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[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完【完結済】
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2023/05/31 23:38

当作品は私の前作「シンジのシンジによるシンジのための補完」及び、その後日譚「~Next_Calyx」の外伝にあたります。
 
この作品だけでお読みくださっても大勢に影響はないと思いますが、よろしければ、そちらの2作にもお目通し戴けると幸いです。

なお、Arcadia様への投稿にあたり、当時一般公開しなかったエピソードなどを追加した増補版としてお送りいたします。

                   Dragonfly 2007年度作品




2006年7月10日に投稿を開始した【シンジのシンジによるシンジのための補完】をはじめシリーズ4巻を書籍化しました。
A4サイズで大変分厚く、お値段も凄いことになっていますが、もしお求めくださるのであれば、私のTwitterを覗いて見てくださいませ。(@dragonfly_lynce)
宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m


****


アスカのアスカによるアスカのための補完 プロローグ


いきなり目に飛び込んできたのは、見知らぬ街角と、そこに立つファーストの姿。
 
アンタ、そこで何してんのよ。と言ったつもりだったのに、言葉が出ない。
 
「えっ僕? だっ誰?」
 
代わりに紡がれたのは、喋るつもりなどなかった言葉。
 
問題は、それがなんだか聞き覚えのあるような声だったってコト。
 
何に驚いたのか、鳥の羽音。気をとられて振り仰いだらしく、視界が振り回された。自分の意志と連動してないから、なんだか酔いそうだわ。
 
飛び立ったのがハトだと判って向き直った視界の中に、ファーストの姿がなかった。
 
「まぼろし…? 幻聴だったのかな?」
 
実際に声を出している感覚はある。だけど、自分が喋ろうとしたワケじゃない。自分の体が勝手に喋り、勝手に動いてるみたいな…?
 
試しに手を上げようとしてみたけれど、ぴくりとも動かないし。
 
 
考えろ。考えるのよ、アスカ。
 
冷静に、自分の置かれた状況を分析するの。
 
さっき、この体が勝手に喋った時の声。あれってシンジの声に似ているような気がする。
 
骨伝導の関係で自分の声は低く聞こえるっていうから、たぶん、そう。
 
とすると、これはシンジの体なのかしら。今も勝手に歩いてるし、きっとシンジの意志で動いてんのよね。
 
 
…でもって、ワタシは?
 
憶えてんのは、シンジに首を絞められたことと、状況がわからずに反射的に言ってしまった「キモチワルイ」の一言。
 
ワタシ、あのまま死んじゃったのかしら?
 
それで幽霊になって、怨みを晴らすためにシンジに憑りついた?
 
…状況的にはそんな感じだけど、ぼそぼそ怨み言を言うのって卑屈でヤだな。趣味じゃない。
 
 
まっ、なんにせよ現状確認が第一だわ。ここがドコで、今が何時なのか確認しなきゃ始まんないもの。
 
さっきの感じからすると意志の疎通は出来そうだし、訊いてみるのが一番よね。
 
『ねぇ、シ…』
 
普通に喋るような感じで語りかけた途端、突風が体を振るわせた。ぶんぶんと電線が唸ってる。
 
シンジが振り返った先、山影から国連軍のらしい重VTOLが後退るように姿をあらわす。
 
それを追いかけるようにして現れた巨大な影は、
 
『第3使徒っ!』
 
「えっ? ダイサンシト? …て言うか、誰? どこにいるの?」
 
シンジの誰何が爆音に掻き消された。こんな街路を這うように飛ぶなんて、今の、巡航ミサイル?
 
『…効くワケないわ』
 
ワタシが喋ろうとした言葉は、やはり実際には発音されてない。でも、シンジには判るみたいね。今も、声の主を探そうとしてか、きょろきょろ。
 
『ちょっと!振り回すんじゃないわよ、酔うでしょ!』
 
「ごめん…」
 
『そうやってすぐ謝って!ホントに悪いと思ってんの?』
 
シンジに説教している場合じゃなかった。使徒に攻撃されたVTOLが落ちてきたのだ。
 
腰を抜かしたらしく、すとんと視界が低くなった。
 
幸い直撃コースじゃなくて、離れた位置に墜落。でも、途端に使徒に踏まれて火花が散る。
 
『こ~んの、バカシンジっ!!』
 
腕でかばったぐらいで防げるわけないでしょ!とっとと逃げんのよ!
 
と、思ったところでシンジの体が動くわけがない。
 
ワタシも一緒にご臨終か、と覚悟しかかったところにタイヤの軋む音。シンジは気付いてないっぽいけど、何か車輌が割り込んできて爆風を遮ってくれたらしい。
 
一拍遅れて、シンジが目を開ける。
 
「ごめーん、お待たせっ」
 
見えたのは青いクーペで、ミサトがドアを開けたところだった。
 
 
                                        はじまる



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第壱話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:08


シンジとミサトのやりとりを聞いている限りでは、二人は今日が初対面みたい。
 
第3使徒が居たことを考えると、シンジが初めてエヴァに乗った日ってことかしら。
 
…過去…、よね?
 
殺された怨みを晴らすために、時間を遡って相手に憑りついた…ってトコロ?
 
…やっぱり趣味じゃないなぁ。
 
確かに首は絞められたけど、殺されたって実感はないし。首を絞められたことだって、なんだかどうでもよかった。ワタシのココロは、あの時点でもうほとんど死んでたんじゃないかって思うもの。
 
自分しかいないと思っていた世界にいきなりシンジが現れて、のしかかるや首を絞めたもんだから生理的嫌悪を覚えたってだけ。
 
それに、将来自分が殺す相手に憑りつかれるなんて、いくらバカシンジでも憐れだわ。法律だって不遡及が原則なんだもの、まだ殺してない相手に祟られるなんて理不尽よ。
 
…って、憑りついた本人が言ってもしょうがないか。
 
 
いずれにしても、現状確認が最優先ね。どうするかは、それからでも遅くはないわ。
 
 
それにしてもシンジ、アンタ落ち着きないわね。背後やら頭上やら、いったいナニ探してんのよ?
 
また酔いそうになったから文句のひとつでも言ってやろうとしたんだけど、ミサトがブレーキ踏んだ。
 
「ちょ~っち、失礼~♪」
 
運転席から身を乗り出して、グローブボックスから双眼鏡を取り出す。そのまま助手席側から使徒を観察し始めたみたい。
 
なんでシンジの首っ玉を抱えて胸元に引き寄せるのか、良く解かんないケド。
 
それに、…サングラス、外したら?
 
「ちょっと、まさかN2地雷を使うわけぇ~!?」
 
ええっ!? どこどこ?
 
『バカシンジ!ドコ見てんのよ!アンタが見ないとワタシにも見えないじゃない』
 
「伏せてっ!」
 

 
転がりに転がったミサトのクーペが、やっと止まった。クァドラプルにトリプルサルコゥを加えて4分の1足りないってトコ。シートベルトを締めるよう忠告しとくべきだったかしらね? あちこち体が痛いわ。
 
バランス感覚に優れたワタシにはどってことのない事態だったけど、シンジにはキツかったみたい。視界がなんだか渦、巻いてるわ。そっちのほうで酔いそうよ。
 
『シンジ、シンジ、ちょっと大丈夫? しっかりしなさい』
 
視界がしっかりしてきた。
 
『大丈夫?』
 
「…大丈夫ですけど、…あの、誰ですか?」
 
『ワタシ? ワタシはア…』
 
ちょっと待って。ここが過去だとして、ワタシはどうしているのかしら? つまり、ドイツに居るはずの、この時点のワタシは? って意味だけど。
 
「…あ?」
 
ここでワタシがアスカだって名乗っちゃったら、あとでワタシが来た時にややこしくなるような気がするわ。
 
それに、自分がワタシを殺したなんて知ったらバカシンジのことだもの、うじうじうじうじと悩むに違いない。
 
『ア~』
 
アスカって名乗るわけには行かないけど、かといってナンて名乗ったらいいのかしら?
 
ア、ア…、ア…ねぇ?
 
「あ…何?」
 
『ア~、アンジェ!』
 
「あんじぇ?」
 
なんとなく思い浮かんだ単語だったけど、これ、いいんじゃない? フランス語ってのはちょっと気に喰わないケド、天使なんてワタシにピッタリだもの。
 
『そう、アンジェ』
 
「…その、アンジェ…さん? は、どこに居るんですか? それに、どうして頭の中で声がするんですか?」
 
なによシンジったら、えらく畏まっちゃって。…って、ワタシだってコト知らないんだから当然。…なのかしら?
 
「さっき街に居た女の子…ですか?」
 
『ファーストなんかと一緒にすんじゃないわよっ!』
 
ひっ。とシンジがすくみあがった。さっきの口ぶりからするとワタシの声(?)はシンジの頭の中に直接聞こえるみたいだから、ちょっとキツかったかも。
 
エント…。と、ついドイツ語で謝りそうになって、慌てて口を塞ぐ。…もちろん気持ちの上で、だけれど。
 
『ごめんごめん、怒鳴りつけるつもりじゃなかったんだケド…』
 
「う…うん…」
 
シンジの歯切れが悪い。怖がらせちゃったのかしら?
 
まあ気を取り直して…。と思った途端、ミサトが覗き込んできた。妙に顔の距離が近いのは、横倒しになった車内で、シンジがミサトに抱きかかえられているから、みたい。
 
「…シンジ君、大丈夫? まさか今ので頭打ったんじゃ…?」
 
見てはいけないものでも見たかのような顔して、恐る恐る額に手を伸ばしてくる。
 
ワタシの声がシンジにしか聞こえてないんなら、アブナイ人に見えるわよね。
 
「だっ大丈夫です!」
 
「…そう?」
 
半信半疑。って顔に出てるわよ、ミサト。
 
 
なんとかシンジが体を起こして、いまやサンルーフと化した運転席側のサイドウインドウから頭を出す。一拍遅れて、ミサト。
 
見やる先に、終息間際らしいN2地雷の爆炎。
 
よっ!と体を持ち上げたミサトが、一旦窓枠に腰かける。その体勢から爪先を持ち上げて、反動をつけて地面に降り立った。
 
そのミサトの手助けを借りながら、シンジがちょっともたもたと。ホント、冴えないわねぇ。
 
シンジはやっぱり周囲を気にしてる。…もしかして、ワタシを探してんの?
 
話しかけたいトコだけど、また変な目で見られるのもねぇ…
 
 
横倒しになったミサトのクーペを、二人がかりで押し倒す。
 

 
「あらら?」
 
運転席に上半身を突っ込んでたミサトがすぐに出てきて、ボンネットを開けた。どっかイカレたみたい。
 
ちょ~っち、待っててねん♪と、どこへやら…
 
 
『…ねぇ、声に出さないで、話しかけれない?』
 
さっきの様子からして、やはりワタシの声はシンジにしか届いてないんだろう。身体を乗っ取ったりも無理っぽいし、何か具体的に祟れている実感もない。
 
それしか出来ないって云うんだから、せめてシンジとのコミュニケーションくらい確立しておいた方がいいわよね。
 

 
 ……
 
ワタシの方は、口に出して喋ろうと思ったことが伝わっているみたいだから労はないんだケド、なまじ肉体がある分、シンジの方は苦労しているみたい。シンジが悪戦苦闘しているさまが、喋らないように努力する唇の動きで解かった。
 
 ……
 

 
『こう…かな?』
 
『そうそう!やればできるじゃない♪これからワタシに話しかけるときはそうするのよ。ヘンな目で見られたくないでしょ?』
 
こくんと頷いたシンジの、視線が定まらない。どこ見たらいいか判んない、ってカンジ?
 
