の男児はたった一人しかいない。エドワールとレジーヌの第三子であるウジェーヌだ。
ウジェーヌは両親の憂い顔も知らぬげに屈託なく笑い、晩餐の料理を口に運んでいた。子供とは言え躾は行き届いており、そのテーブルマナーも堂に入ったもので、小さなプリンスとしての気品も既に醸し出している。確かに愛くるしい少年であり、国民の人気が高いのもうなずけた。

しかしエイメはその愛くるしさをもう素直に受け止められなくなっていた。彼が悪いわけではないと分かっているが、ウジェーヌの存在は常にエイメを脅かし続けていた。
エイメの実状が国民の前に明らかになって、彼女の即位に懐疑的だった世論は拍子抜けするほど好意的なものに様変わりしていたが、それでも全部が全部賛成に回ったわけではないのだ。

王家の伝統であった父系を重視する勢力は一定数以上存在し、それらはエイメの資質いかんに関わらず彼女の即位に反対し続け、そして男児継承者としてのウジェーヌを引き合いに出すのである。
ウジェーヌさえ生まれていなければ、この年代の男児継承者は存在しないだけに、父系主張派もそれ以上何も言えなかっただろうと思うにつけ、エイメはどうしてもウジェーヌが疎ましくてならなかった。

(…あの子がいる限り、私が女王に即位してもずっと『男王の方が良かったのでは』『以前の伝統ならばウジェーヌ様こそが正当な王位継承者なのに』と言われ続けるんだわ。あんな子、生まれなければ良かったのに。ああ…! 今からでも死んでしまえばいいんだわ、あんな子…!)

ウジェーヌ自身のせいでもなくましてやエイメのせいでもないことなのに、彼らを取り巻く状況は、彼らの間に反目しか生みださない。それを望むと望まざるとに関わらず。
エイメは気が付いていただろうか? かつて彼女が祈った『王太子になりたい』という願いは、気鬱に沈む母を救いたいというただ純粋な思いから生まれたものだったのに、その願いゆえに彼女は従兄弟であるウジェーヌの死を願うまでになっていることを。

――― 誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない ―――

かつて誰かがどこかでそう呟き自嘲した言葉が、エイメの身にもそっくり振りかかろうとしていた。
彼女たち魔法少女とは、そういう仕組みで出来ていた。



そうしてエイメも気がつかぬうちに、刻一刻と破滅の時が近づいてくる。
最初のきっかけは些細な事であったし、何の不吉な予兆も感じさせるものでは無かった。
王族やVIPに義務付けられている健康管理の一環として、国内の大病院で健康診断を受けたのが事の発端となった。

それは毎年の事であったし、エイメも留学のために母国を離れていたので国内での健康診断は幼少時を除けばこれが初めてだったが、留学先でも英国の病院で診断は受けていた。
だから毎年の恒例行事として、エイメは何も気負うことなく普通に診断を受け、その日はそれで何事も無く済んでいた。

それなのに、破滅をもたらす業火は燎原の火の如くいきなり燃え上がり始めたのである。

エイメが健康診断を受けたわずか数日後に、その病院の看護師を名乗る匿名の人物からの告発があり、それを国内のゴシップ誌が大々的に報じた。
曰く『今の王女の血液型は以前のものと異なっている。現在王女と呼ばれている人物はエイメ王女本人ではない』というものだったのだ。
あまりに荒唐無稽な告発に、その報道の内容を知ったエイメは開いた口がふさがらなかった。

大体、医療関係者には治療や診断に関する守秘義務があり、エイメの血液型云々の真実を置いておいても、そんなことを告発する看護師が存在するとは思えない。
そもそもそのゴシップ誌に話を持ち込んできた匿名の看護師とやらは、本当にエイメが受診した病院の看護師なのか。匿名で姿も見せないだけに、そんな人物が本当に存在するのかどうかさえ疑わしかった。当のゴシップ誌がニュースソースの秘匿を隠れ蓑に存在しない告発者をでっちあげ、適当な記事を書くことだって可能と思えば可能なのだ。

三流ゴシップ誌が言いだした眉唾ものの話なだけに、真面目に取り合うだけ馬鹿馬鹿しい話だったし、普通なら無視しているところだったのだが、今回ばかりはそうはいかなかった。なぜなら、この馬鹿げた話を大半の国民が信じてしまったのである。

『やっぱりそうだったのか!』

『おかしいと思っていたんだ』

『王女の知的障害をごまかすために用意された替え玉だったんだ』

『でもそれなら本物の王女はどこだ?』

『それは…やっぱり…』

『替え玉を本物で押し通すつもりだったんだろうし、そうなると本物は…』

『グレース前王太子妃はここまでして自分の地位を守りたいのかよ』

『ひどい』

『自分が生んだ子だろ』

『実子を殺す鬼母なんて一般人にもいるぞ。この前も逮捕されていたじゃないか』

『グレース妃もとっとと捕まえろ』

『政府は何をしているんだ! 一刻も早く捜査を始めろ!』

先日までエイメに好意的だったはずのネット世論は、持ち前の軽佻浮薄さを遺憾なく発揮してその手のひらをあっさりと返した。
この豹変ぶりにエイメはもう呆れかえり、そして腹立たしいことだが所詮はその程度の人間達の集まりなのだと割り切って、付和雷同するネット世論の動向に一喜一憂する必要は無いのだと腹を括る。
こんな風にあっさり手のひらを返す程度の見識なのだから、逆に言えば何かきっかけがあればすぐにまたエイメに好意的な方向に靡いていくだろう。

それは政府も同じ考えだったようで、出所も不確かな情報に踊らされヒステリックになっている国民達を宥めるために、思い切った手を打つことにした。
その方法とは、エイメを初めとする主要な王族のDNA検査を行うというものだった。

ある意味究極の個人情報とも言えるDNAを俎上に上らせなければならないほどの大事になっていること自体に、エイメは不愉快さを隠し切れなかったが、DNAほど雄弁で動かぬ証拠は無いのだから、政府のこの提案に乗らないわけにはいかなかった。むしろ拒否などすれば、痛くも無い腹を探られてもっと不愉快になるだけだ。

(それにしてもこれもエドワール叔父様の差し金なのかしら? まだ王位を諦めて無いっていうの? こんなすぐにでも白黒つけられるようなつまらないゴシップまでばらまいて、往生際が悪いったらないわ。本当に次から次へとろくでもない…!)

今回の降ってわいたようなスキャンダルを、エイメはまたも叔父の仕業と考えて憤りに身体を震わせる。
それでもどんな悪辣なスキャンダルを仕掛けられようとも、今度もまたそれを跳ね返して見せると、エイメは自分の勝利を疑いもしていなかった。

政府もこの馬鹿げた騒ぎを一刻も沈静化させたいようで、DNA検査の日取りは数日も経たないうちに決定した。
その検査のための人材も相当なもので、なんとわざわざアメリカ合衆国の一流大学、それも遺伝学の権威である高名な教授とその研究チームがわざわざ招聘されたのだ。

さすがに大げさではないかと言う声もあることはあったが、欧州の一小国となんの利害関係も持たないアメリカ、しかも財も名誉も既に有り余るほど持っている高名な教授の直々の検査とあれば、そこにどんな誘惑や政治的な恫喝も入る余地は無く、検査の結果には完全な公平性が担保されるということに繋がるため、今回の事態の終息に掛ける政府の意気込みを感じ取ることができた。

ただ、これによって今回の騒ぎは欧州の片隅のこの一小国だけの問題に留まらず、アメリカを初めとする世界中の大きな関心を集めてしまう事態になった。
特にアメリカは王室を持たないが故のロイヤルコンプレックスがあり、欧州の片隅で起こったこの事件にかえって興味津津になっていた。

なにしろ取り沙汰されているのは、世継ぎの王女が偽者かもしれないという替え玉疑惑なのだ。まるで中世の騎士物語にでも出てきそうなほどの典型的なお家騒動の予感に、他人の不幸、他国の騒動は蜜の味とばかりに、全米国民がワイドショーに釘付けになった。

アメリカがくしゃみをすれば風邪を引くほど付き合いの良い日本も、当然の如くこの騒動に注目して王国の成り立ちから今回の騒動に至るまでの経緯を微に入り細に入り報道し続けたし、さらにそこから伝播してアジア各国もやはり一斉に注目していた。
気が付けば欧州の一小国の後継ぎ騒動を知らぬ者は、世界のどこにもいないほどの騒ぎにまで拡大していたのである。

あまりの事態の拡がりに、エイメも一時は騒がれすぎではないかと頭を痛めたものだが、やがてものは考えようだと思考を切り替えた。
これだけ大きな騒ぎになったのだから、その結果が何事も無かったとしても、ならばなぜそんな根も葉もないデタラメが出回ったのだと追及する動きに繋がっていくだろう。
デタラメを報道した三流ゴシップ誌や告発したという匿名の看護師に追及の矛先は向き、うまくすればその背後関係にだって切り込めるかもしれない。

