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[29271] 【習作】外史のアイツ(R15、Fallout3×真・恋姫†無双)
Name: やがー◆4721ae65 ID:1314f84a
Date: 2012/02/12 02:18
どうも、やがーといいます。
今頃恋姫かよwって感じですが、前から妄想してたので、三人称練習がてらやってみます。
一応ざっと注意点をば。

・一刀魔改造?一刀モドキTUEEEなお話です。
・登場人物が結構死にます。鬱有りかも。**が死ぬなんてヤメテ!と思う人は回避推奨。
・Fallout3の主人公なので戦闘を始め、色々とシビアです。原作一刀の優しさに期待しないでください。
・Fallout3のくせに銃器が出ません。銃器ファンの方ごめんなさい。
・Fallout3、恋姫世界の設定を独自に変更、解釈している部分があります。
・都合上、原作よりもだいぶ一刀君のストライクゾーンを狭くしています。ロリ系、ババァ系ファンの方ごめんなさい。





第1話 外史に舞い降りたVault101のアイツ





「ふぁ~あ」

日付が変わって約1時間。
自室のベッドでプレステ3のコントローラーを握り、大きくあくびをしたのは聖フランチェスカ学園2年に属する、北郷一刀。
ここ連日の夜更かしの原因は、悪友の及川からの強い勧めで始めたゲーム、『フォールアウト3』である。

3とナンバリングされているものの、2が未経験でも楽しめるストーリーであり、核戦争後の荒れ果てた世界で、自由気ままに冒険する、海外製のRPGだ。

このゲームに対する一刀の第一印象は、あまり良いものではなかった。
洋モノにありがちな、全体的にゴツいキャラデザインもいまいちだったし、体験版で少し触れて以来、自分には無理、とさじを投げたFPSというのも敷居が高かったのだ。しかし──

「いやいや、FPSゆーてもよくあるサバゲータイプとちゃうねん。見た目だけっちゅーか、初心者にもやさしいっちゅーか……まあ騙されたと思ってやってみてーや」

と、話相手が欲しかったらしい及川により、説得されてしまった。

フォールアウト3は海外では脅威的な発売数を誇るものの、日本国内では洋ゲーの宿命か、知名度はそれほど高くない。ドラクエやFFの知名度とは比較にならないといえよう。
ただでさえ女子の比率が高い、聖フランチェスカ学園。このような男くさいゲームをしている人間は、及川の近くにはいなかったのだ。

結局購入に踏み切るのだが、及川の勧めに加え、ネットでの評価も高めであったことも後押しとなった。
また、現状、一刀が夢中になっているゲームがなかったのと、廉価版で再販されているため、懐に優しいことも影響している。

ゲーム購入後、凝り性の一刀は、数時間をかけて自分自身に見えなくもない顔を設定し、攻略サイトを参考に、最適な初期設定や、取得スキルの順番を決めて、ようやく始まった冒険は──彼を虜にした。

日本のゲームにはない斬新なドギツイ表現や、ところどころに散りばめられたシニカルなジョーク。
自由度の高いシナリオ。
序盤ではグロテスクな表現に辟易したものの、次第に慣れていき、洋ゲー特有のグラフィックに隔意を持っていた一刀でもハマるほどのゲーム性、中毒性を有していた。

隠密行動の緊張感。狙撃、殲滅戦のカタルシス。
使いにくいが面白い、火炎放射器やミサイルランチャーの豪快さ。
レアアイテムが取得できたときの達成感。
調子に乗って背後の敵に気付かず、あやうく死にかけたときの焦燥感。

話相手の及川が苦笑するほど、一刀は熱中していた。
さらに、本編クリア後に追加シナリオも購入することになったが、彼に後悔はなかった。

数ヶ月かけて、あらかたの冒険をやりつくした一刀が今遊んでいるのは、剣やナックルなどの近接武器によるガチンコ戦闘である。

近接武器は敵からのダメージを食らいやすいため、体力や防御力が低い序盤では向いていない。
それゆえ、中・遠距離武器であるピストル、ライフル、マシンガンなどを好んで使っていたのだが、冒険しきった今は、それまであまり使っていなかった武器の、操作スキルを磨こうとしていた。

起動すると時間が止まり、落ちついて敵を狙える便利機能『V.A.T.S』も、今では使用せずに、難敵デスクローを素手で倒せるほどになっていた。
苦戦の口直しとばかりに、レイダーどもをいじめて、本拠地であるメガトンの町に戻ろうとしたとき、──画面が止まった。

(ちっ、“また”フリーズかよ……)

一刀にとっては驚くほどの現象でもないが、いまいましいことは確かである。思わず舌うちが出る。
このゲームにも短所は数多くあるのだが、その中でも最大級なのが、この頻発するフリーズ現象だろう。
シナリオが進めば進むほど、踏破マップが多くなるほど、フリーズしやすくなるのだ。
さらに残念なことに、修正パッチも出ておらず、メーカーも出す気が無いので、ユーザとしてはセーブをこまめに行い、リスク対策をするしかない。

「ふぁ~あ」

2度目の大あくびで、さすがに眠気に耐えきれなくなった事を自覚する一刀。
フリーズも起きたことであるし、いつもの電源オフの手順を踏もうとした、そのとき。

──カッ!

目がくらむようなまばゆい閃光が、一刀の視界を占領した。
体感時間としては1秒くらいだったが、突然の怪奇現象にしばらく呆然とした後、思い出したように慌てた声を上げた。

「な、なんだ?」

強烈な光を直視したにしては、不思議な事に、目に残像が残っていなかった。もっとも、彼は慌てていて、そのことに気付いていないが。

(気のせい、じゃないよな……落雷だったのか……?)

ようやく気が落ち着き始めたところで、落としていないはずのプレステ3の電源が落ちているのに気づく。
少し焦りながら電源を入れて、故障していないかどうかを確認した。

(よかった。電源は付く。ゲームデータは大丈夫……セーブデータは、と…………あれ?……え?)

安堵から焦燥へと表情を変え、何度確認しても、彼のフォールアウト3のセーブデータは、バックアップに取っていた予備も含めて、ロード画面のリストに表示されていなかった。

「う、うそだろ……俺の……数ヶ月の……」



…………………………



一方、どことも知れない異空間。
北郷一刀が呆然としているのと時を同じくして、不気味な存在が、不気味な声をその空間に響かせていた。──いや、声質自体は渋いのだが、口調との組み合わせが不気味なのである。

『あらん、また新しい外史が……あるぇ?』

『どうも座標がズレたようねぇ』

『ご主人様であってご主人様でない存在』

『ずいぶん世界に溶け込んでるわねぇ』

『……別種の外史ではあっても同レベルの世界ゆえ、弾かれることもない……と』

『………………』

『ま、いいわよねん。これもまた外史。頑張ってねん、ご主人様』



…………………………



「ん?」

まぶたを刺激する光で目を覚まし、むくりと置きあがる男がいた。
その男は、Vault-Tec社製の、ジャンプスーツというツナギ服を着ていて、起き上がることで露になった背中には、大きく『101』の数字がプリントされている。

(なんだ、ここは?)

状況を把握しようと周囲をうかがうと、精悍な顔つきの中型犬──オーストラリアン・キャトルドッグが、ぴすぴすと鼻を鳴らしながら、男にすり寄った。
彼の長年の相棒、ドッグミートである。

「おはよう、ドッグミート」

異様な状況でも心強い相棒がいた事に、少し安堵した。
わふわふ、と尾をふりながら身を寄せてきたので、応じるように首をごしごしと掻いてやる。
今は亡き母親犬よりも甘えん坊なのが、主人である彼にとって困ったところであり、可愛いところだった。

ちなみに、死んだ母親犬もドッグミートという名前である。
母親犬は、もともと名も知らない旅人の飼い犬だったのだが、旅のさなか、ウェイストランド中に生息する、レイダーと呼ばれる無法者集団に襲われ、飼い主を失ったのだ。
男が、襲撃音に気付いてかけよったときには、飼い主は銃で胸を撃たれ、地面に伏していた。

特に面識があったわけでもないので、仇打ちの気持ちはなかった。
ただ、レイダーとは生かしておいても害にしかならない存在。無法者を誅すべく銃を抜いたのだが、その犬は男が手を貸すまでもなく、あっという間にレイダーを噛み殺してしまう。

戦闘後、なぜか妙に懐いてきたその犬にドッグミートという名前をつけ、以来、頼りになる旅の仲間として、行動をともにすることになった。
そしてその犬も、最強種の魔獣、デスクローの群れとの戦いで命を散らすことになる。

その後しばらくして、いつ、どこで種を付けて生んだかのか不明だが、母親瓜二つの仔犬──今のドッグミートと偶然出会い、母親の代わりに彼の供をするようになったのだ。
なお、男のネーミングセンスについては語るまでもないだろう。

さて、見知らぬ場所で戸惑う男は、最新の記憶を探っていた。

(えーと、たしか昨日は……)

昨日は、デスクローとの腕試しの帰りに、飯のタネであるレイダーを退治して、メガトンの自宅に戻ってそのまま寝たはずであった。

レイダーはキャピタル・ウェイストランド中にいて、人を見ると奇声を上げながら問答無用で襲いかかってくる、頭のおかしい連中の総称である。
独特の髪型や格好をしていて、総じて肌は焼けて浅黒いので、見分けはつきやすい。
男は生まれ育った核シェルターから旅立って以来、千人を超えるレイダーを“処分”したが、絶えることがない。どこから供給されているのかは未だ謎である。

かつてはその凶暴さを怖れたこともあったが、今では男の良い収入源となっていた。
なお、レイダーは拷問を趣味としており、一般人を食糧兼娯楽品としている。レイダーのねぐらには“かつて人であった物体”が、オブジェのようによく転がっているので、男の精神を頑丈にするのにも一役買っていた。

(記憶はっきりしているけれど……寝ている間に拉致されてしまったのか?……これで3回目か)

合衆国再建のため、ウェイストランド全住人の根絶を目論むエンクレイヴや、地球人を実験道具にしていたらしき謎の宇宙人により拉致された事を思い出し、溜息をついた。

男は、まずすべきは状況把握だと気を取り直し、すぐに左腕に装着した多機能の腕輪──Pip-Boy3000を操作する。

バイタルチェック──異常無し。放射線汚染度を表すRAD値もゼロに近い。

位置チェック──不明。黒い画面の中央に、シミのような緑の光が、ぽつんと浮いていた。
緑の光は登録済みのマップを表すので、この表示状態は、男の周りが未知の土地であることを示している。

所持物チェック──亜空間倉庫リストを見ると、最後の記憶と一致する。これまでは、拉致された際に武器類を取り上げられたから、今回の拉致者は優しいようだ。
しかし、武器のみの表示に切り替えると、思わず舌うちが出た。何しろ、見事なまでに近接用のみだったのだ。

(……ガウスライフルくらい入れておけばよかった)

ガウスライフルはいわゆる携帯式レールガンであり、連射性、静音性は皆無だが、射程距離、威力、弾薬コストが抜群なため、愛用の長距離狙撃武器であった。
そんな愛用品をなぜ入れていなかったかというと、単に最近使っていなかったからである。

Pip-Boyの格納機能にも重量の限界があるため、ここ最近使わなくなった銃器類は、自宅のロッカーにしまっているのだ。
通貨であるキャップや銃弾のように、カウントされないほど軽い物はいくら入れてもゼロと扱われるので、銃弾各種は全て格納されている。
しかし、それを撃つための銃がないので、今現在では宝の持ち腐れである。

(まあ、ここがどこか知らないけれど、敵から奪えばいいか。しかし、それにしても──)

無いものは無いとして気持ちを切り替え、周囲を一望する。
起伏のある荒野に、ところどころ見える大小の岩石はいいとして、遠目に見える、天を突くようにそびえ立つ山々が、ここがウェイストランドではないことを強調していた。

「なんだかえらく自然が残っているところだな……行こうか、ドッグミート」

男は、探索と好奇を兼ね、まずは遠目に見える森林を目指すことにした。
Pip-Boyにいくらか飲食物を入れてはいるが、限りがある。
よって帰還に何日かかるかわからない今、ライフラインの確保は必須であり、なにかしら食用に耐える動植物がいそうである森林を目指すのは、理に適っていた。

歩みを進めるごとにPip-Boyの登録マップデータが追加されるのを確認しつつ、てくてくと森林に向かう途中、ふと、空気が澄んでいる事に気付く。
ウェイストランドの汚染されきった空気と比べて、随分呼吸がしやすいのだ。
男は、ますますこの場所に対する探求心・好奇心を強くした。

樹木の匂いがきつくなってきたところで、視界に生体反応のマーカーが表示される。
多数あるPip-Boyの機能の一つ。生物やロボットの反応を網膜に投影するレーダーサイトである。

どういう理屈か、装着者への敵意・殺意があると赤く表示されるので、敵味方の判別は容易に付く。
視界方向の方角も表示してくれる便利な機能だが、どこか中途半端なところもある。

例えば、視界の方向の情報のみ映し出すので、死角から近付かれるとわからないのだ。
もっともこれは、男が冒険途中で、巨大アリの研究をしていた科学者に改造されることによって得た[Ant Sight]という特殊能力で、視界が広くなったことで軽減されている。

他には、対象の距離や大きさまでは判別してくれないところ。
人間もラッドローチ(巨大ゴキブリ)も同じ大きさで表示されるので、警戒して近づいてみたらラッドローチでした、という事も多い。

そういった難はあれど、旅のツールとしてはかなり有用な機能である。
そして、そのマーカーが現在は白を表している。つまり、こちらを敵視していない存在だ。
目を凝らしながらマーカーの方向へ近付くと、耳の長い小さな動物が、地面に生えた草を食んでいた。

(あれは、兎!?絶滅したんじゃ……)

兎は至近まで来た男に気付いたが、逃げる素振りもせず草を食みつづける。
男が過酷な冒険の中で習得した[Animal Friend]の効果だ。
人間や昆虫・魔獣には効果がないが、どのような猛獣であれ、彼の前では皆、友達である。
余談だが、ドッグミートが彼に懐いているのは、この能力とは関係ない。

長く確認されていない動物を見て驚いたものの、ここがウェイストランドでないならばありうるのか、と納得し、落ちついて友達たる兎を捕まえ──無造作に、ごきん、と首をへし折った。

すぐさま、コンバットナイフで血抜きと毛皮剥ぎをすませ、食用に向いてそうな箇所をひと塊切り出し、残った部位をドッグミートに放ってやる。
その手際は手慣れたものであり、生き物を殺す事への躊躇はみじんもない。
切り出した肉は、とりあえずPip-Boyにしまう。亜空間倉庫内では時間が止まるので、保存に向いているのだ。

(登録名“兎肉”で格納実行、と……って、オイオイ、RAD値ゼロだと!?)

Pip-Boyのガイガーカウンター機能によって示された値に驚愕する男。
男のいたキャピタル・ウェイストランドは、200年前に起こった核戦争の影響で、人間を含めてすべての生物が、多かれ少なかれ、放射線に汚染されていて当たりである。

また、飲料についても、限られた水──核戦争前に完全封入されていたものや、男が育ったシェルターや街にある浄化装置によって放射線除去されたもの、そして最近男の活躍によって、多く配給されるようになったアクア・ピューラと呼ばれるもの──以外は全て汚染されているのだ。

RADアウェイという、放射線を除去する薬品が開発されていなければ、人類の歴史は核戦争後、すぐに終わっていただろう。
それほど、汚染されていない肉というのは珍しいのだ。

(誰かがRADアウェイをこの兎に打った……とは考えにくい。野生の兎だよな)

その後、あてもなくマップデータを増やしつつ、道なき森を歩む男と犬。その旅程は驚きの連続だった。
湧き水のRAD値ゼロのクリーンさと美味さに驚き、焼いた兎肉の美味さに驚き、鹿を発見して驚き、と。
なお、兎と同様、近付いても触っても男から逃げない鹿は、あっさりと男によって仕留められ、食糧と化した。

その後、シルエットは熊そのものだが、白と黒の毛皮が愛嬌をかもしだしている獣──パンダに遭遇する。
パンダもまた、兎のように男を気にするふうでもなく、のっそのっそと通り去っていったのだが、男にとっては兎や鹿を見た時とは別の驚きがあった。

(……あれは確か、核戦争時に絶滅したとされているはずだが……)

記憶に間違いがなければ、パンダは、幼いころ育ったシェルターで何度も見た動物図鑑に載っていた、かつて中国に生息していたとされる獣だ。
そのことから、この場所についてはいくつか考えられる。

1.ここが未知の施設で、クローンか生き残りかのパンダを放し飼いしている

柵や監視ロボなど、大事に育てるためには必須の設備がどこにも見当たらないし、それを管理している人間からの接触が無い事が不自然である。可能性は低い。

2.実は人知れず生き残っていた

考えにくいが、そうなるとここは中国であるかもしれないし、実は未開の土地でパンダがいたという可能性もある。お手上げだ。

3.パンダが絶滅する前の時代である。

タイムトラベルという非常識な現象ありきだが、今の状況の説明はつく。
その場合、中国か、パンダ輸入国が考えられるが、高価に取引されていた時代ならばきっちり管理されているはず。つまり、野生のパンダが放置されている時代の中国ということになる。

(バカな……いや、ありえるのか)

何しろ宇宙人によって拉致され、宇宙船で実験動物にされそうになった経験のある男である。
奴らの持っていた武器を奪いつつ、取り上げられた武器を回収し、その結果、宇宙人どもを皆殺しにしたが、あの非常識な体験にくらべれば、タイムトラベルがあってもおかしくはない、と考えた。

動植物が汚染されていないという点も後押ししたのだが、タイムトラベルである方が面白い、という期待感が強かった。

結局、確定的な証拠がないので、もう少し様子を見ることにした。
幸い、飲料、食糧に困らない環境だ。帰りを急ぐこともない。

「ここは、まるで楽園だな……」
「ワン!」

狩った獣のほかにも、トカゲやイモ虫など、食用に耐えられそうな生物がウヨウヨいるのだ。
空腹のあまりラッドローチや、謎の肉、果ては便器の水すら口にした事のある彼にとっては、どれもご馳走に見える。
都合の良さに、知らないうちにバーチャル世界に放り込まれたのではと疑う男だったが、今はこの心地よい世界を楽しもうと、ドッグミートと寄り添いながら眠りにつくのだった。



…………………………



翌日以降も森を彷徨っていた男だが、数日もたてば目新しい点もなくなったため、森を出て人を探すことにした。
ここが、人間が生存する場所かどうかは不明だったが、現地住民を見つけるのが一番手がかりになる事は確かだろう。
竹を加工して水筒を作り、新鮮な肉を多めに確保し、数日間堪能した森を後にした。

そして、さらに数日後。

岩陰から現れた三人の男が、ニヤニヤと薄笑いを浮かべて、彼を半包囲していた。
中背の男がリーダーらしく、左に背筋の悪い小男、右に汗だくの肥満体系の巨漢という配置である。

くるる、とドッグミートが唸り声を上げるが、中型犬という見た目を侮ったのか、あまり警戒せず、男のみを標的と定めたようだ。

もちろん、レーダーサイトを持つ男が三人の存在に気付かないわけがなく、陰に潜んでいる所から丸わかりであった。
マーカーの色は赤。本来であれば先制攻撃をして即座に始末するところだったが、初めて出会うこの土地の人間に、話を聞きたかったのだ。

(三人とも、武器は鉄製と思われる剣か。銃器が存在しない時代なのかもしれないな)

貧弱な装備に、緩みそうになる気持ちを引き締める。
さて、言葉が通じないはずの相手に、なんと話しかけたものかとじっと見据えると、中央のリーダーらしき中背の男が、剣の腹で自分の肩をぽんぽんと軽く叩きながら、声を上げた。

「兄ちゃん、珍しい服着てんなぁ。とりあえず身ぐるみ置いてってくれや」

(ウェイストランド語!?……いや、日本語か?)

昔の中国ならば、言葉が通じるわけはない。
となれば、やはり何かの実験施設なのだろうか、と疑惑を高める。

ちなみに全員、日本語を話しているのだが、男もまさか、日本語版ゲームのキャラクターであるから、という理由で、ウェイストランドで日本語が普通に使われている事には、考えが及ばなかった。
というより、意識すらできないのである。

「へへ、アニキ、こいつビビってますよ」
「弱そうな奴なんだな。まあオイラ達を見れば仕方ないんだな」

男の驚きを勘違いしたようで、小男と巨漢がはやし立てる。
それを意に介さず、男は問いかけることにした。

「お前ら、ウェイストランド人か、日本人か?それとここは中国──チャイナじゃないのか?」

だが、男の問いは理解すらされなかった。

「あ?うぇいすと……なんだって?」
「訳わかんねーこと言って、煙に巻こうと思ってんのかコラァ!」
「ぐふふ、そうはいかないんだな」

その反応から、中国という国名になる前の時代かもしれないと考えた。
推測だけでは限界があったので、さらに問いかける。

「ここは何という国だ?」
「はあ?バカかてめぇ、さっさと出すもん出しな。そのゴツい腕輪もな」

聞く耳もたない様子に、男は溜息をつく。
物言いからして、どう見ても頭の悪そうな盗賊である。
いくらやっても話が通じそうにないので、処理してしまうことにした。
身構えもしていない所が油断しすぎだが、そこに付け込むのは当然のことだ。
なに、“かわりはいる”のだ。

──だん!

男はおもむろに、一歩の踏み込みで約3mの距離を縮め、リーダーの懐に飛び込んだ。
そのさなか、両こぶしを顎のあたりで構える、ボクシングスタイルを取っている。
肌が触れるほど近くなのに、今だに呆けている目前の間抜け。

隙だらけなのを見て、V.A.T.Sを使うまでもなく、まずは心臓部に右の掌底。
上手く入れば、相手はショックでしばらく身動きが取れなくなる。[Paralyzing Palm]と呼ばれる、彼が習得した特殊スキルのひとつである。
これで相手を固めて、渾身のストレートかフックで相手を撲殺するのが、男の得意とするコンビネーションだった。

しかし、ここで男の予想外の事が起こる。

ショートフックで放った掌底は、鈍い音とともに相手の胸部を陥没させ、折った肋骨は心臓を突き破る。
さらに、掌底から伝搬した衝撃が、傷ついた心臓をさらにズタズタにした。
完全なオーバーキルである。

「ぐぷっ」

白目をむいて、喉から空気が抜けるような音を喉から出した盗賊のリーダーは、ゆっくりと仰向けに倒れ、そのまま永遠に動きを止めた。

それを引き起こした当人は、構えこそ解かないものの、次の敵に向かうまでもなく呆然としていた。
旅立ってすぐのルーキーだった頃はいざ知らず、戦闘に慣れた男にとっては、ありえない失態である。

それほど驚愕していたのだ。敵の“あまりの脆さ”に。

「「あ、アニキぃ!」」

リーダーがやられてうろたえる声に、男はすぐさま気をとりもどし、相棒に声をかける。

「そっちを殺れ!」
「ワン!」

相棒の元気な返答を聞きつつ、自身は、動揺の隠せない巨漢に向かう。
自らの兄貴分を瞬殺した相手に「ひっ」と竦み声を上げながらも、とっさに身を守るように、剣を構える巨漢。
下半身への意識が薄くなったと見た男は、相手の左ひざに対し、踏みこむような右の前蹴りを繰り出す。

これも牽制に近い攻撃だが、その強烈な蹴りは巨漢の膝の骨を粉砕し、肉を断ち、皮一枚でようやく繋がっている状態にしてしまった。

「ぎゃあっ!」

その脆さにまたも驚くが、先ほどとは違って呆けるなどしない。
激痛に悲鳴を上げ、支えを失い、身を崩す巨漢。そこに放たれた渾身の見事な右ストレートが、巨漢の鼻面に突き刺さった。

比喩ではなく、文字通り、手首まで顔に突き刺さったのだ。
その衝撃は巨漢の後頭部に抜け、その脳漿を放射状に飛び散らせた。
もちろん、即死である。

拳を引き抜くと、すでに死体と化した巨漢は、重力にまかせて地面に崩れ落ちた。
同時に、甲高い、笛の音のような音が聞こえる。その方向を見やると、首から血を噴出させた小男が、出血を止めようと足掻きながら、倒れこむところだった。
ドッグミートに頸動脈を噛み切られたのだ。

「そっちも終わりか。しかし、ラッドローチ並に弱いやつらだったな」
「くーん」

リーダーが着けていた黄色い頭巾で、血に濡れた拳を拭いながら言うと、ドッグミートは同意するように喉を鳴らした。

男は弱いと口にしたが、小口径程度なら、頭に銃弾をモロに食らっても死なないウェイストランドの住人や、そんな相手を数発で殴り殺せる男の方が異常すぎるのだ。
もっとも、人間、自分の世界を基準で考えるものであるから、男の評価も仕方が無いといえよう。

「ドッグミート、“そのへん”を警戒しておいてくれ」
「わん」

相棒に指示しながら、モゾモゾと死体をまさぐる。
剥ぎとれるものは剥ぎとる。ウェイストランドの常識だ。

(服はショボくて汚いから要らない、と。古そうな本──ええと、太平要術って書いてるのかな。それと、質の悪い鉄剣が3本、干し肉がいくつか──やっぱりこれもRAD値ゼロ)

盗賊をやっているのだから、誰かから奪った品をそれなりに持っていると期待した男だったが、そのアテは外れてしまった。

(ろくなモノ持ってないな。あと……なんだこれは、銅貨か?)

