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[2930] Muv-Luv Alternative The Fake (帝国本土防衛戦 ・ 短編 Sister 他)
Name: DDD◆054f47ac ID:27a23f20
Date: 2008/06/08 02:12
初めまして、DDDという者です。

つい最近、初めてオルタをプレイして見事に嵌り、皆様のSSに嵌り、
勢い余って自分でSS書いてしまいました。

今までこの手の文書など作ったことなど1度も無く、大変恥ずかしいのですが、
このまま消すのも虚しいので、思い切って投稿してみます。

お見苦しいところ多数あるかと思いますが、読んで頂けましたら幸いです。

2008/05/28
短編追加の為、題名変更。
2008/06/04
Loversを削除。XXX板に投稿。
2008/06/08
題名一部変更。

短編 Sister
 このSSは悠陽が武御雷を冥夜に届けるためには、相当苦労したに違いないとの妄想から生まれたものです。
 1つしか存在しない政治的・軍事的意味を持つモノを、正当な権利の無い他人に渡すってのは実際問題、半端じゃないトラブルを引き起こす出来事だと思います。
 で、悠陽殿下がそうする理由と、その過程を『妄想しまくって』書いたものです。
 拙い文書ですが、読んで頂けたならば幸いです。

短編 Lovers
 XXX板復活に伴い原文の『Lovers ~御剣冥夜~』をそちらに投稿したので、Muv-Luv板用の修正版は削除致しました。
 XXX板ではありますが、もしも読んで頂けたならば幸いです。

帝国本土防衛戦
 このSSは1998年の日本へのBETA上陸を主題として妄想・創作したものです。
 正直な話、自分の実力を鑑みると、無謀なテーマです。
 申し訳ありませんが、オリキャラが大量に発生します。
 原作キャラは出てきて来ますが、基本的に脇役が少々かと。
 無論、対BETA戦を主軸として構成していく予定です。
 当然、作中の設定は公式に沿うように注意致しますが、決まっていない兵器の設定等は現実の兵器に準じて、かつ妄想を交えて行きたいと思います。
 また、旧軍・自衛隊・オルタの混合で軍事面の描写をするので、辻褄合わせが多いかと思います。
 拙い文章ですが、読んで頂けましたら幸いです。



[2930] Sister 第1話 ~月詠真那~
Name: DDD◆054f47ac ID:27a23f20
Date: 2008/05/05 01:43
「…では御剣訓練兵は戦術機の訓練課程終了後、正式に任官するのですね」

 この問いの本当の意味は、確認。
 いつもの彼女であるならば、先程受けた報告の内容を再度問い質すことなどしない。

 それほど愚かではないし、確認しなければならないほど複雑なことでも無い。

 否。
 
 どれほど長く複雑な報告であろうとも、彼女ならば聞き逃さず、要点を抑え、理解をした後、疑問点を明確にして質問し、事後の対策を執ろうとするだろう。



 ………己の権限が及ぶ範囲ならば。



 今回報告された内容は、彼女の権限が及ばぬところで取り決められた物事。



 場所は城内省の政威大将軍執務室の隣にある応接室。
 日はゆっくりと傾き始め、もうすぐ夕焼けになろうかという時刻。
 政威大将軍のためにある多くの応接室としては小さい部屋であるが、それでもその広さは20畳以上あり、調度品は少ないながらも歴史を感じさせる西洋のもので統一された洋室。
 
 ただ、その調度品を作り出した国はもう存在しない。

 BETAに何もかも咀嚼された。人も国土も、文化も歴史も、何もかも。

 その国から購入した部屋の中央にある1つのソファセット。机上で寝返りさえ出来るほど大きい背の低い木製のテーブルに、ゆったりとした黒い牛皮のソファ。
 そこに向かい合って座るのは、赤い斯衛の軍服を身に着けた長髪の女性と、煌くような白い着物を羽織り、長い髪をポニーテールのように束ねた少女。
 その机に置かれた2つのティーカップの紅茶からはもう湯気は立っておらず、二人の会話が長時間に及んだことを感じさせた。

「はい、御剣訓練兵は予定通りに訓練を終えるのならば、3月1日に任官致します」
 目の前に座る長髪の女性士官は―――斯衛軍第19大隊所属の月詠中尉は―――、淀みなく答える。心持ち嬉しそうなのは気のせいではないだろう。
 だが、少し不満そうでもある。悠陽とて、この女性士官の不満は知っている。
 しかし、それでもいつもならば鷹のように鋭い眼光を宿す切れ長の目の目尻を僅かに下げ、周囲の空気を否応無く緊張させる張詰めた存在感は、今はあまり感じられない。
 

 自分の主義主張とは、相容れない事もあるのだろう。
 けど、衛士になること自体は自分の事の様に喜んでいるかもしれない。
 もしかしたら、そうだとしても無理もない事だと、少女は思う。



 ただ目の前にいる月詠中尉は、自分の前だから感情表現を控えているに過ぎないのだ。
 その喜びも、その不満も、何もかも。
 目の前の女性士官は、幼少の頃から御剣冥夜を傍で、あるときは導き、庇い、叱咤し、見守ってきたのだから。
 彼女は、御剣冥夜の任官しようとする努力が実り、日本と国民を護ろうとする彼女の夢に近付いたのを、もしかしたら母のように、あるいは姉のように嬉しく思っているのかも知れない。




 少女の心に、言葉が浮かぶ。




『もしも、私が、冥夜と、共に暮らしていた、ならば、自分も、そう思う、のだろうか?』



 問い掛ける事など許されぬ問いが、脳裏を掠める。

 瞬時にその問いは、心の底に積み重なった負い目で塗り潰された。
 
 彼女からは何もかも奪ったのだ、いや正確には自分がでは無いけれども、もしも自分が存在しなければ、彼女には全てあったのだ。

 本当の名も、本当の父も、本当の母も、本当の姉――――

 ―――違う!

 ――――――違う!!


 ―――――――――違う!!!



 それは違う。それはありえない話。あってはならない話。
 
 彼女に、『御剣冥夜』に姉など存在しない。姉妹などいない。彼女は御剣家の一人娘。
 
 もしも仮に姉がいると言うのならば、目の前に佇む女性士官こそが彼女の姉では無いだろうか?

 斯衛だとしても、例え血が繋がっていなくても『御剣冥夜』のずっと傍にいたのだから。




「―――殿下、如何なされました?」



 月詠中尉の控えめな声が耳に届く。



 束の間の亡我。



 少女は焦点を失いかけた視線を、月詠に戻した。
「いえ、何でもありません。ただ…」
 少女が言葉を発すると、月詠はその言葉を一字一句逃さぬ為に瞬時に意識を集中させた。
 意識は少女の口元に向かい、眼はその唇の動き全てを焼き付け、耳は部屋のいかなる音も聞き取らんばかりに。
「月詠中尉、そなたに命じます」
 月詠真那は姿勢を正し、その命令を待つ。

 ほんの少しだけ、沈黙があった。

 政威大将軍である少女、煌武院悠陽は決意を感じさせる声で、はっきりとした口調で命令を下した。


「私の武御雷を、御剣訓練兵に届けなさい」

「―――御意!」

 月詠の瞳が一瞬だけ大きく開いた。
 あまりの嬉しさで声が裏返りそうになる。答える言葉が不必要に大きな声になってしまったが、それで不敬と咎めを受けるのならば一向に構わないと思った。

 ―――まさか!

 まさか、これほどの贈り物を殿下がお決めになろうとは。

 冥夜様が殿下から、血を分けた姉から、将軍家の血筋を示すような贈り物をお受け取りになる時が来るとは!

「きっと御剣訓練兵もお喜びになるでしょう」
 
 言い終えると同時に、何も考えずに口から漏れ出た一言で己の迂闊さを呪った。
 歯噛みしそうになる自分を辛うじて自制する。

 殿下が自ら『御剣訓練兵』と呼ぶ時に、なぜ自分がその『訓練兵』に『お喜びに』などと言うのか!

 自らの私情を押し殺すために最愛の妹を『訓練兵』と呼ぶ、殿下の心を蔑ろにして!

 身を切られる思いで思慕の情を押し殺し、我が主をそう呼ぶ殿下の心を!

 いつもの殿下は冥夜様を「あの者」と呼ぶ。

 本当は「冥夜」と言いたいのだろうが、そう言う。そうでなければ苗字のみだ。

 自らの心を律するために、真実を知らぬ輩が騒ぎ立てないように、真実を知った野心家が妹を担ぎ出さないように。

―――殿下の心中は察して余りあると言うのに!

 月詠真那は己の迂闊さを呪う。




 しかし、煌武院悠陽は表情を変えずに次の動作に取り掛かる。

 恐らく、そのような月詠の心中など思いもしなかったのだろう。

 陶磁のように白く細い指は、優雅に机上に置かれた硝子製の呼鈴を摘み、透き通る鈴音を鳴らす。
 それほど大きな音でもなかった筈だが、部屋の外に待っていただろう従女は、音も無く扉を開けると扉の脇に静かに立った。
「千早、侍従長を執務室へ呼びなさい」
「かしこまりました」
 黒いメイド服を着た黒髪の少女は、一礼して入室した時と同じように部屋を出た。

「月詠、これからも護衛の任、お願い致します。」
「はっ。仰せのままに」

 最後の一言は警護任務報告終了の際、いつも最後に悠陽から掛けられる言葉。
 月詠は、立ち上がろうとする悠陽よりも素早く立ち上がり、背筋を伸ばす。
 悠陽が立ち上がるのを待ってから、敬礼したのち失礼しますと言うと月詠は扉に向かう。
 
 彼女の頭の中に部屋を出たらすべき事項が思い浮かぶが、今は殿下の御前。
 無礼の無いように、無様な振る舞いの無いように、神経を集中させて扉に向かう。




 そして、今日も月詠は気付かなかった。




 政威大将軍の視線は、少しだけ、本当に少しだけ、羨ましそうに月詠の背中を見送っていることに………。



 政威大将軍の応接室を出た月詠真那は自分を落ち着けるためにゆっくりと深呼吸をしながら、城内の廊下を歩いていた。

 まず向かわねばならないのは、斯衛軍の整備連隊本部。
 恐らく小さいとはいえ政治的混乱が起きかねない今回の勅命は、それゆえに正式な書類が必要になるはずだ。
 整備連隊長には斯衛軍本部から命令が下達されるはず。
 侍従長が呼ばれたのはそのためだろう。殿下のお言葉は侍従長により文書で関係部署に伝わるはずだ。

 それは自分が出しゃばる事ではない。殿下から命令を受けた自分の口から伝えることも出来るが、事が事だけに相手は真偽を確認するはずだ。
 その間、月詠自身は待つだけになるはず。その時間は無駄だと感じたので、自分で出来る事から進めようと決めた。


 言う事は後でも出来る事だが、戦術機の準備にはどうしても時間が掛かる。


 どうせ実際に動くのは現場だ。現場の長に今から事情を説明し、下準備を進めてもらっておいたほうが最終的には物事は早く終わる。
 どんなことをしても今回の事は隠密に進められるものではない。ならば、関係部署には早めに調整しておくに限る。


 月詠は一分一秒でも早く「殿下の武御雷」を最愛の主たる冥夜に届けたかった。


 頭の中に大まかな行動計画を思い描く。
 まず自分は、戦術機整備主任と整備と搬出に関しての調整をしなくてはならない。
 神代には、輸送計画の作成を急がせよう。
 巴には、国連軍横浜基地の格納庫の調整をさせよう。
 戒には、輸送中の警備計画の立案と関係部署との調整をさせなくては。



 そんな手筈を考えながら、月詠は先程の勅命を心の中で反復する。



『私の武御雷を、御剣訓練兵に届けなさい』



 嬉しかった。

 本当に嬉しかった。

 心の底から、この身が震えるほど嬉しかった。

 沈黙は一瞬だったが、大きな決断だった。

 もしかしたら、ずっと前から決めていたのかもしれないと、月詠は思った。

 ただの武御雷では無い。『私の武御雷』と申されたのだ。

 紫の色をその身に纏いし武御雷は、将軍が搭乗する為だけに存在するただ1機の戦術機。それを届けろとおっしゃったのだ。

 御剣冥夜が、その機体に搭乗出来るという政治的意味は計り知れない。
 それは露骨なまでに政威大将軍との親密な関係を示すことになる。

 御剣冥夜の存在は国民に言えるものではない。
 だが、一部の関係者は知っている事実。そうでなくても冥夜の姿を見れば、多くの人は殿下と言われても信じる。当然だ、双子なのだから。
 その姿から邪推であろうとなんであろうと、何も考え付かないのは愚鈍過ぎる。

 それゆえ幼き冥夜が同い年の子供たちに殿下と似ていると冷やかされて、大人たちからは好奇の眼差しを受け、そのことを問われれば自らの出自を否定する日々を、月詠ら護衛の任を受けた斯衛の者達は見てきている。
 無論、その者らは月詠らの手の届く範囲では可能な限り遠ざけたが、完全ではなかった。
 そのことは今でも月詠に当時の悔しさを思い出させる。





 しばらくすると、幼き冥夜は自らの運命と受け入れていたが、護衛の任を受けた斯衛の者達は決してそれを運命と受け入れられなかった。





 ただ双子というだけで忌子とされ、生まれたときに何もかも無くし、過酷な運命を科され、その命さえも自由に出来ない、麗しく聡明でそして勇気と慈愛に満ちた少女。

 この少女を、血を分けた親が護らないならば、掟が苦しませるならば、社会が受け入れないのであれば、私達が護ろう。

 誰も愛さないならば、私達が愛そう。

 誰もが傷つけようとするならば、私達が庇い傷つこう。

 誰も近付かないならば、私達が永遠に傍らに居よう。

 斯衛の者達は皆その思いを胸に17年間、彼女の傍で護衛の任についた。

 幼き冥夜様が受けただろう、その悔しさもその苦痛もこの先一生続いていくだろうけども、紫の武御雷は少なくとも冥夜様のそれを和らげることが出来るはずと、月詠は思う。


 なぜならば血を分けた、たった一人の姉からの、この世に二つとない贈り物なのだから。


 そんなことを考えながら歩いていたが、ふと瞼を閉じた時に、月詠自身が参戦した京都防衛戦それから続く永きに渡る撤退戦が思い出された。
 最愛の主は、近いうちに、あの地獄の様な戦場に立つ。
 圧倒的物量で津波のように押し寄せるBETA、四肢を引き千切られ悲鳴を上げる戦友の最期の声、戦線が崩壊し力無き者がBETA共に襲われ喰われる光景、それを救えない己の無力感。生存の可能性と希望を失い人々が絶望し、緑豊かな国土が草木一つ残らず食い散らかされる光景を見て喪失感に襲われる、あの地獄に向かう。



 紫の武御雷は、この先戦場で過酷な任務に就く冥夜の身をBETAから守る鎧となり、そして人々を護る剣になるだろう。



 そして衛士になり、日本と国民を護るという冥夜の夢を手助けするはずだ。

 たった一つ、御剣冥夜が自ら選んだ人生、例え国連軍であろうと衛士になり人々を護る人生。

 我が身よりも愛おしい御剣冥夜が、例え戦場で命を落とすことがあろうとも、月詠真那は悲しまない。

 いや、悲しんではならない。

 我が忠誠を尽くした主が、己が思うままに生きた証ならば。
 
 影として生きる主が、手に入れたささやかな自由ならば。

 そんなことを考えていると知らず知らずのうちに、月詠の口から幼き頃に立てた誓いが零れていた。



 
「我は盾、我は礎、この身この命、全ては御身の為に………」




 それは遠い昔のある日、月詠真那が雪の舞い散る御剣の家の庭で涙を堪える幼き冥夜の後姿を見て、己の魂に刻み込んだ決意の言葉。



[2930] Sister 第2話 ~煌武院悠陽~
Name: DDD◆054f47ac ID:d34e1f2a
Date: 2008/05/05 02:08
 月詠を見送った後、煌武院悠陽が執務室の中に入ると、白いメイド服を着た侍女と、丸ぶちの眼鏡を掛けた長身短髪の女性文官が、とても大きな机の上にテキパキと書類の山を並べていた。

 悠陽が机に向かい歩き始めると、女性文官は一礼して将軍に道を譲る。
 その脇を何も無いように悠陽は通り、椅子の近くまで行けば、侍女が絶妙なタイミングで椅子を引く。
 悠陽はその歩調を変えることなく座るべき場所に立つ。
 侍女はまるで膝を曲げるタイミングが全て分かっているように椅子を前に押し出すと、音も無く悠陽は椅子に腰を下ろした。

 侍女が位置を変え、引き続き書類を巨大とも感じる机に並べ始めると、女性文官が悠陽の脇に進み出て、国内外の政治情勢や経済状況を簡素に述べる。

 三十路を少しだけ越したその文官は、知的な美貌を持つ美女だったが、なぜか未だ独身だった。
 京都陥落以来、その文官は悠陽の側でその執務を支えてきた人物であり、その生真面目と言える性格と熱心な仕事振りを悠陽は信頼していた。
 今彼女が述べていることは緊急性の高い重要な事では無いとはいえ、悠陽の耳にはあまり入らなかった。

 どうしても先程の月詠との会話の内容に意識が行ってしまう。

 彼女の心はそれに引き摺られ、思考が散り散りになり、色々なことを思い出し、思案し、纏まらない。
 
 少し落ち着こうと思い、彼女は侍女にお茶を頼み、文官にも椅子に座り少し休むように言う。
 本当は自分の為なのだが、文官の目の下に浮かぶ疲労の色を無視することも彼女には出来なかった。
 侍女が緑茶を悠陽と文官に持ってくると、一言労いの言葉を掛け、彼女はそれを口に運んだ。
 きっと天然物の玉露と何処かの緑茶を白服の侍女がブレンドした物なのだろう。 思いのほか鼻腔をくすぐる茶の香りに、彼女は頬を緩ませた。

 そして気分転換しようと思い、文官に問いかける。
 質問の内容は2~3日前に、偶然白服の侍女から聞いた女性文官の想い人についてだったが、知的な美貌を持つ文官は三十路を越えた女性の様にはとても思えないほど、赤面してしどろもどろと答えるので、3人の間には自然と微笑みと笑い声が生まれた。

 政威大将軍、煌武院悠陽。
 今や政(まつりごと)の多くは、内閣、元枢府と国防省が多くの実権を握っている。
 征夷大将軍はもはや名誉職ではあるが、それでも国家の要職である。
 その任に就いている悠陽が目を通さなければならない書類の量は常人の想像を絶する。
 何人もの有能な文官が要点を簡潔に纏め、内容を読み易く、且つ見易くしているとはいえ、物量が生半のものではない。

 しかし彼女の目の前に並べられる書類は、今更、悠陽が計画の変更を命じることが出来るものは余りにも少ない。
 実際、そのほとんどが事後報告の書類に近いのだ。
 
 政威大将軍本来の権限も権威も十全で無いために。
 
 だが、例えそういう書類が多いのだとしても、彼女が決断せねばならない書類もある。
 特に斯衛軍に関する事柄はそうであるし、官僚が責任を忌避したい厄介な書類の最終決裁は悠陽の元によく送られてくる。
 
 それらの書類を見ると少しだけ、彼女は心が曇る。
 
 彼女は最終決裁を行うという、その責任から逃れようなどと思ったことはない。
 煌武院の家に生を受け、幼少の頃から帝王学を収めた彼女は、それを辛いと思ったこともない。
 悠陽に回される厄介なその書類の多くが、その事柄に関係する誰もが納得できる解決方法がない問題で、もう誰も解決策を決断できなくなったから、その最終決断を政威大将軍である悠陽に丸投げしたものなのだ。

 彼女にはその書類が語りかけてくるように見える。
 
 白い紙面に写された文字は作り手の意思と、苦悩と、希望と、様々なものを語りかける。

 悠陽に、征夷大将軍に、将軍家が持つその威光を持ってこの問題を片付けてくれと。

 どうにもならない人々の不満を、将軍家の威光を持って封じてくれと。

 人々の心に、当事者の心に、致し方が無いと決着を着けさせろと。

 何か他に手段があるならば、それを示してくれと。


―――それならそれで、構わない。


 今の私が出来ることがその決断ならば私がそれを下そうと、煌武院悠陽は思う。

 最終決済を下した解決案が気に入らないのであらば、それを下した煌武院悠陽を怨めばいい。

 憎みたくば憎むがよい、恨みたくば恨むがよい、殺したくば殺すがよい。

 それを一身に受けるのも、将軍家に生まれし者の宿命の一つ。
 
 多くの人に慕われようと、全ての人を満足させることなど決して出来やしないのだ。
 誰もが幸せになりたいのだけど、この世はそのようなことが出来るように作られていないのだ。

 それを常識として、赤子の頃より知っている。

 それを知っていながらも、彼女は歯痒いと思う。

 悔しいと思う。

 どうにかならないかと思う。

 きっと自分ならば、もっと良い他の方法を選択できると思うことがある。

 もっと別の代案を提示することが出来ると思う時がある。

 しかし、そう思うと同時に彼女には、その考え方は傲慢だと思う冷静な心もある。


 いつの間に自分は全知全能の神にでもなったのだろうか?

 いつの間にそこまで傲慢な考えを持つようになったのだろうか?

 本当は自分がしたいことすら出来ないのに……。

 自分が心から会いたい人にも会えないのに……。

 その胸の想いを伝えたい人に何も話せないのに……。

 その姿を一度もその眼で見たことも無いのに……。


 けれども、と彼女は思う。

 今まで、その瞳に写した多くの日本帝国国民を思い浮かべて思う。

 多くの国民が自分を慕ってくれる。自分に向かって微笑んでくれる。
 数え切れない人々がBETAの恐怖に震え、食料は常に満足に無く、未来への希望は蜘蛛の糸よりも細いのに。
 自分のことだけでも精一杯だというのに。祝日や儀式の際には珍しい天然の食品や数多くの貴重品を送り届けてくれる。
 公務で沿道を行けば、政治の場で見る作り笑いでは無い、本物の笑顔を向けてくれる。

 悠陽は、こんな自分を慕い、笑顔を向けてくれる人々が持っている純真で優しい心はとても大事なものだと思う。


 彼女は人々の笑顔を見ることが大好きだった。
 
 けど、自分は何か彼らにしているのだろうか?

 その笑顔を守るような事ができたのだろうか?


 煌武院悠陽は自問する。


 これほどまでに彼らに慕われている自分は、何か報いているのだろうか?

 何も報いていないのではないかと、自責の念がその胸に渦巻く。

 この国の本当の礎たる日本国民に、私は報いていない。

 
 その思いは、いつも彼女の心に影を落とす。


 国とは、人が住まう国土だけでも、主権を持つ政府だけでも成り立たない。
 その地に、国民が住んでいてこそ国なのだ。国民、国土、主権の3つが揃って、始めて国家に成りうるのだ。
 国を成り立たせる上で、国民は多くの構成要素を持っている。
 その国のアイディンティテーである言葉、文化、慣習などを後世から未来に伝え、それを基盤として主権が行使され、国土が保たれている。
 国土があっても、主権があっても、国民なくして国は無いのだ。


 しかし、悠陽にとってはそんなことは些細な事実に過ぎない。

 何よりも生きているのだ。


 人々が生きているのだ。共にこの土地に生きているのだ。
 この日本という土地で、先達たちが大切に育んだ文化と歴史と自然を共有して、お互いに助け合って生きているのだ。
 それを何よりも尊いと感じ、人々を愛おしいと感じ、この地に生まれたことをうれしく思う。

 そう思う悠陽は、例え日本を護る征夷大将軍がもはや事実上の名誉職だとしても、この要職に就けたことは誇りに思う。
 時に、自分にちゃんとした才覚と力量があればと、悔やむときもある。

 しかし、その要職を投げ出すことなど考えたことなど無かった。

 そして短い時間とはいえ、他愛も無い他人の色恋沙汰を話しながら、悠陽は会話を楽しんだ。

 しかしながら、彼女には他愛も無い世間話をする暇も十分には無かったようだ。
 お茶を飲み始めてから5分もしないうちに、先ほど応接室で用件を言い渡した黒服のメイドがノックののち、ゆっくりと扉を開けて報告する。
「殿下、侍従長が到着致しました」
 お茶を飲んでいた女性文官は静かに椅子を立ち、姿勢を正す。
 すぐに姿を見せた侍従長は一礼ののち述べた。
「悠陽殿下、直ちに応じることが出来なかったこと、申し訳ありません」
「いえ、何も問題ありません」
 政威大将軍は穏やかな笑みとともに言葉を返す。
 黒服のメイドの後から侍従長が入室すると、女性文官は軽く頭を下げた。それに礼儀正しく礼を返すと、侍従長は政威大将軍の元に向かう。

 侍従長はもう50も半ばを過ぎた姿勢正しい初老の女性だが、その雰囲気は文官というより教師のそれに似ていて、さらにいえば、あまり笑った顔がイメージ出来ない女性であった。

 悠陽も席を立ち、執務室の一角にある応接セットのソファに向けて歩き出す。
 悠陽自身が呼びつけたとはいえ、心地よくお茶を楽しむ時間がふいになってしまった間の悪さに、彼女は心の中だけで嘆息する。
 応接セットに向かう理由は、この先の会話は侍従長の考えによっては、説得に少々時間が掛かるかもしれず、もう結構な年になった侍従長を立たせたままにしておくのは気が引けたからだ。
 応接セットのソファに悠陽が腰を下ろすのを待って、正面に侍従長は腰を下ろした。 


 いつの間に淹れたのだろうか、白服の侍女が緑茶の入った小さめの茶飲みを、そっと2人の前に置く。
 その香りから、先ほどの茶と変わらぬことが分かった悠陽は、少しだけ嬉しかった。


「して、悠陽殿下。如何なされましたか?」
 侍従長は、単刀直入に問う。
 侍従長とは、高貴な立場にある人物に付き従い、また身の回りの世話をする侍従の者の長である。
 通常の業務で行うことは、侍従長を呼び出さなくても他の侍従で出来るはずだし、侍従長の自分が、急に呼び出される様な行事も、祭儀も、無かった筈との思いから出た言葉。ましてや一日の業務の始まりは、政威大将軍とその日一日の仕事の流れの確認から入るのだから。

 ただ自分が呼び出された以上、何かあるということは覚悟しているという雰囲気が侍従長から感じられた。

 それを見て、煌武院悠陽は意識を切り替えた。
 他愛も無い色恋沙汰を話す少女ではなく、政威大将軍である煌武院悠陽に。

 そう、彼女は政威大将軍。
 国を守護する者たちの長。
 武人であれ、文官であれ、日本を守護する者たちの道標。

 ならば、下す命令には威厳が無ければならない。
 誰もが従うような強い意思を感じさせなければならない。

 彼女が言葉を届けねばならないのは、目の前の侍従長のみにあらず。
 侍従長から命令文書を受ける無数の家臣、軍人、文官、彼らに対してである。
 それらを侍従長の後ろに思い浮かべ、声を発する。

「勅命を下します」

「はっ」
 侍従長も意識が切り替わる。今までに無い緊張感を感じた。

「私の武御雷を、国連軍横浜基地所属の衛士訓練兵、御剣冥夜に届けなさい」

 侍従長の目が僅か細くなり、文官の顔が驚きに変わる。
 白と黒の侍女は必死に無表情を装い、聞き耳を立てた。
 侍従長は自分の主たる政威大将軍とその国連軍訓練兵との事情を知る人物の一人である。
 歴代の侍従長に任命された者は、皆、将軍家に纏わる秘話を幾つも申し送られる。
 例えば、煌武院家に関しては『闇に葬られた双子』が未だ生きており、いざとなれば『替え玉』として使えると。

「悠陽殿下、ご確認したいことが少々御座います」
 そう述べた侍従長に、悠陽は無言でその先を促す。
 侍従長は先ほどの想定外の言葉に内心驚いていたが、落ち着いて状況を整理する。

 しかし侍従長の口からはすぐには言葉が出ず、少しばかりの沈黙と思案があった。

 その間、文官とメイドは呼吸を殺して、二人を見守る。彼女たちに細かい内容は判らない。どのような問題があるのかも正確には把握できない。
 ただ、それでも判る。本来なら、自分達はここに居ないほうが『安全』ではないかと……。

 その間も、侍従長の頭の中では今の『勅命』を考える。
 文書業務上は殿下の命令・指示が全てが『勅命』とはならない。
 もしも仮にそうすれば、それを書類として処理する文官らに負担が増えすぎてしまい、とても業務にならない。
 政威大将軍が下した命令は、侍従長や事務次官等の高官がその内容により、適切な関連部署に適切な優先順位を付けられてから配分される。無論、それは将軍の意思を蔑ろにする訳ではなく、文書処理速度の向上と業務の効率化を図る為だ。
 命令の内容によっては、1つの部署のちょっとした創意工夫で実施できることもあるので、それを幾つもの決裁を受けて命令を下し、実施させ、また同じように書類で結果を報告させるのは馬鹿げている。

 だから、書類上『勅命』となるのは重要な議題と命令のみ。

 文書処理の格付けとしては、『勅命』はもっとも高いものなのだ。

 そして文官は文書業務のプロ。

 通常は将軍は彼らを信頼して大まかな方針を示すのみで、細部に亘って指示を出すことは無い。

 しかし。今回は違う。
『勅命』と命令し、文書の格付けまでも指定したのは何のためか?

 それはこの命令を、是が非でも実行させるためだ。
 政威大将軍の名において下されたこの勅命が実行されなければ、政威大将軍の僅かな権威と残った権限も塵芥と化す危険がある。

 軍事的にはただの戦術機1機、しかし政治的シンボルである唯一無二の『紫の武御雷』。
 どこかで躓けば、『戦術機1機、思い通りに出来ぬ将軍』と政敵から誹りも出かねない。

 いや、政敵でなくても日本古来から続く『色の秩序』を乱す行為に皇族・将軍家関係からも非難が集中しかねない。

 それを踏まえて、なお煌武院悠陽が下したと、その意思を万人に示すために政威大将軍たる少女は『勅命』と言ったのだ。

 つまり、彼女は今の政威大将軍として使える権力、総てを使ってでも『紫の武御雷』をあの忌子に届ける決意なのだ。

 その背景は何か?
 事実上、国連軍へ人質として供せられている自分の妹の身を、政治的にも肉体的にも少しでもいいから守る為。
 国連軍との裏は無いだろう。

 また悠陽殿下は日本を護るために国連軍に興味があるだけで、国連軍を己の陣営として権力闘争の駒として使う考えは無いだろう。

 既にこの世でただ一人の肉親の為にそのような情が湧くことはなんら不思議ではなく、むしろ普通である。

 そして、これ以外何も考えていないのだろう。
 自らが従うこの少女は、その心も体も慈愛で満ち溢れたような少女だ。
 国と民を愛し、歴史と自然を大事にし、先達を敬う少女。
 だからこそ、侍従長は忠誠を誓うのだ。

 実の妹の名を、文官とメイドの前で言ったのは何故か?
 彼らは証人。自分が決して命令を書き換えることが無いようにとの念押し。
 今まで『特別な関係にある人物』の名前すら知らなかった者達は、その全ては洩らさなくても断片は垂れ流すに違いない。

 人が秘密を守ることは難しい。ましてや、その覚悟が無い者の口の堅さなど信用できものでない。
 彼女らの口の堅さなど、目の前の少女は全て折り込み済みのはずだ。

 そこに侍従長は、最終的に政威大将軍が思い描いているだろう「夢」の結末を感じた。

 彼女とて侍従長にまでなった人物。
 仕える人物の心情を正しく確実に把握せねば、その忠は果たせない。
 その為には、主の決断の背景に踏み込まなければならない。
 そうでなければ、想定される事後の混乱や不測の事態に対して『悠陽殿下が望む形で』で自らが自発的に対応出来ない。
 その素早い対応が、悠陽の政治的危機を軽減させるのだから。

 侍従長自身は悠陽殿下の双子の妹には、何も個人的な恨みも憎しみもは無い。
 しかし、彼女が忠誠を誓うのは煌武院悠陽ただ一人。
 例え、主の双子の妹であろうと彼女はそれを切り捨てられる。
 様々な言葉が思い浮かんだが、侍従長はただ一言だけ言った。

「よろしいのですね、殿下」
 彼女は確認をする。
 問いたい事は数多くある。

『黒の武御雷では駄目なのですか?』
 そうであれば、きっと武御雷の1機ぐらい目立たずに処理できる。

『悠陽殿下の特別な人がここに居ると宣言するのですか?』
 悠陽殿下御自身の政治的弱点を自ら曝け出すのは、今の政威大将軍の現状では危険と言える。

『傷つくのは、貴女御自身の御心かもしれませんよ?』
 不干渉ゆえに届かない御剣冥夜の本心は、もしかしたら貴女を傷つけるのかもしれません。
 貴女が愛しているからといって、その愛が必ず報われるとは限らないのだから。
 無数に思い浮かぶ言葉。
 
 その想いを無理矢理1つに纏め上げ、一言に託した先ほどの問い。
 勅命に対する問い掛け自体、無礼であることは百も承知。
 しかし、彼女にとっては、ここで物言わぬは忠臣の面を被る背信の臣下。
 自らの傷を恐れるものが、人を、守るべき人物を守ることなど出来ない。

 煌武院悠陽は、家臣の心中を正確に理解しているのだろう。
 固い決意を宿した双眸で侍従長と視線を合わせる。
 侍従長の問いに無言で頷くと、さらに条件を付けた。

「私の武御雷を十全の状態で、御剣訓練兵の戦術機訓練課程が始まるまでに届けなさい」
「御意」
 言葉と共に席を立ち、頭を垂れる侍従長。
 さっそく取り掛かりますと、言い残して侍従長は黒服のメイドと共に執務室を出た。

 もう夜の6時を過ぎて夜の帳がもう落ちてしまったが、侍従長は今日中に正式な文書を政威大将軍の名で作成して関係部署に回すだろう。

 その様子を見届けた悠陽は少しだけ気を抜いた。
 思っていたよりも早く用件が片付き、少しだけ安心したが、それは侍従長が彼女の覚悟を正しく理解したため。
『それでよろしいのですね、殿下』
 そう問いかける侍従長を頼もしく思うのと同時に、その懸念も理解できる。
 

―――けれども、これだけは譲れない。



『あの者』と自分の運命は決して交わらないという歴然たる事実。

『あの者』がどのようにしても手の届かない場所にいる自分。

 ならば自分から手を伸ばすしかないではないか?

