初めに荒廃した世界があった。
水は枯れ、生物は存在すら許されず、ただ乾燥した大地があった。
神はそれを嘆き、まず最初に空に雲を創った。
その雲から落ちる雨が大地を満たし、巨大な一つの海を作ると、次に神は木々を植えた。
草が茂り、森が出来きてやがて緑の波が大地を覆うと、神は獣を野に放ち、空には鳥を放った。
神は大地の剪定人としてエルフを作り、その過程で亜人が生まれた。
エルフは常に神に忠実で、世界の調和をもたらした。
そうして世界は美しく清らかになった所で、最後の仕上げに神は人をこの地に住まわせた。
キィーフ、ゴートルム、セレウコス、ネウストリア、アーンドラ、ティワナク
神から与えられた大地に人は6つの国を作り、神の庇護の下で人々は幸せな時間を過ごしていた。
だが、人々は神の愛を知らずにいた。
人々は神ならぬ者を神と信じ、真の神の存在に気付いてはいなかった。
そんな中、セレウコスのロアストレースは信仰の丘で瞑想中に神と出会った。
神は断食で弱ったロアストレースの体を癒やし、世界の理を語った。
啓示を受けたロアストレースは、すぐさま町に戻り人々に正しい教えを説いた。
清き者には優しく語り、誤った信仰を捨てない者には時に剣を取った。
正しき信仰は国を覆い、国境を越え、やがて世界に広まった。
正しき信仰に満ちた世界。
皆が正しく神を崇め、正しい教えの下で幸せに暮らした。
しかし、それは長くは続かなかった。
神が南方大陸に7つ目の国を作ろうとした時、神の卵から現れたのは人々ではなく、異形の悪魔達だった。
悪魔は際限なく溢れ出し、南方大陸の全てを覆った。
神は悪魔を滅ぼすためエルフの軍勢を差し向けたが、波の様に押し寄せる悪魔の前には押し留めるのが精一杯だった。
そこで神は、人の力を使う事にした。
南方大陸までの足として神は人々に6隻の箱舟を与え、聖なる炎の武器と知性を授けた。
人々の軍勢はネウストリアの地に集まり、人々と神の祝福を得て大陸へと向かった。
ロアストレース率いる人の軍勢は、大地の悪魔どもを押し返し、半年にも及ぶ戦いの末
神は悪魔達の首領たる大悪魔アリマとの決戦に臨んだ。
三日三晩続いた壮絶なる死闘の末、神の炎はアリマの体を大地諸共砕き、その肉片を焼き尽くした。
だが、神もまた、代償として大きな傷を負ってしまった。
神の炎は悪魔と共に己自身も焼き、傷を癒す為に神は永い眠りについた。
この戦いで、ロアストレースを含む軍勢の大半は死に、わずかに残ったのは箱舟に残った者達だけであった。
彼らは出発したネウストリアの地に戻り、そこを聖地として定め、神の言葉を伝道する使徒となった。
これが世界の始まりと、神の時代の話である。
…と、以上がこの世界の天地創造だよ。 理解できたかな?」
取調室の椅子に座り、クラウスが満足げに諳んじる。
協力的な態度を取っていることもあり、既に彼の手に手錠は無く、北海道側の監視も室外に警護官が控えている程度で特に威圧的な様子もない。
彼は非常にリラックスした様子で、この世界の宗教における天地創造を語って見せた。
「で、その神話にある神の箱舟というのがコレなのですね?」
取り調べに当たっている職員が机に置かれた写真を指差す。
「あぁ これだよ。ゴートルム王家のオドアケル。王家の力の象徴だ。」
クラウスは写真を手に取り、高高度かつ遠距離から撮影された画像を見て言う。
「それにしても、空からこんな絵が描けるとは凄いな。やはり此方の技術力は驚くばかりだ」
クラウスが写真を見て驚くの見て、職員は自慢げに言う。
「もっと接近すれば、より鮮明な写真がとれますよ。
それは30km… えーとこちらの距離で約20ミリャくらいで撮影したものです。」
「! 20ミリャ!?そんな遠くから…」
クラウスが驚く、そんな遠くのモノなど肉眼では到底見ることも敵わない。
「こちらの飛行機の存在を、あまり知られたくなかったのでという理由があるので」
「そうか、だがそれは賢明だな。
余り近寄ると、箱舟に居る竜人の傭兵共がドラゴンで飛び立ってくるかもしれない」
クラウスは写真から目を離さずに語るが、その発言の中には、未だ北海道側にとって知らない情報があった。
「傭兵?ドラゴン?」
それまで笑顔でクラウスの話を聞いていた職員が、眉間に皺をよせる。
「あぁ 言ってなかったか?
あの箱舟には王家と契約した竜人と、その騎獣であるドラゴンが居る。
あれこそが、あの箱舟最大の攻撃力だよ。
元々、箱舟には武装はついていない。
それを神の聖戦から2000年もの長い時間をかけ、王家が大悪魔の再来に備えて増築と強化をした結果があの姿だ。
王家はあれを使って反乱が有れば箱舟で向かい、古の契約を結んだドラゴン達で叛徒を鎮圧しているんだよ。
そもそも王家の直轄領は首都くらいで、王国内での規模なら我が辺境伯領の方が上だ。
それでも王家がこの国の頂点でいられるのは、箱舟と竜人達のお蔭だよ。
面倒な領地経営は貴族に任せ、王家は財貨だけを吸い上げていく。
王家に不満を持つものは多いが、それを公然と口にできる貴族は皆無だ。
なぜならば、箱舟と竜人の組み合わせに勝てる存在が、王国内には無いからな」
職員はメモを取りながら話を聞く。
「ドラゴンに関する詳しい事は、また別途で詳しく聞きます。
それとやっぱり、その箱舟と竜人は他の国にも居るんですか?」
「そりゃぁ あるさ。
箱舟の形状そのものは2000年にも渡る各国の改造で、外観は大きく違うが、基本的な性能は変わらない。
それと古の契約も古代の聖戦時に結ばれたものが未だ生きているので、各国ともに竜人の傭兵はいる」
クラウスは、各国の名前を言いながら未だこの世界に存在する6つの箱舟の名前を順にいう。
「あぁ だが、各国に一つという訳ではないよ。
およそ500年前、ティワナクが王家の婚姻によりキィーフに吸収された。
よってあの帝国は2隻の箱舟が有る」
クラウスはこの世界の情勢や歴史を、まるで講義でもするかのようにスラスラと職員に答えた。
「2隻の箱舟を持っているとは中々に脅威ですね。
…それにしても貴方は博識でらっしゃる。宗教から歴史まで幅広い知識をお持ちだ。
これは貴族としては常識的な知識なのですか?」
当初、質問をする職員は相手が貴族であっても、中世レベルの人間の教育水準は低いものだと思っていた。
だが、特に宗教や歴史の話など、この世界の聖職者や学者にでもならないと知らないと思っていたが、予想に反してクラウスはそれらに対しても深い知識を持っていた。
そんな彼に職員は率直な疑問をぶつけると、帰ってきた答えは予想の遥かに上だった。
「いや、こういった知識は貴族というより教会の高位の聖職者が持ち合わせているものだよ。
一般の民やら何かは、天地創造の話を教会で聞くことはあっても今みたいに暗唱は出来ないだろうし、ティワナクがキィーフに吸収された経緯を知っているのも一握りの人間だろう」
「では、あなたは何処でその知識を?」
クラウスはその質問を聞いてニヤリと笑う。
「今は虜囚の身だが、これでも次期教皇候補の一人だからな。
今の教皇がいつくたばるかは分からないから何時機会がくるかも分からないし、まぁ 死んだとしても、この敗戦で捕えられたという経歴では、とても教皇選挙には勝てないな」
職員は目を丸くする。
「教皇!?」
「候補だよ。候補」
教皇と聞いて職員が想像するのはローマ教皇のような存在だった。
コンクラーベで教皇として選ばれ、世界に絶大な影響力を及ぼす、そんな存在。
その存在の可能性が目の前にいる。
「慣例により、王家の人間は教皇にはなれない。
よって、各国の貴族から候補者が立てられるが、これにも条件がある。
教皇は神に純潔を捧げ、神の尖兵として聖戦時には軍を率いなければならない。
そのため、候補者は教皇の世襲を制限する為、子種の袋を切り取られる。
よって、大体は家を継がない貴族の次男が候補に立てられる。
また、神に仕える者は美しくあるべきという考えから、体が男として成長する前に切り取られることが一般的だ。
君も私を見た時、女だと思わなかったか?
