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[29737] 試される大地【北海道→異世界】
Name: 石達◆48473f24 ID:a194d791
Date: 2012/11/29 01:19
一度削除した身の上ですが、お騒がせしてすみません。

削除した後に、何で趣味で書いているのに他人の意見を気にして消さなきゃならねーんだと思ったら、イライラしてきたので全面改訂しました。
(後半部分のストーリー改変はあまりありませんが…)

2011年の夏ごろから50話位書いてたのですが、改定後は1話を1万~2万文字に纏めたので大幅に話数が減りました。
まだまだ話は続きます。プロット上、今の3倍くらい長さがあるので完結は数年先かもしれません。

削除前より話が進んだんでage投稿させていただきました。

なろうにも投稿してます。



[29737] 序章
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:05
序章


ある大陸の片隅で、空に向かって黒い筋が何本も昇っていく。
その筋をたどってみると、そこにはいくつもの集落が燃えていた。
太古より人間と亜人との小競り合いは幾度となくあったが、今回のそれは規模が違い、何より徹底していた。

「くそ!なんだというのだ人間どもめ!そこまで我らの土地が欲しいのか!」

逃れてきた東へと向かう難民の中で、ドワーフの族長が激怒していた。

「どうやら奴らは徹底的にやるようです。
先ほど合流した部族の話によりますと、降伏した者、落伍した者、すべてを斬り捨てているそうです。」

あちらこちらに血のにじんだ戦士の一人が答えると、族長は奥歯を噛みしめ、そして呟いた。

「戦に敗れ、海峡の向こうに逃れるための舟を造らせているが、奴らが来るまで間に合うかどうか…
なによりこの人数を海峡の向こうの部族が許容できるはずもない。
逃げた先でも戦いは避けられぬか」

「…」

族長の消沈した声に何も言い返すことができなかった。
逃れた先でも戦が待っている。
それも、こちらは人間との戦で消耗しきっていた。
まず、勝ち目は無いだろう。
そんな絶望の中、一つの声が響いた。

「族長!」

「なんだ?」

「先ほど合流した部族が、付近の森で妙なものを見たと」

「妙なもの?」

「はい。何やら古い神殿のようだったと」

「こんな所にか?」

「ここいらに住んでいた部族の話では、その森には精霊が住んでいるという伝承があり、普段は聖域として出入りが禁じられてるそうです。
神殿は、その精霊のものかと」

「精霊…どのような精霊かわかるか?」

族長は縋る様な思い出部下に尋ねる。
だが、部下もその詳細までは知らないようだった。

「さぁ そこまでは…」

そこまで聞くと、少々の沈黙の後、族長は走り出した。

「そこに案内しろ!いそげ!時間はないぞ!」

「ええ!?でも、海峡を渡る準備は?」

「任せる!もし俺が戻らない場合は、先に出発しろ!」

そこまで伝えると少数の供を連れて族長は森に入っていった。
深い森の中、一行は走った。
枝を払い、木々の間をぬい、けもの道を抜けると、男たちの前に古い建物が現れた。
木々の根に埋もれるようにして立つ石造りの建物がそれだった。

「族長。ここが例の神殿のようです。」

配下の男に先導され、一人の族長が前にでる。

「ここがそうか…
もはや精霊の気まぐれに縋るより道はない。
既に、帰る場所は失われたのだ。
さぁ!いくぞ!」

族長はそう言うと先陣を切って建物の中へと入っていく。
数名の部下を引き連れて族長が飾り気のない小さな建物に入ってみると、中は何もないホールだった。
周りを見渡しながら一歩一歩慎重に歩き、ホールの真ん中に立つと、力の限りの声で族長は叫んだ。

「おねがいだ!精霊よ!姿を現してくれ!」

シーン…

何も起きない…

「精霊よ!我らの願いを聞いてくれ!」

もう一度叫ぶが、やはり同じだった。
何か変化が無いかあたりを探してみるが、ゴミすら落ちていない室内に一行は絶望感を味わいその場にへたり込んでしまった

「やはり無駄だったか…」

ため息が出た。
藁にもすがる思いでここまで来てみたが、徒労に終わったと感じたのだ。
そうガックリと肩を落とす彼らだったが、静かな室内に何かが聞こえる。


ザ… ザザザ…

「ん?何の音だ」

「ョ…ぅこ・・ソ イらっしゃいました。どのような土地をお望みですか?」

最初はかすれ気味だったが、やがてはっきりと人の声が聞こえる。

「精霊よ!伝承は本当だった!あなた様は実在したのですね!」

族長の男は歓喜した。目には涙も浮かべている。

「どのような土地をお望みですか?」

声は繰り返す。

「土地?精霊様は我らに土地をお与え下さるのですか!ならば聞いてください!実はつい20日ほど前になりますか、この一帯の亜人種に対して、いきなり人間どもが襲ってきたのです。
既に数々の集落が焼かれ、蹂躙された集落の者共は悉く殺されました。今!この時にも奴らの軍勢は迫っております。
仲間たちは海峡まで達し、船を作っておりますが、海峡の向こうには他の部族が既におり、争いは避けられないでしょう…
精霊よ!我らに新たな土地をお与え下さるのならば、鉱物に恵まれた誰も住んでいない土地を!その慈悲で与えては下さいませんでしょうか!
なにとぞ!なにとぞ聞き届けてくだされ!精霊よ!」

「…お望みの土地を承りました。これより召喚します。」

声が終わるとホール全体が輝き始めた。

「おぉ!これが精霊の力か!すごいぞ!おい!このことを皆に伝えるぞ!すぐさま伝令に向かえ!」

族長は歓喜し配下に向かって叫び振り返った。
苦しい状況を打開できる。
恐らくは後ろで聞いていた部下たちも喜びの涙を流しているに違いない。

そう思って族長は涙をにじませながら振り返ったが

だが、そこにいたのは配下の男ではなく

血に濡れた人種の兵士たちと男の死体だった。


「な!?」


驚愕する族長をよそに兵士をかき分けて、初老の貴族風の男が一人現れる。

「はっはっは!下等種にしては中々面白いことをやってるではないか」

「貴様ら、どうしてここへ!?」

怒りの視線を向けるが、その男は笑いながら答える。

「いやなに。これから海岸へお前らを駆除しに行こうと思ったら。嬉しそうに森に入っていくお前らを見つけてな
この状況下で何を企んでいるのか探ってみたらこの結果だ。」

「くっ!」

「精霊を使って土地を召喚とは実に面白い。おい精霊!俺の望む土地も出せるか?」

「条件にもよりますが、先ほどの召喚が終わった後なら可能です。」

精霊の声があたりに響く。
兵士たちは姿の見えぬ精霊の声に狼狽していたが、この貴族は肝が据わっているようだった。

「そんなもの無視しろ!俺に征服地として麦で黄金に染まる実り豊かな大地を与えろ!」

「召喚を変更しますが、何が起きるかわかりませんがよろしいですか?」

「くどい!」

その精霊に対し余りに不遜なやり取りに、しばし呆然としていた族長も男の願いの内容に我を取り戻した。

「キサマ!なんてことを!」

「礼を言うぞ下等種。おかげで我が領地が更に増えそうだ。
その感謝の印としてキサマを始末した後に、海岸の仲間も寂しくないよう一人残らずあの世に送ってやるさ」

男の言葉が終わると同時に、兵士の剣が族長に突き刺さる。

「ぐぅ…」

「さらばだ。下等種の長殿」

「ぐ・・ぅ…貴様ら全員…地獄に落ちろ……」

「はっはっは。
かまうものか!
地獄でもお前らを征服してやるから、楽しみにしておけ」

男が笑いながら族長の最後を眺めていると、不意にホールの光の色が赤に変わった。

「!! なにごとだ!」

「さ、さぁ?分かりません」

付近の兵士が混乱気味に答えるが、男がその兵士を殴りつけて言葉をつづけた。

「キサマらには言っておらん!おい精霊!どうなってる!?」

「召喚に成功しましたが、途中で召喚を変更した影響で想定外の暴走が発生しました。これ以上、施設の維持が出来ません」

「なんだと!?」

聖霊の言葉に驚愕の表情を浮かべる男。
男は聖霊に向かい何とかするように喚くが、聖霊からの満足の行く答えは無い。
いよいよ駄目かと思い、逃げようとした男が爆発に包まれる前の一瞬。
最後に瞼に焼付いたのは、血だまりの中で満面の笑みを浮かべる族長の顔だった。







…ドーーーーーーン



遠くの森で火の手が上がった。

「…族長…」

族長に海峡を越える準備を任された男が、悲痛な面持ちで、しばしその方角を眺めてた。

「戦士長様。舟の準備ができました。出発できます。それと気になるのですが…」

作業を終えた男の一人が、おずおずと声をかけてきた。

「何だ言ってみろ?」

「何と言いますか、先ほどより南方に見たこともない島影が現れたのですが、あれは一体…」

戦士長と呼ばれた男は押し黙りその方角を見る。

あれは、精霊の下に赴いた族長の仕業か…

なんにしろ他にこれ以上の選択肢はないか。
意を決し、男は船に飛び乗り皆に向かって叫んだ。

「さぁ 皆の者!南方を見よ!我らが族長様が精霊のもとに赴いた事により
あの島が現れた!すべては族長の導きの下にある!
人種に迫害されし全ての種族よ!船出の準備はいいか?
さぁ!行こう!新天地へ!!」


号令の下、人の波が動き出す。
南に見える、この世界の誰も知らぬ島へと。



[29737] 起業編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:06
   転移



西暦2025年8月

道東 北見市


石津拓也(27歳)名古屋でサラリーマンをしている男が、道東の一軒の家の前に立っている。
2年ぶりの帰省だった。
ただし、今回の帰省はいつもとちょっと違った。

「たーだいまー」

ドアを開け、家の中に向かって叫ぶと同時に、母が迎えに出てきた。
待ってましたと言わんばかりの笑顔で家から出てくると一瞬で俺から息子の武(1歳)を奪っていく。

「おかえり、よく帰ってきたね」

親にとってみれば、三人息子の中で初めてできた孫
その初孫を連れた帰省は、親のテンションをおかしくしているようだった。
おかえりと返事をしてはくれるが、それ以外はほぼ無視で孫に付きっ切りである。
まぁ初孫だからしょうがないかと思いながら二人の様子を眺めていると
後ろから拓也に向けて怒りの声が飛んでくる。

「あんた!ボケっとしてないで荷物下すの手伝ってよ!」

嫁がキレていた。
拓也としては1分程度ボサッとしてただったのだが、車から一人で荷物を降ろし始めたお嫁様はそれが気に入らないらしい。
短気な嫁は拓也がぼさっとしている事には非寛容だった。

「あー ちょっと待ってて。重いのは俺が下すから。」

甲斐性の無い夫は、肉体労働で嫁の機嫌を取ることにしたが、彼女にしてみればさも当然というように荷物を押し付けてくる。


彼女の名はエレナ。
ロシア人で、拓也の嫁でもある一児の母。
海外旅行が趣味だった拓也は、ロシア旅行中に彼女と出会った。
日本のヴィジュアル系バンドの大ファンだったのが切っ掛けで、大の親日家だったエレナと意気投合し、そのまま勢いで結婚。
その時に会社の同僚は、まだ若いのに人生の墓場へようこそ等と言っていたが
その意味に拓也が気付いたのは、彼の小遣いが2000円に制限された時だった。


話は戻るが、遠くはシベリア出身の嫁さんは普段は美人だが、怒ると表情がサタンの如し、たぶん視線で人を殺せる。
そんな視線を背中に感じつつ、内心冷や汗をかきながら車から荷物を降ろしていると、他の家族にも一通り初孫を披露し終わった母が玄関先まで戻ってきた。

「まぁ、疲れてるだろうから、二人ともゆっくり休んでてね。
もうご飯も用意してあるよ。」

子連れの長距離移動は疲れるだろうと察してくれてか母の声は優しかった。




一時間後



荷物を下し終えた拓也は客間で寝転がっていた。

「はぁー… 実家は落ち着くわ」

本当に落ち着く
子供は親があやしてるから大丈夫だし、嫁は疲れて寝たし。
俺も寝るかなぁ…
拓也は用意された部屋で大の字に寝転がりながら、そんなことを考える。
やはり、実家を出て何年たとうとも居心地の良さは変わらない
そんな事を思いながら、だらけていると
不意にドアをノックする音が聞こえた。


コンコン

「ん?」

誰か来たな?
ノックの後にゆっくり扉が開くと、母親がにゅっと顔を出す。

「拓也、ちょっと悪いんだけどさ。畑まで兄ちゃん迎えに行ってくれない?
今日はあんたらが帰ってくるから早く帰ってこいって朝言ったんだけど、
たぶんあのバカ息子は忘れてるだろうから」

申し訳なさそうに母が言う。

「えー。親父は?」

正直、めんどうくさい行きたくないので誰か他の人に行ってほしい
拓也は他に使える人間が無いのか尋ねるが、母は手を横に振る。

「今夜は武田勤の後援会に行った」

武田勤。北海道12区の参議院議員だ
ウチの一家は北見市長時代から彼の事を応援していることで彼とは親交があった。

「参院選が近いから?」

地元に選挙のお願いをしつつ、選挙資金にパーティ券をさばきに来たのだろう。
地場を固めて小選挙区で勝っていれば、比例の枠を使うことも無い。
それに地元民としても、こういった会合に出ていることは人脈の形成に有効だ。
まぁ 地元を既に離れて何年もたつ拓也にとっては、全く係わり合いの無い話だが…

「そゆこと。で、行ってくれる?」

拒否は許さんとばかりに迫りくる母。
多分、孫から離れたくないんだろう。はなから自分が行くという選択肢はないようだ。

「ん~ だるいけど… まぁ、いいよ。車かして」

そうして拓也は「仕方たねぇか・・」呟きながら気合を入れてから起き上がる。
見れば母の手には、さっさと行けと言わんばかりに車の鍵が準備されていた。






それからしばらくして
夕方の麦畑に囲まれた農道を、一台の軽トラが進む。
周りを見れば遠くの畑に麦作組合の大型コンバインが列をなして収穫を行っている。
内地の人間が見れば、コンバインの大きさに驚いたりもするのだろうが、北海道の農家に生まれた身にとっては
何のことは無い退屈な風景であった。
そんな暇なドライブの退屈を紛らわそうにも、軽トラなのでロクなオーディオもない
しかたないのでラジオで流行曲を聴きながらハンドルを握る。
そんな対向車のほとんど無い農道で、左右に過ぎ去る黄金色の波を傍目に運転していると、曲が終わって夕方のニュースが流れてくる。


『……次のニュースです。ロシアとの日本の共同で開発が行われている国後島沖油田の歯舞経由パイプライン完成しました。
パイプラインは新設された釧路の製油施設に接続され、我が国のエネルギー供給の一翼を担うことが期待されます。
これに伴いロシア側よりニコライ・ステパーシン氏が完成式典に参加。2島返還後初めてとなるロシア高官の来島となりました』


「おぉ やっと完成か。
ついに道東エリアに石油だよ。
しっかし、サハリン2の事があるのによく共同開発に参加したもんだわ。」

拓也はラジオを聴きながら率直な感想を漏らす。
期待と驚き半分で拓也が聞いていたラジオから流れてくる内容。
それは、国後島南東沖に眠る石油天然ガスの開発が遂に本格稼動し始めた事を知らせるものだった。
前世紀の大戦の結果、南千島はソビエトの手に落ちた。
その後、ソビエト崩壊のどさくさ等に何度かの返還の機会は会ったものの、四島一括に拘る日本は機会を逃し続け
そのまま永久に返還は無いかと思われたが、国後南東沖の石油開発に東アジア諸国の資本が手を上げる段階に至ってようやく二島先行・残りは追加協議という妥協を飲むに至った。
そもそもオホーツク海はロシア海軍の庭。
国後、択捉の返還は現実味が低かったのと、このまま座視していては本来は日本の国益のために使われる資源が、他の東アジアに流れることを危惧した政府の判断だった。
まぁ その妥結に至るまでは一括全島返還論じゃの厳しい批判があったが、もっとも現実的な判断であった。
そこまで妥協してやっと手に入れた地下資源。
これが北海道経済に良い刺激を与えることは疑いようも無かったが、それでも不安の材料はある。
それは、サハリン2の開発時にロシアは開発の資金を欧米と日本に出させ
施設が出来上がったとたんに利権を奪い、日本に供給するはずの天然ガスを中国に売りつけた前科があったのだ。
だが、今回は政府にも保険がかけてあった。石油開発の資金を日本側が持つ代わりに返還された歯舞、色丹。
その歯舞に処理施設を建設し、パイプラインを日本に引くというものであった。
歯舞群島の勇留島は、陸上処理施設と石油輸出ターミナルが整備され、志発島には石油備蓄基地が作られた。
さらに勇留島から伸びたパイプラインは、釧路に新設された精油所に接続され、道東に一大石油産業が整備されていった。

拓也は、そのニュースを聞いてしみじみ思う

これで、万年不景気の北海道経済が少し上向いてくれるといいんだがなぁ。地元が過疎って寂れるのはつらいもんがあるし。

そんな事に思慮を巡らせてると、軽トラは目的地の畑に到着した。
畑は広いが遮蔽物が無いため見渡しは良い。
見れば、迎えに来た拓也の兄は、自分の畑に入ってきた車から拓也が出てくるのを見つけると
作業を止めてすぐに駆けつけてきてくれた。

「おー すまん すまん。帰ってくるのすっかり忘れてたわ」

あまり悪いと思ってなさそうな笑顔で謝罪してくる兄
その顔をみて、どうしょうもないなと思いながら拓也は言う

「にーちゃん。どうでもいいけどさ、早くかえんべ。俺、腹減ったよ」

名古屋からの長距離移動の後、せっかく休めると思ったら兄の迎えに出されて少々不満がたまっていた拓也は兄に向かってぶーたれる。
その不満そうな様子を見て、さすがに申し訳なくなってきたのか

「そうすっか。ちょっと、まってろよ」

といって、おもむろに無線を取り出し、指示を飛ばす。

『HQから各機へ。俺ちょっと先戻るから片づけよろしくな』

若い農家は高確率でオタになる。
兄もその例に漏れていなかった。
それにしても各機なんて言って、なんかのゲームの真似だろうか。アラサーなのに未だに中二病的な思考回路が維持されている兄は、実の弟からみても実に痛々しかった。

『ザザ… 了解しましたマスター』

…はい?

拓也はすごい違和感を感じた。
兄が無線で帰ることを伝えると、すぐさま若い女の声で返事が来た。
てっきり相手は近所に住んでるオタ農家仲間のヒロキだと思ったのだが…
これは遂に念願の農家の嫁が来たのであろうか?
農家の跡取りの問題は実に切実な問題である。だが、親父もかーちゃんも今までそんなことは一切言わなかった。
拓也は一体何事かと兄に詰め寄る。

「…マスター? それと何?HQ?まぁ兄ちゃんが中二病をこじらせてるのは平常運転って事でいいとして
え?遂に兄嫁できた?それとも、女の子雇って遊んでんの?」

眉を潜めて兄貴をじっと見る。
兄嫁フラグであれば嬉しいが、妙に金のある本家の跡取りとして農家をやっているこいつの事だ。
最悪、バイトで雇ったねーちゃんと遊んでいる可能性もある。

「いやいや。遊んでねーよ。それに人雇ってもいねーし」

こんな言い訳をしているが、では兄嫁だろうか…
でも、兄貴の事をマスターとか言ってる女が親戚になるのも嫌だなぁ
ノリノリでやっているような奴なら頭のネジがぶっ飛んでそうだし
嫌々ならば、表情は悔しそうに、それでいて声は平然を装いつつ… 弱みを握った糞な兄貴の命令に従い顔を真っ赤にして「マスター…」と言わされる美女

 …いかん。ゾクソクしてきた。妄想はこの辺にしよう。
拓也は頭を切り替えて兄に質問する。

「んじゃ、あれは誰だよ」

その拓也の質問に、兄は待ってましたとばかりに声を上げる。

「あれは道内企業の雄。キセノンフューチャー製の作業用ロボット、農家ロイド39型だ。ちなみに4体買った。」

兄はふふんと鼻を鳴らしながらドヤ顔で畑を指差す。
そしてその先には、コンバインとトラックを運転する青い髪をした人影が二体見える。

「買った!?高いんじゃないの?金はどっから?4体?」

驚くのも当然だ、名古屋でも人型ロボットを使う会社はまだ珍しい。
たしか、一体で一千万位した筈だ。
それがどうして、北海道の農家に4体もいるのか。
本家の経済状況を考えても安い買い物じゃないし、労働力なら機械化の進んだ北海道農業なら、農繁期に一人二人の暇な大学生でもバイトで雇えば事足りるはず。
まさか…最悪の想定だが、自分の趣味の為に借金して買ったのではないだろうか?
はたして、実家の経済状況は大丈夫なのか?
そうして実家の未来に深い憂慮を抱きながら拓也は兄に金の出所を聞く。
だが、それに対する兄の態度は、此方の質問を丸っきり読んでいたといわんばかりのものだった。

「安心しろ。国の農業振興助成金を使って8割引きだ。それに道からも1割出たぞ」

にっこり笑って答える兄貴。
だが、その内容には愕然とした。
農業振興に国がばら撒いている金。それが…こんな事に使われていたのか…
確かに、長期的なビジョンで見た場合、労働力の確保としては正しい気もする。
だが、あきらかにコイツは趣味がメインのオーラが漂っている。
汗水たらして得た給料から天引きされた国民の税金が、こんな趣味の世界に使われてるとなると情けなくなる。

「なんだろう、この気持ち… すごい不公平感を感じる… まぁ、それはいいとして、なんでマスターって呼ばせてるの?」

国民の血税の行く先に酷い不平を感じつつ、ジト目で睨む。
だが、目の前の兄はそれに臆するどころか、堂々と胸を張って言い切った。

「もちろん趣味だ。ロボットの主人をマスターと呼ばせるのは、古のマルチ、セリオより続く日本の伝統だからしかたない」

予感は的中した。
まぁ マスターと聞いて拓也はてっきり某騎士王かと思ったが、由来がお漏らし掃除ロボだった事については予想外だったが…

「ちなみに調教の結果、歌って踊れるようにもカスタムしてある。」

「補助金使ったんだから、用途を農作業用に限定しろよ!」

動画サイトにもアップしたから今度見てくれよと兄は言うが
そのドヤ顔を見ているとイライラが溜まってくる。
なぜ、世の中の金の流れはこうも不公平なのか…
こんな馬鹿が数千万の補助金で遊んでいることへの嫉妬とドヤ顔で語る兄の相手をするのに疲れた拓也は、うんざりした気持ちで一杯だった。

「OKOK。分かった兄ちゃん。とりあえず、もう帰るべ」

これ以上話を聞いていても疲れるだけだと判断した拓也は投げやり気味に帰宅を促して踵を返す。
もうさっさと帰ろうと軽トラに乗り込み、エンジンを掛けつつ兄の様子を見てみるが、何をしているのか帰ろうとする気配が無い。

「なぁ さっさと帰るべ」

ボケッと突っ立っている兄の姿に拓也は痺れを切らし、窓から顔を出して声を掛けるが、それでも兄は空を見ながら固まっていた。
そして、その視線は拓也の後ろの空を凝視していた。

「あぁ…それはいいが。おい…拓也。ありゃ何だ?」

信じられないものを見たかのような口ぶりで兄が夕空を指差す。
拓也の頭越しに指差されるその方向、その先には信じられない光景が広がっていた。

夕日で黄金色に染まった畑の上空、天頂からじわじわと白く空の色が変わり始めていた。




異変より6時間後
北海道庁 緊急対策本部



本来は地震等に備えて作られた災害対策本部に道庁の主要な面々が集まっていた。
真ん中に座るのは、北海道で2代目の女性知事。「高木はるか」スーツから溢れんばかりの色香が溢れ、政治学の博士号を持っているという
30代での若さで知事に選ばれた才色兼備の政治家として有名だったが、その表情は暗い。

「現状は何か掴めましたか?」

この日、何度目かの質問が飛ぶ。

「いえ本日17:00頃に出現した半透明の膜は、依然として本道全域を包んでおります。
それと、膜の通過を試みた旅客機の一機が墜落し、現在生存者の捜索に当たっておりますが、絶望的との報告が消防より入りました。現在空港は全便欠航、港にも出航を見合わせるよう通達を出しています。
青函トンネルについても同様の膜が確認されたため通行禁止になりました。」

「一切の出入りが出来ないの?」

職員の報告に高木知事が問い正す。

「は、これについて空自の偵察機が確認を行いましたが。無人機では問題ないのですが
有人機が突入した場合、同様に墜落したとのことです。
それと、まだ未確認の情報ですが、膜が降りて以降に道内に侵入した貨物船が座礁しました。
海保が乗員の救助に向かいましたが。死亡しているとの情報があり、現在確認を急いでいます」

高木は余りの突拍子もない事態に眉間に皺を作り考えてみるが、何が起きたかはっきりしない以上、対策の取りようがない。
現在下した命令も原因究明と道外へのの出入りを全部止めただけ。
航空機の墜落等のこれ以上の被害拡大を食い止めたが、根本的には何も解決していない。

「政府からの連絡は?」

せめて、政府は少しでも情報を掴んでいることを願いたい。
だが、高木の思いとは裏腹に、職員の報告はその期待を裏切る。

「政府も混乱しています。非常事態を宣言し調査を続けていますが、情報収取衛星からの映像では
膜の範囲は北海道全域と南千島が包まれている模様です。
その他の情報は、あまり我々と大差がありません。ただ"原因不明"と…」

報告によれば、この問題は北海道だけに留まらないらしい。
国境を越えた問題ならばと、知事は質問を続ける。

「南千島もですか。ロシア側の情報はありますか?」

だが、職員は難しい顔をしたまま高木の質問に首を横に振って答えた。

「今はお互いの本国同士が連絡を取り合っている状態なので
今のところ政府から降りてきた情報はありません。」

当事者同士が話合いを上に丸投げしているのか…
これはいけない。
既に犠牲者が出ている事態なのに、仮に向こうで何かしらの兆候があった時に情報が回ってくるのが何時になるかわからない。
国家としては問題があるのだろうが、非常時だ。
現場の裁量で少しでも打てる手は打っておくべきだろう。

「南千島側と独自に接触を持ってください。情報は今は何よりも大事です。」

「ですが、道庁には適当なパイプを持つ人間がおりません。今までの交流は外務省のお膳立ての下でしたし」

職員は管轄外だから無理だと全力でアピールする。
なにせ今までは、ビザなし交流だろうと外務省の管理下で行ってきた。
現地の人間と交流と言っても、国に舞台を用意してもらった上での話でしかなかった。
いきなりやれと言われても、無理に違いない。
だが、そんな彼の言い分を高木は無視する。
やったことが無いから出来ないではすまない。やるしかないのだ。

「あら?ロシアとのパイプなら根室に良い人材がいるじゃない。たぶん日本で彼以上にロシア側とパイプを持つ人はいないわ」

高木の"根室"と"ロシアとのパイプ"という言葉、にその場の全員が一人の人物を思い浮かべる。


鈴谷宗明。
小柄でエネルギッシュな顔の男は、日露間の外交に絶大な影響力を持っていた。
だが、過去に政権与党に在籍していた際、当時の人気取りに走った無能な外相と衝突し
マスコミから徹底的に嫌われて失脚し、当時の与党から離党までしていた。
だが、ころころ首相が変わり、外交方針の定まらない日本政府より鈴谷の方がロシア側からの信頼は厚かった。


「では、すぐさま鈴谷氏と連絡を取ります。」

パイプ役が居るのであればと、職員はすぐに行動を起こそうと退出しようとするが、ある事を思いついた知事が職員を呼び止める。

「あぁでも… あの人って、もう与党の議員じゃないのよね。
いくら非公式でも、野党の議員一人じゃ弱いわよね。
誰かサポートにいい人いないかしらね…」

政治力学上、野党議員と与党議員では影響力がまるで違う。
高木が唸りながら呟くと、それならばと人材に心当たりのある他の職員がポンと手を叩く。

「知事、それなら武田氏はどうでしょうか。あの人は南千島交流促進議連の会長ですし
今は、北見で後援会のパーティに出席中のはずです。」



武田勤。
大柄で熊のような参議院議員
かつては政権与党の幹事長を務めていた。
一時は野党転落時に自分の派閥議員の2/3が落選してしまうなどの事があったが
政権交代後の与党があまりに無能過ぎ、与党が選挙でほぼ全滅したため
派閥を率いて返り咲いていた。


「良いですね。対露接触はその二人に同席をお願いしてください。」

「はっ!」

その高木の指示を受けた職員が足早に対策室から去ってゆく。
とりあえずの行動は決まった。
といっても、現段階で決定できる事項が情報収集くらいなのでその範囲拡大だけなのだ…

「みなさん。では、引き続き持ち場で情報収集に当たってください。
政府からの情報及びロシア側の情報は特に注視してください」

そう高木は対策を話合っていた全員に指示し、視線を対策室に設置したモニターに戻す。
そこに写されているのは北海道を囲む正体不明の白い境界線。

「それにしても…」

高木が生唾を飲む。

「一体どうなるのかしらね」

その日を境に、道庁の長い一か月がはじまった。






同日









択捉島 ユジノクリリスク



「いったい!どうなってるんだ!」

ダン!と机を叩く音が部屋に響き渡り、神経質そうな男が激高している。
男は凄まじい形相で報告を持ってきた軍の将校を睨み、それを真正面から受ける将校も一歩引いてしまうほどの勢いであった。

「現状では不明です。
本国から飛来した偵察機は膜を通過直後に墜落し、こちらから出た偵察機も墜落しました。
本国からは膜のエリアぐらいしか情報が来ておりません。
そして日本政府も相当混乱しているようで、日本側の報道と合わせても我々以上の情報はありません。」

理不尽な怒りの矛先を向けられても淡々と答える将校。
男もその報告を聞き、それ以上哀れな将校に怒りの矛先を向けるのを止める。

「クソ!」

悪態をつく男の名はニコライ・ステパーシン。
ロシア連邦防諜庁、ロシア連邦首相を務めたが、時の大統領の利権を守れないと判断されたため解任され、現大統領のプーシキン氏と交代させられた経歴を持つ。
そんな彼は、露日経済協議会代表の肩書があるため、歯舞での石油パイプラインの完成式典の為に丁度南クリルにまで来ていた所だった。

「こんな辺境に閉じ込められるとは…」

ステパーシンは眉間に皺を寄せたまま片手で頭を抑える。
ロシア側の領域の内、異変によって隔離されたのは国後、択捉の二島だけ。
緊急時の対応をしようにも、此処はサハリン州の州都ユジノサハリスクからも遠く離れている僻地であり、現地に取りまとめをできる地位の人材がいなかった。
そのため、臨時で現地の指揮を取るようにとのモスクワからの指令を受けたのだが、正直なところこんな僻地を抜け出して早く本国に帰りたいと彼は思っていた。
国後、択捉の二島は、『クリル(千島)社会経済発展計画』でインフラが少々整ったとはいえド田舎の辺境であることには変わりがない。
その上、臨時の肩書な上に自身の基盤がない土地であるため居心地が悪い。
特に一緒に式典に参加した国営ガス企業の奴らが気に入らない。
自分の首相の座を奪った現大統領の息のかかった奴らは、こちらの言うことを全然聞かないのだ。
本社とモスクワには連絡を取っているようだが、こちらの指示に対しては「本社に聞いてみます」とさらりと流しやがる。
こんなことなら偵察機代わりにまとめて送りだしてやればよかった。
有能なパイロットが犠牲になるより、唾棄すべき政敵の犬が犠牲になるほうが何倍もマシだ。
例え、その犠牲に意味は無くも…
そんな感じでステパーシンが半ば本気で彼らの絶滅を祈っていると、電話の出し音が部屋に響いた。

トゥルルルルルル…

即座に将校が電話に出る

「アリョー こちら臨時対策室。…・あぁ…分かった。ご苦労」

「どうした?」

将校が電話を置くのを確認すると、ステパーシンが何事かと尋ねる。

「北海道側が非公式に接触を打診してきました。相手方の代表は、あの鈴谷と武田議員だそうです。」

ステパーシンはその名前に思い当るところがあった

「鈴谷? あぁ、首相時代にモスクワで何度かあったよ。
そうか… 彼も閉じ込められたか」

幾分か落ち着きを取り戻したステパーシンは、どっしりと椅子に腰掛けながら鈴谷のことを思い出す。
彼は確か日本側の領土返還運動で先頭に立ち、なおかつ現実を見れている人物だった。
此方の文化にも精通し、中々の好人物だったな。
それに武田。彼は国後の油田開発の際に面識があったな
最悪、ここに閉じ込められた場合、北海道側とのコネを作っておけば、大統領の息のかかった奴らと渡り合う時に有利になるだろう。
なにせ本国は直接干渉はできないからな。
ステパーシンは現在の己の置かれている状況と、これから先にすべき事に一瞬で思慮をめぐらせ決断した。
クリルでのイニシアチブを確実にするために動くなら早い方がいい。

「よし、会うぞ!すぐさまセッティングを頼む!」

北海道側からの接触とステパーシンの決断。
それは異変前は近くて遠い存在だった両者が、生き残りを賭けて歩みだした最初の瞬間であった。





3日後




その日の同庁は、膜発生の混乱が発生した異変初日に並ぶくらいの慌ただしかった。
その理由はちょっと窓を開けて空を見れば誰もが理解できた。
発生から3日間特に消失するでもなく変化の無かった膜が、夜明けとともに変化が現れたのだ。
最初は半透明だった膜が、天頂部から徐々に真っ白な膜に代わりだし、
変異から3時間後には空をすっぽり蓋ってしまった。
変化は見た目だけではなかった。電波の送受信も遮断されたため、衛星通信が使用できなくなったのだ。
それに今までは無人機が膜を超えて情報収集に当たっていたが、白い膜に変化してからは物理的な越境もできなくなっていた。

「政府は何と言ってるの?」

対策本部の会議室で、目の下にクマを作り疲労の色が濃い高木知事が職員に尋ねる。

「米軍のグローバルホークが膜に衝突して墜落しました。海上からも接触してみたそうなのですが、変化後の膜に対する物理的通過はできないとのことです。
調査には米軍も協力し、膜の一部に艦砲射撃等の破壊工作を実施しましたが、膜に変化は見られなかったとのことです」

最悪だ。
高木は職員の説明を聞き、思わず目頭をつかむ。
職員の報告は事態の悪化を告げている。
人が通れないだけならば、まだ遠隔操作で物資を運ぶ手段がった。
だが、変化後の白い膜は物理的に越えられないという。
これでは、物流が完全に止まり、北海道経済や文明そのものが維持できず破綻する。

「通信障害の方は?」

「白い膜は電波も完全に遮断している模様です。 
それよりも膜の変化ですが、膜は海面に達すると変化のスピードを変えました。
現在は毎時40cm程度で海底へ向かい変化中ですが、海底到達後も同じスピードを維持した場合、27日後には青函トンネルも塞がれてしまいます。」

「最後の生命線も時間の問題というわけね」

最後の生命線。
無人車両を使っての貨物輸送。
おそらく、これ以外に実用的な物資輸送手段は残っていない。
そして、それが使える最終リミット予告が出され、膜が無くなるという確証がない以上、もうここは腹をくくるしかない。
施政者として常に最悪に備えたリスク管理は必要不可欠。そして、今こそ、その最悪に備えて行動するとき…
高木は一度深く深呼吸をすると、それまでの疲労感漂う表情から決意を含んだものへと表情を変える。

「物資を完全に遮断された場合、北海道経済への影響は?」

「短期では景気の悪化により倒産が増え失業率が悪化します。
長期では、皆さんもご存じの通り北海道経済は第一次産業と第三次産業の割合が大きく、第二次産業…とりわけ製造業の規模が小さいです。
これにより産業の基幹技術や機械の購入元が失われ、産業技術を体系的に保持していない北海道では産業文明が崩壊します。
ただ幸いなのが国後沖油田のパイプラインは既に稼働していますので、しばらくは燃料を自給できますが、…それだけです。
文明崩壊後は油田の維持も困難になり、いずれ全てが失われるでしょう」

淡々と事実を報告する職員。
その事実は実に厳しかった。

「今までの農業とサービス業一辺倒だったツケが来たってわけね。」

手で顔を蓋いながら知事が呟く、頭の痛い話だった。
そして、それに追い打ちをするような報告が続く

「特に道外からの観光客が絶たれた為に、観光に関わる産業は壊滅でしょう。大量の失業者は生活保護では賄いきれません。道の財政が破綻し、餓死者も出るでしょう。
しかし、例外的にハイテク関連については望みがあります。道内には汎用ロボット及びマイクロマシン工場の誘致に成功したため最先端ロボットの技術体系は保持しています。
ですが、半導体関連については生産設備が一切ありません。他の製造業は規模こそ小さいものの多少は存在していますから規模拡大で対応できますが
こちらは工場そのものが無いため、長期に隔離された場合には高度情報化社会が崩壊し、社会インフラが40年は後退します。
まぁ 文明崩壊の際は40年どころでは済まないのですが…」

職員の報告の内容から考えるに、北海道の未来には最早一刻の猶予もなかった。
対応が後手に回れば、北海道の文明社会が崩壊する。
27日という限られた時間制限の中で産業の種を蒔かなければ全てが終わるのだ。
北海道存亡の自体だという報告を聞いて、同席する全ての人間からの視線が高木に集まる。
この難局をどう乗り切るか…
高木は、皆の視線に答えるように、ゆっくりと其れでいて決意を持って話始める。

「…施政者たるもの、常に最悪に備えなければなりません。
これより道として、完全隔離後に文明を維持するためにあらゆる手段を講じます。
先ずは混乱収集のための物資統制と、将来的な文明崩壊回避のための基幹技術体系の取得を行います。
技術の収集については政府に大規模な支援を要請しますし、これは全道民が一致して取り組まなければならない事案です。
これについては、道民の皆さんにも現在我々が置かれている状況と我々に一体何が必要になるのか説明し、理解を得なければなりません。
そのためにも事実を全道民に発表する記者会見を行いますので、3時間後にプレスルームにマスコミを集めてください。
…我々は挙道一致で進む以外に道は無いのです」


慌ただしかった道庁が更に慌ただしくなる。
だがしかし、先ほどまでの慌しさとは明らかに違う。
庁内を慌しく歩き回る職員の表情一つとっても混乱とパニックを含んだ悲壮感は既に無く、今は一つの方向性に向かっての動く使命感を持った表情に変わっている。
それは、北海道が一つの方針に向けて動き出した瞬間だった。





その日の晩のニュースは全道民にとって一生忘れられないものとなった。
緊急の記者会見が開かれ、その中で知事が内地との行き来が不可能になった事を説明し、約一ヶ月後の完全隔離後に備えて物資統制を開始すること、文明維持のために必要な産業には大規模な支援を行うこと、
道民の道外資産を売却しそれを道内開発へ回す官製ファンドの創出を発表した。
当然にして、テレビに映し出されるプレスルームの様子は、驚愕した記者たちの質問攻めで騒然となっていた。
その様子を、晩飯を食べながら見ていた拓也と家族はしばし呆然としてしまった。

「…マジかよ」

他に言葉が出てこなかった。
あまりに突拍子もない事態に思考が追い付いていかない。
そしてそれは、嫁のエレナも同じだった。

「あんた?一体どういうこと?」

混乱したエレナは拓也に問いかけてくる。
拓也も全てを飲み込めた訳ではないが、テレビで説明されている事を簡単に説明した。

「なんだか、北海道から出られなくなったみたいだ。」

要点だけを簡潔にエレナに説明するが、あまりに突拍子も無い答えに、彼女は何をバカなという視線を拓也に向ける。

「まったまた、そんな事があるわけないでしょ? あんたの冗談は面白くないわね」

笑いなが冗談でしょ?と話すエレナ
その情報源がTVでの知事の発表であった以上、ただ事でない事が起きたのはわかるが、言葉の上では理解しても実際のイメージとして理解することが出来なかった。
エレナは半分笑いながら拓也に言う。

「あんた、いつまでそんな顔してるの? そんな何時までも出れないなんてあるわけ無いでしょ?
その内元通りになるわよ」

「まぁ 知事も最悪の想定だといっているけどさ…」

「なら、まだ別に決まったわけじゃないんでしょ?心配要らないわ。」

心配要らないとエレナは拓也に言うが、その表情は笑っているようでどこかぎこちない。
元が白いので余り気づかなかったが、よくよく見れば少々顔面が蒼白している。

「ふぅ… なんかちょっと驚いて疲れちゃった。
今日はもう寝るね。あなた、武のことお願いしても良い?」

「あぁ 飯食ったら、お風呂に入れて寝かすよ。
それにしても、本当に大丈夫か?」

「…うん。ちょっと休めば大丈夫だと思う」

そう言って、しずしずエレナが食堂から出て行く。
エレナは少し休めば大丈夫と言っていたが、結局その日は起き上がってくることは無かった。


翌日、朝食の時間になっても元気の無いエレナに見かねた拓也は、唐突にエレナに一つの提案をした。

「サロマ湖行こうぜ」

ベビーにご飯をあげている最中のエレナに唐突に話す拓也。
朝食を食べ終わった拓也が、何の脈略も無く言い出した事にエレナはきょとんとして聞き返す。

「サロマ湖?なんで?」

「いや、なんか元気が無いように見えたからさ。
ちょっと気晴らしにサロマ湖行こう」

「別に良いけど。サロマ湖って何があるの?」

「いや、別に何も… 景色が良い以外何も無いけど。
あと、ほら。近いし…」

「近いって… まぁ、近場だと美幌峠も屈斜路湖も何回も行ったから、たまにはそういうのも良いかも知れないわね」

「じゃぁ 今日はサロマ湖な。距離は50kmないし30分強くらいでつくよ」

そうと決まればと、拓也は準備を始める。
北見から見た場合、サロマ湖はそう遠い場所ではない。
というか、市内の名所を回るだけである。
まぁ東西に110kmの長さ誇る北見市の市内という表現は、イロイロと普通じゃないのだが…
そんなこんなで一行はあっという間にサロマ湖へと着いた。
途中ほとんど信号も無く、渋滞などありえない道路事情からすれば当然であったのだが。

「臨時休業…」

「閉まってるわね」

サロマ湖の観光名所のひとつ、ワッカ原生公園についた拓也を待ち受けていたのは一枚の札。
片道5km近くある遊歩道用の貸し自転車屋に下げられた臨時休業の文字だった。

「やっぱり、こんな非常時に遊びに出かける人なんていないのよ」

ふぅ… とエレナはベビーを抱きながら溜息を吐く。

「いや、でも、ホラ。遊歩道自体は開いてるから武の散歩には問題ないよ」

「片道5kmも?」

予想外の事態に若干あせりながら拓也は弁明するが、それに対するエレナの視線は冷たい。

「そこまで行かなくても途中から海岸に出られるし。
武も海は初めてだから、砂浜で遊ばせてやろうよ」

エレナは拓也のベビーを遊ばせてやろうという提案に、少し考えるも分ったと頷く。

「まぁ たまには長い散歩もいいかもね」

エレナはそう言って、拓也に先んじて遊歩道に向かって歩き出した。
とはいってもサロマ湖の遊歩道は長い。オホーツクと湖を隔てる地峡のような地形の上に若干のアップダウンがありつつも延々と道が続く。
季節は夏。北海道の肌寒い夏の空気の中、拓也らの他にそこを訪れる客の姿は一切無い。
遊歩道の周りにエゾスカシユリの大規模な群生が既に花を散らした姿で広がっており、明らかに来るシーズンを間違っていた。
それでも遊歩道の入り口から数百mも進むと海岸へ続く横道が現れ、拓也達は迷わず横道にそれる。
長い長いオホーツクの海岸線、曇り空のためか海は少々冷たい色をしているが、誰も居ない広大な海岸は心を解き放って開放的な気分にしてくれる。
白い波、浜辺に落ちた海草や貝殻、漂着したさまざまな言葉でかがれたゴミ類に座礁船…

「座礁船!?」

拓也は浜辺に広がる光景に目を疑う。
浜辺に打ち上げられた各種漂着物に混じって船が一隻砂浜に乗り上げている。
さほど大きくない中型の漁船程度の船体が波を受けて大きく傾き、船底の一部を晒した格好になっている。

「すごい物が漂着しているのね…」

拓也の横からそれを眺めるエレナも、予想外の漂着物に驚く。

「あれ?でも見ろよ。電気がついてるよ。
船体も新しいし、もしかしたら海難事故じゃないか?」

初めてこの場所に来た拓也達には、その座礁船が何時からあったのかは分らない。
だが、遠くから見ても船のブリッチに未だに明かりがついていることから、座礁したのはつい最近だと想像出来た。

「ちょっと、見てくる」

「え?」

もし事故か何かなら救助を求める人がいるかもしれない。
そう思って一人で見に行こうとするが、驚いたエレナに腕を掴まれる。

「危ないかもしれないし、ここは警察に電話よ?別にあなたが行く必要ないじゃない」

確かに状況が不明だし、駆け寄ったとして拓也に何が出来るのかという問題もある。
しかし、一種のヒロイズムと好奇心からか拓也の考えは変わらなかった。

「大丈夫。ちょっと見に行くだけだから。
とりあえず、エレナは警察に電話してここで待ってて。直ぐに戻るよ」

そう言って拓也は掴まれた手を優しく包みながらエレナを諭すと、不安そうな表情を残すエレナを置いて船へと進む。
近づいてみると、船の喫水は意外に深く大きな船体であったが、大きく傾いている事もあって無理して弦側を上る必要も無く、すんなりと船上へと到達することが出来た。

「人影は無いな。もう避難したのかな?」

拓也は周りを見渡してみるが船上に人影は無い。
所々に漁具が散乱しているだけであった。
誰かいませんかと何度か拓也は呼びかけるものの、其れに対する反応もゼロ。
拓也は不審に思いつつも船上を徘徊する。

「ブリッジにも誰もいない… うあぁ!!」

窓越しにブリッチを見るも人影は無い。
だが一応ということで拓也はブリッジを覗き込むと、床にうつ伏せに倒れる人影があった。

「大丈夫ですか!?」

すぐさま駆け寄り声を掛けるが、反応が無い。
拓也は気が動転して倒れている体をゆすり、仰向けにした。

「うわ!」

だが、その倒れていた人物の顔を見るなり、拓也は思わずその体を放り出して後ずさる。
思えば、体を掴んだときに気づくべきであった。
その体が、予想に反して軽かったのを…

「ミ… ミイラ化してる!?」

見れば倒れていた人影は、まるで干物のように乾燥して死んでいる男の死体だった。

「つ、作り物じゃないよね?」

拓也は改めて観察してみるが、細かい箇所を見ても目の前の其れは作り物とは思えない。
だが、色々と不審な点はある。
何というか…新しいのだ。
持ち物や服はつい先ほどまで来てたような感じで、死体の顔についても傷一つ無く、体から水分だけを抜き取ったような感じであった。

「とりあえず、警察はエレナが呼んでるからいいとして、他にも探してみるか…」

拓也はそう言ってその場を離れる。
目の前の死んでいる男には、実は瀕死で生きていたなんて可能性は万に一つも無さそうだし、下手に死体を触ると警察の対応も面倒くさそうだ。
そう考えた拓也は、どこか生存者はいないかと船上を歩き回る。

「倒れた網カゴの下とかは大丈夫かな…」

仮に誰かが散乱した漁具の下敷きになっていないか拓也は入念に船上を調べる。
倒れたカゴを浮かし、散乱した魚網を持ち上げる。
だが、これといって他の乗組員は見つからない。
そう広くない船内だ、もう他はいないのかなと探索を打ち切ろうとした時、拓也の視界にあるものが入った。
小さく開いた生簀の蓋。そしてその中に光る小さな光。

「ん?生簀の中に何かあるのか?」

不審に思った拓也は生簀の蓋を開け、息を呑んだ。

「なんだよこれ、密輸船か?」

拓也の目に映ったのは、生簀に偽装された船室だった。
見れば、昇降用の梯子があり、中にパソコンや複数の箱が置かれている。
一体これは何なのか。
好奇心に駆られた拓也は、その隠し船室のはしごを下る。

「さっき見えた光はこれだったか…」

暗闇の中で光る赤や青のLED
その大元は船室の机の上に置かれたノートパソコンだった。

「しかし、暗くてよく見えないな。電気はどこだよ」

一応開けっ放しの蓋からは日光が入ってきているが、薄暗い船室の様子を詳しくうかがい知ることは出来ない。
拓也は壁を伝いながら電気のスイッチを探し、室内の壁にかかった調度品かなにかをボトボトと落としつつも其れを見つけた。

「スイッチは…これだな。 って、うわ!」

明るくなった室内に浮かび上がったのは、イスに座ったまま干からびて死んでいる男の死体。
辺りを見れば、もう何体かの死体も床に転がっていた。

「ふぅ… ビックリしたな。
っていうか、こいつら一体なんなんだ?偽装漁船なんかに乗ってるってことはヤバそうな匂いがプンプンするけど…」

そういって拓也は、死んでいる男たちの正体を想像しつつ、室内に詰まれた木箱の一つを開けてみた。

「これは… MP7か!」

拓也は目を丸くした。
木箱の中に緩衝材と一緒にギッシリと詰め込まれていたのはドイツ製の短機関銃。
趣味でそういった知識を齧っていた拓也は、その独特の形から一発で判断した。

「うわ、武器密輸?想像以上にヤバイ船だわ…」

拓也はそう呟きつつも、船内に積まれている他の箱も開けてみた。
そうすると出るわ出るわ手榴弾から拳銃至るまでザックザクと見つかる。
拓也は趣味人としては一つくらい失敬したい衝動に駆られるが、どうにかそれを押さえ込む。

「うーん。一つくらい欲しいけど、絶対これってマフィアとかヤクザ向けだよな。
それに警察ももう直ぐ来ると思うし我慢我慢…」

発見した武器の内容から推測するに軍用というよりはマフィアの抗争用といった趣が強い武器の数々
一通り中身を確認して箱を元に戻した拓也は、ある一つのものに注目した。

「そういえば、パソコンが起動しっぱなしだけど何やってたんだ?」

疑問にも思った拓也は机の前に座る死体をどけると、起動していたノートパソコンのマウスを動かす。
すると、スリープモードから解除されたパソコンが再び立ち上がった。
モニターを覗き込むとなにやら作業中だったらしい。
起草中のメールが送信されずに残っていた。
メールに対する返事を書こうとしていたのか、メールの記入画面には返信用の履歴が入っている。
その日時は4日前。
ちょうど異変が起こり始めた日だ。

「そういや、膜を超えると死ぬとかネットやニュースでやってたな」

拓也はこの船も運悪く膜を超えてしまったのかと想像しながら書きかけのメールを読み進む
英語で書かれていたそれは、この船の目的がズバリと書き込まれていた。

「うは、半島の軍閥へのセールスか… 図面と武器一式を積んだ船の入港予定日の連絡?この船のことかな…」

拓也は好奇心に駆られて書きかけ中のメールを閉じると、他のメールフォルダも漁る。

「フリーランスの武器商人なんて、漫画か映画の世界だと思ってたけど本当にいるんだな。
えーと、アメリカの西海岸で武器を積み込んで… マダガンで何かを受け取り、そして入港予定は羅津?半島情勢に油を注ぐ気満々だなぁ」

半島情勢
南北に分断されていた半島国家は、改革解放を新たなスローガンに掲げた若い独裁者の急な病死によって新たな局面を迎えていた。
中国のように改革解放によって豊かになりたい北の人民、そして民族統一は悲願とする南の国民と安い労働力を求める経済界。
その両者の欲求は、遂に根強い反対派を押し切り、遂に北の王朝の瓦解という形で民族統一が実現した。
だが、そこから始まる国家運営は非常に難しいものだった。
北の人民は豊かな暮らしを求めるが、南の経済界が新たに建設した工場では、安価な労働力として期待される余り奴隷のような賃金を押し付けられた。
あまりの南北の賃金格差に北の人民は当然反発し、南にいけば南の国民と同じ待遇になれるという何処からともなく広まったデマにより、数十万もの北の人民が続々と南下をはじめた。
それを受けて統一政府は慌ててかつての国境を再び封鎖しようとしたが、南を目指す北の人民の津波を押し戻すにはまるでパワーが足りなかった。
元々南側の首都攻略用に作られた南進トンネルから不法越境者が続々と浸透し、金儲けに目がくらんだ南の企業経営者の一部がそれを雇用することによって、南の国民の失業率は右肩上がりが続いた。
だが、失業率の悪化くらいならば、それはまだマシな方だった。
武装し越境してくる北の国軍崩れの一部は、各地で民間人に紛れつつもマフィアとして浸透し、半島全域の治安が急速に悪化した。
特に元々不倶戴天の敵同士という事もあっただけに彼らは殺しあうことに容赦が無かった。
その上、各地の軍閥やマフィアがメキシコ流の対政府対応を取りはじめると歯止めも一切利かなくる。
警察関係者は家族も含めて脅迫され、軍の高官といえども暗殺されるのが日常茶飯事となり、マフィア間の抗争は日に日に激化していた
そのような経緯もあり、今の半島は無尽蔵に血と武器を求める鉄火場と成り果てていた。

「はぁ 何というか、住んでる世界が違うわ」

拓也は溜息を漏らしながら後ろで干乾びて死んでいる男を一瞥すると、再度メールボックスを漁る。

「そして、次は何があるかな?」

非日常のシチュエーションに拓也はワクワクしながら適当にメールを閲覧していると、不意にある一文に目が留まる

「ん? 介入の準備完了?株価の推移に情報が漏れた形跡なし?
何だこりゃ?株の不正操作か?」

拓也が見つけた短いメール。
そこには株価だの介入だのの文字が並んでいる。
なんとなくではあるか株の不正操作っぽいニュアンスが書かれているが、ターゲットや時期などは書かれていないため詳細は分らない。

「あっ、クソ!これ以前のメールは削除されてるな。
でも、アーカイブしたログがあるから何処かに隠されてるのかもしれん」

そうして拓也は好奇心に従って隠されたアーカイブを探そうと、更にマウスをホイールさせようとしたその時だった。

バーン!

重量のありそうなナニカが入り口から船室に落ちてくる。
急に響いた大きな音と、完全に油断していたのも相まって拓也は飛び上がって驚く。

「うわぁ!!」

思わず大声を上げ、心臓をバクバクさせながら身構えると、入り口から聞こえた見知った声が聞こえる。

「あ、ごめーん。甲板に落ちてた浮き落としちゃった。大丈夫?」

見れば、てへっと笑いながら入り口からエレナが覗き込んでいる。

「びっくりしたなぁ、もう。
こっちは大丈夫だけど、エレナまでこっちに来たの?武はどうした?」

「もちろん、一緒にいるよ」

そう言ってエレナは船室への入り口から拓也にベビーが見えるように抱きかかえて拓也に手を振る。
そして、それに答えるようにエレナに抱きかかえられた1歳半児もあぶあぶあうーとか言いながら拓也に向かって手を伸ばしていた。

「そうか、でもここは危ないからさっさと浜に戻れ。
それと、ちゃんと警察は呼んでくれた?」

「もうすぐ到着するって」

「そう、じゃぁ俺もそっちに戻るから先行ってて。
…あと、その様子じゃブリッジは見てないよね?」

拓也は眉を顰めてエレナに聞く
だが、その問いに対してエレナは何で?と言いたげに首をかしげた。

「え?まだ見てないけど…」

「じゃあ、絶対にブリッジには行くな。何も探らずに真っ直ぐ浜まで帰るんだ」

拓也は強く、念を押すようにエレナに言う。
まだ見ていないのならば、人間の死体なんて見ないに越したことはない。
それに対するエレナも拓也の言うことに何かを感じ取ったのか素直に言うことを聞いた。

「わかった。じゃぁ 先に行って待ってるからね。すぐ戻ってきてよ?」

「あぁ わかった」

エレナの言葉に了解と頷くと、エレナは船室への隠し入り口から離れて見ええなくなる。
拓也はエレナが視界からいなくなると一つ溜息を吐いた。

「それにしてもビックリしたな」

他人のメール漁りに熱中してたら、周りの様子が見えなくなっていた。
今回はやってきたのがエレナで助かったが、仮に警察だったら面倒くさかった。
偶然に漂着船を見つけたとはいえ、死体と同じ部屋でパソコンの中身を漁ってる姿を見られたら怪しさ抜群である。
拓也はそろそろ切り上げて帰ろうと、持っていたハンカチでマウスの指紋を拭う。
とりあえず、警察の説明には偶然漂着船で死体を見つけただけで、積荷を見た以外には何もしていないと言っておこう。
拓也は一通りマウスの指紋を拭き終わると、何か忘れ物はないかと一歩机から離れようとした所でコツンと足に当たる感触に気づく。

「ありゃ、さっき飛び上がって驚いたときに携帯落としちゃってたか」

足元を見れば、自分の持っている携帯と同じスマートフォンが落ちていた。
拓也は携帯を持ち上げると、土ぼこりを払ってポケットにしまい込む。

「さて、じゃぁ戻る…「きゃーーーー!!」…」

拓也が丁度浜へ戻ろうとした時に響くエレナの悲鳴。

「何も見ずに帰れって行ったのに…」

おそらく忠告を無視して死体を見つけたのだろう。
拓也はまた一つ溜息を吐くと甲板へと戻っていくのだった。






拓也が船室を出た後。
拓也にとって、そこからの展開が非常に疲れるモノだった。
まず、死体を見つけて騒いでいる嫁を落ち着け、警察の到着を待ち、船内の死体と銃器の存在を知らせると
網走管区の全警察が集まってきたのではないかというくらいに警察が集まり、一通りの事情聴取を終えて開放されたのは日もとっぷり暮れた後だった。
拓也は帰りの車の中で、チャイルドシートの横でウトウトとしているエレナに声をかける。

「それにしても、今日は大変な一日だったな」

疲れてぐっすり眠っている子供の寝顔を見ながら、自らも半ば眠っていたエレナは、拓也の言葉に薄目を開ける。

「そうね」

拓也の言葉に答えるその声は、抑揚がなく酷く疲れている。

「それにしても、漂着船が銃器の密輸船とか、すっごいもん見つけちゃったな。
船内で死んでた奴、警察の話だと結構あくどい武器商人で有名だったらしいし」

「…」

エレナは拓也の言葉が耳に入らないかのように、目をつぶって何も答えない。

「あれ?寝ちゃった?」

余りに静かな様子に拓也はルームミラー越しにエレナの姿をみる。
本当に疲れて寝てしまったのかと何度かルームミラーでエレナの顔を確認していると
ふと目を開けたエレナは、真っ暗な車外の景色を見ながら呟いた。

「少し考えていたんだけどね。
あなた、昨日ニュースで北海道から出られなくなったってニュースで言ってたの覚えてる?
私ね、そんなの絶対に嘘だって思ってた。
もしそれが本当だったら、向こうに残してきたママやパパ、それに他の兄弟や友達にも永遠に会えなくなっちゃうもん。
でもね、今日。あの船で死んでいる人を見て実感したの。
もう生きては外に出られないんだって…」

窓の外を見ながら淡々と語るエレナのブラウンの瞳から一筋の筋が流れ、彼女はまた淡々と語り続ける。

「もう皆に会えないのは本当に悲しい。
でも、もう一つ思ったことがあるの。
船の死体と腕の中で元気いっぱいの武ちゃんを見て、どんなことがあっても、この子の為に頑張って生きていこうって…
そう… 決めてたんだけどね…
でもやっぱり、一段落して落ち着いてみると、もう会えない人たちを思い出しちゃって、涙が… 止まらないの…」

車の中にエレナのすすり泣く声が充満する。
死体を見てしまったことで現実を直視してしまい、騒ぎが落ち着いたことで考えの整理が出来てしまったのだろう。
時折、ママと声に出してエレナはすすり泣く。
そんな彼女に、拓也は腕を伸ばして優しく頭をなでることしか出来なかった。

「大丈夫、俺がついてるから」



[29737] 起業編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:07
一夜明け、拓也はパソコンの前で頭を抱えていた。
何やら悩んでいると思いきや、その表情は少しにやけている

「こりゃスゲぇわ…」

拓也は画面を見ながら一人呟いた。
事の発端は昨日の夜に遡る。
家に帰ってきた拓也は、その日の出来事を家族に話すと、さっさと寝てしまいたい衝動に駆られて布団に向かう。
布団では、拓也が家族に説明している間に既に布団に移動していた嫁と子供が寝息を立てている。
拓也も一緒に寝ようかと布団に潜り込むが、寝てしまう前にある事を思い出した拓也は、布団に寝そべりつつポケットから携帯を取り出した。
日課のネット小説の更新チェック。
全く金のかからない趣味として、ネット小説を漁るのは拓也にとって非常に魅力的な趣味だった。
しかし、北海道に起きた異変を考えると何時までも読めるかは分らない。
もし、内地との通信も遮断されれば、追いかけていた全ての作品の続きも永遠に読めなくなってしまうかもしれない。
そんな不安と寂しさを胸に、拓也は携帯のボタンを押すとあることに気がついた。

「あれ?壁紙変わってる?それに、パスが通らない…」

拓也が携帯の画面を覗くと、そこに表示される画面の壁紙は自分の設定したものと違っていた。
何よりロックのパスワードが通らない。

「あれ?これって俺のじゃない…」

不審に思って布団から起き上がると、その視線の先にはある筈がないものがあった。
充電コードに刺さったまま寂しく忘れ去られている拓也の持っている携帯と同型の携帯。
拓也は、コードに刺さったままのそれと自分の手元にあるソレを見比べて顔を青くする。

「やっべ、船から持ってきちゃった…」

恐らくは船内で死んでいた誰かのであろう携帯。
拾った場所的には死んでいた武器商人のものである可能性が高いのだが、それを持ってきてしまった。

「どうしよっかなぁ。警察に届けるとややこしそうだし…」

いらぬ面倒事を持って帰ってきてしまったと拓也は頭を抱えるが、それとは別にある一つの思いも頭によぎる。
エレナに呼ばれ最後までパソコンは漁れなかったが、もしかしたらこの携帯の中にも秘密の情報があるのでは?
まるで映画の中のようであった非日常の情報の数々に、船内ではワクワクが止まらなかった事を思い出し、拓也はしばし考える。

「まぁ、警察に届ける前に、ちょっとだけ見せてもらうくらい良いよね?」

好奇心の誘惑に負けた拓也は、携帯の裏蓋を開け、内部に差し込まれていたSDカードを取り出す。
携帯自身にロックが掛けられていても、SDカード単体であればその中身が見れるはず。
拓也は嫁と子供を起こさないように他の部屋に移動すると、すぐさま実家まで持ってきていた自分のネットブックを立ち上げて、カードを挿入する。
そして、その結果は驚くべきものだった。

「ここに隠してあったよ… アーカイブ。それに、図面??」

拓也が見つけたのは、船内で探しきれなかったメールのアーカイブと謎の図面ファイル。

「おぉ 株価の不正操作のターゲットから操作の予定株価、それに仲間の名前まで出てくる出てくる…」

拓也は先ほどまでの眠気も忘れ、目を輝かせながらパソコンに向かって中身を漁る。
時間も忘れて大容量のSDカードの中身を一通り目を通した時には、黄色い太陽とご対面という有様だった。
ドタバタの後で徹夜は非常につらかったが、それでも得た情報は非常にエキサイティングだった。
情報を整理してみると、死んでいた武器商人の名はユーリ・オルロフ。世界を股に駆けるユダヤ人商人だった。
彼はアメリカ西海岸で短機関銃と数種類の銃器の図面を仕入れ、北鮮のマフィアと密造銃業者に売りに行く途中だったらしい。
それ自体はいつもの彼の商売だったが、今回はそれ以外の商売にも一枚かんでいた。
粉飾決算をしている東欧の軍需企業相手に相場操縦を仕掛ける不正取引。
ただ告発をするだけでも株価は暴落するだろうが、彼らは不当に株価を吊り上げた上で空売りを仕掛けようとしていた。
実際の株取引は彼の兄弟が行っているようなのだが、この件には彼もあることに協力していた。
粉飾の証拠を彼らに売ってロシアのマダガンまで逃げてきた社員の逃走支援と、証拠の受け取り。
そしてその目論見は非常にスムーズに進んでいるらしい。
既に社員の確保と証拠のデータは送信済み、後は粉飾の情報を各方面にリークするだけという状況であった。
一つ誤算があったとすれば、社員と証拠データを積んだ船が運悪く膜に触れ、乗組員が全員死亡し漂流した後に北海道に流れ着いたということだろう。
それに今となっては膜も変異し物理的な越境は不可能となったことで、船の状況すら謎の膜が外の世界から隠してしまう。
だが、既に準備も完了しているとなれば、予定通りに事は進むだろう。
そんなSDカードに残っていた情報は、ワクワクの域を飛び越え、非常に刺激的なものだった。
拓也はそれらの情報を得ると、一晩かけて考えぬく。
これらの情報を生かすべきかどうするか…
株価操縦の件については拓也には荷が重過ぎるとしても、SDカードに入っていたもう一つのデータが拓也を大いに悩ませる。
密造業者に売るためだろう、SDカード内にはいくつかの銃器の図面が入っていた。
カラシニコフの各種型から、MP7やMG4といったドイツ製短・軽機関銃等といったものまで様々だった。
データ自体はCATIA等の3D図面ではなく2D CADの形であったため、フリーの閲覧ソフトを使えば見ることが出来る。
拓也はマウスを弄りながらそれらの図面を眺めていると、スーっと閉めていた引き戸が開けられ、そこに嫁が立っていた。

「いないと思ったら… 朝っぱらからパソコンしてるの?」

エレナが眉を顰めて拓也に聞く。

「いや、朝っぱらからというか、昨日の晩からというか…」

拓也は若干徹夜ハイになっている事もあってか、ハハハと笑いながらエレナに答える。

「もぅ、そんな一晩中何見てたのよ? …ん、何これ?設計図?」

エレナが呆れる様にしてモニターを覗き込み、そこに映る銃の子部品図面を見ながら首をかしげる。
まぁ子部品を見ただけで銃だとわかる人間は少ない。エレナもそれが何かは分らず首をかしげる。

「これは… 鉄砲の図面だよ。他にも一式が何種類かある」

鉄砲という言葉が拓也の口から出た途端、エレナの表情が怪訝なものになる。
なぜそんな物を持っているのか?そんな言葉が表情からも読み取れた。

「なんで、あなたがそんなの持ってるの?」

「船でデータの入った携帯拾った」

「…えぇ!?」

エレナの問いに密輸船から拾ってきたと淡々と答える拓也に、エレナは一瞬固まりつつも盛大に驚いた。

「駄目よ。何があるか分らないから、さっさと警察に返してきてよ。
そもそも、何でそんなもの盗んできてるのよ馬鹿!」

「いや、拾ってきたこと自体は偶然だったんだ。
同じ携帯が落ちてたから、てっきり自分が落としたのかと思って拾ってきたんだよ。
そんで、昨日の晩に自分のじゃないって気づいて中身の確認をしてたんだ」

拓也は不可抗力だったとエレナに言い訳し、プンスカと怒るエレナを宥める。

「うぅ… わかったわ。拾ってきたのは偶然だったとして…
でも、いつまでもそんなの持ってないで警察に渡してきてよ」

拓也の説明を聞いてその怒りもトーンダウンしてきたエレナは、拓也に早く返してくるように言うが
それに対する拓也の返事は短い一言だった。

「断る」

「は?」

拓也の予想外の一言に、エレナが目をぱちくりする。

「なんでよ!?さっさと戻してきてよ!」

「まぁ ちょっと落ち着いて聞いてくれ。
これは一晩考えた末の結論なんだけどね。
北海道に隔離され、会社のある名古屋に戻れなくなってしまった俺は無職になってしまう。
さて、これからどうしよう?」

拓也はエレナの肩に手を当てて、どうどうと抑えながらゆっくり話す。
それに対してエレナも押さえつけられた暴れ馬のように、だんだん冷静さを取り戻すと拓也の話にも耳を傾けだした。

「そんなのハロワにでも行けばいいでしょ?駄目ならあなたの実家の手伝いでもしてよ」

「んん、ハ、ハロワね… まぁ そういう方向性も無しではないけど、この図面類を見ながら一つの事を思いついたんだ」

「何よ」

「武器工場をつくろう」

「武器工場!?」

エレナは拓也の突拍子も無い提案に声を上ずらせて驚く

「あんたそんなのどうやって、っていうか大丈夫なの?
まぁ 確かに設計図の一部はあるけど、許可とか色々いるんじゃないの?」

「まぁ 平時に武器工場なんてやろうと思っても無理だね。普通に捕まる」

「じゃぁ 一体どうやって?」

「エレナ、今、北海道の状況は普通じゃない。
そして、内地から隔離された状況が改善されるかは誰もわからない上、銃の製造会社は北海道には無い。
これって、チャンスじゃない?」

「チャンスって…」

「例え、世界が北海道だけになっても銃はいるよ。
警察から自衛隊…まぁ 北海道だけの世界で自衛隊が銃を使うようになったら、内乱みたいな事態だと思うけどさ。
それに害獣のエゾシカを狩るにも猟銃がいるよね」

「まぁ そうだけど…」

「ここは一つ、混乱のドサクサに会社を立ち上げ、北海道の市場を独占してやろうと思う。
まぁ仮に、異変が元に戻った場合は、猟銃メーカーにでもなって細々とやろうと思うけどさ。
エレナはこの提案、どう思う?」

「どうって言われても…」

拓也の突然すぎる提案にエレナは言葉に困る。
確かに名古屋に帰れない以上、こっちで働き口を探さねばならないとは思っていたが、それがこんな事になるとは思っても見なかった。

「仮に会社を立ち上げるとして、お金はどうするの?
私達そんなに貯金もないじゃない。むしろ名古屋のマンションのローンがあるのに」

エレナの疑問は至極全うだった。
ただの会社ではない工場を作るのだ。
設備投資は並々ならぬ金額がいるはずである。
今の二人の貯金額はどう考えても十分とはお世辞にも思えなかった。

「あぁ それについては不動産屋にマンション売却のメール送った」

「売却?」

エレナが信じられないという顔で聞き返す。

「うん、だって、もう帰れないなら要らないでしょ?
あと、家財道具はこっちに送る手段が本当に無いなら売却して処分してもらう事にした」

「まぁ 確かに帰れないなら持っていても仕方ないけど、それにしたって私に一言あってもいいじゃない?」

「いやぁ、愛着があるから売りたくないとかゴネられて、売る機会を逃したら丸まる損だなぁと思ってさ
それならいっそ既に決めたよって言うほうが決心つくかなって思って」

「うぅぅ…」

どこか釈然といない表情でエレナは拓也を睨むが、その拓也の言にも一理あると思ったエレナは何やら丸め込まれた?と思いつつも抗議の声を閉ざす。

「まぁ それを種銭として色々揃えつつ、銀行から金を借りようと思う。
ところでエレナ。実家のあるバルナウルって大規模な兵器工場があったよね?」

「え?まぁ… 鉄砲の工場があったような気がするけど…」

「あるんだよ。
既にネットで取扱商品まで調べた。ちゃんとISO認証も取ってるところだったよ。
そこでさ。どうにか治具図面や作業手順書を手に入れれない?」

「治具?作業手順?なにそれ」

拓也の言う聞きなれない言葉にエレナが首を捻る。

「治具ってのはモノを作る時に使う道具で、例えばものに穴を開けるときに一々穴位置を測っていたら面倒でしょ?
そんな時に穴位置を決める為の道具を予め作っておいて、後は毎回穴位置を測らなくても治具にセットするだけで穴が開けられるようにするんだ。
言うなれば、モノを作るサポートをする道具だよ。
作業手順書は簡単に言うと取説だね。
製品の作り方が書かれている書類だよ。
あ、それと、せっかくゲットして貰うんだからQC工程表と検査手順書もお願いね」

北海道に封鎖される前、一応拓也は名古屋で製造業で品質保証に従事していた。
拓也は製造に必要な書類は何かと考え、最低限必要そうな書類を思い浮かべる。
適当にえいやぁでモノを作る会社と違いバルナウルの工場は国際認証も取った大工場である。
拓也は当然、それらの書類は作られているだろうと予想しエレナに注文した。

「…うーん。よく分んないけど、それって簡単に手に入りそうじゃないわよね?」

エレナが不信感の積もった視線で拓也を見つめる。

「当たり前だよ。何処の馬の骨とも分らない奴にハイと見せる会社は無いよ」

「じゃぁ どうするの?」

「うむ。それにはマンションを売ったマネーを使う。
まぁ ローン差し引いても、だいたい売却額は1300万くらいになるから、そのうちの500万くらいをコスチャに託す」

「コスチャに?」

思いもしなかった名前が出てきたことにエレナは困惑する。
コスチャことコンスタンティン君はエレナの実の弟にして拓也のネトゲ仲間。
エレナは弟も巻き込むの?と信じられないような表情で訴える。

「うん。実はこれも昨晩それとなく聞いてみたら一発okだったよ。
昨晩も何時もの如くディ○ブロⅤにログインしてたから、500万で書類集めてくれないってお願いしたら即決だったよ。
集める方法も金に困った奴を探していくらか渡せば一発だろうって言ってたね。
まぁ 図面の管理は厳重そうだけど、そこらへんの書類なら普通はそこまで管理は厳重じゃないからね。
多分、奴は仕事をこなしてくれるよ」

既に根回しは済んでるぜとドヤ顔で語る拓也にエレナも最初は呆れたといった様子であったが
ふーむ、と落ち着いて考えてみるとエレナは拓也に対して呆れを通り越して怒りを感じてきた。

「なんで、そんな犯罪に加担するようなことに人の弟を勝手に使ってるの!?」

エレナが静かな怒気を含めて拓也に言う。

「え? いや、何というか、駄目元で話てみたら予想以上に向こうもノリノリだったというか…」

「これから人の実家を使うときには私にも一言言ってよね!!」

ギロリと睨むエレナ。
そのドギツイ視線に拓也も気圧されて目を泳がす。

「あぁ、ハイ。スイマセン…」

エレナもタジタジとなった拓也の姿を見て満足したのか、一つ大きな溜息を吐くと両手を腰に当てて諦めたように言う。

「ふぅ… まぁいいわ
あんた時々暴走するけど、私が右も左も知らないこの国に来た時からずっと手をひっぱて来てくれたじゃない。
今までも色々と馬鹿なこともして失敗もあったけど、最終的には、全部あんたの言うとおりにしてきて大丈夫だったんだから、これからも信頼してるわ。
わたしは、鉄砲の作り方なんてサッパリわからないし、あなたの考えが理解できないこともあると思う。
でもね、わたしはあなたを信じてるから。
あなたが道を示してくれれば、私も全力でお手伝いするわ。」

嫁の意外な言葉にドキドキする。
おそらく、顔も真っ赤だろう。
だがしかし、嫁にここまで言わせた以上、最早失敗は出来なくなった事も事実であり
拓也は輝ける家族の未来のために、決意を新たにするのだった。



「…一つ思ったんだけど」

「ん?」

「武器製造って許可とかどうするの?」

エレナの率直な疑問。
なにせ製造を予定しているのは銃器であり、一般工業製品とは違う。
当然それなりの許可なりが必要となるだろう。
だが、拓也はその言葉を予想してたかのようにニヤリと笑う。

「まぁ そこらへんは持てるコネを全部使うよ。任せとけ!」

拓也はそう言ってフフフーンと自信ありげに笑うのであった。






異変から7日後

在札幌ロシア領事館


その中の特別に用意された一室にニコライ・ステパーシンはいた。
というのも、膜が変異してから本国との衛星回線が使用不能になり、外部との連絡はまだ使用可能な北海道-本州間の海底ケーブル経由のみとなっていたからだ。
択捉にいたのでは、本国との連絡は取れない。
その為、札幌にあるロシア領事館に臨時の対策室を移していた。
そんな彼に今日は来客があった。


武田勤と鈴谷宗明。
会談の内容は「完全に本国と切り離された場合の想定」
これについては、答えは決まっていた。
なにせ国後と択捉には合わせて5万人しか人口がなく、石油はあるが他の産業は水産加工業と観光業だ
これでは、今ある資材が底をついたら中世に戻ってしまう。
そんな危機的状況下では北海道と共同歩調を取るより仕方ない。
だが、問題はその度合いだ
今日は、その事について三者協議に入っていた。

「北海道と南千島側の双方が本国より切り離されるのであるから、別個の国家として協力するよりいっそ統一国家になるべきでは?」

会議のしょっぱなから最終的な結論はこれしかないと武田が言う。
おそらく、最終的にはそれが一番なのでろうが、現状ではそれに同意できない理由があった。
そのため、武田の意見にステパーシンが反論する。

「それでは本国からの独立となってしまい、本国からの支援が受けられない。
仮にもし膜が消えすべてが元通りになった場合、私は間違いなく死刑台を登るだろう。」

そうなのだ、仮に最終的に何も起こらなかった場合、本国から分離独立を求める運動をしてると捉えられてしまい、チェチェンと本質的には同じになってしまう。
そうなった時の予想は簡単だ。現大統領が私を殺しに来るだろう。
かつてチェチェンの武装組織に対し「たとえ便所に隠れていても、息の根を止めてやる」と言い放った大統領だ。
もしかしたら、ショットガン片手に自ら殺しに来るかもしれない。

「では、非公式の準備委員会を設立し、双方の本国に悟られぬよう全ては水面下で進めるとしようか」

ステパーシンの回答も予測していたという態度で、鈴谷が自分の顎を触りながら言う。
だがこれはステパーシンにとっても同じである。
協議をする上での暗黙の了解であった前提条件を双方が確認したという意味合いに過ぎない。
双方がこれについて了解していると確認すると、ステパーシンは話を続ける。

「そうだな。
とりあえずは水面下で協議を進めよう。
中央には感づかれてはいけないので参加者は最小限に留める必要があるが…」

ロシア側にとって、これが中央にバレれば即ご破算になるのだ慎重に事を進める必要がある。
そのための人材の選定は細心の注意が必要だ。

「まぁ準備委員会の詳細については後程詰めよう。
だが、情報漏洩についてはご心配なく、国内で泳がせておいたスパイはこの異変を機に拘束済みだ。
道庁内においても厳しい情報統制が敷かれたし、記録上、我々は貴方のオフィスには来ていない。
まぁ 不安があるようでしたら、そちらの浸透工作員のリストでも頂ければ確実性は高まりますが…」

武田が情報統制に余程の自信があるのか、ニヤリと笑いながらステパーシンに言う。
だが、ステパーシンが苦い顔をすると思っていた武田は、予想に反してステパーシンが笑い出したことに戸惑う。

「はっはっは。あぁ その件は知ってます。対外情報庁の職員の一部が捕まったのでしょう?
私もね、過去に連邦保安庁の長官など色々な仕事をさせてもらった事から、色々な耳がありましてね。
彼らの拘束は問題ない。本国の命令のみを忠実に守っている職員だ。異変の終了までは休暇という事にしときましょう。
あぁ あと、リストについては駄目ですね。何があろうと渡すわけには行かない。
仮に渡した場合、明日の朝までに私は変死してるだろうから」

死ぬならば青酸ガス等よりも銃でポックリ逝きたい等とステパーシンは笑うが、相手をしている武田と鈴谷は笑えなかった。
ドヤ顔で工作員は拘束し、こちらが優位な立場にいると暗に示したかったのだが、どうやら完全ではなかったらしい。
彼の口ぶりからすると、ステパーシンの息のかかった工作員がまだ道内にいて、活動していと言っている様なものだ。
対外情報活動は、NKVDやKGBの頃より伝統のあるロシア側のほうが何枚も上手であった。
ステパーシンを揺さぶるはずが、逆にしてやられてしまった苦笑いを浮かべる武田だが、いつまでも相手のペースに呑まれる訳には行かない。
今この場で確認する必要のある事があるのだ。

「ま、まぁ では情報の管理についてはそちら側からの助言も取り入れて進めることにしよう。
話を戻すが、今回、我々が協議を持つにあたる大前提として確認したい事がある。
それは最悪の場合、両者が統合する意思があるかということだ。」

武田が真摯にステパーシンを見つめ、それに対してステパーシンは笑って答えた。

「本国からの支援が無くなった後、それ以外に道はあるのかね?」

もったいぶったように言うその答えに、武田が満面の笑みでステパーシンの手を握った。

「では決まりだな!これ以後の話は準備委員会でするとしよう。委員会は私が長として取りまとめる。
鈴谷君とステパーシン氏はそれぞれロシア側および日ロ間の窓口を取りまとめてくれ。道内は私が委員長となる以上、責任を持って事に当たらせてもらう」

かつての政権与党幹事長の経験もある武田が、道内は俺が纏めると息巻いて見せた。

「いいでしょう。では後程、道庁の方に実務者をお送りしますので、詳細はそちらでお願いします」

ステパーシンの返事により、話は纏まる。
今後の大方針は決まった。
あとは担当が詰めるので現段階での自分たちの仕事はここまでだ。
会談が終わると、鈴谷は急ぎ道庁に戻るといってステパーシンの部屋を後にする。
統合後について道庁の中で水面下の作業部会を開くのだろう。
実に精力的に仕事をしている。
下野していた時期もあっただけに、日ロ間の交渉に参加できることを非常に喜んでいるのだろうか。
一方、鈴谷が帰った後、武田はまだ領事館にいた。

「私事で済まんが、ちょっとあって欲しい人物がいるんだ。」

「あって欲しい人物?」

この状況で日本側から私的に接触してくるとは何事だろうか、それについて武田が苦笑いを浮かべながら説明する。

「実は、私の選挙区の後援会長の息子なんだが、南千島と北海道を結ぶビジネスについて是非とも話たいといってるんだよ。
内容はともかく、私の顔を立てる意味でも一度会ってくれないか?」

ステパーシンは理解した。
なるほど、民主主義の宿命というやつだな。
いくら、国政で勢いがあっても地元を蔑にするようなら選挙には勝てない。
比例で勝つという手もあるが、小選挙区で勝てるならそれに越したことはない。

「いいでしょう。それで何時ですか?」

「いや。じつは外で待っているんだ。
それに今日、私がココを訪れた目的は、秘密協議の為ではなく、支持者のお願いによってロシア側との間を取り持つためとなっている。
まぁ そういうことで一つ頼むよ」

武田は、すまんねと苦笑いを浮かべる。
だが、お願いされた方としてステパーシンは考える。
それほどにまで私に会いたいという人物はどういった人物であろうか。

「なるほど… まぁ 会談が予想以上にスムーズに終わったのでスケジュールには余裕がありますから別に構わないでしょう。
その方に来てもらえるように言ってもらえますか?」

「恩に着るよ」




領事館の廊下



うっは…
ドキドキする。

領事館の職員に先導され、建物のなかを移動中、拓也の緊張はMAXとなっていた。

親の脛を齧りまくってコネは使った。
先日、コスチャから作業手順書の一部を入手した。
(流石に一部だろうとここまで早く手に入るとは拓也も予想していなかったが)
それに数日かけてステパーシン氏の身辺も調べた。
ハッタリ用には大丈夫だろう。
多分…
でも、根がチキン野郎なもんだから、VIPと会うとなると緊張する…

拓也は、強張った表情のまま廊下を歩いている途中、そんな事を考えていた。

「あんた。大丈夫なの?」

拓也の今まで見たことが無いような緊張した面持ちを見て、通訳として連れてきたエレナが心配している。
おそらく死にそうなほど青い顔でもしているのであろう。

「大丈夫。大丈夫。こんくらい楽勝だよ?」

無理にでも頑張らないとね。一世一代のハッタリの張時だからね。
拓也はそうエレナに息巻いて見せるが、その挙動は明らかにぎこちない。
そして建屋内を歩き回り、案内された一室に入ると、デスク越しにステパーシン氏が此方を向いて座っていた。

「ようこそ。石津さん。お待ちしておりましたよ。」

入室してきた拓也を確認すると、ステパーシン氏は立ち上がりこちらに近づいてきた。
にこやかに手を差し出すステパーシンに拓也も握手で返す。

「ありがとうございます。Mr.ステパーシン。」

「いえいえ、なんでも両島間のビジネスがおありとか。さぁ どうぞ腰かけてください」

ステパーシン氏に勧められソファーに座ると、平静を装って鼻で静かに深呼吸すると
エレナの通訳を挟み会談が始まった。

「いやー それにしても、今回の騒動は大変ですね。どうですか、そちら側の様子は?」

いきなり本題に入る前に取りあえずは普通の話でもと、拓也はステパーシンに話かける。

「こちらとおなじですよ。ですが、北海道側と違い、本国との直接の連絡が遮断されたために内心は穏やかじゃないですがね。
でも、軍が警戒にあたってますので静かなもんですよ。」

「ロシア軍が警備を?」

そういえば、海外では自然災害等が発生すると、よく暴動が起きるとかつてニュースで見た記憶がある
戒厳令でも出しているのだろうか?

「なにがおきるかわかりませんからね」

ただの万が一の備えですよと笑いながらステパーシンは語る。
ステパーシンにとっては既に報道もされている何でもない事だったので、さらりと話ていたが、拓也の目の色は変わっていた。
軍の話題が出た。
会談が始まって殆ど時間がたっていないのに本題を切り出すのは流石にどうかと思ったが、会談の残り時間には限りがある。
ここは、単刀直入に本題を切り出そう。

「ところで、ロシア軍の方々は本国と切り離され、補給はどうなっておりますか?」

急に拓也が軍の実情について質問してきたため、ステパーシンの顔色が変わった。
まぁ 軍の問題に切り込んでいったのだから当然か。

「詳細は機密につきお教えできませんが、本土と切り離されたということで大体は察してください。」

なかなか頭の痛い問題ですな。と、ステパーシンは苦笑いを浮かべた。


…やっぱり。
国後にも択捉にも軍需工場なんてないから、今ある物資が底をついたら終わりだろう。
拓也がそんな事を考えていると、話題を変えようとステパーシンの方から切り出してきた。

「それよりも、新しいビジネスの話を伺いたいのですが?」

拓也は内心でニヤリとすると、テーブル上に一枚の資料を差し出した。

「!? これは?」

ステパーシンは驚く。その驚き様をみて拓也は説明を始めた。

「AK74の技術資料です。」

そこにはAK74の作業手順書があった。
これは拓也自身もコスチャの仕事の速さには驚く。
酒と女でこさえた借金で首が回らなくなったアホを見つけたら余裕だったとコスチャは言っていたが
まさか数日で、一部であるが本当に作業手順書の一部の入手に成功してしまうとは…

「これをどこで入手しましたか?」

さすがに警戒するステパーシン。
まぁ 当然である。自国の兵器の技術資料を他国の人間が持ってきたのだから。

「それについては回答できかねますが、これが私共の提案するビジネスです。
単刀直入に申しますと、国後に製造工場を建てる認可を特別にいただきたい。
それに、もし本国からの支援が完全に途絶えても、これによってロシア軍も補給の問題が解決するのでは?
もちろん弾薬についても製造を予定してます。」

ステパーシンが予想外の提案をされ一瞬驚きの表情を見せたが、その重要性を理解したのか食いついてくる。

「なるほど、それはこちら側にとっては願ってもないですな。しかし、なぜ国後で?北海道側ではいけないのですかな?」

こちら側に利があるが、いまいち怪しいヤポンスキーの話だと思ってるのだろう。
疑いの視線の中、拓也は答える。

「ご存じのとおり、日本側は厳しい銃規制があり、なによりも北海道は左派の平和運動が盛んな地でしてね。
死の商人の真似事をしたら、即座にデモ隊が会社を潰しにくるでしょう。」

少々誇張されていたが、左派の市民団体に知れたら確実に似たようなことが起きるだろう。
なにせ北海道の"赤い大地"という異名は伊達ではない

「なるほど、それで国後にですか。」

ステパーシンも納得がいったようだ。
ソ連時代から日本の社会党などに資金を渡して反戦運動を煽っていたのは他でもない彼らである。
彼としても日本の特殊事情については良く理解していた。

「はい。ただし、問題が一つありまして、妻はロシア人ですが、何分ロシアでの商売は初めてでお国事情には明るくありません。
そこで提案なのですが、これから設立する新会社に相応のポストを用意しますので、もし、北海道に滞在中のご子息がよろしければ
役員として我が社に来ていただきたいのですが、どうでしょうか?」

ステパーシン氏が目を丸くする。
許可を求めてくるのに袖の下を用意してくることは想像できた。
だが、息子を役員として迎え入れる?
たしかに、不運にもこちらに来ていた息子共々膜に隔離されてしまったが、しかし何故、息子の事を知っている?
どこまでこちらの事を知っているんだ?

その彼の疑問はもっともだった。
彼の息子もこちら側に隔離されている。
そして、彼はいい年をしているのだが、定職についていない。
かつてはロシア国内の大企業にコネで何度か入社しているようだったが長続きしなかった。
そして、それにまつわる詳細な情報は、あるところからエレナが入手してきたのだった。

某世界的SNS

日本と違い、海外では実名登録が主であり、ネットで調べたステパーシン氏の家族を検索してみると、一発で出た。
そして、仕事が長続きしない理由も日記に全部怨念と共に記されており、
親の脛を齧りに齧って豪華客船で太平洋クルーズに出たところ、小樽に寄港したところで運悪くこの騒動に巻き込まれていたことも書いてあった。
なんでも、このステパーシン氏の息子アレクサンドル・ステパーシンは
一言でいうならばオタクであった。
仕事が長続きしない理由も、会社でアニメ談義と布教を繰り返していたら女性社員に白い目で見られ、鬱になり辞めたそうだ。
北海道に隔離されるきっかけとなったクルーズも、小樽寄港時にもらえる"豪華客船で行く太平洋クルーズver雪ミク"のフィギュア目当てだと
日記に記されたのを見たときは、フィギュア目当てで太平洋クルーズか…とエレナと夫婦そろって呆れ果てた。
しかし、頭は良いようで機械工学の博士号をもっているらしい。
それらを嫁から聞いた瞬間、拓也は決めた。

「彼を取ろう」

向こうで白い目で見られていたとしても、もう日本じゃアニオタは普通に社会に浸透している。
相手を無視して自分の好きなアニメの布教する度を越したのオタも前の会社でも普通にいたから
その対応法はすでに習得済み。
なにより拓也自身も軍オタを隠れ蓑にした隠れアニオタであるので問題はない。
むしろ価値観は共有できる…ハズ。
それに工学博士号を持っているなら頭は良い筈でこれは意外な掘り出し物かもしれないと拓也は思った。
そして、この決断には他にも理由があった。


サハリン2事件。
日本と欧米の石油メジャーがサハリンで開発したガス田。
ロシア側は開発に対して資金は出していなかったがある一つの不満があった。
自国の資源開発なのに利益の6%しか入ってこないのだ、そして資源は外資にもっていかれる。
この件に対する対応は実にロシア的であった。
環境問題をちらつかせ開発を中止させると、最終的に国営ガス起業のガスブランが採掘会社の株式のうち50%+1株を強引に取っていったのだ。
つまり、ロシアで商売するにはロシア人の利益も考えないと痛い目を見るということである。

アレキサンドルを取るメインの理由がこれだった。
ロシア側トップの親族を縁故採用。
まぁ、まだ事業がはじまってないので資金の余裕がない拓也らにとっては、袖の下を渡すほど余裕が無いので、ポストを与えて将来に期待してもらうしかないというのが実情なのだが…
だが、ステパーシンは予想以上に食いついてきた。

「…良いでしょう。認可を与えましょう。」

「え?」

更にプレゼンに入ろうとしていた拓也は、予想外の認可の速さに驚いた。
さすがに、縁故採用だけでは弱いと思っていたからだ。

「ですから、認可が欲しいのでしょう? いいでしょう。書面は後日郵送します。
ですが、息子には相応のポストをお願いしますよ。」

にこやかにステパーシン氏は言う。
実をいうと、彼も息子の扱いに困っていた。
三十路目前なのに、いまだに定職につかずブラブラしている。それもヤポンスキーのアニメが原因で…
せっかくコネで入れた企業も辞めてしまう始末。
そこにヤポンスキーの会社から息子をくれと言ってきたのだ。
まだ、会社を立ち上げていないというが北海道にもクリルにも軍需工場はない
適切な支援をすれば急成長するだろうという思惑があったのだ。

「「ありがとうございます!」」

ステパーシンの言葉を聞いた拓也とエレナは、座っていたソファーから飛び上がって喜んだ。
まさか、ここまでうまくいくとは思ってもみなかった。
最悪、借金してでも袖の下を用意しなければならないかとも思っていた。
ひとしきり喜ぶと拓也は話を続ける。

「認可を頂きありがとうございます。そして、図々しい話ですが、もう一つお願いがあるのです」

「なんですか?」

拓也達は、すまなそうな笑顔を浮かべてお願いに入る。

「現在、バルナウル市で妻の弟が技術資料を集めているのですが、それに便宜を図っていただけないでしょうか?
正直なところ、我々もいくつかの図面と技術資料は持っていますが、残された時間で全てを集めるのは難しい。
隔離の時間までに必要な書類を集めきることが出来れば、我々の提供できる製品の幅も広がり、軍の補給にも一役買うことが出来ると思うのです」

ステパーシンは拓也の話を聞くと軽く頷いて話を進める。

「そのくらいなら、別に構わんよ。ただし、こちらもお願いがあるのですが」

「なんでしょうか?」

ステパーシン氏からお願い?流石にギブアンドテイクということで息子の雇用は保証したが、それだけでは弱かっただろうか。
色々お願いして認可を貰えるといった手前、断るわけにもいかない、拓也は面倒なお願いだと嫌だなぁと思いつつも笑顔で応対する。

「今、小樽に寄港しているアルカディアオブザシーズという客船に私の息子がいるのだが、全く持って連絡がつかない。
一体何をしているのか見てきて欲しいのと、新しい仕事を見つけたと伝えて連れ帰ってくれないか?」

聞けば、息子の願いで客船に乗せてやったのに、連絡の一つもよこさないそうだ。
拓也達は憤るステパーシンを見て、良い年した息子相手に過保護すぎやしないかと思いつつ、申し出自体は快諾すると、すぐさま領事館を飛び出していった。
目指すは、未だ見ぬロシア人アニオタが滞在しているという小樽へ。
自分たちの目標に向け、彼を社会復帰させるために…





小樽港埠頭

ステパーシンの依頼により彼の息子を社会復帰させに来た拓也たちは、埠頭に係留された一隻の船を見て呆然としている。
大きい…
事前にネットで調べたところによると、海外のクルーズ会社インペリアル・カリビアン・インターナショナル所有の船では比較的小さいほうだというが
実際に自分の目で見てみると、総排水量9万トン越えの純白の船体は、圧巻であった。

「凄い…」

エレナが思わず息を呑む。
パナマ運河を通行できるギリギリのサイズで建造された船ではあるが、岸壁から望むその船体はまさに壁。
その上、デザイン性も重視されているその造りは、見るもの誰しもが美しいと感じる外観だった。

「成り行きでココまで来ちゃったけど、普通に働いていたら一生乗る事は無かったね」

「うん」

恐らくは、短期ツアーの一番安い部屋でも一人20万はするだろう。
金額的には少々無理をすれば申し込めないことも無いが、なんというか客船の持つ気迫に押されてしまいそうである。

「ま、まぁ惚けるのはこの位にしておいて、中に入ってみようか。
せっかくステパーシンさんが乗船の手回しをしてくれたんだし、色々見て回ろう」

「…そうね」

そう言って拓也が踵を返してボーディングブリッチに向かって歩を進めると、エレナもポケーっと開けた口を閉じ拓也の後ろを付いて歩く。
そして入口ゲートまでやってきた拓也たちは、係員に身元を証明する。
普通であれば、豪華客船は例え乗船客の知り合いであっても乗客以外の乗船は認めない。
だがしかし、今回は既にステパーシン氏の手回しが会ったため、スルリと船内に入ることが出来た。

「しっかし、中身も凄いね」

拓也はその内装の素晴らしさに自然に足が止まってしまう。
洗練されたデザインの電飾や内装が施された吹き抜けのレセプションエリアにアーケードショップ。
さらには劇場から小規模ながらゴルフコースもあり言うなれば海上のリゾート都市といった感じであった。
そんな純粋に驚いている拓也の横で、エレナも驚きの表情はするものの何所か冷めた言葉で拓也に話かける。

「確かに素晴らしいけど、私たちの目当ての人物はバカンスじゃなく特典のフィギュア目当てでこの船に乗ったんでしょ?
ある意味、素晴らしいクルーズに対する冒涜よね」

エレナの言葉に拓也も黙って頷く。

「まぁ そんな事言っていても始まらない。とにかく、アレクサンドルを探そう」

「ええ」

拓也達は船内を歩き回る。
最初は受付で教えられた彼の部屋を訪れるも、留守のようであったので困った拓也達は船内を虱潰しに歩き回る。
映画館からラウンジ、バーと歩き回り、途中プールサイドでアレクサンドルを探し回りつつ、ビキニのねーちゃんを凝視してたら
エレナに滅茶苦茶睨まれたりもしたが、船内にあるインターネットカフェに来たところで目当ての人物を見つけることが出来た。

「ホシを見つけた」

ターゲットは、せっかくの客船内でも一日中ネットに嵌ってるようだ。
デスクの横に積み重ねられた飲食物のゴミの山が、その滞在時間の長さを物語る。

「見つけたはいいけど、どうやって話を切り出すの?あなた」

エレナの疑問に拓也は悩む。
いきなりお前を雇いに来たと言っても、そんな怪しい人間には誰しも警戒するだろう。
フレンドリーに打ち解けてから、迎えに来たという方向に話を持って行きたい。
拓也は、さてどうするかと考えるが、ふと視界にあるものが止まった。
アレクサンドルの机に置いてある読みっぱなしでページが開かれたまま置いてある雑誌。
拓也はその中身を見てアレクサンドルとのコンタクト法を思いついた。

「良いアイデアを思いついた。
ちょっとここで待っててくれる?」

そういうと拓也はアレクサンドルの傍らまで歩いていく、対してアレクサンドルは自らの至近まで接近してくる存在を気にも留めない。
まぁ 人が寄っただけで気にするような性格なら、公衆の面前でMEG○MIマガジンを開けっぴろげに置いておく事は無い。
それに、閲覧しているページはロシアふたば… 恐らく彼には羞恥心という心が欠如しているのではないかと拓也は疑うが、
拓也は気を取り直してアレクサンドルに向かって呟く。

「What lies in the furthest reaches of sky?(空の彼方にあるものは?)」

耳元で呟くある物語の一節にアレクサンドルはビクンと反応し、一瞬の呼吸の後にモニターに向かったままの姿勢で次に続く言葉を口にする。

「That which wi guide the lost child back to her mother's arms…」

かかった!
拓也はにやりと笑うと後に続く言葉を紡ぐ。
淡々と紡ぐ物語の一節に、知っているものだけしか答えれない対になる言葉をアレクサンドルは拓也の言葉に淡々と答えを返す
椅子をくるりと回転させてこちらに向き直るアレクサンドル。
拓也はアレクサンドルの視線を真正面から受け止め、更に言葉を続ける。

「What lies in furthest depths of memory?」

物語から引用した最後の言葉、其れに対し、アレクサンドルはスクッと立ち上がると笑顔に言葉を返した。

「The place where all are born and where all will return: a blue star.(全てが生まれ、全てが帰る場所。青い星)」

アレクサンドルのやりきったぞという満足そうなドヤ顔。
拓也はその表情をみて右手を出す。

「何処の誰かは知らないけど、あんたが良い奴だって事は分る」

アレクサンドルは拓也の握手に答えると、ニカっと笑ってそう答える。

「俺の名前は石津拓也。君を迎えに来た」

「何の用かは知らないが、話は聞こう。まぁ座ってくれ」

拓也は近くにあった椅子を持ってくると、アレクサンドルの隣に座り、エレナを呼び寄せるように手招きする。
其れに対して、手招きされたエレナは、何かをやりきったドヤ顔で堂々としている二人の様子を尻目に若干引いていた。
なぜなら、彼女もまた彼らが何を言っていたか理解できてしまったのだ。
数週間前、拓也と一緒に見ていた日本のアニメ。
その台詞を大の大人二人が諳んじてドヤ顔を決めている。
正直な所、余り一緒にいたくはないとエレナは思った。
そんなエレナとは対照的に、ドヤ顔で椅子に腰掛ける拓也は良いヒントがあったもんだと机に置かれた雑誌に目をやる。
そこに開かれていたのは、数年ぶりに続編が作られたラ○トエグザイル第三期のキャラたちの水着イラスト。
外人って、大抵このアニメ大好きだよなぁと再確認しつつ、拓也はファーストコンタクトが成功したことに安堵した。


「…という事で、君のお父さんに話を付けて君を雇いに来た訳さ」

第一期の素晴らしさや第二期の糞っぷり、そして第三期の今後の期待についてエレナの通訳を介して語っているうちに
すっかり打ち解けた拓也は、忘れられていた拓也たちがココに来た目的をアレクサンドルに話す。
そして、それに対する彼の回答は非常に明瞭なものだった。

「うむ。断る」

即答だった。
にべもない。
まぁ本人の承諾抜きで話を進めてるのは悪いと思ったが、もうちょっと話を聞こうぜ?と拓也は思う。

「何か嫌な理由でも?」

せめて理由は知りたい
その拓也の問いかけに対し、彼はさも当然のように語りだした。

「何を言ってるんだ。君は日本人だろ。日本には素晴らしい格言があるじゃないか
『働いたら負けかな』僕は、日本でこの言葉を知った後、座右の銘にしたよ」

その返事を聞いた拓也は頭が痛くなる。
…駄目だ。
いろんな意味で終わってる。

「でも、何時までも無収入というわけにもいかないだろ。
この後この世界がどうなるか未知数だし、それに日本にはもっと良い格言もある。
『いつまでも、あるとおもうな、親の金』
これは親の脛がいつまで持つか分らないので、有る内に搾り取っとけって意味だったかな?
まぁ 細かいことはどうでもいいけど、将来的に自分で稼がないと机の上においてある雪ミクみたいなグッツも買えなくなる」

その言葉を聞いたアレクサンドルは唸りながら机の上に置かれた雪ミクフィギュアを見る。
彼も理解しているのだ。
だが、前職のトラウマから未だに社会復帰が出来ない。

「それに自分たちが立ち上げる銃器製造会社は、ほぼ独占企業。
軌道に乗った後の給料は安心してもらっていいよ」

アレクサンドルに拓也はにっこり笑って右手を伸ばす。
一瞬、アレクサンドルも戸惑いはしたが、その胸にある不安感からか、ちらりと視線を泳がせた先に置いてあった雪ミクから
『ミクダヨー。金稼いで来いよー。グッツ買えよー』と言っている様なオーラを感じてしまう。
まぁ すべては気のせいなのだが、それでもアレクサンドルにとってはここらが年貢の納め時のようだった。

「作るのは銃器製造といったよね?」

アレクサンドルは諦めたように俯きながら拓也に質問する。

「そうだけど」

「…新型の開発はする?」

「将来的には」

「趣味に走っていいか?」

「……実用性と予算の範囲内でなら」

拓也も一瞬アレクサンドルの言葉に返答に困ったが、まぁココは相手の機嫌を損ねないことを重要視した。
アレクサンドルも拓也の返事を肯定と受け取ると、顔を上げ拓也の顔を見据えながら話を続けた。

「それと、もう一つ」

「…今度は何?」

「部下の人事権は俺にくれ。俺の好きなように部下を集めたい」

ふむ。
特殊な人材だけに、其れを受け入れるだけの素質を持った部下が欲しいということか。
その位であれば、部下の人事権を譲って多少人員過剰になったとしても問題ないだろう。
何せ、彼を採らなければ操業許可が出ないのだから。
拓也はアレクサンドルの要求をそのように解釈した。

「わかった。部下は好きに集めていいよ。
但し、人数枠だけは此方で決めさせてもらうけどね」

拓也のokという言葉にアレクサンドルは満面の笑みで拓也と握手する。

「よし、じゃぁよろしく頼む。
それと、俺のことはアレクサンドルじゃなく、愛称のサーシャでいい」

「あぁ 此方からもよろしく。サーシャ」

そうして話合いは実を結ぶにいたると、サーシャは気持ちを切り替えるようにパンと手を打つ。

「じゃぁもう、何時までもネットサーフィンしている場合じゃないな」

サーシャは机の上に散乱していた私物をまとめると、スクッと立ち上がった。

「じゃぁ 俺はこれから前々から気になっていた貧乳さんに仲間にならないかと声を掛けてくる。
この船内だけでも何名か良いなぁと思ってた人材はいるんだ」

「え? 何、そんな仕事デキそうな人がいたの?」

拓也は急なことにキョトンとしながら、サーシャに聞くが、其れに対してのサーシャは何を言っているんだとばかりに首をかしげた。

「何言ってるんだ?
話たことも無いのにそんな事分るわけないだろ」

「じゃぁ 何が気になってたんだよ?」

「さっきも言っただろ。良い感じの貧乳さんがいたんだ。
流石にロリを雇うのは子供の権利ウンヌンで駄目だろ?
時代は合法ロリなのだよ」

そこまで聞いて拓也は理解した。
このお方、真面目に人集める気がないなと
拓也は片手を振って颯爽と走り去るサーシャを見送ると、これはポストだけ与えた名誉職にしてやろうか本気で悩む。
そんな悩みに頭を抱えだした拓也に、今まで通訳に徹していたエレナが拓也に声を掛ける。

「…本当にあの人取るの?」

「まぁ操業許可のためだよ。しかし、頭は良い筈なんで仕事は出来そうだと思ったけど、これはどうか分らんね…」

拓也は疲れた表情でサーシャの走り去っていった方向を見つめている。

「まぁ これで目的は達成したし、これからどうしようか
船内を散策する?それとも、もう帰る?」

そう言いながら拓也はエレナのほうに振り返ると、何時の間にやらエレナの後ろに一人の白人の老人が立っていた。
見た目は白い髭を蓄え、ポロシャツにハーフパンツという、いかにもバカンスの外人さんらしい、ラフであるが小奇麗な身なりをしたおじいさん。
最初は自分たちが通行の邪魔になっているものかと拓也は考えたが、その老人は拓也に向かって話かけてきた。

「すまないが、ちょっといいかね。
先ほどまで近くの机に座っていたんだが、色々と話は聞こえていたよ。
盗み聞きは余り褒められた趣味では無いと自覚しているが、何分面白そうな話をしていたので、ちょっと話てみたくなってしまってね。
時間は取れるかい?」

非常に丁寧かつ優しげに話す謎の老人。
だが、拓也は身構える。相手の正体が分らないのだ。
特に秘密にするようなことはサーシャとは話さなかったが、無関係な人にまでペラペラと「これから銃器を作ります!」等と話す必要は無い。
老人は身構える拓也の姿勢を見て、「あぁ済まなかった」と言いながらポロシャツのポケットから名詞を一枚取り出した。

「私はショーン・リコネ。
とある証券会社の役員をしている。
現在は妻と一緒にバカンス中でね。まぁこんな状況になってはしまっているが長い休暇の真っ最中だよ」

そう言って差し出された名刺を拓也は「はぁ」と言って受け取る。

「まぁ 時間があるなら少し座りたまえ。
ちょっと、先ほどの君たちがしていた話に興味があってね。何でも起業するとか?」

そう言って、ショーンは店員を呼び3人分のコーヒーを注文する。
拓也達は自分たちの分まで注文し、自然かつ強引に話を聞こうとする彼に、少々あっけに取られもしたが、
拓也たちも、まぁいいかと諦めて椅子に座り、受け取った名刺を見る。

「…投資ファンド。の方ですか…
初めまして。私は石津拓也といいます。そして此方が妻のエレナ。
まぁ 別に合法的に武器メーカーを立ち上げようって事なので、お話するくらいは良いですよ」

そうして拓也は彼に大まかな事業概要を説明する。
もちろん図面などの入手経路は秘匿してあるが、技術資料は持っているのと国後での操業許可の内示を受けていること
今は立ち上げの準備中であることなどを彼に語る。

「なるほど、今は一から準備をしている所といった所だね」

ショーンは中々面白い話を聞いたという表情でうんうんと頷く。

「そうなんです。
このまま膜の閉鎖が続けば成長することは間違いなしだと思うんですが、まぁちょっとした賭けでもありますね」

「いや、だからこそ面白い。
世の中、一寸先は闇だ。だが、危機にあってもそれをチャンスに変えようと行動するのは非常に素晴らしい」

ショーンは大げさな身振りを交えつつ拓也に持論を展開する。

「だが、起業するにあたり資金のほうはどうなっているのかね?
銀行には既に相談したのかい?」

ショーンは拓也に尋ねる。
資金の問題。
正直な所、拓也は事業許可の内示を貰ってから銀行に行こうと思っていたため、未だ融資の相談はしていない。
資金の問題は未だにクリアしていないという痛いところを突かれたと拓也は思ったが、どうせ隠してもしょうがないと拓也は話すことにした。

「いえ、まだ融資が受けられると決まったわけではないです。
まだ、その段階まで計画が進んでおりませんので…」

「そうか、では何か資金で困ったことがあれば、私のところに相談しに来るといい。
これでも人生経験だけは豊富でね。何かとアドバイス出来る事があるかもしれない。
それに、この船の中にいる私の友人たちの中には、既に現役はリタイアしたものの、マーケティング、経理、法務とその道で企業経営に尽力していた者達も結構いるんだ。
まぁ そういったジジババの力が欲しいときも私に一言言ってくれれば紹介するよ」

そう言ってショーンは楽しそうに笑う。

「あ、ありがとうございます。
でも、ショーンさんは何故そこまで自分たちに良くしてくれるんです?」

ショーンの援助の気持ちは嬉しい、だがしかし、拓也は一つの疑念を感じる。
見ず知らずの、それもさっきそこで会ったばかりの自分たちに何故そこまで便宜を図ってくれるのか?
拓也のショーンに対する疑問に、彼はまるで悪戯小僧のような笑みを浮かべて答える。

「まぁ なんというか此れでも嗅覚は鋭いほうでね」

「嗅覚?」

拓也とエレナは首をかしげる。
それに対して、ショーンは自らの鼻を呼び差してニヤリと笑った。

「そうだ嗅覚だ。これでもお金の匂いには敏感なんだよ。
まぁ 時々外れることもあるが、頼れるものだと自負しているよ」

「つまり、お金の匂いに寄ってきたと言うことですね」

ショーンが笑いながら自身の嗅覚を自慢していると、今まで余りしゃべらなかったエレナが何を思ったのかあけすけに言い放つ。

「ちょ、おまっ、  す、すいません。妻が失礼な事を言ってしまって」

エレナの言葉に拓也はあわてて謝るが、その言葉を聞いてショーンは大きく噴出して笑いだした。

「ハッハハ。
いや、謝ることはない。全くそのとおりだよ。チャンスに抜け目が無いことが成功の鉄則だからな。
まぁでも、実は理由はそれだけじゃないんだ」

ショーンがさして気にしていない様子を見て拓也は安堵している横で、エレナが更にショーンに問う。

「他の理由…、ですか?」

「あぁ 何というか、君たちの姿を見ていたら何だが自分の若い頃を思い出してね。
成功に向かって賭けに出た貪欲な姿勢は評価に値するよ。
そんな姿を見ていたら、ちょっと手助けをしてみるのも一興かなと思ったわけだ」

「ショーンさんの若い頃ですか…」

「そうだとも。
まぁ そんな訳で、何か相談があったらいつでも来るといい。
それと、若者を何時までも老人の長話に付き合せるのも気が引けるから、私はこれにて退散するよ」

そう言ってショーンは店員を呼んで支払いの為に部屋番号を告げると一人席を立つ。

「ショーンさん!」

拓也は去ろうとするショーンを呼び止めようとするが、彼の足は店の外に向かったまま止まらない。

「色々と有難うございます。近いうちにまた挨拶に伺います!」

拓也の声にショーンは一度だけこちらを振り向いて手を振るが、彼はそのまま去ってしまった。
後には拓也とエレナの二人が残される。

「なんだか凄いことになってきたわね」

エレナがショーンが去っていったほうを見つめながら拓也に話す。

「あぁ なんというか、お金もチャンスも勢いの有る所に自然と集まるんだなって実感したよ。
最初はちょっと親父のコネを使っただけだったけど、色んな人脈が藁しべ長者みたいに増えていくな…」

拓也はそう言うと視線をショーンのいた方向からエレナに戻して彼女の手を握る。

「まぁ何にせよ、これで事業許可までの準備は整った!
まだまだやる事は多いけど、なんとかなりそうだって気がしてきたよ」

「うふふ。そうね。
まだまだ色々と大変そうだけど、一緒に頑張りましょ」」

拓也の言葉にエレナも笑顔で答える。
二人の栄華への道のりは、一歩一歩確実に進んでいるのだった。



[29737] 起業編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:08



ロシア領事館


兵器工場の認可を求めてきた二人組が去った日の晩、息子のアレクサンドルが戻ってきた。
父であるニコライがいくら言っても連絡すら寄越さなかった息子に、あの二人組はどんな魔法を使ったのだろうか。
ニコライがその事について聞こうとするが、息子は帰ってくるなり就職の世話の礼を言うと、荷造りしてまた出て行ってしまった。

「それにしても、宜しかったのですか?」

窓辺で息子が出ていくのを見ていたステパーシンの後ろから、一人の将校が声をかける。
ウラジーミル・ツィリコ大佐。
国後・択捉島に展開する第18機関銃・砲兵師団の師団長だ。
彼もまた、本国との連絡のために領事館に来ていた。

「兵器工場の事か? しかたあるまい。どちらにしろ、クリルの産業構造では全て自前で調達するのは不可能だ。」

「でも、材料はともかく製造まで任せることは無かったのでは?」

ツィリコ大佐がもっともな疑問を口にする。
兵器製造という重要なことに対し、あえてヤポンスキーに任せずとも自前でやればいいのではないか?
その疑問に対し、彼はこう答えた。


「大佐。考えてもみたまえ。今回の異変で我々は外界から隔離された。
しかし、すぐに元に戻るかもしれん。そこのところは誰にもわからんがね。
そのなかで、日本人が我々の補給を引き受けるといってきたのだ。
それも、我々の首輪付きでな。
仮に異変がすぐに解消し、全てが無駄に終わっても、大損するのは日本人であり我々には何も損はない。
そして、このまま異変が続いても我々は武器の製造ラインを維持できる。
安全保障上、物資の貯蔵と同じくらい製造ラインを保持し続けることが重要なのは君も知ってのとおりだろう。
それに、彼らは我々の認可の下で製造を行うのだ。
もし、コントロールが利かなくなった場合、認可を取り消して工場を接収することも可能なのだよ。
まぁ 私としては、息子の勤務先にそんな国営ガス企業みないな真似をする気は無いがね。」

ニヤリと笑うステパーシンに、ツィリコ大佐も納得がいったように笑って応えた。
全てが手の上の事。
この時、ふたりはそう信じていた。






異変14日目


北見市


その日、地元では最大の信金から、拓也とエレナの二人が出てきた。
だが、その表情はどこか暗い。

「Fuck!たった2千万でどうしろってのよ!」

自動ドアが閉じたのを見計らって、エレナの口から思わず悪態が出る。
2千万円。億に届きもしない金額が、現在の拓也達への評価だった。
事業許可を得て以降、様々な金融機関の開業資金担当部署を回り、全ての融資可能額を足しても1億に届くか怪しい。
平和な日本の金融業者は、銃器メーカーを起こそうと言う者への信頼は低いものだった。

「ねぇ、あなたもそう思わないの?」

エレナは拓也に向かって叫ぶ。
だがしかし、当の拓也は片手でエレナを静止させると、携帯でどこかに電話を掛け始めている。
流石に電話中の相手に突っかかるのはどうかと思ったのか、エレナは頬を膨らませながら拓也の電話が終わるまでソッポを向く。

「…ええ、メールでお送りした通りです。 …はい。 
…そこは其方の判断に任せますので、ご満足頂けた分だけ…」、

拓也はツンケンするエレナを放置しながら電話に集中する。
パッと見、片手であしらったことで怒ってるなとは思いつつも、そちらは後回しだ。
そして、ようやっと電話が終わると、それまでそっぽを向いていたエレナがくるりと拓也のほうに振り返る。

「で!あなたはどう思うのよ!」

ガルル…と唸るように拓也に詰め寄るエレナ。

「あ?えっと、融資に関する話だっけ?
まぁ 仕方ないんじゃない?
事業経験もない奴らがイキナリ図面持ってきて『これ作りたいから金貸して』なんて言っても厳しいよ」

融資の依頼当たって、拓也達は事業計画及びに例の図面一式を用意していた。
ステパーシンの助けもあってか、コスチャから送られてきた電子化された図面類。
コスチャ曰く、手順書は手に入れることは出来たが、なかなか治具図面類が手に入らなくて困ってきたところに、一人の黒服の男が家に尋ねてきたそうだ。
その男は、電子化された製品や治具の図面類を拓也に送るよう頼むと、他にデータが流出した場合、命の保証はできないと言葉を残して消えたそうだ。
ビビるコスチャに感謝を伝えつつ、拓也はエレナの助けを得て最低限のQC工程表や作業手順書類を和訳。
そしてそれらを持って幾つかの金融機関を回っては見たが、結果は厳しいものだった。

「あなた分ってたの?! じゃぁこれから一体どうするのよ」

エレナがヒステリックに拓也に詰め寄る。
だが、拓也はそれをどぅどぅと暴れ馬を落ち着けるようにいなし、その心のうちを説明する。

「まぁ、待て。
資金については、まだ策はある。とりあえず、結果が出るまで一時保留だ。
それよりも考えなきゃならない事はほかにもある。
用地買収から機械設備の目処をつけなきゃならないしね」

「う~…。でも、お金が無きゃ全部絵に描いたもちじゃない」

エレナが心配そうに拓也に聞く。

「まぁ そうなんだけどね。
でもまぁ、予想では数億はゲットしたい。いや、する。むしろ出来るはずだ!…と思うので
それを念頭に行動します」

「……なんか今、希望的観測で失敗する典型例みたいな言葉があったけど本当に大丈夫?」

「まぁ 何にせよ。今は立ち止まらず積極的に前進するべきだよ。
気分的にはスターリングラードを思い浮かべてもらえればいいよ。
成功のためには競合他社が現れる前に一心不乱に走るしかない。そして資金という名の弾は突撃の最中にゲットすればいい」

「大祖国戦争の激戦地の例で例えられると嫌な感じね。
でも、それならベルリン占領っていう最終的な成功は約束されたような感じもするわ」

大丈夫という根拠はない。
だが、そんな中でも笑いかけてくる拓也の笑顔を見ているとエレナも不思議と安心してきた。
5月4日という勝利の日は道のりは険しいけども必ずやってくるような気がしてくる。

「まぁ そんな訳でさ。
今ちょうど良い催しが札幌であるんだ。
なんでも、道庁のほうで道外資産を売却して買いあさってる産業機械類を格安でリースする説明会なんだそうだけどね。
まぁとりあえず話を聞いて、欲しい機械類について粉掛けておけば、資金調達後の行動もスムーズだしね。
仮に資金調達に失敗したらキャンセルしちゃえばいい」

「ふぅん。
まぁ そういう事なら、一度行って見た方がいいかもね。
それにしても、もうそんなのが始まってるの?
お役所とは思えない行動の速さね。」

「なんでも、知事がその決定を下した後、行動が遅いと散々マスコミに叩かれた政府が本気で後押ししてるらしい。
ニュースでは、内地から中古の工作機械が消えて、続々と青函トンネルからこっちに送られているらしいよ」

「じゃぁ また札幌行きね。
せっかく北見に戻ってきたのに、また武ちゃんと離ればなれだわ」

エレナは、子供と離れるのが寂しいと話ながらも、これも子供の将来の為だと割り切る。
色々は不安や葛藤を抱えつつも、彼女は未来へ一歩づつと進もうとする夫を信じて、彼の背中についていくのだった。



異変15日目


札幌 

札幌流通総合会館



この日、拓也とエレナは、道庁が中心となり設立した道外売却資産運用ファンドの企業向け説明会に来ていた。
この説明会は、ファンドが道内の産業振興のために内地で買いあさった工作機械のリースに関する説明が主だったのだが、
全道から工作機械を求めてやってきた企業はもとより、その集まった企業に対する自社製品の売り込み目当ての企業も集まるという北海道史上空前の大商談会場となっていた。
本来は商談会ではないのだが、ちゃっかりブースを構える企業がでて会場の運営側がそれを黙認すると、他の企業もそれに続き、今では会場外にまで企業ブースが立っている。
そんな熱気の中、格安でリースされる機械類は、すぐに契約済みとなって「ご成約」と書かれた札が貼られ会場から搬出されていくのだが、道も政府も本気になって全国から買いあさった機材を次々と運び込むため、3日目を迎えても熱気は一向に覚める気配はなかった。
そんな、熱気あふれる会場内に拓也達はいた。

「これで、だいたい揃ったかな。プレス機、大熊の横旋盤、ヤマダマザックのNC加工機にマシニングセンタまでリースできたよ。」

拓也は満足げな顔でエレナに話かけると、エレナは逆に心配そうな顔で言った。

「そんなに確保して大丈夫なの?あとで、資金調達に失敗したとか嫌よ?」

「それが、このリース契約は最初の5年は無償で、その後もリース費用はそれほど高くないんだよ。
ちなみに希望すれば、格安で買い取れるって説明会の資料にもあるよ。
まぁ、資金調達の秘策が失敗したら、金融機関から借りた資金だけで工場建屋も中古を借りて体裁を整えつつ、5年以内に軌道に乗せるよ」

心配すんなとエレナに語る拓也
全く根拠のない自信だが、その嬉しそうな顔を見て、エレナもまったくもうと表情を緩める。

「それでこれからどうするの?他に要るものはないの?」

エレナが次の予定について聞いてくる

「本当は個人的な趣味からすると結構な数が入荷されてる金属粉末積層加工機ってのが欲しいんだけど、使いどころが無いので諦めた」

「金属粉末?」

エレナが首を傾げる

「金属粉末積層造形って技術があるんだけど、簡単に言うと金属用の3Dプリンタだよ」

「3Dプリンタ?」

「そう!従来の焼結法じゃなく粉末金属を溶融させて積層するから強度も高いし、従来技術では面粗度に問題があったけど昨今の技術革新で三角4つ、つまりRa0.05クラスも出来るようになっているんだ。
いいなぁ… 欲しいなぁ… 3Dプリンタ…」

拓也は饒舌に加工機の素晴らしさを語るが、製造業についてズブの素人のエレナには何を言っているかは理解できなかった
だが、当の拓也は視線の向こうに転がる機械類を見ながら、まるで玩具を欲しがる子供のような目で見つめる。

「そんなに欲しいなら貰ってこればいいじゃない?」

「うーん、でもねー。あまり量産に向かないんだよ。
試作品作りとかで、部品作りたいけど金型作る予算までは無いときに重宝しそうだけどね。
それにチタンとか難削材にも使えるのが魅力なんだけどねー。
うぁー… でも、何に使うかは別としても個人的には欲しいなぁ
それに、欲しいといえばヨツトヨ社の三次元測定機も良いなぁ…」

そういって拓也はまた機械群へその熱い眼差しを送る。
その様子は、まんま玩具が諦めきれない子供のようであった。
エレナはその様子を見て、呆れながらに言う。

「そういうのは儲かってからにしなさい。
んで?今日はこれでおしまい?」

エレナのその言葉に、拓也は名残惜しそうに機械からエレナへと視線を戻す。

「いや、用件はまだあって、こんだけ沢山の企業が集まってるんだから、製品を製造するのに必要な外注企業を探したいんだ」

「さっきの機械だけじゃ駄目なの?」

先ほどまでに色々と仕入れた機械だけでは不足なのかとエレナは拓也に疑問をぶつける。
そもそも、エレナはロシア在住時代は元ナースで現在は専業主婦。
製造業にかんしては予備知識も何もなかった為、一体どういった設備が要るのか余りイメージできていないようであった。
この事に関しては帰ったら一から教える必要があるなぁと思いつつも拓也が説明を始める。

「さっき買った機械は金属加工用だけだよ。たとえばウチの製品一つ作るにしても色々な工程があるんだ。
まず規格の素材を調達し、部品加工後は表面処理、それにグリップには樹脂が使われてるし、銃弾に至っては火薬も調達しなければならない。
そして、それらを組み立てるには専用の機械を用意しなければならないよね」

説明する拓也は、理解してるのかは疑問だが相槌をうつエレナ相手にさらに説明を続けた。

「その中で、ウチがやるのは金属部品加工と組み立てだ。あとは他の会社から買う予定だよ。
たとえば、樹脂については釧路の新興樹脂メーカーを見つけたんで、さっき名刺交換して会社案内を貰ったし、火薬については美唄にある北海道帝国油脂って会社が自衛隊用にガンパウダーを作ってるって話なので、後日伺うアポを取ったよ。
なんでも、このメーカーは前までは産業用爆薬とかだけだったんだけど、最近になって雷管とかガンパウダーも作り始めたんだって。
正直なところ、あんまり詳細を詰めずに事を始めたもんだから、この会社がなかったら、危なかったよ。」

はっはっはと笑う拓也。
だが、話ている内容とその呑気さのギャップに、エレナは怒りの声を上げた

「こんの馬鹿!!笑い事じゃないでしょ!?もし、その会社が作ってなかったらどうするつもりだったの?
子供の未来もかかってるんだから、もうちょっとしっかりやってよ!」

犬歯をむき出しにして怒るエレナの余りの迫力にビビる拓也。
ヤバい、地雷を踏んだ!
拓也は彼女の表情をみて身構える。
大筋の計画は立てたけど、その後はその場その場で考えて行動してるなんてバレたら、本気で殺されるかもしれない。
そんな事を考えながらビビる拓也に更に大激怒しているエレナ
その恐ろしさに周囲からも注目され始め、拓也の周囲から人々が避けるように離れ始めるている。

「ま、まぁ、結果オーライって事でさ。他の人も見てるし抑えて抑えて…」

いまだ唸り声をあげてるエレナも、周囲に注目されてはこれ以上怒ることもできず、なんとか怒りを抑える。

「まぁ このことについてはもういいわ。
あともう一つ質問なんだけど、組み立てには専用の機械がいるって言ってたけど、それは調達して無いわよね? どうするつもりなの?」

エレナの圧力から解放された拓也は、助かったとばかりに溜息を一つ吹いた後に答えた。

「AKについては手作業で組み立てで問題ないんだよ。ロシアの工場でも途上国の町工場でもそうだし。
それより弾薬の製造用に必要なんだ。あれは、量を作ってナンボだからね。
幸いにしてラインの図面はあるので、それの小規模版を産業機械の製作会社に発注しようと思ってる」

「特注品ってわけね」

そういうことなのねと納得したエレナに言葉を続ける。

「他の汎用機械類についてはここでリースできたけど、これは受注生産になるからね
多分、設備投資の中で一番高くなる。まだ見積もり依頼した段階だけど、ちょっと価格面で心配だよ」

恐らくはこれから細々とした設備も色々と揃えなければならない。
資金調達に失敗したら本当にどうしようかと拓也は思いつつ、次々に出るエレナの質問に拓也は答えていった。




同日

同会場内


多くの企業人でごった返す会場内を、高木はるか知事が秘書と視察に来ていた。
北海道だけでも経済が成り立つように、道が全力で取り組んでいる事業だっただけに、彼女はその成り行きが気になっていた。

「随分と企業が集まっているわね。リース目的じゃない企業までブースを開いてるし」

大商談会と化した会場の盛況ぶりに気を取られながら、後ろに続く秘書に声をかける。

「そうですね。第二次産業が弱かった北海道が、これで大幅に製造業を増強できます。
もし、仮に膜が消え去った時に、これならば内地と製造業で張り合えるかもしれませんね」

秘書もその熱気に半ば飲まれたようだ。
興奮気味に高木の言葉に返答する。

「まぁでも、工作機械の導入で中小企業は発展するでしょうけど、…問題は技術力ね。
技術力のある大企業に対し、政府を通じて道内の子会社に技術情報を集積するようにしてもらったけど、道内に拠点のない産業界から技術を引き出すのは流石に難しいわ。
無理に技術の開示を求めても、膜が元に戻った時は自社技術が漏洩してしまうので絶対に拒否するし、残る手段はM&Aで強制的に技術を奪うしかなくなるわ。
それに奪ったとしても産業拠点を一から作らなければならないので時間も必要になるし… ふぅ、物資統制はまだまだ続きそうね」

高木知事が言っているのは北海道には無い半導体等の工場の事だ。
北海道には小規模な半導体メーカーもあるにはあるが、DRAM等の大規模メーカー工場は存在していなかった。
そこで、内地のメーカーに技術援助を要求したが、要請された側にしてみれば北海道が仮に戻ってくることがあった場合、自社技術が大々的に漏洩している事態になる。
半導体技術の漏洩と産業スパイ行為で過去に隣国の国策メーカーから苦い経験を受けていた為に全て断られた。
次に行われたのが、中国などの供給過剰で会社が傾きかけた海外メーカーに対するM&Aだった。
性能は世界の先端からは劣っても、ほどほどの物が作れれば良かったので事業規模が小さく買いたたくことができたメーカーから、技術は劣るものの製造に関するすべての技術を奪うことに成功した。
だが、技術があっても生産ラインがなければ何もならない。
既に道内に官製工場の用地選定を急がせているが、物が出来上がってくるのは早くても3年後という予測が出されていたう。
それまでは、PC等の機器は新たに製造できなくなる。
在庫でどうにかするしかないのだ。
道民の皆さんにはこれから数年は物資統制による様々な不便を感受してもらわなくてはならないだろう。
そんな暗い話題について秘書と話ていると、会場の一角から大きな叫び声が聞こえた。

『こんの馬鹿!!笑い事じゃないでしょ!?』

なにやら、二人の男女が喧嘩をしているようだ(まぁ喧嘩と言っても男の方が一方的に怒られているだけのようだが)
その二人の手には、色々な企業の会社案内などが握られているのが見えた。

「結構若い人にも見えるけど、起業するのかしら?
ちょっと興味が湧いたわ。ベンチャー企業にエールを送りましょうか」

そう決めた知事は、二人のもとに人の波をかき分けて近づいて行った。



一方で、拓也とエレナはというと、落ち着きを取り戻したエレナの質問に対し、拓也の色々と説明している。

「…というように、製造業では工作機械の他にも検査道具も一式そろえなければならないんだよ。
某重工系の軍需やってるところは、だいたいヨツトヨ社製で揃えてるから、ウチもそうしようと思う」

エレナへの講義はいまだ続いていた。
今話ている内容は、『品質保証と計測器について』
正直なところ、エレナが理解しているかは二の次で、拓也の自己満足に近かった。
明らかに(もういい加減にしてよ)という表情をエレナは浮かべているが、それが分っていても拓也は止まらない。
定期校正とトレーサビリティの重要性。それらを語り尽くし、拓也が更にヒートアップしてきたところで不意に視界の外から声をかけられた。

「あなた達、ちょっといいかしら?」

自分の世界にトリップしていた拓也が、その声のした方向に振り向くと、落ち着いた雰囲気の女性と、そのお供と思われる男性が立っていた。
ん?どこかで見たことがある気がする。
拓也はその女性が記憶のどこかに引っかかると思い、そして思い出した。

「も、もしかして高木知事ですか?」

その女性は、ええそうよと答えると、にっこり微笑んできた。

「あなた達、お若いのに積極的に動き回っているようね。ベンチャー企業の方?」

なぜかは知らないが、知事がこちらに興味をもって声をかけてきてくれた。
著名人と会話する機会があって嬉しいのが半分と、道のトップに名前を知ってもらって損は無いなと思う打算半分に、拓也はにこやかに返す。

「ええ!これから新しく工場を作ろうと思いまして、本日はその機械の調達と商談をしに来ました。
それと申し遅れました。私、石津拓也と申します。こちらは妻のエレナです。」

拓也の紹介にエレナもどうもと会釈する。
それを見て、高木も気づいたようだ。

「あら、お嫁さんは外国の方?」

その問いかけに、エレナも緊張気味に答える。

「はい、ロシアから来ました。」

「二人で日本とロシアの間に立ったビジネスをと思いましてね」

エレナの自己紹介と拓也の補足を聞いて、高木は驚いたように目を見開いて拓也達をまじまじと見る。
彼女も意外だったようだ。

「今回の騒動で、南千島と北海道が一緒に隔離されてしまったけど、あなた達みたいなのが間を取り持ってくれると両地域にとっても好ましい事ね。
ところで、何の商売を始めるのかしら?差支えがなければ教えて下さる?」

同じ境遇にたった両地域の交流は望ましい。
そう思い笑顔を浮かべながら聞く高木に、拓也が笑顔を崩さずに平然と答えた。

「銃火器の製造です。」

「…」

誰しもが予想だにしなかった答えに、一瞬空気が凍る。
高木にしてみても、まさか銃を作るなど予想の遥かに上だったのだろう。
平然を装いながらも、どこかぎこちなく見える。

「じゅっ銃ですか? でも、許認可の類はどうしたんですか?
誰でも作れるようなものではないと思いますが…」

その質問に対して得意げな表情で拓也は答える。

「既にロシア側の許可は頂いております。製造工場も国後ですし」

知事の表情が曇っていく、道が集めた機材を使いロシアの武器を製造するというのだ
この男は一体何を考えているのだろうか?
疑惑の眼差しが拓也に突き刺さる。

「あなたの事業はロシア側に一方的に利益を与えているように見えるわね。
自衛隊の補給も先が見えない中で、こんなことが許されると思うの?
この場で、私がリースの取り消しを命じたらどうなるかしら?」


もし、本当に売国奴なら… この青年には報いを受けてもらおう


そう考えながら高木は拓也に質問するが、その言葉を予想してたかのように拓也は答える。

「えぇ。確かに今はロシア向けの製造のみですね。
私どもはロシアの兵器メーカーから各種の図面から技術資料まで入手しておりますので、資金と設備の支援があれば大抵のロシア製小火器は製造できるでしょう。
それと、知事。ご存知ですか?
ロシアは東側規格の武器を世界に売っていると思われますが、実はNATO規格の弾薬も輸出しているのですよ。
当然、私どもの入手した資料の中にもそれはありました。
自衛隊の89式小銃は確か、NATO規格の互換性がありましたね。
まぁ あくまで仮定の話ですが、将来的に道内でも許認可がいただけるのであれば、道の安全保障にとって有益だと思いますよ。」

満面の笑顔で語る拓也。
だが、高木の疑惑の目は未だに晴れた訳ではない。

「しかし、なぜ武器なのです? もっと平和的なビジネスもあったはずでしょ?」

もっともな疑問であったが、拓也にとってみれば取るに足らない疑問でもあった。

「例え、自分たちがやらなくても他の人がやることです。
それに、内地と分断された今、北海道にない産業に参入を起こすのはチャンスなんですよ。
無論、許認可等の利権の関係上、困難もありますが。
向こう側は、私たちを自分たちの許認可の下でコントロールできると思っているでしょうが、サプライチェーンは道の影響下にあります。
つまり、道と南千島の友好が保たれている間でしか私たちのビジネスは機能しません。
いいかえると、向こう側の弾薬補給は、北海道と友好関係を結んでる状況に限り維持できるという事です。
そして、この二つの地域がそれぞれ別々に独立を保つってのは並々ならぬ困難があると思うんです。
北海道は南千島の石油が、向こうはこちらの物資が必要ですし、いずれ二つの地域は統合するんじゃないかと読んでいます。
そうなれば、私たちは安泰ですね。
武器弾薬の製造が平和の維持に一役買うことになるのです」

拓也の話を聞き、高木知事は驚いた。
目の前の青年は、殺人兵器を作り出すことによって平和を演出しようとしているのだ。
まぁ 建前が本音かは別としてもだ。
彼の話を聞く限りは、別に彼らがやらなくても同じ状況は作れそうな気がしたが、すでに向こう側の許可を受けているという。
そうなれば、製造元を絞った方が監視も用意だろう。
短い時間で高木はそう結論付ける。

「なかなかいい話が聞けたわ。実に興味深かったし、もうちょっとお話たいのだけれど
私はこの後のスケジュールが詰まっているので行かなければならないの。だけど、また機会があればお話しましょう。
がんばってねお二人さん。」

満足げに高木は感謝を伝えると、彼女は二人にエールを送ってその場を離れていく。
振り返れば拓也ら二人が、こちらの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
それから道庁への帰り道。
秘書の運転する車内で、窓の外から会場を眺めつつ知事は呟いた。

「なかなか面白い人と出会えたわね」

その言葉を聞いて、秘書はルームミラーで窓の外を眺める知事の様子を見る。

「銃を製造しようという二人組ですか?」

フフ…と秘書の言葉を聞いて高木が笑う。

「私の予想だけどね。 彼、この二つの地域をつなぐキーパーソンに成長する気がするわ」

高木はそう秘書に告げると笑みを浮かべたまま再び口を閉じる。
二人を乗せた車は、そのまま静かに道庁へと戻っていくのだった。




[29737] 国後編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:08
異変18日目


道内某所 スーパーにて




異変後、道内では物資統制が始まり、生活必需品に関しては完全な配給制になっていた。
しかし、一見するとスーパー等の商店への客の量はあまり変わっていない。
そんな中、一人の初老の婦人が買い物に来ていた。

「はぁ… スーパーがそのまま配給品の交換所になったから見た目には変化はあまりないけど、
配給外の品物の物価はすごい事になっているわね」

道は、道内で自給できる食品については配給制を敷き道民の食糧事情を保障したが、再入荷の見込みの無い食品は早々に統制をやめた。
生鮮食品の場合は腐るのですぐに無くなるし、何より南国の果物等が少々無くなっても命にかかわるというものではない。
そんな事情もあり、彼女は驚きの表情で値札を見る。
みかんやパイナップルの缶詰が恐ろしい価格になっていた。
すでに定価の10倍を超えている。
生のバナナなどは既に姿を消し幻の食品となっている。
温暖な地域の果物は北海道では取れない為、在庫が無くなればそれまでだった。
彼女は、そんな事を考えながら店内を回っていると、前方から見知った女性がやってきた。

「あら、奥さん。こんにちわ。
奥さんも配給を受けに来たの?
それにしても大変よね。さっき鮮魚コーナーを見てきたけど、沿岸の魚ばっかりで外洋の魚がさっぱり無かったわ。
配給券では、冷凍マグロとかは対象外だし…」

まったく!嫌になっちゃうわねとその女性が自分に語ってくる。
そうか、お魚も種類が減っちゃったのね。
そうがっくりしながら老婦人は目の前の主婦と話を続ける。

「でもそうなると、お肉はどうかしら?
北海道には牧場もいっぱい有るし…」

その疑問に対し、目の前の女性は手を横に振りながら答える。

「お肉のコーナーも見たんだけど、確かに一通りはあるんだけど一パックごとの量が少ないわ。
まぁ アメリカ牛もオーストラリア牛も入ってこないんじゃ、道民全てに行渡らせるには量を削るしかないそうよ。
店員さんもそう言ってたもの」

「じゃぁ 一体、何を食べればいいのかしら?」

老婦人が不満を口にする。
魚も種類が限られ肉も量はない。
いったい今日のおかずは何にすればいいのか。

「じゃがいも、たまねぎなんかは大量に配給されてるわね。あと、大豆も大量に配ってたわ。」

そういって主婦は、先ほどゲットしてきた食品を老婦人に見せる。

「なんでも、道内産の農産物が出荷できないんで大量に余っているそうよ。
しばらくは豆腐ハンバーグでも作って乗り切るしかないわね」

そういって苦笑を浮かべるながら話す主婦に、老婦人も苦笑いを浮かべるしかなかった。
なんたって非常事態である。
困っているのは自分だけじゃない。
そんな状況下では、日本人の忍耐力は強かった。

「それはそうと、お宅の息子さん達って帰省中でしょ?
こんな事になって、北海道に閉じ込められちゃったらどうするの?」

主婦は食料の話を打ち切ると、唐突に老婦人の息子の事を質問する。
彼女は、老婦人の子供たちが夏の帰省シーズンに帰ってきた事を前に会った時に聞いていたが、その後どうなったかは聞いていなかった。
それについて聞かれた老婦人は、それについてはねと頬に片手を当てながら説明する。

「この間、役所から調査が来てね。
家族構成から職業、仕事の内容まで根掘り葉掘り聞いた後に冊子を置いて行ったわ。
なんでも、道内に取り残された帰省中の人や観光客を集めて保護してるらしいの。
閑古鳥が鳴いている道内の観光地の宿泊施設を住居として一時的に開放するらしいわ。
なんでも、業界ごとに地域を分けて保護してるんですって」

それを聞いた主婦は、昼間に見たワイドショーを思い出した。
番組内では、道が道内の技術者を強制的に移住させている反権力的な思想のコメンテーターが批判をしていた。
彼女は、それが嘘かホントかわからないがテレビのいう事に疑問は持たなかった。
何より、目の前の老婦人の子供たちが其処に引っ越していったそうである。
テレビの言葉を借り、強制移住であると決めつけた女性は、非常時に強権を発動する道が悪者であるというイメージのまま話をする。

「息子さん、騙されているんじゃないの?
そもそも、食糧の不足も道が機械の輸送だか何だか知らないけれど、汽車の輸送を独占してるのが悪いのよ。
機械だの戦略物資?だの送る余裕があるなら、市民生活を守るために食料品を送るべきだわ」

不満を口にする女性に、そうなの?と疑問を口にする老婦人だが、次第に彼女も主婦の愚痴に感化されていった。
その老婦人も息子たちと一緒に孫まで出ていってしまった事に少なからず不満があったからだ。

物資統制後の北海道では、このような光景が道内各所で見られた。
異変前と変わらず、無責任な報道をするマスコミ。
そして、物資の欠乏と先の見えない不安感は道民の忍耐でなんとか抑えられているが、内部に発生した不満はゆっくりと、そして確実に溜まっていくのだった。













異変20日目




国後島 ユジノクリリスク



ロシア人が来る前は、古釜布と呼ばれた場所。
眼前に広がる海。
その中へちょこんと飛び出したかのような半島に、その町はあった。
そんな町の中に、一台の車が港から高台へ向かって走っていた。
アスファルトの上を滑る様に進む車内には、拓也達と案内人の男の3人が乗っている。
そんな車内の後部座席に座っていた拓也が、案内人の男に声をかける。

「いやぁ~ すいませんね。工場用地の斡旋までしてもらっちゃって。
それにしても、ステパーシン氏には後でお礼を言っとかなきゃダメですね。」

ホント、助かるなぁとエレナと笑顔で語る拓也。
彼らは、ほんの一時間前までは独力で用地を探そうと考えていた。
地図は見たが、初めて来る土地である。
そんな所で工業用地なんていう重要な物件を探そうというのだ。
彼らは好物件を探そうと気合を入れ上陸した。
だが、予想外にもそんな彼らを港で待っていたのは、ステパーシン氏から拓也達の案内を頼まれたという男だった。
彼は、名前ををエドワルド・コンドラチェンコと名乗ると、既に島内で好物件を何件か見繕っており、それを紹介してくれるといって二人を車に押し込んだ。
あれよあれよという間に、島内を案内されながら2件ほど物件を回り、最後の物件へと向かおうとしているところでエレナが指をさして拓也に言う。

「見てよ拓也。あっちに埠頭のすぐそばに工場が出来てるわよ。
なんだか凄い大きな機械を搬入してるし。
私たちも港のそばの方が便利なんじゃないの?」

その疑問に対し、エドワルドが横から説明する。

「あぁ あれは、国営のガスブランの工場ですね。
資金に物を言わせて立派な工場を建ててますが、当初は油田の修理部品を作るって話でしたね。
それと、あの立地は本来は港の倉庫を建てる予定だったのを、奴らが中央に話をつけて強引に取得したとか。
まぁ 一般の人には真似できませんね。
でも、異変のせいで、機械積んだ船が入港できなくなってしまって建物が浮いてしまったって噂ですよ」

「ふーん。でも、何か搬入してるみたいだね?」

彼の話では搬入する予定の機械が手に入らなかったというのだが、実際は目の前で何かを搬入している。
その疑問を拓也は口にしてみたが、エドワルドの口から期待するような答えは返ってこなかった。

「さぁ? あの連中が何を運んでるのか自分にはわかりませんよ」

案内人にも分からないと言われれば、これ以上知りようがない。
それに、たいして自分たちに関わりがなさそうな話だったので、拓也はこの話は終わりと話題を変え、次の物件へ向かう。
そうして着いた最後の物件は、町の外れにある工場跡地だった。
工場が閉じてからさほど時間は経っていないらしく、少々の割られたガラス等を修理をすれば直ぐにでも使えそうだった。

「ここは、以前は何だったの?」

中々よさげな物件をみて、エレナが詳細を訪ねる。

「資料によると、以前は水産加工場だったようです。
しかし、事業者が欲を出して不動産の投機に手を出した結果、手放したと書いてあります。
ちなみに、建物の裏に小さな桟橋があって、小舟程度なら繋留できるそうですよ」

桟橋?そんなものまであるのか。
どの程度の物だろうかと、拓也がワクワクしながら裏へ回ると、そこには小さな桟橋と倉庫があった。
倉庫のカギは壊れているようで、中を開けてみると台車に乗った小さなモーターボートが一艘あった。

「これも付いてくるの?」

拓也の質問にエドワルドが資料を読み返しながら説明する。

「えー 敷地内の全ての物の付で賃貸に出されてますから、これらも付いてきますね。」

正直なところ、船舶の免許は持っていなかったが、思わぬオプション付きの物件に拓也は心ひかれた。

「エドワルドさん。ここに決めました。即決です。」

まぁ 建物については他の物件も大差なかったが、拓也はそのオプションが気に入った。
拓也がこれを借りることを決めるとことを伝えると、普段は相談なしに物事を決める拓也に対し、彼の独断専行にしょっちゅう怒っていたエレナも同意して頷く。
どうやら彼女も気に入ってくれたようだ。
もっとも、彼女は「桟橋があるなんて素敵ね。今度、子供を連れて三人でクルーズでもしたいわね」
とビジネス以外の事を想像していたのだが。
そんな彼らを満足げに見たエドワルドは「では、契約に関することは不動産屋の事務所でしましょう」と、そそくさと車に乗り込んでいった。
その彼に続いて車に乗り込もうとする二人だが、乗り込む直前、エレナが何かに気付いた。

「ねぇ。さっきから、あの人たち私たちの事監視してない?」

エレナが指差すと300mほど離れた所に一台の車が止まっており、その周囲で2人組の男たちがこちらを向いているのが見えた。
しかし、距離が離れているため、ハッキリと確認できない。
拓也は気のせいだよとエレナに言い聞かせて、エレナを車に押し込むが、彼女は彼らが視界から消えるまでじーっと見つめていた。

「まぁ このあたりも石油が出るようになってからチンピラが増えましたからね。
注意するに越したことはないですよ」

エドワルドはチンピラなんて珍しくも無いと言うと、島内に用意した事務所まで車を走らせる。
エレナも「ふーん」とその言葉を聞くと、それまでの興味を失ったようだった。
そして、あれよあれよという間にエドワルドの事務所に着くと、その後の展開は早かった。
既にステパーシン氏の手回しで契約書類などがすべて揃っていたため、必要書類にサインし、小切手で支払いを済ませた。
物件自体が地価が恐ろしく低いために格安の賃料であった為、賃貸料を支払ってもかなりの金額が手元に残る。
機械設備も格安で手に入れたし、とりあえずは需要の高い弾薬の製造を始めれば、何とか事業は軌道に乗せられるはず。
そんな事を考えつつ全ての手続きがおわると、ホテルにチェックインして今日はもう休むと二人は決めた。

「これで、拠点が手に入ったわね。」

ホテルの部屋で、窓辺に腰かけながらエレナが満足そうに言った。

「そうだね。あとは機材を運ぶだけだから、道庁と運送屋に連絡するだけさ。
これで機材が到着するまで、少しだけの休暇というわけさ。」

本来は工員の採用から、社則の制定など、やることは色々あるのだが
拓也はあえて考えないようにした。
何せ、異変の開始から今日にいたるまで精力的に道内を飛び回り、果てには国後島まで来ていた。
少しばかりの休息が必要だった。

「でも、こんなに自然が綺麗なところなら、武ちゃんも連れて来たら良かったわね。」

実家に預けてきた子供を思いエレナが寂しそうな顔をする。

「全部の準備が整えば、いつでも来れるよ」

拓也はエレナに優しく声を掛けつつ彼女の肩に手を置いた。
そんな二人を窓の外から見つめる影がある。
しばらくすると、新たな影がやってきて、もう一方の影が離れていく
だが、正確に言えば、その影を見つめるもう一つの影があった。
エドワルドである。
彼は拓也達を見つめている影から巧妙に姿を隠しつつ、その後をつける。
尾行されているとも知らず、その影は一つの建物に入っていき、その様子をエドワルドはバッチリ見ていた。

「やはり、奴らか…」

影が入っていった建物は、昼間に拓也達に説明した真新しい工場だった。
拓也達に島内を案内してる途中、エレナが不審に思うずっと前からエドワルドは尾行に気付いていた。
そもそも、なぜ彼がこんな事をしてるかというと、それは数日前に遡る。



札幌

ロシア領事館


この日、彼はツィリコ大佐に呼ばれていた。
出頭に応じ、案内された一室に入ると
そこには、ステパーシン南クリル臨時代表とツィリコ大佐が立っていた。

「やぁ よく来たね。コンドラチェンコ大尉。
どうだね?君も一杯飲むかね?」

ステパーシンがウォッカのグラスを片手に声をかけてくる。
それを丁重に断りつつ、敬礼を返すとエドワルドに対しツィリコ大佐が今回の呼び出しの説明を始めた。

「忙しいところすまんな大尉。
今日呼び出したのは、君にある人物の護衛をしてもらいたい。」

「護衛…ですか?」

エドワルドが聞き返す。
それは一体どのような任務なのであろうか。

「あぁ それも、護衛対象には秘密でだ。
護衛対象は石津拓也という日本人と、彼の妻のエレナ。ちなみに彼女はロシア人だ」

そういって、大佐は二人の写真をエドワルドに見せた。

「この二人ですか… しかして、この二人は一体何者ですか?」

エドワルドは率直な疑問を口にする。
すると、グラスを持ったまま椅子に腰掛けたステパーシンが説明を始めた。

「彼らは、国後に我々の補給を担う武器工場を作ろうとしている。
君の任務は、私から工場用地の紹介を依頼された案内人として彼らに接触し、彼らに感づかれないように護衛してくれ」

なるほど、武器商人か。
エドワルドは彼らが何者かは納得がいった。
だがしかし、それが分ると当然次の疑問が湧いてくる。

「しかし、彼らは一体何から狙われているんですか?それに護衛していることを隠す意味は?」

護衛をする以上、必要な情報は多い方がいい。彼の疑問の内容はもっともだった。

「単刀直入に言おう。
ガスブランの奴らが不穏な動きをしている。
つい先日、奴らもまた武器製造の許可を求めてきた。
だが、すでに彼らにも許可を与えていることを知ると、強硬に認可の取り消しを要求してきたよ。
なぜだかわかるかね?」

その質問にエドワルドは率直に答えた。

「武器生産を独占する為ですか?」

その答えを聞いて、フフンと鼻で笑うとステパーシンは続けていった。

「半分は当たりだ。だが奴らにはもう一つ思惑がある。
奴らは武器の生産を独占することで軍との関係を強化し、十分な手回しの後に私を失脚させる腹積もりだ」

エドワルドは驚いた。
一介の国営企業がそこまでやるのか。
それに何の証拠があって臨時代表はそう断言できたのか。
その表情を見て、今度はツィリコ大佐が説明をする。

「実はな、私の所に一部の士官からタレこみがあった。
ガスブランの幹部の一人が内密に接触してきたそうだ。
賄賂と一緒にその計画を語り、その計画では臨時代表はもとより、軍内部でも中央の息のかかってないものを一掃しようというものだったそうだ。
その後、士官は贈賄を受け取って承諾の返事をしたそうだが、奴らの思惑が外れたのは、その士官がそのままこっちへ報告に来たことだな」

その話を聞き、難しい顔を崩さずにエドワルドは質問を続ける。

「しかし、彼らはなぜ其処までしようとするのでしょうか。
派閥は違えども同じロシア人同士じゃないですか」

それを聞いたステパーシンは、愉快な話をするかのように笑って答えた。

「なに、それは簡単なことだ。
異変前、奴らは大統領の後ろ盾を得て、さも極東の支配者のようにふるまってきた。
それが膜に隔離されるや否や、大統領の息のかかっていない者が首班となり、今までのような強権が使えなくなった。
奴らは、それがたまらなく気に入らないのだよ。」

難儀な奴らだと呟きながらステパーシンは持っていたグラスを空けた。
あのクソ共めとステパーシンは悪態をつく、エドワルドはそうした全ての説明が終わった時、とんでもない騒動に巻き込まれたことを悟るのだった。



異変21日目



拓也は、その日の朝から取得した工場に来ていた。
その工場は、傍目にはまだ十分使えそうだったが、所々窓ガラスが割れていたり、床に結構な雨漏りの跡もあったりした。
そんなわけで、現地の工務店に修理を依頼し、現在は見積の為の調査中だった。

「この程度なら、工期は5日程度ですね。」

工務店の社員が言う。
まぁ そんなもんか…
素人目には大がかりな修理は要らないかなと思ってはいたが、工務店に見てもらったところ、窓ガラスの交換と屋根の補修だけで大丈夫なようだった。

「これなら、補修している横で機材の搬入を行っても大丈夫ですかね?」

拓也が質問に工務店の社員は、にこやかに答えた。

「大丈夫ですよ。
それにしても、この島で何を始める気なんですか?
この前も、ガスブランの方が工場建ててましたけども、やっぱり石油関係ですか?」

「いや、石油じゃないんですけどね。
ちょっとした機械類ですよ。」

拓也ははぐらかして答える。
何せ兵器工場だ。
正式に稼働するまでは余りベラベラと関係者以外に喋るべきではない

「へぇ~… で、何時ごろ搬入されるんです?」

「既に機械類は北海道で出荷準備は終わってるので、連絡を入れれば3日で搬入できますね。
工場の補修の方も並行作業で大丈夫という事ですので、これから連絡しようかと思います。」

拓也がそう教えると、工務店の社員は「3日後ですか…」と呟きながら頷き、見積は後程お送りしますと挨拶をして帰って行った。
それを見送った拓也にエレナが後ろから話かける。

「で、これから搬入を運送屋さんにお願いするとして、その後は?」

「そうだね~ まぁ 社則や品質マニュアルといった決まり事を作りつつ、人を雇う準備をしよう。
俺は、社標準を作ってるから、エレナは島の職業安定所で求人を出してきてくれ。」

「わかったわ!で、何人くらい集めてくればいいの?」

「まぁ 最初は工場作るから面接やるよって感じで告知だけしてきてよ。
設備が全部来た後で面接やって、それで必要数だけ採用するから。」

分かったわと言って、エレナは張り切りながらエドワルドの車に乗ると国後の職業安定所へ向かう。
土ぼこりをあげて車が走り去った後、一人残った拓也は背伸びを一回すると、「じゃぁ 俺は俺の仕事をやりますか」と独り言を呟いて工場の中に入っていった。
工場の中は、前の所有者の機械等は既になかったものの事務所の机や椅子などは、そのまま残っていた。
拓也はその内の一つの埃を払うと、椅子に座ってノートパソコンを広げた。

「さて、社則から品質マニュアルの作成まで、事務仕事もいっぱいあるなぁ」

転移後、会社に出られなくなったが故に事務仕事から解放されていた拓也であったが、こちらでも働かなければならない以上、それらから逃げることはできなかった。
凄く面倒くささがにじみ出た表情で、観念したかのように1枚のSDカードを取り出すと拓也は中に入っている書類の確認を始める。
このSDカードは、国後に渡る前、なんとか連絡を取った会社の後輩に頼んで送ってもらった前の会社での仕事データだった。
拓也は異変の前はメーカーで品質保証をしていたが、その内容は部品検査から外注業者の監査まで多岐に渡った。
その中で、拓也は外注業者の品質システム監査記録を全部スキャンさせ送らせていた。
まぁ 後輩は机の中で山となった書類をスキャンするので文句を垂れていたが、個人持ちの道具類を全部譲ることで渋々やってくれた。
そんな訳で、拓也が今作ろうとしているのは品質マニュアルと呼ばれる文書だ。
これは、簡単に説明するなら、安定した品質を維持するための会社全体としての決まりである。
もし、今後、自衛隊との取引があった場合(拓也はやる気満々だ)、品質が低いと自衛隊の検査に通らない。
何せ官需の顧客検査では、提出書類に少々の誤記があっただけで検査中止である。
そんな非常に厳しい顧客要求に備え、会社を立ち上げる時から形を整えなくてはならないと拓也は思っていた。
まぁ 実際やってることは、似た業務形態の会社の品質マニュアルを自分たちに合わせて切り貼りしているだけなのだが…
そんな作業を1時間ばかりしていると、不意に工場内に物音が響いた。



カコーーーン…



工場内で何か倒れた音がする。

「エレナたちは、もう帰ってきたのかな?」

そう思い拓也が事務所のドアを開けようとすると、完全に閉まり切っていなかったドアの隙間から見知らぬ男たちが見えた。


!!!!


咄嗟にドアを開けるのをやめ、拓也は隙間から様子を伺う。
そこには屈強な体つきをした2人組が工場内を物色していた。

なんだ??泥棒か?
やばい!やばいぞ!!取られるものは特に無いがあんなゴツいやつと喧嘩して勝てるとは思えない。
それも複数だ。
下手したら、口封じに殴り殺されるかもしれない…

拓也は縮こまりながらその様子を伺うと、この状況をどう乗り切るか考えていた。

「逃げるか?」

入口は奴らがいるし、窓から逃げるしかないか…
そう決めた拓也は、息を殺しノートパソコンを回収すると、静かに窓を開け、そのサッシに手をかける。

その時だった。

ガチャリと開くドア。
一瞬、ドアを開けた男と目があった。

……

凍る空気

次の瞬間、拓也は一心不乱に窓から飛び出した。

「ヤバイヤバイヤバイ!見つかった!」

全力で駆け出す拓也、後ろで男も大声で何かを叫び追いかけてくる。
いかん!普段から運動不足の上、ノートパソコンまで持ってる。このまま捕まったら、殺されてケツを掘られた上で殴られる!
拓也は混乱した思考のまま全力疾走した。
走って走って足の筋肉が悲鳴をあげても走り続けた。
そして、追手の姿を確認しようと一瞬だけ後ろを向くと、そこには既に追手の姿は無かった。

ブロロロロ…

近くで車のエンジン音が聞こえる。
その音の方角を見ると、すぐそこまでエレナ達の車が来ていた。
尋常じゃない拓也の様子を見て、エレナが車から降りると心配して駆け寄ってくる。

「どうしたの!?」

全体力を使い切った拓也はその場にへたり込み、エレナに何が起きたか説明を試みる。

「ど…ど…どど…」

全力疾走の後の為、なかなか声が出ない。

「どど? ドドリアさん?」

「違う!どっ泥棒が出た!」

ようやく落ち着いた拓也はエレナ達に事情を説明する。
事務所で仕事をしていた事。
物音に気付いてドアの外をのぞいたら見知らぬ二人組がいた事。
窓から逃げようとしたら、一人が入ってきて全力疾走で逃げた事。
全てを話終えた後、介抱してくるエレナの後ろに立っていたエドワルドが、拓也の話を聞いて真剣な顔つきで口を開く。

「とりあえず、警察に電話しましょう。それと、今日はもうホテルに戻りましょうか。」

拓也はエドワルドの提案に乗ることにした。
何にせよ、今日はもう仕事をする気にならなかったので、早くホテルで休みたかった。
エドワルドは即座に携帯で警察に連絡をすると、通報を受け駆けつけた警官がパトカーに乗って現れる。
拓也は警官らと一緒に一度工場に戻り、特に何も盗まれていなかった事を確認したのち工場を離れてホテルへ向かった。

「ここら辺ってそんなに治安が悪いの?」

エレナがエドワルドに聞く。

「いや、もともと人口の少ない町なので、泥棒すら滅多にないんですが…」

「でも、不審者が出たわ。
それにしても、まだ何にもない工場に何しに来たのかしら? 不思議ね」

エレナが疑問を口にする。
その通りである。
あの工場自体、今朝までは施錠されて閉鎖された工場だった。
それがまた稼働するので、住民に求人をだして告知したのは、不審者が現れたのとほぼ同時刻
泥棒なら、何もない工場に来るだろうか…
まぁ若者がアンパンを吸うために集まったっていうなら話は分るが、あの場にいた不審者はとてもそんな感じには見えなかった。
拓也はそんな事を考えつつ、不審者の正体について憶測を広げていると、何時の間にやらホテルのそばまで車は来ていた。
そして拓也は目を疑った。

「ストップ!!!」

車内に拓也の声が響く。
あわててエドワルドがブレーキを踏み急停車し、不意に急停車したため姿勢を崩したエレナが起き上がりざまに拓也に問う。

「いったい何よ?」

「あ あいつだ!!」

拓也がホテルの入口に立つ集団を指差す。

「いったい、どいつよ?」

「あの!集団の真ん中に立ってる奴!間違いない!今日見た奴だ!」

拓也の指差す先には、ホテルの前で取り巻きに指示を出している男がいた。

「なんであいつがホテルの前にいるんだよ!」

拓也が叫ぶ。
そしてエドワルドは拓也の叫びを聞きつつ、声のトーンを落として拓也に話かける。

「…なんにせよ、今はホテルに戻らない方が良いでしょう。
とりあえず、工場に戻って対策を考えましょうか。」

そうしてそのまま完全にビビってる拓也を気遣いながら、一行は来た道を引き返す事にした。









その日の夜。


工場の応接室のソファーでエレナが寝息を立てている横で、エドワルドが持ち込んだランタンの明かりを囲むように拓也とエドワルドが座っていた。
その手にはグラスが握られ、足元には蓋の開いたウイスキーが置いてある。
エドワルド曰く、栄養ドリンク替わりだそうだが、飲みすぎて潰れても困るし、断っても失礼だと思ったので、一杯だけという断りを入れてグラスを受け取った。

「一体、奴らは何だと思う?」

グラスのウイスキーを見つめながら拓也が聞く。

「さぁ 私にはサッパリ見当がつきませんな。
まぁ しかし、警察も付近を巡回してくれるといったし、用心棒も雇ったので今晩の所は大丈夫でしょう」

どこかとぼけた様に応えると、エドワルドは拓也に大丈夫だと言って気遣ってくる。

用心棒

今、彼らは工場の周囲を見張っている。
ホテルの前に不審者がうろついてるのを見つけた後、エドワルドはホテルに戻るのを取りやめて、警察と、ある人物に電話をかけた。
その電話からしばらくすると、3人の男が工場にやってきて、待っていたとばかりにエドワルドが出迎えた。
聞けば、この4人は兄弟だという。
その割には顔が全然似てないような気もしたが、工場の周りを見張っていてくれるというので是非にとお願いした。
見れば、手に猟銃を持っている。
実に頼もしかった。

「しかし何故、兵器工場を?」

グラスを口につけながらエドワルドは質問する。
前にも聞かれたような質問だった。
もっと普通の事でも良かったんでは?と聞いてくるエドワルドに少し飲んでることもあってか、拓也はどこか照れながら話す。

「正直なところ、安全保障だの両地域の友好だの建前はどうでもいいんだ。
ただ、ちょっと自分の運に賭けてみたというか、生きている実感が欲しかったというか…」

拓也が見つめるウイスキーのグラス越しに、拓也は淡々とエドワルドの質問に答える。

「生きている実感?」

興味深そうに聞くエドワルド。

「あぁ 実は、結婚する前は海外旅行が趣味でね。
バックパック一つあれば世界中どこにでも行ったよ。
まぁ その中で、エレナに出会って結婚したんだけどね。
そんな海外旅行の中で一番楽しかったと思ったのが、内戦中のスリランカや戦争直後のグルジアだね。
カンボジアはプノンペンの夜なんて特に良かった。
自分が、何かに巻き込まれてあっけなく死ぬんじゃないかというスリルが堪らなかった。
今日も、ちょっとビビりつつも興奮してたよ。
そんな、どうしようも無い趣向もあって、こんなことをしてるんだ」

馬鹿だよと呟きながら拓也は語る。

「でも、あんたは家族持ちだろ?いつまでも、そんな事じゃ駄目じゃないか。」

エドワルドの言葉に拓也は眼を閉じて一瞬考えた後、再び言葉を返す。

「あぁ わかっちゃいるんだ。
でも、やめられない。
だが、エレナも息子の武も愛してる。
そこまで分かってるから、スリルを求める自分と、家族を守りたい矛盾した欲張った考えを本気でもってる。
本当にどうしようもない馬鹿だよ。」

そこまで呟くと、拓也はウィスキーのグラスに口を付ける。
エドワルドは、それを聞いて口元だけで笑っていた。

まぁ 男なんて馬鹿でなんぼだよ。

何も言わず、静かに笑う男の顔がそう言っているように感じた。
ランタンの明かりの中で、薄暗い室内に静寂が訪れる。


タン!タタタタン!!


そう遠くない場所で、急に発生した連続音が静寂を切り裂く。
何の前触れも無く発生したその音に、エドワルドと拓也は身構え、エレナは飛び起きてあたりを確認する。

「ななな何?」

エレナが動転しながら拓也達に聞く。
拓也達も何が起きたのか分からない。
連続音はすぐにやみ、ドタドタ階段を駆け上がる音が聞こえた。
とっさに拓也はエレナを庇う体勢に入ったが、エドワルドは何時の間に出したのか、拳銃をドアに向けていた。

「大尉!入ります!」

その声とともにドアが開くと、入ってきた人物の顔を見てエドワルドは銃を下した。

「何事だ!?」

エドワルドが聞く。

「武装した集団がこの工場を囲んでいます。斥候と思われる小集団と接敵し、向こうが発砲してきたため応戦。これを無力化しました。
現在、イワンとビクトルが入口を押さえています。」

確か、名前はセルゲイとかいったか、エドワルドの兄弟だと聞いていた男が、エドワルドに敬礼して報告した後、鹵獲品ですといって数挺の自動小銃とマガジンを部屋に持ち込む。
それらの銃には少々の血がついていた。
そのまだ血の乾いていない銃を手に取ったエドワルドは、作動を確認した後、鋭い眼光でこちらに質問する。

「銃を使った事は?」

その質問に対し、拓也とエレナは、ほぼ同時に返事をした。

「カンボジアの射撃場で、拳銃で的を撃った程度…」

「バルナウルの大学で、軍事教練の単位を履修して以来よ」

タイミングは同じだったが、内容は歴然の差だった。
それを聞くと、エドワルドは自分の持っていたトカレフを拓也に、鹵獲品のAKをエレナに渡した。

「小銃なんて学生以来ね…」

それを受け取ったエレナは、緊張した面持ちで作動を確かめる。
状況は良く分らないものの銃を手にしてエレナの中で何かのスイッチが切り替わったようだ。
そして彼女は小さく覚悟を決ると、拓也を見つめながら言い放つ。

「大丈夫よ。あなたは私が守ってみせるわ」

…あれ?
こういうのって、普通、夫が嫁を守るもんじゃないの?
拓也は役回りが逆なような気がして仕方なかったが、拓也はふと思い出した。
ロシアでは大学の単位に軍事教練があり、嫁が白衣でAKを構えてる写真を見せてもらったことがあった。
それに以前エレナは、子供の頃にはシベリアで父親とライフルで鳥撃ちをよくやり、すごく楽しかったという話をしていたので銃を扱えることは知っていた。
だが、実際に銃を構える嫁を見ると、普段の姿とのギャップに中々言葉をかけられない。

「敵の数は?」

エドワルドがセルゲイに問う。

「夜間の為、詳しくは不明ですが20人以上はいるかと…
陸側はすべて囲まれています。」

エドワルドの質問にセルゲイがキビキビと答え、その情報を聞いてエドワルドはしばし考える。
20人以上…
それに対してこっちは6人… いや、二人は戦力として期待できないので、戦力差は4:20。
5倍以上の敵と渡り合わなければならないのは分が悪過ぎる…
護衛対象を守り切るにはどうすればよいか。
陸路を強行突破…
囲まれた上、敵の総数もわからない以上、自殺行為以外の何物でもない。
電話で助けを呼び、籠城する。
…駄目だ。例え助けを呼べても、町から離れたこの工場に応援が来るまでこの人数を支えきる自信は無い。
だが待てよ?
そういえば、この工場の裏にある倉庫にモーターボートがあったはずだ。
もし、燃料が残っていれば海から脱出できるな。
そう閃いたエドワルドは決断した。

「軍曹。イワンを連れて裏の倉庫にあるボートの燃料を確認してこい。
そしてビクトルにはそのまま警戒を続け、いつでも埠頭に後退できるよう準備しろと伝えろ。」

「了解しました。大尉殿」

ビシっと敬礼し、すぐさま動き始めるセルゲイ。

「あぁ 後それからな…」

部屋から数歩出たところで、エドワルドが呼び止め、ドアの向こうで何かを伝えている。
全てを伝え終わったのかセルゲイが再度、了解しました。と言うと風の様に走って行った。

「で、大尉殿。我々は如何すればいいんですか?」

エドワルドに対し拓也が聞く。

「生き残りたければ、今から俺が言うとおりにするんだ。
今、セルゲイに船の確認に行ってもらった。
もし、船が大丈夫なら海側から脱出する。
それと、他にも色々と聞きたいことがあるようだが、それは無事脱出できた時まで取っておけ」

エドワルドがニッ笑って拓也達に言う。

何このおっさん
俺もこんな風に格好つけてみてぇな畜生
拓也はこんな状況下でも堂々としているエドワルドを見て少々の憧れと共にそう思い
エドワルドの指示に、羨ましさ半分、生き残るための必死さ半分で頷く拓也。
そんな拓也達が了解するのを確認すると、エドワルドは早速行動に移す。

「よし。とりあえずは工場の裏手口へ移動だ。そこでセルゲイを待つ。行くぞ!」

三人は、エドワルド、拓也、エレナの順番で工場内を腰を低くして移動する。
途中、入口で警戒を続けるビクトルにハンドサインを送り、エドワルド達は工場内を静かに進む。
そうしてやっと見えた裏口に、あと10歩で届くというところまで来たその時だった。

カチャリ…

静かにドアのノブが回る。

エドワルド達は急停止し、それぞれが物陰に隠れた。
薄暗い工場内に月明かりに照らされた黒い影が、足音を消して入ってくる。

1人…2人…3人…4人…

そろりそろりと入ってくる人影の四人目が完全に室内に入り、ドアが閉じた瞬間。
エドワルドのAK74が日を吹いた。

「アゴーン(ファイヤ)!!」

その声と共に、マズルフラッシュの光の点滅が辺りを支配する。
その光に照らされ最初の二人が赤い液体を吹き出しながら倒れるのが見え、エドワルドに続いて拓也とエレナも発砲する。
初めての実戦である。
狙いなんてつけてられない。
拓也は敵のいる方に向かってとにかく引き金を引き続けた。
だが、初撃を回避した残りの敵が、物陰に隠れつつ、こちらに向かって応射を始めた。
工場の鉄骨の陰に隠れていた拓也の周囲に無数の火花が散る。
頭のすぐ横を銃弾がかすめる音がした。
その応射を受けて、付近を弾丸が掠め飛ぶ恐怖に拓也は動けなくなった。
拓也は横目でエレナを見る。
彼女は、少し離れた鉄骨の陰に隠れている。
傍目には特に外傷もないようで無事だった。
だが、その眼はドライアイスより冷たい視線で敵の方角を見ていた。
それはまるで、獲物を狙う狼のように…
そんな身を縮めて隠れる拓也に対して敵の射撃が集中すると、その隙を突いてエドワルドが応射する。
AKの連続した発射音と火花が敵を包み込み、遮蔽物に隠れた奴らを釘付けにする。

タッ!

そして、その瞬間を待っていたようにエレナが駆け出した。
横目でその光景を見ていた拓也は、彼女の名前を呼ぼうとするが、咄嗟の事で声が出ない。
彼女の背を目で追う拓也。
その後の展開は、まるでスローモーションのように拓也の網膜に焼付いた。
敵の潜む遮蔽物を飛び越えながら、別の敵へ向けて一連射。
横から射撃を食らった敵は、血潮を飛び散らせながら崩れ落ちていく。
そして、そのままの勢いで敵の後ろに着地したエレナ。
突然自分の後ろに回った彼女に対し、銃口を向けようとする敵。

だが、彼の銃口が彼女をとらえる前に

彼女の放った5.45x39mm弾が

彼の頭を打ち砕いた。




拓也はその光景に呆然としていた。
いや、正しくは見とれていた。
彼女が飛び出し即座に二人を射殺した。
その彼女は、返り血を拭うこともせず、死体を見下ろしている。
月明かりに照らされたその光景は、暴力的であり、どこか非現実的であり、そして、…美しかった。

どれほどそれを見つめていただろうか、
恐らく、実時間は数秒だろう
ひどく長く感じたその時間は、一つの声で打ち破られた。

「大尉!!」

イワンがドアを蹴破り、セルゲイが銃を構えながら入ってくる。
そして、エドワルドらの姿を確認すると、銃を下して報告する。

「大尉。ボートの燃料は十分です。いつでも脱出できます。」

それを聞いて、エドワルドが満足げに答える。

「ご苦労! だがしかし、時間がない。先ほどの銃撃戦の音を聞いて敵は裏口に集まってくるだろう。

お前たちは、ビクトルと合流し陽動として工場正面で敵を牽制した後、埠頭まで後退しろ。
我々が後退した後、5分だけ待つ。
その間に役目を果たせ!」

セルゲイとイワンは了解と返事をすると、すぐさまビクトルのいる正面へ向かう。

「さぁ 我々は、倉庫まで後退するぞ!」

その合図で拓也達も脱出を開始する。
幸い、裏へ回ったのは、先ほどの4人だけだったようだ。
接敵することなく拓也らは移動時、無事に倉庫までたどり着いた。
離れた場所で銃撃戦の音が聞こえる。
セルゲイたちがその役目を果たしているようだ。
そこでハッとする。
先ほど敵に突っ込んでいったエレナに怪我はないだろうか。
撤退することに夢中で、そこまで考える余裕のなかった拓也は、一息ついたところでエレナの方を振り返る。
当の彼女は、見た目はやはり怪我などはなさそうだが、その目は呆然と空を仰いでいた。

「大丈夫か!?エレナ!」

彼女の肩を掴んで呼びかける。

「え!?えぇ… 大丈夫よ。大丈夫。どこも怪我はないわ。
ただちょっと、初めてなんで驚いちゃって」

心配しなくても大丈夫よとエレナは言う。
だが、その言葉とは裏腹に、その様子はどこか魂が抜けたかのようだった

「お二人さん。乳繰り合ってるところ悪いが、3人が戻ってきた。エンジンをかけろ!」

その言葉を聞き、拓也が慌ててエンジンスターターのひもを引く。
一発ではかからなかったエンジンも、3度目のトライでエンジンがかかったのと同時に彼らが戻ってきた。

「奴ら、倉庫の近くまで追いかけてきてます。早く脱出しましょう」

エドワルドも銃撃音からそれを心得ていたのか、イワンの進言とほぼ同時に倉庫のドアを蹴り破る。
エレナをボートに乗せ、男4人がかりでボートの台車を押した。
台車はゆっくり動きだし、海へのスロープに到達すると勢いをつけて滑り出す。
そのまま勢いよく進水したボートに、男たちが埠頭からジャンプして飛び乗っていく。

「全員乗ったな!脱出するぞ!」

その号令と共にフルスロットルのボートは、水の上を滑るように岸から離れていく。
後方から銃声が聞こえ、弾の通過する音と共に小さな水柱が周囲に立つ。
実に恐ろしい経験であったが、それもある程度の距離を離れるとすぐに静かになった。

「射程外に逃げれたのか?」

「あぁ 撤退は成功した。」

拓也の質問にもう大丈夫だというエドワルド。
だが、その表情は硬かった。
彼は岸を見つめている。
拓也もそれにならって岸をみると

空と一帯が赤く染まり、工場から火の手が上がっていた。

「燃えてらぁ…」

力なく拓也が言う。
その様子を見てエレナが拓也に声をかける。

「でも、命はあるわ。またやり直せばいいでしょ?」

「あぁ…」

力なく拓也が言う。
よほどショックだったのか、腑抜けてしまったような拓也を見て、エレナが怒った。

「あんなボロ工場の一つや二つ!何だっていうの?
あんたなら幾らでもやり直せるでしょ?信頼してるんだからシッカリしてよ!」

拓也の肩をガクガク揺らす。
そのおかげで拓也も目が覚めた。

「あ… あぁ スマン。ちょっとボーっとしてた。
そうだな。 そう!あんなクソ工場の一つや二つ!何とでもなる!
機械はまだ搬入してないから無事だし、金が足りないなら全道を回って、また金借りてきたらいいさ!」

拓也はエレナに感謝する。
こういう時、一人より二人の方が助かる。
恐らく、一人なら暫く鬱になってたかもしれない。

「で、大尉殿。これからどちらに?」

調子を戻した拓也がエドワルドに尋ねる。

「そうだな。町にも奴らが潜んでると思うからユジノクリリスクには帰れない。
となると、安全が確保されるまで島外に出るしかないな。」

「島外?」

「あぁ とりあえずは、一番近い色丹島に向かう。そこで、俺の仲間の連絡を待つ
まぁ 近いといっても海路じゃしばらくかかるからな。
一応、国境警備隊に連絡して迎えの船を出してもらうが、すぐには来るまい。」

まぁ ゆっくり休んでいてくれというエドワルドの言葉を聞き、やっと安心した拓也とエレナはお互いに支えあうようにして船に座る。
なにせ人生始まって以来の危機を二人は乗り越えたのだ。
いつの間にか寝てしまった二人の顔は、疲れ切ったようであり、安らかな寝顔だった。



[29737] 国後編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:09
襲撃の翌日



エドワルドは拓也達を色丹島まで送り、セルゲイを拓也達の護衛につけると、自分たちは国後島に戻っていた。
彼が警察の検問を抜け封鎖された工場に戻ると、そこでは軍が現場の後始末をしていた。
もう昼過ぎになっていた為、既に死体は袋に詰められて並べられていた。
兵士が武器等の物品を付近を捜索しながら集めている。
その兵士たちの中心には、配下の兵に指示を出しているツィリコ大佐が立っていた。

「おぉ!ご苦労だったな。コンドラチェンコ大尉」

大佐がエドワルドの姿を見つめると笑顔で声をかけてきた。
駆け足に近寄るエドワルドを大佐は握手で迎える。

「報告します。昨晩、正体不明の敵より襲撃を受けました。
おそらくはガスブランの手によるものと思われますが、その繋がりを証明できる物は、昨晩の時点では確認できていません。
護衛対象は国後脱出後、国境軍の艦艇にて色丹にある日本政府施設に護送しました。
現在は、そちらで休息を取っております。」

短い敬礼の後、エドワルドは大佐に報告する。
対象を守り切り、安全圏まで送ったというのだ。
色丹島は、既に日本に返還されていたので、ガスブランと言えども無理はできない。
対象の護衛任務としては成功していた。
だが、エドワルドは苦虫を潰したように語る。

「ですが、対象の護衛には成功しましたが、対象…石津氏の工場は脱出後に焼き討ちされたようですね…」

横目でいまだ燻っている工場を見つめながら悔しそうに語る。
だが、そんなエドワルドを見る大佐の反応は何処かおかしい。
何故か、目が泳いでいる。

「あー それについてだがね。
建屋が燃えたのは、奴らが火を付けたわけじゃないんだ。」

大佐が申し訳なさそうに語る。

「君らが襲撃を受けた後、君の部下からの連絡を受けて基地より3個小隊が現場に到着したんだが、
敵が海に逃げた君たちに意識を集中していたため、我々は効果的に後ろから襲い掛かることができた。
第一撃は奴らにとっては完全な奇襲となり、すぐに潰走し始めたよ。
その中で我々の銃弾を掻い潜り、車で逃走するものがあったんだが
兵達の正確無比な射撃は、ドライバーを蜂の巣にしてやったそうだ。」

大佐は、蜂の巣にしてやった所を誇らしく語る。
が、何故かすぐに声のトーンを落とした。

「その結果が… まぁ あれだ」

大佐が、工場に半ば突き刺さり黒焦げになった車を指差す。

なるほど…
そういう事だったか
その光景を見てエドワルドは納得がいった。
まぁ 拓也達には奴らに燃やされたと説明した方が面倒がないかなと思いつつ
そのエドワルドの表情を読んでか、大佐が彼に言う。

「まぁ 彼らには君からよしなに説明しといてくれ!」

ニッコリ笑って肩を叩く大佐。
おそらく"よしなに"と言うのは、全部奴らの仕業にしろということなのだろう。
わざわざ面倒事を増やすのが嫌だったエドワルドは、それを承諾する。
色々と状況が理解できたエドワルドは、話を戻し真顔で大佐に疑問をぶつける。

「それで、大佐。こいつ等の詳細は分かったのですか?」

エドワルドが死体袋を指差して言う。

「あぁ 既に調査も済んでいる。こいつらは国後に石油が出たことで金の匂いを嗅ぎつけてきた大陸のマフィアやごろつき共だ。
ガスブランが、金でそういった連中を雇い、武器を供与してけしかけてきたのだ」

なるほど、ごろつきの集まりだったのか、道理であれだけの連中相手に対象を護衛し切れたものだ。
これが、傭兵や民間軍事会社だったら、自分もただじゃ済まなかったはずだ。
膜の存在が外部の人間を呼ぶことを阻止しているおかげで、連中も島内にいる人間でどうにかするしかなかったのだろう。
だが、一つ疑問がある
あれだけの武装をガスブランは異変前から所持していたのか?
エドワルドはその疑問を大佐に聞いてみた。

「武器も供与ですか… あれだけの武器をガスブランは異変前から持っていたのですか?」

その疑問に大佐は苦い顔をして答える。

「武器については軍内部からの横流しだったよ。
だが、問題ない。既に買収された犯人は拘束した。
ガスブランから掴んだ情報を基に、今後は軍内部の綱紀粛正を進めるつもりだ。」

大佐は鼻息を荒くし、不届き者は粛清だ!と息巻いているがエドワルドは別の点に注目する

「ガスブランから掴んだ情報?」

内通者の情報を奴らが吐いたというのか。
信じられないようにエドワルドは聞く。

「あぁ 君には、まだ言ってなかったね。
襲撃部隊は何も全員制圧したわけじゃない。
追手付きで数名泳がせておいたよ。
すると、やはり素人なのだろう。
無事に軍の包囲から脱出したと思った奴らは、依頼主の元に戻っていったよ。
港にある奴らの工場にね。」

大佐が楽しそうに笑って言う。

「そこから先は実に簡単だったよ。
私の部下が、工場内にいたガスブランの幹部ごと全員を拘束。
"紳士的"な話し合いの末、今回の計画からガスブランの戦略や各人の性癖まですべて洗いざらい教えてもらった後、全員を適切に処置させてもらった。
まぁ 彼らはマフィアと取引をしていたからね。
もしかしたら、山中でガス自殺を装って奴らに殺されているかもしれない。
まぁ 発見される時に乗っていた車がマフィアの物なら、殺したのも奴らの仕業だろう。
それに殺人が露見すれば、マフィアも島から逃げるはずさ。
マフィアと取引していたガスブランの幹部が死に、マフィアやゴロツキ共が一人残さず島から姿を消す。
実にシンプルな事件だ。」

エドワルドは大佐の話を黙って聞く。
黒幕は襲撃犯ごと"適切に処理"されているそうだ。
ならば、もう護衛の任務も終わりだろう。
そう思ってエドワルドは肩の力を抜いて大佐に聞いた。

「では、私の護衛任務も終わりですね。」

その問いに対し、大佐は エドワルドの予測に反し「そのことについてだがね」と断りを入れて話を続ける。

「今回の事件で不穏分子の粛清は済んだが、武器生産を行おうとしたガスブラン側の計画が
責任者不在の為に頓挫したため、我々の弾薬供給元が一つのメーカーに限られる事が確定してしまった。
そこで、大尉には引き続き彼らと接触を続け軍とのパイプを作ることを命じる。
なお、今後は所属を隠す必要はない。」

一仕事終えたと思ったら、いまだ私の仕事は続いているようだった。
だが、これはこれで面白いかもなと彼は、護衛対象だった二人の顔を思い浮かべてそう思った。



異変24日目


事件から2日後、拓也は、エドワルドからの連絡で島内の安全が確保されたと伝えられた。
彼と別れて以後、色丹で新たに開設された警察署に保護され、十分な休息を取った。
あれだけの事があったので、トラウマになっていないか気にしていたのだが、医師より簡単なカウンセリングを受けた結果、特に問題なしとの判断だった。
その判定を受けて、拓也はエレナと共に国後に戻ることを決めた。




船上にて

エレナが甲板に立って遠くに見える国後を見つめている。
拓也もしばらく一緒に見つめていたのだが、エレナの表情が気になって声をかけた。

「大丈夫?」

その声を聞いて我に返ったエレナが、慌てたように拓也に答える。

「え? えぇ 大丈夫よ。心配ないわ!」

「…・」

拓也がエレナの顔を心配そうに見つめる。
眉間に皺を作り、何も言わずに見つめてくるその視線に耐えかねたのか、エレナは視線を海に戻して静かに語る。

「実はね。
あの時、私… あまり怖くなかったの」

「怖くなかった?」

拓也が聞き返す。

「そうなの。周りに銃弾が飛び交って、とっても危険だったのに不思議と頭は冷静だったわ。
なんていうか、昔、父と鳥を撃ちに行った時を思い出した。
人を殺しちゃったのに、獲物を狩るのと同じ気持ちだったの。
死体を見下ろしながら、特に怖いとも思わなかった。
でも、倉庫まで逃げた後、気づいちゃったの
何で私、人を殺したのに平然としているんだろうって…
それに気づいた途端… 私… 自分の事が不安になったわ」

両腕で自らを抱え俯きながら彼女は話す。

「でも、あなたの仕事の邪魔しちゃいけないと思ってカウンセリングでは黙ってたけど、また、あの島を見てたら思い出しちゃって…」

島を見つめるエレナのその目には涙が浮かんでいた。
そうか…
それであの時、様子が変だったのか。
そして、彼女は自分の邪魔をしてはいけないとそれを黙っていた。
拓也は許せなかった。
確かに新しく起業するために困難もあるし負担を掛けることもあるだろう。
だが、つらい時はつらいと言ってほしかった。
拓也は後ろからそっとエレナを抱きしめる。

「大丈夫。俺にとってはエレナはエレナだ。
何も変わっちゃいない。不安なら俺が傍にいて支えてやる。
だから…つらい時や不安な時は、迷わず素直に話してくれ」

エレナは黙ってそれを聞き、拓也の手を取ると振り返ってニッコリと笑う。

「そうね。私は私、それ以外の何物でもないわ。私の知らない内面が出てきても、あなたは笑って許してくれそうだもの。
これからは、何かあったら黙ってないで相談することにするわ。
それに、あなたが私を支えてくれるなら、私はあなたを守ってあげる!
なにせあの時、あなたは丸っきり役に立たなかったしね」

手でライフルを握るポーズをしてエレナが笑いながら言う。
ほっとけと呟く拓也をエレナが逆になぐさめる。
何時も間にか立場が逆転していた。
そんな絆が更に深まり、二人が笑っているところに不意に拓也の携帯が鳴る。

ブブブブブブ…

「あ、ちょっとまって」

拓也は振動を続ける携帯を手に取り、メールを確認する。
拓也はその差出人に一瞬眉を顰めるが、メールを読み進めるうちにドンドンその表情が変わる。
エレナは何事かと拓也の顔を覗こうとするが、逆に拓也がエレナのほうを向き直る。

「や…」

「や?ヤポンスキー?」

「やったぁ!!!!」

拓也は諸手を挙げてエレナに抱きつく。

「きゃぁ!」

いきなり抱きつかれた事でエレナは小さな悲鳴をあげるが、そのまま拓也に抱えられて振り回される。
ぐるんぐるんと回る拓也。エレナは振りほどこうにも、船上で不安定なまま動き回られているためどうすることも出来ない。

「ちょ、ちょっと、一体どうしたって言うの?」

エレナは豹変した拓也に事情を聞く。
だが、拓也は一向にエレナを解放しようとはしない。

「うはははは。凄いぞ。これで金の心配は要らないぞ!」

そう言って、ようやく満足したのか拓也はエレナを地面に下ろす。

「ふぅ。ようやく元に戻ったわね。
それで?一体どうしたの?お金の心配が要らないって一体どういうこと?」

エレナが首を捻りながら拓也に尋ねる。

「それについて話す前に、一つエレナに隠していることがあるんだ」

「隠している事?」

「あぁ、実は座礁船から持ってきちゃったデータの中には図面以外のものもあったんだ。
だけど、その時点ではその情報を生かす事ができなかったから保留にしてたんだけど、この前ショーンの爺さんに会った後
彼にその情報を教えたんだ」

拓也はニヤケた顔を頑張って抑えつつもエレナに説明する。
だが、当のエレナは詳細がぼかされたままの説明に到底満足することは出来なかった。

「もう、もったいぶらないで教えてよ。
一体何の情報があったの?」

「フフーフ。それはね。とある海外大手企業に対するインサイダー取引だったんだよ」

「インサイダー取引?
それで何?あなたはショーンさんにその情報を伝えて不正取引を潰したの?」

「いやまさか。そんな力も無ければその会社に対する義理もないよ。
こっちとしてはただ単に、その情報を使ってくれとショーンさんに伝えてもし儲かったらそれ相応の情報料を頂戴といっただけさ」

拓也はアメリカンスキーのように両手を広げて肩をすくめる。
俺はそれ以上関係ないというジェスチャーだろう。

「ふーん。で、ショーンさんは悪人を成敗してその会社から謝礼を貰ったとか?」」

「あはは。それがさ、なんとあのジジイ。
インサイダー取引を潰すどころか便乗して大もうけしてやがんの。
なんたって情報料としてこっちに振り込まれたのが10億だよ!?
一体、どのくらい儲けたんだって話だよね」

「ふーん。そう、10億も… え゛?10億?」

エレナが目を点にして聞き返す。
拓也の言うとんでもない金額に、思考が追いついていないようだった。

「そう、10億だよ。
こんだけあれば、別に賃貸じゃなくても中古の工場丸ごと買えるよ!」

「じょ、冗談でしょ?」

「冗談なもんか!ほら俺のネット口座の残高見てくれよ。
一の後にゼロが9個もあるだろ?
夢なんかじゃない!
これで国後に帰ったら、もっと良いガードマン付きの工場が買えるよ!」

エレナは拓也から突き出された携帯を見る。
そこには拓也の口座の残高が記されており、その言葉通りの額面が記入されている。

「まぁ なんにせよ。これで工場は続けられそうね」

諸手を挙げて喜ぶ拓也を見ながら、エレナは安堵の溜息を吐く。
一時はどうなるかと思ったが、どうやらまだ運から見放されていないようだった。
そんな喜びに満ちた彼らを乗せた船は、ゆっくりと国後島に向かって進んでいくのだった。



国後島

ユジノクリリスク


拓也達が工場に帰ると、黒く焦げた工場の建屋があるだけで、死体などは綺麗に片づけられていた。
港で待っていたエドワルド曰く。

「全て綺麗サッパリ終わったから大丈夫」

だそうである。
確かに、死体や武器などは綺麗サッパリ見つからない。
だが、焦げた工場はそのままである。
拓也は軽くブルーな気持ちになった。

「焼けちゃったなぁ。
これって、現状復帰の金はこっち持ち?
火災保険、まだ入っていないんだけどなぁ…
まぁそれはそれとして、大尉殿。事の顛末を説明してよ」

一応、当事者としては出来るだけ詳細な原因が知りたい。
でも、色々な思惑が関わってそうなので全てを話してくれることは無いだろう。
それでも、全く説明できないことは無いはずだと思い拓也は聞く。
それに対し、エドワルドは予想以上にペラペラと語ってくれた。
国営ガス企業ガスブランが、ステパーシンを失脚させるために軍と関係強化に乗り出そうとしたこと。
その為に武器製造を始めようとしたが、拓也達の存在があり、独占を狙うガスブランが拓也らの認可取り消しの圧力をかけたが
ステパーシンが首を縦に振らず、軍のリークによりその情報が筒抜けであったこと。
また、それにともない自分が護衛として派遣されたこと。
機械搬入後に襲撃して機材の破壊を計画してたが、拓也らが工場から引き上げたと思い工場内の間取りを調べていたら
拓也と鉢合わせになった為、予定を拓也の殺害に切り替えたこと。
拓也脱出後に軍の部隊と交戦し逃走時に火を放ったこと。
その後、全員を拘束し適切に処置したと彼は語った。
その時、"ガスブランが工場に火を放った。"と特に強調していたが
拓也にとってみればどうでもよかった。
どちらにしろ、建屋は燃えてしまったのである。
エドワルドの話を聞いた後に、今後の事を考えながら工場を眺めていると、後ろから拓也に声がかかる。

「お!君が噂の石津君だね。」

その声に振り向くと、後ろから一人の将校が歩いてくる。

「私は、南クリルで第18機関銃・砲兵師団の師団長を務めるウラジーミル・ツィリコ大佐だ。
よければ覚えておいてくれ」

そういって拓也に握手を求めるツィリコ大佐。
拓也もそれに応え自己紹介する。

「石津拓也と言います。今度、こちらで武器の製造を営もうと思っていたのですが…・」

視線で燃えた工場跡を見る。

「あぁ 今回は災難だったね。
だが、ビジネスを辞める気は無いだろう?ちょっと一緒に来てくれないかね?」

どこか白々しい感じで大佐は喋るが、拓也としても襲撃されたくらいで起業を諦める気はさらさら無かったので、大佐についていくことにした。




大佐の用意した車に乗り、拓也は港に来ていた。
それも、先日、エドワルドに説明されたガスブランの工場だ。

「じゃぁ 早速中に入ってみてくれ」

ガスブランの工場というだけあって、拓也もエレナも緊張しながら大佐についていく。
そして、大佐が工場の白銀灯を付けると、光に照らされた機械類を見て拓也は息を飲んだ

そこには、コスチャが送ってきた図面にあった弾薬の生産機械が鎮座していた。
さらに工場の奥には、銃器の製造用だろうか、各種工作機械が並び、色々な金型が棚に並んでいた。

「こ… これは?」

拓也が大佐に聞く。

「どうやら奴らは異変直後から準備を開始していたようでね。
我々に認可を取りに来る以前から、金の力で本国から集めた機材を青函トンネル経由で集めていたそうなんだ。
異変以後、政府間交渉で青函トンネルでの輸送量の内、一定の割合が我々に割り当てられたが、その枠を優先的に使ったらしい。
まぁ 奴らにしてみれば、本国とのコネがあるため、認可なんぞ後回しで十分とでも考えていたんだろう。」

実にけしからんなと言い拓也の方を見る大佐。
そんな大佐に対し拓也は質問する。

「この工場については良くわかりました。
ですが、一体なぜ私に見せるんです?」

その問いを待っていたかのように、大佐は芝居がかった調子で話す。

「実は、今回の事件後にこの物件の所有者について調べてみた。
そうしたら、実に面白い事が分かったよ。
この物件の所有者はガスブランではなく、ガスブランの幹部だ。
彼は先の事件に深く関与が疑われ、現在は行方不明なのだが、その事を含めて奴らの本社に問い合わせてみた。
すると、向こうから"我々は本件について何も知らないし、そもそもそんな人物は弊社には居ない"と回答が来たよ」

「つまり?」

拓也が結論を求める。

「つまるところ、この施設は個人の所有物であり、その人物は犯罪組織と繋がりがある。
そのため、ステパーシン臨時代表は当該施設を接収し民間に払い下げると決定を下した。」

拓也の目が点になる。
これほど機材が集まった施設が売りに出される?

「払下げはいつですか?」

拓也が大佐に食いつかんばかりの勢いで尋ねる。
それを見た大佐は、さらに芝居がかった様子で話を続ける。

「それについては昨日付でネット上に掲載したよ。
まぁ 国後-北海道間は海底ケーブルがないため、島内でのみ閲覧可能なんだがね。」

大佐はそういいながら時計を見る。
時間は午後3時を少し過ぎたところだった。

「おおっとこれはイカン!払下げの競売の時間になってしまった。」

拓也が大佐に掴みかかって尋ねる。

「大佐!一体!会場はドコなんですか!
金なら!金なら用意できます!!」

工場を失ったかと思えば不意に到来したこの超優良物件の購入チャンス。拓也はもう必死である。
その必死の拓也をみて満足したのか大佐は答えた。

「会場はココだよ。」



え?

「会場はココだ。」

大佐が再度言う。

「ここですか?」

目を点にして拓也は質問する。

「そうだとも。だがしかし、ネット告知はしたが、君たちぐらいしか来ていないようだね。
まぁいい。さっそく競売を始めようか。
最低落札金額は… まぁ 私の飲み代くらいでいいよ」

そういって大佐は拓也の背中をバシバシと叩きながら笑う。

こうして拓也は新しい工場と機材を手に入れた。
茶番だった。
茶番であったが拓也にとっては天の助けであった。
それも、所有する設備が大幅に向上するのである。
これは、しばらくは頭が上がらないなと思ったりもしたが、その表情は明るかった。



「大佐。うまくいきましたね。」

「公式には彼らの工場を焼いたのは奴らだ。
我々は、補償として工場を与えるのではなく犯人の工場を接収して払い下げる形式をとるため
彼らにはタダで大きな貸しが出来た事になる。
これで、全て丸く収まったな」

二人は拓也らに聞こえないようにコッソリと呟き、笑うのだった。
まぁ 後日、工場を失ってスッカンピンだと思われた拓也が、予想以上に金を持っているのを大佐が知ると
もっと吹っかけておけば良かったと後悔する事になるのだが、それはまた別の話である。





そんな風に新工場の取得ができて、拓也達が踊りながら喜ぶ、そんな時だった。
膜の為に、白かった空が急に暗転する。
イキナリの事だった。
世界が暗黒に包まれる。

「キャァ!!」

エレナがびっくりして声をあげる。

「一体何なの?」

急に失われた陽光のせいで辺りの様子は全くつかめない。
見えるといえば、明るさが落ちたために夜になったと勘違いした街路灯に電気が入り始める。
そんな暗闇の世界で、どれほどの時間だったろうか。
20秒ほどだっただろうか、急に空からすべての光が失われ、世界の終りが来たと錯覚する。
突然の出来事に永遠にも感じられた時間が過ぎると、あたりに光が戻ってきた。

「見てよ拓也」

「あぁ…」

二人が空を見上げる。

そこには、失われた光が戻るのと同時に、約1か月に渡り空を覆っていた膜が消え、透き通るような青空が広がっていた。



[29737] 転移と難民集団就職編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:09


道庁

緊急対策本部



状況の急変後、道庁内の対策本部は膜発生時以来の慌ただしさを迎えていた。
各地より入る連絡。メモを片手に駆け回る職員。
完全分離後の混乱に備えて、道庁では行動マニュアルも作成したし、その訓練も行っていた。
それ故、大抵の事態が起きても対応出来る筈だった。
想定外のファクターが無ければ…



「それにしても、時間は1か月は有ったのでは無いのですか?
まだ五日近く完全隔離まで時間があったと思いますが」

対策本部の中心で、怒り半分に高木が言う。
というか、実態は完全に怒っていた。
「話が違う」と…
高木は、キッと睨みながら対策室に詰めている学者連中に話を振る。
それに対して、対策室に詰めている学者の一人が知らんがなとでも言いたげにひょうひょうと答える。

「確かにあの膜の変化スピードなら、青函トンネルが塞がるまでには時間がありました。
だが、実際にはそれ以前に変化が起きた。
現在の所、何が起きたのかは不明ですがね…
報告では、トンネル内の膜があった地点より、浅い深度の所の所で変化があったそうです。
なんでも地下約200mの地点で、それ以下が水平な岩盤によって塞がってしまったとか。
まぁ 詳しい調査をしようにも、トンネル内の湧水の為、青函トンネル自体が水没しつつある現状では確認のしようがありませんな」

我々にもお手上げですといった感じで、説明を行っていた学者が言葉を止める。
そんな俺の責任じゃないというオーラを全身から漂わせている彼らの様子を見て高木は思う。
肝心な時に役に立たない
まぁ 前例のない事態なので誰にもわからないのは当然だと思うが、手におえなくなったのでそれ以上は知らんと言わんばかりの態度には腹が立った。
その様子を忌々しく思いながらも、高木は黙って今後の事を考える。

「一体、何が起こっているの?」

そう誰となく言葉を放った高木は、正面を向きなおす。
その視線の先、対策室正面のスクリーンには、異変後の状況が時系列的に映されていた。

15:05 膜消失
15:06 政府との連絡途絶。
15:10 道外・衛星から一切応答なし 
15:15 千歳基地より空自機がスクランブル発進
15:30 青函トンネルより本土側に続くトンネルが消失し、浸水発生
15:35 千歳より発進したF-15、函館沖に本州が確認できず
15:40 全道に非常事態宣言
15:45 海保より、稚内沖で領海を超えて進んでくる国籍不明の小型船舶を多数発見…








稚内沖



海上




穏やかな海上を小さな船の船団が進む。
船団というのもおかしいかもしれない。
実際には小舟や筏が多数だ。
最大の物でも20人が乗れる程度、小さいものだと丸太に跨って曳航されている者までいる。
その中でも一番大きい船に彼はいた。

「ラバシ様 波が穏やかで助かりましたな。」

老いたドワーフが声をかける。

「あぁ もし波が高ければ、筏の者たちの8割は波間に消えていたかも知れぬ。」

南方に浮かぶ陸地を見ながら一人のドワーフが応える。

ラバシ・マルドゥク

彼方此方に傷があるが威厳を失っていない男。
彼はドワーフの中の一部族で戦士長をしていた。
平穏だった彼の村では、時々現れる大型の獣を退治するのと村祭りの武術大会くらいしか活躍の場がなかったが
人種共が村に攻めてきたことで全てが変わった。
巨大な斧を繰り、一騎当千の技を持つ村の戦士たちも、集団で組織的に狩り立ててくる人種の兵隊の前に、一人、また一人と打ち取られていった。
彼は逃げる村人の盾となりながら、他の避難してきた部族と合流し、ついには避難民と共に海の上にまで来ていた。

「それにしても、あの陸地は本当に我らの安住の地たり得るのでしょうか?」

老いたドワーフが不安な表情で波間のかなたに浮かぶ陸地を見る。
その問いは、ラバシも何度も考えていた。
族長が精霊の神殿へと向かい、その直後に陸地が現れた。
族長のおかげだという確証はなかったが、無関係とも思えない。
そして、自分の指示のもとで船団の進路を新たに表れた陸地に向けている以上、下手なことは言えなかった。
むしろ、無理にでも信じるより他は無い。

「あぁ!間違いない!族長が精霊より賜った土地だ!これより、かの地が我らの新たな故郷となる!」

彼は、周囲の船にも聞こえるように大声で答える。
先導者は弱気を見せてはいけない。
さらに周囲を見渡しながら、ラバシは大声で皆を鼓舞する。

「さぁ もっと帆を張れ!櫂を漕げ!安住の土地はすぐそこだぞ!」

それを聞いた船の全員と、周囲の船からも"おぉーー!!!"と声がこだまする。
それを見て、声が聞こえなかった船や筏からも歓声が木霊し、ラバシの船に向かって手を振っている。
…族長無き今、この俺が彼らの為にも彼の地を安住の地にせねばならぬ。
ラバシは船団の端に向かって歓声が広がっているのを見て決意を固めた。
その時だった。

「戦士長さま! 前方から船が来ます! すごい速さです!」

見張りの一人が声をあげる。
彼が指差す方向をみると、陸地の方から白い一層の船が白波を立てながらこちらに向かっているのが見えた。

「…すでに先住の民が居るのか。」

ラバシは小さく呟きながら舌打ちをする。
だが、もうこの流れは止められない。船団は既に動いている。
どんなことをしてでも、安住の地を手に入れねばならない…






同時刻



稚内沖


海上保安庁

巡視船 なつかぜ



膜の発生後も、海上保安庁はその任務を継続していた。
その活動領域は、膜によりかなり制限されていたが、その日も巡視艇なつかぜは稚内沖で職務を遂行していた。
そして、いつもの哨戒中に突如として膜が消失する。
久方ぶりに見る膜の無い海。
だが、その光景は見慣れたものとは随分と違っていた。
稚内から見えた樺太。
だが、膜の消失後は明らかに樺太より広大な大地が広がっているように見える。

「艇長… あれは…」

部下の一人が呆然としている。

「とりあえず、署に連絡だ。それと、これより北へ進路を取る。
何が起きているのか少しでも確認せねばならない。」

宜候との声の後、船の進路は北へと変わる。
穏やかな波を切り裂き、白波と航跡を残しながら船は進む。
そして、見張り員が移動する虫の群れのような船団を発見するのにさほどの時間は要らなかった。

「艇長!前方1kmに小型の船舶多数!道の方向へ進路を取ってる模様です!」

「なに?船だと? 漁船じゃないのか?」

「それが、小型の帆船が数隻と後は小型のボートです。数は…わかりませんが百隻はありそうです!」

艇長が双眼鏡を覗く。
そこには多数の小舟の集団があった。
見れば、オールを漕ぐような動きをしている。
動力付きの船じゃない?
まさか、脱北者か? 
だがしかし、こんな海域にあんな小舟で到達できるとは思えない。
それに、あの集団は樺太の代わりに現れた陸地から来たように見える。
一体彼らは何なのか…
いや、考えても仕方ない。
艇長は頭を振って余計な雑念を振り払う。
己の職分を忘れてはいけない。
謎の船団が日本の領海に向かっている以上、我々は職務を遂行するだけだ

「署に連絡だ!稚内沖に国籍不明の小型船多数が北海道方面に向けて南下中。我々はこれより、彼らに接触する。」

その号令と共に巡視艇は速度を上げ、波を切って船団に向かってゆくのであった。






難民船団

ラバシ座乗船


船上で彼は迫りくる白い船を見ていた。
大きさは自分の乗っている船くらいあるだろうか。
だが、帆が立っていないにもかかわらず、恐るべき速度でこちらへ向かってくる。

「魔法船か…」

ラバシは考える。
帆もなく、オールもないそんな船が動いている。
聞くところによれば、何処かの大国で魔法によって動く船があると聞いていたが、ラバシはこの船の事かと思っていた。
だが直ぐに別なことも考える

魔術師が居るのか… これは不味いな

この世界には魔法がある。
それは大まかに3つ、エルフの使う大魔法。人間の使う魔術。そして亜人の使う精霊魔法に分かれる。
その中のエルフは、大魔法と言う強力な魔法を生身で使うため、特に魔法の道具は作らない。
亜人の精霊魔法に至っては、亜人の部族ごとによって使える魔法が狭く限定されているのと、文明のレベルが人種より劣るので、魔法の道具は作れない。
それに比べて人種は、強力ではないものの個々の適性によって様々な魔法が使えた。
そんな彼らは、更に強力な魔法を使うべく魔道具の開発に心血を注いでいた。
そんなこともあり、魔法の道具を使用してくるのは、まず人種だと思ってよかった。
だが、ラバシ達にとってみればそれが不味かった。
人間の魔術師は、人種達の教会が管理しているらしい。
そして、教会は亜人たちを人間とは認めていなかった。
彼ら曰く、神の愛を忘れた人の形をした獣だそうだ。
そんな彼らが我らを見つければどうなるか…

「…全員に戦いの用意をさせろ。ただし、感づかれるなよ。
戦いは交渉が決裂した場合だ。」

それを聞いて部下の一人が黙って頷くと、船の縁に隠しながら全員に武器を配る。

「負傷者と女子供ばかりの船団だ。なんとしても戦いだけは回避せねばならぬ。
ここはどうしても、話し合いで済ましたいのだがな…」

静かに重く呟くとラバシは接近する船を睨んだ。






海上保安庁

巡視艇 なつかぜ


「艇長!前方の船団に進路変更の動きはありません」

「スピーカーで呼びかけろ」

「は!」

命令を受け、部下がマイクを取る。

『前方の船団に告げる。これより先は日本国の領海である。速やかに停船するか進路を変更せよ。繰り返す…・』

英語、ロシア語、中国語、韓国語、言語を変えて繰り返し呼びかける。
何度目かの呼びかけの末、先頭の船から一人の男がこちらに向かい何かを叫んでいた。
その後ろでは、乗組員が帆を畳んでいる。少なくとも話し合いの意図はあるようだ。

「○▽■×◆◎!!○▽■×■×◆◎!!」

「艇長。なにやら代表と思われる男が叫んでいます。
如何いたしましょうか?」

「停船して話し合いの意図があるようにみえる。
とりあえず、臨検の準備をしたまえ。乗り込むぞ」

謎の船への臨検の指示に、艇内がにわかに慌ただしくなった。




難民船団

ラバシ座乗船



近寄ってきた船は、先ほどから人種とは思えないほど大きな声で何かを呼びかけている。

「ラバシ様。何を言っているのでしょうか?」

老いたドワーフがラバシに尋ねる。

「わからん。だが、いきなり攻撃をかけてこないところを見ると、話し合いの余地はありそうだな…
よし!全船一時停船!これより前方の船と交渉する!」

その声を聞いて、乗組員が周りの船に停船を呼びかける。
その命令が伝わっていくのを見るとラバシは船首に登って白い船に向かって叫んだ。

「私は、ドワーフがゴタニア族の戦士 ラバシ・マルドゥク!
我々は訳あって故郷を追われた一団を率いている!
もし、そちらに慈悲の心があるならば、このまま、そちらの土地へ向かわせてほしい。
我々はそちらに害は与えぬことを約束しよう!
お願いだ!このまま進めさせてくれ!」

ラバシが力の限り叫ぶ。
しかし、ラバシの叫びにもかかわらず、白い船からの反応は無い。

…駄目か
ラバシがそう思いかけた時、沈黙を保っていた白い船が動いた。
その船はノロノロとラバシの船に接舷すると、中から紺色の服を着た数名の人種が出てくる。
彼らは我々を見ると酷く驚いていたようだが、その中で船長と思われる男が表情を無理に固めて、平然を装いながら話しかけてきた。

「teisen no gokyouryoku kannsyasuru.
kokuseki.shimei.koukoumokuteki wo kikasetekurenaidarouka.」

…なんだこの言葉は

さっきの船から聞こえた大声といい、聞いたことがない。

「すまんが、何を言ってるのかわからない。
こちらの分かる言葉で喋ってくれないか?」

ラバシはそう話すが、向こうもさっぱり分からないらしく部下と思しき男と顔を合わせて戸惑っている。
ラバシは、しばらく彼らと色々なコミニュケーションを模索してみたが、結果はやっぱり駄目であった。

「ラバシ様。言葉が全く通じませぬな。いかがいたしましょう?」

「う~ん。そうだな。このままでは埒が開かない。何か良い手は無いものか…」

そう考え込んでいると、後ろからラバシの服を引っ張る者が居た。

「ラバシ様!任せてよ!僕たちの事をこの人たちに説明すればいいんだよね?」

二人のドワーフと獣人の子供がラバシに笑って言う。

「あぁ だが、どうやって?」

二人は簡単だよ!と元気よく言うと小芝居を始めた。
最初は木こりの真似をし、普通に働いている芝居をする子供に、もう一人の子供が武器を持って襲い掛かる演技をする。
そして木こりは逃げ出し、追いかけられ、ついには海岸に到達。
絶望する子供に、今にも襲い掛かろうとする子供。
そして逃げる子供が何かに気付く、指差す先には陸地があり、船で逃げる様子を演技した。
最初はあっけにとられて全員がそれを見ていたが、紺色の服を着た男たちも理解したようで、納得した表情の船長が部下を残して一旦船に戻っていく。

「ね?上手く言ったでしょ?」

こういう時の子供は凄いもんだ。
ラバシは感心しながら子供を撫でてやった。
しかし、かれらは何者であろうか。
こんな格好は見たことがない
それに、彼らが着ている服の生地も上等な物であった。
まるで貴族がきるような生地である。
そして、驚いているのは彼らも同様であった
特に獣人に興味があるようである。
ネコ族の獣人の子供の耳をしきりに眺めている。
あるものは後ろに回って尻尾を観察している。
舐め回される様に観察され、獣人の子供が戸惑っていると、船から船長と思しき男が戻ってきて、部下に何かを言っている。
それを聞いて部下たちはそそくさと船に戻っていき、残った男は陸地を指差した。

「進んでも良いということか?」

「そのようにも見えますね」

ラバシはドワーフの老人に自分の判断を確認すると、後続の船団に向かって声をあげる。

「よし!問題は無くなった!進むぞ!帆を張れ!」

船団は歓声に包まれ、ある船は帆を張り、ある船は櫂を漕ぎだし、船団は再び前進を開始するのだった。




海保の職員は、船上からその光景を見ていた。

「いいんですか?艇長。」

本当に大丈夫なのか?そんな目で艇長を見る。

「道知事が許可した。まぁ 一隻ではこの数は止められん。
それに、彼らの話…というかボディランゲージでは、難民だそうだ。
向こうも命がけだよ。帰れと言って帰るわけがない。
我々の仕事は、道の指定した上陸ポイントに彼らを誘導するだけさ」

艇長は政治的な話は上が考えるから、我々は黙って職務を遂行すればいいと尋ねてきた部下の背中を叩きながら言うのだった。






同時刻


道庁

緊急対策本部

海保の連絡を受け、高木知事は苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱えた。

「道外の全てが消えたと思ったら、稚内には難民…
その先には陸地が見えるというけど、これからどうなるのかしら…」

何というか、すべてが想定外かつ急すぎた。
道としては、何も起こらず元に戻るという想定を筆頭に、某東京ジュピターのように隔離されたり、戦国自衛隊のように
異なる時代の何処かに飛ばされるというフィクションのような事まで一応は検討はしていた。
だがしかし、何処かに飛ばされた上、いきなり難民が押し寄せるような自体までは想定していなかった。
彼女は、もう現実を受け入れるより仕方ないかと抱えていた頭をブンブンと雑念を振り払うかのように左右に振り覚悟を決めた。

「とりあえず。
、稚内に難民が押し寄せて我々にそれを止める手段がない以上、彼らを一時保護します。
小型の船で100隻以上という話ですので、港ではなく砂浜等に上陸させてください。
詳細は宗谷支庁に一任します。
稚内市と連携して対処に当たるようお願いします。
それと、陸自に出動を依頼します。保護の名目で彼らが拡散しないよう監視してください。
各課各員の働きに期待します。」

本当にどうなってしまったのか。
指示を飛ばしながらも高木は冷静に考える。
内地の消滅に新たな陸地の出現。
北海道は一体何処に漂着したのだろうか。

「せめて安心して暮らせる所がいいわね」

北海道の将来を憂いつつ、知事はそう願うのであった。

















国道238号

膜が消え、久々に表れた青い空の下。
宗谷湾に沿って通っている道路上に一台のトラックが走っていた。
見れば荷台が改造され店舗のようになっている。
その移動販売らしきトラックの運転席に、一人の初老の男が座っていた。

「おぉ~ 久々に見る青空だべや~」

異変が消えた直後、付近の車はラジオをつけるか路肩に止めてテレビの情報に釘付けになっていたが、この男は特に気にした様子もなく運転を続けていた。

「しっかし、こんな良い天気なら俺のフレンチドッグも一杯うれるべなぁ」

異変後、道内の観光客は道の用意した施設に保護され、めっきりと観光地を訪れる人は減っていたが、この男はそれでも客を求めて全道を巡りながら商売を続けていた。
まぁ この男の場合、少ない退職金の殆どをつぎ込んで移動販売トラックを手に入れた為に、他に生活する道がなかったというのが本音だが…
そんなこんなで、彼の車が国道を走っていると、ある光景が目に止まった。
海岸に多数の人が集まっている。
そして物凄い数の船が砂浜に乗り上げていた。

「おぉ ヨットか何かのイベントだべか?」

これぞチャンスと思った男はちょうど集団の中心近くの道路にトラックを停め、その集団に向かって歩いて行った。
だが、近くに寄ってみると、男のイメージとはかけ離れたその光景に男は驚いた。
海岸に次々と上陸してくる人々は、全員がボロボロの服を着ている。
それはまるで、映画で見た昔のヨーロッパ人の様な格好であった。
だが、それ以上に気になるのが、彼らのかなりの割合で何かしら動物の仮装をしている。
それは実にさまざまで、耳と尻尾を付けただけの少女がいれば、もう二足歩行の動物そのままの男まで色々である。

「こんな北の果てで、こすぷれのイベントとは時代は進んだもんだなぁ」

男はそう呟くが、彼らをよく観察してみるとその顔色が変わった。
かなりの人数が怪我をしている。
それも重傷だと一目でわかるようなのもいた。
何だ?事故か!?そう思った男は、これは大変だと男は怪我人の一人に駆け寄る。

「おめーら、なした? こんな怪我して。
ああぁ おめー腕が変な方向いてるべや。なんもちょすなや。
ぼっこ当てておとなしくしとけ。それと119番に電話したか?」

男が心配して尋ねるが、彼らは難しい顔をしてお互いの顔を見るだけで意思が通じないようだった。

「外人さんか!こりゃまいったな~ とりあえず、俺が救急車呼んでやるからおとなしくしとけ。な?」

そういって身振り手振りで座るように促すと119番に電話する男。

実はこの時、稚内の警察署は道庁から難民の連絡は受け取っていたが、膜消失後の混乱にて人員が市内各所に散らばっていたために満足な初動が取れていなかった。
その為、警察があたりを封鎖する前に男が接触できたのである。
そんな彼らの下に電話を終えた男が戻ってくる。

「すぐに救急車来るそうだから、そのまんま動くなよ?」

そういって改めてあたりを見渡す男。
海岸には続々と新手が上陸してきおり、遠くの沖を見ると海保の船が見える。
何やら、彼らを誘導しているようである。

「海保までいるとなると、お前たち船が難破でもしたんか?」

男が問いかけるが、言葉が通じず誰も答えない。
そして、その全員の顔には酷く疲労の色が見えた。

「よっし!困った時はお互い様だ!俺のトラックにあるフレンチドッグ振る舞ってやるから元気だせや!
日本人は災害があった時は、皆が協力するって有名なんだわ。だから安心しとけ!」

男はニカっと笑うとトラックを変形させて調理を始めた。




『フレンチドッグ』
アメリカンドッグに似たその食べ物は、もともとは道東の名物ジャンクフードであった。
内地ではアメリカンドックにはケチャップだが、こちらでは魚肉ソーセージが入った本体に砂糖をまぶす。
その美味たるや天下一品であり、2025年現在、各地のB1グランプリを制したフレンチドッグは、道内にとどまらず全国を制覇する勢いで勢力を拡大する
道東発の超一級ジャンクフードである。

――――――道東のフリーペーパー "伝書鶏"の特集記事より抜粋




ラバシは男が荷車に戻っていく様子を黙って見ていた。
最初は、馬も竜も引いていない荷車が走っているのを見て魔術師が魔法の車を操っていると思い警戒したが、その中から、出てきた何とも人のよさそうな顔をした男は、心配した様子で此方の事を気遣ってくれた。
何を言っているのかは分からないが、敵意は感じない。
とりあえず、後続が到着するまで海岸で待機しようと思っていた。
だが、しばらくすると海岸で起こったある変化に待機していた全員の注目が集まる。
男が戻っていった魔法の荷車から、何とも言えぬいい香りが漂ってきた。
その匂いを嗅いで、ぞくぞくと皆が集まる。
もちろんラバシもその先頭にいた。
見れば荷車の中では、男が何かを揚げていた。
全員が疲労困憊の中、その匂いは麻薬以上の誘惑だった。
ごくりと皆ののどが鳴る。
その腹ペコの集まりを代表して、ラバシが男に話しかけた。

「すまないが、これを皆に振る舞ってはくれぬだろうか。
もちろんただとは言わない。出来る限りの礼はしよう。
なぁ、どうだろうか?」

ラバシの言葉に対し、男は静かに笑うだけである。
やっぱり言葉が分からない為、意思疎通が難しかった。
ラバシが何とか意思疎通に勤めようと頑張るが、相手の男は串に刺さった何かを揚げ終ると、その内の一本を黙ってラバシに差し出した。
ラバシはまじまじと見る。

「小麦を揚げたように見えるが… この表面の粒は砂糖か!なんと、そんな高級な食べ物だったのか!」

見た目は小麦を揚げたシンプルな何か。
しかし、その表面はこれでもかというくらいに砂糖がまぶしてある。
ラバシが驚愕の顔をしていると、男はさして気にした様子も無く他の皆にも配り始める。
だが、ラバシは一体、対価がいくら必要になるのか考えていた。
飢えているとはいえ、そんな高級な食物を振舞われて、一体いくら支払えばよいのだろうか。
そんな串を持ちながら考え込んでしまうラバシを見て、男は身振りで食べろとでも言うかのように促してくる。
流石にラバシも限界だった。
疲労困憊で空腹の上、手には見たこともない美味そうな食べ物。
支払いの事など忘れると心に決め、一口噛り付く。

「…!!!!」

うまい!
表面の小麦の衣も絶品だが中に入っている肉の腸詰と砂糖が絶妙なハーモニーを作り出している。
ラバシが食べたのを見て、他のみんなも貪りつくように食べ始めた。
その顔は、至福の表情に包まれていた。


「いやぁ~ 疲れているときは甘いものに限るべな!」

男が次々に揚げながら、皆の表情を見て満足げに言う。

「ブヒブヒブヒ!!」

このイノシシ頭の男など、既に何本目であろうか。
満面の笑顔で中のソーセージを指差し何かを言っている。

「お! 気づいたか!普通はフレンチドッグは魚肉ソーセージを使うんだが、俺の店は特別でな!
なんと道産ポーク100%のソーセージだ!うまいだろう!」

そういって男は紙に豚の絵を描いて見せた。
だが、笑顔で語る男の絵を見た直後、イノシシ頭の男の顔色が悪くなる。
そして次の瞬間にはドーンと地面に倒れてしまった。

「おい!どうした!?のどに詰まったか!」

心配して駆け寄る男の声は、もうイノシシ男には届いていなかった。

「ラバシ様!ティンゼーイ族のオットゥクヌシ殿が倒れました!
いかがいたしましょう!?」

…豚の腸詰だったか。

「とりあえず、横に移動させろ。こんな所で横になっていたら邪魔でかなわん。
それと、彼の部族の連中には、中身は豚なので気になるなら周りだけを食べるよういっておけ」

それを聞いた部下たちが、巨大なイノシシ男の手足を持って移動させ始める。
せっかく皆でおいしく食べているときに、怪我でもないのにぶっ倒れているような奴は邪魔だ。
そうしてズルズルと引きづりながらやっとのことで、片づけていると、彼らを囲むように騒々しい音を響かせ赤い光を放つ魔法の荷車が道路に集まってきていた。
おそらく、この地の兵隊か何かであろう。

「さて、やっとお出ましか。一世一代の交渉だ。絶対に成功させなければな」

ラバシは続々と集まってくるそれらを見ると、キッと覚悟を決め、男に一言礼を言いながら集まってきた荷車に向けて一人歩き出した。

「指揮官はどなたか!?話をさせてくれ!」

ラバシが集まってきた集団に向かって叫ぶ。
だが、それに対する回答はない。
彼らは淡々とラバシらに対する包囲を築く作業に追われるだけ。
ラバシは困った。
彼は何度目か叫び、道路を封鎖するこの地の兵隊らしき者達に近づいて、近くにいた一人に身振り手振りで話を試みるが、どうにも通じなかった。


おかしい…
船上で子供らがやった時は、もっとすんなり通じたではないか一体何が違うのか?
それに彼らも彼らである。
海岸に集まっている中で、ただ一人接触を試みているのだから、もう少し関心を払ってほしいのだが、彼らは等間隔で我らを囲み監視するだけだった。
それに彼らは、全員が鼻と口を蓋う仮面をつけるため表情が読めない。
彼らの包囲を出ようとすると当然の如く身振りで制止を求めてくるが、それだけだった。
特に攻撃的に扱われるわけでもなく、かといって相手にもされない。
いいかげん埒が開かないとイライラしていると、後ろから食糧を振る舞ってくれた男が近寄ってきた。
彼は、なかなか戻ってこない私を見て心配しているようだ。
ラバシは、彼なら何とかできるのではと、根拠もなく期待して彼に託すことにする。
どうにも私の演技は絶望的に何かが欠けているようだし。

「後は任せた!」

ラバシは、ドンと彼の肩を叩いた。



男は急に肩を叩かれた。
フレンチドッグを揚げていると、さっきまで集団の先頭にいた男が、集まってきた警官の方に向かっていくのが見えた。
だが、その後は芳しくない
男が身振り手振りで話しているが、警官に伝わってるようには見えなかった。
ちょっくら助け舟をだしてくるか。
そう思って在庫のフレンチドックをあらかた揚げ終えると、男は彼らの方へ向かっていき、男に声をかける
すると、天の助けとばかりに満面の笑みで男は肩を叩いてくる。

「○*▽#☆!」

ドン!

ガタイのいい男から繰り出される一撃は初老の男には中々厳しいものがあった。

「痛ぅ… もうちょっと加減しろや。ちくしょうめ」

男は肩を摩りながら付近を囲む警官に声をかけた。

「あー お巡りさん。ご苦労様です。」

その声を聞き、日本語が話せる人がこの中にいた事にほっとした様に警官も返事を返す。

「こりゃどーも。こんにちわ。
それはそうと、失礼ですがあなたは?
あなたも海岸から来ましたけど、彼らの知り合いですか?」

「いんやぁ 俺はたまたま通りかかっただけだよ。
したっけ、怪我人がわらわら居るし、みんな疲れた顔してるから、ボランティアでフレンチドッグ振る舞ってやったさ。
あぁ そんで、俺は北島五郎っつってフレンチドックの移動販売やってるモンです。
身振り手振りで俺のフレンチドッグ振る舞ってやったら仲良くなってな。
こいつらを何とかしてやりたいんで救急車は呼んでやったけど、この人数だし、怪我人も一杯なんでお巡りさんも介抱手伝ってくれんべか?」

五郎は笑って警官に頼むが、その依頼にたいして警官はすまなそうに言う。

「申し訳ないですが、手伝うことはできないし、救急車も来ませんよ」

「え!?」

五郎は警官の言葉に耳を疑った。

「なしてさ!?なして救急車が来ないんだ?」

五郎は驚愕し警官に掴みかかろうとするが、他の警官に制止される。
それをなだめる様に警官が言葉を続ける。

「知事命令で防疫の為にココは隔離しました。
海保からの報告で、正体不明の難民が向かってると知った知事の命令があり、今、名寄の駐屯地から自衛隊が向かってきていますので、それまで待ってください。」

「防疫?」

「そう 海保の報告映像を見た学者さんが進言したらしいんです。
まぁ 私らも対策室に詰めてる上の人間から聞いた話で詳細はわかりませんがね
彼らの中に明らかに普通の人間じゃない方も混じってますよね?
まぁ そこらが原因だと思いますよ。我々のガスマスクも防疫上の処置です」

それを聞いて五郎の疑問の一つが消える。
確かに、ここで警備している警官たちは全員がマスクをしていた。
そのことに気がついてはいたが、質問の優先度が低かったため特に聞かなかったのだが
今の警官の話で理解が出来てしまった。

「それであんたらは、そんなマスクしてるのか」

「はい。もし悪性の病原菌やウイルスが居た場合に備えての処置です。
それと、そういった理由で今後は我々の許可無しに出入りは禁止となります。
…つまり、あなたも出入りが制限されます。」

警官は気の毒そうに言う。
親切心で助けに入ったら、自分まで隔離されてしまったのだ。
普通ならショックを受け激怒することもあるだろう。
だが、意外にも男はそれほどショックは受けていなかった。

「えぇ~ 俺も隔離か!
まいったなぁ~…
これからどうすっべなぁ。
まぁ でも、嫁さんも死んじまって居ないし仕事っつっても移動販売だけだし、カゼでも引いたと思って、まぁ 諦めるか。
どうせ問題ないって分れば、また自由になるんだろ?」

仕方ねぇな~と愚痴を零すも、ひょうひょうと事実を受け入れている。
男はなかなかメンタル面でも強かった。
そして、彼は警官たちから離れた所で見守っているラバシの所に戻ると、彼に警官の言葉を伝え始める
もちろん、言葉ではなく手に持っているメモに絵を書いて伝える。
まぁ 絵を書いて説明するので細かくは伝わらないが、以外に絵心のあるそれは、これから他に人の集団が来ること、それまで待たなければならない事
五郎も一緒に隔離された事は伝わったようだった。
だが、それが伝わると同時にラバシも申し訳なさそうな表情になる。

「どうやら、我々のせいで貴方にも迷惑をかけてしまったようだな。…申し訳ない」

ラバシが目を瞑って謝罪するが、言葉は通じなくても五郎には雰囲気からラバシが何を言いたいのか伝わったようである。

「まぁ 気にすんなや。もうちょい俺と一緒に待とうや」

まぁ 好きで助けたんだからしゃーねーべやと言いながら、今度は五郎がラバシの肩を叩く。

「あぁ そういえば、自己紹介はまだだったな。
俺は北島五郎。五郎だ。ゴロー。わかるか?」

思い出したように語りだす五郎が、自分を指差しながら名前を連呼する。
ラバシもそれを見て理解する。

「ラバシ・マルドゥク。ラバシでいい」

同じように自分を指差しながら名前を連呼する。

「ラバシか!良い名前だな!」

現実を受け入れた男たちは、仕方が無いと笑いながら海岸に向かって歩き始めた。
何も全てが悪いほうに流れると決まったわけではないのだ。
それよりも、海岸ではラバシの部下が後続の介抱を行ってはいるが、いまだ続々と避難民の上陸は続いている。
その様子を見ながら移動販売車へ戻っていく五郎だが、ふと何か思いついたように警官の元に戻ってくる。

「そうそう!隔離はされたけども、物の搬入は大丈夫だべか?」

笑って警官に尋ねる五郎に警官は戸惑いながら答える。

「それは問題ないですが、一体何ですか?」

ニッと笑って五郎は言う。

「それなら、フレンチドックの材料や水を調達してきてくれ。
あんたらも、自衛隊待ってる間に彼らが衰弱死したら困るでしょう?」

警官達はそれを聞き頷くと、そそくさと無線で署に連絡を取り始める。
確かに自分たちが隔離しているせいで死人が出ては色々と不味い。
そんな責任回避のための公務員の仕事は非常に速かった。
程なくして、稚内署名義で海岸に大量のフレンチドックの材料が届けられることになったのだが、
それらはあっという間に難民の胃袋に納まってしまうのであった。





その日の夜

道庁

緊急対策本部


「獣人ですか…」

海保から上がってきた映像を見ながら知事が呟く。
それに応える様に、対策室に詰めている学者が説明する。

「はい。明らかにホモ・サピエンスと異なります。
それどころか、類人猿かすら疑問です。
明らかに二足歩行している他種動物もおりますし…
それに、この事と、空自の撮影した周辺の地形等の情報から総合的に判断しますと、我々は違う世界に転移した可能性が高いと思われます。
まぁ何より、後ほどの休憩時にでも外に出てもらえれば分りますが、星座すら全く違うというのは同じ地球ではあり得ませんからな。
何せ天の川が十時にクロスしておりますし、このような事態は数十億年後のアンドロメダと銀河系の衝突時に起きるかどうか…
まぁその頃には地球の海洋は全てマントルに吸い取られていますから、未来という可能性もない。
よって、異世界か別の星系であろうと推測されるわけですな」

そう説明する彼の名は、矢追純二博士
異変後、道内にいた各界の専門家が対策室に招聘され
その中でも彼は飛びきりの天才であった。
その彼が言う
ここは元の地球ではないと…
その答えに知事は眉をひそめて聞き直す

「違う世界?」

「そうです。異世界ですな。
膜消失後の地形の大幅な変化。それに元の地球ではありえなかった生物種の出現。
数ある並行世界のどこか、まぁこれが5次元平面上に分岐した世界なのか、6次元上の別の宇宙なのかは定かではありませんが…
又は元の世界内でも異なる時空間に転移したのではないかと推測します。」

「それが本当なら、一部地域を隔離して防疫体制を敷いただけでは弱いんじゃないかしら?
人間を隔離しても、鳥や小動物から病原性ウイルスが入ってくるのではなくて?」

矢追博士の進言に従い難民は隔離した。
彼が言うには正体不明の人種?の集団はどんな病気を持っているかわからない。
下手をしたらヨーロッパ人上陸後のアメリカ大陸先住民と同じ運命をたどるかもしれないとの話だった。
この世界に対するイレギュラーが彼らだけならそれで良かった。
だがイレギュラーが自分たちであったなら、鳥インフルエンザよろしく野生動物から伝播もあり得るのではないか。
そう考えて知事が発言したが、それに対する答えは、すぐに博士から出た。

「それについては、彼らを徹底的に調べることにしましょう。
彼らの中には人間とあまり変わらぬ姿の者たちもいますし、動物に似た姿をしている者もいます。
何かしらの免疫を持っている事でしょう。
既に我々はワクチンだけではなく、免疫細胞自体を大量に培養して移植する技術があります。
これで最悪でも、人間と彼らの種に対応する家畜は守れます。まぁ 道内の野生動物に対しては見捨てるしかありませんが…
その為にも、多少の非人道的な扱いも止むをえません。
我々の生存が最優先です。」

彼は断言した。

----多少の非人道的な扱いも止むをえない----

少々心に引っ掛かることがあるが、施政者としてこの判断を避けることはできない。
道民の生命と財産を保護するためには多少の犠牲には目を瞑らねばならない。
政治とは大を守るために小を見捨てることなのだから。
今回の事で、高木知事は改めてそれを認識し心に深く刻み込んだ。
そう、我らの生存のためには手段は選んではいられない。
本国と…元の世界と切り離された事が現実味を帯びている今、我々に許される選択肢は多くは無い。
知事として、高木はるかとして心を決めた。

「…わかりました。
防疫に必要な物資・人材は道が集積して支援します。
自衛隊による彼らの保護後、私たちに出来ることを全て行いましょう。
それと、今後の方針を決めます。
各組織の代表者を集めてください。
もちろん、ステパーシン氏を含むロシア側もです。
我々は新しい一歩を踏み出さねばならないでしょう。」

転移、そして決断。
北海道は新たな一歩を踏み出したのだった。




道庁でそんなやり取りが行われている頃から時は少し遡る。
稚内沖に見える陸地で、一つの集団が海を渡る難民を眺めていた。
既に難民は岸から遠く離れているが、その行く先は明らかだった
船団というのもおこがましい小舟と筏の群れが蟻の行進のように一筋の線となって沖に浮かぶ未知の陸地へと続いている。

「逃げられましたな」

海を眺めていた集団の中で騎士の一人が呟く。
その言葉を聞いて集団を統率していると思われる若い騎士がフンと鼻を鳴らす。

「なに、仕方ないさ。父上が満身創痍の蛮族どもを駆除しようと追って入った森の奥で逆に打ち取られるとは予想外だった。
奴らめ…。どんな魔法を使ったか知らんが覚えておけ。
地の果てまで駆り立ててくれる!」

若い騎士は奥歯を噛みしめ海上の船団を睨む。
過去最大の規模で始まった今回の亜人討伐は、開始から順調に推移していた。
亜人に占拠されている土地を奪還し、この地から亜人を追い出すという目的は完璧に達成出来たと思われた。
最後に海岸に集まる亜人どもに突撃し、これを殲滅する最終段階で父であるエルヴィス辺境伯は、森の奥へと向かうドワーフを見つけてしまい。
それを追いかけていってしまった。
その結果は、轟音と火の手。その後に見つかる父の焼死体。
予定外の司令官の死亡により討伐軍は混乱に陥った。
その混乱を息子のアルドが収拾したときには、亜人は海の上だった。

「悔しいが、一度本拠に戻るぞ。
父の葬儀と家督の相続、それが終わり次第、再度討伐軍を出す」

「目的地はあの謎の陸地ですか?」

アルドの横に立っている肥満気味の騎士が笑みを浮かべて確認する。

「勿論!他にどこがある!
父が死に、謎の陸地が出現し、そこに獲物が逃げ込んだ。
私には、これが神が私に辺境伯家の当主として領地を拡大せよといっているように思える。
これは神の試練であり恵みだ!と」

それを聞いて家臣達も色めき出す。
今回の亜人討伐で領地が加増されるが、更に加増のチャンスが目の前の海上に広がっているからだ。

「では、一度帰還いたしましょう。
若が家督相続の手続きを行っている間、私めは軍船の準備を致します。
我らの力、更に見せつけてやりましょうぞ!」

肥満の騎士は闘志を燃やす。
あの未知の土地を征服する先にある栄華を求めて…








3日後


道庁内会議室

この日、道庁には道内にある各機関からの代表者が一同に会していた。
会議室の中央に高木知事が座り、その両翼に日露の代表が座っている。
会議室内に全員が揃ったことを確認し高木知事が開始の挨拶をする。

「みなさん集まりましたね?
それでは、これより我々の今後を検討する会議を始めたいと思います。」

その声と皮切りに北海道の今後を決める会議が始まった。

「お手元の資料にもある通り、水面下での調整の結果、北海道と南千島の合併は決定事項で了解しているかと思います。
ですが、国家体制、軍事、法制度等の決定に皆さんのご協力が必要と思い、本日の会議を招集しました。
ですが、それを決める前に、現在の我々の置かれている状況を整理してみましょう。」

会議室のスクリーンに数枚の写真が写される。
何名かの初めてその写真を見る者はどよめいた。
有るはずのものが無く、有るはずの無いものが有る写真だった。
それは、松前半島上空から南を眺めた本州の写っていない写真と稚内沖にあるサハリンより遥かに広大な陸地が写った航空写真だった。

「現在、空自の偵察機による観測では、本州の消滅と稚内沖20kmに未知の大陸が出現したことが判明しております。
更に詳細は不明ですが、北海道南方200kmにも陸地があるという情報も入っております。
その中でも、特に北方の大陸について特筆すべき点があります。
ご存知の方もいらっしゃいますが、3日前、稚内沿岸に大陸から渡ってきたと思われる多数の難民が漂着しました。
現在は、稚内CCを接収して作った難民キャンプにて保護しておりますが、注目すべきは彼らの姿です。」

スクリーンに獣人やドワーフの写真が写される。
それを見て、先ほどとは比較にならないどよめきが上がった。

「ご覧のとおり、彼らは現生人類とは著しく異なります。
わりかし我々に近い個体でも、やはり詳しく調べてみるとホモサピエンスとは別種だと報告がありました。
現在は、防疫上隔離に近い処置を取っていますが、彼らが大陸から来た以上、今後は彼らとの大々的な接触は不可避でしょう。」

スクリーンがまた変わり、再度航空写真が写る。
そこには、集落らしきものが写っていた。

「これは空自が撮影した大陸沿岸部の集落の写真です。
これが示すのは、我々とは異なる文明が存在しているという事実です。
彼らの政治体制、文化レベルは不明ですが、そこから難民が大挙して押し寄せた以上、必ずしも平和的な政権であるとは言い切れません。
よって、我々は生存を賭けてあらゆる手を講じなければなりません。
過去の確執、個別の利権は捨て去り、新国家を創造することが我々に課せられた使命であることを心に刻みましょう。」

高木の説明とその大儀の確認に室内に拍手が溢れる。
この場に出席した全員が再確認した。
もはやなりふり構っている時ではないと…

だが、高木知事の説明から始まった新国家建設の為の会議は、初っ端から紛糾した。
丸2日に渡る喧々諤々の議論が巻き起こり、時には殴り合いにまで発展しそうになったが、大まかには以下の事が決定した。


・統一国家の政治体制

なりふり構ってられないといっても、もともと日露は別国家である。
双方ともに自らの政治体制をメインとした政治体制を主張した。
北海道側は議院内閣制、南千島側は連邦制の大統領制。
最初は譲らなかった北海道側も南千島側の一言で何も言えなくなった。

「この有事に、日本の議院内閣制を導入して毎年政府首班が交代したら国が亡びる。
あなた方は、まだ懲りていないのか?」

言い返せる人物はいなかった。
日本の政治はコロコロと首相が変わり、特に2010年代からは特にひどかった。
転移前の国内の混乱を思い出した北海道側はこれに押し切られてしまった。
これにより、北海道は南千島との連邦国家として大統領制を選択することになる。


・安全保障

これについては双方の兵力によって主導権が分かれた。
陸上兵力については指揮権の統一については異論は無く、総司令部が道内に設置すると兵力で圧倒する陸自が押し通した。
だが、装備の統一で揉めに揉めた。
兵力では陸自が圧倒的であるものの、陸自の小火器については、道内への生産設備移転が事実上断念していた。
何故なら、何度か道内に工場を誘致する計画が上がったものの、その度に何処から情報が漏れたのか市民団体が殺到。
しまいには火炎瓶まで出てくる始末で1か月では準備できなかった。
此れには、ロシア側がリークしていたとの噂もあったが確たる証拠は無かった。
その点、ロシア側は国後に生産能力を手に入れていた。
そんな事もあり、自衛隊の物資を有効活用するためにも自衛隊はNATO弾規格のAK74を89式の補充として導入し
最終的には一本化すること、ロシア側もNATO弾規格の物に交換することで両軍の規格統一が最終的には同意した。
そして、大型兵器については、両軍ともに生産設備が無かったので、後日、北海道の生産基盤整備の際は日本側装備をメインとすることになった。
だが、航空兵力や海上兵力については主導権は逆だった。
空自は2個飛行隊のF15を配備していたが、機体寿命が切れかかっていた。
F4の時のFX騒動を踏まえ、F15の機種交換では国産の新型戦闘機F3を量産することが早々に決まっていたが
配備は西側方面が優先され、千歳に配備が始まる前に転移してしまった。
それに対し、ロシア側はかつてPAKFAと呼ばれたステルス戦闘機Su51を一個飛行隊20機配備している。
だが、双方ともに航空産業の基盤が無い。
在庫の交換部品が切れたら終わりである。
そこで、双方からリバースエンジニアリング用に機体を出し合うことにし、部品の供給を行うことにした。
だが戦力価値により、補給部品はSu51が優先されることになり一応は話がまとまるのだが、海上に至っては更に日露の差がついた。
海保とロシアの国境警備隊については余り差が無く、すんなりと統合に向かったが、問題の海自の装備は、道内にはミサイル艇2隻と掃海艇だけだった。
それに対し、ロシア側は偶々択捉に寄港していたステレグシュチイ級コルベットが一隻あった。
双方ともにあまりに貧弱な海上兵力だったが、海上兵力整備の際はステレグシュチイ級をドッグ入りさせそのコピーを量産することになった。
それに伴い海兵の教育もドッグ入りした際にロシア式で行うことが決まった。



その他にも法制度は、2年は準備期間として両地域の現行を維持し、その後で統一する事や、転移後のロストテクノロジーを回復するために科学技術復興機構の創設が決まった。
内容としては、道内の技術者・科学者を一元的に管理し、科学技術の復興を迅速かつ効果的に行うというものだった。
これについては、武田勤氏が裏で調整していたようで、初代理事長には彼が収まった。

「ふぅ… なかなかしんどいわね」

高木が額の汗をぬぐう。
その様子をみて鈴谷宗明がそれ以上に汗の浮いた顔で彼女を励ます。

「なに。最初にうんと苦労すれば後は屁みたいなもんだよ。
だがしかし、予定では初代大統領になるお方がこの程度で疲れてちゃいかん。
君はもっともっと苦労する予定なのだからな」

笑いながら鈴谷は高木に言う。
それを聞いて高木は少々げんなりした。
まぁ この状況下になってしまった以上、政治的空白を作らずに新体制へ移行するには、自分がこのまま横滑りしなければならないのはわかっている。
だけど…やっぱりしんどい…
そんな事を思いながらため息を一つ吐きながら会議の進展を見ていると、会議室の外から一人の職員が早足でやってきて高木の耳元で静かに報告する。

「稚内の矢追博士から連絡です。
隔離地域で何やら進展があったようです」

「博士は免疫のテストで現地へ行ってた筈だけど、何があったの?」

「何でも免疫細胞移植後に想定外の反応があったそうです。詳細は博士が直に説明するそうです。」

一体何だろうか、手段を選ばないと決めた後、難民と一緒に隔離された不幸な市民を使って免疫系の人体実験が非公式に行われていることは知っていた。
想定外とは一体何であろうか…










稚内CC


難民上陸後、到着した陸自の部隊により、市街より離れたこのゴルフ場に難民キャンプが築かれた。
周囲はフェンスで囲まれ、その中に無数に立つテントの中に2万人もの亜人達が保護されている。
そんなテントの一つに五郎はいた。

「すごいぞ!ラバシ!言葉が通じる!」

「いったいどうしたんだゴロー!すばらしいぞ!」

人種のおっさんとドワーフの男が手を組んで踊っている。
そして、その周りでは数人の研究者たちがその様子を見ていた。

「博士… これは一体…」

「原理はわからん。だが、彼本人には難民の言語が翻訳されて聞こえているようだ。
だが、発音は全く違うし、はたから見る我々には双方共に別言語を話しているようにしか見えない。
おそらくはテレパシーの一種かもしれない」

矢追博士は目の前で起こっている現象を真剣に観察しだした。
もはや、なぜ起きたかは重要ではなく、なぜ会話できているのかに興味が移っているようである。
だが、一緒にいる研究員は思う。
一体なぜこうなったのか、と…
警官から隔離されると聞いた後、五郎は自衛隊と一緒に難民キャンプにやってきていた。
難民は血液検査ということで全員採血され、負傷している者は治療を受けた後、彼も一緒に数日をキャンプ内で過ごした。
その後、矢追博士と名乗る人物と出会い、伝染病の予防と称して彼らの持ってきた注射を打って貰ったのだが、想定外の効果は数時間後に現れた。

「いやぁ 言葉が通じるって良いもんだべや」

彼らの言葉が分かる。
最初は何だかわかる気がする程度だったが、時間を置くと徐々にハッキリわかるようになった。
その結果が、今、ラバシと二人で踊っている状況になっていた。


「おそらくだが」

唐突に博士が研究員に話しかける

「彼らの免疫細胞という体組織を移植したことにより、未知の要素が五郎君の体に宿ったのだ。
彼らの体に他にも秘密があるのなら、まだまだ未知の現象が見れるかもしれんな。実に楽しみだよ。
それに君も見ただろう、あの免疫細胞を。
我々の知りうる病原菌、ウイルスを無効化してしまった強靭な免疫だよ。
今の所、被験者に副作用やショックといった異常もなく容態は落ち着いている。
もしかしたら、全道民に処方することになるかもしれないな。
何より移植後に言葉が通じるようになるという未知の現象が素晴らしい。
あぁ!…もう我慢できん!君!早速、私の分を用意したまえ。
私自ら実験を行う!」

ドタバタと人体実験の用意を始める博士。そしてそれを押しとどめる研究員たち。
そんな踊ってるかのような喧騒劇を繰り広げる博士たちを横目に、五郎たちも踊る。
その後、やっと観念した博士たちが次の実験の準備のためにテントから出ていきテント内に静寂が戻ると
五郎たちも気が済んだのか踊りをやめた。
そこでやっと一段落付いたような気がした五郎は、ラバシと出会った時から思っていた疑問をぶつけてみた。

「話が分かるようになったんで聞くが、お前ら一体どこから来たんだ?」

にこやかに笑いながら五郎が訪ねる。
その瞬間、ラバシの表情が明らかに暗く凍る。
そして、重くなった口を開きラバシは五郎に語った。

「俺たちは大陸の人種共に迫害され、命からがら逃げてきた避難民だ。
奴らは俺たちを根絶やしにする気でいたから、最早故郷には戻れない。
この土地で暮らさせてほしいんだ。
その為にゴロー、是が非でも君たちの長に合わせてくれないか?」

その告白を聞き、五郎の顔からも笑いが消える。
彼らの事情は予想以上に深刻で、悲しいものだった。
五郎は、ラバシの話を聞いているうちに、それがあたかも自分に起こったことのように彼らの苦難を悲しみ、怒り、同情していった。

「そうか… そんな事があったのか
残念ながら俺は使えるツテとかは無いけども、取り敢えず博士に相談してみるべか?」

「あぁ 是非とも私の話を伝えてほしい」

ラバシが頭を下げる。
それを見て五郎は。おう 任せとけ!と胸を叩き、二人は早速、博士のいるテントへ向かう。
彼のテントは一発でわかった。
赤十字のマークが入ったテントから、博士と助手の研究者の騒がしい声が聞こえる。

「待ってください博士!もう少し経過を見てからにしましょう!」

「君は馬鹿かね?あんな面白い現象を前にして黙って待っていられる筈がなかろう!」

テントの外にまで漏れるその声に、五郎はつい呆気にとられてしまったが、気を取り直して入り口をあける。

「博士。ちょいとお邪魔しますよ」

見れば、今まさに注射器を自分の腕に刺そうとしている博士だったが、自分のテントを訪れた五郎とラバシを見て手を止める。

「おぉ 君たちか!どうしたのかね?
まぁ そんな所に立っていないで、ゆっくり座ってくれ」

彼らを笑って迎え入れる博士。
五郎達は勧められるままに椅子にこしかけると真剣な表情でラバシの話を始めた。

「博士、ご相談なんですが………」


…………


「そうか… 海を渡って来たのはそういう事情だったのか。
まぁ ちょうど良い、私もこれから知事に連絡しなければいけない用があったから、一緒に話してみるとしよう」

その言葉を五郎から通訳してもらったラバシは、博士の手を取りブンブンと振り回して喜んだ。
急に手を捕まれ振り回されて若干ビックリした表情になる博士だったが、解放されるなり電話を取り、その言葉通り道庁に電話をかけ始める。


一方その頃。

道庁
会議室内

「知事、博士とテレビ電話が繋がりした」

「スクリーンに出してちょうだい」

知事の指示に従い、職員が映像を会議室のスクリーンに繋げる。
そのスクリーンには博士が映っていた。
画面の中で博士は、「お!映った」と呟きながら知事に挨拶する。

『どうもお疲れ様です知事。会議はどうですか?』

博士のその言葉を聞いて高木は溜め息を漏らす。

「順調に紛糾中です。
会議は踊る。されど進まず。…みたいなウィーン会議よりはマシと言っときましょうか。
まぁ、そちらはそんな事は気にしなくていいです。
それより博士。報告事項があると伺いましたが?」

その返事に博士は興奮して説明を始める。

『そうなんですよ知事!
免疫の人体実験に使った後ろにいる五郎君なんですが、免疫細胞を移植後に面白い変化が現れました!』

そう言って、博士は後ろに立っている北島氏を指さす。
というか博士、非公式の人体実験をそんなにペラペラ喋らないでほしい
高木はそんな事を考えながら、人払いせずに博士との電話をつないだことに後悔した。
当の北島氏は、あまり自分の立場を理解していないようで、手を頭に当てて照れながら挨拶しているが、この事を知らなかった職員がこちらに厳しい視線を送っている

「…それで、どんな変化が起こったのですか?」

高木は、一部職員の視線を無視しつつ話を続ける

『それが、移植後に五郎君と彼らの言葉が通じるようになったのですよ!
彼らの発音している言葉自体は別言語ですが、原因不明のファクターにより、意志疎通が出来ている。
おそらくテレパシーの一種ではと推論しますが、仮に全道民に予防接種として免疫細胞を移植した場合、我々と彼らの言語の壁はぐぐっと下がるでしょう!』

なるほど… この世界は我々の予想を越える事が多々あるようだと高木は思った。
そもそも難民のなかにいる獣人達だって、我々の知っている進化論からは考えられない存在だ。
もう、転移前の常識は捨て去るべきかもしれない…

「そうですか。もしそれの安全性が確立すれば、これからの交流に非常に有用でしょうね。
ありがとうございます。引き続き調査をお願いします」

実に有益そうな想定外に知事は笑って労う。
こういう役に立つ系統の想定外なら、いつでも大歓迎だ。
だが通信を終える前に博士が話を続ける。

『それと、言葉が通じるようになったことで、彼らが是非とも知事と話たいといっていますが、よろしいですかな?』

「そうですね。私も彼らの話を聞きたいと思ってました。こちらこそお願いします」

その言葉を聞いてすぐ、五郎がラバシを呼ぶ。
会議室内はスクリーンに入って来た髭を蓄えた男に注視する。
その中で、緊張した面持ちで五郎はラバシの話を通訳して話始めた…


……


「……つまり、あなた方は武装勢力に追われている難民なのですか?」

『ああ だが、我々は船でこの土地に逃れてきたが、奴らは船を用意していなかったから追跡は無理だ。よって暫くはこちらも安全だと思う」

ラバシの言葉に高木の頭痛の種が又一つ増えた。
つまり、我々は敵対する勢力がある難民を保護しているのか…
これは不味い…
外交安全保障上の不安定要素だ。

「出来れば、あなた方を襲った集団について詳しく教えて頂けませんか?」

『あぁ… 奴らは我々の勢力圏と隣接するゴートルム王国のエルヴィス辺境伯の軍勢だろう。
何度か戦ったが辺境伯家の旗しか無かった。まず間違いない』

「王国とは敵対関係にあったのですか?」

『いや王国内で我々亜人は差別される事はあっても、本格的に敵対する事はなかった。
だが、あの辺境伯は違う、土地をめぐって度々小競り合いを起こしていた。
なんでも、神に与えられた土地を神の恵みを知らぬまつろわぬ者から奪還するとのたまっている。
実に自分勝手な理由だ。奪還するも何も、元々あそこは我々の土地だ!』

説明するラバシがヒートアップする。
五郎も忠実に演技付きでそれを伝え、彼の心情を的確に表現している。

「そうですか… となると、いずれこちらにも火の粉が飛んできそうですね」

高木は、むふぅ…と息を吐き、深く椅子に身を預ける。
その様子が、ラバシには彼女が此方を見限るかのように見えて、顔が青ざめる。
自分たちの安全ばかりを気にして、彼らが巻き込まれるとは考えていなかった。
見捨てられては困る。最早、行き場など無い。

『頼む!どうにかこの土地に住まわせて頂けないだろうか!我らの力と精霊の加護は、あなた方に必ず役立つと約束する。
だから… 頼む!』

そう言って、役に立つと売り込むラバシの力をこめて握った拳が紫色に光る。


!!!!!!!