 その手は決して握り返されないとしても。

―――『あの者』に、どのように思われていても、どのように思われても構わない。

 ただ『あの者』にその身に纏う鎧と剣を、直接は無理だとしても、せめて自らの手で与えたい。


 ふと我に返ると、どうしたらいいかと、うろたえている文官が目に入る。
 部屋の中で自分の斜め後ろに控える白服の侍女も、困った表情を隠せないでいる。
 彼女たちは、自分たちに分不相応な会話を耳にして、戸惑いと緊張が隠せそうに無い。

 悠陽はそんな2人に優しく微笑みかけると、仕事を再開しましょうと一言言葉をかけて、応接セットのソファから腰を浮かべた。
 彼女たち2人が並べた書類は全く減っておらず、今日は悠陽自身の仕事が終わっていない。無論、彼女たちの仕事も終わりそうに無い。
 早く勤めを果たさなくてはと、悠陽は机に向かう。

 そう、悠陽が担う役職は征夷大将軍。
 彼女が尊いと愛おしいと思う国民を守るべき要職。
 皇帝陛下より任命された国事全権総代の称号。つまり、この国の国政の頂点。

 日本を守護する者達の頂点というべきこの役職は、第二次世界大戦での敗戦以来、名誉職の1つに貶められた。
 権力は制限され、政府の各省庁に分散された。
 法律上では大きくは変わっていないのだが、いつの間にか例外が出来て、前例が社会と政治の中で跋扈する。
 その立場と権限を、役人が、政治家が、軍人が、自分達に都合の良いように解釈していく。

 そんな政治的環境の中で起きた、1998年のBETAの日本本土への上陸。
 BETAの大群により、日本が瓦解していくように、征夷大将軍が持っていた残りの権限も、その手から雫のようにこぼれ落ちた。




[2930] Sister 最終話 ~煌武院悠陽Ⅱ~
Name: DDD◆054f47ac ID:6a09332a
Date: 2008/05/28 22:37
 また、拒絶されるかもしれない。
 
『あの者』は本当は、私の事を恨んでいるのかもしれない。

『あの者』への一方通行の好意。

『あの者』を見たことはない。

『あの者』と話したことはない。

『あの者』に触れたことはない。

 幼少の共に過ごしたという時間は、記憶に無く、ただ伝え聞くのみ。
『あの者』が何を思い、どうして贈り物を素直に受け取ってくれないかは、聞いてはいないがその理由を改めて考えるのは怖かった。


煌武院悠陽は紫を基調とし、ピンポイントで朱色が入った強化服に腕を通しながら少し不安に駆られた。


考えを切り替えようとする。

いつものことだと、割り切ればいい。

今まで贈り物は唯の一つも素直に受け取って貰った事は無いのだから。




―――何もかも『あの者』から奪ったのは、私。




 そう、これは罰なのだ。


 けど、この程度を罰だと言う私はなんと弱いのだろう………。







 煌武院悠陽が政威大将軍として下した勅命、御剣訓練兵への紫の武御雷の下賜の命令から既に3日。

 侍従長が書類を関係部署に回してからの時間を考えると正味2日。

 関係部署は、特に武御雷の整備を担当する斯衛軍整備連隊は不眠不休に近い整備を行い、侍従長を始めとする文官は必要書類の作成と、各種関係機関への調整に奔走した。

 幸いなことに大きな混乱は無かったが、関係部署への伝達と説明に少々骨が折れた。もっとも実質、説明にならぬ説明であり事情を知らぬ者は誰も納得できず、詳しい説明を求める者すら出る羽目になり、最後は将軍の命令だと言うことで話を打ち切った。

 『今後、国連軍で紫色の武御雷が出撃していたとしても、その機体に政威大将軍は搭乗されていない。IFF(敵味方識別装置)の識別コードを確実に確認し、指揮系統に混乱を起こさぬように各人各位厳重に注意されたい』
 
 彼らが納得出来ないのも無理は無い。

『唯一無二の紫の武御雷』が国連軍に在るというのだ。斯衛軍としては、いや帝国軍を含めて、それは容易に納得出来るものではない。
 軍人として考えれば、その思いは無理も無い。

 国旗などのシンボルという存在は「ただの飾り」では無い。
 何かしらの意味を持つから『シンボル』なのである。
 軍隊におけるシンボル、この日本帝国4軍におけるフラッグシップたるモノは『紫の武御雷』。

 戦場であれ街中であれ、斯衛兵も帝国軍兵も将軍から一兵卒に至るまで全ての将兵は、自分らの最高指揮官である政威大将軍がそこに搭乗し指揮をすると認識して行動するのである。

 自らの忠誠と命を捧げる存在として、日本国民と日本帝国を守護する存在として認識し、そして行動するのである。

 全将兵は戦場でその旗、つまり紫の武御雷の下に集い、戦い、散るのである。

 彼らは無条件で従うのでは無い。自らが守りたいと思う、日本と国民を守る者達の象徴で在るが故に従うのである。

 それが、自らの命を捧げるための拠り所の1つが、国連軍にあるのは納得できない。



 妥協案は示された。

 予備機として存在している紫の武御雷を実戦稼働状態にし、新たに政威大将軍専用機として表に現すこと。幸いどのようなことがあろうと、将軍が戦場に紫の武御雷で出撃出来るように、紫の武御雷は実際のところ複数機ある。常時稼働可能状態の1機、その1機を常にどのような損傷からも素早く稼働状態にするために備蓄されている武御雷数機分の部品。
 稼働状態の1機をメインテナンスする際に、稼動機から搭乗認識装置及び操縦席関連を取り付けて稼働状態にする1機の予備機。

 その予備機を御剣訓練兵に届けることも考えられたが、悠陽はそれを許さなかった。

 その為、予備機を政威大将軍の機体にするべく整備・調整中だが、即時に使える生態認証システム自体がなく、予備機に対する搭乗認証装置の設定を含めて早急な搭載目途が立てられず、それは年を越してからの積載になりそうだった。
 
 そしてもう一つは書類上のことに等しいが、武御雷は『与える』のではなく、『貸し出す』。
 
 それらを持って、悠陽側は反対意見を押し切った。


 それらの混乱を除けば、月詠中尉の斯衛軍での根回しもあってか順調であった。


 そして今日から3日後に、斯衛軍第19警備小隊の月詠中尉が、御剣訓練兵のいる国連軍横浜基地に武御雷を搬入する予定である。


 そして煌武院悠陽は、今、帝国陸軍相馬が原演習場に紫の武御雷と共に来ていた。
 
 これは彼女の我侭だった。
 一昨日の朝、執務室での侍従長との打ち合わせの際に悠陽が急に言い出したことなのだ。

「侍従長、明後日、可能ならば1日空けられますか?」
「悠陽殿下、何をお考えでしょうか?」
 侍従長は、悠陽の目的が何のためかと思い付きもしないので確認することにした。
 本来ならば可能か不可能かを先に答えるべきであり、この問いは無礼である。侍従長はあの武御雷に関することだろうと思うのだが、なぜ1日も欲しがるのか分からなかった。

「最後に、あの武御雷を動かしたいのです」
「あれは明日にでも、輸送準備が完了する予定ではありませんでしょうか?」
 
 関係部署がどのように動いているか、直に見ていなくてもある程度は想像が出来る。
 その為、侍従長は敢えて『明日にでも』と言った。高位高官や貴族・皇族等が動く際は、それが何であれ裏方は大騒ぎなのだ。それは白鳥が水面の下で足を動かすどころでは無い。それは悠陽殿下自身、知っているはずなのだが。

「…あの武御雷には、愛着があります……。今まで乗った機体ですから…」

 そう答える悠陽の声には力が無く、歯切れが悪い。
 あの勅命を下した、御剣訓練兵に武御雷を届けろといった政威大将軍の威厳は無い。
 視線も逸らしがちで、声に力も無く、机の上の彼女の両の指はお互いを絡ませ、離れ、また絡む。

「………殿下」
 侍従長にも理解できた。

 悠陽殿下があの忌子に届けたいと思うのは、ただ武御雷を届けたいのでは無い。

 自分が使っていた物を届けたいのだ。

 自分が直に触れ、扱い、過ごしたモノをあの忌子に届けたいのだ。

 自分が御剣訓練兵の側に行けないから、その代わりとしての戦術機。

 偶々、今回はそれが紫の武御雷というだけ。

 政治的理由も軍事的理由もあるかも知れない。

 けど、彼女は妹の身を案ずると同時に、少しでも共にありたいのだろう。

 その為だけに、自分の主は政治的リスクも顧みず、日本古来からの『色の秩序』にも抗ったのだ。

「…半日は大丈夫です。丸一日というわけには参りませんが…、時間はあります」
「そなたに感謝を」
 煌武院悠陽は侍従長からのその一言で、控えめながら嬉しそうに微笑んだ。

 先程までの湿ったような雰囲気は何処にも無く、喜びが、まるで大輪の花が咲いたような雰囲気が悠陽から滲み出る。

「では、私は月詠中尉との調整に入ります」
 そうと決まれば長居は無用と侍従長は一礼して、扉に向けて歩き始めた。

 侍従長は先程見た悠陽の可愛らしい笑顔に微笑ましさを感じつつ、このような少女達に過酷なものを背負わせる帝国の現実と、その片棒を担ぐ自分を恨みながら退室した。


 政威大将軍が戦術機に搭乗するとなれば、それなりの準備をするものであるが、今回の件はあまりにも急である。受け入れ側には余り時間的余裕が無かったが、それでも警備面の問題等は早めに解決出来た。
 
 ただ、日程的に問題が無く、戦術機で悠陽が望むような戦術機動して使用できる演習場は、近傍では帝国陸軍相馬が原駐屯地のみ。
 他に帝国航空宇宙軍入間基地が候補に挙がったが、戦術機用訓練設備が無いために見送られた。
 国連軍横浜基地の演習場を借りる案もあったが、それは斯衛軍本部に却下され、帝都近傍の無人の荒地で訓練を行う事を進言した者もいたが警備上の問題があるとして見送られた。
 城内省習志野基地は隣接して持つ演習場が小さいため、今回は見送られた。そして何よりもあの演習場は市街地に近く、紫の武御雷は目立ちすぎる。


 演習場が決まれば、次は戦術機の移動である。
 既に実機訓練の前夜、つまり昨日の深夜に87式自走整備支援担架により陸路で、帝国陸軍相馬が原駐屯地戦術機整備工場に5機の武御雷が搬入済みである。
 1機は、紫の武御雷。
 1機は、赤の武御雷。
 残りの3機は、白の武御雷。

 今回、煌武院悠陽の護衛に付く衛士は、斯衛軍第5独立警護小隊を率いる月詠真耶中尉以下4名。

 彼女は今回の実機訓練に関して通常の定期操縦訓練ではなく、悠陽殿下の希望により急遽行われる、と聞いた。
 本来ならば教官として、紅蓮大将などの重鎮や歴戦の古強者がいるのだが、悠陽殿下自らがそれを断ったため、側にいる衛士は自分ら4名のみ。
 
 特別な訓練内容は無く、実弾射撃の予定も無い。仮想敵として相馬が原の演習場内にバルーンが設置されており、使用される武器は74式近接戦闘長刀1振りのみ。
 本当に、ただ悠陽殿下が武御雷を動かす為だけの訓練。忙しい公務の中、急遽実施されるこの訓練の意味はどう考えても不明だった。
 一応、JIVESを使用した訓練も行う予定はあるが、それは久しぶりに実機の戦術機に搭乗する悠陽殿下の為の予行練習であり、月詠真耶にはどうして実機を動かすのか分からなかった。

 無論、紫の武御雷を国連軍の御剣訓練兵に下賜するのは知っている。

 その為に、整備連隊は忙しく整備していたし、今後の国連軍側にある武御雷に関する注意事項に関しての命令も無論、目を通してある。

―――私如きが想像しても致し方が無いこと。

 そう思い思考を止めた真耶はその意識を、衝立の向こうで強化服に着替えている悠陽から、警戒のために部屋の外に向けた。
 駐屯地司令室を臨時に悠陽の控え室としているので、警備上不足は無いとは言えど最善とは言えぬ場所。自分ら衛士以外にも警備の者は10名を超えるが一番近いのは自分らだと気を引き締めた。
 
 それから5分ほど経ってからだろうか、衝立の向こうから、紫の零式衛士強化服に身を包んだ悠陽が現れる。傍に立っていた白服の侍女は、悠陽の肩に紫のジャケットをそっと羽織らせた。

「今日一日、皆さんよろしくお願いします」
「はっ」

 真耶をはじめとする4人の斯衛軍第5警護小隊員は一斉に政威大将軍に頭を垂れる。
 それから5人は、ただ一言も交わすことなく戦術機格納庫に向かった。



 今日の群馬県相馬が原は雲一つ無い快晴の空。抜けるような青空は何の混じり気も無く、ただひたすらに青い。
 BETAにより世界中の植生の激減のため、世界各地の気候は昔と変わり果ててしまったが、暦の上では今は冬。
 日本海上のシベリア寒気団からの寒波は越後山脈に当たるとその水分を雪として日本海側の山間地に落とし、群馬側へ流れるその寒波は湿り気を失う。
 しかし、風が運んできた寒さに変わりは無く、むしろ寒波は軽くなった分、さらに人の肌を切り裂くが如く勢いを増して越後山脈の山頂から吹き降りる。


 そのような天候の中、悠陽の訓練は順調に消化されつつあった。


 午前中に行われた格納庫での武御雷5機をリンクしたJIVESでの操縦訓練では、悠陽は久し振りに操縦しているような感じは何も感じさせないで武御雷を操り、内心、月詠を驚かせた。
 JIVESの中では単機機動・エレメント機動・小隊機動とこなし、その後は射撃・近接格闘と一通りの訓練を行った。もっとも各種動作はその速度よりも、確実な基礎動作に主眼が置かれたものであった。
 
 また悠陽は武術を身に付けているからだろうか、長刀での近接格闘訓練に時間を長く割いた。
 
 悠陽自身は戦術機の操縦は今までそれなりに習ってきているのだが、如何せん常日頃鍛錬している訳でないのでJIVESでの訓練での第一目的は、やはり操縦感覚の復習である。

 だから真耶には余計分からない。

 JIVESでの訓練の方が、実機の損傷や操縦者の怪我等を気にせず、思い切ったことが出来る。

 悠陽殿下が何かするにしても、JIVESの方がいいのではないか?

 そんな疑念が晴れず、彼女はそのことを部下に言いかけそうになる自分を抑えていた。

 そのような中、午前中の訓練を終え、暫しの休憩と食事に入る。

 これから実機での操縦訓練の為、悠陽はほとんど何も食べなかったが、月詠真耶に唯一つだけ質問した。

『衛士は、前にその機体に乗っていた操縦者のログ等は見る事がありますか?』

 その問いに、基本的に別の操縦者に初期化される場合は前任者のログは消されますが、そうでなければ、どんな癖が機体に残っているか気になる衛士はログを確認します。と、月詠は答えた。
 そのあと、悠陽は『ありがとう』と言って微笑むと、午後の訓練は直ぐに終わると皆に伝えた。


 午後の訓練は1時半を過ぎた頃から始まった。

 木々の葉は既に枯れ落ち、もはや冬の寒さに耐えるだけの山々の中を、紫の武御雷が赤と白の護衛を引き連れ歩く。
 植物が枯れた茶色と緑の冬山の中、紫と赤、その周りに散る白の色が映える。帝国陸軍相馬が原駐屯地とその演習場は隣接しており、そのまま歩いていけば広大な演習場に入れるという利点があった。

 演習場にある標的のバルーンは僅か7機。
 標的は激しい回避機動を取ることは無く、攻撃してくることも無い。センサー上での攻撃はあるが今回はBETAを想定ということで、それも無い。ましてレーザー種など想定外だ。

 標的はなだらかな山間の広い谷間に設置されており、特に難易度が高いわけでも、飛び出し式で標的が出るわけでもない。
 ただの陶物切りと言っても過言では無く、間違いなく実戦を想定していない標的の配置だった。



 標的設置コースのスタート地点に、紫の武御雷が立つ。
 このコースを1回クリアするのには5分も掛からないだろう。

 悠陽殿下が何度もするのであれば別だが、それほど政威大将軍に自由な時間が豊富にあるわけでは無い。

 そう考えればこの実機実働訓練は1時間も掛からない。

 赤い武御雷の中で、月詠中尉は考えていた。




 スタート地点に悠陽が乗る紫の武御雷が立つ。
 その斜め左後ろに月詠の赤の武御雷、それを囲むように白の武御雷が3機立った。

 

 それから静寂が訪れ、何も動かなかった。





 煌武院悠陽は、標的の設置場所を確認して目を閉じた。

 深呼吸する。

 もう一度深呼吸する。

 心の中で、自分自身の動きをイメージする。

 神野無双流で日本刀を振る自分をイメージする。

 それをトレースする武御雷を思い浮かべる。

 それを可能にする操作を思い描く。

 今日までの間、暇な時間を見つけては、イメージし、腕を動かし、指を動かした、その動きを、操作を、思い描いた機動を思い出す。

 指を動かし、思い出す。

 思い出して、その動きを補強し、無意識の域に落とし込む。

 武御雷の跳躍ユニットエンジンの回転数をアイドリングから引き上げる。

 主機関部の回転を一気に上げる。

 待機状態から、戦闘機動状態まで一瞬で切り替わる。

 武御雷の隅々まで行き渡っている回路の電圧が跳ね上がる。

 様々な重低音を響かせる起動音は、まるで獣が唸るかのごとく武御雷の全身から溢れ出した。

 目を見開く。全てのデータリンクを切断する。

 鋭く呼気を吐き出した悠陽は、武御雷を標的に向けて走らせた。





「殿下!」
 その動きは月詠の意表をついたが、それよりも紫の武御雷とのデータリンクが切られたことに焦る。


 極端に前屈し恣意的にバランスを崩した紫の武御雷。
 その姿勢で無理矢理バランスを取り続けるため前屈のまま駆け出す姿は、背を低くして獲物に走りよる猫科の猛獣のよう。
 通常ならば熟練の衛士が行うような速さの動作を、紫の機体は力で、その身に宿した機動力に物を言わせて実行する。

 瞬く間に二足歩行での最高速度に達する。その直前に、長刀を装備した74式稼動兵器担架システムが跳ね上がる。

―――抜刀。
 右手が長刀の柄を掴むと同時に、低く地を這うようなジャンプ。
 それに跳躍ユニットの推進力を上乗せして、弾丸のように加速する武御雷。

―――斬撃。
 地を這うように飛ぶ武御雷は、長刀は剣先を前方に向け、その刃の背を左手で押さ込み、飛び掛る猫の様に背を丸めて、紙一重の間合いで標的と擦れ違う。
 武御雷の重量と加速をそのまま上乗せした刃が標的を切り裂く。

―――着地。
 急激な制動を掛けるために伸ばした両足が大地を削る。水飛沫のように土と石が舞う。
 武御雷の右手を引かせ、下段に構えるため刃を手首で返す。その間も大地を削り滑る機体。

―――回頭。
 左に上半身を捻りながら次の標的を視界に納めんと、武御雷は顔を向ける。
 操縦席の悠陽を揺らすGは正面からでなく、悠陽の身体と頭を横から殴りつけた。

―――加速。
 武御雷が制止する前に、腰の跳躍ユニットの方向を変えてスロットルをレッドゾーンにまで叩き込み、アフターバーナーまで噴かす。
 まるで何かに弾き飛ばされたかのように、ベクトルを変えて次の標的に跳ぶ紫の戦鬼。
 
 次は、3つの標的が縦に並ぶエリア。

―――突撃。
 標的の間にある隙間、その間を縫うように左に、右に、左に駆ける武御雷。
 速度を可能な限り落とさず、標的に擦れ違いながら、逆袈裟斬りに、袈裟斬りに、横薙ぎに、斬る。

 次の標的は、100m程先に横並びで設置された標的が2つ。

―――跳躍。
 僅かな助走と跳躍噴射でその巨体が宙を飛び、2つの的の真ん中、その背後に激しい振動と共に着地し、その脚が大地を抉る。
 機体の制動で宙に浮いた悠陽の体を四点ハーネスが叩きつけるようにシートに戻して、その華奢な身体は操縦席の中でバウンドする。

―――螺旋。
 左足を軸にして時計回りに振り向く武御雷。
 さらに左跳躍ユニットの推力をその回転に上乗せして、独楽のように廻り右手の長刀を水平に振り抜き、2つの標的をまとめて斬り捨てる。
 間髪入れずに武御雷は軸足の膝を曲げ、右足をブレーキ代わりにして大地を削り、強引に機体重心を下げて遠心力を地面を利用して殺す。

―――斬撃。
 回転を殺して折り曲げた膝にそのまま力を込め、武御雷が最後の標的に跳躍する。
 空中で長刀を上段に振りかぶらせ、悠陽は裂帛の気合とともに叫ぶ。
 標的の正面上空からの迷いの無い兜割りの一閃。


 冬の青空の下、山々に木霊する武御雷の着地音と衝撃。


 そして、最後の標的を斬り捨て、長刀を振り抜いたそのままの姿勢で紫の武御雷は止まった。



「殿下!御声を御聞かせ下さい!殿下!」
 月詠真耶が顔色を変えて、無線で呼びかける。言葉遣いに気を掛ける余裕なんて微塵も無かった。

―――これがしたいが為に、重鎮達を呼ばなかったのか?!

 このような機動、紅蓮大将以外誰か認めるだろうか?

 城内省の役人や、彼らに顔色を窺う軍人は様々な手段で邪魔しかねない。
 今はそんなことに気を捕らわれるべきでないと、自分に喝を入れる。今は確認が先だった。

 本当に僅かな時間だったが戦術機をあれほど力任せの強引な機動で操ったのが、煌武院悠陽だと誰が思うものか。


―――あれでは最悪、加速度病が!!


 まずは、せめて御声を確認しないといけない。こちらからは将軍のバイタルデータが確認できない。
 武御雷とのデータリンクどころか、演習場統制所とのリンクも切られている。

 部下に指示を与える時間ももどかしくて、月詠は機体をNOEで飛ばす。

 あの紫の武御雷は、ただの戦術機では無いのだ。

 政治的な意味を別にしても、機体性能自体もワンオフで調整された特別仕様機。 その出力も、機動性も、並みの武御雷とは訳が違うのだ。
 それを主機関と跳躍ユニットの出力に任した操縦方法で、近接格闘機動を躊躇うことなく操縦しきった。

 もしも、今の操縦を衛士として評価するならば、確かにあの動きは粗が目立つが大したものと言えるかもしれない。

 だが、煌武院悠陽は『衛士』では無いのだ。

 Gに耐え得るように体を鍛えていないし、定期的に戦術機に搭乗して慣れているわけでもない。

 ただでさえ高性能な戦術機が操縦者に過大な負担を掛け、その上衛士でない者が操縦しての激しい戦術機動。

 その事実が、月詠中尉を焦燥させた。



「月詠、問題ありません」
 不意に、悠陽の声が月詠真耶の耳に入った。
「殿下!、御無事ですか」
 月詠の赤い武御雷はあっという間に、悠陽の側まで来た。
「……何も問題ありません。少々驚かせてしまったようですね」

 ここまでが悠陽の演技の限界だった。
 
 素早く音声を切ると、苦悶の声を聞かれずに済むことに少し気が楽になり、その苦痛に耐える呻きは武御雷の操縦席の中に漏れた。

 煌武院悠陽は、衛士では無い。

 月詠の懸念通り、悠陽の肉体はGに耐えられず内臓が捻じれるような苦痛がその細身を締め上げ、薄暗く狭くなった視界では網膜投影ですら視点が合うか怪しい雰囲気。
 滴り落ちる脂汗がその艶やかな前髪を顔に張り付け、体をくの字に折り曲げて苦悶の表情を浮かべた。

 あまりの痛さに彼女は操縦を諦め、自動操縦に切り替えた。
 これ以上動かなかったら、月詠が降りて確認しに来る可能性もある。
 
 悠陽の武御雷は主の意思を離れて、立ち上がる。
 駐屯地への操縦はもう出来そうになかったので、素直に機体に任せた。


「月詠、戻りましょう」
「は、仰せのとおりに」
まだ心配している月詠の心情をその声音から理解しつつも、それに余裕を持って返せない悠陽は沈黙するしかなかった。






―――この程度で情けないですね。

 煌武院悠陽は自嘲した。

 『あの者』はこれから毎日戦術機に搭乗して訓練を行うというのに、私は1回の機動でこの有様。

 戦術機すらまともに扱えない、未熟な将軍。

 将軍とは名ばかりで、城内省1つ完全に掌握できない操り人形。

 だけど、今はそんなことはどうでもいい。

 『あの者』には気付いて欲しい。

 私なりの精一杯の操縦を残したログに気付いて欲しい。

―――いいえ。

 本当に気付いて欲しいことは違う。

 本当は感じて取って欲しい。

―――この武御雷には、確かに私が乗っていたことを。

 ただ、それだけを感じ取って欲しい。






 それから程なくして、帝国陸軍相馬が原駐屯地戦術機格納庫に武御雷を格納した悠陽は、操縦席の前に出されたタラップ上に立った。

 ずっと待っていたのだろう。
 それを待ち構えていた白服の侍女は、悠陽の肩に紫のジャケットを羽織らせて、事前に悠陽から渡されていた何かを挟んだ折紙を渡した。

 それを無言で受け取った悠陽は、今一度、武御雷の操縦席に戻り、それを操縦席のシートの背もたれと腰掛の部分にある隙間に深く押し込んだ。

 名残り惜しそうに手を引き抜くと、操縦席を出て再びタラップに立つ。

 振り向いて、紫の機体を見上げた。

 今ならば誰も、悠陽の表情を見ることが出来ない。



 
―――父上、母上、武御雷、神様。

 今はもういない両親と、戦術機と神に悠陽は祈る。

―――お願いします。

 民の為にいる筈の自分が通す我が儘を許して下さい。

―――『あの者』を、

 顔も知らず、声も知らず、姿も知らない双子の妹を。

―――冥夜を守ってください。

 誰にも見せられない、泣きそうで、縋るような表情で、政威大将軍は心の中で呟いた。



[2930] 帝国本土防衛戦 第1話 「D-1 day 0200」 ~京塚誠一郎~
Name: DDD◆054f47ac ID:c45c1fc3
Date: 2008/06/08 02:46
 1998年7月16日 深夜2時過ぎ。
 神奈川県横浜市柊町2丁目「京塚食堂」

 古い木造2階建ての家の中で、1階の階段近くに置かれた古めかしいダイヤル式黒電話がジリリリリと鐘を激しく叩くような音を発して、たった一人の家主に着信を知らす。
 深夜に鳴り響く黒電話は、家主の安眠を容易く、そして容赦無く叩き壊した。
 いつまでも鳴り響くその音に、京塚志津江は本当に嫌々ながら布団を出て電話に向かう。

 彼女が営む食堂は、大衆食堂としてはそれなりの賑わいを見せているが、店の規模は大きくなく、従業員も店主兼調理長の志津江を除けば3人もいない。
 まして、その3人はパートタイマーの雑用係で調理人は一人もいない。
 実質、一人で店を営業している志津江は齢も40を越え、疲労を回復させる睡眠時間は何者にも変えがたいと思える貴重な一時だった。

 故に、いつまでも鳴り響く電話に応対するのが遅くなっても、また開口一番の声が不機嫌そのものだったとしても致し方の無いことだろう。

 「一体誰だい!こんな時間に電話を掛けて来るなんて!非常識にもほどがあるよ!」
 「やっと出た!オフクロ、今、寝ぼけてないよな!」
 「誠一郎?アンタ、何こんな時間に電話掛けてくるんだい?」

 志津江は余りにも久し振りな息子の電話に、呆れた声を返した。
 常日頃、『連絡が無いのは無事な証拠』と電話の一つも寄越さない息子が、よりにもよって深夜の2時に掛けて来た事に、彼女は内心嬉しさよりも驚き、そして呆れていた。

 「いいから、時間が無いんだ!詳しいことは言えないけど、よく聞いてくれ!」
 そんな彼女の心境などお構いなしに、彼女の息子は捲くし立てた。

 ―――珍しいこともあるもんだね。
 親に言葉を捲くし立てる息子なんて、ここ数年見ていない彼女は少し驚いた。
 
 「今すぐ貴重品とか纏めて、避難準備してくれ!」
 「あんた、いきなり何言ってるんだい?明日も商売しなきゃ食って行けないよ」
 「商売どころじゃないんだよ!詳しく言えないけど、分かってくれよ!!」
 息子の切羽詰った口調に、違和感を感じて志津江は息子に問い掛けた。

 「あんた、どうしたんだい?何があったんだい?」
 落ち着いて考えてみれば、息子を用も無く深夜に電話を掛けてくるような非常識な男に育てた憶えは無い。
 彼女の心は、急に不安に駆られてきた。

 けれども、息子には本当に時間が無かった。
 
 「何も言わずに、俺を信じて避難準備してくれ!頼む、オフクロ!」
 「………荷物ぐらい準備しておくわよ」

 息子の勢いに押されるような感じで深く考えずに返事をすると、受話器の向こうで息子は大きく安堵の溜息を漏らした。
 
 「なんだい、あんた大げさだね~。そんなことじゃ―――」
 京塚誠一郎は、母の言葉が言い終わらないうちにそれを遮った。
 「おふくろ」
 「なんだい?」
 「………ありがとう」

 受話器からは無音の3秒。
 この3秒の間、彼女の息子は何を伝えようと悩んだのだろうか。
 
 「じゃ、行って来るよ」
 誠一郎は言うだけ言うと電話を切った。
 久し振りの親子の会話は一方的に始まり、有無を言わせず終わった。

 「…………」
 ツー、ツー、ツーと通話が切れたことを示す音が受話器から漏れるが、なんとなく母親としての胸騒ぎが、胸の中で膨らみ始めた不安が、とても収まりそうに無い。息子の意味あり気な一言が気に掛かる。
 
 こんな時間ではあるが、彼女は居間に入り部屋の灯りをつけて仏壇の中の1つの写真を見つめた。
 そして両手を合わせて祈る。
 色褪せた写真に写るのは、若い頃の夫と自分、そして幼い息子が2人。 
 「……父ちゃん、あの子を守ってやって」
 京塚志津江は大陸で戦死した写真の中の夫に、息子の身を守って欲しいと語りかけた。




 1998年7月16日 02時36分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第4師団 第43戦術機甲連隊隊舎内 第1会議室

 「気を付け―――っ!!」
 50名を越える人数を収容できる大きめな会議室に第43戦術機甲連隊長 西哲成(にし てつなり)大佐が足を踏み入れると、その瞬間、会議室に反響するような大声で号令が掛かる。
 その号令が言い終わるよりも早く、緊急招集された連隊隷下の各部隊指揮官及び各隊先任軍曹など要職を占める男たちは席を立って直立不動の姿勢を取った。
 連隊長が会議室に並ぶ指揮官たちの前方中央で彼らと正対すると、先程号令を発した連隊幕僚の少佐がさらに号令を掛ける。
 「敬礼!!」
 直立不動の姿勢から軽くお辞儀するような敬礼の1種、『10度の敬礼』と呼ばれる敬礼をする30人を超える部下たちに、連隊長が同じ動作で答礼する。
 それから、連隊長が会議室正面の巨大なスクリーンが最もよく見える中央の席に座ってから、次の号令が掛かった。
 「休め――!」
 部下である各部隊指揮官達が着席すると部屋の灯りが消えて、その後に淡い光とともに正面のスクリーンに九州一帯の地図が投影される。

 一瞬ではあるがその部屋に降りた闇が、多くの者達にBETAが蠢く無明の地獄を連想させる。

 「では、今現在入手できた状況を報告します」
 
 情報幕僚の一人が言いながらリモコンのスイッチを操作すると、スクリーンに対馬列島を中心に上は朝鮮半島沿岸部から下は九州北部までの地図が拡大して映し出され、そのスクリーンに赤い円表示される。
 場所は朝鮮半島釜山。
 表示の文字はBETA。

 「先日2311(フタサンヒトヒト・23時11分)、対馬監視所からコード911が全使用可能周波数帯域で発信されました。
 内容は釜山沿岸部にてBETAの入水を確認。
 その報告の約30分後の2342、さらに対馬に上陸したとの報告を最後に、今現在も対馬監視所との連絡は途絶しています」
 
