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[29510] 【習作】喫茶店?いいえ茶屋です
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/08/29 17:28



 石畳を撫でる暖かい風が通りを吹き抜けると、風に誘われたのか、色とりどりの花弁が踊り始めた。花を追って目線をあげると、空には渡り鳥の編隊が春を告げる任務なのか、優雅な遊覧飛行をしている。

 空から通りに目を戻すと、道端のベンチに腰掛けて談笑するおばあさん、道行く人に今日のオススメと自慢の商品の説明をしている二本角の店主、家の手伝いなのか軒先を箒で掃いている猫耳の少年。その誰もが皆、大輪の笑顔を咲かせていた。



 技術大国、研究者の聖地、青海の立役者、最古と最新が融合する国、異端の最先端



 この国、シュラクトヤ=ルーベル王国を表す名は沢山あるけれど、僕の目に映るのはそんな記号で固定された灰色の国ではなく、移り行く季節を、春の訪れを、生を謳歌する彩りある国だった。

 獣耳を生やした女の子が、男の子の手を引いて広場に駆けていくのを微笑ましく思いながら腰を上げる。

 さて、そろそろ僕も店を開ける準備をしなくては。今日はこんなにいい天気なのだから、外にベンチと傘を出して野点風味というのも風流だろう。

 最も、この世界にとって僕のイメージする風流があるのか否かは、僕の与り知ることではない。

 何故ならそれは、僕にとってこの世界は異世界で、この世界にとって僕は異物なのだから。



 この世界に来た時の事は、正直な話、あまり覚えていない。

 机に向かっていたら、突然の浮遊感に襲われ、気付いたら石畳の上に倒れていた。しかも若返って。

 何を言っているかわからないと思うが、そんなことは僕だって同じだ。多分、この時の事をよく覚えていないのは、僕の脳の容量を超えたためだと思う。



 さて、そんなファンタジーな経験をした僕だけど、どうやら特別な力や、驚愕の出生の秘密なんてものは無いらしい。それは、ここにきてから誰も僕を訪ねてこない事や、秘められた力とかいうものが開眼しないことからも確かだろう。

 まぁ、そのことに不満はない。僕はこうして生きているのだから。



 特製の蛇口をひねり、水が出ることを確認しながら商品のチェックをする。商品の補充は昨日しておいたから不足は無いと思うが、どのくらい消費したか帳簿をつけることはお店を経営する上でとても大切なことだ。

 ベンチを出すのは日が頂点を越えてからでいいだろう。それまでは通行の邪魔になるかもしれないし、なにより僕しか店員のいないこの店では、一日中外の相手もするなんて無理なことだ。

 一度店内を見回して、壁に掛けられた絵に手を合わせてから帯を締めなおす。掃除よし、商品よし、僕の調子もよし。

「よし」

 一度拍手を打ってから扉にかかっているクローズの札をひっくり返す。

 茶屋「絢辻屋」、今日ものんびりと開店だ。




あとがき

コンセプトは珈琲もいいけどお茶もね。



[29510] 01 ほうじ茶と貴族
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/12/06 03:51


「店主、いつものを」

 掛けられた声に、近くのギルドが販売している情報誌、いうなれば異世界版新聞紙から目を上げる。連載小説「擦り切れる愛~トイシストーリー~」の今週分を読みきってしまいたかったけれど、それはそれ。後で最初から読み直すとしよう。


「いらっしゃい。少し待っててね」


 カウンターに腰掛けている常連さんに一声掛け、鍋に水を張り、火にかける。ええと、あの茶葉はたしかこの棚の、と。うん、あったあった。


「最近何か変わったことはあるかしら?」


「変わったこと? 特にはありませんけど。あぁ、そういえば冒険者ギルドに新人が加わったらしいですよ」


 棚から取り出した茶葉を、瓶に付属しているスプーンで一杯分を量り特製の急須に入れる。特製の急須といってもすごい機能があるわけではない。ただ、急須と言う存在がこの世界では特殊なだけだ。まぁ、紅茶を淹れる用の、いわばティーポットはあるのだが、それはやっぱり粋ではないだろう。


「確かに、特に変わったことではないですわね」


 棚から木製の皿を取り出し、紙を敷いてからお茶請けを乗せる。お湯のほうはできたようなので火を止めて、熱々なまま急須に注ぐ。少し待つと特徴的な香りがしてきた。やっぱりお茶の香りというものは心が落ち着くなぁ。


「お待たせしました、ほうじ茶と本日のお煎餅になります。今日のは普通のソーユ味だけど、少し硬めに焼いてあるからそのお茶には合うと思うよ」


「あぁ、いい香りね。家で飲む『お紅茶』なんかよりずっといいわ」


 厚手のマグカップに注がれたほうじ茶の香りを楽しみながら、彼女はうれしそうに笑う。千差万別と呼べるほど種類がなく、質の高いものが低いものと同じような値段で、まさしく玉石混交で売られている中から、僕自身の舌と鼻で選び抜いたお茶を喜んでくれるのはとても嬉しい。その笑顔に免じて、あとでお菓子をおまけしてあげよう。


「またそんな事を言って。ジークさんが怒るよ?」


「構いませんわよ。どれだけ価値が高かろうと、好みじゃないなら意味がありませんわ」


「まぁ、そうだけど。でも家で飲みたいなら帰りに包もうか?」


「家の中でジークに見られながら飲みたくなんてないわ。それに、ここで、貴方が淹れてくれたものだから、私は好きなのよ」


 マグカップを置き、煎餅を手で割りながら彼女はなんでもないかのように言うが、これって聞き様によっては告白とも取れるかもしれないなぁ。もちろん彼女にそんな気もないだろうし、僕にもないことだけれど。でも、自分の淹れたお茶が美味しいと、それも質の高いものを嗜んできた貴族である彼女に褒められるのは嬉しいものだ。

 質の高いものを嗜んできた「貴族」 アリア・ワーケルハイツ。
 そう、それが、僕の目の前で煎餅をリスのように齧りながらほうじ茶を口にする、金髪碧眼の少女の名前であった。



01 『ほうじ茶と貴族』



 この世界に来て驚いたことの一つが、この貴族の存在だった。前の世界にもいたのかもしれないが、民主制が一般的な世界において貴族の意味なんて、それこそ名だけの存在だったし、おそらく多くの人に貴族とは? と尋ねれば歴史で学ぶような、そして今の僕の目の前にいる貴族たちを思い浮かべると思う。

 この世界ではまだ民主制などという考えはなく、政治とは一部の権力者たちが考え指導していくものだった。故にその権力者たる貴族の権威も著しく、国によっては前を横切るだけで平民なんて首打ちされるらしい。なんというかでんちゅうでござる。意味は全然あってないけど。

 そして、僕のいるここシュラクトヤ=ルーベル王国では、技術大国と言うお国柄か、貴族の権威というものは他所の国と比べればあまり高くはない。平民とは隔絶たる壁があるが、少なくとも忌避されるような感情を持つ平民の数はあまりいないのもそれを裏付けている。

 そしてワーケルハイツ家といえば、変わり者の代名詞と言える貴族なのだ。。

 赤海大戦が起こり、ルーベル王国がシュラクトヤ=ルーベル王国となる前までは王都であったこの都市に屋敷を抱える由緒正しき貴族ながら、積極的に家を大きくしようとせず、家と国の安寧を第一に考える変わり者。功績を考えれば侯爵となってもなんら不思議ではないのだが、辞退し続ける怠け者。華美な装飾を好まない軍人気質、などなど。聞くものによっては不敬であると怒るかもしれないが、これがワーケルハイツ家に対する風評のほとんどだろう。貴族、平民分け隔てなく。


「店主、御替りを下さいな。あぁ、今日もお煎餅が美味しいわ・・・・・・」


 急須の中身をマグカップに注ぎながら、物思いにふけっていた思考を切り替える。こういうときに急須というのは便利だ。ティーポットは磁器と陶器の違いなのか保温性が今一よろしくない。これが玉露などの緑茶だと渋みとかで一回一回注ぎきらないといけないが、その点ほうじ茶は助かる。その分お安く提供させてもらってるけどね。


「ありがとう、後で少し包んでおくよ。ジークさんにもなにか包んだほうがいいかな?」


「この味をわからない人にはいらない・・・・・・なんていうのは器が知れるわね。そうね、ジークは根っからの紅茶党だからあまり甘くなくて紅茶に合うものを頂こうかしら」


 なんという漠然とした要求。いや、そんな事はいつも通りだからいいか。

 はてさて、何にしようか。あんまり甘くなくて紅茶に合うものって意外と少ないんだよなぁ。クッキーとかも甘さを抑え目に作ってはいるけれど、ジークさんには最近出したことあるものだし。料理人の矜持として、「またコレか」なんてものは出したくない。


「そういえば店主、あの話は聞いたかしら?」


「あの話?」


 在庫としては、蕎麦粉がちょっと多めに余っているかな。暖かくなってきたから汁物が出にくくなってきたんだよね。ザルを始めるにはまだ早いし。


「アカデミーが発表した理論のことよ。なんでも空気には重さがあるとか言う」


「へー。あ、今日もジークさん来るの?」


「いつもの時間に迎えに来ると言ってましたけれど、へーって貴方、この発表のおかげでアカデミーは下も上も蜂をつついたような大騒ぎよ? それともまさか、貴方も重さがあるなんて言うんじゃないわよね?」


 本人が来るなら持ち帰りができなくてもいいか。ジークさんに紅茶を出すのはちょっと勇気がいるけれど、いざとなったら自分で淹れてもらおう。そして今日こそ、その技術を盗んでやる。

 さてと、これで選択肢は広がったけれど、肝心のお茶請けはどうしようかなぁ・・・・・・。夜の仕込みもしたいから、焼き加減に気を取られるケーキ系は却下。クッキーは先の理由で却下。煎餅は・・・・・・紅茶に会う煎餅を作り出す創作力が僕にはありません。あぁ、もうどうしようか。いっそのこともっと遅ければ食事にしてもよかったのに、時間帯が微妙すぎる。


「ちょっと、聞いてますの?」


「ん? あぁ、論文のことね。というかそれやっと発表されたんだ」


「え?」


「一週間くらい前まで、いつもあの奥の机で必死に何か書いてる男の人がいたでしょ? 彼だよ、騒ぎの原因は」


 ええい、とりあえず夜の仕込を行いながら考えるとしよう。たしかお昼に新鮮な魚が届いたから、今日は魚メインにしよう。煮魚に塩焼き、ムニエル。天ぷらは・・・・・・海老がなかったから却下。小魚はから揚げにしておつまみに決定。そうすれば骨まで食べれるし・・・・・・骨まで?


 なにやら呆然としているアリアをカウンターに残して、仕込みと思いつきの調理を進めてしまう。

 あの論文、アカデミーは騒ぎになったみたいだけど、生憎とそれは『僕のような一般人』には関係ない話だ。もちろん僕も学生をやっていたわけで、その現象がなぜ起こるのかなんてことは知っている。でも、それは誰にも教えるつもりはない。いつかは原子が発見され、元素の周期性に気づく者も現れるだろうが、僕はただこうして日々徒然とここで生きていくだけだ。





 後日、お土産にした骨煎餅が気に入ったのか、ジークさんが一人でお店に注文しに来たけれど、それまはた別のお話である



[29510] 02 客員剣士は、休みたい
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/09/20 23:38
 


 この店は茶屋である。名前は絢辻屋。

 これはパクリではない、オマージュだ。いや、ここには猫も坊ちゃんもいないのだから、僕がオリジナルとも言えるのではないだろうか? よし、女性に告白する時は『月が綺麗ですね』に決まりだな。告白する相手がいないけど。

 この世界では魔物と分類される生物がいる。御伽噺に出てくるほど昔からその存在は知られていて、時に争ったり、時に魔法の教えを説かれたり、深く浅く広く狭く恐ろしく感謝したいほどに人間と関わってきた。

 赤海大戦で、一部の魔物が人間に協力することにより今では町の中にもその姿を見ることができるが、それはあくまでも『一部』でしかない。だから未だに戦士や拳士、数は少ないが魔法使いといった戦うことを生業としたギルドがあるし、ここシュラクトヤ=ルーベル王国独自のものと言えば、国から援助金が出ている研究や、魔法具を利用した騎士隊などがいたりする。

 なぜ彼らがそんな道を選ぶのか知らないし、たぶん僕がわかることはないと思う。

 だけれど、そんな僕にもわかることが、いや、違う。理解したくはないけれど、知っていることがある。それは命のやり取りをすることで、その身を、その心を研ぎ澄まされていく彼らは、存外モテルということだ。



02 『客員剣士は、休みたい』



『トイシは満ち足りていた。たとえ彼との逢瀬が、自身を削るものだとわかっていても。トイシは彼が自分の凹凸の激しい面を掻き抱くのに恋焦がれ、玉のようなきめ細かい肌を優しく撫でるのに愛を知った。トイシは満ち足りていた。だが、それゆえに彼女は―――』


「マスター」


 広げていた情報誌を畳んで、カウンターに置く。なにやら トイシの今後が気になるところではあるが、客商売ゆえ致し方なし。また後で最初から読むとしよう。


「いらっしゃい、今日は一体どうしたの?」


 カウンターに腰掛けている常連さんは、大樹の洞のような深い茶色の瞳にこれでもかと言うほどの疲れを滲ませていた。この人がここに来る時は、大半がこういう表情をしているが、それでも人目を惹く顔立ちは羨ましい。あぁ、あの窓際の女性は完全に惚れてるな。僕にそんな目を向けないでくれ。


「あぁ、真摯に気を使ってくれるのはマスターだけだよ。それに話を聞いてくれるのも」


 充電切れなのか、カウンターにへたれ込む常連さん。もしこんな厄介ごとがついて回るなら、たとえ神様が現れて魅力的にしてやるといわれても、全力で断ろう。僕は平々凡々に生きていければそれで十分です。

水道の蛇口を最大まで捻り、水を勢いよく鍋に入れて火にかける。この、「水を勢いよくいれる」というのがポイントだ。こうすると空気が水に入り込んでくれるんだよね。

カウンターの棚から選ぶのは、黄色味を帯びた茶缶。力を入れて蓋を開けば、芳醇な、そして熟成しきった茶葉の香りが緩やかに包み込んでくれる。

 この茶缶の中身はなにか? それはこの綾辻屋でもっとも人気な茶葉であり、紅茶の王様の異名を持つダージリンだ。




茶屋なのに紅茶? と思うかもしれないけれど、仕方ないのよね。ほうじ茶とか麦茶は、僕の感覚からしてあまり高い値段はつけられないし、緑茶の固定客なんてあの人しかいない。まぁ、その人がまとめ買いしてくれるから在庫は抱えなくてすんでるんだけどど。

んで、なんで緑茶が好まれないかというと、簡単にいうと価値観の違い。詳しくいうと発酵の有無だ。



この世界で飲み物と言えば、まずはワイン、次にエール、そして紅茶。後は果実を使ったジュースや牛乳っぽいものくらいだ。そう、「お茶=紅茶」なんだよね。ほうじ茶とかは、まだ色合い的に偏見は少なかったけど、緑茶はもろだもんなぁ。それでも最初の頃は「自分が緑茶を広めるんだ!」 って意気込んでたけれど・・・・・・、いや、まぁ、生きるって大変だよね。草の煮え湯なんか飲ませるな、はキツかったなぁ……。

磨りガラスになったポットを取りだし、グツグツと沸いたお湯を少し入れて温める。ぐるっとお湯を回した後に流しに捨て、ダージリンをスプーンで一匙入れて、カウンターの上でお湯を注げば、踊る紅茶の出来上がりだ。透明度の関係から影しか見えないけれど、それがまた趣がある。鍋に残ったお湯でカップを温め、お茶請けのクッキーを竹で編んだ小さな籠にいれる頃には、カウンターは紅茶の香りに染められていた。


「今日はミリア嬢はいないのかい?」


「ええ。昨日久しぶりに祖母が帰ってくるといっていたので、今日は来ないと思いますよ。はい、いつものできましたよ」


「そうか、それはいいことだね。・・・・・・うん、ここの紅茶はいつも変わらない味がする。以前に通っていたところは当たり外れがあったから、安心して飲めるよ」


「信頼できるところに取引させてもらっていますからね。それもこれもジークさんのおかげです」


 僕に紅茶の淹れ方を教えてくれたのも、本来なら貴族相手にしか商品を卸さない商人に渡りをつけてくれたのも彼だ。うん、ジークさんがいなかったら今頃僕はどうなっていたんだろうね。まだまだ彼の淹れる紅茶には届かないけれど、いつか自分なりに彼を越えてみせる。それが一番の恩返しだと思うから。


「はぁ、変わらないって素晴らしい・・・・・・」


 そういってクッキーを齧り、紅茶でのどを潤した後、またカウンターに突っ伏した。なんだろう、こう明け透けに話を聞いて欲しそうだと気になる。いやな予感しかしないけれど、気になるから不思議だ。僕に店主としての生活が板についてきたということなのだろうか?