この姿もこの髪もそういう理由がある。
今は、まるで呪縛から解き放たれたような気分なので、男らしく髪を切りたくてたまらないよ。
あぁ 話がそれたが、教皇選挙の大切な最後の条件は、戦場での経験だ。
教皇は、清く、美しく、それでいて英雄でなければならない。
私は長年、女のような容姿が嫌でたまらなかった。
だが、教皇選挙に勝てる見込みが無くなったため、これからは私の好きな格好が出来る。
これについては嬉しくてたまらない。
この呪縛から逃れられた今後は、両国の橋渡しとして働いていきたいよ」
クラウスは目を閉じ、さも嬉しそうに語る。
「でも、今回の紛争であなたの部下も数多く亡くなってますよね?
そんなに早く気持ちを切り替えられるのですか?」
職員は思った。
クラウスは今後の平和な関係を見据えているが、礼文の紛争では全滅に近い形で部下を失っている。
親しい者が死んだことに関する心のわだかまり等は無いのだろうか?
その問いに対して、クラウスは職員に向き直り、真顔で話す。
「戦で兵が死ぬのは戦場の常だ。
確かに親しかった部下が死んだのは悲しいが、彼らは勇敢に戦って死んだんだ。
これが拷問や虐殺で殺されたなら敵を恨むが、戦いの末に死んだのなら、これで敵を恨み貶めるのは戦士に対する冒涜だ。
それよりも、生き残ったのなら、これから何が出来るかを考えるべきだ。
私は、虜囚の身となり此方の文化と技術に触れた。
その結果、今では再戦を願うより、この技術を何とかして辺境領の発展に生かしたいと思っている。
私の今の望みは、いつの日か、我が愛すべきプラナスの町をサッポロのような摩天楼の町にしたい」
クラウスは、目を閉じ想像する。
ホッカイドウとの交流により、富の流れは加速し、大陸中に名声を轟かすまでに発展する我が故郷を。
「…と、このような夢が私にはあるよ。
長々と喋らせてもらったが、次は私の番でいいかな?
勉強の時間だ。もっと、君たちの事を教えてほしい」
択捉島
クラウスが北海道側の知識を貪欲に吸収している頃
高木大統領一向は単冠湾沿いに建設されたブレベストニク空軍基地に来ていた。
この基地の傍には、真珠湾攻撃へと向かう日本海軍機動部隊が最終終結の場所と選んだ湾があり、現在はその上空で戦いに備えた大規模な演習が繰り広げられていた。
そこで高木は基地に設置された演習司令部より、その推移を見ている。
想定は敵大型空中兵器を使用した侵攻に対する連邦軍の連携の確認。
直径400mの飛行要塞などという未知なる敵に対峙する時、不測の事態が発生する事も十分に考えられる。
先の紛争では発足したばかりの札幌の政府と、元々指揮系統の違う此方との連絡が上手くいかずに初動が遅れることもあったが、二度とそのようなことが起きぬよう旧自衛隊部隊と旧ロシア軍部隊の連携に力を入れて演習を行っていた。
かつては仮想敵だった機体達が、一つの統制のもとに行動を行っている。
高木はスクリーン上に表示されるマーカー達の演舞に、この国を守る力の頼もしさを感じていた。
「交渉の如何によっては紛争の再燃も懸念されます。
ですが、万全の準備を整えた彼らであれば、きっと我が国を守れ通せますね」
薄暗い部屋の中で光るコンソール類に照らされながら、高木は笑って後ろからスクリーンを見ていた鈴谷とステパーシンに振り返る。
「前回の紛争は此方の対応が後手後手に回った結果でした。
ですが、万全の準備の下でなら、また結果は違っていたでしょう。
今回、敵には未知の兵器が有るため油断は大敵ですが、その為の演習です。
もし、武力衝突のような事態が再度起こるならば、魔法文明に対し機械文明からの手厚い挨拶が出来るでしょう」
「ステパーシン君。だが、今回のメインは交渉だよ。
紛争の解決から今後の国交樹立まで協議しないとならない。
今は肥料に必要なリンや鉄と言った鉱物資源から、綿や茶葉といった天然素材に至るまで大いに不足している。
しかしながら、肥料の不足によって食糧生産が落ちても、一部農産物の総生産量は需要を大きく上回る。
これらの輸出先の市場を確保する為にも、外交による解決が一番望ましいよ」
笑って敵の粉砕を想像するステパーシンに、鈴谷があくまで主役は外交である事を重ねて言う。
それに対し、ステパーシンは、もちろん交渉で解決するのが一番だと弁明するが
白々しい彼の言葉に二人は苦笑する。
「鈴谷さんの言うとおりね。
物資統制と代用品にも限界があるわ。
廃棄物リサイクルと有機肥料じゃ資源の絶対数は確保できないし、北海道で生産しない嗜好品が無くなれば
国民の不満も高まるものね。
特に例を挙げるならコーヒーね。
この世界にコーヒーの木はあるのかしら?