 部屋の中で隣の者同士でヒソヒソと話す声が聞こえ始める。

 釜山から赤く太い矢印が北対馬に伸びて、それから南対馬に大きな赤い点がBETAの文字と共に表示される。

 「今現在、対馬警備隊は北対馬で防戦中。なお、南対馬は完全にBETAに制圧されました。
 南対馬に対する第4ヘリ隊の航空偵察はレーザー種に迎撃され失敗。撃墜されたヘリの状況と撃墜地点から、対馬には重レーザー種の存在が推測されます。
 警備隊からの報告からでは、対馬に上陸したBETAは数個師団規模を上回るものと推測されます」
 
 ざわめきが徐々に大きくなる中、情報幕僚の言葉は続く。

 「さらに警備隊からの報告からでは南対馬のBETAは上陸ではなく地下から出現したのではないかと推測されますが、それらを確認するデータは入手できませんでした。
 上陸したBETAに関しては以上です」
 
 情報幕僚が入れ替わり、報告は更に続く。

 「続いて師団司令部の対応ですが、非常事態計画に基き北九州市を絶対防衛圏に設定。
 福岡など北九州地帯の避難経路として国道202号線などを一方通行にして住民を誘導、壇ノ浦への脱出経路として、関係機関との調整中です。
 また師団としてはBETA迎撃は可能な限り水際撃破を追求する方針で、第4師団は前原市から東を主に受け持ちを考えてます。
 構想では西側は第18師団が受け持ち、それ以外に関しては作戦規定では方面隊砲兵が受け持ちですが、移動準備完了したまま待機中です。
 第4ヘリ隊は0009から空からの沿岸監視を開始。
 師団砲兵連隊は0056から準備完了した小隊から順次出発、予定陣地に向け前進中です」
 
 スクリーン上に、部隊名が表記された各種兵科を現す青色の記号が浮かび上がり、展開予定地域に向けての矢印が点線で表示される。
 
 少し苛立った様子で、連隊長が口を挟んだ。
 「対馬警備隊の状況と、それに対する方面軍の方針はどうなんだ?」
 情報幕僚は一瞬言葉に詰まるが、簡素に平静に事実のみを述べる。

 「対馬警備隊はこのまま行けば1~3時間で壊滅。師団に対しては増援命令及び攻撃命令、支援攻撃命令無しであります。
 対馬警備隊に対しては、あと1時間もしないうちに方面軍より撤退命令が下される見通しです」
 「それに対する救助命令は?」
 「ありません」
 語気荒く問い質す連隊長に、情報幕僚は躊躇わず答える。
 
 「3科長、師団長に上申。『即座に対馬警備隊に撤収命令を発令し、海軍に海上での収容支援の調整すべき』と。あと連隊本部の偵察ヘリを出しても構わんとな。3科長、何機出せる?」
 「即動3機、1時間後にさらに5機」
 「即動の2機を出せ。追加で1機、残りは連隊に残すと伝えろ。
 もしも派遣となったら、ヘリパイには救助者及び現地から入手出来た情報を、逐次連隊本部に報告させろ」
 
 了解、と答えた部隊運用を主業務とする第3科長は、連隊長に言われた内容を部下の中尉に実行させる。
 その中尉は静かに、しかし即座に退出する。廊下に出たら彼は全力疾走で連隊本部室に駆け込み、師団本部に連絡するだろう。

 連隊長が言い終わるのを見計らって、情報幕僚は説明を再開する。
 「他の師団隷下の各部隊についてですが、第4戦車連隊は福岡市内に向け1個大隊が0130より前進中、2個大隊は準備完了次第、北九州市防衛線に向け出発予定。
 また偵察大隊は沿岸監視レーダーを海岸線に展開中。
 歩兵連隊は北九州市周辺に向け0145に各駐屯地を出発、機械化歩兵連隊は福岡市に向け0200各駐屯地を出発。
 後方支援連隊は北九州市に展開中です」
 
 息継ぎして、情報幕僚は言葉を続けた。

 「帝国各軍に関しましては、海軍は呉の第1艦隊、佐世保の第2艦隊、ともに即応可能な艦船は出港しました。
 対馬海峡を警戒中だった第2艦隊所属第22戦隊は既に対馬に対して艦砲射撃を実施中ではありますが、重巡(重巡洋艦)を主体とした艦隊であるため、効果的な支援は行えておりません。
 なお、呉を出港した第1艦隊は主に関門海峡防衛の任務を主とする予定との事。 対馬には第2艦隊が向かいます。
 
 航空宇宙軍は軌道爆撃準備完了との事ですが、規模等は不明。また上陸予想地点への航空機による機雷散布を海軍の特務艦と共に実施中です。
 
 帝国本土防衛軍の常備部隊は只今全力で出撃準備中。
 0130には、予備役登録されている兵員全てに非常呼集を掛けました。
 市役所等からの協力を受けていますが、コア部隊の召集は早くても早朝、完全編成になるには1日は掛かるかと思われます」

 情報幕僚の言ったコア部隊とは、通常時は本部や各指揮官・要職の下士官を基幹要員として残して、非常時のみ予備役の隊員を集めて充足編成する部隊の事である。

 「つまり、本土防衛軍がある程度揃うまでは、地上は陸軍で捌くなのだな」
 「そうなります」
 「指揮系統上はどちらを上位にするのだ?」
 「計画通り、陸軍が持ちます」
 連隊長は聞くだけ聞くと、顎をしゃくって説明の再開を促す。



 「状況、酷過ぎではないですか?」
 緊迫した中で続くミーティングの中、思わず小声で京塚中尉は隣の人物に話し掛けた。
 話しかけた青年は、京塚誠一郎。
 彼は、今年25才の帝国陸軍衛士であり、横浜の食堂「京塚食堂」を営む京塚志津江の2人息子のうちの一人である。
 
 その肉体は175cm程の身長に分厚い胸板、性格は大雑把で熱くなりやすい、外見は短めで整えられていない髪は見る人にむさ苦しい印象だけを与えかねないほどだ。
 強い意志を感じさせる瞳に、太い眉毛、しっかりした顎を持つ顔は、それだけでも十分に溢れる生気と強い意志を感じさせ、事実、彼は並みの歩兵を遥かに上回るほどの体力と精神力を持つ大食漢で、無類の格闘好きでもある。
 それを知っている者達は、彼が衛士をやっていること事態に違和感を感じているほどだ。
 
 帝国陸軍第4師団第43戦術機甲連隊第4中隊第2小隊長である陸軍中尉・京塚誠一郎が声を掛けたのは、連隊内で『赤鬼』と渾名される同中隊第3小隊長である久我特務少尉。京塚は敬語気味に喋り掛けた。

 階級も体格も京塚のほうが上なのだが、久我特務少尉より年下のうえ、経験・実力・人望何一つ勝てていないので仕方の無いことでもある。
 ましてや、着隊以来部下の指導に、部隊運用、飲み屋の場所から女遊びまで世話してもらったら、普通の人間ならば頭が上がる訳がない。
 
 だから、上官として締めなければならない所、例えば自分の部下の目の前で上司として命令を下す時等でないと、彼にはなかなか命令口調が使えない。
 もっとも、それが出来なければ出来ないで、大問題だ。
 その状況下で京塚が久我に敬語を使おうものなら、その場ですぐさま、京塚自身が悲鳴を上げるほどに彼に締め上げられてしまうだろう。

 「部下の前で言うんじゃねぇぞ」
 案の定というか、即座にドスの効いた低い声が返ってくる。
 
 久我特務少尉は33才になったばかりの2等兵から特務少尉にまでなった生粋の叩き上げの士官であり、さらに他兵科から衛士になった珍しい人物でもある。
 その戦歴の多くは大陸で積み上げており、彼の一言には上官といえども耳を傾けさせる重みがある。
 身長170cmちょっとで坊主頭のような髪型で厳つい顔と筋肉質の体を持ち、首も太く短いのでプロレスラーに見える風貌のイメージ通り、気性も荒く部下にも厳しい。
 
 叱責する際は、言葉の前に手が出るどころか、蹴りが出るような性格である。
 
 正直、部下としては上にいて欲しくない上官と言っても差し支えない。
 彼の『赤鬼』という渾名の由来は、瞬間湯沸かし器の様に怒り出し、直ぐに顔を赤面させるその外見的特長と、その徹底的とも言える過剰な攻撃性から来ている。
 彼が近くにいるだけで殴りかかって来られるのではないかと云う不安を抱く部下は多いく、事実、街中を歩けばほとんどの人が彼に対して道を譲るような風貌と雰囲気を拡散させているし、本人はそれを理解しているが隠そうともしない。

 ある意味、ヤクザである。
 だが、その不人気さを覆すだけの実力と経験を持つ故に、彼は小隊を任せられている。

 「しかし、俺も同意見だ。ちょっと拙いな」
 次々に部隊記号が表示され、BETAとの接触想定時刻まで表示され始めたスクリーンからは目を逸らさずに本音を言う。
 
 久我は正直を美徳とし、本音をそれほど隠さない。
 それが彼の人望の源の1つであるが、彼の出世を阻む要因でもある。
 彼が他兵科の時の最終階級は『特務少尉』だったが、衛士になっても未だに『特務』の字が外れないのがその証拠でもある。

 いや、むしろ『特務』と付いている分、逆に若手の士官にとっては恐怖の的というのが正しいかもしれない。
 『星の数より、飯の数』 
 軍隊内では階級よりも経験がものを言うことがある事を端的に表した言葉だが、久我はそれの体現者と言えるかもしれない。

 「恐らく九州は諦めるしかねぇ。テメェも無理するな。この戦いは長いぞ」
 「ご家族は?」
 「半島が落ちた時に、疎開させてある。今青森にいる。まだ親族はいるがな。ま、聞き漏らすな。もう直ぐ2科長が喋るぜ」



 連隊長に促され補足の説明を加えた情報幕僚が下がると、彼らを束ねる2科長が説明のために立つ。
 2科とは情報の収集・分析を主業務とする部署であり、彼がこれから述べるのは簡素ではあるが、今現在入手出来た情報からの今後の見通しである。

 「見て頂いたとおり、BETAの九州上陸まであと1日、下手すれば数時間しか無いと判断されます。BETAは今までのデータを元にした推察から、朝鮮半島からは最短距離で上陸すると思われますが、それ以外の場所に上陸する可能性を排除出来ません。
 特に対馬に上陸したBETA以外の個体群が、対馬海峡の海底を進行中の可能性がある以上、厳重な警戒が必要です。対馬監視所の報告時間と内容と、BETAが対馬に上陸した時間を考えますと、もしかしたら複数のルートで日本を目指している可能性もあると思われます」

 2科長が言っている事が事実ならば日本にとっては大変なことのはずだが、言っている本人は至って冷静に発言を続けた。
 何時何処からBETAが上陸するか分からないなんて、沿岸部に住んでいるならば誰も想像したくないだろう。

 「師団2科とも協議致しましたが、やはり我が連隊は北九州市及び対岸の壇ノ浦・下関市を主として死守すべきと思われます。
 また、BETAが既に対馬に数個師団規模でいますが、BETAは今後それ以上数個師団単位で増えるのは確実かと思われます。
 対馬の正確なBETAの数に関しては、情報本部の分析待ちですが………。

 警察・県庁等の関係各機関には各種BETA情報伝達済みで、住民の避難計画等は可能な限り彼らに受け持ってもらいます。
 仮に彼らに協力を求められても我が連隊は拒否してください。今現在、我々に誘導を行う余力はありません。
 
 師団はあくまでも水際撃破を追求する方針ですので、一部戦術機を偵察機としての運用を求められる可能性があります。その他にも数個中隊抽出し、海岸線でのBETA迎撃に当たる可能性も捨てきれません。
 
 今後の推移ですが、………九州を防衛するためには、本州からの増援が我々が全滅しないうちに到着できるかどうかに掛かっていると同時に、我々が北九州・壇ノ浦を守りきれるかどうかです。
 以上です」
 何か言いたそうな表情を西大佐は作ったが、それを飲み込んで先を促す。

 「最悪だぜ」
 重苦しい雰囲気が漂う会議室の中で、久我が小声で吐き捨てるように言うと京塚も小さく頷いた。





 1998年7月16日 02時44分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第4師団司令部内発令所

 帝国陸軍第4師団長である別所(べっしょ)中将は、事態発生の一報を受けた直後に駐屯地内にある指揮機能を小倉駐屯地に移動する命令を下達した。
 そのため同師団隷下の第4通信大隊は、帝国陸軍小倉駐屯地に向けて、師団指揮所を展開するために北九州市に向け1時間以上前に出発している。
 
 今は彼が居るのは、福岡駐屯地の隊舎内地下30mに建造された指揮所内。
 

 九州防衛の最重要項目は、本州からの増援の受け入れと国民の避難を可能にする関門橋及び関門トンネルの死守。


 別所中将が選んだ作戦の基本方針はBETAを可能な限り上陸地点で撃破し、随時防衛線を下げて最終的には北九州市を中心として、本州との連絡線を防衛することだ。
 BETAの物量を考えれば、防衛線はいずれ押し込まれてしまい北九州市周辺が最前線となるのは明白である。
 そこで彼は直接指揮を執るために、師団指揮所を北九州市、最終防衛線の最前線になるだろう現地に展開させることを決心した。

 この戦いに2度目は無く、僅かなタイムラグで防衛線が崩壊しかねない戦いであることは容易に想像できる。

 故に別所中将は躊躇い無く、最終防衛線で指揮する事を決断を下した。
 新たな指揮所が小倉駐屯地に展開されるまで、彼はここ福岡駐屯地内の第4師団司令部で指揮を取る予定である。

 その中で、先程から各部隊から来る対馬警備隊に救助に関する上申は、本来ならば熊本県健軍にある西部方面総監部が方面軍として下すべき内容なのだが、そこで蹴られたのか、最初から当てにしていないのか、多くの部隊が第4師団司令部に廻してきた。
 物理的に福岡に位置する第4師団が近いので、期待されるのは納得できることではあるが…。

 正直、既に片付けた事項に関しての無駄な上申が多すぎて、別所の苛立ちが募る。

 そのような混乱が起きること自体、情報・連絡が不徹底である証拠と共に、この事態に対して自分の部下達がどれほど浮き足立っているかを実感せずにはいられない。
 それと。

 ―――人望が無さ過ぎだな、守屋大将は。

 西部方面軍を束ねる腹出っ張った大将の脂ぎった醜悪な顔を思い出す。
 それだけで不機嫌になる。
 あれは企業との癒着の噂が絶えない人物だ。人格も意地汚く、金目の物に目ざとく、女に弱い。正直な話、下衆と評して差し支えない。
 それでも事務官達への胡麻摺りがうまく、防衛省内の処世術は上手な男だったから大将まで上り詰めた。

 もっとも、その弊害が今出てきているわけだが………。

 別所は既に部下に命じて、海上に脱出しか手段がない対馬警備隊の救助に関しては帝国海軍と調整済みであり、対馬沖にいる第22戦隊が艦砲射撃を中止してその任に就く予定である。
 さらに申し出のあった第43戦術機甲連隊のOH-6が1機とUH-1Jが2機、その支援に回る事になっている。

 しかし、今一番の問題は別にある。
 
 それは西部方面軍総指揮官である守屋大将が、所在不明でこの非常事態でありながら連絡が付かない。
 いや、何処かで状況は見ているに違いない、あの卑怯者は。問題は、それでいて作戦方針を決心しない事に尽きる。
 
 今、西部方面軍として即座に決めねばならないことはBETAの水際撃破を優先するのか、BETA上陸後に撃破するのかだ。
 今の状況では両案とも一長一短であり、圧倒的物量を誇るBETAには、最低でもこちらの戦力を集中するためにどちらを優先するのかを決心せねばならない。
 
 後世の歴史が正解を決めることが多い戦場であれど、不決断は誤決断よりも悪質な過ちであり、指揮官に成るべき者ならばいの一番に教え込まれることであるはずなのだが、今その過ちに西部方面軍は突き進んでいる。
 幾ら総監部に連絡しようが、肝心の守屋大将とは連絡がつかない。

 九州にある地上兵力は以下の通り。
 九州北部、主に福岡市・北九州市を守るために増強された別所中将指揮下の帝国陸軍第4師団、熊本を中心に九州南部を守る帝国陸軍第8師団、BETA襲来を予期して新編された佐賀・長崎中心に防衛する帝国陸軍第18師団、さらに帝国本土防衛軍24師団・44旅団・51旅団の計4個師団・2個旅団。

 ――――今すぐ最低でも、第18師団とは密接な連携を取らねばならない。
 そう思った別所中将は、卓上の電話機を側に寄せて電話を掛け始めた。
 
 ………俺も、一緒に投獄かな。

 守屋大将の存在を無視した上で防衛作戦を考え始めた別所中将は、20年近く前に一時とはいえ共に机を並べて、いっしょに訓練を行った彩峰中将を思い浮かべて苦笑した。

 別所中将は事前に作られていた防衛計画に基きつつ、さらに自分が命令した水際撃破のために砲兵を展開させ、北九州市での最終防衛線の構築を急がなければならない。




 1998年7月16日 02時51分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第4師団 第43戦術機甲連隊隊舎内 第1会議室

 今後の行動方針を連隊長に代わって伝えた3科長の最後の言葉が終わると、連隊長が静かに立ち、連隊隷下の各部隊長達の眼前に足早に歩み出る。

 西大佐は戦術機甲連隊の隊長でありながら、衛士では無い。

 戦車を専門とした機甲畑一筋の軍人であるが、その高い指揮能力と状況分析力から戦術機甲連隊を任されている定年間近のベテランである。

 身長は170程、齢は50歳を越え、頭には黒髪は無く銀色かと思うような白髪で角刈りの髪、細身ではあるが鍛えられた未だに脂肪のない肉体。
 着流しでも着込めば、明治大正時代に出てきそうな近所の頑固爺を思わせる姿と雰囲気。

 連隊内の隠れた渾名が『じい様』だというのも納得できる。

 「聞いての通り、未だ方面総監部は正式な命令を下達しておらず、各関係部隊ならびに関係各省は事前の約束事通りに動いているに過ぎん。
 ま、最善の一手を打っているとは言い切れん状況な訳だ」
 
 ここで一息、一拍の間をワザと入れてから各隊長に視線を配る。
 
 「まだ僅かではあるが、時間はある。連隊本部は師団及び方面との連絡・調整を進める。それまでの間に各部隊は出動準備を完了させ、命令を待て。
 今現在、師団長は水際撃破の追求と北九州市周辺で最終防衛線の構築を決断しておる。
 最悪の場合、師団長の決心に従って動く」

 その言葉の言外にある意味は、いざとなれば方面軍司令を無視して師団長に従う判断をするという宣言。
 または必要とあれば独断専行を行うという覚悟。

 『じい様』はメリハリのある声で言葉を続ける。
 「今日、ここで顔を合わすのが最後になる者は多いだろう。
 それだけの戦いとなる。わしも生き残るか、怪しいものだ」

 西大佐は暫しの間、目を瞑って言葉を選ぶ。

 「しかし我等の肩には、帝国国民1億の命が掛かっておる。老若男女を問わず、わし等が守ってくれると信じておる!
 わしの要望事項はただ一つ、『日本を守れ!』
 これを一兵卒に至るまで徹底させろ!いいか!ここ九州が、我が連隊の死に場所だ!」
 「はっ!!!」
 指揮官達の返答が会議室に響く。
 「―――気を付け!!!」
 怒鳴るような号令が連隊長の口から発せられると、指揮官達は飛び上がるように直立不動の姿勢を取った。
 『じい様』は目の前に並ぶ部下達を一瞥して、その顔を脳裏に焼き付けた。
 
 「諸君、九段で会おう」
 お互いに敬礼を行うと、彼等は戦支度を再開した。


 






 用語
 1)ヘリパイ
   ヘリコプターパイロットの略語。
 2)2科
   部隊において情報関係を取り扱う部署のこと。
   米軍・自衛隊ではこの表記。
 3)3科
   部隊において作戦運用関係を取り仕切る部署のこと。 
   米軍・自衛隊ではこの表記。
 4)コア化部隊。
   予備役を中心として有事の時のみ編成される部隊の事。
 5)特務少尉
   特定の技能が極めて優れている下士官に対して、その功績・技能を認めて任官させた場合の階級。
   特務中尉という階級は存在しない。
 6)方面軍
   一定地域を防衛する各部隊を束ねた部隊単位。
   通常、数個師団及び旅団その他直轄部隊で編成される。
   このSSでは、北部・東北・東部・中部・西部の5個方面軍編成。
   各方面軍指揮官は大将、または中将である。
 7)UH-1
   人員輸送を主任務とするヘリコプター。乗員2名+11名の実在の機体。
 8)OH-6
   偵察を主任務とするヘリコプター。乗員1名+3名の実在の機体。
 9)時間表記について
   0200だったら深夜の2時00分となります。
   一日を24時間表記で、前二桁が時、後ろ二桁が分を表します。

 後書き
 ……オリキャラって本当に難しいですね。
 やはり無謀かもしれない、このテーマ。

 2008/05/29 
 修正しました。すみません。
 2008/06/08
 題名修正。用語追加。

 



[2930] 帝国本土防衛戦 第2話 「D-1 day 0514」 ~沙霧尚哉~
Name: DDD◆054f47ac ID:c45c1fc3
Date: 2008/06/08 02:46
 1998年7月16日 05時14分
 帝国陸軍東千歳駐屯地 第7機甲師団 第71戦術機甲連隊 隊舎内

 深夜1時すぎから、防衛基準体制が最高度の1まで跳ね上がった帝国4軍。
 帝国全軍が戦力を九州に集中させようとする中で、最も移動に時間の掛かる軍は帝国本土防衛軍であり、次に帝国陸軍である。
 陸軍という性質上、仕方の無いことである。
 共に陸軍でありながら時間に差があるのは予備役が殆どいない陸軍と、予備役の比率が陸軍より高く、コア化部隊も編成されている本土防衛軍の兵員の性質の差による。

 現在、両陸軍は全軍を挙げての移動準備中である。

 その中で、北海道の防衛を主任務とする北部方面軍の中で最高の打撃力を有し、かつ帝国陸軍最大の戦術機甲部隊である第7機甲師団にも本州への移動命令が出されている。

 旧ソ連連邦に存在するBETAの脅威に対応するため、全部隊移動では無いが、それでも第7機甲師団が有する3個戦術機甲連隊のうち、最新鋭機である不知火が配備された2個戦術機甲連隊には既に移動命令が下されている。

 その準備で慌しい戦術機格納庫は整備員たちの戦場であり、彼等はただ戦術機の出撃準備をするだけでなく、整備部隊として自分たち自身も移動準備しなければならないので大変な負担が掛かっている。

 中隊の整備主任は移動準備の見積もりが立つと、中隊長に連絡するため格納倉庫の柱に取り付けられている電話を手に取った。



 同時刻
 同駐屯地 第71戦術機甲連隊 第1大隊 第3中隊長室

 「――――分かった。引き続き準備を進めるように。特に予備部品の確保を忘れないように。
 あと、車両運行に関しては注意してくれ。現地に到着する前に戦力が減少するようでは、この戦(いくさ)は戦い抜けない。
 ………ああ、把握している。では、頼んだぞ」

 中隊整備主任からの報告を受け終わった第71戦術機甲連隊第1大隊第3中隊長の沙霧中尉は、中隊長用の広い事務机の上の電話機に静かに受話器を戻した。

 それから、彼は広くない隊長室中央にある安価なソファセットに、どっしりと座り、冷めた合成珈琲を入れたマグカップを揺らしている同連隊第1大隊第2中隊長の伊達大尉に視線を向ける。
 その視線を確認した30過ぎの咥え煙草の似合うやさぐれた感じの中隊長、伊達大尉は煙を吐き出しながら沙霧尚哉に問い掛ける。

 「どうだ、沙霧?第3中隊の進行状態は?」
 「やはり戦術機が先発で、整備部隊と中隊本部は車両で後発するしかないかと…。
 準備が今日の昼前に終わるとはいえ、整備員の疲労を考えると無理は出来ません。
 やはり車両部隊は第2・第3中隊と一緒に隊列を組ませて、函館に向かわせましょう」
 
 「分かった、そうしよう。計画はこちらの運幹(部隊運用幹部の略、実質的な副中隊長)に作成させる。
 その代わり、戦術機の移動計画はそちらに任す。
 連隊一斉に動かさずに大隊ごとの移動は受け入れ側のことを考えれば、しょうがないか」
 
 大陸での経験から、狭霧は忌憚の無い意見を述べる。
 「戦場で稼動状態でない戦術機など、ただ高級なだけのガラクタ。焦りは禁物です、大尉」
 
 その言葉に伊達大尉はニヤリと、狭霧が見逃さないようなワザとらしい笑みを浮かべる。
 「さすが歴戦の衛士、沙霧中尉。
 落ち着いているな。お前にうちの新人を任せたいぐらいだよ」
 
 表情はふざけてはいたが、声には皮肉も嘲りも無い。

 『新人を任せる』という台詞は伊達大尉の嘘偽り無い本心だった。
 
 今回が初陣になる衛士はどの中隊にもいるが、統計上初陣の彼らが生きている時間は平均8分。
 俗に言う『死の8分』、これを如何にして、そして最小限の犠牲で克服させるかは、戦術機甲部隊指揮官が常に頭を悩ます問題の1つである。
 その解決方法を他人に丸投げの形ではあるが、これが自分で選択できる最善手に近い。

 そう確信を持って、伊達大尉は沙霧中尉に言った。

 これから戦況の推移を考えると一機でも多く戦術機と衛士を残すためには、中隊長としての面子に拘ることなど無意味だと言わんばかりの態度で伊達は言い放つ。

 「必要とあらば、初陣のみ受け取ります。で、九州の情報はどうです?」
 驕りではなく、その実力と経験に裏打ちされた自信と確信を元に沙霧は生真面目に返答したが、今彼が一番気になることは九州での状況である。

 今どの部隊指揮官も、いや全隊員が気に掛けている事ではあるが、如何せん移動準備に忙しすぎて電話一本、余計な部署に掛ける暇がない。
 沙霧自身が部隊の掌握と指示に忙しくて、国防省の同期・友人などを通じて最新の生情報を入手することが出来ないでいる。

 指揮系統を通じて降りてくるデータ情報はリアルタイムでなく、まして中隊レベルにはそれほど重要性が無いと判断されやすいので、この手の情報は後回しになりやすい。
 そんな忙しい中、車両移動に関する調整などという、電話1つで済む用件で仮にも中隊長が来る訳がない。


 そう思った沙霧の質問に、合成珈琲を一口飲んでから伊達は答えた。


 「対馬が落ちた。20分ほど前のことだ」
 思わず、沙霧の口から呻き声に似た息が漏れる。

 それを無視して、伊達は淡々と手持ちの情報を伝えた。
 「第4師団は第18師団と共に上陸予想地点で水際撃破を第2艦隊とやる計画だ。
 当然、北九州・壇ノ浦の防衛線は構築している最中だがな。
 ただ今ひとつ、西部方面軍は連携が取れていないらしいな。
 守屋大将じゃ、しょうがないがな」


 伊達は最後の一言を笑って言いたかったが、実際にこれから死ぬ将兵がいることを思うと笑えなかった。


 「俺の情報はこんなもんだ。沙霧、お前のほうはどうだ?」

 沙霧は首を力無く横に振った。

 「特には何も。同期が三沢の米軍の動きが気になると教えてくれた程度です」
 「お前らしくも無いな。人脈なら下手な佐官よりあるだろうに」
 
 「だから、ここに居るんですよ。大尉」
 そう言葉を漏らす沙霧の顔に微かに浮かぶ表情は、自嘲と苛立ちと憤怒。
 もっともそれが分かるのは、きっとこの世に何人も居まい。


 
 おそらく、いや必ず、ある一人の少女ならば彼の心情、その全てを見透かすに違いない。



 彼は表情を不必要に表すことを嫌う為、他人に気付かれないようにすることは当然のことだった。
 伊達大尉が彼のその心の内の感情を、完全に知ることが出来なかったとしても致し方なかった。

 沙霧の回答はある意味予想通りで、伊達にも失言だろうと言う自覚がある言葉だったが、今必要なのは情報。
 どんな些細な事でも知りたかった。

 「偶にはお前から同期とかに頼ってみろよ。
 お前は自分自身で思っているよりも人望がある。少しは自覚したほうがいいぞ」

 思わず何か言い掛ける沙霧を片手を挙げる仕草で黙らせて、伊達は一気に言葉を続けた。

 「お前がここに飛ばされた理由は知っている。
 そのせいで、未だにお前ほどの衛士が中尉である理由も理解している。
 だがな、あれはお前のせいじゃないし、気にする必要も無い事だぞ。
 
 いいか、お前の部下は例え全てを知ったとしても、お前に付いて行くぞ。
 それは指揮官としては最高のことだ。
 それは今までのお前が、誰も知り合いのいないこの連隊に放り込まれて、真面目に仕事して築き上げた実績がそうさせるんだ」

 誠実と真面目を人の形にしたような青年士官の顔に、戸惑いの表情が浮かぶ。

 「それでも、もし自信が持てないならば持たなくていい。
 だがな、部下の信頼は裏切るな。
 俺たち指揮官は、それも仕事だ」

 伊達は手に持っていた煙草をガラス製の灰皿で揉み消すと、より一層煙草の臭いが狭い隊長室に広がった。

 「最悪、今日の昼には九州で迎撃戦が始まるかもしれん。お前も何か分かったら、教えろ。
 ああ、あとそれと10分もしないうちに、連隊ミーティングに呼び出されるかも知れん。準備しとけよ」

 言うだけ言うと伊達は、沙霧の返事を聞かずに自分の中隊に足を向けた。








 1998年7月16日 06時59分
 帝国軍富士駐屯地 富士教導団
  
 夏は大変過ごし易い避暑地の1つである富士山麓。
 綺麗な自然に抱かれた爽やかな空気が、日の出の光を受け始めてその温度を僅かに上げようかという朝焼けの中。
 大自然が穏やかで清らかとも言える空気を漂わせる帝国軍富士駐屯地の中では、慌ただしく帝国各軍の軍人が息を切らして走り回る。

 
 各中隊事務室では電話で関係部署に問い質す者や、逆に問い合わせを受ける者の怒号の様な声が飛び交い、その結果知り得た新しい情報を大隊本部指揮所となった大部屋に伝令が伝える。
 その報告が伝えられると、大きなホワイトボードにその事柄が時系列に沿って表記され、畳何畳分もある地図に部隊展開などがプロットされて行く。


 駐屯地の中にある弾薬庫には、OD色に塗装された6輪の大型トラックが横付けされ木製の弾薬箱が積載されていき、器材庫では戦闘行動や野営に必要な天幕や雑貨が運び出される。

 
 戦術機格納庫や戦車駐車場では、衛士や操縦手が起動確認や足回りの確認に余念が無い。


 主に教育部隊が所在する駐屯地である富士駐屯地ではあるが、BETA襲来の一報から富士山麓近辺の駐屯地を束ねる一大駐屯地としての顔を現し始めていた。
 富士駐屯地は教育部隊が主力とはいえ、その兵科は1つではなく多くの教育隊と教導隊が存在する。

 戦術機甲科、機甲科、歩兵科、砲兵科と地上戦力の中核を担う兵科の教育隊はここに揃っており、未来の指揮官たる士官候補生たちはここの各教育隊で他兵科と協同訓練を行うことにより、連携を身に付ける。
 さらに新米士官候補生がいる教育隊の他にも、既に現場で任務に付く兵士たちにさらに高度な技能を教える精鋭部隊の1つ、富士教導隊が各兵科の数だけ存在し、それの整備及び後方支援を行う部隊まである。
 無論、装備は最新鋭のものが揃えられ、人材も他部隊から凄腕を抽出するなど人も物も恵まれている。
 他にも一般部隊の敵役と戦技の研究を任務とする各兵科仮想敵中隊(または小隊)は富士教導団の精強さの代名詞ともなっている。

 その為、富士教導団はただの教育部隊や教導隊の寄せ集めでは無く自己完結能力も併せ持つため、ミニ旅団とも言うべき戦力と機能を有していた。



 その喧騒の中で富士教導団所属の陸軍大尉、神宮司まりもは直属の上司たる戦術機甲教導隊の第1中隊長室に足を踏み入れようとしていた。
 中隊長室のドアは開けっ放しではあるが、礼儀としてその扉をノックして一言言ってから足を踏み入れた。

 「神宮司大尉、入ります」
 「おう、入れ、入れ」
 中隊長の野太い濁声が響き、神宮司大尉は足早に入室。その声の持ち主の前に立つと、一礼して報告する。

 「帰隊可能な近傍駐屯地の学生の移動準備、完了しました。予定通り0830には出発が可能です」

 その報告に満足したように中隊長は頷く。
 彼女の上司であり富士教導団戦術機甲教導隊第1中隊長である桜井少佐は、既に40歳を越えた、背が低く野太い濁声の持ち主である。正直女性に人気が無い風貌だが既婚者である。
 中隊長になってからはデスクワークが増えたため体重が増え、脇腹に付いた脂肪が誰が見ても気になるような体形の持ち主ではあるが、その頭脳はその肉体のイメージをいい意味で裏切る。