盗賊はそれぞれ巾着袋を持っていたが、中に入っていたのは期待していたウェイストランドの通貨であるキャップではなく、この国で使われている銅銭だった。

なお、キャップとは文字通り瓶のふたである。
ウェイストランドでは、ヌカ・コーラという名の清涼飲料水の瓶の蓋が、通貨として各地に流通している。
ここが過去の中国にしろそうでないにしろ、この銅貨が通貨であれば、手持ちのキャップも使えないということだ。

(せっかく集めたキャップも、ここではゴミかもな。とりあえず貰っておこう。──さてと)

「そこの三人、そろそろ出てきたらどうだい?別に取って食いやしないよ」

戦利品をしまい終えた男は、ドッグミートが顔を向けている岩陰に声をかけた。
網膜に投影されたマーカーは、三体の反応が、そこにある事を示している。
これが、やっと出会えた盗賊を始末した理由だ。話をするなら、非敵性体の方が良いに決まっている。
これで人間でなかったらかなり間抜けだが、マーカーの動きから推測して、ドッグミートに警戒させておいたのだ。

男の言葉に返答はなかったが、三人の女性が岩陰からゆっくりと身を出した。

帽子をかぶり、大きな槍を持った青いショートヘアの女性。
髪は染めているのか生まれつきか、かなりパンクである。
ここが過去の時代ならば、放射線の影響ではないだろう。

そして、茶髪を後ろでまとめた眼鏡の女性。女教師のような雰囲気だ。
眼鏡の歴史は意外と古いが、デザインが少々近代的すぎる点が気になった。

その二人に続くように、ウェーブがかった豊かな金髪の少女。
こちらも染めているのか、欧米人の血を引いているのか。
頭に妙な人形を乗せていて、どこかコミカルだ。

三人とも歩みが重く、警戒しているように見える。
さきほどの戦いを見て、盗賊と疑われているのかも、と男は推測した。

「そう警戒しないでくれ。俺はただの旅人だ。さっきのは盗賊から身を守ったにすぎないよ」

そう言いながらも彼は、彼女らの容姿といでたちに驚いていた。
彼の基準からすれば、彼女らの着衣は見た事がないほど華やかだった。

ウェイストランド人の着衣は、ボロボロの薄汚れた服が当たり前。
綺麗な服を着られる人間は、どこかの組織の所属か、地上の楽園を保っていたテンペニータワーに住む上流階級の人間くらいである。
もしくは、男のように数多の冒険の末、いろいろな財や物資を得た人間だ。

女性たちの姿を見て、男の心の隅に、下心が湧いた。
二人の扇情的な格好から、娼婦であるかもと期待したのだ。

一人は子供だから除外するとして、どちらも匂い立つような、素晴らしい美女である。
ウェイストランドの汚くて臭い娼婦には、ついぞ手が出せなかったので、もし彼女らが娼婦ならば、多少高めであっても、ぜひともお願いしたいほどであった。

初対面の真面目な表情をした男が、そんなシモの考えをしていると気付くわけもなく、槍を持った女性が言いにくそうな口調で、言葉を口にした。

「あー、それはわかっております……。実は加勢しようかと思ったのですが──」

彼女が言うには、賊らしき者どもに囲まれた男に助太刀しようとしたそうだ。ここまではいい。
だが、高所から名乗りを上げて格好良く登場するべく、岩をよじ登っているところで、男がさっさと片付けてしまい、出るに出られなくなった、ということだった。

「この人は演出過剰なだけで、悪い人間ではないので許してやってください」
「うう……お主も賛成したではないか」
「だから余計な事をするなと言いましたのに……」

その会話から、お調子者の青髪の女性が格好をつけようとし、金髪の少女が面白そうだとそれに乗り、真面目そうな茶髪の女性はそれを止めようとした、という所だろう。
これだけでも、だいたいの性格がつかめた。
人が襲われているのに暢気な事だとも思ったが、話をしているところだったので、岩に登るくらいの余裕はあるとふんだのだろう。

「いや、その気持ちだけで嬉しいよ。でも君らのような女性が、ちょっと無謀じゃないかな」

ここがどういう世界かわからないが、武装と言える物は槍一本。どう見ても重装備とは呼べないいでたちだ。
この言葉に引っかかったのが、槍を持った女性。

「ふふ、侮ってもらっては困りますな。後ろのふたりはともかく、この私は賊に遅れをとるほど、なまくらではありませんぞ」

そう不敵に笑って、ぶんぶんと槍を振りまわし、男の眼前でピタリと刃先を止める青髪の女性。その槍捌きは、男から見ても鋭く、そして安定していた。
男は、なるほど、根拠のない自信ではないなと納得した。

「これは、失言だったかな。すまない」

もう少し物々しい格好にしてくれ、と思わなくもない男だったが、プライドを刺激した事は、素直に謝ることにした。
ウェイストランドにも、勇ましく強い女性は多い──というよりも、殆どがそうだ。たくましく無くては生きていけない世界なのである。
そういった女性は、総じて腕を侮られることを嫌うのは、よく分かっている。

「わかってくださればよい。しかし、貴殿も人の事は言えぬでしょう。見たところ、かなりの業もののようですが、その短剣のみで旅とは……まあ、さきほどの無手術の腕からすれば、当然の自信でありますかな」
「たしかに、その通りだね」

苦笑しながらも、さっきの男たちもこの女性も、Pip-Boyを知らないと確信した。
Pip-Boyを持っている人間は皆、亜空間格納領域を持つため、Pip-Boyをしている敵には、たとえ素っ裸でも油断するな、というのがウェイストランドにとどまらず、世界の常識である。

もともと、核戦争前から知らぬものはいないほど、革命的で有名な製品なのだ。
これほど目立つ物が目に入らないわけがない。つまりはPip-Boyの存在が知られていない時代ということになる。

もう少しうちとけて、情報をいただくべきと男は思った。
もちろん、ウェイストランドでは見かけない美女たちとお話したいという下心もあった。

「ところで、色々教えてもらいたい事があるんだが──と、その前に自己紹介といかないか?」
「そうですね。我々も貴方に聞きたい事がありますし」

男を品定めするようにしていた、眼鏡の女性が答えた。
その返答を聞き、男は人懐っこそうなニコリとした笑みを浮かべて、名乗った。

「俺の名前はカズト・ホンゴウだ。よろしく、美しいお譲さん方」



[29271] 第2話 異文化交流するVault101のアイツ
Name: やがー◆4721ae65 ID:1314f84a
Date: 2012/02/12 02:19
カズトの名乗りに対して反応したのは、眼鏡の女性だった。

「カズトホンゴー殿ですか。漢人らしくない名前ですが、異国の方ですか?」
「ああ、この国の人間じゃない。ファミリーネームがホンゴウ、ファーストネームがカズトだな」

「ふぁみりー?とは?」
「ええと……名字、姓がホンゴウ、名がカズトだ」

素直に答えるカズトだったが、英語部分は理解できないらしいため、日本語で言い直した。
三人とも、リップサービスと本音を混じえた「美しいお嬢さん」という言葉には何も反応しなかったのが期待に外れたが、皆、自分の美しさに自負があるのか、軽い男と思われたか。
この反応からすると、直接的なおだては控えた方がいいか、とカズトは思った。

「わん!」
「おっと、すまんすまん。コイツはドッグミートだよ」

相棒が忘れるな、といわんばかりに催促するので、付け加える。
そして、大きめの尖った石を持って、地面にカリカリと“Kazuto Hongo”、"Dogmeat"と書く。
それを見て、いつのまにかドッグミートの頭を撫でていた金髪の少女が、まっ先に反応した。

「初めて見る文字ですねー。名が先というのも面白いです。私たちが使う字に比べて簡易なようですけれど、その分文字数が多い、と。ふむふむ」
「天竺(インド)の文字に似ている気がします。我々の文字は一字で意味を持ちますが、あちらでは文字の組み合わせで意味を表します。おそらく同じようなものですね」

金髪の少女に続けて、眼鏡の女性が博識ぶりを披露する。
青髪の女性は珍しそうにするだけで口を挟まないが、三人とも興味深そうに、地面に描いた文字を見ていた。

カズトの予想通り、眼鏡の女性は見た目通りインテリタイプだった。意外にも、金髪の少女も同類であるらしい。
彼がわざわざ文字を書いたのは、英語がわからない彼女らが、文字にはどう反応するか見たかったからだ。

核戦争後から200年。今の世界情勢は不明だが、少なくとも戦争前のアメリカは世界一の大国であり、英語の普及率も世界一だった。
この教育レベルの高そうな女性たちが『ファミリーネーム』も解さず、アルファベットも知らない。
とりあえずカズトのいた時代ではない事は、確定といっていいだろう。

珍しげに異国文字を見ていた三人だったが、青髪の女性が、カズトの視線に気付いた。

「おっと失礼。我々も名乗らねば。私は姓を趙、名は雲、字を子龍と申す」
「私は姓を程、名は立、字は仲徳です。こちらは宝慧」『おう、よろしくな兄ちゃんたち』
「私の姓は戯、名は志才、字はありません」

「ふむ……」

程立の一人芝居を、微笑みをもってスルーしたカズトは、女性たちの名乗りに困惑していた。

「えーと、“あざな”って何かな?」
「さきほどの名乗りで思いましたが、字を知らないとは、随分遠国から来られたのですね。説明しましょう。字とは──」

カズトの問いには戯志才が答え、彼と同様、石でガリガリと地面に文字を書きながら説明を続ける。
この漢という国では、名は気安く呼ぶのは無礼にあたり、目上である親や主君、敵などが呼ぶものであるらしい。
それ以外の者は字を呼ぶ事になっていて、姓+字、もしくは字のみで呼ぶ事が常だそうだ。
字のない戯志才のような者は、そのまま名を呼んでもよい。

地面に書かれた“漢字”、そして会話の中に出た“漢”の国名。
漢民族が使う文字だから漢字。つまり古代中国であることが分かった。

(やはり中国だったか。なぜ日本語が通じているか謎すぎるが、漢字が作られた時代ってことは数百年程度じゃないな……)

漢字は別に漢の時代に作られたわけではないのだが、彼がその誤知識を正す機会はなかった。
また、中国の歴史──特に古代レベルだとほぼ無知なため、漢の時代が2000年以上昔であることまでは、知る由もなかった。

内心の考察を表に出さず、カズトは会話を続ける。

「なるほど、では子龍さん、志才さん、仲徳ちゃんと呼べばいいのかな?」
「はい、それで結構です」
「むぅー、風だけ“ちゃん”なのは納得いきませんよー」

戯志才は首肯したが、程立が不機嫌そう──といっても、本気で不機嫌そうには見えなかったが、眉をしかめたのを見て、カズトは後悔した。
容姿と、人形で一人芝居していることから、低年齢だと思ったのが仇となったようである。
レディ扱いしてほしい微妙な年頃か、と納得し、素直に謝るカズト。

「ごめん、仲徳さんと言うべきだったね」
「むぅー、なんだかもやもやしますが……まあいいでしょう」

なんとなくあしらわれたのが不満だった程立だったが、言葉的には問題ないので、それ以上突っ込めなかった。
空気が少し悪くなったので、カズトはさっさと話題を進めようとした。

「ところで、さっき君が言っていたフウというのは──」

愛称なのか、と続けようとしたが、言葉を止めざるを得なかった。
空気が一変し、三人のマーカーが、赤く敵性反応を示したのだ。
すぐさま、趙雲がその槍をカズトの喉につきつけようとした──が。

マーカーが赤くなった瞬間、カズトはスイッチを切り替えていた。
趙雲の槍が動く前に、バックステップで槍の射程外へ距離をとり、重心を落として身構える。
相棒への意志を汲み取ったドッグミートも身を低くし、ぐるる、と唸り声を上げはじめた。

何が彼女らの逆鱗に触れたかわからないカズトだったが、ウェイストランドではよく体験したことである。
激昂した理由がわからずとも、赤マーカーは敵の印。
一旦戦闘になったら、どちらかが死ぬまで戦闘は終わらないのだから、考え事はその後にするべきなのだ。
何故か戯志才と程立のマーカーは白く戻っていたが、趙雲は依然として敵性反応を示している。構えを解く訳がない。

趙雲は、構えた槍先は乱れないものの、対峙する主従の気配に、内心で冷や汗をかいていた。
盗賊どもを屠った膂力や体裁きに感心はしていたが、槍を向けた際の反応速度や、初めて感じる威圧感は予想以上だった。
そして彼女を正面から見据える冷徹な視線は、毛ほどの迷いも揺らぎもない。
まるで人間でないモノを相手している気分であった。

一方カズトも、盗賊とは較べるのもおこがましいほど隙のない趙雲を見て、デスクローかそれ以上の圧力を感じていた。
素手では難しいと考え、腰に差したコンバットナイフに手をやる。眼前の敵にはこんな得物では物足りないかもしれないが、Pip-Boyを操作させてくれる隙もない。
ここは、V.A.T.Sを起動して先制するかと考えたとき──

「ふ、ふたりとも待ってください!」

あわてた戯志才が二人の間に割り込んだ。
その行動で、網膜に映る趙雲のマーカーも白くなる。
一旦敵性になったものが収まるというパターンは珍しいが、カズトのほうも少し緊張を解く。

「こちらの風習を知らない時点で早めに言うべきでした。貴方が口にしたそれは真名というもので、心から許した者にしか呼ばせない名です。この漢では、無断で呼んだ場合は、殺されても仕方がないほど神聖なのです」

戯志才の落ち着いた説明に続いて、程立がからかうように趙雲に言葉をかけた。

「星ちゃんはおっちょこちょいですねー。字を知らない人なら、真名も知らないと考えるのが当然ですよ」
「む……いや、そうだな……」

趙雲とてその事に気付いてはいたが、親友の真名を呼ばれた事が腹立たしい事は変わりないので、本気の気迫で、警告しようと思っただけなのだ。
しかし思ったより過剰反応されてしまった上、引けばやられると確信に近いものを感じたので、槍を向けざるを得なかったのだ。
無論、からかいを口にした程立も、趙雲の意図に気づいてはいたが。

趙雲の複雑な内心をよそに、カズトは納得していた。なるほど、それだけ神聖なものならば、三人がとっさに敵性反応を示したのも仕方がないか、と。
そして、ばつが悪そうに頭をかき、深く頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

「確かに初めて聞く風習だ。知らないとはいえ、それほどのものを汚してしまった。以後気をつけるから許してほしい」

身体を小さくして、心底申し訳なさそうにされれば、三人とてそう責めることはできない。
異国人なら間違っても仕方ない、と思う気持ちがあったのもあるが、人柄もよさそうで、どこか人を惹きつける雰囲気をしているカズトに、初対面ながらも好感を覚えていたのだ。

「いえ、早く説明しておかなかった我らにも非があるでしょう。顔を上げてください。わかっていただけて幸いです」

彼から見て、最も気難しそうに見える戯志才の慰めるような言葉に、うまくいった、と内心で胸をなでおろすカズト。
悪いことをしたと思ったのは確かだが、その言動や表情には演技を混ぜていたのだ。

故郷のシェルターを出てから2年。強欲な商人などとやりあっているうちに、こういった小手先の交渉術を覚えていたのだ。
日本風に頭を下げて謝罪したのも効いているはずだ。この謝り方は土下座ほど卑屈ではなく、真摯に見える効果があってなかなか使える、とカズトは考えていた。
ウェイストランドでは、揉めたら殺し合いになるので、滅多に使うことはないが。

「けれど、真名でやりとりされていると困るな。ここの人たちはどうするんだ?」
「話しかけるときは、まずどう呼べばよいかを確認するのですよ」
「なるほど」

(風習か。ここはウェイストランドと違うんだ。敵性反応だからといって、問答無用で殺すのはなるべく避けた方がいいな)

郷に入っては郷に従えという言葉もある。
あまりウェイストランド流を貫くと軋轢が出るだろうことは想像に難くないので、この国の流儀に合わせようと自戒した。

名前の事がひと段落ついたところで、今度は戯志才の方からカズトに質問の声があげられた。

「ところで、ホンゴウ殿の国はなんと言う国でしょうか」
「アメリカ合衆国だ。といっても、核戦争以降、政府は機能していないから、俺たちは住んでいる所をキャピタル・ウェイストランドと呼んでいる」

キャピタル・ウェイストランドの住人の多くは、国に所属しているという意識はない。しかし、どこの国かと言われれば、アメリカとしか答えられない。
キャピタル・ウェイストランドの意味は、首都不毛地帯。文字通り、不毛地帯と化したワシントンD.Cを中心とした一帯を指す呼称である。

「きゃぴたる……あめりか。どちらも聞き覚えがないですね。かく戦争とは?」
「大きな戦争って意味だよ」

案の定、アメリカも核も知らない。
今までのやりとりで確定してはいたが、念押しのため、知らないだろうワードをあえて込めていたのだ。

「しかし、ここが中国──漢だっていうなら、俺も親から教えてもらった漢字で、“北郷一刀”を使う方がよさそうだな」
「確かに、この国の者が知らぬ字を使うよりは、良いと思いますが、字と真名はどうします?」

「うーん、呼んだら殺す、なんて思えないし、名前を使い分けるのも面倒だ。無しじゃ変かな?」
「真名が無い事には驚かれるでしょうが、異国人と言えば、納得するでしょうね」

日本語ベースで会話するウェイストランド人も、名前の表記はアルファベットである。
幸い、一刀は日系人であり、日本人だった先祖がアメリカに移住してからも、代々和風の名前を付けるのが家風となっていた。
父親も、ジェームスというミドルネームのほか、ファーストネームである和風の名前を持っていた。
ウェイストランドでは通りが悪いということで、ミドルネームばかり使っていたようだが。
漢字も考えて命名されるため、“北郷一刀”の字は親から貰った正式な名前だ。
戯志才も一刀の考えを支持したので、今後、わずらわしいやり取りは避けられるだろう。

「でも、風たちが知らない国なのに、言葉や文字に共通部分があるのですね」
「……そうだな、もしかしたらこの国の出身者が、俺のいた所にたどり着いて、国を興したのかもしれないな」
「なるほどー、そうだとすると面白いですね」

程立の鋭い突っ込みに焦る一刀だったが、なんとか濁した。
一刀とて、彼女らが日本語を話していることは不思議だったが、中国は確か何度も王朝が変わっているはずなので、その際に言語が変化したのだろうと考えた。
そして、日本語は日本だけで使われるようになったので、そう呼ばれるようになったのか、と。

強引な考えだが、中国史を知らない一刀と、過去の時代に生きる彼女らが真相を知るはずもないので、この考察はここでやめる事にした。

また、一刀としては、未来のアメリカから気ましたなどと、正直に言うつもりはない。
彼自身、宇宙人と戦う前ならば、ウェイストランドで「未来から来た」などと言って近寄る男がいたら、銃弾を頭に撃ちこんで、クスリを抜いてやろうと思うくらいだ。
狂人呼ばわりされるかもしれないし、信心深い大昔ならば、オーバーテクノロジーを見て魔術、妖術の類と思われ、迫害されるかもしれないとも考えた結果だ。

もっとも、この世界では、道士や仙人という超越した存在が崇められているので、迫害されると限らない。
中世の魔女狩りのイメージで考えた一刀の慎重さだった。

そこで、それまで大人しくしていたドッグミートがわん、と自己主張をした。

「なんだ、お前もここ用の名前がほしいのか?」
「わふ、わふ!」

まるで言葉を解するごとく、尻尾をふるドッグミート。
それを見て、思い出したように程立が訊ねる。

「そういえば、どっぐみーと、という名には何か意味があるのですか?」
「ああ、そういう名前の食い物があるのさ。直訳すると、ドッグは犬、ミートは肉だよ」

一刀の言葉にしばらく固まる三人だったが、気を取り直した趙雲が突っ込んだ。

「正直言って、酷い名前ですなぁ」
「皆そう言うんだよな。クールだと思うんだがなぁ」
「くーる?というのはわかりませぬが、それは皆が正しかろう」

本気で酷い名前というのが理解できていなさそうな一刀。
内心、彼の国では皆そうなのかと思った三人だったが、どうやら一刀が特別酷いようだ。

結局、直訳しない方がいいという女性陣の強い意見で、ドッグミートはドッグミートのままとなった。
とはいえ、いずれ文書にされる時の名前は“犬肉”となるのだが、それは随分先の話だ。
女性らの複雑な心境をよそに、ドッグミートは地面に書かれた“犬肉”の字を、尻尾を振って見ていた。



一通り自己紹介を終えた一行は、これからの行動を話し合った結果、しばらく共にすることとなった。

彼らが出会った所は、豫州の汝南という所らしく、三人は北上して陳留という街へ向かっているそうだ。
同行させてもらおうかとも思った一刀だったが、まずは首都に向かってみたい気持ちがあった。
洛陽という名前と場所を聞き、途中までは道程も同じなので、それまでは同行しようということになったのだ。
女性三人の旅に混じる事に感じる所が無くもなかったが、異国の文化に興味があったようで、彼女達の方から一緒に行かないかと薦めてくれたのだ。
一刀はその厚意に乗じて、自身がオーバーテクノロジーを持っていることを隠しながら、情報を得ていた。

彼女らが仕える主君を探しつつ、見聞を広める旅をしていると聞き、感心もしたが、内心で娼婦でないことにがっかりもしていた。
出会って以来、邪な事を考えるこの北郷一刀。ガッツイているようだが、実際ガッツイているのである。
何しろ21にもなって童貞なのだ。ゲイでもなければ、扇情的な格好をした美女が近くにいれば考えて当然であろう。

一刀が未だ女を知らないのは、彼の出自の影響が大きい。
彼が育ったVault101という地下核シェルターは、外界と隔離され、かなりの衛生状態が保たれていた。
旅に出た後の苛烈な生活で、彼の衛生基準はだいぶ下がったが、それでもウェイストランドの平均基準からすると、潔癖症に近いといえる。

だから、廃駅の便器の汚水を飲んだときは、自分の凶行に気が狂いそうになった。より汚染度の低い、洗面器の蛇口があったのにもかかわらず、だ。
(※本物の一刀の操作ミスです。便器にはよくアイテムが浮いてます)

そんな彼からすると、ウェイストランドの女性のほとんどは臭くて汚く、萎える存在である。
同じVault101出身の幼馴染であるアマタはまともな相手だったが、色々な事があり、疎遠になってしまった。
また、地上の楽園を保っていたテンペニータワーの面々は、さすがに清潔を保っていて、住人の中に年頃の女性もいた。
しかし、なぜか彼自身の手で、催眠銃と爆弾付きの首輪をもって、奴隷にしてしまった。
(※本物の一刀が奴隷の町に入るため、操作しました)

だが、清潔うんぬんよりもまず、アマタも含めて全員、好みから外れていた事が最大の要素だろう。
彼からすると、どうもゴツい女ばかりなのだ。
結果、女性との会話は流暢にこなすくせに、彼は未だにピュアなままである。

そして、この不思議な国で出会った三人の女性。
彼に幼女趣味はないので程立は除外するとして、二人の女性はバッチリ射程圏内である。
しかし、反面こうも考えていた。

(最初に会った女性がこのレベルなら、もっとハイレベルなのがウヨウヨいるんじゃないか?)

