○月×日。
今日の授業は二限だけ。
学生食堂で昼飯を食べてから帰ろうと思ったけど、あまりの混雑に煩わしさを感じて結局コンビニでおにぎりを買って家で食べることにした。食堂が込み合ってるのは高校でも大学でも変わらない。でもそれ以外は結構違う。大学に入ってからはほとんど宿題もないし、出席もとらない。結果、勉強量もずいぶんと少なくなった。
でも俺にはそれがいいことなのかどうかはわからない。だって今の暇を持て余した若者がすることなんて、基本的に飲み会かバイトのどっちかなのだから。
コンビニを出て五分ほど歩くと、二階建ての木造建築が目に入る。この倒壊間近のぼろっちい建物の名前は花祭荘。
花祭荘は、冒険家という胡散臭い仕事を生業としている根無し草の親父が日本に残していった唯一の遺産(生きてるけど。たぶん)で、書類上は俺のものになっているらしい。といっても敷金含め賃料がただ同然のこのボロ物件で出る利潤なんてほぼ無に等しい。むしろ維持費でマイナスに達する月もあるくらいだ。
白い塗装が剥がれ、傷口のような赤銅色がのぞく階段を上る。このアパートの中でも最も日当たりの良くないカビ臭い部屋が俺、花祭右京(はなまつり うきょう)の住処だ。
「主(あるじ)、帰ってきたのか」
「おう、今日は大学が午前中で終わりだからな」
鍵を開け、中で俺を迎え入れてくれたのは一人の少女。
結い上げられた白い髪の毛にかんざしを挿し、藍色を基調としつつも所々に椿の花が顔を見せている着物を身に包んでいる。その姿は妙に気品があり、このおんぼろアパートには不相応に見えた。
「うわ、窓ぐらい開けろよ。カビ臭いだろ」
朝、小雨が降っていて部屋の中に洗濯物を干しておいたので、部屋の中は相当湿度が高く、独特のにおいが充満している。じめじめして気持ちが悪い。
「ん? ああ、すまんな。余も今帰ってきたばかりばかりでの」
「ならいいけど。でもホントこの部屋日当たり悪いよな。今度、煎餅の中に入ってるやつばらまいとこう」
「その程度でどうにかできるとは思えないの」
自分で言っといてなんだが、たしかにその方法では無理だと思う。
「じゃあ今度管理人さんに部屋替えてもらえるように交渉するか。俺ならそんぐらいの融通効くだろうし」
このアパート自体は俺のものなのだが、学生と管理人の二足の草鞋は無理があるため親父の知り合いを管理人の仕事を頼んでいる。融通が利くというのは、そういった理由もある。
「むむ、余はこの部屋が気に入っているぞ。別の部屋は勘弁願いたい」
俺的ナイスアイデアなんだけど、こいつは渋い顔。
「おまえはここにいればいいだろうが。俺だけ別の部屋に行けばいいし」
「いや余は立場上、主の部屋にいないとダメじゃし」
「知るかよ」
「でも……」
わがままだなこいつ。
「わかったわかった。おにぎり一個やるから」
「余が食べ物で懐柔されると思うな」
「で、どれがいい」
「梅干しで」
「オッケー」
俺はシーチキンと昆布。もちろん飲み物は水道水。
正直おにぎり二つじゃ足りないけど、給料前なので我慢しなければならない。やっぱり人混みを我慢して学食で食べればよかった。
「……ところで主」
「なんだよ。俺の分はやらないぞ」
「いやそうじゃなくてじゃ。これ本当に握り飯なのか? 妙につるつるしてるのじゃが」
「そりゃそうだろ、開けてないんだから」
「開けてない? よく余には分からん」
「……貸してみ」
「ん」
フィルムをきれいにはがして返却。後はかぶりつくだけの簡単クッキング。
「す、すごいの。人間めちゃ進化しとる」
驚くこいつに驚いた。
「おまえ相当古いやつだな。コンビニのおにぎりぐらいで」
「おなごに古いとか言うな。閉経しとる老女じゃあるまいし」
「なにその嫌すぎる表現」
「余は古いのではなく、ただ世間知らずなだけじゃ。それに大体余、身体は十代じゃぞ」
「むしろ一桁?」
「そこまでロリくないわ。胸だってちゃんとあるじゃろ」
「いやなかったら怖いから。授乳器官がないとか少なくともほ乳類じゃねえだろ」
「……そういう意味じゃないのじゃ」
「そういう意味じゃなくても、おまえの胸は膨らんでないから」
「んなことないわ! 膨らんどるわ! ちょっとばっかし小さいだけで!」
「はいはい無乳無乳」
「ぐぬぬ……」
なんかふてくされてしまった。端っこでうずくまっておにぎりを小さくかじかじ。俺はその場で大きくかじかじ。部屋の中に海苔のパリパリとした音が響く。
「ふぐ」
俺がシーチキンを食べ終わり、昆布に取りかかろうとしていたとき、なぜかこいつはおにぎり半分ほどで口の動きを一旦停止させた。
「ふぐ? んな高いもん食べれるか」
「そ、そうじゃな」
「ああそうだ。でもそんなに梅干し酸っぱかったのか?」
「き、気づいているのなら気づいていない振りをするべきじゃが」
なかなか難しいご注文を。
それにあんだけ涙目になってれば誰だってわかるって。
「つうか梅干し苦手なら選ぶなよ」
「昔はちゃんと食べれたんじゃもん。今は単に刺激物に味覚が慣れてないだけじゃもん」
「よくわからんけど……。俺の昆布と交換するか」
「……うん」