「何があったんですか?」


「何が、とすぐに切り込んでくれるのは助かる。どうも王宮の奴らは話が回りくどくてね。知ってるかい? 彼らは朝の挨拶に五分以上も掛けるんだよ?」


「まぁ、彼らはそう生きてきて、これからもそう伝えていくのだから仕方ないでしょう。まさか、揉め事でも起こしたんじゃ」


「わかった、君が私のことをどう思っているのか、良くわかったよ。そのことについては今度話し合うとして、私が困っているのはアレだよ」


 チラッと向けた目線の先には、窓際の女性。さっきまで物理的に支障が出てきそうなほど僕を見ていたけれど、今ではすっかり乙女の微笑を浮かべている。

 女って凄いね。


「そろそろあの季節だろう?」


「? もしかしてロベルタールのことですか?」


 ロベルタール。女性が意中の人に贈り物をして、それを受け取って貰えば思いが伝わり、星明りの下でダンスを踊れば片時も離れることなく、真実の愛が手に入る、らしい。簡単に言うとバレンタインみたいなものだ。日本のものと大きく違う点があるとすれば、「意中の人」が対象であって、「異性」である必要がないと言うことくらいだろうか。残念ながら、本当に残念ながら一度も誘われたこともないけれど。


「去年は先駆け抜け駆けしようと個々人で来たから、情報を錯綜させて逃げ切れたんだけどね。しっかりと学習したのか、今年は一部の者たちが舵を取ってるらしくて撒くのに骨が折れるよ」


「でも王宮内ではそんなに人も入ってこれないでしょう?」


「残念ながら、王宮だからこそ、だよ。貴族が王宮に入るのは簡単だからね。それに王宮には獲物が沢山いるし、貴族以外が入るのは難しいからライバルも少ない。彼女たちにしてみれば絶好の狩場さ」 


「はぁ、そんなものですか」


「そんなものだよ。まったく、私にそんな趣味はないというのに」


 カップの紅茶を一気に飲み干し、腹の底からため息を吐き出す姿は、その件の女性たちからすれば垂涎物だろうね。

 なにせ彼女、シュラクトヤ=ルーベル王国の客員剣士にして対人戦では大陸一、二を争う『イダカスティア・ロールスシャット』が、憂鬱なんて弱みを見せるなんて僕が皇女様に告白されるくらいありえないからね。

 それにしても、彼女をここまで追い込むとは、恋する乙女は無敵ってのは正しいらしい。ご愁傷様です。


「まさか彼女たちもこんな変な店に私がいるとは思わないだろう。久々にゆっくりと羽が伸ばせるよ」


 変な店って言うな。いや、否定はしないけど。。木の枝一本で五人の戦士を一瞬で返り討ちにする彼女には言われたくはない。確かにその時の相手はギルドでも下っ端で、ゴロツキと大差ない奴らだとは言え、人が縦に一回転するなんて夢にも思わなかったよ。むしろ目が覚めたね。


「お菓子もいりますか?」


「あぁ、この”ちょこちっぷ”クッキーとやらを貰おうかな」


 空のカップに紅茶を注ぎ、ショーケース風になっているガラス棚から要望の品を取り出す。こうしていると、ただの甘いものが好きな女性にしか見えない。まぁ、人間どんなに鍛えても、どんなに偉くても、動き続ければやがて擦り切れてしまう。僕には特別な力なんて何もないけれど、だからこそ、好きな飲み物と、お茶請けを傍らに、みんながただの人になれるようなお店になればいいと思う。

 自分用に緑茶を淹れ、目の前で恐る恐るクッキーを齧る彼女を見ながら、ただただ、流れる風に僕は耳を済ませた。



 後日、彼女がこの店の常連であると聞きつけたファンクラブがここに乗り込んできて一騒動を起こすのだが、それはまた別のお話である。




[29510] 03 小さい豆、見ぃ~つけた
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/11/06 15:51
 戸締り良し、お財布良し、買出しのメモも良し。エプロンは洗濯して干してあるし、情報誌によれば今日は天気の心配は要らないだろう。魔法のなんたらかんたらどうたらで原理はよくわからないけれど、的中率はほぼ百パーセントらしい。便利なのは確かだけれど、なんかこう、趣がなぁ・・・・・・。突然の大雨、雨宿りのため入った奇妙な店で、店主との運命の恋に落ちるっていう展開が欲しい。個人的に。

 とまぁ、そんな楽しい妄想はここまでにして出掛けるとしよう。壁に掛けられた絵に挨拶をして、扉を開ける。空には青と白、少し降りればレンガの赤土がさらに日焼けしている。向かいのおばさんに出掛けてくる旨を伝えれば準備は万端だ。

 今日は月に二度の、茶屋『絢辻屋』の定休日である。



03 『小さい豆、見ぃ~つけた』



 人、人、人?、人。人波に飲み込まれないように、流れに上手く乗りながら前へと進む。露天商に立ち寄る人が沢山いるけれど、一応人の流れがあるのが幸いだ。通りの邪魔になるような店の出し方はしないって取り決めがなかったら、絶対に僕は出掛けなかったな。

 露天で主に扱われているのは港で下ろされたばかりの野菜や果物、魚と言った食材が半分。残りの約半分がサンドイッチもどき(マヨネーズがないサンドイッチは認めない)や果物のジュース、ピザてきな何かなどの軽食類で、後は珍しい鉱物や胡散臭い薬草などが細々と軒を連ねている。


「あ、船長!」


 しばらく波に流されていると、探していた人物を見つけることができた。え? 波に乗れてない? 僕はインドア派なんだ、察してくれ。

 相手もこちらに気付いてくれたのか、軽く手を上げている。あ、すいません通してください。いや、あっちじゃなくてそっちに行きたいんですがッ?! それ足! 踏んでる!踏んでるって! あ、お姉さんすみません。いえいえいえこちらこそ、いい感触でした。っておいおい、押さないで、押さないでって・・・・・・ふわああああっ! 誰だ今ケツ触った奴! ふざけんなバカヤロー! そんなガッカリそうな顔すんじゃねぇよ! 


「相変わらず、退屈とは無縁そうな人生だな。少年よ」


「・・・・・・」


「なんだ、喋る気力もないか。少しは体を鍛えてはどうかね?」


「・・・・・・」


「まぁ、そこがいいと言い張る奴らもいるがね。需要と供給は釣り合いが大切だから、儂もそこまで口を出す気はないがな」


「勘弁、してください・・・・・・」


 なんだよ、その非生産的な需要と供給。関わりたくないぞ、僕は絶対に関わりたくないぞ。

 息をなんとか整えて、顔を上げる。しっかりとした硬さを持った白ひげに、どこか甘い香りを燻らすパイプ。深めに被った帽子の底から浮かんでくる眼光は、命の駆け引きを勝ち続けてきた者が持つ鋭さがあった。彼の名前はノートン・カブボリック。海を愛し、海に愛される海の男、僕が知る中で最高の腕を持つ船長だ。

 僕と船長の関係を簡単に表すと、店主と商人である。絢辻屋を始める切欠を作ってくれた人という面では恩人でもあるし、取引している商人の中では一番懇意にしているかもしれない。

 そして、今回の僕の目的でもある。



 物流網が安定していないこの世界では、仕入れを一人の商人に任せるのは不安だ。まぁ、そう思っているのは少数派らしいけれど。普通の店って商品がなかったら閉店だからなぁ。僕みたいに、常に在庫があるように複数の商人と契約するのは貴族のコックとか、アカデミーのキッチンぐらいなものらしい。定休日というのも僕だけなのだとか。ちなみに定休日についてだけれど、不定期に休まれるよりかは予定が立てやすくて有難い、という評判だ。うん、僕も決まった休みが取れると頑張れるから助かる。素晴らしい需要と供給だ。

 話が逸れたけれど、つまりは今日は商品の買い付けに来たのだ。


「恋愛は自由であるべきだから、儂には止めることなどできはせんよ。それより早く船に乗れ。さっさと野郎どもに暇を出してやらんといかんからな」


「はぁ・・・・・・、せめてモラルは守らせてくださいね?」


 船のヘリから掛けられたステップを使い、甲板へと上る。甲板では、帆や船の傷んだ部分を点検している整備組や、色っぽいお姉ちゃんのいる酒場の情報交換をしているスケベ野郎達、何故か上半身裸でマッシヴなポーズを決めている変態共に混じって積荷を並べている船員がいた。・・・・・・なんだろう、付き合いを考え直したほうがいいのかな? とにかくチラチラこっち見んなド変態。


「さて、これが今回の商品だ」


「では、ちょっと見させてもらいますね」


 傍にいた船員から目録を貰い、ざっと目を通してから積荷へと足を向ける。麻袋の口を開けば、懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。


「それは少し南側で取れた茶葉だな、他のものより濃い緑色なのが特徴らしい。その右の袋はいつもの農家から仕入れたギョクロー? だ」


 最初にあけた麻袋の茶葉を少し手にとって口に含む。うん、いつものよりちょっと渋みが強めかもしれない。食後のお茶として出せば丁度いいかな。さて、いつものは、と。・・・・・・あぁ、いつもながら素晴らしい。噛めば噛むほど甘みが口の中に広がり、それが渋みを引き立てながらもまろやかな口当たりにさせている。


「玉露です、ギョ・ク・ロ。まぁ、僕がつけた勝手な名前ですけどね。それにしてもこの農家さんはいつもながら素晴らしいです。それと、この南側で取れたって茶葉は定期的に仕入れ可能ですか?」


「まぁ、専属のようなものだからな。今まで商人との交渉のために使っていた時間も世話に費やせるのだから、品質が落ちることなどそうそうありえんよ。その茶葉だが、今回ほどの量は無理だろうが、半分くらいなら儂がなんとかしてみせよう」


 なにそれ頼もしい。普通の商人が口にしたところでリップサービスか慢心かと疑うところだけれど、それをさせない風格をもっているのは流石だ。本当にこの人がいなかったら茶屋なんてできなっただろうな。発酵してない、緑茶の茶葉を仕入れるなんてこの人くらいしかできないし。発酵した紅茶ならそこらの商人からでも品質の良し悪しを考慮しなければ簡単に手に入るのだけどね。時々、飲む人の好みに発酵できるようにと緑茶葉で仕入れる人もいるが、大体は船の中で発酵させてしまうのだ。売る時には紅茶にしては未熟だし、発酵しなおすには中途半端だから買い叩かれるのが常だ。まぁ、物がよければ僕がウーロン茶として買うんだけどね。おかげで、絢辻屋で一番安いお茶はウーロン茶となっております。

 それにしても、次回からは半分の量か。まぁ月一で仕入れるということを考えても十分な量だろう。玉露は自分が飲むよう用にとっておいたのがあるから、早く飲んでしまわないとね。えぇと、あと他にめぼしい物はって、あれ? これってまさか


「ん? 豆なんか買うのか? 今日はダイズは仕入れてなかったと思うが」


 目の前の袋から一粒取り出してよく見てみる。大きさはダイズより一回り大きいか同じほどで、ぷっくらとした形は丸みを帯びているものの明らかにダイズとは違うものだ。乾燥させてなお表面には皺一つなく、日の光を反射するほど艶のある赤茶色は実に十年ぶりに目にしたものだった。


「あぁ、その豆は新種らしくてな。さっきの茶葉と同じで少し南の方からのものなんだが、色が気味悪いとあまり評判がよろしくなかったそうだ」


 儂も無理やり押し付けられたようなものだ、と船長は笑いながら続ける。そうか、買い手は少ないのか。ということは値段も・・・・・・これはいけるか?


「これも定期仕入れできますか?」


「む? まぁ、他の買い手もついてなかったようだし、先の茶葉と合わせれば独占もできるだろうが」


「じゃあ、これも毎月一袋お願いします。値段はこんなもので」


「ちと安いような気もするが、独占にすれば十分に利益は出るか。いいだろう、その値段で卸すとする。

 だが、ただの豆だぞ? まぁ、見栄えがするといえなくもないが、他のものの方が」


「この豆がいいんです!」


 困惑する船長を押し切り、定期購入の契約を結ぶ。ふふっ、ついに来たか! もう見ることはないだろうと諦めていたが、なんのなんの世界は中々に広いじゃないか! さぁさぁ、コレで何を作ろうか? いや、先ずは水に浸しておかないとな。砂糖はまだ十分な量があるし、あぁ密閉できるような瓶も買っておかないと。あぁ、これで緑茶が最強になるな!

 頭の中で色んなプランが駆け巡るのを確かに感じながら、僕はもう一度手を、いや掌の中の小豆を握りしめた。



 後日、試作品という名目で自分用に作ったドラ焼きをアリアに食べられることになるのだが、それはまた別のお話である。



[29510] 04 絢辻屋の営業努力 またの名を商品開発
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/11/05 05:07



 ランプ型の魔法具が明と暗の境界を塗りつぶし、ぼやかし、溶かす。ぼんやりとしたその明かりは、より光というモノを意識させた。

 そういえば、初めてここに来た頃は夜になるのが怖かったっけ。どこからか聞こえてくる何とも名状しがたい遠吠えが、まるで死んだように息を潜めている街が、曖昧になった境界から僕の体が溶け出してしまわないか、が。ここにきた日の夜は、その暗闇の向こうから僕が溶け出すのを今か今かと待っているナニかがいるように思えて、あの人たちに挟まれて寝たんだよなぁ。・・・・・・今度の休みは、お墓参りに行こう。それより、今はやるべきことをしないとね。


「さて、パパっと準備してササッと終わらせちゃいましょうか」


 頭を振ってゆっくりと息を吐く。時間は有限だ。予定外に時間がかかって夜更かしをするなんて性に合わないし、一店主の矜持として寝不足状態で営業など、ましてや寝坊するなんてとてもじゃないけれど許容できない。うむ、我ながら素晴らしい勤労意識だと思う。生憎、社会人になったのはこっちにきてからだけれどね。



04 『絢辻屋の営業努力 またの名を商品開発』



 日の出

 起床 窓を開けて一日の始まり。開店準備と今日のランチメニューを考える。

 9:00頃

 絢辻屋開店 時間の概念が前と同じということは有難かった。ここルーベルでは朝の八時から夜の八時まで二時間置きに中央区の時計塔の鐘が鳴らされる。ちなみに腕時計はまだ開発されていない。僕も時間はケータイで確認するタイプであったので、しばらくの間はお目にかかることはないだろう。

 12:00~14:00

 ランチタイム いわゆる稼ぎ時。メニューは朝の気分と在庫次第なので、曜日ごとの日替わりではない真の日替わりだ。客からの「あの日のあのランチメニューをもう一度!」というリクエストがあれば「近いうちに」とそのリクエストを受け取る。ポイントは明日や明後日といった具体的な日にちを指定しないこと。在庫によるというのもあるが、リクエストしたメニューが出るまではまず毎日通ってくれるので、いいお客さんになってくれるのだ。くふふふふ。

 14:00~17:00

 夜の仕込みと洗い物。この時間は来客がほとんどないのでまったりと過ごす。ピークを過ぎた後に食べるご飯はおいしい。

 17:00~19:00

 アカデミー帰りの学生襲来。ちなみに絢辻屋は高級品には程遠いが、その分そこそこのお値段で風変わりなお菓子が食べられるとして一部の間では有名らしい。この世界で甘味というと砂糖とバターを使えば使うほど高級という節があるので、うちで出しているお茶請けは目を引くのだろう。煎餅を頼んで甘くないと驚き二度と来ない人もいるが、好みだから仕方ない。お茶には合うんだけどな・・・・・・。

 19:00~20:00

 洗い物をしながら、客のいないテーブルを拭いたりと閉店の準備をする。絢辻屋はお酒の類は一切扱っておりません。なぜなら一度痛い目を見ているから。開店祝いの日は店内でお酒を出したのだけれどそれはもう酷かった。近所の宿屋のおばちゃんなんかは「今日はお祝い事だから仕方ないよ」といってくれたが、その日に椅子を複雑骨折にした人物が常連となった今は英断だったと思っている。

 20:00

 閉店。お客さんがいれば追い出すことはしないが、札をクローズに変えるので新しいお客さんは普通は来ない。顔馴染みであれば入ってくるけれど、その場合は客としてではなく友人としてくることがほとんどだ。閉店時間が早いのは、絢辻屋があまり料理に主体を置いていないためである。だって、ここ茶屋だし。茶屋での食べ物として浮かんでくるのは団子などのお茶請けだろう? それにこうして夜早く閉めることによって近くの酒場や食堂と競合しないようにという意味もある。おかげで新しくできたライバル店であるにもかかわらず、非常に良好な関係を築いています。