と。
女性からすると随分と失礼な男である。

そんな一刀は、打算と好奇心と、いくばくかの好意を持って、三人と旅をしながら情報収集にいそしみ、効果を上げていた。
2年の旅の間に磨かれた、口の巧さ。特に女性と子供へのそれは、ウェイストランド一といっていい。

一刀は人間の機微に敏感な方である。彼女らが自分に友情レベルの好意を持っているのは感じていたので、それを利用する形で、話すと不味い点をぼかしながら、会話を続けた。

考えた末、一刀は、自分の国の文明は全体的にここより劣っている風に装うことにした。
ジャンプスーツの丈夫さや、裁縫の精密さは驚かれたので、裁縫技術は進んでいるとしたが。
これがコンバットスーツやパワーアーマーを着ていたら、多少の言い訳では通らなかった事だろう。

国に関することを一通り話した次は、一刀自身に言及した。

「ほう、医師をなさっておいでか」
「ああ。俺の父さんも医師だったんだ」

趙雲に職を聞かれて答えた回答が、医師だった。
そして、医者としての見聞を広めるために異国を旅している、とも。
なお、見聞を広める、という言い訳は彼女達の理由からパクっている。

父親については、確かにVault101では医者をしていた。本業は科学者だったが、それは旅立ってから知ったことだ。

医師としたのは、どこの国でも地位が高く、尊敬される職業であるし、なんでも屋や風来坊よりは一目置かれる存在であるからだ。
それに、あながち嘘でもない。本と実践で鍛えた一刀の医学知識は、ウェイストランドでは最高レベルだろう。
といっても、道具が充実していないこの世界では、彼の医療はかなり制限されるのだが、それに気付くのは後の事である。

また、この時代の人間が、ウェイストランド人に比べてかなり貧弱であることも、力量を十分に発揮できない要因となる。
この時代ならば瀕死になるほどの放射線汚染度でも、ウェイストランド人なら普通に行動できる。それだけベースの頑丈さが異なるのだが、現時点ではそこまで考えは及んでいなかった。

実際一刀は、どのような劣悪な環境で過ごしても、病気になったことがない。
あきらかに大腸菌がウヨウヨしている便所の水を飲んでも、精神はともかく身体はピンピンしているのだから。
怪我や病気に対する万能治療具であるスティムパックは大量に保持しているが、この世界では補給できないので自分かドッグミートの為にしか使うつもりはない。

その後、趙雲は武人らしく、一刀の武術に対して訊ね、手引き本と実戦で覚えたという答えには呆気に取られた。
「体の構造を知ってる医師だからこそ、人体を効率的に壊せるのさ」という一刀の適当な言葉に、なるほどと頷く場面もあった。

なお、一刀の予想に反して、この国では医師の地位はさほど高くなく、士大夫と呼ばれる知識層よりも下である。
それでも頼りにされる存在なので、彼の判断はそう間違ってはいなかったかもしれない。

だが、医術の扱いはきちんと体系だった技術ではなく、個人ごとに異なり、仙術・方術のような扱いだそうである事を聞き、本当に原始的な時代に来てしまったのだと思う一刀だった。

このような会話の中で、ふと程立が言葉を漏らした。彼女は異様に賢いドッグミートを気に入ったようで、しょっちゅう撫でている。

「お兄さん。この国には今、“天の御遣い”の噂が流れているのは、ご存知ですか?」
「天の御遣い?」

『救世主』と呼ばれる前は『地上の天使』と言われていた一刀だったが、まさかここでも似たような言葉を聞くとは思わなかった。

聞けば、有名な占い師が予言したそうだ。流星とともに天の国から英雄が降臨し、乱世を救うと。

「実は私たち、お兄さんと出会った近く……というには語弊がありますが、少し歩いたあたりに流星が墜ちるのを見たんですよ」

程立は、期待を込めて一刀の反応を窺っていた。言葉の端々から、一刀がそうである、と考えているようだった。
彼女の言う通り、目が覚めたと思ったらいつの間にかこの国にいて、流星が墜ちた地域に自分がいた。
未来には、当然ながらこの国にない知識が、わんさかとある。さしずめ天の国のように見えるだろう。
ならば、確かに状況は合致する。

だが一刀は、この国の人間で通じる外見をしていても、あくまで異国人。
この漢に興味はあっても、忠誠心や愛国心は、欠片も持っていない男なのだ。
そもそもウェイストランドであっても、自分に危害が及ばない場合の人助けは、興味のついででやっていたくらいなので、この国を救おうとする気持ちがあるはずもない。

一刀は賞賛される事は嫌いではない。というよりも好きである。
ラジオで讃えられたり、子供から尊敬の眼差しを向けられたり、見知らぬ人から弾薬や医薬品を貰うのは気分がいいものだ。
しかし、それを目的として行動を取ったことはない。

『まず自分。余った力で、人に親切』を信条とする一刀にとっては、今の興味はこの国を知ることである。
天の御遣いとして世を救うという言葉は、彼の琴線に触れるものではなかった。

ウェイストランドでは善人として知られる一刀だが、自分の興味が最優先なので、ウェイストランド基準でも“悪”とされる事も多々行っている。
レアな装備品や、スキルアップのためのハウツー本があれば、ピッキング、ハッキング、スリ、こそ泥など朝飯前。
ピッキングやハッキングなど、腕試しで無意味に行ったりもする。
また、前述のように、女性を奴隷にした事もそうだが、最悪なのが、珍しいマスク欲しさに、優雅で暢気な暮らしをしていたテンペニータワーを地獄に変えてしまったことだろう。

ウェイストランドには、核の影響で遺伝子が変質し、外見がゾンビと化してしまったグールと呼ばれる人々がいる。
彼らは外見と長くなった寿命を除けば、普通の人間と同等の知性を持つが、その不気味な外見のために迫害の対象となっている。
また、グールの中でも知性を失った存在、フェラル・グールは凶暴で人間を襲うのだが、グールは仲間とみなされているのか襲われない。
その事が、グールはフェラル・グールと同類だとする差別の後押しとなっていた。

ある日、テンペニータワーへの入居を希望し、断られていたグールの集団がいた。彼らは頑ななテンペニータワーサイドの態度に怒り、恨みを募らせていた。
一刀はそのグールのリーダーと知己を得て、様々なやりとりのあげく、珍しいマスクを報酬に、厳重にロックがかかっていた地下通路の鍵を開けてしまったのだ。
そして、グールのリーダーは、凶暴なフェラル・グールの集団を率いて地下通路から侵入し、テンペニータワーの住人を虐殺してしまう。
まさか皆殺しにするとは思わなかった一刀は、結局そのリーダーもフェラル・グールも処分して、住人の仇を取るのだが、その悪行はラジオで放送されてしまい、しばらく誰も目を合わせてくれなかった。

余談だが、テンペニータワーのオーナー、テンペニー氏は、住人虐殺が起こる前に、ある依頼人からの依頼で、一刀に暗殺されているのだが、それはまた別の話である。

悪行ばかり列挙すると、どこが救世主だと言いたくなるが、もちろん、そう呼ばれているからには、相応の善行も多々している。
頼まれ事はだいたい断らないし、化け物や無法者に捕らわれた人は助ける。
レイダーやタロン社などの悪人集団は見つけ次第処分しているし、ラジオ局のアンテナを設置し、住人虐殺を目論むエンクレイヴの野望を止めたり、大規模水質浄化装置の稼動の手助けもしている。

とはいえ、悪行がバレているにもかかわらず、善人扱いされる大きな要因は、ウェイストランド人の気質にあるといえよう。
現代日本のように、善行を重ねた人間が、一回の悪行で評価が一気に覆えされることはなく、プラスマイナスで考えるのだから。
よって、彼はまごうことなき善人なのである。あくまで、ウェイストランド基準であるが。



そんな一刀も、天の御遣いについて自らの本音を言うと、さすがに気を悪くするだろう事は理解しているので、口にしたのはマイルドにした内容だった。

「俺がそうだとすると、異国人にこの国を委ねることになるけれど……皆はそれでいいのかい?」

一刀の物言いに、初めて気づいたという態度をとる三人。

「うーむ、そういう見方もあるか」
「確かに、風聞は良くないですね。漢人は他国の人間の助けなく、自国をまとめられないとなると、周辺諸国にあなどられましょう」
「そうですねぇ……風としては、無力な人たちが救われるのならば、多少の汚名は甘受すべきと思いますけれど」

二人は同調したが、程立の一刀を見る視線に妙な期待を感じたため、付け加える。

「俺は多少腕に覚えはあるが、一介の医師にすぎないよ。怪我人をある程度救えるくらいさ。国を救うなんてとてもとても……」

と、あくまで興味はない姿勢を貫いた。
一刀の態度を見てか、それ以降、三人とも天の御遣いの事には触れる事はなかった。



このように、数日間、一見和やかな、しかし裏では微妙な駆け引きをしながら、旅を共にした一行は、洛陽と陳留の中間地点あたりで、それぞれ反対方向に別れることになった。

「それじゃあ、ここらへんで。色々教えてもらってありがとう」

にこやかに微笑む一刀から差し出された手を、順番に握る女性たち。
握手の習慣はなかなか好評であった。

「いえ、我々も興味深い話を聞かせてもらいました」
「またご縁があればお会いしましょうねー。どっぐみーとちゃんも、さようなら」
「次に会う時には“本気で”お手合わせいただきたいものですな。では、ご壮健あれ」

そうして、大きく手をふり、一刀とドッグミートは三人を背に足を進めた。



…………………………



一度も振り返らない一刀の背中を見ながら、三人が話し始めた内容は、当然のように一刀についてだった。

「振り返りもしないとは、つれない御仁だ」

趙雲としては、最後の握手でいかにも離れ難そうな表情をしていた割に、さっさと行ってしまった所が、少々不満であった。
他の二人も同様の感想を持っていたが、程立は幾分違う見方をしていた。

「切り替えのすごい人ですね。星ちゃんと一触即発になったときもそうでしたが、食料調達で動物を仕留める時とかも。お国柄でしょうか」
「であるゆえ、人との別れもあっさりしているということかな?」
「稟ちゃんは随分寂しそうですね。ずっと率先して話していましたけれど、惚れました?」
「ち、違うわよ!ただ、異国の文化が珍しくて……!」

確かに一刀の問いに、戯志才が答える事が一番多かったが、それは純粋に興味から来るものだった。
思わず慌てたが、取り直して自身の見解を述べる。

「でも、よく分からない人ね。最初は軽薄な男性かと思ったけれど、最初だけだったし。どうも色々と誤魔化されたとしか思えないわ」
「東から来た以外は、どこを通って来たかも覚えておらず……あめりかという国の事も結局よくわかりませんでした」

戯志才も程立も、一刀が何かしら誤魔化している事にはもちろん気づいてはいた。
一刀のほうも気づかれている事を承知していたが、覚えていない、または知らないと言われれば強く聞けない。
矛盾点を突こうと思っても、なかなか隙も見当たらない。結局、彼女達から情報を取るだけ取っていかれた感があった。
まあ、彼女達が与えた情報は機密でもなく、文化や風習が中心で、ちょっとした知識層ならば誰でも知っている政治関係の事ばかりだったのだが、交渉事で敗北したような気分は拭えなかった。

「なんぞ、後ろめたいことでもあるのであろうか。面倒なことだ」

腹芸が嫌いではない趙雲だったが、くだけた雰囲気でもくだけきらない一刀にやきもきもしていたのだ。

「まあそれでも、いくらか推測できる事もあります。稟ちゃん。お兄さんの国、どう思いますか?」
「この国とはずいぶん違った文化のようね。少なくとも衣服や医術方面かなり先を行っているようだけれど、それだけでは無いように感じたわ」
「ええ、同感です」

二人は天の御遣いという予言から、本当は進んだ国で、一刀が嘘を言っているのだと暗に言っていた。
それに対して趙雲は異なる見解だった。

「だが、野生動物を珍しがっていたし、粗末な物を口にしていたというのも、嘘ではなさそうだった。そのような荒れ果てた土地が、漢より発展しているとは思えんが──ただ、あの短剣は凄い切れ味だったな」

焼いただけの肉を美味い美味いと感動していた事を思い出し、そう言ったが、兎をさばいた時の一刀のコンバットナイフは気になっていた。
見せて欲しいという願いは断られてしまったが、自分の得物を易々と預けたくない心境は理解できるので、引き下がった。
しかし、傍からでも、見たことがない光沢と形状をしているのは、見てとれた。

「製鉄技術が高いのかもしれないわね。しっかりした腕輪をしていたし」
「どうもちぐはぐな感じを受けますね」
「真名騒動の立会いの反応からして、無法地帯で殺し合いが横行している国というのは嘘ではないと思う。戦闘が頻繁ならば、製鉄技術が発展してもおかしくはないしな」

程立が言った“ちぐはぐ”は的を射ている。
テクノロジーレベルは高い──本当を言えば、その殆どは核戦争前の遺産なのだが、それを除けば、この漢よりも悲惨な状況であろう。
この国では盗賊が横行しているが、ウェイストランドには人間よりも凶暴で強大な生物がわんさかといる。
敵性生物のうち、最弱の生物、ラッドローチですら、力の無い住人をかみ殺せるほどだ。

国については一旦おき、一刀自身の事について趙雲が述べた。

「立ち合いでは、ついぞ本気を出されなかったが、一介の医師程度になせる技ではない。かの国ではあのような者がごろごろしているとは思いたくないな。自信が揺らぐ」

武人として、一刀の腕前は看過できぬ事だったので、何度か強引に模擬戦を行ったところ、全て趙雲の勝ちで収まった。
だが、どう見ても真名騒動ほどの気迫はなく、本気ではなかったのだ。

毎回不満な趙雲だったが、一刀も一刀で手加減したわけではない。
というよりも手加減の方法を知らない事が原因だ。

実戦のみで強くなった一刀は、寸止めなど器用な真似をしたこともなく、消去法で素手、しかも力を余り込めずに戦わざるを得なかったのだ。また、V.A.T.Sの存在を伏せておきたいというのもあった。

そんな条件で槍の達人たる趙雲とやりあっては、勝てるわけが無い。
常人離れした見切りや体裁きで、趙雲の攻撃をよくかわしたが、攻撃がお粗末なので長期戦の末、趙雲に一本取られる結果になっていた。

「色々不明な所も多いですが、風は、何か惹かれるものを感じましたね」
「た、たしかになかなか魅力的といえるわね。弁も立つし……」

程立が率直に好印象の言葉を発し、それにつられてか、戯志才も同調した。
いざこざはあったが、一刀の頭の回転の速さや、会話の機転、堂々たる立ち居振る舞いなどに、頼もしさを感じていたのだ。
趙雲もそれに続いた。が。

「私も、数日同行してみて、かの御仁に英雄たる資質があるように思えた。しかし──」

「ええ」
「あれほどやる気がないのでは、どうしようもないですねー」

趙雲の後半の言葉は戯志才と程立が引き取った。

三人とも、それぞれ一刀に対して惹きつけられた所があったようだ。
だが、状況的に天の御遣いであることは認めても、その期待に応える気は一切無く、ただの異邦人としての分を守る所に、強い意志を感じたのだ。
あれではとても、天下のために動くという気はないだろう。

「まあ、確かにあの人の言う通り、予言に出たからといって異国人を頼りにするのも、格好がつかないわね」
「そうだな。私とて興味はあったが、天の御遣いに頼るつもりも無かったしな」

「稟ちゃんか星ちゃんが色仕掛けすれば、やる気を出したかもしれませんけれどねー」

「ふむ」
「……」

程立の言葉に首肯する趙雲と、頬を染める戯志才。

「風のような女性を子供扱いするとは、女を見る目はないようですね」

女性というのは男が思っているより視線に敏感である。三人とも、一刀が二人を時折、男の視線で見ている事には気付いていたのだ。
そして、程立には一切その目を向けないので、実は内心でかなりご立腹だった。

「ま、まあまあ、かの国では美的感覚が違うのかも」
「……自分はどの国でも注目される美人だ、といいたいのですね。稟ちゃんは」
「あっ!ち、ちがうわよ、風」
「つーん。もうとんとんしてあげません」
「わぁっはっはっは」

拗ねた程立と宥める戯志才、それを見てかんらかんらと笑う趙雲。
実のところ、戯志才も趙雲も、程立を気の毒に思いつつも、気分が良かった。

何しろ一刀は、顔の作りも整っており、弁舌もさわやかで、魅力的な好男子である。
これが、全員に視線を向けたのであれば、節操無しと思ったかもしれないが、程立には目もくれず、女として意識されたのだから、自尊心がくすぐられて、悪い気はしなかったのだ。
もっとも、出会ってから一刀が内心で考えていたことを知れば、怒り心頭になることは間違いはないのだが。

「まあ、あの御仁ほどの人物が、そうそう隠れてはいられまい。乱世とはそういうものだ」

趙雲の言葉は、自らの武への自負も含まれていた。天下に名を轟かす予定の自分と、手を抜いた状態で渡り合ったのだ。
きっと世に出てくるに違いない、と。

後に、その予言通り、それぞれ一刀と再会することになるのだが、それは三人とも予想しない形でまみえることになるのだった。



…………………………



一方、はるか後方で何を話しているかを、気にも留めない一刀とドッグミート。

(昔の中国人か。ずいぶんイメージが違ったな)

一刀は、中国人とは戦闘訓練シミュレータにより、バーチャル世界で戦った事がある。
今の世を救う気概が無いのは、そのときの中国軍のイメージが強いこともあった。

そも、アメリカは中国との核戦争によって崩壊したのだ。
ウェイストランドでは、中共どもが云々──と、中国軍の悪を喧伝されているが、アメリカに非がなかったとは言えないだろう。だが、崩壊の大きな要因となった事は確かだ。
その核戦争の相手であることと、バーチャル世界で殺されかけたせいか、中国に対する印象は良くない一刀だった。

しかし、お気に入りの強力な武具は中国製が多いため、畏敬の念も強く、恐るべき敵国と考えていた。
そのことから、関係ないほど大昔とはいえ、イメージの良くない国を救いたいかといえば、首を横に振るだろう。

だが、さきほど別れた二人の女性には少々未練があった。
何せ、生まれて初めて女性を感じたのだ。

(女性にドキドキしたのは初めてだ。これが恋……ではないな。欲情かな)

それにしてもあの二人。悪くないどころか、超ハイレベルだったが、引っかかるところもあるのだ。
それが何か明確にはわからない一刀だったが、何かが足りない事は確かだった。
その事が、同行を途中までとした理由だが、首都に行きたいというのも本音であった。

その能力から、どこでも生きていける自信のある一刀ではあるが、生粋のコレクターとして、アイテムをしまうための本拠地は欲しい。
Pip-Boyの亜空間は無限だが、仕様上の限度があるのだ。
そして、どこかに拠点を持つならば大きな街が良い。
全国的に治安が悪いそうだが、首都ならば辺境よりも安全だろう、という考えだ。

その道程で盗賊を狩り、資金を集める。
幸い──この国の人間には不幸なことだが、かなりの数、跋扈していると聞いた。
盗賊退治はこの国でも間違いなく善行である。一刀にためらいはない。

「行くぞドッグミート。賊の情報を仕入れて────狩りだ」

物騒な笑みと台詞に、ドッグミートが、わん、と機嫌良く応えた。



[29271] 第3話 地道に稼ぐVault101のアイツ
Name: やがー◆4721ae65 ID:1314f84a
Date: 2012/02/12 02:19
とある山の麓に、飢饉や盗賊の襲来で、とうの昔に廃村となった場所がある。
日も落ちた暗闇の中、煌々と篝火が焚かれていて、ひいき目に表現しても清潔とは言い難い、むさくるしい男たちを照らしていた。

彼らは、義侠団と名乗る、義侠心のかけらもない盗賊団であり、その中でも一際目立つ、大柄な体躯をした堅肥りの男──おそらく首領と思われる男が、50人程の手下を前に、声を張っていた。

「お前ら!今日はよくやった!好きなだけ飲め!」
『うおおお!』

首領の、外見の印象通りに良く通るしゃがれ声に、手下達が手を突きあげて歓声を上げる。
その様子をしばらく満足気に眺めた首領は、手下の一人を呼び出した。

「おう、張よ。お前、良い働きだったぜ。今日から小頭目だ!」
「ありがとーごぜーやす!」

首領から偉そうに告げられた張という男は、ヤクザのチンピラのごとく、ガニ股に開いた膝に手を付き、頭を下げて礼を言葉を口にした。
この張は、今朝方の商隊への襲撃の際、先頭に立ってまっ先に突入した男だ。
一番槍の功績により、4~5人の部下を率いる小頭目に任ぜられたのだ。

「んじゃ、幹部連中はあっちだ。後は好きにやれ!」

首領はそういうと、先ほどの論功行賞で9人になった小頭目を引き連れ、元は村長のものだった屋敷に入って行った。

残された下っ端連中は、篝火を囲んで、めいめいに酒を飲み、食事を採り始めた。
うまいことやりやがったな、次は俺も、などなど、あっという間にどんちゃん騒ぎである。
だがその中に、幹部たちの後ろ姿を苦々しげに見て、悪態をつく男がいた。

「ちっ、ほんのちょっとの差じゃねーか」

この男は襲撃の際、張に少し遅れて突入した者だった。
わずかの差が、大きな扱いの違いになったことで面白くない。剣の腕も、自分の方が優れているという自負がある。
負けたのは足の速さだけで、実際に殺した数は、張よりも2人多かったのだ。

男は、周りに近寄り難い雰囲気を巻き散らしながら、ぐいぐいと手酌で酒をあおっていたが、しばらくすると尿意を催したらしく、用を足すべく立ち上がった。

「おう、ちーと小便してくらー」

周りの人間に一声かけ、村を囲う柵の方へと向かう男。
声をかけられた方の男たちは、おう、と答えたものの、皆が騒ぐ中、ひとり陰気に飲む男が居なくなって、ほっとした様子だった。
自分が空気を悪くしてるなどとは露とも思わず、柵の方へと歩みを進めると、人影が横たわっているのが見えた。

「ん?あいつは確か……」

背格好からして、最も働きが悪かったとして見張りを命じられていた男だったはずだ。そいつが腕枕をして、横向きに臥せっている。
元々規律のゆるい組織だし、目立ちにくいここを拠点にしてから襲撃された事など一度もないが、これはいくらなんでも叱責ものだ。
自分も同じ立場なら寝るだろうが、起こさなければならないだろう。

「おいこら、こんな所で寝てんじゃねーよ」

背中を軽く蹴りつけると、寝ていた男がぐらりと揺れたかと思うと──どしゃ、と体が崩れ、同時に首の向きがありえない向きに転がり、虚ろに開かれた目が合う。

「ぅ──」

──ごきん。

叫びかけた所で、視界がぐるりと回り、夜空と地面が逆さになったと認識した瞬間──男の意識は途切れた。

首を半回転させた男が絶命し、崩れ落ちた数瞬後、すぐそばの空気が揺れ、突如、人影が姿を現した。

それは、異様な風体だった。
全身をぴっちりと覆う黒いスーツを纏い、黒い金属製のマスクを被っている。
目から前頭部にかけて張られた、オレンジ色に光るバイザーだけが闇の中で目立っていた。
バイザーはマジックミラーのようになっているのだろう。外部から瞳を窺うことはできない。

この世界で、これほどのハイテク装備をしているのはただ一人。
中国軍ステルスアーマーを装着した北郷一刀である。

ステルスアーマーは、防具としては大して役にたたない装備だが、その真髄は光学迷彩機能にある。
起動すると、周囲の空気の屈折率が歪められ、360度どこから見ても透明に見えるようになるのだ。
激しい動きをとると、搭載されたコンピュータの処理が追いつかずに迷彩が解除されてしまうが、それでもかなり有用な装備である。
もっとも、完全に透明とはいかず、微妙な屈折の違いで目を凝らせばわかるのだが、そこにいると知っていなければ判別は難しい。
一刀の隠密技術と合わされば、鬼に金棒である。

余談だが、最新式のステルスアーマーは、バーチャル世界で彼が戦った中国軍特殊部隊のように、走りながらでも透明化出来るほど処理が向上しており、自らのステルスアーマーがそこまで最新式ではない事を、一刀は残念に思っていた。

さて、ステルスを解除した一刀は、自ら作った遺骸を見下ろしながら、冷静に盗賊の戦力を分析していた。

(うーん。……こいつらも普段着で十分かな)

趙雲たちと別れてから約1月半。
盗賊の噂を聞いては狩り、聞いては狩りを続けていた一刀だったが、今回の標的はこれまでで最大規模である。

趙雲のように、一刀に匹敵する人間がいる事も考え、慎重を期してステルスアーマーを着込んでいたが、隠れて一回りしたところ、ここの盗賊は全員大した事はないようだった。

この程度ならば、虎の子の装備を使うほどではない、と判断し、脱いで畳んでPip-Boyにしまう。
武器も防具も基本、消耗品である。使えば使うほど故障率が高くなるのだから、必要でもない時にわざわざ使うこともない。

代わりに、着なれたジャンプスーツに素早く着替える。
色々な服や装備を持つ一刀だが、やはり物心付く前から長年着続けている、Vault101のジャンプスーツが一番しっくりくるのだ。

着替えた所で、アンモニア臭が一刀の鼻をついた。見れば、死んだ男の股間がじんわりと濡れている。
慣れた臭いだが好きなわけでもないので、さっさと戦利品を回収することにした。

男が腰に佩いていた剣を剥ぎとり、懐から巾着袋を取り出す。剣はともかく、巾着袋が見張りの持っていたそれより重かったことに、少し満足感を覚える一刀だった。

その時、一刀の耳に砂利を踏む音が聞こえた。
視界に該当マーカー無し。死角位置──背後だ。

「あれ?お前何を──」

一閃。

一刀の背後から誰何の声を上げようとした盗賊は、振り向きざまに放たれた突風のような斬撃によって、首をはねられた。
宙を舞う頭部の、気の抜けたような表情が、痛みも何も感じる間もなく絶命したことを示していた。

噴水のように血しぶきを上げて倒れる死体に目もくれず、一刀は鉄剣をかざして、広場の篝火の余光を頼りに、刃の部分を眺める。
首を断ち斬った程度で欠けてしまった事に、思わずため息が出た。

(これもなまくらか……)

この国の剣の質の悪さにガッカリする一刀。
彼からすればガラクタばかりで、ウェイストランドでは弱者の武器である、金属バットや鉄パイプの方が、使い勝手が良いかもしれない。
技術が二千年も違うのだから当然とはいえ、武器コレクターの彼にとっては非常に残念な事である。

ただ、収穫が全くないわけではなく、弩と呼ばれるボウガンや、弓についてはなかなか使えそうだったので、丈夫そうな弩弓と矢は全て回収していた。
接近戦を好むとはいえ、遠距離からの攻撃手段はあったほうが良いし、使い方によっては下手な銃より効果があるものだ。
また、大きめの物でもライフルより軽く、収納を圧迫しないので、むしろウェイストランドに存在しなかった事の方が不思議である。

一刀は、はるか昔の時代ならこんなものか、と自分を納得させ、再び闇に溶け込む。
ステルスアーマーが無くとも、その身のこなしや忍び足は、熟練の忍者のようだった。



数十分後。

あぐらをかいて涎を垂らしながら、うつらうつらと舟を漕いでいた盗賊が、突然胸に加えられた衝撃により、背中を地面に打ち付けた。

「わ!な、なんだぁ?」

蹴られた事に気付いた男が文句を言おうと見上げ、見慣れぬ一刀の姿を見て、大声をあげようとする。

「て、てめっ──!」

が、その声は途中で止まった。
一刀のつま先で、盗賊の喉が蹴り潰されたのだ。

声も出せず呼吸もできず、痛みと苦しみにのたうちまわる賊。
近付く一刀の足が視界に入り、賊は右手で喉を押さえながら、待ってくれと言うように、後ずさりながら左の掌を向ける。
気道が潰されたのは一時的だったようだが、骨や肉はそうもいかず、痛みで涙が止まらない。

「略奪した物資はどこだ?黙って指し示せ」

一刀から発せられた問いで、初めて目がまともに合う。

──逆らったら殺される。

生物としての本能で、そう悟らざるを得ない目だった。

震える指を元村長の館の方に向ける。
その先に見えるマーカーは、赤が10、白が5。
幹部連中が宴をしている舘だった。

それを確認した一刀は、縋る眼で見る男を一瞥もせず──無造作にくりだした、だが重機のごときパワーを込めた蹴りで、その頭部をスイカのように砕いてしまった。
自身のブーツが血と脳漿にまみれ、顔をしかめる一刀。

(あーあ、また加減を失敗した……)

もともと一刀が素手で戦うことを好むのは、戦士としての向上心もあったが、武器弾薬も消費せず、返り血で汚れにくいという、エコでクリーンである事が大きかった。

死体も“綺麗”なので漁るのも気が楽である。
何しろ彼が武器を使うと、全身バラバラになったり光る粘液になったり、灰になったりと、戦利品が汚れることが多いのだ。
ケチで潔癖な一刀にとって、素手というのは実にマッチした戦い方なのだが、この世界の連中は、素手ですら派手に中身をまき散らしてくれるので、なかなか理想的な殺し方が難しかった。
要練習だな、と今後の課題を決め、慣れた手つきで懐を探っていると。

──ハッ、ハッ、ハッ

断続した呼吸音とともに、暗闇からにじみ出るように現れる黒い獣。
言うまでもなく彼の相棒、ドッグミートだ。
一刀は声をひそめて話しかける。

「終わったか。誰も逃がしてないな?」
「わふ」

ドッグミートも一刀にあわせて、ささやくような声で返事をした。
相棒には、広場を挟んだ一刀の反対側から始末するよう、言い伝えていたのだ。

「俺の方もさっきの奴が最後だ。それじゃ、メインディッシュといこう」
「わふ」

足音を立てない忍び足で移動を始める一刀とドッグミート。
凄まじい戦闘力をもった両者だが、彼らの恐ろしい所は、油断しているとはいえ40人もの集団を、騒ぎを起こさせない内に全て始末してしまう、サイレント・キリングの手際にあるだろう。



…………………………



元村長の館では、盗賊の幹部たちが広間で円をつくり、宴会をしていた。
皆だらしなく胡坐をかき、年頃の女性5人を侍らせて、機嫌良く酒を飲んでいる。

女性たちは皆、憔悴しきった表情で、その着衣は凌辱されたときにボロボロになっており、時折盗賊たちに体をまさぐられながらも、酌をしていた。
首領専用が1人。他の4人は、9人の小頭目たちで共有しているようだった。

上座に座る首領は、自分の組織が上手く行っている事に、大層気分を良くしていた。
組織の立ち上げ以来、失敗らしい失敗もなく、着実に財貨と食糧を貯め込む事に成功している。

昨日は農村を襲って食糧を得、今日はたまたま見つけた商隊から、莫大な金銭、宝物を手に入れた。
村にはなかなか整った顔をした娘がいたので、彼専用の情婦として攫い、凌辱することで野獣の本能を満たすことも出来た。
元からいた情婦は、小頭目共用の女として手下に与えて、皆が満足する結果に終わっている。

商隊を襲撃したときにはほぼ同数の護衛がいたが、相手の隙を突いた奇襲が上手く決まった事によって、敵を圧倒出来た。
それでも10人の手勢を失ったが、この時代、賊になりたがる人間は後を絶たない。
すぐに増えることになるだろう。

そして、組織運営。
5人ごとの小隊を作るという軍の方式を取り入れたり、功績に応じて取り立てることや、今しているように、頭目だけは別の場所、特別な料理と酒、そして女を当てがうことで、出世欲を刺激する。
また、下っ端にもケチらずに酒や飯を振舞い、農村で、“幸運にも”連れ去られるほどの容姿ではない女で適度に発散させてやった事も、士気の向上に繋がっていた。

それを誰から学んだわけでもない男だったが、本能で知っていたのか。
結果として彼の組織は徐々に拡大していた。
しかし、本能だけで学がないゆえか、生来の性か。その増長は止まらなかった。

(ちーと減っちまったが、すぐに百人、いずれ千人、万人を率いてやる……そして、王になってやる!)