数年前から続く出所も分からぬデタラメな噂に、エイメは散々悩まされてきた。その出所は王位を狙う叔父エドワールに違いないと思い込み苛立ちを募らせてきたが、何の証拠も無い事だけに今まで手が出せずにいた。
しかし今回の騒ぎをきっかけに反撃に転ずることができるかもしれないと、エイメは未来の展望を描く。

そうとなればまずはDNA鑑定で、巷の汚い噂が全くのデタラメであると証明することが先決だ。エイメは検査の日に向けて意気軒昂たるものだった。




だが肝心の検査の日。病院から迎えの車が来たと言うのに、エイメはまだ出かけられずにいた。
なぜなら、一緒に検査を受けに行くはずの母・グレースが癇癪を起してエイメ共々部屋に引きこもり、そこから一歩も外に出ようとしなかったからだ。

「冗談じゃないわ、DNA検査なんて! まるで見世物じゃない! 私は王族よ! 前王太子妃よ! こんな侮辱、耐えられないわ!」

グレースはヒステリーを起こして侍従や女官に当たり散らし、エイメを抱え込んでがんとして動こうとしなかった。

「何を言っているのよ、ママ! ただの検査よ? それに私達だけじゃなくて、王族はみんな受けるのよ? ここで私達だけ受けなかったら、何を言われるか…」

「言わせておけばいいのよ! あなたは王女よ! 王太女なのよ! こんな見世物にされる必要なんてありません!」

まるで理屈にならない理屈を振りかざし、グレースは髪を振り乱さんばかりの勢いでエイメに縋りつき離そうとしない。
しかし母にはこれといって逆らってこなかったエイメも、この言い分にだけはさすがに従えなかった。

今回のDNA鑑定の本題はエイメの本人確認であり、他の王族の鑑定はその補助と、検査をエイメに限定しないことで彼女だけを晒しものにするわけではないのだという半ば言い訳めいたものであり、他の王族だけ検査を受けて肝心要のエイメが受けないというのはありえなかった。

ここで検査から逃げるような態度を見せれば、それこそ疑惑に火を付け油を注ぐようなものだ。全世界が注視している中でそんな事をすれば、エイメは事実如何に関わらず偽者王女の烙印を押されてしまう。

なにより今回のDNA鑑定は、反撃の第一歩になるかもしれないと意気込んでさえいたのだ。それを受けないなんてエイメには考えられなかった。
だからエイメはなんとかして自分を拘束する母の腕をふりほどくと、心配そうに遠巻きに見ていた侍従達に元に駆け寄り、声を荒げて命令した。

「私は病院に行くわ! ママを抑えておいて!」

「は、はい。わかりました!」

王族であり前王太子妃であるグレースが頑強に反対する以上、臣下の身である侍従達にはどうすることもできなかったのだが、王位継承権第一位であり王太女であるエイメは実はグレースより身分が上になるのである。その彼女がはっきりと自分の意思を口にした以上、王宮の論理で動く侍従達はグレースの意向よりもエイメの命令に従うことができた。

彼らのその動きを見てグレースは悔しそうに身体を震わせながらも、それでももう誰も自分の命令を聞いてくれるものがいないのを悟り、踵を返すとそのまま奥の部屋へと駆け込んで、またいつものように引きこもってしまった。

「もう知りません! 勝手にすればいいんだわ! 私は知らない! どうにでもなればいいんだわ!」

ドアの向こうから聞こえてくるグレースのヒステリックな叫び声を耳にして、エイメは顔を曇らせる。
今回の成り行きの何が気にいらないのかは分からないが、面倒なことから顔を背けてそれが通り過ぎるまで閉じこもるのは、グレースのいつもの行動パターン通りだとしか言いようがない。

この様子では、エイメはともかくグレース自身に検査を受けさせるのはもう無理だろう。まあエイメの検査さえ行えれば何も問題は無いのだから、グレースはこのままにしておいてもいいだろうと判断し、エイメは自分だけ病院へ向かうことにした。

―――この時、エイメはもっと深く考えるべきだったのかもしれない。どうして母親のグレースがああもヒステリックに反対したのかを。その理由を。

しかし、その理由を知ったとしてももう遅かったのかもしれない。陰謀の糸は何重にもがんじがらめに張り巡らされ、もう後戻りができないようになっていたのだから。



病院についたエイメを待っていたのは、遺伝学の権威たる厳めしい顔をした教授とアメリカから連れてきた彼のスタッフ達、そしてCNNやABC、果てはBBCといった世界中の報道陣達だった。

特にアメリカのTV局は、教授に直接コンタクトを取り付けて密着取材の許可を貰っていた。政府の方でも特に反対はせず、第三者の報道が入る事は検査の公平性が担保されるとして概ね歓迎の意向を示し、それらのお墨付きの下、TVクルーはエイメの側であっても堂々とカメラを回していた。

その様子を横目に眺めながら、これでは母グレースの言うように確かに見世物扱いだと、エイメは内心で辟易していたがどうしようもない。
それに第三者が見守り続ける中で検査が行われるのであれば、どのような卑劣な陰謀も入り込む余地が無くなるのだから、多少不愉快ではあってもこれはエイメに取っても望ましい事なのだ。

TVカメラが回り続ける中で、エイメは大人しくDNAサンプルのための口腔粘膜の採取と、念のための血液採取に淡々と応じた。
あとはこのサンプルを検査するだけの簡単なものである。全世界が注視するほどの大げさな事態になっているのに、やることといったら実はそれだけなのだ。

そしてその検査はと言えば、エイメ自身は国を長らく空けていたためそれ以前のDNAサンプルがあるわけでもないため、検査するのは本人のDNA同士を比べるのではなく、他の王族のDNAも採取した上で比較し、そこに血縁関係が存在するかどうかという形で行われる。

結果は数日後に発表されるということなので、分かり切った結果になるだろうとエイメは楽観視し、その日はさっさと自分の離宮へと帰っていった。
帰った先の離宮ではグレースがまだ部屋に閉じこもったままだったため、エイメの気分は完全に晴れやかとは言い難いものではあったが。



そして数日後。仰々しい記者会見場が設えられ、検査にあたった教授達が顔を揃えて現れる。世界中から集まった報道陣達は、彼らの発表する内容を一言一句漏らすまいと固唾を飲んで見守った。
緊迫した雰囲気の中、一堂を代表して厳めしい教授が検査結果と思しき一枚の紙片を取り出し、その結果を淡々と告げる。

「恐れおおくも国王陛下、エイメ王太女殿下、エドワール王子殿下、ヴェロニク王女殿下、ベルティーユ王女殿下、ウジェーヌ王子殿下それぞれからDNAサンプルを採取させていただき、それらを検査してDNAパターンの数値を比較いたしました結果、各王族の皆様方同士は親子兄弟と判断するに足る数値を見出すことができましたが、エイメ王太女殿下のみ他の皆様方よりも低い値であったことをここにご報告させていただきます」

瞬間、記者会見場は水を打ったかのように静まり返り、その次には一気に沸騰した。

「それは、やはり今のエイメ王女は偽者ということですか!」

「それでは本物の王女はどこに!?」

先程の教授の言葉は、エイメのみどの王族との血縁関係も認められないと言うことと同義であり、それすなわち今の王女は王族などではない真っ赤な偽者で、替え玉疑惑が疑惑でなく現在進行形で起こっているとんでもない大事件であるということにも繋がった。
その事実を理解し飲み込んだその場の報道陣達は、ハチの巣をつついたように興奮して大騒ぎになった。

「この結果に間違いは無いのですね?」

「王女が偽者であったことに関して一言、コメントを!」

大スクープを前にして報道陣は浮足立ち、一斉に教授らに詰め寄ってさらなる情報を得ようとマイクを向け続けた。

「私は研究者です。求められた検査の結果を発表する以外に申し上げることはありません」

熱狂する報道陣とは裏腹に、教授は淡々としたものでそれ以上何も語ろうとはしなかった。その代わりに記者会見場の片隅に控えていた内閣官房長官が壇上に現れ、もっと事務的で突っ込んだ話をし始める。

「えー。この検査の結果を受けまして、政府はエイメ王太女ご本人を行方不明と認識し、ただちに捜査に入りました。また英国政府にも協力を要請し、英国内においても捜索を行います」

政府の公式発表を受け、報道陣の質問攻勢は教授から官房長官へと振り向けられる。

「政府は王女が英国留学中にすり替えられたと考えているのですか?」

「王女の行方を突き止めるためには、あらゆる可能性を全て検証すべきと考えております。英国もその可能性の一つと認識している次第であります」

「現在王女と呼ばれている少女の処遇はどうなるのでしょう?」

「事態の詳細が明らかになれば、その過程で身元が判明すると考えています。その上で処遇を決定したいと思います。また彼女が王族で無い事が明らかになりました以上、彼女自身は公人では無く未成年の一少女でありますので、その報道に関しましては慎重を期されますことを皆様には強くお願い致します」