 20:00~23:00

 仕込みや帳簿付けといった雑務、ときどき新商品の開発。ちなみに閉店後にここを訪ねる友人の六割が味見役志願者である。誰にも知らせていないのに、どこから小耳に挟んでくるのやら。仕事が済んだらお風呂に入ったり晩酌をして就寝。

 これが茶屋『絢辻屋』の一日の流れだ。

 そして今はお客さんも全て帰り、帳簿もつけ終えたところだ。壁に掛けてある時計に目をやる。・・・・・・日が変わるまで二時間。ならば最近できた懸案事項を解決するかと思い立って冒頭へと戻るのだ。




 
 
「うん、はてさてどうしたものか」


 目の前には先日ゲットした小豆と片手鍋。小豆を手に入れてからすでに一週間が経つが、未だに店のメニューとしては提供していない。別に調理法が全くわからないというわけじゃないよ? そりゃ最初は失敗したけれど、焦がさないように注意して見ていれば難しいことじゃないし。料理としてはとてもシンプルで簡単な部類に入る餡子作りだ。でも、まだお店のメニューとして出すにはある問題がある。そう、それは『注意して見ていれば難しいことではない』ということだ。


「カウンターのコンロは長時間独占できないし、奥のキッチンは一々火加減を見てられない。かといってそのためにコンロを増設するわけにもいかないし、餡子がどの程度でるか読めないから大量の作り置きも怖いしなぁ」


 餡子作りの工程は、茹でる、渋切り、煮るだ。うん、シンプル イズ ベスト。簡単、簡潔、お手軽なのだが如何せん焦がしてはならない。焦げたらその時点で餡子作りは失敗なのだ。


「しかも弱火とか中火とか調整できるものでもないしなぁ」


 コンロのスイッチをつけたり消したりしながら考える。そもそもこの世界では弱火とか強火という考えがなければ、レシピというものもない。茹で時間だとか味付けは全て料理人の感覚でその時々に決めるのが普通だ。だから日によって同じ店の同じ料理でも味が違ったりするんだよね。僕は『いつもの味』というものを作りたいからレシピ化しているけどね、日本語で。


「まぁ、先ずは茹でないと始まらないか」


 用意した片手鍋を手に取る。重い。だって鉄だから。残念ながらこの世界にはステンレスだとかアルミだとかいう材料はない。どこかにボーキサイトとかクロムだとかは眠っているかもしれないけれど、今見つかったところで僕が生きている間に加工技術が成熟するとは思えない。

 一般的に使われている調理器具のほとんどは鉄製のものだ。次に木製で、貴族付の料理人や、宮廷料理人などは銅製のものをつかうこともあるらしい。銅って火の通りはいいけれど、つかうと色がくすむから小まめな手入れが必要なんだよね。辛うじてやかんとかポットが普及しているくらいじゃないかな? だから銅製の鍋なんてものを使っているのは先に挙げたような下積みとか弟子がいる人たちがほとんどだ。

 僕も調理器具は鉄製のものを愛用している。包丁とかはむしろ良く切れるからいいのだけれど、鍋類はもう少し軽くならないかと常々に思う。しかも鉄って火の通りがあまりよくないし、工場で型に嵌めてプレスという訳もなく一つ一つ職人が手で打っているためか肉厚だ。おかげでお湯を沸かすにも時間がかかるんだよね。・・・・・・そうか、それならいけるかな?とりあえずやってみるとしようか。



 鍋底から気泡がふつふつと上がってくる頃に、準備はできた。用意したものはタオルと貰ったけれど使わないままだったクッション、それと果物が入っていた木箱。丁度いい大きさの箱を見つけるのに時間がかかったけれど、見つかってよかった。

 箱の内側にクッションをつめる。底が平らになるように工夫していると、どうやらお湯が沸いたようだ。鍋の中に水洗いした小豆を入れて、箱の中身を微調整する。それにしても果物の木箱でよかった。これがイモ類だったら土とか掃除しないといけないからね。

 五分ほどすると、鍋は再びぐらぐらと沸騰を始めた。このまま火にかけてたら間違いなく失敗するだろう。だから火にかけるのはちょっと休憩だ。


「よいしょっ・・・・・・熱っ!」


 コンロのスイッチを切り、あらかじめ強いておいたタオルの上に鍋を乗せる。木製の蓋をかぶせたら蓋がずれないように気をつけてタオルを巻いて、斜めにならないように注意しながら木箱へ。・・・・・・柄が邪魔だなぁ。成功したら今度からは両手鍋にしよう。


「問題は何時間放置しておくかだけれど・・・・・・どうせ焦げる心配はないんだし朝まで置いてみようか」


 時計を見れば十時半を少し過ぎたところだった。木箱を階段から降りたらすぐに目に付く場所に移動させ、今の時間を紙に書いて張る。うまくいきますよーに。





「・・・・・・くぁ、んぅ。・・・・・・朝、か」


 ふわぁあと大きなあくびを一つ。ベッドから降りて窓を開ければ、夜闇がのこる涼やかな風が寝起きの頭を覚醒させる。通りには情報誌を配る少年や、店から酔っ払いをたたき出す恰幅のいい女主人が今日を始めていた。そろそろ僕も今日を始めるとしようか。

 身支度を整えて、開店準備を済ませてしまう。作り置きのトマトソースがそろそろ古くなってしまうので、今日の日替わりはトマト系のものにしよう。スパゲティはあるし、今日は豚肉の塩漬けが安かったからコレを叩いてミートボールスパゲティにしてしまおうか。そんな感じで仕込みも済ませれば、いよいよお待ちかねの時間だ。

 木箱の蓋を取ると、暖められた空気がふんわりと顔にかかる。タオル越しに触ってみれば、人肌よりやや暖かいほどの熱が僕の考えを肯定してくれた。入れたときと同様に斜めにならないように気をつけながら取り出してカウンターに置く。タオルを解いて木製の蓋を取れば、小豆の香り。御玉でゆっくりとかき混ぜてから十個ほど取り出してつまんでみれば、全部芯なく潰れてくれた。これなら他の煮込み料理にも応用できるかもしれないな。熱しにくいということは冷えにくいということ。熱の伝わり方の利用して作った即席の木箱だったけれど、いい感じだ。


「美味しい~ア・ン・コは~、上品な~豆の味~」


 鍋を流し場において、ゆっくりと水を注ぎいれる。小豆はアクが強いからね。中身がこぼれないように水量を調整して、鍋の中の水が完璧に透明になればオーケー。本当はザルに小豆を移すのが早いのだけれど、手持ちのザルの目で小豆が通らないようなものはないんだよね。次に市場に行く時はチェックしとこう。


「ゆっくりコトコト~、砂糖は~分けてねッ!」


 小豆を鍋に戻して、火にかける。焦げないように気をつけながら、砂糖を投入。大切なのは一度で味付けをしようとしないこと。一度に入れると豆が硬くなってしまうのだ。今までの試行錯誤の結果、ベストな砂糖の量は大体わかっているので、それの半分くらいをいれる。砂糖の量を増やせば保存期間も延びるけど、小豆の味がするくらいなのがベストだと思うのですよ。


「ふふ~ん、ふふふ~ん」


 砂糖を入れて炊いていると、小豆から水分が出てくるので、ここまできたらもう一安心だ。あとは鼻歌でも歌いながら木べらで時々かき混ぜて、水気がなくなってきたら塩を少し入れて粒が残る程度に潰せば


「たらららったら~ん、粒餡の出来上~が~り~!」


 熱々な餡子を一口味見。・・・・・・うん、美味しい。これなら十分店に出せるレベルだ。取り出してから出来上がるのにかかった時間は、と・・・・・・・三十分くらいか。別に毎日作る訳でもないし、渋切りの間に他の仕込みもできるからメニューに載せても大丈夫、かな? 即席で作ったにしては木箱は十分な性能を発揮してくれたようだし、これからは保温箱と呼んでやろう。これからもよろしくな。


「今日から早速出そうかな。たい焼き、は型がないから無理か。回転焼きくらいならできるかもだけれど、どうせならビゼンさんに型を作って貰いたいなぁ。今度来たときに聞いてみないと」


 ビゼンさんというのはここの常連さんの一人で、鍛冶を生業としているストイックなおじいさんだ。家にあるほとんどの鉄製品は彼の手か、彼の弟子の手によるものなんだよね。特にビゼンさんが作ってくれた包丁セットは圧巻の一言。試し切りってまな板を一刀両断するのものではなかったはずだ。もう慣れたけど。


「お店に出すなら、やっぱり先ずは緑茶との相性を優先させたいよなぁ。餡子で少しもったりとした口内を、熱いお茶が押し流す。熱さが喉元を過ぎる頃にはお茶の渋みと甘さがゆったりと広がって・・・・・・うん、粋だねぇ。となると餡子本来の味を楽しんで欲しいな。そうとなればやはり羊羹しかあるまい」


 型は空いているバットを使えばいいから、とりあえず作ってしまおう。あっ、外の看板にも新メニューできましたって書かないとな。くふふふ、羊羹なんて食べるの何年ぶりだろう。栗羊羹に水羊羹、それに今から作る練り羊羹。今は暑い時期だから水羊羹も捨てがたいけれど、最初はオーソドックスにいこうじゃないか。


「えー、それでは今から羊羹作りを始めます」


 なんて料理番組を気取ってみる。今日は朝からご機嫌がとまらない。アリアの評価も聞いてみたいなぁ。


「材料は出来立ての餡子、砂糖に固めるための寒、天・・・・・・」


 息が詰まり、世界が色を失う。

 バカな

 嘘だ

 そんなはずは

 耐え切れずに、ついに膝から崩れ落ちる。

 失敗した。最後の最後で失敗した。いや、最初の最初で失敗していたのかもしれない。さっきまでのご機嫌な僕の頭を吹き飛ばしてしまいたい衝動に駆られるが、悔いても、もう遅い。一体いつから錯覚していたのだろうか? 久しぶりの故郷の味に惚けていたのか。もう、帰ることなどできないしここで生きていく覚悟なんてとっくの昔に決めていたじゃないか。なのに今更ここが異世界だなんて忘れるなんて、本当に間が抜けている。


「寒天・・・なん・・・って、ねぇよ・・・・・・!」


 この店を開いて以来の男泣きが、いま、開店前の絢辻屋に響き渡った・・・・・・。



 後日、船長に相談した結果、海草ということで乾燥昆布を貰うことになるのだが、それはまた別のお話である。






[29510] 05 絢辻屋の料理
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/11/10 04:42



 お店には、店主の癖が出てしまう。癖というものは生まれ育ってきた環境が強く影響するもので、大陸中を旅する商人や冒険者たちにしてみれば、その店の雰囲気だけで店主の出身地方を当てることも難しくはないのだとか。例えば北国生まれの宿屋であれば、屋根の形が急斜面だったり掛け布団の質には特に気を使っている。武器屋だって店主の好みの種類は豊富に取り揃えてあるし、アクセサリー店や衣服店ではその癖こそが店主の腕の見せ所とすらいえるだろう。そしてこれには、もちろん飲食店も例外ではなく。



05『絢辻屋の料理』



「おい! これはどこの料理なんだ!」


 隠しもせず、盛大にため息をついてやる。全く、普通はこうもあからさまに態度で示せばわかってくれるものなのに。店内に目をやれば、さっさと僕の目の前で騒いでいるバカをつまみだせと訴えてくる目、目、目。 ため息をつくと幸せが逃げるというけれど、ため息をつきたくなる状況ってすでに幸せじゃないよね。はぁ・・・・・・。これも店主の仕事だ、頑張れ僕。


「帰ってください」


「どこの料理なのか聞いたらすぐにでも帰ってやる」


「だから、これは僕のオリジナルです。素材こそは色々なところからですが、ほとんどの料理は僕の創作ですよ」


「この料理が創作? そんなバカな話があるか! 貴族付でもない一般人がこんな洗練されたもの作れるはずがないだろうが」


 何やらうだうだと料理に関する高言をのたまっているが、そもそも料理なんて自分が美味しいと思うようにしか作れないと思うのだけれど。というか料理に貴賎があるとすればそれは食べてる人の話であって、貴い料理なんぞあるわけないのに。宮廷料理だって料理が偉いのではなくて、宮廷勤めの貴族が食べるから格があるのだ。・・・・・・なんて言ってもこの手の人には通用しないのだろうなぁ。

 あ、


「つまり、お前にこんな料理が作れるはずがない! さぁ、素直に教えろ。さもなくば」


「さもなくば、なんだというんだい?」


 凛とした言葉が、空気を律する。よかった、これでもしも強硬手段に出られてもなんとかなりそうだ。僕には力なんて無いのですよ本当に。


「ここは私のお気に入りの場所なんだ。客でもないのならすぐに出て行ってもらおうか」


 そういって、ぺしぺしとレイピアで男の頬を叩くイダガスティアさん。いつの間に抜いたんですか、というかこれは相当に鬱憤が溜まっているなー。何があったのかは怖くて知りたくないけれど、なにか特別なものを出してあげよう。

 さすがの鈍感男もその身に触れる金属の冷たさには気付いたのか、小物臭がほとばしる捨て台詞を残して店を出て行った。全く、人騒がせというものはどうして小物が行うと相場が決まっているのだろうか? いや、小物だからこそ人騒がせ程度に納まっているのか。納得。


「ありがとうございます、イダガスティアさん」


「なに、礼を言われるほどのことでもないさ。それより、今のようなことはよくあるのかい?」


「あー、季節物、といった感じですかね」


 ダージリンの茶葉をポットにいれ、お湯を注ぐ。葉が開ききってしまう間に、カウンターでパンケーキを焼き上げたら奥のキッチンであるものを添えれば出来上がり。・・・・・・時間は三分未満。うん、手際がよくなったものだ。


「いつものと、パンケーキのチョコアイス添えです。この添えてあるものは冷たくて甘いので、蜂蜜はかけなくても美味しいですよ」


「“ちょこあいす”? この間のクッキーに入っていたものと同じものかい?」


「アレにミルクを加えて固めたものです。放って置いたら溶けてしまうのでお持ち帰りはできませんが、今の季節ならこの間のクッキーより魅力的かもしれません」


 これも作るのに大変苦労した一品だ。大きいバケツに氷と塩を入れて、その上に材料を入れたボウルを乗せてひたすらかき混ぜれば出来上がり。おかげで腕は筋肉痛です。ジークさんに頼まれて作ってみたものだけれど、功労者は労わないとね。


「つめたい」


「アイスですから」


「あみゃくておいひい」


「特製ですから」


「・・・・・・あたまがいひゃい」


「暖かい紅茶をどうぞ」


 うん、いつもは凛々しい彼女がここまで崩れるのなら味の保証は十分だろう。この人、甘くて美味しいものには正直だからなぁ。このギャップには僕もドキッとすることがある。綺麗で可愛いお姉さんは好きですか?



