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[28470] 風炎のイザベラ
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:39

 『タクティクスオウガ』からヴォルテール召喚。



[28470] 01 召喚
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:07

 ガリアの首都リュティスの東端に位置する、王家の人間が住まうヴェルサルテイル。
 その中心、現ガリア王ジョゼフ一世の為政するグラン・トロワから離れたところにある小宮殿プチ・トロワ。
 薄桃色が特徴的なその宮殿の、春のうららかなる陽射しを浴びる中庭。
 ガリア王国の王女にして、ガリア国内の裏の仕事を一手に引き受ける機密の騎士団――北花壇騎士団の団長たるわたしは、そこにいた。
 その理由は、騎士団の一員であるシャルロット――通称七号、別名ガーゴイル、人を人でないかのような見方しかできないあの忌まわしき感情欠落者、いや欠陥品と言うべき操り人形、そのくせ魔法だけはちょっとでき――いや、ただ運がいいだけで、死ねば楽になれるというのにしぶとく任務から生き残って帰ってくるゾンビのごとき……まあいいや。
 とにもかくにも、わたしは今、この中庭でサモン・サーヴァントを行おうとしていた。
 今頃は留学先である小国トリステインの魔法学院で、同じく使い魔召喚の儀式に参加しているであろう“アレ”に対抗してのことだ。

 わたしは中庭の中央に歩み寄り、杖を取り出した。

 呪文は昨夜のうちに必死になって暗記した。魔法のことで努力したのはいつぶりだろう?
 遠い昔に「才能がない」と見る目なしの生意気な愚臣たちに陰で囁かれて以来、面倒で練習をやめてしまったのは……いや、どうでもいいことね。
 大事なのは今よ、今。
 過去のことをあーだこーだ言っても変わりはしない。そんな些細なことよりも、この“召喚”が重要だ。
 トリステイン魔法学院では生徒が二年生になると、彼らは全員使い魔を召喚することになる。それを思い出したのは先日の昼間、気弱そうな侍女をいびり飽き、ふと宙を仰いだ時だった。


 そういえばあのガーゴイル、どんな使い魔を召喚するのかしら?
   ↓
 どうせチンケで小汚い野禽、いやそれどころか本人にお似合いなゴミ同然の羽虫ね!
   ↓
 わたしがアイツよりうんと素晴らしい使い魔を召喚して、嘲笑ってやろう!


 要約するとそんな感じ。
 本当は優秀な才能が秘められているわたしなら、あのクソ生意気で悪運の強い人形娘よりも優れた使い魔を召喚できるに決まっている。
 サモン・サーヴァントは何が使い魔として来るか選べないけど……ま、もしちゃちいのが来たらその場で“始末”してしまえばいいのよ。使い魔が死ねば、また新しい使い魔を召喚できるんだから。

 わたしは杖を構える。深呼吸。精神を落ち着かせ、ゆっくりと呪文を紡いだ。

「我が名はイザベラ・ド・ガリア――」

 朗々と、声高に――全てはあのガーゴイルを惨めな思いにさせるためにッ!
 さあ、来なッ! 幻獣のなかでも最高位――“竜”! それがわたしに相応しい使い魔だッ!
 紛うことなきホンモノを見せつけて、わたしが有能なメイジだって思い知らせてやるッ!

 ――わたしのための、“力”よッ!

 そして――次の瞬間、強烈な風圧にわたしは吹き飛ばされた。無様に地面を滑り、草が服に纏わりつく。おまけに手がひりひりと痛んだ。擦り傷ができてしまったらしい。
 だけど、そんなことはどうでも良かった!
 自然と歓喜に震える。これだけ派手な登場なんだから、きっととんでもない大物に違いない!
 わたしは顔を上げて、いまだ砂塵が朦々とするなか、使い魔を確認しようとした。

 ……ああん?

 顔をしかめる。すでにそよ風が煙を晴らしはじめているのに、シルエット一つ見えなかった。
 竜は? アレを見下してやるための幻獣は? わたしの使い魔は?
 訳がわからず、わたしは呆然とした。上下を確かめるが、やはり“生物”の影は一つもない。そんなバカな……!

「だれか! さっさと来なさいッ」

 わたしの怒鳴り声に、数人の侍女が駆けつける。傷を確認しようとする侍女の手を払い、自分でもひどく冷たく感じる声で問うた。

「答えなさい……わたしの使い魔はどこかしら?」

 ひっ、と皆が皆、不愉快な声を上げる。その様子に苛立ちが募る。
 まったく、これだッ! わたしが何か言うたびにこいつらは戦々恐々とする。
 “お遊び”のときにはこういう様を眺めるのは滑稽だけど、なんでもないときにされるのはウザったいったらありゃしない!
 わたしは静かな怒気を湛えて近くの侍女を睨みつけた。ちゃんと答えなかったら……どうなるかわかるわよねぇ?
 こちらの意を察したのか、侍女はぶるぶると震える手で一点を指差した。だけど、そこに“生き物”はいない。
 わたしは侍女の首根っこを優しく掴んで、今度はほほえみを見せながら言った。

「ねえ、正直に言ってくれない? ――わたしが召喚した使い魔は、何かしら?」

 いよいよ顔を真っ青にした侍女は、やはり指先の方向を変えずに震える声を絞り出した。

「あ、あの、……剣です」

 わたしは邪魔な侍女を突き飛ばすと、召喚を行った地点へ歩み寄った。すぐに辿り着き、憤怒を目に宿して「ソレ」を見下ろす。
 どういう材質を使っているのか、その剣身は炎のような赤橙色。こういうのに疎いわたしでも、刃の鋭さでこれは相当なものであるとわかる。

 確かに、見紛うことなく、希望を打ち砕くように、それは剣だった。

 わたしは唐突にそれを踏みつけた。一回で収まるはずがない。何度も、何度もだ!
 出てきたのは意のものではなかった。というか、生物ですらない。ふざけんじゃないわよ!
 足蹴にした剣を拾い上げる。火のメイジに命じて溶かしてやるためだ。あとは地中にでも埋めてしまえばいい。
 それから再召喚を――

「な……ッ」

 だけど剣を握った瞬間、わたしは言い知れぬ感覚を得て絶句した。
 なんなのよ、これは。
 奇妙を通り越して、明らかに異常だ。
 王女という好きなことができる身分のため、これまでさまざまなマジックアイテムを見たり使ったりしてきたけど、こんなものはまるで記憶になかった。
 わたしはぐっと柄を握った。女には――いや、大の男でさえ出せぬような力。そんな力で、わたしは今、柄を握っている。
 震える。歓喜か、戦慄か。思わずくつくつと笑いを漏らしてしまう。
 最低最悪のものを召喚したと思っていた……だけど違った! 剣なんてメイジには不要? とんでもない!
 こいつには強大な力が秘められている。歴戦の傭兵がこの剣を持てば、たとえスクウェアクラスのメイジでさえ敵うかどうか。
 そして有能なメイジがこの剣を持てば……?

「――この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 コントラクト・サーヴァント。召喚した使い魔と契約するスペル。
 剣の魔力に惹きつけられるようにして、わたしはその剣の柄に口付けをしていた。……直後、あんな足蹴にするんじゃなかったと少し後悔。
 そして使い魔のルーンが刻まれ……ない?
 無生物相手に契約したらどうなるかなんて前例がないからわからないけど、こうして反応がないと不安が湧いてくる。

 ――直後、強烈な感覚がわたしの頭を襲った。

 ぐるぐると目眩がする。頭が痛い。これは、なに?
 視界が歪む。膝をつく。地に伏す。
 脳裏に一瞬、影が浮かんだ。あなたは、だれ……?

「…………ヴォル、テール……」

 わたしは意識を失った。





[28470] 02 炎の騎士
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:08

 彼は騎士ナイトだった。
 彼自身、そのことに誇りを持っていた。だからかもしれない。彼が悲愴の末路を辿ってしまったのは。

 彼は上司のレオナールに従い、神竜騎士団で力を尽くした。尽くそうとした。
 だが、その努力は結果を実らせなかった。
 彼とともに騎士団に入ったサラは、持ち前の弓の腕で評価され、皆からも慕われていた。
 だが一方、彼は前線で剣を振るうことしかできず、それでさえ戦局に寄与するほどの力もなかった。
 数回の戦闘を経て、騎士団でトレーニングを行っている時、彼は気づいた。

 彼は必要とされていない。
 それは味方の誰かから不意の投石を受けたことが物語っていた。

 それからのトレーニングでは、彼はいつも石を投げられた。
 誰も止めようとしない。誰も気にかけない。
 それはエスカレートしていき、いつしか誰もが彼を蔑むようになった。

 ――愚鈍な騎士ナイトめ!

 だが彼はそれに耐えた。石を投げる連中に同期だったサラが混じっていたのを認めても、彼は歯を食いしばった。

 なぜなら彼は騎士ナイトだったからだ。

 やがてヴァレリアの戦局は大きく変わり、ゴリアテの英雄デニムの解放軍指導者としての地位と名声は不動のものとなった。
 彼はその騎士団に依然としていたが、もはやデニムは彼のことなど歯牙にもかけていない。ほかの仲間たちも彼のことなどいないかのようだった。
 彼は当てにされていない二軍だった。
 だがそこには、彼と気の合う仲間もいた。騎士ペイトンとベイレヴラ神父である。
 ある日、彼は二人と一緒に酒を飲んでいた。そこで話題になったのは、現状への不満である。
 だが三人とも、それが詮無き愚痴であることを理解してもいた。
 なぜなら彼らは弱かった。デニム周辺のメンバーと比べると、戦闘の能力に雲泥の差があった。
 だが彼には思うところがあった。

 ――このままで良いのだろうか?

 彼は二人に提案した。我々でトレーニングを行い、一軍で活躍できるよう強くならないか、と。
 うまくいけば、出世できる。いままで蔑んでいた奴らを見返すチャンスでもある。

「奴らが驚く顔が楽しみだなッ。わっはっはっはっは」
「その暁には奴らに石でも投げてやるとしようか。わっはっはっは」

 二人は彼に賛同し、三人だけの特訓が始まった。

 それから時は流れ、ある日の晩のこと。
 彼はいつもの二人から、こんなことを言われた。

「デニムから話があるらしい」

 ペイトンとベイレヴラはにいっと笑っていた。
 ここ最近、この三人が訓練の成果で驚くほど強くなっていることは騎士団に知れ渡っていた。
 デニムからじきじきの話の内容とは――想像するのは容易い。日々の努力が実ったということだろう。
 その日、三人は遅くまで祝いの酒宴を続けた。

 翌日、三人はとある一室で待機していた。定刻になり、ほどなく一人の青年が姿を現した。

「待たせてすまなかった」

 その人物こそ、解放軍の指導者デニムであった。
 三人はデニムの次の言葉を緊張とともに待ったが、発せられた内容は首をひねるものだった。
 一人ずつ話がある、と言うのだ。
 なぜ三人まとめてでは駄目なのか。疑問は残ったが、彼らはデニムに従った。

 まずペイトン。次にベイレヴラ。そして最後に彼が呼ばれた。
 指示された部屋に入ると、そこは何もない簡素な部屋だった。目に付くのは、二振りの見慣れぬ剣くらいなものだった。
 困惑する彼に、デニムは一つの呪文書を手渡した。

 彼は騎士ナイトだ。魔法が使えるはずがない。
 そんな彼に、デニムは恐ろしいほどの無表情で言った。

 ――解放軍のために、その身と魂を捧げる覚悟はあるか

 その瞬間、彼は悟ってしまった。
 先に行ってしまったペイトンとベイレヴラはもしや――

 それでも、自分がどうなってしまうかわかっていても、彼はデニムの言葉に頷いた。

 ――彼は騎士ナイトだった。


   ◇


 目を開けると、見知った天蓋が広がっていた。
 わたしはいつも寝起きしている居室のベッドにいた。あの後、倒れたわたしはここまで運ばれたんだろう。
 窓の外を見やると、ほのかに赤い空が見えた。夕焼けではなく、朝焼けだ。ということは、意識を失っている間に一日経ってしまったのか。
 頭痛や目眩はもうない。けれども頭は寝起きのせいかぼんやりしていた。わたしは再び目を閉じて、思考をめぐらした。

 ヴァレリア島、ウォルスタ、ガルガスタン、バクラム。デニム、ペイトン、ベイレヴラ、そして――ヴォルテール。

 コントラクト・サーヴァントを行った直後、わたしの頭に大量の情報が流れ込んできた。
 ハルケギニアの人間にとってみれば、想像もできないような世界だった。あれが「東方」と呼ばれる地なのだろうか? いや、でも月が一つしかないなんておかしすぎる。……今は、考えても仕方ないか。
 わたしはゆっくりと目を開けて、上体を起こした。

「ふわあ……」

 うんと伸びをする。半日以上眠り込んだせいかちょっと気だるい。目をこすりながら、わたしはベッドから這い出た。
 直後、壁に立てかけられていたあるものを見つける。それはわたしの使い魔。かつては人間、そして今は持ち主に強大な力を授ける剣。
 わたしはそれ――ヴォルテールのそばまで歩み寄った。
 炎の剣。その剣身は80サントほどあるが、短剣のような軽さだ。そして何より驚くべきは、その能力。
 わたしはヴォルテールの柄を握り締めた。
 使い魔とその主は一心同体。ならば――

「――ラナ・デル・ウィンデ」

 ルーンを詠唱し、剣を振るう。
 刹那、風が前方の窓をその枠ごと変形させ、ガラスを粉々にして外へ吹き飛ばした。決してドットでは敵わぬ威力。ラインは行っているだろう。もしかしたら、トライアングルレベルまで上がっているかもしれない。
 にい、と口がつりあがるのを感じた。

「イ、イザベラさま!?」

 侍女の誰かが部屋に飛び込んでくる。わたしが振り向くと、その侍女は青ざめた表情で息を呑んだ。ああ、たしかに剣を持って笑っているのはちょっと危ないわね。
 わたしは侍女のそばまで近寄った。よく見るとひざまで震えている。あらあら、ずいぶんと怖がり。わたしは愉快な気分で彼女に耳打ちした。

「しばらく散歩をするわ。窓のほうは、なんとかしておいて」
「ひっ……は、はい!」

 もう昔のわたしではない。無能のわたしではないのだ。並のメイジを超える力、そして更なる上へ行く可能性を持っているのだ。
 そして、それを愚か者どもに見せつけてやる。ガリアの王女は有能だと。そして――

「くく……」

 最初に思い知らせてやるのはシャルロット、あんただよ!


   ◇


「お姉さま」

 ガリアの上空を一匹の風竜が翔けていた。その背には主である一人の少女を乗せている。北花壇騎士のタバサである。彼女は任務を受けるため、騎士団長のイザベラの住まうプチ・トロワまで向かっているのだ。

「お姉さま」

 苛立ちを含んだ声が響き渡る。しかしタバサはいっさい口を開いておらず、無言で読書をしている。この場に言葉を発するものはいないはずであった。何せここは上空三千メイル、周りにも物影一つ見当たらない。

「もう! お姉さまったら!」
「なに」

 と、タバサは本に目を離さずぽつりと訊いた。その相手は本来、比較的知能は高いが人との会話をできるほどではない生物だ。しかしタバサの使い魔シルフィードは、それが可能な伝説的な竜――風韻竜なのである。
 シルフィードはきゅいきゅいと怒ったようにタバサに話しかける。

「お姉さま! 少しは使い魔とのコミュニケーションを大切にするのね! シルフィ退屈!」

 シルフィードの叫びもむなしく、タバサは読書に耽るばかりである。
 どうしたらこの性格は直るのかしら、とシルフィードは思案した。学院でも付き合いがあるといってもいいのは一人だけ。それでさえ、素直に笑いを見せたりしないのだ。
 雪風に閉ざされた心を引き出してくれるモノ……。うんうんと唸って考えいていたシルフィードは、ふと閃いた。
 そうだ! 愛に違いない! 熱い愛情があれば、きっとお姉さまも明るくなるのね! そうすればシルフィともおしゃべりしてくれるわ! ……と、勝手にそんな結論に達した。

「というわけで恋人を作るのね!」
「なにが」

 いきなり脈絡のない使い魔の言葉にタバサは疑問符を浮かべるが、シルフィードは一人で語りに入ってしまっている。こうなったら手のつけようがない。適当に頷いて受け流すばかりである。当然、意識は本に向けられたまま。

「だからお姉さまも――いたっ」

 ポンと長杖で頭を叩かれて話を中断させられるシルフィード。
 きゅいきゅいと喚く自分の使い魔に、タバサはいつもの無表情で一言。

「着いた」


   ◇


 ガリアの王ジョゼフは無能王などと呼ばれ、蔑まれている。それは魔法の才がないことに加え、日々享楽的な生活を過ごしているからだ。
 そしてその王女たるイザベラも、同じく無能の娘とされていた。魔法がやはりうまく使えず、さらに使用人たちに対する粗暴な態度が評判を地にまで落としていた。
 そんなイザベラの任務を、タバサは淡々とこなしていた。
 たとえどんなに理不尽であっても。たとえどんなに危険であっても。逃げるわけにはいかないのである。心を壊された母がジョゼフの手中にある限り。
 幼いころはイザベラと仲良く遊んでいたこともあった。だが今は、そんな影はいっさいない。従姉であるイザベラがタバサに浴びせるのは、憎悪と嫉妬である。
 それは、まさしく劣等感によるものだった。
 タバサの父であるオルレアン公が、その兄であるジョゼフによって暗殺され、全てが変わってしまった。母は正体不明の毒に侵され、タバサは一介の騎士として裏の任務をこなす毎日。
 そんなタバサのなかにある感情は、全ての元凶である伯父のジョゼフへの復讐心だった。

「ねえシャルロット」

 そう、元凶はジョゼフである。だから、その娘には悪意を持つ必要などない。

「相変わらずの能面。つまんないわね」

 たとえどんな非道を受けようと、彼女に対して抱くのは哀れみくらいのものだった。こうなってしまったのも、もしかしたら自分の存在のせいかもしれない。そして自分がこうなってしまったのは、イザベラの父ジョゼフのせいだ。皮肉なものである。

「まあいいわ。早いとこ任務に移りましょうか」

 タバサはようやく意識をイザベラに向けた。長い口上は全て聞き流していた。ここにいるより……任務に向かうほうが幾分か気楽だ。

「今日、あんたを呼んだのは――」

 次に放ったイザベラの言葉に、タバサは初めて感情を揺り動かした。

「わたしとあんたで模擬戦をするためよ」

 にやりと獰猛な笑みを浮かべてイザベラが伝えた任務は、到底ありえぬものだった。


   ◇


 タバサはトライアングルの実力を持つメイジである。そして戦闘経験は並の騎士では及ばないほどある。もちろん凶暴な獣や亜人だけでなく、対人戦の経験もだ。
 だがイザベラは違う。魔法の才についてはさっぱり聞かないし、ましてや実戦の経験などあるはずがない。死地を潜り抜けてきたタバサとは天と地ほどの差があった。
 そんなイザベラが、タバサと模擬戦をすると言った。なんとも奇妙な話である。
 まともにやりあったらイザベラの敗北は必至。しかしそうはいかないだろう。何か裏があるはずだ。

「あんたはわたしの“部下”だからね。じきじきに稽古をつけてやろうってわけさ」

 そう言って、隣を歩くイザベラはまたもやにっと笑った。その顔は自信で溢れている。やはり勝ちを確信しているようだ。
 今、思いつくものと言えば、マジックアイテムだ。イザベラが腰に提げている布に包まれたもの……初めは杖かと思ったが、もしかしたらそれが自信の種なのかもしれない。

「さて」

 中庭の中央、タバサとイザベラは対峙した。
 目だけ上に向けると、晴天のなかをシルフィードが遠くで旋回していた。

「ルールは簡単さ。杖を落とされるか、降参するか」

 タバサは視線を戻した。
 イザベラは王冠や装飾品を外してはいるが、服装はとても戦闘向きとは言えない。べつに意図があるわけでもなく、彼女は戦いというものを知らないだけなのだろう。
 それでも勝つという自信があるということは、相当な代物だ。タバサは侮りをいっさい捨て、気を引き締めた。

「始めようか」

 その瞬間、タバサはかすかな驚きを顔に浮かべた。
 イザベラが腰に提げていたものをあらわにしたのだ。それは……剣であった。赤橙色の、炎のような剣。
 たしかにメイジのなかにも剣を扱える者はいる。しかしそれは軍人などの一部だ。魔法と剣を両立させるのは難易度が高いし、普通は魔法に重点を置く。
 これがトライアングルやスクウェアクラスのメイジならともかく、相手はイザベラだ。
 しかも、たとえどれだけ剣技に優れていようが、対メイジでそれが有効なのは接近したときに限られる。世の中にはメイジ殺しと呼ばれる平民も存在するが、それは如何にすれば己が優位に立てるかを熟知しているからこそだ。このような何の障害物もない中庭では、剣が魔法に勝てる道理はない。
 ならば、どうして?
 イザベラは剣を構えた。杖は……どこにもない。やはり剣で……? いや、もしかしたらあの剣が“杖”なのかもしれない。契約ができたのなら、魔法の行使は可能だ。
 しかし剣は傭兵……つまり平民の使うものというのがハルケギニアでの常識だ。王女たるイザベラがそこまでするだろうか?