要は今後の報道では彼女を少女Aとして仮名で扱い、写真や映像も控えるようにと言う通達だったがこれは今さらだった。
今まで王女として扱われてきただけに、公人としてその姿がマスコミに散々映し出されてきた。特に今回の騒動を通じて写真も映像も世界中に配信されており、それら全ての回収や破棄が殆ど不可能な以上、エイメと呼ばれている少女の姿は記録に残り続け、そして残りの一生を偽者王女として後ろ指差されて生き続けることになるのだ。

この記者会見の様子は、世間の注目度が高かっただけに全世界に生中継されており、王太女として離宮にいたエイメも当然それを視聴していた。
しかし何事もない結果だけが発表されるだろうと固く信じ、そして楽観視していた今日の記者会見の結果が、思いもよらぬ波乱に満ちたものになっていることに彼女はただ茫然となり、その場に立ち尽くした。

「なんで…どうして…こんな結果が出るのよ…!?」

自分はまぎれもなく前王太子パトリックとその妃グレースの娘として、この国で生まれ育った王女エイメに間違いないし、その記憶もちゃんとある。それ以外の何者かであった認識など欠片も無いと言うのに、科学的な検査結果は完全にそれを否定した。
一瞬、検査結果が捏造されたものではないかという疑惑が脳裏を掠めたが、自問自答の末にそれはすぐにも否定された。

大国アメリカの、それも一流大学の高名な教授がそんなイカサマに加担しても何の得も無い。むしろそれが後でばれた場合、今まで築き上げた名誉や財を一瞬にして失う恐れさえあり、そんな愚行に好んで手を染めたがるとは全く思えなかった。
さらにはそのアメリカの有名TV局が密着取材をしていたのだ。これもまたそれまでの名声や実績と引き換えにしてまでやらせを行いたがる動機など無いし、彼らが取材と称して見張っていたも同然な以上、外部からの陰謀が入り込む余地など微塵も無かった。

そう考えるとあの検査結果は間違いなく真実のものだと認めざるを得ず、エイメは王族とは何の血の繋がりも持たず、どこの馬の骨とも知れぬただの小娘ということになってしまう。

「じゃあ…それなら…私は何なの…? 一体、私は誰なの…?」

自分の立っている地面が突如として崩れ、深淵がぱっくりと口を開け彼女を飲み込もうとしているかのようなアイデンティティの消失に直面し、エイメは混乱の極致にあった。
しかし彼女の混乱を置き去りに、運命の歯車はなおも加速を付けて回り続けていく。

突如としてエントランスの方から女官の悲鳴が上がり、大勢の人間の荒々しい足音が響いてきた。
不穏な空気を感じ取ったエイメが自室を出てそっとエントランスの方を窺うと、エントランスを入ってすぐのホールに、近衛兵と警察の合同チームがなだれ込んで来ていた。

「警察だ!」

「動かないように!」

その場の女官や侍従達を制して、近衛兵達が次々と離宮に足を踏み入れる。

「わ、私達は何も知りません!」

この制圧劇が、つい先程の衝撃的な検査結果発表によるものと察した侍従の一人が自分達の無関係を主張するものの、近衛の返事は素っ気なかった。

「それはこれから調べることだ。離宮内の人間は全て拘束させてもらう。外部との接触および外出は厳禁。当面離宮から出る事は許さない。取り調べが済むまでは大人しくしていてもらおう」

「は、はい…」

有無を言わせぬ近衛兵の勢いに呑まれ、侍従も女官も逍遥となる。
実際に彼らは何も知らないし、取り調べが進めばいずれその事が分かってもらえて解放してもらえるだろうという希望の下に、彼らは大人しく軟禁状態に置かれる事に従った。

それでも事件の最大の当事者であるエイメはそうも言っていられない。何も知らないし分からないのは侍従達と同じだが、真相がどうであれエイメの処遇が今までと同じようにはならないであろうことだけは確かなのだ。
一体何がどうなっているかも分からぬままに運命の激変に翻弄され、混乱する心のままにエイメは答えを求めて廊下を走り出した。

「ママ…! ママ…!」

相変わらず自室に閉じこもったままの母親を求め、エイメは奥の部屋へと駆け込んだ。そして彼女がそこに見出したのは、今も騒然とし続けている記者会見場の様子が映し出されているTVを茫然と眺めているグレースの姿だった。

「ママ…!」

同じ映像を見ていたことで、エイメはグレースもまた自分と同じように信じがたい気持ちでいることを疑いもせず、そしてその感情を共有したくて彼女に抱きついた。
だが返ってきたのは母親として傷ついた子供を宥めるための優しい抱擁などでは無く、忌わしいものを見るかのようにエイメを見下ろす冷たく凍てついた視線のみだった。

「マ…ママ…?」

例え今まで何度も期待が裏切られてきても、それでもエイメはグレースを母親として慕っていたし、グレースだとてエイメを娘として少しは愛してくれているはずであると信じて疑っていなかった。
先程発表された鑑定結果など何かの間違いだと思いたかったし、他の誰に何を言われてもグレースさえエイメを認めてくれるのなら、彼女はそれだけで十分だったのだ。

それなのにグレースはエイメの望みを、希望を、裏切り続ける。

グレースは思いもよらぬ運命の激変に翻弄される娘を力づけるどころか、愛情など欠片も感じ取れない突き刺すような視線をエイメへと向け、そんな目で見られたエイメは、愛する母からもう娘と認めてもらえなくなったのだろうかと絶望的な気持ちになった。
それでもそんなことあって欲しくないという気持ちから、エイメは必死にグレースに縋りついた。

「ママ…!あんな発表なんて嘘よね!? 私はママの娘でしょう? そうでしょう?」

DNAという動かぬ証拠によって否定された事実だと分かっていても、それでもエイメは一縷の希望に縋り、せめてグレースからだけでも肯定の言葉が欲しくて切々と訴えかける。

エイメのその様子はあまりにも必死で、そして弱々しく哀れを誘うものだった。
だから普通の感情を持つ者ならば、例え嘘と分かっていてもその場しのぎの慰めを口にするものだろうに、グレースだけは違っていた。
エイメの言葉の何が癇に障ったのか、血走った目を見開いて身体をわなわなと震わせると感情を爆発させる。

「あなたのせいよ…!!」

「……え……」

望む言葉が貰えないどころか、グレースの口から放たれたのが否定的な言葉だったことで、エイメはもう絶望する気力さえ無くし、その顔をみるみる青ざめさせていった。
しかし自己の憐憫の念に囚われるばかりのグレースは、目の前の少女の絶望を思いやる余裕など最初から持ち合わせておらず、ただただ自分の感情を叩きつけるばかりだった。

「あなたのせいよ! あなたが生まれたからこんなことになったのよ! あなたさえ生まれなければこんなことになっていなかったわ! どうしてあなたのために私が責められなきゃいけないの! お父様だって! パトリックだって! みんなみんな私を責めるのよ! もう嫌よ! もうたくさんよ! あなたなんか生まれなければ良かったんだわ! あなたなんか産まなければ良かった!!」

やがてグレースは激昂した感情のままにエイメに向かって手を振り上げ、彼女の顔と言わず身体と言わずがむしゃらに殴打した。

「やめて! ママ! やめて!」

最後の希望だった母親からすらも否定され、そして容赦なくぶたれることに、エイメの心はズタズタに引き裂かれていく。
やがて室内の騒ぎに気が付いた侍従や女官達が駆けつけてきて、明らかに錯乱状態にあるとしか思えないグレースを宥めようと一斉に止めに入った。

「妃殿下、お鎮まり下さい!」

「とにかく落ち着かせるんだ!」

「おい! 『その子』を部屋の外へ!」

「とにかく妃殿下のお目に触れさせるな!」

グレースの狂乱の原因がエイメにあると察した侍従達は二人を引き離し、エイメを別室へと避難させた。
だがそのエイメに付き添ってくれた侍従は、グレースを宥めるのに四苦八苦しているだろう同僚達を助けにいくためなのか、部屋につくとすぐに彼女一人を残して足早に去っていってしまった。
広いだけの室内にただ一人ぽつんと取り残される形になったエイメは、その扱いの軽さにただ茫然となる。

「…『その子』って言われた…」

『王女様』でも『殿下』でも『王太女殿下』でも無く、ただの『その子』扱い。
本物の王女をどうにかしてしまったのではないかという疑惑を持たれているグレースですら、それでもまだ疑惑の段階であるため一応は妃殿下扱いが続いているというのに、エイメは早くも侍従達から王族と見なされなくなっていた。