「で、ああいう手合いは多いのかい?」


 結局パンケーキをおかわりしたイダガスティアさんは、淹れ直した紅茶をゆっくりと味わいながら言った。いつもはおやつ時が過ぎたら王宮へと戻るのだが、今日は晩御飯もここで食べる予定らしい。なんでも、今日の訓練予定だった部隊が二日酔いで使い物にならないために中止になったのだとか。先ほどの怒りはこれが原因だったらしい。明日は特別に補修訓練してやるといった彼女の顔はとても綺麗でした。顔も知らない部隊員のご冥福をお祈りします。自業自得だけれど。


「うーん、まぁどこの料理かっていうのは結構聞かれますね」


「私も昔は大陸を渡り歩いていたが、ここの料理は見たことないものが多いな」


 そういって、イダガスティアさんはお品書きを手に取りこれは知ってる、知らない、知らない、コレは今夜頼んでみようか などと呟く。ちなみに絢辻屋のお品書きは月固定です。月間メニューがあるといったほうがわかりやすいかな? 定番料理と、その時々の旬の作物の出来や相場を考慮して決めた料理がお品書きには載せられる。いやぁ、この旬を見極めるのが意外と大変なんだよね。だって、初めて見る食材の多いこと多いこと。それに、こちらでは一般的ではないというか食用とされない奴らもいるし。船長のところの船乗りが目の前で釣り上げた立派なタコをリリースしようとした時は全力で止めたけどね。見た目が怖いって子供かこのマッシヴ変態め。



 さて、ここで出している料理のほとんどは僕の創作料理といったがそれは事実であっても真実ではない。

 事実というのは言葉の通りで、ここにある料理の絢辻屋でしか見たことのないものは多く、それらを作ったのは紛れもない僕ということ。

 真実はその料理というのが煮しめ、お団子、天ぷらもどき、ドラ焼きというものであるということだ。



 この世界には日本料理はあるか? と問われればその答えはイエスである。

 しかし、日本のような国はあるかと言われればノーだ。

 東に山を一つ越えたところにアルビアーナという村がある。そこでは寒さに強く水をあまり必要としない大豆と麦の生産が盛んなのだが、そこの名物としてあるのがソーユである。ソーユ、まぁまんま醤油なんだけれどその村ではこう呼ばれているらしい。完全手作りなので数も少なく、その結果あまり有名ではないが僕は定期購入の契約を結んでいる。そんな村なのだから醤油を使った珍しい料理があるかと思えば、そこでは醤油は出来上がった何かに掛けるだけの物でしかないのだ。焼いた魚にかける、焼いた卵にかける、茹でた芋にかけるなどなど。出汁の考え方がないから仕方ないが、煮しめやすき焼きなんてものはない。

 そこから南にいけばナル・・・ナルンデレ? とかいう町があり、そこでは稲作が盛んだ。しかし、そこの住民にとって米とは炊くか茹でるものなのだ。だから米を挽いた粉から作る団子なんてないし、煎餅もない。あるのはおにぎりくらいだ。

 身近なところでは天ぷらもどきに小豆。もどき、というのは片栗粉が手に入らないからだけれどそれでも他の材料は市場で簡単に手に入る。しかし、ここには油で揚げるという調理法がない。ドラ焼きだってそもそも豆を甘く煮る文化がないのだから餡子がない。

 このように、日本料理で使われていた食材や調味料といったものは世界各地で見つかることがある。だがしかし、そこで僕の知るような日本料理が作られているかと言われればノーなのだ。おそらく、この食材たちが一所で存在していれば何か新しい日本料理ができたのかもしれないなのになぁ。こればっかりは神様でもないと無理なことなので諦めるしかないか。

 なので僕が言ったことは事実ではあるが真実ではない。この世界にとってはただの創作料理なのだが、僕にとっては既存の料理を作っているだけなのだから。まぁ、一部はここの未知の食材を使った創作料理も確かに出しているけれどね。


「それにしても季節物っていうのはどういったことだい?」


「そのままの意味ですよ。この時期に増えるだけです」


「だが、理由がわからない。別に特別な季節でもあるまいし、マスターは思い当たることでも?」


 確かに今月何かイベントがあるわけでもなければ、冒険者の量が増える春先でも冬前でもない。普通の人からすれば何の変哲もない平凡な月なのだろう。僕たちからすれば結構忙しい月なんだけれどね。


「誕生祭ですよ」


「誕生祭? それは確かイルの月だからまだ三ヶ月もあるじゃないか。なにか根拠でも?」


「国王の傍で護衛をしているイダガスティアさんは知らないかもしれませんが、そこの大広場では品評会が開かれるんですよ」


「噂には聞いたことがある。確かギルドごとに展示物をして、選ばれたものには国から褒章が出るのだろう? でも、たしか料理ギルドは参加してないと聞いたが」


「うん、まぁ広場のには参加してないですね。でも料理ギルドも参加しているんですよ、しかもハルリリア様の肝入りで」


 あ、今ピクッて眉が動いた。そりゃあ無かったと思っていたイベントが、実は行われていて、しかも王子様の肝入りだとすれば誰だって驚くか。まぁ、あの人は王子様といっても継承権は放棄しているようなものだけれどね。なんでも自分は王家の広報係だそうです。本人がそれでいいのならいいと思うけど、時々御付の人が青い顔をしているのを知っている僕からすれば少しは自重して欲しいものだ。


「なるほど、去年王宮にいなかったのはそれが原因が・・・・・・後で本人に詳しく訪ねる必要があるな。しかし、それにしたって気が早いのは変わりない気がするが」


「先も言ったように、料理の品評会は広場では行われないんですよ。屋外だと作れる料理も限定されますし、何が混入されるかわかったものじゃないですからね。だから、ハルリリア様と選ばれた審査員の人たちが店を回るんです」


「それは・・・・・・一週間で終わるのかい?」


「ですから、回るところもあらかじめ篩いかけられるんです。最も、どこが残るかは審査員側にしか伝わらないのですが。だから今のうちから準備を始めるのですよ。うちの店にしかこんな美味しいものはないんだぞーって」

 手元の湯飲みに残った緑茶を一気に飲み干す。今から準備を始めるのは、新作料理を考えるか『この料理はうちの店のオリジナルです』と触れ回るためだ。新作料理の宣伝をするのはかまわないと思うけれど、中にはさっきの鈍感男みたいに他人のパクリ料理を自分のものだと主張する無粋な奴らがいるから困り者だ。全く、偽の実力で客が増えても腕が無いなら廃れるに決まっているのに。

 品評会で入賞でもすれば褒章だけでなく、王家が認めた味というブランドが手に入る。装飾品や武器は使わない人はいるが、食事を取らない人はいないから僕たち料理人にとってはこの影響はとても大きい。選考に残るだけで、店の規模が三倍になった所もあるくらいだ。いやぁ、ある意味うちのギルドが一番命掛けてるかもね。傍目にはわかり辛いかもしれないけれど。


「大変なんだね、料理人っていうのも・・・・・・」


「大変なんですよ、料理人っていうのも。それで、今から仕込みに入りますが夜は何が食べたいですか?」


「そうだな・・・・・・。この“うなじゅう”っていうのはどんなものだい?」


「甘辛く焼いた魚をご飯の上に乗せたものです。精力がつくので疲れを感じているならお勧めですよ」


「それはぜひ騎士達にも食べさせたいものだ。あいつらはすぐにばててしまうからな」


 今月のメニューですから来月にはありませんよ、といって奥のキッチンへと引っ込む。どうせ店内にはイダガスティアさんしかいないし、彼女ならもしものことがあっても対応できるだろう。うなぎにさくっと目打ちをして捌いていく。コレばっかりは奥でやらないと生臭さがのこるからね。それにしても誕生祭は今年は何をしようか? 品評会もあるけれど、単にお客さんが増えるから掻き入れ時なんだよね。去年は外にちっちゃい焼き鳥屋を出したけれど、同じものっていうのもなぁ。それに定番メニューに入っているし。たこ焼きは型が手に入らないか。綿あめって人力でいけるのかな? あー、いっそのこと焼きとうもろこしでもしようかな? まぁ、気長に考えればいいか。慌てて考えたり、人に勝つために料理をするなんて性に合わない。料理人にとって大切なことは、料理が好きなことなのだから。僕は、僕が好きな料理をするだけだ。



 後日、うな重を求めて店に来た屈強な騎士の方々とマッシヴ変態船乗りたちが店でポージング大会をすることになったのだが、それはまた別のお話である。






[29510] 06 絢辻屋の料理 異世界編
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/11/12 10:45


 新しい何かを作るときには、大まかに分けて二つの方法がある。一つは既知のものを工夫して未知を作り出すもの。一つは未知のものを利用して未知を作り出すもの。前者は自分の固定観念を壊す必要があるし、後者は試すのに勇気が必要だ。それでもみんな新しい何かを求めているから毎日どこかで何かが生まれ、何かが消えていく。

 そして僕は平凡な人間だ。優れた容姿があるわけでもなければ、鍛え上げられた肉体美があるわけでもない。精神面からしても、どんな人の前でも堂々としているほど胆が座っているわけでもないし、清廉潔白なんてとんでもない。僕は平凡な人間なのだ。

 だから、新しいことに挑戦するのに不安がないわけなどないし、躊躇っているのは僕が臆病だからではなく、一般的な反応なのだ。



06『綾辻屋の料理 異世界編』



 そんな理論武装を施して、今一度目を開く。

 飛び込んでくるのは青、黒、黄、紫。色とりどりの彩りだね。まるで食材とは思えないほどの彩のよさだよ、本当に。


「ローレンの奴め、今日に限って本人が届けに来なかったのはこのためだな?」


 おかしいと思ったんだよ。寝かせている最中だからそのまま冷暗所で保存しておいてくれとか、色々サービスでおまけくれたりとか、今後ともよろしくなんて柄にも無いこと言ったりとか。まぁ、あの場で確認しなかった僕も間が抜けているというか鈍ちんというか。


「で、それは一体どうするのだ?」


「さぁ? 美味しく食べる方法でも知りたいのでしょうが、僕は全部初めて見たよ。メモにはこの青くて細長いのがグリエーシュの実、真っ黒なこれがオーランドの胸肉で黄色いのはその卵らしいです。紫のは・・・・・・クラーゲン? って書いてありますね」


「クラーゲンとはまた珍しいものを。あれは水の綺麗なところにしか生息しないはずだが」


「そうなんですか? というか、わかるんですか、コレ」


「伊達にアカデミーを主席で卒業してない。まぁ、そんなことに詳しいのは今や我くらいだとは思うがな」


 餡団子を口に頬張り、くるくると串を回しながら自慢げに笑うダインさん。彼は研究所に勤めている研究者の一人で、うちの常連さんだ。専攻して入る内容は確か、魔法具関連だった気がする。変わったものが大好きで、この店に初めてきたときの第一声は「ここが噂の変な店か!」だったのはあまりにも有名である。どんな噂になっているかは怖くて聞けません。ちなみに今は閉店後で、お店にいるのは僕とダインさんの二人だけ。ダインさん曰く、何か面白いことがある予感がしたのだとか。


「あー、じゃあ他のもわかります?」


「友のためなら、こんなどうでもいい知識を学んだ甲斐があるというものだ」


 無邪気にウインクしてくるダインさん。これがイダガスティアさん、もしくはアリアにされたのならドキッとするのだけれどなぁ。狐耳のおっさんに言われても空しいだけだ。いや、気持ちがうれしいのは確かなんだけれど、なぜにウインクしたし。


「クラーゲンというものは、水の綺麗な淡水にしかいない生物だ。姿はイカに似ているのが透き通る紫色で、何を主食としているかは不明らしい」


「え、これイカなんですか?」


 紫色の物体を指でつつく。あー、確かにイカっぽいかも。ブニブニしているけれどちゃんと押したら戻る弾力もあるし。


「ちなみに、熱を加えると溶ける」


「・・・・・・生では食べられ」


「生食には向かない。というよりは、毒があると言ったほうが正確か。最も、その毒は加熱することで失われるらしいがな。食べても死なないような毒だが、だからといって好んで食べる奴がいる訳でもなく、切り身を見たのも随分と久しぶりだよ」


 蛇口で指を洗いながらうな垂れる僕を見ながらニコニコするダインさん。気落ちしている僕の姿が面白いんですね、わかります。耳をピコピコさせない。尻尾も小刻みに振らない! どうして僕にはまともな友達が少ないのだろうか? 僕はこんなにも平凡な人間なのに。

 それにしても、生でもダメ焼いてもダメってどうすればいいんだよ。あーあ・・・・・・、せっかくイカ天とかイカリングとかイカ刺しとかイカ飯とか色々考えたのに。タコを見た目が怖いってリリースしようとしたのと同様に、イカもまたここでは食用とされてないんだよね。だから水揚げされないし、占めた! と思ったんだけどなぁ。


「じゃあ、オーランドは?」


「山に住む鳥の一種。真っ赤な羽の鳥で、その羽は需要が高い。また繁殖力も強いことからしばしば乱獲されるのだが、その真っ黒な身のせい羽を毟ったら放置されるか他の狩猟の餌に使うことがほとんだ」


 ということは鳥胸肉ってことか。見た目のキツさをどうにかすればまともな食材かな? から揚げとか美味しいと思うけど、野鳥の胸肉だから脂肪が少な目かも。だったら蒸し鶏にしてもいいかな? 昆布もあるし。卵は・・・・・・どうやっても色がダイレクトに出るだろうなぁ。まぁ、味は卵だろうし安ければ色違いを作れると思えばアリかも。食事系には無理だろうけれど、回転焼きの色違いくらいなら大丈夫、だと思う。まぁ、こればっかりはもう少し色々な人から話を聞かないとだめだろうね。


「最後にグリエーシュだが・・・・・・エシャロットは知ってるか?」


「オニオンに似たアレですか? 知ってはいますよ、一応これでも料理人ですから。うちでは使っていないけどね」


 あれって玉葱より小さいくせに同じ値段するんだよね。だから、というわけでもないけれでも慣れ親しんだ玉葱のほうが使いやすいから絢辻屋では使用しておりません。貴族付とかアカデミーとかは結構使うみたいだけどね。玉葱より甘味が少ないから、ベースの味を変えずにコクが出せるのだとか。


「でも、これどうみてもエシャロットには見えないんですが」


 どっちかというとキュウリっぽい、青色だけど。表面がつるつるしているけど、形的には一番近いと思う。青色だけど。

 そういえばキュウリってどこにあるんだろ? これで代用できるかな? でも、代用できたとしてもキュウリメインの料理が思いつかない罠。言い替えればなんにでも付け合せにできるってことだけどね。サンドイッチにサラダ、冷やし中華もいいな。

 冷やし中華・・・・・・どこかに中華麺落ちてないかな? 灌水がどーのこーのってのは聞いたことあるけれど、灌水って一体何なのさ。いや、灌水が手に入っても作り方知らないんだけどね。うどんと一緒でいいのかな?


「いや、それはエシャロットではない。エシャロットはそいつの主食さ」


「え?」


 ポトリ、と可愛げな音を立てながらカウンターに落ちる偽キュウリ。目も鼻も口も無いはずのそいつがニヤリと笑った気がした。突然のことに対応できなくて思考が停止するのも、僕が平々凡々な人間だからしょうがないってことでどうか一つ。



「グリエーシュというのはトレントと呼ばれている魔物の一種で、それはそいつの実だな。グリエーシュはトレントの中でも大人しく、地方の村では餌を提供する代わりにその実をもらったり、根っこを使って土を耕したりしてもらうという話を聞いたことがある。味については聞いたことが無いが、毒があったり食べられないほど不味くは無いはずだ」


「それはまた友好的な魔物なことで。はぁ、とりあえずどれから調理したものか・・・・・・」


 とりあえず、食べられて味も酷くは無いのが一つ。食べられるが味の予想がつくのが二つ。煮ても焼いても生でも食えないのが一つ。最後のは即効で削除。色々模索すればなにか使い道はあると思うけれど、もうそんなチャレンジする程の気力が僕にはありません。グリエーシュはまぁ食べられることはわかっているし、となると残りはオーランドかぁ。


「ハルキ」


「ん? どうかしましたか? あ、何か食べたいものがあるとか」


「肉が食いたい」


 あー、はいはいわかりました。だからそんなニィって笑わないで下さい、犬歯がむき出しですよ。そういえば今日もこれから夜中まで実験とか言っていたっけ? だとした結構ガッツリ目がいいのかな? 今あるのは目の前のものと、夕飯用に炊いておいたご飯に、おっ玉葱も少し余ってるな、後は調味料が色々、と。んー、見た目が恐ろしそうだけれど、あれ作ってみるかな?