『それで…、貴方はいったい何者なんですか?』
 
何者…ねぇ? ワタシが訊きたいくらいよ。
 
まあ、それはそれとして。
 
シンジとしか会話が成立しないこの状況で、シンジを敵に廻してもしょうがないとは思うワケ。だから、とりあえず…ね?
 
『強いて言えば、アンタの味方。…かしらね?』
 
『味方? …僕の?』
 
それはどういう…? というシンジの疑問は、ヒールが踏みつけた砂利の音に邪魔された。
 
おっ待ったせ~♪ってミサト、アンタなによソのバッテリーの山は?
 
 
****
 
 
「父さん…なぜ呼んだの?」
 
シンジが見上げるのはケィジのコントロールルーム。そこに映る人影。
 
こうして総司令の姿を見ていて気付いたのは、かつてワタシは、この人とロクに顔を合わせたことがなかった。って事実。言葉を交わしたことに至っては、1度もない。
 
だから、この人がネルフの総司令だっていう実感が湧かない。
 
 
≪おまえの考えている通りだ≫
 
あまりに畳みかけるようなコトのなりゆきに口を差し挟む暇もなかったけど、シンジってこんな唐突にエヴァに乗せられたの?
 
「じゃあ僕がこれに乗ってさっきのと戦えって言うの?」
 
≪そうだ≫
 
さっき見た手紙だってそう。なによあれ【来い】って一言だけ。しかも便箋じゃなくて、何かプリントアウトしたヤツの余白によ。肝心の印字内容だって、検閲でもあるのか真っ黒に塗りつぶされてたし。
 
「ヤだよそんなの、何を今更なんだよ、父さんは僕がいらないんじゃなかったの?」
 
≪必要だから呼んだまでだ≫
 
訓練もなしにいきなり実戦だったって、聞いてはいたケド…
 
「なぜ、僕なの?」
 
≪ほかの人間には無理だからな≫
 
ちょっと!ファーストはどうしたのよ? 動かせないって、どういう意味?
 
「無理だよそんなの…見たことも聞いたこともないのに、できるわけないよ!」
 
≪説明を受けろ≫
 
訓練どころか事情も知らない中学生捕まえて、今から受けれるようなレクチャーだけで使徒の前に放っぽりだそっての!
 
「そんな、できっこないよ…こんなの乗れるわけないよ!」
 
≪乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!≫
 
途端、ケィジが揺れた。使徒が間近みたいね。
 
≪奴め、ここに気付いたか≫
 
「シンジ君、時間がないわ!」
 
「乗りなさい」
 
リツコはともかく、ミサトまで…。ううん、当然よね。ネルフの人間だもの。
 
「いやだよ、せっかく来たのに…こんなのないよ!」
 
「シンジ君、何のためにここに来たの? だめよ、逃げちゃ。お父さんから、何よりも自分から!」
 
少なくともこんなモノに乗せられて、バケモノと戦うためじゃナイでしょ。逃げちゃダメ、ですって? 自分から? 事情も知らない中学生にかける言葉がそれ? アンタがナニ言ってるか解かんないわよ!
 
「分かってるよ…でも、できるわけないよ!」
 
シンジの悲痛な叫びを呑み込んで、なにやらケィジに動きが生まれる。
 
 
「初号機のシステムをレイに書き直して、再起動!」
 
 ≪ 了解。現作業中断。再起動に入ります ≫
 
『やっぱり僕は、いらない人間なんだ…』
 
シンジ…
 
10年も前からエヴァに乗るために訓練してきたワタシには、アンタの気持ちは解からないわ。
 
でも、こんな扱いは酷いと思う。
 
ワタシ、アンタのこと誤解してた。
 
…ううん、理解しようと、してなかった。
 
アンタがこんな目にあってたなんて知っていたら、あんなにバカにしたりしなかったわ。チルドレンとしての自覚が足りないなんて、思ったりしなかったわ。そのくせシンクロ率だけぐんぐん伸びて生意気だなんて、妬んだりしなかったわ。
 
ホントよ、それだけは信じて欲しい…
 
 
ストレッチャーに載せられて運ばれてきたのは、ファースト?
 
なに? すごく重傷っぽいケド…。そう云えば、零号機の実験で事故があったって聞いたことがあるような…
 
この身体で出撃させようって云うの? シンジがアレで、ファーストはコレ? ネルフってナニ考えてんのよ。
 
なにか言ってやろうとした途端、立ってらんないほどの揺れがケィジを襲う。案の定シンジはこけて、ファーストもストレッチャーから投げ出されてる。
 
「危ない!」
 
ミサトの言葉に見上げた視界には、落下してくる照明器具が大写しで…!
 
「うわぁっ!」
 
反射的に閉ざされたまぶたの裏で、ワタシはシンジとともに最期の瞬間を待ち構えてた。あんなモノが当たったら確実に死ぬ。せまいブリッジの上では逃げ場もなくて、避けろと言う気にもなんない。
 
なにより、不思議と死ぬのが怖くなかった。…やっぱり、幽霊だからかしらね?
 

 
 …?
 
いつまで経っても襲って来ない衝撃に不審を覚えたか、シンジの視界が恐る恐る開かれる。
 
覆いかぶさるように、そそり立つのは… 
 
 ≪ エヴァが動いた!どういうことだ!? ≫
 
…初号機の、手?
 
 ≪ 右腕の拘束具を、引きちぎっています! ≫
 
「まさか、ありえないわ!エントリープラグも挿入していないのよ。動くはずないわ!」
 
…そう、初号機に居るのね。シンジの、ママが…
 
 
ファーストに駆け寄ったシンジが、その身体を抱き起こした。…ってダメじゃない、傷病人をそんなに手荒に扱っちゃ。ほら、ファーストがヒキツケ起こしちゃったじゃないのよ。
 
何を思ったか振り返ったシンジの視界の中で、その輝きを失ってたはずの初号機のメインカメラが明度を上げていった。
 
腕の中で震えてる存在に視線を引き戻されると、痛みに苛まされたファーストが苦しげに喘ぐ。手のひらの違和感を確かめようとしたシンジが、べっとりと付いた血に息を呑んだ。
 
 
『…逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!』
 
シンジ…、アンタ…こんなに震えてるじゃない。鼓動でいまにも心臓が破裂しそうじゃない。
 
『逃げたってイイわよ、誰も非難できないわ。逃げなさいよ。だってアンタ、こんなに…こんなにっ!』
 
なのに、シンジの視界は決然と上げられて、
 
「やります、僕が乗ります!」
 
 
****
 
 

 
いいわ、シンジ。アンタが戦うことを選択したってんなら、ワタシはそれを手伝ったげる。
 
 ≪ エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ! ≫
 
って、ナンでこんなに近いのよ。素人が乗ってるって解かってんの!?
 
≪シンジ君、今は歩くことだけ、考えて≫
 
『ダメっ!シンジ、歩いちゃダメ』
 
こんな距離で一歩踏み出しちゃったら、確実に使徒の目を惹く。リツコはそのコトを解かってない。まずは武装の確認を、っと思ったんだけど、遅かった。
 
それどころか、ワタシの声に驚いたらしいシンジが初号機をつまづかせちゃって…
 
 …
 
あ痛たた…
 
≪シンジ君、しっかりして!早く…早く起き上がるのよ!≫
 
むりやり体を持ち上げられる感覚。初号機の頭部装甲越しだから判りづらいけど、頭を鷲掴みにされてるみたい。
 
視界いっぱいに、使徒の掌?
 
左の手首を掴まれた感触。マズいっ!
 
『シンジ、ワタシの言うとおりに腕を…』
 
万力のような握力で掴まれ捻り上げられる痛みに、シンジがうめいた。もちろんワタシだって痛い。だけど、そんなことはどうでもいい、このままじゃ…
 
≪シンジ君、落ち着いて!あなたの腕じゃないのよ!≫
 
何を潰せばこんな音になんだろ。って云うような嫌な音がして手首が握り潰される。…そっか、手首を握り潰せばこんな音になんのね。って、冷静に分析しているようでワタシも充分混乱してるわね。…つまり、痛いのよ!
 
『…シンジ、大丈夫? しっかりして』
 
ああ、ダメ。痛みのせいで考えがまとまらないから、ロクな助言も出来やしない。なにか言ってやんなきゃなんないのにっ!
 
握り潰された装甲板が、いつまでも傷口を苛んでる。中途半端な痛みがなまじ続いてるもんだから、意識を失うことも許されないんだわ。
 
≪シンジ君、よけて!≫
 
ミサトの声は、きっとシンジに届いてない。
 
シンジの視界の隅に意識を集中すると、使徒の掌のレンズみたいなのが光り輝いてた。
 
…!
 
何度も、何度も光の奔流が打ちつけられる。シンジは痛みを堪えるのに精一杯で、逃げることすら出来そうにない。
 
  ≪ 頭蓋前部に、亀裂発生! ≫
 
  ≪ 装甲が、もう保たない! ≫
 
ついに装甲を貫いて、光の奔流が眼窩から後頭部へと突き抜けた。
 
…ワタシは、この痛みを知っている。
 
エヴァシリーズのロンギヌスの槍に、同じように貫かれたから…
 
そう、アンタ…。初っ端からこんな苦しみの中で戦っていたのね。
 
アンタに斃せるような使徒だから、弱っちいヤツだと決め付けていたけど、攻撃力だけなら充分じゃない。訓練されたワタシと弐号機なら、楽に斃せる相手だと判る。だけど、単なる中学生がいきなり戦わされる相手としては、強すぎるわ。
 
…シンジは?
 
目の焦点が合ってない。今ので気絶したみたいね。そのほうがシアワセかも。
 

 
シンジの意識のない今なら、シンジの身体を使えるかも。と思ったんだけど、どうやらそれも叶わないみたい。
 
そうこうしてるうちに、シンジの体に過重。…初号機が、動いてるの?
 
これが、…暴走?
 

 
瞳孔が散大しきって焦点の合わない視界では、何が起こってるか判然としない。
 
なにもできないまま、ただ待つだけ。
 

 
あれ? 左腕の痛みが…
 
 …
 
 ……
 
  ≪ …グラフ正常位置 ≫
 
システムが復旧しだしたらしく、水中スピーカーから発令所の音声。
 
 ≪ パイロットの生存を確認 ≫
 
被っていたヘルメットが、ずり落ちるような感覚。頭部装甲も限界だったみたい。
 
視界がクリアになってく、シンジ、アンタ気がついたの?
 
 ≪ 機体回収班、急いで。パイロット保護を最優先に! ≫
 
右に振られた視線の先に、ビルの外壁。鏡のように初号機を映してる。剥き出しになった素体の頭部には、右目に大きな傷痕。
 

 
あっという間に修復して、ぎょろりとこっちを見た。そんなわけはないのに、プラグを透かしてジカに見つめられてるような…キモチワルサがある。
 
途端にあがった絶叫は、ワタシの意識を直撃した。物理的な音声としてではなく、ナマの恐怖の塊としてワタシの心を震わせてるんじゃないかってぐらいに…
 
しまった。ワタシが一緒になって驚いててどうするってのよ。見るなとひと言、言ってやってれば…
 
『シンジっ!シンジ』
 
耐え切れずに、シンジがまた気絶したのが判った。
 

 
ただ、うるさく口出しするだけで、結局、シンジのために何もしてやれないままか…
 

 
ワタシは…っ!
 