私も代用コーヒーは、味的にもう限界…
精神安定のためにも、大陸の調査隊の編成作業を急がなきゃならないわね」
高木は冗談交じりに言い、そんな彼女に対し二人からも笑いが起きる。
戦略資源だけじゃなく嗜好品も足りない。
酒類は自給できているが、コーヒー・茶・タバコやカカオを使ったチョコレートなど、生活に彩りを添える嗜好品の大部分は道内の在庫を残すのみとなっている。
高木達にとってもそれらの欠いた生活はストレスとなりつつあったのに、一般の国民の不満は如何ほどのものだろうか。
政権の安定化の為にも国民の不満は抑えた方が良い。
そうしてしばらく彼らが不足する嗜好品について話込んでいると、秘書官から次の視察場所へ行く時間だと促された。
高木達は敬礼する士官たちに礼を言って退室し、車の待機している野外に出ると、頭上の蒼空にF15の編隊が飛んでいくのが見えた。
「…相手はバリア付の飛行要塞。
どこまで通用するのかしらね」
高木は車に乗りこむと窓の外に見える飛行機雲を見ながら言う。
「情報によれば、自慢の魔法障壁とやらも万能じゃない。
準備さえ万全なら結果はおのずと付いてくるよ」
高木は鈴谷の声を聞きながら窓の外を眺めている。
車は空軍基地施設から離れ、敷地外に出ようとした時、高木の目にある人物が止まった。
「ちょっと止めて頂戴」
高木のその一言で彼女らの乗る車は進行を止め、車が制止したのを確認すると高木はドアを開けて車外に出た。
彼女の歩いていく方向にあるのは古ぼけた倉庫。
その手前で何人かの男が古ぼけた車両の前で話をしていた。
「こいつは良い車両だよ。
こんな所の倉庫に眠ってた品だが、一応屋根の下だったことで目立った腐食も無いし、エンジンもかかる。
本来は中古でアフリカへ送る予定だったんだが、仲介業者のトラブルで何年もこの倉庫に眠ったままなんだ。
既に所有権は向こうなので、手を付けずに放置されてたんだが、保守部品やら何やらもキット化してあるし、ツィリコ大佐も直ぐに持って行ってもらっても構わんと言ってるよ」
そう言って整備の兵士は車両の横に立つと、客の男たちを見ながらポンポンとボディーを叩く。
BTR-80
彼がボディを叩く車両は、8輪のタイヤを持つソ連が開発した装甲兵員輸送車。
ソ連のアフガン侵攻の際、その前に配備されていたBTR-70の欠点を実戦の経験を元に改良した装輪装甲車であり、旧東側諸国等を中心に5000両以上生産された傑作装甲車である。
現在は更に新型のBTR-82等に主役の座を奪われているが、転移前の世界では依然として世界各地の紛争地で活躍していた。
そんな頼れる鋼鉄の車体を見ながら客の一人が話す。
「なぁ 拓也。
俺としては不整地走破性に優れるキャタピラの方が好きなんだが、装輪式の車両でいいのか?
大陸で調査隊の護衛をすると言っても、この世界に舗装道路なんて有るとは思えんし、何より無限軌道は男のロマンだ」
そういってエドワルドは自己の好みを主張し、拓也とBTR-80の双方を見比べる。
「うん、確かにさ。
BMPとかのキャタピラの歩兵戦闘車の方が不整地には良いって分るけど、何も俺らは戦争しに行くわけじゃないんだ。
政府系の調査隊は資源調査が主だけど、俺たちは風俗・文化といった調査がメインのだろ。
なら行程は殆ど集落を結ぶ道路だし、未舗装道路と少々の悪路を行く位ならこれで十分。
こちらにも荷車や馬車系の乗り物が普及しているっていうし、それ位の水準の道路事情ならアフガンとかアフリカで実戦証明済みじゃないか」
「…うーむ。
まぁ 今回は調査の護衛だが、後々には最低でもBMPは欲しいな。
報道によるとこの世界には魔法が有るらしいし、もし、そのような敵に襲われた場合には
より強力な火力で殲滅できるくらいの装備がいい」
身を守るためにも火力は重要である。
そう力説するエドワルドだったが、拓也は彼に火力より重要な現実を語る。
「そりゃ、後々には色々欲しいさ。
男は大砲が大好きだからね。
だけど…」
「だけど?」
「だけど、金が!
事業は好調に動き出したけど、未だにソコまで揃えるカネがないんだよ。
工場は動いてて注文もあるけど、工員の熟練度がまだ低いからチョンボした仕損費が馬鹿にならないし
精度が低くても作動するカラシニコフだからまだ大丈夫だけど、精度モノの部品だったら大変なことになってるよ。
それと、コイツの他にも色々買ったから予算が厳しいんだ。
車両だけでも、紛争地で大活躍な日本車のピックアップとトラックに、給油車。
それも全部、東南アジアの中古車並みにオフロード用改造するから全部で中々の金額になるし、向こうじゃ補給なんて一切できない事を前提で物を揃えているのもあって、結構大きな集団になるよ」
拓也がそう言って趣味で物を買えぬ金銭的な事情を語る。
話の途中から、非常に物欲しそうな目で空軍基地に駐機する攻撃ヘリ群を見ていたが、その目はまるで子供のようだった。
拓也たちがそんな話をしていると、不意に後ろから声がかかる。
「改造日本車とロシア兵器の組み合わせなんて、まるでアフリカの紛争地帯ね」
突然の声に彼らが振り向くと、そこにはタイトなグレーのスーツに身を通し、数人の男を従えた高木大統領が立っていた。
「なっ!大統領!? なぜこんな所に?!」
拓也は驚く。
なんでこんな基地の外れにあるボロい倉庫に彼女が居るのか。
恐らくその場で商談をしていた全員が思った疑問について、彼女の方から話てくれた。
「演習の視察で基地の司令部に来ていたのよ。
それで次の視察地へ向かう途中で貴方の姿が見えたから寄ったのよ。今日は奥さんはいないの?」
高木は笑って拓也に話かける。
「妻は今日は会社に置いてきました。子供が小さい時はあまり遠出は嫌だそうで…
それより、よく自分のことを覚えてましたね?前に一度お会いしただけだと思いましたが」
拓也は素直に驚いてみせた。
こっちは毎日テレビで彼女の姿を見ているが、向こうは、札幌で生産設備購入の際に一度会っただけである。
「フフフ…
政治家ってのは人の顔を覚えるのも仕事の内なのよ。
それにあなた達の会社って、道内では結構有名よ?