「ふぅん、畏怖してるの? でもこれは“任務”よ。杖を構えなさい」

 任務……。そうだ、任務は果たさなければならない。やるしかない。
 タバサは杖を構えた。
 これは今までで一番難しい任務かもしれない。外敵なら手加減なしでできるかもしれないが、相手は王女で模擬戦だ。明らかに手を抜けば怒りを買うだろうし、無様な姿を晒させてしまったら恨みを買うだろう。
 まずは様子見だ。

「はじめッ!」

 衛士が声を張り上げる。
 タバサは動かない。イザベラは一瞬ルーンを唱えたが、そんなタバサを見て鼻を鳴らした。

「格下相手には先手を譲ってやるって? まあ、いいわ」

 ラナ・デル……。
 はっきりとした声でルーンを発声するイザベラ。やはり素人だ。命のやり取りをする戦場では、敵に情報をやることは己を不利にするだけであるため、メイジは相手にどんな魔法を放つか悟らせないように工夫する。
 来るのはエア・ハンマーだろうと推測したタバサは、イザベラより素早く、気取られないほどかすかな口の動きでルーンを唱えた。
 二人の呪文が完成したのは同時だった。そして魔法も同じエア・ハンマー。
 風と風がぶつかり合う。そして――タバサは吹き飛ばされた。
 視界に澄み渡った青空と、燦々たる陽が映る。その眩しさに少し目を細めると、遠くで心配したように忙しなく動いているシルフィードが見えた。
 ……威力は抑えていた。だけどまさか、こうも簡単に打ち破れるとは思ってもいなかった。
 さっと起き上がり杖を構えなおす。イザベラは悠々とこちらを眺めていた。どうやら今のが全力だったというわけでもなさそうだ。
 ラインは確実に超えている。認識を改めなければならないようだ。手加減などしていたら大怪我では済まない。
 イザベラはくつくつと笑いを堪えきれない様子。

「あらあら、身だしなみくらいは整えたらどうかしら?」
「…………」

 タバサは無言でずれた眼鏡を直した。

「ラナ・デル……」

 イザベラが再び呪文を詠唱する。相手の力が未知数すぎるので、真正面からぶつかりあうのは得策ではないだろう。幸い、イザベラは素直に……言いかえれば、バカ正直にこちらを狙ってきてくれる。

 ――風の槌が、駆け抜けた。

 跳躍と同時にフライを発動させたタバサは、エア・ハンマーをすんでのところで回避。フライを維持しながら、イザベラの周囲を旋回する。
 相手の焦燥と動揺が浮き彫りとなった。速すぎる展開に頭が追いつかぬ様子のイザベラを見て、タバサは目を光らせた。
 フライを解除。ルーンを唱えながら着地。杖をイザベラに向ける。イザベラがようやくこちらに振り向きはじめる。威力を弱めたエア・ハンマーが完成。同時にイザベラはこちらを振り向き終え、苦い顔を浮かべる。タバサの放った魔法がイザベラへと迫る。そしてその風は、傷つけぬ程度にイザベラを転ばせ……なかった。
 タバサの表情が凍った。おおよそ雪風の二つ名とは似つかぬほどに。
 たしかに、あの状況であの攻撃を見てからは回避行動を取るには取れる。しかしそれは、回避しようとする行動を取れるだけであって、回避できるものではないはずだ。なぜなら人間の運動能力には限界があるから。とくに日頃運動などしてようはずがないイザベラには、まず不可能なことだった。
 なのに、イザベラはそれをぎりぎりとはいえ避けてみせた。その速さは確実にタバサよりも上。驚くなと言うほうが無理がある。
 人の運動能力を増強させる方法はあるにはある。しかしそれは、薬物などリスクの多いものばかりだ。イザベラが使うとは思えない。
 だとしたら、やはり、あの剣が……。

「なかなか、やるじゃないの……」

 冷や汗をかいたイザベラが言う。しかし本当に冷や汗をかいているのはタバサのほうだ。

「はッ、相変わらず余裕な表情ね……」 

 すでに無表情を装っているタバサを見て、イザベラが不快を顔に浮かべる。
 どうするべきか、タバサは真剣に悩みはじめた。技量はないのに力だけはあるというのが厄介だった。翻弄ばかりしていても文句を言われるに違いない。
 そうこうしているうちに、イザベラの魔法が飛んでくる。タバサはフライで翔けまわり回避する。イザベラは魔法を放った後が隙だらけのため、その気になればいくらでも攻撃できるのだが……歯がゆいことに、そう簡単にはいかない。
 正直言って攻めあぐねていたのだが、イザベラには馬鹿にしていると思われたのだろう。

「ああ! ちょこまかと! 騎士なら正々堂々としたらどう!?」

 北花壇騎士に正々堂々などと言うのはどうかと思うのだが、口には出せまい。タバサは仕方なく、地に降り立った。
 互いに向き合い、対峙する。

「あー、もう。疲れたわ」

 ため息をつき、口元に手を当て、考え込むような動作をするイザベラ。終わりにしてくれるのだろうか?
 いや……違う。その目はまだ闘う気概を宿している。そして何かをぶつぶつと呟いて――

 …………!

 風系統を得意とするメイジだったからこそ、タバサは気づいた。その空気の振動に。
 おそらくイザベラは、この模擬戦中のタバサの行動を見て学んだのだろう。

「――……――……」

 ルーン。それも、この音と組み合わせは……広範囲を攻撃するトライアングルスペル!
 予想はしていたが、まさか本当にトライアングルに達していたとは。けれども今更、考えたってもう遅い。早く対策を!

 回避? 射程外まで逃げるには範囲が広すぎて避けきれまい。
 防御? ある程度は防げても、はやり相応のダメージは免れまい。
 攻撃? 今から放てるスペル程度では間に合わないし、相殺も狙えまい。

 だとしたら、できることは――

「フル・ソル・ウィンデ……」

 タバサは最速で呪文を唱えながら一瞬前屈し、そして地を蹴った。同時にレビテーションを自分に行使し、天高く跳躍する。トライアングルスペルの詠唱を終えたイザベラは当然、対象を捕捉しようとそれを目で追った。
 そしてイザベラは……顔を手で覆った。
 今日が快晴だったことに感謝するほかない。日の光を背に、タバサはレビテーションを解除。そしてすぐさま、詠唱の短いドットスペルを唱えはじめる。
 徐々に加速する落下。イザベラはなんとかもう一度タバサに照準を合わせようとする。だがそれが叶う前に、イザベラは吹き飛んだ。
 タバサの神速で紡いだドットスペルが当たったのだ。
 もしもイザベラが少しでも戦闘経験を持っていたなら、即座に魔法を発動していたことだろう。広範囲魔法であるがゆえに、おおよその位置へ放っても敵に当たる確率は高いのだ。素人ゆえの判断ミスにタバサは救われた形となる。
 だが、今は安心している場合ではなかった。
 地面に衝突する寸前、再びレビテーションで重力加速を殺す。ふわりと降り立ったタバサは、急ぎイザベラの元へと向かった。威力調整をしている暇などなかったため、不安は残る。従者や衛兵が駆け付ける様子がないのは、呆然半分、普段からのイザベラへの悪感情半分だろう。
 タバサが辿り着くと同時に、イザベラが上半身を起こした。それに少なからず驚いた。顔を歪めてはいるものの、そこまでダメージを負った様子がなかったからだ。
 どう言うべきか迷っていたタバサを、イザベラが睨んだ。

「……なんでお前は」

 その声は、心からの怒りと憎しみで塗れていた。

「なんでお前は……そんなに強い、そんなに優秀なんだッ。わたしはお前のせいで、いつも馬鹿にされてたッ。出来が悪いと……才がないと……! ふざけるんじゃないよ! わたしはわたしだ! お前なんかいなければ、わたしはッ……」

 イザベラの目には涙が溜まっていた。怒気と憎悪はいつのまにか悲嘆へと変わっていた。イザベラがここまで急激にランクが上がったのは、あの剣によるものなのだろうが……それをもってしても負けたというのは、相当な衝撃だったのだろう。大きな無力感は、いつもの傲慢な王女からは到底想像できないような姿をさらけ出していた。

 声が出なかった。
 わかってはいた。イザベラにだって苦しみがあったことを。まだ父が暗殺される前、その時でさえ、そういう声はたびたび聞こえてきたものだった。だからこそ、イザベラはよくタバサに意地悪をしたりしたのだ。あの時、それを理解してイザベラを救ってやれたなら、今の彼女との関係は違ったかもしれない……。

 だけどそれは、取り返しのつかない過去で。
 今はもう、己を信じて進むしかない。

「……約束しな」

 ふいにイザベラは、そう言った。

「約束しな! もう一度、勝負をすると。そして……次はわたしがお前を完膚なきまで痛めつけて、跪かせて、嗤ってやる。その時を……震えながら待っていなッ」

 睨む瞳には、いつもの深い悪意ではなく強い意志が宿っていた。イザベラのこんな目は初めて見たかもしれない。
 だからだろうか。タバサがそうしたのは。

「わかった」と任務の応答ではなく、個人の約束として強く頷いたのは。




[28470] 03 トレーニング
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:09

 静かな朝だ。窓の外の穏やかな風景を眺めながら、わたしはそんなことを思った。
 魔法関係の教本のページを捲り、ワインに口をつけ、ときたまあくびをして、そういえば、と気づいた。
 ここ数日、ほとんどの時間を独りで過ごしていた。自室にいるときはこうして魔法について勉強し、外に出たときは人払いした庭で魔法を練習している。前はやることもなく侍女と戯れていたが、今はそんなことをしているのも時間の無駄だと思えた。
 だけど、たまには人と話したくなるものだ。だから“彼”をここに来るように呼んでいた。……まあ人じゃないけれど。

「イザベラさま、ご希望のものをお持ちいたしました」

 と、出入り口の向こうから声をかけられた。女性の声だ。しかし、その言葉から目的の人物であると判断する。
 わたしが入室を許可すると、侍女が姿を現した。布がかぶせられたバスケットを左手に持ち、右手首から先をその中に入れている。
 一見するとまるで王女を狙いに来た暗殺者のようだが、その正体についてはもうわかっている。わたしは本をテーブルの端に置き、対席に座るよう促した。

「はてさて、今回はいかなる用件でしょうか」

 そう言いながら、侍女はバスケットからナイフを取りだした。
 インテリジェンス・ナイフ――意思を吹き込まれた魔短剣。手にした人間を操り人形に変えられるうえに、そのナイフの保持する魔力によって、宿主がメイジでなくとも魔法を使えるようにさせられるほどだ。
 そして今ここにある銀色のナイフは“地下水”と呼ばれ、裏では有名な傭兵であり、北花壇騎士の仕事も数多くこなしている。その正体を知っている者は、わたしを含めて極僅かしかいない。

「そうねぇ……。ま、ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
「私に、ですか?」

 地下水は眉をひそめた。……侍女の顔だけど。
 わたしは気にせずテーブルの上にそれを置いた。炎色の剣――ヴォルテールを。

「……これは」
「第一印象は?」
「入室した時から何か感じましたが、凄まじい魔剣ですな。いやはや、これは――」

 私よりよっぽど強い力を秘めている。

 その言葉に、わたしは少なからず驚いた。この地下水自身も他に類を見ないほどの強力なマジックアイテムだ。これまでの経験でヴォルテールの能力はある程度理解していたが、こうして彼のお墨付きを貰えるほどとは。
 珍しく好奇を湛えた声で地下水が問う。

「いったいどこから入手なされたのですか。このような剣、“先住”の力を使っても難しいと思われますが」
「召喚したのさ」
「は?」

 ぽかんとした表情に少しむっとしたが、仕方がないから説明する。

「サモン・サーヴァントを唱えたらソレが出てきたのさ。なんでかはわたしが聞きたい」

 地下水は唸り声を上げてヴォルテールを見つめる。触ってもいいかという願いを許可して、彼の感想を待つ。

「……イザベラさま」
「なにかしら」
「私のような、意思を持ったり強大な力を持った“モノ”は、いかにして作られますか?」

 わたしは当たり前のことを気だるく言う。

「極めて優秀なメイジや複数人のメイジが、入念に準備された特殊な条件下で“モノ”に力を付与するのが普通でしょう? 場合によっては魔石などを触媒に使ったりして」
「そのとおり。しかしこの剣は違う。これは――」
「人を剣へと変えた?」
「……ええ、そうです。わかっていらっしゃったのですか?」

 大体のことは、召喚後に雪崩れ込んできた記憶からわかる。……ヴォルテールがいかにして剣になったのかも。
 使い魔は主人と一心同体と言われる。一般的な使い魔とは感覚の共有などができるように、もともとは人であったヴォルテールの記憶が共有されても不思議ではない。
 でもまあ、そんなことはどうでもいいわ。
 必要なのは、すでにモノとなったヴォルテールをいかにして活用するかということのみ。そのために“人”と違って信用はできる地下水を呼んだのだ。

「地下水。任務だよ」

 わたしは口元を歪めて言った。

「わたしに闘う技術を教えな」


   ◇


 整然としていた芝生が暴風により刈り取られ、見るも無残な荒れ様をさらしていた。
 ちょっとやりすぎたかしら? 庭師は気の毒ね。

「……トライアングルでも上位の威力はありますな。さすが――」
「ヴォルテール、ってことでしょう?」

 わたしは鼻で笑った。
 あれから数日、地下水とともに主に魔法の練習をしていた。本を読むだけではわからなかったところを、地下水が直接指導するという形だ。おかげで、こうして目に見えて力も上がっていた。
 現状、総合的なランク付けをすればトライアングル。純粋な魔力の大きさで言えばスクウェアに近いレベルに達しているだろう。
 今なら確信できる。次にアイツと対決することになれば、わたしが勝つ。それも余裕を持って。

 だからどうしたというのだ。
 ヴォルテールの柄を握りしめ、眼前のトライアングルスペルによる惨状を睨みつける。

 それではダメだ。
 それでは意味がない。
 それでは勝ったことにならない。
 
 わたしの目的はアイツを完膚なきまで叩きのめし、あの余裕に満ちた表情を絶望へと変えること。
 そのためには、“当たり前のこと”であってはならない。
 あの試合の時、アイツはわたしの魔法を見て、それがヴォルテールにより強化されたものだと見抜いていただろう。そして内心で嗤いながらこう思ったに違いない。……ヴォルテールがあったからこそ、自分と拮抗できたのだと。
 だから次にいくら高位のスペルで勝っても、アイツはこう思うのだろう。……ヴォルテールがあったからこそ、自分に勝てたのだと。

 ああ、むかつく! 想像しただけでも腹立つわ!
 結局のところ、アイツのプライドをずたずたにする負け方をさせればいいのだ。負けの理由を転嫁できないような方法で……。
 とはいえ、そんなものはすぐに思いつくわけもなく。
 わたしは地下水の考えを聞いてみることにした。

「……ほう。なるほど、それなら良い手がありますよ」

 どこか楽しそうに地下水は言う。

「――魔法を使わずに勝ってはいかがでしょう」

 はあ? と言いかけたものの、その言わんとしていることはすぐに理解できた。
 つまり地下水は、純粋な物理攻撃で負かせと言っているのだ。公正な決闘でメイジが魔法も使っていない相手に負けたとなれば、それは大きな恥となろう。
 だけど、とわたしは地下水の提案に眉をしかめる。

「……わたしに剣を振るえと?」

 それではまるで傭兵ではないか。
 ヴォルテールという剣と契約したのも、そこに莫大な力が秘められているのを見抜いたから。剣ではなくマジックアイテムと見なしていたからこそ、それを許容したのだ。
 けれども振るったら本当に剣となる。また宮中の矮小なやつらどもが小言を囁き合うと思うとうんざりしてくる。

「いや、姫殿下。それは違いますよ」

 やっぱり楽しそうに地下水が言う。

「そもそもメイジ同士の戦いは、魔法の応酬……遠距離からの撃ち合いだけというわけではありません。殿下も騎士試合というものをご覧になったことがあるでしょうし、それに……つい最近あの『人形』とやり合ったことでご理解しているように、決闘は戦闘技術の総括です。その中にはもちろん接近戦の技術も含まれており、僅かな隙を突いて相手の懐へ潜り込み、華麗に杖を叩き落とすというものも存在します。軍人や騎士に接近戦に適した剣杖を用いる者も少なくないのは、そのためですな。さて殿下は王女であると同時に、“北花壇騎士団団長”であります。そのような技を持っても誰が文句を言えましょうか? この宮殿には平民と騎士ばかりで、闘いというものを知らず愚かで肥え、見苦しいほどに権威と伝統に固執する貴族などはおりません。また、先日プチ・トロワ内の聴き取り調査をしたところ、最近の王女は(部屋に籠もって迷惑をかけないので)前より良くなったと多くの者が答えております。これも皆がイザベラさまの行動を深く認めていることにほかなりませんな! というわけでイザベラさま、ヴォルテールという“杖”を存分に振っても問題はないというわけです」

 ……なんかやけに地下水が饒舌だけど、聞いてるうちにそんなものだと思えてくる。

「だけど、どうやって学べばいいのよ?」

 精神への働きかけたる魔法と違って、体術を学ぶには実際にやってみせる者が必要となる。しかし地下水はナイフであるし、プチ・トロワの使用人の体をずっと使うわけにもいかない。
 ……という問題を、地下水はことなげに答えた。

「それはまあ、私がイザベラさまの体を動かせばよいのでは」

 つまり乗っ取らせろというわけだが、それをわたしに向かって堂々と言えるとは。たしかに、自分の体を動かしてもらったほうが覚えやすいのだろうけど。

「……わかったわ。それでいい」

 とはいえ、わたしは地下水の提案を許可した。
 その気になればいくらでも悪事し放題な地下水であるが、そういったことはありえないとわかっている。
 なぜなら彼は、みずからを“道具”として見なしているから。
 道具は使われるためだけに存在し、自らの意思で人を使うようなことはない。そのことは彼の過去の業績が示していた。

 ……剣となった人は、どうなのかしら。
 ふと湧き出た疑問を振り払う。そもそも今のヴォルテールに意思があるかどうかすら怪しい。仮に意思があったとしても、地下水のように何らかのアクションが起こせなければ意味もない。
 結局、今日の魔法の練習は終了。明日から対“人形”用の体術訓練ということになった。おおよそ日暮れ前に居室へ戻り、軽めの夕食を取り、いつもより少々早めにベッドに身を横たえる。これでアイツを恥辱に塗れさせられると思うと高揚したが、魔法で精神力をけっこう使ったからかわたしはすぐに眠りに落ちた。


   ◇


 ぬかるむ湿地にあらん限りの力で踏み込み、眼前の敵へと剣を振るう。
 敵はそれを剣で受けようとしたが、遅すぎて簡単に弾かれる。剣は減速せずに敵の首を刈る。
 首を失った屍を、“彼”は血飛沫を浴びながら蹴り払う。休んでいる暇などない。敵はまだいるのだから。
 剣戟が悲鳴を上げ、矢が飛び交い、魔法が吹き荒ぶ。
 一瞬で絶命する者もいれば、辛うじて生き延びた者が回復魔法を受け再び前線に復帰する。
 そこはまさに戦場であった。
 これは映像だけ。だけれども、壮絶な死の光景が臭いとなってわたしの鼻孔を突く。
 吐き気がした。
 ……これが、闘い?
 違う、これは戦いだ。
 ただ殺すだけ。心を殺し、敵を殺す。当然、己が殺される危険も孕んでいる。
 そこに自分の意思は介入しない。
 ただ命令に従って、“騎士”として“彼”は戦う。それを見ながらわたしは思った。

 アイツも“北花壇騎士”として戦っているのだろうか?


   ◇


 嫌な夢を見て目覚めがいい朝なんてあるのだろうか? ……あるわけない。
 そんなわけで、わたしは最悪な気分で上体を起こした。

「……地下水」
「なんでしょうか」

 すぐに返事がくる。そういえばインテリジェンス・ナイフって寝るのかしら? ……どうでもいいか。

「あんた戦場には行ったことある?」
「私は武器ですからね。昔――といってもかなり前ですが、それなりに参加いたしましたよ。まあ、騎士としての任務地もある意味では戦場と言えますが。……どうかされましたか?」
「……いや、なんでもないさ」

 そんなことより、今は技術を身につけなければならない。闘う技術を。
 まだ気だるさの残る体に鞭を打って、わたしはベッドから降りた。ナイフを持った少女が立っていた。
 ……びっくりした。一瞬、暗殺者かと思った。
 わたしは心臓に悪い目の前のナイフを睨む。

「わたしを殺す気?」
「滅相もないことを。さすがに人の体を使わねば準備もできませんよ」
「準備?」

 そこで気づいた。テーブルにはすでに朝食が並び、ソファーには着替えと思しき服が置かれていた。……気が利くけど、さっきので帳消しね。
 顔を洗ってから、椅子に座って食事を取りはじめる。地下水は手持ち無沙汰に窓の外を眺めていた。その時、初めて支配している体のほうに目がいった。
 見ない顔だ。ということは、わたしとは直接関わらないような雑用の人間だろうか。歳は十五に達しているかいないかくらい、髪は妙に滑らかなブラウンで肩ほどまでの長さ、顔立ちはこれまた小奇麗でどこか淑やかさを感じさせる。

「その娘、平民?」
「……ああ、はい。まあ没落した貴族の末娘で、今は平民と言っても差し支えはありませんな。ここで働けるようになったのは僥倖と言えますが」
「ふぅん。体は使ってて大丈夫なの?」
「出自が出自なので、ほかの者よりも少々仕事を減らされているようです。こちらにしてみれば好都合ですな」
「とんだ災難ね」

 ま、ここで働かせてやってるんだ。これくらいは我慢してもらおう。
 軽い食事を終えて、わたしは着替えに向かった。ソファーに置かれた服を見て、わたしは眉をしかめる。

「なにこれ?」
「お召し物ですが」
「……ダサい!」
「それはまあ、戦闘に適したものとなると多少は簡素にせねば」
「なんとかならないの?」
「全てはあの人形に勝つためですぞ」

 ぐっ、とわたしは息を詰まらせた。たしかにこの前の模擬戦の時、服装の動きにくさは実感していた。背に腹はかえられない、か。

「地下水」
「なんでございましょう?」
「服」
「残念ながらお着せすることはできませんが」
「なんでよ?」
「ナイフを持ったままだと危険です。居室に料理などを持ってくる時でさえ、苦労したのですから」
「…………」

 こめかみがひくついているのがわかる。ああ、うざったい!