突然の変化にラバシ以外の全員がざわめく。
当然、画面越しに見ていた知事も、目を見開いてその拳を見つめる。

「!? そっそれは一体何ですか?」

予想外の反応が返ってきたため、ラバシも困惑気味に言う。

『いや、決意表明のつもりだったんだが…
頼む!我らは必ず役に立つ!お願いだ!』

「いや そんな事ではなく、その光った手は何だったんですか!?」

見当外れのラバシの回答は無視して知事は聞く。
ラバシは「これか?」拳とモニターを交互に見つめ、さも当然のようにラバシは答えた。

『これか?こんなのは唯の精霊魔法だが…』

「魔法!?」

会議室の全員から声が上がる。
その様子を見て、ラバシは戸惑いながらも左手を紫色の光を灯したり消したりしながら説明する。

『あぁ 私のようなドワーフの場合は、肉体強化の魔法だ。
これがあるお陰で、他の種族が茹で上がってしまうような地底の環境をものともせずに大鉱山が作れる。
人種と違い、我ら亜人は一種類の魔法しか使えぬが、その分強力だ。
難民のなかの各部族も、それぞれ精霊魔法が使えるぞ』

その説明を聞いて全員が信じられないといった表情を浮かべる。

魔法である。
この世界は、こんなことまでアリなのか…
だが、それを見せつけられると信じざるを得ない。
というか、最早何でもありだ。
既に常識というベースラインは自分たちの足元には存在していない。
他ならぬ彼らの元に流れている常識こそ、この世界の常識であるのだ。
だが、これを見た高木には、ある一つの考えが生まれる。
おとぎ話通りに便利な力が実在するなら、北海道の産業に革命をもたらすかもしれない。
高木は声には出さずにそう考えると、ニヤリと笑いながらラバシに言う。

「良いでしょう。あなた方が此処で生きていけるように手を打ちましょう。
しかし、しばらくは準備のために窮屈な生活になると思いますが、それは我慢していただきたい。
そして、新たな隣人として改めて言います。
ようこそ 北海道に!」

その言葉にスクリーンの向こうで歓声が溢れる。
見れば、テントの膜越しに中の様子を伺っていたのか、他の亜人も歓声を上げながら彼らのテントに流れ込んできている。
ラバシと五郎は、何時の間に…とあっけに取られつつも、高木に何度も礼を言いながら通信を終えた。

「と、ご覧頂いたようになりましたが、この会議で議論すべき事が増えましたね。
彼の処遇ですが如何しましょう」

知事の問いに、出席者の一人が待ってたとばかりに発言する。

「是非とも労働力として活用しましょう!
彼らの特殊能力は産業振興に打ってつけです!」

経済界からの代表できていた一人が、これぞ天佑とばかりに提案する。
だが、それに対して公安関係の出席者が反論の手を上げた。

「だがしかし、犯罪や暴動に使われれば脅威だ。
想像してみたまえ、2万の暴徒が魔法なんて未知の力を振り回すのを…
それに防疫体制も整っていないではないじゃないか」

「だが、それにしても魅力だよ。
君は知っているか?
異変後、道内の労働者・失業者を対象とした調査によると、失業した場合に次の職に鉱山労働は考慮に含まれるかとの問いに対し
鉱山もやむ無しと答えたのは殆ど居なかったそうだよ。
内地との経済活動が途切れ、道内の労働人口の大部分を占めるサービス業から大量の失業者が出ることも予想されるが、ホワイトカラーから、鉱山労働者へ転換するのは不可能に等しい。
それに彼らを投入出来れば、我らの資源自給はかなり改善できる」

「だが、市民の安全もないがしろにはできん!」

そのまま議論は慎重派と推進派が平行線をたどる。
どうにもなかなか結論は出そうにない。
これはいけないなと、双方が譲らない議論に知事が割って入った。

「色々意見ありがとうございます。
皆さんの考えはとても参考になりました。
そこで、こういったのは如何でしょうか。
まず、彼らを小グループに分けます。
暴動が起きても対処できる人数が好ましいですね。
次に彼らを必要とする産業界に振り分けましょう。
名目は”産業文明になれるための研修”。これで、同化政策と経済対策を一度に行います。
転移前に各地の事業者が途上国の労働者を研修と称して招聘し、法定外の低賃金で働かせていたことが問題になっていましたが、今回はそれを道が主導で行います。
もちろん法定内の賃金は払いますが、あくまで研修なので最低限です。
彼らには、衣食住を保証し我々の文化になれる為に研修を行うと説明すればよいでしょう。
その後、相互に連携が取れないよう道内各地に分散させます。
防疫上、若干の不安がありますから人口密集地を避け、郊外に隔離した宿舎を事業者に建設させた方が良いですね。
その時、事業者にも治験として免疫細胞の移植を難民導入の条件として提示します。
隔離の期限は、都市部の人間の予防接種が終わるまで。
その間に難民には文明社会を叩きこみ、相互依存の関係を作ります。
…と、こんな感じでは如何かしら?」

双方の妥協できそうな中間ライン。
高木はそれを念頭に、このような草案はどうかと双方に尋ねる。

「まぁ 最初は仕方ありませんな。ですが、鉱山開発にはまとまった人数が必要ですぞ?」

「では、そういった特例的な場所については、公安の監視を張り付けさせましょう。
ですが、人数についてはこちらで一定の上限は決めさせていただく」

ココまで来て、会議は収束に向かっていく。
新体制の発足と難民の道内への導入という方針に向けて…



[29737] 転移と難民集団就職編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:10
国後島

拓也の工場



工場内に電気が灯った。
目新しい機械類が並び、その役目を果たす時を今か今かと待っている。
だが、機械類の充実ぶりとは裏腹に、工場内の人影は疎らだった。


ドン!!

「人が足りない!!!!」

拓也が机を叩いて絶叫する。

「うるさいわね。求人かけても島内の人があまり集まらなかったんだから、しょうがないでしょ」

うるさい馬鹿と言わんばかりに返すエレナ。
現在、工場で雇っているのは、北海道から連れてきた熟練の工員のおっちゃんが数人(彼らは、40超えると再就職口が無いとかで喜んで来てくれた)
それと、懸命な勧誘活動の末、やっと来てもらった現地のパートのおばちゃんが数人である。(給料は割高になったが…)
なぜ、このような事になったのか…
それには理由があった。
前の工場を買ってすぐ、拓也達は求人を出した。
だが面接の日時が不味かった。
命からがら島外を脱出したため、求人広告を訂正する時間などなく、面接に集まった人々は、燃え尽きた工場を見ることになった。
それも死体の後片付けをする兵士に聞くところによると、マフィアに襲撃されたらしい…
その事件の後、町の中で外から来たマフィアやごろつきの姿を見ることは無くなったが、そんな危ない会社に応募する物好きはなかなか居なかった。

「こんな下らん事で頓挫しちまうのか!」

拓也が頭を抱えて机に突っ伏す。

「うるさいなぁ 拓也。そんな事よりテレビ見ろ。獣人だぞ獣人。
ちなみに俺はウサギ娘が好みだぞ」

テレビでは知事が新体制発表の会見を開いている。
その中で出た難民の映像に、サーシャが聞いてもいない感想付きで熱く語る。
彼も工場取得に合わせてこちらに呼んでいたが、従業員の不足で工場が稼働できない為、未だにブラブラさせていた。

「アレキサンドル君は悩みが無さそうで幸せそうだなぁ」

拓也は机に突っ伏しながら彼に言う。

「おいおい 堅苦しいのは無しにしてくれ。
俺の事はサーシャでいい。それより見ろ、今度は猫系の獣人が映ったぞ!」

それに促されるように拓也もテレビを見る。
画面の中で、いつだったか話をした知事がカメラに向かって話している。

『…以上の理由により、北海道連邦政府は難民の保護を行います。
この就労研修プログラムにて、彼らを導入したい企業の皆様には、一定の条件がありますが道の方が斡旋をさせていただきます。
後日、稚内にて説明会を行いますので、詳細はそちらでお伺いください』


研修? 導入?

「サーシャ。すまないが何の話なんだ?」

拓也はテレビを指差して言う。

「んなこと知るかよ。俺、日本語なんてわかんねーし、ケモノ娘みてるだけだもん」

まぁ 英語とロシア語しか分からない彼に日本の番組の事を聞いても無駄だった。
だが、もう一人、テレビを見てる人物がいた。

「なんでも、難民の就労研修として企業に雇ってもらうらしいわ」

流石、俺の嫁。ちゃんと要点を聞いていたようだ。
だが就労研修? 彼らを雇えるのか?
もしかしたら、この労働力不足の解決の糸口かもしれない。
説明会にだけでも行ってみる価値があるな。

「みんな良く聞け!」

拓也が立ち上がり、二人の視線が集まる。

「稚内の説明会に行くぞ。ケモノ娘を雇う!」

拓也は拳を握りしめて宣言する。
それを聞いてサーシャは飛んで喜んだ。ネコミミ!ウサミミ!と叫んで踊っている。
それに対してエレナは、怒りをにじませた表情で拓也の胸ぐらを掴み、ケモノ娘?なんで娘限定なの?と問い詰めだす。
踊るあほぅと怒るあほぅ。
そんな二人に挟まれつつも、拓也は稚内行きを早々に決めるのであった。



説明会当日

稚内太陽ホテル内説明会場



その日、拓也達一行は説明会に来ていた。
他の企業に人を取られないようにと気合を入れてきたのだが、そこには予想に反して参加企業は疎らだった。
会場には空席もちらほら見える。

「あっれ?あんまり人いないなぁ」

拓也はあるぇ~?と会場内を見渡す。
てっきり札幌の商談会のような盛況ぶりかと思ったら、蓋を開けてみれば何とも活気の感じられない集まりだった。
ちょっと見ただけで、出席者の全員の顔が確認できる。
そんな中、拓也は出席者の中に見知った顔を見つけ、その人物に近づいていった。

「ここで何やってんだよ、兄ちゃん」

隣席と雑談中だったため、拓也の存在に気付いていなかった兄はその声に驚いて振り返る。

「お? おぉ!拓也じゃんか!どうしたお前こそ」

「俺は起業したんで人集めに来たんだよ。そっちは何でいるんだよ?」

「あぁ そういえば、カーチャンがお前が会社作ったって言ってたな。
こっちも人集めだよ。農業の」

農業の人集め?
余り機械化の進んでいなかった時代はともかく、機械化の進んだ今では家族内だけで特に問題なくやれていたのに
なぜ人がいるのだろうかと拓也は首を傾げる。

「実家に高価なお人形さんがいるじゃん。それで足りんの?」

「ありゃー 高いしな。農地の規模拡大には労働力が要るが、あれは簡単には増やせん。
やっぱ草取りとかそういう事にもマンパワーが要る。それと、今日はウチの為だけに来たわけじゃない。
オホーツク地区の農協青年部を代表して来た。ゆくゆくは地域全体に導入したい。
この先、農家もどうなるか分らんからな。
北見の農家数件で農業法人を立ち上げた後、徹底的な合理化と規模拡大で生き残りに掛けてるんだ。
つーことで、導入予定の安価な労働力の下見に来たわけだよ」

みれば、兄の横に知った顔が居る。
数年前に農家を継いだ同級生でオタのヤマちゃんが座ってる。
青年部を代表ね。農家のオタ代表の間違いじゃないのか?
拓也は着ている顔ぶれを見て、本当かと疑う。

「そんなの農協に任せとけばいいじゃん」

今までも、外人研修生の導入は農協などの仲介の下でやっていた。
なぜ、あんたが来る必要があるのか?拓也がそう兄に疑問をぶつけると、兄は真剣な表情で拓也に熱く語る。

「こんな大事なこと奴らに任せておけん!奴ら、前にもビートの作付枠を他の地域に取られるチョンボやらかしたし
なにより、奴らは人を見る目がない。
そこで!青年部の中でもイヌっ娘やらケモノ娘萌えに一家言持つ我々が直に来たのだ!」

それは人を見る目ではなく、趣味趣向の世界じゃないのか?
ツッコミが喉まで出掛かるが、あまり突っ込むとドツボに嵌りそうな気がした拓也はグッと言葉を飲み込む。

「それにしても、周りも似たような奴らばっかりじゃ無いよな?」

「いや、俺らみたいな獣人の選別眼を持つ人間は少ないと思うぞ。
例えば、あそこのハゲ。
あれは太平洋コールマインだな。
道と道内の金融機関から大規模融資を受けて道内の主要な鉱山開発に彼らを使うらしい。
その為に大勢雇う気だから、可愛い子が取られないようにこっちも気をつけねばならん」

鼻息を荒くして語る兄

「だけど、なんで兄ちゃんがそんなこと知ってんだ?」

「あぁ ここに来る前に駅前の信金が教えてくれたよ。難民使って大規模に農地広げる話してたら、あそこも奴らに随分と投資したらしく、色々と話してたよ」

「なるほどねぇ… お 説明が始まるみたいだ。そんじゃ、席に戻るわ」

意外にも兄がそんな情報を持っていたことに拓也は驚く。
そしてそのまま兄に手をふり席に戻ると、ちょうど道庁の職員が説明会の開始の挨拶を始めた。
その職員の説明によると、なんでも今回の就労研修の条件とは、郊外の事業者であることと難民を隔離するのはこちらの負担らしい。
それに加え、彼らは魔法と言う未知の力があり、防疫の一部として治験の予防接種まであるそうだ。
これを聞いて、数少なかった亜人導入希望の事業者はさらに減っていた。
治験… つまりは人体実験に協力しろとの事である。
二の足を踏むものがいて当然だ。(兄たちは超余裕!とか叫んでいたが、気にしない事にする)

「それでは、彼らの斡旋についてですが、一部の団体・事業主様以外は各種族混合の小グループにて斡旋させていただきます。
ちなみに、事業者が難民を選抜して人を集めることはできません」

まぁ 特定部族だけ余ったりしても駄目だろうからな。
これくらいはしょうがないのか…
それに一部事業主って多分、太平洋コールマインだろうか。
まぁ 地下で作業するのに鳥系が来ても駄目だし、そのための処置だろう。
あと、これを聞いて、会場のどこからか"ふざけるな!"と怒号が飛んでいるが、多分知らない人だと思う。
見ないでおこう。
他人だ。他人。絶対に身内ではない。

そんなこんなで、一部事業者に不満を残しつつも説明会は終わった。
会場から出てくる拓也に外で待っていたエレナが駆け寄る。

「全部オッケー?」

「あぁ 今、必要書類を全て提出してきた。彼らが来るのは一週間後だそうだ。
それにしても、最終的に申請したのは俺らの他にはコールマインと兄貴たちの北見農協の他は、新しく出来た科学技術復興機構とかいう団体だけだったよ。」

「やっぱり、なにか問題でもあったの?」

「あぁ
雇用の条件に治験に協力することと条件が出ていたんだ。
それを踏まえて、みんな今回は様子見にするみたいだよ。
まぁ ウチはもう他に選べる選択肢は無いからね。突き進むだけだけど…」

拓也が心配するなとエレナに言う。
するとどこから沸いたのか、空気の読めないサーシャが後ろから口を挟んだ。

「まぁ いいじゃないか拓也!これで獣人ハーレムは俺たちのもんだ!」


…勘弁してほしい
本当に空気読めないなコイツ
いらぬ言葉に反応して、お嫁様が冷たい目で睨んでいる。

「ま まぁ ともかく、どんな奴らが来るのか楽しみだな。
早速帰って社員寮の準備をしようか!」

拓也が逃げるように歩き出す。

「ま、待ってよ!」

不要な揉め事はうやむやにしたかった拓也は足早にその場を離脱する。
急に歩き出す拓也を追う様に、二人も国後への帰路についたのだった。

今回の難民の割り振りにより、ドワーフの大部分とパワーのある亜人の大部分が太平洋コールマインへ。
科学技術復興機構には、全ての種を少人数送られ、拓也とオホーツク地区の農家へは残りが割り振られる事になった。
亜人達と道民の交流が本格的に始まりを告げたのだった。









一週間後





この日、知床半島沖は9月の青く澄み渡った空の下、穏やかなディープブルーの海原が広がっていた。
そんな中、一筋の白波が、緑豊かな知床半島に沿って青い水面のキャンパスを切り裂いていく。
その白波の先端では、一隻の船が船首から絶え間なく白波を立てていた。
そして船は海上を駆け抜け、船が半島の岬を回り、国後島が肉眼で確認できるようになった頃、船内から小さな影がのそのそと這い出てきた。
船の揺れのせいか、それとも足取りが覚束無いのか、その影はフラフラ歩いてやっとの思いで弦側に立った瞬間
体をくの字に曲げ、弦側から乗り出したその身から、太陽の反射を受けキラキラ光る物体を海面に流している。
その影が、この日食べていた朝食だった物体が魚の餌として海を豊かにしていく。
ひとしきり吐き終えたのか、ふぅと口元を拭いながら人影が顔を上げた。

「海を越えてきたと思ったのに、また海の上か…」

汚れた口をゴシゴシと袖で拭って綺麗にすると、そこには一人の少女がいた。
未だに少々青い顔をしているが、見た目は10代前半のロングヘアをした背の低い美しい少女だった。
彼女は「まだ着かんのか~」と呟きつつその場にへたり込んだ。
弦側に背を預け、甲板に両足を放り出しながら空を見る。

「色んな事があったなぁ…」

ぼーっと青空を見つめながら少女はそう呟き回想する。


難民となる前、私はドワーフ族の中で、人種や他の部族へドワーフの作った武器を売る商いをしていた。
ドワーフ族と言っても全部が全部鉱山を掘ったり、武器などの道具を作っているわけではない。
確かに、ドワーフの優れた道具を求めて各種族の商人が訪れて来はしたが、それで食糧や道具の装飾に必要な材料が、彼らが必要とするときに手に入るわけではなかった。
なにせ、ドワーフと一括りに言えども、その内実は数多の部族があり、その部族ごとに道具や武器加工の得手不得手があった。
ある部族は道具の装飾が優れており、またある部族は斧の強度がピカイチであると言った感じである。
そんな理由で、ドワーフの中でも武器の行商をしながら自分の部族の道具を各方面に宣伝し、必要なものを調達することを生業とする者も必然的に生まれていた。
私はそんな行商を専門にしているドワーフであった。
あの日、私は仲間と得意先の村落を回り、部族の集落へ帰ろうとした所で人種の侵攻に巻き込まれた。
帰るべき集落から煙が上がっている。
その黒煙の大きさから、唯事では無いのは直ぐに分かった。
まさか火事か?
仲間の一人が様子を見に行ってくると走り出す。
もし、黒煙の正体が盗賊などの襲撃だとしたら… 
そう考えた私達は、万一に備え残った仲間たちと荷車で待つことにした。
半刻ほど待ったであろうか、あたりは夕方を迎え暗くなり始めている。
そんな時、やっとの事で物見に行った仲間が帰ってきた。
随分とフラフラした足取りである。
よっぽど全速力で走ったのであろうか。
私は、到着と共に崩れ落ちそうになる仲間を抱きかかえ、腰を下ろすのを手伝ってやった。
息も絶え絶えの体を荷車の車輪に背をもたれさせてやり、背中を支えた手を引き抜いた所で気づいた。
自分の掌が鮮血に染まっている。
思わず短い悲鳴と共に身を仰け反らせてしまい、それで彼が負傷しているの事に気付いた他の仲間が、血を流す彼の肩を掴んで何があったかを問いただす。
血の気が引いて真っ青な顔をした彼が言うには、集落が人種の襲撃を受けて老若男女を問わず殺されていたそうだ。
男は頭を落とされ、若い女は犯された上で屍をさらしていたらしい。
彼は、略奪中の人種の兵隊に見つかり背を斬られつつも、なんとか逃げてきたそうだ。
だが、せっかく逃げてきた彼の背中は傷は、どう控えめに見ても出血が酷く、致命傷だった。
そんな重傷を負いつつも皆に伝えようと走ってきた彼は、一通りの説明を終えると、一回深く息をして、それっきり目を覚まさなかった。

私たちは逃げた。

人種の国と反対方向。西へ。西へと。
途中、他の難民と合流し、何度か人種の襲撃を受け、仲間を減らしながら逃げていると、ついには行商をしていた仲間はすべて斃れ、私は一人になっていた。
だが、それでも私は逃げた。
他の集団に混ざり、果てには海峡まで達した。
だが、人種の追撃は終わらない。
海峡の向こうに逃げようにも、その先には既に他の亜人が住んでいる。
今度は、自分たちが彼らを追い立てて住処を得ねばならないのか?
だが、着の身着のままで逃げている難民が勝てるとも思えない。
絶望が私の顔を暗く染める。
だが、その時

奇跡は起きた。

南の海上に陸地が現れたのである。
その時は、これで救われたと本気で思った。
難民となってから一度も洗っていない土埃で汚れた顔に涙が落ちる。
仲間が死んだときにも流れなかった涙が、その時ばかりはとどめなく流れた。
それを隠すように、手で顔を蓋いながら海上の陸地を見ていると、後ろから声が聞こえた。
難民を率いるラバシ様があの地へ行こうと言っている。
それを聞いて、私は生き残るために覚悟を決め、皆と共に船に乗り込んだ。
波飛沫を浴びながら船に乗り込む小柄な体。
その時、私の顔には、もう絶望の色は無かった。

それからは、信じられない事の連続だった。
陸地に近づくと帆の無い魔法の船が凄い速さでやってきた。
ラバシ様が話をつけたようで、その後は落伍する船を助けたりしながら、私たちを海岸まで誘導してくれたのである。
海岸に上陸すると、こんどは人の良さそうな人種のおじさんが食べ物を振る舞ってくれた。
なんと、豚の腸詰を小麦粉で包んだものを揚げた料理らしかったが、なにより凄かったのが、これでもかと言う位に砂糖が塗してあることだった。
白い砂糖なんて、お祭りの時に食べれるかどうかの代物である。
まぁ 町に行けば砂糖を使った菓子は見ることは出来たが、皆の為に稼いだお金をそんな事の為に使える筈もなく、匂いだけで満足していた。
それが、まんべんなくかけられた食べ物が難民に振る舞われている。
このおじさんは、顔に似合わず、とんでもないお金持ちであることは間違いないように思われた。
これだけの砂糖を振る舞って笑顔なんて、並みの金持ちではありえない
そんなこんなを思いながら、2本目を頬張っていると、緑の服をきた人たちが大勢海岸にやってきた。
変な格好だが、この地の兵隊だろうか。
人影に隠れながらその様子を伺っていると、ラバシ様が彼らは危害を加えないので付いていくように言われた。
横には、あのお金持ちのおじさんもいる。
私たちには信頼するよりもう他に手は無いので、黙って彼らの幌馬車に乗り込んだ。
馬や竜でも無理ではないかというスピードで疾走する幌馬車。
でも、馬も竜も繋がれていない。多分、魔法の幌馬車だ。
風の様に走る車に身を任せ、あっという間に目的地に着いた所で、私は更に気がついた。
来る途中、振動がほとんどなかった。
足元を見れば、道が全部一枚の石畳であった。
それが、延々と続いている。
ここは一体なんという所なんだろう。
まるで夢の国にいるようだった。
食事の提供や(これがとんでもなく美味しい!)湯あみまでさせてもらって、まるで貴族みたいと落ち着かなかったが、寝床として数人に一つのテントを与えられた時は
これぞ難民だねっと思って逆に安心したりもした。(そのテントもかなり上等だったが)
それからは、しばらくは休養生活だった。
特にすることもなく、ブラブラと過ごす。
やることと言えば、難民キャンプとして与えられた土地の草が
一定の短さに切りそろえられているのを見て、ここが何に使われているところなのだろうかと想像するくらいだった。
所々、砂地や旗の立った穴があったが、全くの意味不明であった。
後から聞いた話だが、あそこは"ゴルフ場"という球遊び専用の広場だったそうだ。
たかが遊びにあんな敷地を整備するだなんて、この土地の人間は贅沢にすぎるよね。
だが、そんな無職生活も終わりは唐突に訪れた。
ラバシ様が、皆を集めていう。
なんでも、我々はこの地で生きることを許されたが、それはこの地に住む者達の役に立たねばならぬとか。
そのために、集団ごとに分かれ、働きに出なければならないそうだ。
まぁ、生きていくために働くのは当たり前の事、でも奴隷みたいなのは嫌だった。
出発の夜、私は本気で精霊様にお願いした。
”せめて人間扱いされますように!”
その願いが効いたかどうかは分からないが、私はまだ船上にいる。
まだ見ぬ雇い主を思い、虚空を見上げて、そのままボーっとしていると、船内からもう一人青い顔をした人物が甲板に出てくる。
おぼつかない足取りで一人の猫人族の女性が近寄ってきた。
一口に猫人族と言っても、部族によってその度合いは様々だ。
まんま二足歩行の猫そのものの部族もあれば、猫耳と尻尾以外は人種そのままといった部族もある。
彼女はその前者に近かった。骨格と体型は人種だが、体は灰と白の毛皮に覆われ、顔は猫っぽい
それにワッカナイのキャンプで貰ったのか"たんくとっぷ"とかいう上着に"ほっとぱんつ"という短いズボンを履いている。
(キャンプ内であまりにボロボロで汚かった衣類の難民には、衣類の差し入れが行われていた。)
そんな彼女は、隣まで来ると

「お嬢ちゃん。横座るね」

と一言断りを入れて隣に座る。

「別にいいけど、もうお嬢ちゃんって歳じゃないわ」

「あ?あぁ 気にすんなよ。ドワーフの女って外見から子供か判断つかんし」

そういって笑いながら肩を叩いてくる。
なれなれしい猫だ。

「まぁ いいわ。こう見えても29でまだ若いし」

彼女の言うとおり、私達ドワーフ族の女性は年齢が分かりずらい。
150年くらい生きる長寿の上、外見が10代前半のまま変化が止まってしまう。
年齢を探ろうとするなら、その物腰を見ておおよそ判断するしかないのである。

「で、何か用?」

「そんなにツンツンすんなよ。同僚になるんだし。
ただ、船の揺れで気分が悪いから風に当たりに来ただけさ」

あっそうと呟き、またボーっと空を見上げだす私。

「…・で、あんた名前は?」

私はそのまま雲の流れを眺めているつもりであったが、私のそっけない態度を気にもせず、唐突に猫娘が切り出した。

「え?」

「だから名前」

唐突に人の名前を聞いてくる礼儀知らずな猫。

「まず、あんたから名乗りなさいよ」

「そりゃそうだね。あたしはアコニー。で、あんたは?」

「…ヘルガ」

「ヘルガね。 いい名前じゃない。船酔い同士仲良くしよう。」

アコニーが握手を求めて手を出す。
それに応えてヘルガも恥ずかしげに手を出す。
ヘルガにとって、難民になって以降、初めて友達が出来た瞬間だった。
ふたりは弦側に背をもたれ掛けたまま、他愛のないおしゃべりを続けていると船の中から声がかかった。

「おーい! そろそろ着くから準備しろよ!」

二人に向かって一人の男が声をかける。

「わかりましたエドワルドさん」

彼は船に乗り込んだアバシリの港から同行しているこちらの人種だ。
彼は、事前に"ヨボウセッシュ”とかいうのを受けたらしく言葉が通じる。
この"ヨボウセッシュ"という儀式は、精霊の祝福をこの土地の民に分け与えるものらしい。
そんな彼は、私たちの雇い主に用があるようで、私たち亜人の集団と道中を共にしている。
正直なところ、この船の船員は言葉が通じないので彼の存在はありがたかった。
アコニーとヘルガは荷物を取りに行くために立ち上がる。
そして見た。
船首方向に広がる、これから住むことになる島を。





ユジノクリリスク




真新しい埠頭の上で拓也とエレナがこちらに進んでくる船を見ている。

「やっときたわね」

「あぁ 一応、従業員の予防接種もしたし
プレハブだけど彼らの住居も間に合ったし、あとは、受け入れだけだ」

そう言って二人は視線を船に戻す。
拓也は正直言って不安であった。
いくら労働力不足とはいえ、未知の種族を使うのである。
一応、外国人労働者向けと同じように言葉が分からなくても理解できる写真付きの作業手順書等は用意したが、怠けてばっかりで労働意欲に欠ける集団だったら全てが水泡に帰す。
エレナもエレナで悩んでいた。
工場移転に伴い、本格的に此方に移住してきたが、連れてきた息子に手を出されないか心配である。
受け入れ直前になって、色々な心配が頭に浮かんでは消える二人だが、船はこちらに向かってきている以上、もう止まらない。
そんな悶々としていると、船が埠頭に接舷した。
船内からはぞろぞろを亜人が出てくる。
拓也は、そのなかに見知った顔があるのをみつけた。

「いよう!拓也!元気か?」

エドワルド大尉がにこやかに挨拶してくる。

「大尉!? なんでまたここに?」

エドワルドは船を飛び下りると拓也の方に駆け寄ってくる。

「いやなに、彼らを送り届けただけだよ」

そう言った後に亜人には聞こえないように拓也達に話す。

「任務は二つあってな。一つはこいつらの監視だ」

真顔で話すエドワルド。
それを聞いて拓也も真顔になる。
やはり、危険性が未知数なのだろう道としても難民にフリーハンドを与える気はさらさら無いようだった。

「そうですか。 それで、もう一つは?」

拓也が真顔になったのを見て、エドワルドも真剣な顔で彼らを見る。

「もう一つは…、お前の工場に居座ってタダ飯を食うことかな」

エドワルドは真剣だった顔を崩してハッハッハと豪快に笑う。
そんなエドワルドの変わりように、折角のシリアスモードを潰された拓也は、不満げな表情になった。

「なんですかそれは? そんなことで軍の仕事はどうするんです?」

「お? 言ってなかったか? 俺は軍を辞めたぞ?」

唐突なエドワルドの言葉に、拓也は思考が追いつかない。
拓也は目が点になった。

「は?辞めた?」

「あぁ。今は新政府で内務省警察にいる。内務大臣に就任したステパーシンが新設した組織だ。
普通の犯罪捜査はしないが、主に国内の治安維持や重要施設の警備が仕事だ。
だが警察と言っても装備は正規軍並みだ。ロシア国内軍と同じような組織だと思ってくれていい
そんな事もあってか、南クリルの部隊からかなりの数がこっちに流れたよ。」

なんでも、ロシアとの合併は北海道にただならぬ影響を与えているらしい。
そのうちKGBみたいな秘密警察ちっくなものも出来るんだろうなぁと拓也は思った。
そんなこんなの遣り取りをしている内に、拓也は大切なことを思い出した。

「おっと、そんな事より、早く彼らを上陸させないと」

「おお!そうだったな。 で、拓也。いきなり工場に入れたらいいのか?」

「それについては、燃えた工場の跡地を買い取って、新たに社宅作っているんだけど
それまでの繋ぎとして町の中の宿泊施設を長期で借りたんだ。
まずは、そこに彼らを移動させようと思う。」

そういって拓也が指差す埠頭の外れには、何台かのミニバスが止まっている。

「さぁ 彼らを歓迎してやりましょう」







そんな拓也達の遣り取りを甲板から眺めているアコニーとヘルガの二人は、拓也達の姿を見て色々と憶測を膨らませていた。

「ねぇ ヘルガ。もしかしてあの人が雇い主?」

「多分… まぁ 人の良さげな若旦那って感じだし。
人並みに扱ってくれることを祈るわ」

そういってヘルガは目を瞑って祈る。
この人が見かけどおりならばそれでいいが、人は必ずしも見かけどおりの性格とは限らない。
ヘルガは、そういった例は行商中に幾度と無く見てきた。
見た目が非常に凶悪な極悪人にしか見えないオークの大男が、実は花を愛でる心を持つ優しい紳士であったり
逆に、非常にお淑やかで優しそうなダークエルフのお姉さんが、実は自分の何倍もあるオークまで襲う凶悪な逆レイプ犯であったりと
人は見かけによらない。ならばこの雇い主の男性は一体どうなのだろうか。

「でも、見るからに若い男の人だもんね。
ちょっと手を出されるくらいは覚悟しといたほうがいいかもね」

「え?手って…?」

ヘルガの話を聞き、アコニーが顔を赤らめる。
どうやらこの猫は意外にもウブな所があるようだった。
ヘルガはしょうがないなと両頬に手を当てて恥ずかしがっているアコニーに具体的に説明しようとすると、彼女が話すよりも早く横から割り込む声があった。

「そんなん決まってるじゃない。
古今東西世界広しと言えど、若旦那は妙齢の女中に手を出すものよ。
貴方たちなんてきっと朝から晩まで粘液漬けにされるわね」

ヘルガとアコニーは突然会話に割って入ってきた人物を見る。
そこには青髪の美しいグラマラスな女が立っていた。

「いや、そこまで断定するのは如何なものかと…
それに私たちは女中じゃなく、普通の奉公人だと聞いてるし…
というか、貴方は誰です?」

謎の女の粘液漬け発言に若干引きつつもヘルガが聞く。

「あぁ 自己紹介がまだだったわね。
私の名はカノエ。これから一緒に働くことになるわ。
それと、一つ貴方たちにアドバイスするなら、ヤリ捨てられる位なら子供を身ごもって妾になりなさい。
堂々と愛人の座を射止めれば、この先、楽して安泰よね。
それと、貴方たちが必要ならば特製魔法薬の"一発必中"軟膏をあげるけど、いる?」

「いりません!
っていうか、なんでカノエさんは、そんなの持ってるの?」

「あら、別に"さん"なんて付けないで、もっと親しみをこめてカノエでいいわよ。
あと、なんで私がそんな薬を持ってるかってのはヒ・ミ・ツ。
最初から手の内を全て見せる必要はないわよね」

「むぅ、なんで秘密かは知らないけど、わけありなら聞かないどいてあげる」

はぐらかされるヘルガはむぅ…とむくれるが、それに対しカノエは「ありがと」といって微笑を浮かべた。

「まぁ 馬鹿なことやってないで、さっさと上陸しましょうか。
チンタラ行動して印象悪くしてもしょうがないしね」

そう言ってヘルガはアコニーの手を取り渡し板へと向かい埠頭に降り立つ。
正にこの時が、彼女らの新しい人生が始まった最初の一歩であった。




あたしたちは大きな魔法の荷車で移動していた。
港を出て、町の中にあるという私たちの新しい家へ向かうらしい。
丘を登り町の中を突き進む。
どうやら此処は小さな町のようだ。(それでも、あたしの住んでた村より大きくて建物も立派)
それでも、ワッカナイからここに来るまでに乗っていた"キシャ"という乗り物の窓から見た、"アサヒカワ"や"キタミ"とかいう都市に比べたら、建物も人もまばらだ。
特にすることが無いので、無心で窓の外を眺めていると、何時の間にやら目的地についたらしい。
車は道を外れて建物の脇に止まった。
するとすぐに、前の方に座っていた雇い主の旦那が立ち上がり皆のほうを向く。

「ついたぞ~ ここが、新しい家が完成するまでの仮住まいだ」

バンバンと手を叩きつつ、さぁ 降りろ~と旦那が言う。
あたしたちは、順番に車を降りるが皆が皆、降りてすぐに立ち止まってしまう。

「見てよヘルガ。窓にガラスがいっぱい付いてるよ。すごいお屋敷だね」

「…そうね。でも、今まで乗ってきた魔法の荷馬車や"キシャ"って乗り物にも大きなガラスが一杯付いてたでしょ?」

「それはそうだけど、実際にそんな家に住むとなると、やっぱり気分が変わるよ」

アコニーはあんぐりと口を開けたまま建物を見ている。
だが、バスの出入り口で立ち止まっていたため、旦那に注意をされてしまった。

「はいはい!立ち止まってないで全員入口に集まって!」

「は~い」

旦那の注意に生返事で返してしまったが、視線は建物に向いたまま、皆と一緒に歩き出す。
そんなこんなで、ようやく全員が入口に集まると、旦那があたしらの前に出て説明を始めた。

「ここが君たちが今日から住む宿舎だ。まぁ 社宅が完成するまでの仮だけどね。
ここは昔、"日本人とロシア人の友好の家"通称を"ムネアキハウス"って呼ばれてたところなんだけども
大人数が泊まれる簡易宿舎として作られているから、特に不便は無いと思うが、風呂、トイレ、キッチンだけは共同だから我慢して使ってくれ。
じゃぁ 部屋割りを決めようか…」

それから中に入った後は、難民キャンプ以上に驚きの連続だった。

「すごいよヘルガ! この”蛇口”ってのを回すと水が出るよ!」

「それよりアコニー!こっち見てよ!この部屋、穴の開いた管からお湯が出て
毎日お湯で水浴びが出来るんですって!こんなの何処の貴族よって感じだわ!」

部屋が決まり、二人はきゃいきゃいと騒ぎながら施設内を物色し始めた。(というか、亜人全員が施設中を探検している)
割り当てられた部屋は8人用の大部屋だった。旦那の配慮により未婚の女子は全部この部屋に集められた。
難民キャンプでは、そこら辺までの配慮が無かったので、これからは安心して寝れる。
でもまぁ、不届き物が寝込みに入ってきたら、あたしの爪の餌食にしてやるんだけど…
あらかた施設内を回り、部屋に戻って寝具の物色をしていると
一人だけ興味なさげにベッドに座っている人がいた。
先ほど船上で知り合いになった女の人。
カノエという名前だそうだが、青い髪に透き通るような白い肌。
何の種族か分からないが、かなり美人である。
それに、その落ち着き払った物腰に紺色のローブの上からでも分かるグラマラスなボディ。
多分、胸のボリュームはアコニーより上かもしれない
アコニーは、スタイルは私の方が上と心の中で言い聞かせながらカノエに声をかける

「あんたも色々見て回ろうよ。変わった物が沢山あって面白いよ。」

だが、やはり興味がわかないのか素っ気なく答える。

「いやいい。私はあとから見て回るわ。それより、私は雇い主の方が気になるんだけども」

「旦那が?」

「分からない?なかなか面白そうな人物よ?」

カノエは窓の外でエレナと何やら話をしている拓也を見てフフフと笑いながら彼女は答える。
それに対し、アコニーはどこら辺が?と聞き返すが、彼女は笑ったままそれ以上は答えてくれない。
アコニーとしては、旦那は、悪い人じゃなさそうだけど、なんというか普通かなぁと思う
面白そうという理由が良く分らない。
アコニーがうーんと唸りながら、その理由を考えている丁度その時。

「昼食の準備が出来たので、全員食堂に集合!」

旦那が各部屋を回ってみんなに声をかけている。

「!! ごはん!ごはんだってさ!早く行こう!ヘルガ、カノエ!」

昼食という言葉を聞いた途端、アコニーは待ってましたと言わんばかりの笑顔でそれまでの話を打ち切る。
此方で食べられる美味しい食事の魔力の前には、それまで考えていたことなど些細なことに過ぎない。
もう待ちきれないといった様子のアコニーは、満面の笑みを浮かべて二人の手を引いて食堂へ消えていくのだった。
そうして一番乗りで食堂で待っていると、しばらくして旦那が皆を連れて食堂に戻ってきた。
テーブルには初めて見る料理が並んでいる。
一人一皿の料理だったが、白い穀物の上に茶色のドロドロがのった料理は、この世のものとは思えない良い香りだ。
いつの間にか、口元からドバドバと涎が落ちる。
それをヘルガに指摘されて我に返ったが、これ以上待つのは拷問だと思った。

「じゃぁ みんな席についてくれ。今日は従業員全員に集まってもらった。
食事の前に全員の自己紹介をしよう。
とりあえず、自分から始めようか…・・」

アコニーにとって拷問の時間が始まった。
目の前に美味しそうな料理。それを見ながら手を付けずに一人ひとりの自己紹介を聞いている。
旦那が、俺の事は社長と呼んでねとか言っていた気がするが、もう耳に入っていかない。
旦那のお嫁さんの紹介以降はもう覚えていなかった。
誰かが何かを言っているが、聞こえない。
それでも自分の番は来るので、急に現実に引き戻されたアコニーは、わたわたと自己紹介をしてようやく我に返る事が出来た。
気が付くと、口から垂れ下がった唾液の糸が、テーブルに水たまりを作り始めている。
アコニーは慌てて自分の毛皮でテーブルの涎を掃除していると、何処からか来る気配に気が付いた。

…誰かに見られてる?

内なる野生の感から視線を感じ取ったアコニーは、目だけを動かしてその元を探る。
そして、それは一発で分かった。
社長の横に座っている人物がこっちを凝視している。
それはまるで、狩人が獲物を狙うかのような視線。
よくよく見ると、どうやら私ではなくヘルガを見ているらしい。
その証拠に、ヘルガが自己紹介を始めると、その男は、顔を紅潮させ何とも言えぬ笑顔で彼女を凝視していた。
変なのがいるなぁ… 誰だ?アレ?
目の前の料理に気を奪われて、他の人の紹介なんて一切聞いてなかったのが災いした。
だが、こちらに来て初めて出来た友達のヘルガに何かあっては堪らないと思って、”ナンダコノヤロウ”と言わんばかりに睨んでやったが、まるで効果が無かった。

「良くわからないけど、気を付けた方がいいな。ヘルガを粘液漬けの危機から救うのは私しかいない」

アコニーは小さく呟くと、そう強く心に決めるのであった。






昼食後
武器工場にて



港に隣接して建つ一軒の工場。
入口に”石津製作所”と書かれた真新しい看板が付けられた工場内に、約30人ほどの人影がある。
その中の10人は拓也らの他に北海道から雇ってきた熟練工と現地のパートさん。
残りの20人は実に多彩だった。
まんま二足歩行の猫、猫っぽい人、ロリ、イヌ耳少女、青髪美人、デカイうさぎ、イヌっぽい人に下半身が蛇等々
見た目でいえばサーカスか何かと思えるくらいバラバラだった。
まぁ 新政府曰く、難民の少数派をまとめてグループを編成したそうなので統一感が無いのは当たり前だったが
特に種族もバラバラの為、彼らには支給した作業服が明らかに着れていない者もいる。
これは安全衛生上、非常に問題なので後で特注せねば…
そんな事を思いながら、彼らを前に拓也は説明を開始していた。

「…ということで、全ては手順書どおりに作業する事!勝手な手順変更は許さん!
まぁ 今日は初日ということもあって終日教育に時間を使うが、みんな早く仕事を覚えてくれ。
そのためにベテランを何人か雇っているんだから、質問が有ったら彼らに聞くように。
それでは、俺の後に続いて大きな声で復唱!

今日も一日、ご安全に!」

「「「「ご安全に!」」」」





社長の号令の後、アコニーとヘルガ達は機械の説明を受けていた。
正直、どれもこれもが凄すぎて何に驚いていいのか分からない。
アコニー達が来る前からこちらに来て、先に機械の習熟を済ませたという人種のおっちゃんが、丁寧に操作を教えてくれる。
だが、アコニーは自動で動く機械の動きに目を奪われて、ちょくちょく作業が止まってしまう。
金属製の盾の向こうで甲高い音を立てながら、螺旋状の金属棒が回転しながら素材の金属を削っていく。
それも、”たっちぱねる”とかいうのを操作するだけで後は自動だ。
ヘルガに聞いてみても、今までに各地を行商で訪れた時に色々な魔法道具の工房やドワーフの工房のを見たが、こんな凄いのは初めてだという。
例え魔法の工房でも、物を作るときは絶えず人が付っきりで魔力を制御しなければならないが、この機械類は初めに命令を入力すれば、人が絶えず操作する必要が無いそうだ。
まぁ 入力画面に何が書いてあるのかは分からなかったが、絵付の作業手順書とかいうもののおかげで、なんとか操作は理解できた。
それにしても、魔法抜きで何故こんな事ができるのか不思議で仕方なかった。
その事を聞くと、どこからともなく社長が現れて目を輝かせながら長々と機械の説明を始めたので、二度と聞かない事にした。
産業文明がどうのこうのと、よくわからない話を長々とされて非常に疲れる。
社長には悪いが、なんだかすごく時間を無駄にした気がする。


ぐるるるるる……

げんなりした表情で教育に戻ろうとすると、アコニーのおなかが盛大に鳴る。

「うん? なんだかお腹が痛くなってきた…」

まぁ 理由は察しが付く。
昼食の”かれーらいす”とかいう料理が非常においしかった。
香辛料やお肉まで入っていて、夢のような美味しい料理。
おかわり自由との事だったので、ついつい大盛り5杯も食べたのが悪かった。
アコニーのお腹の調子がぐるるという音と共に急降下する。
これはヤバイと思ったアコニーは、青い顔をしながらヨロヨロと手を上げた。

「すいません… 食べ過ぎてお腹が…」

「ん?なんだトイレか? 仕方ない。行って全部出してこい。」

「…それで、どこに行ったらいいでしょう?」

デリカシーの欠片もない発言に不満を感じつつも大切な事なので、あえて何も言わずに話を続ける。
お腹の急降下具合は、乙女心を消し去るほどに悪化しているのだ。

「あ~ あそこに立ってるオリガさんの後ろがトイレだ。わかるか?あの樽みたいな女の人だ」

確かにドアの前に樽みたいなおばさんが立っている。
かなり失礼な事を言ってた気もするが、非常に分かりやすいのでありがたかった。
アコニーはなるべく静かに、けれど素早くそこへ向かう。
ドアの前に来ると、一応近くにいたオリガさんに確認した。

「ここが”といれ”でいいんですよね?」

ドアを指差してアコニーが言う。

「ん? あぁ そこだよ。
それと、用が済んだら便座の横にあるボタンを押してみな。
この工場はウォシュレットだからソレできれいになるよ。」

うぉしゅれっと?
アコニーの頭に?マークが浮かぶが、まずは、自分の戦場に向かうことが先である。
彼女にお礼をそそくさとドアの向こうに消えていった。



………はぁ
間に合った。
それにしても、この国のトイレの形は落ち着く。
椅子に座る姿勢で用が足せるのが良い。
ウンコ座りで用を足すのも別に苦ではないが、何というか椅子に座ったほうが楽である。
なにか考え事するときは、ここに篭ろうかなぁ
そんなことを考えながら用を足し終わったアコニーは、オリガさんに言われた事を思い出した。

「便座の横のボタンを押せって言ったけど、これかなぁ?」

色々とボタンがある中、どのボタンを押したらいいのか分らなかったが
アコニーは適当にボタンを押してみる事にした。


ウィィィィィン…・

お? 何だ?

シャァァァァァァ…

「うっひゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」

いきなりお尻のクリティカルポイントに向けてダイレクトに噴射された水流に、アコニーは思わず大声を上げて飛び上がる。

「なになになになになに!?」

お尻を刺激する水流に半狂乱になりながら押したボタンを連打する。

「うぁああん 止まらないよう!!」

水の止め方が分からない。
思わず逃げようとするが、水が止まらない為逃げられない。
半泣きの状態であちこちのボタンを出鱈目に押し続けた結果、偶然にも"止"のボタンを押すことが出来たため、やっとの事で水流は止まった。
だが、余りに想定外の出来事に、アコニーの心臓はバクバクだった。

「はぁ…・はぁ…・はぁ… まさか、水が出てお尻を洗うとは…・」

全くの予想外の出来事に大いに取り乱したが、水の止め方が分かった以上、もう怖くは無い。

「すごいなぁ。よく、こんなこと思いつくなぁ」

アコニーが感心してトイレを覗きこむ。
よく見れば、ボタンは他にも数種類あるみたいだ。

「せっかくだから、全部試してみよっと!」

好奇心でいっぱいの笑顔でアコニーがトイレに跨る。
そして"洗浄"再度ボタンを押すのであった。



あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……………








しばらくしてアコニーがトイレから戻ってきた。

「ふぅ…・ 思った以上に長居してしまった。」

見れば、顔が火照って真っ赤である。
何というか、今まで気付かなかった自分の新感覚スポットの探求に時間をかけてしまた。
あまりに長くトイレにいたため、これは怒られるかなぁと思いながら現場に戻るが、いつの間にか休憩になったのか、皆が思い思いに休んでいる

「怒られなくて済んで助かった…」

しかし、ヘルガやカノエはどこだろうか?
一緒に休憩したいんだけどなぁ
そんな事を思いながらアコニーが視線で二人を探すと、ヘルガを見つけると同時に、変な光景が目に入る。
そこには、ヘルガの横に昼食時の不審な男が立っている。
どうやら口説いているようでヘルガも微妙な苦笑いをしている。
その内、ヘルガもこっちに気付いたようで横目でこっちをチラチラ見てきた。
その光景に、アコニーは一つの結論に至る。
見た目が子供以外の何物でもないドワーフのヘルガを口説くとは、何て変態!
それも、ヘルガが嫌そうな表情をしている。
これは何としても助けなくては…
アコニーは、キッ!と真面目な顔になるとヘルガ救出に向かって駆け出した。
猫科特有の俊敏にして足音もない動きで変態の後ろを取ると、大きく息を吸い込み、そして叫んだ。

「こらー!!ヘルガに何するんだお前!!!!」

いきなり後ろから響く怒鳴り声。
流石にその男もビックリして飛び上がり、後ろを振り向いたところで牙を剥き出しにしながら喉を鳴らして威嚇する。
余りの気迫に男は尻餅をつき、アコニーが畳み掛けるように咆哮すると、脱兎の如く逃げ出していくのであった。

「ふふん!二度とヘルガに近寄るなよ変態!」

逃げていく男に向かって勝ち誇ったようにアコニーは言う。
だが、当の助けてもらったヘルガは、口を開けたまま呆然としていた。

「あ…あ、あんた!何してんの!?」

ヘルガが問いただす。
アコニーはてっきりお礼の言葉が来るかと思ってたので、ヘルガの言葉に目が点になる。

「え? マズかった?」

「あの人、副社長じゃない!あんなことして… どうなっても知らないわよ!」

アコニーの顔が青くなる。

「え゛… 本当?」

「あんた、自己紹介で何聞いてたのよ。本当よ!」

「でも、でも、ヘルガも嫌そうにしてたじゃん!」

「たしかに少し気持ち悪いとは思ったけど、無下に扱うわけにもいかないから適当に会話してたのよ」

「……どうしよう」

しゅーんと項垂れるアコニー。
耳まで垂れて悩む彼女に、それを終始傍から見ていたカノエが彼女の肩に手を置いて声をかける。

「まぁ 済んだことだし、後で謝りにいきましょう。」

「大丈夫かなぁ?追い出されたりしないかなぁ?」

アコニーが青い顔のまま心配する。
ここを追い出されれば、他にいくところなど無いのだ。
だが、アコニーのそんな心配をよそに、カノエは別に謝れば対した事ないと彼女に告げる。

「そんなに気にする必要はないと思うわ。
まぁ、そんな事より、妙に時間かかったわね。トイレで何してたの?」

その一言で、ブルーになっていたアコニーの顔が一瞬で真っ赤になり、シャキッと背が伸びる。

「えっとね…・ その…・」

「その何?」

恥ずかしそうにモジモジとしながらアコニーは白状する事にした。

「天国への階段が見えた。」

「「はぁ!?」」

恥ずかしそうに指先を弄りながら答えたアコニーに、ヘルガとカノエの二人は怪訝な顔する。
何を言っているんだ?この猫娘は…
オブラートに包みすぎて理解できないアコニーの言葉に、二人の頭には?マークが浮かぶ。
トイレで天国?その時、二人は何を馬鹿なと思って話を終わらせたが
この日の夜、二人はその意味を十二分に知ることになった。


「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛………………」」


石津製作所
工場内事務所

亜人達の合流により、やっと人数の集まった拓也の工場であったが、未だ従業員の教育が始まったばかりで正式稼働とは言えない状態であった。
その為、今日も拓也らは作らねばならぬ書類作りに追われていた。
拓也が社内規定を整備している(といっても、前の会社の物のパクリが多かったが)横で、エレナが拓也の作った文書を翻訳したり、亜人達のスケジュールを作っている。
まだまだ作らなければならない物が山積みである。
正直言って、事務員が足りない…
工場内にいる拓也とエレナを除く工員以外の人間は何をしているのかと言うと、エドワルドのおっさんは警備だと言って巡回する以外は筋トレしかしないし
サーシャは声を掛けた人材が到着するとかで、昼に空港に出て行ったまま帰ってこない。
役に立たない事この上なかった。
特にサーシャは何をやっているんだ?
自分のグループを作るのは許可したが、せめて使える人に来て欲しい。
というか、早く手伝って欲しいと拓也は切実に思った。
いくらコネの為に入社してもらったとはいえ、今のウチの会社には人を遊ばせておく余裕はない(主に労働量的に)
帰ってきたらネチネチ言ってやろうと拓也が考えていると、弾けるかのような音と共にドアが勢い良く開く。

「おっおい!拓也!獣人にすごく凶暴な奴がいるぞ!
なんとかしてくれ!」

サーシャがよほど慌てて戻ってきたのだろう、息を切れ切れに拓也に言う。

「それよりも、あんたの部下は一体どうなったんだ?迎えに行ったんじゃないのか?」

拓也は目の前のパソコンから視線を外さず、作業したままサーシャに言う。

「あぁ それは機材の不具合で飛行機が欠航になったそうだよ。
何でも、到着は明日になるって連絡があった」

「そうか。
なら、いつまでもぼさっとしてないで手伝ってよ。
サボタージュは銃殺刑だよ?」

ギロリと睨んで拓也が冷たく言い放つ。
さっさと働けというオーラを拓也は全身から発しているつもりであったが、残念ながら、当のサーシャには空気を読むというスキルは無かった。

「そんな些細な事は今はどうでもいい!
それより聞いてくれ、さっき空港から戻ってきた時に、昼飯を食べている時から目をつけていた合法ロリのヘルガちゃんを見つけたんだよ。
そんで、これは近づくチャンスと思って年齢、趣味から食べ物の好み、はたまた仮に俺の嫁になったらどう思うかまで色々聞いたんだ」

…そんな事まで聞いてるのかコイツは。
拓也とエレナは呆れの余り声も出ない。

「そしたら、あの外見で29と俺と同い年な上、ドワーフの娘は外見の成長は一定の年齢で止まるとか、夢のロリババァきた!っと思ったよ。
そんで、いよいよ最後の俺の嫁云々の答えを聞けるところで!!!
…・・クッ、野獣が現れたんだ。」

「野獣?」

悔しそうに語るサーシャに拓也が聞き返す。

「あぁ 野獣だ。
後ろから グルァァァァ!と咆哮がしたと思ったら、俺の後ろに、両手を上げ、今にも腸を食いちぎらんとする野獣がいたんだ。
俺は逃げたよ… いやマジで。あの野生の咆哮を聞いたときは、本当に食われるかと思った」

「見間違いじゃないのか?」

「間違いない! あと、今になって思い返してみると、あいつは飯の時にヘルガちゃんの横に座ってたケモノ娘だな。」

ヘルガの横?それを聞いて拓也も食事の時の自己紹介を思いだす。
何秒か考え、拓也も思い当たったのかサーシャに言う。

「あ~ あの良いオッパイをもった猫娘か。あれは良いスタイルだった。
肉感がムチムチしててケモノ属性に目覚めそうになったのは覚えてる。
サーシャもロリなんて変態性欲は卒業して、ムチムチ系に目覚めるべきだと俺は思うよ。
柔らかそうな肉の付き方とかいいよね」

「それは断る。この美学は譲るわけにはいかん。
とまぁ、その話は長くなりそうだから置いといて、俺はその野獣に食われそうになったんだ。
おっかないからエドワルドのおっさんに言って何とかしてもらってくれ。
害獣駆除はおっさんの役目だろ」

サーシャは、ドンと机を叩いて拓也に訴えかける。
だが、拓也は、しばしサーシャの顔を見た後、また作業に没頭する。

「無理」

「なんで!?」

そっけない拒絶にサーシャが更に詰め寄る。

「あんな良いおっぱ……・じゃない、貴重な人材を簡単にクビにできん。
これについては、政府とグループ一括雇用という契約なんでどうにもならん」

少々性癖談義に花が咲きかけたのが原因の横から刺さる暗黒の視線に気づいた拓也は、つい出そうになった本音を隠して説明する。
まぁ 話を真面目に戻しても、未だにエレナ様は漆黒のオーラを纏っていたが…・
そんな彼らをドアの隙間から覗く2対の目があった。

「アンニャロウ…」

アコニーが聞き耳を立てながら、ぐぬぬ…と歯を食いしばる。

「まぁ 落ち着きなさい。
仮にも副社長よ。問題を悪化させても損にしかならないわ。
それに、あんたは私を守ろうとしてあんな行動を取ったわけでしょ?
正直に話してごめんなさいって言えば許してくれるわよ。
あと、社長もあんたのスタイル褒めてたし、悪い事ばかりじゃないわ。
穏便にいくわよ? いい?」

「ぐぬぬ… 
…うん、わかった。」

サーシャに害獣呼ばわりされて頭にきていたアコニーであったが、拓也に褒められて嬉しかったのもあったのか、アコニーの怒りは次第に中和され、冷静にヘルガのいう事を聞き始める。
ヘルガはアコニーが落ち着いてきたのを確認すると、じゃぁ いくわよと言ってドアをノックする。
ガチャリと開けられるドア。
一方の部屋の中では、ドアからヘルガが見えた瞬間、サーシャが驚きと喜びの顔を見せるが、アコニーが見えた瞬間、拓也の後ろに脱兎のごとく隠れた。

「きっ来たぞ! 拓也!食われるぞ!」

サーシャが拓也を盾にしながら叫ぶ。
それを聞いたアコニーが「グァァ!」と犬歯を見せて威嚇するが、ヘルガにどうどうと暴れ馬をあやすかのように止められて何とか動きを抑える。
一方、サーシャは拓也の後ろで完全にヘタレていた。

「…で、とりあえず話を聞こうか。何があった?」

拓也は色々と面倒くさいなと思ったが、折角当事者が揃っているのだからと、震えるサーシャを無視して話を進めることにした。

「…………という事があって、アコニーに悪気があったわけじゃないんで許してほしいんです。」

「なるほど。そういうことか。ヘルガが変態に付きまとわれているのを見て助けに入ったと」

ヘルガに事情を説明してもらうと、その横でアコニーはごめんなさいと謝ってしゅんとしている。

「よくわかった。
…・・真相はこんな感じだが、何か言いたいことはあるかい?サーシャ」

「まっ、まぁ誤解だったんならしょうがないね。うん。しょうがない」

いまだビビっているのか、目を合わせようとしない。
だが、ヘルガの前とあってか無理矢理にでも懐の深いところを見せて堂々としようと頑張っているが、どうにも声が上ずっていた。
そんなサーシャを見てヘルガが更に謝罪の言葉を述べる。

「怖がらせて本当にすみません。
でも、クビにはしないで下さい。私たち、もう本当に行き場が無いんです!
人種の兵隊に追われ、この国に保護して貰っていますが、ここを出たらきっと殺されてしまう。
だから…お願いです!」

嘆願するヘルガ。
見ればその目には涙が滲んでいる。

「大丈夫、クビになんてしないわ。だから安心していいのよ?」

涙を浮かべる様子が心に響いたのか、エレナがヘルガに近寄り優しく言う。

「その通り。それに君らを襲った兵隊達もここまでは追ってこれないさ。安心したらいいよ。
従業員の安全は、社長である私が何としてでも守るから」

拓也も後に続いて言う。
追ってこない根拠なんて何もなかったが、ただ、二人を安心させるために拓也は誓う。

絶対に皆を守ってやると…



[29737] 礼文騒乱編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:10
拓也が決意を決めたのと同時刻

エルヴィス辺境伯領
港町 プラナス





大陸の先端にほど近い、鉤爪のような半島に囲まれた湾の奥にその港町はある。
辺境伯領最大の町にして、領主の居城もある大きな港町だった。
イグニス教を国教とする国家群の中で、最東端でもあるこの港は、かねてから東方の異教徒との密貿易で栄えていた。
東方からの珍しい物品は巨万の富を生む。
だがしかし、イグニス教の教会が異教徒との取引を禁止していた。
過去には、特にそういった規制は無かったのだが、30年ほど前から教会は公式な交流はおろか、交易にまで口を出してきた。
これに対し、各方面から不満が噴出したが、この世界力の源泉である魔法を管理する教会に対して公然と不満を言えるものはついに現れなかった。
それにより、それまで東方との交易にて生計を立てていたものの大半は海賊に身を落とした。
東方とは交易が出来なくなり、イグニス教諸国間の交易に転向しようとしても、すでに諸国間交易はグレスデン商人同盟が独占し、大量の船団が組合に新規加入するのは拒否された。
こうなった以上、残る手は二つ。
廃業か、非合法か。
堅気で商売している以上は教会の影響は排除できなかったが、海賊となれば別である。
結果として密貿易から東方で本当に海賊行為をするものまで現れ、この町に集積される富は途絶えることは無かった。
本来なら密貿易が行われていることが咎められるのだが、領主を間に挟んだ町の教会への断続的な多額の寄付により、プラナスの司祭は見て見ぬふりを決めているし、領主も特に何も言わなかった。
その為、この港町の春は、資金が動いている限りは終わる気配は見えなかった。
そんな活気にあふれた港の一角に、10隻の軍船が停泊している。
見れば物資を運びこみ、出航に向けての準備を行っている。
その中でも特に大きい一隻。巨大な三本のマストに四角帆と三角帆を張り、船腹から多数のオールを生やした軍船。
その前楼閣に、煌びやかな甲冑に身を包んだ集団が作業の進行を眺めている。

「アルド様。もう二刻もすれば出航準備が完了します。
漕ぎ手のゴーレムも調整は完了しておりますし、バリスタ用の魔力槍も十分な数が用意できております。」

太めの騎士が誇るように報告する。
それを聞いたアルドは彼の肩をバシバシと叩きながら労をねぎらった。

「おぉ!よくやった。
私が家督の相続に追われている間、一切こちらに構う事が出来なかったが、そなたのお蔭で時間を無駄にせず軍備が整えられたようだな
此度の遠征が成功した際には、そなたに新領地を下賜しよう!」

「はは! ありがとうございます!」

アルドの言葉に、満面の笑顔で片手を伸ばした敬礼で返す騎士。
これだけの準備をしたのだ。負けるはずがない。
彼はそう思いながら、新たに得るだろう領地の事を想像し、期待に胸を膨らませながら、作業の進捗の説明を続けている。
その説明によると、旗艦以外は既に兵員の乗船も完了し、いつでも出航できるそうだ。
旗艦より一回り小さいガレー船4隻に、兵員輸送用のずんぐりとした帆船5隻が兵士を満載して、その旺盛な戦闘意欲を発揮する機会を今か今かと待っていた。
だが、それを見ていた一人がアルドに意見する。

「兄上。しかし、良かったのですか? 民の新たな入植地として亜人の居住地を平定しましたが、そこの治安を維持するはずの兵を全てこちらに回したようですが
大丈夫なのでしょうか?」

それを聞いて、アルドが折角の意気揚々とした気分に水を差されたと口元を曲げる。

「心配はいらん。彼の地には既に一人の亜人もおらん。
根切りにしてやったからな。
ありもしない事に心配するとは、本当にお前は臆病だな。
無き父上も、クラウスは外見は元より心も女のようだと言っていたが、まさにその通りだな」

ふうやれやれといった具合にアルドは疑問を投げかけた弟のクラウスに答える。
対してクラウスは兄の言葉に顔を真っ赤にして反論する。

「私は恐れてなどいない! …ただ気になったから言ってみただけだ。」

クラウスは頬を膨らませてそっぽを向く。
本人は否定しているが、線の細い体型の上、整った女顔に長い髪を後ろで束ねている外見ではどこからどう見ても女騎士にしか見えない。
宗教上の理由によりそう育てられたとはいえ、そんな膨れているのもどこか愛らしい彼を見ると、どこか男同士では生まれてはならない感情が生まれそうになる。
アルドを含めてその場にいた者たちは一瞬あってはならない感情を抱いてしまうが、咳払いを一つしてそれが幻想であることを確認する。
一瞬頭によぎった感覚は何かの間違いであり、気のせいに違いないとアルド達は心の中で自分自身に念を押した。

「ふん。 まぁ その真偽は戦場で証明することだな。
それよりも気を取り直して軍議を始める。
これより我々は、出航後に東に進路を取る。目的地は亜人共の向かった陸地だ。
亜人共の抵抗も予想されるが、手負いの難民に出来る抵抗等限られている。
上陸後、5隻の輸送船に載せている兵士1000と騎兵50が橋頭堡を確保したのち、護衛のガレー船からも兵力を順次上陸させる。
その後は… まぁ 戦果の早い者勝ちだな。乱取りも許可する。
むしろ推奨するところだ」

アルドがこんなもんだろと軽く周りに話を振る。
女子供まで抱え込んだ手負いの亜人の群れ。
恐れる必要など何もない。

「それでは、私がガレー船から上陸するまで皆様には海岸で待っていてもらわなければなりませんな」

太めの騎士が笑いながら言う。
戦働きの機会を無理にでも作ってもらわないと恩賞が減ってしまう。
そんな軽口を叩いて笑うと、それにつられて周りの騎士もそれは断ると冗談で返して軍議は笑いにあふれた。
だが、そんな朗らかな空気も関係なしの者が一名。クラウスがアルドに向かって手を揚げる。

「兄上、一つ宜しいですか?」

「…なんだ? クラウス」

空気を無視して質問があるというクラウスにアルドは面倒くさそうに応える。

「あの陸地の事ですが、仮に逃げた亜人以外の住人がいた場合は如何いたしますか?」

なんだそんな事かと思いながら、アルドは不敵な笑みを浮かべてその答えを言う。

「乱取りの褒美が増えるだけだな。
彼の地の富はすべて我々の物と考えよ。
エーア神への信仰をもたぬ亜人から奪って何が悪い。
そんな奴らを匿う奴らも同じだ。
邪を滅して聖なる版図を拡大せよ。神がそれを望んでおられる!」

その言葉に全員が息を呑む。
アルドはこの戦いが聖戦であると宣言したのだ。
辺境伯家への忠誠。神への信仰。全てがこの戦いを肯定するといっているのだ。
その言葉は家臣たち伝って各艦に乗り込む全将兵に伝えられた。
アルドの鼓舞によって欲望の炎が更に燃え上がった艦隊が、今、静かに港を出ようとしていた。





辺境伯艦隊出航翌日 0900

とから級巡視船"しらかみ"船上



稚内沖の海上は朝を迎えていた。
朝の陽光が海をキラキラと照らす中、しらかみは単艦で利尻島の南西を航行している。
稚内沖に謎の大陸が出現して以降、その任務領域はかなり縮小してしまったが、目と鼻の先に陸地が現れたため、そこからの難民や密航船が無いよう目を光らせていた。
まぁ 難民については最初の受け入れ以降、パタリと止んだが、今度は、勝手に上陸する者が無いように海上を監視している。
これまでに何度か商船とみられる船が宗谷海峡を越えたが、そのすべてに対してぴったりと張り付き、亜人の声で録音した上陸は現状では許可できない旨のメッセージを送ることで上陸を阻止していた。
(亜人の声を録音したのには理由があり、体組織の移植で確かに意思疎通は出来るようになったが
それはお互いが一定の距離にいる条件下だけであり、電話などを使った遠隔地とのやり取りは出来なかった。
これは、この効果がテレパシーの一種であり、多言語を脳単体で変換しているわけではないことが原因だった。
余談だが、この効果は日本語-ロシア語の会話でも見られたため、両地域の交流に多大な貢献をもたらしている。)

接近船を全て阻止しているのは、いまだ札幌では外地に対する情報を収集している段階であり、対外方針が定まっていない。
本来ならば、そういった船に積極的に接触すべきなのだが、難民の処遇もあり内部をまとめる時間が欲しかったのである。
何でもかんでも受け入れたところで、それを捌く体制が確立されていなければ管理など無理である。
その為の消極策だった。

この日も、しらかみは近海を航行する漁船や商船を警戒していた。
だが、その日、最初の異変はレーダー上に現れた。

「レーダーに感!10隻の船舶が単縦陣で稚内方面に向け東進中」

画面に目を光らせていた電探員が船長に対して報告し、それを聞いた船長が眉をひそめて確認する。

「それは艦隊行動をとっているのか?」

「間違いありません。5ノットの速度で方位〇九〇へ航行中。単縦陣です!」

これまで接近してくる船はあるにはあったが、それでも単艦もしくは多くても2~3隻であり、10隻もの船で接近してくるものは無かった。
大商船団だろうか?だが、軍艦だった場合、その目的地は?
船長の脳裏に嫌な予想が思い浮かぶ。

「船の進路を船団にむけろ。まずは、通常通りに警告を行う」

船団の正体と進路。
それを確かめるため、しらかみは北西に向け進路を切るのだった。




稚内東方海上 1030

辺境伯艦隊 旗艦カサドラ

巨大な帆をパンパンに張って、巨大なガレアス船を先頭に艦隊が東へ進む。
威風堂々と波を切る衝角の付いた船首。
力強い風を受ける巨大な帆。
それに船腹から伸びる無数のオールが突き出すこの船は、この国最大の軍船であり、天下無双と彼らが信じる旗艦カサドラ。
その雄雄しい姿は、この世にこの船より強い船はいるはずがないと艦隊の全ての乗組員に強い共通認識を与えていた。

「蛮族相手に豪華過ぎたか?」

アルドは言う。
難民は雑多な小舟と筏ばかり、最大でも20メイル程のコグしか持たない。
あのサイズの船と小舟の集団なら、ガレー船の2隻もつければ十分だったかもしれない。

「だが、海戦の機会は少ないからな。コイツにも血を吸わせないといかん」

独り言を言いながらアルドはカサドラのメインマストをポンポンと叩く。
既に軍議のメンバーはそれぞれの船に戻っている。
その為、暇を持て余したアルドは、一人で甲板に立っていた。
そのまましばらくマストに手を掛けながら遠くの海上を眺めていると、直上の見張り台から叫ぶ声がした。

「南方より船が近づいてくるぞー!」

マスト上の見張りが甲板に向かって有らん限りの声で叫んだ。
その言葉に、遂に戦か!と興奮気味にアルドは弦側に走る。
そうして目を細めながら水平線上を見ると、一隻の船がこちらへ向かっているようだった。
水平線上に見える影からすると、なかなか大きい船体のようだ。

「各員戦闘用意!!!」

アルドが嬉々として号令を発する。
船の乗組員が持ち場に向かって走る中、近くにいた船長がアルドに向かって聞き返す。

「敵味方の確認はいいのですか?」

そんな船長の問いに、アルドは笑いながら言う。

「あの方向から来る味方なんぞいるか!
敵だ!敵に違いない!喜べ!戦が出来るぞ!」

そして、さぁ行け!とその場に通りかかった不運な船員の尻に蹴りを入れると、アルドは自身も船内へ走る。
アルドが向かった前艦橋の片隅。
そこには、テーブルの上に布で固定された一個の水晶玉が置いてあった。
アルドはその前のイスに座ると水晶玉に向かって話し始める

「クラウス!聞こえるか!クラウス!」

イグニス教諸国の軍船にはこの種の魔法の水晶玉が通信装置として乗っていることは珍しくなかった。
知っている相手が水晶玉の前にいるときにしか使えないという制約があったが、
諸国の軍船では、水晶玉を常に艦橋に置くという運用でカバーしている。
アルドは、その水晶玉を通してクラウスを呼ぶ。
その呼び声に答え、艦橋で待機していたのかクラウスの返事がすぐに返ってきた。

「どうしました?兄上」

「船だ!船戦ができるぞ!俺は、この後ガレー船を率いてその船の方角へ向かう。
お前は輸送船団を率い、東進して先に兵を揚陸しろ。わかったか?」

「わかりましたが、性急すぎやしませんか?もっと…」

「うるさい!お前は俺に従っていればいいんだ!」

アルドはクラウスの質問を遮り、一方的に通信を終わらせる。

「口うるさい奴め…」

そう言うとアルドは自身の武装を取りに自室へ向かっていくのだった。





1100

巡視船しらかみ


海上に木造のガレー船が5隻航行している。
しらかみは、その先頭艦に並走しながら警告を送っていた。
30分ほど前、目視距離に入った船団は隊を2分した。
一隊はこちらに接近してきたガレー船。
もう一隊は進路をそのままで東進を続けているそうだ。

…まずい

船長は思う。
ここで時間を喰っていては、もう一隊の接近を防げない。
船団発見の際に署に連絡をしたから、稚内港のもとぶ型巡視船"れぶん"が応援に向かってくれるそうだが、このままでは間に合いそうもない。
船長は再度の警告の為、船を更に先頭艦に近づける。
是が非でも警告の内に立ち去って貰わねば、船長がそう祈った…・その時だった。
弦側の木製の窓が開き、甲板にローブを纏った人間がわらわら出てくる。
巡視船内の誰もが一体何事だと身構える。
そして、次の瞬間、木製の窓から何かが飛び出したかとおもうと、それがこちらの船体に突き刺さり爆炎を上げた。
それも一本だけではなく複数が飛んでくる。更には甲板上の人間が手から火の玉を繰り出し甲板を火の海に変えた。
乗員にとっては敵船から飛んできた物体、バリスタから射出された魔力槍が甚大な被害を与えた。
およそ500km/hで船体に衝突した1.5mはある巨大な矢は、外壁を貫いた瞬間に秘められた魔力を解放した。
船内を紅蓮の爆炎が駆け巡り、船員を殺傷。最初の一撃で艦橋は地獄と化した。
炎が乗員を殺傷する中、船に対してはもう一つの要因が船体を攻め立てる。
巡視船に向けて発射された魔力槍。その中でも外れたり、外板にはじかれて海に落下したものが、それを発射したものの意図しない効果を生み出す。
矢につけられた鉄の矢尻。敵船を貫く為に重厚に作られたそれは、海に落ちて魔力が解放された瞬間、白熱する液体へと変わる。
海水中に落ちる白熱した液体金属。一瞬の間の後、付近の水を多量の水蒸気に変えて爆発を起こした。
巨大な水柱が連続して水面下の船体に耐えがたい衝撃を与え、それは亀裂となり巡視船内への浸水へと繋がる。
バリスタと魔術師の攻撃が止む頃、しらかみの船体は業火につつまれ、その進路を海底へと向かわせつつあったのだった。

「はっはっは!大したことないな!やはり、この船は素晴らしい!力の権化だ!」

アルドは燃え盛る船をみながら高笑いを浮かべる。
最初、近寄ってきた船がマストも無く、オールもないのをみて魔法の船かと思い警戒したが、今では我らの攻撃の前に、なすすべもなく沈もうとしている。
亜人共の船ではないようだが、このような船では何隻あっても物の数ではない。
我々の行く手を阻めるものなど何もないのだ。
アルドはそう思いながら満足そうに波間から消える燃え盛る船を見送った

「まだ他に敵はいないのか?俺はまだまだ食い足りないぞ!」

先頭の興奮冷めやらぬ甲板でアルドが叫ぶ。
それに呼応するように兵士たちの勝鬨が船上を支配するのであった。








11:20

北海道連邦政府ビル  


赤レンガの旧北海道庁舎の横にそびえ立つ、少し前までは道庁と呼ばれた少々デザイン性に欠ける直方体の建物は、現在は北海道連邦政府ビルと名前を変えていた。
その中の知事室から名を変えた大統領室で、初代北海道連邦大統領 高木はるかは執務を取っていた。
既に新政府移行の会合は実務者協議に移っており、彼女は溜まった実務を処理していた。
新たに起きる細々とした問題は部下に投げていることもあり、転移後の混乱で溜まった仕事量は殺人的だったが、それなりに平穏に午前の仕事を片づける事ができた。、
時刻はそろそろお昼を迎えるという頃、慌ただしく部屋に入ってきた秘書官の報告により、彼女の短い平穏な時間は終わりを告げた。

「大統領!海保より連絡です。稚内方面へ向け航行中の未確認船団に、海保の巡視船が警告の為に接近したところ
武力行使を受け巡視船が沈没したそうです! 現在は稚内より出航した巡視船れぶんが向かっておりますが
地元警察から、既に武装勢力の一部が礼文島に着岸しているとの報告も上がってきているそうです」

「沈没!? 攻撃を受けたのですか?」

「そのようです。海保から攻撃直後の映像が上がってきております。こちらをご覧ください」

秘書官が彼女にタブレット端末を見せる。
そこには巡視船から見る大型の木造船が映っている。
巨大なマスト、船腹に並ぶオール、その船に対し巡視船が警告を発しながら近づいていく。

「ガレー船?ですか」

「そのようです。ですが、彼らは強力な武装を持っているようです。
弦側の窓と甲板にご注目ください。」

秘書官に言われた通り映像を注視していると、ガレー船に動きがあった。
甲板にローブを纏った人影が現れ、船腹にある木製の窓が一斉に開く
次の瞬間、画面は飛んできた火の玉や巨大な矢が発生させた爆炎を映して映像は終わった。

「この映像は15分前に巡視船しらかみから、リアルタイムで稚内署に送られていた映像です。
現在、しらかみはレーダー上から消え、船団は二手に分かれて東進している模様です。」

高木は片手で口元を蓋いながら考える。
確かに難民の話を聞き、この世界には好戦的な勢力が居るのは分かっていた。
だが、早すぎる。こちらは未だ組織改編すら途中の状況だ。
しかし、事態は既に進行している。打つべき手は全て打たなくては…

「緊急の安全保障会議を招集します。関係各位に至急連絡を。
稚内の海保には本道への着上陸を絶対に阻止するよう連絡してください。
既に相手が明確な敵対行動をとっている以上、威嚇無しでの船体射撃を許可します。
それと、防空軍及び道北の駐屯地に出動準備をお願いします。」


それにしても…
どんな世界でも争いは尽きないものね。
もしかしたら、戦争こそ三千世界で唯一の共通言語なのかしれないわ。
緊迫した状況の中、ある種の悟りのような心境で彼女は思うのだった。






同時刻

礼文島

船泊湾


緩やかな弧を描く岬に囲まれた湾は、爽やかな青空を水面に映し
沿岸の村は、いつもと変わらぬ静かな昼時を迎えていた。
人々は昼食を取るために昼休みに入り、各家庭では調理もしくは食事の真っ最中だ。
だがこの日、そんな平和な時間は唐突に終わりを告げた。
村内各所にある防災無線からサイレンが鳴り響き、音声によるアナウンスが流れる。

『着上陸侵攻警報。着上陸侵攻警報。当地域に着上陸侵攻の可能性があります。直ちに島南部へ避難してください』

転移により衛星が使えない今、J-ALERTは機能せず、役場の職員による放送であった。
だが、想定外の事態に焦燥感が伝わる職員の肉声放送は、全島民に緊迫感を伝播させるのに効果的に作用した。
明らかに焦り、戸惑っているアナウンスの声。その声色はただ事ではないという雰囲気を島民たちに広めていく。
サイレンとアナウンスが交互に連続して続き、あちこちの家で避難のために車に貴重品を運び込む光景が見られた。
ある者は隣家の老人の安否を確認しに行き、またある者は職場から家族の下に駆けもどる。
そんな中、漁船で逃げようと港に出た者は、その混乱の元凶を見た。
湾内に侵入する5隻の帆船。
元の世界ではキャラックと言う名の船に似た外観を持った船が、西方から湾を舐める様に侵入する。
その様子を呆然と見ていた村人は、真後ろから発生した爆炎により吹き飛ばされ強制的に意識を現実に戻された。
何事だと起き上がりながら振りかえると、後ろにあった船が燃えていた。
見れば、向かってくる船から大きな矢のようなものが飛んでくる。
降り注いだその物体は着弾すると爆炎を上げて燃え上がり、小さな漁港はあっという間に火の海と化した。

「停泊中の船を全て沈めた後、湾の反対側の埠頭に接舷する!総員上陸用意!」

燃える岸を見ながら、クラウスが甲板に待機する兵や水夫に向かって指示を飛ばす。
それに応え、甲板からは男たちから歓声が上がった。
慣れぬ船に揺られてやっとついた戦場である。
それにアルドが乱取りを奨励していたため、その士気は十二分であった。
そんな彼らを満載した船は、ゆっくりと埠頭に向かう。
そしていよいよ上陸と言う所でクラウスは兵に向かって叫んだ。

「兄上の言った通り、乱取りは構わぬ。だが、剣を持たぬ者、抵抗せぬ者に対して不必要な殺生は避けよ!
我らはエーア神の名の下、その名を汚さぬ行動をせねばならぬ。不要な虐殺を好むものは暗黒神アリマに魅入られると心せよ!
さぁ行くぞ!勝利を我らに!!」

その声に合わせ、兵士たちは雄たけびを上げながら飛び出していった。
兵士たちの背を見ながらクラウスは思う。

大陸で散々亜人達を虐殺したのに、今さら無抵抗の者を殺すなとは私は何を言っているんだろう。
既に港や船に向かって魔力槍を撃ち込んでいるし、なにより間違いなく他の船の騎士や兵は容赦なく住民に襲い掛かるだろう。
こんなことをやっているから、兄上に甘ちゃんだと馬鹿にされるのは百も承知だ。
だが、兄上は洋上で今はいない。
ならば、この時だけでも自己満足を通させてもらおう。
言い訳は、後で考えればいいや。
無抵抗の者を殺す後味の悪さよりはマシだから…


そんな、おおよそ侵略を行う軍勢を率いているものとは思えぬ事を考えながら、クラウスは護衛と共に船を飛び出していった。







11:50

礼文島沖東海上
巡視船れぶん

しらかみの連絡を受け、稚内を出航したれぶんの船内は、ただならぬ空気が漂っていた。
不明船団の発見と接触を行ったしらかみが攻撃を受け撃沈されたと署から連絡があったのは、つい先程。
その直後に入った命令には、それまで違法漁船の拿捕や密航船の取り締まりを任務としてきたれぶんにとって、すぐには信じられない内容だった。

「着上陸の阻止と威嚇無しの発砲許可か…
本来、こういった仕事は海自の仕事だと思ったんだがな」

れぶんの船長が副長に向かって呟く。

「転移以降、船の数が足りないんですよ。
自衛隊なんてミサイル艇が2隻だけ、ロシア側はフリゲートが一隻あるそうですが今頃、函館のドックです。
武装の無いCL型の巡視艇も含めて40隻に満たない我々が最大勢力となれば、今後は様々な面倒事がこっちに来ますよ。」

犯罪の取り締まりや領海の警備が海保の仕事だと思っていたが、どうやらそういった考えは既に古いようだった

「まぁ 今後の任務については色々と難しい事も多くなりそうだが、今回ばかりは、周囲に海自…今は連邦海軍だったな。
彼らがいないことは神様に感謝しなければならないな。
なんたって、我々海保の手で、しらかみの敵が打てるのだから」

そう言うと船長は手に持っていた双眼鏡を覗き。
水平線上に浮かぶ憎き相手を凝視する。
我等が仲間に手をかけ、それでいて悠々と航行する船団。
今に見てろよと船長が思っていると、水上レーダーを見ている部下から報告があがる。

「目標との距離、6000!あと900で射程に入ります!」

その報告を聞き、船長は双眼鏡を覗きながら呟いた。

「見てろよ。しらかみ… 敵は取ってやる」





礼文島沖南東海上 

辺境伯艦隊 旗艦カサドラ


敵船を一隻沈めた事で、船内は笑い声に満ちていた。
どうやら敵は大したことは無いらしい、魔法船を一隻、抵抗らしい抵抗もさせずに撃沈できた。
余裕だったとはいえ通常の船ではなく魔法船を沈めたのである。これで今回の遠征が成功に終われば、給金が弾む事は間違いなし。
願わくば戦果拡大の為に更に敵船を狩り立てたいところである。
マストの上では財宝を探すかのように見張り員が目を光らせている。
そんな水夫たちの期待を一身に背負い、見張員がそれを発見したときは叫び声に歓喜の響きが混じっていた。

「2時の方向に船影!一隻がこっちに向かってくるぞー!!」

「おおぉぉぉ!!!」

歓喜が伝播する。
その歓喜の波はアルドにも伝わり、笑みを浮かべながら指示を飛ばす。

「進路を敵船に向けろ!そして船首バリスタの準備だ!
奴らも海の藻屑に変えてやろうぞ!
僚艦にも伝えろ、最初にバリスタを命中させた船には、一人当たりペニー銀貨10枚だ!」

船員の目の色が変わる。
一般の水兵の約3倍の日当と同じ額である。
彼らの顔から笑顔は消えなかったが、無駄な動きは一切消えた。
全員が一丸となって目の前の船を沈めるべく動き出した。
ある者は船倉から魔力槍を運び、またある者はバリスタの調整と初弾の装填を行う。
中でも皆の期待を一身に受ける魔力槍の誘導を行う魔術師は、目を閉じて精神の集中を行っていた。
このバリスタから発射される魔力槍は只の大威力の矢ではない。
バリスタより発射された魔力槍は、魔術師の目視誘導により目標へ向かう。
放物線を描く矢を目標に向ける事は簡単だが、遠距離で目視誘導するのは、かなりの部分で術師の技量に頼る所が有り熟練を要したが、それでも通常のバリスタ等に比べれば非常に高い命中率を誇っていた。
まぁ 高位の魔術師であればバリスタを用いずに投擲できるのだが、投射を機械にし、術師は魔力消費の少ない誘導だけに徹することで低位の魔術師でも運用が可能だった。
現在では、魔力槍はイグニス教諸国の軍船の標準装備となっている。
そんなバリスタの準備を完了したのとほぼ同時に、それは飛来してきた。
敵船の船首から薄い煙が上がったかに見えた次の瞬間。
光る水飛沫のようなものがこちらに降りかかる。
風切音と木の砕ける音が船上を支配し、その飛沫を受ける度に大量の木片を振りまきながらメインマストが根元から折れる。
甲板には折れたマストに潰された者の内臓や、運悪く直接飛沫を受けバラバラの肉片と化した者。
それに加え、飛び散った木片が刺さった者の絶叫が重なり、甲板上は地獄と化した。
遅れて連続した炸裂音が届く。
遠い雷のような音に全員が恐怖した。

「一体、何が起きた!? 奴らの攻撃だというのか! あんな距離から奴らは撃てるのか?!」

アルドの問いに誰も答えることは出来なかった。
何故ならば、このような攻撃は今までに誰も経験したことが無く、死体や負傷者の絶叫でパニックを起こしかけていた。

「バリスタは撃てるか!? 反撃だ!反撃!」

「無理です!あんな遠距離は届きません!」

「いいからさっさと撃て!命令だ!」

アルドは無理だという船員の尻を蹴り上げ命令する。
何としても一矢報いてやる
アルドはこちらに向かってくる船を睨みバリスタを撃つように再度命令する
距離なんて関係ない、相手の攻撃圏内に入っているのに、射程に入るまで待つなどという事は彼にはできなかった。
ダン!と弦が弾かれる音と共に赤く光る魔力槍が飛んでいく。
当たれ!当たれ!そう叫ぶ彼の願いとは裏腹に、敵船のかなり前に着弾した魔力槍は盛大な水柱を上げた。






巡視船れぶん



船の前方に水柱が上がる。
パニックになり射程外にもかかわらず、手持ちの武器を発射したところだろうか。

「敵の射程は1000mと言ったところか」

船長が水柱と敵船の距離を見て言う。

「ですが、その割には大きな水柱です。しらかみを沈めた事といい。
結構な威力があると思われます。
敵船の船首にある巨大なクロスボウから投射しておりますが、弾頭に爆薬でも取り付けているのでしょう」

船長が再度双眼鏡を覗く。
確かに船首に巨大なクロスボウのようなものが有る。
射撃後に打ち返してきたという事は未だ健在なのだろう。

「敵甲板を狙い、投射機を破壊しろ。
射撃後は順次、後続船のマストと投射機を破壊し足と手を抑えるんだ。」

船体射撃を許可されても、やはり海保は海保たらんとしていた。
船長は船を撃沈するより、敵の足と反撃手段を封じる射撃を命令している。
そして巡視船の正確な射撃は、その命令を忠実に守っていた。
第2射の後、先頭艦の投射装置は積み木を崩すかの様に吹き飛んだ。
マストを失ったため先頭艦の船足が鈍る。
その速力の落ちた船の横を後続艦が追い抜き、更にこちらに向けて突撃を仕掛けてくる。
そんな彼らに対して、れぶんの30mm機関砲は此方に向かってくる順位で差別することなく、彼らに平等に降り注いでいった。
木製のマストは折れ、巨大クロスボウは吹き飛んでいく、だが彼らの突進は止まらない。
マストは無くなったが、オールが力強く船に推進力を与えている

「止まらんな…」

「敵は櫂を備えている為、マストを失っても移動が可能な模様です。
ここは船体射撃での撃沈を進言します。」

「そうだな。
オールだけを狙っての射撃は標的が細い上に数が多い。
ここは撃沈にて敵の接近を阻止する。射撃再開せよ!」






辺境伯艦隊 旗艦カサドラ


先ほどの射撃にてマストとバリスタを失った船は、旗艦を追い越して行った僚艦の後を追う様に敵船に向かって突撃を続けていた。
「もっとオールを漕げ!何のためにゴーレムを漕手に使ってると思っているんだ!
魔力が尽きるまで酷使しろ!」

アルドが叫ぶ。
…忌々しい。
なんだあの敵船の攻撃は!
あの長距離で正確にバリスタを破壊してきた。
こうなれば、僚艦のマストとバリスタを犠牲に接近し、直接の魔法攻撃か斬込みしかあるまい。
隻数では此方が上である。それを利用しなければ、まずあの船には勝てない事は感情では認めたくはないが、本能で理解していた。
アルドは僚艦がマストとバリスタを破壊される姿を眺めつつ、その相対距離を詰めることに全てを賭けていた。
速く!速くと部下に怒号を飛ばしながら勝利に向かって掛け金である船団をBETするアルドであったが
その賭けの結果は無情なものだった。
全船のマストとバリスタを奪った敵船から、一番先頭を航行するガレー船に新たな攻撃が降り注ぐ。
それは先ほどまでのマスト等を狙った攻撃とは違い、直接船体を狙った物だった。
敵の弾がガレー船に吸い込まれる。
その瞬間、ガレー船は巨大な火球に包まれ爆炎がキノコのように立ち上る。

!!??

「船倉の魔力槍に当たったか!?」

一撃だった。
船の中でも魔力槍の保管庫は魔法で強化された堅牢なオーク材で作られるのが一般的であるが、それが只の一撃で貫かれた。

「これは… 勝てんな…」

アルドは決断する。
このままではやられる…
撤退しかない。
だが、マストをやられている以上、なにか策を打たなくては、アルドは通信用の水晶玉の所まで駆け戻ると、すぐさま叫ぶ。

「全船に連絡!怯むことなく突撃だ!」

各艦へ向けた突撃命令。
そのあまりに無謀すぎる命令に、それを聞いた部下が正気かとばかりに問いただす。

「突撃でございますか!?アルド様」

「奴らは囮として使う。だが、我らは生き残らねばならぬ。
敵の火力から察するに、船団を組んで撤退していたのでは、この船まで敵に補足される。
ならば、味方に距離を稼がせてその間に逃げるよりほかはあるまい。
撤退だ!僚船が進出次第、船を回頭させろ!
こんな所で死んでたまるか!」




僚艦のガレー船の一隻

旗艦を追い抜き敵船へ向かう戦隊の最後尾に、この遠征の準備をした太った騎士は乗っている。
彼は船上を見渡して激高していた。

「一体何なんだこの敵は!なぜ一方的に叩かれる!」

最初に沈めた敵とは違い、こちらの射程外から一方的に叩かれる。
既に船首のバリスタは奇怪な木製のオブジェに変わり、船体中央にあった大きな三角帆は、折れたマストごと海中に落ちていった
今や船団全てが似た姿に変わっていたが、旗艦は未だに戦意旺盛なのか突撃命令を下してくる。

「こんなところで死ぬなんて冗談じゃないぞ…」

そう呟きながら前方を見ると、3番艦に敵の射撃が集中している。
木片を水飛沫のように飛び散らせ、徐々にその船体が解体される光景が彼の目に映った。

これは無理だ。
敵に到達する前に全艦が沈められてしまう。
旗艦は、こんな状況でもなお突撃を命令してくるのか。
正気を疑うぞ

そんな事を思いながら、いつまでも来ない撤退の命令に彼は焦っていた。

「撤退命令は、まだ無いのか!」

そう叫びながら後続の旗艦に視線をやるが、その光景を見て、信じられないものを見たかのように、彼の開いた口は塞がらなくなった。
我々に突撃を命令した旗艦が、回頭既に終え逃走に入っている。

「旗艦が逃げるだと!?
我々はあの若造に逃走用の囮に使われたのか!」

この瞬間、彼の心にあった領主への忠誠心は露と消えた。
敵前逃亡。彼の主の行いはまさしくそれであった。
見方に殿を任せての撤退ならばまだ理解は出来る。
だが、状況が余りにも悪いと見て味方を囮に逃走に入るなど、彼は許すことは出来なかった。
仮にも聖戦を宣言しておいて、この無様な逃げっぷりは戦いを尊いものとといた神のお言葉にも反する。
逃走する領主の船を見ながら沸々と沸く怒りを抑えて彼は叫ぶ。

「回頭!全速離脱する!」

「ですが、命令は突撃ですが…」

副官の声に彼は、貴様は馬鹿かと怒鳴り散らす。

「あの若造は、我らを見捨てて逃げたのだぞ!
そんな命令に律儀に従えるか!
この無様な有様は教皇庁に報告して断罪されるべきものだぞ」

そんな彼の独断による回頭命令により船は大きく動きだす。
船内では生き残ることに必死な奴隷たちが、突撃の命令時よりも更に力を入れてオールを漕ぐ。
旗艦のように贅沢なゴーレムを積んではいないが、必死に逃げる時の奴隷たちは、ゴーレム以上にいい仕事をしている。
ドラムに合わせて統一した動きで波をかき分けるオールは、船をどんどん加速させた。
そのおかげで、4番艦が敵によって単なる流木の集まりに変えられた時には、彼我の距離を少々稼ぐことができた。

「このまま本国まで逃げるぞ」

安堵の混じった顔で彼は指示を出す。
いくら敵が魔法船といえど、この速度ならば逃げ切れるかと思い。再度確認のため敵艦の方を振り返った時。
彼の表情は絶望に染まった。
敵は船首に大きな白波を作り、想像をはるかに超える加速力で追撃してくる。
4番艦の犠牲で稼いだ距離は、見る見るうちに縮まっていく。

「敵は化物か…・」

武装、速力、すべての面で叶わない。
既に3隻がやられているが、我々は未だ敵に対して一発の命中弾も与えていない。
まさに海の魔物が迫ってくるようだった。
だが、彼の恐怖も長くは続かなかった。
彼が口惜しげに敵船への呪詛を呟いた次の瞬間
その魔物より飛来した30mm機関砲弾によって、彼は物言わぬ肉片と化えられていた。




その様子をアルドは船尾より歯を食いしばって見つめる。
最後の囮がやられた…
このままでは追い付かれる。

「もっと速力を出せ!死にたいのか!」

焦りの表情を浮かべたアルドが絶叫するが、すでに限界を超えてゴーレムを酷使している。
これ以上、速度の上がりようが無かった。

「せめて… せめてクラウスの船団と合流出来れば…」

輸送船の集まりであるクラウスの船団に何ができるかは疑問であったが、使えるものは何でも使う藁にもすがる思いであった。
だが、それもあと一歩のところで叶わない。
クラウスが向かった上陸地点が見えるまで、あと一歩と言う所まで来たとき、見張りが悲痛な絶叫をあげる。

「敵艦発砲!!」

見張員の声を聞きつつ、アルドは恐怖と現実を認めないという思いから、きつく唇をかむ。

辺境伯になったばかりだというのに、こんな所で終わるのか…
嫌だ!絶対に認めん!
死んでたまるか!!

「くそぉぉぉぉ!!!! 」

アルドの叫びがあたりに轟く。

だがそれは、それは30mm機関砲弾の着弾で吹き飛ぶ魔力槍の誘爆により、吹き飛ぶ船の轟音の前には余りに小さいものだった。




[29737] 礼文騒乱編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:11
礼文島

船泊港


沿岸部への攻撃の後、北海道側から船泊港と呼ばれる港にクラウスは降り立っていた。
兄上の指示通りガレー船と別れた輸送船団は、目につく陸地の中でも一番近い陸地に上陸し、先陣を切って海岸に展開したクラウスの手勢は最寄りの集落を制圧すべく即座に南下を始めた。
辺りには警報なのか、けたたましい音が鳴り響いている。
既に近隣の建物からは人影は無く、付近の建物を兵士が捜索しているが、やはりもぬけの殻だった。
クラウスも占拠した建屋や港を見て回り、驚きの目であたりを物色している。
というのも、今回上陸した港を見た時から、クラウスはその港に目を奪われていた。
傍目は小さな集落だが、その港の整備状況には驚きを隠せない。
活気と言った面では寂しいが、その岸壁の丈夫なつくりはプラナスの港以上である。
石積みの埠頭ではなくモルタルの様な岩の塊で作られている。
それを見たクラウスは似たような物の伝聞を思い出した。
以前、税を納めに来た密貿易を商う商会(海賊の表向きの顔なのだが)の会頭が東方の異教徒の国で使われている、火山灰を練って作る巨大建造物の事を話してくれたことがあったが
おそらく、これもその一種だろう。
モルタルなんてレンガの間に挟むだけの弱いものだと思っていたが、実際に目にしてみるとその技術力に驚く。
触ってみるそれは、まるで本物の岩のように頑丈であり、船着場として理想的な形に自由に形作られている。
是非とも、この技術を我が領内に使えないだろうか。
そのためには職人を多数捕縛しなくては…
そう考えた、クラウスは部下に命令を発する。

「よし、進軍だ!ただし、住民は殺すな!すべて生かしたまま捕縛するんだ!」

次々に上陸する軍勢が南下していく、クラウスの知らぬところで海上の戦闘は終わり向かっていったが、
陸上の戦いは今これから始まろうとしていた。






侵攻軍襲来1時間前


礼文島

船泊村



島の北側に位置する船泊村。
この村に一つだけある駐在所に平田信吾巡査部長(27)は勤務していた。
道内が転移後のゴタゴタでてんてこ舞いになっている中、コンブ漁を主産業とするこの村には特別な変化は無かった。
いや、変化と言えば海の向こうに巨大な陸地が現れたという大変化はあったのだが、少子化と高齢化が進んだ静かな村には

「ありゃ なんだべな~。まぁ、役場が調べてくれるっしょ」

くらいの騒ぎにしかならなかった。
そんな静かな村で、今日も平田巡査部長は勤務に励む。
まぁ、犯罪と言う言葉が村人の辞書から消えそうなほど平和な村では、一人暮らしの高齢者の見回りがメインの仕事なのだが…
そんなこんなで、朝から自転車で数件の家を回って、未だ極楽浄土へ旅行に出た人がいない事を確認し、次の旅行準備者宅へ行こうとしたところで、前方から一台の軽自動車がやってきた。
見れば、運転席の窓ガラスを全開にしながら走る車内から手を振っている。

「しんちゃ~ん」

乗っていた女性ドライバーがこっちに声を掛けながら横に止まる。

「さとちゃんじゃないの。なしたの?」

「いんや。姿見えたから、声かけただけ~」

彼女の名は林野さと子。
同じ礼文島で育ち小学から高校まで同じクラスだった同級生だ。(まぁ一学年が10名弱しかいないので当然だったが)
そんな彼女は高校卒業後、札幌の専門学校へ進学し、そのまま向こうで結婚していた。
当時、結婚式の招待状を貰った信吾は、おめでとうと言いつつも仕事があると言って式には出なかった。
出来る事ならば彼女を祝福してやりたかったが、未だ彼女に抱いていた淡い感情の反動が彼にそれをさせなかった。
それから数年がたち、信吾も彼女の事を忘れかけた頃に、彼女は島に戻ってきた。
偶然、フェリー乗り場に来ていた信吾は桟橋から降りてくる彼女を見つけた。
最初は声をかけるか悩んだが、もう吹っ切れたと自分に言い聞かせて彼女に声をかけた。
声を掛けられた彼女は最初は驚いていたが、昔と変わらぬ笑顔で信吾に言う。

「帰って来ちゃった。」

てへっと表情では笑う彼女だったが、その目は赤い。
彼女曰く、旦那がクソ過ぎて別れてきたそうだが、その時は、信吾は黙って長々と続く愚痴を聞いてやることにした。
そんなこんなで、彼女も今は実家に戻り、礼文島の観光ガイドの職に就いていた。

「仕事はもういいの?」

信吾が聞く。

「観光客が激減したのにガイドもないべさ。
転職の考え時かなぁ~」

「でも、島の仕事っつたって、なんか良いのあるか?」

さと子は口を人差し指で押さえながら考える。

「ん~~、色々と厳しいよね~
もう島外には出たくないし、誰かの嫁にでも貰ってもらうかなぁ」

「バツイチですが宜しくって?」

「うっさいわ!馬鹿ぁ」

笑いながら信吾が言い、さと子も笑いながら拳を振り上げる。

「まぁ 冗談はいいとして、これからお父さんのいる漁港にお弁当持っていくから、もう行くね。」

「あぁ こっちもあと一件ほど昼前に回るんだわ。それじゃぁ またな」

「うん、ばいばーい」

彼女を乗せた軽自動車が走りさる。

「嫁ね…」

信吾はそう呟くと、少し物思いにふけりながら自転車に跨って次の巡回先へ向かうのだった。




………

「…でねぇ、お巡りさんが来てくれるのが楽しみでねぇ。
毎日こうやってまってるんだわ」

人付き合いに飢えている人ほど話が長い。
この岡田のばぁちゃんもその例に漏れない人だった。
既に何十分滞在しているだろうか…

「じゃぁ おばあちゃん。俺、そろそろ…」

申し訳なさそうお暇しようと信吾が言うが、立ち去ろうとする彼を押しとどめて彼女は話を続ける。

「あぁ そういえば、おはぎ作ったんだけど食べてってくんないかい?
一人じゃ食べきれなくてね」

「いや、俺、そろそろ戻らないといけないんだけど…」

「今回は特別出来がいいんだよ」

帰ろうとするたびに、何かしらの理由を作って引き止める彼女に信吾は思う。
…うーん、意図的に聞いてねぇなこりゃ
そう思った信吾は、どうやって逃げようか本気で考え始めた時、警察無線が唐突になった。

『香深駐在所より、平田巡査部長へ。 
香深駐在所より、平田巡査部長へ 応答求む』

無線から聞こえる自分を呼ぶ声。
信吾は、これでこのばぁちゃんから逃げられるなと思い無線に応答する。

「こちら平田。 なにかありましたか?」

『稚内署から連絡だ。
現在、本島へむけ西方海上から武装集団の船が向かっている。
ついさっき島の北側に避難勧告が出されたから住民を島の南部へ誘導をしてくれ。
言っとくが悪い冗談の類じゃないぞ。大マジだ!』

武装集団?冗談じゃないのか?
余りに唐突な連絡に信吾の思考は止まるが、それとほぼ同時に周囲に響く防災無線から鳴るサイレンで現実に引き戻された。

『着上陸侵攻情報。着上陸侵攻情報。当地域に着上陸侵攻の可能性…』

「マジかよ…」

けたたましく鳴るサイレンと繰り返されるアナウンスが、無線連絡が本当だと証明し、信吾はそれを呆然と聞く。

『分かったか?平田!』

しばらく黙って放送に耳を傾けていたせいで、無線に返事をするのを忘れていた。

「了解しました。これより、住民の避難誘導に入ります」

信吾は無線を戻すと真面目な顔で目の前の岡田のばぁちゃんに向き直る。

「聞いてたか?ばぁちゃん!避難だよ避難!」

激しく動揺しているばぁちゃんは、あわあわと返事をする。

「ちょ、ちょっと待ってね。着替えやら用意してくるよ」

「そんなのいいから!貴重品だけ持ってさっさと逃げるよ!
俺は他の世帯を見に行くけど、ばぁちゃんは貴重品もったら早く避難してね!」

そういって信吾は家の外に飛び出した。
外では、放送を聞いた村人が何事かと表に集まってきている。
一体何の冗談かと住民たちが話し合っていると役場支所からスピーカーの付いた車が走り出てきた。

『避難警報が発令されました。住民の皆様は貴重品だけ形態して島南部へ避難してください。
車のある方は自主避難をお願いします。車の無い方は役場が車を出しますので、中学校グラウンドへお集まりください…」

最初は誤報かと思ったが、同じ内容を役場の車が流している。
表に出ている皆は、未だ信じられないのか固まっていた。
これはいけない。それを見た信吾は、手を叩いて皆の目を覚まさせるように叫ぶ。

「みなさん!放送のあったように避難警報が出ました!すぐさま貴重品だけ持って避難してくださーい!」

信吾がそう叫んだ瞬間だった。
遠くで連続した爆発音が聞こえる
その場の全員が何事かと海岸へ走ると、湾の西端にある漁港から黒煙が上がっている。
閃光が走り、遅れて爆発音が響く。
見れば数隻の帆船が湾内に侵入し始めていた。

「避難!避難だ!急げ!」

その声に目が覚めた村人は蜘蛛の子を散らすように貴重品を取りに家々に戻っていった。

「なんてこった。もうそこまで来てんべさ。
急いで住民を避難させなきゃヤバいべや」

信吾は急いで周囲の家々を回り、住民が避難を始めていることを確認して回る。
役場の放送などがかかっているが、耳の悪い年寄が聞き漏らしている可能性もある。
集落の北側から役場支所にかけて、避難状況を確かめながら信吾は駆け回った。
一通り回って、住民が避難を始めるのを見ると信吾はその列に加わる。

「誰かいない人はいませんかー!
ご家族、近所の方はちゃんといますかー!」

避難民の最後尾について叫ぶが、特に申告は無くどうやら皆避難できているらしい。
だが、順調な避難とは裏腹に爆発音はどんどん近づいてくる。
最初は西側のスコトン岬に近い漁港から爆発音と黒煙が登っていたが、今では湾の中心の港からも黒煙が登っていた。

「あぁ 浜中港が…」

漁港が攻撃され、停泊していた船が燃えている。
一同は建物の間から海を眺めつつその光景に息を飲んでいた。

駄目だ。皆、その光景に目を奪われて足取りが止まってしまった。早く避難しなくちゃならんのに!
信吾は歩みが止まってしまった避難民の列に力の限り叫ぶ。

「みなさん!止まらずに避難してください!役場支所までもうすぐです!
役場の車が待機してますので早く逃げてください!」

信吾がせかす。
それに動かされて皆が再び動き出す。
老人が多いため、決して早い移動ではなかったが、それでもやっと支所についた。
すぐさま役場の職員が、用意した車に避難民を乗せていく。
もちろん役場の車だけでは数が足りない、地元の有志の車に便乗させる形でなんとか数を確保していた。
信吾は職員の一人を捕まえて現状を聞く。

「村の北半分は避難してきたさ。残りはどうなってるべ?」

「浜中より西は避難完了です。ですがそれ以東は、地元の有志が近隣のホテルからマイクロバスを借りて
車の無い高齢者世帯の救出に向かいましたよ。」

「そうか。わかった!ありがとさん!」

刻一刻と謎の船団は近づいているが、避難自体は順調に進みそうだ。
信吾とその職員は発車する車に乗った村人を見送る。
そして最後の車を見送った時に、あることに気が付いた。

「あれ?岡田のばーちゃんは?」

「岡田さんの所のおばあちゃんですか?
いや、見てませんが、他の車に便乗して避難されたのでは?」

新語の言葉に、自分たちも逃げる準備をしていた職員が答える。
信吾は嫌な予感がした。
確かに、あのばーちゃんには最初に声をかけたが避難しているところを見ていない。
もしかしたら、未だ避難していないのでは…

「ちょっと、俺、見に行ってくる。戻ってくるまで車一台残しておいてくれ」

「え? ちょっと!」

職員の返事も聞かず信吾は駆け出した。
道なりに住宅地を抜け、ばぁちゃんの家を目指す。

「まだ時間は大丈夫だろうか」

こうしている間にも、謎の船団は近づいてくる。
あとどれほどの猶予があるのか。
気になった信吾は家々の隙間からちらりと海を見た。
だが、そこには既に信吾の願望を裏切るかのように、真っ白な帆を掲げた船が港に入港する姿が見えた。
甲板には多数の人影が蠢いている。時折反射する光は、彼らの手にある大型の刃物の反射光だとすぐに分かった。

「あいつら、船泊港に上陸する気かよ… 冗談じゃないぞ」

焦った信吾は必死に走る。
頭の血管が切れそうになるほど必死にダッシュして、ようやく集落の北側に近づいた所で、目の前の道路上に小さな後ろ姿が見えた。

「ばっ…・ばぁ…っちゃん! 何…してん…だ!

信吾は目の前の後姿に向かって本気で叫ぶ。
全力で走ったため中々声が出ないが、それでも岡田のばぁちゃんは気づいてくれた。

「あら、お巡りさんどうしたの?そんなに息切らして」

現在の状況が余り理解できていないのか、特にあわてた様子も無く彼女は信吾に聞く。
そんな落ち着いた様子の彼女に、肩で呼吸をしながら信吾は彼女の肩を掴んだ。

「どしたのじゃないよ! ばーちゃんこそ何してるの!早く避難しなきゃ!」

「いや、ちょっと忘れ物を取りにね。年取ると忘れっぽくていかんわ」

彼女は、はっはっはと能天気に笑うが、それに対して信吾は語気を強めて叱る。

「忘れ物じゃないよ!もうすぐそこまでワケの判んないやつらが来てるんだから
そんなものほっといてさっさと逃げるよ!」

「駄目」

彼女は首を振って言い放つ。

「駄目!?一体、何を忘れたの?」

もうそんなに時間は無いのにと焦りつつ、呆れたように信吾が聞く。

「おじいちゃん」

「おじいちゃん?」

おじいちゃんを忘れた?
信吾の頭に?マークが浮かぶ。

「去年死んだあの人を残して行けないよ」

「何言ってるんだよ。ばぁちゃん!」

「せめて位牌くらいは持っていかないと、一人にしちゃ可哀想だし…」

彼女の目には、悲しげな光が宿っていた。
おそらく、この雰囲気は諦めるように説得しても聞かないだろう。
そう思った信吾は、今一度大きな深呼吸をした。

「よし!じゃぁ俺が取ってきてあげるから、ばぁちゃんは役場の支所まで逃げろ
そこに役場の人が待ってるから早く逃げるんだ。いいね?」

「で、でも…」

「いいから、まかせて。そのかわり、ばぁちゃんも必死に逃げるんだよ?」

信吾は岡田のばぁちゃんを回れ右させて背中を叩くと、その反対方向へ駆け出した。
岡田家は村の北側に位置する。
彼女と会えた地点が既に彼女の家からさほど離れていない場所だったため、200mばかり走るとすぐに目的地に到着した。
幸い玄関に鍵はかかっていない(というか鍵なんて無かった)
信吾は土足で家の中に上がり、すぐさま目的の物を探す。
あまり大きくない家だったため、目的の物はすぐに見つかった。
位牌は、仏間の小さな仏壇にちょこんと置かれていた。
信吾は一応仏壇に手を合わせた後、それを懐にしまう。

「よし!位牌は回収したし、俺も逃げるか!」

そう気合をいれて玄関から出た瞬間だった。
丁度、此方の家に侵入しようとしていた鉄の鎧を着た髭面の男と目があう。

「ヒャッハーーー!!!」

男は、信吾が言葉を掛ける暇も無く、風切音と共に男は剣を振り下ろしてくる。
なんとか間一髪で信吾はそれをよけたが、イキナリの事なので体勢を崩してしまった。

「な!ななな何だ!お前!」

尻餅をつく信吾は男に問うが、その答えは更に続く斬撃だった。
横に跳び、転げまわって避けるが相手は止める素振りをみせない。
何度かの斬撃を避けると、その男は無様な逃げ様を面白がってか、笑いながら剣を構えて近づいてくる。
これはヤバイ。
そう思った信吾は、取り出した銃を構え男に向けた。

「止まれ!止まらないと撃つぞ!」

男はにやけた顔のまま近づいてくる。
全く怯む様な様子はない。
それどころか信吾の姿を見ながらニヤニヤと笑っている始末。
そして雄たけびと共に再び剣を再度振り上げたところで、信吾は撃った。

パァン!

最初は威嚇として空に撃ったが、いきなり響いた大きな音に、流石に驚いた男は慌てて身構える。
目を丸く見開いてこちらの様子を伺っている。
だが、大きな音がしただけで、特にこれといった怪我が無い事を男は確認すると、男はニヤリと笑って再び剣を振りかぶる。
信吾の頭を叩き割らんと振りかぶる男。
その男に、信吾の二発目の弾丸が放たれた。

パァン!

「グァァァアァ!!!」

着弾と共に、太ももを押さえて男が倒れる。

「やったか!?」

初めて人を撃った。
本来ならば、その事に対する葛藤があってもよかったのだが、状況がそれを許さなかった。
最初の銃声を聞きつけ、付近の家を荒らしていた他の仲間が通りに出てくる。
そして二回目の銃声で仲間が倒れるのを見ると、怒りの表情を浮かべて此方に走り出してきた、

「やっべ。逃げるぞ!」

信吾はダッシュした。
流石に鎧兜で武装した集団と、制服だけの信吾とでは速さが違う。
みるみる武装集団を引き離す。
これなら逃げ切れるかと思った瞬間、信吾の視界に岡田のばぁちゃんの後ろ姿が目に飛び込んできた。

「いかん!ばぁちゃんコッチに気付いてない!」

耳が遠いのか異変に気付いていない様子でひょっこりひょっこり歩いている彼女に、信吾は力の限り叫んだ。

「おーい!!ばぁちゃん!逃げろー!!」

信吾の何度目かの呼びかけにようやっと気付いたのか、彼女は一度こちらを振くと血相を変えて走り出した。
だが老婆の全速力は強歩と大差なかった。
既にかなり近くまで来ていたこともあり、あっという間に信吾が追い付く。

「ばぁちゃん!掴まってろよ!」

「うひゃぁ」

信吾は、説明も無しに彼女を肩に担ぐと再び走り出す。
だが、人一人担いで走るのは、信吾の速力を大いに落とした。
先ほどまでに稼いだ武装集団との差もみるみる内に縮まっていく。

「畜生!こんな所で死んでたまるか!」

そう気合を入れるが状況を変わらない。
もう十数mの所まで奴らが追いかけてきている

「あと300m!」

このままでは追いつかれてしまう。
流石の信吾も老婆を担いだ全力疾走でスタミナもとことん使い果たし、もうだめかと思われたその時、
数十m前方の橋の周囲に緑色の集団が小走りに並ぶのが見えた。
信吾は最後の力を振り絞りその方向へ駆け抜ける。
信吾が走りきり、その集団の横を通過した瞬間だった。
ゴールテープの代わりに、辺りに耳をつんざく銃声が鳴り響く。
体力の限界からか崩れ落ちる信吾。
振り向くと迷彩服の男たちが追ってくる集団に銃撃を加えている。
それにより、信吾を追いかけていた者達が血潮の花を咲かせながら道路に積み重なっていった。

「自衛隊ですか」

老婆を背負った全力疾走に、息も絶え絶えになった信吾は聞く。

「あぁ よく頑張った。
我々はここに防衛線を張って持ちこたえるから、君らは島南部へ避難してくれ。
役場の車も後方で待っているから、疲れているかと思うがもうひと踏ん張りだ」

指揮官と思しき人が信吾に手を貸して引っ張り起こす。
そう、まだ助かった訳ではない。
あの職員が待っててくれている。早く戻らねば…
信吾は足に鞭打ち岡田のばあちゃんを連れて急ぐ。
防衛線から役場の支所まではさほど離れていなかった。
拓也が彼らと会った場所から100mほど移動すると支所の駐車場についた。
そこでは、車をアイドリング状態にした職員が一人で待っていてくれた。

「ご苦労様です!ささ!早く乗ってください」

そういって彼がスライドドアを開けると、信吾は急いでばぁちゃんを押し込む。
信吾もフラフラとした足取りで助手席に乗り込むと、やっと落ち着くことが出来たため、懐に持っていた位牌をばぁちゃんに渡した。

「おばぁちゃん。これだろ?おじいちゃんはちゃんと連れてきたよ」

信吾は金色で縁取られた黒い位牌を彼女に渡すと。
岡田のばぁちゃんは、両手で大事に受け取り涙ホロリとを流して頭を下げた。

「ありがとう。ありがとうね」

何度も繰り返される彼女の感謝の言葉。
その言葉を聞き信吾もやり遂げた気分になり、疲れが若干引くかのような感じを覚えた。

「じゃぁ 行きますか」

運転席からそのやり取りを見ていた職員は、一度信吾の顔を笑ってチラリと見るとゆっくり車を出した。

「ふう これで避難は完了か…」

一息ついて信吾が言う。

「そうですね西側の地域へ向かったマイクロバスが戻れば完了です。
あ!見てください!ちょうどこっちへ戻ってきましたよ!」

見れば前方からマイクロバスが戻ってくる。
東南部へ向かうには道道40号線の一本道なので、西方からの車は全てこっちを通過しなければならない
信吾らは交差点にてバスを待つと、戻ってきたバスに避難状況の確認するため車を降りた。
だが、バスの運転手が窓を開ける前に信吾の携帯が着信を知らせる。

「誰だ?こんな時に…」

画面に表示された名前は、"林野さと子"

「ん?さとちゃん?なしたんだべ?」

不審に思った信吾は電話を取る。

「さとちゃん!大丈夫か!?」

「あぁ!良かった!しんちゃん助けて!」

電話の向こうから緊迫した声が聞こえる。
相手の声色からしてただ事でないのはすぐに感じ取れた。

「いったいなした!?」

信吾が真面目な顔になり聞き返すが、信吾が電話をするその横でも緊迫した会話がなされていた。

「バスが向かえない!? 一体どうしたって言うんですか!」

職員が叫ぶ。
それに対するバスの運転手の答えと電話の向こうのさとちゃんの答えは奇しくも重なった

「「攻撃で燃えた車が道を塞いでて避難できないの(んだべ)」」

信吾と職員はお互いの顔を見合わせて絶句した。
かれらの長い一日は、まだ始まったばかりだった。









信吾たちを追う集団を撃退した元陸上自衛隊 第301沿岸監視隊派遣隊は、礼文島の北側、久種湖から流れ出る大備川に沿って展開していた。
現在は組織名が連邦軍へと肩書は変わったが、編成的には何ら変化は無い。
だが、そんな彼らも、自分たちを取り巻く戦略環境がガラリと変わってしまった事を橋の上に転がる敵の死体を見ながら実感していた。
そんな防衛線を展開する部隊の中に、一人の隊員が駆け寄ってきた。
彼は一直線に、階級が一番高い人物の所まで駆けてくると、彼に向き直って敬礼をしながら報告する。

「隊長!報告します。船泊湾西部の集落が道路上の火災の為、孤立している模様です。
先ほど走ってきた警官と役場の職員が、住民の救出に向かいましたが如何しますか?」

その報告を受けた辻3等陸佐は島北部の地形をイメージすると考えるまでも無く指示を出した。

「分屯地の通信隊に連絡して応援を出してもらえ。
防衛地点からは人員をこれ以上割けん」

この場で援軍が現れるまで持久しなければならない以上、前線から救助に割く人員を抽出する余裕はない。
5隻の船に満載された武装集団を相手にするには、彼らは少なすぎる編成だった。
それに、彼らは敵の規模を現状で一番熟知している。
なぜなら、今回の騒乱で異変を一番最初に察知したのは彼らのレーダーだった。
不明船団の接近、海保の接触、そして沈没に至るまでを彼らは監視し報告し、リアルタイムで敵の情報を集めている。
そして敵船団の一部がこちらに向かってくるのを見た時は、部隊に非常呼集をかけられたが、その時点ではまだ敵が上陸してくるとは本気で思ってはいなかった。
冷戦時から現代まで、礼文島の戦略的価値はレーダーサイトであり、それに対する航空攻撃は十分なリアリティを持って考えられていたが
島自体の占拠は、あるとしても北海道の占領後。
実際の所、隊員たちはそのくらいにしか考えられていなかった。
だが、彼らの先入観は転移後には通用しなかった。
敵船団の湾内突入という事態が、彼らの予想をぶち壊す。
ここに来てやっと、敵上陸部隊との陸戦を想定した臨戦態勢が敷かれたが、もともと分屯地全員で40名ほどしかいない。
その内訳も、沿岸監視隊派遣隊・基地通信中隊礼文派遣隊そして業務隊の3つを合わせて40名である。
最小限のレーダー運用要員と守備を除いて、ほぼ全力出撃の臨時編成を行ったが、それでも3個分隊が精一杯だった。(これには業務隊も守備にぶち込んだ。)
その甲斐あってか、水際での上陸阻止こそできなかったものの、川を防御陣地として敵の阻止には成功したようである。
だが、彼らは知っている。
5隻もの船に満載された兵員があの程度では無いことを…

報告に来た隊員に指示を出した辻三佐が、視線を眼前の橋に戻して皆に聞こえるよう大きな声で隊員を鼓舞する。

「さぁ 次がお出ましだぞ!民間人の避難が終わるまで、死んでも奴らをここから通すな!わかったか!」

各所に展開する隊員から、それに応えるように威勢のいい返事が返ってくる。

稚内には難民監視の部隊がまだいるはずだ。
増援が間に合えば勝てる。間に合えさえすれば…

辻三佐はそんな事を考えながら、続々と現れた敵の集団に向かって次の射撃を命令する。
命令と共に耳をつんざく銃声があたりを支配し、橋の上に赤い血を流す肉袋が積み重なっていく。
だが、幾ら倒しても敵の流れは止まらない。
戦争は数だと古来より言われているが、それを質でカバーする。
旧自衛隊の是とした理念の本懐を見せる時が来たのだった。




船泊港


もぬけの殻だった港で、クラウスは物資の揚陸の指示を取っていた。
既に斥候と、揚陸の終わった歩兵主体の貴族の部隊から順に南方に見える集落に向かっている。
今の所、制圧した港も付近の集落も、住民全てが逃げた後であった。
逃げた住民も未だに補足出来てはいない。
これは間違いなく、この島の領主に我々が上陸したという情報が行ったと見て良いであろう。
その確信の下、クラウスはいずれ来る守備兵の来襲に備えて、揚陸される兵を逐次集落へ向かうのではなく、港に残って物資の揚陸を優先した。
他の貴族の兵が嬉々として乱取りに向かうのを見て、配下の兵は、焦る気持ちが体から溢れんばかりになっているが
クラウスは「命令違反は即座に斬り捨てる」と宣言してそれを抑え込んだ。
乱取りは早い者勝ちである。
兵達の焦燥感もわからないでもない。
だが、準備不足のまま兵力を投入するなど愚の骨頂である。
一部の馬鹿貴族は、先陣を切って乱取りに向かい、統率なんて有って無いの如し。
配下の兵も、船を降りた順に集落へ走って向かう。
あれで敵の待ち伏せにあったら如何するんだろうか。
いきなり頭を潰されて潰走なんて事態になったら目も当てられない。

「伝令!あのバカ共に単独で突っ込み過ぎるのは危険だと言ってこい!」

そもそも今回の遠征は、指揮系統がおかしい。
兄上が未だ戻ってこぬため、我々の輸送船団は頭を失った状態になっている。
クラウスの船以外は兄上の直臣ばかりであり、そして、そのどれもが影響力の強い家臣ばかり。
抜きんでている者もいなければ、特に序列が低いものもいない。
言い換えるならば、誰もが主導権を握れずにいる。
その為、先ほどのような独断専行がまかり通ってしまった。
どうしようもないなと思いながらも、クラウスは着々と進撃の準備を整える。
そんなクラウスの船から10羽ほどの軍鳥が渡し板を伝って揚陸されてくるのが見えた。
人の背丈を超える体躯に、頭部を覆う純白の羽毛と胴体を覆う漆黒の羽毛が、強靭な足と、人の頭くらい平気で噛み砕く巨大な黄色い嘴を相まって勇壮な姿を晒している。
その中の一羽。
一際煌びやかな面蓋いを被った個体にクラウスは近づく。
そしてクラウスは、その横顔を撫でながら語りかけた。

「待ってろよ。すぐに思う存分働いて貰うからな」

鳥は「クェーーー」と主人に返事をするかの如く鳴く。

そして、丁度その時だった。
斥候や一部の馬鹿貴族が先行した集落の方向から連続した炸裂音が聞こえた。
まるで鉄板をハンマーで叩いたかのような連続音があたりに木霊する。
クラウスは鳥の横顔を撫でながら真剣な表情で音のした方角を見た。

「やはり来たか… 残りの荷揚げは水兵に任せ、騎兵は直ちに騎乗!
歩兵、魔術兵も装備を確認しろ!準備完了次第、敵の掃討へ向かう!」

その命に、兵達からは待ってましたと声が上がる。
士気旺盛、戦意も上々。王国でも屈指の練度を誇るクラウスの兵。
鎧袖一触。
誰もが勝利を確信していた。
兵たちは素早く隊列を組み、揚陸を終えた他の貴族や騎士と合流しながら集落へ向けて南下する。
だが意気揚々と進軍した彼らであったが、それも集落の入り口に来たところで彼らの足が止まってしまった。
先行していた兵が我先にと逃げ戻ってきたのだ。
わらわらと蜘蛛の子をを散らしたように戻ってくる男たち、そんな彼らを見て何事かと思っていると
逃げ戻る彼らに交じってクラウスの放った斥候が戻ってきた。

「先行していたパヘロ様、待ち伏せしていた敵の陣に果敢に切り込むも、あえなく討死なされました!」

斥候がクラウスに状況を知らせる。
なるほど
言わんこっちゃない。
聞けば勢いのまま突撃し、配下の兵の1/4数を道連れにやられたとか。
彼の兵は総勢で200名ほどだったから、いきなり50名も無駄に浪費したことになる。
クラウスは勝手に突っ込んで死んでいった馬鹿に呆れ返ったが、50名の代価で、軍を乱す無能な馬鹿が一人排除されたと前向きに考えてみる事にした。
武人にとって無駄死にこそ最も恥ずべきことの一つである。
そう考えてやらなければ、彼に道連れにされた兵達が無念すぎる。

「それで、敵の詳細は?」

無能のために道連れにされた兵たちの無念を思いつつも、クラウスは、軽く頭を振り思考を切り替えて斥候に問う。

「この先の川に沿って陣を張っている模様で、橋へ殺到したパへロ様の兵に対し付近の家や障害物の陰から攻撃してきます。
見た目にはさほど数は多くないようですが、未知の武器を持っているようです。
破裂音の後、兵がバタバタ倒れたのを見る限り、新手の魔道具かと思われます。」

「敵は魔術師か?」

一人の貴族が斥候に尋ねる。

「おそらくは… 私はあのような魔術は初めて見たので、わかりかねます。」

詳しい事は分からないという斥候の様子を横目に、クラウスの横に立つ騎士が小さく呟く。

「もしかすると… 噂のアレか…」

「なにか御存じなのですか?ルイス様」

何か思い当ることがあるような表情の白髪の混じった口髭を蓄えた騎士にクラウスは聞く。
それに対し、ルイスは確証は無いのだがとの前置きの下、話し出した。

「破裂音のする飛び道具の武器と聞いて、子飼いの商人から聞いた話を思い出してな。
東方の異教徒の国に、彼の国で作られた燃える粉を使った武器が有るそうなんだが
それが斥候の報告に似ていると思ってな。」

「燃える粉?」

そんなもので一体どうするのか。
粉が燃える程度でどうにかなるとは思えない。
クラウスはルイスの説明にいまいちイメージが掴めなかった。

「あぁ 何でもそれで魔法の真似事をするそうだ。
イグニス教を認めないがために魔法が使えない彼の国の奥の手らしい。
実際に見た商人の話では、我々の魔法には遠く及ばないというのだが…」

商人の話では大した脅威ではなかったはず、そう聞かされていたルイスだったが、実物を見ない限りは何ともいえなかった。
そんなルイスの言葉に横で聞いていた貴族の一人が口を挟む。

「その遠く及ばない謎の武器に、パヘロ殿の部隊が叩きのめされてしまったというのか」

既に損害が出ている以上、侮ってかかるわけにはいかない。
そう遠まわしに語る言葉にクラウスも同調する。

「敵の攻撃が、魔法にしろ未知の武器にしろ、我々の知らぬモノである以上、それを見極めねば無駄に損害が広がるだけだ。」

「だが、こんな所でいつまでも道草を食っているわけにはいくまい。」

クラウスの消極的な意見に他の貴族から即座に突っ込みが入る。
ではどうするか、双方が黙りこくって考え始めたとき、そのやり取りを聞いてたルイスが口を開く。

「ではこういうのはどうだろうか。
まずは魔術師と弓兵の援護の下、パヘロの残存兵を突撃させ、敵の攻撃の特性を見極めた上で、我々の本体が敵を叩く。
これで、我々の配下の無駄な出血は抑えられると思うが、どうだろうか?
もちろん、統率を失った彼の兵は、私自ら督戦を行うので安心してくれ。
一人残さず戦意溢れる兵士として突撃に加えさせようぞ」

ルイスのこの意見に一同が頷く。
当のパヘロの配下の兵達は、この場にいないため異議の出しようもなかったが、恐らくは、無駄ではない意義ある死を迎えられると泣いて喜んでくれるだろう。
一度は潰走したものの、再び最前線に立てるのだ。
その恐れを知らぬ行動に神もお喜びになるはず。
クラウス達はのルイスの案に同意すると、潰走したパヘロの兵を集結させる様に配下の兵に指示する。
戦いの本番はこれからなのだ。





船泊村

大備川沿い第301沿岸監視隊陣地


最初の敵の突撃をしのいだ後、あたりには不思議な静寂が広がっていた。
立ち込める硝煙の匂いと、それに混じる血と臓物の匂い。
それらが潮風に乗り、あたりに展開する隊員の鼻腔をくすぐる。
あまり好ましいとは言えないその匂いは、隊員たちの緊張を維持するのに一役買っていた。

「来ませんね」

辻の隣で小銃を構える隊員が言う。

「あれで終わりでしょうか?」

更に言葉を続ける隊員に辻は答える。

「敵は船5隻で上陸してきたんだぞ。たったあれだけの訳がない。
無駄口聞かずに黙って構えろ」

敵の襲撃は、戦略もない力押しだった。
次々に向かってくる敵を、まるでゲームか何かのように淡々と撃つ。
高ぶる緊張とは裏腹に、その様子は単純作業そのものだった。
真っ直ぐ突っ込んでくる敵を照準に捉え、撃つ。
その繰り返し。
だがそれも、一際目立った甲冑の騎士を撃ち取ったのを境にピタリとやんだ。
指揮官だったのだろう。
その騎士が銃撃に倒れ、血だまりの中でピクリとも動かないのを見ると、残りの敵は潮が引くかのように撤退していった。
今、この場に残っているのは隊員を除けは、物言わぬ敵の死者しかいない。
どのくらい静寂が訪れただろうか、実時間にして10分程度かと思うが、臨戦態勢で待ち受ける彼らには数時間にも思えるくらいに長く感じた。
銃を構える彼らの周りで羽虫が踊り、彼らの皮膚の上で休み始める頃。
その静寂は、大地に響き渡る喊声によって破られた。


ヴァアアアァァァァ…・!!!

響き渡る軍勢の咆哮を聞き即座に辻は身構える。

「来るぞ!射撃用意!」

その言葉に反応し、隊員たちは気を引き締めて銃を構え直した。
そして家々の影から敵の第二陣が現れた瞬間から、地獄の第二幕が始まった。

「撃てー!!」

タン!タタタン!タタンタタタン…

乾いた連続音が続き、バタバタと人影が倒れる。
だが、それにひるまず敵も突撃を続ける。
此方に向けて走り出したそばから一人、また一人と血潮をまき散らして倒れていく。
まるで先ほどの再現。
あまりに単純で張り合いの無い攻勢に辻の表情に余裕が現れ始めていたが、それもある時を境に一変した。
突撃してくる敵の後方から幾つもの光弾が飛来し、彼らの展開している川縁の一部から、轟音と共に炎が上がる。

「一体何だ!?何が飛んできた?」

「わかりません!グレネードか何かでしょうか?」

辻は着弾点を見る。
そこには赤々と燃え上がる炎があった。

「火炎瓶か何かか?」

未知の攻撃に思考を巡らせようとするが、それも目の前を掠める矢の襲来によって遮られた。

ヒュ… タス!

「!!!」

振り返ると光弾を撃つ謎のローブを纏った敵と共に、弓兵が展開してきていた。
ただ突撃してくるだけの敵ならば、一方的な展開が期待できたが、飛び道具を使うとなるとこちらも危険にさらされてしまう。
何より、ここは地形的に障害物が多いため、銃の射程の優位性は失われている。
新たな敵の出現に、辻は新たな指示を出した。

「第一分隊と第二分隊は敵の阻止、第三分隊は敵弓兵とローブを着た奴らを狙え!」

獲物を指示された隊員達の射撃により、新たに表れた弓兵とローブを着た兵が次々に血を吹いて倒れていく。
襲ってくるものを着実に打ち倒してはいるが、それを上回る速度で増えていく敵兵は、隊員たちに少なくない出血を強要する。

「ぐぁぁああぁ!!」

辻の横で絶叫が上がる。
見ると部下の一人の腕に深々と矢が刺さっていた。

「隊長!松崎が負傷しました。左腕に矢が…」

そこまで言ったところで、伏せながら報告する部下に、放物線を描いた光弾が飛来した。

「ぎゃぁぁあああぁ 熱い!あつい!熱い!」

一瞬で火包まれのた打ち回る隊員。

「白石!」

目の前で火だるまになった隊員に、辻は隠れるのも忘れて火を消そうとする。
だが、叩いても土をかけても全身に広がった火は消えない。
そして辻の努力むなしく、のた打ち回った末に彼は遂に火が付いたまま動かなくなった。

「畜生!なんだこの火は?ナパームか!?」

消火を諦め、配置に戻って射撃に戻った辻は、横目で黒ずんだ塊になりつつある白石隊員をみて言った。
少なくても普通の炎ではない。
周りを見ると、撃ち込まれるその炎は隊員達の周りで燃え盛り、彼らの行動範囲を炎の壁によって狭めていく
その壁のすぐ近くでは、矢にやられたのか負傷した隊員が少なからず蹲っている。


このままではすり潰される。
だが、住民の避難は完了してない…
最早、市街への損害を考えてる余裕は無いな。

辻は考えた。
国民の生命と財産を守ることが自分たちの使命だが、状況が悪すぎる以上、市街地の損害を配慮して戦うことは無理だと。
このままいけば、自分たちはおろか後方の民間人にも犠牲者が出てしまう

辻は決断した。

「第三分隊!対岸の民家にある灯油タンクを狙え!」

その号令と共に、それまで弓兵とローブの兵士を狙っていた射撃が、対岸の家々に付けられている灯油タンクに集中する。
それによって、各世帯ごとに設置されている冬の暖房用に設置された大型のタンクは、鈍い金属音を立てながら文字通り蜂の巣となり、噴水のごとく中の灯油をまき散らした。

「よし、全員伏せろ!絶対頭を上げるなよ!」

その命令と共に辻を覗く全員が身を隠す。
ただ一人射撃姿勢を維持した辻は、敵が展開している付近にあった民家のプロパンボンベに射撃を集中する。
辻の行動の意味が分からない敵は、自分たちへの射撃が止まったのを見て、ここぞとばかりに殺到してくる。
それまで物陰に隠れていた後続も、射撃に怯えながら突撃を繰り返していた前衛も一丸となって向かってくる。
兵士が塊となり、川となって隊員に襲い掛かろうと橋へ向かった時。
今まで彼らが経験したことのない大爆発が彼らを吹き飛ばした。

大音響と共に人が木の葉のように吹き飛び、飛び散る破片が彼らの肉を抉る。
千切れた肉片が宙を舞い、ぶちまかれた臓物が地面に広がる。
そしてそれに追い打ちをかける様に、先ほどの射撃により噴水と化していた灯油タンクに炎が引火し、巨大な炎が彼らを包んでいく。
その炎は大量の火の粉をまき散らし、更に爆発で損傷を負った他のタンクにも燃え移る。
辻は続けざまに他のボンベに対しても射撃を加えた。

「うぉぉぉぉおお!」

辻の咆哮と共に爆発音が続き、更なる延焼がおきる。
視界に入るボンベを粗方撃ち尽くした時には、彼らの眼前には巨大な炎の防護壁が作られていた。

「よし、今だ!負傷者を後方のトラックへ運べ!手の空いている者は弾薬を補充しろ!」

何時まで持つか分からないが、集落の北側を焼き払ってまで作った時間だ。
無駄にするわけにはいかない。
増援が来るまで、いや、せめて西部の住民の避難が完了するまでは時間を稼がねばならない。
じりじりと肌を焼く熱気を放つ炎の壁を見ながら、辻は次の手を考えていた。



船泊村北

上陸軍部隊



突然の爆発と、立ち上る巨大な炎の壁を目にしてクラウス達は言葉を失っていた。
急な事態にその場の全員が言葉を失っている。

「…なっなんだ!?敵の魔法か!」

やっとこさで言葉を取り戻した一人が口にする。
それによって、目の前の爆炎に当てられて硬直していた周囲の将兵の意識も呼び戻され、驚きの言葉が口ぐちから漏れた。

「どうやら敵側にも強力な魔術師がいるようですな」

ルイスが冷静に語る。

「どうやら一筋縄ではいきませんね。」

ルイスの言葉に頷くように答えると、クラウスは考える。
先ほどまでは、敵は強力な飛び道具を使うが寡兵であり、弓兵と魔術兵の援護の下で突撃をかければ、十分に粉砕できると思っていた。
いくら強力な武器でも遠距離攻撃にて牽制し、敵の対応能力を超える兵で突撃をかければ一撃で勝負は決まるというのが彼らの予想だったのだが、
それは目の前で起こった大爆発によって打ち砕かれた。
この惨状、よほどの大魔術師が敵にいるに違いない。
次々と前線から入る連絡が、そのクラウスの考えを確信に変えた。

「報告します!前線に展開していたパヘロ様の残存兵全滅!
そして、他の部隊より抽出されていた弓兵と魔術兵の半数が負傷もしくは死亡した模様です!」

その報告を聞いて貴族の一人が思わず叫ぶ。

「なんて事だ!状況が一発でひっくり返されたぞ。
パヘロの残存兵と我らの弓・魔術兵の半数とは…
一撃で300名近くやられたというのか!」

まさに大損害である。
思わず継戦意欲が挫けそうになるが、そんな動揺する彼らの様子を見てクラウスが発言する。

「敵にはかなりの魔術師がいるようですね。
だがしかし、寡兵であることには変わりなく、先ほどまでの戦闘で奴らにも少なからぬ損害を与えているでしょう。
ここは、ひとつ敵の陣地へ突入し、接近戦でもって敵魔術師を討ち取れば、我らの勝利は揺るぎないでしょう」

「突入か… だが一体どうやって?」

「奴らの作った炎の壁を利用します。
見たところ、奴らも炎と黒煙に遮られて攻撃出来ないでいる。
これを利用して敵へ一撃を決めて見せましょう」

クラウスの言葉に全員が傾注する。
クラウスは堂々とその場の全員の視線を一身に受け止めると、自身の策を語りだした。





船泊村

大備川沿い第301沿岸監視隊陣地


炎の壁のお蔭で攻勢が一時的に止んだ彼らの陣地では、負傷者の移送と弾薬の補給が行われていた。
少し離れた所に止められたトラックへ負傷者を収容し、荷台から弾薬を取り出して各々へ配っていく。

「何人やられた?」

辻が負傷者の収容作業を終えた隊員に尋ねる。

「は!現在までの所、死亡2、重傷4、軽傷3です。死亡と重傷者の半数は、例の光弾による火傷が原因です。
軽傷の3名については、手当の後、戦闘可能です。」

それを聞いて辻は唸る。

「死亡2、重傷4か…」

唯でさえ少ない戦力が更に減ってしまった。
元々3個分隊、24名の戦力しか無かったのが、今では18名になり、これ以上の持久は更に厳しいものとなっていくのは明白だった。
眼前に転がる死体から察するに、既に敵を200名以上始末したと思われるが、敵船団の規模から察するにまだまだいるはずだと辻は予想する。
重火器があればもっと持久できるのかもしれないが、虎の子の12.7mmは稚内の本隊に配備されているくらいで、分遣隊として配置された島内には無い装備であった。

それに、人数的・時間的制約上、川沿いに防衛ラインを張ったが、川沿いの民家が障害となり

小銃の射程が制限されて、弓や例の光弾とまともに撃ち合っている様相になっている。

「これは、正面戦闘だと持たんな…
おい!分屯地に連絡して増援の状況を… !?」

辻がそう部下に指示を出した時に、配備に付いている隊員からどよめきの声が上がった。
辻が振り返ると、海から何本もの水柱が何本も伸び、まるで蛇のようにのた打ち回りながら、炎の壁に向かって落下する。
大量の水が落下した後には、炎の壁を切り裂いて何本もの焼け焦げた突破口が彼らの正面に出現した。

「総員戦闘準備!!」

辻が絶叫する。
何だあれは?これは現実なのか?
俺たちは一体、何と戦っているんだ!?
これまでの常識を覆す敵の戦いぶりに辻は若干の混乱に陥っていた。
だが、敵は現実を受け入れるための猶予など待ってくれない。
敵は果敢にも燃え盛る炎の中に出来た道を渡り、突撃を繰り返してくる。
敵の突撃は正面のみ、残りの隊員を正面に集中して辻は対応した。
先ほどより更に限定したルートを敵は突っ込んでくる。
水柱が次々と道を切り開き、突入路の数を増やしつつあるが、その阻止は、先ほどの戦闘より格段に容易いものだった。
何より、燃え盛る炎のお蔭で、敵は満足に弓や光弾を狙って放てない。
時より矢が降り注ぐが、その着弾地点は的外れな物ばかりだった。

これはいけるか

隊員の誰もがそう思い始めた時、予想外の方向からズシンと重量物が落下したかのような音が部隊側面の山側より響いた。
そこには何条もの土色の柱がそびえ立ち、ズシンと低く響く音を立てながら燃え盛る炎を押しつぶす光景があった。
大量の土砂が炎を鎮火させ、その道の上を新たな敵が向かってくる。

「しまった!!」

辻がそれをみて叫ぶがもう遅かった。
正面に戦力を抽出したため、手薄になった左翼から敵の突撃が始まる。
それを食い止めようにも、正面の敵の勢いは一向に弱まらない為、対応が不足する。

「うわぁぁあぁ!!!」

左翼に展開していた数少ない隊員が絶叫しながら発砲するが、数に押し切られ、目の前の敵を始末しても横から襲い掛かってきた敵によって首と胴を両断される。
ゴロゴロと転がる首。
敵の一人がその首を掴んで頭上に掲げ声高に何かを叫ぶ。
今まで一方的にやられてきた敵も、その光景を見て一層勢いづいた。
より積極的に、より果敢に敵は突撃を繰り返す。
その旺盛な戦意と防衛ラインの一部が破られた事により、辻はついに撤退を決意した。

「総員トラックに搭乗!撤退する!」

その命令により、展開していた隊員は発砲を続けながら後退し後方に控えているトラックへ向かう。
だが、敵もその隙を見逃さなかった。
左翼から侵入した敵は、撤退する隊員によって数を減らしつつも、一人、また一人と退避の遅れた隊員に群がり、その命を奪っていく。

「急げ!全員早く乗り込め!」

次々にトラックに乗り込んでいく隊員。
辻は荷台の前に立ち、残る隊員に向かって叫ぶ。
だが、最後の隊員がトラックにたどり着く前に、敵によって切り伏せられると、辻は奥歯が割れんばかりに噛みしめ荷台へと飛び乗った。

「よし。出せ!」

「どこに向かいますか?」

「道道40号側を敵に抑えられた。
これによって、島南部への退避は最早不可能だ。
よって、我々はこれより西進し避難民の最後の盾となる」

辻は全員にも聞こえるよう荷台から運転席に向かって指示を出す。
それを聞いた運転席の隊員は唇を強く噛みしめアクセルペダルを踏む。
その間も後方から敵が追いかけてくるが、荷台からの射撃と投擲された手榴弾により次々と吹き飛ばされる。
なおも後方から追いかけて来るが、急発進するトラックによって、全て巻くことに成功した。
だが、このままではいずれ追い付かれる。
何かいい手は無いものか…
そう考える辻の目に、役場支所の駐車場にあるものが映り込んだ。
道側からガソリンスタンドに燃料を供給するためのタンクローリー。
非難のドサクサで事故でも起こしたのか、側面が損傷し、近くには突っ込んだと見られる乗用車が前部を大破させて乗り捨てられていた。
辻は運命の女神に生残るチャンスを与えてくれた事を感謝すると、前部座席に座っている部下に向かって叫ぶ。

「タンクローリー目掛けて発煙筒を投げ込め!」

一体何事かと前部の座席に座っていた隊員は驚いたが、すぐさま指示にしたがって、助手席に乗っていた隊員が発煙筒を点火して投擲する。
そして辻はトラックが駐車場を通過すると、射界がとれるギリギリの距離でタンクローリーに向かって発砲する。
カンカンカンという音と共にタンクに穴が開き、そこからジョボジョボとガソリンが漏れる。
そうして破損したタンクから小さな小川を作って流れ出たガソリンは、赤く燃える発煙筒に到達すると、その秘められたエネルギーを解放した。
先ほどの爆発とは比べ物にならない巨大な爆炎が辺りを照らす。
小さな爆発の炎にきらめくキノコ雲が上がり、付近の家々に延焼する。
キノコ雲が大きな黒煙に変わる頃には、あたり一面火の海と化していた。
凄まじい熱量が敵との間の道を塞ぐ。

これで暫くは時間を稼げるだろう。
だが… これでこの集落は終わりだな。
辻はそんな光景を見ながら心の中で呟く。
集落の中心部で起こった爆発は、徐々にその周囲に広がっていく。
これでは、仮に敵を撃退しても、ここには廃墟しか残らないであろう。
辻は悲しげな表情で燃える集落を見ながら、しばしトラックの揺れに身を任せる事にした。

避難の時間を稼ぐため町を焼き払った。
だが、それをもってしても防衛線は敵に押し切られ、避難経路も抑えられてしまった。
他にやりようは無かったのか。
一息ついたことで、彼の頭の中にそんな自責の念が渦巻き始める。
気づくと荷台の全員が辻の顔を見ていた。

いかん、部下の前で不安にさせる表情になるべきじゃないな。

辻はそう思うと、ピシャリと頬を叩いて気持ちを切り替える。
なにせ、彼らの戦いは未だ終わっていない。
自責の念で悩んでいる余裕など今の彼には許されていないのだから。







道道507号線


一台のマイクロバスが西へ向かって進む。
平田信吾巡査部長と役場職員の二人は、岡田のばぁちゃんをマイクロバスに乗ってきた住民に託すと、車を交換して避難民の救助に向かっていた。
一刻も早く向かわなければという気持ちが、アクセルを踏む右足に力を入れる。
その為、燃える車が道路を塞いでいる地点まで、信号も横断歩道もない道のりだった事もあり、ほんの数分で目的地に到着することができた。
車を降りた二人は、道路をふさぐ燃える車の位置の悪さに思わず額を抑えた。
片方は崖、もう片方は海という道路が一番狭くなっている部分。
そこを塞ぐように車が横転して燃えていて、その向こうには立ち往生する車列が見える。
迂回しようにも崖の斜面はキツ過ぎ、海側は波消しブロックが積まれた護岸なので、車での通行は完全に無理という有様だった。
それを見て、二人がどうしようか考えていると、炎の向こうから知った声が聞こえてくる。

「しんちゃーん!」

炎の向こう側で、さと子が叫びながら手を振っている。

「おーい!さとちゃーん!大ー丈ー夫かー!」

信吾も大きな声で返事をする。
さと子は、信吾が自分に気付いたのを確認すると状況を伝えてきた。

「私は大丈夫だけど、怪我人とジジババが多くて車無しじゃ避難できないのー!」

「待ってろよー!今、何とかしてやっからなー!」

信吾は、さと子が「待ってるねー」と間延びした声で返事をするのを確認すると
さて、一体どうしたものかと考え始めた。

「さて、どうすんべか。怪我人やジジババが多いとなると、徒歩で崖登るのは無理だし
波消しブロックの方に迂回させたら、おそらく半分以上は其のまま岸を離れて彼岸に行っちまう気がするな」

信吾は職員に意見を聞く。

「やっぱり、車をどけるしか無いんじゃないですかね?」

「んなら、まず車に何が載ってるか確認するべ。車どけるにしても最低牽引ロープが必要だべさ」

信吾のその一言で、二人は車内の捜索を始めた。
車内を引っ掻き回した末、二人は幸運にもなんとか工具類と牽引ロープを見つけることができた。
だが、見つけたそれには一つ問題があった。

「ナイロン製ですよ。コレ…」

職員が牽引ロープを手に取って言う。

「燃える車に引っ掛けるのは不安だなぁ…」

「あ、でも車体への引っ掛けは漁網用のロープを使ってみたらどうですかね?
幸い漁港はすぐ横だし、多重にかければきっと持ちますよ!」

職員は閃いたとばかりに笑顔で言う。
それを聞いた信吾は、特に他にアイデアも無かったので、じゃぁ とりあえずやってみるかと動き出そうとして足踏みするが、一つ気にかかることがあった。

「でも、流石に二人だけは時間的に辛そうだなぁ」

頑丈な漁網を繋ぐロープ。
イカにも重量がありそうであり、それを二人で燃える車に引っ掛けるのは骨が折れそうであった。
だが、そんな信吾に職員は笑って言葉を続ける。

「それについては解決しそうですよ。ほら、あれを見てください」

彼は信吾の後方を指さす。
そこには一台のオリーブグリーン色をした車がこちらに向かってきていた。

「ありゃ 陸自のパジェロだな。丁度良かった。」

人通りの無い一本道を疾走して一台の車が信吾らの車の後方に停車する。
エンジンが停止するのと同時に、応援にきたと思しき隊員が二名、すぐさま信吾たちの下へ駆け寄ってきた。

「応援に駆け付けました鈴木3等陸曹と石井1等陸士です。
避難民の状況はどうですか?」

敬礼して応援に来たことを告げる隊員に、信吾も敬礼で返しながら状況を伝える。

「船泊駐在所の平田です。現状ですが、炎上した車が道路を塞いでいるんだわ。
その向こうに避難民がいるんだが、怪我人とジジババが多くて徒歩での避難は無理。
そこで、どうしても車をどかさなければならないんだが、すまないけど手を貸してくれ」

更に漁網を引っ掛けたらどうかという信吾の話に、隊員達もすぐさま手伝い始めた。
重い漁網を4人で引っ張り、崖を超えて反対側へ回す。
そして反対側は、残りのロープの端を海側から回収する事で作業は10分程度で完了した。

「やっぱ、男4人だと早いべや」

信吾は一息つくと職員とそう話す。
正直、漁網を抱えての崖越えなど、二人ではやっていたらどのくらい時間が掛かったのか分からない。
そう感心する彼らから少し離れた所で、鈴木3曹はパジェロに牽引ロープで繋いだ漁網をセットした。

「よし!引っ張っていいぞ!」

それを合図に動き出す車。
引っ張られる漁網の太い綱は、炎上する車を引き摺られながら巻き込み、それをずるずると道の脇へ移動させた。

「やったぁ!」

信吾と職員はお互いに抱き合って喜ぶ。

「後は、路面で未だ燃えてる火を消すだけですね!」

「じゃぁ 俺はすぐそこの漁協事務所から消火器取ってくるわ」

そう言って信吾は、襲撃された漁港の中で唯一破壊を免れた建屋に向かって駆け出す。
その時だった。
駆け出した先の方角から、赤い爆炎が立ち上るのが見えた。

「!!?」

全員の動きが止まる。
10秒ほど経っただろうか、遅れて低い爆発音が聞こえる。

「な!?村の北側の方じゃないか?」

「え?何?爆発?」

それを見ていた避難民にも動揺が広がる。

「こりゃ いよいよヤバイべぇ…」

信吾は思う、向こうでは軍と武装集団が交戦しているはずだが、あんな爆発が起きたという事は、ただ事ではない。

「一体、何が起きた!?」

信吾は石井の元に駆け戻り、無線で情報を貰うように言う。
見れば、すでに鈴木3曹が車載無線で分屯地と連絡を取り合っている。
何度かのやり取りの後、彼はこちらに戻ってきて状況を告げた。

「交戦中の部隊が、敵の侵攻を阻止する為にやったそうです。
詳しくは分かりませんが、予想以上に敵の圧力が強いと…
もう、ぐずぐずはしてられません。
一刻も早く非難民を誘導しましょう。」

それを聞いた信吾も覚悟を決める。

「もう、路面を消火する時間も惜しい。彼らには車で一気に突破してもらうべ。
したっけ、俺ら二人で向こうに渡って事情を説明するから、合図を出したら彼らを先導してくれ」

その信吾の声に全員が黙って頷き、一斉に行動を開始した。
信吾らの乗り込んだマイクロバスは、強引に燃える路面を突破。
避難民の側に着くと彼らに掻い摘んで状況を説明した。

「只今、武装勢力が南下中です!みなさん一刻も早く非難しなければなりません!
これより、前方の炎を突破し軍車両の先導の元で避難を開始します。
高齢者の方等で運転に不安のある方は、マイクロバスに移乗してくださーい!」

何度か同じ呼びかけを行うと、高齢者ドライバーの車等から人々がバスに集まってきた。

「みなさん!ゆっくり奥に詰めて乗ってくださいね。」

高齢者を気遣いながら車に乗せていると、信吾の目の前にさと子が怪我をした彼女の父親を連れて現れた。

「しんちゃん。お父さんをお願い。それと… 私も乗っていい?」

さと子は、父親を信吾に託した後、上目使いにで信吾に聞く。

「ああ 座席は足りると思うから大丈夫だべ。そんなら、さとちゃんも他の年寄乗せるのも手伝ってよ」

「うん」

そういうと嬉しそうに笑ってさと子は、他の老人の手を引いて手伝い始めた。
相手に老人と怪我人が多い以上、無理に急かせる事が出来ない。
無理して転んだりしたら簡単に骨折してしまう危険もあるからだ。
過去に自分のばぁちゃんが転倒して簡単に骨を折ったのを思い出した信吾は、彼らに出来る無理のない最大限のスピード(はたから見れば、かなりもたついているのだが)で移乗を行った為
移乗希望者を全員収容すると15分も時間をくってしまった事に気が付いた。

…やっぱ、個々の車で行かせた方が良かったかな?
でも、パニックになって事故でも起こされたら逆に面倒だし、これで良いはずだべ。
信吾はそう一人納得すると、運転席に乗ってクラクションを鳴らす。
それを合図に避難民の車列が、一台づつ未だに燃える路面を越えてゆく。

「これで助かる?」

すぐ横の補助席に座るさと子が不安げに信吾に聞く。
信吾も安心させようと笑って答えた。

「ああ、後は避難するだけだから安心…」

安心してやと続くはずだった言葉が止まる。
その視線の先には、赤々と上る巨大な爆炎。
それにやや遅れて到達する大音響の中、信吾はさと子に向けて呟いた。

「…必ず守ってやるさ」



[29737] 礼文騒乱編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:11
船泊中学校グラウンド

侵攻軍本営



村中心部を制圧後、クラウスらは延焼の炎が届いていない船泊中のグラウンドに本営を移していた。
丁度いい広さの敷地が、部隊の再編に打ってつけだったのである。
敵が撤退し、集落全域を制圧した今、彼らは負傷者の手当てと軍議を行っていた。

「今回の戦闘により、350名ほどの損害が出ています。
内訳は、パヘロ様隷下の200名全滅。各部隊より抽出された弓兵と魔術兵に100名、それと敵の追撃時に爆発に巻き込まれ歩兵50名に損害が出ました。」

損害の多さにその場の全員が唸る。
敵は寡兵、撤退する敵を見た兵によると20名ほどのようであったという。
地の利は敵にあるとはいえ、このような一方的な展開は信じられなかった。
その重苦しい雰囲気を打ち破るかのようにルイスが口を開く。

「確かに敵兵は強力なようだが、無敵ではない。みろ、我が方も奴らを討ち取っている。」

ルイスが積み上げられた敵兵の死体を指差して言う。

「それに囮に使ったパヘロの部隊以外の損害は、例の爆発によるのが大半だ。
私の副官であるメディアが検分を行っているが、どうも燃えているのは特殊な油だそうだ。
それさえどうにかできれば、数を武器に圧殺してしまえるのではないかね?」

全員がその意見に聞き入る。
敵は無敵ではなく、矢が当たれば倒れ、魔法で焼かれるのだ。
ならば、多少の損害が出ようとも、征服後の領地配分を考えて積極的な攻勢が得ではないか。
ここで、怖気づいては配分が削られる可能性が高い。

「では、兵達全員へ鼓舞の魔法を掛けた後、進軍を再開しましょう。」

貴族の一人が欲にまみれた笑顔を浮かべながら言う。

「うむ。メディアが検分から戻り次第、全軍に魔法の支援を行う事にしよう。」

彼の副官は、高位魔術師であり一般の魔術兵が使えぬような魔法も使えた。
その一つ、鼓舞の魔法は遥昔より戦場で使われてきたが、鼓舞という名とは裏腹に、その真実の効果は別であった。

”死の恐怖の抑制”

完全に恐怖を消すことは出来ないが、これを抑制することにより、どんな弱兵も勇猛な戦士に変わった。
ゆえに太古より戦場で使用され、この世界では玉砕するまで戦うのは珍しい事ではなかった。
パヘロの部隊は独断専行により一度潰走したが、ルイスの督戦とこの魔法により、見事に玉砕するまで戦闘を続けたのであった。
そんな高位魔術師のメディアがしばらくすると検分を終えて戻ってきた。

「ルイス様。どうやらこの油は、家々の横にある箱に詰められているようです。
それらを避けて戦えば、再度火炎にまかれることは無いかと」

キリっと凛々しく姿勢を正し報告するメディア。
ルイスはご苦労と彼女の肩を叩いた。

「諸君。聞いての通りだ。
我々は、その点に注意しながら敵を追撃し殲滅する。なにか意見はあるかね?」

軍議に参加している騎士や貴族は、異論はないとして早く敵を叩き潰そうと息巻いている。
そんな空気の中、一本の腕が軍議の中にスラリとあがる。

「クラウス殿。何かおありかな?」

まだ何かあるかねと言いたげにルイスはクラウスに尋ねる。

「敵の追撃自体には異論はありません。ですが、一つ気になる点が」

「気になる点?」

全員の注目が集まるが、クラウスは東の山の尾根を指差す。

「ここからも見えるが、あの山の尾根に大きな建物がある。
この集落の家の形から察するに、おそらく普通の住居などではない。
あのような見晴らしの良い山の上にある事からも砦か何かだと思う。」

「なるほど…」

「仮に軍事施設だった場合、敵の追撃に出ている間に船団が襲われる可能性が捨てきれないと思うのだが、皆はどう思うだろうか?」

全員の顔が険しくなる。
現在、船団は食糧等の揚陸中であり、もし襲われでもしたらひとたまりもない。

「ですが、軍を分割するのは出来れば避けたいですな」

貴族の一人が言う。
戦力の集中という戦術のセオリーから見れば真っ当な意見だが、補給の遮断はそれ以上に忌むべきものだ。

「そこで、戦力の分割は最小限にするため、私の部隊が単独で事に当たろうと思う。」

この一言に全員が驚いた。

「単独ですか?それは逆に危ないのでは…」

もっともな疑問だった。
先ほどの戦闘で敵は寡兵でも十分な戦闘力を見せた。
それに対し200名足らずの部隊ではパヘロの二の舞ではないのか。
その疑問に対し、クラウスは淡々と己の策を語る。

「単独で向かうが、包囲のみに留め攻勢は行わない。
あくまでも船団襲撃への備えであり、攻略は皆と合流後だ」

なるほど、あえて包囲のみで睨み合うのであれば、敵の動きを拘束できる上に損害も出ない。
その答えに全員が納得した。
これで安心して追撃が行えると。
そんな皆の心の内を代弁してルイスがクラウスに言う。

「では、クラウス殿は敵砦への対処へ向かい。
その間に我々は敵の残存兵を追撃する。異議のあるものはいるか?」

全員が頷きながらルイスを見つめている。
異議など出ようは無い。
確かに敵の別働隊に対する備えは重要だが、積極的な攻勢に加わらないのであれば戦果が得られぬ。
戦後の論功行賞を思えば、クラウスがここで貧乏くじをあえて名乗り出るのは、他の者達にとっても有難かった。

「では、異議は無し。
さぁ 戦場に戻ろうではないか!
敵兵が我々の蹂躙を待ちわびているぞ!」





礼文島船泊村

道道507号上


赤々と燃える集落を尻目に一台のトラックが西へ向かって走っている。
荷台には負傷した兵士と意気消沈した兵士が立ち上る黒煙を眺めていた。

「クソ!」

彼らを率いる辻三佐は悔しげに吐き捨てる。
寡兵であるが故、敵の攻勢圧力に耐え切れず正に撤退中という状況であるから無理もない。

防衛線を再構築しなければ…

辻はそう考えながら、脳内に広げた島の地図から防衛に適した地点を考える。

未だ避難民は西側に取り残され、南部への唯一の道は敵に抑えられた。
となれば、海から脱出させるしかないか。
湾内の港はやられているから、そうすれば残るは一つしかないな…

考えを纏めた辻は、部下の隊員に無線をよこすように言う。

「礼文分屯地。礼文分屯地。こちら辻三佐。聞こえるか?」

その呼びかけに、少し掠れた音声で、返信が直ぐに返ってきた。

「こちら礼文分屯地。辻三佐ご無事でしたか?」

「あぁ 村を焼き払っておきながら、のうのうと生きてるよ」

自分への皮肉をたっぷり込めて返事をするが、無線の相手は、本当に自分たちを心配してくれていたようだ。

「こちらからも爆炎が見えましたから心配してました。それで要件は何でしょうか?」

「あぁ それなんだが、道道40号線が敵に抑えられた。
戦力的に陸路での避難は不可能。よって海路での避難を行うため船を寄越してほしい」

「船ですか?」

「あぁ これより我々は道道507号上のホロナイ川に防衛線を張り、住民の避難が終わるまで持久する。
その間に礼文西漁港から避難民を回収してほしい。それと、避難民の所へ向かった奴らにもこの事を伝えてくれ」

それを聞いた分屯地の無線員は、しばしの沈黙の後に辻に返信する。

「分かりました。すぐさま上へ救援要請を行います。
ですが…・ 辻三佐。」

「なんだ?」

「生きて戻ってくださいね」

それを聞いて辻は吹き出した。
よほど可笑しかったのか、彼は笑いながら返事をする。

「はっは! 当たり前だろ、俺にはまだ、家が燃えた住民のクレームの矢面に立つという仕事が残ってるしな!
それとも何か?俺が死ぬとでも思ってたのか?」

笑いながら辻は返す。
それに無線の向こうでも小さな笑い声が聞こえ、杞憂だったですねと一言謝りの言葉があった後に連絡は終わった。
無線機を置くと、辻はトラックに搭乗している隊員らに向かって振り返る。

「聞いてた通りだ!俺たちにはまだまだ仕事が残ってるぞ!
特に貴様らは、マスコミに叩かれる俺を慰めるという重要な任務がある。
任務放棄するような奴が出たら、連帯責任で制裁だから覚悟しとけ!」

辻の言葉にさっきまでの沈んだ表情をしていた隊員達の顔に笑みが戻る。
そう、彼らにはまだやるべきことが残っている。
沈んでいられるような余裕は、彼らにはまだ与えられていないのだ。







分屯地からの連絡を受け、避難車両の先頭を走る鈴木らに緊張が走った。

「既に40号を抑えられたか…」

「分屯地からの連絡では、上が船を調達するという話ですが大丈夫ですかね?」

下唇を噛み呟く鈴木に石井が運転席から不安げに聞く。

「その点については、上を信用するしかないな
それよりも、そろそろホロナイ川だけど… お!いたぞ!」

鈴木が指さす先。
そこには、今まさに陣地構築中の友軍の姿が見えた。

「おい、交差点で止めろ。俺は後続車に進路変更を伝えるから、お前は先導して漁港を目指せ」

降りると言い出した鈴木に石井は慌てて聞く。

「え!?でも、3曹殿はどうするんですか?」

「俺は、最後尾の車両に乗るから心配するな」

そういって鈴木は交差点に差し掛かると、減速した車からスタリと道路に降りた。
そして、急な進路変更に戸惑う後続の避難車両に、事情を説明しながら交差点を曲がるように誘導する。
彼の言葉と誘導により、後続車は次々に漁港へ向かって進路を変えていく。
そして最後尾のマイクロバスが来たところで、鈴木はそれに乗り込んだ。

「なしたんですか?」

マイクロバスを運転する信吾が、何が起きたのかと鈴木に聞く。

「40号線が敵に抑えられたんです。これから船で脱出するため礼文西漁港へ向かいます。」

淡々と答える鈴木の言葉に、信吾は驚きを隠せなかった。

「え?船?それって間に合うんですか?」

その驚きも、鈴木は心配をかけないように冷静に説明する。

「上からの報告によると、迎えの船が向かっています。
大丈夫。みんな助かりますよ」

鈴木は車内を見渡し、他の避難民にも聞こえるよう助かるという言葉を強調して伝えた。
大丈夫。
彼らが我々の盾になって必死に戦ってくれる。
そんな彼らを疑うなど、誰が出来るか。
鈴木は、車窓から徐々に離れていく彼らの陣地を見ながら、彼らを信じると心に決めたのだ。







礼文島北方海上

巡視船れぶん




今まさに戦闘が起きている島の沖をれぶんは航行していた。
その姿は、先ほどの戦闘前と寸分かわらず、白い船体にブルーの帯が入った瑕一つ無い勇姿を保っている。
だが、見かけの姿は変わらずとも戦闘続行は厳しい状況に置かれていた。
なぜならば、先ほどの戦闘で敵船を撃滅したはいいが、搭載している弾薬の大部分を消費していた。
陸上部隊を支援する為、湾内に突入し残りの弾薬を撃ち尽くすことも考慮されたが、上からの指示は、洋上警戒に徹せよとの事だった。

「船長。こうしている間にも上陸した武装勢力が進撃していきます。
せめて、味方と交戦している敵に射撃許可を!」

苛立ちを隠せない副長が船長に詰め寄る。
そんな彼を、船長は落ち着いた様子で宥めた。

「まぁ待て、上は狭い湾内での戦闘に難色を示している。
弾薬が枯渇寸前の我々が、射程のアドバンテージが取れない狭い湾内で損害を受けることを恐れているんだ」

それを聞いて副長は落ち着くどころか逆に激高する。

「そんな!上は我々に、この状況を見過ごせというのですか!
敢闘精神が不足しているんじゃないでしょうか!?」

先ほどの戦闘の興奮が冷めやらず、まるで関東軍か何かのような過激な物言いをする副長に、なおも船長は冷静に語りかける。

「なにも我々は決戦を行っているわけではない。
もし仮に、このれぶんまで沈む事態になった時、誰が北海道沿岸を守るのかね?
今の我々にこれ以上の船舶を喪失できる余裕は無いよ。
我々に出来ることは、増援の到着まで陸の連中が持久するのを祈ることと、上からの命令を待つことだけだ。」

今の我々には可能な限りリスクを避け、最大の効果を上げる義務がある。
増援が向かってきているならば、それを信じて各々の職分に全力を傾ける必要がある。

「ですが…」

それでも頭では分かっているが、感情では納得できないといった様子で副官は言葉を漏らす。
かれは奥歯を噛みしめて前方を見つめる。
その視線の先は、前方の島から黒々とした煙が空に広がるように立ち上っている様子が見える。
礼文島が燃えている。
守るべきモノが、目の前で侵されている現実に、胸を潰す感情が溢れかえる。
その胸を焦がす焦燥感は、体感時間を限りなく引き伸ばす。
その為、上から新たな連絡が来たときは何時間も待ち焦がれていたかのような感覚にとらわれた。

「本部から連絡!取り残された避難民救助の為、至急礼文西魚港へ向かうよう指示が出されました!」

無線員の報告に副長は飛び上がって船長に詰め寄る。

「船長!」

その声に船長は無言でうなずき命令を発した。

「これより、避難民救助の為、礼文西魚港へ向かう。全速前進!」

れぶんは、その船首を力強い加速によって生み出された大きな純白の白波に染める。
皆が待っている。その思いを背負って、れぶんは再度戦場へと舞い戻るのだった。








道道507号線

ホロナイ川陣地


船泊村内での戦いとは違い、見晴らしの良い海岸線に沿った道路に彼らは布陣していた。
海と山に挟まれ、川という自然の要害が守備側にアドバンテージを与える。
そんな万全の体勢で迎える彼らの後方を、避難民の車列が通過していった。

「隊長。車列の通過を確認しました。」

辻の部下が報告をあげる。
辻はそれを確認し、不敵な笑いを浮かべて言った。

「よし、後は船が来るまでここで粘るだけだな。
なに、先ほどとは違って射程を生かせるから、こんどはこっちが叩き潰してやる番さ」

先ほどの戦いは、集落を守ることも念頭に入れたため、小銃の射程を生かせる場所に布陣できなかった。
だが、今回は違う。
避難する時間を稼ぐため、限りなくこちらが有利な地点に布陣した。
これならば、弾薬の続く限り持久できるだろう。
辻はそう言って部下を鼓舞し、視界を前方へとを戻す。
そこにはこちらに向けて進撃する敵の姿が現れ始めていた。

「みろ、敵さんお出でになったぞ。 総員射撃準備!
絶対にここを通すな!死ぬ気で守れ!」

そして、ゆっくりと前進する敵の軍勢が射程に入ると同時に、再び戦闘の火ぶたが切って落とされた。

「撃てぇ!!!」

その号令と共に道路上の敵がバタバタと倒れる。
予想外の距離からの攻撃だったのか、身構える暇もなく先頭を歩く兵から血潮を吹いてその場に倒れ
それに続く兵も逃げる間もなく同じ末路を辿る。
一斉射が終わるころには、先頭集団は積み重なった死体に変わり、後続は我先にと物陰へ隠れて動けなくなっていた。

「よし!各自好きに撃て。近づく敵には容赦するな。
だが、無駄弾撃つなよ。時間稼ぎが俺たちの仕事だからな!」

その言葉の後は、一方的な殺惨だった。
まるで、第一次世界大戦の塹壕戦のように万全の陣地を目指し突撃してくる敵。
それを防御側が一方的に射殺する単純作業。
絶対的な防御側有利に、全てはうまくいくかに思われた。
だが、その淡い願いも目の前で起こる怪異によって暗雲が立ち込める。

「…来やがったな」

辻はその怪異を凝視する。
道の向こうに人の背丈ほどの土壁がのそりと現れる。

「なんだよありゃ」

辻は目を疑う。
長さは3mほどの壁が、まるでバリケードのようにアスファルトを突き破って地面から生えていく。
敵もよほど慎重なのか、かなり離れた距離から壁を作っている。
射程で負けている事を悟り、弾除けの壁を作って徐々に距離を詰めていく作戦のようだ。
辻たちにとって幸運だったのは、その進撃スピードは非常にゆっくりとしていた。
それを見て辻は考える。
一つの壁が生えた後、次の壁が発生するまでおよそ30秒。
恐らく、ここまで到達するのには暫く猶予はあるはず。
だが、あんなもんに隠れられたら、小銃じゃ役に立たんし手榴弾には限りがある。
何か使えそうなものは無いか…
そこまで考えて、辻の目にあるものが留まった。
彼は部下を呼びつける。

「これから各分隊から一人抽出して、俺の言うものを準備しろ。
材料は付近の物資を接収してかまわん。いいか、よく聞け……」

そうして辻の伝令を聞いた部下は、各分隊に向かって走り出す。

「これで、少しはマシになるはずだ」

己の策を信じ、辻は満足げに呟いた。







新たな防衛線との接敵から時は少々遡る。

同道路上
侵攻軍本隊

クラウスの隊と別れたルイス率いる侵攻軍本隊は、辻の部隊の追撃に向かっていた。
真っ直ぐに伸びる街道に沿って西へ西へと隊列は進み、その後方に騎鳥に乗ったルイスらが続く。

「敵の奇襲に備えよ。奴らはきっと何処かに潜んでいるはずだ。」

ルイスから兵に向かって言う。
いかに精強とはいえこの兵力差だ。
敵は何かしらの策を仕掛けてくるはず。
そう考えるルイスは、特に家々に付いている油の入った鉄の箱には近づかないように兵に厳命していた。
敵の襲撃を警戒し、兵の緊張が適度に維持されているのを見て満足したルイスは、隊列の先に視線を向ける。

「ルイス様。それにしても、ここは不思議な島ですね。」

通り沿いの家々を見ながらメディアがルイスに言う。

「あぁ 家々の作りやこの街道。このような作りは見た事も聞いたこともない。
恐らくは、未知の異民族の文化がこの地に根付いているのだな」

先ほどまでの戦闘中は気づかなかったが、この島では、どんなみすぼらしい小屋も鉄板の屋根を持っていた。
それも唯の鉄ではなく、全てに塗料が塗られている。
普通、下層の領民の家など茅葺か、上等な民家でも木の板か素焼きの屋根である。
それに、この地に来てから思うのだが、道沿いの柱に吊るされたロープは一体何だろうか。
延々と道沿いに張られているので結界の類かと思ったが、特に何も感じない。
分からない事だらけである。
その様な感じでメディアが辺りの風景を眺めていると、隊列の先から斥候が戻ってきた。

「報告します。半ミリャほど先に敵が陣を張っています。
先ほどと同じく、川を自然の堀として利用しているようです」

先ほどまで島の文化について思いを巡らせていたルイス達は、その報告により一瞬で戦場の顔つきに戻る。

「ご苦労だった!では、これより我々は敵200パッスス手前で一度隊形を整え、しかる後に突撃する。
貴様らは伝令として先頭集団にこれを伝え、その後は本隊に合流しろ。」

「は!」

斥候は大声で返事をすると、そのまま先頭集団へ向かって走っていった。

「敵も芸が無いな。」

斥候を目で追いながらルイスは言う。

「そうですね。確かに歩兵の突撃は多数の損害を受けましたが、魔法の打ち合いでは我々の数にすり潰されるのは自明の理でしょうに」

メディアも敵を哀れむかのように答える。
彼らの判断は、確かに弓兵と魔術兵の有効射程が50~100パッススであるというこの世界の常識からすれば間違いは無い。
それに、先ほどの戦いでは、民家の陰から撃ち合うという射程を生かし切れない戦闘だったため、彼らが誤解するのも無理は無かった。
だが、このわずか数分後に、その常識がこの敵には通用しない事が将兵の血を持って証明された。
断続的な炸裂音と共に先頭集団から阿鼻叫喚の断末魔が響く。
ルイスは、驚愕の顔を浮かべる。

「何だと!?奴らは、この距離で攻撃できるのか!」

敵との距離は未だ目視で300パッススはある。
攻城兵器でなら理解できない事もないが、兵士の携帯する武器でこの射程は異様だった。
だが無情にも、これが現実だと証明するように、ルイスらが現状を把握しようとしている間に前方の兵がバタバタと倒れていく。

「くっ!魔術兵!防壁を張れ!」

命令が配下の魔術兵へ飛ぶ。
しかし、焦る声と裏腹に魔法は一向に発動しない。

「一体何をやってる!」

ルイスの怒号が飛ぶ。

「先ほどの戦闘で、土系統を得意とする魔術師があらかた戦死しました。
残った土系統の魔術師はクラウス様の配下だったため、こちらには残っておりません。
現在、他の系統の魔術師が作業に当たっています。しばしお待ちを!」

「なんだと!?」

奥歯を噛みしめ怒りを抑えるが、それは何の役にも立たない。
結局、防壁の展開が終わったのは、先頭集団が犠牲になった後だった。

「40名程やられましたね」

メディアが苦々しく言う。

「だが、対処法は確立した。奴らにこれ以上の策が無ければ、我々の勝ちだ」

そう言ったルイスの視線の先では魔術兵が斜めに構築した防壁を交互に張り、敵への進撃路を築いている。
だが、土系統は齧った程度の魔術師たちではその作業は非常に遅いものだった。

「でも、これでは敵が後退した場合、如何なさるおつもりですか?」

メディアの疑問はもっともだ、敵が後退した場合、更に時間と労力を掛けねばならないし、そんな時間を敵に与えたところで良い事など何もない。

「まぁ これ自体は囮だ。対処法の真の答えは別の所にある。」

「別の所?」

メディアが首をかしげる。

「まぁ 見ていればわかる。それより突撃の準備をしろ。次が敵の最後だ。」







道道507号線

ホロナイ川陣地


2回目の接触から20分が経とうとした頃、陣地では各隊員に火炎瓶が配られていた。
辻の命令により、物資を調達してきた隊員が持ってきたのは様々な形状の容器で作った火炎瓶。
まぁ、灯油は付近の民家で大量に調達できる上、混合するガソリンも付近の倉庫に無施錠で置いてある家庭用除雪機や、農機具等の燃料タンクから調達したもので必要量は確保できた。
それに、ボトルはゴミを漁れば結構な量が確保できたため、簡易武器としては申し分無いものだった。

「敵はまだまだ時間が掛かりそうだな」

辻が前方でにょきにょきと生えてくる防壁を見ながら言う。
敵との距離は未だ200m程あり、しかも壁の生成スピードは徐々に遅くなっているようにも見える。
その様子を横で一緒に見ていた隊員が、射撃姿勢を崩さずに呟いた。

「壁の向こうで何やっているのか見えないのが気になりますが、敵がもたついた分だけ避難の時間が稼げますからね。
時間稼ぎが目的の我々には、願ったり叶ったりですよ」

口元だけで笑う隊員。
死線を乗り越えた事で、精神に余裕が出てきたらしい。
だが油断は禁物である。辻は皆にも聞こえる様に彼を注意する。

「確かにこのまま敵がノロノロしてくれるに越したことは無いが、別働隊なり何なりの策を用意しているかもしれん。特に山側に注意しろ。
森のお蔭で大部隊の移動は出来んが、少数の斥候や工作の兵が浸透してくるかもしれん。
特に少人数でああいう視認しにくい茂みに…」

辻が例を示そうと指をさして固まる。
その視線の丁度先、木陰の暗闇の中に人影が一つ。
手で印を組み、口をパクつかせて何かを喋っている。
まさか、適当に指差した所にいるとは思わず、一瞬固まってしまった辻だが、即座にその人影に向かって発砲を開始していた。

「いたぞ!敵だぁ!」

敵本隊に向けていた銃の先を翻しながら咆哮する。
その銃身から放たれた弾丸は、木立の中に潜む人影の周りに砕けた木々の破片が舞わせたが、仕留めるより先に敵の魔法が発動してしまった。
彼らが展開している場所よりすぐ手前、敵から自分たちの方向へと続く道路のアスファルトが割れ、その隙間の地面から分厚い土の壁が出現する。

「なに!!?」

その壁は、人の背丈を超えたぐらいで成長を止めたが、新たに出現した障害により、辻たちの位置から敵の姿が完全に見えなくなってしまった。

くそ! これでは射界が封じられる!
糞、だが逆に防塁として利用… 駄目だ!高さがありすぎる。

辻は思慮を巡らせたが、一つの結論に至るのには時間はかからなかった。

「第一及び第二分隊!手榴弾及び火炎瓶投擲用意!第三分隊は射撃にて壁を超える敵の頭を抑えろ!!」

そう叫んで命令を下すが、壁の向こうからは、その辻の声を掻き消さんばかりの雄叫びが、徐々に大きくなりつつあった。

「くるぞ!構えぇい!」

接近する敵の咆哮。
姿が見えない分、その声だけが相対距離を教えてくれる唯一の情報となる。
そして、隊員たちの緊張と敵の咆哮が最大になった時、壁を乗り越えた敵の波が現れた。

「撃てぇぇ!」

敵の咆哮を更に掻き消す全力射撃。
敵の先頭が崩れたところに火炎瓶と手榴弾が降り注ぐ
重なり合う爆発音と炎。
防塁は肉片と炎に包まれるが、敵の戦意は衰えない。
屍を超え、炎の合間を縫い、続々と殺到する。

「くっ! 射撃しつつ後退!無理をせず足止めに終始しろ!」

突出する敵を血だまりに沈めつつ、じりじりと後退する。
このままではいつまでも持たない。

迎えの船はまだか!?

辻は敵を撃ちながら願うが、その連絡はなかなか来ない。
一人殺して手近な物陰まで後退し、味方の後退を援護するため又殺す。
そのローテーションを繰り返し、200mは後退しただろうかという時、ついに待ち望んだ無線が入った。

「分屯地より連絡!海保の巡視船が接舷し、避難民の収容を始めた模様です!!」

その報告を聞いて辻の顔に歓喜が湧く。

「よし!あとは俺たちも撤退するだけだ!この先に停めたトラックまで後退!我々も一時脱出する!」

その号令により、後退のスピードが加速する。
遅延の為の後退から、撤退の為の後退へ。
そして最初の一人がトラックまで戻った時、それは起きた。

辻らの頭上を飛び越え飛来する光弾。

それらはトラックに吸い込まれるかのごとく命中し、次の瞬間、トラックは炎に包まれた。
運転席に手を掛けた隊員は吹き飛ばされただけで無事だったが、荷台に乗っていた重傷者は、逃げることは叶わなかった。
耳を塞ぎたくなる断末魔と共に、生きたままその身を焼かれていく。
もともと衰弱していたためか、すぐにその声も聞こえなくなる。
炎に包まれるトラックから聞こえたうめき声は、まるで焼け落ちるトラック自身の断末魔のようであった。

「畜生!トラックまでやられたか!」

辻は舌打ちする。

敵を巻ける移動手段が失われてしまった。
このまま普通に走ったら、港まで敵を誘引するだけだ。
最悪、船に乗り込まれでもしたら、今まで何のために戦ってきたのか分からなくなる。

辻は決めた。

選択肢は少なくなったが、諦めはしない。

「総員、必要な装備以外投棄しろ!これより漁港まで走る!
なに、たったの2kmぐらいだ!家の中で便所に行くような距離だろ!
死ぬ気で走れ!落伍は許さん!」

撤退するなら少しでも距離を離しておきたい。
そう思った辻は、率先して水筒等の装備を捨てる。今必要なのは走る事と敵を撃つ事。
それ以外の目的の装備はデッドウエイトになるだけだ。
流石に無線機だけは残したが、部下の装備も同じように捨てさせた。

「よし!一斉射撃の後、総員漁港まで走れ!
弾切れになった小銃は投棄してかまわん!いくぞ!」

その号令と共に、全員が振り返って追撃してくる敵に射撃を加える。
全力射撃を前に敵が崩れ落ちるが、その倒れこむ様子を確認する前に、彼ら再度振り返っては走り出す。
これが、後にこの戦いを生き残った者達が語る死の2km走であった。









辻とルイスが死闘を繰り広げている頃、また別の所でも戦が始まろうとしていた。
旧陸上自衛隊礼文分屯地。
島の北側、見晴らしの良いなだらかな尾根の上に建つ、現在は連邦軍の施設となっているレーダーサイト。
普段ならば隊員以外は余り近寄らない場所なのだが、この日はいつもと空気が違った。
じりじりと施設を包囲する影。
あきらかな敵意を持ったその群れは、施設から伸びる道を塞ぎ、退路を完全に絶ちつつ、包囲を狭めている。
これが攻城戦ならば、矢の一つでも射かけているところだが、包囲した集団は包囲が完全に完了すると、そこからぱったりと動かなくなった。
まるでこれから絞める鶏を、ゆったりと籠の外から眺める様に静かに包囲を続けているが、包囲を続けている個々の兵たちは、また違う状況であった。

「おい。突撃はまだか? あんな堀も防壁もない砦なんてすぐに落とせるぞ?」

一人の兵がしびれを切らして誰となく聞く。

「まぁ待て、クラウス様は包囲しつつ停止と仰っておられる以上、勝手な真似はできんさ」

それを聞いて、最初に口を開いた兵士は、んなこと判ってる!と言葉を返すが、餌を前にしてお預けを食らった犬の如く地団太を踏む。

「だが、折角の乱取り自由でも本隊の奴らが返ってきたら俺らの取り分が減っちまうんだぜ?」

そう言いながら男は、腰に付けた袋から金色に光る仏像を取り出した。

「これを見ろよ。ここに来るまでの間にあった民家で見つけたんだ。
何の神かは知らんが、この金ピカの光ようは金だろ?
あんな小さな家の祭壇に祭ってあったんだ、この砦にはもっと凄いお宝が眠っているとみて間違いないだろ」

満面の笑みで戦利品を誇る男の像を、横に立っていた兵士が奪い、齧る。

「何すんだお前!! これは俺のだぞ! 返せ!!!」

いきなり自分の戦利品を齧られた男が慌てて掴みかかるが、齧った兵士はすんなりと像を返した。

「鍍金だな」

その口から語られた言葉に、男は怪訝な顔をする。

「はい?」

「いやだから、鍍金だよ。金ぴかは表面だけ。中身は別もんだ。
なんだお前知らなかったのか?」

そういって兵士は哀れむ視線を男に送る。
それを周りで見ていた他の兵士が、ニタニタと男をバカにするように笑うのを見て、男は、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

「う、うるせぇ!しかたねーだろ。
普段、金貨すら殆ど拝んだこと無ぇんだよ!
他の奴らも同じだろ?銀貨や銅貨しか見た事の無い貧乏人ばっかりだろ?
むしろ、商人でもないのに、そんな事を知ってるお前がおかしい!!」

俺は普通。おかしいのはお前と訳の分からない理論を展開してくる男に、噛み付かれた兵士はやれやれといった具合で答える。

「お前が貧乏なのは給料を飲み代で使い果たすからだし、金貨をまじまじと見た事が無いのは戦でロクな戦功を立てた無いからだろうが。
俺なんか、前の戦で敵の頭を討ち取った褒賞に金貨2枚もらったぞ?」

お前の無知は、放蕩と無能の結果であると結論づけられ、泣きたくなる男であったが
その事実を受け入れてしまうと、もう立ち直れなくなりそうな気がしたため、更に男は兵士にかみついた。

「そういうお前はどうなんだ?まさか目利きが効くとかいいつつ、オケラじゃあるまいな?」

男は半泣きで睨みつけるが、逆に待っていたかとばかりに兵士は袋から戦利品を取り出す。

「おぉ。…なんだこりゃ!?」

男が驚くのを横目に、彼は戦利品を地面に並べて見せた。
見た事もない透明な袋に入った白い粉。
金属製で出来た腕輪のような工芸品。
そして、色鮮やかな色彩で染められた本。
兵士は男が驚くのをみてニヤリと笑いながら説明を始める。

「まずは、この袋だが… 聞いて驚け。砂糖だ。
初めは塩かと思って舐めてみたら、驚くほど甘い。
こんな上等な砂糖が2ポンド近く…おそらく80ペンスにはなるだろう。」
それを聞いて男は目を丸くした。

「80ペンス!!なかなか良い額だな!」

男が驚くのも無理はない。
豚の丸焼きが1頭で8ペンスぐらいが相場の世の中で、80ペンスはちょっとした額である。
男の声により更に集まってきた仲間たちに見せつけるかの様に、彼は説明を続けた。

「次はこの腕輪だが… 恐らく魔導具の一種だな。
なにやら文字盤が埋め込まれていて、中で針が回転している。
用途は分からんが、さぞかし値の張る一品だろう。
精巧な作りだし、値段は… 見当もつかんな。 金貨3枚か… 4枚は欲しいところだ」

「金貨4枚!?」

男が一際大きな声で驚き、そして思う。

くそ!
俺はこんなガラクタ掴まされたのに、何でコイツばっかり堅実に値の張るもん抑えてやがるんだ。
畜生!こいつ実は商人が化けてるんじゃないのか?

悔しさを滲ませた羨望の眼差しで、男は戦利品を見せびらかす兵士を睨むが、同時に複数の同様の視線が兵士に突き刺さる。
男の他にも、金色に輝く仏壇を荒らし、金メッキどころか金塗装の仏具を嬉々として持ち出したものが少なからずいたし、そもそも半分以上が燃えた集落で、乱取りすら出来なかった者も多数いた。

「まぁまぁ 俺がその位は欲しいと言ってるだけで、いくらで売れるかはわからん。
もっとも、安値で売りさばくつもりはないがね。」

嫉妬の視線を物ともせず自慢する兵士に、妬みの視線の嵐は最高潮に達した。

「ふん!せいぜいガラクタじゃ無い事を祈るんだな。
で、最後のこれは何だ?本か?」

男は表紙に少女の絵が描かれた本を指差す。
その絵はデフォルメされつつも特に胸を強調された肉感あふれる官能的な代物であった。
知る人がみればモグだとかそういう単語が出るかもしれないが、今の彼らに知る由もなかった。
その本について説明を求められた兵士は、これまでで最高の笑みを浮かべて説明する。

「これは… 売るつもりはない。 俺の宝にする。」

そう言って彼はページを開く。
そこにはアンリアルなデフォルメでありながらも、性欲をそそる絵が並ぶ。
物語を綴るかのように絵が配置されているが、言葉が読めないのが残念であった。

「これを見たら、今までに見た裸体画が全てゴミ屑に思えてならない。
市場などで売ってる木版画は当然のこと、娼館に飾ってるような絵やレリーフも屑みたいなもんだ」

賢者のような眼差しで熱く語る彼を傍目に、最後の戦利品には賛否両論が巻き起こったが、それまでに自慢した物のせいか、かれらの付近では異常な興奮状態が広がった。
彼らの思う所は一つである。

『絶対にコイツより金目の物を手に入れる!』

嫉妬という油を注がれた欲望の炎は、今まさに燃え広がらんとしていた。








同時刻

礼文分屯地施設内


守備隊が出払い、最低限の技官等しか残されていない駐屯地内はかつてない緊張に包まれていた。
緑の草が生え茂る尾根にポンと立つレーダーサイトと白い建屋。
その周りを鉄色の鎧兜を身にまとった集団が一定の距離を保ったまま取り巻いている。
そもそも、日常的な戦闘訓練を受けていない彼らが、接近している敵の姿に気が付いたのは完全に囲まれて退路を断たれた後だった。
彼らに残された手は、既に施設全体を守り切れる人数を切っている為、レーダーサイト以外の施設棟を放棄し
出入り口にバリケードを設置して援軍の到着まで持久するのみ。
このまま敵が動かなければ、時間が彼らの味方をするのだが、実際に小銃を持って二階の窓から構える彼らにはそういった事を考えている心の余裕は残されていなかった。

「畜生!俺は業務隊だぞ。なんで小銃構えて戦わなくちゃならねぇんだ!」

小銃を構えた一人が愚痴をこぼす。
見れば彼の銃口は小刻みに震えている。

「うるせぇ、それは俺も同じだ!それに、そんな事言ったって敵が来てるんだから仕方無いだろ。
死にたくなかったら黙って銃構えろ馬鹿が」

その横から愚痴を聞いてた仲間が相手をしてやるが、彼の緊張は収まる様子は無かった。

「畜生。怖くなんかねーぞ。
来るなら来てみろ、脳味噌ぶち抜いてやる… 畜生… 畜生…」

照門から覗く彼の視線が敵の集団の方を向く。
そして照門の間から見える照星が、なにやら賑やかな敵の一角の中心に立っている人物と合わさった時
彼はこう呟いた。

「この屑共… やられる前に… やってやる!」





それはクラウスが布陣を完了し、ルイスらと本隊の到着を待とうと腰を落ち着けた直後の事だった。
見たところ敵は少数、内部にどの程度の兵が潜んでいるかはわからないが、向こうから仕掛けてくることは無いだろうとクラウスは読んでいた。

「あとは、本隊の合流を待つだけだな」

クラウスは眼前の敵の建物を見ながら言うが、その言葉に、部下が不思議そうに首をかしげる。

「クラウス様。見たところ敵は少数。それに防御らしい設備もございません。
本隊の到着を待たなくとも制圧可能なのではないでしょうか?」

彼の意見はもっともである。
施設には堀も防壁も無ければ、窓から見える敵兵も数名程度。
なにも恐れる必要などないのではないか。
だが、クラウスが返した答えは、また別の理由であった。

「たしかに、本隊と別れたとはいえ200名の兵力があれば、あのような防御など無きに等しい建物など
鎧袖一触で制圧できる。
だが、私はルイス殿らと約束したのだ。抜け駆けせず、本隊を待つと。
戦場での約束をたがえることがあれば、神は私の信仰に疑いを持つだろう」

その言葉を聞いた部下の表情は非常に残念そうなものになる。

「ですが、兵達の戦意が高まりすぎて、これ以上抑えられるかどうか…」

クラウスの思いとは裏腹に、兵たちは本隊到着前に自分たちだけで目の前の獲物を平らげたいと切に思っているのだが、その思いは一向に伝わる気配が無い。
何故ならば、辺境伯家で何不自由なく暮らしていたクラウスは、金銭的な執着があまりなかった。
それよりも戦を是とする神の教義を重んじていたため、戦場での誓いを何よりも重視し、本隊合流したら分け前が減るという彼らの焦燥感を理解できずにいた。

「兵達には、敵の逃げ道は絶ったので合戦の機会は残っているから安心しろと言っておけ」

クラウスは、兵達の動揺を鎮めようとしたが、その口から発せられた言葉は全くの見当違いであった。
彼らが今欲しいのは、戦功でも闘いの場でもなく、金銭欲を満たす乱取りである。
そんな焦らされて緊迫感の漂う状態は、ただの一発の銃弾によってダムを決壊させるかのごとく状況を変えられた。
乾いた銃声が響き、戦利品を広げていた兵士の周りに立っていた兵士の一人が、口から血を吹いて倒れこむ。
突然の事で、周りの兵士は一時呆然としてしまったが、攻撃を受けた事を認識してからの彼らの動きは早かった。
銃撃を受けた兵の周囲にいた者達を先頭に、雪崩をうって兵士たちが突入していく。
命令違反ではあったが、これ以上先を越されては堪らないという思いと、先に手を出したのは敵であるという理由が、統制の鎖を引きちぎり彼らの足を前に進めた。
その光景を見てクラウスは慌てて配置に戻るように指示を出すが、一度動き始めた流れは容易には変わらない。

「くっ! 仕方ない… 総員突撃!敵は出来るだけ生かして捕えよ!だが抵抗する場合は斬ってかまわん!」

その声と共に、未だクラウスの統制下にあった側近たちも目の前にそびえる建物に向かって走り出した。
彼らが隠れていた斜面から建物までは数十m。
途中、丸い構造物が載った建物から敵の攻撃が行われているが、窓から乾いた連続音が聞こえ、走る兵士たちの周囲に土埃が立つだけだった。
先ほどの戦闘と違って明らかに兵の被害が少なかった。
敵の守備兵の練度が低いためか、真っ直ぐに敵に突っ込む馬鹿は討ち取られもしたが敵の射撃位置に対して、横移動も加わった方向から突っ込む味方には殆ど損害は出ていない。

「敵の狙いは甘いぞ!恐れることは無い!吶喊!」

その号令により、ここを守る守備兵はたいした事が無いと確信した兵達は、更に嬉々として走る速度を上げる。
すると直ぐに最初に走り出した集団が建物に到達し内部へと侵入していく。
付随する施設は次々に制圧し乱取りの対象となったが、敵が布陣する建屋だけは強固な鉄の扉に阻まれ攻めあぐねていた。
それはクラウスが、やっと制圧した施設に到達しても変わらなかった。

「クラウス様!大方の敵施設を制圧しました。
ですが、敵が篭る建物だけが突破できません。現在、扉を破ろうとしておりますが、なかなか頑丈なため時間が掛かりそうです」

鉄の扉… どのくらいのシロモノかは見ていないので何とも言えないが、今回は攻城兵器を持ち込んでいない為、歩兵のみでそれを破るのは中々に骨だろう。

「魔術兵を使え。土の魔法で扉を、火の魔法と弓兵で二階の敵を黙らせろ」

クラウスは残る建物を眺めながら部下の報告を聞き、すべき事を即座に命令する。
命を受けた部下が去った後、その命令の効果はすぐに表れた。
敵が潜んでいた窓に向かい弓兵が矢を乱射し、同じく魔術兵の火球が窓に向かってほとばしる。
圧倒的な数と練度の差は、数少ない敵兵を無数の矢で射ぬき、火だるまにした。
そして敵からの反撃が無くなったところで、地面から無数の岩石が浮かび上がり、鉄の扉に向かって飛ぶ。
外界を拒絶する扉を開けんとして衝突する岩は、衝突するたびに扉を歪め、遂には壁に止める蝶番ごと、扉を壁から引きはがした。
ごわんと音を立てながら倒れる扉を踏み越え、クラウスも兵達と一緒に室内へと突入する。
一部屋づつ内部を制圧し、中枢となる部屋のドアを蹴破ると、中にいた全員が驚愕の顔でこちらを向く。
そこにいたのは文官か何かなのか、剣を向けると全員が手を上げ投降の意思を示した。

「それにしても…」

クラウスは敵を縛り上げた後、まじまじとその部屋を見渡す。

「一体、なんだここは…」

巨大な地図が書かれた薄く光る壁に、色々な印がかかれている。
恐らくはこの島の地図を中心とした魔法の地図か何かだろう。
見覚えのある湾に赤い印があるが、あれは私の船団だろうか?
島の周りを青い印が動いているが、兄上の艦隊はどこだろう?
疑問は尽きなかったが、その地図の中に特に目を引く印があった。
それは他とは比較にならないスピードで地図の上を滑る青い印。
一方はクラウスの艦隊へ、もう一方はルイスの向かったと思われる方向へ吸い寄せられるように動いて行った。

「!? まさか!」

嫌な予感がする。
クラウスは不穏な気配を感じとり、急いで建物の窓辺へ走り港に停泊している船団に視線を向ける。

「無事か…」

視線の先には特に何も無く健在な味方船団。
杞憂だったかとクラウスが、そう安心した瞬間だった。

頭上を、竜の咆哮の様な音と共にナニカが通過していく。

「!?」

クラウスが驚いた時は既に遅かった。
船団に向かって飛んでいく物体から何かが零れ落ち、次の瞬間、船団は紅蓮の炎と黒煙に包まれた。
それは辺り一帯を多数の爆発で覆い、揚陸した物資ごと船団は廃材の山と化して燃え始めた。
突然の事でクラウスは言葉を失う。
空に視線を戻すと、攻撃を終えたその物体は進行方向を変え、その姿を再度クラウスに誇示する。
それは盾のような形状の物体が空を舞っていた。
飛龍もかくやという速度で、力強く、優雅に、そして我が物顔で大空を支配している。
その光景に思わず見とれていたクラウスが思考を取り戻したのは、別の方向から聞こえる2発目の爆発音によってだった。



[29737] 礼文騒乱編4
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:12
礼文西漁港

島の西側に存在する小さな漁港。
普段ならば漁船しかいない港に大きな白い船体が停泊し、その周りを複数の車が乱雑に囲っている。

巡視船れぶん

先ほどまで、敵の船団を血祭りにあげていたその船は、弾薬切れ後も戦線を離脱せず避難民の収容に当たっている。
避難してきたさと子も、乗組員の補助の下怪我した父親を船に乗せ、一息ついた所で信吾の姿を探す。
見渡してみると彼の姿は船上には無く、いまだ陸上で軍の隊員と何かを話ていた。

「しんちゃーん。何してるのー?早くおいでよー!」

船の上から大声で声をかけるさと子。
その声に気付いた信吾は振り返るとともに、非常に難しい顔をしていた。

「…これは、助けに行った方がいんでないかい?」

パジェロのボンネットに置いた無線機を囲んで信吾は二人の隊員と話ていた。
役場の職員は既に船上で避難民の取りまとめ役になっており、現在は陸上に残っているのは彼ら3人だ。
そんな彼らの中心に置いてある無線から、自分たちの盾となり戦っている辻たちの状況が伝えられてくる。
防衛線を破られ、トラックを失いながらもこちらへ撤退中らしい。

「ですが、自分たちはいいとしても、軍の人間ではない平田さんは残るべきでは?」

実にもっともな意見であるが、信吾はこれが受け入れられなかった。

「んでも、俺だって親方日の丸…はもう違うけど公務員だしさ。
それに、命を張って守ってくれた人たちを見殺しにはできんべ。
なんなら運転手として一緒に行くよ。それなら君ら2人とも援護が出来るっしょ?」

真面目な顔で語る信吾に隊員達が折れる方が早かった。
何よりもこんな事で時間を潰していられないし、信吾のいう事にも一理あったからだ。
信吾は、話がまとまると船の方に駆け寄り、さと子に向かって叫ぶ。

「さとちゃん!ちょっと役場の人呼んで来て!」

その信吾の声に何かを感じたのか、さと子は避難民の所を回っていた職員をすぐさま連れてきた。

「どうしましたか?」

急な呼び出しに戸惑うかのように職員が弦側から顔を出す。

「ちょっくら、後ろで戦ってる部隊の撤退を支援してくっから、海保の人に出航の準備を頼むと伝えておいて!」

「あなたもですか!?」

「命がけで頑張ってくれた人たちを見殺しにはできんっしょ。
それと、さとちゃん!」

急に名前を呼ばれたさと子が背筋を伸ばして返事をする。

「なに?しんちゃん」

言葉を待つ彼女に向け、信吾は照れつつも意を決したように言った。

「今回のゴタゴタが終わったら… 嫁にもらってやるから覚悟しろ!」

ニカっと笑って信吾が言う。
それを聞いたさと子は、急な告白に戸惑いと嬉しさの混じりの顔を真っ赤にする。

「なんで今、そんな事いうかなぁ 馬鹿ぁ!
もうちょっとムード作れ!バツイチだからって返品は不可だかんね!」

返品は不可。
最後まで面倒を見ろという彼女の同意。
彼女としてはもうちょっとムードのあるときにその言葉が欲しかったが、信吾の申し出を受けた彼女の顔には自然に笑みが溢れた。
その顔に満足したのか、信吾は隊員達と共にマイクロバスへ走る。
待っていたとばかりに信吾が乗り込むと同時に勢いよく走りだしたバスは、荒っぽい加速で再び島の内陸へと向かっていった。
さと子は土煙をあげて視界から消えるバスを見ながら、ひとり呟く。

「ちゃんと、帰ってきてよね…」



信吾がバスで辻たちの救援に向かった頃、当の辻たちも危機的な状況を迎えていた。
走れない負傷者はトラックごと敵の餌食となり、走れる者は邪魔な装備を可能な限り捨てて走っているにもかかわらず、敵の追跡を振り切る事が出来ていなかった。
いや、確かに重装備な敵本隊は振り切ることに成功している。
だがしかし、敵の中でも装備の悪い者… 皮の鎧に剣一本のような出立の兵士が執拗に食らいついてきた。
追い付かれそうになる度に、振り返りざまに小銃で薙ぎ払っていたが、つい先ほど、最後の弾薬も底尽きた。
残すは拳銃のみ。
このままでは全員が補足される。
そう思った辻は、残った部下を逃がすため、捨て奸として最後の壁にならんと走りを止めた。

もう十分だろう。
最後にもう数人道連れに死んでやろう。
走る部下に背を向け、辻は追跡してくる敵に向かって拳銃を構える。
必中の距離に近づいた者から、その心臓を狙って音速を超えた弾丸を叩きこんでいく。
1人、2人と崩れていき、敵を食い止めているかのように思えたが、数発撃った所で拳銃のスライドが引き切ったまま停止し、射撃がとまる。
弾切れである。
最早これまでと辻は覚悟を決めた。

辻に向かい殺到してくる敵兵。
数秒後には自分の首は胴体から離れているだろうと目を閉じようとしたその時、辻の目には予想外の出来事が映った。
こちらへ向かっていた敵兵が一瞬怯んだかと思った直後、辻を掠める様にして背後から現れたバスが敵兵を次々と撥ねた。
ドンという鈍い音と共に2~3人の敵兵が腕や足を不自然な方向へ曲げて吹き飛んだ。
その直後、バスから降りてきた隊員が小銃の射撃で牽制しつつこちらに向かって叫ぶ。

「迎えに来ましたよ!早く乗ってください!」

一瞬の事で呆然としてしまったが、降りてきた隊員の言葉で辻は現実に意識を戻す。

「全員搭乗! さぁ 逃げるぞ!」

先ほどまで死を覚悟していた辻の顔は、一転して希望に満ちていた。
彼は、戻ってきた部下の背中を叩きながら一人づつバスに乗せ、最後に自分も乗り込んで撤退の援護をしている隊員に収容完了を伝えようとした丁度その時、先ほどまで警官なのに人轢いちゃったとぶつくさ言っていた運転手の呟きを聞いた。

「なんだありゃ…」

運転手の警官の視線の先、そこには今まさに突撃せんとする騎馬集団があった。
いや、この言葉は適当ではない。
なぜならば、その集団が乗っているのは馬ではなく、巨大な嘴を持った鳥であった。
それらが一斉にこちらに向かって走り出す。
土煙を上げてこちらに向かってくるその集団を見て、辻は未だ外にいた援護の二人に本能的に叫ぶ。

「逃げるぞ!早く乗れ!!」

絶叫に近いその声と同時にバスに駆け込む隊員を確認すると、バスはドアも締めずに動き出す。
だが、狭い道でUターンをしようとするバスの挙動は非常にもどかしいものだった。

「はやく!はやく!はやく!」

車内の全員が運転席に向かって叫ぶ。
最早、車内の音は信吾を急かす声一色に染まり、外からくる全ての音をかき消す。
やっとバスの転回が終わり、これで逃げ切れるかと全員が思った瞬間だった。

急な衝撃と浮遊感。
凄まじい音と衝撃波バス後部の窓を吹き飛ばし、車体がゴロンと横に一回転する。
突然の事で全員が身を屈めて体を丸くしとっさに身構える。
そして… いったいどの位時間が経ったであろうか。
数分だった気もするし、数秒だった気もする。
だが、自分が生きている事が確認できた事で、辻は現状の確認をする。
彼はしばらく後方を見つめていた後、イテテテテ…と頭をさする信吾の肩を叩く。

「大丈夫か…。 とりあえず、まずはここを離れるぞ」

辻の言葉で、とりあえず自分の仕事を思い出した信吾はアクセルを踏み込む。
車は衝撃に耐え、ガラスの一部が破損し車体がベコベコになっただけで、エンジン音を吹かしながらスルスルと動き出す。
現場を離れるバス、そしてそれを運転する信吾の目に、バックミラー越しに背後の風景が映った。
立ち上る煙と視界を奪う土埃…
その中で、先ほどまで追跡していた騎鳥と敵兵は辺り一面に倒れたままピクリとも動かない。
中には肉片となり、物言わぬ屍と化している者もある。
一体、何が起きたのか…
だが、その答えは上空を通過するソレの音が教えてくれた。

「友軍機か…
それもロシア機だな」

辻が思わず空を見上げて呟く。

上空を舞う2機の獰猛な翼。
それは10年前はPAK FAと呼ばれたステルス機。
10年という月日は、かの機体の完成度をマルチロールファイターとして傑作の域にまで高めていた。
過去には仮想敵として想定された機体だったが、幸いにも今は友軍である。
今、猛禽の獲物は自分らではなく、目の前で焼き払われた敵である。
助かった。と息を吐く辻。
これで地上部隊の増援が来れば残敵を完全に制圧できるだろう。
そう考える緊張の緩んだ彼の耳に、その期待に応えるかのように新たな音が聞こえる。
遠くから伝わる連続した空気の振動。
空気を切り裂くローター音は、礼文島に更なる強者が舞い降りた事をつげていた。







どこまでも澄む青空の下、獲物を狩り終えた2羽の猛禽が黒煙の立ち上る島の上空を飛び回る。
そのうちの一機より投下された2発のRBK-250 クラスター爆弾は、港に停泊していた敵船団を揚陸物資ごと吹き飛ばした。
無数の爆発は、停泊している船舶の上部構造物を瓦礫の山に変えた。
被害を受けた船は、辛うじて浮かんでいるもののズタボロの甲板上に散乱する無数の可燃物に広がりつつある炎は沈没が時間の問題であることを物語っている。
爆撃を終えた機体が戦果を確認する為に旋回に入ると、別の場所からも爆炎が立ち上る。
場所は、味方地上部隊を追撃する敵上陸部隊が進軍しているあたり。
通信が途切れる前の分屯地から送られた要請通りのポイントに、もう一機のSu-51は爆撃を行っていた。

『こちらルーシ2、 敵部隊への爆撃完了』

『よくやった。敵主力を始末できれば、残りはヤポンスキーのヘリ部隊が始末してくれる。
これより、CAPに移行する』

『了解』

爆撃を終えた二機は編隊を組んで高度を上げる。
たった一度の爆撃であった為、少々の狩り残しがある事は分かっているが、彼らはそれでも問題が無い事を知っていた。
眼下に見える島の景色に魚の群れのようなヘリの編隊が、地表を這うように爆撃ポイントへと集まっていく。
択捉から飛来したSu-51と本道から飛来したヘリ部隊。
速度に圧倒的な差があったものの、移動距離の差がほぼ同時の攻撃という状況を作り出していた。
もし仮に千歳の航空基地に対地攻撃可能な機体が配備されたいたら、敵上陸部隊はもっと早くに壊滅していただろう。
しかし、転移以後も千歳は要撃機であるF15の基地であり続けていた。

『ルーシ1へ、それにしても、まるで標的訓練だな。敵の反撃もまるでない』

『まぁ この世界の奴らがどんな文明レベルかは知らんが、まともに俺たちの相手が出来るのはチトセの奴らくらいだろ』

『でも、今は味方だぜ?』

『先の事なんて分からないさ。転移前、奴らと同じ軍で働くなんて、誰が予想した?』

『違いない。では、空にいるのは俺らと鳥くらいだと思うが、CAPに専念するか』

『まぁ 何がいるか分からない世界だ。とりあえず、気は抜くなよ』

『ルーシ2、了解』

緩やかなバンクをかけて雲を引きながら旋回する2機の猛禽。
そんな圧倒的な速度と力を見せつけた彼らの言う"狩り残し"が、空に刻まれる白い筋を見上げている。

クラウスは眼前に広がる光景に言葉を失いながら空を見上げていた。
突如飛来した2つの物体は、たった二回の攻撃で侵攻軍を撃滅してしまった。
一発目の爆発で船団と橋頭堡を、2発目の爆発で主力が向かっていた方角に黒煙が立ち上る。
恐らく、あの爆心地にはルイス達の部隊がいて、甚大な被害を受けただろう。
呆然自失とするクラウスだが、敵はそんな暇さえも彼らに与えてくれない。
遠くから空気を震わす振動が聞こえる。
その奇妙な音どんどんと近くなり、音のする方向を向いたクラウスは、地を這うようにして先ほどの爆発地点へと向かう群れを目にした。
先ほどのが空飛ぶ盾だとしたら、これは一体何だろう。
奇妙な羽を付けた巨大な空飛ぶ魚であろうか。しかも、それが耳をつんざく音と共に群れをなして飛んでいる。
クラウスを含む分屯地を取り囲む全員が、口をあけてその光景に見入ってしまう。
後方から接近する新たな群れに気付かないほど眼前の光景に呆然と佇む彼らを現実に引き戻したのは、爆ぜる大地と鉄の雨によってであった。
腹に響く重い連続音と共に、建物の外でかたまっていた兵士たちが、爆ぜる地面と共にミンチへと変わり地面に赤い塊となって散乱していく
かつてない攻撃にさらされつつも、魔法による補助があれば兵士たちも動揺を少しは抑えられたのかもしれない。
だが、不運にもその魔法を得意とする魔術師達が固まって待機していた事で、それを行使できる者がまとめて吹き飛ばされていた。
目の前の恐るべき光景と、抑えられていた感情が解き放たれ、施設の外にいた兵士たちが恐慌状態に陥ったのは一瞬の事だった。
蜘蛛の子を散らすように我先にと斜面を下る兵士たち。
だが、頭上を飛び交う魚達はそれを許してくれない。
まとまって逃げた者達には、シャープな形状の空飛ぶ魚から煙を引く極太の矢を撃ち込まれて吹き飛び、
散り散りになって逃げた者達には、寸胴な魚の横腹から打ち付ける鉄の雨によって強制的にその生涯を閉じられていった。
空飛ぶ魚の横腹に先ほど戦闘を行った敵兵と同じ格好の人間が見える。
逃げた兵士をなおも追うシャープな魚を横目に、寸胴な魚は平地に着地するやいなや、その腹から敵兵をわらわらと吐き出して飛び去っていく
新たな敵兵が現れたのを見て、ただ茫然と窓の外の光景をみていたクラウスの思考は、本来の回転を取り戻した。

「敵が来るぞ!扉を閉めてバリケードを張れ!」

既に手勢は建物内に残る二十名弱となってしまっているが、クラウスの命令を遂行すべく全員が機敏に動き出す。
まず、破壊されていた扉を魔法によって生成した土壁で塞ぎ、机やら棚を使ったバリケードで塞いでいく。
元々、外部からの侵入に対して備えられた作りであったため、限られた出入り口を塞ぐのには大した時間はかからなかった。

「これで、兄上の援軍が来るまで持久できるか・・・」

クラウスは人質にする捕虜の姿を見ながら呟く。
だが、ここまで圧倒的な力を見せつけた相手に兄上の軍勢だけでどうにかなるであろうか。
しかし、自分たちの船が燃えた以上、兄上に期待する以外に帰る手段が無い・・・
考えれば考えるほど厳しい状況にクラウスの顔色は青ざめていく。
見れば捕虜を監視するために同じ室内に残った部下たちの顔も一様に暗い。
本当に来るかどうかも分からない援軍をあてにした籠城。
消沈する空気が終わりなく続くとも思われたが、それは悪い意味で裏切られた。
突如として響く爆発音が建物内部に響き、それに続く連続音と兵士たちの悲鳴が続く。

「バリケードが破られたか!」

クラウスの顔を驚愕と焦りの色が支配する。

「部屋の扉を塞げ!それと捕虜に何か叫ばせろ!こっちには捕虜がいることを奴らに教えるんだ!」

連続音や小規模な爆発音が続き、軍靴の響きが部屋に向かって近づいてくる。
最早一刻の猶予も許されない。
このままでは扉をバリケードで塞ぐ前に敵が到達する。
だが、近づく足音に猿轡を解いた捕虜の一部が何かを叫ぶと、部屋のすぐ手前まで近づいてきた足音がふっと止まった。

「今のうちだ!扉を塞げ!」

そういってクラウスは、一瞬の隙に最後の防壁を築こうと試みるも、最終的にはそれら全ての試みは無駄に終わった。
室外から敵が何かを叫び、捕虜が一斉に身を屈めたと思った時、ゆがんだ扉の隙間から握りこぶし大の何かが転がり込んできた。
その後、クラウスには何が何だか分からなかった。
転がり込んだ何かに視線を向けた直後、視界は真っ白に染まり、凄まじい耳鳴りに聴力を奪われ悶絶する。
目と耳を奪われうずくまる事しかできない。
そんな彼が意識を失う前に最後に感じたのは、首筋を襲う強い衝撃だった。











一体、どのくらい意識を失っていただろうか…
目が覚めると、クラウスは両手を後ろ手に縛られ地面に転がされていた。
周りには同じ室内にいた部下たちが、同じように縛られている。

「生きてる・・・」

そう呟いてみるが、ボーっとした頭では他に何も考えられない。
生きているという安堵感と、全てを失った喪失感はクラウスの体から気力を奪い去っていく
横たわったまま視線を巡らせると、緑の服を纏った敵兵が動かなくなった配下の兵を一か所に集めているのが見えた。

「みんな・・・死んだか・・・」

ぼそりと呟いた事で、周りに座っていた部下がクラウスが目を覚ましたことに気付いた。

「クラウス様。気が付かれましたか」

隣で座っていた一人がクラウスに声をかける。

「あぁ・・・ 生き残ったのはこれだけか?」

体を起こし、同じく捕虜になった部下の数を確認してクラウスが言う。

「残念ながら、われら5人以外は皆向こうでございます。」

そう言って、集められた兵士たちの死体をアゴで指す。
敵によって一か所に集められた味方の死体。
いや、原形をとどめているのは屋内に籠城して戦った少数だけであり
大多数はちぎれた腕や足と言った只の肉片であった。
生き残ったのは、最後まで側にいた側近たちだけで、残りは皆死んだらしい。

「ルイス殿達の本隊は?」

「さぁ・・・ あの後、一体どうなったのか誰も分かりませぬ。
ここには、死者も生者も我らの部隊だけですゆえ・・・」

それを聞き、クラウスは暫く項垂れながら何かを考えていたが、ふと顔をあげると、そのまま倒れこむかのように横になった。

「クラウス様!?」

「お前も寝ておけ。あの爆発と空飛ぶ魚の襲撃で、本隊も無事ではあるまい。
あとは、兄上に救出を願いたいところだが、それも難しいと思う。
奴らが捕虜をどんな待遇で扱うかは知らんが、総じて捕虜生活は過酷なものだ。
寝れるときに寝ておいた方が良い。」

救助を諦めたと思える言葉を吐いて顔をそむけて横になるクラウスだが、その体はかすかに震えている。
捕虜など、生きてさえいれば多少の虐待は許される世界のルールを知っている以上
これから自身に降りかかる境遇に青くなるクラウスであったが、せめて最後に残った部下達にはそれを気付かれぬよう
あえて諦めに入ったフリをして、彼らから顔を隠していた。


それから日暮れまで横になっていると、急に敵の兵士に引き摺り起こされた。
何事かと辺りを見ると、目の前には緑の服を着た敵兵と一緒に一人のドワーフが立っていた。

「なんだ? 彼らに泣きついて故郷を追われた復讐に来たか?」

クラウスはドワーフに未だ精神は屈伏していないのを示すように挑発的に聞く。
だが、言葉を向けられたドワーフは静かなものだった。

「我々が彼らに頼っているのは事実だが、後ろ手に縛られた者をいびる趣味は無い。
こうしてきたのは彼らに通訳を頼まれたからだ。」

「通訳? お前は彼らの言葉が分かるのか?」

クラウスは横になりながらも、近くを通る敵兵の言葉に耳を傾けていたが、その言葉は、今までに聞いたこともないものだった。
大抵、面と向かって話合えば何処の国の民でも言葉が通じたので、そもそも言葉が通じないというのは、この島に来て初めての事だった。

「私が分かるわけではないが、彼らの中の一部に我々の言葉を理解する者達がいる。
私の役目は会話の内容を聞き、この世界の常識から外れていないか助言することだ。」

「? この世界の常識? 彼らは一体何なのだ?」

「実際の所は分からんが、一つ分かるとすれば、高い文明と技術を持った異世界の国が我々の世界に迷い込んだという事だ。
そして、我らのような難民を手厚く迎えるという優しさを持つとともに、降りかかる火の粉はそれ以上の火でもって振り払う力がある。」

クラウスはその説明に息を飲む。
その力を間近で見たため、その話を信じる以外に選択肢はなかった。
そして、その秘めた力がこの世界に如何なる影響を与えるかなど、今の時点では想像もつかなかった。

「そんな彼らがお前たちに聞きたいことがあるそうだ。で、この中で一番位の高いものは?」

最後の言葉に皆の視線が一人に集まる。
だが、クラウスはその視線を一身に受け、堂々と名乗って見せた。

「・・・私だ。」

「で、名はなんと言う?」

「エルヴィス辺境伯爵アルド・エルヴィスの弟。クラウス・エルヴィス。
伯爵家の者だ。捕虜の身になったとはいえ、言葉遣いには気を付けろ」

クラウスは覚悟を決めた。どのような境遇に落ちようとも生き残り、この未知の国の情報を探るだけ探って兄に報告しようと
その為には、尋問に協力しつつも対話の中から情報を引き出す必要がある。
相手に舐められぬよう、たとえ捕虜の立場でも堂々としていなければならない。
その凛としたクラウスの自己紹介に、ドワーフも改めて向き直る。

「そうか、ではそうしようクラウス殿。
それと、私の名はラバシ。ラバシ・マルドゥク。
貴様らによって難民となった者達を束ねている。難民の恨みに取り殺されぬよう気を付けろ」

お互いににらみ合う二人であったが、十数秒のにらみ合いで先に折れたのはラバシだった。

「貴様らには恨みがあるが、彼らに捕虜の虐待は禁じられてる。
それに、尋問する為に本島まで移送しなければならんので、下らない事にいつまでも構っていられん。
わかったら車に乗れ。港に船が待っている」

ラバシはトラックに乗るように急かすが、クラウスは更に質問を続けた。

「本島?彼らの本拠地は別にあるのか?」

その質問にラバシは一瞬言ってもいいものか考えるが、静かに口を開いた。

「・・・ホッカイドウ。それが彼らの島であり国の名前だ。わかったら、さっさと歩け。ク・ラ・ウ・ス・殿」

いちおう殿付きで呼ばれているが、クラウスは乱暴な扱いで荷台に投げ込まれる。

「貴様!○×pwg@o!!」

抗議の声を上げようとするが、次々に投げ込まれる部下の体に抑え込まれて続く声があげられない。

「よし、全員乗ったな。」

荷台に放り投げたラバシは満足げに助手席に乗り込み、全員を乗せたトラックは港に向かって走り出すのであった。
そんな港に向かって移動するトラックの荷台で、開けっ放しの後部の幌からクラウスは後ろに向かって流れる風景を見つめていた。
見張り付きで捕縛されている身である。既に無駄な抵抗は諦めている。
今できることは、尋問までおとなしく待っている事と、彼らを観察することくらいである。
車の外では、先ほどから鉄で覆った重厚感のある車両や"トラック"と呼ばれる今乗っている車両の列と何度かすれ違う。
一体どんな原理で動いているのか、そういった疑問を最初は持っていたが、空飛ぶ魚の群れや空飛ぶ盾を見ている内に消えてなくなった。
別に原理を理解したわけではない。
ただ、そういう物なのだと自分の中で折り合いを付け、考えるのを止めた。
質問する機会はこれが最後ではない。気が向いたときに聞いてみるかと、ぼんやりと景色のほうに目を向けている。
外の景色は、秋の到来を感じさせる虫の鳴き声が夕方の空に響いていた。
哀愁を感じさせる虫の鳴き声を聞いていると死んだ部下の顔が頭に浮かぶ。
そのまましばらく外を眺めていると、ふと目に青い色が飛び込んでくる。
海だ。
そこでクラウスは思い出した。
兄上の艦隊はどうなったであろうか。
クラウスは荷台と運転席を隔てる窓から、助手席に座るラバシに向かって叫ぶ。

「おい!一つ聞きたいんだが、いいか?」

その声を聞いたラバシは、一度目だけで振り返ってクラウスの顔を見ると、面倒くさそうに振り返って窓を開けた。

「何だ?」

「兄上の艦隊はどうなった?上陸する前に別れてから、その後どうなったかは知らないんだ」

それを聞いたラバシは、横に座っている兵士と何やら小声話てから改めてクラウスの方を向き答えた。

「我々はワッカナイから船で来た。
途中で何隻かのお前たちの船の残骸を見たが、まともに原形を留めているのは一隻もなかったぞ」

ラバシの答えに数秒押し黙ってしまうクラウスであったが、それでも言葉を捻り出した。

「・・・何隻くらい沈んでた?」

「さぁ そこまでは分からん。
だが、我々が来る途中で一切の敵襲を受けなかったから、少なくとも近くにはお前たちの味方はいない」

それを聞いて、うすうすは感づいていたが、兄の艦隊も敗北したのだとクラウスは確信した。
救援は来ない。
仮に兄上が無事でも、今回の戦で領内の軍船の大半を失った為、再侵攻は無理である。
そして王国に助けを求めようにも、今回の遠征は王国の中でも辺境領家の単独行動であり、王家の承認は得ていない以上、
普通に助けを求めたのでは動かないだろう。
以前より、東方との貿易で王家より資金力で勝る辺境領は、王家に睨まれていたし、もしかしたら、これ幸いにとお家取り潰しにかかってくるかもしれない。
残る手は身代金の支払いで済ますにも国交がない以上、交渉が妥結するにはかなりの時間を要するだろう。
まぁ、人一倍プライドの高い兄上が、素直に身代金を払うかは不透明だが…

「そうか…」

クラウスはラバシに礼を言い、荷台に座りなおした。
そして力が抜けた様にのけぞり、天井に張られた緑の幌を見ながらつぶやく

「兄上… 無事だといいが」

そう呟いた姿勢のまま、クラウスは揺れるトラックに身を任せるのだった。








巡視船 れぶん



一連の戦闘の後、巡視船れぶんは避難民と辻の部隊を収容して足早に岸壁を離れていた。
そんな母港である稚内へ戻る船上に、あちこち煤けた制服を着た信吾の姿があった。
船腹の柵に手を付き、離れ行く礼文島の島影を見ている。
その視線の先には今でも黒煙が上がり、その上にはヘリが島上空を飛び回っている。
ロータの空気を切る振動と、時折上空をパスする戦闘機のエンジン音が、あの島が戦場であった事を思い出させてくれる。

「ここにいたのか?」

不意に後ろから声がかかる。
信吾が振り向くと、そこには辻が歩きながら近寄ってきた。

「まだちゃんと礼を言ってなかったな。先ほどは助かった。バスが迎えに来なけりゃ、俺らは死んでたかもしれん。」

そう言って辻は右手を信吾に差し出す。
その右手を信吾は躊躇いがちに握ると、謙遜しながら言葉を返した。

「いや、自分は他の二人に付いて行っただけですし、運転していただけで戦ってませんよ。」

「でも、助けに来てくれた事には変わりあるまい?」

ニカっと笑って辻は感謝の言葉を述べ、信吾も素直に感謝されることにした。

「それに聞いたぞ、俺たちを助けに来る前にプロポーズしたんだって?
そんな事してたら、命がいくつあっても足りないぞ?なんたって映画や漫画ではお約束だからな」

「いやぁ フィクションの中にはそういうお約束があるのは知ってますが、どうせ迷信ですよ。
それに、生きて帰れるか分からないからこそ、言っておかないと悔いが残ると思いまして…」

信吾はそう言って照れながら頭を掻いた。

「で、いいのか?お前さんの彼女放ってこんな所でボーっとしていて」

「あー 彼女は親父さんが怪我してるのでそちらに行ってます。
それと、プロポーズはしたものの急すぎるので、二人で話合った結果、とりあえず付き合う所から始めました」

それを聞いて辻は声を上げて笑った。曰く高校生の恋愛だの、港に戻ったら速攻でホテルに行って来いだの好き勝手言ってくるが一通り笑った所で満足したのか、笑い顔を引きずりつつも話題を変えてきた。

「で、今は一人で何をしてるんだ?」

少々馬鹿にされて不機嫌ぎみな信吾であったが、とりあえず質問には素直に答えた。

「島を見てるんですよ。生まれ育った故郷が燃えているのは、とても… 辛いです」

そう言って再び視線を島に戻す信吾に、辻も悲しげな眼差しで島を見つめながら言う。

「今回の衝突で私もたくさんの部下を失った。
初めは30名弱いた部下も、今この船に乗っているのは両手で数えられるくらいだ。
もう二度とこんな失態は許されん。
死んだ部下の為にも、死ぬ気で上に対策を進言しなきゃならんな。」

その二人は無言で島を見つめる。
守るべきモノ
それを守れなかった屈辱感が彼らの決意を固めていく。
この悲劇が繰り返されないことを願って更なる危機管理の向上を、全力で上層部へ働きかけ、それが足らない時は自分が上に立って導いていこうと。
この時の彼らの決意は、後の北海道に大きく影響するのだった。
そんな二人がそう心に刻みつけていると、にわかに船上が慌ただしくなる。

「前方の敵船の残骸に漂流者!」

見張り員が叫んでいる。
二人は船の前方へ目を向ける。
その先には、沈んだ敵船の残骸に数名の生き残りと思われる敵兵が必死にしがみついていた。

「敵兵か。出来れば海の藻屑と消えて欲しいが、残念ながら俺の希望は叶わないんだろうなぁ」

辻は残念そうに言う。
そう彼の言うとおり、船は減速を始めていた。
海保は漂流者を救助するつもりなのだろう。
巡視船は彼らの予想を裏切らず、するすると船を停船させると、小艇を降ろして救助に入った。
しかし、船の本体が蜂の巣となっており生き残りは非常に少なかった。
一応ボディーチェックをして収容し、仲間に抱えられた意識の無い生き残りは武器を没収した後に甲板に寝かされた。
そうこうしていると、救助した捕虜の周りにはいつの間にか避難民たちの輪が出来ている。
故郷を焼いた憎き敵が目の前にいる。
怨嗟の視線が彼らに突き刺さり、捕虜たちも酷く怯えている。

「これはマズイな。」

信吾は思う、今は海保の船員が周りを囲っているから抑えられているが、もし、何かの弾みでタガが外れたらリンチが発生しそうな雰囲気である。
そう信吾が思っていると、丁度先ほどまで意識が無く甲板に寝かせられてた捕虜が目を覚ました。
目を覚ましたものの状況を掴めないのか辺りをボーっと見渡している。
そしてゆっくり立ち上がったかと思うと、バランスを崩して倒れそうになったのを見て、とっさに信吾は支えの手を伸ばした。
咄嗟に支えに入ったのは無意識であったが、その構図は偶然にも避難民と捕虜との間に割って入った形になる。
信吾が避難民の前で捕虜を介抱した事で、避難民も睨みつける以上のことはしてこない。
信吾はこのまま間に入って介抱すれば、皆の怒りを暴発させずにすむかと考えると、相手を刺激しないよう笑顔を浮かべて介抱することにした。





アルドは騒がしい物音に目を覚ました。
体を起こそうとするが、ズキンと体中が痛む。
それでもアルドは、スッキリとしない頭で顔だけ動かして辺りを見渡してみた。
見慣れぬ者たちが聞きなれぬ言葉で慌ただしく自分たちを取り巻いている。
ボーっとそれを見みながらスッキリしない頭で立ち上がろうとするが、想像以上に疲労のたまった体は、二本の足を絡ませる。
あわや転倒すると思ったとき、周囲でこちらを見ていた一人の男がアルドの体を支える。

「daijoubuka?」



アルドは男が何を言っているのか分からない。
それに何がおかしいのか人の顔を見て笑っているようだ。
なんだこのなれなれしい奴は?俺を辺境伯爵だと分かってやっているのか。
それより、何で俺はこんな所に…
そこまで思考を巡らせたところでアルドは思い出した。
海戦に敗れ、船が沈んだこと。
途中から意識を失ったのか、それからどうやって助かったのかは分からない。
だが、一つハッキリすることがある。
今乗っているこの船の船体の白。これはまさしく敵船と同じ色であった。

!?

それに気づいて、アルドは完全に覚醒した。
見渡せば周りには数名の部下や水兵が拘束されている。

「アルド様、お気づきになりましたか。」

縛られていた配下の魔術師がアルドの顔を見上げて言う。

「他の奴らはどうした?」

魔術師は静かに顔を横に振る。

「我らの船で、生き残ったのは我らだけにございます。」

「そうか…」

その言葉によってアルドの表情が暗くなる。
すると目の前の男が一層積極的に声をかけてきた。

「toriaezu inotiha tasukattanndakara anshinnsiro」

サッパリ何を言っているのか分からない。
それにヘラヘラした笑い顔で語りかけているところを見ると
敗れた我らを嗤っているのではないだろうか、それ以外で敵兵に馴れ馴れしく笑い顔を見せる状況が考えられない。

「触るな下郎」

そう言ってアルドは手を払う。
それでも目の前の男は馴れ馴れしく肩を叩いてくる。

「触るなと言ってるだろうが!」

アルドにとって敵の捕虜となる初めての屈辱に加え、辺境伯に向かってあまりに馴れ馴れしい態度にアルドの怒りは頂点に達する。
アルドは腰の剣に手を伸ばそうとするが、その手は宙を切る。
意識を失っている間に武装解除されたのであろう。腰にあるはずの剣も短刀も無くなっていた。
だがそれが、アルドにある結論を結びつかせた。

丸腰だと思って舐めているのか… 

ドン!

アルドは短い詠唱と共に手刀から炎の短刀を作り出し、目にもとまらぬ速さで目の前の男の腹に深々と突き刺した。
何が起こったのか分からない、そんな表情で目の前の男は崩れ落ちた。

「例え捕えられようとも、下級兵風情が気軽に触っていい我が身ではないわ!」

そう吐き捨てて更に蹴りを入れる。
一瞬の出来事に周りの空気は凍りついたが、目の前の男から赤い血だまりが広がると空気は一変した。

「kisama!」

そう言って近くに立っていた緑の服を着た男が腰に手を伸ばす。
だが、男が腰の物を引き抜き終わるより早く、部下の一人がアルドとの間に割って入った。

ドン!ドン!