一般の機械じゃなく、武器の製造をやってるのはごく少数だし。
何度か安全保障の会議資料にもあなた達の会社名が載っていたわ。
それより、そちらこそ今日は何故ここへ?」
高木は品のある笑顔を崩さず、拓也に質問する。
「今日は、いずれ調査隊の護衛で大陸へ渡る準備として車両の調達に来ました。
最近は将来を見据えて警備部門を立ち上げたんですが、その商売の準備です。」
「あら、情報が早いわね。
その様子じゃ調査隊派遣の概要についても知ってるのかしら?
それにしても、こういった事に民間の協力が期待できるのは嬉しいわ。
現在の我々の状況では、政府が全部抱え込むには余力が足りないもの。
官民の両方が手をつないで危機に対処できるのは素晴らしい事よ」
「そうですね。
我々も力の限り政府のお手伝いをさせて頂きます」
「ウフフ… 頼もしいわね。
じゃぁ 政府よりの企業さんの為に、一つ忠告してあげる。
これからは、調査隊の護衛の他にも、身辺の警備も考えた方が良いわ。
先日逮捕された過激な市民運動家の拠点で発見されたとあるリストに、貴方の会社の名前があったわ。
内容は"平和の敵ブラックリスト"。
私が筆頭だけど、貴方の名前も民間人としては高ランクよ。
聞く所によると、平和主義者には悪魔だと思われてるから夜道には気を付けた方が良いわね。
彼ら、新体制に自分たちの理想を盛り込もうと活発に動き出しているから」
「過激派ですか… それも平和主義者の…
なんだか、思想と行動が矛盾してますね」
「彼らの言によると、ほかに手段が無ければ、理想の為の手段は全て正当化されるそうよ。
まぁこれは、彼らだけじゃないけどね。
過激な手段を使いそうな団体は他にも数多くいるわ。
例えば、今の政権はロシア人と協調した政策を取っているけど、人口比で圧倒的な北海道が彼らを併合して旧来の日本の延長線的な政権を目指す民族主義者とか
外征してこの世界に覇を唱えようとする極右、果てには共産主義政権を目指す極左など
今の北海道は表面的には落ち着いているけど、闇じゃ魑魅魍魎が跋扈しているわ」
拓也は自分の安全より、カオスな状況になりつつある北海道の内情に心配してしまう。
今は挙国一致で難局に向かわなければいけないのに何やってんだか…
「今はそんな事をやってる場合じゃないと思うんですがね。
まぁ 彼らが何を考えようと私は自分のやりたい事をするだけです。
それはそれとして、ご忠告は今後の警備に活かそうと思います。
ありがとうございました。」
拓也はそう言って高木に礼をする。
高木は畏まった拓也をみて、そんなのはいいと手を横に振った。
「いえいえ、大した事じゃないわ。
それより、これからも北海道の為に頑張って頂戴ね」
高木はそう言って、拓也にそれじゃぁと別れを告げると車に戻っていく。
拓也は走り去る車列を見送っていると、横にいたエドワルドが声を掛けてきた。
「なんだ、一丁前に過激派の標的になったのか?」
エドワルドが笑って言う。
「それだけ事業が成功しつつあるってことだね。
まぁ 過激派だろうが何だろうが、会社がPMCとして成長したら迂闊に手出しも出来んしね。
その時は、合法的に圧倒的な火力が有るわけだし、それでも手を出してくるようなら徹底的に闇でぶっ潰してやんよ。
でも、そんな事になる前に内務省警察が影で血祭りにしそうだけど…」
「まぁ ステパーシンのおっさんなら間違いなくやるだろうな」
自分たちに危害を与えようとして来る者達が不憫に思うほど、内務省警察の噂は道内の一部に広がっている。
二人は内務省警察に睨まれた者達の行く末を案じ、拓也は合掌し、エドワルドは胸に十字を切った。
だが、演技くさいお互いのやり取りに、二人は堪え切れなくなって噴き出し笑う。
そんな二人が笑い声はいつまでも択捉の空に木霊するのだった。
一方その頃、札幌の捕虜収容所
これまで、旧自衛隊の営倉を利用して収監されていた捕虜は、この頃には新たに建設された捕虜収容所に身柄を移されていた。
その建物内部、監房棟の廊下に一人の人物が立っていた。
オレンジの囚人服に身を包んだその人物は、廊下からある一室を覗いている。
「止まるな。歩け」
後ろに立つ看守からそう言われて一人の美女は再び廊下を歩き始める。
彼女の名はメディア。
先の紛争にルイスの配下として加わっていた魔術師。
国にいた頃は、彼女に求婚を申し込むものも多かったその美貌も、現在は美しさより痛々しさが勝っていた。
先の戦いでの空爆により片目が潰れ、顔の半分に包帯を纏っていたが、彼女の心は己の顔の傷よりも別の事に向いていた。
先ほど覗き込んでいた部屋。
鉄格子の向うに一人の男が寝かされていた。
静かに寝息を立てるその男も、よく見れば毛布越しに見える体のラインが酷く歪になっていた。
本来あるはずの左腕と左足が半分を残して消えている。
かつてはメディアの主として勇猛さを誇った彼も、今では枯れ果てた老人の様になり
その意識は空爆の暴力的な爆風に飲み込まれて以降、戻ってはいない。
そんな彼を見つめるメディアは看守に連れられて面会室へと向かっていた。
遡る事数日前、私の前にこの国の役人が一人現れた。
彼曰く、これから王国との交渉を行うため、使節派遣のパイプを探していると彼は言った。
聞く所によると、クラウス様も生き残っているそうだが、彼は交渉の本番で出てきてもらう為、交渉をセッティングする為の下準備としての案内人が欲しいと言っていた。
一度は敵に利用されるのを嫌い、それを断ったが、いつまでも意識の戻らないルイスを思うとその心境にも変化が現れた。
恐らくは他の捕虜から聞いたのだろう、説得の最中に何度も彼の名前が出来た事から、役人達は私と主の関係を知っている。
そんな状況下で、役人側からもし引き受けてくれるのであれば、彼にもっと高度な医療を受けさせられる事が出来るかもしれないという一言が、最終的に私の意思を変えさせた。
孤児の私をここまで育ててくれたルイス様の為にも、敵に協力するしかない…
彼女はそう思いながら、長い廊下を歩いていく。
『ルイス様の為』
この一言が、彼女の敵に協力するという罪悪感を和らげていた。
そんな葛藤を抱えた彼女が面会室に到着すると、そこには既にいつもの役人がガラス越しに座っていた。
「待ってたぞ。君の協力に感謝する」
彼はそう挨拶するが、当のメディアは無表情のまま席に着く。
「それで?私のすべきことは何?」
抑揚のない私の言葉にも彼は笑顔を崩さない。
「そう焦るなよ。せっかく意思疎通のために得体の知れないワクチン注射までしたんだ。
美女とはゆっくり話させてくれよ」
茶化すように男は言うが、それでもメディアの表情は変わらなかった。
この男は何をヘラヘラ笑っているの?