 『ワタシはいったい、なんのためにココに居るのよぉーっ!!』
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第弐話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:09


まぶたが作るのは赤い闇だってコト、初めて実感した。
 
血液を透かして見るからそう見えるのだとは解かる。ううん、だからこそ、受け付け難いんだと思う。なんだか、キモチワルイ。
 
 
その闇の中で、ワタシは独りぼっちだった。
 
シンジが昏睡している今、何も見えず、話し相手もいない。
 
孤独には、慣れてると思ってた。ドイツ時代には感覚剥奪訓練ってのがあって、真っ暗闇の個室に何時間も閉じ込められたものだ。救助を待つ間の孤独に、耐えられるようにって。
 
つらいのは、どうやら今のワタシには睡眠が要らないらしいってコト。シンジが気絶しても昏睡してても意識を失わないし、眠気も襲って来ない。
 
幽霊なら、あたりまえなのかも知れないケド。
 
なによりつらいのは、間近にシンジの鼓動や息遣いを感じるってコト。まるで、自分のモノのように…
 
こんなに近くに居るのに、シンジは応えてくれないし、話しかけてもくれない。
 
独りで居るより、ずっと孤独だった。
 
 
「…知らない天井だ」
 
だから、シンジが目覚めたと判った瞬間、すごく嬉しかった。
 
『気がついた?』
 
『…えっと、アンジェさん…?』
 
なにソレ。って言い返しそうになって、思い出す。そう名乗ったんだっけ、ワタシ。
 
『アンジェ。でいいわよ、シンジ』
 
シンジが溜息をついた。
 
『そっか…夢じゃなかったんですね…』
 
…そうだったら、よかったのにね。
 
 
それはそうと、
 
『畏まる必要はないわ。普通に喋んなさいよ』
 
訝しげに首をかしげたシンジが、こくんと頷いた。…だから酔うってば。
 
 
『それで…、アンジェはいったい何者なの?』
 
何者…ねぇ? ワタシが訊きたいくらいよ。
 
『言ったじゃない。アンタの味方だって』
 
実際にそう言った時には、それは何気ない言葉だった。とりあえずの方便だったわけね。
 
でも、シンジが昏睡している間に、ワタシはずっと考えてた。
 
結局ナンの役にも立てなかったことを、後悔してた。
 
 …なにより、シンジに同情してた。
 
だから、今更だけどその言葉は、ワタシの望むところだった。
 
『そう言われたって…』
 
『ワタシが何者か、なんて。たいして意味のあることじゃないわ。大事なのはシンジの味方だってことだけ』
 
そうかなぁ。と口から洩らして、シンジが不服そう。細かいこと気にしないでよ。ワタシだって解かんないんだから。
 
『それで…アンジェは何が出来るの?』
 
うっ…
 

 
『アンジェ?』
 
 
 
『…助言。かしらね…』
 
『それだけ…?』
 
 …
 
ああ…、天使が部屋を横切るのが見えるようだわ。
 
 
せめてシンジの身体を動かすことができれば、代わりに戦うことだってできるのに…
 
 
『…そう』
 
沈黙を肯定と受け取ったらしく、シンジが大息をついた。
 
助言なんか出来たって緊急時には間に合わないし、そうじゃなくたって役に立つか怪しいもの。
 
シンジが落胆してるかと思ったら、ナンだか悲しくなってきた。涙の一粒だって持ち合わせてないってのに。
 

 
『聞こえては、いたんだよ』
 

 
『アンジェが、僕を励ます声。気遣う声』
 
シンジの右手が、胸の上に置かれた。そんなはずはないだろうに、それはとても温かく感じられて…
 
『だから僕はこうして、無事にここにいられるんだと思う』
 
シンジ…
 
『ありがとう』
 
アンタ…あんな目に遭っておきながら、ワタシなんかにありがとうだなんて… …ほんと、ばかね。
 
『これからもよろしく』
 
そうね。こんな状態じゃ、たいしたことは出来ないかもしれないけど…
 
『よろしくね』
 
 
 
それから、今後のことについて相談してみた。
 
この時期の事をワタシは知らないし、シンジだって知るわきゃないから、たいしたことを話せるわけじゃない。
 
ワタシの関心は専らシンジの過去のことで、シンジは案外素直にそのことを話してくれた。
 
…ところでシンジ、ドコ行こっての? 外傷がないからってアンタ、一応ケガ人なのよ。
 

 
思えば、きちんと意識に乗せてシンジに問い掛けとくべきだったのよ。ついつい自分の意識の中だけで完結しちゃうのよね。
 
 
****
 
 

 
…!
 
『!☆&%◇¢♂℃∋¥←♀=∞▼*±〒?~!!』
 
ワタシの絶叫は、シンジの脳髄を貫いたことだろう。だって、宿酔いのミサトもかくやってくらい眉を顰めてるもの。
 
『…な、なに?』
 
『このバカシンジ!うら若き乙女の前で、ナニしよってんのよ!』
 
こともあろうにシンジは、トイレに入って縦に高い便器の前に立ったのだ。
 
『…だって、漏れちゃうよ』
 
『だってじゃないわよ!』
 
あとで落ち着いて考えりゃあ、自分が無理難題言ってることに気付くんだけど、さすがにこの時はそこまで気が回らなかったわよ。
 
だって、その…ねぇ? オトコノコのコレって、アレがソレで、ナンなんでしょ?
 
なんて煩悶してたら、シンジが間抜けなことを訊いてきた。
 
『あれ? 乙女って、…アンジェって女の子なの?』
 

 
『あったり前でしょっ!!この天上を流れる楽の音のような美声を聞いてて、判んなかったの!』
 
今度は何か予感でもあったのか、シンジが耳を塞いだ。無駄なんだけど、まあ気持ちってヤツ?
 
『そんなこと言われたって、男の人とも女の人とも区別のしようのない声。としか聞こえないよ』
 
ゑ?
 
『そうなの…?』
 
『そうだよ』
 
さんざん頭の中で騒ぎ立てられてか、シンジの機嫌が悪そう。
 
『…ホントに?』
 
『嘘ついてどうすんのさ』
 
落ち着いて聴いてみると、確かにシンジの心の声もそんな風に聞こえる。ワタシが自分のイメージで、勝手にシンジの声に置き換えてたみたい。
 
考えてみれば肉声じゃないんだから、性別に左右されないのは当然なのかも。
 
『…その、ごめん。そんな風に聞こえてるなんて気付かなくて』
 
なんだか、自分でも気持ち悪いくらいに素直なのが判る。ワタシって、こんな素直な女の子じゃなかったと思うんだけど…
 
『あっ、ううん。僕の方こそごめん』
 
なにやら不機嫌そうにぶつぶつ呟いてたシンジが、慌てて謝ってきた。
 
…そっか。シンジはともかく、ワタシの方は言葉でしか気持ちを伝えられないんだ。態度とかで示すってワケに行かないもんね。だから、知らず知らずのうちに素直なんだわ。
 
…でも、なんだか不快じゃない。
 
 
『…アンジェって、女の子だったんだ』
 
途端にシンジの頬が火照った。自分がナニをしようとしていたか、思い至ったんだろう。
 
なにやら意識しだして、視線がめちゃくちゃだ。
 
ワタシがソレを見せられたら恥ずかしいように、シンジだってソレを女の子に見られるとなったら恥ずかしいだろう。
 
そう思うと、急にシンジが憐れに思えてきた。
 
ワタシさえ我慢してれば、シンジは何の気兼ねもなく過ごせていたはずなのに…
 
このままじゃ手助けどころか、お荷物じゃない。
 

 
 ……
 
   …
 
アスカ、行くわよ。
 
『シンジ。目をつぶって、できる?』
 
『えっ? 目をつぶってって、なにを?』
 
『ナニをって、ここですべきことをよ』
 
言葉に釣られて、シンジがトイレの中を見渡す。予測できたから、酔いはしない。
 
『でも、…』
    『そこまで』
 
ぴしゃりと、撥ね退けるように言い切る。こういうときこそ割り切らなくちゃ。
 
『アンタも恥ずかしいだろうケド、ワタシだって恥ずかしいわ。お互い様よ』
 
第一、シンジの五感はワタシも感じている。シンジが限界だろうってことは、よっく判ってるのだ。というか、よくここまで我慢できるわね。って、感心するぐらいよ。
 
『しないワケにはいかないんだから、お互いに我慢しましょ』
 

 
 ……
 
『うっうん』
 
生理的欲求に負けて、ついにシンジが頷いた。
 
 ……
 

 
 
知らなかった。と云えば、オトコノコってアレの時にソレを手で支えるのね…
 
さすがに触覚まではどうしようもなく、暗闇の中で却って生々しく感じられる手触りに必死で耐えた。
 
 
 
 …どうしよう… 汚されちゃったよぅ……
 
 
****
 
 
そのあとは、迎えに来たミサトと色々な手続きをしに回ることになった。
 
シンジのパパとエレベーターで鉢合わせしたり、一人暮らししろって告げる職員に反発したミサトが引き取ると言い出したり、第3新東京市を見渡せる高台に連れてかれて生えるビルを見せられたり、レトルト食品で歓迎されたり、バスルームでペンペンに驚いたりした。
 
最後の最後に本人の了解もとらずにフスマを開けたミサトが、「一つ言い忘れてたけど、あなたは人にほめられる立派なことをしたのよ。胸を張っていいわ」なんて言うもんだから、昨日から溜まりに溜まっていたネルフへの鬱憤を悪口雑言の限りに言い立ててやった。
 

 
『アンジェが言っちゃうから、僕がつける文句がないよ』
 
『あ…ごめん。迷惑だった?』
 
やっぱり、ワタシずいぶんと素直になってる。
 
ううん。とシンジがかぶりを振った。…これ、早くなんとかしなきゃ。ホントに…酔うわ。
 
『僕は言いたいことも言えずに裡に秘めちゃうから、アンジェが僕の身になって代わりに言ってくれると…その、気が晴れるんだ』
 
 
『…』
 
つい、押し黙っちゃった。
 
だって、そこまで考えて文句をつけてたワケじゃないもの。
 
でも、そんなんでもシンジの役に立ってるかと思うと、なんだか嬉しい。
 
…やっぱりワタシ、なんだか変だわ。
 
『…ありがとう。おやすみ』
 
シンジが掛け布団を引き上げた。
 
『うん。おやすみ、シンジ』
 
 
****
 
 
目だけは絶対閉じるな。と忠告しといたんだけど、ちょっと難しかったみたい。
 
鈴原のストレートは基本も何もなってないけど、そのバカ力だけでシンジの身体を吹っ飛ばした。
 
校舎裏に呼び出し。って時点でキナ臭いものを感じたから、一応の注意だったんだけどね。
 
さすがのワタシも、目を閉じた状態じゃあ的確な指示は出せない。出せても、シンジじゃついてこれないんだろうケド。
 
「すまんの、転校生。わしは貴サンをどつかんなならん。どついとかんと気ぃがすまんのや」
 
「…」
 
訳知り顔で近づいてきた相田が、おざなりに掌を立てて、上っ面だけすまなさそうな顔をしてくる。
 
「悪いね…こないだの騒ぎであいつの妹さん、怪我しちゃってさ…ま、そういうことだから…」
 
ワタシはコイツらの仲良さそうな姿しか知らないから、こんな出会い方してるなんてちょっと意外だった。
 
 
「…僕だって、乗りたくて乗っているわけじゃないのに」
 
小さな呟きを聞き逃さなかったらしい。去りかかっていた鈴原が、踵を返して詰め寄ってくる。
 
シンジの襟首を掴んで持ち上げ、睨みつけてきた。
 
『ダメっ、シンジ。アンタは悪くない。だから目を逸らしちゃダメ』
 
ワタシの叱咤に、シンジの視線が鈴原に戻される。かすかに震えているけれど、しっかりと相手の目を見据えて…
 
振りかぶった鈴原を、懸命にシンジが睨みつけた。目頭に込めた力が、目を閉じまいとしているシンジの努力を教えてくれる。…って、目を閉じるなって忠告、今頃実行してんの?
 