緑の服を着た男の手から閃光と音が弾け、部下の魔術師は苦悶の表情を浮かべながらアルドに体当たりし、自らの体ごと彼を海へと突き落とした。

「アルド様、お逃げを…」

そう耳元で呟き、魔法の詠唱と共に海面に着水する。
青い水の中、両の手を縛られた魔術師は口と背中から赤い染みを水中に広げながら沈んでいく。
アルドは助けの手を差し伸ばすが、沈んでいく彼には届かない。
満足げな顔を浮かべて沈んでいく姿が深青の底に消えたのを見て、アルドは助けを諦めた。
息が続かない。
アルドは海面目指して必死に泳ぎ、浮かんでいる船の破片にしがみ付く。

「ぶはぁ!」

肺一杯に息を吸い込み、呼吸を整える。

「はぁ…はぁ… くそっ!」

目の前には未だ白い船体が壁の様にあり、船員が海を覗きこんで自分を探している。
隠れようにも掴まっているのは一本の木材、隠れる所など何処にもない。
アルドは再度捕まることを覚悟したが、想像に反して船員たちの行動はおかしかった。
こんな近くに浮かんでいるのに、自分に気付く素振りが無い
明らかにあちらからも見えると思うのだが、彼らは一向に気付くことは無かった。

「そうか、気配封じか…」

海に転落する直前、アルドを庇った魔術師は何かの詠唱をしていた。
おそらく、あれは気配を消す魔法だろう。
それを掛けられたものは、目には映っていてもその存在を認識されない。
船上の船員たちは、目には見えていてもアルドの存在を気付けずにいた。

「すまない。そなたの忠誠に感謝する。」

そう呟き、アルドはわだつみに沈んだ魔術師に黙祷をささげる。
静かに長くアルドは気配を消して漂流し続け、目の前の船が探索を諦めて視界から消えるまでアルドは最後の忠誠を見せた魔術師に祈るのだった。



れぶん船上


それは完全な油断だった。
倒れそうになる捕虜へ近づく信吾。
既に武装解除は済ませたし、魔法のようなものを使うローブを着た奴はふん縛った。
その上、この人数に囲まれては大したことは出来ないだろうと思っていた。
だから、信吾の目の前にいた男が彼にぶつかり、信吾がうずくまるようにして倒れた時は、何が起きたのかは何が起きたのかは一瞬わからなかった。
崩れ落ちる信吾、そしてそこから広がる血だまりを見た時、辻は男が何か武器を持っている事に気が付いた。

「貴様!」

倒れている信吾に蹴りを入れる男に向かって、腰に付けたホルスターから素早く銃を抜く。
男の胸を狙った2発の銃声が立て続けに響く。
放たれた銃弾は男の胸を撃ち抜き、その命でもって落とし前をつける……はずだった。
だが、辻が引き金を引くその刹那、ローブを纏った別の男が割って入り、必殺の銃弾はその男の背中に消える。
ローブの男は苦悶のうめき声をあげ、そのまま信吾を刺した男と一緒に海に落ちた。

「くそ!」

辻は弦側に向かって走る。
柵から身を乗り出して下を覗くが、そこには海面に赤い染みが広がるばかりで人影は一つも見当たらなかった。

「何処に逃げた!?」

逃げた捕虜を巡って船員が総出で周囲の海面を探索する。
二人とも沈んでしまったのだろうか。それとも残骸の陰に隠れているのだろうか
海面を探す船員の喧騒と悲痛な叫び声が狭い船上を支配した。


船上の余りの煩さに、崩れ落ちた信吾は辛うじて意識を保っていた。
何時の間に仰向けになっただろうか、知らぬ間に誰かに抱きかかえられている。
信吾は顔にかかる冷たい滴を感じ、うっすら目を開けるとそこには泣き叫ぶさと子の姿があった。

「しんちゃん!死んじゃ駄目だよ!私を貰ってくれるって約束でしょ?」

そんな悲しい顔すんなよ、さとちゃん。

「…ったりめーだべ? こんなんツバつけときゃ治るべさ」

信吾は血の気の引いた顔で笑って言う。

「だが、ちょっと失敗したなぁ。つい励ましに言ったつもりが怒らせちまった。
異文化こみゅにけーしょん?って難しいもんだべや」

そう言ってニコっと笑ってみせるが、さと子は泣き止まない。

「なに馬鹿なこと言ってるのよ! あぁ!血が止まらない。誰か止血手伝って!」

さと子は、医療セットを持ってきた船員と一緒になって信吾の傷口を塞ぐ。


あぁ いい子だなぁ さとちゃん。
昔から、そんな… 優しいところが… 好きだったよ。

信吾は、誰に聞こえることもないほど小さな声でそう呟いた後
深い闇の深淵にその意識を手放した。



[29737] 戦後処理と接触編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:12
札幌

北海道連邦政府ビル


夕方、定時の退社時間を過ぎたビル内に、慌ただしく職員や報道関係者が走り回る。
その2階、記者会見室と看板がつけられた室内は異様な熱気に包まれていた。
ざわつく室内は、新政府発足時の会見にも勝るとも劣らない混雑ぶりである。
そんな雑音で溢れる会見場も、職員のこれから会見を始めるというアナウンスにより空気は一変した。
壇上に向かい歩いてくる高木に、報道陣のフラッシュの嵐が襲い掛かかる。
高木は、暴力的な光の氾濫に臆することなく、咳払いを一つした後に会見を始めた。

「えー 皆さんの中には断片的な情報をお持ちの方もおられると思いますが、国民の皆様に重要なお知らせがあります。
本日 午前11時頃、北方の大陸から出発したとみられる船団が、海保の巡視船と接触、領海外への退去を通告するも、巡視船へ向け武力行使が行われるという事態が発生しました。」

室内がどよめく、転移早々に"武力行使"を受けるという衝撃の政府発表に、報道陣の目の色は大きく変わる。
高木は彼らのどよめきを余所に発表を続ける。

「巡視船攻撃後の武装集団は船団の一部を礼文島に上陸させ、残る船団は礼文島東方沖で稚内より駆けつけた巡視船と戦闘に入りました。
結果、船団は無力化出来ましたが、礼文島に上陸した武装集団により民間人に多大な被害を出しながら南下を試みたものの、空軍と陸軍部隊の奮闘により、現在は完全に上陸した武装勢力を制圧・拘束いたしました。
本件について、多大な被害を受けた礼文島 船泊地区の被災住民の方々に対する支援は国が約束いたしますが、詳細は別途ご報告させていただきます」

高木が言葉を区切ると、会場内のざわめきは更に大きくなる。
転移後いきなりの武力侵攻。
とんでもないニュースである。
記者たちの興奮は天井知らずに大きくなり、司会の職員が「これより質疑応答に入ります。」と言ったとたん、襲い掛からんばかりに挙手をする記者たちの姿が関心の高さを物語っている。

「北見日日新聞です。武装集団からの攻撃とありましたが、軍隊等の侵略と思ってよいのでしょうか?それとも海賊等のならず者なのでしょうか?」

「それに関してですが、現在、拘束した構成員の取り調べを行っていますが、彼らはゴートルム王国エルヴィス辺境伯の兵士を名乗っており
海賊などではありません。詳しくは取り調べが進み次第、発表の場を設けさせていただきます。」

「そのエルヴィス辺境伯?とやらの軍隊との衝突は、戦争を意味するのでしょうか?」

「現在、この世界のどの国とも国交を樹立していない為、宣戦布告の通告も受けていません。
まぁ これについては此方の世界に宣戦布告の概念や慣例があるのかは分かりませんが…
再度の侵攻が有るか否かは現在調査中ですが、全軍の警戒レベルを引き上げましたので、今後の着上陸侵攻は一切許しません」

「それは先制攻撃を認めるという事ですか?」

「着上陸の可能性がある場合、先制攻撃も辞しません。国民の生命・財産を守ることが国家の使命です」

先制攻撃の解禁。これは既に北海道がロシアと混ざりあい、東シナ紛争でも守り抜いた古き日本の国是との決別を意味していた。
時代の変化を記者たちは肌で感じる。
こんな言葉、転移前なら即座に左派やマスコミに叩かれた。
それが今は国のトップが公然と宣言している。
「では次の方」と司会が次の質問を促すと、記者たちの興奮は留まるところを知らなかった。

「しんぶん赤星です。民間人に被害が出ているという事ですが、どのくらいの被害が出ているのでしょうか。
これについて、軍の対応に問題は無かったのですか?」

「現段階までに寄せられた情報によりますと、十名弱の負傷者が出ていますが、幸いなことに死者はありません。
ですが、物的な損失はかなりのものになるでしょう。現在も消化活動が続いていますが、船泊地区で大規模な火災が発生した模様です。
それと、軍の対応ですが、礼文分屯地の部隊及び現地警察の協力により、損害を受けつつも武装集団の南下を食い止めた事で、民間人全員の退避が完了しました。
よって、適切な対応が取れたものと思います。」

「そもそも、着上陸侵攻を許した時点で不手際では?」

「対応に当たった部隊の行動は適切な物であったと考えますが、何処が悪かったかを探るとなると
着上陸侵攻を許した原因は、大まかに言えば2点。
一つは、接触した巡視船が撃沈されたポイントが本土に近すぎた事が原因となります。
現在、本土に接近する全ての船に音声による警告を行っていますが、明確な侵略の意思がある場合、第一撃は甘受せねばなりません。
事前に侵略部隊の出港情報を掴めればその限りではありませんが、国外の情報が極度に不足している現状では難しいでしょう。
二つ目は、防衛戦力の絶対的な不足。
最初の巡視船が撃沈された時、現場付近に対処可能な船は無く、一番近い船で稚内に停泊していた巡視船一隻のみという有様です。
現有の海上兵力は、巡視船を除くとミサイル艇2隻及びコルベット1隻のみ。これでは対応能力に限界があります。
これらの事から我々の取るべき方針は、周辺地域に調査部隊を派遣し情報を収集する事と、対処可能な戦力の拡充。
せめて沿岸海軍と呼べる程度の戦力を保持することです。」

それを聞いた記者は、椅子から立ち上がり、興奮した声で質問する。

「それは軍拡という事ですか?
対処できないから軍を拡大するのでは、将来的に軍事国家への道を歩む危険性があるのでは!?
それに武力に頼らなくても周辺国との話合いを密にすることで防げるのではないのですか?」

その質問に高木はこめかみを押えながら答える。

「必要な防衛力の整備は必須です。
これを怠るのは、国民の安全を守るのを怠るのと同義であり、主権国家にとって許される事ではありません。
それと話合いと仰られましたが、国交の樹立はおろか情勢すら不明な状況下では現実的ではありません。」

「ですが、軍拡は、軍事的緊張を増せど平和には繋がらないのではないのですか!?
そもそも、未だ民主的な選挙が行われてない新政府の行動は、独裁国家への序曲だという市民の声もありますが
そんな中で軍拡を推し進めることを如何お考えでしょうか!?」

ヒステリックなに叫ぶ記者を見て、自称リベラルを謳うメディア達から同調するヤジが飛ぶ。
反論を封じるかのようなヤジの中、高木はメディアの圧力に若干押されつつも、答弁を返した。

「軍拡と仰られましたが、不足するものを必要数確保するだけであり、生存圏を確保する以上の戦力は保持いたしません。
それに選挙は混乱が収まり、国家の基礎が出来次第実施すると以前より広報から告知していますが、その方針に変わりはありません。
恐らくあなた方は、我々が軍拡の末に侵略戦争を起こすと想像しているのかと思われますが、現在の北海道と南千島にはそのような余力はありません。」

おわかりになられましたか?と高木は言葉を区切ったが、記者の興奮は収まらなかった。

「現在と仰られましたが、未来の戦争の可能性は否定しないわけですね!?
その生存圏の確保とやらが、かつての大戦のように侵略を肯定する方便にならない保証はあるのですか?」

鬼の首取ったと言わんばかりに記者は高木に質問をぶつける。
だが、それに対して高木の対応は素っ気ないものだった。

「…まぁ 民主的な選挙の結果誕生する未来の政権が侵略戦争を行う可能性は否定しません。
ですが、我々の政権では侵略戦争を行う意思も余力も無いことは記憶に置いてもらえればと思います。
それと生存圏の確保については、全て戦争でもぎ取るかのような誤解をなさっておられるようですが、戦争は外交上の一形態に過ぎません。
他勢力と生存圏の競合がある場合、協議や取引等あらゆる手を尽くす所存です」

このような記者たちとの遣り取りの結果、記者会見は罵声や質問を求める記者達の攻勢により、傍から見たら暴動かと思えるような格好にまでヒートアップしたが、
高木の次のスケジュールを優先するという事で、終了予定時刻を大幅に超えて幕を下ろした。
高木は足早に記者会見室を去ると、次なる目的地である大統領室に隣接した会議室へ向かった。
バタンとSPを引き連れて室内に入ると高木は大きく息を吐く。

「ふぅ~ 取り殺されるかと思ったわ。」

耳を澄ませば、階下の記者会見室の喧騒がかすかに聞こえる。
そんなどっと疲れた高木を見て、室内から声を掛けられる。

「まぁ いつの世もメディアはそんなもんだよ。
時代が変わるような大ニュースは奴らの飯のタネの中でも特上の御馳走だからな。
これからは、これまで以上にメディアに叩かれることも覚悟せにゃならん」

ははっと壮年の男達が笑う。
武田勤、鈴谷宗明、いずれもメディアに痛い目に遭わされた事のある人物だった。
声を掛けた鈴谷が笑いながら言葉を続ける。

「だが、スキャンダル等には特に注意してくださいよ、大統領閣下。
大統領制を敷いたことで任期の間は世論に振り回されなくて済むが、あまりに支持率が下がりすぎると次の選挙で勝てなくなる。
特に大統領は色気が溢れてますからな」

鈴谷はそう言って、高木のタイトスカートからツンと突き出した形のいいヒップに笑いながら目を向ける。
それを横で聞いてたステパーシンも笑いながら口を開いた。

「まぁ 私生活をスッパ抜かれた時は、下手に弁明するよりは開き直られた方が宜しいかと
日本人はスキャンダルに対して異常に過敏ですが、私が"英雄色を好む"とコメントして擁護しますよ。
不倫程度で大臣が変わる日本の伝統は、ここでも引き摺って欲しくは無いですからね。」

そこかしこから笑いが噴き出す、高木は眉をひそめながら席に着いた。

「これ以上のセクハラ発言を続ける方は更迭しますよ?
馬鹿な事はこの位にして、会議の方を始めましょう。
皆様、お手元の資料をご覧ください。」

高木は強引に話を打ち切って会議を始める。
先ほどまで笑っていた者達も顔つきが真剣に変わった。

「まずは今回の紛争についての戦闘経過とその結果についてのおさらいです。
経過の詳細は資料にありますので割愛しますが、問題はその結果です。」

高木がそう言うと会議室のスクリーンに数字が表れる。


(民間)
被災世帯:220世帯
負傷者:8名
死者・行方不明者:0名

(軍・警察)
礼文分屯地:半壊
負傷者:16名(警察1名)
戦死:21名

(敵武装集団)
捕虜:23名
死者:500名以上


「まず、我が方の損害ですが、先ほどの発表でも言いました通り、礼文島北部は完全に焼けました。
一から町を作り直すレベルの復旧計画が必要です。
そして軍・警察の被害ですが、彼らは技官等も含めて40名弱しか配置されていなかったのにもかかわらず
寡兵でよく持久してくれました。
報告によれば、防御戦闘に打って出た部隊では無傷の者はいないとか…
それに現地の警察は、敵が迫る中で住民の避難を支援し、その後も軍と共に脱出の協力を行ったと聞いております。
後日、彼らを英雄として表彰を行いたいと思います。」

高木の言葉に全員が頷く。
少なく見積もっても10倍以上の敵と戦い、民間人の避難に貢献したことは賞賛されてしかるべきだ
そんな全員が同意する中、ステパーシンが一つの提案をする。


「これについては、例えばソ連邦英雄やロシア連邦英雄等の称号を参考に、称号制度を創設するのはどうだろうか?
おそらくこちらのメディアは死者数の事で捲し立てるだろうが、大々的に彼らに英雄称号の授与を宣伝することで国民の意識はそちらに流れる。
それに称号の特典により、彼らと遺族も手厚い支援を受けられると知れば、国民に新国家への愛国心を根付かせるきっかけになると、私は考えるよ。
まぁ これは転移前の東側での制度だが、もう今となっては西も東もあるまい?」

それを聞いた全員が頷きかけるが、そのなかの一人、熊のような顔つきの武田がある懸念を口にする。

「制度としては申し分無い。しかし、感情的な問題となると右の連中がいささか五月蠅いぞ?
先日もロシア側と率先して協力しようという私の下に、斬奸状なんて時代錯誤のモノが届いたよ。」

今の新政府は、ロシアと協力して(相応のポストも用意して)連邦軍を創設した結果、新政府の主要人物は自称平和団体の極左を始め、日本人中心の国作りを目指す極右から狙われ始めていた。
曰く、「新政府は軍国主義者のファッショ」、「新政府はロシアの手先である売国奴」等様々である。
それだけではない、未だ国の形態がハッキリと固まっていない時期という事もあり、国内の様々な団体の活動が活性化していた。
良い制度は何でも取り入れていきたい。
だが、蓄積する不満によって貴重な人材が失われるような事態は何としても避けたかった。
そんな思いを感じてか、ステパーシンは不安を払しょくするよう穏やかに言った。

「国内の不穏分子の扱いは、我が内務省警察の役割だよ。
既に南クリル内にいた国民ボルシェビキ党をはじめとする過激派の中でも、特に危険だと思われる人物は新政府発足の発表前に処理済みだ。
何、グロズヌイから来る連中に比べれば実に易しい相手だ。
大統領の命さえあれば、ホッカイドウ内の不穏分子も一掃して御覧に入れますよ?」

ステパーシンはニッコリ笑って答えるが、高木を初めとした周りは若干引いていた。
これからやってのけると言うのではなく既に一部は実行済みと言うあたりが、言葉では生存のためには何でもやると決めたものの、未だに日本人としての感性を引き摺っていた者達には些か刺激が強かった。

「と、とりあえず、その件に関してはまた別途協議しましょう。
ですが、今回の功労者に対して称号を授与するのは中々いいと思います。
これに関しては前向きに検討するとしましょう。
彼らを英雄として前面に押し出すことは統治上も好ましいでしょうし」

高木がそこまで言ったところで、今度は別サイドから手が上がる。
その手の主は道警のトップ、安浦吉之介。

「英雄称号については良いですが、唯一の警察の人間が重体だという報告があります。
医師の話では、内臓をやられていていつ死んでもおかしくないとか…
損傷した臓器を移植で取り替えようにも、損傷個所が多くそれだけの臓器が集まるかは未知数。
全身義体化という手段も転移前には有り得たが、道内にはいまだ設備が無い。
だが、このまま彼を亡くすのは惜しい。
何か手は無いものですかな? 矢追博士、なんとかなりませんか?」

天才に聞けば何とかなるのではないか、そう淡い期待を抱いて安浦は聞く。
対して矢追は、政治的な話が続いていたので自分の出番は無いと半ば船を漕ぎ始めていたのだが
急に振られた話に"う~む…"と少々考えるふりをしつつ、頭の中を整理して口を開いた。

「まぁ なくは無いですな。
様は本人に適合する臓器を培養すればよい。その程度であれば実用化された再生医療の範囲内だ。
普通に考えれば、培養だけで数か月は必要とされるが、それは細胞を普通に培養した場合の事。
遺伝子操作した細胞による促成培養なら短期間で技術的には可能だが、一つハードルがある。」

天才の口から希望の言葉が出る。
それを聞いて安浦の顔に笑みが浮かぶ。
ハードルがあるとか言っているがそんな事は安浦には些細なことだ。
生きている英雄と死んだ英雄では影響力がまるで違う。
このままでは軍に生きた英雄を独占されると危惧していた彼にとって、矢追の言葉はまさに希望の光だった。

「それは何ですか博士!技術的な問題ですか?」

詰め寄る安浦に矢追は気圧されつつも説明した。

「技術的な問題は低いよ。
iPS細胞技術や遺伝子操作の効果的な手法は2010年代の後半には確立されている。
人一人分の培養ならば、既存の研究設備で事足りる。
問題は、それを実行するという事だ。
遺伝子操作の細胞培養は、新たな種の創造に繋がる技術だ。
生命は神によって作られたという欧米の倫理観に沿えば認められるものではない。
まぁ 他人の価値観を押し付けられて、それを律儀に守るなんて本当に馬鹿らしいと私は思うがね。
それでも転移前は、その倫理に従わなければ国から予算がもらえなかったので大ぴらには研究しなかったが、今となっては、そんな配慮をする必要はない。
いい機会だから、言わせてもらうよ。
これからは、欧米の倫理観によって抑制された技術開発を認めるべきだ。
デザイナーズベイビーしかり、クローンしかり、というか認可を要求する。」

矢追はドンと机を叩いて高木を睨む。
"NO MORE 規制"と矢追は要求するが、高木には一つ気がかりがあった。
現在、国家の主要人物は日本的な価値観を持つ人物だけではない。
その思想信条的な違いも考え、高木は確認を取ることにした。

「ですが、キリスト教的な価値観といえばロシアは正教会でしたよね?
ステパーシンさん、そちら側は本件に対してどう思いますか?」

そんな高木にステパーシンは要らぬ気遣いだと言わんばかりに答えた。

「我々の主要な宗教はロシア正教ですが、毎週ミサに行くような敬虔な教徒は全人口の5%程度ですよ。
それに政教分離を謳っているなら、宗教界からの口出しを気にする必要はないでしょう。
それに彼らも分かっている。
宗教は国家の支援が無ければ、非常に辛い運命が待っているとソ連時代に身に染みたはずだ。
少々の反感はあれど大々的に反対を口にすることは無いでしょう。
なにせ、ハリストスへの祈りはレーニンを止める事は出来なかったのだから」

ステパーシンは言う。
そんな些細なことを気にする必要はないと。

「そうですか。
では、倫理問題から来る規制解除については、作業チームを作るとしましょう。」

「素晴らしい!」

高木の言葉に矢追は歓喜する。

「では、取りまとめを決めるとしましょうか。それでは…」

作業チームの取りまとめの部署を決めるべく、高木は室内を見渡す。
転移前では諦めてかけた倫理規定の再検討。
矢追はそれを待ってたかのように満面の笑みで挙手をした。

「まかせ「武田さんでお願いします」てくれ!!」

「!!?」

矢追は驚愕する。
てっきり自分が倫理規定改定の首班になると思っていたからだ。
だが、驚いているのは彼一人である。
片やマッドサイエンティスト、片や新設された科学技術復興機構の理事長。
どちらに倫理規定の検討チームを任せるかは明白だった。
その任を命じられた武田は「あぁ 任せておけ」と一言言うと、こちらを凝視してくる矢追から目を逸らした。

「では、話が逸れましたが本筋に戻しましょう。
彼らの英雄称号の授与は、もう決定でよろしいですね。
あぁ それとステパーシンさん。
こういう事については、映画にあるように逸話をかなり脚色して広報すべきなんですよね?」

「英雄はそれに相応しい逸話が必要になる。失敗は改変し、成功は10割増しで発表するのがキモだよ」

新しい土地でも自分たちの古き制度が利用されると決まり、ステパーシンは満足げにプロパガンダのコツを語る。

「なかなか参考になりました。ありがとうございます。
では次の議題としましては、政府発表を行った防衛力の整備と情報収集についてですが
どちらも人員の問題がネックですね。
大規模な殖産興業を推進しているため労働人口すら不足気味の現状で、これを打開する方案が鈴谷外務大臣より提出されています。
では、鈴谷さん。ご説明お願いします」



先の戦後処理と北海道の今後を考える会議の席で、鈴谷は高木に北海道の将来像の試案をプレゼンするためにガタリと席を立つ。

「それでは、現在の問題点とその解決案について、ご説明させていただきます。
皆さんもご存じのとおり、大規模な殖産興業を推し進めている現状で、最大の問題点は人材の確保であります。
現在は、需要の無くなった業種からの転換を進めていますが、それも一朝一夕にできる事ではありません。
そんな中、防衛力の整備で若い人材が大量に必要になるという場合、取るべき手段は限られてきます。
一つは、かつてイランイラク戦争時にイランがやった様な国家圧力による出生率の増加。
…これは論外、まず不可能ですな。
仮に実施したとしても、時間が掛かりすぎる上に若年層の急激な増加は社会の不安定材料になる。
2000年代から2010年代にかけて、イランが強行な態度を取り続けたのもこの為です。
血気盛んな若者が、自らの主張を押し通そうと暴動を起こすんですな。
まぁ これは、規模さえ違えど我が国の団塊の世代に対しても同じことが言えたでしょう。
そして二つ目、徴兵制の実施。
これは経済問題として難しいです。
今は国のゴリ押しで産業の整備を進めている時期、早期の熟練労働者育成を行っている中で、若者を軍に拘束するのは経済的に好ましくありません。
それに徴兵を実施する場合、「軍靴の音が聞こえる」とマスコミ全体が反対に回る事が予想されます。
そして三つ目、これが本命です。
移民の導入とグリーンカード兵士の育成。
現在、難民の産業界への導入が試験的に行われていますが、彼らの特徴は中々に興味深いものが有ります。
例えば、ドワーフ族を例を挙げると、魔法による身体強化をした彼らの鉱業への適応性は素晴らしい。
高温多湿の坑道を物ともせずに作業し、多少の低酸素状態にも耐えると太平洋コールマインより報告もあります。
他の亜人達の魔法についても、科学技術復興機構の方で産業への導入を検討されているのは皆様もご存知かと思います。
そんな亜人達を、移民として大々的に受け入れます。」

移民の導入。
転移前の世界で何度か議論され全て立ち消えになった言葉に、議場の全員が顔をしかめる。

「一ついいかしら?
移民の導入は社会の不安定化と失業率の上昇に直結するとして、前の世界では立ち消えになったと思いますが
そんなにホイホイと導入して大丈夫なのですか?」

高木の質問に全員が頷く。

「もっともな質問ですね。
では、まずそれからご説明しましょう。
先ほど大統領閣下が仰られた懸念は、ヨーロッパが移民を導入し、後に「間違いだった」と語ったものと同一のモノだと思いますが
今回の移民は、まずコンセプトが違います。
かの移民政策は、移民の大半が低賃金労働者として労働力を提供していますが、我々が募集する移民は昔のアメリカ型と言いましょうか、夢と希望を抱いた移民を兵役の義務の後、一般の国民と同様の将来の内需として期待できる労働力に育て上げます。
この新世界では、中国のような価格競争の相手もおらず、適正価格で商売が出来る上、有事という事で部分的統制経済を実施していることがコレを可能にします。
軍での基礎教育の後、光る人材は民間へ。希望者はそのまま軍に。
あぶれた人材については国営農場や工場を新設し雇用して失業者によるスラムの形成を阻止します。」

鈴谷は熱く語るが、高木らは未だにこの案を信じられなかった。
なので、高木は少々のトゲのある言い方で鈴谷に質問をぶつける。

「とても良い事を仰られているとは思うんですが、少し理想的すぎませんか?
未だこちらの事を殆ど知らない亜人達が、どうやってこちらに夢や希望を抱くんです?」

だが、鈴谷はその質問も想定済みとニッコリ笑って説明した。

「大統領閣下は、転移前の日本で世界に最も影響力を持っていたモノは何だと思いますか?」

急な質問返しに高木は言葉を詰まらせる。

「え? …科学技術と経済力でしょうか?」

高木はオーソドックスな答えをしたつもりだったが、鈴谷に鼻で笑われた。

「違いますな。確かに、科学は世界の先端を走っていましたが、他国を圧倒する程の差ではない。
それに経済についても世界3位といえども、独走する米中とは3倍以上の差があり、更に4位に浮上した破竹の勢いのインドに比べれば勢いがない。
そんな中、ひときわ世界に輝いていたのはコンテンツ産業です。
これはもう、自覚無き文化帝国主義と言っていいくらい世界に浸透し影響力をもっていました。
この世界でも、これを使います。
まず、産業文明と我らの文化にドップリと漬けこんだ難民を、行商に扮して北方の大陸へ送り込みます。
幸い北方の大陸には、国家の支配が及んでいない亜人の地があるそうな。
そこに送り込んだ難民の工作隊で集落を廻り、各地で北海道の食品や酒、嗜好品を売りさばき、歌や噂でこちらの宣伝をする。
さらに、酒場などの人の集まるところにラジオや色っぽい電子ポスターを配布すれば、人々は酒場で此方の歌や情報を聞き、壁に張られたポスター等から想像力を膨らませ、その憧れは居住権を得るための兵役を決意させる。
軍の生活で接触する産業文明は、彼らから故郷に戻るという選択肢を放棄させるでしょう。
正にアメリカンドリームを抱いて市民権の獲得を目指すグリーンカード兵士の新世界版です。」

鈴谷は拳をギュッと握って力説する。

「はぁ… それにしてもラジオですか?テレビの方が良いのではないのですか?
それに、移民を受け入れるとして、その準備施設がいると思いますが、用地の候補は考えているのですか?」

移民を受け入れ軍で教育すると言っても、移民にも家族がいる。
高齢者や子供まで軍に入れるのは無理だし、こちらの常識を身に着ける為の教化施設が要ることは明白だ。
だが、鈴谷は、かなり案を揉んだようで、全く戸惑うことなく質問に答える。

「ラジオと電子ポスターという案にしたのは、単純に電力の問題です。
テレビを導入しようと思うと、どうしても発電設備などの導入も必要になりますが、
流石にそこまで供与となると、財政的な負担が大きい。
それに比べラジオであれば資源・経済的にコストが低く、電池で手軽に動きます。
配布を受けた側としても、娯楽を維持するために定期的な電池を入手しなければならず、こちらへの依存度は高まるでしょう。
電子ポスターも同様です。あれも消費電力が低く、此方からの電波で表示を一斉に操作できるのが利点です。
同時にこれらの工作隊にこちらからの人材を混ぜることで、現地の情報収集にも役立ちます。
ここで、ノウハウを築いておけば、いずれは亜人の地以外にも情報収集を目的とした工作隊の派遣に役立ちます。
それと移民導入の為の準備・教化施設ですが、道内や大陸等色々と検討させていただきましたが
道内に設置する保安上のリスクや、大陸に設置する場合の安保上のコスト等を勘定しつつ、そんな最中に起こった今回の事件によって有力な候補地を選定できました。」

「今回の事件によって?」

今回の事件により、礼文島は多大な損害を受けた。
それによって示唆を受けることがあるとすれば、その候補地は一つである。

「礼文島。
今回の事件によって壊滅的な打撃を受けた礼文島北部を、亜人の教化・移民準備地区として復興させる事を進言します。
元の住民と施設と陸続きになる南部の島民に補償が必要になると思いますが、本道と海で隔てられ、場所も大陸との間とロケーションも良く
最低限のインフラもあるが住民は居ないという条件が、本案の要求すべき立地条件を満たしています。
新生礼文は、我らと新世界の架け橋となるでしょう。」

鈴谷がやり切った顔で説明を終えると、室内からパラパラと拍手が聞こえ。
やがてそれは全員に伝播していく。

「ご説明ありがとうございます。
色々と考えさせられる所が多々ありました。
将来の内需… これは重要ですね。
いずれにしても、500万の人口で産業文明の維持は難しい。
移民受け入れの問題は、この世界に来た我々がいずれ避けては通れぬ問題だと思います。
それに、現地情報の入手も今は喉から手が出るほど欲しい。
難民の話から西にゴートルム王国と、東に何らかの帝国がある事は分かりましたが、その詳細及び"その先"は不明です。
ある程度の情報は捕虜から入手することも出来そうですが、現地に工作部隊を送って情報を集めるというのは直ぐにでも必要でしょう。
せめて使節を送るべき首都の位置くらいは押さえておきたいものです。
移民の是非については、更に案を議論しなければならないと思いますが、情報収集については、直ぐに準備に入ってもらって構いません。
大統領としてこれを許可します。鈴谷さん、よろしいですか?」

大統領の許可を得た鈴谷は、改めて大統領に向き直り任せておけと言って席に着く
その顔は、元々の精力絶倫とした丸顔が更にエネルギッシュになったようなヤル気に満ち溢れていた。
そんな重要事項が話合われた会議は、続々と寄せられる被害情報や捕虜の情報を受け、更に夜更けまで続くのであった。






数日後

陸上自衛隊 札幌駐屯地 

この日、礼文から移送された一人の捕虜が尋問を受けていた。
尋問と言っても、直接相手と話すのではない。
捕虜の魔法を警戒し、マジックミラー越しに尋問が進められていた。

「では… 繰り返しになるが、名前は?」

姿の見えない相手の質問にクラウスはぶっきら棒に答える。

「一体何度目の質問だ!?
エルヴィス辺境伯領主アルド・エルヴィスの弟。クラウス・エルヴィスだ!」

捕虜になってから幾度となく同じ質問が続いたが、今回は尋問する側の顔ぶれが違った。

「彼、男という割には綺麗な顔してるわね」

頬に人差し指をあて、クラウスを舐める様に高木は見る。
しかし、そんな事を露とも知らず、マジックミラー越しのクラウスは、同じ質問に飽き飽きしていた。

「身体検査の結果、生殖器に一部人工的な術式の跡が有りました。
多分、それが原因でホルモンバランスが崩れているのでしょう。」

検査に当たった医師が高木にそう説明する。

「へぇ~… 文化的なものかしら?…後で聞いてみたいわね。
まぁ それは置いといて、質問を続けてください。」

職員は分かりましたと言った後、事前に決められた質問をしていく。

「貴方の国は何という国ですか?」

「ゴートルム王国エルヴィス辺境伯領」

「今回の侵略は王国の命令?」

「辺境伯家単独の行動だ」

「侵略の意図は?」

「亜人の討伐と新たに出現した土地の平定のため」

「亜人とあなた方の関係は?」

「神の祝福を受けた人種と、神の愛を受け入れぬ亜人に特別な関係などない」

「今回の首謀者は?」

「……」

「今回の侵略の首謀者は?」

「いい加減にしてくれ!
貴様らの国を見せてくれたら、何でも話てやるって言っているだろう。
それなのに同じ質問ばかりで、一向にこちらの事を教えてくれぬ!王を出せ!会わせるまでは何も話さん!」

クラウスは椅子に手錠で拘束された状態のまま、頬を膨らませてそっぽを向く。

「今回の侵略の首謀者は?」

「………」

クラウスは完全に黙秘に入ってしまう。
彼にしてみれば、この地を深く知ることで、今後の辺境伯領の発展にいかせられると思い、最初は協力的に質問に答えていたのだが
いくら質問に答えても見返りが無い。
そもそも彼が取引を持ちかけたのは、初めての捕虜生活が想像していた(この世界の捕虜の扱いとして一般的な)劣悪環境とは違い、檻はある物の三食の食事と寝床が用意されていた事で
彼の中では特別待遇を受けているものだと勘違いしていたからだった。
その為、いくら尋問に協力しても一向に与えられない見返りに、彼はスネた。

「どうしましょうか?」

職員は高木を見る。
高木にしてみても、急に黙秘を始めた捕虜をどうするか聞かれても言葉に詰まる。
一緒に連れてきた秘書官に目配せするが、彼も肩をすくめるだけだった。
そんな時だった。
陽気な声と共に廊下を歩いてくる足音が聞こえる。
廊下の角を曲がり、姿を現した声の主はステパーシン内務相とツィリコ大佐だった。

「やぁ 大統領。
大統領も捕虜の尋問に来たのですか?」

その声はどことなく楽しそうである。

「えぇ でも、ステパーシンさんは何故ここに?」

その質問を聞き、ステパーシンとツィリコはお互いの顔を見て楽しそうに語る。

「私らも捕虜の尋問ですよ。
捕虜の尋問をやってると聞いて、何とも懐かしくなりましてね。
昔はよくやらされたものです。
そこで、ツィリコ君と一緒に捕虜尋問の手本を見せようと思いましてね。駆けつけたわけですよ。
どうせ、旧自衛隊の面々はそういう事に対して不慣れでしょうから。」

ステパーシンはそう言って、ペンチや漏斗等様々な道具を鞄から取り出す。
彼の横にいるツィリコ大佐も「コーカサスで最新の流行を取り入れた尋問です。効果はバッチリですよ。」と高木に笑ってみせる。
満面の笑みを浮かべる二人に高木は眩暈がした。

「いえ!お気持ちは結構です!我々だけで尋問の目途はついていますから、どうぞ道具は仕舞ってください。」

高木は両手を突き出して必死に二人が余計な事をしないように抑えるが、二人はなかなか諦めようとしない。

「だが、捕虜はあまり喋る様な態度ではありませんよ?」

ツィリコは未だに顔をそむけた状態のクラウスを指差す。

「大丈夫です!彼は早く喋りたいと思ってるだけです。
そのコーカサス流とかいう尋問方法は要りませんのでお引き取り願います!」

そのまま高木は彼らの背中を押し、頼み込むように帰ってくれと言う。
そう言われた二人も非常に残念そうに渋々と従うが、どうにも諦めきれないようである。

「では道具はお貸ししますので、ご自由にお使いください、大統領閣下」

「もういいから、帰ってください!」

高木は二人の背中を睨みながら叫ぶ。
そんな二人の姿が視界から消えると、どっと疲れが襲ってくるようだった。

「で、大統領閣下。いかがなさいますか?」

そのやり取りを離れて伺っていた秘書官が高木に声をかける。

「ふぅ…
そうですね。向こうもこちら側の情報が知りたいようですし、機密に触れない程度の情報は与えましょう。
聞けば、貴族の一員のようですし、外交チャンネルを開くのに使えそうですしね。
外に出して街を見せるわけにはいきませんが、映像位なら良いでしょう。」

「では、その通りに」

そして、高木が取引に応じるとクラウスに伝えると、彼は喜んでこの世界の概要を語って見せた。
逆に、こちらの情報については、プロジェクターで映し出された巨大産業文明の都市の映像や軍の映像に驚愕の眼差しで目に焼付け、
政治体制の概要については注意深く聞いているようだった。

「魔法も無しにこの様な文明が築けるものなのか…」

クラウスは映像を見ながら呟く。
この高度な文明、その"科学"の力とやらを領地の発展に生かせたら、どんなに素晴らしいだろうか。
映像を見終わった時、クラウスの心はこの未知の文明に絡みつかれるように捕らわれていた。


「随分と喋ってくれたわね。」

高木は、口を空けながら映像に見入るクラウスを見て言う。

「えぇ これで今後の戦略が立てやすくなりました。」

高木の後ろから秘書官が言う。

「では、戻るとしましょうか。」

高木はくるりと振り返り、出口へ向かおうとするが、床に鞄が一つ転がっているのを見つけた。

「これは… ステパーシンさんのね。後で届けてあげましょう。」

そういって、おもむろに高木は鞄を持ち上げると、口が開いていたのか中身がボトボトと落ちた。
それを後ろから見ていた秘書官の目に映ったのは、先ほど見た漏斗やペンチの他に、鞭や針金に生々しい造形の極太張型…
何に使うのだろうか… あまり考えたくないと彼は思う。
それに、落ちたものを拾い上げる時、一瞬、高木がクラウスと張型を交互に見ながらゴクリと喉を鳴らしたような気がしたが、それも幻聴か何かだろう。
何にせよ、この捕虜の存在により、これから北海道とこの世界との関係は、新たな局面に入るのは間違いない。
秘書官は目の前の光景から目をそむけ、今後降りかかる様々な事象に想像を巡らせ、気合を入れるのだった。



[29737] 戦後処理と接触編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:13
季節は冬。

転移後の冬も例年と変わらぬ白銀の世界に覆われた大地は、深雪に全ての音を吸収されたかの如く穏やかだった。
もっとも、礼文の一件以来、武力衝突は起きていないとはいえ、様々な勢力と接触すべく札幌の一部ではお祭り騒ぎが続いているのだが
ここ北見市の朝は静寂に包まれていた。
雪に覆われた白樺の森の中、エゾシカが餌を求めて走り回り真っ白なキャンパスに足跡を残しながら樹木の皮を齧っている。
そんな変わる事のない自然の情景を、ヘルガは森から少し離れたホテルから見ていた。


12月末。
現地で雇ったパートのおばちゃんをはじめとするロシア人達は、ヨールカと呼ばれるロシア式のクリスマスと正月が合わさった行事を家族で過ごす文化が有り
その為、国後の石津製作所は2週間の冬季休業に入っていた。
だが、雇った亜人達は新年を祝う風習はあるものの、まだ移住から日が無い事から生活にそれほど余裕が無く(それに、そもそも暦の新年の始まりが転移してきた北海道とずれていた!)
何もせず暇に休暇を過ごすと思われたが、社長である拓也の一言により彼らの休暇は非常に賑やかなものとなった。

「正月だし帰省する。でも、彼らを置いていくのは可哀想だから一緒に連れて行くか。
どうせ、兄ちゃんの農場も彼らを使ってるし一緒に宴会やろう」

そんな太っ腹な拓也の思いつきと、ノリの良い彼の兄の計らいにより、ヘルガ達一行は北見の外れにある古ぼけた宿泊施設に訪れていた。
ヘルガにとって雪を見るのは初めてでは無いが、ここまで寒い冬は今までに体験したことが無かった。
南に行けばいくほど寒くなるのは知っていたが、大陸の南海岸より海を越えて南下したことは無かったし、ここ北海道の家は、何故か南向きの建物が多い。
なぜ太陽の動く方向とは逆に家を建てるのかと聞いたら、この世界に来る前は太陽は南側を通過していたから南向きの家が多いそうだ。
社長は南半球と北半球がどうのこうのと言って、世界は球体をしていると言っていたが、世界がそんな形をしていたら、世界の端に住んでいる人は断崖絶壁の急斜面に住んでいるのであろうか
色々と興味深かったが、社長の説明が勝手に脱線を始め、宇宙やら公転やら何やら訳のわからない事を熱く語り始めたので、ヘルガはそれ以上聞くのは止め、今度話を聞くときは社長の奥さんか誰かにしようとヘルガは心に決めた。
そんなこんなで日当たりの悪い室内の窓から外の銀世界を眺めていると、2台の車がホテルに戻ってきた。
先頭の荷台付きの小さな車には、運転席に社長、その横にエドワルドさん、後続の車にはアコニーと社長の奥さんであるエレナさん達が乗っていた。
ヘルガが彼らが車から降りるところを見ていると、アコニーがそれに気付いて手を振ってきた。

「ヘルガー!鹿獲ったよ!お肉だよー!」

満面の笑みでエレナさんと共に獲物の鹿を荷台から引きずりおろすアコニー。
その大声で目が覚めたのか、同室だったカノエものそのそと起きてきた。

「……何の騒ぎ?」

「アコニー達が鹿獲って来たそうよ。まぁ 行ってみましょ」

ヘルガは北海道にやってきて買ったお気に入りのダッフルコートを手に取ると、未だに目覚め切っていないカノエを誘う。

「…みんな寒いのに元気だね」

布団に戻ろうとするカノエをヘルガは無理やり引っ張りだす。

「まぁ ちょっと見に行きましょうよ。ほら、さっさと上着来て」

布団から引きずり出したカノエに上着を放り投げるが、彼女は再び布団に戻ってしまう。

「もうちょっと…」

そんな際限なくだらけるカノエを引き摺ってヘルガたちがホテルのエントランスまで来るころには
アコニー達の周りに人だかりが出来ていた。

「遅いよヘルガ達… 何してたの?」

アコニーが頬を膨らませて尋ねる。
その問いに対して、カノエはどこか遠くを見て答えた。

「…すべては、ココの寝具が快適すぎるのがいけないのよ。
ふっかふかの毛布や布団に包まれて、朝起きれる方が異常なのよ。
…ここに慣れてしまったら、もう大陸に戻るなんて無理ね」

仕方が無かったんだと言わんばかりにカノエが説明するが、ヘルガもアコニーも既にまともに聞いていなかった。

「ふぅ… もうそれはいいよ。
それよか見てよ!鹿獲ったよ!鹿!
この銃を使ってみたら、一発で仕留めれたよ。
これって凄いなぁ。今まで試し打ちで木の板しか撃ったことが無かったけど、生き物に対しても凄い威力だね」

アコニーは満面の笑みで肩にかけていた銃のケースを降ろした。
その中身は、いつも工場で作っているAKとは少し違っている。
石津製作所は、5.56mm弾用のAK100シリーズへ装備の更新を進めるロシア軍から、7.62mm弾を使用する中古の小銃を格安で購入していた。
その用途はと言うと、供給の途絶えたレミントン等の猟銃の代替として民間用にフルオート機能を無くしたセミオート銃へ改造を施し、市場に出すことを狙っていた。
事実として礼文島の事件以来、道民の安全に対する意識は変わり始めており、郊外の人間ほど自分の身を守る最低限の用意を欲し、更に道内の食糧事情として肉類が不足する中で猟師が鹿肉を食べている姿は、中古の猟銃市場を高騰させるのに十分だった。

「それにしても、まだ訓練を始めて日が浅いのに、よく飛び道具を扱えるわね」

ヘルガが鹿の首筋に開いた銃創を突きながらアコニーに聞く。

「そりゃ 毎日いっぱい鍛えられたもん。
射撃練習で的はずしたら尻尾踏まれるし。エドワルドのおっさんは人族の皮を被った悪魔かダークエルフに違いないね」

よほど踏まれたのだろうか、その尻尾の毛並みは所々乱れていた。
アコニーは尻尾をさすりながら声を小さくして二人と話ているつもりだったが、悪口の部分も含めていつの間にか真後ろに立っていたエドワルドに全て筒抜けであった。

「踏まれたくなかったら、的を外すんじゃない!」

そう後ろからアコニーの耳元で怒鳴るようにエドワルドが言うと、アコニーは驚いた猫の様に毛並みを逆立たせて気を付けの姿勢をとる。
同時に「ハイ!教官殿!」と反射的に叫んでいるあたり、本当にしごかれているんだなとヘルガ達は思った。

「パッキーを見ろ。余計な事も言わず作業しているぞ」

エドワルドは、捌く為に鹿を運んでいる兎型の獣人を指差しながらアコニーの尻を叩く。
急に尻を叩かれたアコニーは「きゃん!」と短い悲鳴を漏らすと、きゃいきゃいと鹿を引きずって裏手へ消えていった
そんな彼女らを尻目に、エドワルドは拓也に話かける。

「まぁ 頼まれた通り鍛えているけど、本当にいいのか?」

「もう決めた事だから、このまま石津製作所 警備部の設立は続行で頼みます」

エドワルドの問いに拓也は迷いなく答える。
石津製作所 警備部。
全ては礼文の騒動の後に始まった。
あの日、拓也らが皆と共に夕食を取っている時、宿舎の食堂に備え付けられたテレビから外部の勢力に礼文島が侵攻を受けるというニュースが飛び込んできた。
既に大半は制圧し、残敵の掃討を行っているというニュースだったが、その直前に難民たちに対して『守ってやるから安心しろ』的な事を約束していた拓也には、非常に重い内容だった。
周りを見れば、彼らが不安げな表情で拓也に視線を送っている。
対人同士しか言葉が翻訳される力が働かない為、テレビから流れる日本語を彼らは理解できなかったが、燃える集落や捕虜となった敵兵の姿を見て、何事が起こったかは大筋で理解したようだった。
一瞬、食堂内は重苦しい空気に包まれたが、拓也は残りの夕食をかきこむとガタリと席を立った。

「えー、今のニュースによると、大陸からやってきた武装勢力が此方の島の一つに侵攻したそうだ。
でも、既に制圧して騒動も沈静化に向かっているらしい。
こういった事で色々と不安になると思うけども、君らの安全は自分が責任を持つ。
具体的なことは後程発表するけど、安心してもらって構わない」

そう一言皆に告げると、拓也はエレナやサーシャ達に後で自室に来るよう耳打ちして、そそくさと自室に消えていった。
そうこうするうちに少々重苦しい雰囲気の夕食も終わり、拓也から声を掛けられたメンバーは彼の部屋に集まっていた。
拓也、エレナ、サーシャ、エドワルド、この四人が揃った所でデスクに腰かけた拓也が口を開いた。

「さっきのニュースの事だけど、皆はどう思う?」

拓也の口から出たのは、先ほどのニュースであった大陸からの侵略についてだった。

「彼らが言うには大陸で大規模な侵略に遭い、それで難民化したという事だから
その大陸から来た好戦的な軍勢… おそらくは、彼らを襲ったものと同一と見て良いだろう。
大規模な侵攻については軍に任せればいいが、一度上陸を許したって事実が彼らを不安にさせるだろうな」

エドワルドは腕を組んで思った事をそのまま言った。

「それに工場設立時に他の勢力から襲撃を受けてる事も、パートのロシア人経由で聞いているそうよ。
かれらは表面上は隠しているけど、やっぱり不安でしょうね」

エレナもニュースの件以外にも不安材料はあるとして過去に工場を襲撃された件を口にする。

「まぁ 皆が言う安全面での懸念は前々からあった訳だ。
そして、彼ら相手に大見得切った手前、何もしないという訳にはいかないので、以前から温めていた腹案があるので皆に聞いてほしい」

「というと?」

拓也の腹案とやらにエレナが食いつく。
そんな話があるなんて、全く聞いていなかった。

「武装した警備部の設立と将来的な民間軍事会社(PMC)化。
自分の身は自分たちで守りつつ、警備だけで人材を遊ばせておくのも勿体無いので、なおかつそれで商売しようと思ってる。
どうせいつまでも道内だけで自給なんて出来ないんだし、その内、道外と交流を深めるなら護衛のニーズはあるんじゃないかな。
難民が発生する紛争地帯が近くにあるのは確実。
それにこの世界の文明レベルはあまり高いとは言え無さそうだし、山賊や海賊が居てもおかしくない。」

「治安が意外にも安定していたら?」

エドワルドはその前提が崩れていた時の懸念を口にする。

「その時は、連邦軍の補給屋か、PMCとして独自の国際協力するだけだよ。
火種があれば叩き潰し、紛争があれば戦局をひっくり返す感じで。
でも、あくまで政府の意向に沿う感じで行動するよ。
南アフリカのEO社みたいに会社を解体されたくないしさ」

楽しそうに拓也は話出すが、あくまで政府の掌の上でと強調するあたりがチキンだった。

「でも、誰が訓練するの? トップは? 人材は?」

一体誰が音頭を取ってやるんだというエレナの質問に拓也は笑う。

「それはもう決まってる。
教官は、エドワルドのおっさん。
どうせ監視とか言いつつ、エロ本読んで寝てるだけなんだから、人の役に立ってもらいます」

「いや、俺は内務省警察所属で「授業料は給料の1.5倍出します」…まぁ ちょとくらい手伝ってやってもいいかな」

エドワルドの言葉を金の力で黙らせると、拓也はエレナの方を向く。

「んでだ。 事業部長はエレナ。君に決定」

全く知らされていなかったエレナは目を丸くして驚く。

「え? 私?何で?」

その問いに拓也は目を閉じ、言い聞かせるように説明する。

「武器屋の統轄はサーシャ、傭兵屋の総轄はエレナ。
んで、それを取りまとめるのが俺。
いや、商売柄政治工作がいるし、そうなると本道に行きっぱなしって事もあるから、俺抜きでも事業は回る体制にしたい。
それに、エレナさん銃持たせたらマジ強いし」

だが、その説明を聞いてもエレナは渋る

「でも、そんな事業部なんて纏めれる自信ないし…」

そんな自信なさげな彼女の元に拓也はズカズカと近寄ってその手を掴む。

「成せば成る!成さねば成らぬ何事も!」

「え… でも…」

「まだ計画の段階だから、問題点はこれから出してくれればいいよ!」

拓也はエレナの肩を両腕で叩いた。
満面の笑みで任されたエレナはそれ以上の言葉を封じられてしまった。

「と、いう事で動こうと思うけど、最初は少数を訓練して軌道に乗ったら
一部隊作ってみたい。まぁ 当然人数が要るわけだから、中央に追加の難民派遣を頼まなきゃならない。
まぁ 人材については今でも少し不足気味だし、経営の収支予測的にも人を増やす余力はある。
何か質問は?」

くるりと振り返り、拓也は残りの二人を見まわした。
すると、いままで黙っていたサーシャが静かに手を上げる。

「何かな?サーシャ」

サーシャは、これ以上ないほど真面目な顔つきで拓也に言う。

「今回の件、よくわかった。
特に僕にはやることは無いが、警備部の制服のデザインは任せてくれ。
タイトなミニスカートを基調とした良い案が浮かんだよ」

サーシャは拓也にニヤリと笑う。
実に良い笑顔だった。
本気モードのサーシャは良い仕事をするに違いない。
拓也はデザインが出来上がったら詳細を詰めようと親指を立てて応える。
礼文での事件後の夜、拓也の自室でそのようなやり取りが有り、石津製作所 警備部の設立は始動した。



その後、色々な試行錯誤の末、生産業務に支障をきたさない範囲で志願者の募集が行われ
数人の亜人とエレナを加えたメンバーで訓練も行われていた。
本来ならば管理職であるエレナは訓練に加わる必要性は無いのだが、健康(ダイエット)の為との本人の要望により一緒に訓練に参加している。
今回のエゾシカ猟も、猟銃に改造した小銃のテストを兼ねた冬季訓練という名目で行われていた。

「そういえば、エドワルドさん。
ステパーシンさんにアポ取れます?ツィリコ大佐でもいいや」

鹿が引きずられた雪の跡の上を歩きながら拓也はエドワルドに話を振る。

「まぁ 出来んことは無いが、何故?」

「一応、立ち上げる時に連絡は入れたけども、まだ面と向かい合って話て無いでしょ。
色々と役に立ちますよーと売り込んでおけば、組織として安泰だし、仕事が来るかも。
それに、今の内に政府に役立つと認識させて既成事実化しておけば、本道とクリルの法制度完全統合時に不利な法律は作られにくいでしょ」

それを聞いてエドワルドは一理あるなと頷き言葉を返した。

「まぁ それもそうだな。一応上には話をしてみる。
もう正月だから、年明けでいいか?」

それを聞いて拓也は満足そうに答えた。

「それでいいよ。というかあまり急がれても困る。
今夜は大みそかだから皆で宴会、明日は正月で宴会、その後はコネの為に親父と兄貴について行って武田勤主催の新年会と民自党北見支部の新年会…
正直、毎日宴会で死ぬかもわからんね」

「まぁ それも全て会社の為だ。諦めることだな」

エドワルドは笑って拓也の背中を叩くが、当の拓也はひきつった笑顔を浮かべる事しかできなかった。




大晦日の晩。

すでに日が落ちた北海道の空は、街の光とそれを反射する深雪により深い紺色に包まれていた。
時折、雪もちらつく寒い夜だったが、川辺にぽつんと佇む建物の窓からは、明かりと大きな笑い声が漏れている。
大宴会。
北海道の大晦日に質素という文字はない。
豪勢な夕食を、囲み飲んで騒ぐのが北海道の伝統だった。
そういった意味では、100人近い亜人と道民そしてロシア人達による大宴会は、非常に正しい北海道の大晦日の風景だった。
最早何度目かわからない乾杯の声と共に、ビールや日本酒、ウォッカなど各々の手に握られていた飲料が皆の喉を鳴らす。
見ればテーブルの上には豪勢な料理と共に空のビンがいくつも転がっている。
サッポロから、エールや黒ビールといった地ビールに紫蘇焼酎など銘柄もさまざまである。
亜人たちはこんな美味しいエールは初めてと喜び、ピルスナーや焼酎、ウォッカ等の初めて飲む酒に喜んでいたが、上質なビールやエールに自然と杯が進み、若干酒が回ったところに同じペースで物珍しい焼酎やウォッカをガブガブと飲む。
そしてビールと度数の高い酒等をちゃんぽんで飲のむという愚行の結果、会場全体がとんでもない乱痴気騒ぎと化してしまった。
抑えて飲もうとしていた者達も、既に酒に飲まれた者達に強制的にジョッキに焼酎等を注がれ次々に酒ゾンビの仲間入りを果たす
そんな様子を上座に座る二人が眺めていた。

「どうしようかね。兄ちゃん」

「どうしようもねぇべ。拓也。
まぁ ホテルに出入り禁止を食らわない程度に楽しむのがいいべさ」

そういって、最早制御不能な宴会を見ながら兄はビールを煽る。

「それより、よく鹿なんて取ってきたな。
物資統制下で鳥以外の肉類がちっとも手に入らねぇから、肉の塊にホテル側も驚いてたぞ。
…だが、ちゃんと捌いてから持ってくるのはいいけど、ホテルの敷地で捌くのは止めてくれ
さっき、代表者って事でフロントに呼ばれて怒られたべや。
ホテル裏の雪が血で染まってるって」

「あー… 次からは気をつけるわ」

拓也は鹿を捌いている光景を思い出した。
亜人たちによってホテルの裏へ引きずられていった鹿はあっという間にバラバラに解体され肉の塊へと変化していった。
あまりに上手に解体するものだから、片付けは任せて一足先にホテル内に戻ったのだが…
奴ら… 内臓とかはどう処理したんだろうか?
あまり宜しくない想像が頭の中を駆け巡るが、今は宴会中である。
後で後処理はどうしたのか彼らに聞こうと拓也は考え、目の前のビールに口をつけた。

「それより、すごい量の料理だわ。兄ちゃんの農場とウチの工場で100人近くの宴会になったけど、よく食材を調達できたね。」

拓也は素直に感心して目の前におかれた刺身の船盛に手を付ける。

「まぁ 足りないのは牛や豚の肉類と従来の外洋魚だしな。他の野菜とかは結構あるし
あと、足りない食材は持ち込みって事で、今日の宴会代はかなり安くしてもらった。
お前が食ってる魚だって、俺が網走で仕入れてきたやつだよ」

拓也は食べていた刺身のひとつを箸で摘むとまじまじと見る。

「へぇ これ兄ちゃんが仕入れたのか。切り身じゃ何の魚かわかんないけど旨いね。
これ、なんて魚?」

感心したように拓也は言い、持っていた魚を口へ運ぶ。
拓也の疑問に兄は素っ気なく答える

「知らん」

「え?」

「いやだから、名前は知らん。
獲った漁師も今までこの辺じゃ見たことなかったそうだ」

予想外の答えに拓也の目が点になる。

「・・・は?」

そんな訳のわからないものを食わされていたという事実を聞かされても、突然の事で、拓也は言葉が出てこなかった。

「でも、安心しろ。
仕入れる前に、漁師さん達から『見たこと無いけど旨かった』と聞いてから持ってきたから、味は大丈夫だったろ。
それに毒があるなら、既に漁港が滅んでいるはずだから」

普通、得体の知れないものは調べるのが先だべ、いきなり食ってみた漁師の度胸はハンパねーやと
兄は笑って答える。
その能天気な笑顔をみて拓也も次第に考えることが馬鹿らしくなってきた。

「まぁ 一度食っちまったんなら、山盛り食おうが同じだよね。
もう覚悟決めて食っちまおう!」

そう言って拓也は謎の刺身を摘むとバクバクと口へ運ぶ。

「そういや、変な食材といえばトド食った事あるか?」

話題を変えて兄が拓也に聞く。

「トド?観光地に売ってるトドカレーの缶とかそんなのなら少し」

「漁師の話によると、異世界だから冬の風物詩のトド撃ちが無くなるかと思ったら、海から別なもんが来るらしい。
んで、その別もんも同じように漁具を荒らすもんだから、それをトドと呼称して駆除しているそうだ。」

「・・・まさか、その謎の生物をトドと言って売ってるとか?」

拓也の言葉に兄はニンマリを笑って答える。

「正解!でも、役場に見つかったら怒られるかも知れないと言ってたから、食べたいなら早いとこ行ったほうがいいぞ。
俺も網走で、首長竜の串焼きを食べるなんて貴重な体験をできるとは思わなかったべや。」

答えを言い当てられた兄は笑って拓也の肩を叩く。

「この世界はそんなモンまでいるのか。
だけど、本当にそんな変なもん食べて大丈夫なの?病気になったらどうすんの?」

「まぁ 十分焼いて食えば大丈夫っしょ。不安なら征露丸飲めばいい。」

「そういうもんかね」

「そういうもんだ。
それより見ろよ。お前の所の猫娘がテーブルの上に載って踊ってるぞ。」

既に謎の魚を食べる箸を止め、やっぱり不安な拓也。
そんな彼に兄は宴会場の一角を指差した。
見れば石津製作所のかしまし娘の一人であるアコニーが、兄が連れてきた農家ロイド39型達の歌声をバックに踊っている。

「それにしても、歌うまいなぁ あのロボット集団」

アンドロイド達は、アカペラでケルト調の曲を絶妙なハーモニーで紡いでいた。

「そりゃ 音声系はボーカロイド系譜だもんよ。
彼女らに歌わせたら一級品だよ。まぁ 俺の調教の賜物でもあるんだが」

妙に自慢げに兄は言うが、拓也はクルクルと曲に合わせて見事なタップを踏む彼女らに魅入ってしまった。
流れるように舞い、コーラスに合わせて激しいタップを刻む。
時に激しく、時に官能的に、そんな彼女の踊りに、拓也は閉じるのを忘れて凝視してしまう。
だが、タップの度にギシギシと悲鳴を立てるテーブルの音で、無理やりに拓也の意識は引き戻されてしまった。

「アコニー踊るなら、テーブルの上じゃなく前の壇上で踊れ!」

拓也の叫びにアコニーも「はーい」と応えて踊りながら前に出てくる。

「しゃっちょー。飲んでます~?」

タップを踏みながら拓也の横を通るアコニーが、すれ違いざまに絡んでくる。

「エレナはどうした?絶対に何かやらかすと思ってお前らの監視役に付けたのに」

よほど飲んだのだろう、焦点の合わない目つきでアコニーが答える。

「奥さんなら~ あそこでカノエと飲み比べしてますよ。
あの二人は信じられません。正直、化物かなにかです~」

そう言って、テーブルの一角を指差して彼女は壇上に向かって去っていった。
その指先の方向には、見覚えのある栗色の髪と目立つ青色の頭の二人が居た。

「なんだ拓也? 嫁と飲まないのか?」

兄が夫婦で別々に飲んでいる拓也に質問する。

「エレナは監視役として向こうに入れた。
つーか、ロシアにいた頃、友達と二人で瓶ビール40本あけたとかいう猛者だよ?
最初から一緒に飲んだら死ぬし。程良い頃合いまで待つよ」

拓也の言葉通り、テーブル上には無数の空のショットグラスとウオッカ
まるで酒の神バッカスの化身というかのようなウワバミだった。
だが、その前に座るカノエも負けてはいない。
フフフ…と笑うと飲み干したショットグラスを音を立てて机に置く。
そんな常軌を逸した二人の周囲には、おそらく下心で飲み比べに参加したのであろう男共が何人も青い顔をして床に伏している。
もし最初から彼女らと一緒に飲んでいたら、拓也もあの中の一員となっていただろう。

「そういえば、3人娘が一人足りんな?」

拓也は周りを見渡すが、どこにも一人見つからない。

「おい、アコニー。
ヘルガはどこ行った?トイレか?」

微妙に女性への配慮に欠ける拓也の問いに、アコニーは踊りながら答える。

「え~? ヘルガなら副社長とどこかに行きましたよ?」

「サーシャと?」

拓也の脳裏に悪い予感がする。
前々からロリコンの気が有るサーシャは、ロリ体形のヘルガに好意を寄せていた。
それが二人でいずこかに消えた。
最早、介抱に見せかけた犯罪的お医者さんごっこしかイメージできない。

「いかん!ヘルガを助けねば!」

拓也は慌てて席から立ち上がったが、それと同時にロボット達の歌声が止まる。

「今度は何だ?」

急に音楽が止まった事で踊っていたアコニーも何が起きたのが分からないという感じだったが、その一瞬の混乱も、宴会場に置かれていたスピーカーから聞こえてくる声によって静まった。

『北の大地は 別れの地 故郷を離れ 何思う
北の大地は 女の心 酒と人肌 氷を溶かす
雪の大地に女が一人

ヘルガが歌います。

スターリングラード冬景色』

サーシャの口上と共に室内に入ってきた浴衣姿のヘルガが、イントロにのってマイクを持ちながら壇上へ、皆あっけにとられている。
当の歌っている本人は酒のせいもあるのか自分だけの世界へトリップしていた。

「サーシャに襲われたんじゃなかったのか…
そういや彼女、よく演歌が好みに合うって言ってたな」

着々とこちらの文化に染まっていく亜人達
演歌を歌うドワーフ娘を見ながら拓也は彼らの順応具合を知り
初日の出が見えるまで続く乱痴気騒ぎの中、彼女の歌声を皆で聞き入る事で、一時の休息を得るのだった。







年も明け、異世界での2026年は無事平穏に過ぎていこうとしていた。
統制経済の中、町では初売りのセールが始まり、比較的数に余裕のある規制のかかっていない商品をつめた福袋に、長蛇の列が出来ていたのも数日前の話だ。
そんな正月ムードも終わりに近づきつつある中、拓也、エドワルド、サーシャの三人は丘珠空港に降り立っていた。
北見―札幌間は特急で4時間半、車で行った場合は冬の石北峠を超える為に更に時間が掛かるが、最寄りの女満別空港と丘珠空港を結ぶ空路なら、45分と短時間で移動が可能だった。
短い空旅の後、駐機場で停止したプロペラ機から降り立った拓也は、エドワルドに話かける。

「いやー、やっぱ飛行機は早いわ。
これなら特急の倍の料金でも喜んで払うよ。北海道エアコミューター最高!」

笑顔で感想を述べる拓也にエドワルドも笑いながら言うが、その感動はあまり共有できていなかった。

「旅費は全部そちら持ちだから、俺は快適であれば何でもいいよ。」

「まぁ それについては会社も順調に動き始めてるし、旅費なんて経費で落とせばいいよ。
今、政府からきている注文を何事も無く収めた場合、利益も結構な金額になるから、チマチマと節税対策しないとね」

そういって笑顔でタラップを降りる二人だが、それに遅れて覚束無い足取りの人影が現れる。
青い顔のロシア人
タラップの手すりに縋りつくように、よろよろとサーシャが降りてくる。

「ちょ… 待って…」

彼を置いてズンズン進む二人にサーシャは擦れそうな声で助けを求める。
だが振り返った二人の返事は冷たかった。

「調子に乗って飲み過ぎるからだろ。たかが二日酔いでだらしない」

「ロシア人たるもの、少々の酒くらいでへばるな!」

全く同情する事のない二人にサーシャは涙目になる。
その様子に流石に哀れになったのか拓也はタラップまで戻っていった。

「仕方ないなぁ 肩貸すけど、元旦の朝みたいなことは本当にやめてね?」

やれやれと拓也はサーシャに肩を貸し、最悪だった元旦の朝を思い出した。
年越しの宴会の夜、適度に飲んで部屋に戻って寝た拓也は、翌朝、朝食を取るために起きてくると、その惨状に目を覆った。
宴会用の広間ではほぼ全員が酔いつぶれて寝ている。
所々で備品も壊れており、衣服が肌蹴たまま廊下で寝てる奴までいる。
拓也は、とりあえず廊下で寝てる奴をどうにかするため近寄るが思わず声を掛けるのを躊躇ってしまう。
なぜならば、廊下で寝ていたのは、昨晩は嫁のエレナと飲み比べをしていたカノエであった。
肌蹴た豊満な胸元から桜色の何かが自己主張しているが、このまま放置というのも不味い。
拓也は目の保養として十数秒の至福のひと時を堪能すると、一言「ご馳走様でした」と手を合わせて礼を言ってからカノエの肩をガクガクと揺らした。

「おい!こんな所で寝たら風邪ひくぞ!さっさと部屋に戻れ!」

ガクガクと起きるまで頭を揺らすと流石の彼女も目を覚ます。

「…あぁ? あ、社長… おはようございます…」

「一体何だ!このありまさは? エレナに皆の面倒を頼んだのに、奴はどこへ行った?それにサーシャは?エドワルドのおっさんは?」

「えー… エドワルドさんは途中でもう寝ると言って部屋に戻っていきました。
サーシャさんは知りません。そこらで潰れてませんか?
奥さんは… あれ? 昨晩は一緒にトイレに行こうとして席を立ったんですが、そこから先が思い出せません」

カノエは額に人差し指を当てて昨晩の事を思い出そうとするが、どうにも覚えていないようである。

「じゃぁ とりあえずトイレを探してみようか。一緒に来てくれ」

拓也はカノエの手を握って引っ張り起こすと、一緒にトイレへ向かう。
そして、二人でトイレへやってくると、案の定、女子トイレのエリアからイビキが聞こえた。

「…カノエ。連れてきてくれ」

「あ、はい」

流石に拓也が女子トイレに入るわけにはいかないのでカノエに頼む。
そのカノエも拓也に頼まれると女子トイレへスタコラと入っていった。

「…しっかし、サーシャはどこに行った?」

拓也は、カノエがエレナを連れて戻ってくるまで待つ間、ふと男子トイレを覗いてみる。
そして拓也は後悔した。
トイレの床のあちらこちらに積もる嘔吐物の山。
量的に恐らく一人二人ではない。恐らく、調子に乗って飲み過ぎた馬鹿共が所構わず粗相したのだろう。
現に馬鹿の一人であるサーシャがむせ返る吐瀉物の海の中で寝息を立てていた。
この事が原因で、後にホテルから石津製作所は出入り禁止を食らうのだが、そんな人生の汚点となる出来事を、拓也の肩を借りて歩くサーシャは思い出していた。

「大丈夫。もう、あんな事にはならないよ…」

息も切れ切れにサーシャは言うが、拓也は信用していない。

「じゃぁ 今の体たらくは何だよ?
あの日から毎晩正月気分で飲んでるけど、本当に大丈夫か?」

「あの晩が異常だっただけで、それ以降は吐いてない。大丈夫。大丈夫…」

「これからお前の親父さんに挨拶するんだから、ちゃんとしてくれよ?」

「あぁ…任せろ…」

そんな未だに顔の青いサーシャを連れ、拓也達は空港の外に出ると、ステパーシン内務相のいる連邦政府ビルへと向かうためタクシーに乗った。
途中、あまりに青い顔をしているので、何か飲み物をくれと言うサーシャにガラナドリンクを与えると目的地の到着する頃には、顔色は幾分かマシになっていた。

「これ良いな。うまいよ。何だこれ?帰りに箱で買っていこうぜ」

ペットボトルに残る赤茶色の液体を揺らしながらサーシャは言う。

「そうか、ガラナは北海道でポピュラーなドリンクだけど、飲めるのは今だけだぞ」

「何故?」

「原材料が南米産だから。もっと飲みたかったら、この世界で似た植物を探すしかないんじゃないか?」

「マジか…」

せっかく気に入った飲料を見つけた瞬間、もう生産は無いと言われた絶望感でサーシャの口元が情けなくへの字に曲がるが、サーシャは再度ガラナを口へ運ぶ。

「まぁ 無いなら探すまでだな。それにしても、この味… 癖になりそうだ」

サーシャはこの一件でガラナ飲料を非常に気に入り、「ガラナは命の水(アクアウイタエ)」とロシア人に宣伝しまくった。
その事が原因で後日発見されたガラナに似た植物の炭酸飲料は、この世界の代表的な飲料になるのだが、又それは別の話である。
そんなこんなで拓也達一行はステパーシン内務相の部屋にやってきていた。
ノックして扉を開くと、そこには机に座ったステパーシン内務相と、その横にはツィリコ大佐が立っていた。

「お、来たようだな」

ステパーシンは読んでいた書類から顔を上げると拓也達を見る。

「あけましておめでとうございます。ステパーシンさん。それと大佐も」

「おめでとう石津君。それと愚息の面倒を見てくれていつもありがとう」

拓也達は挨拶と握手の後に応接間へ案内され、お茶を持ってきた女性職員が退室するまで軽い世間話で間を潰すと、拓也は本題を語りだした。

「今回来たのは、新年のあいさつと一つお願いがあって来たのですが」

若干身を乗り出して説明を始めようとする拓也に、ステパーシンは全てを見越したように笑って答える。

「あぁ 言わなくても分かる。PMCの件だろう。
エドワルド君からの報告書に色々と書いてあったよ。
まぁ 設立から連邦の法制度の統一までは便宜を図ってやろう」

警護と監視という名目でエドワルドが来ている事から、此方の情報は筒抜けなのは当然だった。
拓也も好意的な回答が来ることを予想していたので、ステパーシンの話の途中から既に笑顔を隠していない。

「まぁ 国家に属さない部隊というのも色々と必要になってくるのだよ。
特に此方の人民は、国軍に対する姿勢が厳しい。
そんな中、国軍よりフットワークの軽い民間は使い勝手がいいわけだ。
とりあえず、この資料に目を通してくれ」

ステパーシンは持っていた電子ペーパーをバサッと拓也の前に置いた。
拓也も「なんですか?」と書類を拾い上げると、その最初のページには次のような文面が並んでいた。



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第25回 北海道連邦戦略会議資料

短期的対外戦略と国内開発について

1、礼文島戦後処理と和平交渉準備
  ・エルヴィス辺境伯領及びゴートルム王国との窓口構築
  ・大陸からの移民教化地域としての礼文島再開発

2、新世界の調査隊派遣準備と派遣地域選定
  ・北方大陸と亜人居住地域の探検と調査
  ・人種国家の文化、宗教面での学術的調査
  ・資源分布調査

3、他勢力との国交樹立の準備開始
  ・西方人種国家との交渉と国交樹立準備
  ・西方国家群と対立する東方諸国家、部族と国交樹立準備


4、魔法研究と技術的応用
  ・亜人の産業導入の研究
  ・礼文戦捕虜からの魔法技術導入

5、新世界の人体及び環境への影響
  ・ワクチン接種の副作用による魔法力の付与
  ・非ワクチン接種動物の肉体変化







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拓也は手に取った電子ペーパーをタッチし、気になるトピックの詳細を読んでいくが
内容が連邦政府の機密にかかわりそうな文面が載っており、それに驚いた。

「これは… いいんですか?自分に見せちゃって。
機密に類するものもあるのでは?」

拓也は見せられた文書に戸惑うが、ステパーシンは別にどうってことないといった感じで拓也に言う。

「まぁ 真に秘密となるような事は、この書類には載ってないよ。
それに、どれもこれも調査等が済み次第、公表される予定のものばかりだ。
そんな事より、2番目の項目を開いてみてくれ」

拓也はステパーシンに言われるままに該当する項目をタップする。
すると電子ペーパー上の画面が切り替わり、新たな文面が現れた。


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2、新世界の調査隊派遣準備と派遣地域選定

  2-1 北方大陸と亜人居住地域の探検と調査
     将来の労働力供給地及び市場として開発するための調査を行う。
     これには民間の学識経験者を混じえた調査隊を複数編成し、現地情報の収集に当たる。
     亜人居住地域については、統一国家は存在せず、集落・部族単位で自治をしている為
     長期に渡り各集落へ調査隊を派遣する


  2-2 人種国家の文化、宗教面での学術的調査
     捕虜の本国である西方諸国との交流を念頭にした文化的背景の調査を行う。
     国家間交渉を円滑に進める為、相手方の文化的バックボーンを体系的に研究する。
     現地宗教団体(イグニス教)との接触による相互理解促進


  2-3 資源分布調査
     戦略資源の確保を目指し、あらゆる資源情報を収集しその確保の準備行動を行う。
     本項目は2-1、2-2を目的に派遣された調査隊も、主任務に支障のない範囲で対応する。



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「資料のとおり、新世界調査のための調査隊が編成されるが、その範囲には他の主権国家の勢力下も含まれる
本来なら大々的な軍の護衛を付けたいのだが、侵略だのなんだのと五月蠅い団体がこちらに数多くあってね。
亜人の居住地域は主権国家が存在しないという事で問題は薄れるが、その他は色々と問題がある。
無論、水面下で調査活動も行うが、スペツナズやKGBの居ない連邦からは大規模な調査隊は抽出出来ないだろう。
そこで国家の軍事力ではないPMCの使い勝手の良さが必要となるわけだ。
亜人居住地は軍の護衛で大々的に、他国の調査は民間の護衛を付けた学者らが行う。
まぁ 対世論の建前でしかないんだが、それでも今は重要なことだよ」

ステパーシンは溜息を一つ吐いてソファーにどっしりと背を預ける。
恐らくは、北海道での政治を見ている内に、過剰なまでの平和主義を唱える団体の相手もさせられたのか色々とストレスを溜めているのだろう。
そんな疲れの色を見せるステパーシンに対して拓也は満面の笑みだった。

「海外調査の護衛ですか!
こちらも、そういった需要を見込んで事業を立ち上げたのですが丁度良かった。
自分も早く新世界に行ってみたくてウズウズしてたんですよ。
あぁ… でも、それはいつからですか?
現在は未だ訓練中で、更に追加で人材を補充しようと思っているので戦力化はまだ先ですよ?」

身を乗り出し、目を輝かせノリノリで喋る拓也。
特に自分が行ってみたいと言った辺りで目の輝きが違った。

「それについては、そう直ぐに派遣という事ではないから安心してくれ。
緊急性の高いエルヴィス辺境伯領との停戦交渉は既に準備が行われているが、その他については
これから準備を開始する所だ。
なんなら新兵訓練の施設などを貸し出すが、
ツィリコ大佐、問題ないかね?」

「別段問題はありません。」

ステパーシンの後ろに立つツィリコ大佐は特に笑顔を崩すことなく答える。

「だ、そうだ。
他に何か要るものはあるかい?」

拓也達にとって、ステパーシンの至れり尽くせりの援助の申し出は非常にありがたかった。
他に何か必要な物は無いか拓也が考えていると、横にいるエドワルドが話に加わった。

「大佐。こちらに転移した者の中でスペツナズの経験者を調べることは出来ませんか?
クリル在住の退役軍人の中に経験者がおれば特殊工作の指導に役立つのですが」

「ふむ、それについては調べてみる事にしよう。」

それからステパーシンとツィリコ大佐は、拓也らに他に要求は無いか聞いてくるが
拓也としても、今回は事業立ち上げの後ろ盾を貰いに来ただけだったので、そこまでは考えていなかった。

「そうですね・・・ とりあえず、必要なものは無いか帰ってから検討させていただいても良いですか?
口頭でチョロチョロとお願いするよりも、そちらの方が纏めやすいのですが」

「何、別に構わんさ。
それじゃ、次は此方から頼みが有るんだが、聞いてくれるかね?」

ステパーシンがもたれ掛っていたソファーから身を乗り出してくる。
どうやらこっちが彼らの本題のようだった。
拓也がもちろんですと答えると、待ってた様にステパーシンの横に立つツィリコ大佐が彼に代わって喋りだした。

「現在、クリルの部隊にて装備の更新が始まっているが、それに伴い大量の弾薬が余る事になる。
連邦の方には在庫は実弾射撃の訓練で全て使用すると言ってあるのだが、膨大な数の為に完全な管理は難しいな
間違って君たちが猟銃に改造している小銃の梱包箱に混ざってしまうかもしれない。
所で、話は変わるが君たちが改造する銃の弾について生産計画は十分かね?
銃規制については今後は緩和の方向に動くと予想されるが、消耗品の在庫は大事だよ」

非常に回りくどくツィリコ大佐は言っているが、要するにコレは弾薬の横流しの取引である事に拓也は気づいた。
実弾射撃で弾を撃ち尽くしたと中央に報告しつつ、一部をこちらに流し、拓也らが販売を始める猟銃の弾薬として使用させる気だろう。
そこで得た資金を何に使うかは知らないが、どうせ最初からこちらに拒否権は無いのだろうと拓也は予想した。

「そうですね。
生産計画については一度考えさせて頂きます。
ですが、ここまで助言していただいて業績が伸びた場合、どのように還元させて頂こうか考えてしまいますね」

資金の流れは重要である。
場合によっては綺麗に洗ってから渡さないといけない。
拓也はそんな心配をするが、答えは意外に身近にあった。

「いや、それには及ばないよ。
まぁ どうしてもというならば、ウチの愚息の給料を弾んでくれたまえ」
ステパーシンから急に話題に出されたサーシャは「え?俺?」といった顔をしているが、既に資金のやり取りは息子を通じて行う気なのだろう。
何も知らされていなかったサーシャは哀れとしか言えなかったが、拓也は今回の取引の大まかな流れは掴むことが出来た。
詳しい"助言"は後日、ツィリコ大佐からエドワルド経由で連絡が来るという事になったので、今回の会談はこれにて終わり、雑談を交えながら礼を言って席を立つ拓也にステパーシンは一言

「政治活動には金という名の実弾がいるんだよ」

と、去り際にステパーシンは拓也に言ったが、この言葉の意味を彼が実感するのはしばらく後になってからだった。




それから拓也達は、連邦ビルを離れ、北見へ戻るために丘珠空港のロビーで帰りの便を待っていた。
男三人で横並びに待合席に座り、端に座るエドワルドのおっさんは雑誌を顔の上に乗せてイビキを立てている。
残る二人も待っている間は特にすることが無いので、出発ロビーのテレビをぼけっと見ていると
唐突に真ん中に座る拓也に向かってサーシャが声を掛けた。

「それにしても、横流しに協力させられるとは思わなかったな」

「そう? 俺は、いつかはあると思ってたよ。
色々と便宜を図ってもらってるんだし、貰うばっかりでいられるわけがないってね」

サーシャの言葉に対して拓也はひょうひょうと答える。

「そうか、まぁ 多少の事はしょうがないのかな」

「それもそうさ、それに俺らは武器商人だよ。
清廉潔白なままで商売はできないさ」

拓也は自分を納得させるように言う。
これからは、自分たちの作った武器で多くの人命が失われるだろう。
とても、潔癖症な精神では死の商人はやっていけないのだ。

「それにここまで来た以上、従業員の生活も全部背負ってるんだ。
皆を食わすために頑張らないと。官民癒着上等だよ!
それにサーシャもヘルガ達を路頭に迷わすわけにはいかんだろ?
やるなら皆で栄華を極めよう」

ヘルガの名前が出た事で一方的な恋心を持つサーシャの顔も真面目になる。

「そうだな… 後悔やら何やらは警察に捕まってからで十分か!」

「いや、むしろ捕まえられないくらいにズブズブの関係を構築するのがいいかも!」

笑いながら二人は語るが、今回の札幌出張により、サーシャの心には大きな変化があらわれた。
今まではコネでの入社という事もあり、どこかのほほんとしていたサーシャであったが
将来を見据えた事で、仕事にも本腰を入れようと心に決めるのだった。





ゴートルム王国

首都 トレトゥム


北海道より遥か北西、エルヴィス辺境伯領を超え、更に北西へ進んだところにその都はあった。
蛇行する川沿いに囲まれるようゴートルムの首都として建設されてから、およそ二千年の長きにわたりゆっくりと発展してきたその都市は、古都特有の美しさがあった。
素焼き瓦の赤茶けた家々の屋根は町全体の色彩に統一感を持たせ、丘の上に立つ大きな聖堂は、独自の美意識によって作られた天を突く鋭い尖塔を市民に誇らしげに見せている。
そんなトレトゥムの中心に立つひときわ大きく、防御よりも威厳を重視したスタイルの宮殿を一人の男が歩いていた。
日の光がさす長い回廊の先、ひときわ大きな扉を目指して彼は歩を進める。
回廊の両脇に立つ衛兵たちの横を通り抜け、煌びやかな装飾を施した扉の前に彼が立つと、衛兵の大きな衛兵の声と共に軋む音を立てながら扉が開いた。

「アルド エルヴィス辺境泊様御入来!」

重く軋む扉の音が止み、完全に扉が開いたのを見計らってアルドは謁見の間へ入室する。
謁見の間の奥に鎮座する金銀玉をふんだんに使った玉座から、無礼に当たらないくらい離れた位置でアルドが跪くと、跪いた先から野太い声がかかる。

「辺境伯殿、面をあげよ」

アルドは声の主から許しを頂くと、その方向に向かって顔をあげる。
キッと見つめるアルドの視線の先、そこには赤髭を蓄え精力に満ち溢れた目をした男が玉座に座っていた。
彼こそゴートルム王国の諸侯を束ね、その頂点に立つレガルド6世であった。

「して、此度は何用だったか?」

王の問いにアルドはかしこみながら答える。

「は、此度は国王陛下に兵をお借りしたく参りました」

兵を借りる。
つまりは増援である。
辺境伯が亜人の居住地を平定したということは知っていたが、その際は大した損害を出したとは聞いていない。
その後、軍船を仕立てて何処かに出征したと聞いたが、王として許可したのは亜人居住地の平定だけであり
一体どこに向かい、誰に敗れたのか。
仮に王国内の他の諸国領に攻め込んだなら辺境伯家の取り潰しも有り得るのだが、諸侯からそのような連絡は無い。
王はその疑問をアルドにそのままぶつけた。

「事と次第によっては兵を貸すのも構わんが、それで一体どこを攻める?
亜人の地は平定したのであろう。一体、諸侯の中で一番勢いのある辺境伯でも敵わぬ相手とはどこぞ?」

アルドは"敵わぬ相手"というフレーズに、一瞬顔をしかめるが王の御前でもあり無理にでも平静を取り繕って説明する。

「此度、陛下のお力をお借りしたい相手は、我らが平定した亜人の地の南方に浮かぶ島にございます。
この島は、亜人の地を平定した際に突如として現れた島にございまして出現前に亡き父上が亜人を追って古代の神殿に立ち入った後、神殿の爆発と共に現れました。
恐らくは神殿の力によるものかとは思いますが、ここの島民が中々に脅威でございます。
島に逃れた亜人を追い、我らも軍船10隻を仕立てて攻めましたが、敵の船一隻を沈めるも、新たに表れた敵船にガレー船5隻を瞬く間に沈められ
敵地に上陸した弟の軍勢も今では消息がわかりません」

敗北の屈辱を思い出し、それを淡々と語る事でアルドの瞳に怒りの色が増していく。
だが、忌々しい記憶に歯を食いしばりながら話すアルドの言葉に、王は興味を持った。

「ほう、辺境伯家には大型のガレアスもあったと思うが、それもやられたのか?」

「…はい。敵の船は一隻でしたが、敵の武器の射程・威力共に我々を凌駕しております。
我々のバリスタの届かぬところから撃たれ、逃げ様にも速力で向こうが勝っていたため、悔しながら一方的に沈められました」

「たった一隻に一方的に負けたのか?」

辺境伯の軍船は王国内でも良い部類の船である。
それがたった一隻の船にやられたというのは流石に王も予想外だった。

「悔しながら… それに私が逃げ帰った後、敵地に上陸した弟が戻ってくる様子も連絡もありません。
恐らくは死んだか捕縛されたと思います。
このような屈辱、我が兄弟は耐えがたきものがありますが、先の戦いで手持ちの船は失ってしまったために雪辱を晴らす事が出来ませぬ。
そこで、陛下に兵をお借りし、徹底的に敵軍を叩いた後、かの地を征服してゴートルム王国の徳にて治める地にしたいと思います」

復讐。
つまるところ、これが彼の思考のすべてだった。
彼に敗北を味あわせた蛮族の地を徹底的に破壊しつくしてやりたい。
この欲求のためならば、征服後の土地は王家に丸々差し出してもいい。彼はそう思っていた。

「ふむ、確かに王家の軍船は総動員ならば100隻は用意できるが、敵の船の武装は我々より長射程で大威力なのだろう?
ましてや1隻で5隻のガレーやガレアスを葬った船が何隻いるかもこちらは掴んでいない。
現状、このまま侵攻したなら甚大な被害が出るのは火を見るよりも明らかだ。
ホイホイと軍は出してやれんな」

アルドの期待とは裏腹に、王から返ってきた答えはやわらかな拒否だった。
だが、アルドもそうなることは予想していたし、次に王へ頼む事柄も事前に予定した物だった。

「なれば、"神の箱船"のお力を貸して頂きたく思います」

アルドの言葉に王は目を見開いて驚いた。

「"神の箱舟"だと?
あれはならん!軽々しく使えるものではない!
それに、アレはキィーフ帝国の南進を抑える要、あれを動かすと国境の軍備に穴が出来てしまうぞ!」

レガルド王はまさかアルドが其処までの願いをしてくるとは思っていなかった。
兵を貸すと言っても最初は渋り、交易で莫大な富を得ている辺境伯領からの金と引き換えに軍船を都合しようと思っていたくらいだった。
それが"神の箱舟"を出せとの事である。
確かに長きにわたり、北の帝国の圧力を受け止め続けたアレならば、どのような戦も楽だろうが、神という名がつく通り神代に王家が神より賜ったという由緒正しいシロモノをつまらぬ紛争に使いたくは無い
だが、アルドもおとなしく引き下がることは無かった。

「無論、ただでとは申しません。
お力をお貸しいただく代わりに、フロー金貨20万枚を国庫にお納めします。
それと北方の警備については、我が陸上兵力はほぼ無傷で残っておりますので、半分の1万を国境警備へと回します。
それに彼の島の軍船は脅威です。
あれが相手では我が方の軍船をいくら集めても相手にはならないでしょう。
そんな奴らが我らが王国の目と鼻の先にいるのは危険ではありませぬか?
ここは一つ、早めに潰しておくのが得策かと思われます」

アルドは王に侵攻を進言するが、その代償は辺境領にとっても軽いものではなかった。
王国内で一番豊かな辺境領でも、フロー金貨20万枚というのは蓄えた財貨の1/4を占めるものだし、兵力の半分を国境へ抽出するのも簡単な事ではなかった。
しかし、彼の傷ついたプライドは、それらを天秤にかけた以上に重かった。

「ほぅ フロー金貨20万枚か…
まぁ それはそれとして、そこまでにそちはその蛮族が危険だと?」

まず金額を口にした王の反応に、レガルド王の心も動き始めているとアルドは感じた。
それもそのはず、王家は辺境伯領から毎年税として莫大な金を吸い上げており、日頃から良い収入源とみられている。
日ごろから吸い取られた富は王家の贅沢と首都の発展に使われ、王の放蕩振りは国内に知らぬものがいないほど有名な事実であった。
そんな王の態度に納得して、アルドは言葉を続ける。

「神の下僕以外に強大な力は要りません。
即刻、滅ぼすべきでしょう」

金で釣り、大義名分として神の名を出す。
アルドの言葉にレガルド王は目を瞑り、しばらく考えた後に括目してアルドに言う。

「よかろう。辺境伯の熱意には勝てんな。
神の力を見せつければ、蛮族も悔い改めるかもしれん。」

「陛下!それでは!」

その言葉にアルドの顔に笑みがこぼれる。
思わず感謝の言葉を言おうとするが、それを言う前に王が言葉を続けた。

「だが、しかし!
軍を発するにはもう少し金がいる。
フロー金貨30万枚だ。
なに、"神の箱舟"がある以上、我々の勝利は揺るがない。安心したまえ」

ニヤリと笑うレガルド王。
アルドは心の中で王に罵声を浴びせつつもそれに頷く。
足元を見られはしたが、これで神の箱舟を動員できる。

彼がそう思ったそんな時だった。

謁見の間の扉が開き、二人の前に一人の役人が割り込んでくる。

「陛下、報告します!
南方を航海していた王国の船が、未知の国の軍船に拿捕されたそうです。
その結果、王国宛の手紙を託されて解放されましたが、その手紙によると、ある国家が我々との交渉を希望している模様です。
手紙に書いてある内容によりますと、国名はホッカイドウ。
我が国から南東に現れた国とあります」

報告を聞き、レガルド王とアルドは目を合わせる。

「蛮族が向こうから来たようだな」

王は口元に笑みを浮かべたままアルドに話かける。

「では、どうします?」

「我々の方針は決まっている。
交渉で従属させることが出来れば最良だが、出来なければ予定通りに事を進める。
唯一つハッキリしているのは、彼らに最終的な運命の選択権は無いという事だ」

勝利を確信する二人の笑い声はいつまでも謁見の間に響く、奢りと狂気の混じったその声は、宮殿と王国の空に消えていく。
そして彼らの選択は、後に世界情勢を激変させる最初の切っ掛けとなるのだった。




北海道連邦政府ビル

会議室


ゴートルム王国との交渉を行うため、付近を航行していた王国籍の船を拿捕する数日前。
政府ビルの一室で定例の会議が行われていた。
出席者は高木大統領をはじめとする政府閣僚と有識者の面々。
会議の内容は、現在の懸案とその処置、及び新たに発生した問題や変化の報告が主であった。

「…と以上が、現在の道内の産業再建進捗度と戦略資源の備蓄状況です。」

一人の職員がプロジェクターから映し出されるグラフと表を前に、北海道経済の状況を説明する。
転移後にガクンと落ちた道内生産は徐々に持ち直し、ようやっと上昇局面に入っていた。
文明崩壊の瀬戸際な状況は今でも続いているが、明るい兆しが見え始めていることに会議に出席している一同はホッとする。

「このように、電子部品を初めとする産業クラスターは、
転移前に移送した生産設備と科学技術復興機構が道外企業から接収した技術及び権利の喪失した海外企業の特許により稼働を始めましたが、問題は資源です。
道内の地下資源についてですが、転移の影響によるものか一定深度以下の地層が採掘前の状況に戻りました。」

「? 地層が戻ったというのは?」

地下資源が元に戻るという不可解な職員の説明に高木が首をひねって質問する。

「えぇと、何と言いますか。言葉通りの意味です。
一定深度以下の鉱道が消え、元の手つかずの地層に戻っています。
これにより、温泉の一部でパイプの消失により温水の供給の停止などが起こりましたが、依然として使用可能な温泉や南千島の油井が稼働していることから、入れ替わった深さにはムラがあるようです。
矢追博士の話によると、転移時に何らかのイレギュラーな事態があったのではと予想されていました。
消失した坑道付近の地層のズレはほぼ無く、我々が採掘する以前の状態に戻っていることから、我々がいた北海道とは異なる北海道の地層が、地底に眠っていると思われます。
異なる時空間の2つの北海道が転移したことに何か意味があるのかは不明ですが、ともあれ枯渇したと思われた鉱脈が復活し、労働力としてドワーフを導入したことにより、手始めとして石炭の採掘が始まっております。
今後は大規模に労働者を導入し、道内に存在する金・銀・銅・亜鉛・水銀などの各種鉱山の操業を目指したいと思います。」

職員の話す矢追博士の仮説に、その場の空気はざわめいた。
この大地の下に、我々の住んでいた北海道とは別の大地が横たわっている。
只でさえ異世界に転移したという状況を納得するのに苦労したというのに、足元には別の北海道が有るという仮説は全員の頭を再度混乱させるのには十分だった。
その為、説明を続けたい職員も全員の関心がそちらに向いてしまったために口が止まる。
そんなざわめきの中、皆のざわめきを切り裂くように高木が言う。

「そうですか、やはり鉱山施設の整備と労働力の確保は急務ですね。」

高木が確認するように職員の話を聞いて頷く、その姿を見て先ほどまでざわついていた室内は静けさを取り戻し、職員は更に説明を付け加えた。

「はい。それと、鉄等の戦略資源は道内の鉱山では必要量は確保しきれません。
道外に鉱山を建設するか、鉄鉱石の輸入が必要不可欠となります。
古くから鉄は国家なりといいますが、やはり、これ抜きでは産業文明の維持は不可能だと思います。」

現在、道内では統制経済を行っているが、それでも100%道外の顧客を狙ったサービス業や一部製造業など廃業や業界の再編が行われていた。
その為、配給という形で生活は保障されているが、失業者は確実に増加した。
これらの失業者の大半は、新たに事業展開した製造業各社に吸収されているが、鉱業に関しては殆ど労働力が集まっていなかった。

「ふむ、ではそろそろ本格的対外接触計画の始動を始めなければなりませんね。
労働力として亜人種の移民を受け入れるにしろ、資源の輸入にしろ、先の紛争の交渉にしろ、外界との接触が必要ですが、その準備はどうなっていますでしょうか」

高木の質問に鈴谷外務大臣が手を上げて立ち上がる。

「その件に関しては、既に準備は進んでおります。
特に先の紛争に関しては礼文島の一部村落が完全に焼失し、被災世帯200世帯及び4か所の漁港が焼き討ちに遭った結果、被害総額が40億円に上りました。
捕虜の処遇や賠償金の請求も含めて交渉を行いたいと思います。
その窓口についてですが、現在捕虜として尋問を行っているクラウス・エルヴィス氏から情報を収集しております。
氏によれば、兄であるエルヴィス辺境伯の座乗船が沈没し、生死が不明であるならば、ゴートルム王家を相手に交渉を持った方が今後の為になると話ています。
今回の紛争は一部地方の独断専行だったとの事ですが、今後国交を樹立するならばその中央と交渉を持つのは当然ですな。
そして、氏の話によればゴートルム王家は辺境伯家とは比較にならない軍事力を持っているとの事です。
氏は、王家とだけは絶対に争ってはならないと言っておりましたが、その根拠をご説明します。
まずは、此方の写真をご覧ください。」

鈴谷の合図により会議室のプロジェクターに一枚の写真が現れる。
そこに写っていたのは、遠距離の高高度から撮影した地表の様子。
しかし、そこには違和感があった。
中央部に城塞のようなものが写っているが、その真下に巨大な円を描くような影が出来ている。
その大きさは直径が300mはあるだろうか、巨大な空飛ぶ要塞である。

「これは?」

あまりに非現実的な写真に、高木も一体ココに写っているのが何なのか判らないでいた。

「我々には未だ長距離を飛行できる偵察機が無いため、国際線のB787旅客機の窓から遠距離で撮影した写真なので
不鮮明かと思いますが、中央部に浮遊している物体こそクラウス氏の言うゴートルム王家の軍事力。
"神の箱舟 オドアケル"です。」

「神の… 箱舟?」

鈴谷の説明する写真の空飛ぶ城塞の写真を見て一同が言葉を失う中、高木が鈴谷に質問する。

「氏の言うには、神々が居た時代に王家が神から授かったと言っておりましたが、由来はともあれ
空飛ぶ城塞などという我々の理解を超える存在は脅威です。」

鈴谷の問題提起に、ずっと黙って聞いていたステパーシンも静かに手を上げて質問する。

「このラピュタに、我々の火力は通用するのですか?」

「クラウス氏曰く、このオドアケルには強固な魔法障壁があるそうです。
古代には物量攻撃に突破された前例が有る為、万能では無いようです。
ですが、やはりその防御は未知数ですな」

その説明を聞いてステパーシンは「ふむ…」と考え込む。
バリアか何か知らないが、敵には強力な防御がある。
場合によっては、それを破るのにはそれなりの物量がいる可能性もある。
状況によっては、かつて強力な防空網に守られた米空母に対し、ミサイルの飽和攻撃で対抗しようとしたソビエトの戦術が、この異世界でも必要になるかもしれない。
ステパーシンは、世界が変われどもやることは変わらないなと一人静かに失笑する。

「それにしても、彼はよくそこまで教えてくれたな。
こんな防衛機密の塊のようなことを平然と話すなんて信じられん」

ステパーシンのいう事はもっともであった。
彼の周りの幾人かも、そうだそうだと同調している。

「それについてですが、彼は我々の文明を吸収する為に進んで情報の交換を希望しているのと、神の箱舟の話については、現地宗教の聖典に載っており子供でも知っている話だと語っておりました。
確認の為、他の捕虜にも質問しましたが、皆、箱舟の話は知っている様子でした。
と、以上の事から、紛争解決について交渉の準備を行うとともに、この浮遊要塞に対して事を交える事になった場合の対策も進めていくべきかと思います。
他の亜人種移民の募集や資源獲得については、調査隊の準備を軍と有識者の協力で進めておりますが、これの詳細については、
現在同時進行で検討している北海道南方及び東方の大陸との接触案と共に次回の定例会議にて報告させていただきます」

「…そうですか。ご報告ありがとうございます」

鈴谷が話終ると高木がゆっくりとした口調で口を開く。
それは、今後起きる事への覚悟と全ての責任を負う事への改めての決意表明であった。

「恐らく、このゴートルムとの交渉が北海道連邦初の対外交渉となるようです。
万事抜かりなく、そして一分の隙も見せぬように準備を進めてください。
ですが、我々の第一主義は平和ではなく生存です。
これが脅かされる時には、あらゆる手段を大統領として肯定します。
各員の努力に我々の未来がかかっている事を認識し、職務を遂行してください」


この会議の後、北海道沖を航行していた一隻の王国船籍の船が拿捕され、その船長へゴートルム王宛の手紙が託された。
北海道とこの世界の本格的な国家間接触が今始まるのだった。



[29737] 嵐の前編
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:14
初めに荒廃した世界があった。
水は枯れ、生物は存在すら許されず、ただ乾燥した大地があった。
神はそれを嘆き、まず最初に空に雲を創った。
その雲から落ちる雨が大地を満たし、巨大な一つの海を作ると、次に神は木々を植えた。
草が茂り、森が出来きてやがて緑の波が大地を覆うと、神は獣を野に放ち、空には鳥を放った。
神は大地の剪定人としてエルフを作り、その過程で亜人が生まれた。
エルフは常に神に忠実で、世界の調和をもたらした。
そうして世界は美しく清らかになった所で、最後の仕上げに神は人をこの地に住まわせた。
キィーフ、ゴートルム、セレウコス、ネウストリア、アーンドラ、ティワナク
神から与えられた大地に人は6つの国を作り、神の庇護の下で人々は幸せな時間を過ごしていた。
だが、人々は神の愛を知らずにいた。
人々は神ならぬ者を神と信じ、真の神の存在に気付いてはいなかった。
そんな中、セレウコスのロアストレースは信仰の丘で瞑想中に神と出会った。
神は断食で弱ったロアストレースの体を癒やし、世界の理を語った。
啓示を受けたロアストレースは、すぐさま町に戻り人々に正しい教えを説いた。
清き者には優しく語り、誤った信仰を捨てない者には時に剣を取った。
正しき信仰は国を覆い、国境を越え、やがて世界に広まった。
正しき信仰に満ちた世界。
皆が正しく神を崇め、正しい教えの下で幸せに暮らした。
しかし、それは長くは続かなかった。
神が南方大陸に7つ目の国を作ろうとした時、神の卵から現れたのは人々ではなく、異形の悪魔達だった。
悪魔は際限なく溢れ出し、南方大陸の全てを覆った。
神は悪魔を滅ぼすためエルフの軍勢を差し向けたが、波の様に押し寄せる悪魔の前には押し留めるのが精一杯だった。
そこで神は、人の力を使う事にした。
南方大陸までの足として神は人々に6隻の箱舟を与え、聖なる炎の武器と知性を授けた。
人々の軍勢はネウストリアの地に集まり、人々と神の祝福を得て大陸へと向かった。
ロアストレース率いる人の軍勢は、大地の悪魔どもを押し返し、半年にも及ぶ戦いの末
神は悪魔達の首領たる大悪魔アリマとの決戦に臨んだ。
三日三晩続いた壮絶なる死闘の末、神の炎はアリマの体を大地諸共砕き、その肉片を焼き尽くした。
だが、神もまた、代償として大きな傷を負ってしまった。
神の炎は悪魔と共に己自身も焼き、傷を癒す為に神は永い眠りについた。
この戦いで、ロアストレースを含む軍勢の大半は死に、わずかに残ったのは箱舟に残った者達だけであった。
彼らは出発したネウストリアの地に戻り、そこを聖地として定め、神の言葉を伝道する使徒となった。
これが世界の始まりと、神の時代の話である。


…と、以上がこの世界の天地創造だよ。 理解できたかな?」

取調室の椅子に座り、クラウスが満足げに諳んじる。
協力的な態度を取っていることもあり、既に彼の手に手錠は無く、北海道側の監視も室外に警護官が控えている程度で特に威圧的な様子もない。
彼は非常にリラックスした様子で、この世界の宗教における天地創造を語って見せた。

「で、その神話にある神の箱舟というのがコレなのですね?」

取り調べに当たっている職員が机に置かれた写真を指差す。

「あぁ これだよ。ゴートルム王家のオドアケル。王家の力の象徴だ。」

クラウスは写真を手に取り、高高度かつ遠距離から撮影された画像を見て言う。

「それにしても、空からこんな絵が描けるとは凄いな。やはり此方の技術力は驚くばかりだ」

クラウスが写真を見て驚くの見て、職員は自慢げに言う。

「もっと接近すれば、より鮮明な写真がとれますよ。
それは30km… えーとこちらの距離で約20ミリャくらいで撮影したものです。」

「! 20ミリャ!?そんな遠くから…」

クラウスが驚く、そんな遠くのモノなど肉眼では到底見ることも敵わない。

「こちらの飛行機の存在を、あまり知られたくなかったのでという理由があるので」

「そうか、だがそれは賢明だな。
余り近寄ると、箱舟に居る竜人の傭兵共がドラゴンで飛び立ってくるかもしれない」

クラウスは写真から目を離さずに語るが、その発言の中には、未だ北海道側にとって知らない情報があった。

「傭兵?ドラゴン?」

それまで笑顔でクラウスの話を聞いていた職員が、眉間に皺をよせる。

「あぁ 言ってなかったか?
あの箱舟には王家と契約した竜人と、その騎獣であるドラゴンが居る。
あれこそが、あの箱舟最大の攻撃力だよ。
元々、箱舟には武装はついていない。
それを神の聖戦から2000年もの長い時間をかけ、王家が大悪魔の再来に備えて増築と強化をした結果があの姿だ。
王家はあれを使って反乱が有れば箱舟で向かい、古の契約を結んだドラゴン達で叛徒を鎮圧しているんだよ。
そもそも王家の直轄領は首都くらいで、王国内での規模なら我が辺境伯領の方が上だ。
それでも王家がこの国の頂点でいられるのは、箱舟と竜人達のお蔭だよ。
面倒な領地経営は貴族に任せ、王家は財貨だけを吸い上げていく。
王家に不満を持つものは多いが、それを公然と口にできる貴族は皆無だ。
なぜならば、箱舟と竜人の組み合わせに勝てる存在が、王国内には無いからな」

職員はメモを取りながら話を聞く。

「ドラゴンに関する詳しい事は、また別途で詳しく聞きます。
それとやっぱり、その箱舟と竜人は他の国にも居るんですか?」

「そりゃぁ あるさ。
箱舟の形状そのものは2000年にも渡る各国の改造で、外観は大きく違うが、基本的な性能は変わらない。
それと古の契約も古代の聖戦時に結ばれたものが未だ生きているので、各国ともに竜人の傭兵はいる」

クラウスは、各国の名前を言いながら未だこの世界に存在する6つの箱舟の名前を順にいう。

「あぁ だが、各国に一つという訳ではないよ。
およそ500年前、ティワナクが王家の婚姻によりキィーフに吸収された。
よってあの帝国は2隻の箱舟が有る」

クラウスはこの世界の情勢や歴史を、まるで講義でもするかのようにスラスラと職員に答えた。

「2隻の箱舟を持っているとは中々に脅威ですね。
 …それにしても貴方は博識でらっしゃる。宗教から歴史まで幅広い知識をお持ちだ。
これは貴族としては常識的な知識なのですか?」

当初、質問をする職員は相手が貴族であっても、中世レベルの人間の教育水準は低いものだと思っていた。
だが、特に宗教や歴史の話など、この世界の聖職者や学者にでもならないと知らないと思っていたが、予想に反してクラウスはそれらに対しても深い知識を持っていた。
そんな彼に職員は率直な疑問をぶつけると、帰ってきた答えは予想の遥かに上だった。

「いや、こういった知識は貴族というより教会の高位の聖職者が持ち合わせているものだよ。
一般の民やら何かは、天地創造の話を教会で聞くことはあっても今みたいに暗唱は出来ないだろうし、ティワナクがキィーフに吸収された経緯を知っているのも一握りの人間だろう」

「では、あなたは何処でその知識を?」

クラウスはその質問を聞いてニヤリと笑う。

「今は虜囚の身だが、これでも次期教皇候補の一人だからな。
今の教皇がいつくたばるかは分からないから何時機会がくるかも分からないし、まぁ 死んだとしても、この敗戦で捕えられたという経歴では、とても教皇選挙には勝てないな」
職員は目を丸くする。

「教皇!?」

「候補だよ。候補」

教皇と聞いて職員が想像するのはローマ教皇のような存在だった。
コンクラーベで教皇として選ばれ、世界に絶大な影響力を及ぼす、そんな存在。
その存在の可能性が目の前にいる。

「慣例により、王家の人間は教皇にはなれない。
よって、各国の貴族から候補者が立てられるが、これにも条件がある。
教皇は神に純潔を捧げ、神の尖兵として聖戦時には軍を率いなければならない。
そのため、候補者は教皇の世襲を制限する為、子種の袋を切り取られる。
よって、大体は家を継がない貴族の次男が候補に立てられる。
また、神に仕える者は美しくあるべきという考えから、体が男として成長する前に切り取られることが一般的だ。
君も私を見た時、女だと思わなかったか?
この姿もこの髪もそういう理由がある。
今は、まるで呪縛から解き放たれたような気分なので、男らしく髪を切りたくてたまらないよ。
あぁ 話がそれたが、教皇選挙の大切な最後の条件は、戦場での経験だ。
教皇は、清く、美しく、それでいて英雄でなければならない。
私は長年、女のような容姿が嫌でたまらなかった。
だが、教皇選挙に勝てる見込みが無くなったため、これからは私の好きな格好が出来る。
これについては嬉しくてたまらない。
この呪縛から逃れられた今後は、両国の橋渡しとして働いていきたいよ」

クラウスは目を閉じ、さも嬉しそうに語る。

「でも、今回の紛争であなたの部下も数多く亡くなってますよね?
そんなに早く気持ちを切り替えられるのですか?」

職員は思った。
クラウスは今後の平和な関係を見据えているが、礼文の紛争では全滅に近い形で部下を失っている。
親しい者が死んだことに関する心のわだかまり等は無いのだろうか?
その問いに対して、クラウスは職員に向き直り、真顔で話す。

「戦で兵が死ぬのは戦場の常だ。
確かに親しかった部下が死んだのは悲しいが、彼らは勇敢に戦って死んだんだ。
これが拷問や虐殺で殺されたなら敵を恨むが、戦いの末に死んだのなら、これで敵を恨み貶めるのは戦士に対する冒涜だ。
それよりも、生き残ったのなら、これから何が出来るかを考えるべきだ。
私は、虜囚の身となり此方の文化と技術に触れた。
その結果、今では再戦を願うより、この技術を何とかして辺境領の発展に生かしたいと思っている。
私の今の望みは、いつの日か、我が愛すべきプラナスの町をサッポロのような摩天楼の町にしたい」

クラウスは、目を閉じ想像する。
ホッカイドウとの交流により、富の流れは加速し、大陸中に名声を轟かすまでに発展する我が故郷を。

「…と、このような夢が私にはあるよ。
長々と喋らせてもらったが、次は私の番でいいかな?
勉強の時間だ。もっと、君たちの事を教えてほしい」





択捉島


クラウスが北海道側の知識を貪欲に吸収している頃
高木大統領一向は単冠湾沿いに建設されたブレベストニク空軍基地に来ていた。
この基地の傍には、真珠湾攻撃へと向かう日本海軍機動部隊が最終終結の場所と選んだ湾があり、現在はその上空で戦いに備えた大規模な演習が繰り広げられていた。
そこで高木は基地に設置された演習司令部より、その推移を見ている。
想定は敵大型空中兵器を使用した侵攻に対する連邦軍の連携の確認。
直径400mの飛行要塞などという未知なる敵に対峙する時、不測の事態が発生する事も十分に考えられる。
先の紛争では発足したばかりの札幌の政府と、元々指揮系統の違う此方との連絡が上手くいかずに初動が遅れることもあったが、二度とそのようなことが起きぬよう旧自衛隊部隊と旧ロシア軍部隊の連携に力を入れて演習を行っていた。
かつては仮想敵だった機体達が、一つの統制のもとに行動を行っている。

高木はスクリーン上に表示されるマーカー達の演舞に、この国を守る力の頼もしさを感じていた。

「交渉の如何によっては紛争の再燃も懸念されます。
ですが、万全の準備を整えた彼らであれば、きっと我が国を守れ通せますね」

薄暗い部屋の中で光るコンソール類に照らされながら、高木は笑って後ろからスクリーンを見ていた鈴谷とステパーシンに振り返る。

「前回の紛争は此方の対応が後手後手に回った結果でした。
ですが、万全の準備の下でなら、また結果は違っていたでしょう。
今回、敵には未知の兵器が有るため油断は大敵ですが、その為の演習です。
もし、武力衝突のような事態が再度起こるならば、魔法文明に対し機械文明からの手厚い挨拶が出来るでしょう」

「ステパーシン君。だが、今回のメインは交渉だよ。
紛争の解決から今後の国交樹立まで協議しないとならない。
今は肥料に必要なリンや鉄と言った鉱物資源から、綿や茶葉といった天然素材に至るまで大いに不足している。
しかしながら、肥料の不足によって食糧生産が落ちても、一部農産物の総生産量は需要を大きく上回る。
これらの輸出先の市場を確保する為にも、外交による解決が一番望ましいよ」
笑って敵の粉砕を想像するステパーシンに、鈴谷があくまで主役は外交である事を重ねて言う。
それに対し、ステパーシンは、もちろん交渉で解決するのが一番だと弁明するが
白々しい彼の言葉に二人は苦笑する。

「鈴谷さんの言うとおりね。
物資統制と代用品にも限界があるわ。
廃棄物リサイクルと有機肥料じゃ資源の絶対数は確保できないし、北海道で生産しない嗜好品が無くなれば
国民の不満も高まるものね。
特に例を挙げるならコーヒーね。
この世界にコーヒーの木はあるのかしら?
私も代用コーヒーは、味的にもう限界…
精神安定のためにも、大陸の調査隊の編成作業を急がなきゃならないわね」

高木は冗談交じりに言い、そんな彼女に対し二人からも笑いが起きる。
戦略資源だけじゃなく嗜好品も足りない。
酒類は自給できているが、コーヒー・茶・タバコやカカオを使ったチョコレートなど、生活に彩りを添える嗜好品の大部分は道内の在庫を残すのみとなっている。
高木達にとってもそれらの欠いた生活はストレスとなりつつあったのに、一般の国民の不満は如何ほどのものだろうか。
政権の安定化の為にも国民の不満は抑えた方が良い。
そうしてしばらく彼らが不足する嗜好品について話込んでいると、秘書官から次の視察場所へ行く時間だと促された。
高木達は敬礼する士官たちに礼を言って退室し、車の待機している野外に出ると、頭上の蒼空にF15の編隊が飛んでいくのが見えた。

「…相手はバリア付の飛行要塞。
どこまで通用するのかしらね」

高木は車に乗りこむと窓の外に見える飛行機雲を見ながら言う。

「情報によれば、自慢の魔法障壁とやらも万能じゃない。
準備さえ万全なら結果はおのずと付いてくるよ」

高木は鈴谷の声を聞きながら窓の外を眺めている。
車は空軍基地施設から離れ、敷地外に出ようとした時、高木の目にある人物が止まった。

「ちょっと止めて頂戴」

高木のその一言で彼女らの乗る車は進行を止め、車が制止したのを確認すると高木はドアを開けて車外に出た。
彼女の歩いていく方向にあるのは古ぼけた倉庫。
その手前で何人かの男が古ぼけた車両の前で話をしていた。

「こいつは良い車両だよ。
こんな所の倉庫に眠ってた品だが、一応屋根の下だったことで目立った腐食も無いし、エンジンもかかる。
本来は中古でアフリカへ送る予定だったんだが、仲介業者のトラブルで何年もこの倉庫に眠ったままなんだ。
既に所有権は向こうなので、手を付けずに放置されてたんだが、保守部品やら何やらもキット化してあるし、ツィリコ大佐も直ぐに持って行ってもらっても構わんと言ってるよ」

そう言って整備の兵士は車両の横に立つと、客の男たちを見ながらポンポンとボディーを叩く。

BTR-80
彼がボディを叩く車両は、8輪のタイヤを持つソ連が開発した装甲兵員輸送車。
ソ連のアフガン侵攻の際、その前に配備されていたBTR-70の欠点を実戦の経験を元に改良した装輪装甲車であり、旧東側諸国等を中心に5000両以上生産された傑作装甲車である。
現在は更に新型のBTR-82等に主役の座を奪われているが、転移前の世界では依然として世界各地の紛争地で活躍していた。

そんな頼れる鋼鉄の車体を見ながら客の一人が話す。

「なぁ 拓也。
俺としては不整地走破性に優れるキャタピラの方が好きなんだが、装輪式の車両でいいのか?
大陸で調査隊の護衛をすると言っても、この世界に舗装道路なんて有るとは思えんし、何より無限軌道は男のロマンだ」

そういってエドワルドは自己の好みを主張し、拓也とBTR-80の双方を見比べる。

「うん、確かにさ。
BMPとかのキャタピラの歩兵戦闘車の方が不整地には良いって分るけど、何も俺らは戦争しに行くわけじゃないんだ。
政府系の調査隊は資源調査が主だけど、俺たちは風俗・文化といった調査がメインのだろ。
なら行程は殆ど集落を結ぶ道路だし、未舗装道路と少々の悪路を行く位ならこれで十分。
こちらにも荷車や馬車系の乗り物が普及しているっていうし、それ位の水準の道路事情ならアフガンとかアフリカで実戦証明済みじゃないか」

「…うーむ。
まぁ 今回は調査の護衛だが、後々には最低でもBMPは欲しいな。
報道によるとこの世界には魔法が有るらしいし、もし、そのような敵に襲われた場合には
より強力な火力で殲滅できるくらいの装備がいい」

身を守るためにも火力は重要である。
そう力説するエドワルドだったが、拓也は彼に火力より重要な現実を語る。

「そりゃ、後々には色々欲しいさ。
男は大砲が大好きだからね。
だけど…」

「だけど?」

「だけど、金が!
事業は好調に動き出したけど、未だにソコまで揃えるカネがないんだよ。
工場は動いてて注文もあるけど、工員の熟練度がまだ低いからチョンボした仕損費が馬鹿にならないし
精度が低くても作動するカラシニコフだからまだ大丈夫だけど、精度モノの部品だったら大変なことになってるよ。
それと、コイツの他にも色々買ったから予算が厳しいんだ。
車両だけでも、紛争地で大活躍な日本車のピックアップとトラックに、給油車。
それも全部、東南アジアの中古車並みにオフロード用改造するから全部で中々の金額になるし、向こうじゃ補給なんて一切できない事を前提で物を揃えているのもあって、結構大きな集団になるよ」

拓也がそう言って趣味で物を買えぬ金銭的な事情を語る。
話の途中から、非常に物欲しそうな目で空軍基地に駐機する攻撃ヘリ群を見ていたが、その目はまるで子供のようだった。
拓也たちがそんな話をしていると、不意に後ろから声がかかる。

「改造日本車とロシア兵器の組み合わせなんて、まるでアフリカの紛争地帯ね」

突然の声に彼らが振り向くと、そこにはタイトなグレーのスーツに身を通し、数人の男を従えた高木大統領が立っていた。

「なっ!大統領!? なぜこんな所に?!」

拓也は驚く。
なんでこんな基地の外れにあるボロい倉庫に彼女が居るのか。
恐らくその場で商談をしていた全員が思った疑問について、彼女の方から話てくれた。

「演習の視察で基地の司令部に来ていたのよ。
それで次の視察地へ向かう途中で貴方の姿が見えたから寄ったのよ。今日は奥さんはいないの?」

高木は笑って拓也に話かける。

「妻は今日は会社に置いてきました。子供が小さい時はあまり遠出は嫌だそうで…
それより、よく自分のことを覚えてましたね?前に一度お会いしただけだと思いましたが」

拓也は素直に驚いてみせた。
こっちは毎日テレビで彼女の姿を見ているが、向こうは、札幌で生産設備購入の際に一度会っただけである。

「フフフ…
政治家ってのは人の顔を覚えるのも仕事の内なのよ。
それにあなた達の会社って、道内では結構有名よ?
一般の機械じゃなく、武器の製造をやってるのはごく少数だし。
何度か安全保障の会議資料にもあなた達の会社名が載っていたわ。
それより、そちらこそ今日は何故ここへ?」

高木は品のある笑顔を崩さず、拓也に質問する。

「今日は、いずれ調査隊の護衛で大陸へ渡る準備として車両の調達に来ました。
最近は将来を見据えて警備部門を立ち上げたんですが、その商売の準備です。」

「あら、情報が早いわね。
その様子じゃ調査隊派遣の概要についても知ってるのかしら?
それにしても、こういった事に民間の協力が期待できるのは嬉しいわ。
現在の我々の状況では、政府が全部抱え込むには余力が足りないもの。
官民の両方が手をつないで危機に対処できるのは素晴らしい事よ」

「そうですね。
我々も力の限り政府のお手伝いをさせて頂きます」

「ウフフ… 頼もしいわね。
じゃぁ 政府よりの企業さんの為に、一つ忠告してあげる。
これからは、調査隊の護衛の他にも、身辺の警備も考えた方が良いわ。
先日逮捕された過激な市民運動家の拠点で発見されたとあるリストに、貴方の会社の名前があったわ。
内容は"平和の敵ブラックリスト"。
私が筆頭だけど、貴方の名前も民間人としては高ランクよ。
聞く所によると、平和主義者には悪魔だと思われてるから夜道には気を付けた方が良いわね。
彼ら、新体制に自分たちの理想を盛り込もうと活発に動き出しているから」

「過激派ですか… それも平和主義者の…
なんだか、思想と行動が矛盾してますね」

「彼らの言によると、ほかに手段が無ければ、理想の為の手段は全て正当化されるそうよ。
まぁこれは、彼らだけじゃないけどね。
過激な手段を使いそうな団体は他にも数多くいるわ。
例えば、今の政権はロシア人と協調した政策を取っているけど、人口比で圧倒的な北海道が彼らを併合して旧来の日本の延長線的な政権を目指す民族主義者とか
外征してこの世界に覇を唱えようとする極右、果てには共産主義政権を目指す極左など
今の北海道は表面的には落ち着いているけど、闇じゃ魑魅魍魎が跋扈しているわ」

拓也は自分の安全より、カオスな状況になりつつある北海道の内情に心配してしまう。
今は挙国一致で難局に向かわなければいけないのに何やってんだか…

「今はそんな事をやってる場合じゃないと思うんですがね。
まぁ 彼らが何を考えようと私は自分のやりたい事をするだけです。
それはそれとして、ご忠告は今後の警備に活かそうと思います。
ありがとうございました。」

拓也はそう言って高木に礼をする。
高木は畏まった拓也をみて、そんなのはいいと手を横に振った。

「いえいえ、大した事じゃないわ。
それより、これからも北海道の為に頑張って頂戴ね」

高木はそう言って、拓也にそれじゃぁと別れを告げると車に戻っていく。
拓也は走り去る車列を見送っていると、横にいたエドワルドが声を掛けてきた。

「なんだ、一丁前に過激派の標的になったのか?」

エドワルドが笑って言う。

「それだけ事業が成功しつつあるってことだね。
まぁ 過激派だろうが何だろうが、会社がPMCとして成長したら迂闊に手出しも出来んしね。
その時は、合法的に圧倒的な火力が有るわけだし、それでも手を出してくるようなら徹底的に闇でぶっ潰してやんよ。
でも、そんな事になる前に内務省警察が影で血祭りにしそうだけど…」

「まぁ ステパーシンのおっさんなら間違いなくやるだろうな」

自分たちに危害を与えようとして来る者達が不憫に思うほど、内務省警察の噂は道内の一部に広がっている。
二人は内務省警察に睨まれた者達の行く末を案じ、拓也は合掌し、エドワルドは胸に十字を切った。
だが、演技くさいお互いのやり取りに、二人は堪え切れなくなって噴き出し笑う。
そんな二人が笑い声はいつまでも択捉の空に木霊するのだった。





一方その頃、札幌の捕虜収容所

これまで、旧自衛隊の営倉を利用して収監されていた捕虜は、この頃には新たに建設された捕虜収容所に身柄を移されていた。
その建物内部、監房棟の廊下に一人の人物が立っていた。
オレンジの囚人服に身を包んだその人物は、廊下からある一室を覗いている。

「止まるな。歩け」

後ろに立つ看守からそう言われて一人の美女は再び廊下を歩き始める。
彼女の名はメディア。
先の紛争にルイスの配下として加わっていた魔術師。
国にいた頃は、彼女に求婚を申し込むものも多かったその美貌も、現在は美しさより痛々しさが勝っていた。
先の戦いでの空爆により片目が潰れ、顔の半分に包帯を纏っていたが、彼女の心は己の顔の傷よりも別の事に向いていた。
先ほど覗き込んでいた部屋。
鉄格子の向うに一人の男が寝かされていた。
静かに寝息を立てるその男も、よく見れば毛布越しに見える体のラインが酷く歪になっていた。
本来あるはずの左腕と左足が半分を残して消えている。
かつてはメディアの主として勇猛さを誇った彼も、今では枯れ果てた老人の様になり
その意識は空爆の暴力的な爆風に飲み込まれて以降、戻ってはいない。
そんな彼を見つめるメディアは看守に連れられて面会室へと向かっていた。

遡る事数日前、私の前にこの国の役人が一人現れた。
彼曰く、これから王国との交渉を行うため、使節派遣のパイプを探していると彼は言った。
聞く所によると、クラウス様も生き残っているそうだが、彼は交渉の本番で出てきてもらう為、交渉をセッティングする為の下準備としての案内人が欲しいと言っていた。
一度は敵に利用されるのを嫌い、それを断ったが、いつまでも意識の戻らないルイスを思うとその心境にも変化が現れた。
恐らくは他の捕虜から聞いたのだろう、説得の最中に何度も彼の名前が出来た事から、役人達は私と主の関係を知っている。
そんな状況下で、役人側からもし引き受けてくれるのであれば、彼にもっと高度な医療を受けさせられる事が出来るかもしれないという一言が、最終的に私の意思を変えさせた。
孤児の私をここまで育ててくれたルイス様の為にも、敵に協力するしかない…

彼女はそう思いながら、長い廊下を歩いていく。

『ルイス様の為』

この一言が、彼女の敵に協力するという罪悪感を和らげていた。
そんな葛藤を抱えた彼女が面会室に到着すると、そこには既にいつもの役人がガラス越しに座っていた。

「待ってたぞ。君の協力に感謝する」

彼はそう挨拶するが、当のメディアは無表情のまま席に着く。

「それで?私のすべきことは何?」

抑揚のない私の言葉にも彼は笑顔を崩さない。

「そう焦るなよ。せっかく意思疎通のために得体の知れないワクチン注射までしたんだ。
美女とはゆっくり話させてくれよ」

茶化すように男は言うが、それでもメディアの表情は変わらなかった。
この男は何をヘラヘラ笑っているの?
そう心の中で侮蔑するメディアは男に冷たい視線を送る。

「…はいはい。わかった、わかった。
じゃぁ 本題に入ろう。
先日、我が国からのメッセージが拿捕した王国の商船経由で送られた。
君にお願いしたいのは、交渉の為の交渉として現地へ向かう外務省職員の案内及び、我々の事を正確に向うに伝えてもらう事にある」

「あなた方の事を?」

「そうだ。幾ら初めての交渉と言ってもお互いに相手を知らなさすぎる。
あまり舐められた対応をされても紛争の火種となるからな。
そこで、君を通じて我が国の潜在力を向う側に伝えてほしい。
我々は対等な交渉を望んでいる。
未知の文明に舐めてかかって戦争に発展するのは、我々の元の世界の歴史では度々あった事だ。
我々はこれ以上の不要な紛争は望まない」

いつのまにか真面目な顔に戻っている彼の顔を見て、メディアは冷めた視線から真面目な眼差しへと戻す。
彼らの軍事力をその身で経験した彼女にとって、この国との戦争は非常に困難だという事は知っている。
今までは、その強さを疑わなかった神の箱舟も、自身を襲ったあの爆風の前にはどうなるか予想がつかない。

「分かったわ。私の役目は王国側にも適度な緊張を持たせることね」

「理解が早くて助かる。
あぁ だが、不必要に危機を煽るのも止めてくれ。
我々の目的は交渉。紛争ではないのだから」

メディアは思う。
再度の戦いになれば、勝敗は別としても王国に多大な損害が出る。
それを予見して回避することに、果たしてルイス様はどう思うだろうか。
目を覚ました後で、私を褒めて下さるだろうか。
いや、例え怒られようと、ルイス様が目覚めて下さるのならば、私はどうなっても…

この面会の後、全てがうまくいった時の事を想像しながらメディアが王国に向かったのは、それから間もなくの事であった。




ゴートルム王国
首都 トレトゥム

現在、王国の首都たるこの都ではある話が持ちきりになっていた。
このところ久しく戦乱の無かったこの国に、矛を向ける国があるという。
噂では蛮族から始まって東の異教徒、はたまた北の帝国が攻めて来るだの、市井では様々な噂が飛び交っていた。
そのすべての話に共通しているのが『戦になるかもしれない』という事だった。
事実、王軍と諸侯軍に動員がかかり、食糧や武器の相場がジリジリと上昇していた。
だが、物価上昇への不満以外に住民の不安などは感じられない。
盗賊の討伐や国境での小規模な小競り合い以外、久しく無かった戦乱に彼らの危機感などとうに消え失せているようであった。
そんな空気の中、メディアは王城へ向かう馬車の中から市井の様子を眺めている。

「何を見ているんだ?」

馬車の中で、向かい合っている男がメディアに声を掛ける。
王都の物流の中心、王都に沿うように流れるタホ河の船着き場から、王都の中心にある王城までの道程の中、庶民から貴族の別邸といった様々な区域の営みを彼女は横目で見ていた。

「街の様子をね。
彼らには戦なんて、まるで別世界の出来事の様にしか捉えてないのかしらね」

彼女は、憂いを帯びた顔のまま、振り返りもせず、外を向いたまま答えた。
礼文では燃える家々の中、死闘を演じていたのが嘘のように平和な世界がそこにはある。
騎士の英雄譚とはかけ離れた、人がまるでゴミ屑のように命を散らした地獄を知らない彼らが、その場の流れで蛮族討つべしと唱えている様子を見て、メディアは物思いにふける。

「まぁ 我が国と違い、参政権も知る権利も無い貴国の国民ならそんなもんだろ」

だが、そんな彼女の内心を知らずに、目の前の男は少々馬鹿にしたように言葉を返す。
捕虜収容所でメディアに協力を頼んできた男は、今、彼女の目の前に座っていた。

「サトー。貴方は共和制の素晴らしさを説くが、この世界では貴方達の政体こそ少数派よ。
共和制の国も無くは無いけど、それは蒙昧な市井が無条件に参加できるモノじゃなく、賢人や豪氏の集まりだもの。
私たちからすれば、無知な市民の意思に国を委ねるなんて愚行としか言えないわ。
だから貴方の国では、共和制でも大統領なんていう独裁官がいるのでしょう?」

彼女のその言葉に、外務省から派遣された佐藤は言葉に詰まった。
確かに民主主義にはポピュリズムという弊害も存在する。
だが、転移前の世界では、民主化は先進国に仲間入りする条件であり、一部の超大国がゴリ押ししていたという内情もあったが、それが世界の是であった。
その"民主化は正義"という前世界の理は、この世界では愚行として捕えられている。
佐藤は、メディアの言葉から、世界の理が変わった事を感じさせられる。

「まぁ 俺の世界でも、民主主義は最悪の政治形態だという言葉もある。
だが、これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制の中では最良とされている。
だから、何が一番良いかは後の歴史家が語ってくれるさ」

あくまで民主主義の優越を説きつつお茶を濁す佐藤だが、メディアもあまり気にした話題ではないのか特にそれ以上言及はしない。
その為しばしの間車内は沈黙が支配ししたが、それも長くは続かなかった。
佐藤は沈黙を嫌ってか話題を変える。

「それにしても…」

彼もまた車窓からの景色を見る。

「剣や槍を持った君らの装備から、もっと遅れた文明かと思っていたが、なかなかに綺麗な街並みじゃないか」

石畳の路面を走る馬車の車窓から見える街並みは、まるで南欧の歴史ある街並みを切り取って来たかのような建物がズラリと並んでいるようだった。
大通り沿いには、4階建ての白い漆喰の壁と赤茶の瓦が敷き詰められた洒落たデザインの建物が並び、所々に聖堂と思われる美しい建物が立っている。
時々、通り抜ける広場には美しい彫刻の飾られた噴水などもあり、高いレベルの文明であることが分かる。

「王都は王国中の富が集まる街ですもの。
王が王国中から集めた税をこの町を芸術品として仕上げる為に使い、その富に誘われて人と商人が集まり、また更に発展しているわ」

「ほぅ… 王は中々に善政を敷いているんだな」

佐藤は感心するように呟きながら、窓の外に広がる街を見る。

「…でも、こんなに発展しているのは王の直轄領たる王都だけよ。
王は王城と王都の発展にご執心しておられるし、他の土地では税を取られても、貴族たちが王都の発展具合に見合うよう自分の屋敷に富を使うから、その土地に富は残らないわ。
まぁ 我らが辺境伯領では、歴代の領主様が王都の屋敷より自領の開発に富を使ったおかげで他より発展しているけどね」

メディアがため息交じりに補足する。

「首都だけの発展か… さしずめここは異世界の平壌といったところだな。
君の話では、この国の支配階級は自分のキレイな箱庭にご執心なようだが、そんなんで箱庭の外の現実と向き合えるのか?」

佐藤は、眉間に皺をよせながらこの国の問題点をメディアに話す。
紫禁城やクレムリンの綺麗な世界から外を見ていた時の君主達は、国外の現状や国内の革命の芽を正しく認識することは出来なかった。
自ら望んで自分の箱庭に篭っている者は、いったいどのくらい現状を正しく認識できるだろうか。
佐藤のその疑問に、メディアは目を伏せる。

「それは… その内、嫌でもわかるわ。
見て、丁度王城に着いたわ」

その言葉通り、馬車は目の前にそびえる城門を抜け、城の一角に止まった。
佐藤はガクンと馬車が停止するのを見計らうと、メディアの手を取り気持ちを切り替える

「さてと、労働の時間だ。では取次ぎをお願いする」






メディアに取次ぎを依頼してから一体何日がたっただろうか
佐藤の気合とは裏腹に停戦協定と国交正常化交渉の準備は遅々として進んでいなかった。
いや、その表現には少し間違いがある。
メディアを介した王国との接触後、既に何度かの会合は行われている。
最初など、王国の宰相自らお出ましになったほどだ。
だが、肝心の中身が無い。
何度かの調整の末、一か月後に北海道側からの使節団が派遣される事で決まったが、その後は、のらりくらりと細部の調整をはぐらかし、場所や日時の詳細についてはなかなか決まらない。
それでいて、こちらから会談を申し込めば、取次ぎの手間賃だの何だのと露骨に賄賂を要求してくる。
此方としては、あまり相手に刺激を与えぬよう、接収した100ftクラスの改造クルーザーで此方に来たため贈賄用の金品や物資にも限りがあるし、まるでこちらにたかる事が主目的じゃないかと思える役人たちの態度に心底うんざりさせられていた。
そんな佐藤達の様子を見かねてか、ある日、メディアは単身で宰相の下へと謁見に向かっていた。


「ロドリーゴ閣下、差し出がましいのですが、なぜ彼らをあのように扱うのです?
仮にも一国の使節が来るのですから、緊密な調整を行うのは当然の事かと」

広々とした宰相の執務室にて、メディアは机の上の書類から目を離そうともしない中年の男に直立不動で質問する。
それに対し、彼はペンを走らせつつ、視線も上げようとはしない

「それが王の御意向だからだよ。
聞けば、人口も500万程度の小国。王国と対等に交渉しようなどというのがおこがましい。」

「ですが、彼らには高度な文明があり、侮るべきではないかと…」

「高度な文明?正直なところ眉唾な話だ。
小国の文化レベルが、人口4000万を超える王国の、この王都と比べて勝っているとでもいうのかね?
ただ単に、君の辺境伯領が小国にも勝てないレベルに田舎なだけではないのかね?」

メディアは唇を噛み、屈辱に耐える。
自分が馬鹿にされるのは聞き流せばよい。
しかし、辺境伯領を馬鹿にされるのは、そこに仕える主を馬鹿にされたも同然であった。
メディアは胸の内に宿った黒い炎を隠しつつ、なおも説得を続ける。

「お言葉ですが、彼らの力は本物です。
寡兵の彼らに1000名を数えた我らが敗退したのは事実です。
それに…」

「もうよい!」

ロドリーゴは、北海道側の力を伝えようとするメディアの言葉をうんざりするように遮る。

「どのような敵であろうと、神の箱舟"オドアケル"を持つ我々の勝利は揺るぎない。
それに、君には言っていなかったが彼の地への侵攻は既に王命により決定している」

その言葉にメディアは衝撃を受けた。

「そ、それでは何のために交渉の席を設けると決められたのです!?」

再侵攻。
かつての彼女なら王国の勝利を疑わなかったろう、だが今は彼らの軍事力を見てからは、その優位性にも確信が得られないでいる。
勝敗がどちらに傾くにせよ、また多大な犠牲がでるだろう。
それに、そうなった場合、ルイス様に高度な治療を受けさせてもらう約束を反故にされかねない。

「彼らは停戦だの国交だのと言っているが、我々としては彼らと本格的な交渉を行う時は、降伏勧告の交渉だと思っている。
全土を制圧するより、力を見せつけ、外交で併合する方が労力は少ないからな。
ならば、必要以上に彼らの相手をする必要もあるまい。
まぁ この事は他言無用だ。
だが、もし… 彼らにこの事が漏れた場合、君が犯人かどうかに関わらず君を拘束する」

「そんな…」

ロドリーゴの言葉に、メディアは何もいう事が出来ない。
もし、北海道が戦場になった場合、彼らはルイスを生かしておくだろうか
その事を考えるだけで、彼女の顔は蒼白となった。


そんな二人の会話を、人知れず聞く耳が王都の中にはあった。

「やっぱり、連中はもう一戦やる気だな」

王都に沿って流れる大きな川の船着き場に停泊する一隻の船。
北海道から派遣された改造クルーザーに佐藤の姿はあった。

「それにしても、連中は盗聴器への警戒は全くないですね」

スピーカーから流れる二人の会話を通訳として連れて来たドワーフから聞かされて、乗組員の一人が佐藤に言う。

「奴ら、魔法を使った防諜には気を使っているが、電波に関してはからっきしだ。
それに対し、こっちは難民が持ってた結界のアイテムで防諜対策はしてるし、一方的に盗聴が出来るってもんだ。
それにしても、メディア嬢の服に付けた盗聴器が驚くほど役に立ったな」

当人は知る由もないが、彼女が身に着けている衣類からアクセサリーに至る様々なものに盗聴器が仕掛けられていた
基本的に防諜と言えば魔法的な道具や術を結界で防ぐこの世界で、魔力の無い電波機器など理解の外だった。
まぁ 電波を介すると魔法的な翻訳がなされないために亜人の協力が必要不可欠であったが、それでも十分すぎる成果を上げていた。

「よし、本国に敵はあくまでやる気だと無電で連絡だ。
それと、我々が下手に対応を変えるとメディア嬢が危険になる。各員は引き続き交渉の下準備を行え。
くれぐれも我々が敵の手の内を知っていると感づかれるんじゃないぞ」

その言葉に、乗組員たちが黙って首を振る。
この日を境に佐藤の真の任務は交渉に向けた調整から諜報活動へと主軸が変わった。
後に彼らの仕掛けた盗聴器の数々は、王国が電波の存在を知る日まで北海道側に有利な情報を流し続けることになるのだった。







王城からゴートルム側の情報が北海道側へ垂れ流しになって暫くした後、アルドはレガルド王と共に神の箱舟へ乗り込んでいた。
空飛ぶ要塞の中央部にそびえ立つ堅牢な城塞の上から、眼下に広がる要塞の中庭で訓練に励む兵士たちを二人は眺めると、彼らの上を大きな影が横切った。
二人が空を見上げると、そこには影の主たる大きな竜が空を舞っている。
その姿は空飛ぶトカゲというよりも、鳥に羽毛の代わりに鱗と皮の羽を与えたような鋭く流れるような体躯だった。
巨大な翼を広げ、それに負けないくらい立派なトサカ付の頭から甲高い鳴き声を発して飛んでいる。

「竜騎兵も獲物が待ちきれん様子だな」

レガルド王は、編隊を組んで飛んでいく竜の姿を見ながら満足げに呟く

「しかし、竜"騎兵"と言う割に、竜人達が竜に跨っていないのは何度見ても違和感を覚えます」

アルドは王の後ろから空を見上げて空を飛ぶその勇姿を見ながら呟く。

「何を言っておる。本当に跨って乗っていたら直ぐに振り落されてしまうであろう」

王は短く笑いながらアルドの呟きに言葉を返すが、箱舟に来たのは初めてであり、竜騎兵を見るのも数度しかなかったアルドは、空を飛ぶ竜の姿を見ながら違和感を感じていた。


"竜騎兵"
この世界において、竜人だけが扱える箱舟を除けば唯一の航空兵力。
だが、その操り方は非常に特殊だった。
高速で空を駆り、凄まじい機動をする竜には馬や鳥の様に跨っては乗れない。
そこで竜人達は秘術により、精神を一時的に竜に宿らせた。
精神が移っている間は、竜人達は眠っている事しかできないが、その代わり竜自体を自分の体の様に操れる。
それに、一度に複数の竜に秘術をかければ、乗り移った竜が死んでも、本体が無事な限り何度でも他の竜に乗り換えられる。
しかも、乗り移っている間は竜の体を使って魔力を行使できるため、それにより魔法による遠距離攻撃も思いのままだった。


「それにしても、空を飛ぶ竜たちは凄まじく恐ろしげですが、術者たちは恐ろしく無防備ですね」

アルドがそう言って振り向いた視線を向ける先には、角と尻尾のある数人の竜人が術者用の簡易寝台の上で眠っている。
彼らはよほど深く繋がっているのか、此方の話声にも一向に目を覚ます気配はない。

「まぁ 何事にも欠点はある。
だからこそ、オドアケルの魔法障壁が役に立つ。
神代の御世ならいざ知らず、この時代にこの鉄壁の防御が破られることはあるまい」

王は杞憂にすぎんと一蹴し、空を縦横無尽に駆ける竜に視線を戻し、またしばらく空を眺めていると
この広間に通じる通路の方から、軍事施設には場違いな明るい声が近づいてきた。

「あら あなた。こんな所にいらしたのね」

その声の主は、部屋に入って王の姿を見るなり笑顔で近づいてくる。

「お后様ではありませんか。それに姫様方も」

これにはアルドも驚いた。
これから戦場へ行こうとするのに、女子供が同行するなんて聞いていない。

「あぁ 言ってなかったな。
私が英雄譚の様に蛮族を蹴散らす様が見たいと言って聞かなくてね。
つい、連れてきてしまったのだ。
なに、この鉄壁のオドアケルの中から眺めるくらいなら危険はあるまい」

この王は箱舟の力を信じるあまり、戦に対する緊張感がどうも欠けている。
箱舟の防御力は本物だが、ちょっと危険な行楽程度の意識では何とも頼りない。
アルドは、きゃっきゃと騒いでいる后や姫たちの姿をみてそう思うが、既に出発してしまっている以上、ヘタに騒いだところでどうすることも出来ないと割り切り、何も言わないでおくことに決めた。

「お父様。竜騎士たちの勇姿の何とも頼もしい事ね」

「こんな大きなお城が空を飛んでいるなんて信じられないわ」

やって来た彼女らは、広間の窓辺から半身を乗り出し、好き勝手に騒いでいる。
王に対して何も言わないまでも、その光景にアルドはやはり眉を顰める。
血肉が飛び、場合によっては命の危険がある戦場に、物見遊山で来るとは王家の戦に対する意識はそこまで堕落しているのか。
アルドはそう思うが、彼らにしてみても危機感が薄れていくのには理由があった。
王家が興ってから1000年以上の長きにわたり、他国との大規模な戦乱は無く、小競り合いがあったとしても安全な箱舟から指揮を取り、地上で指揮を取ることは一切無い。
この事が、賊の討伐や亜人との衝突など自らも戦場を駆り、多くの死闘と無残な死体を見てきた諸侯と王家には、決定的な意識の相違を生じさせていた。
死体や血を見る事もなく、圧倒的な力のみを保持してきた彼らの危機意識はとうの昔に腐り落ちている。
その象徴ともいえるのが彼女たちである。
王は后や姫に甘いともっぱらの評判であるが、今回も彼女らの要望を二つ返事で許可したのであろう。
そんな複雑な表情で彼女らを見つめるアルドとは裏腹に、王を中心に彼女らは実に楽しげに景色を眺めている。
そうやって暫くきゃいきゃいと騒いでた彼女たちだが、その内一人がある物を見つけた。

「あっ 海の方にも沢山のお船が見えてきたわ」

姫の一人が指をさすその先には、海原に浮かぶ沢山の点が集まっていた。
見れば、その一つ一つが船であり、その帆には様々な諸侯の紋章が描かれている。

「陛下、どうやら諸侯の軍船と合流したようです。
彼らの直上に到着次第、一路、東へと参りましょう」

アルドの言葉に、娘たちの前であるからか、王が一段と威厳を感じさせる佇まいで言葉を紡ぐ。

「うむ、蛮族に神の軍勢の偉大さを教えてやろう。
神の威光に平伏すことこそが、奴らに残されたただ一つの道である」

賽は投げられた。
最早、争いは不可避の運命であった。








箱舟が諸侯の軍船と合流し、東進を始めてから暫くして。
夕暮れの千歳空軍基地は、かつてない緊張状況に包まれていた。
これに似たような事例があるとすれば、遥か冷戦前に函館空港にソ連のMig25が飛来した折り、ソ連の侵攻を覚悟していた時のような緊迫感。
基地内の全員が、これから敵の侵攻があると確信し準備を進めている。
そんな基地内の一角に同じように緊迫感と熱気と人の群れで溢れている個所があった。
特設のプレス会場。
今回の侵攻を察知した連邦政府が、国民に対し声明を発表するべく臨時に基地内に設置した会場であった。
最早、敵の侵攻は始まっており、交渉する気も無いとなれば残る手段は限られている。
それならば、という事で、政府はこの事を通じて国民の団結を促すためにこのプレス会場を設置した。
作戦の推移を報道しても敵に放送を傍受される心配が無いので、作戦内容が敵側に漏れる事も無い。
むしろ、メディアと言うフィルターを通さず、国民に今そこにある危機を正確に伝える為に、政府と軍は作戦の推移を中継することを決めた。
ざわつく会場内に夕闇が迫る頃、報道陣が囲む壇上にライトが向けられる。
強力な光に照らし出された旧道庁(現在は連邦政府の国旗)が入ったひな壇に一人の姿が向かう。
強烈な報道陣のフラッシュの洗礼を受けながら、その人物は壇上から彼らに向かい合う。

「では、時刻となりましたので、高木大統領より重大な声明の発表を行っていただきます」

会場に響き渡るアナウンスの声に促され、高木は決意に満ちた口調で話始める。

「本日は皆さんに重大なお話があります。
昨年、礼文島に武装勢力の侵攻があった事は記憶に新しいかと思います。
我々は、紛争後も相手側と幾度となく平和の可能性を模索しました。
平和の交渉に本腰を入れない相手にも諦めず、接触を続けました。
しかし、ここに来て、そのすべての努力が無駄となったのです」

高木の発表に会場にざわめきが起きる。
メディア側も空軍基地内での記者会見や軍の動きから大よその事は察していたが、国のトップから語られるキナ臭い発表には動揺を隠せなかった。
高木は彼らの反応を見て一呼吸置くと再び言葉を紡ぎ始める。

「現在、北海道の西方を新たな武装勢力が東進を続けています。
その数は、船の数だけで前回の数倍。さらには未知の飛行要塞が含まれています。
このままでは礼文の二の舞… いえ、敵の数からいって更に酷い惨事になるでしょう。
しかし、この世界には頼るべき友軍であった米軍も内地からの援軍もない。
ですが、だからと言って我々は座して死を待つわけにはいかない。
これ以上、礼文の悲劇を繰り返してはいけない。
ならば自ら剣を取り、身にかかる火の粉は自らの力で振り払わねばなりません。
そこで我々は、かねてより準備を行ってきた本道防衛作戦"大地の怒り"の発動をここに宣言します。
作戦目的は敵侵攻の阻止。
本作戦には保有する海・空軍力のほぼ全力を投入する大規模なものになるでしょう。
敵が如何なる存在だろうと、我々の自由、生命、未来を侵すことは許されません。
我々の生存権は、何人たりとも犯すことの出来ない神聖にして不可侵なものです。
それに対し、邪悪な魔の手が迫っている以上、我々のすべき事は唯一つ!
さぁ 皆さん!
我々を侮るこの世界に教育してあげましょう。
暴虐には毅然として立ち向かう我々の意思を!
そして、新たな時代が始まったという事を!」

高木の演説により、周囲は熱気と拍手に包まれた。
ある者は息を飲んで複雑な表情を浮かべ、ある者は気勢をあげて熱烈な拍手を送る。
テレビのゴールデンタイムを狙って行われたこの会見の映像は、今も全道に流されている。
見たものの思いは様々だが、礼文の騒乱も何処か他人ごとだった国民も、戦闘の推移が報道されることで意識が変わり、全国民がより一層団結するだろう。
そんな政権側の思惑が成功しつつある会見場を遠目に、基地の誘導路上には兵装を満載したF-15の群れが列を作っていた。

『Bear1より各機へ、大統領閣下のお話が終わったようだ。
管制塔から離陸許可が下り次第、西に進路を取り択捉の連中と合流する。
飛行隊創設以来の実戦だが、訓練通り落ち着いて飛べ』

『『Rog』』

出撃を今か今かと待ちわびた彼らへの管制塔からの離陸許可は、各機からの返信がきてすぐに下りた。

『Bear1, Wind is clam.Clear for take off』
(ベア1へ、風は穏やかだ。離陸を許可する)

離陸許可と共に、青い炎を曳いた荒鷹達が一機、また一機と夕闇の中に舞い上がっていく。
会見場に集まった報道陣と基地の兵に見送られ、力強い轟音と共に飛び立っていく光点。
高木はそれを半ばまで見送ると、会見場を離れ作戦司令部へと歩を進めた。
司令部内では既に展開している味方と敵の位置がスクリーンに示されている。

「閣下。王国内に派遣していた職員の一時退避完了しました」

駆け寄ってきた秘書官が高木に最新の情報を報告する。

「ご苦労様。それにしても、この国際法やその類のものが無いと宣戦の布告すら難儀するのね」

「外交特権など有るかすら怪しい世界です。それに今回は協力員や派遣した職員の身の安全が心配されましたので致し方ないでしょう」

本来ならば、国家間の戦争では宣戦布告が行われるのが前の世界のルールであったが、今回の戦役ではそれは行われない。
何故ならば、北海道側は未だこの世界の国際慣例は熟知していない上、捕虜の話を合わせても外交官の身の安全を保障するルールは無い事が分かった。
前の世界でも歴史を紐解けば、宣戦に向かった使者が斬られる等はよくあった。
そんな中に貴重な人材を送り込むわけにはいかない。それに王国側は何かあった場合、メディア嬢を拘束すると発言している(盗聴ではあったが)
数少ない協力員の安全も考えねばならなかった。
よって、今回の作戦は国家間の全面戦争ではなく局地的な紛争であるとするのが、政府の公式見解であった。

「まぁ そもそも未だ国交を結んでない上に、相手を国家と承認していない以上、宣戦布告もあまり意味は無いけど…
それよりも、二度と愚かな真似をしないよう完膚なきまでに叩いてやりましょう。
傲慢な魔法世界に機械産業文明の力を見せつけるのよ」


そう言って高木はスクリーンの一つに目を向ける。
そこにはカメラを取り付けた一機から、空に浮かぶ光の大編隊の映像が送られてきている。
その光景はメディアのカメラを通じて各世帯に届けられ、全道民がそれを注視していた。
500万の視線が集まる中、今ここに、新世界に対する最初の大規模作戦が幕を開けたのである。



[29737] 北海道西方沖航空戦
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:14







北海道からの大規模な航空部隊が飛び立った夜。
最初の変化に気付いたのは竜と竜人達だった。
日も暮れた為、厩舎で休んでいた竜たちだったが、殆どの竜が寝藁から起き上がり東の方角を向いている。
そして、竜に同調していた竜人の一部も今までにない変化に気が付いた。
いや、小さな変化自体は前々から感じていたが、敵地に近づくにつれその変化は急速に増大していったというのが正しいだろう。
その竜人達の不安は、竜人の長が王族とその配下の宴へ無粋に踏み入るのに戸惑うことはさせなかった。

「王よ!報告が有ります」

王を呼ぶ声と共に、歴戦の勇士といった出立の竜人の長が室内に乱入すると、それまで楽しく飲食していた王や姫たちの手が止まる。

「何事だ!?」

竜人の長の突然の乱入に楽しい一時を邪魔された王は不満げに尋ねる。

「東の空が謎の輝きに包まれておる。コレは何かの予兆かと思うのだ」

「輝いている?」

長の言葉に王も顔をしかめる。
今の時間からして日はとうに沈んでいる。
なにか大きな火災だろうか?
王は一体それは何かと思慮を巡らそうとするが、実際に見た方が早いと席を立ち、アルドと配下を連れて城塞の上へと駆け上がった。
城壁の上にたどり着いた王は、箱舟の進む先、東の方角の空を凝視する。

「真っ暗だぞ。何もないではないか」

王はいつもと変わらぬ東の星空を見ながら、ふざけた報告をしてきた長を睨む。

「この光は人には見えぬ。
我らは竜光と呼んでいるが、竜だけが見える光がある。
そもそもこの竜光と言うのは、竜が大空を飛ぶ時に遠くの仲間や獲物を探す時に発するものなのだが、それが今、東の方角からこちらを照らし出すように放たれている。
最初ははぐれ竜でもいるのかと思っておったが、目的地に近づくにつれ徐々に大きくなり、つい先ほどからまるでこちらを照らすかのように急激に輝き始めたのだ」

「こちらを照らし出すように?」

長の言葉に横で聞いていたアルドも質問する。

「うむ。竜はこの光で空を照らし、たとえ月の無い闇夜であっても、この光の反射で獲物の位置を感じ取れる。
今はまるで、こちらが竜に狙われる獲物が如く照らし出されている。
勝手ではあるが、既に配下にはいつでも出れるように待機を命じているが、どうする?王よ」

長の言葉を黙って顎鬚を撫でながら聞いていた王であったが、その決断は早かった。

「竜を上げろ。お前が気になると言うのであれば、出さぬ訳にもいくまい。
不安が無くなるまで好きにするがいい」

「うむ。その言葉、待っておったわ」

長は短く礼をするとすぐさま厩舎にかけていく。
その姿を見送りながら王は呟いた。

「敵に竜が居るとなると、少々面倒くさいな」

そう言って王はアルドを睨む。
彼からの情報では、敵に竜が居るなど聞いていない。
王は、事態が少々面倒くさくなる事の落とし前として、辺境領から巻き上げる予定の財貨にいくら上乗せしようかと考えつつ、
厩舎より飛び立ち始める竜を見送るのであった。




箱舟の進行方向の先、石狩湾上空の星空に数多の猛禽が編隊を組んで旋回している。
青白い炎を曳いて飛び回るその光景は、まるで星座がダンスを踊っているようであった。
だが、その翼は決して踊っているわけではない、迫りくる脅威が此方の罠に嵌るのを今か今かと待っている肉食獣の群れであった。

『bear1より各機。
地上からの連絡だ。目標は射程圏内に侵入した。我々の飛行隊は、これより敵の梅雨払いを開始する』

猛禽たちが待ちに待った命令。
敵は、我らのキリングフィールドに愚かにも舞い込んできた。
編隊は進路を敵飛行要塞に向け、レーダーサイトとのデータリンクにより映し出された攻撃目標を選択する。
最初の目標は、此方の動向に感付いたのか、わらわらと舞い上がり始めた竜と呼ばれる飛行生物。

『怪獣退治は自衛隊の伝統だ。択捉の奴らに手本を見せてやれ』

そう言ってbear1がミサイルの引き金を引く。
ミサイルが機体を離れ、同時に炎を吹いて夜空を突き進む。
予想外のアラートが鳴ったのはそんな時だった。
見れば、計器の一つに緑色のマーカーが現れている。

『!? レーダー警報だと? 奴ら、トカゲのくせに電波を使うのか!』

レーダー波を感じた際に反応するレーダー警報装置。
それが今、ミサイルが向かった方角からの反応を示していた。





王とアルドらに見送られた竜たちは、次々と厩舎から飛び立っていく
大きな翼と魔法の力を借りた上昇力で、竜たちはぐんぐんと高度をあげた。

『凄いな。東からとんでもない量の竜光を感じるぞ』

十分な高度を稼いで水平飛行に移った後、竜達を束ねている一匹(正確には竜を操る竜人だが)が言う。
彼の言うとおり、他の竜たちも東の方から雑多な色の竜光の中に、ひときわ大きな点がいくつもある事が感じられた。
だが、特に気になるのが東の空に感じる異質な存在、微かではあるが竜光を発する何かが空を舞っている。

『竜の竜光とは何か違うな。』

その言葉の通り、東から来る竜光は、竜のモノとは違い特定の色だけを放っているものが多い
普通、竜光はどんなに集中しても多少の他の色が混ざる物だが、向かう先の発光源は様々な色があるものの一つの点からは同じ色の光しか出ていなかった。

『よし、こちらからも照らしてみろ。何が飛んでるのか探ってみよう』

その言葉により、竜たちの中で一番大きい個体が大出力で竜光を放とうとしたそんな時だった。
東の空に浮かぶ微かな輝きは、突然十数個もの大きな輝きに変わり、此方を照らし始めた。

『!!? 狙われている? こちらも照らせ!相手を探るんだ!」

その言葉に先ほど竜光を放ちかけた個体が慌てて東へ向けて竜光を放ち、その結果に誰もが息を飲んだ。
輝いている十数個だけではない、その後ろも含めて数十の飛行体がこちらに向かっている。

『敵だ! 全員、遠距離戦用意!敵を丸焦げにしてやれ!』

その号令と共に竜たちは魔力を練り、鼻先に超高温の火球を生成する。

『放て!』

全員の火球が準備できたのを見計らい、統率する竜が一斉攻撃を命じる。
魔力によって生成され、魔力によって高速移動する火球は、術者の誘導の下に確実に前方の正体不明の敵へと向かう。
高速で相対する彼我の距離は急速に縮まっていき、そろそろ着弾するかと思われたその時、竜たちにとって最悪の光景が現れた。

それは突然だった。
彼らの前方に竜光を放つ点が多数現れ、超高速で此方に向かって突っ込んでくる。
ある者は火球の誘導を止めて急機動により回避に入るが、それでも火球の誘導を続けた者は、次の瞬間には飛んできた何かに貫かれ、爆炎と共に肉片を飛散した。

『クソ!』

竜の一匹が炎に包まれて墜落する仲間の死骸を見て悪態をつくが、その意識も突然に途切れた。

『!?』

それまで墜落した仲間を見ていた視界がいきなり切り替わる。
見渡せば、先ほどまで意識を乗り映させていた竜が、見ていた竜と同じように落ちていく
そこでやっと、彼は敵に撃墜され、あらかじめ秘術をかけていた別の竜に意識がシフトしたことを認識する。

『何匹やられた!?』

生れて初めて乗り移っていた竜を撃墜されたことに驚愕を隠しきれない彼に、指揮を取る竜から念が来る。
それにハッとして、即座に秘術のつながりを感じる竜を探すが、既に自分の分だけでも2匹足りない

『2匹やられました』

そう彼が報告すると、指揮を取っている竜は回避行動と同時に他の竜にも別途で話ているのか返事は無い。

『…チッ!いきなり半分喰われ…』

個別に回避行動を取る群れの損害をやっと確認できたのか、指揮竜から全員に向けて何かを指示しようとするも、それは途中で爆発と共に途切れた。
数秒の沈黙の後、意識を乗り換えた彼の声も復活したが、その声には微かな混乱と怒りが混じっている。

『クソ!何だ?奴らの攻撃は!?
全員、敵の攻撃は紙一重で避けるな!直撃せずとも爆発するぞ』

一方的な殺戮に遭いつつも、必死に回避行動をとる竜たち。
彼らが己の事で手一杯になっているころ、彼らの混乱など無視するかのように戦いは新たなステージを迎えていた。

戦端が開かれている空域に最も近い海岸
かつて日本海があった方面にひょっこりと飛び出た積丹半島は、元々人口が希薄な上、敵の着上陸が予想される地域の住民は既に避難済みということもあり、ひっそりとした闇に包まれていた。
野生の動物たちはいつもと変わらぬ静かな夜を過ごしている様だが、その安眠も突如として終わりを告げる。
地を揺らすかのごとき轟音と共に、夜の森が日中の如く明るく照らし出され、大量の煙を吐きながら垂直にたくさんの炎が空に飛び上がる。
そんな、この世の終わりのような光景を動物たちに見せた炎の柱は、そのまま海のかなたへと凄まじい速度で消えていった。

「SSM-1改 発射完了」

動物たちにトラウマを植えつけたその物体は、指令所のスクリーンの地図上で簡単な記号の移動物体として映し出されている
高木はそのマーカーを見ながら、兵士からミサイルの正常な発射の報告を受ける。

「今のところ正常に動作してますね。
今回の作戦では改修された対艦ミサイルの比重が大きい分、連日夜を徹してミサイルのシステム改修に当たってくれた技術者たちには、作戦後に国から表彰させてもらいましょう」

高木のその言葉に、横に立っている幕僚の一人が頷きながら言葉をかける。

「しかし閣下、設計・プログラミング支援AI技術が進んでいて本当に良かったですな。
これで呼び出されたのが2010年代の我々であれば、いささか対応が難しかったですよ。
何せロシア製ミサイルの飛行プログラム改修もありましたから」

その言葉の通り、本作戦では飛行する要塞への打撃手段として、対艦ミサイルに上空を飛行する目標への突入を可能にする為の改修が行われた。
その数は、対艦ミサイル一個連隊96発、ミサイル艇2隻の8発,ステレグシュチイ級コルベットの8発、ロシア機の空対艦ミサイル約40発と、本作戦に投入するだけで150発を超えるミサイルである。

「でも、これで本当に足りるのかしら」

高木の疑問に二人の話を聞いていた基地指令もスクリーンを睨み付けながら話に加わる。

「足りてもらわなければ困る。
矢追博士の話によれば、火力を集中し敵が魔力切れになれば障壁は消えるとの事だが、敵の容量がわからない以上、我々は全火力を投入するしかない。
これでも足りないのであれば、もう我々には奴等を叩き落す火力は無いですな」


魔法障壁
この未知なるバリアに対し、北海道では礼文の騒乱以降から調査が行われていた。
難民や捕虜の魔術師を使い発生の原理を究明しようと様々な試みがなされたが、その原理については未だに糸口すら掴めていなかった。
だが、その利用法ならば話は別である。
これは、難民の代表のラバシ氏の協力のもと矢追博士の人体実験が幾度と無く行われた成果である。
捕虜の魔術師に障壁を張らせ、最初は石を投げ、次にラバシ氏の魔法による一撃、さらには銃で撃ってみたりと数々のテストが行われた。
その結果わかった事は、術者の魔力量が十分なときは、どんな攻撃も完全に防御して見せるが、魔力量の限界に近づくにつれ障壁が薄くなり、終いには貫通するというものだった。
実験では魔力消費は障壁の強さと時間に比例する事がわかったが、それは人間の魔術師が張ったものでの実験結果であり、本当に通用するかは未知数というのが実情であったが…


高木は博士の説明を思い出し、スクリーンを注視する。
これが駄目ならば、もうあのラピュタを止める手立ては無い。
そんな彼女の祈りともいえる視線を受け、スクリーン上のマーカー達は更なる動きを見せ始めた。
SSMの発射にあわせ、上空を飛ぶSu-51の飛行隊から数多のミサイルのマーカーが現れ、同時に海上に展開する艦艇からもマーカーが現れる。
後の戦史研究が行われるならば、箱舟の運命は、正にこの時に決したのかもしれない。



『また敵の反応が増えたぞ!?』

上空を乱舞する竜達に混乱が広がる。
東の空から飛来した敵とは別の方角から照射を受け、そちらの方角へこちらから照らしてみると、また新たに数十の飛行体が接近している。
方向からして箱舟の方角に向かっているようだが、今の彼らには対処する余裕は無い。
先ほど接敵した敵の翼は、旋回能力こそ、こちらの足元にも及ばないが、その速度は我々をはるかに凌駕している。
何度か後ろに喰らいついて、一撃をかまそうとしたがその速度差にあっという間に逃げられる。
幸いにも敵は格闘戦に移行して以降、最初に竜達が大きな被害を受けた武器は使っていない。
必死に飛び続ける竜達はなんとかそこに勝機を見出したいと粘るが、こちらも決定打にかけている。
そんな時だった、箱舟の方角に真っ赤な炎が立ち上がる。

『糞!やりやがったな!』

統率する竜が炎に包まれる箱舟を見て叫ぶ。

『全員聞け、これより箱舟の守りに向かう、敵の足止めに数羽残して残りは箱舟に向かえ
魔法障壁があるため大丈夫かとは思うが、俺たちの本体に危険が及ぶ可能性は摘み取らねばならん!
足止めは嫌がらせに終始しろ、敵を撃墜できなくてもかまわん。
さぁ! いくぞ!』

竜達を束ねる彼は焦っていた。
例え、魔法障壁で守られていても、本体が眠る場所から断続的に爆炎があがっているのは見過ごしておけない。
一刻も早く、敵の攻撃を止める。
彼の頭は、そのことで一杯だった。
だからだろう、迫りくる光弾のシャワーをもろに浴びてしまったのは。
急に意識が切り替わり竜を率いていた彼は軽く混乱する。
視界の隅には肉片となり落ち行く竜の姿が見えるが、彼にとって重要なのはそこではない

『一体、どこから…』

打たれた直前、彼の周囲には射線を確保できる敵の姿は無かった。
正体不明の敵の攻撃に周囲に竜光を放っていると、鼻先を敵の飛行体がかすめて通過する

『あいつか!』

彼はあわてて視線で追い竜光を放つが、その結果に彼は驚愕した。
竜光が反射しない…
いや、反射するにはしているがそれはとても小さなものだった。
先ほどまで戦っていた敵と明らかに違う。

『気をつけろ、竜光に写らない敵がいるぞ!』

彼らは知るはずも無かったが、それは改修した対艦ミサイルを打ち終えたSu-51であった。
メインの役目を終えた彼らは、残りの燃料と機銃弾を使い尽くすべく、空戦の真只中に舞い戻ってきたのだった。
新たな敵の増援。
竜達の救援が絶望的になる。
一方で、その頃の箱舟は、いまだ地獄の蓋が開いたばかりだった。


『目標上空に到達、敵航空部隊の脅威なし。
これより、爆撃工程に入る』

竜達が箱舟より引き剥がされた後、爆装した一個飛行隊のF15が箱舟に対する爆撃を開始した。
次々に投弾し、代わる代わる現れる荒鷹達に箱舟は炎の傘に包まれる。
だが、もちろんその攻撃は本体には届いていない。
攻撃側のF15もそれを分かってやっていた。
誘導爆弾の使えないF15に搭載された各機16発づつの500lb爆弾による爆撃は、唯単にミサイルの雨が到達する前に少しでも敵に魔力を消費させる為の準備に過ぎない。
だが、直径400mの飛行物体に対する爆弾のバラまきともいえる攻撃は視覚効果としては十分だった。
よく見れば、障壁により攻撃が到達していないようだが、端から見れば爆発の度に箱舟は炎に包まれている。

『クリオネ2より、クリオネ1へ
すごい光景ですね。俺があの場所にいたら小便ちびって逃げますよ』

『クリオネ2。馬鹿なこと言ってないで投弾が終わったら基地に帰投するぞ』

『了解。しかし、俺らは択捉の奴等みたいに空戦に行かなくて本当に良いんですか?』

『そういう命令だ。しかし、無線で聞く限りだと、201飛行隊の奴ら、竜相手じゃ赤外線追尾の短距離ミサイルが使えなくて苦労しているらしいな』

『正直言って、夜間に機銃で空戦とか無理じゃないですか?』

『やつらもトカゲどもを引き剥がす為に無理を承知でやってるんだ。
現に、トカゲは戻ってきてないだろ?無理が通れば道理は引っ込むんだよ。』

『そんなもんですかね』

『そんなもんだ。クリオネ2無駄口もここまでだ、全機の投弾が完了した。
これより編隊を組んで帰投する』




彼らの話ていた通り、箱舟の中は大変な騒ぎになっていた。
障壁があるため、実害こそ出ていないが、兵士の相当数が空を覆う炎に恐怖し身を屈めている。
そして、その混乱は、城砦内の豪華な一部屋が一番大きかった。

「お父様!もういや!いやなの!帰る!」

「いゃぁぁあぁああぁぁぁ!!!」

それまで宴席が行われていた一室で、王を囲うように、その王妃やら姫達が泣き叫んでいる。
両腕をきつく握られて身動きの取れない状況の中、姫たちのあまりの狼狽振りをみて、同じように驚くこともできなかった王が優しく彼女らを諭す。

「案ずることは無い。障壁がある限り、この程度の攻撃でオドアケルが傷つくなどありえないのだよ」

心配は要らないと王はできる限り優しく接するが、既にヒステリーの域にまで達した彼女らの恐慌は止まらない。

「いやなの!私は帰るって言ってるの!もう帰して!帰して!帰して!」

「うぁあああぁぁあん!!!」

「いや、だから大丈夫だと… 窓の外を見てみるがよい
あれほどの爆発でも、箱舟は無傷だぞ?」

「嫌!!!」

王室で何不自由なくぬくぬくと過ごしてきた為か、姫たちは自分の嫌がるものを決して直視しようとしない。
そんな彼女らの聞き分けの無さに嫌気が差したのか、王は縋る彼女らを振り払って席を立つ。

「ならば、大丈夫であることを、余自らが確認してくる。
アルド、ついてまいれ」

そう言って、姫たちが泣き叫ぶ光景を黙ってみていたアルドに目を配らせると、行かないでと叫ぶ彼女らをおいて王は階段を上る。

「良かったのですか?」

アルドは王に尋ねる。
その言葉に、王はため息を一つついて答える。

「聞き分けが無いのだからしょうがなかろう。
それに一番安全なのは城内だ。あの場でじっとしていてくれる分にはかまわぬ」

王は溜息を吐き、忌々しげに爆発音を聞きながら歩いていると、さほど時間もかからずに彼らは屋上に着いた。

「なんとも不思議な光景であるな・・・」

そういって二人は空を見上げる。
そこには敵が上空を通過するたびに炎が空を包む光景が広がっている。
障壁の為、爆風はおろか熱も届いていない。
時折、遠く爆発音が聞こえる程度である。
暫く二人でその光景を見ていたが、それもじきに下火となった。

「お?奴らの攻撃もこれで終わりのようですね。
しかし、我らの鉄壁の守りの前には、どんな攻撃も無意味と言ったところですか」

空を見上げながら言うアルドの言葉に王も頷く、だが彼等は気付いていなかった。
最初は光り輝いていた障壁も、攻撃の最後では、その輝きが若干色あせていた事に…
そして今まで上空で花開いていた爆炎から打って変って、新たに前方で花開く炎の大輪が、戦いの新たなステージが始まった事を告げていた。



用意周到な作戦の下で放たれたミサイルの雨は、ほぼ同時刻に箱舟へと殺到する。
その内訳は、積丹半島より放たれたSSM-1改が96発、はやぶさ型ミサイル艇より放たれたSSM-1Bが8発、コルベットから発射されたP-800が6発(残りの二発はリバースエンジニアリング用に降ろされた)、
そして本来は予備機を除く14機の全力出撃したかったのだが、本国からの部品供給が途絶え、稼働率が下がったため10機で出撃したSu-51の各機2発づつのKh-31AMが20発、計130発であった。
目標に向かう途中、急な改修の為に不具合が生じたのか、正常に作動しなかったものが13発あったが、この世界には電波妨害も米艦隊のような濃密な防空網は存在しない。
正常に作動した残りの117発は、そのまま目標に吸い込まれた。
夜空に白煙を曳くミサイルが着弾する度に、新たに殺到するミサイルが爆発の光に照らされてその姿を現す。
10発、20発と絶え間なく続く爆発は、鉄壁の魔法障壁を少しづつ、そして確実に消耗させていった。
だが、50発、60発と着弾しても中々抜ける気配が無い、全軍がその動向に注目する。
そして着弾が100発を超え、スクリーン或いはコックピット越しにその光景を見る者達が焦りの色を濃くした時、それは訪れた。
最後尾で着弾したP-800ミサイル。
固体ロケット・ラムジェット統合推進システムを用いてマッハ2.5で飛翔するその物体は、3トンの質量を持って障壁に衝突し、そしてついに鉄壁を誇ったその防壁を撃ち抜いた。
それまでの攻撃により限界にまで薄くなっていた障壁は、丸い波紋を残して消失し、それを突き抜けたミサイルは城塞の一部に衝突して250kgの弾頭に火を付ける。
遂に内部に到達した破壊の炎により、箱舟の構造物の一部が爆発に呑まれて倒壊する。
ある者は爆発に巻き込まれて絶命し、またある者は倒壊した瓦礫に押しつぶされて命を散らした。
箱舟に乗り込んだ者の中で、誰がこの事態を想像できただろうか。
誰も彼もが慌てふためき、満足な消火活動等出来てはいなかった。
そんな中、一番冷静であったのは意外にもレガルド王だった。

「はやく火を消せ!
損害は!?どこをやられた?」

炎によってオレンジ色に照らされる城塞上で、王は兵達に懸命に指示を出す。
その危機によって発揮された王たる者の振る舞いを見て、若干腰を抜かしていたアルドも正気を取り戻した。
即座にアルドは王を補佐するべく声を掛けようとするが、その声は後ろから迫る悲鳴にも似た鳴き声に掻き消された。

「お父様!!! もう嫌よ! 城に戻りましょう!!!」

そう言って姫たちが城塞内から走り寄ってくると、王の足に縋る。
そんな彼女らに王は優しく諭す。

「お前たち、ココは危ないから中に戻るんだ」

「でも!でも!」

「今は父の言う事を聞きなさい。わかったね?」

未だに燃え盛る城塞を背景に、優しくかけられる父の言葉、これにより姫たちも落ち着きを取り戻し、王の顔にも余裕が出てくる。
だが、その直後に現れた伝令の報告により、王の顔から余裕が完全に消え去った。

「陛下、報告します!敵の攻撃は竜人の待機室を直撃。箱舟本体は無傷ですが増築部分の一部が倒壊したことにより損害が多数出ている模様です!」

「何!?」

竜人の待機室。
そこは、今出撃している竜たちを操る竜人の本体が眠っている場所。
そこがやられたという事は…


「クケェェェェ!!!!!」

報告を受けた王達の頭上に一匹の竜が飛び去っていく。

「本体がやられて術が解けたのか」

その言葉の示す通り、先ほどまで力及ばずとも果敢に空中戦を繰り広げていた竜達が四方八方に潰走していく。
その様子は、本能に赴くまま必死に逃げているようである。

「…くっ」

王は悔しげにその様子を眺め、また再度縋りつく姫たちの顔を見て決断した。
箱舟の本体が無事であるならば、障壁はいずれ回復するが、竜達はそうはいかない。
手持ちの最強の攻撃力だったために、それが失われては今回の遠征自体が難しくなる。
何より、愛すべき王妃や姫たちの泣き叫ぶ顔を見るのは彼にとって苦痛であった。

「…撤退だ」

「は?」

小さく呟くように言った王の言葉に、報告に来た兵が聞き返す。

「撤退すると言ったのだ。進路変更。王都に戻るぞ!」

「は!」

王の叫び声と共に兵達が動き出す。
伝令が走り、この戦役も最早これまでと思われたその時だった。

「撤退など認めん!」

先ほどまで従順に王に従っていたアルドが、まるで悪魔のような形相で王を睨んでいる。
睨まれた王も、突然のアルドの変わりように戸惑いを隠せない。

「何を言っているのだ?」

王は眉間に皺を寄せてアルドに問いかける。

「撤退など認めん!まだ一発貰っただけだ!何より未だ蛮族共を血祭りに上げていないのに撤退とは何事か!」

「貴様、王に対してその物言いは何だ」

アルドの王に対してのあまりに不遜な物言いに、流石の王も憤りを隠さない。

「黙れ無能王!戦に女子供まで連れてくる馬鹿が。
ここでおめおめと逃げ帰ったら、何のために箱舟まで繰り出させたと思ってるんだ。
俺に敗北の屈辱を味あわせた奴らに、まだ代価は支払わせてない!
城塞の一部が崩れたのが何だ!そんな事、戦では些細な物ではないか!」

彼は狂っていた。
最初の敗戦の後、今まで敗北を知らなかった彼が、無様に波間を漂っている中で培われた復讐心は、莫大な財貨を使って今回の遠征を企てるほどに歪んだ物だった。
それが、あともう少しで敵地に差し掛かるという所での撤退という王の決断は、彼にとって到底容認できるものではなかった。

「…アルドよ。先ほどの攻撃で気がふれたか?
部屋に戻れ。今ならまだ、先ほどの無礼も不問にしてやろう」

王は明らかに狂気が宿った目をしているアルドに穏やかに語りかけるが、最早、彼は聞く耳を持ってはいない。

「黙れ!」

シュ…

アルドは腰から鈍く光る剣を抜くと、王の首筋に充てる。

「突撃だ!引き返すことは許さん!」

「きゃぁあぁあぁ!」

いきなり抜刀して王に剣を向けた事に対し、それを見ていた女たちから悲鳴が上がる。
そして、首筋に切っ先を当てられ不用意に動けなくなった王も、背筋が凍り微動だに出来なくなった。

「くぅ… 本気で狂ったか…」

「さぁ 命令しろ!蹂躙だ!撤退などではなく、徹底的な蹂躙を命じるんだ!」

場に緊迫した空気が漂う中、アルドは高らかに笑う。
最早彼の目には先の事など写っていないようだった。
王を人質に取られ全員が凍ったように固まるが、それも長くは続かなかった。
丁度その時、箱舟の上空では統制を失って本能の赴くままに四方に逃走を図ってい竜たちの一匹が箱舟の方角に向かって落ちていく
撃墜されたのか、爆発に巻き込まれたのかは定かではないが、その皮膜で出来た翼には大きな穴が開いている。
落ちてきた竜は、元々持っていた速度に加え、重力の加速も加えながら城塞の屋上に突っ込んだ。
どぉんという衝撃と共に発生した土埃を巻き上げ、肉片を飛び散らせながら転げまわる竜の骸は、あたりの人間を何人か巻き込む。
不幸な兵士の一人は、転がってきた胴体に吹き飛ばされて絶命し、細かい肉塊の雨はアルドたちに容赦なく降り注いだ。
急な出来事に皆が目を瞑って屈みやり過ごし、舞い上がった土煙が晴れる頃、また再度何かが崩れ落ちるような音が辺りに響く。
竜の血や土埃で汚れた皆の中心。
視界が戻ったその場所には、血に染まり立ち尽くすアルドと崩れ落ちた王の姿があった。
竜の肉片が彼に衝突したのだろうか、彼の足もとには竜の指と思われるものが落ちている。
そして、その結果だろう。
喉元に刃を向けている時に加えられた衝撃により、仰向けに倒れる王の首には真一文字の裂け目が出来ていた。

「いやぁあぁぁあ!」

「陛下!!!」

王妃たちが叫び、抜刀した兵士たちがアルドに斬りかかる。
急な出来事に困惑したアルドは、その刃を避けきる事が出来なかった。
袈裟がけに斬られ、そのまま崩れる様にして倒れこむアルド。
倒れた体に蹴りを入れられ、王の体から放されるように転がされる。
危険が排除されたことにより、兵士や王妃たちが王の亡骸に集まるが、王の瞼は開くことは無い。
だが、諦めずに手を尽くそうと兵や姫たちも王に呼びかけたり、止血を止めることは無かった。

アルドは、そんな王の周りで泣き叫ぶ王妃達や必死に傷口を抑える兵達を地面に転がりながら眺めていた。
何が彼をここまで狂気に駆り立てたのであろうか。
高すぎたプライドの代償は、王国全体を巻き込んだ紛争に発展させ、最悪に近い結末を迎えつつある。

「父上… クラウス・・・」

そんな騒動の中心にあった彼が、誰にも届かないほど小さな声で死んだ父と敵の捕虜になった弟の名を呼ぶ。
死の直前、彼は少しの間でも正気に戻れたのであろうか、だが彼の目から命の灯が消えた今では、誰も知る由は無かった。







「閣下、敵飛行物体反転。
後続の船団と共に撤退していきます」

司令部のスクリーンに映し出されたマーカーが反転していくのを見て、司令官は高木に報告する。

「ご苦労様です。
撃墜こそできなかったものの、なんとか敵の上陸は防げそうですね」

戦闘の推移を手に汗を握りながら見つめていた高木は、敵が反転したとの報告にほっとする。
そんな高木に、司令官は言葉を続けた。

「ですが、逃走に入った敵残存部隊に対する処遇は如何になされますか?
確かに敵主力は損傷を受けたようですが、海上の敵船団は無傷です」

それを聞いて高木は悩む。
追撃を出すか深追いを止めるか…
しばらく悩んだ後、高木は一つの結論を出した。

「司令は如何すべきと思いますか?」

餅は餅屋。
高木は自分が軍事戦略は素人であるなら、戦略眼を持つ人間の助言を得るのが一番良いと判断し、司令官に尋ねた。

「そうですね。
戦術的には追撃戦を行った方が戦果は拡大できますが…
やはり、補給の問題から、追撃戦を行うと後々の行動に支障が出ます。
特に一隻しかないステレグシュチイ級は、現状の残弾は船内に残されているのみです。
それに巡視船やミサイル艇用の大口径砲弾も未だに生産は軌道にのっておりません。
倉庫に眠っている分もありますが、それほど豊富なわけではありません。
唯一補給の期待できるのは、国後に工場の出来た小火器用の弾薬くらいでしょうか。
確かに今が戦果拡大のチャンスではありますが、その後の海上兵力の実効性を失ってまで拘る必要は無いかと。
この世界の国家がゴートルムだけならば問題ありませんが、更に他にも複数の国があるとか。
ならば、我々は余力を残しておかねばならないでしょう」

司令官の話を高木は黙って頷きながら聞く。

「補給の縛りによって、行動のフリーハンドが大きく制限されているわけね」

「その通りです」

「そうですか。深追いは止めて置いたほうがいいですね」

高木は司令官の助言に従って命令する。
警戒は維持するも深追いする必要はないと。
それを聞いて司令部が各所へ命令の伝達を始め、高木は黙ってそのキビキビとした動きを見つめる。
そんな高木の背後から、司令部内で戦況を注視していたステパーシンが彼女の肩をポンとたたく。

「まずは戦勝おめでとう大統領。
だが、これからが大変ですよ。今回の戦闘で我らのミサイルの備蓄はほぼ枯渇してしまった。
準備爆撃と100発以上のミサイルでやっと損傷させられるような相手に二回戦目は出来まい。
軍備の拡充とそれを可能にするための産業の育成がこれまで以上に急務になる。
これはもう、大統領には過労死を覚悟して貰わねばなりませんね」

ステパーシンの言葉に高木はウウ…と表情が曇る。

「うっ… それは私も痛感しました。
あの防御を破るには大威力な兵器を量産するしかないって…
ソレについてですが、実はロシア側がやっぱり反応兵器を隠し持ってましたとかは無いんですか?
駄目なら弾道ミサイルでもいいんですが」

高木はロシア側も報告にあった武器以外に何か持ってないか縋るように聞くが
ステパーシンは高木の質問を鼻で笑うだけだった。

「我々の装備は新政府の樹立前に伝えたモノのみです。
残念ながら冷戦時には反応兵器もありましたが、核軍縮後はありませんよ。
それにスカッドもイスカンダルも南クリルには配備してません。
仮にあったとしても、核アレルギーのそちら側の住民が五月蠅いでしょう?」

「…まぁ そうですね。
無い物ねだりは止めましょう。
それに軍備で言うなら、現在の転移前の装備をそのまま引き継いだ偏った装備品の編成を何とかしなければなりませんしね」

「流石に爆撃機や早期警戒機を始め、輸送機すら無いのでは論外ですね」

ステパーシンは高木の言葉にうなずく。
その言葉通り、今の北海道の軍備は凄まじく歪な物になっている。
今回の作戦でも、F15を爆撃に使ったくらいだ。
本来ならそのような役目は支援戦闘機であるF2の役目であるが、それらはみんな転移前は内地に配備されていた。

「まぁ、時間のかかる軍備の話は閣議ででも行いましょう。
とりあえずは、今行うべき方策としては、大陸でも資源獲得のための調査隊編成を前倒しでしょうか。
産業の育成に資源が無い事には進みませんし、あまり時間をかけると経済が崩壊してしまう。
すべては時間との勝負です」

「そうですね。これからはどれだけ早く産業基盤を築き上げれるかが生死の分かれ目ですからね。
もっともっと頑張らねばならないですね」

高木は戦況のスクリーンを見ながら気合を入れる。
全ては生存のために…



「あ、それから大統領」

気合いを入れる高木をよそに、戦況が収束しつつある司令部を退出しようとしたステパーシンが、ふと思い出したように振り返る。

「どうしましたか?」

「先ほどの追撃中止命令ですが、あれは助かりました」

「はぁ。何故です?」

「今は世論の共感が得られずに、なりを潜めている反戦団体の動きが活発化しています。
仮に大量の敵兵の死体が流れ着いて、大々的な反戦運動を始めたら、連邦の社会秩序が少々乱れていたことでした。
今は内務省警察が過激派の摘発に精力を注いでおりますが、ソフトな連中は取り締まりにくい。
敵は外だけではないことも頭の片隅に置いといて頂きたい」

「…肝に銘じます」

そうやって、言いたい事を言うとステパーシンは司令部を後にする。
後に残ったのは、司令部の人間を除けば、高木と頭の痛い問題だけだった。



この後、ニュースでは防衛戦の戦勝と調査隊派遣の前倒しが全国民に対して報道された。
それは、道民に勝利の喜びを味あわせるのと共に、新たな騒動の始まりを告げるものだった。










ゴートルム王国の宰相であるロドリーゴにとって、その報告は予想を超えて最悪なものだった。
遠征軍の敗北の情報は、王国の各地に張り巡らされた魔法による通信網により翌日には中央に入っていた。

「まさか、こんな事が…」

彼は苦悩する。
なぜならば、神代から続く安定していた王朝が、ある日、ポッと出現した蛮人たちによって、その根幹が揺らいでいるからだ。
無敵を誇った箱舟は、大軍を従えた諸侯の目の前で敗北し、何より王を失ったのが痛かった。
王は後継ぎとして男児を残さなかった。
二人の子供はいたが両方ともに姫であり、王妃は目の前で夫が殺された事で心が壊れてしまったと報告にはある。
男系の血統が途絶え、心の壊れた王妃の代わりに未だ少女と言っても過言ではない長女が女王として王位につく予定だが、今まで王城の箱庭でぬくぬくと暮らしていた彼女に政が出来る筈もない。
王宮内ではそれを見越して、新女王に代わり政を行う必要から官僚同士の派閥抗争が激化し、貴族社会では王家に婿入りし王家を我が物とせんがために貴族同士の水面下での争いが勃発するだろう。
その中で王家への婿入りのみを考えた場合、順当な流れで対処するならば国内で最も力のある貴族から婿を取ったであろう。
しかし、それには如何ともしがたい問題があった。
何故ならば王殺しの犯人は、貴族の中でも最大の力と領地を持つエルヴィス辺境伯。
捕縛する際に当主のアルドは命を落としたが、辺境伯家の改易は疑いようが無い。
他の貴族たちにとってみれば最大の障害は消えてなくなった。
特に頭一つ飛び出す者の居ない中での貴族たちの主導権争い。
そのため、王の死という報告からさほどの時間がたっていないにもかかわらず、王国内の貴族社会は数多の毒蛇が王座を狙い蠢動を始めていた。
実際、何人かの貴族が既に王の死を悼む振りをしつつ、ロドリーゴに袖の下を持って挨拶に来ている。
だが、特に目立った差のない彼らの中から一人選ぶとなれば、選ばれなかった者達の不満は想像に易い。
最悪、国が割れる事態になりかねない。
それに改易になる予定の辺境伯領にしても、あの忠誠心の高い家臣団が素直に応じるだろうか。
彼らの軍勢は箱舟不在の穴を埋める為、北の帝国との国境に張り付かせているが、仮に丸ごと帝国に取り込まれるようなことになれば非常に面倒くさい事態に発展するだろう。
ロドリーゴは、思慮を巡らせた末に、帝国との紛争の可能性まで出現したことで自身の胃に強烈な痛みを感じていた。

「うっ、胃が… いたたた…」

そんな彼が激痛に耐え机に突っ伏した姿勢で苦悶の表情を浮かべていると、重厚な扉の向こうからノックが聞こえる。

「ぬぅ…、 入れ」

ロドリーゴは痛みに耐え、一呼吸おいて姿勢を正すと、ドアの向こうに向かって入室を許可する。

「失礼します」

そういって一人の役人が入室して彼の前に立つと、持っていた書状を広げて読み上げる。

「閣下、報告します。
先日まで我が国と交渉を希望していた蛮人たちですが、遠征軍の侵攻の際に一度は逃げたかと思われましたが、再び戻って来たようです。
報告によりますと、今度は交渉のための交渉ではなく、休戦勧告であり本交渉の日時と場所を指定してきました。
場所はエルヴィス辺境伯領のプリナスに寄港する船上。日時は今日から丁度10日後だそうです。
そして、もし交渉の席に着かない場合、拡大する戦火の責任は王国側にあると通達してきております」

「休戦だと?」

「はっ、報告によりますと、向こうはあくまで無益な戦乱の拡大は望まないと申しているようです」

「ふむ…」

ロドリーゴは思案する。
現在の戦況は、蛮人共が此方の切り札を退けた事で向こう側が優勢なはず。
それにもかかわらず、反攻ではなく休戦を求めてくるという事は、向こうにも紛争を継続できない何らかの理由があるのか…
それが小国ゆえに兵站を維持できない為か、何らかの内患を抱えている為か、はたまた先の紛争で損害を受けていたのかどうかは
情報が少なすぎる為に知りようが無いが、この事は体制が不安定化してしまった今の王国には好機とみるべきだろう。
再侵攻にしても、損耗した竜人達の代わりを新たに竜の地から招聘するにも時間と出費がかかるし、何より軍の統帥権を握っているのは
ついこの間まで、この世の穢れを知らなかったような少女である姫様だ。
此方としても国内問題を解決するまで下手には動けない…

「よかろう。一時休戦だ。
姫さ… もう既に女王陛下だったな。陛下にすぐさま上奏だ。
王国宰相として休戦交渉の全権委任を陛下から頂かなくてはならん」

彼は決断する。
今は誰も彼もが王国の未来より己の栄達のみに執着している。
なれば宰相の持つ権限を越えて行動を起こさねばならぬと



[29737] 大陸と調査隊編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:15
そんな宰相の決意から暫く後
北海道の沖を一隻の船が北に向かっていた。
青い海原を白い航跡を残して進む船の上には、何台もの車両が積まれている。
そんな所狭しと物資と車両の並んだ甲板上から、海原に向けて一本の釣り糸が垂れている。
大陸へ向かう航路にて、到着まで暇を持て余した拓也は、船員から借りた釣竿を振るっていた。

「釣れますか?社長」

釣り針を垂らしていると、後ろから聞こえた調子を尋ねる声に、拓也はくるりと振り向いた。

「あぁ カノエか。
ぜーんぜん釣れないよ。
というか釣り自体余りやったことが無いから、航行中の船から釣り針を垂らして、果たして本当に釣れるのかもわかんね」

そう言って拓也は釣り竿のリールを巻き上げてみるが、やはり針に獲物は付いていない。

「じゃぁ何故、釣りなんてしてるんです?」

「いや、暇だっただけだよ。
上陸の細かい準備はエドワルドのおっさんに任せたし。
国後の工場はエレナや新しく雇った経理のばぁちゃんに任せておけばいいし。
暴走しがちなサーシャは、奴が見つけてきた部下に任せておけば大丈夫。
ぶっちゃけ、自分がいなくても全て丸く収まるんじゃないかってくらいにやる事が無い」

そう言って拓也は再び竿を振るって針を投げる。

「あぁ 新しく来た人たちですね。
あの人たちって、そんなにシッカリ者なんですか?」

拓也達が出発する少し前、石津製作所には3人の新たな仲間が加わっていた。
一人は客船で出会ったショーンの紹介で、シルバー採用した経理担当のバァちゃん。
そして残りはサーシャが客船の乗客からスカウトしてきた中国人の双子の姉弟であった。
聞けば全員がもう少し客船暮らしをエンジョイしようと思っていたそうだが、何でも紛争のゴタゴタで政府に船を接収されて
仕方なくこっちを頼ってきたらしい。
そんな彼らであったが、仕事のほうはバリバリであった。
経理のバァちゃんは現役時代の経験を生かして知恵袋的な存在となり、双子の中国人も富裕層の子息でありながら機械工学の高等教育を受けていた。
そんな中で一番驚いたのが、サーシャは意外にも仕事は出来るらしいということだった。
双子の話によるとサーシャの設計センスは素晴らしいという話で、いままでその能力に疑問符が付いていた人物が、外から人材を入れる事でようやく評価を受けることができたのだった。
拓也はそんな彼らを思い出してカノエと話す。

「あぁ 彼らはウチの会社に足りていなかったところに丁度収まったし重宝してるよ。
やっぱ、人材集めるってのは大事だね。いい人が集まれば集まるほど上が楽できるし」

「社長。それはちょっと… 楽したいために雇ったんですか?」

カノエが呆れたように拓也に言う。

「まぁ それが全てじゃないけど否定はしないよ。
やっぱり、せっかく金稼ぐなら使う暇も欲しいし…」

と、拓也がそこまで言いかけた所で思わぬ乱入者が現れる。
バタンと船内から甲板へと繋がる扉が荒々しく開き、そこから現れた小柄な人影は、自分の横まで走ってくると海に向かって色々な物を放出し、そのまま甲板に倒れた。

「!? ヘルガ!大丈夫か?」

急に現れ、隣で口からゲロの滴を垂らしているドワーフの娘を揺するが、小動物の様に頭を小刻みに振るだけで返事は無い。

「り…陸は、まだ…ですか?」

まるで瀕死の重病人みたいな虚ろな目でヘルガは訴えかける。
拓也はヘルガの問いを受けて、ブリッジにいる船長に大声で聞くが、ブリッジからヒョッコリ顔を出した船長の言葉は厳しかった。

「ん~、あと2時間ってところだな。まぁ 頑張れ。
遠くの景色を見てると酔わないぞ」

船長は船酔いでダウンしているヘルガにそう答えると、どうしようもないという感じでまたブリッジに戻ってしまう。

「そん…なに…」

絶望の言葉と聞いて、ヘルガの体から再度力が抜ける。
ガクリと頭を垂らし、最早起き上がる気力もないようだ。

「おい!こんな所で寝るな!起きろ馬鹿!」

そう言って、ガックンガックンとヘルガの体を揺すってみるが、顔色がどんどん青くなるだけで起きる気配が無い。
正直な所、船室のベットで休ませるのが良いのだろうが、おぶって移動中に背中をゲロまみれにされるのは御免こうむる。
かといって横にいるカノエは見るからに力が無さそうな細腕である。
誰か丁度いい人物はいないかと拓也が甲板上を見回していると、丁度いいケモ耳が目についた。
白色の毛並みの猫耳が一匹、甲板上にワイヤーで固定されたトラックの上で寝ていた。
迷彩のズボンと黒のタンクトップが良く似合っているが、無防備にもブラなし仰向けで寝転がっている為
重力に負けた二つのメロンが、呼吸する度に上下する。
薄いタンクトップの為、その表面には何やらポッチが浮き出ているのが健全なエロスで良い。
これが社内であればサーシャを呼んで巨乳の良さについて講義をする所だが、今は船上で、ある意味非常時である。

「おい!アコニー!ちょっと来てくれ!」

その場からアコニーに向かって何度か呼びかけるが、当の猫耳娘は起きる気配が無い
それどころか、寝返りを打ってこちらに背中を向けている。
大声を張り上げているのに、全くそれに気付いて貰えないのは何となくムカつく。
それから数度呼びかけたが、全く起きる素振りも無いので、つい怒りに任せてそこらに落ちていた空き缶を投げつけた。
…そして、スコーンと小気味良い音と共に、アコニーが車両から転落する。

「!!? うぐぅぅぅ!!」

トラックの上という結構な高さから転落したため、のた打ち回って悶絶する猫娘。
見た目の半分くらいがケモノでも、猫みたいにシュタッと着地するのは無理なようだった。
まぁ 寝てるところを落とされたら普通の猫でも無理そうな気はするが…
暫くして痛みも治まったのか、あたりを見渡して自分たちに気付いたアコニーは、照れくさそうに近寄ってくる。

「えへへ~ 社長、見てました?なんか寝ぼけて落ちちゃったみたいです」

どうやら、寝ぼけて自分で転落したと思っているアコニーは、「恥ずかしー」と頬に手を当てているが
今はアコニーの純粋な瞳を直視することが出来ない…
ちょっと起こすつもりで空き缶を投げたが、まさか落ちるとは思わなかった。
本人は気づいてないのか、滴る鼻血がより一層罪悪感を感じさせる。

「あ?あぁ… まぁ、昼寝はもっと安全な所でしろよ。
それより頼みがあるんだ。
ヘルガを船室まで連れていってやってくれ」

アコニーはその言葉で、倒れているヘルガに気付く。
口元の酸っぱい匂いから何かを思い出したのか、アコニーは瞬時に状況を理解してヘルガに話かける。

「ヘルガ~ 大丈夫~?また船酔いとは、だらしないぞ~」

そう間の伸びた声を掛けながら、ヘルガを起こそうと彼女の前に座り、その体を抱え起こして顔をぺしぺしと叩く。
頬を叩かれ、少々正気を取り戻したヘルガが、顔を守ろうと弱弱しく手を上げる。

「ちょ… やめ… って、あんた平気なの? 前に船に乗った時は一緒に吐いてたのに…」

「あははー ここんところ鍛えまくってるから色々とタフになったんじゃない?」

そう言って、アコニーはポンと自分のおなかを叩く。
見れば、腹筋がうっすらと割れている。
ほんの数か月前までは、ぽっちゃりケモ娘を代表する体形であったが、今では若干ながらメスゴリラ化への道を進み始めている。
出来ればあまりメスゴリラ化はして欲しくないのだが。目の保養的に…
そんな体つきを見ながら、筋肉隆々のケモノ娘の未来図を想像していると、じっくり見過ぎたのかアコニーが抗議の声を上げてきた。

「社長。めっちゃ見過ぎ!流石にじっくり見られると恥ずかしいです」

そういってモジモジと自分の体を抱くように体を隠すが、それで逆に寄せて上げて効果により胸の谷間が強調されてしまっている。

「いや、すまん。そんなじっくり見てるつもりは無かったんだが…」

そう言いつつも、視線は新たに強調された胸の谷間に行ってしまうのは最早不可抗力だ。
そんなあまり反省の色のない拓也に、アコニーは顔を膨らませて立ち上がる

「社長ってば全然反省してないじゃないですか!」

ぷんすかと怒る彼女、だが彼女は重要な事を忘れていた。

「どうでもいいが、急に手を放したから、相棒が頭ぶつけて倒れてるぞ?」

案の上、急に手を放されたために甲板に後頭部から落ちるヘルガ。
それに気付いたアコニーは慌てて彼女を抱え起こす。

「あー!!ヘルガー!」

見ればヘルガは巨大なたんこぶを作って目を回していた。
そんな感じでギャーギャーと騒いでいると、当然の如く船内の注目が彼らに集まり、いつのまにか拓也達の周りには何人もの人が集まってきていた。
大半が、また奴らかというノリで片づけていたが、野次馬の中でも少々毛色の違う二人組が心配そうに拓也達の方に近寄っていく。

「一体どうしたんですか~?」

「あ、荻沼さん、それに教授まで!お騒がせしてすみません、ちょっと船酔いが酷い者がおりまして…」

「まぁ 船酔いですか~
よろしければ、薬とかいりますか~?実は私も飲んでいるので持ってますよ~」

そう言って荻沼と呼ばれた女性がピルケースから錠剤を取り出す。
良い人だ。
ちょっと見た目がおっとりし過ぎている残念美人かと思っていたが、意外にしっかりしている。

「あぁ、ありがとうございます。彼女の目が覚めたら飲ませておきます。
それにしても、護衛が護衛対象から心配されるなんて何だかあべこべですね」

そう苦笑いしながら薬を受け取る。
拓也はヘルガに薬を飲ませるが、その間にアコニーは彼女に礼を言うとそのまま談笑を始めている。
彼等とは、まだ出会って日が浅いはずだが、みんな結構打ち解けているようだった。






遡る事数日前

国後島

石津製作所

日に日に夜明けが早くなり、朝焼けに照らされる街の中
その外縁の一角を形作る港の片隅。
朝日の中の石津製作所の前に、多数の人影が整列している。
おしゃべりに講じる者、眠たそうな目を擦る者など様々だが、その全員が突如として始まった軽快なピアノの音に合わせ身なりを正す。

『腕を前に大きく上げて背伸びの運動からー』

あらかじめタイマーでセットされたラジカセから日本人になじみの深いラジオ体操の声が聞こえてくる。
時刻は7時50分。
石津製作所では10時の休憩分10分が、始業時間を10分早めることで確保されている。(書類上は8時始業だが)
操業開始から約半年、石津製作所は立派な中小企業のとしての道を歩んでいた。
そして短い体操の後、社長の拓也が前に出てくることでその日の朝礼が始まった。

「おはようございます」

「「おはようございます」」

拓也の挨拶と同時に皆が唱和する。
声がぴったり合っているあたり5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾の5つの頭文字のS)の躾が良く出来ていることがうかがえる。

「えー 年度も新しくなりまして、4月最初の全体朝礼を始めます。
皆も知っての通り、来週から私と警備事業部のメンバーで大陸の調査に向かいますが、今日はその件で皆さんに紹介したい人たちが居ます。では、どうぞ」

拓也のその合図で三人の人影が前に出る。
最初に出てきた二人は何処か普通の感じだったが、最後の一人は別だった。
髭面にドレッドヘアー、それにぎらっとした鋭い眼光。
明らかに普通じゃない…
そんな皆の注目が一人に集中しているのを無視して拓也は話出す。

「えー 出てきていただいた順に紹介します。
初めに、今回の大陸行きの護衛対象である北大から来ていただいた漆沢教授と助手の荻沼さんです」

拓也の紹介に教授と呼ばれた壮年の男性と、どこかおっとりした風体の助手の女性が会釈する。

「特に教授は農獣医学部で教鞭をとりつつ、アフリカなどでのフィールドワーク経験が豊富な逸材だそうで、国からの推薦があったそうです。
今回の我々は大陸での生態系や風俗を調査する教授の護衛です。
鉱物資源の探査は国の方が大々的に開始していますので、我々はそれ以外の調査活動がメインですね。
これから出発までの間にこちらに滞在して準備を進めますので、何か手助けが必要と思われる時は進んで手伝いをお願いします」

その後、教授たちから短い挨拶が有るたび拍手で迎えられるが、社員たちの視線は彼らには向いていない
教授たちの紹介中も自分のドレッドヘアーを弄っていたあの場違いな男は何か… 皆の意識はそこに集まっていた。

「えー そして、その横に立っているのが酌 須波朗(しゃく すぱろう)船長です。」

「酌です。よろしく」

その破天荒な見た目とは裏腹に短く丁寧に挨拶をする酌船長

「彼は、今回の大陸行きの為にチャーターした船の船長です。
酌さんは、転移前から蟹を巡ってロシアの国境警備隊相手に立ちまわっていた、日本人としては珍しい実戦証明付きの船長です。
オホーツクの蟹が不良の時は、長躯ベーリング海まで足を延ばし、アメリカの蟹漁船の縄張りを荒らしまくったというのが面白いですね。
まぁ その時、運悪くアメリカの蟹漁船を襲っているのをテレビ番組のカメラに撮られてしまったため、それ以降は貨物船に鞍替えしているそうですが、実に逸話が格好良いです。
今後も海を渡るときは船長の船を使おうと思いますので、これからもちょくちょく来社されますから見かけた際は挨拶をお願いします」

そういって拓也の紹介は締めくくられる。
え?海賊?漁師?
明らかに堅気ではない雰囲気を纏った人物の登場に皆が戸惑う。

「あぁ それと、今回の大陸行のメンバーは朝礼後に会議室に集合。
事前の打ち合わせを行います。なにか質問はありますか?」

拓也はそう言って聞きたいことがある奴は手を上げるように言うが、質問と言われても有りすぎて困る。
何から質問すべきかと皆が迷っていると、手が上がらない事に特に質問なしとみなした拓也がそれを打ち切った。

「特に質問もないですね。
じゃぁ本日も業務を頑張ってください。
では、今日も一日。ご安全に!」

「「ご安全に!」」

皆が「あぁ 聞きそびれた」と色々な事を思いながら復唱する。
朝礼は終わりだと自分の持ち場に着くよう拓也に追い散らされ、そんな皆が好奇心を満たされることなく解散させられた後
警備事業部の面々と彼らは会議室に集まっていた。





「…と、いうことで我々の向かうエリアは、軍の先発調査団の後に続き辺境伯領内を巡ることになります。
ですが、我々の調査エリアには旧亜人居留地は含まれてないので、今回は残念ながら今回は素通りです」

政府から開示された地図を元に、ホワイトボードに描いた大陸の一部を拓也は丸で囲む。

「え~~~ 故郷の様子が見たかったのに…」

アコニーが不満そうに叫ぶ。
そして、今回の大陸行予定の他の亜人達も同意するように頷いた。

「今回の契約にそのエリアが含まれてないからしょうがない。
契約の調査は現地文化風俗と生態系の調査。
人口が激減した旧居留地で風俗を調べるより、辺境伯領を調査した方が良いと言うのがお上の判断です。
まぁ旧居留地の調査は軍の資源調査隊がやるそうだけど、そのうち仕事が有れば行けるかもね。
それとも何?やっぱり故郷に帰りたい気持ちが強い?」

拓也の帰りたいかの問いに亜人達全員が考え込む。
その中で最初に口を開いたのは、不満を叫んだアコニーではなくヘルガだった。

「確かに故郷は恋しいけれど、こっちの生活に慣れた以上、もう昔の生活には戻れないわ。
電気も水道もネットもお菓子も手ごろな価格で服が買える"ファッションセンターしもむら"も無いあそこには、もう暮らすなんて無理よ」

彼女の意見に考え込んでいた全員が頷く、文明の利器と言える電化製品から、楽に安全な水が手に入る水道に安価で手に入る菓子類
それに最近はファッションセンターしもむら国後店がユジノクリルスクに出来た事により、彼らの服装に革命が起きていた。
それまでは服と言うのは高価なもので、そう何着も持っていなかった。
それが毎月のお給金から、生活費を引いた後でも何着も買える!(木綿や羊毛の供給が止まった今、合成繊維の服しかなかったが)
ヘルガ・アコニー・カノエの三人組など可処分所得の大部分を服飾費に充てている。
特にヘルガはスウェットの着心地が気に入ったのか、休日は大抵それである。
髪の毛が金髪なこともあり、少々尖ったドワーフの耳を隠せばドソキホー〒によくいそうなギャルそのものと言っていいほど日本の服飾文化になじんでいた。
ちなみに亜人達が買い物へ行くのに一番好きな所はイヲンだそうだ。
時々北海道へと渡る拓也達の荷物持ちとして同行し、そのついでにイヲンに連れて行ってもらうのが彼らの憧れとなっている。
この前など、あまりにイヲンが好きすぎて、覚えたての字で「イヲン北見店まで直線距離150km」とか勝手に看板を立てていたのには驚かされた。
そして、そんな物質面の憧れ以外で彼らの心を捉えているのが、インターネットの普及である。
ネットを使用するに辺り日本語能力は必須であるが、就業上の必要により、彼らには日本語教育が業務外で行われている。
本来は語学教育は長い時間が掛かる物だが、ある偶然とネットの組み合わせにより驚くべき速さでそれは進んでいた。


石津製作所での従業員への教育にて、語学教育が始まってから暫くしての事
頭の出来の良いものと悪いものとで習得に差が開きつつあった時期に、有る人物の提案からすべては始まった。

「社長。皆に勉学をさせるなら、いい秘薬が有りますよ?」

そう声を上げたのは、何かと騒動を起こす三人娘の一人、カノエであった。
彼女から聞く所によると一時的に記憶力を増す薬らしい。
これを飲んで授業を受ければ、効率的に理解が進むそうだ。
正直な所、ケモノ娘とロリドワーフとつるんでるオッパイの大きいだけのねーちゃんかと思っていたら、意外な特技を持っていた。
他にも魔法薬の調合が出来るとの事なので、ちょっと人事異動をしようかと拓也は思った。
こんな特技を持っているのに、部品のキット化作業(部品を製品の組み立てに必要な量をパック詰めする単純労働)をやらせておくのは勿体無い。
ちなみに、ここに来る前は何をしていたのか聞くと、「色々」と答えるだけで答えをはぐらかす。
まぁ しつこく追及して、仮にヘルスで働いてました系の返事が返ってきたら此方も気まずいので、答えたくないのならあまり深くは追及しない。
そんなこんながあり、日本語の授業前に亜人全員にその秘薬を服用させてみたところ、効果は覿面だった。
今まで、何度教えても忘れただの判んないだの言っていた某ケモノ娘を含め、全員が一度教えた個所は完璧にマスターしていく
特に漢字の勉強等、暗記が必要とされるところには効果抜群だった。
しかし、物事には光と影がある様に、この薬にも欠点がある。
薬の効果が表れている間は服用者の脳にかなりの負荷がかかっているのか、ほぼ例外なく目から生気が抜け半開きの口から涎がしたたっている。
それでいて授業内容を口の中でモゴモゴ喋って復唱しているもんだから、知らない人から見れば集団でラリッているようにしか見えない。
一発で通報されかねない光景である。
授業光景は非常に難があるが、それを補って余りある勢いで日本語を習得していく彼ら。
そんな彼らが高度化したネット社会に触れるのには、さほど時間はかからなかった。
寮に置かれたパソコンを使い、最初は此方の世界の事を調べてみたりする程度であったが、その内徐々にネット文化に毒されていく
チャットや掲示板などで外部とコミュニケーションを取り、意地の悪い輩にからかわれては煽り耐性を身に着けていく彼ら
一度、一部の馬鹿がエロサイト巡りでウィルスに引っ掛かり、使用禁止令を出したところ、寮の全員が犯人を簀巻きにして使用再開を懇願してきたときは、
インターネットの影響の大きさに大いに驚いた。


そんな出来事も有り、社内の亜人達は確実に此方の文化に染まりつつある。


「そうか… まぁ会社としては帰られると教育に費やした分だけ無駄になるので、絶対に逃がさんと思ってたからその方が都合がいい。
…って、そんな話はさておき調査の話に流れを戻すが、政府から依頼された主な任務は二つ。
一つは、教授たちの護衛による生態系(というか生物資源)の調査。
そして二つ目が、現地住民への文化調査及び此方の文化の伝播。
政府はハッキリ言ってないけど、絶対これって文化帝国主義を実践しようと思ってるね。
武力じゃなく文化による拡大。まぁ ある意味平和な生存圏拡張政策だわ」

はっはっはと笑いながら政府の意図を予想する拓也。
だが、それはおっとりとした声に遮られる。

「え~ でも~ それだと、文化の独自性が失われるんじゃないでしょうか~」

どこか抜けたように間延びした抗議の意見。
文化の伝播は、受ける側からすれば文化侵略と言う一面を持つ。

「荻沼君の言いたいことは良くわかる。
下手に干渉せずにいた方が、文化の独自性が保持されるのだろう?
学者としてはそちらが正しいように思えるが、今回の調査には札幌の政府の思惑が一枚噛んでいるから多少は我慢しよう。
なに、強い芯の通った文化であれば、機械文明の利点を吸収し、更に高次の文化に昇華する。
まぁ 我々はメインの目的である生態系の調査に尽力しようじゃないか」

「漆沢教授…」

おそらく教授も似たようなことを前々から考えていたのだろう。
荻沼さんの横に座っていた漆沢教授は、既に自分の中で回答を見つけていたのかスラスラと彼女の危惧に対して回答する。
芯の通った文化であればと言う前提条件付きの解答だが、今の北海道にはあまりそこらに対して配慮している余裕は無い。
獣医としてアフリカなどの途上国を駆け回った若かりし頃、その土地の人々と触れ合い、相手の文化に対し敬意を払う事の意味を誰よりも理解していた教授の言葉は
不確定な希望に縋るようであり、そう語る教授ははにかんだ笑顔を浮かべていたが、それにはどこか暗い影が感じられた。

「こまけぇ事は良いんだよ。
どんな事情が有ろうと仕事はキッチリやるのが俺のポリシーだ。
今話すべきことは、何時何処に何を俺は運べばいいのかという事だ」

微妙な空気を感じ取ったのか、それを打ち破る様にして、ふんぞり返りながら自分の言いたいことを言うのは酌船長。
その一言で空気が変わった事は有難かったが、その様子を見て拓也は思う。
ふんぞり返るのは良いが、机の上に足を載せるのはヤメロ…
人の会社の会議机に足を載せるという行為は気に入らなかったが、彼が流れを変えてくれたことで、その後の打ち合わせはつつがなく進行していく。
大体の概要は政府との契約により固まっていたため、話合いの内容としては大陸に渡るメンバーの紹介がメインのような感じになった。

*調査隊メンバー*

漆沢教授(団長)
荻沼研究員(副団長)

石津拓也(護衛隊リーダー:社の方針決定)
エドワルド(戦闘指揮)
アコニー(護衛その1)
ヘルガ(元行商人の為、現地情報に精通しているとして抜擢)
カノエ(魔法薬などの知識から)

その他に戦闘要員としてエドワルドの部下であるセルゲイとイワン(内務省警察から応援と言う形でエドワルドが呼び寄せた)、そして警備部の獣人が6名
最初は嫁のエレナから、社長自ら危険な大陸行に参加するのはどうかと言う意見もあったが、既に各事業部の維持だけならサーシャとエレナでも回るような体制にはしている。
それに警備部の初仕事から躓くわけにもいかないので、自分も同行すると尤もらしい説明でそれらを黙らせた。
まぁ 本音の所は元バックパッカー旅行者だった時の思い出がよみがえり、未知の大地の探検と言うイベントにワクワクが止まらなかっただけなのだが…
そして危険があると言っても、武装したエドワルド達ロシア人兵が居れば、戦闘経験の浅い亜人達をカバーするどころか、彼らだけでも十分な気もするし…


と、そんな形で会議も終わり、場面は北海道沖を航行する船へと戻る。
先ほどまでやんややんやと騒がしかった甲板も、酔い止めを飲まされたヘルガがアコニーに背負われて船室に戻った事で、船のエンジン音と波の音が支配する元の平穏な空間に戻っていた。
その静かな甲板で拓也と船長は船首から海を眺めていた。
ヘルガと同じく酔い止めを飲んだ拓也の顔色も、今では随分と良くなっている。
そんな彼らの視線の先にあるのは、緑の多い海岸線。
そして、その進路の先には、喫水の深い船でも着岸できるよう先行した軍が築いた艀を連結して作った仮設の埠頭と、停泊している輸送船が見える。

「ようやっと着いた…」

待ちくたびれたかのように拓也が言う。

「そうだな。
よし、そろそろ到着の準備をするためにブリッジへ戻るとするか。
そっちも上陸準備するよう他の連中に言っとけよ。まぁ 俺も他の連中を見かけたらそろそろだと言っておくが」

そう言って船長は拓也の肩を叩くと、ブリッジに戻ろうと踵を返す。
だが、そこで拓也はある事に気が付いた。

「そういえば船長。船長はいつワクチンを打ったんです?」

「は?ワクチン?インフルエンザとかか?」

何で今、そんな事を?といった表情で船長は拓也を見る。

「いや、アコニーやヘルガ達と普通に話てましたよね?」

「だから?」

「いや、言葉が通じるようになるのは、亜人の免疫から作ったワクチンの作用だと聞いていたので…
見れば船長普通に話せるし、ウチとの仕事の前に打ったのかなぁと」

そこまで拓也は説明するが、船長の頭にははてなマークが浮かんでいる。

「いや、そんな変なモンは打った事無い」

「…え?」

船長は何だそれはと聞いてくるが、拓也はその船長の言葉に驚いた。
ワクチンを接種する以前は確かに彼らの言葉は通じなかった。
その為、他の従業員に手当まで出してワクチンの接種に行かせたものである。
それが、船長はワクチンを接種してないのに言葉が通じている。
それでは、彼女たちが覚えたての日本語を使っていたのかと思い返すが、いや、彼女たちの発音は日本語の物ではなかった。
翻訳されて脳が認識する為、意思疎通は出来るが、発音だけを思い出してみると日本語のそれとは違う。
おそらくは、未だ政府も掴んでいない何らかの現象が起きているのかと拓也は仮定するが、一番の心配事はそれではない。

「ワクチンなしでも意思疎通可能とか… なんの為に金払ってワクチン打ったんだよ…
…まぁ、効果が出るのが数か月早かったからソコは割り切るとしても、副作用とか大丈夫か?…」

そう言って拓也は項垂れる
船長はその拓也の姿を見て不憫に思ったのか、ドンマイと声を掛け「まぁ 死にはせんだろ」と極端に楽観的な気遣いをしてくれた。
その後、船長がブリッジに戻り、拓也も「まぁ もう打っちまったもんはしょうがない」と吹っ切れ上陸準備のために船内へと消えていったのだが
この時、かれらはまだ知らなかった。

ワクチン無しでもこの世界に適応できるという事。接種者と非接種者の差異。

これらの事が、後に北海道を二分する大事件の前兆となる事を…











見仰げば木々の間から見える、透き通るような青空。
そしてその下の森の中を一直線に一本の街道が通っている。
まぁ 街道と言っても大したモノではない。
荷馬車か何かが通れるだけの幅しかない轍が続いている。
だが、それでも道には変わりない。
そんな木々に囲まれた道の上をエンジン音を響かせた車列が通過していく。
先頭は無骨な装甲車両、続いて屋根まで荷物を載せたバンにトラック、最後尾にはピックアップトラックが続いている。

「なぁ ヘルガ。随分と来たが、もうそろそろ最初の集落じゃないか?」

バンの運転席から、拓也が助手席のヘルガに尋ねる。

「この先の丘を越えたら村が見えるはず。行商で何度か来た事あるもの…」

懐かしい光景に、ヘルガはフロントガラスにへばり付く様にして前方を見つめながら拓也の質問に答えるが、その声は決して笑っていない
なぜならば、以前と山野は同じであるが、そこに住む人々は既に別物であることを上陸後に先行している軍から聞いていたからだ。

上陸後、拓也達の取った最初の行動は、先行している軍との情報交換だった。
車両の揚陸を船長に任せ軍の担当者を探すが、拓也は海岸の様子を見て驚いた。
橋頭堡を確保した軍は、海岸に調査隊の現地本部を設営し、最低限の陣地を造成すると、彼らに護衛され道内から来た土建屋が施設課とは別にインフラの整備を始めていた。
日頃の大型公共事業で腕を磨いた土建屋によって怒涛の勢いで拡張されていく施設群、そして同時進行で行われている現地調査の方も、かなり足を延ばしているらしかった。
やっと見つけた軍の担当者から聞いたところによると、この地域は紛争に対する賠償の一環で99年の租借をすることになったそうだ。
捕虜になった辺境伯は未だに北海道にいるが、彼の決定はすぐさま領地に伝達され北海道側のスムーズな進駐に繋がった。
その為、進駐に伴ういざこざも無く、既に周辺の集落は懐柔され非常に協力的らしい。
軍の担当者の言によれば、気分は日本降伏後の米軍だとか。
色々と辺境伯領に支援の予定はあるが、それらは全て勝者の余裕だと言う(実際、物資面の余裕は余り無いのだが)
更に話を聞くと、事前情報では周囲は戦乱で荒廃した亜人の居住地と言う話だったが、どうも現状は異なるようだ。
辺境伯の亜人討伐の後、殺されたり故郷を追われた亜人達に代わり、かなりの数の人族が入植してきているらしい。
亜人達の故郷は、既に彼らが知る物とは様変わりしていたのだった。

そんな事前情報があったため、懐かしい土地を見ても彼女の表情が晴れることは無い。
恐らく、故郷が人族に占拠されている姿を想像しているのだろう。
そんな彼女発する空気を読んで、少々暗くなってしまった車内を何とかしようと拓也が思っていると、先頭を走るBTR-80装輪装甲車から無線で連絡が入った。

『社長ぉ!前方に軍の設置した気球が見えます!もうすぐ到着ですよ』

その無線の通り、丘を登っていくと、その頂上から遠目には小さな気球が浮かんでいるのが見え始めた。

「お、見えてきたな。ヘルガ、ちょっと俺のタブレットPC取ってくれ。ネットワークに繋がってる?」

気球を視認した拓也は、ヘルガにタブレットを確認させる。
スリープを解除したタブレットには、ネットワークに繋がっていることを示すマークがついていた。

拓也達が視認した気球は、只の気球ではない。
気球無線中継システム
本来は災害時、ネットワークが寸断された時の為に道内各地に配置されていた物だった。
2010年代の中ごろに災害対策として全国に配置されたこのシステムは、10年の歳月をかけて改良され続け、更なる進化を遂げていた。
気球は2種類の通信機器を搭載している。
一つは半径5km以内の末端機器と通信し、もう一つは他の中継システムと通信している。
これは近くに基地局が無くても他の気球を介して情報が伝達され、ネットへの接続が可能となっている。
本来は災害用のシステムであったが、未開の地での通信用装備としての有用性を見いだされ、各集落に設置されることとなっていた。

「社長、ちゃんと繋がってます。それにしても、こちらでもネットに接続できるとか夢のようですね」

「だからって、あんまり変な情報をネットに流すなよ。政府から目を付けられるから」

「わかってますよー」

調査隊の一員として大陸に渡ってきたヘルガだが、その大陸でもネットにつながる事を確認すると、さっきまでのシリアスな表情から一転して笑顔になる。
ネットの有無で士気が激変するあたり、もう中毒なんだろうと拓也は思った。
運転席から横目でみると、人のタブレットPCを勝手に使って『大陸でネットなう』とか打っている。
それを見て「就業中にネットで遊ぶな!」と怒ろうと思ったが、それはこちらが怒るより先にヘルガの「集落が見えましたよ!」の声で掻き消された。
車列が丘を越えたため、前方に畑に囲まれた集落が広がるのが見えたのだった。

「おぉ、拓也君!着いたかね!?」

景色が変わったのと同時に歓喜を帯びた声が車内に響く
後部座席に座っていた教授は、嬉々としながら前方に身を乗り出してきたのだ。

「そうですねー。見たところあまり大きな集落じゃないようですがー… おっ 村の手前の畑に第一村人発見!
教授、声をかけます?」

「是非ともそうしてくれ」

教授の言葉にラジャーと拓也は朗らかに答え、拓也達の車列はしばらく道を進んだ。
そうして、街道の脇の畑で鍬をふるう男の近くまで近づいた所で車列を止めた。
普通、見慣れない連中が接近してきたら、逃げるなり警戒するなりすると思うのだが、意外にも男には警戒した様子は無い。鍬を立てて此方の様子を見ているだけだった。

「すみませーん」

車から降りた教授と拓也らは、数人の護衛と共に男に近寄っていく。

「なんでぇ、またお前らか。用があるなら村長の所に行ってくんろ」

男は手拭いで汗を拭きながら集落の方を指差す。
この村に来たのは初めてなのだが、男はうんざりした様子で答える
そんな、男の意外な反応に漆畑教授はどういうことかと聞き返した。

「また?我々は初めてこの村に来たんだが…」

「ん?お前ら、村にあの浮かぶ変なの置いていった奴らの仲間でないんか?
そんな変な乗り物に乗ってるから、てっきり仲間だと思ったんだが…」

「あぁ それは軍の先行隊の事だな。
まぁ 仲間って言ったら仲間か。系統は違うんだが、同じ国から来たんだよ」

「そんなら、やっぱり村長の所に行ってくれ。
おらぁ今、これからカブ畑を開墾するのに忙しいんでよ」

そういって、男は鍬を手に取ると大きく振りかぶる。
ガっという音と共に種蒔き用の溝が掘られていくのを見て、教授の後ろに控えていた拓也が声を掛けた。

「はぁ カブねぇ… 他には何を作るんです?」

今では工場経営をやっているが、元は農家の次男。
拓也も新世界の農業には少々の興味があった。

「うん? そうだな。麦、カブ、それからジャガイモやカボチャとかの野菜だな。
今から作付するカブは、冬にやる羊の餌だよ」

それを聞いて拓也は少し考えてから教授に耳打ちする。

「教授… 聞きました?」

「ん?あぁ 聞いてたよ」

「自分はてっきり、暗黒時代のヨーロッパ的な農業を想像してたんですが、断片的な情報ですが既に混合農業レベルの事をやってそうですね。
それに、カボチャとかジャガイモとか… あれって自分らの世界では南米原産でしたよね?
一体、こっちの植生ってどうなってるんでしょうか」

「わからん。だが、分からんからこそ知的好奇心が湧いてくるものじゃないかね?後で家畜も見せてもらおう」

「そうですね」

そこまで拓也は教授と話すと、拓也は再度男に向かって話かける。

「すいません。出来れば、羊とか家畜も見せて欲しいんですが、大丈夫です?」

「うーん… それは構わんが、まずは村長に聞いてからにしてくれ。
今なら丁度、家畜小屋の拡張作業しているはずだよ。
いやー、亜人から土地を奪っておいて何だが、奴らの家畜小屋は小さくて駄目だ。
やつらは馬鹿だから、いつまでも時代遅れの農法でやってたんだろうな。
教会を拒否するもんだから、いつまでも新しい農業が広まらん。全く馬鹿な奴らだよ」

男は、亜人を馬鹿にしたように笑うが、それを聞いていた拓也らは作り笑顔のまま笑えない。
後ろの車列にその亜人がわんさかいるのに、一緒になって笑っていたら何されるかわからない。
そんな中、不意に背後でカシャっという金属音がしたので振り返ると、装甲車の砲塔から半身を乗り出したアコニーが、AKのコッキングレバーを引いて装弾を確認している。

『撃って良いですか?社長』

レシーバー越しに聞こえるアコニーの抑揚のない声

「駄目だ!撃つなよ。絶対に撃つな!」

拓也は、慌ててレシーバーを使って自制を求めるよう言うが、良く見れば他の亜人達も目が座っている。
元々ここは奪われた彼らの土地であるうえ、馬鹿馬鹿と言われて、かなり頭に来ているうだ。
拓也は、ファーストコンタクトでトラブル起こすのは本当に止めてほしいと思い、目の前の農夫がこれ以上何か言う前にさっさと立ち去ろうと決めた。

「じゃ、じゃぁ言われた通り村長に会ってみるよ。色々ありがとう」

そう言って、拓也らは農夫の返事を待たずに逃げる様に踵を返す。
そして、車に戻る途中、拓也は教授に並んで歩きながら小声で話かけた。

「教授、コッチの都合で申し訳ないんですが、早く辺境伯領に向かった方が良いですよ。
みんなやっぱりピリピリしてるし…」

「う~む… 仕方ない。騒動を起こされたら後々困るし、ちょっと家畜を見せてもらってから出発するか…
本当は現地の風俗とかも堪能したかったんだが」

「それは、もう少し時間が経ってからにしましょう。
今はまだ、彼らの精神的な傷が癒され切っていないので…
彼等も、こっちより北海道の文明に留まる方が良いと思っているから自制していますが、そうじゃなかったら何が起きたかわかったもんじゃないですよ」

「そうだな。今回は触り程度にしておくか…」

そう言って彼らは車内に戻り、村長の居所を教えてくれた農夫に手を振って村の中へと向かう。
村は、畑に囲まれた中心に家や村の共同の建物が立っている小さなものだった。
それも入植者たちは亜人達の建物をそのまま利用しているようで、未だ入植から間もないと言うのに既に村としての体裁を整えている。
そんな集落の中でも、探している村長の家はすぐに見つける事が出来た。
なぜならば他の家に比べて若干大きい(おそらく亜人の集落だったころから集落の長が暮らしていたのだろう)のと無線用の気球から繋がれた索が家の横に置かれた機材に繋がれていたので良く目立った。
そして、目当ての村長の方も、拓也達の車列が村の中に入るなり、聞きなれない複数台のディーゼルエンジンの音を聞いて、母屋の裏から飛んで出てくる。
音の発生源の拓也達を見るなり、一人近づいてくる白髪で髭を生やした痩身の老人。

「わしはこのトーレス村の村長をやっている者じゃが、あんたらは何の用じゃ?」

"最早何が来ても驚かない"といった表情で、村長が開口一番に発したのはそんな言葉だった。

村長に聞く所によると、拓也達の前に来た軍の調査隊は、村長に付近に何か知っている資源が無いかどうかを聞いた後、村長の許可を得て例の気球や電源としてのソーラーパネル等を設置していったそうだ。
それも土地の使用料という事で、小麦や砂糖といった食糧やラジオなどの機械を代価として置いていったそうだ。
初めてみる車や通信機器など、最初は色々な物に驚いていたそうだが、何隊かの調査隊が通過するうちに、いちいち驚くのにも疲れたそうだ。
いまでは、見るもの全てをあるがままに受け入れようと悟りの境地に達しているらしい。

「まぁ そんな事で、お主等の国の人間には色々と必要な物を貰ったからの、家畜ぐらい幾らでも見せてやるさ。ついてこい」

そう言って、村長は踵を返すと拓也達に付いてくるよう言う。
拓也達は車を降りると村長の後ろを付いていくが、ふと途中で村長の家から歌が聞こえてくるのに気が付いた。
開いたまんまの戸口から家の中が見える。
そこにあったのは台座の上に置かれたラジオとその周りを囲む子供たち。
流石に大人達は働きに出て行っているようで姿は見えないが、まだ幼い子供たちは目新しいラジオに興味津々らしい。
どうやら、文明の機器であるラジオは彼らの心を捉えたようだ。
ラジオから流れる音楽に子供たちは皆笑顔で聞き入っている。

「教授~。子供たちがラジオの歌を聞いてますよ~。何を聞いているんですかね~」

「う~む。私は流行の歌には疎くてね… それにしても政府は色んな物資で住民の懐柔を行ってるな。
物資統制下で配れるものは限られるとはいえ、実に効果的に彼らの心を捉えている」

「簡単なラジオなら部品も少ないですしね~。それに砂糖なら道内で大量に作ってますし、小麦も自給可能なレベルですから、コッチにばら撒いても平気ですしね~」

「うむ。特に砂糖は道内需要の6倍も生産力が有るからなあ…って荻沼君、見えたぞ」

村長に導かれるままに母屋の離れに来てみると、そこは一面白と茶色のもふもふであった。

もふもふもふもふ…
ふわふわの毛の塊が平べったい団子の様になっている
柵で囲われた大量の羊。白や茶色の毛をした羊が大量にいた。

「おぉ 羊が一杯いますよ。一体、何匹くらいいるんですかね?」

拓也の感嘆の声に村長は少し機嫌よさげに答えてくれる

「ここには100頭くらいかのう。
元々この小屋にいた家畜は、兵士たちに食われちまっとるが、今いる羊の為にこれから家畜小屋も広げてもっともっと数を増やしていこうと思うとるんじゃ。
沢山の家畜を飼う事が、ここに来る前からの夢じゃったからのう」

そう言って、うんうんと村長は頷いて夢を語る。

「しかし、村長。この羊たちは入植時に連れてきたのですか?小屋に入らないとなると結構な数を持ってたんですね」

家畜小屋に入りきらないという事は、もともといた家畜より多い数を何処からか連れてきたはずだ。
教授は柵に囲まれた羊たちを見て言う。

「いんや、わし等は入植民は大概が水飲百姓だったよ。
わしの親父の代の時に、教会から新しい農法やら北の帝国で栽培されている作物が紹介されてな。
口減らしするほど食う物に困らなくなってからは、人が増えすぎて働ける畑が足りなくなっての。
街に出ても仕事は無いし、農村に残っても人は余ってるから地主の所で汗水たらして働いても給金は雀の涙。
それでも人が増えるから、楽に稼げる野盗に身を落とす奴もかなりに数になってな。
飢え死にはしない程度に貧しい民が増え、野盗がいくら潰しても湧いてくる有様を見かねた前の領主様が、この地を征服してわしらに与えてくださったんじゃ。
それも、入植者の為に羊を買い集めて貸し与えて下さるという心遣いには、みんな泣いて感謝したよ。
1家族に付き10頭。ここの村では10家族で100頭の羊じゃ。今は村の羊をまとめて飼育して増やしての、早く領主様に借りた分の羊をお返ししようと頑張っているところじゃよ。
聞く所によると、亜人征伐の途中で領主様は亡くなられたそうだが、この恩は辺境伯家へ絶対に返すんじゃ」


そう言って村長は幸せそうな笑みを浮かべる。
その後、教授らが家畜の種類や健康状態、畜産のスタイルを確認し、村を離れるまで村長は終始笑顔であった。
拓也達は調査対象を調べ終わると、村長に礼を言って車列に戻る。
そして、いざ出発と言う時にも、村長は見送りに村の入り口まで来てくれた。

「おう、お主ら。
辺境伯領に行くなら盗賊に気を付けるんじゃ。
今は戦の後で兵隊の警備が手薄なのと、故郷を追われた亜人の盗賊が復讐に領内を荒らしているって噂がある」

「はぁ ありがとうございます。
でも、盗賊とかが跋扈しててこの村は大丈夫なんですか?」

拓也は、礼を言いつつもこの村の心配をする。
そんな亜人の盗賊が暴れまわっているなら、真っ先に入植地が狙われそうな気がするのだが…

「わしらは武装して入植してきたからな。
そんじょそこらの村よりは、武器が充実してるよ。まぁこれも兵隊の使ってた中古品を領主様がくれたんじゃがな」

「屯田兵みたいなもんですか… わかりました。では、また帰りに寄ると思いますが、我々はこれで失礼します」

そういって拓也が手を振るのと同時に車列が動き出した。
村長は車列が見えなくなるまで見送ってくれたが、見送られた当の車内では、不穏な空気が流れていた。

「社長。やっぱり、どんな事情を聞こうが彼らに感情移入は出来ません。
私たちの土地を奪ったという意味で、私たちから見れば彼らも盗賊と大差が無いですし…」

そう不機嫌そうに語るのは助手席に座るヘルガ。
彼女には拓也らが村長から聞いた話を話てみたのだ。

「やっぱり、遺恨の根は深いか…」

「当たり前です!
私はまだ、仕事が工房の生産物を売る行商だったからこの程度の怒りですが、元々地場にべったりで畑やってた人たちの怒りはこんなもんじゃないと思いますよ。
アコニーとか、ここから見ても目が怖かったですし」

「どうにかならんもんかなぁ… 教授、こりゃ北海道開拓期のアイヌもこんな感じだったんでしょうかね?
いや、なんでそんな事聞くかって言うと、北海道の農家って大抵が内地からの入植者でしょ。
自分の実家もその家系なので、夢を抱いて入植してきた彼らの気持ちも何となくわかる気がするんです」

そう言って拓也はどうにもならないものかと尋ねる。

「う~ん、どうだろうかな石津君。
北海道の場合はアイヌを追い出して土地を奪ったというより、彼らを同化させ大自然と戦いながら開拓したという感じだからな。
まぁ 彼らの狩場を奪って文化を破壊したという点は侵略と変わりはないが…
だが、コッチの場合は、住民を完全に追い出して入植を行っているから、ガザ等のパレスチナ情勢に近い気がする。
まぁ 何にせよ火種になるのは間違いないよ」

拓也達は、平穏そうに思えない亜人達の未来を想像して表情が曇る。
難民と入植者の紛争… まぁ 自分の会社的には儲かりそうであるが、社員の精神安定を考えた場合、あまり歓迎されないのは明らかだった。







拓也達が大陸でそんなやり取りをしている頃、辺境伯領の中心都市プラナスでは王国と北海道側の交渉が行われていた。
もっと正しく補足するならば、プラナスが接する湾の上、北海道側が用意した船上である。
その転移前は太平洋を行き来したフェリー内に特設した会議室に両国の代表が集まっている。
北海道側の鈴谷宗明を団長とする交渉団と、王国側のロドリーゴを団長とした交渉団が対峙する様にテーブルに座っている。

「何度も言うようだが、平和を愛する我々としては停戦する事には異存はない。
だがしかし、この要求は断固として受諾しかねる!」

ドンッとロドリーゴは握りこぶしでテーブルを叩く。
数日前から始まった停戦交渉は、ヒートアップしたまま平行線をたどっていた。
双方が譲らない懸案…
それは辺境伯領の処遇であった。
王国側としては領主が王殺しという大罪人の為、改易してその領地を取り上げる算段であるが
北海道側としても今回の騒乱の責任と礼文の賠償を辺境伯領から求める為、取り潰されるわけにもいかない
(最も、礼文と北海道西方沖での紛争の責任者であるゴートルム王と辺境伯領は死亡しているため、損害賠償のみになる予定だが…)
そして何より、アルド亡き後、辺境伯領の家督を継ぐべきクラウスは北海道で虜囚の身である。
それも北海道の技術を身に着けようと日夜勉強に励んでいる。
北海道の後ろ盾を得た自領発展を夢見るクラウス。
辺境伯領を資源の供給源及び将来の市場と見込んで大陸への足掛かりとしたい北海道連邦政府…
当然の事として、改易を素直に受け入れるわけは無かった。

「今回の紛争により、我々は多大な損害を受けた。
戦費に加え、領土の一部を焼き払われたのだ。損害賠償を求める権利がある」

鈴谷は睨みつけるようなロドリーゴの視線を真っ向から受け止めて応える。

「それについて、我々は降伏したわけではない。
支払いは一切拒否する。
それに、このエルヴィス辺境伯領の独立承認という要求は何だ!?
改易の決まった辺境伯領を安堵して、王殺しの大罪を見逃せと言うのか?」

「この件について、そちらの法はどうなっているかは知らないが、我々の価値観では罪は犯した者が償うべきで、その家族が背負うべきものではないと考える。
それに辺境伯領では現当主であるクラウス・エルヴィス氏の許可の下、我が軍の調査隊が既に多数上陸している。
仮にそちらが武力にて辺境伯領を制圧した場合、何かの手違いで戦端が開かれるのはお互いにとって不幸な事態になる可能性があり
よって、王国側には調査隊の安全を確保するために辺境伯領の独立を承認し、今後は不干渉の姿勢を取ってもらう必要があると我々は考える。
なお、この独立は、改易の命令を拒絶したクラウス・エルヴィス氏の提案である。
まぁ そちらが改易を取り下げ、我々の活動に不干渉を確約するのならば、我々の要求もまた違ったものになるが…」

鈴谷が含みを持たせた物言いでロドリーゴに対峙する。
つまるところ、辺境伯領は既に俺たちが手を出しているから関わるなという事である。
それに、北海道側は先の戦勝の影響が残っている内に大々的な資源探査を認めさせ、紛争の賠償金として道内の産業を生き返らせるための資源開発を行うつもりなのだ
その為には調査隊の安全と友好的な地域の確保が必須となる。
亜人の居住地も飲み込んだ広大な辺境伯領内での自由の確保は、まさに北海道存続への第一歩だった。


「そちらの価値観など関係ない。これは我々の問題だ。
それに軍が上陸だと?停戦を呼びかけながら、戦線を拡大しようというのか!」

鼻息を荒くしてロドリーゴは鈴谷に問い詰めるが、彼は涼しげな顔色を崩さない

「別にこちらに領土的な野心はありませんよ。
我々は此方の世界に来て日が浅い。よって此方の事をより理解する為にも色々と学ぶ必要がある。その為の調査隊です。
だが、しかし彼らも自衛のために武装はしていますから、手を出された場合、そちらの安全は保障できない。
なぜならば、既に先の戦闘で我々の力の一端を垣間見たと思われますが、我が軍は航空兵力と同じく陸上兵力も同様に精強ですから」

「ぐぬぅ… ふん!だが、我々の竜人部隊の再編もすぐに完了する。
いかな精強な軍とて、竜の対地攻撃からは逃れられまい」

ロドリーゴは鈴谷の恫喝とも取れる物言いに昂ぶる気持ち抑え、平然たる態度で手持ちの竜人部隊のカードを切るが、その胸中は複雑であった。
なぜならば、竜人部隊の再編は完全なるブラフであり、未だ再編のめどは立っていない。
その上、箱舟の修理も終わらず、諸侯の軍勢が所領に戻ってしまった(辺境伯領の占領の為に)今、早急な軍の動員は出来ないのが現状であった。
例えブラフだろうと外交は舐められたら負けである。
ロドリーゴは、王国の実情はどうあれ決して侮られるような態度は見せない。

「ふむ、何か勘違いをなさっているようなのでもう一度言わせてもらいますが
我々の辺境伯領での活動は、侵略ではなく辺境伯の許可のもとに行っている調査である事を忘れないでいただきたい。
我々は、不要な戦線の拡大は望んでいない。
降りかかる火の粉は完膚なきまでに叩き潰すが、寛容な態度には寛容で対応させていただく。
具体的に言えば、そちらがエルヴィス家の改易を取り下げ、辺境伯領の周囲で蠢いている軍を引かせれば、強硬に辺境伯領の独立を要求することは無い」

「辺境伯領周囲の軍だと?」

「我々の偵察によれば、周辺のエリアに複数の軍が準備を重ねている事が確認されている」

先の戦闘後、諸侯には目立った損害は無い。
そんな彼らは、王家の統制が低下したこともあり、独自の軍事行動を開始していた。

「それは諸侯が改易後の分割を当て込んで行っていることだ。王軍の指示ではない」

「それを止めて頂きたい」

鈴谷は食い入るようにロドリーゴを見つめ要求する。
確かに北海道側の装備であれば陸戦に於いても王国側の軍を易々と討ち滅ぼすだろう。
だが、それを行う遠征には兵数も兵站も全てが足りていなかった。
局地戦で片付けばいいが、仮に深みにはまり、泥沼化すれば占領地を確保できるほどの兵は居ない。
それに空軍の備蓄弾薬は先の戦闘により底を尽きかけているし、大規模な遠征は、物資統制経済の微妙なバランスの上で命脈を保っている北海道の産業に深刻なダメージを与えかねない。
何より今回の紛争で国民にある種の一体感が芽生え始めた事に危惧した左派やリベラルが、今まで以上にメディアを使って厭戦気分を醸し出す攻勢を行っている。
王国側の継戦能力の低下分以上に、北海道の継戦能力は物資の面でも世論の面でも深刻な問題を抱えていた。

「…既に改易の布告は行われている。今さら撤回しても間に合うとは思えん」

「諦めは行動の前に言うべきではない!これ以上の紛争拡大が望みでないのであれば、最善をもって事に当たるべきだ。
王国が諸侯を束ねているんじゃないのか!?」

ロドリーゴの諦めたような物言いに鈴谷が強い口調で問う。
その鬼気迫る表情にロドリーゴも多少気後れしつつも反論する。

「我々としてもこれ以上の紛争拡大は望んではおらぬが、辺境伯領改易に介入してきたのはそちらだろう?
それに王は諸侯の上に君臨するが、諸侯の軍の指揮権はあくまでも諸侯にある。王の死により王家の権威が失墜しつつある今、どれだけの諸侯が命を聞くか…」

ロドリーゴは、ハっとする。
権威の失墜…この問題について日々悩み、心労がたたったからだろうか
つい愚痴のように敵の前で王家の内情について口を滑らせてしまった。
本来なら自国に不利になる情報はあえて出す必要はない。
ロドリーゴは内心激しく後悔していたが、幸か不幸か鈴谷は別の情報について考えていた。

「う~む… このまま諸侯が止まらないとなると、我々は再度矛を交えなくてはならなくなりそうだ。
諸侯を止められぬ代償は… 覚悟していただきたい」

眉間を抑えながらしばし考え込んだ鈴谷が、ロドリーゴを睨みながら言い放つ

両国とも様々な問題を抱えこれ以上の戦乱の拡大は望まない
だがしかし、そんな両国の願いとは裏腹に、北海道に絡みつく戦乱の雲は、未だ晴れそうになかった。



[29737] 大陸と調査隊編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:16
大陸のとある街道。
未だ初夏だと言うのにガンガンと照りつける太陽によって、ジリジリと焼けるような暑さの中
一台の荷馬車がゴトゴトと荷物を揺らして、岩がゴロゴロし草が生い茂る荒地の中を突っ切る道を進んでいる。
御者の席に座る男は行商人という風体で、その横には用心棒らしき、がっちりとした体格の男が座っている。

「しっかし、あちぃな…」

用心棒と思われる男が、汗を拭きながらだれた様に悪態をつく。

「暑いのはこっちも同じですよ。
それでも、最近は戦やら何やらがあったせいで色々と物騒な話も聞くんだから、しっかりしてくださいよ」

行商人も汗を拭きつつ、横目で男を見ながら言う。

「なんだぁ?この俺様の腕が信じられないってか?
俺の剣にかかれば、盗賊の10人や20人あっという間に切り伏せてやるよ!」

どうにも話を盛る傾向にある男の話を聞き流しながら、行商人の男は「はいはい」と相槌を打って手綱を捌くことに集中するが、その顔はどこか不満そうだった。
そもそも、辺境伯の領内は他と比べて治安が良く、あまり盗賊に警戒する必要が無かった。
だが、昨年の亜人の地への遠征後、目に見えて治安が悪化している。
彼が他の商人仲間から聞いた話によれば、本来ならば遠征に投入された兵士が、情勢が安定するまで彼の地にて治安維持にあたる予定だったが、その兵力の大部分が北の帝国との国境線に動かされたそうだ。
その結果、故郷を追われた亜人の一部が盗賊化し、復讐のために領内を荒らしているそうだ。
男はそんな話を思い出しながら、想定外の出費となった用心棒代を恨めしく思い、横に座る男をジト目で見る。
しかし、暑さでダレ始めた用心棒の男は、そんな視線にはお構いなしといった感じで、手拭いで汗を拭いていた。

「お? おい、旦那。前方に変なのがいるぜ?」

「え?どこだって?」

「ほら、あの木陰」

行商人の男は、ダレているようで一応きちんと周囲に気を配っていた男に少々感心したが、意識はすぐさま前方に移す。
男たちは何が起きてもいいように、装備を確認しながらゆっくりと荷馬車で近寄っていく。

「なんだあ?ガキの行き倒れか?」

見れば木陰に、一人の子供が蹲っている。

「なんだってこんな所に… あやしいな…
旦那、どうする?荷馬車じゃこんな岩だらけの所を迂回できねぇし、一旦戻るか?」

人里からこんなに離れた所に子供が一人…
乞食か行き倒れか…それにしては怪しすぎる。
男は、盗賊か何かの罠である可能性を考え、行商人の男にどうするのか問う。

「今から戻って迂回路を探していたら、約束の期限までに商品が届けられない。
どうにか、このまま行けんのですか?商人は信用が第一なんだよ。
それに、あんた言ってたじゃないか。
自分が腕が立つだの何だのと… ありゃ嘘かい?」

「んむ… 嘘じゃねぇ!俺が強いのは本当だ。決してビビってるわけじゃねぇ
俺はどうするか雇い主であるあんたに聞いているだけだ。」

「なら、このままいこう。
一応、いつでも駆け抜けられるようにしたいから、後ろの荷物の固定は確認してくれますか?」

そうして男たちは、警戒しつつも木の陰でうずくまる子供を素通りしようとするが、丁度真横を通過しようとしたところで、行商人の男はその子供とめが合ってしまった。

「たす… け…て…」

商人にしては人の良すぎた彼に、その言葉は良く響いてしまった。
男は子供から少し通り過ぎたところで荷馬車を止め、用心棒の男に言う

「なぁ ちょっと様子を見てやりましょう。
どうにも何か事情がありそうだし、見たところ、そこそこの身なりをしているし乞食とは思えない。
それに盗賊どもの罠なら、もうとっくの間にやられているはず…」

行商人の頼み込む視線と説得に、用心棒の男も嫌そうな顔をしつつも渋々答える。

「えぇ? 俺としては、あんなガキ放っておいて先に進みたいんですがね。
まぁ 雇い主の願いってんなら仕方ない。
だが、俺が様子を見てきますんで、旦那はいつでも逃げれるようにそこを動かないでくださいね」

行商人の男は「すみませんね」と一言言い、用心棒の男も腰の剣に手を当てながら馬車から降りて子供に近寄っていく。

「おい、坊主。一体どうした?」

男は座り込んでいる子供に声をかける。
みれば帽子を深くかぶっている為、男児か女児かの区別はつかないが、そこそこキレイな服装をしている。
そして、男の接近に気付いた子供は、力なく口をパクパク動かして何かを言っているようだが、男の耳まで声が届かなかった。

「あ?なんて言った?
もっと大きい声で言わんと聞こえねーぞ」

男は腰の剣に片手を置いたまま、片膝をついて子供に聞き返す。
そうして男の顔が、子供の手の届く範囲に近づいた。その時だった。

「WHOOOOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEP!!!!」

まるで地獄の底から湧きだしたような不気味な雄叫びがその場に響く。
思わず身が竦んでしまった男は、雄叫びの主を探して振り返るが、そこで男は気づいてしまった。
周りを見渡そうと振り向いた瞬間、目と鼻の先にいた子供の手が素早く動き、そして自らの首から鮮やかな血潮が噴き出した事を。

「おま…ぇ… ゴボッ…」

男は血泡を吹きながら崩れ落ちる。
そして見た、先ほどまで弱っているように見えた子供がナイフを片手にスラリと立ち
立ち上がった股の隙間から茶色のブチが入った尻尾が垂れているのを

「ケケケケケケケケ! ねーちゃん!やったよ!」

そう言って顔に付いた返り血を拭いながら子供は笑いながら叫ぶ

「な!?亜人!」

子供は幼さの残る亜人の少年だった。
人相が分からないくらい深くかぶっていた帽子は、用心棒の首を掻き切った時に飛んでしまい、その頭には茶色く大きな犬のような耳が有る。
亜人の盗賊… 行商人の男がハッと気づき、すぐさま逃げようと手綱を手に前を向くが
そのときには既に全てが遅すぎた。
進路、退路ともいつの間にか現れたナイフや短剣、弓で武装した様々な種族が入り混じった亜人達に囲まれている。
もし、強引に荷馬車で突破を図ろうものなら、忽ち彼らの矢で殺されてしまうだろう。
男の顔色が絶望に染まり、恐怖で体をすくませていると、一人の亜人が男の前に出てくる。

「人族のおっさん。ついてなかったね。
命か荷物、好きな方を選びな。
おっさん個人には恨みは無いが、あたいらは人族のクソ共に十二分に恨みが有るんでね。
仮に荷物を選んだら惨たらしく殺してあげるよ。
まぁ 命を選んでもダークエルフの人買い共に売っぱらうんだけどね。
さぁ?どっちにする?」

そう言って一人のブチの入った茶色い尾と耳のある亜人の女が男に言う。
恐らくこの盗賊どもの頭だろう。実に堂々とした風体だった。
"上手くいった"女はそんな表情で不敵に笑い、それとは対照的に行商人の男は女の言葉を聞き、全てを諦めて捕縛される道を選んだ。

「ねーちゃん。手筈通り用心棒のおっさんを始末したよ!」

行商人の男をふん縛り、荷台に投げ入れたところで、女の元に先ほどの少年がかけてくる。

「おーよしよし。あんたはデキる弟だねぇ」

そう言って女は少年の頭を胸に抱き、そのまま頭をワシャワシャと撫でまわした。

「あはは。ねーちゃん痛いよ」

「あぁ すまなかったね。
しかし、あんたの演技は良かったね。それに仕事の手際もいい。
こりゃ、ちょっとご褒美やらないとね」

「ご褒美!?」

女の言葉に少年は目を輝かせる

「そうだね。次に襲う予定の村で、あんたの気に入ったものが有れば、好きにしていいよ。
やっぱり、ちょっと早いけど綺麗どころの村娘を捕まえて筆卸しといくかい?」

女はニヘラと笑って少年に言うが、対する少年は顔を真っ赤にして首を左右にぶんぶんと振った。

「女の子なんていらないよ!何言っているんだよ。ねーちゃん!」

「おー 照れちゃって。耳まで真っ赤なのが可愛いなぁ」

そういって女は、少年の頭を撫でまくる。
そして心ゆくまで少年を弄った後、周りの亜人達に向かって言った。

「よーし、お前たち。
とりあえず、奪った荷馬車とコイツを連れて、いったん隠れ家に戻るよ。
チビ達とジジババが腹空かして待ってるからね。さぁ しゅっぱーつ!」

そうして亜人達は、身ぐるみを剥いだ用心棒の死体を道の脇に隠すと、奪った荷馬車共々去ってゆく。
辺境領の治安は、目に見えて悪化しているようであった。





一方、そこからさほど遠くない他の街道では…

「教授!やはりラム肉には松雄ジンギスカンのタレですね」

「そうだな。オーストラリア産の羊肉の輸入が無くなってから久しぶりに食べたが、やっぱり野外で肉を食べるのはジンギスカンに限る」

「そんなにがっつかないでください教授~。肉なんて~一頭丸ごと有るんですから~」

拓也達一行は、調査の途中で立ち寄った村で仕入れて羊を使い現地家畜食味調査という名のBBQを行っていた。
この大陸に広く流通している羊は品種改良の進んだ元の世界の品種とは違い、より原種に近い中央アジアに見られるような品種であった。
羊の群れを見ながら拓也が漏らした「あれって、味はどうなんですかね?」の一言と、突然の教授の思い付きにより拓也達一行は街道の脇で急遽大試食会が始まったのだった。

「それにしても、羊も美味しいですが、あのデッカイ鳥も美味いですね」

拓也がそう言って箸の先で地面に横たわる5m近い巨大な鳥を指差す。

「うむ。前の世界のモアに近いようだが、これだけジューシーで美味ければアボリジニに食い尽くされて絶滅したのも頷ける。
アコニー君やヘルガ君達は大陸時代にはこんな美味いものを良く食べていたのかね?」

そういって豪快すぎる山賊焼きを頬張る教授の質問に亜人たちは首をブンブンと左右に振る。

「普通、走り鳥なんて食べないですよ。
足が速い上にでデカくて強いし、狩をするには危険が大きすぎます。
もっと小さくて温和な種だと、今度は移動手段として重宝されますから食べるなんて殆ど無いですよ。
今回私たちが仕留めれたのだって、強力な武器があってこそです」

そう言ってヘルガは串焼きにした鶏肉を持ちつつ巨大モア(仮)の頭を蹴る。
そんなヘルガの蹴りにも動じないほど大きな頭。
だが、その鳥の頭は、嘴から上が無くなっていた。

「社長。それにしても凄いですよ。
BTRの14mmで撃ったら、こんなでっかい走り鳥も一撃ですもん。
これなら、大王馬とかも余裕かも」

アコニーが、ジンギスカン鍋から肉だけ選んで取りながら笑って言う。

「大王馬?」

「でっかい馬ですよ。
肩までの高さが、この走り鳥と同じくらいで、頭まで含めたらもっと大きいです」

「…そんなにデカイ野生動物がいるのか。この大陸には…」

拓也はアコニーの説明に少し唖然となりながらもその話を聞く。
少なく見積もって5m以上の馬。
ファンタジー過ぎる…

「でも、草ばっかり食べてる連中ですから大人しいですよ。
恐ろしい肉食獣は人間の魔術師とかが徹底的に狩っちゃったので、殆どいなくなっちゃったそうだけど。
そうだよね?カノエ」

「えぇ、毛皮や名声目当てに人族がパーティを組んであっちこっちで凶暴な獣を狩りまくった為、今では殆ど姿を見ませんわ
世界の創世から、一体何種類の動物たちが人族に絶滅させられたことか…」

へぇ~と感心しながら拓也は彼女らの言葉を聞く。
どうやら此方の世界にも当然の如く人間によって絶滅させられる動物がいるらしい。
拓也は、どこも同じだなと思いながら聞いていたが、どうやらそうでない人物もいたらしい。

「石津君…」

急に真面目な顔をして教授が拓也のほうを向く。

「こうしてはおれん。まだ見ぬ種が絶滅する前に、調査を再開しよう」

そう言ってそそくさと食器を片付けだす教授に、拓也はえぇ?!と驚く。

「でも、教授。
今から探すったって、片付けしてからじゃすぐに日も暮れちゃいますよ?
それに何が絶滅寸前かも分らないじゃないですか?」

そう言って拓也はチラリと横たわる巨鳥の死体を見る。
自然保護も分るが、目に入った鳥を食っちまおうといい始めたのは教授じゃないか。
もし、カノエ達が何も言わなかったら、絶滅危惧種だろうと胃袋に治まっていた気がする。

「何が絶滅危惧種かわからなくても、目に入る全てを調査すればそれで記録は残る。
分ったらさっさと準備に入りたまえ」

「うええぇ~…」

教授以外の全員が抗議の声をあげる。
まだ肉は沢山あるのに…
だが、その抗議は教授の心には届かない。
顔を見合わせる一同。
日は当に昼を通り過ぎているが、拓也達の調査は、まだまだ始まったばかりだった。









辺境伯領の情勢が悪化の一途をたどる中、辺境伯領の中心都市プラナスに、その渦中の中心となる人物はいた。
領主だったアルドが死んだ今、後継者たるクラウスは正式に家督を継ぐために戻ってきたのだった。
しかし、捕虜だったはずの彼が何故こんなにも簡単に戻ってこれたかと言うと、その答えは彼の引き連れてきた者達であった。
捕虜の仮釈放の監視と言う名目で付いてきた連邦からの顧問団。
その正体は、辺境伯領を完全に北海道側の陣営に組み込むために送られてきた連邦政府の人間だった。
彼等は、軍事、経済、社会システム、様々な分野の専門家であり、未だ封建制の続く辺境伯領を改革するため(顧問団の派遣はクラウスの希望でもあった)に乗り込んできた。
これが平時であれば既得権益との衝突により各方面より反発が起きたのであろうが、辺境伯領を取り巻く情勢がそれを許さなかった。


亜人の居住地の平定も含めると、たて続けに続いた3度の戦役と2人の領主の死、それに王殺しの罪での改易令。
周辺の諸侯が虎視眈々と辺境伯の領地を狙う中、それまで辺境伯家に仕えていた家臣たちは先の見えない自分たちのこれからに嘆き、右往左往するしかなかった。
そんな絶望的な空気が領主の城の中に蔓延する中、見た事も無い巨大で美しい白船に乗ってクラウスは帰還した。
白船には劣るが、それでも大きい灰色の大型船と数隻の小型船に守られてプラナスの港にその船団が現れた時、一時は敵の襲来かと市内全域が大騒ぎになり
その船団から轟音と共に飛んできた未知の飛行物体が城の上に現れた時は、場内はパニックに陥った。
場内にいた家臣達は鎧は何処だと探し回り、女中は何処へ逃げようかとオロオロするばかり。
だが、攻撃なども何事もなく城門前に着陸したソレから人影が城の前に降り立つと、今度は逆に一体何事だと城内の者達が城壁の上や窓から数多の視線が集まった。
出征した時と同じ甲冑に身を包み、ヘリのローターが作り出すダウンウォッシュの中、綺麗にまとめられた後ろ髪をはためかせながら、威風堂々とした態度で城門の前に立つクラウス
凛々しくも美しいその姿を見た城内では、人々の間にざわめきが起った。
敵の捕虜になったと情報だけが伝わっていたクラウスの堂々たる帰還は驚きだった。
それと、飛行体は海から真っ直ぐに城に飛んできたため、場内の者達は飛行体が降り立つまで気付かなかったが、よく見ればクラウスの乗機である事を表す為に大きな辺境伯家の紋章を吊り下げている。
市民はこれでクラウスの帰還を知ることになったであろう。
飛行体はクラウスを降ろすと、轟音と突風を巻き起こしながら飛び去り、今度はプラナスの上空を旋回し始めた。
それに吊り下げられているのはなじみ深い辺境伯家の紋章。
だが、次の瞬間、旗を吊り下げている紐が伸び、もう一枚の旗が現れた。
辺境伯家の上につりさげられた紺地に赤と白の七光星。
誰もが思う、『あれは何処の旗だ?』、『王家じゃないぞ?』
人々がそんな疑問を口々にしたときだった。

『あー テステス… 聞こえてるな?』

城門前のクラウスが喋ると、上空を飛ぶソレからも大音量でクラウスの声が市内全域に響く。

『愛すべき臣民諸君。クラウス・エルヴィスは、今ここにその帰還を告げるものである』

クラウスが帰還したことを改めて伝えるが、城内からは歓迎の声は起きない。
使えるべき領主の帰還、本来は喜ぶべきところだが、改易が決まった領主だという事実が彼らの忠義心に重くのしかかる。

『諸君らも既に知っていると思うが、我が兄の不徳故に此度は王家より改易の沙汰を受けた。
これについては、皆に申し訳なく思う』

重苦しい空気が一層濃くなる。
まるで空気自体が水あめのような粘度を持ったように絡み付き、皆の表情は諦念の色に染まった。

『だがしかし、私はそれを公然と拒否する!』


!!?