そう心の中で侮蔑するメディアは男に冷たい視線を送る。
「…はいはい。わかった、わかった。
じゃぁ 本題に入ろう。
先日、我が国からのメッセージが拿捕した王国の商船経由で送られた。
君にお願いしたいのは、交渉の為の交渉として現地へ向かう外務省職員の案内及び、我々の事を正確に向うに伝えてもらう事にある」
「あなた方の事を?」
「そうだ。幾ら初めての交渉と言ってもお互いに相手を知らなさすぎる。
あまり舐められた対応をされても紛争の火種となるからな。
そこで、君を通じて我が国の潜在力を向う側に伝えてほしい。
我々は対等な交渉を望んでいる。
未知の文明に舐めてかかって戦争に発展するのは、我々の元の世界の歴史では度々あった事だ。
我々はこれ以上の不要な紛争は望まない」
いつのまにか真面目な顔に戻っている彼の顔を見て、メディアは冷めた視線から真面目な眼差しへと戻す。
彼らの軍事力をその身で経験した彼女にとって、この国との戦争は非常に困難だという事は知っている。
今までは、その強さを疑わなかった神の箱舟も、自身を襲ったあの爆風の前にはどうなるか予想がつかない。
「分かったわ。私の役目は王国側にも適度な緊張を持たせることね」
「理解が早くて助かる。
あぁ だが、不必要に危機を煽るのも止めてくれ。
我々の目的は交渉。紛争ではないのだから」
メディアは思う。
再度の戦いになれば、勝敗は別としても王国に多大な損害が出る。
それを予見して回避することに、果たしてルイス様はどう思うだろうか。
目を覚ました後で、私を褒めて下さるだろうか。
いや、例え怒られようと、ルイス様が目覚めて下さるのならば、私はどうなっても…
この面会の後、全てがうまくいった時の事を想像しながらメディアが王国に向かったのは、それから間もなくの事であった。
ゴートルム王国
首都 トレトゥム
現在、王国の首都たるこの都ではある話が持ちきりになっていた。
このところ久しく戦乱の無かったこの国に、矛を向ける国があるという。
噂では蛮族から始まって東の異教徒、はたまた北の帝国が攻めて来るだの、市井では様々な噂が飛び交っていた。
そのすべての話に共通しているのが『戦になるかもしれない』という事だった。
事実、王軍と諸侯軍に動員がかかり、食糧や武器の相場がジリジリと上昇していた。
だが、物価上昇への不満以外に住民の不安などは感じられない。
盗賊の討伐や国境での小規模な小競り合い以外、久しく無かった戦乱に彼らの危機感などとうに消え失せているようであった。
そんな空気の中、メディアは王城へ向かう馬車の中から市井の様子を眺めている。
「何を見ているんだ?」
馬車の中で、向かい合っている男がメディアに声を掛ける。
王都の物流の中心、王都に沿うように流れるタホ河の船着き場から、王都の中心にある王城までの道程の中、庶民から貴族の別邸といった様々な区域の営みを彼女は横目で見ていた。
「街の様子をね。
彼らには戦なんて、まるで別世界の出来事の様にしか捉えてないのかしらね」
彼女は、憂いを帯びた顔のまま、振り返りもせず、外を向いたまま答えた。
礼文では燃える家々の中、死闘を演じていたのが嘘のように平和な世界がそこにはある。
騎士の英雄譚とはかけ離れた、人がまるでゴミ屑のように命を散らした地獄を知らない彼らが、その場の流れで蛮族討つべしと唱えている様子を見て、メディアは物思いにふける。
「まぁ 我が国と違い、参政権も知る権利も無い貴国の国民ならそんなもんだろ」
だが、そんな彼女の内心を知らずに、目の前の男は少々馬鹿にしたように言葉を返す。
捕虜収容所でメディアに協力を頼んできた男は、今、彼女の目の前に座っていた。
「サトー。貴方は共和制の素晴らしさを説くが、この世界では貴方達の政体こそ少数派よ。
共和制の国も無くは無いけど、それは蒙昧な市井が無条件に参加できるモノじゃなく、賢人や豪氏の集まりだもの。
私たちからすれば、無知な市民の意思に国を委ねるなんて愚行としか言えないわ。
だから貴方の国では、共和制でも大統領なんていう独裁官がいるのでしょう?」
彼女のその言葉に、外務省から派遣された佐藤は言葉に詰まった。
確かに民主主義にはポピュリズムという弊害も存在する。
だが、転移前の世界では、民主化は先進国に仲間入りする条件であり、一部の超大国がゴリ押ししていたという内情もあったが、それが世界の是であった。
その"民主化は正義"という前世界の理は、この世界では愚行として捕えられている。
佐藤は、メディアの言葉から、世界の理が変わった事を感じさせられる。
「まぁ 俺の世界でも、民主主義は最悪の政治形態だという言葉もある。
だが、これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制の中では最良とされている。
だから、何が一番良いかは後の歴史家が語ってくれるさ」
あくまで民主主義の優越を説きつつお茶を濁す佐藤だが、メディアもあまり気にした話題ではないのか特にそれ以上言及はしない。
その為しばしの間車内は沈黙が支配ししたが、それも長くは続かなかった。
佐藤は沈黙を嫌ってか話題を変える。
「それにしても…」
彼もまた車窓からの景色を見る。
「剣や槍を持った君らの装備から、もっと遅れた文明かと思っていたが、なかなかに綺麗な街並みじゃないか」
石畳の路面を走る馬車の車窓から見える街並みは、まるで南欧の歴史ある街並みを切り取って来たかのような建物がズラリと並んでいるようだった。
大通り沿いには、4階建ての白い漆喰の壁と赤茶の瓦が敷き詰められた洒落たデザインの建物が並び、所々に聖堂と思われる美しい建物が立っている。
時々、通り抜ける広場には美しい彫刻の飾られた噴水などもあり、高いレベルの文明であることが分かる。
「王都は王国中の富が集まる街ですもの。
王が王国中から集めた税をこの町を芸術品として仕上げる為に使い、その富に誘われて人と商人が集まり、また更に発展しているわ」
「ほぅ… 王は中々に善政を敷いているんだな」
佐藤は感心するように呟きながら、窓の外に広がる街を見る。
「…でも、こんなに発展しているのは王の直轄領たる王都だけよ。