 彼がいつも浮かべている表情は笑顔であるが、その目は笑っていないことを神宮司大尉はよく理解していた。


 「うん、よくやってくれた。引き続き、遠方からの学生の移動調整を頼む。
 自分の区隊だけならば、隊付にでも任せれば直ぐ終わるだろう?」
 「はい、調整だけならば、全て任せたとしても1時間も掛からないと思います」
 
 区隊とは教育のために編成された小隊規模の部隊であり、そこの学生とは教えを受ける被教育者の軍人である。
 そして隊付とはその隊では、もっとも経験豊富な下士官であり、小隊規模では実質的な副隊長である。


 今まで神宮司が行っていた仕事は、自分が区隊長を務める区隊の学生を原隊に素早く移動させ、BETA襲撃に備えさせる為の調整と指示だ。


 「神宮司大尉、早速だが別の作業に移ってもらう」
 「は、分かりました」
 神宮寺は気を引き締めた。
 命令された内容が完全には終わらぬうちに別の命令を受けるのだ。
 『何か重要なことに違いない』と考えると、身の引き締まる思いだった。


 「これから中隊の教官・助教の基幹要員の一部と学生、装備、後方支援部隊の一部から成る選抜部隊を率いて、仙台駐屯地に臨時教育隊隊長として移駐してもらう。あっちに行ったら、臨時の文字は消える予定だがな。
 既に人員のリストアップは終わって関係各部署には通知済みだ。ほれ、これ」
 桜井少佐はそう言って笑顔と共にA4サイズの用紙を、無造作に彼女に渡した。
 
 まったく予想できなかった命令に、彼女は目を大きく見開いた。
 「―――っ、隊長。何があったのですか?」
 慌てる神宮司に、ああ、と声だけは朗らかに応える教導隊第1中隊長。



 「もう直ぐ、富士教導団は戦略予備兵力として運用される」
 「――――っ!!」


 
 神宮司大尉の顔に浮かぶのは驚愕と不満。

 驚愕は、まだ九州に上陸していないのに教育部隊を移駐させ、富士教導団を予備兵力として運用しなければならない程の判断を上層部にさせる緊迫した状況。
 
 不満は、自分が戦場でBETAを殺せないこと、後方に居て戦わない事。

 新兵教育に力を注ぎ戦死した同期の死を無駄にしない事を誓った彼女ではあるが、彼らや先達がその命を散らしてまで守ろうとした日本に、あの憎きBETAが上陸したことなど絶対許容できない出来事である

 まして、この時期、彼女の心の傷跡はまだ十分に癒えているとは言えなかった。
 自分を庇って死んだ想い人の顔と、その人と共に過ごした訓練兵時代が刹那ではあるが、様々な感情と共に彼女の脳裏を掠める。

 それだけで彼女は感情の赴くままに、その激情に突き動かされそうになる。
 それを辛うじて抑え、しかし、それでも些か冷静さを欠いている口調で質問した。

 「なぜ、私なのですか!?私は自惚れでなく、この中隊、いえ戦術機甲教導隊の中でも相当強い衛士です。
 ここで私が勝てない衛士など僅かしかいません!!
 大陸でも数多くの実戦を重ねて、実戦経験の無いお飾りの衛士でもありません!
 それなのに、なぜ私を教育隊長にして、部隊から外すのですか!?」

 「確かに君は教導団有数の衛士であり、そして私の部下の中で最も優秀な『教育者』だ」

 「そうかもしれませんが!!」
 
 静かで威圧感を伴う声と、笑っていない桜井少佐の迫力は、神宮司の激情を冷ますには十分効果があった。

 「帝国軍はミッドウェー海戦後と同じ危機的状況作ってはならんのだよ」
 「………」
 
 帝国軍では戦史研究の際、必ず教え込まれることだけに神宮司も一言も返せなかった
 
 ミッドウェー海戦とは、日本とアメリカとの太平洋戦争時、戦争の流れを大きく変えた海戦の1つ。
 ミッドウェー諸島を中心に繰り広げられた日米空母機動艦隊同士の戦いは、日本海軍航空戦力が壊滅的打撃を受けて日本帝国の空母戦力が事実上壊滅したことにより終了している。

 そして、この戦いは実質上、日米の文字通りの決戦だった。
 
 多くのパイロットを喪った日本海軍は教官を戦場に送り出し損耗を重ねる一方で、新しいパイロットの育成に人材を割り当てなかった為、逆にパイロット育成に力を入れた米軍に対して、パイロットの頭数が不足した上に技量までも劣る状況になってしまい、戦局の不利を盛り返せなかった経験がある。

 桜井の言葉はミッドウェー海戦後と同じように、BETAに対しても衛士不足・軍人不足という問題の発生を避けるべきことだと、神宮司まりもに伝えていた。

 笑顔の仮面を被り直して桜井少佐は、いつもの朗らかな声で言う。

 「それにこの戦いは長くなるかもしれん。ま、後で『誰もが否が応でも』戦うことになる。
 それまでの間に、君は『一刻も早く、一人でも多く、即席だろうが急造だろうが』軍人を育成しろ」
 
 中隊長が語る言葉の意味は重い。
 彼は国民全てを兵とする可能性を暗示し、その教官役の一人として神宮司を仙台に送るのだ。

 「それは君の生徒であり、部下であり、日本を守る防人だ。
 それからBETAを殺しても、遅くは無いだろう?」

 そう、否が応でも戦うことになるのだ。

 今までのBETA大戦で、BETAの本格的な侵攻から滅亡を免れた国家など存在しない。
 BETAとの戦いは生き残るか、全滅かであり、それに妥協も引き分けも無い。


 言葉を探す神宮司の隙を付くように、彼は言葉を続けた。


 「そして分かるな、大尉。今、この未曾有の国難に対処する時間は余り無い。 『時は金なり』だ。
 今の状況が理解できるならば直ちに行動すべきじゃないかな?
 『神宮司臨時教育隊長』」
 
 「中隊長…」
 自分が新兵どもを育て上げる前に、この中隊長は生きているのだろうか?
 いや、日本自体がまだ存在できるのだろうか?
 
 今、思い悩む1秒も貴重な時間であることを、神宮司まりもは強く再認識した。

 「了解しました。神宮司臨時教育隊長は一刻も早くヒヨッコ共を鍛え上げます!」
 それから神宮司まりもは、厳しすぎる教育内容から周囲と幾度と無く衝突を繰り返した自分を庇い続けた中隊長に、感謝と決意を込めた視線を向けるとともに綺麗な敬礼をした。

 「どうか…、御無事で」
 「おいおい、これでも愛娘の七五三ぐらいは見たいんだ。あんまり縁起でもない事は言わないでくれよ」
 そう言って、いつもの笑顔を向ける桜井の眼が、本当に笑っているのを神宮司は初めて見たような気がした。





 後書き
 二人は、出すべきではなかったのかもしれない…。
 あと軍人としてのキャラを前面に出すために、神宮司まりもは基本的に『神宮司』の表記で書いて行きたいと思います。
 狭霧は難しすぎます…、皆さん凄すぎですよ。
 教導隊に関しましては、現実と少々違います。
 ここでは各自衛隊のアグレッサー部隊+教育部隊をブレンドして想像しております。…あとプラス、ゲームでのイメージですか。
 話自体は、若干長すぎるような気がしたので『0200』と『0514』と分けました。
 軍事ネタは難しいです。


 2008/06/08
 題名修正。一部修正。



[2930] 帝国本土防衛戦 第3話前編 「D-1 day 0842」 ~月詠真那Ⅱ~
Name: DDD◆054f47ac ID:c45c1fc3
Date: 2008/07/21 07:19
 1998年7月16日 08時42分
 斯衛軍習志野基地 斯衛第2連隊隊舎 大会議室

 斯衛軍第2連隊第16大隊第19独立警護小隊所属の月詠真那少尉は赤い強化服着込み、斯衛軍習志野基地斯衛第2連隊隊舎内の大会議室大隊ブリーフィングを受けていた。
 彼女も多くの帝国軍人たちと同じ様に就寝中にBETA襲来の報を受け、斯衛軍の緊急ミーティングに呼集された。
 その為、都内某所にある御剣邸の斯衛詰所となっている離れから深夜2時頃に出発し同僚の自家用車に相乗りして、所属部隊が所在する斯衛軍基地である斯衛軍習志野基地に来ていた。



 今現在の日本帝国首都は、言うまでもなく京都である。

 だが、大政奉還前から経済の中心は東京であり、それは今も変わらない。

 そして、もう1つの顔を東京は持つ。
 東京は、国防の街としての顔を併せ持っている。
 武家文化の発祥の地とも云える鎌倉が近く、武家文化の中で最も隆盛を極めた江戸時代が東京を中心に発展したためだろうか。国防関係に関する省庁や関係各機関は東京に集中していた。
 それは大東亜戦争当時も、国防省と情報省は東京に設置されていたことにより証明されている。
 大東亜戦争当時の御前会議は京都で行われていたが、その下準備と実質的な作業は東京で行われていた。
 その非効率な問題を解消するため、大東亜戦争敗北後には皇帝陛下と政威大将軍、関係省庁の京都への集中化を図ろうとしたが、米軍側に接収した用地の近くに国防省を置くことを『要望され』、今日まで国防省と情報省は東京から位置を変えていない。


 つまり政(まつりごと)の都市・京都と、経済と国防の都市・東京である。

 官庁で言えば内閣府と城内省・内務省は京都に、国防省と情報省・外務省は東京にある。

 その為、斯衛軍はその兵力を京都と東京の2つに分けていた。
 主に皇帝陛下を守護する斯衛軍第1連隊が京都の桂基地、宮中を守護する斯衛軍第3連隊は同じく京都の大久保基地に所在。
 国防の街である東京にいる将軍家関係者の要人等を守護する斯衛軍第2連隊と、斯衛軍の新人教育部隊も編成されている斯衛第5連隊は千葉の習志野基地。
 日本各地に派遣されることが前提の斯衛軍第4連隊は帝国陸軍朝霞駐屯地に配備され、その各基地及び駐屯地には斯衛軍整備連隊の各大隊が配備されている。


 そして月詠少尉が所属する斯衛軍は帝国4軍と比べ予算が潤沢なだけあって、ブリーフィングが開かれている会議室は綺麗で広く、スクリーンやマイク、照明に床に敷かれた絨毯、さり気なく部屋の隅に生けられた生け花など、施設や備品も民間の大企業の会議室同様に見栄えと機能を重視して作られている。
 一見しただけでは軍隊の建物の中だと思えないほどだ。

 それらの設備は言い訳のように質実剛健を標榜する質素な陸軍や、大量の予備役と人員を抱えているため予算の遣り繰りが厳しい本土防衛軍とは、予算に関して天と地ほどの開きが在ることを示すには十分過ぎるほどである。

 そして完璧ともいえる空調が行き届いた会議室では照明が消され、大型スクリーンに映し出された情報を食い入るように見る者や、強化服の網膜投影装置を使って見る者など方法はまちまちであったが、皆の眼に映るその情報の深刻さに声を無くしている。

 月詠真那も視線を現在の状況を映し出すスクリーンに向けたまま、手元のメモ帳に重要な必要事項だけを書き込む。
 映し出された情報はブリーフィングの後には、各人の強化服のデータ端末に転送されるのだが、機密情報などの重要情報は場合によっては転送されないからメモという手段を採るものは少なくない。
 月詠真那も、それらの情報や、今すぐにでも必要になりそうな情報を書き込む。
 それらは例えば、これからの作戦間で使用される無線機の周波数、臨時に編成される部隊のコールサインや、多目的運搬弾で戦場に投入される戦術機の補給コンテナ設置ポイント、秘匿通信で使用される通信パターンプログラムモードの変更基準などを書き込んでいた。

 月詠少尉の必要事項をメモ帳に書き込むその手は緊張で汗ばみ、微かに震えていた。強化服を着込んでいるため汗ばんでいるのは誰もわからないが、その震えは注意深く観察すれば誰でも気付くことが出来るほどだった。
 
 斯衛軍に所属する前から、御剣冥夜の身を護る為に必要な覚悟と共に心身を鍛え上げ、技を磨き上げた武人である月詠真那であったが、それでもメモを取るその手の震えを消すことが出来なかった。

 武人たるもの常に冷静であれと、幼き頃から精神修行を積み重ねた彼女が――――。

 御剣冥夜の盾となるために、常日頃から死を覚悟している彼女が――――。
 
 ――――恐怖でその手が震える。
 
 月詠の心の中にも確かに死の恐怖はあるが、己の死の恐怖など隠せないほどものでは無い。
 まして、戦場に立つ前から手の震えが隠せないのでは臆病者どころか、軍人として不適格である。

 その月詠が手の震えを隠せない唯一つの理由。

 ――――護りきれないかもしれない………。
 守るべきは我が身にあらず。

 ――――冥夜様を護りきれないかもしれない。
 護るべきはただ一人。

 この恐怖が、護ろうと誓いを立てた御剣冥夜が殺されてしまうかもしれないという恐怖が、彼女の身を震わす。

 月詠は思わず一人で呟く。
 「………何なのだ、この数は………」
 資料に並べられている数字は出鱈目にしか思えないが、これが今、帝国が対馬と九州で海を挟んで相対しているBETAの推定総数なのである。
 
 その数が、月詠真那を恐怖させる。

 その数、実に10万以上。
 しかも、この数は衛星で写真判別可能な数のみから導き出されたものである。
 一定サイズの面積にいるBETAの数から、計算で叩き出された総数ではあるが規模が違いすぎる。
 カウント基準は全長2m以上の個体のみ。
 これは偵察衛星の光学解像度の問題と、数を数える効率から弾き出された基準である。
 つまり、月詠が眺めている数は要塞級・重光線級・突撃級・要撃級・戦車級を数えた数であり、光線級・闘士級・兵士級は数えられていないのである。
 数えられていないBETA種に関しては、今までの教訓から導き出された敵の出現総数等から計算されて加えられてたが、それを加算すればBETA総数15万を優に超える。

 BETAの戦力を部隊の規模に倣わして表すことがあるが、それは人類側の戦力を基準に対応できる、または撃退出来るBETAの数を表している。

 つまり、旅団規模のBETAとは人類側の軍隊の旅団規模の地上部隊が、撃退または対応出来る数であり、師団規模のBETAとすれば人類側は師団規模の地上部隊を出さねば、撃退どころか相打ちにすら持って行けないのである。
 大まかな目安では、BETA総数約5千から1万が旅団規模であり、BETA総数約1万から2万が師団規模である。
 
 つまり対馬のBETAは小型種も含めての推定総数は15万以上。
今現在の人類側の戦力換算で約15個師団以上の戦力である。
 
 対する九州の帝国軍の地上戦力は、帝国2陸軍を合わせても4個師団・2個旅団。
 中国四国地方の地上戦力は、帝国2陸軍合わせても1個師団・1個旅団。
 首都京都と大都市名古屋の防衛担当の近畿地方の帝国本土防衛軍が2個師団。
 首都京都ならば斯衛軍も加わるので、斯衛軍5個連隊全て合わせて1個師団換算。
 
 九州から京都までの帝国軍は合計8個師団・3個旅団。
 
 だが、これで同等では無いのである。
 戦力を集中している15万以上のBETAに対して、九州から京都までの間に8個師団・3個旅団がある。しかし、帝国側の戦力は集中していないのである。このままでは各個撃破で帝国軍はBETAに喰い散らかされていく。

 その先に待つのは、ユーラシア大陸の国家と同じ運命。


 ――――亡国以外、在り得ない。


 その途中で起こるだろう出来事が、月詠真那には恐ろしかった。
 例え、BETAに生きたまま喰われようと将軍家血筋の者達が国外に逃亡することは在り得ない。
 まして、彼女の主たる御剣冥夜がどのような理由があろうと国外に逃げることはない。
 ならば、BETAを倒すしかない。
 つまり最愛の主を護る為には、これ程の数のBETAを討ち滅ぼし、滅しなければならない事を示している。
 時間稼ぎしている間に逃げ延びて欲しいと言っても彼女の最愛の主は逃げもしないし、もしもそれで喜び勇んで逃げ出すような人物であれば、月詠真那が片膝付いて忠誠を誓うわけがない。

 
 我が主を護るために、その敵全てを討ち滅ぼすために鍛え上げた技と力、知識と心。

 それを持ってしても、自らの命を差しだとしても、一人では決して敵う訳が無い物量。

 戦場で多くの軍人を、絶望の淵に立たせるBETAの物量に。

 我が手をすり抜けて、最愛の主を襲いかねないBETAの無限の物量に。


――――その事実に、月詠真那は恐怖した。


 呆然としている彼女に、不意討ちのように背後から若い女性の声が掛かる。
「何深刻な顔してビビってるのよ? 月詠少尉」
「――――ッ、恐れてなどいない!! 大体『ビビってる』などと言う乱れた日本語を、誇り高き斯衛の一員が使うべきでは無いと思うがな、観堂少尉!!」
 どちらかというと正しくない日本語よりも自分がBETAを恐れているなどと言った事に立腹しながら、月詠真那は後ろに立つ女性に言い放った。
「下々の私にはこれぐらいの言葉遣いが丁度いいのよ。ま、手の震えぐらい隠しなさいよ。まったく、そんなに死ぬのが怖い?」
「――――自分の死など!!」
 死への恐怖を語気強く否定するが、恐怖自体を感じてることを隠せない。
月詠の心境は、茶化すように問う女性には全てを見透かされているのは今までの経験上からほぼ確実なので、正直にその心境を吐露した。
「………ただ、もしかしたら、………護り切れぬかも知れぬことだけが、正直、怖い」
 観堂少尉は、月詠のその危惧を馬鹿にしたりはしなかった。
「そうね。あの御方を護れないとしたら………。それは一番辛くて、怖いよね」
 そう答えた彼女も、月詠真那と同じ斯衛軍第2連隊第16大隊第19独立警護小隊所属の衛士。御剣冥夜の護衛を受け持つ小隊の一員であり、小隊では月詠の1つ上の先輩に当たる衛士でもある。

 斯衛軍少尉 観堂香奈。
 170cm程の長身に、まるでメロンを半分にして付けたかと思うような豊満な胸と折れてしまいそうな程細い括れ。切れ長で涼やかさを感じさせる眼と白い肌、髪はストレートの栗毛色の髪を首ほどの長さで綺麗に切り添えたボブカット、鼻に掛けた銀縁の眼鏡は横長でレンズは小さくてフレームも細い。シンプルでありながらどこか洒落た雰囲気のするデザインは彼女のセンスなのだろう。知的な雰囲気を漂わせるその姿は、衛士と言うよりは先生か研究員の姿を連想させる。
 鋭い観察眼と幅広い知識を土台とした分析力を持ち、基本的にはさっぱりした性格。
 衛士としての腕前は『斯衛軍としては普通』、長刀による近接戦闘よりも射撃を得意とし、操る機体はF-4J改『黒の瑞鶴』。装備は36mm突撃砲を4丁装備する強襲掃討を基本としていた。

 彼女は『御剣冥夜』がどれほどの意味と価値を持つ『警護対象者』なのかを正しく理解し、その背景をも理解している数少ない人間の一人である。
『御剣冥夜』を正しく理解しているのは斯衛軍と云えども、高級幹部の一握りと実際に警護に立つ第19独立警護小隊の衛士4名、あとは以前に冥夜の警護の任に就いた者達のみ。そして第19独立警護小隊は警護対象者が少女と言うこともあって、今まで女性を主体として編成されてきた珍しい小隊であった。

「これだけの数、在日米軍と連携しても厳しいのでは無いか?」
 月詠は、帝国を今なお踏み躙る米軍に頼らざる得ないかもしれない現実に不機嫌を隠さずに言う。
 あの自己中心的で正義の名の下に卑劣と暴虐の限り尽くす世界で唯一つの超大国を好きにはなれない。
「厳しいわよ。だけど月詠、気付いてる?」
「何を?」
「BETAの数」
「何かおかしいとでも言うのか?」
「だって、おかしいでしょ?」
 観堂少尉は確信を持って答えているように感じられる。
 今までの経験から月詠は観堂の見識の広さを信用してはいるが、どうして彼女がそのような知識を身に付けたかは聞いたことが無い。

 月詠には『何を持ってしておかしい』というのかが、まったく思いよらないことである。
 まして、BETAの行動や習性は30年近くたった今でも、世界中の学者や研究員達が血眼になって研究しても何も解明できていないのだ。
 BETAについては何がおかしいのか、何が正しいのか、誰にも分かっていない。

 そもそも、BETAに意思があるのか? 目的があるのか? 習性があるのか?
 そんな事すら判っていないのに、斯衛とはいえ基本的にはそこら辺にいる一介の衛士である観堂がおかしいと言う。


――――おかしいと言う観堂少尉の方が、おかしいのでは無いだろうか?


 そういう思いに至った月詠の思考を、観堂の一言が揺さぶる。
「戦車級の全長と全幅はいくつ?」
「――――っ、こんな時に人を小馬鹿にするような人物だとは思わなかったぞ、観堂少尉」
 衛士訓練兵どころか歩兵訓練兵にするような質問を受けて、月詠は剣呑な雰囲気を隠さずに言い返し、人でも殺せそうな鋭い視線で観堂を睨み付ける。
 それでも、観堂はそれを軽く受け流して月詠の隣に椅子を寄せて座り、顔を寄せて小声で話す。
「いいから答えなさいよ、月詠少尉。ここから先を聞いておかないと、冥夜様に地獄で懺悔する事に成るわよ」
 観堂少尉の声は小さい声ではあったが、月詠の視線を真っ向から受けながら怯むどころか、さらに顔近付けて言う。

 ただその時、月詠には観堂の瞳に如何なる感情も感じることが出来なかった。

「全長約4m、全幅約2m」
 冥夜様の名前を出されてしまっては、どうしても気になる。
 しかも観堂の台詞は自分と同じく護衛の任に就く者の言葉とはとても思えない内容であるし、月詠自身の怒りを嫌でも掻き立てるような言葉だった。


――――『冥夜様に地獄で懺悔する事に成る』などと、よくもこの私に面と向かって言ったものだ。

 
 もしもこれから述べるであろう事が大したこと無い内容だったら、掴みかかるのを止める自信は無いし止める気もない。
「4m×2mは?」
「8メートルだ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ」
 湧き上がる怒りを抑えた積もりだったが、殆ど効果は無く低く震える声が月詠の口から漏れる。
 
 どこの誰が見ても、怒りを無理矢理抑えているのが見て取れる。

 それでも観堂は気にしないで、算数のような質問を繰り返す。
「つまり戦車級の『上から』見た面積は8平方メートル。で、これに10万を乗算すると幾つ?」
「80万平方メートル。貴様はもう喋るな。今はこれ以上、お前の声は聞きたくない」

 国家存亡の危機であるこの重要な時に下らない質問を繰り返す同僚を、月詠は本気で見捨てた。
 少々短絡的な思考ではあると自覚しながらも、心の中の憤りが収まりそうに無い。
 彼女は怒鳴るのも、文句を言うのも煩わしく感じたので無視、いやその存在を心の中で否定することに決めた。

 月詠は観堂から視線を外し、状況図を映し出している正面の巨大スクリーンに視線を移した。観堂との会話の間にも、ブリーフィングが止まる事は無いのだ。
 今までの遅れを取り戻そうとした月詠はメモ帳に必要事項を書き込む。彼女の心境を反映してか、その動作は書き込むではなくて、書き殴ると表現したほうが相応しかった。

 本当に殺気をその身から感じさせ始めた月詠から視線をまったく逸らさず、さらに相手の気分をまったく無視し、むしろ逆撫でする様な気楽さを感じさせる声で観堂は喋り続ける。

 彼女はきっと月詠が何も言わなかったとしても、結局は自分で話し出していたのだろう。

「kmで表せば、800平方km。知ってる、月詠? 対馬の面積は700平方kmしかないのよ」

 月詠は観堂の言葉を耳に入れながらも、その存在は無視する。

「つまり偵察衛星で判別できる『一番小さいBETAの戦車級だけ』だとしても、『10万もの数のBETAが対馬に上陸することは出来ない』ことなの。対馬のBETAが全て戦車級として考えても、島の面積が足りないのよ」
 

――――!!!


 月詠はその言葉の持つ可能性に驚愕して不覚にも声を失い、思わず半口になってしまった表情を隠すことが出来ないまま、少し呆けるように観堂を見た。
 観堂は、月詠を少しとはいえ呆けさせたことが出来た事に満足したような笑みを浮かべて言葉を続けた。

「判った? 月詠少尉。10万という数字が真実なのかどうかは断言出来ない。
 けどね、衛星写真って、数を数える際は『対象物の陰』で判別するのが基本なのよ。
 そして、解像度以下のモノは判別出来ない、ただの塊として写る。
 その癖、『写真で判別出来た数が10万』だって? 対馬に上陸できるわけが無い数でしょ?」

 観堂少尉は笑う。
 声を出さず、微笑を浮かべて静かに笑う。
 まるで、やんちゃ坊主の悪戯を見つけて対応に苦慮して困った表情を浮かべる女教師の様に。
 対馬の島がBETAに埋め尽くされている事実を並べて、まだ笑う。

「笑える話だと思わない、この出鱈目さ。
 積み重なったBETAの総数は『上から写すだけの衛星写真』では数えられない。当たり前よね、BETAの『一番上だけ』を写した衛星写真が『一番上のBETAの下に』何匹いるか、なんて写せないもの。
 10万って数は幾重にもBETAが折り重なっていれば、ありえるかも知れない数だけど。例えば、ハイヴ内とかならね。だけど、対馬では今までに言った理由で『数えられる』訳が無い」

 月詠は背筋に何か不吉なものを突きつけられている気分になってきた。
 美人のはずの観堂の顔が歪(いびつ)に感じるほどに。
 気が付けば、手の震えが止まっている。
 未だに観堂は笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「情報本部の奴らが『数えたって言う10万』って数字は、きっとあんまりにもBETAが多すぎて、途中で匙を投げた数なのよ。もしかしたら、震動波の波の大きさや幅で規模を推定したのかも知れない。けど、そうなら、そう言うでしょ?」

 観堂はそこで初めて、月詠を見つめる瞳に意思を込めて見る。
 言葉にならない言葉を伝えようとするかのように。
 
――――先程、歪と感じたのは何かの間違いだったのだろうか?
 月詠はその疑問すら押し潰すような、見詰めるだけで相手の意思を奪うような気迫の観堂の視線を逸らさず受け止める。

「私の考察の結論は、BETAの数は10万どころではすまない程の数で日本に向けて侵攻中って事。対馬を埋め尽くす程のBETAの大群が、何時までも食事中とは思えないしね。きっと直ぐに『対馬を食べ尽くす』
 それほどの非現実的な数のBETAが侵攻中だから、上層部は本当の事が言えなくて私たちにでっち上げの数を伝えている。私はそう分析してるわ。
 おそらく、私の推測は外れていない」
「・・・・・・・・・よく、そこまで言い切れるものだな」
 視線を外した観堂は少しだけおどけて両手を上に向け両肩を竦ませた。よくあるお手上げのポーズをとった。

「ただ単に事実を積み重ねただけよ。嫌なら、信じなくてもいいわ。そんなことより、月詠少尉に先任として命令する」
 今度は観堂が殺気すら感じさせる眼差しを月詠に向ける。
「この戦いが終わるまで――――。いいえ、この上陸してくるBETAとの戦いが一段落するまで、『何があっても冥夜様を護って、生き延びることだけ』を考えなさい」
「そんな命令は――――」
 必要無い、と言うであろう月詠の言葉を、観堂が語気鋭く制す。
「命令したわよ、月詠少尉」
「・・・・・・・・・了解」
 承知出来ないことを表情で表して、言葉だけの形式的な了承を示す。

 そんな月詠の反応を一通り確認すると、何も言わずに観堂は静かに立ち上がった。
「念の為に言っておくけど、小隊長はもう少ししたら部隊長ブリーフィングの予定。円城寺は格納庫で機体の調整中。私もこれから行くわ。早めに終わらせて仮眠でもしておいたほうがお得だしね」
「皆、ブリーフィングはいいのか?」
「さっき2人に同じこと話したら、直ぐに退室したわよ。そうでなくても戦況は流動的。その場その場でコロコロ変わるモノだし、ある程度の準備が終わったら、体調を万全にする方が、気が楽よ。情報に関しても、最低ラインのことはデータで渡されるし・・・・・・・。寝れる時に寝るのも仕事のはずよ」
「いや、私は最後まで居る」
「そ、じゃ、また後で。部隊長ブリーフィングが終わったら小隊ブリーフィングの予定だから、その時に起きていたら呼ぶわ」
「判った」
 その返事に対して、観堂は月詠に背を向けたまま手を軽く振り、静寂が支配する会議室の出口へと向けて歩き始めた。





――――それから30分後。

 月詠真那は休憩室に置かれている公衆電話の前で悩んでいた。緊急ブリーフィングも終了し、機体の微調整もあっという間に終わってしまった。
 任務の為に、冥夜の為に、日々の生活の中、一瞬たりとも気を抜こうとしない彼女である。
 武器や装備品等の道具の類は常に準備万端の状態だったので、戦術機も僅かな調整を機付きと呼ばれる機体ごとの専属整備員に指示すると終わってしまった。
 それでも、戦術機の調整がここまで早く終わるのは月詠としても意外であり、整備員達の練度の高さを再認識して、彼らに対する評価を改めた。
 
 不意に出来た、ちょっとした時間の余裕。
 
 小隊長はまだ部隊長ブリーフィングで不在、観堂少尉は機体調整を終わらせて仮眠中、円城寺少尉は小隊事務室で待機中。
 今は月詠自身も特にやるべきことが無い。一息付く為に淹れた合成緑茶も既に飲み干して、湯飲みも片付けてしまったのでもう一杯と云う気にならない。
 
 
 
――――冥夜様に事の次第を御報告すべきか・・・・・・・・・。
 非常呼集、それも深夜の緊急招集ということもあって、月詠は就寝中の冥夜を起こさずに斯衛軍に向かった。
 もう御剣家に残った3人の内、誰かが事情を説明してくれているのかもしれないが・・・・・・。
 今の月詠には、BETA侵攻という死ぬかもしれない非常事態の前に、冥夜に対して一言も挨拶せずに黙って出て行ってしまった事に関して、少し後ろめたさがある。

――――今からでも遅くは無いか・・・。
 そう考えて公衆電話の前に立ち、手を受話器に伸ばし掛けて戻した。
 時計を確かめれば、もう9時15分近い。
 
――――冥夜様はもう学校に向かわれたのであろうか?
 その直後に九州では非常事態宣言が発令されたのは確認しているが、東京でも発令したかどうかを確認していないことに気付く。

――――ちゃんと食事は取られたのだろうか?
 冥夜様の義父母である御剣家当主とその妻も、月詠と同じ斯衛軍に所属している。所属している連隊こそ違うが、同じように非常呼集が掛かったはずだ。きっと冥夜様に簡単に事情を説明したら、すぐさま斯衛軍第4連隊が所在する帝国陸軍朝霞駐屯地に向かったはず。
 御剣冥夜は食事が作られていないからと言って飢えるような愚か者では無いが、こう言っては何だが料理が上手い訳では無い。

 月詠真那は数年前に小学生の冥夜が教育実習で作った料理を振舞われたとき、その料理の味の所為で、お礼を伝えようとした舌の呂律が回らなくなった記憶がある。その記憶と共に、酸っぱすぎて苦すぎる御握りの味覚も思い出した。

――――あの御握りには、何個分の梅干の他に何が入っていたのだろう?
 そんな事を今でこそ思うが、あの時は正直、味なんてどうでもよかった。
 嬉しかった。
 月詠真那は嬉しかった。
 幼い御剣冥夜が恥かしがっている事を懸命に隠しながら、『沢山作りすぎた故・・・』と言って御握りを手渡してくれた、あの時。

――――嬉しかった。
 その心遣い。それだけで十分だった。

――――・・・・・・・・・・・・。
 それから彼女は少しの間、両目を瞑って思案した。

――――やはり、御報告せねば・・・・・・。
 月詠は躊躇いを消し去り、公衆電話の受話器を取り上げて、暗記している電話番号を右の人差し指で素早くダイヤルする。


 御剣家には冥夜の護衛として、まだ神代や巴、戒の3人が残っている。
 彼女らも斯衛の一員で衛士でもあるが、配属部隊こそ第19独立警護小隊であるが隊付と呼ばれる微妙な立場だった。彼女ら3人は小隊に籍だけ置いているような状態で、特に役職や義務があるわけでもなく、仕事も決まっていない。ついでに言えば、彼女らの搭乗する戦術機も無い。
 
 そんな彼女ら3人が第19独立警護小隊に所属する理由は何か?