自分の妄想に興奮して、脳内麻薬に酔い、たぎる首領。
その衝動を抑えようともせず、情婦の後ろ髪を乱暴につかみ、かぶりつくように唇を奪い、貪った。

肉の脂と酒にまみれた、しかも歯なぞ滅多に磨かない不衛生な口を、涙を流し震えながらも、受け入れざるを得ない娘。
好きでも無い汚い男に純潔を奪われ、食事の用意をさせられた上、こうして絶えず慰み者になる。
自らを襲った悲運に、嘆く事しか出来ない無力さが恨めしかった。

娘の内心など知ったことかと、首領のその行動に口笛で囃したてる小頭目達。興奮が伝播したのか、隣の娘に同じ行動をとる男もいた。
部下たちの反応に、さらに首領の機嫌と興奮度が上がり、部下達への褒美とばかりに、娘の着物をはだけさせ、乳房を露にした所で──宴は唐突に終わった。

(ん?)

肌に風を感じたので、その方向を見やると、閉まっていたはずの部屋の扉が、いつのまにか開かれていた。それを認識した瞬間。

くしゃ、と何かが壊れるような音が2回。
同時に、扉を背にしていた男2人の眼球が、首領の方へ飛んできた。

そのうちひとつが、彼が手に持っていた盃に、音を立てて飛び込む。
ちゃぽん、という軽い音が、妙に首領の耳についた。

両目を失った男たちは、舌を突き出して座ったまま絶命しており、胡坐をかいたまま前のめりに倒れる──その間にも、その隣にいた男の首が、鈍い音を立てて背中側に折れ、伸びた首の皮を頼りに、頭部がぷらぷらと揺れる。

ここで、首領は事態を認識した。
といっても、明確ではなく、この時点で彼が悟ったのは、何かヤバイ闖入者がいる、という事だけだったが。

宴を中断させたナニカは、その勢いを留めることなく、広間を席捲する。
それはまさしく暴力の塊だった。

拳を心臓に“直接”突き入れられて事切れる4人目の男。
掌打によって下顎部を吹き飛ばされ、意識を絶たれた5人目の男。

5人目の男が死んだ所で、他の者も事態を理解し、怒号と悲鳴がこだました。

首領が素早く立ち上がり、金切り声で叫ぶ情婦を羽交い絞めにして壁際まで下がったのは、上出来な反応と言えよう。
だが、その間にも惨劇は続いていた。

6人目の男は、回し蹴りの直撃をかろうじて避けた。とはいえ、意図したわけではなく、思わず後ずさった事が、たまたま功を奏した──とは言い難い。削るように裂かれた腹から臓物をぶちまけ、苦しんで死ぬことになったのだから。

続いて7人目の頭が破裂し、脳漿が飛び散る。

退いたことで、闖入者の姿をなんとか把握する事ができた首領。
上着と下履きが一体になっている、珍しい形の青い服と、優男のように整った顔立ちであることはわかった。
ここで首領はようやく声を上げる。

「やめろ!」

首領は娘の首に剣をあてていた。
娘の命を盾に、降伏させようという意図は、誰から見ても明白だ。

だが彼とて、闖入者の目的が不明確な以上、娘が人質として使えない可能性も考えたが、盗賊を襲うのだから、おそらく村人の依頼で襲撃してきた雇われか何かだろうと、あたりをつけた。
ならば、村娘の命は惜しいはずだ、という願望交じりの推測だった。

だが。

「ごふっ……」

ちらりと一瞥されたものの、闖入者の動きは一瞬たりとも止まらなかった。
8人目の男が、背中から食らった掌打で内臓を破裂させ、口から血をたらふく吐いて死んだ。

9人目の男──新たに小頭目となった張だ。目ざとい彼はこの場から逃げようとしたが、後ろから破城鎚のような激しく重い蹴りを背中に食らい、脊椎を折られて二つ折りに畳まれた。
そして、痙攣して血泡を吐きながら、息絶える。

最初の男が死んでからここまで、10秒も経っていない。
ついさっき、一緒に楽しく飲んでいた9人の手下は、凄惨な骸と化してしまった。

「き、貴様ぁ……!」
「ひっ……」

発言を無視したことに憤り、さらに剣を押しつける首領。
恐怖で息を飲む娘の首筋に、うっすらと血が滲む。

闖入者がようやくその動きを止め、正面から向き合う。
端整な顔立ちに浮かんだ瞳は、情も何も浮かんでいない。
まるで昆虫のようだ、と首領は漠然と思った。

腕自慢で増長しやすい男だったが、とても敵わない相手である事が理解できないほど、無能ではなかった。
勘に優れた彼の本能が、ここで殺されるという嫌な予感を強くしていたが、それを理性で抑え込み、大声を上げて、外にいるはずの手下を呼ぶ。

「おい!!くせものだ!!」

頭目の大声に顔をしかめた一刀が、面倒くさそうに手短に伝える。

「……残りはお前だけだよ」

一刀から感じられる余裕から、その言葉が真実であろうと悟り、再度人質を使う。
すでに一度無視している事から、まず無理だろうとは頭では分かっていても、縋れるのはこの娘だけなのだ。

「ぶ、武器を捨てろ!」

だが、動揺しているとはいえ、これはあまりに間抜けな発言だった。元から無手なのである。
返答の代わりに首をかしげて、呆れたように両手をプラプラさせる一刀。

「跪け!こいつが死んでもいいのか!」

その言葉で、一刀はようやく盗賊の意図を理解した。

(……そうか。こいつ、この娘を人質にしているつもりなのか)

映画などで良く見るシーンだが、知人ですらない娘の命を盾にされるとは、思ってもみなかった一刀である。

そういえば昔、映画でこういうシーンを父さんと見たな、と少年時代を思い出した。
それは、父親がVault101の監督官の目を盗んで仕入れた禁制の映画だった。

地下核シェルターであるVault101は「純粋」の維持を目的とした実験区も兼ねており、その監督官が全権を握っていた。
そのため、教育からして監督官の言葉が全て正しいという洗脳教育がなされていた。

各地の放浪経験から、それに染まっていない一刀の父親は、息子の将来を案じて、洗脳に染まりきらないよう、時折禁止されている書物や映画を、こっそり見せていたのだ。

「どうしたカズト。この映画面白くないか?」
「うーん、面白いけどさ……ねえ父さん。なんでこの人、攻撃しないの?」

「ん?そりゃ、娘が人質になっているからね」
「でも、攻撃しないと2人とも殺されちゃうよ?」

「そうだね。でも、彼にとっては娘が大事なんだ」
「でもこの人が死んだら、娘さんは死ぬか、良くてヒドイ目にあうんじゃない?」

「そ、そうだね。でも、大事な存在だから、分かっていても体が動かないんじゃないかな」
「うーん……」

「なあ、もしカズトがこの人の立場で、父さんが人質だったら──」
「敵をやっつけて助けるよ!」

「えっ!?……で、でも、敵を倒せても父さんが死ぬかもしれないんだぞ?」
「悲しいけれど、2人とも死ぬよりは良いと思うよ」

「………………そうか」

その後、一気に年を取った父親は、合理的、利己的に過ぎる息子の教育に奮闘する。
結果、根本的な性根は治せなかったが、良い人と言われる振舞いを出来るようには矯正することが出来た。
一刀と異なり、現代日本基準でも善良といえる父親にとっては、息子がウェイストランド流に完璧に染まっている事は我慢ならなかったのだ。
結果から見れば、表向き善人で通す分、より性質が悪くなったとも言えるが。

そんなこともあって、一刀も、この状況では盗賊の言う事を聞く事が、善良な行動だと理解している。

だが、一刀である。
父親の死に際でさえ、嘆きながらもどうにかして、ガラス向こうの敵の死体から、珍しい装備を取れないか試行錯誤していた一刀である。
血縁でもない、今日会ったばかりの村娘のために、自身を敵にゆだねるような選択肢を取るはずもない。
後味が多少悪いだろうが、自己犠牲はもうこりごりだったのだ。

かつてエンクレイヴとの戦いの中、水質浄化装置の暴走を止めるために、一刀でもヤバイほどの放射線が充満した中で停止コードを打ちこむ必要があったのだが、共闘していた組織『ブラザーフッド・オブ・スティール』の隊長、サラ・リオンズと最後まで押しつけ合った末、一刀が特攻するハメになった。
ギリギリで一命を取り留め、意識を取り戻した後、一刀は、やはりサラに押しつけるべきだったと、心底後悔したものだ。

このように、理性でも本能でも盗賊に従うべきではないと結論付けている一刀だったが、人質の前で本心を口にしないだけの良識はある。
だいたい、今は“圧倒的有利な状況”であり、盗賊の命を握っているのは彼の方なのだから、悩む必要すらないのだ。

一刀が微塵も動じないのを見て、やはり無駄だったかと、諦めたように押し殺した声で口を開く首領。

「……俺を殺すのか」
「その子を解放すれば見逃してやる。もう少しでも傷つけたら、散々苦しんで死ぬことになる」

一刀に見逃す気など毛頭ないが、自棄になられても面倒だったし、映画のような場面で遊び心が湧いたのもあって、そう言ってみた。
アドバンテージを握っているのは俺だ、とばかりに盗賊を見下ろす。

首領の方も、嘘である事をなんとなく悟ってはいても、人間、極限状態で一縷の望みがあれば、それに託したくなるものである。一刀の言葉に逡巡した。

「今から5つ数える。その間にその娘を放せば見逃そう。数えるぞ……Go!」

1カウント目で、盗賊が視界の端で何かが動いたと感じた瞬間、腕に激痛と重みを感じた。

5とGoをかけたふざけた指示により、精悍そうな犬──ドッグミートの牙が、剣を持った右腕に、深く突き刺さっていたのだ。
状況を認識する間もなく、ドッグミートがぐい、と体をひねると、みち、ぽき、と嫌な音を立てて、男の右腕は食いちぎられてしまった。

「がぁあああああ!」

爆発的に広がる痛みで、悲鳴を上げる首領。
跪き、血があふれる切断面を抱える様は、まるで、許しを乞うような姿勢だった。

盗賊の死角で潜んでいたドッグミートが、出番が欲しいのか、命令を期待するように見ていたので、今回は任せてみた一刀だったが、V.A.T.Sを使えば、男が感知できない速度で腕を切り落とすなり、頭部を破壊するなりも出来た。
人質を取った時点──いや、一刀がこの盗賊団を標的にした時から、すでに勝敗は決していたのだ。

首領が悶える間に、一刀はゆうゆうと、恐怖で固まっていた娘を遠ざけて、冷徹な口調で告げる。

「だから言ったろ?苦しむって」
「い、いづづって、言ったじゃねーが……」

言葉を違えた事を抗議する首領。
こんなことだろうとは半ば予測していても、文句の一つも言いたくもなろう。

「ちゃんと数えたさ。心の中でな」
「ぐ、ぐぞがぁ!」

殺し合いの中で、珍しく湧いた興に乗ってみた一刀だったが、男の罵倒を聞いても、さして面白さを感じなかった。
もうやるまい、と心に決め、相棒に始末を任せる事にする。

「ドッグミート、遊んでやれ」

一刀の言葉で、片腕を吐き捨てたドッグミートが首領に飛びかかった。

「や、やめ、あああ!」

ドッグミートが人間で遊ぶ凄惨な光景を背に、娘達の方を見やる。
彼女らは、部屋の隅にひとかたまりになり、一刀を見て震えていた。

(人質を無視ってのは、やっぱダメだったかねぇ)

どうフォローしようかと、頭を回転させる一刀。
本当の所は、一刀やドッグミートの尋常でない暴力に怯えており、人質を無視されたという事まで考えが行っていないのだが。
悪党をどのように殺しても、称賛されるのが常であった一刀には、自分が特別残虐な事をしたという認識はない。
風習が異なる場所だと分かっていても、感覚の相違というものは、なかなかゼロには出来ないものである。

こういう時の対処については、自身の経験や父親の薫陶もあって、振る舞いを心得ている。
人質になっていた娘の両手を取り、真摯な表情で痛々しげに話した。

「怖かったね、もう安心だよ……君を犠牲にするような事言ってごめん。でも、ああしないと俺も君も危なかったんだ」

一刀は話している途中、娘から漂うすえた精臭に気付き、思わず鳥肌が立ちそうになる。
捕虜の女性の扱いは、どこでも同じらしいが、率先して嗅ぎたいものではない。
ドッグミートに、もっと時間をかけていたぶり殺すよう言っておけば良かったと、少し後悔していた。

異臭に耐え、顔が引きつるのをこらえながら、娘の目を見つめ続ける一刀。
ほどよい所で、にこやかな笑みを浮かべる。
彼が鏡で何度も練習した、[Lady Killer]と呼ばれる必殺のスマイルだ。

一刀の整った顔と、包むような優しさをたたえた(ように見える)瞳、自分を心から心配している(ように聞こえる)声に、娘は呆けたように言葉を紡ぐ。

「い、いえ……助けていただきましたし……」

なんとか誤魔化せた事を認識し、内心で安堵した一刀は、全員に向かって大げさな身振り手振りとともに言葉を告げる。

「さあ皆、安心して村に帰りな。悪い奴らは皆、殺──やっつけたからね」

一刀の本性を知るものからすれば、その演技臭さに呆れるだろうが、この場合、その優しげで紳士的な演技の効果は高かった。
圧倒的暴力が自分たちに向かないと分かると、村の外の世界をほとんど知らない純朴な村娘達から見れば、一刀はまさしく救世主だった。
純潔を汚されてしまったことはショックだが、死ぬまで嬲り者にされると諦めていたところだったのだ。
最悪よりましだろうと、乱世で逞しくならざるを得なかった娘たちは、気丈にもなんとか立ち直った。

「助けていただいてありがとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
「もう帰れないかと……」
「でも、どうせ帰ったって……」

家族を殺されでもしたのか、純潔を奪われた事が割り切れないのか。
救われても嬉しそうにしない娘もいるのを見て、面倒くさい事にならないよう、先手を打ってさっさと帰るよう促すことにした。

「気にしなくていい。俺は悪人は放っておけない性質なんだ。ささ、もう大丈夫だから、早く帰った方がいいよ」

ここで、村まで送っていかない所が一刀らしいところであるが、ついでで助けた娘にそこまでケアするつもりも無かったのだ。

(ウェイストランド人なら、ここでスティムパックか何かくれるんだけどなぁ……)

命とは引き換えにならないほど安いが、助けたお礼に、なけなしのスティムパックを提供してくるウェイストランド人に比べて、この国の人間は図々しいのかもしれない、と思い始める一刀。
もっとも、身に着けた服以外、何も持っていない彼女らに礼の品など出しようもないのだが、変わりに首領の情婦にされていた娘が申し出て来た。

「あの、ぜひ村でお礼をしたいのですが」

この娘に他意はなく、純粋に礼をしたかっただけなのだが、誘われた一刀の方は、なるほど、そうやって送らせようとしてもそうはいかないぞ、と身構える。
自分を基準に考えるので、無駄に疑心暗鬼になる事の多い男であった。

「ありがたいが遠慮しておくよ。ここの“後始末”もあるし、旅の途中なのでね。いずれ寄ることもあるかもしれないから、その時に是非頼むよ」
「せめて、お名前だけでも」
「……いや、名乗るほどの者じゃないよ」

一刀は、娘の言葉に少し考えた末、名乗らないことにした。
こういう時にいつも名乗っていたから、英雄扱いされてしまったのだ、と。
褒め称えられるのは大好物だが、未だこの国の人間を率先して救うつもりのない一刀だった。
彼がもっと非情であれば、この場で口封じの為に殺す所だが、敵でも標的でもない人間に、そこまでする外道でもない。

こうして、一刀の颯爽とした救世主ぶりに頬を染めながら、村娘たちは帰途についたのだが、その道すがら、一刀の事を話して盛り上がった。
少し気を取り直したのか、助けられても暗い顔をしていた娘も例外ではなかった。

盗賊達に汚された事に触れたくないためか、一刀の話ばかりをした結果、それぞれの村に実像以上の英雄ぶりが伝わって行くのだが、それは一刀の想像の外だった。



一方、死体だらけの廃村の中、一刀は別れた娘達について考えていた。

(結構可愛い娘だったな。あの様子ならヤれただろうけど……でもなぁ……)

略奪した村々から器量良しを見つくろっただけあって、首領の情婦などはかなり一刀好みだったが、この世界で最初に会った2人がまずかった。

(どうせ童貞捨てるなら、あの2人以上の娘じゃなきゃ嫌だ。なーに焦るな、この世界はイケる女はいくらでもいるんだ)

と、女性のハードルが上がってしまったのである。
まあ、それでなくても盗賊の精液まみれの非処女の時点で、一刀にとっては対象外なのだが。
このあたりは童貞らしいドライさを持っていた。

さて、体良く村娘たちを追い払──もとい、解放した一刀は、死んだ盗賊たちの懐を漁った後、略奪した品が納められていた部屋で、頂戴する品を物色していた。

その殆どは酒や穀物、野菜。燻製肉もあったが、この国では野生に食えるものがごろごろしているので、持って行く食糧の類はそれなりで抑える事にした。

放射線に汚染されていない天然の野菜や穀物など、ウェイストランド人からすれば目もくらむようなご馳走だ。
特に、盗賊を探す際に立ち寄った村で、対価を払って食わせてもらった米の粥は格別だった。
身体に流れる日本人の血だろうか。無性に馴染むのだ。
だが、この国ではありふれた食物である。ここは重量対価格が良い物を優先するべきだろう。

(いやー、ラッキーだ。今回の盗賊は、結構良いもの持っているな)

これまで始末した盗賊たちは、10人以下の小集団ばかりでろくな貯えもなく、いくばくかの銭と食糧ばかりだったが、目の前の財宝類はなかなかの質と量である。
これからは大所帯を狙った方がよさそうだと思う一刀だった。

(しかし、これは、持ちきれないな)

コツコツと貯め込んでいただけあって、50人程度の規模の割に、かなりのものである。
誇大妄想な男だったが、一刀というジョーカーが現れなければ、数千を率いる器量はあり、世が世なら、黄巾党の幹部の一人、馬元儀として、それなりに名を馳せることになるのだが、それはすでに失われた可能性であった。

まず、銅銭、砂金、金粒など、キャップと同じく重量カウントされないものや、装飾品や絹、紙など、高価で軽いものを優先してPip-Boyに収納する。
このあたりの価値の情報については、戯志才らから学習済みであった。

めぼしいものを入れた後に残ったのは、豪華な箪笥や置物などの大物の品々だ。
これらを何点か入れると、Pip-Boyの収納上限を超えてしまいそうである。
置いていくところだが、弾丸一発でも回収を見逃さない一刀にとっては、このオリエンタルで神秘的な雰囲気をかもしている家具、調度品の類は、是非とも自分の拠点に置きたい品だった。
特に、東洋の竜を形どった、一刀の身長ほどある彫刻などは、入り口近くに置いて自慢したい。

なお、Pip-Boyの亜空間倉庫は、サイズ自体は無限なのだが、格納重量が大きくなるほどPip-Boyの処理能力が管理に割かれる仕様となっている。
また、Pip-Boyは、一刀の左腕に外科手術で着けられたコネクタを介して神経接続されていて、それによってバイタルチェックやV.A.T.S機能など、様々な恩恵を彼に与えているのだが、重量オーバーで処理が閾値を超えた場合、過負荷がフィードバックされ、身体の動きが阻害されてしまうのだ。

歩く程度のゆっくりとした動作はできるので街中では問題ないが、殺し合いを常とする外では致命的な欠点であるから、重量の空きにはいつも気を使う必要があるのだ。

そういった事情から頭を悩ませていたところで、天啓がひらめいた。

(そうだ、馬を使えば……!)