クラウスの口から出た予想外の言葉に、皆の表情が変わる
王家の改易令を拒否とは反乱と同義である。
予想外の言葉に驚きが満ちた。


『なぜならば、私には夢が、そして使命がある!
この戦役で私は敗れ、沢山の部下や仲間を失い捕虜となった。
戦火を交えたその相手の名はホッカイドウ。
世界の彼方より現れ、我々の新しい隣人となった国だ。
私は彼らに囚われながらも、彼らについて学び、その高度に発展した技術と、このプラナスや王国の王都を遥かに凌ぐ都市を見た。
悔しいが現状の我々は彼らの足元にも及ばない、だがしかし、私には夢が出来た。
このプラナスを!辺境領を!彼らに並ぶ豊かな土地に変えたいと!
今まで王国は、箱舟オドアケルの軍事力を持って我々から富を収奪してきた。
だが、王国は何をしてくれた?領地の安堵?そう、それだけだ。
しかし、今となっては王国の軍事力も絶対ではない。
ホッカイドウに侵攻した箱舟は、逆に彼らの軍事力によって撃退され、箱舟に乗り込んでいた竜人達は洋上で屍をさらすことになった。
最早、王国を!箱舟を恐れる事は無い!
その古の無敵神話は既に過去のものとなり、新たな秩序がこの世に出現したのだ。
そして、私は、今ここにホッカイドウからの支援を受け入れ、王国からの独立を宣言する!
想像して見て欲しい。
このプラナスが100万の人口を抱える都市に成長し、大地には天を突く摩天楼、人々には豊かな暮らしで笑顔があふれる未来を!
そしてそれは夢物語ではない。私が臣民諸君に約束し、皆で実現させる未来であるのだ!』

突然の独立宣言に静まりかえる場内。
クラウスも突然すぎたかなと一瞬冷や汗をかくが
一瞬の空白の後、城内は大喝采に包まれた。
いや、城内だけではない。
市街全域、クラウスの声を聞いた全市民が熱狂し、彼を名を口々に讃える。
今まで、プラナスは王国の商業の中心として多大な富を生むも、王家に税としてかなりの金を収奪されていた。
それが改易の命令を跳ね返し、独立を成し遂げるというのだ。
市民たちはクラウスの演説に熱狂し、その歓声の大きさは付近の村々にも響き渡たっていった。



そういった騒動があったのが十数日前。
クラウスの連れてきた顧問団は、既に城内で絶大な影響力を持っている。
だが、旧来の家臣は自らの持つ権益が侵されそうになっても不満は口にしなかった。
下手に不満を口にして、市内に吊るされている(これはクラウスが捕縛するより先に市民のリンチで吊るされた)王国から派遣されていた官吏達を同じ道を辿るのは嫌だったし
それよりも、顧問団の各専門家が開く勉強会に参加し、新たな自らの立ち位置を確保しようと躍起になっていた。
そう言った事情もあり、現在城で行われている評定でも、円卓に座る半数が北海道からの顧問団であったが、誰も不満は言わない。


「…以上のような事により、現在、辺境伯領の置かれている状況は思わしくありません。
周辺の諸侯は、我らが領地を狙って兵の動員を行い、未確認ではありますが一部の部隊が国境近くの集落を襲っているとの情報もあります。
それに対して我が方は、先の戦役の代償として兵力の大部分を北の帝国との国境に移動させたため、兵力が不足しております」

文官の一人が、現在の状況を評定で報告する。
これが辺境伯家単独で独立する事態であれば、非常に厳しい事態であったろう。
だが、評定にてクラウスらと同じ円卓に座る12人の内の半分の存在により、悲観的な空気は流れていなかった。

「ふむ…
これは、既に周辺諸侯はヤル気まんまんだと思って良いな。
王国との交渉でも話たが、王家には最早止める力は無いらしい。
ならば、遠慮はいらないな。
国境の兵1万を呼び戻せ。
速度が第一だ、移動の邪魔になる投石器などは破棄してかまわん。」

クラウスは溜息を一つ吐く。
国境から辺境伯領までは結構な距離がある。
恐らくは何度か足止めを食らい、集落のいくつかは敵に食われるだろう。
誰しもがそれを憂慮し、家臣の一人がクラウスに発言する。

「殿下、今から兵を戻しても、救援の間に合わない領地もあるでしょう。
そこでここは一つ、箱舟をも退けたという彼らの力に支援を求めるのは如何でしょうか?」

その言葉に家臣団の全員が頷く
だが、それに対し、評定に参加している顧問団の代表であり北海道からの使者である鈴谷の回頭は彼等の思っているものではなかった。

「あぁ… その軍事支援についてだが、当面は王国との大規模な軍事衝突は避けたい。
今現在、大規模な遠征を行える準備が出来ていないのでね。
だが、辺境伯領上空の制空権の確保は約束しよう。
それと、我々の調査隊が此方で活動している事もあるので、小規模なヘリボーン部隊による支援くらいならば可能だよ」

鈴谷は口には出さなかったものの、これが現在の北海道に出来る限界であった。
先の紛争により、道内のミサイル類は粗方撃ち尽くしてしまったため、生産の目途が立つまでは大規模な行動は出来なかった。
仮に王国側が無理をしてでも箱舟を駆りだしてきた場合、今の北海道にあの強力な魔法防壁を突破できる手段は無い。
ならば取れる手段は只一つ、大規模な衝突は避けつつも此方の軍事力は健全だとブラフにてアピールし、箱舟に対する抑止力を維持する事である。

「そんな!?
敵の軍勢が迫っているのですよ?
我らを後見していただけるなら、その軍事力をもって我らを支援していただきたい」

辺境伯側の家臣一人が嘆願する。
だが、鈴谷を始めとする北海道側は渋い顔をするだけであった。

「こちらにしても事情がある。
遠征の準備についてもそうだが、ついこの間まで民間人に被害まで出して交戦していた相手を守るのに大軍を出すのは世論の同意が得られない。
だが、一切の支援をしないとは言っていない。
重ねて言わせてもらうが、上空の制空権の確保、小規模部隊による支援及び軍事顧問団の派遣にて支援させていただく。」

食ってかかった家臣の一人は未だ何か言いたそうだったが、彼が更に食ってからる前にクラウスがそれを制した。

「まぁ ホッカイドウ側にも事情がある事は理解しなければいけないさ。
まして何より、自分たちの領土を守るのに人に頼り切るのは如何なものか…
まずは、率先して我々が血を流す必要がある。違うか?」

「むぅ… その通りにございます」

そういって家臣の男は引っ込んだ。

「それより、諸国の状況はどうなっている?
我々の独立の動きに反応しているところはあるか?」

クラウスの質問に別の文官が立ち上がって報告する

「それについては、未だ独立宣言から日も浅い事もあり、各国の動きは伝わってきておりません。
文官たちの予測では、各国との貿易額が辺境伯領だけで王国の他の地域を圧倒していることから
表だって敵対することは無いと予測しております。
ですが、一つだけ例外がありまして…」

「なんだそれは?」

クラウスが眉間に皺を寄せて聞く。

「ネウストリア教皇領です。
流石、教会は対応が早いです
教皇庁から『独立が教義に照らして正しいか、観戦司祭を派遣する』と申し入れてきました」

「なんだと!?
う゛ううぅ~ん…
まぁ異端の独立と思われても厄介だし… 仕方ないか。
だがこれで、大々的にホッカイドウへ協力要請は出来なくなってしまった」

「宗教的な制約ですか。それはまた厄介ですね」

元の世界でもそうだったが、宗教が絡んだ戦争は、どちらも引くに引けなくなり泥沼化することが常である。
この独立が宗教戦争の色合いを帯び、それに巻き込まれるのは御免だ。
異教徒が片方に肩入れしているのを見て、こちらの教会とやらは絶対に良い顔はしないであろう。
鈴谷はそんな事を考えながらクラウスの苦悩を察した。

「まぁ 厄介は厄介なんですが、それは向こうにとっても同じこと。
よし、周辺諸侯に使者を出そう。
我々は教皇庁の介入を理由に会戦を行う。
決戦の日時と場所は… そうだな、20日後のプラナスの北西10ミリャ(16km)の平原とする」

「殿下!?
プラナスからたった10ミリャの位置で会戦を行うのですか!?」

クラウスの言葉に家臣たちが驚愕する。

「我らの喉元で決戦を呼びかければ、奴らも会戦の申し出を拒否しまい。
我らの兵が未だに戻っていない現状は彼らに有利。これくらいしなければ例え教会へ工作しても奴らは乗ってこないよ。
だが、悪い事ばかりじゃない。
奴らも会戦の為に戦力を一点に集めなければならないから、略奪などの被害は限定的だ。
特に戦力の損耗を恐れて城壁のある都市への攻撃も控えるだろう。
まぁ 奴らの進軍上にある小さな集落には泣いて貰わなければならないが…」

クラウスは多少の被害は仕方ないと苦い顔をしながら語る。
諸侯がバラバラに侵攻してきて領内を勝手気ままに荒らされるよりは、多少の損害は覚悟し、敵を一点に集めて叩き潰した方が良い
その場の皆もその事を理解したのか、難しい顔をするも誰も反対意見は無い。

「まぁ 諸侯の寄せ集め何ぞに、我らが精鋭が負けるなんてのは有り得ないが、もしもの場合は、ホッカイドウへ亡命するよ。
今、あちらは労働力が不足しているというし、君らも一度はサッポロに行ってみると良い。
私は捕虜だったから護送車の窓からしか見ることは出来なかったが、彼の町は驚きの連続だったよ。
それに向うで食べた『すーぷかれー』や『みそらーめん』は絶品だった。
向うの係員から聞いた『いくらどん』、『じんぎすかん』、『まるせいばたーさんど』は未だ食べた事は無いが、これも美味いそうだ。
うーん…
これらが毎日食べられるなら、亡命もそんなに悪くは…」

「殿下!!」

「あっ あぁ… 冗談だよ。冗談。
食べ物につられて亡命なんて無い。無いよ?…」

忘れ得ぬ味の記憶と、まだ見ぬ夢のグルメに、若干意識がトリップしかけていたクラウス。
言葉では否定しているが、実際はちょっぴり本気だったことは秘密だった。

「まぁ ふざけるのはココまでとして、我々の方針として会戦を行う事に異議は無いな?
鈴谷さん、ホッカイドウ側も宜しいですか?」

「特に問題は無いですよ」

「では、これより我々は会戦へ向けた準備に取り掛かる。
ホッカイドウ側の言葉を借りれば『公国の興廃、この一戦にあり』だ。
独立し、エルヴィス辺境伯領からエルヴィス公国となるか、諸侯の食い物になるかは諸君らの頑張りにかかっている。
皆が皆、己の役割を全うせよ。勝利万歳!」

「「勝利万歳!」」

クラウスの締めの言葉に家臣全員が片手を前に伸ばして唱和する。
彼らにとって長い20日間が始まったのだった。







一方、その頃


プラナスから離れた街路上
一台の商人の荷車が猛スピードで走っている。
顔面蒼白とした商人が鞭を飛ばし、牽引している獣に活を入れる。
どうやら何かから追われているらしい、必死の形相で逃げるがどうやらそれも時間の問題だった。

「ヒャッハァァ!」

そんな世紀末的な叫び声と共に、大きな影が彼の真横に現れる。

「教授!馬の代わりにでっかい鹿が引っ張ってますよ!ヤックルみたいな角してます!」

「うむ、石津君!是非ともデータを取らなくては!」

「了解です!任せてください!
…こんにちわー!すみませーん!あなたの鹿?見せてもらって良いですか~?」

拓也は商人に向かって叫ぶが、一方の商人は謎の集団に追いかけられている恐怖で
拓也の声が全く耳に入っていなかった。

「石津君!全然止まってくれないじゃないか!」

「え~…仕方ない。アコニー!聞こえるか?飛び移って停めさせろ」

「了~解~」

拓也の指示があると同時に、荷馬車を挟む形で拓也の車の反対側にアコニーの乗る装甲車が現れる。

「せい!」

掛け声と共に装甲車の上から荷馬車に乗り移ったアコニーの対応は早かった。
商人から手綱を奪うと、それを引いて急制動をかける。
するとみるみる荷馬車のスピードは落ち、ついには止まってしまった。

「でかしたぞ!アコニー君!
よし、荻沼君、来たまえ!調査だ!」

「はい!」

拓也の運転するハイエースから二人が飛び出す。
そこからはもう、凄い勢いだった。
写真撮影から大きさの計測、DNA採集と言いながら毛の一部を切っている。
そんな急に現れた謎の集団を見て、運悪く捕まった商人は恐怖に震えていた。

「騎獣も荷物もあげますから、どうか命だけは…」

うずくまり、小さくなって祈る様に嘆願するも、彼の言葉を誰も聞いては居なかった。
荷馬車を止めた目的は教授らによる動物の調査であり、商人の事などどうでもよかった。
だが、商人も恐怖の為か周りが見えていない。
蹲りながら命乞いを続けている。

「よし、十分だ。
石津君、彼に謝礼を渡して次に行こう」

「了解です。
おっさん、足止めしちゃって悪かったね。
あんなスピード出してたんだ、急ぎだったんだろ?
何処に行く予定だったんです?」

拓也は商人に優しく語りかけるが、恐慌状態になっている彼には、その笑顔も邪悪な笑みに見えてしまう。

「こっ、この先にあるメリダの村です。
あそこに塩を売って、毛皮と毛織物の買い付けに行くところでした。
どどど…どうか命だけは…」

「毛皮!?毛織物?」

「はっ!はい!」

それを聞いて拓也はにっこりと笑って教授の方を向く

「教授、この先の村で毛皮や毛織物を扱っているそうです。
珍しい動物が居そうな匂いがプンプンしますよ!」

「何!?
よし分かった!すぐに出発しよう」

「了解です!
…って事で、長々と引き留めて悪かったよ。
お詫びにこれあげるから食べて機嫌治してね」

そういって拓也は透明な袋にはいったあるものを手渡した。

「これは地元で名産の『薄荷豆』ってお菓子でさ。うまいんだよ。
道中で摘んで食べてね。
それじゃぁもう行くんで、お世話になりました。」

そういって拓也は手を振りながら車に戻る。
彼らが走り去った後、その場に残された商人は、手に薄荷豆の袋を持って呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
ふと商人が正気に戻り、現状を確認してみる
命はある。
五体満足で、何も盗られてはいない。
それどころか、何やら菓子を貰った。

「一体、なんだったんだ…」

訳が分からぬといった様子で、商人は手に持った袋を見る。

「そういえば、菓子と言ってたな。
どれ、味はどうかな…」

そう言って商人が袋を開けようとして、両手を袋に掛けた時だった。

「ヒャッハァー!」

再度聞こえる世紀末的な叫び声
その声の主を探して商人は周囲を見渡すが誰もいない。
彼は再び怖くなり、急いでこの場を離れようと荷馬車に乗ろうとしたその時だった。

荷馬車に足をかけたと同時に首筋に当たる冷たい感触。

「おっさん。両手を上げな。
護衛も無しに一人で旅とは不用心だね。
厳しい渡世の授業料として、荷物から残りの人生まで全部もらうよ」

いつの間に後ろに接近したのか。
ゆっくりと彼が振り返ると、そこには茶色の犬のような耳をした亜人の女が
彼の首元に短剣を当てていた。
しかもどこから湧いたのか、周囲は亜人達に包囲されていた。

「お?何だいそりゃ」

女は商人の手にあった袋を奪い取る。

「菓子だそうです」

「へぇ… 珍しい袋に入っているね。どれ…」

そういって女は袋を破り、中身を一粒出して口に入れる

「おぉ!これは… なかなか… うん…
おい!おっさん、これをどこで手に入れた?」

「さきほど変な集団に絡まれてもらいました」

「あぁ さっきの変な奴らか。
凄いスピードで走り去るから取り逃がしちまったけどさ…
おっさん、あいつらが何処に行ったか知ってるかい?」

「おそらく、この先のメリダの村です」

商人の言葉を聞いて女は上機嫌になった。

「となると、あまり遠くじゃないね…
よし!決まりだ!みんな良く聞いておくれ!
次の目的地はメリダの村!
ちょっと大きめの村だから、一度アジトに戻ってから他の仲間も集めて襲撃するよ!
覚悟はいいか野郎ども!!」

女の声に他の亜人達も「応ぅ!」と叫ぶ。
辺境伯内の盗賊達は今日も元気いっぱいだった。



[29737] 大陸と調査隊編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:16
反省する。
少し、羽目を外し過ぎた。
前世界では見た事もない動物やら何やらで、気分はサファリツアーだったのと
知的好奇心が刺激され過ぎて、テンションが常にハイ状態で維持されている教授たちと一緒に居たのが不味かった。
というか、初めての調査任務で緊張してた皆に、カノエが「リラックスできるお茶ですよ」と言って水筒を回してたのがそもそもの始まりな気がする。
あれを飲んだ後は、今思ってもホントに狂ってたとしか思えない。
ここに来る途中で川を一つ渡った時も、ほぼ減速なしで車列が橋に突入したせいで、荷重と衝撃に耐えかねた橋が半ば崩落していく中を、皆笑いながら強引に渡って行ったし。
新しい村を見つければ、「ヒャッハァー!村だぁ!」とか車にハコ乗りしながら叫んで接近して、見事に警戒されてしまったし。
あのお茶って実は覚醒剤か何かが混じっていたんじゃないのか?
まぁ そんな状態で村に接近したもんだから、当然のごとく警戒され爆走する車列に向かって矢を射られ、急停止。
急激なGによりミックスされた車内で、トリップしていた皆の脳が正常化する頃には
村の入り口に、ひっくり返した荷車等で作られた即席バリケードが構築されていた。
まぁ 訳のわからん連中が奇声を上げながら近づいてきたら、当然警戒しますよね。わかります。
村の外周は、入口以外は積み上げた石の壁で囲まれていて、やはり村に入るには入口は一つしかない。
…中に入るのはなかなか難しそうだ。
だが、諦めようにも、せっかく村を見つけたのに引き返すのは勿体無い。
うーむ、この状況… 
一体、どうするかな。

…と、拓也がこんがり始めた状況に頭を悩ませていると、不意に後ろから声がかかる。

「社長… 村人は絶対、私たちの事を盗賊か何かだと思ってますよ」

半ば呆れたようにヘルガが言う。

「というか、動物やら家畜程度で騒ぎ過ぎですよ。
普通の家畜やら獣見て何であんなに興奮できるのか理解できません。
あと、流石にあのテンションはドン引きでした」

「だが、そうはいっても教授らみたいな動物専門の学者にしてみれば、こっちの動物たちは宝の山みたいなもんだよ。
そんなものに周りを囲まれて、何だか一緒に楽しくなってしまったのは悪いと思ってるけどさ。
それにテンションのヤバさ的には、カノエのお茶がすべての元凶だと思っている」

「あぁ… 確かに」

ヘルガは水筒ごと地面にぶちまけられた水たまりを見つめながら相槌をする。
それは、お茶の効果が切れた後、即座にカノエから取り上げて捨てたものだが、どうにも甘ったるいような苦いような不思議な匂いが漂っていた。
投げるてる時にカノエが涙目で「あぁん」とか抗議の声を上げていたが、そんなものは無視する。
最初、リラックスできるお茶と聞いてハーブティーか何かを想像していたが、実は覚醒剤的な作用のあるお茶でしたとか極悪すぎる
そんなものを社員の皆に飲ませるなど、社長として断じて認めない。ダメゼッタイ。No薬物。

「まぁ それはそれでいいとして、とりあえず目の前で殺気立てている村人の誤解をとかなきゃいけない。
…よし!みんな、サファリ気分は終わりだ。気持ちを切り替えていくぞ。
とりあえず… そうだな、ヘルガ。一緒に来い。」

「え゛ぇ? 私もですか?」

いきなり指名されたヘルガは驚いた顔をするが、そうやって如何にも嫌そうな顔をしないで欲しいと拓也は思った。

「何のために連れてきたと思ってるんだ。
元行商人だから、こっちの常識には詳しいだろ?
話合いのサポートに入ってくれ。それに、見た目が子供だから向こうも気が緩むだろ」

なんだか凄く嫌そうな顔で渋々頷いて見せるヘルガだが、給料払っている以上、社畜として十二分に働いて貰わねば。
それに、仮に他のメンバーを連れていくとしても、教授らはお客様なので危険の矢面に立てるのは論外だし
アコニーその他の亜人は脳筋すぎるし、エドワルドのおっさんは何処の傭兵だよって顔なので、和やかな空気を作るのは難しそうだ…
となると限られた人材の中で一番的確なのは彼女である。
何より目の前にいるんで丁度良かった

「…見た目は人族の子供でも、実年齢は社長より上なんだけどなぁ」

何事も初対面は見た目が重要である。
ヘルガの呟きは意図的に無視することにして、拓也はバリケードに向かって歩き出した。
誤解を解く為に拓也とヘルガは両手を上げてバリケードの前に進む。
だが、結果はあまり思わしくなかった…

「私たち、決して怪しい者じゃありません!
話合いにそちらへ伺ってもいいですか?」

「『ヒャッハー!』とか叫んで現れた正体不明の奴らが、怪しくないと言って信用できるか!」

うん、村人の言い分にも一理ある
ヘルガの呼びかけにも全く応じない。
それならばと、拓也は背中に背負っていた布袋を手に掲げ、再度村人に話かける。

「とりあえず、話だけでも聞いてください。
敵意がない証拠に、自分ら二人は丸腰です。それと手土産も持参しました」

そう言って、持っていた袋を頭上に掲げると彼らの表情が変わる。
どうやら彼らの興味を引くことに成功しているようだ。
拓也は手持ちの袋を投げ渡し、村人が中を改めると彼らの中から驚きの声が聞こえた。
袋を持った村人が、その中身を彼らの代表と思われる人物に渡し、何やら話合いをしている。
しばらくすると、話合いがしたいという事で自分とヘルガに村へ入る許可が出た。
まぁ 話合いと言うより、一行がどんな物を持っているのか知りたいというようだったのだが…
彼らに見せた手土産として持参した物資の内訳は、砂糖や塩と言った食品から、簡単に火を起こせる百円ライターや市販の常備薬
これは何かと尋ねる村人に色々な薬ですと説明すると、村人の一人の表情が変わる。
その変化を見逃さずに誰か病気なのかと尋ねると、村長の孫が病気だそうな。
聞く所によると、熱が出て色々と薬草を試したが回復せず、プラナスまで薬を買いに行こうにも、ここ数年の不作の影響と戦の影響で薬が軒並み値上がりしていることもありで
高価な薬に手を出せるほどの余裕がないそうだ。
そんな中での「お近づきの印に、我々の薬を少々お分けしましょうか?」の言葉は効果覿面だった。
まぁ医者じゃないので市販薬を適当に渡す程度しかできないのだが、村長はまさか薬が手に入るとは思っていなかったのか大いに驚いていた。

それならばと村長に引かれるままに村の奥に案内されそうになるが、すぐに連れて行こうとする村長の手を引き留めた。

「ちょっと待ってください。
それならもう一人、薬の調合が出来る人物を連れて行ってもいいですか?」

「なんと薬師もいるのか。それは願っても無い事だ。
是非とも連れてきてくれ」

それを聞いて、村長はすぐに連れてくるように促してくる。
その顔をみると、先ほどまでの警戒感が随分と薄れているように思える。
それほどにまで孫が可愛いのだろう。
まぁ こちらは丸腰なので、変な動きをすればそのまま人質に出来るという思惑もあるのだろうが
此方は変な動きをするつもりはないし、村側が自分らに危害を加えれば、バリケードの外に待機してる社員たちによって多分村一つが浄化されるであろう。
村側は気付いていないが、絶対的な火力の差は簡単に村一つ虐殺できてしまう。
という物騒な考えは置いといて、まずは信頼関係を築くのが第一。
薬の調合(薬と言っても副作用不明の魔法薬だが)ができるカノエを呼んで来よう。
医者じゃないが、病人の病状位は軽く見れるだろう。

「ヘルガ、そういう訳だからカノエを連れてきてくれ。
あと車内の医療キットも頼む」

「了解です」

例え、カノエが役に立たなかった場合、手持ちの薬&タブレットにインスコしてある家庭の医学電子版でなんとかしよう。
そんな事を考えていると、ヘルガはカノエを連れて戻ってきた。
3人は村長に連れられて村の奥へと入る。
案内されたその先には、一軒の家があった。
南欧を思わす素焼きの屋根瓦に漆喰などは無い石積み壁の二階建て。
突然の客人の来訪に家人は驚いているようであったが、村長が一言二言、言葉を交わすと此方を見つめながら頷いて招き入れてくれた。
室内に案内され、孫の部屋に案内されると、寝床で横になる村長の孫と思しき男の子が息を荒くして横になっている。

「孫のベニートだ。
どうだ?何とかなりそうか?」

そう言って村長が横たわる男の子を紹介する。

熱があるようだが、医術の心得があるわけじゃないので何の病気かは分からない。
一応、タブレットで"家庭の医学"電子版を読んでみるが、素人には病名の断定は無理だったので、全てをカノエに丸投げすることにした。

「カノエ。病状はどんな感じ?」

横になる男の子の横に座って呼吸などを見ているカノエ
どうやら一通り検診が終わった様なので、彼女に病状を聞いてみた。

「そうですね。少し熱があるので解熱薬でも飲ませた後、滋養のあるものを取って安静にしてたら治るでしょう。
病状はそう大した事はありませんが、無理は禁物ですよ」

「本当か!?」

カノエの言葉に喜ぶ村長。
そんな彼にカノエは優しく笑って返した。

「そうか、じゃぁ 解熱剤を渡せばいいんだな。カノエ」

「えぇ あと、私の薬は強すぎるので北海道から持ってきた薬が良いと思います。
たしか、あすぴりんでしたっけ?いい薬がありましたよね」

そう言ってカノエは持ってきた医療キットからアスピリンの箱を取り出し、横になっているベニートと言う男の子に水と一緒に飲ませた。
そうして弱弱しくも男の子が薬を飲み下したのを確認し、後ろで様子を伺っていた村長の方を振り返ると、
いつのまにやら家人や他の村人たちが集まって村長の後ろから此方の様子を伺っていた。

「あの子は大丈夫ですか?」

恐らくは母親だろう。村長の後ろから心配そうな顔をした女性が尋ねてくる。

「熱があったんで、一応解熱剤を与えたから楽にはなるかと思います。
あとは滋養の良いものを食べさせてやってください」

「そうですか… それでも、あの子の苦しんでいる姿を見るのは不憫だったんで
熱が下がってくれるだけでもありがたいです。」

そういって女性は頭を下げて感謝していたのだが、顔を上げると、ふと思いついたのか胸の前で手を打ち鳴らすと微笑みながら言った。

「そうだ。お礼にお茶でもいかがですか?
あまり大したおもてなしは出来ませんが。それくらいは良いでしょう?お父様」

「うん?そうだな。色々聞きたい事もある。茶でも飲みながらゆっくり話を聞こうか」

娘の言葉に村長も賛成し、茶の用意に台所へと向かった娘の後を追う様に、村長達は客間の方へぞろぞろと移動していった。
拓也もそれに続き客間へと移動しようとするが、皆が部屋から去った所でカノエに手を掴まれた。

「社長… ちょっとお話が」

拓也を引き留めたカノエは誰にも聞こえないよう小声で拓也に話かける。

「あの子の病状ですが、正直サッパリわかりません」

「なに?!」

カノエの一言に思わず大きな声が出そうになったが、咄嗟にカノエに口をふさがれた。

「社長!声が大きいです」

そう言われて落ち着きを取り戻した拓也は静かにカノエに聞き返す。

「でも、さっきは普通に診断してただろ」

「一つ社長は誤解してます。
確かに、こっちの一般的な薬師は病人にあった薬を配合する為、医術の心得がある事も多いですが、
私はそういう系統じゃありません。
私は色々と薬を調合できますが、それは肉体強化だったり精神薬だったりで、病気用じゃありません」

自信満々で診断した後で、実は専門外ですと告白する彼女に拓也は開いた口がふさがらなかった。

「それじゃ、さっきの診断は出鱈目って訳か?」

「いや、熱があるのは確かですから解熱剤を投与すれば一時的に熱は下がると思いますよ。
ここは一つ、ヤブ医者とばれる前にちゃんとした医師に診せるべきです。
大丈夫、最終的に治れば誤診したかどうかなんてバレませんって。
仮に病状が悪化しても、先に"油断は禁物"ってまだ不安定な事を匂わせておきましたし、なんとかなりますよ」

そういってカノエは胸の前でグッと拳を握りニヤリと笑った。

「この娘は…」

不敵な笑みを浮かべる彼女に、拓也はただただ呆れるしかなかった。



その後、皆に遅れて拓也達がやってくると、客間はお茶会という名の質疑応答の場となった。

「自己紹介がまだだったな。
私はこのメリダ村の村長をしているエルナンという。そして助けてもらった孫はベニート。
それと今更だが、そもそもお前さんたちは何者だね?
あまり商人には見えんし、盗賊なら薬を分けるなんて回りくどい事もせんだろう」

テーブルの真ん中に座り、コップで茶を啜りながら村長がいう。

「申し遅れました。自分たちは北海道から派遣されてきました動物や家畜を調べている調査隊で
自分はその調査隊の護衛の代表をしています石津といいます。
横に座っているが社員のヘルガとカノエです」

拓也の紹介に二人は「どうも」と頭を下げる。

「ホッカイドウ?はて…この辺りでは聞かない名だな?
結構遠くから来たのかい?」

「北海道自体は元々この世界の島ではありませんでした。
おおよそ一年前、謎の膜が私たちの島を覆い、それが消えたと思ったらこの世界にいました。
そして右も左もわからない世界を調べる為に、一番近くにあった陸地に我々のような調査隊が送り込まれ
そのいちばん近い陸地と言うのが、この辺境伯領だったわけです」

「ほぅ… 良くは分からんがそれは難儀なことだな。
それでお前さんが、調査の為にこの村に来たと。
だが残念ながら、この村には珍しい物も特産品も何も無くてな。
見てもあまり面白い物は無いと思うぞ」

「まぁ 面白いかどうかを決めるのは私の雇い主であって
私は護衛として粛々と用心棒に努めるだけですよ。
もし、私を信用していただけるなら、街道のバリケードを撤去していただけるなら、私の雇い主に会ってもらえませんか?
我々も色んな物資を持っているので、村にとっても損にはならないと思います」

というか、ここまで友好的に対応しておいて、仮に拒否されたら、その時はこの村をどうしてくれよう?
そんな事を考えつつ、拓也は村長に笑って調査隊の入村許可を求める。

「そうだな。いつまでも待たせることもあるまい。
村の者達に道を開けるように言おう」

村長はそう言うと、近くにいた村の男を呼んであれこれと指示をする。
そして男がバリケードの方まで使いに走ると、程なくしてバリケードも撤去されたのか、車列のエンジン音がゆっくりと村の中心に響いてきた。
先頭を走るBTR装甲車に先導されてやって来たバンが村長の家の前に止まると、スライドドアを開けて教授が車から降りてくる。

「やぁ 石津君。なんとか話はついたようだね」

そう言って教授は笑みを浮かべながら拓也達の方へ近づいてきた。

「村長、ご紹介します。
こちらが調査隊の団長である漆沢教授です」

「どうも漆沢です」

そういって右手を差し出した教授は、どうしていいのか戸惑う村長の手を取って握手する

「あぁ 私はメリダ村の村長のエルナンだ。
この度は孫の病気に薬を分けて頂いたことに礼を言いたい。ありがとう」

拓也は教授に此方で行った処置を説明した。

「…なるほど、お孫さんが病気でしたか。
いやぁ コレが動物なら獣医師の資格のある私が診る事が出来たんですがね。
でもまぁ、ウチに医術の心得のある人材が居て良かった良かった」

それを聞いて拓也の顔が引きつる。
対して当のヘルガは全く同じた様子も無い。
この娘、綺麗な顔してとんでもなくツラの皮が厚いなと拓也は思った。

「貰った薬のお蔭で孫の熱も下がってきたようだ。
後は彼女の忠告通りに滋養を付けさせて安静にさせることにするよ」

村長は人の良い笑顔で感謝の言葉をのべる。
だが、拓也はそれを聞いて良心が痛む

「あぁ でも、やっぱり本職のお医者さんに診てもらった方が良いですよ。
彼女も本職の医者じゃないし…
あと、滋養を付けるなら良いものが有ります。
自分の国じゃ、病気の時は桃缶…桃のシロップ漬けを食べるんですが、持ってきた物資の中にも有ったはずなんで
分けて上げますよ」

そう言って拓也は止まっていたトラックまで走ると、荷台から桃缶を一つ手に取り、それを村長へと渡した。

「おおこれはどうもありがとう。
…だが、医者の件は少し難しいな。
なんせプラナスから医者を呼んでくる金が無い…」

村長は溜息を吐いてうな垂れる

「今年はイモが害虫にやられてな。収穫が少なかったうえにイモの価格は、他が豊作だったから下がる一方…
金さえあれば、医者でも魔術師でも診てもらえるんだが、金がない以上どうにもならん」

何処の世界でも貧困は人間の最大の敵であるようだった。
金が無いと言い表情の曇る村長。
そんな村長を見て、拓也はある一つの提案を思いついた。

「なら我々の医者に診てもらいますか?」

「でも金が…」

「そんなの別に良いですよ。
本来は調査団の健康の為の支援プログラムですが、事情の説明すればおそらく大丈夫でしょう」

「なんと!無償で診てくれるのか」

「ええ。ですが、それには一つ許可を頂きたいのです…」



村長に求めた許可。
それは気球無線中継システムを村に設置する事だった。
本来は軍の調査隊が訪れる村々に設置していっているのだが、軍より先に民間の調査隊が未調査の集落に到達した時用に
設備を1セットほど政府から押し付けられていた。
元が災害用と言うだけあって設置もさほど難しくない。
マニュアルを見ながら組み立てれば、特に問題なく設置できる。
ネットワークさえ確立すれば、簡単な診断であればオンラインで道内に待機する軍の医師からやってもらえる。
それでも駄目なら最悪、男の子を連邦軍の橋頭堡にある簡易診療所へと運べばいいだろう。
そう言った事情を村長に説明すると、村長は二つ返事で許可をくれた。まぁ説明の大半は何を言っているのか理解できていないようであったが…

許可が出れば後は早い。
早速、拓也らは施設の設営に取り掛かった。

「拓也。基部の固定が終わったから気球にヘリウム入れるぞ」

「りょうかーい」

エドワルドのおっさんの確認の声と共に通信装置の付いた気球が上空へと登っていく。
それが静かに空へと登っていく様子を見て、周囲で作業を観察していた村人から歓声が上がった。

「おぉ!これはなんと。布袋が空に飛びよった」

多分、空飛ぶ生き物でも何でもない人間の作った道具が空を飛ぶのを見るのは初めてなんだろう
村長は感心したように空高く上がった気球を見ている。

「これで後は太陽電池と風車で充電するだけなんだけど…」

そこまで言いかけて拓也の言葉が止まる。

「曇ってるな。それに雨も降りそうだ」

そう答えたエドワルド一緒に空を見つめるが、何時の間にやら上空には濃密な雲がかかり始め
西の空を見ると、既にそちらの方では雨が降っているのか灰色のもやに覆われていた。
設置した装置は、フル充電されていれば半月は悪天候が続いても電源を供給できる高性能な蓄電池を持っているのだが
いかんせん、初期状態では蓄電池は空。稼働の為には充電が必要であった。

「マニュアルには緊急時には車載バッテリーからも起動できるって書いてあるけど… わざわざ雨に濡れてまでやりたくは無いわ。
非定常作業で漏電しても嫌だし」

「同感だ。とりあえず、雨が通り過ぎるのを待ってから作業しよう」

「じゃぁ 作業はいったん中断して、雨の凌げる滞在用の宿を確保しようか」

流石にいつ止むかも分からない雨を、じっと車の中で待つのは嫌だ。
せっかく集落があるんだから、屋根の下で休みたい。
そんな風に思いながら村長にこの村に宿は無いかと尋ねたところ、さほど大くはないが一軒だけ旅人向けの宿があった。
それも、村長の家のすぐ裏手に。
宿側としても、凶作の影響で村を訪れる商人や旅人が減っていたところに大口の宿泊客が訪れたという事で、大慌てで部屋を用意してくれた。
だが、元々さほど大きくない村の宿。全員が泊まれるほど部屋数は無かったので、女性陣は村長の家に泊めてもらう事になった。
拓也が村長と宿の親父に話を付け必要な荷物を宿に運び込んだのと、大粒の雨粒が空から降り始めたのはほぼ同時だった。
降り始めた雨は時間が経つにつれ激しくなり、日が落ちた後も一向にやむ気配がない。
低く響く雨音は、外界からの一切を拒む様に村を取り囲む。

「なんというゲリラ豪雨…」

窓の外を見ながら拓也が呟く

「いやぁ 雨が降り出す前に撤収してよかったな」

「ホントだよ。こんな雨の中で外にいたら、パンツまでグチュグチュに濡れちまうよ。
濡れていいパンツは女性用だけだ」

「なんだ、女どもが居なくなった途端に下ネタか?」

エドワルドが呆れるように笑って言う。

「久しぶりに女性陣に気をつかわなくてもいい時間なんだ。
男が集まったら酒と下ネタと馬鹿騒ぎと相場は決まっている。
そして、それはどれも最近の自分に不足していた物…
雨が止むまでする事も無いし、宿の酒場で飲み明かそう!」

そう言って拓也は拳を握って力説するとエドワルドを飲みに誘う。
普通なら、就業中の飲酒はご法度だが、エドワルドはロシア人。体のつくりが違う。
大陸系のアルコール分解酵素は伊達ではないことを、拓也はエレナや他のロシア人との飲み会で知っていた。
それに、警戒に誰か飲まない人間を決めておけば大丈夫だろうし、問題があればエドワルドが指摘するはずだ。

「まぁ 元ロシア軍の俺たちが居るから、少々酒が入った所で教授の護衛には支障はない。
歩哨は…。そうだな、酒の弱いラッツか誰かは飲ませずに警戒させとこうか。
それでこっちは良いとしても、女どもは放って置いていいのか?
向うにも護衛対象も一人いるんだろ。
あまり騒ぎが起こると、今後の仕事の受注が不味いんじゃないのか?」

村長の家とはいえ、拓也達の目の届かない所で寝床を確保した女性陣に、最初は拓也も大丈夫かとの思いもあった。
だがよくよく考えてみると、その中には最近メスゴリラ化の進んだケモノ娘、アコニーを筆頭に護身用の拳銃を持ったヘルガやカノエがいる。
仮に村長やその家人が彼女らに手を出したら、逆に彼らの命が危なそうな気がする。
女性陣に迫りくる欲望をむき出しにした悪漢。筋力と速度に物を言わせたアコニのベアクロー。宙を舞う悪漢のナニ…
そこまで想像して拓也は想像の中の悪漢に深く同情した。

「まぁ 彼女らの安否については近接格闘戦が最強に近いのが一匹いるから大丈夫でしょ」

拓也はそう答えるが、エドワルドはそういう事じゃないと否定する。

「いや、だから鎖につないでおいた方が良いんじゃないのか?
放って置いたら何しでかすか分からんぞ」

「あーね…」

心配すべきは身内が暴れるかどうかだった。
そんな心配を拓也らがしていると、入口の扉が勢いよく開いた音が宿に響いた。
何事かと拓也達が身構えると、入口の方から村長の声が聞こえる

「おーい みんな集まってくれ~」

宿屋に滞在する拓也達を集める声を聞いて、他の部屋に滞在していた社員たちもぞろぞろと部屋から出てくる。
酒場も兼ねている宿の入り口に集まると、そこに立っていたのは少々雨に濡れた村長と何かの包みを持ったわが社の女性陣。
村長は大体皆が集まった事を確認すると、皆に向かって高らかに宣言する。

「皆さん!昼間は孫を診察してくれてどうもありがとう。
そのお礼と言っては何だが、新たな出会いと治療のお礼に一杯やろうと思ってね。
余り量は無いが、この村の蜂蜜酒を持ってきたから一緒に飲もう。
大盤振る舞いは出来ないが、これは我々からのお礼の気持ちだ
肴はあまり用意できないが、まぁ気にせずに飲んでくれ」

そう村長が言うと、後ろに付いてきていたウチの女性陣が、持っていた包みから何本もボトルを取り出す。
その言葉に、酒場に居合わせた全員から歓声が上がった。

「飲み会なら我々も盛り上げさせてもらいますよ。
おい、何人かトラックへ行って焼酎やウィスキーやらを箱ごと持って来てくれ。
それと、何か摘むものを… まぁ 適当にドバっと持ってきたらいいよ」

村長の思いにこたえる様に、拓也も負けじと近くにいた亜人の社員を捕まえて物資を持ってくるように指示するが
その大盤振る舞いに心配になったヘルガが拓也に問いただした。

「社長、本当にいいんですか?
箱ごと飲んじゃったら手持ちの酒類が無くなっちゃいますよ」

「なに、もともと現地での交換・接待用として持ってきたんだ。
別に出し惜しみはしないよ。
それに、燃料的にもこの村の調査が終わったら、一度橋頭堡に戻って補給しなけりゃならないし
今頃、国後島じゃ酒やら何やらの補給物資を満載した酌船長が、出航準備をしている頃だよ」

「はぁ まぁ大丈夫なら何も言いませんよ」

「ハハハ。流石に元行商人は無駄遣いは気になるか?」

「う~ん。まぁ コレだけの食糧を無償で譲渡ってのは気が引けますね」

「そうか。だが心配無用。
調査隊用の支出は、全額必要経費として税務署が認めてくれるそうだから節税対策に役立つし
なにより、飲む・食う・女は接待の基本。
まぁ"女"に関しては、ウチの社員をそんな業務に就かせるわけにはいかないから今回は使わないけど、他は出し惜しみしないよ。
なぜならこの村は、他の調査隊との接触はまだなので、北海道としてじゃなく石津製作所として接して友好関係を築ければ
後々の大陸進出に大いに役立つかもしれないしな」

「はぁ そんなものですか」

「そんなもんだよ。
景気の良い時代は、肝臓壊すまで会社の為に連日接待する営業の人が多かったそうだ」

「お酒を飲むのも仕事ですか。営業さんって大変なんですねぇ」

そう言ってヘルガは未だ見ぬ職種を想像してその苦労を偲ぶ
行商人時代、打算で人に一杯奢る事はあったが、奢って飲むのが仕事と言うのは想像したことも無かったし
何より、大陸と北海道では税の仕組みが大きく違うため、節税と称して浪費した方が得などという考え方は思いもしなかった。

「そういやまだ言ってなかったけど、ヘルガは北海道に帰還後、札幌のビジネスセミナーで強化合宿だから。
大陸での営業担当として教育する予定だから覚悟しといてね」

「う…う~ん。また商人が出来るのは嬉しいですが、その話を聞いた後だとちょっと不安が…
それって、拒否は出来ないんですよね?」

「当然。既にセミナーも予約済みだ」

拓也はニコリと笑ってヘルガの肩を叩く
それに対して、ヘルガはぎこちない笑みを浮かべる事しかできなかった。









「ほう… それでこっちの世界に現れたばっかりのホッカイドウとやらから
学者先生を連れてやって来た訳か」

「そういうことですね」

村長と拓也はテーブルに座って酒を交わしている。
周りでは、ドンチャン飲めや歌えの大騒ぎになっているが、一応護衛期間中なので自制する様にと全社員に通達してあるので
主に飲んで大騒ぎしているのは村の連中であった。

「んで、あんたらはその用心棒をしていると…
失礼かもしれんが、その頭のあんたは余り腕が立ちそうに見えんが、大丈夫なのかい?」

村長が値踏みするように拓也を見る。

「いやぁ、そもそも自分は軍需企業…えーと武器工房の経営者です。
最近は傭兵業も始めたんで、最初の仕事は責任を持って監督しようと同行したわけなんですよ。
と言っても、戦いはからっきしですから、荒事の指揮は他の人間にとらせます。
自分のやることは会社の方針の決定ですね」

「なるほど…
最初の仕事はしっかり見届けようってのか。お前さん、若いのに中々しっかりしとるようだ。
商売がうまくいくよう祈っとるよ。
と、まぁ。そんなことより、あんたらから貰ったこれは良いな。
"でんしぽすたー"とかいったか?
こんな腐ったような酒場も、これのおかげで華やかになったよ」

拓也の説明を聞くのもほどほどに、村長は壁に貼られたA0サイズのポスターに視線を向ける。
そこには、露出の高いブラジル水着姿の美女が挑発的な笑みを浮かべていた。

「あぁ 今は水着の女の子の写真ですが、ネットワークに繋がったら定期的に絵柄が変わりますよ。
設定によっては、子供らの起きている昼間は読み書きの練習のために文字や算数の問題が表示されたり
夜はエロいポスターやらニュースの掲示板にすることだってできます」

「ほぉ なんだか良くは分からんが凄い魔導具だ。
さぞかし高かったんじゃないのか?それをこんな村に分けて大丈夫なのか?」

本来、魔導具は高級品である。
魔導具を作る魔術師たちが価格を高値で据え置いているという事情もあるが、何より絶対量が少ない。
おいそれと人に贈る様なものではなかった。

「まぁこれは政府が配ってこいと押し付けてきたものですからね。
それに魔法じゃなく科学の力です。
そもそも電子ペーパーなんて、2020年代に入ってから価格が暴落してゴミみたいに安いですよ。
コッチの世界に転移後も、構造が単純だもんで既に生産ラインも復旧してると新聞で読んだなぁ」

拓也が村長になんてことないと説明する。
その説明にはこちらの人間には分からない単語も多かったが、村長も拓也も酒が回ってきているのか
あまり気にしてはいないようだった。

「うむ、言っている事はよくはわからんが、ホッカイドウとやらではそんな扱いなのか…
だが、素晴らしい物には違いない。有難く貰っておくよ」

そういって、村長はコップに新たな一杯を注ぎ、一気に飲み干した。

「…ぷはぁ!そんな話よりもこっちの方が良く知りたい。
こんな酒、初めて飲んだよ!」

村長が今飲んだ酒のボトルを手に取りまじまじと見て言う。

「あぁ それは米から作った蒸留酒に紫蘇のエキスが入ってる奴ですね。
タンタカタンタンだったか、そんな名前の焼酎です。
まだまだあるんで遠慮なく飲んでください」

そういって拓也は村長のコップに焼酎を注ぐ。

「ホッカイドウは酒も変わってるんだな」

「いやぁ それは特別ですよ。
向うでも、その銘柄以外に紫蘇焼酎なんて見たことないですもん」

拓也はそう言って、テーブルの上に並べられた他の銘柄を見る。
十勝のワイン、余市のウィスキー、どれも品質は素晴らしいが至って普通の酒である。
まぁ 村長は焼酎自体が初めてだったので、それ自体に新鮮味を感じられたのかもしれない。

「しかし、こんな色々としてもらっても、我が村としては大したお礼も出来ないぞ?
先に言った通り最近の不作の影響で金もないし、特にこれと言った特産品も無い」

「別にお礼は良いですよ。
何度も言ったように半分は政府からの仕事で、もう半分は今後の仕事の為の挨拶回りみたいなもんですから
まぁ 対価といったら… あえていえば、今後とも良いお付き合いをお願いしたいのと、情報が欲しいですね」

「情報?」

村長が真面目な顔で尋ねる。

「そうです。例えばこの世界の地理、どこの国やら町の特産は何だとか、変わった物やら動物がいるやら色々です。
そう言うのを教えて頂けると、うちのお客さんが喜ぶんで」

「うーん、わしも余り村の外に関することは詳しくない。
それなら教会に行って神父様に聞いた方が良いかもしれんな」

「神父様?」

「そうだ。
今この場には来ていないが、村の西側… お前さんたちが来た方と反対方向だな。そこに村の教会がある。
明日の朝になったらそこを訪れてみると良い。神父様だけあって村一番の物知りだよ」

「そうですか、じゃぁ 明日、教授を連れて行ってみます」

「神父様には、村長の紹介と言っておけば良いはずだ。
…っと、それよりも。お前さんコップが空じゃないかい?」

そう言って村長は拓也のコップになみなみと焼酎を注ぐ。

「何にせよ。全ては明日になってからだ。
若いんだからこの位は余裕だろう?さぁ かんぱーい!」

乾杯の掛け声と共に拓也は村長と一緒にコップを煽る。
喉を焼くアルコール。
鼻腔を刺激する紫蘇の風味。
回りだす世界の中、アルコールというビックウェーブに拓也の意識は急速に飲まれていった。







う…ん…
体がだるい
頭がボーっとする。
拓也は目覚めるなり、体の不調に気付いた。
おかしい、昨日はチャンポンせずに飲んでいたはず… 普段ならここまで体調は悪化しない。
そんな事を考えながらも拓也は再度起きようと試みるが、意識がもうろうとするためにバランスを崩し、盛大な音と共にベッドから落下した。

「社長!大丈夫ですか?」

拓也の倒れる音を聞いて、いつもの三人組がなだれ込んできた。

「教授達やエドワルドさん達も軒並みダウンしているので、まさかと思えば社長もですか」

「教授達も?」

拓也は怪訝な表情で報告を聞く

「えぇ!私ら元々こっちの人間以外は皆起きて来ません。
昨晩一緒だった村人もピンピンしてます。
社長たちだけがダウンしてますよ」

おかしい…只の飲み過ぎであれば、彼女ら亜人達にも影響がありそうだが(事実、浴びる様にして飲んでいた物も数名いた)
ピンポイントで地球からきた人間だけが体調の不良に陥っている。
これは…何かの風土病だろうか?

「とりあえず、連絡を… あぁ!そういえばネットワークの設定がまだだったな…
指示を出すからネットワークの設定をやるぞ。
すまないけど、気球の下まで連れて行ってくれ」

「了解!」

そうして彼女らの肩を借りて宿の外に出てみるが、そこで拓也は息を飲んだ。
ドアの向こうは一面の白だった。
昨日の雨はすっかり止んでいるが、外はまるで牛乳のような濃密な霧。
視界は5mもあるだろうか。
目と鼻の先にあった村長の家も、霧に覆われてみる事が出来ない。

「なんだこりゃ」

「あぁ これは聖なる霧です」

「聖なる霧?」

「なんでも神様か精霊が、地上のあらゆる物に触れて調べるために作られたとか言い伝えはありますが
大体、一年に一度発生するんですよ。年によって時期はまちまちですが、大体10日くらい続きます」

「こんな霧が10日も!?」

「そうですよ」

さも当たり前のようにヘルガが言うが、拓也にとってこれは想定外だった。

「これじゃヘタに動けないな…
まぁいい。取りあえず建物伝いに気球の所まで行こう」

そういって気球の下にまでやってくると、基礎の部分にある設備のカバーを開け、ネットワークにつなぐ設定を開始する。
ハード的な工事は昨日終わらせた。あとは、ソフト面での設定だけのはずだったのだが…

「バッテリーが少なすぎるな」

コンソールを見てみると、濃密すぎる霧で太陽電池パネルは役に立たず、サブの風車も昨日から無風に近かったのか余り充電できてはいないようだった。
だが、何はともあれ調査隊に異常が発生したことを政府に報告しなければならない。
拓也は、他の亜人の社員も呼び、車から取り外したバッテリーで非常電源を確保して通信システムを起動してみるが
いくらやっても通信が成功しない。

「マニュアル通りに設定はしたよな… なにが悪いんだ?」

何度確認してもマニュアル通りに設置されている。
非常用に取り付けたバッテリーも正しく接続されている。
全く持って悪い個所が見つからない。
時間と共に朦朧とする意識の中、拓也は別の手を使うことにした。

「カノエ、BTRまで連れてってくれ、車載無線で軍に呼びかけてみる。
ヘルガはそのままアコニーと一緒に、教えたとおりにネットワークの設定を試してみてくれ。
何かあったらレシーバーで連絡する」

ネットワークに接続できない。
ならば、頼るのはこれしかない。
拓也はそう思って装甲車まで戻り、無線のスイッチを入れた。

『調査隊12より調査隊4。応答願う』

『ザー…』

『こちら調査隊12、調査隊4聞こえますか?』

『ザー…』

…おかしい
それから幾度も拓也は無線を送り続けるが、一向に返事がない。
この村に来る前、最後にネットワークで確認した時は、軍の第4調査隊がこの付近で活動していたはずだ。
かれらの活動予定範囲は十分に無線の範囲内のはずだ…
もしかしたら、彼等にも何かあったのだろうか
拓也は最悪の想像をしつつ、なおも無線を送り続ける。

『こちら調査隊12.誰か聞こえるか?』

『ザー…』

「何の反応も無いですね」

全く反応の無い無線をカノエも心配そうに見つめる。

「あぁ…一体どうなっているんだ?」

「ヘルガ達も同じですかね?」

「そうだな。一応聞いてみるか。」

そう言って拓也は持っているレシーバーを使い、ヘルガに状況を聞くことにした。

『ヘルガ。そっちはどうだ?ネットワークに接続できたか?』

『ザー…』

『ヘルガ!』

『ザー…』

「レシーバーも駄目だ」

いくら問いかけても応答がない。

「如何します?」

「とりあえず、一旦宿に戻ろう。
今後の対応を考える必要がある」

拓也はそう言って宿まで戻る為にカノエの肩を借りようとするが、足取りは先ほどよりも酷くなっている。

くそ!こんな時に限って通信がイカレて孤立するとか最悪だ!

拓也は不安を伝播させないよう誰にも聞かれないように心の中で叫ぶが、その表情は本人も気付かぬうちに険しいものになっていた。
その為、宿に戻ると拓也達を見つけた他の社員が心配そうにこちらを見て来るが、その表情を見るなり誰も話かけてはこない。

「カノエ、みんなを集めてくれ。話さなきゃならない事がある。
あぁ だが、起き上がれない人は無理に連れてこなくてもいい」

カノエは拓也を椅子に座らせると即座に駆け出した。
暫くすると、カノエに呼ばれた亜人の社員たちが集まってくるが、他の人間の姿は無い。
唯一、エドワルドがカノエに付き添われて現れたが、教授や他の人間は動けそうにないようだった。
拓也はエドワルドが着席し、他に現れる人が無さそうな事を確認すると。
皆に現状を説明しだした。

「……何度もやってみたが機械に故障らしい故障も無い上、無線を使う機器が軒並み駄目だ。
政府に応援を要請したいところだが、通信が出来ない以上どうする事も出来ない」

「原因はこの霧か…」

拓也の説明を聞いてエドワルドが呟く。
原因不明の体調不良、無線機器の障害、その全てはこの霧の発生から始まっていた。
何かしらの関係があるのだろう。

「普通の霧ならばすぐに晴れるんだろうが、厄介なことにこの霧は普通のモノじゃなく晴れるには時間が掛かるそうだ」

「ええ、この霧は毎年発生してまして晴れるのに10日前後かかりますよ」

拓也の言葉の後にカノエが補足する。
それを聞いて、エドワルドの眉間に皺が寄る。

「そうなると動けないな。こんな深い霧の中で移動するなんて危険すぎる。」

「なら村人を案内に立てて別働隊を出しては?
幸い、辺境伯領は昔の領主様が魔法で街道を整備したために、それなりの道が整備されてます。
案内板を辿れば、前に通った軍のキャンプあたりまで戻る事も可能ですよ」

エドワルドと拓也が苦虫を噛み潰した表情でどうした物かと思案していると
ヘルガが伝令を出したらどうかと進言するが、拓也はそれを却下する。

「駄目だな。俺たちが車の運転も出来ない状況じゃ、初心者ドライバーの君らだけになる。
そんな君らに視界ゼロのなかを運転とか自殺行為だ。
こんな霧の中で仮に事故でも起こしたら、助けに行くこともままならない。」

「それじゃぁ徒歩は?」

ヘルガは何とか自分たちに何か出来ないかと思案するが、今度はそれをエドワルドが否定する。

「最後の軍の中継キャンプから距離がありすぎる。
それにこの村の手前にあった橋は崩落してしまった上、昨日の雨で増水もしてるだろう。
ここは、霧が晴れるまで宿で安静にしているほかにないと思うんだが、どうだろう拓也」

「ああ、自分も同じ事を思っていたよ。
原因不明の病気も不安だが、動けない以上仕方ない。
霧が晴れるまで、現在地で待機となるが、自分もエドワルドもこんな状況だ。
可能な限りは自分が指示を出すが、自分もエドワルドも駄目なときは、ヘルガ。君が皆を統率しろ」

「え!?私ですか?」

いきなりの指名にヘルガが飛び上がる。

「ヘルガが頭で、カノエが補佐。
もし荒事になったらアコニーが指揮を取れ。みんな分かったか?」

「「了解」」

全員が戸惑いながらも返事を返すが、名前の出た三人は明らかに動揺していた。

「じゃぁ ヘルガ。部屋で寝込んでいる教授達に方針を伝えにいってくれ。
本来なら自分が伝えに行きたいんだが、もう無理だ。
瞼が重い…」

そう言うと拓也は、椅子からバランスを崩して倒れこむ。

「ちょっと!しゃ、社長!大丈夫です!?」

急に倒れた拓也を咄嗟にヘルガは抱えるが、拓也の体を揺すっても目を覚ます兆候は無い。
これは大変だとエドワルドの方も確認してみるが、どうやら向こうも同じような状況だった。
椅子に腰かけたままピクリとも動かない。

「社長ー!!」

ヘルガが叫ぶ。
だが、拓也から目に見える反応は返ってこない。
拓也はヘルガの叫びを聞きつつも、微かに掴んでいた意識の手綱を手放したのだった。





一方その頃、村から然程離れていない森の中では…

「おーい。ただいまー!」

いつぞやの盗賊の女の亜人が、捕まえた人質と奪った荷物を荷車に乗せて森の中にある天幕に向かって叫ぶ。
見れば、森の中とはいっても木を切り開いて広場が作られており、複数の天幕が並んでいた。
そして、彼らが広場に入ると一番大きい天幕から出てきた人影が彼らを出迎える。
ブチの入った茶色い尻尾に、イヌのような形の茶色い耳の亜人の女。
その特徴は盗賊のリーダーをしていた女と似ているが、こちらはそれよりも年を喰っているようだった。
彼女は帰ってきた一行に近づくと、リーダー格の女に話かける。

「首尾は?」

「上々だよ。かーちゃん。
特にイラクリなんて一人で用心棒野郎の首を掻っ切ってやったよ」

そう言って女は横に座る弟の頭を撫でる。

「おー あんたも仕事を覚えたかい。いい子だねぇ。
まぁ それはそれとして、タマリ。稼ぎを見せてもらうよ」

彼らの母親だという女は、ズカズカと乗り込んで荷台を見る。

「ん~ あまり値の張る物は無いね。
金になるっていったら、攫ってきた奴を人買いに売るくらいさね」

女は荷台を見渡した後、長い溜息を吐いた。

「え~。かーちゃん、それは無いよぅ。
わたしら頑張って奪ってきたんだよ?」

「頑張りってのは結果が無けりゃ無駄なんだよ」

「むぅ~…」

タマリは母親の言い草に口を突き出してむくれるが、一つある事を思い出した。

「そう言えば、かーちゃん。凄く珍しい物を持ってる奴らを見たよ」

「珍しい物?」

「見た事も無い魔法の荷車に乗って、これまた食べた事も無い菓子とか持ってたよ。
追いかける途中、霧が出たんでこっちに戻って来たけど、奴らこの先の村に行くって言ってたよ」

タマリは、これならどうだと胸を張って報告する。

「そうかい… 村か…
今は聖なる霧の時期だから、村人たちも大した警戒は出来ないだろうね。
それに私たちゃ人族と違って鼻と耳が効く…」

「かーちゃん、やろうよ。ね?」

タマリがニヤリと笑う。

「そうだね。襲うなら今だ。
とりあえず、あんたらは帰って来たばかりだから少し休みな。
たんと休んだ後は… 分かってるね?」

「そりゃもちろん!」

「そうと決まったら、荷解きは私らに任せて、お前たちは飯でも食って休みな。いいね?」

「おーう!」

そう言ってタマリとイラクリは、飯炊き場に向かおうと馬車を降りる。

「じゃぁ あたしは人質を牢にでも… ん? こりゃ、なかなか可愛い顔した子も混じってるね」

捕まえた人質を検分して牢へ移動させようとする女だが、その中の一人が彼女の目に留まった。
むさ苦しい商人の男などが荷台に転がる中、少年が一人、泣きそうな瞳で彼女を見上げている。
彼女はその顔を見て、じゅるりと舌を舐めた。

「あ!だめだよ、かーちゃん。それ、あたし用に捕まえたの!」

「五月蠅いよ!あんたは黙って飯食って寝ちまいな!
人質の検分はあたしの役目だよ。あんたの所には後で回してやるからそれで我慢しな!」

「え゛ぇ~」

タマリはそりゃないよと言いたげに不満感を露わにするが、それ以上の反抗は出来ない。
それがタマリとこの集団の長であるニノとの力関係の証左であった。

「良いからあんたはさっさと休みな。
次は小さいとは言え、村一つだよ。
それが上手くいけば、何でも好きな物を取っていいから、それで我慢しな」

「うむぅ~… はぁ~い…」

ニノはそう言ってタマリを納得させると、少年を連れて天幕へと消えていく。

「ねーちゃんも大変だね」

がっくりとうな垂れるタマリを見てイラクリが慰める。

「う~ん あんたは良い子だね。
はぁ… かーちゃんに取られたら絶対にあの奴隷壊されちゃうよ。
折角捕まえたのに…」

「よくわかんないけど、次の村を襲った時に、また捕まえればいいじゃん。
ねーちゃんなら奴隷も一杯捕まえられるよ」

そう言ってイラクリはタマリに子供らしい笑顔で笑う。
それを見て、タマリも励まされたようだ。

「そうだね!
人族の村なんて、あたしにかかれば只の餌場みたいなもんだよ。
おねーちゃん頑張るから、あんたも応援してね!」

「うん!」

そうして二人は飯炊き場に向かって歩いていく。
次なる獲物に備え、しばしの休息を取るために…



[29737] 魔法と盗賊編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:17
拓也は夢を見ていた。
長いまどろみから覚醒すると、かつて働いていた名古屋の会社にあった自分の机に、拓也は座っていた。
自分の格好を見てみれば、いつものブルーの作業着に安全靴を履いている。
PCのデスクトップに表示される日時は、去年の盆休み前。
拓也は明日から北海道に帰省する予定の為、手を付けたら面倒そうな仕事には手を付けず、
机の上の整理整頓をして定時待ちモードとなっていた。

「なんだ。全部夢だったのか」

そう言って拓也は溜息を吐く。
何とも不思議で長い夢だった気がする。
だが、拓也はある事を思い出しハッとして周りを見渡した。
幾ら盆休み直前とはいえ、就業時間中に居眠りをしている所を見つかれば何と言われるか分からない。
だが、幸いにも周りの人間でおかしな素振りを見せている者はいない。
居眠りしていたのはバレてはいないようだった。

「それにしても変な夢だったな」

拓也は小声で独り言を呟くとクスリと笑った。
北海道に帰省したら、異世界への転移に巻き込まれ、色んな人たちの助けを借りて起業。
それに国後島での銃撃戦や、異世界での調査隊派遣など荒唐無稽も良いところだ。
拓也は余りに現実離れした夢の内容を思いだし、「最近、マンガの読み過ぎかな~」等と思っていると、工場内に響き渡る様にチャイムが響く。
そのチャイムを聞いて時計を見れば、待ちに待った五時の定時になっていた。

「仕事終了~。さてと、盆休みだし家に帰るか」

どうせ他の会社も盆休み直前なんてロクに稼働していない。
入ってくる部品が無ければ、品質管理なんて居ても意味がないので、さっさと帰る事にしよう
そう思って拓也が自分のカバンを手に取り家に帰ろうとした時だった。

「石津くん。帰るのちょっと待って」

もうすっかり帰宅モードとなっている拓也に、背後から声がかかる。

「…本日の営業は終了しました。御用の方は盆明けにお願いします」

「そう言うなって。
今、加工屋から電話があって、鋳物部品の加工面に素材不良が見つかったそうだ。
んで、使用可否の指示が欲しいってさ」

ギギギ…と首を回して振り向くと、そこには製造課のリーダーが手招きをしている。

「今からですか?」

「そう、今から。
加工屋が言うには、今日判定を貰えれば盆明けの納入に間に合うそうだ。
生産スケジュールも遅れ気味だし、ちょっと頼むよ」

「もう帰る気満々だったのに… しょうがない、わかりましたよ」

諦め加減に承諾する。
するとリーダーの方も、逃がさずに捕まえられたとでも言いたげな笑顔で話を続けた。

「いやぁ すまないね、品管さん。じゃぁ、後はよろしく」

「ふむぅ… ちょっと待ってください。嫁に帰りが遅くなるって電話してからそっち行きます」

あともう少し早く帰っていれば逃げられたのにと思いながら拓也は電話を取る。
ダイヤル先はマンションで拓也の帰りを待つ嫁のエレナ。
幾ら仕事とはいえ、ウチのお嫁様は連絡なしに残業すると、せっかく作った晩飯が冷めると怒るため
残業の際、拓也は出来る限り彼女に電話していた。

プルルルル…… プルルルル…… ガチャ

『Aлло?』

何度かのコールの後に電話がつながり、電話越しに嫁の声が聞こえる

「あ、エレナ。拓也だけど」

『どうしたの?今、晩御飯の準備中であまり手が離せないんだけど』

「それなんだけどさ、今日ちょっと残業で遅くなりそうなんだ」

『え~。タケルもあなたの事待ってるのに、何とかならないの?』

電話越しからもわかる不満の声、時折電話の向こうから「パパは~?」と子供の声が聞こえるのがつらい所である。

「まぁ そんな訳だから、帰るのはちょっと遅くなるわ」

そう言って拓也は説明するが、返ってきた声のトーンはそれまでとはまるで違っていた。

『…え、帰る?あなた一体どこに帰るの?』

ビックリしたような、それでいてどこか冷めた声でエレナが言う。

「は?家に決まってるじゃん。そんなふざけてないで機嫌治してよ」

『いやだから一体どこに帰るの?帰る所なんて… もうないのに…』

一体、彼女は何を言っているのだろうか。
だが、嫁の声にふざけている素振りは無い。

「帰るっていったら、俺らのマンションしか無いだろ。一体何を…」

そこまで言って拓也は気付いた。
周りの風景がおかしい。
さっきまで沢山人が居たのに、人っ子一人いない所か物音すら聞こえない。
よく見れば、何時の間に工場の電気を落としたのか、事務室の外が真っ暗で何も見えない。

「ちょっと待ってて…」

そう言って拓也は受話器を机の上に置くと、事務所の扉を開け放つ。

「何だよこれ…」

拓也は絶句した。
そこには何もなかった。
先ほどまで工場の敷地が広がっていた所は、真っ暗の、漆黒の無が広がっているだけだった。
その光景に呆然としていると、机に置いた受話器からエレナの声が聞こえる。

『帰る所なんてもうないの。 それに私たち…  …もう人間じゃないでしょ?』

受話器から聞こえる不吉な言葉。
拓也は恐ろしくなって電話を切ろうと受話器を持ち、手が止まった。
そこには先ほどまで普通の手だった自分の手が、筋肉質で異質なナニモノかに変わっている。

「うわぁ!」

拓也は電話を投げ捨て、体の他の部位も確認する。
見れば手足の長さも変わり、その爪はまるで魔女の様に長く鋭くなっている。
顔は?顔はどうなった?
拓也は自分の顔をまさぐるが、触感だけではどうにもよくわからない。
拓也は鏡は無いかとあたりを見渡し、そして見てしまった。
事務所の壁にかかる身嗜みをチェックする為の鏡、そしてそこに写る… 変わり果てた自分を…





「うわぁぁああぁぁあああぁぁぁ!!!!!」

叫び声と共に拓也は飛び起きた。
荒れる息を何とか沈め、ビクビクしながら辺りを見渡す。
かなりシッカリした石造りの壁に天井。

「ここは… どこだ?」

先ほどまでのリアルな夢?のせいで何処から何処までが現実なのか分からない。
とりあえず自分の現状を確かめようと視線を自分の体に戻した瞬間、バーンという音と共に勢いよく扉が開け放たれた。

「社長!気が付きましたか~?」

余りに勢いよく扉を開けたため、あたりに土埃が舞い上がる中
アコニーが心配そうに拓也に駆け寄ってくる。

「あぁ アコニーか…」

「『あぁ アコニーか』じゃ無いよ。
社長達ったら急に倒れたら全然目を覚まさないし。もう3日目ですよ?めちゃくちゃ心配したよ」

そう言ってアコニーは、拓也の手を握って安堵の溜息を吐く

「3日…そんなに寝てたのか。 それに、ここは一体?…」

急な覚醒の為、まだハッキリとしない頭で拓也が聞く

「ここは、村の教会ですわ。
急に社長達がバタバタと倒れたのを見て、村長と村の神父様が流行病だといけないので病人はココに隔離しておくようにと
教会の一部を貸してくださったの。それと、お目覚めは社長が一番最後です。他の方は一応お目覚めになられました」

「カノエ…」

見れば、アコニーに続いて他の面々が部屋へと入ってくる。
どうやら他のメンツも大事には至ってないようだ。
拓也は安心したのか自分の顔を撫でる。


もさり…

妙な感触が掌に広がる。

もさもさ…

更に触ったり、引っ張ってみる。
それは自分の顎から10数センチの長さまで伸びている。

「あぁ 社長。それとですね。
寝ている間に髭が物凄い事になってますよ。まるで私の同族の男みたいに」

ヘルガそう言って鏡を拓也の方に向けると、そこにはイスラム戦士ばりの髭を生やした男が写っていた。

「なんだぁこりゃぁ?!」

拓也は驚愕の声を上げる。
寝ていたのはたった3日である。
無精髭が生えることはあっても、こんなもさもさの髭が生えるなんてことはあり得ない。

「エドワルドさんも教授も男の方はみんな同じ状況です。
まぁエドワルドさんはサッサと剃っちゃいましたが…」

拓也はヘルガの説明を聞きつつも、鏡を見ながら自分の髭を触る。
触感は普通。引っ張ると痛みもある。正真正銘、自分の髭であるようだった。

「うむむ… まぁ 髭は剃ればいいか… それにしても、一体どうなってんだ?」

そう言って再度自分の髭に手を伸ばす。

「それとですね… みなさんの耳も、私みたいに尖ってます。
なんというか、ハーフドワーフっぽくなっちゃってますよ」

そう言われて拓也は自分の耳に触る。
長さはさほど変わらないが、ヘルガの様に耳の上面が少々鋭角になっていた。

「おいおい… マジか…」

そう呟いて拓也は外に体に異常がないか探る。
よく見れば、若干体つきが筋肉質になっている気がするが、他に変わってる所は無さそうだった。
ヘルガ達に聞いてみても、他に目立つところは無いそうだ。

「一体、何が起こったんだ?全部あのフザケタ霧のせいか?」

思えば、霧の発生から無線機器の不調など厄介ごとが続いている。
何かしらの関係はありそうだが、今の拓也らに調べる術は無い。

「まぁ あの霧は昔から聖なる霧と言われてて、普通の霧じゃないのはたしかですわ。
それと、霧は今現在も辺りを覆ってます。晴れるのはまだ数日先ですね」

「くっ… だが、取りあえず全員の体調が回復したなら軍の中継キャンプまで…」

「戻るのは無理です。社長達の昏睡中、勝手ながら徒歩で来た道を引き返してみましたが
崩落した橋の所から先に進むのは無理でしたわ。
先日の雨で川が増水しているのと、上流でも雨が降っているのか水の引く気配がありません。
通信障害も続いてますし、しばらくはこの村に滞在するしかないと思いますね」

拓也の言葉を途中で遮る様にしてカノエが答える。
どうやら、拓也達が眠っている間に彼等なりに何とかしてみようとしていたようだ。
だがしかし、それでも拓也らが回復した以外については状況は改善していないようだった。
いや、確かに拓也らは回復したが、その身に起こった事も含めれば逆に面倒事は深刻化している気がする。
何か軍と連絡を取る方法は無いものか。
拓也が唸りながら思案を巡らせていると、部屋の入口に出来た人だかりをかき分けて見知らぬ人物が入ってきた。

「目が覚めたようですな。しかし、人族と聞いていたんだが、ドワーフだったとは…」

そう言って、部屋に入ってきた人物は眉を潜めて拓也の風貌を見る。
見た目はキリスト教の坊さんみたいな服を着た、ガッチリとした体格のハゲ。
その腕は、拓也の足と同じくらいありそうな太さまで鍛え上げられており、ヘビー級のボクサーといった感じがする。
拓也は、そんな恐ろしげな人物が自分に疑惑の色が混じった視線を向けているのを感じると、あたふたと慌てて答えた。

「いや、数日前は確かに普通の人間だったんです!霧が出てから色々あって、自分でも何が何やら…」

急に投げかけられた言葉に、拓也はそれは誤解であることを説明しようとするが
まだ何が起きたのか自分でも把握していないため、うまく説明することができない。
そうしてテンパる様が余計に挙動不審に見えるのだが、次の瞬間、その人物は噴き出して笑い始めた。

「はっはっは。すみません冗談ですよ。経緯は他の人から聞いています。
それと申し遅れましたが、私はこの村の教会で神父をしておりますサムソンと申します。
それにしても不思議ですね。最初は病気か何かと思いましたが、既に起き上った皆さんは健康そのもの…
そして全員が同じように亜人化している…」

「他の皆もですか?」

「ええ、ただ皆さん既に伸びた髭は剃ってしまわれたので、少し耳が尖っているかな位の感じです。
それにしても聖なる霧でこの様な反応があるとは、いろいろと興味深いですね。
神からの祝福か、それとも悪魔が変化を破られたのか…」

悪魔の言葉のところでサムソン神父はギロリと拓也を睨む。

「いや!自分たちは普通の人間ですって!確かに今はちょっとおかしいですが、本当に本当なんです!」

拓也は焦った。
宗教に目を付けられるなど厄介なこと極まりない。
この世界の宗教について詳しくは知らないが、もしスペイン宗教裁判ばりに「怪しい→死刑!」なんて事になったらたまらない。
だが、対してサムソン神父はそんな焦る拓也の様子を見て堪能したのか、すぐに表情を柔らかいものに戻す。

「ふふふ… そんな心配されなくても大丈夫ですよ。
仮に私が正統派の神父だったら、人から亜人に変化する奇病持ちは迷わず火炙りか追放を宣言しますが、幸運にも私は教会の中でも純粋派に属する神父でして
亜人や異教徒がどうこう言って差別するつもりはありません」

拓也はホッとした。
どうやらこの神父は現地宗教では穏健派?に属するようだった。

「そうですか。ありがとうございます。
それと神父様でも今回みたいな事はご存じないんですか?」

「聞いたことがありませんね。
まぁ ですが、この事はあまり言わないほうがいい。
正統派の神父に尋ねられた時は、ハーフドワーフだったと名乗るのがいいでしょう」

「え?正統派ってのは亜人を迫害してるんじゃないんですか?」

先ほどの話では正統派の神父であったら拓也らは火炙りに遭っていたと神父は言っていた。
拓也はそれが純粋に亜人が迫害対象になっているからと解釈したのだが、神父はハーフドワーフを名乗れという。

「確かに正統派は亜人を快く思っていない。
それには二つ理由があります。が…
そうですね。
君たちは、こちらの世界について何も知らないと聞いていますので、せっかくだから詳しく説明しましょう。
まず、亜人たちが嫌われている理由の一つですが、彼らは神に創られた身でありながら、神の聖戦に参加しなかったという事と。
二つ目は、亜人は精霊魔法を使うこと。
普通の魔術師は、教皇庁の管理する魔術学校で学び、神との契約の儀式をすることで魔術を行使することができる。
この契約に使う魔術装置は教皇庁が管理しているので、新たな魔術師の契約も破門も全て教皇庁が握っている。
そのため、どの国も教会に歯向うことができず、事実上人族世界は教会が支配しているのですが
亜人たちは契約せずとも好き勝手に精霊魔法が使えるので、これが教会にとって面白くない。
その上、彼らは教会の定めた教えに従おうとしないのが、教会から快く思われていない理由です。
そしてこれが、貴方達が人族から亜人に変化したと言わないほうがいい理由でもあります。
後で試してみないとわかりませんが、恐らく貴方は精霊魔法が使えるようになっているでしょう。
そして仮にこれが奇病の類で、人から人へと伝染するとしたら?」

「人々は魔術の契約が必要なくなって、教会の影響力が落ちる?」

「その通り。
実際の変化の理由は不明ですが、私が正統派ならその様な不安の種は小さなうちに潰すでしょう」

そこまでサムスン神父が断言すると、拓也は顔を青くした。
先ほどとは違い、神父も冗談を言っているように思えない。
もし、運悪く神父の所属宗派が違えば、彼の太い腕で拓也の頭と胴体は引きちぎられていたかもしれない。
だがここで疑問が出た。
教会の影響力が落ちれば、正統派だけではなく神父の所属するという純粋派も困るのではないだろうか?

「神父様… 仮にこれが伝染する病気で教会全体の影響力が落ちた場合、正統派だけじゃなく神父も困るんじゃないですか?」

「そうですね。確かに教皇庁の資金繰りとかは悪化するかもしれないが、これは正統派と僕たち純粋派の考え方の違いでしょう」

「考え方の違い?」

「正統派は、来たるべき次の聖戦は前回と同じくエルフのみと手を組んで、神から与えられた魔術を武器に戦い抜くという主張だ。
正しい軍団で、正しい力を使い、正々堂々と戦う事を信条としている。
特に今の教皇に正統派がついてからは、そういった主張がドンドン厳格になってきていますね。
諸侯や国同士の戦いの様子が教義に照らし合わせて正当か判断する観戦司祭なんてのを送り込む有様です。
そして次に我らの純粋派ですが…
正直なところ、我々には型にはまった主張はありません」

「主張がない?」

「ええ。
有るとすれば、そうですね…
聖戦に勝つためなら何でも有りというところです。
教会は神に従い聖戦を戦い抜くことがその教えの根幹。
そこで我々は、勝利のためならば何でも利用しどんな手段でも肯定するといった立場です。
例え亜人だろうが異教徒であろうが聖戦の際にはどんな手法を使おうと動員し、最終的な勝利を収めれば良いと考えます。
つまらない形式にこだわる暇があれば、己を磨く事に力を使いなさいという事です」

「それは、なんとも…」

好戦的な宗教だなぁと思いつつ、その言葉を拓也はグッと飲み込んだ。

「まぁ そういう事で、あまり突然変化した云々は言わないほうがいいでしょう。
時に、体の方はもうよろしいですか?」

そう聞かれて、拓也は自分の体を確認する。
寝ざめは最悪だったが、少し外見が変化している以外はおかしな所はない。

「あー そうですね。大丈夫だと思います」

「では、軽い食事の後、教会の前に来てください。
私は他の皆さんに、あなたがお目覚めになった事を伝えてまいります」

サムソン神父はそう言うと、スタスタと出口から出て行った。
引き留めることもなくそれを見送った拓也だが、一つの言葉が気になった。

「…教会の前で何があるんだ?」

拓也はベッドの横に立っているアコニー聞く。
質問された彼女はにこやかに笑うと、悪戯坊主のような笑顔で拓也に言った。

「魔法の練習ですよ」








教会で出された遅めの朝食を食べた拓也は、教会の前に来ていた。
既にそこには漆沢教授や荻沼さんをはじめ、エドワルド、セルゲイ、イワンのロシア人達も待機していた。

「これで全員集まったようですね。
では、さっそく始めましょうか。
と言っても、私は精霊魔法は使えないので亜人の方にお願いします」

サムソン神父はそう言うと、教会の前に置かれた椅子に腰掛け、代わりにヘルガが皆の前に出てくる。

「えー 皆さんがハーフドワーフっぽくなっているので、恐らくドワーフ系の精霊魔法が使えると思います。
そこで、この中で唯一のドワーフ族である私がメインとなってご教授させていただきます」

人に物を教えるのに慣れていないのか、カチコチになってヘルガが挨拶する。

「まず、はじめにドワーフの魔法を説明させて頂きますが、私たちの魔法は主に身体と物の強化です。
体の強化は、なんというか力持ちになります。こんな感じに…」

そう言ってヘルガが両手を見つめて集中すると、手に紫の炎のようなものが宿る。
そしてその手で足もとに置いてあった30cm四方くらいの岩を掴むと、軽々と頭上に持ち上げて見せた。

「魔法を使えば、私でも重い岩を軽々と持てます」

ヘルガはそう言って岩を頭上で上げ下げする。
その様子を見て、最初に質問を飛ばしたのは不思議そうに見ていた荻沼さんだった。

「魔法使いといったら詠唱とか要りそうだけど、それはいいの?」

「人間の魔術師は魔術を使う前にブツブツ言ってますけど、私らはそんなの無いですよ」

「手に魔法とやらが宿ってるようだが、足は大丈夫なのかね?その重量を支えるのはつらいと思うんだが」

ちっこい体で岩を持ち上げているアンバランスなヘルガを見て、教授も質問する。

「あー それも大丈夫です。理由は分からないですけど一応全身が強化されて、その中でも魔力が宿ったところが特に強化される感じですか?
子供のころからみんな普通に使ってたので、説明しようとすると難しいです。
まぁ モノは試し。一度皆さんやってみましょう」

そう言って、ヘルガが「はい皆さんどうぞ」とニッコリと笑う。
が… それに対する皆の答えは一つだった。

「「どうやって?」」

「え?」

ヘルガが固まる。

「だから、どうやって魔法を使うの?」

「いや、だから、ふんぬーって念じたら普通に魔力がこもりますよね?」

その「ふんぬー」がどうやってやればいいか分からない。

「とりあえず、腕に力を込めればいいのか?」

そう言って、エドワルドが腕の筋肉に力を入れるが… 当然何も起こらなかった。
それに続いて他の皆も思い思いにやってみるが誰も成功しない。

「…何かコツとか無いの?」

拓也が半ば諦めた声で聞く

「えぇ~ それは自分の手を動かすのに、どうやって動かすの?って聞いてるのと同じですよぅ
コツって言われても、無意識にできるから説明が難しいです」

ヘルガもこればかりはどう説明したらいいのか分からず、お手上げといった状態であった。
誰しもこりゃ駄目だなと思いだした頃、横から見ていた一人の猫がスッと動き出す。

「ふっふっふ… どきなさいヘルガさん。ここはアタシの出番だよ」

そう言って、皆の前に出てきたのは不敵な笑みを浮かべるアコニーであった。

「魔法に関しては、子供の頃、魔力の集中が中々上達しないアタシに、ジイちゃんが教えてくれたコツってのがあります」

「本当か!?」

皆の注目が集まり、アコニーは大きく胸を張る。

「ふっふん。仕方ないですね。じゃぁ特別にアコニー先生が教えてあげますよ。
…では皆さん、お腹に意識を集中してください」

「意識を集中?」

また出てきた抽象的な表現にエドワルドは眉を顰める。

「そうです。具体的にはトイレで用を足す感じです」

「大きいほうかね?」

「そっちです!」

……なんというか、先ほどよりは表現が分かりやすいが、例えが汚い。
教授も普通に対応しているが、もっと他に例えがなかったのであろうかと拓也は思う。

「んで、皆さん。お尻に力を入れたら、力を入れたまま意識だけツゥーっと腕まで移動させて」

また訳の分らない事を言い始めたが、これ以上疑っても仕方ないと拓也は諦め
肛門から腕へと意識が移動するようにイメージする。

「…出来た」

イメージの結果、拓也たちの腕にはヘルガと同じ紫色の炎が宿っている。

「おー 皆さん、その調子です。
試しにこれを持ってください」

そう言われて拓也たちは、ヘルガが渡してきた岩を順番に回すが、全員が岩をもった瞬間に驚きの表情を浮かべた。

「これは… 凄い」

見た目で100kg以上ありそうな岩だが、まるで軽石のように軽い。

「これが、ドワーフの魔法である身体強化です。凄いでしょう」

鼻高々に自慢するヘルガ。
先ほどまで緊張して硬くなっていたのが、いまでは「ふふん」とドヤ顔を決めている。

「確かに凄いが、これは種族が違えば使える魔法も違うのかね?」

「そうですね。例えばそこのアコニーみたいな猫人族は、加速の魔法が使えます」

「加速?」

「そうです、主に脚力が強化されて風より早く動くとか」

「あぁ それなら見たことあるな」

ヘルガの説明にエドワルドはポンと手を打つ。

「前に国後で基礎体力の特訓中に、妙な技を使ってたな。
走り込みの特訓中にコイツだけ妙に涼しい顔してると思ったら、妙な技でインチキしてやがった。
鉄拳ではり倒そうと思ったらトンデモナイ速さで逃げるんで、
思わずゴム弾を撃ち込んで悶絶させた後、走り込み100km追加の制裁を加えた覚えがある」

エドワルドの回想に皆の視線がアコニーに集まるが、当の本人は「へへっ」と笑ってごまかしている。

「アコニー… あんたは…
まぁ それはそれとして、今言ったように種族によって使える魔法も異なりますが
我々ドワーフ族は肉体強化の他に物体強化の魔法があります」

ヘルガはそう説明すると、足もとに落ちていた小さな木の枝を手に取り、ぐっと魔力を込める。

「では皆さん。この枝を折ってみてください」

ヘルガは、先ほど魔力を込めた太さ5mmほどの木の枝を教授に渡す。
こんなもの簡単に折れる。
普通ならそう思える木の枝も、ヘルガが魔力を込めたことにより、まるで鉄の棒のようであった。
教授から順番に枝を渡すが、ちょっとやそっとの力ではビクともしない。
一番力のあったイワンが本気で曲げ、やっと折ることが出来るという有様であった。

「皆さんに体験していただいたように、こんなに細い木の枝も魔力を込めることで、大の大人が本気にならないと折れないくらい強いものになります。
以上がドワーフ族が使う魔法ですが、それとは別に精霊の加護ってのもあります」

「精霊の加護?」

「はい、意識して使わなくても無意識に働いている魔法ですね。
ドワーフ族の場合は、人族が入り込めないような空気の悪い所や高温多湿の場所でも活動できる耐性があります。
魔力が切れると人族と同じようにヘバっちゃうんですが、それでもこの加護と魔法のお陰でドワーフ族は他の部族には真似できないほど深く鉱山を掘り、その資源と強化の魔法で優れた道具の数々を作ることができました。
そういった意味で、ドワーフの魔法はとっても実用性の高い魔法だと言われてます」

「ほう、それは凄いな。
それだけの力が有れば、世界の覇権も取れそうな気がするが…
それでも人族の魔法には勝てないと?」

「悔しながら教授の言うとおりです。
でも、人族の一番の強みは魔術ではなくその人数の多さですね。
個別の魔法では私たちの方が強力でしたが、魔術師が組織だって侵攻してきたら、私たちは逃げるしかありません。
それに一般の兵でも人間は組織で動くんで、魔法を使う私たちでも対抗できませんでした。
あと、人族の使うのは魔法ではなく魔術と言われて区別されているんですが
そこは神父様に説明してもらうのが良いと思います」

ヘルガがそう言ってサムソン神父の方を見ると、やっと自分の出番かと言いたげに腰を上げる。

「さて、色々と精霊魔法について説明を聞いたと思いますが、これからは人族の使う魔術の話です。
先ほどの話でもあったように、人族は精霊魔法は使えません。
ですが、教会の管理する契約の儀式で魔術を使う事が可能となります。
これは亜人達が先天的に体得している魔法と違い、きちんとした理論の元構築されている技術の為、亜人の魔法と区別して"魔術"と呼ばれます。
亜人達は種族によって使える魔法の属性は異なりますが、魔術では習得さえすればあらゆる属性の魔術が行使可能です。
勿論、人によって得手不得手が有る為、習得できる属性に偏りもありますが、それでも全属性を使えるという事は
亜人との衝突があった場合、的確に相手の不利な属性を駆使することで優位に立てます。
ここら辺は、神様の言葉にもある"効率的な軍団を組織せよ"の言葉を忠実に守る人族が、負けるはずが無いのは当たり前ですね。
本当ならここで魔術の素晴らしさを見せてあげたいのですが、生憎この村には魔術師は常駐しておりません。
詳しい話を聞きたければ、各国に設置されている魔術学校に行ってみるのが良いでしょう。
正統派が実権を握るネウレコス教皇領は無理ですが、純粋派が強いゴートルムとお隣のセウレコスでは亜人でも行けるはずです」

「神父様は魔術は使えないんですか?」

拓也はサムソン神父に聞く。
ここまで魔術にズッポリはまった宗教なら、その神父も使えても良いはずでは?と拓也は思った。

「私には残念ながら才能が有りませんでしたので、魔術師を志すのは諦めました」

ハハハ…とサムスン神父は乾いた笑いをする。

「でも、魔術を使えなくても神の僕として聖戦に備えることは出来ます。
筋肉を鍛えるのに魔術師としての才能は要りませんからね。
民に神の言葉を正しく伝え、鍛え抜かれた腕力で悪魔を粉砕し、才能のあるものには推薦状を書いて魔術学校に送る。
むしろ、魔術師にならず神父になった方が神の役に立てるのではないかと最近は考えてますよ」

そう言って神父は腕を巻くり、鍛え抜かれた上腕二頭筋を皆に誇らしげに見せる。
満面の笑みの神父とは対照的に、マッスルなハゲのポージングに周囲は少々引いていたが…
その中でも一番早くポージングの呪縛が解けた荻沼さんが、神父に質問する。

「あっ、でも魔術を習うのには推薦状が必要なんですか?」

荻沼さんの質問に神父はポージングを解いて説明した。

「えぇ、教会の管理下にある村から、"コレは!"と光る人材が出た場合、教会の推薦状により魔法学校への入学が許されます。
これは身分の貴賤に関係なく、しかも原則的に種族の違いも関係ないため、皆さんも改宗すれば精霊魔法と魔術の両方を使えるかもしれませんよ?
どうです?信仰やってみませんか?」

神父が明るく勧誘する。
だがしかし、そこは色々な宗教・カルトが犇めく現代日本で育った拓也達にとっては、明らかに怪しげな誘いである事は明白だった。
拓也自身、北海道転移前に会社の先輩から人生相談と銘打った勧誘活動に巻き込まれた事は何度かある。
今回も、それと実によく似た"匂い"を感じた。
拓也は神父を刺激しないようにヤンワリと断ろうとするが、それより早くヘルガが神父との間に割って入る。

「社長、駄目ですよ。
教会に入ると十分の一税を取られる上、無償で奉仕活動に駆り出されます。
人族以外の種族が、教会の庇護下に入らないのもここが理由です。
最初から精霊魔法が使えるのに、入れるかどうかわからない魔法学校の為に税を納めたり、労働するなんてもったいないですよ」

そう言ってヘルガはキッと神父を睨むが、神父も慣れたものでひょうひょうとしている。

「ははは。別に今すぐに決めろと言ってる訳ではないので良いですよ。
しかし覚えておいてください。我々純粋派は、正統派と違って亜人だからと言って門を閉ざしたりしません。
来るべき聖戦の為なら、いかなる種族とも手を結びますよ。

…と、私からの話は以上となります。
後は、皆さんで魔法の練習をするなり自由になさったら良いでしょう。
でも、気を付けてくださいね。
霧が晴れるまでまだ数日かかりますので、迷子になったり、勢い余って村の物を壊さないようにしてくださいね」

そう言い残して神父は教会に戻っていった。
あとに残されたのは、調査隊の面々のみ。

「…えーと、そうですね。
神父もここで練習してよいと言ってましたし、後は先ほど教えた事をもう一度やってみましょうか」

その場に残されたヘルガは、仕切り直して皆の練習を再開する。
魔力を溜め、集中し、自分の体を強化したり、物の強化を実践する。
それは彼らが自然と行えるようになるまで、何度も何度も続くのであった。










一方、拓也達が魔力の練習に明け暮れる頃。
拓也達の滞在するメリダ村の数キロ先に、霧に溶け込むように何本もの黒煙が上がっていた。
燃える家々、路上に転々と転がる斬り殺された死体。
その集落は今まさに略奪を受けていた。
霧の中に悲鳴が響き、何が起きているのか分からない村人の家に、村の中心から各家々に伸びた道を伝って武装した一団が襲い掛かっている。
村人は武器を取るが、応戦しようにも霧の為に敵の位置が分からず、逆に襲う側は道沿いに一軒一軒襲撃し抵抗する村人を各個になぶり殺しにしていく。
街道沿いに全速力で逃げる村人が居たようだが、霧の中に街道を走る蹄の音が聞こえると濃霧の中に悲鳴が響き渡って、それっきり街道周辺は静かになる。
そんな村の様子を一人の男は聞いていた。

男は狩人だった。
霧の為に普通に弓を使った狩りは出来ないが、仕掛けた罠に獲物がかかっていないか確認する為に家の近くの森まで来ていた。
例え霧が有ろうとも勝手知ったる自分の狩場、地形を頼りに森の中を歩き回るのは彼にとって朝飯前だった。
そんな彼が罠の確認を終え、今日は一匹もかからなかったと肩を落として村に戻ろうと森の村との境界線に差し掛かった時
霧の向こうから聞こえる惨劇を聞いた。
男は動けなかった。
ガチガチと歯の根が音を立て、小刻みな震えが止まらない。
村の方向から聞こえる老若男女の断末魔ともいえる悲鳴。
略奪を楽しむ高らかな笑い。
金属がぶつかる戦いの音。
暫くして、戦いの音が無くなり、代わりに女の悲鳴だけが辺りに木霊する様になった段階で、男はやっと我に返った。

村が襲われている。
だが、既に勝敗は決したのであろう…
今は凌辱される女の泣き叫ぶ声しか聞こえない。
しかも、その泣き声の中に、男の妹の声が聞こえた気がした。

「たっ… 助けを呼ばねぇと…」

男は小さな声でそう呟くと、再び森の中に向かって走る。
森を通れば、近くの村まで最短距離で走っていける。

「待っててくれよ。必ず助けてやるでよ」

凌辱を受けていても、まだ命はある。
男は、霧の向こうで聞こえた自分の妹の無事を祈り、木々の隙間を縫うように霧の中へと消えていくのだった。



[29737] 魔法と盗賊編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/12/08 01:24
メリダ村 酒場

ヘルガに魔法の手ほどきを受け、日もとっぷり暮れるまで練習に打ち込んだ拓也達は
宿の一階にある酒場にて食卓を囲んでいた。
テーブルの上には芋とカボチャがメインの料理が並ぶ、普段ならばもっと色々な種類の食材があるそうなのだが
麦が不作な上、他の地域で豊作だった芋の市場価格の下落が激しい為、領主に税としての麦を納めて、必需品を得る為に換金作物として麦を売ったら
村には芋とカボチャしか残らなかったらしい。
これが暗黒時代のヨーロッパだったら麦の不作は飢饉を引き起こしそうだが、さすがは異世界。
地球みたいに大航海時代を経て南米から導入しなくてもジャガイモ?やカボチャが栽培されている為、貧乏になっても命にかかわるほど飢饉にならないそうだ。
運悪く麦系の食べ物は無いものの、今日は豚を一頭捌いたのと干したタラ?を料理してもらったお陰で調査隊の面々のテーブルは豪華に見える。
普通の村民にとっては何かのお祝いかと思えるような食事だが、拓也達は遠慮なくそれらを注文する。
物資の市場価値の違いにより、砂糖1kgで豚一頭と交換できたのと、北海道で現在敷かれている物資統制のせいで肉類を大量に手に入れるのが容易ではないという理由により
こと食事に関して、金に糸目はつけなかった。
まぁ 調査の期限が近づいているので、持って帰っても仕方の無い換金物資は使ってしまおうという思惑だったのだが……

「この煮豚、このタレと合わせると美味いなぁ」

「ガルムです、社長。こっちの一般的な調味料で魚を醗酵させて作るんですよ」

拓也はヘルガの説明を聞きつつ、切り分けた煮豚を口に運ぶ
魚醤特有の匂いと風味が口の中に広がり、ただ煮ただけの豚も美味しく感じるようになる。

「いやぁ 食べ物に関してはケチらんで良かった。さすがに芋とカボチャだけの飯はキツイわ。
昼にカボチャの煮物だけの食事を見たとき"ギギギ……あんちゃん、白い飯がくいたいのう"とか呟やいちゃったもん」

「それが何のネタかは分かりませんが、こっちじゃ割りと普通ですよ。
特に都市部の貧民層は、大抵が芋かカボチャの毎日です」

「それは悲惨だなぁ」

「まぁ 稼げないのが悪いんです。世の中、楽して美味しいものが食べれるほど甘くありません」

ヘルガは鼻息を荒くして力説する。
貧乏なのは、頭か体の使い方が足りないからだと……
実際のところは、過去数十年に渡る教会の新農法の普及活動が、食糧生産の急激な増大と食料価格の低下を引き起こし、餓死者・子供の間引きの減少を減少させたのと
急激に増大する人口に対し、その勢いに追いつかない労働力のニーズが、雇用の需給バランスを崩してい等の要因があるのだが
そういったマクロな経済についてヘルガは知る由も無かった。

「なかなか厳しいなぁ。
まぁそれはそれとして、魔法の練習についてだけど、意外に難しいな。
なんというか、かなり気張らないと魔力の集中ができない」

「あはは。
当たり前ですよ社長。最初は誰でもそんなもんですよ。
私とかは子供のころから練習してたから自在に使えるんです。
むしろ、いきなり自然に使いこなせたら逆に驚きます」

「なかなか魔法をマスターする道は険しいなぁ」

「まぁ 国後に戻ったら皆で一緒に練習しましょう。
私でよければ何時でも講師をさせてもらいます」

「あぁ それは良いね。
だけど、この霧が晴れない限りは帰りようも無い。
本当に、この霧はあと5日くらいも続くのか?」

「平均して10日くらいです。早い時は5日くらいで終わる時もありますし
遅い時は半月も続くことだってあります。
まぁ 気長に待つしかないですね」

「そういうものか……」

そう言って、拓也がヘルガの説明に納得したときだった。
ドカンと木製のドアを叩きつけるような音と共に、ドサリと人影が宿の中に倒れこむ。
急な乱入者に、その場の全員の視線が入口に集まった。

「たっ……助けてくれ!」

突然の乱入者は、息を切らしながらに叫ぶ。
よほど疲れているのか肩で息をしつつ、駆け込んできた男はその場にへたり込んでしまった。

「一体どうした?」

蜂蜜酒の入ったコップを片手に持ったエドワルドが、男に近づいて覗き込むように声をかける。

「むっ村が!ややや奴らに!助けてくれ!」

男は近づいたエドワルドの服を掴むと動転しながら縋りついた。
何やら言いたい事が多々あるようだが、それをうまく整理できないくらい慌てているのは見ただけで分かった。

「まぁ 酒でも飲んで落ち着け。
……で、何があった?」

男はエドワルドから蜂蜜酒の入ったコップを受け取ると、一口飲んでやっと落ち着いたのかようやく普通に話すことが出来た。

「あぁ 村が襲われたんだ。
霧のせいで詳しくは分からなかったが、女たちはまだ生きてる!
頼む!どうか助けてくれ!」

縋りつかれるエドワルドもどうした物かと拓也に視線を送るが、急な事なので拓也も返事のしようが無かった。

「まぁ 災難だったな。でも、俺たちもこの村の人間じゃないから
取りあえずこの村の村長に相談してみてくれ」

そう言ってエドワルドは男の肩をポンと叩くが、男の方も必死なのかなおもエドワルドに纏わりついた

「そんな…… じゃ、じゃぁ 村長さんは何処にいるんだ!?案内してくれよ!」

「まぁ まて、落ち着け、ちゃんと教えてやるから。村長の家はこの隣の……」

「わしならココにいるぞ」

エドワルドが教え終るより早く、男の後ろから声がかかる。
見れば開いたままのドアの向こうに、騒ぎを聞きつけたのか村長が立っていた。

「どれ、一体何があったのか話てもらおうか」


………………


「なるほど、隣村が襲われたと……」

村長は男の話を聞き、ゆっくり噛みしめる様に呟いた。

「今ならまだ間に合う。どうか救援をお願いできませんでしょうか」

男は膝を折って村長の足に縋る。
その表情は、もう後が無い為か、今にも泣き出しそうな顔だった。

「じゃがなぁ。わしらは普通の農民じゃし、守りに入るならまだしも
打って出るには不安がある。
聞けば、蹄の音が聞こえたそうだから、相手には騎馬もいるだろう。
そんな相手にわしらが攻めても勝てるとは思えん。
領主様にお願いした方が確実じゃないか?」

「そんな!お願いです!お礼は村をあげて致します。
どうか助けてください。プラナスまで走ったのでは妹たちはどうなるか分かりません。
お願いです!」

「うーん…… そう言われても、わしらにもにも守るものが有るでなぁ。
そう簡単に首を縦には振れんよ」

「……そんな」

男は村長の言葉に両手を地面につけてがっくりと項垂れる。

「だが、今ちょうど村に学者様とその用心棒の一行が来ているんだが、そちらに頼んでみてはどうかね?」

そう言って村長が拓也の方に視線を向けると、拓也は慌てて飲んでいたワインをテーブルに置き
左右に手をぶんぶんと振る。

「え?! 駄目ですよ。こっちには教授らを守る契約がありますもん。
そっちをほっぽって危険な真似は出来ません!」

男は最後のチャンスとばかりに拓也の下へと駆け寄る

「そんな事を言わずにお願いします。お礼は弾みます!」

男は拓也の手を握り間近に迫る。

「駄目。無理。他をあたってください」

拓也は、視線を合わせないようにオーバーアクションに首を左右に振り
全力で拒否の姿勢を見せた。

「お願いしますお願いしますお願いします……」

「駄目だって言ってんのに、聞き分けがねぇなぁ……」

半ば呆れながら拓也が男を振りほどこうとしていると、背後から伸びた手が卓也の肩をたたいた。
振り向けば、いつの間にやら騒ぎを聞きつけて二階の自室から降りてきた教授が後ろに立っている。

「まぁ いいじゃないか石津君」

「教授?」

「部屋で報告書でも書こうかと思ったら、下の騒ぎが聞こえてきてね。
途中からだが話は大体聞かせてもらったよ。
そこで…… どうだね石津君。彼も家族を守ろうと必死なんだよ。
それに、まだ人質を救出するには間に合うんじゃないか?」

「でも、仮に救援に行ったとして教授たちの安全は誰が確保するんです?
いっちゃぁ何ですが、彼らに対し、救いの手を差しのべる義理も何も我々にはありません」

むふぅと鼻息を荒くして拓也は語るが、それでも教授は諦めた様子は見せない。

「我々はココに残り君たちの帰りを待つよ
それに、村へと繋がる道は1本、西へ行く道とこの村へ繋がる東へ行く道しかない
西の村を食い潰した後、奴らの向かう先は一つじゃないかい?
それにね。子供時代に東シナ紛争とかを見て育った君らと違って、戦後の平和教育の中で情緒形成された私にとっては
例え自分たちの利益は度外視にしても困っている人々には手を差し伸べたいんだ」

「それが私たちに危険を強要する事だとわかっていても?」

拓也は教授の言葉に皮肉で返す。

「それは……」

教授も拓也の言葉に言葉が詰まる。
双方共に頭では分っているのだ。
自分に縋って来る弱者を放置するのは気分が悪い。
だからといって救いの手を差し伸べるのには相応の覚悟がいる
ノーリスクでリターンなどありえない。
2010年代の少年時代に東シナ紛争などのキナ臭い匂いを間近で嗅いで育った拓也と
戦争など所詮どこか他の世界のことと感じて育った教授の間には、普段は意識しないほど目立たないが、根は深い精神発達の違いが存在した。
その違いは今、見詰め合う両者の間にはっきりと横たわっている。
そこを何とかと訴える男と教授の目
それを正面から拓也は受け止め、一瞬とも永遠ともつかない緊張が走ったが、拓也が折れることでその緊張も収束する。

「はぁ…… 分りましたよ。
あまり顧客要求を拒否するのも何ですしね」

「それじゃ!」

その言葉を聞いて男の顔に希望の光がともる。
が、拓也は男が何かを言い終えるより先に、男に右手を差し出して制止する。

「救出を約束するものじゃありません。
敵の規模も知らずに、そんな約束なんてできませんよ。
まず、敵の状況を把握し、しかる後に対応を決めます。
数が多いようだったら我々の手に余るかもしれませんから」

「あぁ それでかまわない。何もせずに見捨てるよりは余程マシだよ」

「ですが、教授たちの安全も考え、調査隊の非戦闘員と護衛2名は村で待機してもらいます。
教授らは何があっても我々が戻るまでは村から出ないでください。いいですね?」

「あぁ 分った」

そういって拓也は教授の了解をとると、くるりと踵を返してエドワルドに向かい直る。

「と、いう事だけど。まぁ 良いよね?」

拓也は軽くエドワルドにそういうが、対するエドワルドは腕を組んで口をへの字に曲げていた

「要らぬ戦闘に部下を巻き込まれたこっちは堪ったもんじゃないんだが
まぁ、お前がそう決めたのなら仕方ない。
俺たちは与えられたミッションで最大限の成果を出すだけだ。
それと、手持ちの中で使える装備と言えば、霧の中でもある程度有効な遠赤外線方式の暗視装置が、BTRに付けた車載のが一つと個人用が三つある。
コレさえ有れば、敵に姿を晒すことなく様子を伺えるからリスクは意外に少なくなるかもしれないな」

「じゃぁ部隊編成は一任するよ」

「まかせとけ」

そういって、エドワルドは胸を叩く
こと戦闘に関してはプロフェッショナルに任せるのが一番だ。
拓也は使用機材や人選などは全てエドワルドに一任することにした

「さぁ これで文句ないですかね?教授」

「……すまないな。ありがとう」

拓也が教授に再び振り向いて言うと、教授は実にすまなさそうに礼を言い
その足元では生き残りの男が涙を流しながら二人に感謝している

「ありがとうございますありがとうございます……」

泣きながら鼻声になりつつも繰り返し繰り返し礼をいう男に拓也はそっと手を差し伸べる

「礼なら教授に言ってよ。自分は教授がいなかったら普通に見捨てたし」

「え、でも……」

「それに別になぁなぁで引き受ける訳じゃありません。
教授、後でこの件の追加見積もりと、部隊を分けたときに何かあった場合、それは保障対象外とする特約事項を契約書に盛り込みたいのですがいいですか?
こういう事は、何かあった場合に言った言わないの話になると面倒なので、キッチリ文書に残しましょうね」

「…………」

そう笑顔で言うと、どこからか取り出した紙とペンに一連のやりとりを議事録として作成しだした拓也に
教授は引きつった笑みを浮かべるしかなかったのだった。





未だ夜明けの訪れぬ村の中心で、真っ白なライトの光が霧越しに一帯を明るく照らす。
霧のために視界が利かないが、それでも闇夜の中に浮かび上がる白い光源はどこか神秘的なものであった。

「おい、これも積んでくれ」

「はいよ」

明るく照らされた光源の下、二両の車両のエンジン音が響き渡る
その中の一台、無骨な鋼鉄の車体にトラックから降ろした武器のうち、厳選されたものが積み込まれていく

「おい、今積み込んだドラグノフとAKに暗視スコープを付けとけ。付け方は分るな?」

「Rog」

エドワルドの言葉に兎人のラッツが返事をする。
彼は今回のミッションでエドワルドからキーパーソンと見られていた。
視界が制限された状況で、仮に機械の力を借りてもその視界は限られている。
そんな中、エドワルドが目を付けたのはラッツの聴力だった。
まるで潜水艦のソナーのように、敵の居場所を割り出す彼の耳は今回の状況にうってつけだった。
だが、周囲の期待をよそに彼の表情は硬い。
今まででエドワルドによる地獄の訓練をかいくぐってきた彼だが、実戦は今回が初めてだった。
聞けば、何より戦いそのものが始めてらしい。
それもそのはず、彼の部族の魔法は聴力の向上による空間把握。
あまり戦闘向きではないため、難民として北海道に来る前は、戦いの雰囲気を感じたら相手の位置を正確に感じ取れるのを利用して逃げの一手だったらしい。
まぁ そんなか弱いウサギさんだった彼も、エドワルドの地獄の訓練を潜り抜けた後は、敵の腸を喰い千切らん勢いの獣になってしまったのだが……

「おい、拓也。お前もついて行くんならこれでも着てろ」

そう言ってエドワルドが拓也に向かって黒い物体を放り投げる。
ドスンと音をたてで地面に落ちたそれを拓也が拾い上げてみれば、それはボディーアーマー。いわゆる防弾チョッキだった。

「あぁ ありがとう」

そういって拓也は重量感のあるチョッキを身に着けた。
ごわごわした手触りとズシっとくる重量感は何とも頼もしい気がして安心する。
実の所、みなの前では飄々としている拓也であったが、内心は結構ビビッていた。
それもそのはず、一応は国後島で命の駆け引きを一度経験したとはいえ、今回の騒動を含めても、まだ2度目の事である。
今回は前回と違って自ら銃を持つことは無いが、それにしたって危険地帯に自ら足を踏み入れるのには違いない。
だが、そんなトップがビビってるなんて醜態を晒す訳にもいかないので、無理やりにでも自分に言い聞かせて堂々たるポーズを決めていると
荷作り中の車両に教授が一人現れた。

「さっきはすまないね」

「いえ、教授。顧客満足を優先するのは企業として当然のことですよ」

拓也は、最初はイヤイヤ言っていたのを無かった事にするかのように、笑って教授に答える。

「そうは言ってもね。私の自己満足からのお願いなのだが、実際に命を張るのは君たちで、私たちは安全な場所から結果を待つだけだ。
だが、そうは言っても、助けを求めている者の姿を見ていると何とか救ってやりたくてね。
今の私にできる事は、厄介ごとを押し付けてしまった事を謝る位しかできないんだよ」

拓也はその言葉を黙って聞くと、一拍の間をおいてフフフと笑いながら答えた。

「まぁ それが普通ですよ。何か出来る事があるなら助けてやりたいって気持ちは大事ですよ。
それが人間的に徳の高い行為なのは間違いないです。
教授は自らの正義感に従って善を成す。……それでいいじゃないですか。
依頼に従って行動する自分らも教授には胸を張ってもらったほうがやり易いです」

「そういってもらえると助かるよ」

「まぁ そんなに気にする必要ないですよ。待っててくださいあっという間に全員救ってきますから」

「あぁ。期待している」

教授はそう言うと、やっと笑顔を見せた。

「では、そろそろ準備も終わったぽいので自分らは出発しますが、最低限の護衛は残すとはいえ
あまりウロウロしないでくださいね。何かあったら困りますから」

「あぁ わかった」

そう教授に釘を刺すと、丁度エドワルドが準備完了の報告をしてくる。
準備完了。既にメンバーは車両に搭乗し、あとは拓也が乗り込むだけとなっていた。
見れば、教授の他に荻沼さんや護衛として残すアコニーなどと共に村人たちも見送りに集まっていた。
拓也はじゃぁ行ってきますと皆に告げて一瞥するとBTRに乗り込む。
BTRと武装ピックアップの2両の車両は、手を振る人々に見送られて村の出口へと進んでゆくのだった。






「ぐぁっはは! 酒はシケてるが女は良いな。オラ、もうちょっと気合い入れて腰振れ」

男達は夜通しで酒を飲み、女を犯していた。
村を略奪し、金品や食料を奪い、散々村の女を辱め続けている。
女のほうを見れば、既に何人に犯されたのであろうか、衣類は完全に剥ぎ取られてボロボロになっていた。
そんな女に、男は動きが悪いと暴力を振るう。

「うぅぅ……」

殴られた女も、既に泣き叫ぶことも止め、只うずくまって殴られた箇所を押さえて唸るだけだった。
乱暴狼藉の数々。
暴行強姦ありとあらゆる悪行がなされている。
周りを見渡せば、逃げられないように首を縄でつながれた女達が、犯されるかドロドロに汚された状態で地面に転がされている上に
殺された村人の死体は、殺された状態そのままで路上に放置されていた。
耳を澄ませれば霧の向こうから似たような声が聞こえるので、おそらくは村のあちこちで似たようなことが行われているのだろう。
殴られている女のいる所も、そんな地獄の一つであった。

「おらガキ、しっかり中に出さないとカーチャンを殺すぞ」

犯されている女の横で、酔っぱらったクズ共が面白半分で捕えた母子を囲み、互いに抱かせながら嗤っている。

「かーちゃん……」

強要されている男の子が今にも泣きそうで罪悪感に溢れた表情で母親を呼ぶ。
だが、呼ばれた母親は、何を言うでもなく悔しさと息子の命だけは助けねばという使命感からか、口を一文字に結んでぎゅっと男の子の頭を抱く。

「おいおい何だよ。早くしろって言ってんだろ、面白くねぇなぁ。
よし、ガキ。早くいけるように俺様が尻を犯してやる。感謝しろよ」






「……吐き気がするな」

その様子を離れた所からうかがっていた拓也が呟いた
視界は相変わらず乳白色の霧に閉ざされているが、車載の暗視装置という目と
ラッツの持つ耳により、そこで何が起きているか知る事が出来た。

「社長、奴ら人質を集めて暴行しているようです。
暴行が行われている場所以外からは話声は聞こえません。
それと、やつら女子供を犯すだけじゃ飽き足らず、捕まえた親子を弄んで遊んでやがります」

ラッツは眉間にしわを寄せ、まるで汚物の詳細を説明させられたかのような表情で報告する。

「どうしようもないクズだな。ルワンダやユーゴの真似事を目の前でやられると非常に胸糞が悪い」

ラッツの報告を聞いていたエドワルドも暗視装置のディスプレイを覗き込んで言う。
実際のところ、妊婦の腹を割いて夫に食わせるようなことが行われたアフリカの内戦等よりは幾分か大人しい物であるが
それでも、拓也達一行の心象を決定的に悪化させるのには十分なことが行われていた。

「社長、一刻も早くあの悪人共の頭の皮を剥いでやりましょう」

義憤に駆られたラッツが、早く天誅を下そうと拓也に進言する。

「同感だ」

最初は色々と面倒事は嫌だったが、今はハッキリと拓也は断言できる。
奴らは生かしておけない。拓也の心から"人を殺す"という事へ戸惑いがきれいさっぱり霧散した瞬間だった。
正義感から出た感情という事もあるが、それと併せて法の支配の及ばぬところで行われている悪行に対し、私刑を加えても咎められないという状況も拓也達の背中を後押しする。
仮に北海道で犯罪者を勝手に処刑すればこちらも同じ犯罪者となってしまうが、ここは大陸……
村人を襲う極悪非道な悪漢を皆殺しにしても咎められはしないだろう。

「尋問用にリーダー格っぽいのを見つけたら生かして捕えて。あとは好きにしてくれ。別に国外の盗賊を皆殺しにした所で俺ら正規軍じゃないし、全ては霧の中だ」

そう言って拓也はディスプレイを凝視していたエドワルドの肩を叩いた。




「がははは!!」

酔っ払った鎖帷子を着た男が後ろから女を犯している。
その男は集団の頭目なのか、装備も他の男達よりしっかりしており、傍らに置かれた剣も装飾が施されている。
そんな男が女を後ろから犯しつつ、手に持っていたジョッキを近くにいたほかの男に突き出す。

「おい、酒だ!」

男は哀れなまだ若い農婦の肉を味わいつつ、周りにいた手下に新たな酒を催促する。

「へい。隊長」

そう答えた一人が、ジョッキを受けとりワイン樽に向かって走る。
男は手下が酒を汲みに走っていくのを見届けると、犯している真っ最中の農婦に視線を落とし、その尻に向かって平手打ちする。

パァーーーン!

男の平手と共に周囲に乾いた音が響き、農婦の尻に真っ赤な手形が残る。
農婦はくぐもった悲鳴を必死にこらえて、それを耐える

「オラ、どうだ?お前の死んだ亭主と俺様のイチモツ、どっちがいい?」

男は下種な笑いを浮かべながら、唇を噛んで必死に耐える農婦の顔を覗き込む
だが、農婦は下を向いたまま答えない。

「さっさと答えねーか!死にてぇのか?」

そう言って男は更に農婦の尻に向かって平手を打つ
だが、農婦は涙を流しつつも男の問いには答えない
目の前に転がる夫の死体を見つめる農婦は、心までは決して屈しないと誓ったかのように
頑として男の言葉に返事をしなかった。

「こんの!」

そんな農婦の態度が癪に障ったのか、男が怒りに任せて再度平手を打とうと手を上げた
その時だった。

パァーン!

   ドサ……

辺りに平手の音より乾いた音が響き渡る

「あん?なんだ?俺はまだ叩いちゃいねーぞ?」

男は不思議に思って自分の手と農婦の尻を交互に見ながら周囲に目をやると、先ほど酒を取りに行かせた手下が地面に酒を溢して倒れていた。

「こんのグズ!酒の一つもまともに運べねーのか!」

男は激高して手下に怒鳴るが、その手下は倒れたままピクリとも動かない。

「おい、聞こえねーのか」

パーン!

男が怒鳴る間にも謎の乾いた音が再度響くが、男は手下が自分の声を無視して起き上がらない事に腹を立て
音の正体を探ろうともせずに犯していた農婦を投げ捨てて手下の元に近寄った。

「おい、さっさとおきねーか!」

男はそう言って、手下の脇腹に蹴りを入れ、その体を仰向けに転がすと驚愕した。
倒れていた手下は胸から血を流して死んでいた。
一瞬、こぼれたワインかとも思ったが、手下の胸に開いた穴からは、ドクドクと鮮血が漏れ出ている。

「うぉ!」

男は慌てて飛び退くが、ここでやっと先ほどから絶え間なく乾いた音が響いている事を意識した。

「なんだこりゃぁ…… 野郎ども!武器を取れ!敵襲だ!」

その声を聞いて、他の手下たちも何事だと動きだすが、霧の中でいくつもの驚きの声が聞こえる
おそらく、他にも殺された仲間が居たのだろう
周りの手下たちの声も途端に慌ただしいものへと変わる。

「霧の中でバラバラになるな!俺の所へ集まれ!」

「へい!」

霧の向こうから手下たちが応え、駆け足で武器を身に着けた者達が男の元へとやってくる。
だが、いくら待っても全員が集まらない、良くて半分といったところだろうか。

「他の奴らはどうした?」

「ここに来る途中、いくつか仲間の死体を見たんで、もしかしたらやられちまったんじゃないかと……」

怒気を漏らしながら男は手下に聞くと、手下はその気迫に押されておずおずと答える。

「なんだと?ちぃ…… とりあえず、霧の中に何かが潜んでいるのは確かだ。
一度、村の倉庫に籠城して防御を固める。人質は2~3人確保して、残りはそこらの家に押し込んどけ
暴れるようなら外から火をかけろ。足手纏いはいらん」

男がそう指示すると手下たちはすぐさま動きだすが、男の視界にあるものが映った事により男はすぐさま手下を制止させる。

「おい!待て!動くな!」

男は見た。
眼前に広がる一面の乳白色
それが確かに揺らいだ。
霧が揺らいだのだ。
さらに目を凝らすと、一面均一な乳白色の世界に、風と共に一瞬だけ霧の切れ目が現れた。

「聖霧の終わりだ……」

ニヤリとして男は呟いた。

「はっはっは!野郎ども神は俺たちの味方だ!霧が晴れるぞ!」

高らかに笑う男の声の通りに、あたりを覆っていた霧はまるで雲が通り過ぎるかのように流れてゆき
村から少し離れた丘の上に霧によって隠されていた得体のしれない物体と人影が姿を現した。

「なんだありゃあ?」

男は疑問を口にする。
なにやらくすんだ緑色をして、車輪の付いたナニかが二つ。そしてその周りには数人の人影が見えた。
一体あれは何であろうか、男には皆目見当もつかなかったが分かる事が一つあった。
霧が晴れて奴らが姿を現した辺りから謎の音が止まっている。
恐らく奴らが犯人だろう。霧が消えた事に戸惑っているのか、謎の攻撃がやんでいる。

「野郎ども!舐め腐った豚共が丘の上にいるぞ!
妙な魔術を使っていたようだが、霧が消えたのが運のつきだな。野郎ども、用意はいいかぁ!」

「おおぅ!!」

「魔術師は、奴らが逃げないように退路を炎で囲め、だが焼き殺すなよ?舐めた真似したお礼に生きたまま生皮剥いでやる!」

「応!」

「突撃ぃぃぃぃ!」

その掛け声と共に生き残っていた手下たちが、凶暴な本能を発露させたような雄叫びを上げて走り出した。
各々の武器を手に、まるで兎に襲い掛かる野犬の群れの様に目を血走らせながら丘の上に陣取るナニかに向かって襲い掛かる。






その終わりは唐突だった。
霧の中から装備の優越を利用した一方的なマンハントを行っていた拓也達だったが
まるで雲が切れるかのように、急速に霧が風に流されて去っていく

「霧が…… 聞いた話じゃ更に数日続くって言ってたじゃないか?」

「社長、そりゃ毎年の平均です。早い年もあれば遅い年もありますよ」

拓也の独り言にラッツが答える。

「クソ、こりゃみつかったな。射的遊びは終わりらしい。やつらが来るぞ」

エドワルドが急速に霧が晴れてゆく村を見ながら、舌打ちして呟く
事実、ドラグノフのスコープの先に見える悪漢どもは、こちらに気付いたようで、しきりに拓也達の方向を指差している

「総員戦闘用意。一方的な狩りはココまでのようだが、見つかってもそれはそれで好都合だ。
奴ら、こっちへ向かってくるぞ。十分引きつけたら射撃再開。殲滅する。」

「了解!」

その返事と共に暗視装置を持っていなかった他のメンバーも射撃姿勢に付く
ピックアップトラックの荷台に据え付けられていた14.5mm機銃もその銃口を獲物の方へと向け
BTRや他の小銃と同様に愚かな獲物が、その咢に自ら飛び込んでくるのを待つ
敵とこちらとの位置関係は、村からこちらに向かってなだらかな上り坂になっているのだが、そんなこともお構いなしと言わんばかりに敵はこちらに向けて疾走してくる。
そして彼我の距離が150mを切った所でエドワルドは冷静に言った。

「ビェーイ(撃て)」

それはまるで、銃弾のダムの堰を切ったかのような光景だった。
2本の14.5mm機関銃の火線と5.56mmの複数の火線は、此方に向かって走ってきていた人影をバタバタと倒していく
小銃によって撃たれた者は、驚愕と苦悶の表情を浮かべて倒れていったが、BTRとピックアップの荷台に備え付けられた14.5mm機銃で撃たれた者達の光景は凄まじかった
弾が命中した途端、腕や頭が千切れ飛び、文字通り人体が銃弾によって砕かれていく。
撃たれた方は何が起こったか分からなかったろう。
突撃の段階で20名弱まで減っていた敵だが、それでも此方への敵意は未だに健在だった。
突如として敵の目の前に火の玉が発生したかと思うと、此方に向かって一直線に飛んでくる。
話には聞いていたが初めて目の当りにする攻撃魔術にエドワルド等は身を竦めて躱す。
外れた火球は着弾と同時に燃え上がり、付近の下草を焼き払うが、それ以上の攻撃は無かった。
いや、正しくは出来なかった。
火の玉を飛ばす魔術は飛ばす直前に術者の目の前で火球が生成される。
そしてその一瞬は術者の位置を敵に教えている様な物だった。
最初の攻撃によってどの人影が魔術師か特定され、エドワルド達が身を竦めて躱している間に
魔術の行使にも全く動じなかったラッツ等の亜人達の射撃により魔術師たちは瞬く間に撃ち抜かれていく
向かってくる人影を粉砕しつつ、その中に火球が生じた瞬間、火球がこちらに向かって飛ぶよりも早く銃弾が敵魔術師に集中する。
ほとんど遮蔽物の無いなだらかな上り坂での戦闘は、30秒に満たない射撃の末に立っている敵は一人もいなくなるという状況だった。

「射撃中止!」

エドワルドの声で動く影に止めを刺していた銃撃もピタリとやむ。

「いかん。少し捕まえる筈だったのが、生き残りが一人も居ないかもしれん」

少々オーバーキル気味の様子に拓也がつぶやく。
尋問用に少しばかり残しておきたかったが、倒れた目標にも配下の亜人たちが執拗な射撃を加えたため
形の崩れていない敵の姿がまったく見えない。

「しかし、亜人達の魔法と違った炎を操る魔法には驚いたな。
さすがはファンタジー世界と言ったところか。
あまり舐めてかかると痛い目を見そうだ。
ラッツ、どうだ?どこかに生き残りの声が聞こえるか?」

エドワルドが統制が執りきれていないことへの追求がある前に、話題を変えようとラッツに話かける。
当のラッツは、さっそく兎人族特有の大きな耳を立ててあたりの音を探る。
十秒ほどキョロキョロと耳だけ動かして音源を探ると、彼の耳がある一方向で止まる。

「う~ん…… あっ 生き残りが居ます。
人質を閉じ込めた小屋の裏で、生まれたての子鹿みたいに震えてるのが一人……
他は…… 駄目ですね。全員死んでます」

流石は武装ピ○ターラビット。
飛び抜けた聴覚とほぼ全周を見渡せる目のお蔭で斥候としては飛び抜けた能力を持っている。
特にその耳は物陰に隠れた敵の存在も察知する。
実に素晴らしい能力だ。
それに当初、彼の視力は兎らしく人間よりも弱かったが、北海道でコンタクトレンズを装備したことによりその弱点も無くなった。
後は、単独行動時に寂しいと鬱になる事を克服すれば、最高の斥候に育つことは間違いなしであった。

「そうか。まぁ 一人確保できればいいや。
ラッツはイワンと一緒にソイツを確保し来て
他は人質を解放しに行こう」

既に戦意も喪失しているなら、ラッツと屈強なイワンの二人がいれば大丈夫だろう。

「あぁ そうだな。
よし、全員傾注。聞いてのとおりだ。
ラッツとイワンを除いて人質の解放へ向かうぞ」

「了解!」




ガコン……
車両に乗り込んだ拓也達は、倉庫の前までやってくると「助けに来たぞ」と、中によく聞こえるように叫んでから閂を外す。
閂を外しても無反応な扉を開けると、扉を開けたのが先ほどまで暴虐の限りを尽くした奴等と違うのを確認したのか
ボロボロになっていた女たちが、泣きながら外に飛び出してきた。

「大丈夫。大丈夫。落ち着いて。悪党はやっつけたから」

安堵の涙で顔をぐしゃぐしゃにして駆け寄ってくる彼女らは、拓也らがそう言って宥めても止まない。
見れば体のあちこちに殴られた跡や色々な汁がこびりついている
拓也は飛びついてきた女性を引き離し、自分の服に色々とこびり付いたのを見て一瞬表情が固まったが
それでも対外的な笑顔は忘れずに彼女らを宥めた。
だがしかし、緊急時とはいえ目のやり場に困る。
彼女らは全員がほぼ全裸の上、容姿も普通かそれ以上の女子供たちだった(恐らく悪漢どもの目に適わないものは殺されたのだろう)
レイプ被害者に対し鼻の下を伸ばしたのでは一気に信頼を無くす。
そう思った拓也は、全員に家に戻って水浴びと着替えをするように言った。

「皆さん。もう大丈夫ですよ。
とりあえず、裸のままではいけないので水浴びと着替えをお願いします。その後で状況を整理しましょう。
私たちに出来る事が有れば、可能な限りお手伝いはしますから」

その言葉に泣きじゃくっていた女や子供たちも少しは正気に戻る。
羞恥心は理性を呼び覚ますようだ。女たちは腕で裸体を隠し、顔を赤くしながら各々の家にと小走りに去っていく
そんな女達について行く様に子供達も消え、やがて全員が走り去ったのを確認すると、拓也は小屋の裏へと歩いて向かうが、その途中でエドワルドが声を掛けてきた。

「おい。人質たちを気にするのも良いが、それよりお前のほうこそ大丈夫か?」

エドワルドが心配そうに拓也の顔を覗き込む。
その顔は表情こそは平然を装っているものの、顔色が優れない。

「あー、バレた?
まぁ 何というか、実戦は国後のときを含めて二回目だけど、ちょっとショックがね……
前回は夜で敵の死体は良く見えなかったけど、今回は昼じゃん。
悪人成敗したことについて罪悪感は微塵も感じないけど、グロ耐性がまだ無くてさ。
爆ぜた脳みそとか黄色い脂肪分とか見たらちょっと気分が……」

そういって拓也は積み重ねられた死体を見ながら口を引きつらせる。
だが、それを聞いたエドワルドは何だそんなことかと肩をすくめた。

「最初は誰しもそういうもんだ。その内、嫌でも慣れる」

「そんなもんなの?」

「そんなもんだ」

拓也はエドワルドの受け答えに、ここがまだ引き返せる地点だという考えが頭を掠めるが、その思いは口にしない。
既に自分だけじゃなく大勢を巻き込んで事業は動き出しているのだ。
自分の中の甘さなど押さえ込んで当然だと拓也は自分に言い聞かせ、その歩みを進める。
そうして二人とも黙ったまま歩き続けると、直ぐに倉庫の裏手に到着した。

「確保できた?」

裏に回った拓也が開口一番声をかける。

「あっ 社長、ちゃんとふん縛っておきましたよ」

そう言ってラッツの蹴りを食らった人影が物陰からよろよろと出てきた。

「たっ、たすけてくれ!」

両手足を縛られたむさくるしい男が芋虫のように地面を這いずりながら拓也に懇願する。

「それはお前の態度次第だな」

そう言って拓也は、ラッツの持っていたナイフを借りると男の首筋に当てる。
死体を見て若干気分が悪くなった拓也であったが、ブラフでナイフをチラつかせる位であれば何も感じない。
むしろ悪人征伐だと思えばニヤリと笑みさえこぼれる。

「なんだ?おまえら盗賊か?」

拓也は抑揚の無い声で男に尋ねる。

「いや、俺たちは盗賊じゃねぇゴートルム征伐軍団のラグナル隊だ」

「ゴートルム征伐軍?」

「あぁ、王家に弓引く逆賊エルヴィスへ対して諸侯が連合して討伐軍を編成したんだ」

拓也は男の言葉に耳を疑う。
軍の広報では多少キナ臭くなっているという報告はあったが、霧で情報が途絶している間に戦争状態になってたのか?
そんな眉間にしわを寄せながら尋問する拓也に男は更に補足する。

「知らないのか?勝手に独立宣言したエルヴィス辺境伯を王国に代わって成敗する為に諸侯が軍を発したんだよ」

独立宣言したのは知っていたが、まさか既に内戦に突入しているとは知らなかった。
少々情報網から隔絶されていただけでここまで状況が動いているとは……

「んで?なんで、討伐軍とやらが村を襲ってんだ?」

「それは…… どうせ逆賊の村だし。集合までの間に小遣い稼ぎをしようって隊長が……
そもそも俺らは囚人部隊だから、どうせ戦働きしても刑期が短くなるだけ……
なら、集合地点移動するまでに霧にまぎれて村の一つや二つ摘もうって隊長が言い出して……
ホントなんだ!隊長が!あの野郎が全て言い出したことなんだ!だから、命だけは勘弁してくれ!」

男は正直に知っていることを話すと、泣き叫びながら懇願する。
だが、それを見つめる全員の目は冷めたものだった。

「なるほどね…… それで村を襲ってたと。
うん、そこらへんは良ーーくわかった。だが、もう一つ聞きたい事がある」

拓也はそういってしゃがみ込み男の目を見据える。

「何処を目指していた?その集合地点とやらは近いのか?」

男の言が真実ならば、近々戦があるのだろう。
現状、拓也達の装備は本格的な戦闘は想定していない調査用のもの。
何より護衛対象の安全を確保するために危険地帯があるなら早々に避難しなければならない。
そう考えた拓也は真剣な眼差しで男を睨む。

「あ、あぁ そりゃもう、すぐそこだ。
他の隊はもう集まってる頃だろう。俺たちは集合地点の近くに村を見つけたから戦の前にちょっと摘んでたんだ。
なぁ?もういいだろ?俺なんか下っ端だから知ってる事は大体話した。お願いだから助けてくれ」

「まぁ待て、最後に一つ。すぐそこってのの詳しい場所だ」

「あんた達の来た丘とは反対側の丘を越えたら見えるよ。
ここに来るまではなだらかな丘しかなかったから直ぐに見えるはずだ」

男の言葉に拓也は眉を顰める。
丘を越えたら見える?
そんな至近で戦が起こるのか!?
拓也は立ち上がると、男の示した丘の方向を見る。
まずは確認せねば。

「そうか、ご苦労さん。おいラッツ、このクズを村の真ん中に縛って放置な」

「おい!話が違うぞ?助けてくれるんじゃないのか?」

「そんな約束をした覚えはないが……
少なくとも俺たちはお前を殺さないよ?まぁ 生き残りの村人はどうか知らんがな」

そう言って拓也は虫を見るような目で男を見る。

「そ…… そんな…… 騙したな!?おい!」

男は自分を無視して歩き去る拓也にあらん限りの罵声を浴びせるが、当の拓也はまるで聞こえないかのように無視する。

「じゃぁ エドワルドとラッツは来てくれ。ちょっと丘の向こうを見に行こう。
他は村人たちを介抱してやってくれ。殺された村人たちを埋葬しなきゃならないし、手伝えることが有れば手伝ってやって」

「了解」

そうして拓也達は男が言う丘に向かって歩きだした。
なだらかな丘であるが、登ってみると結構な標高がある。
ふと振り返ってみると村を一望しそれでいて周囲を結構見渡せる眺めの良さだ。
拓也達は周囲の様子を伺いつつ丘を登る。
そしてやっとこさで尾根を越え、その丘の上から見えた物に息を呑んだ。
それは、拓也たちのいる丘から数kmは離れた地点で向き合っている大軍勢。
彼我の距離と一つ一つの方陣の大きさから考えれば、数万人規模の大部隊だとわかる

「おぉ スゲェ……」

思わず驚きの声が漏れる。

「あぁ。あの旗は知ってるぞエルヴィスの旗だ。という事はもう一方が王国軍だな。
あぁ それにしても、これは……」

エドワルドが軍勢を見つめたまま唸る
遠目に見てもエルヴィス側と王国側の兵力差は3倍はある様に見えた。

「社長。エルヴィス側の後陣に総大将を見つけました。劣勢だってのに堂々としてますね」

そういってラッツが双眼鏡を覗きながら片方の陣営を指差す。
拓也はラッツから双眼鏡を受けとると、彼の言葉に従って陣営の中を覗き込み、軍勢の中央集団の中でそれを見つけた。
その視線の先には、馬やチョ○ボのようなデカい鳥に乗った騎士たちにまれながら敵陣を睨む凛々しい姿。
騎士に囲まれて白銀の甲冑を纏った美女が騎上から色々と指示を出しているので、彼女が総大将だとおおよその見当はついた。

「おぉ エルヴィス側の総大将は某クシャナ殿下みたいだ。「薙ぎ払え」とか言ったら似合いそうな美人だわ」

拓也はその外見を率直に表現する。
だが、拓也のその感想に対して、エドワルドは面白いものでも見たかのように笑いながら拓也の肩を叩く。

「拓也、お前知らないのか?あの顔はクラウス・エルヴィス辺境伯だぞ。内務省のデータベースで見たが、あれは男だ」

拓也はそれを聞いて驚いた。
あのなりで男とは……
それは過去にタイでGOGOバーに行き、お持ち帰りした女の子が実はニューハーフだった時に匹敵する衝撃だった。

「え?嘘でしょ?」

「残念ながら本当だ。それよりも奴の周辺を見ろ、こっちの軍事顧問団の連中も何人かいる。
この戦には政府も介入してるらしいな」

見ればこちらの甲冑の下に、迷彩服を着た人影も本陣に何人か見える。
この前、テレビで航空戦を中継していたと思えば、すぐさまこっちで戦争指導。
政府軍の勤勉さには本当に恐れ入る。
そんな事を拓也が考えていると、双眼鏡の向こうで何やら動きがあった。

「社長。王国側に動きがありました。数騎が旗を掲げて出てきます」

大きな翼を広げた鳥の紋章が描かれた旗を掲げた騎士が両陣営の中間へと進み、それに対してエルヴィス側もクラウス自ら
数騎の手下を引き連れて会合地点へと向かう。
どうやらいよいよ始まるらしい。せっかくの機会だ。特等席から見物してやろう






霧の晴れた草原に3騎の騎士が疾走していた。
緑の草の海を駆け抜け先頭の1騎に付き添うように2騎の騎士がその後を追う。
周囲は先ほどまでのミルクのような霧が嘘のように急速に晴れ、その霧の中から対峙する二つの軍勢が姿を現していた。
霧の終焉。
それは戦の始まりを意味するものであった。
片側の陣営から出てきた3騎に呼応するように、もう片側の陣営からも数騎の騎士が出てきて陣営の中央に向かって飛び出してくる。
そんなにらみ合う陣営の中間。
そこには更にもう一つの小さな集団が佇んでおり、両側の陣営は彼ら目指して集まってくる。

「さて、両陣営とも集まったようだな。
では、これより神の名の下に決戦を執り行う。
双方、何か言いたいことはあるか?」

両陣営の騎士が集まったのを確認して、彼らを待っていた男たちの中から一人の痩せた男が双方に向かって言う。
男は白い僧衣を着た司祭であった。

「最後の通告だ。
降伏しろ。今ならまだ辺境伯の首だけで許してやる」

「馬鹿め。
愚かな王家の犬が。神の前でその首切り落としてくれる」

クラウスは諸侯軍を束ねているマヌエル・アサーニャ伯爵に氷のような視線を送り、降伏勧告を拒否する。
だが、双方ともに分っている。
ここにきてクラウスが降伏勧告を受諾するなどありえない。
観戦する司祭もそれを分っていて淡々と儀礼を続けた。

「では、双方とも準備はいいな。
神の御前で、その勇気を示さんことを!」

司祭の戦場への祝福と共に戦いの開始が宣言される。
クラウスは剣を抜き、自陣営に向けて鬨の声をあげながら陣営に向かって駆けた。
その声にこたえる様に歓声を上げる軍勢は、海が割れるようにその中心へと続く道を作ってクラウスを迎え入れる。
本陣へと帰還するクラウス。
そこでは配下の騎士とともに北海道からの客人も待機していた。

「開会式は終わりましたか?」

客人の一人がクラウスに尋ねる。

「ええ。
教会の主導権を正統派が握っている以上、これも必要な儀式です。
それにしても、現教皇が正統派でよかった。
儀礼を重視する正統派が決戦を認めた事で、国境からの兵力の引き上げも間に合ったし、略奪を受けた領民も限定的だ。
これが純粋派なら、戦に儀礼など無用と割り切って全面的な侵攻を受けてましたから」

「でも、そのせいで我々の全面的な支援は受けられないのでしょう?」

そう言ってクラウスに尋ねる男は、北海道が辺境伯領に使わした軍事顧問団のひとりだった。
今回の騒動で、大陸側に従順な味方を作りたい北海道側は、クラウスに軍事顧問団の派遣と航空支援の提案をクラウスにしていた。
強力無比な空爆とヘリ部隊による掃討で敵部隊を一気に殲滅しようというのである。
だがしかし、北海道側の予想に反して、クラウスの回答は感謝の言葉に包まれた辞退の申し出であった。
言い分は、目立ちすぎる大々的な援助は要らないという。
しかしながら、余り目立たないように配慮してくれるのであればと援助して欲しいという申し出も同時に出たので
北海道側は首をかしげながらもそれを飲んだ。
辺境伯領軍に扮した少数の連邦軍部隊と共に、軍事顧問と少々の機材を融通するというのである。
そういった両者の合意もあり、軍事顧問として着任した彼は、普段の軍装から此方の甲冑に身を包んだいでたちで本陣に待機している。
そんな男の問いかけにクラウスは、事情を説明する。

「ええ。
決戦は正統派の信じる教義的美学に則って行わなければなりません。
それは、戦闘前の宣誓から最終的なくつわを並べた騎士の突撃まで形式が決まっている。
その為、決戦の場にてこれを蔑ろにしてしまうと、例え戦場で勝利をしようとも教皇に破門され、異端として処理されてしまうんです。
だから、今回の戦いでは大々的に貴方方に頼ることは出来ないんですよ。
勝利の後に、実は勝利の決め手が他所から借りた軍勢だとバレたら、教皇に眼を付けられないとも考えられないですから」

「なるほど、美学に則った戦争…… まるで源平合戦のようですな。
いや、あの時代でもそこまで戦場作法は厳しくなかった。
なんとも、とんだ茶番ですね」

そんな男の言葉を聞いて、クラウスは戦場を見ながら鼻で笑う。

「茶番…… そうです。
戦とはお互いが戦術と技量で敵を駆逐するものです。
あらゆる選択肢を駆使して相手を滅ぼしてこそだというのに、正統派の作法に従えば、戦場で知性を放棄するのと同義です。
まるで遊びの力比べですよ。茶番もいいところだ!
まぁ それによって今回は我々の領地の被害が少なくなるという事もあったが、でもやっぱり私は正統派の教義には賛同できない。
戦争とは、もっと泥臭く、知性と知性のぶつかり合いでもあるべきだ!」

クラウスはそう熱く力説する。
だが、フンと鼻を鳴らした所で、ふと我に返った。
目の前の男を始め、他の顧問団の皆もクラウスのあまりの憤りっぷりにポカーンと置いてけぼりを食らっている。
その様子を見てクラウスは熱くなりすぎたと反省して一つ咳払いをした。

「ゴホン。まぁ 私も派閥的には純粋派にいる為、ちょっと熱くなってしまいました。
ですが、下らない作法に則っているとはいえ、この戦いに領地の未来がかかってる事には変わりありません」

そう言ってクラウスは仕切りなおすように敵の陣営を見つめたそんな時だった。
戦場の脇に位置する観戦司祭の幕屋から一筋の白い光の玉が打ちあがる。

「あぁ 開戦が近い……
では、雑談は全てが終わってからにしましょう」

クラウスは打ちあがった開戦が近い合図を視認すると、直ちに馬上へと戻り、配下の兵を呼ぶ。

「バリスタ及び魔導師に攻撃用意。
バリスタ部隊は、開戦の合図が出たら各個の判断で攻撃開始。敵後方のバリスタと魔導師を集中的に叩け。
但し、魔導師は防御に専念しろ。騎兵を出来るだけ守るんだ」

クラウスの命に伝令が走る。
クラウスはそれを見送ると、くるりと軍事顧問団の面々を見て笑う。

「折角来て頂いて申し訳ないが、正統派の戦いには、あまり戦術指導は必要ないんですよ。
貴方方の配下部隊は大いに信頼していますが、今回の戦闘については戦術指導の方々の出番はありません。
ですが、しっかりと見ていただきたい。
これが、この世界の戦いです」

そう言い切ったタイミングとどちらが早かったか。
戦場に一筋の赤い光弾が上がる。
そして、それを合図に壮絶な遠距離戦の火蓋が切られた。

「攻撃開始!」

クラウスの叫びに呼応するかのように、本陣の後方に設置された十数基のバリスタから魔力槍が次々と射出される。
そしてそれを追うかのように数人がかりで生成された魔力の炎弾も地を這うように敵陣へと殺到した。
敵陣の全面に降り注ぐ魔力槍と炎弾は、至る所で爆発の炎を上げる。
だが、敵も対処法を分っている。
地面に着弾してから爆発する魔力槍は、伏せていれば被害は最小に抑えられるし、魔法の炎弾の爆発は例えるならば油が燃え上がるような爆発であり
近くにいなければ大したことは無い。
それに敵は本陣近くには魔術師による結界を発生させ、これを凌いでいる。
そして、これはクラウスの陣営も同じことだった。
クラウス側の攻撃とほぼ同時に襲い掛かってくる敵魔力槍。
本陣の近くは配下の魔術師に作らせた魔法障壁のため被害は無いが、自陣営にあちこちから炎が上がる。

「うぉ…… これは……」

運悪く爆発に巻き込まれ肉片と化していく兵士達を見ながら、顧問団の一人が驚きの声を漏らす。

「ご心配なく、本陣は結界のおかげで安全ですよ」

クラウスがそう笑って答えるが、顧問団の面々は信じられないものを見るようだった。
先の北海道西方沖航空戦の結果、この世界にはバリアがあるということは知れ渡っていたが、それを実際に体験するのは実に刺激的なことだった。

「うぅむ…… ですが、こんな便利な物があるなら、なぜ全軍をカバーしないんです?」

顧問の一人が疑問を口にするが、それに対しクラウスは後方で術式の陣を組む魔術師を指さして説明した。

「純粋に障壁を張るには膨大な魔力がいるんです。
今は20名の魔術師を防御に動員してますが、それでも本陣の一部をカバーすることしか出来ない。
これは本当に重要な部分のみの防御にしか使えないんです。それに、一面を幕で覆ってしまえば此方の攻撃も出来なくなってしまうんですよ。
まぁそれでも本陣だけでも守れるのは素晴らしいことです。軍団規模で軍を動員しない限り、こんな贅沢に魔術師は使えませんから」

そう言ってクラウスが語る最中にも敵の攻撃は自陣営の全体に降り注ぐ。
本陣は未だ魔法障壁が破られてはいないが、徐々にではあるが減衰された爆風が届きつつある。
障壁が敵の火力に押されて薄くなっていた。
クラウスの陣営のバリスタは敵のバリスタ隊を集中的に攻撃しているが、倍以上の数を揃えた敵に次第にすり潰されていく。
そして本陣以外の部隊でも降り注ぐ爆発の炎にジリジリと損耗が広がっていた。

「クラウス殿。本当に我々が介入しなくても大丈夫ですか?
既に一部のヘリ部隊はプラナスまで展開済みです。連絡一つで救援に駆けつけますよ?」

魔法による火力戦。
それも数的劣勢の上でそれを強いられていることもあり、顧問団の一人が不安を口にする。
本当に大丈夫なのかと。
だが、それに対してクラウスは不敵に笑って見せた。

「まぁ 確かに貴方方の火力があれば、一撃で勝負は付くでしょう。
だが、まぁ見ていてください。そろそろ観戦司祭から次の合図が出るはずです。
貴方方の配下にも敵の突撃に備えるように準備をお願いします」

障壁を越えて届く爆発の風に金色の髪を揺らしながらクラウスは答える。
そして、しばらく火力の応酬が続いた後、彼の言った通りのことが起こった。
観戦司祭の幕屋より青色の光球が撃ちあがったのである。
クラウスは撃ちあがるそれを眺めると、口を真一文字に結んで呟いた。

「さぁ これからが本当の戦いだ」








[29737] 決戦
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/12/08 01:20
クラウスが戦場を見渡しているのとは反対側の丘に、一人の男が馬上から戦況を見ている。
鋼の甲冑を身にまとい、深い皺の刻まれた痩せ顔の彼は、エルヴィス辺境伯討伐軍の諸侯を束ねるマヌエル・アサーニャ伯爵。
彼は討伐軍の諸侯の中でも一番の戦場での経験と実績から、軍の総大将に選ばれていた。
そんな彼が、打ち上がる青い光を見て、自らの白い顎鬚を触りながらニヤリと笑う。
戦闘開始の合図により開始された火力戦は、討伐軍の有利に推移していた。
物量で勝る討伐軍は、魔術師とバリスタの攻撃によって敵を満遍なく叩き、辺境伯軍の数を削っていく。
対して討伐軍の被害は、敵の執拗な攻撃によってバリスタの数を減らしつつも、本体の部隊は全くの無傷といっていいほど無事であった。

「ふん。辺境伯め。
火力戦で不利と見るや、こちらの歩兵を叩くよりバリスタを叩いて被害を抑える事を優先したか……
だが、いくら温存しようとも彼我の戦力差は覆らん。
一思いに引導を渡してやろう」

そういって彼は軽く手を上げ、配下の兵を呼ぶ。

「歩兵を前へ。弓兵は歩兵の後に続け」

それを聞いた配下の兵は即座に手に持っていた角笛を吹く。
長く一音、短く二音。それが歩兵部隊への突撃の合図だった。
方陣を形成しパイクを装備した1万を超える前衛の歩兵部隊が、列を維持したまま行進する。
そして、それに追従するように弓兵部隊も行軍していく。
攻勢をしかける討伐軍だが、先に矢を放ったのは辺境伯の軍だった。
雨のように降り注ぐ矢を盾で受けつつも、穂先を並べて進むパイク兵。そして、お返しとばかりに矢を放つ弓兵部隊。
彼らを襲う矢の雨は、運の無かったものの手を、腹を、そして頭を貫き、バタバタと兵が倒される。
だが、兵の行進は止まらない。
そして、何度かの斉射の応酬の後、遂に先頭のパイク兵部隊が辺境伯の部隊と激突した。

「ワァァアアア!!!!」

咆哮を上げながら両軍は入り乱れて槍を叩き合う。
兜ごと頭を叩き潰し、襟口に穂先が沈む。
正面戦闘は両軍の完全な力押しの場となった。
数で圧倒する討伐軍だが、辺境伯軍も練度が高い。
戦場での圧力は拮抗しているといっていいだろう。
そして、アサーニャ伯爵は両軍の衝突が激しさを増すのを見て、次段階への命令を下した。

「よし、敵正面は拘束した。
数の少ない奴等は下手な動きは取れまい。
これより後衛本陣も進出し、前衛の代わりに正面を受け持つ。
騎兵隊は左右から回り込んで背後に移動。前衛部隊は騎兵の移動と同時に左右に展開。敵側面を拘束する。
反逆者を包囲殲滅するのだ」

伯爵の命と共に全軍が動き出す。
それまで待機していた後衛本陣は、左右に分かれる前衛の穴を埋めるように前方に進出する。
そして、側面を押さえにかかる前衛の横から数千の騎兵が、土煙を上げながら辺境伯領の背後に回りこむ。

「流石は伯爵だ。
包囲が完成すれば勝ったも同然。
我々としてもこの決戦の指揮官に貴方を選んだ甲斐があったというものですな」

伯爵とくつわを並べて進軍する諸侯の一人が、既に戦後の辺境伯領の分配を想像してニヤリと笑う。

「なに。
数の面でも我々が勝って当然の戦いだ。
予想外の誤算でもない限り、我々の勝利は揺ぎ無い。
……だが、一つ気になることがある。
現辺境伯のクラウスは、戦に関しては才気溢れる青年だった。
果たして、このまま何も無く殲滅されるに任せるのだろうか……」

伯爵は、過去に帝国との国境紛争の際、クラウスと一緒に従軍したことがあった。
その時の記憶が確かなら、彼はここにいるような愚鈍な貴族どもとは違い、戦に関して光るものがあった。
そんな彼が、何も勝算も無く決戦に臨むだろうか……
だが、そんな彼の疑念を他所に、包囲は着々と完成しつつある。
そんな何か隠し玉があるのではないかという彼の疑念は、騎兵が敵に接触を始めた段階になって現実となって現れた。
辺境伯軍の両翼。
まるで防御陣地のように、正面の攻撃を無視して動かなかった両翼が、騎兵が彼らを越えて回り込もうとしたところで、その咆哮を上げた。
爆発のような連続音が響き渡り騎兵の先頭集団がバタバタと落馬していく。
見れば敵の両翼には土塁のような盛り上がりがあり、その頂上が爆発音の発生源らしい。
バタバタと先頭集団が倒れた騎兵部隊は、途端にその衝力を失っていく。
敵側もそれを確認してか、目標を騎兵から側面に移動した前衛部隊に変えたようだ。
前衛のパイク兵部隊に降り注ぐ敵の攻撃は、後衛部隊と切り離されるようにバタバタと後衛に近い兵が一直線に倒されていく。
伯爵は意外すぎる敵の隠し玉に呆然としたが、それでもハッと我に返ると口惜しげに奥歯をかむ。
クラウスの隠し玉の存在により、後ろに回りこむはずだった騎兵は衝力を失い。左右に展開する部隊は切り離された上で動揺が広がっている。
恐らく、敵の意外な攻撃に比べて実際の被害はさほど多くは無いため、この程度の混乱は直ぐに収束できるとは思うが、今この瞬間、伯爵の制御下にある部隊は敵正面でぶつかり合う本陣だけとなっていた。

「奴め!これが狙いか!」

伯爵が、怒気を孕ませて吐き捨てるように言う。
そして、それは辺りに響き渡る敵の角笛の音と、ほぼ同時だった。









北海道側からの支援で両翼の陣に設置されていたM2重機関銃は、期待通りの成果を上げていた。
そもそも、少ない兵力を十二分に活用するため両翼の軍勢は機動することは念頭に置かれていない。
それらは全て銃座の守備に当てたものだ。
そして、過去に何度かくつわを並べたアサーニャ伯爵の戦術は良く知っている。
そして、彼は私の予想通り包囲殲滅を目的とした動きをしていた。

「魔術兵!騎兵へ剛力と疾風の加護を!」

兵たちは良い働きをしてくれている。
それが策の内だとしても、半ば包囲された状況で、私を信じて己の職分を忠実にこなしている。
敵への攻撃を必要最小限に控え、魔力を温存していた魔術兵の術式が私を含めた騎兵達の体を包む。
高揚する精神。溢れる力。今では飛び交う矢の切羽の模様すら見て取れる。

「騎兵隊整列!突撃準備!」

流石は練度の高い我が兵たち。
私の背後で見事なまでの陣形移動をみせる。
そうして周りを見渡し、陣形が整っているかを確認していると、ふと顧問団の面々と目が合った。
まるで信じられないものを見ているかのような表情だ。
まぁ 当然だろう。
彼らの常識と私達の世界の常識は違う。
なにより、私自身もこれからの行動が馬鹿らしくてたまらない。
これが教会の立会いで無い戦場だったならば、迷わず両翼に配置された機関銃という武器で敵の本陣を蜂の巣にしていただろう。
いや、そもそも彼らの航空兵力で、馬鹿共を戦場に到着すらさせなかったかもしれない。
だが、今となっては無粋な"もし"は不要。
ただただ我等の理に則って、その本分を発揮するのみ。

「さぁ!戦士達よ!遂に我々の出番となった!
戦場という名の舞台が、諸君らの出番を待っている。
そして見せてやろう!観戦司祭という観客に我々の勇姿を!愚かな王国軍には彼らの首を刈り取る死神の姿を!
そして私は君達に敵を刈り取る自由を与えよう。
だが、見ての通りご馳走は山のようにあるが、一つだけ条件がある。
敵将の首を全て刈り取れ!
一人も残すな!
我等が郷土を荒らす不逞な輩は、一人残らず地獄に叩き込むのだ!
騎兵突撃!中央軍前へ!!」

「ウーラァァァァァァ!!!!!」

私の言葉に対する呼応の声と共に私は駆け出した。
敵に向かい、全力で愛馬が駆ける。
私と共に魔術で強化された愛馬の脚力は、吹きすさぶ風さえも追い越して突き進む。
そして、それを追いかける同じく強化された騎兵と追従する歩兵部隊は、全力で中央突破を行っていた。

指揮官先頭の中央突破。
教会の一番推奨する美しき戦術。
そして、論理的に考えれば愚かにもほどがある戦術。
それに相対する敵側は、両翼が分断されたといえど数の上では我々と同等か少し上。
そんな敵側の本陣は、此方の突撃をしのぐ為、包囲のために左右に広がり始めた陣形を中央に集め始める。

「うぉぉおりやぁあ!!!」

突撃阻止のために接近するパイク兵。
そして一閃。
魔術により強化された曲刀の一撃は、敵の穂先を切り落とし、返す刀で敵兵の頭を二つに切り裂く。
土煙を上げながら走り抜けた後で、敵兵は血飛沫を上げながら倒れたが、そんな姿を見ても敵の勢いは変わらない。
迫り来る無数のパイク兵をいなし、切り伏せ、時には愛馬の蹄で叩き潰しながら前進する。
そうして敵陣の半分まで来た頃であろうか、追従してきた騎兵の一人が叫んだ。

「クラウス様!敵本陣警護の騎兵です。ここは我々にお任せください!」

見れば前方から、突撃阻止のために黒い馬に乗った敵騎兵の一群が向かってくる。

「すまん!任せる!」

そうして、返事をするや否や、ここまでの突破に付いて来れた味方の騎兵が、クラウスを追い抜いていく。
敵とほぼ同数の馬や鳥に乗った騎兵が、ランスを抜いて交差する。
騎兵の集団同士の激突。
たった一度の激突であるが、それによって半数の兵が串刺しになったり、落馬して状況は混戦に陥っていた。
諸侯軍の寄せ集めといえど、警護の騎兵はアサーニャ伯爵の親衛隊。
我が精鋭たちと互角の戦いを繰り広げている。

「殿下!今のうちです!」

ランスを捨て、曲刀に持ち替えた騎士の一人が、敵騎と斬り合いながら叫ぶ。

「ご苦労!」

配下の兵を一瞥すると、愛馬に鞭をいれ混戦を離脱。
敵本陣に向かって一目散に駆け抜ける。
途中、槍を向ける雑兵を何人か切り捨て突破すると、遂に王国旗の翻る本営に手が届いた。
伯爵までに至る直線上の最後の雑兵を切り倒し、曲刀を鞘に戻すと、馬にくくりつけてあったランスを抜く。

「伯爵!覚悟ぉ!」

絶叫と共に円錐のランスの先端を伯爵の喉元に狙いを付け、必殺の突撃を行う。
目にも留まらぬ愛馬の加速。白銀に煌くランスの切っ先。
当たれば鎧すら貫通し、胴体を抜けると思われた一撃であったが、それは火花を散らして宙をきった。

「むぅん!」

長剣を手にした伯爵の横なぎが、私のランスの軌道を逸らす。
だが、外れたといえど、その慣性力は変わらない。
愛馬に急制動をかけ、踏ん張りを利かせた蹄から土埃を上げてようやく停止した。

「残念だったな辺境伯。決死の突撃もここまでだ」

何処か余裕めいた伯爵の笑み。
だが、言い合いをしている余裕は無い。
数の上で負けているため、時間は伯爵に味方する。
私は持っていたランスを地面に刺すと、曲刀に持ち替えて愛馬と共に駆けた。

「うらぁぁあ!」

繰り出す斬撃。
それを伯爵は私と並走しながら難なくいなす。
双方が魔術による肉体強化をしている為、その一撃同士の激突は刀身から盛大な火花を飛び散らせる。
上段、中段、下段、あらゆる方向から斬撃を放つが、その全てが受け止められる。

「くぅ!」

恐らく、伯爵の剣技は私をうわまわっている。
このままでは時間ばかりが過ぎて、ますます不利になる。
これではいけないと一度距離を取ると、ある策に打って出ることにした。
少し離れた事で、広がる二人の戦闘空間。
そして、時間を食った事によって集まりだす雑兵。
私はこれらの状況を確認すると、雑兵を切り捨てながら伯爵への再度の突撃を開始した。
まるでチーズか何かのように斬られる雑兵。
そして、伯爵まで残り一人となったとき、私はそれまでの斬撃から雑兵に向かって垂直に刃を入れる。
鎧もろとも貫かれる雑兵。
そして、力ずくでにそれを持ち上げると、走る馬の勢いに乗せて伯爵に向かって投げつけた。
刀身が雑兵の体からズルリと抜け、その体は伯爵目線を遮る様に飛んでいく。
雑兵の胴体が伯爵の視界を塞ぎ、それと共に繰り出される斬撃が伯爵に必殺の一撃を入れて勝負を決める。

……ハズだった。
当初の目論見では、戦に関しては無慈悲な伯爵は、飛んでくる障害物を例え味方であろうとも切り裂いて防ぐと思った。
そして、その一瞬の隙を突いて繰り出される我が曲刀は、伯爵を袈裟切りにする予定であった。
だが、伯爵は飛んでくる雑兵を空中で片手で受け止めると、それによって生まれた死角から、此方が切りかかるのを予期していたかのように、もう片方の手に持っていた剣を切り上げた。
一瞬の事だった。
右肘から先が空中を舞う。
片腕を失ってもなお、落馬せずに駆け抜けて距離を取れた事は幸いだったが、失った腕は剣を握ったまま地面に突き刺さった。

「どうだ?
もう十分だろう。降伏しろ。
今なら、お前の命一つで部下の命は助けてやる」

「黙れ!」

伯爵が冷静な目で降伏を勧めるが、今の私にはその様な言葉は聞こえない。
魔術の効果で感情が高まっているのと、片腕を失った動揺で冷静な判断など無理だった。

「流石は伯爵。
若造に伯爵の相手は荷が重過ぎましたな。
まぁ こんな反逆者には情けなどかける必要は無い。
配下の兵共々、根きりにしてやりましょうぞ」

ふざけた外野が煩い。
今まで本陣の隅でガタガタ震えているだけだった糞諸侯が、勝利者ヅラをしているのが鼻に付く。

「引っ込んでいろ豚!
後で全員塩漬け肉のように切り刻んでやるから、大人しく待っていろ!」

怒りを露にして、肥えた貴族の豚に向かって吼える。

「豚?!だと……」

豚が豚といわれて青筋を浮かべて震えている。
余りに怒気を含ませて吼えたため、怖気づいてしまったのだろうか。
そんな侮蔑の視線を豚に送ってあざ笑ってやると、心に余裕が出来たのか精神も落ち着きを取り戻してきた。
そのまま伯爵と距離を取りながら、地面に刺したランスを探す。
……あった。

「伯爵。
あの小僧に止めを刺す前に、私に奴の身柄を貸していただけませんかな?
奴の少女のように整ったあの顔を汚し抜き、絶望に染めてから殺したいのです」

豚が伯爵に提案する。
その提案を聞いて、あまりの下種さに伯爵も興を削がれたのか辟易した顔をしている。

「それは、決着しだいですな。
場合によっては戦いの中で殺してしまうかもしれないので、約束はできません」

伯爵は馬の歩みを止めて豚に答える。
だが、そんなやりとりを向こうがやっているうちに、此方は此方で残った左腕で地面に刺さったランスを回収する。
よくやった豚。
お前の下種さのお陰で、難なくランスは回収できた。感謝するぞ。

「ほぅ……
利き腕を失っても、まだ武器を取るか。
その敢闘精神は賞賛に値するな」

伯爵が剣を仕舞い、侍従からランスを受け取る。
どうやら騎士としての一戦を望むようだ。

「フフフ。
敢闘精神は神への信仰そのものじゃないですか。
片腕がなくなったって、まだもう一本ある。
不利になった分は、他のもので補えば良い。
これは普段は使いたくは無かったのですが……
この際だ、仕方ない。特別にお見せしましょう」

そう言ってニヤリと笑うと、もう不要だとばかりに兜を脱ぎ捨て、普段は決して使わぬ術式を構築するために言の葉を紡ぐ。
全身を包む赤い魔力が、まるで炎のように体に纏わりつき、兜から解放された黄金のような長髪が風に揺れる。

「……そうか、貴様はエルヴィス一族の中でも、教皇の座を狙うために教会に籍を置いた人間だったな。
教会に身を置いていたのなら、魔術くらい使えて当たり前か」

そう言って、伯爵の表情から全ての感情が消える。
全てを次の一撃に託し、全精神を構えたランスに集中させる。

「上位階級の聖職者のみに伝授される秘術。
人を捨て、闘争本能のみを神に捧げる戦士の賛美歌。
とくと味わって頂こう」

視界が真っ赤に染まる。
恐らく、その姿を客観的に見ることが出来れば、瞳が獣の眼光の如く鋭くなり、野獣のような気迫に満ち溢れているに違いない。
そして、次の瞬間、自分の中で何かが弾けた。
全てが止まり、空間が加速する。
愛馬は疾風の如き速さで駆け出すが、その一挙一動が手に取るように分る。
相対する伯爵は、それに呼応するように向かってくるが、その呼吸すら感じてしまえるような感じがする。
一歩、また一歩と相対距離が近くなり、伯爵は此方の心臓めがけてランスを構えている。
間合いが近づく。
彼我の相対速度は軍馬の限界を超えて加速され、それに乗せるように左手のランスを大きく振りかぶると
己を抹殺せんとする眼前の敵へと全力で突き出した。
限界を超えた一撃に筋肉が悲鳴を上げる。
普通ならば回避不能な速度。
当たれば一撃必殺の槍。
それに相対する伯爵は、此方のあまりの気迫に得体の知れぬ悪寒を感じたのか、手に持つランスの向きを攻撃から防御に切り替える。
此方のランスの軌道に割り込む伯爵の技。
余りに重い一撃に、擦れ合うランスが火花を上げる。

「ぐぬぅ! なんと、左手でこの威力か……」

伯爵は何とか一撃を免れたものの、その威力に驚愕の表情を浮かべている。
ただ此方の軌道を変えるために、ランス同士を接触させただけだったが、想像以上の力に手がジンジンと痺れて止まらないようだった。

「ウ゛ア゛アァアァアア!!」

そんな伯爵を見て雄たけびをあげる。
一撃で屠れなかった悔しさと、次こそはという死の宣告を込めて。
そうしてクルリと馬体を反転させると、改めて伯爵に向かい直る。

「次で…… 終わらせる!!!」

再度の疾走。
ぐんぐん馬体は加速する。
伯爵は少々の恐怖を滲ませた表情を浮かべるも、即座に迎え撃つ構えを取る。
だが、その恐怖が伯爵の技を鈍らせたのだろうか、伯爵のランスは此方のランスをいなし切れず、双方の穂先が互いの胴に命中する。

ドォン!!

一瞬の交差。
そして、その一瞬で勝者が決まった。

「ぐぅ…… ガハッ!」

此方のランスよって、馬上から刈り取られたかのように貫かれた伯爵が、血の泡を吹きながらズルリと抜け落ちる。
同時に命中したのに、なぜ伯爵だけが倒れているのか。
それは当の伯爵にも理解できてはいなかった。
伯爵のランスも、確かに命中はしていた。
だが、プレートメイルを貫いたものの、不思議な感触に阻まれる。
対して此方の放ったランスは、プレートメイルごと伯爵の胴体を貫いた。
一体何が伯爵の槍を防いだのか。
それは、鎧の下に来ていた北海道の軍事顧問団から渡された、リキッドアーマーといわれる防御装備。
衝突の瞬間に硬化した液体が、伯爵の槍の貫通力を奪っていた。

「ウ゛オォオオォォォォォオオオォオオオォオ!!!」

勝利の雄叫び。
その声は戦場に響き渡る。
全軍が交戦を止め、その視線が血に染まるこの身に集まる。
何ともいえぬ高揚感。……そして、快感。
それらを全身で感じた時。
未だ、かすかに残っていた自我は、狂気の渦へと落ちていった。







「おぉ!クシャナ様(仮)が敵将を討ち取った!」

戦場から離れた丘の上で、高倍率の双眼鏡を覗きながら拓也が呟く。
その視線の先では、丁度クラウスが伯爵を討ち取った処だった。

「いや、だから、あれは男でエルヴィス辺境伯だ。
それより辺境伯の周りを見ろ。頭を討ち取られて軍勢の動きが止まったぞ」

拓也はエドワルドの言葉に従い双眼鏡の視線を移す。
そこには鬨の声と伯爵戦死の報が広がり、まるで風に凪ぐ草原の草のように動揺が広がるのがハッキリと見て分った。
明らかに動きが鈍くなる討伐軍。
そして、勢いづく辺境伯軍の攻勢は、いつしか討伐軍の潰走という形で現れた。

「凄い…… 一人で形勢を変えちゃったよ。あのクシャナ様(偽)……
それに、トンでもないバーサーカーっぷり…… 逃げる敵軍を虐殺し始めたよ?」

拓也はそう言って視線をクラウスに戻す。
そこには目に入る全ての敵を片っ端から斬り捨てる姿があった。

「まぁ それはそれとして、やばくないか拓也?
潰走する軍勢の一団が、真っ直ぐ此方に向かってくるぞ?」

辺境伯軍の攻勢に、我先にと逃走に入る討伐軍。
その軍勢は、四分五裂しながら戦場を離れ始める。
そして、その中の一団が、真っ直ぐに拓也達のいる村の方向に向かっていた。

「……ヤバイ。
一旦、BTRに戻ろう。ラッツ、君は皆を集めるんだ!仲間も村人の生き残りも全員集めてくれ」

拓也はそう言うと、村に向かって丘を駆け下りる。
全力で丘を駆け下りたため、途中で何度か転びそうにもなったが、それでも無事に停車しているBTRのところまで辿り着いた。

「どうする?急いで引き上げるか?」

ゼイゼイと肩で息をする拓也の後ろで、汗すらかいていないエドワルドが指示を仰ぐ。

「とりあえず、村人には急いでメリダ村に避難してもらうけど、それだけじゃ十分じゃない。
連邦軍の顧問団が来てるんだ。救援要請だよ。それとメリダ村に残してきた奴等にも連絡だ。
電波障害か何かは知らないが、無線がおかしくなったのは霧が出てから……
なら、霧の消えた今なら無線も復活しているんじゃないか?」

そう言って拓也はBTRに付けられた車載無線機を取ると、置いてあった周波数表から緊急事態用の周波数を探し出してコールした。

『メーデー。メーデー。こちら第12調査隊。応答を願う……』









クラウスが突撃した後の本陣にて、本陣を任された辺境伯の将校らと共に、北海道からの軍事顧問団もその場に残されていた。
重機関銃の支援により、戦闘は此方の策が見事に発動し、現在はクラウス自身が未曾有の活躍を見せている。
そんな状況下で、正直な所、手持ち無沙汰な顧問団の団長の下へ、一人の兵が駆け寄ってきた。

「大佐。緊急電です」

本陣の後方。
道や展開した部隊との連絡用に設置した仮設コマンドポストが何かを受信したらしい。
CPから出てきた兵士は、短い敬礼の後に報告する。

「どこからだ?」

「この先の村に民間の調査隊の一隊がいるそうです。
潰走した討伐軍が向かってくるのを見て、救助要請を出してきました」

その報告に顧問団長は眉を顰める。
軍の調査隊は何日も前に引っ込めたが、未だに民間の調査隊がいるとは聞いていなかった。

「調査隊だと?この辺一帯には退去勧告が出ていたんじゃないのか?」

「おそらく例の通信障害で連絡が上手くいかなかったのでしょう。それより、如何なさいますか?」

「如何も何も、邦人の保護は何事にも優先される。
しかし、決戦に我々は表立って出てくるなと辺境伯に言われている手前、一応確認は取りたいが辺境伯自身が戦場に出てしまったとなると……
そうだな。辺境伯軍の将校を呼んできてくれ。話がある」

そう言って団長は兵に待機している将校を呼んでくるよう命ずると、兵は即座に命令を復唱してクラウスの配下の将校を探す。
そして、程なくして留守を任された本陣で一番階級が上と思われる辺境伯軍の将校を呼んで来た。

「なんでございましょうか?」

呼び出しを食らった将校が、何事かと問いかける。

「今回の決戦。既に勝負は付いていると思うのだが、我々は何時までじっとしていればいい?
付近にいる不運な我々の調査隊の一部から救難要請がある。
我々としては直ぐにでも向かいたいのだが、今回の戦いは政治的な局面が強い。
そこで、本陣に残っている将校の君に聞きたいんだ。
見たところ、辺境伯自身は連絡がつきそうに無いのでな」

「そうですね。決戦自体は伯爵の首を取って敵軍が潰走した段階で終わりです。
現在は追撃戦ですので、教会は小うるさい事は言わないかと思いますが……」

「つまり、政治的に戦いは決着している為、我々が敵の掃討に出ても影響は少ないと?」

「まぁ 私見ですが、そのように思われます。
少なくとも、大勢は殿下自身が決したため、教会の審判には影響しないはずです」

あまり断定した返事ではないが、これまでの慣例から語る将校の言葉に団長は考えた。
政治問題になる可能性を恐れて動かぬべきか、それとも動くべきか……
少々の時間、団長は唸って考えた後、一つの決断を出し、配下の兵に命令する。

「……うーむ。
なるほど、多少の不安は残るが、余力がありながら邦人の救助要請を無視するなど出来ない。
それに、大統領からは辺境伯の意向の範囲内で軍の力を見せつけてやれとの命令もある。
よし、直ちにヘリ部隊に通達。調査隊の方へ迫る敵残存部隊を攻撃し、掃討戦に移れ。
間違っても地上の辺境伯軍を誤射するなよ」

その言葉を聞き、兵は素早くCPへと戻る。
そして、ヘリ部隊出動の命令に対し、いつでも出れるようにと準備していた部隊の行動は迅速だった。
大陸が霧に覆われる直前に移送を完了していたヘリ部隊は、戦場から山一つ挟んだポイントでその身を隠していた。
霧のせいで数日に渡り飛行が制限されていたこともあり、早く飛び立ちたいとウズウズしている兵器の群れは、出撃の合図と共に歓喜するかのようにローターを回し、一斉に飛び立つ。
それは、北海道と南クリルから集まったAH-1ZヴァイパーとMi-24VPハインドの群れだった。
10分とたたずにローターの回転音を戦場に響かせて現れたその群れは、辺境伯軍の上空をパスして逃走する討伐軍へと向かう。
その勇姿に両軍ともに驚愕の表情で見上げているが、辺境伯軍の中では事情を知るものから「あれは味方だ」との声が上がると鬨の声をあげてそれを見送る。
対して討伐軍の間では、得体の知れない飛行物体の出現と、敵の声を聞いて一気に恐慌が広がった。
生き残りの魔術師が空に向かって炎弾を放つが、それらは全てヘリのはるか後方にそれるばかりで一向に当たる気配は無い。
むしろそれらの行為は、かれらの死期を早める以外の何者でもなかった。

『敵からの迎撃を確認。遠距離から制圧しろ』

先頭を飛行する一機が、自身に向かって放たれた炎弾を見て全機に通達する。
そして、その光景を見ていた後続の機体から、何本もの白い筋が炎弾の発射源目掛けて放たれた。

『ハッハァ!迎撃なんて地対空ミサイルに比べたら屁みたいなもんだぜ。
さぁ!このロケット弾はプレゼントだ。とくと味わえ!』

ハインドやヴァイパーから放たれたロケットが、敵軍集団の中央で炸裂し、敵兵とその肉片を炎と共に宙へと舞い上げる。
突如として発生した魔術とはまた異なる爆発に驚きと悲鳴が辺りに響く。

「うわぁぁ!何だアレは?!」

「りゅ、竜?イヤ、違う…… 一体あれは……」

一体頭上を我が物顔で飛び回るモノは何か?
幾人かの討伐軍兵がそれにに思慮を巡らすが、それも次の瞬間には恐怖で塗りつぶされた。

GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……

一直線に兵士を薙ぎ払うようにして放たれるハインドの23mm連装機銃は、土煙を上げながらその軌跡を血と肉片の筋に変える。
そして一緒に敵を掃討するヴァイパーも同様の活躍を見せていた。

「ぐわぁぁぁ!!!」

「ひぃ!神様!」

思わず、狙われた兵士達は神に祈る。
だが、それは聞き入れられることは無い。
今、この瞬間。大空を飛び回るハインドとコブラの群れこそが、戦場の神であった。

『調査隊へと向かっていた敵部隊の壊滅を確認』

ヘリ部隊の隊長機がCPに連絡する。

『CP了解。敵が纏まって逃げるように誘導しろ。はぐれた敵は好きに刈り取って良し。
現在、上空待機していたSu-51が、そちらに向けて接近中。15分で敵に接触する。
狩りに夢中になってクラスター爆弾の雨に巻き込まれるなよ』

『そこまで鈍臭くないさ』

そう軽口を叩き合って双方は笑いあう。
それはまるで、地獄に君臨する悪魔の軽口のようであった。







暗転した意識が、次に己の体に戻ったとき、そこは目を覆うような地獄であった。
夕暮れの赤く染まった大地の上に、雑兵の屍骸を基礎にして立てられたランスが、串刺しにされた伯爵の遺骸を掲げている。
その周りには、八つ裂きにされた諸侯の死体や、雑兵や軍馬など夥しい死体があふれている。
足元を見れば、どれほど酷使したのだろうか、傷だらけの愛馬が息を引き取ろうとしているところであった。

「これは…… 私は今まで……」

血に濡れた左手を見ながら、そっと呟く。
見れば伯爵との戦いで失った右腕は、当然元の位置には無く、ただジンジンとした痛みだけが感じられる。

「正気に戻られましたかな?」

突然聞こえた背後の声に、ハッとして振り向く。
その振り向いた先には、満足げな観戦司祭の一団が立っていた。

「私は一体…… いや、それより決戦はどうなりましたか!?勝敗は?」

思い出したかのように尋ねるこちらの問いに、彼らは微笑を浮かべたまま答えてくれた。

「覚えておりませんかな?
あなたは、伯爵との一騎打ちにて闘争特化の魔術を使われた。
それによって伯爵は討ち取られ、周りにいた諸侯も粗方クラウス殿の手によって討ち取られました。
頭を失った諸侯軍は敗走し、今は貴方の不思議な友人達によって掃討されている最中でしょう」

それを聞いて、だんだんと記憶の整理が付いてきた。
そうか、目の前の死体の山は、自分がやったのか。
ん?だが、ちょっと待て。
今、観戦司祭達は不思議な友人と呼ばなかったか?
もしや、異教徒である北海道のことか?

「……不思議な友人ですか?」

「ええ、貴方の指揮で動いているとは言ってましたが、決戦の勝負が付いた後、潰走した討伐軍が近隣の村を襲おうとしたので介入したと言っておりました。
まぁ 何とも不思議な軍勢でしたな。空飛ぶ魔導具を駆使する連中など聞いたことが無い」

「えっと、あの、彼らはですね……」

「ですが! 不思議な連中が介入してきたのは決戦の後。
今回の決戦は、あなたの指揮官先頭による突撃と、大将同士による一騎打ちという、近年稀に見る素晴らしい戦いだった。
このような勇猛さと敢闘精神は、神も大変お喜びになるでしょう。
特に貴方の戦いっぷりは教会から戦の手本として、世に広めたいほど素晴らしかった。
形成不利となっても決して諦めず、己を捨て、闘争本能のみとなっても勝利をもぎ取る。
このような戦場を見せてもらったのに、些細なことで興を削がれるのは面白くない。
不思議な友人達の出自はともかくとして、今回の決戦は、教会はエルヴィス辺境伯の勝利と認定します。
此度の独立は、神がお認めになったものとして教皇庁に報告しましょう」

「あ、はい。感謝いたします」

「ん?あまり嬉しそうじゃないですね?」

その言葉にドキりと心臓がなる。
戦勝の嬉しさより、彼らの存在がばれてもなお、異端認定されなかったことに安堵する気持ちが強かったなど口が裂けても言えない。

「いや、嬉しいですよ。嬉しいですけど色々と失った物もあったので……」

そういって肘から先の無い右手を摩る。
司祭達も、その様子を見て、先ほどの無感動の原因が腕を失ったことと勘違いしてくれたようだ。

「神は戦傷に見合った加護を与え、天の国でその恩賞を与えたまります。
あなたの失いし右手に神の祝福がありますように……」

そう言って司祭は、右手の傷に祝福の儀礼を行う。
一通りの祝福を終えた後、司祭は満足したかのように此方に話しかけてきた。

「それでは、我々は報告のために教皇庁に戻ります。
今後は、神の導きにしたがって正しく国を治めてください」

手を振り、西に向かって歩き出す観戦司祭の一行は、夕日の中に消えていった。

数日後、教皇庁から出された布告により、エルヴィス辺境伯領はエルヴィス公国として正式に独立が教会より認められることになる。
これをもって、エルヴィス辺境伯クラウス・エルヴィスの独立戦争はここに終結したのだった。



[29737] 盗賊と人攫い編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/12/31 22:47
『こちら第12調査隊。こちらに向かっていた集団は全滅したようだ。
救援に感謝する』

集落に接近しつつあった集団は、炎と銃弾によって徹底的にすり潰された。
そして、その地獄を運よく生残った敵兵は、辺境伯軍の残党狩りによって、これまた徹底的に狩りつくされる。
今ではもうこちらに接近する敵の姿は無い。
そんな様子を見て、救援を送ってくれた軍に拓也は無線で謝意を伝える。

「さて、ひとまず落ち着いたが、これからどうする?」

エドワルドが拓也に質問する。
盗賊に襲われていた村も解放し、当面の危機は去った。
特に何かしなければならないという危急の事象は無い。

「とりあえずメリダ村に戻ろう。
この村の女性達も、急いでメリダ村に逃げさせちゃったから呼び戻さなきゃならないし
それに、ヘルガたちには何度もコールしているけど、まったく応答が無い。
何かあったのか心配だ」

「そうだな。じゃぁ、一度、戻るとするか」

拓也は、敗残兵がこちらに向かっているのを確認した直後、状況を見極めるために残った拓也達のBTRと別れた武装ピックアップに先導させて、女達をメリダ村に避難させていた。
流石に全員はピックアップの荷台に乗らなかった為、徒歩での移動となったが、それでも既に結構な距離を移動しているはずだ。
あまりに息を呑む展開に見とれていた為、おそらく既に彼らとは結構な距離が離れているだろう。
これから追いかけるにしても、オフロードのため速度はあまり出せない。
そんな事を考えながら、拓也達はBTRに乗り込むと来た道を戻る。
途中、特にトラブルは無かったとはいえ彼らと合流できたのは、もうメリダ村から目と鼻の先まで来た地点だった。

「やっと、合流できたけど、ここまで移動させといて戻れって言うのは酷だよね」

追いついた徒歩の一行を見ながら拓也は考える。
徒歩で二時間。
休み無く歩いてやっと目的地かというところで、引き返そうって言ったら皆どう思うだろうか。
脳内で不満をたれる一行をイメージして拓也が苦笑いしていると、兵員室に腰掛けるエドワルドが銃眼から外を見ながら拓也に言う。

「今から引き返したんじゃ、戻るのは日暮れになる。
こりゃ、村長に事情を説明して彼女達を一泊させて貰った方が良いんじゃないか?
どうせ復興するにしても何にしてもメリダ村の協力は必要だろう?」

「そうだね。
まぁ、村はもうすぐだし、とりあえずこのまま行こうか」

そう決めた拓也達の乗るBTRは、集団を先導して道を進む。
村と村との間にある森や林の間をすり抜け、最後の深い木々のカーテンが切れる頃、幾筋もの黒い煙が彼らの目に留まった。

「何だ?あの煙は?」

不安に駆られる一行。
それもそのはず、彼らは先ほどまで"戦場"をその目で見ていたのだ。
嫌なイメージが頭の中で重なる。
拓也は、イワン達の乗るピックアップにはそのまま女達の護衛を続けるように言うと、BTRの速度を上げて先行した。
そして、そこで見た光景に目を見開いた。
何件かの家が燃え尽きつつも煙を吐いている。
そして、あろうことか村に置いていたトラックの運転席付近がブスブスと黒焦げになっていた。

「!!?」

「なんだこりゃ…… 糞、俺達のいない間に襲撃か!?」

村にはアコニー達を護衛にして教授達を残していた。
彼らは果たして無事だろうか……
拓也の脳裏に最悪の事態がよぎる。

「社長!」

不意に呼ばれる聞き覚えのある声。
拓也はハッとその声の方を向く。

「アコニー!皆無事か?!」

近寄ってくる彼女を見て、拓也はBTRの上からひょいと飛び降りると、彼女の肩を掴んでその無事を確認した。

「それが……」

強く肩を握られながら鬼気迫る表情で問われ、アコニーの顔にも涙が浮かぶ。

「どうしたんだ??何があった」

「カノエが!カノエが盗賊に攫われました!
社長達が出発して直ぐに、霧にまぎれて盗賊たちが襲ってきたんです。
教授たちは守り通せたんですが、カノエが……」

目から大粒の涙を零し、アコニーが語る。
拓也は教授達護衛対象が無事なことに少々の安堵を覚えたが、自分達の仲間が攫われたとの報告に沸々と行き場の無い怒りがわいてきた。

「クソ!攫われただと?!どこの糞共の仕業だ!
……しかし、何だって直ぐに連絡しなかった?」

拓也は悪態をつく。
先ほどまで、悪党に捕まった女達の末路は嫌というほど見てきた。
自分の部下がそんな理不尽な目に会うというのは我慢にならなかった。

「それは。襲撃直後は霧が…… それと奴等が逃げる際に彼方こちらに火を放ったんで、無線機が乗ってたトラックが燃やされてしまって……」

そういってアコニーはブスブスと運転席が焦げたトラックを指差す。
連絡が出来なかったのには、それなりの理由があるようだ。
ならばアコニーに対して怒りをぶつけてもしょうがない。
拓也は一つ深呼吸をすると、心を鎮めて状況を整理することにした。

「とりあえず、詳しく説明しろ」

アコニーの肩を握る力を抜き。
ゆっくりとした口調で拓也が言う。
その言葉に、アコニーは淡々と説明を始めたのであった。







拓也達がBTRと武装ピックアップに乗って隣村に向かった後、メリダ村に残されたメンバーは拓也の言いつけを守り宿で待機している。
だが、宿に篭ってばかりでは、外の様子が分らないと、アコニー、ヘルガ、カノエの三人は宿の入り口に椅子やテーブルを並べて陣取っていた。

「あー 暇だねー二人とも」

アコニーがカノエと共に興じていたトランプを片手に、テーブルに突っ伏しながら言う。

「まぁ 霧であまり歩き回れないしね」

それに対し、トランプの相手をしていたカノエもお茶を啜りながら返事をして、手札の一枚をテーブルに投げた。
だが、そんな二人の態度が不満なのか、残る一人はテーブルの傍らに立って呆れている。

「もう、二人ともちゃんとしてよ!一応留守を頼まれたんだから。
護衛対象の教授達は今どうしてるか確認してる?」

「えー、二人とも部屋に篭って"ほうこくしょ"だの何だのを書いてるよ。
それに歩哨なら、さっきパッキーが見回りに行ったから良いじゃないのさ」

「じゃぁ、ますますやる事がないわね」

根が真面目なヘルガが二人に注意するが、アコニーは大丈夫だよぅと聞き耳を持たず。
カノエにいたっては、やることが無いならしょうがないと割り切っていた。

「もう、まぁいいわ。じゃぁ私も、ちょっと見回りに行って来る」

そんな二人の態度が気に入らなかったのか、ヘルガはクルリとテーブルに背を向ける。

「こんな霧の中を?あなたが?」

「大丈夫だよ。変な奴が来たらパッキーの耳と私の鼻で探知出来るし」

濃い霧の中、ヘルガ一人で何の足しになるのか?それ以前に大丈夫なのか?と二人は心配するが、ヘルガはフフンと不適に笑って腰の装備を叩いた。

「こういうのは仕事やってるって姿勢も大事なの。それに、何かあってもコレがあるし大丈夫よ」

「ん~?トカレフ?まぁ気休めにはなるかもしれないけど、ろくに射撃訓練もしてないヘルガじゃ当たらないよ?
まぁ 威嚇にはなるかもしれないけど」

得意顔のヘルガにアコニーは眉を顰めて忠告するが、当のヘルガは「あらそう」と短く呟くと、笑顔をアコニーに向ける。

「じゃぁ 何かあったら撃ちまくるから、その時は助けに来てね」

霧の中でも銃声は聞こえる。
何かあったら飛んできてとヘルガはアコニーに言ってのけた。
自分に対する信頼。それをヘルガの言葉に感じたアコニーは、まぁ大丈夫かと考え、ヘルガを見送ることにした。

「ハイハイ。じゃぁ 見回りに行くんだったら、ついでにトラックからクワス持って来て」

何かあったら、パッキーの耳と私の鼻がある。
どうせ、ヘルガじゃ散歩以上の事にはなるまいとタカをくくったアコニーは、ヘルガに一つお使いを頼む。
クワス。パンから作るロシアのジュース。
味は炭酸とアルコールの抜けた発泡酒に近いが、アコニーはそれがお気に入りだった。

「それじゃ、わたしはリボンナポリン」

そんなアコニーを見て、これまたついでにとカノエもアコニーに注文する。

「もぅ、そんなにだらけて後で怒られても知らないわよ?」

ヘルガは、二人の頼みにしょうがないなぁと言いながら、建物沿いに霧の中へと消えていくのだった。


……

「なかなか帰って来ないわね」

宿の前でトランプに興じていた二人だったが、なかなか戻ってこないヘルガを気にしてカノエが辺りを見回す。
だが、そこにあるのは一面の白い世界であり、ヘルガの姿は窺い知る事は出来ない。

「まぁ 満足したら帰ってくるでしょ。それに何かあったら匂いや気配で……」

心配ないよと言いたげに臭いを嗅ぐアコニーだが、何度か鼻を鳴らしたときにその動きが固まった。
風に流れてくる臭い。村民とも仲間とも違う異質な匂い。なんだこれは?

「ん?どうかした?」

「シィ! ……すんすんすん」

カノエが何かあったのかと聞いてくるが、アコニーは意識を全て臭いに集中させ、その正体を探る。

「臭う……」

臭いは複数。それもかなりの数だ。
それにかすかに混ざる血と鉄の香りに、アコニーの表情は険しくなる。

「コレを持って」

アコニーは状況を説明するより早く、ホルスターから抜いたトカレフをカノエに渡す。

「これって拳銃?」

だが、急に拳銃を渡されたカノエも、突然のことに戸惑いを見せる。

「何か来た。それも大勢の臭い……」

感じた異変をカノエに話そう。
アコニーがそう考えて、説明を始めようとしたそんな時だった。、
霧の中からカチャカチャと金属を擦らせながら走る音が聞こえる。
その音に、アコニーは傍らにあったAKに手を伸ばし、カノエはアコニーの後ろへと隠れる。
そして次の瞬間、ニュッと霧の中から人影が現れた。

「おい!二人とも!賊だ。大勢が集落を包囲しようとしてる」

アコニーが銃口を向ける先から現れたのは、哨戒に出ていた兎人族の同僚。
それが慌てた表情でこちらに駆け寄ってくる。

「パッキー!」

アコニーは彼の姿を確認して銃口を下げるが、パッキーは銃口を向けられていたことなどお構いなしに状況を説明する。

「奴等、まだこちらが気付いていないと思ってるが、時間の問題だ。
すまん。言い訳にしかならんが、奴等、足音を消すのに慣れてる。
包囲の完成する直前まで分らなかった。
だが、とりあえず俺達の仕事はこなさなきゃならん。
こちらの戦闘員は少ないし、守りに徹しよう。ヘルガや教授達を宿の一室に集めてくれ」

パッキーは人数的な劣勢と視界不良での戦闘を加味して防御計画を提案するが、それを聞いていた二人は顔を見合わせる。

「くぅ!こんな時に……」

「一体、どうした?」

苦虫を潰したような表情をするアコニーに、パッキーが尋ねる。

「ついさっき、ヘルガが見回りに出て行っちゃった」

そう言ってアコニーは深い霧を指差すが、事態は刻一刻と進行している。
そして遂にその時が来たのか、霧の中で叫び声があがった。

「きゃぁぁぁぁ!!!」

「どうやら敵がお出ましになったようだ。
アコニー。お前はこの宿に陣取り皆を守れ、俺は村人の援護とヘルガを探しに行く」

「うん」

パッキーはアコニーと役割分担を確認すると、再度霧の中へ駆け出す。
そして、その場にはアコニーとヘルガの二人だけが残された二人は、即座に宿に向かうと宿の主人に敵が来たことを伝えて、そのまま二階へと駆け上がり教授の部屋へと向かう。
アコニー達が二階についてみると悲鳴を聞いた教授と荻沼さんが、何事かと廊下に出てきていた。

「教授。敵襲です。
あたし達がお守りしますので、部屋からは絶対に出ないでください。それと、念の為に窓の鎧戸も閉めておいてください」

そう言ってアコニーは教授の背中を押しながら、「敵襲?!」と驚く教授らを無視して彼らを部屋へと押し込める。

「これで宿を守っている限り、教授達は安全だね」

窓の鎧戸は簡易とはいえ鍵があるため、外からは開かない。
これで部屋に入ろうとするには、現在アコニー達が陣取る廊下を抜けるしかない。
ならば、自分が健在である限り教授達は大丈夫。
アコニーは、自分の任務である教授達の護衛については達成できそうなことに安堵すると、残るもう一つの不安を胸に廊下の窓から外を見る。

「ヘルガ……」

アコニーが心配そうに呟く。

「大丈夫よ。パッキーは耳がいいもん。きっと見つけ出してくれるわ」

ヘルガが何かしらの声を出せば、パッキーが気付いて接触できるはず。
カノエは、心配するアコニーをなんとか元気付けようと彼女に大丈夫と言い聞かせる。

「そうだといいけど……」

カノエの言葉に、アコニーもそう信じようと言い掛けた時だった。

「Whoooooooop……」

村全体に届く轟く唸るような鳴き声があたりに響く。

「これは!?」

「知っているの?」

その声にアコニーは心当たりがあった。
この独特の声色。
その声の主は、亜人の間では有名すぎた。

「ハイエナ野郎だ!根っからの盗賊部族だよ」

そうアコニーが説明した矢先、霧の中から鉈や剣を持った一団が現れる。
見れば、犬族のような耳と尻尾に、特徴的な茶色い毛色と黒いブチ
大陸の亜人の間では有名な盗賊部族の特徴と、霧の中から現れた其れが合致する。

現れた盗賊たちは、宿に押し入るための入り口を探してウロウロしはじめる。
だが、そんな時、外から戻ってきた不運な宿の奉公人は、彼らと鉢合わせしてしまった。

「ひゃぁぁ」

武器を手にした亜人たちを見て、奉公人の女が悲鳴を上げる。
それに対して、盗賊は獲物が向こうから現れたと嬉々として襲い掛かった。
盗賊たちは奉公人を押し倒そうと、彼女を突き飛ばした。

「この!彼女から離れろ!」

それを見ていたアコニーは、咄嗟に二階の廊下の窓から発砲する。
上から降り注ぐ形となった銃弾は、奉公人を傷つけることなく盗賊の体に突き刺さり、3人ほどいた盗賊は次々と地面に倒れていった。

「はぁはぁ……」

奉公人は突然の事に腰を抜かしながら、呆然と血が流れ出る死体を見つめている。

「何してる!早くこっちへ!」

アコニーは、腰を抜かした奉公人を呼ぶ、折角助けたのにそんな所でボーっとされていては、何時また襲われるか分らない。

「あ、はい!」

奉公人はアコニーの言葉に正気に戻ったのか、宿に向かって駆け出した。
彼女は直ぐにアコニーの視界から消えるが、宿の中では、主人が扉の閂を開けて彼女を無事保護することが出来た声が聞こえる。
アコニーはそんな声を聞きながら、未だ戻ってこない一人の友人の事を思っていた。

「うぅ…… ヘルガ…… 一人で行かせるんじゃなかった」

アコニーはそう呟いて窓の外に広がる霧を見つめる。
時折、パッキーのと思しき銃声が聞こえるが、果たして彼はヘルガを見つけることは出来たのであろうか
そんな時だった。

パーン……

今まで聞こえていた銃声とは違う乾いた音が霧の中に響く。

「!? この銃声は?」

パッキーのAKとは違う拳銃らしき銃声。
それでいて、現在、この村で銃を持って外に出ているのは二人しかいない。

「パッキーの銃声とは逆方向……」

カノエが銃声の聞こえた方を見ながら呟く。
その意味するところは、未だパッキーはヘルガに接触できておらず、更にヘルガが銃を使わなければならない状況にあるという事だ。

「ぐぅ…………」

アコニーは悩む。
ヘルガは心配だが、自分がここから離れれば教授達は誰が守るのか。
悔しさと焦りが入り混じり、落ち着くことも出来ない。
そんな彼女を見て、横でその様子を眺めていたカノエが、そっと口を開いた、

「ここは私に任せて、あなたはヘルガを呼び戻してきて」

そう言うと、カノエはアコニーから渡されていたトカレフのスライドを引く。

「でも……」

その間の護衛は?

言葉にしなくても通じるその後の言葉。
だが、カノエもそれは分っている。
だから、カノエは笑って言葉を続けた。

「大事な仲間でしょ?
敵が来たら、私が教授達を守る。
引き金を引くだけで敵を倒せる武器があるんだもの。
ヘルガを見つけて貴方が帰ってくるまでの時間稼ぎくらい出来るわ」

カノエの言葉がアコニーの心に響く。
アコニーは、一拍の間の後にコクンと頷いた。
大事な仲間であり、大事な友人の一人。
絶対に失いたくは無い。

「ごめん!すぐに戻る!」

アコニーは二階の窓からジャンプすると、しなやかに地面に降り立って走り出した。
霧の中での加速の魔術は危険であったが、今はそんな事は些細なことだ。
風を追い越し、銃声の聞こえた方向に向かい、微かに風に漂うヘルガの匂いを辿って走る。
跳躍の度にその臭いは強くなり、集落の端まで到達した時、遂に霧の中から人影が見えた。
飼料小屋の壁を背にして二人の男に囲まれている小柄な金髪の女。
それは、今まさに捕まろうとしている瞬間でもあった。

「もう!一体何なのよ」

ヘルガは震える手で必死に銃を握りながら叫ぶ。
彼女は何度か発砲してみたものの、当たらぬ弾丸に抑止効果は無く、少々の時間稼ぎにしかならない。
最早、ヘルガには嫌々と首を横に振ることしか出来ない状況であった。

「ヘルガ!」

「!?」

ヘルガはハッと盗賊の後ろに視線をやる。
声のした方向。霧の中から現れたのは、何よりも待ち望んだ友だった。
彼女は、霧の中から現れるやいなや、鋭いその爪で盗賊の男の顔を削ぎ落とした後、もう一人の男にきめた回し蹴りで、その頚椎を叩き折った。

「アコニー!」

自分を囲んでいた盗賊が無力化されるのを見て、ヘルガがアコニーに抱きつく。

「無事で良かった」

アコニーが笑いながらヘルガの頭を抱いて落ち着かせるが、ヘルガはその腕の中で顔を上げる。

「あなた!それより教授達は?」

ヘルガの問いに、安堵の表情を浮かべていたアコニーの顔から笑みが消える。
無事を喜んでいられる余裕は無いのだ。

「今、カノエが宿で守ってる。あたし等も直ぐに戻らないと……」

「わかったわ。直ぐに戻りましょう。  ……って、あれ見て!」

すぐに宿に戻ろうとした二人であったが、彼女達は見てしまった。
ヘルガが指差すその方向。
そこには、3人の盗賊達が、奪った食料や盗品を手に笑いながら走っていくところだった。
そして、その中の一人が肩に担いでいるモノ。
ジタバタと動く袋から人間の足が見えている。
そして当の盗賊たちは、霧と彼我の距離が微妙な事もあり、ヘルガたちには気付いていないようだったが、アコニーはそれを見て怒りに燃える。

「奴等、人まで攫っていくのか!許せない!」

咄嗟に銃で撃とうと思ったが、敵と人質が密着しているため、肩に担がれた人間に当たる可能性も捨てきれない。
アコニーはヘルガに小銃を託すと、ナイフを片手に走り出した。
魔法によりブーストされた速度で接近し、無音のまま背後から繰り出した一撃により、盗賊は何が起きたか分らなかっただろう。
瞬く間にアコニーは3人の盗賊を切り裂いた。
首筋を大きく切られた盗賊達はその場に崩れ落ち、アコニーがジタバタと動く袋を確保する。

「大丈夫?!」

アコニーが袋を開け、出てきた人影に後を付いて来たヘルガが声をかける。
中にいたのは容姿の整った村娘。
袋の中に押し込められて息苦しかったのか、肩で大きく息をしている。

「ぷはぁっ!うぅぅ…… ありがとう……」

「お礼はいいからさっさと避難するよ。ついといで」

アコニーはそう言うと、村娘の手を取って立ち上がらせる。
が、さぁ戻ろうというところで、その足が止まる。

「宿に戻ろうと思ったものの…… えーと、宿はどっちだったかな」

ヘルガを助けに行った時、アコニーは銃声と臭いで大体のヘルガの居場所が分ったが、帰るとなると話は別であった。
深い霧の中、アコニーは少々困った顔をする。

「宿ですか?私が案内できますよ」

「本当!?」

「えぇ。自分の村ですもん。霧があったって建物伝いに行けば少々遠回りですが何とでもなります」

その村娘の言葉に、アコニー達は丁度良かったと案内を任すことにした。
霧の中で何とか見える位置にある建物伝いに村娘が走り、アコニー達がそれに続く。
そうして、これでなんとかなりそうだとアコニーが安堵しかけた時、一番恐れていた事が起きてしまった。

パーン……

霧の中に響く発砲音。
音の感じからして拳銃。
そして、ヘルガは発砲していない。
となれば、導かれる答えは一つであった。

「!?」

「銃声?それも拳銃の……」

銃声を聞いてヘルガが呟くが、それとほぼ同時にアコニーが叫んだ。

「急げ!」

アコニー一人であれば、魔法で加速すれば宿まではあっという間であるが、二人を連れているためそれも出来ない。
仮に自分だけ向かって、その間に再度彼女らが襲われては意味が無いのだ。
二人を連れて可能な限り急ぐ。
しかし、鍛錬していない女の足。
いかんせんスピードが足りない。
その為、ようやく宿に辿り付いた時には、宿から戦利品を抱えた一団が出てくるところだった。

「まてぇ!その袋、置いてけぇ!」

アコニーが、人間の足が出た袋を肩に担ぐ盗賊に向かって叫ぶ。
だが、叫ばれた相手は、別段に驚いたようなそぶりも無い。
盗賊は、クルリと首を回してアコニーを見ると、フンと鼻を鳴らしていやらしく笑った。

「おっと、これは可愛い猫ちゃんだね」

その盗賊は女だった。
かなり人種にベースが近いハイエナ族の亜人。
皮の胴当てと粗末な布の服を着込んでいるが、露出している腕や太ももを見る限り、かなり鍛えていそうな風体だった。

「煩い!ハイエナ野郎!いいからよこせ!」

アコニーが一気に詰め寄り、肩に担いだ人間を奪おうとする。

「おっと、そんなノロマじゃ捕まらないよ」

だが、向こうも相当な場数を踏んでいるのが、アコニーの加速した踏み込みを紙一重でかわし、バックステップで距離を取る。

「おほぉ! この村にも中々良い動きの奴がいるとは思わなかったよ。
お前達、ここはあたいが引き受けるから、とっとと行きな」

「うん。了解!ねーちゃん!」

盗賊の女は、ヒュゥ~と口笛を吹きながら、仲間の一人に肩に担いだ袋を渡して剣を抜く。
そして、渡されたほうの仲間は、ガチャガチャと音のする盗品の入った袋と一緒に渡された人間を担ぐと、風の様に走り去る。

「おい!待て」

アコニーが逃げる盗賊の仲間を追おうと手を伸ばすが、足止めを買って出た女盗賊はそれを許さない。
逃げる仲間とアコニーの間に割って入った。

「おっと、あんたの相手はこの私だよ」

ぺロリと舌なめずりして剣を向ける女。
誰かが攫われた以上、早く追わなければならない。
焦るアコニーは、躊躇わず女に小銃の銃口を向け引き金を引いた。

タタタン!

女に向けて放たれた銃弾だが、それは虚しく宙を切る。

「おぉっと、なんだいそりゃ?!」

急に銃口を向けられた女盗賊は、野生の感に従ったのか、アコニーが引き金を引く前に回避行動を取っていた。
弾が外れたことで、アコニーは再び銃口を女盗賊に向けようとするが、彼女はそれを許さない。
懐に飛び込むやいなや、蹴りを放ってAKを弾き飛ばした。
武器を失ったアコニーは、咄嗟に後ろに飛んで距離を取ると、太ももに装備されていたナイフを抜く。

「ぐるるるるる……  ガァア!」

キン!

電光石火で女盗賊の急所を狙ったアコニーのナイフであったが、女盗賊の剣がそれを受ける。
ジリジリと刀身同士が擦れ合い火花が飛ぶ。

「ふふふ…… 流石は猫の一族。速さは流石さね。
でも、こちらのパワーについて来れるかな?」

女盗賊が力任せにアコニーを押し飛ばし、それを追いかけるように横なぎの一撃が迫るが、速さに勝るアコニーは、その軌道を見切り紙一重でよける。
だが、それが不味かった。
横薙ぎに振るわれた剣であったが、女盗賊の手の中にはあるものが仕込まれていた。

「ぐぁ!」

女盗賊の手から放たれた粉末が、紙一重で剣を避けたアコニーの顔面に降り注ぐ。

「はっはっは!誰がまともに勝負するもんか」

「ぐぁぁぁ!!!鼻がぁぁぁ!!」

強烈な刺激物だったのか、アコニーは鼻を抑えて蹲り、目もあけることが出来ない有様だった。
なんとか拭おうと頑張ってみるも、それが余計に塗布範囲を広げて痛みを広げる。
女盗賊はそんなアコニーの姿を見ながらニヤリと笑うと、その顔面を蹴り飛ばした。
地面を土煙を上げながら転がるアコニーであったが、目が開けられなあければ鼻も効かない為、反撃どころか防御も取れない。
女盗賊は、それを見て満足したのか、アコニーに止めをさそうと剣を高らかに上げる。

「じゃぁね!猫ちゃん!」

ドン!

女盗賊が剣を振り下ろそうとしたときだった。
破裂音共に女盗賊の足に激痛が走る。

「!?」

急な出来事に女盗賊は片ひざを付き、激痛の正体を探るように足を見ると、右のふくらはぎに何かがかすったような傷が出来ていた。
傷口から血がドクドクと流れるのを見て、女盗賊は苦痛に顔を歪ませながら後ろを振り向く。
そして、そこにはトカレフを構えたヘルガの姿があった。

「くぅ!一体、なんだってんだ?!」

女盗賊は毒づき、ヘルガの持っていた今まで見たことも無い武器を見る。
そして気付いた。先ほどの猫の武器もこんな音がしていた。
それに何より、この村を襲い始めてから何度か似たような音を聞いている。
未知の武器の威力を知って初めて、女盗賊の中でそれらの事が示すことが一つに繋がった。
想定外の武器で村人が武装している。
霧の中で確認のしようが無いが、他の連中は大丈夫だろうか。
女盗賊はそんな事を思いながらタラリと冷や汗をながしていると、付近で聞こえる音に気が付いた。

スタタン……

先ほどから霧の向こうで何度か聞こえていたこの音……
それが徐々に近寄って来ている?
彼女がハッとその事に気付き、霧の向こうで音の聞こえたほうを向くと、丁度仲間の盗賊が何人か駆けて来た。

「姉さん!この村、なんかおかしいですぜ?!」

こちらの姿を見つけた盗賊の男が、息を切らせて報告する。

「タタタンって音が聞こえたと思ったら、仲間がバタバタ倒れるんだ。
こんな不気味な村、もう嫌だ。姉さん!ここはもう逃げやしょう!」

どうやら、女盗賊の想像は間違ってはいなかったらしい。
彼女は一つ舌打ちをすると、痛みをこらえて立ち上がる。

「チッ…… 分が悪いね。野郎共!引き上げだよ。撤退の雄叫びを上げな!」

「へい!」


女盗賊の言葉と共に、気味の悪い笑い声のような叫びを上げて逃げさる盗賊の男達、彼女もそれに続こうとするが、それは左の足首に伸びてきた手によって阻まれた。

「待てぇ!」

ぐるぁぁぁ!!

アコニーが目を真っ赤に晴らしながら、雄たけびをあげて女盗賊の足を掴む。

「チッ!この、放せ!」

女盗賊は、アコニーに殴打を加えるが、まるでスッポンに噛み付かれたかのごとくアコニーは離れない。

「ヘルガ!今だ。撃て!」

「え?! あ!うん!」

アコニーの叫びに、最初の弾丸が命中してから硬直していたヘルガが、その自我を取り戻し引き金を引く。
だが、いくら引き金を引いても弾は出ない。
アコニーに助けられる前、盗賊に襲われた時に何発か撃ったためか、最後の弾丸を撃った後、トカレフのスライドは引ききったまま止まっている。

「え? あ! 弾切れ?」

「ぐっ! がぁ! ヘル……ガ! 早く!」

女盗賊に殴られつつも、アコニーは必死にその足を離さない。
しかし、対するヘルガは予備の弾装など持ってはいない。
時間は無い。弾も無い。そんな状況になって、ヘルガに残された手段はシンプルなものだった。

「えぇっと、うん。 でりゃぁぁぁぁ!!!!!」

ドワーフの魔法によって強化された腕力に任せ、力いっぱいトカレフを投げる。
大きな石も軽々ともてるパワーから繰り出されたその一投は、アコニーを引き剥がすことで一杯一杯だった女盗賊の頭にクリーンヒットした。

ガン!

「ぐふぅ……」

頭にトカレフの一撃を受けた女盗賊は、糸が切れるようにその場に崩れ落ちる。

「あ、当たった……」

気を失った女盗賊。
そして、その横では満身創痍のアコニーが腰をつく。
とりあえず、障害は片付いた。
アコニーはそう思って、立ち上がろうと足に力を入れると、今更になって一人で行動していたパッキーが霧の中から現れた。
彼はアコニー達に駆け寄ると、鼻血だらけのアコニーに声をかける。

「おい!大丈夫か?」

パッキーは二人を見ながら怪我の程度を確認する。
そんな今更になって現れたパッキーに、アコニーは沸々と不満がわいたが、それも彼の姿を良く見ることで掻き消えた。
見れば、ポーチに入れていたはずの予備弾装はかなり減っていたし、服のあちこちに返り血がある。
兎人族の彼には接近戦は厳しいハズだが、何かやらねばならない事態でもあったのだろう。
彼は彼で戦っていたのだ。それも一人で……

「あたしらより、教授やカノエ達を……
宿の中から誰か攫われた……」

アコニーは、パッキーを責める事はせず、むしろ自分が護衛を離れたために起きた事態を恥じながら現在の状況を話す。
それに対して、パッキーは特に責める様子も無く、淡々と役割分担を提案してきた。

「何!? そうか、じゃぁ俺が逃げるあいつらを追跡するから、お前らはコイツを縛って教授達の安否を確認してくれ」

「分ったわ」

そうしてパッキーが遠ざかる足音を頼りに、また霧の中に姿を消すと、アコニーはベルトで女盗賊を縛った後、宿の部屋へと駆け戻った。

「教授!」

勢いよくドアを開くが、部屋の中には誰もいない。

「いない?!」

「攫われちゃったの?……」

アコニーとヘルガの二人は最悪の事態に顔を青くする。
現実の誰もいない部屋と嘘であってほしいと願う気持ちから、くらくらと眩暈までする。
ヘルガなど、絶望のあまり床にへたり込んでしまった。

「あぁぁ…… 何て報告しよう……」

覇気の無い声でヘルガが呟いたそんな時だった。

ゴト……

「!?」

ベットの下から物音がする。
何事かと思って身構えると、今度はベットの下から声がした。

「わしらは大丈夫だ……」

「教授!」

アコニーとヘルガの二人がベットの下を覗き込むと、なんとそこから教授と荻沼さんの二人がのそのそと這い出してきた。
教授達は埃を払いながら立ち上がると、アコニー達に向かって話し出す。

「わしらは賊が宿に進入したときにカノエ君が咄嗟にベットの下に隠してくれたから助かったよ。だが……」

「だが?」

「カノエさんが連れ去られてしまった……」

ガックリと肩を落として話す教授に、二人は驚愕の声をあげる。

「何だって?!」

「抵抗していたようですが、金目の物と一緒に袋に入れられて……」

荻沼さんが補足するように話すが、それを聞いたアコニーはぺたんと床にしゃがみこんでしまう。

「あぁ…… カノエが……」

頭を押えて呟くアコニー。
そして彼女は思い出した。
宿に戻ってきたとき、盗賊が盗品と一緒に袋を被せた人影を担いでいた。
恐らく、あれがカノエだったのだ。
あの時、何が何でも阻止していれば……
悔やんでも悔やみきれないといった表情を浮かべるアコニー。
そんな彼女に対して、ヘルガはそっと肩に手を置いた。

「……アコニー。大丈夫よ。
今はパッキーが連中の後を追跡してる。
社長達が帰ってきたら捜索隊を出してもらいましょう」

「うぅぅぅぅ……」

自分の鼻が女盗賊によって潰された為、臭いを嗅いで追跡することも出来ない。
アコニーは、現状でパッキーの帰還を待つより他に無いと悟ると、そのまま泣き崩れるしかなかった。




[29737] 盗賊と人攫い編2
Name: 石達◆48473f24 ID:3d3e3532
Date: 2013/01/19 21:24
カノエが攫われた事の顛末をアコニーが説明し終ると、拓也と共に村を離れていた全員が、驚愕と憤怒の混じった表情を浮かべていた。
アコニーが説明した当初はその場には拓也達一行とアコニーらしかいなかったが、今ではエンジン音を聞きつけた教授や村の皆も集まり、皆、一様に残念そうな表情を浮かべている。

「そんな事が…… で、奴らの後を追ったパッキーはどうした?
それと、他の被害は?」

説明を一通り聞き終えた拓也がアコニーに聞く。
彼女の説明では、賊を追いかけていったパッキーが追跡の唯一の手がかりになるようだったし、トラックが燃えている事も気になる。

「パッキーは、まだ戻ってきてません。
それと、攫われたのはカノエだけです。他の村人は、パッキーと司祭様の奮闘で怪我人こそいますが全員無事です。
あとの被害は、物取りと、奴らが逃げるついでに数件の家に火を放って行きました。
トラックが燃えたのもそのせいです。
ですが、襲ってきた賊の内、十数名を打ち倒しまして、一人を捕虜にしました。
賊は全員が亜人で、種族も様々です。そして、捕まえたハイエナの捕虜は奴等の会話の内容から頭目に近いと思います」

それを聞いて拓也は思う。
貴重な情報源を一人でも確保できたのは不幸中の幸いだろう
頭目ならば何かしらの情報は知っているはずだ。
仲間を売るかは分らないが、一応尋問しておくべきだ。

「ちょっと会わせてくれ」

拓也はアコニーにそう言うと、アコニーは言われるがままに拓也らを宿にある倉庫へと案内した。
さほど大きくは無い板張りの倉庫。
そんな薄暗い小屋の中に、後ろ手を柱に括り付けられ猿轡を噛まされた亜人の女盗賊が一人、来訪者をギロリと睨みつけていた。

「ん~~~!んんーー!!」

なんとか抜け出そうと頑張る女盗賊だが、ステンレスの手錠は彼女の手首に食い込むばかりで身動きが取れない。

「コイツか」

「そうです。ハイエナ族の女です。コイツの部族は根っからの盗賊家業ですよ。凶暴ですから気をつけてください」

そういって、アコニーが殴られて腫れ上がった頬を押さえながらハイエナの女盗賊を睨む。

「あぁ気を付ける。それはそうと大丈夫かアコニー?」

拓也は気付いていないわけではなかったが、毛皮のせいで痣こそ良く見えないものの、彼女の鼻血の痕と不自然に腫れた顔はよく目立った。
先ほどまでは、カノエが攫われたことが気がかりであまり意識はしていなかったが、見れば見るほど盛大に殴られたようであった。

「コイツの投げつけてきた何かの汁のせいで、暫くは鼻が利きません。
それ以外は、多少殴られた箇所が痛みますが大丈夫です」

「そうか。何か治療に欲しいものがあったら何でも言ってくれてかまわない」

「ありがとうございます。社長」

見た目は痛々しいが、本人が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。
拓也は気を取り直してハイエナの女盗賊を見る。

「それじゃぁ、面談といくか。猿轡を取ってくれ」

拓也の言葉に、女盗賊の背後に回ったアコニーが猿轡を解く。

「ぶはぁ!この!クソ野郎!さっさとあたいを解放しないと、あんたの粗末な金玉もぎとるよ!」

開口一番、深呼吸と共に下品に拓也を罵る声。
実に元気が良い。
だが、それが気に入らないのか、女盗賊の横に立っていたアコニーが無言で彼女の顔を殴った。

「ガハッ」

「なぁ、社長に向かって何て口きいてんの?
立場わかってる?さっさとカノエの場所教えなよ」

そう言って、アコニーが女盗賊の胸倉を掴んで無理やり立たせる。
だが、そうした恫喝にも彼女は全く怯むそぶりも見せない。

「まぁ まて、アコニー。
パッキーがいつ帰ってくるか分らないし、円滑なコミュニケーションの始まりは自己紹介からだ。
と言う事で、仕切りなおそう。
俺の名前は石津拓也。
君の名前は何ていうんだ?」

アコニーが何も指示する前から殴りかかっていったのを見て、拓也はなるべく優しく女盗賊に接する。
それは、以前、拓也が刑事物のテレビドラマで見たベタな手法だった。
怖い刑事の後に優しく接し、被疑者の味方だと錯覚させて自白させようという魂胆だ。
拓也はニッコリ笑って女盗賊に自己紹介する。
だが、現実は上手くはいかないものだった。

「ペッ!!」

女盗賊が拓也の顔面に唾を吐く。
それも、吐く直前にカァ!っと悪魔玉(痰)を絡める凶悪ぶり。

「おまえ!!」

それを見たアコニーが咄嗟に殴りにかかるが、拓也はそれを静止する。

「まぁ待てアコニー。落ち着いていこう」

拓也はそう言って、顔面に付いた唾(悪魔玉を含む)を拭う。
その途中、粘つく液体が糸を引くのを見て拓也は何ともいえない気持ちになるが、それでも彼は耐えた。

「元気が良いのは結構だ。
名前も言いたくないなら別に良い。
だが一つ、言っておきたい。
君の現在の肩書きは、捕まった盗賊だ。
しかも現行犯で逮捕された。
自分はこちらの法には詳しくないが、重罪を犯した君は恐らく死刑になる。
いや、やはり絶対死刑だ。君は死刑。間違いない」

拓也は断定した口調で女盗賊に告げる。
お前は死ぬのだと。
女盗賊は、淡々と真っ直ぐに見詰められて告げられる言葉に、流石に顔を青くする。

「……」

女盗賊は黙って拓也を睨む。
覚悟はしていたようだったが、改めて言われると感じ方が違うのだろう。
拓也は女盗賊の表情が硬くなるのと確認すると、優しく彼女に笑う。

「だが、自分達は一つだけ君の命を助けれる方法を知ってるんだけど、知りたくないか?」

そう言って微笑みながら拓也は女盗賊の回答を待つが、数秒考えた末、彼女はボソボソと小さな声でそれに答えた。

「……どうせ仲間の居場所を教えろっていうんだろ?」

女盗賊の拓也を睨む目つきが険しさを増す。

「理解が早くて助かる。
まぁそれが、君が助かる唯一の選択肢だよ」

「……」

「命は一つしかない。
それに、もし仲間が捕まっても罪状を軽くするよう陳情してあげてもいいよ?」

拓也は女盗賊に言う。
捕まった以上、処刑という未来しかない彼女に対し、地獄に下ろされた一本の蜘蛛の糸を垂らすかのように。
拓也は彼女がその糸を取るのを待つ。
だが、それは彼女の方から断ち切られた。

「ペッ!!
 誰が仲間を売るもんか!教えた途端、かぁちゃんも弟も一族皆殺しになるに決まってんだろ!
おとといきやがれ!」

再び拓也に向かって唾を吐く女盗賊。
顔面に滴る女の唾。
拓也は眉間に皺を寄せながら垂れる唾を手で拭うと、無表情で顔に付いた唾をハンカチで拭いながら無言で立ち上がった。

「駄目だな。バトンタッチ」

拓也はくるりと踵を返すと、そばにいたエドワルドの肩を叩く。

「ん?俺でいいのか?」

「任すよ。
好きにしちゃっていいわ」

どうやら彼女はこっちを舐めてる。
尋問の始めから懐柔を図ったのは失敗だったかも知れない。
ならば、少々怖い目に遭ってもらおう。
拓也はそう考えてエドワルドに以後のことを一任すると、出口に向かって歩き出した。

「じゃぁ 俺、腹減ったからちょっと飯食ってくる。
あと、他に腹へっている奴がいたら、交代で飯食いにいってくれ」

拓也はそういうと、宿の食堂に向かって歩き出した。
それに付き添うようにラッツやヘルガ等、数人がその後を付いてくる。
思えば、戦闘の後から何も食べてない。
皆、腹も減るはずだった。
拓也達は、食堂に入ると宿の親父に食事を頼む。
今日のメニューは、大陸田舎料理に飽きた拓也が、宿の親父にあげた米と宿にあった塩漬け肉とピクルスだった。
拓也は薄くスライスされた塩漬け肉をご飯の上に一切れのせる。
保存の為にふんだんに塩を使った肉は、とてつもなく塩辛いため、日本人の拓也としてはご飯無しでは食べれない。
思えば、嫁のエレナも時々酒のおつまみとして塩漬け肉を作ってくれたが、ロシア人やこの大陸の人間は、よくこんな物をご飯なしで食べれるものだ。
そんな事を拓也が考えていると、頼んでもいないのに宿の親父が小鉢をもう一品出してきた。

「これは?」

「トゥルルー芋をすり落としたものだよ。
あんた達にゃ、この村を守ってもらったからな。些細な恩返しの一つだ」

「トゥルルー芋?」

「摩り下ろしたらネバネバになるんだが、ソースと絡めて食べれば結構旨い」

拓也は小鉢を手に取ると、ネバネバした白い芋の摩り下ろしを一口食べる。

「あぁ、とろろ芋か。うん、自然薯みたいに粘り気が強くていいね」

そう言って拓也はトゥルルー芋をご飯にかける。
宿の親父は魚醤のソースをかけるようにいってくるが、拓也はそれを無視して食堂に置かせてもらっている醤油のビンを取ると、おもむろにトゥルルー芋の上にかけた。

「はぁ……」

久々にゆっくり食べる炊きたてのご飯。
今までも調査中は、野外で飯盒炊爨はしたものの、ゆっくり屋内で米を食べることは無かった。
疲れたときこそ食事は至福の時間になる。
拓也は肩の力を抜き、リラックスしながら夕食を頬張っていると、食堂に入ってくる足音と共に、後ろから声がかかった。

「あの、大丈夫ですか?」

声のした方を振り返れば、そこには不安そうな瞳で拓也を見つめる荻沼が立っていた。

「あ、荻沼さん。
なかなか口を割らないですね」

茶碗を持ったまま回答する拓也。
そんな食事中の拓也の様子を見ながら、荻沼は拓也に対面する席に腰をかける。

「そうですか。
カノエさん…… 無事だといいですね」

自分達の囮となって捕まったカノエを思い、荻沼は祈るように拓也に話しかける。

「それについては祈るしかないです」

荻沼と同様に拓也も仲間の無事を願ってはいるが、あまりにも情報がない。
軍にも一応連絡はしたが、霧から始まる一連のドタバタのせいで捜索に回せる人員の余裕はなく
その上、普通の民間人ではなく自ら危険地域に飛び込んだ民間軍事会社の社員。
それも北海道民ではなく難民出身の人物ということで、あまり積極的には動いてくれない。
その為、今、拓也に出来ることは盗賊の追跡に向かったパッキーを待ち、カノエの無事を祈ることだけだった。
そんな事から、食堂に集まった二人の間には、気の利いた会話があるでもなく、ただ沈黙のみが支配する。
時間にしてみれば十数秒の事だったかもしれないが、その沈黙を破ったのは、押し黙ることに耐え切れなくなった拓也だった。

「それはそうと、食堂に来たって事は、荻沼さんも食事ですか?」

拓也は暗くなった空気を変えようと話題を振るが、荻沼は暗い表情のまま目を伏せる。

「いえ、ちょっと声が怖くて……」

「声?」

そこまで言われて、拓也はハッと気付いた。


「うわあああ!!!……」

宿の中に響く、尋問を受ける女盗賊の声。
防音なんて考えてない作りの建物なだけに、彼女の部屋まで響いていたのだろう。
それに内容を伝えていない"尋問"による同性の叫び声に、色々と不安になったに違いない。

「すいません。不快なら村長のお家にお邪魔させてもらえるよう頼んできますが?」

仲間を助けるために情報は少しでも必要だ。
これが、被害が盗賊の物盗りだけであれば、拷問に近い尋問はためらったが、事実として仲間が攫われている。
最低でもカノエの救出だけはなんとしても行わなければならない。
荻沼には悪いが、尋問はやめることは出来ない。
よって、そのための配慮として、村長の家で休むことを提案してみたが、荻沼はこの提案に首を横に振る。

「あの、あんな事があった後だと皆さんから離れるのも怖くて……」

そう言って荻沼は自らの体を抱きかかえて俯いてしまう。
拓也はそんな荻沼の姿を見て暫く無言で考えた後、茶碗を置いて席を立った。

「ん~。そうですか。
分りました。ちょっと止めてきます」

「え?」

荻沼が拓也に聞き返す。
仲間の救助の為に過激な尋問をしていることは理解をしてはいるが、ここまであっさり止めてもらえるとは思っていなかったからだ。

「捕虜虐待の容疑とか世間体が悪いですしね。
ちょっと尋問方法を注意してきます」

そう言うと拓也は女盗賊が監禁されている倉庫へ向かおうとするが、テーブルから数歩歩いたところと一つのアイディアを思いついた。

「あ、そうだ。
目の前で食べ物チラつかせたら吐く気になるかな……
おっさん、ご飯のお代わりくれ!それもトゥルルー芋山盛りで!」

「おうよ!」

とりあえず、やるだけやってみよう。
拓也は威勢の良い声で宿の親父にお代わりを頼むと、荻沼に手を振って食堂を出る。
ホカホカのご飯に醤油掛けトゥルルー芋。
その匂いを振りまいて拓也が倉庫に入ると、だらしなく涎を垂らす女盗賊の周りでスタンガンを持つアコニーをエドワルドが目に入った。

「おっす。吐いた?」

片手にトロロ飯を持ちながら倉庫に戻ってきた拓也は、捕虜の前にいたエドワルドに声をかけた。
だが、その問いに対し、結果はあまり芳しくないのかエドワルドは口をへの字に曲げて首をふる。

「なんとうか強情だな。痛みに慣れてやがる」

「ふん!あんたらの拷問なんて、かーちゃんの折檻に比べたら屁でもないね!」

女盗賊は、強がりなのか本当に堪えてないのか、鋭い目付きでキッと拓也をにらみつける。

「……こんな感じだ」

エドワルドが肩をすくめながら拓也に言う。

「ふーん。まぁいいや、一回尋問やめようか」

あっけらかんと言う拓也の言葉に、エドワルドは首を傾げる。

「ん?どうしたんだ?」

「いや、意外に電気ショックの叫び声って宿に響いてさ。
荻沼さんが怯えてる」

「そんなの、一時の間、宿から離れて貰えばいいじゃないか」

そんな些細なことを気にしているのかをエドワルドは視線で拓也に問いかけるが、拓也のほうもそれを察して宥める様に説明する。

「それが、今回の件の後だと一人でいるのは不安だから、皆と一緒にいたいんだと。
それに北海道に帰った後、俺達が捕虜虐待してたって大っぴらにされると色々と不味い。
今はまだ彼女が精神的に耐えれる限度内だけど、やりすぎて彼女の良心の呵責の範疇を超えるようになるとね……」

PMCの現地人虐待。
理由はどうあれ北海道の大手新聞社が好きそうなネタである。
あまり悪評が出ると、今後の入札や随意契約時に影響が出ても困るのは確かだ。
今は仲間を救出するための尋問と称して教授達を納得させているが、尋問の限度を過ぎれば彼らがゲロする可能性も無きにしもあらずである。
拓也とエドワルドは暫くその事について話をしていると、尋問が止まった事で余裕が戻ってきたのか女盗賊が勝気な声をあげた。

「フン!なにをコソコソしてんだい!
根性なし共め!拷問する度胸も無いんなら、あたしが立派なイチモツであんた等に根性を注入してあげるよ!尻をだしな!」

女は下品な笑い声を上げながら拓也達を挑発する。
それは、女が未だに自分の心は屈していない事を表したかったのだが、その一言に拓也は顔をしかめて嫌そうな表情をする。

「え?、何?イチモツ?何言ってんのコイツ……」

ちょっと前に、偽クシャナ様に騙されたばかりなのに、こいつもか……
実は、こちらの世界は、転移前世界のタイみたいにニューハーフ文化が花開いているのではないかと拓也の頭に嫌な想像がよぎる。
だが、拓也のそんな疑問を感じ取ってか、エドワルドは倉庫の中で拾った棒で女盗賊の衣服をぺろりとめくった。

「いや、どうもコイツは特殊らしい。
こいつはハイエナの獣人で、さっき様子を見に来た教授が言ってたんだが、ハイエナはメスにも偽根といったイチモツに似たものが付いてるらしい。
で、コレがこいつのナニだそうだ」

そう言ってエドワルドが木の棒で女盗賊の下半身をつつき、それを見た拓也は眉を顰めた。

「マジかよ。とんだファンタジーだな」

「何でも、ハイエナはそこから出産もするそうだ。
想像してみろ。小さな尿路結石でも激痛が走るのに、そこから赤ん坊を産み落とすんだぞ?
こいつが尋問に耐えているのも、そこらへんが影響して、生理的に痛みに対してかなりの耐性があるからかもしれないな」

拓也は、かつて尿道炎にかかった痛みを思い出して青くなりつつ、エドワルドの話を聞いて思った。
これはやっぱり痛み系の尋問では埒が明きそうにない。
やはり、別のアプローチが必要だ。

「なぁチンコ犬。
腹減ってるだろ?」

拓也は女盗賊の前に座ると、醤油のかかったトロロ飯を見せびらかすように頬張る。

「犬じゃない!ハイエナ族だ!
なんだ飯食うのを見せ付けるってか?この下衆野郎!!」

「そんなところだ。
いやぁ、ファンタジー世界で食べるトロロ飯は美味いね。
これでマグロの切り身でもあれば、もっと最高だったんだけどさ」

「悪趣味な……」

そういって拓也は女盗賊の前でトロロを伸ばし、ホカホカのご飯に絡めて見せる。
それを間近でみていた女盗賊は、ゴクリと喉を鳴らすと、出来るだけ見ないようにと目を伏せた。

「お?何だ?食いたいか?
食いたかったら何をすればいいか分るよな?」

「フン!腹減ったくらいで仲間を売るもんかね!」

「まぁ それもそうだな。
だが、こっちも仲間を攫われた以上、引下る訳にはいかないんだ。
村人はどう思ってるかは知らないが、仲間が帰ってくるなら正直な所、お前らが捕まろうが逃げようがどうでもいい。
そこで、改めて取引だ」

そう言って拓也は茶碗を置くと、改めて女盗賊と向かいあう。
対する女盗賊も、拓也の態度が急に改まったため、何も言わずにジッと拓也を睨み返した。

「捕虜の交換。シンプルな取引だろ?
仲間を帰せばお前も解放して、お前の仲間には手を出さない」

「……」

「もちろん、これは村人には内緒だ。
金目の物も取り返したい村人は、こんな密約は認めないだろうからな。
筋書きとしては、お前を尋問して盗賊のアジトを突き止めたは良いが、接近を盗賊に感づかれ逆に捕虜を奪われる。
そして、なんとか仲間を取り返したものの盗賊は取り逃がしてしまった。
……というストーリーを思いついたんだが、どうだ?」

拓也が取引の内容を説明する。
此方が妥協の姿勢を見せたことにより、女盗賊も思うところがあるようだ。
女盗賊は暫く黙って考え込んだ後、そっと口を開いた。

「……あたいを解放した後に、追ってこないって保障はあるのかい?」

「保障は無いな。これは現段階では俺とお前との口約束に過ぎない。
忠実にそれが履行されるかは、俺達の信頼関係次第だ。
まぁ こっちは駆け出しだけども経営者の端くれ。そちらに違反が無い限り約束は守るよ。」

「……」

拓也の言葉に女盗賊も悩む。
悪くない話だが、それを信じていいものか。
囚われの身では確証を得るための情報を集める手段は無く、ほぼ賭けに近いものだった。

「……ンカ」

「ん?なんだって?」

下を向いて考え込んでいた女盗賊が何かを呟く。
だが、あまりに小さい声に拓也の耳には届かない。
拓也は聞き返そうと女盗賊に近づく。
そんな時だった。

「カァーー!!!ペッ!!」

再度拓也の顔に振りそそぐ女盗賊の唾(with悪魔玉)。
女盗賊は滴るそれを見て勝気に言い放った。

「ぶぁーーかめ! 何処のどいつが盗賊との約束なんて守るもんか!
いままでも、あたしらにそんな話を持ちかけてきた奴はいたが、みーんな嘘っぱちだったさ!
誰がそんな話なんて信じるもんかね!」

顔面にまたしても唾を吐きかけられた拓也は、硬直したまま彼女の言葉を最後まで聞くと、無言でスクッと立ち上がり、顔をしかめながら顔にかかった唾を拭く。
そうして一通り拭き終わると冷たい目線で女盗賊を見下して言った。

「そうか、これが最後のチャンスだと思ったんだがな。
何、お前が言わないなら斥候の帰りを待つだけだ。
時間をロスした分、遠くに逃げるだろうが、そんなものすぐに追いついてやる」

そう言って拓也は傍に置いていたトロロ飯を手に取ると、女盗賊の紐パンを引っ張って、茶碗の中身をパンツの中にぶちまけた。

「うわぁぁあ!!!!熱い!熱い!熱い!熱い!」

「まぁ 心変わりして話したくなったら見張りに言え。
……行くぞ」

拓也は女盗賊に背を向けると、アコニーの肩をポンと叩く。
アコニーは立ち去ろうとする拓也に戸惑いを見せてながら女盗賊のほうを見る。

「え?でも……」

「今は何を話しても無駄だ。
それに、その内パッキーも帰ってくる。
それまで放置だ。どうせ口を割らんよ」

「あ…… ハイ……」

そういってアコニーも納得したのか、見張りを一人残すと他の皆も倉庫を後にする。

「あああああ!え?何コレ?トゥルルー芋が……
ちょっと助けて!あぁ痒い!ちょっとまってよぉぉぉ!」

倉庫から聞こえる女盗賊の叫び声、だが、拓也達は振り返ることは無かった。
拓也はエドワルド達を引き連れて宿の廊下を歩く。
何か聞きだせるかと思ったが、当てが外れた拓也は落胆していた。

「まぁ 改心してこちらの役に立つ確証があれば助けてやっても良いと思ったけどね。
だが、そんな可能性も無さそうだ。
装備を点検してパッキーが帰ってくるのを待とう」







あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ……





拓也達が倉庫から立ち去った後も、スタンガン等を用いた尋問時とは声色の違う叫びが一晩中宿に響く
皆の睡眠を妨害するその声がやんだのは、パッキーが帰ってきたのは翌朝になってからだった。

「ご苦労だったな。
で、どうだった?」

朝方、村に一人戻ってきたパッキーは、帰還するやいなや拓也の元に報告に来る。
だが、その姿は何時ものシャキっとした姿の彼とは明らかに違った。

「ブツブツブツ…… 俺は何をやっても駄目だ…… 一人は寂しい……」

ふらつく足取りに加え、ずっと俯いて目を合わせようとしない。

「いかん、単独行動させて鬱になってる。
ちょっと皆、パッキーを励ましてくれ」

パッキーの姿を見てこれはいかんと思った拓也の言葉を聞いて、ヘルガやアコニーがパッキーに優しい言葉でフォローする。
皆で囲んでパッキーの労をねぎらってはいるが、拓也はその姿を見て一つ溜息をついた。

「うぅむ。武装ピー○ーラビット君は優秀なんだが、この欠点さえなけりゃぁな」

うつ病ウサギを立ち直らせるため、ヘルガ達が頭を撫でたりスキンシップをする。
その過程で、アコニーが頑張れ、超頑張れとか言っているけど、あの言葉ってうつ病患者に禁句じゃなかったか?
そうして10分が経過する頃には、パッキーはようやくいつもの姿を取り戻していた。

「社長。すいませんお手数かけました」

「で、賊はどこに逃げた?」

「この先の川までは追跡できたのですが、奴等、そこから筏で川を下りました。
自分が追跡できたのはそこまでです。すいません」

「何だって?」

「ですが、逃げられる前に奴等の話を盗み聞きしました。
奴等、一度捕まえた奴隷を捌く為に奴隷船に接触するそうです」

「で、その場所は?!」

「残念ですが、そこまでは……」

「クソ!」

その報告は肝心な所が抜けてた。
盗賊の居場所。
その大体の位置が分かっていれば、速力にモノを言わせた全力出撃で補足しようと思っていたが
川を下ったのであれば、こちらの車両を用いた速力のアドバンテージが効かなくなってしまう。
その為に、このパッキーの斥候が決定打に欠く以上、拓也の取りうる選択肢は只一つだった。

「……仕方ない。奴に聞いてみるか」

拓也は嫌な顔を浮かべながらそう呟く。
盗賊が奴隷船と接触するのであれば、その予定は前々からあったはず。
であるならば、拓也達に残された道は捕虜から聞くより仕方なかった。






「うわ!臭!」

部屋に入った途端に鼻腔を刺激する生臭い匂い。
見れば、縛られた女盗賊が土下座するかのような体勢で地面に突っ伏していた。

「はぁはぁはぁはぁ…… もう、許して……」

呼吸が荒く、顔が上気している。
見れば、とろろ芋の他に各種液体で体中がドロドロになっている。
そしてそのドロドロは女盗賊の近くで水溜りとなっており、出来ればあまり近づきたくない有様だった。

「ちょっと、バケツに水汲んで洗い流してやって
こりゃ、やりすぎたかも……」

だらしなく口の端から涎を垂らす女盗賊を見ながら拓也は反省する。
まさか股間トゥルルー芋の威力がここまであるとは……
そんな事を考えていると、バケツに水を汲んできたアコニーが、その水を女盗賊に向かって容赦なく浴びせる。

バシャ!