 胸肉は一口大より一回り小さいくらいの大きさで切っていく。あ、味見しとかないとね。出来上がってから変な味に気付いても手遅れだし。

 切り分けた胸肉から一つ選んでコンロで炙る。おー、真っ黒だから焼き加減わからないかなぁと予想していたけれど、ちゃんと茶色になるじゃないか。味の方は、んぐ。もぐもぐ・・・・・・これなら普通の鶏肉としても使えるんじゃないか? 予想通り脂肪分は少ないから気をつけないとパッサパサになっちゃうだろうけれど、ちゃんとした鶏肉だコレ。案外、パッサパサのせいで食べられないようになったのかもしれないな。いや、そもそも普通は真っ黒な物を食べようとは思わないか・・・・・・。

 裏からとってきた玉葱を薄くスライスする。このとき玉葱の繊維に沿って切るようにすると食感がのこり、繊維を横断するように切ると辛味がまろやかになるのでそこらへんはお好みで。今回は繊維に沿って切りますか。

 材料の下拵えが終わったら、底が深めの小さな鍋に水を入れてそこに砂糖と醤油を2:3くらいで入れる。ちょっと甘めに味を調えれば大丈夫。水はコップ一杯分も入れれば十分だ。本当はみりんがあればいいのだけれど、まぁ仕方ない。せめて日本酒があればなぁ。というかお米はあるのだからどこか作ってないだろうか? 北に行けば行くほど寒さ対策のためか酒造りが盛んになるから、埋め合わせとしてローレンに探してもらおう。

 鍋の中身が煮立ったら肉と玉葱を投入。肉から入れて、表面にさっと火が通ってから玉葱でもオーケー。大切なのは鍋が煮立ってから入れることだ。そうすることで肉の表面にすぐ火が通って、旨味が外に逃げなくなるからね。

 煮ている間に卵をボウルに割りいれるんだけれど、わぁお、黄身が真っ赤だよ。赤身だよ。魚じゃないけれど。白身は僕の知っている普通の卵と同じなのになぁ。まぁ、真っ黒じゃなかっただけよしとするか。肉は・・・・・・火が通るのにもうちょいってところかな。今のうちにご飯をよそってこよう。

 底の深い器にご飯をよそって持ってくる。もちろん、僕とダインさんの二つ分だ。肉のほうは、うん、丁度いいくらいかな。肉に火が通ったら、溶いた卵を鍋の真ん中から蚊取り線香を描くように渦を巻きながら入れていく。一気に入ってしまう場合は菜箸か何かに伝うようにして入れるといいよ。後は蓋をちょっとずれるようにして、卵が半熟になったのをご飯に乗っければ完成だ。みんなも異世界に行くことがあれば参考にして欲しい。


「はい、できましたよ。熱いので気をつけて」


 料理とスプーンを渡して僕も隣に座る。ちなみに僕もスプーンだ。持つには熱くなりすぎるのよね、この器。どんぶり茶碗ってどこかに売ってないかな。なくても茶碗作りの人を知っていれば頼めるんだけどなぁ。いや、いっそのこと木で作ってもらうのもありか。


「ふむ、予想以上に見た目は悪くないな」


「火を通したら色変わったからね。卵も予想よりはマシな色合いだったし」


「ほう、これは下にあるのは米か」


「あ、嫌いだった? それなら何か作り直すけど」


「いや、最近は研究が忙しくてパンばかり食ってたものだからな。それに、この料理は米嫌いだとしても食べる価値があるほど旨い」


 ガツガツ食べながらの素直な賞賛に、思わず顔が熱くなる。そう言って貰えると料理人冥利に尽きます。全く、普段からこんな風に素直ならば、今頃奥さんの手料理でも食べているだろうに。


「そういえば、この料理にはなんか名前はあるのか?」


「あー、そうですねぇ・・・・・・。鳥肉とその卵なんで親子丼とでも名付けましょうか」


「おやこどん・・・親子どんか。クックックッ、まぁ我はよい名前だと思うが一度カティア嬢かアリア嬢に聞いてみるとよいぞ」


「やっぱ丼って変かな? 響き的にはいい感じだと思うんですけど」


「我が言いたいのはそういうことではないのだが、まぁ聞いてみればわかる。さて、そろそろ研究所へと戻らなければな。今日は旨い飯を馳走になった。今度来る時はなにか礼をしよう」


「いいですよ、礼なんて。“友のためなら、料理を作った甲斐があるというものだ”でしょう?」


「クックッ、お前も我に負けず劣らずの変人だな。ならば友の為に旨い酒でも持ってくるとしよう」


「それはまた腕を振るういい機会になりそうです」


 ダインさんも帰り、食器を洗いながら親子丼のことを考える。見た目はさほど悪くなかった。ニワトリのそれより赤々しいけど、少なくとも見た目で拒否するようなものじゃないと思う。まぁ、商品になるかといわれれば食器の問題から厳しいと思うけどね。それに相場がどれくらいになるかまだわからないし。

 残りは二つ・・・・・・というか問題は一つ。クラーゲンどうするかなー。溶けるってのがまず意味不明だもんな。溶かしたのを冷やしたらどうなるのだろうか? また固まるのかな? でも毒を失うってことは変質しているのだから溶けたままなのだろうか? 思い立ったらやってみる。それが僕のジャスティス。



 結果から言おう。溶けたものは溶けたまんまだった。

 がくりとクラーゲンに顔を埋める。あーあ、固まれば臭いもないし味もないから寒天代わりに使えると思ったんだけどな。そしたら色んな料理を作りたかったのに。全く、プルプルするだけしやがって。あーでもひんやりしてちょっと気持ちいいかも。触ってもなんとも無いし、熱い夜にはいいか、も・・・・・。


「冷感シート! これならいけるんじゃないか?」


 冷たさが長持ちするし、溶けたら無害だから拭き取るだけでいい。変なにおいも無ければタオルのようにいちいち水を絞る必要もないから小さな子供でも使える。あとは実際に使ってみての評判次第だけれど、さすがにそこまで僕がすることでもないだろう。よし、クラーゲンはこの案で行こう。これで貸し二だな。ローレンにはぜひとも日本酒を探し出してもらわないとね。



後日、アリアに親子丼の事を聞くと「その名前は、少し残酷だと思うわ・・・・・・」といわれて改名することになるのだが、それはまた別のお話である。






[29510] 07 アカデミー
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2011/12/06 03:53



 学生らしさってなんだろうか? すでに学生なんて遠い思い出になりつつある僕は、時々そんなことを考える。学生の本分は勉強である、というのは教師や大人から散々言われたけれど、そのくせに学校で求められていたのは協調性だとか没個性だとかそんなものだったように思える。まぁ、それは今となってはどうでもいいことだけれど。只言えるのは、学生には『学生らしさ』って表現されるほどの何かしらの熱を持っていることは確かだと思う。

それがどの方向に発揮されるのか、はたまた発揮されずに時間を掛けて発散していくのかは本人次第だけれど。



07『アカデミー』



「え、うちに泊まりたい?」


 突拍子も無い提案に思わずカウンター向こうのアリアに言い返す。夕方の学生ラッシュも落ち着いて、店内にはいつもの常連さんしかいなかった。窓の外では、外食に行く家族とか、ギルド帰りの戦士とかが笑いながら通りを行く。いつも通りの平凡な日常。しかし、アリアの提案は平凡なそれではなかった。少なくとも、僕の中の一般常識としては茶屋は宿屋ではない。


「ええ。今度の休みにお願いしたいのだけれど、ダメかしら?」


「ダメも何も、せめて何がどうしてそういう結論になったのかくらい教えてくれないかな? 後でお転婆娘の家出を匿ったって言って、ジークさんに怒られたくは無いのだけれど」


「そうねぇ・・・・・・勉強会、かしら?」


 其処で訪ねられても、僕は知りませんってば。

 胡乱げな顔をしている僕を見て、話を飛ばしすぎたかしらとアリアは順序だてて話してくれた。

 なんでも、アカデミーのカリキュラムが今期から変更になったらしいのだ。んで、何がどう変わったのかというと、試験の仕方が大幅に変わったとのこと。今までは単元が終わるごとに授業の担当教官が試験を行っていたのだが、それが中間試験と学期末試験の二回になったそうだ。

 いわゆる、小学校までのテストから中学校へのテストに変わったみたいな感じかな? まぁ、頻繁に試験してもその試験課題の作成とか採点にも時間かかるからなぁ。一応、「担当教官」なんて呼ばれているが、彼らの本職というか本質は研究者なのだから。



 ここでアカデミーとルーベル市について少し紹介しようと思う。



 アカデミーというのは、この世界における教育機関の総称だ。だから一口にアカデミーといっても、貴族が儀礼を学ぶような貴族学校や法律を学ぶ司法殿とか色々あるのだが、ここルーベルにおいては中央区にある研究所付ルーベルアカデミーのことを指す。

 そしてルーベルアカデミーは研究所の名が示すように、研究所の育成機関として設立されたものだ。もとは一端の研究者がヒヨっ子研究者を纏めて研修させるような施設であったのだが、時が立つにつれ門戸は拡大し、文字の読み書きを教えるような基本科もある。おかげでここは識字率がかなり高いため、僕が購読しているような情報誌が刊行されたりするんだよね。まぁ、かといって全ての人が読み書きできるのかと言われれば違うのだけれど。

 今、アカデミーで開設されて入るのは文字の読み書きや、魔法具の扱い方を学ぶ基本科

 それの上位に当たり四則演算や魔法の基礎を習熟する修士科

 修士科と同じく、基本科の上位に当たる上位魔法の習熟や研究の基礎を習う魔法科

 数学や選択した職業の基礎を習う商業科 の四つだ。上二つは三年制で残りは四年生。各科の修了とともに進学するかどうか決めるんだよね。蛇足だが、この世界において商業科というものがあるのはここだけだ。まぁ、一般的には弟子入りとかするものだけれど、受け入れる側からしてもある程度の基礎ができているほうが有難いからね。これも技術と知識という無形の財産を手厚く保護している王家の方針のおかげかな。



 そして、アカデミーがある中央区はどこにあるのかというと、まずドーナッツを思い浮かべて欲しい。そのドーナツを十字に川が区切っており、ギルド区、住民区、港湾区、貴族区の四つに分けられていて、真ん中の穴の部分が中央区と呼ばれている。

 中央区には王宮や研究所、貴族院といった国としての中枢が置かれておりアカデミーも研究所に隣接する形で設立された。ちなみに、僕が店を出しているのはギルド区だ。新たに店を出す場合、ギルド区と住民区、それに港湾区の場合は各区の代表者に許可を取ればいいのだが、中央区においては国の審査に通る必要がある。この審査が過去三年間の店の経営状況とか従業員の犯罪履歴とか伝手の大きさだとか洗いざらい調べられるのだが、王族などが手に取る可能性が高いので仕方ない。

 また、貴族区で店を構えることは禁止されている。だから貴族の場合は自らが、もしくは使用人が現地に行って買うか商人を家に呼びつける必要がある。そして、中規模以上の商人をすぐに家に呼べるようになって初めて一人前の貴族として認められるそうだ。



 これがざっとしたルーベル市の概観だ。本当は区内でも、例えば絢辻屋のあるギルド区でも家具通りや職人街、屋台村なんて分けられていることもあるのだけれど、まぁ大体はどの方向に行けば何区があるか覚えとけば迷うことはまず無いと思う。もし万が一迷ったとしても中央区の時計塔を目指せばその近くに騎士団本部があるので、そこら辺で適当に声を掛ければ屈強な方々が道を教えてくれるはずだ。

 って、アカデミーの試験ために勉強会をする?


「ねぇ、アリア。一つ確認したいんだけれど」


「ええどうぞ、店主さん」


「アリアって学生だったっけ?」


「誰があんな面倒なものに。私は読書のついでにお手伝いをしているだけですわ」


 うんうん、前にも司書の手伝いしているっていいていたもんね。そりゃ学生なんていってなかったよね。というか、え? 理由って面倒だからだったの? いや、まぁ今は別に良いかそんなこと。


「言い忘れてましたけど、勉強会をしたがっているのは私ではなくて私の友人ですわよ? 二人。どちらも同姓の方ですわ」


「あー、お友達が使いたいのね。ていうか友達ならアリアの家でお泊りすればいいんじゃない? ここよりも広いし」


 絢辻屋だって元は僕とおじいちゃんとおばあさんの三人で暮らしていたのだから結構広いし、一人暮らしの今なら部屋も余ってるけれど、さすがに貴族のそれとは比べ物にはなりません。アリアの家は小さい方ではあるけれど、それは「貴族としては」小さいほうだからね。家族と使用人合わせて30人とか言ってたからその広さは押して図るべし。まぁ貴族区に行けばそんな家ばかりなんだけどさ。


「私としてはそれでも構わなかったのですが、貴族区では近くにお店もありませんし。それに、そのうちの一人は平民の娘でして・・・・・・。さすがに、何を勉強するのか忘れてはよくありませんでしょう?」


 ほぅ、とため息をつくアリア。そのため息に同意するようにお茶を飲む僕。べつにアリアは平民だからといって差別をしているわけではない。その点では流石はワーケルハイツ家といったとこだろう。だから、あることが無ければ喜んで家に呼んでいたはずだ。そう、


「テーブルマナーなんて、僕たちにはあまり必要じゃないもんなぁ」


 まだ顔も知らないその彼女が、元ワーケルハイツ家筆頭執事の前で食事をする光景を想像して、僕は今度こそ盛大にため息をついたのだった。


 仕込みも終えて、自分用の玉露を淹れてるころになるとジークさんが店にやってきた。皺一つないシャツに、埃ひとつない黒の燕尾服。手にはシミ一つない白手袋に曇りなく磨かれたモノクル。うん、パーフェクトだ。さすがジークさん。


「お嬢様、お迎えに上がりました」


「ご苦労。じゃあ店主さん、そういうことでよろしいですわね?」


「うん、まぁ僕は構わないよ。人数は、えーとアリアも泊まっていくんだよね?」


「もちろんですわ」


「じゃあ三人分で用意しておくよ。着替えとかは忘れないように伝えといてね。それとなにか食べられない物とか、苦手なものがあったら前日までに僕に伝えてくれると嬉しい」


「ふふっ、それは店主さんがかしら? それとも彼女達かしらね? じゃあ何かあったら私か、もしくは誰か人を遣るわ。それじゃあね、店主さん」


「うん、わかった。じゃあね、アリア」


「お嬢様、表に馬車を用意しておりますので・・・・・・ハルキ、その時はよろしくお願いします」


 ドアベルが鳴り、少し遅れて手綱を引く音が続く。店の前から始まった轍はそのままワーケルハイツ邸へと続くのだろう、車輪の音はすぐに行き交う人々の喧騒の中へと溶け込んでいってしまった。

 それにしても、アリアの友達か。ワーケルハイツの名前は善きにしても悪しにしても壁を作ってしまう。たとえ実力主義と謳われている研究員になろうと、本人の与り知らないところで家の名は彼女を助けるだろう。でも、それを本人が望んでいないとしたら?

 まぶたの裏に、貴族になるには尊敬できすぎる兄様達がいて、只のアリアとして生きるにはこの名は重過ぎる。いっそ、平民として生まれたのならと言って唇をかみ締めていたアリアが映る。あれは今よりも彼女がまだ幼く、そして僕がまだ世間知らずだった頃だ。

 あれから幾分の時が経った。

 僕は何人もの客と知り合い、友とケンカをし、人に助けられてきた。
 
 彼女はどうだったのだろうか? 僕はこの店の中での彼女しか、彼女の語る彼女しか知らない。夕方、人の少ない時間帯にふらりときては何と話すこともなくただお茶を楽しむ。時折、出る話題はアカデミーの新発見や本のことだけ。そんな彼女が、最初に友人の話をしたのは何時のことだっただろうか? それを境によくお喋りをするようになった今ではそれを正確に思い出すことはできないが、彼女の、大切なものを壊さないようにそっと包みながら笑う顔は大切な思い出として、今も、僕の心の中にある。


「やれやれ、僕も存外、アリアには弱いようだ」


 でも、悪くない。まぶたを開き、ガラスに映る綻んだ自分を見て大げさにおどけてみせる。三人ならおじいちゃんとおばあちゃんの部屋を空ければ十分だろう。ベッドは二つをくっつければ子供三人なんて余裕の大きさだ。シーツは明日洗濯しておくとして、タオル類も新しいのを出しておかないとな。


「よぅ、もう夜ご飯はやってるかい?」


「えぇ、もうやっていますよ。今日のオススメはボリューム満点のハンバーグです」


「じゃあそれのご飯でたのむ。ご飯は大盛りな」


「かしこまりましたー」


 注文をとり、鼻歌を歌いながら料理に入る。付け合せの野菜を鍋で茹で、その横でフライパンに油を引き、一気に加熱。その間に寝かしておいたタネを成形して、熱々のフライパンに投入して焼き目をつけ、肉汁が零れ出ないようにする。焼き目がついたら小さな鉄皿に移してオーブンへ。

 焼き上げている間にフライパンに残った肉汁と、仕込みで準備しておいた玉葱とにんにくを刻んで鶏がらで煮込んだものを入れて、温まってきたら味を調えながら小麦粉でとろみをつければグレイビーソースの出来上がりだ。ご飯をさらに盛り付け、後はオーブンから焼きたてのハンバーグを取り出し、鉄串で目立たないところを刺して中まで焼けているか見ればこっちも準備OK。

 鉄皿を木の受け皿に置き、野菜を添えてソースをかける。熱々の鉄板が音を立ててソースを弾けさせ、なんともいえない香りが店内を満たしていく。今日はどうやら絶好調のようだ。


「お待たせしましたー、特製ハンバーグとご飯大盛りです」


「おぉ、いい臭いだ。それにしても今日はやけにご機嫌じゃねぇか。何か良いことでもあったのか?」


「いえ、これから起こす予定です」


「なんじゃそりゃ」


 訝しがるお客さんに笑顔で答える。さてさて、今週末はいつもより楽しい週末になりそうだ。



後日、僕が全力を尽くしたせいで友人二人の目が点となりアリアは額に手を当てることになるのだが、それはまた別のお話である。



あとがき
 お泊り会の様子はアリア視点で書く予定。ただし予定は未定。



[29510] 08 不器用×不器用
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:454504e7
Date: 2012/01/17 12:27


ひっそりとしたキッチンに包丁の音が響く。
一定のリズムで、不定な音。いつも通りの日常で、二度はない今日。恐らく何を基準にとってグラフ化してみれば、平均化するまでもないような毎日だ。けれど、僕にとってそれがとても愛しい。朝起きて、お客さんと他愛もないおしゃべりをして、たまに友人と誼を深めたりして、そして眠る。アリア達の年の子供からすればそれは刺激のない惰性で続く人生だと思われるかもしれないけど、いやはやこれはこれで悪くない、むしろ好ましいものだ。