「…」
 
気をそがれたって顔した鈴原が唐突に襟首を放すもんだから、尻餅ついちゃった。…あいたた。キュートなヒップに痣がついたらどうしてくれんのよ。…って、ワタシのお尻じゃなかったっけ。
 
シンジも結構痛かったらしく、お尻をさすっている。…オトコノコのお尻って、不思議な感触なのね。硬いのに、軟らかいわ。
 
 
五感の全てを余すところなく共有してるっていうことを、シンジには教えてない。ただでさえ生活の全てを女の子に見張られてるっていうのに、このうえ触覚やら痛覚まで筒抜けだと知ったら心の休まる暇がなさそうだもの。 
 
 
人影に気付いて振り仰いだ視界の中に、ファースト。
 
女の子の前でお尻をさすっていたのが恥ずかしかったのか、シンジが慌てて手をホールドアップした。
 
そんな気遣い、この女には無意味よ。
 
「…非常召集…先、行くから」
 
ほらね。
 
 
****
 
 

 
指の間に違和感を覚えて、シンジの視線が下を向く。
 
『こんの、バカども!』
 
そいつらを視認した途端、全身の血液が沸騰したかと思った。もちろん、気持ちの上でってコトだけど。
 
 ≪ シンジ君のクラスメイト? ≫
 
 ≪ 何故こんな所に? ≫
 
妹が被害に遭ったって言った、その舌の根も乾かないうちにノコノコと…!
 
シンジが、今どんな思いで戦ってると思ってんのよ。
 
 
ファーストに促されてネルフに向かい始めてから、こうして使徒に相対するまで。シンジは恐ろしいくらいに静かだった。
 
搭乗手続きに必要な最低限の遣り取りにだけ応じ、そのほかには一切口を開かなかった。慰めようとして話しかけるワタシの言葉にも、生返事を返してくれればいいほうだったもの。
 
きっと、一所懸命にモチベーションを保とうとしていたんだわ。
 
ワタシみたいに、自分のために戦うって割り切れるようなヤツじゃないのよ。自分を殴るような連中を守るために命がけで戦わされているシンジの気持ち、アンタたちなんかに…!
 
 
滑るように接近してきた使徒が、宙に浮いたままに光の鞭を振るう。
 
驚いたことに、音速を遥かに超えるだろう鞭の先端を、初号機が掴み取った。
 
シンジ。アンタ、やるじゃない。自分の体があったら、口笛のひとつも吹いたかも。
 
≪シンジ君、そこの2人を操縦席へ!2人を回収したのち一時退却、出直すわよ≫
 
本気!? ミサト。
 
 ≪ 許可のない民間人を、エントリープラグに乗せられると思っているの!? ≫
 
 ≪ 私が許可します ≫
 
 ≪ 越権行為よ!葛城一尉! ≫
 
発令所でケンカしてんじゃないわよ!
 
 ≪エヴァは現行命令でホールド、その間にエントリープラグ排出、急いで≫
 
 

 
 
「 なんや、水やないか! 」
 
「 カメラ、カメラが… 」
 
バカコンビがプラグ内に確保されたのを確認して、神経接続が再開される。
 
延髄に蟻走感と…、頭の中が霞がかったようにぼんやりとしてくる。
 
 ≪ 神経系統に異常発生! ≫
 
 ≪ 異物を2つもプラグに挿入したからよ!神経パルスにノイズが混じっているんだわ ≫
 
シンジと一緒に弐号機に乗った時は、こんなことなかったのに。こいつらが特別バカだからかしら?
 
≪今よ、後退して!回収ルートは34番、山の東側へ後退して!≫
 
「転校生、逃げろっちゅうとんで!転校生っ!」
 
『 …逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ 』
 
って、アンタ。まさか…
 
『ダメっっ!!』
 
あらん限りの思いを込めて、シンジに叩きつける。
 
きっと、その言葉を呪文のように繰り返して、萎えそうになる気持ちを引き止めてきてたんだわ。そうやって、かろうじて戦場にとどまってたシンジには、逃げろって言葉が反対の意味を持って聞こえたに違いない。
 
『ダメよ、シンジ。ここは下がるの』
 
『…アンジェ』
 
我に返ったって調子で、シンジ。
 
『まずは要救助者の救出で作戦成功よ。使徒殲滅は次に持ち越し。判った?』
 
『うん』
 
 
****
 
 
一旦回収された初号機は、バカ二人を放り出したあと即座に第4使徒と再戦した。
 
あの鞭を見切れるシンジにとって、この使徒はたいした敵じゃなかったみたい。
 
第3使徒戦なんかと較べると、遥かに軽微な損害で殲滅できたもの。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第参話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:09


ひとりはイヤ…
 

 
眠ることが出来ないワタシは、なんとかシンジの五感を遮断する方法を会得した。
 
そうしておいて、何も考えないようにして過ごすの。
 
 
シンジが寝ている間、ワタシは独りぼっちになる。
 
孤独には慣れてるはずなのに、間近にシンジの鼓動や息遣いを感じていると寂しくってしょうがない。
 
だから、引き篭もる。何も感じなければ、孤独も感じない。
 
 
強ければ、独りでも生きていられると思ってた。でも、実際には強ければ強いほど…ううん、強がれば強がるほど、独りぼっちになっていったような気がする。
 
ほとんど一心同体と言っていいほどにシンジを身近に感じられる今では、だからこそ独りで居るのがつらい。
 
これは、ワタシが弱くなったんじゃないと思う。
 
ワタシが、孤独ってモノをよく解かってなかったから。自分から周囲を拒絶して他人を遠ざけておく程度のことを、孤独だなどと思い込んでたのね。
 
孤独でないことを味わってなお、放り込まれる孤独とは、比べ物にならないもの。
 
 
何も考えないようにしているはずなのに、ついつい思索が脳裏を満たす。
 
独りぼっちで考えるのは嫌。時間が経つのが、遅くなるもの…
 
 

 
 
『こんな夜中に、何してんの?』
 
シンジが起きてるらしいことに気付いたワタシは、後先なしに声をかけてしまった。…きっと、嬉しかったんだと思う。
 
『…アンジェ?』
 
途端に、シンジの心臓がきゅっと縮こまったような気がした。
 
えっ? ワタシ、なんかイケナイこと、した?
 

 
こんなに真っ暗なのに、シンジは明かりもつけずになにやら水に手を浸している。かすかに見える周囲の輪郭から、バスルームだと判った。
 
シンジは、洗面器で白い布を洗ってたらしい。この肌触りは… ブリーフ?
 

 
『シンジ、アンタまさか…おね』
              「違っ!…」
 
ワタシの声を遮るように上げられた否定は、だけど言い切られることはなく…
 
止まってたんじゃないかと思わせてた心臓が、遅れを取り戻そうと早鐘を打ち鳴らす。シンジの頬が、急速に熱をおびる。額から流れ落ちるのは、ねっとりとした脂汗だった。
 
心外だと言わんばかりの口調から、おねしょではないのだろうと思う。だけど最後まで言い切れなかったのは、夜中に大声を張り上げることへの遠慮じゃあなさそうな…?
 
シンジの視点は安定せず、酔いそうになる。ちらり、ちらりと視線が左に振られるのは、なにかの葛藤の表れかしら?
 

 
オンナノコじゃあるまいし、オトコノコが夜中に下着を汚すなんて…と考えてて、一つだけ思い当たった。保健体育の時間にそう云うことを習ったような気がするし、ワタシだって14歳のオンナノコなんだから、歳相応に耳年増だった。
 
 
『 …キモチワルイ』
 
反射的に漏らした言葉ほどには、本気で嫌悪を覚えたってワケじゃない。ただ、シンジの男の部分を見せつけられて、相対的にワタシが女だってコトを突きつけられたことに対する拒絶だった。
 
シンジが嫌なんじゃなく、男と女というモノ、自分が女だって事実に嫌悪を覚えた。自分という存在に、外しようのないオンナって云う枷がついてるのに耐え切れなかったの。
 
なにより、肉体を失くしてシンジに憑りついてるっていうのに、未だに女であることへの嫌悪を捨てきれてない愚かな自分が嫌だった。
 
 
 
しばらく、自分への憎悪で固まってたんだと思う。気付くと、常夜灯だけのシンジの部屋。
 
シンジの手からぽとりと落とされたのは、たぶん、固く絞ったブリーフ。
 
なげしに掛けてあったハンガーから制服を引っ攫ったシンジが、無言で着替えてく。
 
『…シンジ?』
 
滅多に使わないグリップバッグを取り出して、黙々と財布やSDATを詰め込み始めた。
 
『…何してるの?』
 
静かに部屋を後にしたシンジが、足音を殺して玄関へ…
 
『ねぇ、ドコ行こっての…?』
 
靴を履いて、一瞬だけ廊下の奥。きっとミサトの部屋のほうを、見やった。
 
『ちょっと待って!さっきのは違うのっ!』
 
だけど、伸ばされた手はためらいなく開閉スイッチを押す。
 
『シンジ!お願い、ワタシの話しを聴いてっ』
 
夜明け間近の夜気は冷たかったけれど、シンジの手足の冷たさを強調するばかりで…
 
『違うの!さっきのは違うの!お願い、ワタシの話しを聴いてっ』
 
踏み出したシンジの足音が、全ての終わりを告げる鐘の音に、聞こえた。
 
 
****
 
 
始発の環状線に飛び乗ったシンジは、大音量でSDATをかけっぱなしだった。夜になってぶらついたのは、喧騒うずまく繁華街。そうして辿り着いたのは安っぽい映画館で、効果音ばかりが盛大なB級スペクタクルをオールナイト上映していた。
 