「だったナイフを放しなさい。そいつにやらせるわ」
「……よろしいのですか?」
「かまわないって言ってるでしょ?」

 少しして「では」と地下水は自分をテーブルの上に置いた。その瞬間、体の支配が解けて少女は意識を取り戻す。
 しばしの沈黙。
 ふいに少女は「え……?」と疑問と戸惑いの声を漏らす。当然と言えば当然だ。体を乗っ取っている間のことは、夢見のように思わせるといったある程度の誤魔化しが利くが、こうしていきなり見慣れぬ部屋に、しかも王女が目前にいるとなれば混乱せざるを得まい。
 わたしはちょっと面白くなって、少女ににやりと笑ってみせた。

「あらあら、いきなりこんなところまで来て、なんの用かしら?」
「あ……っ」

 どうやらわたしがこの宮殿の主だとやっと気づいたようだ。顔だけ見ても焦り慌てる様子が浮き彫りだ。

「それに……そんなナイフを持って、わたしを暗殺しにでも来たの?」

 わたしが視線をやると、少女もそれにつられてテーブルの上のものを見る。そこにあるのは、もちろん地下水。すぐに少女の顔が真っ青になっていくのがよくわかる。
 この表情が堪らないわ。アイツなんかよりよっぽどからかい甲斐がある。
 わたしは杖を持って少女のそばまで近寄る。幼さの残る顔が恐怖に凍りついている。

「どうしようか? ねえ?」
「あ……あぁ……」

 杖先で少女の頬をなぞる。その目には涙まで溜まっていた。

「魔法の練習台にしても……って、あ、おい!」

 倒れそうになった少女の腕を反射的に掴む。まさかこんなことで気絶するとは! いつもの侍女なら耐えてたのに……。

「姫殿下、やりすぎです」
「うるさい! さっさとこいつの体を操りなさい! あああああぁぁ! しかもこいつ漏らしてるじゃないの!」
「自業じ……あ、いや、ところで衛士が入ってきましたが」
「イザベラさま!? どうなされ……」
「ちょっと!? 勝手に入るなって言っておいたはずよ!? 問題ないからさっさと出て行きなさい!」

「……やれやれ」


   ◇


 空間にある水分を集める魔法「コンデンセイション」により、周辺――主に気絶した少女の鼠蹊部とその下の床から“水”を集め、そのまま窓の外へ放り捨てる。

「……で、なんでわたしがこんなことしなきゃいけないわけ?」
「まあそうおっしゃらず。魔法というものは些細な積み重ねで上達していくわけで――」
「うっさいわね! んなことわかってるわよ」

 ヴォルテールを握り、少女に切っ先を向けてルーンを唱え、魔法を放つ。対象に気付けをさせる水魔法だ。正直、今まで水の分野はてんでダメだったが、最近の練習とヴォルテールの力により実用的なレベルにまで持っていくことができた。

 努力という言葉なんて大っ嫌いだ。
 幼いころからずっとそう思っていた。
 初めて自分の杖を手にしたのが九のころ。契約を済ませた杖で、わたしは毎日のように呪文を唱えて杖を振るった。
 けれど魔法はぜんぜん上手にならなくて。
 いつしかわたしは杖を放りだしていた。魔法を使わなくたって、なんの不自由なく生きていけるのだからと。
 それでもわたしは心の奥底で想っていた。本当はすごい魔法を覚えてお父様や、そして従妹を驚かせてやりたいと。
 だからある日、わたしよりずっと年下のアイツがわたしが使えもしない魔法を易々と、そして得意気に披露したのを見て……わたしは……――

「イザベラさま……? 大丈夫でございますか?」
「あ……ああ。なんでもないよ」

 頭を振って意識を戻す。眼前には目を覚ました少女がゆっくりと身を起こしていた。

「お目覚めかい?」

 わたしの言葉ではっきりと覚醒したようだ。急にびくりと背筋を伸ばすと、わたしの持つヴォルテールを見て顔面蒼白になる。……忙しい人ね。仕方ないといえば、仕方ないかもしれないけれど。
 また気絶されてはかなわないので、わたしはヴォルテールを椅子に立てかけた。
 そのままソファのほうへ行き、あたふたとしている少女に向かって声をかける。

「こっちに来て、服を着させなさい」
「……え、え?」
「ほら、早くしなさいな」
「あ、あの、私のことは……」
「あんたのことはどうでもいいわよ」

 じろりと睨むと、「は、はいぃ!」と若干気の抜けるような返事をしてわたしの元へ駆け寄ってくる。
 ……やれやれ。 

「あなた名前は?」
「えっと、ノエルと申します」
「領地は、どこだったの?」
「……スランという土地です。リュティスから南西遠くにある、比較的海に近いところです」

 スラン。あまり耳にしたことがない土地だ。やはり小貴族の家だったのだろうか。

「あなた、没落してここに来たと聞いたわ。……経営難だったのかしら?」
「ええ。……父はどうもそういったところに無頓着で、気づいた時にはどうしようもなくなっていて」
「ほかの家族は?」
「母は数年前に病で他界しています。兄姉たちは親族を頼って他家に養子入りしたり、位の低い官職についたりしました」
「ん? 父親は?」
「それが、その……人様には言いにくいのですが、行方知らずで……」
「なによそれ、無責任ね」
「でも、根は良い人でしたから。きっと顔を合わせるのが恥ずかしだけなんだと思います」

 ……ずいぶんと生易しい考えだこと。

「恨んではいないの?」
「まさか。……一つだけ惜しかったことはありますけどね」
「それは?」
「――魔法学校に行きたかったことです」

 どこか寂しそうな声で、どこか口惜しそうな声で。
 わたしが脱ぎ終えた寝衣を畳みながら、ノエルは微笑を浮かべながら。

「私、魔法なんてコモンと初歩のドットスペルくらいしかダメで……。でも、ちゃんと学んで、練習して、そしたら、もしかしたら……鳥のように速く、疾く大空を翔れるかもしれない……って」
「……あなたには、ちゃんと貴族の血が流れてるんでしょう?」

 たとえ没落しても、その身に高貴なる血と、そして高潔なる心を持ち合わせていれば。
 そう、ちゃんと貴族メイジとして魔法を扱えるはずだ。
 だから。

「……今からだって遅くないわよ。努力すれば――」
「そんな、私、才能がないですから。さあ、お召し物はこれで全部で…………ぇ?」

 激昂して体が熱くなる。
 才能がない?
 ふざけるんじゃないわよ!

 わたしはテーブルの上に置いてあった杖を手に取る。
 ヴォルテールと違って、この杖は持ち主に超人的な力や強力な魔力を与えたりはしない。
 遠いむかし、何度も何度も魔法を一緒に練習してきた杖。……その時は、結果が実らなかったけれども。
 この杖で使う魔法は、ありのままのわたしの力。

「――才能がないだって?」

 イル・フル・デラ・ソル……

「きゃぁ!?」

 ノエルの腕を掴んで窓際まで引っ張っていく。
 何か言っているが、そんなことどうでもいい。
 わたしはノエルの腰に腕を回し、抱きかかえるようにする。
 そして、ゆっくりと息を吸い込み。
 杖を向ける。
 あの青い大空へ。

「だったら見せてあげるわよ! 無能と言われたわたしの魔法をッ!」

 そしてわたしたちは飛び立った。
 鳥のように速く、疾く――







[28470] 04 一歩ずつ、着実に
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:10

 ヴォルテールにより漲る力を全身に行き渡らせ、風を切り裂き大地を疾駆する。
 速い! 自分でも驚くほどのスピード。もともと運動は得意なほうではなかったが、それでも今の状態では強健な男子に匹敵するほどで走ることができる。地下水に一度全力で走ってみるように言われて、なんでそんなことを……なんて眉をしかめたけれど、こうしてみるとあまりの滑稽さに笑みが零れる。

 目印となる庭木まで辿り着き、わたしはゆっくりと減速し呼吸を整えた。
 左手に握った地下水に目を向けて「どう?」と少し自慢げに問いかける。

「いや……」
「なによ? はっきりと言いなさい」
「はい、全然ダメですね――――ちょ、投げ捨てようとしないでください」

 本当は投げたつもりだったんだけど、直前でわたしの体を操って止めたようだ。……下手なことを言ったら後でドロドロに溶かすことにしよう。

「で、理由は?」
「簡単に言うと、真の『全力』を出し切っていないということです。私が見たところ、まだ余力は充分にありました。まあこんなことをする機会も滅多にないでしょうし、正しい肉体運用は次第に身につけていけば良いでしょう」
「……あれより速く走れるの?」
「今のは五十メイルで六秒ほどでしたが、ある程度鈍った体を慣らして正しい走り方をすれば、四秒くらいまでは縮めらるかと」

 わりと真剣な地下水の言葉。それほどまで簡単に人間としての限界を超えられるとは、なんとなく己の使い魔に対して薄ら寒いものまで感じてしまう。

「実戦――つまり騎士試合においては、開始時の彼我の距離はおおよそ十五メイル前後。ヴォルテールの力を発揮し、最速で踏み込めば、剣撃の届く距離まで詰めるのに一秒ちょっと。その間に相手が唱えられるスペルはドットか簡単なラインが限界ですので、選択の幅をかなり狭めることができます。開幕を優位に持ち込めば、あとはぐっと楽になるかと」
「…………なるほど」

 さすがはインテリジェンス・ナイフといったところか。武器として永きを生きるだけあって、闘いに関しては詳しい。こいつに頼んだのは正解だったというわけだ。

 その後、地下水による本格的な指導が始まった。
 まず地下水がわたしの体を動かし模範とし、それを真似るようにわたし自身が体を動かす。やはり直接肉体を操るだけあって、その感覚はかなり捉えやすい。五分前にはまったくできなかったことが、嘘のように簡単にできるようになるのだ。おそらくヴォルテールが身体能力を強化しているのも大きいのだろう。

 体を一瞬沈め、バネのように踏み込む動作。
 いつでも瞬時に、適切な行動へと移行できるような構えと体勢。
 低姿勢で相手の有効打圏域から逃れつつ、得物で切り上げる技法。
 フェイントや意表を突く戦法などの、相手に与える肉体的・心理的な影響。
 学ぶことはいくらでもあった。
 身につけることはいくらでもあった。
 その膨大な量が、染み込むように頭と体へ吸収されて。
 はっきり言おう。わたしは途中からそれを楽しんでいた。アイツを倒すための手段として闘う技術を求めていたけれど、やればやるだけ向上するということで、いつしか快楽となっていたのだ。
 できないことができるようになって、それを喜ばない人間なんていない。
 そのために苦心し努力することが無駄ではないのだと、今更になって深く感じる。
 そのことをもう少し早く気づいていれば、わたしという人間はまた違った人間であったのかもしれない。

「はンッ」

 いずれにしても、過去など変えられないのだから。
 わたしは未来を見据えよう。
 心に決めた、アイツを屈服させてやるという意志を実現させるのだ。

 ……待っていなよ、シャルロット。


   ◇


「あなた、大丈夫なの?」
「へ?」

 いきなりの質問に、ノエルは素っ頓狂な声を上げてしまった。慌てて反芻してみるが、何を指して言っているのかもわからない。
 それを見て、尋ね主である同僚――ヴァレリーは呆れたような顔で、首をかしげたままのノエルに言いなおした。

「だから、その、仕事のことよ。……“あの”王女さまに目を付けられたんでしょ?」

 ああ、とノエルは納得した。
 先日、どういうわけかノエルは宮殿の主であるイザベラに名指しで異動させられたのだ。それも……なんとイザベラの側近としてだ。ただの雑用からそんな大役になるなんて、周囲の皆どころか本人でさえ仰天する内容だった。正直、今でも半信半疑なところである。

「ノエル、何かやらかしたの……?」
「え? えっと」

 例の一件以外にありえないだろう。だけれども、いったいどこがどういう理由でその配属に至ったのかは見当がつかなかった。そもそもイザベラに関しては“うわさ”くらいしか聞いていなかったし、彼女の真の人間性もあまりよく把握していない。
 だけれども。

「私がお会いしたかぎりはいいお方だったから、きっと大丈夫」

 はあ?
 というような顔をされた。……なんでだろう。

「……あんた正気?」
「え? えぇ?」

 べつにおかしなことは言っていないはずである。本気で混乱しているノエルの様子を見て、ヴァレリーは至極真面目な顔をした。

「いい? “うわさ”のとおり、あのお姫さまは相当な暴君よ。だって女官たちはみんな王女さまに不満を持っていたし、実際にひどいことをされた人も大勢いるわ。だから、あんなのに関わると絶対に危な――」
「違うよ」

 少し、怒ったような声。
 それがどうしても抑えきれなくて、漏れてしまった。

「……ううん。もしかしたら本当に、ひどい振る舞いをしていたのかもしれない。でも」

 それでも、あの日、あの時。
 ノエルを引っ張って青空へ連れていったイザベラの姿は、紛れもなく本物だった。
 今でも信じられないくらいだった。たかが没落した貴族に、そこまでのことをしてくれるなんて。
 だから信じようと思うのだ。自分のためにしてくれたのだから、今度はこちらが尽くすのだと。

「最近はずっと静からしいし、問題なんて一つも聞かないでしょ? きっと大丈夫よ」
「……気をつけてね」

 神妙な顔をする同僚に、なんだかノエルはおかしくなって笑ってしまった。

「な、なによ。人が心配してあげてるのに」
「ふふ、ごめんなさい。なんでもないわ」

 人のことなんて、実際に見てみなければわからないものなんだろう。
 そう思って、ふと気づいた。イザベラがノエルの父のことを聞いた時、きっと碌でもない人間だと思ったことだろう。やっぱりそういったことは仕方ないのかもしれない。

 それから“餞別”ということで二人だけのささやかな酒肴が開かれた。ヴァレリーが今生の別れのような面持ちだったことには苦笑するしかなかったが、心配してくれるということだけでも嬉しかった。
 時間も程良いところで切り上げ、早々に就寝し。

 そして朝が訪れた。

「……ん、うぅん」

 まだ眠気の残る体に鞭打って上体を起こす。壁時計に目をやり、時間は大丈夫なことを確認して安堵する。こんな日に遅刻などあってはならないことだろう。
 ベッドから出て、伸びをする。ノエルは目をこすりながら、向かいのベッドのヴァレリーを揺さぶった。

「ほら、朝よ。起きて」
「うぅ、もうちょっと……」

 こんなことなら昨夜のお酒はやめとくべきだったかな、とノエルは思いながら、でこピンをヴァレリーの額に放つ。瞬間、何やら獣のようなうめき声を上げながらヴァレリーが飛び起きた。目覚めはOKな様子である。まあ本人にとってはどうだか知らないが。

「ぼうりょく、はんたい!」
「……じゃあ起きてよ」

 呆れながらそう言い、ヴァレリーをベッドから引きずりおろす。よろよろと起き上がるその姿は、乱れきった赤髪と相まってだらしない以外の何物でもなかった。そんな同僚の姿に、ノエルは「はあ……」とため息をつく。

 数分後、なんとか立ち直ったヴァレリーとともに、二人は洗面所の冷たい水で完全に眠気を覚ましてから、宿舎一階の食堂に降りた。
 いつもと比べてかなり早めの起床だったのだが、それでも食堂にはすでに数人の同僚たちがいた。そのうちの顔見知りが、ノエルを見つけて駆け寄ってくる。
 話題は当然というべきか、やはりノエルの異動についてだった。本来ならば破格の昇進で喜ぶべきことのはずなのだが、皆が皆、口を揃えて心配する様子なのでノエルは微苦笑を顔に浮かべた。
 それから朝食を済ませ、部屋に戻り。
 昨日、届けられてきた服――側近となる女官用の衣服に袖を通す。部屋には全身を映せるほど大きな鏡はないので、不自然なところはないかヴァレリーに見てもらう。

「ど、どう?」
「んー」

 口元をニヤリとさせながらまじまじと見つめるので、なんだか気恥ずかしい。

「うん、大丈夫だと思うわ。あとは髪ね。やってあげる」
「えぇ? 自分で……」
「いいからいいから」

 若干無理やりに押されて、鏡の前に座る。
 ヴァレリーは櫛でノエルの髪を梳きはじめると、どこか感慨深げに言葉を紡いだ。

「そんなに長い間じゃなかったけど、もうすぐお別れねぇ……」

 あと三日。位や仕事が変われば、それに伴って宿舎も移動となる。つまり、ここの人たちとも別れなければならない。

「でも、会おうと思えばすぐ会えるでしょ? そんなに深く考えないでよ」
「そうかしら? もしかしたら、一週間もしたらあの王女さまのお怒りに触れて追放なんてありえるかも?」
「そんなまさか」

 冗談交じりの言葉にノエルは笑った。降格はあれど、早々に解職なんてよほどのことを仕出かさなければないだろう。
 しばらくしてヴァレリーが髪を梳き終え、全ての準備は整った。
 あとは王女の居室へ向かうのみ。
 ノエルは部屋のドアを開け、ヴァレリーのほうを向き直り。

「いってらっしゃい」
「いってきます」

 そして一歩を踏み出した。

 ――目の前に王女がいた。

「――――えー……」

 何これぇ……。なんか前にもあったような……。
 当然ながら、宿舎にイザベラがいたわけでは決してない。この場所はどう見ても、あの時見た王女の居室だった。つまりノエルがここまで移動したのだ。
 されどやっぱり、どうやってここまで来たのかは全く記憶にない。感覚的には瞬間移動したようなものだ。
 最後に残っている記憶としては、部屋を出た直後、いきなり誰かに右手を取られて――

「……あれ?」

 と思い、違和感のある右手に目を向けると、やはりというか銀色に光るナイフがあった。

「こっちとしては、一人くらいは使用人が欲しい。だけど、それには機密情報を知らせておく必要がある」

 イザベラはどこか楽しそうにノエルのほうへ歩み寄ってきた。薄着で透き通るような肌が露出しているためか、その美貌と相まって妖艶な雰囲気が漂っている。同性でもどきりとしてしまうほどだった。

「今からそいつを教えてあげる。ただし情報を洩らさないように、事前にあなたに魔法をかけておいたわ」
「ま、魔法ですか?」
「もし洩らすようなことがあったら、自殺をするようにさせる制約(ギアス)よ」

 一瞬、聞き間違えたのかと思った。
 しかしイザベラのにやりと歪む口元と嗜虐的な目を見てみると、冗談には思えない。

「ま、ちゃんとお口にチャックをしてればいいのよ。……わかってるわよねぇ?」
「は、はひっ!」

 舌を噛んでしまった。
 イザベラが若干呆れたような顔をしている。

「……だ、そうよ。地下水」
「あんまり自分の正体は、人に知らせたくないんですけどね。まあ命令とあらば仕方ありませんが」

 ……え?
 ノエルは周りを見回した。ここには自分とイザベラの二人しかいないはずだ。だが今、はっきりと男性の声が聞こえてきたのだ。それも……すぐ近くに。
 ゆっくりと右手に目を向ける。

「お初にお目にかかります、お嬢さん。勝手ながら体を使わせていただいたことについては、お許しいただきたいのですが……?」

 反応を楽しむような声色。見た目は全くの無生物たるナイフなのに、なぜだかその刃には奇妙なほど人間臭い光を感じた。
 ノエルはかつて経験したことのない事象に戸惑いながらも、確かめるように問うた。

「あなたが私を……?」
「はい。私を握った者は、私に肉体の制御を奪われることになります。……そう心配せぬように。任務や命令以外ではいたずらに人の体を動かしたりはしません」

 逆に言えば、必要な場合には躊躇わずそうするということ。ちょうどノエルをここまで移動させたように。
 不快か、と言われれば不快だった。というか、他人に体を操られて嬉しい人なんていないだろう。
 その感情が顔に出ていたのか、あるいは内心を予測していたのか、イザベラは微笑を浮かべながら言う。

「一種のデモンストレーションよ。実際に体験したほうがどのようなものかわかりやすいでしょ? ――これからの仕事を考えると、ね」
「仕事、ですか」
「そう。一つは、まあ簡単に言えば私の身辺の雑用。そしてもう一つは――」

 騎士団の仕事に関する補佐。
 そう言われて、いったい何を言っているのだろうかとノエルは疑問符を浮かべた。
 ガリアには三つの騎士団が存在する。ヴェルサルテイル宮殿の東・西・南の三方にある花壇から取り、それぞれが「東薔薇騎士団」、「西百合騎士団」、「南薔薇騎士団」と名づけられている。
 宮殿で働いている以上、イザベラがそのどれかについて深く関わる立場であるのなら、もう少し話を聞いてもいいような気がする。

「ただし、重要なのはここからだ。わたしが取り持っている騎士団は、公には存在しないことになっている」
「それって、つまり……」
「国の最大級の機密事項さ。そして、それは一般に知られたらいちばん困ることだ」
「……私的には、自分の存在が知られるほうが困るんですがね」
「なんか言ったかい、地下水?」
「いえ、何も」

 ノエルはいったん深呼吸し、ゆっくりとこれまでのことを反芻した。
 ――もし洩らすようなことがあったら、自殺をするようにさせる制約。
 ここに来て、ようやく納得した。そして、その言葉に真実味が帯びてくる。自然と動悸が早くなっているのを感じた。ようは秘密を守ればいいのだが、そういう魔法がかかっているというだけでも、なんとなく怖いものがあった。
 ……やっぱり大丈夫じゃないかも。と今更になってヴァレリーのした心配に頷きそうになる。
 それでももう遅いわけで、やることはやるしかない。

「さてと」

 イザベラがノエルを見据える。

「これから本格的な説明になるけど、いいかしら?」
「は、はい」

 と咄嗟に答えたけれども。
 ……数時間後、事の重大さにノエルは頭を抱えることになるのだった。


   ◇


「本当に大丈夫なのかしらね」

 昼食を終え、正午を少し過ぎたという頃。
 いつもの庭まで辿り着き、それまでしていたノエルとの対話を思い返して、わたしは言葉を洩らした。

「大体は予想どおりの反応では?」

 地下水がそう言ったのは、主に機密情報に関する部分だろう。つまりどうやって秘密を守らせるかということ。
 今までの女官・侍女や衛士は、経歴や家系などからガリアを裏切らぬに足る人物を吟味して選抜していた。
 正直、ノエルは経歴と実際の様子からして背信行為はまずないものと思われるが、それでも簡単に決めつけるのは危険であり、“保険”をかけておくには越したことがなかった。
 それこそが制約ギアス
 ……といっても。

「よくまあ信じ込んだものねぇ」

 そんなものは嘘っぱちだった。つまりハッタリ。
 いや、ギアスという魔法自体は実際には存在する。地下水がヴォルテールを持ったわたしの体を使えば、類を見ないほど強力な効果が得られるだろう。しかしギアスは禁術であり、それほどの精神への作用を持つ魔法が、平常時でも思わぬ悪影響を与える可能性はないと言いきれない。……どちらかというと雑用メインのために呼び寄せた少女に、そこまで危なっかしい行為をすることは少し気が引け――……いえ、魔法の影響で使い物にならなくなっても困るから。

 ……結局、目論見は成功したようだったから、まあいいわね。

「さてと」

 春の暖かい陽気の中、わたしは新鮮な空気を大きく肺に取りこんで。

「――昨日の続きを始めるわよ」

 全てはアイツを倒すために。







[28470] 05 変わる人、変わらない人外
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:11

 その日、北花壇騎士として雇われているジャックはプチ・トロワ内を歩いていた。任務内容を受け取るために王女の待つ部屋へと向かっているのだ。
 当然ながら、彼の両隣には監視の騎士が二人ついてきている。だが実際のところ、監視役としてはなんの意味もないだろう。その気になれば、ジャックはこの二人を一瞬で殺すことができるからだ。まあ、そんなことをするメリットは皆無なので、するわけがないが。
 そう、ジャック“たち”が欲しいのは金である。「元素の兄弟」――彼にはほかにも三人の兄弟がおり、裏の世界からはそう呼ばれている。北花壇騎士としての仕事は、報酬金が高い上に、国家がバックのため非常に安定する。おまけに仕事内容も彼らにとっては雑作もないことで、非常に“おいしい”。北花壇騎士に彼らが所属しているのは、そうした理由からであった。