初めて料理したのは、確かこの世界に来てから半年頃だった。指を怪我したおばあさんの代わりに作ったんだ。メニューは鳥と野菜のスープ。

こうして一人で料理をしている間は、僕は僕だけであるように思える。高校生の僕とか、絶望と困惑と恐怖に囚われた僕とか、友人とバカをして担任に呆れられる僕とか、家族と一緒にいる僕とか。沢山の僕が薄れていって、それは境界をなくす。すると、振り返ればあの喧騒と光に溢れた世界に戻れるような、そんな気がするんだ。



08『不器用×不器用』



 日本では、その昔連続する毎日をハレの日とケの日に分けた。ケの日はいつも通りの日常。ハレの日は特別な日だとして、祭事などを行っていたらしい。伝承される神以外にも、女性の入山を禁止するといった山岳信仰、川を蛇や竜に見立てたり巨木を土地の守り神とするなど、周りには人ならざるもの、人の力の及ばないものがごく当たり前に存在してきた彼らの祭事は、僕の知る限りその進化の歩みを止めたことはない。しかし、たまに思うのだ。数えきれない信仰対象にその何倍もあるだろう奉る祭りの形式。ものすごい祭りが好きなだけではなかったのではないかと。そして、その血は全ての日本人に流れているのではないかと。


「それではまた来年会いましょー」


「はいはい。また来年もお世話になります」


 手綱を引いて空になった台車と共に去っていく行商人を見送り、適当におかれた食材やらを整理する。今日が今年最後の仕入れ日。だからいつもより沢山買い込んだのだけれど、これが五日もたてば無くなるっていうのだから驚きである。千客万来、ありがたやありがたや。


「年明けに使うのはこっちにまとめておくか。だったらお米とかも大体の量はこっちに分けておいた方がいいかも。年末年始はどこのお店も開いてないだろうし。あ、これは傷があるから先に使わないと……」



 この国一番のお祭りと言えば、文句の一つもなく生誕祭である。一般人がお祭り騒ぎをし、国も色々なイベントや援助を行っているのだからそれはもう盛大なお祭りである。また、先の大戦での功績から他国の王族や指導者といった各国のトップも来賓としてくるので一年で一番人口が増える期間だ。

 まぁ今言ったような国賓はここルーベルではなく首都の方に招かれるので僕は見たことないのだけれどね。

 さて、そんなにすごい生誕祭だが、この世界で一番のお祭りと言えるかといえば、その答えはノーである。確かに他国のトップもくる盛大なものだが、この国が常にホストになるわけでもなく、当然のように公務として他国の催事にしなければならない。それが王族の務めだし。

 僕が聞いた話だと、属に大国と称されるところの最大のお祭りであるフーガでは、その賑やかさから夜は消え、その熱気により花が狂い咲き、人は個人から解放され民衆という集団意識を持った個になるらしい。うん、未だに意味がわからん。わかっているのは、僕は一生進んでそこに赴くことはないだろうということくらいだ。

 そんなお祭りでさえ、世界最大のものではない。なぜならそれはどこまでいっても、その国内で行われるものだからだ。そう、世界最大のお祭りは一国に収まるものではない。世界最大のお祭り、それはこの世界全てに訪れる新年を祝うものである。

 それの正確な発祥は判明していない。故に行われる時期と、その目的が新年に関するという点を除けば共通項を見いだすのはとても困難だ。名前だって共通言語で「新年祭」ということがすぐわかるような名前のものから、その地方独自の言語であったり、伝承による由来を持つものだったり、時の指導者が語感で決めたりと様々だ。ちなみに、シュラクトヤ=ルーベル王国では「ルイユ・レ・ソルベリート」といって、これは古い言葉で「新たな英知と変わらぬ繁栄を」という意味らしい。まぁ新年祭で通じるから正式名称を知っている人も多くはないのだけれどね。

 この新年祭と生誕祭の大きな違いといえば、盛り上げようとして盛り上がるイベントなのか、雰囲気に乗って皆それぞれが盛り上がるものかという点だ。わかり難いたとえを出すと、生誕祭はクラスのみんなで力を合わせて作り上げた文化祭みたいのもので、新年祭は友達とはしゃぎ騒ぐ修学旅行みたいな。うん、我ながらわかり難い。


「そういえば、船長にまだ会ってないなぁ。年が明ける前に一度は来るっていってたのに」


 船長はとにもかくにも海が好きなので、この店に来ることは滅多にない。海が大荒れで出港できない時も、海が見える自宅で最新版の航路図をみながら新たなルートを考えるのだとか。海好きここに極まれりである。

 ちゃちゃっと下拵えを済ませて外の看板に今日のランチメニューを書いていく。コロッケ、卵、サラダの三種のサンドイッチと魚フライ定食。お昼はガツンと油ものが食べたい気分なのだよ。


「さて、今年も残り少ないけど今日ものんびりいきましょうか」


茶屋『絢辻屋』 年末年始も頑張ります。




 店内にいた最後のお客さんを送り出して、そろそろ閉店の時間になるかな? という時に奴らは現れた。


「愛しの!」


「ハルキに捧げる!」


「極上の!」


「「「ゴールデン・トライアングル!」」」


 うっさいむっさい暑苦しい。お前ら人の店にまできて変なことするな。頼むから。いや、確かにもうお客さんもいないけどさ。だからといって騒いでいいってことじゃ、あぁわかったわかったから泣くなって。うん、確かにすばらしい逆三角形だよ。赤身だね。


「ふむ、今日は仕事納めだったからな。皆もすこぶる機嫌がいいと見える」


「あぁ、今日が仕事納めだったのですか。いや船長、機嫌がいいのは構わないのですが、あの変態どもはどうにかなりませんか?」


「我々は変態ではない」


「ただただ、一途に君のことが好きなだけだ」


「そしてたまたま君が男だっただけじゃないか」


「「「我らは君に恋い焦がれる、いわば恋の迷い人。さぁ、導いてくれ!」」」


 真剣な顔で手を差し伸べる変態どもを一瞥して、料理を続ける。店の扉にはとっくにクローズの札を出した今は、店内はこいつらの貸切だ。こいつらはその体に見合う分食べるというのに、今日は十人ほどの大所帯なのだから正直構っている暇はないのだが、無視するといじけるので仕方ない。バリバリマッチョが椅子の上で膝を抱える姿×3なんて見たくないですよ、僕は。


「だいたい、僕が男だってわかっているならほかの女性を探せばいいじゃないか。アランの奴だって嫁さんを見つけたんでしょ?」


「我々はあれを女性とは認めない」


「女性とは守りたくなるような繊細さで」


「家庭的で儚げで、それでも己をもつ人」


「「「そう、ずばり君こそ理想の女性!」」」


 男だバカ。



「だから、いっそのこと体を鍛えてみてはどうかね」


「自分では普通と思っているんですけどね。それにお店があるので時間も取れませんし」


「その細腕で普通。普通、か……。君は時々、研究者のようなことを言うものだね。それもあいつらの影響かな?」


「さぁ、どうでしょう? 案外、自分のことになるとわからないものです」


 お皿に山盛りにしたコロッケと焼き鳥、パスタなんかを出すと店内は宴色一色になった。お酒を持ち込んでいる奴もいるし。まぁ、みんな顔馴染だしすでに閉店しているから大目に見よう。普段から飲み慣れているのか酒癖も悪くないしね。

 それにしても変態や船長とかには細いとか華奢とか言われるが、僕は別に自分のことをそうだとは思っていない。だって、本当に平均的だから。いや、この世界では平均的ではないのかもしれないけど。未だに過ごしてきた時間はあちらの世界の方が長いのだ。価値観は早々覆らないものだよ、キミ。

 この世界で男の仕事といえば、肉体労働の一言に尽きる。農夫、漁師、猟師、大工、鍛冶屋などなど。ここには電話もなければコンピュータもない、つまり前の世界で一番メジャーだった会社員というものが存在しないのだ。いわば、大人の男性=マッシヴというのが平民の常識である。いやほら、貴族様とか研究者は例外だから。そして、そんな男たちを御すために女性もまた逞しくなる、と。腕っぷしも強けりゃ肝っ玉も据わってる、まるで大阪のおばちゃんである。ついに僕は本物を見ることはなかったのだけれどね。


「あ、そういえば。船長のところは何日から仕事始めるんです?」


「ん? あぁ、例年より寒波が穏やかだからな。いつもより少し遅くなるだろう」


「え? 珍しい」


 海大好きな船長がそんな決断をするなんて。うーん、隙あらば海に出ようとする男なのに。


「不思議かね?」


「えぇ、まぁ。一月前に流氷を率先して砕いていた人とは思えないですね」


「……少年。儂との付き合いはどれくらいになる?」


「なんですか急に。えぇと、お店開く前からだから……7,8年くらいですかね」


 お店を開いてもう5年。その前からだからそのくらいか。

 5年

 そうか、あの声を聴くことがなくなってからもうそんなになるのか。


「今年はおかげで雪も少なくてな。あそこで騒いでるジョージなんて村から家族総出で遊びに来るらしい」


 どこか遠く、そして眩しそうなものを見るように窓際で腕相撲をやってる船乗りを見つめる船長。気付けば僕と船長の周りには人はいなくて、どこか劇を見るかのように宴を眺めている僕がいた。

 別に寂しくない、なんて強がるほど僕は青くはない。ただ、口に出せるほど器用じゃないだけだ。


「話は変わるが。うちの使用人も今日で仕事納めらしい」


「そーですかぁ」


「ついでにいうと、儂は家事はできん」


「そーですねぇ」


「だからしばらく厄介になるぞ」


「え?」


 それって、と聞き返す前に頭を撫で繰り回される。ゴツゴツとした硬い手。ちょっとパイプの臭いがする。嫌いじゃない。思えば頭を撫でられるなんてずいぶんと久しぶりな気がする。頬が年甲斐もなく熱くなるが、たぶん僕の眦はだらしなく垂れ下がってるだろう。


「お前は儂の息子でもあるからな。いや、年齢からすれば孫か?」


「どちらにしても、成長した姿をちゃんと見せないとね。今年は気合を入れますか」


 どうやら、絢辻屋にはしばらく不器用が一人増えることになりそうだ。



 後日、船長のお話目当てに客足が倍増することになるのだが、それはまた別のお話である。



[29510] 09 歌姫
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:d02909ab
Date: 2012/03/07 10:01


 音楽には不思議な力がある。それは戦いのための士気高揚だったり、追悼のための鎮魂歌だったり、自然に対する信仰だったり。元来、音には不思議な力があるとされてきた。魔を払う鈴の音だとかは有名だ。また、言葉にも特別な力があるとされている。言霊とか、御題目とかはよく小説なんかでも使われていて、僕も知っているくらい有名なものだ。では、この二つを合わせたらすごい効果があるんじゃないか? そんな考えが生まれるのも、まぁ当然の帰結である。



09『歌姫』



 カウンターに突っ伏して、窓の外を眺める。雨音、と呼ぶには激しすぎるテンポで雨粒が分厚いガラスを打ち付けている。店内は昼間だというのに薄暗く、ランプに灯を入れるか迷うところだ。でも、こんな雨だしお客さんがこれから来ることもないだろう。この世界でも傘らしきものはあるといえばあるのだが、ジャンプ式なものなんてないし、複雑だから値段は高いし、貴族には受けが悪い。ってあれ? 貴族受けがよくないってのは聞いたけどなんでなんだろ? むしろ豪奢に飾れそうなものなのに。


「ねぇ、アリア。なんで貴族ってのは傘を使いたがらないの? ほら、確かアリアも持ってたよね。使ったとこは見たことないけど」


「貴族たる者、常に余裕を持たなければありませんわ。それなのに、たかが雨程度で片手を塞ぐなんて馬鹿らしいとは思いません? 従者に持たせてもいいのですが、あれはどうにも服がぬれて仕方ないわ」


「確かに、守れるのは上半身くらいだよなぁ。あれ? じゃあアリアの持ってる傘って観賞用?」


「あれは日傘ですわ」


 日傘だったのか。そういわれれば妙に生地が薄かった気もするし、色も白で珍しいなと思った気がする。ここでは雨具といえば外套、つまりは合羽なんだよね。ゴムとかビニールがあるわけじゃないからレインコートといった方が正確かもしれない。ほとんどの家では玄関先に外套掛けが置かれていて、これが高級宿屋や貴族の屋敷になるとその濡れた外套の手入れをする使用人がいるらしい。あの人たちは晴れてる間は何をしているんだろ?


「あと、戦闘用」


「戦闘用?!」


 いきなりの物騒な単語に思わず跳ね起きる。いやいや、戦闘用ってなんですか。だって傘だよ? 台風中継で無残な姿になってたアレだよ? いやでも布で戦う人もいるって聞いたしなぁ。そんな変人いるかもしれん。今度イダカスティアさんに聞いてみよう。ついでに変な物好きのダインさんにも声かけておくとしようかな。


「言っておきますが、『女の』戦闘用ですからね。最近はタイトなドレスに日傘が社交界で流行っていますの。別に家の格を示したいとか意中の人の気を引きたいとかはありませんが、流行りも知らないと舐められるのはごめんですわ」


 そりゃ傘で戦う人なんていませんよねー。



 店内は、相変わらず優しい静けさが僕とアリアをゆっくり揺らしている。ランプの儚げな光がそれをゆっくりと対流させているように感じるのは僕だけだろうか。

 外では未だに雨が激しいステップを打ち鳴らしている。観客は急いで道を行く果報者か、誰からも忘れられ朽ちていく亡者か、はたまた闇に身を潜めほくそ笑んでいるあいつか。


「ハルキ、なにがそんなに怖いのかしら?」


「え?」


「いや、悲しいのかしら?私にはわかりませんわ。ただ、ひどい顔していますわよ」


「……なに、ちょっとかっこつけて哀愁に浸っていただけだよ」


「そう。それならば、その強がりを見て見ぬ振りをするのがいい女ってものかしらね」


 あはははは。もう少し色香をつけた方がいいと思うよ。

 ジークに言いつけますわよ?

 ごめんなさい


「それより、お店は閉めませんの? 少し早いですが、この天気じゃどうせ誰も来ませんわ」


「うーん、そうだね。ちょっと早いけど、この時間に駆け込んでくる人もいないだろうし」


 時計の針は閉店時間前20分。外は真っ暗大雨。流石に今からは来ないだろう。絶対。いや、多分。おそらく。予想では。
そんな念が通じたのかどうかは知らないけれど、ドアノブに掛けようとした手は空を切った。カランと軽やかな音と共に雨音がボリュームを上げる。雨音をバックに現れたのは、群青色の髪を波立たせた友人だった。


「いい、かな?」


「うん、いらっしゃい。久しぶりだね」


「……そういえば、最初に貴女と出会ったのもこんな日でしたわね」


「え? あ、アリアちゃん。久しぶり。うん、こんな日だったね。……そうか、アリアちゃんは覚えてくれてたんだ」


「ちゃん付けは止めてくださいと何度も」


「あ、そうだった。ごめんね、アリア…ちゃん」


「あー、とりあえずコート預かるよ。札を変えてくるから座って待ってて」


「いや、大丈夫です。濡れてませんので。あの、お邪魔なら私」


「いいから早くこっちに来なさいな、ミュリー。そんなとこに突っ立ている方が邪魔になりますわ」


 渋る彼女の手をアリアが取って、二人並んで座る。濡れてないというのは本当なのか、彼女が通った後には水滴一つ落ちていない。うぅむ、これも魔法なのだろうか? 頭をひねりながら札をひっくり返す。さて、これで今日はもう店じまいだ。


「それにしても本当に久しぶりだね。去年のお正月が最後だったかな?」


「えぇ、そうですね。しばらく、南の方にいってましたので」


「へぇ、南に。あっちの方はまだ暖かいのかな?」


「そうですねぇ、そこまで南下してないのでちょっとわかりません。それに山の方にいましたので……」


 ミュリーさんの話を聞きながら、ミルクを鍋で温める。そういえば今日はちょっと材料が余りすぎたかもなー。日持ちするものはいいけれど、ちょこっと手を加えておいた方がいいものを出しとかないと。


「南……山……。そういえば、そっちの方で山神様がとか騒ぎがあったらしいですわね」


「ひっ?!」


「山神様? あー、そういえば僕も聞いたことがあるかも。なんかギルドの人が熱心に通ってるって」


 たしかあの時は山神様に気に入って貰える手土産を教えてくれ、なんて無茶振りされたっけ? とりあえず、山に住んでいるなら珍しいだろうと干しエビ持たせたけど、彼は無事納めることができたのだろうか?

 アリアと山神様についての情報交換をしながら、茶筒とマグカップを用意する。中身は茶葉……ではなく抹茶だ。ほとんどの人はまず緑茶がだめなのでメニューにすら載せていないが、絢辻屋の自慢の商品です。僕に「キョート」って合言葉を言うと特別にお出しするよ! ミュリーさん以外誰も知らないけどね!