その選択のどれもが、語りかけようとするワタシへの拒絶の表れかと思うと、無性に悲しくなった。
 
 
  ≪ だめです、津波がきます!秒速230mで接近中! ≫
 
ぼんやりとしていたシンジの視界が、急に焦点を取り戻す。視線の先に、いちゃつくカップル。
 
  ≪ 先生!脱出しましょう! ≫
 
やにわに立ち上がったシンジが、ロビーに避難した。
 
…やっぱり、気にしてんだ。
 
 
長椅子を見つけて横になったシンジは、ほどなくして寝息をたて始める。
 
いつもなら孤独を苛むだけのシンジの寝息が、なぜか嬉しかった。
 
呼びかけても応えてくれないことは変わりがないのに、寝ている今は不可抗力だからと己を誤魔化すことができる。
 
偽りの安息だと判っていても、縋りつかずには居られない。噛みしめるようにシンジの鼓動を数えて、夜を明かした。
 
 
****
 
 
前日とは打って変わって、シンジは静かな、人影のないトコロをさまよった。山、田んぼ、ひまわり畑…
 
『…』
 
ワタシは、シンジに呼びかけることすら出来なくなってたわ。
 
静かな場所で話しかける言葉は、砂地に水を撒くような虚しさでワタシを打ち据える。シンジが、ワタシを拒絶してるんじゃなくて、ワタシを無視してるんだと思い知らされて…、哀しい。
 
拒絶なら、少なくとも招かれざる存在として認識されてんだもの。存在の認識すらしてもらえないことを思えば、それですら…
 
 
「ああ、一度でいいから、思いのままにエヴァンゲリオンを操ってみたい!」
 
焚き火の炎の向こうに、バカケンスケ。
 
「やめた方がいいよ。お母さんが心配するから」
 
「ああ、それなら大丈夫、俺、そういうの居ないから。…碇と一緒だよ」
 
バカケンスケなんかと普通に会話を交わすシンジの姿に、シンジの心の中には、ワタシが居ない。ということを痛感させられた。
 
『お願いシンジ!』
 
狂おしさに突き動かされて、再び口を開いた。
 
『ワタシの話しを聴いて!ワタシを無視しないで!謝るから、謝るからっ!』
 
何度も繰り返した言葉を、今また。
 
『だからワタシを見て!ワタシを無視しないで!』
 
ワタシの声は届いているはずなのに、
 
『死ぬのは嫌。自分が消えてしまうのも嫌』
 
遮りようのない心のコトバなのに、
 
『お願いシンジ!ワタシを殺さないでっ!』
 
シンジは眉一つ顰めなかった。
 
 
『…いや』
 
 イヤなのに。
 
 『嫌…』
 
  嫌いなのに。
 
  『…イヤ…』
 
   …シンジの傍に居たいのに。
 
   『独りはイヤぁ…』
 
…居場所がなくて、閉じ篭るしかなかった。
 
 
 
****
 
 
…ひとりはイヤ
 
 
何も感じない状態のはずなのに、違和感がなかった。
 
それはつまり、感覚を遮断しようがしまいが、今のワタシにとっては違いがないってコト。
 

 
失ったモノの大きさに、今さら気付く。この茫漠な虚無が、ワタシの全てだなんて…
 
なにもかも取りこぼしたかのような喪失感は、もしかしたら死 そのものなのかもしんない。
 
 
死をイメージすると、必ず思い出すのが、天井からぶら下がってたママのこと。
 
嬉しそうなその顔が、とてもイヤだった。だから死ぬのは嫌。自分が消えてしまうのもイヤ。私を消したからママは嫌。ママのこと見捨てたパパも嫌!パパみたいなのばっかりかと思うと男の子も嫌!みんなイヤなの!
 
誰もワタシのコトを護ってくんない。一緒に居てくんない。
 
だから、一人で生きると決めた。ワタシは一人で生きる、と。パパもママも要らない!一人で生きるの。ワタシはもう泣かないの!
 
でも、嫌なの!辛いの!
 
 
 ひとりはイヤ…
 
 
   1人はいや、 ひとりは嫌、 独りはイヤぁ!
 
 
****
 
 
 
そこに戻れば孤独を突きつけられると知っていて、でも、この虚無にも耐えられなくて…、遮断していたシンジの五感を受け入れた。
 
だけど、それは、ワタシが弱くなったワケじゃない。
 
ワタシは、もともと弱かったんだ。それに気付かない…ううん、気付きたくなかっただけで。
 
自ら孤高を保っていると嘯いて、寂しいのは、自分が選び取ったからだと己を誤魔化していた。寂しいのは、選ばれた者ゆえの苦悩だと虚勢を張っていた。
 
 
だけど、今は… 自分が弱いと自覚した今は…
 
だから、拒絶されてもいい、無視されてもいい。ただ、他人の存在を感じられるだけで、それだけでよかった。
 
 
「この2日間ほっつき歩いて、気が晴れたかしら?」
 
「…ええ」
 
狭くて、暗い空間だった。視線は何を求めるでもなく、下方に。
 
「エヴァのスタンバイできてるわ。乗る? 乗らないの?」
 
「叱らないんですね、家出のこと。当然ですよね、ミサトさんは他人なんだから」
 
目の前には、切り取られたように照らされた床。コントラストが質感を削いで、硬度を増している。
 
「もし僕が乗らない、って言ったら、初号機はどうするんですか?」
 
伸びた影は、きっとミサトの。
 
「レイ、が乗るでしょうね。乗らないの?」
 
「そんなことできるわけ無いじゃないですか。彼女に全部押し付けるなんて。大丈夫ですよ、乗りますよ」
 
「乗りたく無いの?」
 
「そりゃそうでしょ。第一僕には向いてませんよ、そういうの。だけど、綾波やミサトさんやリツコさ…」
「いい加減にしなさいよ!」
 
ミサトの怒声に、シンジが思わず面を上げた。向けた視線の先に、肩を怒らせたシルエット。
 
「人のことなんか関係ないでしょう!嫌ならこっから出て行きなさい!エヴァやアタシたちのことは全部忘れて、元の生活に戻りなさい!アンタみたいな気持ちで乗られるのは、迷惑よ!」
 
ミサトの言い草はあまりにも自分勝手で、思わず…
 
『むりやり乗せておいて、このうえ心まで思い通りにしよっての!』
 
声に出してしまった。
 
『アンタに、シンジの何が解かるって言うのよ!』
 
あらん限りの思いを、
 
『向いてないって解かってんのに、人のために戦えるなんて立派じゃない!充分に、立派じゃない!』
 
ぶちまけてしまった。 
 
『後ろ向きだろうが消極的だろうが、シンジはエヴァに乗って、戦ってるじゃない』
 
シンジの心の傍に、ワタシは居た。戦うさまを、ずっと見てきた。
 
『自分の心を押し殺して、人のために戦ってるじゃない』
 
そうして解かったことは、ワタシたちがよく似てるってコトだった。
 
双子のようにそっくりって意味じゃない。ワタシたちは二人とも心の中に欠けたモノ、満たされずに餓えてるトコロがある。その欠けたモノのカタチや意味は違っていても、そこにエヴァが嵌り込んでいるって点で、ワタシたちは同じだった。
 
『なんで、このうえ。心までアンタの望みどおりに変えなきゃなんないのよ…』
 
生きて一緒に生活している時は、そんなことに気付かなかった。ううん、むしろシンジを蔑んでたわ。なまじ同じところがあるだけに、却って他の部分の違いに耐えられなかったのだろうと思う。 
 
同族嫌悪って、ああいうのを言うのかしら?
 
『…アンタの罪悪感を、シンジのせいにすんじゃないわよ』
 
ワタシに、ワタシに身体があれば…
 
こんな心を土足で踏みにじるようなマネ、させないのに。
 

 
 ……
 
ぽつり。とシンジが呟いた。
 
誰にも聞き取れないほどに、小さく。
 
でも、ワタシには判る。五感を共有してなくても判っただろうと、思う。
 
名前を、呼んでくれたのだ。
 

 
『 … シンジ ? 』
 
ミサトへの罵詈雑言とは打って変わって、おそるおそる。
 
「アンジェ、…ごめん」
 
 …
 
『…わっ、ワタシこそ…』
 
さっきとは違う理由で、無性に自分の身体が欲しかった。そうしてシンジと向き合いたかった。ワタシの言葉に篭った万感の想いを、ココロの言葉は却って伝えてくれないだろう。
 
「1度考え出したら…、ここに来てからのこと全てが嫌になって」
 
決してアンジェのことが嫌いになったとか、そういうわけじゃないんだ。と、思い出したようにココロの声に切り替えて。
 
『こんなに心強い味方がいて、僕はなにを迷ってたんだろうね…』
 
自分で自分が嫌になるよ。って、つぶやきは、ココロの声と口中で同時に。
 
そうね。アンタのその内罰的なところ、嫌いだったけど… 嫌いだと思ってたけど…
 
 
いきなり両肩を掴まれて、乱暴に揺すぶられた。
 
「シンジ君、大丈夫?」
 
…酔うどころかバーティゴに陥りそう…。これ、早めにナントカしとかないと…
 
「…まさか精神汚染じゃ!?」
 
独りごと言ったり、ミサトを無視して黙り込んだり。傍目から見れば不気味だったのだろう。容赦なくシンジを揺さぶるミサトの目が真剣だった。
 
「 …ミサ トさん」
 
声までシェイクされて、なんだか滑稽ね。くすくす笑っていると、笑い事じゃないよ。とシンジの抗議。まっ、ミサトのバカ力で揺すぶられりゃあねぇ。
 
「なっ何? 医療部行く?」
 
揺さぶるのをようやく止めたミサトの、目をまっすぐと見上げて。
 
「人のために、エヴァに乗っちゃダメですか?」
 
ゑ? っと、ミサトのまぬけ面。
 
「僕には向いてませんよ、そういうの。恐いですし、やりたいとは思いません。でも僕にしか出来ないというなら、やるしかないじゃないですか」
 
「それでいいの? シンジ君」
 
ぎゅっと握りしめられた両肩の痛みに、シンジが顔をしかめた。そのことに抗議しないのは、シンジも見たからだろう。ミサトの、あまりに悲痛なその表情を。
 
いったい、シンジに何を見てるって云うの? ミサト…
 
「僕にだって、守りたいと思うモノは有るんですよ」
 
「守りたい者?」
 
「ええ、たとえば家族とか」
 
見上げた視線はまっすぐで、ミサトはあろうことかほんのり頬を染める。
 
たとえば…。と呟いたシンジが、右の掌を胸に当てた。
 
ちょっとシンジ、それどういう意味なの? ちゃんと言いなさいよ!
 
アンタのそういうはっきりしないトコ、大っ嫌い!!
 
 
****
 
 
 

 
 
 ……
 
  
2日ぶりに帰宅したシンジを待っていたのは、ブリーフに生えたカビだった。
 
 
                                         つづく
2007.05.16 PUBLISHED
.2009.01.01 REVISED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第四話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:09


『それじゃあ、お先に。おやすみ、シンジ』
 
「おやすみ」
 
このところの習慣として、ワタシはシンジより1時間ほど早く寝ている。もちろん、単に感覚を遮断するだけなんだけど。
 
何のために。なんて野暮は言わない。シンジも問い質したりしない。暗黙の了解の上でワタシの気遣いを素直に受け止めて、短いプライベートタイムを満喫しているようだ。
 
 
Auf Regen folgt Sonnenschein
 
こっちだと、雨降って地固まる。だったかしらね?
 