 はてさて、今日の任務はなんだろうか?
 ガリア東部で頻発している野生の魔獣被害の対処か、あるいは国家に仇なす反逆者の暗殺か。どちらにしても、すぐに片付くことに変わりはないが。

「ん?」

 見慣れた王女の部屋の前まで来て、ジャックは眉をひそめた。いつもと大きな違いがあったからだ。それは……衛士が少ないということだ。
 通常なら、入り口の前にはもっと多くの騎士が配置されていたはずだ。北花壇騎士はその素性を公言できないような輩が多いため、警備も厚くするのは当然のはずだった。だが、そこには二人の騎士がつまらなそうな顔で立っているだけだった。
 疑問ではあったが、それをわざわざ問いただすような身分でもない。自分がやるべきは仕事だ、とジャックは言い聞かせ、幾重もの分厚い絹のカーテンをくぐりぬけた。

 そして――ジャックは驚き、同時に呆れた。
 部屋には王女のイザベラと、女官と思しき少女が一人。たったそれだけしかいなかったのだ。いつもなら大勢の女官と侍女をはべらせ、手前には騎士を置いていたはずなのだが、今ここにいるのは一人の侍女とジャックの後方にいる監視の騎士二人だけである。
 なんというかこれは、不用心すぎではないのだろうか。これではジャックでなくとも、そこそこの実力を持った人間なら簡単に王女を暗殺できてしまう。

 と、そこでジャックは王女に意識を向け、気づいた。その腰に何やら布で覆われたものを差している。杖か――と思ったが、そんなバカでかい杖を、しかも魔法の才がないと言われるイザベラが持っているのは奇妙なことだった。
 ならば、マジックアイテムか。日々の享楽として、そうした玩具をイザベラが使っているというのは耳にしたことがあった。どういう意図があって、自分の前でそれを持っているのかはわからないが。

「……ただいま参りました」

 ある程度の距離のところで、ジャックは跪き、頭を下げた。さすがに一国の王女に対する礼儀くらいはわきまえている。

「任務は今から渡す書簡に詳細が書かれている。それを読んだらこちらに返すように」

 となると、任務は人にバレたらまずいような内容か。まあだいたい予想はできるが。
 それにしても、とジャックは思った。今までこうしてイザベラが彼に話しかけるときは、完全に見下したような話し方だったのに、先程のは至って事務的な声色だった。まるで自分のことなど“取るに足らない”と言うかのように。
 どこからそのような自信が生まれたのか。劣等感の塊のような人間だったはずの王女に、ジャックは少し興味を持った。

「こ、こちらが内容となります……」

 幼く、拍子抜けするような声。震えているとすぐにわかった。
 ジャックが顔を上げると、そこには側近の少女がいた。左手で書簡を差し出しており、右手は後ろ手で背中に回してこちらからは見えないようにしている。
 その行為もおかしなものだったが、それ以上に異常な事態があった。

 その少女は――“隙”がないのだ。
 こちらを見て、恐れている。それなのに、その体勢は歴戦の戦士だけがなせる物だった。一見では自然体のようでありながら、しかしこちらを確実に警戒して、いかなる動きにも即座に対応できるようにしている。ジャックにとっては、この表情と体勢のアンバランスさに不自然さを感じざるを得なかった。

 だが、今は無闇に詮索している暇はない。
 ジャックは違和感を胸にしまって、書簡に目を通した。“いつも”の任務内容だ。問題ない。
 内容を暗記した書簡を少女に返そうとして、イザベラの声がかかる。

「ああ、そのままこちらへ投げてくれるかしら?」

 ジャックは躊躇した。そんなぞんざいなことを命ずる意図がわからなかったからだ。だがイザベラの目は「早くしろ」と言わんばかりだった。
 仕方なく、ジャックはゆっくりとした動作で、イザベラの足元へ向けて書簡を放りなげた。

 ひゅん、と風が唸った。
 確かにそこにあったはずの物体が消えうせた。いや、正確には塵にまで切り刻まれて宙に舞ったのだ。
 ジャックは聞いていた。イザベラが「デル・ウィンデ」とただ一言、風の初歩たる魔法を唱えるのを。
 塵の向こうでイザベラは蛇のような薄笑いを浮かべていた。それに釣られてジャックも口を歪ませる。

 いつかこの王女と闘ってみたいものだ、と。


   ◇


「あー、うざったいっ!」

 そう叫んでぐったりと机に突っ伏す王女がそこに。
 ノエルはどう反応したものかと迷いながらも、イザベラの執務用の机の上にティーを淹れたカップを置いた。……しばらく経っても動かないままなので、「大丈夫でございますか?」と聞くと、イザベラは髪の乱れたまま、ゆっくりと顔を上げて呟くように言った。

「外」
「へ?」
「外の空気でも吸ってくる。こんな辛気臭い作業、やってられないわ」

 本気で疲れの見える動作で背伸びをするイザベラ。席を立ち、ノエルの横を通り過ぎる。
 私はどうすれば……、とノエルが思っていると、イザベラは片手を上げて「あなたも適当に休んでなさい。せっかく淹れたお茶があるんだし」と言い残して部屋から出て行った。
 一人残されたノエルは、ぽつりと立ちつくす。

「ま、言われたとおりくつろいでればいいんじゃないか?」

 隣の丸テーブルに置かれた地下水が軽い口調で言った。その姿は現在、剣身を高級ななめし革に収めている。当たり前な話だが、むき出しのままでは物騒だし、持ち運びに不便だからだ。
 たしかにイザベラからそう指示されたのだから、言われたとおりにするのが一番なのかもしれない。
 ちらりと机の上に山積みとなっている書類に目を向ける。それはイザベラがここ数日の間、訓練に時間を割いていたために溜まっていたものだった。ある程度はほかの女官が事務処理を済ませてはいるが、最終的なことはイザベラに回ってくることも多い。とくに“騎士団”関連のことでは。
 そういうわけで、今日は溜まった書類をなんとかしようとしていたのだった。
 今はお昼ちょっと前の時刻。先程出て行ったイザベラも、そんなに長くせず戻ってくるはずだ。

 ノエルは机から離れようとして、淹れたばかりの茶を思い出した。結局、イザベラが戻ってきてもすぐに昼食になるだろうから、無駄になってしまう。ちょっと迷ったが、去り際にああ言われたこともあるし、せっかくだから……、とノエルはカップを持って地下水のいるテーブルに座った。
 カップを少し揺らして、中身の液体を弄ぶ。王宮で愛用される最高級品だ。鮮やかな色合いが、芳しい香りが、ノエルの顔を綻ばす。ここで働くようになってからは、これほど高級な嗜好飲料は飲んでいない。とはいえ、その前でもあまり贅沢はできていなかったけれども。

 一口含んでその味を楽しんでいると、くつくつと笑う声。
 怪訝な表情を浮かべると、地下水はどこか嬉しそうに答えた。

「なに、どうも面白いことが多いからさ。最近の王女さまを見ていると特に、な」

 ふと地下水の口調の違いに気づく。どうやらこれが素らしい。
 ノエルはなんとなく戸惑いながらも、地下水に尋ねた。

「最近、ってどういうことでしょうか……?」

 少し考えるような間を置いて、地下水は口を開く。 

「王女さまのうわさは知ってるかい?」
「い、いちおうは」

 おそらくここで働いている者のほとんどは知っているだろう。イザベラが横暴な振る舞いばかりをしていると……。

「そのことについてだけどな」地下水は淡々と語る。「ありゃあ本当だよ。俺は王女さまと結構な付き合いをしてきたが、たしかに悪戯にしては度が過ぎていたことも多かった。実際に何人も側仕えをやめていったり、やめさせられたこともあったよ」
「――――」

 火のないところに煙は立たぬと言う。これだけ広まっているということは、やはり事実としてなんらかのことはあったのだろう。
 だけど。

「だけど――今のイザベラさまは違うと思います」

 それは率直な感想だった。
 ちょっと意地悪なところがあるし、自分本位なところも見受けられる。だけれども、うわさのような酷い人間じゃなかった。

「まあそうだな。いちばん大きかったのは……そう、ヴォルテールの存在だろうよ」

 ヴォルテール。イザベラの持つ、炎のような赤橙色の魔剣。
 ちょっと前に「王女が剣を使い魔として召喚した」という話は聞いたことがあった。しかし使い魔は生き物が召喚されるというのが常識である。ドット以下とはいえ貴族メイジであったノエルは、当然そのことを知っていたし、ほかにも大勢の人たちが「そんな馬鹿なことを」と一笑に付した。おおかた、いつものマジックアイテムを元にした与太話なのだろう、とその件に関してはすぐに立ち消えた。

 しかしそれは、どうやら本当のことだったらしい。
 イザベラ自身がノエルに語った話によれば、ヴォルテールはもともと一人の人間で、魔法によって剣となってしまったのだという。そして、その剣は尋常ではない身体能力と魔力を持ち主に与えると……。
 にわかには信じられない話だった。そして、それは地下水も同じらしい。彼も永い時を生きているとはいえ、人間を剣にするなど前代未聞だという。

「とにかく、そのヴォルテールが重要なのさ。……今までなんであの王女さまは荒れていたんだと思う?」
「……いえ、わかりません」

 安直に答えられるようなことでもない。
 イザベラのことは、まだほんの一部分の外面しか見ていないのだから。

「一言で言うなら――劣等感だよ」

 息を呑んだ。
 劣等感。それはノエルにも身近なものだった。小さいころ、兄や姉たちと違ってほとんど魔法ができないことを悔しく思ったし、なんで私だけ、と肉親を一時期拒絶したこともあった。……その後は、そういうものだと思ってほとんど諦めていたけれども。

 でもそれは、自分がありふれた小貴族だったから。
 もっと位の高い貴族だったらどうだろうか。親族からだけでなく、もっとたくさんの人たちから注目されていたら。
 それだけ多くの期待を浴びて、けれどもその期待に応えられなかったら。
 たぶん、自分のように簡単に諦めるようなこともできなかっただろう。けれども、それでも、ずっとできないままだったら。

「……こんな気軽に言ったらダメなのかもしれないけれど、なんとなく、わかる気がします」

 きっと人以上に、できる人やできなくても許される人を恨んでしまうだろう。
 ノエルは、できなくても許される人間の部類だった。家は没落し、貴族としての道を捨てたのだ。そんな人間に誰が期待するのだろうか?
 でも、イザベラは違う。一国の王女という身分から逃げることもできない。そして彼女は、無能であると陰口を叩かれることに耐えなければならなかったのだ。

 ――だったら見せてあげるわよ! 無能と言われたわたしの魔法をッ!

 あの時の言葉を思い出す。イザベラはずっと耐えつづけ、そしてヴォルテールの召喚という契機を経て、ようやくその劣等感を打破したのだ。だからこそイザベラは、ノエルの諦めの言葉に腹を立てたんだろう。
 嬉しい、素直にそう感じた。
 イザベラのその行為と言葉は、何よりも説得力のある証明だった。

「私、イザベラさまから確かなことを一つ頂きました」
「なんだい、そりゃ?」



「ひとは変われるんだ、って」


   ◇


 ワインをあおり、ガリア領内で起こっている問題が列記された書類を眺める。中には重要度の低いものもあり、全てを早急に対処しなくてはならないというわけではないが、早いうちに処理しておくに越したことはない。頭の中の記憶から騎士団員の情報を引き出し、誰に割り当てるべきかの見当をつける。

 ……ほんのちょっと前までは、騎士団の仕事は部下に任せきりだった。自分で見積もり割り当てるのは、ほとんどがアイツへの任務ばかり。そもそもわたしが北花壇騎士団の団長という地位に着いたのも、暇だからとお父様に頼んだのが始まりだったのだ。
 それでも最近は、なんとか地位にしかるべき仕事くらいはしようという思いがある。
 何もしなくてもいい、なんてことはいつかは許されなくなるのだから。

 わたしのお父様――現ガリア王ジョゼフには息子がいない。今のところ、隠し子云々についても聞かされたことはない。正式な子はわたしだけとなっている。
 まだ三十代のジョゼフは、その気になれば子作りはいくらでもできる。しかし本当に彼が子供を作る気があるのかは微妙なところだった。
 いつの頃からか――いや、正確には……弟のオルレアン公を暗殺し、その夫人をも毒で気を狂わせた時から――父は何に対してもどこか虚ろになっていた。実の娘であるわたしに会っても、どうでもいいという雰囲気が感じ取れてしまう。

 無能王ジョゼフ。

 ハルケギニアに広まる父親のその蔑称を、悔しいけれどもわたしは否定できない。大事な政治もほとんどを他人任せにしているという。時たま思い出したようにみずから政策を実行するものの、どれも意味のわからない荒唐無稽なものばかり。
 それでも他国より恵まれた地であるガリアは、なんとかやっていけた。しかしそれも、いつまで続くかはわからない。

 とくに問題なのは、未だ国内外に根強く残るオルレアン派の人間である。
 オルレアン公の死後、ジョゼフへ向けられる批判は大きかった。その時は大規模な粛清が行われて、とりあえずの平静は取り戻したが……そんなことで全てが解決したわけではない。むしろその強硬手段も相まって、現在、ジョゼフに恨みを持つ人間は数知れない。
 せめて政治だけでもしっかりしていれば、ジョゼフに対する評価はまた違っていたのだろう。……もう今更なことかもしれないけれど。
 今のままでは、何かのきっかけがあるだけでガリアは未曽有の混乱に陥るだろう。そう、たとえば「オルレアン公の遺児が生きている」ということが公になるとか――。

 女王の先例がなかったわけでもない。もしもわたしがガリアを継いだときのために、最低限のことはできなければならない。
 そして……もしも“何か事”が起こったときのために、生きる力を養っておくことは重要だ。

「……さま」

 ……本当は、何もないことが一番なんだけれども。

「イザベラさま」
「ん……ぅうん、ぬぁに……?」

 誰かから声をかけられて、わたしは薄れかけていた意識を取り戻す。
 ……頭がうまく回らない。いつの間にか机に突っ伏して寝そうになってしまったようだ。ふと視界に空のグラスが映った。何杯飲んだのかも覚えてなかった。

「こんなところで寝ては風邪を引いてしまいますよ」

 やさしく、あたたかい声。
 こんなふうに話しかけられるのなんて、いつぶりだろう。
 わたしに掛けられるのは、事務的な声や怯えたような声ばかりだった。結局、それはわたしのせいでもあるんでしょうけどね……。

「あぁ、ありがとう……」

 気だるい体を起こす。
 横を振り向くと、ノエルが立っていた。少し驚いたような顔で。
 ……なに?
 変なことは言ってないはずだ。となると、髪でもどこか乱れているのだろうか。

「どこか、おかしくなってるかしら?」
「……いえ、大丈夫ですよ。いつものお綺麗な姿です」

 にこにこと嬉しそうな顔でそう言われても、なんとなく勘繰ってしまう。しかし向こうにある鏡に映った自分の姿には、とくに変なところもない。……まあ、気にしないでおこう。

「ご就寝なさいますか?」
「……もう少しやるわ。溜めておきたくないもの」

 どうせ一時間程度で終わる仕事だ。さっさと済ませておこう。
 ちょっと酔いはあるが、とくに支障はない。

「では、お茶を淹れましょうか?」
「お願いできるかしら」
「かしこまりました」

 一礼してノエルは退室する。それを見届けると、わたしは大きく背伸びをした。
 さて、と。
 わたしは一枚の紙を取り上げる。それは今日こちらに届いたばかりの報告書だった。
 その問題は、最初はほかの騎士団が請け負っていた任務だった。しかし現地へ向かった騎士は生きて帰ってこれず、危険度が高いとして、北花壇騎士団に回ってきたのだ。
 内容は、リュティスから南東遠くにあるサビエラという山間部の村で起こっている吸血鬼被害。

 吸血鬼とは、人間と同じ外見を持つものの、人間の血を糧とする亜人である。その寿命は人よりはるかに長く、人間以上の身体能力を持ち、おまけに“先住魔法”といわれる、メイジたちの系統魔法とはまた違った力を使うのだ。それだけでなく、一体だけ人間を屍人鬼グールという奴隷として使役できるという。
 人間からしてみれば、果てしない脅威だった。
 太陽の光が苦手という欠点はあるが……それ以上に能力が勝っている。生半可なメイジではまともに太刀打ちできないだろう。

「吸血鬼、か」

 零れた言葉に、地下水が反応する。

「例の吸血鬼被害ですか。……めずらしいものですね、そこまでするヤツは」

 わたしは地下水の言わんとしていることを理解した。
 吸血鬼といっても、姿形はその牙以外は全く人間と変わらない。ゆえに亜人という区分であるものの、翼人やゴブリンなどよりもよっぽど人間との親和性がある。なかには傭兵として戦争などに参加して、敵の人間の血を頂くというしたたかな吸血鬼もいるらしい。
 吸血鬼の数はかなり少ないとされているが、それでも大っぴらに人間を狩るようなものはほとんどいない。いくら吸血鬼と言えど、複数人のメイジや、トライアングル以上の実力者を相手にするのはかなり厳しいのだ。
 それなのにこうして一箇所で、周りに騒がれるまで人間を狩り続けるということは、自分の力に相当な自信を持っているか……ただの愚者であるかだ。

「はン、人間に仇なすならこっちから狩ってやるまでさ」

 口から出た言葉に、地下水が相の手を入れる。

「そのとおりですな! きっと人間を侮っている小物なのでしょう」
「そうね。ま、簡単に解決できるだろうさ」
「そうですかな?」

「……なんだって?」

「いやいや、私はこう言いたいのです。――あの人形娘程度の騎士では無理だ、と」

 わたしは嗤う。

「ははッ。そうだねぇ、アイツじゃ泣いて逃げ出すだろうよ」
「話を聞いただけでも怯えるでしょう! そして、代わりに解決してくれた人物に心底感謝するでしょうなあ」
「そうねぇ」
「この任務を団長たる姫殿下が軽やかに成し遂げれば面白い――のですが、無理でしょうな」

 ぴくり、と眉根が釣り上がる。

「ああ、お気を悪くなさらずにッ! 私はべつに殿下が実力不足であると申しているのではありません。ただ、殿下がここを離れるのはまずいでしょうから」
「……そ、そうね」
「何らかの方法で影武者を置ければ良いのですがなぁ」
「…………」
「まあ仮にできたとしても、やはり危険がないとは言えぬこともありますし……」



「だああぁ! うっさいわね! そんなのに引っ掛かるわけないでしょッ?」

 隣の丸テーブルにいる地下水をなめし革から抜いてぶん投げる。「ぎゃあああぁぁっ!?」と天井にぶつかってから落下、その後何度かバウンドして部屋に隅へ無様に転がる。
 いくら酔っていても、さすがにそこまでバレバレなのには騙されない。というか前にも似たようなことなかったっけ? ……まあいいか。
 とにもかくにも。

「お仕置きが必要なようね、地下水?」
「……いやぁ」

 ヴォルテールを手に取りルーンを口ずさむ。酒が入っているからか気分がいいわ。人間相手じゃないから本気が出せるしねえ?

「覚悟はいいかしら?」
「か、勘弁してください、殿下! ホラ、俺も忙しくて大変そうな殿下をジョークで和ませようと……」
「だったらノエルを見習いなさい、このバカナイフ!」

 強烈な電撃がナイフに直撃し、夜のプチ・トロワに人外の悲鳴が響き渡った……。








[28470] 06 ゼロの騎士(1)
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:12


 ――イザベラという人物は変わった。

 あの日、あの模擬戦以来の対面。日数にしてはそれほどでもない間。それでもタバサにははっきりと感じ取ることができた。
 イザベラは足を組んで椅子に座り、テーブルに肘を置き頬杖をついている。その不遜な態度に相応しく、瞳からは冷笑的な視線をタバサに浴びせている。
 だがそこには、以前とは決定的に違うものがあった。それまで滲み出ていた矮小な気配は消え失せ、何か圧倒されるような覇気さえあった。

「任務よ。受け取りなさい」

 タバサはひょいと投げられた書簡を受け取った。すぐにざっと目を通す。それは騎士なら誰にでも頼めるような、簡単で簡潔な任務だった。今までの任務からすると、考えられない内容である。
 これなら伝書フクロウにでも届けさせればよかったのではないか? なぜこれだけのために?
 そうタバサが思ったところで。



 ぞわり。
 と嫌な気配が背を撫でた。


「本当はもっと、お前に相応しい任務を用意してたのだけれどね」


 ……ここが戦場であれば、すぐさま後ろを振り向いて杖を向けていた。
 けれども。


「わたしは“優しい”から」


 無形のおぞましい刺激が背中を駆け巡る。
 だけど、王女の前で振りかえることもできない。


「お前に割り当てるはずだった任務を教えてあげようか?」


 不快。
 背後にいるのは、誰?
 どうしてここまで、憎悪と怒気の篭もった殺気を向けられる?

 騎士団の任務絡みで、恨まれることには心当たりはあった。
 だけどこの宮殿内では、恨みを持つような人間がやすやすと入り込めるわけがない。

 ――じゃあ、わたしの後ろ。

 そこにいるあなたは、誰なの?