何度か騎乗している人間を見ているのに、ドッグミート以外の動物は食い物か敵、という固定観念が強いため、自分がそれを使うという発想になかなか思い至らなかったようだ。
厩舎に繋がれた馬を使えば、移動速度は解決する。
戦闘にしたって、ドッグミートがいれば、この世界の貧弱な盗賊の100やそこらは撃退可能だ。
一刀自身も奪った弓矢で援護くらい出来る。

ドッグミートはただのオーストラリアン・キャトルドッグではない。
ウェイストランドでは、人間を含めて全ての生物が劣悪な環境に適応しており、見た目は普通の犬でも、知力、体力、あらゆる能力は、もはや犬と呼べる範疇を超えている。
魔獣デスクローをタイマンで殺せる生き物が、ただの犬のわけがないのだ。
とはいえ、今代のドッグミートがウェイストランドの犬の中でも、突然変異的な強さを持っている事は確かだろうが。

こうして、全ての財宝と、自分達だけなら数か月は持つ食糧を収納した一刀は、随分すっきりとした部屋を満足気に眺めた。
服はジャンプスーツから、この国の名士が着るような服に着替えている。
白基調で、袖などを青く縁取りがされ、ところどころに何かの紋様が刺繍された絹製の服で、一見して上等な品である。
涼やかですっきりとした顔立ちと相まって、どこぞの貴族でも通る姿だった。

丈夫さには欠けるが、上に外套でも羽織れば、土埃も防げるだろう。
今更ながらジャンプスーツが目立つ事に気付き、それを隠すためでもあったが、見た目も着心地も気に入った一刀であった。
その上から、盗賊が持っていた中で一番まともな皮製の胸当て、籠手、脛当てを着ける。
一刀自身の肌の丈夫さに比べれば紙みたいなものであるが、ちょっとしたコスプレ気分だ。

実はこの一刀、結構なおしゃれ好きである。
メガトンのホームで、珍しい服や装備を着て、一人ファッションショーを時々しているのは、彼とドッグミートと、ロボット執事のMr.ハンディだけの秘密だ。

その後、厩舎を訪れた一刀は、5頭いた馬のうち、最も体格が良い黒馬を、彼の乗騎とすることにした。
盗賊たちの横着のためか、馬具は着けっぱなしであったので、そのまま乗ることが出来そうなのは僥倖である。

一刀が馬具の歴史に詳しければ、ここで鐙や蹄鉄が存在することに疑問を持っただろうが、そんな知識もない彼は、普通に受け止めて、黒馬の顔を撫でながら話しかける。

「しっかり運んでくれよ。そうだ、お前に名前を付けてやろう」

ホースミート……いや、二番煎じでは芸がない。女性陣にも不評だった。
少々悩んだ後、一刀はひらめいた。

「お前、よく見るとウマヅラだな……、馬面……中国風にマーメンとしよう。実にクールだろ?」

黒馬はそれに対して、ブルル、と鼻を鳴らした。
気に入ったのかどうかは不明だが、馬の方は人間のセンスなどどうでも良いようである。
マーメンの反応を都合よく解釈して満足し、わしわしと強めに馬を撫でる一刀に、ドッグミートがすり寄ってきた。

「くぉーん」
「ん?よしよし、妬くな妬くな。俺の相棒はお前だけだよ。こいつは乗り物兼非常食だからさ」

寂しげに鳴いたドッグミートを宥める一刀。
馬にとっては酷い話だが、運搬に利用するだけの生物など、一刀にとってはそんなものである。
付き合いが長ければ対応も変わるかもしれないが、現時点では割り切った感情しかない。
どことなく悲しげに見つめる馬の瞳を、気にも留めなかった。

準備が整った後、廃村を後にする一刀たち。
売り物とする他の4頭には名前をつけず、黒馬の後に付いてくるように言いつける。
一刀がどのような本意であれ、彼とってはどんな動物も友達である。
人に懐きやすい動物である馬は、一刀の一言で、そうする事が当然のように従った。
駆け出しの馬職人が見れば、嫉妬で狂いそうな光景であった。



生まれて初めての乗馬に四苦八苦する一刀だったが、馬が異様に従順であることと、優れた身体能力によって、1時間も経たずに安定して乗れるようになっていた。
乗れるという程度だが、指導者も無しに、記憶にある映画の見よう見まねだけでこの上達は異常といえよう。

(それにしても、ずいぶん洛陽から逸れてしまったな)

盗賊を探しているうち北に逸れ、東に逸れ、と、中原を小さく一周したような感じになってしまった。
とりあえず、近くの街で膨大になった持ち物を換金するべきだろう。

(近いのは陳留か。評判のいい領主みたいだから、そこで腰を落ち着けてもいいかもしれないな)

盗賊を探して、村や街で情報を仕入れて分かった事だが、漢の首都洛陽は、趙雲らに聞いたよりも荒れているようだった。
現状、中原で治世の評判が比較的良いのは、幽州の公孫賛、冀州の袁紹、エン州の曹操。
特に曹操は英邁な人物として噂されていて、戯志才らも主君として仰ぐ候補として目をつけていた。

この国に来た頃は、楽園のようだと思った一刀だったが、時にはウェイストランドの方がまし、というくらいの村もあった。
宦官とかいう、地位のある玉無しどもが、好き勝手して荒れているという噂しか聞かない洛陽よりも、地方都市で有力な人間が治める街が良いかも、と判断したのだ。

結局、趙雲らと同じ街に向かうことになったが、別れてからだいぶ経っているので、出会う事はないだろう。

方針を決めた一刀は、陳留の方角へと馬首を向け、ドッグミートと馬たちがそれに続いた。



後日、村に帰った娘たちの証言で、廃村にやってきた村人たちが見たのは、腐り始めた死体たちと、一刀によって随分と減ってしまった略奪品だった。
とはいえ、彼らが、盗賊がどれくらい貯め込んでいたかなど知ることもなく、どの村の略奪品をどれだけ消費されたなど、誰も分かるはずもない。
村人たちは素直に喜んだ。

また一刀は、盗賊たちが持っていた金銭や宝物は根こそぎ持って行ったが、食糧については、ここにあった総量からすれば微々たるものである。

農民たちにとっては、領主の動きの悪さに、独自に依頼料を払ってでも誰かに退治してほしかった位なのだから、もし一刀が持って行ったと知っても、銭と多少の食糧で済めば安いものだと納得しただろう。
恨まれるとしたら、間接的に全て奪われたことになる商人たちだろうが、彼らは全員この世にいない。

というのも、今回の首領のように、多少頭が働く盗賊なら、村人を皆殺しなどしない。
再び作物を育てられる程度の人間を残しておかないと、本拠地の近くで“補給”できないのだから。
しかし、商人は違う。一度襲われた商人が何度もカモになってくれるはずもないので、全てを奪って一思いに殺すのだ。

商人の家族や、売り物を買う約束をしていた人間にとって、仇は盗賊であるし、そもそも盗賊の持ち物の所有権については法に定義されておらず、盗賊を退治したものが好きにして良い不文律がある。
例え一刀が掠めて行ったと判明しても、恨まれはしても罪に問われることはない。

まあ、バレれば風聞は悪くなるのだが、父親の薫陶によって表面上は善人を演じるものの、風評ごときで行動を変えるような一刀ではないし、所有権の事を戯志才から聞いたからこそ、欲しい物を欲しいだけ持って行ったのだから。



このような事情で、欲だらけの男は、その本性は隠されたまま、悪を滅する無欲な勇者として、徐々に人の噂に上り始めることとなった。



[29271] 第4話 拠点を得るVault101のアイツ
Name: やがー◆4721ae65 ID:1314f84a
Date: 2012/02/12 02:20
「陳留が見えたぞ、ドッグミート。良い所だといいな」

乗馬となったマーメンの上からかけられた、一刀の明るい声に、いつもなら機嫌良く応えるはずのドッグミートが、尻尾もふらずに黙々と、隣で歩みを進めていた。
その様子を見て、やれやれと溜息を一つつき、猫撫で声で再び声をかける。

「なあ、もう機嫌直せよ。悪気はないって分かってるだろ?」

そんな言葉にも反応せず、かたくなに前方を向いて歩き続けるドッグミート。

彼の相棒が珍しく不機嫌な原因は、数時間前に遭遇した、8人の盗賊による襲撃にて起こった。

一人で5頭も馬を率いている一刀。
今の彼の外見は、小奇麗で身なりの良い名士であり、サバイバルナイフは着物の下に忍ばせているため、一見して武器を所持していないように見える。
護衛もおらず、精悍だがそれなりの大きさの犬が一匹のみ。

これを極上のカモと判断した盗賊達の思考は、正常といえよう。
待ち伏せも何も必要無し、と全員一致の判断を下し、即座に襲いかかった。

だが、相手が悪かった。
一刀自身には、弱者を装っているという意識はなかったが、男たちが襲ったのは、羊の皮を被った魔獣である。

盗賊が一刀達を捕捉するよりも早く、その存在に気付いていた一刀とドッグミート。
当初の想定通り、ドッグミートの牙が次々と屍を製造する中、一刀も相棒を援護すべく、弩を取り出して盗賊に矢を放った。
──が、ろくに練習もせずに射た矢が、そうそう思い通りに飛ぶはずもなく、その狙いは逸れ、運悪くドッグミートの尻に当たってしまう。

この時使ったのが弩でなく弓ならば、矢はあさっての方向に飛び、ドッグミートも無事であったであろうが、弩の機構が、弓に比べて素人にも扱い易い点がまずかった。

素手格闘を見事にこなす男だが、彼の最も得意な分野は銃撃にある。
初めて触るタイプの銃であっても、確実に狙いを取れるほどの柔軟性、応用力もある。
その実績に基づいた自信から、弩は銃の一種でもあるから問題ない、と引き金を引いたのだが──結果は前述の通りである。

頑丈なドッグミートなので、矢も突き刺さる事もなく、鏃の先で少し傷がついたくらいだ。
また、その程度の怪我で、貧弱な盗賊に遅れをとるような生物ではないので、戦い自体は逃げる盗賊を含めて、あっさりと全滅させる事に成功。
その後、一刀が傷を確認したところ、既に血も止まっており、翌日には跡形もなくなっている程度のものだったのだが、機嫌を損ねてしまい、返事もしなくなってしまったというわけだ。

一刀からすれば、悪いと思いつつも、今更何を、という気持ちもある。
これまで数えきれないほど一緒に戦った戦闘で、フレンドリーファイアは何度もあった事だ。
誤射してしまった時はいつも一刀が謝り、ドッグミートは気にするな、というように甘えてくるのが常だったので、今回も同じようにすまんすまん、と気軽に謝ったのだが、今回だけは反応が異なった。

考えてみれば、以前よくあった誤射は、ドッグミートが前衛、一刀が後衛で射撃をしていた頃の話で、近接格闘にスタイルチェンジしてからは、一度も無かった事だ。
ドッグミートからすれば、やっと誤射が無くなったと思っていたところに再びやられた事で、今まで我慢していた分も含めて、爆発してしまったのだろうか、と一刀は考えた。

確かに弩を射た時に、軽率な気持ちがあったのかもしれない、と自らを省みる部分もある。
少し経てば元に戻るだろうと楽観視していたのだが、なかなか機嫌を直さないドッグミートを見て、そろそろまずいと思い始めた。

ここはきちんと謝ろうと、歩みを止めてマーメンから降りる。
微動だにしないドッグミートと目を合わせ、顎と頭をがしがし撫でながら、真摯な声で謝罪を口にした。

「本当に俺が悪かった。相棒のお前に冷たくされるのは辛いよ。反省してるから許してくれ」

「…………クーン」

されるがままに身を任せていたドッグミートは、しばらくすると、ひとつ喉を鳴らした。
許す、というように尻尾を振り、ピスピスと鼻音を立てて一刀にすり寄る。

「よしよし、許してくれてありがとうな。次使う時までには、ちゃんと訓練するからな」

マーメンに合わせて速度調節はしていたので、拗ねているだけとはわかってはいたが、一刀にとってはドッグミートは家族以上の絆を感じている存在である。
弩弓の練習はしておこうと、相棒に誓った。

このように、ちょっとした波乱はあったものの、一刀達一行は、再び陳留の城門に向けてその足を進めた。



…………………………



陳留の城門では、門衛の男に特に怪しまれる事もなく、ごく普通の態度で目的を問われた。
身なりの良い格好をしている一刀は、気楽に旅する、良家の子息と思われたようである。

「とりあえず馬を売りたい。あと、良さそうな街なら移住したいと思っている」
「そうですか。この馬なら太守様が良い値で買い取ってくださると思いますので、そちらを当たってはいかがでしょう」
「わかった。ありがとう」

太守の政庁と、移住申請の場所を聞いた一刀は、城内を見回りながら行く事にした。

途中、食欲を刺激する香ばしい匂いが鼻をつき、そろそろ食事にするかと思い、飯店に入る。
いらっしゃい、という店主の大声を聞きつつ、馬の方向が視界に入る位置に座った。これで、盗人などがいればマーカーですぐにわかるのだ。
さすがに犬の入店はまずいので、ドッグミートは、一刀から詫びを兼ねて与えられた鹿肉の塊を食べながら、軒先で馬の番をすることとなった。

この世界において、一刀の最も楽しみにしている事の一つが、日々の食事にある。
今回のように飯屋で食べる飯は味付けが豊かで、ウェイストランドでのご馳走とは、比較するのもおこがましい。
菜譜、いわゆるメニューに書かれた文字は理解できないので、店主のおすすめを注文した。
言葉は日本語なのに、書く文字は中国のイメージ通り、難解な漢字のみである所に、首をひねる一刀だった。

「あんかけ蟹チャーハンおまちぃ!」

わくわくしながら、湯気を吸い込んで匂いを堪能し、アツアツの飯をレンゲですくって口内に放り込む。
あんと具と飯を混ぜ合わせ、渾然一体となった炒飯を味わいながら、少しずつ嚥下。
全てを飲み込み終えると、思わず出る、深い満足の吐息。

(美味い……ミレルークに似ているかな?)

ミレルークとは蟹が変異したような外見をした、ウェイストランドの川辺や水溜りの近くに生息する化物である。
その表皮はライフル弾ですら防ぐほど強固で、弱点は甲羅の隙間にある軟らかい小さな頭部のみであるため、熟練のハンターでなければ狩る事は難しい。
同種に、より変異が進んだミレルーク・ハンターや、最強のミレルーク・キング、ヌカ・コーラに浸った事で全身が青く光るように変異したヌカ・ラーク等がいる。
キングは殆ど人間のような姿形をしているため、その肉を食する事にかなり抵抗があるが、美味い部位はやわらかくてとろけるようで、一刀の好物だった。
キングは生息数が少ないので、なかなか食す機会が得られないご馳走だが、そのウェイストランドの珍品が、ここではありふれた飯店で食べられるというのは、存外の幸福といえる。

一口目を味わった後は、ガツガツと、それでいてじっくりと味わいながら平らげる。
先払いであったため、綺麗になった食器を置いて店を出ようとすると、店主から機嫌の良い声をかけられた。

「お客さん、美味そうに食ってくれるねー。作った方も嬉しいよ」
「いや、本当に美味かったからね。また寄らせてもらうよ」
「ああ、待ってるよ。ありがとさん!」

微笑ましいやり取りを済ませて表に出ると、ドッグミートも肉を食べ終えていた。
どうやら白昼堂々と、人の馬をさらっていこうとする盗人はいなかったようだ。

相棒と馬たちを引き連れて、庁舎へ向かいながら、一刀は街の様子を見て感心していた。
まず雰囲気が違う。ここは、他の町とは違って活気があった。
住人の顔も概ね明るく、荒れた町村で感じたような、嫌な臭いがしない。

また、気温も丁度良い。
候補として陳留を選んだのは、中原で最も評判が良かったというのもあるが、盗賊を追って北上しているさなか、寒さを感じたのだ。
よって、袁紹のいる冀州や、そこからさらに北にある公孫賛の領地、幽州に行くには少々抵抗があった。

バーチャル世界で、寒冷地戦闘を行った事のある一刀だが、その時の経験を思い出すと、身を切るような寒さというのは、なかなかに辛いものがある。
気候も考えれば、消去法でもこのあたりしかないだろうと判断していた。

「よし……ここに拠点を構えようと思うんだが、いいか?」
「ワン!」

ドッグミートも異論無いようだ。
といっても、ドッグミートが一刀の判断に異を唱えるなど滅多に無いので、お約束というものではあるが。



その後、門衛に教えてもらった庁舎に向かい、おそらく受付であろう、下っ端役人に用件を告げる。

まず、マーメン以外の馬を買い取ってもらった。
馬の良し悪しはよくわからない一刀だが、なかなか良い馬たちだったようでそれなりの金を得ることが出来た。
一応聞いてみた所、マーメンの買い取り額が最も高かった事に安堵した一刀。
もし他の馬の方に高く値が付いていたら、その馬がマーメンとなり、今のマーメンは売られていた事は間違いない。

その後、ドッグミートをマーメンの見張りに置き、指定された部屋の簡易な椅子に座り、移住手続きの担当者を待つ。
結構な時間が過ぎ、イライラし始めた頃、役人の男がどすどすと足音を立てて入室してきた。

180センチある一刀が、少し見上げるほどの長身。
文官の格好をしているが、武官と言われた方が納得しそうなほど、服の上からでもわかる逞しい体躯をしている。
足音から、早足でやってきたようで、あわただしくしていた事が一刀にも伝わった。

「いや、待たせてすまんね。人手不足で手が回らんのだ。……で、移住希望でいいんだよな?」
「ああ」

役人が手に持っていた竹簡を広げ、筆を取り出して詳細を問うと、一刀はそれなりの屋敷を買いたい事と、医療所を開きたいと言うことを伝えた。

「ほう、医者か。家はあとで目録を見て決めようか。税は家が決まったら徴収させてもらう。内訳は──」

男から、税金として人頭税、財産税、労働免除費、兵役免除費、商税などを納める必要がある事を聞く。
医療所も商売扱いになるので商税も課されるし、太守の徴用などには応じたくないので、その免除費も含まれる。
税の額や、種類も戯志才から聞いていた通りだったが、実際に聞くと内心うんざりしてしまう一刀。

(やれやれ、ウェイストランドには税金なんて無かったのになぁ……)

無政府ゆえに、徴税もなかったお気楽時代とは異なり、この国で拠点を得るにはそれなりの出費が必要であった。
幸い、懐には潤沢な金銭があり、それに比べれば大したことはなかったのだが、色々な理由で徴収される事に、嫌悪じみた気分が湧く事は否めない。まあ、税金を取られて嬉しい人間などいないだろうが。

そんな一刀の内心を知ってか知らずか、役人の男は竹簡にさらさらと筆を走らせながら、必要事項を記録していく。

「では、記録するから名前を教えてくれ」
「姓は北郷、名は一刀。字は無い」
「ほう、2文字姓に2文字名とは珍しいな」

こういう記録の際に、真名は言わないものだと聞いているので、そこは省いて名乗った。
真名無しは珍しいが、字無しというのは結構いるそうなので、その点は問われなかったが、姓名に対しては思うところがあったようだ。

「漢人じゃないんだ。東の海の向こうから来た」
「異民族か。見た目じゃわからんな」
「よく言われる。ところで、異民族ということで何か問題はあるかな?」

これは皮肉ではなく、何かしら制限があるならば聞いておきたい、という意思から出た言葉だった。
役人も、一刀の雰囲気から悪い風にはとらず、素直に答える。

「いや、そんなことはない。法を守って税さえ納めてくれりゃ誰でも歓迎するさ」
「そうか。助かるよ」
「まあそうは言っても、異民族を嫌う連中も多いからな。街中でいちいち言わないほうがいいぞ。漢人で通る顔と言葉の発音をしているのだから、なるべく珍しい姓名で済ませておけ」
「わかった。忠告ありがとう」

役人には、なんとなく冷たいイメージを持っていたため、身構える所があった一刀だが、男の親切さに少し肩の力を抜いた。
元からこういう人柄なのか、末端まで指導が行き渡っているのかわからないが、役人の男に対して一刀が好感を持ったのは確かである。

「俺は満寵。字は伯寧だ。それじゃ、どの家がいいか決めようか」
「ああ、頼むよ」

人好きのする笑みとともに、男に答えた一刀は、内心では女陰のような酷い名前だ、と思っていた。
きっと小さい頃に名前をからかわれて苛められた事で、鍛えた体なんだろうな、と彼の人生を捏造して楽しんだ。色々と台無しな男である。

そんな事を思われているとは知らず、満寵は一旦退出し、紙の束といくつかの竹簡を抱えて戻ってきて、一刀の希望と照らし合わせながら物件を探し始めた。

丁寧なことだ、と思う一刀だったが、本来はこれほど丁重に対応はせず、流民には適当に家を割り振るのが常だ。
しかし、金持ちとは庶民の何倍、何十倍も税を納めるもの。
一刀が身なりのよい格好をしていて、庭付きの屋敷を手に入れたいという事で、結構な財を所持している事を示したからこそである。
単なるコスプレで着たつもりの美麗な服だったが、門衛といい、ここといい、色々と役立っている事に、一刀は気付いていなかった。




しばらく満寵から目録と図面を色々と見せてもらい、あれこれと注文をつける一刀。
ただの家ならともかく、一刀が欲する規模の屋敷となると候補もさほど多くないので、すぐに決まった。

本来、一刀は寝る場所と、倉庫代わりになる部屋があればそれで良い。
だが、防犯やら音やらを考えると、庶民が住むような、家と家がひしめき合うような場所は遠慮したいので、庭付きの邸宅を希望したのだ。
また、登録した以上はきちんと医師として働く必要があるので、医療所に適した建屋が必要だし、何かと留守にすることが多いだろうから、住み込みの守衛が住む別邸も要る。

とはいえ、その程度であれば、条件を満たす屋敷ばかりだったのだが、必要以上の部屋数や家屋が多くなると管理が面倒なので、必要最小限に最も近い物件を選んだ。

今は満寵と、その屋敷に向かっている所である。

「だけどいいのか?風水的にはかなり良くない位置らしいが」
「ああ、俺はそういうの、信じていないから」
「うーん、いいのかねぇ……」

建てた本人も一刀のように迷信だと豪語していたが、あっさりと事故で早死にしてしまったため、信憑性が増してしまい、買い手も付かずに荒れるがままにされていた物件である。
一刀からすれば、街ごと、国ごと滅ぶ実例を知っているので、たかだか街の家一軒にフースイもクソもあるか、という所だ。

しばらく歩いて辿り着いた屋敷は丈夫そうにできており、塀は高く、井戸も蔵もあった。
もちろん、どれもメガトンのホームとは比較にならない広さだ。
ただ、彼の背丈ほどの雑草が庭一面に生い茂り、全ての部屋は埃だらけで、かなり荒れた雰囲気をかもしていたが、雑草を除去すれば侵入者が身を隠す所はなさそうで、防犯の面からも良さそうである。

「なかなかいい所じゃないか。気に入ったよ」
「そ、そうか?」

満寵からしてみれば、人が長年住んでいなかった割に状態は良いが、いかにも味気ない殺風景な屋敷である。
この屋敷を建てた人物は無骨な将軍であってか、優雅さに欠けているのだが、建て付けの悪いバラック小屋をホームとしていた一刀にとっては、これでも豪邸だ。
むしろ、この世界基準の豪邸は派手派手しすぎるので、これくらいの方が味があって良いと思っていた。

「ああ、ここがいい」
「まあ、あんたがそういうならいいが……」

「んじゃ、値段交渉といこうか」
「え?」

一刀の交渉術はウェイストランドでも屈指のもの。
異国民であることを情に訴えたり、縁起が悪いんだろとか、俺が買わなきゃ誰も買わないんだろとか、荒れてる事を指摘したり、おだてたりなだめたり。
一刀の勢いに引き気味な満寵に、色々とケチをつけた結果、提示額から結構な割引きに成功した。

「うん、妥当な所かな」
「は、はは、あんた、すごいな……」

本来、値引きなどあり得ないのだが、満寵に金額を決める権限があった事が災いした。
だが、一刀の言う通り、誰も買わない物件にしては高い値をつけすぎだとは思っていた事もあったので、この事が後を引く事はなかった。

家が決まったことで、さっさと守衛と掃除をしてくれる人物を雇いたくなった一刀。
ダメ元で、目の前でやつれている役人に、住み込みで働いてくれそうな適当な人物がいないかを尋ねてみる。
すると、はきはきと話すこの男らしくない物言いで答えた。

「そうだな……俺の親父の友に、武官を引退した人がいるんだが……」
「信頼できる人か?」

「頑固者だが、誠実な初老の男だよ。だがちょっと欠陥があってな……」
「何だ?」

「いくさで右腕を失ってるんだ。だが、家守りとしての仕事を果たせるだけの腕はある。今でも賊程度には引けをとらん」

なるほど、言い澱みの原因はそれか、と納得する一刀。
確かに片腕というのは護衛としては不安で、見た目を気にする商人は嫌がるだろうが、ウェイストランドで育った彼が引っかかる要素ではない。

一刀は、短い付き合いの中でも、満寵の人柄を好ましいと感じていた。
満寵の厚意には、一刀をただの異民族ではないと感じている事と、貴重な存在である医師は優遇した方が良い、という打算も含まれているが、一刀も、彼に何かしらの打算がある事には気づいてはいた。
それを知った上での好意だが、自分を取り込んだ方が良いと思っているならば、ここで怪しげな人物を紹介しないだろう、と考えた。

「ふーん……わかった。その人を雇おう」

メガトンのホームならば、留守番ロボットがいたおかげで泥棒の心配はなかったのだが、ここではどうしても人を雇う必要がある。
一刀からすれば無人でなければ良いのだが、やはり信頼できる人物であることは必須だ。

彼が所持していたロボット執事のMr.ハンディは、まずまずの戦闘能力を備え、24時間不眠不休でしっかりと家を守ってくれたので、今から思えば、かなり頼りになる存在だった。
ハンディのメッセージを、鬱陶しいと思い、聞き流していた一刀だったが、失って初めてその貴重さを実感していた。

一方、満寵は、一刀が自分の提案を受け入れた事に安堵していた。
紹介した人物は、退役後に野良仕事で生活しているのだが、片腕となった人間にはなかなかに厳しいようだと聞き及んでいた。
かといって、商売するにしても武術指南にしても、片腕というのがネックになる。
この時代、障害を持っている人間は、現代社会よりも待遇が厳しいのだ。



…………………………



満寵と一刀が、お互い満足して移住手続きを終えた翌日。
屋敷の購入で懐の財を大幅に減らしたものの、一刀は楽観していた。
まだまだ賊は多いから、大規模な集団を狩ればすぐに取り戻せる、と。

座ってあくびをするドッグミートの隣で、家具類や調度品を配置し、オリエンタルで良い感じになった室内を見てドーパミンを分泌し、悦に浸る一刀の元に、一人の男がやってきた。

「満伯寧殿にご紹介いただきました、徐正と申します。字はありません。雇っていただけるなら誠心誠意、お仕えいたします」

片腕で拱手が出来ないため、胸に拳をあてて一刀に頭を下げる初老の男。
白い口髭と顎髭をたくわえており、背筋はぴんと伸び、残った左腕は筋肉で盛り上がっている。
いかにも武人という空気を纏っており、野良着を着ていても農民には見えない。
質実剛健を具現化したような人物で、いかにも頼り甲斐がありそうな雰囲気に、期待を持つ一刀だった。

「そんなに強張らなくても、家の管理をしてくれればいいさ。家族はどうした?」

彼には妻が一人と、戦死した息子の妻と子が要る事は聞き及んでいる。
住み込みならば一家そろって住んでくれた方が、一刀としても都合が良い。
女子供でも水汲みやら雑用やら、面倒な作業もできるだろうと考えていた。

「今の住まいから家財の整理をしております。取り急ぎ、私が参りました」
「そうか。確か四人家族だったな。お前たちはあそこの別邸に住んでくれ」

一刀が指さす方を徐正が見る。
本邸に比べれば小さいが、それでも四人家族が住むには過分な大きさだった。
再び、頭を下げる徐正。

「寛大な御配慮、痛みいります」
「とはいえ中は汚いし、すっからかんだからな。その辺は自分でなんとかしてくれ」
「はっ」

その後、一刀は、諸々の決め事を手早く伝え終えると、ドッグミートとマーメンを連れて、屋敷を発つ事にした。
門で見送る徐正に言葉をかける。

「それじゃ、さっそく留守を頼むよ」
「はっ、いってらっしゃいませ」

あわただしい出発の目的は、もちろん盗賊狩りである。
近隣に被害があったと噂を聞きつけていたので、いち早く向かう事にしたのだ。

(誰かに討伐される前に狩らなきゃな)

この国を統治する政府は無能だそうだが、なんらかの形で盗賊騒ぎはいずれ治まるはずだ、と見込んでいる一刀。
この陳留の太守は対応が早いそうなので、迅速に処理しないと、先に狩られてしまう恐れがある。
今のところ、一刀の唯一の収入源なのだから、速い者勝ちのレースに負けるわけにはいかないのだ。



残された徐正が、言いつけ通りに掃除をしていると、彼の家族が荷車を押して屋敷に到着した。
彼女らは、出立した雇い主と会えないことを残念がっていたが、徐正の指示で掃除を始める事になった。
これから主人が帰ってくるまでの数日間、家族総出で行う予定だ。
ありがたい事に、家族らにも多めの給金を出すという一刀の申し出である。

一刀としては特に厚遇だとは思っていない。
怪しげな出身の自分に仕えるのだから、相場よりも多めに払う事は、必要経費と考えていた。

各員の割り当ては、娘と妻が一刀の住む本邸、彼らが住む別邸は徐正と孫が担当する。
最優先の本邸は、ぎこちない自分と孫がやるよりは、手なれた二人でやる方が良いという配慮だ。
家屋を優先して終えた後、全員で雑草処理にかかる予定である。