あれ以来、シンジとの絆が強くなってきているのを実感する。
 
嬉しいのは、ワタシの話し相手になってくれることを、シンジが厭わなくなってきたコト。場合によってはシンジの方から話しかけてくれたり、相談してくれるようになった。
 
意外だったのは、ほとんどが家事とかについての相談だってコト。シンジの家事能力がワタシより高いことは判っていたので、それらについて協力できるとは思ってなかったもの。だから、ワタシから持ちかけるのは使徒戦の反省とかが多い。でも、味付けの感想を言ったり、献立の希望を言ったりするくらいのことがとても助かるって、シンジは言ってくれた。毎日のことだから、相談に乗ってくれるのが嬉しいって。
 
こないだも、結局押し付けられることになった洗濯当番で、ミサトの下着を手洗いしていいものかどうか。二人で延々と討論した。とりあえず洗濯ネットで洗っておいて本人の意向を聞くことになったんだけど、その時のミサトの顔は結構な見ものだったわ。
 
…思えば、一緒に暮らしてた頃には文句を言うばかりで、こんな些細な協力すらしてなかった。どれだけシンジに甘えていたのか、今頃になって解かるなんてね。
 
 
話し相手がシンジしか居ない今の状態で、シンジとの会話はワタシにとって大切なものになりつつある。一方的に喋ってもいいんだけど、やっぱり相手してくれるのとくれないのじゃ張り合いがずいぶんと違う。
 
 
…そろそろ、いいかな?
 
このところのもう一つの習慣が、シンジが寝入ったあとで、シンジの五感を受け入れることだった。
 
シンジの寝息と、鼓動。
 
孤独を際立たせるとばかり思っていたシンジの寝息が、今やワタシの揺りかごだった。
 
もちろん、ホントに眠れるわけじゃない。ただ、何ごとにも思い煩わされずに、心穏やかに過ごせるってだけ。
 
シンジのリズムに心を委ねていれば、余計なことを考えなくて済む。
 
独りっきりで考え事をしてると、なぜだかどんどん悪いほうへと思考が加速してしまう。比類なき頭脳ってのも考え物よね。
 
シンジのリズムはゆっくりとしていて、ワタシのココロにブレーキを掛けてくれてるんじゃないかって思う。
 
なにより、すぐ傍に誰かが居てくれる。という安心感がこの上ない。
 
…もしかして、ママのお胎の中って、こんな感じなのかも。
 
 
****
 
 

 
開いた口が塞がらないって、こういうのを言うんじゃないかしら。
 
ファーストの部屋のことよ。
 
コンクリート打ちっぱなしの壁。土足で上がってるらしい足跡だらけの床。血のこびりついた枕と無雑作に脱ぎ捨てられた制服。使用済みの包帯が詰まったダンボール箱はゴミ箱のつもりで、あのビーカーはグラス代わり?
 
…ファーストって、どんな育ち方したってのよ。
 
 
好奇心に負けてか、シンジがチェストの上のメガネをかけた。ヒビいってるし度が合うはずもないから、ちょっと視界が怪しい。
 
背後でした音は、アコーディオンカーテンでも開いたのかしら?
 
振り向いた視界の中に、ぼやけてるけどファーストの姿。あの髪の色は見紛いようがない。
 
ファースト。アンタ居たってんなら返事くらい…って、何で裸なのよ!ううん、自分の部屋だもの百歩譲ってそれはいいとするわ。
 
問題は、シンジのことを認識したんだろうに、逃げも隠しも、悲鳴をあげることすらしなかったこと。
 
「いや、あの……僕、別に…」
 
それどころか、まなじりを吊り上げてシンジに迫ってくる。…アンタ、そんな表情も出来たんだ…って、感心してる場合じゃない。
 
ちょっとは恥じらいってモノを憶えなさいよ!見てるこっちが恥ずかしいって…
 
『いつまでも見てんじゃないっ!』
 
ワタシが怒鳴るのと、ファーストがシンジの顔に手を伸ばすのがほぼ同時だった。
 
慌てて顔をそむけ、逃げようとしたシンジが、足を滑らせてファーストを押し倒す。
 
 …
 
ぱらぱらと周囲に降りかかるのは…下着? そう云えば、チェストの抽斗に詰め込まれてたっけ。今の拍子にぶちまけちゃったみたいね。
 

 
それでも悲鳴の一つとして上げるでもない。ファースト…アンタって…
 
 
「…どいてくれる」
 
ようやく喋ったかと思えば…
 
手の下の柔らかい感触がファーストの胸だと気付いて、シンジが慌てて飛び退いた。
 
おおよそ恥じらいとは無縁といった起き上がり方をしたファーストが、シンジをまるっきり無視してベッドの枕元のほうに。
 
シンジの左手が、何かを確かめるかのように指のカタチを求めた。何度も宙をまさぐっている。目で追った先でファーストは、置いてあったショーツを、これまた頓着せずに穿く。
 
「…なに?」
 
ようやく見るべきではないと気付いたらしいシンジが、視線を逸らす。
 
「え、いや、僕は…その…」
 
ファースト、アンタ。ブラの着け方、間違ってるわよ。っていうか、ワタシが見てるって事は、つまり…
 
『シンジ…』
 
向けてた視線を、慌てて逸らしてる。
 
「僕は、た、頼まれて…つまり…何だっけ…」
 
シンジがやたらと左手を気にしてるのが、なんだか腹立たしい。なんだろ? 何かを盗られたような、この焦燥感みたいなの…
 
「カード、カード新しくなったから、届けてくれって」
 
聞こえてくる衣擦れの音は、制服を着ているのだろう。シンジの喉がゴクリと鳴った。なんでオトコノコって、こうバカでスケベなのかしら!
 
「だから、だから別にそんなつもりは…」
 
見苦しいわよ。
 
「リツコさんが渡すの忘れたからって…ほ、ほんとなんだ。それにチャイム鳴らしても誰もでないし、鍵が…開いてたんで…その…」
 
慌ててるシンジは気付かなかっただろうが、足音が去っていった。 
 
続いて聞こえてきたのは、無雑作にドアが閉まる音。
 

 
『僕、相手にされてないのかな?』
 
シンジの肩がかくんと落ちた。無理もない。女の子の裸をあんな風に見ることですら大事件だっただろうに、そのことへのリアクションがないんだもの。
 
騒がれて問い詰められたいってワケじゃないんだろうけど、ちゃんと非難されて謝れなければ、シンジも罪悪感の持って行き処がナイんだと思う。
 
『代わりに、ワタシが怒ったげよっか?』
 
自分でも意外なことに、口調に刺が無かった。
 
シンジのデリカシーの無さに、ワタシ自身腹を立ててないわけじゃない。それに、胸元に凝ったような熱い塊を吐き出したい思いもある。だけど、さすがにファーストのあのリアクションを見たあとでは、そんな気になれなかった。
 
道端に裸の人形が落ちてたのを見つけたようなモンで、それだけじゃあ叱りようなんかないもの。
 
『それ…、意味がないよ』
 
などと言いつつ、シンジの嘆息は安堵の成分を多分に含んでそう。ファーストの態度に関して、ワタシが同じモノを共有しているらしいと感じたんじゃないかしら?
  
気を取り直して、シンジがファーストの後を追った。
 
 
****
 
 
「さっきは、ごめん…」
 
「…何が?」
 
むやみに長いエスカレーターの上。ここまできてようやく切り出せたシンジの謝罪なのに、ファーストの対応はすげない。
 

 
「あの、今日、これから再起動の実験だよね。…っ、今度はうまく行くといいね」
 
シンジは誤解したんだろう。やはりファーストが怒ってるんだと。むりやり見つけた話題を話す声が、上ずってる。 
 
それは、やはりオトコノコだからなんだろう。それに、シンジだからなんだろう。罪悪感の裏返しで、相手のコトをいい方向に解釈してしまうのは。
 
だけど、オンナノコには判る。ワタシには判る。ファーストには羞恥心が欠けてるってことに、なぜ謝られるのか本気で解かってないってことに。
 
「ねえ、綾波は恐くないの? また、あの零号機に乗るのが」
 
「…どうして?」
 
ファーストは振り返りもしない。それをちょっと寂しいと、シンジの視線が言ってるような気がする。
 
「前の実験で、大怪我したんだって聞いたから…平気なのかな、って思って」
 
「…あなた、碇司令の子供でしょ?」
 
うん。とシンジ。言葉に力がない。父子だなんて実感、ないんでしょうね。
 
「…信じられないの? お父さんの仕事が」
 
「当たり前だよ!あんな父親なんて」
 
半身を引いてシンジの顔を振り仰いだファーストが、向き直りながら一段ステップを上がる。かんこん、と鳴った足音がなんだか寒々しい。
 
「うっ!」
 
間近から見上げられて、シンジがうろたえた。
 
行動の唐突さの割に、ファーストの表情はいつもどおり。ずかずかとシンジのパーソナルスペースに踏み込んでおきながら、感情ってものを覗かせもしない。
 

 
「あの…?」
 
戸惑うシンジに、きっつ~い平手打ち。乾いた音がこだまして、まるで追い討つよう。
 
アンタ、そんな顔できんじゃないのよ。まるっきりのお人形さんってワケじゃあ、ないみたいじゃない。シンジの頬を叩く、その一瞬だけ感情を閃かせるトコがアンタらしいのかもしんないケド。
 
 
…それにしても、解からないのがシンジのパパの態度だわ。あきらかに実の息子よりファーストの方を気にかけてるように見える。暴走時に救出したって話しにしても、昨日語りかけてた様子にしても。
 
それに較べてシンジの扱いは…、って思い出したくもない。
 
 
ファーストの方も、今の平手打ちはシンジがパパを侮辱したからでしょ?
 
シンジが誰かにパパの悪口を言われたとしても、とても殴りかかるとは思えないから、実の親子より強い絆を持ってるように見える。
 
その割に、ファーストの部屋はあの有様で、ファースト自身も不満に思ってるわけじゃなさそうだからワケが解からない。
 
 
シンジは、頬を押さえたまま呆然としてた。…ううん、憮然としていた。かしらね? ただでさえパパのことを快く思ってなかったのに、今また言いがかりも同然に叩かれちゃあ ねえ…
 
テイクバックも充分だったし、ファーストは容赦なくひっぱたいたみたいね。まだ頬が痛いわ。
 
『ま、見物料だと思いなさい。安いモンでしょ』
 
って声をかけてあげたのに、返事もない。むっ、ワタシを無視したわね。そんなツレない真似すると、エスカレーターが終わるってコト教えたげないわよ。
 
 

 
ほら、いわんこっちゃない。
 
 
****
 
 
最近、シンジの視界の中の、焦点のあってないところに注目できるようになった。
 
つまり、シンジが見ていながら意識してないものを 見分けられるようになってきた。ってコト。
 
視線が定まらない時とかに酔わないよう、シンジの目の焦点と、ワタシの意識の焦点を合わせないようにしていたのが、そもそもの始まりなんだけどね。
 
 
そうして今、発進準備が進められている初号機の中からファーストの姿を見つけた。ケィジの、最上段のキャットウォークに。
 
もちろん、シンジは気付いてない。
 
ファーストは、なんだか寂しそうに初号機を見下ろしてる。それがシンジに向けられたものとは思えないから、対象は初号機…かしら?
 