「――――ゼロ号」


 と、その瞬間。

 タバサの右隣に、一つの影が現れた。

「……っ」

 なんとか驚きをこらえる。
 タバサは目だけを動かして、その人物を見た。
 フードの付いた、全身を覆う黒いローブ。手足の露出を完全に隠す、革手袋と革ブーツ。さらにフードだけでなく、顔全体に及ぶ仮面で完全に肌の露出を抑えている。そしてローブの内には軍杖でも仕込んでいるのか、腰の部分が膨らんでいた。

 ――ゼロ号。
 イザベラはそう言った。北花壇騎士は各々に番号が割り当てられているが、そうすると隣の黒ローブの人物も同じ北花壇騎士なのだろうか。
 だが、北花壇騎士団では騎士同士が面識を持つことはタブーとなっているはず。それをどうして、団長たるイザベラがみずから破るというのか。
 それにこのゼロ号という人物、一見ではただ立っているようだが確実にタバサを警戒しており、いつでも攻撃を避けられるようにわずかながら構えている。ゼロ号は、たしかに北花壇騎士としての実力を持っているのだろう。その力量を知れば知るほど、ますます思い当たる人物が見当たらない。
 では……とタバサは戦慄する。
 それではこのゼロ号は、あれほどの殺気を見ず知らずの他人に発せられるというのか。

「ふふっ……このゼロ号が、お前の本来の任務の代理役よ」

 イザベラがゼロ号に、にやっと笑みを浮かべる。そのゼロ号はというと、タバサへの殺気を抑えると、今度は別のほう――なんとイザベラに怒気を向けたのだ。苛立つように足を小刻みに動かしているのが何よりの証拠である。
 タバサはふたたび内心で首をひねった。このゼロ号にとってみればイザベラは団長であり上司である。そんな目上の存在に対して、ともすれば首を斬られてもおかしくないこの態度はなんなのだろうか。
 だがさらに奇妙なのは、イザベラがその怒りの様子を見てもたいして気にとめていないことである。つまりこの二者には、上司と部下だけではない、タバサにも知れない特殊な関係で成り立っているのかもしれない。
 それは「ゼロ」という符牒からもなんとなく想像できた。タバサが「七号」であるように、北花壇騎士は「一」から順に付けていくはずであり、新入りがいたとしてもそれ以降の数字であるはずだ。それなのに「ゼロ」というのは、通常の騎士ではなく、イザベラの意向で特別に編入したということなのだろう。
 だが、タバサにはそのイザベラの本心がどのようなものかまではわからない。

「そして、その任務は――」

 次にイザベラの口から発せられた言葉に、タバサは一瞬ながら顔を強張らせた。

「とある村を襲う吸血鬼の退治よ」

 吸血鬼。
 タバサはその種族に対して本からの知識しか持っていないが、それでも充分に脅威的な存在であるとわかる。そんな吸血鬼を殺せというのが、本来の任務だったのだ。ふだんから無茶な任務は言いつけられていたが、それでも内心で動揺をしてしまったのは無理もない。
 それを察したかのように、イザベラがタバサにニヤっと冷笑を浮かべた。

「そう、吸血鬼。お前なんかじゃ、とうてい敵わない化け物よ。シャルロット、わたしはお前が死んでしまわないように、こうして代理の騎士を立てたのよ? 感謝しなさいよね」
「…………」

 無視するかのように無言でいるタバサに、いつもなら罵りの言葉を浴びせるはずなのだが、イザベラはもうタバサには興味がないかのように「下がりなさい」と命じた。

「…………」

 タバサは無言のまま、退室した。
 扉の前に立つ“二人だけ”の衛士にタバサは見送られ、任務に向かうためにシルフィードの待機する中庭へ向かって歩く。その道中、イザベラの周辺について思案する。
 あの部屋にはいつもの侍女たちの姿はなく、イザベラただ一人。そして部屋の前にいる衛士も奇妙なほどに少なかった。おそらく、他人に見られたくないことがあるのだろう。あの謎のゼロ号に関してだろうか。

「……シャルロットさま」

 すれ違う直前、立ち止まった一人の騎士がタバサに向かって“名前”を呼んだ。
 タバサは無視して先を急ごうとした。

「シャルロットさま。イザベラさまにお気をつけください。最近、いつも人を払って何かをしているのです。シャルロットさまに害なきことなら良いのですが……」

 タバサは足を止めていた。“いつも”ということは、どうも今日に限ったことではなかったらしい。そうなると、ますます奇妙な話だが……。
 どちらにせよ、そのことに介入する余地はない。やることは、黙って任務を遂行することのみ。もしイザベラが本気でタバサのことを害するのだというのであれば、その時は自分も本気で対抗する。ただ、それだけだ。

「わたしはタバサ。ただの花壇騎士。その名を呼ばないで」
「……失礼しました」

 オルレアン派であるらしい騎士に冷たく背を向け、タバサはふたたび歩き出した。
 任務を果たすために。
 今の自分がすべきことを為すために。

 いつか、本当に、自分の全てを掛けてやらなければならないことに備えて……。


   ◇


 はっきり言おう。

 ムカつく。

「ん、どうしたのかしら?」

 と、わたしがわたしに愉快そうに話しかけてくる。
 正確には、わたし(偽)がわたし(本物)に、だけど。

「……人形ごときがわたしの上に立っているなんて、不快で仕方ないわ」
「それを計画したのはあなたでしょう?」

 もっともなだけに、余計に腹が立つ。これからわたしが“吸血鬼退治”に行って、こいつが“王女さま”になって悠々と日々を過ごすことを考えると、もう目の前のわたしの姿をしたモノを斬ってしまおうかとすら思えてくる。
 ……あー、ダメだ。あまりそのことを考えすぎると、本当に実行しそうだからやめておこう。
 そもそも、なぜわたしが吸血鬼の討伐の仕事をすることになったかというと……言ってしまえば、地下水に乗せられてしまったのだ。
 吸血鬼が相手となれば、己の実力を存分に試せることになる。それにネックとなる危険性については、実際にはそこまで大きくはないと判断した。

 理由は二つ。
 一つは村という閉鎖的空間である以上、吸血鬼は“人間と見た目が変わらない”という利点を活かすことができないということ。街のような人の出入りが多すぎる場所では、どいつが吸血鬼か目星をつけることもできない。しかし人の往来のほとんどない村なら話が別だ。村の外から来る者に目を向けていればいいのだから。ちなみに、もし村人自体に化けていたら……ということについては問題ない。地下水が村人ひとりずつに自身を握ってもらえば、一瞬で持ち主が人間かそうでないかがわかる。
 もう一つは、吸血鬼との戦闘になったときに、危険があれば地下水が援護に回れるということ。たとえ持ち主がメイジでなくとも、地下水自身が相当な使い手である。わたしと地下水の二人がいれば、まず負けないだろう。

 さて、わたしが吸血鬼退治に行くとなると、そこでまた別の問題が出てくる。そのことを誰にも悟られてはならないのだ。一日程度抜け出すのならまだしも、数日間王女が不在となると大騒ぎどころではない。
 そこで考えた方法が、影武者を作るということである。影武者といっても、今わたしの目の前に王女然と存在しているものは、紛れもなくわたしの顔に体を持っている。影武者というより、分身と言うほうが合っているかもしれない。
 スキルニル。血を付けることによってその血の主とまったく同じ姿になるマジックアイテム。記憶や性格なども同じようにコピーするので、顔見知り相手だろうとバレることはまずない。
 これならば大丈夫だ、とわたしはスキルニルを“王女”にして、わたしは“騎士”となった。

 その結果がこれだ。
 というかこれ以上この人形といるのは居心地が悪すぎるので、さっさと出かけることにしよう。

「せいぜい死なずに戻ってきなさいね、ゼロ号?」

 偽物は余裕たっぷりの笑みを浮かべて言い、わたしへ向けて手を軽く振った。
 ……なんて性格の悪いヤツなのかしら。どうやらコピー品はコピー品、本物に比べてずいぶんと劣化するらしいわね。

「あんたこそヘマして正体晒さないようにしなさいよ、偽物!」

 わたしはそう吐き捨てて、居室をあとにした。

 向かうは吸血鬼の潜む、死地の村。


   ◇


 プチ・トロワの中庭に出ると、中央付近に風竜とその御者とおぼしき青年がいるのが見えた。
 わたしはそこへ向かって早足で歩き出した。青年はそんなわたしに気づいたのか、一瞬、警戒の色を見せた。それもそうだろう。というか、こんな露骨に怪しい姿を見て何も思わないやつなんているわけない。

「……任務へ向かう騎士さまでございますか?」

 青年は不安の混じった声で問うた。その顔は、意外なほど若かった。わたしよりちょっと上……20歳前後だろうか。

「そうだ。サビエラ村まで頼む」

 と、懐にしまってある地下水がわたしの代わりに言った。任務地に着くまではできるだけ疑われぬよう、わたしの声は出すべきではない。

「それでは」

 頷いた青年は隣の風竜に慣れた手つきで跨り、わたしが乗り込みやすいように風竜の尻を下げさせた。その風竜の従順な姿を見ると、どうやらかなり彼に懐いているようだ。

 わたしは若干の戸惑いを抱きながら風竜の背に乗った。竜籠になら何度も乗ったことがあったが、こうしてじかに乗るのは初めてなのだ。ともすれば振り落とされてしまうのではないか、というあらぬ不安が湧き出てくる。
 わたしがしっかり乗ったことを確認した青年は、手綱を引いて風竜に命令を下した。
 風竜が体を持ちあげ、翼をはためかす。その迫力にびくりと委縮してしまう。
 何度かの羽ばたきの後、風竜は急上昇した。風圧にフードが外れそうになり、わたしは慌てて頭を抑えた。

 数秒後、上昇が緩やかになったのに安堵しながら、今しがた飛び立った景色を見下ろす。こうしてふだん過ごしている宮殿を上から眺めるというのは新鮮だった。
 プチ・トロワの向こうにはグラン・トロワが見える。父は今、どうしているのだろうか。いつものように遊んでいるのだろうか。
 やがて宮殿群も小さくなり、わたしは視線を前に戻した。青年は御者としてひたすら黙々と手綱を握っている。観光ではないのだから、当然と言えば当然だ。とはいえ……暇になるのは致し方ない。

(地下水)

「なあ、少しいいか?」

 心中で地下水に言葉を伝え、発言してもらう。唐突に声をかけられた青年はびくりと振り返った。

「は、はい。なんでございますか?」
「……そんなに畏まらなくていい。暇だから話がしたいだけだ」
「は、はあ。私でよろしければ……」

 さて、どうしようか。あまりに退屈だったから話しかけただけで、これといって訊きたいほどのことはなかったのだ。
 ……いや、こんな機会だから、聞けることもあるか。

「そうだな――ガリアの現国王ジョゼフについて、きみはどう思う?」

 一人のガリア国民が、どういうふうに思っているのかを聞きたかった。今のわたしは、ただの騎士。こういうときでしか相手から本心を聞けない。

「どうと言われましても……私は政治には疎いので……」
「ああ、気にするな。俺は“騎士”だが、べつに御上の犬じゃあない。ほかのやつがどう思っているか、知ってみたいだけなんだ」

 青年は少しの間、口ごもった。
 それでも、しばらくしてその問いに答えたのは、ここが誰にも盗み聞きされない隔絶された空間だったからか。

「……私は、ジョゼフさまにそこまで良い感情を持っておりません」

 どちらかというと無難とも言える発言。
 だけど、その口調は重苦しさを感じる暗いものだった。

「……なぜだい?」
「私が見習いだったころ、親切にしてくれた兄のような存在がいました。ですが、彼はオルレアン公を信奉していたようで、ジョゼフさまの批判を公然と憚らなかったのです。そのせいで投獄され……以後、どうなったかまではわかりません」

 青年は苦笑のようなものを浮かべて続けた。

「ただ、度を過ぎていたところも見受けられたので、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれません。場をわきまえなかった彼も悪かったのです。ですが――」

 その顔を真剣なものにして言う。

「おもてに出さないだけで、ジョゼフさまに悪感情を抱いている方は多い。少なくとも、私の周りではそうでした。それはオルレアン公に絡んだ黒いうわさのせいでもありますが、それ以上に為政者として――……いえ、申し訳ありません。若輩の騎士風情が、でしゃばりすぎました」

 だんだんと熱を帯びてきた自分の声に気づいたのか、青年は恥じるように顔を伏せた。

「いや、気にしてないさ」

 地下水にそう言わせ、わたしは目を閉じた。

 わずかに体が震えていたのは、冷たい風の吹く上空のためか、それとも――


   ◇


 夕暮れ時。
 村から少し離れた森の中、木が切り倒されて少しひらけたそこに、トマという少年が立っていた。
 何をするというわけでもなく、ただ黙ってそこにいるのみ。トマは歯を食いしばっているが、その握りこぶしは震えを隠せず、緊張で今にも倒れてしまうのではないかというほどだった。
 ……これじゃ、ダメだ。
 トマは大きく息を吸いこんだ。夜気の冷たさが、少しだけ恐怖と不安を和らげてくれる。そして、これまでのことを思い返す。

 始まりは、トマの幼馴染みである少女――マリエルの死からだった。ちょうど二か月前、彼女は森の入り口のところで体中の血を吸われて死んでいた。いや……殺されていたのだ。
 犯人は吸血鬼だった。そいつはそれから村人を何度も襲って殺し、そして今も犠牲者は増えつづけている。
 このままでは村は崩壊だ。現に吸血鬼を恐れて何人もの人が村を棄てて出ていった。村の中でさえも、村人の中に吸血鬼の手下がいるのではないかと疑心暗鬼になっている。
 国からは騎士の派遣も少し前にあったが、結局その騎士も吸血鬼に殺されてしまった。
 村人が全員吸血鬼の犠牲になるか、それともこの村を完全に棄てるか。もはやその選択しかないように思えた。

 そんな絶望と諦観に塗れたこの村に、とあるメイジの旅人がやってきたのは、つい先日だった。
 なんでも吸血鬼のうわさを聞いてやってきたらしい。そして、自分にできることはないかと言ってきたのだ。
 村人はあまり彼を信用していない様子だった。正式な騎士ですらあっさりと殺されるような相手なのだ。流浪のメイジ風情が退治できるとは、誰も思っていなかった。
 そんな彼にトマは、とあることを頼み出た。
 マリエルだけでなく、ほんの一週間前にはトマの二つ上の姉すらも吸血鬼によって殺されてしまったのだ。
 堪え切れないほどの怒りと悔しさがあった。だが、それでもどうすることもできなかった。メイジのように魔法を使うこともできない彼は、吸血鬼の前では果てしなく無力だった。
 それでも、自分にも何かできることがあるはずだ。
 そして思い至ったのは、みずからが囮となって吸血鬼を誘き出し、そこをメイジの彼に奇襲してもらうということだった。

 トマはもう一度、ゆっくりと深呼吸をした。
 森の中であるせいか、辺りはもうすっかり暗くなっている。風もほとんどない。不気味な静寂が不安を駆り立てる。
 吸血鬼は本当に来るのだろうか。勢いで計画し、メイジの彼を連れてきてしまったが、もしこのまま何も起こらなかったら彼に申し訳ない。
 彼は木の上で、トマのいるところを見渡せるようにしている。トマはここに立っているだけでいいかもしれないが、彼は彼自身とトマの周辺を警戒していないといけないのだ。そうとう神経を使うはずだ。
 あと一時間……いや、30分したら村に戻ろう。今日、吸血鬼が出てこなかったら、明日は村中に夜一人で森に行くということを騒ぐ。もし村に吸血鬼の手下がいるのなら、それに乗ってやってくるだろう。
 ある程度の見通しをつけられたおかげで、トマは少し気楽になった。死んでもかまわないとは思っているが、無駄死にはしたくなかった。あまり恐怖に縛られていると、いざという時に彼の足を引っ張ってしまう危険性もある。

 10分、20分……。

 トマは額の汗をぬぐった。何もせずに死の危険の中にいるという時間は、これまでにないほど長く感じる。緊張をしているせいで、足の疲労もひどい。吸血鬼が現れた時にちゃんと動かせるかが心配だった。

 ……そろそろ30分、経っただろうか?

 わからない。時計を持ってきているわけではないのだ。立っている位置は変わっていないので、木々の間から見える星の位置からある程度の推測はできるが、どうにも体感時間が長すぎて断言しにくい。
 いや……こんなことでは、いつまで経っても終わらない。彼も疲れているはずだ。今日は引き上げよう。そして、明日に――

「っ――」

 彼の名前を呼ぼうとして、トマは身震いをした。
 声が、出ない。
 激しい恐怖が体を縛り付ける。
 頭がくらくらする。

 ――ダメだ!

 頭を振る。
 前を見る。

 そこに、いた。
 人。
 人?

「……え?」

 トマは呆けた声を上げた。
 人……?
 そうだ、たしかに目の前にいるのは人だ。

 ――村人。そう、名前はアレキサンドル。
 なぜ、ここに? もしかして、探しに来た?

 いや、違う。わざわざ吸血鬼が出るかもしれない森の中にまで探しに来てくれるほど、トマはアレキサンドルと親しくない。
 じゃあ、どうして。
 決まっている。

「吸血、鬼」
「……ああ、そうだぜ」

 アレキサンドルはにやりと笑った。その口の中に鋭い牙が光っているのをトマは見た。やっぱり……吸血鬼!
 もし吸血鬼が出たときにどうするかは決めていた。いきなり襲い掛かってきたら、できるだけ隙を作れるように飛び掛かり、いざという時は彼に自分ごと魔法を当ててもらう。そして会話ができそうだった場合は――

「アレキサンドルさん……どうして」
「どうして? 何がだ?」
「……あなたはどうして人を襲うんですか」

 アレキサンドルは一瞬、呆然とした表情をしたが、すぐにおかしくて堪らないかと言うように笑う。

「当然だろ! 俺は吸血鬼なんだ。腹を満たすためには人間の血が必要なんだ。だから“狩る”のさ」

 人が動物を狩るようにな、とアレキサンドルは嘲笑を浮かべた。
 正直言って、トマは吸血鬼の言葉はどうでもよかった。もはや死を覚悟している。いまさらそんな言葉で感情を乱したりしない。
 必要なのは、時間稼ぎ。
 トマはじりじりと後ずさりをしはじめた。できるだけ吸血鬼の注目を引き、隙を出させるのだ。
 吸血鬼は下卑た笑いを浮かべながら近づいてくる。それでいい。トマも下がりつづけ、やがて木の幹に背中をぶつける。追い詰められた――相手からはそう見えるはずだ。

「終わりだな」
「う……く」

 息を吸い、精一杯の力を出して吸血鬼に体当たりをする。が、腕の一振りで枯れ木のように吹き飛ばされる。異常な力だった。ぶたれた肩が痛む。

「さて――」

 吸血鬼は倒れたトマを持ち上げるために屈みこむ。
 そう。
 それこそ、絶好の機会。

「……デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ」

 何かに気づいた吸血鬼が飛びずさる。
 だが、遅い!
 “彼”の魔法が吸血鬼を襲う。強烈な風の槌が、今度は吸血鬼を枯れ木のように吹き飛ばした。

「や、やった――」
「まだだ!」

 彼の叱責にトマははっとした。吸血鬼はまだ生きていた。あんな強烈な魔法を受けて立ち上がれるとは、どれほどの生命力を有しているのだろうか。

「ぐ、ああアァ!」

 叫び声を上げながら、吸血鬼は突進してきた。獣のような速さだ。しかし、その攻撃はあまりにも単純すぎる。彼は一瞬でルーンを唱え上げ、剣を模した愛用の杖を振るった。
 風の刃が吸血鬼の体を引き裂き、その衝撃に耐えきれずに敵は地に伏した。その隙を見逃すことなく、彼はブレイドの魔法で杖に魔力を纏わせて肉薄した。
 吸血鬼は起き上がろうとして、接近する彼の姿に気づいた。だが、もう遅い。すでにぼろぼろの体である吸血鬼には、彼の一撃を避ける術がなかった。
 ブレイドの一撃は、吸血鬼の首をいともたやすく刎ねた。

 終わった。吸血鬼は死んだのだ。
 そう安心した彼は、安堵の息をつきながら、トマのもとへ駆け寄った。

「怪我は大丈夫か?」

 安否を気遣う彼に、トマは「大丈夫です」と力強く答えた。実際にただの打撲程度で、骨が折れるには到っていなかった。

「それにしても……」

 あのアレキサンドルが吸血鬼だったなんて。
 そう言おうとして、トマはある重大なことに気づいた。

「どうした?」

 緊迫した雰囲気を感じ取ったのか、彼は声色を厳しくして問うた。

「……吸血鬼って、たしか日の光は苦手でしたよね?」
「ああ、そうだが。――しまった、そうか!」

 そこでようやく、二人は確信を持った。
 あのアレキサンドルがサビエラ村にやってきたのは、およそ三カ月ほど前。その時、アレキサンドルともう一人、母親のマゼンダも一緒に引っ越してきていたのだ。
 だがアレキサンドルが農作や村の作業の手伝いなどをしていたのに対して、マゼンダはいつも家に引き篭もってばかりだった。アレキサンドルが言うには、マゼンダは病気で、日の光に当たると体に悪いからとの理由だったが……。
 俺は吸血鬼だ、とアレキサンドルは言った。だが吸血鬼ならば、あれほど日中で活動できたのだろうか。そう考えると、アレキサンドルはじつは吸血鬼ではなく――屍人鬼だったのではないだろうか?
 もしそうならば、本当の吸血鬼は、

「マゼンダさん……」

 トマは呟いた。
 その答えに至るのが、もっとも妥当である。吸血鬼であるマゼンダは、村人を狩るために療養と称して、屍人鬼であるアレキサンドルとともにサビエラ村にまで引っ越してきたのだろう。

「トマ、私は先に村に戻るが、いいか?」

 彼は焦りながらそう言った。
 その意図を察するのはたやすい。すぐに村に戻り、真の吸血鬼であるマゼンダを倒すつもりなのだ。

 トマは頷いた。彼はそれを確認すると、すぐに立ち上がり、ルーンを唱えはじめた。フライの魔法で飛んでいくのだろう。
 風を纏い、宙に上がっていく彼に、トマはすべてを託して言った。


「お願いします、セドリックさん……!」






[28470] 07 ゼロの騎士(2)
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:13


「三日後にふたたび参ります。中途報告の場合も、その時にお願いします」
「了解した」

 青年の言葉に、地下水が応答する。
 わたしは風竜の背から飛び降り、危なげなく着地した。

「お気をつけください。それでは……失礼します」

 一礼した青年は、風竜を羽ばたかせて彼方へと去っていった。それをしっかりと確認してから、わたしはゆっくりと視線を村のほうへ移した。
 重苦しい。
 活気というものが感じられない村の様子に、気分が塞ぎそうだった。それほどまでに、吸血鬼とは大層な脅威ということなのか。

「騎士さま……」

 わたしの周囲に群がっていた村人の中から、首長と思われる一人の老人が前に出てきた。

「吸血鬼退治にやってきていただき、感謝の極みでございますじゃ。つきましては、さっそく私の家で説明をと思いますが、よろしいですかの」
「ええ、構わないわ」

 仮面とフードを取り払いながら答えた瞬間、村人の間に動揺が走った。最初に地下水の声を聞いていただけに、女だとはつゆとも思っていなかったのだろう。
 村長は若干の驚きを顔に貼りつかせながらも、案内のために歩きはじめる。わたしは、その後に続こうとした。

「あんなひ弱そうな女で……ぇ?」

 ――のだが、不愉快な言葉が聞こえたので、わたしはそいつの前に踏み込んで、引き抜いた地下水の柄をその首に擬していた。
 呆けたような顔をしているのを見ると、こちらの動作をまるで捉えられなかったのだろう。地下水の指導の成果は確たるものになっているようだ。