その後、片腕ながらもなんとか埃を払っていた徐正の元に、妻が声をかけてきた。

「あなた、ちょっと来ていただけますか」
「どうした?」

何か壊しでもしたのかと不安になる徐正だったが、妻の方は、いいからきてくれと言うばかり。
大人しく一刀の部屋に行くとすぐ、妻の困惑の原因が分かった。

「ここの掃除をしようと思ったのですが……」
「む……」

興味を引かれてついて来ていた孫が、驚きの声を上げる。

「わ、すごい財宝!」

卓上には、無造作に置かれた煌びやかな宝玉や金銭が山を作っていた。

「どこかにしまっておいた方が良いでしょうか?」
「うーむ……」

一刀にしては不用心な置き方だが、ドが付くほどの吝嗇な男がうっかり置くわけはない。
この事をどう捉えたのか、徐正は妻に向けて口を開いた。

「掃除しろということだ。種分けして、空いている引き出しにしまっておこう」
「わかりました」

「金一欠けら、銭一つもなくさないように気をつけるのだぞ」
「はい、もちろん」

妻へ指示し、孫と別邸に戻るさなか、徐正はひとつ溜息をついた。

(やれやれ、人の良さそうな顔をしていたが、なかなか扱い難いお人なのかもしれないな)

満寵から、北郷一刀という人物は、若いながら抜け目がないと聞いていたので、わざと財宝類を放置した事はすぐに気付いた。
その取りたいなら取ってみろ、といわんばかりの状態は、どう考えても彼らを試しているのだろう。

徐正は、雇用主に誠実に仕えるつもりだったが、会ってすぐ信用されはしないだろうとは思っていた。そういった信頼関係は徐々に築くものだからだ。
だが、あのあからさまな釣りには、頭にきたというほどではないが、さすがに良い気はしない。

一刀としては、自分が嫌な奴と思われることは承知していたが、ロボットと違って意思のある人間をそうそう信頼できなかった。
何しろ自分は文化も風習も違う異国人で、この国の人間からすれば、ありえない事も多々してしまうだろう。
また、当面外出が多いのだから、時間をかけて信頼を深めて行くような、迂遠な事もやっていられない。

まず、釣りに引っ掛かって盗みをする人間は論外で、その場合はドッグミートにしっかりと覚えさせておいた臭いを辿らせて追い詰めるつもりだった。

次に、盗まないとして、こちらの意図に気付くかどうか。
意図に気付いた上で流せる男なら満点合格。
意図に気付かない暢気者でも、正直に盗まなければ次点で合格。
お気楽な奴なら、一刀が多少変な事をしても気にしないだろうから、問題ない。
これだけ嫌な奴にでも雇われるほどの寛大さがなければ、近くで過ごしたくない一刀だった。

気付いた上で、もっと大物が餌になるまで油断させるような計算高い男ならば、釣りに引っかかった奴と同じだ。地の果てまで追って殺す。
手間はかかるだろうが、その時は授業料と思うつもりだった。

もっとも、扶養家族を抱えて、役人の紹介を受けた人間が、まずそういう事はしないだろうとは推測していたので、問題は、一刀という癖のある人間を受け入れる度量があるかどうかだ。

徐正も伊達に長い人生を送ったわけではなく、これまで腐った人間には多数遭っているし、片腕になってからはぞんざいに扱われる事も多かった。この程度でヘソを曲げるほど若くはない。
少なくとも、新しい雇い主は片腕でも雇ってくれた男であるし、金銭で雇った人間なのだから、金銭に目がくらむ可能性を考えたのは理解できる。
紹介者の満寵とて昨日会ったばかりというのだから、信頼しろという方が贅沢だろう。
初対面の人間に忠誠心があるわけではないが、真摯に仕えていれば信頼もしてくれよう、と一刀からすれば満点合格の結論に達していた。

「ねえ、お爺ちゃん。北郷様って何してる人なんだろ」
「異国の医師殿らしいが……あまり詮索はしないようにせよ」
「ふーん?」

祖父の意図がいまいちよくわかっていない孫。
徐正からしてみれば癖はありそうな主人だが、給金も待遇も良さそうな仕事である。
片腕で農作業は正直つらかった身にとっては、今回の話は渡りに船だ。
満寵の顔を潰すわけにもいかない事だし、せいぜい機嫌を損ねないようにしようと思った。

結果、徐正は、自身の誠実さによって、命を永らえたといえるだろう。



数日後、ドッグミートとマーメンをとともに無事戻ってきた一刀は、邸宅が綺麗になっている事にまず満足した。
さて財宝は、と確認する前に、徐正が生真面目な顔で申告してきた。

「出したままというのも不用心なので、とりあえず引き出しにしまっておきました」
「そうか、すまないな。後で確認しておくよ」

この対応によし、とうなずく一刀。
暗黙の事なので、お互い試したのどうのとは言わない。
ここで苦言を言うならば、その場でお別れする所だったのだ。

次に、彼の妻と義娘を紹介され、頭を下げるふたりの女性。

彼の妻は相応に年を取った初老の女性だったが、背筋は伸びて若々しく、良く働いてくれそうな期待が持てる。
義娘のほうは糸目と言いたくなるほど細い目をした、いかにも中華風美人で、年相応の外見だった。

最後に孫らしき子供。
適当に切りそろえて髪で、母親の面影を強く残している。
一刀に一歩近付くと、元気よく甲高い声で名乗った。

「始めまして、北郷様!私は徐晃、字を公明といいます!」
「はは、元気な坊主だな。俺は北郷一刀だ。よろしくな」

子供の挨拶にあわせて、明るく返した一刀だったが、彼の期待した反応と事なり、徐晃は唇をすぼめて拗ねたような顔になる。
そこで、祖父の徐正が口を挟んだ。

「はっはは。北郷様、この子はこれでも女児でしてな」
「いつも、少しは女の子らしくするように言いつけているのですが……」

祖父に続いて、徐晃の母親が愚痴をもらしながら補足した。
聞けば、祖父から教わる武芸ばかりに興味が行っているとのことだ。

そう言われてみれば、男にしては全体的に線が柔らかい気がした。
ゆったりとした服を着ていてよく分からなかったが、胸にも控え目な膨らみが見られる。
少女から大人になりつつある年頃だ。

確かにこれは、大人の男性であり、表向き紳士である一刀の失態だろう。
少しかがんで徐晃に目線をあわせて、にっこりと微笑んで言った。

「や、これはレディに対して失礼だったな。ごめんよ」
「い、いえ……わかってくだされば……」

れでぃという言葉はわからなかったが、一刀の朗らかな笑みにほだされる徐晃。

一刀はかなりいい男に分類され、それを自覚もしている。
その上、女性と子供に有効に使う術を得ているのだから、手に負えない。
とても童貞とは思えない手管であるが、相手は子供なので特に下心は無かった。

「はい、お詫びのしるし。やっぱ女の子は綺麗にしてなきゃね」
「わ、きれい……」

一刀が首飾りを手渡すと、少女は目を輝かせた。
小さな玉石を銀細工で囲い、紐を通しただけのシンプルなものだが、上品さがあった。
子供への贈り物としては上等すぎる代物なので、さすがに母親が恐縮する。

「まあ……よろしいのですか?」
「いいさ、“貰いもの”だし、掃除を頑張ったご褒美だ」
「ありがとうございます!北郷様!」

一刀が今回狩った賊は、20人に足りない規模だったが、これまた都合の良い事に、商人を襲った直後だったようで、いろいろな品を得る事ができた。
いくつかあった量産品の中のひとつなので、さほど惜しくもない。

基本ケチくさいのに、気前が良い時は良い一刀。
ウェイストランドでも、各地を巡るキャラバンに惜しげもなく活動資金を投資したり、彼らが死なないよう、余剰のパワーアーマーやミニガン等、協力な武器を押し付けたりもした。
もっともそれは、彼らが取り扱う武器弾薬が目当てだったりするから、結局は彼の打算なのだが。

今回も、一刀の想像よりも作業が進んだようなので、言葉通り報酬という意味合いが大きい。
雇用主となったからには、彼らにはそれなりの気前よさを見せなければならないと考えていた。
せっかく良く働いてくれそうな人たちなのだから、ケチケチしすぎて見限られるのは避けたいところだった。

こうして、陳留の屋敷で、奇妙な共同生活が始まる事となったのだが、この時以降、徐晃が武芸ばかりでなく家事や身だしなみに気を付けるようになったのは、家族からすれば見え透いていてほほえましい出来事だった。



…………………………



それからさらに数日後。

徐一家の働きによって、荒れた屋敷から、医療所としての体裁がどんどん整って行く中、一刀は一刀で彼らとは別に、開業準備を進めていた。
具体的には、善良そうな街の人間から、会話で他の医師の治療内容を聞き込みをしたり、時折ステルスアーマーを着込んで、治療所に忍び込んだりして、この国の医療事情や治療費の相場を調べ上げた。
師弟制で門外不出の技術を継承しているこの時代の者たちからすれば、聞き込みはともかく、ステルスアーマーによる盗み見調査は噴飯ものどころではないだろう。

気になる所はどんな所でもピッキングして侵入する男が、そんな事に罪悪感を覚えるはずもなく、違法、合法問わずに情報を得た一刀は、難しい顔で表通りを一人歩いていた。
ちなみにドッグミートは当分留守番をしており、ここ最近は毎日のんびりしている。

(実際に見ると、意外と進んでいるんだな。やはり俺は外科専門でいくべきか)

病については、漢方や鍼灸医療が主である事を、戯志才たちから聞いていた一刀だが、麻酔や開腹手術を扱う医師もいる事に驚いていた。
また、この時代、化学合成された薬などあるはずもなく、用いる薬はすべて漢方薬。
反面、ウェイストランドで一刀の得た医療知識はすべて西洋医学である。
漢方薬や鍼灸医療については無知なので、対処できない症状が多いのだ。

悩んだ結果、内科は無理だと判断したが、外科ならば自信がある一刀。
何千という人体を破壊し、多くの死体を見てきた一刀は、人体の構造というものをよく知っている。
レイダーやタロン社、エンクレイヴの連中を実験台にしたりして、何度も実践で手術もしている。
診察器具が万全で無くとも、そこらの医者よりもよほど上手く処置できるだろう。

なお、使えそうな医療具は、盗み見ついでに方々から少しずつ(一刀感覚で)拝借している。
あまりパクリすぎると大騒ぎになるかもしれないので、以降は改良を加えて業者に注文するつもりであった。

また、元々表向きの立場として選んだ事であるから、この国の医術をあまりに逸脱した治療は行わないほうが良いだろうという考えもあった。
評判になってひっぱりだこになっても面倒だし、他の医師に恨みを買ってまで、やりたい事でもない。

方針を決めたところで、看板はどう作ろうかと思いながら帰宅する途中、三人の女性が目に入った。
随分派手な格好をした三人で、うち一人が座り込み、他の二人が屈んで様子を見ている。

「だいじょうぶ?ちぃ姉さん」
「だめ……痛いよぉ……」

座り込んでいる少女は、どうやら足を痛めているようだ。
目ざとい一刀は、立っている女性の片方が、とんでもない美人だという事を悟り、声をかけることにした。
これが男ならば、気付かないふりをして通り過ぎた事は間違いない。

「どうしたんだい?」

心から心配そうに見える表情で一刀が声をかけると、目を付けた美女が、いかにも困っていますというふうに答えた。

「妹が、足を挫いたみたいなの」
「どれ、診てみよう……ちょっと触るね」

これまでの言葉から、怪我したのが次女かと認識する。
彼女らが何か言う前に、うずくまった女性の腫れた足にそっと触れ、触診する。

「つっ……」
「たぶん、腓骨にヒビが入っているな。固定して安静にしないと悪化するぞ」

こういう時に自分の事をくどくど語ると安っぽいので、医者っぽい表現をして仄めかす。
ヒントを与えて相手に悟らせる、というのは彼の良く使う小細工で、末の妹らしき眼鏡をかけた少女が、期待通りの言葉を発した。

「お医者さんですか?」
「ああ、怪我専門だけどね。俺の所で治療するかい?」
「是非、お願いします」

即答する少女。
一見して頼もしそうな雰囲気をしている、身なりの良い青年。しかも賢そうで優しそうな二枚目。おまけに状況に適した頼もしそうな医師である。
絶世と言えないが、間違いなく美男子で通る顔立ちであり、さらに人を惹きつけるような雰囲気が、その魅力を増大させていた。

一刀は、それじゃ、と言うと怪我をしている女の子の膝と背中に腕を通し、抱え上げる。

「え、ちょっと……!」
「暴れるなって。少し我慢してな」

初対面の年頃の男性、しかもかなり好みの二枚目に抱っこされているのだ。至近でその顔を見る事になった次女は、思わず赤面する。

(((カッコイイ……)))

三姉妹とも男の趣味は共通していて、困っている所にさっそうと現れた一刀の第一印象は極上だった。
もっともそれを狙って行動しているのだが、今のところ思うがままだった。
頬を染める三人にほくそ笑む。

(ふ、単純、単純……)

屋敷への道中で名乗りあう。
一刀が目をつけた美人が張角、怪我をした娘が次女の張宝、眼鏡をかけた理知的な三女が張梁といい、3人とも字は無いそうだ。
髪の色もバラバラなので異母兄弟か何かだろうか、と思う一刀だが、余計な疑問は内心だけに留めた。

聞けば、彼女らは南方からやってきた旅芸人であり、歌と演奏で国一番の芸人になりたいとの事だった。
ここ陳留でも公演をしたが、その際に足をひねってしまったらしい。
そのときは平気だったようだが、だんだんと痛みが大きくなり、座り込んでしまったとのことだ。

そんな経緯を聞きながらも、彼女らが娼婦として活動しているかどうかが一番気になっている一刀。
旅芸人の女性は、娼婦としての面もよくあるという。
一刀としては、張角ほどの女性ならぜひ買いたいところだが、直接尋ねるわけにもいかない。
ウェイストランドでも、娼婦でない女性を娼婦扱いする事は、喧嘩を売っているのと同じ事なのだから。

そこで、時間をかけて婉曲的に聞いたが、彼女らは芸だけでなんとかやってきたという事で、内心でガッカリした。

(今度こそ、と思ったのだけれどなぁ……)

始めは趙雲、戯志才レベルの女性が、そこら中にいると思った一刀だったが、二ヶ月以上経ってもなかなか基準に達するほどの美女に出会えず、別れたのは早計だったか、と後悔の念が立っていた。

そんなとき、ようやく彼女らに匹敵する女性に出会えたのだ。
気軽に買える娼婦ではなかったようだが、まだ目はある。
第一印象は良いようなので、得意の演技でもすれば落とせそうな雰囲気である。
──が、父親の言葉がその行動を抑制していた。

一刀はこれまで本気で女性を口説いた事がなく、今までは、気のある素振りや気障な態度を使い分けて、無駄に好感度を上げるだけであった。
それは父親から、惚れたフリで女性を口説くと、後々しっぺ返しを食らう、と強く教えられていた事に由来する。
どうも、彼の父親は過去に女性関係で失敗したことがあるようで、そのしみじみとした語りは、納得が行くものだった。
一刀は騙すことに罪悪感を感じるようなタマではないが、自分に返ってくるとなれば話は別である。

張角に対しては、その輝くような華やかな容姿に惹かれてはいるが、あくまでドライな関係を持ちたい一刀だった。
キリっとした表情の内心でそんな事を考えながら、張宝を抱える一刀が自邸の門をくぐると、残る2人もおそるおそる、それに続く。

「少々荒れてますね……あ、すみません」

結構な量の雑草を見て、おもわず張梁が呟いたが、すぐに失言に気付いて詫びを入れた。
徐一家に雑草狩りを任せてはいるが、まだまだ半ばというところだ。

「はは、いいよ、事実だから。実は最近越したばかりで開業準備中なんだ。これでもだいぶすっきりしたんだよ」
「なるほど……」

見れば、遠目に雑草をまとめている人たちがいて、一刀たちを見ると姿勢を正して会釈をしてきた。
慌てて、張角と揃って会釈を返す。一刀と次女は姿勢が姿勢だけに何も返さず、そのまま屋敷に入った。

その後、三人を診察室に入れた一刀は、まず、壁に張った木板に書かれた文字と数字の表を、親指で指した。

「あれが料金表だよ」

この国ではアラビア数字が使われていないので、一刀自身は読みづらいが、漢数字で表現されている。
これで、あわよくば厚意で治療してくれるかも、という姉妹の目論見は潰えた。

一刀からすれば、いくら美人が含まれていても、赤の他人に無料奉仕はありえないのだが、ここまで連れて来てから料金を告げるというのは、少々性質が悪いといえよう。
現代人からすれば詐欺じみた手法ではあるものの、この国では違法ではない。ここで断る権利が彼女らにはあるのだから。

「う……たかい……」
「そう?相場通りのはずだけれど」

思わず漏らした長女に告げた通り、この額は調査の結果割り出した金額で、良心的な設定にしていた。
連日の聞き込みの結果、医師というものはどんぶり勘定ばかりだったが、こうしてはっきりした方が両者にとって面倒ではないだろうと、決めた価格である。

張梁としても、経験上、不当な価格ではないとはわかっているし、後で高額な銭を要求する医師に比べれば、良心的と言える。
払えない額ではないが、それでも宿泊費にすら困る貧乏芸人である彼女たちにとっては、かなり痛い出費だ。
金銭管理をしている張染にとっては頭が痛い事だが、姉をこのまま置いて行くわけにもいかないし、安く診てくれる所を探すのも骨である事は容易にわかる。
この場は、一刀の言葉に頷くしかなかった。



張宝が治療を受ける間、張梁は室内を見やった。
一見、さびれた場所だと思ったが、一刀の言う通り、丁度品はどれも綺麗で、準備中というのは嘘ではないようだった。
綺麗な道具が揃った中、卓上に置かれた古書が目についた。
異様な雰囲気を発していて、妙に目が外せない、不思議な感覚だった。

「たいへい、ようじゅつ……?」
「おや、知っているのかい?」

一刀は知識欲が強く、それに応じて読書が好きである。
だが、英語と日本語記述のものは読めても、さすがに漢文知識はない。
練習してはいるものの、まだまだであるため、料金表も徐正の義娘の代筆によるものだ。
貴重そうな本を、あまり他人に見せたくないという気持ちがあるので、雇い人に読んで貰う事もなかった。
そのため、せっかくの書も、なかなか読み進められていなかった。

「いえ、そういうわけでは……ちょっと見せてもらっていいですか?」
「……ああ、いいよ」

あまりいい気はしなかったが、さすがにこれを拒否するのはケチすぎるかと、渡すことにした一刀。
本としては貴重そうだが、どうせ教訓かお伽話か、そのあたりだろうと推測していた。
その予想に反して、張梁は少し読むと目の色を変えた。

「こ、これは……!」
「れんほーちゃん、どうしたの?」
「凄いわ……私たちの思いも付かなかった有名になる方法が、たくさん書いてある……」

そこには、彼女たちが欲してやまない情報が記載されていたのだ。
次女がその言葉で、妹と同様、興奮をあらわにする。

「ちょっと……ホントに!?」
「冗談なんかじゃないわよ。これを実践していけば、きっと……大陸を獲れるわ!私たちの歌で!」

「よ、よくわかんないけど、すごいのねー」
「そうよ凄いのよ!例えばこの部分なんか──あっ」

長女があまり理解していないようなので、詳しく説明を続けようとしたところ、さっ、と目も止まらぬ速さで本を取り上げられた。
もちろん、一刀の手によるものだ。

「それ以上はダメだよ」

どうも冷静そうな三女の様子から、かなり貴重な情報が記載されているようである。
彼としては、金になる情報をこれ以上読まれるのは、止めねばならない。

「お願いです。その本を譲──」
「ダメ」

ニッコリと遮る一刀。
いくら子供に甘い一刀とはいえ、コレクターの一刀にそれは禁句だ。
必要ならば子供からでも盗む一刀。反応からして、かなりのレア物だと確定した本を譲るわけがない。

「そこを、なんとか!」
「だめだねぇ」

「せめて写本を──」
「おことわり」

「読むだけでも──」
「嫌だってば」

珍しい三女の必死な願い。
よくわからない長女は心配そうに見つめるだけだが、冷たい態度の一刀に次女が口を挟む。

「ちょっと、うちの人和がこんなにお願いしてんのに、それは無いんじゃない!?」

お願いしたんだから譲れ、というこの論は、一刀の嫌うところである。
頭を下げて物が貰えるなら、彼だってそうする。何しろタダなのだから。
一刀はにっこり笑って言い返した。

「じゃあ俺も諦めてくれ、とお願いしようかな」
「可愛い女の子のお願いと一緒にしないでよ!」
「君らが可愛いのは認めるけれど、俺との交渉条件として使うには、もうちょっと育ってからだな」

ぽんぽんと頭をなでるように叩く。
一刀からすればかなりギリギリラインだが、次女と三女は欲情対象として見るには少し早い。
三女は年の割りにバストが豊かで性格も落ち着いているので、一刀の圏内に入るのは彼女が先になりそうだったが、もちろん、そんな騒動になりそうな種は口にはしない。

二人とも、もう2、3年すればわからないが、今現在では興奮しない相手だ。
この国では、一人前と看做される年齢がかなり低めである事は理解しているが、欲情しないものは仕方がない。

張宝は可愛いといわれて照れた事と、今は眼中にないと言われた怒りが同居する複雑な心境の結果、真っ赤にして唸るだけであった。

「む、むー!むー!」
「姉さん落ちついて……いくらなら売って貰えますか?」
「うーん……」

一刀としては、よほどの金額でなければ譲る気はない。
さして高いと思えない治療費を渋ったことから、一刀は彼女らの懐事情を察していた。
そんな彼女らが、一刀の指定額を払えるとは思わないが、一応顔を立てて、腕を組んで考えてみる。

ありふれた書物ならば、相場の価格で売っただろうが、役に立たなくてもレア物には目が無い男だ。
メガトンのホームには、一度も使った事のない、珍しいだけの武器が山ほどある。
時々、一人ファッションショーの際に、手に持って悦に浸るだけだが、一刀にとってはそれが重要であり、そもそもコレクターとはそういうものだ。

また、彼女たちは本そのものではなく、記述された情報が欲しいらしい。
目の色を変えるほどの情報なのだから、この本は内容の価値が高いということである。
それが他人に知られるということは、相対的に本の価値が下がるという事だ。

実のところ、本そのものも、高名な仙人が遺した骨董品としてかなり貴重なのだが、この際それはあまり重要ではない。
一刀としては、別段、彼女たちに意地悪を言っているつもりはなく、彼の本能が手放したくないと言っているのだ。
張角の気を引きたい気持ちはあるが、それだけのために、この書を渡せるか?そんな訳がない。

──という明確な気持ちがあったのだが、彼の頭にふと閃くものがあった。
数秒後、一刀はその考えを是とし、めいめいの表情で彼の顔色を窺っていた三姉妹に、声をかけた。



「よし、条件を言おう。張角さんを一晩自由にさせてくれれば、この書の写本をさせてあげてもいい」



「「「……は?」」」

三姉妹は固まった。
それを、自分の言葉が理解できなかったのかと見て、さらに言葉を重ねる一刀。

「本の内容と引き換えに、張角さんとセックス──じゃなくて、性交をさせてくれ、と言ってるんだが」

彼女らは言葉の内容がわからなかったわけではなく、第一印象ほど甘くないものの、紳士然としていた男から、その台詞が出た事を受け入れるのに、時間がかかっていたのだ。
一発ではなく一晩を要求する所や、譲渡ではなく写本という微妙なセコさが、一刀の性格を表している。

「サ、サイッテー!」
「最低です……」

気を取り直すやいなや、揃って言う張宝、張梁。
会話が進むにつれ徐々に下がり始めていた好感度は、ここで一気に急下降してマイナスを突破した。
第一印象が抜群に良かった分、その落胆は大きい。
それを涼しい顔で受け流す一刀。一見堂々たるものだが、内心では、

(最低っていうほどでもないだろう割に合わないなら断ればいいんだから最低じゃなくてちょっと低いくらいにしてくれよ……)

と、少々情けない思考ではあったが、体を売る事を生業としていない人間に、このような要求を伝えた以上、ある程度は覚悟の上だ。
父親の薫陶で善人を振舞うといっても、優先度はそれほど高くはないのだ。

言われた当の張角は、一刀の引き込まれるような瞳から、目をそらす事ができなかった。
そして、実にポジティブな答えを首をかしげながら返した。

「それって、わたしとお付き合いしたいってことかなぁ?」
「いや、そこまでは言ってない。体だけの関係をお願いしたい」
「むー!ひどーい!」

さすがに拗ねたようにムっとして、抗議する張角。
付き合う気はないけれど、ヤるだけヤらせろということである。

きっぱりと体だけの関係を要求する、逆方向にすがすがしい、ウェイストランダー北郷一刀。
下衆な要求ではあるが、こういう要求を、ここまで胸を張って言える人間はなかなかいない。
実際、このとき三姉妹は、一刀の言葉に憤る反面、その真摯な表情に一瞬、格好いいと感じる所もあったのだ。

返答を待つ一刀に対し、張角はしばらく考えると、彼女なりの真面目な表情で答えた。

「……ちーちゃんの治療費もまけてもらえるかな?」
「ちょっと、だめよ姉さん!こんな奴に!」

張宝からすれば暴挙とも思われる姉を止めようとする。
一刀は、張角を頭の軽い女性だと思っていたが、微笑みの中の真剣な瞳に、それだけの人間ではなさそうだ、と少し評価を改めた。

「ああ、もちろんかまわないよ」

ここで必殺のスマイル。
第三者がここにいれば、使いどころがおかしくないかと突っ込む所だろうが、生憎と、ここにはその微笑みにドキリとしてしまった女性3人のみ。

((くっ……こんな男に……))