 現実的には、月詠が都合の良い様に使える部下を配属させるための方法だった。
都合のいい手駒であると同時に、月詠は3人を鍛えていた。無論、彼女らは帝国陸軍内ならば優秀の部類であるが、斯衛軍はその上を要求する。御剣冥夜の護衛の為に月詠真那は、さらにそれを上回る技量を3人に要求している。
 その為、彼女らは今も訓練兵時代のように特訓中だった。訓練兵時代と違うのは既に衛士になっている事と、所属と教官、あとは住む場所の他には、御剣冥夜の身辺警護を行うこと以外には差が無い。

 そして、来年度には第19独立警護小隊は大幅な人事異動が確定しており、月詠自身は中尉に昇任して第19独立警護小隊長となり、神代を始めとする3人は機体も支給されて名実共に本当の衛士となる。その為、現在の小隊長である青柳中尉を始め、同僚の観堂少尉、円城寺少尉も他部隊に異動することが既に内定している。

――――少なくとも、誰かが電話に応対出来るだろう。
 呼び出し音が4回鳴り響いた直後に、誰かが受話器を上げた。

『もしもし、御剣でございますが――――』
 電話に出たのは巴雪乃だった。
「巴か、私だ」
『――――真那様!! このような緊要な時にお電話とは・・・・・・。何かあったのですか?』
「いや、これといった急ぎの用事は無い。もしかしたら、今日の夕方頃には京都に向けて移動することになりそうだ」

 その後、巴にブリーフィングで聞いたBETAに関する情報と政府・帝国軍の対応の概要を簡単に伝える。他の2人にも、ちゃんと伝えるようにと言伝する。
 観堂少尉が話したBETAの考察や、そこから考えられ得る事態に関しては言う必要は無いと月詠は判断したので、それ以上は言わなかった。
『私たちにも、瑞鶴があれば・・・・・・』
 電話越しに小さく漏れた巴の声には、言い様の無い悔しさがある。

 このような事態に民の為に命を掛けずして、何が衛士かという想いがあるのだろう。
 その巴の気持ちは、月詠にも理解できた。

「気にするな、巴。最初にお前たちの配属に関して、このように手配したのは私だ。寧ろ、お前たち3人を確実に冥夜様のお側に置けるので、私は安心して京都に行ける。冥夜様を頼んだぞ、巴」
『勿体無き御言葉で御座います、真那様。冥夜様の御身、我ら3人がこの身を賭してでも、必ずや御護り致します。どうか憂い無く日本の為にその剣、御振るいくださいませ』
「ああ、必ずや彼奴ら全てを、物言わぬ屍に変えて見せる」
『御武運を、真那様』
「ああ、安心しろ。それと・・・・・・」
 月詠はやっと本題に入った。


「冥夜様は今、居られるか?」
『非常事態宣言が発令される前に、学校に向かわれました。神代と戒が護衛で一緒に行っております』
 既に東京でも非常事態宣言は発令されていたことを、その一言で確認する。
「御剣殿は、冥夜様にこの事態を説明されていないのか?」
『いえ、冥夜様は大まかではありますが、この事態の説明を御剣殿より受けられております』
「――――では、なぜ?」
 なぜ月詠の最愛の主は、これから非常事態宣言が発令されると判っていながら、学校に向かったのだろう。
『冥夜様は、御自分が他の御学友よりも早く避難することは決して出来ないと――――。万が一、何も知らずに通学された御学友が居たら、その後に帰ると言って学校に向かわれました』
 巴の声は最後の方は消えてしまいそうなほど、小さな声だった。
 きっと、冥夜を翻意出来なかった自分を恥じているのだろう。

 巴のその気持ちは警護に就く者としては痛いほど理解出来るが、そう云う行動を取った御剣冥夜は、やはり月詠真那が護ろうと決めた少女だった。


 御剣冥夜に、本当に心を許す学友なんていない。


 御剣冥夜は、友人の家に遊びに行った事など一度も無い。


 御剣冥夜が、そのようにして遊ぶ友達は一人もいない。


 それでも御剣冥夜は、同じ学び舎で過ごした者の窮地を見過ごすことなどしない。


 さらに。


 己には対応出来ない事態が襲い掛かろうとも、その身を引き、保身に走ることなど有りえない。

 
 御剣冥夜が、護れるはずの誰かを、護ろうとする誰かを、見捨てることなども決して無い。


 その事を再確認した月詠は少しだけ誇らしくもあり、少しだけ悲しくもあった。


「いや、お前が悪いわけでは無い。護衛には2人付いているのであろう。なんら問題は無い」
 月詠はそう言って巴を励ましたあと、時間があったら、また電話すると述べると受話器を静かに戻した。



 御剣冥夜は、現政威大将軍である煌武院家からの養子として御剣家で育てられた。
 そして名も知られぬ傍流とはいえ、御剣家は白の色を受け賜る武家である。
 冥夜の行動は将軍家を始めとする武家の立場と役割、国民から受ける視線の意味を理解した上での行動である。


――――例えば、いち早くこの非常事態の情報を耳にするであろう武家の子弟が、他の子供たちが学校に来ているのにいないとしたら。

――――例えば、学校から急いで帰宅する子供たちを押し退けてでも帰ろうとするれば。

 それを知った国民は、将軍家や武家をどう思うであろうか?

 この日本でそんな見苦しい行為は、帝家・将軍家・武家の血を僅かでも引く者達には絶対に許されないことに等しい。

 しかし、人の心は弱い。

 月詠も特権階級や選民意識を振り翳す者達が言い訳しながら、民の範に成らぬ行為をしているのを知っている。

 御剣冥夜の生い立ちと過去、そして将来を考えれば、このような事態に際して何らかの我が儘を言ったとしてもおかしくは無いと思う。
 だが、あの少女は何も言わず、誰に強要されるでもなく、民の見本と成るべく自らを律し、行動している。
 少女は、優しく強い心と正しい信念に従って行動している。
 

 本当に、言葉では上手く言い表せないほどに――――。
 御剣冥夜は真っ直ぐに、眩しいぐらい真っ直ぐに成長してきた。
 月詠真那はそのことが少し誇らしく、少し悲しい。
 そういう人物に育った冥夜が誇らしく、そう育たなくてはならなかった冥夜が少し悲しい。
 そんな、矛盾した感情。


 彼女が護ると誓った少女は、双子で生まれたからというだけで忌子とされ、父を無くし、母を無くし、姉を無くした。生まれて数日もしないうちに家を追われ、身代わりの運命を科され、その命さえも自由に出来ない少女。

 
 それが御剣冥夜。


 血を分けた親が護らないならば、私が護ると。


 掟が苦しませるならば、私が庇うと。


 社会が受け入れないのであれば、私が側にいると。
 

 月詠真那が、そう誓った少女。


――――冥夜様。


 だからこそ、月詠真那は揺らがない。


 生還が絶望的かも知れない戦場に向かうとしても、逃げることは無い。


 月詠真那は言い切れる。


 『私は冥夜様を護るために強くなった』と――――。












――――その月詠真那は、いつ頃から強くなろうとしたのだろう?

 彼女は歴史も由緒もある武家に生まれ、物心付く前、いや彼女の記憶にある一番古い思い出は、祖父と共に板の間の道場で神棚の前に立ち、竹刀を上段に構えてただ闇雲にそれを祖父に向けて振った記憶だ。
 彼女の最初の剣の師は、今は亡き祖父であるが、その師に剣を与えられた瞬間から彼女の剣に生きる道は、武人として生きる道は始まったのだ。
 祖父の死と共に師を変え、より上を目指すために己の修練の方法を考えては試し、より勝つために技を模索しては試した。
 彼女は幼年学校に入るはるか以前から、剣の道においては創意工夫を凝らすようになった。
 連綿と受け継がれる血筋故なのだろうか、それとも持って生まれた才能なのだろうか。
 月詠真那は13歳になる頃には只の大人程度では稽古にもならず、むしろそれらに稽古をつける様な腕前であった。


 その彼女が高等学校に入学して程無く斯衛軍の目に留まった事はなんら不思議の無いことで、むしろ当然の成り行きであった。
 達人になることは間違いない剣の腕前、赤の衣を身に纏える家柄、有力武家としても由緒ある血筋であり、大政奉還時においては五摂家の1つである煌武院家の直参として名を馳せた月詠家の娘、幼少の頃から育まれた強い愛国心、己が決めた主に対する純粋な忠誠心、剣の腕に隠れ気味だが洞察力に優れた明晰な頭脳と、斯衛の者としては非の打ちようが無い程の逸材であった。
 斯衛と成るべくして生まれたような人間であり、そして本人もそうなるのではないかと漠然とでは在るが感じていた。

 その彼女が生家に訪れた斯衛の者に――――実質、斯衛の面接なのだが――――言った言葉がある。

『私には既に護るべき人物がいる』

 この言葉を聞いたとき、斯衛の面接官は驚いた。
 幾ら剣の腕が立つとはいえ、年端の行かない少女がこのような事を真顔で言うのだ。
 しかも、いかなる軍隊、組織、機関に属していないのにである。
 面接官はいぶかしみ、そして思った。
 ――――BETAの脅威が世界を覆う今の時代を反映して、もしかしたら彼女は衛士となり家族や国民、皇帝陛下や将軍を守りたいのでは無いか?と、そう思った。
『大事なご家族や皇帝陛下、そして国民を守るのが夢なんだね?』
 優しく語りかけた面接官の言葉は、首を横に振られて即座に否定された。

『無論それらも護る。だが、私はあの御方を護る。』

 正直に言って面接官には真那の言葉の意味も考えも何もかもが意味不明に感じ、まったく理解出来なかった。
 この斯衛の面接官は『御剣冥夜』をまったく知らない者だったので、それも致し方の無い事であった。
 それと同時に面接官は、やっと月詠真那本人に興味を持った。

 面接官は素早く質問を繰り出した。
 人は考える時間を与えぬように連続して問い質されると、その意に反して本心を言うことがある。
 その心理を突こうとする質問責めだった。
 それに対する月詠真那の答えは常に明瞭であるが、考えられたものだった。

『護ると決めた人の年は幾つか?』と聞いてみる。

『年下の少女』と答え、明確な年齢は言いそうにない。

『どんな家柄か?』と訊ねてみた。

『色は白』その血筋は同じ煌武院の派閥ではあるようだが、赤の衣を羽織る有力武家の月詠家と違い、名も聞いたことも無い傍流の武士の家系のようだ。

『何時それを誓ったか?』と問い質す。

『11歳の冬に誓った』と、この時だけは少し誇らしげに言った。

『その少女はこの事を知っているのか?』と確認する。

『言っていない』と躊躇いも無く言い切る。

『どうして守ろうと思い至ったのか?』と疑問を呈する。

『あの御方には何もない。だから、せめて私が護る』と深い愛情をその言葉に感じさせる。

『斯衛は皇帝陛下や将軍家を護る組織だから、個人では警護対象を選べない』と告げた。

『ならば、斯衛には入らない』と言い放つ。

『今まで鍛えた剣の腕前は何の為に鍛えたかのか』と確認する。

『最初はただ強くなるために。今は大事な御方を護る為に』

 面接官の心の中では問い質せば問い質すほど、月詠真那の存在感は膨れ上がった。
 
 月詠真那の本質を理解するのは、今はこれで十分だと感じた面接官は、去り際に最後の質問を問い掛ける。


『君にとって、その少女は命よりも大事なんだね?』


 その問い掛けに、月詠真那は何も答えず――――、

 一言も発せず――――、

 ただ、その覚悟を示す双眸を面接官に向けて、頷くことだけで答えを返した。




 それから何がどうして、どうなったのかは分からないが、月詠真那は斯衛軍に入隊し、御剣冥夜の警護を受け持つ斯衛軍第2連隊第16大隊第19独立警護小隊に所属していた。





――――そして、BETAの九州上陸から数日後。

――――月詠真那は衛士としての初陣を迎える。





[2930] 帝国本土防衛戦 第3話後編 「D-1 day 0911」 ~煌武院悠陽Ⅲ~
Name: DDD◆054f47ac ID:2a68b562
Date: 2008/07/21 08:12
 1998年7月16日 09時11分
 京都府 二条城 城内省内 政威大将軍用中会議室

 対馬がBETAの手に落ちたのが、今日の朝方04時50分。
 それから関係省庁の各部局のBETA侵攻という非常事態の対応策が本格化してきたが、今はまだそれほど目に見えるような成果は無い状態だった。

 対応策として目立つのは非常事態宣言だが、九州から関東までの地域では非常事態宣言は出されたが、東北・北海道地方では発令されていない。
 そして、九州地方・中国地方の一部住民に避難命令を発令したが、その効果の程には既に懐疑的に成らざるを得ない。

 当たり前のことだった。
 事前の準備も何も無く、何千万と言う人が動ける訳がない。それだけの人々を避難させる事は出来ず、避難させた後の生活に必要な場所も資材も食料も無い。
 
 1998年7月16日の朝6時過ぎから始まった九州の人々の緊急避難は当然のことながら終了しておらず、何時終了するのかの目途すら立たない状況だ。
 朝鮮半島をBETAが食い尽くして以来、九州地方の人々の北海道・東北地方への疎開は進んでいたが、何千万もいる人々の移住がそんなにも早く終わるわけが無い。
 しかし今、BETAが対馬に上陸したという知らせを受けた人々は我先にと本州を目指している。
 
 帝国としてはより多くの住民を避難させたいが、その輸送手段は今どの手段も一杯一杯だ。

 関門海峡では、大小様々な船舶を用いて北九州市と下関市との間を行き来しているが、3時間たった今もまだ1万人も運べていない。
 そもそも、北九州から下関まで避難民を運んではいるが、その後、下関から何処に移動すれば良いかの統括が不十分であり、無計画に、そして無秩序に人々が下関の交通網に散らばり、効率の良い避難を考えた場合極めて非効率的であり、避難計画に致命的な影響を及ぼしかねなくなっている。
 北九州から壇ノ浦までの陸路は今朝より本州への全面一方通行となり、軍人・警察などの政府関係者以外の人間が九州に行くことは不可能になった。

 国防省及び内務省・内閣が民間のバス会社や運送会社に国民保護法に基き命令しても、その強制力も低く、ほぼお願いしている状況に近い。
 むしろ、手間ではあるが警察官が一人、会社に言って無理矢理動かしたほうが早い。

 人々をバスに押し込み、トラックの荷台に放り投げる。
 そうまでして乗り込ませても車両が足りない。
 また、道路のほうも増えた車両に対応出来ない。
 家財を積んだ私有車と、借り出されたバスやトラックが関門橋から20kmを越えようかと言う巨大な渋滞の列を作り出している。

 九州各地の幹線道路や主要道路などに規制が引かれ、特に九州北部の国道202号線・3号線・495号線・199号線などの主要国道を北九州市への避難経路として一方通行道路に設定、主要交差点以外の信号機も停止させて迅速な避難を実施しようとしていた。

 鉄道も同じである。手荷物1つの乗客を本州へピストン輸送を実施している。
 新幹線、在来線、貨物線全てを使用している。
 客車が無ければ、カーゴ車を、コンテナ車を繋げられるだけ繋げた列車を走らせ、その列車には客車等に溢れるどころか、溢れた人々が手摺りにしがみ付くような状態で人々を運ぶ。

 航空機での輸送は主に帝国航空宇宙軍が受け持っている。
 九州中部・南部の飛行場はまだ安全なので、四国地方へのピストン輸送を行っている。無論、民間会社も行っているがその機体の数は航空宇宙軍より少なかった。 まして、車両や鉄道、船舶に比べ大量輸送効率では大幅に劣る航空機である。その余りの輸送力の低さに、避難民を運ぶぐらいならば軍人を九州に送るべきだという意見まで飛び交い始めていた。
 





 そんな中で政威大将軍である煌武院貞光は城内省での会議に出席している。

 城内省のそれほど広くはないが小さくもない会議室の中で、主要な政策担当官らを集め今後の対策を協議していた。
 
 出席者は榊首相を始めとする数名の政治家と国防省・外務省・内務省・城内省の局長レベルの事務官、帝国陸軍・海軍・本土防衛軍・航空宇宙軍と斯衛軍の高級幹部が一同に会した協議会ではあるが、実質的政策の進展は期待されていない。

 ここで出た議題、その殆どは出席者が属する政党や省庁に持ち帰られ、協議され、さらに他省庁と国会で協議され、合意されてから実行されるだろう。
 この協議に出席している多くの者もその予定である。このように関係各所との合意を重視した合議制は、このような非常事態でも幅を利かすのは今までの歴史が、第2次世界大戦を始めとする歴史が証明している。
 合議の文章が回覧される省庁とそれらの部署こそ、現在の日本帝国の権力がどのように分散されているかを表しているとも言える。



 本来、日本帝国本来の政治機構としては、その権力は全て1人に集中している筈だった。
 それが皇帝陛下。
 そして政威大将軍とは、皇帝陛下より任命された国事全権総代の称号。
 つまり絶対者に等しい権力を、この日本帝国の主たる皇帝より任された者。
 それが政威大将軍の本質。

 しかし、今現在の政威大将軍は名誉職である。第2次世界大戦の敗戦が主な原因で多数の権限を失った名誉職。
 昔に確かに多数の権限を失ってはいるが、それでも国事全権総代。
 この会議室では個人としてもっとも権力を持っている要職だが、帝国を全て思い通りに動かせるものではなかった。
 
 今現在の政威大将軍はほぼ全ての省庁に『指示』は出来るが『命令』はあまり出来ない。



 そして今、彼ら帝国の首脳部が直面している問題は何か?



 対馬に想定外の数で侵攻してきたBETA。
 確かに想定外の数ではあるが、BETAが侵攻してきた際の対処訓練や方法、それらに関する研究は朝鮮半島陥落以来、十二分に成されて来ている。
 
 だが実際に実施するとなれば、やはり別。
 机上の空論ではなく、実践ともなれば様々な問題が浮上してきている。
 だがそれも、ある程度覚悟して諸問題に官民一体になって対応を行なってきている。
 軍事的・経済的・資源的・食料的などの各問題に対応出来てきたのだが・・・。




――――たった1つの議題で、避難民の輸送計画も対BETA防衛戦計画も2番目の議題となった。




「和泉田局長、その話は本当なのですか?」
 そう問い掛けたのは、国防省の五所川原防衛局長である。
 彼がつい先程、外務省欧米局長である和泉田局長から直に聞いたにも係わらず、再度確認を行った。
 幾分、焦りが見えるその問い掛けを、この会議室の中では嘲笑う者は居なかった。

 それはたった今、彼らが崩れることが無いとしてきた前提そのものが崩れ始めたからである。
 BETAが攻めてくるのは予期されたことであり、それは国家存亡の大問題だが予期されていたことでもあり、会議参加者に物事の対処する前提が崩れたとは言えない事柄である。


 それ以外の何かが崩されてきている。


 日本帝国存亡の為には、崩れてはいけない何かが崩れてきている。


 外務省欧米局とはアメリカ・ヨーロッパ各国との外交関連の各業務を統括する外務省の一大部局であり、エリート達の出世街道そのものの部署である。
 その流れに乗っていたはずのエリートであるとは、とても思えない覇気の無い男が口を開く。
 溜息混じりにもう一度同じ内容を、皆に述べる気弱そうな和泉田局長の顔には疲労が感じられた。


「昨日の深夜に、アメリカ合衆国全権特命大使ウィルキンソン・ハルと赤坂で会合した際に、『提案』されました」


 彼はそこで言葉を切り、そこから先の言葉は大変言いにくそうだったのだが、意を決すると一気に言い切った。


「アメリカ合衆国は日本本土に侵攻したBETAに対して『核飽和攻撃』を行うべきと考え、その準備は既に完了していると――――」


「――――ッ!! ふざけるな・・・・・・、たかが戦争に1回勝ったぐらいで!!」
 激昂して怒声を漏らしたのは、帝国本土防衛軍総指揮官たる鮫島大将。
 怒髪天を衝くとはこのようなことを言うのだろう。だが生憎、彼の頭には一本たりとも髪の毛は生えていない綺麗な坊主頭である。
 見た目だけならば、茹でタコが怒っているような滑稽さすら感じる風景。
 しかし、彼は己を鍛え上げ、帝国本土防衛軍の頂点に立った男。
 その頭脳も肉体も伊達ではなく、何よりも気迫が常人とは違いすぎる。その男が無差別に発散する激しい怒りに文官たちが声を失う。

 しかし、彼の怒りはもっともである。
 幾らBETAが対馬に侵攻してきたとはいえ、まだ日本本土で本格的に戦ってもいないのに、他国の領土に核兵器を撃ち込もうという考えをひけらかすアメリカ。

 そのようなことを許す国など、存在しない。

 現政威大将軍 煌武院貞光も、内心の怒りを抑えながらこの提案の状況評価を部下に求めた。

 彼が信頼する軍人の一人、帝国陸軍情報本部第2分析班長 新条大佐に声を掛ける。
「新条大佐、アメリカの『提案』にはどういう意図が隠れている?」
 政威大将軍に問い掛けられた痩せた顔つきで長身の軍人は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。

「恐らく純粋に、BETA殲滅を『より確実なもの』とするためだけに、アメリカが自分自身で直接出来る方法の中で、最も安全かつ確実なものを選択したと考えます」
「そんな無法が許されるとでも思ってるのか!!」
 鮫島大将が吼えるが、新条大佐は無視して政威大将軍に説明を続けた。


「戦術的には、上陸直後または直前のBETAを核飽和攻撃により殲滅することは理に適っています。むしろ、非の打ちようがありません」


「――――ッ、あなたはそれでも帝国軍人かっ!!」
「貴様!! それでどれ程の国民が巻き添えで死ぬか分かっているのか!!」
 内務省の杵崎局長と外務省の田所局長が声を荒げて、新条大佐を非難する。
 新条大佐は、杵崎局長らを冷めた視線で一瞥すると、外務省の和泉田局長にも同じような視線を向けて問い質した。

「和泉田局長、まだ、続きがあるのではないですか? ハル全権特使の話、これで終わりとはとても思えませんが?」
 和泉田局長は額に浮かぶ汗を手に持ったハンカチで拭き取りながら、その問いに答えた。

「ええ、彼はこうも言いました。『日本は本当に自国を守る気があるのか? 軍事的最善を尽くしてもBETAに勝てる軍事力を持たぬ日本が、どうして核の使用を躊躇うのか、理解出来ない』と」
「あの白豚共が・・・・・・」
 帝国航空宇宙軍の出席者、羽鳥少将が怒りを隠さずに呟く。

 和泉田局長の言葉はまだ続く。
「さらに『我が国は要望が在れば何時でも北九州一帯に核兵器を撃つ用意が出来ている。そして残念ながら、私の上司は自らの血を流さず、最大限の努力をしない様な国に、我が国民の血を無益に流すことに我慢できない』」

「――――『我慢できない』だと?」
 その言葉とそれに続くだろう言葉を予期して呟き、片方の眉をピクリと動かして発言者を注視したのは帝国陸軍の出席者、荒木准将。


「・・・・・・・・・最後に、彼は『大統領は今、真剣に日米安保条約の破棄を考えている』と確かに言ったのです」


 そう力無く言った和泉田局長の顔色は見るも無残だ。
 彼の顔色は蒼かった。遺体が喋っているかと見間違うほどに。
 その顔色の理由は、このような結果になった外務省への責任追及の際、世論の非難の矢面に立つ立場であることへの恐怖からか?
 これからの出世が、もう在りえない事が原因か?
 日本の未来がもう描けず、自分の仕事上で得た人脈を使って国外に逃げる算段が上手く描けないためか?
 それとも、もう自分も他の大多数の国民と同じようにBETAによる死を迎えるしかないと思っているからか?
 だが、彼の顔色が幾ら悪くなろうが、それを心配する人物などこの部屋にはいなかった。


「まさか目的は、光州作戦での意趣返しか? そうであるならば、彩峰中将の公開処刑も考えるべきか・・・」
 そう述べたのは齢70を越えた老体に鞭打ってこの会議に参加した帝国議会参議院議長 二階堂議員。

「では直ちに彩峰中将を処刑。アメリカにその生首を渡して許しでも乞う? そういう算段でも立てられる御積りですか? 二階堂議長」
 老人にすら容赦なく殺意に満ちた目を向け、陸軍代表の荒木准将は冷たく問う。

「犯罪者の首1つでこの事態が好転する可能性があるならば、安すぎるな!!」
 この言葉は二階堂議長の言葉ではなく、同じく帝国議会衆議院議長である田中議員。
 こちらは二階堂議員と比べ遥かに若く60歳にもなっていない。エネルギッシュな勢いを感じさせる雰囲気と、響くような低音の濁声に広い額を持つ男だった。

「それも当然、視野に入れるべきかと思います。貞光殿下」
 少しかん高い声で意見具申したのは、城内省政治局長である稲村局長。50歳を越えたオールバックの白髪が特徴といえば特徴の中背中肉の男である。

「アメリカの件を別として考えても、これから始まるBETAとの厳しい戦いの事を鑑みれば、彩峰の処刑も決して無価値では無いがな」
 先程まであれほど怒り狂っていた鮫島大将が、その感情を抑制して持論を述べる。
「これから輩(ともがら)の血と肉を浴びながらでも戦わねばならん我等帝国軍人に、命令違反を犯して尚生きることが許されている者が居るという例外を今は無くすべきだ。
 帝国軍人に必要なのは、例外の無い完璧で厳正な、鋼のような規律。
 そうではないか、諸君?」
 そう言って、鮫島大将は会議に参加している軍人一人ひとりに目を向ける。


 軍隊が軍隊であり、軍人が軍人である根源たるものの1つである、規律。
 軍人にとっては、これはある意味、太陽が東から昇るのと同等な事。

 規律の重要性は、歴史上ではナポレオンが勝利を持って証明している。
 ただの一般市民と腕力の強い荒くれ者が戦った場合、1対1では勝負が見えている。だが多数対多数では、団体として如何に力を合わせ、総合力で勝るかが勝敗を決する。その際に、組織の一員として己の我が儘や独走を我慢して、与えられた役割を果たし勝利に貢献する者が多いほうが勝つ。
 その元となる精神的なものこそが、規律。軍隊でいうならば軍規。
 ナポレオンは農民を主体とした徴兵で集められた者達を訓練して軍隊を組織。敵国の職業軍人として金で雇い主に従えていた傭兵団や、主従関係で結ばれていた騎士団等を蹴散らした。

 
 しかし、軍人がただ単に命令に従うだけならば、指揮官など不要。


 荒木准将は異を唱える。
「鮫島大将の仰る事、殿下を始め帝国軍の命令を受けての行動ならば当然至極。しかしながら彩峰中将の独断専行は、国連を裏で操るアメリカの無法極まる作戦で無駄に命を散らす軍人と民衆を救うための行動。
 まして、彼が命令違反と取られた命令は、国連軍傘下に正式に加わっていない多国籍軍状態での事前調整無しのアメリカ側の思惑により発令されたもの。
 彩峰中将は、あくまでも『帝国軍人』。
 協同作戦中といえ、実質的には国連軍では無いアメリカ軍の命令を受けなければならない理由はありませぬ。
 ましてアメリカ軍は、国連軍の司令部ではありませんしな。
 もし仮に彼を処罰するにしろ、今それを行えば、内外に日本帝国はアメリカの機嫌を取る為だけに軍人を処刑した日和見主義者の集まりと誹り受けることは必定。さらに彼に多数の命救われ、それを土台に培われた大東亜連合との信頼を著しく損なうのではありませんか」

 それに対する反論は鮫島大将ではなく、国防省の五所川原局長から来た。
「大東亜連合などと云えば大層に聞こえるが、所詮は弱小国の集まり。いまや世界に唯一つの超大国アメリカと比べたら、どちらが重要かは明白では無いですか?」

 その通りだと、榊首相以外の政治家が首を縦に振る。

「彩峰中将の問題など、アメリカが自分達の無理難題を言うために用意した言い訳に過ぎん。そのような事を何故、真に受けるのだ!!」
 斯衛軍総指揮官である今羽大将が一喝して、この話を終らせようとしたが無駄だった。
 各々が勝手なことを言い出し、会議は最早意見交換の場にすらなっていない。
 

 その最中に政威大将軍 煌武院貞光は、ただ一人、今だ何も言わない政治家である榊首相を見た。


 お互いに通じるものがあったのだろう。視線が合うが、お互い何も言わない。


 頷きも無く、小さな合図も無い。ただお互いの意思を視線に乗せてぶつけ合う。


 政威大将軍と首相の2人を持ってしても、この件は手出しが出来ない。


 第2次世界大戦以降、統帥権の多くを実質的に手放した政威大将軍では、軍部が実権を持つ軍事裁判所に口出しが出来ない。


 選挙で選ばれた帝国議会の長とも言える首相には、そんな権限など元々無い。

 
 政威大将軍の一人娘が師と慕う彩峰中将の生死は、何時の間にかアメリカとの重大な外交問題の1つとなりかねない。


 どんな形であれマスコミに報道されてしまえば、彩峰中将の死刑執行を求める声が、このような非常事態の最中に発生しかねない。


 彩峰中将を殺せばアメリカが助けてくれるといったヒスティリックで感情的な報道や群集心理が巻き起こってしまえば、一体どうなってしまうことか。


 BETAとの戦闘を控える帝国軍人に対する精神的影響も計り知れないが、京都や東京などの大都市で民衆が起こすデモ行進などが交通網に与える影響も、一刻一秒を争う避難民の輸送計画や、同じように時間と戦いながら部隊移動をしている陸軍や本土防衛軍には許しがたい悪影響を生み出す。



『――――つまり今の日本には、BETAとアメリカ合衆国という2つの強敵が存在している』
 政威大将軍 煌武院貞光は認めたくは無いが、そう認識せざるを得ないと判断した。
















――――時は少し遡る。

 1998年7月16日 05時09分
 京都府 某所 煌武院家屋敷 

 現政威大将軍、煌武院貞光(こうぶいん さだみつ)は、妻である煌武院天音(こうぶいん あまね)を伴い、『たった一人の可愛い愛娘』である煌武院悠陽の部屋に向かって、屋敷の廊下を歩いていた。

 煌武院貞光は今年で42歳になる。
 背はそれほど高くなく170半ばほどで、髪はオールバックにしており、所々に白髪があるもののさして目立たなかった。
 外観上は特にそれといった特徴は無く、ただ要職に付く人間特有のある種の張り詰めた雰囲気をそれとなく漂わせていた。
 彼が身に纏うのは、この世でただ一人だけ許された“紫の斯衛の軍服”

 その1歩ほど左後方に距離を置いて歩くのは、その妻、煌武院天音35歳。
 長い睫毛と切れ長で見る者を思わず魅了する強い意志を宿した瞳、陶器のような白さを感じさせる肌、15年近く前に子供を生んだとは思えないような綺麗なプロポーションを持つ細身の170cmを少し越える長身。
 張りのある肌にほとんど見当たらない顔の皺、誰もが美しいと思うような細めの顔。
 どうやら年齢というものは、彼女を避けて過ぎ去るらしい。
 そう思わせるほど、彼女は若く見えた。未婚と言われたら誰もが信じるかもしれない。
 腰の近くまで真っ直ぐに伸ばした群青の長髪は、うなじの近くと腰の近くの2箇所でしっかりと束ねられており、前髪は眉毛の近くで水平に切り揃えられ、その瞳には強い意志を宿していることが誰の目にも明らかだった。
 彼女が身に纏いし軍服は、“青の斯衛の軍服”

 小鳥が囀り、蝉が鳴く初夏の日の出前。
 日が昇り始め穏やかな朝日に照らされ始めた木々の緑と、その光が反射して輝く水面が周りの植物と調和する、美しい箱庭に面した廊下を共に歩く煌武院夫妻の表情に明るさは無い。
 むしろ沈痛としか例えようが無い表情である。

 少しして庭に面した悠陽の寝室である和室の前に着くと、妻である天音が片膝を付いて、そっと静かに障子戸を開けた。
 貞光は、今はまだ寝ている悠陽を起こすために妻が娘の寝室に入るのを横目で見つつ、すやすやと静かな寝息をたてて布団で寝る、綺麗になった愛娘の寝顔を見詰める。

 彼の一人娘の悠陽は、今年15歳になる。
 
 今はまだ少し幼さが残る横顔だが親の贔屓目でなく、この自慢の一人娘は誰もが称えるような眉目秀麗な気高い美女になるだろうと、彼は確信していた。

 悠陽の父親である煌武院貞光は、自分を凡人だと自己評価している。
 自分の人生を思い返せば天賦の才など何もなく、煌武院の家に生まれたときから弛まぬ鍛錬を続けたが、凡人の才と努力など神に愛された者の才能と努力の前には、瞬く間に灰燼と化すと思うような事が多かったと思う。
 自分の見た目が良いわけでもなく、肉体が優れているわけでもない。ましてその頭脳が明晰なわけでもない。
 ただ煌武院家の教えを愚直なまでに信じて歩いてきただけの、それ以外何もない男だった。

 そう思っていた矢先に出会った妻と、その妻と共に天から授かった『一人娘』。
 無理だと思いつつも、玉砕覚悟で妻に交際を申し込んだとき、それから求婚したとき。

 両方とも人生の一大イベントであり、その妻が娘を産んだときは今までの人生でもっとも喜んで、その直後に最も辛い選択を妻に強いた。

 それが愛する妻、天音を今までの結婚生活で、ただ一度だけ涙させたときである。

 それ以来、二人は盲目的なまでに悠陽を愛してきたと思う。



 悠陽が赤子の頃は、この可愛くて仕方が無い娘をあやす姿を友人達に見られては、余りにものの親馬鹿振りを笑われたものだ。

 1歳を越え、初めて言葉を話すようになったときは『ちちうえ』と言うその声を、一刻も早く聞きたくて我慢が出来ず、仕事を半分放り投げるようにして無理矢理定時に職場を出て家路を急いだ。

 4歳を越える頃は、初めての海で波の満ち引きを追いかけてはしゃぐ娘を、慣れないカメラで写真を撮る自分がいた。

 6歳になったとき、一緒にお風呂に入れなくなって正直悲しかった。

 8歳のとき、可愛がっていた三毛猫が今の彼女の寝室の軒下で、老衰で死んでいたときは、この部屋はこれからずっと自分の部屋にして欲しいと訴えられた。普通、死ぬ間際には飼い主の前から姿を消すという猫が、自分の近くで死んだことで何か感じたのだろう。
 それから彼女はずっとこの寝室で寝起きしている。

 9歳のときには、外交という仕事絡みではあったが初めて海外に連れて行けた。オーストラリアの動物園でコアラの親子を見て、小声で『………かわいい』と呟くのを聞き、その年の誕生日プレゼントは小さいぬいぐるみではあるが、コアラの親子のものにした。

 10歳の夕食時には、悠陽とこれからの日米同盟の危うさと国内の政局の各党の勢力関係、度重なる大陸への派兵で疲弊する国内経済を不安がる会話をしたときは、自分で帝王学を学ばせておきながら『やりすぎたかな』と不安になった。

 13歳の時には、自分なりの政治的思考を身に付け始め、公私で出会う各界有力者に対する会話の内容が相手に合わしたもので、さらにそれを無理なく議論しながらも聞き上手な愛娘を見て、政治家として大きくなる姿を想像したものだ。



 そして、今年12月16日に15歳になる悠陽はどうなるのだろうか?