「次に無礼なことをしゃべったら、その首を断ち切るわよ」
「ひっ……も、申し訳ありません!」

 青い顔で謝罪する男を鼻で笑うと、わたしは村長のところへ戻っていった。

「お、お許しください、騎士さま。何分、吸血鬼の犠牲者も多いもので、村人はみな……」
「……ふん、わかっているわ」

 そんなもの、村人の様子を見た時から承知だった。どいつもこいつも、諦めの色しかないのだから。まったくもってムカつく顔ばかりだ。
 わたしは腰に提げたヴォルテールを撫でながら呟いた。

「……だったら殺してやろうじゃないか、その吸血鬼を」


   ◇


「吸血鬼の正体がわかった?」

 段々畑を通り抜けた先にある村長の家、その居間で事件に関する詳細を聞かされたわたしは、奇妙な言葉に無意識で聞き返した。

「ええ、じつはこの村に先週から旅のメイジの方がいらしてまして……」

 村長の話によると、そのメイジのおかげで吸血鬼を倒すとまではいかないものの、正体を知ることができたのだという。
 吸血鬼は、三か月ほど前にこの村にやってきたマゼンダという老女だった。マゼンダは息子(と偽称した屍人鬼)のアレキサンドルを連れ、この村に住みながら村人を狩っていたのだ。
 だが、つい先週、旅人として訪れていたメイジは森で襲撃してきたアレキサンドルを撃退。彼はそれによりマゼンダが吸血鬼であることを見抜き、すぐに村に戻って彼女の家に踏み込んだが、肝心の吸血鬼の姿はどこにもなかった。おそらく屍人鬼が消されたことを感知して、逃げ出していたのだろう。

 その一件により、吸血鬼被害は一時的に収まりを見せた。
 しかし……完全に危機が去ったというわけではなかった。吸血鬼たるマゼンダは、まだ生きているのだ。そして、この村の近辺に身を潜めているということも事実。
 その証拠につい先日、吸血鬼が去ったと安心しきって山奥に出かけた男が一人、行方不明となってしまった。血を吸いつくされて棄てられたか、新しい屍人鬼にされたかは定かではない。

「……面倒ね」

 そう言ったのは、吸血鬼がすでにこの村の中にいないという現状に対してだった。
 もし吸血鬼の正体が知られずに村人として潜伏したままだったのなら、わたしが地下水を使って探し当て、その場で逃さずに殺すことができただろう。
 わたしの言葉の真意を知らずに、村長が頷いた時――

「遅ればせながら、参りました」

 新たな人物が居間に入ってきた。
 ぱっと見で、歳は40過ぎぐらいか。身長は190サント近くもあり、その長身に見劣りせぬがっちりとした体格。腰には杖を差しているが、実戦的な剣拵えのものであるようだ。その杖の形状と、本人の風格からも、かなりの強者であることが窺える。彼が話にあった旅人のメイジなのだろう。

「初めまして、騎士さま。私はセドリックと申します」

 メイジの男――セドリックは、予想外に優雅な一礼をおこなった。その振る舞いからして、元貴族なのかもしれない。

「……ゼロ、とわたしのことは呼びなさい。それで、少しお願いがあるのだけれど」

 言いながら、わたしは地下水を引き抜いて、セドリックにその柄を突き出した。

「このナイフを握ってくれるかしら?」
「……は、はあ」

 どういう意図かわからぬといった様子ながらも、セドリックは地下水を握った。それを確認してから、わたしは地下水を返してもらった。

(で、どうなの?)
『ちゃんとした人間ですね。まあ彼の話を信じても大丈夫でしょう』

 わたしは地下水の報告に満足し、革鞘に戻した。

「そ、それで……これから、どうなさるのですかの?」

 心配げな表情で問うた村長に、わたしは少し考えてから言った。

「とにかく、村人には迂闊に外に出ないように徹底を。あとは、わたしと彼で対策を立てるわ。……いいかしら?」

 最後のはセドリックに向けたものだ。
 このバカ広い山の中を一人で探すというのもバカらしいので、メイジの彼を手伝わせたほうが手間が省けるというものである。……もちろん、吸血鬼を倒すのはこのわたしだけどね。
 セドリックが頷いたのを確認し、わたしは口を開いた。

「それじゃ、まずは――」


   ◇


 この村に来て初めての夜を迎えた。
 あてがわれた村長の屋敷の一室、そのベッドに勢いよく仰向けになったわたしは、普段と比べてあまりの心地の悪さに「うっ」と唸った。
 ……ベッドが硬すぎる。当分は寝心地に満足できないかもしれない。

「……疲れた」

 思わず口にする。
 今日は村人からの情報収集と、簡単な今後の対策を立てることで終わってしまった。そして、明日もやることはある。まだまだ安らげる日はあとになりそうだ。
 だけど、悪くはない。
 この疲労の末に得られるものがある。地道な努力は、未来を約束するのだ。それはわたしが、ここ最近になってようやく理解したことだった。

 硬いベッドに寝転がりながら、窓の向こうに輝く双月を見上げていると、ドアがわずかに開かれる音がした。
 視線だけそちらに移すと、ドアの隙間から――幼い女の子が顔を覗かせていた。金糸のような髪に整った顔立ちは、さながら“人形”のようだ。
 彼女の名は、エルザ。一年ほど前、捨て子だったところを村長に引き取られ、それからじつの娘のように育てられているという。

「あ……」

 目が合ったエルザが慌ててドアを閉じようとしたが、わたしはその前に彼女を呼びとめた。

「これまで何度か陰で覗いていたようだけど、わたしに用があるならはっきり言いなさい」

 最初にこの屋敷の居間に案内された時だけでなく、ことあるごとにこの少女はわたしを覗き見していたのだ。……まあ、バレバレだったけど。
 しかし、さすがにこのまま続けられるのも気分が悪い。だから、わたしは彼女に呼びかけたのだ。

「…………」

 エルザはゆっくりと室内に入ると、後ろ手でドアを閉めた。
 そして、しばらくの沈黙ののち、その口から飛び出たのは……拍子抜けする質問だった。

「おねえちゃんって……その、ほんとうにメイジ、なんだよね……?」

 似たようなことはセドリックからも聞かれていた。すなわち、なぜそのような剣――ヴォルテールを持っているかということだ。
 メイジの武器は杖で、平民の武器は剣。その認識はメイジだけでなく、平民にも共通のものだ。だからこそ、エルザもこうして疑問を抱いたのかもしれない。

「そうよ。そんなにメイジが剣を持っていることが、おかしいかしら?」
「……だって、これまで見てきたメイジのひと、みんな杖だったから」
「――――これまで見てきた?」

 妙な言い回しに、わたしは目を細めた。その言葉からすると、けっこうな数のメイジを見たことがあるということになる。
 エルザは一瞬、息を詰まらせるような仕草をしてから、

「……わたしのパパとママ、メイジにころされたの。たくさんのメイジ……みんな杖をもっていて、魔法で、パパとママをころしたの」
「…………」

 どういった経緯でそうなったのかはわからない。だがメイジに両親を殺されたというのは、変わりない。

「……それで?」
「え?」
「それで、あなたはメイジという人間をどう思っているの?」

 わたしの問いに、エルザは間を置いてから答えた。

「……きらい。パパとママを、ころされたから」
「殺したのは、あなたの出遭った一部のメイジたちでしょう? わたしまで一緒と見なしてほしくないわね」
「…………じゃあ」

 いつの間にか、エルザは無表情になっていた。

「吸血鬼のばあいは? もし、だれにも迷惑をかけない、すごくいい吸血鬼さんがいたら、どうするの? ……吸血鬼だからって、ころしちゃうの?」
「……むずかしい、わね。でも、もし本当にそんな吸血鬼がいたのなら、何も無理に殺す必要はないわ」
「――わたし、むりだとおもうなぁ。そんな吸血鬼がいても、きっとみんな、こわがってころしちゃうよ。人間と、それいがいの種族が、いっしょにいられるわけなんて……」

 わたしは上体を起こすと、近くに立てかけてあったヴォルテールを引き寄せた。
 エルザが顔を強張らせるが、気にせず炎剣の柄を握る。
 目を閉じると、思い浮かぶのは異世界――ヴァレリアで起こった大戦争の光景。
 けれども、その戦争に参加しているのは人間だけではない。有翼人、リザードマン、フェアリー……どの勢力にも、人間と亜人が入り混じり、ともに戦っているのだ。

「たしかに困難かもしれない。でも人間も、亜人も、共存の可能性はあるわ」

 それは確実だ。
 ヴォルテールのいた世界だけに限らず、現にハルケギニアでも、人間と翼人が友好関係を結んでいるという村がある。もともと、そこでは翼人討伐依頼が騎士団に出されるほどの敵対関係にあったのだが……“とあること”がきっかけで、両者の交流が生まれ、共存という道が拓かれた。
 そんな事例を考えると、もしエルザの言うような人畜無害の吸血鬼がいたとしたら、人間ともわかりあえるかもしれない。……いいや、吸血鬼だけでなく、もしかしたらあのエルフにだってそんな可能性もある。
 だけれども。

「ま、人間にしても、亜人にしても……結局、争いが絶えるなんて、ありえないでしょうけどね」

 真の争いの火種は、種族ではなく思想の違いにあるのだ。
 ヴァレリアで起こった“バルマムッサの悲劇”のように、場合によっては、みずからの民族のために同胞を虐殺することもありうるのが現実である。

 ……それを経験したあなたならわかるでしょ、ヴォルテール?


   ◇


 翌朝、薄味のスープと硬いパンと苦いサラダという苦行の如き朝食を終えたわたしは、憂鬱な気分で外に出た。
 澄んだ空気と穏やかな陽射しで幾分か気力が回復したが、今後もあのような粗末な食事が続くであろうことを考えると、また落ちこみそうだ。
 そんなことを思いながら村の広場にやってくると、すぐにセドリックの姿を見つけることができた。わたしは、にやりと口元をつりあげた。

「待たせたわね。……さて、さっそく始めようか」

 腰の鞘からヴォルテールを引き抜く。
 セドリックもそれを見て、杖を構えると、楽しそうな表情を浮かべた。

「お手合わせお願いいたします、ゼロさま」

 広場の周囲には、すでに大勢の村人が集まって観衆となっていた。これから行うことについては、昨日のうちに皆に伝えていたからだ。

 この手合わせの企画には、いくつかの目的がある。
 まず一つ目は、セドリックの実力を知っておくため。風のトライアングルであることは聞かされていたが、具体的な強さについては、実際に見てみなければ把握しにくい。任務に協力させる以上、どれくらいの戦力になるかを理解しなくてはならない。
 二つ目は、村人にわたしの力を見せつけておくため。圧倒的な力を顕示させることは、村人にわたしへの信頼を抱かせることになり、吸血鬼に対する畏怖の軽減にもつながる。いざというときに村人を命令に従わせられるように、こうしたパフォーマンスも重要だ。
 そして三つ目、それは……これまでの修行の成果を試してみたいということだった。たった数日のことだけど、それでも自分が以前よりもはるかに強くなっていることは確信できる。だからわたしの今の力を、トライアングルのメイジである彼にぶつければどうなるか――知ってみたい。

 わたしは懐から一枚のドニエ硬貨を取り出し、彼我の中央へ向けて弾きあげた。
 ほんの少しの間を置いて、硬貨が地面に着地する。それを合図に、試合は始まった。

 すぐにセドリックが、わずかながら口を動かした。魔法までは判別できないが、ルーンの詠唱であることは確実だ。
 それを確認したわたしは、すでに疾駆していた。

「っ!?」

 一瞬で迫ってきたわたしに、セドリックは驚愕の表情を浮かべた。
 そして――わたしが斜め下から繰り出した剣の腹での打撃を、すんでのところで飛びずさって回避した。

 ……予想以上の反応だ。わたし自身、今のを避けられるとは思っていなかった。
 だけどまあ、それだけ手応えのある相手だと理解できたので良しとしよう。

「……すさまじい、ですな。魔法は使わないのですか?」

 体勢を立て直したセドリックが、いまだ驚きの色を顔に残しながら尋ねた。

「ええ。ちょっとした理由があってね。……不満かしら?」
「いえ、あれほどの剣を繰り出せるのなら、それだけで充分ですよ」

 ふっと笑った彼は、ブレイドの呪文で杖に魔力を宿した。
 ……このわたしに、近接戦闘で対抗する気?
 そう、内心で呆れかけて――

「私も参らせていただきましょう」

 セドリックの目に、強者の凄みが潜んでいるのを感じた。思わず、わたしは息を呑んでいた。
 ヴォルテールを構えなおして、相手の動向を注視する。
 一瞬間ののち、セドリックは仕掛けてきた――そう認識した時、すでに彼の杖が目前に迫っていた。
 わたしは慌てて横に跳んだ。鋭い突きが、風切り音を鳴らす。その攻撃後の隙を狙わんと、わたしは不安定な体勢ながらもヴォルテールを振るった。

 それは致命的なミスだった。
 初撃が避けられることは予測していたのだろう。セドリックはすでに杖を引き戻しており、わたしの無理やりな一撃に目を光らせていた。
 迫りくるヴォルテールを、セドリックは杖で受け止める。そのまま力比べをしても、こちらには敵わないのを理解しているのか、彼は剣の勢いを利用して斜め下に受け流した。
 わたしは当然ながら、そのせいでたたらを踏んだ。崩れた体勢……それを見過ごすような相手ではない。
 とん、と肩に軽い肘打ちを当てられる。それは試合終了の合図だった。今のが実戦であれば、わたしは容赦なくブレイドの刃で切り裂かれていただろう。

 ……わたしの負けだった。
 自信はあったはずだった。しかし現実はこの結果である。
 どうして負けたのか、自問する。相手が相当な手練だったから――というのは、言い訳にすぎないだろう。

 見くびっていたのだ、セドリックの実力を。
 慢心していたのだ、ヴォルテールの能力に。

 そう気づくと、途端に怒りが沸いてきた。それは自分に対しての感情だった。
 今のわたしは、無様としか言いようがない。こんなことでは……アイツを倒すことだってままならないかもしれない。なんのために、地下水の指導を受け、そしてこんな村にまでやってきているのか。

「……もう一度」

 決まっている。

「もう一度、試合をお願い」

 強くなるためだ。


   ◇


 湯浴みを終えたわたしは、屋敷の外で夜風に当たっていた。
 涼しい風が髪を揺らす。ふと気になって髪の毛を確かめると、ちゃんと青色ではなくブルネットだった。青の髪色はガリア王家の血筋を表す。そのため、この任務の前に魔法染料で髪の色を変えていたのだが、今のところ染色も落ちていないようで一安心。

 わたしは深呼吸してから、今日の模擬戦について思い返した。
 いろいろと得られるものは多かったと言えるだろう。そのなかでも痛感したことといえば、実戦経験の少なさゆえの拙い判断力か。
 地下水に教えられた一つ一つのスキルは、どれもかなり上手く“使える”という自負がある。だが問題は、それを“使いこなせる”か否かである。戦闘はつねに高速で流れゆく。いくら技を持ち合わせていたも、どの局面でどの技を使うかを咄嗟に判断できなければ、意味がない。わたしに致命的に足りないものが、その判断力である。そして、それは一朝一夕で身につくものでもない。ただひたすら、経験を重ねなければならないのだろう。

「今日はお疲れさまでした、ゼロさま」

 考え耽っていると、いつの間にかセドリックも外にやってきていた。

「長々と付きあわせて、すまなかったわね」
「いえ、私も楽しめましたので」

 結局、ほとんど一日中を模擬戦で費やしてしまったのだ。とはいえ、それほど悪いことでもなかった。村人は模擬戦を貴重な娯楽として楽しめたし、わたしたちの実力を知って、吸血鬼に対する恐怖感もほとんど消え失せたようだった。

「いやはや、それにしてもお強いですな、ゼロさまは」

 けろっと言うセドリックに、わたしは少し呆れた。

「……あなたこそ、そんじょそこらの騎士よりよっぽど強いじゃない」

 今日の手合わせの動きを鑑みても、おそらく北花壇騎士の面々と匹敵するほどの力があるだろう。
 ふと湧き出た疑問を、わたしは口にした。

「どうやって、そんなに強くなったの?」

 尋ねた瞬間、セドリックの顔が少し暗くなったように思えた。あまり言いたくないようなことがあるのだろうか。なら、無理に聞き出すことでもないけれど……。
 わたしは質問を撤回しようとしたが、その前に彼は口を開いていた。

「私は、騎士に憧れていましてね」

 どこか遠くを見つめながら、言葉を続ける。

「子供のころは、家を出て騎士になりたいとも考えたことがあります。とはいえ私は長男でしたので、それも無理な話でした。やがて領地を継ぎ、妻子を持ち……しかし、私はやるべきことをせずに、いつも騎士ごっこばかりでした」

 彼が領主であったという事実に驚きながらも、わたしは話に聞き入る。

「ある日、その地方で有力な侯爵さまの開く園遊会に参加いたしました。その侯爵さまも騎士試合を嗜むというので、私と一戦おこなおうということになったのですが……いやはや、私は愚かでした。なんの考えも持たずに、侯爵さまを無様に負けさせてしまったのです。そのことを侯爵さまは根を持たれて……」

 セドリックは肩をすくめた。

「私はまともに領地経営をしていない、と侯爵さまは中央に働きかけて、領地の没収をさせたのです。……しかし、それも半分は事実でした。ゆえに申し開きも功をなさず、没落したのです」
「…………」

 わたしは、震えそうな声で尋ねた。

「……その、領地の名は?」





「――スラン。セドリック・ド・スランというのが、私のかつての名でした」








[28470] 08 ゼロの騎士(3)
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:13


「まったく……面倒くさいわね」

 呟きながら、わたしは森の中を歩いていた。
 ちなみに一人で、だ。目的は、吸血鬼を探すため――というよりも、単独でいるわたしのもとへ誘き寄せるため。
 だから時折、愚痴を口に出したり、わざと大きな音を出したりして歩いているのだが……今のところ吸血鬼が来る様子は微塵もない。

「あー、もう!」

 足元にあった石を蹴っ飛ばして、木にぶつける。
 こんなようなことを何度かしているのだが、吸血鬼どころか獣一匹さえもやってこない。時間が経つにつれて不毛感も募り、演技抜きで本当に苛立ってくる。

 先々週に王室から派遣されたガリアの正騎士は、トライアングルの使い手だった。
 油断があったのかもしれないが、腐っても正式な騎士。それが殺されているということは、敵は相当な実力を有しているか、あるいは狡猾さを備えていると見てよい。
 たんに真正面から襲っても勝てぬことを、吸血鬼は理解しているのかもしれない。だとしたら、じつに厄介だ。始末に成功するまで、どれだけ時間を食うかわかったものではない。

「……どうしたものかしら」

 村長からこれまでの被害の詳細を聞いた限りでは、吸血鬼は二つの手法――村人が森のほうに単独で出かけたところを襲うか、深夜に村の家に忍び込んで襲うかの、どちらかを取っている。
 吸血鬼を誘き出すのなら、村人の誰か一人を囮として森に行かせ、それを狙って吸血鬼がやってきたところを、隠れていた私が仕留める……と行きたいところだが、それと同じことをすでにセドリックが行なって失敗している。まず二度目は通用しないだろう。
 しかし吸血鬼が村に侵入してきたところを捕らえる、というのもいささか難しい。暗い夜の間、ずっと村全体を監視するということには無理がある。それに、吸血鬼もその気になれば一ヶ月以上は人間の血なしでも生存できるので、持久戦になれば不利なのは明らかにこちら側だ。

 さて、どうしたものか……。
 今のところ、妙案は思い浮かばない。
 とりあえず村に戻ったら、セドリックとも計らわなければならないだろう。

「セドリック・ド・スラン、か」

 彼の話と、ノエルの話を照らし合わせれば、セドリックこそがノエルの父親であるということは確実だ。しかし……だからと言って、わたしはどうすべきなのかわからなかった。
 ノエルのことを伝える? でも、セドリックはわざわざ子供に行方も知らせず姿を消したのだ。その真の内心まではわからないが、ノエルについて話しても意味がないかもしれない。

『気になるのでしたら、村に戻ってからそれとなく聞いてみてはいかがですか?』
「…………そう、ね」

 地下水の提案に頷く。昨日、セドリックの話している姿を見た限りでは、苦々しい思いはあれど、口に出すことをひどく嫌悪している様子ではなかった。尋ねれば、ある程度の話は引き出せるだろう。

「そろそろ引き時かしらね」

 赤くなりはじめた空を見つつ、わたしは呟いた。
 暗い夜の森で吸血鬼を相手にするのは、さすがに分が悪い。いちおう“暗視”の魔法で一時的に視界を補うことはできるが、恒常的に夜目の利く相手のほうが有利なのは明白である。それに“先住魔法”のような対応しずらい手段で奇襲される危険性も考えると、いったん村に戻るべきだろう。

 そう決めて、村に向かって戻りはじめ……。
 あと少しで村に着くかという時、何か騒がしい村人の声を聞いて、わたしは身構えた。

「……吸血鬼?」
『わかりませんが、急いだほうがよいでしょうな』

 もし吸血鬼から攻めてきたのだとしたら、意外な展開だが好都合だ。これを逃す手はない。
 わたしはヴォルテールを鞘から抜いて、強く握りしめた。そして周囲を注意しつつ、強化された肉体を使って迅速に森を駆け抜ける。
 一分とかからず村に到着したわたしは、ちょうど近くにいた男を掴まえて騒ぎのことを尋ねた。

 抜き身の剣を持ったわたしに驚きつつも、男は焦りを含んだ声で答えた。

「きゅ、吸血鬼が出たんです! ヤツは村長の娘のエルザをさらって……。それで、セドリックさんが追いかけて行きました」

 やはり、吸血鬼。
 できればこの機会に任務を終わらせたいところだ。

「吸血鬼の逃げた方向は?」
「いや、それが、おれは話を聞いただけでして……」
「ぼくが案内します」

 わたしと男の会話に、子供の声が割り込んだ。そちらに目を向けると、緊迫した面持ちの少年――トマが立っていた。

「それでいいですか、騎士さま?」
「ええ、問題ないわ。急いでちょうだい」

 ここでグズグズしている暇はないのだ。
 セドリックがやられるという心配はしていないが、先に彼が吸血鬼を倒したのでは、騎士としてこの任務地に赴いたわたしの面目が立たない。
 だからこそ、トマから事の経緯を聞きつつ、最後に吸血鬼とセドリックが消え去った林道まで案内されたわたしは、さっさと道を先に進もうとして――

「ま、待ってください!」

 トマに呼び止められ、わたしは後ろを向いた。

「まだ、何か情報が……?」
「いえ、違うんです。あの……ぼくも連れていってください! 囮でもなんでもいいから、手伝いたいんです!」

 そう叫ぶ少年に、わたしは呆れた。メイジですらないこの子供が付いてきたって、ほとんど意味がない。むしろ足手まといになりかねないだろう。

「あんたが来たって邪魔よ。さっさと村に戻って――」

 いや待て、とわたしは気づいた。
 そうだ、あるじゃないか。もともと吸血鬼への対策として連れてきた、インテリジェント・ナイフが。

(地下水)
『はいはい、了解しておりますよ殿下』

 軽い返事で答えた地下水を腰の革鞘から抜き、わたしはその柄をトマの目の前に差し出した。

「……いいさ。なら、このナイフで戦いなさい。ただし、死んでもしらないわよ」
「はい!」

 威勢よく返事をして、トマは地下水を握り――その体を地下水に支配された。
 少し騙したような気分だが、どうせこちらのほうが役立つのだ。なんでもいいから手伝うと言った手前、トマも納得するしかないだろう。

「さあ、行くわよ。――吸血鬼を殺しに」


   ◇


 その幼い悲鳴を聞いたのは、セドリックが村の見回りを行なっていた時のことだった。
 今いる場所は、中央広場。悲鳴の聞こえた方角は西側で、距離はかなり近い。
 周囲の村人たちがざわめきはじめた時には、セドリックはすでに杖を抜いて走り出していた。ほどなくして、森に通じる小道で尻餅をついている少年を見つける。

「トマか? 何があった」
「ぁ……、セドリック、さん」

 こちらの呼び掛けに振り向いたトマは、青ざめた顔をしていた。腹を押さえていて、口調も苦しそうなところを見ると、腹部に打撃を食らったのかもしれない。

「……吸血鬼が、近くにいたエルザを、さらって……森の、ほうへ……」

 そう言って、トマは森へと続く道を指差した。予想どおりの状況ではある。となると、急いで後を追うべきだろう。

「私は吸血鬼を追いかける。お前は村人が来るのを待っていてくれ」

 トマが頷くのを確認したセドリックは、すぐに森のほうへと駆け出した。
 この村に派遣されているあの女騎士――“ゼロ”がいるのは、こちらとは反対側の森だ。このことを彼女に伝えようにも、時間がかかりすぎる。その間に吸血鬼に逃げられてしまう可能性の高さを考えると、任務として赴いている彼女の面目を潰しかねない行為とはいえ……こうして単独で追跡するのも仕方ない。
 もし“ゼロ”の怒りを買って処罰を言い渡されたのなら、それはそれで甘んじて受け入れようとセドリックは思っていた。どうせ、何もかもを失った身なのだ。今は自分のことより、吸血鬼を殺すこと……そしてまだ望みがあるのなら、連れ去られたエルザを救うことのほうが重要である。

 狭い小道を疾走して、およそ三分。
 そこでようやく、セドリックは何者かの気配を捉えた。
 それと同時に、自分の気配を殺す。吸血鬼がどれほど聴力や気配察知に優れているかは不明だが、不用心に自分の存在を誇張する必要はないだろう。

 ――とまっている?