王は王城と王都の発展にご執心しておられるし、他の土地では税を取られても、貴族たちが王都の発展具合に見合うよう自分の屋敷に富を使うから、その土地に富は残らないわ。
まぁ 我らが辺境伯領では、歴代の領主様が王都の屋敷より自領の開発に富を使ったおかげで他より発展しているけどね」
メディアがため息交じりに補足する。
「首都だけの発展か… さしずめここは異世界の平壌といったところだな。
君の話では、この国の支配階級は自分のキレイな箱庭にご執心なようだが、そんなんで箱庭の外の現実と向き合えるのか?」
佐藤は、眉間に皺をよせながらこの国の問題点をメディアに話す。
紫禁城やクレムリンの綺麗な世界から外を見ていた時の君主達は、国外の現状や国内の革命の芽を正しく認識することは出来なかった。
自ら望んで自分の箱庭に篭っている者は、いったいどのくらい現状を正しく認識できるだろうか。
佐藤のその疑問に、メディアは目を伏せる。
「それは… その内、嫌でもわかるわ。
見て、丁度王城に着いたわ」
その言葉通り、馬車は目の前にそびえる城門を抜け、城の一角に止まった。
佐藤はガクンと馬車が停止するのを見計らうと、メディアの手を取り気持ちを切り替える
「さてと、労働の時間だ。では取次ぎをお願いする」
…
メディアに取次ぎを依頼してから一体何日がたっただろうか
佐藤の気合とは裏腹に停戦協定と国交正常化交渉の準備は遅々として進んでいなかった。
いや、その表現には少し間違いがある。
メディアを介した王国との接触後、既に何度かの会合は行われている。
最初など、王国の宰相自らお出ましになったほどだ。
だが、肝心の中身が無い。
何度かの調整の末、一か月後に北海道側からの使節団が派遣される事で決まったが、その後は、のらりくらりと細部の調整をはぐらかし、場所や日時の詳細についてはなかなか決まらない。
それでいて、こちらから会談を申し込めば、取次ぎの手間賃だの何だのと露骨に賄賂を要求してくる。
此方としては、あまり相手に刺激を与えぬよう、接収した100ftクラスの改造クルーザーで此方に来たため贈賄用の金品や物資にも限りがあるし、まるでこちらにたかる事が主目的じゃないかと思える役人たちの態度に心底うんざりさせられていた。
そんな佐藤達の様子を見かねてか、ある日、メディアは単身で宰相の下へと謁見に向かっていた。
「ロドリーゴ閣下、差し出がましいのですが、なぜ彼らをあのように扱うのです?
仮にも一国の使節が来るのですから、緊密な調整を行うのは当然の事かと」
広々とした宰相の執務室にて、メディアは机の上の書類から目を離そうともしない中年の男に直立不動で質問する。
それに対し、彼はペンを走らせつつ、視線も上げようとはしない
「それが王の御意向だからだよ。
聞けば、人口も500万程度の小国。王国と対等に交渉しようなどというのがおこがましい。」
「ですが、彼らには高度な文明があり、侮るべきではないかと…」
「高度な文明?正直なところ眉唾な話だ。
小国の文化レベルが、人口4000万を超える王国の、この王都と比べて勝っているとでもいうのかね?
ただ単に、君の辺境伯領が小国にも勝てないレベルに田舎なだけではないのかね?」
メディアは唇を噛み、屈辱に耐える。
自分が馬鹿にされるのは聞き流せばよい。
しかし、辺境伯領を馬鹿にされるのは、そこに仕える主を馬鹿にされたも同然であった。
メディアは胸の内に宿った黒い炎を隠しつつ、なおも説得を続ける。
「お言葉ですが、彼らの力は本物です。
寡兵の彼らに1000名を数えた我らが敗退したのは事実です。
それに…」
「もうよい!」
ロドリーゴは、北海道側の力を伝えようとするメディアの言葉をうんざりするように遮る。
「どのような敵であろうと、神の箱舟"オドアケル"を持つ我々の勝利は揺るぎない。
それに、君には言っていなかったが彼の地への侵攻は既に王命により決定している」
その言葉にメディアは衝撃を受けた。
「そ、それでは何のために交渉の席を設けると決められたのです!?」
再侵攻。
かつての彼女なら王国の勝利を疑わなかったろう、だが今は彼らの軍事力を見てからは、その優位性にも確信が得られないでいる。
勝敗がどちらに傾くにせよ、また多大な犠牲がでるだろう。
それに、そうなった場合、ルイス様に高度な治療を受けさせてもらう約束を反故にされかねない。
「彼らは停戦だの国交だのと言っているが、我々としては彼らと本格的な交渉を行う時は、降伏勧告の交渉だと思っている。
全土を制圧するより、力を見せつけ、外交で併合する方が労力は少ないからな。
ならば、必要以上に彼らの相手をする必要もあるまい。
まぁ この事は他言無用だ。
だが、もし… 彼らにこの事が漏れた場合、君が犯人かどうかに関わらず君を拘束する」
「そんな…」
ロドリーゴの言葉に、メディアは何もいう事が出来ない。
もし、北海道が戦場になった場合、彼らはルイスを生かしておくだろうか
その事を考えるだけで、彼女の顔は蒼白となった。
そんな二人の会話を、人知れず聞く耳が王都の中にはあった。
「やっぱり、連中はもう一戦やる気だな」
王都に沿って流れる大きな川の船着き場に停泊する一隻の船。
北海道から派遣された改造クルーザーに佐藤の姿はあった。
「それにしても、連中は盗聴器への警戒は全くないですね」
スピーカーから流れる二人の会話を通訳として連れて来たドワーフから聞かされて、乗組員の一人が佐藤に言う。
「奴ら、魔法を使った防諜には気を使っているが、電波に関してはからっきしだ。
それに対し、こっちは難民が持ってた結界のアイテムで防諜対策はしてるし、一方的に盗聴が出来るってもんだ。
それにしても、メディア嬢の服に付けた盗聴器が驚くほど役に立ったな」
当人は知る由もないが、彼女が身に着けている衣類からアクセサリーに至る様々なものに盗聴器が仕掛けられていた
基本的に防諜と言えば魔法的な道具や術を結界で防ぐこの世界で、魔力の無い電波機器など理解の外だった。
まぁ 電波を介すると魔法的な翻訳がなされないために亜人の協力が必要不可欠であったが、それでも十分すぎる成果を上げていた。
「よし、本国に敵はあくまでやる気だと無電で連絡だ。
それと、我々が下手に対応を変えるとメディア嬢が危険になる。各員は引き続き交渉の下準備を行え。