 自分が日本を守りきれなければ、BETAは自分の命よりも大切な娘を、間違いなく襲う。

――――BETAに襲われ、貪り食われる悠陽。
 四肢を喰い散らかされ、物言わぬ骸に成り果てる悠陽。
 その綺麗な顔を噛み砕かれて、ただの肉片にされてBETAの口の中で咀嚼される悠陽。


 最悪の光景を想像してその余りのおぞましさに歪む顔を、妻に起こされたばかりの愛娘に見せたくない貞光は、妻と娘に背を向けて縁側から庭を眺める。


 その庭を眺めれば、妻と戯れる幼き悠陽が貞光の眼に蜃気楼のように浮かぶ。


――――なんという弱気。
まだ戦場に立ってもいないのに、こんな事ばかり思い出していては。


――――6年前、政威大将軍と云う要職についてから何時かはこのようなときが来るやも知れぬと思っていたが、その覚悟は全然成っていなかったか………。
 何処まで行っても只の凡人の自分には、愛する妻と娘に毅然とした後姿を見せることさえも、かなりの努力が必要だと今更ながら再認識してしまう。


「父上、こんな朝早くから如何なされたのですか?」
 気が付くと、後ろから聞こえる娘の声。
 その声に、貞光の体は僅かではあるが揺らいだ。必死になって、その揺らぎを止める。

 直ぐにでも振り返れば、見れるだろう光景を目の前に思い浮かべる。
 それは、寝起き直後の悠陽の無防備な表情。

――――ああ、そうだった。
 彼は唐突に思い出した。
『――――妻と悠陽に、恥かしくない父親になる』
 そう思い、煌武院家当主としての職務、6年前からは政威大将軍の職務を一心不乱に邁進してきたが、その原動力は正直言うと帝国国民の為よりも家族の為という理由が大きかった。

 あのとき、彼はこう感じたのだ。

 国民と皇帝の為に尽くすのは、煌武院の家に生まれたときからの義務である。
 故に、悩むことなく定められた事を行える。

 家族に尽くすのは義務ではなく、それ自体が目的の、家族が幸せになってほしいという願望を、行動で表した想いの1つである。
 故に、その想いと行動に限りは無い。

 それを思いだした。


「悠陽」
 貞光は万感の思いを込めて、愛娘の名を呼ぶ。
「はい」
 悠陽の声を人の心を惹きつけるようないい声だ、と思うのは親の贔屓目だろうか。
 近頃は忙しい忙しいと言って、碌に家族の会話をしていなかった。
 悠陽が生まれてから少しでも早く起きれば、少しでも仕事を早く終わらせれば、少しでも付き合いの酒を減らしていれば。

『もっと、もっともっと、悠陽と話が出来ていたのにものを………』

「今年の誕生日は、何が欲しい?」
「………? どうされたのですか? 父上」
 狐に抓まれたような悠陽の声が、どれほど彼女が戸惑っているかを貞光に伝える。
「いいから言ってみろ」
 とても今の顔は、娘に見せられない。
 そう思う貞光は、背中を向けたままで話す。背後で畳を踏む音が少しして、微かな衣擦れの音と人の気配が増える。きっと、妻である天音が悠陽の近くに来たのだろう。
「………父上」
「欲しいものは決まったか?」
 悠陽は戸惑い、次の言葉を言い出すまで3秒ほど時間が掛かった。
 その間に、政威大将軍は振り返る。
 彼の瞳に映るのは、視線を下に逸らして考え込む愛娘。
 その両肩に両手を置いて、促すように娘に寄り添う妻。



「………私は家族みんなが、帝国に住む誰もが、平和で明るく暮らせる未来が欲しいです」
 父親を見上げながら、華のような笑顔で答える娘。



 父親を見上げながら、温かみを感じさせる笑顔で答える一人娘。
 それは人の世に暮らす限り、決して叶うことが無い願い。
 聡明な悠陽は、既にそんな事は理解してしまっている。
 それでいながら父親に何が欲しいと聞かれてそう答えたのは、それが娘の嘘偽りない本心であり夢だからだ。

「――――わかった」
「――――?! 父上??」
 次の瞬間、彼は両手一杯に広げて妻と娘を一緒に抱き締めた。
 彼の記憶の中で、最後に抱き締めた時の娘はまだ腰ほどの高さだったが、今はもう肩口の近くに頭がある。

 左腕に悠陽、右腕に天音を抱く貞光の鼻腔を、別々の香の臭いが擽る。
 2人を抱き締めながらも、その二人合わせても自分の両の腕にすっぽり入ってしまう程の大きさであることに、煌武院貞光は驚きを覚えた。
 
 今まで、彼はそんな事さえ忘れていたのだ。


――――この温もりは、決して忘れない。


 貞光は左手で悠陽の頭を優しく撫でながら、最後になるかもしれない言葉を掛ける。
「悠陽、お前のその夢は煌武院家の夢になるだろう。そしてお前ならその夢、必ずや成し遂げられよう」
「――――父上っ、どうされたのですか、父上!?」
 あまりにも唐突過ぎる会話、噛み合わない言葉のやり取り、突然の抱擁、意味深な言葉と優しく慈しむ父の顔。
 普段では決してありえない父親の行動に、悠陽は言い知れぬ不安に駆られた。
 
 しかし、貞光は驚きと何かに怯えた表情を見せる娘に優しく微笑むだけで、その後ゆっくりと妻に目を向けた。

「………天音」
 16年、共に暮らした妻の名を優しく呼ぶ。
 初めての逢引も、結婚式も、新婚旅行も、夫婦喧嘩も、夏祭りも、初詣も――――。
 騒がしい朝も、眩しい昼下がりも、涼やかな夕方も、穏やかな夜も――――。
 いつも自分の傍らに静かに佇んでいた、愛する人を抱き締めながら視線を交わす。

――――そして、夫婦は短く唇を重ねる。

 彼の腕の中で厳格なはずの両親が見せる光景に、驚きと衝撃を受けた悠陽の身が強張る。
 想像したことも無い光景に、目を白黒させて頬を真っ赤に染めている悠陽は、年相応の可愛らしい少女だった。

 政威大将軍は、妻と娘を抱擁していた両の腕を解く。
 彼は今まで人に触れた手を離すのが、これほど辛いことだと思ってもいなかった。

 最後に悠陽の頭を優しく、愛おしく、慈しみながら撫でる。
「悠陽。お前への贈り物、今から用意してくるよ」
 あまりに唐突で要領を得ない言葉と会話の流れに、戸惑いながら父の顔を見詰める悠陽。


「後は頼んだぞ、天音」
「あなたこそ、お体にお気をつけて」


 夫婦は見詰め合い、そして静かに微笑む。
 もしも相手が自分を思い浮かべるときがあれば、その時は笑顔の自分を思い出して欲しいから。


「分かった。じゃ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
 うむ、と力強く頷くと、煌武院貞光は家族に背を向け、彼の戦場である城内省に向かう為に悠陽の部屋から立ち去った。





 その父親を、せめて玄関まで見送ろうと悠陽は歩き出した。


――――理由なんて分からない。


 ただ、それでも父親を見送らなくては駄目だという直感を信じ、悠陽は動いていた。

 しかし、天音は悠陽が3歩も歩かないうちにその両肩を掴み、無言で止めた。

 驚きの表情で振り向く悠陽。
「母上、一体どうしたというのですか? 何があったのですか!?」
 何も説明されないことに対する苛立ちと、理由も無く感じる焦燥感と恐怖を胸に抱き、悠陽は母親に問い掛けた。


 緊張した面持ちで政威大将軍の妻である、煌武院天音は一人娘の問い掛けに答える。
「昨日の深夜、遂にBETAの日本侵攻が始まったのよ」
「――――!?」
 悠陽の青褪めた表情は、父と国民を案じたものであろう。


 その表情を痛ましいと思いつつも、母である煌武院天音は厳しい表情と強い意志を込めた視線を、愛娘である悠陽に向けて告げなければならないことがある。


――――あなた。正直言って、ずるいわよ。
 煌武院天音は、夫である貞光に対して心の中で愚痴を零す。


「悠陽、これからたった1つだけ質問するわ。
 そして、それはあなたが思う通りに答えなさい。
 他の誰のことも考えなくていい。余計なことも考えなくていい。
 私たちのことも、国民のことも、政治のことも、経済のことも、歴史のことも、何も考えないでいい。
 誰の為でもなく、自分の心に正直に考えて。
 しがらみも、歴史も、義務も、信念も、欲望も、こだわりも、他人の期待も、何もかも無視しなさい。
 自分の心だけを見詰めなおして、答えなさい」


 ただでさえ蒼白な悠陽の顔が、さらに強張って血の気が引いていくのが天音の瞳に映る。
 聡明な愛娘は、気付いたのかもしれないと思う。


「悠陽・・・・・・・・・」
――――貞光、地獄で落ち合う予定だけど、出会ったらまず殴るわよ。
 天音は愛する夫の名を恋人となる前の呼び方で心の中で呟き、娘に問う。


「私と父さんが・・・・・・」
――――例え、時代の所為であろうと何であろうと、娘にこのような問い掛けは母として行いたくない。


「いえ、貞光殿下と私が戦死したときに――――」
 いつもならば震える悠陽を、愛しい一人娘を抱き締めるその両手を天音はきつく握り締めて、その衝動を押さえる。


「悠陽、あなたが政威大将軍となった場合、1人で・・・・・・『独り』で戦える?」
――――もう私達2人が死ぬのが、確定事項に近い未来が直ぐそこにある。


「日本帝国国民1億1千万人の命を護るために、独りで悩み、決断して、結果を受け入れる覚悟がある?」
――――私たちが消えたこの世界で、あなたはどんな人生を選択するの?


「だけど、勘違いしないで。あなたは政威大将軍になっても、ならなくてもいいの。もっともなれるとも限らない」
――――その為に、今のうちに出来ることをするから。


「だから、あなたの心の思うままに答えて」
――――親として『あなたの選んだ人生』だけは護りたいから。


――――だから、お願い。正直に答えて。


 『独り』になるであろう娘の身を案じて、母は願う。







 その言葉に泣きそうな表情を隠せない悠陽が、天音の目の前で立ち尽くす。


 悠陽の震える唇が、何かを言い掛けてはきつく閉じられる。


 それを何度か繰り返す。


 結局、彼女は何も言えないままで――――。


 問い掛けに対する心の決意は見え隠れするのに、その前に立ち塞がる、もうすぐ訪れるであろう悲劇を防ぐ手立てが、どうしても思い浮かばず――――。


 その惨劇を想像して零れ落ちそうになる涙を、辛うじて堪えるだけで――――。


 悠陽は何も答えられなくなる――――。







 ただ、それは娘だけでなく、母も同じことだった。


――――悠陽。


 煌武院天音は、母親である彼女は心の中で泣く。


――――御免なさい。


 分かり切っている。


 愛娘が何を考えているなんて解りきってしまっている。


 だけど、今は悠陽を甘えさせてはいけない。


 この問い掛けがこれ程までに苦しい事だとは――――。


 これ程までに悲しい事だとは――――。


 その苦しさと悲しさに耐え切れなくて、彼女は心の中で愛する夫に八つ当たりする。


――――私に悠陽のこんな表情を見させるなんて。地獄で殴るだけでは足りないわ。

 
 そうして煌武院天音は唇を噛み締めた。








 朝日が昇り始め、蝉の鳴き声が響き始めた初夏の京都で――――。


 父と別れた部屋の中で――――。


 娘は何も答えない――――。


 母はそこから動かない――――。


 煌武院悠陽の唇から言葉が漏れることは無く――――。


 煌武院天音の握り締めた華奢な拳は血の気を失う――――。



[2930] 帝国本土防衛戦 第4話前編 「D day 0452」 ~威力偵察Ⅰ~
Name: DDD◆054f47ac ID:c45c1fc3
Date: 2008/07/21 08:35
 1998年7月17日 04時52分
 帝国陸軍小倉駐屯地 第4師団前方指揮所内

「43戦術機甲連隊4中隊、突撃開始!!」
 小倉駐屯地の最も立派で大きい5階立て隊舎の2階にある大会議室に臨時で作られた第4師団前方指揮所内に響き渡る怒号で、第4師団長 別所中将はその報告を受けた。
 対馬陥落から約24時間後。
 多くの将兵の予想を裏切る時刻で、日本本土でのBETAと帝国2陸軍との死闘の火蓋は切られた。





 日本本土で初めてBETAの上陸が確認されたのは、1998年7月17日03時42分に佐賀県東松浦郡可部島北端で上陸中の300を越えるBETAを第4ヘリ隊のOH-6が発見したのが最初である。

 その18分後の同日04時00分に佐賀県東松浦郡波戸岬に上陸したのを、前日の夜より壱岐島に上陸したBETAを砲撃し続けて、佐世保に主砲の弾薬補給の為に航行中の帝国海軍聨合艦隊第2艦隊第3戦隊所属の高速戦艦『金剛』の観測員が発見。
 
 直ちに国防省と帝国陸軍第4師団及び第18師団に通報すると共に、同日04時03分から残り僅かな弾薬で、35.6cm主砲8門を主軸とした艦砲射撃を実施。
 上陸する多くのBETAを後方である海上から射撃、多数の突撃級・要塞級を撃破するも直ぐに弾切れの為に攻撃を中断せざるを得なくなった。

 そして、さらに同日04時22分に同じく東松浦郡友崎一帯に上陸し南下を始めたのを、帝国陸軍第18師団第66偵察隊所属の87式偵察車が発見。
 第4ヘリ隊のOH-6に偵察任務を申し送り後、緊急離脱。その上陸したBETA群の監視は2機のOH-6に引き継がれた。

 同日4時23分、OH-6のヘリコプターパイロットは第4ヘリ隊本部に目視での偵察結果を報告。

 パイロットは『上陸したBETAの数、要撃級約100、突撃級約30、戦車級約200以上で他識別できず。特に小型種は目視での計測困難』と報告した。報告するヘリコプターパイロットの声が上ずっていたとしても、彼を臆病者だと非難する事は出来ない。

 BETAの上陸は今も続き、何時光線級が上陸するか想像も出来ない。雲霞の如く上陸し始める小型種のBETAは、既に肉眼ではその種別が判別できなくなって来ている。
 何時光線級が上陸するか分からない上、発見できたとしても光速の速度に等しいレーザー攻撃を予期する事も回避する事もほぼ不可能に近い。さらに装甲も武装も無いガラス張りの操縦席に座るヘリコプターパイロットの恐怖感は毎秒毎に高まっていった。

 BETA上陸の報告を受けた第4師団長 別所中将は、直ちに上陸したBETAの水際撃破を指示。
 現在のBETA上陸地点は、佐賀県東松浦郡可部島北端、同県東松浦郡波戸岬とその近傍の東松浦郡友崎一帯。
 第4師団は友崎一帯のBETAを、他2ヶ所の上陸地点に対しては第18師団が対応することになると、別所中将は上陸地点に最も近い所に部隊を派遣している戦闘部隊の長と直に連絡をつけた。

 その部隊は、第43戦術機甲連隊。
 第4師団2科の要請により、同連隊所属の戦術機部隊3個中隊を前原市近辺の海岸線に偵察部隊として展開させていた為である。
 第4師団長 別所中将の短く事務的な命令が電話越しに下されると、第43戦術機甲連隊長 西大佐は即座に無線機で己の部下である第4中隊長である高木少佐に命令を口頭で下達。


 1998年7月17日04時31分。
 第43戦術機甲連隊長 西大佐が下した命令は2つ。

 『第4中隊は佐賀県東松崎郡友崎一帯に上陸したBETAに対して威力偵察を行ない、レーザー種の存在を確認し、確認された場合は排除すること』

 『また、第4中隊は師団砲兵大隊に対して火力誘導を実施すること』


 圧倒的物量を誇るBETAに対しての戦術機を使用した威力偵察はあまり意味が無いように思われるが、そうでは無い。
 今回の威力偵察は敵の上陸直後という、もっとも敵の体勢が脆弱な時期を突いて行い、可能な限り被害を極小化させると共に、確実な火力誘導で少しでも多くの戦果を挙げる為に必要と判断された。
 彼我の戦力差が厳し過ぎるため、数に劣る帝国陸軍側は火力を確実かつ効率良く集中させたいという思惑もある。

 今現在、確認されているBETA上陸地点は3箇所。
 幸い3箇所とも近い地域にまとまっているがこれで全てとは限らず、情報分析がもしも正しければ、これから北九州地方でのBETAの上陸地点は増加する可能性がある。
 その際に、佐賀県東松浦郡北部の上陸地点に戦力を集中しすぎていて新たなBETAに対応出来なければ、九州にいる国民の避難計画に重大な支障を及ぼす。
そのような状況を可能な限り回避し、正しく敵勢力を判断するし、作戦に必要な情報を入手するために威力偵察を行うのである。

 無論、危険はある。
 既に多数の光線級が上陸していた場合、最悪を想定すれば第4中隊全滅の可能性はあるが、その時はその時である
戦術機甲部隊1個中隊が、あっという間に殲滅されるほどの敵がいると判断が出来る。


 そして、なぜ威力偵察に戦術機を使うのか。
 飛行機等での偵察が難しい以上、何かしらの手段でBETAの規模を確認して、効率的に攻撃と防御を行わなくてはならない。
 偵察衛星はどうしてもリアルタイム性に欠け、BETA上陸が始まった今となっては、ヘリコプターは使い辛く、地上車両を使用した偵察も危険性が高いと同時に、避難民に巻き込まれかねない。
 この時代でもっとも機動力があり且つ高度なC4I2機能を持つ兵器の一つである戦術機は、設計当初のハイヴ突入・制圧という運用目的以外の任務においても高い汎用性を持つ。戦術機は地上兵器の中では群を抜く高機動性と高速移動能力、戦車に次ぐ高火力と高防御力、下手な野戦通信所を上回るデータリンクシステム、赤外線や振動を感知する高性能複合センサーに高倍率光学センサーらをたった一つの兵器に纏め上げ、一人で運用可能なのである。
 故に威力偵察など任務でも戦術機が使用されるのは、当然の成り行きだった。

 連隊長からの命令が下達されると、直ちに第43戦術機甲連隊第4中隊所属の戦術機F-15J『陽炎』12機は福岡県前原市西部から佐賀県東松浦郡唐津市の北部に位置する黒崎山から約1km北の山中を攻撃準備地点として設定。
 その場所まで高速飛行により移動した後に、12機の陽炎は山の稜線を遮蔽物として機体を隠し、BETA上陸地点にその銃口を向けて待機していた。


 そこに高木少佐に細かい命令下達を終えた連隊長自らの檄が、久我に飛ぶ。
『久我!! 命令は聞こえていた通りだ。連隊の一番槍、お前に任す!!』
「了解!!」
 第43戦術機甲連隊長 西大佐、通称『じい様』の事実上の作戦開始の言葉が、無線機越しに飛ぶと同連隊第4中隊第3小隊長久我特務少尉こと『赤鬼』が短く且つ力強く応答した。
 二人の会話に、これから死地に向かう悲壮感など何処にも無い。
 共に実戦を潜り抜け、大陸でBETA相手に命の遣り取りを幾度と無く繰り広げた経験があるからか、その応答には余裕さえ感じられる。

 次に、久我の直属の上司である同連隊第4中隊長 高木少佐の声が無線に入る。
 彼自身は東松浦郡に移動した12名の部下らが搭乗する12機のF-15J陽炎から、海を挟んで遠く東に約16kmの位置、福岡県前原市南西にある小高い山の山腹にある、ちょっとした広さの駐車場を持つ森林公園にいた。
 彼は96式装輪装甲車の内部に数台の通信機を設置した臨時の指揮通信装甲車で指揮を取っている。
 その彼の車両を中心に、第4中隊本部のトラックが数両展開して、ちょっとした指揮所兼補給地点として機能できるように展開していた。
『只今から第1・2小隊は久我特務少尉の指揮下に入れ。
中隊はこれより第3小隊を中心として、上陸したBETAに対して威力偵察を敢行する。手順は訓練通りだ。久我、支援射撃の再開と本命の射撃指示は現場のお前に一任する。
 突撃開始予定時刻、0450。細かいタイミングの調整は現場に任す。
 突撃支援射撃開始8分前、準備よいか?』
 久我が勢いを感じさせる声で応答する。
「準備よし!」
 久我の深呼吸する音が無線機のノイズ越しにしたかと思うと、次の瞬間、久我は呼気鋭く言葉を吐き出した。
「只今から、第4中隊の指揮を久我特務少尉が取る!」
「了解」
「了解!」 
 既に訓練で何度も繰り返されていることでもあり、久我特務少尉の指揮下に入った上官であるはずの二人の中尉は躊躇うことなく指揮下に入った。
 それは、彼らをしても納得が出来る采配だった。
 彼等は同じ小隊長である久我の実力を、同じ役職の土俵で見ているのである。今まで彼が示した実力は二人を従わせるには十分すぎた。
「各機、データリンク同期確認!」
 3人の部下と自分の部下のデータリンクを確認した小隊長が、事後これらに関しては久我に報告する。
 今の久我は肩書きでは小隊長だが、その配下に3つの小隊を束ねる中隊長代理と言ってよい。故に中尉である2人の小隊長が報告すべき相手は、特務少尉の久我である。
「1小隊、同期よし」
「2小隊、同期よし!!」
「3小隊、同期よし!」
 最前線の中で中隊長代理となった久我に代わり、第3小隊は次級者である荻少尉が纏める。
 結果の報告を受けると、次の指示が淀みなく飛ぶ。
「時間調整、現在時4時34分25秒。4時35分で調整」
「1小隊、準備よし」
 第1小隊長の大窪中尉が報告すると間髪入れずに第2小隊長である京塚中尉が報告する。
「2小隊、準備よし!!」
「3小隊、準備よし!」
「了解。時間調整、………20秒前、……10秒前、…5、4、3、2、、1、今」
 久我のカウントダウンに合わせて、中隊のF-15J陽炎に乗る11名が網膜に映るデジタル表示の時計を確認する。
「異常あった者のみ、報告」
「無し!!」
 久我の指示に11名の返事が一斉に返される。
「データを確認しろ。現在上陸したBETAは4ヘリ隊の報告では未だ光線級は確認されていない。今までの演習で繰り返したとおり、上陸中のBETAに肉薄して威力偵察を敢行と共に火力誘導を実施する。
 今現在、4ヘリ隊はBETAに付いていねぇ。既に光線級が上陸している可能性がある。当たり前だが、気を付けろよ!!この糞餓鬼ども!!!」
「はいっ!!」
 2人の新人衛士達が切れのいい返事を返す。どんな言葉であれ掛けられた言葉に返事を返さなければ、聞いていないと見做されて怒鳴られまくるのは、世界各国の軍隊全てで共通事項の事である。
 既に何度も訓練で繰り返されていることではあるが、久我は念押しの指示を下す。
「2小隊、敵陣中央を突撃。光線級がいるかをその目で確かめろ!」
「了解!!! 小隊各機、俺に付いて来い!!」
「おう!!」
 京塚中尉が部下と自らを鼓舞する為に吼えるような声でいうと、3人の部下が負けず劣らずの声量で答える。
 こういうときの大声は重要だ。自らを鼓舞し、周りを力付けて、部隊としての士気を維持する。そして自らの恐怖を薄め、己の体の動きと判断を萎縮させる緊張を掻き消す。

「1小隊はバックアップと火力誘導。支援射撃は2小隊を優先。撤退時のALM射撃に関しては、俺が統制する。最低1パックは残しておけ」
30手前の第1小隊長の大窪中尉が静かに、しかし力強く答える。
「了解。忘れてませんよ、久我隊長」
 今の言葉は嫌味でも何でもなく、彼は素直に久我の実力を認めている。

 彼ら第1小隊の各機が送信する砲撃用位置情報は、静止軌道上の通信衛星を通じて砲兵連隊及び師団司令部に自動送信される。

「3小隊、2小隊を支援。奴らを殺せるだけ、殺せ!!」
「了解!!! もう~、BETAをブチ殺せるなんて、女の●●●に俺の●●●をブチ込むよりもサイコーですよ!! 小隊長!!」
 第3小隊の衛士、福田少尉が独特なイントネーションで言うとともに、狭い操縦席の中でその身をくねらせた。
 福田少尉は背が低く体もそれほどがっしりしていない衛士で、強化服よりも学生服が似合う。
 坊主頭でそこそこの運動神経を持つので、口さえ開かなければ、誰でも高校球児と勘違いするだろう。
 しかし、彼の口から出る言葉は高校生とは思えない程、下品な言葉が多すぎる。
 きっとその言葉を耳にした斯衛軍の女性士官が彼を切り殺したとしても、その下品な振る舞いが原因で切り捨てた者は無罪放免になるだろう。
 そんな彼は良くも悪くもお調子者で、口を開けば下ネタが出るような事で皆をしょっちゅう笑わす19歳の新人衛士である。

 その彼も今日が初陣である。

「あんまり調子に乗っているとBETA共にテメェのケツの穴、掘られっぞ!!」
 子飼いともいえる部下の一人である彼のおどけた言葉に、久我はニンマリと笑いながら言う。
 久我は自ら気を引き締めるため、さらに気合を込めた声で指示を出す。

「全機、エンジン再暖気開始! 戦闘機動準備開始! 各員弾薬確認せよ!」
 了解の声と共に、12機のF-15J陽炎に装備された主機関と跳躍ユニットの出力と回転数が跳ね上がる。
 それとともに戦術機が隠れている山々の稜線の木々が揺れ、眩しいくらいの碧さを感じさせる若葉が枝の付け根からもぎ取られて空高く舞う。
 吹き飛ばなかったとしてもエンジンから漏れ出す熱気に当てられた草木は、あっという間にドライフラワーのように水分を奪われて萎んでいく。
 跳躍ユニットの噴出口から溢れ出るハイパワーエンジンの熱気に大気が歪み、動いていないはずのF-15Jの巨体が揺らめく。
 

 F-15J“陽炎”。
 第2世代戦術機の最高傑作の日本での装備名は的外れでも何でもなく、そのF-15Jが持つずば抜けたエンジン出力を誇る跳躍ユニットを持つ戦術機は、その名の通りに『陽炎』を戦術機の身に纏わせる。
 余裕のある発展性、射撃に特化したFCSと高性能な電子機器、エンジン性能に裏付けられた高速戦闘機動に、余裕のある武器搭載量と高いレベルでの高汎用性こそが、この戦術機の特徴である。


 久我の声は続く。
「上陸地点はここより北約6kmの友崎の海岸だが、BETA共は天満宮近くまで南下している可能性がある。
 だが、俺たちは運が良い。マップを見れば分かるとおり、友崎の海岸線までの移動は、低いとはいえ一応山々を遮蔽物として使える。5秒で次の遮蔽物に移動出来れば、重光線級でも居ない限り、照射即死亡はねぇぞ!」
 久我がデータリンクを確認してから送信した戦術マップの高低差を確認させる。被照射危険地域警報を色で示すと共に、自分が調べて入力していたCGを表示させる。
「光線級が確認させている場所に居た場合の危険地域は、見ての通りだが、」
 久我が言う地域は被照射危険地域警報3以上で橙色に表示され、マップの中で禍々しいほどの赤色で示されているのは危険警報5のエリアだが、彼らが居る地点と上陸地点の間には低いとはいえ山々が幾つも在り、BETAが居ると思われる場所の直前まで続いている。
『遮蔽物のまともに無い平地で戦うよりは』圧倒的に安全な様に見える。

「大事なのは移動前に次の移動地点を確認すること!移動は5秒!!分かってんだろうな、ボケ共!!」
「はいっ!!」
「ウイッス!!」
 彼の檄は初陣で且つ新米の衛士2人に向けての言葉だが、中隊の衛士全員への注意でもある。
 はい、という素直な返事は新人共。他の返事はもう何年か部下に付いている若手衛士の返事だ。
 そして、彼が言う5秒は光線級のレーザー照射を受けて理論上、戦術機が光線種に撃破されるまでの時間である。

 この死刑執行猶予と何ら変わらない5秒を長く感じるか、短く感じるか?
 それは人により様々であるが、5秒を短く感じるのは何も考えていない奴の言い訳に過ぎないと久我は認識し、訓練では部下達に『5秒を永遠と感じる』ほどにシゴキあげた。
 彼は部下が出来なければ出来るまで、寝る時間を削らせて訓練した。
 出来ない理由を見つけるまで叱責し、技術が足りないものには飯も食わせず操縦席に座らせた。ミスをした者には、自分のつま先で青痣になる程度の威力で何度も蹴り上げた。

「隊は2小隊を中心に傘型隊形! 右に3小隊、左に1小隊!」
 今の指示は既に傘型隊形で待機に着いている中隊各機が、次の移動時の隊形をどうするかの指示である。
「突撃開始5分前!!」
 全員が様々な事思いつつも準備を進め、準備が終わった者から順次突撃準備完了の報告を久我にする。

「中隊長、今回の支援射撃はどこが担当ですか?」
 部下が準備を終わらすまでの僅かな時間の間にも、久我には他にもすべき事がある。
『ウチの1大隊だ』
 かなり言葉が省略されているが、正確には同じ第4師団隷下である第4砲兵連隊第1大隊第Ⅰ中隊が久我ら第43戦術機甲連隊第4中隊への支援射撃を受け持つということである。
「じゃ、本命は?」
『方面砲兵隊の第5大隊だ』
「了解。こちら43TS連隊4中、久我特務少尉。1大隊1中の足立中尉、応答願います」
 連携を取る部隊同士は周波数を同じにしてある筈なので、無線機の前に居れば答える筈の人物を呼び出した。
 なお、TSとは帝国陸軍内での戦術歩行戦闘機の略語であり、4中とは第4中隊の略語である。
『おう、久我。久し振りだな、どうした? こっちのコールはいつも通り“ハンマー11”だ』
 答えたのは第4砲兵連隊第1大隊第1中隊副中隊長の足立中尉。
今年40になる頭を剃り上げたベテランの砲兵である。背こそそれほど大きくないが、砲兵部隊の隊員に良くある様に異様に両の腕が太い。
 砲兵部隊の大砲自体が大変重く、また砲弾も極めて重い。
 装填が自動化されているものもあるが、全て自動化や機械化されているわけが無い。
 何よりも、彼らは陸軍。基本的に機械に頼らず、己の肉体に頼るのが基本である。
 最悪の場合を考え、砲の展開・装填・運搬などは全て腕力で済ますように訓練を施されてしまうため、彼らの腕は必然的に太くなる。
「お久し振りです、足立中尉。こちらのコールサインは“オーガ”。俺はいつもとまったく同じ“オーガ30”です。支援射撃、よろしくお願いします」
『まったく、お前も忙しい奴だな。大陸じゃ歩兵やって、日本じゃ衛士。しかも今日は一番槍か』
「いやぁ~、人気者は辛いですよ」
 久我が少しおどけて答える。
『ま、それだけ頼りにされてんだ。気張ってこいや。一秒のズレも無く砲弾の雨、降らせてやるから安心しろ』
「ういっす! 頼りにしてます」
『おう。後で酒奢れや!』
「じゃ、今度飲みましょうか!」
 久我は支援部隊への挨拶が終わると、部下達に時間を伝える。
「突撃開始3分前!!」