 ふと気づく。おそらく吸血鬼であろうその気配は、逃走をやめて停止していた。どういう意図なのだろうか。もしかしたら、村からやってきた追っ手を待ち伏せるつもりでいるのかもしれない。
 そんな思慮をめぐらせた時、セドリックはかすかに声を耳にした。

「……こいつめッ!」

 しわがれた、甲高い声。その声を聞いたのは初めてだったが、間違いなく、吸血鬼――マゼンダのものだろう。ならば、やつは誰に対して言ったのだろうか。すぐに考えつくのは、まだ無事でいるエルザがなんらかの行動を起こしたということだ。
 であるのならば、吸血鬼は今、意識をエルザに向けている。それは絶好のチャンスだ。セドリックは姿勢を低くし、ルーンを唱えつつ、吸血鬼のもとへ急いだ。

 そして、セドリックがその場に辿り着いた瞬間の状況は、まさに理想的な位置関係だった。
 案の定、地面に這うようにして倒れているエルザに対して、痩せこけた老婆の姿をした吸血鬼は怒りながら暴言を吐いていた。首元を押さえているところからして、噛みつくなりの抵抗をされたのだろう。
 そして吸血鬼は、こちらにほぼ背中を向けていた。これほど都合のよいことはない。にやりと笑って、セドリックは事前に詠唱しおえていたスペルを解放した。
 セドリックが振り払った杖から、巨大な風の槌が駆け抜けた。そこでやっと吸血鬼は敵襲に気づいて振り向いたが、もはや避けられる余地はなかった。
 強力なエア・ハンマーに直撃された吸血鬼は、盛大に吹き飛ばされた。そして背後にあった巨木に全身を打ちつけ、ばたりと倒れた。……今の衝撃だと、もはや勝負は決したと言えよう。

「エルザ、怪我は?」
「……だい、じょうぶ」

 震えた声色だったが、エルザが言うように外傷はなさそうだった。それに安心したセドリックは、ふたたび意識を吸血鬼に戻す。
 吸血鬼はぐったりとしていたが、それでもまだ少し動きを見せていた。念には念を入れて、セドリックは数本の“氷の矢”を撃ち出し、その首元に命中させた。吸血鬼が首から大量の血を流して、微動だにしなくなったのを確認して、セドリックは敵の死にようやく安堵した。

「……ひとまず、村に戻ろう。エルザ、私の肩に掴まってくれるか?」

 今はまともに歩ける状態でもなかろうという判断で、しゃがみながらその言葉を口にしてから、はたと気づく。吸血鬼もさることながら、エルザは両親を失った例の件もあって、メイジに対して恐怖感があるのだ。
 少し軽率だったか、とセドリックは内心で心配した。しかししばらくすると、エルザは躊躇いがちながらも、背中におぶさってくれた。
 ふっと笑みをこぼし、村に戻るためにセドリックは歩き出す。
 辺りはもう夜になりかけていた。あと少しでも暗かったら、吸血鬼との戦闘もこちらに不利なものに変わっていたかもしれない。そう考えると、自分はかなり運が良かったのだろう。

 ……お役目を奪ってしまった“ゼロ”には、申し訳ない気持ちがある。だが、それ以上に、自分が何か人々の役に立てたという嬉しい思いが隠せなかった。
 そう、自分はようやくまともに、誰かのために働けたのだ。振り返れば、領地を取り上げられるまで、自分は誰かのためになるどころか、皆に迷惑をかけてばかりだった。それは領民に対してでもあり、そして己の家族に対してでもあった。

 ――子供たちは、どうしているのか。

 ふと、いつも抑えていた思いが頭をよぎる。あれ以来、子供たちには会っていないし、その行方の詳細すらもほとんど把握していなかった。
 合わせる顔がないのだ。それに子供達も、こんな最低な親に会いたくもないだろう。……だから、確かめようという行動もしていなかった。

 ――それでいいのか? ただ自分が非難されるのを恐れているだけじゃないのか?

 本当にしなくてはならないことから逃げて、こんな辺境の村にまでやってきて、自分の行動が助けになったのだと思い込んで満足している。
 それが、今の自分なのではないのか?


「……どうしたの、おじさん?」

 暗澹たる気分に陥っていたセドリックに、その気配を察したのかエルザが声をかけてきた。
 セドリックは苦笑を浮かべて応えた。

「いや、吸血鬼を倒したことだし、明日からどうしようかと思っていてね」
「なにか、やりたいこととかはないの?」
「…………そうだな。為したいことはあるが、不安で、怖くて、どうにも踏ん切りがつかない状態だ」
「そうなの? おじさん、あんなにこわい吸血鬼をたおしちゃうくらいなんだから、きっとなんでもできると思うよ」

 あっさりと言われて、セドリックは呆気に取られてしまった。
 そして、ようやく意識を取り戻し――

「は、はは! そうか!」

 笑った。
 なるほど、そうかもしれない。
 なんたって、自分はハルケギニア最悪の妖魔を倒したのだ。そんな男が、我が子から責められることを恐れて逃げているなんて、あってはならないことに違いない。

 セドリックは心の重みが消えるのを感じながら、口を開いた。

「そうだな、ありがとう。これからやることを決めたよ」
「そう? よかったぁ。――――できるといいね」







[28470] 09 ゼロの騎士(4)
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/10/27 01:14

 エルザをさらった吸血鬼と、それを追うセドリックのあとを追走して三分足らず。
 そこには、あっさりとエルザを背負って来た道を戻るセドリックの姿があった。

「…………」

 あまりにもあっけなさすぎて、しばしの間、わたしは憮然としてしまった。
 だけど、予想だにしていなかったというわけではない。彼の実力ならば、吸血鬼を難なく倒すことも充分ありえたのだから。
 それでも――釈然としないところがあるのも確か。

「……吸血鬼は、どうなったの?」

 わたしに問われたセドリックは、若干気まずそうに答えた。

「仕留めました。死体は、ここから100メイルほど行ったところにの道沿いあります。……申し訳ありません。これは騎士さまの任務でしたのに」
「いえ、かまわないわ。……そうね、わたしは吸血鬼の死体を確認しに行く。あなたは先に村に戻っていなさい」

 いくら吸血鬼の生命力が高いとはいえ、それを把握しているであろうセドリックが殺し損ねていることはないと思うが……念には念を入れておいたほうがいいかもしれない。
 それに、ここまで騒ぎを起こした張本人の死に顔を拝んでやろうという気持ちもあった。

「その、騎士さま。そちらの……トマは?」

 セドリックは怪訝そうな顔で、わたしの後ろにいる少年に目線を向けた。地下水の正体を知らない彼には、さっきから無表情で黙っていたトマが気になったのだろう。

「あー……ええと、ぼくも騎士さまと一緒に、吸血鬼を見にいかせてもらおうと思いまして。心配しないでください、セドリックさん」
「そういうことよ。気にしなくていいわ」

 咄嗟に答えた地下水のあとに続き、それ以上追及されないように付け加えておく。さすがに地下水のことについて知られるのは、好ましくないのだ。
 セドリックは「そうですか」とだけ言い、それからもう聞き止めまいと言うかのように押し黙った。

 わたしはルーンを唱え、“暗視”の魔法を自分にかけた。同時に、見えにくかった暗がりも明瞭に把握できるようになる。効果は一定時間で途切れてしまうが、まあそれまでに死体を見つけることは可能だろう。

 セドリックが顔をわずかに下げる。わたしはその横を通り過ぎようとして、一瞬、セドリックに背負われた子供――エルザと目が合った。
 彼女はすぐに顔をそらしたが、見たところとくに怪我をしている様子もなさそうだった。

 ……本当に、こんなにも、いとも簡単に、全部終わってしまったのだろうか?

 そう思いながら、セドリックたちを背にした瞬間。



「え?」

 衝撃。

 突き飛ばされたのだ、と理解し、反射的に体勢を立て直そうとする。
 その途中、肉を殴打する嫌な音が響いた。
 一瞬で、悪寒が背筋を駆け巡った。

「っ!」

 足取りを安定させて、ヴォルテールを構えながら、即座に振り返る。
 その光景に、わたしは混乱しそうになった。

 杖を構えるセドリック。
 冷たい目で佇むエルザ。



「吸血鬼です」

 声がした。トマではなく、本体たるインテリジェンス・ナイフの地下水のもの。
 はっとして隣を見ると、左手をだらりと提げたトマの姿があった。

 ……ようやく、理解した。

 すでに屍人鬼にされていたセドリックが、わたしを狙って背後から襲撃したのだ。
 それを地下水が、トマの体を使ってわたしを突き飛ばし、代わりに左手で防ぎ受けた。

 なら、セドリックを屍人鬼にした吸血鬼は?
 アレキサンドルでも、マゼンダでもない。
 真の吸血鬼。


「……ああ」


 なまじ、吸血鬼の正体を誤信していたのが悪かった。
 最初から、地下水を村人全員に握らせていたらわかっただろうに。
 なんてことはない。


「エルザ」


 それが吸血鬼の名だったのだ。


「森の木々よ、その葉を刃へと変え……」


 幼い外見をした吸血鬼は、冷たい口調で言葉を呟きはじめた。
 口語による呪文。先住魔法だ。
 魔法を使われる前に仕留めようと、一歩踏み出したところで、セドリックの杖がわたしに向かってきた。
 真正面から振るわれたそれを、ヴォルテールで受け止める。
 重い一撃だった。昨日、何度も行なった模擬戦で経験したどの攻撃よりも、強い力で繰り出されていた。屍人鬼となり、その身体能力は人間の限界を超えてしまっているのだろう。

 だが、それだけだ。

 屍人鬼のそれを上回る力で、わたしはヴォルテールを振りきり、セドリックを吹き飛ばした。
 その刹那のあと、木々がざわめき、風を切って何かが頭上から襲いかかってきた。
 焦りながらも、後ろに跳ぼうとした時――“水の鞭”が唸り、飛来物を全て薙ぎ払った。

「吸血鬼は私が引き受けましょう」

 事務的に言った地下水は、すぐにルーンを唱えはじめた。
 支配している体が子供なのと、左腕が使用不能になっていることが心配だが――今は、わたしはわたしの敵を相手にしなければならない。

「セドリック」

 わたしの呼び掛けに、彼は獣の如き形相で威嚇しながら、体を起き上がらせた。

「騎士試合の続きをしようじゃないか」

 おそらく、わたしの言葉など耳に入っていないだろう。
 セドリックは驚くべきスピードで接近してくると、先程と同じように上段から振りかぶってきた。
 ヴォルテールでそれを受けると、今度は力で押しきらず、右足を軸にして体を後ろに捻り、相手の杖を下方向へと受け流した。
 体勢を崩したセドリックの胸に、ヴォルテールの柄をねじ込んで吹き飛ばす。

 ……少しすると、唸りながら彼はまた立ち上がった。
 そして、わたしに向かって駆け出す。
 今度は学習したのか、迂闊な大振りではなく、わずかな予備動作からの突きだった。
 狙いは、わたしの胸元。
 恐るべき攻撃速度だったが、ヴォルテールの能力があり、かつ事前に警戒していたわたしには、難なくそれを避けることができた。

 セドリックの杖が空を切る。
 だが、その状態から無理やり斬り払いの形で、わたしを追撃しようとする。
 その攻撃が到達する前に、わたしはヴォルテールを振るっていた。
 セドリックの杖が、わたしの剣速に負けて、弾き飛ばされる。
 その衝撃に彼は後ずさった。

 杖を失って、セドリックはどうするか。
 方法は二つある。
 一つは、わたしに背を向けて杖を拾い直しに行くこと。
 そしてもう一つは――



「グアァァアッ!」

 彼は咆哮を上げた。
 屍人鬼ならば、その肉体を活かして無手でも戦えることだろう。
 そう、獣のように。

 ああ、そうだ。
 これで、もう闘いではなくなった。
 これは、戦いだ。
 ただの、殺し合い。

 わたしは飛びかかってきた獣を斬り伏せた。
 大量の血飛沫が降りかかるが、不思議と動じなかった。
 夢でヴァレリアの戦役を見すぎて、慣れてしまったのかもしれない。

「…………」

 わたしは辺りを見回した。
 エルザとトマ地下水の姿がない。最後に横目で確認したやり取りからすると、おそらく森の奥のほうに移動したのだろう。
 二人のあとを追おうとした時、うめき声を聞いてわたしは足をとめた。
 血塗れとなって仰向けに倒れている、セドリックに目を向ける。かすかに開かれた双眸からは、弱々しいながらも理性的な光が覗き見られた。

「……セドリック」

 わたしの声に反応して、彼は唇を動かした。


「……ゼロ、さま。……申し訳、あり、ません…………」
「セドリック……ッ!」


 こらえていたものが、抑えきれなくなる。
 その感情が何かを明確に捉えることができない。
 だけど、そんなこと今はどうでもいい。

 伝えたいことがある。
 伝えなければならないことがある。

 いつの間にか、わたしは叫んでいた。


「わたしはあんたの娘を知っているッ! ノエル・ド・スラン! あの子は……あんたを恨んじゃいなかったッ!」


 セドリックの瞳が、揺れ動いた。
 生気の薄れゆくなか、わたしの言葉を聞いて、彼はどこか安心したような顔をした。


「……ノエル、に……すまない、と……そし、て」


 最後の力を振り絞って、その口から言葉を紡ぐ。


「……しあわせ、に」


 そこで彼の意識は途切れた。
 まぶたは閉じられ、もはや永遠に目を覚ますことはない。
 セドリック・ド・スランは死んだのだ。

 ――なぜ?

 答えは単純だ。

 空気を感じる。
 空間がわかる。

 激情は魔力となり、魔力は風となる。
 風はわたしに、全てを知らせてくれる。

 ああ、そうだよ。
 そこにいるんだろう?

 ――吸血鬼。



   ◇


「ぐッ」

 木の枝は槍となり、その少年――トマの胸を貫いた。
 致命傷だった。口と胸から血を噴かせ、その体は物言わぬ塊となった。
 当然ながら、もう声は発せられない――はずだが、エルザに向かって話しかけるモノがあった。

「やれやれ……こんな小娘にやられるとは」

 それは、まさしく物だった。
 死んだトマの右手に握られている、鋭利なナイフ。

 物に命を吹き込む、というのはそれほど珍しいわけでもない。とくに魔法技術の発達したガリアでは、高度な知能を持ったガーゴイルなども数多く存在する。
 このナイフもその一種なのだろう、とエルザは見当をつけた。ただ、持ち主の精神を乗っ取って魔法さえ使えるというのは、極めて稀で強力なマジックアイテムだ。
 迂闊に手に取れば、吸血鬼たるエルザでも容赦なく支配されかれない。だがナイフ単体だとまったく動けないようなので、放っておけば問題ないだろう。
 そう判断したエルザは、ナイフに背を向けて歩きだした。周囲を警戒しながら、気配を殺してもと来た道を戻る。

 予想外の事態が多い。
 内心でそんなことを思う。

 初めは、セドリックという男が村に来たことだ。厄介なことにそのメイジはかなりの実力者で、屍人鬼にしていたアレキサンドルを殺されてしまった。
 そこで慌ててマゼンダを新しい屍人鬼にして、村から姿を消させて吸血鬼に思い込ませたはいいが、セドリックをどう始末するか考えあぐねているうちに、また新しい騎士が派遣されてきた。
 メイジが二人――それを相手にするのは、どう考えても無謀だった。
 だからエルザは、一つの賭けに出た。
 それが、セドリックだけを誘き出して屍人鬼にするということだった。結果としてそれは成功し、あとはゼロとかいう騎士を殺すだけだったのだが……。
 まさか背後からの一撃を、隣にいたトマによって防がれるとは思いもしなかった。
 そして今、ナイフに操られたトマを殺したはいいが――

「……やられた」

 屍人鬼の反応が消えた。つまり――セドリックが倒された。

 どうしようか、エルザは悩んだ。
 ここで逃げるという選択肢もある。だが、そうすると自分が吸血鬼だということが知れ渡り、せっかくよい餌場だった村を離れなくてはならない。いや、たんに村を離れるだけでなく、もしかしたらガリアという国からも逃げ出さなければならない。見知らぬトリステインやゲルマニアを行くのは、かなりの負担になるだろう。

 ここで、あの女を殺せたら。

 そう強く思いながら、森を忍び歩く。
 そしてセドリックが死んでいるはずの場所を覗いたところで、エルザは好機を悟った。

 セドリックの死体。
 その傍らに立つ女騎士。

 女騎士はこちらに背を向け、無警戒に立ちつくしていた。
 それを認識したエルザのすべきことは決まっていた。

「――――」

 呪文を唱え、森に命じる。
 アイツを殺せ、と。
 
 葉は矢となり、枝は槍となる。
 それらの凶器は、女騎士へと襲いかかった。

 敵は動かない。
 いいや、動いても無駄だ。
 なぜなら、もう避けられないのだから――





「が、ぁ」

 何が起きたのかわからなかった。

 ……違う。わかりたくないだけだった。

 その風は、焼けるように熱い。
 そして自分の背筋は、凍るように冷たかった。

 はやく、起きあがらなくちゃ。
 あいつが、くる。



「どこに逃げるんだい?」



 熱風がエルザを襲った。
 その衝撃で地面を激しく転がされ、顔と腕にひどい擦り傷ができる。

 いたい。
 でも、にげなきゃ。

 そう思った時には、もう目の前に彼女はいた。

「どうしたの? わたしを殺さないの?」

 そう言って、エルザの右手を踏み砕いた。
 激痛による悲鳴が、森に木霊した。

「あんたが村人たちをそうしたように、わたしも殺して血を吸ったらどう?」

 右手を踏みつける女騎士の足へと、左手を伸ばす。
 その手が触れる前に、振り払われた剣がエルザの左手首を斬り飛ばした。

「た、助けてッ!」

 もう逃げられない。
 そう理解したエルザは、命乞いをした。

「生きるために、仕方なかったの……! 人間だって、生きるために動物を殺して食べるでしょう……? だから、許して……」
「生きるため?」

 女騎士は顔を歪ませた。
 その瞳には、怒りと哀れみが混じり合っていた。

「だったら、人間も生きるために吸血鬼を殺すのさ」

 剣が振り上げられる。強大な力を有した、炎の剣が。
 その一撃が、いかに生命力の高い吸血鬼であろうとも確実に絶命させうることは、明らかだった。
 死ぬ。そのことを強く意識して、エルザは叫んだ。

「いやだ! 死にたくない! お願い! 殺さないで!」





「……ええ、“わたしは”殺さないわ」

 強力な眠気に襲われ、エルザは意識を失った。


   ◇


 翌日、まだ昼と言うには少し早いような時刻。
 サビエラ村の中心から離れた、森へ続く小道付近の開けた場所で、わたしは木に背をもたれかけさせて待機していた。
 村長には、迎えの竜騎士が来たらここへ来るように伝えることを頼んである。そして、村人には絶対にこの辺りまで来ないようにと言うことも。
 だから現在、わたしの周囲には“村人は”誰もいない。まあ、もし万が一、言いつけを破って近づく者がいたとしても、今のわたしならその気配を察知することができるので、大した問題ではないだろう。

 マゼンダという吸血鬼は死に、そしてセドリック、トマ、エルザも命を落としてしまった。
 それが昨夜、村に帰還したわたしが皆に伝えたことだった。

 少なくとも、最初にエルザが吸血鬼であることを看破できていれば、セドリックもトマも死ななかっただろうに。
 セドリックには、最期にノエルのことを伝えられたものの、もっと話すべきことがあったはずだ。
 トマについては、死に際に本人も納得していたと地下水は言っていたが、それでも後味の悪さばかりが残っている。