「…じゃあ、私は誰なの…? 一体、何者なの…?」

あの衝撃的な記者会見での発表からずっと続いていた疑問が、エイメの口から力なく零れ落ちる。
しかし誰に向けると言うでもなく放たれたその言葉を受け、軽い調子で応える声があった。

「君はエイメだよ。それは間違いない」

相変わらず真っ白なぬいぐるみのような愛くるしい容姿で愛嬌をふりまきながら、魔法少女のパートナーたるキュゥべえが軽く小首を傾げてそこに鎮座していた。

キュゥべえが口にした言葉は今のエイメが何より欲しい言葉だったが、それを本当に言って欲しかった当の母親から既に拒絶された段階では、それはもうただの気休めの言葉にしか聞こえなかったし、実際そうなのだろうと諦めの気持ちが湧きあがってくる。

「…じゃあ、どうしてあんな検査結果が出たの…?」

だから少し意地が悪いと思いながらも、エイメはキュゥべえのその言葉を否定する動かし難い事実を持ち出してきた。
だが意外な事に、それに口ごもるだろうと思われていたキュゥべえは何でも無い事のようにするりと答えを返してきた。

「そりゃあ、君が前王太子パトリックの子供じゃないからさ」





[28285] 【後編】
Name: 大内たすく◆8c1da007 ID:b51ec5d9
Date: 2011/06/12 21:31



「そりゃあ、君が前王太子パトリックの子供じゃないからさ」

「…え…? なんですって…?」

キュゥべえの思わぬ台詞にエイメは一瞬虚を突かれたが、言われた言葉の内容を理解しようと必死になって頭を働かせる。
そう言えば、先程グレースが狂乱してエイメにぶつけた台詞もよく考えてみると重要な示唆を含んでいた。

『あなたなんか生まれなければ良かった』

『あなたなんか産まなければ良かった』

存在そのものを根源から否定し、子供に投げかける言葉としてはひどく残酷な台詞だったが、それでもこの台詞から読みとれる事として、グレースはエイメが自分から産まれた子供であることを否定していないのである。
今、国中を騒がしている問題は、エイメがエイメ本人では無いかもしれないという事なのに、グレースはエイメのDNA鑑定の結果を知ってなお、それでも今いるエイメが自分から産まれた子供であることを確信しているのである。

そういえば、今回のDNA鑑定でエイメとの血縁関係の有無を調べられた王族は、王族なのだから当然なのだが全て父方の親族ばかりだった。グレース当人はヒステリーを起して検査を受けていないため、母親とエイメの血縁関係までは調べられていない。
王族との血縁関係が否定されたことで、以前からの疑惑と相まって世間は一斉にエイメに対してすり替え疑惑を疑っているが、キュゥべえの言うようにエイメが最初からパトリックの実子でなければ、すり替えなど無くてもDNA鑑定の結果がああなるのはおかしくないのである。

全く違った視点からの可能性を示されて、少なくともすり替え疑惑は否定されたが、それでもエイメは全く喜べなかった。
もしキュゥべえの言う通りなのだとしたら、偽者王女扱いの方がまだマシだと思えるほどだ。まさか自分が、母グレースの不倫の果てに生まれ落ちた不義の子だったなんて考えたくもなかった。

「どうして教えてくれなかったのよ!? キュゥべえ!」

「聞かれなかったからさ」

思わずキュゥべえを詰ってしまうが、それはさらりとかわされてしまった。怒りの行き場を失って、エイメは深く項垂れた。

「どのみち私は…王族なんかじゃないってことね…」

すり替えの偽者であれ、不義の子であれ、王家の血筋でない以上、王太女の地位も王女の身分も剥奪されて当然の存在ということになる。

「じゃあ…私の本当の父親は誰なの…?」

答えが返ってくるとも思っていなかった問いに、それでもキュゥべえは律儀に答えてくれた。

「某国の外交官の男性だよ。火遊び好きの伊達男で、王宮の窮屈な暮らしに辟易していた君の母親は彼の危ない誘いに乗ってしまった。それでも双方共に本気ってわけじゃなかったし、互いの配偶者を捨ててまで添い遂げる覚悟も無かった」

互いの配偶者とキュゥべえが言っているのは、グレースに取ってのパトリックであり、そしてその外交官男性にも妻がいたという事なのだろう。
その場しのぎの快楽、爛れた大人の火遊びで自分という存在が生まれた事を知り、エイメは自分の存在価値すらも貶められていくように感じた。

「その人は今、どうしているの…?」

本当なら自分の実の父親だ。公にできない関係だけに不用意に会うわけにもいかないだろうが、それでもその近況くらいは知りたいと思った。
だが当たり障りの無い返事が返ってくるだろうと思っていたのを裏切るように、キュゥべえの答えは容赦が無かった。

「死んだよ。殺された」

「……!! 殺された? どうして? 誰に?」

今も健在だろうと根拠も無く思っていたその人が、既にこの世のものではないと知り、エイメは思わずキュゥべえに詰め寄る。
詰め寄られた方のキュゥべえは相変わらず淡々としたものだったが、言葉の内容は凄絶を極めた。

「直接殺したのはテロ組織だけど、国家全体の意思によって抹殺されたようなものだね。エリート外交官がいきなり紛争地に左遷されたんだから、死んでこいって言われたようなものだし、そもそもテロ組織がその外交官を襲撃している場面を誰も見ていない。事実としてあるのは、紛争地で某国の外交官が銃撃された遺体で見つかったということだけさ。そこから推測して、テロ組織に襲撃されたんだろうって安易な決着が図られただけだよ」

「国が特殊部隊を派遣して秘密裏に暗殺した可能性もあるっていうこと…?」

「まあその可能性は大きいだろうね」

「でもどうして殺されなきゃいけなかったの?」

「そりゃあ一国の王太子妃を誘惑して子供まで生ませておいて、ただで済むわけが無い。王太子妃みたいな高貴な女性に手を出すスリルを味わいたかったんだろうけど、火遊びの代償は高くついたよね。子供が生まれていなければ一時の情事と目をつぶってもらえて左遷だけで済んだんだろうけど、子供が生まれてしまった以上血の絆はあなどれない。君だってさっき、実の父親が別にいると聞いてその人物はどんな人間だろうと心が動いただろう? そんな具合に彼が実の父として君に影響力を発揮する可能性があった。表向きは王女として扱われている君の出生の秘密を握っているというだけで、それは国家に取って目障りな存在でしかない。で、後腐れがないように片づけられてしまったわけだ」

「…そんな…そんな…」

不倫は褒められた事では無いとはいえ、命を奪われるほどの事であるとも思えない。それなのに会ったことも無いその実の父は、国家の体面のためだけに殺されてしまったというのか。
そうやってエイメが衝撃に戦慄いているのをよそに、キュゥべえはいつもどおりの無表情で淡々と事実を述べ続ける。

「君の実の父親が遠い外国で不慮の死を迎えた事を知ったグレース妃は、大きなショックを受けた」

「それは…少しは好きな人だったんだから、当然でしょう?」

「いや。相手の死を悲しんだと言うより、自分の身を心配したんだよ。相手の男は明らかに口封じで殺されたわけだしね。だとしたら、自分だって消されてしまうかもしれないと思っても不思議は無い」

「…………」

多少なりとも愛した男の死を悼むより先に、自分の身の安全ばかりを考える薄情な女性だと自分の母親を評され、エイメは複雑な思いを抱く。
しかし母親がそのように利己的で、困難な事に直面するとすぐに現実から目を反らすような面倒な女性であることは、娘として側で暮らしてきたエイメ自身がさんざん実感してきた事だけに反論のしようが無かった。
そんな風に複雑な感情を渦巻かせるエイメの傍らで、キュゥべえの話はなおも続けられた。

「一連のこの出来事が起こったのが、君が三歳になるかならないかの頃だね。グレース妃は暗殺を恐れ、そしてこの秘密を知る一握りの人間達から不逞の輩として蔑みの目で見られることを厭い、じょじょに離宮に閉じこもるようになった」

キュゥべえの語る内容は、エイメの知る現実とも符合する。確かに母親のグレースはエイメがそのくらいの年には公の場から足を遠のかせていた。
しかしそれは後継者たる男児を産めないことに悩んでの事だとずっとそう思っていたのに、実際は不義の子供を産んだ不埒な女として見られることからの逃避であったとは、全く思いもよらぬことであった。