「あぁ!」

女盗賊は突然浴びせられた冷たい水に妙に艶っぽい声を出すが、その一撃で大体の汚れは流されていた。
拓也は比較的綺麗になった女盗賊に近づくと目の前にしゃがむ。

「なぁ おい!」

「は、はい」

一晩のトゥルルー芋の刑が余程こたえたのか、妙にしおらしい声で女盗賊が答える。

「お前ら、奴隷を売りさばくつもりだったろ」

「はい」

「その場所って分る?」

「それは…… この先の川を下った先にある入り江に奴隷船が停泊することになっているんです。
あたいらは、この村を襲った後、そこに向かう予定でした」

「そうか、ありがとう」

昨日とはうって変わってペラペラと喋る女盗賊に拓也は首を傾げつつも、有益な情報が得られたためさっそく追撃の準備をしようと拓也は立ち上がる。

「あ、あの! それだけですか?」

倉庫から出て行こうとする拓也に女盗賊が声をかける。

「は?」

「いえ、なんでもないです……」

何の用だと拓也は聞きたかったが、女盗賊は俯いて黙ってしまう。

「……まぁいい。アコニー、こいつも連れて行くからトゥルルー芋で汚れた服とか取り替えてやれ」

「はい。社長」

拓也の命令にアコニーが衣類を取りに部屋を出て行く。
そして拓也も女盗賊は最早用済みと倉庫から立ち去る。
情報は聞き出した。
急いで追撃しなければならない。
拓也は出立の準備をしながらエドワルドに話しかける。

「なんか、いやに素直だったね。
昨日のトゥルルー芋がそんなに効いたのかな?」

「さぁ、どうだろうな。あまりに素直すぎて何かの罠かもしれんな」

先ほどの遣り取りを思い出し、拓也達は語る。
昨日の反抗的な態度は何処にいったのか、口調まで変わって従順な女盗賊の姿に二人は首を傾げる。
そんなこんなで二人が話し込んでいると、社長~と拓也の事を呼びながらアコニーが此方にかけてくるのが見えた。

「お、アコニー。どうした?」

「社長。ちょっと不味いです」

アコニーは、こちらに来るなり眉を顰めて報告する。

「どうした?何が不味いんだ?」

「あいつ、トゥルルー芋地獄で放置されてから、少しおかしくなってます」

「おかしい?」

拓也はその言葉に、女盗賊があまりの痒さに気が狂ってたのかと想像する。
もし、そうならば狂人の言葉にどこまで信頼性があるだろうか。
もしかしたら追撃が全くの空振りになるかもしれない。

「はい。
最初はあまりの痒さに社長の事を憎く思ってたらしいんですけど……」

「それで?」

「凄まじい痒さの中、憎い社長の事を待ち続けているうちに痒さが気持ちよくなってきて、その間も社長の事を考えてたら変な気分になってきたと……」

「……」

「奴の中で何かが目覚めたようですね。
今まで加虐心しか持っていなかったのが、トゥルルー芋によって強制的に被虐心が覚醒したようです」

「……」

拓也にとって、その変化は予想外だった。
最早、何も言えず、拓也はその場に硬直するしかなかった。

「処分しますか?あまり変なのが社長の周囲をうろついていると、奥さんに殺されますよね?」

そう言ってアコニーが首を掻っ切る仕草をする。
それに対し、拓也は何と言って良いか言葉が見つからない。
盗賊の襲撃から始まる一連のトラブルは、色々と複雑化を極めていた。









大陸の南海岸。
外洋からすっぽり隠すように入り組んだ入江のその奥に、盗賊の一団の隠れアジトがある。
そこでは、襲撃によって得た金品の集計や、奪った食料で食事の準備の真っ最中だった。
襲撃の後、結構な人数が減ってしまった盗賊たちであったが、討ち取られた盗賊の過半数はハイエナ族とは違う他族の難民崩れ
そういった連中は、まださほど盗賊団に馴染んではいなかったため、特に悲しみもされなかった。
そんな集団の中、ハイエナ族の少年が、もと来た方角を見ながら一人佇んでいた。

「ねーちゃん……」

その口から漏れるのは、戻ってこなかった一人の姉を呼ぶ声。
だが、いくら呼んでも求める人は帰ってこない。

「諦めな。イラクリ。
残念だけど、あいつは運が無かったんだ」

そう言って少年の後ろから彼の頭を撫でるのは、少年の母。
この盗賊団の首領でもあるニノだった。
盗賊家業をやっていれば身内が死ぬのも珍しいことじゃない。
過去に何度もその様な光景を見てきたニノは、すぐに慣れると言ってイラクリを慰める。

「元気をお出し。ほら、入江に船が入ってきたよ。」

そう言ってニノはイラクリの頭をグシャグシャと撫でる。
見れば、入江には一隻の船が入ってきていた。
ゆっくりと入江に侵入してきた船は、外海からは見えない位置まで来て投錨する。
それは、かなり年季の入った中型の帆船だった。
投錨して帆が畳まれると、海面に降ろされた小船に乗って乗員が浜の方に近づいてきた。

「久しぶりだね。商品を持ってきたよ」

女は浜まで歩いていくと、小船を降りて上陸する人影に声をかける。
その声をかけられた方はというと、伸ばしっぱなしの黒髭に黄色い歯、服装からして船長だと推測できるものの
深い皺の刻まれた痩せた顔からは、堅気の雰囲気は一切感じないような男だった。

「おう、ニノか。
待たせたな」

船長とみられる男は、女にフレンドリーに片手を上げて挨拶し、ニノは肩を叩いて彼を出迎えた。

「今回は男4子供1女2だよ」

再開を喜ぶ短い応対の後、ニノはすぐに商売の話に入る。

「なんだ。今回はすくねぇな」

「ちょっと仕事でドジっちまってね。
仕方が無かったんだよ」

船長は期待はずれだと言わんばかりに肩をすくめ、ニノはその言葉を聞いてポリポリと頭をかく。

「そうか、まぁ そういう時もあるか。
まぁいい 商品を見せてくれ」

船長は今更商品が少ないのは仕方ないと割り切り、ニノに商品を見せるように言う。
それに対してニノも海岸近くの林に潜んでいる手下に命じて、縄で繋がれた誘拐被害者達を一列に並べた。
船長は、並べられた者達を舐め回すように観察し、歯の有無や肉の付き方を一人づつ確認しはじめた。
奴隷として売るためには健康状態などの目利きが大事。
船長は入念に一人ずつチェックする。

「そういえば、お前の娘のタマリの姿がみえねぇな」

途中まで商品をチェックしたときだった。
船長がふと気になったことを口にする。
いつもなら自分が来た時にはニノの子供であるタマリやイラクリが挨拶に来ていたのだが、今日はその片方の姿が見えない。

「ちょっと、運が無くてね」

船長の問いに、言葉を濁して答えるニノ。
だが、船長はその言葉と彼女の表情で全てを察したようだった。

「そうか、すまんかったな。
まぁ 辛気臭い話は置いといて商売といこうか」

堅気の商売じゃない以上、殺しただの殺されただのは珍しくない。
変に気を使う事でもないと船長は割り切っていた。
船長は一言謝ると、暗い雰囲気にならぬよう陽気にさぁ商売だと言いながら商品の鑑定を再開する。

「……この男は歯も全部あるし、なかなか働けそうだな。
金貨一枚でどうだ?」

「何言ってんだい。それは足元見すぎだよ。聞けば大した病気もしてないそうだし、もうちょっと色をつけてよ」

「しょうがねーな。
じゃぁ金貨一枚と銀貨三十枚でどうだ?」

「仕方ないね」

「毎度」

盗賊家業で身内が死ぬのは珍しいことじゃない。
陽気に対応する船長に感化されるように、ニノも調子を戻して値段の交渉にはいる。
そうしている内に、捕まえた人間は次々に値段が付いていき、残るは最後の一人となった。

「じゃぁ 最後はコイツだね」

そう言ってニノは、後ろでを縛られたカノエの髪を掴むと、船長に良く見えるよう顔を上げさせる。
先ほどまで伏せていた顔を髪を掴んで強制的に晒され、その痛みにカノエは苦悶の表情を見せるが、二人は一向に気にしない。

「おぉ!コレはなかなかの別嬪さんだな」

そう言って船長はいやらしく笑うと、おもむろにカノエの胸を掴む。

「ん゛!ん゛ん゛ん~~!!!」

カノエは船長を睨みつけながら声をあげようとするが、口に咥えさせられた猿轡のせいで唸る以上の声が出ない。

「これは中々の掘り出しもんだよ。肌の張りもいいし。胸もデカイ。
ちょっと最近捕まえたばっかりで元気が良すぎるから猿轡で黙らせてはいるけど、歯も全部揃ってるし顔も良いよ。
東方に持っていけば良い値になるんじゃない?」

船長はカノエの体を舐めるように見ながら、じっくりと値踏みする。

「そうだな。金貨二枚でどうだ?」

「五枚」

「三枚」

「五枚」

明らかに低めな船長の提示する値段に、ニノは一切値下げしない。
それだけ、ニノにはカノエが高く売れると踏んでいたのだ。

「ち、仕方ねーな。
金貨四枚とペニー銀貨二十枚だ。それ以上はだせねぇぞ」

強気なニノの姿勢に船長もついに折れた。
ニノは船長の表情を見て、ここらが限界かと納得し、ニヘラと笑いながら船長の肩を叩いた。

「へへへ。毎度」

笑みのこぼれる彼女の横で船長は悔しそうに舌打ちをすると、他に商品は無いかと辺りを見渡した。

「これで全部か?」

「あぁ そうだね」

ニノは捕まえた人数に対して、予想以上に儲かったことに満足しながら朗らかに笑う。
船長も全ての取引が成立したことで上機嫌となり、手下の船員に買い取った全員を船倉にぶち込むようにと指示すると
部下が持ってきた金貨をニノに渡した。

「良い取引だったよ。
そんで、あんた、これからどうする?」

「どうするも何も。今の混乱に乗じて、もうひと稼ぎしようかと思ってるけど」

船長はその言葉を聞くと、あぁそれはイカンとニノに言う。

「それならやめたほうがいいぞ。
聞いた話じゃ辺境伯領が独立してエルヴィス公国になったらしい」

「それが何だってんだい?」

辺境伯がどんな肩書きを名乗ろうと、この稼業に何の関係がある?
今までと同じようにコソコソやるだけさ。
ニノは船長の話を聞きながらそう思った。

「いいから聞けって。
そんで、独立した辺境伯が、ちょっと前に起こった会戦で王国の諸侯をコテンパンにしたそうなんだが
その際に、キィーフ帝国との国境にあった軍を全て領内に戻したらしい。
現状のゴタゴタに乗じて荒稼ぎしてるようだが、今の領内の混乱なんて何時まで続くかわかんねぇぞ」

「それは本当かい?」

「そりゃもちろん。
プラナスから出港する前に聞いたんだ。
今、港はその話題で持ちきりだ」

ニノは眉間に皺を寄せる。
今、大手をふるって荒稼ぎが出来ているのは、辺境伯領内の警備が手薄だからだ。
もし、辺境伯軍が治安維持に全力を傾けれるなら、盗賊家業なんてあっという間に廃業させられて縛り首だ。

「それは……良くないね……」

ニノはあごに手を当て、真剣な顔つきで思考をめぐらせる。
今、彼女の両肩には、一族と新たに加えた難民の新団員の命がかかっている。
彼らの今後を左右する決断には、一層の熟慮を要した。

「なぁ あんた」

ニノはまじまじと船長の顔を見ながら声をかける。

「なんだ?」

「男の奴隷を一人ただでくれてやるから、私達を東方まで運んでくれないかい?
ちょっと、しばらく雲隠れしたほうが良さそうだしさ」

公国軍と名を変えた辺境伯軍が戻ってくるのであれば、もはやこちらに居場所はない。
もともとの根拠地だった村も、辺境伯の亜人討伐があった際に畑ごと焼き払われた。
他の亜人の村が、ただ乗っ取られただけに比べると、畑ごと焼き払われた自分たちは特段に目をつけられている可能性もある。
ちょっと盗賊家業と村をあげてケシ栽培をしていただけなのだが、人族達の器量の狭さは彼女らにとって問題だった。
その点、東方大陸の西端には亜人の居住地もあり、そこは東方帝国の支配も及んでいないので、こちらに比べれば遥かに安全だろう。

「奴隷一人か。それは…… ちょっと、安すぎじゃないか?
お前らの人数に対して奴隷一人じゃ航海中の飯は出せんぞ?
もう一人付けてくれたら、飯に加えて向こうで俺の知り合いに渡りを付けてやるよ。
どうせ、向こうに知り合いもいないだろ?」

「そこを何とかならないかい?
それと、渡りについては必要ないね。
向こうのバトゥーミって町で叔父が商売やってんだよ。
あそこを頼ってみる」

ニノは飯は欲しいが、渡りは必要ないとやんわり断る。
当てにしている叔父は、最近は疎遠になっていたが、一族は一族。
何かしらの手助けは期待できそうだとニノは踏んでいた。

「バトゥーミ?あそこのハイエナって言ったら、盗品ばっか売ってるジィさんか」

ニノの言葉に船長は思い当たる節があったのか、ニノにその叔父とは自分の知っている人物ではないかと聞いてみた。

「よく知ってるね」

意外な船長の反応に、これにはニノも驚く。
まさか船長が叔父を知っているとは思ってもみなかった。

「いや、東方の亜人の地で、大きな港があるのはバトゥーミだけだろ。
あそこなら良く行くから知ってる。それに俺がこれから行く奴隷市場はあそこの港だ。
西方諸国にも東方帝国にも属さない港ってのは便利がいいんでな。
そんな中、盗品を扱うあのジィさんは使い勝手がいいんだよ。どんなヤバイ品でも仕入れてくるし買ってくれるからな。
そうか、お前さん、あの悪党ジジィの姪っ子か」

船長は納得したようにうんうんと頷く。

「なら話が早い。ついでに乗っけてってくれよ」

「いや、でも奴隷一人じゃな」

船長は盗賊全員を運ぶのには安すぎる運賃に難色をしめす。
そんな煮え切らない船長を見て、ニノは船長に体を絡めて頼み込む。

「そこをなんとか…… 私も色々とサービスす・る・よ」

そういってニノは片手で船長の体をまさぐる。
船長も最初はありがた迷惑な表情でそれに耐えていたが、ニノの手が服の中に侵入してくると、それもついに折れた。

「ったく、しかたねぇな。だが、酒はださねぇからな?」

「恩にきるよ」

ニノは船長にほお擦りして感謝すると、船長からパッと離れて集まっていた手下共に向かい直る。

「と、聞いていた通りだ。
あたしらは暫く東に逃げるよ」

腰に手を当てて堂々とズラかる宣言をするニノ。
ほとんどの手下は「へーい」と返事をする中、最前列から一本の手があがる。

「かーちゃん。でも、ねーちゃんがもし生きてたらどうするの?」

その質問の主はイラクリだった。
大好きだった姉が戻ってこないのにここを離れてしまったら、仮に姉が生きていた場合にどうしたらいいのか。
当惑の表情を浮かべて彼は母であるニノに質問するが、対するニノはイラクリの前にしゃがむと、その頬を両手で触りながらその問いに答えた。

「……いいかい。あたしたちゃね。いつも誰かに追われてるんだ。
脱落者は置いていく。それが代々伝わる群れの掟なんだよ
例え、それが我が子でも…… それが盗賊家業であたしたちの部族が生残ってきた秘訣なんだよ」

まっすぐ目を見据えて、今まで何度も説明してきた一族の掟をイラクリに告げるニノ。
その真剣は視線にイラクリもそれ以上の言葉はつむげなかった。

「……」

沈黙するイラクリに、ニノは彼が納得したのだと感じると、いつものようにグシャグシャと彼の頭をなでながらニノは立ち上がる。

「物分りがいいね。だったら姉ちゃんの分までしっかり生きるんだ」

そう言ってポンポンとイラクリの頭をたたくニノ。
そんな彼を気遣う彼女の前で、イラクリはただ必死に涙をこらえることしかできなかった。

「ねーちゃん……」



[29737] 盗賊と人攫い編3
Name: 石達◆48473f24 ID:16a813f2
Date: 2013/01/19 21:23
盗賊の襲撃から一晩明けたメリダ村。
そこでは、朝から壊れた家財を直す槌の音が響いていた。
ある者は、不幸にも盗賊の逃走間際に焼かれた家の跡にて、何か使えるものは無いかと焼け跡の中を探し、またある者は、隣村から避難してきた女たちの炊き出しを教会で行っている。
そして、その他の大多数の村人がそんな状況下でも畑仕事へと向かっていく中、拓也達は村内に置かれている車両にて出立の準備をしていた。
時刻は昼にも迫ろうと言う頃。
本来であれば女盗賊から情報を聞き出したのち、拓也達はすぐに追撃したかったのだが、すぐにはそれを実行できない問題が生じていた。
一つは教授達の安全確保。
盗賊達を追うという事から、十中八九何かしらの荒事が起こる可能性が高い。
そんな所に護衛対象を連れて行くのはどうかと最初は躊躇われたが、そもそも今回の騒動の根幹は、護衛を分割したことによる戦力の低下にも大いに原因がある。
ならば、一緒に連れて行った方が安全なのではないだろうかという結論に至るのに時間はかからなかった。
BTRの車内ならば弓矢等の攻撃は屁でもない上、教授ら自身も同行したいという強い申し出もあった。
そして二つ目の問題。
走行不能になったトラックの積み荷である。
食糧程度であれば問題なかったが、武器弾薬や電子機器等こちらに遺棄した場合に、政府から何を言われるか分からない物品の数々である。
弾薬類に関しては武装ピックアップの荷台に可能な限り載せたりはしたが、発電機など重量物や村々に配る為に乗せていたラジオ等の重要ではない資材は置いていくしかない。
拓也はその事を村長に話すと、村を救ってくれた礼としてトラックごと預かってくれることになったのだが、重要物資の積み替えがようやく終わったのは、太陽が天頂に差し掛かろうとする頃であった。

「そろそろ行くのか。
先ほども言った通り、海に出るには川沿いの道をずっと南下すればいい。
途中、海の手前で道は折れ曲がるが、それを無視して南下すれば海に出るはずだよ。
あんまり人通りの無い通りなんで海岸の地形はよう知らんが、着けば何とかなるだろう」

出発を目前に、村人全員が作業を止めて拓也らの見送りに集まる中、村長がBTRに乗り込もうをする拓也に声を掛ける。

「ありがとうございます。
では、トラックの荷物と避難してきた人達をよろしくお願いします。
なんだか、勝手に連れてきて後の始末だけ任せるのは、ちょっと心苦しいんですが……」

そう言って拓也は、バツが悪そうに頬をポリポリと掻くが、村長は気にするそぶりも見せない。

「な~に、話を聞けば、君らが略奪を止めてくれなかったら、次はこの村が襲われていたかもしれん。
礼を言いたいのはこっちだよ。後の事は任せてくれ」

村長は拓也の肩を叩きニッコリとほほ笑む。
その笑みを見て、拓也も「そうですね」と呟いた後に笑って応えた。

「わかりました。では、また来る時までよろしくお願いします」

「あぁ。多少の厄介事は神父様が拳で解決してくれるし大丈夫だ。
襲撃の時も教会に逃げた村人を助ける為に、素手で数人ヤってるからな。
それにしても、殴られた頭が一回転している死体なんて初めて見たよ。恐ろしい……」

そう言って村長は、後ろに立っている神父を見ながら、おどけて身震いするような仕草をしてみせて笑う。

「ふむ。私は自分のなすべき事を成したまでです。
神が自己鍛錬を推奨するのは、優れた物が弱きものを守る為です。
全ては神の求めることを成したまでですよ。
ですが、私が役に立てそうなのは賊の数が少ない時だけです。
今回のような視界の悪い時には、なおさら私の守れる範囲が限られていました……」

村長の言葉に神父は返答すると、そのまま悔しそうに俯いてしまう。
今回はパッキーの協力もあり、カノエ以外に攫われた者はいないが、それでも村の金品を結構盗まれていた。
神父はその事を気にして唇を噛む。
対して話を振った村長はというと、神父のこのような反応は予想していなかったようだ。
若干焦りながら神父に駆け寄り、フォローにかかる。

「まぁ そんな気に病むことは無いよ神父様。
今回は運良く石津さん達もいたし被害は最少にすんだ。
不埒な盗賊や隣村を襲った傭兵団も撃退したから、しばらくは平和じゃないか。
それに霧も晴れたし、暫くは村人を交代で見張りに出せば大抵の事は大丈夫だよ」

「そうでしょうか」

神父は今回の件で、日々の鍛錬を積んでいるにも関わらず、被害が出てしまっている事に自責の念に囚われている。
霧による視界不良や敵の数などの要因を加味すれば、むしろ被害は少ない。
だが、そのような事は彼には関係ないようだった。

「神父様は最善を尽くしましたよ。
何も恥じることはありません」

そう言って村長は力不足だったと嘆く神父の肩を叩く。

「……ふふふ。いけませんね。
皆さんを神の教えの下に導くべき私が、逆に励まされている。
まだまだ私も鍛錬が足りないようです。もっと心身共にしっかりしなければ」

「その調子ですよ神父様」

村長の言葉に神父も幾分か立ち直ったようだ。
神父は村長の言葉を聞くと、右腕に作った隆々たる上腕二頭筋の力こぶを撫でて、更なる鍛錬を積まなければと一人呟いた。

「……おっと話がそれたな、まぁそんな訳で何時までも無駄話で出発を遅らせるのも悪い。
此方の事はあまり心配せず、残した荷物の事も安心してくれ」

村長は任せておけと胸を叩くとニッコリ笑う。

「では、我々も出発しますか……
全員搭乗!出発する!」

拓也の声に社員一同が各々の車両に乗り込み、軽快なエンジン音と共に車列は動き出す。

「全てのカタがついたら戻ってきますから!
それまで皆さんお元気で!」

村を出ようとする車列の窓から拓也が村人に手を振る。
それに応える様に、村人たちも車列が見えなくなるまで手を振り続けるのであった。







「……と、格好良く村を出たは良かったんだが」

「中々進めませんね……」

その溜息交じりの声の主は、拓也とヘルガ。
彼らの視線の先には、カノエ救出の為に焦る気持ちをあざ笑うかのような光景が広がっていた。
泥にタイヤを取られ立ち往生するハイエースを牽引ロープで救出するBTR
トラックの荷物を移した為に過積載気味の車体は、アクセルペダルのベタ踏みとBTRの協力によって盛大に泥を撒き散らしながら救出されていた。

「不整地過ぎる」

ハイエースの救出が終わったBTRに乗り込む拓也の口から、思わず愚痴が漏れる。
独り言のように拓也は言ったつもりであったが、続いて乗り込んできたヘルガの耳にも聞こえてしまったようだ。

「街道を通っている時は順調だったんですけどね……」

そのヘルガの言葉の通り、村から街道を通って南下するまでは非常に順調であった。
非舗装の道と言えど、街道の作りは非常にしっかり整備されている。
聞く所によると、何代か前のゴートルム王が、道を整備さえすれば王国の経済は上向くのではないかとの思いつきで
大々的に土系統を得意とする魔術師を動員し、王国中に大規模な街道網を整備したという。
だが、自国のみならず他国からも魔術師を借りて整備したにもかかわらず、市場の物流を一切無視した公共事業は
一部の交易には多大な利益を与えたが、大半の街道は交通量に対し過大な設備投資となり、全体として思った以上の費用対効果は上げられなかった。
それ以後、この苦い経験から王国の街道整備に対する意欲は著しく低下し、現在では一部の街道がその地方を治める領主によって維持されるのみとなった。
そのような背景もあり、拓也達が村から通って来た街道は、幸運にも維持され続けた数少ない一部であったために地面の凹凸も少なく行程は非常にスムーズであったのだが、問題は街道を外れてからであった。
捕虜の女盗賊が言う奴隷船との会合場所は、街道から外れた河口近くの入り江。
しかも、それは河口近くに広がる湿地帯を越えたその先だった。

「おい、お前。何で湿地があるなら、もっと早くにそう言わないんだ?」

BTRに乗り込んだ拓也は、車体上部の出入り口から頭を出すと、恨みを込めて女盗賊をギロリと睨む。

「え? だって、そんな事聞かれなかったし。
いや、どうせあの場所に行くなら、どこから回り込もうと湿地帯を越えなきゃ駄目なんだ。
海岸から回り込もうにも岩場があるし、それに、人が寄り付かないところだからこそ奴隷船との会合にうってつけだったんで……
それと、あたいにはタマリって名前があるんで名前で呼んでよ」

BTRの上で両手を後ろ手に縛られて拘束されていた彼女は、ケロリとした表情で聞かれたこと以上の事を答え、なおかつ、いけしゃあしゃあと自分の事は名前で呼べと要求してくる。
そんな彼女を再びギロリと拓也は睨むが、対して彼女は恍惚な表情を浮かべるばかりで全く怯む様子はない。

「お? なんだよ。前もって湿地があるって言わなかったお仕置き? あたいはいつでも準備万端だよ」

そう言って彼女は、満面の笑顔を浮かべると、ゴロリとBTRの上に寝転がってM字開脚までしてみせる。
全く持って対処のしようが無い。
これならば、捕まえた当初の反抗的な彼女の方がまだやり易かった。

「まぁ そんな心配しないでよ旦那。
もうすぐ入り江に着くからさ。あと100歩くらい湿地を歩いた先の林を越えたら、すぐそこに海が見えるよ。
だからさ、色々とご褒美を……」

寝転がりながら道案内するタマリ。
だが、何を想像しているのかその呼吸は次第に荒くなる。
なにやら一人で勝手にスイッチが入ってしまった彼女であったが、ふと頭上に影が入り、上を見上げた瞬間にその視界は闇に閉ざされた。

「ふぅ。まったく煩いよこの変態。ちょっと黙ってなよ」

ドスンという音を立てつつ、タマリの口が顔面ごと巨大な何かに塞がれる。
その正体は、タマリの言動にいい加減辟易していたアコニーのケツであった。
他人の顔の上で正座をするかのように、滑らかなラインを掻きつつも筋肉の詰まった両足でガッチリとタマリの顔面をホールドするアコニー。
そしてそのまま、圧殺する勢いで抑えにかかる巨大な尻にタマリは呼吸が出来ずにもがき苦しむ。
最初はジタバタと必死に抵抗していたものの、暫く押さえている内に、陸に揚げられて弱った魚のように反応も静かになった。

「お? やっと静かになったな。
社長、もうコイツが五月蠅かったらダクトテープで巻いて放置しましょうよ。
その方がよっぽど静かでいいです」

そういってアコニーは、タマリの顔の上に座ったまま拓也に言う。
だが、拓也はぐったりと動かなくなったタマリの姿を見て、死んではいないかと汗が出てきた。

「あ、あぁ…… まぁ、次からはそうしようか。
だが、奴の言った通りそろそろ湿地を抜けるぞ?すぐそこの林を越えたら海だと言ってなかったか?
案内をさせる意味でも、失神されたままではちょっと困る」

「そういえばこいつが案内人でしたね」

拓也の言葉にアコニーは、テヘペロっと舌をだして答えると、BTRの上に立ち上がって前方に広がる林を覗き込む。
むぅ~っと唸りながら睨む林の先。
最初は木々の緑しか目に入らなかったが、どんどんと車列が林に近づき、鬱蒼と茂る低木の塊を抜けると、ついにキラリと光る澄んだブルーが目に入った。

「あっ!ホントだ。
木々の切れ目から海が見えました。目的地はそろそろじゃないですかね」

湿地に嵌るなどの苦労の末、ようやくたどり着いた海岸にアコニーは無邪気に喜んでみせる。
そんな彼女とは対照的に、拓也と同じく車体上部の出入り口から頭だけ出したヘルガが、木の棒でグッタリとしたタマリを突きながら冷たい表情でアコニーを見上げる。

「でも、案内人がこの様子ってちょっとマズいんじゃない?さっさと起こしてよ」

「それもそうだね。ヘルガ」

そう言ってアコニーは、ヘルガに言われたようにサッサと案内人である彼女を起こそうと、タマリの胸ぐらをむんずと捕まえて起き上がらせると、ガックンガックンと揺すりながら目覚める様に言う。

「ホラ。起きな!世話の焼けるハイエナだね」

なかなか目覚めないタマリにアコニーは非情にもビンタをかます。
一発一発が非常に良い音を響かせながらタマリの両頬を往復する。
それを何発か喰らった辺りで、意識の飛んでいたタマリもようやく目を覚ました。

「うぅ~ん。 ここは……」

真っ赤な紅葉マークのついた頬をさすりながらタマリが目を覚ます。

「あんたの言ってた河口が見えてきたよ。
んで、どこが目的地?船なんて見えないじゃん」

「えぇ? 河口のすぐそばに入江があって、林を抜ければ船も見えるはず……」

目が覚めたばかりで、まだハッキリと頭が働いていないタマリは、何処を見てるんだと言いたげな表情でアコニーを見返す。

「だから、そろそろ林を抜けきるけど、木々の間からは船なんて影も形も……」

本当にここなのかと疑惑の視線をタマリに向けるアコニーであったが、ここにきてようやく意識がハッキリしたのか
アコニーの言葉の意味するところを理解したタマリがクワッと両の眼を見開いた。

「もう船は帰ったって事?取引は終わったの?  ……ちょっと待ってよ!!」

タマリは自問自答するようにそう呟くと、次の瞬間、気合と共に一気に自分と車両とを繋いでいたロープを力任せに引っ張った。
魔法で強化されたその張引力は、ステンレスの手錠は破壊できなかったものの、手錠と車両とを結んでいたロープを引き千切った。
それは、村から貰ってきたロープが老朽化していた為か、タマリが大人しくしている間に、わずかながらも爪で傷つけていた事が原因かは定かではないが
手錠に結んだ根元から切れたロープは、囚われのタマリがその一瞬にして自由の身になった事を意味した。

「うわ!」

「あぁ!逃げた!?」

咄嗟の事に驚く拓也達。
タマリはロープを引きちぎった次の瞬間には力の限り跳躍し、海岸目指して駆け抜ける。

「いつもなら、奴隷を売った金で船から酒を買って入江の隠れアジトで騒いでいるはず……」

願わくば、仲間たちがまだこの辺をうろついていて欲しい。
奴らの尋問のトゥルルー芋地獄によって新たな自分の扉が開かれてしまった事により、正気を失って不本意にも仲間の居場所を喋ってはしまったが、今ならまだ何とかなる。
敵を連れてきたことで仲間には迷惑をかけるが、湿地を通って逃げれば、やつらはそうそう追撃はできない筈……
タマリはそう考えると、心の中で仲間がまだいることを必死に祈る。
だがしかし、祈りながら走る彼女を見逃すほど拓也達も甘くは無い。

「アコニー追え! 抵抗するなら足を撃て!」

「はい!」

逃げたタマリを追う様に咄嗟に飛び出すアコニーに、拓也は小銃を投げて渡す。
アコニーは元気な返事と共に、宙を舞うカラシニコフを走りながらキャッチしてタマリの後を追う。
だが、最初のダッシュの時点で距離が付いた為に、タマリはあっという間に入江の脇にあった岩場に姿を消した。
手は依然として手錠で拘束されているにもかかわらず、器用に岩場を飛び回るタマリ。
目指す先は、人目に付かないところに隠された盗賊の隠れアジト。
自然の洞窟を利用して作られたそれは、略奪品などを収納するうちに改装を繰り返し、今や砦といって良いほど整備されている。
これまでの経験上、奴隷船との取引直後なら、いつもは数日はアジトで飲んだくれていた。
今なら絶対仲間達があそこにいる。
タマリはその確信を胸に、岩の後ろに隠すように設置された扉に全力で体当たりした。
ドォンという音と共に土埃を上げて倒れる扉。
勢いあまってタマリも一緒に扉と一緒に倒れこむ。

「みんな!!」

一縷の望みに全てを賭け、やっとアジトにたどり着いたタマリであったが、倒れこんだ姿勢から顔を上げた途端、その表情が固まった。

「あれ?」

彼女の口から、思わず間の抜けた声が漏れる。
アジトの中には仲間どころか、ネズミ一匹いやしない。
それどころか、今までに溜め込んだ略奪品から調度品まで全て無くなっている。
何だコレは?アジトすら無くなっている。
根拠地の村が襲撃される遥か前から、時々こちら側で仕事をするときに重宝していたこのアジトが
まるで最初から何も無かったかのように放棄されている。
タマリはそんな目の前の現実が受け入れられないのか、ぽっかりと口をあけてただ座り込むしか出来ないでいる。

「諦めろ!スピードで猫人族に敵うと思うな! ……て、どした?」

がらんどうとしたアジトに、やっと追いついたアコニーが踏み入る。
銃を構えて臨戦態勢での突入だったが、魂が抜けた様なタマリの姿に拍子抜けしてしまった。
対するタマリはというと、既に真後ろにアコニーが来ているのも気にせずに、ポツリと一言。

「誰もいない……」

所々に火を使ったのか、まだ新しい調理のあとが残されている事から仲間たちがここに寄ったのは間違いない。
だが、この様子から察するに、何処か遠くに逃げてしまったのではないだろうか。
置いていかれるのは仕方ない。一族の掟だ。
だが、一瞬でも合流できると思った最後の好機も空振りに終わってしまった。
何より、盗賊団が何処に移動したのかあたしは知らない。
タマリはもぬけの殻になったアジトを見ながらその事を考えると、肉親との繋がりの糸が切れてしまったような孤独感を覚えた。
だが、彼女が何を考えていようとも、追いかける方にとっては遠慮無用。
茫然自失とするタマリの後頭部にアコニーは銃口を突きつける。

「おい、手を上げろ。そしてそのまま伏せろ」

後頭部を突く硬く冷たい物体による痛み。
タマリは最早これまでと観念すると、繋がれた両手を頭上に掲げ、そのまま上体をゴロンと倒して仰向けになる。

「うつ伏せだ!」

叫ぶアコニーの言葉に、タマリは寝返りを打つかのようにうつ伏せになる。
その眼光は、最早どうでもよいとばかりに気力も何も感じない。
タマリはそのまま溜息を一つ吐き、そのまま静かに目を閉じた。
そうしてそのまま黙っていると、タマリの耳にアジトの近くまで接近するエンジン音が聞こえ、何人かの足音が早足に近づいてくる。
頭を上げることが出来ないために、タマリはその足音の主の顔を確認することが出来なかったが、アジトの中に入るなりその足音はピタリと止まる。

「びっくりする位に何もないな」

アジトの中に入って、開口一番、拓也が率直な感想を漏らす。
その室内は、棚やら何やらはちゃんと有り、かつては色々なものが置かれていたような雰囲気があるものの
いまでは引越し直後のテナントのような感じが漂っている。

「アコニー、確保ご苦労様。
ここは俺とエドワルド達で何とかするから、君は何人か連れて周囲の警戒と探索をしてくれ。
あと、教授達には車から出ないように念を押しといて」

「了解です」

拓也の言葉にビシっと敬礼で返したアコニーは、そのまま足早に建屋の外に出る。
後に残されたのは拓也とエドワルドの他には、戦闘能力の高いイワンが残る。

「連中のアジトの一つだってんなら、日用品の一つもありそうだけど、綺麗サッパリ何もない」

タマリも含めて4人になった室内で、拓也は棚の一つに手を置いてみる。
見れば少し前まで物が置かれていた埃のあとが残っている。
他にもごく新しい火の跡など、エドワルドらと一緒に探してみるがゴミ以外に残されたものは何も無かった。

「こりゃ、ここを放棄したな。
もしかしたら、船に乗って一緒に逃げたのかもしれない」

一通りアジトの中を漁ってみたエドワルドが、率直な感想を拓也に言う。

「なんでまた?」

「理由なんてしらねぇよ」

エドワルドの推測に、拓也はその原因を聞いてみるが、当然の如く、彼が知るわけは無い。
エドワルドにしてみれば、室内の状況から推測したに過ぎなかった。
何より一番内情を知ってそうなタマリが、アジトを放棄して逃げてることを知らず、今では全てがどうでも良くなったのか、抵抗することもせずに床に転がっている。
彼女にしてみたらここが最後の希望だったのかもしれないが、その希望は儚くも破れた。

「それに、捕虜のねーちゃんも逃げる気満々だったぽいが、当てが外れて打つ手無しって感じだな。
これからどうする?軍にでも頼るか?」

「本当にもうどうしようもないなら軍に頼って追跡してもらうしかないけど、今から軍に報告に行って間に合うかな?
大型車載無線はトラックと一緒に焼けたし、メリダ村かプラナスまで戻って通信気球のwifi網に入るまでに取り逃しそうだ。
あと経営的には、政府から受けた仕事で、いきなりトラブって軍に泣き付くのはあまり宜しくない… 信用的に」

そう言って拓也は頭を抱える。
時間的、情報的にも選択肢が少ない。
仮に盗賊たちが海路で逃げたのであれば、北海道の近海にいるうちは軍のレーダーを頼れそうだが、陸路で逃げたという可能性もある。
それに軍との連絡遅れれば遅れるほど追跡が難しくなる。
拓也は如何したものかと考えていると、なかなか結論が出ない拓也を見かねたエドワルドが、床に転がるタマリの横に片膝をついてしゃがむ。

「ここはもう一回、このタマリとかいうねーちゃんに聞いてみるか。
どうやらさっきまでの変態っぷりは演技のようだったしな」

そう言ってエドワルドは、小銃の銃口でタマリの背中を突く。
だが、一向に反応の無いその背中に、エドワルドが「おい、起きろ」と頭を掴みあげようとした時だった。

「しゃちょー!」

アジトの外から聞こえる大きな声、拓也達が入り口の方を振り返ると、アコニーが手に何かを持って戻ってきた。

「どうした?」

「布きれが付いたナイフが、不自然に裏の木に刺さってました」

ビクン……

アコニーの言葉に、だらりとしていたタマリの耳が動く。

「布きれ?」

「これです」

聞き返す拓也に、アコニーは発見物のナイフと布切れを見せる。
どうせなら発見した状況を保存してほしかったと拓也は思ったが、すでに持って来てしまったものはしょうがない。
拓也がその布きれをまじまじと見ようとした時、アコニーの言葉に反応し顔を上げたタマリが、その両の眼を見開いた。

「!? ちょっと、それ見せて!!」

タマリは急に起き上がると、ドタバタと拓也に駆け寄ろうとする。
両手を縛られているために俊敏さに欠くその挙動は、エドワルド達によって即座に抑えられるが、その視線は拓也の持つ布切れに喰らい付く。

「何だ?これは何かの合図なのか?」

その只ならぬ様子を見た拓也は、その布切れをタマリの眼前へと寄越す。

「この色と匂い…… これはイラクリの手拭い……
それ、どこで見つけたの?!」

さっきまでの無気力さは何処へ行ったのか、タマリは必死の形相で布切れを見つけてきたアコニーに叫ぶ

「え?この裏だけど」

急すぎる変貌振りにアコニーも戸惑いを見せるが、それに畳み掛けるようにしてタマリは叫んだ。

「連れてって!」

必死にドタバタと暴れるタマリ。
エドワルドと拓也は強引に彼女を押さえつけるが、収まるそぶりは微塵も無い。
それに加え、現状では逃げた盗賊を追いかけるにしても、その手がかりのは何も無い。
そんな拓也達は、何か追跡に繋がる手がかりが掴めるのではないかとの思いから、タマリをアコニーが布切れを見つけた場所まで連れて行くことにした。
後ろ手を捕まれ、アジトの裏手に生える木々のところまで連れて来られるタマリ。
そして、アコニーがナイフが刺さってた木を指差すと、タマリは拘束されていることもお構いなしに身を乗り出してそれを見る。

「もし、これはイラクリの印なら……」

タマリは祈るように、その木に向かって呟く。

「どういう事だ?」

「これはあたいら姉弟間の秘密の伝言方法だよ。
ナイフが刺さってた木の裏側に、木の皮が剥がれる所が有るはずさ」

淡々と語られるその言葉に従い、アコニーは丹念にその木の表面を調べる。

「社長。ホントです。
うまく隠してありますが、一度木の皮を剥した後が」

そう言ってアコニーは木の皮の一部をめくり、樹皮の剥がされた跡を拓也らに見せる。

「それをめくると伝言があるんだ。
かーちゃんから隠れて悪さするのによく使った手だよ」

タマリの話を聞き、拓也はコクンとアコニーに向かって頷く。
そして、それを見ていたアコニーは、再び樹皮に手をかけると、一息にベリべりとそれをめくる。
一枚の大きな塊となって剥がされた樹皮の下、そこには短い伝言が掘り込まれていた。

『ねーちゃんへ
みんなでバトゥーミに行くことになりました。
そこの叔父さんの所にやっかいになるそうなので、追いかけてきてください
大好きなねーちゃんにまた会いたいです』

「これは……」

タマリはその文字をジッと見つめ、目に涙を浮かべながらその場に崩れ落ちる。

「うぅ……
イラクリ…… 駄目なねーちゃんで、ごめんね……」

また会いたいという弟の純粋な言葉。
だが、それを叶えるには、追っ手も一緒に連れて行かねばならない。
弟の安全を考えた場合は、拓也達を案内しない方が良い。
だがそれにも増して、もう一度会いたいという強い願いと、人質交換に応じるならば手は出さないという拓也の魅惑の言葉。
タマリは口約束にしか過ぎないそれを信じてでも、それに頼ろうと思った。
そんな木に彫られた文字を見て謝罪の言葉を呟くタマリを見て拓也は彼女に声をかける。

「あー、その何だ。
別に俺たちは役人でも何でもない。
仲間さえ帰ってくるなら、お前たちに手は出さないって約束はまだ生きてるからな。
今は拘束してるが、案内さえしてくれればちゃんとお前を解放するし、家族にも手は出さない」

拓也は、タマリのつぶやいた「ごめんね」という言葉が、弟たちに迷惑をかけるという意味だと思った。
そんな彼女を安心させる意味で、再度口にするその約束。
ただの口約束でしかないそれであったが、それに縋るより他に無いタマリは、目に大粒の涙を浮かべながら上目遣いで拓也を見つめる。

「旦那。絶対だよ……
私はやっぱり弟にまた会いたい。でも、旦那のいう事が嘘だった場合は……」

タマリはキッと拓也を睨みつけ、後に続く言葉の代わりにする。
その視線を受ける拓也も、真正面からそれを受けとめた。

「そちらが約束を守る限りは、こちらから不義は働かんよ。
これも一種の契約だ」

拓也はタマリの目を見つめながら約束する。
彼としては、嘘偽りの無い気持ちでの言葉だった。
対するタマリも、その言葉を聞いて暫しの間、拓也の目を見詰めてから視線を外してコクンと頷いた。

「わかったよ。もう逃げない。
だから、あたいを…… あたいをバトゥーミまで連れてって下さい」



[29737] 道内情勢(霧の後)1
Name: 石達◆48473f24 ID:3a7a7f94
Date: 2013/02/23 15:45
タマリが抵抗を諦めた後の事。
彼女を再度確保した一行は、今一度アジト周辺を探索してみるも特に有力な手がかりが無いと分るや、街道のあった地点まで戻ることにした。
移動の為に車両に乗り込む各々であったが、戦闘の危険性が薄れたことにより、拓也やヘルガ、それに教授らはBTRよりは乗り心地の良いハイエースに移ることになった。
教授らを後部座席に乗せた後、拓也は運転席に、ヘルガは助手席に腰を落ち着ける。
そして、拓也がエンジンキーを捻ると同時に、ヘルガに向かってふと思い出した疑問を口にした。

「ところで、バトゥーミってどのへんだ?ヘルガ」

タマリとの会話の中で出てきた地名だが、その位置を拓也は知らない。
一応、調査地域の地図は政府から支給を受け、暇なときがあればボーっと眺めていたが、バトゥーミという地名は見た記憶が無かった。

「私も商いで一回しか行った事はないですけどね。
東方大陸の大きな港町です。
あそこは昔の遺跡の上に作ったところなんで、町を囲む古代の城壁が物凄いです。
その壁も防御力もあって、どこの国にも属さない港として栄えてますね。
プラナス界隈からなら、船で一週間くらいでしょうか」

なるほど、地図にない範囲の街であるなら知るはずもない。
一人納得している拓也を余所に、ヘルガは両手を広げて「こんな大きい城壁でしたよ」と伝えてくるが、いかんせん大雑把過ぎる。
遺跡と壁といわれても規模がよくわからない。
イスタンブールのテオドシウスの壁みたいなものがあるのだろうか。
まぁ それは目的地についてから見ればいいとして、ヘルガが言うにはこちらの船で一週間なら、酌船長の船なら2~3日といったところだろう。
日程的には、船長の船が軍の橋頭堡に補給物資を積んで来ている頃だから、丁度それに乗っていけば、陸路を橋頭堡まで戻る時間を加味しても盗賊たちの到着時間とさほど変わらないはず。

「なるほど、そんな場所なのか。
まぁ 追跡するにしろ教授を送るにしろ、どちらにしても船がいるから軍の橋頭堡まで戻るのが先決だね。
軍への救援要請は…… もうちょい状況をみてからにしよう」

そう言いながら、拓也はアクセルを踏んで車を発進させる。
不整地ゆえガクガクと揺れる車内であったが、予想外の軍への要請はしないという拓也の言葉に、ヘルガは揺れに身を任せながら振り向いた。

「え?、なぜですか?」

カノエの安全を考えれば、軍の協力はあった方が良い。
ヘルガは信じられないといった表情で拓也を見る。

「カノエのことも大事だけど、従業員全員の生活も大事なんだよ。
今後の事業に影響しそうな護衛としての能力を疑われるようなトラブルは内々で処理したいし、それに救出のはずが、軍の展開していない地域に行くってことを理由に制止をくらっても面倒だ。
皆を路頭に迷わさず、カノエも助ける。それでいいじゃないか」

「じゃぁ 政府には何も言わないんですか?」

事件をこれ以上公に騒がず、内々で処理して大事になる前に揉み消そうという発言に、ヘルガは抗議するかのように運転席の拓也に詰め寄る。
ヘルガとしても拓也の気持ちは理解できる。だが、冷静に考えてみた場合には到底受け入れられなかった。
そんなヘルガの強い視線に、拓也は少々押され気味にはなるが、それでも負けじと拓也は彼女に対して理由の説明を続けた。

「今はね。
でも、本格的に手に余るようなら、手遅れになる前に連絡するよ」

「そんなこと言って、もし手遅れになったら……」

ヘルガの脳裏に最悪の想定が浮かぶ。
タイミングを逃した救援要請のためカノエの救出に失敗し、その上信用まで失墜するという最悪の結末。

「そんな事が無いように最大限の努力をするんだ。
俺だって危険な賭けだって事は分ってる。
成せば成る。成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり……」

拓也はヘルガにそう言って説明するが、論理的ではない根性論に彼女の厳しい視線は和らぐことは無い。
むしろヘルガの拓也に対する信頼度が低下したような気さえする。

「まぁ とりあえず、宿営地まで行こうか。すべてはそれからだ」

拓也は、どうどうとハンドルを握ったままヘルガを落ち着かせ、話を打ち切る。
だが、そんな言葉ではヘルガの不満は当然収まらない。

「社長……」

「何だ?」

「いえ、何でもないです……」

ヘルガはその言葉を最後に押し黙る。
それでも止む事の無い"事なかれ主義"等と罵倒するような彼女の視線が収まるには、結構な時間を要するのであった。







北海道連邦軍
大陸橋頭堡 仮設埠頭

盗賊のアジトを後にしてから、道なき道を乗り越え、街道に沿って一日半ほど移動した頃。
ようやく軍の橋頭堡まで戻ってきた拓也達一行は、停泊している酌船長の船に向かって埠頭の上を歩いていた。

「船も来てますね」

「……あぁ」

拓也の横に並んで歩いているヘルガが拓也に言う。
彼女の目には既に怒りの色は消えていたが、その言葉尻は少々冷たい。

「奥さんも来てますね」

「……あぁ」

二人の視線の先には、停泊している船の船首に子供を連れた人影が見える。
その顔は、見覚えのあるエレナのものであったが、彼女の格好に拓也の思考は固まってしまった。

「なんか雰囲気違いますね」

「……あぁ」

二人の視線の先に居るのは、ビジネススーツの上にグレーのミリタリーコートを肩に羽織って仁王立ちするエレナ。
その手には子供を抱いているが、片目には黒のアイパッチという悪役じみた姿をしている。
警備事業部での訓練と仕事の成果であろうか、東南アジアの某ロシアンマフィアを彷彿とする貫禄が出始めていた。
エレナは拓也達が船のすぐそばまで歩いてくるのを確認すると、待ってたとばかりに埠頭に飛び出してきた。

「あなた。なかなか帰ってこないんで一緒に来ちゃったわ。
心配だったのもあるし、こっちは色々と大変だったんだから。
ほら、コレ見てよ!」

そう言ってエレナは、ブラウンの髪をかき上げて自分の耳と抱いている子供の耳を拓也に見せる。
その目の前に出された二人の耳は、拓也らと同じように尖っていた。
どうやら霧の影響は向こうでも同じようにあったようである。

「ぱぱー」

「あぁ よしよし。
武ちゃんはめんこいなぁ。
皆一緒にドワーフ化しちゃったのか…… 大変だったなぁ」

拓也はエレナの腕から息子を受け取ると、頬ずりしながら武をあやす。

「大変だったじゃないわよ。
予防接種受けた人間が軒並み倒れて、病院に担ぎ込まれたけど原因不明。
それに耳まで変わっちゃって……」

「そうかそうか。
よしよしよしよし……
まぁ異世界だもん。変身したりもするさ。
あんまり気にしてもしょうがない」

そう言いながら拓也は子供をあやし続ける。
だが、普段ならベビーの可愛さの前には嫁の変化など些細なことであったが、あまりにも気になるその変化に拓也は途中で子供をあやすのを止めてエレナの姿に視線を向けた。

「……それより、もうひとつ気になることがあるんだが、そのエレナの格好は一体?」

「あぁコレ? 軍の倉庫に何年も眠ってた奴を貰ったの。
状態もいいし、全員に配れるくらいの量もあったし。ちょっと得したわ。
それにソビエトのコートとか強そうで格好いいしね」

エレナはその場でクルリと回るとファッションモデルのようにポーズを決める。
まぁ 確かに似合ってはいる。
だが、突っ込むべきポイントは他にもあった。

「じゃぁ その眼帯は?」

「ものもらいよ」

「そ、そうか……」

ミリタリーコートとアイパッチで印象がガラリと変わってはいるが、拓也はその変化を黙って受け入れる。
かつて、エレナが髪を染めたいと言った時、拓也はブロンドにするのかと想像して美容院代を渡した事があった。
その時、エレナが日本のヴィジュアル系バンドにドハマリしていた事が直接的な原因だったのか、
美容院から帰ってきたエレナの髪がロックなショッキングピンクになっていた時に比べれば、悪役じみた今回の格好は、まだマトモな方だと拓也は一人納得する。

「そんな事より、予定よりずいぶん遅かったじゃない」

エレナの格好をジロジロを見る拓也に、そんな些細なことはどうでもいいと、エレナは拓也が遅れた理由を問いただす。
社長としての義務であり、当然のごとく発生する拓也の説明責任。
拓也はヘマをした事を怒られるのだろうと覚悟を決めると、事の推移を話し始めた。

「あぁ それについてなんだが……」

拓也が重い口を開けて話した内容は、エレナの想像を遥かに超えるものだった。
調査をしていたら霧に包まれ行動不能になったこと。
変化後に訓練次第で魔法が使えること。
そして王国の部隊との戦闘と大会戦、結果的にカノエが攫われてしまったことを拓也は順を追ってエレナに話した。
魔法が使えるようになったくだりまでは、まだ落ち着いて聞いていた彼女であったが、戦闘が起こった辺りの話から
彼女の表情が険しくなり始め、拓也がカノエが攫われた事など粗方話し終わったその瞬間、彼女の感情が爆発した。

「そんな!? あんたこれからどうするのよ!?」

「もちろん追跡して取り返してくる」

詰め寄ってくる彼女に、拓也は気圧されつつも冷静に断言する。
見捨てるなどという選択肢は無い以上。これ以上の説明は要らない。
そんな拓也の姿を見て、エレナもいくら自分が叫んだ所で何も変わらないと理解したのか、手で目頭を押さえながら、一つ大きな溜息をついた。

「はぁ…… 一体、何やってるのよ。
で、いつごろ帰れそうなの?」

連れ戻しに行くのは仕方ない。
では、いつごろ帰ってこれる見込みなのか。
本来なら、エレナは拓也と一緒に国後に帰りたかった。
だが、其れが出来ないと分かると、彼女は諦めながら拓也に聞く。

「それは……わからない」

「武の2歳の誕生日はどうするの?来月よ?まさか居ないなんて事には……」

子供の記念日に居ないなんて許さない。
そんな怒りと寂しさの混じった表情で、エレナは拓也の抱く武の頬を撫でる。

「そ、それまでには戻る」

状況も正確に把握できていない為、全く持って根拠の無い言葉であったが
その拓也の言葉に、エレナは上目遣いで確認するように聞き返す。

「ホントに?」

「ホント。ホント。約束だよ」

根拠の無い、努力目標のような約束。
それは軽い口約束のような口調の物であったが、エレナは一度空を見上げて気持ちの整理をすると
今度は穏やかな笑顔を浮かべて拓也に向かい直る。

「むぅ…… まぁ、カノエの救助なら、帰るのが遅くなるのも仕方ないわね。
わかったわ。待ってる」

その笑顔の中に潜むエレナの信頼の気持ち。
拓也はそれを察すると、何が何でも救助してこねばと心に誓うのであった。



「それよりも、向こうはどう?何か変わった事はなかった?」

エレナがこちらの状況が知れなかったように、こちらも一連のトラブルの中で向こうの状況が知れなかった。
今のエレナの様子から、会社としてはそれほど大したことは無さそうな感じはしたが、一応確認のために拓也は尋ねる。
希望としては"こっちは大丈夫よ"といった言葉を期待した拓也であったが、
そのささやかな希望は、穏やかな顔から一変して大慌ての表情になるエレナを見て、脆くも崩れ去ったのだと悟るのだった。

「そう!それなのよ。
あんたと連絡が取れなくなってから大変だったんだから。
商売敵が出てきたのよ!」

「商売敵?」

商売敵。
北海道の軍事産業で、石津製作所と競合するような存在を拓也は知らない。
少なくとも拓也が大陸に出発した時は、小銃弾と小火器の製造では独占状態だったはずだと拓也は首を傾げる。
大陸に渡ってからもエレナ達との定時連絡にはそのような報告はなかったし、それが霧やら何やらで連絡の取れなくなったほんの2週間足らずの内に、大きく状況が変わったというのだ。
拓也はエレナの言葉に眉をしかめていると、エレナは大げさな身振り付でその苦労を語りだした。






エレナの説明の始まりは、時を少々遡る。
拓也達がメリダ村に到着する少々前。




札幌

この日、エレナはとある目的のために北海道警察本部の一階にある入札会場に来ていた。
その目的とは、転移によって調達の見込みが無くなった既存装備の代替と、ロシア側と北海道側の共通装備の選定が、この会場で決定されるからだった。
結果の開示を前に、エレナは自信満々の表情で会場に並ぶパイプ椅子の最前列に座っている。
本来であれば事業部の違うエレナよりも、サーシャが来るべきであったが、エレナと違って彼は日本語が読めない。
異世界の不思議パワーの影響で日本人との会話は通じるようになっても、文字までは分からないので、彼は来るに来れなかった。
その為、彼に変わってエレナが開札の席に来ていたという訳だ。
彼女の顔には自信が溢れている。
今の所、競合他社のいない独占状態。
多少吹っかけた値段であっても、政府は自分たちの押すロシア軍の正式拳銃"Striz"を選定することは目に見えていた。
他に選択肢の無い中、なぜ道警は随意契約ではなく入札の形式を取ったのかは少し不思議ではあったものの、エレナの顔には自信が満ちている。
初年度の更新数は1000丁。
それだけでも億を超える契約なだけに、エレナの笑顔が止まらない。
このまま儲けていけば、夢のオリガルヒ(新興財閥)としてのセレブ生活が待っている。
そんな夢の妄想をしながら、エレナがニヤケ顔で会場の席でふんぞり返って待っていると、指定の時刻ピッタリに書類を持った係員が会場に入ってきたのだった。

「あ、やっと始まるわね」

待ってたとばかりにエレナは姿勢を直して椅子に座る。
対して会場に入ってきた数名の係官は、特に表情の変化も無く、会場前方の壇上で淡々と工事名称の確認などを事務的に進めていった。

「えー、本選定の入札結果を発表します」

抑揚のない言葉で、痩せた中年の係官は持っていた封筒から書類を取り出す。
エレナは、その書類の裏側を見ただけで、自然と笑みがこぼれる。
絶対に仕事が取れると確信しているからだ。

「入札件数。2件」

だから、係員がこの言葉を言った途端、エレナの表情は笑ったまま凍りついた。

「!?」

想定外の言葉に、エレナの眉間に皺が寄る。
これは只の装備品の入札ではない。
銃火器の入札だ。
なぜ、他に入札者がいるの?
エレナの脳裏に疑念がよぎる。
が、それと同時に、自社製品に対する絶対の自信が、口から出かかる驚きの声を押さえつける。
モノづくりに関しては、正規の技術資料を持つ自分たちに絶対の自信はある。
例え、ちょっと他業種に参入してみようと冒険した他社がいくら参加してきても、製品の質では絶対に負けないし、ポッとでの会社じゃ低コストに作る事も出来ないだろう。
負けるはずが無い。
エレナの心にそんな自信が渦巻く。
だが、その自信は、係官の続く言葉でいともあっさり打ち砕かれる事になったのだった。

「石津製作所、Striz。3億6千万円」

係員が淡々と書面を読み上げる。

「なっ!?」

だが、更に続く想定外の言葉に、エレナは思わず両手で口元を覆う。
開札の際、落札者の名前と金額は最後に呼ばれる。
2件の入札で最初に呼ばれるという事は、それは受注を逃したのと同義であった。

「岩見沢精機工作所、H&K P2000。1億9千万円」

なんだその会社は?一体誰が?とエレナは後ろを振り返る。
最前列に座っていたから気付かなかったが、いつのまにやら後方の席に太った男が座っている。
年は三十手前といったぐらいか。
その男は、エレナが振り返って睨みつけるのに気付くと、ニヤリと笑って視線を返した。
確かに調達を逃す理由の一つとして、1丁が16~17万が転移前の拳銃の調達価格だったものに、2倍の値段は流石に吹っかけすぎたかとはエレナも少しは思ったが
そんな事はお構いなしに、エレナは一方的な敵愾心を男に向ける。

「本選定の落札者は、岩見沢精機工作所に決定しました」

「んな! ちょっと待ってよ!どういうこと?
道内にライバル会社は居ないはず…… あんたねぇ、そこらの町工場が適当に入札したんじゃないでしょうね?!
そもそもあんたの会社に銃器製造のノウハウあるの?」

予想外の出来事に、納得の出来ないエレナは、パイプ椅子から立ち上がると後方に座っていた男に食って掛かった。

「あははは。
面白いこと言うねキミ。
ボクの会社は、ちゃんと生産設備も整えて体制を作ってから今日の入札に臨んだんだよ。
銃については配備されてる奴をリバースエンジニアリングしたものだし。ちゃんと警察の仕様書も満足してる。
まぁ 君の会社の銃は、映画とかだと悪役に似合いそうな銃だから警察も躊躇したんじゃないかな」

軽く笑いながら男はそう言い放つが、それを聞いたエレナは一瞬言葉を失うも、次の瞬間には火山の噴火のように怒り出した。

「あ、悪役ですって!?
ふざけんじゃないわよ!
アメリカンスキーの偏った映画で、変なイメージを語らないで!
悪役の使う武器なら西側兵器も同じくらい多いじゃない!
それにイメージが悪い紛争地にばら撒かれてる武器は、多くは中国製の偽物よ!」

ロシアはいたってクリーンだわ!と断言するエレナ。
男からしたら軽口のつもりだったのかもしれないが、それが差別的なニュアンスを含んでたためにエレナの怒りが爆発する。
席を立ち、男のほうに向かって歩き出すエレナ。
だが、男も全く動じる様子は無い。

「ふふ。気を悪くしたかい?
ごめんごめん。まぁ落ち着いてくれ」

男は薄笑いを浮かべながら謝ってくるが、当然エレナの怒りは収まらない。
サタンのような表情を浮かべて今にも掴みかからんとする勢いのエレナだが、それは一つの咳払いで強制的に押さえ込まれることになる。
騒がしくなる会場を見て係官がワザとらしく咳をしている。
騒ぐな、静かにしろという無言の圧力である。
それには両者も従うより仕方ない。
男はこれ以上の挑発をやめ、エレナも気分を落ち着けようと勤める。

「ふぬぅ~~……」

怒りを無理やり抑えるために深呼吸するエレナ。
その様子を見て、やっと話が出来る状況になったと思ったのか、男はエレナに向かって声をかけた。

「自己紹介が遅れたね。
ボクは岩見沢精機の松来園(まつきぞの)祐一。
代表取締役をしている。今後はライバル企業となるから以後お見知りおきを」

握手を求めて男は右手を差し出すが、エレナはプンと顔を背ける。

「ふん!石津製作所の石津エレナよ!」

「よろしく。エレナさん。
色々と印象は最悪なようだけど、もしウチがシェア伸ばして其方の会社が傾いたらいつでもパートで雇ってあげるよ。
弾薬製造ラインもそろそろ稼動を始めるし、君たちの会社には不利益しかならないけど、それでも助け合いの精神ってのは大切だからね」

「!!!」

握手を拒否された為か、もともとそういう性格なのか、松来園は要らぬ言葉で火に油を注ぐ。
その後、当然の如く暴れだしたエレナだったが、警察の建屋内で始まった騒ぎに、わらわらと集まる制服警官。
そんな一連の騒ぎの中心となった彼女が国後に変えることが出来たのは、留置場に一泊した次の日になってからだった。





次の日
そんな色々なトラブルに見舞われながらも、やっとのことで国後に戻ってきたエレナは、事の顛末をサーシャに話した。

「……と、言うことがあったのよ」

「それは大変だったな」

だが、エレナの今回の札幌行きがいかに大変だったかを語る主観100%の説明を聞いても、当のサーシャはパソコン画面から目を離さない。
カチカチとマウスをクリックする音だけがその場に響き、仕事をする手を休める気配が感じられなかった。

「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」

これには、さすがのエレナもムッとする。
仕事をしているのは別にいいことだが、自分の話を聞いてもらえないのはイラっとしたのだ。

「聞いてる聞いてる。パートに出るって話だったか?」

「全く聞いてないじゃない!
っていうか、あんたさっきから何してるの?」

業を煮やしたエレナは、サーシャと画面の間に割り込み、何をしているのか確認する。
その画面には編集中のCATIA図面が映っているだけであったが、ここまでされてはサーシャも仕事の手を休めるより他に無い。
サーシャは、やれやれといった感じでイスの背もたれに身を任すと、ひとつ大きく背伸びをした。

「ん~ 軍からサンプルを貰った対戦車ライフルを改良してる。
コスト削減のためのVE活動だよ。」

サーシャの言うとおり、モニターに移るのは仕事中の画面だけ。
てっきりエレナは、あまりに集中しているサーシャを見て、仕事をする振りしてアニメか何かの動画を見ているものだと思っていたのだが、本当に仕事に集中してたらしい。

「まぁ、あんたちゃんと仕事やってるのね」

エレナが率直にサーシャを褒める。

「まぁ 部下の皆がちゃんとやってくれるからね。
僕としては、バリバリ働く部下の前でサボってばかりじゃいられないよ。
有能すぎる部下ってのもの困ったもんだ。なぁ キミ達」

サーシャはそう言って、自分の机の前方にある部下達が座るデスクに向かって話を振る。
それはサーシャが自分で連れてきた設計に携わる二人の部下。
石津製作所に合流する前に客船アルカディア・オブ・ザ・シーズから連れてきた双子の中国人姉妹。
彼女らは、サーシャの問いかけに、モニターから視線を外して笑顔で答える。

「まぁ、CATIAなら任せてアルね」

「こんなの余裕アル」

サーシャ達にそう答えた彼女らは、再び視線をモニターに戻すと作業を続行する。
みれば随分と手際よくデータを弄っている。エレナはその仕事ぶりに思わず感心してしまった。

「まぁ よく働くのは良い事ね。
その調子で頑張って頂戴」

エレナはニッコリ笑って二人を褒める。
社員のこういう面を見るのは率直に喜ばしいのだ。
エレナは一瞬だけ機嫌が良くなるが、それは長くは続かない。

「話は戻るけど、厄介なことになったわ。
ライバル会社よ…… 
そういった存在はいずれ出てくるとは思ったけど、私達がオリガルヒとして確固たる地盤を築いてから相手にしたかったのに……
とりあえず、明日にでも貴方のお父さんの所に行って話をしてみようかしら。
なんで製造許可だしたんだ。私達の独占産業じゃなかったのかー!って問いたださなきゃ。
それと、同時にあの会社の背景も調べ尽くしてもらおうかしらね」

エレナは人差し指を唇に当て今後の対策を考える。
とりあえず、何かしらの情報は必要だ。
内務省警察を統率するステパーシンなら何らかの情報は掴んでいるはず。
エレナは、一体、何を依頼しようかとその場で考えた。
情報の収集に始まり、背後関係を全部洗うのは当然として、他に何が必要だろうか。
それは、傍から見てい者からしても「スターリン時代みたいにトロッキストにでっち上げて、始末してくれないかしら」と小声が漏れている時点で
少々ブラックなお願いをしようとしているのは見え見えであった。
そんなエレナが唸りながら対応を考えていると、彼女の口から漏れるダークな呟きを聞いていた双子が、顔を真っ青にして立ち上がった。

「ぶ、部長!」

急に挙動不審に席を立った双子は、あたふたとサーシャに声をかける。

「ん?」

「部長!製図が終わったので、ちょっとトイレに行くアル」

「あたしも連れションネ!」

二人はそういうとバタバタと部屋から走り去る。
途中、焦りのためか足がもつれて転びそうにもなっていたが、二人の足音は慌しく遠のいていった。

「なにあの双子?」

トイレとは言っていたが、あまりの二人の挙動不審ぶりに、エレナは二人が出て行ったドアの方を指差しながらサーシャに聞いた。

「あれでも優秀なんだよ。
だから客船でスカウトしてきたんだし。
多分、エスキモー並みに我慢してたんじゃないのか?
今頃、全てが快楽に変わっている頃だろう」

「ふーん…… まぁいいわ。
それと、私は一度経理のおばさんのところに行って来るわ。
折角試作品まで作ったのに、選考で破れたんなら無駄な経費になっちゃた。
あの人から損失の処理について教えてもらってくるわ」

「おーう」

そういってエレナは、手を振って送り出すサーシャの設計室を後にした。
札幌での報告したし、後は無駄になった経費をなんとかするだけ
こういうときにショーンさんの紹介でシニア採用した経理のおばさんは便利だった。
経理以外にも豊富な経験があるため経営上の些細なことでも相談ができる。
それは、会社を立ち上げて一年と少ししか経っていない拓也達にとっては非常にありがたい存在だった。
エレナは、今日も色々と知恵を貰おうと彼女の居る事務所のドアを叩く。

「にゃーにゃー(おばちゃん:ロシア語)、ちょっと聞きたいことが……ってアレ?帰るんですか」

ドアを開けたエレナの目に留まったのは、帰り支度をしている経理のおばさん。
彼女はエレナが入ってくると、その手を止めてエレナに応対する。

「え、えぇ
ちょっと体調が悪くてね。早退させてもらうわ」

「そうですか……
じゃあ仕方ないですね」

折角いろいろと聞こうと思ったのにと、エレナは残念そうに俯いた。

「何か急ぎの用だった?」

残念がるエレナに、彼女は何の用件だったかと尋ねる。

「いえ、ちょっと損失処理の相談しようかと思ったんだけど
あまり急いではいないから、また日を改めて来るわ。
帰ってきて早々だけど、また札幌にとんぼ返りしようと思うし」

「あら、大変ねぇ。
今日、帰ってきたばっかりじゃなかったの?」

「そうなんですけどね。
内務省に行ってステパーシンさんに調査をお願いしようと思うの。
こういうときに政府の力に縋れるってのは政商の特権ね。
ふふふ…… 今に見てなさい。後発企業なんてあっという間に駆逐してやるわ」

「そう、でも、政商を目指すならロビー活動には手を抜かないようにね。
私もあなた達が上手くいくように応援してるわ」

「ありがとうございます。
じゃぁ、相談の件は日を改めて来ますので、お大事にしてくださいね」

「ふふ…… ありがとう」

エレナは、彼女にまた来ると伝えると、そのまま手を振って事務所を後にする。
だが、ドアが閉まるその一瞬、室内に残された人物の表情が氷のように冷たくなるのを、エレナが気付くことはついに無かったのだった。


翌日
国後より丘珠空港に降り立ったエレナは、ステパーシンに会うために札幌のとある場所へと向かっていた。
内務省警察本部。
もともとは在札幌ロシア領事館だった建物を流用したその官庁は、元領事が連邦政府に合流し、新編された外務省へと出向した後は、内務省警察の本部として使われている。
そんな建物の旧領事室に、ステパーシンはいた。
本来ならば内務省のトップという事で、連邦政府ビル内にいなければならないのだが、施設の使い勝手の良さと従業員の比率がロシア人の方が高い事もあり、彼はこちらで執務を行う事を好むようになっていた。
今では、内務省警察本部はステパーシンの城だと政府内部で呟かれるようになっている。
そんな城主が居座る一室に、色々な不満が渦巻くエレナは一人で訪れていた。

「ステパーシンさん。単刀直入に言います。
なんで新規業者に火器の製造許可を出したんですか?」

エレナは鼻息を荒くしてデスクに座っているステパーシンに詰め寄る。
はたから見れば、それはなかなかの迫力があるのだが、
対するステパーシンの胆力も大したもので、ただ迷惑そうにエレナを見るだけだった。

「いきなりだね君も。
まぁ 座りなさい。ちゃんと質問には答えてあげるから」

どこまでも冷静なステパーシンに諭され、エレナは渋々と来客用のソファーに腰を下ろす。
エレナは、腰を落ち着け一呼吸置くと、ステパーシンに向かって再度質問をぶつける。

「で、なんで新規業者に製造許可を出したんです?
ステパーシンさんの影響力にも関わる事ですよ?」

抗議の視線でエレナはステパーシンを睨む。
自分達の利益が、献金などでダイレクトにステパーシンの利益になるのに何をしているんだという意味をこめて。

「ふむ。君は色々と誤解している。
私は君らを後押ししているが、別に独占を約束したわけではない。
それに製造許可は経産省の管轄だ。内務大臣の私に、横槍をさす権限は無いよ」

ステパーシンはそう言いながら煙草に火を付けると、椅子の背もたれに体を預けながら、事の背景をエレナに語りだした。

「それに、オリガルヒに成長しそうな産業界をあえて分割するのは大統領の方針だ」

「……それは私達がいずれガスブランみたいな影響力を持つのを恐れてですか?」

「それもある。
だがコレは、世論の圧力と危機管理の側面が強いな」

「というと?」

「国後に居ると札幌の空気は感じにくいかもしれないが、世論は今、選挙をせずに大統領の椅子に座った高木氏への反発が強い。
というのも、転移後の物資統制で割りを食った既存経済界や旧勢力がメディアと組んでネガティブキャンペーンをやってるせいだな。
大統領をソ連崩壊後にオリガルヒと組んで私腹を肥やしたエリツィンと同一視する論調を強めている。
大統領制だから世論の変化が政権に与える影響は限定的だが、国内情勢にいらぬ波風を立てる必要は無い。
そこで、大統領閣下は危機管理という名目で世論の要請にこたえることにした。
各々の産業クラスターが一つの地域に集中すると、災害が発生した時に産業がまるまる壊滅する恐れがあるからな。
前の世界と違って輸入などと言う手段が取れない以上、効率は下がっても、ある程度基盤の出来た産業は最低2つ以上の地域で育成ようという話だ」

「へぇ~……
こっちも色々と大変ですね。国後は平穏そのものなのに。
あと、ひとつ分らないんですが、なんでそんな世論を乱す不穏分子を放っておくんです?
なんのための内務省警察ですか?」

厳格な世論の統制が出来ていれば、このような事態にはならなかったのではないか。
エレナは皮肉を込めてステパーシンに言い放つ。

「ふふふ、なかなか手厳しいな。
もちろん我々も仕事はしている。過激な思想集団は粗方葬ったし、睨みも効かせている。
だが、緩やかな反政府集団に対しては効き目が限定的なのだ。
我々の腕は強力すぎて、ソフトな対応を求められると効果が出にくい」

「そんなもんですか」

「だが、国内情勢についての調査については抜かりは無い。
君たちの求める情報も我々の持っているものの中にあるつもりだ。
……ズバリ、岩見沢精機の内情だろう?」

「は、はい」

ステパーシンはエレナの来訪目的を初めから分かっていたかのように言ってのけると
机の中から一部の資料を取り出した。

「いずれ来るだろうと思って紙に焼いておいた。
別に国の機密資料でもないし、持って行ってもらっていい」

エレナは机の上に置かれた資料を手に取るとパラパラとめくる。
そして、文書の中のある一点で視線が止まった。

「え?この筆頭株主って……」

「あぁ 知っているのか?
ショーン・ソロス。
イギリスのヘッジファンド会社を経営し、中小国家を通貨危機にするくらい悪どく稼いでいた。
その後、引退を表明し君たちが息子を迎えに行ったアルカディア・オブ・ザ・シーズに乗っていて転移に巻き込まれたようだ。
岩見沢精機には資金提供だけにとどまらず、どこからか持ってきた弾薬製造ラインの技術資料一式の出所も彼だ。
それが無ければ、こんなに早くラインは立ち上がらないし、そもそも業界に参入すらしなかったと思われるな」

「技術資料!?」

「あぁ どうした何か思い当るのか?」

「拳銃くらいであればバラして作れたかもしれないけど、あいつ、弾薬の生産も始めるって言ってた……
……そーか、合点が行ったわ。技術を盗んだのね。
でも一体誰が……って、接点のあるのが一人いるわ」

「ふむ。君の想像は当たりだ。
ショーンと君の所の経理は通じている。ついでに言うなら、中国人二人も現地採用の協力者だ」

「え!? あの二人も?
って、なんでそこまで分かるんです?」

「詳しくは言えないが、今の内務省は情報通信各社を完全に押さえているよ。
君たちもプライベートなやり取りは、メールや電話を使わない方が良い。
コンピュータの進歩は、さほど大規模な施設じゃなくても、リアルタイムで道内の全通信を監視することも技術的に可能だ」

「……」

「まぁ あまり気にする事じゃない。
同様の事は、君が生まれる前から米国のエシュロンでやられていた事だ」

「……それで、そこまで分かっていて、なぜ逮捕しないんです?産業スパイですよね?」

「そこはヤツのロビー活動の成果だな。
技術情報受け渡しに科学技術復興機構を利用している。
法律上は統制経済が発動しているのを理由に、機構は企業から技術情報の接収と分配が可能だ。
そこから彼等は情報を入手した事になっている」

「でも、それなら一つ疑問が残ります。
機構を使えば技術を接収できるなら、なぜスパイなんか使ったんでしょうか」

「それは、機構の理事長のせいだ。
彼は、他でもない君たちを私に紹介した武田勤だからな。
奴らは自分たちと同じように、君たちもロビー活動を展開していると思っているんだろう。
真正面から技術渡すように言っても、要請を取り消されると思ったようだな」

「でも、一応は機構を使ったやり取りなのでしょう?
私たちはそんな技術の接収なんて知らなかった……」

「社印の管理は厳重にしてるかね?経理にまかせっきりじゃないか?」

「あ゛……」

その言葉に、エレナはそう言えばと思い出した。
彼女を信用するあまり、社印の管理も彼女に任せっぱなしだった。

「一応確認に向かったら、接収資料には君たちの会社の同意書が社印入りで提出されていた。
書類上は、君たちの会社も同意したことになっている」

「でも、私たちはそれを知らなかった!」

「まぁ 今から異議を唱えても技術は戻らん。
関係者の処分は内々でしたまえ」

「うぅ……」

「他に何か用はあるかな?」

ステパーシンは、もう満足かと視線で語りながらエレナに言う。
裏の情報から政府のスタンスまで教えてもらい、これ以上は贅沢だというのはエレナにも分かる。
ステパーシンの言葉に、エレナは俯きつつも感謝の言葉を述べるしかできないのであった。

「……ありません。ありがとうございました」







ドォン!!

国後に再度戻ってきたエレナが、まず始めにやったこと。
それは、武装した部下を引き連れて事務所のドアをぶち破ることだった。

「……ちっ!逃げられたか!」

銃を構えて事務所に突入してみるも、そこに居たのは運悪く事務所で作業をしていたサーシャ一人。
それも、急な出来事に体を丸くして何が起きたのか分からないといった表情を浮かべている。

「おいおい。どうしたんだよ?」

始めは混乱していたサーシャも、急襲をしかけてきた主がエレナだと分かると
蹴破られたドアと鬼気迫るエレナを交互に見比べて、両手を挙げながらエレナに尋ねる。

「スパイ狩りよ」

「え?」

エレナの言葉にサーシャは目を点にする。
スパイなんていわれてもサーシャに思い当たる節は無い。

「経理のババァがスパイだったのよ。
ついでに言うと、あんたんところの中国人二人もスパイよ」

「な、なにを……」

突然のエレナの説明に、サーシャは理解が追いつかない。
確かに今日は三人とも休みを取っていたが、彼らがスパイ?

「まぁ、私が札幌に行っている間に全員逃げたようだけどね」

エレナはそう言うと、経理の机をおもむろに開き物色する。
何か隠しているものは無いか、忘れて行ったものはないか、それらしきものをエレナは探す。
だが、文房具以外に大した物は入ってなく、エレナも早々に物色するの手を止めた。
この手際のよさからいって、既に見つかるとヤバいものは処分するか持ち出すかしたのであろう。
エレナは全てが後手に回ったことを悟ると、また胸の内にふつふつと怒りが込みあがるのを感じた。

「むぅ~、ショーン、岩見沢精機……
ここまでコケにしてくれて、絶対に許さないわ!」

たとえ便所に隠れていようと、絶対に落とし前はつけさせる。
彼女は固くそう誓うのだった。







「そうか、そんな事が……」

エレナがこれまでに起こった事を話し終わると、拓也は信じられないといった表情で呟く。
まぁ ライバル会社がいずれ出てくるのは予想していたが、それがスパイという手段を使って社内に潜伏しているとは予想だにしなかった。

「それにしても、なんでショーンさんはライバル社なんて作り上げたんだ?
ウチに投資してもかなり儲けられたんじゃないのか?」

「理由は知らないわよ。
だけど、あっちの会社は、株式の大半をショーンさんが握ってる。
自分の好きに出来る会社がほしかったんじゃないの?
ほら、こっちはサーシャとか色々とコネとか絡んでるし」

エレナの言うことはもっともだ。
拓也の会社は設立以降、色々な人々の利害と意向を吸収して体裁を整えていた。
恐らくそれも理由の一つなのだろう。
だが、いくら理由を考えようと、現状では何も意味を成さない。
ライバル会社は既に立ち上がり、裏切り者には逃げられたのだ。

「うーん、弱ったな。こんな時にそんな重要なことが起きるとかタイミングが悪すぎる……」

本社の方も大変だが、カノエの救出も同様に重要な案件である。
ここで、エドワルド達に後は任せたと言って離脱した場合、他の社員達からの信頼を著しく落としそうである。

「本来なら、今すぐにでも戻ってもらいたいわ。
今は、サーシャが製造事業部をなんとか回してるけど、基幹要員がいきなり消えたせいで、てんてこ舞いよ!」

「そうか、だがなぁ……」

本社も大変なのは分かるが、カノエ救出の為に、東方大陸なんて未知の土地に行くメンバーも放って置けない。
エレナを前にして言いづらい一言であったが、その拓也の様子を見てエレナは拓也の心の内を見抜き、大きく一つ溜息を吐いた。

「ふぅ…… まぁ、そんだけ言っても、あなたは行くんでしょ?」

拓也の思いは、言葉に出さなくても、雰囲気で十二分に通じていたらしい。
エレナが笑みを浮かべながらそう言うと、拓也は一つコクンと頷く。

「……うん」

「仲間とはいえ、女の子を追って危ないところに行くのは気に入らないけど、まぁカノエだし、許してあげる。
だ・け・ど!」

エレナはグイっと拓也に迫ると、その頭を両手で左右からしっかり押さえる。

「武の誕生日までに帰ってこなかったら許さないから。
新編の2個小隊つれて全力出撃するからね!
あなた私の話の前に約束したわよね?絶対守ってよ!」

「ぜ、善処します」

かなり本気なエレナの視線を受けて、拓也も下手な事を言って約束が守れなかった時を想像し、拓也はあいまいな言葉で返事をする。
だが、それが気に入らなかったのか、拓也の頭をホールドするエレナの指に力が入る。

「善処?!」

「約束します。
1ヶ月以内に全て終わらせてきます」

エレナの眼光の鋭さからくる圧力に屈し、拓也はエレナに期限までハッキリと約束した。
その瞬間、エレナの両手からふっと力が抜けると、拓也の頬を撫でながらエレナは優しい微笑を浮かべる。

「よろしい」

柔らかさに包まれたようなその一言と笑顔に、エレナは一瞬前とは別人のような雰囲気につつまれる。
感情の起伏が激しいものの、これが本来の彼女なのだ。
エレナは拓也の言葉に納得すると、更に微笑みを携えて言葉を続けた。

「いいわ。待ってる。
会社のことは私とサーシャで何とかしてみせるわ。
その代わり、絶対に帰ってきてね」



[29737] 道内情勢(霧の後)2
Name: 石達◆48473f24 ID:3a7a7f94
Date: 2013/02/23 15:45
拓也がエレナに教授らの北海道への帰還を任せ、エレナたちに見送られながら彼らが東へ向けて出航した頃
札幌の連邦政府ビルの一室で、重要な会議が開かれていた。

第48回 北海道連邦戦略会議

転移以降、かなりの高周期で開催されるこの会議。
その中でも、今回は今までで最高クラスの訳の分からない事態が報告されていた。
高木を始め円卓を囲む政府の重鎮達の前で、スクリーンに映し出された報告をレーザーポインターで指し示しながら矢追博士がその説明をしている。

「お手元の北大のレポートにもあるように、転移後の天体観測は新たに発見される謎と新発見の連続で、非常に混沌としております。
特に苫小牧の電波望遠鏡での観測結果が一番驚きでしょう。
転移以後、天の星座はがらりと変わった。
太陽系の惑星に関しては各種観測の積み重ねにより、旧世界とあまり変わらない軌道を回っていることは突き止めたが
この太陽系の外。我々の常識では銀河や他の星星で満ち溢れているはずの宇宙からは何の反応も無い。
近隣星系からの電波どころか宇宙背景放射さえ観測されない。
しかし、夜空に星はちゃんと有り、可視光線上では何かは存在している。
では、それは何なのか? そもそも、この世界は元の世界の宇宙観すら当てはまらない所なのか?
謎は、ますます深まるばかりであります」

そう矢追博士が説明するように、既存の観測データが一切合切ゴミと化した転移後の天体観測は、プロ、アマチュアの区別無く夜空を見る者達を狂乱させていた。
毎日何十個も発見される太陽系内の小惑星。
全く見つけることの出来ない銀河や星雲などの遠望天体。
それらの事象は、北海道が全く別の宇宙に転移したという説に始まって、ここは神の箱庭であるという説まで、ありとあらゆる方向性に研究者の議論を弾ませていた。
転移以後、天文学に限ってでも幾百の論文が発表され、次々に新しく発表される他の学説に塗り替えられていった。
だが、それは無理も無い事だった。
観測衛星も無ければ、大規模な天文台も無い北海道に、今以上の観測は難しい。
この世界の宇宙観の理解を深めるのは、とてつもない難事業に思われた。
彼らの言葉を借りれば、"今の我々が観測出来るのは、この世界で起きている現象の1%にも満たない。
だが、その観測したうちの1%程度も理解できないでいる"とのことである。

「それで結局の所、何も分からずじまいという事ですか?」

矢追博士の報告を聞き、高木は博士に聞き返す。
何も分からず、調査中とのことなら、演技がかった説明などせずとも"現在調査中。観測が纏まり次第報告します"と資料に一文書くだけでいい。

「いや、何も分からないということでは無い。
現に既存の観測施設でも判明したことは幾つかある。
例えば、今、我々がいる星系の惑星の軌道は、元の太陽系の軌道とほぼ同一であるというとこ。
それと、今見ている資料の3ページ後に書いてあるのですが、この世界の火星に相当する星には海があると思われる」

「火星に海ですか?!」

会議室の一同は、博士の言葉に思わずざわめき、一斉に資料のページをめくりだす。
すると、そこには写真も無く文字だけの情報であるが、それに言及する一文があった。



観測報告3
火星に海洋が存在する可能性について

3.1 光学観測の確認
 本星系内における火星に該当する惑星について光学観測を実施した所、以下の事例が観測された。
 (1)惑星の広域を覆う青い領域
 (2)惑星表面に見られる多数の雲
 (3)惑星の陸域(仮定)に多数分布する緑の領域

3.2 観測結果に対する推論
 3.1項で観測された事例について推測された仮説を以下に示す。
 (1)観測された青い領域は、表面の起伏など様々な要素から検討した結果
  何かしらの液体の海が形成されていると思われる。
 (2)惑星表面に多数確認された雲は、惑星表面に二酸化炭素等の濃密な大気を有することを示している。
  大気組成についてスペクトラム分析をした結果、二酸化炭素と共に大量の水が含まれている結論に至った。
  これは(1)で推測された海洋が水を主成分とする可能性が高い事を意味する。
  更に、惑星から太陽までの距離を考えた場合、火星気温が水を液体の状態に保てるほどに大量に温室効果ガスを含んでいる可能性がある。
 (3)惑星上の陸域(惑星上の青い領域が海だと仮定した場合)に分布している緑について、仮に(1)項と(2)項の推測に基き
  海洋が水を主成分とするものであり、大気が二酸化炭素を有する場合、地球と似た植物が生息している可能性がある。
  だが、これには幾つもの不明点や観測データの不足する点があり、現時点ではそれが何であるか確認するのは不可能である。






「これは……
この星の上だけでも分からない事だらけなのに、火星に生命の存在できる可能性ですか……」

資料に一通り目を通した高木は、最早驚くことも通り越して呆れることしかできなかった。
どこまで出鱈目なのか、この世界は……

「そうです。
これは学術的に大変重大でエキサイティングな発見だ。
可及的速やかに観測施設の増強と、衛星打ち上げのためのロケットの技術開発に力を注いでいただきたい」

「そうは言いますが、道内の殖産興業と資源入手の為の対外調査で手一杯の我々には、そんな余力が無いのは分かってますよね?
ついこないだ完成した工場の製造技術検証に、リバースエンジニアリングした練習機と輸送機の開発開始を命じたばかりです。
それにミサイル製造すら基盤が出来ていないのに、衛星用ロケット開発は無理です。余力がありません」

無理な物は無理。
博士の要求に高木は両腕でバッテンを作り、その要求を一蹴する。
自分たちはアメリカやソ連じゃないのだ。
いくら必要だからと言っても湯水のように資源や人材を使えるわけじゃない。
高木は全身を使って博士に拒否の姿勢を示すが、そんな彼女のアピールも、天才とナントカは紙一重の教授には通用しない。
博士は負けじと高木に食い下がった。

「なにも航空宇宙開発の全力を投入してほしいわけじゃない。
先日、大統領閣下が二つに分けた航空宇宙産業クラスターのうち、航空機開発は千歳の航空宇宙システム製作局で存分に続行してもらえばいい。
ただちょっと、帯広の誘導推進システム製作局での開発力の配分は、既存のミサイル生産ラインの立ち上げからロケット開発に少々回してほしいんだよ。
そうすれば、衛星打ち上げまでのカウントダウンが近づくからな。
どうせ、開発って言っても、図面等は転移時に各社から接収したのをまとめるだけで、作業者の技術習熟がネックなだけじゃないのか?
重工からイプシロンロケットの資料は入手しているんだろう?」

さっさとなんとかしたまえ。
博士は言葉に出さなくても、そう目で訴えながら会議の出席者を見回す。
出席者の中で、博士の言葉が自分に関係ないと思える者は、困った博士だと苦笑いを浮かべているが、そうでないものはあからさまに眉を顰める。
それは、科学技術復興機構の理事長を務める武田勤も例外ではなかった。

「博士。あなたの科学の発展についての熱意は大いにわかるが、その技術習熟というのが大きすぎる問題なんだよ。
例え私の科学技術復興機構に各社から接収した技術資料があり、道内に取り残された技術者を集積したと言っても、その下請けの部品加工業社まで全部そろっているわけじゃない。
それにまだまだ道内部品メーカーのレベルは、航空機業界の要求するレベルにはお世辞にも達していない。
品質管理レベルも、良くて一般工業製品用のISO9001に毛が生えた程度、航空機規格の9100レベルで管理できるところは驚くほど少ない。
そういうわけで、博士の希望は今一つまって欲しい」

武田は、現状の問題点を博士に説明しつつ、これ以上博士が我儘を言わないように穏やかに宥める。
そして、その説明を聞いていた博士も、それ以上の要求は無駄だと悟ったのか不満そうな表情のまま自分の席へと戻る。

「ふむ。
そこまで言うなら仕方ない。
だが、衛星打ち上げはいずれ避けては通れんからな。
できるだけ急いでほしいもんだよ。
……と、我々科学者サイドからの報告は以上だ」

そう言って博士は報告を終わらせると、自分の席にどっしりと腰を落ち着ける。
この態度には高木も少々呆れてしまうが、まぁ 現在の北海道で最高の頭脳の持った万能の人ということもあり、あまり高木も強くは言えない。
矢追博士の人格に一癖あるのは皆わかっている事だし、出来る事ならこれ以上波風は起こしたくない。

「ふぅ……
では、続いてはエルヴィス公国との外交交渉についてですね。
ご報告をお願いします」

高木は皆に向かってそう言うと、淡々と会議を進める事にした。
まぁ 会議と言っても、内容の大半は定例の現状報告ばっかりで、あまり結果が伴わないものばかりなのだが
そんな中、高木が外交についての報告を促すと外務相の鈴谷が資料を片手に説明を始めた。

「はい。
では、エルヴィス公国との外交交渉の途中経過をご報告させていただきます。
現状の所、正式な通商条約の樹立に向けて何度かの予備交渉を行っていますが、先の紛争が我々の勝利という形で終結したため順調に進んでおります。
近代法制の無い公国での邦人の安全を保障するための領事裁判権の確保や、プラナスの開港については、公国側があまり重要性を感じていないのかすぐに要求も通りましたが
関税権の制限と、現在建設が進んでいる大陸橋頭堡の租借契約の期限で協議がスケジュールを超えています。
そして、これに関連して、道内の輸入商社や企業が大陸への進出の意欲を示しています。
彼らの進出は安全上、大陸橋頭堡周辺での活動に限定していますが、租借契約が締結されれば大々的に支店を出したいと言っています。
そして、この動きに呼応するように、大陸側の商人もビジネスチャンスを嗅ぎつけて公国に陳情をしているそうです。
特に公国に派遣された顧問団や、クラウス殿下から道内の内情を知った御用商人を中心に、公国内で資源量のある羊肉や柑橘類の増産と買占めが行われているそうです。
我々としてはこの動きに便乗し、経済面で公国側の内側から条約の早期締結の圧力をかけることで、公国側の妥協を引き出すカードになるかと思われます。
そうですね……現在の交渉の進捗から考えますと、公国の独立保障を条件として、一ヶ月以内には関税権と99年の租借契約は纏まる見込みです。」

「そうですか。
しかし、歴史の授業でならった開国期の不平等条約も、こちらが押し付ける立場に立つと当時の列強の気持ちも理解できるわね。
まともな法整備も無い土地で、邦人が理不尽に裁かれるのを阻止するには領事裁判権は必要だし、
現地の役人に不当に高い税金を課せられない為にも関税自主権は取り上げるに越したことはない。
まぁ これで向こうの産業が一時的にダメージを受けても、これが向こうが目指す近代発展には欠かせない資本主義の洗礼だという事で我慢してほしいわ」

彼女の言うとおり幕末の日本が押し付けられた不平等条約の内容は、締結する側によって感じ方が全く違った。
押し付けられる方は、自分たちの価値観や利益が侵害されたと不満に感じるが、押し付ける側としては、それくらいの補償が無くては安心して交易もできないのである。
まぁ それでも幕末の条約では貨幣交換の規定などでは、詐欺的に日本が一方的に損だけするようなのもあったが、今回の条約ではそう言った物はあまりない。
租借地にしても、紛争の賠償という側面が強く、不当な押し付けとまでは言えないものであった。
とはいっても、不平等な条約である事には変わりない。

「だが、これは少々恨まれるかもな」

そう言って、武田は容易に想像できるこの先の展開を思い浮かべながら苦笑を浮かべた。

「例え恨まれたとしても、公国内の法整備をキチン整えれば、いつでも条約改正には応じる用意もあるし、
それに、私たちの授ける文明開化は彼らにとってそれ以上の有益なはずよ。
例えば、北海道で産しない資源を輸出すれば、向こうにも莫大な富が生まれるもの。
まぁ こちら側としては、特に羊肉の輸入によって道民の食卓にジンギスカンを再び取り戻せるのが素晴らしいわ」

ジンギスカン。
高木が口にしたその言葉に、一同がその懐かしい味を思い出す。
北海道名物とはいえ、ラム肉の大半を輸入に頼っていた食文化は、転移と共に食卓から姿を消した。
そして、その事がジンギスカンに更なる魅力を与えた。
商業捕鯨が禁止されてから皆がありがたがるようになった鯨肉のように、ラム肉もまた輸入が途絶えたことが味のエッセンスとなり
数少ない道内で飼育される羊のうち、物資統制を避けて流通する闇ラム肉は超高級素材として扱われていた。
そんな懐かしの味を高木は思い出しながら、輸入再開を夢に見ていると、彼女は口元からあふれ出しそうになる液体の存在にハッと気が付いた。
物資統制によって食のバリエーションが減ったことで、人は知らず知らずのうちに食に対して貪欲になっているらしい。
彼女はあぶないあぶないと思いながら涎を飲み込むと、姿勢を正して気を取り直す。

「エルヴィス公国については、わかりました。
では、それ以外の他国に対する状況はどうでしょうか?」

「そうですね。
ゴートルム王国については、公国との会戦で諸侯軍が敗北して以降、停戦交渉が本格的に動き出しました。
彼らもエルヴィス公国の独立を彼らも承認せざるをえないでしょう。
今は賠償金の額を決めるために交渉をしているといった様子です。
それ以降の国交正常化と通商協定については、別途調整をする必要があります。
そして、ゴートルム王国以外にも複数の国から接触がありました。
わが国からの近い距離順にセレウコス、ネウストリア教皇領、キィーフ帝国から接触があり、
他に拿捕した船から、ネウストリアの更に西にアーンドラ、そして東の大陸にはサカルトヴェロという帝国があることが分かりました。
これまでの調査で、今の宗谷海峡がある海域は、この世界での主要な航路の一つだったようで、各国共にそんな重要航路上に現れた我が国に興味を示している様子です。
これらの各国とも、綿密な調査の上、資源確保のための通商を開きたいと思います」

「そちらのほうは順調そうですね。
特に懸案事項もなさそうですか?」

高木は、鈴谷の説明からゴートルムとのいざこざはあるものの、今までに判明した国家群との接触に特に大きな問題の報告が無い事に安堵した。
この世界のまだ見ぬ国々との接触、それは今の北海道にとって早急に進めなければならない事だった。
産業を維持するための資源と市場。
そのいずれが欠けても現代産業文明は維持できない。
文明の中の経済という血流が止まれば、研究も生産も全てが停止してしまうからだ。
その為、この世界のあらゆる国に通商の可能性を探るのは、北海道の未来の可能性を築いていくのと同義である。
例え、それが将来的に敵性国家に化けるものが有ろうと、とりあえずは国交の樹立が急がれるのだが、鈴谷の報告には障害になりそうなものはない。
そのため、高木が安堵の笑みを浮かべた瞬間に鈴谷が発した一言は、高木の期待を脆くも打ち砕くことになった。

「懸案についてですが、それが一つありまして……」

「……というと?」

「北海道の南南東500kmの所に浮かぶ広大な陸地についてです。
事前の調査でそこに居住民が居ることは分かったのですが、そこで国家に該当する組織とどうしても接触できないのです」

鈴谷はそういいながら、スクリーンに映し出された地図のうち北海道の南にある大地をレーザーポインターで指し示しながら報告するが
それを聞いていた皆は一様に首を傾げる。

「それは、ただ単に調査が足りないという事では?」

相手に接触できないのはただの調査が不十分なだけではないのか。
なぜそれが懸案になるのか。
鈴谷以外の出席者は、高木の言葉を聞きながら、それに同意するように首を振る

「いえ、それが調査の結果、そこの原住民の様子から高い技術力と集団生活の度合いから推測するに、何かしらの社会を築いていることは分かりました。
ですが、彼らに国や政治体制について尋ねても、まともな答えが返ってこないらしいのです。
国家元首どころか集落の長すら定まっていない。
しかし、彼ら自体は集落の枠を超えて恐ろしく組織化されている様子。
だが、彼らの情報伝達手段及び意思決定の方法は不明です。
全くもって未知の社会システムだ。理解しがたい」

高木はその話を聞いて、それは原始共産社会みたいな制度をとる未開の部族ではないかと鈴谷に問いただすが
それを聞かれた鈴谷はそうではないと首を横に振る。
なら、それは一体どういう集団なのか。
高木の頭に疑問が浮かぶ。

「ふ~む。
そんな特殊な社会は普通の人類には無理そうですね。
人は群れれば自然に組織にリーダーを求める。例え、それが合議制であっても。
やはり、人類とは違う難民達のような亜人達が住んでいるのですか?」

「その質問については、現地で撮影された写真でお答えしましょう。
皆さんスクリーンをご覧ください」

鈴谷の言葉と共に何枚もの写真がスライドショーにて映し出される。
次々に切り替わるその写真に、参加した一同は息を飲み、そしてその存在を理解した。

「こ、これは……」

「……エルフ……ですか?」

その言葉が示す通り、スクリーンに映される人々は、物語などで馴染みの深い姿をしていた。
スラリとした肢体に長い耳と光り輝く金髪。
そして、写真に写る全員が例外なくなんらかの武装をしていた。
その武装も彼等の技術と文化レベルの高さを物語るように精巧で洗練されたデザインをしている。
機能性を重視しているからだろうか、全体的なデザインはエルヴィス公国やゴートルムにおおいフルプレートの鎧とは似ても似つかない
むしろ現代のSWAT等で装備しているプロテクターに似た構成となっていた。

「皆様のお考えになっている通りです。
彼らの外見は我々の知っている物語に登場するエルフに限りなく近い。
長い耳に全員が整った美形。それに調査隊の報告では、恐ろしく感情の起伏が少なく、物欲もないとあります」

高木は鈴谷の説明を聞きながら、スライドショーに写る彼らの姿をみて思う。
それは本当に人間と言っていいのか?
この世界では、亜人と呼ばれる人類とは異なる形態の種族も多量に発見されたが、彼等だって感情があり、普通の人の様に様々な欲求があった。
だが、スクリーンに映る彼らにはそれが無いと言う。
それは本当に人間か?
彼女は、スクリーンに映る彼らの冷たい瞳を見ながら、得体のしれないロボットじみた薄気味の悪さをひしひしと感じた。

「そうですか……
そんな種族もいるのですね。この世界は……」

本当に何でもアリな世界だ。
そんな風に、また新たに現れた新種族に高木はスライドショーを見ながら一人納得する。
そして、そのまま何枚かスライドショーが切り替わった時、高木はある事に気付いた。

「あれ?彼らの後ろに移っているのは何ですか?」

高木の一言にパラパラと進んでいた映像が止まる。
そこには、エルフたちの写真の後ろに沢山の人影が写っていた。
エルフではない。
亜人から普通の人類と思われるものまで様々な人だかりである。

「彼らは人族や亜人の戦奴です。
彼の地の住民……もう、便宜上エルフとしましょうか。
エルフたちは大陸中から売られた奴隷を買いあさり、戦奴にしているそうです。
魔法か薬物かは分かりませんが、自我を喪失した兵隊になっているそうです」

「戦奴隷…… なかなか穏やかじゃありませんね。
それに、そんなに兵隊を増やしてどうするんです?」

資料を見ながら説明する鈴谷の言葉に、高木の目つきがきつくなる。
軍備を整えているという事は、何かしらと事を交える気でいる可能性が高い。
それは一体どこなのか?

「彼らの説明では、彼らの勢力圏の南側には恐ろしい敵がおり、二千年以上にもわたって戦争をしているとか。
これについては現地の聞き込み情報だけで、詳細はわかりません。情報が不足しております。
ただ、彼らの言葉で敵はレギオンと呼称されています。」

「は?レギオン?
……それは面白い偶然ね。
それは、ラテン語で軍団って意味じゃなかった?
なぜ、異世界で私たちの世界の言葉があるのかしら。
それともこれは鈴谷さんの冗談?」

「冗談ではないです。
そして、言語の類似性については分かりかねます。
我々の世界とこの世界の関係性は学者方に説明を求められた方が良いでしょう。
……それにしても、大統領閣下はよくラテン語なんてご存知でしたね」

「昔の怪獣映画で「我が名はレギオン。大勢であるが故に」って聖書の言葉を使った奴があったのよ」

高木はそう言ってため息をこぼす。
本当なら各部署の報告で不明点を消していきたいのに、回を重ねるごとに謎が増えていく
特に、エルフの敵とは何か。
それも二千年の長きにわたり戦争をするなど正気の沙汰じゃない。
是非ともその正体が知りたい。
それに北海道の勢力圏と然程離れていないところで争っているなら、その内嫌でも巻き込まれそうな雰囲気がプンプンする。

「む~。
なんだか、会議のたびに分からないだの不明だのの報告ばっかりで
一向にモヤモヤとした気持ちが晴れないわね。
まぁ いいでしょう。こればっかりは調査が進むまでは仕方のない事です。
それで、その他に報告はありますか?」

「いえ、対外情勢については以上です。
ペンディングになった事案は、引き続き対応を継続していきます」

そう言って鈴谷の報告は終わる。

「そうですか」

鈴谷の報告が終わって会議の流れに一区切りがつく。
高木は一度背もたれに体を預け、仰け反ってストレッチをするが、彼女に休んでいる時間は無かった。
鈴谷の報告が終わった事で、次の担当者が報告の準備をしている。
確か次は物資統制状況の報告だったか。
高木はそれを見て、問題だらけの物資問題の報告は長くなりそうだなぁと辟易していると
不意に隣に座っているステパーシンから彼女を呼ぶ声がした。

「……閣下。
面倒ばっかり増えますな」

ステパーシンは彼女を励ますように、苦笑を浮かべて話しかけてくるが
そんな彼に対して、高木は苦が笑いを浮かべて応える事しかできなかった。

「えぇ…… 本当に……
問題を一個一個片づける暇も無く、次から次へと新しいトラブルの種が湧いてくるわ」

高木はそう言うと、溜息を一つ吐きながら会議室の天井を見上げて呟いた。

「ふう……
それにしても、エルフね……
そしてゴートルム以外の各国……
北海道は一体どこに向かえばいいのかしら……」

誰となく呟いたその言葉。
それは、誰に受け止められる事も無く、ただ天井へと消えていくのであった。





[29737] 外伝1 北海道航空産業の産声
Name: 石達◆48473f24 ID:3a7a7f94
Date: 2013/02/23 15:46
果てしない大空と広い大地のその下。
モザイク柄の耕作地が延々を続き、半径30㎞は畑以外に何もないと言っても過言でもないようなそんな場所に、帯広市はポツンと存在した。
十勝川と寄り添うように広がる市街地。
そんな帯広市の外れ、市街地と郊外のはっきり分かれた境界線上の建物に彼はいた。

「ふぅ……」

缶コーヒを片手に、窓辺に寄りかかりながら窓の外を見る。
ここ一ヶ月ほどドタバタの続いた彼にとって、久々に落ち着いた一時だった。
気が緩みだすと口元も緩み、転移後に幾度となく呟いた言葉が口から洩れる

「はぁ…… 味噌カツが喰いたいなぁ……」

そう呟く彼の名は、嶋田優二。
彼の場合、家族で夏休みの北海道旅行に来ていたところで転移に巻き込まれるという不運に遭遇していた。
突如として現れた膜により、彼の乗る予定だったフライトはキャンセルになり、空港で必死に運航の再会を待てども一向に運航再開の見込みすら聞こえてこなかった。
一度は列車で帰ることも考えたが、空港に備え付けられたテレビから流れる報道がそれを諦めさせた。

"生きては膜を越えられない"

既に犠牲者が出ているという証拠付きで発表された事態に嶋田は絶望した。
生活基盤は膜の向こう…… これからどうやって家族を養っていこうか……
そんな苦悩を抱えたまま空港のロビーで待っていると、道庁から来た職員に孤立した観光客の保護という名目で、嶋田はこの帯広の温泉街に連れてこられた。
そこには既に数多くの家族連れの観光客が集められており、彼らに話を聞いてみると転移前の職業やスキルにより乗るバスを割り振られ、ここ帯広では航空技術関係者が多く集められていることを知った。
確かに嶋田は、転移前は名古屋の某重工の誘導推進システムを中心に製造する製作所に勤めていたし、滞在先として割り当てられたホテルには、同業他社の大手重工や、はたまた大手の設計室に派遣されていた中小企業の設計屋も数多くいた。
そんな彼らも道からの指示により、この温泉街の技術者達を束ねる被災者の自治会的な互助組織を作るよう指示され、ようやく彼ら独自の組織構造が出来てきたところで、空全体を覆う膜が突如として消えた。
たかだか一ヶ月弱と言えど、二度と帰れないのでは無いかとの不安が渦巻いていたことから、彼らの歓喜は凄まじく、そして期待が裏切られた時の絶望感も並々ならぬものだった。
家族と共に泣き崩れる者も出たし、一人二人の自殺者まで出た。
数日に渡り重苦しい空気が支配し、泣き疲れた者から新たな一歩を踏み出したし始める。
立ち直った者から、未だに落ち込んでいる者を勇気付け、それによって立ち直った者が更に他を励ます。
そうしてようやく全体が立ち直った頃、連邦政府と名を変えた道から一つの求人募集が出された。


"募集要項"

北海道に航空産業を興す技術者を募集します。

仕事内容:航空機の設計・開発、生産技術、品質保証、製造など
     (以前のキャリアを考慮し決定)

勤務地:帯広市
    (将来の転勤の可能性あり)

勤務時間:8:00~17:00(実働時間8時間)

給与:統制経済の為、しばらくは現物支給(配給の優遇あり)
   (経済安定後、経験・能力を考慮し決定)

待遇・福利厚生:統制経済中は衣食住保障。
        (社宅建設後、順次入居可)
        昇給年1回
        賞与年2回
          ・
          ・
          ・


これには全員が飛びついた。
今までの経験が生かせ、なおかつ家族の生活が保障できる。
しかも、政府の主催した説明会では、餅は餅屋、研究所の設立は自治会の主導で行ってよいという事だった。
そして喧々諤々の議論や自治会の主導の下、自治会が研究所としてやっていくための組織の体裁を整えたのは、約一か月後の事だった。
無論、組織の細かいところは未だに変更しているが、大まかな形として、企業のようなピラミッド型の組織ではなく
大手自動車メーカー、本多技研の研究所に似たフラットな文鎮型組織になった。
元が被災者の自治会であり、自由な開発環境を求める声や、元の会社もバラバラな全員の意見が集約された結果がこれだった。
この経緯としては、派遣として大手へ入っていた技術者達が大きく声を上げ、また大企業様が縦社会を築いて威張り散らす気か!と、格差社会で溜りに溜まった鬱憤も反映されているという噂も一部であるが真相は不明である。
まぁ 組織作りのこれらの努力も、後日に出された政府から危機管理の観点から拠点を分割せよという命令のため
組織作りがやり直しになるという当事者からすれば溜まったものではない事態も発生したが、それはまた別の話である。
そのようにして人の割り振りが決まると、次は組織内のルール作りが始まった。
一度制定されれば、変更は非常に面倒くさい組織標準作り。
皆、各社の今まで不満に思っていた事を問題提起し順調に進むかと思われたが、いざ意見の集約となると、皆が皆、今まで使っていたルールが一番だと意見の対立が巻き起こる。
不満を口にする時は非常に連帯感があったのに、自分の良いと思う事を推薦すると対立が起きるのは不思議である。
それと並行して、スペック(技術標準)の制定作業も行われていたが、これはボーイング等の海外企業から受注した案件を分業で制作することも多かったし
完全転移前に、日本政府に掛け合って各社の技術資料を北海道のデータセンターに複製を保管させていた事が幸いだった。(2020年代には図面等の電子化作業は全て終わっていた。)
転移前、北海道は独力での文明維持も視野に入れ各社に技術の提供を求めたが、これに応じる企業は皆無だった。
一時的に隔絶されているが、もし仮に原状復帰した場合は技術が流出しただけの大損害である。
そして、当時はまさか北海道が丸々転移するなどという確固たる確証も無かったため、どこにも道の願いは聞き入れられなかった。
次に道は、日本政府に掛け合い基幹技術を持つ各社に対し、技術の公開は求めないが道内の支社へ技術資料の複製を一時保管するように求めた。
これならば、各企業の社内から技術流出は無く、しかも道がそれにかかる経費を全額負担すると言った為、しぶしぶながら各社は応じた。
そんな各社に対して、転移後の連邦政府は生存のために手段を選ばない。
科学技術の集約と産業文明の維持を目的とした科学技術復興機構が、各社に技術の公開を要求。
公開しない場合は、企業が保有する特許を認めないと圧力をかけ、ここで技術を科学技術復興機構に預ければ特許料は補償されるが、もし拒否した場合は今後の一切の支援を打ち切るという脅迫であった。
そんな思いから、道内に営業所くらいしか持たなかった大手重工から順に科学技術復興機構の軍門に下る事となった。
この一件で、政府への不満がグッと上昇しはしたが、産業文明の維持という錦の御旗の前に、反発していた各社も遂には道の軍門に下るしかなかったのだった。



そんな産業再興のドタバタ劇から、およそ一年が過ぎようとしたある日のこと
嶋田は帯広の設計局にてなれない日々を過ごしていた。
彼の今の仕事はロシア製の大型対艦ミサイルのリバースエンジニアリング。
現品を分解し、その計測データを元に図面を起こすことだった。
これが10年前の設計現場ならば膨大な仕事量と厳しい期限にデスマーチになっているところだったが、嶋田は休憩室の窓辺に寄りかかりながら缶コーヒーを飲んでいた。

「おい、優二。サボってんのか?」

半分魂の抜けていた嶋田の後ろから不意に声がかかる。
それに対し、嶋田は「ん~?」と生返事をしながら振り向くと、そこには知った顔が立っていた。

「おう、西井か」

嶋田の後ろに立つ背の低い男の名前は西井。
偶然にも北海道に取り残された大学の同期だった男。
彼は、嶋田が休憩時間がとうの昔に過ぎ去ったのに、何時までも休憩室に篭っている事を咎めているようである。

「まぁ 固いこと言うなよ。
あれ見れば、ヤル気無くすから」

そう言って嶋田は、向かいの建物の中に見えるデスクに座っている集団を指差す。
そこには、パソコンデスクの前に手を動かすでもなく座ってる人々がいた。
彼らはパソコンに向かって座っているが、一切キボードやマウスに触れていない。
それに、パソコンから伸びたケーブルは彼等の首筋に接続されていた。

「検査データに直接接続して製図してるんだよ。
あんなのに人間が勝てるか……」

事実、彼等のパソコン画面は猛烈な勢いで図面を引いている。
人間ならば一ヶ月かかりそうな分量も、ものの10分で終わらせてしまう勢いだった。
転移前、ようやっと実用の域まで達した人型の汎用ロボット達は、徐々に徐々にと人間の仕事場へとその勢力を広げていた。
企業側から見れば、まだまだ人間に頼る所は多いものの、ロボットの導入は競争力の向上の上で有用だったが
初期導入コストや雇用確保のための法規制、それに労働組合の抵抗の為、その導入には一定の制限がかかっていた。
だが、転移後の北海道には一切の縛りが無い。
物資統制の計画経済中の現政府には初期コストなど無いに等しいし、
雇用等については、そもそも産業構造の再編成から行われているので問題にすら思われていなかった。
そんな中、既にあるロボット達は各種必要度の低い業界から順に徴発し、優先順位の高い産業に重点的に振り分けていく。
(それでも、農業などの重要産業で転移前から使用されているものについては徴発を免れはしていた)
処理能力が高い機種は設計等の用途に、処理能力の低い機種は肉体労働系の所へ振り分けられていった。
そして、その結果が彼らの前に広がる光景だった。

「お前の部署はいいよ?
エンジンの開発だもん。
道内で製作できるよう現行ターボプロップのダウングレードとはいえ新規製作だもん。
そこはまだ人間のイマジネーションが必要だから……
でも、それ以外は…… な?」

嶋田はそう言うと、手に持っていた缶コーヒーをぐいっと煽る。

「まぁ でも少しでも作業をしといた方がいいぜ?
これが終われば、次は大型の案件があるって噂だ。
本当かどうかは知らないが、何でも技術習得を目的にしたスカッドCクラスの能力を持ったロケットだと
それが本当なら、俺もそっちが良かったよ」

「ふ~ん。
そうか…… 次はロケットか」

「俺も本来はロケットがやりたくてこの業界に来たのに、今やってるのはPT6A系ターボプロップエンジンの簡易化……
そして、それが終われば今度はボンバルディアのDASH8から降ろしたエンジンの簡易化だそうだ。
なんでも千歳で開発してる技術習得用の練習機と4発の輸送機のに載せるんだと。
まぁ どっちも量産開始までは数年かかりそうだけどさ。
あ~…… どうせエンジンやるならロケットエンジンが良かったんだがなぁ」

西井はそういって不満を口にするが、思い通りにならないのが世の中の常。
嶋田はポンと彼の肩を叩く。

「まぁ 人生うまくはいかないもんさ。
ここに取り残されたのからして、人生の大誤算だし」

「人生、なかなか厳しいなぁ……
まぁ 過ぎたことはしょうがない。
俺は、自分の仕事に戻るけど、お前もサボるのは程々にしとけよ」

「あぁ じゃぁな」

そう言って嶋田は自分の部署に戻っていく西井を見送ると、俺も戻るかと気合を入れると空き缶をごみ箱に捨て、自分の部署へと歩き始めた。
あまり作業内容的にロボットたちには勝てないが、何もしないよりはマシ。
そんなゆるい気分で彼は席に戻り、作業を再開しようとすると、
室内を見渡せる位置に配置されたデスクから、こちらを見ながら手招きする人物が目に入った。

「嶋田君。ちょっといいか」

「あ、主席。
……なんでしょうか?」

サボってた事に対する注意か……
不味いと思いつつも逃げる選択肢などハナから無い。
嶋田は一つ覚悟を決めて、主席の机のもとへと向かった。
だが、説教の一つも覚悟していたのであったが、意外にも主席から呼び出された理由は別の事であった。、

「手が空いてるなら、ちょっとこれから北見まで行って試験の手伝いしてきてほしい」

怒られなかったのは良い事だったが、嶋田は主席の言葉に首をかしげる。

「手伝い?」

「現地の試験に2人行ってたんだが、一人がギックリ腰でダウンしてね。
で、向こうから一人じゃ作業が捗らないから誰か寄越してくれって要請があったんだ。
……で、行ってくれるか?」

「まぁ いいですけど」

少なくともここでロボットの作業効率を横目に腐っているよりはずっといい。
嶋田はそう思いつつ、主席の言葉にうなずいた。

「じゃぁ 気まりだ。
作業内容は現地でやってる試験の助手だ。
試験内容は出発の準備が出来たら後で取りに来てくれ」

「分かりましたが、でも北見ですか?
 一体、そこで何の試験をしてるんです?」

「簡単に言えば材料試験だ。
高温度バーナーで試験片を炙ってる。
だが、別に難しい事を頼むつもりは無い。
君には試験データのまとめを手伝ってもらう」

「はぁ。 そうですか」

最初、特に何も考えずに手伝いを了承したため、どんな試験か聞いていなかったが、試験データのまとめ位なら対して問題は無さそうだろう。
なら、考えるべきは出張先で何か美味い物は有るか否か……
だが、特に観光地でもない北見の名物なんて何も知らない。
嶋田はそんな事を考えつつ主席の話を聞いていたのだが、主席がバサッと紙の束を机に置いた音で我に返った。

「わかったなら、早速準備して向かってくれ。
試験要領書のコピーを渡すから、移動中に読んでくれ」

「今日、これからですか?」

主席の言葉に、え?っと嶋田の目が点になる。
そろそろ昼が近い時間帯なので、明日の朝一で移動かと思っていたらイキナリか?!

「どうせ暇だろうう」

「……」

主席の言葉に、嶋田は返す言葉がなかった。
確かに検査データを下にした製図作業はロボット達がいれば事足りる。
はっきり言ってしまえば自分はあぶれていた。
嶋田は暇だろうという言葉に、心に引っかかる認めたくないモノがあるものの
試験の立会いという新しい刺激のある仕事に乗ることにした。(といっても、上長からの命令に理由も無く背く事など出来ないのだが)
そうは言ったものの、同じ道東の都市とはいえ、帯広からは陸別でバスを乗り継いで4時間かかる。
電車で行こうものなら釧路・網走経由で8時間。
直線距離ならばさほど離れていないものの(道民の感覚で)、アクセスの悪さから昼前に出発した彼が目的地に到着するのは
初夏の長い日も、もう日も沈もうかとする頃。
夕暮れ時のバスターミナルから市バスを乗り継ぎ、徒歩で急な坂道を登ったその先に嶋田はようやくたどり着いた時、あたりは既に暗くなっていた。
目的の場所は、国立大で室蘭の工業大学と偏差値を争いオホーツクのトップを独走する工科大学。
北見工科大学のキャンパスだった。
嶋田は正門をくぐると、守衛に目当ての施設を尋ね、キャンパス内に足を踏み入れる。
彼の目指す先、それは転移後に建設された目新しい建屋だった。
耳を澄ませばサイレンサーを通したバーナーの廃棄の音がかすかに聞こえる。
彼は、目当ての試験場がここだと確信すると、そっとドアノブを回し、中へと入っていった。

「すいませーん。
嶋田です。応援にきましたー」

彼は室内に頭を突っ込んで叫ぶが、建物内部からの反応は無い。
見れば、試験室の隣にある制御室を覗くガラス窓に幾人かの姿が見える。
どうやら、防音がしっかりしているため、建屋の入り口から叫んだだけでは聞こえないようだ。
それならばと、嶋田は中に入り制御室の中に見知った顔があるのを確認すると、その中へと入っていった。

「こんにちわー
秋山さん。応援に来ましたよ」

試験の邪魔をしては悪いと恐る恐る入室した嶋田に、彼の先輩である秋山を始めとした人々の視線が集まる。
そこにいたのは、制服からしてこちらの研究員だろうと思われる2名と小柄でボサボサの髭を生やした異質な一名。
そして、その奥から秋山が手を振りながら嶋田を部屋の奥へと手招いた。

「あ、嶋田君。
丁度良いとこに来たね。
着いて早々だけど、ちょっとこれを見てもらえるかな?」

そう言って秋山は悪戯好きの子供のような笑顔を浮かべながら、机の上に置かれたいくつかの金属片を嶋田に見せた。
そこには変色し、変形した試料片が4~5本並んでいる。

「嶋田君。この材質は何だと思う?」

秋山はそう言って嶋田に試料片を見せるが、彼には見当がつかなかった。
金属表面の光沢から鉄かアルミかくらいの判別はつくかと思ったが、表面が変色しているためにそれもよくわからない。

「え~…… ちょっとわかりません」

「答えはね。鋳鉄だよ」

「鉄ですか」

「そう。材質的には単なる鋳鉄。
FCD400のダクタイル鋳鉄だね。
では、次の問題だけど、これは何度の炎で炙って溶けたと思う?」

またもや笑顔で尋ねる秋山であったが、嶋田には質問の意味がわからなかった。
耐熱合金でもないただの鋳鉄なら、融点は鉄よりも下がって1200度程度だろう。
だが、そんなことはわざわざ試験をやらなくてもわかっていることだ。
そんな既にデータもある素材について試験をするなんて無駄も良いところじゃないか?
そこまで考えて、嶋田には試験の目的すら分からなくなってきてしまう。

「融点ですか? まぁ、1200弱くらいですかね?」

だが、そんな答えを予想していたのか、秋山は楽しげに笑みを浮かべる。

「ふふふ…… 外れ。
正解は2100℃だ」

秋山はこちらの顔を見ながら説明するが、その温度に嶋田の表情は驚きに包まれる。

「2100℃!?
計測器の故障ではないんですか?
だって、鋳鉄の融点の2倍弱ですよ? ありえない……」

純鉄でも融点は約1500℃だ。
そんなデータは温度計の故障に決まってる。
嶋田は絶対にそうだと心の中で決め付けるが、秋山はそんな嶋田の表情と回答が予想通りだったのか
コロコロと笑い声を上げた。

「あはは。
嶋田君がそういうのも分かる。
ボクも試験中に計器の故障かと思ってわけが分からなくなったよ。
何度もチェックと計測器の校正をしたけど異常が無い。
これは事実を観測したデータだ」

そう言って秋山は嶋田に一枚の紙を手渡した。
それは試験の温度グラフが書かれたものであったが、嶋田はその内容を見て目を丸くした。

「これは…… 試験の温度データですか……  物温が異常に低い?!」

「うん。
そうなんだ。
いくら炎で炙っても物温がなかなか上昇しなくてね。
2000℃超えの炎で炙り続けてやっと鋳鉄の融点である1200℃に達したよ」

「それは…… 機材のセッティングミスじゃないんですか?」

「その可能性についてはNOだ。
セッティングの検証をしたけど問題はない。
あと、この試験に関して、ボクは一つ嶋田君に言ってないことがある。
この試験はジェットエンジンのタービン用に使う道産部品の素材テストなんだけど、同時にある特殊な試料も一緒にテストしてたんだ」

「特殊な試料?」

「君もテレビとかネットで見ただろ。
この世界には魔法みたいなことをする人たちがいるって」

「はい」

「その魔法こそが今回の試験のキモだ。
今回施術をしてくれたのが、そこにいる髭の人。
難民として渡って来た後、北海道に帰化なさったドワーフの方だよ」

そう秋山が紹介すると、髭面の男が嶋田に向かって一礼する。

「ラバシ様より協力するように仰せつかっております。
あなた方の要請には、微力を尽くさせてもらいますよ。
今回は特に、熱に強くする感じで強化の"魔法"を掛けさせていただきました」

そんなドワーフと紹介された男の一礼に、嶋田が会釈で返すと、秋山が試験の説明を再開する。

「そんな彼らの協力によって、この試料には"強化"の魔法が3重にかけられている。
まぁ 何のタネも無しに鋳鉄がこんな高温に耐えられないよ。
そして、この成果は驚くべきものだった。
なんたって融点を遥かに超えた温度まで耐えたんだからね」

「う~む……」

嶋田はマジマジと試料片を見る。
見た目にはただの変色した金属片であり、特別な特徴は何も無い。

「これが他の耐熱素材で試したら一体どのくらいまで耐えるのか……
なかなか興味深いだろ?
ちなみに試験装置の中で現在進行形で炙られているのは、レニウムだ」

「レニウムですか……」

「馴染みが薄いかもしれないが、融点の非常に高い希少金属だよ。
だいたいは耐熱合金に添付されたりする使われ方をしてるね。
今回は、それに普通に魔法をかけたパターンと多重掛けをしたパターンで評価している。
でも、試験中、ここにあった普通のバーナーでは能力が足りなくてね。
プラズマトーチのバーナーで今は加熱してるよ。
それと、まだ冷却中だから見せてないけど、耐熱合金の方は1回掛けで5700℃、2回掛けで10800℃と
多重掛けすればするほど一定の係数で耐熱性能は増加することが分かった。
しかもそれは材質によって大きく変わる。
例えば鋳鉄だと増加係数は1.2くらいで、窒化珪素のセラミックで1.5。
今やってるレニウムは、未だに試験中だが推測では1.9に達するんじゃないかと思う」

そう言って秋山は、試験結果の凄さを嶋田に語っていると、何時の間に部屋から出て行ったのか気を利かせたドワーフが、別室に置いてあるトレーに乗せられたそれを持ってきて、嶋田に見せた。

「一般的に魔法が付与しやすいのは水晶だと言われています。
だから魔導具を作る際には、それを核とします。
ですが…… この金属は素晴らしい。こんなに"強化"が効く金属は初めてみました」

そういってドワーフは、傍目には他の素材と区別がつかない変色したレニウム片を見せながら、自身もこの結果に驚いたように語る。

「こんなふうに、彼らも施術中の手ごたえが違うと絶賛してたよ。
凄いよね。
魔法をかける度に90%も能力が上がるんだから。
まぁもっとも、その魔法をかけるのにかかる時間が2乗で増えるんだけどもね……
最初の1回目は3時間くらいで終わったのに、今やってる最後の3回掛けの試料片は施術に81時間かかったからね。
恐らく4回掛けは273日、5回掛けだと5000年近くかかる計算だ。
一体何が作用しているのか見極める必要があるね」

「はぁ…… まだ色々と分からない事も多いとはいえ、時間さえかければ性能はドンドン上がるわけですか……
産業の根本が変わりそうですけど、そんな凄い実験に俺なんかが手伝って良いんですか?」

そんな凄い研究なら、もっと専門の研究者がやるべきじゃないか?
本当に自分で大丈夫なのかと嶋田は心配になる。
だが、秋山は安心させるように嶋田に語りかけた。

「これは試験の実際の担当は僕なんで、嶋田君は書類作成を手伝ってくれればいい。
旧来の常識で見れば凄いと感じるかもしれないけど、最初はただの材料試験だったんだよ。
今回はエンジン材料の試験ということでウチが一緒に試験しているけど、この発見以降の材質検査は、ウチからもっと専門の部署に移管されるらしい。
科学技術復興機構がもっと凄い事を実験してるから、そこで他の実験と並行して研究を進めるそうだ。
まぁでも、魔法関係の技術は、そのほぼ全てが原理不明の為に応用法の開発に舵を切り始めてるって噂だけどね」

「原理不明ですか」

「どんなエネルギーを、どんな制御で、どのように働いているのか全て不明。
少なくても今の計測器では途中の現象を観測できない。
これらについては後々に研究が進めばわかるかもしれないけど、今の僕達に出来る事は"魔法"と呼ばれる技術の結果の応用法を考えるだけだよ」

「へぇ~……」

嶋田はそういいながら、試験窓から見えるプラズマ流を浴びる試験片をマジマジと眺める。
一体、これにどれほどの可能性が秘められているのか。
今の彼に出来るのは、その可能性を漠然と想像することしか出来なかった。



[29737] 東方世界1
Name: 石達◆11336094 ID:a1c43a62
Date: 2013/03/21 07:17
青い海原の上。
沿岸からさほど離れていない海上を拓也達の乗った小型の貨物船が東へ向かって進んでいた。

「拓也。これから海峡に入るが覚悟は良いな?
政府の目の届かないところでチョロチョロするんだ。ちゃんとバレた時の言い訳も考えてるな?」

ブリッジで政府が即席の調査で発行した簡易な海図を眺める酌船長が、横で同じく海図を眺めている拓也に最後の確認をする。

「大丈夫です。お願いします」

準備万端。
拓也は船長の問いに迷いのない言葉を返し、船長の目を見据えながら頷いた。

「よし、進路変更、進路0-1-0。海峡に入るぞ」

宗谷岬の北西にある東西の陸地を隔てる海峡。
それは巨大な内海と外洋を繋ぐ唯一の道であり、新世界のジブラルタルとでも言うべき海峡だった。
そこは転移前から内海よりプラナスの港を目指す船が行き来していた交易路であり、政情が不安定化して取引量が低下した今でも、そこを通る船が絶えることはない。
そのため北海道への不用意な接近を防ぐため、数少ない海保が過労死寸前のハードワークを行っているのだが、それにもやっぱり限界はあった。
巡視船の絶対数が不足しているのである。
接岸は阻止できても、北海道側から出航した船の行動の全てには対処しきれない。
一応政府からは不用意な上陸は禁止されているが、それでも大陸のギリギリまで行って漁をする者や、新天地に夢を抱きすぎるヒッピーくずれ
更には内務省警察に追われて北海道にいられなくなった過激派など、海保の制止を振り切って渡航するものが後を絶たなかった。
だが、今はその警備力の不足も拓也達には都合がいい。
止められると色々と面倒くさい上、攫われた仲間の奪還という目的の性質上、あまり余計な時間はかけたくない。
途中、数隻の船団と擦れ違った時は、近くに目立つ存在が現れた事に海保の注目を集めてしまうのではとドキリとしたが、幸運にも何事も無く船は海峡をスルスルと抜けて行く。
海峡を突破した後に、胸を撫で下ろしながら振り返って双眼鏡をかざしてみれば、付近の巡視船は擦れ違った船団の接岸阻止へと警告に向かったようでこちらには構っている暇などないようだった。

「出航時からAISは切ってあるから、積極的にこちらの位置情報を伝えることはない。
だが、礼文にあるレーダーのログを見られれば、一発で東へ向かったのはバレるからな。
ちゃんと言い訳は考えとけよ」

「そうだね。
とりあえずの名目は、調査依頼に則った業務と答えてはぐらかしておけば良いよ。
それでも駄目なら、色々お金積んだりコネ使ってでも何とかしてみるし、それも駄目なら届出の不備って扱いにして素直に行政指導でも受けるさ。
もっとも、政府から何か言われた時だけだけどね。何もいわれ無かったら渡航自体無かったものとするよ」

やるだけやって駄目なら開き直るしかないさと拓也は言ってはいるが、その落とし所も仲間の救出ではなく調査の届出の不備にしよう所が少々こずるい。
例えバレタとしても、徹底的にしらばっくれる気でいるのだ。
酌船長はそんな拓也の心境を察すると、今後のことについて一つの提案を彼にすることにした。

「まぁ 今回は仕方ないが、今後の仕事内容によっては偽装船の一隻でも用意しておいた方が良いな。
いい船があれば、俺も仕事がしやすいでな」

どうせ武器商人にとって密航は通常業務なんだろ?と言いたげに船長は拓也に言う。
だが、特に密輸系の事業展開を計画していない拓也にとって、そんな購入要求を聞かされても何とも答えることが出来ない。

「え゛…… その費用はどこから?」

口には出してはいないが、船長の目は明らかに"買え"と要求しているのは感じ取れる。
だが、要求品のモノがモノだけに不用意に肯定の返事は出来ない。
船一隻である。社用車一台買うのとはワケが違うのだ。

「な~に、中古の小型船の外販に化粧板と偽装の帆を取り付けて、木造帆船っぽくするだけだ。
出資者の懐事情も考えて知り合いの造船所で安くこさえてみせるさ」

「偽装船……
有ったほうが良いのかなぁ~……
だけど、そんな船には銀行から融資なんて無理だよなぁ……
あぁ…… 内部留保が飛んでいく……」

いずれ何らかの仕事で必要になるか分からない偽装船。
楽しげにその船に求める仕様を語る船長とは裏腹に、支出ばかりがドンドン増える会社の懐事情に拓也は「ぐぬぬ……」と考え込んでしまう。
北海道を離れ、何処まで遠くへ行こうとも決して離れる事の無いゼニの心配は、拓也の精神をゆっくりゆっくりと削っていく。
いかんせん、内部留保が貯まらない。
ゼニに関して幸運だったのは最初だけ。
会社を設立した当初は、その幸運からバラ色の未来が確実に待っていると思われたが、その予想に反し何時も何かしらの悩みに取り憑かれる拓也であった。
そう拓也の表情が曇っているうちに、緊張した雰囲気など霧散してしまった船は、海峡を渡り切って北海道からのレーダー波の届かない大陸の陰へと回り込むことが出来た。
レーダーの届かない海域まで来れば、もう遠慮は要らない。
拓也達の乗る船はゆっくりと速度を上げ目的の上陸地点に向かって突き進む。
順調な航海。
進路を塞ぐもののいない海上を進む船は、そのまま予定通り数時間の血に目的の上陸地点に到達することが出来たのだった。







東方地域

初めて訪れるその地域で、一番最初に上陸したのは目的地のバトゥーミから離れた砂浜だった。
目的地が港町だということもあり、可能であれば普通に入港したかったが今は盗賊を追跡中。
目立つ船で入港したら逃げられてしまう可能性もあるため、今回は町から離れた地点にゴムボートで上陸することとなった。
人気の無い砂浜に上陸するとすぐに盗難防止目的にゴムボートを隠匿。
その後、各々が重いバックを背負い列を組んで歩き出す。

「目的地は10kmちょっと先です」

「10km! 遠いなぁ……」

目的地までの距離を説明するヘルガの言葉に、拓也は思わず苦笑いを浮かべた。
なぜなら、今回、車両の陸揚げは出来なかったため、途中の道程は全て徒歩。
それも、重量のある荷物と武器を持ってである。

「いきなりあの船で目的地に入港したりなんかしたら、色々と騒ぎになりますし、盗賊にも警戒されますからね。
目立つ上に入港税もとられるし、いいことは無いですよ」

「ううむ……
まぁ 仕方ない。他に選択肢もないし、考えるだけ無駄だな。
……黙って歩こうか」

そう言って拓也はガックリしながら再び歩を進める。
その踏みしめる足の下は、柔らかな砂とまばらな草。
砂浜と草原の境界を拓也達は歩いているのだ。
ふと顔を上げれば、眼前に映る延々と続く青と緑の二色の世界。
それは、何百歩、何千歩と歩を進めても一向に変わる兆しが無い。
そんな状況だからだろうか、一時間も歩いた所で急に拓也の歩みが止まってしまう。

「なんだ拓也?
この程度で根をあげるのか?」

しゃがみ込み、タオルで汗を拭う拓也にエドワルドは笑って話しかける

「はぁはぁ…… 運動不足の足腰に…… 重量物かついで砂浜ウォーキングとか…… ちょっと舐めてたわ……」

拓也は肩で息をしながらエドワルドに釈明する。

「そんなに辛いなら草原を歩いても良いぞ?
腰辺りまで伸びた雑草で余計に消耗するかもしれんが……」

そう言ってくるエドワルドの視線の先。
そこには、どこまでも広がる大草原が広がっている。
それも、鬱蒼と雑草が生い茂った未開の平野が。

「もうすこし内陸に行くかバトゥーミに近づくかすれば、長の低い草が延々と広がっているんですけどね。
ここらへんは砂浜を歩く以外に道はないんで我慢してください」

「う゛~、マジか。
まだ砂浜が続くのか…… 
というか、後どれくらい歩いたら普通の道に出るんだ?」

今は悪路を歩いていても、これは一時的なモノだろう。
拓也は当然のように、ごく自然にヘルガに聞く。

「え?こっちにそんなのありませんよ」

「は?」

何を言っているんですかと言いたげな表情で、ヘルガは拓也に言ってのけるが、拓也にとってもヘルガが何を言っているか一瞬理解ができなかった。
道が無い……だと?

「ここはどこの国にも属さない亜人たちの土地ですし、しかもこちらの人たちって遊牧で生計を立てている人たちが殆どですから
町も数えるくらいしかないです。
ここの海岸の草は背丈が高いですが、他はずーっとどこまでも背丈の低い草原ですので、全部が道とも言えますね」

「なんというモンゴル……」

草原=道
そんな大陸的スケールな事を語られてもイマイチぴんと来ないが、そんな拓也にもわかる事が一つある。
バトゥーミまでずっとこんな悪路が続くという事だ。
その事実に拓也は心を折られ、その場に座り込んでしまう。

「おいおい。
休憩にはまだ早いぞ。
それと、こんな距離、お前以外は完全装備でも散歩感覚だ。
ヘルガの嬢ちゃんだって、お前と同じくらいの荷物背負ってヒョイヒョイ歩いてるのに情けない」

座り込んでしまった拓也にエドワルドは容赦なく言葉を浴びせる。
そんな彼に、「情けないと言われてもコレが平気なのはお前ら元ロシア兵組だけだろ」と拓也は心の中で悪態をつくが、彼に言われて改めて他の皆を見回してみれば確かに皆涼しい顔してピンピンしている。
それも一番華奢そうなヘルガまで……
ぐぬぬ…… 彼女はドワーフで、向こうの方が年上なのだが、傍から見れば大の大人がこんな小さな女子供に体力で負けたように見えてなんだか悔しい。
拓也はその涼しい顔をみて思わず下唇を噛みしめるが、彼女も拓也の表情を見て何を考えているか察しはついたようだ。

「まぁ 私は軽くサポート程度なら、消耗無しで手足のように魔法が使えますからね。ちょっと楽してます」

彼女は疲れ知らずの秘密を語ると、えへへっと頬を掻きながら笑う。
彼女にとっては「一人だけ楽してるのバレました?」的な感じであったのだろうが
拓也にしてみれば、その事は正に目からウロコであった。

「そうか、魔法で運動不足の筋力を補ってやれば……」

ヘルガの話を聞き、拓也は「その手があったか……」と覚えたての魔法を使おうと気を練り始める。
なぜ今まで気付かなかったのか。
日常的に魔法を使い続ければ、今後の人生の肉体労働に関してはチート使い放題!冬の除雪も楽チンだぁ!と薔薇色の未来が拓也の脳裏に広がる。

「でも、まだ習熟してない社長がやったら、一時間も経たないうちに疲労で倒れますよ」

「……え?」

一瞬の夢を見ていた拓也であったが、ヘルガの一言で拓也の集中も薔薇色の未来も霧散する。
日々の鍛錬が足らない者に、楽な道など用意されてはいない。
当然の帰結である。
希望を打ち砕かれ、少々レイプ目になってしまう拓也であったが、世の中には怠け者用の楽な道は無くとも裏道なら色々と有るらしい。
平時のサボタージュに関しては社内一ともいえるお猫様が、沈む拓也に光明の光をあてる。

「てか、社長。
荷物なんて、この糞犬に持たせれば良いじゃないですか。
こいつ、力だけは並以上ですよ?」

拓也達の遣り取りを見ていたアコニーが、脱走防止用に首輪と鎖を付けられたタマリを指差して拓也に言い、アコニーはじゃらりと音を立てながら鎖をひっぱってタマリを拓也の前に引きずり出す。

「ぐぇ! 痛ててぇ~…… もうちょっと、優しく扱えよ。こちらと花の乙女だぞ!
それに、あたいは犬じゃない!ハイエナ族だって言ってんだろ馬鹿猫が!」

「フンッ!どの面下げて乙女だって言うんだよ糞犬」

「なんだとぅ?」

「ぐるるるる……」

二人はお互いに喉を鳴らし威嚇しあう。
見ての通り、どうもこの二人の相性は悪い。
どうもその原因は、一度この二人がサシでやりあった時に、アコニーがタマリの搦め手に引っかかり、ボコられたことが原因にあるらしい。
正々堂々となら負けないとは本人は言っているものの、負けたことには変わりないという事実がアコニーの心をささくれ立たせるそうだ。

「ガァァァ…… って、まぁ脳筋の馬鹿猫の相手はさておき、旦那の荷物を持てってかい?」

「脳筋だとう!!!」

「おちつけアコニー」

タマリの挑発に簡単に乗せられるアコニーを必死で抑える拓也。
そんな、どうにも沸点の低いアコニーが、手の付けられない猛獣のように他の仲間に宥められるのを見てタマリはそれを指を指して笑う。

「はっはっは!煽るのが面白い猫ちゃんだ。
まぁ そんな馬鹿はさておき、捕まったあたしが言うのもなんだけど、捕虜に対して旦那は甘い!甘すぎるね。
正直な所、囚われの身としては重労働やら性処理くらいはさせられるものかと思ってたけど、実際はちょっと縛られて紐に繋がれてるだけ。
あまりの高待遇にびっくりさ。
こんなんじゃ逆に体が鈍っちまうよ。
もしこれが逆の立場なら、旦那に全員分の荷物を持たせて遅れようもんなら蹴りの一つでも入れてる所さ」

「へ~、そうか。こっちじゃそれが普通なのか……
だが生憎、俺たちは野蛮人じゃないから過剰な虐待はしない……が、そんなに体が鈍ってるなら折角だし働いてもらうか」

そう言って、拓也は背負っていたバックパックを地面にドンと置き、最低限の自分で持つ荷物として水筒とタオルを引き抜いた。
最初は捕虜を酷使すると色々と問題になるかと思って縛るだけにしておいたが、それは拓也の勝手な思い込みであったようだ。
それに、そもそも拓也達は軍ではない為、拘束した現地人に関する規定なんて何もない。
ならば、己の良心の範囲内で好きにさせてもらっても何ら問題はない…… 政府とマスコミにバレない限りは。

「じゃぁ さっさと荷物をよこしな。
軟弱な旦那の代わりに優しいあたいが持ってやるよ。
……でも、出来れば荷物が運びやすいように縛り方を変えておくれよ」

タマリは上目づかいで両手の手錠と首輪の紐を拓也に見せる。
「お願い」と彼女は潤んだ瞳で訴えて来るが、そんなあざとい姿に拓也は大きくため息を吐いた

「ふぅ~……
……で、紐を緩めた途端に逃げるってか?
その手には乗らんぞ。
バックパックのバンドは着脱可能だから、拘束を解かなくても背負わせられるからな」

こんな見え見えの手で逃げようとするとは……
今までの約束は何だったんだと拓也はウンザリした気持ちになる。
これが仮にタマリが男だったら、顔面に唾でも吐きかけていたかもしれない。
だが、拓也のそんな表情とは裏腹に、タマリはきょとんとした表情で首を振る。

「いや、別に緩めなくていいし。追加で色々と縛って欲しいんだ」

「……は?」

拓也は意味が分からなかった。
バックパックが運びやすいように更に縛る?
どこを縛るというんだ?

「まぁ あたいの言うように縛ってよ。
それで、あたいは満足だから」

「まぁ そう言うなら好きにしろよ」






そんな拓也とタマリの一悶着の後、拓也達は再び歩を進めた。
それから何km歩いただろうか。
草原と海岸線しか視界には無いため、いくら移動しても景色が全く変わらず、一体どの程度移動したのか感覚的にはさっぱりわからない。
もう、10kmどころか20kmくらい移動した気もするが、実際には3~4kmしか移動してないかもしれない。
背負う荷物も無くなった事だし、本当はポケーと半ば意識を飛ばして歩いていられれば精神的に楽そうなのだが、ある理由によりそれすらも叶わない。
だからだろうか。
双眼鏡で進行方向に何かを見つけたと思しきエドワルドの声を聞いたときは、本当にほっとしたものだった。

「おい、なんか集落みたいなのがあるぞ」

エドワルドが双眼鏡を片手に前方を指差す。

「「え?」」

エドワルドの言葉に、ヘルガとタマリの言葉が重なる。
ヘルガの声は想定外という戸惑いの声。
そしてタマリの声は残念そうな声だった。

「ふぅ。やっと着いたか。もうちょいかかるかと思ったけど意外に早かったな」

そう言って拓也は安堵の笑みを浮かべる。
これ以上歩き続けるのは、疲れとは別の意味で辛かった。
なんというか…… 目のやり場に困るのだ。
彼女の言うとおりに荷物をロープで固定した姿は、まさにSMそのもの。
ロープは彼女の胸を強調するかのように肉に食い込み、彼女の表情を見れば、頬は上気し、目が潤んだ上に呼吸が荒い。
「こいつ、前にMに目覚めたと暴露したのは、こちらを欺く為のフリじゃなかったのか?」と拓也は思ったが、
挙句の果てに「もう少し歩かない?」とお願いしてくる始末。
コイツはヤバい。
嫁が居る身として、こんな奴が近くにいたら本気で誤解されかねない。
拓也はとっとと捕虜交換してタマリから離れたいと本気で考え始めていた。
変に誤解されてエレナに殺されかけては堪らないからだ。
だが、そんな拓也の願いも虚しく、エドワルドの集落発見の報に戸惑いの声を上げていたヘルガが、拓也の言葉を否定する。

「そんなはずは無いんですけど…… わたしも数年前に一回行っただけですが、その時はもっと先だったと思います。
それにバトゥーミなら町を取り囲む大きな壁があるはずですが、それは見えますか?」

「……いや、それっぽいのは見えない。
どうもあれは遊牧民の集落っぽいな。ゲルみたいなテントが並んでる。
どうする?迂回するか?」

エドワルドは拓也に双眼鏡を手渡しつつ、どう進むべきか拓也に尋ねる。
確かに双眼鏡越しに映るのは町というよりは大規模なテントの集まり。
そこは既に植生が長の低い草へと切り替わっており、大草原と大海原の間の中に忽然とキャンプ村が現れたような感じであった。

「なんだよ。
目的地じゃないのか。ガッカリさせるなぁ」

「そう拗ねるな。
んで、どうする? 
原住民がどういう文化を持っているか分からんが、昔のモンゴル人みたいに暴虐の限りを尽くしている部族かもわからんぞ?」

ロシア人にとって昔話で悪役といえば、ソレは大体がモンゴル人。
草原の蛮族は危険な存在であると子供の頃から刷り込まれている。
そんな彼らのイメージに近い存在が異世界の草原に居るのを見て、エドワルドは思ったことをそのまま口にする。

「確かにいきなり接近して大丈夫なのかは気になるね。
なぁ ヘルガ。そこのところはどうなんだ?
あの人らって、捕まえた人間の両手にロープを通してコレクションしたりする趣味あったりする?」

「一体何ですかそれは……
それと、エドワルドさんが言うモンゴル人というのがどういうのかは分かりませんが、少なくとも彼らは旅人を襲うようなことをしませんよ。
そんな事をすれば、商人も何も草原の民には近寄らなくなるので……
前に話をしたときの感触では、彼らは遊牧生活を送っているためお客さんが尋ねてくることが少ないので、外からの刺激になる客人はよくもてなしてくれる感じでしたけどね」

ヘルガは、何を失礼な事を言ってるんですかと言いつつ、拓也らに彼らと以前話してみたときに感じたことを説明する。
彼女の説明によると、こちらの遊牧民は集団で略奪に出かけることも無く、温和な性格をしているらしい。
どうやらエドワルドらがイメージするような危険な遊牧民というわけでもなさそうであった。

「そうか、なら真っ直ぐ突っ切ろう。
迂回するのも面倒だし、何か色々とこちらの情報が得られるかもしれない」

「そうですね。
こちらの地域について私が知っている情報は、数年前に一度行っただけの情報ですし
どうせなら、生の情報を仕入れたほうが何かと良いと思いますよ」

「そうだな。
じゃぁ あそこで休憩も兼ねて情報収集でもしてみようか」





……

…………

「あれ?おかしいですね」

「どうした?」

テントが集まる集落に入って程なく、ヘルガは辺りをキョロキョロと見渡しながら首を傾げる。

「いえ、ここの人々の服装が、遊牧民の人々より町の人たちのほうが多いです」

「そうなのか?
俺には全部似たような感じに見える」

ヘルガは違いがあるというが、一見して拓也にはその違いが分からない。

「というか珍しい服着てるよね。あたしらの村と違って全体的にヒラヒラしてる」

そもそも、元々この世界の住人であるアコニー&その他の皆ですら珍しがっている有様。
パッと見で違いが分かるわけも無かった。
どうもこちらの地域に住む亜人達の衣装は、ヘルガやアコニー達が暮らしていた地域とは大分違っているようだ。
アコニー達の伝統的な服装は、同じ地域に住むエルヴィス領の人間達の影響が濃かったのか、大昔のヨーロッパの農民のような感じであったが
こちらはどちらかと言うと中央アジアに近い服装をしている。
凝った刺繍の入った大き目の服を羽織っているという感じだが、元の世界でもあまり親しみの無かった服装に細かな違いなど分かるはずもない。

「違いは服装というより刺繍の柄ですね。
遊牧をやってる人たちは、刺繍の中に自分達の部族のシンボルと家畜を盛り込んでることが多いんですが
道行く人々を見ると、葡萄とか植物をモチーフにした刺繍が多いですよね?」

「いや、そんな「ね?」とか言われても、刺繍なんて直ぐ判別できんわ」

ヘルガはそんな拓也に対し、道行く人の服の柄を指差して「あれは羊。あっちは米ですね」などと教えてくれるが、拓也にはさっぱり分からない。
もう途中からは、理解を諦めヘルガの説明に適当に相槌を打つだけとなっていた。

「まぁ 刺繍についてはそのうち分かるようになりますよ。
それよりも、とりあえず適当に飯屋のおっちゃんとかに、こちらの事を色々と聞いてみましょうか。
あっちこっちに屋台が出てますから、ついでに昼食も一緒にすませましょう」

そう言ってヘルガは楽しそうに拓也の手を引っ張って集落の中心部へと歩き出す。
どうもこの集落では中心部が市場になっているようだ。
海岸が近いだけあって水揚げされた魚の猛烈に生臭い匂いや、山と積まれたメロン?の甘い香り、それに調理中の食べ物の屋台から香ばしい肉の香り等が漂ってくる。

「瓜ー。瓜はいらんかー」

「串焼きー。串焼きはいらんかーい」

市場では、より多く商品を売ろうと、物売りの少年や屋台の親父の客寄せの掛け声が入り混じる。
更に値段交渉の唸り声から食事を囲む笑い声、市場はそんな賑やかな熱気に包まれていた。
そんな中、拓也達一行は飯屋とおぼしき一角を見つけるとその前に広げられた絨毯に腰を下ろした。
なんでもこちらではテーブルで食事という習慣は無いらしい。
ヘルガは「こっちじゃ敷物の上で食べるんですよ」と拓也達に短く説明すると、そのまま料理を頼みに店の親父の所へと向かう。

「おっちゃん。焼き飯10人前ね」

「おう!ありがとうよ嬢ちゃん。おつかいかい?」

「……私、子供じゃないわ」

店の親父の問いに、ヘルガは不機嫌そうにそう言うと、ムッとした顔を浮かべる。
もう三十路も越えたというのに、馬面の屋台の主人(というか馬の獣人だった)にイキナリの子供扱いされたのがお気に召さないようだ。

「おっと、嬢ちゃんはドワーフだったか。
じゃぁ嬢ちゃんか婆ちゃんか姿を見ただけじゃわからんな」

「……そんな年でもないわ」

店の親父はヘルガの耳や全体を見ながら悪びれもせずに言い放つ。
そんな親父の言動にヘルガはフンと膨れて見せるが、やはり見た目はローティーン。
何処から見てもちょっと拗ねた子供にしか見えない。

「はっはっは。すまんな。
そんなに怒らないでくれよ。
ちゃちゃっと作ってやるからな!」

「ふん。……失礼しちゃうわ。
あと、せっかくいっぱい頼むんだから具もいっぱい入れてよね」







「社長。料理は出来上がり次第持ってくるそうです。
それまでは皆でこれでもつまんでましょう」

「これは?」

「羊の串焼きです。
ちょっと失礼が過ぎる店主だったので、おまけさせました」

「そうか。
それで、何か気になる情報はあったか?」

「そう!それが聞いてください社長。
大変ですよ!バトゥーミがサルカヴェロに攻められてるそうです」

「なんだと?!」

今、ヘルガは何と言った?
昼食を注文しに行った彼女が、料理の代わりに持ってきた情報に拓也は耳を疑った。

「そもそも、この集落は、バトゥーミが攻められてるんで市内から避難した住民の集まりだそうです。
そこに食料を売りに来た遊牧民や商人が集まってにぎやかになったそうですが……」

「いや、そんなことより、攻められてるってどういうことだ?
そんな事じゃ中に入られないんじゃないか?」

仮に攻城戦の真っ最中であれば、目的地に着いたとしても中に入るなど不可能も良いところである。

「そこがよく分からないんです。
店主の話だと、今朝方有志が馬を出して町の様子を見に行ったので、そろそろ様子を見て帰ってくると言ってましたが……」

ヘルガはそう言って現状で分かった情報を拓也に話すが、肝心な所が不明であった。
それも他の人に聞こうにも、現状が偵察に行った者の帰還待ちという事では他の人間に聞いてもこれ以上新しい情報は有りそうに無い。
とんでもない事態が発生し、その情報を集めようにも待つしかないというそんな歯がゆい状況に、拓也は思わず舌打ちする。

「クソ。次から次へと問題が……
ていうか、封鎖されてるって事は船はどうなんだ?カノエを攫った船は入港できるのか?
普通、戦争なら海上封鎖されるだろ?」

「そこまで詳しいことは……」

そこまで言ってヘルガも押し黙る。
もし仮に、カノエの乗った船が、海上封鎖されているのを見るや目的地を変更していたら、それでもうお手上げである。
追跡する手がかりが途切れてしまう。
そんな誰もが思いつく最悪な想定に、その場の空気が暗く沈み、賑やかな市場の中で拓也達の一角のみに重苦しい沈黙が訪れる。
そんな息の詰まる空気を変えようにも、誰も良い方向に空気を変えれるアイデアが思いつかない。
だからと言うべきか、予想外の方向から聞こえた暗く沈んだその空気を打ち破った声は、一際クリアに全員の耳に響いた。

「バトゥーミに船は入れるよ」

「え?」

突然、会話の輪の外から聞こえた声に、拓也は思わず振り返る。
見れば、同じ屋台の敷物の上に、中年の女性が会話の輪に背を向けるようにして座っていた。。

「あなたは?」

「バトゥーミで宿屋をやってるギンカってものだけどね。
娘と一緒に昨日町の様子を見に行ったのさ」

そう言って、ギンカと名乗る女は手に持っていた茶を啜る。
スカーフを被っている為に種族までは分からないが、そんな彼女は訳知り顔で拓也達の方を見てニヤリを笑う。
明らかに何か企んでそうな笑顔であったが、それでも拓也達にとっては貴重な情報を持っているかもしれない。
拓也は女に向き直ると、畏まって町の様子を聞いてみることにした。

「すいません。
出来ればお話を聞かせて欲しいんですが」

「まぁ 良いけど、私達もお昼がまだでね。
ご相伴してもいいかい?」

「どうぞどうぞ。
ヘルガ、追加で何か頼んで来い」

「すまないねぇ。気を使わせチャて」

「いえいえ。この程度なんでもないですよ。
それより、何でも良いので今の町の状況を教えてもらえますか」

たかが昼飯を奢る程度で情報が手に入るなら安いものだ。
金ならエルヴィス領で物々交換をした際に手に入れた多少の銀貨やらなにやらは持っている。
拓也は目の前にある羊の串焼きの他にも、ヘルガに何か買ってくるように使いを出させた。
そして、その遣り取りを見ていたギンカは、口では「悪いねぇ」と言いつつも全く悪びれずに拓也達の輪の中へと入り、
まだ皿に残っていた串焼きを頬張りながら話を始めた。

「そうだね。まず何から話そうか迷うけど、船が入港できるかどうかについては問題ないよ。
見てきた感じじゃ、サルカヴェロはゆるーく町の陸側を包囲するだけで力攻めをしようって雰囲気じゃなかった。
海側なんかはサルカヴェロは軍船を連れてきてないから、普通に船が出入りしてたよ」

「海上封鎖はしていない?
じゃぁ 交渉で落とそうっていうんですか?
でもそれじゃ、陸側からはいつ入れるか分からないですね……」

交渉が妥結するにしろ決裂するにしろ、そんな調子では何時町に入れるか分からない。
こうなれば、そこらの漁船でも捕まえて海側から入る以外に手は無いかもしれないと拓也は頭を悩ませる。
だが、曇り始める拓也の表情を見て、ギンカは拓也が何を考えているのか察したのか
心配要らないと言うように平然としたまま話を続ける。

「でもまぁ わたしはそれも長くは続かないと思うけどね。
推測で言わせてもらうと包囲はそろそろ終わるよ」

「それは何故?」

「バトゥーミが一戦も交えずに降伏するのさ。
それも取引か何かで降伏するのかと思ったら、サルカヴェロが援軍を呼んできたって理由でね」

そこまで言って、ギンカは串焼き肉に再度食らいつく。
そんな自分の町が降伏すると言って語る彼女の表情は、どこかこれから訪れる未来が不可避なのか何処か冷め切っている。
しかし、住人の彼女が諦めきっている状態でも、バトゥーミの降伏なんて信じられないと、追加の料理を手に帰ってきたヘルガが声をあげた。

「バトゥーミが降伏?
でも、バトゥーミの城壁はとてつもなく大きいですし、援軍があってもそんな簡単に落ちるとは思えないですが……
それでもギンカさんはバトゥーミが降伏するって思うんですか?」

「あぁ 普通の軍隊ならそうだろう。でも、援軍の名前を聞いてあたしゃ納得したよ。
サテュマ人が敵に回ったら、城壁があろうと無かろうと抵抗したって無駄だって事はバトゥーミの人間なら皆知ってる」

「サテュマ人?」

ギンカはまるで天災か何かに遭ったかのように「困ったもんだね」と降伏の理由を語るが、
こちらの事情に一番精通しているヘルガでも事情を全て知っているわけではない。
ギンカの口から出た聞きなれない部族の名前に思わず首を傾げる。

「おや、知らないのかい?
東方では有名な部族だよ。
なんたって戦にめっぽう強い。
バトゥーミの秋のヒェモントリーのお祭りとかは、昔、傭兵として彼らを雇った際のあまりの強さに感激した当時の人々が、彼らの風習をお祭りにしたっていわれがあるんだよ。
今の若い人は、人形の中から皆が競って幸運のお守りを奪い合うお祭りとしか思ってないようだけど、そういったいわれがあるんだ。
そんなバトゥーミの人間には伝説になりつつある様な彼らが、どういう理由か知らないけどサルカヴェロ側にいるんだ。
昔を知るまともな市民なら、例え難攻不落の城壁があろうとも彼らと本気でやりあう前に降伏してしまおうと考えるはずさ。
敵対すれば財産生命の全てを奪われた上で、一族根切りにされるからね」

「そんなに強い人たちなんですか」

拓也は思わずギンカに聞く。
ここまで恐れられると言うことは、それはよっぽど凄い部族なんだろうか。
それも大きな城壁があろうとも、抵抗を諦めさせるほどに……
拓也はその正体に大いに興味がわいた。

「噂じゃ、エルフと戦って勝てる唯一の部族だって言われてるね。
……と、まぁ、私が知ってるのはそのくらいさ。
今言った事が本当になるかどうかは、朝方出て言ったって言う連中が帰ってきたら分かることだよ」

そこまで言ってギンカは食べ終わった串を皿に置き、茶を啜る。
どうやら知っていることは粗方喋ったようだ。

「それより、あんた達はなんでバトゥーミに?
奴隷の売買……には数が少なそうだし、捕まえた賞金首の引渡しかい?」

ギンカは縛られたタマリをチラリと見ながら拓也に聞く。

「まぁ悪党を捕らえたことには代わりないんですが、ちょっと人探しにね……」

「なんだい?人探し?それはこっちに住んでるのかい?
あたしゃ、生まれてこの方ずっとバトゥーミで宿を営んでるから、知ってる人物なら家まで案内できるよ」

「いや、ちょっとそういうんじゃないんです。
私達の仲間が悪党に攫われて……
コイツの話じゃ、バトゥーミに連れてかれるって聞いたもんで」

拓也は大まかにだけギンカに説明する。
これが普通の人間であったら、それは大変だということになるのであろうが、ギンカはその話を聞いても至って普通。
人が攫われてバトゥーミに連れてこられるというのは、あの町では珍しくないのかもしれない。

「なるほどね。
……それなら、奴隷市場に行くといい。
週に一回、競りが行われてるからね。もしかしたら見つかるかもしれない。
でも、それ以外でも本格的に人探しをするなら、何日か腰を据えて捜索しないとならないね。
あんたらは、バトゥーミで泊まる宿は決めたのかい?」

「いいえ、それはまだです。
そもそも、まだ着いてもいないですし」

「じゃぁ うちの宿に来るといい。
ちょっと古いけど全員止まれるだけの部屋はあるし、安くしといてあげるよ」

確かにバトゥーミについてから人探しをするにしても、拠点は必要である。
もし、ギンカの宿が良さげな所であれば、宿探しする時間も節約できる。

「そうですね。 特に断る理由も無いですし、ご厄介になろうかな」

「遠慮は無用だよ。
まぁ 全ては町の様子を見に行った物見の結果が全てだけどね。
町に戻れなきゃ、まだ数日はここでブラブラする羽目になる」

出来れば今すぐにでもバトゥーミに向かいたいのだが、どうやら今は待つ事が必要なようだ。
ならば、今はゆっくり飯でも食べて休息することにしよう。

「社長、店主が出来立てを持ってきましたよ。
ゆっくり食べながら待ちましょう」

そう言ってヘルガが、敷物の真ん中の場所を空けさせると、屋台の親父が大きな大皿いっぱいの料理を持ってくる。
流石に10人前となると凄い分量だった。
そしてその空腹を刺激する何とも言えぬ香りは、様々な悩みを一時忘れさせるには十分だった。
何をするにも腹ごしらえは重要。
どうせ待つしか出来ないのであれば、物見が帰るまではここに留まり、こちらの色々な料理でも食って待ってることにしようと拓也は決めるのだった。





その日、物見が戻ってきたのは、拓也らが飯を食べ終え3杯目の茶を啜ろうとしているときだった。





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「おぉ!米だ。インディカ米っぽいけどコッチで米が食えるとは思わなかった。
これは……炒飯か?」

拓也は、屋台のおっさんが運んできた大皿料理を見て、思わず感嘆の声を漏らす。
北海道を出て以降、レトルトの米を食べることはあっても、現地の料理で米を食べることは無かった。
特にエルヴィス領では、現地の料理を食べるときは芋かカボチャばっかり食べていたような気がする。
持ち込んだ保存食は野営する時に重宝するため、出来るだけ節約していたとはいえ、芋、芋、カボチャ、芋……のローテーションは米を主食とする民族には辛い。
これがドイツ人とかなら365日3食全て芋だけでも文句は無さそうだが、残念ながら拓也は日本人。
毎日は無理でも時々は米が食べたい。
そんな気分でいた時に目の前に出された具沢山の炒飯(?)は、匂いを嗅いだだけで思わず涎が滴りそうな一品であった。

「これは、こちらの郷土料理のプロフです。
お米と色々な具を一緒に炊き上げて作るんですよ」

出された料理にテンションの高まる拓也を見て、ヘルガは「とっても美味しいですよ」と言いながら小皿に全員分を取り分けるが
米とバター、それにタマネギや肉の香りが織り成すその匂いは、全員の空腹感を刺激する。
全員に行き渡るのを待つまでも無く皿を受け取った者からそれを食べ始めるが、自然とその顔は笑顔となる。

「へぇー。なかなか美味しそうだな。
具は一体何が入ってるんだ?」

最後に取り分けられた皿を手に、拓也も料理をまじまじと見る。
そこには、バターの香りがする米の中に混ぜられたタマネギやニンジン、干し葡萄の他に何か動物の肉に正体不明の香辛料が入っているのは理解できた。
ただ、そんな具材の中に一つだけ、それが何なのか分からないものが目に留まる。

「……これは?」

それは、まるで5cmくらいのナマコのような、グロテスクなエビのようにカールした何か。
多分、皿の中から出てこなければ一発でそれが何か分かったかもしれないが、不思議と脳がソレが何か理解することを拒んでいる。
だが、そんな脳の些細な抵抗も、それが何か説明するヘルガの一言にって無駄な抵抗に変わってしまった。

「それは、モパラ虫です」

あぁやっぱりか……
昔、テレビでアフリカ人が似たようなのを食べてたのを見た気がした。
それが今、目の前に、それも自分の皿の中に大量にある事に拓也のスプーンは自然に止まる。

「芋虫? これ食うの?」

もしかしたら、調理した野菜に混ざってた不幸な芋虫かもしれない。
拓也はそんな可能性に期待してみる。

「ええ、美味しいですよ」

「……」


『美味しいですよ』

この言葉に拓也の期待は砕け散る。
どうもこちらの世界では、この芋虫は普通の食材と言う認識らしい。
つぶらな複眼の芋虫を食べるとか、そんなのは似たような虫を食べる南アフリカ人か蜂の子を日常的に食べる長野県民以外は無理じゃないかと思う。
そんな事を考えながら、拓也がスプーンに乗せた芋虫と睨めっこをしていると、既に完食してお代わりに手を出そうとしているアコニーが拓也をからかう。

「何気持ち悪がってんの社長。
モパラ虫なんて普通の食材ですよ。
それに、あたしらにしてみたら、向こうの人たちが平然とエビ食べてる方が信じられない。
今は慣れたけど、最初はこんな海のゴキブリよく食べるなって思ったよ」

そう言って、アコニーは海老をゲテモノ食材のごとく「キモイわー」と言い放つ。
そんな彼女の言動に「お前、この前のBBQ時に高い北海シマエビとかバクバク食ってた癖に、海老が海のゴキブリとか何言ってんの?」と心に思うが、今はあえて声には出さない。
なぜならば、これこそが異文化交流……
価値観の衝突なのだ。
相手の価値観を否定するより、受け入れた上で行動した方が人生楽しいに決まっている。
だが、だがしかしだ。アコニー……
何も言わないからと言って、わざわざ俺の皿に芋虫を選んで盛ってくるのはヤメロ。

「ちょっ!わかったよ!
ちゃんと食べるからこれ以上盛るのは止せアコニー!」

「はいはい。文句言わずに食べる食べる」

「くっ……」

芋虫を自分の皿に盛るのを止めさせたとはいえ、既に料理の表面は盛大な芋虫祭りと化している。
これは流石にやりすぎだろと思い、芋虫を大皿に戻そうとすると、そんな拓也をジッと見つめている視線に気が付いた。

「美味しいですよ?」

拓也に向かって、ヘルガの笑顔の一言。
美味しいものを勧めようとする純粋な好意から来る一言に、それを無碍にしそうな拓也の全ての行動は封じられた。

「……いただきます」

最早、進むべき道は一つだった。
拓也は意を決してソレを口に含み、そしてまた新たな世界の扉を開いたのであった。








その時の事は、拓也の手記にはこう記されていた。
『初めての芋虫は牛タンみたいにコリコリしてて美味かった』と。



[29737] 東方世界2
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:25
「つきました。アレです。
アレが古代遺跡の上に造られたバトゥーミですよ」

「あれが?」

ヘルガの説明に、拓也はやっと見えた目的地の輪郭を見て言葉を失う。
その外観に、拓也はそれをどのように表現してよいか言葉が見つからない。
何と言ってよいものか、拓也は目に映るものをどう形容しようか考えていると、拓也が次の言葉を発するより先に、横を歩いていたエドワルドが話しかけてくる。

「なぁ 拓也。
俺はてっきり古代遺跡なんていうから、ローマの遺跡みたいなのを利用して作った町とかを想像してたぞ」

「うん」

「なんというか……
この世界は予想の斜め上ばっかりきやがる。一体なんだあれは?」

驚きを通り越し、最早呆れに近い声でエドワルドは前方に存在するソレを指差す。
だが、話を振られた拓也もアレは何だと聞かれても答えようが無い。

「……さぁ? ファンタジーというより、SFに出てきそうなデザインだよね」

高さは何十mあるだろうか
上面は崩落しているのか一定の高さではないが、高い所では100mはありそうな大きさである。
そして、その構造自体も特異であった。
地面に置いた丸餅の側面のような、丸みを帯びた巨大な黒壁。
それが草原の中に異色を放ちながら建っている。

思い返せば2時間程前。
昼食を終えた拓也達は、避難民の物見が戻って来た事を聞いて、帰還を始める彼らと一緒にバトゥーミへと向かった。
というのも、物見の報告はギンカの予想通りであったからだ。
彼らが言うには、バトゥーミに恐る恐る戻ってみると既に町は降伏し、守備隊は武装解除の真っ最中だったらしい。
それでもバトゥーミが降伏した見返りに、兵士の略奪は禁止された為か町の中に混乱は無く、むしろ守備隊長の名義で避難民に帰還を促しているらしい。
どうやらこの東方世界では、戦の際は戦闘員以外は集落から逃げ、攻める側も避難民には手を出さないのが慣わしらしい。
こちらでは各種族があまりにゴチャゴチャに広がり、国ごとに種族が分かれるような事がほぼ無いため、敵の民間人を虐殺することは無いそうだ。
もしその様なことをすれば、自国内の関連種族が反発するからと言うのが理由だそうだ。
そんな訳で交渉にて勝敗が決まった攻城戦の後、サルカヴェロ側の指示の下、負けた守備隊は武装解除と避難民の帰還を呼びかけているそうだ。
そんな報告を聞いた避難民達と一緒に、人混みにまぎれて歩くこと2時間弱。
遂に肉眼でハッキリ見えるところまで拓也達は、今までに見たこの世界の建造物の常識から遥かに斜め上をいく構造物に、ただただ口をポカーンと開けて見入る事しか出来なかった。

「ほれ、いつまで呆けてるんだ。
あそこを見てみな。
城壁の上にサルカヴェロの旗が翻ってるだろ。
あたしの言ったとおりさね」

異様な城壁の存在に見入ってしまい思わず足が止まりそうになる拓也達に向かって、ギンカがバトゥーミの町を指差しながら急かす。
彼女が言うように、城壁の上には幾つもの旗が翻っていた。
そしてソレを指差す彼女の表情は、予想が当たった事を誇るかのようにドヤ顔であった。
だが、彼女が指差す旗を見て、拓也は心に引っかかるモノを感じる。
拓也は、その正体を確認しようと、無言で双眼鏡を覗きこんだ。

「……」

ディティールを見極めようと、まじまじと覗きこむレンズの先に翻るソレ。
そしてそのデザインが見に映ると、自然に拓也の足は止まる。

「あれ?
社長。どうしました?」

急に足を止めてしまった拓也に、彼の雰囲気が先ほどまで変わった事にヘルガは気付く。

「ん、なんか昔見た旗に似てるな~って思ってさ」

目の前に翻る白と赤を基調としたその旗を見て、拓也は心に引っかかるものを感じる。
そして、それを感じていたのは拓也だけではなかった。

「拓也もか。俺もあの旗には思い当たる節がある」

赤と白を貴重としたソレは、二人の脳裏に転移前の世界に存在したある旗と酷似していた。
その旗は、彼らの記憶にあるものより装飾が凝ったデザインとなっているが、その構成は瓜二つだった。
だが、拓也は心の中で、その関連性を否定する。
ココは異世界。
旗ぐらい偶然にも構成が同じと言うのはあるかもしれない。
拓也はそう自分なりに結論を出すと、再びバトゥーミに向かって歩き出した。

「まぁしかし、ここから眺めてたってどうしようもない。
たまたま似たような旗がこちらにあるだけの可能性も高いんだし、さっさと町に入ろうか」

そう言って、拓也は歩きながらエドワルドに話す。
やっと見えたと言っても、まだまだ距離はあるのだ。
拓也達は避難民の流れに乗って再び歩き出す。
だが、それから少々歩いた所で、今度はアコニーが静かに拓也の下に近寄ってきた。

「社長」

アコニーは、拓也の真横にごく自然に近寄ってくると、二人だけに聞こえるような声量で声をかける。

「なんだアコニー」

「なんで、あのオバサンにあの糞犬の親戚の事を聞かなかったんです?
場所を糞犬に案内させるより、楽に話が聞けそうですよね」

「そんなこっちの情報を全部言う必要はないよ。
もし、あのババァが盗賊の親戚とやらと繋がってたらどうする?
また取り逃がすかもしれないだろ。
もしかしたら、タマリの奴を取り返すために逆襲してくるかもしれない」

「それもそうですね」

「人が良さそうには見えるけど、警戒は怠らないようにしなきゃな。
今までも、油断から何度も要らぬ失敗をしてるしさ」

アコニーは拓也の言葉にコクンと頷くと、そのまま距離を置いて元々歩いていた位置へと戻る。
そして、アコニーにそう告げた拓也も、自分のいった言葉を再度口の中で繰りかえす。
これ以上失敗できない。
自分の双肩には社員の人生が掛っている。
それは、偽らぬ拓也の本心からの思いであった。
拓也はその思いを心に留めると、バトゥーミを目指して歩き続けるのであった。









遺跡都市 バトゥーミ

それは、巨大な円環の内側に、ひしめく様に建物が密集した都市だった。
一体、元が何だったのかは分からないが、直径2kmほどのボロボロのリングが海岸から打ち上げられたような形で鎮座している。
それも構造の全てが陸に乗り上げている訳ではなく、陸と海で円環を二等分するようにしてソレは在った。
いったいどのくらい昔からソレが存在していたのかは定かではないが、その外観は損傷が激しく、円環は外縁を残して崩落し、その中の開けた陸上エリアに町が築かれている。
海側の構造に至っては、外壁の六分の1が脱落して巨大な破口を海に向かって広げたいた。
これを簡単に説明するならば、外周の一部が欠けたお盆を、海と陸の境界線に水が半分浸かる形で置かれているような格好だった。
そして、そのロケーションと構造物の状態は、都市の発展に大いに寄与していた。
なぜならば、陸側の壁はそのまま防壁となり、海側の壁は防波堤として機能しているからだ。
港町としては理想の立地条件であった。


そして今、その都市の真ん中で、拓也達一行は様々な意味で驚きを隠せなかった。

「わぁ、社長。あたしサルカヴェロ人とかはじめて見ましたけど、チビとノッポが並んでますよ」

町に入ってすぐ、バトゥーミを占領した軍隊を見て、アコニーが指を指してはしゃいでいる。
彼女は北海道の町を見た時もはしゃいでいたが、ここでは北海道とは別の意味での驚きに溢れているようだった。
そんなテンションの高いアコニーを見て、地元民であるギンカが説明する。

「サルカヴェロ人は小人族と巨人族が多数派の国だからね。
なんでも新しい武器を導入してから、ここ十数年で急激に拡張してるって話だよ。
やつらは魔法も使えなかったはずだけど、そんな凄い武器なのかねぇ。
見た感じ、強そうな鎧があるわけでもないし、そんなに強そうには見えないけど」

そう言ってギンカは町のあちこちで見かける兵隊を見ながら肩を竦めるが
その一方で、拓也やエドワルドを始めとする日露組は驚愕の表情を浮かべていた。

「……あれって、どう見ても銃だよね?」

そう言って、拓也は兵士の持つ武器を指差す。

「あぁ それも結構な量だ。兵士全員に配備されてる。
しかも大きい方は無反動砲みたいなシロモノを持ってるぞ」




バトゥーミを占領したサルカヴェロの軍勢は、武装解除した町の守備隊と帰還した住民を町の広場へと集めた。
占領後の布告があるという事で、拓也達も目立たぬよう避難民と一緒に広場へと向かったが
そこでサルカヴェロ軍の特異さに目を奪われていた。
サルカヴェロの兵隊は2つの種族で構成されている。
おおよそ1mくらいの身長の短銃と短刀で武装した数の多い小柄な兵士と、3m弱くらいのヒョロりと高い背をした兵隊である。
そんな両極端な二つの種族の混成部隊は、それだけで奇異の目を引くものであったが、それ以上に拓也達の目を引き付けたのはその装備であった。
胸甲と飾りの少ない兜以外は統一された漆黒の服という軽装に、手に持った火器。
チビの方はまるで中世の竜騎兵が持つような短銃で武装し、ノッポはハルバードのような刃がついた鉄の筒を持っている。
構造から察するに、両端が抜けた造りと引き金等がついている事から無反動砲の一種であろうか。
ロケット砲という可能性もあるが、それらしき弾薬を彼らは携行していない。
そんな装備を見て、ファンタジー世界だと思っていたのに、そんなものを個人火器として携行している軍隊の存在に拓也達は大いに驚いた。

「ここって剣と魔法の世界じゃなかったのか?
実は、血と硝煙と魔法のマジカルウエスタンでしたってオチか?」

拓也は視線をサルカヴェロ兵に向けたまま、エドワルドに話しかける。

「いや、エルヴィスには火器があるようなそぶりすら無かった。
俺たちの歴史に例えるなら、オスマントルコのイニェチェリが出てきた頃みたいな火器の黎明期なんだろう。
ノッポの装備はさておき、チビのほうの装備はマスケットのように見える。
……なぁ拓也、やつ等の技術体系は一体どうなっているんだ?」

「そんなの分かんないよ。
何と言うか、俺達の歴史と比べて不自然な成長をしてるってのは分かるけど……」

マスケットと無反動砲(?)。
その二つが同時に配備されている状況に二人は違和感を覚え、彼らの装備をジロジロと見ていると、広場に面した2階建ての建物のバルコニーから
一人の巨人族が姿を現した。
おそらくは軍勢の司令官か何かなのであろう、他の兵士より過剰に装飾された軍服をまとったその男は、広場に集まった視線を一身に集めると
広場に響き渡る大きな声で話し出した。

「バトゥーミの町の諸君!
本日より、この町は我ら栄えあるサルカヴェロ第5軍の施政下に入る。
君達は、降伏の条件として命と財産の保障はされているが、それは諸君らが協力的な態度を取っているの場合に限ることを忘れてはならない。
今後、バトゥーミではサルカヴェロの法が絶対の掟となり、コレを破ることは厳罰に処されることも胸に刻みこんでもらいたい。
だが、同時に君達は今日よりサルカヴェロの仲間だ。
君達が協力的である限り、文明の進んだサルカヴェロの恩恵を受けられることは言うまでもない。
我々に下ることで無駄な戦闘を回避した君らだ、今後も懸命な判断を維持することを期待する。以上!」


ドォン!

ドォン!

ドォン!

演説の終了と共に、城壁で待機していた大柄なサルカヴェロ兵が、手持ちの火器で空砲を打ち上げる。
町中に響き渡る発射音と城壁に立ち上るバックブラストによる煙は、住民の恐怖を掻き立てるのに十分だった。
数秒の沈黙が広場を支配した後、元から市内に住んでいたサルカヴェロ系の住民や進駐してきた兵士が中心となって拍手と歓声を巻き起こす。

「「「ウーラァァァ!!サルカヴェロ万歳!万歳!万歳!」」」

広場を埋め尽くすその歓声。
それに呑まれるように非サルカヴェロ系の住民も、ヘタに反抗して眼を付けられないよう顔を青くしながら拍手を送る。

「なんとも、今の気持ちは言葉にしずらい状況だな。
しかし、不思議と悔しがってる人間は少ないのは、ここの連中は帰属意識が薄いのか?」

都市の降伏と征服者の支配宣言というレアな状況に、エドワルドは思わず苦笑いする。
彼のイメージでは、他国に郷土を征服されれば、原住民に強烈な反感意識が芽生えると思っていたのだろう。
大祖国戦争での各英雄都市やアフガン、イラク等、その例はいくらでも上げることが出来る。
だが、彼のそんなイメージを否定するように、ギンカが住民の心境を代弁して話し出す。

「ふん。
まぁ 悔しがってるのは、コレまで自治会を仕切ってた連中だけだよ。
あたしらにとって見れば、取られる金が自治会費から税金と名前が変わるだけさ。
平和にこれからもバトゥーミに住めるなら文句は無いよ。
まぁ あたしにしたら、サルカヴェロとの交流が増えて宿が繁盛すれば万々歳なんだけどね

「ほう。国より金か。
あんた、まるで広東人みたいだな」

「ちょっ、エドワルドさん?!」

中国では北京愛国上海出国広東売国などと言われていたが、エドワルドのイキナリの失礼な言動に、思わず拓也も動揺する。
ロシアでは相手を中国人に例えると侮辱になるはずだが、何か気に入らない所でもあったのだろうか。

「ははっ。そのカントン人とやらも、あたしみたいに頭の切れる奴等だったのかい?
それはそうと、司令官の布告も終わったようだし、黙って宿までついといで」

エドワルドの暴言にも全く気にも留めないギンカは、顎で拓也達に合図を送ると、自分の宿に向かって歩き出す。
愛国心に相当する物が全くない彼女に、エドワルドは不信感を募らせるが、それは全くの無意味であった。
彼女の言葉通り、周りの人々もサルカヴェロの軍事力は恐れるが、征服された事に憤る人の姿は見て取れない。
彼等にとってみれば、バトゥーミに住めることが重要であって、政治体制なんてのはその日に被る帽子みたいなものなのだろう。
そんな住民の態度を見ているとエドワルドも徐々に毒気を抜かれていく。
恐らく、彼らの振る舞いに深く考えるのも馬鹿馬鹿しくなったのであろう、エドワルドはその後は黙って拓也達と一緒にギンカの後についていく。
それから町の中を暫く歩いた拓也達一行は、一軒の宿の前へとたどり着いたのだった。

「ここが私の宿だよ。
名前もそのまま"ギンカの宿"だ」

そう言ってギンカは胸を張って紹介する。

「なかなか綺麗そうですね」

少々年季が入ってそうな建物であったが、手入れが良いのか特に壊れた箇所も無く、ゴミも落ちていない。

「そりゃもちろん。避難するまでは毎日掃除は欠かしたことは無かったしね。
それより、さっそく人探しに行くかい?」

「そうですね。荷物を置いたら行動開始したいと思います」

「そうかい。
前に教えた奴隷市場は、町の中ほどにある市場の西のはずれにあるよ。
まぁ 競りが行われるのは延期とかが無ければ4日後だけどね。
それでも、いつもなら商品用の貸し牢獄に奴隷が展示されてるはずだ。
もし、場所が分からないようなら格安で私の息子でも案内につけるけど、どうする?」

「息子さんですか?」

「今は市民軍として徴集されてるけど、戦が無かったんなら無事にそろそろ戻ってくるはずさ。
嫁に行っちまった娘の分まで良く働く自慢の息子さね」

そう言ってギンカは自分の息子を案内に(有料で)貸し出そうと提案してくるが、拓也は彼女の好意に内心はありがた迷惑と感じていた。
なぜなら、荒事が発生する可能性も無きにしも非ずな現状で、ディープな所まで無関係の人間を巻き込んでも邪魔なだけだ。
しかし、拓也にそんなハッキリと口に出せるはずも無い。

「そうですねぇ……
とりあえず、時間が惜しいので自力で探してみます。
もしそれでも駄目な時は、息子さんが帰ってきた後にお願いしようかな」

拓也はジャパニーズスマイルを駆使して、やんわりとギンカの申し出を断る。
それでも彼女にとってみれば、宿の客が入っただけで満足なのだろう。
プラスαで息子にガイドとしての仕事も取れるか提案しただけだったらしく、拓也が断っても特にそれ以上の言及は無い。

「そうかい。
まぁ とりあえず、宿の中に入りな。
それぞれの部屋の鍵を渡すよ」









中に招き入れられた拓也達に割り当てられた部屋は、二つの大部屋だった。
その大部屋二つの鍵を受け取った拓也は、宿に腰を落ち着けた後で、一つの部屋に全員を集めていた。
部屋音真ん中にタマリを座らせ、それを全員で囲む。
彼らの眼光は、先ほどとは打って変わってナイフのように鋭いものになっている。

「でだ。
場所は何処だ?」

タマリの正面で椅子に座る拓也がタマリに問う。
その声や表情は真剣そのもの、ギンカと話してた時のような穏やかな雰囲気は一切感じられない。

「それより、あたいが案内したら仲間に手は出さないって約束は本当だよね?!」

「それは、お前が約束を守るかどうかだな。
とりあえず、こちらとしてはカノエの無事が確認したい。
取引はその後だ」

全ての前提条件はタマリが逃げず、正直に仲間の居場所を吐く事。
それが出来なければ交渉での解決は無しである。

「旦那。絶対だよ?絶対だからね!」

ココまで一緒に連れてきたが、拓也は完全にはタマリの言うことを信用し切れていない。
そして、それはタマリも同じで何度も何度も「約束だよ!」と拓也に念を押す。

「わかったから、さっさとお前の一味の身を寄せる場所を教えろ。
まず、お前の言っている事が本当かどうか確かめるのが先だ」

やっと相手を捕捉できるという事と、これから一番慎重にならなければならないという緊張感からだろうか
タマリに向ける拓也の言葉は冷たい。
そして、タマリもそれを感じているのだろう。
内心で色々な葛藤と戦いながら、無駄なことは言わず最小限の言葉で拓也に盗賊の居場所を話した。

「……叔父の店は、ここから市場を挟んだ町の反対側だよ。
大通りを真っ直ぐ行けば、大きな薬草屋と皮細工屋の間に路地がある。
そこを奥に進むと雑貨屋があるんだ。場所はそこだよ」

「雑貨屋か。看板か何かは出てるのか?」

「いろいろと堅気に売れないものも扱ってるから看板は無かったと思う」

「堅気には売れないもの?」

「盗品とか、ヤバめの魔導具とかだよ」

そう言ってタマリは説明を終えたのか、静かに俯く。

「どうする?とりあえず偵察に行くか?拓也」

場所は分かった。では、次の行動は?とエドワルドは拓也に聞く。

「そうだね。
とりあえず偵察なんでコイツはここに置いて行く。
店を見に行くメンバーも、俺、ヘルガ、エドワルド、アコニー……は面を覚えられてる可能性もあるのでラッツだな。
残りは宿で休憩兼コイツの監視」

「え~、社長あたしも行きたい。
糞犬のお守りなんて嫌だよ」

留守番を言い渡されたアコニーは、イヤイヤと抗議の声を上げるが、今回ばかりは拓也も折れない。

「嫌だも何も、仮に向こうにお前の顔を見た奴がいたら、一発で警戒されるだろ」

「え~ でも、あの時は霧の中だったし、社長達だってその格好で行ったら十分怪しいですよ」

アコニーの指摘通り、拓也達の服装はPMCらしくカジュアルなミリタリーウェアであった。
いくらこの町がいくら人種のるつぼの様な場所でも、異文化圏の服装はそれだけで目立つ。
このまま行けば不用意に人目を引くのは明らかだった。

「そこは行く前に着替えるから問題ない」

適当に古着でも買って着ていけば問題ないだろうと拓也は考えていたが、どちらにしても一緒に行けないアコニーは不満そうであった。

「ぶぅ~……」

「まぁ カノエが帰ってきたら観光する時間もあるから、それまで待ってろ。な?」

アコニーは唇を尖らせて不満を表すが、彼女の不満に一々かまってはられない。
町を見て回るのは、全てが解決した後だ。 
アコニーも拓也がそこまで言うと、自分でも只の我侭を言っていると自覚してたのか、あっさりと引き下がる。

「わかりました。
観光はカノエが戻ってきた後で皆一緒に行きましょう」

お楽しみは全てが解決してから。
そう言ってアコニーはニッコリと笑う。

「よし、他に異論はないな?
無ければ早速出かけよう。
とりあえず、服の調達だ」

・・・

・・










結論から言えば、変装用の服はあっさり入手することが出来た。
宿の女将であるギンカが、彼女の息子の服を格安で貸してくれたのだった。
彼女は、拓也達が自分達の服装は目立つので(建前はサルカヴェロ兵に無駄に絡まれるのが嫌だという事にした)、こちらに滞在している間はこちらの服を着たいが良い仕立て屋を知らないかと聞くと
それだけの為に服を揃えるなんて勿体無いと言い出し、宿の奥から自分の子供の服を抱えてきたのだった。
やはり機械化の進んでいない世界では繊維・服飾業界は貧弱らしく、こちらでは服とは総じて高価なものらしい。
前払いでレンタル料と保証金を取られたとはいえ、結果として拓也達としても安く変装用の服を調達することが出来た。
ギンガからこちらの民族衣装を受け取った拓也達、はそれぞれこちらの民族衣装に着替え、意気揚々と町へと繰り出す。
だが、そんな拓也の服装を見ていたエドワルドが、顎に手を当てながら思ったことをそのまま口に出した。

「……なんだか、拓也がこっちの服を着るとモンゴル人みたいだな」

「ほっといてよ」

確かに、エドワルドの言うとおり、黄色人種がこちらの民族衣装を着るとモンゴル人か何かにしか見えない。
それに対し、コーカソイドのエドワルドは、トゥルク系の部族のような感じで着こなしていた。
町の中を歩いてみると、彼は普通に溶け込んでいるように見える。

「まぁ さっきよりはマシだよ。
そんな事より、さっさと行くよ」

そう言って拓也は歩みを速め、町の中心部にある市場の一角を目指す。
だが、人口こそ多いが高密度に建物が並ぶバトゥーミ。
目的の場所に到着するにはさほど時間はかからない。
到着した拓也達の目に入った目的の場所は、今日は売買が行われていないこともあってか静かなものだった。
会場の最奥にオークション用の舞台があり、その左右にディスプレイ用の牢屋がある建物が並ぶ。
そこには次の競りへ出品予定と思われる人影がチラホラ入っており、奴隷を求める金持ちがそれらを見て回る姿も少なからずあった。

「これが奴隷市場か……」

拓也が初めて見る人身売買の会場に、その存在を改めて確認するかのように小さく呟く。
すると、拓也の呟きを隣で聞いていたヘルガが、拓也の呟く意味を取り違えたのか奴隷市場の概要を説明し始めた。

「まぁ確かに"市場"という名前ですが、扱う商品量はあまり多くないです。
そもそもこっちの世界の奴隷は、殆どがダークエルフの人買いに買われちゃうのが理由なんですよ。
奴隷商人も大口の顧客だから大半の奴隷はオークション無しの直接取引ですし、彼らが奴隷の底値を吊り上げるお陰で、奴隷を買おうって人は愛玩用か特別な理由がある人だけですね。
労働に使うなら、コスト的に人雇った方が安くなるんで」

「え? あ、あぁ。そうなのか……
てか、ダークエルフなんてのもこの世界にはいるのか」

「そうですね。
まぁ 彼らはエルフの眷属みたいなものですよ。
彼らはエルフの補給やら何やらを一手に引き受けてます。
噂ではエルフは人間味に欠けて話がしづらいそうですが、ダークエルフはそんなこと無いって話です。
むしろ狡賢いと有名ですね」

「なるほど。
そんなのもいるのか」

「はい」

なんというか、この世界はファンタジー種族が色々と揃っている。
そのバリエーションに何か作為的なものも感じつつも、拓也は一つの疑問をそれとなくヘルガに聞いてみる。

「……一つ聞きたいんだが、やっぱダークエルフっていうと特徴的な格好なのか?」

「というと?」

「例えば、露出が多く体にフィットした服を着たムチムチの人だったりとか。
ファンタジー世界ではダークエルフはエロいお姉さんが相場な訳だけど、こっちはどうなの?」

拓也は、そう言って自分のダークエルフ像があっているかどうかヘルガに聞く。
というか、元々のイメージの仕入れ元が偏っているせいであろう。
拓也の脳裏に浮かぶイメージは、褐色の肌をしたグラマラスな美女だけであった。

「はぁ?
一体、これからカノエを助け出そうって時に、何を考えてるんですか」

「いや、違うんだ。
別に変な目的じゃない。こっちの世界の仕様が元の世界のファンタジーに似ている部分も多いので、そこはどうなのかなと思っただけだよ。
純粋に学術的な興味といっていい。うん」

しらーっと冷たいヘルガの視線を受けて、拓也は慌てて弁明する。
ヘタに誤解されては、尊敬される社長でいたいという拓也の理想が崩れてしまう。

「そんな、無理して誤魔化さなくて良いですよ……
まぁ 結論から言えば社長の言う特徴に合致してますね。
というか、社長はそういうのがお好みですか……」

「だから、別に不純な目的じゃない。
露出の多い褐色の肌のムチムチとかは別に好きじゃないぞ?
ちょっとした好奇心だ。もし、そいつらにカノエが買い取られていた場合、色々と交渉する事もあるかもしれないからな。
でだ。そのダークエルフとやらはどこだ?」

「多分、奴隷用の牢屋のあたりで品定めでもしてるんじゃないですか」

「そうか……
まぁ、そんな無駄話はコレくらいにして、俺達も奴隷市場とやらに行こうか」

「わざわざ、ダークエルフを見にですか?」

「違う!出品予定の中にカノエがいるかどうかを確認しにだ!」

「本当かなぁ……」

イマイチ信じられないと疑いの目を向けるヘルガ。
拓也も必死に誤解だと伝えようとするが、どうにもヘルガの視線は冷ややかでる。
そんなこんなで、もう誤解を解くのも諦めた拓也は、半ば強引にヘルガにダークエルフを探させる。
まぁ 彼ら自身は奴隷市場の裏にわらわらと居たのだが、物陰から一目その姿を見た拓也は、怒気を混めた視線をヘルガに送る。

「……おい」

「はい?」

「なんだアレは?」

拓也は目の前を行きかう人々を見て、あれは何だとヘルガに説明を求める。

「え?社長の御所望のダークエルフですが?
ああいうのも好きなんですよね?
私的にはちょっと社長に失望しました」

そういって、ヘルガは「はぁヤレヤレ……」といった具合に呆れた表情を浮かべているが
そんなヘルガを見て、拓也はダークエルフと呼ばれる者達を指差しながらヘルガに向かって激怒した。

「あれのどこがダークエルフだ!
タイソンみたいなマッチョの集まりじゃねぇか!!
近づこうものなら、耳食いちぎられてもおかしく無さそうだぞ!」

拓也が指さす先。
そこに居たのは筋骨隆々で肉体にフィットする皮の服を着た巨体の黒人達。
拓也の感じたまま表現するならば、ちょっと耳の長いタイソンであった。
それを見た拓也は思わず抗議の声を上げるが、ヘルガから返ってきたのは冷たい視線だけだった。

「社長がどういうのを想像したかは知りませんが、あれがこちらのダークエルフです」

「くぅ……」

てっきり某ファンタジー戦記に出てくるピロテースみたいなのを想像してたのに、出てきたのがタイソンたっだという事が拓也の心にダメージを与える。

「はいはい。ふざけるのはここまでにして奴隷市場にカノエがいないか探しに行きますよ。
私だからまだ不満を我慢してますが、ここにいるのがアコニーだったら一発殴られてますよ?」

ヘルガのその一言で拓也も反省する。
ダークエルフという単語に少々テンションが高くなってしまったが、今は仲間の捜索中という大事な時期
あまりふざけていると部下の信頼が急降下してしまう。

「……はい。
すんません……」

拓也は短く謝罪すると、気を取り直してディスプレイ用に設けられた牢屋がある建物へと向かう。
ラブホのビラビラのような暖簾によって、入口から内部は見えない様に区切られたディスプレイ用の建物。
もしかしたら、ここにカノエがいる可能性も低くはない。
拓也は一つ深呼吸をすると、その中へと入っていった。

「ここがそうか」

拓也は中に入ると、周りを見渡してひとり呟く

「うーん……
私、こういう空気は好きじゃないですね。
檻の中に居る年端も行かない子供が可哀想で……
大人が捕まる分には、それはその人の責任なので何とも思わ無いんですが、子供の場合は運が悪かったとしか言いようが無いですからね」

牢の中にいるのは年若い少年少女や妙齢の女性を中心とした者達ばかり
彼らは全裸に近いような格好をしている。
そして彼ら全員に共通するのが、世界に絶望したかのように暗い表情を浮かべている事だった。
確かにその表情は、ヘルガが言うように哀れである。

「まぁ、確かにね。
ちょっと、心が痛むかもね」

確かに可哀想ではある。
それは拓也も賛同できる。
だが、拓也としては本当に"ただ可哀想に思うだけ"であった。

「口ではそう言う割に、社長って結構平気そうですよね?」

そんな拓也の様子を見て、ヘルガは意外そうに拓也に尋ねる。
人身売買の無い北海道に住まう人間なら、もっと衝撃を受けるとでも思っていたのであろう。
だが、以外にも拓也は特に堪えた様子も無い。

「昔、あちこち旅してるときに哀れな子供は色々見たからね。
物乞いの時に同情を引けるよう、親に爪剥がされたロマの子供とかブルガリアに居たなぁ
あれは、プロウディフだったか……」

可哀想な子供をスルーするのは、途上国をメインに海外旅行を趣味としている者なら必須技能であろう。
必死に金を要求してくる途上国の子供をいかにスルーするか。
それは重要なスキルである。
個別に金を施していたのではキリが無いし、根本的な解決にはならない。過酷な世の中で少々寿命を延ばすくらいにしか役には立たないのだ。
だから、どんなに同情を引こうと物乞いの子供が集まってきても鉄の心でスルーするのは当然だと拓也は思っていた。
まぁ 拓也が口に出したような爪を剥がされたブルガリアのロマのロリっ娘とかは色々心を揺さぶる経験も多々あったが
そのお陰で、人身売買される子供を見ても平常心は保てている。

「へぇ
社長の国って凄く裕福で平和そうでしたけど、そっちにもそういうのがあるんですか。
……意外です」

「日本には少なかったけどね。
爪剥がされた東欧のロリショタ姉弟とか、いきなりストレートに金くれって言ってくる南アジアのクソガキを見て居るうちに
そういうものをスルーできるスキルを手に入れたよ。
仮に小金を渡した所で救われる訳じゃないし、そういう存在を無くしたかったら、その国の社会を変える以外に方法は無いでしょ?」

「そんな堂々と言わなくても……
それにしても、社会を変える以外に方法は無いんですかね?」

「無いな。
例え個人の都合で困窮しても、社会システムがしっかりしてれば子供が物乞いまで堕ちる事は無い」

「そうですか……」

キリっと決めた顔でヘルガに対し自説を説く拓也。
ドヤ顔で世界の真理を語ったかのような満足に浸ってるが、語られたヘルガは複雑な表情をしている。
そんなこんなで拓也達が奴隷市場内をうろついていると何か探しているという風に見えたのか、市場の職員と思われる男がこちらに近寄ってきた。

「いらっしゃいませ。
当市場へようこそ。何かお探しですか?」

ニコニコと笑いながら話しかけてくる男。
それはまるで、夜遊び紹介所の呼び込みのようなフレンドリーさであった。

「すいません。
ここで出品予定の牢屋を下見できると聞いたんで来たんですが」

「ええ、じっくり見て回ってかまいません。
出品者様方も自慢の商品を展示の意味で預けていかれますし、なんなら探すお手伝いを致しましょうか。
どういった商品がご入用です?
やっぱり、愛玩用ですか?」

そう言って、男は「わかってんだぞ?この助平が」と言いたげな視線で拓也を見てくるが
拓也にとってみれば、時と場合をわきまえない男の質問は、ただただ不快であった。
男だけしか居ない時なら判らんでもないが、ヘルガのような女性も連れている時に何を言ってんだと拓也は思う。
ファミリーで行動中に、風俗の呼び込みに声をかけられたかのような気分の悪さである。

「いや、愛玩用とかじゃなく、知り合いを探しているんだ」

「あぁ なるほど。
奴隷落ちした方を買い戻したいと。
時々そういうお客様もおりますが……、そうなると愛玩用だけじゃなく戦奴の方も見たほうが良さそうですね」

「戦奴?」

「ご存知ありませんか?
奴隷は基本ダークエルフが戦奴用に買いあさっていくので、競に出るようなのは高付加価値のついた愛玩用の性奴隷くらいなんですよ。
だから、お探しの方の適正次第では戦奴用のタコ部屋に押し込まれているかもしれません」

その説明を聞いて拓也は納得する。
このショールームとも言える牢屋に集められたのは、見た目の良い性の対象になりそうなのばかり
その理由は、見た目に付加価値が無いものは全て戦奴行きになり、残ったのは愛玩用の奴隷だけという事だった。

「そうなんですか……
でも、それならやっぱり知り合いは愛玩用の方に居ると思います」

カノエは見た目が巨乳美人。
あれを戦奴として使い潰すには勿体無い。
ならば十中八九そういう目的に売買されるであろう。

「ほぉ。
断言しますね。そんなに見た目の麗しい方なんですか?
なんなら、今ココで特徴を言っていただければ、お探しするお手伝いをしましょう」

男はハッキリと断言する拓也の物言いに興味を持ったようで
自ら進んで手伝いを申し出た。

「それは助かります。
私共が探している人と言うのは、長い青髪の女性なんですが
結構出るトコが出た良い体つきをしてますから、売られるなら愛玩用に送られたんじゃないかと思うんですよ」

そう言って拓也はカノエの特徴をスラスラと男に告げるが、当の男はその特徴を聞いた瞬間にその表情が凍りつく。

「……あ、青髪?」

口元をヒクつかせて男は再度聞き返すが、それに対して拓也は更に細かく説明する。

「えぇ。青空みたいな澄んだ青って言えば良いですかね」

どうやったら人間からあんな色素が出るのか不思議な色だったと拓也は思い返す。
一昔前の太陽電池に使われたようなシリコンの結晶のような見事な青。
そして、何を思い出したのか、目の前の男の顔色も同じように青く染まっていく。

「し、失礼ですが、お客様はサルカヴェロのお役人様か何かですか?」

「役人?いや、一般人ですが。それが何か?」

拓也は質問の意味が判らなかった。
何故ココで役人かどうか聞かれるのか。
拓也は男の問いに正直に答えるが、その答えを聞いた途端、男の表情がガラリと変わる。

「…………馬鹿か貴様。とっと失せろ」

「え?」

先ほどのフレンドリーな対応から一転。
男の口調と表情がまるでヤクザのようなモノへと変わる。

「サルカヴェロの軍が居るのに青髪だぁ?
奴等の施政下で、そんなヤバイ奴扱ってるわけねぇだろ。
分かったらさっさと消えろクズ!」

そう言って男は拓也を睨むと、指をボキボキと鳴らしながら地面に唾を吐く。
だが、当然の如く、拓也はその変化にはついていけない。

「え?そんな、何??」

何が悪かったのかさっぱり判らない。
拓也は男に青髪の何が悪いのか聞こうとするが、男はまともに取り合おうとはしなかった。
そして、その間にも騒ぎを聞きつけてゾロゾロと集まる屈強な悪人面達。
その後、拓也の説明を求める問いかけは、男によって全て無視され、結局、拓也は奴隷市場を追い出される事となってしまった。


「……」

「追い出されちまったな」

突然の事態に、呆然とする拓也にエドワルドが声をかける。

「あぁ」

「それで、どうする?
奴の話しぶりじゃ、ここにはいなさそうだが」

「あ、うん。
まぁ ここがだめならタマリの親戚の店って奴に行ってみるしかないさ。
盗賊の身を寄せた先がそこっぽいし」

とりあえず、何時までも呆けていてもしょうがない、まだ見当が一つ外れただけである。
一つが駄目だったなら次に行くだけだ。
拓也はそう考えてエドワルドの質問に答えるが、それは皆同じ気持ちであった。
そもそも本来は敵の本拠に探りを入れるのが目的であり、奴隷市場は一応覗いて見ただけ。
これからが本来の本番である。

「そうですね。
とりあえずはそちらに行きましょうか。
強襲するにしても交渉するにしても相手の事を知らなきゃどうしようもありませんしね」

「その通り。
今回は偵察。
相手の拠点とそのツラを拝みに行こうか」



[29737] 東方世界3
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:26


「畜生!
売れないってどういうことだい!」

薄暗い室内に罵声とテーブルを叩く音が響く。
その声の主はメリダの村を襲った盗賊の頭であるニノ。
彼女は今、彼女の罵声を聞いて至極迷惑そうな表情で売り物を磨く男を睨んでいる。

ここはニノの叔父が営む盗品屋。
そして、現在、ニノに睨まれている男の名はアッコイ。
ニノの叔父である。
彼は普段、盗品や教会の影響が及ぶ各国では規制のかかる魔導具、それと攫ってきた人間の奴隷市場への斡旋を行っている。
そして彼の持ち味である例え金を積まれようと盗品の持ち主や攫われてきた人間の入手経路を絶対に割らないというスタンスは、裏稼業の店として悪人からの信頼を集めている。
そんな裏の世界に信頼と実績のある彼だが、今は店先からは見えない店の奥でニノとその手下に囲まれていた。
親族とは言っても、女の方が体格の良いハイエナ族。
当然の如く、アッコイのガタイは小さく、痩せた小男と言った風体である。
だが、それでも長年にわたって裏の稼業で生きていたためか、ニノがいくら凄みをかけても全く堪えない。
それどころかニノに対し、顔をしかめながら悪態をつく。

「ニノ。何度も言ってるだろ。
コイツの一族は、サルカヴェロが血眼になって探してんだ。
もし奴等に見つかってみろ、俺たちまでトバッチリで殺されかねん。
俺としては、さっさと殺して捨ててきて欲しいくらいだ」

迷惑極まりない。
そんな表情でニノを睨むアッコイは、掌で首を切り落とすジェスチャーをする。
面倒事はさっさと処分しろと言っているのだ。
だが、その言葉に対するニノの反応は煮え切らない。

「う~ん……
でもねぇ、素材が良いから性奴隷としては言い値がつきそうなんだけどねぇ……
あぁ、もったいない!」

「ん゛ん゛ん゛~!!」

せっかく金になりそうなのを攫って来たのに、殺して捨てるのは勿体無い。
ニノは諦めが付かないのか、縛られたカノエの胸を力任せに鷲掴みにして揉みしだく。
突然の行為と痛みに、思わずカノエも猿轡越しに声をあげるが、誰も彼女の声など気にしていない。
そんな勿体無いと呟きながら踏ん切りの付かないニノの態度を見て、今度は店の主であるアッコイの方がしびれを切らして彼女に怒鳴る。

「勿体無いじゃねぇよ!命あっての物種だろうが!
それに金なら、他の人間を売っ払えば良いだろう!」

自分の店に、何時までも危険物を置いておきたくない。
そんな偽らぬ本心を彼はニノに向かってぶつけるが、それでも彼女は諦めが悪かった。

「あんな戦奴なんて何人売り払っても大した金にはならないよ。
それに、捕まえた奴等の内、子供の方は遊びすぎて壊しちゃったし……
一番金になりそうな素材はあの青髪なんだけど……って、そうだ!髪を染めて売りに出すってのは?」

ニノは「名案じゃない?」言ってニッコリ笑いながらアッコイを見るが、対するアッコイの表情は全く持って笑っていない。

「そんなセコイ事考えてる暇があったら、さっさと殺して来い!
いくら親戚だからって、仕舞いには追い出すぞ!」

「でもねぇ……」

アッコイは小手先で誤魔化そうとするニノにもう一度怒鳴るが、それでも彼女は諦めがつかない。
何せ彼女の最後の仕事は失敗だった。
死んだ奴等の大半は最近手下にした他部族の奴らばっかりだったと言え、古参の同族も何人か死んだ。
その対価として得られた一番価値のありそうだった戦利品が、買取拒否というのはいささか悲しいものがある。

「でもも糞もねぇ!
ココに来る途中、コイツに袋を被せてたからばれなかったものの、お前がそのまま連れてきてたら、今頃、この店は焼き払われてた所だ。
そんな危ねぇ事をしておいて、まだ言う気か!」

何時まで経っても諦めの付かないニノを見て、アッコイの怒りは頂点に達する。
もうこれ以上グダグダ言うなら追い出そう。
そうアッコイが心に決めて、「出て行け」という言葉を口に出そうとした刹那、店先から聞こえる客の声に彼は口からでかかった罵声を無理やり飲み込んだ。

『すいませーん』

店先から店主を呼ぶ声に、アッコイは舌打ちをして椅子を立つ。
店の裏がどんな状況だろうと、客が来たのならば応対しなければならない。

「チッ、客だ。
ニノ。俺の言ってることが分かったんら、客が帰るまで静かにしてるんだぞ」

「言われなくても分かってるよ」

アッコイはニノの軽い返事を背中で聞きつつ、店に繋がるドアをくぐる。
いくら不機嫌であろうとも、それを商売の場にまで持っていくまいと彼は心を落ち着けると、いつもの笑顔で接客に出た。

「いらっしゃい」

店先に戻った時、店の前には一人の男がいた。
顔つきはここらでは珍しい黄色い人族。
あの民族は今はキィーフ帝国の支配下にあるはずだが、おかしなことに客の男は東方の民族衣装身にまとっている。
なんとも怪しい匂いがプンプンすると彼の直観はそう告げていた。

「すいません。
ちょっと、この店に色々と面白いものがあるって聞いたんですが」

男はアッコイが出て来るなり、笑顔を浮かべて聞いてくる。
不自然ににこやかな男の笑みに、何を薄ら笑みを浮かべているんだと思ったりもしたが、そこは割り切ってアッコイは男の質問に軽く答える。

「この店に並んでる物は全部愉快なシロモノだよ」

生憎、こちらは堅気相手はしていない店。
並んでいるモノがどういう物か分からない奴らは来なくていい。
どこか興味本位のような雰囲気で店の中を眺める男にアッコイは内心馬鹿にしながら話すが、それでも男は質問をつづける。

「いや、自分が欲しいのは、こんな道具類じゃなく。
もっと特殊なナマモノがあると聞いたんですけどね」


何を言っているんだこいつは?
特殊なナマモノ?
とすると、人のことか?
この店は西方世界では御禁制の魔導具で攫われた人間の記憶を改竄し、奴隷市場に出品する斡旋はするが、店での販売はしていない。
もしや、コイツ…… 店の奥に隠している青髪を知っているのか?
……いや、そう考えるのは早計だ。
そもそもコイツの言うナマモノってのは何を指しているんだ?。
アッコイは男の言葉にそう不信感を募らせると、陳列してある商品の埃を落としながらしらばっくれた。

「……何の事かわからんな。
一体、それは誰から聞いたんだ?
そもそも、ウチは一見さんお断りでね。
次は誰かに紹介してもらってきてくれ」

面倒事は御免だ。
アッコイは遠まわしに帰れと男に告げるが、男は「あぁ、そんな事か」とニコニコしながら呟き、帰るそぶりも見せない。

「あぁ それなら大丈夫だ。
タマリって知り合いの娘がいてね
彼女にココの場所を教えてもらったのさ」

「……タマリ?だれだそりゃ?」

男の言葉を聞いてもアッコイはそれが誰を意味しているのか分からなかった。
タマリ?そんな名前でこの店を知っている娘なんて、この町には心当たりが無い。
アッコイは男に更なる疑惑の目を向けると、男はアッコイが分かるように娘の特徴を補足する。

「おっさんと同じハイエナの娘なんだけどね」

ハイエナ族のタマリ……
そこまで言われてアッコイはようやく合点がいった。
同族なら、ニノの娘がそんな名前であったはず。
ここ数年姿を見ていないので、アッコイの中のイメージは、まだ子供だった頃の姿だったために思い至らなかったが、今では年頃を迎えているはずだ。
恐らくはニノの影響により、真っ当に裏稼業を生きているのだろう。

「あぁ ニノの娘だな。
あいつは元気にしてるのかい?
最近、姿を見ないと思ったら、一人立ちでもしたのか?」

今回、ニノの来訪に際して、彼女は自分の娘が居ないことに対し特に何も語らなかった。
アッコイは、それが仕事の最中に死んだか何かしたのだろうと想像し、特に言及もしなかった。
裏稼業で生きていくなら、仲間が死ぬのは日常茶飯事だ。
それ故、男の口から出た親族の一人が生きていると言う言葉に、アッコイは頬を緩ませる。

「まぁ そんな感じかな。
彼女に、ここはヤバい魔導具から攫ってきた人間まで、裏で色々扱ってるって聞いたんだが」

男は、アッコイの表情を見て警戒が少し解けたと思ったのか、彼に対して更なる探りを入れてくる。
だが、アッコイも軽々とソレに答えるわけにはいかない。
店の奥に隠している青髪はサルカヴェロ占領下では一等にヤバいシロモノである。
そんな訳で、アッコイは改めてしらばっくれると心に決めた。

「……どこでそんな与太話になったか知らんが、人間はいない。
魔導具も店に並んでいるモノだけだ。
目当ての品が無いなら、さっさと帰んな」

アッコイは、そう言って素性の良く分からない男にシッシッと手を振って追い払おうとするが
この男もまた、どうにも諦めの悪い部類の人間らしい。

「えぇ?おかしいなぁ。
彼女、ココならあるって言ってたんだけどなぁ」

「お前が言うような物は扱ってないし、無いモノは無い」

「本当に?隠してるんじゃないの?」

男はアッコイの顔を覗き込むように聞いてくるが、アッコイの方も正直に答えるわけにはいかない。
そもそも、タマリの知り合いと言うこの男は何者だ?
何が目的で嗅ぎ回っている。
それ以前に、この男は店の中に攫ってきた人間が居ることを知っているような口ぶりだが、何処でそれを知ったんだ?
そんな疑念がアッコイの心に渦巻き、彼のイライラはどんどん蓄積されていく。
そして、何度目かの男の問いで、遂にアッコイの怒りが爆発した。

「しつこい!何度も無いって言ってるだろうが!」

アッコイは激怒した。
その得体の知れない男のしつこさに。
だが、怒りを向けられたはずの男は、全く堪えたそぶりも見せず笑ってアッコイをなだめる。

「あはは、そう怒んなよ。
わかったよ。今日の所はもう帰ってタマリに確認してみるよ」

「うるせぇ!二度と来るな!!」

そう言って、男はまた来ると言って逃げるように走り去る。
後には起こったアッコイただ一人が残された。
アッコイは大声で怒鳴ったことで、高まった感情を肩で呼吸をしながら沈めつつ男の走り去った方角を睨んでいると
店の中から一部始終を聞いていたニノが、店頭の方にひょいと頭を出した。

「あいつ…… タマリの名を呼んでたね」

「はぁはぁ……
あぁ、ニノか。何だあいつは?
お前の娘の紹介とか言っていたが……
そういえば、タマリは何をしているんだ?
奴はタマリに確認してみると言ってたが、もしかして、奴と一緒に行動してるのか?」

お前の娘の紹介で、とんだ怪しいのが来たぞとアッコイは抗議の視線をニノに向けるが
当のニノは、複雑な顔つきで男の去っていった方角を眺めている。

「タマリは…… 前の仕事でドジって以来、行方不明だよ。
あたしゃてっきり死んだと思ってたけどね」

ニノの言葉を聞き、アッコイは驚いた。
怪しげな男と接点があると思われたタマリは行方不明……
これはあまりにも危険な匂いがする。

「じゃぁ何だ?
あいつ等一体何者だ?」

「分かんないよ。
ただ、タマリの名を出してココまで来たんだ。
もしかしたら、あの村の人間が青髪を取り戻そうとタマリを尋問して追いかけてきたのかもしれない……」

「おい、もしさっきのヤツがサルカヴェロに通じていたらどうする?
俺たちもお仕舞だぞ?!」

「奴がサルカヴェロにチクってるなら、とっくの昔にあたいらはサルカヴェロ兵に捕まってるよ。
あんたの話じゃ、サルカヴェロは青髪を必死に捕まえようとしてるんだろ?
なら、証拠が無くても怪しいって情報があっただけで兵を送ってくるはずさ。
ここは占領地。別に誤認捜査だったって誰も文句は言えないよ。
だが、さっきの奴等はサルカヴェロとは関係ない気がするね…… イラクリ!ちょっとおいで!!」

ニノが店の奥に向かって彼を呼ぶと、ドアの間からヒョコっとイラクリが顔を出す。
彼もまた先ほどのやりとりをドア越しに聞いていたのだ。

「カーチャン…… さっきの話って、もしかして……」」

大好きだった姉が生きているかもしれないという情報に、イラクリは不安げな視線をニノに送る。
そんなイラクリに対し、母であるニノは真剣な表情で彼の目を見据えて言う。

「さっきの男の顔は見たね?
尾行して奴が何者か探ってきな。
もしかしたら、奴らにタマリが捕えられてるかもしれないよ」

「うん!分かった!行ってくる!!」

イラクリは満面の笑みで頷くと、さっそく男の消えた方角へ向かって駆け出した。
例え、姉が先ほどの男に囚われていようと、自分の働き次第で姉が戻ってくるかもしれない。
絶対に失敗してはいけないと言う緊張感と共に、姉と再会できるという喜びが自然と彼の頬を緩ませたのだった。
そんなイラクリが走り去った後。
店に残された二人は彼の走っていった方角を見詰めていたが、アッコイは彼の姿が見えなくなると氷のように冷たい声でニノに言う。

「……こういう商売は慎重じゃなきゃ生きていけない。
俺は厄介事が嫌いだ。
……心の底からな。
お前が一族じゃなきゃ、厄介な青髪ごと纏めて始末してる所だ」

彼はニノを視線を合わせはしないが、顔を見ずともその声に怒りが含まれていることは良くわかった。
お天道様の下を歩けないような商売をしてる身、ニノは彼の気持ちがよく分かる。
だが、ニノの方も引くわけには行かない。
盗賊団の掟では、脱落した者は置いて行くというのが決まりだったが、それはさりとて肉親である。
それも一度は諦めたものが、生きているかもしれないという可能性が出てきたのだ。
出来るならば助け出したい。
そんな思いもあり、不機嫌なアッコイに対し、ニノがかけられる言葉は短い謝罪の一言だけであった。

「すまないね」


・・
・・・


アッコイとニノがそんな遣り取りをしていた頃、店を足早に離れた拓也は、エドワルドと共に細い裏路地を歩いていた。
そこは表通りと違い、人通りが少ないうえに曲がりくねっているため見通しも悪い。
拓也は周りを見渡して、人影が無いことを確認すると、懐から小型の無線機を取り出した。

「どうだ?」

短く問いかける拓也の声に、問いかけられた相手は無線機越しにクリアな音声を送ってくる。

『バッチリ聞こえます。
連中の話によると、カノエは間違いなく中に居ます。
それと、社長に尾行が向かいました。
気を付けてください』

無線の相手はヘルガと共に店の裏に潜んでいるラッツであった。
拓也がカマをかけに行く少々前から、ゴミや廃材に紛れ、乞食の様なボロ布被りながら壁に耳を押し当てている。
(それに同行したヘルガは、兎系の種族特有の単独行動をしていると鬱になるという習性への心のケアを担当している)
そして、流石は武装ピーターラ○ット。
彼の優れた聴力は、店の中の会話を盗聴するのに威力を発揮していたのだった。

「よくやったラッツ。
尾行の方は任せろ。
そっちは盗聴を続行しろ。
だが、やばくなったらすぐに逃げろよ」

そう言って通信を終える拓也に、横で遣り取りを聞いていたエドワルドが表情も変えずに確認する。

「尾行か?」

「あぁ
まぁ警戒して当たり前だろ。
だがこれも予想の範囲内だ。次の手を打とう。
自分はこれから適当に歩くから、エドワルドは計画通りに……」

「あぁ、わかった」

拓也は万事予定通りに進めてくれとエドワルドに目配せすると、エドワルドは静かに拓也と距離を取り、裏路地へと消えていく。
そうしてエドワルドが見えなくなると、拓也は一つ気合を入れて表通りの方へ向けて歩を進めるのであった。

「……さて、エドワルドも行った事だし。
こっちも疑似餌の役割を果たしますか」





・・
・・・




一方その頃、拓也を追っていたイラクリは、焦りの表情を浮かべていた。

「ちくしょー、どこ行ったんだ?」

意気揚々と尾行しようと飛び出したものの、ターゲットの姿を完全に見失っていた。
表通りを歩く人々を注意深く観察してみるが、そのどこにも先ほど店に来た男の姿は無い。
もし、対象が表通りを歩いてくれれば問題なくすぐに見つかるのだが、仮に既に裏通りに入っていたのならば、その捜索は絶望的である。
裏路地は細く曲がりくねり、縦横無尽に入り組んでいるため、見通しが最悪なくらいに悪い。
その上、イラクリ自身もこの町に来て日が浅いため、あまり歩き回ると迷ってしまう恐れもあった。
姉へと繋がる手がかりが失われてしまいそうな状況に、思わず涙が出そうになるイラクリであったが、そのクリクリッとした目が涙に潤むその直前、彼の目が店を訪れた男の姿を捉えた。

「あ、いた!」

幸運にも裏路地から出てきた男の姿にイラクリは思わず喜びの声を上げてしまったが、イラクリは気持ちを切り替えて尾行を続行する。
だが、尾行を再開して暫くすると、イラクリは男の奇妙な行動に気が付いた。
アッコイの店に近い表通りを男一人で行ったり来たり……
それまで見つからなかったのが馬鹿みたいに思えるほど、その男の珍しい外見もあってか目立っていた。
一体、あいつは何をしているんだ?とイラクリは心に思ったが、男は暫く表通りをうろうろすると、突然路地裏に向けて歩き出した。

「あ!あいつ、また路地裏に!」

イラクリは焦った。
また路地裏に入り込まれたら、また見失ってしまう。
イラクリは男を見失わないようにと足早に男を追って路地裏に入る。
対して、追われる男は路地裏に入ると、一体何処を目指しているのか、右に左に路地裏を曲がり奥へ奥へと進んでいく。
そうして暫く歩いていくと、既に随分と路地裏の奥へと入ってきたのか表通りの喧騒は遠く、ここなら何が起きても誰も気付かないだろう。
例えば、イラクリの姉を監禁して酷いことをしていても、誰も気に留めないかもしれない。
悪人のアジトとしてはうってつけの場所だ。

「くっそ、あの野郎……
ねぇちゃんに酷い事してみろ。絶対に許さないぞ」

そうして思わず声に出してしまったイラクリ。
だが、目の前を歩く男に向けられるその怒りは、周囲への警戒を薄めてしまっていた。

「そうか。でも、別に許してくれなくても良いんだぞ?」

突然後ろから掛る声に、イラクリは思わず飛び上がり、耳の先から尻尾の先までタワシのように毛を逆立てながら振り返る。

「えっ!?……  ぐきゃ!!?」

声の主を確認しようと振り返りきるより先に、首筋に急な衝撃と痺れを感じて視界が暗転する。
気を失う前に彼が最後に見たものは、
路地裏に立つ見知らぬ男と
その手に握られた紫電を放つナニカだった。


何者かの攻撃によって意識を手放したイラクリ。
深いまどろみの中では漂っていた意識が、次に感覚を取り戻し始めた時、最初に意識したのは遠く聞こえる人の声と頬に感じる鈍い痛みであった

「おい起きろ」

誰かの声と共に、頬に痛みと衝撃が走る。
意識が途切れたため前後の記憶が曖昧になっていたイラクリは、眠りを醒ます痛みに不満を感じつつも、ゆっくりとそのまぶたを開く

「う…… うぅん…… え?、うわぁ!!」

ゆっくりと目を開けてみれば、目の前に座る見知らぬ男。
イラクリは思わず飛び退こうとするが、彼の意思とは裏腹に体が自由に動かない。
そんな状態にもかかわらず、つい反射で飛び退こうと試みたため、彼は盛大に後頭部を後ろにぶつけてしまった。
鈍い痛みを後頭部に感じつつ、落ち着いて周りを見渡した後、彼はようやく自分の置かれている状況を理解した。
周りは人の住んでた気配の無いボロボロの建物。
恐らくは廃屋か何かなのだろう。
そんな所の柱に後ろ手を縛られて括り付けられている。
それも、手を動かすとジャラリと響く音とその冷たい感触から、金属の拘束具で手を縛られているようだ。

「静かにしろ。痛いのは嫌だろ?」

「うううう……」

そう言って、目の前に座る扁平な顔の男は、表情を変えぬままイラクリの両目を凝視する。

「お前に聞きたい事がある。
聞かれた事だけ答えろ。
あの店の中に、青髪の女の人が捕まっているな?」

「……」

男はそうイラクリに問いかけるが、誰が喋るもんかとイラクリは固く口を噤む。
男の周囲には他にも何人かの人影が彼の方を睨んでいるが、イラクリはそんなの関係ないとダンマリを決め込んだ。
だが、そんな事が許されるはずも無い。
目の前の男はぐいっとイラクリの顔を覗き込むと、脅すように言葉を続ける。

「黙秘か?
それでも構わないが、お前が答えないと仲間のタマリがひどい目に遭うぞ?」

「!? やっぱり、ねぇちゃんは生きてるんだな!?」

男の口から告げられた姉の名前に、思わずイラクリは男の言葉に応えてしまう。
そこで、イラクリはハッとするが、既に遅い。
姉に対する執着の高さをしっかりと見られてしまった。

「ん? そうか、あいつはお前の姉だったのか。
お前の姉は、今は死んではいないけれど……
この先、生きていけるかはお前次第だ。
もう一度聞く、あの店の中に青髪の女の人が捕まっているな?」

そう言って、目の前の男はイラクリの瞳の奥を覗き込むようにじっと見詰める。
そんな男を前にして、イラクリにとっては悔しい限りだが、姉が人質に取られている以上、どうこうする事も出来ない。
仲間の情報を話してしまう事になるが、タマリが酷い目に遭うのはイラクリにとってもっと嫌な事だった。
イラクリは暫く悩んだ末、男の質問にコクンと頷く。

「じゃぁ、もう一つ質問だ。
カノエは無事か?虐待はされていなか?」

「……カノエってのがあの青髪のねぇちゃんの事を意味してるなら、大丈夫だよ。
高そうな売り物に傷をつけるような真似はしなかったよ」

どうやら、あの青髪の女の安否はイラクリを捉えた者達にとっては重要な事らしかった。
イラクリの無事だと言う一言に、目の前の男だけじゃなく仲間の女や兎人達にもホッとしたような笑顔が浮かぶ。

「……そうか。
坊主、ならちょっとお前の仲間に伝言を届けろ。
人質の交換だ。
カノエを無傷でこちらの指定する場所に連れてこい。
そうすればタマリを解放する」

男は「分かったな?」とイラクリに確認すると、イラクリは真剣な顔つきで首を縦に振る。

「……うん。
分かった。伝えるよ」

男の出した条件は別に仲間にとって悪い事ではない。
目玉商品の予定が、今では疫病神と化した青髪の女を一人差し出すだけで、姉のタマリが返ってくるのだ。
ならば、イラクリも取引が纏まるまでは相手の機嫌を損ねない様にしようと、男を睨む視線を和らげる。

「場所は後程こちらから連絡する。
だが、交換までの間にこちらを襲うようなことが有れば、それは即タマリの死につながると思え」

「……わかった」

「わかったなら、さっさと戻って伝えてこい」

男はそう言うと、イラクリを縛っていた手錠を外す。
ガチャリと言う音と共に自由の身になったイラクリは、跡の残った手首を揉みほぐすと、風のような速さで廃屋を飛び出していく。
一刻も早く姉を救い出す為、母の下へ男の伝言を携えて……



そうして、土埃を残してイラクリが去った後には、拓也達4人が残された。

「とりあえずは上手くいってるな」

「カノエも無事みたいだし、アコニー達も喜びそうですね」

そう言って、廃屋の壁にもたれ掛っていたエドワルドとヘルガは、拓也の方へと近寄ってくる。

「そうだね。
あの子供の話ぶりからすると、怪我もしてなさそうだけど、
とりあえず、この事は無線で宿の皆にも伝えてやるか」

そう言って拓也は懐から無線機を取り出すと、周波数を宿との交信用のモノに合わせた。

「こちら偵察チーム。
宿の皆。聞こえるか?」

無線機越しの拓也の呼びかけ。
おそらく、宿の方は持ってきた機材にあった船との交信用の無線機が受信待機になっているはず。
何も問題が無ければ、向こうにも電波は届いている。
そして、その予想はあたり、拓也が2回目のコールを入れるより先に、無線機の向こうから宿に待機しているイワンの声が聞こえる。

『聞こえますよ
何かありましたか?』

「カノエを捉えた盗賊を補足した。
情報によれば、カノエは無事らしい」

この報告で宿に残してきた皆は喜んでいる事だろう。
アコニー辺りはパッキーと踊っているかもしれないと、拓也は宿の様子を想像して微笑む。

『それは良かったです。
我々も手放しで喜びたい……ところなんですが』

だが、てっきり皆が喜んでくれると思っていた拓也に対し、イワンの声は語尾が濁る。

「?
何かあったのか?」

何を言いよどんでいるのか?
拓也は首をひねりながら無線機に向かって問いかけると、無線機の向こうから言い難そうにイワンが説明を始めた。

『はい。
社長が出発された後、無線機を宿に設置して沖合の船と連絡が取れたのですが……』

「何だ?一体どうした?」

『船からの連絡によりますと、副社長と一緒にツィリコ大佐が明後日にはこちらに向けて発つそうです』

「エレナと大佐が?!
何で?
というか、なんで大佐がこっちの場所を知ってる?」

拓也は驚いた。
国後で待っていると言っていたエレナは兎も角、なんでツィリコ大佐まで来るんだ?
そもそも今回の渡航は、行政指導も覚悟の上で、極秘の密航だったのになぜ知っている?
拓也は何処から情報が漏れたんだと、頭を抱えていると、拓也の後ろに立っているエドワルドがポリポリと頬を掛けながら拓也に声を掛けた。

「あぁ…… それについてはな
最近、お前も忘れてるかもしれないが、俺たちの所属は内務省警察だ。
お前がいくら政府に隠し事をしても、内務省警察には筒抜けだからな。
それをどう扱うかは上司次第だが」

「……なるほど。
エドワルド達、ロシア人組はそっちの人たちだったよね。
最近は只の天下り顧問的な存在くらいにしか意識してなかったわ……」

拓也は行動を共にするロシア人達の頼もしさと信頼から自分の仲間の様に扱っていたため忘れていたが、そもそもエドワルドはステパーシンから放たれたお目付け役である。
拓也は何やら少し裏切られたような気分になるとともに、自分の浅はかさに肩を落とす。

「そういう所がお前の抜けてる所だ」

「あぁ うん。反論できない……
まぁ、それで大佐は何がしたいの?
というか、どこまで報告したの?」

拓也は、意気消沈つつも無線機を手に取って大佐の目的をイワンに尋ねる。

『表向きは民間調査隊の視察です。
あと、報告はバトゥーミの現状くらいまでですね。
我々は宿から出てないので、ギンカさんに聞いた情報位しか持ち合わせがありませんが』

「視察ね……
でも、それって現地まで来て大佐のやる事?
仮にも外地なんだから外務省の仕事じゃないの?」

『そこら辺の説明はありませんでした』

「……人選と目的の意図が読めない。
大佐が動くって事はステパーシンのオッサンが裏に居ると見て間違いないと思うけど、彼らは一体なにがしたいの?」

『さぁ?そこまでは何とも……』

おかしい。
質問の度に拓也の中に生まれた疑念は膨れ上がる。
バトゥーミの現状を知っているなら、サルカヴェロとの接触があるかもしれない。
ならば、外務省から正式に役人の派遣があってもいいはずだ。
なぜ大佐なのであろうか?
しかも視察と言う明らかにダミーの建前まで背負って?
考えれば考えるほど、そんな想像が拓也の頭の中を渦巻き始めたのだった。
















一方その頃



サルカヴェロ第5軍
バトゥーミ司令部

それは、占領したバトゥーミの街で、かつてこの町最大の名主が所有していた邸宅だった。
かつては多数の使用人を雇い、贅を尽くした屋敷であったが、現在はサルカヴェロ軍の司令部として接収されている。
そんな邸宅の一室、接収前は名主の部屋として使われていた一室に二人の男が地図を眺めていた。
それはサルカヴェロの基幹民族である巨人族の司令官と小人族の副司令の二人。
背丈にして3倍はありそうな二人だが、身長差や階級差など無いかのように対等に話をしている。
というのもサルカヴェロというのは多民族国家であるが、国家の基幹はこの二つの民族であり
軍団の司令官は軍団中の両民族のトップが交代で務めることになっている。
かつては両頭体制もとられていた時があったと言うが、運用上の問題で今の形になったという訳だ。
そんな彼らが地図を睨みながら今後の侵攻経路について話し合っていると、部屋の入口にある大扉からノックが聞こえた。

「司令。報告がございます」

「入れ」

ノックを聞いて小人族の副指令がドアの向こうにいる兵士に室内に入るように言うと
伝令の兵士は、室内に少し入った所で礼の姿勢を取る。

「どうした?」

「報告です。
市内の制圧は完了しました。
抵抗等は全くありません」

それは予定通りの作業が完了したという報告。
全ては予想の範疇で推移していた。

「それはそうだな。
ココの連中は、後続の部隊を知ってるからな。
サテュマ人の兵団など、奴らにとってみれば悪夢でしかないだろ」

「我らが支配部族となったとはいえ、サテュマ人の好戦性は我々ですら手を焼いたからな。
彼らが恐れるのも無理はない」

副司令の言葉にゼントラディの指令も頷きながらサテュマ人の恐ろしさを思い出す。
彼等を従えたのは数年前。
新式の装備で固めた軍団で彼等と支配地域を争ったのだが、その抵抗は言葉で言い尽くせないほど激しい物だった。
物量、質ともに勝っていたはずなのに、全くもってその戦列が抜けない。
むしろ、古代に滅びた部族の精神と文化を継承したというその人狼共は負け戦であることを感じさせないほどに猛っていた。
包囲殲滅しようとしたはずが、正面突破で此方の本陣に突撃をかけてくること数回。
その後の撤退戦でも、少数の味方自体を罠として使う事で最後まで補足されること無く逃げて行った。
他の部族との戦いでは、圧倒的な勝利を収めていたサルカヴェロ軍であったが予想外の苦戦にサテュマ人の戦闘民族としての真価を知ったのだった。
その後、その国力差から最終的な勝利は無理と判断したサテュマ人は、所領安堵と引き換えに降伏。
今ではサルカヴェロの手で近代化し、その先兵として働いている。
そんな彼らの名声は中々のモノで、バトゥーミ以外にも彼らの名前を聞いただけで降伏した部族は少なくなかった。

「それで?報告はそれだけか?」

「いえ、報告はもう一つあるのです」

「何だ?言ってみろ」

「奴隷市場の商人からのタレこみですが、この町に我々以外にも青髪を探している奴がいると……」

青髪と言う単語を聞いて二人の纏う雰囲気ががらりと変わる。

「なんだと?
詳しい話を聞かせろ」

「いえ、それが人族の男が知り合いを探していると言って、青髪を扱っているかどうか聞いてきたそうです。
どうやらその男は、我々も青髪を追っている事を知らないらしかったのですが、何やら青髪に関係している雰囲気だったそうです」

青髪……
それはサルカヴェロ人なら忘れる事の出来ない忌むべき存在。
軍としてもその動向の把握は、何よりも優先順位の高いものであった。

「それで…… その男は今どこに?
捕縛したのか?」

青髪に繋がる物なら、何が何でも捕えなければならない。
司令は伝令に捕縛したかどうか尋ねるが、それに対して伝令は首を横に振る。

「それが、商人も青髪の名を聞いた途端に追い返したらしく、捕まえてはおりません」

なんでもその商人は、サルカヴェロが青髪の痕跡を追っている事は知っていたが、その重要性を正しく認識していなかったそうだ。
まぁ 制圧したばかりの街で、サルカヴェロの考え方を理解しろと言うのは酷だというものだ。
ならば、今はその青髪に関係あるかもしれないという男の行方を追う事に専念しようと司令は心に決める。

「……その男、何か知ってそうだな。
今すぐに、その男を見たという商人を連れてこい。
詳しい特徴を聞きだし、全市に手配書を回せ。
絶対にこの町から出すなよ」

「は!」

室内に響く短い返答と共に伝令はそのまま部屋から出て行く、そうして二人残った室内で
副指令と司令はテーブルに置かれた酒を一口飲みながら目を合わせる。

「……まだ残っていたか。
もう、全て刈り取ったと思ったのだがな……」

「一体、どこに逃げていたのかは知らんが、是非ともここで捕まえたいものだ」




[29737] 幕間 蠢動する国後
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:26
東方にて拓也達が盗賊たちと交渉を始めようかとしている頃
北海道連邦の内部でも異なる勢力同士の意見の応酬が続いていた。


国後島
ユジノクリリスク
自治区役所

ここは、転移後に南クリルが北海道との完全な統合までは自治区として存続することが決まった為に作られた真新しい庁舎。
そんな新築の建物の中にあるテレビ会議室に、ロシア側のトップであるステパーシンの姿はあった。
彼がモニター越しに参加しているのは、北海道連邦の立法機関である道議会である。
情報化の進んだ北海道では、議会の電子参加は認められている。
(コレについては忙しくても議会に出ろという議員に対する議会からの圧力のようなものだが)
そんな訳で、所用で国後を訪れていたステパーシンは、内務相としてやや不機嫌そうにモニターの中の人物の言葉に耳を傾けていた。
モニターに映る場所は北海道連邦の議会が置かれている旧道議会場。
そして現在、モニターの中心には一人の人物が映し出されている。

「……以上の事から、大統領と与党の推し進める移民政策には問題しかない!」

一院制を採用している北海道連邦の議会の場にて、質問壇の上でカメラを意識したオーバーアクションで一人の男が声高に叫んでいる。
議会は、与党側からとぶヤジと野党側からの喝采の中、今日も大いに盛り上がっていた。
そんな白熱の中心、質問壇に立つ男は野党党首の鳩沢直一郎。
今最も議会で勢いのある男だった。

「いくら労働人口が足らないと言えど、移民の流入は道民の仕事を奪い、治安悪化に繋がる!
それに加え、政府は道内で栽培されている遺伝子組み換え作物の種子をエルヴィス側に輸出しようとしているそうだが
それは、将来的に道内の農業経営者を圧迫する事に繋がると思わざるを得ない。
この事について、与党としてどう考えているのかお尋ねしたい」

鳩沢の質問に辟易としながら議長に名前を呼ばれた経済省の大臣が答弁に立つ。
だが、鳩沢を含め野党の人間の目は彼にはいっていない。
彼らが見詰めているのは、議会での答弁こそ出来ないものの低下する支持率回復と与党支援の為、一般教書演説に訪れた高木大統領に向けられていた。
質問の回答こそ大臣が行うが、お前に向かっていっているんだぞとその目で語っているのだ。

「え~、先ほどの質問についてですが、移民の導入は道内事情を考えれば不可避なものです。
現在、転移の際に坑道が無くなり資源の復活した道内各所の鉱山で主に働くのは、道民ではなく難民として渡って来たドワーフたちです。
更に現在、道東で試験的に農業分野等へ他の亜人達を導入していますが、これらについても結果は満足のいくものとなっております。
逆に、彼らを全く使わなくなった場合、資源の供給で支障が出る恐れがあります。
現に、道内の木材資源は需要に対して林業従業者が圧倒的に足らず、輸入木材が途絶えた今では建築業に支障が出ています。
これからは、第一次産業等を中心に積極的に産業の組織化・効率化と移民の導入が不可欠と政府は予測しております。
そして、それに伴い先の騒乱で被害を受けた礼文島に建設中の大規模研修施設が落成間近です。
これによって、北海道に移民としてくる労働者は、全員がここで文化や道徳についての研修を受けることになりますので、治安の悪化も心配されるほど問題にはなりません」

そう言って大臣は鳩沢の質問に返答するが、カリスマ性の欠如からだろうか
映像で見る彼の姿には、どうにも覇気が感じられない。
それに対して、質問に立つ鳩沢の姿は堂々たるものだった。

「大臣はその様に言うが、労働力の不足はロボット工場の完全稼動後は問題にならなくなるのではないか?
ならば、移民など導入する理由も無くなる。
むしろ、受け入れた移民がそのまま犯罪予備軍になる可能性を考慮しているのか?
それに、現在、政府は被災した礼文島の船泊地区を復興ではなく、移民受け入れの為の出島として大規模に造成しているが、これは被害者を愚弄する行為ではないのか?
政府は国民よりも移民を優遇しようとしている声もあるが、これについて引き続き大臣にお尋ねしたい!」

「……えー、ご指摘のありましたロボット工場についてですが、現在は資源不足が原因での操業停止ですので
労働力の補充に大々的にロボットを導入することは出来ません。
よって移民の導入は不可避ですが、党首の仰られた様な移民の優遇というのは事実無根です。
それと、被災住民に関してですが、大規模造成に関して十分な補償金と被災見舞金をお支払いしておりますので
特に問題は発生しておりません」

「それは札束で被災者を懐柔しただけではないのか?
政府は感知しないと言っているが、私のところには一部住人から生活の為に金は受け取ったが、政府のやり方は強引だったという内容の投書が届いている。
住民からそう言った声があることに、政府としてどうもっているのか?」

「えー、その様な事実は確認しておりません。
政府としては誠心誠意対応させていただきます」

つづけさまに投げかけられる質問に、大臣はハゲた頭に浮かぶ汗を拭う。
投げかけられた質問に対しては、問題なく解答出来てはいる。
鳩沢はロボットで労働力を補えばいいと言うが、現在、道内では電子部品の自給が完全ではない。
転移前に電子部品の製造設備を移設したりもしたが、細かい部品については間に合わなかったモノも多いのだ。
例えば電子部品の中のコンデンサ。
更にその中の電解液を作る設備が無いだけで、連鎖的にそれを必要とするすべての生産ラインが止まってしまう。
そのような感じで、道内産業の中でも電子製品の復興は遅れ気味であり、必然的にロボット工場は設備があっても生産は出来ずにいた。
その事を大臣は簡潔に説明するが、どうにもやりにくいという意識が彼の中にはあった。
どうにも勢いのある人物と議論を行うと、その圧迫感からか脂汗が止まらないのだ。


「それは政府の確認が不十分だからではないのか?
今後、この問題についてはキッチリ追求させていただく。
続きまして2つ目の質問ですが、知的財産の保護という概念も無い世界に、遺伝子組み換えの高収量作物種子を輸出するとは如何なる検討を持って決めたのか説明していただきたい。
これについては農業事業者の一部から不安の声が出ているのはご存知でしょうか?」

「えー、党首の心配にもある通り、この世界は知的財産の保護と言う概念はありません。
ですが、だからと言って輸出を禁止していても、過去に中国や韓国で日本で品種改良された農産物が無断で栽培されていたように、交流を続けていれば漏れ出て行くのは必然でしょう。
そこで、政府としてはF1品種……簡単に説明しますと一代雑種ですね。
F1品種とそれ以外の従来作物にもは遺伝子操作で因子を組み込み、一代限りで次代の種子を巻いても発芽しない種子を大々的に輸出します。
そして、これらの種子を導入した国々では緑の革命によって大幅に食糧生産が増加するため、各国も我が国に依存を強めるでしょう。
生物学的なコピーガードによる知的財産の保護と食の安全保障の二本立てによって我々の利益は守られると政府は推測しています」

「ですが、農産物の増産は食糧価格の低下を引き起こして道産の農産物の競争能力を奪うのではないですか?
安全保障まで絡めて考えておられるのならば、価格統制の為に種子の輸出規制を行えば、石油を絶たれた戦前の日本の様に戦争に走るかもしれない。
そこのところを大臣としては如何お考えでしょうか?」

「それについては、政府として種子の輸出規制は考えておりません。
では、どうやって北海道農業を保護するのか順を追って説明いたします。
遺伝子組換作物の使用は、旧世界でのインドなどの例が示す通り、緑の革命が起った国々では食糧価格の低下により農民が困窮します。
それも一時的な価格低下ではなく恒常的な低下なので、農民は収入を維持するために増産を維持しなければなりません。
生産調整という統制と無縁の世界ですから、薄利多売で収入を確保しなければならないわけです。
そして、そんな周辺国家の農民の困窮は我々にとってはチャンスになります。
現在の北海道農業は、TPP加盟移行効率化の流れが加速していましたが、転移による物資・生産統制以降は組織化も急速に進みました。
そしてそれらの事業者には、政府の援助の下で他国の困窮した荘園等の農地を買い取り、海外進出を推し進めて頂きます。
例え、道産品の競争力が落ちても経営母体が耐えられるだけのリスク分散ですね。
経営母体の体力が付けば多少割高になろうと、一定の食料自給率は確保できると試算していま…………ブッ」







モニターの向こうでは議会での大臣の説明はまだまだ続くようであったが、それを気にすることも無くステパーシンは映像の音声を切る。
今日の議会では自分への質問は予定されていないし、この調子なら予定された質問に党内の見解を応えるだけだろう。
ならば、いつまでも見続けていてもしょうがない。
どうせ、電子参加といっても此方から向うに映像を送るのは答弁の時だけで十分である。
それ以外の時は、別に話を聞いていなくたって問題はないと彼は考えたのだ。
なぜなら、今日、彼の関心事は他にある。
特に自分に関わる質疑の無い議会よりも、目の前の面々との会談の方が彼には重要だったのだ。
現在、ステパーシンの前には、彼を囲むように10名弱の人間が円卓に座っている。
老若男女そして様々な人種が座っているが、一つだけ彼らに共通する特徴をあげるとすれば、それは日本人は一人もいないと言うことだった。
そして、そのメンバー中の一人。
杖を持って椅子に座る白人の老紳士が、一緒に見ていた議会の様子に溜息混じりに感想をもらした。

「ふむ。あの大臣は仕事ぶりはまともだが、答弁に覇気が無いな。
この調子では次の選挙や大統領選で与党は危ういぞ」

やれやれといった口調で彼はメンバーを見渡しながら軽く言ってのけるが、
同じ室内で議会の様子を見ていた他のメンバー達の表情には、その彼ほどの余裕はない。
むしろ眉を顰めながら一様に苦い顔をしており、会議室内には不穏な空気が流れていた。

「このまま与党が負けるようなことが有れば、我々の立場が不透明になる。
それだけは絶対に避けねばならん」

重苦しい空気の中、ステパーシンの横に座るアジア系の男がポツリと呟く。
この流れは不味いと……
そしてそれは、この場に集まった皆の総意でもあり、彼らが纏める集団の統一見解でもあった。

彼の言う"我々"
それは、この場に集まったメンバーの出自を見れば、それが何であるかは簡単に説明できる。
ここに集まった彼らは、背負っている背景は違えど、転移に巻き込まれた外国人コミュニティーのトップ達であった。
転移後しばらくして、混乱の収まった北海道では生活基盤を持たない外国人達の多数の為の住宅等がユジノクリリスクに整備されることに決まった。
転移の起った8月は旅行シーズンという事もあり、転移に巻き込まれた海外からの観光客の合計は10万人を超える。
そんな地方都市に匹敵する人口を道内で受け入れれば、元の住民との軋轢が発生することは目に見えていた。
どこで彼らの面倒を見るか。
検討に検討を重ねた結果、選ばれたのは国後島、ユジノクリリスクであった。
ロシア系都市の中心として今後の成長が見込まれ、なおかつ開発途上の為に都市計画が立てやすい。
なによりも人口希薄地域だったため、それを増強する意味でステパーシンの推薦があったのが決め手となった。
もとよりロシアは多民族国家。
異民族に対して扱いは、日本人よりは心得があった。
今では国籍別では最大勢力の現地ロシア人が、他の外国人や道内企業らと協力して新たな新天地を国後島に築き始め、国後と択捉の二島は内部から劇的な変化を始めていたのだった。
そんな外国人コミュニティーの中でもロシア人を代表するステパーシンを筆頭に、人口比で言えば二番目に多い大量の中国人観光客や労働者を抱え込んだ中国人グループや
2千人規模ではあるが、政府に接収されたアルカディア・オブ・ザ・シーズの富裕層乗客グループ、そして国別の外国人グループの代表たちがこの会議には出席している。
集まった彼らが議題に上げているのは、自分達の今後の事。
要約すれば、人口比で圧倒的マイノリティになる連邦内で、如何にして自分達の権利を主張していくかと言うことだった。
だが、開口一番に客船代表の老紳士から開かれた一言は、あまり良くない世の中の情勢。
暗くなる雰囲気の中、会議の中心であるステパーシンは、気を取り直して話を進める。

「まぁ お出で頂いた皆さんの言うとおりだ。
現在、道内での与党と大統領の支持率低下が続けば、我々の未来も危うい。
なにせ野党党首の鳩沢は、日本人中心の国造りと移民排斥を唱える右派でありポピュリストだ。
奴が大統領になった日には、我々の待遇がどうなるか分かった物ではないのは周知の事実だ」

事実は事実。
それはそれで認めなければいけない。
だが、問題はそれからどうするかという事だ。
そんな現状確認のステパーシンの言葉であったが、それに対して、それまで黙って聞いていたシンガポール出身者代表の女性が眉間に皺を寄せながら口を挟む。

「ですが、道内では物資・生産統制でホワイトカラーからやむを得ずブルーカラーになった者を中心に不満が渦巻いているのでしょう?
自分たちは廃業せざるをえなかった職を離れ、今までの経験が生かせない業種で働かざるを得なかったのに、能力の面で産業界で重用される亜人に対する嫉妬は根強いと聞きます。
そんな中でこれ以上外から移民を導入して支持率回復は大丈夫なのですか?
先の北海道西方沖航空戦の後では一時的に支持率は跳ね上がりましたが、統制経済の中ではジリジリと支持率は下落しているんでしょう?」

「だが、目立った回復要素はあまりない……
そもそも、そういった労働者の不満は現実逃避の八つ当たりに近いためどうしようもない。
転移後に観光業や道外との取引を主としていた企業が潰れるのは不可避だ。
それに、嫉妬の対象になった亜人達の職種は鉱山労働等の肉体労働が主だ。
いくら持て囃されているからって、職を失ったホワイトカラーが自分たちが嫌がる仕事に就くもの達を逆恨みするなどナンセンス極まる。
あまりに不平不満が多い者はコルホーズにでも送ってしまえばいい。
そう思うだろう?ステパーシン君」

そう言って老紳士は、シンガポール出身女性の言葉を聞いて不満がくすぶる一部道民についての不快感を表すが、
話を振られたステパーシンも苦笑いを浮かべながら彼の話を聞き流す。
不満を口にする労働者をコルホーズに叩き込む?
それが出来れば、どんなに楽な事か。
半ば真剣にステパーシンがそのような事を思っていると、話を横で聞いていたアジア系の男……中国人代表の男が、話の流れを戻そうとステパーシンのほう向かって話しかける。

「ここはやはり、我々も独自の影響力の保持を考えるべき時が来たようだな
ステパーシンさん。どこか良い相手の目星はつきましたかな?」

「ふふん。
それについては、一つ面白い所が有る。
こちらの世界でありながら、旧式ながらも火器を装備した国家なのだが」

「ほう。
それはどこですか?
というより、私としてはパイプを作るならエルヴィス公国あたりかと思っていたのですが違うのですか?」

「エルヴィスではありません。
あそこは既に連邦とズップリだ。
政権交代が有ろうと我々の提案には載らないでしょう。
それよりも面白そうなのがサルカヴェロ帝国です。
一応は政府も存在は知っていますが、公式の接触は未だ行われてはいない。
その帝国の詳細は部下が調査中ですが、もしかしたら、北海道を除いたこの世界では一番技術力があるかもしれないと現地を見た部下からの予測もある。
そこに我々独自のパイプを持つのは悪くはない」

そういってステパーシンはニッコリと笑う。
拓也達がサルカヴェロの支配地まで足を延ばしていたことについては、ラッキーだったと思っていた。
政府とは別系統で他国とのパイプを探っていた彼は、如何にして北海道側の人間に悟られぬよう手勢を派遣するかを考えていた。
この動きが表ざたになれば、分離独立の動きと見られ頼みの綱の与党にまで見限られかねない。
だが、手駒の内務省警察軍を使えば目立つし、軍を使えばどうやっても情報は政府にバレる。
そんな所に、丁度良い手駒が転がっていたのが拓也だった。
子飼いの企業が不審な動きをしているので探ってみれば、政府に黙って東方地域まで足を延ばしているのである。
彼にとってみればそれを利用しない手は無かった。

「ほう。で、その調査とはどの位で結果が出そうですか?」

「現在、民間調査団の視察を名目にツィリコ大佐を送ったので、彼の連絡待ちですね」

「大佐を送るとは思い切りったな。
政府から何も言われなかったのか?」

中国人代表の考えはもっともだ。
高級佐官を何のために東方地域に派遣するのか。
それ相応の理由が要りそうなものである。
だが、ステパーシンも抜かりはない。
それに対する立て前も同時に用意している。

「政府には、無断で大陸に渡る犯罪者の追跡をしている民間業者の視察に大佐が行った事にしている。
民間軍事会社の能力調査という名目なら、大佐が視察する名目もたつ。
それに、先方と接触した時に調査だけではなくパイプも作りたいため、しかるべき地位である大佐を送ったんだよ」

現在、北海道から大陸へ渡るのは、何も政府から正式に許可を貰った者だけではない。
内務省警察に追われて大陸に逃げた左派の過激派や、未開の大陸に技術を広めて自己顕示欲を満足したい行動力のありすぎたネット小説やラノベ読者、さらには宗教の勧誘員など
目的はさまざまだが、そういった者達が海保の目を盗んでチョロチョロと密航する事例は既に何件も報告されていた。
そんな状況下で、ステパーシンの用意した大佐派遣の建前は、その内の過激派追跡に使っている拓也達PMCの軍事能力調査というモノであった。
まぁ コレは、拓也達の密航がステパーシンに発覚後、彼の目的のために後追いで渡航のお墨付きを与えたものである。
だが、拓也達が東方地域にいることは正当になったのは間違いない。
そして、今後の軍とPMCとの連携を考慮する為、能力調査の査察に大佐を送るのである。
なんだが非常にややこしい事と思われるが、説明には一連の筋は通しておいたので、大佐派遣について政府から何も追及はなかった。
政府としてはそんな事よりも、先日の謎の霧でワクチン接種者の体に変異が起きたことに対する調査で一杯一杯なのだろう。

「まぁ それで問題が無いならこれ以上何も言わない。
だが、パイプを作る以上、最悪の想定が現実のものになった時には協力関係が築けるような間柄でなくてはならない。
そのためにも大佐にはがんばってもらわないとならないな」

「大佐が頑張るのは当然のことだ。
転移以後、マイノリティとして生きる我々は、圧倒的多数を占める日本人に対し優位な地位を確保できないでいる。
だが、各国人が受け継いできた文化や地位が、日本文化に埋没して失われる事を座視しているわけにはいかない。
我々の生存権は何が何でも確実に確保しなければならない。
全ては我々の未来に繋がっているのだ」

老紳士の言葉にステパーシンは、大佐から良い報告が来るのは当たり前だと言う様に答える。
なぜならば、彼らも彼等で余裕が無いのだ。
現在、多数を占める日本人に連邦の中枢は握られている。
このまま何もしなければ、連邦内に住むロシア人を始め外国人と呼ばれる者達の子孫は
時間と共に風化する祖先の文化を忘れ、いずれは完全に日本人と同化して生きていくことになるだろう。
国家としてみた場合は、その方が対立が無いことはこの場の皆も判っている。
だが、認められないのだ。
己が精神を構成する文化と言う名の模倣子が失われることは、転移後の世界では自国の文化が永遠に失われるのと同義だ。
ゆえに彼らは動く。
例え連邦の意思から外れていようと、己が模倣子の生存本能に従って。




[29737] 東方世界4
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:27
遺跡都市バトゥーミ

すっかり夜も更けた街の中
この町は、まるで火山のカルデラのように外輪の城壁に近づくほど標高が高くなっているため、中心から離れれば離れるほど綺麗に町が一望できる。
そんな城壁に程近く、街を見渡す景観の楽しめる傾斜地に一つの飯屋が立っていた。
普段は景色と料理を楽しむ中流から富裕層の客が訪れる店であったが、今夜、その飯屋の一室は、異様な緊迫感に包まれていた。
バトゥーミの文化では普通の飯屋では絨毯の上で食事を囲うスタイルだが、商談や地位の高い者達の会合向けに個室を備えた飯屋もある。
拓也達がここに集まった理由は、その後者の方を必要としたからであった。
テラスがあり、普段は街が見渡せる洒落た個室も、今は鎧戸が閉められ外からは中の様子は全く見えない。
そんな個室の中で、腰に大型のナイフを装備したアコニーと、後ろ手を縛られて猿轡を噛まされたタマリが拓也の後ろに控える。
そして、それに対峙するように座っているのが、盗賊の頭であるニノと頭部全体を隠すようなローブを着せられたカノエに監視役のイラクリであった。
室内には、個室を借りる際に注文した料理の数々が絨毯の上で湯気を上げるが、誰もそれに口をつけない。
なぜならば、普段なら食欲を誘う料理の上空で、両者の視線が火花を出すかのごとく衝突していたのだ。
そんな緊迫した空気の中、はじめに口を開いたのはカノエを人質に押さえるニノのほうであった。

「あたしらと取引とはいい度胸だね。
普通ならあんた達をぶっ殺して仲間を取り返すところだけど、今回は特別に取引に応じてやるよ。
有難く思うんだね」

開口一番、ニノは尊大な態度で言い放つ。
腕を組み、拓也を睨みつけるニノ。
ならず者特有のその迫力は大したものだが、残念ながら拓也はそれが虚勢によるものだと知っていた。
何せアコニーやラッツの証言から相手の力量は知っているのだ。
それに、この飯屋は拓也が指定した交渉場所。
相手が何を仕出かそうとも対応できるだけの備えはしているし、盗賊の仲間が店の周囲の何処に潜んでいるかも逐次無線で連絡を受けている。
だからだろうか、いきなり浴びせかけられたニノの威圧に、拓也は全く動じなかったしアコニーなど半ば馬鹿にしたように鼻で笑う。

「ふん、……せっかく交渉に来たのに態度のデカい雌犬ですよね。
社長、いいからコイツらぶっ殺してカノエだけ連れて帰っちゃいましょう」

その方が早いですよとアコニーは言うが、それを聞いたタマリが目を見開いて首を振る。

「!? んんん~!!」

縛られたタマリが必死に声を上げようとするが、猿轡をしているために意味のある言葉にならない。
だが、それでも彼女は、必死に上目使いで拓也を見詰め、アコニーの言葉に乗らないように訴えかけている。

「まぁ 待て、向こうに手を出さないってのも約束のうちだ。
約束が守られている限りは義理は通すさ。
向こうが交渉と言う言葉を理解できるか分からんけど」

出来れば荒事は避けたいが、舐められるのはいただけない。
交渉を優位に進める上でも、ここらで一つ、こちらが圧倒的な優位であることを示す必要がある。
そのため拓也は、ここで一つの策を仕掛けることにした。

「交渉の前に一つ確認したい事がある。
手紙にも書いた通り、ココへ来たのはお前達だけだな?
仲間は置いてきたな?」

「ふん、ああそうだよ。
ご注文どおりあたしらだけで来てやったさ」

ニノは「約束通りだよ」とこちらを睨みながら言ってくるが、拓也はその実態を知っていた。
確かにこの店に来た時は3人だけであったが、個室に入った後に店を囲うように仲間を集めていることはエドワルド達の無線で拓也は知っている。
そして、拓也はそれらの事実を分かった上で、あるアイテムをニノに投げ渡す。

「これを身に着けてみろ」

そう言って拓也がニノに渡したのは、小さな黒い石の埋め込まれたカラフルな一本の紐であった。

「なんだいこりゃ?」

ニノは見たことの無い素材で出来たその紐に、首を傾げる。
それは普通の紐のように糸をよって作ったものではなく、ただの一本の線で出来ていた。
しかもニノは革紐かと一瞬思ったが、どう見てもその紐の素材は皮由来のものとは違う。
彼女は、それが非常に特殊なシロモノだと言うことは想像できたが、それが何であるかはイメージすることが出来なかった。
そんな困惑するニノを見て、拓也は淡々とそれが何だか説明する。

「それは真実のネックレス。
もし、お前の言っていることが嘘であれば、そのネックレスが光り輝く。」

「……」

ニノの顔から表情が消える。
普通の道具ではないと言うことは、やはり魔導具。
それも心の中を見通すと言う事は、堅気に生きられない者達にとっては相性が最悪だ。
だが、それと同時にニノの心に疑念が生まれる。
火を起こす魔導具や、遠くにいる者の声を伝える魔導具は、値段は張るものの市場に存在はしている。
だが、心を読む魔導具というのは一度も見たことが無い。
稀に性欲を高ぶらせる魔導具はある事はあったが、そういったものは効果が一方的だ。
身に着けた者の精神が魔導具の作用を受けることだけである。
装備者の心を読み解くというのは、一体どのくらいの価値なのか……
そして今、恐らくとても貴重と思われる魔導具を、男はニノに投げて寄越した。
どうやって手に入れたのかは知らないが、普通、貴重な魔導具にそんな扱いをするだろうか?
もしかしたら、この男は自分をまんまとペテンにかけようとしているだけではないか?
ニノは、拓也から渡されたネックレスを手に持ちながら拓也の真意を考えていると、それを察したのか、拓也がニノの思考を中断させるように再びニノに要求する。

「そのネックレスをつけてもう一度言ってみろ。
ココへ来たのはお前達だけだな?突入用の手下は隠してないな?
もし、嘘だったと言うならすぐに引かせろ。
それが交渉の条件だ」

「……もし嫌だと言ったら?」

「その時は取引は無しだ。
交渉決裂の落とし前として、隠れ家に潜むお前の手下は皆殺しになるだろう」

拓也は氷のような目でニノに言い放つ。
もとより選択肢は無いのだと。
それに対し、ニノは殺気を込めた視線を拓也に送るが、それにも動じない拓也を見て遂に諦めた。
拓也達はニノの隠れ家に手下が潜んでいることを知っている。
だがしかし、ニノは拓也の仲間の数もバトゥーミでの拠点も掴んでいない。
このネックレスが本物であろうと無かろうと、ここで拓也を襲撃した時点で結果は同じだ。
最初の襲撃で拓也を殺せるかもしれないが、その後は報復に来る仲間の襲撃に耐えるだけ。
向こうは何時でも襲撃してくることが可能だが、こちらは打って出ることは出来ないのである。
それに拓也達の戦闘力はメリダ村の襲撃で分かっていた。
侮れる相手ではないのである。

「チッ…… しょうがないね。
イラクリ!外の連中にアジトに帰るよう伝えてきな。
こうなったら真実のネックレスだろうが奴隷の首輪だろうが着けてやるよ」

「わかった!」

ニノの命にイラクリが店から飛び出して行く。
部屋の外へ飛び出していくイラクリを見送った後、ニノは観念したようにネックレスを身につけた。

「これで、こっちは隠した手下も何も無し。
あんたの交渉の条件とやらは整ったよ」

「協力的で実に助かるよ。
それでは、取引に移るとしようか。
カノエのローブを取って顔を見せろ。
怪我などは無いだろうな?」

拓也の言葉を受け、ニノはカノエの頭をすっぽりと覆っていたローブのフードを捲る。
すると、そこには見事な青髪を持つカノエの顔がハッキリと現れる。

「んん!」

余計なことを喋らないよう盗賊に猿轡を噛ませられた姿ではあったが、拓也と視線が合った事で安堵の表情が伺える。

「ちゃんと傷一つつけずに取っておいたよ。
これなら文句は無いだろう。さっさとタマリと交換しておくれ」

ニノはカノエの無事を確認して自然と笑みが漏れた拓也を横目に、アコニーに後ろ手を捕まれたままのタマリを指さす。

「それはもちろんだ。
ただし、一つだけ約束して欲しい。
人質交換後は互いに不干渉。
どちらも手をださず、諍いは一切なしだ」

「あぁ もちろんだよ。
交換後、私達はあんたらを襲わない。異論は無いさ」

ニノは拓也の提案を受け入れる。
既に仲間を引かせた後となっては他に選択肢も無い。
もはや平和的に人質交換が行うしかないと思っているように、ニノは負けを認めたように微笑を浮かべている。
だが、当初の彼女の内心はまた違っていた。
自力でのタマリの奪取が無理ならば、下手に出つつ人質交換を終えた後に匿名でサルカヴェロ軍に通報。
自分達の思い通りに事が進み調子に乗っている拓也達に地獄を見せてやるつもりであった。
サルカヴェエロに処刑される糞生意気な目の前の男の顔が彼女の脳裏に浮かぶ。
そしてこれは、自分たちが拓也らを襲うわけではないから嘘は言っていない。
そんな想像をしながらの彼女の顔からは、ざまぁみろと言わんばかりに自然と笑みが零れていた。

「……と、本当にそう考えてるのか?
油断が過ぎるな。ネックレスが光っているぞ?」

「なんだと!?」

ニノは焦った。
確かに"サルカヴェロを使って報復する"ことは考えたが、しかしてそれは"私達はあんたらを襲うことはしない"という事には矛盾しない。
高価そうな魔道具なら、その程度の言葉のロジックを理解して反応しないものだと勝手に思っていた。
それが反応したとあっては、心の内の敵意がバレてしまった事になる。
慌てたニノは、拓也の言葉に慌てて首に下げられたネックレスを見る。

だが、首にかかったネックレスは何の変化も無い。
ここで、ニノはしてやられた事に気が付いた。

「随分な驚き様だが、内心は一体何を考えていたのやら」

「くっ……」

ニノは悔しそうに拓也を睨むが、拓也は淡々と言葉を続けた。

「まぁ 嘘をついていたのはお互い様だ。
だから、別にそっちが何を考えていたかは問い正す気は無いよ」

「なに?!」

「そもそも、それは"真実のネックレス"と言う名前じゃないんだ。
その効果はこれから分かりやすく見せてやるよ。
アコニー、テラスの扉を開けて準備してくれ」

拓也に言われるままに、アコニーはテラスに通じる扉を開ける。
そして、そこに置かれていたのは4つのメロン。
ニノの着けているネックレスが巻き付けられている以外は、平凡なバトゥーミのどこでも手に入れられるメロンであった。
拓也は怪訝な顔をしているニノを横目に、アコニーと入れ替わるようにテラスへと向かう。

「では、ちょっと驚くかもしれないが、おとなしく見ていてくれ。
まず、このネックレスの機能だが、これは勝手に外すとこうなる」

そう言って、拓也はメロンにかかっていたネックレスを放り投げる。
拓也の手を離れたネックレスは、放物線を描く様にニノの方へと投げ渡され、彼女がキャッチしたその瞬間……

バクァ!!