くれぐれも我々が敵の手の内を知っていると感づかれるんじゃないぞ」
その言葉に、乗組員たちが黙って首を振る。
この日を境に佐藤の真の任務は交渉に向けた調整から諜報活動へと主軸が変わった。
後に彼らの仕掛けた盗聴器の数々は、王国が電波の存在を知る日まで北海道側に有利な情報を流し続けることになるのだった。
王城からゴートルム側の情報が北海道側へ垂れ流しになって暫くした後、アルドはレガルド王と共に神の箱舟へ乗り込んでいた。
空飛ぶ要塞の中央部にそびえ立つ堅牢な城塞の上から、眼下に広がる要塞の中庭で訓練に励む兵士たちを二人は眺めると、彼らの上を大きな影が横切った。
二人が空を見上げると、そこには影の主たる大きな竜が空を舞っている。
その姿は空飛ぶトカゲというよりも、鳥に羽毛の代わりに鱗と皮の羽を与えたような鋭く流れるような体躯だった。
巨大な翼を広げ、それに負けないくらい立派なトサカ付の頭から甲高い鳴き声を発して飛んでいる。
「竜騎兵も獲物が待ちきれん様子だな」
レガルド王は、編隊を組んで飛んでいく竜の姿を見ながら満足げに呟く
「しかし、竜"騎兵"と言う割に、竜人達が竜に跨っていないのは何度見ても違和感を覚えます」
アルドは王の後ろから空を見上げて空を飛ぶその勇姿を見ながら呟く。
「何を言っておる。本当に跨って乗っていたら直ぐに振り落されてしまうであろう」
王は短く笑いながらアルドの呟きに言葉を返すが、箱舟に来たのは初めてであり、竜騎兵を見るのも数度しかなかったアルドは、空を飛ぶ竜の姿を見ながら違和感を感じていた。
"竜騎兵"
この世界において、竜人だけが扱える箱舟を除けば唯一の航空兵力。
だが、その操り方は非常に特殊だった。
高速で空を駆り、凄まじい機動をする竜には馬や鳥の様に跨っては乗れない。
そこで竜人達は秘術により、精神を一時的に竜に宿らせた。
精神が移っている間は、竜人達は眠っている事しかできないが、その代わり竜自体を自分の体の様に操れる。
それに、一度に複数の竜に秘術をかければ、乗り移った竜が死んでも、本体が無事な限り何度でも他の竜に乗り換えられる。
しかも、乗り移っている間は竜の体を使って魔力を行使できるため、それにより魔法による遠距離攻撃も思いのままだった。
「それにしても、空を飛ぶ竜たちは凄まじく恐ろしげですが、術者たちは恐ろしく無防備ですね」
アルドがそう言って振り向いた視線を向ける先には、角と尻尾のある数人の竜人が術者用の簡易寝台の上で眠っている。
彼らはよほど深く繋がっているのか、此方の話声にも一向に目を覚ます気配はない。
「まぁ 何事にも欠点はある。
だからこそ、オドアケルの魔法障壁が役に立つ。
神代の御世ならいざ知らず、この時代にこの鉄壁の防御が破られることはあるまい」
王は杞憂にすぎんと一蹴し、空を縦横無尽に駆ける竜に視線を戻し、またしばらく空を眺めていると
この広間に通じる通路の方から、軍事施設には場違いな明るい声が近づいてきた。
「あら あなた。こんな所にいらしたのね」
その声の主は、部屋に入って王の姿を見るなり笑顔で近づいてくる。
「お后様ではありませんか。それに姫様方も」
これにはアルドも驚いた。
これから戦場へ行こうとするのに、女子供が同行するなんて聞いていない。
「あぁ 言ってなかったな。
私が英雄譚の様に蛮族を蹴散らす様が見たいと言って聞かなくてね。
つい、連れてきてしまったのだ。
なに、この鉄壁のオドアケルの中から眺めるくらいなら危険はあるまい」
この王は箱舟の力を信じるあまり、戦に対する緊張感がどうも欠けている。
箱舟の防御力は本物だが、ちょっと危険な行楽程度の意識では何とも頼りない。
アルドは、きゃっきゃと騒いでいる后や姫たちの姿をみてそう思うが、既に出発してしまっている以上、ヘタに騒いだところでどうすることも出来ないと割り切り、何も言わないでおくことに決めた。
「お父様。竜騎士たちの勇姿の何とも頼もしい事ね」
「こんな大きなお城が空を飛んでいるなんて信じられないわ」
やって来た彼女らは、広間の窓辺から半身を乗り出し、好き勝手に騒いでいる。
王に対して何も言わないまでも、その光景にアルドはやはり眉を顰める。
血肉が飛び、場合によっては命の危険がある戦場に、物見遊山で来るとは王家の戦に対する意識はそこまで堕落しているのか。
アルドはそう思うが、彼らにしてみても危機感が薄れていくのには理由があった。
王家が興ってから1000年以上の長きにわたり、他国との大規模な戦乱は無く、小競り合いがあったとしても安全な箱舟から指揮を取り、地上で指揮を取ることは一切無い。
この事が、賊の討伐や亜人との衝突など自らも戦場を駆り、多くの死闘と無残な死体を見てきた諸侯と王家には、決定的な意識の相違を生じさせていた。
死体や血を見る事もなく、圧倒的な力のみを保持してきた彼らの危機意識はとうの昔に腐り落ちている。
その象徴ともいえるのが彼女たちである。
王は后や姫に甘いともっぱらの評判であるが、今回も彼女らの要望を二つ返事で許可したのであろう。
そんな複雑な表情で彼女らを見つめるアルドとは裏腹に、王を中心に彼女らは実に楽しげに景色を眺めている。
そうやって暫くきゃいきゃいと騒いでた彼女たちだが、その内一人がある物を見つけた。
「あっ 海の方にも沢山のお船が見えてきたわ」
姫の一人が指をさすその先には、海原に浮かぶ沢山の点が集まっていた。
見れば、その一つ一つが船であり、その帆には様々な諸侯の紋章が描かれている。
「陛下、どうやら諸侯の軍船と合流したようです。
彼らの直上に到着次第、一路、東へと参りましょう」
アルドの言葉に、娘たちの前であるからか、王が一段と威厳を感じさせる佇まいで言葉を紡ぐ。
「うむ、蛮族に神の軍勢の偉大さを教えてやろう。
神の威光に平伏すことこそが、奴らに残されたただ一つの道である」
賽は投げられた。
最早、争いは不可避の運命であった。
箱舟が諸侯の軍船と合流し、東進を始めてから暫くして。
夕暮れの千歳空軍基地は、かつてない緊張状況に包まれていた。
これに似たような事例があるとすれば、遥か冷戦前に函館空港にソ連のMig25が飛来した折り、ソ連の侵攻を覚悟していた時のような緊迫感。
基地内の全員が、これから敵の侵攻があると確信し準備を進めている。