「この事は…みんな…知っているの…?」

キュゥべえの話しぶりでは、エイメが王太子パトリックの娘でないことは早い段階でばれていたということになる。

「そうだね。君が生まれたばかりの時は誰も疑っていなかったけど、成長するにつれて君と接する機会の多い王族や、当事者であるパトリックの間ではだんだんと疑惑が広がっていった。そして君が2歳くらいの時にこっそり検査が行われて、王太子パトリックとの親子関係が否定される事になる。その検査結果は広く知られているわけでもないけれど、王族と政界の長老クラス辺りは知っていたようだね。ただ前首相だったフォンテーヌ首相なんかは、政界では主流派でも長老クラスでも無かったものだから最初は知らなかったようだよ。そのくせ国民の人気は絶大で影響力も大きく、自分ならその当時は男児後継者がいなかった王家の危機を救えると自負しちゃっていたのがまずかったね。根回しも何も無しにいきなり王位継承法の改正をぶち上げて、裏面の事情を知る人間達の度肝を抜いちゃった。当然だよね。王族の血を欠片も引かない君が王位を継いでしまう事態になってしまうのだから」

王位継承法の改正に反対していた人達の中には、伝統重視ばかりではなくそういった裏面の事情を知った上で、実質的な王家のっとり劇を防ごうと必死になっていたものも居たことだろう。

「レジーヌ妃の懐妊で法案提出を止められたけど、危ない所だったわけさ。その頃にはフォンテーヌ首相も隠された事情を知らされて、自分が王家の救世主どころか王位簒奪の片棒を担ぐも同然の事をしでかしていたことを悟った。だからその責任を取って、事態が終息したところで潔く政界を引退したんだよ。もちろん後任のアルベール首相にもその事は申し送ってあったのだけど、君と僕の契約によって国民の方から王位継承法の改正を要求されちゃあ、政治家としては手も足も出ない。まさかグレース妃が浮気をしていたなんて国の恥をさらけ出すわけにもいかず、国民に真実を教えられないジレンマに悩みながら法案を議会に通す羽目になった」

「…そんな…」

自分が正しい事だと信じて願ったことは、物事の条理を覆し王家の血を引かない者が王位を望むと言う、身の程の知らずの大それた願いでしかなかったと思い知らされ、エイメはその顔を青ざめさせる。
そんな彼女の様子を知ってか知らずか、キュゥべえはなおも表情一つ変えることなく残酷な事実を告げ続けた。

「君は女児だったから、王位継承法改正前ならばいずれはどこかに嫁ぐという形で王家から出ていくことが見込まれていた。だからそれまでの辛抱だと、わざわざ真実を明らかにして王太子パトリックに寝とられ男の恥をかかせる必要は無いと、事情を知る者はみんな見て見ぬふりをしていたのに、王位継承法が改正されて君に王位継承権が振られる事態になってはもう見過ごすことはできなかった。このままでは王家の血を引かぬ者が王位に就いてしまう。それを防ぐための手段として、政府や事情通が真っ先に考え付いたのは君を暗殺することだった」

命を狙われていたと知らされ、エイメが恐怖にその身体を震わせた。
しかしキュゥべえの言う通りなのだ。王族の中で異分子はエイメ一人なのだから、彼女一人がいなくなってしまえば、改正された王位継承法のもとであっても、王位は正当な王族であり男性の継承者である叔父のエドワールに万事つつがなく引き継がれていく。
だがそうであるはずなのに、未だエイメは殺されることなく健在である。これはどういうことなのか。
その疑問を口にするまでも無く、キュゥべえが軽やかにしかし残酷に事実を告げた。

「でも君の祈りによって、王太子パトリックは不慮の死を遂げてしまった。この後に君まで早世してしまっては、パトリックの死が人知を超えるものだったとしても、君の暗殺をどれだけ自然死らしくみせかけようとも、世の人々は二人とも暗殺されてしまったと解釈するだろう。そしてその犯人は、二人の死によって王位を得たエドワールだと人々は信じて疑わない。真相が全く違ったものだとしても、みんながそれを信じるわけもない。そんな血塗られた玉座に、エドワールを就かせるわけにはいかないよ。それはエドワール個人の言われの無い苦難というだけではなく、王家に対する不信感を国民の間に根付かせてしまうことになって、下手をすると王家の存続さえ危うくなってしまう。王家の純血を守ろうとして君を取り除こうとしていた人達は、王家を守ろうとするからこそ君には手が出せなくなってしまった」

キュゥべえは何でも無い事のように、すらすらととんでもないことを語り続けていたが、その中に聞き捨てならないことが含まれていることにエイメは気が付いた。

「…待って。さっきなんて言ったの? 私の祈りでパパが死んだ?」

エイメの祈りとはすなわち『自分を王太子にして欲しい』というものだ。それによってパトリックが死んでしまったとは穏やかではない。
だが驚愕に震えて問いかけてくるエイメに対し、キュゥべえは涼しい顔で答えた。

「そうだよ? 何を言っているんだい? 君は『王太子になりたい』と願ったんだろう? 君の願いが叶うためには『女児にも王位継承権が与えられること』『その法律改正後に現在の王太子パトリックがいなくなること』という二つの条件が満たされる必要があった。そして君の祈り通りの結果が起こっただけなのに、何を今さら驚いているんだい? どうかしてるよ」

「…そんな…そんな…」

キュゥべえの語る真実に、今度こそエイメは絶望の只中に叩き落とされる。
今まで父親の死を叔父エドワールの陰謀ではないかと疑い、外敵の不安に脅え憤ってきたというのに、実際は自分の不用意な願い事が不幸の元凶だったと知り、エイメは自分の業の深さにただ身体を震わせ続けた。
そんな彼女の様子を、さも不可解だと言いたげにキュゥべえは小首を傾げて眺めている。

「君の願いは叶ったんだよ。それなのにどうしてそんなに悲しそうな顔をするのかな」

「違うわ! 私が願ったのはこんなことじゃない!」

「違わないよ。パトリックが王太子である限り、王位継承法が改正されても君はすぐには王太子になれない。だから王太子の席を空けるためにパトリックは死んだ。当たり前のことじゃないか。僕は契約に従って君の願いを叶えただけだよ」

「違う! 違う!」

血が繋がらないと知らされても、エイメに取ってパトリックはやはり父親だった。その父親に死んでもらってまで王太子になりたかったわけでは決してなかったのに。
そうやって首を横に振り、狂ったように否定の言葉を口にし続けるエイメの様子に、キュゥべえは駄々っ子でも相手にするかのように、わざとらしく溜め息をついてそれに応じた。

「はぁ…訳が分からないよ。さっきも言ったけれども、パトリックが死ななかったら君は間違いなく暗殺されていたんだよ? 今も無事なのはそのおかげなのに、どうしてそれを嫌がるのかな。本当に君達人間の思考形態は僕達の理解を越えている」

他者を犠牲にして自分が生きのびてしまった苦悩を、そんなふうに軽く評するばかりで理解しようともしない目の前の白い獣に、エイメは底知れぬ不気味さを覚える。
今まで魔法少女のパートナーとしてキュゥべえを信頼し、かけがえのない友達として大切に思ってきていたが、もう今ではその白く愛くるしい姿にすら禍々しさしか感じない。

エイメが最初にキュゥべえに出会った時は、彼の語る奇跡に狂喜し、その奇跡が成就することで幸せが訪れるだろうと信じて疑わなかった。
彼こそが幸せの使者なのだと信じていられたのに、それなのに今エイメの目に映る白い獣は、彼女に破滅をもたらす先触れの使者のようにしか見えてこない。
そんな風に胸の中で渦巻くやりきれない感情を整理しようにもしきれず、エイメの口から零れてくるのは取りとめも無い疑問の言葉ばかりになる。

「パパが死んだのが私のせいなら…お爺様が亡くなったのもそうなの?」

「それは契約とは関係ないよ。ただの事故死さ」

その言葉に少しは安堵したものの、それでも疑問は尽きない。

「莫大な借金があったというのは?」

「ああ、それはパトリック絡みだよ」

「どういうこと?」

自分のせいで死んでしまった仮初めの父と、祖父の死因に何の関係があるというのだろう。そこに不吉な予感を感じながらも、それでもエイメはキュゥべえの語る話から耳を離す事が出来ずにいた。

「王太子妃としてこの国で女性として最高に近い地位まで授けて迎えた女性に、おめおめ浮気された上に、自分の血なんか一滴も引いていない娘を自分の子供として扱わなければならないはめになったパトリックはいい面の皮さ。表面上は何気ない風を装っていただろうけど、内心では真相を全て世間にぶちまけた上で、君もグレース妃も離宮から叩き出してやりたかったろうね」

「………」

キュゥべえが語るその真実に、エイメは改めてかつての父の姿を脳裏に描いた。表面上は気鬱の妻やその娘を気遣う良い家庭人のように振る舞っていたが、一歩離宮の中に入ると途端にエイメ達母子を疎んじ、冷たい目で見下していた父の姿。
それを後継者たる男児を生まない妻と、何の足しにもならない女児のエイメを疎んじての事だと思い、かつてのエイメはその理不尽さに悔しい思いをしていたが、実際には王太子たる自分を裏切って適当な男と浮名を流し、しかも不義の子まで生んでそれを王女として扱わせているグレースの不貞行為に対して、パトリックが正当な怒りをぶつけていただけだったのだ。

