ひっそりとしたキッチンに包丁の音が響く。
一定のリズムで、不定な音。いつも通りの日常で、二度はない今日。恐らく何を基準にとってグラフ化してみれば、平均化するまでもないような毎日だ。けれど、僕にとってそれがとても愛しい。朝起きて、お客さんと他愛もないおしゃべりをして、たまに友人と誼を深めたりして、そして眠る。アリア達の年の子供からすればそれは刺激のない惰性で続く人生だと思われるかもしれないけど、いやはやこれはこれで悪くない、むしろ好ましいものだ。
初めて料理したのは、確かこの世界に来てから半年頃だった。指を怪我したおばあさんの代わりに作ったんだ。メニューは鳥と野菜のスープ。
こうして一人で料理をしている間は、僕は僕だけであるように思える。高校生の僕とか、絶望と困惑と恐怖に囚われた僕とか、友人とバカをして担任に呆れられる僕とか、家族と一緒にいる僕とか。沢山の僕が薄れていって、それは境界をなくす。すると、振り返ればあの喧騒と光に溢れた世界に戻れるような、そんな気がするんだ。
08『不器用×不器用』
日本では、その昔連続する毎日をハレの日とケの日に分けた。ケの日はいつも通りの日常。ハレの日は特別な日だとして、祭事などを行っていたらしい。伝承される神以外にも、女性の入山を禁止するといった山岳信仰、川を蛇や竜に見立てたり巨木を土地の守り神とするなど、周りには人ならざるもの、人の力の及ばないものがごく当たり前に存在してきた彼らの祭事は、僕の知る限りその進化の歩みを止めたことはない。しかし、たまに思うのだ。数えきれない信仰対象にその何倍もあるだろう奉る祭りの形式。ものすごい祭りが好きなだけではなかったのではないかと。そして、その血は全ての日本人に流れているのではないかと。
「それではまた来年会いましょー」
「はいはい。また来年もお世話になります」
手綱を引いて空になった台車と共に去っていく行商人を見送り、適当におかれた食材やらを整理する。今日が今年最後の仕入れ日。だからいつもより沢山買い込んだのだけれど、これが五日もたてば無くなるっていうのだから驚きである。千客万来、ありがたやありがたや。
「年明けに使うのはこっちにまとめておくか。だったらお米とかも大体の量はこっちに分けておいた方がいいかも。年末年始はどこのお店も開いてないだろうし。あ、これは傷があるから先に使わないと……」
この国一番のお祭りと言えば、文句の一つもなく生誕祭である。一般人がお祭り騒ぎをし、国も色々なイベントや援助を行っているのだからそれはもう盛大なお祭りである。また、先の大戦での功績から他国の王族や指導者といった各国のトップも来賓としてくるので一年で一番人口が増える期間だ。
まぁ今言ったような国賓はここルーベルではなく首都の方に招かれるので僕は見たことないのだけれどね。
さて、そんなにすごい生誕祭だが、この世界で一番のお祭りと言えるかといえば、その答えはノーである。確かに他国のトップもくる盛大なものだが、この国が常にホストになるわけでもなく、当然のように公務として他国の催事にしなければならない。それが王族の務めだし。
僕が聞いた話だと、属に大国と称されるところの最大のお祭りであるフーガでは、その賑やかさから夜は消え、その熱気により花が狂い咲き、人は個人から解放され民衆という集団意識を持った個になるらしい。うん、未だに意味がわからん。わかっているのは、僕は一生進んでそこに赴くことはないだろうということくらいだ。
そんなお祭りでさえ、世界最大のものではない。なぜならそれはどこまでいっても、その国内で行われるものだからだ。そう、世界最大のお祭りは一国に収まるものではない。世界最大のお祭り、それはこの世界全てに訪れる新年を祝うものである。
それの正確な発祥は判明していない。故に行われる時期と、その目的が新年に関するという点を除けば共通項を見いだすのはとても困難だ。名前だって共通言語で「新年祭」ということがすぐわかるような名前のものから、その地方独自の言語であったり、伝承による由来を持つものだったり、時の指導者が語感で決めたりと様々だ。ちなみに、シュラクトヤ=ルーベル王国では「ルイユ・レ・ソルベリート」といって、これは古い言葉で「新たな英知と変わらぬ繁栄を」という意味らしい。まぁ新年祭で通じるから正式名称を知っている人も多くはないのだけれどね。
この新年祭と生誕祭の大きな違いといえば、盛り上げようとして盛り上がるイベントなのか、雰囲気に乗って皆それぞれが盛り上がるものかという点だ。わかり難いたとえを出すと、生誕祭はクラスのみんなで力を合わせて作り上げた文化祭みたいのもので、新年祭は友達とはしゃぎ騒ぐ修学旅行みたいな。うん、我ながらわかり難い。
「そういえば、船長にまだ会ってないなぁ。年が明ける前に一度は来るっていってたのに」
船長はとにもかくにも海が好きなので、この店に来ることは滅多にない。海が大荒れで出港できない時も、海が見える自宅で最新版の航路図をみながら新たなルートを考えるのだとか。海好きここに極まれりである。
ちゃちゃっと下拵えを済ませて外の看板に今日のランチメニューを書いていく。コロッケ、卵、サラダの三種のサンドイッチと魚フライ定食。お昼はガツンと油ものが食べたい気分なのだよ。