でも、今までにそんな顔して見てたことはないと思う。
 
  ≪ 了解。第2拘束具、外せ ≫
 
着々と進む発進準備。水中スピーカーから聞こえてくる作業内容の声に、閃くモノがあった。
 
ファースト。アンタ、出撃する初号機を羨んでない? 出撃できない自分を蔑んでない?
 
再起動実験を成功させたのに出撃を許されないことを、自分に何かが足りないからだと、己を責めてんじゃない?
 
 …
 
…そっか。 そういうことか…
 
ワタシがそうで、シンジもそうなんだから、ファーストだけが別ってことはなかったんだわ。
 
アンタも、心の欠けたトコロにエヴァが嵌り込んでいるのね。あの部屋を見れば、アンタがどれだけエヴァに囚われているか、解かるような気がする。
 
…ワタシたち、まるでジグソーパズルのピースみたい。隣り合うこともなく、エヴァってピースを咥え込んで、それでかろうじて繋がっている。
 
お互いは酷くそっくりなのに、それゆえに触れ合えない。補い合えない。
 
ワタシ、アンタのこと嫌いだと思ってた。…でもそれは、ワタシがワタシを嫌いだったからなんだわ。
 
 
 ≪ 発進! ≫
 
きちんと確認したくてシンジを促そうとしたんだけど、無情にもミサトが命令を下してしまった。
 
 
 
  ≪ 目標内部に高エネルギー反応! ≫
 
 ≪ 『なんですってぇ!?』 ≫
 
あ!この表示…
 
  ≪ 円周部を加速、収束していきます! ≫
 
『シンジ、使徒の攻撃が来るわ。地上に出ると同時にATフィールド!』
 
『えっ? あっ、うん。判った』
 
きちんとした訓練を受けてないシンジは、発令所の様子を窺うってコトができないし、プラグ内に映し出されている情報の意味も読み取れない。
 
 ≪ だめっ!よけて! ≫
 
そんなあいまいな指示で、素人が動けるワケないでしょっ!
 
『テキは正面!場合によってはロックボルト、力づくで壊すわよ』
 
シンジの返事は、初号機が地上に到達するのと同時。
 
目前のビルの中ほどが赤熱化して、そこから光の奔流が襲いかかってきた。 
 
ロックボルトが思ったより固い。零号機の暴走、初号機のノンエントリー稼動への反省から強化されたと漏れ聞いた憶えが、…余計なコトを!
 
ATフィールドが、一瞬。本当に一瞬だけ保ち堪える。
 
ようやく拘束具を引き千切った右腕で、せめて庇おうと、しかし間に合わない。
 
易々とATフィールドを貫いた光が、胸部装甲板を熔融し始めた。
 
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 
痛覚を遮断する。これも最近になってできるようになった芸当だ。もちろん、シンジと同じ痛みを感じるコトがイヤってワケじゃない。冷静に状況を判断するための、止むを得ない選択。
 
 ≪ 戻して!早く! ≫
 
マズい!内壁近くのLCLが沸騰してきてる。熱対策の一環でLCLの沸点は低いらしいケド、このままじゃ…
 
人間は、100℃くらいまでは耐えられる。サウナだって平気でそんくらい有るもの。だけど、それは乾燥しているからだ。
 
『シンジ、息止めて!肺が火傷しちゃう!』
 
思い出したのは、熔岩滾る火口へ潜ったときのこと。あの時は「熱い」で済んだけど、この勢いだとシャレになんないくらい加熱しちゃうっ!今はLCLが盛大に気化することで熱伝導を抑えてるケド、そんなに保つワケじゃないはず。
 
 
ようやく初号機が引き戻されたんだろう。LCLの過熱が鈍った。シンジの絶叫が止まったのは、ワタシの忠告を聞き入れたからじゃない。瞳孔の散大で視界が霞がかって、…ダメ!
 
『シンジっ!シンジしっかりして』
 
シンジの状態を確認するために、痛覚を受け入れた。途端に襲ってくる痛みは、文字通り胸を抉るよう。早くっシンクロ切りなさいよっ!
 
自分の身体じゃないって解かっていても、息が詰まりそうだ。って違う!シンジの心臓が止まりかかってんだわ!
 
『シンジっ、シンジ!』
 
こんなトコロでシンジが死ぬわけない。と、漠然と思ってた。でも、でも…
 
っ痛!
 
ようやくスーツのAEDが動き始めたらしい。除細動の衝撃で、シンジの身体が反りかえる。…意識のある状態で電気ショックなんて、味わうモンじゃないわね。痛いったらありゃしない。
 
でも、それでシンジの心臓が動き出すなら易いモノだ。
 
―√ …シンジの鼓動が、再び。
 
『シンジっ!?』
 
だけど、シンジは返事をしてくれなかった。
 
 
****
 
 
「綾波っ」
 
シンジが全速力で目指すのは、零号機のエントリープラグ。過熱されてるだろうそれは、夜気に触れて盛大に湯気を立ててる。
 
【00】と書かれたプラグの中は、緒戦での初号機のそれと同じ状況だろう。あの時のシンジの絶叫が、ファーストの姿に被さって聞こえてきそうだわ。
 
 
 
…………
 
 
シンジが、スーツのフィットスイッチを入れた。
 
スクリーンカーテンの向こうに、ファーストのシルエット。無造作に下着を放り落としてるのが、視界の隅に見える。
 
「これで死ぬかもしれないね…」
 
「…どうしてそう云うこと言うの?」
 
それはね。シンジが少し弱気になっているから。今までと違って、目に見えるカタチでアンタの命まで預かるハメになったから。なにより、それが自分の不甲斐なさのせいだと思っているから。
 
それを、こんな言い方でしか表現できないのよ。コイツは。
 
意識を回復したあとで、いろんな想いを話してくれてなかったら、今のワタシでも誤解したでしょうケドね。
 
でもね。そういう言い方をするのも、シンジなりにアンタに打ち解けてきてんのよ。
 
…もっとも、実はシンジが生意気で反抗的な皮肉屋だってことに、ワタシも最近気付いたばかりなんだけど。気弱で裡に篭るから判りにくいけど、ミサトとのやりとりなんか見てると結構実感するわ。
 
もっと素直になれれば、いいのにね。
 
 
「…あなたは死なないわ」
 
向き直ったシンジの視界の中で、ファーストのシルエットが面を上げた。
 
「…私が守るもの」
 
そうね。アンタはシンジを守るでしょう。それが任務だもの。
 
でも、シンジが気にしてるのは自分の命ばかりじゃないわ。シンジはいつでも自分の心を押し殺して、人のために戦ってきたんだもの。
 
そのことを、アンタにも解かって欲しいと思っちゃ、ダメ?
 
 
***
 
 
「綾波は、何故これに乗るの?」
 
搭乗用に用意されたリフトのデッキの上で、シンジの呟きが夜風に乗った。
 
「…絆だから」
 
「絆?」
 
…そう、絆。と呟くファーストは、言葉の意味とは裏腹に、とっても孤独に見える。
 
「父さんとの?」
 
「…みんなとの」
 
みんな、ね…。それが誰を、どこまでを指すのかワタシには判んない。でも、アンタが実は寂しがり屋なんだって解かっちゃった。だって、特定の誰かではなくて、みんな。なんでしょ?
 
存在しない絆を、エヴァに乗ることで勝手に見出してるのよ。アンタは。…そうして寂しさを誤魔化してる。
 
ううん、誤魔化してるってコトすら、判ってないんじゃない?
 
 
「強いんだな、綾波は」
 
「…私には、ほかに何もないもの」
 
そう。やっぱりアンタも、エヴァに乗ることでしかアイデンティティーを確立できないのね。
 
「ほかに何も無いって…」
 
「…時間よ。行きましょ」
 
シンジの当惑を振り払うように、ファーストが立ち上がった。
 
「…じゃ、さよなら」
 
 
…………
 
 
 
「綾波っ!」
 
過熱した救出ハッチをむりやり開けて、シンジがプラグ内を覗きこんだ。
 
「大丈夫か!」
 
シートの上にファースト。ぐったりとして…
 
「綾波!」
 
うっすらと目を開けたファーストが、頭を起こす。
 
「自分には…自分にはほかに何も無いなんて、そんなこと言うなよ…」
 
シンジの鼻の奥を襲った熱が、急速に目頭を沸き立たせる。
 
「別れ際にさよならなんて、哀しいこと言うなよ…」
 
シンジと同じ痛みに耐えて、宣言どおりにシンジを守りきって、今こうしてシンジに心配されてる。…何故かしらね? なんだか、アンタが羨ましいわ。
 
泣くまいとして、シンジが何度もすすり上げた。
 
「…なに泣いてるの?」
 
身を起こしたファーストが、本当に解からないって口調で。…ううん、違うわね。アンタ、解からないんじゃなくて、知らないんじゃないの? そうでなきゃ、あんな生活に疑問を覚えないはず、ないもの。アンタがどれほど割り切ってたとしたって、あんな、…まるで実験動物のケィジみたいな部屋で!
 
 …
 
…ワタシが同情したからって、アンタが喜ぶとは思えないケドさ…。それでも…ね?
 
「…ごめんなさい。こういう時、どんな顔すればいいのか、わからないの…」
 
目尻に涙を溜めたシンジが、無理やり笑うのが判る。
 
「笑えばいいと思うよ…」
 
シンジの言葉を呑み込んで、ファーストがそれはそれは不器用に、実にぎこちなく微笑んだ。
 
不思議ね。アンタの笑顔、ワタシでもなんだか嬉しいわ。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第伍話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:09


『ねぇ、シンジ。おべんと、もう一個余分に作れない?』
 
『…できるけど、なんで?』
 
卵焼きを巻く手を休めずに、シンジの応え。
 
シンジは最近、こんな風に結論を先に、疑念などは後に訊いてくることが多い。ワタシへの信頼の賜物。っと勝手に思ってるケド、ホントのところはどうなのかしら?
 