「でも真相を世間にぶちまけたら寝とられ男として自分が恥をかくだけだし、そもそも王太子妃が浮気して子供を作って、その子供を王族として扱わせてもしばらくの間誰にもばれなかったという事実はあまりにもまずすぎるよ。そんな事が可能だったのなら、グレース妃だけでなく他の歴代の王太子妃の中にもそういう人間がいたんじゃないかって思える余地は出てくるよね? でもそうなったら今の国王陛下は? あるいは歴代の国王は? 本当に王家の血は連綿と受け継がれているのか? そういう疑問が湧いてきても不思議じゃない。そうなれば、一千年以上続いていると謳われている王家の神聖性が損なわれる大問題になりかねないよ。だから意地でも君の出生の秘密は隠し通されなければならなかった。パトリックに取ってどんなに腹立たしいことであってもね。それは他の王族や、王家を守りたい保守派の政治家達だってそうさ。さっきも言ったけど王位継承法改正前だったなら、君は遠からず結婚と言う形で円満に王家から切り離されるんだし、それまでの辛抱だとみんな秘密に蓋をして目をつぶることにしたのさ」

「それと、お爺様の借金がどう繋がるの?」

「だからパトリックは表沙汰に出来ないその憤懣を、グレース妃の父のリシャールにぶつけたのさ。お前の娘の不始末を償えってね。そしてパトリックには野心があった。立憲君主として君臨しても政治に関与できないお飾りの地位ではなく、もう少し実権を伴った地位を欲しがった。端的に言えば実際に政治を動かす政治家達への影響力を欲したんだ。政治家に影響力を持とうと思ったらお金が一番さ。なにしろ彼らは選挙のために莫大な資金を必要とするからね。その政治家達を抱き込むためのお金を、パトリックはリシャールに吐き出させた。そして娘の不始末で負い目があるリシャールは、パトリックのその要求に逆らえなかったのさ。国内有数の大企業の会長とはいえ、パトリックの際限ない要求に応え続けていくうちにさしもの財力も尽きかけて、ほうぼうに借金するはめになった」

「…そんな」

「それでもいずれパトリックが国王として即位して、政治家達に影の影響力を発揮するようになれば、そのお金も様々な利権に絡むという形で回収できたかもしれない。だけど、そうはならなかった」

「私が『王太子になりたい』と願ったから…」

「そう。パトリックが死んで、リシャールが彼に投資したお金は全て無駄金となって消えていった。残ったのは膨大な借金だけ。それでも君が王家の正当な血を引く本物の王女だったならば、次期女王の実の祖父として政界や財界に影響力を行使できてなんとか挽回できたかもしれないし、そもそも政府が次期女王の祖父が借金まみれなんて大恥を放置しておくはずも無い。税金を投入するわけにはいかないなんてただの言い訳さ。どんな国家にだって、公に出来ない事を処理するための裏金や機密費の用意くらいは常にある。なのにそれを使わなかった理由はただ一つ、政府は君を女王として即位させるつもりなんて最初からなかったからだよ。そんな未来の予定は無いのだから、その実の祖父が借金まみれで野垂れ死にしようとも一向に構わなかった。だから税金投入を拒否したのさ」

「じゃあ、今回のDNA検査騒ぎも…」

「もちろん政府の仕込みさ。それも何年にも渡る息の長い仕込みだった。君が王家の血を引いていないと言う真相を知る者に取って、王家を尊崇するからこそ王家の血に敬意を払っていたのに、その血を全く引いていない君が王位に就くなんて事はあってはならない悪夢だった。だから君を排除する事は何を置いても優先しなければならない絶対の正義だった。だけどパトリックの不慮の死がある以上、君を暗殺するという形でその即位を妨げることができず、それで社会的に抹殺するという形に切り替えたというわけさ」

キュゥべえによって語られるそれらの事実を聞かされて、エイメの頭の中でばらばらになっていたピースがあっという間に組み上がっていく。
思えば突然の英国留学も、その後帰国が一切許されなかった事も、どこからか湧いてきた自分の知的障害疑惑も、そして最後のとどめになった血液型が合わないと告発した正体不明の看護師の存在も。

それら全てが、エイメがグレースの不倫によって生まれた不義の子という疑惑を生じさせないために、知的障害をごまかすためにすり替えられたアカの他人であるというミスリードを生じさせようとして置かれた布石だったのだ。
すり替え疑惑ならば、王太子妃不倫とは違って王家の血筋の連続性に疑問を抱かせる事は無い。なぜならば、通常の王族は常に衆目に晒されているからだ。すり替えようにもすぐに気付かれてしまう。過去の全ての王族にすり替え疑惑が発生する余地は無い。

しかしエイメの場合は、政府によって意図的にその隙が作られた。長きに渡る英国留学と帰国許可を出さない事で、政府主導でエイメを衆目から隠し、国民から遠ざけた。
しかし国民には、どっちが主導権を握っていたかなど判断できるわけも無い。英国留学も本国への未帰還も、エイメの不都合を隠したいグレース達の側が行ったと思っている事だろう。

それどころかパトリックの不慮の死でさえ、そういった事に反対しただろう彼を目障りに思ったグレース達が殺したかもしれないという疑惑さえ成り立つのだ。
そういった疑惑を生じさせる動機付けとして、根も葉もないエイメの知的障害疑惑が政府によってばらまかれていたのだろう。

「あ…ああ…」

エイメは今まで自分の周りに起こる不都合な出来事は全て、不当に王位を狙う叔父エドワールの差し金に違いないと思い込み義憤に駆られていたが、実際に不当な王位を得ようとしていたのはエイメの方だった。
そしてそんな不正義を犯させないために国家の最上層部が一丸となり、何年にも渡って策を弄し布石を打ち、エイメを破滅させるためだけに動いていた。

国家全体からその存在を疎まれ、忌避され、排斥される事こそが真の正義の行使なのだという、彼女に取って最も残酷な現実を悟り、絶望の暗闇の中へとエイメは叩き落とされた。
そうやってへなへなと床の上にへたり込んだエイメをよそに、キュゥべえは相変わらずすました無表情で語り続けている。

「この策で一つだけ危なかったのは、君とグレース妃の親子関係の確認をされることだった。『今の王女は以前の王女とは別人である』というミスリードをしたいのに、グレース妃との親子関係が証明されてしまっては、その理屈がおかしなことになる。場合によってはグレース妃の不倫という真実に辿り着かれてしまう可能性だってあった。でも政府の側は彼女の性格を知り抜いていた。困った事に直面したら、すぐに閉じこもってしまう逃避型の性格をね。エイメがパトリックの血筋でないことはグレース妃が一番よく知っているのだから、他の王族達とDNAを比較されたら身の破滅なのが分かっていた。分かっていても彼女にはどうする事も出来ず、検査を拒否して自分だけが部屋に閉じこもるのが関の山だったと言うわけさ。ま、仮に検査を受けられたとしても、グレース妃一人のサンプルくらい内部に潜り込ませた政府の人間に命じて、うっかりミスを装って破棄させるくらいなら出来たんだよね。またその程度のトラブルならば、ある意味検査が公正に行われているかどうかを監視する役割を負わされているTV取材陣達も、検査妨害だなんて思わないだろうしね」

聞いてもいないことまで喋り続けるキュゥべえの言葉をぼんやりと聞きながら、エイメはあの日の母の行動を振り返っていた。
確かにあの日、グレースは最初はエイメの検査も拒否し、病院に行くのを嫌がっていた。DNA検査をされればエイメがパトリックの子供で無い事がばれてしまう恐怖から、ああも頑なになっていたのだと今なら分かる。
それでもあの時点で拒否し続けても、ミスリードされた国民の疑惑が膨らむばかりで根本的な解決にはならなかっただろう。グレースの抵抗は無意味な上に、そもそもそれまで何の手も打ってきてはいなかったのだ。

王太子妃でありながら王太子以外の人間の血を引く子供を産むと言う大それた過ちを犯しながら、彼女はこれまで何の責めも罰も受けて来なかったし、自分から積極的に償いに動く事もしてこなかった。
公に出来ない事情をいいことに王太子妃の位に留まり続け、事情を知る者から責められてもただ閉じこもってやり過ごし、王家の血を引かないエイメが王位に就きそうになっている状況を積極的に後押しするわけでもないが、かといってそんな過ちが通ろうとしていることを止めようともしない。

ただ自分が責められる事、不利になる事さえ起こらなければいいと、仮にそんな事になってもそれら全てから目を反らし、現実に立ち向かうこともせずに全てが過ぎ去るのをじっと待つだけなのだ。自分さえ良ければそれでいい。そういう利己的な態度がグレースの一貫した姿勢だった。
そんな場当たり的な生き方を見透かして老獪な政治家達は知恵を集め、ついにグレースを追い詰めることに成功した。そうなってもなお彼女は自らの不見識を認めようとはせず、ただヒステリックに他者を責め、そして相変わらず自分の殻に閉じこもり続けるのだ。