「さて、今年も残り少ないけど今日ものんびりいきましょうか」
茶屋『絢辻屋』 年末年始も頑張ります。
店内にいた最後のお客さんを送り出して、そろそろ閉店の時間になるかな? という時に奴らは現れた。
「愛しの!」
「ハルキに捧げる!」
「極上の!」
「「「ゴールデン・トライアングル!」」」
うっさいむっさい暑苦しい。お前ら人の店にまできて変なことするな。頼むから。いや、確かにもうお客さんもいないけどさ。だからといって騒いでいいってことじゃ、あぁわかったわかったから泣くなって。うん、確かにすばらしい逆三角形だよ。赤身だね。
「ふむ、今日は仕事納めだったからな。皆もすこぶる機嫌がいいと見える」
「あぁ、今日が仕事納めだったのですか。いや船長、機嫌がいいのは構わないのですが、あの変態どもはどうにかなりませんか?」
「我々は変態ではない」
「ただただ、一途に君のことが好きなだけだ」
「そしてたまたま君が男だっただけじゃないか」
「「「我らは君に恋い焦がれる、いわば恋の迷い人。さぁ、導いてくれ!」」」
真剣な顔で手を差し伸べる変態どもを一瞥して、料理を続ける。店の扉にはとっくにクローズの札を出した今は、店内はこいつらの貸切だ。こいつらはその体に見合う分食べるというのに、今日は十人ほどの大所帯なのだから正直構っている暇はないのだが、無視するといじけるので仕方ない。バリバリマッチョが椅子の上で膝を抱える姿×3なんて見たくないですよ、僕は。
「だいたい、僕が男だってわかっているならほかの女性を探せばいいじゃないか。アランの奴だって嫁さんを見つけたんでしょ?」
「我々はあれを女性とは認めない」
「女性とは守りたくなるような繊細さで」
「家庭的で儚げで、それでも己をもつ人」
「「「そう、ずばり君こそ理想の女性!」」」
男だバカ。
「だから、いっそのこと体を鍛えてみてはどうかね」
「自分では普通と思っているんですけどね。それにお店があるので時間も取れませんし」
「その細腕で普通。普通、か……。君は時々、研究者のようなことを言うものだね。それもあいつらの影響かな?」
「さぁ、どうでしょう? 案外、自分のことになるとわからないものです」
お皿に山盛りにしたコロッケと焼き鳥、パスタなんかを出すと店内は宴色一色になった。お酒を持ち込んでいる奴もいるし。まぁ、みんな顔馴染だしすでに閉店しているから大目に見よう。普段から飲み慣れているのか酒癖も悪くないしね。
それにしても変態や船長とかには細いとか華奢とか言われるが、僕は別に自分のことをそうだとは思っていない。だって、本当に平均的だから。いや、この世界では平均的ではないのかもしれないけど。未だに過ごしてきた時間はあちらの世界の方が長いのだ。価値観は早々覆らないものだよ、キミ。
この世界で男の仕事といえば、肉体労働の一言に尽きる。農夫、漁師、猟師、大工、鍛冶屋などなど。ここには電話もなければコンピュータもない、つまり前の世界で一番メジャーだった会社員というものが存在しないのだ。いわば、大人の男性=マッシヴというのが平民の常識である。いやほら、貴族様とか研究者は例外だから。そして、そんな男たちを御すために女性もまた逞しくなる、と。腕っぷしも強けりゃ肝っ玉も据わってる、まるで大阪のおばちゃんである。ついに僕は本物を見ることはなかったのだけれどね。
「あ、そういえば。船長のところは何日から仕事始めるんです?」
「ん? あぁ、例年より寒波が穏やかだからな。いつもより少し遅くなるだろう」
「え? 珍しい」
海大好きな船長がそんな決断をするなんて。うーん、隙あらば海に出ようとする男なのに。
「不思議かね?」
「えぇ、まぁ。一月前に流氷を率先して砕いていた人とは思えないですね」
「……少年。儂との付き合いはどれくらいになる?」
「なんですか急に。えぇと、お店開く前からだから……7,8年くらいですかね」
お店を開いてもう5年。その前からだからそのくらいか。
5年
そうか、あの声を聴くことがなくなってからもうそんなになるのか。
「今年はおかげで雪も少なくてな。あそこで騒いでるジョージなんて村から家族総出で遊びに来るらしい」
どこか遠く、そして眩しそうなものを見るように窓際で腕相撲をやってる船乗りを見つめる船長。気付けば僕と船長の周りには人はいなくて、どこか劇を見るかのように宴を眺めている僕がいた。
別に寂しくない、なんて強がるほど僕は青くはない。ただ、口に出せるほど器用じゃないだけだ。
「話は変わるが。うちの使用人も今日で仕事納めらしい」
「そーですかぁ」
「ついでにいうと、儂は家事はできん」
「そーですねぇ」
「だからしばらく厄介になるぞ」
「え?」
それって、と聞き返す前に頭を撫で繰り回される。ゴツゴツとした硬い手。ちょっとパイプの臭いがする。嫌いじゃない。思えば頭を撫でられるなんてずいぶんと久しぶりな気がする。頬が年甲斐もなく熱くなるが、たぶん僕の眦はだらしなく垂れ下がってるだろう。
「お前は儂の息子でもあるからな。いや、年齢からすれば孫か?」
「どちらにしても、成長した姿をちゃんと見せないとね。今年は気合を入れますか」
どうやら、絢辻屋にはしばらく不器用が一人増えることになりそうだ。
後日、船長のお話目当てに客足が倍増することになるのだが、それはまた別のお話である。