 同じく久我の声を遠く離れた指揮車両の中で聞く第4中隊長 高木少佐は手持ちの資料を確認する。
 久我ら第4中隊の装備等の状況は以下の通り。
 第43戦術機甲連隊第4中隊編成機数、F-15J“陽炎”12機。
 第1小隊長 大窪中尉以下4名。強襲前衛装備1機、迎撃後衛装備1機、制圧支援装備2機。
 第2小隊長 京塚中尉以下4名。突撃前衛装備1機、強襲前衛装備3機。
 第3小隊長 久我特務少尉以下4名。突撃前衛装備1機、強襲前衛2機、迎撃後衛装備1機。
 この中隊の装備と編成、各人の役割は久我ら小隊長の意見に構成されているといっても良い。
 中隊長である高木少佐は彼らの様々の意見を取り入れ、実際に訓練で行わせて彼らの案を比較評価した上でこの形に落ち着かせた。
 今の彼の心残りは色々在るが、部隊に関しては唯一つ。
 最新鋭の純国産第3世代戦術機“不知火”の配備が間に合わなかったことである。
 この中隊がこれから行う戦術では小回りが利き、乱戦に強い不知火のほうが良いと思えるからだ。もっとも機体の習熟にはそれなりの時間を要するので、この戦いの直前に機体変更して使い慣れない不知火で戦うよりは、陽炎のほうがマシなのかもしれない。そう自分に言い訳をする。
 高木少佐がそんな事を頭で考えていても、身体は訓練で染み付いた動きで腕時計を確認する。
――――突撃開始2分前。
 時間を確認してから、無線機のスイッチを入れた。
「突撃支援射撃1分前」

『突撃支援射撃1分前』
 中隊長からの事務的な連絡を受けた久我はタイミングを計り始めた。
 連絡から30秒後、彼らのカウントダウンがスタートする。
「突撃開始90秒前!!」
「90秒前!!」
 残りの11名が返事としての復唱をする。
「ALM(対レーザー弾頭ミサイル)以外、各機兵器使用自由!!」
 久我は部下らの了解の返事を聞くと、操縦席のコントロールレバーを握り直した。
「京塚!! 突撃支援射撃初弾の弾着後5秒で立つぞ!!」
「了解!」
 彼ら2人の行動の意味は単純だ。
 機体を山の稜線から露出させて、BETAからのレーザーが来るかどうか身を以って確認するのだ。


 それはつまり突撃支援射撃の効果があるかの自らの命を賭けとした判別であり、部隊を全滅させない為の方法である。

 ここで彼ら2人が支援射撃下であっても殺されるならば、今回の威力偵察は一旦停止して何らかの改善策を取られた後に直ちに再実行となる。


 古今東西、指揮官たる者は一番最初に、一番危険な場所に自ら立たねばならない。


 最前線の現場指揮官であるならば、なおさらの事である。


 自発的に命令に従わせる能力を統率力と言うならば、それに言葉など不要。


 統率力とは、上官のその身で示した行動でのみ部下に伝わる。


 それが軍隊での統率力の本質である。



『突撃支援射撃開始!!』
“ハンマー11”の足立中尉の声が幾つもの155mm榴弾砲の発射の爆音と共に、無線機から響く。
 
――――束の間の無音

『弾着30秒前』
 “オーガ00”である高木少佐が発射された砲弾の着弾までのカウントダウンを開始する。
 発射から目標地点への着弾までの時間は、砲弾が物理の法則に従って動くため、角度と速度と飛距離等から秒単位で計算され、それを基に作戦は実行される。
「突撃開始1分前!!」
『弾着15秒前』
 第4中隊の陽炎12機の突撃開始時刻が刻一刻と迫る。
『弾着10秒前!!』
「京塚!15秒前!」
 “オーガ00”高木少佐のカウントダウンに合わせて、“オーガ30”久我特務少尉の突撃タイミングでは無い、別のカウントダウンが後を追う。
「了解!」
 半ば反射的に返事を返す京塚。
 命を懸ける時が迫る。
『5!』「10秒前!!!」
 不意に京塚の目の前に母の姿が、京塚志津江の姿が浮かぶ。
 いつもの白割烹着を着て狭いが活気のある大衆食堂の厨房に立ち、溢れんばかりの客に幾つもの定食を瞬く間に作り上げるその姿。
『4!』「9!」
 彼は思わず一瞬その目を閉じて開ける。
『3!』「8!」
 開けた瞬間に彼の網膜に映し出されるのは、自分が搭乗する陽炎が鎮座する周りの木々の緑。
『2!』「7!」
 彼がその目が見据えるべきはBETAのみ。
『1!』「6!」
 京塚誠一郎は母の姿すら雑念として、その姿を揉み消す。
『今!!!』「5秒前!」
 
――――空気を切る音。

――――ほんの一瞬だけ、橙と白が混じったような閃光が瞬く。

――――弾着音。

――――爆音。

――――大地が揺れる音。

 空気が掻き乱され、音が衝撃を伴う壁となって弾着地点から響き渡る。
 火薬と弾薬が地表に衝突する衝撃によって大地が深く抉られ、大地が無数の瓦礫となって大空に吹き上げられた。
 まず、最初に噴き上がるのは白煙。
 その一瞬後を、追うように火薬により出来た黒煙が立ち昇る。
 山の稜線の影に隠れる第4中隊の戦術機12機の僅か4km手前の距離に撃ち込まれたFH-70榴弾砲の155mm砲弾数は12発。
 そのうち、大地を揺るがした砲弾は11発。

 つまり――――。

 自機の振動センサーが伝える内容を理解して京塚の後頭部に油汗が浮くが、逆にそれが頭を冷やす冷却材のように意識が冷まされるのを感じる。
「光線級確認!!数不明!!!」
 間髪入れずに第1小隊長である大窪中尉が、戦術黄の振動センサーから導き出された内容を中隊本部に報告する。
――――1秒が長い。
 そう思う京塚ではあるが、久我と京塚が立ち上がる為のカウントダウンは止まらない。
「4!」
 彼らの連隊長 西大佐が下した命令は2つ。
――――威力偵察を行ない、光線級の存在を確認した場合は排除すること。
 彼ら第4中隊は、その任務をまだ何一つ実行していない。
「3!」
 京塚はスロットルペダルを踏み直し、そのまま徐々に力を込める。
『ハンマー10! こちらオーガ00! 光線級確認! 突撃支援射撃の増強求む!!』
「2!」
――――師団砲兵連隊の火力誘導を行うこと。
 彼らには重要な任務が2つもある。
 確かに1個中隊で行うには、荷が重たい任務だが時間が無い。
 万全を期した戦力で挑めば確かに成功の確率は高いように思えるが、BETAの上陸数も時間と共に増加するため確実とは言えない。
 BETAの大群が海から完全に地上に出てしまえば1個中隊であろうと3個中隊であろうと大差が無い。その際には1個大隊単位での投入戦力が必要とされるかもしれない。

 時。時間。時期。時機。契機。速さ。早さ。疾さ――――
 それだけを求めて第43戦術機甲連隊長 西大佐は、1個中隊を死地に向かわせた。

 その意味を完全に理解している久我はカウントダウンを止めず、機体を立ち上がらせるためにレバーを細かく操作し始める。
 先程の第4中隊長“オーガ00”高木少佐の要請に答え、砲兵連隊第1大隊本部である“ハンマー10”が素早く対応する。
『こちらハンマー10、了解した!! ハンマー12を回す! ハンマー12の支援射撃開始まで2分!!』
『オーガ00、了解!!』
 これで第4砲兵連隊第1大隊第2中隊“ハンマー12”も、第43戦術機甲連隊第4中隊“オーガ”の支援射撃を行うことになった。
「1!!」
『第2射、15秒前!!!』
 幾つもの声が交錯して伝わる中で、“ハンマー11”からの予告が耳に響く。
「今!!! 京塚、立て!!!!」
 彼らの戦いが始まる。
 2人は雄叫びと共に、己の戦術機をBETAの射線上に晒す為に立ち上がらせ始める。
 ともに突撃前衛装備の陽炎を操る2人は、盾を前に翳しながらゆっくりと立ち上がった。
 網膜に映る木々の緑が徐々に視界の下に行き、2kmほど離れたところにある山の稜線と、さらにその先にある青い海と白い砂浜が作り出す美しかったであろう海岸線を映す。

 そこが、彼らの死地。

 砲弾により大地に穴が穿たれ、白煙を上げる海岸。

 そこには6km先からも分かるほど、大きく、蠢く、灰色の、『何か』。

――――突撃級かよ………。
 心の中で思わず毒づく京塚。
 居ることは事前の報告で既に分かっているのだが、実際に見るととても嫌だった。
 最初に報告を受けた突撃級約30なんて話は、嘘としか思えない。
 海から上がったばかりの灰色の巨体が蠢く様は京塚の距離感を狂わせ、目の前にいるような錯覚を覚えさせる。
その光景はまるで巨大な蛆虫の群れが蠢いているのを、強制的に観察させられている気分になる。吐き気がする。
「稜線越えろ!!」
 久我の声共に京塚は自分の陽炎を一歩踏み出して、山の稜線を完全に踏み越える。
 彼ら2人の戦術機はその18mを越えようかと言う鋼の巨体を、山の陰からBETAの射線上に全て曝け出した。
 
――――攻撃は無い。
 その命を以って、上陸した光線級はまだ極少数だと判断した久我特務少尉は予定通り威力偵察を実施し、突撃により光線級を排除することを即断した。
 そして、今見えるのは上陸したばかりで走り出していない突撃級だが、走り出されたら非常に厄介だ。
 最高時速170km/hでその巨体を縦横無尽に走り廻られたら、いとも容易く防衛線を蹂躙され、人々が未だに溢れかえる市街地に雪崩れ込まれたら、瞬く間に九州の防衛線は危機に陥りかねない。まして前線をBETAに押し込まれて、その後に来るだろう光線級を易々と上陸することを防ぐための水際撃破であり、火力誘導なのだ。

 ここの緒戦は、帝国軍側が押さえたい。

「全機突撃準備!!」
 その指示で片膝を付いていた10体もの黒鉄の機体が山の緑の中から立ち上がり、稜線の影に隠れて主脚走行によるダッシュスタートの体勢をとる。
 彼らがこれから越えるのは物理的な山の稜線だけでない。
 その一歩で彼らは心の中でも、自らの命を自らの意思で死線を跨がせる。
『第2射発射!』
 “ハンマー11”の第2射にタイミングを伝える声を聞き、久我は突撃開始のその瞬間を発射された第2射の弾着に合わす事に決めた。
『弾着10秒前!!』
 “オーガ00”である第4中隊長高木少佐の声で再度カウントダウンが読み上げられる。
 それに合わせて久我が突撃まで何秒かを伝える。
「突撃10秒前!!」
『9、8』
「全機主脚走行(ラン)で稜線を越えた後、噴射跳躍(ブーストジャンプ)により手前の山影に入るまで一気に飛ぶ!!」
久我は暴露時間を最小にする移動では無く、最速での移動で突撃を行う選択をした。
「了解!!」
 幾ら山々が盾になっているとはいえ、敵前6kmでNOE(匍匐飛行)では無く、噴射跳躍による高速移動を行うという選択に緊張する新人衛士2名。
 初陣の彼らはその緊張を自分自身で紛らわすような余裕はもう無い。
『6、5!』
「最終突撃開始地点、ここより3km先の稜線!!」
「了解!!」
第4中隊11機からのの返事が1つに重なる。
『4!』
「事後の前進はエレメント単位!」
『ハンマー12、射撃開始1分前!』
“オーガ30”久我特務少尉と“オーガ00”高木中隊長、第4砲兵連隊第1大隊本部である“ハンマー10”の声が重なり合う。
『3!』
「突撃―――――、」
 久我のその言葉で、12機の陽炎が転びそうな程の前傾姿勢を取りながら、噴射跳躍の為に跳躍ユニット主機の回転数をレッドゾーン手前まで跳ね上げる。
『2!』
彼らが突撃せんとする同時刻、帝国陸軍福岡駐屯地に設けられた指揮所内で、部隊間の無線に耳を傾ける西連隊長がその瞬間に意識を集中させる。
 自らの命令により彼らが死地に向かう以上、彼には命令の結末を確認する義務がある。
 西連隊長は戦況がほぼリアルタイムで表示されるスクリーンの前で、腕組みをしながら椅子に座り微動だにしない。
『1!』
 彼ら12名の衛士達の頭上をはるかに越えた前方で、突如2発の砲弾が空中数百mの高さで爆散する。
『今!!!』
 着弾を知らせる高木少佐の声が響き渡った直後に、久我が叫ぶ。
「――――開始!!!!」
 怒号となんら変わらない久我の号令。

 帝国陸軍第43戦術機甲連隊第4中隊、コールサイン“オーガ”のF-15J“陽炎”に搭乗する衛士10名が、搭乗する各人の戦術機を一斉に走り出させて稜線を越えさせる。
 一気呵成に山の稜線を越え、下り坂を転げ落ちるような勢いで12機の陽炎が助走のスピードを上げる。
 小さい木々が爪楊枝の如く踏み折られて枝と葉が機体の後方で舞い上がり、その巨体が走る事によって生じる地震のような振動から逃げるように鳥たちが逃げ惑い、あらぬ方向に飛ぶ。
 その中で、久我が誰よりも早く走る。
 京塚がそれを追い抜こうと、さらに速度を上げる。
 陽炎に装備された跳躍ユニットの主機内部のエンジンがキィィィンと独特の金属音を高音で鳴り響かせ、そのエンジン内部には高密度に圧縮された空気が吸い込まれる。
 先頭を行く久我と京塚の2人は、ほぼ同時にスロットルペダルを操作してその機体を空中に跳躍させた。
 2人の操作に即応して、陽炎の跳躍ユニット内蔵ジェットエンジン内部の圧縮された空気の流れの中に、推進剤が霧状に注ぎ込まれて点火、爆発する。
 ジェットを始めとする推進装置は、爆発のエネルギーの方向をコントロールして飛んでいるに過ぎない。それは戦術機の跳躍ユニットも変わらない。
 低空で飛び立った二人に続き、残りの10人も空を飛ぶ。
 推進装置の甲高い音は12名の衛士達の操作によって、どんな音をも掻き消す大音量の爆音に生まれ変わり、F-15J“陽炎”の巨体を宙に浮かして突進させる。
 12機もの戦術機が発生させる爆音が、音と空気の津波となり山々の狭い渓谷を幾重にも反響して鳴り響く。
 久我と京塚は誰よりも早く時速250kmで離陸した戦術機を一瞬で時速400km以上に加速させ墜落のような滑空で跳んだ。
 そうしたかと思うと、彼らはすぐさま減速動作に入った。
 手前の山陰に入るまで直線で1km以下である。時速400kmで跳べば一瞬である。
 だが、光線級はその一瞬で決して誤射せずに飛翔体を撃墜する。
 その事実が、人類を苦境に追いやっている。
 先陣を切る2人は山の斜面に近付くと、戦術機に取り付けられている航空機よりはるかに小さい翼のフラップを完全に広げ、その手足さえも空気抵抗を増やすように機体の姿勢を取って着地の体勢を取らせて減速する。
 さらに跳躍ユニットの逆噴射用パドルを開放、逆噴射を実施して減速。
 久我が操縦席の操縦桿を細かく操作して陽炎の姿勢制御を行う。
 京塚が両足を乗せたスロットルペダルを細かく操作して最終減速を行う。
 膝折り曲げながら柔らかい着地で機体をスライディングさせたかと思うと流れるようなしなやかさで駆け出す2機の陽炎の後に、残り10機の陽炎が続き地響きのような着地音とともに、すぐさまその後を追う。
 各エレメントはお互いが前後に位置するように移動しているため、久我と京塚のエレメントの片割れである相棒(バディ)はその後方にいる。
 その相棒に背中と支援を任せて、彼らはさらに走り、跳び、駆ける。
 再度小高い山の斜面を駆け上がってその稜線を飛び越え、跳躍し、着地し、BETAの群れに接近する。

「久我特務少尉! 7時方向、500m沿道に乗用車1両!!」
 慌てた声で自分が見たままに伝える、第1小隊の八重樫少尉。心優しい性格な彼は、軍隊としては長髪でボサボサの髪型をしている中背中肉で肌の白い新人衛士だ。
 丸渕の黒眼鏡を愛用している面長の顔で年は20。
 既に結婚しており、家に帰れば8歳年上の愛妻の尻に敷かれている恐妻家でもある。
 その慌てた報告を久我と大窪が罵声の一言を以って斬り捨てた。
「無視しろ!!! 遅れてんじゃねぇぞ!! このボケッ!!!」
「速度落とすな!! 馬鹿野郎!!!」
 八重樫が操る制圧支援装備の陽炎だけ中隊から遅れを取った。
その間も久我の搭乗する陽炎を含め八重樫以外の中隊各機は、全速で前進している。
 束の間の戸惑い後、八重樫は中隊の後を追う。




 
 1998年7月17日 04時50分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第43戦術機甲連隊本部隊舎 連隊指揮所内

「0450、第4中隊、突撃開始!!」
 作戦運用を受け持つ連隊3科の尉官の声が状況を伝える。
 腕組みをしたままの西連隊長は、スクリーンを凝視した。
 第43戦術機甲連隊指揮所内の大型スクリーンに表示されていた青色の部隊マークが赤い円のマークに接する。その脇には部隊名が表示されている。

 青、43TSR4Co。その意味は、第43戦術機甲連隊第4中隊。

 赤、BETAⅢ UMKOWN。その意味は3番目に確認された規模不明のBETA群。

 指揮所内に充満する緊迫する空気の中で、不意に誰もが想像していなかった言葉が指揮所内に響く。
「連隊長、守屋大将からお電話です!!」
――――よりにもよって、このタイミングか!!
 西連隊長は思わず漏れそうになったその言葉を何とか我慢する事は出来たが、その代わりに『チッ!!』と唾でも吐き捨てるような、そして誰にでも聞こえるような大きな舌打ちをした。
 いや、もしかしたら受話器の向こうにも届けとばかりに舌打ちをしたのかもしれない。
 何時までも出ない訳にも行かないので、彼は渋々受話器を持ち上げた。



[2930] 帝国本土防衛戦 第4話後編 「D day 0452」 ~威力偵察Ⅱ~
Name: DDD◆054f47ac ID:2a68b562
Date: 2008/07/21 15:14
 1998年7月17日 04時52分
 佐賀県東松浦郡友崎一帯 第43戦術機甲連隊4中隊

――――西連隊長が守屋大将と電話で会話していた頃。
 第43戦術機甲連隊第4中隊の陽炎12機が、次々とBETA上陸地点から約3km離れた低い山陰に着地する。
「オーガ00!! こちらオーガ30! 最終突撃開始地点に到着!!」
『了解、AL弾による突撃支援射撃開始まで30秒待て』
「了解!! 各機楔隊形に移行!!」
 久我は少し遅れていた八重樫の陽炎が最終突撃開始地点に到着すると、すぐさま中隊長に目的地に到着した事を報告し、第2小隊を先頭にして隊形を最も突撃に適した隊形である楔隊形に変更した。
 京塚が率いる第2小隊を先頭に久我と第3小隊が続き、さらにその後方から第1小隊が支援する形で楔隊形を作った。

――――幸運だった・・・・・・。
 久我は素直にそう感じた。
 幸いなことに彼ら第4中隊はBETAの攻撃を受けることなく、またBETAに感知された様子も無く1km先まで来れた。この移動だけで最低1~2機は撃破されることを覚悟していただけに、余計にそう感じられた。
 師団砲兵2個中隊からの支援射撃があったとはいえ、今までAL弾は一発も撃ち込まれては無かった。AL弾とて無尽蔵にあるわけでは無いのだ。彼らのような威力偵察任務では、突撃直前でもないとAL弾は打ち込んでもらえない。
 しかし、既に光線級の上陸が確認できているのだ。
 さすがに最後の突撃前には、ある程度のレーザーを防ぐために重金属雲濃度が欲しいのが本音だった。

 だが、時間に余裕は無い。
「AL弾による突撃支援射撃開始1分後に、所定の重金属雲濃度に達していなくても突撃を開始する」
「了解」と返す部下たちの声は緊張している。
 無理も無い。セオリー通りならば、十分な重金属雲濃度が発生した後に突撃する。
「ビビってんじゃねぇよ、この腰抜けども!! 死ぬときは死ぬんだ!! 今更、生き死に考えてんじゃねぇ!!!」
 その久我の言葉で暗くなりかけた新兵2人の雰囲気を察して、京塚が慌てて声を出した。
「大丈夫だ! 誰も死にやしない!!」
「おう!!!」
 皆とともに新兵の2人が声を出して己を鼓舞し、心の中の死の恐怖に抗う。
『突撃支援射撃開始!! 弾着まで1分!!』
 遠く離れた中隊本部にいる中隊長からの通告が無線機から響く。
 時間だと一言呟いて、久我が罵声とともに指示を出す。
「八重樫!! 突撃開始と同時に生き残った光線級に対してALMをブッ放せ!! さっきみたいに遅れたら、俺がお前を殺すぞ!! このボケ!!」
「了解!!」
 いちいちこの程度の罵声を気にしていたら軍隊ではとても生きていけないので、細かいことは考えないようにして八重樫は応答した。

『弾着30秒前!!』
 京塚は舌なめずりしてタイミングを計り始める。
 中隊の先陣を切る彼の失敗は、そのまま中隊の失敗に繋がりかねない重要な役割だ。
 彼がBETAの群れの中を突っ切って偵察すると共に、その動きはそのまま突撃前衛の動きになる。押し寄せるBETAを激流の流れに例えるならば、突撃前衛はその流れを切り裂く川の中州に鎮座する岩の如きモノ。
 押し寄せるBETAの津波の中で戦術機が兵器として連携して機能するためには、突撃前衛や強襲前衛のようなBTEAの激流の中で、中隊各機の立ち位置の確保が出来る者が必要だ。

 その為の突撃前衛であり、強襲前衛である。

 故に前衛の失敗は、後衛がBETAの群れに飲み込まれて蹂躙されることに直結する。
 京塚の失敗を危惧し、久我は念の為に声を掛けた。
「京塚、突っ込みすぎるなよ。無理と感じた瞬間には引き返せ。そうすればまだ間に合う」
 彼と今は亡き彼の戦友の経験則を忠告として伝える。
「死ぬ気は無いですよ、久我隊長」
 そう答える京塚の顔は、獲物に襲い掛かる肉食獣のように眼に殺気を漲らせて口元を歪めて微笑んでいる。
 きっと彼自身は自分の顔が獣のような形相になっていることに、きっと気付いていないに違いない。
 コイツは『まだ』死なないな。と、久我は心の中で判断する。

「各機、光線級は絶対に撃ち洩らすな!! 大窪、離脱の際にはお前のALMを撃て!!」
「1番後ろでロックオンします。何時でもどうぞ」
 流石に第1小隊長しているだけあってか、大窪中尉の答える声はとても落ち着いていた。
 念の為のことを考えて、大窪は久我に一言を入れた。
「ただ、光線級が多いと思ったら直ぐに撃ち込みますよ」
「おう。その場合はそちらを優先しても構わない。離脱する前に全滅されそうなら撃ち込まないとな」
 そう言ってから、一息置いて指示を出す。
「いいか!! 光線級、重光線級以外は基本的に無視しろ!! まずレーザー種を殺せ!! 用件終わればすぐさま離脱するが、現場じゃ臨機応変が基本だ!! 俺の号令を聞き漏らすな!!」
「了解!!」とか、さらにそれを縮めた「了!!」という掛け声で部下たち11名は応答する。
 そんな会話の中、高木中隊長の声が着弾までの秒読みを伝える。
『弾着10秒前!! ……5、4、3、2、1、今!!』
 
 支援射撃の砲弾が着弾し爆発の轟音と共に地響きが響き、大地が彼らの乗る陽炎を細かく揺らす。
 幾条もの眩い光が空中を走り、多くの砲弾が空中で爆発した。先程より確実に上陸し終えた光線級は増えてきている。
 その光景を確認して、久我は一瞬だけ撤退を考えたが直ぐにその考えを追い払う。
 まだ空を埋め尽くすほどの光線では無いし、上陸したBETAも大隊規模以下だろう。
 どうせ下手に背を向けて動けば、彼らは上陸した光線級に戦術機ごと背中から焼かれて全滅しかねない。 
 結局、彼の心は突撃してレーザー種を殲滅したのち、支援射撃の援護を受けつつ高速離脱を図るのが最善との当初の考えに落ちついた。

 その間にも、絶え間なくBETA群に撃ち込まれるAL弾交じりの2個砲兵中隊からの支援射撃。
 そして目に見えぬ速さで飛来する砲弾を確実に撃墜する全長3mほどの小さな光線級。
 光線級が照射するレーザーを上回る数の砲弾が撃ち込まれ、大小様々なBETAに砲弾が降り注ぐ。
 砲弾の爆発で生み出される高温高圧の爆風がBETAの体組織を焼き、押し潰し、引き千切る。
 同じように爆発で作り出された無数の破片が、奴等の柔らかい筋組織を抉り、穿ち、切り裂き、吹き飛ばす。
 黒煙が立ち昇り、吹き飛ばされたBETAの血液が霧のように宙に舞う。
 だが、それ自体も次々と降り注ぐ砲弾の爆発により、数秒もしない間に霧散する。

 しかし、徐々にBETAを屠る砲弾の数は減ってくる。
 どの戦場でも湯水の如く湧きあがり、地表と言う地表を覆いつくす異形の生命体BETA。
 多くの同類が引き千切れた肉片に姿を変える只中に在っても、彼らの歩みが止まることなく、また速くなる事も無い。
 奴らはただ、ひたすらに前進する。
 
 BETAによるAL弾迎撃の結果として重金属雲濃度は徐々に上昇を続け、上空に黒い重金属の粉末が薄い雲のように掛かり始めると、光線級の放つレーザーの長さは明らかに短くなり、その脅威が封じ込められてきたのが肉眼でも確認できた。

「オーガ00、こちらオーガ30。今から1分後に突撃したい」
『オーガ30、こちらオーガ00。了解した。では、もうすぐ最終弾となるぞ』
 了解と久我は答えて、もう直ぐ最終弾が発射されることを部下に伝えた。
 最初に突撃を始めたときのように、12機の陽炎が楔隊形のまま今にも転びそうなほどの前傾姿勢を取り、跳躍ユニットの回転を上げる。
 彼らはここから先は主脚走行で助走した後、噴射地表面滑走(サーフェイシング)による高速機動により敵陣深く突撃し光線級を殲滅。
 その間に砲兵部隊に対してBETAの位置情報を戦術機の複合センサーにより送信し、より効果的な砲撃を支援する。
『最終弾発射30秒前』
 緊張で呼吸が乱れながらも部下たちが漏らす悪態の呟きを無線機越しに聞きながら、久我が命令を下す。
「全機、最終突撃準備!!!」
「2小隊、最終突撃準備完了!!」
 即座に京塚の報告が来る。彼は既に突撃準備を指示していたのだろう。1小隊、3小隊も同じように素早く準備を終らせて、準備完了の報告を行う。
 瞬く間に最終突撃の準備は整った。
 突撃すべき時期を計り待つ。
『最終弾発射!! 弾着30秒前!!』
「最終突撃30秒前!!」
 これからBETAとの熾烈な戦いが始まる直前であったが、先程とは違い、京塚誠一郎の脳裏に母の姿は浮かばなかった。






 1998年7月17日 04時54分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第43戦術機甲連隊本部隊舎 連隊指揮所内

「――――ですが、守屋大将。その命令、再考をお願い致します!! 連隊の中隊は既に水際撃破の為に展開を完了しております!! 今、連隊の予備兵力である2個中隊を出してしまったら、新たな上陸地点が発生した場合に対応出来ません!!」
『そのような事は、こちらが考えることだ!! 大佐風情が司令部の作戦に、いや、私の作戦に口を出すなど、おこがましいわっ!! 第43戦術機甲連隊は隷下の2個中隊を第8師団に出せ、これは命令だ!! そうでなければ、今すぐ首を挿げ替えるぞ!!』
「――――ッ!! 昨日は陰に隠れて、今日はそれか!! いいでしょう、私抜きで43連隊が完全に機能できるならば、挿げ替えろ!! 2個中隊は命令ですから、一応差し出しましょう!!」
 西大佐はもう話すだけ無駄と決心し、言い切った直後に受話器を叩きつけて電話を切った。
 自分はどうせ、もうすぐ定年するのだ。

――――懲戒免職だろうが、命令違反で首にしようが、銃殺刑になろうが知ったことか!!

 あの守屋大将だ。どうせ、今怒りながら方面軍人事幹部を呼び出し、防衛省の人事にも電話掛けて、俺が命令違反したとか、命令不服従だと言うんだろう。
 今までそれでどれだけのライバルを叩き落してきたことか。
 正攻法が通用しないと、陰口を叩き――――。
 それでも駄目だと、政治家を頼る――――。
 将官に昇任すれば、すぐさま職権乱用。

――――帝国軍人の恥曝しが!!

 怒りで西大佐の頭の血管は切れてしまいそうだった。
 額には誰の目にも明らかなほどの、青筋が浮かぶ。

――――余計なことに頭回す前に、今はBETA殲滅に頭を回せ!! 生き残れるか自体怪しい戦いだというのに!!