と言う音と共に、メロンは砕け、真っ赤な果肉が辺りに飛び散った。

「んな!?」

まるで血の様に赤い果肉が飛び散る様に、ニノは驚愕する。

「こんな具合に一定距離が離れると、身に着けていた者は死ぬことになる。
そして次、無理に破壊した場合はどうかと言うと……」

次に拓也が取り出したのは、小さな片手のナイフ。
拓也は芝居がかった仕草でネックレスにナイフを当てて切り落とす。

「……!!」

またも弾けるように砕けるメロンを見ながら、ニノは首に付けられたネックレスを握りつつ拓也を睨む。

「そして次、このネックレスの作動条件は外した時や破壊した時だけじゃない。
俺の意のままに作動させることが出来る。
こんな具合にね。3、2、1……」

バン!と、拓也が数を数えながら最後の指を折った瞬間、最後のメロンも爆発したように砕ける。

「ちなみに俺が死んだときは自動で発動するから、生き残りたければ襲撃よりも全力で俺を守った方が良い」

ふふんと勝ち誇ったような笑みを浮かべる拓也。
なんとも悪役のような立ち振る舞いをふる彼に対し、ニノは殺意を込めた視線を送る。
元々はニノがカノエを攫ったのが発端だったのだが、今ではどちらが悪人なのか。
傍目の雰囲気では、それが逆転していた。

「……あんた。とんでもない卑怯者だね」

「そりゃぁもちろん。堅気がヤクザもんと取引するのに丸腰じゃ怖いでしょ。
まぁ、こちらが安全圏まで退避したら外してやるから少々の我慢はしてもらうよ」

拓也は「当然」とばかりにニノの言葉を鼻で笑う。
そんな拓也の余裕の態度とは裏腹に、内心はビクビクであった。
何故ならば、真実のネックレス云々は全てハッタリであった。
つい先日、魔法について学んだ彼らに魔導具などと言うものの知識なんて殆ど無い。
ニノに渡したネックレスも、実際にはヘルガの私物であったネックレス型エレ○バンであり、磁気で肩こりは治すかもしれないが他に特殊な能力は一切無い。
メロンが次々に爆発したのも、実際にはテラスに出た拓也の合図で狙撃していただけである。
本当は無線式の爆弾でもあればよかったのだが、生憎そんなものの持ち合わせは無かった。
そんな訳で、拓也は魔法ならぬタネも仕掛けもあるマジックショーでニノを騙すことにしたのだった。
そして、その目論見は今のところ成功している。

「ふん。なにが堅気だい。
人の命を手玉に取っておいて、こっち以上に捻くれてるじゃないか」

「まぁ そう言うなよ。
怖がりなんでね。これくらいしないと安心できない。
別に無理やり言うこと聞かす気もないし、こっちの安全を保障させるための物だと理解して欲しい。
と、ここまで理解できたのなら、さっさと人質の交換といこうか。
いつまでもペチャクチャと世間話をするような間柄でもないだろ?」

ニノは彼我の力関係を鑑みて、色々言いたい気持ちから一発拓也を殴りたい衝動まで一切合財をグッとこらえる。
既に彼女は拓也の策に嵌っており、現状で他に手段は無いのだ。

「……しょうがないね。
悔しいけど今回はその条件を呑んでやる。
ほら、あんたも聞いてたんならさっさと向うへいきな!」

ニノは後ろに座らせていたカノエを繋ぐロープを解くと、力任せに拓也の方へ背中を押しだすが、荒くれの盗賊たちを統率できるほどのニノの筋力の前にはカノエの体など羽毛も同然であった。
急な加速度に足をとられつつ、同じく開放されたタマリと交差して拓也の元へと向かう。

「社長!」

「かーちゃん!」

カノエが開放されるのと同時に、アコニーから放り出されるタマリ。
双方が元の鞘へと納まり、拓也とニノの腕の中で彼女らは安どの表情を浮かべた。

「怪我は無いか?カノエ。
ヘルガをはじめ、皆が待ってる。
一緒に帰ろう」

拓也とアコニーはカノエの頭の先から足の先まで見回し、異常がないか確認する。

「ええ、私は大丈夫です。
特に酷い事はされませんでしたわ。
それより、教授たちやメリダ村の皆さんは?」

「そっちは心配ない。
教授たちは無事。
それにメリダ村の村人たちも怪我人はいたが大丈夫だ」

「そうですか…… 本当に良かった」

カノエは自分が攫われた後の事を聞いて胸をなでおろす。

「だけど、今回攫われている間に色々と会社として無理をしてるからな。
これからもたくさん働いてもらわなきゃならないから覚悟しろよ?
準ブラック企業のウチの会社に在籍している以上は、暫くは有給も使わせないし、退職願を出してきても受理しないからな?」

「ふふふ…
それは大変そうですね。
でも、あんまり酷いと労基署に言いつけちゃいますよ?」

カノエは拓也の冗談に頬を緩ませて笑う。
そんな微笑ましさに、誰もがこれで元通りになると思われた。

「よし、ではこれで取引は終わりだ。
そのネックレスの解除法は、俺たちが本拠に戻った後で手紙を……」

人質の交換が終り、拓也がニノにネックレスの解除法について教えようとした丁度その時、唐突に拓也の言葉がとまる。
ニノやカノエたちは何が起きたのか分からなかったが、眉間に皺を寄せる拓也と同じように、アコニーも猫耳に手を当てて何かを聞いている。

「どうしました?社長?」

急に変わった拓也の態度に、不安になったカノエはおずおずと聞く。

「……サルカヴェロの襲撃だ。
この店を包囲する気だ」

拓也の説明から間髪おかずに、店の入り口の方から悲鳴が聞こえる。
なんだこれは?
サルカヴェロの介入なんて拓也のプランには無かった。
拓也は怒気をこめてニノを睨む。

「あたいらじゃない!
今、奴らを呼び寄せても、あたいらだって逃げられなくなる」

これを仕組んだのは自分たちじゃないとニノは全力で否定する。
確かに彼女たちを見る限り、拓也達を同じように急な事態の変化に驚いているようだ。
恐らくは本当に彼女たちは関与していないのだろう。
そして、刻一刻と変化する状況を伝えてくるエドワルド達の無線連絡もそれを肯定する。
店の周囲から聞こえる発砲音。
それと同時に聞こえる悲鳴。
エドワルドからの情報では、店の包囲を解いたニノの部下が、包囲の突破口を開くために突入したらしい。
だが、人数と火器の性能は、いくら身体能力に優れる亜人の盗賊団とはいえ突破は容易ではなかった。

「くそ!一体なんなんだ!
アコニー、どうにか包囲を突破できるか!?」

「無線で聞く包囲状況からは難しそうですが、チャンスは今しかないです。
盗賊共が時間を稼いでいる間に行けば何とか……」

「よし、行くぞ!」

外の状況が分からず慌てるニノたちとは裏腹に、無線で外の状況が分かる拓也達の行動は早かった。
アコニーは最初の異変を知らせる連絡と同時に室内に隠してあったカラシニコフを取り出して準備していたし、拓也が何も言わなくても隠してあった防弾ベストをカノエに手渡していた。
拓也が行くぞと合図を送るときには脱出の準備は終わっていたのである。
ニノ達を置いてテラスから脱出しようとする拓也。
テラスから兵と屋根伝いに逃げるのは目立つ危険だあるが、既に店内にはサルカヴェロ兵が侵入し、虱潰しに内部を探索しているようだ。
逃げるならこっちしかない。
そう思って、テラスを囲う塀を乗り越えようとした正にその時だった。
勢いよく部屋の扉が開かれる。

「かーちゃん!変なのに囲まれたよ!」

突然の乱入者の正体は、店を囲んでいた盗賊たちを引き上げさせに向かったイラクリだった。
彼は仲間を引かせに行ったのだが、屋敷を急襲して来たサルカヴェロ兵を見てニノとタマリを救出に戻ってきたのだ。

「イラクリ!」

不穏な空気の中、急に開かれたドアに隠し持っていた短剣を構えるニノであったが、イラクリの姿を見て構えを解く。
それに対して、一瞬突きつけられた剣先にギョッとするイラクリであったが、ニノが構えを解くと同時に扉を閉めて拓也達のいるテラスを指差した。

「かーちゃん!とりあえず仲間に時間は稼がせてるから屋根伝いに急いで逃げるよ!
あいつらの武器が強すぎて、長くは時間稼ぎは出来ないから!」

イラクリの言葉にニノは素直に頷く。
今だ歳若い少年でありながら、母親と姉を救出するために仲間の指揮を執り単身死地に乗り込むこの勇気。
恐らく次代の盗賊を率いるのはこの子になるだろう。
ニノは危機の中でその事を悟り、どこか嬉しい気持ちになる。
とりあえず、この危機を脱出した後でたっぷり可愛がってやろう。
ニノは頭の片隅でそんな事を考えながら、テラスを見る。
イラクリが作った時間を有効活用せねば。
そう考えた彼女であったが、現実は甘くは無かった。
決死の思いで作り出したイラクリの突破口。
それが維持できた時間はあまりにも短かったのである。
そして、それは拓也達も同じだった。
イラクリが突入してきたことで、テラスの手すりを掴む手を離し、つい出入り口のほうに銃を向けてしまった。
そして乱入者の正体がイラクリと分かり危機を伝えた10秒弱の僅かな時間が、彼らの脱出を不可能にする。

ドガン!!

そんな乱暴な音と共にドアの前に立っていたイラクリの姿が消えた。
そして、代わりに姿を現したのは火薬の匂い漂うパイルバンカーのような物を持ったサルカヴェロの小人兵士。
どうやらイラクリは急に開け広げられたドアに巻き込まれ、壁とドアの間に挟まれたようだ。
だが、サルカヴェロ兵にとってそんな事は関係ない。
開いたドアから雪崩の様に部屋に入ると壁沿いに散開して全員を囲む。
そんなサルカヴェロ兵を前にニノ達は勿論の事、拓也達も脱出手段を失った。
これがアコニーだけだったら牽制射撃と持ち前の身体能力で逃げ切れただろうが、今は拓也とカノエの二人を連れている。
そんな状況で、全員が旧式とはいえ短銃で武装したサルカヴェロ兵に銃口を向けられながら逃げ切るのは無理だった。

「全員動くな!」

低い男の声と共に、兵士を引き連れた一人の小人が室内に入ってくる。
そしてその場の全員が人目で分かった。
この男がこの部隊の指揮官だと。
他の兵達が黒い忍者装束に胸甲と鉄兜を被らせたような外見の実用的な兵装をしているのに対し、その男は装飾を重要視した軍服を着ている。
それは、まるでオスマントルコのイニチェリのような煌びやかな色の布を纏った格好であった。

「この区域は完全に封鎖した。
最早逃げられないぞ。観念しろ」

男は勝ち誇った笑みを浮かべて拓也達に言い放ち、それに呼応するように周りのサルカヴェロ兵も銃口を拓也達に向けたまま包囲を縮めた。

「くそ、何なんだ一体……」

拓也は何かこの状況を打開できるものは無いかと辺りを見回すが、役に立ちそうなものなど有りはしなかった。
逆に退路として使用しようとしていた屋根の上にまでサルカヴェロ兵が上ってきた姿を見て歯軋りをする。
そして、そんな拓也を見て今まで拓也とアコニーに守られる様に立っていたカノエが、拓也の前に一歩出る。

「……サルカヴェロ正規兵です。
間違いなく、狙いは私でしょう」

確信を持って沿う告げるカノエの言葉。
彼女は拓也の知らない何かを知っていた。

「カノエ?!」

「社長には言ってませんでしたが、サルカヴェロの国内では私達一族はお尋ね者なのです」

面倒に巻き込んでごめんなさい。
カノエは小声でそう謝ると、サルカヴェロ兵に向かって更に一歩進む。

「確かに奴隷商人は青髪が何とか言っていたが……
カノエ、お前は一体……」

拓也が奴隷市場でカノエを探していた時、奴隷商人の反応は普通ではなかった。
だがしかし、サルカヴェロが軍まで派遣して捕まえに来るとは、カノエやその一族は一体何をしたのか。
拓也はカノエの背中に向けて問いかけるが、カノエは何も答えない。

「お喋りはその位にしてもらおう。
貴様らには色々と聞きたい事があるのでな。
だが、国中で探し回った青髪の生き残りが、こうも簡単に捕まるとは思わなかったぞ。
貴様らには逆に礼を言いたいくらいだ」

指揮官の男は上機嫌でそう言うと、片手で兵に合図を送り拓也達を縛り上げさせる。

「いたた!ちょっと、もうちょっと優しく扱いな!
こう見えても、あたしは乙女だよ!
……ってそれにしても、なんでこいつ等はココのことが……
されは盗賊共め、つけられてたか……」

強引に後ろ手を縛られるアコニーが、悪態をつきながらニノたちを睨む。
だが、それを見ていた指揮官の男が、盗賊に敵意を向けるアコニーに向けそれは誤解だと話しかける。

「ん?それは違うな。
我らが探っていたのはお前らの方だよ。
昼間に街の商人から青髪を探しているという妙な男の話を聞いてな。
ちょっと探りを入れてつけてみればこの通りだ。
それにしても、目立つお前らを探してるのは簡単だった。
人族の中でも彫の薄い顔の黒髪はあまり見かけないからな。
ちょっと聞き込みをするだけで、あっという間にお前に辿り着いたよ。
だが、それにしても本当に青髪がいるのは驚いたな。
国を挙げて何年も狩り出したから、まさか本当に生き居残りが居るとは思わなかった。
こいつの他に仲間が居るかもしれないからな。
他の青髪の居所や、貴様らが何者かについては宿営地に帰ってからゆっくり聞き出すことにしよう」

そう言って指揮官の男はニヤリと笑うと、部下に拓也達を連行するようにと合図を送る。
乱暴に彼らを引きずるように連れて行く彼らだが、その流れに歯向かう様にカノエは一人歩みを止めて男に向き直る。

「待ってください!」

「ん?なんだ悪魔の化身め」

まるで虫けらを見るような侮蔑した目で男はカノエの言葉に耳を貸す。

「その人たちに手を出さないでください。
貴方達もココで私とヘタに揉めて、エルフ達とゴタゴタを起こしたくないでしょう?」

捕まった身でありながら、自分が優位であるかのようなカノエの言葉。
その言葉を聞いた指揮官の男は、しばし真面目な顔つきで何かを考えた後、顎を使って配下の兵に指示を出す。

「……ふん、連れて行け」

彼は不本意そうな顔をしてそれ以上何も言わない。
言葉にはしなくても、それがカノエの要求が受け入れられたと表すモノだと拓也達は表情から察する。

「カノエ…… お前は一体何者なんだ?
それにエルフって……」

一国からお尋ねものになっているだけでは事足らず、更に彼女の口から出たエルフやら何やらという言葉に拓也は困惑を隠せない。
彼女は一体何者なのか。
拓也はカノエに問いかけるが、それに対しカノエは困った表情をしたまま拓也に頭を下げた。

「すいません社長。
今はまだ説明できません。
もしも、話すべき時が来たら……全てお話します」

そうして、カノエは口をつぐみ、先導するサルカヴェロ兵の後に続く。
そのまま彼女は、サルカヴェロの宿営地まで連行される間、一言も言葉を発することは無かった。




[29737] 東方世界5
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:27
拓也達が捕らわれたのとほぼ同時刻。
拓也達から少々離れた廃屋の屋上にエドワルド達は居た。

「社長達が囲まれました。
ど、どうしましょう?」

ロシア製の狙撃銃であるドラグノフのスコープ越しに拓也達が捕らわれるのを見て、明らかに動揺した声色でラッツはエドワルドに尋ねる。
日々の厳しい訓練によって戦闘技能だけは海綿のように吸収した彼であったが、いかんせん経験が浅い。
突発的な緊急事態に対し、平常心を保つのは未だ無理であった。

「あー あれは駄目だな。
下手に動くと捕まった奴らが逆にヤバイ。
ありゃ昼間見たサルカヴェロの正規兵だろ。
あんだけの火器を持った兵に囲まれてたら分が悪すぎる。
今出て行くよりも、隙を見て救出の機会を待つべきだな」

「えぇ!?
それじゃ社長達にもしものことがあったらどうするんです?」

「その時は、拓也の嫁かステパーシンの息子が会社を切り盛りすればいい。
我々の組織としては、さほどの違いはない」

「そんな……」

あまりにもドライなエドワルドの言葉に、愕然とするラッツ。
エドワルドは所詮外部から監視のために派遣されてきた雇われの身。
正社員であるラッツとは違うのだ。
ラッツはエドワルドの言葉に互いの立ち位置が異なる事を再認識し、ここでエドワルドが動かないのであれば自分たちだけで何とか出来ないかと思考を巡らせる。
だが、そんな彼の思考もエドワルドにとっては御見通しだったらしく、彼は射撃姿勢で寝そべるラッツの頭を軽くたたき、言葉を続けた。

「まぁ それは最悪の時だ。
取りあえず救出のプランを立てるぞ。
さすがに100人近い銃兵に10名弱で突っ込んだら、少なくない犠牲が出る。
奴らの動きを見ただろ?
まるで、特殊部隊か何かの様な突入から、目標拘束までの迅速さ。
武器がマスケットみたいな短銃の癖して、アンバランスな技量だ。
今突入しての奪還は不可能ではないが、お前たちの技量と敵の動きからして損害は不可避。
それも目標の安否も含めての話だ。
上はどう思っているかは知らんが、俺は拓也達や折角育てた後進共を無駄に失いたくないのでな。
見捨てることはしないが、拓也には少しの間は我慢してもらおう」

「エドワルドさん……」

「それに、もし勝手に突撃して拓也に何かあった場合、お前は奴の嫁に殺されるぞ?
あのおっかない奴の嫁は、明日の昼にはツィリコ大佐を連れてこちらに着くんだからな」

エドワルドは冗談めかして彼に言うが、ラッツはエドワルドの話を聞いて思わず身震いする。
拓也の嫁にして、警備事業部の部長でもあるエレナ。
彼女とは事業部立ち上げの際に一緒に訓練をしていたが、なんというべきか、天性の才というものをラッツは感じていた。
ロシアでの大学時代に軍事教練を受けただけとは思えぬ動きに、魔法があり身体能力で勝っているはずの亜人達が翻弄されることも多々あった。
そして、感情的になったら止まらない傾向にある彼女が本気で怒った時……
もし、その原因が自分だったら……
まず間違いなく、ラッツは一人の社員からその日のスープの具材へと変貌しているだろう。

「……分かりました。
皆には機を見て救出すると伝えましょう。
今は、社長達に耐えてもらうしかないですね」

そう言うとラッツは再びスコープを除く。
そこには縛られて連行される拓也達の姿があった。
そんな姿を見て、今彼に出来る事は彼らの無事を祈る事だけであった。








飯屋での捕り物から二時間後

サルカヴェロ 第五軍 バトゥーミ司令部

サルカヴェロ軍による拓也達の捕縛から程なくして、襲撃の指揮に当たっていた小人族の指揮官は、司令部として接収した建物へと戻ってきていた。
なにせ青髪を捕らえたのである。
帝都の元老院から表彰されそうな功績であった。
彼は意気揚々と司令部へと戻ってくると、待機していた巨人族の司令官に結果を報告し、今後の日程について話始めた。
出来ることならサッサと報告を終えて、青髪捕縛の報告書の作成にかかりたい。
何せ事が事だ。もしかしたら自分の報告書は元老院まで上がるかもしれない。
ならばこそ推敲に推敲を重ねて完璧を期したいし、それに青髪を帝都へ移送しようとなると色々と準備が必要なのだ。
出来るだけ威風堂々と帝都に戻りたい。
自分や部下の装備はきちんと修繕しておきたいと彼は思っていた。
だが、そんな彼の目論見は、巨人の司令官の一言により脆くも崩れ去ることになる。

「じっくり準備したい気持ちは分かるが、時間が無いな。
報告によればサトゥマ人の第二師団の到着は明後日になる」

大きな椅子に腰掛けペンを片手にそう告げる司令官の言葉に、彼の表情が固まる。

「な?!……それは、予定より2日も早い」

「連中は戦がしたくてウズウズしているんだ。
第二師団からの伝令では、バトゥーミが陥落しているようならば、補給物資を準備してほしいと言ってきている。
いくら今回の南方平定が大遠征の為の予行演習だからって、連中、気合の入れ過ぎだな」

司令官は困ったもんだと苦笑いを浮かべるが、小人族の指揮官にしてみたら苦笑いではすまない。
この町を管理する司令官としては、短縮された準備時間で援軍を迎える物資の調達する事に頭を悩ますことになりそうだが
青髪が絡んでくると、事はマズイ事になるのだ。

「まぁ サトゥマ人は生粋の戦闘民族だから戦場を求めるのは仕方が無いでしょう。
帝国は奴らに戦場を用意してやるという条件で併合したんですから、戦が続くうちは好きなようにさせてやればいい。
でも、そうなると青髪の処遇が問題になります。
彼らの文化にはヒエモントリという罪人を使った鍛錬がある。
サトゥマ人に見つかれば、罪人だと言って生き肝を引き抜かれて食われかねんですよ。
出来れば生きたまま帝都に送りたいのですが、そうなると道中で奴らと出会わないように今夜中に送り出した方が良いですね」

「まぁ 余計な問題を回避したいなら、奴等に見せない方が懸命だな」

司令官は小人族の指揮官の言葉に同意する。
サトゥマ人は比較的新しい被征服民である。
そして、彼らはあらゆる意味で帝国内の帝国内の他部族とは価値観が違った。
例えば彼らには娯楽で罪人の生き胆を抜く文化がある。
それに気性も好戦的なため、見つかれば何らかのイザコザが起きることは想像に易かった。
仮に青髪を帝都に移送する前に問題が発生すれば、小人族の指揮官の管理能力が問われることは明らかだった。

「では、今から護送馬車の準備をさせます」

「頼んだよ」

「は!」

子気味良い返事と共に、小人の指揮官は司令部を後にする。
そして、一人残された巨人の司令官は、窓の外に広がる夜のバトゥーミを見ながら、一つ深い溜息を吐く。

「ふぅ…… それにしても、サトゥマ人か」

そう呟く彼の眉間に皺がよる。
恐らく……いや、まず間違いなく青髪以外でも何かしらのトラブルは起きるだろう。
相手は補給の為に何日かバトゥーミに滞在するはずだ。
何も起きないはずがない。

「色々と面倒になりそうだな」

彼は再度大きく溜息を吐くと、これから数日にわたって起きそうな面倒事に頭を悩ますのであった。








一晩明けて、既に拓也やカノエ達は馬車の上だった。
だが、一概に馬車の上と言っても、重要人物であるカノエとオマケである拓也達の扱いには激しい落差があった。
カノエの乗る馬車は、四方を厚板で囲まれた要人護送用と思われる4頭立ての馬車であり、その前後左右をサルカヴェロの騎兵がガッチリと監視している。
そして、その護衛の騎兵達の異質なスタイルは、見るものに大きな威圧感を与えている。
まず、身の丈3mはある巨人族の馬は、騎乗する種族に合わせて巨大な動物だった。
拓也は大陸に渡って以降、この世界では巨大な鳥に乗ったりとウマ科の動物以外も騎乗動物に使われているのを幾度も見てきたが、騎兵として彼らが最強(魔法は抜きにして)である事は一目でわかった。
まず、皮膚が馬とは違い、灰色のサイのような皮膚である。
あんな動物の騎兵突撃を受けたら小銃弾では対抗できない。
最低でも12.7mm以上の弾丸を叩きこまねばならない。
そして、そんな重防御の騎獣の上に跨る巨人族の後ろに、タンクデザントのように短銃を抱えた小人族の兵が左右2列に4人乗っている。
それはまるで、随伴歩兵を伴った戦車のような騎兵であった。
そんな騎兵がカノエの馬車の四方を囲んでいるのである。
カノエの重要性がよく分かる重警護であった。
それに引き替え、拓也やニノ達の乗る馬車は粗末な物であった。
ロバが引くオンボロな荷馬車の上に、奴隷市場から接収した木製の檻を載せただけ。
まぁ 檻自体は簡単に壊せないように強化の魔法がかけられていたが、屋根も壁も無い風通しの非常に良すぎる馬車であった。
それに加え、ボロ馬車の隊列の中の位置もなかなか酷い。
隊列の最後尾である。
本当の意味で拓也達はオマケなのだろう。
逃げたところで随伴騎兵に始末させるのは簡単だし、最終的に殺すなら家畜同然の扱いでも構わないと思っているのだろう。
そして、そんなサルカヴェロ軍の無関心さが、拓也の肉体にダメージを与えているとは彼らは知る由も無かった。

「ケツが痛い……」

当然の如くサスペンションの無いボロ馬車の振動は、何時間も胡坐をかいている拓也のケツを責め立てる。
同乗する肉感的な体つきの3人とは違い、脂肪の少ない男のケツは振動に対して脆弱であった。

「あぁ、ケツが痛い……」

この日、何度目か分からぬ拓也の呟き。
夜中にいきなり馬車に載せられ、それから十時間以上も馬車の上で揺られている拓也のケツは限界だった。

「煩いねぇ。
そんなにケツが痛いなら、寝転がってればいいだろ。
それにね。そんなにケツが痛いケツが痛いって連呼してると、終いにゃあたい等が掘ってやるよ。
あたいはノンケだって食っちゃう女だよ?
そうなれば、違う意味の痛さで今の痛さは忘れるだろうさ」

「それは…… 本気でヤメロ。
死にたくなかったら俺に触るな。
それに、横になるって言ったって、2畳の広さに4人も押し込まれてるのに、寝転がる場所なんて無いだろうが」

「狭いってんなら、あんたの手下でも肉布団にして場所を節約すればいいだろ。
それも嫌なら静かに座ってることだね」

「ぬぅ……」

拓也はニノのその一言を受けて黙るしかなかった。
確かに檻の中は狭く、一人が勝って気ままに寝転がれるほどスペースは無い。
拓也の持っている選択肢は、"我慢する"以外は最初っからないのだ。
そして、そんな拓也を見かねてか、拓也の横で体育座りをしているアコニーがフォローを入れる。

「社長。こっちじゃ馬車の乗り心地なんてこんなもんですよ。
向こうの車のシートが異常だったんです。我慢してください。
それと、肉布団はエレナさんが怖いので遠慮させてもらいます」

そう言ってアコニーは顔の前でバッテンを作ると「駄目ですよ」と念を入れてくる。

「衆人環視の中、そんな事お願いしないから。
というか、こうガタガタ揺れる板間の上に何時間も座っていると、慣れない人間にはきついんだよ」

その言葉の通り、檻の中の人間で、馬車に乗り慣れていないのは拓也だけ。
機械文明の北海道では、車両と言えばどんな粗末な物でもシートが付いていたし、サスも付いていた。
そんな贅沢な物にしか乗った事しかない拓也にとって、馬車というモノは快適とは程遠い代物であった。
それに対して他の皆はと言うと、アコニーは北海道に染まってきたと言っても元はこちらの農村の娘。
収穫物の運搬等で時々乗る機会はあったし、他の二人は盗賊として奪った馬車を日常的に乗り回していた口である。
だからだろうか、最初は拓也を不憫に思っていたアコニーも、何時間もケツが痛いと聞かされている内に拓也への同情心は薄れ、心の内に言葉が浮かぶ。

"さっさと慣れろ"と……

暫くすると、アコニーは拓也の事は半ば無視して、カノエのいる馬車を見ながらポツリと呟く。

「カノエは大丈夫かなぁ」

「……姿が確認できないのは心配だけど、きっと大丈夫だ。
奴等はカノエがエルフ云々って言った途端に大人しくなったし、何か迂闊に手を出せない弱みでも握ってるのかもしれない。
それなら、これからある尋問だか裁判だかまでは殺されないんじゃないか」

アコニーの独り言に、それを聞いていた拓也が横から声を掛ける。
まぁもっとも、ケツをモジモジさせたままだが……

「殺されるって……
社長。乙女にはですね、死の一段階前にも色々な危険があるんですよ。
特にカノエなんか何時襲われたっておかしくないのに……」

そういってアコニーはその身を抱く。
カノエがレイプされないかどうかが心配なのだろう。
そして、そんなアコニーの心配に対して、祈る以外に方法が無いのも事実だった。

「そこはカノエの交渉術に期待するしかない。
一体、どんな持ち札があるのかは知らないが、捕虜の虐待を止めさせる程度には影響力はあるんだろう?
ってか、そもそもサルカヴェロを怯ますエルフって何だよ。
森の妖精さん的な立ち位置なのかエロフ的立ち位置なのか、こっちの世界のエルフについてちょっと説明してくれ」

拓也達にとって、カノエの話は断片的な情報が多すぎた。
その上、この世界に明るくない拓也にとってみれば、彼女の言葉を纏めようにもバックボーンたるこの世界の常識が足りなさすぎる。
拓也は少しでもこの世界の知識を得ようと、カノエの言っていたエルフが何なのかアコニーに尋ねた。

「えー……
あたしも詳しくは…… 北海道に来る前は、ただの村娘だったし……」

だが、拓也の質問をぶつけられたアコニーは只困惑するばかりである。
亜人の農村にまともな教育機関があるわけでもなく、教育と言えば村の老人たちが相手であった。
そんなアコニーに実生活に全くかかわりのない種族の事を尋ねても、詳しい話など聞けないのは当たり前であった。
アコニーは質問に答えられずにオドオドするばかり。
そして、そんな不毛な空気が辺りに流れると、見てらんないとばかりに胡坐をかいたニノが拓也の方に向き直る。

「仕方ないね。あたしが説明してやるよ」

そう言ってニノは、自ら説明を買って出る。
まぁ 脳筋だらけの盗賊の部下達の中に、外から得た情報を分かりやすく伝えるのも彼女の役割だったのだろう。
ニノにとって見れば、何て事の無い事柄で頭を抱える拓也に対して、いつも部下相手にやっているが如くココは自分の出番かと思ったのであった。
そんなニノを見て、タマリは拍手をしながら場を盛り上げる。

「流石かーちゃん!博識だね!
馬鹿猫とは偉い違いだ」

「なにおう!?」

タマリの余計な一言に対し、グルル……と喉を鳴らして威嚇するアコニー。
彼女らは、いつもの調子でタマリが煽り、アコニーが反応すると言うパターンを繰り返しているが、拓也としては毎回そんなのまともに付き合う気は更々無い。

「はいはい。
狭い馬車でじゃれあわなくて良いから。
じゃぁちょっと、……ニノだったけ?説明頼む」

「ふん。しょうがないね。
でも、あたしの知っているのは概要だけで、あの娘との関係は知らないよ?
それでもいいね?」

「それでかまわない」

詳細が分からなくても、何も知らないのと概要だけでも知っているのは大違いだ。
拓也はニノの前置きを了承し、姿勢を正して説明をお願いした。

「そうだね。
どこから語ろうか迷うけど、なんなら最初っから説明しようか。
……そもそもエルフってのは、神話にもあるとおり神の尖兵としてこの世に生まれたって話だ。
南方大陸に溢れた悪魔を退治するのに神と人間と協力して戦ったって話だね。
このくらいは知ってるだろ?」

「いいや」

ニノは知ってて当然の如き口調で拓也に聞くが、アウェーで活動する拓也にとって地元民の伝承など知る由も無い。
そんな拓也にニノは少し驚いた顔をしつつも、話を続けた。

「なんだい?
このくらいは子供でも知ってるお話だと思ったんだけど、おかしな奴だね。
まぁいい、話を続けるよ。
神と悪魔の戦いの後、世界は平和を保っている。
だが、これは表面だけだ。
南方大陸は今でも戦線が構築されているからね。
長い戦と気候のせいで荒野と化したあの大陸で、奴等はずっと戦ってるんだ。
その証拠に、私達が攫って売り払う奴隷の殆どは戦奴として南方大陸へ行く。
それも毎年、大量に船で渡るが誰一人として帰ってはこないよ。
戦線の状況なんてあたし達まで届きはしないが、この事実だけで戦いが続いているってのは分かる。
そして、そんな地獄でエルフ達は何百年も生きているんだ。
噂では、奴等は子供が生まれない代わりに不老で、長い戦いの中で人間性は擦り切れちまってるそうだよ。
エルフってのは、そんな化け物みたいな奴等さ」

ニノの説明に拓也は驚きを禁じ得ない。
全てをそのまま信じることは出来ないが、そんな戦闘機械のような種族がいる事自体が、まさにファンタジーだった。

「ほ~……
なんだが、想像を絶する所だな。
それに一代限りの不老ね……
それって本当に生物?ロボットじゃないよね?」

「なんだい?そのロボットってのは?
あんたの言うロボットとかいうのが何かは知らないが、世間一般に言われているエルフってのはこんな感じさ」

「エルフって戦争とか嫌いそうなイメージだけど、こっちじゃそうでもないんだな。
それで、そのエルフは毎年人間を補充しているそうだけど、何か対価はくれるの?
無償?産業とかあるの?話を聞く限りじゃ何百年も戦争している所の経済とか想像できないんだけどさ」

「無償なわけあるかい。
ちゃんと銭は頂いてるよ」

「でも、戦争ばっかしてるってのに経済は成り立つのか?
それとも何か特産でもあるのか?」

拓也はぐいっと身を乗り出してニノに尋ねる。
長期の戦争、そして毎年一定量の奴隷を購入できる購買力。
拓也はこのエルフを取り巻く状況から、とある気配を感じ取る。
紛争地帯+武器商人。
その答えは余りに簡単。
すなわちビジネスチャンスの気配である。

「なんだか金の話にばっかり気が回る奴だねぇ……
奴らの金が尽きないのは、奴等の唯一の収入がボロ儲けだからだよ」

「唯一の収入?」

「あぁ 奴等の収入源はこれさ」

そう言ってニノは、自分の首にかけられたパステルカラーのネックレスを拓也に見せる。

「エレ○バン?」

「エレキ?これはそんな名前なのかい?
まぁ 名前なんてどうでもいい。
答えは、魔導具だよ。
魔導具は、魔術師や魔法の得意な亜人がデザインした道具だけど、彼らが作っただけじゃその効果は現れない。
予め魔水晶に魔力で回路を書き込んでおき、最初の一回はエルフが特殊な魔力を注いで回路を固定するんだ。
その手数料が奴等の収入源さ。
一口に魔導具と言っても腕の立たない奴が作った代物は二、三回も使えば壊れちまう。
それでも凄腕の職人の作った魔導具は何百回使っても壊れなかったりするんだけどね。
そんなこんなで魔導具も常に一定量が壊れて新作するという循環がある限り、奴等は食いっぱぐれない。
しかも、エルフの眷属のダークエルフってやつはね、とってもがめつい商人なんだよ。
そんな奴等が配下にいる事もあって、エルフは魔導具を供給し、他の種族は戦奴を供給するって関係が成り立ってるわけさ」

「……なるほど、とりあえずエルフが羽振りがよさそうなのはよく分かった。
それにしても、盗賊なんてやってた割にはヤケに詳しいな」

「これも殆どが、盗品屋の叔父貴の受け売りさ。
身内にそんなのが居なけりゃ、知りようも無かったよ」

「なるほどね。
あのおっさんから教わったのか。
確かに裏稼業で商売しているなら、そこらへんに詳しそうな感じはするな。」

拓也はニノの情報源に納得する。
店舗を持ち奴隷の取引にも手を突っ込んでいる以上、一般人にはあまり知られていない事柄も色々と知っているんだろう。
拓也は一瞬、出会い方が違っていたら情報屋としても使えるんじゃないかと思いもしたが、今となっては過ぎた事だった。
恐らくはタマリを人質に使った事で敵対関係になっている可能性が高い。
とてもじゃないが再び訪れる気にはなれなかった。

「まぁ、そんなおっさんの話は置いといて…… 話の本題だが、そんなエルフとカノエの一族と何か関係があるのか?
そもそも、なんでカノエはサルカヴェロに終われてんだ?」

「さあ?流石にそこまで知らないよ。
どうしても知りたいってんなら御者のサルカヴェロ兵に聞いてみな。
当事者の方がよく知ってるんじゃないのかい?」

「ふむ」

ニノは、自分の持っている情報はこれで全部だと拓也に言うが、肝心な所が抜けている情報に拓也は満足できなかった。
だが、囚われの身である現状で、試しに馬車の御者を務める兵に聞く以外、そもそも手直に聞ける人間がいない。
拓也はならば一度試してみるかと、ダメもとで御者のサルカヴェロ兵の側へと移動する。

「もしもーし」

檻から手を振って御者席に座るサルカヴェロ兵に声を掛ける拓也。
その声を聞いて、うつらうつらと半ば居眠りをしながら馬の手綱を握っていた歳若い小人族の兵士は、面倒くさそうに顔を上げた。

「なんだよ?静かに座ってろ」

「いや、ちょっとお聞きしたいことがありまして」

「駄目だ駄目だ。罪人は黙って座ってろ」

面倒なことはお断りだと、先ほどまで居眠りをしていた兵士は拓也の言葉をにべも無く却下する。
だが、只の一度断られたからと言って引き下がる拓也ではない。
それならばと、拓也は言葉を変えて再度頼み込んだ。

「う~ん。
ちょっとの時間で良いんですが。
なんなら、このハイエナ親子の胸くらいなら揉みくちゃにして良いですよ」

「「な!」」

拓也は、兵士の気を引こうと冗談でそんな提案する。
見ず知らずの相手にどのような方法でお願いするか少々迷ったが、相手の細かな挙動からエロ話でのネタふりでも問題ないと拓也は思った。
何故ならば、ここにいる小さな兵士は、ホビットかポークルみたいに子供ように小さい背格好の小人族の中でも特に童顔な風体である。
それも、外見だけじゃなく仕草からも察するに、実際に若い少年兵か何かなのだろう。
お年頃のこの兵士は、恐らくはそういった事に興味津々なはず。
その証拠に、拓也達が檻に入れられる時に、彼は女性3人の持つ巨砲が上下に揺れ動くのを顔を赤くしながらも凝視していたのを拓也は見ていた。
だが、興味津々なDT小僧とは言っても今は任務中。
常識で考えれば他の兵士が大勢居る中でアホな行動は出来ないし、軽い冗談と受け取るだろうと拓也は思っていた。
提案を断られても、話のキッカケさえ掴めればそこから話が弾んで色々と教えてくれることもあるかもしれない。
というか、拓也の狙いはそちらであった。
それでも、仮に兵士が本気で食いついて来た時は、ニノとタマリには悪いが少しの間我慢してもらおう。
別に減るもんじゃないし、自分の仲間でもないので。
そんな拓也の提案に対し…… まぁ、外野の反応も予想通りというべきだった。
何も相談せずにそんな提案をしたために、ニノやタマリは最初は呆然としながらも次の瞬間には怒りの声を上げる。

「何言ってるんだい!」

「そうだよ!あたいの乳はあんたの物じゃないよ!」

ニノの抗議に続けてタマリが胸を隠しながら勝手なことを言うなと抗議する。
至極真っ当な反応。
だが、そんな当然と思われる反応も全員が共有するものではなかったらしい。

「あたしらが胸を揉まれる程度で我慢できるか!!やるなら最後まで行くよ!!」

「?! ……かーちゃん?!」

倫理も欠片も無い盗賊の親玉にして、フリーセックスを是としているニノ。
そんな彼女は、未だ歳若いタマリと抗議のポイントが違っていた。
やるなら最後まで満足させろというのだ。
だが、そんなニノの斜め上な回答に、拓也は上手い返しの言葉が出ない。
ニノの反応は拓也の予想外であった。
「とりあえずヤりますか?」とでも兵士に聞けば良いんだろうか。
拓也は兵士の顔色を見ながら、次にどんなアプローチをかけようか悩む。
だが、そんな拓也の心配も兵士の言葉によって杞憂に終わる。

「……で、な、何が聞きたい?」

……通った。
拓也は意外に乗り気なこの少年兵に驚いた。
しかも、声は上ずり、顔を真っ赤にして落ち着かない様子である。
このDT小僧は、このチャンスを最大限に生かそうとしているのは間違いない。
だが、思いの外簡単に情報が得られそうな感触であったが、その代償は小さくなかった。

「……社長。今、あたしの中の社長の好感度が一気に下がりました」

アコニーがジト目で拓也を見つめる。
明らかにネガティブな感情がその目から見てとれた。

「言うな。俺も最初は軽い冗談のつもりだったんだ」

そうは言ってみるものの、勝手に女性の体を代価にするマネをしてしまった事は事実。
拓也はアコニーの目を直視できず顔を背ける。
そして、そのままアコニーの視線から逃げるように兵士に話しかけた。

「聞きたいことってのは主に、自分らが捕まった理由なんですが、
向こうのゴッツイ馬車に乗せられたツレの一族って一体何をしでかしたんですか?」

「ん? あぁ、あの青髪の事?
あんたら、そんなことも知らんの?」

兵士は「何だそんな事か」と言いながら拓也の顔をマジマジと見つめる。

「詳しいことはサッパリ」

「なるほど、理由も知らずに捕まったんじゃやってられんもんね。
話しても良いけど、何から話すべきかなぁ」

そう言って兵士は首を傾げて考える。
どうやら一言では言い切れない事情があるらしい。
拓也は出来るだけ詳しく物事を聞こうと、悩んでいる兵士に要望を出してみる。

「あのー。出来れば事の背景から教えていただければ助かるんですが。
 こちらの常識やら基礎知識まで何にも知らないもので」

「なに?あんたらそんなに田舎者なの?
……まぁいいよ。帝都までは長いから。
暇つぶしに帝国の偉大さから青髪の悪党具合まで全部教えてやるよ。

…………そもそもお前達が捕まった出来事から遡る事8年。
俺はサルカヴェロの片田舎に農家の12男坊として生まれたんだ」

「いや、別にあなたの人生を聞きたかったわけじゃなく……
ていうか生れたのが8年前!?」

「ん?小人族はお前らと違って早熟なんだ。
去年やっと成人して今年から軍で働いてるんだよ。
でも、早熟な分、寿命も30年くらいしかないけどさ。
まぁ、そんな事は良いとして、帝国の偉大さは俺の人生からでも十分に汲み取れるんだ。
一々ちゃちゃを入れずに、黙って聞くように!

……うぉっほん! 
では、気を取り直していくぞ……
最初に言ったが、兄弟の多い俺の実家は食料の消費が凄くてな。
他の国だったら貧困で死にそうな状況だったが、それでも飢えて死ななかったのは毎日の身を粉にして働いて……」

そうして始まったのは、彼の生まれ故郷での苦労話だった。
そんな、拓也の質問と全く関係もなさげな彼の話に拓也とアコニーは如何したものかと顔を見合わせる。

「……社長。
なんか、この子の自分語りが始まりましたよ。
それも何か苦労系の話です。正直、別に聞きたくないです」

「だが、これも情報を得る為だ。
そのうち俺達の求めているところに話は進むだろう。
それと、そんなに彼の苦労自慢が聞きたくないなら、一人で素数でも数えてなさい」

「素数って何です?」

アコニーは首をかしげて素数とは何かを拓也に聞く。
そんな全く話を聞いていない二人に気づいたのか、兵士は勢いよく振り向くと二人に向かって怒鳴った!

「おい!ちゃんと聞いてるか!?」

急な罵声に拓也もアコニーも一瞬浮き上がったように驚くと、慌てて姿勢を直して彼の方を見る。

「はい!聞いてますよ!
どうぞ御気になさらず続けてください」

「ったく。折角話してるんだから真面目に聞けよ。
……話をもどすが俺達が飢えて死ななかったのは、一生懸命働いた事と、当時は既に青髪共が帝国を支配していたからだ」

「へぇ、カノエ達は支配階級だったんですか?」

「あぁ、一体どこから現れたのは誰も知らないが、30年くらい前にポッと現れたかと思うと、俺達小人族と巨人族に技術を授け
あっという各地の豪族達を打倒して国を作ったんだ。
そして、その時からだな。各地の豪族や豪商が処刑されて、今では帝国では当たり前である財産の共同所有が始まったのは。
お前たち西方の人間は制度が遅れているから知らないと思うが、こっちでは皆が働いた分だけ平等に豊かになれるんだ」

兵士はそう言って胸を誇る様に自国の特徴を語って聞かせるが、拓也は兵士の言葉に耳を疑った。
今、彼は何と言ったか?
思いがけない社会制度の存在を匂わす彼の言葉に、拓也は今一度聞き返す。

「……え? 財産の共同所有とか…… 共産主義?!
異世界にまでコミーの手が広がってるんですか?
それなのに帝国って…… 国として成り立つんですか?」

社会制度の触りを説明しただけで妙に食いつく拓也。
そんな彼に、兵士は何でこんな所で突っかかるんだと困惑しつつも説明を続けた。

「ん?なんだ急に食いついてきて?
お前の言うコミーだか共産主義とかいう言葉は知らんが、青髪が来て以来この国はそういう制度だ。
現にそれでうまくいっている」

「でも、やっぱり皇帝なんてブルジョア支配階級をプロレタリアートが黙って放置するわけないですよね?
実は内部は揉めてるとか?」

帝国と言う言葉と共産主義と言う言葉から拓也が連想したのはロシア革命だった。
彼は上手くいっているといっているが、果たしてそれは本当に上手くいくものなのだろうか。
拓也の中にそんな疑念が渦巻くが、地球の歴史を知らない兵士にとって拓也が何故そんな質問をするのかはサッパリ分からなかった。

「う~ん。お前の言う言葉はよく分からんな。
一応言っとくが、今のこの国の皇帝は、西の奴らと違って世襲じゃないぞ?
元老院の指名によって就任するんだ。
だから西のアホどもと違って王族が人民の上でふんぞり返ってることも無い。
旧来の豪族達に代わって支配階級についていた青髪共を一掃した今、国の頭と人民の関係は良好だよ。
まぁ 少し前まで政争で揉めていたがな。
それも今のジュガシヴィリ皇帝が国を治める様になってからは、揉めてると言う話は聞かないな」

拓也はその説明で一応は納得できた。
この国では皇帝と言ってもそれは名称だけで、別に王朝があるという訳ではないのだ。

「あ~ なるほど、皇帝っていっても名前だけなんですね」

「まぁ 魔法ばっかりに頼って社会の遅れた西方とは違って、帝国の皇帝は名前は一緒でも制度は違うんだ」

「中世みたいなファンタジー文明の隣にソビエトがあるなんて……
というか、どうやったらそんな独自文明を維持できるんです?
別に交流が不可能と言うほど他の国々と距離が離れているわけじゃないんでしょ?
もうちょっと混じりあっても良いと思うのに……」

「あんたは変な事ばっかり気が付くな。
仕方ない。
この俺様が詳しく説明してやる。
そもそも偉大な帝国の制度は人族や他の亜人共とは相性が悪い。
前に人族の領主が真似をしてみたが、個人個人の欲が強すぎる種族はすぐにやる気を無くすそうだ。
だが、その点俺たちは違う。
俺たち小人族の寿命は大体30年。
お前たちより短い間隔でポコポコ生れてドンドン死ぬんだ。
だから、本能的に個人の利益より集団の利益を優先してしまう。
そしてもう一つの基幹種族である巨人族の奴らは、逆に200年くらい生きる。
更に、子供が出来るペースはさほど早くない。
そんな事もあってか、奴らは自己能力に対する向上心がとても強い。
物欲よりも、個人の知識や力を磨いて己を鍛える事を重要視するんだ。
だから奴らは人族と違って、労働の対価が平等でも文句は言わないし、力を合わせて全体の力量を底上げすることで自分の知識や能力を向上させることに喜びを見出してる。
まぁ そんな性質の違いもあって俺たちの社会制度は西方には殆ど広まらないな。
それに、青髪の出現から全ての変化が急すぎたってのも理由にあるが……」

「へぇ~……
社会制度とかについては、よく分かりました。
だけど、一つ分からないのが、そんな技術やら制度やらを授けてくれた青髪達を何故迫害するんです?
普通なら、逆に感謝する所では?」

彼らにマッチした社会制度や技術を提供し、東方の覇者にまで押し上げた青髪の一族。
そんな彼らに対し、なぜ迫害するのか拓也には分からなかった。
彼の話を聞く限り、青髪の一族の恩恵ばかりがよく聞こえる。
そんな拓也に対し、兵士は少し遠い目をしながら質問に答える。

「まぁ 普通に統治していた分にはそうだな。
だが、奴らは普通じゃなかったんだ。
帝国の黎明期から拡大期にかけては青髪とも特にいざこざは無かった。
なぜならば、当時は全人民に月に一度、ある秘薬を飲むように強制されていたからだ」

「秘薬ですか?」

「そうだ。
それを飲むと、命令に逆らえなくなる。
死ぬような命令にも笑顔で応じる様になる。
そして、帝国の初期は皆がそれを飲まされていた。
配給の食糧は必要最低限しか与えられず、残りの余力は全て青髪達の研究の為の労働に充てられていた。
そして、薬の影響で全員がそれに満足していたんだ。
例え、人体実験で死ぬようなことがあってもね」

「それはまた……
薬によるマインドコントロールとはえげつない…… しかも人体実験とか……
なるほど、相手の自由意思を奪って技術や社会制度を伝授したってのは、善意とかじゃなく
手駒に道具を与えて効率的に運用しただけって感じがしますね。
そして、彼らの目的は研究……ですか。
一からの国家建設までやっておいて、一体何を研究してたんですか?」

「今でもそれが何かは分からない。
そして、そんな状況が25年続いたとき、一つの転機が訪れた。
一体何をやったのか知らないが、エルフが青髪の居城を襲ったんだ。
青髪の大多数はその時に殺されたが、狩り洩らしもいた。
エルフたちは、秘薬の効果が切れた俺たち人民に青髪を見つけたら直ちに捕まえて教えるように言うと、そのまま帰っていったんだ。
その時のエルフとの約束と家畜の様に扱われていた恨みが、今でも青髪の探索が国を挙げて行われている理由なんだ。
わかった?」

兵士は青髪とサルカヴェロの建国にまつわる話をし終えると、拓也の方に振り向いた。
自分の知識をひけらかした彼の表情は、実に満足そうであった。
だが、その話とは別に分からない事が一つある。
馬車の御者を務める彼は、明らかに下級兵士である。
そんな彼が、なぜそこまで詳しいのか。

「うーん。
非常に興味深い話でした。
でも、一般の兵士にしては詳しすぎません?
あなたが何者であるかも謎ですよね」

粗末な馬車に乗る下級兵士
見た目からはあまり学のあるようには見えない。
だが、拓也のそんな疑問に対し、兵士は拓也が何を言いたいのか察して答えてくれた。

「あぁ それか。
まぁ 俺も徴兵される前は人民学校での成績は優秀だったから。
普通の奴よりは歴史に詳しいよ」

「サルカヴェロには学校があるんですか?」

「こっちじゃ別に驚くことでもないよ。。
それに、西方じゃ学校なんて一握りの人間しか行けないかもしれないが、帝国じゃ殆どの子供が学校に行くんだぞ?
まぁ これも青髪の遺産というべき制度だが、帝国は世界一進んだ国だから、これくらい普通なんだ」

そう言って彼は胸を張って自国の偉大さを拓也に知らしめる。
我が国は世界一だと。
そして、その彼の説明は彼の思惑通りに拓也を驚愕させた。
まぁ その驚き方の種類は彼の思っているモノと多少違うかもしれないが……

「……なぁ アコニー」

兵士の話も終わり、拓也は色々な驚きを胸に横に座っていたアコニーに声を掛ける。

「ふぇ!? どうしました社長?」

「お前……寝てたな?
まぁ それはいい。
おまえらトンデモナイ世界に住んでるな」

「え?え?」

拓也は話を聞かずに船を漕いでいたアコニーに呆れつつ、思ったままの感想をアコニーに語る。
そして、急に話を振られたアコニーは、どう切り替えしていいか分からず目をぱちくりさせているが、拓也は気にせず言葉を続けた。

「片や中世ファンタジーみたいな魔法の世界かと思いきや、もう片方は旧式ながらも銃兵が主兵力のソビエトみたいな文明だぞ?
もう訳がわかんない。一体どんな風に発展したらこんな世界になるんだ?なぁ?」

「いや、あたしにそんなこと言われても……」

「それにサルカヴェロに技術を教えた青髪か……
一体、カノエは何者なんだろうか」

一通りの概要は理解できたが、それでも核心部分は謎のまま。
拓也の疑問は、より深みに落ちていくのであった。



[29737] 東方世界6
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:28
拓也達が拘束され、馬車の上で尻を痛めている頃から時間は少々先へ流れる。

その時、北海道では束の間の落ち着いた空気が流れていた。
先のエルヴィス公国軍と王国との紛争は、公国軍の勝利で幕を閉じ、暫くは軍事的な動きはないとの予想が世の中の主流であった。
そんな情勢下、大統領である高木は、先の紛争で焼かれ、今は復興目覚ましい礼文島に来ている。
紛争時に灰燼に帰した礼文島北部は、大陸への出島として整備する為に大々的な資源が投下され、恐るべき勢いで設備が拡張されている。
そんな礼文島に作られた多目的ホールに、高木はある目的を持って訪れていた。
エルヴィス公国との和解と融和、そして経済交流の準備。
その二つこそ今回の彼女が来た目的であった。
そして、それを円滑かつ効果的に演出する為に、彼女は2人の同行者を連れている。
一人は金髪の麗人……のようにも見えるエルヴィス公国の元首、クラウス・エルヴィス。
もう一人は、警察の制服を着た、流れるような黒髪の美しい少女だった。

「次の区画が北海道物産の見本市会場です」

少女は、透き通るような声で高木とクラウスをエスコートする。
会場内では超VIPの来訪に人だかりが出来るが、注目度でいえばその少女も他の二人には負けてはいない。
何故ならば、サイズの小さい制服に煌びやかに輝く勲章は、北海道連邦英雄第一号の証。
そんな豪華な勲章を持ち、観衆からフラッシュを浴びるその少女の名は、平田信吾。
その可愛らしい外見の人物は、礼文騒乱時に人命救助で活躍した平田巡査のなれの果てであった。

礼文島での騒乱の際、彼はクラウスの兄であるアルドに刺されたが、その場所が運悪くも肝臓への一突きであった。
致死性の重傷。
一度は止まった心臓だが、彼を生かそうという政府の意向と中途半端に進んだ医療技術によって、彼は義体への脳移植によって回復を遂げた。
だが、転移が起きた2025年の日本において義体化技術は最先端医療であり、その拠点は道内には無かった。
辛うじて北大の医学部に小規模な研究施設があった程度である。
関係者によると、不十分な施設での成功率は五分と見られていたが、政府の意向もあり手術は強行。
最終的には無事に脳を義体に乗せられるように処置することには成功した。
だが、命を繋いだ代償はあまりにも重かった。
手術をしたのは、もともと研究用の施設であって義体のストックなど十分有るはずも無い。
暫定的に脳を乗せることが出来たのは、研究用として大学の倉庫に転がっていた少女型の一体だけだった。
手術後、そんな中身と外見のアンバランスに、付き添いで着ていたという婚約者の女性は彼の外見を見て卒倒するという騒ぎも起きたが、何はともあれ彼は復活することが出来たのだった。
そして、プロパガンダとして流れている彼の活躍話(当然話は盛られている)もさることながら、義体の外見により彼の人気は高い。、
そんな彼が、礼文島に侵攻した当の本人であるクラウスと歩いているのだ。
騒乱で負傷し義体化した平田と、その時に実証された技術でもって、ゴートルムとの戦いで失った手の代わりに神経接続型の義手をつけたクラウス。
被害者と加害者という二人の関係は、被害者による報復ではなく、傷ついている加害者への遺恨を乗り越えた支援と言う平和的なアクションにて修復されたと道内には宣伝されるのだ。
それこそが、今回、高木に二人が同行している理由だった。
プレスルームで握手をする二人の写真は瞬く間にニュースになり、報道関係者は他のシャッターチャンスも狙って高木たちによる礼文島内視察にも付いて回る。
だが、カメラを抱えて彼らを追い回すのは何も報道関係者だけではない。
今、フラッシュを焚いているカメラの中には明らかに報道関係者ではない人間も多数混じっていた。

「あなたは凄い人気のようだ」

光の嵐を浴びる平田を見て、クラウスは笑いながらそんな事を言う。
だが、当の平田は笑顔こそ崩さないものの、その内心は複雑であった。

「……これも新しい義体が出来るまでの辛抱です。
元の姿に合わせて作られた義体に乗れば、こんな中身がおっさんのサイボークに誰も興味は示しませんよ」

全ては一時的なもの。
そう考える事で精神の安定を保つ平田であったが、現実は厳しかった。

「平田さん。
それなんですが、義体の納入は暫く遅れそうなの。
一部のセンサーに使う部品を作るのに、ある種のレアメタルが必要なんだけど、道内ではその資源は産しないから義体の主要部を作る事が予定されているロボット工場が稼動できなくて……
なので、大変でしょうけども、もう少し我慢してもらうことになるわ」

高木は、平田の希望とは正反対の現実を包み隠さず彼に告げる。
転移前に完成していた道内唯一の人型ロボット工場は、物資の不足のために休業状態が続いていた。
仮に採算度外視で本格稼動させれば、道内の労働力の不足問題は一挙に解決するのだが、現状でそれは出来ずにいる。
もっとも、失業率との兼ね合いで転移前の世界と同じく、ロボットの導入に一定の規制はかけるのであるが……
平田は、そんな現実を聞かされてガックリと肩を落とす。

「そうですか…… うぅ…… 何時になったら元の姿に戻れるんだ」

彼は泣きたい気持ちで一杯だった。
あの騒乱がキッカケで、秘かな思い人であった幼馴染と結婚しようかと思ったら、自分はこんな少女の姿になってしまった。
これでは、いつ愛想を尽かされるか分からない。
早急に元の姿をベースにした義体に乗り換えるのが彼の悲願だった。

「まぁ こればっかりはどうしようもないわね。
資源が無い事にはどうしようもないし。
さて、気を取り直して見本市の視察に入りましょうか。
もしかしたら、向こうの商人の持ち込んだ鉱物の中に目当てのものがある可能性だってあるんですから」

高木はそう言って平田を慰めると、二人を引き連れて見本市会場へと向かう。
礼文島で開催された第一回目の見本市。
ドアを開けたその瞬間、むせ返るような会場の熱気が、プレスを引きつれて訪れる彼らを迎えた。

「これは盛況ですね」

クラウスは会場内を見渡し、素直に感心する。
今回の見本市のブースは大きく分けて二つ。
クラウスが領内の商人を引き連れて設営したエルヴィス公国エリアと、北海道の物産エリアがある。
そして、そのどちらもが大変な盛況であった。
クラウスからの事前情報もあり、公国商人が持ち込んだものの多くは北海道では産しない物品。
綿、羊毛、生糸等の繊維からオレンジ等の果物。
そして、匠の技で装飾された魔導具などであった。
それに対して道内企業の側はというと、定番である道産の高品位食品に始まり国後産の原油を元にした石油化学製品や電卓などの小規模な電子機器など。
この世界の人間にとって物珍しい物ばかりである。
そんなお互いにとって魅力的な物品を一同に会して商談の場を設けることができたのも、公国の官僚達の頑張りがあってこそだった。
寝る間も惜しんで北海道から派遣された顧問団の知識を学び、怒涛の勢いで最低限の商法を整備。
民主制ではありえない速さの立法その他が、道内企業が安心して商売が出来る環境を整えた。(あくまで法律上の話だけ、公国内では混乱も生じているが……)
そして、そんな公国の努力に対し、北海道側も一定の後押しをしている。
例えば、道内で元々弱かった繊維などの労働集約型の軽工業では、現地生産が可能なように政府として技術移転の認可を出した。
そのため、ただ繊維材料が売れれば良いと思っていた公国商人に対し、現地生産は可能か?現地視察は行けるか?OEMではどうか?等
彼らの想像を超えたレベルで北海道側が交渉に臨む姿も多々見られた。
エルヴィス公国を只の資源供給地としてみるのではなく、(北海道経済との競合の少ない)産業を興すのを支援し、win-winの関係になれば
総貿易額が増すとの政府の試算通りに事は進んでいた。
そんな熱気溢れる会場の中、高木らと共に会場内を歩いていたクラウスは、顔見知りの商人見つけると、彼を捕まえて調子を尋ねる。

「首尾はどうだ?商売は上手くいきそうか?」

にこやかに商人に声をかけるクラウス。
それに対して相手の商人は、深々と礼をしてクラウスの質問に答える。

「これはクラウス殿下。
今回は、このような素晴らしい機会も設けていただきありがとうございます。
おかげさまで、我がカスターニャ商会も、このような物珍しい物品や素晴らしい製品の数々を仕入れさせていただければ
どれだけ利益が生まれるか想像もつかないほどでございます」

「ほう。
かなりの利益が見込めそうか?」

「それはもう!
大陸全土を探した所で、ここまで素晴らしい商品群をそろえることが出来る国は見当たりますまい。
殿下は食べられましたか?この熊カレーと言われる保存食を!
中身の肉は熊意外にも色々と変えられるそうですが、この金属容器に入った食糧は小型で長期の保管が可能な上、美味!
今まで肉の長期保管と選ったら、燻製か塩漬けしかなかったのが、コレによって選択肢が広がります。
これは隊商や船員の食料、はたまた軍の糧食として売れますよ。
他にもプラスチックと呼ばれる容器等、我々の生活を変えてしまいそうなモノがいくつもあります。
ですが……」

「ですが? 
どうした?何か問題があったのか?」

何か言いにくいことでもあったのか眉を顰めながら言葉尻を濁す商人に、クラウスが問う。

「なんといいますか、決済方法が異質すぎて、本当に信用して良い物なのか判断がつかないというのが本音です」

クラウスはその言葉を聞いて納得する。
交易を開始するに当たり、北海道側が出した条件は円建ての決済だった。
そして、2025年時点で高度に電子マネー化が進んでいた北海道に合わせるように、エルヴィス公国側にもそれに対応するように求められていた。
技術の進歩はキャッシュカードを高機能化させ、タッチパネル付きのソレは、銀行サーバーへと繋がる無線通信網の範囲内ならカード同士の現金送受も可能としていた。
そしてその無線通信網の整備は、簡易的なものではあるが公国中に広がりつつある。
調査隊が設置した気球が中継局となり、公国の主要エリアでは高機能キャッシュカードによる取引が可能となっていた。
北海道側はそれをエルヴィス公国の商人も携帯するように求めたのである。
だが、未知の決済システムの導入は、信用などの問題ですぐには浸透しない。
そこで公国側がやらされたのは、中央銀行の創設と保有している金を担保にした円と従来金貨の交換による信用の裏づけであった。
急に転移してきた北海道と、それまで交易で栄えていたエルヴィス公国では、商人に対する信用が桁違いである。
そんな北海道側の要望を公国側が丸呑みしたことにより、一応の下地を公国は整えることが出来たのだった。
その準備にかかった苦労をクラウスは思い出し、商人が困惑するのも無理は無いと考えた。

「確かに従来の金貨や銀貨の現金取引から、こんなカードの数字をやり取りしろと言われても困惑するのは無理は無い。
だが、今までも手形による決済とかはしてたのだろう?
公国が準備金で信用を裏付ける以上、そこらの手形よりは信用はあると思っているのだが?」

「はい。
それはそうなのですが……
決済の度にカードに書かれた額面が変わると言うのが何とも……
いかなる方法で表示を変えているのかは分かりませんが、勝手に改竄されたり不正が行われる心配は無いのですか?」

商人はカードでの決済の根本的な信頼性を心配する。
公国による裏づけ以前に、このシステムは信用に足るものなのか。
もっともな疑問を商人が口に出すと、何時の間にやらクラウスの後ろに立っていた高木が、クラウスと商人の話の中に割って入ってきた。

「あぁ そういうことですか。
紙に書かれた手形と違い、書かれた額面が変わるのが心配なんですね?
それについては問題ないわ。
カードを作る際に口の中に綿棒を入れられたと思うけど、あれは魔法の儀式とかそういうのではなくて、DNAっていう生命の設計図をチェックするためなの。
DNAが登録されたカードは契約者以外は使えなくなるから盗難にあっても大丈夫。
DNAと暗証番号の二重チェックで、不正に資金が引き出されることは無いわ。
それにカード自体の信頼性も、我々の元の世界で電子取引の発達に伴って何十年にも渡ってセキュリティを強化し続けているから
口座の金額を不正操作することは、まず無いと思っていいわよ」

そう言って高木は、商人を安心させるように説明する。
もし、こちらの商人に不信感を持たれ、決済システムが信用されなくなると北海道側が困るのだ。
北海道側には交易用に使えるような金銀の備蓄は殆ど無い。
資源を輸入しようと思ったら、工業品を輸出してこちらの世界の富を蓄えなくてはならないのだが、それでは取引の増加量は中々引き上げられないし
そもそも金・銀貨もしくは現物債権での決済と言うこの世界のシステムは、旧式すぎて不便すぎるというのが困る理由であった。

「なるほど、北海道では実績のある方法なのですね。
よく分かったような分からないような……」

高木の説明を聞いて、知らない単語の羅列に商人は首を傾げるが、そんな様子の商人の肩をクラウスは笑いながら叩く。

「どちらにせよ、莫大な利益が出そうな北海道の製品を仕入れるのには新しい決済法が必要なのだろう?
君ら商人にとって見れば疑って商機を逃すか、信頼して富を得るかの二つに一つだ」

「ふむ…… そうでございますね。
公国が裏づけをなさっている以上、あまりに疑うのは不敬というもの。
我々カスターニャ商会も、他の商会に遅れを取らぬよう頑張らせていただきます」

「あぁ 成功を祈ってる」

そう言ってクラウスが片手を上げると、商人は熱気渦巻く会場に戻っていく。
クラウスたちはその後姿を満足そうに見送った。

「色々な不安はありそうだけど、滑り出しは好調みたいね」

「えぇ、これで経済が更に潤えば、我が領内の近代化も加速すると言うもの。
大統領閣下には感謝しております」

クラウスの感謝の意に高木は微笑で応える。
この世界において唯一の友好国(実質は属国であるが)の発展は自分達においても有益なものであり、嬉しいものであった。
そんな高木の美熟女の笑みを向けられ、思わずクラウスもドキリとする。
この"美熟女の笑み"は、高木の支持率の源泉の一つでもあるのだが、これは外交関係にも有効なようであった。
心を落ち着かせようとするクラウスに、それを面白がってクスクスと笑う高木、それと彼らの視界の片隅で写真のフラッシュをビシバシ浴びる案内役の平田。
そんな終始なごやかな視察日程を消化する一向であったが、平和な日々を願う彼らの心境を裏切るように、問題と言うのは唐突にやってくる。
最初の情報を持ってきたのは、周りの人垣を割いて現れた緊迫した表情の秘書官だった。
彼は、高木の傍までやってくると、周りに聞かれぬように耳打ちする。

「軍からの連絡です。
東方の未開エリアで、活動する調査隊の視察に出ていた将校が、他国の軍と接触しました。
これについて安全保障会議が招集されましたので、ご足労願います。
報告では、調査隊の一部がその軍隊に拉致されたとの事です」

高木は、その報告に思わず眉間に皺を作る。
ただ他国と接触しただけなら兎も角、邦人の拉致とは穏やかではない。
高木は秘書官にすぐに行くと応えると、クラウスや平田に向き直った。

「すいません。
緊急の要件が出来ましたので、私はこれにて失礼します。
この後の予定については、申し訳ございませんが私抜きで視察をお続けください」

丁寧な口調で視察から抜けることを詫びる高木。
そんな彼女の様子を見て、クラウスは即座に何かが起きたことを察した。

「どうかなされたんですか?」

「現時点で詳しいことは教えられません。
東方で何かがあるとだけ言っておきましょうか」

そう言って高木は頭を下げると、秘書官の後を追って足早に去る。
そして、その後にはクラウスと平田の二人だけが残された。

「大統領はどうしたんですかね?」

足早に会場を去る高木を尻目に、平田は残されたクラウスに何があったのかと話を振る。

「それは分かりませんが、東方と言うからには異教徒関係の問題が起きたのでしょう」

「異教徒?……ですか」

「まぁ 魔法の使えない異教徒なら、さしたる脅威も無い。
ささ、我々は視察を続けましょう。
今は、公国領にとって交易の拡大による技術移転ほど大事な物はないのです」

そう言ってクラウスは平田の小さな肩を持つと、背中を押して視察ルートへと戻る。
報道陣+ファン?のフラッシュを浴びながら、彼等は高木とは別に北海道とエルヴィス公国の未来へ向けて歩み続けるのであった。







その一方で、二人と別れた高木は空港へと移動する車内において事態の報告を受けていた。
後部座席に座る高木の眼前に設置されたモニターに映るのは、副大統領、外相である鈴谷、それと国防相の3人だった。
高木も含めたその4人は北海道版NSCの中核メンバーである。

「それで?
一体何が起きてるんです?」

高木は、モニター前に全員が揃っていることを確認して聞く。
そして、その声を皮切りに、事態の推移に関する副大統領の説明が始まった。

「報告によりますと、民間委託した調査隊の視察で東方大陸を訪れていた軍の将校が、偶然にも他国軍部隊と接触した模様です。
この軍は、サルカヴェロ帝国軍を名乗っておりまして、現在のところ南方平定と銘打ってエルヴィス公国より海峡を挟んで東側の陸地全域を制圧しようとしているそうです。
そして、何が原因かは定かではありませんが、調査隊の一部がサルカヴェロ軍に逮捕されたとのことです」

副大統領の口から発せられた言葉に、高木は頭が痛くなる。。

「平定ですか…… それは、穏やかじゃないわね。
というか最初は拉致と聞くから何かと思えば、逮捕ですか?
その調査隊は何か現地で何をやらかしたの?」

「それについては現状で情報が纏まっておりません」

「……そう。
では、引き続き情報を集めてください。
例え現地で法を犯していようと、邦人を勝手に処刑させるわけにはいきませんから。
それじゃぁ次の質問ですが、以前の説明によると彼の地には亜人の集落が点在するくらいで国は存在しないと聞いてたけど、そのサルカヴェロに対して彼らはどうしているかわかる?」

「それについても情報を収集中です。
何分、この世界の調査はエルヴィス公国領を中心とした西方をメインとして展開しており、東側については未だ十分な調査が行えていません」

「ふぅ……
じゃぁ 何ですか?
とりあえずの第一報ということで情報は収集中と」

「そうです。
ですが、報告の重要性から考えまして、先に当該案件の概要を国家安全保障会議の基幹メンバーにはこの場で報告をさせていただいてます」

副大統領の言葉のとおり、今のところ北海道側に東方に関する十分な情報は無かった。
一応近隣の亜人の集落に対して何度かの接触は行ったものの、集落ごとに独立し国と言うまとまりが無かった亜人の居住地では思ったほどの情報は集まらない。
その上、人的、物的な制約もあり、この世界の調査では後回しにされていたのだ。
だが、そんな状況の中にあって、何時までも情報が無いという状態を維持しているほど転移後の北海道の腰は重くない。
副大統領の説明に区切りがつくやいなや、今度は国防相が二人の間に割って入る。

「詳細な情報についてですが、20分前に空軍のRF-15偵察機が発進しました。
航続範囲内の情勢はこれから重点的に収集を行います。
航空偵察情報は逐次集まってくるでしょう」

「わかったわ。
変化があれば逐次連絡して頂戴。
……だけど、未接触の国と遭遇したとなれば、外交の窓口も開かなければならないわね。
外務省には緊急対応可能な人的余裕はある?」

高木は外相である鈴谷はチラリと見る。
しかし、高木から話を振られた鈴谷の表情は明るくない。

「その質問に対しては、残念ながらイエスとは言い辛いです。
新編から間もない組織であるため、外交経験のある人材が潤沢とは言い切れません。
転移で取り残された各国の領事館の職員から、希望者を募って新国家の外務省に組み込みましたが、それでもエルヴィス側との遣り取りと
各国を周る予定の外交使節船団編成に人員を大きく割り振ってますので……」

「なら、船団の航海の途中でサルカヴェロに寄る事はできない?
西側諸国を巡る為に編成中の船団なら、必要なもの全てがそろっているでしょう?」

「それについては調整を実施します」

「なら、そこは鈴谷さんに一任するわ。
そして、サルカヴェロ側へ使節派遣の通達については、既に接触している軍の将校を通じて彼にお願いするのが早いと思うの。
国防相もそれで良いかしら?」

「問題ありません」

高木は、そこまで暫定的に決めると一つ溜息を吐く。
先日のエルヴィス公国とゴートルムの紛争から然程間が開いていないにもかかわらず、またも火種が降ってかかる事に彼女は辟易していた。
何がトリガーになっているのかは知らないが、亜人の地の平定に軍隊が動いているならば、また難民が発生することも考慮しなければならない。
北海道にとって平穏な日々はまだまだ遠いようであった。
そんなことを想像しながら、他に打つべき手はないかと彼女が考えていると、彼女の持っている携帯端末にメッセージが入る。

「あら、メッセージが……
至急?……ステパーシンから?」

官給品の端末に届いたのは、重要度が高い事を示す色で識別されたメッセージ。
その差出人を見ると、それはこの会議に招集されていないステパーシンからのものだった。


"過去の交通量から推測して、エルヴィスと東方間の海峡は本世界におけるジブラルタル。
国土防衛のみに囚われず、領土未確定の亜人居住地は今後の国益を考えて確保すべき"


短いたった2行のメッセージの内容は、今まさに高木たちが話しているサルカヴェロへの対応を示唆するものだった。
それも、政府内でもまだ一部の人間しか知らない事であるにも関わらずだ。
高木は、一体どこから情報を得ているのだろうと元ロシア連邦保安庁長官であるステパーシンの情報網に呆れると共に
高木はその内容を見てしばし考える。
それは、参加者が全員日本人であるこの会議では、誰も思いつかなかった物の見方だった。
サルカヴェロは何処の国家の所属でもない亜人居留地の征服に動いている。
ならば、全てをとられる前に自分達の領土も確保しておけと言うことなのだろう。
確かに短期で見た場合には、領域確保の為の軍の派兵やインフラ整備などは未だ腰の据わらない北海道には負担が大きいかもしれない。
だが、50年、100年先を見た場合はどうか?
そこに有益な資源があった場合は?
ステパーシンが言うとおり、海峡を押さえると交通の要衝を管理下にできる?
考えれば考えるほどに何もしなければ確実に失われるであろう権益が高木の頭を駆け巡る。

「……皆さん。
ちょっと検討していただきたい事項があります」

「なんでしょう?」

メッセージを見た直後から顔色が変化した高木に、3者が揃って返事をする。

「報告によれば、サルカヴェロ軍は亜人居住地の平定に動いているそうですが
彼らが亜人居住地全域を制圧するより先に、エルヴィス公国に近い海峡を中心としたエリアだけでも先に抑える事は出来ませんか?」

その言葉を聞いた途端、モニター越しに会議に出席している全員の顔色が変わった。
誰もが高木の提案に何と答えようかと迷っている中、最初に口を開いたのは鈴谷だった。

「大統領。
例え領土の未確定地帯だろうと原住民がいる土地に軍を送れば、それは日本人の感覚からすれば侵略になります。
拉致された邦人保護の名目で派兵しても、部隊が居座るのであれば国民が黙っていません。外征は危険ですよ。
これで今まで押さえ込んでいたマスコミや市民団体に火がつけば、次回の大統領選で負けます。
只でさえ経済統制によって政党支持率が低下している今、悪手としか言いようがありません」

新政府は大統領制となり、議院内閣制よりは世論の影響に敏感ではないとはいえ民主国家であることには変わりはない。
あまりに民意を無視した行動を取りすぎると、次の大統領選で政権の座を失いかねない。
そして、北海道は元々左派の新聞社や北教組がアカの猛威を振るった地域。
軍の防衛出動にも慎重になるのに、権益確保の為に軍を動かしたとなれば、彼らが声を大にして騒ぎ立てるのは想像に易い。
安定的な政権の維持を考えれば、鈴谷の言うように静観するのが一番である。
だが、高木は考えてしまった。
政権の維持と言うミクロな視点を超え、一世紀先の国家利益を。
それは、北海道の生存権確立という目標に取り組むことにより、政党間の政争より重要なものの見方をするようになった高木には、簡単には無視できなくなってしまった考え方であった。

「確かに世論は紛糾するでしょう。
それに、有益な資源があるかも分からない。
だけど、検討に値しない訳でもないわ。
最終決定がどうなるにしろ、準備だけは進めても構わないでしょう?
コレについては大統領として軍に命じます。
名目は抑留された邦人保護で部隊編成を進めてください。
但し、内情は拠点確保も可能な装備でお願いします。
同時に各省庁についても外地獲得の影響を試算してもらいましょう。
その結果と、全大臣を交えた閣僚協議によって私が是非を判断します。
ですが、本件は機密とし、事前の情報公開はしないため、情報の取り扱いには注意してください。
いいですね」

「「……はい」」

外征は政権にとって危険球だと言うのは3人に共通する思いであったが、高木の大統領としての命令に、3人は渋々ながらも頷く。
これはまだ最終決定ではない。
高木が札幌に戻ってからでも叛意させることは可能だろうと彼らは思っていた。
だが、彼らは知らない。
高木に決断を迫るために、既に道内で動いている影の存在が居るということを……




[29737] 東方世界7
Name: 石達◆48473f24 ID:dd7fbef8
Date: 2013/06/21 07:28
ここで時間は少々戻る。

拓也がサルカヴェロに捕まった翌日。
バトゥーミの港には、大勢の人だかりが出来ていた。
一列に並ぶサルカヴェロ兵を囲うように集まる野次馬の群れ。
それらがバトゥーミの港の中でも一番水深の深い埠頭に集まっていた。
中心に立つのは巨人族の司令官とエドワルド。
そして、彼らの目の前に入港してきた船こそが、ツィリコ大佐とエレナ達の乗る船であった。
木造船ばかりの港内で一隻だけ異色な鋼鉄の船。
元々は中古の内航船であったそれは、ここでは堂々たる威風を放っている。
観衆は始めて見るタイプの船にざわめき、接弦した船に対して帆がないだの魔法の船だの騒ぎ立てている。
そんな船から先頭を切って降りてきたツィリコ大佐は、当然の如く注目の視線を一身に受けていた。

「北海道連邦軍 ウラジミール・ツィリコ大佐です。この度は歓迎ありがとうございます」

上陸して早々、先に口を開いたのはツィリコ大佐であった。
名前を名乗りながら、胸を張って右手を差し出すツィリコ大佐。
それに対して巨人族の司令官は、異文化の挨拶に戸惑いつつも彼の右手を握り返す。

「サルカヴェロ帝国 第五軍司令官 エルダリ・サーカシヴィリ。
貴国との邂逅を嬉しく思う。願わくば多くの益あらんことを」

エルダリ司令は傍目には堂々としていたが、ツィリコ大佐とその搭乗船を見て固唾をのんだ。
そもそも、急にメッセンジャーとして現れたエドワルドの言葉に半信半疑だった上、一応彼の言うことが本当だった場合に備えて出迎えの準備をしてみたが
所詮は、北海道なんて名前の知らない国。
おそらくどこかの小国が粗末な小船にでも乗ってくるのだろうと思っていた。
だが、そんなエルダリ司令の想像は、真っ向から裏切られることになった。
予定の時刻になってバトゥーミに入港してきたのは、見たことも無い船だった。
小声で横に立つエドワルドに聞いてみれば、鋼鉄で作られた船だそうだ。
そんな、帆も無く、動力は不明であるが低い唸り声のような音を響かせて接岸してきたその船を見て、司令の表情から侮りの色は消えた。
動力は不明であるが、鋼鉄船など本国ですら研究段階で実用化していない。
対魔術諸国用に作られた木造船に鉄の装甲を付けた装甲船が、1隻か2隻進水しているだけのはずだ。
それだけで、この名も知らぬ国が進んだ技術を持っていることは明らかだった。
それに、その船から下りてきた代表だと思われる人物の立ち振る舞いも、堂々としている。
自国に並々ならぬ自信がある証拠だろう。
エルダリ司令は一目見た情報からそう己の認識を改め、こちらも帝国の威厳を示そうと襟を正す。
この接触が後に如何転ぶか分からないが、正確な情報を上に上げる必要がある。
司令はそう心を切り替えると、司令部に向かってツィリコ大佐を案内するのであった。


こうして北海道、サルカヴェロの初の交流は始まった。
後の北海道側の資料によればコレはあくまで偶然の邂逅であり、基本情報交換くらいの接触だったと記録されているのだが
ステパーシンの密命を受けているツィリコは、それに留める気は毛頭ない。
己が使命を全うするために、ツィリコは歴史の裏舞台へと歩みを進めるのであった。
だが、そんなエドワルドの完璧ともいえるお膳立てが気に入らない人物が一人。
その影は、ツィリコに続いて船を降り、足早にエドワルドに近づくと、殺気を込めた目で彼を睨む。

「拓也はドコ?」

エレナは小声で一言そう言うと、コートの内側から硬質な何かをエドワルドに押し付ける。

カチリ……

コートの内側から聞こえるその音が、その物体が何かを明確に物語る。
それは、エレナがエドワルドに押し付けた銃の安全装置が外される音だった。

「……それについては後で詳しく説明する。
現状は無線で説明した時から変わらずだ。
拓也、アコニー、カノエはサルカヴェロ軍に捕まり、夜の内にどこかへ移送された。
今は追跡班を差し向けているが、未だ連絡は無い」

拓也が捕まって以降、エドワルドも黙っていた訳ではない。
可能な限り手は尽くしていた。
最初は警備の隙を見て秘かに奪還を考えていたが、準備も整わないうちに拓也らが移送されるのは想定外であった。
だが、追跡しようにも向こうは馬車で此方は徒歩。
追いかけるのは少々厳しかった。
それに翌日にはツィリコ大佐が来るのである。
拓也の救出とステパーシンの命令。
職務に忠実な彼にとって、残念ながら重要度の高いのは後者であった。
拓也の救出に全力を投入して、ツィリコ大佐の来訪を延期することは出来なかった。
だが、そんな状況にあっても運は彼の味方であった。
夜の闇にまぎれ、襲撃された飯屋からサルカヴェロ兵の目を盗んで這い出てくる小さな影。
それを、偶然にも夜の街を歩きながら対策を考えていたエドワルドの目が捕らえたのだ。
その影の主は、突入したサルカヴェロ兵が強引に開いたドアに挟まれ、その衝撃で落下したタペストリーの下敷きになったことでサルカヴェロ兵に見つからなかったイラクリであった。
彼は母も姉も居ない暗い店内で目を覚ますと、気を失う前の記憶と現在の状況に軽く混乱をきたした。
だが、それでも彼は、叫びたい気持ちを押し殺し、心を落ち着けながらサルカヴェロ兵が警備している飯屋を抜け出してきたのだった。
そして、抜け出してきた彼の姿を見たエドワルドは、一つの手を思いついた。
サルカヴェロに攫われたのは拓也達だけではない。
盗賊の頭目も同じく攫われているのだ。
ならば、彼らの力を利用することによって拓也達の追跡が出来るとエドワルドは考えた。
そうと決めれば彼の行動は早い、あっという間にイラクリを捕まえて路地裏に引き込む。
急に路地裏に引き込まれたことで最初はイラクリも抵抗したが、エドワルドから仲間を救出するために一時手を組もうという提案を聞いて、彼も最終的には同意する。
イラクリの姉と母を思う気持ちは何よりも勝るものだったからだ。
イラクリはエドワルドとその仲間をアジトに連れて行き、そこで盗賊の仲間達にその意向を伝えた。
度重なる戦闘により大きく数を減らし、残っているのは生命力の強いハイエナ族のみとなっていた盗賊団にあって、イラクリはニノの直系。
若くとも序列一位の彼の言うことに盗賊の皆は従った。
イラクリは盗品屋のアッコイから馬を借り、監視・連絡役として無線機を持ったイワンを加えて、追跡班として朝日が昇る前に旅立ったのだった。

その後、エドワルドはツィリコ大佐が来るための準備として、北海道から派遣された使者を名乗りサルカヴェロ軍の仮説司令部に赴いて大佐の来訪予定を伝達した。
かなりの急ぎではあったがツィリコ大佐来訪準備を整え、拓也の追跡班を送り、やるべき事の全てをやった今。
エドワルド達に出来ることは、大佐をエスコートしつつ、追跡班の連絡役として同行しているイワンの連絡を待つだけだった。
だが、そんな事でエレナが納得するなどあるはずが無かった。
なぜならばエドワルドの行動は、全て事が起きた後の対処。
エレナの望むものではない。

「なんでよ……
なんで捕まる前に命がけで助けないのよ。
何の為にあなたがいるのよ。
拓也に万一のことがあったらどうするのよ……」

エレナはエドワルドのわき腹に隠し持った拳銃を突きつけつつ、涙で目を潤ませながら彼に言う。
その言葉を聞いたエドワルドはわなわなと震える銃口をわき腹に感じながら、一呼吸の間をおいてエレナに話す。

「大丈夫だ。
何とかする。
だから、今は泣くな。
これから大事な話し合いの席だ。
ヘタに引っ掻き回せば還ってくるものも還ってこなくなる」

「ううぅ……」

エドワルドの言葉に、エレナは必死に涙を堪えながら銃を収める。
感情的になりつつも、一線を弁えるだけの分別は彼女も持っている。
彼女はそのままエドワルドの傍を離れると、大佐の後を追って歩き出すのであった。



そうして一向は、エルダリ司令に先導される形で司令部にやってきたのだが、本来ならばエルダリ司令にもツィリコ大佐にも正式な外交手続きの権限は無い。
あくまでも両国の基本情報の交換と、暫定的な情報交換窓口を設置して後は本国同士の交渉と言うことで話は纏まった。
それ以上は自分達の職分を越えると言うことで、エルダリ司令は何も取り決めはせず、二人は雑談へと移行していたのだが
ツィリコ大佐としてはコレで終わりと言うわけではなかった。
彼はステパーシンからの密命を帯びている。
エルダリ司令との雑談を楽しんでいるようで、内心は話を切り出す機会を狙っているのだった。

「……それにしても、ココは良い港町ですな。
町並みは美しい上に、外壁として機能している不思議な構造体が、防波堤の役目も果たしている。
わが国からも近いこの港は、この先、貿易で栄えていきそうな気がしますね」

「それはもう。
未だ開発途上ですが、ここは良い街になりますよ」

ツィリコ大佐の言葉に、エルダリ司令は無難な切返しで答えてくるが
その言葉の中に占領したばかりだと言う表現は無い。
サルカヴェロから見て南方であるこの亜人居住地は、現在、軍を進めて平定中であるが
わざわざ自軍の行動計画をさらけ出すことは無い。
むしろ秘匿するべきとして司令は対応していた。
(実際の所は、エドワルドから情報を得ていたツィリコは知っているのであるが)

「出来るなら次回は観光で訪れたいものです。
そして、この街を守る兵達も精強そうですね。
西側では剣と魔術で戦う軍隊は見ましたが、こちらは銃を主体としているようだ」

「ほぅ……
あの武器の事をお知りですか」

ツィリコ大佐の口から出た単語に、エルダリ司令は感心したように反応する。
サルカヴェロの使う銃は帝国の黎明期に実戦投入された。
その後、東方での版図拡大に大々的に使われてはいるが、未だ西方諸国との戦闘は行っていない。
それに彼らは邪教の指導により帝国との交流を止めているため、彼らは銃の真価を知らないはずである。
可能性があるとすれば、密貿易船から情報が渡っているのかも知れないが、何にせよ銃を主兵装とした軍の強さは実際に戦ってみないと分からないであろう。
エルダリ司令は、そんな思いから自国の圧倒的な軍事的優位性を疑わなかった。
だからだろう。
そんな司令にとって、ツィリコ大佐の言葉は意外すぎた。

「銃火器は、我が軍の主兵装ですので。
その有用性や強さについては、転移前の世界で数多の血を以って証明しています」

意外な言葉に眉間に皺を寄せる司令に対し、ツィリコは当然とばかりに微笑んでみせる。
西方の国々と違い、魔術の使えぬ小人族と巨人族。
青髪の後押しがあったとはいえ、科学技術では世界最先端を独走してきた自負はあった。
だが、既に帝国と同じ銃を主兵装にした国が出てきているのであれば、その帝国の軍事的優位も危うい。
エルダリ司令の中では、西方諸国より、今まで名前も知らなかった北海道こそ、真に気をつけるべき存在ではないかと言う思いが芽生え始めはじめていた。

「なるほど、貴国は既に鉄と硝煙の偉大さを知っておいでか。
それならば西方の魔術諸国よりも、貴国の方が我々と話が合いそうだ。
大佐も知ってのとおり銃兵の戦闘力は強大だ。
今までは魔術を武器に大きな顔をしていた西方諸国も、今後は100万の銃兵を抱える強大な帝国を無視できなくなる。
来るべき世界の秩序は、魔術ではなく鉄と火薬の上に築かれるでしょうな。
願わくば、その際に貴国は我々と共にあって貰いたいものだ」

「新しい世界秩序ですか。
我々はこの世界では新参者ですが、出来るならその構築に加わりたいものです。
まぁ こういった話は政府の連中が決めることですがね」

そう言って大佐は、面白い提案だと笑ってみせる。
世界の頂点に君臨しようなどという考えが、司令の妄想かサルカヴェロの大戦略なのかは知らないが
仮に実行されれば大戦争に発展しそうな話である。
このような話に、迂闊に返事などできるはずも無い。
大佐は、それは上が決めることだとして話を打ち切る。
そして、エルダリ司令もそんなツィリコ大佐の内心を察してか、話題を変えることにした。

「まぁ 堅い話はこれくらいにしましょうか。
大佐。どうです?散歩がてら街の様子でも見に行きますか?
我が帝都に比べると数段落ちますが、このバトゥーミも良いものですよ」

「それもいいですね」

大佐は司令の提案に賛同する。
折角訪れた異国の街。
色々と見聞してみたいという気持ちも強かった。
エレナやエドワルドに護衛されながら大佐は、エルダリ司令の後に続く。
それから暫く大通りを中心に歩いてみたが、元の世界の世界遺産の様な古い町並みは、大佐を満足させるものであった。

「なかなか活気のある町だ」

「まぁ それなりの規模がありますからね。
でも、帝国の進んだ技術や、法律、神の教えが広まれば、もっといい都市になりますよ」

「なるほど」

帝国の開発が進んだ都市はここの比ではない。
司令は自慢げに、かつ自国の素晴らしい都市を見せられなくて残念そうに大佐に語る。

「ほら、あそこは今まさに古い建物を改修して教会に作り変えてます。
アレが出来れば、この町の住人も安心して生きていけるでしょうな。
神の教えに接すれば、洗礼から礼拝、葬式まで正しい作法を知ることになるのですから」

そう言って司令の指差すのは兵士達によって改装中の建物であった。
元は何かの集会所であったのであろうか。
もともと中にあった家具類は通りに打ち捨てられ、その代わりに兵士達が作りたての長椅子等を運び込んでいる。

「ほう、私はこの世界の宗教には詳しくありませんが、どこの世界でも同じように洗礼なり何なりの儀式があるのですか。
後学のために、概要だけでも聞きたいものです。
確か、この世界の教会と言うのはイグニス教でしたかな?」

大佐は、こめかみに指を当てて、以前読んだ資料の内容を思い出す。
たしか、この世界で主に信仰されているのは、イグニス教だったはず。
そう思って大佐は口にしてみるが、その名前を聞いた途端、エルダリ司令の表情は怪訝なものへと変わった。

「イグニス?
それは西方の邪教の名前です。
そうですね…… 今はまだ改装中ですが、既に兵士のために聖像は安置されていたはずですから見に行きましょう」

そんな宗教と一緒にするなと言って、司令は大佐を引き連れて改装中の扉をくぐる。
左右に並ぶ長椅子の列に、最奥に鎮座するひな壇。
それを見て、どこの世界も教会の配置は似たようなものかと大佐が思っていると。
ひな壇の更に奥、聖像が鎮座している場所で、大佐は信じられない物を見ることになった。

「!?」

大佐は驚愕する。
これは何の冗談かと。
目を擦り、これは錯覚で無いかと何度も確かめ
その細部を観察すればするほどに、大佐の想像は確信に変わった。

「あれは、ハリストス…… いや、まさか……」

教会の奥。
聖像として鎮座しているのは、どこからどう見てもハリストス……ローマ教会風に言えばキリストの彫像であった。
あまりに予想外な出来事に大佐が言葉を失っていると、先導していた司令が、意外そうに大佐に聞く。。

「む?
神の子の名前を知っておいでで?
その通り、我らが教会は、神と精霊と神の子ハリストスの三位一体を崇める教えです。
正式にはサカルトヴェロ使徒伝道正教会といいますが」

「せ、正教会!?
それにサカルトヴェロですか……」

ツィリコ大佐はその言葉に聞き覚えがあった。
それは大佐がまだ本国の一部隊の指揮官に過ぎなかった頃、初の実戦として派遣された南オセチア。
そこで戦火を交えたグルジア人達は、自分の国の事をグルジア語でサカルトヴェロと言っていたはずだ。
当時は記憶の片隅に止めていた事柄であったが、それでも自分の初陣で覚えたことは、今でも昨日の事のように思い出せる。
ツィリコ大佐はこんな偶然がある物なのかと思いつつも、早計は禁物だと司令の話に耳を傾ける。

「サカルトヴェロと言うのは、古代に巨人族と小人族に共通の文化を授けたと言われる古の国の名前です。
聖書によると何百年に異界からこの世界に流れ着いたものの、適応できず直ぐに滅びたという事ですが、彼らの伝えた文化・宗教が、現在の帝国の土台となっていることに変わりはありません。
同じ文化・宗教でもなければ、小人族と巨人族がここまで手を取り合えなかったでしょうからな。
現在のサルカヴェロという国名は、それを捩ったものなのですよ」

「異界から流れ着いた!?
それは転移したという事ですか?
それも我々がこの世界に来る何百年も前に?」

司令の説明に大佐は衝撃を隠せない。
だが、そんな大佐の様子を見ても、全ては聖書に書かれていることだとして、淡々と話を続けた。

「我々の聖書によるとそうなってます。
それより、あなた方もと言っておりましたが、それはどういう意味です?」

エルダリ司令はツィリコ大佐の予想外な反応に、その理由を問うた。
だが、ツィリコ大佐はすぐにはエルダリ指令の問いには答えない。
その代わり、胸元に手を入れると、銀色の鎖を引っ張って目当ての物を引き出した。

「!?
そ、それはハリストスの聖像……」

ツィリコ大佐が取り出したのは、十字架とキリストを模ったネックレス。
それを見て、エルダリ指令は目を見張る。

「このネックレスは、ロシア正教の信徒として常に身に着けている物です。
これはあくまで私の想像ですが、あなた方の言う古の国は、私たちの世界から転移してきたのではないですか?
サカルトヴェロと呼ばれる正教会の国…… 私たちの世界ではグルジアとも呼ばれ、我々の転移の時にはまだ地球上にありましたが……
しかして、これが偶然の一致とは思えない。
そして、グルジア正教と我々のロシア正教の根は共に同じ。
両方ともコンスタンティノープル総主教座から独立教会と承認された正教会の一員です」

「……ということは、貴方たちの国も正教会の国なのですか?
西方の邪教ではなく、我々と同じ神を信じていると?」

「いや、国自体は正教会ではありません。
国の中では信教の自由が保障されている。
他の宗教も同時に存在しているし、そもそも正教会の信者数は多数派ではない」

「なるほど…… それはいささか残念な事ですな。
信仰が自由と言うのは良いが、神の教えが国全体に広まっていないのですか……」

「そこは仕方ない事です。
我々のいた世界では、信教の自由は一般的なものになっていましたから。
ですが、国家規模の宗教的な繋がりはなくとも、正教会の信徒同士の交流を持つことは有益でしょう。
むしろ、貴国との交流を持つ場合には、国としての正規ルートとは別に、正教会を窓口にしていただくと我々としても都合がいい」

「それは……
そうですな。同じ信徒として手を取るのは自然な事。
それは、上の方にもそう報告しておきましょう」

異界で出会った二つの正教会。
ツィリコはこの出会いを神に感謝したのだった。




[29737] 世界観設定
Name: 石達◆48473f24 ID:addbdd48
Date: 2013/06/23 16:49

世界観設定集

【世界地図】
http://7257@mitemin@net/userpageimage/viewimage/icode/i67309/
http://7257@mitemin@net/userpageimage/viewimage/icode/i61033/
(httpを半角に変え、@を" . "に変換てください)



・世界状況
お盆の帰省シーズンの突如として出現した膜は北海道と北方4島をすっぽりと覆ってしまう。
最初は生体が生きて通過できないという制限だけだったが、少しづつ膜が変化を始め、最終的には物質の通過ができなくなるという想定に
いずれ来る隔離に備えるべく、北海道は未だ使用可能だった青函トンネルを使って文明維持に必要な機材・技術の搬入に全力を投入した。
完全隔離後は4島のロシア人と共同で新政府を発足させるも、強引な手法と物資統制に国民の不満は広がっていく……
新世界との交流を通して北海道の劇的な変化が始まる。


勢力設定

・石津製作所
拓也の立ち上げた武器製造会社。
立ち上げたばかりだが、中小企業としては順調に成長中。
5時の定時になると社長自ら従業員のタイムカードを切ってくれる親切企業(それ以降の労働は労働者の裁量)
社宅あり。昇給:年一回。賞与:年二回。年間休日日数:自社カレンダーによる。週休二日
労働組合の設立は認めない。


・客船の乗員
北海道に寄港したアルカディア・オブ・ジ・シーズの乗客たち。
外国人富裕層や有能な人材が多い。
豊富な資金力で影響力がある。


・北海道
赤い大地という異名を持つ島。
食糧自給率は高いが、製造業には偏りがある
歌って踊って働けるロボット製造の産業クラスター(資源不足により停止中)があり
転移時に道外資産を全て技術・機材・戦略物資の購入に使い殖産興業中
軍事については、機甲師団を持ち強力な航空部隊を持つが、防御重視の編成の為に行動には制限がある。
海上軍事力は、海自がミサイル艇2隻と掃海艇のみの為、海保の巡視船が主力。
南千島との統合後は北海道連邦(首都は札幌)の主体となる。

・南千島
国後南東沖の油田開発が本格化し、歯舞・色丹は日本に返還されるも
その条件である日系資本の大規模投下とロシア政府のテコ入れにより急速な開発が行われた。
産業は水産加工業と油田関係がメイン。
人口こそ少ないものの、軍事力は強力で一個師団と航空隊が配備されている。
海軍力は沿岸警備隊が主力だが、たまたま寄港していた太平洋艦隊所属のステレグシュチイ級コルベットが一隻ある。
北海道と統合後は、連邦の法制度が統一されるまでは独自の自治が保障されている。

・ゴートルム王国
エルヴィス辺境伯領のある国。
国王の死後、独立を宣言したエルヴィスに侵攻し敗戦
現状で落ち目の国である。

・エルヴィス公国(旧エルヴィス辺境伯領)
亜人の居住区に侵攻し、難民が北海道に押し寄せる原因を作った。
東方との密貿易で栄えている。
現在の領主はクラウス・エルヴィス
北海道から独立保障を受けゴートルムから独立した。
北海道との敗戦後、顧問団を多数受け入れている

・難民(亜人)
故郷を追われ、命からがらこの世界に出現したばかりの北海道へ逃れる。
亜人種は精霊魔法が使えることから、北海道からの保護を条件に北海道産業への協力を行う。
種族的にはドワーフ(単一種族では最大人数)、各種獣人が確認されている。

・サルカヴェロ帝国(東方の異教徒の国)
1m程の身長の小人族(ポークル的な外見)と3mくらいの巨人族(某BLAME!の生電社の人間的な)が基幹種族の多民族国家
魔法は使えないが兵士の主兵装はマスケット(小人)と無反動砲(巨人)
経済政策は共産主義?
宗教は東方正教会の系列

・イグニス教
ゴートルム王国をはじめ、この世界の主要宗教。
神の尖兵として戦う事を至上としている。
戦闘宗教。脳筋。
派閥として純粋派と正統派がある。
純粋派:戦争に手段を選ばす、全てを肯定する
正統派:あくまで様式にのっとった戦争を至上とする



[29737] 人物設定
Name: 石達◆48473f24 ID:addbdd48
Date: 2013/06/23 16:57

設定集

*人物*
物語に直接絡んでくる人物のみ紹介します。
情報は物語の進捗により更新します。


石津拓也(いしづ たくや)
日本人
実家帰省中に北海道に取り残されたのを機に、コネと度胸と前職の製造業知識を使って武器工場設立。
主人公のくせに特別な能力は無い。
結婚前はバックパッカー旅行者だったこともあり、冒険心が強い。
嫁の怒りを極度に恐れる。



石津エレナ(いしづ えれな)
ロシア人
主人公の嫁で子持ち。以前はロシアで看護婦をしてたが、結婚を機に専業主婦化。
現在は拓也と共に工場経営で共働き中。
医大時代に軍事教練の単位を取ってるため、銃火器が使える。
怒るとマジ怖い。



石津武(いしづ たける)
日露のハーフ
主人公の子供。
まだ、1歳児の為、まだ出番なし。
超カワイイ。イケメンベイビー



兄(にーちゃん)
日本人
主人公の兄。農家継いだオタ。
趣味の為に助成金やら何やらを使い、ロボットと獣人を農業に導入し、自分の理想郷を作り出そうとする漢
北見地区農協青年部の代表



高木はるか(たかぎ はるか)
日本人
元北海道知事。
現在は北海道連邦の初代大統領として暫定的に就任
年増の色気が漂うリアリスト



武田勤(たけだ つとむ)
日本人
元農相の衆議院議員。政権与党幹事長経験あり。
北海道の転移により、新政府樹立に尽力。
新政府では、科学技術復興機構の初代理事長に就任



鈴谷宗明(すずや むねあき)
日本人
元北海道開発庁長官の衆議院議員。
過去にヒステリックな女性大臣と対立し、"疑惑のジャスコ"とレッテルを張られて
国策捜査を受けた末にあっせん収賄容疑で逮捕失職。
後に新党を立ち上げて野党の一員に……
ロシアと協力なパイプを保持し、北方領土側との交渉に力を発揮した。



ニコライ・ステパーシン
ロシア人
元ロシア連邦首相。治安維持畑での経歴を買われて首相に任命されるが、時の大統領一族の利権を守ることに積極的でなく失脚。
その後釜に現大統領が座ったため、中央と確執がある。
転移前は露日経済協議会代表を務め、国後の石油精製施設完成の式典に来ていたところで今回の騒動に巻き込まれる
北方4島側の代表。現在は新政府で内務大臣に就任



アレクサンドル・ステパーシン
ロシア人
ニコライ・ステパーシンの息子。重度のアニオタであり、貧乳好き。愛称はサーシャ
親の脛を齧って悠々ニート生活を送っていたが、拓也の工場設立時の取引により役員待遇で会社に合流。
変態だが、頭は良く機械工学の博士号を持っている。



ウラジーミル・ツィリコ
ロシア人
元ロシア軍大佐で、北方四島に展開する第18機関銃・砲兵師団の師団長。
ステパーシン派
現在は連邦軍所属



エドワルド・コンドラチェンコ
ロシア人
元ロシア軍大尉。
ツィリコ大尉の命令により、拓也の護衛に就くが、彼を狙うガスブランと国後で死闘を演じる。
現在は、新政府で新たに発足された内務省警察へ鞍替えし、引き続き拓也の工場の警備と監視をしている。

ショーン
不明
小樽で異変に遭遇した豪華客船アルカディア・オブ・ザ・シーズに乗っていた老人。
かなりの資産家のようで、拓也の情報を元にインサイダー取引に乗っかり利益を得た。
その資金の一部は拓也に報酬として渡る。



北島五郎
日本人
フレンチドックの移動販売のおっちゃん。
難民にフレンチドックを無償支援したら、防疫上の理由で一緒に隔離された。



ラバシ・マルドゥク
ドワーフ
北海道に渡る直前に前の族長が死亡したため、急遽避難民のリーダーとなった若きドワーフの戦士
五郎と仲が良く、現在は稚内の難民キャンプで彼らを統率している。



矢追純二
日本人
マッドな博士。天才であり、彼のいう事は突拍子もない事が多いが、天才だからの一言で皆に納得されている。
幅広く科学技術に精通している為、相談役として新政府の中央によく呼ばれる。
趣味はUFOと宇宙人の研究だそうだが、本気なのか冗談なのか不明。



アルド・エルヴィス
人種
北海道転移の際に爆死した父の跡を継ぎ、エルヴィス辺境伯領になる。
尊大な性格で、北海道侵攻軍を組織するが、ガレアス船と共に礼文島沖海戦で撃沈され
巡視船に救助されるが、平田巡査長を刺して海へ逃亡



クラウス・エルヴィス
人種
アルドの弟。
兄とは逆に慎重な性格だが、臆病と言うわけではない。
女顔でポニテな為、はたから見ると女騎士にみえる…… が、それには政治的理由がある。
礼文島で捕虜になる。



ヘルガ
ドワーフ
ドワーフの中で商売を専門としていた娘。
人種の侵攻で仲間が全員死に難民として北海道に渡る。
現在は石津製作所の工員として働く傍ら、サーシャに一方的な好意を向けられている。



アコニー
猫型獣人(比率は50:50くらい)
難民として北海道に渡り、石津製作所で工員として雇われる。
むちむちで良いオッパイだが、サーシャとの相性はあまりよくない。



カノエ
種族不明
青髪の美女。グラマラスで爆乳。
落ち着いた雰囲気だが、謎が多い人物。
友達となったヘルガとアコニーの三人で行動している。
サルカヴェロから追われている。



平田信吾
日本人
礼文島の駐在所に勤務する巡査部長
独身。
さとちゃん+その他住民を助けるために行動し
刺される→TSサイボーグ化



林野さと子
日本人
平田の幼馴染でバツイチの独身
愛称は、さとちゃん。
侵攻軍の攻撃で家を失い避難した



日本人
元陸自三等陸佐。
連邦軍になった後も、第301沿岸監視隊派遣隊に所属している。
現在、礼文島で侵攻軍と交戦。
巡視船沈没後に住民に避難指示等の指令が出たため、満足な時間が無く準備不足で大苦戦するも
撤退を完了する

ニノ
盗賊の頭
ハイエナ族(比率はケモ30:70くらい。尻尾と耳がある程度の部族)


タマリ
ニノの娘
盗賊→人質→変態マゾ→情報提供者とステータスがコロコロ変わる。

イラクリ
ニノの息子
家族思い。
ショタでも笑顔で殺人・強盗を行う。



[29737] 東方世界8
Name: 石達◆48473f24 ID:2753b8e6
Date: 2013/07/15 01:51
サルカヴェロとグルジア正教という驚きの事実が発覚後
エルダリ司令とツィリコ大佐は、正教会と言う意外すぎる共通点を見出し、最初の接触は成功に終わったかに思われた。
北海道連邦内の非日本人コミュニティとして他勢力と繋がりが欲しかった所に現れた、信仰と言う繋がり。
どういう経緯でこちらに伝播したのかは分からないが、カトリックでもプロテスタントでもない正教会である。
それは、連邦内に居る非日本人を合計すると過半を超えてるとはいえないロシア人が、これからも影響力を持ち続ける事が出来る重要な要素だった。
詳しい教義の違いは両国の教会の人間で確認してもらわねばならないが、これをキッカケとすれば相互理解も促進されるだろう。
そのような事を考えながら、司令と更に少々の談笑を交わした後、互いに握手を交わして宿泊予定の船へと戻ろうとするツィリコ大佐。
この成果は、一刻も早くステパーシンに報告せねばならない。
だが、そんな上機嫌な彼の前に立ちはだかる影が一つ。
ポニーテールに束ねたブラウンの髪に、肩にかけられた黄土色の軍用コート。
鬼気迫る表情をしたエレナが、小銃を手に大佐の進路を塞いでいた。

「大佐…… 何かお忘れじゃありません?」

ニッコリと笑うエレナが、ツィリコ大佐に問いかける。
護衛と言う任務上、依頼主の様子は常に監視している。
詰まる所、大佐が中でしていた会話は全てインカム越しにエレナに筒抜けであった。
無線に魔法的な効果は乗らないため、エルダリ司令の言葉は分からなかったが、ツィリコ大佐の言葉にある単語が全く出てこなかった事に対しエレナは怒っていた。

「ん? 忘れ物は無いぞ。
帽子もちゃんと被っている」

「そうじゃなく!!
ウ・チ・の・旦・那!!!」

エレナにそこまで言われて、大佐もポンと手を叩いた。
実際の所、いろいろと驚きの連続があった為に、優先度の低い事項はうっかり忘れていた。
恐らくは、鬼気迫る表情で彼女に言われなかったら、夜、寝る前にふと思い出すとかそんなレベルだったであろう。

「いや、それはだね。
……別に忘れていたわけじゃないぞ?
これから話をするだけだ。
色々と君の夫には国後で頑張ってもらっている。
忘れるわけが無いじゃないか」

大佐は乾いた笑いをしながら、一度出て来た道をそそくさと戻る。
そんな彼の背中に鋭い視線が突き刺さるが、彼はそんな視線から逃げるようにエルダリ司令の居る部屋へと戻っていった。
出て行った相手がすぐさま戻ってきたのを見て、司令は大佐に何事かと尋ねるが、大佐から用件を聞くなり「そんな事か」とすぐに了承してくれたのだった。

「なるほど、あの異民族の男は大佐の国の人間だったか。
彼は、我が国の重要犯罪人と一緒に居たため逮捕したのだが、これからの貴国との関係を考えて丁重に扱ったほうがいいかもしれないな。
現在、彼は帝都へ移送中だが、取調べが住み次第こちらへ戻すように書状を書こう。
書状を帝都へ報告に行く早馬と一緒に持たせれば、帝都到着前には追いつくだろうから安心していてくれ」

「ご協力感謝する」

大佐の要請に、迅速に対応すると約束するエルダリ司令。
だが、大佐は今回の事の顛末について全てを理解しているわけではなかった。
上に報告されている情報では、逮捕された"邦人"は一人。
元難民であるアコニーやカノエは、邦人としてカウントされていない。
その上、司令の言う重要犯罪人が拓也達の仲間であるとは思いもしていなかった。
しかし、そんな事とは露とも知らず、大佐はエレナに対し全て大丈夫だと説明する。
大佐に拓也の安否の太鼓判を押されるだろうエレナ。
そんな彼女に出来る事は、拓也の無事を信じ、ただ待つことだけである。

「……ホント、しっかりしてよぅ」

空を見上げながら、この空の下のどこかに居る拓也の心配をするエレナ。
何かとトラブルの尽きない夫を思つつ、彼女は船に戻ろうとする大佐の後を続くのであった。



一方その頃、帝都へ向けて移送中だった拓也達の待遇は劣悪を極めていた。
ガタガタ揺れる馬車の乗り心地は最悪であり、ずっと檻の中にカンズメである。
特にすることも無く暇な上、ゆっくり出来るほど乗り心地も良くない。
そんな乗り物に乗せられた拓也達4人のストレスは着実に高まっていく。
だが、バトゥーミで待つエレナから心配される拓也より、もっと精神が擦り切れ始めているのが一匹いた。
目の下にクマを作り、不機嫌な顔で座っているアコニーである。
檻の中に入れられて以来、彼女に心が休まる暇は無かった。
昼間は昼間でタマリにおちょくられ、激怒と宥められるパターンを何度か繰り返し、アコニーのイライラは蓄積されていった。
そしているうちに夜になり、やっと休めるかと思いきや、彼女の願いは木っ端微塵に砕かれる。
ニノ、タマリ、アコニー、拓也の順で馬車に横になっていたのだが、馬車の御者である小人族の兵士とニノの二人が、馬車の端でヨロシクやっているのである。
コレには彼女は参った。
兵士からサルカヴェロの説明を受ける際に、何やらニノ達が変な話をしていたのは覚えていたが、まさか本当におっぱじめるとは思っても見なかった。
ただ煩いだけなら注意すれば良いが、こういった事にあまり慣れていないアコニーは、顔を真っ赤にするばかりで声に出して注意が出来ない。
アコニーは堪らず拓也に助け舟を頼もうと彼の方を見るが、日頃の戦闘訓練のお陰で眠りの浅いアコニーとは違い
寝つきの良い拓也は、ニノがコトを始めるより先に早々と夢の世界に旅立っていた。
馬車の反対側では他の兵士に気付かれぬ様、押し殺した妙な声やら水音がしているのに全く気づいていない。
アコニーは拓也は役に立たないと諦め、反対側へ振り向くと、今度は呼吸が荒いタマリと目があった。
じーっとアコニーの方を見るタマリ。
どうにも目付きが尋常じゃない。
一度アコニーと視線が会うと、その後、彼女は舐めるようにアコニーの全身を見る。
そして視線をアコニーの顔に戻し、ニコッと笑うタマリであったが、アコニーはそんな彼女の視線に悪寒を感じ、最終的に彼女は狸寝入りをする事に決めた。
出来るだけ何も考えないようにし、ニノ達の行為が終わるのをじっと耐える。
顔を真っ赤にしながら長い長い時間を耐える。
やがて、それも終わりが来て、ようやくアコニーが寝付けたのは夜半をかなり過ぎての事だった。
だが、彼女の苦労はそれで終わりではない。
ようやく寝れたと思ったのも束の間、夢の中にて腹部に圧迫感と胸に違和感を感じる。
そんな変な感覚の中、アコニーは寝続ける事が出来ない。
半ば強制的に目が覚めてしまった。
だが、そのタイミングが最悪であった。
目を開けた瞬間、何故か自分に馬乗りになっているタマリから、胸から顔にかけて謎の液体をぶっ掛けられた。
最初はそれが何か分からなかったアコニーだが、茫然自失としながら自身に何が起きたか悟った時、凄まじい勢いで彼女はタマリに向かって行った
アコニーは激怒した。
騒ぎを聞きつけて、周りの兵士が集まってくるくらい彼女は激怒した。
そんな彼女に対して、スッキリした顔のタマリが言った「なかなか良かったよ」という全く悪びれる事のない一言は、アコニーを更に激上させた。
最終的に一人騒いでいるアコニーが兵士達にボコられて騒ぎは収まったが、一方的な被害者であるアコニーの精神は擦り切れようとしていた。

「うぅ…… 早く、助けて……」

アコニーは、毛皮がカピカピのまま馬車の片隅で膝を抱えて一人泣く。

「まぁ その…… 元気出せよ。
今後は奴等が変な事をしでかさないよう見張っててやるからさ」

しくしくと泣くアコニーに対し、拓也は肩をポンと叩いて慰める。
だが、アコニーはそんな事では安心できなかった。
エレナの存在がある為、こっちに手を出してこないのは良いが、直ぐ横であんな事があったのに全く意に介さずに爆睡していた拓也。
彼のあまりの寝つきの良さに、アコニーは拓也には夜の見張りなど無理だと確信していた。
それに、一連のニノの行為やタマリのセクハラについて、静かにしないと魔導具のネックレス(と言う設定のエレ○バンだが)を作動させるぞと拓也に脅して貰ったが、その効果は疑問だった。
彼女ら曰く「ちょっと、イタズラした程度で殺されちゃ命がいくらあってもたりない」
だの
「そんな小さな事で奥の手を使っちゃうのかい?」
と舐めた様子である。
彼らの言い分は、別に本気で害を及ぼそうとしていないのだから大目に見ろとのコトだった。
その上、「今ここであたいらを殺したら、周りのサルカヴェロ兵があんたらを如何するかね?」と鼻で笑ってくる始末。
拓也達の優位性は、奥の手(の設定)が究極過ぎて使うに使えず、ここでは限定的に失われているのだった。
最終的にアコニーと拓也が交代で寝てニノ達を見張ると言う事にはしたが(拓也が居眠りしないかは別として)、そんな取り決めをしてもなお意味深な笑みを浮かべるタマリ。
アコニーの受難はまだまだ続きそうであった。








そして、時間は少々流れる。

バトゥーミ方面へ少々離れた街道上。
エルダリ司令より伝令として書状を預かった二人の兵士は、鳥にまたがりながら一路帝都に向けて急いでいた。

「今頃、輸送隊はドコまで進んでますかね」

「そうだなぁ 騎兵と馬車の集団なんで、移動速度は結構ある。
だからもう暫くは…… って、あれは炊事の煙。輸送隊に追いついたか?」

そう言って歳若い兵士は中年の兵士に尋ねた丁度その時。
空に向かって立ち昇る幾筋の煙が視界に入った。
煙の下、道の向こうに見える大勢の影。
それを見て、兵士達は輸送隊に追いついたかと彼らは思った。
だが、予定より早い合流に中年の兵士は疑問に思う。
こんな所でまごついているとは、何かトラブルでもあったのか?
彼は目を凝らして前方の集団を覗き込み、前方の集団を観察する。

「こんな近くに居るわけないんだが、何か問題でも……
って!いや、まて、あれは輸送隊じゃない!
あれは…… サテュマ人の部隊だ!!」

視線の先に映るのは、丸に十字。
それは今、東方で一番武名と悪名を轟かす一団。
サテュマ人の部隊であった。

「糞、奴等に関わったら面倒だな。
しかも、既に見つかっているか……」

見れば、見張りとおぼしき数名の兵士が、こちらを指差して何やら話している。
この状態でわざわざ迂回すれば、向こうにとって見れば怪しさは満点だろう。
余計な勘繰りをされて時間を浪費する可能性がある。

「如何します?」

「そうだな。
とりあえず、面倒なことになりそうになったら俺が対応する、お前はその間に書状を持って帝都へ向かえ」

「はい!」

サテュマ人の気質から荒いと有名だし、文化が一般的なサルカヴェロ人とは根本的に違う。
ちょっと話をしたつもりが、トラブルになり無駄に時間を拘束されてはたまらない。
中年の兵士は、仮に面倒が起きた場合の保険として、兵士はもう一人の兵士に預かっていた書状を手渡す。
自分がサテュマ人の対応しているうちに、若い兵士だけでも帝都へ向かわせようと言うのだ。
若い兵士は、苦笑いする中年の兵士の表情からその言わんとするところを察すると、受け取った書状を懐にしまい、先ほどと同じように道を進む。
味方と言えど、サテュマ人に関わるのは面倒。
そう考えた彼らであったが、彼らに近づけば近づくほど、それと共に大きくなる騒ぎ声。
彼らの想像は悪い意味で的中しているのであった。
明らかに普通の食事とは違う騒ぎっぷり。
恐らく酒を飲んでいるのであろう。
昼真っ赤ら酒を飲んで部隊行動する彼らに兵士達は眉を顰めた。
だが、それでもサテュマ人たちは見張りだけはちゃんと置いているようで、兵士達が部隊に近づくと、見張りのサテュマ人兵が誰何の声を上げる。

「おう!おはんな、どっからきした?」

非常に強いサテュマ人の訛。
あまりに異なるフレーズは魔法により翻訳されるが、ギリギリ翻訳されない訛りも混じって混沌とした言語となっている。
一説によると、彼らの文化的祖先の言葉が色濃く残っているそうだが、それにしても異質な訛り方である。
このサテュマ人というのは、見た目は人と狐が半々の人狐族であるが、その文化・思考形態は明らかに異質であった。
帝国の一部になったからには、緩やかに教会の教えや帝国の文化が浸透しているはずなのだが、いまだその効果は表立っては見られない。
そもそもにして、周辺の部族とは明らかに文化のルーツが違う。
周りがこの世界に一般的に伝わる精霊やら何やらを信じているのに対し、彼らはオイナリサマーとかいう異教の神を信仰している。
そればかりか、一般の服装から食生活、剣術に至るまで独自のものを持っていた。
恐らくはサルカヴェロ人に文化を教えた人々の存在があったように、サテュマ人にも文化の伝道者が居たのかもしれない。
全く別系統の文化。
その片燐は、兵士の態度を見ているだけで実感できるものだった。

「我々は第五軍から帝都へ報告むかってる最中だ。
そちらの部隊は?」

「おい達のサテュマ人第二師団は、補給のためバトゥーミへ向かって移動中ござんで。
本隊は、そろそろバトゥーミに到着すう頃はずじぁんどん、師団のげっじゃぁおい達部隊は、炊爨のための小休止中でごわす」

正直な所、何を言っているのかは余りわからないが、周りを見ると、食事と言うよりは宴会に近い事をやっているのは分かる。
辺りには米の蒸留酒の匂いが漂っている。
ここには軍紀も何も無いのかと兵士が眉を顰めていると、不意に発砲音が響き渡る。
ドーン!
急に聞こえた発砲音に二人は身を屈めて辺りを見渡すが、目の前の見張りも含めて誰も気にした様子は無い。
逆に、発砲音が聞こえてきた方から笑い声がこだまする。

「わはははは」

兵士達の野太い笑い声。
見れば円陣を組んで飲み食いしていた者の一人が血を流して倒れている。
そして、信じられない事に、円陣を組んで飲み食いしていたサテュマ兵達の中心に、木の枝から紐でつるされた銃が、銃口より白煙を上げていた。
やつらは、いつ火がつくか分からない銃の周りで酒を飲んでいるのだ。
それも、死傷者が出ても助けるどころか逆に笑っている始末。
彼らの文化に馴染みの無い者達からすれば、狂ってるとしか言いようの無い光景だった

「こ、こいつらおかしいですよ」

「いうな。コレでも味方なんだ」

彼らの狂気に、味方であっても恐怖を感じる二人。
だが、怖気づいてると思われないように、精一杯の虚勢を張っていると。
見張りのサテュマ兵の後ろから、一人の仕官が歩いてきた。

「お勤めおやっとさあ!どこの部隊かは知らんが、てのん一杯どうだ?」

見れば、その仕官は既に酒が回っているようで妙にご機嫌である。
だが、二人の兵士はその誘いに乗るわけには行かなかった。
キチガイと酔っ払い。
最悪の組み合わせである。
この先何が待っているか分かったものではなかった。

「いや、何分、我々も急いでいるものでな。
早急に書状を帝都まで届けねばならんのです」

「まぁ そう、ぎをゆな」

「いや、そういう訳にも……」

そう言って、中年の兵士が誘いを断ろうと二度三度の問答を続けていると、次第にサテュマ人仕官の表情が変わる。

「おい達の酒が飲めんとは、正規軍は帝国の為に身を粉にして働くおい達に対して何か思う所があっとですか?」

ギロリと睨む狐顔の男。
その迫力に、兵士達は思わずたじろいだ。

「ま、まぁ
そこまで誘っていただいて断ると言うのも失礼に当たる。
だがしかし、この書状をすぐさま帝都に持っていかなければいけないのも事実。
と言う事で、私の部下は失礼させてもらうが、私だけご相伴に預からせていただくよ」

中年兵士は若い兵士に目配りすると、若い兵士はスミマセンと一言謝って鳥に跨る。

「この書状を帝都まで持っていけ、別に俺を待つ必要は無い。
帝都でまた会おう」

中年の兵士は若い兵士に懐から取り出した書状を渡すと、若い兵士はそのまま振り返りもせずに駆け出した。
後に残ったのは一人の兵士と、ポカンと口を開けながら駆け去る鳥を見送るサテュマ兵達。

「あー…… まぁ急いでいうならしよがなか。
あん兄ちゃんは可哀想だが、帝国軍同士、一緒に一杯やろうほいならんか」

一人には逃げられたが、もう一人は逃がさんと言わんばかりに、サテュマ人の仕官は兵士の腕を掴む。
そうして連れてこられた食事の席は、彼の理解を超えるものだった。
木から吊り下げた銃の周りで、兵士らが各自の料理を突いている。
それも撃鉄の所に細工がしてあり、いつ暴発してもおかしくない。
そんな狂った状況の中で食べている料理は、野外炊爨での食事という事もあり、動物の腹に内臓の変わりに米を入れて焼いただけというシンプルなものだった。
本来なら米に染み込んだ肉汁が美味い逸品であるが、目の前を暴発の危険性がある銃口がグルグル周っている状況下では、まともに味を感じなかった。

「旨いか?
正規軍ではこげん馳走は出んだろう?
それにこん飯の食い方は、兵士の気合を鍛ゆっ訓練いもなう。
逃げてはならん。避けてもならん。痛がってもならんが鉄の掟だ。
いけんした?はごと食わんか?」

彼には理解できなかった。
サテュマ人達は訓練とはいっているが、食事の度に兵数が減耗していきそうな狂気の宴。
帝国のためを思えば、兵士は極力無駄な損耗は避けるべきなのに、そんな気遣いが一切無い。
そんなサテュマ人の実態を見て、彼の心は恐怖よりも蛮族に対する侮蔑感が生まれてきたのだった。

「何だこの野蛮な宴会は……
帝国の大切な兵士を何だと思ってるんだ」

兵士はぼそりと小声で零す。
だが、その声は酔っているサテュマ人の耳には入らない。
しかし、何かを言った兵士の顔を見て、何を思ったのかニヤついた顔で絡み始めた。

「なんだ?何を怪訝な目で見てう?
お強いはずの正規軍様でん、怖くなったのか?」

「……」

兵士は何も答えない。
ただ、愚かな行動にたいする抗議を、目によって語るだけ。
本来ならば、口頭で注意をしたいが、彼の階級では上官に対しそこまで言えない。
その為、質問には沈黙で答える事になったが、これを怖気づいたと見て、おちゃらけた表情で突っかかってくるサテュマ人仕官に対しては、ただただ不快感しか感じない。
狂った者達に対する恐怖よりも、あまりにも野蛮な彼らの行動に対する嫌悪感の方が強くなっていく。

「なんだそん目付きは?
気に障ったか?」

兵士の抗議の視線を受けて、サテュマ兵仕官も表情が変わる。
どこか侮蔑を孕んだ兵士の視線に、向こうも不快感を得ているようだ。
だが、それでも兵士の視線は変わらない。
口では言わないものの、それでも目は口ほどにモノを言っていた。

「……」

視線で抗議し、何も言わない兵士。
本人としては、無言の抗議のつもりであったが、対するはサテュマ人。
通常の道理が通じるはずも無かった。

「そんな目をしたぁ!」

いきなり激高したかと思うと、腰の刀を抜いて袈裟懸けに切りかかるサテュマ人仕官。
急な展開に、対する兵士も剣を抜こうとするが、あまりに早い斬撃に彼の抜刀は間に合わない。

ガキン!

打ち合わされる刃と剣の鞘。
抜刀こそは間に合わなかったものの、鞘ごと受け止めた事で刃が兵士の体にめり込む事態だけは避けられた。

「何をなさる!?」

急に切りかかってきたサテュマ人仕官に、兵士は何事かと尋ねる。
いきなり切りかかってくるとは正気ではない。
兵士の質問に対して、刀を止められたサテュマ人仕官は、舌打ちを一つすると刀を腰の鞘に納めた。

「おっと、すまん。
ついうっかい剣を抜いてしもた。
まぁ いつもの事だ。気になさらんでくれ」

いつもの事……
彼らはいつも些細な事で切り合いをしているのだろうか。
兵士はその事について、想像のはるか斜め上を行くサテュマ人の実態に戦慄するも、周りからの視線を受けてハッと我に返った。
抜刀沙汰が起きたため、全員の視線がこちらに向いている。
先ほどの和気藹々とした雰囲気は消え、戦場にでも居るかのような緊迫した沈黙が辺りを支配している。

「……どうやら、私は空気が読めないのでこの宴席には居ない方がいいようだ。
お誘いいただいた身で申し訳ないが、ここらで失礼させていただきます」

そういって兵士はサテュマ人仕官に謝ると、連れていた鳥の所まで戻る。
振り向いた途端に斬られるのではないかと冷や冷やするが、幸いにも誰も彼を追う者は居なかった。
勢いよく跨ると同時に走り出す愛鳥。
サテュマ人の視線を背中に受けながら、彼は逃げるようにその場を離れるのであった。


彼は手綱を握り、愛鳥に速度を求める。
それに応えて鳥も駆ける速度を上げていくが、そんな中で中年の兵士は先行した若い兵士の事を考えていた。

「今から追いつかなくては……
……っと、しまったな。
彼に輸送隊向けの書状を渡しそびれたな。
帝都に行く前に其方によるか……」

彼は急いで若い兵士に追いつこうと考えるも、輸送隊向けの書状を渡しそびれた事に気が付いた。
帝都に向けて一直線に向かう若い兵士と、輸送隊に寄って書状を渡さなくてはならない彼。
最早、どんなに急いでも追いつくことは無理だと彼は思ったが、それでも彼は出来るだけ急ごうと騎乗する愛鳥の手綱を繰るのであった。


そうして彼がサテュマ人の宴から逃げてから一昼夜。
地平線の彼方まで続く平坦な平原の中をはしる街道の上を風のような速さで彼は走った。
草原を帝都に向けて走るにつれ草原に木々が増えていく。
何度かの休憩を挟みつつ平原を疾走してきた彼とその愛鳥は、街道沿いにある林の中の泉で輸送隊に追いつく前の最後の休憩を取っていた。
そこは余り知られていない街道沿いで数少ない清水の湧く泉。
普通の旅人は、近場にあるより大きな泉で休憩を取る事が多いのだが、より水の綺麗な穴場スポットを知っていた彼は、迷わずそこを訪れていた。
林に分け入り、目当ての泉を見つけると、彼は鳥を降り、兜を取って泉に近づく。

「ずいぶんと飛ばしてきたから、恐らくこの休憩が最後だな。
そろそろ輸送隊に追いつく頃だ。
……お前も疲れたか?たっぷり水を飲め」

そう言って彼は、泉に顔を突っ込んで浴びる様に水を飲む鳥を撫でる。
そうして暫く愛鳥を撫でながら、その疲れを労わってやっていると、彼の脳裏にふと別れた年若い兵士の事が浮かぶ。

「もうそろそろ輸送隊に追いつくはずなんだが、アイツは寄り道せずに帝都に向かってしまっただろうか。
まぁ 書状を受けとって無いんだから、輸送隊で時間を潰しているはずもないか」

最初から追いつけるとは思っていなかったが、それならそれで自分の仕事を果たすまで。
恐らくもういくばくもしないうちに輸送隊には追いつける。
彼はもうひと頑張りだと、ごくごくと水を飲む愛鳥を撫でた。

「うまいか?
それにしても災難だったな。
サテュマ人なんて蛮族共に絡まれなければ、2羽で一緒に帝都を目指していたんだが……
それにイキナリ抜刀してくるとは…… 奴等、狂っているとしか言いようが無いな」

いきなり斬りかかってきたサテュマ人に対し、自分だったから受け止められたものの、もしあれが部下だったら死んでたかもしれない。
そういった意味では先行させておいて良かったと彼は思った。
サテュマ人への不信感と、何事も無かった事の安堵。
だが、彼の不幸はまだまだ終わりを迎えたわけではなかった。


ヒュ……

ゴ!

真後ろから音も無く投擲された何か。
油断していた彼はそれをよける事も出来ず、まともに頭に喰らってしまう。
暗転する視界。
任務を果たそうとする彼の意識とは裏腹に、彼の意識は唐突に途切れてしまうのであった。。










清水の泉からほど近い林の奥。
そこには拓也達が捕えられた輸送隊を追うイワンたちの姿があった。
ブッシュに隠れながら、大きな泉の近くで休憩中の輸送隊を監視する彼等。
そんな彼らの後ろから、大きな荷物を担いだ影が忍び寄る。

「ただいまー」

その正体は、イワンと共に輸送隊を追う盗賊団の一人。
イラクリと一緒に追跡隊に参加したハイエナ族の女であった。
女の肩には大きな肉塊がある。
彼女はそれを近場の岩の上に置くと、輸送隊を監視している仲間に見せた。

「うわ!でっかい肉だね」

彼女が持ってきた肉に、思わずイラクリが驚く。
女性の方が体格の良いハイエナ族にとって、狩りは女の仕事。
彼女は自分の仕事の成果を誇る様に胸を張って今回の狩りの成果を話した。

「いいカモ(強盗的な意味で)がいたんだよ」

ふふんと鼻をならして自慢する彼女。
ニノやタマリには戦闘能力では遠く及ばないが、盗賊の一味だけあって戦いのセンスはそこそこある。
ちょっとした強盗程度ならば、彼女一人で問題は無かった。
だからだろう、彼女らが盗賊稼業でよく使っていたカモと言う言葉を、イラクリもいつもの意味で認識していた。

「へぇー それは良かったね。でも、ちゃんと後始末(被害者の死体的な意味で)してきた?」

「それはもう。ぱぱーっと鳥を捌いて、要るもんだけ取ったら、適当に穴を掘って埋めといたよ」

「それならいいや。
イワンさん見てください。
でっかい鳥肉ですよ」

そう言って、イラクリは双眼鏡で輸送隊を監視していたイワンの肩を叩き、彼女が運んできた肉塊を見せる。
岩の上に置かれた巨大な鳥の腿。
地球基準で考えたなら余りに常識外れたその肉に、イワンは呆れながらに感想を言う。

「……随分とでかいカモ(鳥的な意味で)だな」

こっちの世界にはこんなにデカイ鴨もいるのか。
何でもアリなこの世界に、イワンは最早深く考えるのを止めていた。
魔法や獣人も有りのこの世界。
巨大な鴨が生息していても不思議じゃないと考えたのだ。

「今回は当たりだったね。良いモン持ってるカモだったよ(奪った金銭的な意味で)」

彼女はニヒヒと笑いながら、腰に付けたジャラリと音のする袋を自分の荷物に仕舞い込む。
そしてそれと入れ替わりに、ナイフを持ったイワンが、大きな肉塊を捌きだした。

「そうか。肉質は良さそうだな。
さっさと食うか」

そう言ってパパッと肉を切り分けるイワン。
火が通りやすいように薄くスライスした肉を、彼はアウトドア用のフライパンと携帯ガスコンロで手早く火を通す。
これが焚火なら輸送隊に煙が見つかってしまうが、無煙の燃料なら遠くから見つかる様な煙は出ない。
気を付けるべきは、匂いが拡散する風向き位である。
最初は、そんな魔法に頼らない文明の利器にイラクリ達は目を丸くしていたが、何度か一緒に調理をすれば彼らも慣れたモノである。
今では、さも当然の様にガスコンロを使い、至福の表情を浮かべて肉を頬張る。
旨い旨いと肉汁を滴らせながら食べる彼らは、食事中にも拓也達の救出の機会を伺いつつ、監視中の輸送隊について無線での定時連絡を送る。
だが、彼らは知らない。
彼らが大きな鳥肉を食べた事が、巡り巡って拓也達の救出が遅れる事になるとは露程にも思わなかったのであった。



[29737] 帝都ティフリス1
Name: 石達◆48473f24 ID:fd59956e
Date: 2013/08/09 02:02
*スマホから投稿したら改行がおかしい…
後程そこは直します*


「ここがサルカヴェロの首都か……」

色々と問題も発生しつつ、馬車に揺られる事、数日。
遂に拓也達一行は、サルカヴェロの首都ティフリスに辿り着いていた。
帝都に近づくにつれ、徐々に立派に、そして数を増やしていく家々。
王城へと続く道の沿線では、石造りの3階建てや4階建ての建物が軒を連ねていた。
建物の外観は、どこか中央アジアっぽかったバトゥーミとは違い、東欧風に近い装飾が美しい石造りであった。
そんな町並みが、幅50mはあるかという大通り沿いに延々と続いているのである。
それだけ見ても、この国の豊かさが十分にわかるというものだった。

「田舎者には刺激が強すぎたか?
これが帝都ティフリスさ。
今までお前たちが見た事のある西方の町なんかとは次元が違うだろう?
コレが大帝国である帝国の国力さ」

流れる町並みを見て、御者がふふんと鼻を鳴らして自慢する。
その顔には自国に対する絶対の自信が満ち溢れていた。

「まぁ、いつまでも街並みを見ていたい気持ちは分かるが、時間は限られているからな。
今走っているルスタヴェリ大通りを抜ければ帝国議会と王城がある。
そして、お前たちがぶち込まれるのは、豪華絢爛な王城!……ではなく、それを過ぎたところにあるナリカラ要塞だ。
そこに入れば、見れるのは石壁くらいしかないから、今の内に美しい町並みを楽しんでおくんだな」

街並みをぽーっと眺める四人に対し、馬車の御者が小ばかにしたように町を説明する。
お前らの田舎と違ってこっちは凄く栄えているんだぞという優越感がにじみ出ている発言だったが
拓也以外の3人は、小ばかにされた事など気にもせず、珍しそうに街並みに魅入っていた。
そんな彼女らの姿を見て、かつては盗賊として野山をかけていたニノとタマリは当然としても、アコニーまで惚けているのには拓也は釈然としなかった。

「なぁ アコニー。
大都市なら北海道でいっぱい見たんじゃないのか?」

「え?
あぁ 確かに稚内や北見にユジノクリリスクは見ましたけど、ここまで大きく無かったですよね?」

「あれ? 札幌とかは見てなかった?」

「見てませんよ。
私は、稚内から直接ユジノクリリスク送りでしたし」

そんなアコニーの答えに、拓也はアコニーまで惚けている事の合点がいった。
確かに今アコニーが名前を出した都市の中に、見た目の規模でこのティフリス以上の都市は無い。
そのなかで一番大きな北見も、新潟県に匹敵する面積のあるオホーツク管内で唯一10万人越えの人口を有してはいたが、町の大きさで明らかに負けている。
文明レベルでは明らかに勝っている相手に、下に見られる屈辱。
拓也は後日、アコニーに札幌の街並みでも見せてやろうと思ったが、今、重要なのはそんな事ではない。
拓也は、アコニーに「そうだったか」と軽く返事をすると、別の質問を御者にぶつけた。

「なぁ こっちはそのナントカ要塞に連れて行かれるのは分かったが、向こうの馬車は何処に行くんだ?
俺たちと同じじゃないのか?」

拓也は、拓也達の乗る馬車がカノエ達の車列から離れて別の道に差し掛かったのを見て、すぐさま御者に理由を聞いた。

「あ? あぁ、青髪の乗った馬車の事か。
そりゃぁ超重要人物だから、王城の地下牢にでも入れられるんだろ。
普通の犯罪者とは別格だよ。
お前らみたいな一山いくらの犯罪者とは別さ。
まぁ どうせ二度と会えないんだから綺麗サッパリ諦めるんだな」

そういって御者の兵士は、考えるだけ無駄とばかりに軽く言い放つ。
二度と会えない、そんな言葉を簡単に受け取れない拓也だったが、それ以上に慌てる人物がもう一人いる。

「に、二度と会えない?
タ、タマリに何かしたら許さないんだからね!」

御者の言葉に不吉な物を感じ、アコニーが御者に抗議の声を上げる。
だが、その言葉に対しても、御者の対応は淡々としていた。

「いや、お前たちも処刑だよ?
青髪に関係してたんだもん。当たり前じゃないか」

「「……え゛ぇ?!」」

さも当たり前のように死刑だと告げる御者の言葉にアコニーと拓也の声が重なる。
確かに身柄を押さえられた時はカノエと一緒にはいたが、別にサルカヴェロに害を与えあるような事はしていない。
あまりに理不尽な裁きに、拓也は今一度、御者に確認する事にした。

「いや、でも、前に取調べがあるとか何とか言ってたよね?」

「あぁ、あんなのは、青髪の一味かと聞かれてハイと言ったら即死刑だよ。
……形式だけだな」

「……」

拓也達は絶句した。
捕まりはしたが、拓也達の立場やコレまでの経緯を説明すれば、何とかなるんじゃないかという淡い期待もあった。
だが、実際の所、このまま何もしなければ処刑される算段が大きい。
ならば、機会を見て行動に移す方が良いだろう。

「アコニー……」

拓也は御者に聞かれないよう小声でアコニーに囁く。
そんな拓也の態度にアコニーも察したのか、彼女も声を潜めて応えた。

「はい」

「まだイワン達の匂いはするか?」

「風に乗って時々します。
まだ追って来ているようです」

猫系と言っても人族よりは遥かに鼻が利くアコニー。
彼女は、帝都までの移送中、風向きによって時より香るイワン達の匂いに気付いていた。

「何とか連絡を取るんだ。
隙を見て逃げるぞ」

これまでは重装備の護衛隊が近くにいたために行動に移せなかったが、それらと別れるのであれば何かしらチャンスはあるはず。
拓也は、その可能性に賭け、アコニーに意思疎通をする。
何も行動を起こさない場合の結末が見えているなら、多少荒事になっても遠慮はいらない。
何としてでも脱出してみせると拓也は決意するのであった。










そんな拓也達の決意から暫し後
拓也達の馬車と別れたカノエの乗った馬車は、サルカヴェロの王城に到着していた。
巨大な石とローマンコンクリートの様な素材で形成されたその城は、拓也達の世界で例えるなら、尖塔の無いイスタンブールのアヤソフィアと言った感じだろうか。
巨大な箱型の構造にドームの天井が載った姿は、帝国の強大さと建物の美しさを同時に表しているようだった。
そんな豪華絢爛な王宮の中心。
一階からドームの天井まで吹き抜けの大広間。
サルカヴェロの皇帝が謁見の間として使うその場所の中心で、当代の皇帝と大勢の元老院議員に囲まれる形でカノエは立たされていた。
だが、衛兵に連れてこられたカノエは、特に抵抗らしい抵抗もせず、その場で周りを見渡しただけで何も言葉を発しない。
ただ、キリっとした目で皇帝を見つめるだけである。

「流石は青髪の一族。
これから待っているのは処刑だけだと分かっていながら、実に凛としている」

そう言って、最初に口を開いたのは皇帝の方であった。
当代皇帝ジュガシヴィリ
それは元老院から指名された小人族の男であった。
小柄な体格ながらも立派な口髭を生やし、精力に溢れた目をしている。
彼は、青髪を政権から追い落とす際、もっとも多くの青髪を抹殺した男でもあった。
そんな功績によって皇帝にまで上り詰めた男であったが、そんな男を前にしても、カノエは怯える事も無くいつもの調子で言葉を返す。

「まぁ 既に長い事生きましたしね。
死ぬ事に対してはあまり未練はありませんわ。
色々と最後は楽しかったですし」

皇帝の問いかけに、長い髪の毛の毛先を指でクルクルと弄りながら、まるで思い出話でもするかのように答える。

「楽しい?」

「うふふ……
聞きたいですか?
話せばちょっと長くなりますけど」

笑顔を浮かべ、まるで自分の惚気話でも語るかのようにカノエは皇帝に尋ねる。
その顔は、これから処刑されると宣言されたのにも関わらず、恐怖とは無縁の表情であった。
何がそんなに可笑しいのか。
なおも笑顔を浮かべるカノエの態度を見て、皇帝はその理由に興味がわいた。

「……ふん。
まぁ 既にエルフには魔導具にて青髪捕縛の連絡は行ったが、彼らも直ぐに来るわけではない。
夜明け前には着くとは言っていたが、どの道まだまだ時間はある。
その間の暇つぶしに聞いてやらん事もない」

「まぁ 優しい皇帝さんね。
優しいついでに私を逃がしてくれると助かるんだけども」

"だめ?"と、軽い調子でカノエが訪ねる。
あくまで冗談の延長線上の言葉ではあるが、そんな言葉に対しても皇帝は一切譲歩はしない。

「それは出来ん。
貴様らには、かつて同胞達を奴隷のように扱ってくれた過去がある。
その罪を死で以って償うまでは、解放は出来ん」

予想通りの拒絶の言葉。
それも恨み節を込めてである。
カノエは、そんな皇帝の言葉に「心外だわ」と軽く拗ねてみせた。

「奴隷だなんて……
ただちょっと効率的に貴方達を纏めただけじゃない。
それに想像してみて?
もし私達が居なければ、あなた方の暮らしはどうなっていたかしら?
火薬から初歩的な蒸気機関まで、その技術を授けたのは誰?
竜人の操る竜に対抗できる武器を与えたのは?
貴方達に最適な社会基盤は誰が考えたの?
私が思うに、私達が居なければ、貴方達は未だに遅れた農業国として西方諸国の食い物にされていたと思うわ」

今の帝国の中で、皆がそう知ってはいるが誰も口に出さない絶対的な事実。
カノエは、それを口にして恨み節に対する反論を試みる。
だが、それは自立を勝ち取った帝国民にしてみたら受け入れる事が出来ない。
青髪の功罪に対して、罪の部分を徹底的に糾弾して政権を簒奪したのだ。
青髪の功績をそのまま受け入れるには、未だ時間を必要としている。
案の上、カノエを取り巻く元老院の議員からは、そんな事で貴様らの罪が消えるかとヤジや怒号が飛んだ。
口汚く罵る言葉から、丁寧かつ理論的に糾弾する声等で騒然とする広間。
言葉の洪水が渦巻く中、彼らの口を塞いだのは皇帝の腕であった。
皇帝が右手を挙げると、それを見た議員が一斉に口を噤む。
再び場が静寂に戻ると、皇帝は再びカノエに話しかける。

「……確かに技術を伝えた貴様らの功罪は分かっている。
だが、貴様らはその手法を間違えたのだ」

青髪の罪は、その一点に集約される。
皇帝はカノエの反論に対してそう答えるが、当のカノエは皇帝の答えにつまらないとばかりに溜息を吐く。

「そんなものかしらね。
私達としては、貴方達の余計な雑念を取っ払って、全体の底上げをしていただけなのに……
それに、もし仮に私達が放逐されていなかったら、今頃、貴方達は空を縦横無尽に駆けていたかもしれないわね」

「そんなものは、既にあり得ない過程の話だ。
それに我々は既に自分の足で立っている。
貴様らの教えが無くとも、いずれは天地から海の彼方まで全てを征服して見せるさ」

「まぁ 豪気ね」

「ふん。この世の全てに神の偉大さを広めるのは、我々の使命だからな。
それより、貴様が話したがっていた楽しい事とはこんな事か?」

「あぁ それはこんな些細な事より楽しい事よ。
何せ、貴方達の育成に使った何十年かは一体何だったのかと思える位、いい具合の技術を持った人たちが転移してきたんだから。
喜びのあまり、思わず電子の奔流に種を蒔いちゃいもしたわ」

そう言ってカノエは皇帝に意味深な笑いを浮かべる。
そんな彼女の笑顔とは裏腹に、皇帝はカノエの言葉の意味が全く分からないでいた。

「電子?種?
何を言っているんだ?」

「まぁ 貴方達にはまだ理解できないわ。
あと、それは私が二番目に楽しいと感じた事で、私が一番楽しいと思ったのはソコじゃない。
私達の種族が没落以降、何年も孤独に身を隠して西方を彷徨っていたけど、私は北海道で友達や信頼できる人を初めて得たわ。
ほかに仲間が居たと時も助け合ってはいたけども、ソレは意識の並列化による集団的意識の命令によってであり、自意識による行動じゃない。
孤独になって始めて得た自由意志の中で、私は初めて人の善意を体感したの。
今にして思えば、同族たちとの関わりはあくまで細胞の集まりのようなものであって、自分の意思なんて存在しえなかった。
もっとも孤独になった初めのうちは、西方を彷徨い歩いている時に手を差し伸ばしてくる連中の大半が私の体が目当てのような連中ばっかりだったけどね。
でも、世の中はそれが全てじゃなかった。
種族という繋がりの義務や、私の体を狙った下種な打算を抜きにして、攫われた私を助けに来てくれたのよ。
アコニーやヘルガ、社長に皆……
全員が掛替えのない私の仲間だわ」

「……それが、おまえの言う楽しい事か?」

カノエの告白に、皇帝は静かにそれだけかと言いたげに尋ねる。
だが、その皇帝の言葉に対して、カノエの態度はハッキリしていた。

「そうよ!」

ヘルガはキッパリと、自信満々に答える。
まるで自分の宝物を自慢する子供の様に。

「……青髪は悪魔のような奴らだと思ってはいたが、人の善意も知らぬのか。
駆逐した今でこそ言うが…… 本当は別に大した事のない寂しい奴らだったのかもしれんな」

哀れみを含んだ皇帝の言葉。
だが、それに対してカノエは否定しなかった。
そんな事実も全て飲み込み、カノエの身の内からは、決壊したダムの様に言葉が溢れる。

「なんとでも言うが良いわ。
私は自分の居場所を見つけた。
あぁ でも、こんな事を語ると駄目ね。
さっきまでは諦めが済んでいたのに、また未練が出てきちゃった。
やっぱり、さっきの発言は撤回するわ!
貴方達が何を思っていようと、私は死ぬ気はさらさらない!」

カノエはキッパリと宣言する。
処刑だろうが何だろうが、そんなものは受け入れない。
死んでたまるか、と。
そして、それに対する皇帝の言葉も、運命は変わらないという宣言であった。

「ふん。
貴様がどう思おうと、すでにエルフどもはこちらに向かっている。
どのような手段かは知らんが、明日の朝日が貴様の見る最後の陽光となるだろう。
衛兵!
こいつを特別牢へ入れておけ。
何があろうと逃がすんじゃないぞ」

絶対に逃がさない。
それはカノエに対する死の宣告。
しかし、ここまで開き直っただからだろうか、不思議な事にカノエには臆した様子は微塵もない。

「あらあら、特別牢とは結構な待遇ね」

「もともとお前達の作った城で一番厳重な牢だ。
そこで己が一族の罪を見詰め直すがいい」

そう皇帝が言い終ると同時に、巨人族の衛兵がカノエの肩を掴む。
そして、そのまま強引に広場から退場させられても、カノエの笑みが消える事は無かった。




……
…………
カノエの笑みは、王城の地下深くに作られた特別牢でも消えることは無かった。

「ふぅ……
白の地下に作られた石造りの個室に重厚な扉。
それに、解放部は小さな覗き窓だけ。
普通なら絶対逃げ出せないと思うわね」

ニヤリと笑うカノエが居るのは、出入り口の扉を除けば全方面が重厚な石造りである小さな間取り。
ここは、サルカヴェロの王城の中でも際奥かつ最も深い場所に位置する部屋だった。
宝物庫より厳重なその場所は、カノエ達青髪よりサルカヴェロ人に政権が移ってからは、貴人専用の牢屋として使われている部屋だった。
普通に考えれば絶対に脱出は不可能。
今やサルカヴェロにとって超重要犯罪者として拘束されたカノエが捕らえられたのは、そんな特別牢であった。
外界との接触は、時々思い出したように開けられる覗き窓のみ。
定期的な監視が無いのは警備が不十分ではないかと思われるが、ここではそんな心配は要らなかった。
なぜなら牢から外までは一本の通路しかなく、そこまで抜けるには8箇所もの検問を抜けなければならない。
到底、脱獄は不可能な警備体制だった。

だが、そんなところに閉じ込められたにも関わらず、カノエの表情はいたって前向きであった。
最初は興味本位からか短間隔で覗き窓から中を確認されていたが、しばらく静かにしていると衛兵が中を確認する感覚も長くなっていった。

カノエは深夜を待った。
人間の気が緩み始める夜中の静かな時間。
そんな時間帯を待って、カノエは静かに動き始める。

カノエは覗き窓が閉じられている事を確認すると、おもむろに石壁を見渡してとあるものを探す。
といってもソレは探すと言うよりも、知っている物の位置を確認するといった方が的を得ていた。
色と光の加減から、傍目には分かりにくい何かの紋章。
カノエはそれを見つけると、手で撫でながらニヤリと笑った。

「でも、やっぱり彼らも抜けてるわね。
私達が意識を並列化してたって事は、この城の設計者の記憶とも並列化してたということ……
それに彼らは、ここを牢屋だと思っているようだけど、別に牢屋じゃ無かったって思いもしないわよね」

そういってカノエが紋章を撫でると、紋章の刻印された石が淡く輝く。
カノエはそれを確認すると、もう一度してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべるのだった。

「……最初は使うのは躊躇ったけど、生残ると決めた以上は使えるものは無制限に使っちゃうわよ」



[29737] 帝都ティフリス2
Name: 石達◆48473f24 ID:50ab87b3
Date: 2013/08/12 00:21
カノエが生き残る事を決意したのとほぼ同時刻
帝都ティフリスから遠く離れた札幌の地において、北海道の対サルカヴェロ政策が大きく動き出し始めていた。


北海道連邦政府ビル

会議室

「……対サルカヴェロとの接触を前提とした東方派遣部隊の状況ですが、既に国後から先遣隊と特殊施設隊が出発し、既に拠点と埠頭の造成工事が始まっています。
なお、万一の際の即応部隊として、国後にて既に部隊が待機に入っております」

会議室に集まる閣僚の面々を前に、スクリーンに映し出される写真にあわせて現在の状況を報告する担当官。
彼の説明によれば、既に北海道側の行動は東方領域で始まっているとの事だった。
スクリーンに映し出された写真には、ちょこんと海に突き出た岬の先端部が映し出されている。
まるで、硫黄島の擂鉢山のように岬に張り出した丘の下部に、色々な資材が次々にヘリにて空輸されている様子が写真には写っている。

「わかりました。では、引き続き拠点の造成をお願いします。
即応部隊の方も何か動きがあるかもしれませんので、待機を継続してください。
今回の件について、他に何か問題点などはありませんか」

駆け足にで進んでいる対サルカヴェロとの接触に向けた準備。
高木はどこかで不備が出てくるだろうと予想しつつ担当官に聞く。
なにせ湾口設備も何も無いところに物資を揚陸し、拠点を造成するのだ。
今はロシア軍のMi-26大型ヘリコプターにより機材を運んでいるが、コスト的に非効率きわまりなく、どこかしらで無理が出てきそうではあった。

「それについて、現地の進捗はまずまずと言ったところですが、問題は国内です。
今回の派遣で色々と世論に波風が立っております。
おおよその国民感情としては、一部左派系の運動家やマスコミが、道外への施設建設は侵略だと騒いでいる節がありますが
大方の世論としては、外地に施設建設をする余裕があるなら、未だ産業の足腰が弱い国内開発に回せといった感じでありましょうか」

「まぁ 確かに現段階で発表された情報だけを見たら、無駄な箱物に思えてしょうがないわね」

「はい。ですが、かのレポートを読んだ後では、この程度の反発は気にしていられないでしょう」

そう言われて高木が目を落とす先にあるのは、一冊の冊子。
後の世でツィリコレポートと呼ばれるそれに、問題の記述はあった。
レポート内の主な対象は、東方の覇権国家であるサルカヴェロ帝国。
その帝国が、未だどの国家にも属していない亜人居住地の平定に乗り出している。
現在、遠征軍の主力は征服した港湾都市にて行軍を止めているものの、従属部族によって編成された部隊が独自に動きを進めているという。
レポートでは、そんな好戦的な国家との緩衝地帯を設けるために、東方全域が制圧される前に北海道に近い側の一部を確保するように進言して結ばれている。
それは奇しくも、先日、ステパーシンが高木に囁いた内容を補強するようなシロモノであった。
数日前に相手と接触した将校が書くには、あまりに早すぎかつ内容が整っていたソレは、冷静に考えてみれば代筆者の存在が疑われるのであるが
転移後に何度も紛争を経験していた高木を含めた閣僚らは、そんな些細な事には気を留めなかった。
それよりも、続けさまに巻き起こる危機の方に意識が集中してしまったのだ。
レポートの中で警鐘される危険。
だが、それでも自分の信条に従って領域拡大に渋る閣僚には、ステパーシンが最後の一押しの言葉をささやいた。
彼曰く、日本は帝政ロシアとの争いで、自国に戦火が及ぶのを避けるために満州と朝鮮半島を緩衝地帯とした。
今回もそれと同じだと。
本土防衛のためにはなりふり構っている余裕は無いと。
本国に危害が及ぶのに比べたら、干渉地帯を置くくらいは当然だとステパーシンハは彼らに語る。
かくして、不安に駆られた閣僚たちの意見は纏まり、政府では東方への勢力拡大が方針として決まる事になったのだ。
だが、そんな政府方針も全てが国民に伝えられるわけではない。
領土拡大で無駄に左派を刺激したり、民族主義者を喜ばせても得など何もない。
よって、今回、東方に施設を建設する目的は、安全な交通のための灯台建設となっている。
これについては、灯台を建設予定の海峡が、内海と外海との交通に欠かすことができないジブラルタルのような要衝だと、北海道近海を通る船の航路の解析で判明しているため、一応筋は通っている。
だが、いつの世も政府の発表を全く信じない人々は一定数はいるもの。
深読みしすぎる連中からは、軍が東方に行くこと自体が侵略の第一歩だと、非常にけたたましい非難の嵐が巻き起こった。
その激しさは、高木たちに報告する担当官の表情からも、その面倒くささが伺える。

「今回派遣されている部隊は、国後のロシア兵が主力と言えど、わざわざ北海道から渡ってきた市民団体が基地周辺での反対集会等を行う事によって色々と障害が出ています。
主に軍事や箱物公共事業が絡むと何でも反対と言う団体ですね。裏では野党からの資金援助があると思われます。
今は基地周辺でのデモ集会程度ですが、これが道内各都市に広がって更にマスコミも加わって扇動すれば色々とまずいです」

デモやマスコミ対策……
今回の件は、今後の対応を考えれば、色々と無駄な労力をかけねばならないのが明らかであった。
関係各所の入り口を占拠し、罵声を浴びせ、自分達の理想だけを語る人々。
例え、どんな世界に行こうとも全くブレないかれらのスタンスは、ある意味称賛に値するが、それが自分の味方ではないとなると話は別である。
皆が一様に困ったもんだと苦笑いを浮かべるが、そんな彼らを小馬鹿にしたように、一人の声が会議室に響く。

「ふん…… それにしても、日本人の世論と言うのも少々面倒です。
"偶然"にも国後で演習前だった部隊が動かせる状態だったのにも関わらず、折角の領土拡大のチャンスに施設部隊しか動かせないとは……」

折角の機会をと言わんばかりにステパーシンは溜め息を吐く。

「ステパーシンさん。こちらで左派の活動が盛んなのは、ソ連時代にそちらが種を蒔いたからでしょう?
公式発表では、交通の要衝への灯台設置及び探検基地の設置の為の部隊移動ですが、こんな回りくどい事をしてるのも、いきなり軍を大々的に動かせばマスコミや市民団体が侵略だの何だのと大騒ぎするにきまってますから。
まぁ…… 既に一部でそう騒がれてますけど……
それでも、これ以上拡大させないために、公式のお題目に沿って行動する必要性があるんです!」

高木の言う通り、北海道が赤い大地なのは、冷戦時代にアカの内通者にソ連が資金を供与していたという事実がある。
そんな時代に合わせて肥大した左派組織は、冷戦崩壊から30年以上たった現代でも生き生きと活動していた。
どんな時でも反政府活動と偏った平和運動を忘れない左派組織とメディア。
転移後にステパーシンによって影ながら打撃を受けていたと言ってもまだまだ健在である。
今回の部隊派遣でも、軍に所属する部隊が施設建設へ行くと言う事に一部メディアは噛みついてきている。
彼ら曰く、戦地でないなら民間だけでいいのでは?という言い分なのだ。(民間だけであっても、無駄な公共事業と叩かれるのであるが……)
高木は、そんな厄介事の元凶を育てたと言っても過言ではないロシア人が、日本人に対して面倒くさいとのたまっている事に皮肉を持って言い返した。
だが、そんな高木の言葉をステパーシンは気にしない。
一本取られたと言わんばかりに、笑って高木に返事をする。

「今日の大統領閣下は、なかなか痛い所を突いてくるな。
いつもなら、次の選挙がとか言ってビクビクしているのに」

そう言えばそうだったと、笑って答えたステパーシン。
そんな彼を見て、高木はため息交じりに話を続ける。

「最終的にはどんな反発を突っ切っても、想定される最悪の事態には供えなければなりませんから。
どうせ、みんな腹は括ってるんですし、もう怖いものなんてないわ。
国内対応の変更はありません!あくまで公式発表のゴリ押しで行きます!」

高木はそう言って、目の前で手をパン!と打ち合わせると、これ以上の余計な口出しは認めないとばかりに場を静める。
静かになった会議室。
彼女はそれに満足すると、大きく鼻息を吐きだして、次の話を切り出した。

「……と、まぁ これ以上の無駄話は事はさておいて、もっと実のある話をしましょうか。
話は変わるけど今回派遣した特殊施設隊について中々面白い話を耳にしました。
実際、使えそうなのですか?"彼ら"は」

今更左派がどうのこうのと言っても仕方がない。
高木は、いい加減にその話を打ち切ると、それよりもっと実のある話として
各方面から聞こえてきた噂がどうなのかと担当官に問う。

「大統領閣下の質問に簡潔に答えさせていただくと、イエスです。
今回は、軍の施設隊に加え、作業を迅速に進める為に地方からゼネコンを一社連れて行かせてますが
彼らの働きぶりに、ゼネコンが彼等を引き抜こうと軍に掛け合ってきてます。
それにしても、こちらに下った魔術師で試験的に編成した戦闘工兵がここまで使えるとは思いませんでした。
最初は射程と火力で近代兵器に劣る彼らを、どのように運用しようか迷った物ですが、我々の知識と彼らの魔術を混ぜた野戦築城は素晴らしいの一言です。
道内での実験では、こちらの指示通りに水系統の魔術をコンクリートに発現させた場合、1/4の養生時間で通常の物と同じ強度が出たそうです。
それに、土系統の魔術は、パワーショベルの代用として使用可能との事で、土建屋にとっては是非とも欲しい人材だそうです」

北海道へ下った魔術師。
それは礼文島での生き残りの魔術師であった。
最初は捕虜生活や死んだ仲間の恨みという事で反発の多かった彼等であったが、北海道の文明に触れるにつれ寝返る者も多々出ていた。
既にクラウスの帰還と共にエルヴィス公国へと帰還することが可能であった彼等であったが、北海道の外交活動に協力していたメディア嬢を始め
理由は様々だが、北海道への帰化を希望する者が多々出ていた。
便利で快適な科学の発展した社会に、多種多様なエンターテイメントにグルメ。
エルヴィス領では得る事が出来なかった優れた文明に彼らの心が動かされたのだ。
そして、北海道がクラウスの後ろ盾になった事により、昨日の敵国が今日は味方となったのも大きかった。
クラウス曰く、故郷の為に北海道の全てを学んで来いとの一言は、強く彼らの背中を押した。
北海道で生活する為に必要な、家族を含めた北海道での永住権。
それを得る為に、多数の捕虜たちが北海道への協力を決めたのだった。
そして、そんな彼らを待ち受けていたのは大まかに二つの道。
一つは、新しく研究開発の拠点が置かれた北見工業大学での魔術知識の供与と研究。
そしてもう一つは、その軍事利用可能性を研究する為に編成された陸軍魔術研究部隊への配属であった。
最初は前線部隊として使えるかの可能性を検討されたが、限られた人的資源を生かすにはごく少数の特殊部隊として育成するか、纏めて後方支援に充てるかの二つとなった。
何せ純粋な攻撃力や射程では火器に劣り、正面戦闘では現代兵器に混じって能力を生かす場面が無い。
今後、魔術の追う様に関する研究が進めば違った展開になるのかもしれないが、現状では後方部隊として運用するのが一番有用である。
そして、結論から言えばそれは大正解であった。
軍の施設科から土木技術のノウハウを授けられた彼らの有用性は想像以上の結果をもたらす。
水系統が得意な魔術師は、生コンを攪拌し、コンクリートの養生時間を短縮させた。
土系統が得意な魔術師は、基礎の造成にその威力をいかんなく発揮している。
更に火系統が得意な魔術師は、従来は広範囲に炎を拡散させることに力を注いでいたが、逆にその熱量を一点に集中することにより金属の溶接を可能としていた。
彼等から話を聞くと、溶接に関しては小規模ながらこの世界の一部の工房では既に行われていたそうだが、それが北海道の技術と混じる事により大いに発展の兆しを見せている。
溶接棒と部材の突合せ部を含めた溶接箇所全体を直接加熱することによって、北海道内でのテストではテストピースでの溶け込み不良はゼロ。
放電ではない為にスパッタも飛ばず、野外であっても魔術で焼鈍を実施し(長時間の熱処理は相応の交代要員を要したが)内部応力を除去できた事に北海道側からの技術者からも驚きの声が出ていた。
それでも、マンパワーである限り生産性に限りがある事、品質は魔術師としてのスキルに依存するという弱点はあるが、それでも魔術師が道内の産業界へ参入した際のインパクトは十分すぎると予想された。

「そうですか。
ドワーフ等の亜人達と並んで、魔術師たちも色々と役に立ちそうですね。
コレで作動原理が分かって機械で代用できれば最高なんですが……」

そう言って彼女は愚痴を漏らすが、現実は彼女が想定していたほど甘くは無かった。
何せ、前の世界には無かった魔導の力を利用した技術体系は、全く持ってその作動原理が理解の範疇を超えていた。
恐らく未知の力を利用しているのか、エネルギーの流れが一切不明。
基礎研究の始めてみたものの、最初の一歩すら進めていない始末。
分かりやすく説明すると、AとBを行えばCという結果が出るのは分かったが、AとBの間に何が行われているのかさっぱり分からないのだ。
そのような理由から、現在の北海道では一体どのような反応が起こっているのか調べるよりも、前述のような応用面の研究に重点がシフトし始めていた。

「まぁ 分からないものはしょうがないですね。
魔導研究は今後に期待しましょう。
他に、この東方への派遣に関して何かありますか?」

何も時間が限られているわけではない。
早ければ早いに越したことは無いが、魔導研究は始まったばかり。
今後の成果に期待すればいい。
高木はそんな未来の成果を楽しみにしつつ、まだ終わってはいない会議を進行させようとする。

だが、その時だった。

一束の紙を持った職員が、会議に参加していた外相である鈴谷の元に駆け寄る。
鈴谷は、職員の耳打ちを聞き、パラパラと紙に目を通すと顔をしかめつつも高木に話しかける。

「大統領。
たった今、本件に関してエルヴィス公国からの連絡が有りました。
なんでも、東征するなら援軍は何時でも出すと……」

「援軍ですか?
といっても、彼らには何も伝えてないのですけれど……
こちらに恩を売る機会とでも考えているんでしょうかね」

鈴谷の急な報告に、高木もエルヴィスの真意を考えて首をひねる。

「何でも、サルカヴェロの近況と北海道側の動きから推測したそうです。
彼らの言をそのままお伝えしますと、"北海道が戦に赴くならば、何時でもそれを支える用意がある。全ては我らの友好の為に"と言葉ではそう言っておりました。
友好関係の深化が目的であると……」

「言葉では?
それには何か含みがあるのですか?」

「それが…… この報告書に添付されている大使館の盗聴記録の考察によりますと、どうも彼らの本当の目的は、友好の深化も目的の一つではありますが
我々からの軍事顧問団が提供したドクトリンや兵制のテストをしたいような感じを受けましたと結論付けられています」

「テスト…… ですか?
というか盗聴記録?」

「そうです。
盗聴はステパーシン内務相の管轄する内務省警察が行っている防諜活動の一環です。
この報告書の関連資料も内務省警察の資料がソースになってますが、ここまで早く報告書にまとめられたのも、外交・対外諜報面で内務省と外務省が緊密に連携をしている成果ですね。
コレによりますと、非公式にではありますが、向こうからも万が一サルカヴェロとの戦端が開かれるようなことが有れば、自分達を盾にしてほしいと言っているようであります」

「そうですか。
それにしても盾とは……
でも、仮に戦闘になった場合、彼らに頼ると言う事は借りを作る事になりそうですが、その点は大丈夫?」

高木は、無駄に借りを作ることになるのではないかと危惧し、その可能性を指摘してみるが
その指摘に他の出席者からも言葉が返ってくる。

「何、自分達で盾になりたいといっているんだ。
やらせてやれば良いじゃないか。
仮に情勢が悪化したら、増援部隊が車での時間稼ぎになってもらおう。
これで、彼らが貸し借りだの言ってきた時は、"我らの友好の証明となった"とでも返しておけばいい」

そう返事をしたのは、政府内で一番胆力のありそうな外見の男。武田勤。
彼は役職こそ科学技術補完機構の長官だが、元々は政権与党の幹事長も勤めた男。
進むべき時には動じず決断できるだけの図太い神経があった。
だが、それでも今回ばかりは他の閣僚からも異論は出る。

「だが、自分達で対処できる事に対して無駄に借りを作る事はないんじゃないか?」

「無駄なものか。
小銃弾は別としても、今の北海道での大口径砲や重火器の生産状況はお寒い限りだ。
弾薬を温存できる場合は、それに越した事はないよ」

航空機用エンジンすら自給できない今
ミサイル等の兵器の自給はまだまだ先である。
武田の言葉通り、現在の北海道で、ミサイル等の高度な兵器は古代文明の超兵器並みの価値があった。

「それも一理あるな。
現状で一発のミサイルの価値は、義理より遥かに重い。
今回は公国を十二分に利用するとしよう。
仮に見返りを求めてきた場合は、既に政府内で決まっていた繊維産業の技術供与を前倒しして公国に通達するまでだ。
後で供与予定だったものを前倒しして与えても何も損はないだろう」

仮に見返りを求めてきた場合は、既に内々で供与が決定している技術の引き渡しを早めるだけ。
全くもって北海道側にとって損はない。

「確かにそうね。
まぁ それにオマケして、東方への移動はこちらの船舶とヘリを使わせてあげましょうか。
彼らの小さな帆船より、よっぽど早いわ」

未だ施設の建設現場に揚陸用の埠頭が完成していない為、稚内からヘリでの空輸となるのが、それでも帆船よりはよっぽど早い。
北海道で手の空いた高速フェリーはいくらか余っているし、現状で使いどころのない元青函連絡船のナッチャンシリーズは、満載時でも36ノットは出る。
今だ文明的に遅れた彼等にそれらを見せつければ、北海道に対する畏敬の念もさらに増すはずだ。

「よし!
では、エルヴィスについては、協力に感謝する旨と、移動の支援についてそのように返答しておいてください。
そして、同時に今回のサルカヴェロの動きに対し、他の国々がどう動いているのか情報を集めておいてください。
まぁ こっちの世界は技術的には遅れていると言っても魔導技術がありますからね。
連絡くらいならエルヴィス同様に迅速に伝わってる事でしょう。
今はまだ外交官の交換も行っていない国が大半ですが、エルヴィスに寄った商船など情報源を問わず、広範に集めておいてください。
我々には各国間の友好関係の情報も足りないから何とも言えないけど。
サルカヴェロが動くことによって、連動する国家もあるかもしれませんから」

高木はそう言って外相の鈴谷に命令を下す。
諸国全てに対しての対サルカヴェロ関係の調査。
東方から始まった動乱の波は、静かに……そして世界規模へと広がりを見せ始めているのであった。



[29737] 帝都大脱走1
Name: 石達◆48473f24 ID:4d944bdf
Date: 2013/09/23 00:16
サルカヴェロ帝国
帝都ティフリス

夜も更け、宵闇に包まれた帝都の中で、王城から少々離れたナリカラ要塞。
帝国の拡大に伴い、要塞はその目的を本来の軍事拠点から監獄へと性質を変えていた。
元々外敵の侵入を防ぐために建設された10mを超える防壁は、今では中から出ようとするものを拒む壁として機能している。
そんな要塞内に立ち並ぶかつては兵舎として利用されていた建物の一つ。
今では牢獄用に改装されたズラリと鉄格子が並ぶ建物の中で、拓也は絶望の淵に立たされていた。

「なんだい?何か策があるんじゃなかったのかい?」

「ぐぬぬ……」

うす暗い牢屋の中。
うず高く積まれた毛布の上から見下しつつ、悔しがっている拓也にニヤニヤといやらしい視線を送るニノ。
逃げるんじゃなかったのか?と彼女は皮肉った口調で拓也に尋ねる。
あまりに馬鹿にした態度での口調であったが、そんな彼女の言葉に対して拓也は押し黙るより他に無かった。
何故かと言えば、逃走を決意して以降、牢獄にぶち込まれる間にイワンとの接触を試みてみた。
だが、不運にもそんな機会は一切なく、何も出来ぬまま鉄格子の中へと押し込まれてしまったのだ。
拓也はニノの物言いに対して何も反論できずにいるが、それだけが何も言えない理由ではなかった。
大部屋の牢獄で一人一枚割り当てられた毛布だが、それを集め、高く積み重ねた上に座っているニノ。
それが、この牢獄の中での地位をそのまま表していた。


4人が押し込められた牢獄は、人殺しや盗人等、様々な犯罪者が押し込められた大部屋だった。
中の種族構成は、亜人やら人族などサルカヴェロの被征服民が大半を占めている。
(後に拓也達が聞いたところによると、サルカヴェロの共産主義政策に馴染めなかった者達が、犯罪に走って捕まったケースが多いそうだ)
そんな大勢の犯罪者が集まれば当然生まれるのが、力を基準とした上下関係。
力で相手を捻じ伏せ、牢の中で一番強い者が牢名主として鉄格子の中で一番の地位を得る。
一度そのヒエラルヒーが完成すると牢名主はその体制を維持するために尽力した。
その最もたるものが、新入りに序列を体で染み付かせる為に、歓迎会と称して序列を受け入れるまでボッコボコにするのだそうだ。
そして、それは拓也達にとても例外ではない。
入牢早々、高く積まれた毛布に座っていた人狐の男……と言うよりは二足歩行のごんぎつねは尊大な態度で4人に命令を下した。

「おい、新入い。
入牢の記念ござんで。はよたもれ」

その言葉と共に、手下が差し出したのは、並々と汚物の入った碗であった。
当初の彼らの思惑は、ここで新入りを激高させて力でねじ伏せ、無理やり汚物を喰わせることでプライドを粉々に砕くことが目的だったのだろう。
普通の犯罪者ならばそれで事足りた。
だが、彼らにとって誤算だったのは、この新入りが盗賊の頭であるニノ達を含んでいた事だった。

「ふぅ~ん。
なかなか美味そうだね。
でも、生憎あたいはお腹が一杯でさぁ。
代わりにあんた等がぁ…… 食・っ・て・く・れ!!」

その言葉と共に出された碗を手下の男の顔に叩きつけ、その勢のまま男は狐の男の方まで吹っ飛ばされる。
狐の男は飛んできた男を難なく躱したが、吹っ飛ばされた男は石壁に叩きつけられるとそのままグッタリと動かなくなった。
狐の男は、動かなくなった男を呆然と見ていたが、ふと正気に戻ったのか、次の瞬間、ニノの方を睨みつけ怒声を上げた。

「くっ!
こんだらぁ!!」

その声と共に、牢屋内にいる2、30は居ると思われる手下たちがニノに飛びかかり、一台乱闘が幕を開けた。
殺気を込めてニノに殺到する囚人たち。
だが、対するニノは、その横を風の様にすり抜け、他に脇目も振らずに狐の男を目指す。
そして、その背中を守る様にタマリが手下達を相手取り、一人、また一人とぶちのめしていく。
襲い掛かる人の波。
その中の多数を占める亜人達は、何かしらの魔法によって身体能力を強化したりしているのであるが
それを持ってしてもニノとタマリは強かった。
盗賊の頭を務めていたニノと彼女に鍛えられたタマリ。そして何よりハイエナ族特有のタフネスが彼女らを支える。
一発二発もらっても、鼻血を流す程度で全く倒れず、持ち前の腕力でもって飛びかかる相手を殴り伏せていく。
そうして、タマリが手下全員を殴り伏せたあたりで、ニノの方も決着がついたようだ。
積み重ねられた毛布の上でふんぞり返っていたごんぎつねは、いまでは鞣された毛皮の様になっている。
ニノは、狐の男を引きづりながら彼の定位置だった毛布の上に座ると、全員に向かって高らかに宣言した。

「今日からあたいが新しい牢名主だ!
野郎ども、肝に銘じるんだよ!!」

高らかに宣言するニノと、ノリノリで「おぉー!!」とそれに応えるタマリ。
あまりに急な展開に、流れに乗り遅れてしまった拓也とアコニー。
彼等は、呆然と彼女らの姿を見つめる事しかできなかった。





そんなこんなもあり、拓也の目の前でふんぞり返っているニノは、牢屋の中では絶大な権力を得ていた。

「んん~? 何か言いたい事でもあるのかい?」

この後どうするつもりだ?とニノは拓也に問いかける。
一応、未だに彼女らが身に着けているエ○キバンが魔導具だと信じている事もあって直接的な手出しはしてこない。
だが、その態度は、明らかに優越感に浸っていた。

「……とりあえず、部下が追跡してきている事は間違いない。
時機を見て逃げ出すさ」

アコニーが感じ取った匂いからして、追ってきているのは間違いない。
後はいかに接触して脱走の算段を考えるわけだが、まず最初の前提が成り立っていない。
並行して独力での脱走も考えてみたが、流石は監獄。
内側から独力で脱走など、あまりの堅牢な作りの建物相手には、少し考えただけではアイデアさえも出てこなかった。

「まぁいい。
あんたらが何か考えだすまで、あたいらはゆっくり待たせてもらうよ」

そう言って、ニノは毛布の上でふんぞり返る。
牢名主に就任以降、彼女は牢屋内にも拘らず、快適な環境を整えていた。
自分でぶちのめした狐の男は、毛皮がもふもふだった為に、専用クッションとして使用し、牢屋内の比較的外見の整った囚人を男女問わず侍らせてハーレムを形成している。

「なんだか腹が減ってきたね。
飯はまだかい?」

「ヘイ。
そろそろ時間の筈です」

ニノの言葉に新たな手下となった囚人が答える。
どうやらココの食事は、一日一回のパンとスープが有るらしい。
囚人はそうニノに説明すると、ニノの顔に笑みが浮かぶ。

「へぇ、監獄っていうからには、食事なんて3日に一度くらいカビの生えたパンでもばら撒かれると思ったけど、ここじゃぁスープまで付くのかい。
サルカヴェロの牢獄ってのは案外悪くないかもしれないねぇ。
これがゴートルムなら、腐った芋が出て終わりだよ」

「まぁ ここは死刑囚ばかりですからね。
普通の労働教化刑の奴らは属州の開拓地でパンだけの毎日ですが、ここの牢獄は教会の寄付と人生の最後くらい暖かい物を喰わせてやろうと言う温情でスープが付くんでやんすよ。
もっとも、その程度で悔い改めてるような人間なら、初めから悪行には手を染めないんでやんすがね……って、飯が来たようでやんす」

その囚人の言葉通り、看守室兼この牢獄の唯一の出入り口である扉から、ガチャリと鍵を開錠した音が聞こえる。
食事以外何もすることが無い囚人の腹時計は、思った以上に正確なようだ。
ギィ……っと扉が開け開かれると、空腹を刺激する匂いと共に台車を押した痩せた男と表情が見えないくらい帽子を深々と被った少年が入ってきた。
格好から察するに、彼らはこの要塞の看守連中ではなく、出入りの業者のようだ。
既に食事が来た事に気づいた他の牢に入れられている囚人達が、「めし寄越せぇ!」と鉄格子から腕を伸ばしながらあたかもゾンビのように騒いでいる。
そんな囚人共に脇目も触れず、業者の二人組みはガラガラと台車を押して大部屋の方へと通路を進んでくる。
どうやら食事の配給は、人数の一番多いこの牢から行われるようだった。

「よし、飯も来た事だし、野郎共が新牢名主様に忠誠を誓えるかどうか試してやる。
全員。あたいの足に口付けしな。
そうすれば飯を食わせてやる。
しない奴には飯は分けないからね」

そう言ってニノはニヤニヤしながら拓也達を見る。
牢の中で実権を握ったことにより、拓也達に嫌がらせをしてるのだ。
ニノ達が未だ魔導具だと信じているエレ○バンを作動させるぞと脅せば、最終的には食料を渡すだろうが
彼女らの態度を見る限り、ちょっと脅した程度では素直に渡しそうな気がしない。
まるで玩具で遊ぶように楽しそうな表情を浮かべるニノと、苛立ちを隠せない拓也。
そんな二人が睨み合いを続けていると、思わぬ方向から声がかかった。

「なかなか楽しそうだね。かーちゃん」

その声にハッとして二人は、声のした方向に振り返る。
鉄格子の向こう、先ほどまで台車を後ろから押していた業者の少年が笑いながら此方を向いている。

「その声は…… イラクリ!」

ニノの言葉を受け、少年は深めに被っていた帽子を脱ぎ捨てた。

「じゃじゃーん。 助けに来たよ」

えへん!と胸を張るイラクリ。
そんな自分達を助けるためにここまで忍び込んできた我が子を見て、ニノは鉄格子越しに腕を伸ばしてその頭をわしゃわしゃと撫でる。

「でかしたよ!流石はあたいの子!
……で、このおっさんはなんだい?」

ニノは心行くまでイラクリを撫でた後、その視線をイラクリと一緒に入ってきた男へと向ける。
一見して、くたびれた感じの雰囲気が混ざった人族の男。
男は、ニノの鋭い視線で睨まれたことの恐怖からか、何も言えずにおずおずと黙っている。
見た目からしてヤクザ者ではない。
そこらへんを歩いている普通のおっさんを捕まえてきたような風体だ。

「あぁ、このおっさんは、ここに忍び込むために利用させてもらったんだ。
ここって、囚人の飯を近くの飯屋から仕入れているらしくてね。
店の手伝いをしてるおっさんの息子と入れ替わったんだよ。
背格好は良く似てたし、家族を人質に頼み込んだら一発でOKだったね」

イラクリは「へへーん」とまるでお使いを正しく出来た子供のように自慢する。
そして、皆に協力している理由を説明されてたおっさんは、泣きそうな顔でニノ達に懇願した。

「た、頼むから家族にだけは手をださんでくれ」

「それは、おっさんの働き次第だね」

「そ、そんな……」

ちゃんと協力しなければ家族の安全は保障しない。
冷たく言い放つイラクリであったが、彼のあまりの非道っぷりに、横から聞いていた拓也は色々と心に引っかかるものを感じる。

「無関係の奴の家族を人質って……、いくらなんでもやり過ぎだろう」

無関係な堅気の人間を脅迫する真似に拓也には抵抗があった。
最近は色々と荒事を見るのにも慣れてきたが、日本人である拓也の感性が人質をとって無関係の民間人を脅すと言う行為に拒否反応を示しているのだ。
だが、そんな拓也を見て、ニノは青臭いと言わんばかりにニヤニヤと笑う。

「ふふん。 じゃぁ あたい等だけオサラバするから、あんた等はココに残りな。
別の機会を待つんだね」

ニノはそう言って、不服があるなら付いてくるなと言うが、拓也としてもチャンスがある以上、乗らないわけには行かない。
脱出のチャンスは目前にあり、それを活用しなければ待っているのは死だけ。
そして、その不服と言うのは感情的な問題だけとなれば、あとは我慢の問題だった。

「おっさん。
巻き込んで悪いね。
後で謝礼はたんまり払うから、少しの間だけ協力してくれ。
生憎、今は持ち合わせが無いが、後日きっちりと届けさせるよ」

脱出に男の協力が必要なのは間違いない。
ならばと、拓也は少しでも報いようと男にそう話しかける。
だが、そういった拓也の態度が気に入らないのか、ニノは眉を顰めて拓也を睨んだ。

「ふん。無駄な事をする奴だね。
いいよ。イラクリ。
こんな奴等、置いてっちまおう」

面倒くさいのは置いて自分達だけで脱出しようとニノは言う。
だが、そんな彼女の言葉に対してイラクリは顔を横に振ると、台車に乗せた籠の底を漁って取り出したモノを拓也に差し出した。

「かーちゃん。残念ながらそういう訳にもいかないんだ。
はいコレ。外で待ってるイワンさんから」

そう言って、イラクリが拓也に差し出したのは、携帯無線機と無骨なロシア製拳銃であった。

「おぉ! 無線機に銃まで!
ありがう。イラクリ!」

拓也は喜んでそれを受け取ると、喜びながら電源を入れコールする。

「イワン。聞こえる?」

『はい。聞こえますよ。感度良好』

ずっと無線に耳を傾けながら待機していたのであろう。
拓也が無線で呼びかけると、すぐさまイワンの返事が返ってきた。

「脱出の手筈はどうなってる?」

『こちらからは内部の構造が詳しく分からないので何とも……
とりあえず、そこにいる男から外からの経路は聞き出しましたが全体構造は不明点が多いです。
まぁ、牢屋から出さえすれば、最悪、通用口を爆破するので、そこから脱出してもらう事になります』

「了解。
手順はこっちでも検討するけど、奥の手は何時でも使える様に準備しておいてね。
それと、こちらの状況を国後のエレナたちに連絡しておいて欲しい。
脱獄してもそこから北海道まで戻るための足が居るしさ。
必要ならペナルティ覚悟で政府に泣きつくのも仕方ない。
ここままじゃ遠からず処刑されそうなんでね」

『了解。
ですが、イラクリを潜入させる前にエドワルド大尉に連絡を取った所、釈放のための書状を送ってもらったそうなのです。
もし、その話が本当なら釈放されるのを待ったほうがスムーズかと思われますが……』

「え?
こっちは全くそんな気配は無いよ?
凶悪犯の溢れかえる牢屋にぶち込まれるとか、酷い扱いだし」

イワンの言葉を聞いて、拓也は驚いた。
釈放の手続きが進んでいると言うのだ。
だが、暗い牢の中に居たのでは、外界のことはサッパリ分からない。
少なくとも、現状で拓也達の扱いに関して変化と言うものは一切無いことは確かだった。

『そうですか。
こちらもおかしいと思ったんです。
大尉の話では、輸送隊の移動中に書状が届くような話でしたが、我々の監視中に伝令と接触する事はありませんでした。
もしかしたら、書状の輸送中に何らかのトラブルがあったのかもしれません』

「……もしそれが本当なら、待ってた所で無駄になることもあるわけか。
うん。やっぱり処刑される可能性が高い以上、脱獄をメインで考えよう。
なんらかのトラブルがおきてるモノに命を賭けるほど肝っ玉が大きくないからね」

『了解。
では、こちらも準備にとりかかります』

さて、どうするか。
通信を終えた拓也は、どうやって脱出するかを考える為、皆に話を振る。

「さて、こういう訳だけど、これからどうしようか?」

とりあえず、自信の無い時は皆に話を振り、良さそうなアイデアを採用しよう。
拓也はそう考えて拓也は皆の顔色を伺うが、それに対する回答は些か拓也の予想外の物だった。

「どうもこうも、あんたが一応主導権を握ってるんだから、あんたが決めれば良いだろ。
こちらと、捕まってからずっとあんたと一緒だったんだ。
あんたの持っている情報以上に判断材料はないよ」

皆の意見を尊重しようとする拓也に対し、何かが気に障ったのかニノの言葉は冷たい。

「どうにもあんたの態度は気に入らないね。
あたいらに話を振る前に、あんたは自分の頭で情報を整理してみたのかい?
いきなりこちらに話を振らないで、頭ならもっとシャキっと自分で決めてみな。
それでおかしなところがあれば他の人間が意見を言うよ」

「う……」

彼女の言葉から察するに、盗賊の頭として手下を率いていたニノにとって、拓也のやり方は気に入らないようだ。
リーダーなら、もっとワンマンになってもっと皆を率いていくべき。
そういった彼女の美学に照らし合わせた場合、自分で考えるより先に他人の意見をあてにした拓也の行動は論外と言えるものであった。
あくまで基準はニノの哲学であったが、彼女の言葉に対し、当の拓也は何も言い返せない。
特に戦闘能力があるわけでもなく、特殊な能力があるわけでもない拓也は今までは皆の意見を参考にして決定を下してきた。
言うなれば、ただの調整役であって有事の際は存在感が空気と化している。
彼女のいう事にも一理ある。
拓也はここらで自分も変わらなければならないと感じ、まずは自分で一通りのプランを考えることにした。

「わかった。
方針は自分が決める。
だが、その前に情報を纏めようか。
イラクリ?君だっけ。
ここまで来る間の内部構造はどうだった?」

「内部構造はほ鉄壁だね。城壁が高すぎて門以外の出入り口は無し。
それに、城壁の外は水堀になってたけど、防犯の為にワニが居たよ。
それも、口の大きさが大人の身長くらいある奴が」

そう言って、イラクリは「こーんなの」と腕を開いてワニの口を表現する。

「なにそのイリエワニみたいなのは……」

イラクリの説明が真実ならば、恐竜みたいなワニがいる堀は、落ちたら即死の罠である。
そうなると、脱獄はどうにかして門を通らなければならないのが不可避となる。

「そのイリエワニってのはよく知らないけど、そんな訳で警備も脱獄は不可能と見て、外から入る分にはチェックが甘いよ。
二重底になってるバスケットに気が付かないくらいだし。
でも、その分どうやって出るかが問題なんだけど……」

イラクリはそう言って銃器を持ち込んだ台車に積まれたバスケットを指差す。
彼の言い分では外から入るのは易いが、外に出る時のチェックは特に甘くは無いらしい。
十二分な準備の無い状況で、コソコソと隠れて脱獄するのは不可能であった。

「そんな訳で、今回はイワンさんが言ったとおり通用口を破壊する手で行くよ。
あの人の見立てでは通用口は手持ちの道具で破壊できそうって言ってたし。
サルカヴェロの奴等も、出入りの人や資材に紛れて脱獄するのを警戒していたけど、まさか扉を吹き飛ばされるとは思っても見ないはずだよ。」

門から堂々と大脱獄。
色々と大騒ぎになりそうな気もするが、最初の混乱さえ乗り切り迎えに来た仲間と合流できれば
あとは北海道に逃げるだけ。
サルカヴェロ国外に高飛びすれば、もう拘束される心配は無い。

「じゃぁ 問題はここから通用口までだな」

外への門まで到達すれば、イワンが爆破なり何なりで開けてくれるのだろう。
ならば、問題はそこに到達するまで……
拓也は限られた今の手持ちの材料で、脱獄の計画を練り始めるのであった。



[29737] 帝都大脱走2
Name: 石達◆48473f24 ID:a3319c1c
Date: 2013/09/22 22:47
鉄格子が並ぶ牢獄と分厚い鉄と木で出来た扉の向こう側。
見張りの看守達の部屋ではいつもと変わらぬ日常が流れていた。

先ほど囚人用の食事を出入りのオヤジが搬入していったが、他には特に変わったことも無い。
オヤジが入っていった直後に牢の方が騒がしくなった気がするが、それは毎食の事である。
どうせ、鉄格子の外からパン籠を渡すオヤジに、囚人達が早く渡せと騒いでいるのだろう。
守衛室では、牢屋から聞こえる喧騒も飯時に聞こえるいつもの物として特に気にした様子も無い。
看守達はカードゲームや読書をしつつ何時もどおりに交代の時間を待っていた。
幸いにして、今、この監獄に勤務しているのは規則や何やらに口うるさい小人や巨人族ではなく、サルカヴェロ内では少数民族の人族や亜人が殆どだ。
多少気を抜いて勤務していてもとがめられることは無い。
(仮に小人共が居た場合、勤務中にカードをしていたらサボタージュだ何だと上に報告されていただろう)
だが、そんないつもと変わらぬ日常であったが、何も起きないと言うわけではない。
囚人達のケンカや病気などの小さな事柄は往々にして起きる。
だからというか、出入りの飯屋のオヤジと連れの子供が申し訳なさそうな顔をして監守室に戻ってきた時は
また何か小さな事が起きたのだと看守達は思った。

「どうした?」

監守の一人がオヤジに聞く。

「すまねぇんですが、納品の書類を店に忘れてきてしまって、ちょっと一っ走り行ってきても良いですかね?」

オヤジは申し訳無さそうにそう言うと、看守達は「なんだ、そんな事か」と興味を失い、3人居る看守のうち、読書をしていた一人に対応を任せて残る二人はカードに視線を戻してしまう。

「あぁ それは構わんが、息子と台車はどうする?」

「それですが、直ぐに戻ってくるのでこちらに置かせてもらっていいでしょうか?」

確かに親父の店はこの要塞のすぐ隣。
その立地の近さゆえ、囚人用の飯を納入させているくらいなのだから、すぐに取ってこれるだろう。

「ふむ。仕方ない。
さっさと取ってくるんだぞ」

「すんません」

そう言って、オヤジは深々と頭を下げると看守の一人に外への扉の鍵を開けてもらい、そのままそそくさと監守室から小走りに出て行く。
オヤジが出て行った後、再施錠された看守室には看守とオヤジの息子のみが残された。
深々と被った帽子のせいで子供の表情は見て取れないが、オヤジと分かれて一人待ってるのは寂しかろうと看守達は残された子供に話しかけた。

「で、坊主。
親父が戻ってくるまで静かにしてろよ……って、お前。
いつもの連れてきている親父の倅じゃないな?」

監守は子供の前に立ち子供の顔を覗き込むと、それはいつもオヤジが連れている倅ではない事に気が付いた。
監守から不審な目を向けられる子供であったが、そんな視線もなんのその。
子供は笑顔で監守の質問に答える。

「あぁ それは、上の兄ちゃんだよ。
今日は兄ちゃんが風邪引いたんで、代わりに俺が着たんだ」

子供らしい可愛い少年の笑顔に、監守もそれ以上追求する気は霧散する。
なんというか天真爛漫という言葉が似合う良い笑顔だ。
あまり追求して怖がらせるのも可哀想だ。

「そうか。
まぁいい。 静かに待ってるんだぞ」

これだけ元気なら寂しくも無かろうと、監守はそれまで座っていた椅子に戻り、読みかけの本を再度手に取る。
だが、そんな看守の後を興味津々といった感じで子供はキョロキョロと辺りを見渡しながら付いてくる。

「はーい。
静かに待ってるよ……って、おじさん。
これって牢の鍵?」

子供に静かにしていろと言いつけたのは無駄だったかと思うほど、子供はウロウロとあたりを見回り、机に置かれた牢の鍵に興味がわいたのか鍵を指差して言う。

「ん? そうだが、気安く触るんじゃない」

例え子供でも部外者が触って良いものではない。
看守は読書を中断して子供をそう咎めるが、それを先ほどからカードゲームに興じていた二人の看守が彼らの話に割って入った。

「まぁ いいじゃないか。
どうせ牢を破った所で、こっちの鍵がなければ建屋の外に出られないんだし」

そう言って、話に割って入ってきた看取が、懐に隠した鍵束を見せて笑ってみせる。
例え、牢を破られたとしても、建屋の鍵がなければ外には出られない。
仮に脱走しようものなら、建屋の鍵が無くて戸惑っている間に、要塞に駐屯する兵士や看守に捕まってしまうという算段だ。

「あのなぁ……
そういう事を言いたいんじゃないんだが……」

他の看守の言い分に対して、読書をしていた看守は、出れるか出れないかじゃなく、心構えの問題だと言葉を続けようとするが
それは、新たに見せられた鍵束に反応した子供の声で遮られる。

「へぇー さすが監獄。
鍵が一杯あるんだね。
ちょっと見せてよ……って、うわぁ!!」

看守たちが話している間は無言で鍵を見詰めていた子供であったが、ふと何かを思いついたように、鍵を見せてくれとカードゲームをしていた看守たちの方に走り出す。
そして、看守たちまでもう少しと言う所で、少年は盛大にすっ転んだ。
あまり受身が取れた風には見えない感じで、盛大に。
その様子に流石に心配になったのか、子供に一番近くにいた建屋の鍵束を持っている看守は、彼を心配して傍に駆け寄った。

「おいおい。盛大にコケたな。大丈夫か?」

「う~ん。いたいよぅ」

看守の言葉に、子供は顔を抑えているのかうつ伏せの状態のまま動かない。
もしかしたら歯でも折ったか……
看守は心配して子供を抱えて起き上がらせる。

「どれ坊主。ちょっと見せてみろ」

立たせた子供の前でその顔を覗き込む兵士。
泣きそうな顔をしている子供を心配してか、その看守の注意は完全に子供……イラクリの顔へと向けられていた。

「あぁ。 ちょっと赤くなって……」

赤くなってるが大丈夫。
そう言おうとした看守の言葉が途中で止まる。
そして、それと一拍置いて、ドサリと看守が崩れ落ちた。

「おい。どうし…… んな!?」

急に倒れた仲間の看守を見て、他の看守も何事かと立ち上がる。
何が起きたか。
倒れた瞬間には分からなかったが、倒れた看守の下から広がる赤い液体を目にして、残った二人の看守は驚愕した。

「イヒヒヒヒ!!」

イラクリは笑い、そして駆け出した。
先ほどと同じ少年とは思えない悪魔的な笑顔を浮かべ、二人の看守が腰に付けた剣を抜くよりも早く……








「制圧完了」

看守の部屋に入って程なくして、イラクリは戻ってきた。
その顔は返り血による飛沫が飛んでいたが、彼は一仕事したとばかりにサッパリとした表情である。

「よくやったよ。流石はあたいの息子だ。
よし。さっさと、牢を開けな」

「はーい」

ニノの言葉を受け、イラクリは牢屋に鍵を指して回る。
拓也やニノがいる大部屋だけじゃなく、建屋の牢屋全部にだ。

「うぉぉぉぉぉ!」

解放された囚人。
建屋に喜びの声がこだまする。
そんな熱狂の中、イラクリが全ての牢を開け終わると、囚人の中心で、ニノが全員に向かって声をあげた。

「いいかい!お前ら。
外に出たら監守の官舎を襲うんだよ。
その声を合図に、外に居る仲間が通用口を吹っ飛ばすから、そこから一気に外に出るんだ。
わかったね?上手くバトゥーミまで逃げれた奴は、あたいの一味で使ってやるよ」

「おおぉ!!」

ニノの言葉に囚人達は一体となって声を上げ、それに応える。
牢から出たと言う喜びと高揚感からか全員が何の疑問も無く脱獄を指揮しているニノの言葉に従っている。

「さぁ! 出口はあっちだ!
お前達!さぁ行くんだよ!!」

開け放たれる建屋の扉。
囚人達は、死んだ看守から奪った剣や、椅子やテーブルを壊して作った角材等を手に、一気に外へと向かって行く。
そうして、拓也達以外の全員の囚人が建屋から出て行くと、残った拓也達は建屋の扉を閉め次の計画に向けて動き出した。

「じゃぁ こっちも行動開始だ」

拓也はそう言って、囚人が出て行った出口とは別方向に歩みを進める。
要塞内のほかの建物については分からないが、この建屋内の構造については飯屋の親父から聞き取り済み。
囚人達と別れた拓也達は、建屋裏口へと向かっていた。

「……それにしても酷い奴ね。
奴等全員囮に使うなんて」

拓也の後に続きながら、タマリはニヤニヤしながら拓也を見る。

「これが知ってる奴だったらこんなマネは出来ないよ。
だけど、見ず知らずの義理も何も無い悪人達でしょ?
使い潰してもさほど良心は痛まないし。
それでも、流石に堅気の飯屋のおっさんは巻き込んで悪いと思うから、後で何か御礼はしようと思うけど……」

タマリの言うとおり、解放した囚人は全て囮だ。
せいぜい暴れてもらって看守を引き付けておいて貰いたい。
どうせ外に出る際には扉を爆破して大騒ぎになるのだから、陽動として有効に活用しようと言うのが拓也の考えだった。
そうこう話しているうちに暗い建屋の通路を進んでいくと、暗闇の中にドアが浮かび上がった。

「社長。
無駄話はここまでです。
どうやら、このドアがもう一つの出入り口っぽいですよ」

先頭を歩いていたアコニーが、後ろを振り向いてドアを指さす。
飯屋のおっさんの情報どおり、恐らくこれが外へと通じるこの建物の裏口だろうことは間違いないと思われた。
後は守衛から奪った鍵で外に出れば、こちらからの合図でイワンが門を爆破なり何なりしてくれるはずだ。

「よし、じゃぁ鍵を開け……」

ガチャ……

鍵を開けようかと拓也が言おうとした丁度その時。
未だ誰も触れてもいないのにドアノブが回る。

「!!?」

外側から誰か来た!?
咄嗟に皆で隠れようとするが、通路は狭く、隠れる場所などありはしない。
ギィ・・とゆっくりドアが開かれるが、出きる事と言えば、ドアの蝶番側に皆で押し固まって隠れる事。
だが、これでは直ぐに見つかってしまうだろう。
ドア越しの気配から察するに、相手は一人。
それも酷く警戒している様子である。
建屋の外で脱獄した囚人達の騒乱の声を遠くに聞きながら、恐る恐ると言った感じで中に入ってきた。
そんな緊迫した状況の中、最初に動いたのはアコニーだった。
猫のようにしなやかに、そして風よりも早く動いた彼女は、一瞬でドアを開けた人物の後ろを取ると、叫ばれないように口を塞いで中へと引きずり込む。

「んん?!」

その人物は、一瞬の出来事に困惑の声をあげるが、アコニーに口を塞がれて声を上げることが出来ない。
確認の為、その人物に向けられるライトとナイフ。
暗い通路の上で、ライトに浮かび上がったその顔は、あらゆる意味で拓也達の予想外であった。

「カノエ!?」

帽子の中で纏めて髪を隠してはいるが、その顔は正しくカノエ。
拓也達は何故ココにと言わんばかりにあっけに取られた表情をしていると、カノエは何事も無かったように笑って話しかけてきた。

「あら、社長。
お久しぶりです」

「なんでこんな所に……
って、お前。王城に捕まってるんじゃないのか」

カノエ以外の全員が思っていたその疑問。
捕まっていた筈のカノエが何故ココにいるのか。
それに対するカノエの答えは至ってシンプルなものだった。

「逃げてきちゃいました」

てへぺろ☆と軽いノリでカノエは答えるが、それで「あぁ そうなの」で済まされるような事ではない。
拓也は一体どのようにして逃げてきたのかカノエに問いただす。

「逃げてって、どうやって?」

「だって、あいつら牢獄だと思ってエレベータに閉じ込めるんですもん。
そりゃぁ逃げますわよ」

カノエは、逃げて当然ですよね?と鼻で笑う。

「エレベーターだって?」

サルカヴェロにはそんなモノまであるのか。
だが、何故、サルカヴェロ人はそんな所にカノエを閉じ込めたのか?
そんな拓也の疑問を、カノエは拓也が聞くまでも無く話してくれた。

「えぇ。
今のサルカヴェロ人は知らないようですが、この要塞も地下構造で繋がってますわ。
もっとも、利用法を知らない彼らは、この要塞のモノは倉庫として扱ってましたけど。
そんな事より、さっさと逃げましょうか」

「ちょっと待て。
逃げなきゃならない事には違いないんだが、外にイワンが待ってるんだ」

外ではイワンが要塞の門を爆破する準備を整えているはず。
彼を放っておいて別ルートから逃げるわけには行かない。
だが、そんな拓也の言葉の意味を察したカノエは、その逃走ルートを論外とばかりに否定する。

「外ですか。
まぁ そのルートは諦めてくださいな。
今頃、私が消えたことで王城は大騒動でしょう。
じきに大規模な捜索隊が町に下りてくるはずですわ。
そんな中で逃げるのは嫌でしょう?
それに、サルカヴェロよりもっと危険な奴等ももう少しで着ますし……
そんな訳で、脱走は地下から行いましょう」

そー言って、カノエは胸の前で手をパンと叩き、このルートで行くと宣言する。
地下からの逃走。
それは、土地勘の無い拓也達には思いつきもしないルートであった。

「は?
地下から? ……というかサルカヴェロより危険な奴等?!」

「まぁ そこらへんは移動中にでもお話しますわ。
とりあえず、ここから移動する事を優先しましょう」

そう言って、カノエは拓也の手を取って建屋の中へと歩き出す。
途中、守衛に発見されないように周囲を警戒してみたが、どうやら守衛の大半は脱走した囚人達の対処に追われているようだ。
拓也達は、幸運にも誰にも発見されること無くカノエに案内されるまま要塞内の一室に着く事が出来た。

「ここが、エレベーターですわ」

「ここが?
只の物置にしか見えないけど……」

拓也が言うとおり、石造りの室内には資材として保管してあったロープや樽等が雑然と積まれている。
とてもじゃないがエレベータには誰の目にも見えない。

「まぁ サルカヴェロ人には使い方が分からなかったようですし、物置として使ってたんでしょう。
じゃぁ 動かしますね」

カノエは、そう言うと文様の刻まれた石壁に手をかざす。
すると、それに反応して文様が光ったのと同時に部屋の床が下降を始めた。

「うわぁ!」

「なんだ?!」

ガコンとロックが外れるような振動の後、床は加速度的に降下速度をあげていく。
どんどんと下降する床。
見上げれば、天井は既に遠い所にあり、ニノやタマリは始めてのエレベータに驚きの声を上げている。
まぁ もっとも、エレベータの聞いて普通のエレベータを想像していた拓也とアコニーも、こんな艦載エレベータちっくなモノが出てきたことに内心驚いていたのだが……

「下まで移動するのに数分かかりますから、その間に皆さんコレを口に含んでくださいね」

そう言ってカノエが懐から取り出したのは複数の錠剤だった。
カノエは、それをアコニー、ニノ、タマリ、イラクリの4人に渡す。

「なんだいこりゃ?」

「下で呼吸するためのお薬。下にはガスが溜まってるの。
その中で呼吸するのに必要な薬なのよ」

「ガスって……
本当に大丈夫なのかよ……
って、あれ? カノエ。俺の分は?」

カノエが渡したのは拓也を除いた4人分だけ。
拓也は自分の分は何で無いのかとカノエに尋ねる。

「社長は霧によってドワーフの性質を得たじゃないですか。
彼らの能力は社長が練習してた精霊魔法だけじゃないですよ?
長い間地下で活動するために、多少の低酸素や有毒ガス環境の耐性を持ってますから大丈夫です。
他の種族だったら10分も潜れば死にますが、ドワーフ系ならちょっと息苦しい程度ですよ」

「本当かよ……」

確かに霧発生時の肉体的な変異を契機に、精霊魔法が使えるようになったのは分かる。
だが、ガス耐性など普段の生活では知覚出来ない。
それを信じるというのは中々に難しいモノだ。
拓也が不安に感じるのも無理は無かった。

「まぁ それはご自分で確かめてみれば宜しいかと。
それより、そろそろ地下に着きますよ」

そう彼女が言った瞬間だった。
今まで上へ上へと流れていた周囲の壁がふっと消える。
何事かと見上げれば、遠ざかる天井には四角い穴。
そして、周囲を見渡せば端の見えない漆黒の闇が広がっている。
エレベーターは巨大な地下空間へと降りてきたのだ。
拓也達はここは一体何かと見渡そうとするも、明かり一つないその空間は視覚での認識を拒む。
それは、エレベータが目的地に到着し、その動きを止めても変わらなかった。
暗すぎるのだ。

「暗すぎますね。
ちょっと明るくしますわ」

そう言ってカノエは、エレベータの近くにある文様の描かれた石盤に触る。
石版はポゥっと淡く光ると、周囲に光が溢れ始めた。
地下空間の天井が光っているのだ。
光量としては然程多くは無いが、それでも夜の街灯に照らされている程度には明るい。
そして、その光に照らされて拓也の予想をはるかに超える光景が眼前に現れたのであった。



[29737] 帝都大脱走3
Name: 石達◆48473f24 ID:bb90e600
Date: 2014/02/02 03:03
サルカヴェロ帝国
帝都ティフリス地下


「社長……
これは一体……」

眼前に広がる光景を見て、思わずアコニーは息をのむ。

「まさか…… 街の下に地下都市があるとはな。
しかも、地球の都市遺跡か……」

拓也達の前に広がるのは、近代的なヨーロッパの町並み。
伝統的な建物と近代的な社会インフラが共存した都市であった。
恐らく放棄されてから長いのであろう。
道路の彼方此方で遺棄された車両には埃が積もっており、かなりの年月が経過している事が見て取れる。
拓也はこれが何処の都市かを知ろうと都市の中へと歩みを進め、広告として張られていたポスターを見て
その特徴的な言語に気が付いた。

「グルジア語……」

丸みを帯びた特徴的な文字、それは独身時代のバックパッカーとして世界を歩いていた時に見た事があるものだった。

「社長。知ってるんですか?」

「あぁ。旅行中に齧っただけで殆ど読み方は忘れたけど、何個かこの文字の読み方は覚えてるよ。
あぁ…… それで帝都の名前がティフリスか。
納得がいったよ」

拓也はそう言って一人頷くと、更に周囲を見渡して、何かを思い出したかのように一人納得した表情でうんうんと頷く。

「あら、社長はこの都市に来た事が?」

「……昔、一度だけ来たことがある。
といっても、転移前の世界だけどさ。
ティフリス…… これってトビリシの別名だろ?
土産に買った酒の名前がそうだったから、名前の由来は覚えてる。
前に来た時と色々変わってるけど、この場所は覚えてるよ。
このゴルガサリ広場から、シナゴークの脇を抜ける道を抜けて行けば自由広場に出て、更に奥へ行けば旅行中に仲良くなった友達の家がある。
あと、あの建物にあるレストランで食べたヒンカリ(グルジアの水餃子)が旨かったっけ……」

段々と思い出してくる過去の旅行の思い出。
そして、その思い出の町並みは、細部が変わっているものの大筋で眼前に広がっている町並みと一致する。

「多分、社長の想像通りだと思うけど、目的地はこの先だから歩きながら説明しますね」

そう言って彼女が歩みを進めるのは、かつてはゴルガサリ通りと呼ばれた通り。
このまま歩いていけば、街の中心部へと進むコースだ。
カノエはその道を歩きながら、この地下都市の説明をしだした。

「この地下都市は、恐らく出自は社長の来た世界と同じです。
北海道の時とは規模は違いますが、都市ごと転移させられたんでしょう。
しかし、その時も完全な成功とはいかなかったのか、転移場所は地表からズレた地点になってしまった。
それが直接的な原因となり、滅びの道を辿ったのでしょうね」

不完全な転移。
拓也は、ニュースで転移した北海道の地下構造が同じ時代の北海道のものではないと言っていたのを思い出した。
不完全な転移でも、運よく北海道はその程度で助かったが、こっちのトビリシは運が悪かったようだ。

「そりゃぁ いきなり地下に閉じ込められたんじゃ助からないよな。
みんな窒息死か……」

真っ暗な有毒ガス環境。
全くもって人の生きていけるような環境ではない。
拓也は、光の届かない町並みの奥には、死体の山でも積まれているのではと想像してゾっとしてしまう。

「それについてですが、文明の継承こそ出来なかったもの住民は助かったようです。
地下に転移こそしましたが、この地域の地形がまっ平らじゃなかった事と、土地が球形に切り取られて転移したのが幸いしたようです。
転移した所の地下構造……地下鉄って名前でしたっけ?それが偶然にも崖になっていた部分に届き、そこから住民が脱出したそうです。
まぁ ですが、その条件から文明を興すだけの体力は無かったようで、周辺部族に文化を伝えたものの住人自体は歴史の闇に消えました」

「そんな事が……
もしかして、カノエ達はグルジア人の末裔?
色々と詳しいし、こっちの世界の普通の人々とは雰囲気が違うよね。
まぁ その割には髪の色とかが普通じゃないけどさ」

「いや、私達は社長がグルジア人と呼ぶ古代サルカヴェロ人とは関係ないですよ。
この放棄されてた地下遺跡を利用させてもらってはいましたが」

「利用?」

「えぇ。
ほら、あそこ。
誰も入ってこれないのを良い事に、自分達の為の研究施設を作ってたんですのよ」

そう言ってカノエが指差す先にあるのは、丸い大きな建物であった。
それは一目見ただけでも、周りの建築群とは異なる設計思想に基づいて作られたのがハッキリとわかる。
窓一つないノッペリとした黒い円形の外壁は、周りの町並みと比較して強烈な違和感を放っている。
その上、その建物の一番の特徴は、何か巨大な力による破壊の爪痕を残していると言うことだった。

「なんだか酷くボロボロだな」

後から建築された割には、破壊の度合いが一番酷い。
思わず、率直な感想が拓也の口から出た。
そんな拓也の感想に、カノエはしれっとその理由を答える。

「エルフに襲撃されましたから」

「エルフに?」

この世界のエルフと言えば、ガチムチ黒人のダークエルフしか拓也は見たことは無いが、普通のエルフは一体どのような存在なのだろうか。
馴染み深い漫画等のイメージで言えば、耳のとんがった高潔な美男美女の集団か、常にオークや何やらから性処理の対象にされるエロフなイメージがある。
だが、それらのイメージは恐らく何の役にも立たないだろう。
ダークエルフと聞いて拓也がボンテージお姉さんを想像したのに、出てきたのがガチムチのタイソンだった時のように……

「奴等はこの星の抗体みたいなものです。
我々は奴等にマークされてるんですよ。
奴等に見つかる前は細々と生きていた我々ですが、研究の為に空間に溢れているエネルギー……今は"魔力"と呼ばれていますね。
それに大々的に手を出した為に、ここが見つかって襲撃されました」

「え?
でも、この世界って皆自由に魔法とか使ってるんじゃないのか?」

エルヴィスやらゴートルムといった西方諸国は魔術を普通に使ってるし
亜人達も持ち前の精霊魔術を何の気兼ねも無く使っている。
言葉の意味から察するに、魔力とやらは魔術や精霊魔法のエネルギー源なのだろう。
だが、なぜ皆が気兼ねなく使ってるものを使ったのが理由で襲撃されるのだろうか。
拓也の頭に疑問が浮かぶ。

「社長の言うとおり、西方の魔術師や亜人は皆使ってますわ。
でも、私達のは使い方が違ったんです。
空間に溢れる魔力を従来の方法ではなく、機械的かつ大規模に使用しようとしたのがマズかったんですわ」

「機械的に使うのが問題?
消費するエネルギーが増えるからとか?」

「いえ、魔力のキャパシティ自体は何ら問題はありません。
膨大すぎて使い切るのは不可能と言って良いでしょう。
問題は別の所です。
社長に分かりやすいように説明すると、電力会社と契約している世帯の電気を、未契約の家が勝手に電線繋いで盗電してたら怒られますよね?
それと同じです。
盗電自体も細々とやればバレなかったのです。
例えば、北海道で時々私が薬を作りましたけど、あれは実はこの星の魔力を盗用して元素を造換してただけです。
それくらいならバレなかったんですけどね。
バレた原因は、魔力の使用を大規模に、しかも未契約者がって所がキモです」

「そりゃぁ…… 怒られても仕方ない。
でも、それにしたってこんな手酷く破壊しなくたっていいじゃないか」

違反行為をしてたって、最初に警告くらいしてきても良さそうなのに、カノエの話をよくよく聞くと警告なしにイキナリ実力行使されたようである。
好戦的な集団の多いこの世界には、話し合いという概念は無いのだろうか?と拓也は思う。

「まぁ 過ぎたことなんで今更言っても仕方ないですわ。
それに、大規模に魔力を使用しようとした理由は、今のサルカヴェロ人に起こされた反乱を鎮圧するためだったので
どちらにしろ、私達の一族は詰んでいたのかもしれません」

「……そうか」

あまりにもあっさりと自分の一族の滅びを語るカノエ。
その言葉には一切の未練も感じさせず、ただ全てを受け入れているようであった。

「ま、そんな暗い話は兎も角。
これから怖~いエルフが襲ってくるので、それに備えましょう。
流石に対抗手段も無く逃げるのは自殺行為です」

「?!
カノエが言ってた危険な奴等ってエルフの事だったのか?!

……いやいやいや。
こんな建物を完全に潰すような奴等相手じゃ時間稼ぎもキツ過ぎるし」

今の装備は拳銃2丁とマグが数本。
他の装備といえば、イラクリが彼と他二名用に持ち込んだ短剣が3本。
こんな装備でどうやってビルをも破壊する連中と渡り合えばいいのだ?
旧軍宜しく精神力で戦力差をカバーしなければならないのだろうか?
その様な想定をすればするほど、気分的には対戦車肉弾戦を覚悟しなければならないような気分に拓也はなる。

「じゃぁ 社長達は別で逃げます?
まぁ エルフからマークされてるのは私だけですし。
皆の安全を考えれば、私はそれでも良いですけど……」

「うううう……」

カノエはそう言うが、この期に及んでカノエを見捨てて逃げ帰ったとなれば、本当に何をしに来たのか分からない。
後味が壮絶に悪くなるのもさることながら、配下社員達からも失望の目で見られるだろう。
だが、行く手に待ち受けると予想される危険はあまりに大きい。
拓也はしゃがみ込み、うんうんと唸りながら考える。

「社長?」

カノエは頭を抱えてしまった拓也を心配し、拓也の顔を覗き込もうとするが、
その瞬間、拓也は意を決したようにガバッと立ち上がった。

「わかったよ!
皆で一緒に逃げる!
お前も一緒に帰らないと何のためにココまで来たのか分からないからな!
言っとくが、俺は人付き合いにおいて損切りのヘタな男だ。
だが、それでも俺はお前達の雇い主でもある。
社長オーダーだ。全てに優先する命令として全員で一緒に逃げるぞ。
拒否はさせないからな!」

拓也はようやく決心したのか、アコニーやその他の面々に対して怒鳴るかのように宣言する。
一度やると決めた拓也の顔には、最早迷いは微塵も無い。

「いや、あたいらは別にあんたの手下じゃ……」

キッ!

拓也の決心に水を差す無粋なニノの言葉を拓也は視線で制する。
その気迫に押されてか、ニノも最後まで言葉を発せない。

「ふふ……。そうくると思ってましたよわ
じゃぁ 逃げる準備をしましょうか。
流石にその装備でエルフを相手にすると、足止めにもならないですしね」

「……やっぱり、拳銃じゃ足止めにもならないか。
だとしたら、準備って何をするんだ?」

「それはこれから説明しますわ。
とりあえず、私の後に付いてきてください。

そう言って、カノエは半ば崩れた建物の方へと歩き出す。
少しずつ近づいてみると、思った以上にその建物の状況は酷かった。
外見上ですぐに分かる建物の崩落部以外の箇所も、よく見れば火災の後がある。
建物の色自体が黒いため、すす汚れが遠目からは分かりにくかったが、近づいてみれば中々の大火災が起きていたようだ。

「これから中に入りますけど、所々に焼死体がありますので気をつけてくださいね」

カノエはそう言ってライトを持って奥へと進んでいくが、彼女の言葉通り、所々に真っ黒に焦げた人型が転がっている。
中には完全に炭化していないモノも多々あったが、低酸素環境のためかあまり腐敗は進まず、焦げたミイラとなっている。
そんな死体や瓦礫の間を縫うように奥へ奥へと入っていくと、ある程度建物の下層階へと下った所で火の手が及んでいないエリアが現れた。
破壊から免れただけあってそのフロアの状態は良い。
飾りっ気は一切無いものの、コンクリートと思しき廊下が続いている。
そんな廊下を暫く歩くと、カノエはある一つの扉のところで足を止めた。

「ここが研究室ですわ。
不幸中の幸いにして、過去のエルフの襲撃は一族の抹殺がメインでした。
なので、当時中に居た者達を殺しつくし後に彼らはさっさと引き上げていき、ここは潰れずにすみましたの」

カノエは拓也達にそう説明すると、古びた鉄製のドアをギィ……と開ける。
開け広げられた扉の奥、中を確認しようとライトを向けられた先にあったのは、所狭しと棚に置かれた物の数々であった。

「すごいな。
色々なものがある」

所狭しと並べられた物品の数々。
一目で用途が分かるのも有れば、さっぱり不明なものもごっちゃになって置いてあった。

「ここは研究品を保管する所ですから、色々なものがありますよ。
古代サルカヴェロ人の電子記録から私達の作ったものまで色々ね。
特にこの星の魔力は未だに供給源やら何やらは謎ばっかりだったので、魔導具の研究が沢山あるはずですわ」

魔導具も気になるが、それ以上に拓也が気になるのは、カノエの言う古代サルカヴェロ人の電子記録だった。
分かりやすくいえばグルジア人たちの残したデータなのだろう。

「うわ。
凄いな。
タブレットからゲーム機まで色々あるよ。
えっと、ドリー○キャスト2?聞いた事がないゲーム機だな。
ゲーム業界の覇権を握りそうな格好いいデザインだけど……
見かけは動きそうだけど、やっぱり起動は無理?」

「中の樹脂系部品は死んでますから。
転移から約1000年は経過してるので、データは殆ど飛んでます。
特殊な方法で一部のデータは吸い出しましたが、単体では動きませんよ」

「そうか。
ここは1000年前にこちらの世界に来たのか……
一体、何時ごろの時代の地球から来たんだろうな」

そう言いながら、拓也は目の前にあったゲーム機を手に取ると、じっくりと回しながら見てみることにした。

「お、このゲーム機、製造年月日が打ってある。
どれどれ……2050年…… 俺達が飛ばされてから25年以上後から来たのか……」

転移したのが刻印された製造日からどのくらい後なのかは分からないが、日本製と思われるゲーム機が出てきたのだ
少なくとも2050年まではトビリシは地球にあったのだろう。
1000年も過去の遺物から出てきた未来の地球に繋がるソレは、拓也に様々な思いを抱かせる。

「北海道が転移してから元の世界はどうなったのかなぁ……」

北海道が丸ごと消えてしまったとなれば、色々と混乱もあるだろう。
転移前に約1ヶ月の準備期間があったとはいえ、その影響は計り知れないはず。
拓也は、北海道が無くなれば、青森県に流氷が着たりするのかなぁ等と想像してみた。

「社長。
感傷に浸るのも良いですけど、まずは装備を整えましょう」

「あぁ、そうだった。
で、何を持てばいいんだ?」

拓也はハッとして、カノエの方を見る。
今はエルフの襲撃に備えて装備を整える時。
とはいえ、ここに何が積まれているのかはカノエしか把握していない。
拓也は何かおススメはないかとカノエに聞いた。

「そうですね……
これなんかどうです?」

そう言ってカノエが取り出したのは、何本ものコードが垂れ下がった筒だった。

「なんかコードが一杯出てる筒っぽいけど、コレは何なの?」

「研究用の標的射出装置ですわ」

カノエは結構威力はありますわよと言いながら、その筒を拓也に渡す。

「標的射出装置?
武器じゃないんの?」

「元々は武器じゃないですけど、相手に向けて作動させたら武器にもなりますわ。
電磁石の力で金属球を超高速で射出する装置ですもの。
でも、手に持って運用する事は考えられていないので持ちにくいのは許してくださいな」

「電磁力って…… レールガンみたいなものか。
電力供給とかどうなってるんだろうな……」

「エネルギー供給は魔力ですが、そこらへんは今話してもしょうがないことなので、また今度。
そして次にアコニーはこれ」

「これは?」

「魔力ペレット投射器。
カプセルに封入した液化魔力を射出する装置よ。
威力が強いから気をつけてね。
弾体が命中すれば半径3mは一瞬で蒸発するから」

「……」

カノエは平然とそんな事を言いつつ、アコニーに釘打ち機のような装置を渡す。
先ほどのレールガンとは違い、一応はハンドリングが考慮されているようだが、本当に彼女の言うような威力なら
撃つ方も相当注意しなければ危険すぎるシロモノであった。

「あたし達には何か無いのかい?」

「え、貴方達の分?
社長が貴方達が一緒に行動するのに何もいわなかったからココまで連れてきたけど
そもそも貴方達は盗賊で、味方と言うわけじゃないでしょう?」

当然のように自分達の分を要求してくるニノに、カノエはきっぱりと言い放つ。
カノエが合流した時に、ニノ達が一緒に居るところを見て拓也と敵対していないようだと言うのは察していたが、
人質交換しようとして捕まった時点から現在までの経緯を知らないカノエにとって、ニノたちは依然として悪人一味。
彼女らが付いてくることに対して拓也が何も言わなかったため、ココまで一緒に連れては来たものの、武器まで渡すのは躊躇われた。
もしかしたら、攫われている最中に色々と恨まれる様な出来事があったのかもしれないが、カノエはその辺の事情は何も語らずニノ達に対して冷たい態度を取る。

「けっ!
なんだい。ちょっと攫ったくらいで根に持ちやがって。
ふん!あんたの指図が無くたって、あたいらで勝手に漁らせてもらうさ」

そう言うと、ニノは机の上に無造作に置かれていた握りこぶし大の琥珀のような塊を手に取った。

「な!?」

「おっと、なんだいこりゃ?
宝石かい?いいもん見つけたね」

「そ、それは駄目よ!」

カノエは慌てた様子でニノから謎の物体を取り返そうとするが、頭一つ分大きいニノが頭上にそれを掲げれば
カノエがいくら手を伸ばしても、身長差から取り返すのは難しい。

「ケチケチするんじゃないよ。
どうせ埃を被ってるだけなら、あたいらが頂戴して……」

「それは取り扱いを間違えると、この地下遺跡の半分は木っ端微塵に吹き飛ぶのよ」

「……」

さらりととんでもない事を説明するカノエ。
その言葉を聞いて、ニノは一瞬氷付いた後、黙ってソレをカノエに渡した。

「そんな危ないものなら、こんな所に置いとくんじゃないよ!!」

少々青ざめながらニノはカノエに抗議する。
カノエの言う事が本当なら、何かの拍子に全員爆死していた事になる。
そんな危険なものなら、もっと大事にしまっておくべきだと、カノエを除くその場の全員がニノの言葉に同意する。

「研究の途中で襲撃されたから仕方ないのよ。
あっ…… でも、よくみたらコレは未完成品だったから大丈夫だわ。
爆発はしないわ」

カノエは心配して損したとばかりに、その物体を棚の奥へと投げ入れた。
木っ端微塵に吹き飛ぶと言った後に、それをぞんざいに扱うカノエ。
色々とツッコミどころは満載だが、拓也は顔を引きつかせながら謎の物体の正体を聞いた。

「み、未完成?
というか、あれは何なんだ?」

「あれは、今社長たちが持っている装置のエネルギー触媒を作る装置ですわ。
分かりやすくいうと、空間に漂う魔力を液体燃料に変換する為の触媒物質を生成するんだけど
その触媒自体は魔力を固体化させたものです。
だから、操作を誤ると固形化されたエネルギーが解放されて大変なことになるんだけど
あれは大丈夫みたいね。
試作品の製作中だったみたい。
生成量をコントロールする機構が付いてないから、中身は空っぽだわ」

「なんだかよく分からんけど、コントロール機構が無いとか大丈夫なの?」

「ある一定の周波数の振動と電圧をかければ垂れ流しみたいになっちゃうけど、今の状態であれば大丈夫よ」

「そうか。
まぁ、その話は置いといて、出来れば彼女らにも強力過ぎない武器は無いか?
追われている以上、何かしらの準備はしておきたい」

「社長がそこまで言うなら仕方ないですね。
そうですね…… じゃぁ これなんかどうです?」

「これは?」

「魔力発動妨害装置」

「妨害装置?
なんだかショボいな」

「いや、そんな事はないですよ。
私たちですら完全には解明できてない魔法の発動を妨害できるんですから
まぁ 原理は簡単で、魔導具によりハイパワーのエネルギー吸収魔法発動させて範囲内のエネルギーの全てを奪い、相手の魔法を妨害します」

「へぇ~
よくわからないけど凄いもんなのか」

「でも、欠点があるんですよ」

「欠点?」

「研究中だったので遠隔操作も時限操作もできません。
そして有効範囲は訳10mくらいですね。
放出される魔力の強さからして確実に生身の使用者は死にます。
何せ脳内の電気信号から体温まで全てのエネルギーを奪われますから」

「……おい」

「あ、でも死体は綺麗ですわよ?氷漬けですから。
女なら綺麗に死にたいですよね。
それに使い方も簡単。紐を引くだけで発動します」

そう言ってカノエはニノに向かってニコリと笑う。
だが、そんな物を渡されたニノは怒りに肩を震わせていた。

「ふ、ふ、ふざけるな!バカヤロー!
何考えてんだ!!」

殺す気かと怒鳴るニノ。
それに対してカノエは、頬を膨らませながら違う道具を取り出した。

「ふん、仕方ないですね。
じゃぁ、コレで我慢してください」

「これは…… 弓矢?」

「そう。
弓の方は只の変哲もない弓。
でも、矢が特別性なのよ。
元々、一般兵用に作った奴だし」

「ふん。
で、この矢は同特別なんだい?
また自殺専用とかじゃないだろうね?」

「いいえ。
ただ矢尻に爆発物を付けただけよ。
だけど、放たれた瞬間に魔力の膜に包まれて空気抵抗と重力を無効化するから、慣性に従ってどこまでも飛ぶわ。
まぁ 放物線を描かない矢なんて失敗作の何物でもなかったけど、個人で使う分には問題ないでしょ。
三人にはコレをあげるわ」

「そのカンセイとかはよく分からないが、どこまでも飛ぶ矢ってのは凄いな。
よし、タマリ、イラクリ。
あたいらはこれにするよ」

「本当なら、他に誘導機能も欲しかったんだけど…… チッ」

と、そこまで説明した所で、カノエが何かを感じ取ったかのように斜め上の天井を見詰める。
天井をつき抜け、地上も通り越した上空から感じる何かの気配。
それに気が付いたその瞬間から、カノエの表情に余裕が消えた。

「社長。
おいでになったようです。
お話したとおりに逃げましょう」

「え?わかるのか?!」

拓也達にとっては未知の感覚で知覚しているのだろう。
カノエ以外の誰もが何も感じない中、明らかにカノエは何かを敏感に感じ取っている。

「そろそろエルフの反応が王城あたりに到達します。
向こうも、エレベーターが動いた時の魔力反応は感知しているでしょうから、もう時間は無さそうですわ。
さっさと荷物を纏め、この帝都から離れましょう」



[29737] 対エルフ1
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/02 03:03
時は少々遡る。

拓也やカノエが帝都へ輸送され、サルカヴェロからエルフへの連絡が行われた後。
当事者以外で最初に異変に気が付いたのは、襟裳にある第36警戒隊のレーダーサイトであった。
ここはゴートルムやエルヴィスのある北方とは真逆の北海道南方に位置し、転移後は空軍の機体を除けばレーダーに反応する物は皆無と言う状況が日常だった所であった。
(これが仮に北方であれば、時折ゴートルムから訓練中のドラゴンなどを観測できたが、ここではそれも皆無であった)
だが、そんな暇なレーダーサイトでも、配備された兵士たちは忠実に職務をこなしている。
観測された最初の異変も、彼らは見逃すことなくそれを捉えていた。
レーダーサイトから北海道の南方に向けて照射されたレーダー波は、ある高速飛行体にぶつかって光点をレーダースコープ上に映し出している。
普段なら鳥すら飛んでいない高度の夜の海上。
そんな所に急に現れた飛行物体に兵士の間に緊張が走る。
コレは何か?
またゴートルムの侵攻の再来か?
それは彼らの間に様々な憶測を呼ぶが、その間にも彼らの観測した情報は、データリンクによって千歳に設置された防空管制司令部へと送られる。

「襟裳岬沖より所属不明機接近中。
高度6000 マッハ1.5 方位0-4-5」 

レーダーサイトとのデータリンクにより司令部のスクリーンに映し出されたマーカーは、襟裳岬の南方から北東へと進んでいく。
しかも、現在のコースは道東の真上を飛行するルート。
それが一体何にしろ、北海道側として警戒を強めるには十分な存在であった。

「ドラゴン…… にしては速過ぎるな。
いや、そういう種もいるのか」

スクリーンに映し出されたマーカーを見て、士官の一人が不明機の正体について推測を試みる。
この世界での代表的な飛行物体と言えば、先の北海道西方沖航空戦で戦ったドラゴンたちであったが、スクリーン上に映し出されるそれは
空飛ぶドラゴンたちとは明らかに速度が違った。
速過ぎるのだ。
かのドラゴンたちは、速く飛んでも亜音速。
以前軍内部で回された資料によると、ドラゴンたちは魔法の力によって翼で生み出される以上の推進力を得ていたが、それでも空力と耐熱限界により音速は超えられないとエルヴィスからの情報にはあった。
だが、この飛行物体は音速を超えている。
ドラゴン以外のナニカ。
それが敵意を持つかは定かではないが、味方といえない以上は撃墜も視野に入れて行動せねばならない。
そして、それは管制司令部の誰もが共有する考えでもあった。

「F15を上げろ。
不明機の確認を取らせるんだ」

スクランブルを発令する司令の言葉によって、すぐさまその命令が関係部署へと送られる。
夜間の空では目視での確認は難しいであろう。
だが、それが害をなす存在か、はたまた友好的な存在かの確認行動を取らねばならない。
未だ見ぬ正体不明の相手に対し、北海道の空を守護する鷹は飛び立つのだった。







釧路沖上空 6000m

千歳より飛び立った2機の荒鷲は、誘導されるままに不明機との接触空域まで飛んで来ていた。
だが、明るい月夜とはいえ、夜間飛行で不明機を目視するのは困難を極めた。
なにせ、仮に不明機が魔法で飛ぶ新種のドラゴンだった場合、飛行機とは違ってジェットの明るい炎などでていない。
レーダー上では至近を飛んでるらしいが、それらしい影など一切見えなかった。

「イーグル1
不明機を確認できず。
繰り返す、不明機を確認できず。
イーグル2はどうだ?」

『イーグル2よりイーグル1へ
こっちも駄目だ。
地上からの連絡によると、レーダー上では並行して飛行しているそうだが……』

そう言って二機は夜の空に目を光らせるが、それらしいものは確認できない。
コレが転移前の世界のH-6Kのような爆撃機ならば、夜間でもジェットの炎やそのサイズから見つかりそうな気もしたが
今回の目標は、幾ら目を見張って探してみても発見は出来なかった。

「本当に何か飛んでるのか?
確かにこの空域に到達する前には機体のレーダーでも何かを捉えていたが、実体が確認できないとはな」

接近前を確かに機体のレーダーにも反応があった。
それが接近した途端にロスト、そして現在に至っている。

コンコン……

「こりゃぁ、実体のない幽霊か何かじゃないのか?
ドラゴンやら魔法もアリの世界じゃ何が出てきてもおかしくないし」

正直な所、レーダー派を反射しても目視不可な幽霊的な存在がいても不思議じゃないのかもしれない。
だが、そんな何が出てきても驚かないという心積もりをしていても、実際に目にするとなると話は別である。

コンコン……

「ん、何の音だ?」

エンジン音に掻き消されそうな、風防を軽く叩く音。
それが何度か繰り返され、彼はその音に気付いてふと真上を見上げる。
そこにいたのは幽霊でもなければ新種のドラゴンでもない。
実体を持つ人影と二人の視線は交差した。

風防に張り付く様に飛ぶ真っ白な顔をした黒衣のヒトガタ。

人の皮を剥いで作った様な白いマスクをつけている為、その表情は読み取れないが
それは確かに人間のようであった。
あまりに突然の出来事に、イーグル1のパイロットは絶叫した。

「うわぁぁ!!」

驚愕したイーグル1は張り付いた人影を振り払うかのように急なロールを含んだ回避機動に入る。
だが、風防に張り付いた人影はまるで接着剤で張り付いているかのように離れない。

『イーグル1!
どうした?何があった?!』

突然の叫び声と共に大きく飛行進路を乱すイーグル1。
その余りの慌てぶりに、僚機であるイーグル2も相棒の変化に驚きつつもイーグル1を追尾した。
これは唯事では無い。
僚機に何が起きたのか。
イーグル2は僚機を心配して追いかけるが、流石に日頃から厳しい訓練を積んでるからだろう。
最初の叫び声から20秒と経たずにイーグル1は冷静を(少なくとも飛行的には)取り戻した。
だが、飛行は安定していてもイーグル1の無線の叫びは興奮気味であった。

「窓の外に人が!!人が飛んでる!!」

錯乱したか?
イーグル2はイーグル1の言葉の荒唐無稽ぶりに、彼の精神の不調を心配する。
こんなおかしな言動をしていたのでは、パイロットから外されかねない。

『窓の外に人だと?一体何を言って…… !?』 

イーグル2はイーグル1の機内の姿を確認しようと僚機に近づき、それが視界に入るやいなやイーグル2は我が目を疑った。
イーグル1の言うとおり、彼の風防のすぐ横に人型のナニカが飛んでいる。
それはイーグル2が近づくと、くるりと後ろを振り返る。

……目があった。


『イーグル2より管制へ
不明機は人間!不明機は人間だ!
ドラゴンじゃない!!』

それは異様な光景であった。
生身では到底耐えられないような速度、高度の中、F15に寄り添うようにして人が飛んでいる。
よく見れば、その人型の背中から何か翼の様な物が生えているが、それを確認する間もなく人影はナニカを呟いた後にF15から離れ追い抜いていく。

「!! ……不明機増速!」

『させるか!』

イーグル1を追い抜き、どんどん距離を離していく謎の人影。
それを見て2機の荒鷲は、逃がしはしまいとスロットルを開く。

「不明機ドンドン加速します。
現在マッハ1.9……2.0…… 駄目だ!加速が早すぎる!距離が縮まらない!!」

未知の人影が機体より前方に出た事で、搭載レーダーにその姿を映し出すことは出来た。
だが、眼前のHUDに表示された速度計が音速の2倍を超えようとしているにも関わらず、目標との距離表示は恐ろしい勢いで開いていく。


「嘘だろ……」

圧倒的な加速。
それもF15がアフターバーナーを炊いても追いつけぬ程である。
そんな余りに想像外の結果に、後に残ったのはフルスロットルのまま呆然を人影が消えた方角を見つめる二機のパイロットだけ。
謎の人影が暗闇に溶けて行った後には、ただ星空とアフターバーナーの赤い炎だけが残されていた。






「……嘘でしょう?」

釧路上空での接触から然程間を置かず、事態の詳細を大統領官邸の寝室で聞いた高木は、電話越しにその報告を聞き返した。

『大統領…… 残念ながら当時の映像を検証した結果、報告は事実と確認済みです』

高木は激務を終え、シャワーを浴びてナイトガウンに着替え、やっと休めるかとベットに入った瞬間にかかってきたその電話。
あまりに突拍子もない内容に、一瞬これは夢なんじゃないかと思い軽く頬を抓ってみる。

痛い…… これは夢じゃない。

報告の荒唐無稽な内容からして、これは現実世界では無いのでは?という一縷の望みに賭けてみたが
高木は頬の痛みが、そんな高木の希望を木端微塵に打ち砕く。
暫く頬をムニムニとつねってみた後、ようやくこれが現実だと観念すると、高木は状況を整理した。

「此方の戦闘機を速度で振り切るなんて……
それも生身の人間が…… 魔法の世界は何でも有りね」

正直な所、此方の世界には巨大な飛行城があるにせよ通常の航空戦力では此方が向こうを圧倒している物だと確信していた。
しかも、それは無意味に相手を見下したり自身を過大評価した結果ではなく、先の航空戦の結果として高木はそう思っていた。
そして、それは政府内の誰しもが同じであった。
勿論、電話越しの秘書官も高木と同じ気持ちである。

『正直な話、映像で見させられるまでは、私も信じられませんでした』

F15に肉薄し、そして高速で去っていく人影。
とても現実とは思えないが、しかして現に確認され、記録まで残っている。
安全保障上、無視することは出来ない存在が現れたのだ。

「これでまた一つ不安材料が増えたわね。
後で映像は私の端末に送って頂戴。
それで、この空飛ぶ男は、何処から飛んで何処へ向かったか分かった?」

『それはレーダーに記録された対象の飛行経路から推測できました。
おそらく、南方の大陸から飛来したものと推測されます』

「南方というとエルフが住む荒れ果てた大陸?」

北海道の南方にある大陸。
北海道の南の沖合に、陸地があるのは以前より分かっていた。
ただ、そこに住むと言うエルフとは、社会体制があまりに差がありすうぎるため、正式な交流や調査は遅々として進んでいなかった。
エルフとの対話以外にも北海道の調査能力というキャパシティ的に、資源・人材の面でそこまで広範囲に調査の手が広がらないという理由もあるのだが
分かっているのは、何らかの存在と紛争を続けていると言うこことだけ。
色々と推測するには、あまりに情報が無さすぎるのが実態という訳である。

「はい。
あの飛行物体がエルフの統制下にあるのかは分かりませんが、南方大陸から東のサルカヴェロへ向かったと思われます。
方角的にはサルカヴェロの首都の方角を真っ直ぐ目指しておりますので」

紛争地域から飛んできたということは、エルフかその交戦相手のどちらかから飛んできたのだろう。
だが、今はそれがどちらから飛んできたのかはそれほど重要ではない。
そのような飛行物体を保有する勢力があることが、一番の懸念事項なのだ。
高木は電話を持ったまま、溜息を一つ吐くと室内のソファにどっと腰掛ける。
大きめのヒップが柔らかいソファに埋まり、その拍子にガウンの前も少しはだけるが、誰も見るものが居ない今はそんな些細な事は気にしていない。

「はぁ…… 魔法に巨大なラピュタの次は、此方の戦闘機を振り切る人影ですか。
こんな奇想天外な世界で北海道の安全を守ろうとすれば、もう核武装以外に無いんじゃないかしら」

最強の攻撃力さえ保有できれば、それが一番手っ取り早い。
抑止の意味でも、実際に敵を消し去る意味でも……

『核武装は様々な理由で難しいとは思いますが、大統領閣下のお気持ちをお察しします。
なにせ、エルヴィス等の一般民衆の生活レベルは産業革命以前の旧態然としたものの割に、一部の超高度魔法は我々の文明の不可能を可能にしています。
そんな社会は、あまりに歪で我々の理解を超えてますから』

「とにかく、明日の朝イチで予想される脅威に対する対策会議を開くわ。
場合によっては、現在の航空産業振興に振り分けている資源と人材を大幅に拡大しなければならないしね。
わかったら今日はもう良いわ。調整お願いね」

『はい』

「ふぅ……」

高木は溜息と共に電話を切る。
電話を受ける前は、風呂にも入り、十勝産のワインでも飲んでそろそろ寝るかと思っていたのだが、今では完全に湯冷めしてしまった。
高木は肌蹴たガウンの胸元を正すと膝の上に頬杖を付き、今後の事を考える。

「それにしても、想定外が多すぎるわ……
ゆっくりする暇もありゃしない」

これから何かが起こる予兆か……
高木は、これから起こり得る事態を予想してみるが、そんな高木の悩みとは別に
北海道から離れた別の所では、既に自体は進行を始めていたのであった。



[29737] 対エルフ2
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/05 22:45
サルカヴェロ占領地
港町バトゥーミ

エレナが拓也からの連絡を受け取った後、エレナ達はいまだにバトゥーミに留まっていた。
なぜならば、視察で訪れたツィリコ大佐のバトゥーミ来訪以降、現地視察という大佐の目的が、なし崩し的に北海道側の現地窓口設置に置き換わったのだ。
護衛対象でもあり、現地に留まり続ける大佐を無視しての勝手な行動は、軍の警備部隊が来るまでは出来なかった。
だが、その後、警備部隊が来たとはいえ、すぐにエレナ達が解放されることは無かった。
到着した彼らは、警備任務をエレナ達に委託し、根拠地の設営に入ったのだ。
いくらかの謝礼と総督の好意により、長期滞在できるよう現地の商人の邸宅の一つを借り受けた大佐は、現在はそこを根城にしようとしている。
一見して、借り受けた邸宅の建屋自体はバトゥーミの街の中に何件かある豪商の家という雰囲気であったが、その庭の趣は、彼らが来て以来に大きく様変わりしている。
以前は花壇と庭木の並んだ美しい庭先は、景観など無視して20フィートコンテナが並べられている。
その中身は、モジュール化された発電設備や通信設備等、本国との連絡を円滑にする機器だった。
大した湾口設備の無いバトゥーミに、そんな装備が何処から搬入されたのか。
その答えは、沖合いに浮かぶ船と空を行き来する飛行体であった
バトゥーミ沖に停泊する船は、転移後の世界では湾口設備の問題で存在が持て余されていた大型コンテナ船。
転移時に小樽や苫小牧に停泊していたために、一緒にこちらの世界に来た数隻のうちの一隻。
商用の輸送船としては活躍の場がなくなったコンテナ船であるが、少々の改装の後にその役割は様変わりした。
フォークランド紛争で空母のように運用されたアトランティック・コンベアのように、甲板上のスペースをヘリ甲板に改装し
顧客から預かった荷物の代わりに、拠点設営用の資材を満載した工作船として運用されている。

そんな工作船と陸地とを往復するヘリを邸宅内の一室から見上げながら、エレナは非常に焦っていた。

「なんで釈放の手紙が届いてないのよ!
あぁ…… でも、そんな事より早く迎えに行かなくちゃ……
でも、向うまで足が…… あぁ、もう!
何か良い手は無いの!?」

イワンからの連絡によると、総督に出してもらった釈放の書状は、何かのトラブルでもあったのか遂に届く事は無かったらしい。
そんな状況の中、拓也は監獄からの脱走を決意し、イワン経由で救援の要請を出していたのだが、その救援の連絡を受け取ったエレナは非常に歯がゆい思いをしていた。
調べた所によれば、バトゥーミからティフリスまでは1000km強。
今から車両を陸揚げして移動したのでは時間がかかりすぎる上、燃料がもたない。
速く、そして長距離を移動できる手段をエレナは持ち合わせては居なかった。

「……こうなったら、行く所は一つよね。
拓也も良いって言ってくれたし、やっぱ頼れるのは軍だけね」

あれやこれやと検討はしてみたものの、最終的に助力が得れるのは軍しかない。
幸いにして、今、バトゥーミに来ているツィリコ大佐とは、調達品の関係で良好である。
(その下地として、規格更新によって廃棄(と書類上なっている)された弾薬取引で、かなりの額が大佐の懐に納まっている)
エレナは意を決すると、彼女は足早にツィリコの部屋へと向かう。
軍なら何かしらの手を貸してくれる。
そんな期待を胸にエレナはツィリコの部屋に踏み込み、直訴に踏み切ってみたが、その返事は彼女の希望とするものではなかった。

「悪いが手は貸せん」

大佐から発せられる拒否の言葉。
それを聞いて、エレナは思わず大佐の机に詰め寄る。

「なんで!?」

メンチを切りながら、大佐の顔先10センチまで接近してエレナが問う。
常人なら、思わず顔を背けたくなる希薄であったが、大佐は煩わしそうに理由を説明した。

「理由は二つある。
まず、一つ目は…… 自由に使える部隊が無い」

「で、でも、窓の外にはヘリとか飛んでるじゃない?!
あれってウチの軍の奴でしょ?
名前は分からないけど、日本の奴よりカッコいいから知ってるわ」

日も落ちたというのに、電源が確保された邸宅と母艦を往復するヘリを指差してエレナが言う。

「確かに物資の搬入は最新型のMi-24だが、今は所属が違うんだ。
それに工作船自体は海軍が徴用してるが、中身の人間は外務省やら各省庁のごちゃ混ぜに乗っている。
あのヘリなんか、内務省警察から引っ張ってきた奴だよ。
まぁ 本来はキィーフ帝国へ領事館開設に向かう工作船を無理繰りこちらに回したから、あまりに本来の用途外で酷使すると他の省庁に恨まれる」

要はお役所の管轄が複数に跨っている為に、大佐の独力では手が届かないという事らしい。

「大佐の力じゃヘリが使えないのは分かりましたけど……
管轄がごちゃ混ぜって…… そんなのよく計画変更して引っ張って来れましたね」

「それは、我らがステパーシン大臣閣下の力だよ。
実に手回しの良い事だ」

「ステパーシンさんか……
そうか!そこから落とせば良いわけね!」

エレナはその手があったか!と一人納得すると、脱兎のごとく部屋を飛び出していく。

「あ!おい!何処に行くんだ?」

「本拠を落としに行ってきます!」

エレナはそう言って笑顔で返事をすると、直ぐに夜の町へと消えていくのであった。
そんな彼女が何処へ行ったのか。
それは彼女の目的から察することが出来る。
ステパーシンを使うためのコネ、そのコネへの通信とくれば、一番早いのが港に係留されている自社管轄の貨物船である。
(新設された政府の通信機器で、政府の人間をコネで使う通信はしたくなかった)

「アリョー
サーシャ、わたしよ」

『わたしなんて奴は知らんな』

何度かの呼び出しの後、かったるそうなサーシャの声が無線機を通してエレナに届く。

「エレナよ!
あんたね、船舶無線使ってアンタに連絡なんて、他に誰がいると思ってんのよ」

『なんだよ。
ちょっとした冗談じゃないか。
こちらと、会社の潤いであるヘルガがずーっとそっちへ出張中だもんで癒しが足りないんだよ』

警備部+αの人間が長い事社を離れ、製造部として会社に残るサーシャの声はどうにも寂しげである。

「あんたが癒されようが癒されまいがどうでもいいの。
そんな冗談言ってる場合じゃないわ。
あんた、今すぐステパーシン大臣に電話しなさい」

『親父に?なんで?』

「拓也の救出の為に、バトゥーミにきている工作船の機材借りるわ。
そうね……
40分で許可を出してもらいなさい。
50分後には機材を奪いに行くわ。
それまでに許可が無ければ強奪する事になるわね……」

急に連絡が来たと思ったら、いきなり物騒な事を言い始めるエレナ。
その余りの無茶ぶりにサーシャは思わず無線越しに慌てふためく。

『ちょっ!急に何言ってるんだ?!』

「もし、仮に許可が出ずに私達が犯罪行為を犯してしまった場合……
あんたが会社のPCに保存してた画像類をヘルガに公開するからね」

『……おーぅ』

無茶振りが失敗の際は、取り返しのつかなくなるような罰があると言う。
サーシャは反論よりも、想像の中で自分がその刑に処され、その際のヘルガの冷たい視線を想像して顔が青ざめる。
だが、そんなドン引きなサーシャに対し、エレナも無茶ぶりの対価を考えていない訳ではない。
サーシャが何を喜ぶか。
それを5秒に満たない時間で考え、とある結論を彼に提示する。

「まぁ、でも成功したら。
あんたの良いところをヘルガに宣伝してやってもいいわ。
なんならデートをセッティングしても良いわよ」

『……』

「サーシャ?」

やはりご褒美が軽すぎたか?
エレナはそんな心配をしながらサーシャに聞き返すが、返ってきた答えはエレナの心配など杞憂だったことを如実に表していた。

『ハラショー。
オーチニハラショー。
よく分かった。
俺に任せておけ!伊達にこの歳まで親の脛齧って生きてきたわけじゃないさ。
今までの人生で鍛えた脛齧りテクを使えば、そんな許可くらい10分でゲットしてやるよ』

何の問題も無い。
むしろ任せておけと言わんばかりにサーシャは意気揚々とエレナの依頼を快諾する。
そのハイテンションぶりには、エレナも心の中で「キモい」と呟いてしまうが、言いたい気持ちをグッとこらえて。エレナはどこか固くも優しい声でサーシャに礼を言う。

「頼もしいわね。
よろしくね」

そう言って、エレナが交信を終えると、いつの間にやら彼女の後ろに人影が立っていた。

「簡単に釣れたもんだな」

エレナの背後でエドワルドが笑っている。
彼はいつからそこに居たのだろうか。
彼の上司をコネで動かそうとしているのだから、何かしら思う所は有るかもしれない。
それも分かったうえで、エレナはエドワルドに微笑む。
ステパーシンと繋がっている彼の前でこんな事を話していた事など、些細な事と思える位には自分でも随分無理を言ったものだと彼女にも分かっているのだ。

「手段なんか選ばないわ。
必要となれば、貴方だって骨の髄まで利用するしね」

「ふん。
怖い女だな」

「女は愛に生きる生き物ですもの。
夫の為なら、このくらいやって当然なのよ」












無線より50分後
邸宅内臨時ヘリポート

そこは灯光器の明かりに照らし出され、昼間の様な明るさであった。
そんな中、郎党を引き連れた一人の陰が、ヘリの側に立つ男に詰め寄っていた。

「……という事で、ヘリを一機借ります」

ヘリのパイロットは困惑していた。
飛行前の機体の自主点検をしていたら、いきなり現れた(軍から仕事を受けているとはいえ)民間人の女が、ヘリを徴発すると言っているのだ。
もちろん彼はそんな命令など受けていないし、彼女の言い分に応じられる訳が無い。
彼は呆れた表情で仁王立ちするエレナに返事をする。

「おいおいネーチャン。
無理に決まってんだろ。
それに、借りたとして何処に行くんだ?」

「サルカヴェロの首都よ。
1000kmくらい西ね」

そう言ってtエレナは、分かったら速く準備してねと彼に告げるが
パイロットの方は距離を聞いた途端、鼻で笑って肩をすくめた。

「ネーチャン。
残念だったが、こいつじゃ航続距離が足りない。
他を当たるんだな」

そう言って、彼は機体の自主点検に戻ろうとするが、そんな彼の背中に向けてエレナはその位分かっているわと言って話を続けた。

「途中まで船で行けばいいわ」

「いけばいいわったって、政府の船はそうそう簡単に動かせんぞ?」

「別に政府の船じゃなくても良いでしょ?
私達の船の甲板があるじゃないですか。
小型の貨物船だって、蓋を閉めればそれなりのスペースになります。
既に離着艦の邪魔になるポールやら障害物は溶断させてるから問題ないはずよ。
それとも、操縦の腕が下手すぎて離発着は無理ですか?」

少々挑発する様な物言いでエレナはパイロットに問いかける。
技量の問題でイヤイヤ言ってるんじゃないだろうなと。
そして、これには彼もムッとしたのか表情を硬くするが、それでも命令が無い以上、動くことは出来なかった。

「そんな問題じゃない。
そもそもお前らのボロ船で離発着なんて危険なマネは御免こうむる」

そう言って彼は、エレナに対して完全に背を向けると自分の作業に戻る事にした。
何言ってるんだ、この馬鹿女は?
彼は胸中でそう思いながら機体のチェックをしていると、不意に後頭部でカチャリと固い何かの音がした。

「あなたには別にお願いしてるんじゃない。
許可はもうすぐ来るわ。多分だけど……
それと、拒否すれば命令拒否で死ぬことになるわ。
飛ばすか、死ぬか…… 選びなさい」

「なっ……」

両手を上げながら驚愕の表情でエレナを見るパイロット。
こんな所で銃で脅されるとは思っても見なかったからか、驚きのあまり口をパクパクさせるだけで声が出ない。
そもそも憲兵でもなければ軍の人間でもないエレナに、たかだか命令拒否の兵を射殺する権限は何も無いのだが、エレナの気迫の前に道理も糞もなかった。
パイロットは、誰か助けは?と思い周りを見渡してみたが、不運な事に他の物は自分の仕事で忙しい為か、こちらには全く気付いていない。
だが、銃を向けられようとココは味方拠点の中。
騒ぎが起きれば誰か助けは来る。
彼は意を決して助けを呼ぼうとした時、丁度こちらに向かって駆けてくる人影に気が付いた。
助かったか。
彼はホッとして胸をなでおろしたが、残念ながらそれは面倒事の始まりに過ぎなかった。

「副社長!出ました!
ヘリの貸し出し許可です!それも操縦士付きで!!」

手に書類を持ちエレナに駆け寄ってきたのは、伝令として許可証のコピーを持ってきたヘルガであった。
エレナはヘルガから紙を受け取ると、それにざっと目を通す。

「もう。
ちょっと遅いじゃない…… でも、まぁいいわ。
パイロットさん、ここにあなたの必要と言っていた許可証と命令書の控えがあるけど……
もう拒否はしないわよね?
正式な命令も直ぐにあなたの上官から来るわ」

エレナは、ヒラヒラとその紙をパイロットに見せる。
内容は本物だった。
司令部からの正式な許可文書と命令書である。
流石にこれにはパイロットも観念したのか、悪態をつきつつもエレナに逆らう事を諦めた。

「ッチ…… 勝手にしろ」

「ご協力ありがとう。
じゃぁ さっそく準備させてもらうわね」

エレナの声と共に配下の社員がヘリに弾薬類を積み込み始める。
どんな事態になっても助け出せるだけの火力は用意しようと言うのだ。

「待っててね拓也……
今、助けに行くわ」

遠く離れた地で捕縛された夫。
彼を助ける為、エレナは全力で行動を始めるのであった。



[29737] 対エルフ3
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/05 22:45
サルカヴェロ帝国
帝都ティフリス

電気が市井に普及していない帝都にとって、夜は闇が支配する。
いつもであれば、暗い町並みの中、ポツポツとランプや城壁等の見張りの松明が燈っているだけなのだが
今夜に限っては全く別の様相を見せていた。
松明を持った兵が街の隅々まで走り回っている。
撹乱の為、イワンが爆破した監獄をかねる要塞の城門から囚人達が脱走しているのだ。
軍を動員した大規模な捜索により、大半の囚人は殺されるか監獄戻りとなったが未だ全員が捕まったわけではない。
そして、そんな帝都の中でも、一際松明の密度が多く、明るく照らされている場所がある。
まるで儀礼用の絨毯のように王城内の中庭に並べられた松明。
北海道の人間が見れば、まるで滑走路のライトのようだと形容するだろう。
何かを迎えるようにして並べられた松明は、事実として来客を迎えるために並べられていたのだ。
そして、夜半過ぎにそれは来た。
帝国から最大限の儀礼を持って迎えられたソレは、今は王城の中枢である謁見の間にやって来ていた。
黒衣を身に纏い、不気味な白いマスクですっぽり頭をかくしている。
一見して死神を連想させるような出立であるが、エルフを象徴する耳だけはピンとマスクから露出させている。
そんな不気味な格好のエルフは、皇帝を前にして平伏すことなく対峙し、低く枯れたような声で皇帝に言った。

「サルカヴェロの皇帝よ。
連絡に感謝する。
我らの友誼の盟約に従い、速やかに悪魔を引き渡してもらいたい」

「う、うむ。それは分かっておる。
だが、エルフの使者よ。
何分、そちらの到着が我々の想像よりも早すぎてな。
捕まえた青髪を引き渡すのにもう少々の時間がいるのだ。
どうだろう?長旅の疲れを癒すのに酒宴を用意させるゆえ、しばし休んでいっては?」

まさか青髪を捕まえたと連絡しておいて、実は逃げられた等とは非常に言いにくい。
皇帝としては、エルフが到着する前に再度捕まえれば何とかなると思ったが、サルカヴェロの連絡からエルフの到着までの時間は信じがたいものがあった。
距離が距離だ。
準備の時間を入れても、船で10日弱はかかるはず。
竜に乗ってきたとしても、竜の休憩等を考慮すれば2日はかかる。
それが連絡してから一夜明ける前に到着である。
向こうからの通告では確かにその様に言っていたが、まさか本当に時間通りに来るとは思っていなかった。
その為、到着の一刻前に連絡用の魔導具にそろそろ到着するとの連絡が入り、そこから迎え入れの準備を始めたので場内は大混乱である。
そんな状況もあり、当然の如く逃げた青髪は捕まっていない。
皇帝はそんな失態を隠そうと、時間稼ぎの宴席をエルフに提案するが、その返事は芳しいものではなかった。

「それは必要ない。
それに我々の到着時刻は前持って伝えていたはずだ。
何のためにエルフ唯一の飛行種であるこの私が出張ってきたと思ってるんだ。
遊ぶためじゃない。
一刻も早く悪魔の引渡しを受けるためだぞ?」

そんな、宴席の誘いに全く興味を示さない事務的な態度。
これには皇帝も焦った。
素直に逃がしたと伝えて、帝国の無能ぶりをエルフに晒すのは国の面子を守る意味で避けたい所だった。

「それは分かっているが……
とにかく少し待ってくれぬか。
我が国には我が国の事情があるゆえ」

宴席が無理といえども、無理を承知でなんとか時間を稼ぎたい。
皇帝は時間を稼ぐ口実を考えつつ、エルフに待つよう頼み込む。

「そこまで言うのならば仕方ない。
だが、その準備とやらは悪魔の砦と関係があるの事か?」

「……なに?」

悪魔の砦?
エルフの言葉に皇帝が首を傾げる。

「かつてこの地下にあった悪魔どもの住処のことだ。
ここに到着する前に、地下へと向かう魔導具の反応があった。
ここ何年も使われた反応が無かったが、私が来るタイミングで使われたということは何か関係が有るのか?」

「……その魔導具は地下へ?」

いくら探しても見つからない青髪。
そして、このタイミングでかつての青髪の住処へと通じる魔導具が使われたという。
ならば、青髪は地下へ逃げた?
エルフの言葉と今の状況が、皇帝の頭の中で一つの可能性へと結実する。

「何だ。
知らなかったのか。
まぁ その反応から察するに、大方悪魔に逃げられて捜索でもしていたのであろう。
それならば、これ以上の探索は私が引き受ける。
諸君らは地上で待っていると良い」

「何を根拠に…… おい!待て!!」

「すまんが少々勝手をさせてもらう」

そう言ってエルフの男は身を翻すと脇目も振らずに歩き出す。
皇帝は慌てて彼を止めようとするが、近くにいる衛兵もエルフ(それも高位の)相手には無理やりに引き留める事などできはしない。
エルフの男は、誰にも邪魔立てされること無く、目的の場所を目指すのであった。










一方その頃

ティフリス地下遺跡

拓也達は、様々な物資を調達した建物を離れ、地下遺跡から脱出するためのルートに向かう移動中だった。
だが、足早に移動する一行の中で、カノエが何かに気付いたようにふと足を止めた。
カノエは一人煤けた地下空間の天井を見つめ、その先のナニかの動きを監視するかのようにじっと上を向いている。
地下にいるにもかかわらず、そんな地上の魔力の動きを敏感に感じ取っているのだ。

「ついに地下に降りてきたようですね」

一番警戒すべき反応が王城からのエレベータを通じて降りてくる。
カノエは天井を睨みながら呟いた。

「大丈夫なのか?
まだ地上への出口は遠いんだろう?」

地上への出口。
それは、トビリシの地下鉄の1路線がそれにあたる。
トビリシ転移の際、偶然にも近くの崖まで届いていたトビリシの地下構造が、拓也らを安全に地上に導く唯一のルートであった。
だが、それは決して短い距離ではない。
北から西へと折れ曲がって伸びるトビリシの地下鉄路線。
カノエ曰く、出口はその西側。
かつてはイサニ地区と呼ばれた辺りまで、数キロの道のりを移動しなければならないのであった。
そして、今の所、拓也らは最寄りの地下鉄入口に向けて移動している最中。
目的地は未だに遠く離れていた。

「大丈夫じゃないですよ?
恐らく、本気を出した奴等の追跡にかかれば、直ぐに見つけられちゃいます。
奴らも魔力の反応を感知できるから」

「魔力の反応?
じゃぁ、今持ってる荷物を捨てれば……」

魔力が感知できるのならば、魔導具なんて持っていたら発信機を持って逃げているようなものじゃないのか
拓也はそんな疑問を抱き、背負った荷物を置こうとするが、それはすぐさま彼女に制止されてしまう。

「それは無駄というか駄目ですわ。
そもそも私自身から微弱な魔力が常時漏れてますから。
普段は隠蔽してますが、500mも近寄れば場所がバレます。
そして、荷物はいざって時に必要になるので捨てないでくださいな」

「じゃぁ どうするっていうんだ?」

500mも探知距離があるなら、急いで距離を取らないと直ぐに見つかってしまう。
如何にして逃げるか。
その拓也の問いに対し、カノエの答えは実にシンプルであった。

「それは簡単。
……全力で走るしかないわ」

そう言うやいなや、タッとカノエは駆け出した。
残した拓也らを振り返りもせず全力で

「おい!ちょっと待て!!」

「社長達も急いでください!!」

いきなりの事に一瞬呆然とする拓也であったが、カノエが全力で駆け出したのを見て後を追って走り出した。
廃墟のとなった町の中、放棄された車やトラムの間をすりぬけ必死にカノエを追う。
だが、倉庫から備品を持ち出すに当たり少々欲張ったため、嵩張る荷物を持ちながらの全力ダッシュはかなり厳しい。
涼しい顔でカノエの後追おうアコニー達とは対象的に、拓也の表情に余裕の二文字は無かった。
だが脱落は命に関わる。
拓也は走った。

「社長、通りの突き当りまで行ったら地下道に潜ってくださいな!」

「……あ?
あぁ、わかった!
自由広場のメトロだな」

カノエの先導の下、一向は次々と地下鉄の入り口から構内へと飛び込むように中へと入る。
旧ソ連系の都市にありがちな核シェルターを兼ねた長い長い階段を降りる。
一体どの程度走っただろうか、ようやく駅のホームに達した所で拓也の体力が限界に達した。

「ち、ちょっ……と、待って…… 息が……」

ぜいぜいと肩で息をし、呼吸を整える拓也。
見れば、欲張って荷物を膨らませた拓也のほかにも、同じように色々と持ってきたタマリやニノも辛そうである。
そんな彼らと対照なのは、比較的軽装なカノエと鍛えているアコニーだけ。
ニノとタマリもアコニーと同じ腹筋の割れた筋肉美女ではあるが、鍛え方の質が違うのか持久力に問題があるようだった
彼女らも口からだらりと舌を出しながら、拓也と同じように肩で息をしている。

「そ…… そんな急がなくても、ココまで来れば大丈夫じゃないのかい?」

顔を紅潮させ息を切らしながらニノがカノエに聞く。

「駄目ね。
奴を仕留めるんなら、もうちょっと先にある直線区間で待ち伏せしないと……」

「待ち伏せ?」

「えぇ。
逃げるだけじゃいずれ追い付かれる。
なら迎撃するしかないけど、空飛ぶ奴が相手なら、こちらの有利な所で勝負をかけるしかないわ」

「それで地下鉄のトンネルか」

「といっても、ココから出るには、この隧道を通るしかないんですけどね。
と言うわけで、社長達はもう少し頑張ってください。
エルフを殺るための考えがあるので……」

そう言ってカノエはホームから線路に降りると、奥に向けて歩き出す。
一行は真っ暗なトンネルの中、懐中電灯の明かりのみを頼りに黄泉平坂のような道を進んでいくのであった。






拓也達一行が地下鉄の中に消えてからしばらくして……
地下都市と王城とを結ぶエレベータの周辺は、少々困ったことになっていた。

「だから一人で行くと言ったのだがな……」

地下に降りてきたエルフの男の周囲にバタバタと倒れているサルカヴェロ兵。
彼等はサルカヴェロの面子の為、エルフの男に無理やり追従した末に、地下の低酸素環境によって息絶えていた。
一応、エルフの男はエレベータに乗る前に彼らに来ない方が良いと警告はしたが、それを無視した末の惨事であった。

「……今更言っても仕方ない。
せめて死体は地上に送り返してやるか」

そういうとエルフの男は全ての死体をエレベータの上に載せると、操作盤を使って死体の乗ったエレベーターを送り返す。
それはそれで地上がパニックにはなりそうだが、彼にとってそれは些細な事だった。
なにせ、彼には重要な仕事があるのだから。

「さてと、悪魔狩りの時間だが……
近くには居ないな」

魔力の流れを探るための感覚器に意識を集中してみても、感じ取れる範囲には反応は無い。
だが、直径数キロ程度の地下空間である。
少々飛び回れば直ぐに見つかるだろうと彼は飛び上がった。
地面から距離を取りローラーをかけるかのごとく地下空間を飛び回る。
そうして暫く飛び回った後、彼は微かながらも魔力の反応があることに気が付いた。

「居たか……」

地下空間の更に地下から感じる魔力の反応。
その移動進路から考えて、恐らくは地下のトンネルを移動していると男は確信した。
カノエがこの地下空間の事を熟知しているように、エルフの男も地下空間の構造のことは知っていた。
なぜならば、過去に青髪を滅ぼした時、この地下空間で暴れまわった際に彼もまたそれに参加していたのだ。
過去の戦闘(というよりも虐殺であったが)を思い出せば、トンネルの出入り口から経路まで鮮明に彼の脳裏によみがえる。
エルフの男は魔力反応の進路から最適な突入口に目星をつけると、建物の間を縫うように降下し、地下鉄の入り口に突入する。
真っ暗な地下道。
その上、複雑な地下構造を速度を落としてエルフの男は突き進む。
一応、魔法によって辺りを照らしているが、視界不良は如何ともしがたく、障害物を避けて地下道を飛行しようにも
あちこちに垂れ下がったケーブルや放置された地下鉄車両が彼のスピードを殺していく。
だが、それでも走るのよりは遥かに早い。
あっという間に魔力反応の地点との距離を詰める。
残すところ数百m。それも逃げ道のないトンネルの直線だ。
彼は鉈の様な形状の長剣を背中から取ると、担ぐようにそれを構える。
エルフの男は思った。
遂に悪魔を追い詰めたと。
だがしかし、エルフの男は気付かなかった。
一直線のトンネル。
それは移動速度の劣る逃げる側にとって不利ではあるが、同時に迎撃する側の狙いでもある事に。

シュゥゥン………

赤白く白熱した物体が高速で彼の横をすり抜け、紙一重で回避した彼の後方で破壊の爆音を炸裂させる。

「!!?」

エルフの男は咄嗟の事に驚くが、そんな暇を与えぬかの様に前方から破壊の暴風が吹き荒れた。

「くっ…… 悪魔単独では無かったのか」

前方に感じる青髪の反応は一つ。
だが、それとは別の所から降り注ぐ魔導具による砲弾の嵐。
威力からしてこの世界の人間達の作ったものではない。
青髪の魔導具を使って支援している者達が居る。
そんな事を考えつつ、エルフの男は必死に砲弾を回避する。
上下左右、まるでキネスティック弾頭のように動き回るが、いかんせん回避に必要なスペースが無い。
ランダムな回避機動で彼は更に数百メートル距離を縮めるも、回避不能に陥るのは時間の問題であった。

「ぬぅ…… 小癪な悪魔め」



[29737] 対エルフ4
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/05 22:46
「撃て撃て撃て撃て!!!」

トンネル内に拓也の絶叫が木霊する。
エルフの迎撃に最適と思われる地点に陣を構えた拓也達は、カノエに貰った魔導具をメインに全火力で持って迎撃を行っていた。
暗いトンネル内に現れたエルフのものと思われる魔法の光。
それに向かって全力射撃をしているのだ。
拓也がレールガンもどきを連射し、アコニーが魔力の銃で狙撃する。
そしてニノやタマリ達までも銃や弓を片手にそれに加わる。
正直な所、真っ当な訓練を受けたアコニー以外の命中率には期待はしていない。
しかし、空飛ぶ敵を落とす際、命中率が低ければ物量でカバーすれば良いと太平洋戦線の米軍が証明していた。
要は弾幕である。
点で駄目なら面で当てる。
しかしてそんな攻撃すらもエルフはトリッキーな動きで回避する。

「来るな!来るな!来るなぁ!」

明らかに人間を越えた動きをする的にタマリも半泣きでドンドン矢を射る。
的が外れてエルフの遥か後方で発生する爆炎。
どんどんと距離を詰める敵。
エルフが近づくにつれ皆の恐怖が高まっていく。
殺されるのが先か撃ち落とすのが先か。
そんなチキンゲームである。
それも弾が有限である以上、時間経過は敵に味方する。
だが、敵を狙った攻撃は、その弾道を読まれているのかヒョイヒョイ避けられ当たらない。
これは駄目かも……そんな言葉が皆の脳裏によぎる。
だが、そのチキンゲームの終わりは実にあっけないものであった。
恐怖の余りタマリの弓からすぽ抜けた矢は、エルフの手前の壁で爆発する。
今まで相手の殺意から弾道を読んでいたエルフも想定外の爆発には対応できなかった。
爆風に煽られ、体勢を崩したエルフ。
そんな彼に追い討ちをかけるかのように弾幕が襲い掛かる。
まず、拓也がしっちゃかめっちゃか撃ってた弾が当たり、動きが止まった所でアコニーの砲弾がエルフの胴に吸い込まれた。
相対距離、残りわずか100m。
爆炎に包まれたエルフはトンネル内を駆け抜ける爆風と共に惰性に従って墜落したのだった。





「……やったか?」

エルフを貫いた弾丸の爆風が拓也達の位置を過ぎ去った後、拓也は周りを見渡しながら皆に聞く。

「ど、どうでしょう?
って言うか奴はドコですかね?
砕けちゃいましたかね?」

普通の人間なら五体が砕けてしまうような爆発だ。
アコニーはキョロキョロと周囲を見渡しエルフの姿を探しながら拓也に答える。

「あ!あそこだよ」

一番先に気が付いたのはイラクリだった。
彼が指差した先にあるのは真っ黒に焦げた人型。
五体満足なようだが、どう控えめに見ても焼死体である。
到底生きているようには見えなかった。

「死んだよね?」

「流石にこう真っ黒焦げじゃぁ死んだでしょ。
ちょっと確かめてみる?」

ビクつくアコニーの声にタマリはふふんと鼻を鳴らすと、黒焦げの物体の脇に落ちていたエルフの物と思われる剣を拾ってエルフの体に何度も刃を振り下ろす。

「えい!えい!
ふぅ…… うん、死んでるね!」

グサ、グサッとめり込む刃。
それでも動かない焦げた人型を見て、タマリは笑顔で振り返り名がら皆にそう告げる。

「なんだ、言う割にはあっけないね」

「ホントだよ。
雑魚も良い所だね」

カノエから聞いてたエルフの前評判と目の前に転がる焼死体。
死ぬ気で身構えていた二ノやイラクリは、とんだ肩透かしだと肩をすくめ、これでもう安心だと警戒心を解いていく。
だが、そんな彼らを見て、拓也の脳裏に不安がよぎる。
こういう光景は何度か見た。

「まぁ待て。
こういう場合、映画とかだと油断してると復活するのがお決まりのパターンだ。
ゾンビ映画とかじゃトドメを忘れると逆襲される法則もあるし、ちょっと念には念を入れよう」

ドン!ドン!