正三角形を半分に割って直角三角形にしてから渡す。
「うまいか?」
「うむ。これは悪くない。梅干しのように刺激の強いものは苦手じゃ」
「梅干しもうまいけどなぁ」
こんな感じで昼食終了。今日はバイトがないのでこれから一日ゆっくりできる。サークル? んなもん入ってねえよコミュ障なめんな。
「それでさ、学校から帰ってきてずっと聞きたかったんだけどな」
ごろごろとマンガを読みながら寝転がる着物少女にそう切り出す。
「なんじゃ、主」
「おまえ誰よ?」
俺は勝手に家に入り込んでいた少女に尋ねた。
◆◆◆
この十歳(くらい)児は座敷童子。ではなく、俺が住むこの花祭荘の付喪神だという。つまりこいつが俺のことを主(あるじ)と呼ぶ理由は、ここの所有権を俺が持っていることにあるってわけだ。
それにしても貧窮した生活を送っている俺としては、付喪神よりも座敷童子であって欲しかった。クラスチェンジとかできないんだろうか。
「できるわけないじゃろ」
「なら座敷童子じゃなくて、貧乏神でもいいから」
「? なぜに貧乏神なのじゃ?」
「俺以外の人間皆が貧乏になれば相対的に俺が金持ちになるじゃん」
人に優しく自分にもっと優しく。無理なら他人を蹴落とせぶっ殺してでも這い上がれ、というのは母の教え。教育者としては最低の部類だと思う。
「……なかなか最低な思考回路をしておるの」
「でもそれが勝利の秘訣だぜ」
「なんの戦いじゃ……」
「人生」
「主は厭世観にまみれまくっておるの」
「これまで色々あったからな。親父はアフリカで死んだし、ジジイもこの前ガンで死んだし」
「…………そうだったのか。そんなことを言わせてしまってすまん」
そう言って女の子はしゅんとする。
「別にいいぞ。両方ともただの願望だし」
「願望?! なにそれ嘘なのか?!」
「はっはっは、そんな暗い過去が俺にあるはずないだろ。爺なんてもう百歳越えてもピンピンしてるぞ。いやむしろ年甲斐もなくビンビンしてるわ」
「唐突な下ネタはやめい」
言って少女は呆れ混じりにため息を一つ。こうして幸せが逃げていくのだろうか。
「幸せが逃げていくのはすべて主のせいじゃからな……。それよりも主は驚かんのじゃな」
「ん?」
「余みたいな神がいることにじゃ。それにふつうの人間だったらそんなことを戯言をいう童子などすぐに追い出すじゃろ」
「それどころか知らないガキがいても、さも当然のように会話を繰り広げてたもんな」
「……驚かしてやろうと思ったのに全く動じなくてこっちが驚いたぞ」
「俺も驚いたぞ。まさか昼飯のおにぎりが一つとられることになるとは」
「余の存在ってその程度の驚きなのか……」
「お前が付喪神だったってことも合わせると二個分だな」
さらにため息。この部屋にまた一つ幸せが増えた。この調子で世界中の人々がため息をついたら、世界中が幸せで満たされたりしないだろうか。
「しないから。……主人に対して言っていいのかと迷うが、主の頭はちょっとおかしいのではないか?」
「まあ伊達に頭に花がついているわけじゃないからな」
頭にお花畑、「花」祭右京です。
「主は全国の花田さんや花村さんに謝るべきじゃ」
「じゃあ今日からおまえの名はフラワーフェスティバル花祭な」
「唐突に話題を変えるでない。というよりそれ絶対悪意込めてるじゃろ。バカっぽいとかそんなレベルじゃないぞ、どこの芸人じゃ」
「ではフラワーフェスティバルにしよう」
「一番嫌な要素だけ残った?!」
そして色々検討した結果、この娘の名前は「祭」になった。この面白味のない名前からわかるとおり、俺の意向は完全に無視されてしまったのだ。残念。
「しかし祭か……じゃあ名字は花祭だな」
「断る」
「花祭祭、いいじゃないか。祭が二つもある」
「いらんから。一つでいいわ」
「じゃあ花祭々で」
「余の名前は?! まさか『々』なのか?!」
「ダメか」
「ダメじゃ! そもそも人ですらない余に名字まではいらんじゃろ、呼称があるだけで十分じゃよ」
「でももし俺と結婚したら強制的に花祭祭になるぞ」
「……主とは絶対に結婚せんことにした」
「してくれよ。花祭がイヤなら、俺の名字をフラワーフェスティバルにするからさ」
「せんから。勝手に一人でしておれ」
「了解」
こうして花祭右京(はなまつり うきょう)改め、フラワーフェスティバル右京が誕生した。
「……それでいいのか、主」
またため息が一つ。こうして俺は幸せになっていく。
「そんでなに? おまえ今日からここに住む感じ?」
俺と祭の出会いから三時間。それまでテレビ見たりマンガ読んだり雑誌読んだり――とそれぞれ好き勝手過ごしていたんだけど、俺はふとこいつの処遇について考えなければならないということに思い当たった。
ラブコメ的お約束展開な冒頭部分だっただけに、このままではこいつと嬉し恥ずかし同居生活が始まりそうな予感。
「うむ。余は主を主と認めておる。つまり余は主の側にいなければならない義務があるのじゃ」
つまり俺に祭の扶養義務が発生ししてしまう予感。
さらにそれは、ただでさえ今月厳しいお財布の中身がすっからかんというボーダーラインを超えて、マイナスの向こう側へ行ってしまいそうな予感!