張角は暢気にぽーっとしていたが、妹たちは最低の人物にときめいてしまった事が悔しかった。
その反応から一刀は勝利を確信し、余裕を持って提案する。

「そうだ。妹さんが治るまで泊めてやろうか?」

家の大きさから泊めるスペースはあるし、患者用にと新調した寝具もある。
ウェイストランド人より貧弱な事を鑑みて、完治は長くて一ヶ月というところ。
その間の滞在費となると、結構かかるものである。

「滞在の間の食事も提供する。その代わり、張角さんとの関係を、滞在期間中にしてもらいたい」
「んー……」
「さらに、写本に必要な紙や道具を提供しよう」

一刀が賊から奪った紙は貴重品だ。
書一冊分となると結構な価格になってしまう代物だが、容姿、スタイルともに抜群の美女を好きにできるのならば惜しくはない。
木簡、竹簡ならば安価だが、文章量的にかなりかさばりそうであるため、旅をする彼女たちには、紙製の方がありがたいだろう。

また、どうせやるなら、一晩だろうが二晩だろうが同じだろうと考えである。
最初のハードルはクリアしており、しかも自分に嫌悪感を持っていない様子からイケると判断したが、それは的中したようだ。

「うーん……いいよ」
「姉さん、だめだって!」
「だいじょうぶよ」
「そんな!」

姉たちがやりあう一方で、三女の張梁は、幾分冷静に考えていた。

張宝が一ヶ月近く動けない以上、残るふたりで演奏して稼ぐしかないのだが、三人ですら、まともにおひねりを貰えない状況だ。
それで、完治するまで三人の宿代がもつかといえば、脳内で軽く見積もっただけでも、かなり絶望的である。

頼る相手もなく、これまでなんとかして体を売ることだけは避けていたが、それも限界だ。
住み込みの働き口を探せば、糊口をしのぐ事くらいはできるかもしれない。
だが、比較的割りの良い力仕事の向いていない二人が働いて、旅費を稼ぐのにどれくらいの月日を要するだろうか。
それに、働く期間はまともな稽古の時間が取れるとは思えない。
ただでさえ評判が今いちな自分達の演奏では、夢からどんどん遠ざかる事になるだろう。

それが嫌なら体を売るしかないが、それならば見知らぬ人間より、大富豪にありがちな、脂ぎった太った中年よりは、初見は好感が持てた一刀に買われる方がはるかにマシといえる。
さらに宿代、食事代も浮くし、夢を叶える大きな手段も得られる。

しかし、自分が言いだした事であるのに、姉が身を捧げるということが、張梁の心を重くしていた。

「あの、私が言い出したことですから、私が……」
「君ではダメだ」

張梁自身も望み薄だとわかっていたことだが、やはりバッサリと切り捨てる一刀。
その言葉にうなだれてしまう。

「いいのよ、ちーちゃん、れんほーちゃん。お姉ちゃん、嫌じゃないから」
「「姉さん……」」

にこやかに妹たちを宥める張角だったが、内心ではそれなりに悲愴な覚悟を決めていた。
頭の良い下の妹がこれほど強く言うのだから、あの書が夢への近道なのだという事は、なんとなくわかっている。
ならば、こういうときに身を張るのが、長女である自分の役目だろう、と。

せめて、初めてくらいは、愛し合う人と結ばれたい気持ちはある。
しかし、内面はどうもいまいちのようでも、外見は今まで会った男性の中で一番好みであることは間違いない。
どうせ売るならこの人でいいかな、と張梁と同じような気持ちがあった。

張角が重大な決意をしていた一方、かなりお得な取引をしたように見える一刀も、彼なりに譲歩はしていた。
彼にとってレア物を手放すなど、心を切り売りするようなもの。
その価値を激減させるというのだから、これくらいの要求は妥当な対価だろうと思っている。

そのような考えであるから、足元を見たつもりもなかった。
それだけの価値が書にないのならば、交渉を断れば良いのだし、彼にとって善人代表の父親も、きっと自分を責めないだろう、と、一刀自身はそう確信していた。──嘆くに決まっているのだが。

Win-Winの契約を結べたと、ひとり満足している一刀に、張角が人差し指を立てて付け加えた。

「あ、もうひとつ」
「何かな?」

優しげな顔ながらも、まだ何かあるのか、と内心構える一刀に対して、覚悟を決めた張角が、花が開くような朗らかな微笑みで言った。

「やさしくしてね!」



この日、北郷一刀は男になった。



[29271] 第5話 意図せずマッチポンプするVault101のアイツ
Name: やがー◆4721ae65 ID:1314f84a
Date: 2012/02/12 02:21
一刀が不運な三姉妹と、無事契約を結んだ頃。

陳留太守を務める曹操(字は孟徳、真名は華琳)は、自らの執務室にて、腹心の夏侯淵(字は妙才、真名は秋蘭)と日々の政務をこなしていた。

部屋の主人である曹操は、艶やかな金髪を頭の両側で巻いており、低い身長と綺麗な身なりからして、見た目は良家の令嬢である。
一刀がまず大人扱いしないであろう外見だが、その目からは深い叡智と野心を匂わせる光を湛えていて、纏う空気は立派な領主であった。

傍らの夏侯淵は水色の短髪を備え、前髪で片目を隠すよう整えている美女だ。
長身でスタイルも良く、明らかに曹操より年上であるが、曹操が幼少の頃から最も頼りにしている忠臣の片割れである。
もう一人の忠臣、夏侯惇(字は元譲、真名は春蘭)といい、夏侯淵の姉である。
政治などろくにできない脳筋と呼ばれる人種なので、もっぱら兵士の鍛練に時間を費やしているため、この場にその姿はない。

彼女らは、姓は違うが歴とした従姉妹同士。
曹氏も夏侯氏は、漢の高祖劉邦を支えた重臣、曹参と夏侯嬰の末裔であり、漢帝国における名門である。
当然、曹操も曹参の末裔かに思えるがそうではなく、夏侯家であった彼女の父親が、宦官を務める曹騰の養子となったため、血統的には曹一族よりも、夏侯姉妹に血が近いのだ。
少々複雑に思える関係だが、曹操自身は血のつながらない祖父から可愛がられて育ち、自らの立ち位置を不満に思った事はない。
曹家の一族との仲も良好で、幾人かは武官、文官として彼女に仕えている。

作業が一区切りしたところで、曹操はふと数ヶ月前の事件を思い出し、夏侯淵に問いかける。

「秋蘭、例の書についての情報は来てない?」
「は、残念ながら。姉者からも聞いておりません」
「そう……惜しいこと」

曹操が思いやるのは、華南老仙の貴重な遺産。
宝物庫から盗まれた後、曹操自ら部隊を率いて追跡したものの、結局犯人は捕まらなかったのだ。

「そういえば、あれ以来、盗賊の被害報告が少なくなったと思わない?」
「そうですね。関連性があるとは思えませんが……華琳様のご威光が、ようやく盗賊に知れ渡ったのかもしれません」
「だといいのだけれどね」

夏侯淵の言った内容も当たってはいるが、その大きな要因は一刀の存在である。
良き領主として噂に昇るだけあって、曹操は賊の被害報告を聞けば、素早く対応している。
それが一刀に先手を取られているのは、報告に対して受け身である立場と、積極的に賊の情報を集めている立場の違いだろう。

結局、賊の減少理由は明確にはわからなかったが、曹操も気晴らしの雑談として話しかけた程度であるので、この話題について掘り下げる事はなかった。
次の作業に移ろうとした時、彼女を訪ねる声が部屋の外から聞こえた。民政担当の満寵である。

「殿。今月の報告をお持ちしました」
「御苦労」

満寵が携えてきた木簡を受取り、一通り眺めて感想を述べる。

「賊は減っても、相変わらず難民は増加傾向……。減る所に比べれば良いのだろうけれど、これ以上増えるとなると、頭が痛いわね」

流民の台帳を見ながら、悩ましげな溜息をつく。

民の数は領地の力に繋がる。
難民たちには気の毒だが、他領の荒廃の結果、ある程度自領に流れてくる事は領主として歓迎できる。
割り当てた田畑からの収穫があるまでは、彼らに生きる糧を与えねばならないため痛い出費となるが、長期的に見れば、自分の天下取りの下地になってくれるだろう、と、王としての計算があった。
しかし、その一時出費が危険水域に近付いている事が、彼女の不安を煽っていた。

一通り確認すると、曹操は次の台帳を見やる。さきほどとは異なり、満足気な表情だ。
こちらには、ほとんど着のみ着のままで流れ着いた者とは異なり、きちんと自分の私財を持ち、正式に移住した者たちが記載されている。
彼らは領主にとって、懐も痛まず、即税収を増やしてくれるありがたい存在だ。
こういう人物たちは、これからもどんどん流れ着いて欲しいものである。
気分良く台帳を流し読みしている中、引っかかる箇所を見つけた。

「あら、変わった名があるわね」

北郷一刀。

姓名ともに2文字というのは、他の名と並べてみると特に目立つ。
曹操が漏らした感想に対し、満寵が説明を加える。

「ああ、そいつですか。人手が空いてなくて、たまたま私が受け持ったんです。遠い国から旅してきた、異民族の医者ですよ。殿の評判を聞いて、腰を落ち着けたいとのことでして」
「異民族にまで評価されるとは嬉しいわね。でも、異民族にちゃんとした治療ができるのかしら」

「どうでしょう。荒れた屋敷だったので、まだ準備中のようですが」
「……そんなのあったかしら?」

その疑問に対する満寵の説明で、曹操の眠っていた記憶が呼び覚まされる。
彼女も、何かに使えないかと考えていた土地だが、現状では場所に困っていないことと、縁起の悪い土地として部下が嫌がるので放置していた屋敷だった。

「確かに風水なんて文化がなければ、気にするはずもないか。どんな人物?」
「私が見たところ、身なりも良くて、頭も回る人物でしたよ。礼儀は今ひとつですが、優男のくせに、なんというか……貫禄というか、凄みを感じる男でしたね」
「そう……」

満寵の曖昧な表現は気になったが、男という点で、曹操は一刀への興味を一段下げた。
人の上に立つ者として他者とは一線を画す図抜けた能力を持つ彼女は、突出した才を好み、有能な士であれば出自を問わず配下におきたがる。
この考えは漢においてかなり突飛な考え方であり、家柄が大きく考慮される事が常である。
だが、今回においては興味を引いた程度であった。
異国の医師というのは珍しいが、実績を立てたわけでもないし、この町にも腕の良い医者は他にいる。多忙のなか時間を割いてまで会ってみようとまでは思わなかった。

だが、もし一刀が見目麗しい美女であれば別だったはずだ。
曹操はその性癖の方も常人とは異なり、美しい女性を好む同性愛者であるのだ。
事実、夏侯姉妹とは閨を共にしており、ふたりともすっかり年下の主君によって調教済みである。

「ま、評判が良いようなら、そのうち会ってみるわ」

おざなりな言葉だけでその場を終え、次の案件に移る曹操。
それからしばらく、彼女が一刀の名を思い出す事はなかった。



…………………………



夜も白み始めた頃、北郷邸の一室で、裸の男女──一刀と張角が、褥を共にし、寄り添って身を横たえていた。
明け方まで繰り広げられた情事に疲れ、眠りについてしまった張角に対して、一刀の方はまだ目が冴えていた。
張角の寝顔を見ながら初めての体験に思いを馳せる。

(これほど気持ちが良いものとは……)

女を知ると、こんなものかとがっかりするケースもよくあるが、一刀にとっては感激的であった。
自分で慰める時とは異なる、肌の感触と一体感。
一応は張角から言われた通り優しくはしたつもりだったが、途中からそんな事を考える余裕もなく、彼女の体を本能のままに貪ってしまったのだ。
幸い、相性が良かったようで、張角の方も途中から嬌声を上げてよがっていたので問題はないだろう。
お互い初めての割に上手く出来たことは、一刀の男としての自信を増していた。

寝顔を見ていると、ふと悪戯心がわき、豊満な胸の突起をいじってみることにした。
無意識に体をくねらせる様が面白いので何度もしていると、さすがに目を覚ます張角。
寝ぼけまなこが、一刀の目と合う。

「ん……かずとぉ。まだおきてるのぉー?」
「ああ、天和のかわいい寝顔を見てた」

一刀が敏感な部分をいじっていたことには気づいていない張角。
彼女はいざという所で、どんな形であれ体を交わすのだから、恋人のようにしたい、と、一刀に真名を預けた。
そのリクエストに従って、甘い雰囲気で接した一刀も悪い気はせず、濃密な時間を共有することで、このような親密な雰囲気を出す関係になっていた。

「うふふ、だめだよぉ、女の子の寝顔をじろじろみちゃ」
「そうか、今後気をつけるよ」

そう言って軽くキスを交わす。
言葉に反して、反省してそうにない態度であったが、それを気にした風もなく笑顔で応える張角。
その後あくびをした張角に微笑んで、一刀は身を起こし、寝台から降りた。

「起こして悪かったな。ゆっくり休むといいよ」
「どこいくのー?」
「体を拭いてくる。すぐ戻るよ」
「はい、いってらっしゃーい……すぅ」

自身と張角の体液が乾きはじめている感覚は、どうにも気持ち悪く、さほど眠気がない状態では気になって眠れる気がしなかったのだ。



井戸の傍に来た一刀は、裸になり、勢いよく頭から水をかぶった。
その後濡らした布で汚れを拭きとり、水でゆすぐ事を繰り返す。
本当は入浴したいところだが、この時間に徐家の人間を起こして用意させるほど傲慢でもない。
この世界において、食事と並んで嬉しい事が入浴であるが、こうして汚染を気にせず体を拭けるだけでも上等である。

ウェイストランドの人々が不潔なのは、何も好き好んでそうしているわけではない。
ほとんどの水が汚染されているため、体を水に触れる機会は少しでも減らさざるを得ないのだ。

貴重なクリーンな水を、体を拭くために使うというのは贅沢な事である。
よって、ウェイストランド人のほとんどは、放射線交じりの水で濡らした布で体を拭く。
放射線対策としては、定期的に、放射線除去薬であるRADアウェイを打つのだが、その薬にしても、ウェイストランドの誰もが簡単に入手できるものではない。
あちこちから多くの薬を確保できた一刀だからこそ、毎日こまめに体を拭く事ができたのだ。

ウェイストランドの事情はさておき、汚染されていない水は触れてもPip-Boyのガイガーカウンターによる警告音も出ず、実に気持ち良く感じるものだった。

しかし、安全なのはいいが、手動で汲み上げるというのはいかにも面倒である。
換えの服を身にまといながら、手動ポンプでも作るか、と考えていたところ、徐正、徐晃が別邸から出てくる姿が見えた。

彼らが朝稽古を日課としていることは聞き及んでいたが、これまで出くわす事はなかった。
Vaultを出る前は、それなりに規則正しい生活していた一刀だったが、夜間行動も多くなり、寝たい時に寝るという生活をするようになっていたため、日の出入りに合わせた彼らの活動時間とは合わないことも多いのだ。
もっとも、電灯もないこの世界で医師をするのならば、生活習慣を変えなければ、とは思っていたが。

「おはようございます、一刀様」
「ああ、おはよう」

徐一家は一刀を『一刀様』と呼ぶようになっていた。
ウェイストランドではカズト、カズトとファーストネームで呼ばれる事が多かく、姓でよばれるのは違和感があったので下の名前で呼ぶように命じたのだ。
『様』まで付けるよう命じたわけではないが、別に気にはならないので止めはしない。雇用主であるからまあ普通だろう、と思っている。

「これ、ご挨拶せんか」
「お、おはようございます……」

孫が挨拶もせず、呆けているのを徐正が注意した。
どうやら一刀に見とれていたようだ。
母親に似て糸のように細い目をした孫娘は、感情が豊かでわかりやすい性格をしている。

(まあ、仕方あるまいか……)

今の主人は、色々な人物を見た彼から見ても、華のある男といえる。
今は裸の上に上着を肩から掛けているだけなので、逞しい胸板が隙間から見え隠れしている。
医師という立場と、理知的な話しぶり、そして満寵のようにいかにも強そうな体格ではないことから、武の心得はないのだろうと決めつけていたが、想像よりも鍛えられているようだ。
そのギャップと、情事の余韻でやや気だるげな面立ちが男の色気を出しており、徐晃にとっては目に毒となっていた。

徐正は、一刀の雰囲気から昨晩の出来事を察していたが、孫は気付いていない。
まだ大人とはいえないが、もう2、3年もすれば嫁に行ってもおかしくない年齢だ。
なかなかの人物であるが、よくわからない部分も多く、嫁ぎ先として歓迎できるとまでは思っていない。
今のところ、孫の気持ちが一過性のものであると思いたい祖父だった。

祖父の不安に対し、一刀の方は少女の反応を微笑ましく思っている程度で、別段どうこうするつもりはない。
それよりも、なかなか見る機会がなかったふたりの腕前を見る丁度良い機会なので、鍛練を促した。

「見学していいかな?一度見てみたかったんだ」
「はっ。ご要望とあらば……始めるぞ、晃」
「は、はい!」

徐正は木剣を構える。利き腕ではないはずだが、違和感のない構えだった。その姿から片腕となってからもかなり鍛えている事がうかがえた。

対する徐晃の方は長柄の斧を使うようだ。
刃を潰した練習用の斧だということだが、大きさからしてその質量自体が武器となるだろう。刃がなくとも、当たればただ事ではすまないはずだ。

一刀の視線が気になっていた徐晃も、訓練が始まるとすぐ、その表情を引き締める。
見事な素振りや型を取った後は、ふたりによる模擬戦が始まった。

幾度となく打ち交わされる武器。
彼の想像よりも鋭く、激しいふたりの剣戟を見て、一刀は内心で感嘆する。

(へぇ、これはなかなか……)

趙雲に比べると、時折切り込めそうな隙が見えるが、少なくともこれまでに出会った盗賊たちとは一線を画すレベルである。
利き腕を失った徐正も、満寵が言った事は誇大ではなかったようだが、孫の連撃に耐えきれず剣を弾かれた事で、一本となった。
やはり片腕だけでは、鋭く重い攻撃をさばき続けるには、難があるようだった。

「いや、凄かったよ、二人とも」

一刀から拍手とともにかけられた言葉に対し、誇らしげに一礼する徐晃と、それに満足する徐正。
彼らは護衛としての腕前をようやく披露でき、それが認められたことに安堵していた。

「ちょっとその斧、持たせてくれないか」
「え?はい、どうぞ……あの、重いのでお気を付けください」

一刀に持てるかどうか不安で、おそるおそるも注意を促す徐晃。
思ったよりも力はありそうだが、徐晃の持つ大斧は特別製である。
落としそうになったら、すぐさま助けを入れよう、という心配をよそに、一刀は片手で軽々と斧を受け取った。

大斧をあっさりと持ち上げたことに驚くふたりを尻眼に、一刀は大斧を揺らして、ずっしりとした重みを確認する。
彼がウェイストランドで時折使っていたスーパースレッジ(※馬鹿でかい長柄のハンマー)並の重さであった。

「本物もこれくらいの重さなのか?」
「い、いえ、訓練用なので、いくらか重めにしてあります。でも、意外と力がおありなのですね」
「まあ、それなりに鍛えているからな。俺からすれば、公明の細腕で、これを軽々振り回せる公明の方が不思議だが」

その疑問に対しては、祖父から説明があった。

「この子は『気』が人よりも多いのですよ」
「なんだ、それは?」

彼が言うには、人にはそれぞれ『気』という力を持っており、それが大きいと女子供のような細腕でも、大の大人を軽く凌駕する身体能力を発揮するらしい。
総じて、女性の方が男性よりも大きい事があり、名のある将軍は女性であることが多い。
殆どが素質の無い人間なので、強いのは一部の女性に限るが、そういう理由で兵士は男が多く、軍の高官は女性が多くなっている。
長年そういう文化だから、別段武力に優れていない女性が、高位の官職を得る事もおかしい事ではないとのことだ。

(東洋の神秘か……まるでコミックの世界だな。非常識な)

自分の存在を棚に上げた台詞だが、一刀としてはこれまで意識したこともない概念を、当たり前のように使うこの世界の人間が、別次元の存在のように思えたのだ。

「一刀様は使っておられないのですか?」
「今知ったくらいだから意識したこともない。俺に『気』があるかどうか、わかるか?」
「いえ、残念ながら他人の気を感知できるほどでは……ですが、多かれ少なかれ、生物には存在するものとされていますからな。おそらくは」

さらに徐正の説明が続く。
達人になれば他人の『気』を感覚で測れたり、武器として使用できるという。
『気』の大きさと扱いの巧さは比例するとは限らず、飛ばしたりはできなくとも、力が飛びぬけていたり、大きくはなくても飛ばすことができる人間もいるそうだ。
徐晃は前者にあたる、と。

なんとも非科学的な力に戸惑う反面、以前出会った趙雲の強さの謎が解けて、納得もしていた。
趙雲も、見た目はたおやかな女性である。鍛えられてはいたが、一刀に比べれば華奢に見える体躯で、どうやってあの高速の突きを繰り出したのかと不思議に思っていたが、気という力があれば説明がつく。
また、全力でなかったとはいえ、盗賊ならば楽に昏倒させられるほどのパンチを、槍の柄で軽々と受け止めた耐久力もそうだろう。

えらく弱かった盗賊を鑑みると、なんとも人間の強さの幅が大きい国だと思う一刀だった。
そして納得と同時に、心配事も増えた。

(流れの浪人ですらあれほどの腕を持つんだ。俺の手に負えない人間も多いのかもしれない)

初めて会った趙雲たちは、どうやらトップクラスの美女であるようだったが、それが同時にトップクラスの武力を持つと思えないのは、人間の心理としてはおかしくない話である。
だとすれば、いずれ対するかもしれない強敵に備えねばならない。
ほとんど雑魚とはいえ、あまり敵を侮らないように自戒せねば、と思う一刀だった。

「徐正。お前の目から見て公明の腕はどうだ?」
「身内の欲目を考えても、なかなかのものかと。私の全盛期でも敵わぬでしょうな。もう数年すれば仕官させようと思っておりました」

その返答に無言でうなずくと、一刀は彼らが持ってきていた予備の木剣を拾い上げ、徐晃の前に立つ。
不思議そうな顔をする少女に向かって手のひらを上に向け手まねきした。

「一本お相手願おうか。全力でかかってきてみな」

一刀は結構な負けず嫌いである。
ウェイストランドで練り上げた、自分の戦闘技術に自負を持っている。
全力が出せない状態とはいえ、趙雲に不覚を取って以来、シャドーで寸止めを意識して練習もしたが、肝心の相手がいなかった。
見たところ、徐晃ならば訓練相手として丁度良いレベルに見えたのだ。

「え?えっと……よろしいのですか?」

雇用主に対して良いのだろうか、とちらちらと祖父を窺う少女。

「……お相手差し上げろ」

徐正もさきほどの膂力と言動から、なにか心得があるのだろうと悟り、許可を出す。
徐正の口から出た言葉で覚悟を決め、大斧を構える徐晃。
対する一刀も剣を構える。それは徐晃からすると素人が適当に構えたようで、正当な訓練を受けたようには見えなかった。
が、言うからにはそれなりの腕であろうと自分に言い聞かせる。

「では、参ります!」

旋風が巻き起こり、拾い残した雑草がはらりと舞う。
かなり大ぶりの一撃だが、涼しい顔で紙一重でかわす一刀。
その表情から余裕があるのをみて、徐々に本気度合を増していった──が。

(あ、当たらない……!?)

始めは、明らかに手を抜いて斧を振った徐晃も、今は必死の形相で得物を振り回している。
徐正も意外な展開に唖然としている。
自分の孫娘の武力には相当自信があったのだ。

外見は強さを感じさせない優男だというのに、見事な体捌きである。

(ならば……!)