 匙でマグカップに抹茶と少々の砂糖を入れ、そこに熱々のミルクを注げば特性の抹茶ラテの出来上がりだ。


「はい。いつものでよかったんだよね?」


「へ? あ、ありがとうございます」


「で、実際のところはどうなのかしら? ねぇ、ヤ・マ・ガ・ミ・サ・マ?」


 マグカップを受け取った姿勢でカチンコチンに固まるミュリーさん。正体がばれてないとでも思ってたのだろうか? 助けを求めるような眼差しが向けられている気がするけれど、たぶん、気のせいだろう。僕も真相が気になってたんだよね。






 幽霊の正体見たり枯れ尾花。

 真相なんていつも下らなくて驚きのないものだけれど、今回のもただ内陸の友達に会いに行って騒いでいたところを人に見られたことが原因らしい。それが何故こんな騒ぎになったのかというと、それは場所が内陸だったからの一点に尽きるだろう。


「まったく、魔力を操るものの歌には、特にローレライである貴女の歌には力があるということを少しは自覚しなさいな」


「うっ。ご、ごめん、ね?」


 ローレライ。『海』に住む女性だけの魔物で、その歌声は船乗りたちから凶兆の音色として忌避されている。ここが港町であることからその被害はとても軽視できるものではなく、たびたび国内外から腕利きを集めて航路確保の討伐隊が組まれたりしていたほどだ。



 『していた』のだ。



 人 対 ローレライ
人が海に出るようになり彼女たちの存在が確認されてから続いてきたこの構図は、、それは赤海大戦の時に一変することとなる。



『赤海大戦』とは、世界を上げた怪物とその他の戦いであり、歴史上類を見ない規模の死者が出た災厄であり、そして原因不明と『現在も』続いている戦争である。

 始まりは、小さな村の海岸に流れ着いた布きれであった。漁師がたまたま発見したそれは驚くほど滑らかな手触りであり、もしかしたらお偉いさんの船でも近くで難破してるんじゃないかと噂が立った。翌朝、また掘り出し物があるかもと日の出とともに海へと出かけた漁師は目の当たりにした。赤い海から次々生み出されていく、赤い衣の怪物を。この日、その漁村は地図からその名を消した。

 それからは早かった。段々と連絡が途絶えていく海岸線。そして大陸の中心へと近づいてくる赤衣の目撃情報。世界各地で便乗し始める馬鹿共や胡散臭い宗教の乱立。己の赴くままに暴れ始める魔物達。


「このまま人類は滅びという名の世代交代を迎える」


 と灰色の空に嘆き、朱に染まる海に自ら身を投げる者も多かった。

 最新の調査によれば、この時の人口はおよそ事件前の六割を切っていたらしい。人類は今、存続の危機にさらされていた。




 とまぁ、これが物語の世界なら人類の中から選ばれし者が生まれて、彼が一人で大軍を焼き払いどこぞの王女様とハッピーエンドなのだが、現実はそうは綺麗に収まらない。


この地獄を救ったのは、『魔物』だった。



 東に孤立した島があればゴーレム達が身を挺した壁となり、西に大軍ありと聞けば空から焔でもって焼き払う。北に飢えた人がいるならその羽で空を翔けて物資を届け、南では人の軍に混じり率先して先陣を切り圧倒的は脊力で赤を割る。

 ローレライもこの時に人間側に与した魔物だ。彼女たちは海を泳ぎまわり安全な航路を教えたり、便乗した海賊船などを沈めたりなどの間接的な援護に回った。けれど、最も大きな功績は他の海の魔物達の協力を取り付けたことだと僕は思う。基本的に海に住んでいる魔物達は人間には無関心だ。だって、住む場所が違い過ぎるのだから。人間を襲うのも気紛れだったり人間側からちょっかいをかけたりした時くらいなんだよね。

 だから、今回の災厄の時も大半は我関せず、特に強大な力を持つ魔物ほどその傾向は顕著だった。もちろん、人間側からもアプローチをかけなかったわけではない。敵は海より来る者。海に生き、意思の疎通ができる彼らの協力がどれだけ重要なのかは言うまでもない。最も、梨のつぶてだったみたいだけど。

 そんな無愛想な彼らをローレライは味方に引き入れてくれたのだ。彼らの力はすさまじく、海岸線全てを凍りつかせて赤衣の上陸を阻止したり、水圧で万の数を一斗缶サイズに圧縮したり巨体を生かして荷物を運搬したりと獅子奮迅の活躍で人間に再起の、そして反攻戦の準備を整える時間を稼いだのだ。

 その後も青海作戦の要となる水中遺跡を発見したり飲み水の提供をしたりと裏から表から支えてくれたのだ。

 ちなみに、なぜ今まで無関心だったのに急に協力してくれたのか魔物の一人に尋ねたところ、十本の足をくねらせながらこう応えたらしい。


「だって、助けてくれないと嫌いになっちゃうんだからって言われたから……」


 この会話は信憑性がどうのこうので国の記録書には記録されていない。ただ付け加えると、容姿が整っていて、女性ばかりで、歌も上手いローレライたちは海のアイドルとして揺るぎない地位を獲得しているということくらいだろうか。






「まったく、貴女は少しは大人になりなさいな。それともローレライは陸に上がると成長が止まるのかしら」


「そ、そんなことないよ」


「なら少しは実践しなさいな」


「うぅ……」


 海のアイドルでその功績を称えられてどこの国にもフリーで入れるはずのローレライ、のはずなんだけどなぁ……
 国によっては神様扱いされていて、見た目は僕と同じくらいだけど、その五倍は軽く生きているはずなのになぁ……

 思わず出そうになった溜息を飲み込んで手を打ち鳴らす。それにしても、アリアも人と触れ合うことが増えたけれどまだまだ子供だ。辛く当たっているように見えるが、その実はミュリーのことが心配なのだ。

 青海作戦により赤衣の侵攻が途絶えてからもう二十年も経つ。人の、特に組織のトップの入れ替わりもあり魔物は根絶すべきという考えの者も少なくはないのだ。貴族として下手に政治の裏側を知っているからこそ敏感になってしまうのだろう。だから目を付けられないように、そして友人であるミュリーを変に言われるのが我慢できないだけなのだ。


「はいはい、そこまでそこまで」


 手を打ち鳴らして会話に割り込む。もちろんミュリーだってそこをわかっているからこそ強くは言い返さない。まったく、難儀なものだ。


「今からご飯作るけど、二人ともなにか食べたいものはある?」


 こんなときは温かいご飯をみんなで食べるのが一番いい。そんなことは幼子だって知っている。


「今度からはお願いしますわね……。そうね、今日だと何ができるのかしら?」


「うーんと、今日はお客さんも少なかったから何でもできるよ。できれば使い切ってしまいたい食材もあるからそれ優先だと助かるかな」


「使い切りたいのって、なんですか?」


「えぇと、魚介類全般かな」


 別にこの時期だと冷蔵室に入れとけば一日くらいは余裕で持つんだけどさ、ここ港町だからね。一般家庭ならまだしも、料理でお金をもらうお店が簡単に手に入るはずの新鮮な食材を使わないってのはどうなのかっていうのが僕の意見だ。


「じゃ、じゃあ私はあれがいいです。エビのサクッとした茶色の」


「あぁ、エビフライね。じゃあついでに色々揚げ物にしようか」


「揚げ物でしたら私は、えぇとテンプーラ? というものの方が好きですわ」


「あぁ、うん大丈夫大丈夫。つける衣が違うだけだから一緒にできるよ。ご飯はどうする?」


「私はご飯でいいです」


「そうね……ハルキはどうするの?」


「うーん、ザルウドンにでもしようかな。天ザルって好きなんだよね」


「ザルって確か冷たいって意味だったわよね? 私は普通のウドンにするわ」


「冷たい……、今日は暖かくないのに?」


 揚げ物するからこれから暑くなる予定なのです。


「じゃあ適当に揚げ物とウドン、ご飯は炊いてあるし後はサラダがあれば十分かな?」


「結構な量になりそうですわね。ジークも呼んでいいかしら?」


「あはは、確かに女の子二人と僕だけじゃ多過ぎるかも。そうだね、ついでにダインさんにも声かけてみようか。どうせあの人のことだから研究室に篭りっきりだろうし」


 レジスター下の引き出しを開けて通信札を取り出す。異世界版携帯電話! といいたいところだけど、これはペアでしか使えないのでトランシーバーの方が的を射ているだろう。使い方は札に書かれた丸に自分の登録した指を当てるだけ。あとは相手が同じことをすれば普通に会話ができるってものだ。まだ試作段階だから中央区からだとギリギリ街全部をカバーできるほどの距離でしか使えないけれど、基本的に使う相手は中央区にいるので僕は満足かな。


「あ、ダインさん? うん、僕。そう、お店はもう閉まってるよ。うん、うん、あははは、違うって。え? そうそう。あっ僕の用事もそれだったんだよ。……うん、じゃあ待ってるね」


「あの、ダインさんって……?」


「あぁ、ミュリーさんはあったことないんだっけ? キツネ耳の研究者さんだよ」


「……えぇ、それでいいわ。ハルキ、ジークもすぐ来るそうよ。サラダくらいは手伝うので残して欲しいって言ってたわ」


「それは有難い。じゃあ、僕は料理してくるから二人はゆっくりしててよ」


「あ、私もなにか手伝う」


「そうね、私も何かしたいわ」


 いや、有難いんだけど料理って結構面倒だし刃物使うからなぁ。ミュリーはまだいいけど、アリアは包丁を握ったこともないだろうし。揚げ物も慣れないと油を飛び散らかせるから危険だし。はてさて、油も包丁も使わないのは何かあったかな?

今日のメニューは

・フライの盛り合わせ(エビ、貝、アスパラ、玉ねぎ、アジっぽい魚、等)
・テンプラの盛り合わせ(エビ、ナスっぽい奴、鳥のささみ、等)
・サラダ(ジークさんのセンスに任せよう)
・ウドン(ダインさんの分と、余裕を見て三人半分)


 ………………ウドン、かなぁ?


「じゃあウドンを作ってもらおうかな。茹でるのは僕がやるから生地をお願い」


 言いながら調理場に器具と材料を取りに行く。本当は広いところでやった方がいいから二人を連れてきた方がいいんだろうけど、油とかあるからね。店のテーブルで三、四人分の生地ならお店のテーブルで十分代用できるだろう。あーでも打ち粉とかあるかー。まぁ、そこらへんは適当でいいか。あれもただ引っ付きにくいようにするだけだし。


「えーと、これが生地の元ね。これを踏んだり伸ばしたりするんだけど」


「前に見たパンの物とそっくりなのね。これが本当に麺になるのかしら?」


「私、初めて見たかも」


「材料は基本はどっちも小麦粉だからね。まずはこれを適当に捏ねるんだけど、ちょっと力がいるからミュリーさんお願いね」


「う、うん」


「アリアはミュリーさんが捏ねたのをこの棒でこうやって伸ばすのをお願い。できれば四角くなるように伸ばしてくれると助かるかな。この厚さが麺の厚さになるから、ギリギリまで薄くしなくてもいいからね」


「わかりましたわ」


「じゃあ僕は奥にいるから、何かわからないことがあったら呼んでよ」


 二人にとってはおそらく初めて(ウドン作りということに関しては絶対に初めてだろうけど)の料理だけど、あれだけならそんなに難しくはないだろう。別に失敗したってすぐリカバリーできるし、僕たちで食べるのだから歪でもそれはそれで美味しいと思う。そのためにも僕も腕によりをかけて作るとしましょうかね。






後日、ミュリーさんの手作り料理が食べられるなんて誤解のおかげで店内が水族館か竜宮城の如しなことになるのだが、それはまた別のお話である



[29510] 閑話 『歌姫 オマケ』
Name: 刺身醤油◆84f9fb96 ID:d02909ab
Date: 2012/03/07 12:53



閑話『歌姫 オマケ』





「こうやって伸ばせばいいのね」


 ミュリーから受け取ったウドンの元を伸ばしていく。今のこの私の姿を見たら、みんな笑うだろう。親しいものは気恥ずかしくなるような暖かい笑みで、それ以外はとても知性のあるものとは思えない醜悪なソレで。時々、人にはなぜ知恵があるのか理解に苦しむことがある。知恵によって文明は進化し、人の生活は豊かになったというが、野を駆け、番と出会い、子を産んで老いていく。それ以外に必要なことを生み出したのがそもそも文明ではないのだろうか? お金とか権力とか名誉だとか、そんなものを勝手に生み出しといて独り占めしてあたかも生物としての人に重要な物事だと宣伝するのだ。全くおかしいものだが、それを独り占めしている側の私が言っても空しく響くだけ。


「なんだか、楽しく、なってきましたっ」


 そんな気取って憂いて見せている私の横では、ローレライの彼女が鼻歌を歌いながら残りの生地を押しつぶしたり丸めたりしている。結構な力仕事なのだが、そこは魔物。汗一つ掻かず涼しそうな顔だ。彼女たちにはそういったものはないのだろうか? 


「アリア……ちゃん」


「もう今日はアリアちゃんでいいですわ」


「人には人の、私たちには私たちのしがらみってものがあるんだよ。みんな自分にないときは、遠くにあるときは綺麗に見えるの。だから目が眩む。水面が黄金色に輝いても、そこにあるのは透明な水だけなのに、ね」


「………………」


 さっきよりは少しスローテンポな鼻歌を歌いだした彼女は、一度もこちらを見ることなく言い切った。叱る様にでも、諭すようにでもなく、ただそれはそうなんだとどこか諦めたように。こういう時、彼女の過ごしてきた年月というのを嫌というほど思い起こされる。彼女はこう見えても私のお婆様のお婆様より昔から生きているのだから。



 適当に四分割された生地の二つ目を伸ばしていたら、ドアベルがなった。はてさて、ダインとジークのどっちかしらね?


「遅くなりました、お嬢様。ハルキはどちらへ?」


「あら、ジークやっと来たのね。ハルキなら奥にいるわ。あなたも準備してさっさと手伝いに行きなさい」


「かしこまりました。では、失礼させていただきます」


 ジークは手慣れた様子で外套をかけ、タオルで全く濡れていない衣服を軽く拭うと調理場へ入っていった。いつも不思議に思うのだけれど、どうしたらあそこまで完璧に濡れないのだろうか? 


「ジークさん、何もいわなかったね」


「それは私が料理していることに関してかしら? どうせジークのことだから予想の範囲内だったのでしょうよ」


「そ、そうなんだ。……予想の範囲内って」


 ブツブツと年の功だのもしかして、サトリだの言っているが、ただ単に付き合いが長いだけだと私は思う。ジークとはそれこそ生まれた時からの付き合いですもの。もしかしたら、お父様よりも一緒にいる時間は長いかもしれませんわね。


「そういえばミュリー、お友達ってどんな方だったのかしら?」


「え? お友達?」


「ほら、ヤマガミ様になるきっかけになった内陸の。どうしたらローレライの貴女がそんな海とは離れたところの方と知り合ったか気になっていたのよ」


「ああ! そういえばそこまではいってなかったね。うーん、いろんな名前があるけれど、人間に一番有名なのは……」


「ちょ、ちょっと待ったくださる? その方にはいろんな呼び名があるのかしら?」


「うん、そうだよ。といってもほとんどは人間が勝手につけたものだけどさ」


 思わず頭を抱える。自慢ではないが、私の交友関係は狭い。そして濃い。どのくらい濃いかというと、そこら辺の人に私の友人の名前を言えば十中八九あーあの人と分かるほどだ。おそらく、わからないのは二、三人くらいだと思う。あとは客員剣士だったり伝説の船長だったり侯爵令嬢だったり天才研究者だったり国の記録書に名前が残るような人がほとんどだ。ミュリーもこう見えてかなりの有名人だ。なにせ、去年開いた海上単独公演では船が集まるあまりここから向かいに見える島へと歩いて渡れたというのだから。

 そんな彼女の友人だから少しは覚悟していたが、いくつも名前がるというのはもうおかしい。だって、つまりそれほど多くの人と出会いながら討たれることなく、また、名前を付けられるほどの何かをその数だけ残しているのだから。

 スゥーッ、ハァー

 大きく深呼吸をして、肺の空気が全部入れ替わるのを意識しながら頭を切り替える。どうせ貴族の娘として生まれた時点で世間一般の普通な人生ではないのだ。ならば突き抜けてみるのも面白いかもしれませんわね。


「いいですわ。で、その方は何と呼ばれていますの?」


「えーと、たしか……ポセイドンだったかな」


 突き抜けすぎはよくないと思いますの。



 「ポセイドン」という名前には二つの意味がある。一つは海を創造したとされる神話の偶像。もう一つは実在する魔物、海龍のポセイドン。友達というからには神話の方ではなく、海龍の方なのでしょうね。

 なぜ魔物が神話に登場するような、しかも最高位に近い神様の名前が付けられているのかというと、その強大さ故である。姿かたちは変幻自在。矢はすり抜け、鎧は触れただけでひしゃげる。その魔力は天候すら操り、瞬きをする程度の労力で街一つを沈めるとか。たいてい伝説とされている海の魔物はポセイドンの別の姿にすぎないとも言われているらしい。


「貴女も凄い交友関係ね」


「といってもあの人は水そのものみたいなものだから。だから水辺に棲むすべての魔物は知り合いみたいなものだよ」


「知り合いと友達は違うでしょうに……」


「よし、最後のもできたよ。じゃあ私はこれを返してくるね」


 ボウルを持って奥へと歩いていく彼女を見送りながら、手渡された最後の生地を机に置く。まぁ、今は初めての料理を楽しむことにしましょう。




「あれ、もう伸ばすの終わったんだ」


「あら、ハルキ。そっちの方はもういいのかしら?」


「うん、あっちはもう大丈夫。ウドンはここで茹でちゃうから先に手を洗ってきなよ」


「このまま茹でる……のではありませんよね?」


「もちろん、これからできるだけ同じ幅で切っていくんだよ。こんな感じに」


 いつも見る包丁とは違うまるでノートのような四角い包丁で持って、私が伸ばした生地を折りたたんで切っていくハルキ。切られたものを見れば、なるほど確かに同じ幅のように見える。定規も使わないのにどうしてできるのかしら?