「よしおまえ出ていけ」
「もちろん主は――ってなに?! 名前まで一緒に考えておいて余を追い出す気?! 話の展開的にすんなり受け入れるのが世の常じゃろ?!」
そんな世の常は糞くらえだ。俺は日々わずかな預金口座で、世界と戦い続けてる聖戦士なんだよ、おまえみたいな貧乏神以下の役立たずに構っている暇は一瞬たりともねぇ。
「いや主今さっきまでテレビ見てたじゃろ! てかさっき結婚するととか言ってた割には冷たすぎないかの!」
「心を読むな。残念ながら俺も生活があるんだ、おにぎり一個ぐらいならともかく、三食毎日食事が必要なペットを飼うのは厳しい」
「神をペットとか言うでない」
「似たようなもんだろ。それともあれか、おまえマネーをクリエイトできるような特殊アビリティ持ってんのか」
「と、とくしゅあびりてぃ?」
「能力のことだよ。神様なんだから空から札束降らしたりできないのか?」
「む、無理じゃ。そんなこと一介の付喪神にはできん」
「じゃあなにができるんだ」
「……えっと、ラ、ラップ音とかなら得意じゃ……よ?」
「そう簡単にラップで金稼げるかコラァ! エミネムかJay-Z並になってから言えや!」
「それ違う、違うラップじゃから」
まあどっちにしろ役に立たないことは明白なわけで。
「他には? マジな話、とりあえず単純に食い扶持が一人増えるわけだから、金が必要なんだよ」
「むむむ……」
腕を組んで眉間にしわを寄せる祭。だがすぐにそれは悟ったような、表情へと変わる。
「これも生きる為……仕方ないの」
そう言って、祭は着物を帯をするすると外していく。着物の帯って自分でははずせないくらいにきつく絞めるって聞いたことあるけど、どうやら神様仕様の着物は違うらしい。
そうして藍色の着物を脱ぎ捨てた祭は白い長襦袢姿になる。でもティーンエイジャーにも達してるか微妙なラインの襦袢姿ロリータなんて、これっぽっちもエロスを感じなかった。つまり俺はロリコンではない。QED。
「これでどうじゃ!」
「流石に児童売春させるのは……」
「違うわ! 余がそんな貞操観念のない淫らな真似をするか馬鹿者!」
ものすげー真っ赤になって怒られた。つか急に脱ぎだしたら正常な男子はえろいことすると思うだろ。
「……ったく……ほら主、これを質屋に持っていくがいい。それなりの値段になるじゃろう」
きれいに折り畳んだ着物と帯を差し出す祭。つまり、これを売ってその金を生活費に入れろ、ということらしい。
「……いいのか? それ結構高そうだけど」
「高価なものでないと生活費になる程の額に至らんじゃろ」
「そうだけどさ……」
でもここまでされるとなんか心苦しい。どんだけおまえは俺と同居生活を送りたいんだという。そんなフラグ立てた覚えないのに。
「ええぃ煩わしい! 主が金が足りんと言ったのじゃろうが! だから余は主が余を養うための金を用意したわけじゃ! なにがおかしい! さっさと質屋に行ってこんか!」
そういうわけで祭は正式に花祭荘の住民となった。
ちなみに着物はゼロが六つ並ぶぐらいの値段で売れ、折角だったのでその金で祭のために、売ったものと似たデザインの新しい着物と帯を買ってやった。本人もそれなりに気に入っているようなのでなによりだ。
「で、生活費は?」
「着物と帯でプラマイゼロ」
「……本当に馬鹿じゃろ」
結局管理人さんに工面してもらいました。
ハードディスクの奥底に眠ってたものをちょいと改訂したもの。
書いた当時の全く記憶がないし、これ以上話を続けることができるのかさえ未定。
2011.09.14 改訂