正攻法では捕らえきれないと判断し、戦法を切り替える。
やや大ぶりの振りおろしを繰り出すも、横にかわされる。
だが、これは想定通りだ。

「やぁっ!」

気合いの声とともに、地面に叩きつけた反動も利用して、高速の斬り上げ。
力を入れるタイミングと、相当な力が必要な技だ。

「おっと」

一刀がとっさに木剣を盾にするのが見えたが、はじきとばせる。そう思った──が。
がつん、とぶつかる音。

「──なっ!」

渾身の一撃だったというに、受け止めた一刀の腕が、少し揺らいだ程度。
岩の塊を打ったようで、逆に徐晃の腕がしびれた。

「くっ」

徐晃はただの力自慢ではない。
大ぶりに振るうだけではなく、回転を利用して石突きで払ったり、手の持ちかえにより回転軸を変えて意表を突いたりと、祖父から教わった技巧を駆使するも、──届かない。
木剣で受けられ、払われて軌道をそらされ、と。一刀の様子から意表を突いた攻撃であったことは確かだろうに、即座に反応され、いなされてしまう。

(──いい感覚だ)

程良い強敵、程良い緊張感。
徐晃の腕に満足し、その攻撃をさばきながら少しずつ間合いを狭める。
対する少女はそうはさせまいと後退しながら払いや突きを繰り出すが、一度見せた技は読まれてしまい、的確に対応されてしまう。
そしてついに、木剣を鼻先でピタリと止められることで、試合は終わりを告げた。

「参りました……」
「うん、想像以上に良い腕だ。だが、焦りで粗くなる傾向があるな。窮地でこそ冷静さが問われる」
「はい……」

肩を落とし、うなだれる少女。
彼女はこれまで祖父以上の武人と立ちあった事はなかったが、元武官である祖父からのお墨付きを貰い、自信があった。
天下の豪傑と立ちあっても、いい線にいけるのではないか、という思いもあった。
それが、一見強そうに見えない医師に一蹴されたのである。
積み上げてきたものが音を立ててくずれそうな気持ちだったが、そんな彼女に優しげな言葉がかけられた。

「そう落ち込むなって。その訓練用の大斧と、この木剣じゃ重さも違うし相性もある。それに俺はこう見えて、故郷の国じゃ一番強かったんだぞ」
「えっ?そ、そうなのですか!?」
「ああ、本当だ。城門よりでかい化け物だって、何匹も一人でやっつけたものだ」

こういうことを自慢気に言うのはあまりスマートではないが、子供相手ならばこの物言いの方が効くものだ。
淡々と述べる一刀の言に真実味があったというのと、彼女が一刀に信頼を置いているという点もあるだろう。
一刀の国は知らずとも、国で一番というからには相当なものだろう。そのような武人から評価されたという事は、少女の気持ちを立て直すに十分だった。

「すごいです、一刀様!」

落胆から尊敬の目に変わる。一刀の言葉を疑っていない。
徐正の方は微笑まし気に見るだけで、大げさに言っているのだろうと思っているが、一刀が言ったことは事実である。

城門よりでかい化け物とは、ウェイストランドにも数種しか確認されていない、スーパーミュータントの亜種、ベヒモスの事だ。
一匹はブラザーフット・オブ・スティールと共闘の末ではあったが、それ以降に出くわした個体は、すべて一刀が単独で撃破している。

なお、最も巨大な敵性生物だったのでベヒモスを例に上げた一刀だが、実を言えばベヒモスよりもオーバーロードと呼ばれる最強種の方がやっかいではあった。
ベヒモスは建機でないと運べそうにない、巨大な棍棒を振りまわすのだが、飛び道具がないので、離れて戦えばそう怖いものではない。
だが、オーバーロードは銃撃戦に長けている。
徒党を組み、ガトリングレーザーやミニガンなどの大型武器を有効に使ってくる奴ら相手にはさしもの一刀も、ゆうゆう撃破とはいかない。
初見でただの亜種と思って舐めてかかり、死を覚悟した事もあるほどだ。

ベヒモスもオーバーロードもデスクローよりも厄介なので、さすがに素手でとはいかないが、武器を使用するのも強さの一つであるから、その点を引け目に感じはしない。
選手権などないので試していないが、なんでもありで最強なのは自分だという自信がある。
漢人の持つそれとはまた違ったものではあるが、そこには確かに戦士としての誇りがあった。

そんな一刀の強さに納得したのか、先ほどの戦いを思いだして陶然とする少女。

「国一の武、感服しました。私の打ちこみが全然通じないなんて、小さい頃以来です。とても速くて硬くて、重くて……」

微妙に卑猥にも聞こえる表現で突っ込むべきか迷う一刀だったが、大人の態度で流すことにした。

「公明も俺から見てもかなりのもんだよ。若いし、まだまだ伸びしろはある」

一刀が彼女くらいの時はVault101で本の虫で、本格的に鍛え始めたのは、Vaultから旅立ってからの事だ。
ラッドローチにさえ苦戦していた頃から考えると、随分強くなったものである。
徐晃の方は、真剣な顔で考えこんだ後、地面に伏して懇願の言葉を口にした。

「一刀様!どうか私に稽古をつけてください!」
「これ、晃、やめなさい……!」

孫を窘めるものの、本心は孫と同じではあった。
強者との戦闘は身に付くものが大きい。
自分ではもう手に負えないため、訓練相手に困っていたのだ。
だが、相手は雇い主である。給金が払ってもらっているのに稽古をつけてもらうというのは図々しい願いであろう。
しかしこの場合、稽古をお願いしたかったのは一刀も同じであった。

「いや、俺の方からもお願いしたい。どうもこちらに来てから鈍ったような気がするしな」

ウェイストランドでは、外での活動イコール殺し合いだったのだ。
娯楽の少ないウェイストランドであるから、ホームに籠る時は武具の整備、整理やファッションショーくらいで、後は街の外での探検や狩猟をおこなっていた一刀。
ほとんど毎日が殺し合いといえるが、この国に来てからはそうでもないため、日に日に緊張感が緩んでいることを気にしていたのだ。
徐晃ほどの相手ならば、素振りやシャドーだけでは保てない実戦の勘を維持できそうだと見込んでいた。

「そう言っていただけるのはありがたいのですが──」

短い暮らしながら、一刀が比較的女性と子供に甘い事には気付いていた。
“試験”で感じた当初の印象よりも、随分話せる主であったが、調子に乗れば容赦はしないように思えていたのだ。

徐正の逡巡を察し、一刀は別方向から攻める。

「そうだ。徐正は弓を教える事はできるか?」
「はっ……この腕なので実践は無理ですが、指導ならばなんとか」

「なら、それでお互い様ってことにしよう」
「はっ」

一刀の言葉に徐正も頷く。
教え合うということであれば徐正としても後ろめたさがなくなると見た一刀の提案だった。

話がまとまったところで、起きた天和が体を拭けるよう、水を満たした桶を持って本邸に戻って行った。
その背中を見つめながら徐晃がつぶやく。

「賢いだけじゃなくて、あんなに強いなんて……すごい」

完全に恋する乙女と化している孫娘を見て、内心で溜息をつく徐正。
一過性のものかと思いきや、ますます傾倒していくようで、将来が思いやられる。
孫は、旅芸人たちの事を、ただ患者として泊まっていると思っているようだが、徐正は雰囲気から昨晩会ったことをおおよそ掴んではいる。
現実を教えるべきかどうか迷った末、一刀の方は相手にしていないようなので、そう焦らなくてもいいだろう、と放置することにした。
その彼の結論に、逃避が含まれているのは否めないだろう。



…………………………



張宝が怪我をしてから一週間が過ぎた。
この日も連日同様、一刀は、真面目な表情で張宝の足を診断していた。
診療時のスタイルとして、彼の父がそうしていたように、ジャンプスーツの上から白衣を纏っている。

(治りが早い。これも『気』ってやつかね)

とても武を嗜んでいるとは思えない三姉妹だが、気の大きさは生来の資質によるものが大きいようなので、彼女のような例もよくあるそうだ。
結果、一刀が見込んだ約一ヶ月という期間を大幅に縮めて、張宝の足は完治していた。

「うん、もう大丈夫だ」
「「「よかった……」」」

一刀の言葉に、揃ってほっとする三姉妹。
それを微笑ましく見る一刀を、張宝は勝ち誇るように見下ろして言う。

「これで、アンタともおさらばってわけね!」
「そうだね」

「ね、姉さんを好きにするのもこれでおしまいよ!」
「まあ、そういう契約だからね」

「……」

悔しがる事を期待して挑発したものの、あまりの手ごたえのなさに逆に戸惑いを感じ、言葉を失う。
三姉妹からの言葉をしばらく待ったが、何もないようなので一刀の方から切り出した。

「それじゃ、これでお別れだな」

実にあっさりしたもの言いだが、太平要術の書もすでに張梁の手によって写本を終えていて、張宝の足が治った今、ここに滞在する理由もない。

「そ、そう……ね……」

言いよどむ張宝に一刀は言葉を重ねる。

「名残惜しいけど、元気でね。君らの旅の無事を祈っているよ」

にこりと微笑み、姉妹の退出を待つ一刀。
だが、腰を上げずに戸惑う様子の三人に、訊ねる。

「どうした?」
「いえ……その……」
「て、天和姉さんには何もないの……?」

滞在期間、一刀と最も関係の深かった長女が、さきほどから顔をこわばらせて黙っていた。

「ああ……うん、今回は良い体験をさせてもらったよ、天和。元気でね」
「う、うん、一刀も元気でね……じゃあ……」

その言葉を最後に、ようやく診察室から出て行った姉妹を見て、一刀はひとり首をかしげた。
普通にお別れしたはずだが、彼女らのはっきりしない態度が気になる。
交渉時のやりとりから、当然三姉妹には嫌われていると思っていた一刀。
当然ながら、せいせいする、というように出て行くかと思ったが、まるで別れがたいような、そんな態度であった。

(恋人のフリをしているうちに、本当に惚れたってところかな?)

確かに張角は容姿も好みで、女性との交わりの素晴らしさを教えてくれた存在である。
いつかやってみたいと思っていたプレイも全てさせてもらった。
正直を言えば彼女との交わりはもう少し続けたい気持ちはあったが、契約は契約である。
Pip-Boyの精子制御機能できっちり避妊もしたし、後腐れのない関係だったはずだ。

もし本当に付き合うとして考えれば、張角という女性に不満はない。
欲を言えば、少々アホっぽい所が物足りない所があるが、ウェイストランドにはいなかったタイプで可愛らしく、1週間もの甘い関係で情も沸いている。

しかし、一刀はまだこの国に骨を埋めると決めたわけではない。
ただ盗賊狩りをしていたわけではなく、メガトンへの帰還方法がないかも気を張っている。今の拠点にしても、仮のものと考えているのだ。
この国の暮らしに不満はないが、方針を決めかねている時に彼女と深い関係になるのは避けるべきだろう。
彼女には貞操を売ってまで叶えたい夢がこの国であることだし、姉妹の事もあるから、一刀の都合に合わせるとは考え辛かった。

(とはいえ、少々冷たすぎたかな?しかし、単に名残惜しかっただけかもしれないし)

女性の扱いが上手いといっても、一刀にとって深い関係になった女性は、張角が初めてである。
そんな彼が女心を真に理解するには、足りないものが多かった。

一刀が考えこんでいると、医療所の手伝いをしている徐晃の母親が声をかけてきた。

「一刀様、患者さんが来られていますが、通してよろしいでしょうか」
「ああ、はいはい、お通しして──やあ、李さん、経過はどう?」

まあいずれにせよ、もう会うこともないだろうと、一刀は姉妹の事を頭から振り払った。




北郷邸を後にしようと、中庭を言葉なく重い足取りで歩く三姉妹。
時折が後ろを振り返っても、一刀の姿はない。
言葉からそうだろうと思ってはいたが、やはり門まで見送るつもりもないようだ。

庭で雑草処理をしていた徐晃からかけられた「おだいじにー」というそっけない言葉が背中に刺さる。
彼女は、患者とはいえ一刀に近づいて色目を使う(と思い込んでいる)自分たちを最後まで警戒していたようで、結局打ち解ける事はなかった。
体の契約云々は徐一家には言っていない。
一刀への憧憬補正もあり、徐晃から見れば、一刀にべたべたする、図々しい旅芸人である。そっけない態度も仕方ないといえよう。

次の目的地に向かうべく、街を出たところで、張角は二人が先を歩くようお願いした。後ろを振り向かないで、と付け加えて。
姉のその言葉に黙って従う妹たち。

三人とも、この一週間の事を考えていた。
姉の挺身を除けば、充実した日々だった。

稽古場として庭を使わせてくれたし、夜以外は張角の行動も自由にさせてくれたため、稽古時間も十分取れた。
懸念していた治療行為も、無駄に引き延ばそうとしなかったように見え、丁寧なものだったし、太平要術の書の内容には書かれていない、異国の珍くも盛り上がりそうな曲や、振り付けの助言もしてくれた。
もっとも、一刀はついノリで口出しして、無料で曲を提供してしまったことを自室で後悔したが。

一刀の助言には、忌々しく反発心もあったが、その内容が的確なのは認めざるを得なかった。
新たな名称『数え役満☆しすたぁず』を思い付いたのも、一刀の国で『姉妹』を意味する言葉がきっかけである。
そのような事を経て、一週間のうちに一刀への嫌悪感はだいぶ薄れていたのだ。

太平要術の書と、一刀の教えの効果は抜群で、張宝を除いた二人だけでも、これまでの演奏など比較にならないほど、観客の反応が良かったのだ。
おかげで、素寒貧だった一週間前と比較にならないほど、懐も暖かくなっている。
しかし。

「あはは……結構あっけないもんだね」

姉が返答を期待していないことはわかる。
慰める事もできない。
張宝も張梁も、すでに無理に明るくしようとして失敗しているのだ。

「しょうがないよね。わたしがお願いしたことだし……」

契約の日。
優しくまさぐられながら、欲望を含んではいても、どこか冷静な一刀の表情が気になった張角。
明確な感覚ではないが、実験動物のように扱われる事がみじめに思え、思わず出た「恋人みたいに接して」という言葉が間違っていたとは思っていない。

「でも……もうちょっと、引きとめられるかなーとか思っちゃってたな……」

後ろは見ない。
そうお願いされていた事もあるが、言葉に挟まれる嗚咽から、流しているであろう姉の涙を見ても何も言えないからだ。

「……お姉ちゃん、馬鹿だよね……本当に恋人になったつもりになっちゃっていたんだもん……」

あの日の翌朝、姉を案じて殆ど眠れなかった二人の前に、暢気な大あくびをしながら挨拶をされた時は気が抜けたものだった。
日にちが経つにつれ、初日の決心はなんだったのか、というくらいのアツアツぶりで、正直に言うと結構羨ましかったくらいであった。

「楽しかったな……えへへ…………ひっく」

張角の、期間限定の恋人に、という願いに応えて、一刀が上手くやりすぎたのは一因であることは間違いない。
充実したセックスというものは、男女の仲を深めるのに大きく影響するものである
お互いの相性もあったのだろうが、翌日から本当の恋人のようなベタベタ振りから、夜は自然に身を任せ、時には張角から求めて獣のように交わったりもした。
想像以上の快感に酔いしれたし、考えもしなかった行為もした。

割りきった関係だという前提であっても、妹から見ても恋人のような付き合いをしていたのだ。
もともとある程度の好感があったこともあってか、いつしか張角には明確な気持ちが根付いていた。
もしかしたら一刀のほうも、同じ感情をもっているのでは、という錯覚をしたのは彼女が悪いのか、そうさせた男が悪いのか。

見返してやりたい気持ちはあるが、理屈でいえば、一刀を恨む筋合いではない。
彼は、すべて約束通りに行動しただけである──ムカつくほどに。
別れ際にでも、張角が想いを告げればまた別の未来があったかもしれない。
しかし、それを言うには一刀の態度がそっけなさすぎたし、姉妹揃って旅立つのは既定の事であったのだ。

鼻をすする音としゃっくりの音だけが続いたが、とうとうしゃがみ込んで、声を上げて泣いてしまった。
妹たちはたまらず姉にかけより、かぶさるように抱きしめ、貰い泣きしながらも懸命に慰める。

「姉さん、ちぃや人和がいるから!」
「そうよ。私たちには歌があるわ。姉さんが手に入れてくれたこの書の力で……絶対、天下をとろう!」
「ええ!」

うつむきながらも、二人の励ましにこくこくと頷く張角。
こうして三姉妹は絆を深めあい、夢の実現に向けて、さらに強い決意をもつこととなった。




…………………………




三ヶ月も経つと、家の破損や雑草もなくなり、きれいなものとなった。
一刀と徐一家の共同生活も、お互い慣れたものになり、各々の役割も明確になっていた。

一刀の生活は、朝は徐晃、徐正との戦闘と弓術の鍛練。
昼は診療所で患者の対応の傍ら、暇な時間は文字の練習。
盗賊の噂を聞きつけると、ドッグミートとマーメンを伴って出立し、戦利品を得る、という生活をしていた。

なお、食費食材はすべて一刀がまかない、代わりに食事の支度は彼らに任せている。
また、空き地が多く、前の主人もそこで田畑で作物を作っていたようなので、徐正からの進言で、自分たちが消費する分程度は田畑で作ることになっていた。
以前に徐一家が耕していたほどの広さでもないので、家の管理だけでは持て余しそうな時間を潰すにはちょうど良い広さであった。
科学知識はあっても農業の知識は皆無な一刀は、当然ながら田畑の扱いも知らない。
死の大地で作物が育たないウェイストランドでいた一刀にとって、農作業というジャンルの未知は、彼の好奇心を刺激するものであった。

戦闘が無い時のドッグミートはすっかり愛玩動物と化し、徐晃の遊び相手か寝るか、ふらりと散歩にでかけるかの毎日である。
一刀が鍛練している時は寝そべりながら眺め、夜の警備はドッグミートがほぼ請け負っていた。

ちなみに、死体を放置しておけば猛獣か何かに処理されるウェイストランドと異なり、この街中では色々と面倒なので、侵入者を見つけたら、殺さずに動いて逃げ出せる程度に痛めつけるよう言いつけてあった。
朝、2度ほど血だまりがあった。出血量からして、相棒がうまくやったようだ。

治療所としての評判は、腕はいいが、金にがめついという噂になっていた。
事実であり、そういう風評になるよう、徐一家が外出時に他人と話す時に広めるよう言い伝えていたのだ。
この風評を聞いて、来たがる患者は少ないだろう。

ただ、噂を知らない場合や、近くで怪我をして、やむなく一刀を訪ねた患者の評判は悪くなかった。
最初に料金表を見せられることはほぼ全員が引くが、提示金額は妥当であるし、処置は丁寧で的確。
病は基本見ない事にしていたが、向上心が強く、学ぶ事を苦にしない一刀は、今では漢方の知識も増やしており、軽度の症状ならば対応もしている。
賊退治による時折の休業もあって、さほど繁盛していないのだが、医療だけに注力せずに済んでいる現状は、一刀の望んだライフスタイルである。

このように、基本的に順風満帆ではあったが、少しも波が立たなかったといえばそうでもなく、どんな場合であれ手持ちが無ければ老若男女、傷の軽重を問わず門前払い、というシビアな態度に、正義感の強い徐晃が、おそるおそるではあったが苦言を申し立てた事があった。

「あの、一刀様……少々厳しすぎないでしょうか……」

憧憬補正があっても共同生活を続けていれば、さすがに一刀の本質がわかってくるものだ。一刀も、近しい人間にまで必要以上に取り繕う気もなかった。
大人たちは少女に同感する所はあっても、雇い主に指摘するほど短慮ではない。
だが、徐晃はまだ子供である。
金銭に裕福な人間は、困っている人には無償で処置してあげるべきでは、という気持ちが沸いていたのだ。

「晃!出過ぎた事を言うな!」

慌てて少女の頭を抑え、自らも頭を下げる徐正。
気難しいという印象だった一刀は、思ったより付き合いやすい主人であった。
気さくではあるし、孫娘にも良く付き合ってくれている。
だが、その寛容さが無制限ではない事を、一刀のこれまでの言動から確信していた。

この国では、貧しい者への施しが美徳とされるが、金持ち皆がそうしているわけではない。
内心では孫に賛同しても、彼から給金を貰っている立場の人間が、言っていい事ではない。
見かねて自分が立て替える、という孫娘の行動を彼が止めさせたのも、主の面子を潰すことになるからだ。

一刀は怒るでもなく、恐縮する徐正を手で制する。

「まあまあ」

ウェイストランドでも、困窮者を助ける事は善行である。だが、見捨てることは悪ではない。
一刀もこの国の慣習を大体理解してきているので、少女の気持ちは理解できたが、実際、貧者に施しが出来ている漢の貴人など、ごく一部である。
ならば、異国人であり、金はあっても大富豪とはとてもいえない自分が、施しせずとも文句を言われる筋合いは無い。
さらに、徐一家には言っていないが、盗賊狩りのついでではあっても、多くの人を無償で救っているのだから贅沢言うな、というのが一刀の本音である。
そもそも、仁医として評判が広がり、貧者に殺到されては困るのだ。



だが、生意気なクソガキならばともかく、徐晃のようにかわいらしい少女に慕われている事は、一刀の寛容さを引き出す要素であった。
また、[Lady Killer][Child At Heart]という怪しげなスキルを習得しているだけあって、徐晃くらいの年ごろの少女への言いくるめは最も得意とするところである。

「君の言うことは立派だよ。でもね──」

うつむく少女の顔を上げさせ、目を合わせて一刀は言った。
無理して治療費を払ってくれた患者に面目が立たないこと、手を広げすぎて他の医師から恨みを買うことからはじまり、需要と供給、相場の関係を経て、感情と理性について言及し、自分がただケチくさいだけでやっているわけではない事を、本音と建前を交えてこんこんと説明する。

少女の感情を否定するでもなく、受け入れた上での説得は、徐晃の心に沁み入るものだった。
一刀の落ちついた優しい声と、わかりやすく順序だった話し方もあいまって、話し終える頃には徐晃は自らの考えがいかに浅いかを恥じる気持ちでいっぱいになっていた。

「──というわけだ」
「私が浅はかでした……申し訳ありません!一刀様!」
「いや、わかってくれればいいのさ」

とどめとして、頭をなでながらの必殺のスマイルで、少女が更生する貴重な機会を奪った一刀であった。
その祖父は文句も言えず、傍らで諦めの境地に達していた。



純真な少女を洗脳──ではなく、説得した男は、今は庭の一角に的を立て、それに向けて弓矢を構えているところだ。
弓の方は、はじめはたどたどしかったものの、数射もすれば得意の射撃のコツを上手く応用できたようで、その上達速度は徐正をして呆れさせるものだった。
弓を射つときの姿勢や力の入れ方を教えた程度で、あとは勝手に独自のスタイルを作り上げてしまった。
すでに徐晃を追い抜き、甲高い音とともに、的の中心に矢が突き立つのは当たり前の光景となっていた。

「「お見事」」

感嘆の声を上げる徐晃たち。
現段階の徐晃と、徐正の全盛期を越えるものだった。

「しかし、これほど上達が早いとは……凄まじい成長ですな」
「物覚えの良さには、自信があるんだ」

Vault101を出た頃は、頭でっかちの世間知らずであった一刀。
知恵だけは良く回ったが、力も体力も突出したものはなかった。
それが2年のうちに、様々なジャンルのエキスパートである。
Pip-Boyの恩恵や、巡りあわせの運の良さを鑑みても、異様な成長であった。

「それに、俺の国に弓はなかったが似たような武器はあったんだよ。風を考慮して狙い撃つ点は同じだからな」
「なるほど……」

弓と銃が似ているというのは人によっては納得しづらいところではあろうが、詳細を言っても仕方がない。
始めは銃に近い弩を中心に練習しようかと思っていたが、徐正に師事してすぐにその考えを変えた。
弩の方が総じて威力は強いが、足で弦を引く必要がある(一刀の膂力ならば手で引けるのだが)ため、連射性が悪い。
慣れてくると弓の方が使い勝手がよく、彼の膂力で引かれる剛弓から放たれた矢は、弩どころか、ウェイストランドの下手な銃でも及ばない程の貫通力があったため、今ではこの弓という武器を好むようになっていた。
弩は侵入者への罠として、有効に使っている。
ちなみに一刀の持つ弓は、賊に襲われた商人が、弓の名手で知られる陳留の武将に売りつけようと、弓作りの名人から仕入れた一品である事を知る人間は、もはやこの世にはいない。

また一つ、的に当たる。
残心も美しく、芸術的な射であった。

「一刀様はなんでもできるのですね!尊敬です!」
「いや、褒めすぎだ。連射すると命中率が落ちるから、まだまだ先は長いさ」

そう言って今度は3本手に持ち、一息で続けざまに放つ。
カカカン!と甲高い音を立てて的が揺れる。
一本目は中心、二本目はややずれた位置。三本目は的の端だった。

「ふゎ~……」

自分ではとうてい真似できない業に、徐晃は思わず感嘆の溜息を洩らす。

「今のところ、これが限界かな。実戦で使うときはもう少し命中率が落ちるだろうし、要練習だな」

「その腕前でしたら、どこでも仕官がかないましょうに」

武器の種類を問わない武力と優れた弁舌。
人間的魅力もあり、世に出れば武将として相当名を馳せそうだと感じていた。
金銭にうるさいようだが、世の中そんな人物が大半である。
それを自覚し、配下には気前よく、というのも心がけているようであるから、致命的な欠点ではない。
北郷一刀という人物の全てを解ったわけではないが、どこの領主でも欲しがる人材だろうと見ていた。

「それも悪くはないが、今のところそのつもりはないな」

言い終わりと同時に矢を放つ。
先に刺さっていた矢と触れ合う程度にずれて突き立つ。
それなりに風もあるというのに、器用という表現では足りない、異様な微調整能力であった。

Vault101で行われた、徹底した管理教育への反動もあるだろうが、一刀は自由を尊ぶ性質だ。
かといって、誰かに雇われるという事に忌避感を持つほどではない。
忠誠をもって君主に尽くすというのはよくわからない感覚であるし、自分から売り込むつもりはないが、誰かに請われて条件が合えば、使われてもいいと思っている。

「そういえば、昨日買いだしで聞いたのですが、賊が活発化しているそうです」
「なに?収まりかけてたんじゃなかったか?」

最近は一刀や太守の働きで、陳留周辺は沈静化に向かっていて、それに合わせて一刀の出征数も減っていたのだ。

「どうもそのようですな。全員黄色い頭巾をしていて、自らを黄巾党と名乗っているようです」
「そうか……」

聞けば、大勢力になっていて、大陸全土に広まっているそうだ。
少し考えると、一刀は徐正に告げた。

「しばらく休業する。夜間の警備に気を付けてくれ」
「……はっ」

盗賊の噂を聞く度に出かけるのだから、だいたいの見当はついているだろうが、徐正のこういうあまり詮索しないところを一刀は気に入っていた。
大規模になれば、前よりも財産を手に入れられる。
名声を上げる良い機会と思っている人間はいるだろうが、このような理由で盗賊の跋扈を歓迎する人間は一刀くらいのものだろう。

今の生活具合は丁度良いが、数年間の殺し合いの日常が懐かしくもなっていたころで、彼にとって朗報といえる。

(千人規模か……腕が鳴る)

この国の武人の多くがそうであるように、自ら鍛え、昇華させた力を振るう事に躊躇いはない。
資金稼ぎという事も大きいが、2年間戦いの日々を送り続けた彼には、穏やかである日々は退屈に過ぎる。
また、楽に勝てるに越したことはないが、あまりに敵が弱すぎるとそれはそれでつまらないものだ。

スーパーミュータント・オーバーロード。
フェラルグール・リーヴァー。
ブリーチ・ラッドスコルピオン。

幸運なことに、一刀が今の強さになるまで出会わなかった、これらの最強種クリーチャーと対峙した場合、時には命の危険をも感じたものだが、今にして思えば温くなりがちであった戦いにおいて、緊張感を保つための良いスパイスであった。
大規模であればたとえ雑魚でも食い出があるだろう。敵うならば、そこそこ本気を出せる敵がいればなお良し。

(多少は歯ごたえがあるといいけど──な)

最後の会心の一射が的の中央を射ぬく。
自らの前途を表しているように思え、一刀は思わず笑みを浮かべた。


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