「私もやってみていいかしら?」


「えっ? あー、でも一応刃物だからなぁ。いや、でも歯は潰してあるから。でもでも万が一ってのもあるし」


 否定に否定を重ねながら考え込むハルキの顔をじっと見つめる。ハルキは一度考え込むと周りが見えなくなるから、私には気付かない。気付いてほしいような気付いてほしくないような複雑な気持ちだけれど、今はそれでいいと思う。


「とりあえず、ジークさんにも聞いてみようか。だったらこれも持って行った方がいいよな。ちょっと待っててね」


 ノート包丁を持って奥に行くハルキ。


 私は、彼のことが好き、なのだと思う。



 でも、それがどう好きなのかよくわからない。友人は人を好きになると、胸が苦しくなるとか、抱きついて離れたくないとかいうけれど、それとはちょっと違う。ハルキの傍にいると懐かしいような、暖かいような、春の木漏れ日のような気持ちになる。もしかしたら、私は彼に父親を求めているのかもしれない。でも、それはそれでいい。私のこの気持ちは、人から見れば恋とは言えないものかもしれない。でも、私はこの気持ちに「恋」という名前を付けてあげたい。そして、いつか実らせてみたい。

 ハルキはどうなのだろう?

 好きな人とか、恋はしているのだろうか?

 ハルキはここに店を開いて、どっしりと根を下ろしているように見えるけれど、どこか人と距離を保っているように見える。休日は毎月決まった日に。料理はどんな日でも同じ味になる様に。変わらぬ様に、いつものようにと努力しているけれど、それはふといなくなってしまうのを自制しているようで。まぁ、もしいなくなったならどこまでも追いかけてみせますわ。




 二つのテーブルをくっつけたその上には、いくつもの料理が乗っていた。テンプラの盛り皿、フライの盛り皿、温野菜のサラダと、茹でたササミらしいものが乗っているグリーンサラダ。椅子の前にはそれぞれウドンかご飯が用意されていて、ちょうどハルキがソースを持ってきたところだ。


「はい、これでおしまいだよ。じゃあ食べようか」


「「今日という日に感謝を」」
「いただきます」
「森に感謝を」
「ル・ルイズ・シスタ」


 ばらばらの祈りを捧げて食事が始まる。いつきいてもハルキの祈りは変わっていると思う。以前、本人になぜルーベル式の祈りじゃないのか聞いたところ、特に拘りはないけれど、習慣みたいなものだからと言っていた。未だに彼と同じ祈りを捧げる人を、私は見たことがない。


「テンプラは食したが、フライというのは初めてだ。これはこれで旨いな」


「エビのフライ好きなんだけど、ここでしか食べられないんだよね」


「このテンプラというものは私でも作れますかな?」


「じゃあ後で作り方を書いておきます。大丈夫とは思いますがほかの人にはあまり教えないでくださいね」


「んーそのウドンも美味しそうです」


「僕のでよかったら食べてみる? これにつけて食べるんだよ」


「ん……美味しいです、コレ。結構モチモチしてるんですね」


 地位も性別も種族もバラバラな食卓だけれど、みんなが笑顔という共通点があった。




願わくば、この暖かさがいつまでも続きますように。



[29510] 10 餅つき前編
Name: 刺身醤油◆0eb0283e ID:d02909ab
Date: 2012/05/03 21:03



日本全国津々浦々。同じ材料同じ味でも、形や由来が異なれば他地域の名産になるわけで。




10『餅つき前編』



「お手伝い募集?」


 凛とした涼やかな声に訝しげな気持ちを乗せた言葉が、人のいないひっそりとした店内の空気をゆっくりかき混ぜる。流れることを嫌うこの雰囲気は大きな粘性でもってそのうねりを受け止めていた。それは静かな水面に小石を投げ入れたかの様で、変化ではあるが異変ではなかった。


「私のみたところ、マスターだけでも十分に店をやっていたようだけど」


「まぁ、今まで通りに店をやっていくのは僕一人で十分ですよ」


「じゃあ、何か新しいことでも始めるのかい?」


「そうといえばそうですが、多分、想像してるのとは違うと思いますよ」


 少し大袈裟にお茶を啜ってイダガスティアさんの思考が終わるのを待つ。今は営業中だけど、ランチには遅すぎるし、ディナーには早すぎる時間、つまりは暇な昼下がりだった。退屈は心を殺す。いつもは他のお客さんから聞いた噂話や、店内での出来事、王宮での話なんかが話の種になるのだが、今日は僕が作った求人広告がそれだった。


「お手伝い募集。賃金60ラグ、時間朝から昼、昼食は提供。場合によっては定期雇用あり。朝から昼なんて一日の四分の一もないのに、この賃金は出しすぎじゃないか? 半額にしても人が来ると思うよ。いや、それともそんなに手間のかかる料理、ということか」


「ご名答、さすがです。お手伝いなんて書いていますけど、つまりは僕一人じゃできないことを頼むってことですから。お手伝いだから難しいことではないんですけど、少し力がいるもので」

 あははは、と乾いた笑いを添えてイダガスティアさんに応える。

 この世界では、1ラグあれば焼き立てのパンが買える。それを基準にすると貨幣価値は大体百分の一くらいかな。けれど、平民の所得は高くないというか物価が安いというか、あまりお金は必要ない。お金がなくても物々交換で何とかなる店も多いのだ。港区なんて特に顕著だね。流石に貴族が行くような格式ばったお店では無理だけど、僕ら平民からしてみればそんな機会は憂慮する必要もないだろう。

 もし純粋に金の支払いで暮らすとすれば、親子四人家族だと一月に600ラグあれば贅沢しなければ過ごすことができるはずだ。払う賃金はそれの十分の1だから、払いすぎっていうのもあながち間違いではない。というかイダガスティアさんの意見が、当たり前だが、一般的だ。しかも、就労時間は三時間くらいだし。


「君に誉められるのは嫌いじゃない。それで、どんなものを作りたいのかな?」


「えーとですねぇ」


 視線を年季が入った天井に移し、自分の考えを丹念に咀嚼する。僕とイダガスティアさんに共通の価値観がある事柄ならば簡単なんだけど、日本の料理についてはそれが望める筈もないのでわかりやすく、かといってかけ離れないように説明するのは意外と難しいのだ。でも料理だからまだ楽なんだけどね。うっかり日本語で諺を使ってしまったときは説明が大変で大変で。僕だって故意でも無しに犬に自然と棒が当たるとは思わないさ。


「まず白色です」


「ほうほう」


「味は無くて、自分達で好きな味付けができます」


「色々な味が楽しめるのか」


「出来立ての熱々でうにょーんと伸びます」


「う、うにょーん?」


「うにょーんです。それと冷えたら固くなりますが、食べるときには焼いたり茹でたりします。そしたらまたうにょーんと伸びます」


「うにょーん」


「お腹に溜まるので、ご飯がわりになりますね。イダガスティアさんくらいに体を動かす人ならオヤツでも気にはならないと思いますが」


「うに……ゴホン、あぁ、運動は大事だからな。この前知り合いの研究者が腹が摘まめると泣きついてきたよ」


 私は騎士団の練習に誘ったんだがね、丁重にお断りされたよとイダガスティアさんは続けるが、研究者にそれははっきり言って厳しすぎると思う。大の大人でさえ貴女の訓練は異常だと有名なのに。

 それにしても体重か……。僕は男だからよくわからないけれど、たぶん女の子的には一大事なのだろう。昔、アリアにここのお菓子が美味しすぎるのがいけないって怒られたし、どの世界でも乙女の秘密というものは余り変わらないようだ。

 少し冷たくなったお茶を飲んで、件の求人広告を読み返す。求人広告というものは、ここではあまり珍しくはない。もちろん、一流の看板を掲げるお店なんかは紹介状などが必要だけど、絢辻屋のような小さなお店ではしばしば行われることだ。例えば奥さんがおめでたで人手が足りないとか、怪我で配膳に支障が出るとか、春になると郊外の農家から種蒔きの募集がギルドを通じて町中に知らされたりする。子供のお小遣い稼ぎにもなるし、未熟な冒険者や旅人にも渡りに船なのだ。


「それで、何時なんだい?」


「とりあえずは次の定休日だけです。店には出せないだろうなぁとは思ってはいるんですが、一度くらいは実際に作ってみようと思って」


 壁に張ってあるカレンダーを指差しながら答える。次の定休日は三日後。それまでに見つけなきゃいけないんだけど、見つからなければ延期すればいい。だってこれ、趣味みたいなものだし。材料も特に腐るものはないので、なんなら次の収穫期にもっと新鮮なものを入荷したっていい。

 飲み終えた湯呑を水に晒しながら時計を見るとそろそろアカデミーが終業する頃だった。学生の群れというのは、水棲生物の群れとかマッシヴ軍団とかよりかは清々しい爽やかな気持ちがするけど、最近その溌剌さが辛い。……僕も、ついにそっち側になったのかぁ。


「それは都合がいい。明後日から休みを取ることになっていたんだ。グレゴリオ宰相からも少しは休むように言われていたし、無為に過ごすよりは楽しそうだ」






 定休日。どうしてこうなった。今日のことはイダガスティアさんとアリアにしか教えていないのに。


「おはよう、ハルキ。何だか大事になりましたわね」


「「「我らにおまかせを!」」」


 可憐な少女となぜか上半身裸の変態×3にエンカウントした!


 店主は現実から逃げだした!


 しかし回り込まれてしまった!!


「失礼ですわね……力がいるというからわざわざ連れてきてあげましたのに」


「アリアの気持ちは十分に分かってるけど、あまりの濃さに体が……」


「それだけ愛されてるってことですわ。誇りなさい」


 そう言われたら何も言えないじゃないか、アリア。とりあえず力仕事に最適な人物はこれで確保できたわけだ。準備を始めるとしよう。マッシヴに頼んで裏庭の物置からアレを取ってきて貰おう。アレもう少しで炊き上がるから今のうちに水の準備しておこうかな。

 なんやかんやで用意したのはとても腕が回せない程大きな丸太をすり鉢状にくり貫いたものと、水を張ったボウル、柄が長い木槌、ベリー、大豆を挽いた物と砂糖を混ぜたもの、餡子、砂糖、醤油

 そしてメインは


「それは米かしら?」


「ほぼ正解。正確には白米って名前みたいよ」


 炊きたての白米を臼の中に投入する。いつも使う米よりやや小さく、香りも違う。これを見つけるのが長かった。具体的には、四つの季節が巡るくらいだ。お米の存在を知ったときから在るとは思っていたけれど、何せ白米なんて名前だったのだ。もちろん、僕が一般に知っているこいつの名前は『白米』なんかじゃない。僕が知っているこいつの一般的な名称は『もち米』だ。

 もち米。言うまでもなくお餅の材料である。昔は大晦日前におじいちゃんの家で餅つきをしたものだ。それにおはぎや団子などの材料にもなる。今も団子はお店に出しているが、それは米粉で作ったものだ。これはこれで好きだし固定客もついているが、やっぱりモチモチ感は物足りない。それにおはぎや桜餅も食べたい。柏餅は柏があるかわからないから我慢だけど、とりあえずこの『もち米こと白米』のおかげで作れる料理は一気に増えたのだ。あー、おこわもいいなー。

 だが、もちろん問題も多い。だが、それを考えるのは後にしとこう。美味しいものを食べればいいアイディアだって浮かぶはず、たぶん。

 それにしても、もち米は普通のお米と違い炊く前から白みが強いといっても白米はないだろうと思うのは、やはり僕がまだこの世界に染まっていないからであろうか。


「で、お手伝いは何をすればいいのかな?」


 唸りながら杵でもち米を捏ね潰していると、イダガスティアさんが目を輝かせながら聞いてきた。料理をするからと言って捲られた袖から見える引き絞られた弓のような腕が眩しい。髪も料理をすることに対しての配慮か後ろひとつ結び、有り体に言えばポニーテールにしている。冬の峠は越したといってもまだまだ寒いのにそんなに肌を出してよく平気だなぁ。


「今から僕がこの杵で餅米をつ…叩きます。均一に叩くために適度なとこでひっくり返して下さい。あ、手に引っ付くので水で濡らしてから触ってくださいね。じゃないと火傷しますよ」


「了解した」


「それと、ある程度同じ間隔で叩くように頑張るので間違っても叩かれないように注意してくださいね」


「ふふっ、それは私に対する挑戦かな?まぁ、君がもしできると思うのならやってみるといい」


 まるでレベル一の勇者を目の前にした魔王の様に口を歪めてイダガスティアさんは笑う。なにそれ怖い。主にその笑みが怖い。 でも、僕も男だ。その挑戦受けて立とうじゃないか。


「じゃあ行きますよ? せーのっ」





「はぁはぁはぁ……んっぜ、はぁ……はぁはぁ」


「全く、何をムキになっているのだか」


 返す言葉もありません。というか喋るのも辛い、喉が焼けるようだ。そもそもただの飲食店の店長が現役の武人、それも対人では最強の誉れ高い人に体力勝負で勝てるはずないのだ。それは十分に分かっているし、そこで閃く特別な力なんてものが無いことも重々承知だ。だが、それでも戦わなきゃいけない時があるのさ、男には。

 中々整わない自分の呼吸に四苦八苦しつつ、アリアがくれたタオルで汗を吹く。すーはー。アー疲れたよもう。腕の感覚がなんかぼんやりとしているよ。これは絶対明日筋肉痛だよ。……明日に来いよ?

 深呼吸をして息を整えながら臼の方に目を向けると、マッシヴが雄叫びを上げながら杵を振るっていた。杵を振るうのがマッシブなら、餅を返すのもマッシヴだった。まるで昔話で出てきそうな光景だ。タイトルは『鬼の餅つき』。節分で傷ついた鬼を介抱してあげたお爺さんのために、鬼エキス入りの餅をつく話なんてどうだろう? っておい、これには鬼エキス入ってないだろうな? 確かに体力も力もないのは自覚しているけれど、そんなエキスはいらないです。


「ところで、あれはいつまで続ければいいですの? バッカさん達はハルキの為なら一昼夜でも任せろって言ってましたけれど」


「あー、アリアから見るとどんな感じだった? まだお米の形が残ってた?」


「そうね……お米の形はほとんどなかったわ。そして棒に引っ付いて伸びてたわね」


 それならもう大丈夫だろう。早くてもそれはそれで美味しいし、冷めて硬くならないうちに次の段階に行った方がいいはずだ。熱いと厄介だが、固まった餅をどうにかするのも大変なのだ。居間に正座して包丁に全体重をかけて切り餅を作るなんてもうやりたくないよ。それに今回作りたいのは熱いうちじゃないと駄目なのだ。


「じゃあ家から容器を持ってくるとしよう。これからの作業は家の中でするからアリアも一緒に行こうか」


「……えぇ、そういたしますわ。しっかりエスコートして下さる?」


 つっと白磁の右手をゆったりとした動作で僕に向ける。緩慢ではなく、かといって性急ではなく。それはいうなればつまり、貴族たるものの気品に満ちた所作だった。恭しくを心掛けてそっと彼女の手を握る。触れたその瞬間にちりと電流が走り、彼女はわずかに身を強張らせたが、それを掻き消すようにしっかりと僕の手を握り返した。落ち着かせるように笑みを浮かべて彼女を見つめれば、怖がったのを馬鹿にされたと思ったのか顔を真っ赤にさせて伏し目がちに僕を見つめ返した。年頃の女子は異性との接触に特に敏くなるし、妹がいる僕からすればそれは体験した過去の出来事だ。だから何も気にすることは無いと思うのだが、こういうことは言葉にするのは難しい。思いを違えることなく相手に伝える方法でもあればいいのに。



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