そんな基地内の一角に同じように緊迫感と熱気と人の群れで溢れている個所があった。
特設のプレス会場。
今回の侵攻を察知した連邦政府が、国民に対し声明を発表するべく臨時に基地内に設置した会場であった。
最早、敵の侵攻は始まっており、交渉する気も無いとなれば残る手段は限られている。
それならば、という事で、政府はこの事を通じて国民の団結を促すためにこのプレス会場を設置した。
作戦の推移を報道しても敵に放送を傍受される心配が無いので、作戦内容が敵側に漏れる事も無い。
むしろ、メディアと言うフィルターを通さず、国民に今そこにある危機を正確に伝える為に、政府と軍は作戦の推移を中継することを決めた。
ざわつく会場内に夕闇が迫る頃、報道陣が囲む壇上にライトが向けられる。
強力な光に照らし出された旧道庁(現在は連邦政府の国旗)が入ったひな壇に一人の姿が向かう。
強烈な報道陣のフラッシュの洗礼を受けながら、その人物は壇上から彼らに向かい合う。
「では、時刻となりましたので、高木大統領より重大な声明の発表を行っていただきます」
会場に響き渡るアナウンスの声に促され、高木は決意に満ちた口調で話始める。
「本日は皆さんに重大なお話があります。
昨年、礼文島に武装勢力の侵攻があった事は記憶に新しいかと思います。
我々は、紛争後も相手側と幾度となく平和の可能性を模索しました。
平和の交渉に本腰を入れない相手にも諦めず、接触を続けました。
しかし、ここに来て、そのすべての努力が無駄となったのです」
高木の発表に会場にざわめきが起きる。
メディア側も空軍基地内での記者会見や軍の動きから大よその事は察していたが、国のトップから語られるキナ臭い発表には動揺を隠せなかった。
高木は彼らの反応を見て一呼吸置くと再び言葉を紡ぎ始める。
「現在、北海道の西方を新たな武装勢力が東進を続けています。
その数は、船の数だけで前回の数倍。さらには未知の飛行要塞が含まれています。
このままでは礼文の二の舞… いえ、敵の数からいって更に酷い惨事になるでしょう。
しかし、この世界には頼るべき友軍であった米軍も内地からの援軍もない。
ですが、だからと言って我々は座して死を待つわけにはいかない。
これ以上、礼文の悲劇を繰り返してはいけない。
ならば自ら剣を取り、身にかかる火の粉は自らの力で振り払わねばなりません。
そこで我々は、かねてより準備を行ってきた本道防衛作戦"大地の怒り"の発動をここに宣言します。
作戦目的は敵侵攻の阻止。
本作戦には保有する海・空軍力のほぼ全力を投入する大規模なものになるでしょう。
敵が如何なる存在だろうと、我々の自由、生命、未来を侵すことは許されません。
我々の生存権は、何人たりとも犯すことの出来ない神聖にして不可侵なものです。
それに対し、邪悪な魔の手が迫っている以上、我々のすべき事は唯一つ!
さぁ 皆さん!
我々を侮るこの世界に教育してあげましょう。
暴虐には毅然として立ち向かう我々の意思を!
そして、新たな時代が始まったという事を!」
高木の演説により、周囲は熱気と拍手に包まれた。
ある者は息を飲んで複雑な表情を浮かべ、ある者は気勢をあげて熱烈な拍手を送る。
テレビのゴールデンタイムを狙って行われたこの会見の映像は、今も全道に流されている。
見たものの思いは様々だが、礼文の騒乱も何処か他人ごとだった国民も、戦闘の推移が報道されることで意識が変わり、全国民がより一層団結するだろう。
そんな政権側の思惑が成功しつつある会見場を遠目に、基地の誘導路上には兵装を満載したF-15の群れが列を作っていた。
『Bear1より各機へ、大統領閣下のお話が終わったようだ。
管制塔から離陸許可が下り次第、西に進路を取り択捉の連中と合流する。
飛行隊創設以来の実戦だが、訓練通り落ち着いて飛べ』
『『Rog』』
出撃を今か今かと待ちわびた彼らへの管制塔からの離陸許可は、各機からの返信がきてすぐに下りた。
『Bear1, Wind is clam.Clear for take off』
(ベア1へ、風は穏やかだ。離陸を許可する)
離陸許可と共に、青い炎を曳いた荒鷹達が一機、また一機と夕闇の中に舞い上がっていく。
会見場に集まった報道陣と基地の兵に見送られ、力強い轟音と共に飛び立っていく光点。
高木はそれを半ばまで見送ると、会見場を離れ作戦司令部へと歩を進めた。
司令部内では既に展開している味方と敵の位置がスクリーンに示されている。
「閣下。王国内に派遣していた職員の一時退避完了しました」
駆け寄ってきた秘書官が高木に最新の情報を報告する。
「ご苦労様。それにしても、この国際法やその類のものが無いと宣戦の布告すら難儀するのね」
「外交特権など有るかすら怪しい世界です。それに今回は協力員や派遣した職員の身の安全が心配されましたので致し方ないでしょう」
本来ならば、国家間の戦争では宣戦布告が行われるのが前の世界のルールであったが、今回の戦役ではそれは行われない。
何故ならば、北海道側は未だこの世界の国際慣例は熟知していない上、捕虜の話を合わせても外交官の身の安全を保障するルールは無い事が分かった。
前の世界でも歴史を紐解けば、宣戦に向かった使者が斬られる等はよくあった。
そんな中に貴重な人材を送り込むわけにはいかない。それに王国側は何かあった場合、メディア嬢を拘束すると発言している(盗聴ではあったが)
数少ない協力員の安全も考えねばならなかった。
よって、今回の作戦は国家間の全面戦争ではなく局地的な紛争であるとするのが、政府の公式見解であった。
「まぁ そもそも未だ国交を結んでない上に、相手を国家と承認していない以上、宣戦布告もあまり意味は無いけど…
それよりも、二度と愚かな真似をしないよう完膚なきまでに叩いてやりましょう。
傲慢な魔法世界に機械産業文明の力を見せつけるのよ」
そう言って高木はスクリーンの一つに目を向ける。
そこにはカメラを取り付けた一機から、空に浮かぶ光の大編隊の映像が送られてきている。
その光景はメディアのカメラを通じて各世帯に届けられ、全道民がそれを注視していた。
500万の視線が集まる中、今ここに、新世界に対する最初の大規模作戦が幕を開けたのである。