『あなたのせいよ!』

『あなたが生まれたからこんなことになったのよ!』

『あなたさえ生まれなければこんなことになっていなかったわ!』

グレースがエイメに向けて言い放った言葉が耳朶に蘇る。
最初にグレースが過ちを犯さなければ良かっただけの事なのに、彼女は己の非を認めようとはせず、どこまでも他者に当たり続けるのだ。
それでもエイメは、心のどこかでグレースのその勝手な言い分をその通りだとも思ってしまう。

確かにエイメが生まれていなければ、例えグレースがパトリック以外の男性と通じたとしても、一時的に咎められて二度と繰り返さぬよう監視の目が付けられるくらいで、彼女が最終的にここまで破滅することは無かっただろう。
会った事も無いエイメの実の父も、王太子妃に手を出す不埒者として左遷の憂き目には遭っただろうが、それでも命を奪われるようなことにまでならなかっただろう。

言わばエイメは、グレースが過ちを犯した事を証明する動かぬ証拠だった。罪から生まれた存在だった。そこにあるだけで王家の尊厳を脅かし、過ちを犯した人間に罪を突きつけ続ける呪いでしかない。
その呪いに飲み込まれた祖父リシャールは、グレースの代わりに償いを求められ、財産をすり減らしたあげくに野たれ死んでいった。
そして仮初めの父パトリックですら、エイメの不用意な祈りによって理不尽に死んでしまった。
全ては、エイメという存在が生まれた事による悲劇だった。彼女さえ生まれなければ、誰も死なずに済んでいたかもしれない。

「う…うう…ううう…うわぁぁぁぁーーーー!!」

そんな自らを振り返り、ついにエイメは耐えきれなくなって床の上に身体を投げ出し、ただひたすらに号泣した。
その彼女の手元から、美しい宝石が転がり落ちる。魔法少女の証であるソウルジェムだった。しかしその美しい宝石も今のエイメの心境を即座に反映し、見る間に濁りを溜めこんでいく。

彼女の祈りは、願いは、呪いと絶望しか生まなかった。
母は破滅し、仮初めの父も実の父も理不尽に死んだ。祖父は無一文になって野垂れ死に、国家の中枢は正義のためにエイメを排斥しようとし、国民もエイメを認めない。
誰も彼女を望まない。誰も彼女を求めない。排斥され、消え去ることだけを望まれていた。最初から、生まれる事すら望まれていなかった。

自分のしてきた事、望んできたこと全てが否定され、呪いと絶望の中にエイメは飲み込まれていく。手元のソウルジェムは、あと少しで暗黒に染め上げられようとしていた。
彼女のその様を見届けながら、傍らにいたキュゥべえは無表情の下でほくそ笑んでいる。

「エイメ。君の願いは王太子になることだった。そして僕はその願いを叶えた。王太子にはなれたのだから、その地位が安泰であるかどうか、次期女王になれるかどうかは僕の関与するところじゃない。さて、君のソウルジェムは一体どんなグリーフシードに変化するんだろうね」

だがその時。異なる世界、異なる宇宙、異なる時間軸において、全ての世界、全ての宇宙、全ての時間軸を貫く願いの言葉が発せられた。

『全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の魔女を全て、この手で』

その祈りは全ての時空を貫いて、今まさに絶望の中で魔女と化そうとしていたエイメのもとにも届けられる。

『今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい』

まばゆい光と共に、エイメの傍らに一人の少女が降り立った。そして暗黒に染め上げられようとしていたソウルジェムにそっと手を伸ばす。

『あなたの祈りを、絶望で終わらせたりしない。あなたは誰も呪わない、祟らない。因果は全て私が受け止める。だからお願い。最後まで、自分を信じて』

柔らかな慈愛の光に包まれて、濁り切ったソウルジェムが優しく浄化されようとしていた。

しかしエイメの絶望は深すぎた。

「無理よ! 誰も私を望まない! 誰も私を必要としない! 私は誰からも愛されなかった! 父も! 母も! 臣下も! 国民も! みんな!」

あらゆる全てのものから否定され、自分の存在が呪いそのものでしかなかったと思い知らされて、エイメは希望の魔法少女から差し出された手を振り払おうとする。それでも桃色の衣装を身にまとったその彼女は、諦めることなく手を差し出し続けた。

『いいえ。そんなことない。あれを見て』

そう言って、エイメの前に過去の風景が映し出される。

『エイメ王女が本当は王族では無いと!? どうしてそれを早く言わなかった!』

『こちらに打診することもせずいきなり王位継承法の改正を言い出したのはあなたですよ、フォンテーヌ首相!』

それは最初の王位継承法改正の際の、首相と宮内省の役人が言い争う風景だった。

『これでは私は王家の救世主どころか、王族で無いものに王位を与えるとんだ不忠者ではないか! 政治家として、王国の臣として、拭いがたい汚点だ!』

『ですから早く、継承法改正案を取り下げて下さい!』

『無理だ! 今から取り下げるにしても理由をどうする? まさか王女が王族で無い事をばらすわけにもいくまい? それに、国王陛下の孫世代に男児がいないことに変わりは無いんだ!』

『だからと言ってこのまま法案を通すわけにもいかないでしょう?』

『いや…法案を通す』

『フォンテーヌ首相?』

『法案が通ってもエイメ王女さえいなければ、改正法のもとであっても王位は正当な王家の血を引く方々に万事つつがなく引き継がれていく…その方がいい』

『…フォンテーヌ首相』

政治家として冷酷な決断を下す首相の言葉に、宮内省の役人が絶句する風景。
今さらこんなものを見せてどうするのかとエイメの瞳に涙が滲んだが、その風景が切り替わった。

『あなた、このままではエイメが殺されてしまうわ!』

『落ち着くんだ、レジーヌ。そうと決まったわけじゃない』

『いいえ。首相はもう決断されたそうです。法案を通した後に、エイメを殺すと。こんなのはあんまりです! あの子には何の責任も無いと言うのに! 継承法さえ改正されなければ、あの子は穏便に外の世界へと羽ばたく事が出来たのに、大人の思惑に翻弄されて命を奪われるなんて!』

『しかし、私達王族は政治に口を挟めない』

『いいえ、まだ方法はあるはずです』

『レジーヌ…まさか、君は』

『ええ、あなたと私で子供を作りましょう。法案が議会に提出されるまで、まだ時間はあります。その時に私が懐妊していれば、政治家達が下手な言い訳をする必要も無く法案を取り下げることができます』

『そうか…すまない、レジーヌ』

『あなた? 何を謝るの?』

『なかなか懐妊しなかったグレース妃を慮って、次女を出産した後は子供を作るのを控えさせられていたのに、今度は絶対に子供を作らなければならない。それも体力が十分だった二十代、三十代を過ぎてからの過酷な出産だ。しかもこのタイミングで懐妊すれば、それは継承法改正阻止のためとどうしても受け取られる。つまり王位に野心があるように見られてしまうだろう。裏面の事情を知らないエイメやその周辺は、決して君に感謝などすまい。そんな労多くして報われる事の無い戦いの矢面に、君を立たせてしまう…』

『誤解されるのはあなたも同じなのですから、私の方こそ謝らなければなりません。それにそんなこと、何の罪も無い少女の命が救われるのと引き換えならばなんでもありませんわ。そもそも私達が王位を狙っていたというのなら、こんなぎりぎりではなく最初から男の子を産むべくしきりに懐妊を繰り返していたはずだと、物の道理が分かる人には分かるはずです』

『レジーヌ…』

『祈りましょう、あなた。神はきっと、私達に男の子を授けてくれます。エイメを助けるために…』

そしてまた場面が切り替わり、レジーヌ妃がその胸に生まれたばかりの赤ん坊を抱く姿が映し出された。
無垢な笑顔で母親に笑いかけるその赤ん坊を見つめ、レジーヌ妃が嬉し涙を流していた。その光景に、エイメもまた静かに涙を流す。

「あの子は…ウジェーヌは…私を救うために生まれたのね…私がいたから、あの子はこの世に生を受ける事ができたのね…」

『そうよ。あなたの存在に意味が無いなんて事は無い。誰もあなたを望まなかったわけじゃない。あの子の存在こそが、あなたの生の証なのよ』

希望の魔法少女が語る言葉に、静かにエイメは救われていく。だがそれでも、彼女の心に影を落とす闇は完全には払拭されない。

「でも…そんなあの子を…私は死んでしまえばいいと呪った…! 血が繋がらないと知っていてもなお、私の命を惜しんでくれた叔父様と叔母様を、王位を狙う野心家だと疑っていた…! 私は、どう償えばいいの…!?」