頭と心臓に一発づつ。
ぐちゃりと潰れた頭蓋はグロそのものであったが、ここまでやれば拓也も安心が出来た。
流石にこの状態からの復活は無理であろうと思ったのだ。

「ふぅ、これで大丈夫だろ。
さぁ皆。装備を片付けたら出発するぞ」

対エルフ用に持ってきた装備に用は無くなったとはいえ、ここで捨てるのは余りにも勿体無い。
拓也は荷物を纏めるように皆に指示すると、皆も当然のように荷物を纏める。
そんな中、いち早く荷物をまとめたイラクリとタマリは、エルフから奪った剣をまじまじと見ていた。

「イラクリ、見てごらんよ。
この剣は一体何で出来てんだろうね。
鉄…… にしては軽いし、なんか光の加減で色が変わる……」

「こんなん見た事ないね。
でも、さっきまでの事を思い出したら、珍しい剣くらいじゃ、ちっとも驚かなくなったよ。
まさか空飛ぶバケモノが来るとは思わなかったよね。姉ちゃん」

「全くだね。
まぁでも、そんなバケモノもああなっちまったらお仕舞いだよ。
と言っても、あんなのが何体出てこようが姉ちゃんが守ってやるからね」

「姉ちゃんカッコイイ!!」



ガサ……


「……」

「……どうした?」

微かに聞こえた物音にイラクリが顔を青くしながら後ろを振り向く。
だが、そこには暗いトンネルと焦げた焼死体が転がっているだけで特に異常は無い。

「いや、今なんか動いたような」

ネズミかな?
イラクリは一瞬そう思ったが、とあることに気が付いた。
この地下空間は毒の空気が漂っていて、カノエから貰った薬を口に含んでいないと生きてはいけない。
現に、こういう場所にいそうなゴキブリ等の小動物の姿も全く見ないのだ。
だとすれば、何が動いた音だ?
イラクリは周囲を見回し、気のせいかと一息つこうとした時、それに気づいた。
死体が無い。
キョロキョロと辺りを見回す前には確かに暗がりに転がっていたソレが忽然と消えた。
イラクリは顔を真っ青にし、一体ドコに死体が消えたのか探そうとした瞬間だった。
急な衝撃と共にタマリと二人まとめて突き飛ばされた。

「危ない!!」

ニノの声と、ドン!と言う衝撃と共に姉弟そろって地面に叩きつけられる。

「いててぇ……って、母ちゃん!!」

イラクリが頭をさすりながら床から顔を上げると、そこにはニノの姿があった。
イラクリとタマリを突き飛ばした彼女は、黒焦げの死体のようなエルフと組み合っている。
突然の事態に一同は思考が追いつかないが、それもニノの叫びによって現実に引き戻される。

「押さえてる内に早く!!トドメを!」

その声と共にようやく異変に気付いた拓也達は、ニノに当たらぬよう至近距離から拳銃の弾がエルフに撃ち込んだ。
断続的な発砲。
普通であれば粉々の肉片に変わりそうな連射であるが、このエルフにはそんな普通は通じなかった。

「駄目です!ぜんぜん効いてませんよ社長!!」

「嘘だろ?…… 自己修復してる……」

撃って、肉片が砕けたそばから、まるで繭のような体組織が損傷箇所を包み組織を回復させる。
そしてそれは、銃によるダメージを上回る速度でエルフの全身で進行していく。

「この!死ね!死ね!死ね!」

既に手持ちのマガジンの大半を食らわしているにも関わらず、ニノと組みあうエルフの力には全く衰えない。
それどころか徐々に強くなっていくのをニノは感じた。

「何やってる!あんたらは早く逃げな!!」

「でも、母ちゃんが!!」

逃げろと言うニノ。
そしてそれに反抗するタマリ。
最早打つ手は少なく、がっちりとエルフと組み合っているニノ。
そして、徐々に力で押され始めているのか、段々とニノが押し込まれ始めている。
そんな逃げることもままならない状況で、ニノは皆に逃げろと言う。
そんな台詞の裏にある意味について、恐らく全員が同じ思いを抱いていた。
状況は刻々とニノの不利になっていく……
そのため、ニノは子供を逃がすために死ぬ気だと。

「あたいはいいから、早く走りな!!
大丈夫、あたいにはコレがある」

そう言ってニノが短い尻尾を使って腰袋から取り出したのは、見覚えのあるキーホルダーのような物体
研究室で見た魔導具であった。

「あ!お前、それは例の妨害装置……」

拓也はニノの取り出した魔導具を見て、それが何か思い出した。

「ふん。
幾らでも再生するなら、止めてやらなきゃならないだろ?
それに、今、コイツの押さえを放す訳には……」

「で、でも!母ちゃん!
生きて帰ろうよ!!」

ニノの言葉を聞き、タマリは大粒の涙を零しながら彼女の姿を見つめる。
盗賊稼業で生きてきた彼女にとって、いつかこういう日が来るとはわかっていた。
だが、目の前で肉親が死のうとしているのを見て、感情がそれを納得できないでいた。
これに対し、泣き叫ぶタマリに対し、弟のイラクリは黙ってニノの顔を見つめる。

「……」

コクン

言葉を交わすわけでもなく、お互いの目と目で会話した母と息子。
そして、その意思がどう伝わったのかは当事者以外には知る由も無いが、イラクリは一つ大きく頷くと
タマリの手を握り締めて出口の方へ向けて走り出した。

「何!?ちょっとイラクリ!待ちなさいよ!」

急に引っ張られた事に体勢を崩しつつも、タマリはイラクリに引っ張られながら叫び続ける。
だが、イラクリの決意は揺るがず、あっという間にニノの姿は遠く遠く離れていく

「母ちゃーん!
ちょっと、イラクリ!放さないと殴るよ!!」

強引にタマリを引っ張るイラクリに手を離すようにタマリは抵抗する。
だが、強く握り締めたイラクリの手は、ぎゅっとタマリを離さない。
自分のいう事を聞こうともしないイラクリに、タマリは実力行使してでも手を振り払おうと思ったその時だった。
タマリの肌に何か水滴が当たった感触を感じ、その水滴の垂れてきた方を見て言葉に詰まった。

「……グスグス」

姉の手を取り、一心不乱に走っているイラクリは泣いていた。
タマリの肌に当たった水滴は、イラクリの頬から零れ落ちた涙だった。

「…………」

タマリは声を出さずに泣く弟の姿をみて、イラクリの手を振り払おうと暴れるのを止める。
彼女も内心は分かっていたのだ。
あの状況下で自分達を逃がすには、ニノはああするしかないと
もし、イラクリの手を振り払いニノのところに戻っても誰も喜ばないという事を。
ただ、受け入れられなかっただけなのだ。
母親を失う悲しみ、余りに大きすぎるショックである。
受け入れるのは並大抵の事ではない。
だが、そんな悲壮な表情をしながら走る彼女に向かって、並列して走るアコニーがタマリに声をかける。

「グズグズしないで急ぐよ。
それと……あんたらのかーちゃんは立派だね……」

立派。
立派なのは当たり前である。
アコニーの物言いにタマリは涙を拭い、叫ぶかのごとく答えた。

「立派!?
当たり前だよ!あたしの母親だ!!
お天道様の下で誇れる稼業では無いけど、この世で一番の母ちゃんだよ!!
そんな立派な母ちゃんの子供が、こんな所で簡単に死んでたまるかぁ!!」

その叫びは、アコニーに対する回答でもあったが、同時にタマリ自身の心にも深く響いた。
自分を犠牲に子供を守ろうとしているニノ。
そんな母親の為にも、彼女の意思は無駄にはしてはいけない。
今は悲しむ時ではない。
今は走る時なのだ。
そう決意が固まれば、彼女の心に冷静さが再び戻る。
タマリはイラクリの手をぎゅっと握り返すと、先ほどとは逆にイラクリを引き連れるように前にでた。

「行くよ!イラクリ!
姉ちゃんの後についてきな!」

「姉ちゃん……」

タマリを先頭に走り抜ける拓也ら一行。
暗いトンネルに彼らの足音が響き渡った。























……

………


拓也達が走り抜けてから数十時間後……

暗いトンネルの奥底でうごめく影があった。

「久しぶりに良いのを貰ったな。
こんなのは2000年ぶりくらいか……」

一時は修復中の体組織ごと凍結させられてしまったが、既に欠損部位の修復は終了している。
だが、それでも完全ではないようだ。
余りに欠落した部位が多いため修復の素材が足りない部位が出来てしまったのだ。

「流石に完全に修復は無理か……
それに剣も持ち去られたようだな。
だが、丁度良いところに素材がある。
一先ず、これを使うとしようか」

男は目の前に倒れている死体の持ち物を漁って、その装備品からナイフを抜き取ると、それをそのまま目の前のソレに突き刺した。
スーッっとナイフを入れ、ベリべりと音を立てて作業する男。
男は、それを躊躇無く欠損した部位にソレを重ねて何かを行った。

「……さて、追跡を再開するか」

エルフの追跡は終わった訳ではなかった



[29737] カノエの素性1
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/05 22:46
時は少々遡る。
ニノの犠牲により窮地を脱した拓也達は、未だトンネル内を走っていた。
真っ暗なトンネル。
手に持つライト以外に光源の無い闇の中を拓也達は走った。
残してきたニノの方を振り返らず一心不乱に走つづけた末、ようやく見えた微かな外の明かりに向かって光に導かれる羽虫の如く駆け抜けた。

「社長!
出口ですよ!」

アコニーの叫びと共に、全員がほぼ同時にトンネルの外へと躍り出る。
そこはゴツゴツとした岩の転がる断崖の底。
人っ子一人見えない荒地であった。
そして丁度、時刻は夜明け時。
白み始めた空の中で、朝日が昇り始めたところだった。

「助かったんですかね?」

「そうだと思いたいけど…… でも、出来るだけ距離を稼いだ方が良いわ。
私たちを追っているのはエルフだけじゃない。
サルカヴェロの兵だって探しているんだし」

カノエの言うとおり、追手はエルフだけではない。
安全圏に出るまでは、サルカヴェロ兵に見つかっても駄目なのだ。

「そうだな。
でも、まずはイワンと合流しなきゃいけない。
トンネルの出口付近の位置は教えた筈だから、この近くに居るハズ……って見つけた!」

地上に出た拓也が辺りを見渡してみると、事前に無線で示し合わせた通りにトンネルの出口付近で待っていたイワン達が駆け寄ってきた。
拓也達が地下でグダグダしている間に、彼は地上の出入り口を見つけていたのだ。
此方の無事を確認した事で、口元に笑みを浮かべながら近寄ってくるイワンと、体全体で喜びを表現しながら走り寄って来る盗賊の手下。
彼らはそれぞれに此方の安否を確認してくる。

「全員無事か?」

「姉さんよくぞご無事で。
で、お頭は?」

全員の安否を確認するイワンの横でタマリとイラクリの姿を確認して喜ぶ手下は、キョロキョロとニノの姿を探す。
しかし、いくら周りを見渡してもその姿は無い。
そんな彼女の姿を見て、タマリは悲痛な表情で淡々と事情を説明する。

「母ちゃんは…… あたいらを逃がすために死んだよ」

そこまで言っては見たものの、改めて口に出してみると、その事実はタマリ達の胸をギュッと締め付ける。
ニノの死…… それを平然と受け入れるには余りにも時が足りないのだ。
だが、そんなタマリの様子から、盗賊の女は彼女の心中を察したようだ。
彼女は真顔で俯き、暫く何かを考えた後、俯くタマリを真顔で見詰めて彼女の肩をバンと叩く。

「……そうですか。
なら仕方ねぇ。
この稼業は何時かはそう言う時が来る。
いまからタマリの姉さんがお頭だ。
盗賊団は随分と小さくなっちまいやしたが、あたしらはどこまでも付いてきますぜ」

「あんた……」

タマリは手下の切り替えの早さに己の稼業を思い出した。
母が死んだとはいえ、自分達の稼業は盗賊。
身内がコロっと死ぬのも当然にしてある。
だが、現状はただ母親が死んだだけではない。
仲間の大半は消え、カリスマのあった頭目のニノが死んだことで、盗賊団は解散かと思っていた。
それが、まだ付いてきてくれると言うのだ。
その一言で、先ほどまでの悲しみの涙とは別種の涙がタマリの目に滲む。

「で、どうします?お頭」

ニノが居なくなっても付き従ってくれる手下。
思わず涙が零れそうになるが、タマリはキッとそれを我慢する。
涙を見せてはいけない。
今、自分はニノの跡を継いだ頭なのだ。
そんな思いからタマリは堂々と胸を張る。

「そうだね。
取りあえず、サルカヴェロを出るまではこの兄さん達と一緒に行くことにする。
まぁ どうするも何も逃げるしかないんだけどさ」

とり合えず今は逃げの一手。
そして、暫くは拓也達との協力が必要になる。
そしてそれは、拓也も同意見であった。

「あぁ。そうだな。
悲しんでいる所に悪いが、いつまでものんびりしては居られない。
追手がいるんだ。それも映画のT2みたいにおっかないのが」

「テルミネートルですか?」

拓也の言葉にイワンが眉をしかめる。
テルミネートル……ロシア訛りでいう所のターミネー○ーだ。
そんなバケモノが敵だったのかと彼は半信半疑であった。

「銃も効かない、黒焦げにしてもまだ動いてる液体金属ロボットみたいな奴だ。
この世界のエルフってのは本当にバケモノだよ」

銃を打ち込んでも黒焦げにしても再生するなんて規格外すぎる。
耳がとがっている以外は、元の世界のエルフのイメージとは別物と言ってよかった。
拓也はそんな自分のイメージをありのままイワンに伝える。
恐らく皆も同じように考えていただろうと拓也は思った。
だが、どうやらそれは正しい認識では無いらしい。
拓也の言葉の後に、カノエがそっと補足する。

「社長。
多分、あそこまでバケモノなのはあいつだけだと思いますわ。
昔、私の一族が過去に調べた時は、エルフは身体的には人間よりちょっと強靭なくらいでしたわ。
それに、エルフはもっとも初期に生まれた個体が非常に強力な能力を持ってるそうです。
普通、エルフは身一つで飛べるようなものじゃありませんし……
間違いなく、奴は特別な個体ですわ」

「特別な固体?
じゃぁ他のエルフはもっとマトモなのか?」

「人格面は分かりませんが、身体能力的には常識の範囲内ですね。
少なくとも、黒焦げにすれば死にます」

「そうか……
全体としてはもっとマシなのか。
でも、追って来てるのがバケモノには変わりないな。
既に死んだと祈りたいが、慢心は禁物だ。
今は安全圏に出るまで逃げの一手でいこう。
イワン。エレナ達に連絡は?」

ニノが命を懸けて足止めしたのである。
出来ればあのエルフには死んでいて欲しい。
だが、死んだ姿を見ていない以上、拓也は手放しで安心は出来なかった。

「既に彼女らは此方に向かっている。
何でも内務省からヘリを調達したとか。
あと30時間もすれば帝都はヘリの行動半径内に入りますが、我々も出来るだけ東へ逃げた方が良い。
少しでも船に近づけば、それだけ救出が早まるからな」

それに距離を帝都から距離を取れば取るだけ、エルフ以外の帝国兵に捕まる可能性は減る。
救援のヘリが来るとはいえ、少しでも移動した方がいい状況に変わりは無いのだ。

「そうだね。
だけど、徒歩では速度に限界がある。
なにか移動手段はあったりするか?」

そう言って拓也は地下都市から走りずめだった足をさする。
どうにも荷物を背負って移動し続けるにはそろそろ限界だった。
特別鍛えたわけでもない肉体は休息を求めて悲鳴を上げている。
だが、そんな拓也の希望に対して、イワンの回答は実に優秀だった。

「その点は大丈夫。
この女が速達郵便用の馬車を調達してきた。
全員これに乗って移動する」

そう言うイワンの指差す先には、岩場に隠してあった一代の荷馬車。
盗賊の手下の女が、ちょっと馬車を取ってくると言って何処からともなく盗んできたそうだ。
だが、盗品だとしてもソレはバトゥーミから帝都まで護送される時に乗ったものより数段立派なものだった。
確りした作りで見た目にボロさを感じない。
それでいて車を引く動物も、ロバではなく馬である。
高級感こそ無いもの、その質実剛健とした構えに拓也達は歓声を上げ嬉々として乗り込む。

「じゃぁ さっそく移動だ」

全員を乗せ、拓也の声と共に馬車は動き出す。
パカッパカっと蹄の音に合わせて遠ざかる、風化によって岩の裂け目にしか見えないトンネルの出口。
見送る者も誰もいない寂しい岩肌を背に、拓也達は馬を急かしながら帝都から去るのであった。








馬車での移動を始めて丸一日、荷台の上で脱獄から2回目の朝を向かえる事になった。
目を開けば、辺り一面牛乳をぶちまけた様な乳白色。
拓也達を隠すような朝霧に包まれている。
付近の様子は窺い知ることは出来ないが、馬車の振動から移動のペースは感じ取る事が出来る。
と言っても、ペースを感じたところでやる事は特にない。
それに、まだ早朝という事もあり、御者の席に座るもの以外は二度寝の魔力に囚われて、起きてこようともしない。
拓也は起きてしまった以上、最初は見張りでもしようかと思っていたのだが、濃霧の為に全く役に立てない事を悟ると早々に諦めた。
そもそも警戒は、御者席にイワンと共に座るイラクリが、獣人特有の優れた嗅覚で行っている為、全く持って無駄なのだ。
なので、拓也は懐から取り出した一枚の紙切れを見ながら一人荷台の後端に腰かけていた。
神妙な表情で紙を凝視する拓也。
だが、そうして暫く座っていると、スッと後ろから拓也の手元を覗いてくる気配を感じた。

「何を見ているんです?」

拓也の背後からヌッと現れたカノエは、そのまま拓也の横に腰かける。

「あぁ、コレか?
コレは地図だよ。地下の倉庫から出るときに目に入ったので、つい破いて持ってきた」

そう言って拓也はカノエに紙切れを見せる。
そこにあったのは確かに地図であった。
ガイドブックか何かに付いてたと思われる世界地図。
だが、そこに書かれていた地形や国境は、拓也の知っているモノと微妙に違う。

「ここに北海道があったんだ。
この地図では転移したエリアが綺麗サッパリ消えているけどね」

「へぇ……」

北海道の消えた後の地球……
その後は色々な事が起きたのであろう。
日付から判断して、転移後四半世紀くらいに書かれただろう地図では随分と国の数も少なくなっている。
環太平洋、欧州、中華圏など世界の色分けは単純化しているようだ。

「暇だったからさ……
持ってきた地図を眺めてたんだよ。
そしたら、ふと気付いたんだよね。
2050年の地図で北海道が無いって事は、元の世界ではそれまで北海道が元の世界に戻らなかったって事だよね」

拓也の言葉に、カノエは最初は意味を図りかねたが、拓也の表情をみてカノエは納得した。
だが、納得したからと言って、それからどう言葉をかけたら良いのかは分からなかった。
普段の言葉から、てっきり拓也はこの世界に腰を据えていく決意が固まっていたと思っていたのだが
戻る事が無いという確たる証拠が出てくると、色々と心境にも変化が出てくるのであろう。
どこか吹っ切れたような感じの口調であったが、その目はどことなく寂しさが感じられる。

「それよりどうした?
まだみんな寝てるし、ゆっくり体を休めてても良いんだぞ?」

「休息はもう十分ですわ。
それより、社長にお話ししたい事が……」

「話したい事?」

そう言って、カノエは拓也の手を取ると、伏目がちに頭を下げた。

「社長……
今回の件、色々と迷惑おかけして申し訳ないですわ」

仰々しく、カノエは謝罪を口にする。
だが、謝られた方の拓也は、ぶんぶんと大きく首を横に振る。

「別に謝らなくてもいいよ。
今は早く戻る事だけを考えよう。
みんなカノエの無事を祈ってるし」

「でも、今回の事で色々と会社自体にも損害が出ちゃったんじゃ……」

確かに、カノエの言うとおり今回の件での出費は膨大である。
カノエ救出に動員した人員の工数から、消費した物資・資金を合計すると収支は赤字であった。

「確かに収支は赤字だけど、それはカノエが気に病む必要はないよ。
損失の大半は最初にタマリ達の盗賊団に襲われた時だし」

思い出してみれば、盗賊団に襲撃された際にトラック一台を燃やされたのだ。
その損失に比べれば多少の人工費など取るに足りないし、今回の件でカノエが収支を気に病む必要のない理由が他にもある。

「まぁ、通常の収支は赤だけどさ……
将来的に見たら、そんな損害なんて屁みたいなもんだよ」

「え?どうして?」

カノエの問いに拓也はニヤリと笑うと、荷台に置いてあった荷物の中からエルフと戦った武器の一つを取り出した。

「これだよこれ!
こんなすっごい魔法の銃が手に入ったなら、調査して自分たちの技術にするなり政府に売り払うかしたら大儲けだよ。
それに、カノエが攫われたメリダ村とは結果的には良い関係が結べたし、あそこを大陸における会社の拠点にするんだ。
雨降って地固まるというヤツだね」

ピンチは何度もあったが、それはそれで将来への布石になる。
特に道内はライバル企業の台頭で将来の見通しが不透明になりつつあった時期だけに、このようなチャンスは願っても無い事だった。
そんな話を拓也から聞いて、カノエは目をぱちくりさせていたが、次の瞬間には呆れたように拓也を見た。

「まったく……抜け目がないですね。
まぁ いいですわ。
それはそれとしても、私は私自身でお礼がしたい。
社長、貰ってくださる?」

そう言ってカノエは横に座ったまま拓也にすり寄り、拓也の手の上にそっと自分の手を重ねる。
スタイルでいえば社内一グラマラスなカノエ。
そんなカノエがすり寄って来たのだ。
独身時代であれば、拓也は何も躊躇わなかったであろう。
だが、拓也は接近してくるカノエの頭を手で無理やり制止させた。

「ちょっちょっと!待て!落ち着け!」

「しぃー…… 皆が起きますますわ
小声で話しましょう」

「だけど、俺、既婚者だよ?
それは困るって。
それと、秘密なんてのは、どうせいつかはバレるんだから」

非常に魅力的なカノエの提案もリスクを考えればどうすべきかは明らかだった。
それに周りは寝ている者だらけだが、実際の所本当に寝ているかも疑問である。
カノエの誘いに乗れば、不倫発覚→離婚→破滅のコンボが手に取る様に予想できる。
そんな破滅の未来を予想して慌てた様子の拓也。
それを見て、カノエは悪戯っぽく笑って見せた。

「ん?
社長が何を誤解なさってるのかは解いませんが
私がもらって欲しいのはコレですよ」

そう言って拓也の手に重ねたカノエの手から現れたのは二つのフラッシュメモリであった。

「見た目は北海道の何処にでもあった記憶媒体ですが、中身はティフリスの地下都市の技術をベースに作っていますので容量は別物です。
北海道に帰ったら片方を開いてみてください」

「……中には何が?」

「私たちの一族の技術の微かな断片が入っています。
この魔法が支配する世界では、何かと有効な力になるかもしれません。
まぁ、私たちはそれに失敗してエルフに滅ぼされましたが」

そう言って、カノエは拓也から流れていく景色へと視線を移す。
滅ぼされたと口にした時、テヘっと舌を出しておどけて見せたが、拓也は何て声を掛けようか言葉が見つからない。
ほんの数秒、二人の間に沈黙が流れる。
カノエは冗談として自分たちの一族が滅びたと言っているが、外部の物が一緒になって言って良い物か。
拓也は迷った末、話題を掌にのせられたもう一つの方に持って行くことにした。

「……そうか。
で、もう一つには何が?」

「私自身と一族の全てが」

「カノエと一族?」

「一族が栄えていた頃、ティフリス地下遺跡に眠る電子機器の情報言語については解読されていました。
そして、社長達の世界の情報言語がそれに類するものだと分かると、私は北海道のネットに種を蒔きました。
今頃、色々と芽が出ていると思いますが、これはその仕上げとして流すものだった物です。
北海度で魔導薬を作り出したのと同じように、大気に満ちる魔力を流用して記憶媒体を組上げるのは大変な作業でしたわ
何せエルフにバレない程度の出力で元素の造換作業をやってたんですから」

「すまない。
カノエの言っている事の意味が分からないんだが、コレがどうして君自身なんだ?」

「元々私の中には死んだ仲間の記憶が眠ってるの
そして、その中に入っているのは私の人格と記憶を含めた一族の記憶。
もし、私に何かあったらそれをネットワークに繋げてください。
ネットワークに既にまかれた情報と混ざってしまうけれど、それでも情報の海の中で一族は存続できる」

「なんだそりゃ?
データーベースみたいなものか?
てか、そんな凄い技術があるなら他にやりようはあるんじゃないのか?
例えば義体でも作って仲間の記憶を入れるとか」

こちらの規格に合わせて元素造換等というものが出来るなら
いっそのことボディーを作ってしまえばいい。
拓也はそう思ったが、カノエはそれは出来ないと首を横に振る。

「そこまで行くと私の力の限界を超えます。
なので、私はこれくらいまでしか作れませんでした。
そしてこれは社長に持っていて欲しいんです」

「そうか……
でも、いいのか?
それって凄い大切なものなんだろう?」

「いいんですよ。
何せ、こんなバックアップを作っていたものの、ついこの間まで仮に私が死んだ場合は、こんな過酷な世界に一族を復活させず潔く滅ぼうと思ってましたし。
でも、こんな天涯孤独な私でも危険を承知で助けてくれる人たちを見てガラッと心変わりしたんです。
まだまだこの世界も捨てたモノじゃないなって。
そんな訳で、私に心変わりをさせてくれた人にコレを持っていて貰おうと思ったんです」

そう言って拓也の顔を見つめながら接近してくるカノエ。
心なしか上目使いで拓也の顔の方に向かって。

「あの、カ、カノエ?
ちょっと近くない?」

「固い事言わないでください。
私は、社長にならもしもの際の保険を託しても良いと思ってるんですよ?」

拓也の声を聞き流してゆっくりと近寄るカノエ。
気付けば、彼女はじりじりと息の掛かりそうな距離まで近寄ってきている。

「それは光栄だが、行き過ぎは良くない。
知ってると思うが、俺って結婚してるんだよ。
嫁が見てないとはいえ、こういう関係はマズイ。
まぁ、俺の誤解だったら申し訳ないが」

「ふふん。
知ってますわ。
まぁ これもお礼の内です。
助けてもらったお礼と、大切なものを託させてもらうお礼……
今だけ…… 楽しみましょう?」

そう言ってカノエはゆっくり拓也を押し倒す。
荷台の上は皆寝ているはずだが、それでもいくら声を潜めていようが、こんな状況下ではいつ誰かが起きるか分からない。
こんな状況を見られて、不倫と誤解されればどうなる事か。
拓也は、誰かに見つかる前にこの状況を治めようとするも、押し倒されふと横を見た瞬間、氷の様に固まった。

「あ゛……」

荷台で眠りに落ちていた筈のタマリ。
そんな彼女と目が合ったのだ。
しかも、興奮気味にバッチリとこっちを見ている。
タマリは、凝視しているのが拓也にバレると、咳払いをしながら体を起こした。

「ゴホン!
もう、五月蠅いったらありゃしない!
ヤメロよ!寝てる横で盛られたらこっちも我慢できないだろ!
折角、最近は目覚めた性癖が落ち着いてきたのに……」

荷台からガバっと起き上がったタマリは、カノエを睨んで抗議する。
だが、そんな彼女の抗議に対しても、カノエは全く意に介さない。

「あら?起きてたの?」

「起きてたのじゃないよぅ…… まったく。
横で盛り始めるもんだから目が覚めちゃったじゃないか」

「あら、それはごめんなさいね」

全く悪びれないカノエはケラケラと笑う。
そんなカノエの様子を見て、タマリは一つ溜息を吐くと。
カノエに向かって床に座り直した。

「まぁいい。
だけど、折角目が覚めた事だし。
ここらで聞きたい事を全部聞いておこうかね。
さっき、あんたが旦那にベラベラ喋っていたみたいに、あんたの知っている事、洗いざらい話してもらうよ。」

「知っている事?」

「あんたたちの一族やエルフの事さ。
あたいは母ちゃんを奴に殺されたんだ。
それくらいは喋って貰うさ」

「お、それについては俺も興味があるな。
実際にエルフを見たわけじゃないが、聞きたいぞ」

「ボクも~」

「あたしも聞きたい」

タマリの声を合図に離れた御者席に座っていたイワン、イラクリから寝ていたはずのアコニーまで馬車の全員から声が上がる。

「ちょっ!みんな起きてたのか!」

拓也はこちらを振り返った面々を見て驚愕した。
もし、カノエの誘いに乗っていたら、誰か彼かの口を通じてエレナにばれていた事だろう。
皆、寝たふりをして聞き耳を立てていたのだ。
そして、そんな狸寝入りを決めていた彼等の要求に、カノエも既に隠す気は無いようだ。

「仕方ないですね。
分かりました。
こうなったら全てを包み隠さず話しましょう」



[29737] カノエの素性2
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/09 13:13
「話すと決めたものの……
さて、まずは何から話しましょうか……
社長は何から聞きたいです?」

カノエは首を傾げながら拓也に何から話そうかと聞く。
色々と秘密にしていた事が多すぎて、何から話していいか分からなかったのだ。

「じゃぁ こっちから質問させてもらうけど、エルフの奴がカノエの事と悪魔と呼んでいたけど、あれは何なんだ?」

「では、それからお話しましょうか。
社長はエルフがどういう種族かご存知ですの?」

「いや、それが、あまり詳しくは知らないんだ」

拓也が知っていると言えば、元の世界のアニメやゲームの中に存在するエルフ観であり
こちらで見たのは、耳が尖がっている以外はイメージと余りにかけ離れたタイソンみたいなダークエルフだけ。
こちらの常識的なエルフ像など殆ど何も知らないも同然であった。

「そうですか。
まぁ ざっくりと説明すると、エルフという種族は、この星の抗体ですわ。
彼らは自分でこの世界の守護者を自任していますが、それは間違ってはいないです」

「抗体?
それって、免疫系のアレの事か?」

「そうです。
彼等は、白血球のようにこの星に侵入した不純物を取り除く存在です。
そして、今もなお抗体として南方大陸で彼らが悪魔と呼ぶ存在と戦い続けてます。
その悪魔は正しくはレギオンと呼称されているのですが、彼らこそ2000年にも及ぶ長い長い戦いを演じるエルフの不倶戴天の敵です」

「……2000年か。
凄いな、そんな昔から戦ってるのか。
でも、そんなに時間があれば、どちらかの勝利で決着が着きそうだけど戦いは膠着してるのか?」

そんな長い期間があれば、何かしらの軍事的決定打により、どこかの時点で勢力の均衡が崩れそうなものだ。
休戦期を交えた緩い対立であればそれも可能かもしれないが、そんな長い戦争が可能なのかと拓也は疑問に思う。

「個別の戦闘ではエルフが圧倒しています。
ですが、戦線が膠着しているというのも正しいですね。
単純な戦力だとエルフの方が上ですが、レギオンはこの星の外から転移によって大量に送り込まれて来るので。
何度撃滅しても湧いてくるレギオン相手にエルフの戦いに終わりはありません。
そして、それがこの世界の現状なんです」

無尽蔵に湧く敵相手に戦いを続けるエルフ。
一方的な防戦しか出来ないのであれば、彼らが戦いに終止符を打てないのも無理はない。
カノエの説明によって、拓也はエルフとレギオンの戦争が何故長期に渡るのかについては理解した。
だが、説明が続くにつれ、新たな疑問が次々に現れる。

「現状については分ったけど……
今の説明の中でどうしても確認したい事がある。
星の外からって……それは異星系の生命って事?
しかも転移で送り込まれるとか……」

「ええ、その通りです。
社長の想像のとおり、レギオンの祖先が異なる星系から来た事は間違いありませんわ。
彼等は星から星えと渡り、繁殖し、増殖していました。
種族的には恒星間を飛び回る知的種族と言うより、宇宙を飛び回るイナゴの群れといった方が良いですね。
そして、現在エルフと戦っているレギオンは、この星の外側を公転する惑星に辿り着いたのです。
ただ、魔法を駆使して戦うエルフが今のところ彼らの侵略を完全に防いでいますから、一定数送り込む→駆除の繰り返しが続いています」

カノエの説明に拓也は成程と思った。
宇宙の害虫から魔法を使って星を守るエルフ。
そういうイメージで両者を考えてみれば、エルフが世界の守護者と言うのは間違いではないのであろう。

「へぇ……
惑星間の転移で送り込まれてるのか……
そしてソレを防ぐエルフは文字通り星の抗体って訳か。
って、待てよ……
そんな宇宙人とエルフから同一視されてるって事は、カノエの一族もやっぱりそうなのか?
でも、知性は有るし、宇宙イナゴっていった感じじゃないよね」

カノエの一族はエルフから同じように悪魔と呼ばれている。
だが、見た感じカノエには知性があるし、そんなイナゴの様な宇宙人には見えない。
拓也はその点についてカノエに問うた。

「その答えに関してはイエスとだけ述べておきますわ。
ですが、私の一族がレギオン達と別れ、この星に来たのは、私より何十世代も前のこと。
私自身はこの星に生まれて育ちましたから、こちらに来る前の事はわかりません。
そこらへんの記録は失伝してますから。
まぁ でも、レギオンと私たちの一族は同郷でも種族は人族と獣人位違うものですけどね。
なので、彼等が争っていても手助けしようとかは思いません」

カノエはそう言って、あんなイナゴと一緒にしないでくれと拓也に朗らか笑う。
なんでも、いくら同郷とはいえ、知性を発達させた自分達と、壊れた機械の様に兵隊を送り込むしかないレギオン達を同列にして欲しくないそうだ。
だが、宇宙イナゴとカノエ達の一族の差異が分かったとはいえ、変わりようのない事実もあった。

「そうか、カノエは宇宙人の子孫だったか……」

意外な告白に、拓也はもとより周りの皆もカノエの話に引き込まれる。
まぁ それでも、拓也とイワンを除くこっちの世界のネイティブ組には、宇宙がどうたらと言う話はあまり理解できていない様ではあったが……

「まぁそこら編の話は後程しますわ。
とりあえず、エルフとレギオンの話に戻りましょうか」

「あ、あぁ、そうだな。
じゃぁ 改めて質問だけど、一方的な守勢に回っているエルフも、その転移とやらを魔法かなんかで止める事はできないの?
なんとか根本を変えなきゃどうしようもない感じだけど」

転移してくる敵を確固撃破ではなく、本当にこの世界を守りたいなら元を断たねばどうしようもない。
そして、そのための手段として魔法というツールが使えるのではないか。
拓也はエルフの魔法が度の程度のものかは知らないが、物理法則の壁と軽々越えてくる魔法なら
そんなことも可能じゃないのかとカノエに聞いた。
だが、やはりそういった事も既に過去に試されていたのか、カノエは首を横に振る。

「彼らもそうしたいのは山々でしょうが、転移の阻止となるとエルフの使える魔法の限界を超えているんですわ。
というのも、レギオンの転移というのは、どうもこの星で発動された転移魔法に干渉しているようなの。
そして、その魔法はエルフが使えるものより、より高度な魔法なので……」

「魔法に干渉する事がそんなに大変なの?
君たちは妨害装置とか作ってたけど……」

「まぁ 私たちの作った妨害魔導具の様に、他の物理現象で多少の介入が出来るのは事実ですわ。
と言っても電子機器の基盤に電磁波を当てて内部を狂わすくらいの大雑把なものだけど……
だけど、あちらのレギオンは一部ではあるものの、その制御に成功した。
恐らくは、知性的なハッキングと言うより、生物的な進化の末にそういった能力を手に入れたんでしょうけど、結果は同じ。
乗っ取られた大元の転移魔法は此方の世界に人族を召還する為の大規模魔法が元でしたが、彼らは転移魔法の座標設定に干渉して固定化し、転移の魔法はスターゲートとして無理やり維持されている。
そして、そんな大規模魔法をエルフには使えないわ。
彼らは他にレギオンのようなイレギュラーな方法が使えない。
それに、彼らは自分達が使える魔法より高位の魔法に干渉するすべを持たないので、レギオンの侵入を防ぐことが出来ないの」

「なるほど…… エルフが干渉できないのは分かった。
だが、流れを切ってすまないが、どうしても先に一つ聞きたい。
そのエルフも使えない大規模魔法って、一体誰が使ったんだ?」

エルフにも使えない大規模魔法。
しかも、それが途轍もない規模の魔法だと言うことは、北海道の転移で拓也達も身に染みて実感している。
そんな大規模魔法など一体誰が使ったのであろうか。
拓也は世界の真理を問い詰めるかのごとく真剣な表情でカノエに聞く。
だが、この質問に対してのカノエの回答は軽いものだった。
カノエは、さも世の常識を語るように拓也に言う。

「それは、おそらく社長もご存知ですよ。
メリダ村の教会とかで像を見たでしょう?
イグニス教の主神です」

「イグニスの主神?」

神が本当に居るのかどうかは判らない。
だが、世界を超えるような力を使ようなのは神様クラスになるのだろう。
それが転地創世をやってのける聖四文字クラスの絶対神なのか、八百万の神々クラスなのかは分からないが、ともかく人という枠組みからは超越しているのは間違い無さそうであった。

「あの存在の詳しい事は私達にもわかりませんわ。
ですが、アレは確かに存在し、今でも生きてます。
推測ですが、魔力と言う力の根源はアレが作り出しているんじゃないかと私たちは推定してましたわ。
そしてゴートルムやその他の西方諸国の祖先を召還し、活発に活動してました。
少なくとも2000年前までは……」

「ん? じゃぁ今は?
というか、今までの話からすると2000年前って……」

「今は地上に干渉してくる様子は無いですね。
そして、社長の想像は恐らく正しいです。
当時、何があったかはメリダ村の神父に聞いたでしょう?」

メリダ村の神父から聞いたイグニス教の神話。
話半分で聞いていたので、今の今までどこにでもある宗教の神話くらいにしか拓也は思っていなかった。
だが、実際にはそんな軽い神話では無かったようだ。
驚く拓也達の反応を見て、カノエは更に言葉を続ける。

「悪魔と呼ばれるレギオン側と全面戦争。
教会の伝えた伝承の中にあったアレですわ。
そしてアレはほぼ実話。
一体どういう原理なのかは想像も出来ませんが、この世界に様々な人間達を召還していたイグニス。
そしてある日、イグニスの大規模魔法にレギオンが干渉。
イグニスが発動しかけた転移のエネルギーを、そのままレギオンがこの星を結ぶゲートとして利用し、両者はそのまま全面戦争に入りました。
そして、その後は伝承通り。
レギオンの親玉は破れ、イグニスはその時の被害が元で休眠状態ですわ」

「へぇ……
っていうか、カノエは凄い詳しいな。
そのレギオン云々ってのは、教会の人間は知ってるのか?」

「いえ、多分知らないと思いますよ。
彼等は自分達の敵については多くを知りません。
対して、なぜ私が知ってるのかと言うと、侵攻してきたレギオンと私達の一族は遠縁の親戚みたいなモノでしたので内情は知ってます」

「遠縁の親戚……
さっきも自分たちは異星人だといっていたけど、エルフと戦ってるレギオンとは実際の所はどう違うんだ?」

「うーん。そうですね……
それについては色々と例えて説明し辛いのですが、無理やりこの星の概念に当てはめると
レギオンと私達の関係は、種子と胞子みたいな感じですわ。
宇宙にばら撒かれ、漂着した星で無性生殖による増殖を繰り返し、有性生殖のペアとなる群体を発見するまで宇宙に拡散する。
そんな私達の一族が、レギオンとは時を別として辿り着いたのはこの星でした。
ですが、不幸にもこの星を選んだばっかりに降下軌道に入った段階でイグニスに撃墜され、大半の技術を失いつつもイグニスから隠れるように生きてきました。
逆境の中でも環境に対応しようと頑張りましたよ。
有性生殖が出来ない代わりに人工的な種の改造を繰り返し、イグニスに見つからないように何世代にもわたって此方の世界の住人に似せて外見を変え続けました。
それこそ元々の形態が殆ど残らないくらい。
今でも残っているのは髪の毛の色くらいです。
その甲斐あってか、今では此方の人類と交配可能なくらい似せて進化しましたよ」

全くの別種が、他種族と交配可能なくらい自力で進化すると言うのは、一体どれほどの苦労があったのであろうか。
自らの種のアイデンティティを捨て、生存のために必死に適応する。
カノエの言葉の裏には、数多の艱難辛苦が隠れている事は拓也の想像に易かった。

「それがどんな物かまではイメージ出来ないけど……、もの凄い苦労があったんだな。
何と言葉をかけたらいいか……」

「まぁ すべては過ぎた事ですし
先人の苦労はさらっと流してもらっても結構ですわ」

「そ、そうか。
でも、苦労の割に髪の色はどうにも出来なかったのか?
すっごく目立つよ。ソレ」

拓也に指摘されたとおり、カノエの青髪は目立つ。
何せ他の人種にカノエと似た色の髪を持つ種族が居ないのだ。
シリコンの結晶のように美しい青は、何もしなくても人々の注目を集めるだろう。

「完全に同化するには進化が足りていませんし、それにこの髪は色々と機能も兼ね備えているもので
機能を保持したまま変色させる技術が出来れば数世代先で解決される予定でしたわ。
……まぁ、尤もそれは永遠に出来なくなりましたけどね」

永遠に出来ない……
それは一族を全て失ったカノエの悲哀であった。
研究開発をやっていけるだけの人数が残っていれば、多少効率は落ちても研究は進んだのだろう。
だが、残されたのが一人となっては生き延びるのに精一杯で、そのような余裕は無かったのだ。

「そうか……
仲間が皆殺しにされたって言ってたもんな。
……でも、もう本当に仲間は居ないのか?
まぁ 居た所でそれが人類の敵にならないかどうか不安もあるけど」

「少なくともこの星には居ませんね。
それと、私達には同属と同期できる能力があります。
他に生き残りが居るなら、とっくに見つけてますわ
そして、仮に仲間が居たとしても、敵になる事はありませんわ。
派手に動くとエルフが襲ってきますもの」

「……カノエが最後の一人か。
なかなかそれは寂しいもんじゃないのか?」

「でも、そんなに悲観することはありませんよ。
社長に渡したメモリの中に、同期した仲間の記憶が残ってます。
実体の有無の別がありますが、種の絶滅が決まったわけじゃありません」

「……そうだよな。
記憶と自我さえ確保できれば現実か電脳空間かの差はあれど、種の存続は出来るんだな」

「えぇ、それに自らの種の形態をここまで弄ってきた私たちですもの。
切羽詰れば、その程度の差は許容できるくらいの器量は持ち合わせてますわ」

「ふむ。
カノエがそこまで言うのなら、同情するのも止めるとするよ。
それにしても…… カノエがエルフに追われる理由は良く分かった。
まさか異星人だったとはな」

「それでもこの星の魔法を司る存在には手も足も出ませんけどね」

そう言ってカノエは肩を竦めながら拓也に微笑む。
多少の技術力があった程度では、更に力を持った存在には敵わなかったのだ。
おどけて見せる彼女では有ったが、もうどうしようもないと苦笑いを浮かべるしかないのであった。
しかして、そんな彼女の話はまだまだ続き、彼らの種族の考え方からサルカヴェロを使役して国を作った経緯
また、その期間で調べられたこの世界の事が次々と語られる。
バトゥーミの町の構造は、太古の昔に墜落したカノエの祖先が乗っていた恒星間船の残骸であると言った事から
国を追われてから北海道に来るまでの放浪の時代に、各地で食べた美味しい料理に至るまで何度か話の脱線が繰り返されたが
カノエの話は、辺りに立ち込めていた真っ白な霧が次第に高くなる日の光によってかき消されるまで続いた。
それは、馬車の周りの霧が晴れるのと同じように、カノエを覆っていた秘密のヴェールが掻き消えていく一時であった。



[29737] 別れ、そして託されたモノ1
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/09 13:14
既に太陽は天頂に差し掛かり、平原の真っ只中を馬車は行く。
そんな中、最初に気づいたのはタマリとアコニーの二人であった。
風に乗った僅かな振動。
ピンと立てられた二人の耳は、音の聞こえた方向にクルッと向けられる。

「この音は…… 社長、ヘリが着ますね」

それは北海道にて何度か耳にした独特の音。
アコニーは忘れるはずは無かったが、タマリ達にとっては未知の音であった。

「え?な、何この音?」

初めて聞く空気を切り裂く振動に、タマリ達が戸惑う。
彼女等にとってみれば全くの未知の音だ。
彼女等が驚くのも無理はない。
そして、その音は、ものの一、二分もすると拓也達全員にも聞こえるまでに音は大きくなっていた。
ババババ……と、前方から聞こえるヘリのローター音。
次第にはっきり聞こえてくる音。
それに反応し、まず動き始めたのは御者席に居たイワンであった。

「イラクリ、発炎筒を焚くから手綱を頼む」

「うん」

そう言ってイワンは席を立つと、荷物の中から発煙筒を取り出してヘリから視認しやすいように高く掲げた。
目を凝らせば、馬車前方の地平線より少し上に芥子粒のようなヘリの機影が次第に此方に接近してくるのが見える。
イワンは無線でヘリに呼びかけつつ、細かなディティールまで視認出来るほど近づいたそれに向かって、真っ赤な炎を上げて燃える発煙筒を振った。
揺らめく赤い炎と白い煙。
対するヘリの方も、発煙筒の光を確認したとの連絡のち、拓也達の上空をスイングバイした。
ダウンウォッシュによってあたりに土煙が舞う。
そんな中、拓也達を迎えに来たヘリは、周囲を警戒しながら馬車近くの空き地に舞い降りたのだった。

「なかなか凄いのが来たな!」

降りてきたヘリを見て拓也が感嘆の声を漏らす。
ヘリと聞いて、拓也の頭の中では旧式のヒューイでも回してくれるのかと思っていたが、その予想は逆の方向に裏切られた。

「ハインドかぁ……」

拓也達の前に舞い降りたのは、ロシアが誇る戦闘ヘリであるMi-24
いささか旧式のヘリではあるが、それでもアップグレードを繰り返し、近代化改修済みの機体である。
そんな力強く勇猛な外観の機体に拓也が見惚けていると、着陸した機体のドアがガラリとスライドした。

「拓也!!」

激しいダウンウォッシュの中、ヘリから駆け下りてきたエレナが全力で拓也を抱きしめる。
拓也は、その力の入った抱擁から、嫁のエレナがどのくらい心配してたかを察する事が出来た。

「エレナ。心配かけたね」

拓也は抱きつくエレナにキスをし、心配かけたことを謝罪する。
そんな拓也の言葉に対し、エレナは拓也から顔を離してキッと睨んだ。

「本当よ。
もう、あんたが捕まったと聞いたときは心配で心配でたまらなかったわ!
……でも、ちゃんと生きて帰ってきたから許してあげる」

不満顔から一瞬にして笑みに変わるエレナ。
そんな彼女の表情を見て、えも言えぬ気持になった拓也は、もう一度エレナをギュッと抱きしめた後にこう言った。

「ありがとう。
じゃぁ、色々と言いたい事はあるだろうけど続きはヘリの中でしようか。
これでも追われている身なんでね。
一刻も早く安全圏に戻りたいんだ」

「そう、仕方ないわね。
続きはヘリの中まで待ってあげるわ。

さぁ!みんな早く乗って!
さっさとこんな所からオサラバするわよ!」

エレナの号令に従ってヘリに乗り込む一同。
拓也達のやりとりをニヤニヤしながら見ていた彼らは、そのまま黙ってヘリに乗った。
様々なイベントを巻き起こしたサルカヴェロの地もこれで終わり。
フワっとした浮遊感と共にヘリは大地を離れ、遂に皆を乗せたヘリは飛び上がる。
あっという間に地上から遠ざかり、やっと安心かと拓也は安堵した。
思えばここ数日、緊張しっぱなしであった為、疲労感も限界である。
本当なら、後のことは全てエレナ達に任せて寝ていたいのであるが、その前にどうしてもやっておかなければいけない事を思い出した。
まぁ、仮に寝ようとしたところで、盗賊+猫1名が生まれて初めての空の散歩にきゃいきゃい騒ぎまくっているため、寝るには煩すぎるというのも休まない理由の一つではあったが……
そんな訳で、拓也は休息を取る前に、これまであったことを全てエレナに話すことにした。



……

…………

「へぇ…… そんな事が」

盗賊との取引に始まり、サルカヴェロに捕まった事、更にはカノエの了解を取り青髪の一族の事もエレナに話した。
その中でもカノエの一族の下りでは、急な話の展開にエレナは付いていけてないようで、何度も途中に説明を入れながら彼女に話した。
駆け足気味の説明に少々理解が追い付いていない点も有りそうではあったが、それでも最後まで彼女は話を聞いてくれたのだった。

「なんと表現して良いか分からないわね」

一通り聞き終えても、エレナは直ぐには感想の言葉が見つからなかった。
色々とぶっ飛んだ話の中でも、カノエが宇宙人だって話は特にそうだ。
しかも悪魔と呼ばれるレギオンとは種子と胞子の関係と言う意味不明さだ。
エレナは暫くうんうんと唸って頭の中を整理すると、改めてカノエに質問する。

「でも、一点だけ腑に落ちないわ。
なんせ、レギオンってのとカノエ達は同族なのでしょう?
それも種子と胞子……男と女の関係なら同族同士で子供を作ったら滅亡を回避できないの?
方がカノエの種としては良いんじゃないの?」

カノエの話が本当だとして、他のレギオンと交配が出来るのであれば、それに越したことは無いのではないかとエレナは言う。
例えるなら日本のトキが絶滅する際、交配相手として中国のトキを持ち込んだように。
だが、そんなエレナの質問にカノエは小さく首を横に振る。

「それは…… 自己進化の過程でこの形態に慣れちゃいましたし
それに私たちの種の生殖は、こちらの一般的な生き物のような遺伝子の交換とは違って母体ごと融合してしまうわ。
融合し多様性を手に入れ、単性生殖して数を増やす…… ですが、融合時にどちらかの人格は消滅しますし
私達が単体で向こうのレギオンから主導権を取れるとは思えません。
だからやらないんですわ。
融合後、外科的に人格を植え付ければ主導権を取れるかもしれませんが、ここまで自己進化しちゃった以上、融合による恩恵はあまり感じませんしね」

「なるほど……
でも、それならカノエが単性で増殖したら仲間を増やせるんじゃないの?
人格の植え付けなんて出来るんなら、死んだ仲間も復活できそうな気もするけど、それは気のせい?」

「自己進化の過程でその性質は失ってしまいましたわ。
今は、人類と同じ有性生殖でしか子供を作れません」

「そっか。
今は私たちと同じなんだね。
でも、ごめんね。あまりに無神経に色々聞いちゃって」

「いえ、そこは気にしてませんわ。
ですが……
そうですね。
今、エレナさんの言葉を聞いて、仲間の再生法が浮かびましたよ。
融合しなくても、レギオンに無理やり人格を植え付ければいいのか…… いや、でも姿が元と違い過ぎると問題が……」

カノエはそう呟くと、額に人差し指を当てて考え出した。
仲間の再生。
その為にレギオンの体を乗っ取るなんて考えても見てなかったのだ。
異形のバケモノへの人格転写。
カノエはその可能性を考えて悩みだした。
対して、質問を始めたエレナの方は、カノエの口から漏れ出る呟きが理解できずにいるようであった。

「なんだか悩みを増やしちゃった?
ごめんね?あんまり深く考えずに喋ってたから」

「いえ、別にかまいません。
一族復活の新たな方策が……って、 チっ!」

カノエは舌打ちと共に、ヘリの後部を睨む。
ギラリと睨むその表情には、先ほどまでの余裕は一切感じられない。
その尋常でない態度の変貌に、拓也は何事かとカノエに問うた。

「どうした?」

「……エルフです。
追って来ました」

直後、轟音と共に何かがヘリの横を擦り抜けた。

ゴォォン!

「うわぁ!!」

凄まじい速さで、ヘリの脇を通り抜けた何か。
乱れた気流がヘリの内部を容赦なく揺さぶる。
イキナリの事に困惑する一同。
だが、いつまでも混乱は許されない。
後ろから凄まじい速度でヘリを追い抜いた物体は緩やかな弧を描き、ヘリの方へと戻って来たのだ。

「戻ってきたぞ! 戦闘準備!」

パイロットの声が、スピーカーを通じ貨物室に響く。
そして、それと同時に機首に付けられた機銃から、激しい発砲音が機内に響いた。

「堕ちろ!堕ちろ!堕ちろ!」

ドドドドドドド!!!…………

ガンナーの声と共に、目標に迫る光の筋。
だが、目標とされた物体は、銃弾の雨を華麗に掻い潜ると、ガンナーの死角となる機体下方へと潜り込む。

「あ!ヘリの下に!」

隠れた敵を追う様に、エレナが銃を構えてドアから身を乗り出す。
死角にいるのであれば、自分が撃ち殺してやろうという心積もりであった。
だが、それには相手が悪かった。
身を乗り出した瞬間、機体の陰から現れたエルフに重心を握られ、そのまま機外へと引っ張られたのだ。

「きゃぁぁ!!」

体勢を崩し機外へと放り投げられるエレナ。

「エレナ!って、うわぁぁ!」

「社長! んん!!?ぎにゃぁぁ!!」

エレナを捕まえようと拓也がエレナの腕を掴む。
だが、それでも勢いは収まらず、アコニーが外に落ちかけた拓也の足を握るが、それでも落ちる。
死ぬ。
拓也はこれでもう駄目だと思った。
視界はまるでスローモーションのように流れ、思考が停止する。
たが、それは一瞬の事だった。
駄目だと思った次の瞬間、身を引っ張る感触が全身に駆け巡る。

「大丈夫かお前ら!?」

逆さ吊りになっている為、拓也にはよく見えなかったが、寸での所でエドワルドがキャッチしたようだ。

「いやぁぁ!!早く引きあげて!」

「ぎにゃぁぁぁ!!!
しっぽが千切れるぅ!!」

エレナは足をバタつかせながら絶叫し、アコニーは尻尾を掴まれたのか激痛に泣き叫んでいる。
こんな状態では、そのうち力尽きて落下するか、アコニーの尻尾が切れるかのどちらかだろう。
拓也はエドワルドに力の限り叫び返事をした。

「とりあえずは無事だけど、さっさと引き上げるか、一旦どこかに降ろすか早くしてくれ!」

アコニーの尻尾に人間三人分の重量がかかっているのだ。
この状況が長く続かないのは誰の目にも明らかだった。
エドワルドは拓也達の状況を把握すると、すぐさまヘリに速度を落とし、降下を開始させた。
と言っても、周囲には未だに謎の飛行体が居るはずだ。
ゆっくりはしてられない。
エドワルドは、近づいた地上に向けて乱暴に拓也達を放り投げると、戦闘態勢を整える為に即座にヘリに高度を取らせる。

「奴らを降ろしている間にケリを付けるぞ……って、 んなっ!!?」

拓也達を降ろし、さぁ、これから戦いだと思ったエドワルドは絶句した。
ヘリの中では、アコニーの尻尾を掴んだ時にエドワルドをサポートする為、手隙の物は拓也達が堕ちた側に寄っていた。
そんな中、必然的に筋力の弱いカノエは邪魔にならない様に反対側に寄る。
従って、機内に向かって振り返ったエドワルドから見たカノエは、機内の最奥に位置でこちらを眺めているはずであり、カノエの後ろに人影がある事も、カノエの腹から赤く濡れた突起物が出ている状況などは、想像の範疇外であった。

「かはっ……」

腹部から出る突起物。
それが手刀だと認識したと同時に、カノエは喀血と共に崩れ落ちる。
その拍子に腹部から真っ赤に染まった手刀がずるりと抜け、カノエの後ろに立つ人影が露わになる。

「貴様!!?」

その意外な顔を見て、エドワルドは理解が出来なかった。
カノエを刺した主の顔は、直接は会っていないものの、エドワルド達も十分に知っていた。
バトゥーミにて何度も見たのだ。
カノエを刺したその顔は、盗賊の頭であり、拓也達を逃がす為に死んだとされるニノと瓜二つであった。
だが、ニノの顔を持つソレは、彼等の記憶にある声とは別の声で仕事の成果を確認するように彼らに告げる。

「悪魔の核は破壊した。
これでその悪魔もじきに死ぬだろう」

「なに!?」

ニノの顔を持つソレは、手についた血を振り払うと開け開かれている扉から、空に向かって歩き出すように外に出る。
突然に現れたその災厄は、虚空へと消え、その後には血だまりに沈むカノエだけが残ったのであった。



[29737] 別れ、そして託されたモノ2
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/09 13:16
機内でエルフの凶手がカノエを襲っている頃。
ヘリから落とされた3人は、慣性のまま緑の草原の上を転げ回っていた。

「ふぎゃぁぁ!!」

ヘリが減速し、降下したと言っても、その勢いは相当なものだ。
潰れたカエルの様な叫び声を上げるアコニ―と共に、拓也達は慣性のままにゴロゴロと地上を転がる。
そうして、何回転かした末にようやく止まったのは、着陸から十数m離れた地点であった。

「いててて…… 皆、大丈夫か?」

草原に寝転がった体制のまま拓也が皆の安否を確認する。
勢いが結構なものであった為、何か障害物にぶつかれば大けがしかねない。
だが、幸いにして、ここは帝都ティフリスからバトゥーミの間に広がる低木の森林地帯の中でも周りに木々の少ない草原であった。
ヘリのパイロットが機転を利かせてそちらに降ろしてくれたようだ。

「うぅぅ……」

付近より聞こえる二人のうめき声。
暫く二人は唸った後、一番対地高度の低かったエレナのほうがムクりと起き上がり返事をする。

「こっちは大丈夫……って、拓也!?」

エレナ頭を上げて周りを見れば、遠巻きに大勢の人間がこちらを見ていた。
そもそもが、森林地帯のなかの限られた空地。
それもティフリスとバトゥーミを最短距離で結ぶルートを飛行していたため、近くに街道もあったのだろう。
街道沿いの空き地となれば、大所帯の集団が偶然野営していてもおかしくはない。
偶然いして居合わせた人々。
そのどの顔も急に空から現れた拓也達に対して、驚きを隠せないようであった。
だが、そんな偶然出会った彼等の正体は、拓也達にとっては最悪に近いものであった。
騒ぎを聞いてわらわらと集まってくる人間。
それは帝都で何度も見た服装に身を包んでいる。
黒い軍装、彼らはサルカヴェロ兵であった。

「サルカヴェロ兵!? いやでも、何か違う……」

装備こそ帝都で見たサルカヴェロ兵。
だが、それを着ている兵士が違う。

「獣人……とうか狐か。
あの監獄にいたのと同じ部族だな。
でも、装備はサカルトヴェロ…… でも何かおかしいな」

拓也は知らなかったが、拓也らの周りを囲うのは、属州の民の徴募により編成されたサテュマ人による第二師団である。
常日頃から戦闘意欲旺盛にして乱取り上等な獣人の精鋭兵団だったのだが、拓也が疑問を感じたのはそう言ったところではない。
主な疑問点は兵士たちの格好による物が大きかった。
武器も持たぬ負傷者の山。
よしんば武器を持っている者が居ても、その表情には恐怖の色がある。
拓也の周りにいたのは、そんな敗残兵のような集団だった。

「一体何があったのかは知らないけど、歓迎されてないのはよく分かるわね。
拓也……、早くヘリに戻らないと非常にマズイわよ」

「あぁ……
だが、その前に……
下手に刺激しない様に逃げるぞ」

そう言って拓也はジリジリと距離を取る。
上空では、一度拓也らを降ろして飛び去ったヘリが大きく旋回して戻ってくるのが見える。
このまま変に彼等と衝突せず、飛び去る事が出来ればそれに越したことはないのだ。
だが、それは余りにも過ぎた願いであった。
ボロボロとはいえ、戦闘集団であるサテュマ兵を前にして明らかに怪しげな人間が素通りすることは出来ない。

「拓也!あそこを見て!」

エレナの指差す先。
拓也らを囲う一般の兵とは別に、サテュマ人の集団の奥に動きがあった。
何組かの兵達が旧式な形状の砲を空に向け始めたのだ。
それもヘリが飛んでくる方角に向けて。

「危ない!」

拓也の叫びと大砲の咆哮は、ほぼ同時であった。
ドォンという発砲音を背に、拓也は有らん限りの声を使って無線でヘリに危険を伝える。
一拍の間を挟んで、空中で砲弾が爆発。
ポンと小さな花火の様な破裂音。
砲弾はヘリからは離れた所で炸裂したが、悲鳴は誰しも予想しないところから巻き起こった。

「あっちぃ!」

「熱っ!」

「ぎにゃぁ!」

悲鳴の発生源は拓也ら3人。
彼等は突如として白煙を吹いた無線機を投げ捨てる。
見れば携帯していた無線機の中から白煙が上がっている。

「いったい何?」

「分からん。
だが、無線が焼けたみたいだ」

拓也は白煙の上がった無線機を恐る恐る手に取り、スイッチを入れてみるが
壊れた無線は何の反応も示さない。

「内部が焼けてる……」

不思議そうに無線を投げ捨てた無線を見るエレナ。
その脇で拓也は他の装備を点検する。
無線を始め電子機器は全滅、他の装備にはさして損害はない。

「電子機器だけを焼き切るとか……
EMPか?でも、なんでそんなものを……」

転移前の世界ならば、電子機器を焼き切る兵器を拓也は知っている。
強力な電磁波を発して電子機器の回路を焼き切るEMP兵器だ。
なぜ電子機器も無いこの世界でそんな物があるのか、作動原理は魔法やら魔導具やらで実現できたとしても、それは何のために。
拓也の頭にそんな疑問が渦巻くが、この世界の電磁波との組み合わせから、拓也は一つの噂を思い出した。

「あぁ あの兵器はそういう事か」

「何か分かったの?拓也」

「前に、北海道沖の航空戦でドラゴンたちが電波を発していたという話をネットで見たんだけどね。
たぶん、さっきの砲弾は対ドラゴン用の兵器だ。
電波を知覚出来るなら、至近距離で強力な電磁波を食らえばスタングレネードでも喰らったような効果があるんじゃないかな」

「えっと、それってドラゴン用の目つぶしって事?」

拓也の説明にエレナは首をかしげながら拓也に聞く。

「多分だけどね。
まぁ、そのせいで民生品の無線は焼かれたけど、効果はそれだけだ。
核戦争も考慮されて作られたヘリは電磁パルスに備えた設計になっているし、多分向こうの被害も民生品を焼かれたくらいのはずだよ。
連絡は取れなくなったけど、しばらくすれば降りてくるはず」

ヘリとの通信は出来なくなったが、此方の位置と状況は向こうも分かっているし、待っていれば救援に降りてくるだろう。
ヘリの火力は圧倒的。
脅威を制圧した後、悠々と拾ってもらえるはず。
そして、そんな拓也の想像は、ある意味で正しかった。
体勢を立て直したヘリは、撃ってきた砲兵の集団に向かい機首の23mm連装機関砲から機関砲弾の雨をサテュマ人に降らせた。
大地を震動させる発砲音の連続と共に、砲共々サテュマ人の兵達が物言わぬ挽肉に変わっていく。
潰走する兵士たち。
勝負あった。
そう思える拓也達であったが、それは一瞬だけであった。
サテュマ兵が挽肉に変わったのは、集団の真ん中であった。
組織的な連携も取れず四方八方に潰走するサテュマ兵。
そのなかでも、一部の兵士たちが拓也達の方に向かって逃げてきたのだ。

「社長!こっちに逃げて来ますよ!」

「懐に入られたらどうしようもない……
絶対に近寄らせるな。
こっちに向かって来るやつは撃て!」

その言葉と共に、エレナとアコニーの小銃が火を放つ。
此方に向かってくる兵士だけを淡々と撃つ二人。
それに混じって拓也も拳銃にて応戦する。
時折、散発的にマスケットにて打ち返してくる兵が要るものの、大抵が銃を構えた瞬間にエレナ達に撃たれてゆく。
混乱した敵相手の一方的な攻撃。
はたから見ればそう見れるかもしれないが、双方は必死であった。
片や接近させない様に応戦し、型や逃走の為に血路を切り開こうとする。
そしてそれらの試みは、最終的には物量のある方が徐々にと有利になっていった。
幾ら撃っても、頭数が違う。
必然的に対応の遅れが出始める。
そして、その遅れは時に重大なものに発展する。

「危ない!エレナ!!」

拓也が気付いた時、既に振りかぶっていた敵の擲弾は、敵兵の手を離れていた。
擲弾の放物線は、エレナに向かって弧を描く。
これはヤバい。
そう感じた拓也は、咄嗟にエレナに覆いかぶさるように押し倒した。

「きゃ!」

エレナの短い叫びの直後に巻き起こる、耳を劈く様な爆発音と熱。
意識が途切れていない為、死んではいないなと拓也は思った。
だが、立ち上がろうとしたその瞬間、拓也の左手に焼き鏝を当てられたかのような痛みが走る。

「ぐぅ!」

見れば破片の当たり方が悪かったのか、人差し指と親指を残して左手の指が消えている。
経験のない痛みに拓也は蹲るが、同時にエレナは無事かと拓也は彼女の方を見た。

「うぅん……」

頭を振って起き上がるエレナ。
どうやら彼女は無事だったらしい。
左の頬を破片で切ったのか、血が流れ出しているが、それでも五体満足なようであった。

「ありがとう……拓也って、あなた!?その手は!!」

起き上がったエレナは、近づく敵兵を撃ち、マガジンを交換しながら拓也を見た。
そして、瞬間その顔色が変わった。

「すまん。結婚指輪ごと弾け飛んだ」

「え、って…… そんな事より!?
その手……」

エレナは、左手の指の半数以上が無くなった拓也の手を見て青ざめる。
自分のせいか?
そんな自責の念からトリガーにかけた指が止まってしまう。

「あぁぁぁ…… あなた…… 指が」

ただ切っただけとは違う。
弾け飛んだ指は元には戻らない。
敵や名も知らぬ人間とは違う、親しい人間の負傷はエレナの頭から急速に熱を奪い去っていった。
呆然となるエレナ。
だが、状況はそんな彼女に時間的な猶予を与えない。

「社長!エレナさん!
ボーっとしてないで撃ってください!
ヘリが降りて来ますよ!!!」

アコニーの嘆願にも似た絶叫。
彼女の言うとおり、サテュマ人集団を掃討していたヘリは、その照準を拓也達に迫る集団に変え
眼前に迫る敵兵を挽肉にしながら降下してくる。

「社長!
行きますよ!!走れますか?!」

「あぁ。
走るのには問題ない」

「エレナさんは!?」

「大丈夫よ」

「じゃぁ行きますよ!!」

そんなアコニーの合図と共に拓也達は走った。
弾幕を張るつもりで交換した最後のマガジンの弾をばら撒きつつ、着陸したヘリの側面から滑り込むように機内に飛び乗る。
そして、ヘリの側も拓也、エレナ、アコニーの順でヘリに戻ったのを確認すると、強烈なダウンバーストと共に中空に向かって浮き上がり、急速に離脱を開始した。
猛烈な風と鉄の雨がサテュマ人の頭の上を過ぎ去り、ヘリは戦場から飛び去ってゆく。
地上に残されたのは、呆然と飛び去ったヘリを眺める敗残兵とその死骸、それに草の中に埋もれた拓也の指だけが残された。
突然の邂逅と惨劇。
それはサテュマ兵にとっては悪夢と言ってよかった。
しかし、彼らにとってのそれは戦闘の終了で一応の終止符は打たれた。
だが、それに対して拓也達の方は違う。
まだ、彼らの悪夢はクライマックスを迎えてはいない。
拓也は、ヘリに戻るや布で指の吹き飛んだ左手を止血しながら機内を見渡した。
地上での負傷者は拓也とエレナの二人だけ。
ヘリの方はエルフの姿が見えない為、撃退に成功したのかと拓也は漫然と思っていた。
だが、その想像は悪い方へと裏切られたのだった。

「なんだよ。
これは……」

ヘリに戻った拓也達の目に入ったのは、床に横たえられたカノエの姿であった。
腹部を中心に赤い染みが広がり、一応は止血がなされているものの、流れ出た血の量を見れば最早長くなさそうなのは明らかであった。

「お前らが降りた直後にエルフにやられたんだ。
長くは持つまい……」

エドワルドは目を伏せ、小さく顔を横に振る。
だが、そうは言われてもヘリに戻った拓也達は戸惑うばかり。
感情が、目の前の事態を拒否するのだ。

「そんな!? カノエ!」

アコニーは横たわるカノエの手を両手でつかむとその顔を覗き込む。
有らん限りの声での呼びかけに、この世界から旅立とうとしていたカノエはうっすらと目を開けてアコニーを見る。

「ん…… アコニー?」

「カノエ!」

弱弱しくもアコニーの顔を見て微笑むカノエ。
彼女は血の付いた手でアコニーの頬を優しく撫でる。

「そんな大きな声を出さなくても聞こえてるわ。
それより、社長は居る?
最後に社長に頼みが……」

「何?やめてよ最後なんて言い方!!」

最後と言う言葉を聞いて、両目から涙を滲ませながら嫌だと首を左右に振るアコニー。
だが、カノエはそんな彼女の顔に手を添えながら、アコニーの後ろに立つ拓也へと視線を移した。。

「前にも説明した通り、メモリの中にある私の人格の中には仲間の記憶も眠っている……
一族復活の最後の希望……
北海道に帰ったら、それをネットワークに繋げて欲しいの……
自動でアップロードが始まるから……」

カノエの最後の希望。
それを聞いて拓也は首を縦に振って頷いた。

「あぁ…… わかった……
後の事はすべて任せろ」

本来であれば、最後の頼みと言うカノエの言葉を遮ってでも、アコニーの様に死ぬなと叫びたい。
だが、目の前に横たわるカノエの容態を見て、それが本当に最後の頼みになる事を悟った。
胸に風穴が開いているのだ。
恐らく、残された時間は本当に長くない。
仲間の臨終の時を前にして、拓也は唇を噛みしめながらカノエの願いを承諾する。
カノエは悲痛な面持ちをした拓也が、自らの願いを聞き届けた事を確認すると、今度は周りに集まった面々の顔を見渡し、ゆっくりと口を開いた。

「これで、例え情報だけになろうとも一族は存続する……
私の役目はココで終わり……
あと…… 一つだけ…… みんゴホッ!」

「カノエ!!」

俯いて血の咳を吐くカノエの手をアコニーが握る。
手当をしようにも手の施しようがないのだ。
最早、手を握り励ますくらいしかこの場の人間に出来ることはない。
それに対し、カノエは二、三度咳をして喉に溜まった血を出し切ると、再び微笑を皆に向けた。

「この場に居ない人もいるけれど……
みんなに……伝えたい事が、あるの……」

呼吸の間隔と共に間延びする声。
それは、先ほど血を吐いて以降、カノエの力が急速に薄らいでいく印象を受ける。

「この1年と…………ちょっとは………………
この……数……十年で………………一番……………………楽し………………」

言葉の途中でカノエの声が途切れる。
よく見れば、カノエの目は焦点が合っていない。
既にカノエの力は限界なのだ。
アコニーの頬に当てていた彼女の手も既に落ちようとしている。
だが、アコニーはそんなカノエの手を自分のてで支えると、有らん限りの声でカノエに叫ぶ。

「なんだよ!聞こえないぞ!死ぬなカノエ!」

声を張り上げるアコニー。
既に彼女の目からは大粒の涙が滝の様に流れている。
その涙は、彼女は頬に当てられたカノエの手に伝っている。
手に染みわたる暖かい涙の感覚。
その感触はカノエの意識をわずか数秒保たせる。

最後の瞬間、カノエは微笑と共に最後の言葉を呟いた。


あ・り・が・と・う


それは、声になっていない唇だけの動きであったが、それでもその真意はその場の皆に伝わった。
そして、それをもって、カノエは全ての仕事が終わったかのように安らかに事切れたのだった。

「!!?」

「カノエーーーー!!!」

笑ったまま事切れた彼女を前にアコニーの叫びが東方大陸の空にと響き渡る。
悲しみと嗚咽が響く機内。
暫くは誰もが何も言葉を発せなかった。
それは数分のことであったが、当事者たちにとっては数十分の様にも感じる。
そんな悲しみの中、最初に区切りをつけたのは、拓也の横で悲痛な顔をしていたエレナであった。

「ファック!
なんでカノエが死ななきゃならないのよ」

ドン!

エレナの拳がヘリの壁を叩く!
悲しみが過ぎた後、仲間を殺された事への怒りが湧いてきたのだ。
そして、怒りは伝播する。
何故?カノエが死んだ?
そんな疑問から、怒りの矛先がカタキに向かうのに時間は要らない。

「……エルフ」

涙で濡れた顔のまま、アコニーは俯きながら呟やいたかと思うと、自分の銃を拾って立ち上がった。

「今から逃げたエルフを追ってください!
あの野郎!ハラワタ食いちぎってやる!!」

アコニーは憎しみの炎を瞳に宿し、怒りのままに銃を振り回す。

「やめろアコニー!暴れるな!!」

「でも、エドワルドさん!
仲間が殺されたんですよ!?それも、友達のカノエを!!」

「それでも落ち着け!
奴の速度に
ヘリでは追い付けん!」

「でも、でも、奴らの勝手な言い分でカノエは!カノエは!!
何が悪魔ですか!?カノエはすっごい良い娘だったのに!!」

ヘリの中で暴れるアコニー。
それは、エドワルドが手を離せば、すぐにでもヘリを飛び出していきそうな勢いであった。
周りの皆は必死になって彼女を止めるも、拓也はそれに加わらない。
彼は、カノエの遺体をじっと見下ろしていた。

「……そうだな。
勝手な言い分だ。
奴らにとってはどうかは知らないが、俺らにとっては大事な仲間でしかなかった。
それが、一方的な理屈で殺されたんだ」

カノエの遺体を降ろしながらポツリと拓也は呟く。
心の痛み、指を失った体の痛み。
全てが拓也の黒い感情を増幅していく。

「拓也?」

「まぁ、はたから見れば、危険地帯に居て死んだのだから、駄々を捏ねているのは俺たちだと思う奴もいるだろう。
だが、そんな言葉にハイそうですかと言えるほど、憎しみを飲み込むのは簡単じゃない。
どんな言葉を浴びせられようと、仲間が死んで、怒りが芽生えた。
それが全てだ」

俯き加減から、淡々と言葉を紡ぐ拓也。
冷静に語る彼の言葉が徐々に徐々にと感情に囚われていく。
だが、それでも拓也はアコニーの様に憎しみのままに飛び出していこうというそぶりはない。
理性がそのまま負の感情に飲まれ、系統立てて復讐を考えているのだ。


「確かに奴らは強い。
でもそれ以上の力が有れば、奴らとておいそれとカノエを殺せはしなかっただろう。
……力をつけよう。
どんな手を使っても、強くなって力をつけて……
例え、国やどんな種族が相手でも迂闊に手が出せない位に」

「社長……」

アコニーがドス黒い炎を瞳に込め、拓也の言葉にうなずいた。

「その過程で、仕事の中で危険に晒されることもあるだろう。
でも、力さえあれば舐められない。
一方的な殺惨に会う事も無い。
それが、最終的な皆の安全になるなら、俺は心を修羅にする」




この日。

拓也はある意味で生まれ変わった。

それは、後年、彼の事を記した書物の中で記されている。
左手の指の半数と仲間を失ったこの騒動。
それまで温厚とされた人物が変わっていくターニングポイントはココだと。
後に続く戦乱の時代、社員という仲間の為、どこまでも非情に徹した人物の物語はここから始まったのだった。



[29737] 決意
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/02/09 13:42
拓也達を載せたヘリは、そのまま速度を落とすことなく飛行した。
途中に船での給油を経て、何事も無くバトゥーミへと到着したのは数時間後の事であった。
前回来たのは数日前。
だが、拓也には最初に訪れた時のような感動も何もない。
有るのは只、仲間を失った事による喪失感だけだ。
そして、それは母親を失ったタマリ達も同じであった。
バトゥーミに生きて戻ってきても感動はあまりない。
それどころか、タマリ達は盗賊団の再編という大仕事があるそうだ。
色々な事があったが、拓也とタマリ達はココでお別れとなった。

「旦那達とは色々あったが、別に謝ったりはしないよ。
まぁ、でも世話になった面もあったから一応礼は言っておく。
あたいらは、ここからは別れて行動するけど、旦那らも無事に帰れるよう祈ってるよ」

「そうか。
思えば、一連の出来事はお前らが原因で色々言いたい事も有るけども
エルフと一緒に戦った仲間だから何も言わないでおく。
……最後にニノに借りも出来たしな。
俺たちは一度北海道へ戻るけど、またお前たちと出会ったメリダ村を拠点にコッチにも時々来る予定だ。
何か困ったことが有ったら言って来いよ。
お前らの母親が命を張った借りは返すからさ」

「まぁ そん時はヨロシク頼むよ」

「じゃーね!兄ちゃん!!」

そう言って、手を振るタマリ達は背を向けて歩き出した。
例の彼らの叔父の店にでも戻るのであろう。
命懸けの逃避行をした仲間の別れとしては素っ気ない物であったが、かれらは自分たちの道を歩み始めたようだ。
彼等を見送ると、拓也達も自分達の道を歩む事にした。

彼等と別れた拓也達は、ツィリコ設置した臨時領事館に戻ると、事のあらましを彼に報告する。
帰還を労うツィリコ大佐。
彼は色々と拓也達の冒険譚を聞きたがったが、当の拓也達はそんな気分にはなれなかった。
事務的に今回の顛末を報告すると、仲間を失った事を聞いたツィリコは拓也達の心中を察してくれたのか、それ以上深く聞いてくることは無かった。
ただ、「大変だったな」という一言とステパーシンが呼んでいるから向かう様にとだけ拓也に告げた。
彼が言うには、ステパーシンは現在、何思っているのかこの東方大陸に来ているそうだ。
それも、大陸の最西端。
連邦軍の橋頭堡がある基地へ出頭せよとの事だそうだ。
拓也は軍人でなくとも軍属のような仕事をしている以上、これを無視するわけにはいかない。
拓也達は、ヘリをツィリコ大佐に返却すると、遅れて合流した船に乗り、西へと進路を取ることにした。
船で約24時間。
大して移動に時間はかからない。
だが、拓也が呼ばれて出頭した場所は、まるで何か月ぶりかに帰ってきたような変わりようであった。

「これは?」

船着き場に上陸早々、気持ちの荒んだ拓也でさえ驚きを口にする。
前回、この岬を通った時にはココには何もない土地の筈であった。
だが、それがどうだろう。
コンクリート製の船着き場から、大きな防壁まで築いた基地になっている。
そして、その基地は今現在も拡張工事中であった。
まるで気分は浦島太郎だ。
いつの間にこんなモノを作ったのか。
素直に驚く拓也達であったが、そんな拓也達の様子が目立ったのか
軍の士官が、船着き場に降り立った拓也達を見つけて近寄ってきた。

「石津さんですね。
大臣がお待ちです」

士官は笑顔を浮かべながら拓也をエスコートする。
呼ばれたのは拓也一人。
拓也は皆に船に残るよう言うと、士官に続いて歩き出した。

「それにしても、ちょっと前までココには何も無かった筈じゃ……」

道すがら、拓也はエスコートする士官に尋ねる。

「えぇ。
2週間前、ここは何もない所でしたよ」

「……たった数週で、こんなモノを作ったんですか?」

拓也は驚きを隠せない。
そんな急造の建造物と言えば、中国の欠陥建築の様に手抜の産物かと疑いたくなる。

「これが、新しい魔術工法コンクリートとかいう建材の力だそうですよ。
北海道に帰化した捕虜の魔術と科学の融合だそうです。
なんでも、コンクリートの養生に水魔法を使って、一気に工期を短縮させるのだとか。
まぁ、といっても、船着き場と防壁以外はまだまだ手つかずですけどね」

「……魔術で養生ですか。
使い方次第で魔術は凄い可能性があるんですね。
しかし、船着き場は分かりますが、なんでそんなに急いで防壁なんて作ったんです?
イスラエルのガザの壁並みの奴となると、かなりのリソースが喰いそうですけど……」

「……当初、ここも安全とは言い切れなかったんです。
まぁ、大臣の部屋に行く前に寄り道しましょうか。
壁の向うを見ればよく分かりますよ」

そう言って、士官はルートを変更すると、壁の向こう側が見える丘へと登った。
基地は、まるで硫黄島のすり鉢山の様な、岬と山の一体になった地形に存在する。
なので、少し登れば壁の向こうが見えるのだ。
ある程度坂を登れば、眼下に広がるのは青い海と緑の絨毯。
だが、基地から少々離れた所に蟻の集まりの様な塊が、草原の中にポツポツと見えた。

「あれは敵の死体です。
戦闘があったんですよ」

「戦闘?
相手はサルカヴェロですか?」

「ええ。
ですが、相手は我々じゃありません。
あれはエルヴィスの奴等とサルカヴェロの奴等の戦闘跡ですよ」

「エルヴィス公国と?」

拓也は困惑した。
なぜ、エルヴィスがこんな所でサルカヴェロと争っているのか。

「なんでも、バトゥーミの停止命令を無視したサルカヴェロの属州兵だったらしいです。
我々が外交ルートの確立に臨もうとしてる中、不穏な動きをする彼らにエルヴィスのクラウス殿下が仕掛けたとか」

「へぇ……
それにしても凄い死体の数ですね」

距離が離れているにもかかわらず、黒山となっているのが分かるのだから結構な人数が死んでいるのであろう。
だが、戦闘があったにしては何かがおかしい。
死体が余りに同じ位置に固まりすぎていた。
普通に戦闘があったのならば、もっと散り散りになってもい筈だ。
拓也の頭にそんな疑問がよぎる。

「凄い死者でしょう?
エルヴィスの奴等、先制奇襲でガスを使いましたからね」

「ガス?」

「この世界に陸戦条約もへったくれも無いですからね。
いきなりガスで先制ですよ。
北海道から化学兵器なんて支給できるわけないですし、彼等、北海道で得た知識と輸出規制に引っ掛からない民需品を使ったそうです。
それも、ガスが発生する溶液を水魔術で一気に攪拌したって言うから、彼らの順応性は凄いですね。
そんなこんなで敵方が混乱に陥った所で、少数部隊による敵将校の首狩です。
でもまぁ、そこまでやられた敵のサルカヴェロもなかなか強兵でしたよ。
指揮官を失いガスを食らった状況でも此方に襲い掛かってきましたから。
まぁ それも此方に近寄った傍から重火器で粉砕されて、撤退して行きましたが……」

士官は戦闘の様子を、まるで面白い小話でもするかのように拓也に語る。
だが、それを聞いた当の拓也は、別の事を考えていた。

「ガスか……
まぁ 元の世界の陸戦協定なんてこっちじゃ何の意味もないのも当然だよね」

考えてみれば、北海道側の常識など、こちらの世界では非常識なのだ。
それについては士官も同意する。

「そうですね。
ルールを作るか、向こうのルールを受け入れるか二つに一つです。
まぁ 前者は力のある物だけの特権ですから中々に難しい。
そして、後者は向こうのルールに従う以上、ルール違反は一方的に処罰されても文句は言えませんがね。
……と言っても、今回は風向きによってはこちらも危険だったため、エルヴィスには厳重注意が行ったようですよ」

「力ある物のルールか……
エルフをも強制させる力があれば、カノエも殺されずに済んだのかな……」

戦闘力で無双なエルフを縛るのもが何もないから、奴らは好き勝手に自分の敵を殺し回れる。
だが、もしエルフを押さえつけれるような存在が、エルフの好き勝手な行動を制限したら?
拓也はギュッと拳を握り、自問するかの如く小声で呟く。

「え?何か言いました」

「いや、何でもない」

拓也は聞き取れなかった士官に独り言だと説明する。
他人に話すような事ではない。
コレは当事者の胸の内にしまっておくものだ。
拓也はそれっきり黙りこくると、士官の後に続くのだった。

それから程なく、拓也はステパーシンの滞在している仮設の建物へと案内された。
外装も内装も最低限、これから建設する基地が出来るまでの繋ぎと言う感じが漂う一室に彼はいた。

「よくきてくれた。
まぁ 椅子にかけたまえ」

部屋に入るなり、ステパーシンはデスクの書類から顔を上げ、拓也を迎えた。

「はい。
この度は、救援のご助力ありがとうございました」

「何、その程度の事は別にいい。
丁度近場に手駒が居たのでな」

その程度、特に恩に着る必要はないとステパーシンは言う。
彼にとってみれば、拓也は政治資金の(その割合はさほど高くないにしても)資金源の一人にして、大事な息子の世話を頼んでいる人物だ。
そんな人物の危機となれば、多少の腕力はふるって当然と彼は思っていた。
だが、今回、拓也を呼んだステパーシンの興味は別の所にあった。

「それより、君の目でみたサルカヴェロの首都はどうだった?
何せ君は、彼の国の首都を訪れた初の北海道民だ。
率直な意見を聞きたい」

拓也はステパーシンの問いに言葉が詰まった。
首都ティフリスで見たのは、囚人輸送用の馬車から見た景色と牢獄だけ。
そんなものは、話したところで何にもならない事は判っている。
だが、あの地下世界は別だ。
あれは北海道、果てまた世界の未来に関わってくるものだ。
そんな重大な物を軽々と話してもいいのか……
しかし、あんなシロモノを秘匿して扱うには自分には荷が重い。
拓也は数秒の沈黙の末、ステパーシンに打ち明ける事を決断した。

「私は見ました。
この世界は転移元の我々の世界と繋がりがあるようです」

「繋がり?」

「それについては、こちらをご覧ください」

そう言って拓也が胸ポケットから取り出したのは汗と折り目でヨレヨレとなった一枚の地図であった。

「これは?」

「サルカヴェロの首都ティフリスの地下に、かつて転移によって滅びたトビリシが有ります。
それも我々が転移した時よりも未来。
2050年以降から転移したと思われます。
この地図は、そこで拾ってきました」

「それは本当かね?」

「間違いありません。
他にも元の世界の遺物が沢山ありました」

グルジア語で書かれた世界地図。
北海道の転移した2025年とは色々と国境線が変わっている所もあるが、一番の相違点は地形にあった。
日本海とオホーツク海、太平洋に接していた島…… 北海道が無いのである。
ティフリス地下のトビリシと、北海道が時系列的に関連のある証拠であった。

「未来の遺物か……それは、我々にとっては宝の山になりそうだが……
しかし、場所が他国の首都とはな。
発掘したいのは山々だが、問題が多すぎるな」

他国の地下を発掘し持ち帰るとなれば、色々と外交的な問題が出るのは間違いない。
そもそも、自国の利益になるかもしれない事を詳しく知らない相手に許すだろうか。
まず、正攻法で頼むのは無理だろう。

「確かに正式な外交ルートで発掘の許可を貰うのは骨でしょうね……
ならば、発掘と物資の持ち出しは我々に任せて頂けませんでしょうか」

「君たちに?」

「万一、サルカヴェロ側に盗掘が露呈した場合、北海道の軍属では問題ありますよね。
そこで、我々が現地の盗賊等に擬態して物資の運び出しを行います。
幸いにして、未だサルカヴェロ側に知られていない出入り口の一つを我々は知っています。
いかがですか?」

正式な許可が出そうになければ盗掘すればよい。
仮に露見しても、それは盗掘団の仕業であり、北海道側としては知らぬ存ぜぬで通せばよいのだ。
生存圏確立のため、時に強引な手段を躊躇う余裕も無くなっている北海道としては、倫理上の問題で揉めたとしても最終的には認めざるを得ないだろう。

「うむ……
そうか。しかし、その場合、今回の様に拘束された場合、軍としての協力は一切できないぞ?」

「それも覚悟の上です。
ですが、われわれの行動については今まで以上に自由裁量権を頂きたい」

そう言って、拓也は堂々と自らの望むところを要求する。
だが、その拓也の態度にステパーシンは苦笑した。

「君、自分が何を言っているか分かっているかね?」

なんだかんだ言っても、所詮は子飼いの御用商人。
それが政府重鎮のステパーシンに対して、堂々と利権の拡大を要求しているのだ。

「ですが、地下構造を知っているのは自分達だけ……
エドワルドやイワンは遺跡に立ち入っておりません。
全てを手に入れるか、全ての機会を逃すかの選択ですよ。
まぁ、これをご覧になれば閣下のお気持ちも固まるはずです」

そう言って、拓也は琥珀色の塊をゴロンとステパーシンの机に置く。

「これは…… 何かね?」

「サルカヴェロの地下で手に入れた魔導具の一種です。
未確定の情報ですが、一定の電圧と振動数を与えると核並みの莫大なエネルギーを精製するとか」

未確定と断った上で、拓也は少々誇張してステパーシンに説明する。
まぁ 遺跡の半分を吹き飛ばす可能性を秘めていたとなれば、小規模な戦術核に匹敵するかもしれない。
そして、ステパーシンも拓也の核という言葉に明らかに反応した。

「……ふむ。
それが事実なら非常に有益だな。
こちらで預かって検証させてもらうが良いかね?」

「もとよりそのつもりです」

拓也は直立不動のままステパーシンを見つめる。
彼は確信していた。
この提案、多少生意気な物言いかもしれないが、ステパーシンは首を横には振らない。
北海道内での権力争いにコレを利用するだろう。

「……しばらく見ないうちに雰囲気が変わったようだな」

「そうでしょうか」

「何か柔らかさが薄らいだ気がするな」

「……少々、この世界の理不尽さにあてられただけです。
もっとも、元の世界も数々の理不尽が満ちていたのかもしれませんが、ちょっと目が覚めただけですよ」

そう言って、自嘲するような笑みを浮かべる拓也。
そんな彼の瞳の奥には、黒い炎が宿り、まだ見ぬ想像の未来が映っているのであった。



この日以降、拓也の会社の業務に新たな業務が追加された。
だが、それは厳重な社外秘となったため、会社の社員ですら内容を正確に知る物は少なかった。
後の歴史には、大正期の大谷探検隊の様な学術的調査隊と記録されているが、その調査地域について詳しい資料は残っていない。
しかして、この調査隊の発見した魔導具などの遺物は、北海道の魔導研究にとって欠かす事の出来ないものになったと記されている。
後に発展する北海道魔導科学の夜明けが始まったのであった。



[29737] 新しい風
Name: 石達◆48473f24 ID:b3dac211
Date: 2014/04/13 10:41
転移より6年目
礼文島




サルカヴェロと北海道の邂逅から5回目の冬が訪れた。
世界は移っても、礼文は昔と変わらぬ銀世界に包まれている。
快晴の空は容赦なく大地の熱を奪い、風によって巻き上げられた雪は
太陽光を反射して宝石のように輝いていた。
そんな太古から変わらぬ世界の中にあって、がらりと変わった物がある。
礼文での騒乱の後、灰燼と帰した礼文島北部。
5年の月日が過ぎた今。
そこはもう過疎の集落の面影はなかった。
立ち並ぶビルや港湾設備。
計画的な都市設計の結晶がその地に出現していたのだった。
そこには以前の何十倍という人々が行き交い、活況を呈している。
だが、そんな発展した礼文北部であったが、行き交う住人の人種構成は明らかに変わっていた。
ドワーフや獣人といった亜人。
それにこの世界の人族と思われる肌の色も人種も様々な人々。
大通りをパッと見た時、恐らく日本人は3割いれば良い方だ。
礼文は人種のるつぼと化していた。


そんな大変化を遂げていた礼文であったが、それにはいくつかの理由があった。
一つは、礼文が移民の教化センターとして使われているのが理由に上がる。
転移以後、殖産興業の大号令の響く北海道では、慢性的な労働力不足が深刻となっていた。
統制経済よる物資と労働力の動員により、各地に産業の基盤となる国営工場や民営工場が各地に続々と造られた。
だがしかし、全てを稼働させるには労働力が足りない。
特に、危機管理の面から産業クラスターを最低2つ以上するという方策を敷いていたが、地方に行けばいくほど労働力の確保に難儀するようになった。
人が足りなければ、機械があっても稼働率は上がらない。
そんな北海道にとって、移民に頼ると言う結論に至るにはさして時間はかからなかった。
普通であれば、過去の欧州やその他の地域の移民事情を考察するに、文化の違う移民をそのまま受け入れるのでは旧来の住民との間に摩擦が生じるのは想像に易い為、大変な抗議が巻き起こるであろう。
だが、当時の北海道は数万の難民を受け入れた後、さして問題と言う問題は発生していなかったのだ。
これは、人権侵害と言えるレベルで難民の移動・就業を厳格に管理し、なおかつ導入先の研修で北海道の文化に馴染むように教化していた経験が成功の根底にある。
そして、その方策は大規模な移民受け入れにもそのまま生かされたのであった。
騒乱以後、燃え尽きた船泊地区は、政府が住民から土地を買い上げたのち、北海道本島から隔離した出島として開発。
今では大規模な就業支援と北海道の文化、近代文明の遵法精神を学ぶ教化センターの性質も持つに至っている。
洗脳に近いレベルで北海道への奉仕精神、順法精神、文化を学び、その中で素行の悪い物は北海道本島上陸不許可として大陸に送り返した。
その為、必然的に素行の良く、適応性の高い者だけが研修を完了し、北海道の主に地方部へと送り出されている。
現在、礼文島にいる非北海道民の大半はその研修生にあたるのだ。
次に、礼文が発展している2つ目の理由。
それは純然たる貿易の為の出島としての用途であった。
密入国の監視、検疫、商習慣の違う大陸商人によるトラブル回避の為、輸入される物資は一度礼文に入港してから道内の各港へと送られていた。
その為、大陸商人の商品の買い付けの際は、唯一開港されている礼文へとその足を運ぶことになる。
他にはない珍しい物品や機械を産する北海道。
そんなビジネスチャンスを目の前にして、目ざとい大陸商人は続々とこの地に訪れた。
色々と輸出制限があるものの、彼らにしてみれば北海道は商機の宝庫であったのだ。
だが当初、電力インフラも無く、生活基盤のまるで違う世界との交易は様々なトラブルが起きると思われていた。
しかし、それは実際に交流が始まると然程表面化はしない。
そういった地域との交流は前の世界でもあったのだ。
多少電化されていたとはいえ、ブラックアフリカとのビジネスは異世界交易と似たものがあり、そういう地域とのビジネス経験のある北海道出身の大手商社マンも少なくない数が北海道と共に転移していたのである。
そんな文明維持のために資源を欲する北海道の百戦錬磨の商社マンと、珍しい物品を欲するこちらの貪欲な商人達。
双方の交易が拡大に対する欲求は日増しに増大し、北海道の製品が各国に広がるにつれ、遠方の商人達を礼文に呼び寄せてた。
もっとも、港湾区画の良物件は出足の早かったエルヴィス公国の商人が粗方押さえており、後発組の商人は新たに建設される倉庫やオフィスビルの抽選待ちという状況であったが……
だが、そんな状況下にあっても、各国の商人の歩みは止まらない。
そんな彼等の目当ては大まかに以下のものが有る。
高い技術の機械製品や、国後の油田を元にした石油化学製品。
例をあげるならポリタンク等の輸出は非常に好調だ。
軽く、ガラスと違って割れず、水を漏らさない上に然程高価でもない。
現に一番早くから北海道と交流のあったエルヴィスでは、既にポリ製の水タンクは一家に一個と言えるほど標準装備になっていたし
水筒として普及していた皮袋等は一気に廃れ、ペットボトルがその地位に君臨している。
そして、これらの商品は、各戸に上水道が整備されていない此方の世界では飛ぶように売れた。
その為、十分な量の商材が確保できなかった商人などは、礼文でゴミとして捨てられたペットボトルを集めだし、ペットボトル専門の回収転売業者が現れたほどだった。
そして、彼らも買い付け一辺倒ではない。
北海道の必要とする資源の卸も彼らの仕事の一つであった。
目下の所、北海道が一番欲しいのはボーキサイトやレアメタルと言った金属資源であるが、鉄や銅、金などの普遍的な素材以外は、鉱脈を一から探さなければならないために未だに輸入の見込みはない。
だが、鉄鉱石に限れば、その量は年々増加していた。
何せ各国で製鉄するものより高品質であり、ドワーフの造る魔法によって質を上げた鋼より量が確保できる。
その為、北海道産の鋼は各国の工房の関心を集めとなり、その原材料として大量の鉄鉱石が北海道に集まっていた。

と、そんなこんなの事情により、礼文は国際的な港町へと生まれ変わり、日々拡大を続けている。
行き交う人々は新天地への期待や商売への好調さから表情は明るい。
町全体が夢や希望に満ち溢れているのだ。
そんな人々に混じって、一人の女性が礼文に新しくオープンしたレストランの前に立っていた。
ビジネススーツに身を包み、出るとこは出た体つきをしている女性。
サングラスをして顔が隠れているものの、一見して美人である事は理解できる。
そんな謎の美人の正体は、北海道連邦大統領である高木はるか。
彼女は、礼文を訪れていたついでに、お忍びで現地レストランに来ていたのであった。
彼女の前に立つ店は、大陸の料理をアレンジしたものを出すレストランで、物珍しさと美味しさからテレビ局が取材に来たほど。
高木もまた、たまたま見ていたTV番組「道産子ヴァイド」でその店の事を知り、仕事の合間にそこに来ていたのだ。
店の外観は、洒落たイタリアンのようなエルヴィスの家屋を模した物。
高木は店構えはまずまずと内心で評価すると、店のドアに手を掛けた。
ガランと鳴るベル付きのドアを開けると、店内もこれまたエキゾチックな感じで洒落ている。
カウンター席とテーブル席が少々の小さな店だったが、一人で来た(SPが一般人に紛れて既にウヨウヨしてはいるが)高木は迷わずカウンター席に腰をかけた。

「いらっしゃいませ」

高木が座ると程なく、ウエイトレスが水を持ってやってくる。
コトっと音を立ててグラスを置いた高木は、国際港の礼文だけあって日本人ではない。
褐色の肌に彫の深い目鼻、銀髪ロングの髪に、大きな胸に付いたネームプレートには、カタカナで『ふぁてぃま』と書かれている。
恐らくは遠くアーンドラという国から来た女だろう。
最近は、諸般の事情からアーンドラから流れ着くものが多いと言う。

「ご注文は?」

褐色のウェイトレスは慣れた動作で注文を聞いてくる。

「あ~…… この前テレビで見たんだけど、なんて言ったけ?
名前は忘れちゃったけど、オススメの名物料理あったわよね。
それ、貰えるかしら?」

「モパラオムライスですね!
少々お待ちください!!」

ウェイトレスは元気よく踵を返すと、店の奥にオーダーを伝える。
モパラ?
聞きなれない単語に高木は首をかしげた。
そもそも忙しい高木は、肝心のテレビを途中しか見ていない為、料理名は知らない。
ただ、レポーターが神妙な顔をしながら美味しいと語っていたので来てみたのだ。
それでも、高木は料理が出てきたら名前の由来でも聞いてみようかとワクワクしながら料理を待つ。




「おまちどうさまです」

しばらくして、ウェイトレスが持ってきたのは湯気の立つ実に美味しそうなオムライスであった。
半熟の卵の包みに凝ったデミグラスソース。
見た目、匂い共に食欲をそそられる一品であった。
そんな素晴らしい逸品を前に、高木は目を輝かせてスプーンを持ち、一口それを頬張った。

「ん~…美味しい!」

卵のふわふわ感と絶妙にマッチしたチキンライスが口の中一杯に広がり、高木の表情にも自然と笑みがこぼれる。

「凄く美味しいわね。このオムライス!
普通にフワフワの卵にソースも格別。
あ、でも具材が変わってるわね…… コブクロみたいな触感が……」

高木の言うとおり、味の方は格別であった。
オムライスとしては普通に美味しい。
そして、一風変わったコブクロの様な触感の肉?が口の中で踊り、それも味覚を楽しませる。
そんな高木の様子をみて、ウェイトレスは嬉しそうに褒められた料理の説明をする。

「口の中で転がる触感なのはモパラ虫の幼虫ですね。
私も最初に見た時はちょっとドン引きでしたけど、意外にすっごく美味しいですよね!
もう癖になっちゃいますよ!!」

「……虫?」

その言葉を聞いて、高木の手が止まる。

「そうですよ。
元々は東のバトゥーミの郷土料理だったんですけど、見た目のグロさを卵の皮で包むことで
忌諱感を無くしたとコックは言ってました」

ウエイトレスの言葉に、高木は静かに卵の皮をめくってみる。
よく見れば、先ほど食べたコリコリっとした感触の食材には、小さな足が無数に生えている。

「まぁ 最初は皆そんな反応ですよ。
でも、慣れたら美味しいですよね。
というか北海道の人ならその位で驚かないでください。
この前、お客さんに聞いたんですけど、コッチの世界に転移してくる前は、シナーノの国という所の方々は、蜂をそのまま食べていたんでしょう?
それに比べれば、こんなのグロい内に入りませんよ」

シナーノ?
高木は首をかしげた。
シナーノの国……シナノの国……信濃……長野。

「あぁ 長野県…… 蜂の子の事ね。
それはあんまり一般的では無いような気もするけど……
確かにそう思えば、昆虫食なんてどこの国にもあるわよね」

そう言って高木は再びスプーンを口に運ぶ。
見た目はどうあれ、美味しい事には変わりはない。
高木は再び食事に集中する。
材料は何であっても、触感はまぁいい。
ライスの味も上々。
ソースも美味しい。
ならば、何も恐れることはない。
ただ、味を堪能すればいいのだ。
そのようにして、高木は極力ライスの中の物体Xを見ないようにして食を進め、一人前のオムライスはあっという間に無くなってしまった。
お腹も膨れ、満足感に包まれた高木。
落ち着いた所で、彼女は一息つけながら食後の紅茶に口を付けた。

「はぁ…… お茶も美味しいわ」

鼻腔に広がる茶葉の香りと、独特の味わい。
高木は心底幸せそうな表情を浮かべた。
というのも、北海道で産しない茶葉。
代用品では無い味わいを楽しめた事が、高木の幸福感をさらに刺激しているのだ。
転移以降、一時的に流通がストップしたソレは、転移6年目にして以前ほどではないにしろ結構な量が市場に戻り始めている。
この世界で茶の栽培が行われている国が発見されて以降、輸入量は日増しに増加していたのだ。
それは、現在、北海道の輸入額で茶の輸入が大きな部位を占めているほど。
日本人が日常的に飲み、道内での作付が無く、かつ軽量で長期保管が可能。
そんな茶と言う商品は、大陸商人たちがにとって北海道に売りつけるのに魅力的な商品だった。
しかも、その扱いやすさから大手だけではなく中堅の商人まで参入しやすく、儲けも大きい。
それに目を付けた彼らは、産地から纏まった量を買い付け、北海道にもたらしたのだった。
伝聞によると、輸入の始まった初期の頃、茶の栽培を行っていた大陸最西端のアーンドラでは、茶の価格上昇とアーンドラ国商人の投機的な投資によって大規模な作付面積の拡大と茶葉バブルが起きたそうだ。
だが、その直後に起きたとある政治的な事情により、茶の生産は別の国が取り仕切る様になったが、作付面積はアーンドラ以外にも拡大し流通量は増加しているという。
しかも、北海道が火を付けた茶ブームは、北海道で加工された各種茶飲料の力を借りてエルヴィスやゴートルムにも拡大の兆候を見せており、世界的な茶需要の拡大の一途を辿る様相だそうな。
そして、経済は色々な要素が連動するもので、茶需要の高まりと共に流通量が増加している物も他にある。
その代表格が砂糖だ。
それまでは大陸で砂糖と言えば、サトウキビのような植物から抽出した黒砂糖であったが、飲茶の習慣が広がるとともに北海道産の砂糖がエルヴィス領を中心に輸出されている。
だがその量は、一時、砂糖商人の卸価格を暴落させる混乱を招いた。
突如砂糖市場に現れた高品位かつ大量の砂糖。
それは、大量に従来の黒砂糖の在庫を持っていた商人を恐慌させ、首を吊らせるには十分だったのだ。
幾つかの商店が潰れ、新興の砂糖卸業者の高笑いが大陸に響く。
だが、そんな狂乱もいつまでも続くわけではなかった。
北海道の砂糖生産量が多いとはいえ、ある程度の限度が見えてくると砂糖の値下げには自然に歯止めがかかる。
だがしかし、一度下がった価格は元の水準には戻らず、エルヴィス公国周辺では砂糖は既に然程高価なものでは無くなっている。
生産の拡大した茶葉と価格の下落した砂糖。
それらの要素が絡み合い、北海道の端を発した世界の茶ブームは盛り上がりを見せ始めていたのだった。



「はぁ、一時期飲んでた代用茶の味を思い出したら、本当に輸入出来て良かったわぁ」

高木は紅茶のカップから口を離すと、ほぅ……っと目を閉じながら一息つく。

「お気に召しました?
この茶葉は、故郷のアーンドラ産の良い奴なんです」

そう言って褐色のウエイトレスは高木のテーブルの側に立つ。
だが、高木は彼女がやはりアーンドラの人間と聞いて、どう声をかけたら良いか迷ってしまった。

「へぇ……
貴方、アーンドラから来たの?」

「はい。
国を離れる時は色々ありましたけど、今はココで働けて幸せですよ」

そう言って笑って振る舞うウエイトレスであったが、その本心は高木には分からなかった。
それもその筈。
アーンドラのお国事情は、ここ数年で劇的な変化を迎えていたのだ。


遡る事5年前。
拡大政策を進めるサルカヴェロの侵攻から、アーンドラの騒乱は始まった。

アーンドラ
そう呼ばれる国は、この世界の魔法を繰る人族国家の中でも最西端に位置している国だった。
人種は褐色の肌を持つ有色人種であり、白人系が多い人族国家の中でも一風変わった国家であった。
熱帯~亜熱帯性の気候。
転移前の世界で例えるならインド人っぽいと思うだろう。
それも其の筈で、北海道との国交樹立以後の学術調査により、この国の先祖は古代のインド人が転移してきたのではないかとの説も出されている。
だが、その割に髪の色が銀髪であったりと色々不明な点は多かったが、北海道の人々からは魔法世界におけるインド人というイメージで語られる人々だった。
主な産業は綿と茶。それに中小の船舶を用いた海運に従事している物が多い。
それらを輸出し通商することで、周辺国との関係は平穏そのものであり、平和な時代をアーンドラは謳歌していた。
……あの日、サルカヴェロが来るまでは
アーンドラ侵攻以前、サルカヴェロの外征は主に南進が主であった。
その南進も、北海道の接触と亜人居留地の大半を支配下に置いた為に収束したかに思われたが、サルカヴェロの進撃路は一つでは無かった。
海を越えた西進。
奇襲とテロによる箱舟の無効化から始まった侵攻は、瞬く間にアーンドラの半分を占領下に置いた。
箱舟が補給のために地表に降りていた際、テロと工作員の浸透により乗っ取られ、王族をテロで悉く失ったアーンドラにサルカヴェロを止める力は無かった。
ナポレオン軍並みの銃装備と圧倒的な数で電撃的な侵攻を見せていたサルカヴェロ。
アーンドラの国土は瞬く間に蹂躙されていく。
だが、そんなサルカヴェロの動きに対して、各国も座視していたわけではない。
波となって押し寄せる異教徒の軍隊に対し、イグニス教の教皇が聖戦を宣言し、各国に動員を働きかけたのだ。
だがしかし、旧態依然とした軍制を敷くイグニス教徒連合軍は、魔術と言うアドバンテージを持ってしてもサルカヴェロを押しとどめることは出来なかった。
サルカヴェロが箱舟を乗っ取った事で、重要な戦略兵器の損失を恐れる各国はそれを前面に出そうとはしなかった上、
戦場の主兵力である歩兵は、槍の穂先がサルカヴェロ兵に届く前に銃弾によって撃ち倒され、強力な戦力である魔術師は、魔術で敵を幾ら倒そうにも数の暴力に最終的に飲まれた。
ジリジリと後退する戦線。
敗走に次ぐ敗走を重ね、イグニス教連合軍に敗色の色が濃くなる。
全軍に悲壮感が漂い、この戦役は負けたかと誰もが思った。

だが、それもある時を境に潮流がガラリと変わった。
北海道連邦から軍事指導を受けたエルヴィス公国の部隊が、援軍として駆けつけたのだ。
当初、駆けつけた彼らの編成は連合軍の中では奇異の目で見られ、役に立つなどとは思われてはいなかった。
魔術兵とクロスボウを装備した弓兵。
それは何処の軍でもいるので問題ない。ちょっと弓兵の比率が大きいかと言うくらいだ。
だが、残りの兵は違う。
サルカヴェロの主力と同じ銃兵である。
それも北海道の輸出規制にかからない民間用の狩猟用ライフル銃を主兵装としている。
これには各国から派遣されてきた部隊は驚いた。
体裁を気にするイグニス教の正統派の神父等は、火薬は教皇庁が指定したご禁制のシロモノであったのに何故持っているのかとクラウスに問うた。
だが、勝てば何でもいいと言う教義を持つイグニス教純粋派のクラウスは、まずは勝つことが先決。議論はいらないと突っぱねた。
そして、そういった各方面からの突き上げに対し、クラウスは結果で示してみせたのだ。
数で勝る相手に土魔術でこしらえた塹壕戦を開始。
時折ガスも使うなど、サルカヴェロの進撃をピタリと止めて見せたのだ。
この成功により、クラウスの戦術は連合国中に広がった。
塹壕で銃弾を凌ぎ、銃の代わりに弓やクロスボウで応戦し、塹壕まで到達した敵兵は白兵戦にて切り殺した。
そして数に飲まれていた魔術師は、トーチカに守られた機関銃の如く、塹壕の中から敵の突撃を止める。
局所的に防衛戦が破られれば、ガスを使って戦況をひっくり返す。
防御優勢の状況が戦場に確立された瞬間だった。
だが、クラウスの戦術を学習したのはイグニス教連合軍だけではない。
何度かの突撃の末、大損害を被ったサルカヴェロもそれに倣ったのだ。
双方の何十万という兵力は、決戦を避け、塹壕の拡張とトンネル掘削に終始した。
まるで第一次世界大戦さながらの状況である。
そして、その状況は、WW1のフランス、ベルギーの如く、広大な国土を塹壕へと変え、火薬と魔術の火によって荒廃したアーンドラでは多くの難民が発生した。
難民は安全を求め散り散りとなって国外へ広がる。
そして今、高木の傍に立つウエイトレスもその一人なのだ。
戦乱で故国を追われ、礼文に辿り着いたのだろう。
彼女は、その苦労を色々の一言で済ませているが、その裏には多くの悲しみがある事は想像に易い。
だが、それでも彼女は気丈に振る舞っている。
そんな彼女が今は幸せだという言葉を聞いて、言いようのない感情が高木の心に広がる。

「今が幸せか……
まぁ この国の人間として、この国が気に入って貰えてうれしいわ」

「あは。
そりゃ、気に入れますよ。
確かに故郷は懐かしいですけど、ここはデンキとかあって凄く便利だし、安全だし、
それに向こうで延々と薄給で茶摘みしてるより、こっちでこんな綺麗な服着て給仕してるほうが稼げる上に楽しいです」

そう言って、褐色のウエイトレスはくるりと回って制服を見せびらかす。
それは、特に何の変哲もないカタログ品の制服なのだが、それでも彼女らから見れば憧れの対象なのだそうだ。
それも其の筈で、イグニス教が主導する農業革命の成果著しい大陸では、人口爆発によって労働者が余り給料は下落の一途を辿っていた。
それに対し最低賃金の決まっている北海道で仕事にありつくことは勝ち組になった事を意味している。
制服はその象徴でもあるのだ。

「それと、……実は私。
コッチに来るのを決めた理由は、食べ物のおいしさからなんですよ。
難民の皆と職を求めてエルヴィス公国の首都プリナスまでやって来たんですが、そこでたまたま見つけたんです。
忘れられないオレンジ色のお店!セヰコーマート プリナス1号店を!
本来はお金の余裕なんて殆どなかったんですけど、店から出てくる皆が美味しそうな食べ物を持って出て来るので
ついつい日雇いで稼いだお金を全部使っちゃったんですよ。
でも、今はそれを後悔してません。
むしろ自分で英断だったと思ってます。
あったかい"かつかれー"を食べたその時、私は此方に来ることを決意しましたから」

そう言って彼女は恥ずかしそうにペロっと舌を出す。
食べ物につられてこちらに来たと彼女は言うが、実の所、そういう人間は一定の割合でいた。
道外との交流が始まり、北海道の企業の内、攻めの姿勢でエルヴィス領に出店する企業の内、食品関係も多々あるのだ。
と言っても、勝手分らぬ異文化の地。
最初は各企業とも戸惑っていたが、エルヴィス出店の一番槍を行き場を失った中国人留学生が始めた中華料理店に持って行かれた時点で、各企業とも火が付いた。
どんな途上国にも必ずある中華料理店。
中国人のバイタリティには恐れ入るが、それを切っ掛けにして名だたる企業たちが遅れるまいと進出を始めたのだ。
主に食品・小売のセヰコーマート、六華亭製菓を始め、その評判は日増しに増している。
フレンチドック、札幌タイムズヌクエア、ノーヌマン、ほっちャれ等、道産食品が大陸民の胃袋を捉えたのだ。
そして一度、胃袋を掴まれた者達は、更に胃袋によって縛られる。
賃金は餓えるほど低く無く、今まで見た事も無いような食品の数々が、特に苦にすることも無い金額(こちらで職を手にした者基準で)で買える北海道。
それは彼らにしてみたら理想郷であり、彼等の望郷の念は此方で一旗揚げると言う向上心に塗り替えられた。
そして、彼女もそんな一人だった。

「コンビニ弁当が節目とは、人生って色々あるものね。
まぁ、そんなに此方での生活が幸せなら、この礼文を整備した甲斐が「ねーちゃん!酒~!」……」

人生いろいろ。
コンビニ弁当がトンデモナイご馳走に映る人もいるのだ。
きっかけは何にせよ、今の礼文島の生活が幸せなら喜ばしい限り。
高木は、彼女の言葉を聞いて礼文を整備し甲斐があると言いたかったが、それは急に騒ぎ出した他の席に座る客の叫び声で遮られてしまった。

「……」

言葉を遮られた高木は、無言で声のした方を向くと
そこには、暗い色のローブを着た老人が、へべれけになって食事をとっていた。
……とはいえ、酒7:食事3くらいの比率で空いた食器が散乱してたが。

「またあのお爺さんね。
全く、酔っ払いはさっさと帰ってくれないかしら」

またか、とウエイトレスは溜息を吐くと
普通に酔っ払いの客に聞こえる声量で呟いた。

「そう邪見にするんじゃねぇよ。
こう見えても、俺はエルヴィスの魔術工房にその人ありと言われた偉大な「食い詰め魔術師さんでしょ」……」

「…………」

老人は、彼女に言葉を塞がれ、そしてそれが真実であるだけに反論できずにキッと睨む。
だが、それも次の瞬間にはワインボトルを抱えてテーブルに突っ伏した。

「畜生。
ワシだって好きで食い詰めたんじゃねぇんだぞ。
ホッカイドウさえ転移してこなけりゃ、ワシは仕事を取られずに済んだんだ」

手酌でワインを注ぎ、ちびちびと飲みながら老人は愚痴を溢す。
その態度からは、不満が溢れているのがよくわかる。

「転移どうこうについては仕方ないでしょ。
それに、そんなにホッカイドウが憎けりゃ帰ればいいじゃない」

嫌なら帰れ
至極真っ当な言葉だった。
北海道で生活基盤を築くため向上心溢れるウエイトレスにとって、目の前でウジウジしている老人は不愉快極まりないのであろう。
だが、そんなウエイトレスのキツイ言葉に、老人は諦めの混じった情けないような声色で話し出した。

「そうはいってもよ。
懇意にしていた工房ギルドから注文が途絶えたので人里に下りてみたら、状況が全く変わってるんじゃよ。
仕事を取ろうと色々なギルドに出向いて、ワシの輝かしい魔法学校での卒業席次と製作品をみせても
『爺さん。時代は変わって魔法学校の席次なんてものづくりには関係ないんだ。
経歴を誇るより、魔導溶接とか魔導熱処理とかの技能認定証を持ってこい。
今は自称匠のジジイより、腕がキッチリ認められた若造の方が需要があるんだよ』
なんて言われる始末……
激怒したワシは、そんな資格なんて直ぐに取ってやるわ!とココまで来たんじゃが……
年は取りなくないの……物覚えが悪くて学科試験で3回落ちたわい」

時代の流れに取り残され、さらに老いから来る衰えにより、時代の流れに食らいつくことも出来ない老人の悲哀であった。

「それは何というか……」

ウエイトレスも流石にそれを聞いて同情する。
ただ管を巻いてるだけじゃなく、頑張った結果が駄目だったのだ。

「これで魔導具の一つでも拵えれれば話は違ったんじゃがな……
今までは難しい加工は魔術師、その他は職人と住み分けが出来とったが、新しい技術で難しい加工そのものが少なく無くなってくると
新たな技の取得も出来ないワシ等の様な老いた魔術師は、世の中に要らなくなっていくのかもしれないのぉ……」

遠い目で語る老いた魔術師。
そもそも魔法学校で研究を続ける程に飛び抜けて頭が良いわけでも無く、国のお抱えに慣れるほどのコネも無い大多数の魔術師にとって
工房から道具製作の依頼は重要な日々の糧であった。
状況が変わる以前は、特に魔術の炎で金属部品の溶接等が出来る魔術師は、工房の職人からは尊敬を持って扱われていた。
魔術師としての尊厳を収入を得、魔術師達にとって実に平和で幸せな時代であった。
だがそれも、大公として独立したクラウスが北海道からの技術移転を積極的に進めた事で一転した。
クラウスから指示を受けた各工房から、若い職人たちを大勢北海道に送られたのだ。
若さゆえ、北海道でスポンジが水を吸うかのごとく勉強する彼等。
そんな彼等は教育訓練の後に北海道産の工作道具と一緒に戻って来た。
大公家からの融資により、溶接機や規格化された工具類を携えて帰ってきた彼らの働きは素晴らしかった。
溶接機はこれまでの火の魔術師を不要にし、新しい工具は工房の品質を向上させた。
なにより、彼らが持ち込んだJISという共通規格の概念は、経験と勘で物を作ろうとする者達の活躍の場を狭めるのであった。
そんなクラウス主導のエルヴィス領発展の陰の部分。
老人はそれを体現した存在であった。

「そ、そんな自分を卑下しないでくださいよ。
例えば、今回とは違った方向性の分野で頑張れば……」

「いや、慰めはええ。
どの道、今回の不合格で今日中にはこの島から退去しなければならないんじゃ。
向うで何かしらの食い扶持を探すわい。
といっても、この年で魔術兵は辛いのう……
どうしたものかのぉ……困ったのぅ……」

そう言って、老人はよっこらせと席を立つと、まだ幾ばくか中身の残ったワインボトルを抱え、よろよろとした足取りで店をでる。
その背中は、冷たい風で靡くローブの如く、吹けば飛びそうな程に軽く見える。
後には、勘定としてテーブルに置かれた硬貨と、老人が残していった何とも言えない寂しい空気だけが残り、店内に流れるBGMもどこか寂しく聞こえてしまう。

「……ここに来る人たちも、全員が幸せでは無いのね。
仕事が見つからず、涙をのんで帰る人もいる……か」

しんみりとした気持ちになり、高木は呟く。
なんだか、美味しい物を食べていた時の温かい気持ちが冷めてしまった様にも感じられた。
冷めてしまった空気。
高木もそろそろ帰ろうかと思って腕時計を見ると、それと同タイミングで黒服の男が店内へと入ってきた。

「大統領。
そろそろお時間です。
野党の幹事長と会談に向かいましょう」

腕時計で時間を確認している高木に男が呟く。
彼は、高木の秘書官の一人であった。

「そうね。
そろそろ行きましょうか。
お会計お願い」

そう言って財布を取り出す高木に、ウエイトレスは驚いた表情で彼女を見つめる。

「大統領……だったんですか」

「えぇ。
北海道連邦でそんな仕事をさせてもらってるわ。
今日は美味しいオムライスをありがとう。
また来させて頂くわ」

そう言って、彼女は店をでた。
暖かい店内とは打って変わって感じる冷気。
まるで、暖かな時間はこれで終わりと言うかの如く、外は冷たい風が吹いていた。



[29737] 交流拡大、浸透と変化1
Name: 石達◆48473f24 ID:b3dac211
Date: 2014/04/13 10:41
昼食を終え、高木は用意された車の後部座席に収まると、冬の礼文の街並みの中に車を進めさせた。
窓の外では地面に積もった粉雪を吹きさぶ風が攫ってゆく。
暖かな車内とは真逆の世界は、見ているだけでも寒そうだ。

「大統領、昼食はいかがでした?」

助手席で高木を迎えた秘書官の問いに、高木は昼食のオムライスの味わいを思い出す。

「中々いいお店だったわ。
宣伝通りオススメは絶品だったし、それと市井の空気にも触れられたしね。
今度はあなたも一緒にどうかしら」

「そうですね。
次はご相伴に預からせてもらいます」

「じゃぁ
次は一緒に行きましょうね。
ところで、午後の予定はどうなってるかしら?
全てスケジュール通り?」

美味しい食事は体と共に心まで暖かくなる。
いつになく上機嫌な高木は、秘書官に微笑みながら午後の予定を確認する。

「はい。午後の予定ですが、これから野党幹事長との非公式会談が組まれておりまして
それが終わった夕方には、エルヴィスの公館にてクラウス殿下主催の晩餐会です。
出席者は、我々の他、未だ到着していないキィーフ帝国を除く、各国の使者の方々が列席の予定です。
停戦後の世界で北海道を上手く味方にしようという駆け引きですね。
直接参戦しては居ないものの、薫陶を受けたエルヴィス軍の働きを見れば、我々の技術力は脅威と写ったでしょうから」

「そうね。
まぁ どっちに付くと明言する事は無いけども、気があるかのような素振りは大事ね。
北海道を味方に引き込もうと、どこが一番大盤振る舞いするかしら?
サルカヴェロも含めた各国から貢がせて、毟れるだけ毟り取ってやるわ」

そう言って高木は、すすきののヤリ手キャバ嬢のようにニヤリと笑う。
今の北海道の戦略的価値は非常に高い、各国共に北海道の技術を手に入れようと勧誘競争に躍起なのだ。
もし仮に、これが力のないただの技術立国であったのであれば、各国はより簡単な圧力で北海道の技術を狙って来たであろう。
だが、(国土的に)小国であるにも関わらず、ゴートルムの箱船を撃退したという実績により、力に訴えて従わせようとする心理を押さえさせていた。
その為、必然的に経済的、外交的な譲歩で勧誘を行うことになるのだが
大国同士の意地の張り合いは中々にして規模が大きい。
サルカヴェロは5年前に平定した亜人居住地のうち、北海道側の拠点から100km位までの領土の割譲までちらつかせているし
イグニス教国家の盟主であるネウストリア教皇領サイドからは、高木がイグニス教に改宗すれば枢機卿の地位を用意するといっている
後者は、いまいち価値が分かりにくいが、イグニス教圏の国にしてみたら前例のない大盤振る舞いだそうなので、この世界での価値は高いそうだ。

「ハハ。大統領閣下は悪い笑顔を浮かべてらっしゃる。
こんな事は私が心配することでは無いかもしれませんが、あまり怨みは買わぬよう頑張って下さいね」

「それは勿論よ」

そんな秘書官の心配に高木は軽く笑う。
やり過ぎないよう最大限の譲歩を狙うは当然。

「上手いこと話を進めれば、国内向けにもこういった外交で上手いことやってますよってアピールになるし
失敗なんて出来る筈もないわ」

そう言って、高木は窓の外の景色を見ながら目を細める。
国内の安定の為、世論の支持を固めるには様々な手法でポイントを稼がねばならない。
それも国民に分かりやすく、目に見える感じでの成功を掴むことが求められていた。
なぜならば、現在の高木の政権は必ずしも盤石とは言い難く、むしろ危機的な状況にあったからだ。


転移から6年……

その道のりは決して平坦な物ではなかった。
高木は全精力を傾け国家運営に勤しみ、なんとか文明崩壊を避けつつ北海道を維持していた。
だが、その為に斬り捨てざるを得なかった部分も多々ある。
転移による需給バランスの崩れにより、大幅に縮小になければならない観光業を始めとするサービス業の労働者を、経済統制の名のもとに半ば強制的に他業種に転換した一方で、この世界の難民に職業訓練を施し、職と生活基盤を与えたりした。
自分の職を望まぬものに変えられ、かつ外部の人間には、それぞれに合った職(といっても鉱山や工場労働者がメインだが)を与えたのだ。
これが不満に繋がらぬ筈が無い。
そして、そんな民衆の不満を代弁するかのように、左派報道の綺羅星である北海道を代表する新聞社は連日それを報道する。
連日の政権ネガティブキャンペーン。
その効果は覿面だった。
転移後初めて行われた議会選挙では、都市部を中心に与党議員が落選。
高木の所属する与党「祖国・統一北海道」は第一党から転落し、大統領の所属する党と議会第一党が異なるねじれ状態になっていたのだ。
その為、今の北海道は、行政は高木が握っていても、立法府は野党が握るという機能不全状態に陥っていた。
国家運営をスムーズに行うには大統領選か議会選挙で白黒つけるしかないが、時機を見誤れば高木は政権を失う。
従って、今は野党の要求を多少飲んででも耐え忍ぶ時だ。
これから訪れる野党幹事長の所に態々こちらから出向くのも、スムーズな国家運営の為に野党の有力者と意見のすり合わせに行く為であった。
無理難題ばかり押し付ける野党。
それと話し合いをするのは憂鬱ではあるが、多少は飲まねば立法が滞る。

高木はこれからの苦労を思い溜息を吐きながら窓の外を眺めていると、いつのまにやら車はホテルの前まで辿り着いてたようだ。
もう着いてしまったかと高木は思ったが、丁度その時、ホテルから一台の高級車が出て行くのが目に入った。
普段なら、その程度は気にしないのであるが、後部座席に座る白い服装の人間が印象的だったので気が付いたのだ。

「あれは……
ネウストリア教皇領からの人間だわ」

ホテルから出て行ったのは、顔は見えなかったものの、聖職者特有の独特の格好からして教皇領の人間であることは間違いなかった。
もっとも、今の礼文で各国の人間が来ている事は珍しくはない。
なぜならば、アーンドラで続く戦争の停戦交渉の為、各国の使節が続々と礼文に集まっていたのだ。
それは、中立国として停戦を仲介することで、知名度及び外交的名声獲得による国際地位の向上を目的に高木が招聘したのだ。
最初はどこの馬の骨ともわからない小国の申し出に、各国共に無視されたが、長引く戦争により各国の意識は変化した。
どこもかしこも戦費の圧迫により財政が厳しいのだろう。
本当ならば聖戦を宣言した宗教戦争の様相を見せていたこの戦争も、教皇が停戦の神託を受けたと発表した所で遂に交渉のテーブルに着くことになったのだ。
まぁ 裏読みするなら神託を理由に停戦せねばならぬほど教皇領の財政もいよいよ危なくなったと言う所であろうか。
最初は騎士物語の如く、剣と魔法の伝統的な戦争を思い浮かべて参戦した各国であったが、結果的にそんな物語の様な戦争は、エルヴィス公国独立時の戦闘を最後に過去の物へとなっていた。
伝統的な軍隊はサルカヴェロの前に壊滅し、プライドも伝統もかなぐり捨て、北海道から支援を受けたエルヴィス公国軍の軍制を稚拙なりにも真似る事で、どうにか戦線を押しとどめているのが現在の各国軍の状況だ。
だが、物資と兵士を湯水のように消費し、徴税・徴兵システムがルネッサンス期並みの各国に、長期の戦乱は耐え難い負担となった。
資金の不足は各国に聖戦税を導入させ、新しい戦場に飛び交う銃弾は、貴族の子弟であろうと農奴の徴募兵だろうと分け隔てなく大地に還した。
財政危機、国内の反発、各国ともに限界なのだ。
そのため、一度は無視した北海道側の停戦仲介も、状況が変わった今では飛び付く様に乗って来たのだ。
そのような事もあり、各国の使節は中立国である北海道、礼文島に集まりだしている。
だが、尤も飛行機も無い世界である。
全ての交渉国が集まるのには、まだ何日もかかるだろう。
停戦交渉の開始はまだ先だ。
従って、先に到着した各国の使節が、暇をもて余して礼文島をブラブラ歩いていても何ら不思議はない。

だしかし、なぜ野党の所に教皇領の人間が来ているのか。
将来、万が一にも政権交代が起きてしまった時の布石だろうか。
そんな事を高木が考えていると、同行する秘書官が高木の考えを察したのか言葉を添えてくる。

「恐らくは幹事長の奥様関係では?」

「え?
幹事長の奥さん?」

困惑する高木に対し、秘書官は続けて説明した。
なんでも秘書が言うには、幹事長の嫁は元々スピチュアルが大好きらしく、イグニス教に傾倒しているという。
それも、北海道でイグニス教の教会設立の為、結構な額を寄付してしまうほどの入れ込みっぷりだと言う話だ。

なるほど。
高木は納得した。
交流が始まって数年、信教の自由が保障されている北海道にイグニス教の宣教師が来てから結構な月日が経つ。
大半の道民は影響を受けてはいないが、世の中には信心深い人間は少なくない。
転移によって、既存のカルトや新興宗教が本部や教祖と分断され衰退していく中、イグニス教はそうした人々の受け皿となった。
なにせ魔術という奇跡の様な術が実在する宗教なのである。
スピチュアルが大好きな人間にとって、これほど眩い物はなかった。
それに加え、転移に起因する社会不安の中、宗教に救いを求めるものも徐々に増加し、今やイグニス教は道内で数万人の信者を持つようになっていた。
なので、これから会う野党幹事長に教皇領の人間との面会の理由を問うても、他に理由があったとしても明言は避け、一宗教家として面会したとしか答えは返ってこないかもしれないと高木は思った。

「でもちょっと、彼なにか臭うわね
一国の野党有力者に宗教の浸透……
彼の背後関係を洗ってちょうだい」

議会の有力者に宗教の浸透……
金ヅルとして献金を受け取るだけならまだしも、信仰に傾倒しているとなれば余り面白い話ではない。
高木は秘書官にそう指示すると、ホテルのボーイに開けてもらったドアから車を降りる。
色々と調べたいこともあるが、今やるべきことは他にある。
高木は、ボーイに案内されるまま目的の部屋へと向かうのだった。


そうして通された一室。
窓際で椅子に腰かけるのは野党「社会自由党」幹事長 村田富三。
見た目は白髪で痩せた老人であったが、ギラリと高木を睨む眼光には全く衰えは感じない。
現政権のロシア系や大陸からの移民に対する融和政策を由とせず、あくまで旧来の日本を継承していこうと主張する社会自由党の重鎮である。
再編された北海道政界で、高木の所属する与党「祖国・統一北海道」とガチンコを繰り広げる人物の一人だ。

「おっと、やっと独裁者様のお出ましかな」

「……なかなか冗談が過ぎますわね。
大統領選なら情勢安定後にするとお約束してますでしょう?
今は転移後の混乱から周辺国が大戦争をしている非常時。
時折北海道周辺海域でも小規模な海戦が行われることもあるのに、政権の空白期間を作るわけにはいかないですわ」

そう言って高木は村田の横に座ると、出されたお茶に口を付ける。

「そういって非常事態宣言を何年間継続するつもりだね?
選挙で勝てる時期が来るまで続けるつもりかね?」

「さて?
その問題については、各国が停戦交渉のテーブルに着くようですし
それがまとまり周辺の安定がなされれば即選挙の用意は出来てますよ」

「ふん。
よく言うわ女狐め。
大方、停戦協議の成功という外交的功績を作って選挙戦を有利にしたいとでも思っているんだろう」

「それはどうでしょうね。
ウフフフ……」

開口一番、既に言葉の斬り合いは始まっていた。
軽口を言っているようであるが、村田の言葉は高木の痛い所を的確についている。
だが、それでも高木は涼しい顔のままでお茶を飲む。
その程度の罵倒は、メディアを賑わす言葉に比べれば優しいくらいだ。
今更気にする事でもなかった。

「まぁいい。
それで、この老骨に何の御用かな?
こちらとしては、こんな爺ではなく党首に直接面会してほしいのだがね」

そう言って村田は迷惑そうに高木に言う。

「でも、実質的な話を付けるなら軽い神輿より、担いでいる方々の方が話は通るでしょう?」

「それはどうだかね」

軽い神輿。
これは今の野党党首に対し、昔から言われていた言葉だ。
転移前から、今の党首は村田を始めとした野党の重鎮の手下だと世間では思われている。
それは転移後の政界再編でも変わらない。
党首と言う神輿に担がれているが、実際に操っているのは幹事長である村田だというのが皆の認識だ。
そう言う事情もあり、高木は野党と話をまとめる為に村田の所へと乗り込んだのだ。

「まぁ、トップが誰かと言う建前論はまた今度にしましょう。
今日、こちらに来させて頂いたのは、今の北海道の諸問題についてお話に来ました。
……道東過疎地への大々的な教化済み移民導入法案。やはり、難しいですか?」

村田の言葉を無視して本題を切り出す高木に、村田は少々眉をひそめるが
一拍の間を置いて、彼も静かに口を開いた。

「何度も言うようだが、党首と話をしてくれという俺の主張は変わらん。
だが、あくまで俺の私見だが、大統領閣下の要請については、いくら労働力が不足していてもコレは難しい。
何せ党是に真っ向から背くからな」

「党是ですか……
でも、聞いた話だと、幹事長は現地宗教に理解がおありとか。
それでも融和政策は駄目だとおっしゃるのですか?」

「信仰と移民は別だよ。
日本人は信仰が違えど根底に流れる文化が同源なら、日本独自の文化を維持できる。
だが、移民は別だ。
異なる文化を根っこに持つ他民族を大量に受け入れれば、将来的に日本文化というものは消えてなくなるだろう。
そこか"日本"を維持すると言う党是に背くのだ。
幾ら他で譲歩を見せてくれようと、党首がうんとは言わん」

そう言って、村田は腕を組むと椅子の背もたれにふんぞり返った。
その様子は、これ以上の問答は無用。
議論の余地はないと無言で言っているようである。

「……あと、お前さんには少々勘違いがあるようだ。
前までであれば、俺を訪ねてきたお前さんの考えは間違っちゃいない。
だが情勢は刻々と変化している。
党首が電脳化の手術を受けて以降、彼は変わったのだ。
担がれるだけの存在ではなくなり、一人で党を引っ張っていると言っても過言でもない位成長しているのだよ」

そう言って村田は肩の力を抜いてため息を吐く。

「それは…… 興味深いですね。
電脳化でそちらの党首はそこまで変わったと?」

「既に党内基盤は奴に掌握された。
神輿を担いでいたかつての有力者に、党を動かす力はもうないよ。
特にここ最近は、奴の考えの底が見えん。
まるで誰かがリアルタイムで助言でもしてるのでは無いかと思えるくらい様々な問題に対し的確な答えを出す。
まぁ政権交代後の元首にはうってつけだと思えるが、舞台裏で蠢いてきた老骨としては寂しくもあるな。
何せ繰糸の切れた操り人形が、自分で動いた方がうまく踊れるのだから」

村田はそう語ると自嘲的にふんと鼻息を鳴らして笑う。
神輿を担いでいたつもりが、いつの間にやら神輿は自分で歩き回り、担いでいた自分たちは必要なくなったのだ。
彼の表情には、そんな時代に取り残された者の寂しさが浮かんでいる。

「……」

「まぁ 大統領閣下も覚悟されることですな
次期政権では、我々 社会自由党が政権を担う事になる。
大統領閣下は野党としての心構えを勉強したらいいでしょうな」

「……やっぱり村田さんは、なかなか冗談がお上手ですね。
今の潮流から勘違いなされているようですけど、選挙の際は有権者は誰が指導者として相応しいか改めて確認することになるでしょう
…と、政治の話はそれくらいににましょうか
どうやら我々の欲しい合意は出来そうにありませんし」

「すまんね
これが数ヶ月前なら状況は違ったが、今の俺には党首を補佐して党を纏める以上の権勢はない。
これ以上は時間の無駄だよ。
そんな感じで了解したら、お帰り願えるかな?
これから家内と祈りの時間でね」

そう言って村田は立ち上がると、未だ椅子に座ったままの高木に退場を促す。
だが、高木はそんな村田の意外な言葉が気になり、彼に聞き返した。

「祈りですか?」

「君も知っているかもしれないが、家内がイグニス教に入信してね
私は元々信心深い方ではなかったが、誘われるままにやってみると信仰というのも中々いいものだよ」

「……そうですか。
この国は信仰の自由が保証されてますから特に喧しく言いませんが
政治に持ち込むことは無いようお願いしますね」

「それは勿論だとも
某宗派のように国立戒壇を作れ等とは言わんよ
あくまで私の信仰も個人の範囲だ。
判ったら安心してお引き取り願おう」

…………

……





村田の部屋を追い出された後、高木は次の予定へと向かう車の中にあった。

「……」

じっと黙ったまま思慮にふける高木。
今回の会談で特に有意義なものは何もなかったが、気になる点はいくつか出てきたのだ。

「ねぇ。
いま普及が始まった電脳化って、何か副作用とか問題出てる?」

後部座席からの何の前振りも無い突然の質問に、助手席に座る秘書官は一瞬戸惑る。

「えー…… 電脳化ですか?
いや、特に副作用の症例は出てないですよ。
むしろ北海道で作られた設備で施術しても安全性が確認されたので、最近はやっと普及率が増え始めたくらいですから」

そう言って高木に答えつつ、秘書官は手元の端末から電脳化についての情報を漁る。

「そう。
特に何も無いのね」

野党党首の変化に何か手がかりは無いモノかと高木は思ったが、期待した答えが出てこないとなると
高木は、また思慮顔で黙り込んだ。

「あ…… いや、副作用と言えなくも無いものならありますね」

「ほんと!?」

「といっても、別に有害なものじゃないですよ?
精神疾患の患者に電脳化を施すと、脳内物質の異常や脳機能の異常をマイクロマシンが自動調整して改善すると言った物です。
今は精神科の診断書があれば電脳化は保険適用なので、電脳化施術の精神疾患患者は随分多いですよ。
何せ、精神の失調で労働力を喪失した患者も、電脳化で回復させれば再び労働力になりますからね。
これも本来の電脳化の目的である情報の効率化とは違う効果なので、電脳化の副作用と言えないこともありません」

むしろ嬉しい副作用ですよ。
秘書官は高木の方に振り向きながらそう告げる。

「……じゃぁ 電脳化後に人が変わったように能力が向上するって事もあるかしら?」

「少なくとも、転移前は個人の人格によるところが大きいと言われてましたけどね。
いかに優れた情報処理能力を手にしても、それを扱う人間が使いこなせなければ意味ないですし。
といっても、転移後は何が影響を及ぼしているのか分かりませんが、そういう症例も少なくないようです。
今調べた情報によると、転移後に電脳化を受けた全体麻痺の少年が、施術後しばらくするとソフトウェア開発の才能に目覚めて画期的なAIを設計したとかあります。
他にも何件か同じような例がありますが、全て転移後に変化が起きていますね。
まるで別人になったかのようだと関係者の話もあります」

「なるほど……
何かが影響しているわけね」

「そうですね。
残念ながら何がとは未だ分かっていないようですが……」

そう言って秘書官は手元の端末で情報を漁るが、彼の言葉に続きは無い。
どうやら高木の求める答えは簡単には見つから無いようだ。

「分かったわ。ありがと。
そしてついでにお願いなんだけど、政界の中で電脳化している人を全部洗ってくれない?
施術だけじゃなく、何か変化があるかどうかも詳細にね」

「わかりました」

何かが起きている。

断片的な情報だが、秘書官の話を聞き高木はそう理解した。
全てが明らかになるかどうかは分からないが、何にせよ調査は必要だ。
なにか得体の知らないものがこの北海道の大地の裏で蠢いている。
女の勘が、そう告げていた。



[29737] 交流拡大、浸透と変化2
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/06/04 23:46
エルヴィス公国主催夕食会

その名前からもわかる様に、これはエルヴィスが主催する晩餐を共にすることで出席者の親睦を深めるためのパーティだ。
ただし、それは表向きの話……
実際の所、料理とポーカーフェイスに隠された駆け引きの場。
外交における戦場の一つである。
そして今日、礼文島に置かれたエルヴィス公国の領事館がその役目を担っていた。

北海道に置かれたエルヴィス公国第一号の領事館。
それは、立地は新たに礼文北部に造成された土地の中でも一等地にあり
外観は北海道の建築基準で建てられた現代的な見た目の建物であったが、その内装は自国から持ってきた煌びやかな調度品が並ぶ絢爛豪華な作りであった。
特に夕食会の会場である大広間は、真っ白な漆喰に金銀の彫金が埋め込まれ、その豪華さが際立っている。
それに加え、注目すべきは中心の大きなテーブルだ。
重厚な作りのテーブルに溢れんばかりの料理が盛られている。
子羊の丸焼きから、手の込んだ魚の煮込み料理等々、見た目重視で作られた料理の数々だ。
それらはコース料理のように次々運ばれてくるのではなく、最初からドンと全てがテーブルに広げられている。
途中で料理が冷めようと関係なく、一度にどれだけ揃えられることが出来るのかがこの世界では重要なのだ。
山と盛られた豪華な料理。
その圧迫感は物凄い。
そして、只でさえ豪華さのてんこ盛りであるテーブルに、今日はその圧迫感に輪をかけているの人間達がテーブルを囲っているのだ。
テーブルの席次は、部屋の入り口側の中心、ホストの席にクラウスが座り、その対面に高木、そしてその横をネウストリア教皇領、セウレコスの使者。
そしてクラウスの両サイドにゴートルムとアーンドラ亡命政権の使者が座っている。
その誰も彼もが自国の最高級の民族衣装に金銀の装飾をゴテゴテと飾っており、料理も含めてテーブル周りは装飾過剰と言っても過言ではない。

「なんだか、見ているだけでお腹一杯になりそうね」

テーブルに着く高木は思わずそう呟く。
眼前の料理だけではなく、参加者一同も含めてそうなのだ。
だが、高木のそんな思いも列席する皆には通じない。
何故なら、彼らにとってみればコレが普通なのだ。
なので、見ているだけでお腹一杯という高木の発言も、彼らは女性には料理の量が多いというそのままの意味で捕えている。

「大統領閣下。
この程度、本国のに比べたらこじんまりした物ですよ?
まぁ でも、この地は食材が素晴らしい。
量を確保できなかった分は、料理の味で補いたいと思いますのでご容赦を……」

「あら、クラウス殿下。
ご心配ありがとうございます。
ちょっと食習慣の違いに戸惑っただけですわ。お気になさらないでください。
わが国では、こういった夕食会の形式の会食となると、一皿づつ出してくる形式が主流な物で少々驚いただけです」

それに、流石にあんた等の格好も装飾過剰だとは言えない。
高木は、あえてクラウスの話に合わせて会話を続ける。

「あぁ コース料理というヤツですね。
私も何度か経験があります。
確かにあの形式は料理が暖かいまま食べれるので素晴らしいですが……
でもやっぱり、個人的な好みでいうと此方の形式が好きですね。
何と言っても見た目が素晴らしい」

「確かに盛り付けにも技巧を凝らした料理ばかり……
目を楽しませると言う意味では、こちらも面白いですね」

「でも、美しさで言えば大統領閣下の前には、このような料理も色を失いますね。
閣下自身の美しさに加え、素晴らしいドレスと宝石に身を包んだ出立は、まるで極上の宝物のようだ」

「まぁ 殿下ったら。
お世辞がお上手ね」

そう言って、料理の話から自然に高木を褒める様に話を持って行くクラウスに高木はニヘっと笑みを返す。
若く、玉無しゆえ中性的な美しさ魅力の漂うイケメンのクラウスに褒められ、高木も嬉しいのだ。
そもそも高木は、今回の夕食会の為に気合を入れて準備したから尚更だ。
何故なら、今回の夕食会は非公式ながら一部の国の代表達が顔を揃える。
下手に質素な格好をしていくと、財力が無いとみなされ舐められるのだ。
しかも、こちらの世界には転移前の地球のファッションセンス等通用しない。
流行のスタイルのドレスだからと言っても、何の役にも立たないのだ。
役に立つのは、目に見えて分かりやすい豪華さ。
今の高木の格好は、それを重視した物となっている。
現代服飾技術の粋を凝らした紺色のイブニングドレスは、高木が大枚を叩き自費で買ったものだが、宝石類は違う
道内宝石店の中で最上級の品々を大統領権限で借り上げてきたものだ。
その煌びやかさは、各国の使節の面々を比べても遜色はない。
むしろ加工技術の差から勝っていると言って良いだろう。

「いや、クラウス殿の言うとおり。
閣下の自前の美しさもさることながら、ドレスも全てが素晴らしい。
貴国で作られるものは、全てが熟練の職人が舌を巻くほどの出来だ。
服、装飾品から日用品に至るまで、我が国での人気はうなぎ登りですよ。
出来れば後日、主要な商会を個人的に紹介して頂けると嬉しいですな。
折角、こうしてこの地まで出向いたのですから、何かしらの土産品も得たいですし」

そう言って大仰に笑ったのは、ギリシアとアラブの衣装を混ぜたようなゆったりとした衣装を纏う中年の男。
彼の名は、セウレコスからの使者 ケバヴィ・シシャリクである。
夕食会前に高木が得た事前情報によると、セウレコスは国土の大半が乾燥地帯であり、農業等よりも交易などの通商で国を維持しているそうだ。
通商を重視してるが故、かの国では金の力こそ権力の源であり、言い換えるなら金さえあれば爵位も買える国なのだ。
貴族であろうと何かしらの商人である事が普通であり、中国清朝末期の高官の様に国家間交渉に私情を絡ませる事もあるとの事。
事前説明をした秘書官は、彼を袁世凱か李鴻章だと思って事に臨めと助言していたが、どうやらその言は正しいようだ。
この機会に何らかの商機を見いだそうと高木を目ざとく観察しているのが、彼の態度からよく分かる。

「そうですか。我が国の品々が人気とは嬉しいですね。
後で、何社かご紹介するよう言っておきます」

高木はそう言ってケバヴィに微笑む。
別に紹介程度であれば特に面倒では無いし、政府の管理下で交易している分には何の問題もないのだ。
それに彼が本当にセウレコスの李鴻章のような人物なら、贈賄で此方の利益の為に動いてくれるだろう。

「おぉ!それは嬉しい!
出来れば造船関係を紹介くださってもよろしいかな?」

だが、高木の言葉にケバヴィは両手を広げ大袈裟に喜んだ。
その様は、まるで素晴らしい幸運が舞い降りたかのようである。
あまりの喜び様に一瞬高木は呆気にとられたが、彼の一言に直ぐにその真意を察し、眉を潜ませ残念そうに彼に告げた。

「それは良いですけど、注文の横入れはお受けかねますよ?
我が国は基本的に各国共に機会均等が基本ですので、紹介位までなら出来ますが、引き渡しに関して特別な便宜は図れません。
何せ各国の王族クラスの方々まで順当にお待ちしている状況なので……」

仮に注文の横入れをねじ込んだ場合、割を食う彼より地位の高い顧客に睨まれてしまう。
年単位の納期待ちに加え、納期遅れとなればクレームは物凄いだろう。
それくらい関係者が注目し、ケバヴィがコネの欲しがる北海道の造船業界。
それは今、この世界の海運業界で話題の的となっていた。
従来、この世界の海運における長距離・大量輸送の主流は、キャラック船のような大航海時代を髣髴とさせる木造船であった。
それが近年、それらより遥かに巨大な船が姿を現したのだ。
中でも一番目立つのは、転移後に北海道で建造されたパージキャリア。
SeaBeeシステムという巨大な母船に、多数の輸送用艀を収納した巨大船である。
これは、コンテナ船が普及する以前、近代的な設備の無い湾港でも運用できる事を目的に開発された船種であった。
海運システムの過渡期に作られ、忘れ去られたシステム……
それは、搭載する艀の規格を小型化、より多数搭載できるようシステムを改良した末に、転移後の世界では北海道にとって最も重要な船種になった。
なぜなら、北海道以外にコンテナ設備を使える港が無いのである。
故に、艀の運用に十分な水深が有れば、どんな港でも使えるパージキャリアは、この世界に於いて息を吹き返したのだ。
だが、パージキャリアは北海道以外に運用している国はない。
それらは燃料やメンテナンスの面で道外での運用が難しく、そもそも輸出が規制されていたからだ。
では、各国の注目する船は何か。
ケバヴィを始めとする世界の海運業者が注目するのは別の船であった。
それは、この世界で馴染みの深い帆船。

『ウィンドジャマー』

帆船として大量輸送に携わった最後の船種。
1950年代まで使用された鋼鉄の船体を持つ帆船だ。
鋼鉄の船体は積載量の大幅な増加を可能にし、推進力は帆走で得る為、燃料は要らず、なにより従来の船乗りがそのまま使えたのは重要なセールスポイントだった。
各国の海運事業主は、新たに市場に投入された船に驚き、そして唾を飲んだ。
従来船のどれよりも大きく、頑丈で、大量の積み荷を運べるのだ。
価格こそ高めではあるものの、その性能に比べれば易いものだ。
かくして、各国の名だたる海運業者はこぞって北海道にウィンドジャマーを発注するのだが、それはそれで別の問題を発生させている。
供給を大幅に上回るバックオーダー。
新たな造船所の建設を行ってはいるものの、現在の北海道では、毎日フル操業で建造が行っても納品は何年も先になる状況が生まれてしまった。
最近では、苦肉の策として浸水までの作業は北海道で行い、最終偽装は各国の造船所で行う形態が生れてきたほどだ。
そんなこんなの状況もあり、高木はケバヴィが造船業を紹介してほしいという依頼に、紹介はできてもそれ以上の便宜は図ることは出来ない。
なにせ船が欲しいと言う注文主の中には、ケバヴィより高い地位にいるものもゴロゴロいるのだ。
下手な便宜を図ると、そっちの方面から睨まれかねない。
だが、ケバヴィもそこまで簡単に物事が上手くいくとは思っていないようだ。
彼は、高木に釘を刺されると、太ももを叩きながら大笑いする。

「ムハハ、いやまいった。
何とも手厳しい。
では、造船ではなく他の業種を「ケバヴィ殿。商いはその辺で控えたらどうかな?」……」

なおも自身の商売に繋がる話を続けようとしたケバヴィの声を。ネウストリア教皇領からの使者 ロベスピ・エール枢機卿が遮る。
彼は、自身の商売の話ばかりするケバヴィを諌めると、言い聞かせるようにケバヴィに言った。

「今日は別にあなたの商売の為に集まった訳ではない。
高木閣下と親睦を深める為にここに来たのだ」

「そうとも、折角こうして会食出来る機会にまでそんな話をする事は無いではないですか」

そう言ってロベスピに同調するのは、ゴートルムからの使者 ミゲル・バカリャウ。
伯爵位を頂いてはいるが、列席している中でも最年少の青年貴族である。
外交の場に登場するには些か歳が若すぎる様に思えるがそれには理由があった。
サルカヴェロとの戦乱で、エルヴィスとの敗戦の汚名を返上しようと奮い立っていたゴートルム貴族たち。
だが、そんな彼等へのサルカヴェロの対応は、余りに無情な鉄の雨であった。
貴賤の区別なく命が消費され、銃弾と砲撃により参加した貴族もかなりの数が戦死した。
その結果、当主が死に世代交代が起った家が多数発生し、中には摘子全員戦死により断絶する家も有ったほどである。
そんな情勢の中、彼は若くしてその地位を得たのだ。
歳は若けれど伯爵位。
序列は高く、周囲も世代交代した貴族の若殿が増える中にあって、彼が使者として願い出たのに止めれる人間は少なかった。
熱意溢れる目でゴートルムの女王に懇願し、あれよあれよと言う間に承諾を取り付け、彼は北海道に乗り込んできていた。
そんな彼は、商魂逞しいケバヴィと不機嫌なロベスピの話に割って入ると、キラキラと輝く目で高木を見つめて語りだした。

「私としては、閣下ともっと崇高な会話をするために時間を使いたい。
何せ北海道には、実に興味深い変わった思想が溢れています。
最近は、我がゴートルムにも北海道の訳書が出回って来まして、青年貴族のサロンではその話で持ちきりです。
無知な人民を啓蒙し導くのは、上に立つ貴族の役目だという思いに皆目覚めさせられましたから。
私もかつては恥ずかしながら、私は領民の暮らしなど気にも留めていませんでしたが、サロンで話題になる色々な訳書を読むうち己の使命に気付きました。
領民と言えど同じ人間。
人間として幸福を追求し、社会の質を高めれば、おのずと国も豊かになる。
そして、盲いた民を導くことが民衆の上に立つ貴族の使命です!
最近では、我が国のうら若き女王陛下も異界のマリア・テレジアなる人物の伝記を熱心に読んでるようですし、過去に不幸な出来事があったにせよ我がゴートルムは北海道との友好と知的交流を何より望んでいるのですよ。
なので、今日は閣下の素晴らしき政治哲学について是非とも聞かせて頂きたいのですが、いかがでしょう?」

そう言って、期待に満ちた目で高木を見つめるミゲル。
若さ故なのか、その様子は天下国家を語る事に至上の喜びを見つけた青年そのものであった。
誰しも政治に興味を持つとそう言った事を語りたくなるもの……
だが、今はそのような時ではない。
高木は、面倒くさがる内心を表情に出さぬよう、丁重に断りを入れる事にした。

「あ~……
伯爵に興味を持たれるのは嬉しいのですが、それを話すには今日は時間が足りません。
なので、また後日に致しませんか?」

やんわりと断る高木。
だが、言葉がやんわりに過ぎたのか、その拒絶の言葉もミゲルはポジティブに受け取った。

「おぉ!
ありがたい!
後日、時間と取ってくれるのですね!
是非ともお願いします!!
で、いつ頃にしましょうか?」

予想外の事に高木は言葉に詰まる。
同時に、拒否されてる空気も読めない若造を使者として送り込んだゴートルムに苛立ちを覚え
さて、どうしようかと考えていると、思わぬところから声が上がった。

「バカリャウ殿もいい加減にしないか!!
閣下が困っているだろう」

ロベスピの怒りの声が辺りに響き、その声に静まり返る一同。
彼は全員が黙った事を確認すると、呼吸を落ち着けて静かに話し出した。

「閣下、お騒がせして申し訳ありません。
何せ北海道の出現は、二千年以上にわたり大陸を支配してきた我々にとって、実に興味深い出来事なのです。
歴史を紐解けば、過去に小規模な蛮人の集団が転移してきた事は有りました。
ですが、それは人間だけ。
そして、そのいずれも滅ぶか吸収されるかしました。
我々の知る限り、国土ごとというのは初めてであり、しかも北海道は蛮人と違い素晴らしい技術、文化、知識をお持ちだ。
我々の思いとしては、今後、この世界で共に暮らす仲間として共に歩んでいきたい」

ロベスピの落ち着いた言葉は、高木の胸を打つ。
キナ臭いこの世界で、共に歩んでいきたいと言う言葉は非常に重く感じるのだ。

「……枢機卿。
その気持ちは我々も同じです。
平和と共存こそ、繁栄の道ですから」

高木の言葉に一同は静かに頷く。
誰しもその言葉に異論はない。
各々が言葉を噛みしめる中、ケバヴィが盃を持って皆を見渡す。

「……平和と共存。
実に良い言葉だ。
皆さん。今宵の乾杯の言葉はいつもの神への賛辞ではなく、これにしませんか?
北海道もイグニスの教えを広めるのを受け入れてくれたといっても、日が浅いですし」

「それは良いですね」

「ええ、私も構いません。
ですが、いつの日か閣下が一緒に神への賛辞を唱えられる日を心待ちにしてますよ」

そう言って、にっこりと笑うミゲルとロベスピ。
その表情は、北海道がいずれイグニス教に教化されると信じて止まないものであった。
そもそも、北海道がイグニス教に門戸を開いていなければ、ここまで平和的な待遇もなかったであろう。
彼らは将来的に北海道もイグニス教の庇護下に入ると期待しているのだ。
だが、いくら浸透しようと国教化なんてする気の無い高木には、その笑顔は痛い。

「え、えぇ」

やんわり返事をするものの、国教にする気などさらさら無いのだ。
だが、そんな高木の内心を無視して皆は各々の手にグラスを持つ。

「それでは……
我らの平和と共存に、乾杯!」

「「乾杯」」

ホストであるクラウスの声に続いて、一堂が唱和する。
こうして今宵の夕食会は始まりを告げた。







食と酒も進み、夕食会も予定の時間の中程まで来た頃だった。
和気あいあいとした雰囲気の中、ロベスピは笑顔のまま高木に声をかけた。

「ところで閣下……
現在の所、北海道とサルカヴェロに繋がりが有るのは知ってますが、手を切る……というお考えはございませんか?」

「サルカヴェロとですか?
……残念ながらそういった考えは無いですね」

「ですが、我々は同じ人族の国同士……
亜人の統べる国とは手を切って、同族同士で仲良くというのは自然ではないですか?」

「ですが、我々は彼の国から輸入する資源に頼っている所も有りますので……
特に鉄鉱石は国内でも取れますが、十分な量とは言えず、大量に採掘しているサルカヴェロに頼っている部分が有るのですよ。
もし、鉄鉱石の供給が止まれば、諸国に輸出している船舶などの生産も滞りますよ?」

「では、我々から鉄鉱石を輸入すれば……」

「残念ながら、ツルハシで掘る鉱山と初歩的ながらも機械化された鉱山では産出量が違います。
現状では、各国から輸出されても我々の満足な量は確保できないでしょう」

イグニス教諸国の伝統的な手掘りVSサルカヴェロの初歩的な蒸気機関と爆薬を用いた鉱山。
その生産量は桁違いであった。
量、コスト共にイグニス教諸国の鉱山がサルカヴェロに勝る点は無い……

「……」

「歯がゆいですな。
敵の交易を止めると我が方に入ってくる物資まで止まるとは……」

「その為には、北海道から機械や規格を導入し国内生産量を増大させれば宜しいではありませんか。
皆様が原料を生産し、北海道が機械を作る。
やがて双方の生産量は雪だるま式に拡大し、富が溢れるようになる素晴らしい分業制度だと思いますけど」

そう言って高木はニッコリと笑う。
彼女の言う原料と機械製造の分業体制……
それは転移前の日本とオーストラリアの様な関係を指していた。
双方WIN-WINな関係で交易量を増やし、資源と市場を獲得する。
高木の目的はソレだった。
文明維持に資源が必要なのは分かり切った事だが、経済を維持するには資源だけではなく市場も要る。
一般に、国が内需のみで現代経済を維持するには1億の人口が必要とされているが、北海道にそこまでの人口は無い。
資本主義経済を維持するには、外需に頼るしかないのだ。
ドンドン輸出し、国が潤えばその分の富を新たな投資に使える。
北海道としても早く統制経済を脱し、正常な市場経済に戻る為には有望な市場が必要なのだった。
だが、北海道が産する鉱物資源は、最低限の文明維持は出来てもバンバン輸出できるほどには量は無い。
仮に市場を確保した所で、経済の拡大にはどうあっても資源の輸入が不可欠であるのだ。
だが、そんな輸入と外需が必要とされる中でも、交易品の統制は依然厳しい。
特に生産設備に繋がる様な品目は特に顕著だ。
無分別な輸出の末、この世界に経済が急拡大した荒ぶる中国のような存在を作る事は避けねばならない。
どれだけ先端機器を生産していても、所詮北海道は小国。
各国が育ち、中国の様な存在が台頭してくれば。駆逐されるのは時間の問題である。
よって各国の成長もコントロールできるよう、現在、生産に関わる設備の輸出は、原材料の生産用か北海道の産業と競合しないもの、または北海道で生産するには非効率なものに限っていた。
と、そんな訳で、北海道としてはサルカヴェロは原料供給の生命線と言ってもよく、手を切るわけにはいかなかった。

「……むぅ」

ロベスピは低く唸る。
北海道を自陣営に引き込みたいが、普通に勧誘しても無駄だと踏んだのだ。
かれは自分の顎を人撫ですると、今度は違ったアプローチから高木に願い出ることにした。

「ここまで語った以上、普通に依頼しても無理なのは分かっているが、
それでも今回の戦争に是非とも対サルカヴェロで北海道の協力を頂きたいと言ったら……ご協力頂けるか?」

「何度も言っているように無理な話です。
そもそも我々にはサルカヴェロと敵対する理由が無い」

「無論タダとは言いません。
王族の滅んだアーンドラで、現時点でサルカヴェロに占領されている地域の領有権が手土産です」

キリッと見つめながらそう告げるロベスピに高木は愕然と驚く。
一瞬、タチの悪い冗談かとも思ったが、彼の目を見てそれが本気であると悟る。

「それは……
あなた方の国土では無いでしょう?
そんな勝手な事が…」

「まぁ 無条件の領有ではありません。
未だかの地で戦っているアーンドラ貴族の所領安堵が条件です。
もし、北海道がアーンドラからサルカヴェロを追い出すなら、閣下は北海道とアーンドラの二重王国の女王となるのを各国は承認します」

その言葉を聞いて、高木はくるっと首を回してある人物を見た。
浅黒い肌をした男、ナン・カレーシャ。今日の夕食会でアーンドラからの人間も参加しているのである。
参加者の中では一番身分が低いため、乾杯と夕食会前の自己紹介以外一言も話しては居ないが、彼は国が崩壊したアーンドラの抵抗軍から代表として派遣されてきている。
そんな彼を前にして、何を言っているのかと高木はロベスピの言葉を疑った。
だが、事前にそんなロベスピの言葉を知っていたのか、彼は微動だにしない。

「あなたはアーンドラの方でしょ?
それでも良いんですか?」

自国を売り渡す。
そんな提案が他国からされている。
それについて何とも思わないのかと高木は問う。

「……」

だが、高木の質問にもナンは微動だにしなかった。
暫くの沈黙の後、彼はポツリポツリと喋り出した。

「既に忠節を誓うべき王家の血統は絶え、残された守るべきモノは自領のみ……
閣下が義挙に応じてくれるなら、永久の忠節を誓いましょう」

未だ貴族制が色濃く残るこの世界では、ナショナリズムは然程濃くない。
国家と言えば主君であり、それが滅亡したとなっては国が消滅したも同義なのだろう。
あとは自分の領地を守らねばならないが、今のアーンドラ、しいてはイグニス教各国にその力はない……

「……想いは分かりましたが、なぜ我が国なんです?
このような小さな国に期待しすぎでは無いですか?」

直接的な戦闘に巻き込まれるのは迷惑極まり無い。
そもそもミサイルの量産が始まっていない為、弾薬備蓄量的に北海道の継戦能力は著しく低下しているままだ。
そんな実情を言えはしないが、変に期待されるのも困るというもの。
それに枢機卿は、北海道に与えられるのは現在のサルカヴェロ占領地と言った。
現時点で各国が進駐しているアーンドラ領は含まれない。
自国の取り分は確保しておき、敵の取り分を揉め事ごと放り出そうという都合の良い魂胆が感じ取れる。
高木はそんな申し出を受けるわけにはいかない。
彼女は申し出を断りにかかるが、そんな高木に真剣な眼差しをしたミゲルがしかと見つめて言う。

「閣下、国の強さは国土の大きさだけでは決まりません。
良い忘れてましたが、私は見たんですよ。
ゴートルム王家の箱舟が炎に包まれる様を。
……あの日、あの海上から。
あれだけの力が有ればサルカヴェロを退けるのも容易いでしょう」

「それは……」

これには高木も答えに窮した。
何故なら、各国ともに北海道の弾薬備蓄状況など知りはしない。
最初のゴートルムの侵攻でミサイルは払底し、再侵攻があれば危ういなどと知る者はいないのだ。
彼等が知っているのは、北海道がゴートルムの箱舟を退けた事実のみ。
彼らは北海道が未だ強大な軍事力を温存していると思っているのだ。
サルカヴェロの侵攻を覆すには、北海道の力が決め手になると彼らは信じて疑わない。

「閣下、今のところ、戦況をひっくり返すには他に頼れる手は無いのですよ。
我がセウレコスを始め各国の財政は戦費でギリギリの状態。
それに、一番国力の大きいキィーフは何故か戦役に本腰を入れない…」

淡々と語るロベスピ。
その表情には、焦りと諦めの混ざった様な色があった。
どうやら戦況が好転しないのは、純粋に軍事的な側面以外にも理由があるらしい。

「もしかしたら、キィーフとサルカヴェロの間に密約があるのかもしれない。
かの国が防衛を担当すると言い出した領域は、アーンドラでも有数の茶の産地だ。
進駐の迅速さと、その後の停滞ぶりを見れば、誰だってそう考えるさ。
それに、サルカヴェロがアーンドラの箱舟を落とした手際の良さ…… 奇襲だったにせよ、誰かが内部構造を漏らしたとしか思えないな」

苦々しい顔つきでそう補足するのはケバヴィ。
どうやら彼もこの場にいないキィーフに対し不信感を持っているようだ。

「最早、援軍として期待できるのは閣下だけなのです」

ケバヴィの苦々しい表情を背に、ロベスピは高木の手を取り説得する。

「……」

返答のしようの無い説得に、口を噤んで黙り込んでしまう高木。
そんな彼女を見て、それまで口を閉じていたミゲルが高木に決断を迫った。

「閣下!」

訴えかける様にジッと高木を見つめるミゲルの目。
他の面々も同じように高木を見つめる。
一体何秒そうしていただろうか。
ほんの十数秒の事ではあるが、高木には流れ出る冷や汗が全身、下着に至るまで全てを濡らしてまだ余りあるくらい長く感じた。
どのような条件を出されようと、これを受けるわけにはいかない。
そして、現時点ではどちらかに完全に肩入れするわけにもいかない。
いまは全ての陣営に良い顔をしつつ、最大限の資源援助を貪りたいのだ。
高木は現時点では参戦は無理だと断りつつ、未来に於いて可能性を含ませて答えた。

「……大変申し訳ありませんがその申し出はお受けする訳には行きません。
あと、理由をお話しする前に、一つお言葉を訂正させて頂きます。
枢機卿は私に二重王国の女王になれとおっしゃりましたが、この北海道は人民に選ばれた大統領の治める国です。
女王ではありません。
平和を愛する北海道の人民の代表です。
どんな大義を掲げても、現時点では人民は戦争参加を許さないでしょう。
まぁ 人民が戦争による領土拡大を望めば別ですが……」

最後に可能性を滲ませた高木の答えであったが、それは彼らの望む答えではない。
彼等は自陣営に付く言質が欲しいのだ。
高木ののらりくらりとした回答に、ミゲルは声を荒げる。

「ですが!」

「それに、戦争に参加出来ない根本的な理由として
小国故にサルカヴェロを陸戦で追い出す兵力が充分でないのと、遠隔地へ遠征出来るほどの兵站が持ちません。
我々の軍事力は本土防衛に関しては絶対の自信がありますが、必要最小限の規模しかありませんので」

遠征にかかる兵站の負荷。
これは今回の戦役で各国ともに嫌になるほど思い知っただろう。
高木のその言葉に、誰もそれ以上の無理強いは出来ない。
只一人、アーンドラから来たナンを除いて……

「……それは、どうあっても協力していただけないと?」

参戦を渋る高木にナンは尚も尋ねる。
だが、そんな彼に対して高木は諭すように言う。

「戦争以外でなら協力出来ることもあるでしょう。
例えば、エルヴィスに北海道の技術を使った繊維・衣類工場を次々建設中です。
これが全て稼働すれば、エルヴィスの国力増加の手助けになりますわ。
何せ受注頂いた建設計画の20%しか工場は完成していませんが、それだけで従来のエルヴィス領内の繊維生産量を遥かに超える生産力の増強になりましたもの。
そんな訳で、我々には参戦は無理ですが、各国に技術的な援助は出来ます。
折角の停戦で時間が稼げたのです。
今は将来に向けて力を蓄えるべき時ではありませんか?」

ナンを見つめ、そう返答した高木にナンはそれ以上食って掛かる事は無かった。
暫しの沈黙の後、ナンは頭を下げて高木に詫びる。

「…………そうですか。
いやはや閣下にはご無理を言って申し訳ありません。
我々は停戦交渉の為にこの地に集まったとは言うものの、よしんば閣下の協力が獲られればという欲も有りましてね。
この停戦……5年10年続くか分かりませんが、アーンドラ解放の為に力を蓄える雌伏の時としましょう。
閣下の言うとり、今の我々に力が足りない。
再戦に向けて力を蓄えなければならないのは事実です」

「ご期待に添えなくてごめんなさい。
でも、ご協力出来そうな事が有ればさせて頂くわ」

「……なれば閣下。
恥を忍んでお願いします。
我々に船を頂けませんか?」

「船、ですか?」

ナンの申し出に高木は首を傾げた。

「元々アーンドラの民は、中小の船を使った荷運びを生業とするものが多っかたのですが、此度の戦争で船を失った物も多くいます。
海運ならば、国土無くとも力を蓄える事が可能……
そして今、各国の港を北海道の巨大船が周り始めたと聞いています。
何でも巨大な船体から小さな船をいくつも繰り出して、水深の浅い港でも荷降ろしが出来るとか。
出来ることなら、そんな素晴らしい船を我々に頂けませんか?
今、各国に難民として散らばったアーンドラの民は、全てを失った故、まともな職にも付けずにいますが、船さえあれば必ずや富を稼いで見せます。
船の代価は、アーンドラから逃げて来た民から黄金をかき集めて払いますので、どうか……」

「……巨大な船とは、ラッシュ船の事ですか?
でも、あれは我が国でも支援出来るほど数が多くは無く、運用も難しいので、いくらお金を積まれても……」

「駄目ですか……」

申し訳なさそうに言う高木を見て、ナンはがっくりと肩を落とす。

「でも、母船の方は無理でも艀の方は売れますよ。
何せ艀専用の造船所が出来た為、母船の建造が間に合わずに余らせていた位です。
そこでどうでしょう?
アーンドラの方々は各地の港で集荷をなさっては?
我々は母船で世界中の港へと艀を運び、そこから先の細かい取引はアーンドラが担当する。
我々としても、人員の都合上、最も人手が必要な業務へ人を回すのに苦心してたので、双方に益があると思いますが?」

北海道側としても、海運に船を出しても艀を運用する人員と荷役人夫をどうするかで悩んでいたのだ。
それが解消されるなら渡りに船である。

「なんと!それはありがたい!
人足でしたら、我々はいくらでも供給できますよ」

「では、後日、調整の為に部下を向かわせます。
子細はそこで詰めましょう」

大いに喜ぶナンをみて高木は微笑みを返す。

そんな二人の様子を見て、笑顔のケバヴィが拍手をしながら高木を讃えた。

「いやはや、閣下の懐の深さには感服します。
アーンドラの民も閣下の御助力により新たな生業が得られそうですし
これで来るべきサルカヴェロとの再戦の日に備えられますな」

ケバヴィの言葉に他の面子もウンウンと頷く。
もともと北海道参戦による早期戦争決着は、うまく行けばいいな程度にしか思われていなかった。
参戦を断られても、北海道の進んだ技術を学んで再戦に備えるのは既定路線であったため、高木が具体的な援助を口にした事で皆はそれで満足であった。
それに、各国も苦慮し始めたアーンドラの民を北海道が一部面倒を見ると言うのである。
各国にしてみれば、余計な面倒事が少し減ったという思いもあるだろう。
そんな各国の思惑が絡み合う中、一時は重苦しい空気が漂った夕食会にも和やかな空気が戻りだす。
だが、そんな気が抜けていく面々を見て、一人、ロベスピは皆の注意を引き留めた。

「ですが、各々方。
閣下の助けを喜ぶのも良いですが、再戦の日までいつ如何なる時もサルカヴェロには注意が必要ですぞ。
なぜなら、卑劣な邪教徒は内部からも侵略してきます。
戦争が始まって以降、我が領内に妙な邪教と呪いが出回り始めました。
聞くところによると、その邪教は妙な呪文を唱えて邪神にすがれば天国に行けるとか言っているそうです。
これもサルカヴェロの工作とみて良いでしょう」

眉を顰めながらサルカヴェロの邪教とやらを語りだすロベスピ。
和やかな空気に戻り始めていたのが一転、またも不穏な空気が辺りに漂う。

「なんですかな?
その邪教とは。
天国とは日々の鍛練と聖戦の先にあるもの…
祈り縋るだけとは怠け者をたぶらかす邪神なのか?
それと…呪い?」

ロベスピの言葉にケバヴィが問う。

「詳しくは分かりませんが、サルカヴェロ支配下の狐共に似た邪教が崇拝されていると言う噂です。
呪いの方は、恐ろしいもので人が生ける死体と化すものです。
行商人が村を訪れると、村人全員が腐乱死体のように呪われてたこともあったようですが、恐らく邪教徒の呪いでしょう」

「邪神に呪いですか……
その様なモノが実在するなんて、怖いですね」

「閣下も気を付ける事です。
あのサルカヴェロ…… どんな手を隠し持っているか判ったモノではありませんから」

「へぇ……そうですか。ご忠告ありがとうございます。
そうですね。
こちらでも調査してみる事にしましょう」

調べるとは言ったものの、高木にとって邪教などというものは反社会的なカルトでもない限りはどうでも良かった。
北海道には信教の自由が保障されてる。呪いというのが気になるが、どうにも先入観で邪教とやらの関連性を決めつけているような言い回しだ。
調べてみる価値はありそうだが、教義を聞く限り危険な感じはあまりしない。
真剣に悩む彼らを尻目に、高木は止まっていた両手を動かし、フォークで料理を口へと運ぶ。
既に料理は冷め始めていたが、不味くはない。
その味はまるで、今日の夕食会での内容のようだった。
戦争の話題に宗教etc...、北海道にとって実害は無いが迷惑な話題。
しかも、片方の陣営に深く入れ込む気は無いため、どこか冷めた感じで見てしまう。
だが、相手が此方への依存を強めるのであれば、此方の地位が向上するので不味くは無い。
今日の夕食会は、そんな内容の話題ばかりが夜遅くまで続くのだが、高木にとって残念なのは、夕食会まだ中ほどを過ぎたばかりという事だった。



[29737] 交流拡大、浸透と変化3
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/06/04 23:47
高木と始め、各国の使節が夕食会で懇親を深めていた丁度その頃。
夜の港では、とある騒ぎが起きていた。





礼文島
船泊港-新規造成地区-




夜の港。
そこは、普段は人気もなく、暗く寂しい場所であるのだが、今日は様子がいつもと違っていた。
降り積もった雪が月明かりを反射し、雪国特有のうっすらと明るい夜なのに加えて、燦々と昼間の様な光量を放つ投光器が港の一角を照らしていたからだ。
一隻の船が接舷しているとある岸壁。
そこに集まっているのは光に集まる虫の様に、一か所に固まる赤色灯を回したパトカーと、大量の警官の姿であった。
彼等が取り囲む中心に有るのは、赤い染みと共にくっきり残る雪の人型。

この日、礼文の岸壁で事件が起きていたのだ。

そんな物々しい雰囲気の中、一人、場違いな空気を身に纏う人間がその現場を見ていた。
長い黒髪に小柄な体格。
警察の制服を着ていなければ小中学生に間違われそうな少女がそこにいた。
彼女は警察の封鎖線の中、実に堂々と腕を組み、忙しなく動く警官たちを眺めている。

「平田警部。
たった今、病院から連絡が有りました。
ガイシャは息を引き取ったようです」

仁王立ちする彼女に、警官の一人が報告にあがる。

平田警部

北海道英雄称号保持者にして、不運にも少女の義体に押し込められた彼は、それから数年の月日がたった今もその姿を保っていた。

「そうか。
まぁ あの様子じゃ無理も無いな……
とりあえず、今日の所は刑事課の奴らも来たようだし、後は任せて帰っていいかな」

そう言って平田は実に爽やかな笑みを浮かべくるりと踵を返そうとするが、そうは問屋が卸さなかった。
報告に来た部下にガッチリと手を掴まれてしまう。

「駄目ですよ。
なにせ警部は目撃者の一人じゃないですか。
それなのに何を帰ろうとしてるんです?」

逃がさぬようにガッチリと手を掴み、自然に帰ろうとした平田の動きは完全に封じられた。
機の先を制した部下に、平田は明らかに聞こえる音で舌打ちをするが、振り返った平田は今度は目を潤ませて部下に掛け合う。

「でも……
他にも目撃者はいるし……
なにより当事者が大人しく確保できているんだからいいじゃないか。
それにもう勤務時間は過ぎてるしさ。
ちょっと今日は用事があるんだよ。……ダメかな?」

美少女な見た目を利用した泣き落とし。
知らない人間がそれをされれば、ついウンと頷いてしまいそうな表情を平田は浮かべるが
中身がオッサンだと知る部下にその手は通じなかった。
寧ろ白々しい目で平田を見つめ、酷く冷静に言葉を返す。

「それでも駄目です」

「ケチだなぁ」

平田はそう呟きながら口を尖らせてみるが、全く持って部下の表情は変わらない。
実に冷静な口調でもって、部下の警官は平田に断言する。

「何を言っても無駄です」

問答無用と平田を拘束する部下と、なんとか帰ろうとする平田。
両者の主張は平行線を続け、あたりを封鎖する他の警官を尻目に言い争いを続けていたのだが
気付けば、両者がすったもんだを続けている横に、いつのまにやら背広姿の男が立っていた。
男は二人の言い争うタイミングを見計らい、彼らの言葉を遮って話に割って入る。

「平田警部ですね?
お時間を少し頂きたいのですが」

そう言って男は平田に声をかけると、ようやく平田も気が付いたのか男の方に顔を向ける。
そこに居たのは少々くたびれたスーツを着た中年の男。
平田は彼の事を知っていた。
何故なら、作られて真新しい礼文北署内で何度か見たその男は、確か刑事課に所属していたはずだ。

「おぉ?、……やっと刑事課のお出ましか」

「ええ、ちょっとあそこの方の証言について、聞いていただきたいと思いまして」

「わかった。
直ぐ行くよ」

部下相手には色々とゴネてはみたものの、刑事課に呼ばれた以上、平田は腹をくくった。
長残コースは免れそうに無い。
本当なら今日は嫁のさと子と食事に行く予定だったのだが、後で謝っておくしかないと彼は思った。
そうして、平田はいつまで握っているんだと部下の手を振りほどくと、刑事について歩を進める。
といっても、それは十数歩の距離。
彼らが向かったのは、警察に確保されている事件の当事者の所だった。
目的のその人物は、埠頭に何個か置かれた木箱の上に座り、夜空を見上げながら面倒臭そうに足をバタつかせていたが
接近してきた平田に気付くと、箱から飛び降り、ビシっと平田を指差した。

「あ、あんたは連邦英雄さんアルネ!
あんたみたいな有名人が、なんでこんな所にいるアルか?
それにしても実物は可愛いネー」

そうきゃぴきゃぴと平田に声をかけたのは、若い外国人の女。
それが事件の当事者だった。
アジア系の顔立ちに独特のイントネーション。
そして頭には髪を纏めた二つの団子。
まず、間違いなく中国人だろう。
彼女は、まるでアイドルにでも会ったかのように平田に話かけてくるのだ。
だが、それも其の筈で、一般的の人間は平田の過去の姿知らない。
経歴からして少女の筈は無いのだが、見た目の良い義体外見を十二分に利用して政府がプロパガンダに利用する為
すでに本当の平田の姿は、彼に親しい人間以外から忘れ去られようとしている。
平田の心境は複雑だった。いいオッサンが可愛いと言われても嬉しく無いのである。

「あー…… それはどうも。
ちょっと仕事で港に来てたら、偶然にも現場を目撃しちゃってね。 はぁ……」

そう言って、平田は力なくため息を吐く。
平田がここにいる理由。
それは平田にとっては全くの偶然で、実に不幸な出来事だった。
各国の使節が礼文に集まるこの時期、当然の如く警察の警備体制は強化されている。
不測の事態が起きたら一発で外交問題になるため、平田を含め、多くの警官が市街を巡回し警戒していたのだ。
その日、平田は何時ものように地域を廻り住民と交流を深めていたのだが、ふと耳にしたのはサルカヴェロの使節を載せた珍妙な船が入港しているという情報だった。
そんな特殊な船が入港しているのだ。何か事件が起きては困るし、一度様子を見に行った方が良いかもしれない。
そう思いついてからの平田の行動は速かった。
もっとも、島育ちであるが故に船が好きだった平田が好奇心で見に行こうという気持ちが多分にあった事も原因ではあるのだが。
まぁ、結果的にその決断は半分良くて、半分は失敗だった。
確かにお目当てのサルカヴェロの船は、平田にとって大変興味深いものだった。
黒一色に塗られた装甲艦。
分かる人が見れば、その姿はアメリカ南北戦争にて南軍が使用した装甲船『バージニア』に似ていると言うだろう。
傾斜した装甲、そして煙突から上る石炭の煤煙は、バージニアに非常に酷似していた。
だが、この偽バージニア。全長で本家の倍も有り、防御面に関しては本家を遥かに上回る。
鉄鉱石を北海道に輸出する代わり、バーター取引にて手に入れた特殊鋼を装甲板としてふんだんに使っているのだ。
その防御力は高く、イグニス教諸国が艦船に搭載する魔導バリスタでは撃沈は難しい。
大量の鉄鉱石を輸出する代わり、量こそ少ないものの得られた特殊鋼はサルカヴェロの軍事力の底上げに繋がっている。
この偽バージニアは、北海道とサルカヴェロの交流によって生み出されたと言っても過言でも無い船だった。
平田は、そんな裏事情は知らないものの真っ黒で厳つい船を見て好奇心が満たされたのかご満悦であった。
だが、そんな幸せな時間は直ぐに終わりを告げる。
埠頭からの帰り道、まさに平田の目の前で事件が起きたのだ。
それは、荷降ろし中の船の横を通った時の事。
ヘルメットを被った女に指揮され、船から大陸から来たと思われる木箱が次々に降ろされていく。
別に何の変哲もない木箱。
だが、それも何個目か降ろした時にそれは起きた。
クレーンで埠頭に降ろされた木箱が地面に設置した瞬間。箱からナニカがバッと飛び出したのだ。
奇声を上げるナニカは、荷卸しを指揮していた人物に飛びかかっていく。

『グァァァ!!』

『あいやー!?』

余りに突然の事で、平田は満足に動けなかった。
だが、目を逸らさずにいた事で、襲い掛かったナニカが地面に倒れ伏すまでの一部始終を目撃してしまったのだ。
それが、今回、嫌々ながらも勤務時間を超過し証言に付き合わされている理由であった。


「まぁ、そういう訳で話を聞かせて頂戴ね」

「良いアルよ」

そう言って軽く答える女は、事の顛末をスラスラと話してくれた。
内容は平田が見たのと変わらない。
襲って来た異様な風体の男を投げ飛ばし、取り押さえたという事だ。
新たに分かったと言えば、この女性は王香蘭という中国人で岩見沢精機という会社に勤めているらしい。
今回は会社で作った製品を大陸に輸出する業務に付いていたが、大陸でちょっとしたトラブルがあり、戻って来た所で騒動に巻き込まれたという事だった。

「んで、襲って来たから取り押さえたと……
それにしても、王さん小柄な女性なのに凄いねぇ。相手180近くあったでしょ?」

「中国人なら気功と功夫くらいみんな出来るネ。
それくらい出来ないと毒菜食べたり大気汚染の中で呼吸できないアル。
気の力で毒を無効化するアルよ。
んで、そんな訳で、襲い掛かって来たもんだからちょいと投げ飛ばしただけヨ……
あ、でも死んじゃったのは私のせいじゃないネ。
あんなゾンビみたいなのは元から死んでたネ
だから私、無罪。即釈放アル」

投げ飛ばした男はゾンビであり、そもそもゾンビはバケモノであるから人間じゃない。だから死んでもOK。
なんともトンデモな理屈であったが、平田はその話を否定できない。
何せ死んだその男の見た目は、ゾンビと言っても過言ではなかったのだ。
壊死した肉の隙間から見える白い頭骨。
とてもじゃないが、あれが普通の人間だと言うには無理がある。
そして獣人やらドワーフ等もいるこの世界。バケモノとしてゾンビが居ないと言い切れるのか?
その確証が彼には無かった。

「んんー……
ゾンビねぇ」

「そう、ゾンビね!」

だが、ハッキリ言い切る香蘭とは裏腹に、独特のイントネーションと自信満々な顔にどこか胡散臭さを感じてしまう。
例えるなら、中国の土産物屋で激安のブランドバックを発見した時、店員に「シャチョさん!それは100%本物ネ!」と言われたかのような感じだ。
根拠はないが、どこか信用に置けない。

「まぁ いい、取りあえず話の続きは署でしよう。
いい加減、冬の港にいるのは寒くて敵わん」

平田の言うとおり、風を遮る物の無い冬の港は寒い。
続きは署で聞こうと言う平田の言葉に、香蘭も頷く。
なんだかんだ言ったものの、簡単に解放されるのは無理だと彼女も分かってはいたのだ。

「あ、それならちょっと皆に今後の仕事内容指示してくるから、ちょっと待って欲しいね」

そう言って、香蘭は船で待機している仲間の方へと駆けて行った。
後には平田と部下、そして刑事の3人が残される。

「ゾンビ……ってこの世界にいるのかな?」

船へ駆けてく香蘭の背中を見ながら、平田はポツリと呟く。
どこまでがアリな世界なのか、平田には想像がつかない。
そんな平田の呟きに、部下の警官は首を捻りながら彼の疑問に答えた。

「それは判りませんが、前の世界で似たような症状になる原因は心当たりがありますね」

「え?! 前の世界って…… 転移前からあんな肉の腐ったゾンビになる病気かなんかあったの?」

医療にあまり詳しくない平田は、部下の言葉に驚いた。
自分が知らないだけだったのかとポカーンと口を開けていると、「いや、そうじゃなくて」と前置きして部下の警官は話を続けた。

「病気については良く知りませんが、似た様になる麻薬はありましたよ。
クロコダイルという麻薬を使い続けると同様の症状になりますね」

「クロコダイル?」

平田は首を傾げる。
一応警察に入ってから巷に出回っているシャブの名前や何やらは習ったのだが、クロコダイルなどと言う名称は聞いたことが無かったからだ。

「ロシアや欧州で広まったんですが、ガソリンと咳止め薬から作る麻薬で、恐ろしく安価。
でも、強烈な依存性があり、長期に渡り服用すると肉が壊死して生きながらにして肉が腐っていくという恐ろしい麻薬です」

「これもそのクロコダイルだと?」

「可能性の一つです。
まぁ、本当にゾンビだった可能性もこの世界では否定できませんが……」

断定はできないが麻薬の可能性もある。
しかもその場合、製法は確実に北海道……というか転移前の世界に由来する。
……此方の人間が大陸で不義を働いている可能性。
あまり考えたくない可能性に、平田の眉間に皺が寄った。

「もし仮にその予想が当たっていた場合、道内から輸出していたんだろうか」

「又は、道外に生産拠点を築いたかですね……」

それはあくまで想像の域を出ない仮定の話であったが、
世間の裏で何か組織的な悪意が動いていそうな気配に二人は息を飲んだ。
……そんな時だった。

ガッシャーン!と金属が落下したような音が辺りに響く。
平田は驚いて音のした方向を見ると、どうやら船からクレーンで吊るされていた荷物が落下したようだ。

「おっと、何だ?次は事故か!?
見に行くぞ!」

平田は次から次に巻き起こる騒動に辟易しながらも、荷物が落下した現場に向かって走り出す。
近くに寄ってみてみると、どうやらクレーンで吊るしていたスリングが外れ、木箱が落下したようだ。
幸い怪我人はなく、物的な損害だけのようだが、壊れた木箱を見て、例の中国娘は「あいやー」と言いながら頬を掻いていた。

「大丈夫?」

心配した顔で平田が香蘭の表情を覗き込む。
そんな平田に対して、香蘭はバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。

「あいやー嫌なとこ見られたアルね。
ちょっとした事故アル。気にしないで。
作業員はちゃんと玉掛けの免許持ってるし、無資格で従事してたわけじゃないアルよ?
怪我人も出てないから労働災害でも無いし」

「いや別に、そんな事言うつもりはなかったんだが…… って、箱から何か零れるぞ?」

見れば壊れた木箱からキラキラと真鍮色に輝く何かがポロポロと漏れている。
平田は壊れた箱から漏れたソレを一つ摘むと、マジマジと凝視する。

「……銃弾。
しかも、小銃弾だな。…………密輸か?」

平田が摘んだのは警察などで使う拳銃弾とは明らかに違う、長い薬莢と鋭い先端の弾体をもった小銃弾であった。
そんなものが壊れた木箱からボロボロと零れてくるのである。
平田は、この船が普通の民間の商船では無いとみなすと、ギラリと疑惑の眼差しを香蘭に向ける。
対する香蘭は、密輸という言葉を聞いた途端、オロオロと慌ててそれを否定する。

「み、み、密輸なんてトンデモない!
ちゃんと政府の許可の元に運んでるだけネ!
そんじょそこらのヤクザと違って無許可で運ぶ真似はしないアルよ!?
それにこの船は大陸から戻って来た所ネ。ヤクザなら弾薬なんて持ってこないヨ。
アイツらが持ち込むなら違法風俗用の獣人とかアルね」

ぶんぶんと首を振って否定する香蘭。
だが、平田の追及は止まらない。

「だとしたら、何でこんなモノ礼文に持ってくるんだよ?」

「それは先方にキャンセル喰らったアル。
アーンドラで補給用に売りさばく予定だったけど、情報は予想以上に早かったネ。
停戦交渉が始まった話が広がると、売却先の傭兵団やら騎士団から過剰在庫のキャンセルが来たアル。
でも、あたし等はまだ良心的アルよ?一部の不届き者は、持って帰るの面倒くさがって誰これ構わず叩き売ってたね。
そのせいで盗賊が重武装化してるから、帰ってくるのも大変、大変。
何せサルカヴェロのマスケットや北海道が供与したボルトアクション小銃が、戦場に死体と共にゴロゴロしてるから、戦利品として皆拾って武装してるし
そんな奴らに弾が叩き売られてたから、途中で酷い光景はいっぱい見たよ。
銃で武装した傭兵に下剋上喰らった騎士団で、女騎士が慰み者にされてたりね」

香蘭は「大変だったネー」としみじみ語るが、話を聞いている内に平田の表情は硬くなる。
大陸が酷い有様になっているのも、コイツら武器をばら撒いているのが原因ではないか?
そう思わずには居られなかった。

「おっと、そんな怖い顔しちゃって。
英雄さんの可愛い顔が台無しアルよ」

「いやだって、それって死の商人って奴だろ?
大陸がそんな状態になってたのは、お前らが無節操に武器を売るからだろ?」

平田はそう言って、あからさまに嫌悪の眼差しを香蘭へと向ける。
武器商人……幾ら政府からお墨付きを貰おうと、治安悪化の元凶であることには間違いないと彼は思っていたからだ。

「んー ウチの会社は武器製造がメインなんで、純粋には違うんだけど、そう言われればそうかもしれないアル。
でも、ぶっちゃけ現地販売は上手くいかなかったヨ。
でっかい騎士団とか大口の販売先には先行のライバル社が大陸で幅を利かせてるし、小口は小規模な流通業者が参入し始めてるから
うちの会社は撤退アルよ。これからは製造一本に事業を絞るって社長は言ってたネ」

そう言って、もう直接販売は止めると言う香蘭の言に平田は少々表情を緩めた。
何も、もう止めようと言う物にまで厳しく当たるほど平田の度量も狭くはない。

「ん? そうなのか。
君の所の会社は撤退するのか。
それならこれ以上やかましく言うつもりはないんだが……
それにしても、大陸には他にも色々進出してるのか?」

「そうね。
結構色々な商社なり何なりが出て行ってるヨ。
特に最大手は国後の石津製作所アル。
あそこはとても恐ろしい会社ね。
昔、ちょっとだけあそこに勤めてたけど、ほんの少し情報を抜いただけで一度殺されかけたよ」

「石津製作所?
そんな会社があるのか?」

聞いたことのない社名に平田は首を傾げる。

「そうね。
武器製造だけじゃなく、民間軍事会社としてもやってるよ。
民生品は作ってないから一般の知名度は低いけど、大陸じゃ下手に揉めたら大火傷するって有名アル。
まぁ、そんな怖い会社だから悪い事も沢山やってる筈ネ。
証拠はないけど、大陸じゃ盗賊すらビビって逃げる相手だから巨大な悪と見て間違いないネ。
そんな訳で、警察さんは速くあの会社を手入れするといいね。
副社長のロシア人の女は特に恐ろしいので、捕まえて塀の中に隔離すると良いアルよ」

「そんな悪い連中なのか?」

多分に一方的な主観が多い香蘭の評価。
平田もさすがに怪しみ香蘭に聞き返すが、そんな平田の問いに対して香蘭は大きく頷いて断言した。

「絶対間違いないある。
殺し、盗みにヤクまで何でもアリあるよ! ……多分」

一々断言するものの、香蘭の説明はどうにも言葉の端々が信用できない。

「まぁ、彼女の言葉が何処まで本当かは別として…… ヤクか」

平田は顎に手を当て思案する。

「どうしました警部?」

「いや、昔見た映画で武器商人がコカインで決済してるシーンを思い出してな。
そんな悪い奴らなら、金の為に麻薬をばら撒くくらいしかねないのかなぁ……と思って」

「警部、それは余りに偏見が過ぎると言うか……」

「あぁ ごめん。
でも、最近、道内でも無責任に銃を売る奴が多くて困っててね。
政府が規制を緩めたとはいえ、道内に自衛用で猟銃を多量にばら撒いたのが原因で、警察の重武装化に歯止めがかからないのは知ってるだろ。
最初は対害獣用だったとしても、一人の犯罪者が銃を持つと護身用で一般にもあっという間に広がったし……
昔の礼文は警棒すら要らないんじゃないかって位平和だったのに、今じゃSAT顔負けの部隊も出来たもんだ。
地元が発展するのは嬉しいんだが、それに引き替え加速度的に犯罪が凶悪化するのは見るに堪えないんだよ」

「お気持ちは分かりますが、偏見に拘り過ぎると真実を見失います。
冷静にいきましょう」

「……わかったよ。
でも、なかなか貴重な話が得られたな。
石津製作所…… マークしてみるか」

香蘭の言葉を鵜呑みにすることは出来ないが、石津製作所とやらには何かがあるかもしれない。
礼文の治安を守る為、平田は出来うる限りで探ってみるかと決めたのであった。



[29737] 交流拡大、浸透と変化4
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/06/15 23:55
停戦交渉が始まった。

各国の到着から遅れる事1週間。
最後にやって来たキィーフの代表団の到着をもって、アーンドラ紛争の停戦交渉が礼文にて開かれた。

大きなテーブルを挟み、サルカヴェロと対峙して席に着くのはネウストリア教皇領を中心とした代表団。
両者とも言葉には出していないが、並々ならぬ敵愾心を発している。
もし、この様子を可視化できたなら、双方から上る敵愾心と言う漆黒の炎が、会議場全体を燃やし尽くしているだろう。
だが、そんな張りつめた空気ではあるが、当然の如く実際に手を出す馬鹿はおらず、交渉の初期の頃は双方の口調は非常に紳士的だった。
間を取り持つ北海道の代表として参加している鈴谷宗明外務大臣は、久しぶりの目立つ檜舞台に上がった事に加え、双方が積極的に妥協点を探そうとしている姿勢から
この交渉は上手くまとまると信じて笑顔が絶えなかった。
というのも、今回の停戦交渉…… 双方にとって切実な問題から望まれた物なのだ。
双方の抱える一番の問題。
それは経済と物資。
詰まる所、金が無いのだ(共産主義的なサルカヴェロは軍需物資だが)
イグニス教の人族国家は、明治維新並みの国家改造に乗り出したエルヴィスを除けば、どこも時代遅れの徴税・募兵体制だ。
税の大半は農民からの収益であり、そこから上がる税も地元貴族や教会の分を引いたもの。
監査制度も十分でない為、本来国庫に入るはずの税が脱税されているなんてことも多々あった。
そして、国民国家の誕生もまだの為、兵力は参戦した貴族が領地から強制徴募した農民兵と、高い金で雇った傭兵が主体だ。
長引く戦乱は、傭兵団への支出と、農民兵の長期拘束による生産力の低下を引き起こし、程度の差はあれ各国ともに国庫が空となる事態となっているのだ。
金が無ければ兵糧買えず、補充兵への装備や訓練も覚束無い。
雇われの傭兵団など、給金の不足を補うためアーンドラやその周辺地域で略奪を行っているという話だ。
諸国も金が無いと言う背に腹は代えられない理由と、所詮自国ではないと言う感情から、半ばそれを黙認していた。
そして、金欠の影響は傭兵団だけに留まらない。
今は聖戦という大義名分を抱え、信仰心で戦力の過半である農民兵を繋ぎとめているものの、日々粗末化する兵糧は彼らの心を挫き始めていた。
信仰心から聖戦に参加したものの、飯も満足に食えず、更には彼等はココまで戦役が長期化するとは思っていなかったため、農作業に戻ろうと脱走者が後を絶たない状況なのだ。
かといって、攻勢に出てもサルカヴェロの分厚い塹壕陣地を抜ける可能性は殆どなく、ジリ貧、打つ手なしと言う状態だった。
そしてそれはサルカヴェロも同様だった。
もっとも、彼等はイグニス教諸国とは違い、前近代的な徴兵制と計画経済によって兵と軍事物資を確保していた為、金銭の不足というものでは無いのだが
問題はもっと軍事的な兵站だった。
当初のサルカヴェロの計画では、火力と鉄量でもって諸国の魔術師を粉砕し、アーンドラどころか教皇領の中枢すら占領する予定であった。
だが、彼らにとって誤算であったのが、計画立案後に転移してきた北海道の意外なまでに大きな影響だった。
開戦当初、確かにアーンドラの箱舟を奇襲占領し、アーンドラ軍を壊滅させるまでは計画通りだった。
銃を装備していないアーンドラ軍相手に、魔術師は遠距離から砲撃で潰し、一般兵はマスケットで始末する。
戦いですらなかった。
生き残りの言を引用するならば、それは虐殺であった。
そもそも平地で会戦を志向するアーンドラ軍にとって、遮蔽物の無い平地での戦闘は自殺行為そのもの。
連戦連勝を重ねるサルカヴェロ。
だが、援軍として北海道から薫陶を受けたエルヴィスの義勇軍が駆けつけてきた所から全てがおかしくなり始める。
アーンドラや援軍として駆けつけた他の諸国軍と違い、ライフル兵・弓兵・魔術兵の混成部隊であるエルヴィス軍は、塹壕戦と毒ガスの使用によって
サルカヴェロの侵攻を止めたのだ。
そして、時間と共に諸国軍に伝播する銃と言う新式装備と戦術。
戦場で地獄を見た者達が、プライドも騎士道もかなぐり捨て、必死に習得したのだ。
ここに来て、作戦計画の半分も未達であったが、サルカヴェロの快進撃は長期の消耗戦へと変化した。
しかし、サルカヴェロはイグニス教諸国より進んだ工業力を持つ共産国家。
本来は総力戦で負けることはない。
では何故サルカヴェロは窮したのか。
それは陸では無く、海に原因があった。
北海道から入手した特殊鋼をもって防御を強化したサルカヴェロの装甲艦。
それは圧倒的な戦力をもって制海権を握るはずだった。
だが、北海道の影響で海軍力を強化できたのはサルカヴェロだけではない。
諸国軍も北海道から購入したウィンドジャマーに武装を施し、戦争に投入していたのだ。
だが、鋼鉄の船体のウィンドジャマーとて、装甲を施した装甲艦には太刀打ち出来ない。
そこで諸国軍は、エルヴィスが北海道から仕入れた軍事知識を元に、快速で長大な航続力を持つウィンドジャマ―を通商破壊に使用する事を決めた。
装甲艦を見ると一目散に逃げ廻り、弾薬などの物資を運ぶサルカヴェロの商船を見つけると狼の如く襲い掛かった。
前線に送られるはずの弾薬は、幾ら本国で生産されようと次々に海の底に沈み、護衛に装甲艦を付けようにも満足な隻数が無い。
新たに装甲艦を建造したとしても、それらが就役する頃には補給の不足から戦線が崩壊している可能性も有り得る。
諸侯軍による補給船への徹底的な打撃……
これにより、サルカヴェロも詰みとなった。
食糧は現地調達できても、弾薬は出来ないのだ。

そのような事情により、双方共に様々な感情を持ち合わせいても、停戦すべきという目的は一致していた。
交渉が始まって早々に『交渉が行われている間は休戦期間とする』という合意がなされたのは、双方の目的一致の象徴だろう。


そんな理由もあって、最初は直ぐに纏まるだろうと思われた交渉だったが、時間が経つにつれその空気は変わっていったのは誰にとっても予想外であった。
交渉開始、休戦合意から更に一週間……未だ交渉は喧々諤々の議論が続いている。
争点は停戦ラインをどこに設定するか。
当初は双方現在の支配地そのままで境界線を設定しようと言う気風があった。
だが、交渉がずるずると経過するうち、双方の思惑に変化が出てきたのだ。
サルカヴェロ、イグニス教諸国の商船も集まるこの礼文は、人や物資と同時に情報も集まる。
そうして集まった情報により、双方にお互いの状況が分かり始めてきたのだ。
イグニス教諸国は経済が限界、時機に軍制が内部崩壊する。
サルカヴェロは現地の兵站が限界、時機に派遣部隊に飢餓が始まる。
おぼろげな推論やデマの類も多かったが、集まった情報により双方が態度を強硬にし始めるには十分だった。

”こちらが今しばらく辛抱すれば、敵は崩壊するのではないか?”
お互いの持つ共通した意識は、そんな希望的観測であった。

これにより、双方の主張は平行線をたどる事になる。
サルカヴェロは占領地の属領化と、交戦勢力への賠償金の支払いを求め、
イグニス教各国は、各国の占領地は引き続き保障占領すると共に、被害を受けた教会、各国資本への賠償金を請求したのだ。
それでも、各国ともに共通する見解として、境界線を現在の前線から変えるつもりはなく、それでいてアーンドラに配慮するという姿勢も無かった。
あるのは、敵が予想以上に弱体化しているとの情報から、+αの成果を引き出そうという自国の国益のみを考えた事だった。

「我々もこれ以上の戦闘は本意ではない。
貴国が自らの誤った行動を真摯に反省し、我が国が被った被害を賠償するというなら、今回の停戦にも同意できる。
だがしかし、貴国にその気持ちが無いのなら、全面的な攻勢貴国の軍勢を蹂躙することになるが、如何か?」

そう言って強者が慈悲を与えるような身振りで話しているのは、ネウストリア教皇領のロベスピ。
だが、それを聞いてサルカヴェロ側も黙ってはいない。
無反応、無表情の低い声でサルカヴェロの使節代表である巨人族の男が、皆を見下して口を開く。

「攻勢が有ろうとなかろうと、後にも先にも我々に敗北は無い。
そもそも、これは我が国とアーンドラの戦争。
横から盗賊の様に割り込んできた貴国らは、己の劣勢を認め素直に賠償金の支払いに応じるべきだ」

戯言を言わずに条件を飲め。
言葉にしなくても、そんな意図がプンプンと臭う。
彼等はこんな言い争いを既に数日続けている。
正に「会議は踊る。されど決まらず」というナポレオン戦争後のウィーン会議の様な状況が、この礼文でも起きている。
予想外のこの事態に、交渉の仲裁国である北海道側は焦った。
代表を務める鈴谷は、薄い頭を冷や汗で湿らせながら、どうにかこうにか仲裁の糸口を探る。
だが、北海道がどうにか間を取ろうにも、双方の勢力が交渉を優位に進める好材料を待ち始めたので歩み寄る兆しはない。
『もう少し待てば……』
お互いにそう考えているのだから早期に妥結などする筈もない。
一体いつまで続くのか……
誰もがそう思っていた交渉であったが、いい加減各国ともに痺れが切れてきたある日、事態は思わぬところから進展を見せる。

それは、一番遅くに来て、交渉開始から最低限の言葉しか発していなかったキィーフ帝国代表団。
その団長を務めるコサックのような民族衣装に身を包んだラグロフ特使が、その面長の顔から発せられた言葉が切っ掛けであった。

「双方の言い分はよく分かるが、ここは一度現状維持で手を打つべきでは無いかね?
お互いに多くの血を流し過ぎた。
それに、来るかも分からない朗報を待っても、互いに軍の維持費や兵站の無駄遣い以上の何者でもない。
私としては、ここらが妥協のしどころだと思うのだがね」

いい加減茶番は止めたらどうか。
ラグロフ特使は、双方の陣営が期待する『希望的観測に依存した心境』を見透かしたように言う。
だが、そんなラグロフ特使に対し、一番に反論の声を上げたのはロベスピであった。

「ラグロフ殿
差し出がましいようだが、勝手に妥協するなどと言わないでいただきたい。
貴国以外のイグニス教諸国は安易な妥協など望まぬ。
我々との合意を結びたいなら、サルカヴェロが譲歩の姿勢を見せるべきだ」

イグニス教諸国として足並みを揃えねばならない時に、お前は何を言っているのか。
ロベスピの鋭い視線が、無言の圧力となって涼しい顔をしているラグロフに突き刺さる。
だが、そんなロベスピの抗議もラグロフには全く通じない。
むしろ、蚊帳の外に置かれたサルカヴェロが方が先に反応した。

「それはこちらの台詞だ。
安易な妥協は要らぬ。
それに、そもそも大国である我がサルカヴェロが、小国の集まりに譲歩するなど笑い話以外の何物でもない」

「なんだと!?」

フンと鼻息混じりに言い捨てるサルカヴェロの巨人。
その尊大な言い方に対し、思わずロベスピも額に血管が浮く。

「ふむ。
此度の交渉、北海道の仲介で交渉を行うという手前、色々と抑えていたのだが、実りある交渉の為にも一つカードを切らせて頂こう。
別に我々の手札は軍事力だけではないのだ。
例えば、貴国らの貿易商品の中で、近年は鉄を材料とする製品が増えているそうだな」

「それがどうした?」

「何。
懲罰的な意味を込めてサルカヴェロから一切の資源を禁輸してもいいと思ってな。
まさか、貴殿らは己が輸入している製品が、どこの国の資源を元に作られているか知らないわけではあるまい」

「「「な!?」」」

サルカヴェロ側からの思わぬ発言に、その場に居合わせた一同は言葉を飲んだ。
特に、商業を国の重きに置くセウレコスのケバヴィの反応が一番大きい。
今の発言がどれほどの影響力を持つのかイグニス教諸国の中で一番理解しているようだ。
サルカヴェロの鉄。
それが最終的にはウィンドジャマ―の様な船となって各国に輸出されているのは皆知っている。
そしてサルカヴェロが大手を振って鉄鉱石を輸出しているのは北海道のみ……
原料供給が経たれれば、全てに影響するのは自明の理だった。
そして、そんな爆弾発言に驚愕したのはイグニス教諸国の人間だけではない。
第三国でありながら、いきなり鉄の禁輸などと言うカードを切られた北海道代表の鈴谷が、慌ててサルカヴェロの真意を問う。

「ラグロフ特使! 今の発言は?!」

「鈴谷殿
別に直ぐに実施するとは言っていない。安心されよ。
あくまで可能性の中の一つだよ。
そもそも彼らは宗教の異なる我々との取引を禁ずると自分で言っておきながら、我が国の資源で作られた他国製品は嬉々として輸入する。
おかしな話だとは思わないかね?
我々としては、彼等には自分の決めたことくらい遵守していただこうと思っただけだ。
北海道は飛んだとばっちりかも知れないが、彼らが悔い改めれば我々もそんな手は使わない」

あくまで可能性の話。
サルカヴェロの代表はそう言うが、その発言以降、各国の鈴谷を見る目が変化したのは誰にでも明らかだった。
イグニス教諸国の生産力が乏しい今だけとは言え、北海道は鉄鉱石などの大部分をサルカヴェロに依存している。
それが今、はっきりと外交カードとして握られている事を改めて示唆されたのだ。
イグニス教諸国は、先日、大統領の高木と未来を語り合った仲とは言え、資源という人質を北海道が取られている以上、全幅の信頼を寄せる事は難しくなったのだ。

「鈴谷外相……
まさか、今の戯言を本気にしてはおるまいな?」

「そ、それは……」

ロベスピの言葉と共に、一同の視線が鈴谷に集まる。
心の奥を覗き込むかのような視線に、鈴谷の額には冷や汗が流れた。
対して、爆弾発言を投げ込んだサルカヴェロは、疑心暗鬼に陥った一同を見て満足げに笑って語り始める。

「まぁ その件については其方で一度検討しては如何かな?
それと、一つ忠告だが、全ては貴国らの責任だ。
あまり鈴谷殿に圧力をかけようとすれば、北海道からそっぽを向かれてしまうかも知れないな。
……まぁ、我がサルカヴェロは何が有ろうと北海道に友好の門は開いている。
何かあれば我々との親交をより深化させれば十分だと思うがね」

ニヤニヤと笑いながら、笑顔の圧力。
イグニス教諸国としては北海道に釘を刺しておきたいだろうが、そんな事をして北海道が逃げれば喜んで我々の陣営に迎えよう。
そんな意図がヒシヒシと感じるサルカヴェロ代表の笑顔だ。
ロベスピを始めとする各国は忌々しげに奥歯を噛みしめる。
正に一触即発。
会議場の空気も急激に熱を持ち始めた。
これはマズイ。
双方の空気を感じ取り、危機感を感じ取った鈴谷は、何とかして場を治めようと考えるが
そんな張りつめた空気を最初に断ち切ったのは、狼狽する鈴谷では無く、双方の話を黙って聞いていたキィーフのラグロフであった。

「まぁ、皆さん一度落ち着きましょう。
それに座りっぱなしは中々堪える。
皆も一度休憩を挟み、頭の中を整理してから交渉を再開するとしよう」

ラグロフは「それでは……」と会釈をして席を立つ。
その背中をロベスピは「ラグロフ殿!」と叫んで止めるが、彼は振り返りもせずに自国の休憩室へと向かってしまった。
残されたのは、勝手に席を立ったラグロフに毒気を抜かれた面々である。
一同は暫く呆然とラグロフの去っていった方を見ていたが、我に返った鈴谷がゴホンと咳払いを一つすると、皆それにつられて気を取り直した。

「……では、少々の休憩を挟みましょうか」

ラグロフの言うとおり、ここらで休憩としても良い時間だ。
続きは皆の頭が冷えてから再開しよう。
鈴谷はそう考え、正式に休憩を宣言すると、各国ともそれを受け入れ、各々の休憩室へと向かう。
サルカヴェロからセウレコス、ゴートルム……各国の使者が次々と退室し、鈴谷も最後に部屋を出ようとした時だった。
会議場の出入り口で、待ち構えていたクラウスが鈴谷に声をかけてきたのだ。

「鈴谷殿……
サルカヴェロの言…… あまり気にせずに頂きたい」

眉間に皺を寄せながら、懇願するかのようにクラウスは言う。

「確かに今の我々の資源採掘能力は低い。
しかし、あと数年待っていただきたい。
さすれば北海道から導入した技術と機械で、望みの資源を好きなだけ供給しましょう」

時間的な猶予が有れば何とかしてみせる。
決意と懇願と両方の混じった瞳で鈴谷を見つめるクラウス。

「……わかりました。
貴国らの意志は大統領に報告しておきましょう」

「ありがとう。
高木閣下には、どうぞよろしくお伝えください」

クラウスはそう言って鈴谷の手を握るのだった。



[29737] 交流拡大、浸透と変化5
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/06/15 23:55
ネウストリア教皇領に割り当てられた休憩室内は、室内の空気が不穏なほどに澱んでいた。
内にいるのは、部屋の主であるネウストリアの他、セウレコス、ゴートルム、エルヴィス、アーンドラの面々。
彼等は、敵であるサルカヴェロの切った北海道を巻き込むという外交カードと、同じイグニス教国でありながら歩調を乱すキィーフに対しても同じように怒りを感じ、
交渉再開に向けキィーフ抜きでの対応を検討している。
とはいえ、資源を盾にし、中立国である北海道を全面的に巻き込もうとするサルカヴェロの手法は、実に優秀な効果を発揮している。
何せサルカヴェロの要求に彼らが強硬に反発し、仮にサルカヴェロ産の資源が全て禁輸された場合、イグニス教諸国も困るが、一番困るのは北海道なのだ。
だがもし、北海道が参戦しておりサルカヴェロと敵対していたならば、敵国のこのような要求はにべも無く拒否していただろう。
だが、現実には北海道は中立国。
とばっちりで資源という血脈を止められるくらいなら、イグニス教諸国に譲歩を迫る可能性も無いとは言えない。
何せイグニスもサルカヴェロも両方が相手が飲めないであろう要求を出しているのだ。
交渉を破たんさせ、最悪の状況になるくらいなら、片側に譲歩させ、丸く収めようと言う意図が働いてもおかしくないのだ。
北海道の非参戦。
敵か味方かハッキリしない事自体がイグニス教諸国を動揺させている根幹と言えるだろう。
故にケバヴィがロベスピに問いかける一言は、皆のそんな心境を如実に表していた。

「ロベスピ殿
正直な所、北海道には中立を維持するのにどれ程の覚悟があるでしょうか」

顎鬚に手を当て、困った様な表情でケバヴィがロベスピに言う。

「実際の所はどうでしょうね。
大統領閣下は此方に対して友好的に接してくれてはいるが、最終的な利害が絡めば個人の意思など国家の前には軽いものだ」

そう言ってロベスピは溜息を吐く。
個人的な信頼だけでは外交は出来ないのだ。

「待ってください。
あたかも北海道がハナから信じられないという言動は如何なものかと思います。
私は高木大統領が此方を捨てないと信じたい。
何故なら我々がサルカヴェロ相手に戦えたのも半分以上は北海道の武器支援のおかげ。
ここまで助けておいて、急に掌を返すなど無いと信じる」

そう言って、ゴートルムのミゲルはガタリと椅子から立ち上がると、周りを見渡して一喝する。
その澄んだ目は、相手を信じれずして何が味方かと訴えているようだが、残念ながら皆は彼を見つめるだけで賛意を示す人間はいない。
ただ一人、クラウスだけが彼に優しく語りかけるのみだった。

「バガリャウ殿。
君は若い。だがらまだ判らぬかもしれないが、時に個人の意思は国家利益に逆らえぬ時もあるのだよ」

「ですが……!!
じゃぁ一体どうしたら良いんです?
大人しく奴らの言い分を聞けって言うのですか?!」

「そうは言っていない。
それを如何するかを今から考えるのだ。
例えば、サルカヴェロがしたように、我々も脅迫でもって譲歩を引き出すとか」

クラウスの言葉に、先ほどまで熱く食って掛かっていたミゲルの動きが止まった。
脅迫……そんな外交カードはこちらにあったか?
ミゲルは眉を潜めてクラウスに問うた。

「脅迫?
何か良い案でもあるのですか?」

「今はまだ確実な案はない。
だが、手段を確保するために動かなければならない事は確かだ。
例えば、北海道が来た世界にあったと言う生物兵器とやらを入手するとか」

「生物兵器?」

「なんですかなそれは?」

知らぬ単語が出て、ミゲルだけではなくケバヴィもクラウスに問い返す。

「何でも、向うの世界では毒ガスと並んで大量破壊兵器と呼ばれ、特に細菌兵器と呼ばれる種類のものは、黒死病や天然痘などの流行病を武器として使う技術だそうです」

真面目な表情を崩すことなく淡々と説明するクラウス。
だが、その説明を聞いてケバヴィ達は飛び上がった。

「黒死病だと?!」

そんな危険な代物を兵器として扱うなんて狂気の沙汰。
ケバヴィは正気かと言わんばかりの表情でクラウスを見る。

「でも、この方法は難しいかもしれません。
何せ今の北海道の高木政権は、我々がサルカヴェロ相手に毒ガスの無制限使用に踏み切るのに難色を示していました。
同じ分類の兵器の開発を彼らは許さないでしょう」

そう言ってクラウスは溜息を吐く。
脅迫に使えそうな兵器ではあるが、配備するに当たりハードルが高いのだ。
そしてクラウスの言葉に補足する様にロベスピも口を開く。

「クラウス殿は面白い発案をなさる。
確かそれは脅しとしては有効そうだが、それを保有するのに解決しなければならない問題点はまだある」

「というと?」

「知っての通り、イグニス教の現教皇は統制派。
兵士のぶつかり合いを重視する彼らは、そのような兵器を毛嫌いする嫌いがある。
それに神の使徒の軍が疫病をばら撒くなど外聞が悪すぎる」

そう言ってロベスピは目を瞑って苦々しく首を振る。
ロベスピは教皇領の人間であるが、所属する派閥が教皇の統制派とは違い、クラウスと同じく純粋派に属する。
教皇領の為に働くという目的では統制派と一致できても、細かい政策では反目することも多いのだ。
そして、その気持ちはクラウスも一緒であった。

「また統制派ですか……
彼等は何時も足を引っ張る。
次期教皇選では何としても引導を渡さねばなりませんね」

「うむ。
次期教皇戦で純粋派を勝利させ、北海道を説得できれば
最早、サルカヴェロなど恐れる事は無いのだが……現実は難しい」

サルカヴェロの圧力を跳ね返し、勝利を掴むための手段は簡単には手に入らないのだ。

「しかし、いつかは通らなければならぬ道です。
例え今回の交渉で不利な譲歩を飲まされても、次の戦争で勝てば問題は無いのですから。
その為に必要な事は全てやる必要があります。
特に先ほど言った生物兵器は敵国を根幹から滅ぼし、勝利に大いに貢献するでしょう」

「そうだな。
クラウス殿の言う通り、勝てる見込みが出て来るなら多少は屈辱に目を瞑っても耐え、準備をせねばならん。
教皇選の準備、北海道での工作…… 全ては次の聖戦の為に……」

そうして彼らは一つの方向性に辿り着いた。
仮に多少の分が悪い交渉になったとしても、次の戦争で取り戻せばいい。
彼等にとって必要なのは次の戦争の為の準備と時間。
内々にして、彼らが強い意志と目的で結ばれた瞬間であった。

だが、そんな記念すべき瞬間であったが、彼らは誰一人として気付いていない。
彼等の集まったネウストリア教皇領控室……もとい、この会場全体にある種の機械が多数仕掛けられているの。
そんな彼らの預かり知らぬところで集められた情報は、専用の職員の手で纏められ、オンラインで送られていたのだ。






「なんですか?
あのバカどもは?」

政府連邦ビルの会議室にて、閣僚と一緒にその会話を聞いた高木は、信じられないと言う表情で開口一番そう切って捨てた。

「閣下、少々お言葉が過ぎます」

そう言って戒めるのは、現地からテレビ電話にて会議に参加する鈴谷外相。

「でも聞いていたでしょう?
生物兵器を保有したい?それも実戦使用前提で?
狂気の沙汰だわ」

これがもし、転移前の世界であったら、毒ガス戦、生物兵器戦を国家の主戦法に据える国など狂っているとしか言いようが無かった。
そんな事をすれば国際的な評価を落とし、大国の介入や制裁すらあり得る戦法だからだ。
高木は呆れ果て、大きくため息を吐く。

「それにしても、盗聴を指示して正解だったわ。
サルカヴェロにしても盗み聞いた限りじゃ、新式の軍制を整えた自信から来る膨張政策が開戦の原因っぽいし
揃いも揃って場当たり的な対応だけじゃなく、大戦略を策定する気は無いのかしら?」

高木は、馬鹿ばっかりと頬杖をつく。
そして、そんな高木に同調する様に、大きな狸のような体格の武田勤STRA(Science and Technology Recovery Agency - 科学技術復興機構)理事は大きく頷いた。

「それは彼らの社会システムの未熟さゆえだよ。
特にサルカヴェロは未開部族の制圧はしていても、本格的な戦争は初めてなんじゃないのかな。
だが、兵器の威力を知らぬという事は恐ろしい。
特に生物兵器など、公衆衛生の概念が未発達な各国では、諸刃の剣だろうに……
彼等には啓蒙と首輪が必要なようだ」

「そうですね。
取りあえず経験不足の各国には、今回に限り双方に必要ならば飴でも与えて妥結させますが
今後も同じことが繰り返されるのは困りますね。
調停機関としての国際機関……
やはり、今回の交渉の中で提唱しましょう。
彼等はルールで縛る必要がある。
それにサルカヴェロの資源外交……
あれも規制する為にWTOの様な機関が必要ですわね」

高木の発言に皆が同意する。
無知な子供に刃物を持たせてはいけない。
それを取り締まり、危険性を啓蒙する組織の必要性を会議室の面々は強く感じる。
そして、その組織の中で彼らを導くのは"危険性を知る者"である北海道がその任に付くのは必然であると皆は考えたのだ。
だが、高木の発言では一定のコンセンサスはなされたが、まだ物足りないかのように武田STRA理事は言葉を紡ぐ。

「大統領のいう事は尤もだ。
だが、我々成すべきことはそれだけでは不足だ。
今回の交渉の進行を聞いて、我々にやらなければならない事が、もう2つばかりやる事が出来たようだね」

「やらなければならない事……ですか?」

武田の言葉を聞いて、高木は頬に指を当てながら首を傾ける。

「そうとも。
一つ目は…… そうだな、先ほどの話を聞いて思わなかったかね。
今のイグニス教は、統制派と呼ばれる派閥に属する教皇が色々と戦争のルールを決めているそうだ。
それが、彼らの言う教皇選でルール無用の純粋派とやらが勝ってみたまえ。
世の中は血で血を洗う闘争の時代に入る事は間違いあるまい。
それも大量破壊兵器を使う事に、何の躊躇いも無い連中が跋扈する中でだ。
それを未然に防止する意味で、水面下で純粋派を妨害した方がいいのではないか?」

過激な教皇の選出を阻止するための選挙妨害。
次の教皇選挙がいつになるかは知らないが、水面下でのネガティブキャンペーンを行ってはどうかと武田の提案に、武田は深く考えさせられた。
だが、その考えには一つ問題がある。
今のエルヴィスにて、親北海道の政策を取るクラウスは純粋派の所属なのだ。
そして、聞く所によると彼には教皇選に出れる資格があるらしい。

「純粋派を妨害ですか、それは親北海道のクラウス殿らを裏切る事になりますが……
……そうですね。
大局を見れば、しかたのない事かもしれません。
流石に生物兵器の積極使用を唱える人たちを、この世界の一大勢力のトップには据えられません」

「あぁ、親北海道の人材が憂き目にあうのは申し訳ないが、この際、そんな事は言ってられない。
だが、関係悪化を避ける為、事の露見を避けるよう慎重に事を進めればならないだろう」

例え対抗勢力を陰ながら支援しても、事が露見しなければエルヴィスとの関係悪化は無い。
武田はそう断言し、話を続ける。

「話を続けるが、今、北海道がなすべき事の二つ目は、資源の確保。
今までは北海道内に引き籠りつつ、交易で資源を入手していたが
これよりもっと積極的に対外行動をした方が良いだろう」

資源の問題。
これも交渉の進行を聞いていた会議室の面々も重要性をヒシヒシと感じていた。
一国に握られる資源供給源。
それは、他国に国の心臓を握られているのと同じなのだ。
握りしめられれば国家の血流は止まり、体細胞の壊死が始まる。
実際には道内の鉱山を最大限利用することで生きていく最低限は自給可能なのだが、経済の成長を合わせて考えた場合、それでは不足なのだった。
だが、そうであると理解はしていても、積極的に資源を確保すべきと言う武田の言には、少なくない人数が疑問を呈する。
かくいう高木もその一人であった。

「外への積極的な資源確保……
それは資源を求めた戦争ですか?
北海道にそこまでの外征能力は無いと思いますが?」

流石に資源を欲していても、外征するだけの兵力と兵站を北海道は持たない。
仮に他国と戦争し、箱船という空中要塞が出てきたら、やっと対艦ミサイルの量産前試作デットコピーを生産し始めた段階の北海道に抑える手はないのだ。

「いや、別に資源を求めて他の国と戦争しろとは言ってない。
この世界は前の世界とは違う。
我々の地表探査と他国の話を統合すると、未だ領土未確定な土地は多々存在する。
そこに植民都市を建築し、資源確保をすればいいのではないかな?」

「植民都市ですか……
でも、移民させるほど北海道に余剰人口は……」

慢性的な労働力不足の北海道に移民に出せる余剰人口は無い。
そもそも文明を離れ未開の地で一から始めようなどと言う人間が果たしてどれだけいるだろうか?
一時的な大陸の事業所に出張ならまだしも、移民となれば精神的なハードルは高い。
道民の中には、現代知識でNAISEIすると言って北海道を飛び出し、大陸浪人になった者も少数存在するが、植民都市を建設するとなると程遠い。

「別に純粋な道民を移民させろとは言ってない。
私が思うに、ここは古代ローマ式の植民都市が良いと思う。
北海道が都市のインフラ、統治機構、教育を整備し、住民は原住民を教化した者を住まわせる。
我々の統治が上手くいっている限りにおいて、道民を移住させること無く植民都市は建設可能だ。
何なら礼文で教化研修中の移民希望者の内、一定数を派遣しても良いんじゃなかな。
研修を受けた者全員が道内に来れるわけではない、教化度合いを測るテストに落ちた者も大勢いる。
将来的な北海道への帰化受理をチラつかせれば、すぐに乗ってくるだろう」