 時間は止まらない。

 何をしていても、時間は過ぎる。

 その事を体で覚えている西大佐は、矢継ぎ早に命令を下す。

「3科長!! 4師団司令部に確認しろ!! 守屋大将から配置等の変更命令を別所師団長はどう処理するかを大至急だ!!」
「了解!!」
「追加!! 18師団司令部にも連絡、今後の作戦計画を確認!!」
3科長が近くの部下を捕まえて指示する。
「第4師団司令部は俺がする!! お前は18師団に連絡をつけろ!!」
「はい!!」
 指示された尉官は手の届くところに在った電話機をひったくる様にして手元に手繰り寄せると、乱暴な手つきでプッシュボタンを叩く。

「2科長、18師団と8師団の配置状況を再確認!! 部隊の行動予定も把握しろ!!」
「了解しました!!」

「今現在、最も8師団に近い中隊は!!」
連隊長が誰と指名せずに聞いた言葉に、素早く作戦運用を担う3科の佐官が大声で答える。
「第9中隊です!!」
 西連隊長はその言葉を聞くと即断した。
「――――よし。第8師団に差し出しの部隊は、第4・第9中隊とする!!」
 その言葉に、連隊指揮所の誰もが連隊長に視線を向けた。






 1998年7月17日 04時57分
 佐賀県東松浦郡友崎一帯 第43戦術機甲連隊4中隊

 空中で支援射撃の砲弾が光線級と重光線級に撃墜された瞬間、久我が怒鳴る。
「――――突撃開始ッ!!!!」
 久我の号令で、第43戦術機甲連隊4中隊の衛士12名は雄叫びを上げて突撃を開始した。
 12機の陽炎は主脚走行(ラン)から噴射地表面滑走(サーフェイシング)に移行して、BETAからその身を隠していた小高い山を、時速200kmを超える速度で越えた。
 彼らの眼前に幅1kmを超えるの広さの海岸線に、所々に大小の固まりを作って存在するBETAの群れが映る。
 最初に発見された時、今日の04時23分の報告では『上陸したBETAの数、要撃級約100、突撃級約30、戦車級約200以上で他識別できず。特に小型種は目視での計測困難』であったが・・・・・・・・・。
 それから僅か30分ほどの間に、大小合わせればBETAの個体数は3000を超えていた。
 白い砂浜を埋め尽くす小型種、それを守るように這いずる突撃級。ゆっくりと進む要撃級に、遠くに見える重光線級。
 歪で禍々しい、この星の生命体でない侵略者。
 全てを貪る、激しい嫌悪感を抱かせる姿を持つ生命体、BETA。
 それが彼らの網膜に映し出される。


 BETAの大群の眼前に、噴射地表面滑走による高速機動でF-15J“陽炎”12機は文字通り滑るように躍り出た。
 鋭角かつランダムに、僅かな障害物と要撃級を始めとするBETAの大型種を戦術機と光線級との間に挟むようにしながら、まるで雪山の渓谷を滑走するスキーヤーのように彼らの陽炎がBETAに向けて移動する。

 彼らは砂塵を舞い上げ、BETAの大群の只中に脇目も振らず突撃する。

「――――八重樫!!!」
 第1小隊長大窪中尉の呼び掛けの中、制圧支援(ブラストガード)装備の陽炎を操る八重樫少尉は忙しなく視線の焦点を光線級に合わす。その素早い眼球の動きは、まるで目玉が痙攣を起こしているようにすら見えた。
 突撃で小高い山を超えた瞬間、いや彼の網膜にBETAが映った瞬間から、彼は装備している92式多目的自律誘導弾システムの照準を合わし続けている。
 頭部マストセンサーのメインカメラがBETAを映し出し、それと同時に機体のメインコンピューターはBETAのシルエット判定で種別を判別。その結果として光線級と重光線級をピックアップ表示して、ミサイルガイド表示と共に八重樫の網膜に投影。彼はそのピックアップされたBETAに焦点を合わすことで、攻撃目標を選択。
 3秒掛からずに、36匹の光線級を選択。
「オーガ13、――――ッ」
 緊張で頭が真っ白になり掛けた八重樫は、それでもなんとか次の言葉を捻り出す。
「――――、FOX1!!!」
 彼の声と共に両肩に装備されたミサイルポッドのハッチが開き、36発の対レーザー弾頭装備の小型ミサイルが一瞬で連続発射される。僅かな間ではあるが、連続発射するミサイルの衝撃が、八重樫の操る陽炎の両足を大地に縫いつける。
「オーガ11、FOX3!!」
「オーガ12、FOX3!!」
「オーガ10、FOX2」
 八重樫の陽炎とリンクしている第1小隊のメンバーには彼と同じ情報が映し出されており、彼がどの光線級を選択したかも映し出されている。
 第1小隊の2名が、八重樫が狙わなかった光線級に対して87式突撃支援砲で攻撃を実施。その36mm砲弾により、光線級はモニターで確認出来ないほど小さい肉片に成り代わって爆ぜる。
 さらに第1小隊長の大窪中尉は視線で87式突撃砲の120mm滑空砲を選択。迷うことなくHEAT-MP(多目的榴弾)――――戦術機が装備出来る120mm砲弾の中で最も射程が長い――――を重光線級の眼球に直撃させ、その巨体がどうと倒れる。
 この間、ほぼ一瞬と感じるような至短時間。
 これらの行動は流れるように行われ、彼らの高い錬度を窺わせた

 その彼らの視線が一瞬、光線級のレーザーにより白く塗り潰される。

 八重樫が発射したALMに光線級のレーザーが照射され、低空を高速飛翔していたミサイルの半数近くが叩き落された。
 ALMはBETAを血祭りに上げられなかった代わりに重金属を空中に舞い散らして、BETAを狩る武器から衛士を護る盾へと役目を変える。
 久我の次の号令が響く。
「3小隊!! 11時方向、距離300のBETA群、炸裂弾斉射2発!! 撃て!!」
「了解!!」
 彼らの近くのBETA群の中で最も光線級が多い一団に対して、久我を除く3小隊の陽炎3機がタイミングを合わせて、一斉に120mmの炸裂弾を2連射。お互いに殺傷範囲が重ならないように打ち込まれた炸裂弾は50を超える光線級や戦車級、小型種を一瞬に塵に変え、勢い余ったその衝撃は海岸の砂を壁の如く噴き上げる。
 その群れの中に居た要撃級も何体かが肉片と姿を変わり吹き飛ぶが、突撃級はその固い甲殻で砲撃を阻み、ほぼ無傷。
 攻撃を受けた突撃級が18mを超える巨体を久我らの方に旋回させ矛先を向けるが、その前に彼らは突撃級の脇を擦り抜けて、海上から敵が這い上がる地点を――――BETA上陸地点そのものに向かう。
 
 12機の陽炎はランダムで複雑な機動で互いに交差を繰り返しながら、敵の中に切れ込んでいく。
 彼らの最優先攻撃目標は光線級と重光線級。
 この2種を見つけ次第、我先にと彼らは砲弾を叩き込んで殺戮して、一瞬だけ安堵し、少しだけ喜ぶ。

 その間も、衛生通信を介して正確な位置情報を送っている彼らの約300m手前に支援射撃の砲弾がBETAに降り注ぎ、光線級から彼らの身を護る。
 空中でレーザーにより迎撃され爆散する砲弾は、重金属濃度の上昇により段々低空になって行き、その破片がBETAを引き裂き贓物を撒き散らすのも、大地を抉り土煙を上げるのも、手を伸ばせば届くかのような近距離での出来事のような錯覚を彼らに生起させる。

 その爆発を追い抜こうとするかのように、第2小隊の4機の陽炎が突き進む。
 頭から黒煙を被り機体を黒い煤で汚しながら、また一瞬ではあるが視界を奪われる恐怖を捻じ伏せ猛スピードで突き進む。
 先頭を行く第2小隊長の京塚が吼えた。
「――――退けぇっ!!」
 BETAの一団に対してスロットルを緩めるどころか、さらにそれを踏み込んで突撃級の群れの隙間を縫って滑走する。
 突撃級の間にいる戦車級を始めとする小型種はその存在を無視して轢殺し、要撃級には36mm砲弾でそのおぞましい巨体に穴を穿って射殺、前進する。
 一瞬の躊躇も許されない時速300kmに届こうかという相対速度の中で、BETAと擦れ違い続けながらその攻撃も躱して続け、それどころか逆に射撃を主体とした攻撃を繰り出す。
 

――――スピードジャンキー。


 それが連隊内での、京塚誠一郎の渾名。
 JIVESでも、実機を使用した模擬戦でも、高速機動に任した回避と突撃を繰り返しながら戦闘する彼に付いた2つ名。
 衝突を恐れず、ぎりぎりのところで回避しながら攻撃する彼の攻撃スタイルは『安定性が無く、危険』と非難されたが、彼は変えることなく1個小隊を任されるまでの腕前になった。
 BETAの大群の中で、緩旋回と鋭角的な急制動を混ぜ合わせて攻撃を避け、針の穴のような隙間に機体を滑り込ませながらBETAの身に砲弾を叩き込む。
 陽炎の特徴である米軍機らしい高推力の跳躍ユニットを力任せに使用し、複雑極まりない鋭角を組み合わせながら移動し、方向転換するときは両足もブレーキ代わりとして使用して大地を削り、またタイミングを合わせて主脚の跳躍動作を使用することで方向変換の補助とする。
 衝撃緩衝材などの消耗部品の消耗が早く、整備員がとても嫌がる操縦方法だが、何を言われても、京塚はこれを変えずにいた為に最終的には敵陣深くに突撃する技術を身に付け、突撃前衛のポストに付いた。
 そして今、その名に恥じない鋭角的な高速機動を駆使してBETAの群れの中を突き進む。
 見た目はまるでゲレンデを疾走するスキーヤーのように、18m近い大きさの陽炎を横滑りさせ、今にも転びそうなほど機体を傾かせながらBETAの体当たりや攻撃をギリギリで回避して、その巨体を疾走させる。
 その京塚を先頭に他の3機が彼の露払いをするかのように、前方のBETAに対し36mm砲弾で作られた分厚い弾幕でBETAを掃討し、紫と赤と緑が混じったBETAの血飛沫で彩られた血路を作り出す。
 
 先陣を切る2小隊が目標とする海岸線まで500mを切る手前で、久我が支援射撃を行っていた第4砲兵大隊本部のハンマー10に連絡を取る。
「ハンマー10、こちらオーガ30。支援射撃中止!! 支援射撃中止!!」
『こちらハンマー10、了解!!』
「1小隊、3小隊、停止!! 3小隊は円陣隊形!! 退路確保の為、この場を確保するぞ!! 1小隊は引き続き2小隊を支援!! 突撃級の一団が来たら機動防御で回避!!」
 了解との言葉と共に、3小隊の3機の陽炎が円陣を組み、這い寄る四方の敵を掃射。1小隊の4機は、2小隊の4機に向かう要撃級の顔面に砲弾を叩き込み、海から顔を出したばかりの光線級を吹き飛ばす。
 円陣を構成する3機の陽炎は、突撃砲を搭載した74式稼働兵器担架システムを前方展開させ、周囲のBETAを全て薙ぎ払わんと最大火力で攻撃し続ける。
 それでもすり抜けようとして来るBETAに対しては、久我の陽炎が右手に持つ突撃砲の36mmチェーンガンを容赦無く唸らせる。
 それから久我は先程砲撃を加えた、今も旋回中の突撃級の一団を殺戮する獲物と決めた。甲殻に覆われていない脆弱な後部を自分の眼前に剥き出しにしている突撃級の一団に、背後から36mm砲弾を腹一杯に叩き込んでやると、巨大な6本足の異生物は次々と力を失い地に伏せる。

「――――さっさと死ねよ。ボケが」
 自らが撃ち込んだ砲弾でBETAの体組織が宙に爆ぜると、誰に言うでもなく満足気に呟く。

 もっともそんな言葉を呟いているからといって、この海岸一帯のBETA全てを掃討したわけでも何でもない。
 依然、彼らの戦術機の戦域マップに映し出される敵性光点の表示数は数えきれず、第4中隊はBETAに包囲されている状況下での戦闘を継続中である。その状況下で、久我は戦域マップに示されるBETAの種類と数、さらに目に映るBETAの動きから次の行動を予測して対抗策を弾き出す。

「1小隊、1時方向のBETA群に火力集中!! 2小隊に近づけさせるな!!」
 第2小隊の進路上に真横から飛び出ようとした要撃級の一団に、第1小隊が放った綺麗な橙色の光の尾を引いた曳光弾が何発もその巨体に吸い込まれるように集中すると、さっきまで走っていたBETAの骸が土砂を巻き上げながら倒れる。

「3小隊、3時方向と10時方向のBETA群を潰せ!!」
 了解の声とともに部下たちが120mm炸裂弾、多目的榴弾を上手く使い分けて敵を近づけさせない。

「――――オーガ10、FOX1」
 上陸したばかりで大量の海水を滴らせた重光線級の一団を発見した第1小隊長の大窪中尉は、素早く左肩の小型ミサイル18発をロックオン。さらにその足下に蠢く光線級にも照準して即座に発射。
 ミサイルを感知すると一瞬にして迎撃行動をとるBETAだが、ALM(対レーザー弾頭ミサイル)をレーザーで撃ち落とされるのも計算の内である。生き残ったレーザー種に速射で120mm滑空砲と36mmチェーンガンのコンビネーションを叩き込んで葬り、戦域マップでレーザー種が今は居ないことを確認してから大窪は報告した。
「光線級及び重光線級、殲滅」

「了解。引き続き、光線級を潰せ!!」
――――さてと。
 大窪の報告を聞きながら久我が6時の方向に機体を向け直すと、そこには土煙を上げて迫り来るBETAの一群。それは300を超える数の戦車級に10体以上の要撃級で形成されていて、こちらを踏み殺さんばかりの勢いで迫ってくる。
 既に部下には目標を指示した。
 手空きの部下なんて、居やしない。

――――ここを押さえるのは俺の仕事だな。
 右の腰溜めで構えさせた突撃砲に残っていた120mm炸裂弾3発を、迷いもせず横薙ぎに動かしながら全弾連射。
 4体の要撃級の体の一部を円形に削り飛ばして射殺。
 炸裂弾の有効範囲内に居た結構な数の戦車級は、その余りにも強い攻撃力のために元の形が連想出来るような形を全く残せず、赤い霧と化す。
 続けざまに視線で武装選択を行い、36mmチェーンガンを選択。
 自動制圧モードを起動させ、36mm砲弾で敵を薙ぎ払う内に、次に襲い来る大量の戦車級をどう殺すか決めた。
 そうしながらも戦域情報ウィンドウを開き、戦術情報を再確認。部下のバイタル状況と機体のデータもチェック。

――――あと5分だ。
 と、誰に言うことも無く戦闘継続時間を心の中で決心する久我。
 右側に銃撃を集中させる。さらに討ち漏らした戦車級が中隊の他の機体に背後から取り付かないようにと、自分の機体を大きく前進させてから左腕の武装を選択。
 使用武装は92式多目的装甲。
 爆薬がぎっしり詰まった反応装甲を起動させ、その安全装置を解除すると同時に、自動制圧モードも解除。
 右人差し指で操縦桿のトリガースイッチを引きっぱなしにして、弾薬が続く限り銃撃を加える。
 今現在の残弾数、僅か400発。
 87式突撃砲に装弾できる36mm砲弾は2000発。
 しかし、引き金を引き続ければこの弾数とて3分も持たない。1発で数体の戦車級を貫通して、なお引き裂くほどの威力を持つ36mmチェーンガンではあるが、彼の突撃砲の砲弾は200体以上の戦車級と4体の要撃級を挽肉に変えたところで残弾数は0になった。

 迷わずに突撃砲を右手から放す。

 そのときには既に彼の機体の左足下10mの至近距離に、数匹の戦車級が接近していた。

 BETAの圧倒的としか言い様の無い物量。一方向の敵を殺しても、他方向から絶えることなく襲い来るBETA。その物量の波に、BETAの津波に押し潰されて、この地球上から40億以上の数の人間が喰い殺されたのだ。

 久我の操る陽炎に、人の腕に似ているが明らかにバランスが狂っている両腕を精一杯に伸ばした戦車級の1体が跳びかかる。
 だが、これは無論、久我が想定したこと。いや、戦車級に『そうさせたこと』。

 陽炎の近接格闘戦モードを起動。
 跳びかかる戦車級の軌道上に左手で持つ92式多目的装甲が来るよう操作し、それを掴ませる。
 それと同時にバックステップを行い、同じように跳びかかってくる後続の戦車級を躱して着地。丁度陽炎の目の前に着地した後続の戦車級2体と、今も陽炎が持つ盾に―――反応装甲を取り付けてある92式多目的装甲に――――しがみついている戦車級1体をまとめて爆薬部で思いっ切り殴る。
 六角形の爆薬部が爆発し、近くにいた別の戦車級も爆風で吹き飛ばす。
 続けざまに左手の盾を振り上げて戦車級を殴り殺すとともに反応装甲を起爆させる。
 久我は爆風も利用して、その身に戦車級を近づけさせない。
 その爆風すらもすり抜けて跳びかかった戦車級に対しては、膝蹴りを食らわせて地に落とすと、その蹴り足をそのまま踏み落として圧殺した。

 そうしながらも次に迫り来る数体の要撃級に備え、視線で右腕の武装に長刀を選択。
 兵装ラックの長刀を爆破ボルトで跳ね上げて、その柄を右手に掴ませて抜き払う。
 素早く左右に長刀を振るって、周りの戦車級を薙ぎ払いながら機体を後退させる。
 要撃級と戦う際には、機体に這い上がる戦車級が無いようにと殲滅しながら後退し、要撃級を待ち構える算段だ。
 付きまとう戦車級を皆殺しにしたところで、要撃級との距離は50mを切った。
 反応装甲を全て使い果たした92式多目的装甲を投げ捨て、両手で長刀の柄を握らせる。
 その握り方は独特で、右手は長刀の柄の根本付近をがっしりと掴み、右前腕部と柄が真っ直ぐにくっつけるかのように保持し、左手は柄の最後部を握る。
 その長刀の切っ先はほぼ真っ直ぐ上を向き、その柄を戦術機の頭部センサーの右側上方に持ってくる構えを取らす。

 これ以上は、彼も後ろに下がれない。
 戦車級を迎撃する際に前方に出て稼いだ距離はもう使い果たしてしまった。
 これより下がれば、要撃級のその堅い前腕部が仲間の機体を背後から襲う。


――――示現流の蜻蛉と呼ばれる独特の構えを取る久我の陽炎。


 よく『二の太刀要らず』と言われる示現流だが、似たような言葉が他にもある。
 それは『一の太刀を疑わず』であり、『二の太刀要らず』と同じように初太刀に全てを掛けて勝負を挑む姿勢を表す言葉。
 久我は『BETAを殺せることだけ』を疑わず、長刀を振るう。

「――――キィェエエエエエエエエ――――ッ!!!!!」
 久我が猿叫と呼ばれる独特の叫びと共に、F-15J“陽炎”は要撃級の真正面から右足を大きく、そして素早く踏み込んで高々と振り上げた長刀を真っ直ぐに振り下ろし、最速かつ最大の斬撃を繰り出す。

 狙われた要撃級も前腕部を久我の太刀筋の前に出してその身を守ろうとするが、無駄だった。
 彼が放った斬撃は要撃級の頑強な前腕部を力任せにそのまま下に押し下げながら、一刀の元に要撃級を切り伏せた。
 久我は網膜に映る両腕への過負荷警告表示を全て無視。押し切るために出力を上げた主機をそのままに、警告表示を強引に閉じる。
 踏み込んだ右足に力を入れ、撥ねるように機体を元の位置に戻す陽炎に、切り伏せられた要撃級を踏み越えて別の要撃級が襲いかかってくる。
 自動回避で右側に避けようとする動作を、機体が動き出す前に素早くキャンセル。そのまま動けば、その次の次に来る要撃級の一撃を回避するのが厳しくなる。
 久我は瞬間的な閃きともいえる判断を下すと、手動操作優先にして、機体を斜め左後方に下がらせながら回避。
 それに長刀を振り上げる動作を合わせて攻防一体の行動とし、空振りした要撃級のその前腕部を根本から切断。
 返す刀で、人の顔のようなものが付いた要撃級の頭を撥ね飛ばした。
 久我が叫ぶ。
「――――京塚!! まだか!! 急げ!!」
 戦術機の戦域マップに映る敵性光点は、さらに密度を増していて、今更敵の数など数えることなど不可能な状況。
 今この瞬間も、彼らを包囲するBETAの数はさらに増加し続ける。
 

 第1・3小隊からの支援射撃の元、第2小隊の4機はBETAが上陸した海岸を通り越して、海上に機体をホバリングさせていた。
 光線級を殲滅出来たため、京塚達の安全は跳ね上がったが、BETAの群れの間を噴射地表面滑走で擦り抜けてきた彼らは肩で荒い息を付いていた。その息を落ち着かせながら、京塚が次の行動に移る。

「――――第2小隊、目的地到着!! 2番機、3番機はBETAを背後から攻撃。俺と1番機は洋上偵察実施!!」

 上陸したBETAを、洋上と陸上の前後で挟み撃ちする陣形を作れた第43戦術機甲連隊第4中隊。挟撃により彼らが弾を撃てば撃つだけ、戦車級は赤い塵に、要撃級は肉片に成り果て、突撃級の甲殻はただのオブジェと化す。

 そんな中で、洋上偵察として京塚ら2機の陽炎はその視覚センサーをフル稼働して、海中に目を向けていた。
 洋上からは海の中の魚はよほど大きな群れで海面に近くなくては、肉眼で確認できない。大きな魚、例えば海面すれすれを泳ぐ鮫とか鯨とかならば、一応見ることも出来るだろう。
 本来ならば戦術機で海の上から海中を見ても大して何も分からない。
 だが、それが浅瀬となる場所で、あまりにも大きい動くものならば視認できる。
 そう、例えば、全長20m近い突撃級や重光線級、要撃級に要塞級などはその存在を目視出来る。
 その為に、第2小隊は洋上まで出て―――――。
「――――発見!! 大型種を含む後続を確認!! 後続を確認した!! 規模は大隊規模以上と思われる!!」
 京塚は言うが早いが、ホバリングさせた陽炎で87式突撃砲を下方向に構えて120mm砲弾を海中のBETAに6連射。30mは超えようかという巨大な水柱が6本噴き上がり、その中にはBETAの引き千切れた骸の一部が混在していた。それは空中を僅かな間だけ舞った後、無雑作に、夏の朝日を反射する水面に落ちる。
 

 目の前にいた要撃級全てを切り伏せた久我が、京塚の言葉に反応した。
 先程投げ捨てた突撃砲を左手で拾い上げて、副腕による自動装弾を起動させながら、久我が今回の攻撃の本命を呼ぶ。
「オーガ00、こちらオーガ30。MLRS発射せよ!! 繰り返す、MLRS発射せよ!!」
『こちらオーガ00、了解!! 久我、早く撤収しろ!!』
 中隊長である高木少佐の指示に全員が素早く反応している。
「了解!! 撤収!! 全機撤収!! 先頭は1小隊、続いて2小隊、殿は3小隊、急げ!!」
 その次に彼らにとっては命綱に等しい攻撃を要請する。
「トール10、こちらオーガ30。撤退支援射撃を要請する!!」
『了解した。“トール11”と“トール12”が10秒後に射撃開始!! 生きて帰ってこい!!』
「頼みます!!」
 今も上陸を続けるBETAに背を向けて、12機の戦術機は撤収を始める。突撃の為に使った接近経路を、今度は少し経路を変えて逃げるための逃走ルートにする。
 その為に彼らは再度その道を、生還するために絶対に必要なその道を、生き残る未来に続く道を切り開くために銃弾の雨をBETAに降らす。



『オーガ00からオーガ各機へ。MLRSは発射された。繰り返すMLRSは発射された』



 MLRSとは正式名称Multiple launch rocket systemの頭文字を取ったもので、多連装ロケットシステムと訳される長距離火力支援兵器であり、その絶大な面制圧能力は人類の対BETA戦闘では長距離攻撃の中核を担うシステムである。
 特にMLRSから発射されるM26ロケット弾は代表的な弾頭であり、ロケット弾1発で子爆弾644個を内蔵し、発射後目標上空で子爆弾を200m×100mの範囲にばらまく。
 子爆弾1発のサイズが小さい為、BETAの硬い甲殻に大して効果は無く、大型種を一撃で仕留めることが出来ないが、その面制圧能力は特に小型種に有効で圧倒的物量を誇るBETA相手には無くてはならない兵器である。
 1分間の弾薬投射量では、つまり1分間で敵に降らす火薬の量では、今回の威力偵察で久我ら第4中隊を支援射撃した第4砲兵連隊が装備するFH-70のそれを10倍は優に超える兵器である。

 そして第4中隊第1小隊の陽炎からの位置情報を元に、M26ロケット弾を撃ち込んだ部隊は、彼らの30km後方に陣取る西部方面軍直轄部隊の西部方面砲兵隊第5大隊。
 MLRS3両を1個小隊とし、3個小隊で1個中隊、3個中隊で1個大隊を編成している部隊である。
 1個大隊のMLRSの装備数、実に27両。
 子爆弾644個を内蔵するM26ロケット弾の他大型種用に使用される対戦車地雷28個を内蔵するAT2ロケット弾も含め、合計27両×12発=324発のロケット弾を1分掛からずに発射する。
 制圧面積は子爆弾と対戦車地雷の攻撃地点が重複するため最大面積ではないが、制圧予定面積36平方km。縦横6kmの正方形のエリアに合計11592個の爆薬で出来た鉄の雨が、大型地雷252個とともに降る。

 その攻撃は第4中隊第1小隊の陽炎からの位置情報を元に、久我が『MLRS発射せよ』と伝えた地点を基準に計算されて射撃された。



――――つまり久我ら第4中隊の陽炎12機は、今から1分も掛からない内に1万を超える子爆弾の雨が降り注ぐ、火力制圧予定地域の只中いる。



 誰が指示するわけでもなく、戦域からの最速の離脱方法として12機の陽炎は砂浜の砂を巻き上げながらの主脚走行で助走を付けて、跳躍ユニットに鞭を入れて噴射地表面滑走を開始する。
 機体が地上を離れると、推進剤の多少の無駄使いなど頭の隅に追いやって、強引にスロットルペダルを踏み倒して匍匐飛行に移行する。

 前方に立ち塞がるBETA共を銃弾と長刀で薙ぎ払い、死地からの脱出を図る。

 彼らは来たときと同じよう小高い山々を遮蔽物として利用し、起伏に沿って戦術機を飛ばしてBETAの群れから遠ざかる。
 時折、第3小隊の4機が跳躍ユニットの片側を前方に向けて素早い180度のターンを行い、追い縋るBETAに射撃を加えながら光線級が上陸していないかを確認して、殿(しんがり)としての責務を果たす。


「――――――てめぇっ!!!」
 突如響く、福田の切羽詰まった叫び声と射撃音。
 第3小隊“オーガ33”福田の叫びがヘッドホンから響き、中隊全員の鼓膜を揺らす。


 突如、コックピットの中で鳴り響くレーザー照射警報。
 何事かと思う間も無く、小高い山の稜線を越えた直後で最も高度が出ていた第1小隊の衛士達の網膜に自動回避の文字が映る。
 四方八方に分散し、錐揉み状の激しいランダム回避機動を取る4機の陽炎。

 福田が、海面から生体レーザー発振機能を持つ2つの不気味な眼球だけを出している光線級の群れに突撃砲を乱射する。

 久我が機体を着地とともにスピンターンを決め、狙いも定めずにBETAの『上空に向けて』120mm弾を撃ち放ちして叫ぶ。
「ALM!!」

 データリンクで被弾した僚機が受けた攻撃の方向に、自動操縦で機体の向きを敵方に向ける大窪の陽炎。
 視界にBETAを収めた大窪は自動回避を手動解除。
 機体を強引に着地させると、慣性で滑る機体の姿勢制御を放棄して視線で武装選択。
 最後まで残しておいた右肩のALMランチャーを選択し、海からその眼球を覗かす光線級と重光線級に視線の焦点を合わせると同時に、ALM(対レーザー弾頭ミサイル)18発全弾連続発射。

 光線級のレーザーを回避しきれなかった第1小隊の陽炎1機が、機体に幾つもの穴を穿たれ煙を噴き上げて墜落する。

 中隊の各機が遮蔽物に身を隠してBTEAに射撃を行い、その砲弾の威力で海辺の砂と海水がカーテンの様に舞い上がる。

 その海水のカーテンを貫き、対レーザー弾頭の小型ミサイル18発がBETA共の躰に突き刺さって爆発。
 一瞬だけ閃光とオレンジ色の炎が球状に爆ぜて、爆音が響き、黒煙が立ち昇る。
 海水のカーテンが全て落ちた時には、その地点にBETAは1体たりとも存在しなかった。


「うががぁああああああぁあああぁぁあっっっ―――――っ!!!!!」
「八重樫!! 大丈夫か、八重樫!!」
 生命の危機を感じた八重樫の身体が、本人の意志を無視して全ての力を振り絞って上げる絶叫が響く。
 入隊した時から共に過ごしてきた同期の福田の呼び掛けは、失神しそうな程の激痛に掻き消されて八重樫の耳にまったく届かない。
『八重樫の左腕と左足の強化服の反応が無いぞ!! 心拍数・体温低下中、ショック症状だ!!』
 高木少佐の慌てた声が入る。指揮車のモニターから八重樫のバイタルデータを確認しての発言だった。
「大窪! コックピット強制排除!」
 久我が周囲のBETAを掃討しつつ、指示したが回答は絶望的だった。
「コードを受け付けない!! 緊急脱出も起動しないぞ!! くそったれ!!」
「強化服の鎮痛剤は!?」
 京塚も後方から迫るBETAに射撃しながら援護に入る。
「もう打込んだ!!」
 久我が確認する。
「HQ! 着弾まであとどの位だ!!」
『1分切った!!』
「八重樫!! 堪えろ!!」
 言うが早いか久我の陽炎が、地面に食い込んで横たわる穴だらけの八重樫の機体に近寄る。
 操縦席近くをレーザーを掠めた為、胸部周りの装甲は溶け爛れ、その四肢はボロボロだった。
 右手に持つ長刀を狙い澄まして振り下ろし、八重樫の陽炎の腰から下を切断する。
「ぎいいいぃゃぁああああああああああっっ――――!!!」
 長刀が八重樫の機体を切断するその衝撃で、八重樫の悲鳴がまた響く。
 意図を察した大窪が五体満足な2人の部下に指示する。
「戸田!! 岡安!! お前ら、八重樫の機体を運べ!!」
「了解!!」
 久我が八重樫の陽炎の両肘から先を連続で切り落とすと、また八重樫の悲鳴が上がる。
「ぎゃぁぁああぁ―――――!!!! ひぎゃぁぁぁっぁあああああああああああああああああああああああ!!!!」
「八重樫!! 気絶するな!! 八重樫!!」
 福田が射撃も忘れて、八重樫に声を掛け続けるが応答など無い。それでも彼は声を掛け続ける。
『心拍数80を切ったぞ!! 体温35.5!! 血圧低下!! 出血止めろ!!』
 中隊長の指示に、大窪が怒声で状況を伝える。
「止血剤が足りない!! 傷口が広すぎます!!」
『あと40秒!!』
 久我も焦りが隠せないし、いつもなら冷静な大窪も声を荒げる。
「俺と大窪、1小隊以外はさっさと離脱しろ!!」
「了解! 残りの者は俺に続け!!」
 京塚が6機の陽炎を先導して飛び立つ。
「戸田! 岡安! さっさと運べ!!」
「了解! 八重樫、堪えてくれ!」
 胴体だけの姿になった八重樫の陽炎を両脇から抱え込み、2機の陽炎が匍匐飛行に入る。
「うがぁっ!! ぎゃああああっ――――っ!!! 痛い!!! 痛い!!! 痛いっ!!」
 左腕上腕部から指先までと、左足の膝から先を蒸発させられた八重樫は、急加速した衝撃と、穿たれた穴から吹き込む突風に傷口を打ち付けられて子供のように泣き叫んだ。
「八重樫!! 奥さんが待っているんだろ!! 子供がお腹の中にいるんだろ!! 死ぬな!!! 死ぬんじゃねぇ!!!!」
 2機の陽炎に抱えられて運ばれる八重樫の胴体だけの機体に、福田の機体が寄り添うように飛びながらも必死になって呼び掛けて、その意識を繋ぎ止めようとする。
「返事しろ!! 何でもいいから返事しろよ!! 八重樫!!」
 必死になって呼び掛ける福田の声は、もはや泣き声に近い。
「搬送先は?!」
 お土産とばかりに120mm砲弾をBETAの群れに撃ち込んでから、機体を急発進させた久我と大窪が八重頭の後を追う。
 久我が問いに高木少佐が答えた。
『中隊HQまで運べ! 連隊本部から搬送ヘリがここに来る!!』
「そこまで保つのか!!」
「・・・・・・・・・厳しいだろうな」
 大窪の厳しい表情を見ながらも、久我は少しだけオブラートに包まれた表現を使った。
 彼は心の中では、八重樫の命はあと数分だと判断していた。
 死因は大量出血による失血死になるだろう。
 八重樫の運が悪かった事は、おそらく傷口が完全に炭化していない事だ。
『意識レベル低下!! 他の奴等も声を掛けろ!!』
 気付けば、八重樫の絶叫が止まっていた。
 それはもう激痛に反応することが出来ないほど彼の意識レベルが低下したか、激痛を感じないほど身体の機能が停止に、つまり死に向かっているかの2つだ。
「八重樫!! 寝るな、起きろ!!」
「奥さんを一人にするな!! 家族持ちは生きて帰ることが仕事って言ってただろ!!」
 同僚の戸田と岡安も必死になって声を掛けるが、反応がない。
「・・・・・・強心剤注入、心拍数変化無し・・・・・・」
 大窪は無力感に苛まされながらも、まだ八重樫に出来ることが僅かでもあればと探し続ける。
『あと10秒で第1波着弾!!』
 これから4.5秒ごとにMLRSから放たれたロケット弾が空中で炸裂し、子爆弾の雨を降らす。
「全機、速度上げろ!! 八重樫、もう少しだ。・・・もう少しだけ堪えろ」


 久我の言う『もう少し』は、離脱出来るのがもう直ぐなのだろうか?


 それとも、あと『もう少し』で死んで楽になれることであろうか?


 彼らは子爆弾の雨を避けるために、振り返らずに一目散に機体を飛ばして逃げた。


――――それから10秒後。
 11機の陽炎が火力制圧地域から匍匐飛行で抜け出ると同時に、飛来したロケット弾が高度1000mで炸裂して、子爆弾を散布する。
 地上のBETAに子爆弾が襲い掛かり、無数の閃光と爆発、土煙が上がる。
 それが計12回繰り返され、予定通り縦横6kmの正方形のエリアに合計11592個の子爆弾と大型地雷252個が散布された。
 その結果、西部方面砲兵隊第5大隊の面制圧が終わる頃には、一時的とはいえ地面を覆い尽くしていた小型のBETA種はほぼ壊滅した。
 子爆弾の雨の中を生き残った大型種と新たに上陸を続けるBETAがいるため、 第4砲兵連隊と西部方面砲兵隊の砲撃は今しばらく続く。
 第43戦術機甲連隊第4中隊が初期段階で光線級を殲滅したため、帝国軍は効率よくBETAを排除し続けている。
 対BETA戦第1戦目にしては、上出来の結果であろう。






 1998年7月17日 05時29分
 帝国陸軍福岡駐屯地 第43戦術機甲連隊本部隊舎 連隊指揮所内

 『第43戦術機甲連隊4中隊第1小隊所属 帝国陸軍少尉 八重樫 優 
 1998年7月17日 05時23分
 福岡県二丈町上空にて大量出血による失血のため戦死』 
 
 この報告を書類で受けた西連隊長はいつも持ち歩くのバインダーを捲り、部下である連隊隊員の名前が全て記載されているページを開いた。
 それから、横書きの八重樫の名前の上を赤ペンで2重線を引いて消す。八重樫の欄にある最後の備考のスペースに赤字で今日の日付と『戦死』と書き込む。
 それから第4中隊の高木少佐を無線機で呼び出し、新たな命令を下す。
「第4中隊は帰隊した後、弾薬補給等の必要な補給整備を実施。事後、速やかに出撃体勢に移行」
『はっ』

 ここから先は西連隊長の自分の職位と命を掛けた大博打である。

「第4中隊は第8師団に臨時編入するとするも、その命令は『中隊所属の戦術機にオートジャイロの故障が発生した為、第4中隊は移動することが出来ない』状態になる」
『――――連隊長!!』
 言わんとすることを察し、高木少佐が驚きの声を上げる。
「ああ、そうだ。高木。ワシは守屋大将に素直に従う気がない。責任被りたくなければ今のうちだぞ」
『本気なのですか?』
「連隊長が冗談でこんな事言えるか?」
 カカカッと老人らしい笑い声を上げる西連隊長。
『・・・・・・分かりました。どうせ予備機を1機受領したいので、時間稼ぎはこちらとしても好都合です』
 唸るような声で答える高木少佐。
 しかし老練な西連隊長の指示は、次の戦場に対応するためだった。
「だが、それほど休む時間はないぞ、高木。お前らにはこの基地の直衛について貰う」
『?!』
「ワシらはこれから野外に連隊指揮所を開設し、そこで指揮を執る予定だ。情報本部の馬鹿共が隠し事をしていたから、その尻拭いの準備だ」
『・・・・・・了解です、連隊長』
「それと後で久我をワシの元に寄越せ。奴に特命を下す」
 西連隊長はそう言うと、静かににやりと笑った。








あとがき
2008/07/21
余りにもスローな展開とミスを修正する為、第3話を前後編に分け加筆・修正を実施。
第4話前編も加筆・修正しました。
特に3話は内容的な変更が大きい為、もしも読んで頂けたならば幸いです。
ってか、この後書きまで読んで貰えただけでも幸いな事ですが。


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