『あなたの叔父様や叔母様は、あなたに感謝されることなんて期待していなかったわ。それでも、あなたの幸せを祈らずにはいられなかった。あなただってそうでしょう? 例え報われなくても、お母様の幸せのためにあなたは祈った。その祈りは決して無駄じゃない、希望を持つ事は決して間違いじゃない。だから…祈って。あなたの幸せを願って生まれたあの子のために、祈ってあげて』

「でも…私の命はもう…」

既に暗黒に染まりつつあるソウルジェムはもう二度と元に戻らない。希望の魔法少女ができるのは、それがグリーフシードに変化しないように浄化するだけなのだ。
エイメの命は、もう間もなく尽きてしまう。

『でも、まだあなたの命は尽き切ってはいない。例え一瞬であっても、ほんの僅かな時間であっても、その気持ちに嘘は無いでしょう?』

祈ること自体に尊い価値があるのだと、希望の魔法少女は語りかけてくる。彼女の祈りによって救われようとしているからこそ、エイメはその思いを受け止める事が出来た。

「…ウジェーヌ…幸せになって…!」

今まさに命尽きようとする最後の瞬間。
一筋の涙を流しながらも、それでも口元には笑みを浮かべ、ただ純粋に他者の幸せを祈りながら、エイメは逝った。



改変された世界の中で、エイメという一人の魔法少女は魔女に変化することなく、ただその命を終わらせ円環の理の中に消えていった。
ソウルジェムは消滅し、残された抜け殻は遺体となって発見され、その死因は不明のまま心因性ショックによる心不全と言う事で決着したが、エイメ王女のすり替えと本物の王女殺害の犯人として疑われていたグレースが、証拠隠滅のために偽者も殺したのではないかとも疑われ、長く論争になったがそれはまた別の話だ。

どちらにせよエイメと呼ばれた少女はグレース側が用意した偽者であり、利用されただけの哀れな被害者として大いに同情され、そして人々はすぐに彼女を忘れ去った。
偽者とされる少女の身元と、本物の王女捜索は長期に渡って続けられたが、そもそもが政府が仕組んだミスリードであるため解決などしようはずも無かった。

グレースに対する疑惑は証拠も無いため立件することが叶わず、逮捕も裁判も結局は行われなかったが、国民も世論もそれを認めず、グレースが知的障害を持って生まれてきた娘を疎み、またその事が知られれば王位継承が叶わないと思って本物の王女に手を掛け、替え玉を立てて、次期女王の母親としての自己の地位の安泰を図ろうとしたのだと信じて疑わなかった。

王女殺害疑惑。王族で無い者を王位に就けようとした反逆行為。無関係の少女を巻き込み、おそらくは親元から誘拐あるいは人身売買に手を染めて替え玉を立てた疑惑。それらの犯罪行為に反対したであろう前王太子パトリックに対する暗殺疑惑までつけ加わり、官憲による逮捕も裁判による判決なども必要無いほどに、グレースは王国始まって以来の希代の悪女として人々から謗られた。

それはいわれのない罪ではあったが、彼女は全くの無実と言うわけでも無かった。
夫であり自分を王族に引き立ててくれた王太子パトリックを裏切り、軽はずみに他の男性と通じて不義の子を産みながら、体面のために公に告発されなかったのを良い事に王太子妃の地位に留まって現状維持を続け、償うことさえ考えなかったその怠惰に対する罰が、形を変えて彼女を襲ったと言えなくも無いのだ。

王国を揺るがしたこれらの騒ぎは世界中が知るところであり、世の人々全ては彼女が王国乗っ取りを企んだ大罪人だと信じて疑わなかった。
疑惑の目に囲まれたグレースはもはや前王太子妃の地位を保つ事は出来ず、正式には裁かれなかったものの、殺害疑惑は置いておいても表向きには王女の行方が知れないということになっている以上、母親としての監督責任を問われて王家を放逐され、ただの一般庶民として世間に放り出された。

夫は既に無く、実家も借金まみれで跡形も無くなっており、何の身分も取り柄も無いましてや殺人者の疑惑を被せられた女が、一人で生きていけるほど世間は甘くない。
特ダネを求めてハイエナのように群がってくるパパラッチを相手に無実を吠えるも、真実を言えるわけもない彼女の論旨は無茶苦茶で、下手な言い訳としか受け止められなかった。

スキャンダルの種になり、人々に疑惑と嘲笑の目で見られ続け、やがて世の人々に飽きられ忘れ去られて、グレースの最後を知る者はいない。



そうやって時は流れていく。

世界中を下世話な好奇心で釘付けにした王国の騒動も時の流れと共に忘れ去られ、気が付けばパトリックの弟のエドワールが王太子となり、その娘や息子であるウジェーヌは次代の王国を継ぐ王族として国民から愛され、暖かい尊崇の眼差しで見守られていた。
あんな騒ぎなど無かったかのように王国は平穏を取り戻し、まるで最初からエドワールが王太子であったかのように、かつての王太子パトリックとその妻子のことは話題にもならず、王室報道に上ることも無くなった。

長子優先の王位継承法ですらも、現王太子エドワールに次いで王位継承第二位になった長女ヴェロニクと王位継承第三位の次女ベルティーユが、弟であるウジェーヌとその子孫に王位を継がせるために自身は決して結婚しないであろう旨を何かにつけてほのめかすため、うら若い王女達が結婚できないとは何事と、それこそ人権侵害だと国民が騒いだが、本人達の固い決意の前にどうすることもできず、こうなっては王女達が心おきなく結婚できるようにと、王位継承法を本来の父系に戻す顛末となった。



穏やかに移り変わる季節の中で、王室墓所の一角に一つの墓がひっそりと建っていた。そこには何の墓碑銘も刻まれておらず、誰のものかも分からない。
そこに一組の夫婦とその末息子が墓参に訪れる。名も刻まれていない墓標を見つめ複雑そうな表情をのぞかせていたのは、現王太子のエドワールだった。

(…エイメ)

かつてエイメを追い詰めた政府の策謀を、エドワールももちろん承知していた。しかし王族の一人として、王家を守る者として、王家の血を引かぬ者が王位に就くことに激しいジレンマを覚えていたからこそ、それに反対はできなかった。

あの策謀では、エイメはあくまでグレースやその取り巻きに利用されただけの被害者という位置付けになり、政府に保護されて新たな戸籍が与えられ、マスコミからも人々の中傷からも守られて人生をやり直せるはずだった。
だからこそエドワールも政府の策謀の全容を知らされながらも、王室から離れて生きることができればそれが一番だと信じて、留学を終えたエイメが国に戻ってきた時、彼女を待つ運命に顔を曇らせながらも事の推移を見守った。

それなのに衝撃が強すぎたのか、それとも自殺だったのか、あるいは自暴自棄になったグレースの手にかかったか、エイメはその短い生涯を終えた。
もっと他に方法は無かったのだろうかと自問しながらも、エドワールは答えを出せずにいた。きっとこれからもずっとそうなのだろう。
そんな風に黙って墓石を見つめる父親の様子を、傍らにいたウジェーヌが不思議そうに見上げている。

「お父様。このお墓…誰のものなのですか?」

問いかけてくる息子に、エドワールが静かに答えを返す。

「うん、これはね。お前が生まれるためにこの世に使わされた女の子のお墓だよ。この子がいたからお前は生まれたんだ。だから…祈ってあげて欲しい。この子の冥福を」

「……? 分かりました」

父親の言う事が半分も理解できなかったもののその真剣さだけは分かるのか、ウジェーヌは胸の前で手を組むと静かに祈りを捧げる。

墓石の上に置かれた花束が、風に吹かれて静かに揺れていた。










こんなつたないお話に最後までお付き合い下さりありがとうございました。
ア●ターゾーンとか笑●せぇるすまんとか悪魔の●嫁みたいな、人外と関わったことで自分の中の望みや欲に振り回され、破滅してしまう人間の軌跡みたいなものを書いてみたくなったのです。
きっかけは原作のキュゥべえの台詞「魔法少女としての潜在力は、背負い込んだ因果の量で決まってくる」「一国の女王や救世主ならともかく」でした。

だったら一国の女王や救世主を勧誘していればいいのに
→たぶん無理なんだろうな。キュゥべえの姿が認識できないとか、他の条件が揃わないとかそんな感じで
→でも全くいなかったわけじゃないよね? クレオパトラらしき人いたし
→クレオパトラの願いって史実に照らし合わせて考えてみるとたぶん「エジプトの女王になりたい」とかだったんだろうな
→それで願いどおりに「エジプトの『最後の』女王」になったわけだ…
→なんとえげつない願いの叶え方。まさにQB

こんな感じに「王位を望んで、その望みに裏切られ絶望する王女」というイメージが固まり、それにそって話を考えてみたらこんな感じになりました。




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