武田の話を聞いて、高木は先日、礼文島のレストランでの一件を思い出した。
北海道への来たいと思っていても、現時点で受け入れているのは、素行がよく、一定以上の能力があり、教化研修を受けた者に限定されている。
あの日、レストランで見た黄昏ていた老人の様に、意欲はあっても叶えられない者も大勢いるのだ。
彼等が求めているのは、職と北海道の高度に進んだ文明。
それに準ずる植民都市を作ると聞けば、諸手を挙げて集まってくることは想像に易い。

「……そうですね。
いつまでも、北海道の中に閉じこもっているのも外交的な制約が増すばかり。
今回の様な資源外交の恫喝を回避するためにも、外へ外へと出て行かねばならないかもしれませんね」

「その通り。
だが、いきなり建設隊を送る訳にもいくまい。
まずは調査隊を送り、候補地の選定を行おうじゃないか」

「ええ、調査については早急に何とかしましょう。
それで…… 候補地については何処か目星はついているのですか?」

ここまで風呂敷を広げたのだ。
何か良い場所があるのかと高木は武田に聞く。

「現段階で有望な無主の地は、キィーフとサルカヴェロの間に広がる森林地帯だ。
広大な人跡未踏の森林は、さならがシベリアのようだよ」

「シベリアですか……
まさか異世界に来てシベリア開発をするとは思ってみませんでしたね」

「そうだな。
だが、現地の状況はそれによく似ている。
広大な土地、希薄な人口。ここの開発についてはロシア人に意見を貰った方が良いと思う。
何せ彼らはそう言った土地を開発することにかけてはプロだからな」

餅は餅屋。
シベリア開発ならロシア人と相場が決まっている。
恐らくは、資源鉱床近くにコンビナートを作り、それを交通網で繋ぐ形式になるのだろうが
彼等の経験は役に立ちそうだと高木は思った。

「そうですね。
彼等の指導を受けつつ計画を策定してみましょうか。
ステパーシンさん。
ロシア人の方々の中から、良さそうな人材を回してもらって良いですか?」

「それは構わんよ。
国後の油田には、シベリア開発に携わったガスブロムの技術者も多数いる。
ノボシビルスクだろうがウラジオストクだろうが、この世界に作って見せよう」

高木の依頼に、ステパーシンは胸を叩いて任せろと言う。
まぁ、彼から送られてくる人材に任せれば、建設自体は上手くいくだろう。
気を付けるべきはソチオリンピック時の様に建設予算が途中で消えて行かないか監視するだけかと自信あふれるステパーシンの顔を見て高木は思う。
何せ植民都市を建設するとしたら、本国から離れた遠い地。監視は特別に組織を作った方が良いだろう。

「……しかし、こうして考えてみると色々とやる事が多いですね。
現教皇の選挙支援する為にも、彼らに渡りを付けねばならないし、資源開発計画はこれは結構な規模で組織を発足させねばならないでしょう?
それに次の戦争の為に息巻いてる馬鹿共の説得と、彼らを軟化させるためにもサルカヴェロにも要求を緩めるよう説得しなければならないですね。
……あぁ、それと国際機関の発足でしたか。
特に最後のはチマチマと交渉を重ねているだけでは凄い時間がかかりそう……」

国家が進むべき方向性が決まるのは良い事だが
それに伴い増加する仕事に、高木は苦笑いを浮かべる。
そんな、アハハと乾いた笑いをする高木であったが、そんな彼女にテレビ画面の向こうから声がかかる。

「それについてですが閣下」

「あら、何かしら?鈴谷外相」

「国際機関を発足させるのに辺り、諸国への国際機関の必要性の啓蒙と、次の戦争を起こさせない為に釘をさす意味で、諸国歴訪をなされては如何ですか?」

「歴訪ですか……」

鈴谷の提案に高木は目をパチクリさせる。

「飛行場が各国にない為、船での移動になりますが、それでも3か月程度でしょう。
一時的に国家元首不在になりますが、情報は数年前から放ち続けてる成層圏プラットホームを用いてリアルタイムに交換できますし大した問題はない筈です。
それより、国家元首が訪問すると言う意義の方が各国には大きい。
トップ会談の効果は、チマチマした政府関係者同士の交渉とは比べ物にならない位に大きいでしょう」

例え道内に高木はいなくとも、数年前より北海道が飛ばし続けている成層圏プラットフォーム飛行船は、星全体をネットワークの傘下に置いていた。
成層圏プラットフォーム飛行船。
手に入らないヘリウムの代わりに、魔術による強化で実現した超軽量皮膜の真空嚢の浮力は、ヘリウムに負けないペイロードを実現した。
だが、全てが良い事ずくめではない。
新技術未熟さ故の高い故障率に悩まされたが、それは数にてカバーする事になり、資源の浪費と叩かれる事も多々ある。
だが、それでもカメラと通信機器を搭載した飛行船は惑星の隅々まで行き渡り、擬似的な衛星通信網兼観測網は北海道の新たな力となっていた。
そういった惑星規模の通信網開発により、高木が何処に居ようとも北海道との連絡は可能となっている。

「そうね。
それも良いかもしれないわね。
一つ聞きたいけど、歴訪となった場合の船って政府が接収したあの客船よね?」

「アルカディア・オブ・ザ・シーズです」

かつては豪華客船として世界の海を旅した船。
政府に接収されたとはいえ、他国の使節に国威を見せつける船として、その豪華さは今日に至るまで維持されている。
高木は、仕事とはいえ、豪華客船での船旅を想像する。
北海道から離れれば、仕事量は少しは減る筈。
その隙に船内で堪能できる料理やスィーツそしてエステの数々を満喫しようと、高木は即座に決めた。
不純な動機も混ざっては居たが、既に歴訪をしようという高木の決意は固い。
そろそろ良い年齢になってきた彼女にも、急速は必要なのだ。

「そう……いいわね。
OK、行きましょう。
さっさとこの交渉を纏めて、豪華客船での船旅も最高よね。
じゃぁ、停戦を成立させる為、各国に工作を開始して頂戴。
特にサルカヴェロには、要求を引き下げるよう工作をお願いね」

「わかりました」



そんな高木達北海道首脳部の決定から、三日の後。
イグニス教諸国とサルカヴェロの停戦は合意された。
その内容は、支配地域は現状のままで、双方共に境界線より10kmを非武装地帯として設定する事のみ。
資源の禁輸をチラつかせたサルカヴェロには、対抗手段としてイグニス教諸国への一方的な技術援助をチラつかせることで黙らせた。
結果として、それまで各国が要求していた賠償金は、交渉の行方を危惧した北海道が、サルカヴェロとイグニス教諸国双方に技術援助を約束した事で取り下げる運びとなった。
これは北海道だけが一方的に損しているようにも思えるが、別に彼らにとっては損ではない。
何故ならば、両陣営の産業が北海道の規格で統一されれば、北海道にとって将来的な利益につながるのだ。
そして、各国に北海道が身を切って場を治めたという功績は、各国に対して一つの提案を押し付ける事に成功する。
各国の利害調整の為の国際機関を北海道に設置する。
この案は、各国が持ち帰り検討する事となったが、合意文書の中で明文化出来た事には意義があった。
少なくとも、合意文書に乗った以上、各国で真剣に討議する義務が生まれたのだ。
そんな紆余曲折もあった末、アーンドラでの紛争は双方の痛み分けと、国が消滅したアーンドラの一人負けでカタが付いたのだった。
だが、合意がなされた停戦ではあるが、対立の芽は無くなったわけではない。
いつの日か、再び燃え広がろうと種火が静かにくすぶり続けているのを各国は確かに感じていたのだった。



[29737] 平田、大陸へ行く1
Name: 石達◆48473f24 ID:a7c7e068
Date: 2014/08/16 04:02
季節は過ぎ、初夏。

温暖な風が大地を緩やかに撫で、輝く日差しは、大地の緑を青々と茂らせている。
人々の畑では、青々とした麦が太陽に向かって逞しく伸び、地平線まで広がる酪農用の牧草地は、太陽の恵みが大地にしっかりと行き渡っている事を表している。
毎年到来する変わらぬ夏の季節。
そんな夏の日差しの中、平田はバスの窓から外の景色を眺めていた。

彼の視線の先、そこにあるのは見慣れた礼文の景色ではない。
ここは大陸、メリダの町。
流れる季節と同じように、エルヴィス公国のメリダ村は、以前は住んでいる人々の世代が代われど村としては大きな変化はなく年月だけが流れていく筈だった。
……あの日、外から彼らが来るまでは。

後に町となったメリダ村にとっての回天の日。
拓也達がメリダ村に滞在し、盗賊と戦った事の縁は、村にとって凄まじい変化の開始点であった。
サルカヴェロでの騒動の後、拓也達は村民と良好な関係を得ていたメリダ村に大陸での拠点を置いた。
と言っても、最初は倉庫や事務所宿舎などと建てただけだったが、拓也達がエルヴィスの首都プリナスとメリダ村を繋ぐルートを整備した辺りから状況は大きく動き出した。
何せこのメリダ村、住民の目から見れば大陸最強の傭兵団(実際はPMCだが)が拠点を構える地。
他の地域や首都プリナスと比べても格段に治安が良くなった。
強盗や盗賊が出ようものなら、石津製作所の警備事業部が依頼を受けて(時には社員教育で)狩りに行くのである。
その結果、メリダ村付近で仕事をするならず者は絶滅し、新たにこの付近で仕事をする者すら現れなくなった。
治安は最高、そして最低限のインフラもあり、首都プリナスと繋がっている。
大陸としては好条件のメリダ村。
そんな村が、事業用地を探していた道内企業の目に留まれば、彼らが逃す筈もない。
ごちゃごちゃとした首都プリナスと違い、用地買収が簡単で、治安のよいメリダ村に道内企業の事業所が林立するのに時間は要らなかった。
紡績工場等の労働集約型の工場の計画が次々に立ち上がり、そう言った計画を根拠にインフラ整備用の金をエルヴィスからむしり取った後は、後は雪達磨式であった。
エルヴィスからの補助金で発電所が建ち、道路は舗装され、必要とされる労働力は村内だけでは賄いきれず、外から流入した人間用に住宅が建設される。
そうして人口が増えると、住民相手の商売としてコンビニ等の道内小売業社も続々と進出し、北海道から来た人間用に歓楽街も形成された。
今ではもう土着の人種・文化と北海道の技術・文化が融合した、全く新しい都市としてメリダ村は生まれ変わっていた。

そんな新生メリダ村…… いや、今は人口も万を超えメリダ町と言ってもいい位に拡大した市街地の中心部。
日々新しい施設が増え、観光客も増え始めたそんなエリアに平田は来ていた。
彼は先日の港での騒動以降、大陸について色々と思う所が有り、一度自分の目で大陸を見てみたかったのだ。
それが、彼が大陸観光を謳うツアーバスの中から窓の外を眺めている理由であった。

「でも、折角来たのに、こんな仕事じゃあなぁ……」

そう言って溜息を吐く平田。
彼は目だけを動かして隣に座る少女を見る。

「どうしたの?平田さん」

平田に見られているのに気が付いた、少女は不思議そうに平田を見つめ返した。

「いや、なんでもないよ。
それより、この後はツアーの自由行動だろ?
あんまり離れないよう注意してね」

「分かってるわ」

平田が愚痴を溢す仕事の内容。
それは、平田の横に座る女の子。
かの高木大統領閣下の姪御様、高木真紀の護衛であった。
歳は小学校中学年。
聞く所によると交通事故で両親を亡く、一人だけ義体化して助かったのを大統領閣下が引き取っているそうな。
そんな彼女が見聞を広める為に大陸ツアーに行きたいと言うのである。
高木は大事な姪御の頼みを聞き入れ、彼女の世話役を探そうと各方面に連絡を入れたのだ。
そして、それは偶然にも平田が上長に大陸を見に行きたいと休暇申請を出した時に重なり、モノはついでという事で半ば強制的に護衛として抜擢された。
なにせ平田の全身義体は見た目愛らしい少女型。
ゴツイSPを付けるより、彼女に無駄な警戒を指せずに済む。
それでいてサイボーグで有る為、多少の荒事にも十分対応できることが、平田がこの仕事を押し付けられた理由でもあった。
だが、それはあくまでも仕事であって、平田がしたかった休暇の旅行ではない。
自由が奪われ、子守を押し付けられた事に平田のストレスは蓄積する。

「平田さん。
連邦英雄ならもうちょっと表情を隠した方が良いよ?
もう一目見ただけで不満たらたらなのが分かっちゃうし」

「え、いやそんな事は無いよ?」

いつの間にやら表情に出ていたようだ。
平田は少々挙動不審になりながらも笑顔を作って否定する。

「本当ですか?
その割には舌打ちが聞こえて来そうな顔でしたけど……」

「そ、そんなこと無いよ?!
それより、ホラ見てマキちゃん!目的地に着いたよ。
自由時間にお土産いっぱい買って帰ろうか!」

ジト目で見つめてくる真紀。
そんな少女の視線にいたたまれなくなったのか、平田はバスが目的地に到着すると急かすようにしてバスを降りた。


「うわ、これは凄いですねぇ」

バスを降り、ツアー指定の屋根付き市場に付いた後、真紀の第一声はそれであった。
メリダが近代的な発展を続ける中で、現地文化と融合した市場がそこにある。
元の地球で例えるならイスタンブールのグランドバザールがそれに近いだろうか。
所狭しと並ぶ商店の数々、様々な小物や日用品が並び、物珍しさに道内からの観光客が次々に目当ての物を買っていく。
そして、それは二人とて例外ではない。

「あ、これ可愛い。
それにこのスカーフも!」

真紀は所狭しと並べられた様々な刺繍の施されたスカーフや小物を見てきゃっきゃと満喫している。
だが、そんな喜ぶ真紀の隣に平田の姿はない。

「ねぇねぇ!平田さんも見て見て!
……って何してるんです?」

真紀は自分の見つけた小物類を見てもらおうと平田を探す。
見れば、平田は通路の向かいの商店で何かを見つめているようだった。

「え?
あ、ごめん。
ちょっとカラスミがすごく安くてさ。
見てよ!一枚1000円だって!買いじゃない?!」

そう言って平田は目を輝かせるが、珍味に全く興味も無い真紀は白い目線でカラスミを見る。

「なんですかそれ?
タラコですか?
……ぜんぜん可愛くない。
ていうか平田さんって全身義体ですよね?食べ物なんて意味ないんじゃ……」

「消化は出来ないが味は分かる!
それに、カラスミはタラコとは違うんだ!
道内でもタラコ原料の偽カラスミは売ってるが、本物は転移後は手に入らないから貴重なんだよ?
そんな高級珍味、嫁に持って帰れば喜ぶこと間違いなしだ!
さとみ……待ってろよ」

そう言って平田は財布からカードを取り出すと、そそくさと数枚のカラスミを買い求める。

「いやぁ、こっちでも電子マネーが使えるのは便利だね。
銀貨やら何やらをジャラジャラ持たなくていいからホント楽だわ」

そう言ってホクホク顔の平田は、カードを真紀に見せびらかしながら、ビニール袋に入れられたカラスミを抱きしめた。
ネットワーク環境下なら単独で使えるカード型電子マネー端末は、既にエルヴィスでは末端の国民にまで浸透し始めている。
最初は貴金属でない通貨の使用に及び腰だった彼らも、余りの利便性の高さに魅了され切っていたのだ。
例え盗まれてもアンロックしなければ使用できないし、何より軽い、充電は太陽光で十分。
そして決済に必要なネットワーク環境は成層圏プラットフォームのお蔭で、既に場所を問わなくなっている。
正に彼等からしてみたら夢の決済手段なのだ。
だが、そんな感動する平田に対して、真紀は「そーですねー」と、そっけない返事して可愛い小物選びに意識を集中している。
興味のない事には心底どうでもいいようだ。

「それにしても、ここまで北海道の物品や制度が浸透してると、なんだか普通の海外旅行みたいだな。
ココが本当に魔法の世界かどうか怪しくなるよ。
治安も凄くいいし」

辺りを見渡してみても、人の多い市場だと言うのにトラブルどころかガラの悪そうな奴らさえいない。
皆が皆、安心しきって生活している様子が伺えた。

「平田さん、治安についてはガイドさんが言ってたじゃないですか。
ここは道内企業の警備部が本拠を置いてるから、安心して良いって。
だから女の子二人で市場をうろつけるんですよ?」

「いや、こっちの中身は女の子じゃ……」

「中身なんてどうでもいいんです。
見た目が女の子なら、他の人もそう扱います。
あと、手が空いているならコレ持ってください」

そう言って真紀は平田に大きな袋をヒョイと渡す。
大きなビニール袋に、中には色々なスカーフや小物類が詰まっている。

「こんなに一杯買って……
近頃の小学生は一体どんだけ金持ってんだよ……」

「別に金額的には大したこと無いよ?
安いからいっぱい買えるだけだし」

「そんなもんかなぁ」

「平田さん、いちいち五月蠅い。
これもお仕事なんだから、我慢してエスコートしてください。
あと、ちょっとお手洗いに行きますからこの店の前で待っててくださいね」

「はいはい」

真紀はそう言って平田を残し、市場のトイレへと向かう。
目的のトイレは、現地人が多く集う市場とは言え、インフラ整備は北海道の監修。
入る前に係員に金を払う有料式のトイレではあるが、その分、実に綺麗な設備だった。
だが、余りに綺麗な設備でリラックスが出来たのか、出てきた時には大切な事まで尿と一緒に抜け落ちていた。

「あれ、どっちから来たんだっけ?」

迷路のような市場の中、こっちかなと?戻って来た所に平田の姿は無かった。
見れば通路の配置は似ているものの、並んでいる店は微妙に違う。

「やば…… 一回戻ろうか」

真紀はそう考え、記憶を頼りに来た道を戻る。
迷っても、あのトイレの位置まで戻れば何とかなる。

……筈だった


「どうしよう…… 迷った」

もと来た道を戻ったはずが、曖昧な記憶を頼りに進んで見ても
一向に先ほど行ったトイレに辿り着かない。
キョロキョロと辺りを見渡し、不安な気持ちを抱いたまま平田を探すが、それらしい影も見つからない。

「どうしよう…… 平田さんが見つから――きゃ!」

不意感じたドンという衝撃に後ずさりする真紀。
一瞬、自分でも何が起きたか分からなかったが、前を見れば、頭を抱えた少年が真紀を睨んでいた。

「痛いなー
お姉ちゃん、前向いて歩かなきゃ危ないよ!」

少年は栗色の頭を摩りながら真紀に抗議する。

「あ、ごめんね。
ちょっとお姉ちゃん道に迷っちゃって」

確かにキョロキョロ辺りを見渡して歩いていたのは自分の不注意だ。
真紀は申し訳なさそうに少年に謝る。

「迷ったの?
お姉ちゃん大きいのに情けないね」

自分より二つか三つくらい年下の少年に情けないと言われカチンとする真紀。
だが、彼女はその言葉に反論は出来ない。
何故なら現在進行形で迷子であるからだ。
だが、言われっぱなしも癪に障る。
真紀は何とか言葉を返そうと考えてると、その隙にワラワラと他の子供が集まってきた。

「タケルくーん。
どうしたの~?」

そう言って声をかけてきたのは、年の頃はタケルと呼ばれた少年と大差無さそうな獣耳の可愛い獣人の少女。
その後ろには、彼女に隠れる感じで獣耳の少年もいる。
恐らくはこの少年の友達なのだろう。

「何かこのお姉ちゃん迷子になったんだって」

「何それー?お姉ちゃん大きいのに変なのー」

少年は事実を何のためらいも無く彼女らに話す。
迷子になり、年下の子供たちにまで笑われる。
真紀は恥ずかしくて逃げたい気持ちでいっぱいになった。

「ちょっと助けてあげようよ」

「えー、そんな事より一緒に遊ぼうよ」

目の前で繰り広げられるタケルと呼ばれる少年と少女のやり取り
見ず知らずの真紀に対して、助けてあげようと提案する彼に、少女は露骨に難色を示している。

「待ってよ、ソフィアちゃん。
ちゃんと後で遊ぶって。
でも今は、このお姉ちゃん送ってからね」

そう言って少年は渋々ソフィアと呼ばれた獣耳少女を納得させる。
まぁ、頬を膨らませているあたり、内心では納得していないようだが……

「……お名前、タケル君っていうの?
ありがとう。お姉ちゃん助かるわ」

真紀はタケル少年の頭を撫でながら、お礼を言う。
そんな彼女に対して、少年は笑顔でそれに応えた。

「お父さんから皆に優しくしなさいって言われているし
それにこの町なら、どこにいてもお父さんの会社の人が助けてくれるから別にいいよ」

「へー。
君のお父さんって、社長か何かなの?」

恐らくタケルと言う和風な名前からして、大陸に進出してきた道内企業関係者の家族なのだろう。
見た目は余り日本人には見えないが、ハーフという線もある。
真紀はそこが気になって少年に聞いてみた。
だが、その質問に答えたのは、先ほどまで頬を膨らませていた少女だった。

「ふふん!聞いて驚きなさい!
タケルくんのお父さんは、メリダで一番有名な石津製作所の社長なんだから!
言っとくけど、この町でタケル君に何かしたら命は無いわよ!」

「なんでお前が威張るんだよ」

まるで自分の事の様に誇らしく自慢する少女に、横にいた獣耳の少年が即座にツッコミを入れる。
だが、それでも彼女の勢いは止まらなかった。

「黙ってて!
そして私はお母さんがソコの社員で、学校も同じ!
これはもう一緒にいるのが当然な幼馴染なんだからね!」

フンと鼻息をならし、勝ち誇ったように真紀を見上げる少女。
その表情は自身に満ち溢れていた物だったが、隣で聞いていたタケル少年は困った表情でそれを見ていた。

「もうー
ソフィアちゃんは何時も変な事ばっかり言ってる……
お姉ちゃん気にしないでね。
それより、どこに送ってけばいいかな?」

ソフィアを無視して会話を進める二人。
真紀にとってはタケルが何者にせよ、平田と合流することが最重要であるからだ。

「あぁ それなんだけどね。
人と逸れちゃって…… 見た目は黒髪の女の子なんだけど、仕草がオッサン臭くて何か珍味を大事そうに抱えてる人なんだ」

「そうかー
人探しなら、ここは迷路みたいな市場だし大変かもね。
待ってて、カノエさんに聞いてみる」

そう言って少年は懐からネックストラップで繋がれた小型タブレットを取り出すと
ソレに向かって話しかけた。

「カノエさん聞いてるー?」

真紀が端末を覗いてみると、画面には一人の女性が映っていた。

「話は聞いてましたよ坊ちゃん」

「この市場の中でさっきの特徴の人探せる?」

「えぇ、その位すぐ出来ます。
ちょっと待っててくださいね」

端末の女性はそう言うと一時的に画面から消える。
だが、そんな遣り取りを見て、真紀は一つ思った事があった。

「……それってAI?
それにしては会話が滑らかと言うか……」

端末の中の彼女は、話は聞いていたと言った。
普通の人間であるなら、ずっと監視でもしていない限りそんなことは出来ない。
ならばタブレットに内蔵された人工知能か何かだと真紀は思ったのだ。

「えーあい?
いや、これはカノエさんだよ。
会社の人で、体が無いからこんな感じでしかお喋りできないけど、物知りな凄い人だよ」

「体が無い?じゃぁAIなんじゃ――」

そこまで真紀が言いかけたその時、端末にパッと女性の姿が再び映しだされた。

「坊ちゃん、見つけました。
市場の反対側の辺りで必死に何かを探しているようです」

「ありがとうカノエさん。
じゃぁ案内して」

タケル少年は満足げにそう言うと、カノエと呼ばれた女性の言葉に従って歩き出す。
真紀はそれを追いかける様に、彼の後に続いて歩いた。
迷路のような市場。
そして目的の平田は移動を続けているのか、カノエからの指示も時々変わる。
そんなせいもあってか、歩いている途中、真紀は彼等と色々な話をする事が出来た。


「へぇ~……
じゃぁ、ここやプラナスに感化された人たちが、更に礼文に向かって押しかけるんですか」

「ええ。
ココやプラナスは北海道の文明の一部が浸透してるし
進出してきた企業の給与は、他で奉公するより遥かに良いから。
そんな中、近代的な文明に魅了されたり、募集定員をオーバーした人達は礼文を目指すわ
より良い環境と職を求めてね」

真紀の質問に、端末越しに話すカノエは的確に答えを返している。
どうやら彼女はタケル少年が言っていたように、凄く物知りな人間のようだ。

「そうなんだ。
なんか、道内で聞いた情報より、現地の人たちって北海道に憧れがあるんですね」

「それはそうよ。
でも、それも良い面だけじゃないわ。
プラナスなんかじゃ、素行の悪い奴らも集まっちゃって大変らしいし。
そして、そんな奴らは礼文に上陸すらできないから、増える一方で減らないらしいの」

困ったモノねとカノエは画面越しに溜息を吐くが、彼女の言葉を聞いて真紀は一つの疑問が浮かんだ。

「え、でも、そうだとすると、悪い人たちが集まるのはココも同じなんじゃ?
だって、北海道への憧れと仕事を求めて集まってくるんでしょう?
ココってむしろプラナスより近代的だし……」

むしろ街路灯に集まる虫の様にワラワラと集まってきそうだと真紀は思った。
だが、その質問に対し、答えたのはカノエでは無くタケルであった。

「それわねー
お父さんが悪い奴からメリダを守ってるからだよ~」

凄いでしょーと言わんばかりの満面の笑みで彼は真紀に自慢する。
えへへーと笑うその顔は可愛さに溢れていた。

「坊ちゃんのいう事は間違ってないわ。
というか、石津製作所が拠点を構える時にやった付近一帯の盗賊狩りや、アーンドラでの働きぶりで
小悪党どもはビビってこの町に近寄らないの。
何せ当時は、社員教育の一環で盗賊狩りやってたし、この付近の悪党は文字どうり絶滅したのよ」

「正義の味方だよねー」

カノエの言っている事は少々物騒であったが
それを自慢するタケルは天真爛漫な笑顔である。
ハーフの男の子、顔立ちも整っている為、その笑顔は異性にとって心惹かせるものだった。

「……かわいい」

真紀の口から思わず言葉が漏れる。

「え?」

「たける君…… ちょっと撫でても良い?」

「ええ!?」

彼にしてみたら、何の脈略も無くハグされ撫でまわされ驚きを隠せない。
だが、そんな真紀にとって幸せな時間は、数秒と続くことは無かった。

「ちょっと、たけるくんに近すぎるわ
もうちょっと離れてよ」

苛立ちを隠そうともせず、タケルと真紀の間に入ったソフィアは強引に二人を引き離す。

「え、あぁゴメンね」

「ふん!」

怒れる少女に真紀も謝るが、ソフィアはぷいっとそっぽを向いた。
だが、少女のその態度を見て、先ほどまで大人しかった獣耳の少年の方が少女に食って掛かる。

「ソフィア。
お前さっきから態度悪いな」

「ヴォロージャは黙ってて!」

空気を悪くする言動を続けるソフィアに遂に怒ったヴォロージャと呼ばれる獣耳の少年。
二人は一触即発な感じでにらみ合うが、今度はそんな二人を見て、タケルが二人の間に入っていく。

「もうー
ソフィアちゃん、今日は一体どうしたんだよ。
もっと仲良くしようよ」

「うぅ…… たける君がそう言うなら……」

タケルの言葉にしゅんと項垂れるソフィア。
彼等を見ていると、ソフィアはタケルに全く頭が上がら無いようだ。

「じゃぁ、マキお姉ちゃんと仲良くね」

「……うん」

「ヴォロージャとも仲直りね」

「…………うん」



こうしてタケルの取り成しにより、ようやく仲直り出来た皆は、思い出したかのように平田のいるところに向かって歩を進める。
途中、先ほどまで真紀が質問ばっかりしていたのとは打って変わって、今度はタケルが真紀に色々な質問をした。

「マキお姉ちゃんは何でこっちに来たの?
お父さんの仕事とか?」

「ううん。
魔法が使える世界ってどんなのかなーって思ってね。
ちょっとお願いして観光ツアーに参加したの」

「何?お姉ちゃん魔法が見たいの?」

「うん。
でも、やっぱり街中で使ってる人は居ないよね」

残念残念と真紀は肩を落とすが、そんな様子を見てタケルは暫し考えた後、真紀に一つの提案をした。

「じゃぁお父さんの会社に見にくる?
魔法の練習してる人とかもいるよ?」

「え、本当?」

「僕達はまだ小さいから教えてもらってないけど
お父さんの会社なら普通に使ってる人いるし」

「……すっごく見たい。
でも、勝手にツアーから離れちゃ駄目だよね
ちょっと聞いてみるかなぁ」

行ってみたい。
好奇心に駆られるが、同時にあまり勝手な行動は出来ないと自制心が働く
真紀はどうした物かと真剣に悩んでいると、そんな悩みなど忘れさせるような大声が市場に響いた。

「あ!いたいた!
こらぁ!どこ行ってたんだよ!!」

ギョッとして声の方向を見ると、平田が大慌てで此方に走ってきた所だった。

「ごめんなさい。
ちょっとトイレの出口間違ったら迷っちゃって」

「全く、本気で心配したよ。
……で、その子たちは?」

ふぅっと平田は安堵のため息を吐くと、同時に真紀と一緒にいる子供たちを見た。

「ここまで送ってくれたの。
何でも石津製作所の子達なんだって」

「……石津?」

その会社名を聞いて、平田の頭に礼文での一件が頭によぎる。

「こんにちは
僕、タケルっていいます。
お姉ちゃんが真紀お姉ちゃんの探してた人?」

平田はお姉ちゃんと言われ、否定したくもなるが、ここはあえて黙っていた。
なにせ、見た目はその通りなのだから。

「え、ああ……そうだよ」

「マキお姉ちゃんが魔法を見たいって言ってるんですけど
一緒にお父さんの会社に来ますか?」

平田はタケルの言葉に、はぁ?!っと口を開けたまま真紀を見た。

「魔法ぅ?それに会社に行くって何だよ?」

「お願い。ちょっと見てみたいの」

真紀は両手を合わせてお願いのポーズをとる。

「いや、自由時間は半日くらいあるけど、勝手にココを離れたらダメだろ。ツアーだし」

そんな勝手に離れる事なんか出来はしない。
平田はそう言って諦めさせようとするが、横で聞いてた子供らは、平田達の話に口を挟む。

「でも、お父さんの会社はそんな遠くないよ?」

「歩いて10分くらいだよね」

タケルとヴォロージャは二人そろって市場の外を指差す。
そしてそんな二人の言葉にタイミングを合わせて、真紀は平田に胸の前で手を組みながら懇願の視線を送る。

「……お願い。平田さん」

女の子のお願い攻撃、そして目的地は然程離れていないという事実と、実は平田も見てみたいと言う興味。
それらが平田の脳裏を駆け巡り、うーんと数分唸った後、遂に平田は折れたのだった。

「……仕方ない。
待ってろ、ちょっとガイドさんに聞いてくる。
だけど、あんまり期待するなよ?」

「やったぁ!」

「けどガイドさんが駄目だって言ったら、駄目だからな。
そこは忘れるなよ?」

「はーい!」

平田はそう真紀に話すと、ガイドを探しにバスの所まで駆けて行く。
護衛対象をイレギュラーな事態に巻き込むのは得策ではないが、未だ葛藤する感情の中
平田は色々と悩むことを諦めることにした。

「まぁ、もともと大陸で一番見てみたい物だったし……
丁度良かった……のかな?」

市場の喧騒の中、誰も聞くことのない独り言を呟き、平田はバスへと走るのだった。



[29737] 平田、大陸へ行く2
Name: 石達◆48473f24 ID:a7c7e068
Date: 2014/08/16 04:02
ツアーを離れる許可を取った平田達は、市場を離れ目的地に向けて歩いた。
目的地までは然程離れてはいないものの、最近はこのエルヴィスも車等の交通量が多くなっている為、現地っ子の先導を受けてだ。
従来の馬車やらデカい鳥に加え、最近では進出した企業から物流のトラックの出入りが激しい上、経済発展の著しい地域だけあって個人持ちの車や2輪も増えてきている。
中でも特に多いのが北海道から輸出された二輪車を改造したトゥクトゥクという三輪自動車だ。
コストを極限まで追求し、安いバイクをそれまた改造した安全性も糞もない乗り物であったが、商用にも使え、故に普及も早い。
そして、今のメリダはでは、それが我が物顔でフリーダムに走り回っていた。
一応は交通ルールも定めているのだが、それを積極的に守ろうとするドライバーは少ない。
行きかう人々の顔つきや風景こそ違うものの、気分はもうアジアの途上国だ。
日本の常識に慣れた者は、交差点を渡るのも難しいだろう。
現に真紀等は道路を渡るタイミングが掴めないのか、やきもきしている。
だが、そんな危険な道路も、普段の街歩きで慣れているタケルやソフィア達には何の問題にもならない。
タケルは戸惑う真紀の姿を見ると、優しく彼女の手を掴み、唯我独尊なトゥクトゥクの群れをするり抜けて歩いていく。
だが、いくら手を繋がれていようと怖いものは怖い。
先導するタケルの手を離さないようにギュッと握る真紀。
鼻先30センチを車が通り過ぎる中、何度もヒヤリと真紀は手に汗をかいたが、そんな度胸試しの末、一行はようやく目的地に着いたのだった。


石津製作所メリダ支店

そこでまず目に付くのは、銃を持った守衛とバリケードが守る威圧感のあるゲート。
そのエリアの支配者が誰か一目でわかる厳つい境界であった。
だが、筋骨隆々な守衛の立つゲートを抜けてみれば、予想に反し、そこは不思議な軍事基地だった。
街の1/4を占めるのではないかと言うコンクリート壁で囲まれた敷地に
巨大な物流倉庫から宿舎、演習場に果てまた何かの畑まで色々なものが混在している。
だが、普通であれば外の壁しか見れなかったであろう事を思えば、平田は真紀の我儘に感謝するしかない。
何せ、最高権力が身内にいる彼女の"お願い"のお蔭で、分厚いコンクリートの壁を抜けることが出来たのだ。


正直な所、平田は彼女のお願いが、これ程上手くいくとは当初は思っても見なかった。
ガイドに真紀を連れて石津製作所を見学してもいいかと聞いたところ、VIPの関係者がいるので札幌に問い合わせるという。
まぁ、そこまでは平田もわかる。
ここ数年は独裁政治と新聞に叩かれつつある政府要職の親族を、あまり無碍にするわけにもいかないし、されとて独断で決めるのもいかないのだから。
そんな旅行会社の伺いに対し、直ぐに返ってきた札幌からの返事にNOの二文字は無かった。
ガイドの説明では、大統領も個人的に石津製作所の社長とは知己が有るため、彼の管理下に入るならツアーから離れても問題ないという。
むしろ、興味があるならツアーから完全に抜けて夏休みをそっちで過ごしてもいいとのお達しだ。
何でもあの会社は、自前で北海道との便を持っているため、ツアーより安全に帰れるからとか。
1を聞いて10を与えるようなその連絡…… それを聞いて平田は思った。
ツアーの自由時間に一時的に指定の場所から離れるのは、了解さえ取っていれば問題は余りないだろう。
だが、真紀に与えられたのはそれを上回る自由な行動権。
これは子供に甘すぎるのではないか?
普通、子供には自制を教えていくのが大切なのではにだろうか?
幾ら養子とは言え、大統領は育児に失敗していると平田は思った。
だがしかし、平田に取って見れは真紀は今回の仕事だけの仲。
他の家の教育方針が失敗していても彼には関係が無い。
平田は気を取り直して敷地内を見渡す。

「凄いな。
戦車は無いけど、装甲車とか改造ピックアップは一杯ある……」

車両置き場と思われる場所に並べられたのは、大半が第三世界のゲリラの様な改造ピックアップや改造トラックのテクニカル、そして少量のBTRといったロシア製装甲車も並んでいる。

「かっこいいでしょ。
あと、今日はどこかに飛んでっちゃってるけど、ヘリコプターも一機あるんだよ。
"はいんど"って名前のカッコイイのがね!
お母さんに聞いたんだけど、僕のお祖父ちゃんは、"あふがん"って所であのヘリコプターに乗ってたんだって!
だから僕は、あのヘリコプターが一番お気に入りなんだ」

まるで自分の玩具を自慢する様に、タケルはえへんと胸を張る。
やはり男の子はこういうメカが好きなのだ。
自分の家(というか会社だが)にカッコイイメカや身内の武勇伝が有れば自慢したくなるのだろう。

「ほぉ~。それは凄いけど…
今日は見れないのか。残念だなぁ」

そしてそう言う"男の子"の部分は平田も同様である。
現在の少女の様な義体の外見はどうあれ、中身はオッサン。
装甲車などの車両が置いてあれば、余り詳しく無くても凄いと見とれてしまう。
幾つになろうとも、男の中にはそう言った少年の心が眠っている物なのだ。
だが、そんな男共の反応に対し、少女である真紀の反応はあくまで冷静だった。

「それより、魔法は何処で見れるの?
私はそれが楽しみなんだけど…
早く行きましょうよ」

メカに関しては全く興味も無く、タケルが紹介してもその良さを1mmも理解できない彼女は
魔法は何処に行けば見れるのかと、ここへ来る途中から握ったままのタケルの手を軽く引っ張って催促する。

「お姉ちゃんはせっかちだなぁ。
それなんだけど、会社の人が案内してくれるっていうそうだから、ちょっと待ってて」

「案内?」

「さっき友達連れて行くよってメッセージを送ったら、社内を子供だけでブラブラして怪我でもされたら嫌だから待ってろってお父さんから返事が来た。
だから、もうちょい待ってて」

確かに危険な物がゴロゴロしているこの場所で、子供をウロウロさせているのは危なっかしい。
タケル達はここの子供であるから何が危険であるか分かってたとしても、真紀は他所の子である。
怪我などさせたらたまらないと向こうが考えることもよく理解できる。
タケルのそんな説明に、真紀もこればっかりはしょうがないと諦めてゲートで待つ事にした。

そうして待つこと5分。
真紀にとって物珍しいソフィアやヴォロージャの猫耳を触ったりしながら、きゃいきゃいと子供たちがお喋りをしていると、会社の建屋から、一人の人影が手を振りながらこっちに歩いてきた。

「あ!あれじゃない?」

手を振る人影を一番先に見つけたソフィアが、その方向にビシっと指を差す。
彼女につられて思わず全員がその人影を凝視するが、その人影の顔がハッキリしてくると
それまでタケルの傍にいたソフィアとヴォロージャは、その人物に向けて走り出した。

「「おかーさん!」」

そう言って二人は飛び込むように、歩いてきた女性の腕に抱きついた。
平田は微笑ましくもその光景を見ていたが、よく見れば、歩いてきた人物もソフィアやヴォロージャと同じ猫耳を付けた獣人。
しかし、母親と思われる女性の方が獣度が高いような気がする。
ケモ度の高い母に猫耳コスプレした子供といったような感じだ。
一体、獣人の遺伝は一体どういう事なのだろうかと平田は疑問に思ったが、今はそのような事はどうでもいい。
平田は黙って彼らを見てる事にした。

「あっ、ソフィアにヴォロージャも一緒か。
良い子にしてた?」

「「うん!!」」

二人は満面の笑みで母親と呼ばれた女性に微笑む。

「それと、こっちがお客さんだね。
あたしはアコニー。
社長に頼まれたんで、今日は私が案内してあげるよ。
で、どっちの子が真紀ちゃんかな?」

アコニーと名乗った女性は、ソフィアとヴォロージャの肩に手を載せながら真紀と平田を見て聞いてくる。
そんな誰何の声に、真紀は取り繕った上品かつ可愛らしい仕草で挨拶をした。

「はい。私です。
そして横にいるのが付き添いの平田さん。
今日は魔法が見てみたくて来ちゃいました。
よろしくお願いします」

テヘっと笑ってみせる真紀であったが、そんな良い笑顔でお願いされれば
誰だって聞いても良いと思ってしまうだろう。
平田も数日前から護衛を始めて以来、この笑顔で少々お願いを聞かされ苦労を重ねたのだ。
アコニーが今どういう気持ちかは、手に取る様によく分かった。

「よし、じゃぁ今日はあたしに任せて。
何でも見せてあげるよ!
……と言ったものの、色々制約はあるけどね。
ところで、真紀ちゃんはどんな魔法が見たいのかな?
それによって行き先が変わるんだけど……」

アコニーは頬に人差し指を当てて真紀に尋ねる。

「じゃぁ 見た目が派手な奴が良いです」

「派手なヤツね…… そうか。
よし、じゃぁ 射撃場に行こう。
あそこで今、派手な魔術の使える人族の魔術師の奴らがトレーニングしてるから。
それと、ソフィアにヴォロージャ。
あんたちもお客さんが困ってる事が有ったら、率先して助けてあげるんだよ。
いいね?」

「「はぁーい」」

アコニーの問いかけに二人の元気な返事が揃い、アコニーの先導の下、全員が敷地の奥へと歩を進める。
途中、ふざけ合うソフィアとヴォロージャをアコニーが叱り付ける場面もあったが、それでもいつもの風景なのか遠巻きにこちらを見ている他の社員たちは皆微笑ましくそれを見ていた。


「ふふふ……」

アコニーが子供を叱った後、皆でゾロゾロ歩いていると不意に近くから大人の女性の笑い声が聞こえた。
平田は誰だと周囲を見渡すが、それらしい人影は居ない。
その代わり、前を歩いていたアコニーがタケルの方を見ながらそれに応えた。

「何さカノエ?」

笑い声の主は、タケルの持っていたタブレットだった。
その画面にはカノエが映っており、微笑みながらアコニーを見ている。
アコニーは、タケルからタブレットを借りると、一体何の用かとカノエを見つめる。

「いや、あのウブな猫ちゃんだったアコニーが、ちゃんと母親やってるなぁと思って」

「余計なお世話だよ。
それに、この位の歳になれば皆子供位作るし。
あたしの村だったら少し遅い位だよ。
まぁでも、そのせいで社長の子供と仲良く遊んでられるんだけどね。
あたし等の部族って、幼児期の成長が人族より早いしさ。遅くていいタイミングだった。みたいな?
……カノエも変に死にさえしなきゃりゃ、そんな子供たちを眺める幸せがあったかもしれないのに……残念だね」

「まぁね。
でも、過ぎちゃったこてゃ仕方ない。
情報だけになっても自我があるだけ儲けもんだと思わなきゃ」

少し悲しそうにカノエを見つめるアコニーに対して、カノエはそんなのはどこ吹く風と言わんばかりにケタケタ笑う。

「カノエがそう割り切ってるなら良いけど……
でも、そこまで淡泊なら、あの日カノエが死んだと思って泣いた涙を返してほしい。
とんだ悲しみ損だよ」

「そんな私の為に悲しんでくれるなんて、やっぱりアコニーは可愛いわ。
私に体があったなら、その毛並みを撫でまわしてあげたい」

カノエがエルフにやられた日。
アコニーは大事な友達が死んだとして大いに泣いた。
それは国後に帰るまで涙が止まらなかったと言うのだから凄まじい悲しみようであった。
カノエの死を知ったヘルガと共に涙が枯れ果てるまで嘆き続けたのだ。

だが、そんな悲しみも、拓也がカノエから受け取ったメモリをネットに繋がれたPCに繋いだ時で突如終わりを迎えてしまったのだ。
既にクラウド上にカノエが上げていたデータとメモリのデータが混じりあい、電子的な人格としてカノエが再生されたのだ。
肉体こそ失えど、情報の海の中で確かに生きているカノエ。
それを見た時、アコニーは悲しみとは別の意味で再度号泣したが、日が経つにつれ「形振り構わず悲しんだのに、悲しみ損の恥じかき損?」と彼女の中で疑問が湧いてきたのだった。
そんな訳で、あれから数年たった今でも、アコニーの中にはカノエに対して複雑な感情が渦巻いている。

「撫で回すとかやめてよ…… もう子供じゃないんだし」

そう言ってアコニーは、つーんとそっぽを向く。
だがそういった仕草に、未だ幼さを残し、カノエもアコニー可愛いと弄るのであるが、そうしてアコニーがそっぽを向いたとき、ふと視界に平田が首だけ横を向いて、どこかを注視しているのに気が付いた。

「何か面白い物でもあった?」

アコニーがどうしたのかと笑って平田に聞く。

「え?
あぁ、なんで基地の中に畑があるのかなぁって」

平田の指差す方向。
そこにはフェンスと有刺鉄線に囲まれたエリアの中に青々と広がる農園があった。
そしてその中にポツンと置かれた何かの工場。
なにを作っているのかは分からないが、とっても場違いな物に平田は思えた。
ただ作物を作るのであれば、こんな土地の制約の有る所に作らず郊外に作ればよい。
現にニセコや倶知安から来た酪農こそ人生といっても過言ではないオーストラリア系の住民が、農地を買い上げ、大規模な酪農を開始したりもエルヴィス国内では始まっている。
それとも、あれは魔女が釜で何かを煮る時に使うような特別な魔法の原料だろうか?
実在するか分からないがマンゴドラゴラの様な危険な作物を栽培してるので、監視しているとか……
そんな色々な推測が平田の頭に広がる。
だが、そんな平田に対して、アコニーの説明は、想像し得る中で最悪に近い部類であった。

「あぁ、アレ?
あれは芥子畑だよ」

なんの悪びれる素振りも無く、アコニーは平然と言い放つ。

「け……、芥子?」

「なんでも薬にするそうだけど、製薬会社が鎮痛剤の原料として道内で栽培しようとしたら、ヤクザが嗅ぎまわって面倒になって来たんで、コッチで栽培してるの。
間違っても近寄ったら駄目よ?無警告で撃たれるから」

余りに物騒な一言に、思わず平田の表情が固まる。
製薬会社がモルヒネ等の鎮痛剤の原料として芥子を管理して育ててるのは理解できる。
だが、ここは北海道の法の届かぬ地であり、ケシ畑の周りを小銃を持った警備が歩いている光景は、どう控えめに見てもアフガニスタンか黄金の三角地帯を彷彿とさせた。

「じ、じゃぁ、畑の真ん中に立ってる工場みたいなのは?」

「あぁ、アレ。
あそこは、自社用の薬――じゃなかった、何を作っているのかは守秘義務があって言えない。
だから聞くのも駄目ね」

「秘密……ですか」

直ぐに訂正していたが、アコニーが薬と言いかけたのを平田は聞き逃さなかった。
一体なんの薬だろうか。
芥子-薬-ヘロイン……
危険な想像しか湧いてこない。
それと同時に、平田の石津製作所への印象が一気に悪化していく。

「まぁ、そんな事はさておき。
射撃場に着いたよ。見てごらん。丁度練習してる」

アコニーはそう言って平田との話を打ち切ると、視界に入ってきた射撃場を皆に紹介する。
到着した射撃場は、広さはサッカー場程。
そこでは人型のターゲットに火球を放つ練習をしている魔術師も居れば、何やらライフルに弾を込めている者もいる。

「じゃぁ ちょっとお願いしてくるからちょっと待っててね」

そう言うとアコニーは火球を撃っていた一人に近寄り、何やらボソボソと話をした。

「いくよー」

準備が出来たのかアコニーが真紀達に向かって手を振ると、一人の魔術師が手を突き出して何かを呟いた。
ボゥ……
突き出した手から立ち上がる炎の蛇。
それは10m程の長さになり、中空をまるで生きているかのように動き回る。
弧を描き、ウネウネと脈動するその様は、映画のCGのような迫力だ。

「凄い凄ーい!!

炎の蛇を見て、目をキラキラさせながら大喜びする真紀。
種も仕掛けも無い魔術による炎蛇の実演に彼女は大興奮だった。

「うわぁ凄い!綺麗!綺麗!」

空中でダンスをしていたかと思えば、ヒドラの様に分裂する炎。
そんな魔術的イリュージョンを全員がそれに魅入っていた。
だが、如何したことだろう。
それも暫くすると、力尽きたかのようにさぁっと空に溶け込むかのように消えてしまった。

「あれ? 消えちゃった……」

真紀が名残惜しそうにそう呟いて視線を下に戻す。
見れば先ほどまで炎を操っていた魔術師の男が両膝をついて息を切らしていた。

「ありゃ、もうおしまいか。
まぁ、あんだけやれば精神力も底尽きるよね」

そう言ってアコニーは、魔術師の男の肩をポンと叩いて彼を労う。

「まぁ。
見た目が派手なのはこんなのだね。
もっとも、派手なだけで消耗は激しいし、実戦じゃ役に立たないけど」

「もっと他には無いんですか?」

「他って言ってもね。
土とか水系統の得意な奴はゼネコンとかに高給で取られてるし、ウチに流れてくるのは火系統ばっかりなんだよ。
この系統って大体燃料や電気で代用できるから需要少なくて……
まぁ、あと見せれるのは最近導入した魔導ライフルくらいだよ?」

「何ですかソレ?」

「うーん。
何ていうか特殊な弾に魔力を込めて打つんだけど…… そんなの女の子が見て楽しいもんじゃないから別にいいか。
じゃぁ ちょっと待ってね。
ちょっと他の系統も使えそうな奴呼んでくるから」

そう言ってアコニーは足元で息を切らしている社員の魔術師に真紀たちの相手を頼むと、他の人間を呼んで来ようと走っていった。
だが、どの魔術師も芸の為に修行を重ねたのではない。
アコニーが代わる代わる他を連れてきても最初のインパクトには程遠い。
結局何人か魔術を見せてもらったが、一番真紀にウケたのは最初の炎の蛇と、アコニーの精霊魔法による肉体強化を使った素手での石砕きだった。
もっともそれは、砕いた石を見せてドヤ顔を決めるアコニーに、カノエが「それは只の筋力では?」と突っ込み、アコニーがそこまで筋肉馬鹿じゃないプンスカと怒るコントのようなものであったが……
そうして実演する事、数種類。
そんなこんなも有りながら、彼等の楽しい時間は過ぎていくのだった。

…………

……






石津製作所で様々な物を見せてもらったその日の夜。
半日を使いって石津製作所を見学した平田と真紀の二人はツアーの手配したホテルに戻っていた。
魔法等を見せてもらった後、真紀はタケル達と遊んだり交流を深めていたのだが、夕方になり、やはりホテルに帰る事にしたのだ。
帰り際、タケル少年の泊まっていけばいいのにと言う言葉に惹かれる思いもあったが
流石の真紀もあまり世話になりっぱなりというのも気が引けたのか、「また来るね」との約束を残してツアーに合流したのだ。
今では二人とも疲れたのか、各々のベットの上で寝転んでいる。
平田は本を読みつつ、真紀はうつむけになりながら枕に顔を沈めていた。

「平田さん。
今日は楽しかった」

真紀が顔だけ平田の方に向け、笑って言った。

「ん?そうか
それは良かった」

「む、なにその素っ気ない反応は
平田さんは楽しくなかったの?」

真紀の声に、本から目を離さずに返事をしたのがいけなかったのか、真紀は平田を問い詰めた。

「いや、そんな事はないけど……
ちょっと思う事があってね」

「思う事?」

平田は考えていた。
昼間、石津製作所の中で見た芥子畑。
あれが全量製薬会社へ渡っているなら何も言わないが、その畑の中にあった工場らしき物が平田は怪しいと思っていた。
別に収穫した物を出荷する為の工場なら、別に隠す必要もないだろう。
だが、あの時アコニーは何かの薬を作っていると示唆した。
何を隠しているのか……
平田の直観は、あの会社には裏があると感じさせていた。
だが、そのような話、今子供の前でするべきでは無いのは重々承知している。
よって、平田はしらばっくれる事にした。

「まぁ、それは大人の事情で秘密。
子供はもう寝なさい」

「何それ」

ぶぅーと頬を膨らまし、抗議する真紀。
そんな彼女を無視して、平田は灯りのスイッチに手を伸ばす。

「もういいから。電気消すよ」

「あっ、待って――」

彼女の言葉を待たずに平田はパチリとスイッチを切る。
真っ暗になった室内。
そこまでして真紀もようやく観念したのか、もそもそと動いて布団に潜り込んだ様だった。

「平田さん……」

静かで互いの呼吸音しか聞こえない室内に、真紀の声だけが響く。

「今度はあの子たち、札幌に誘ってみよっか」

表情こそ見えないが、楽しそうな声色で真紀が言う。

「真紀ちゃんがそうしたいならすればいい。
自分には何の決定権も無いし……
まぁ、保護者の大統領閣下に許可を取ってだけど」

「……」

何かしたいのであれば保護者の許可を取ってから……
そして平田は真紀の保護者ではない。
そんな平田の言葉の後、室内に沈黙が支配する。
平田には、真紀がなんで黙っているのか分からなかった。
寝てしまったのか?暫くたって平田がそう思った時、微かに真紀の声が隣のベットから聞こえた。

「それはたぶん大丈夫だけど……
……その時は、平田さんも一緒ね」

そうして、彼らのメリダの夜は過ぎて行った。



[29737] 対外進出1
Name: 石達◆48473f24 ID:a7c7e068
Date: 2014/09/14 08:19
道東
北見市

各国歴訪を決めてからおよそ一か月。
高木は歴訪前の最後の視察として、科学技術復興機構理事の武田勤、そして北海道屈指の頭脳である矢追博士」を引き連れ、北見工科大学に置された魔法研究所に訪れていた。
北見を見渡せる台地の上、大学敷地の付近にあったビート畑を潰し、潤沢な予算と資源を投入して作られた真新しい施設だ。
ここでは大陸で回収された魔導具や、魔術の研究を科学的プロセスに基づいて行っている。
そんな中で、特に力を入れているのが拓也達がティフリスの地下遺跡から回収してきたカノエの一族が制作した魔導具の解析であった。
原理不明な魔導具が多い中、これらの魔導具は職人技で作られた普通の魔導具と比べて過度な装飾もなく機能がわかりやすい上、普通の魔導具より遥かに素晴らしいポテンシャルを秘めていた。
今回、高木の視察時に於いて、試験の様子が公開されていたのも、そんな魔導具の一つであった。
防火・防音壁で囲われた実験室の中で、何かの試験片と思しきものが大きなバーナーで炙られている。
そんな実験室に隣接した監視室の中で、強化ガラスの窓越しに3人は実験の様子を見ていた。

「テストは順調?」

「既に4000℃のプラズマ奔流にも耐えた。
魔法という謎技術がベースとはいえ、このような断熱素材があるとは驚きを禁じえんよ。
今炙っている素材自体は鉄だが、新素材で表面を覆ったお蔭で電気や磁気特性はそのままに熱だけを遮断している。
これが実用化されればMHD発電など旧来の技術で無理だった事が実現するかもしれん」

高木の質問に武田は笑みを浮かべながらそう答える。
この研究施設は復興機構の指導下に組み込まれており、研究の状況は武田に逐次報告されていた。
その為、今回、高木が視察に来るにあたり、彼は意味深な笑みを浮かべながら報告の時を待っていたのだ。

「しかし凄いわ。
このような技術があれば全産業でどれ程の効果が見込めるか……」

魔法技術の産業への応用。
それが可能になれば、転移前の世界の技術をもってしても不可能だったことが可能になるかもしれない。
転移後、少なくない技術がロストテクノロジー化している北海道にとって、それは福音となりえた。
そんな期待を胸に高木は実験の様子を見つめるが、そんな彼女に対し、矢追博士は大げさに首を横に振った。

「大統領閣下の期待は分かるが、この量産技術の確立は難しいな。
何せ素材の材質はおろか、何が作用して熱を遮っているのかすらわからない。
そして、それは化学的、電気的性質についてもだ。
表面に何かしらの作用はされているが、我々の計測器ではそれを測定、解析できないんだ。
それが何であるか解らねば、製造など夢のまた夢……
だが、贅沢は言ってられない。
例え、素材の総量が遺跡で発掘した分だけとはいえ、加工が出来るということだけでも儲けものだと思わねば。
完全に熱を遮るせいで溶融させることは無理だが、それでも冷間鍛造等は出来る。
そこらへんを踏まえて、我々の技術力で使える素材にするのだよ。
素材に限りがあるなら、表面処理用の素材等、量を使わずに済む利用法を考えればいい。
現に今見ている試供体は、普通の鋼材に新素材を爆発圧着でコーティングしたものだ。
強度や構造は従来の素材を使い、表面は新素材でコーティングする。
実に無駄のない利用法だよ。
この新素材に対し、熱による溶融や化学的なイオン化は出来なくても、表面処理に使う方法を我々は持っているのだ」

博士の語るように、未知なる技術、未知なる法則、それに対する探究は想像以上に難航を極めていた。
北海道とのみという研究キャパシティの限られた中では、たかが数年の研究だけでは、全く魔法に対する科学的理解は進まない。
素材を手に入れた遺跡に行った調査隊の報告では、それらの素材を作った一族はエルフの襲撃によって滅び、聞き込みは不可。
そして、帰化した人族の魔術師に聞いてみても、そんな高度すぎる魔法加工技術は知らないときたものだった。
まぁ 彼らも魔法の使用に関する研究はするものの、基礎的な事はサッパリだったので当然ではあったのだが……

「でも、我々で再現が出来ないとなると……
とても貴重で有限な資源に対する使い方を考えなければならないわね」

「そうだな。
我々の機構では利用案の一つとして、MHD……電磁流体発電を考えているよ。
それも温度10万度とかいう超高温高圧の代物をな。
この素材と同じく遺跡で発見された魔力を液化する魔導具から作り出された液化魔力を燃料とし、これらを組み合わせて超高効率の発電設備を作れる。
燃料が液化魔力なんて訳のわからない代物だが、エネルギーに変換した際は莫大な熱量を得られるそうだ。
しかもエネルギーは直接熱量に代わり、クローズサイクルの機関が作れると技術者たちは息巻いていたよ。
もっとも、液化する前の魔力がどこから供給されているのかすら、今の我々には解らないのだが……」

武田の言う電磁流体(Magneto-Hydro-Dynamics)発電。
それは転移前の世界では耐熱素材の関係で瞬間的な利用以外で実用化出来ていなかった発電方式である。
電極の中に高温の磁性流体を流し、電磁誘導により機械的変換を経ずに直接エネルギーを得る。
転移前の世界では過酷な環境に耐えれる電極素材が無く、実用では使い捨て以外に使えないような発電方式であった。
それが転移後、科学的に後退した北海道に於いて、謎の素材の利用で実現の可能性が開けたのだ。

「キモとなる素材から燃料に至るまで解らない事尽くしね」

応用方法等は考え付いても、基本的な所は謎だの解らないだののオンパレードに、高木は引きつった笑いを浮かべざるを得ない。

「しかして、それらを利用するなら、それもやむを得ん。新たな測定技術が開発されるまで棚に並べておくよりマシだろう。
それに、一応、分かったことも色々とある。
液化魔力のエネルギー解放の条件や、単位当たりの放出される熱量。
幸いなことに液化魔力のエネルギー解放は原子力と違い放射線も出ない。
運用は普通の既存技術で十分可能なのだ。
応用と基礎研究。これらは並列して進めるべきだな。
何せ我々の工作能力は未だに発電所のタービンを作れるレベルには無い上、泊原子力発電所の燃料棒も何れは尽きる。
プルサーマルを北海道単独で研究するなら別だが、そんな体力や時間的余裕は北海道には無いだろう?」

北海道以南の企業を頼れない以上、発電所クラスのタービンが壊れれば修理もおぼつかない。
実用化の光が見えた技術に選り好みしている贅沢はできないのだ。

「なるほど、あなたの言いたいことは分かったわ。
液化魔力を用いたMHD発電を推進することには意義はありません。
でも、一つ質問なんだけど…… その液化魔力ってのはそんなに凄いの?
国後南東沖で天然ガスなんかは取れるけど、それじゃ不足なわけ?」

高木は思った。
新しい断熱素材を使うことは理解できるが、燃料まで新しい物を使う意味はあるのだろうか。
使えるものはなるべく既存のモノを使ったほうがリスクは低いと。
だが、そんな彼女の思いを察したのか、矢追博士は高木に新燃料の使う意味を説明した。

「大統領の言いたいことも分かるが、これを燃料に使うと、恐ろしく高効率な燃料になるんだよ。
なにせ魔力液化の魔導具から生成される燃料を10Lも貯めることが出来れば、エネルギー量は戦術核に匹敵する。
実に膨大なエネルギー量だ。
それとこの燃料を使っているのは我々だけではない。
大陸で出回っている魔導具も調べた結果、爆発する兵器系の魔導具にも極々微量の液化魔力が魔導具のコアといわれる部分にコレ充填されてる事が分かった。
少量ではあるが普遍的に使われているのだ。
尤も、これは肉眼では確認できない量なので、作ってる彼らも知っているかは分からんがね」

矢追は実に素晴らしいエネルギーだと少し興奮気味に高木に語る。
その瞳には少々MADな光が宿っていたが、高木は気にせず彼の話を聞いた。

「そうですか……
お話は分かりました。
でも、他国の魔術師たちが液化魔力について知っているかどうかは別として、彼らが魔導具を作るとき、何かしらの方法で魔力の充填をやっているのでしょう?
ならば、我々もそれを研究すれば遺跡の魔導具に依存しなくても、液化魔力の生成方法を得られるのではなくて?」

そんな素晴らしいエネルギーなら工業的に量産すれば、エネルギー革命が起こせそうなレベルである。
だが、そんな高木の問いかけに、先ほどまで饒舌だった矢追博士は急に歯切れが悪くなる。

「それはそうなのだがね……
その研究については人員が不足していてな……
そこまで手を広げれてはいないのだ。
こと魔法に関しては研究者がいまだ少なく、研究対象を絞らざるを得ない感じなのだよ」

「そう…… あまり贅沢は言ってられないのね」

何にせよ魔法に対する北海道側の科学的研究は始って日が浅い。
これは今は研究の成果を待つよりほかにない。
そんな状況で、今回視察した新素材の利用法が見つかったというのは上出来と言える。
高木は現時点では今の成果で満足することにした。

「時間ね。そろそろ次に行きましょうか」

そう言って高木は時計を見ながら皆に伝えるが、出口に向かって歩を進める前にクルリと矢追博士に向き直った。

「……研究所の人員の事は考えておくわ。
引き続き研究を進めて頂戴」

そう言って高木はニッコリと笑うと矢追の感謝の言葉を背に研究所から出ていくのであった。

職員に見送られ、施設の外へと出た高木は、研究所のエントランスで武田とも別れ、別々の車に乗って施設を離れた。
札幌に変えるべく女満別空港へと向かう車。
そんな北見から郊外の空港へと移動する車の中で、高木は助手席に座る秘書官に次の予定を尋ねた。

「次の予定は?」

「この後は各国歴訪に向けた事前打ち合わせです。
出発は3日後ですからね。出航前の調整としてはこれが最後でしょう」

「わかったわ」

「それと、スケジュールとは関係ありませんが報告があります」

「なに?」

「開拓地の調査隊として送り込んだPMCが、予定された地域に到着したようです」

「流石に民間は早いわね。
何か進展があれば報告して頂戴」

「はい」

流石に民間は対応が早い。
軍主体であれば、今頃出発準備が終わったところであろう。
高木はその対応の早さに感心した。
彼らは自由度が高く使いやすい。
軍に比べて装備は劣るが、多少装備面で融通すればかなり使える存在だ。
そして、今回は彼らにとっても手慣れた調査任務。
高木は、この程度ならPMCも大した仕事じゃないだろうと思っていた。
まぁ それは現地を知らない人間だからこその考えだったのだが……







北海道より数千キロ北
開拓予定地沿岸


「これは凄いな。
森林資源の宝庫だ」

そう呟いた拓也の視線の先にあるのは、鬱蒼と生い茂る森、森、森……
青々とした大地をみながら、拓也はわざとらしく感嘆の声を漏らす。
だが、周囲に拓也の声に同意する者はいない。

「何言ってるんですか、率直に緑しかないと言えばいいんですよ」

白々しい目で拓也を見ながら見ながら、アコニーは拓也に突っ込みを入れる。
鬱蒼とした緑。
それが森林資源の宝庫だというのは、物は言いようだ。
かの地がそれ一色だということは、政府から提供された観測飛行船の情報から分かっていた。
これからあそこを徒歩で移動しなければならないアコニー達は、そんな拓也の言葉に辟易としたのだ。

「でもなぁ アコニー。
こんな辺鄙な所まで来て、調査とか凄い面倒だぞ。
今まで何度か調査の護衛はやったが、それは全て人里だったし
こんな前人未到な森林地帯…… 調査と言うより冒険だな。
ちょっと考え方を変えて自己欺瞞でもしなきゃ、とてもやってられん」

「仕事ですから仕方ないですよ。
って、そんなに面倒くさがるなら、なんで付いてきたんです?
国後の本社やメリダの拠点で踏ん反り返ってればよかったじゃないですか」

文句があるなら来なきゃいい。
アコニーの言葉は至極真っ当であった。
だが、アコニーのそんな言葉に拓也は目を泳がせながら言い訳をする。

「ん~
それには色々理由があってね~
新製品の実地テストが見たかったのと、ちょっと公権力の影響圏から離れたいなと……」

そう言って拓也は言葉を濁す。
政府に対し、何か後ろめたい事でもあるのだろう。

「また陰でコソコソ怪しいことやってんですか。
知ってますよ。社長って何か隠れてやってるの。
例えば、時々あの忌々しいハイエナビッチと時々会ってますよね。
現場は見てないですけど臭いで分かりますから」

アコニーにとって忌々しいハイエナビッチとは、サルカヴェロで行動を共にしたタマリであった。
あの別れの後、もう2度と会う事は無いだろうと思っていたアコニーであったが、彼女の考えは裏切られっぱなしであった。
数か月に一度、メリダにひょっこりと現れたと思ったら、アコニーにセクハラの限りを尽くして去っていく。
彼女曰く、アコニーを構うのは用事のついでだそうだが、アコニーにとっては迷惑極まりない。
一度、堪り兼ねたアコニーは、メリダの長に盗賊団の主犯が出たと突き出そうとしたら、既に手打ちは済んでいると言われ、牛裂きにしてやろうという計画は見事失敗した。
アコニーの人生に邪魔物のように現れるタマリ。
そして、タマリが現れると決まって拓也から微妙に奴の臭いがする。

「え?臭いで分かっちゃう?」

拓也は慌ててスンスンと自分の臭いを嗅ぐ。
だが、人間の鼻に、それもメリダを離れて何日も経った臭いなど解るはずもない。

「やめてくださいよ…… エレナさんを悲しませることだけは……
私は社長の射殺体なんて見たくないですよ」

アコニーはそう言ってジトりと拓也を見る。
その眼は若干軽蔑を含んだようなものであった。
だが、そんな浮気を疑われるような質問に対しては、拓也は堂々とアコニーに答えた。

「別に個人的な関係という意味では、ヤツとはやましい事は何も無いよ。
それは自信を持って言える。
ただ、ちょっと仕事を頼んでるだけだ。
今はそれ以上は言えん」

個人的な関係ではやましいことは無いと拓也は断言する。
尤も、アコニーが嗅いだ臭いというのも、同室に滞在したら移った程度のモノ。
拓也の言っていることは真実なのだろう。
だが、それ以外については答えを濁したのをアコニーは聞き逃さなかった。

「仕事ですか…… 
今のあたしたちの働きぶりでは不服なんですか?」

「不服はないが…… 現時点では話すことは無理だ。
……って、今はそんな事より目の前の仕事をこなさないとな。
ほら、お前もさっさと上陸地点の整備してこいよ。
邪魔な木を切り倒して、ヘリが偵察から戻ってくるより先にヘリポート作るんだよ」

そう言って拓也はアコニーにシッシと追い払うように手を払う。

「まぁ、いいですけど……
あまり変な事はやめてくださいよ?
私だって既に子供二人いるんですから路頭に迷いたくないし」

「あぁ わかってる。
だからさっさと行って来い」

「はいはい」

追い払うようにして言う拓也に対し、アコニーは気が抜けたような返事を返すと、上陸準備をしている他の社員の下へと向かうのであった。

…………

……



「ふぅ、やっと行ったか……」

岸へと向かうボートを見ながら、拓也はほぅとため息を吐いた。
既にそこには先ほどまで突っかかっていたアコニーの姿はなく、彼女はボートに乗って上陸予定地点へと向かっている。

「あんまり無碍にするなよ。
あいつもお前を心配して言ってるんだ」

船から離れるボートを見つめる拓也の背後から、彼に向って声がかかる。
拓也がその声に振り返ると、そこにはエドワルドが腕を組んで立っていた。
拓也はエドワルドの顔を見ると、ニコリと笑ってまた岸のほうへ視線を向ける。

「まぁ そういうのは分かるよ。
俺が死んで会社が傾いたら、路頭に迷いそうなのが社内に一杯いるし。
正直、福利厚生で保育所&私設学校完備のPMCなんてうち位だろ。
まぁ、学校はうちの子の成長に合わせて開校したばっかりだけどさ。
給与も相応、サポートばっちり、だから皆、子供ポンポン作るし、今に慣れたら他の所なんて行けないよね」

大陸からの流入者がここより好待遇で稼げるところなど片手で数えるくらいしかないはず。
拓也はそんな自負の下、自分の身の重大さは知っているとエドワルドに語る。

「別に奴が心配する理由はそれだけじゃ無いんだがな。
知ってるかどうか解らんが、難民から会社に来た初期メンバーはお前の事をかなり信奉してるぞ」

「ふぅん。
まぁ 肝に止めとくよ。
それより、目の前のこれをどう思う?
政府はここを開発するとか言ってるけど……」

そう言って拓也が指差したのは鬱蒼たる緑の大地。
岸からの見た目は、知床かカムチャッカと言われても不思議ではない。
一切の人工物が見当たらない。
木を切り倒し、虫と戦い、未知の野生動物を屠りながらの開拓が、実に大変であろうことは、一目でわかる。

「そう言われてもな。
俺は昔っから軍人だったし、こんな未開の地を開発するなんてどうすれば良いのか解らん」

「直接やるのが俺らじゃないにしろ、資源のためとは言え、政府は本気でこれを開拓するのか……
屯田兵だったご先祖様の苦労を思い起こさせるな」

北海道開拓史の中で中核をなす屯田兵の苦労話。
目の前の自然を前にして、拓也は少年時代の学校での授業や北見の北網圏文化センター(博物館 大人:550円、小学生130円)で目にした屯田兵に関する素晴らしい展示の数々を思い出した。
極寒の中、隙間風の吹く屯田兵屋、襲い来る羆、そして尋常じゃない量の蚊……
おなじような僻地を開拓したご先祖様を偲んだ。

「これが帝政ロシアやソビエト時代のシベリア開拓だったら囚人にインフラ開発やらせるところだが
一体、政府はどうする気なんだろうな」

そして、そんな思いはエドワルドも同じだったらしい。
まぁ 彼が想像したのは北海道開拓史ならぬシベリア開拓史ではあったが……

「なにやらエルヴィスや礼文あたりで移民を募集するようだけど、詳細は知らない。
素行の悪そうなの騙して送り込むんじゃないの?
鎖塚量産して開拓のベース作ってから、一般移民送り込むみたいな」

人権を丸々っと無視すれば、一番の困難である最初の道路などのインフラ整備を囚人に作らせれば、その後は楽になる。
だが、明治日本や帝政ロシア、ソビエトならいざ知らず、今の北海道に出来るかどうか等、考えるまでもない。
そこまで非道に徹し切るなどとても無理だと思われた。

「まぁ そこら辺は俺らが心配してもしょうがない。
政府が決めてやればいいことだ。
それよりも、ヘリが帰ってきたら、いつでも荷揚げできるように準備するぞ。
船内で学者連中が早く上陸させろと煩いからな」

「そうだね。
じゃぁ 手っ取り早く進めるか」

資源獲得を目指した開拓調査。
北海道の対外進出も少しずつではあるが、着実に進んでいるのであった。



[29737] 対外進出2
Name: 石達◆48473f24 ID:a7c7e068
Date: 2014/08/16 04:04
拓也達の調査開始から一か月。

このころの北海道は表面的には非常に平和であった。
高木大統領は国内の政治動向に気を配りつつも、意気揚々と最初の訪問先であるエルヴィスへ旅立ち(今回の歴訪の目的は国際機関設置のための説明とコンセンサスを得ることであるが、エルヴィスは事実上属国であるため説明以外にやることは無い。最初から北海道の意に賛同以外の選択氏は無かった)、今頃は次の目的地へのゴートルムヘ向かう船旅の途中だろう。
そして、拓也達の新天地の調査はも順調に進んでいる。
拠点を整備し、事前に政府が観測飛行船のデータを分析した情報から、有望そうな地形にヘリで乗り付け、片っ端から調べていくのだ。
細かいものについては見逃しも多いが、密林を徒歩で移動するより遥かに効率的な手法だ。
そんな各種調査の結果、この大地について様々なことが分かってきた。
まず第一に大森林が成長するだけあり、大地は栄養豊富で水資源も余り有る。
木々を除去し、地質改造すればいい農地になりそうである。
そして、鉱物資源もそれなりに豊富だ。
将来的に露天掘りの鉱山がいくつも誕生しそうである。
ただ、ガスや石油については確認できていない。
これは地表に露出している鉱脈が発見できていない為、さらなる調査が必要であるらしい。
そんな訳で満点とは行かないまでも、調査は順調に進んでいる。
この他にも、ようやっと開発の遅れていたヘリや民間ターボプロップ用に搭載されていた小型ジェットエンジンのコピーモデルが量産を開始したり
教化の終えた移民希望者が、移民の特区に指定された道東各所の新設工場群や過疎地の農場に順調に配置され、労働力も右肩上がりに増えていったりと特段の問題は無いかと思われた。


だが、そんな全てが順調に思える北海道でも、一枚皮をめくればそこには色々なモノが蠢いている。
この激動の時代、この変革チャンスに、野心を抱えるものは多くいたのだ。
そして、そんな者たちに対し、偶然か必然か動きを感じ取るものも少なからずいる。



礼文北
警察という組織にいながら、英雄称号保持者として高い自由度を持つ平田も、動きに気付いたその一人であった。

「やぱりこれは……」

そう言って、平田は椅子に踏ん反り返りながら手に持つ資料をパラパラとめくる。
その仕草は、少女型の義体であっても自然とオッサン臭を醸し出していた。

「平田さん。まだ石津製作所について調べてるんですか?」

資料と睨めっこする平田の前に、部下が二人分のコーヒーを持って現れた。
彼は組織内自由人である平田のお目付役として付けられた人間である。
名前は喪部君とか何とかだったが、あまり名前は憶えられていない。
現状、彼は平田の雑用係だ。

「調べれば調べる程、色々出てくる。
大陸にクロコダイルの薬物汚染が判明した箇所について調べたら、色々面白い事が分かったよ。
あの薬物によるゾンビみたいな中毒者が出ると、大体が現地宗教の教会が悪魔だといって駆除を依頼するんだが、あの会社は独占的にそれを請け負ってる。
どこからともなく湧いて出るジャンキーとそれの駆除を独占する企業……
アンチウイルスソフト会社のマッチポンプと似た関係だとは思わないか?
そして石津が依頼を受ける&ジャンキーが発生するのは、不思議と現地宗教の統制派と呼ばれる司教のいる教区だけ…
すごく人為的に薬物汚染が広がってるように見えない?」

平田はトントンと朱書きした地図を指で叩きながら部下に見せる。

「はぁ… でも、仮にその対立がトリガーだったとして、石津製作所が片方に入れ込む理由って何ですかね?
これだけ見れば、宗派間対立で統制派とやらが、相手の陣営から毒まかれているだけのようにも思えるのですが……
それだと石津製作所には関係ないですよね?」

「どうだろうな。
事実として大陸で密造する設備と輸送路の全てを満足に持ってるのは奴らだけ……
それに、奴らは大陸で堂々とケシ栽培やってる連中だよ?
何かしらの関係はあっても不思議じゃない。
性善説は通じないと俺は思う」

「……だとしても、目的はなんです?
金だとしたら、あの会社、そんなやばい事しなくても結構稼いでいるように見えますけど」

「そこが問題なんだよ。
今考えているのは、片方の宗派の有力者の意向が働いているのかと思うんだ。
調べてみたらあの宗教は、現教皇が病気らしく、教皇選挙の準備が行われていると町の教会では言っていたよ。
そんな中、片方の陣営の管理領域のみで悪魔発生とかネガティブキャンペーンそのままだろ。
だが、仮に例の教会の意向が働いていても、カネだけで彼らがここまで手を染めるかは謎だ。」

平田は考え込む。
あの会社は何かやってそうだが、それを結びつけるのには直接的な証拠がない以上、推論以外に頼るしかない。
エルヴィス、石津……
その二つを結ぶものは何か……

顎に手を当て、悩む平田。

だが、その考えを収束させるには材料がたりない。

「うーん……
しかし、こうやって考えてみてもコレだっていう根拠が無いんだよなぁ」

「だから考え過ぎですって。
いくら連邦英雄称号保持者で自由に動けるったって
一介の民間企業相手に粘着し過ぎですよ。
ストーカーですか?」

「でも、何て言うかな……
何かある気がするんだよね。
勘というか第六感っていうの?本能がそう告げるんだ」

「またまた……
平田さんって元々田舎の駐在所勤務なのに、何を生粋の刑事みたいなこと言ってるんです?
それにもう生身は脳だけでしょ?
第六感なんて言っても、義体のセンサーが感知した以外の事は感じれませんよ」

「なにぃ!?」

平田は机を叩いて部下を睨む。
サイボーグをバカにしてんのかと平田の鋭い視線は部下を突き刺す。
が、それに対した効果は無い。
少女型義体では圧倒的に迫力が足りないのだ。
部下は、そんな平田をみても何とも思っていなかった。

「はいはい。
とりあえずお昼でも食べに行って、それから続きにしましょうね」

「お前、さらりと義体差別しといて流したな……
まぁ良い。丁度時間もお昼だし、飯でも行くか」

視線を壁掛け時計に向ければ、時刻は丁度お昼だった。
平田はスクッと席を立つと、部下を引き連れて署の外へと向かった。
そんな彼らの向かった先は、最近話題のレストラン。
特に大陸産食用芋虫を混ぜたオムライスが人気を呼んでいる。
まぁ 平田にとっては脳の栄養以外は要らないので、専用食以外の食事は栄養的な問題ではなく気分の問題であった。
そして、今日の昼食は部下と一緒だ。
純粋な人間である部下は、遠慮なくオムライスを注文し、それを待っている。

「そういや平田さん。
最近奥さんとはどうですか?」

「あ?」

注文した品を待ち、テーブルの水を飲む手を止めて固まった。
急な質問に、一体どう答えていいか答えに困ったのだ。

「そりゃぁ。
結婚早々こんな義体になっちゃったし……
愛想つかされる前に早く男の義体か何かを支給してもらわんとなぁ……」

一応義体への乗り換えの際に、精子を冷凍保存してもらっているから子供は作れる。
だが、夜の営みが無いのでは夫婦生活をこの先続けられるのか平田は不安に思っていた。

「政府は支給してくれないんですか?」

「まぁな。
義体や電脳化の需要は多いけど、供給が追い付いていないから……
一人に何体も支給するのは、もう少し普及してからだそうだ。
……と、そんな事より今は昼飯だ。
ここの芋虫オムライスは絶品だそうだ」

「芋虫って……
これから食べる人にそんな良い方しなくても」

「気にするなよ。
それに丁度運ばれてきたし、テレビでも見ながらさっさと食おうか」

そう言うと、平田は褐色肌のウエイトレスが運んできた料理にスプーンを突き刺した。
消化こそしないものの、味覚センサにより9割方の味は分かる。
平田はもぐもぐと食を進め、半分ほど食べた所でテレビのあるニュースに注意が止まった。


『……政府は、調査団を派遣した地域にノヴァヤシベリア(新シベリア)と命名し、大規模な資源開発を進めると宣言しました。
これは、現在、ゴートルム滞在中の高木大統領が明らかにしたもので、コンビナート方式で開発を進めるとのことです。
なお、詳しい事は未だ明らかにはなっていませんが――』

どうやらキャスターは新しい開拓地について命名されたことを報じているらしい。
どうにもその開拓地は、その名前から察するにシベリア開発並に広大かつ人跡未踏の地だろうことは想像に易かった。

「ついに資源確保のために動き出すんですかね。
しっかし、入植者はどうやって確保するんでしょう?
道内の人間なら、そんな辺境に誰も行きたがりませんよ」

「そりゃぁ、そうだろ。
だが、それを何とかするのが政府の役目だ」

「そうですけど……
願わくば、そのノヴァヤシベリアが左遷の地にならないことを祈りましょうか。
仮に何かヘマして『同志。君はシベリア送りだ』とか言われたらお先真っ暗ですからね」

「まぁ、あの大統領なら、そこまで酷くなることは無いと思うけど。
むしろ大統領の親族であることを最大限に利用してる真紀のほうがやりそう……」

平田は冗談のつもりで特権を使うことに躊躇のなかった少女の事を思い出した。
微妙な立ち位置の親族であることを最大限に使って好き放題やっていたが、今になって思うとアレは事故で親を失った彼女が保護者になった高木を試しているのだろう。
以前、テレビで里親に迎えられた孤児が、そのような里親を試す言動をするというのを見たことがある。
となれば、彼女に必要なのは我儘にハイハイ言うことではなく、叱る事なのではないかとも思ったが
そうして真紀と大統領の関係について考えていると、平田は何かに気が付いたのかスプーンを持ったまま固まった。

「真紀、石津…… そうか、間にいるのは大統領か……」

「え?」

ふと口から洩れた平田の小さい呟きに、聞き取れなかった部下が聞き返す。

「そう言えば、前に大統領の姪の護衛に大陸へ行ったときに知ったんだが
現地で大統領が石津製作所とは懇意と聞いたんだ」

平田は以前、大陸に真紀と行ったとき、石津製作所の社長が大統領と何かしらの関係があるという話を聞いたのを思い出した。

「もし、大統領と石津がズブズブなら汚れ仕事だって断れまい。
そして、代わりに何かしらの便宜を図っていてもおかしくない」

そう閃いた平田は持ち前の電脳化した能力をフルに使い、即座にそれらのニュースや情報の収集を始める。
それは現実時間にして10秒ほどであるが、あれよあれよという間に目当ての情報が平田の電脳に集まってきた。

……「死の商人、戦闘ヘリを入手。道外でタカ派企業の活動活発化。軍用ヘリの譲渡に政府と謎の関係」 2029年5月1日 NPO法人 北海道平和連帯運動ニュース

……「大統領。エルヴィスからの接待攻勢に陥落か?! アンチエイジ魔法薬で若返り疑惑」2030年4月1日 週間近代 ナックルズ

少々ニュースソースが偏ってはいたが、それらの情報は平田の推論を補強する。

「大統領がクラウス殿下を支援するために石津を使ってる?
色々と荒も多いけど、絶対に違うって証拠も無い。
……よし!ちょっとその線で調べてみるか!
愛する礼文が、怪しげな奴らに大陸みたいに好き放題される前にちょっとその尻尾をつかんでやる!」

平田は、そう一人で納得すると、勢いをつけて椅子から立ち上がる。

「ちょ!?平田さんどこに行くんですか!」

「聞き込みだ!
プロパガンダ仕事以外はめちゃくちゃ自由度の高い特権職なんだから、心置きなく礼文の平和の為に生かすぞ!」

平田はそう部下に告げると外へ駈け出そうとするが、その腕を即座に部下に掴まれた。

「駄目ですよ。
支払いは誰がするんです?
それに今日は午後から、そのプロパガンダ仕事じゃないですか。
勝手に行かれても困ります」

「でも、礼文の平和を……」

「それはちゃんと予定を消化してからです。
野党系の団体からとは言え、講演依頼が来てるんですから武勇伝を語ってニッコリ写真写真を撮るまで今日の自由は無いです」

「武勇伝って言っても、政府が美化200%で脚本書いた奴だろ。
あれって嘘ついてるみたいで嫌なんだけど……」

「嫌なことも黙ってやるのが仕事です」

「うぅ……」

平田は部下にそう諭され、渋々と席に戻された。
今の自由な行動権は、求められてる仕事をこなした対価として与えられているもの。
いくら英雄称号保持者とはいえ、仕事のノルマは常に与えられているのだ。
今の平田にとって、その事実は実に重いものだった。





昼食も終わって午後になり、平田は車で講演会会場へと移動していた。
ここは、礼文に作られた野党系団体の施設であり、政治資金パーティも開けるホールを持つ立派なビルであった。
そんなビルの裏に作られた駐車場で整然と止められた車の一つに平田はいた。

「はぁ…… 気が乗らないな」

「さっきまでとはテンションが大違いですね。
さぁ、着きましたから車を降りてください」

部下に急かされ、やれやれと車を降りる平田の表情は実に浮かないものである。

「よっこいしょっと。
それにしても、講演会場が野党の拠点か……
ここって駐車場から玄関が遠くて面倒なんだよな。
一番近い裏口は施錠されてるし……前は普通に通れたんだけど。
もうちょっと利用者の利便性を考えてほしいよな」

そう恨めしそうに見つめる視線の先には、建物の裏玄関ともいえるガラス戸があった。
だが、その戸にはセキュリティを意識したためか、常時締切の札がかかっている。
その為、中に入るには建物を大きく回り込んで正面から入らねばならないのだが、乗り気じゃない仕事に向かう平田には、それが面倒に感じて仕方なかった。
だが、締められていると分かってはいても、平田はそのドアへと向かい、一か八かと取っ手に手をかけ開けようとしている。

「グタグタ言わないで行きますよ。
ほら、どうせ開かないんだからドアをガチャガチャしないで下さいよ」

「でも、こっから入れたら凄い近道だよな~……って、カギ開いてる?」

モノは試しにと回したドアノブは、カギに邪魔されることなくクルリと回る。
平田はあれ?っと驚きつつもドアを開けると、ドアが施錠されていない理由がそこにはあった。

「え?あ、本当ですね。
それもドアのロックに目張りしてオートロックがかからないようにしてる」

見れば、ドアのロックの部分にダクトテープが張られており、オートロックが作動しないように仕掛けがしてある。
これにより、このドアは事実上の無施錠ドアと変わりなくなっていた。

「やっぱり、利用者から駐車場から入口が遠いと苦情が来たから解放したんだな。
まぁいいよ。ここから入ろう」

「本当ですかね?」

「実際、解放してあるんだ。
ここから入っても問題ないよ」

開け広げられた入口は、確かに大きく回って正面玄関へ行くよりも近道だ。
平田は部下の手を引き、堂々と中に入っていく。
何せ平田にとって、野党での講演会も既に何回か行っている。
彼は与党の代弁者ではなく、道民全てにとっての英雄とされているのだ。
よって、この建物についても、裏口から控室までのルートは良く知っていた。
彼らはスイスイと建物の中を歩き、あっという間に目的に到着する。

「こんにちはー」

ガチャリと開かれる控室のドア。
愛想よく、元気よく、平田は室内へと入っていった。
控室には講演の準備をしていると思われる数人のスタッフと一人の男が、突然現れた平田らに驚いていた。

「あれ?
平田さん。来られてたんですか?
すいません。来られたら受付から連絡がくる筈だったんですけど、ちょっと連絡ミスがあったようですね。
今、テーブルを片付けますので、少々待って頂けますか?」

見れば、控室の机の上には事務仕事の紙が散らばっており、来客を座らせるには少々汚い。
男は急に現れた平田達のために、スタッフ達に指示して急いでそれらを片付けた。
その指示を出す男の名は近衛洋祐。
急激な変化を望まず、あえて旧来の日本の維持を目指す野党 社会自由党 党首。
それも転移後の野党再編後、旧来型の野党党首でポピュリストだった鳩沢を追い落とし、実力で党内を固めたヤリ手であった。
与党と高木大統領が強権を発動する中、若手の中から急激に頭角を現して今では党の看板を務めている。
何せ彼は電脳化の施術者。
持ち前の頭の回転の良さと、常時ネットで資料や法律を確認できることから、与野党の討論の際も常に与党を圧倒している。
正に野党の切り札と一定もいい男だった。
そんな彼は講演等を通して平田とは知乙が有り、フレンドリーに会話が出来る間柄でもあった。

「あ、受付あったの?
ごめん裏の玄関が開いてたから、そっちから入ってきちゃった」

平田は悪い悪いと軽く謝るが、そんな平田の言葉に近衛は眉をゆがめる。

「え?
裏玄関はオートロックで施錠されてるはずですが?
最近は、うちもセキュリティには気を配ってるので……」

「?
いや、普通に開いてたよ。
ロックの部分がテープで目張りされてたけど……」

普通に開いたという平田と、施錠されているという近衛。
二人の頭に?マークが浮かぶ。

「……一応、保安に連絡しておきましょうか」

そう言って近衛はスタッフの一人を呼び止めた。
どうやら、この建物の警備員に屋内を点検させるようだ。
平田はそんな様子を見て、マズかったかなと今更になって思い、部下を呼び寄せるとヒソヒソと耳打ちした。

「大事になっちゃったな」

「でもまぁ、我々が開けっ放しにした訳では無いですしね。
先に誰かが開けて、施錠し忘れてたんですよ。
まぁ取り敢えず、今は講演の事だけ考えてましょうか」

勝手に裏口から入ったのは悪かったが、それでも自分たちにヤマシイ所は何もない。
部下は講演の事だけを考えましょうと平田に耳打ちして返すと、平田もそれにコクンと頷いた。
何にせよ。今の自分たちに出来ることなど限られているのだから。




そうこうしている内に講演も終わった。
後は参加者だけでのパーティのようだが、平田の仕事はここまでである。
それ以上はオーバーワークとなる為、これ以上ここに留まろうとは彼は考えていなかった。
平田はそそくさと会場を後にしようと、挨拶もそこそこに外に出ようとする。
だが、丁度建物のエントランスホールまで出た時、偶然にも保安室と書かれた一室から近衛が出てくるのと鉢合わせしてしまった。

「平田さん
今日はお疲れ様でした。
それと、もう一つお礼が言いたいのですが、平田さんが早々に気付いてくれたお蔭で侵入者が捕まりました。
ありがとうございます」

近衛はニコニコと平田に頭を下げ、謝意を述べる。

「そうですか。それは良かった。
でも、捕まったとなると、既に署に連絡しました?
不法侵入も立派な犯罪ですので、連絡がまだであれば我々から連絡しますが?」

犯罪者をしょっぴくなら手伝いますよと善意から平田は申し出る。
プロパガンダ仕事中とはいえ、所属は警察。
署からパトカーが来るまで付き添っていてもいい。

「いや、そんなお手を煩わせることも無いですよ。
子供の悪戯でしたので今回は厳重注意と言うことにしました」

近衛はそこまでお手数はかけないと笑いながら手を横に振る。

「そうですか。
まぁ悪ガキ相手なら、ちょっとお灸を据えてやればいいでしょうね」

大したことが無いならば、それに越したことは無い。
平田もそれなら良いかと帰ろうと思ったのだが、丁度その時、どこからともなく現れた二人組が近衛後ろをすり抜けて保安室に入っていた。
警備の服を着たガタイの良い白人と褐色の肌の人間。
近衛も彼らを見て動じないという事は野党関係者らしいのだが、それでも平田の脳裏には一つの疑問がわいた。

「失礼ですがあの方たちは?」

関係者の人間っぽい立ち振る舞いではあったが、その目つきはどこか厳しい。
それに、転移前の日本だった頃の文化・社会の復興と純潔主義を暗に掲げる野党が、外国人を雇用している事が疑問だった。
だが、平田のその質問に対しても、近衛は笑顔を崩さない。
彼は、さも当然の如く答えて見せた。

「あぁ。
あれは警備員ですよ」

「大陸の方なんですね。
党是に日本人の雇用を守るとあるんで、外人を使ってるのに少々驚きました」

「国際色豊かな礼文島ですから。
道内ならまだしも、ここでは彼らを使うのも普通ですよ」

笑顔を崩さぬ近衛。
平田はしばらく彼を見つめたが、特におかしい様子も無かったので彼の説明をそのまま受け止める。

「そうですか」

確かに礼文北側は人口比では日本人は圧倒的な少数だ。
何せ教化中の移民が大量にいるのである。
野党の党是的には矛盾はあっても、今の近衛の説明に矛盾は無い。

「っと…… 忙しい党首をこんな無駄話に突き合せちゃ悪いですね。
我々も帰るとします」

時計を見れば既に良い時間である。
平田と部下は、不躾な質問で時間を取らせたことを詫び、近衛に頭を下げた。
これ以上グダグダ言って相手を拘束するのも逆に悪い。
そうして、いい加減に帰ることにした二人は、近衛らに見送られながら、その場を後にしたのだった。





平田達も帰り、パーティも終わった夜。
既に大半の室内の明かりは消えているものの、保安室のドアの隙間からは明かりが見えていた。

「吐いたか?」

「はい。
魔術により自白させました。
やはり内務省の犬です。
しかし、捕まり方が何とも間抜けですね。
北海道は工作員の育成が間に合ってないんでしょうか」

近衛の言葉に丁寧に答える外人の男。
その胸にはイグニスのシンボルといえるマークが彫られている。
彼は、大陸から来た魔術師だった。
魔導による洗脳と自白。
一時的な気分高揚とは違う魔導を使った洗脳は、教会では禁忌とされている。
だが彼らは、それ用の修練を専門に詰んでいた。
そして、工作員としての教育も当然の如く習得している。
彼らは、何者かから野党の工作員として働くよう命じられている者たちであった。

「まぁ 一番気を付けるのはステパーシン直属の奴らだけだ。
政権交代まで隙を見せないよう注意しなければな」

「それはもう。
既に我々の仲間も何人か行方が分からなくなっています。
気を緩めることはしませんよ」

そう言うと男は近衛に向かってニヤリと笑う。
その顔は、まるで謀略という暗いオーラを纏った蛇のような表情であった。



[29737] 対外進出3
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/10/13 01:58
ゴートルム王国

各国歴訪二番目の国として高木が訪れたのは、かつて北海道と一戦を交えた国だった。
しかし、一度矛を交えたとはいえ、高木の来訪に対するゴートルムのもてなしは至極丁寧なもの。
ルール無用のこの世界に調停役としての国際機関の設立を唱える北海道の話を真摯に聞き、その後の交流会でも積極的な接触がなされていた。

一度は矛を交えた国がどうしてここまで変われるのか。
それは一重に、紛争の経過が理由であった。
かつての北海道とゴートルムとの紛争は、ゴートルムの戦略兵器である箱舟の侵攻で始まり、箱舟が傷ついた事で幕を閉じた。
一緒に出征し数の上での主力である貴族軍たちには、被害など殆どない。
兵糧を無駄にしたくらいである。
つまるところ人的損害が極めて限定的であった為、憎しみが国中に広まることは無かった。
昨日の敵は今日の友。
むしろゴートルム国内での対北海道感情はそのような感じである。
北海道から輸入された文明機器は、市井の生活向上に寄与し、恨みを持つとしたらそれによって職を奪われた一部の職人位である。
北海道との対話に積極的な彼らの姿勢には、そういった背景があった。

そんな事もあり、今回、園遊会のような形式で開催された交流会では、高木を筆頭とした今回の歴訪に参加する政府及び民間の人間に対し、ゴートルムの貴族達がお抱え商人等を引き連れて積極的に話しかけている姿をよく目にする。
その中でも一番活発に話を聞いて回っているのは、道内から付いてきた総合商社の人間だろうか。
貴族の一人が「うちの領内で北海道の電化製品とかいうものが使いたいのだが」と聞けば「発電設備が要りますね。でも、ゴートルムの国家事業としての電力インフラ整備は今しばらく時間がかかるようですから、自家発電機はいかがでしょう?それとこの際ですから、邸宅丸ごと電化してみては?」とインフラやらパッケージで商談を決めている。
領地のインフラから、魅惑の高機能製品群、それに趣味の文物に至るまで貴族の物欲は旺盛だ。
例えば、道内から輸出された高級車は何億もの価格で取引され、その収集は高級貴族のステータスともなっている。
入手困難な物品を手に入れる為、どうにかこうにか伝手を作ろうと彼ら。
それはあたかも、19世紀のヨーロッパで見られたジャポニズムの流行の様でもある。
そして、そんな人だかりを遠目に庭園内を散策するものが二人。

「閣下、既に我が国に滞在して1週間となりますが、如何ですか?」

「そうね。我々の提案に積極的に耳を傾けてくれる方々が一杯で、色々と手ごたえを感じているわ」

純白のドレスに身を包んだうら若い乙女と、紺のスーツとピッチリしたスカートでばっちりと決めた高木大統領。
二人は人ごみを離れ、バラの咲き誇る花壇の傍を歩いていた。
彼女らは年の離れた姉妹のように仲良く庭を見て回りながら、今回の訪問について語っている。

「特に若い方々の意気込みがすごいわね。
我々の一つの提案に対して10も20も質問が返ってくるし、こちらの考え方を取り込もうという熱意が凄い」

高木は庭のバラの花を見ながら、今回の訪問の手応えを笑顔で語る。
何せこちらの予想以上にゴートルム側が積極的なのだ。
向こうがこちらにしてくる質問も、こちらの意図を十二分に理解しようと積極的に投げかけてくるのだ。
そんな意欲的な姿勢なら、こちらもわざわざ説明に乗り込んだ甲斐が有るというものだ。

「今、この国の若手貴族は、大半が北海道に関する勉強会に参加してますから。
皆、国の近代化を主導しようと理想に燃えてるんです。
かくいう、この私もその勉強会を主催する身として、毎日閣下とお話しするのを楽しみにしてるんですよ」

そう言って彼女はニッコリと笑う。
どこか幼さものこるが、それでいて美しい笑顔を浮かべる彼女。
そんな彼女こそ、積極的な北海道との接近を主導し、高木の来訪から常に行動を共にしているゴートルムの若き女王、ゼノビアであった。
彼女は先の北海道西方沖航空戦の中で国王崩御という出来事により、国家元首の地位を継承した先王の娘である王女。
今はホスト国として、非常に友好的かつ積極的なエスコートしている。
恐らく親密さをアピールするという狙いもあるのだろうが、それでも嬉しそうに接近していく彼女と高木との距離は、二人で歩いている時など百合の花が幻視しそうになる。
だが、そんな彼女の積極的な友好姿勢も、同じ女の身で国家元首を務める高木への個人的な酔頭もあるが、結局のところは全ては国のためを思っての事であった。

先王が崩御する際、行楽気分で箱舟に乗り込み、北海道の力と王の死の両方を見た事で、彼女はたくましく成長していた。
それは戴冠から数年しかたっていないにも拘らず、若手から年寄まで北海道に肯定的な人材で固め、国の外交方針としては親北海道で一枚岩とした事がその証明ともなっている。
そもそも、王宮は権謀渦巻く毒蛇の巣。
戴冠直後は、有力貴族が実権を握ろうとあの手この手で権力闘争を繰り広げていた。
そんな彼らの様子は、彼女に流れに身を任せていたら、傀儡化の末、権力闘争に巻き込まれて暗殺もありえると想像させるのに易かった。
自らの意思を持って生きていくには、彼女はおのずと自分を成長させるより仕方がない。
傀儡とならずに生きて行くため、未だ若い彼女は必死に勉学に努めることにしたのだ。

「へぇ、勉強会。
それはどのようなことを勉強しているの?」

「そうですね。
こちらに入ってきた訳書は色々と読みましたが、今はそちらの社会から歴史学まで多岐にわたって議論してます。
特に明治維新の成り立ちは実に興味深いですわ。
我がゴートルムも同じように近代化の道を歩みたいものです」

彼女が選んだ学問は、圧倒的な力でもって完敗した北海道の思想・文化・政治学・etc...
ゴートルムが北海道に敗戦したとはいえ、元々北海道への恨みは無い。
あの敗戦で生まれた負の感情があるとすれば、父を騙して戦に向かわせた上、敗戦の末に逆上して父を弑逆したエルヴィスだ。
弑逆したのは前当主であったが、今のクラウスも北海道に巧みに取り入り、この国を裏切り独立した不忠者。
問題に引き込んだ当事者が、今では相手に取り入って此方に矛を向ける。
憎しみがあるとすれば、彼らに対してであった。
そんな訳で、彼女はこの数年間、あの手この手で北海道からの本を集め、同時に未だ宮廷の毒に置かされていない貴族の若手子弟を集めて勉強会と称する集まりを開いていたのだ。
斬新な思想やイデオロギーは若い世代の好奇心を刺激し、その思いは一つの思いへと収斂する。
旧態依然の政治体制を抜け出し、最近、北海道の技術導入により発展著しいエルヴィスに対抗して富国強兵を目指すなら、国民国家を導入しなければならない。
だが、その為には人民の権利や義務などについて人民を啓蒙しなければならず、その役目は選民である貴族の役目だと彼らは息巻いていたのだ。
だが、そうは理想を持っていても現実には様々な問題が存在する。
ゼノビアは一つため息を吐いた後、上目づかいで高木を見つめる。

「あぁ、でも私たちも勉強を進める中で、いくつか閣下にお願いしたいことがあるのですが、聞いてもらえますか?」

「お願い?
それは聞いてみないと分からないけど、何かしら?」

「今の訳書の行き来だけでは、時間がかかりすぎるのです。
出来れば、そちらのインターネットというものを使う許可が欲しいのです」

インターネットの存在は、時折領内に来る北海道の人間が使っていたのを見てどういうものだかは彼女は知っていた。
千里万里を超え、自分の求める知識を瞬時に得られる仕組み。
そして北海道の文明を支える根幹の一つ。
彼女はそのようにインターネットを理解していたのだった。

「ネットへの接続許可?
それについては、近い将来に解放する予定ですので安心していいわ。
直ぐにとはいきませんが、もう少し待って頂ければ使えるようになりますよ」

「わぁ!ありがとうございます。
以前、北海道の方が使っているのを見たことがあるのですが
とても便利そうで、近代化に有用じゃないかと思ってたんです」

高木の言葉を聞いてゼノビアは大いに喜ぶ。
これで近代化に拍車がかかると。
だが、そんな喜ぶ彼女であったが、対する高木の方は何てことは無いといった風情で微笑んでいる。

道外でのネットの使用許可。
これは以前から政府内でも検討されていたのだった。
ネットを遮断し、遅れた外地に北海道の進んだ技術情報を一切漏らさないようにすべきか、もしくは解放して世界的なインフラとすべきか……
そんな喧々諤々の検討の末、最終的に北海道が選択したのは後者であった。
ネットへの接続自体は、成層圏プラットフォームのデータ通信網を利用すれば問題ない。
それに、いくら技術的優位性確保の為に情報を遮断しようとも、人と人との関わり合いがある以上、情報は必然的に漏れるのだ。
それに、北海道が必要な資源と市場を得るためには諸国のインフラ向上は不可避。
ならば、ネットを解放し、全てを統制下に置いた方がよい。
実際、このネット解放プランでは、道民以外は完全実名登録及び生体認証の登録が義務付けられる事が前提で、今はその準備を行っている。
登録センターの準備が済み次第、世界にネットを解放する予定だった。
なので、高木としては特に便宜を図ったわけでも無く、予定されている事象を教えただけ。
それで、ここまで喜んでくれるとは儲けものだと思っている感じであった。

「高木閣下がお心の広いお方でよかったわ。
こんな閣下なら、統治される民も幸せそうでいいですわね」

そう言って高木に微笑むゼノビアであったが、高木はその笑顔が痛かった。
確かに帰化した難民やロシア系、取り残された外国人達、過疎化から一転して大開発が行われた道北、道東の住民にとっては融和政策や国策で開発を断行する高木の支持率は9割を超える。
だが、その一方で転移前に比べて権威を制限され、資金・資源を地方に回された札幌などの大都市圏では支持率低下が止まらない。
一部の市民団体からは独裁者と罵られている程である。
とても全国民から慕われているとは言えない状態だ。

「それに比べて、私の方は……
閣下。恥を忍んで……もとい、国家の為に閣下にお願いしたい事がもう一つあるのですが」

ゼノビアはキリっと視線を正すと高木に尋ねる。

「何かしら?」

表情を正したゼノビアを見て、高木も今度はどんな依頼かと向き直る。
技術援助、開発支援……このあたりが彼女の"お願い"であろうか。
高木はドンと来いといった気持で彼女の言葉を待つが、その彼女の願いは高木の予想を遥かに超える者であった。


「ゴートルムで装甲部隊を編成する助力をお願いしたいのです」


装甲部隊……
その言葉を聞いて、高木の顔から笑顔が消える。

「それはどういうことです?」

軍事援助。
属国であるエルヴィスと敵対的なゴートルムに軽々しく出来るようなものではない。
ゼノビアもそれが分かっているとは思うが、なぜその様なことをお願いしてくるのか。
高木は眉を顰めながら、彼女に真意を問うた。

「現在、青年貴族と人民の知識層を中心に近代化を進めようとしているのですが、旧来の大貴族の中には先進的な物品は受け取っても、現行の貴族制度を初めとする国家体制まで変えるのには消極的な者たちもおりまして……」

「それと……機甲部隊に何の関係が?」

「既に北海道から輸入した銃を装備の基本とした軍制改革は、アーンドラ帰還兵を中心に行われています。
ですが、それは保守派貴族の私兵も同じ……
お恥ずかしい話ですが、改革が国内での主導権を確実にするためと言うことです。
何せ我が王家は敗戦により、一度権威が地に落ちました。
国の為、頼もしき宰相が頑張ってはくれていますが、なかなか……」

そういってゼノビアは視線を上げて空を見る。
まだまだ国を完全に掌握できない己の不甲斐なさ。
それを思うと苦虫を噛み潰した表情になるが、彼女はそれを高木に見せまいと顔を上げて遠い空の方を向いているのだ。

「……理由は分かりましたが、それはこの場で即決できるような事ではないわ。
それに、あなたには箱舟とドラゴンの傭兵がいるでしょう?国内の平定に装甲部隊は必要ないんじゃないくて?」

「箱舟の運用と竜族の傭兵との契約は王族の特権ですが、運用を妨害する程度ならいくらでもやりようはあるのです。
それにそれらは敵軍を滅ぼせても占領はできません。
どちらも空を飛ぶものですし……
一般の部隊の底上げが必要なんです」

確かに双方ともに航空兵器。
地上に一時的に降りることは可能だが、基本は空の上が主戦場だ。
地上を占領する役目には向いていない。

「あ、でも、別に今すぐ支援をお願いしたいと言う訳ではありません。
取り敢えず、現段階では閣下のお耳に入れておきたくて。
国の恥ではありますが……」

恥を忍び、国の弱点を晒すような恰好ではある。
だが、ゴートルムが完全な一枚岩でないと言うことくらいは既に北海道側は知っているとゼノビアは思っていた。
何せ北海道から取り入れ、民衆の啓蒙に役立つとして新聞を発行したところ、革新派貴族と対立する保守派貴族の悪口を三流タブロイド紙ばりにバンバン書き立て対立を煽っているのだ。
民衆受けがいいからと言っても、これでは国内が一枚岩ではないことくらいバレバレである。
なので、多少は自国の弱みを見せつけても援助を頼みたいという思惑が彼女にあったのだ。

「閣下の心配は分かります。
エルヴィスを保護する手前、我々に軍事援助はどうかと思われてるんでしょう。
ですが、これは憶えておいてください。
エルヴィスは今は北海道の保護国ではありますが、クラウスはイグニス教純粋派……
勝つためには何をしてもいいという信条です。
恐らく、閣下が今回諸国を回るのも、直接の原因は彼らの振る舞いが原因ではないですか?
私も配下からアーンドラ戦線での彼らの報告は受けてます。
毒ガスという新兵器…… とても無残だったと聞いております。
彼らは手段を択ばない…… 噂では自国内の統制派の司教がいる地域に呪いをばら撒き、それを口実に純粋派の司教を送り込んでいるとか。
そんな彼らに比べて、我々はイグニス教統制派が多数を占めております。
戦争も外交も何事もルールに乗っ取るべきと言うのは、賛同できますし、価値観も共有できると思いますわ」

そう言ってゼノビアは高木の手を取って、作られたような綺麗な笑顔で微笑む。
だが、どんなに微笑んだところで高木の表情は硬かった。

「……」

確かに彼女の言うことは一理ある。
高木は子飼いのクラウスの行動は良く知っている。
そもそも高木が諸国を回って国際機関を設立しようとしているのも、元を正せばクラウスがアーンドラで躊躇なく毒ガス戦を実施したからだ。
だが、そうはいっても属国は属国。
保護の対象には変わりはない。
高木は、ゼノビアの軍事支援の依頼には現状では何も答えることが出来なかった。
そして、そんな高木の内心を察してか、ゼノビアは高木の手を放して申し訳なさそうに言う。

「すいません。
何やら雰囲気を壊してしまいましたね。
ちょっと私も色々と焦っていたのかもしれません。
閣下も、どうかお気になさらずに」

「いえ、そんなことは無いわ。
若いのに色々と大変そうで感心しただけよ」

何とも重い会話内容であったが、高木がゼノビアに感心しているのは本当であった。
彼女は若い、自分は彼女と同じくらいの年齢の時、一体何をしていたであろうか。
たしか、大学でキャンパスライフを満喫していたはず。
それに対して、ゼノビアは一国を率いて苦悩しているのだ。
自分と同じような統治者の苦悩を、若い娘が、である。
とても言葉には言い表せない重圧もあるのであろうと、高木は彼女に同情した。

そんな時であった。

ふと高木は、後ろから近づく気配を感じたと思うと、彼女に向かって声がかかる。

「大統領。少々お話が……」

掛けられた声に高木が振り返ると、秘書官の一人がすぐ後ろに立っている。
ゼノビアと距離を取ると、高木は何の用かと彼に尋ねた。

「何?」

高木の問いかけに、秘書官はそっと高木に近づくと、他人に聞かれぬよう口元に手を当て彼女の耳元でささやいた。

「野党に潜入してた工作員が捕まりました。
内務省が主導していた様ですが、少々とまずい事に……」

その言葉に高木は露骨に眉を顰める。

「野党に侵入?
なにそれ?私は知らないわ」

彼女は何の事か分からないと困惑した表情で秘書官に聞き返した。

「以前、大統領が野党の背後関係を洗えとの指示があったと……内務省の方はそう言っています」

それを聞いて高木は記憶の奥底に眠っていた自分の言葉を思い出した。
そう言えば、礼文で野党幹部の泊まるホテルから教皇領の人間が出てきたときに、その様なことを言ったような気がする。
その時は違法な手は使えとは指示した覚えはないが、自分が指示したことが発端になっているのは違いない。
高木は悩みの種が増えたことに溜息を吐きながら、どうしたモノかと思案する。

「……それでも、侵入するような工作員が態々政府の使いであると言いふらしているわけでも無いんでしょう?
こちらは知らぬ存ぜぬを通して、沈静化させましょう。
マスコミの情報を統制して事件自体を握りつぶしてちょうだい」

例え工作員が捕まっても、政府が関与した証拠がなければ知らぬ存ぜぬで通せばよい。
訓練された工作員なら、警察の取り調べ程度では政府との関与について口を割らないだろう。
多少支持率が落ちても、シラを切りとおした方が政府の関与が露見するよりも余程マシだ。

「いや、あの…… 大統領」

「それにしても、ステパーシンもヘマをしてくれたわ。
貸し1つとしておきましょうか」

内務省の工作員と言えばステパーシンの手駒である。
それが、こんな下らない失態をしでかして彼にどう責任を取ってもらおうか……
高木はそう言いながら、秘書官に苦笑いを浮かべる

「いえ、それが……」

だが、苦笑いを浮かべられた秘書官の歯切れが悪い。
高木は他にも何かあるのかと彼に尋ねた。

「どうしたの?
まだ何か問題が?」

「いえ、その工作員なのですが、既に政府の指示で動いていたと自白したとマスコミに広まっておりまして……」

それを聞いて高木の時間が止まった。
秘書官の言葉を聞いた途端、眉間にしわを寄せ、口を半開きにしたまま硬直したのだ。

「なっ……
なによソレ……」

硬直の後、時間を取り戻した高木は秘書官に問い返す。
一体、何が起きているのだと。
そんな高木の問いかけに対し、秘書官は額の汗をハンカチで拭きながら淡々と説明しだした。

「有識者の見解では、精神操作系の魔術で自白させられていると……
そしてマスコミには野党が情報をリークしてます」

そこまで聞いて、高木は合点が行った。
魔術の大家である教皇領とも繋がる野党。
そんな彼らがバックにいるなら、魔術で自白など容易いだろう。
そして、野党はそれを与党を蹴落とす材料として嬉々として用いてくるのも……

「……なら、当該人は魔術で精神操作を受けていて証言は信用ならないとしてシラを切りとおすわよ。
全く、外遊中に何てことなの……
今、外遊をキャンセルして札幌に戻れば、諸侯から道内情勢が不安定だという印象を持たれかねないわ。
日程の短縮は検討するけど、私が戻るまで問題を鎮静化させるよう閣僚に伝えておいてね」

魔術によって自白が強要されたなら、逆にそれは精神操作による捏造だと断言すればよい。
原理の分からぬ魔術が存在する限り、今後は人間の証言などというものは無価値になるだろう。
真実より、声の大きい方のプロパガンダが事実として世に定着するのである。
ならば、この件に関しては高木自らが首を突っ込むより、北海道に残した閣僚達に任せてしまおうと彼女は思った。
なにせ、この程度の事で一々帰国しているようでは、諸国から道内情勢は不安定として付け入るスキを与えかねない。
高木はそう思案しながら秘書官に後の処置を任せると、心配そうにこちらを見ているゼノビアの元へと戻っていった。

「閣下、どうしたのです?
顔色が優れないようですけど」

高木の顔を覗き込むように彼女は尋ねる。

「いいえ、なんでもないのよ」

「そうですか……
まぁ 施政者たるもの色々と心配の種は尽きませんものね。
深くは伺いませんが、心中お察しいたしますわ」

そう言って彼女はニコリと微笑む。
それは、何を話していたのかは解らないが、面倒事はしょっちゅう飛び込んでくるものだとの同情を込めた笑みであった。

「お気づかい感謝します」

高木は謝意を伝えると改めて考える。
何にせよ国内がゴタついては、またまた支持率が低下するのは目に見えている。
ならば、今回の周遊中に何か外交的得点を得られれば帳消しにできる筈。
国際機関設立の目的は、既に国民は周知の事実。
なら、ここでプラスアルファの何かをしようと彼女は考えた。
外交的得点……
転移前の世界であれば、トップセールスによる公共事業獲得などがあったが、ゴートルムは既に国を挙げてインフラ整備に注力している。
ならば、これをすこしテコ入れしてペースを速めてみるのもいいかもしれない。

「女王陛下」

「なんでしょう閣下?」

「少し話を戻しますが、陛下は国内の主導権を盤石にしたい。
そうですよね?」

「はい」

「それでは、経済の力で成し遂げるのはどうでしょう。
資金力で圧倒するのです。
例えば、陛下の信頼できる者の領地を優先してインフラ整備を行ったりするのです」

高木はそう言うとゼノビアの顔を見つめる。
だが、対して彼女は申し訳なさそうに一度はあった視線を外し、その顔を伏せた。

「それは、既に行っているのですが、何分予算には限りもあります。
それに旧制度に固執する大貴族は広大な領地を持つものが多いのに対し、革新派貴族は領地が相対的に小さく、分散しているので効果的には……」

金と政治。
彼女が全力で推進しているインフラ開発で子飼い貴族を援助しようにも。
だが、その二つがどうしても邪魔をするのだそうだ。
ばらけた領地へ無駄にインフラを張り巡らせば、大半が不要な赤字になりそうな予感しかないのだ。
尤も、今は予算の不足で首都などの大都市しかインフラ整備が計画されていないので、そのような明らかな不採算事業の開始には至ってはいないが。

「では、革新派貴族の領地を国が買い上げてはいかがです?
我が国は、かつて貴人の領地を国有化する際に似たような手法を使いました。
領地と各種権利を証券に交換するのです。
交換条件は貴国に合ったものを検討されると良いかと思いますが、例えば代価として新設する国営工場を払下げるとか、国営投資公社を作り配当金を分配することで収入を確保させる等があると思います。
貴国は現在開発途上、投資の機会はいくらでもあるように思えますから、領地経営より魅力的かと思います。
それに味方の貴族たちの経済的主柱が領地から他に移れば、より効率的に国土開発が出来ますわね。
例えば、鉄道を敷設する場合に不必要な路線を政治的理由のために引く必要はなくなります。
そして、人口密集地帯や資源生産地を効率的に結んで開発をすれば、配当金もドンドン増えていきます。
これを目にして保守派貴族も考えを改めれば、土地を手放して迎合するかもしれません。
陛下が望むのであれば、我が国が国債の引き受けを検討してもよろしいですわよ。
それと大規模公共事業を実施したい時はいつでも言ってください。
陛下のご希望に添えるように手を尽くさせていただきますわ」

「なるほど…… そう言う手もあるのですね。
未だ自分が不勉強であったと恥じ入るばかりですわ」

ゼノビアは真摯な目つきで高木のの話を聞くと云々と頷いた。

「それらについてもっと知りたければ、若手貴族の方々を留学させては如何でしょう?
我が国の礼文島では、大陸の方々への各種教育カリキュラムが揃っていますし」

「そうですね。
今は貴国から取り寄せた書物がメインでしたが、留学が可能なら選抜した貴族を送り出したいものです」

百聞は一見に如かず。
書物だけの知識より、現代文明を一度体験した方がインパクトは大きい。
それに道内情勢を見て学んだ若者が後々に国家の要職につけば、ゴートルムとの外交のパイプはより太くなるだろう。

「とりあえず、陛下が国内を固めるのに出来る支援は今の所はこのくらいでしょうか。
そこまでやって駄目なら、またご相談ください」

高木の言葉にゼノビアは礼を言う。
ゴートルム国内の政治の話はこれで終りであった。

二人は気を取り直し、再度庭園内をぐるぐると歩き始める。
花壇を巡り、時々接触してくる他の来訪者と軽い立ち話などもしていると、時間はあっという間に過ぎてしまった。

会の終わり。
高木達北海道関係者が宿泊所となっている邸宅に戻る際、ゼノビアは高木を見送る為、用意された車の前まで送っていくと、車に乗り込もうとした高木がそっと彼女に近づいて耳打ちをした。

「帰る前に、もうひとつお話ししておきましょう。
装甲車両に関してですが、これについては前々から政府内で検討ではありますが、近々一部輸出も許可されるでしょう。
個別に援助はでいませんが、正規のルートを通してくれるなら何の問題もありません」

「正規のルート?」

耳打ちする高木の言葉にゼノビアは聞き返す。

「女王陛下が今からでも準備を進めたいのなら、石津という者がエルヴィスのメリダに拠点を持ってます。
彼と接触してみるものいいかもしれません」

「イシヅ……ですか」

「同じ価値観に向かって歩く者同士なら、北海道と共同歩調を取る限りは公平な取引を約束します。
新たな世界秩序構築の為、共にがんばりましょう」

そう言って高木は車に乗り込むと、車列は出発する。
分かれ際、高木はゼノビアに共に頑張りましょうといっていた。
それは、国内を安定化させるための双方の頑張り。
それらは状況は全く正反対のモノではあったが、大きな困難として双方に立ち塞がりつつあったのだった。



[29737] 回天1
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/10/13 01:59
事件の発覚以降、高木の新たな戦いが始まった。
歴訪のスケジュールをこなしつつ、道内へ指示を飛ばして八方に手を尽くしていた。
既にゴートルムを出国し、3カ国目であるセウレコスでの日程も順調に消化。
だが、そんな順調な歴訪とは対照的に、高木の国内での戦いはハナから劣勢であった。
どんなに言い訳を並べてシラを切っても、国内マスコミは野党のリークした情報を基に、政府を弾劾する記事を書き立てる。

『野党施設に盗聴器設置、大統領の指示か?』

『プライバシーを侵す独裁者』

過激な記事が世の中を行きかい、主のいない官邸周辺では連日デモが開催され火はドンドン燃え広がる。
大通公園など、デモ隊が陣取ってキャンプを始める程だ。
スピーカーでぎゃんぎゃんと騒ぎ、騒ぎが大きくなる。
無許可なデモは内務省警察によって解散させられると、今度は弾圧だと声高に叫び、次回より更に参加者を増やしていく。
大通公園ではバリケードを作ったデモ隊と警察との衝突が何度か起こったほどだ。
これらは、政府がマスコミの封じ込めに動き始めた時には、すべてが遅かったのが事の原因にあたる。

声の大きいプロパガンダが最終的に事実となる。

この件は事実としてそうなった。
だが、事実となったのは政府の用意したモノではない。
野党が公表したモノが事実として世間に受け入れられてしまった。
日頃から政府に大なり小なり不満を持っていたものが、それを真に受けたのだ。
特に都市部の動揺が酷い。
デモ隊は無党派層を大きく取り込んでいる。
だが、こうなってくると面白くないのは政府だけではない。
その支持層も同じであった。


道東某所。
暗めのさして広くは無い室内に、獣人やドワーフ等、様々な種族が一堂に会している。
その表情は一様に険しく、それでいて彼らは、難しい表情のまま一言も発することなく部屋に置かれたテレビに注目していた。

「この流れは良くない。
閣下が失脚すれば、我々は後ろ盾を失う」

テレビの関連ニュースを見ていた中で、一番最初に口を開いたのは、この会合のトップと言えるドワーフのラバシであった。

「野党は典型的な純血主義者。
仮に彼らに政権が移れば、我々帰化亜人の権利がどうなるのか不透明だ。
今日はこれについて話し合いをしたい」

そう言ってラバシは長い髭を撫でつつ大陸産の葉巻に火をつけた。
ポッと炎に照らされるラバシの姿。
男のドワーフの特徴でもある長い髭に縦のストライプが入ったスーツ。
北海道に帰化した難民の中で率先して同化策を進める彼は、今ではスーツの着こなしもバッチリであった。

「しかし、ラバシ殿。
閣下を支援するにあたり、どのように事を運びます?
まさか、あの群衆に殴り込みをかけると?」

ラバシの言葉に、同じく映像を見ていた猪頭の獣人が彼に聞く。
テレビで見た感じ、群衆は千を超える。
その中に殴り込むのは体格の良い獣人とは言え、中々勇気のいることだ。

「いや、そう言った行動は、内務省のステパーシン氏からキツく禁じられている。
都市部では、我々が就労で便宜を図ってもらったことに妬みを持つものも多くいると聞く。
これ以上、不用意な対立は望まないとのことだ」

「そんな!
仕事を与えられたと言っても、適材適所ではありませんか。
彼らが急に鉱山で働けと言われて働くと?
それに、他の能力のある亜人が各方面に進出したのも、彼らの頑張りがあったからこそ。
彼らも愚痴を言う暇があれば頑張ればいい」

ラバシに向かって、他のドワーフの男が叫んだ。
政府から割り当てられた労働配置を妬まれた所で、彼らとしてはどうしようもない。
それに、彼らのやりたがらない仕事を率先してやっているのに恨まれる言われは無い。
それに亜人の中から己の才覚によって出世するものが居ても、それは別に優遇されたわけでも無く、当人の頑張りであるから非難されるいわれは全くない。

「そうはいっても割り切れない事もあるのだ。
それに、彼らは転移の後で意に反して仕事を変えざるを得ない者たちも沢山いたと聞く。
そのどこにもぶつけようのない怒りが、今でも道内に渦巻いているのだ」

ぶつけようのない怒り。
発散されないエネルギーが偶々こちらに向いてきた。
ラバシは今回の騒動の燃え上がり方について、そう判断していた。

「では、ラバシ殿。
これからどうするおつもりです?」

「あくまで平和的に、閣下への指示を打ち出していく。
大統領への支援集会などだな。
それと同時に同胞たちの綱紀粛正だ。
先日、仲間の一人がコンビニ強盗でニュースになっていた。
このような時に、そんなふざけた事件が立て続けに起これば、我々への風当たりもさらに強くなっていく。
皆からもこれは同胞たちに厳命してほしい。
それと同時に我等帰化人の連絡網の更なる強化を。
どんな事態になろうとも統制だけは失ってはならない」

「それは分かりました。
ですが、もし仮に…… もし仮に閣下が失脚した際は?」

もしもの時はどうするのか。
あまり考えたくは無いが、仮に現実になった場合、それから対応を考えても遅い。
ドワーフの男は、恐る恐るラバシに聞く。

「その時は……
腹をくくるしかなかろう。
もし、閣下が失脚するときは、我々だけでなく、国後のロシア人や他の者たちも同じ運命だ。
何せ彼らも野党の言う純潔日本人ではないからな。
それと、我々の敵はそれだけではない。
イグニスがかなり道内に浸透してきているそうだ。
主婦層を中心に広がりを見せている。
大陸からの手が伸びているとステパーシン殿は言っていたが……」

「エルヴィスのクラウスか?」

猪頭は怒気を込めて、それは誰かとラバシに尋ねる。

「いや、教皇庁だそうだ。
それと、奴ら完全に野党と繋がっている。
野党も浸透されているか……若しくは政権奪取に手段を選んでいないのかはわからんが、奴らはまとめて我々の敵だな」

「今の政府首脳は、宗教にたいしてガードが堅いからな
それより対立勢力に取り入って頭を変えようという腹か」

猪頭は頭に血管を浮かべながら遣り切れない思い出溜息を吐く。
そしてそれは、その場にいる全員が同じ気持ちであった。

「何にせよ、奴らはこの好機に何かしら仕掛けてくるだろう。
我々も何が起きてもいいよう準備をしておこう」











色々な策をめぐらせ準備はしてきた。

だが、全ては無駄だった。

工作員の野党侵入がバレてからというもの全ては後手後手……
与党の一部にも有権者に媚びたり、党内序列向上の為に裏切ったものも出た。
結果、つい先ほど議会より弾劾裁判の通知が来たのだ。
自浄作用を求めてのモノだが、やられる身としてみれば、こんな制度作らなきゃよかったと思う。
嫌疑は野党への侵入を指示したことから捜査妨害やエルヴィスからの収賄等盛りだくさん。
中身を聞くと超高価な魔法の老化防止化粧水をクラウスから貰ったとなっている。
いや、あれはコネで渡りをつけただけで、私費で購入したのだが。

そんな事から、4カ国目の教皇領入りは延期となった。

このような事態は最も避けたかったが、野党が私の足を引っ張ろうと弾劾裁判所を通じて出頭命令を出したのである。
その為、今の私は北海道へと戻る船の上だ。
あと数日で小樽に入港できるだろう。
これまで順調に事が進んでいただけに非常に残念でならない。
可愛いゼノビアには支援を約束したが、仮に失脚すればその約束もどうなるか……
野党党首の近衛は、積極的に外と交流するより、爆発的な勢いで成長し始めたロボット産業を労働力として古い日本を取り戻そうとしている。
なんでも軍事、産業全てをロボットに任せ、人間は最低限の仕事とベーシックインカムで暮らすのだと。
多少効率の悪い事をしていてもロボットが経済的に挽回するので、高い生活の質は確保できるといっている。
それが本当に実現するのかは知らないが……

まぁ そんなこんな事を何日も考えているうちに北海道へとついた。

さぁ 裁判か。

非常に乗り気ではないが、呼び出されたものは仕方がない
行かねばならないのだ。
無理にでも気合を入れて官邸へ戻ってみると。
こんな私宛にクラウス殿下より激励の手紙が来ていた。
なんでも裁判を傍聴して応援すると下手くそな日本語で書かれていた。
国政はどうするんだと突っ込みたいが、それはどうでもいいようだ。
何か考えがあるのかもしれない。
ゼノビアの話では、国内の政争に呪いを撒いているという話であったが……
(秘書官に調べさせたら、確かに肉が腐る悪質な麻薬が出回っていたそうだ)
好意は受け取るが、彼の行動にも注意しよう。
そう思って彼の手紙を机に仕舞うと、デリカシーのかけらもないオッサンがノックと同時に室内に入ってきた。

「どうした?何をぼーっとしてる。
休んでいる暇は無いぞ」

そう言って私を急かすのは内務相のステパーシン。
ノックをしたのならば、せめて了解を取ってから入ってきてほしい。
何年も仕事を共にしていると、だんだん相手も遠慮が無くなってきている。
これは、後で一言言ってやるべきだろうが、それは後だ。
彼には言いたいことが沢山ある。

「迎えの秘書官が来ないのよ。
あなた達こそ何をしてたの?
状況の悪化をどうして止められない」

「野党、都市住民、イグニスの三社が結びついている。
それにマスコミも乗っかって一種の祭りだな。
転移以来、ずっと非常事態と言って押し込めていた不満が爆発したんだ」

やれやれといった感じでステパーシンは答えるが、私の視線は険しいままだ。

「それで?
裁判はどうなの?」

「まずいな、特に証人の存在がまずい。
最初は魔術によってかもしれんが、今は野党が身元保証したのか自発的にペラペラとよくしゃべる。
完全に裏切ったな。
奴は野党専門の工作員だったが、他の件についても暴露を始めた。
そして、その通りに他の野党施設内から盗聴器が見つかった」

「……私の味方は?」

「今までの政策の成果だな。
網走、釧路、根室、十勝、クリル地域は圧倒的に支持率が高い。
過疎化地域だったのが、産業クラスターの分散開発で恩恵を得てるからな。
だが、札幌近郊は最悪だ。
特に維持できなくなったサービス業から強制的に業種転換した奴らが5年たった今も恨んでる。
そのなかでも鬱になって電脳化というロボトミーを受けた奴らが酷く目立つ。
情報処理能力に長けてるから扇動がうまい。
後は…… どっちつかずか。
どちらにしろ、現状で大統領選をやったら勝てんな。
地域で見れば道内を二分してるが、人口面で都市部から支持が得られないのがつらい」

「そう」

「後はクラウス殿下から激励が来ている」

「それは知ってるわ
彼も物好きね。これから政治的に終わろうとしている女の応援なんて」

「彼としても各種援助は君のお蔭だと思っているからな
そのせいでもあるだろう」

「……」

「どうした。
味方がいるってのにうれしくないのか?」

「彼は理想のために国家開発をしているけど、結局はイグニス教純粋派
目的のためには最終的に私を切り捨てるわ。
ゴートルムの女王様とのお話の中で思ったのだけど、やはり心の底からは信じきれない。
それがいつかは分からないけど、彼らが大きくなれば私たちに牙を剥いてくるでしょう。
個人的な信頼ではクラウスよりゼノビアのお嬢ちゃんの方が私は信頼できる」

「なんだ?
捨てられた女みたいな口ぶりだな。
もう諦めるのか?」

「諦めたくはないけど……
状況が悪すぎるわ
何とかならないかしら
野党は外国の支援を得て十二分に好き勝手してるのが悔しい。
此方は手足が縛られてるのに……」

「判決が出たら、クーデターでも起こして権力を掌握するか?」

「なにそれ?
冗談のつもり?」

「国家として最悪の事態を避ける為に、時として民意を無視しなければならない事はある」

「……あはは。
言いたい事は分かるけど、それは無理よ。
私は大統領として軍のトップにいるけど、個人的に掌握できるほど強固なつながりは無いわ」

「君がそう思っていても下の者はどう思うかね?
君を担いで打って出るかもしれんぞ?」

「その時はその時よ。
私は今、そんなつもりは一切ないわ」

冗談は辞めて欲しい。
それじゃ本当にどこかの国の独裁者のようだ。
私はステパーシンにそう言って軽く溜息を吐いていると、ドアの方からノックがした。

「大統領
お迎えに参りました」

その声と共に入ってきたのはいつもの秘書官だった。
だが、今日は様子がおかしい。
いつもなら時間ぴったりに行動するのに、今日は5分遅れている。

「どうしたの?
遅かったじゃない」

「ちょっと道が混んでおりまして」

そう言って秘書官は額の汗を拭く。
走ってきたのか大粒の汗をかき、若干放心状態だ。
そんな調子のおかしい秘書官を見て、私はお疲れ様と苦労をねぎらうと、ステパーシンに向かって軽く手を振った。

「それじゃステパーシンさん。
無駄話はやめて私は行くとするわね」

これ以上彼と話をしていると、もっと物騒な話が出てきそうだ。
私は一つ気合を入れると、裁判と言う名の戦場へ歩を進めるのであった。



[29737] 回天2
Name: 石達◆48473f24 ID:bd0b9292
Date: 2014/10/14 20:24
となる月の綺麗な夜。
それは考え事をするには丁度いい静かな夜だった。
誰にも邪魔されることのない静寂のひと時。
私は狭い無機質な一室で、慌ただしかったここ一か月の出来事について思い出していた。
豪華客船で行く諸国漫遊ツアーから、一本の呼び出し状によって道内に呼び戻され、相応の気合を入れて臨んだ弾劾裁判。
まずあれが、今月の私の運へのケチの付き始めだった。

『被告人は証言を認めますか?』

『認めません。
野党内で盗聴器が見つかったと言っていますが、それに政府は関与していません。
原告の自作自演です』

弾劾裁判の中で日々続くこんなやり取り
裁判中、私は断固として罪は認めていない。
ステパーシンが工作に動き、最初の証言以外の有力な証拠を検察は出せないのだ。
この裁判自体、政府に対し含むところのある者たちが見切り発車的に臨んだ所もあり
十分な信憑性のある新たな証拠は現在捜索中なのだろう。
その為、時間稼ぎとしか思えない次々出てくる証拠品も出てくるが、私の弁護団は全て否認している。

検察は意地でも私を有罪にしたいのか、色々なモノを並べてくるがクリティカルな物証は存在しない。
別件で盗聴器が見つかったそうだが、それ自体と政府を結ぶ繋がりはステパーシンが綺麗サッパリ消した。
それに、本件に関して私の指示は口頭だけであったし、そこから末端までの間に何かの文書があったとしてもステパーシンが消してしまったのだろう。
だが、法廷での雰囲気は明らかに私の有罪ありきのモノであった。
私のいない間に、野党とマスコミ、道内のイグニス教信者の行ったキャンペーンが効いているのだろう。
かつて鈴谷宗明が斡旋収賄で失脚したときと同じ空気を感じる。
結論ありき、原告が何を言おうと、世論とそれに押された検察は全く取り合わない。
だが、そうはいっても私は一国の元首。
権力を最大限に使って集めた最強の弁護士団は屁理屈を並べて検察に対抗している。
と、そんな感じで法廷内での主導権は未だに相手には握られてはいなかったが、道内の政治情勢は随分旗色が悪かった。
裁判所と官邸との往復生活を送っている為、ワイドショーは連日面白おかしく騒ぎ立てる。
私の権力維持が直接利益に繋がる地方以外、つまるところ都市部の支持率は酷い事になっていた。
ある日、ふと見た放送の事を思い出すと、今でも腸が煮えくり返りそうになる。
特にマスコミの取材で意気揚々と政権批判をする野党の面々の映像……
なんというか、もう政権は貰ったなという思考が漏れ出していて癪に障るのだ。
だが、そんな個人的感情の波もあったが、結果だけ見ると、マスコミの空虚な扇動による一時的な支持率の低下だけならばまだよかった。
それらは今後いくらでも挽回できる余地があったからだ。
でも、事はそれだけでは収まらなかった。

イライラと共に迎える幾度目かの朝。
それは詰まる所、今朝の事なのだが、あまりのストレスに月のモノも不定期なり不機嫌がMAXになっていた私は、
新聞を手に取った瞬間、口をつけていた代用コーヒーを盛大に口からぶちまけた。

『石津製作所 石津拓也氏逮捕』

その見出しを見て、私は吹き出したコーヒーを拭いつつもクラっとした立ちくらみを覚えた。
野党は私個人への攻撃だけでは飽き足りず、シンパまで標的にしているのだろう。
というか、このような情報が新聞の朝刊に載って私の所まで届くまで、何の連絡も無いとは政府の官僚内にも私に見切りをつけ始めたモノが出始めているのだろうか……
私は胃がさらに痛くなるのを感じつつ、一体何が起きたのか紙面に目を進めた。

『・死の商人、大陸との麻薬取引?
・輸送船から大陸で出回り始めたクロコダイルが押収される。エルヴィス領内に意図的な薬物汚染か?
・連邦英雄執念の捜査。礼文島にて逮捕
・死の商人と大統領の黒い関係』

その時は、私は見出しを読むだけでクラクラした。
この大事な時に捕まり、ご丁寧に私との関係まで邪推されている。
記事が真実だったとして、一体彼は何をやっているのであろうか。
仮に何かの間違いであっても、記事は石津製作所と私との関係も邪推して書き立てている。
これでは何と弁明しても、支持率は又落ちるだろう。

「はぁ……」

思わずため息が出た。
そんな遠い目で現実逃避を始めつつあった私の所に、ステパーシンから電話があったのは、丁度そのあたりであった。
彼は、私が電話に出るなり、開口一番こう告げたのだ。

「既にニュースは見たかね?」

彼の声色から、顔は見えなくとも苦笑いを浮かべてそうなのは感じ取れる。
そして、気分は私も同じだった。

「……えぇ。お蔭で最悪な朝です。
ステパーシンさんはこのニュースが真実だと思いますか?」

「いや、あの会社にいる子飼いの連中からは、クロコダイルを石津が扱っている事実は無いと言うことだ。
嵌められたか……若しくは何者かが奴の物流網に便乗しているのだろう」

「……それは誰か分かります?」

「今の所情報は無い。
何せ製造方法は簡単だ。咳止め薬と石油があれば作れる。
こっちの勢力が仕込むことは勿論、大陸の連中がこちらのアウトロー連中とつるんで情報を得たという可能性もある。
だが、個人的に一番怪しいのはエルヴィスだ。
なにせ、領地が薬物汚染にあったといっても、それを使って領内の教区から対立宗派を一掃してる。
今回の件で、被害を受けつつも、一番得をしているのは他ならぬクラウスだな。
流石は手段を選ばぬイグニス教純粋派というべきか」

そう言ってステパーシンは楽しげに語るが、私は全然楽しくない。
別に、私は政治駆け引きに快感を覚えるような変態ではないのだ。
なので、私は楽しげなステパーシンに怒気を込めた声色で抗議する。

「感心している場合じゃないでしょ?
なんでそれを阻止しないんです?
属国が勝手に工作してたお蔭で、宗主国が迷惑するんですよ?」

「だが、現段階で証拠がない。
今のも私見だ。
だが、彼らなりに色々と君の事を考えてくれているのかもしれん。
その証拠に、今からテレビを点けてみろ。面白いものが見れるぞ」

ステパーシンにそう言われ、わたしは渋々テレビのリモコンを手に取った。
くだらないバラエティーからチャンネルを変え、何度かボタンを押したところで私のボタンを押す指が止まる。

『――報道では、貴国の企業が麻薬取引に関与したということですが、我々はそうは思っていません。
今回逮捕された彼は、アーンドラ騒乱の折り、戦地で何度か面識はあります。
そんな彼は、麻薬取引に手を出すような人間ではありませんでした。
それに彼は閣下とも交流があるとか。
あの素晴らしい閣下の友ならば、おかしな人物であるはずがないでしょう」

見知った顔、レポーターからマイクを向けられるクラウスが、今まさにインタビューを受けようとしているところであったのだ。
それもカメラ目線で、落ち着いたイケメンオーラを十二分に発している。
この数年で彼もマスコミへの対応も随分と心得たものだ。

「――本日は法廷で戦われているという閣下の応援に裁判の傍聴に来ました。
結果がどうなろうと、我等エルヴィスは北海道の友誼は変わりません。
それに、閣下とは個人的な信頼関係も深めたいですから」

そう言ってカメラ越しに微笑を浮かべるクラウス。
そんな中性的な容姿の彼の微笑みを見て、私は宝塚の俳優に憧れる少女のように少々キュンときてしまった。
普段は和製サッチャー等とも陰口を叩かれる年増女に芽生えた久方ぶりの感情であった。
だが、電話越しから聞こえるオッサンの声が、そんな淡い心を無残にもぶち壊す。

「まぁ 結審の結果で訪問先が野党本部に代わりそうではあるが、一応は君を応援してくれているそうだ」

彼も彼なりに私を励ましてくれているようなのだが、最初の一言が余計である。
そんな事は、誰しも判っているのだから、一々声に出さなくてもいいのに……
まぁでも、一瞬キュンと仕掛けた相手が面倒事を増やした張本人だという可能性もあるわけで
そう考えれば、淡い少女心は一瞬にて心の奥底に沈み、それに取って代わって心のサッチャーが再び表に現れた。
どんな状況になろうとも、鉄の女のようにしっかりと対応していこうと……

…………

……




そうして時系列は今夜に至る。
色々と状況が最悪な中、今日までを思い出してみても良い事は一つも無い。
石津君が捕まった日も最悪だったが、色々と回想してみれば今日というこの日が一番呪われている。
何故、呪われているかと言うと、それはこの日の公判での出来事が決定的であったからだ。
いつものように繰り返される検察と弁護側とのバトル。
だが、この日の検察は一味違った。

「では証人をどうぞ」

裁判にて、今日もグダグダな遣り取りが続くのかと思っていた私は、裁判長のこの一言の後に現れた人影を見て、私は言葉を失った。

「!?秘書官!?
なんでここに?」

驚いた私は目を疑った。
証人として出廷したのは、長く苦楽を共にした秘書官その人。
普段とは違う生気の抜けたような顔つきではあるが、そこにいるのは彼に他ならない。
私は彼が証人として出廷するなんて知らない。
彼からはそんな事は一切聞かなかった。
だが、慌てふためく私に対し、彼は私のなぜと言う質問に答える事無く、淡々と裁判の中で証言を行った。

「政府の関与は明確です。
大統領はそれをもみ消そうとしました。
ここにその証拠の録音が有ります」

そう言って秘書官の合図と共に、室内に聞き覚えのある声が響く。
私は、一体証拠とは何かと、最初はそれが何の録音か解らないでいたが、内容を聞いた途端、それがいつのモノであるかを理解した。

『どうした?何をぼーっとしている?』

それは私とステパーシンの会話であった。
確かにあの時、私は色々と彼に指示をし、そして余計な事まで口走った。
これは不味い。
そう思いながら驚愕の表情で秘書官を見る私に、彼は背広の内ボタンの一つを私に見せた。

「な!?」

内ボタンとしてつけられていたのは、見覚えのある小さな模様。
それはイグニスの紋章だった。
いつからであろうか、彼も浸透を受けていたのだ。
そう言えば、ステパーシンとあの会話をしていた時から少々様子がおかしい。
魔術による洗脳があったのかもしれない。
だが今は、秘書官の洗脳の有無を確かめるよりも、あの音声を止める事が先決だ。
アレがここで再生されるのは不味い。
何せ傍聴席には彼がいるのだ。

「今すぐこの音声を止めなさい!」

私は立ち上がり、再生の即時停止を求める。
だが、内容を知らない裁判長は私の言葉を認めない。

「静粛に!」

「いいえ!それは聞けないわ!これは国家の安全保障に関わります!
大統領として公開は認めない!!」

「今は裁判中ですぞ大統領。
それにこれは検察から証拠として上がってきた品です」

激昂する私と宥める裁判長。
だが、そんな二人を無視するかのように録音は淡々と再生される。

『まずいな、特に証人の存在がまずい。
最初は魔術によってかもしれんが、今は野党が身元保証したのか自発的にペラペラとよくしゃべる。
ヤツは完全に裏切ったな。
奴は野党専門の工作員だったが、他の件についても暴露を始めた。
そして、その通りに他の野党施設内から盗聴器が見つかった』

政府の関与を示すこの発言。
これを聞かかれれば、裁判の先行きは決定的だ。
だが、それと合わせてこの時の会話には外交的により不味い点があった。
この音声の十数秒先、対外関係について私が言及した所に一番の問題がある。

『……個人的な信頼ではクラウスより、ゼノビアのお嬢ちゃんの方が私は信頼できる』

ポロっとでた私の本音。
個人的な信頼関係とは別に国家元首と見た時の私の評価。
それが傍聴席にいるクラウスに全て聞かれてしまった。
この程度の事では属国と宗主国との関係は壊れはしない。
だが、クラウスと私の国家元首間の関係は音を立てて崩れたような気がした。
その証拠に私はチラリとそちらを見ると、彼は氷のような目でこちらを見ていた。
彼のポーカーフェイスが私の心に突き刺さる。

「これは昨日の官邸内での会話です。
これからも分かるように政府の関与は明らかです」

「そんな……」

この秘書官の締めの一言で私は察した。
私の政治生命が終わり、そしてそれと同時に失われる高木個人に起因する外交的信頼も崩れた……
全ては野党……近衛らにかっさわれたのだ。

それから後の事は私もあまり覚えていない。
ふと正気に返り、あたりを見渡せば、既に場内にクラウスの姿は無い。
後でステパーシンから聞いた話によると、彼はここを後にしたその足で野党の本部に出向いたと聞いた。
ポスト高木を意識して野党と関係強化に乗り出したのだ。

そして、悪い事はそれだけではなかった。
少々呆然としている間に私は留置場に入ることとなったのだ。
今、私がここ数日の事を思い出して整理している殺風景な部屋は留置場と言う訳だ。
結審まで数日あるようだが、それまでここが私の住まいとなる。
なぜなら、失脚が確実視された今、海外逃亡の恐れがあるとの理由だった。
正直な所、海外に隠し財産があるわけでも無い私が逃亡なんてするわけないのだが……
そんな訳で、帰り着いた先は豪華な官邸とは違い、無機質な鉄格子が並ぶ場所であった。
これから結審まで何日かここで過ごすのか……
辺りを見渡し、私は一層とブルーになる。
そもそも、誰かを殺したわけでも無いのに、投獄されるとは思ってもみなかった。
まぁ 転移前の某国では、クビになった大統領は犯罪者として訴えられる国もあったが
今回の私の立場もその様な感じなのだろう。
世論が味方になると、検察や裁判官も独立性が怪しい……
また権力を掌握できる機会でもあれば、今度は強引に終身大統領にでもなった方が楽そうだ。
チトーあたりを手本にしてみようか。
まぁでも、そんな事を考えていても次なんてないのだが……

私はそんな事を考えながら、備え付けのベットに五体を放り出した。
状況を整理するのにも飽きたのだ。
外から新しい情報でも入ってこない限り、特にすることも無い。
私はそうして目をつぶると、いつの間にやら深い眠りに落ちていた。




「――大統領。大統領……」

夢の中で誰かが私を呼ぶ声がする。
もう放っておいてほしい。どうせ失職するのだし、ゆっくりさせてほしいものだ。

「大統領、起きてください!」

うるさい……
いい加減に諦めてくれないかな。
私は眠いんだ。

「……いつまで寝てんだよ。起きろよババァ」

夢の中で聞き捨てならない言葉を感じ、私はムクッと起き上がる。

「うわ!」

眠たい目をうっすらと開けながら、声がした方を向くと、声をかけたと思しき人物から驚きの声が上がる。

「誰よ。ババァって言った奴は……」

確かに年齢は既にアラフィフに届かんとしていたが、肉体年齢はエルヴィスより仕入れた魔法薬により実年齢マイナス20あたりと転移前より若返っている。
実年齢以外にババァと言われる云われは無い。
私は不機嫌な態度で、聞き捨てならない発言の主を誰何した。

「い、いえ。誰もそんなこと言ってませんよ。
寝ぼけてたんじゃないですか?」

そう言って、言い訳するのは見知った顔。
今回の件で、色々と巻き込んでしまった男が向かいの牢に立っていた。

「あなた…… 石津君よね。
あなたも此処に収監されたの?」

見れば、鉄格子越しに立っているのは石津拓也。
ズボンと草臥れたYシャツ姿で此方を覗き込んでいる。

「はい。
自分は大統領が収監される前には別の所にいたんですが、大統領が収監されると決まった後でこちらに移されまして……
いやぁ、ステパーシンさんの手は思ったより広いようですね」

そう言って、彼は頭を掻きながら私にココに居る理由を説明する。
どうやら、ステパーシンの工作は未だに続いているらしい。

「そう…… となると彼はまだ諦めていないのかしら?
まぁいいわ。何にせよ私は失職するの。
どんな工作も無駄に思えて仕方ないわ。
……それより、あなたは大丈夫?色々と容疑を掛けられてるようだけど」

「あー それについては大丈夫です。
特に麻薬密売は全く身に覚えが有りません。
宗教とか啓蒙思想の本とか民衆にとって麻薬的な効果が有りそうなものは大量にバラ撒く手伝いはしましたが、薬物は違います。
製薬関係では、モルヒネの委託製造で儲が出てるのに、それをぶち壊すようなマネするわけないじゃないですか」

「じゃぁ やっぱり冤罪なのね」

「まぁ 薬物に関してはそうです。
というか、最初に捕まった時は大統領の差し金かと思いましたよ」

「なぜ?」

「何故って、私と捕まえに来たのが例の連邦英雄ですよ?
あれって、この前に大統領が親族の護衛とか言って送り込んできた奴じゃないですか。
私はてっきり前回来たのは内偵かと思ってましたよ。
これはヤバいと思って、一時は開拓地まで逃げちゃいましたし。
それに捕まった状況も、大統領の紹介でゴートルムの女王が呼んでるって事で、開拓地からホイホイ戻ってきたらお縄ですよ。
大統領がここに来るまでは、自分は口封じで殺されるのかと思ってました」

彼はハハハと笑いながら私にそう説明した。
それにしても、彼がそんな事を思っていたとは……
まぁ 真紀に付けた護衛が、今回偶然にも彼を逮捕して誤解していたのであろう。

「あぁ 平田とか言った彼ね。
私は別に彼に何の指示もしてないけど……
まぁ 彼も礼文紛争の被害者ですものね。
紛争で色々と失ってる彼としては、あなたのビジネスが気に食わないのかもね」

「気に食わないで捕まったこっちは冗談じゃないですよ」

「まぁ でも、薬物は別としても、色々と余罪もあるんでしょ?
それに、私の内偵を恐れてたって事は、他にも何かしてたんじゃないの?」

「いいえ?
そんなこと…… あるわけないじゃないですか」

こいつは何かを隠してる。
その時、私は確信した。
明らかに一瞬イントネーションがおかしかった。
色々追求したい思いに駆られるが、ふと自分も鉄格子の中だった事に気付くと、それはどうでもいい気持ちへと直ぐに変わった。

「まぁいいわ。
どうせ結審後に失職する身……
消えゆく者としては、今更、深くは知ろうと思わないわ。
それに他の皆と同じく、あなたも私に見切りをつけて何も語ろうとはしないでしょ」

どうせ権力を失った女。
今の私には何も残されていない。
色々な人間が私から離れていくだろう……
力を失うとは、概してそういう物だ。

「……自分は既にここでの暮らしも一週間位で、今の外の雰囲気が分かりにくいんですが
大統領の個人的な資質ってのは、そんな軽くは無いですよ。
今、私の会社がここまで大きくなったのも、大統領の影響が大です。
他にも大統領に恩義を感じている奴は多いですよ?
何より、純日本人以外の連中が国後や道東でやって行ける様になったのは大統領がレールを敷いた道東と四島開発によって
生活基盤が整えられたからです。
諦めるには早いですよ。
それと、これはステパーシンさんからの伝言ですが、”希望を捨てず3日待て”だそうです」

投げやりな気持ちになった私に、彼は淡々と励ましの言葉を紡ぐ。
私のお蔭で生活が向上した者が居るのは否定しないが、それを面と向かって言われるとくすぐったくなる。
それにステパーシンの伝言として3日待ていうが、たった3日でどうなると言うのか。
私は少々可笑しくなって彼に言葉の意味を聞いた。

「3日?何よそれ?」

「さぁ?
しかして、あのオッサンは3日で事態を好転させてくれるんでしょう。
諦めるのは、それを待ってからでもいいんじゃないですか?」

まぁ、それが何にせよ。
待って見るのも悪くはない。
どうせこれ以上失う物も無い。

「……そうね。
彼にどんな策があるのか知らないけど、期待して待ってみましょうか」

「その調子ですよ大統領」

期待していいのか分からない希望だが、それを待とうと二人で決めると、自然に二人の顔には笑顔が戻る。
あまり悲観的になるよりも、何かを信じて待っていた方が精神衛生上も好ましい。
そうしてポジティブになろうと決めた私たちは、暇をつぶす為に暫く取り留めもない事を話していた。
石津君のお嫁さんの話から、子供の話、それから私の男の趣味に至るまで、どうでもいい事が話題に上る。
そうして私たちは談笑していると、ふとコツンコツンと誰かが廊下を歩く音が聞こえた。
私は誰かと足音の方を見つめるが、彼は足音だけでそれが何だか分かったようだ。

「どうやらオツトメの時間の様です。
大統領。それでは、また後で……」

それはどうやら彼の尋問の時間と言うことらしかった。
聞く所によると、彼の尋問は寝不足にさせ判断力が低下する様に夜中に行われているらしい。
だが、彼も慣れたモノ。
かれはちょっと所用を片づけに行くかのように笑顔で手を振って牢を出る。
そんな看守に連れられ牢を後にする彼を、私は笑って見送った。
彼は笑顔で、彼自身の戦いへと赴いたのだ。












暗い室内で二人の男が机を挟んで座っている。
一人は相手を睨み、もう一人はヘラヘラと笑いながら座っている。

「英雄さんも暇だね」

取調室に連れてこられた直後、拓也は椅子に踏ん反り返りながら、向かい合って座る人物にそう言った。
彼の目の前には逮捕された時から色々な意味でお世話になっている平田がいる。
拓也は、また今日もつまらない尋問で時間を潰すのかと辟易しながら、余裕の表情を浮かべて彼に対峙する。
何せ麻薬取引については冤罪であるし、その他の雑多な疑惑についても、立件できるほどの証拠は無いはずだ。
にも拘らず、拓也の商売を平和の敵として、正義感に忠実に真正面から平田は食らいついてくるのだが、今回はいつもとは勝手が違った。
いつもなら余裕の表情を浮かべる拓也に、いつもの如く平田は使命感からか決意を秘めた目つきで拓也を睨んで来るのではなく、今日はニヤッと笑ってみせる余裕があった。

「あぁ
平和の敵相手にはどんだけでも付き合ってやる。
それより今日はプレゼントを持ってきてな。
ちょっとこれを見てほしいんだ。」

そう言って取調べの開始早々に平田が差し出した一枚の紙。
それは細切れにされた紙をくっ付けたものであったのだが、その内容を見て拓也はギョッとした。

「これは?!」

「お前の家のゴミから見つけたシュレッダー屑を回収して復元したよ。
わざわざ家まで仕事を持ち帰ってるとはご苦労だな。
それとも、これは会社では不味いと思って家でやっていたのか?
まぁ、それはどうでもいい。
何にせよ今は便利な世の中でな。
アンドロイドに任せれば、こんな面倒くさいパズルも人間の何百倍もの速さで復元してくれる。
それにしても、キッチリと仕事の管理が出来ているのはいいが、盗賊を使っての襲撃予定リストがあったのは不味かったな。
内容を確認したが、リストにある日時と場所が盗賊に襲われた大陸の村などと一致した。
T向けの弾薬を調達したすぐ後に、リストの村や商家が盗賊に襲われてる。
んで、盗賊の残虐さを見た近隣の村や商家はお前と警備の契約を結ぶ訳だ。
実に良いマッチポンプだと思うよ。
自分で襲わせて不安をあおり、警備契約を結ぶとか中国の馬賊みたいな商売だな。
大方、クロコダイルも同じように教会から金を吸い上げる為のマッチポンプなんだろ。
クロコダイルを撒き、ゾンビのような中毒者が発生したら、ゾンビ退治の名目で教会に雇われる。
……どうだ?図星じゃないか?」

そう言って平田は勝ち誇ったように拓也の顔を覗き込む。
言い逃れは出来まい……そう言いたげな表情であったが、それに対して拓也は無表情でその書類を読む。

「……」

「……」

黙々と文面を読む拓也と、今か今かと自白を待つ平田。
両者の間に沈黙が流れるが、それをさきに破るのは平田の予想通りに拓也であった。

「……っぷ」

「どうした?
何がおかしい?」

先に沈黙を破ったものの、それは拓也の吹き出し笑いであった。
平田は、拓也にこの証拠品について何がおかしいのか尋ねるが、拓也は笑いを堪えながら彼の質問に答えた。

「いやさ、見た目美少女にドヤ顔でそんなこと言われると、正直吹いちゃうよ。
それに実に興味深い分析で面白かったよ」

「面白いだと?」

「そうだ。
実に面白い空想だ。
特にクロコダイルのあたりだな。
実に突拍子もない発想で両者をくっつけてる。
世界妄想コンクールが有れば、優秀賞に推薦したいよ」

そう言って、拓也は再度吹き出しながら笑うが、そんな態度を見て平田の表情に段々と怒気が篭る。

「おまえ……
馬鹿にしてるのか?」

ギラリとした眼光で見据える平田。
そんな本気で怒っている空気を察してか、拓也も態度を改めた。

「まぁ まて、俺が空想だと切って捨てたのは後半だけだ。
前半は別に否定してない。
むしろ認めるよ。
俺は盗賊とツルんでる」

「やっぱりそうか!」

それ見た事かと、平田は鬼の首を取ったように拓也を指差す。
だが、そう自白しても尚、拓也の表情から余裕は消えない。
むしろ開き直りによって、より落ち着いたようにも見える。

「だが、それが何だと言うんだ?
武器を渡した相手が犯罪者?
だから何だ。誰が俺を裁くんだ?
襲われたのはエルヴィス領内だし、俺は間接的にしか関わっていない」

「それは武器密輸の罪で――」

「その線は無理だな」

拓也はそう言って、平田の言葉をバッサリと遮った。

「何?!」

「無理だと言ったんだ。
その程度じゃ俺は捕まらん」

「何言ってる?
既に証拠もある。
そして現に、身柄は此方が確保しているだろ」

「無理だよ。
じゃぁ、なぜ俺が裁かれないか答えようか。
一つ、お前は思い違いをしている。
盗賊とつるんでいた理由は、別に近隣の村との警護契約なんてシケた物を取る為じゃない。
連邦英雄様は襲われた村や商家のリストを良く調べたのか?」

「調べたかだと?
ちゃんと襲撃された日や場所なら正確に――」

「その様子じゃ調べが足らんな。
リストの上から説明してやるよ。
道産高級苺の品種無断栽培
貴族が主導して偽ブランド製造工場
定年した老害が、技術指導で第二の人生とか言って企業の機密技術情報流出
商標無断使用
村の儀式で邦人殺害
魔法健康器具詐欺――」

スラスラと拓也の口から出る言葉の羅列に、平田は拓也が何を言い始めたのか理解できなかった。

「……何を言っている?」

平田は何の事だと拓也に問う。

「そいつらの罪状だよ。
特に情報資産を無断で使用したり、パクリ製品を造ろうとしたところが多いな。
北海道は一般人でも知り得る基礎技術は広く無償で開示しているが、情報資産の全てが無償ではない。
当然制限も有れば、パテントを要求することもある。
だが、そういった情報資産の認識が無い奴らには、それらを守れと言っても聞かない奴が多い。
それに、そいつらを裁こうにも国内法の手が届かない。
お巡りさんはワンワーンと海外まで行ってくれないからな。
そこで我々に仕事が来る。
法的又は政治的に手が出せないが、制裁か消し去りたい相手が要る時にウチが出るんだ。
まぁ 秘密裏に提携している盗賊が、悪人をこの世から消し去ってくれるわけだ。
全ては国益の為という事さ。
大企業からお役人様、お得意様は色々でな。そういえば電脳化者の団体からも依頼があったな。
彼等は野党の支持母体だが、あの依頼は君も知ってるのか?
なんでもエルフを一体攫ってこいと言う他とは毛色の違う依頼だったが……
いやぁ、あれは南方大陸まで行ったから骨が折れたよ。
君も野党やあの団体の仲間じゃないのか?」

「……俺は別に野党支持者って訳じゃない。
それに義体化した者の互助団体が有るのは知っているが……
そのような依頼をしているのなんて……
そんなの……俺は知らない」

世の裏事情を離され言葉に詰まる平田。
そんな平田を見て、拓也は意外そうな顔を浮かべた。
大統領との関係が否定された今。
てっきり、拓也は平田が野党の息がかかっていると思ったのだが……

「ふむ。
完全義体に電脳化している君なら、あの団体について詳しそうだったが……
メンバー全員がドップリって訳でもないのか。
話は変わるが、君は電脳化後、ネット接続中に自我が何かと混ざった様な感覚に陥った事はあるかい?」

「何を言ってるんだ?」

「その様子じゃシリカとの人格融合は起きていないようだな。
まぁ 知らないならいい。
だけど、一つ忠告するなら、電脳内の人格形成に関する記憶野は強固にロックしとくべきだよ。
ネットの海に飛び出したカノエの一族は、電脳化した人間と積極的に融合していると彼女は言っていたからな。
自分の自我を保ちたければ忠告を聞いた方が良い」

急に飛び出した拓也の突拍子もない話に平田は首を傾げる。

「何だそれは?ゲームか何かの話か?」

「まぁ 俺も深くは話さないから気にしなくていい。
話を戻すが、政府・財界・その他の団体……彼らに取って見れば俺は必要悪だろう?
だが、彼等はそれを公には出来ない。
与野党関係なく依頼者は存在してるからな。
政権が変わろうと何をしようとも彼らには俺が必要だから。
そして、俺を追求すれば彼らとの線がボロッと出かねない。
よって、各方面から俺を不起訴にするように圧力がかかる」

拓也はそこまで言うと、話を区切って平田の顔を見た。
彼は半信半疑といった感じで何やら思案を巡らせている。
拓也のいう事を信じるわけではないが、もしも本当であれば……
そのような苦悩を浮かべ迷っているような表情であった。
黙り込む平田。
そんな彼を見て、何を思いついたのか今度は拓也の方から彼に話をかけた。

「そういえば、古い映画でも同じような事があったな。
有る武器商人が紛争地へ武器の密売容疑で捕まったが、それらの依頼主は政府が多かった。
今回もそれと同じだよ。
映画の主人公と同じく俺も予言でもしておこうか?」

「何を馬鹿な」

映画と現実は違う。
平田はいきなり馬鹿な事を言い出した拓也に対し、怪訝の眼差しを向ける。

「まず予言1.
この部屋へ繋がる長い廊下に、この部屋へと向かう足音が響く」

「何を……」

「そして、足音はこの部屋の前で止まり扉がノックされる」

「……」

「そして、君は足音の主に呼ばれ昇進と栄転を告げられ、俺は君の栄達の陰でヒッソリと自由の身となるのだ」

「"LOAD OF WAR"気取りか……」

確かにかの映画は、拓也の言うような流れで、主役の武器商人は解放された。
だが、その主人公は、死の商人であったことが暴露されると、家族から絶縁されると言う末路であったが、拓也は違う。
彼の嫁は同じ会社にて働いているし、その程度の事で三行半を突きつけられる心配も無い。

「今日、俺の気分はニコラス・ケイジだよ」

だからか、そう語る拓也の表情には常に余裕が見て取れた。
そうして笑みを浮かべる拓也と、睨みを利かせる平田が無言で退治する。
1分、2分、短いようで長く感じる無言の衝突が二人の間にせめぎ合う。
そうして二人で退治していると、無音の空間で聴覚が研ぎ澄まされているからか、どこか遠くから建屋内を走る足音が聞こえてきた。

……タッタッタッタッタッタ

「……噂をすれば聞こえてきたな」

拓也はそう言って勝ち誇った笑みを平田に浮かべる。
拓也にしてみれば、事件の背景を語り両者の立場が逆転した所で、ちょっと冗談を言っていたに過ぎない。
その上で、拓也は丁度聞こえてきた足音を利用し、平田をからかってやろうとしたのだが、そんな拓也の言葉を聞いて平田は激高した。

「ば、馬鹿にするな!!
そんな事がある訳が無いだろう!!」

「それはこれからわかる事だ。
足音が部屋の前で止まったぞ?
ドアの前で上官を出迎えなくていいのか?」

聞こえてきた足音も、何かの偶然か丁度部屋の前で止まる。
拓也としては冗談半分で言っているだけなのだが、平田の表情には既に余裕は無くなっていた。

「……ちょっと待ってろ。
此方から見てく――」

ドゴォン!

ドアが吹き飛び、平田が拓也の視界から消えた。

それは一瞬の事だった。

見てくると言いかけた平田の体は、吹き飛んだドアに巻き込まれ反対の壁まで吹っ飛んだのだ。
急な出来事に、拓也もビックリして反射的に身を屈めたが、もうもうと立ち上る土埃の中から聞こえてきたのは、良く見知った声であった。

「あ!居ましたよ!
エレナさん!社長は無事――」

埃の中から現れたのは両手でパイルバンカ―を持つアコニーであった。
彼女は、拓也の無事を知らせようと叫ぶが、言葉の途中で次に現れた人影から拳骨を食らった。

「馬鹿!なんで中を確認せずにパイルバンカ―使うの!!
あの人がドアに巻き込まれたらどうするの?!」

「す、すみません……」

アコニーは申し訳なさそうにシュンと謝る。
だが、アコニーに拳骨を喰らわせたエレナは、アコニーの横を素通りして拓也の前に来ると、彼を優しく抱きしめた。

「エレナ」

「大丈夫?」

エレナは優しく拓也に聞く。

「あぁ ちょっと退屈してただけだ。
俺は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

感謝と同時に拓也はエレナに軽いキスをした。
言葉よりハッキリと伝わる夫婦の意思疎通の証だ。
エレナは拓也より感謝の印を受け取ると、気を取り直して拓也の手を取った。

「んっ…… 
よし!じゃぁ逃げるわよ」

そう言って部屋の外へと向かうエレナ。
拓也もそれを追いかけようとしたが、ふとある事を思い出し、部屋の片隅に犬神家状態で倒れている平田に言葉をかけた。

「そういや、あんたは結果的に大統領の失脚に手を貸してる状態だけど、今の人種の坩堝と化した礼文が気に入らないのかい?
今のあそこは高木大統領だから維持されてるけど、野党の近衛が政権獲ったらどうなるかな?
純血主義者は何を考えるかわからんぞ?」

拓也は言いたい事を言うだけ云うと、平田の返事は要らぬとばかりに部屋の外で待つエレナを追いかけて外に出た。
周りを武装した部下にガッチリと囲われて走る拓也。
自由への奔走。
救出され自由になった。
その素晴らしさを拓也は全身で感じる。
だが、そんな自由に対し、拓也には一つ疑問があった。
彼はとりあえず助けられてから思っていた事をエレナに聞いてみた。

「それはそうと、助けてもらって悪いんだが、なんか行動が早くないか?
ステパーシンは3日後だと言ってたぞ。
急に来たって事は、外で何か動きがあったのか?」

「予定が変わったのよ。
大統領の失脚が確定して直ぐだったわ。
野党党首の近衛が、日本人の権利拡大と国後の自治権制限を含めた演説がネットで配信されて、まず、道東の亜人達が大統領擁護のデモを始めた。
それはSNSが一気に広まって、ドンドン参加者が増えて手が付けれない有様よ。
しかも猟銃で武装した親大統領派の連中まで集まって、ついに北見、釧路、帯広でデモを制止する警官隊と衝突が起きた」

エレナは拓也の手を握り、並走しつつ拓也の質問に淡々と答える。
どうやら、外の状況は色々とダイナミックに動いているらしい。

「……それで?」

「三都市では警官隊が逆に制圧されたわ。
道東は、一般人も防疫ワクチンで半ドワーフ化した住人も多いから、その能力差がモロに出たのよ。
それに自治体自体もデモに呼応して野党批判の声明を出したの。
色々とグチャグチャよ。
ステパーシンは、その混沌した様子を見て全ての法律を一時停止し、民意を行使すると言って内務省警察を展開してる。
今、内務省警察の部隊が政府中枢と野党本部、メディアを掌握して弾劾裁判の無効と権力の再掌握に動いてるわ」

エレナの言葉は拓也にとって余りに意外過ぎた。
ステパーシンが何か策を練っているのは知っていたが、それはもっとスマートに進むのだ思っていた。
おそらく、予想外の住民の暴発がトリガーとなり、ステパーシン自身も振り回されているのだろう。
それにしてもステパーシンの子飼いの内務省警察がクーデターとは……
正直な所、拓也はもう少し穏便な方法で助けられると思っていただけに驚きを隠せなかった。

「そうか。
で、今の我々の立場は?」

「大統領救出の部隊と一緒にあなたの救出に参加してるわ。
大統領収容後、官邸に戻って権力の再掌握を武力でサポートよ。
今は、離反した内務省警察の依頼で、2班が道東のデモ隊を武力で支援してるわ。
兵力は開拓地に最低限残している以外はすべて引き揚げたから、私たちもほぼ全力出撃よ」

「なるほど……
今回の件、ステパーシンのオッサンにしては事が荒すぎるが、実はこれも計画の内って事は無いよな?」

「本人は違うと言ってたわ。
野党が想像より裏の手回しが良いのと、亜人の暴発デモのせいでスマートに事が進めなかったと。
まぁ教皇領の魔術師達やら電脳化者やらの勢力が、道内で好き勝手動いていれば滅茶苦茶にもなるわよね」

「ふむ……
まぁ、なってしまったものは仕方ない。
この先、全土の掌握か分離独立かどうなるか分からないが、とりあえず、大統領に合流するぞ」

そう言って拓也はエレナの手を離すと、他の社員に囲まれながら走るスピードを上げた。
拓也を助けに来たエレナを筆頭に、アコニー等の十名弱の社員達。
その全員が武装しており警察程度の武装では彼らは止められない。
先導するアコニーに連れられて一同は屋上に上がると、そこには既に救出された大統領がオスプレイに片足を載せて乗り込むところであった。
彼女は部下を引き連れて現れた拓也に気が付くと、乗り込んだ機体の上から静かに拓也に話かけた。

「石津くん。
言ってた事はこういう事だったのね」

お前はクーデターを知ってたのか?
そう問いかけるような瞳で高木は拓也に問う。

「ここまで状況が滅茶苦茶になるとは思いませんでしたけどね。
ステパーシンのオッサンが手を回すにしても、牢から出れば赤絨毯くらいの手際の良さを想像してました」

「……そう。
まぁ いいわ。一緒に乗りなさい。
話は空の上でしましょうか」






……

…………

全員を収納してオスプレイは大空へと飛び立つ。
機体が駆けるのは、大地の電飾に彩られた夜の札幌の空。
普段は夜景が綺麗な空の旅であるが、今日はそれに似つかわしくないBGMが札幌の街に響いている。

「あれは…… 軍のM2の音ね……」

断続的に響く小銃の発砲音。
それに混じって時折、重機関銃の音まで響く札幌の街。
仕事の中で何度も聞いた音に反応し、エレナが眼下の街を眺めながら呟やいた。

「方向からして野党本部かしら。
あと、連邦政府ビル周辺の大通公園の方からも発砲炎が見えるけど……
あ、丸丼今丼に砲弾が当たった!機動戦闘車まで出てきたわね。
あー勿体無い…… 燃えちゃう前に買い物に行っとけば良かったわ」

見れば連邦政府ビルから大通公園周辺のエリアに曳光弾が飛び交っている。
特に大通公園に面したNHKなど火の手が上がっているのが見て取れた。
それらは、一度は権力再掌握のために内務省警察が占拠した施設を巡り、戦闘が行われているのだ。
札幌の南から来る軍部隊に対し、内務省警察が大通公園を挟んで退治している。
普段は札幌の中心街として栄えた通りは、今夜は戦場と化した。
ロシア人中心の内務省警察と日本人中心の軍部隊。
ソ連の北海道侵攻があったら、こんな感じだったのかと思われる光景だ。

「買い物より、この後を心配した方が良いな。
ステパーシンが実力で権力掌握に動いたといっても、神輿は大統領だ。
そして、未だ法的には大統領が失職していないにもかかわらず、軍が内務省警察とぶつかってる。
一体誰が軍に出動を命令したんだ?
根回しにかけてはステパーシンと同等以上の奴らが敵にいるな。
なんせ正規の指揮系統を無視して軍を動かせるんだから」

「それは……
軍は既に敵だって事?
そうなったらちょっと正攻法じゃ勝ち目無いよね。
地下のトビリシから持ってきたブツでも持ち出す?」

「いや、それはまだ秘匿する。
それに軍の全てが敵だとは限らないし。
現に道東は自治体も含めて親大統領だったろ?」

空へ飛んだ後、拓也らにまともな情報は入ってきていない。
判るのは、空から見る景色によって推測した状況だけだ。
だが、その推測は決して楽観できるものでは無い。
既に軍の一部は高木の指揮命令系統から外れているのは確実だ。
そんなカオスな状況で……
もし、高木が権力の掌握に失敗したら、これからどうなるのか……
皆の顔にも不安が浮かび始める。

そんな時だった。
地上と交信する為、拓也達の一団と離れていた高木が拓也の許へとやって来たのだ。

「行き先変更よ。
東に…… 国後まで行くわ」

権力の中枢である札幌では無く、国後へ……
悪い想像が拓也の頭を駆け巡る。

「状況を……聞いても良いですか?」

ゆっくり静かなトーンで現在の状況を聞く拓也。
それに対し、高木は凛々しくもハキハキと彼の問いに答えた。

「内務省警察の部隊が政府中枢の掌握に失敗したわ。
現在は、真駒内から来た軍と交戦して後退中……
道央及び道南の軍は、完全に野党に付いたわ」

ふと下を見れば、戦線が維持できぬとして後退が始まったのだろう。
曳光弾の交差するラインが大通公園より徐々に北上を始めている。

「それは…… 権力の掌握に完全に失敗したってことですか?」

「いいえ、野党も完全に軍を抑えていない。
道東の各師団は私を支持。道北は態度を決めかねてる。国後は勿論私支持ね。
現職だけど裁判で失職が確定的だった大統領と、人口比で支持率一位の野党党首。
どちらも一長一短だけど、超法規的な行動が黙認されている状況下では、動きの鈍い方が負けよ。
現在、野党は千歳の空軍に対しても働きかけを強めているわ。
F15が上がってくる前に、スホーイのエアカバーが期待できる東へ逃げるわよ。
ぐずぐずはしてられないわ。味方の多い地域に逃げなければ殺される。
私は独裁者となろうとも、チャウシェスクの二の舞は御免よ」

そう言って、高木は覚悟を決めた眼差しで眼下の景色を眺める。
既に機体は北上を始め、札幌中心部は既に遠い。
次にあの夜景を見られるのは何時の日か……
そんな思いから、高木の目には必ず帰って見せるという決意の炎が宿るのだった。

二つの北海道。
この日、一つだった島が、長い分裂の時代を迎えたのだった。



[29737] 回天3
Name: 石達◆48473f24 ID:43061016
Date: 2015/01/18 08:20
野党に掌握されつつある札幌からの逃避行。
高木の乗る機体は、夜の北海道の空で地表を舐めるように北東へと進路を取った。

今の状況でどこまで野党に部隊を掌握されているのか実態はつかめないが、突然地対空ミサイルが飛んで来ないとも限らないので、低空飛行はそのための措置だ。
そのおかげか今の所、攻撃されるようなそぶりは無く、機体は順調に飛行を続けているのだが、空の旅の中でも彼女に休息は許されない。
これから支持者の多い地域へ一時的に避難した後、すぐにでも体制を立て直してから反攻し札幌圏を野党から解放せねばならない。
機上にあっても休める時などないのだ。
その為、彼女はすぐさま地上へ現状の報告を求めたが、その状況は想像以上に悪いものだった。


離陸前の報告によれば、内務相のステパーシンが行動を決意した直後は、若干の準備不足ではあったものの、子飼いの内務省警察部隊は必要な行動を開始。
連邦政府ビル、各省庁、メディアを次々に確保に動いた。
抵抗らしい抵抗は無く、順調に制圧は進み、あっという間に予定の半数は確保した。
そこまでは順調だった。
牢から出た直後の高木は、この調子であれば再度権力を掌握し再起がかけられるものだと思っていた。

だが、自体はそう甘くは無い。
潮流が変わりだしたのは離陸して早々であった。
拓也達が上空から見てた様に、機動戦闘車を含む真駒内から進出してきた軍部隊に、内務省警察は行動を阻害されたのだ。
ステパーシンが行動を起こしたのを見計らったようなタイミングで進出してきたのは、道内で電脳化した者を集めて作った実験部隊。
高度なIT歩兵と言える彼らの動きは実に効率的であり、精鋭ともいえる内務省警察の動きを止めるには十分だった。
彼等は制圧拠点に分散していた内務省警察を包囲すると同時に、その本拠である庁舎ビルへと迫っているらしい。
高木が北の空へと飛び去る頃には、最前線は、大通公園から連邦政府ビルのエリアと、丘珠空港に隣接した内務省警察の庁舎ビルにまで押し込められていた。

「旗色が悪いわね……」

聞く限りの状況だと、内務省警察単体で軍を退けるのは無理そうだ。
これでは再起は無理どころか、最終的に自分はカダフィかチャウシェスクのように処刑されてしまうのではないかという悪い想像が彼女の脳裏に浮かぶ。
彼女は青い顔でポツリとそう呟くが、それとは対照的に横で聞いている内務省警察の兵の表情には一切暗い表情は無い。

「閣下、その事に関してですが、先ほど入った国後からの通信では、既に国後と択捉からツィリコ大佐の部隊が道東へ移動を始めているようです。
それらが道東の部隊と合流すれば、例え第7師団と第11旅団が相手でも不足はありません。
戦車一つとっても、我が軍のT-99にかかれば、数は多いとはいえアップデートの無い10式や90式改に十分対抗できます。
そうなれば札幌の解放は時間の問題でしょう」

にこやかに言うロシア系の兵ではあるが、その言葉を受け取る高木の心中は複雑だ。
今は敵の手にも渡っているとはいえ、10式や90式改は日本人としては慣れ親しんだ装備だ。
それが陳腐化していると笑われるのはカチンとくる。
確かに彼の言うT-99は、ハリコフ人民共和国としてロシアに合流したウクライナ戦車技術と、Armada計画を進めていたロシアの結晶のような新鋭傑作戦車だと言われていた。
そんな新鋭と制式化から15年以上たった10式や追加装甲を施しただけの90式改では荷が重いかもしれない。
だが、そんな個人的な感情を抜きにすれば強力な味方は喜ぶべきものなのだろう。
そもそも内務省警察の装備も旧ロシア軍の装備だけではない、このロシア系の兵士の乗るV-22だって元は自衛隊の装備だ。
今更、装備の系統を考えること自体がナンセンスなのだ。

「……そう。
色々と思う所はあるけど心強いわ。
出来れば道内で戦車戦は避けたい所だけど……」

可能であれば国軍双撃は避けたい。
高木はそう思っていた。
この訳の分からない世界に於いて、内乱なんて国力の低下は招いても、国益には一利も無いのだ。
だが、事態は既に引き返せないところまで進行している。
ならば、幕引きを急ぎ、この騒乱を早期に終結することが国益に繋がる。
だらだらと戦力の損耗を続けるよりは、早急に片を付けた方が被害は少ない。
最早、突き進む以外に道はないのだ。

「弓に番えられた矢は、射るより他にないか……」

そう覚悟を決め、高木の脳裏から迷いは消えた……筈だった。

丁度その時だった。
操縦席から騒がしい話し声が聞こえたと思うと、兵士の一人が側面の窓から外をチラリと覗いた後、足早にこちらへとやってきた。

「大統領。
緊急の連絡です。
内務省警察の庁舎が自爆しました」

「自爆?!」

その報告に、高木は最初何を言っているのか解らなかった。
兵士がやっていた様に、高木も慌てて窓から斜め後方を覗くと、そこには小さなオレンジ色の炎が見えた。
最初、それは小さな炎に見えたが、炎に照らし出される建物の大きさを見てその認識を改める。
丘珠空港の付近全域が燃えている。

「内務省警察が……
いや、丘珠空港も燃えている」

「閣下。
先ほど入った通信によりますと、軍の侵攻により陥落が避けられなくなったため、庁舎内で保管していた気化爆弾を使用したようです」

「気化爆弾?!
それに自爆って……
職員は?それに付近の住民は?
まさか皆……」

燃えてしまったのか?
高木は思わず口を覆って言い淀むが、それを察した兵士は首を横に振る。

「自爆したのは、隣接する丘珠空港から、退避する職員や資料を載せた最終便が出た後です。
最後の最後まで抵抗していた兵も、地下道から脱出済みとの報告です」

「それはいいけど……付近の住民は?
やはり、周辺に被害も出ているんでしょうね」

あれだけの爆発だ。
民間にも相当の被害が出ているだろう。
高木は目の前で起きている出来事に、目を閉じて被害を想定する。
例の庁舎の傍には丘珠郵便局や民家も立ち並んでた筈だ。
避難誘導はされていたのだろうか?
仮に避難は終わっていても物的な被害は相当な物なだろう。
そんな、高木の頭に浮かぶ被害の想定。
映画のような燃える廃墟が脳裏にちらつく。
そんな事を思っていると、先ほどまでは国益など抽象的な言葉で騒乱の早期終結を考えていたが、今ではより深く感情的にそれを願ってしまう。
だがしかし、高木はそんな女性的発想力豊かな感性を備えていると同時に、リアリストでもある。
悲劇を想像しつつも、安易にその感情の波には乗れない。
乗っていはいけないと彼女は思った。
高木はブンブンと頭に左右に振り、彼女を包んだ感情の靄を振り払う。

「こんな事じゃいけないわ。
一時の感情のまま動けば、被害はさらに増える。
北海道の未来の為にも野党の好きにはさせない。
何があろうと、私が頑張らなきゃ……」

何せ、ただ戦闘を止めるのは簡単だ。
彼女が投降すればよい。
だが、それでは人種・民族間の対立も孕んだ今回の騒乱は終わらない。
野党が日本人以外の排斥を唱える以上、それは火種の未来への先送りにしかならないのだ。
そのためには最早、手段は択んでいられないのだが、高木は現状で何がベストかを考えた。

「だけど、今のまま道東へ逃れたところで決定打に欠けるわね……
軍事力で敵の進撃を止めれはしても、こちらから第7師団を突破できるかしら?
それに、対立が長期化した場合、総合力では札幌にとても太刀打ちできないし、何か有効な手は……」

北海道最強の機甲師団である第7師団。
制空権下で進撃を止めるのであれば、道東と国後からの兵で足りるかもしれない。
だが、それでは駄目なのだ。
侵攻を止めるだけでは、札幌は解放できない。
しかして、軍備を増強しようにも札幌周辺の生産力と道東では差がありすぎる。
危機管理の一環で、産業クラスターは道内に分散させ道東にも細々ながら何とか産業自給体制はある。
だが、元々の経済力は段違いだ。
長期戦では此方の分が悪い。

「この状況で勝負の趨勢を決めるのは道北…… 旭川ね」

未だ態度保留の第二師団。
軍都旭川を拠点に持つあそこが味方に付けば、此方の戦力補強が出来る。
なにより、旭川には政界から一歩身を引いた武田勤が理事を務め、転移前の世界の技術を保管している科学技術復興機構がある。
あれを抑えれば、いかな札幌とは言え産業復興が遅れるはずだ。
何せ、一部技術を除いて北海道全体の技術レベルは転移した2025年の水準に未だに戻ってはいない。
重工業や半導体の分野では、それが特に顕著だ。
だが、それを独占すれば野党の支配する札幌に対抗するカードになる。
彼らも地球の技術を失わさせるくらいなら、軍事的な優位にあっても交渉のテーブルには就くはずだ。
第二師団と科学技術復興機構……
その二つだけは絶対に抑えなければ……

高木は顔を上げた。

「進路変更よ。
途中の経路で旭川へ向かって。
態度を保留している第2師団を抑えるわ。
それと復興機構の武田理事にも連絡を。
何とかして彼らを抑えていれば、戦いは此方に有利になる。」

高木が号令を発し、機体は進路を変える。
進路は東から北へ。
目的地は、北海道第二の都市、旭川へと変更された。






目的地は旭川だというから数十分で着くだろう。
既に旋回中の機体の中でそんな事を考えながら、逆境の中でも凛々しく差配する高木を横目に、その話を機内の端でちょこんと座りながら聞いていた拓也達は、ひそひそと邪魔にならぬように内輪の話をしていた。

「エレナ。
この状況は内戦に発展するかもしれないが、皆は大丈夫か?
今まで牢獄に居たんじゃイマイチ状況が分からんのだけどさ。
特に武は大丈夫か?正直、国の行く末より息子の安否の方が心配なんだけど」

そう言って、拓也は体育座りのまま隣のエレナに話しかける。
親になってからというもの、国家より子供の方が大事に思える拓也はその胸の内を素直に彼女に晒した。

「それについては大丈夫よ。
混乱が始まる前に、武ちゃんは万一に備えてメリダから国後へ移動させる事にしたわ。
メリダの拠点も重武装だけど、ユジノクリリスクの本拠の方が安全だしね」

エレナの言う通り、ユジノクリリスクの本拠の防衛力は非常に高い。
製造部の工場が有るため、武器弾薬のストックは軍の基地より多いし、ヘルガに教わったドワーフの魔術の練習ついでに高い防壁や地下壕まで作っていた。
防疫ワクチンの副作用で半ドワーフ化した北海道系従業員用の魔術の練習を、ただ無為にやらせるのはもったいないとして工事をしていたのだ。
それが、今ではツァーリボンバの直撃以外は耐えれそうな程深い地下壕になっている。
恐らく、この世で一番安全な場所と言ってもいいだろう。
それに地下壕に至っては無許可で行っていたので、内部構造は内部の人間しか知らない。
メリダの拠点も、軍事的にはそこらの陸軍基地並に重装備なのだが、やはり本拠と比べると規模が違うのだ。

「まぁそう口では言っても……、やっぱり心配だわ。
ヘルガにお願いして武と一緒にソフィアとか他の子供も一緒に連れてくるよう言ったけど、当初の予定ではこんな混乱は考えてなかった。
今の時間は旭川で乗り換えた特急オホーツクで網走へ移動している時間だけど……」

全てが計画通りなら何も問題がなかった。
だが、無情にも事態は制御不能に陥っている。
手持ちの情報を読み解く限り、息子達の移動に影響があるとは思えないが、それを確認する術を彼女は持ち合わせていなかった。
そんな状況であればこそ、エレナが武たちの心配をするのは当たり前だ。
エレナは心配そうな表情で窓の外を見るが、外に見えるのは真っ暗な大地と人家の光だけ。
彼女の心配を紛らわすモノは何もない。

「副社長。
そんなに心配しなくても、あたしの子が一緒なら大丈夫。
ああ見えて意外にしっかりしてるから、大抵の事は何とかなるでしょ。
なんせあたしと旦那の血が混じってるんだし。
なんならウチのソフィアを坊ちゃんの護衛兼嫁にしてもいいですよ?」

心配顔のエレナに、アコニーがポンと肩を叩いて微笑みかける。
アコニーは自分の子であるソフィア達も一緒だから心配ないと言い、どさくさに紛れて娘の方をプッシュしてくる。
それが彼女なりの緊張のほぐし方だったのかもしれないが、少々の冗談が混ざることにより、確かにエレナの心配も少しは薄らいだ。

「残念だけど、この程度の事じゃ私の息子はあげないわ。
あの子は……私が認めた相手以外、交際は許さないの」

アコニーの冗談交じりの言葉に対する、エレナの母親による息子の絶対防衛宣言。
周りの皆はそれも冗談だと思って微笑ましく聞いている。
そのせいか周りの緊張も少し解けた気もした。

「……彼女作るにも親の許可制とか、武が不憫すぎるな。
まぁ、それはそれとして、アコニーの言う旦那のエドワルドはどこ行った?
一応、ソフィア達の父親だろ?」

我が子の将来を案じ苦笑を浮かべつつも、拓也はアコニーに問いかけた。
一番戦闘力の高そうな人間がこの場にいない。
話を聞く限りでは武達と同行している訳でも無さそうだ。
では、彼はどこにいるのかと拓也は疑問に思ったのだ。

「あの人は所属が内務省警察だから……
今頃、どこかに飛び回ってると思う。
あの人は固いから。
職務やら、自分の守ると決めたルールには厳格だからね」

そう言って、アコニーは遠い目をして窓の外を見た。
確かに彼は自分の職務に忠実だ。
戦場で飛び回る彼の身を案じているのもあるのだろうが、彼女の思いはそれだけではない。
エドワルドを堅物だと言うアコニーの眼差しには、別の意味もあったのだ。


話は逸れるが、そもそもの所、アコニーとエドワルドの馴れ初めは色々と酷い。
何が悪かったのか原因を考えてみると、それはアコニーの部族的問題と、エドワルドの信条的な問題であった。
アコニーの属する獣人という種族は、同じ種族内で交配が進むと血が濃くなり獣化の度合いが高くなる。
此れゆえ、一口に獣人と言ってもケモ耳と尻尾だけの部族から、歩くウサギのような種族まで多岐にわたる。
そんな彼らが形態の現状維持又は獣化を止めるために伝統的にやっていたのが、通りがかりの人種から子種を貰うことだった。
子種の為なら、交際の有無は関係ない。
そんな文化的バックグラウンドと、仕事と筋トレに明け暮れるアコニーが、自分の繁殖適齢期が徐々に過ぎ去るのに焦りを感じた時、彼女の胸に一つの決心が宿った。

そろそろ強い男の子種が欲しい。

そう彼女が思ったとき、色々と候補を考えたが、筆頭として思い浮かんだのがエドワルドだった。
この会社に来た当初に比べて、恐ろしく強くなった彼女だが、戦闘技量の差から獣人の精霊魔法を使っても未だにエドワルドには勝てない。
それどころか、エドワルドも魔法に習熟するにつれ、差は縮みもしなかった。
強い男、それについてはエドワルドは申し分ない。
だがどうやって子種を得ようか。
部族的に伝統的な方法は、旅人を組み敷いて事を済ませるのだが、エドワルド相手にはそれが通じない。
なので、アコニーは搦め手で行くことにした。
宴会の際、エドワルドに渡す酒にスピリタスカプセルを混ぜること十数回。
アルコールの力を借りて前後不覚になったエドワルドを縛り上げ、アコニーは見事に子種を奪う事に成功したのだ。
自らの目的を達し、満足感で一杯のアコニー。
それに対し、無理やりに奪われたエドワルドの苦悩は深かった。

『俺は獣姦なんて性癖は無い』

アコニーとの一戦の結果、そんな常識的思考が彼を苦しめた。
人と獣が半々で混ざっているアコニーは、エドワルドにとって異種姦と変わりないのだ。
だが、アコニーが自分の子を宿したのは事実。
苦悩の末、子供の認知はしても結婚はしないという線で落ち着いた。
そうやって、彼は自分の決めた常識と言うルールを守ったのだ。

……そんな訳で、アコニーの眼差しにはエドワルドの性分を皮肉りつつも、きっと何処かで真面目に働いているとの確信があったのだ。

「ふぅ…… こんな不安が残るなら、やっぱり自分が付いていけばよかったわ。
あなたの所には、ラッツでも送って、私があの子と居れば良かった。
どうせ、あなたはあなたで何とかしちゃうんでしょ?」

結果論として、拓也の救出は然程の波乱は起きずに完了した。
正直な所、もっと少数の人間でも大丈夫だったかもしれない。
エレナは人員の配分を間違えたかなと溜息を吐く。

「それはそうかもしれないが、俺が助かったと分かった途端、落差が酷いな」

「あなたを助けに行く!って行動を起こした時は、色々と頭に血が上っちゃったけど、やっぱり一番大事なのは子供よね。
やっぱり、子供を守るのは母の役目だし。
でも、安否が知りたくても、混乱の発生以降、携帯の基地局は全部止まってるし、何とか連絡がつかないものかしら?」

そう言ってエレナが取り出した携帯端末は圏外と表示されている。
飛行高度的には電波は問題なく入りそうだが、彼女の言うとおり基地局が止まっているなら厄介だ。
どちらの陣営の仕業かは知らないが、民間である拓也たちにとって一般向けの通信寸断は不便極まりない。

「そうか、基地局は押さえられてるのか……
じゃぁ 成層圏プラットフォームは?そっちもネットは遮断されてる?」

「え?成層圏?」

拓也の言葉にエレナは首を傾げる。

「大陸でネット繋ぐときに使っただろ。
まぁ 道内なら自動で基地局に繋がるし、設定が面倒なのと回線速度でも劣るから余り使わないけど」

「それは試してないわ」

「……おい」

何で試してないんだよ。
拓也はその言葉を視線に乗せてエレナをジト目で睨む。

「仕方ないでしょ?
今回連れてきたのは、情報機器の扱いが上手い人じゃなく、銃の扱いが上手い人間ばっかりなんだから」

確かに、今回彼女が引き連れてきたのは、情報処理が得意と言うより、銃で問題を処理する方が得意そうな面々ばかりがゾロゾロと……
トランシーバーや携帯電話位は使えるが、ネットの設定など無理そうな脳筋野郎のメンバーであった。

「……まぁいい。
とりあえず、端末を貸してみろ」

「……わかったわ」

そう言って拓也はエレナから携帯端末を受け取ると、すぐさま設定を変更する。
通信モードを通常から広域wifiである成層圏プラットフォームへ。
変更はすぐに完了し、これで通信できると思った瞬間、エレナの携帯端末に着信が入る。
それは映像通話のコールであった。
発信元はカノエ。
拓也は何かあったのかと着信を取る。

「社長!よかったやっと繋がった」

端末の画面に映し出されたのは、安堵の表情を浮かべたカノエの顔であった。
それは、実体を持たない彼女がCGで再現している姿であるが、そんな映像であっても焦っているかの様子が見て取れる。

「カノエか?
どうした?何かあったか?」

どうにも様子がおかしい。
拓也は眉を顰めてカノエに聞く。

「ヘルガ達の汽車が旭川で足止めを食らってるの。
ハッキングによって公共交通機関の管制が落とされたから、汽車が運休してるのよ」

カノエの言葉と共に、映像が汽車の車内に切り替わる。
そこには疲れた顔をした沢山の乗客の中に、愛すべき我が子たちと引率しているヘルガの姿がある。
子供達自体は、列車が止まっていても3人で携帯ゲームに興じているので楽しそうではあるが、引率しているヘルガは大変そうだ。
長い間座っているのであろうか。
紺のスーツも皺が出来ている。
拓也達は子供らが今は無事であることに一応は安心し表情を緩ませるが、次の瞬間には再び表情を硬くする。

「それで?代わりの足は確保できたのか。
それにハッキング?一体誰の仕業か分かるか」

「それについては、社長達と連絡が取れなかった間に仕切らせてもらったわ。
勝手だけどステパーシンさんに連絡を取って移動用に内務省警察の車両を回してもらうつもり。
あと、ハッキングについてだけど、コレは旗色がよくないわ。
どうやらこれは、電脳化した人々と融合した私の同胞の仕業ね。
電脳を持つ人間と融合した人格の内、以前から少しずつ連絡の取れない奴が出て、彼らなりに現実世界に独自の団体を作っていたようだけど、今回の件で、完全に離反して私たちに敵対してきたわ。
人格融合したことでシリカとしての自我も変質しきっているわね。
彼等はもう同胞じゃない。
その上、何時の間に浸透していたのか、他の人格融合した個体も離反して、今は全体の6割は統制が効かないの。
もともと融合の基となった人間は、鬱病患者をロボトミーで正常化させたケースが多かったから、それらベースの人格に引っ張られてるのね。
鬱の原因に転移による失業とかのストレスも大きな原因だったし、私たちと袂を分けた者達は、そういった負の感情に引っ張られてるのか野党の純血主義者を強力にサポートしてるわ。
道内の亜人なんて転移後の影響の象徴みたいなものだしね。
自分の人格が融合しているものだと自覚するより、憎しみの方が強いみたい。
今回の交通の混乱と基地局の封鎖も、彼らによる大統領派の人間の行動を阻害する為の行動よ。
今は、私と残った4割の同胞でネット回線の制御だけは死守してるけど、それ以上の行動はとれないわ」

そう言ってカノエは苦虫を潰したような表情で首を振った。
仲間の離反。
北海道の混乱は彼らにも多大な影響を及ぼしているようだ。
電子化した人格であるカノエの同胞が、社会の陰で電脳世界の覇者となっているのは拓也も知っていた。
だが、そんな者達の内、割が統制が効かないという。
拓也は眉を引きつらせた。

「なんだそりゃ?
そこまで大々的に離反されるまで、彼らの動向に気付かなかったのか?
ウチの会社で電脳工作一手に引き受けてるのはお前だろ。
それが構成員の6割離反とか冗談じゃないぞ」

拓也は画面に映るカノエに向かって叱責する。
一体、その不手際な何の冗談かと彼女に問うたのだ。

「それについては言い訳できないけど……
でも、彼らは同胞であって私の配下では無いし、それに電脳化した人間と融合して実身体を持った以上、統制するには限度があるわ。
彼らとは上下関係じゃなく同一階層のネットワークを結んでいるだけだったし」

確かに、カノエの同胞であるシリカの一族は、正式に組織内に組み込んだわけでは無い。
一族で最後まで生き残っていたカノエが、拓也達と取り次ぎをしている為、勝手に拓也がカノエが彼女の一族のトップだと思い込んでいた面もある。
拓也がカノエに依頼すると、カノエが一族を動員して結果を持ってくる関係が続いていた以上、仕方のない事とも思えたが、そんな有用な集団との関係をなぁなぁで済ませていた拓也にも責任があるのだ。
なので、そこを突かれると拓也もこれ以上の追及は出来ない。

「まぁ、そこら辺をなぁなぁで済ませてきた此方も悪かったが……
それでも、残った4割は大丈夫なんだな?
本当に野党側には与しないのか?」

「残った彼らは私のような未融合の個体か、融合後も特に移民に負の感情を持ってなかった個体よ。
私達のとの関係を天秤にかけて、野党に与する理由がないわ」

今の拓也達とカノエ一族との関係。
それは、サルカヴェロ地下の遺跡から盗掘して政府に引き渡す物資の内、彼らが必要とする物資を政府に秘密で確保し、共に利用していた。
独自に魔導技術を得ているという性質上、政府に発覚すれば拓也の身も危なくなるが、リスクに見合ったリターンが有ったために続けている。
それはステパーシンに繋がっているエドワルドにも隠匿している徹底ぶりだ。
それほどの危険を冒しても、かの遺跡から得られる魔導技術は素晴らしく、彼らは共犯でいられたのだ。
なので、カノエの一族にしてみても、特段の理由が無ければ現政府……というより、現政府側の拓也達を裏切る理由は無いはずなのだ。
そして、それは横で聞いているエレナとて同じ考えだ。

「まぁ、そうよね。
まぁ、何かしらの理由がなければ、裏切るのは代償が大きいもの。
でも、今回の事を教訓に、今後このような離反が起きないように彼らを正式に組織に組み込む必要があるわね」

情報知生体という新たな概念を組織にどう取り込むかは検討の余地はあるが、いまのまま放置は論外だ。
何としてでも残りのカノエの同胞を会社のガバナンス下に組み込まねばならない。
拓也はエレナの話を聞いて、そう考えを纏めると再び視線を画面の中のカノエに戻した。

「カノエ。
取り敢えず、彼らの手綱はしっかり握っとけ。
騒動が落ち着いたら、お前は電脳工作部門立ち上げの人事を任せる。
残った4割、しっかり纏めて見せろ」

「……わかりました」

真っ直ぐモニターの中のカノエを見つめる拓也の眼差しに、カノエも正面で受け止めた。
彼女の瞳には同胞が分裂してしまった責任感と、今後に対する使命感が混ざったようは感情が映っているかのように思える。

「しっかし、今回の騒動……
混乱はそこまで深く広がってるんだな」

拓也はカノエを叱責したものの、北海道のゴタゴタが本来関係ないカノエの一族にまで波及している事を改めて考えると、道民として申し訳なく思った。
拓也の同胞である北海道がゴタゴタしなければ、彼女に対する叱責も何もなかったのだ。
携帯端末から目をそらしてそう呟く拓也。
だが対するカノエも、その言葉を聞いてバツが悪そうに頬をかいた。

「それなんですけど…… 
私たちは北海道の混乱の余波を受けたというより、当事者かもしれないんです。
騒乱が始まってから調べてみたけど、離反した彼等の動きが今回の件に深く関わっているし。
皆が言う混乱の主原因に、イグニスの浸透とか移民排斥気運とかも有るけど、一番の要因は絶大な情報処理能力を持つ彼らが野党を支援しているからだし。
それが無ければ、高木大統領の権力基盤はもっと盤石だったはずよ。
というか、野党もここまで効果的に国民と一致団結できない筈だし。
……まぁでも、もう取り返しが効かないわね。
現実は、ここまでグチャグチャになっちゃったら」

色々と後になって思い返してみても、覆水は盆には返らない。
カノエが彼女の視線から原因を思い返してみても、今更政変前には戻らないのだ。

「もしも、彼等が基底現実の体を手に入れるためとはいえ、人格融合しなかったら……
もし、私が彼らを解放しなかったら……
多分……、こんな混乱は起きていないわ」

そう言ってカノエは申し訳なさそうに画面の中で項垂れる。
どうやら彼女は拓也の想像以上に責任を感じているようだ。

「……まぁ良い。
それについて詳しい事は後で聞こう。
あと、こちらも少ししたら旭川に着く。
そしたらエレナ達を護衛に送るから、合流して東を目指せ」

「わかりました」

拓也はそうしてカノエとの通信を切る。
一瞬何とも言えない沈黙があたりに流れたが、通夜にも似たその沈黙はそう長くは続かなかった。

「……拓也」

沈黙に破ったのはエレナであった。

「そう言う事だから、全力で子供たちを守ってこい」

「でも、あなたは?」

エレナは心配そうに拓也に尋ねる。
一番の危機を脱したとは言え、未だ緊急時。
彼女は拓也の安全を心配しているのだ。

「大統領と同行する。
恐らく、まだ俺にしか出来ない事もある。
それにこっちは一足先に国後の本拠で待つことになるから安全だよ」

「……そう。
わかったわ。
絶対に後で合流しましょうね」

「国後についたら増援を送る!
ちゃんと子供たちの事を頼んだぞ!」

二人は手を握ってそう約束した。
不安はあったものの、一旦別れるのは彼らのお互いを信じる証でもあった。



そうして二人が手を握った十数分後……
機体は旭川上空へと到達した。



[29737] 回天4
Name: 石達◆48473f24 ID:43061016
Date: 2015/01/18 08:24
最初の目的地へと到達したオスプレイは、さしたる妨害も無く北海道第二の都市、軍都旭川に降り立った。
着陸地点は科学技術復興機構。
そこは元々、旭川市科学館サイパルとして使用されていた建物であるが、今は転移前の世界の技術を保管する知識の殿堂となっている。
そして今、その建物内には高木の招集の求めに応じた理事の武田勤と第二師団の師団長が集まって要る筈であった。

高木は、オスプレイが着陸するや否や、拓也を含めた配下を引き連れて建物の中へと入っていくが、それとは別にオスプレイから降りた一団が高木らとは離れて旭川市街へと向かっていった。
拓也に手を振りながら別行動を取ったのは、拓也の嫁であり副社長のエレナをトップとする武装集団。
彼らは疎開してきた拓也の息子の武や、アコニーの子供らを確保しに行ったのだ。
旭川駅と科学技術復興機構は近い。
彼らは道行く車のドライバーに奇異の視線にさらされながらも、その道のりを一気に駆け抜け、程なくして駅についたのだった。

「さぁ 駅についたし、あの子達を探す……って、その必要は無かったわね」

駅で汽車が立ち往生している事もあり、駅前は汽車から降りた人や目的の汽車に乗れなかった人で溢れていたが、それでも駅前のロータリーの中で人混みとは若干離れて待機している彼らを見つけるのは容易かった。
4人で固まり迎えを待っている子供の姿(そのうち一人は成人のドワーフであるが)、彼らは非常に悪目立ちするエレナ達の集団を見つけると、自ら駆け寄ってきたのだ。

「ママァ!」

迎えに来た面々を見るなり、アコニーの娘であるソフィアがいの一番にアコニーに飛びつく。

「こら!まだ安心って決まった訳じゃないんだから。
飛びつくのは後にしなさい!」

緊張感の足りないと叱られつつも、そんなアコニーを気にもせず、満面の笑みを浮かべるソフィア。
やはり、子供は自分の親が迎えに来た事がうれしいのだ。
それは、他の二人も例外ではない。
ソフィアの双子の片割れヴォロージャも無言でアコニーの足に抱き付いているし、武も頭を撫でられながらエレナの到着に喜んでいる。
実に微笑ましくなる光景であった。

「よし、これで合流できたわけだけど、迎えを要請した内務省の方はどうなってるの?」

「合流予定時間は15分後です。
あと、私たちの他にも政府関係者で移動中だった方々が巻き込まれているみたいで、そちらの方も一緒に移動すると」

エレナの質問に素早く答えたヘルガは、ロータリーで待機している他の集団を指さした。
そこには、汽車が何時動くか分からない中、駅前に出てコンビニやビジネスホテルを探す一般旅客とは離れて待機している一団がいる。
日系に混じって大陸系の人間もチラホラと見えるスーツの集団。
数は20人弱と言ったところ。

「先ほど、ちょっと話をしたんですが、なんでも出張で稚内経由で礼文に行こうとしてた外務省やら何やらの職員さんらしいです。
出張費ケチられたらこうなったと笑ってました。
そんな大所帯の彼らと一緒なので、移動にはバスが手配されてるそうです」

「そう。
私たちも一緒に同行したいけど、いきなりこの人数が増えるのもね……
別の車がいるわね」

護衛として同行するにあたり、エレナは車をどうしたモノかと考えた。
状況の急変により急遽こちらへ回ってきたのだから仕方ないのでもあるが、まず間違いなく、内務省は自分たちが来ることを考えていない。
よって、迎えに来るバスにも十分な余裕はないものと考えた方がいいだろう。
そして、エレナと同じ結論に至ったのはアコニーも同じであった。

「じゃぁ 車を調達してくる」

アコニーは、そう言うと銃を片手に駅前の通りへと歩いていった。
そんな事、別にそんな事は大したことじゃないとばかりに良い笑顔を浮かべてアコニーはロータリーの車を物色し始めるが、それを見て悪い何かを感じ取ったヘルガは、強引に彼女の腕をつかんでそれを止めた。

「ちょっとアコニー!何するつもり?!」

「いや、非常時なんだし、こいつでチョチョッと……」

ちょちょっと銃で貸してと言えば済むと思ったのだろう。
確かに色々とユルい大陸では、ターゲットを追う時等、臨時に車両が必要になった時は多少無理くり徴発しても、後で金を渡せばそれで何とかなった。
だが、ここは北海道本国。
大陸などと言う野蛮な外地ではない。

「……絶対やめて。
大陸のノリで問題解決しないで。
内地である北海道でそんな事すれば、一発で犯罪者だから。
武装してると言っても、私たちは別にギャングでも盗賊でもないの。
ここは私に任せて」

余計な事はするな。
ヘルガの刺すような視線に、アコニーは思わず一歩後ずさる。

「あ……うん。いいけど……」

大陸で縦横無尽に活躍していたアコニーと違い、道内暮らしが長いヘルガに北海道での常識を問われると、彼女は何も反論できないのだ。
ヘルガはアコニーを納得させると、エレナに向き直る。

「ということで副社長。
ちょっと車を調達してきます」

そう言ってヘルガは、アコニーに絶対に問題を起こさないでよと釘を刺しつつ、夜の旭川の町へと消えていった。
後に残されたのは、呆然とそれを見送るアコニーとその他の面々。
彼らは只々ヘルガの消えていった方向を見ながら佇むだけであった。

「いっちゃった……」

「まぁいいわ。彼女に任せましょう」

エレナが思うに、穏便に何かを調達するなら常日頃から営業兼購買として銭勘定に特化して教育を受けたヘルガなら適役だ。
だが、エレナ達護衛の車両の調達をヘルガに任せたとしても、後に残されたエレナ達はヘルガが帰るまで手持ち沙汰だった。
どうしたものかとエレナが考えていると、そんな彼女の袖を武が引っ張る。

「おかーさん。
いきなりユジノクリリスクに行けとか、何があったの?」

武は不安げな顔でエレナに聞く。
彼らにしてみれば、普通に大陸生活をエンジョイして毎日楽しく暮らしていたのに、何故急に移動しなければならないのか理由が解らなかった。

「あー……
ちょっと、大人のゴタゴタがあってね。
あなたは心配しなくてもいいわ。
ちょっと国後に戻るだけだから」

そう言ってエレナは武の頭をなでる。
全ては大人のゴタゴタである。
余計な事を言って、子供に無駄な不安は与えたくない。
なので、今は大丈夫だと言って安心させる以上の言葉はかけなかった。

「ほんと?」

「本当よ。
この一軒が終わったら、またメリダに直ぐに戻れるわ。
そうね……今年のヨールカまでには収まってると思うわ。
それまで我慢して頂戴ね」

ヨールカ……ロシア式のクリスマス。
それは日本では正月の時期に行われるものだが、それまでには終わると何の根拠も無かったが、エレナは子供達を安心させるために言って聞かせた。

「うん。わかった」

「いい子ね」

エレナはそう言って武の頭を撫でた。




「……あら、どうやら丁度迎えが来た見たい」

見れば駅のロータリーには1台高機動車に先導された2台のバスが入ってくる。
バスは、駅に着くなり乗っていた職員が同乗予定者の点呼を取りながら彼らをバスに乗せ始めた。
まるで長距離バスの乗車案内のように人々の列はバスに消え、政府関係者が全員乗り終わると、エレナ達もバスの入口へと並んだ。

「石津製作所の方ですか?」

「ええ。
この子達をお願いします。
それと、同行者が一名いるんですが……」

職員の誰何に、エレナは答える。
子供は全員要るが、車を調達しに行ったヘルガの戻りを少々待ってほしい。
流石に内務省警察の護衛も有るとはいえ、子供だけ預けるのは不安なのだ。
エレナはヘルガに早く戻ってこいと祈るが、なかなかヘルガは姿を見せない。
そんな時だった。
乗り込もうとしていたバスの一つがガラリと開き、武の見知った人物が顔を出した。

「武くん!」

「あ!真紀ちゃん!」

元気な声で武を呼ぶのは、メリダで仲良くなった高木の姪である真紀だった。
武は窓の下まで駆け寄ると、笑顔を浮かべて真紀に聞く。

「どうして真紀ちゃんがここに?」

「それがよく解らないの。
家にいたら内務省警察の人が迎えに来て、あれよあれよという間にバスの中なの」

真紀はここに来た経緯を武に話した。
彼女の話によると、どうやら内務省は要人の関係者は今回の騒動の成否にかかわらず、一時的に危険な札幌から彼らを避難させる予定だったらしい。
バスには彼女の他にも要人の家族が乗っていて、移動中だったそのバスを旭川で立ち往生した政府関係者のピックアップに流用したそうだ。
まぁ、彼らにしてみたら一時的な避難の予定がそのまま札幌からの逃避行になってしまったが……

そんな彼女の話を一通り聞いていると、今度は1台のトラックが駅のロータリーに入ってきた。
運転席に座る見知った顔は、窓から手を振りながらこちらへ向かってくる。
それは車を調達しに行ったヘルガだった。

「副社長。
駅前のオリックヌでレンタカー借りてきましたよ。
返却は網走店でOKです」

「ドワーフがいすゞのエルフに乗ってきたわね……
冬にトラック移動って…… 他に無かったの?」

幌付のトラックであるため、吹きっ曝しではないが、荷台に乗るのは実に寒そうだ。
それが一目見たエレナの感想だった。

「大人数が乗れて緊急時に即応体制が取れるじゃないですか。
ミニバスだとそうは行きませんよ。
むしろ幌がついてるだけ儲けものだと思ってください」

「まぁ……それもそうね……
じゃぁ私が助手席に乗るから、誰か運転手をお願い。
残りは荷台ね」

「えぇ~」

エレナが指揮官権限で自分の席を指定したため、暖かい席の残りは運転席の1席のみ。
残りは荷台となると、皆から不満が漏れたのは当然の事で、免許を持つ者たちが狙う所はただ一つである。

雪もちらつき始めた寒空の下。
寒さは嫌だという一心を込めたジャンケンの声が、旭川の夜に木霊した。








それから2台のバスは先導の高機動車と後続のエレナ達の乗るトラックに挟まれるように移動を開始した。
旭川から網走までおよそ200km。
途中、峠を越える為、3時間少々はかかるであろう。
ここは旭川から道東へと抜けるルートの一つ。
石北峠を越える道だ。
本当なら遠軽を経由する高速道路を使いたかったが、非常時の為に現在は軍の戦闘車両以外は通行が規制されている。
本当は政府の関係と言うことで高速を使う選択肢もあったのだが、戦闘に巻き込まれては元も子もないと言うことで一般車両に紛れて行くことになった。
そう言う訳で、車列は層雲峡を抜け、峠への下道をひたすらに東進しているのだ。
明かりの疎らな郊外の道をゴトゴト、ゴトゴトと雪の轍にそってバスは進む。
色々あった一日の後に、心地よいバスのエンジン音。
出発から1時間もするうちに、バスの中は人々の寝息が響くだけとなった。

「みんな寝ちゃった」

バスの最後列。
子供達の占拠する座席でポツリと真紀は呟いた。
横を向けば、武、ソフィア、ヴォロージャと並んで寝息を立てている。
真紀と合流する前、彼らは止まった汽車の中で何時間も待っていたそうであるから疲労が溜まっているのだろう。
そんな彼らの寝顔を見ながら、彼女はため息交じりに呟いた。

「つまんないなー」

足をバタつかせながら彼女はそう呟いた。
皆寝ているので話をする相手もいない。
だが、先ほどから妙にドキドキして真紀は眠れずにいた。

「なら私とお話しする?」

ふと前の座席に見えていた頭が動いたかと思うと、一人の女性が微笑みながらこちらの座席を覗き込んで話しかけてきた。

「お姉さんは?」

「私はメディア。よろしくね」

「あ、はい。
真紀です。よろしく」

メディアと名乗る女性に真紀は姿勢を直して挨拶する。
美人ではあるが、明らかに日本人ではない外見のメディア。
そんな彼女に、真紀は何だか面白そうだと退屈しのぎに色々と聞いてみることにした。

「えーと、いろいろ質問していいですか?
お姉さんも政府の人ですよね。
名前からして、大陸のかたですか?」

「ええ、元はエルヴィスの魔術師。
でも、今は外務省で働いてるわ」

「魔術師……」

その言葉を聞いて、真紀は魔女のコスプレをした彼女を想像し、まじまじと彼女を見た。
メリダで魔法の実演を見て以来、彼女の中では魔法・魔術に対して憧れがあったのだ。

「えぇ。
この国には元々魔術の基礎がないから、外交官が魔術で洗脳されたりするのを対抗魔術で防いだりするのよ」

「へぇ、なんだか格好いい……
でも、そんなに凄い魔術が使えるなら、メディアさんは何で北海道に来たんです?」

「それは…… なんていうか、礼文騒乱の時に捕虜になってね。
その時に、色々と思う所があってこちらへ転職したの。」

「色々ですか。
それって聞いてもいいです?」

「別に構わないわよ。
と言っても、大切な人が紛争で怪我をして、彼を治療してもらう為にこちらに来たって簡単な理由よ」

「簡単って……
でも、国を捨てても治したいって事は恋人か何かですか?」

真紀は、それは一体どんなロマンスがあったのかと彼女は目を輝かせてメディアに聞いた。

「いえ、そんな関係じゃないわ。
あの人は父親みたいな人ね」

「父親ですか」

色恋話かと思いきや、真紀の声色はトーンダウンする。
だが、そんな真紀の様子を気にもせず、メディアは自分に語り掛けるかのように遠い目をしたまま語り続けた。

「まぁ その人も結局目を覚まさないまま昨年亡くなったけどね。
でも、ここまでどっぷりこの国に浸かったら、もうエルヴィスに戻るつもりはないわ。自分に出来ることで、この国に一生を捧げるつもりよ」

相手が既に他界したという話を聞いて、真紀は悪い事を聞いたと思い押し黙る。
正直な所、真紀はそんな思い話が来るとは思っても居なかった。
だが、真紀が押し黙ってしまってもメディアは相変わらず凛とした佇まいで微笑みかけている。
つらい過去が有ろうとも、現実をしっかりと受け止め、自分の信念に真っ直ぐ生きているメディア。
そんな彼女の姿を前にして、真紀はドクンと胸を打たれた。

「……お姉さんは強いですね」

それから一通りメディアの苦労話や、北海道と向こうの違いなどの話を聞いた後、真紀は静かにそう言った。
だが、そんな真紀の感想にもメディアは笑って首を横に振る。

「そんな事ないわ。
私の境遇は恵まれてる。
エルヴィスにいるかつての仲間たちに比べたら、ぬるま湯の生活よ」

メディアは真紀の言う強さを、異邦人として異国で暮らす苦労と捉え、真紀の言葉を否定した。
確かに、エルヴィスに残っている魔術師の知人などとは、北海道の出現以後に明暗がくっきり分かれた。
主に魔導具作りで生計を立てていた物は、精神に作用するもの以外の大半が北海道産の便利な道具に取って代わられた。
そこで、自らのスキルを北海道からの外資か合弁企業に身売りし、一介の労働者に転身出来た者は生き残るものが出来たが、それが出来ぬ者は極貧生活に落ちた。
そして、それは魔導具を制作していなかった他の魔術師も同じである。
軍や、民間企業に入ることが出来たものは生活レベルは以前より向上した。
だが、北海道産の道具類より役に立たないと判断された者は、資本主義の原理に則り、同じく極貧生活へと落ちた。
中には、どこぞの村で尊敬された女魔術師だった者が、借金を膨らませて娼婦にまで転落した者もいる。
そんな彼らに比べれば、早々に北海道から衣食住を保証された自分は楽な生活を送っている。
だが、真紀の言っている強さはそう言う事ではない。

「いえ、強いです。
私はお父さんとお母さんが死んでから、自立しようともせずに叔母さんに我儘言ってばっかりだったし」

大切な人を失う悲しみは解る。
だが、その後の歩みが自分とは目逆だ。
悲しみを乗り越え自立するメディアと、他者に依存してきた真紀。
真紀はメディアを見ながらこういう強い女性になりたいと思ってしまったのだ。

「あなた、ご両親を亡くしてたの……
ごめんなさいね。
私、知らなくてそんな話題振っちゃって。
あと、あなたくらいの年なら我儘言っても普通だと思うわよ」

「でも、あまり我儘ばっかり言う女って嫌われますよね?
私、前まで一人では何もできない癖にわがままばかり言ってて……
でも、この前、とある子と会ってから、せめて年下の前くらいでは頼れる人間になりたいなって思ったんです」

そう言って真紀は隣で寝息を立てる男の子方を見ながら、ため息をついた。

「そう。
貴方がそこまで思ってるんなら応援するわ。
でも、自分を変えるのは中々大変よね。
頑張って、……武くんだっけ?に、いいとこ見せなきゃね」

「いや!別にたけるの為とは言ってないし!」

「あはは。隠さなくてもさっきまでの態度見てれば分かるわよ」

「うぅ……」

真紀は顔を真っ赤にして俯いた。
だが、そんな真紀の方をメディアは優しくポンと叩く。

「別に恥ずかしがることはないわ。
良いじゃない。年下の彼が好きだって。
強い女は自分の想い位、照れずに飲み込むものよ」

「……はい」

真紀はメディアに茶化されつつも、顔を赤くしながらそう頷くことしかできなかった。









そんな前方を走るバスのホンワカした空気とは裏腹に、後続のトラックの荷台は極寒であった。
冬の峠越え。
まだ寒さはあまり厳しくない時期とは言え、それでも車外の気温は-10℃以下だろう
幌の荷台では、体感気温は更に厳しいに違いない。
古い映画を知るものなら、「神は我々を見離したか」とか叫んだり、雪の進軍を歌いだすだろう。
なにせ、荷台で震える彼らは、こんな事態を想定した装備ではないのだ。
ヘリで現れ、標的を確保したら、そそくさとヘリで離脱。
そんな作戦が、いつの間にやらトラックの荷台で冬の峠越えである。
ラッツのような武装ピーターラビットは、もふもふした毛皮の為に寒さもへっちゃらの様だが、他の中途半端な獣人や人族の社員達は一か所で丸まって暖を取っている。
エレナはそんな様子を暖かい助手席から眺めながら、本格的な冬季訓練が必要だなぁと考えていた。

「この程度の寒さで根を上げるなんて……まだまだ訓練が足りないかしら?
ホントだらしないわね。
私の実家なら冬は普通に-40℃位まで下がったわよ。
あんな腑抜けじゃ、シベリアで生きてはいけないわ」

エレナはため息を吐きながら視線をバックミラーから前方へと戻す。
その表情は、まだまだ訓練が足りなかったかと不満気だ。

「そうは言っても、色んな地域の人間が集まってますから。
昔はゴートルムから追われてきた難民だけでしたでしょうけど、今や社員には温暖なアーンドラ出身者やら色々な国が居ますからね。
私だってこちらに来て数年ですが、今も結構きついですよ」

そう言ってハンドルを握るのは元アーンドラ難民の人族の社員。
エレナは確かに多種多様な所帯だなぁと思いつつ、キツイと言う割には平然と運転を続ける男を見た。

「その割には余裕そうじゃない」

「そりゃ運転席には暖房もありますし」

そりゃそうか。
エレナは一人納得し、ヘッドライトに照らされる前方のバスに視線を戻した。
ゴトゴトゴトゴトとバスは走る。
夜の峠道は特に見るべきものも無く、実に暇だ。
そうして会話も無く時間だけが過ぎていると、ふとドライバーの男が有る事に気付いた。

「社長。
後ろが何か呼んでますよ」

エレナはそれを聞いて振り向くと、後ろの窓にべったりとアコニーが張り付いていた。

「副社長。
子供達、ちゃんと行儀よくしてますかね」

我が子の様子が気になるアコニーは、笑いながらエレナに話しかける。

「ここから見る限りじゃ、大人しくしてるようよ。
それより、気付かない内にウチの子は手を広げてたようだけど、あんたの娘もうかうかしてられないわね」

エレナはバスに乗る際に武に話しかけてきた女の子を思い出し、アコニーに娘の事を冗談めかしく言う。

「大統領の姪ですかぁ……
こりゃソフィアに発破かけないといけないかなぁ」

「まぁ、子供同士の事だし静観しましょう。
大丈夫よ。
うちの武に変なマネしてくれたら、大統領の姪だろうが容赦しないから」

「怖っわ……」

容赦しないその言葉を発する時のエレナの目つきを見て、アコニーは一歩後ずさる。
冗談の会話をしているつもりであったが、最後の目つきだけ冗談には見えなかったからだ。
だが、そんな中にあっても子供の話題は良い時間つぶしにはなった。
双方の子育て中の出来事や現状を面白おかしく、時に話を盛って語り、時間は過ぎていく。
それは今が非常時だと言うのを忘れるくらい平和な時間であった。

だが、それも何時までも続くものではなかった。
一通り笑いあい、次の話題を考え始める頃……東へ進む車列が石北峠を越えた辺りで変化は起きた。
予兆として伝わった空気の振動により、アコニーの猫耳がぴくぴくと動く。

「……ん? なにか聞こえませんか?」

アコニーは周囲を伺いながら耳をピクピクと動かして音源を探る。

「いや…… ラッツは?」

アコニーが何か聞こえると言っても、エレナには何も聞こえない。
猫科の獣人とベースが人族のエレナとでは可聴域が違うのだ。
そこで、更に聴力の優れる獣人であるラッツにエレナは聞いてみた。

「谷に反響してますが…… これは、ヘリのローター音です。
こっちに向かってきます」

流石と言うべきか、武装ピーターラビットは微かな音でも即座に判別して見せた。
だが、接近してくるものが分かっても、音だけでは解らない事が有る。

「味方だといいけど……
一応、みんな武器の点検よろしく」

接近してくるヘリは敵か味方か……
先導の高機動車は何も言ってこないが、それはただ単に彼らがヘリの接近に気づいていないだけかもしれない。
エレナは無線でその事を通告しようと思ったが、ヘリの接近速度がそれを無用とした。

「来た」

幌から顔を出して上空を伺っていたラッツが指差すのは、漆黒の闇に浮かぶライトの明かり。
それは崖の向こうからぬっと現れたかと思うと。
目を覆いたくなるような光量を車列に向け。
大音量で音声を放った。

『走行中の車列。直ちに停車しなさい!繰り返す、停車しなさい。
要人の身柄引き渡しを要求する』

「敵だったかぁ……
それも、ブラックホークがお出ましとはね……
それにしても、旭川を超えて敵が来るなんて、拓也とあのバカ年増は一体何してるのよ」

エレナはそう言いつつも小銃のスライドを引き、弾丸が装填されて居ることを確認する。
こうなれば選択肢はごく限られたものだからだ。

『大統領の親族を乗せた車両は直ちに停車せよ
なお、警告に従わない場合は発砲も許可されている』

ぎゃんぎゃんと上空から騒ぎ立てるヘリ。
だが、それでも車列は止まる気配を見せない。

「どうするんです?
あの娘だけが狙いなら引き渡したいですけど……」

「先導車次第だけどね……」

今の決定権は自分たちには無い。
出来ることなら自分たちの子供達だけ確保したいが、状況が状況だ。
エレナは先導する高機動車の回答を待つことにした。
……その時だった。
上空を飛ぶヘリの側面から、閃光と発砲音が響き渡り、先頭を走っていた高機動車が鉄を削る火花を上げる。

「副社長!!撃ってきた!」

「警告射撃すら無し!?」

突然のヘリの発砲に天井を撃ち抜かれた為か、高機動車は一発も応射することなく道路脇へと転落し、そのまま雪の中へと突っ込んでいった。

「高機動車がやられた!」

脱落した高機動車を横目に、車列はなおも道を進む。
だが、ヘリの射撃はそれっきりで更に射撃を加える様子は無かった。

『走行中の車列。直ちに停車しなさい!繰り返す――』

脅威と思われる車両を消し、尊大な態度で停車命令を繰り返すヘリ。
だが、車列は尚も止まらない。
エレナ達の前方を走るバスの運転手は、停車したくてたまらなかったかもしれないが、それを許さぬ車両がアクセルを踏めと無線で叫んでいるのだ。
車両の最後尾から空に銃口を向けて……

「全力射撃!!!
命に代えてもバスを守るよ!!」

エレナの号令が下った。
民間の普通のトラックに見えたソレは、幌を切り落とすと構えていた銃口を空に向けて放った。
漆黒の夜空に浮かぶサーチライトの光。
それに向かって数多の5.56mmの弾丸が吸い込まれていく。
着弾箇所が火花を上げ、機体のアルミを削り取る。
ヘリ側も、無関係の一般トラックかと思っていた車両からの突然の射撃に、吃驚したように進路を変え、上空から離脱する。

「引き上げていく?」

「後続の普通のトラックが武装しているなんて思わなかったんでしょ。
体勢を立て直してまた来るはずよ。
それにしても小火器じゃ駄目ね。
アコニー奥の手を出すわよ」

結構な数を当てた筈だが、やはり小銃でヘリを落とすのはキツイ。
そう思ったエレナは、助手席から荷台のアコニーに迷わず指示を出した。

「はぁい♪」

アコニーがずっと肩に担いできたバックを開ける。
その中には、スタイリッシュなマスケットの様な銃があった。

「こいつも久しぶりだなぁ」

「実戦での使用はサルカヴェロ脱出以来ね」

それは、サルカヴェロから脱出する際、地下の遺跡から持ち出した魔導兵器であった。
液化魔力を封入したパレットを射出するという装置。
着弾したパレットが割れ、中の液化魔力が漏れると大爆発を起こすという高威力火器だ。
装置自体は、政府に提出することなく石津製作所が秘かに保管していたのだが、これはソレに持ちやすいよう銃床をつけたのだ。
その威力は、小型ながらにして絶大。
今回は小火器だけでどうにもならなかった事態を想定して、一丁だけ持ってきたのだ。
アコニーはそれをバックから取り出すと、ローター音の聞こえる空に向けてしっかりと構えた。

「来た!2時方向」

誰よりも早く、聴覚で一番すぐれるラッツがヘリの正確な方角をアコニーに伝達する。

「……一発で撃ち落とす」

そう呟いたアコニーは、ドットサイトの光点をヘリに合わせる。
急速に接近するヘリ。
それに対し慎重に狙いをつけるアコニー。
どちらの武装も必殺の威力があるものだが、ヘリが発砲するよりも早く、先に必中の狙いを付けたアコニーが、迷うことなく引き金を引いた。
光を帯び銃口から飛び出る魔力の封じられた球体。
それはまるで、一直線に伸びる稲妻の様であった。
見る者の目に一筋の光跡を残し、狙い通りに目標に吸い込まれ大爆発を引き起こした。

「はぁ!!」

「やった!」

巨大な火球を発生させた爆発と共に、原型を留めぬほど変形し、火達磨となって墜落するヘリ。
車列に迫る脅威を消し去ったことは、だれの目にも明らかだった。
だが、襲い来る敵意は消せても、消えないものもある。

「あっ!でもヤバい……」

ヘリは火達磨になりつつも、慣性にのって車列の方に向かって落ちてきたのだ。
とっさの事にハンドルを切る各車。
だが、そこは冬の峠道。
アイスバーン上での急ハンドルにより、墜落したヘリを躱したと思われた一台のバス…… 武達を乗せたバスはスリップしたまま斜面側のガードレールを突き破った。

「ああぁあー!!バスが!」

斜面から転落するバスを見て、アコニーの絶叫が冬の峠に木霊する。

「武ぅ!!」

そしてそれはエレナも同じであった。
目の前で、自分の子供が乗るバスが事故を起こしたのである。
誰しもがロールしながら斜面を転がるバスを見て我が目を疑った。















目が覚めた時、真紀が最初に感じたのは、頬に当たる冷たさだった。

「いたたた……」

真紀は腰を摩りつつ、ゆっくり上半身を持ち上げる。
周囲を見れば、所々に点在する燃える破片に照らされて折れた木々や何か大きなものがが転がったような雪の跡が目に入った。

「そうか……
バスが事故を起こしたんだ」

次第にハッキリしていく記憶。
ヘリの音や銃声が聞こえたと思ったら、目の前に大きな火の玉が現れて、バスが斜面から転落したのだ。
この雪の跡もバスが斜面を転がった後なのだろう。
自分は窓が割れた為に車外に放り出されたのだ。
それでも幸運な事に、外はパウダースノーの深雪。
雪に衝撃が吸収され、運よく真紀は無傷である。
だが、いくら無傷と言ってもこんな寒い場所にいつまでもいるわけにはいかない。
冷気は確実に体力を奪うのだ。

「バスは……
皆の所に合流しなくちゃ」

皆の場所はすぐわかる。
この雪の痕に沿って歩いていけば、バスにはたどり着くし、なにより真紀が歩きながら斜面の下を伺うと、目的のそれは簡単に見つかった。
降り積もる雪のカーテン越しに、300mほど先にヘッドライトをつけたままバスが横転しているのが見えたのだ。
真紀は体に付いた雪を払うと、バスが有ると思われる方向に向けて歩きだした。
雪がチラついているとはいえ、月明かりと燃えるヘリの残骸により、雪上は明るい。
雪上にはバスから脱落したと思われる部品や、誰かの荷物がポツポツと見て取れる。

「私の荷物も落ちちゃったかなぁ。
ゲーム機も入ってたんだけど……」

事故の直後だというのに、頭は酷く澄んでいる。
恐らく脳殻に伝わった加速度から、非常時を悟った自分の電脳殻が、落ち着かせるための化学物質を放っているのだ。
かつての自分が電脳化するきっかけになった事故の後、電脳にはそう言う機能もあると言うことを医者が説明していたのを真紀は思い出した。
その為、普段以上に落ち着いて、自分の荷物を心配するだけの冷静さが彼女にはあったのだ。
雪に足を取られつつ、雪上も見渡して一歩一歩真紀は進む。
そうしてしばらく歩いた後、真紀は雪上に転がるあるものに気が付いた。

「あれ?」

雪に埋もれる黒い物体。
最初は何か分からなかったが、近づく度にそれはあるものだと確信する。

「人!?」

間違いない。
真紀と同じように車外に放り出された人間だろう。
だが、その人物は頭から血を流し、首をあらぬ方向に向けてピクリとも動かなかった。
恐らくは車外に飛び出した際に障害物にぶつかったか何かしたのだろう。
真紀は目の前に転がる人の死体を見て思わず口を押えた。

「死んでる……」

真紀は怖くなった。
電脳化した脳殻から化学物質が放たれ続けている為、失神すると言うことは無いが、それでも恐怖は抑えきれなかった。
真紀は必死でバスの方へ向かって走った。
雪に足を取られつつも、恐怖に駆られて必死に走る。
前方に見える横転したバスのヘッドライトを目指して一目散に。
そうしてようやくの思いで50m程移動したころ、闇になれてきた目にあるものが映った。
目の前に横たわる黒い影。
それは間違いなく人型であった。
真紀は、これ以上人が死んでいるのは見たくなかった。
だが、生きていたら助けなければならない。
真紀は恐る恐る近寄り、横たわっていた人影を仰向けにし、驚きに目を見開いた。

「え…… 武くん?」

その目に映った人物は、先程まで自分の横に座っていた少年だった。
彼は抱き上げられると苦しそうに呻くが、目を開く様子は無い。
真紀は、彼に怪我は無いかと彼の体を見回し、雪と彼を抱いていた自分の手に黒い染みが広がっているのに気が付いた。
真紀はその染みを手に取り、その染みの正体を理解する。

「血が…… このままじゃ死んじゃう」

それは武の血であった。
明かりが足りない為、真紅の血液は黒い染みに見えていたのだ。
そして、その染みは今もドンドン広がっている。

「誰か!た、助けて!」

真紀は力の限りバスに向けて叫ぶが、その声は段々と時間と共に強くなる雪に吸収され、いくら叫んでも全ての音量はゼロとなり消えた。

「どうすれば……
彼を抱えては歩けないし…… 一人で助けを求めに行っても、そもそも病院に行かなきゃ……」

打つ手がなかった。
このままでは彼は死んでしまう。
真紀は幼い頭でそれだけは理解したが、しかして、どうすれば彼を助けられるのか解らなかった。
彼女の顔が絶望に染まる……そんな時だった。

『……あ……なた……聞こ……え……』

倒れている武のどこかからか細い声が聞こえる。

「誰?」

真紀は必死で武の上着をまさぐった。
そして、それはすぐに武の携帯端末からの声だと言うことに気が付いた。

『よかった。あなたは無事ね。
ところで他の子達は無事?』

端末を手に取ると、画面には前にメリダに行ったとき同じようにモニター越しに見た一人の女性。カノエの姿が映っている。
真紀はこれで連絡が取れると、泣きじゃぐりながら画面のカノエに訴えた。

「武くんが!武くんが死んじゃう!!」

脳殻から放たれる化学物質では抑えきれぬほど、高まった感情で真紀は叫ぶ。

『落ち着いて。まず、彼の容態をよく見せて』

真紀は涙をぬぐいながら、彼女に言われるがままに武の上着をめくり、出血している部位を彼女に見せる。

『……これは良くないわね。早急に治療しないと命に係わるわ』

「そんな!」

カノエに見せたことで、一瞬、これで助かるかもと思った真紀に対し、カノエの一言はそんな希望を打ち砕いた。

『これは止血をした程度じゃ駄目ね。
血の色的に肝臓にダメージが有る』

「どうにかならないの?!!」

ヒステリックに真紀は叫ぶが、画面の中のカノエは目を伏せて顔を振った。

『手術道具も無いここじゃ無理よ』

「でも……目の前でみすみす死なせちゃうの?!いやよ!折角の友達なのに!!」

真紀は必死に懇願しながら画面の中のカノエを見た。
その目からは大粒の涙が溢れ、鼻水まで出ているが、そんな些細な事は彼女は気にしなかった。
彼女にとって、今頼れる人間はカノエの他に居ない。
彼女も必死なのだ。
そんな真紀から懇願を受けた後だった。
しばしの沈黙の後、カノエは慎重に口を開いた。

『手は無い事は無いわ』

「じゃぁそれをやってよ!!」

『いいけど、貴方にも相応の代価が必要になるわよ』

「なんでもするから!お願い!彼を助けて!」

今は対価など気にしている余裕は無い。
目の前の命を救う…… それで真紀の思考は一杯だった。

『貴方……電脳化してるのよね。
今から私の記憶を制限したコピー人格をあなたの電脳と融合させるわ。
そうすれば貴方は私の知る救命手段の知識と技が手に入る。
……でも、あなたはあなたでいられなくなるけどいい?』

「わたしでなくなる?」

急に融合だのなんだのと言われても、真紀にはそれが何だか理解が及ばなかった。
だが、カノエは真紀に対して淡々と説明を続ける。

『私は自分の人格のコピーを作成するだけで影響はないけど、貴方は二つの人格が混ざるんだもの。
今までと同じには行かないわ。
でも、過去の例からすると主導権は取れるかもね。
それでもいい?』

自分が自分で無くなる恐怖。
真紀はそれを聞いて一歩引くが、それでも自らの足元で今も赤い血を流している武の姿を見て口を真一文字に結んだ。

「……やる」

『ホントに?』

「混ざるだけで消え去る訳じゃないんでしょ?
それで友達が助かるなら……」

『わかったわ。
……あなた、すごく良い子ね。
普通はとても勇気のいることだと思うけれど……
でも、そんなこと言っている時間も無いわね。
早速始めるわよ』






……

…………

………………



カノエが始めると言った後、真紀の意識は暗闇に浮かんでいた。

「ここは……」

真っ暗な空間。
熱量を全く感じない空間に浮かんでいても、不思議と寒さは感じない。

「ここは私たちの意識の中」

声がした。
だが姿は見えない。
だが、その声の主がカノエであり、見えなくとも彼女が非常に近い距離にいることは真紀には分かった。

「これから私の複製体と融合するわ。
……覚悟はいい」

「……うん」

そう言って真紀は頷く。
正直いって彼女は人格融合についてどういうものかは深く理解をしていないのかもしれない。
だが、今は消えようとしている命を助ける為、彼女の決意に揺らぎは無かった。

「始めるわ」

その言葉と共に、真紀の中に様々な記憶が流れ込む。
まるで風を受けるように、カノエが経験した様々な記憶を真紀は一身に受け止めた。
それは、まるで他人の人生を追体験するかのような事であり、異星起源の種族であるカノエの知識の全てが、ハッキリとした記憶として真紀の中に刻み込まれていくのだった。






……真紀に流れ込んだ記憶の内、最初の記憶は何万年も前に遡る。
どこか遠くの星で、真っ黒なゲジゲジのような知生体が、生き残りをかけて他の星系へと飛び立った話だ。
元々の星の環境が悪化したため、一か八かの賭けに出たゲジゲジは2隻の船で地球圏に来たらしい。
そして当時、数光年まで接近していたこの星まで何十年もの月日をかけてたどり着いたそうだ。
それが数万年も前の話。
そんな真紀が今見ている記憶は、その当時のゲジゲジの記憶がカノエまで代々継承されてきたものらしい。
彼女の種族が持つ記憶を継承する能力によるものらしいが、こんなゲジゲジがどうやったらカノエまで姿が変わるのかとも真紀は思ったが、その疑問は次から次へと流れ込む記憶で解決していった。
この星系にたどり着いた2隻の恒星船は、環境の安定していた第三惑星と第四惑星に降りた。
軌道上からの観測では地表に文明等は無く、この地で繁栄出来ると彼らは思ったのだが、そんな彼らの夢は出だしから躓くことなる。

始まりは第四惑星に降り立った仲間との通信が途絶えた事だった。
機器の不調を疑い、対策がゲジゲジの中で話し合われる中、今の世の中でイグニスと呼ばれる存在が動き出したのだ。
イグニスは原理不明のエネルギーと技を使い、何もない所に眷属を無尽蔵に出現させ、ゲジゲジに襲い掛かったのだ。
突然の急襲に大混乱に陥ったが、それでもゲジゲジは恒星間移動の技術を持ち合わせる種族。
南半球のとある大陸に巨大な人工物の存在を確認すると、反撃に打って出た。
だが、大陸全土を不毛の地に変えた攻撃もイグニスには通用しなかった。
多少の機能不全をイグニスに与えたようではあったが、その代償として恒星船は破壊され、ゲジゲジたちは地下に潜った。
それから数万年はひたすら耐える日々だった。
地下でイグニスの謎の力を研究し、時々新技術を開発するたびにイグニスに挑むも、虫のように駆除される日々が続いた。
転機があったのは3千年近く前だ。
イグニスが、人間をこの星に召喚し始めたのである。
ゲジゲジ達には到底不可能な時空間を操作する技を使い、どこからともなくイグニスは人間たちをこの星に送り込んだ。
そして、それと同時に、イグニスは生命を創造し、召喚した人間たちとは微妙に異なる種族を世界に撒き始めた。
それから千年。
世界に人が溢れ、繁栄する中で転機は訪れた。
第四惑星に漂着した同胞が、彼らも彼の惑星で同じような境遇に遭っていたが、そんな逆境の中でも不断の努力で技術を鍛え上げ、イグニスの技に干渉したのだ。
今では不毛の荒野と化している南方大陸に、イグニスが起こした時空のひずみを利用して第四惑星とこの第三惑星を繋ぐ回廊を築いたのだ。
それからはイグニス教の教えにもある通りの大戦争であった。
最終的に同胞たちは敗れ、この星で繁栄こそできなかったが、それでも数万年ぶりに接触した仲間からは有益な情報がもたらされた。
この星の他にもイグニスと同種の存在はいること。
環境に順応すれば攻撃してこないこと。
そして一番重要なのがイグニスの技に干渉する技術である。
カノエたちの一族は得られた情報を基に切磋琢磨した。
敗れた同胞たちは、彼らの脳にして最強の個体がイグニスとの戦いで活動を停止したことにより、今でも微かに繋がる回廊から湧き出る獣の様になってしまったが、それに代わるようにカノエたち一族の進化は進んだ。
イグニスの攻撃…… 戦争後はそ眷属であるエルフの攻撃から身を守る為、ゲジゲジの様であった姿形を限りなく人間に近づけ、生殖可能なほど彼らに似せた。
そして、イグニスの技に干渉する技術を鍛え、イグニスの操る力を借りて魔法のように使いこなして見せた。
そうしてカノエの一族は繁栄する。
地下のトビリシ遺跡を見つけ、サルカヴェロを支配し、帝国を築くがエルフの手によってあっけなく崩壊。
最終的に最後の一人となったカノエが各地を彷徨いつつも北海道まで流れ着いた様子が自分の記憶のように真紀に流れ込む。

それは膨大な記憶が大河のように流れ込んできたようであったが。
全てを受け入れてみれば、それはもともと自分の記憶であったかのような感覚であった。
真紀はそんな不思議な感覚の中、いつの間にやら閉じていた瞼をうっすらと開けた。

「…………」

恐らく目を瞑っていたのは瞬きほどの時間だろう。
目の前に横たわる武に変化は無い。
覚醒した真紀は、誰に何を指示される訳でもなく武の傷口に手を当て、その能力を十二分に発揮した。
生身の大脳を経由してイグニスの力に干渉する技術。
それを用いて魔法を言われる力を使って見せたのだ。
即座に修復される武の傷口。
更には服についた血や、破れた衣類まで完璧に元通りに修復されていく。
数秒後、真紀は、一切の無駄な動きを見せずに治療を終えて見せた。

「これで治ったわ」

抑揚無く作業の終了を告げる真紀。
だがその表情には、嬉しさも悲しさも何もなかった。

『おめでとう。
そして気分はどう?』

「今はごちゃごちゃしてるけど……
貴方の事、今はよく理解できるわ。
助けられた拓也さんへの恩返しに、彼の息子を助ける為、自己の複製体を私にくれたのね」

『色々と理解が早くてうれしいわ。
まぁ一部とはいえ、私の記憶と技能を持った複製人格を融合させたんですもの。
当然よね』

「えぇ
今の私は貴方の記憶を受け継いでいるもの。
でも、それも完全じゃなかったわね」

『それは仕方ないわ。
オリジナルだけで秘匿しなければならない情報もあるもの』

「この魔法……
イグニスの力を使っていることは分かったけど、まるでクラウドみたいなのね。
脳を経由して接続し、無尽蔵な力を引き出す……だけど、各個に特別な力は要らず、必要なのは精神力とい名の集中力のみ」

『でも、その力を使うアクセスキーを不正作出するのに私の一族は膨大な犠牲を払ったのは見たでしょう。
故にイグニスに繋がるアクセスキーは、オリジナルである私が管理するわ。
肉体を手に入れるためとは言え、人格融合は不測の事態が予想されるし、いつ暴走しないとも限らない…… というか既に仲間の一部は暴走してるけども……
だから貴方も他の仲間と同じように基幹情報は封印し、削除した。
私以外が勝手に力をつかえないようにね』

「それでもいいわ。
他の仲間は利用法すら封印したのでしょう?
貴方のアクセスキーは、治療完了と共に私の脳内から消されてしまったからもう使えないけど、利用法に関する知識は残してあるし」

『それはオリジナルである私の目的と、貴方の願いが重なるところがあったからよ。
ならば分かるでしょう?
今、私たちのやらなきゃならない事が』

「そうね。
私のやることは……
タケルと一緒に道東へは行かない。
今の追跡してきている部隊の目的は私だし、敵の元へ行って時間を稼ぐ。
彼らとしては、私を大統領への人質に使えると思ってるんでしょうから、別に殺されることは無いし……
何より、向こうでやらねばならないことが出来た」

『そう。
でも、行くなら早くした方がいいわ。
エレナが貴方達を探して近くまで来ているし、彼女に捕まったら単独行動なんて出来ないでしょ?
私の複製人格と融合したとは言え、身体は子供なんだし。
それに、私たちがここでまごついている間に追跡部隊以外の動きも活発になっている。
特に何者かの発破工作によって、上川国道と旭川紋別自動車道が雪崩で通行止めになった事で、紋別方面に向かおうとしていた部隊が全部こちらへ向かってきてるわ。
貴方が捕まれば追跡部隊はこれ以上追ってはこないけど、後続の通常部隊は止まらない。
前方からは国後から来た戦車隊が向かって来てるし、後続部隊に追い抜かれ、戦闘が始まれば危険すぎて抜けられない……東進のしようが無くなるわ』

「そう……
色々と時間がないのね。
じゃぁ 私はもう行くわ。
はるか叔母さんたちには、人質は気にするなと言っておいて」

そう言って真紀は雪の中へと駈け出した。
斜面を登り、峠へと向かっていった。
そして後には真紀の足跡と静寂だけが雪に残されたが、それと入れ替わるように雪の中から声が聞こえてくる。

「タケルゥ~!!!」

力の限り、喉が潰れんばかりの声量でエレナが叫ぶ。
我が子を探す必死の叫び、そして、それに応える様に雪上に置かれたカノエの端末はピカピカと光を放ち、その場所を伝えた。

『エレナ!こっちよ!』

雪の中に輝くカラフルな光。
それに導かれるように、エレナは光と声のする方へ駆け寄った。

「カノエ? あぁ!武!!」

エレナは武を見つけると、全身の力を込めて武の体を抱きしめた。
だが、気を失った武は母親に抱擁されてもその眼を覚まさない。

「武!!どうしたの!?ど、どこか怪我は……」

目を覚まさない我が子にエレナは武の身体を弄って異常を確認する。

『大丈夫。気を失ってるだけで無事よ』

「そ、そうなの……
良かった……本当に……」

エレナはカノエの言葉に胸を撫で下ろした。
それはまるで傍から見ていると魂の抜けたかのようであったが、エレナは直ぐに武を抱えて立ち上がると、カノエの端末を拾って歩き出した。
いつまでも安堵の気持ちに浸っている訳にはいかない。
我が子を確実に救うためにも、今必要とされるのは迅速な移動だと彼女も承知しているのだ。

「転落したバスはもっと下の斜面で止まってたわ。
政府関係者に少し死傷者が出てたけど、うちの人間は全員無事よ。
あぁ…… 武。 本当に良かった」

『エレナ。
喜んでいるところ悪いんだけど、敵の追跡部隊が来るわ。
早く逃げないと』

「……距離は?」

『あと10㎞程……
先ほど大統領の姪御さんが、皆が脱出する時間を稼ぎに来た道を戻っていたわ』

「なんですって?
あんな子供が?」

エレナは予想外なカノエの言葉に思わず立ち止まって聞き返した。

『非常時が色々と人間を成長させたのよ。
それより、早く負傷者を収容して東に向かいましょう。
今から追っても遅いし、何より彼女の決意が無駄になるわ。』

今から追っても遅いと言うのはカノエの嘘だ。
精神面でずっと強くなっとは言え、真紀の体は子供そのもの、エレナ達が本気を出せば追い付けない事は無い。
だが、それでは真紀の行動が無駄になる為、カノエはあえて嘘をついた。
そして、それはエレナに対し有効だった。
感情的には幼い少女一人を犠牲にすることは憚られるが、それでも今から追っても無理だというカノエの言葉と、何より優先しなければならない背中の我が子の事を考えれば、答えは一つだった。

「……そうね。
あの子には悪いけど、我が子を救うために利用させてもらうわ」

そうしてエレナは、再びその歩を進めた。
事故現場に戻ると、何人かの死傷者は出ていたものの大半はもう一台のバスに移乗済みであった。
荒事専門の部下たちはこういうケースにも慣れていたのが幸いした。

『エレナ。
真紀が分かれる前に死体を一つ発見していたわ。
これで全員の生死が確認が取れた筈よ。
情報によると、敵もかなりの戦力で東進しているわ。
こんなバスで戦車戦に巻き込まれたくなければ、急いで移動しましょう』

カノエは、自身が表示されていた画面に戦闘が予想される予想日時を映し出す。
エレナはそれを見て、一瞬眉を顰めるも、次の瞬間には笑って言った。

「そう。
じゃぁ北見に入るまでは必死に逃げましょうか。
……でも、逃げるばっかりじゃ脳がないわ。
追ってくる敵の顔面に思いっきり殴りつけないと気が済まない。
サーシャに連絡して。
製造部と拓也が趣味でコソコソ作ってたのが有るでしょう?
それをもって迎えに来させなさい」

『……知ってたの』

「男共が女相手に隠し事なんて100年早いわ」

そう言ってエレナはこの場にいない夫の顔を思い浮かべてニヤリと笑う。
降り積もる雪の中、バスのヘッドライトに浮かび上がるエレナの横顔は、不安も迷いも一切なく、ただ美しかった。


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