 ……わたしは己のミスで、ガリアの臣民を二人失ったのだ。この国全体から見れば、誤差に等しいのかもしれない。だけど、わたしが王国に損失を招いたということには変わりない。

「…………」

 わたしは懐中から、ロケットの付いた銀製のネックレスを取りだした。それはセドリックが所持していたものだった。つまり……遺品というわけだ。
 ロケットの中には、女性の肖像画が収められていた。誰と特定することはできないが、おそらく彼の身内であることは確かだ。
 それはノエルに渡さなくてはならないものの一つだった。

 そしてもう一つ、彼女に差し出さなくてはならないものがある。

「…………来たわね」

 遠くで空を羽ばたく、風の音。竜のものだ。
 この辺りに野生の竜はいないはずだから、迎えが来たのだろう。

 数分後、村長から誘導されてきたであろう竜騎士が、わたしのそばに着陸した。見たところ、行きで同行した青年と同一人物のようだ。
 わたしはフードを押さえながら、彼のそばまでやってきた。

「ご苦労。すでに村の首長から聞いていると思うが、任務は完了した。あとは帰還するだけだ」

 と、地下水がわたしを代弁する。
 ……が、青年は困ったような顔をしている。まあ、それも当然だろう。だが事情を話すわけにはいかないので、ここは大人しく従ってもらうしかない。

「余計な詮索はするな。これは私からの命令だ。わかったか?」
「……はい、了解しました」

 闇雲に首を突っ込むと危険だと察したのか、彼は顔から感情を消して答えた。
 わたしはそれに頷くと、風竜の背に乗り込んだ。二回目なので、今回はスムーズだ。

 そして――“もう一人”が、わたしの後ろに乗った。
 ぼろぼろのローブとフードを身に纏い、周りからは見えないように右手にナイフを握った小さな影。





 ……わたしはコイツを殺さない。

 コイツを殺せるのは――ノエル・ド・スランだ。












[28470] 10 仇討ち
Name: 石ころ◆3b8a8997 ID:ecb31cdf
Date: 2011/06/21 00:14

 宮殿のいくつかの場所には、ごく一部の人間しか知らない通路が隠されている。それらは地下へと続き、そしてガリアの首都リュティスのさまざまなポイントへとつながっている。つまり何か危機迫る有事が起こった際には、この秘密通路を使って宮殿外へ脱出するというわけだ。
 わたしの普段から使用している居室も、書棚を動かし仕掛けを動作させることで、その通路を開くことができる。そこをさらに進むと分かれ道や、用途不明な部屋がいくつもあったりするのだが……もともと、そう何度も利用するものでもないので、わたしはそれほど詳しくは把握していなかった。せいぜい、通路をまっすぐ行きつづけると、リュティス南東にある修道院と練兵場営舎につながっているのを知っているくらいだ。

 そんなわたしだが、昨日今日でこの通路はめずらしく何度も通っていた。
 冷たく淀んだ、地下へと続く階段。コツコツと歩みを進め、やがて幅広の通路に躍り出た。
 わたしはヴォルテールに灯していた、“ライト”の魔法の光を消した。さっきまでの階段と違って、ここからは等間隔で恒久的に光を発する魔法照明が設置されている。それほど強い明かりではないが、動き回るには困ることはない。
 錬金で簡易的な舗装がなされている通路を少し行くと、右手側にいくつかのドアが並んで現れた。
 それらのドアの先は、完璧な“固定化”がかけられた寝室であったり、魔法的に保存された食糧と水の備蓄庫であったりと、なかなかに親切な造りとなっている。先人の誰がこの通路を作ったのかはわからないが、手間と念の入れようには思わず感心してしまうほどだ。

 だけど、わたしの目的はいちばん奥のドア。
 そこを開けると、まず飛び込んできたのは頑丈そうな牢獄の光景だった。どうしてこんなものがあるのか、といちいち考えるのは面倒だ。とにかく、そういうものがあるのだから、“使わない手はない”だろう。

 わたしは、鉄格子の奥に横たわる影に話しかけた。


「気分はどうだい?」


 返ってきたのは無言だった。昨夜ここに放り入れた時は、無様にも命乞いを続けていたのだが、もはや諦めたのかもしれない。
 吸血鬼――エルザは、手足を拘束用の魔法の縄で動けないよう完全に縛られている。いくら吸血鬼と言えども、厳重な魔法処理がなされた拘束を抜けるのは不可能だ。それに、ここまで手足の動きを封じられていれば、精霊に働きかける先住魔法も使えなくなる。

「少し話でもしようか」

 わたしがそう言うと、エルザはゆっくりと体をこちらへ向け、睨むように目を細めた。

「……早く、殺したらどう?」
「心配しなくても、今日のうちにお前は死ぬさ」

 もとより、生かすつもりなどない。
 それでも、こうしてわざわざ、この吸血鬼をリュティスまで連れてきたのには理由がある。

「……お前には、親はいるかい?」

 ふと思い出し、尋ねる。
 サビエラ村の初日の夜、エルザはわたしに言った。両親はメイジに殺されたと。
 あれはすべて作り話だったのか、それとも事実だったのか。

 しばらく無言が続いたあと、エルザは疲れたように口を開いた。

「言ったでしょ? メイジに殺されたって。そのあとは、ひとりで30年くらいをずっと生きてきた」
「人間を殺して、かい?」
「それ以外に方法がないでしょ?」

 エルザは冷笑的に顔を歪めた。

「あなたたちが動物や植物を殺して食べるのと一緒。わたしも人間を殺してその血を飲んできただけ」
「なら、その人間に殺されるのも仕方ないね。お前も、お前の親も」

 わたしの吐き捨てた言葉に、エルザはぴくりと反応した。
 そして、怒りを含んだ調子で言い返してくる。

「仕方ない? うそつき。何もしなくたって、殺そうとするくせに」
「ふん。だが現に、あんたたちは人間を襲っていたんだ。当然の報いさ」
「違うッ!」

 狭い室内に、激昂した叫びが響き渡った。
 その幼い外見に似合わず、エルザはまさに鬼のような形相でわたしを睨んでいた。
 一瞬、それに少しだけ怯んでしまう。エルザは畳みかけるように、言葉を続けた。

「パパとママは、違った。殺して血を吸うのは、人攫いや盗賊のような悪人たちだけだった。なのに……あなたたちメイジは、そんなパパとママを殺したッ! ただ“吸血鬼だから”という理由でッ! 悪いのはあなたたちなのよッ!」

 激昂した叫び声に、気圧される。
 エルザの瞳には、憎悪が強く宿っていた。
 それはおそらく、すべてのメイジ――人間へと向けられた感情なのだろう。
 だけど、


「ねぇ、あんたは、その両親を殺したメイジたちを殺したの?」


 自分でも思わぬほど冷たい声で問う。
 わたしは形容しがたい、奇妙な感情を持っていた。
 それは、問いへの答えに対する期待だったのかもしれない。

 だからわたしは、


「…………そ、そいつらは……殺してやりたいけど、もうどこにいるか」





「――――アハハハハハハッ!」

 その返答に、腹を抱えて笑った。いや違う。嗤ったのだ。
 だって、これだけ傑作なことはない。
 両親をメイジに殺されて、それから30年以上、コイツは“平民”を襲って満足していたのだ。それだけの年月と、吸血鬼としての力があれば、“親の仇”を探し出して殺してやることもできたであろうはずなのに。
 殺してやりたい? それは嘘だ。本当は“自分が生きたい”のだ。
 臆病者で愚か者なこの吸血鬼は、本当にすべきことをしないで、親の死を利用して、自己弁護しながら生きてきたのだ。

 恥辱で顔を赤くしたエルザをわたしは鼻で笑い、そして宣告する。

「さあ……死の時間だよ」

 コツコツコツ、と誰かが通路を歩む音。それは次第に近づいて聞こえてくる。
 部外者、ではない。この頃合いにやって来るよう、わたしが仕向けさせていた。
 しばらく続いた足音は、この部屋のドアの前でとまった。

「入ってきなさい」

 わたしの言葉で、ゆっくりとドアは開かれた。
 そして現れたのは――眼前の光景に驚いている彼女の姿だった。
 右手には地下水が握られているが、彼がここまで彼女を案内してきたのだ。

 ノエル。かつての名は、ノエル・ド・スラン。
 彼女はびくつきながらも室内に足を踏み入れ、牢獄の前までやってきた。

「……これはいったい、どうなっているのですか?」

 身体を完全に縛られ、しかも左手首を欠損している子供を見て、ノエルは怪訝そうな顔をしている。
 わたしは無言で、懐中から一つのものをノエルに手渡した。

 ロケットの付いた、ネックレス。
 ノエルの父親――セドリックの、唯一の形見。

「……どうして、これを? もしかして……父とお会いになったのですか!?」
「ああ、会ったさ」

 驚いて問うノエルに、わたしは暗く呟いた。

「……けれど――」

 わたしは話した。任務地の村でひとりのメイジに出会ったことを。
 わたしは教えた。そのメイジの名は、かつてセドリック・ド・スランというものであったことを。
 わたしは伝えた。だけど彼は――もうこの世にいないということを。

 そう。

「セドリックは死んだ」

 ――どうしてですか?

「……殺されたのさ」

 ――誰に……ですか?

「吸血鬼に……」

 ――それは

「そう」

 息を呑むノエルに、わたしは使い魔――ヴォルテールを、地下水と交換するように握らせた。
 どうやら主人たるわたし以外には、身体能力や魔力の増加は及ばなくなっているようだが、それでも重量は女子供でも振りまわせるほどであるし、その切れ味は死をもたらすのには充分だ。

 牢獄の扉の鍵を開け、ノエルを中へと導く。

「さあ」

 囁くように、告げる。

「“親の仇”を討ちなさい」

 息を呑む音。
 それはノエルのものか、それともエルザのものか、あるいはわたしのものだったのかもしれない。
 燃え上がるような炎を宿した剣が、振り上げられる。
 張り詰めた時間は、永遠のようだ。
 だけど、それはヴォルテールの一振りによって切り裂かれた。

「ひっ……」

 と、エルザが小さく悲鳴を上げた。
 それだけだ。
 本当に、それだけだった。
 吸血鬼は――死んでいない。
 当たり前だ。
 ヴォルテールは、何もない地面に向かって振り下ろされたのだから。

「……どう、して?」

 なかば呆然と、わたしは問うた。
 外れたのではない。相手は少しも動いていなかったのだから。わざと外したのだ。
 じゃあ……どうして?

「すみません、イザベラさま」

 うつむいて、ノエルは言った。

「わたしには、できません」

 その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
 だけど、その心中は依然として理解できない。

「そいつは……吸血鬼よ! あなたの父親を殺した、敵。見た目で人を騙して、今まで多くの人間も殺してきたのよ! 気兼ねする必要はないわ!」

 声が熱くなる。
 なぜ、殺さない?
 わからない。

「違うんです」

 違う?
 何が?
 なぜ?

「だって――」

 わからない。
 思いつかない。
 いや、もしかしたら。
 わかりたくなかったのかもしれない。

「復讐のために殺すなんて、悲しいだけじゃないですか……」

 知らずのうちに、手が出てしまっていた。
 頬を叩かれたノエルは、それでも、わたしを見透かすように見つめている。
 何か自分が惨めになったような気がして、ひどく気分が悪かった。

「……消えなさい! この宮殿から、立ち去りなさい!」

 そんなことは、本心から思っていなかったはずだ。
 それでもあふれ出る感情を抑えきれずに、いつの間にか言葉を出してしまっていた。
 ノエルは無言で一礼すると、ヴォルテールをわたしに返して、部屋を出た。

 重苦しい。
 誰も言葉を発しない。
 混ざり合った感情を鎮めることもできない。

 わたしは衝動的にヴォルテールを振り上げた。
 吸血鬼。
 多くの人々を殺した、忌むべき存在。
 殺したってかまわない。殺すのが当然だ。殺すべきなのだ。

 振り下ろす。
 今度は、エルザは動揺すらしなかった。
 ただ、何か考えるように目を伏せているだけ。
 その首の真上で静止させた剣のことなど、気にも留まらないと言うかのように。



「……くっ」

 ……今はもう、ここにいたくない。

 わたしは牢獄に鍵を掛けなおすと、逃げるように立ち去った。




   ◇




 大切なものは、いつもなくなってから気づくのだ。
 最初に気づいたのは、父――ジョゼフがオルレアン公を謀殺した時のこと。それから父は気をおかしくして、娘のわたしでさえ、まともに会話もできなくなってしまった。親子の絆なんて、もはやわたしと父の間には存在しないのだろう。でも、それだけなら……まだマシだったかもしれない。
 その時、わたしは、わずかに残っていたもう一つの絆をも、投げ棄ててしまった。


『お前……、誰に口をきいているの?』


 あの時のわたしは、バカみたいに思い上がっていた。父の所業についてよく考えもせず、ただ一時の優越感に流されて、無力で罪のない少女を死地へと追いやった。
 それでも、アイツは生きて帰ってきた。殺した化け物の巨大な爪を携えて。
 短く切られた青い髪、泥と血に汚れた服、そして冷たい雪のような瞳。
 不可能だったはずの任務を成し遂げたアイツに、わたしは戦慄と嫉妬と憎悪を湧き上がらせて、そして道を大きく誤った。


「今度はどうするんだい?」


 わたしの顔、わたしの記憶、わたしの性質を持った人形は、わたしの心を見透かしたように問うてくる。
 この人形の言うことはいちいちムカつく。だって……わたしのことを、いちばんよく理解しているのだから。


「また意地を張って拒絶して、そして自分も貶めるつもり?」


 うるさい。黙れ。そんなことは百も承知よ。
 気に入らない、気に入らないと子供のように振る舞った結果が、これまでのわたしの醜い姿だったのだから。
 でも、ヴォルテールを召喚してからは変わった。
 いえ、違うわ。変われたのよ。わたしの意志で。
 召喚からまだ日は浅いけれど、それでもわたしは学び、知った。

 ひとは変われるんだ、って。


「なら、変わりなさい。つねに前を歩んで、変わりつづけなさい。――そんなふうに、下ばかり向いていないで」


 うるさいうるさい! わかったわよ!
 だったら……進んでやるわよ。歩いてやるわよ。
 止まっていたって、何も変わりやしない。
 でも歩き続ければ、何かが変わるだろう。
 辛かったり、苦しかったりするかもしれないけど……でも、何もしないよりは、何もできないよりは、ずっと辛くないし、ずっと苦しくないだろうから。

 だから――行くわ。
 先へ。
 “さらに先へ”


「ええ、行ってきなさい。イザベラ――」






   ◇




「とある少女の話をしよう」

 牢獄の前で座り込んだわたしは、独り言のように呟いた。
 ぼうっと天井を見上げていたエルザは、ゆっくりとわたしに視線を向けた。

「彼女の父親は、その時世の国王の、二人目の男子だった。つまるところ、彼女は未来に一国のお姫様にもなり得る身分だった」

 本当は、“なるはずだった”と言うべきなのかもしれない。
 だって、オルレアン公が選ばれるであろうことは、明々白々だったのだから。

「でも、彼女の日常は唐突に終わりを告げた。国王の一人目の男子、つまり彼女の父親の兄――彼女の伯父が、謀略に及んだから」
「……謀略?」
「彼女の父親は暗殺され、彼女の母親は毒によって心を狂わされたのさ」

 しばしの沈黙の後、「……彼女は、どうなったの?」とエルザは問う。

「当然ながら、身分は剥奪された。でも、それだけじゃない。彼女は無理やり“騎士”にされて、そして危険な任務に送り出されるようになった――今もね」

 父親を殺されて、彼女はどう思ったのだろう。
 母親を狂わされて、彼女はどう感じたのだろう。
 そして仇敵にいいように扱われて、彼女はどう考えているのだろう。

 もし。

「もしも――彼女が、伯父に復讐を果たした時」

 その時、わたしはいったい。

「その“伯父の娘”は、何を想うのかしらね」

 そして、どうすればいいのだろうか。
 今度は、わたしが父の仇を討つのだろうか。
 そうしたら、今度は彼女の仇を討とうと、誰かがわたしのことを狙うようになるのだろうか。

「……ま、今は、そんなことより」

 わたしは牢獄の鍵を開けた。
 ヴォルテールを引き抜き、右手に提げる。

「お前は、どうしたい? 両親を殺したメイジに復讐をしたいか? それとも――人を殺して、生きつづけたいか?」
「…………わからない」

 答えに迷うように、エルザは答える。

「パパとママを殺したメイジたちは憎い。そして死にたくないって思いもある。だけど――どうすればいいの? どうすればよかったの? ……もう死ぬっていうのに、意味のない問いかもしれないけれど」

 それはきっと、わたしにも完璧な答えはわからない。
 だけど、吸血鬼としての生き方にも、もっと良い方法はあったはずだ。

「――条件次第で、お前を生かしてやってもいい」

 エルザの目が大きく見開かれた。
 訝しげな表情が、その真意を求める。

「わたしは、たくさんの人間を殺したのに? そんな吸血鬼を生かすって言うの?」
「勘違いしないで。そんな簡単に、野放しにするわけでもないわ。そう……人間を傷つけずに、人間のために、働いてもらうことになるわ」
「…………わたしが嘘をついて逃げ出そうとしたら、どうするの?」
「好きにすればいいさ」

 もし本当にそんな思惑を持っていたのなら、それは逆に“地獄の苦しみ”になるだろう。
 自分の意に反して、“制約”は身体に絶対服従を求めるのだから。

 だから、この質問は、字義どおりの肯定か否定だけで全てが決まる。

 わたしは左手に地下水を持ちながら、エルザに問いかけた。



「――人間のために、その身と魂を捧げる覚悟はあるか」






   ◇




 突然だが、わたしは街としてのリュティスについて、それほど詳しく知っていない。どこにどういった施設があるか、ということなら為政者の娘としてそれなりの知識は持っているのだが、もっと俗なこと――たとえば酒場の場所などについては、さっぱりわからないのだ。
 だから酒場の名前だけを頼りに、“同行者”と半日近くもかかって(新鮮味のある街の店々に、道草を食っていたわけではない、断じて)、わたしはようやく目的の酒場を見つけ出すことができた。
 “同行者”は店の外で用件が終わるのを待つことになり、わたしは独りでその中へ入ることになった。
 酒と料理の匂いが混ざり合い、つんと鼻をつく。
 騒ぐ客たちに呆れながらも、わたしは店内を見回した。

 ――いた。

 料理を運んでいる使用人の顔を見定めると、わたしは厨房の入り口近くのカウンター席に腰掛けた。

「ご注文はいかがいたしましょうか?」

 カウンターの向こうから、人の良さそうな初老の男性が聞いてきた。
 注文といっても、もともとここへは食事や酒のために来たのではない。とはいえ、席を取りながら金を落とさないというのも卑しいので、財布から硬貨を取り出して男性に渡す。

「悪いが、注文しに来たんじゃない。それで勘弁してくれ」
「え、いやこれは……何も出さないで1エキューも頂くなんて……」
「気にするな。それよりも……っと」

 先程の使用人が厨房へ戻ろうと、こちらのほうへ歩いてきていた。
 手提げ鞄をから一枚の封筒を取り出し、目を閉じる。
 彼女が隣を通り過ぎようとしたところで、わたしはその名前を呼んだ。


「――ノエル」


 びくりと慌てたように、彼女は振り向いた。
 髪をブラウンに染色していたせいで今まで気づかなかったようだが、呼びかけられた声のおかげで、すぐにわたしのことはわかったようだ。

「イザベラ、さま。どうして……」
「知っているやつに聞いたのさ。ヴァレリー、って娘だったかしら」
「……ご用件は、なんでしょうか」

 恐る恐る、といったふうに尋ねるノエル。
 まあ、その反応ももっともだろう。出ていけと言った主人の王女が、こんな場所にまでやって来たのだから。
 わたしはにやりと笑って言った。

「あなたの今の仕事を、できなくさせようと思ってね」
「――――」

 息を呑むノエルに、わたしは封筒の中身を取り出して手渡した。

「――――え?」

 途端に、今までの険しかった表情がぽかんと崩れた。
 わたしは笑いをかみ殺しながら、彼女に話す。

「根回しに少し時間がかかったけど、なんとか手筈は整えられたわ」
「ノエル・ダルトーワ……この名前は……?」
「アルトーワ伯に協力してもらったのさ。ま、名義としてだけだから、それほど気にする必要はないわ」
「でも、この時期なら、もう」
「たった数週間足らずの遅れでしょ? 今からでも充分、やっていける」
「……本当に、よろしいのですか?」
「当たり前よ。そのために、ここまで来たんだから。それで……返事は?」

 手紙の文面をしばらくじっと見つめていたノエルは、静かに目を閉じた。
 その内容を咀嚼するように、大きく深呼吸する。
 そして開かれた目は、かすかに潤みを帯び、言葉を紡ぐ口元は、柔らかく笑っていた。

「こんなにしていただいて、無下になんてできませんもの」







「――喜んで、お引き受けします」


 そんなノエルにつられて。

 わたしもほほえんで祝辞を述べた。


「リュティス魔法学院への入学おめでとう、ノエル――」






   ◇






 酒場を出たわたしは、小さく伸びをした。
 ここのところ、いろんなことがあって、少しくたびれた。
 といっても、まだまだ休むこともできないが。ノエルのことに関する後始末も残っているし、これからのケアも必要だ。
 それと、北花壇騎士団の仕事も。……いっそのこと、面倒だから全部、あのスキルニルに押しつけようかしら。

 などと思いながら、店の横の細い路地に小さな影を見つけたわたしは、声をかけた。

「用事は終わった」

 わたしに気づいた影は、どこか重苦しい様子で歩み寄ってきた。

「……あの子、は?」
「了承してくれたよ。これで少しは――セドリックの想いも、果たせるかもしれない」
「…………そう」

 うつむいた彼女は、自嘲するように呟く。

「やっぱり……顔を合わせるのが怖かった。わたしは……どうすればいいのかな、あの子に……」
「……いつか、会いにいけばいい。そこで、話せばいい。自分のこと、自分の思い、自分の意志を」
「……………………うん」

 弱々しく頷く彼女。

 なんとなく、しんみりとした空気を振り払うように。

 わたしはくるりと背を向けた。

「帰ったら、お前にも手伝ってもらうことが山ほどある」
「…………うん」
「ちゃんと働かなかったら、“ごはん”も抜きにするから覚悟しなさい」
「……うん」
「一段落したら、任務にだって行くことになるんだから、もっとしっかりしなさいよ」
「うん」



「それじゃあ、行こうか――エルザ」









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