 
『ファ…。レイって、まともな食事、してなさそうでしょ?』
 
ワタシの方はというと、最近レイの事をファーストって呼べなくなった。
 
ワタシたちが実はそっくりなんだと気付くと、チルドレンに振られたナンバーが、ジグソーパズルのピースを見分けるために書き殴られた数字のような気がして、不快になる。
 
大量生産品にシリアルナンバーのシールを貼るさまを想像して、本当に気持ち悪い。
 
 
『…そうだね。それに、独りぼっちで食べてるみたいだよね』
 
安っぽい同情だと、自分でも思わないワケじゃないわ。
 
でも、「ナニもない」なんて言い切られると、ワタシ自身が居たたまれなくなる。自覚してなかっただけで、ワタシにもやっぱりナニもなかったんじゃないかと、思ってしまう。
 
だから、これはレイのためなんかじゃない。…ワタシの、自己満足なの。
 
 
『…でも、受け取ってくれるかなぁ』
 
『…作戦はあるわ』
 
 
 
ミサトが起きだしてきたのは、シンジが2口目のトーストを頬張った時のコト。
 
「…おはようございます」
 
トーストを飲み下したシンジの足元で、ペンペンが2匹目の焼き魚を丸呑みした。
 
ふぁ~~~あ…おはよ…。って、オナカを掻くのは止めなさい。こんな姿を見せ付けられて、シンジが女嫌いにならないとイイケド…って遅いか。
 
 
「くぅ~~~~~~っ!朝一番は、やっぱこれよね~♪」
 
缶ビールを一気に飲み干して、ミサトが唸った。
 
「コーヒーじゃないんですか?」
 
「日本人はねぇ、昔から朝はご飯と味噌汁、そしてお酒、って相場が決まってんのよ」
 
「ミサトさんが、でしょ?」
 
シンジのテンションの低さに、ミサトの眉が下がる。
 
「…、あによぉ…」
 
「大体、今朝の食事当番は、誰でしたっけ?」
 
飲み下したコーヒーほどには、シンジの口調は甘くない。
 
「…だって、シンちゃん。おべんと作るのに早起きしてんでしょ?」
 
「それはそれ、これはこれです」
 
シンジにおべんとを作るよう奨めたのは、ワタシ。一緒に住んでたときにワタシの分まで作ってくれてたから、お昼にパンを買いに行ってたのはちょっと意外だった。
 
お昼ご飯にパンだけってのは体に悪いし、お小遣いの節約にもなる。なにより、積極的に自身をマネージメントすることは、シンジの精神衛生にいいと思う。
 
  
「ミサトさんがその歳でいまだに独りなの、解かったような気がします」
 
悪かったわねぇ、がさつで。と、目尻を引き攣らせて。大人気ないわよ、ミサト。
 
「ずぼらも、でしょ?」
 
「っうっさいわねぇ~」
 
ミサトのリアクションに一瞥もくれず、シンジが両手を合わせた。
 
「ご馳走さま」
 
 
使い終わった食器をシンクで洗ってると、ペンペンが自分の食器を持ってくる。
 
ありがとう。クワワっ。って遣り取りが微笑ましいわね。
 
「ホントに今日、学校くるんですか?」
 
「当ったり前でしょ? 進路相談なんだから」
 
流してた水を、お湯に切り替えてる。サカナの脂を落とすにはそのほうがいいんだってさ。
 
「でも、仕事で忙しいのに…」
 
「いいのいいの、これも仕事だからね」
 
途端に、シンジの手元がお留守になった。
 
「仕事…ですか?」
 
 …
 
…あれ?
 
いつもなら、シンジをからかうのにミサトの追い討ちがかかるはずなんだけど?
 
『シンジ、ミサトの顔』
 
耳元でささやくような気持ちで言うと、シンジがちらりと盗み見る。
 
バツが悪そうに視線を逸らしてたミサトが、シンジの様子に気付いて慌てて笑顔を取り繕った。…やっぱりね。
 
『さっきの、ミサトの照れ隠しよ』
 
『…照れ隠し?』
 
『そうよ。素直にシンジの世話を焼けるのが嬉しいなんて言えないから、仕事だって正当化してるの』
 
そうなんだ。との呟きは、チャイムの音と同時。
 
「はい~、あら~~、わざわざアリガト~~~。え? ちょ~っち待っててね♪」
 
…三十路女の作り声って、気持ち悪いわね。
 
「ミサトさん、そんな格好で出て行かないでよ。恥ずかしいから…」
 
言ってる内容ほどには口調がきつくないと感じるのは、ワタシの思い過ごしじゃないと思う。
 
「はいはい…」
 
 
****
 
 
「…なぜ?」
 
案の定、レイは素直に受け取ろうとしない。自分の席に座ったまま、その赤い瞳をただ、向けてくる。
 
「綾波、お昼ごはん食べなかったり、カロリーマイトだったりするでしょ。良くないよ、そういうの」
 
「…必要な栄養は摂ってるわ」
 
「数値上のことだけじゃないよ」
 
「そうよ、綾波さん。同じ栄養を摂るのでも、出来るだけいろいろな食べ物から摂った方が体にいいんだから」
 
これはヒカリ。前の休憩時間に、協力を取り付けさせたのだ。
 
ヒカリがいつからバカトウジのことを好きだったのかは知らないケド、二つ返事で応えたところを見ると、もう惚れてるんじゃないかしら。一緒に食事をしたいってコトを匂わせたら、一も二もなく飛びついたもの。
 
「それに、みんなで一緒に食事した方が吸収効率がよくなるって聞いたよ。だから、一緒に食べて欲しいんだ」
 
「…みんなで、一緒に…?」
 
そう。とシンジが頷いた。
 
「これも、みんなとの絆だよ」
 
…絆。と、レイが呟く。
 
 …任務じゃない、人との繋がり。…自由意志で結ぶ、絆。…あのときの、私の気持ち。
 
続く言葉は俯いた口中に消えて、シンジには聞こえなかっただろう。
 
 
シンジの視界の、焦点のあってないところに注目できるようになって暫く。シンジが認識してないだろう音声を聴き取れることに気付いた。
 
機能的には聞こえているであろう音声も、脳が認識してないんだろう。例えば耳元の血管を流れる血液の音を、人は普段、意識しない。
 
シンジが寝ている時なんか、聴覚だけが情報源だから、次第に研ぎ澄まされてきたのかもしれないわね。
 
 
「…なぜ?」
 
再び面を上げて、てらいなく赤い瞳を向けてくる。
 
「上手く言えないけど、絆って一方的なものじゃないんだ」
 
そうそう。と、ヒカリが相槌を打った。
 
「お互いに歩み寄って、はじめて結べるのよ」
 
「だからこうして、僕はお弁当を作ってきた。綾波が応えてくれると、嬉しいな」
 
 …
 
レイ。アンタは何のために戦ってるか、解かってる?
 
こういう日常を、こういう人たちを、守るためよ。
 
ワタシはそのコトを、戦いとは無縁で居られたはずの男の子から、学んだわ。ソイツは自分のことを、逃げ出す勇気もないんだ。なんて嗤ったケド、ヒトの真価は、その人の行動で評価されるべきよ。どんなに泣きゴトを言っても、ちゃんとエヴァに乗って戦ってんだもの。
 
…アンタも、教えてもらいなさい。いろんなコトを、シンジに。
 
 
****
 
 
「さ~って、メシやメシぃ♪学校最大の楽しみやさかいなぁ!」
 
なんて言うわりに購買部のパンって、アンタちょっと侘しくない?
 
なりゆきを見守ってただけのバカコンビを加えて、屋上でのランチは総勢5人。
 
「碇と委員長はいつも通りのお手製弁当で、綾波は愛妻…愛夫弁当か」
 
あいおっとべんとう。って、なんか間抜けな響きねぇ…バカケンスケらしいけどさ。
 
そんなんじゃないよ。と苦笑いするシンジの向かい側で、レイが? を浮かべてる。
 
「そういえば、綾波は食べられないものとかって、ある?」
 
「…肉、きらい」
 
開けたおべんと箱の、豚の角煮を無表情に睨みつけて、レイがぽつりと。
 
「あっ、そうなんだ。ごめん、あらかじめ訊いとくべきだったね」
 
「…いい」
 
もちろんワタシは、レイが肉嫌いだってことを知ってる。だけど、それをシンジに教えとくわけにはいかなかった。だって、不自然じゃない?
 
ぽりぽりと頭を掻いてたシンジが、ふとヒカリのほうを向いた。
 
「洞木さん。よかったら、おかずを交換してくれないかな?」
 
好き嫌いは善くないと思うけど…。とレイを見やったヒカリが、…でもまあ。と、眉尻下げて微笑んだ。いったい、なにを一人で結論付けたのやら。
 
「綾波さん。どれか食べたいもの、ある?」
 
差し出されたおべんと箱を、意外に真剣な眼差しで値踏みして、
 
…これ。と指さしたのは、なにやらピンク色の物質だった。
 
「綾波さん、なかなかの目利きね」
 
「ポテトサラダ? ピンク色って、珍しいね」
 
ファンシーな耐油紙の器ごと取り出したヒカリが、レイのおべんと箱の角煮と取り替えている。
 
「近くの喫茶店のマスターに教えてもらったの。トマトジュースが隠し味なのよ」
 
へぇ~!と上がる感嘆に、ヒカリの頬がほんのりと赤く。一人、頓着しないレイがポテトサラダを頬張って、口元をほころばせていた。
 
「そうだ、洞木さん」
 
「なあに? 碇くん」
 
「よかったら、僕に料理を教えてくれないかな」
 
碇くんに? と首をかしげたヒカリが、シンジのおべんと箱に視線を落とす。冷凍食品が多いのは仕方ないけれど、パイロットとして自己管理を勉強したことのあるワタシがうるさいので、栄養バランスだけは完璧だ。
 
「わたしが教えるまでもないと思うけれど…?」
 
「付け焼刃だから我流だし、野菜料理のレパートリーが少ないんだ」
 
トレードしてきた角煮を箸先でつついて味見したヒカリが、納得顔で頷いた。確かアレも冷凍食品だったっけ。
 
冷凍食品は、やっぱりメインディッシュになりそうな肉や魚の料理が多いみたい。野菜料理のレパートリーが多くないと、レイのためにおべんと作るのは難しいでしょうね。
 
「そういうことなら、歓んで」
 
ありがとう、お願いします。と頭を下げるシンジに、ヒカリが却って恐縮していた。
 
 
…ん? これって、使えるんじゃない?
 
『シンジ、シンジ』
 
そんな必要はないっていうのに、こういうとき声を潜めてしまうのは何でかしらね?
 
まあ、その方が雰囲気出るじゃない? 悪巧みの、ね?
 
耳打ちした内容に驚きながらも、シンジは快諾した。反対する理由はないね。だって。
 
 
「…とっ というわけで、付き合ってくれるよね。トウジ」
 
はぁっ!? と、本人は言ったつもりなんだろう。口の中のモノを飛び散らしたそれは、ぶわぁっ!? って聞こえた。…キッタナイわねぇ、こんのバカトウジ!
 
「 なむで、… わひが … ふき合わな … ならんえん 」
 
喋るか食うか、どっちかにしなさいよ…
 
「だって、失敗したときに ざっ 残飯処理係が要るじゃない」
 
「あんなぁ、センセ…」
 
「それに、ほっ 洞木さんのお手本、食べられるかもしれないよ?」
 
シンジが指差す先に、ヒカリのおべんと。釣られて見つめたバカトウジが、ごくり。と生唾を飲んだ。
 
「ねぇ? 洞木さん」
 
「え? …えぇ、そっそうね。碇くんが失敗したらこっ困るわよね」
 
いきなり振られたヒカリが、声を上擦らせながらも、しっかり肯定する。よしよし、なかなか素直じゃない。こんなキラーパス、めったに出せないんだから、きっちり決めなさい。
 
「せやかてなぁ…」
 
あら? クロスバーに弾き返されちゃったってカンジ? それなら…
 
『…』
 
「…協力してもらうんだから、とっトウジの分の弁当も作ろうかとも思ったんだけど、…残飯処理の上に、同じメニューで弁当ってのも、ね、ねぇ?」
 
ちらり。とシンジがヒカリに視線を投げる。台詞は棒読みだし、仕種はワザとらしいし…シンジ、アンタ役者には向かないわね。
 
視線を受けたヒカリの方はといえば、シンジの言わんとしていることを察して…すなわち、トウジへの想いを見透かされてることに気付いて、頬を赤く染めている。
 
 …
 
さんざん目を泳がせたヒカリが、固唾を呑んだ。…最後に視線をやったのは、バカトウジが手にしてるパン、かしらね?
 
「そっそれじゃあ、わたしが鈴原にお弁当を作ってあげる」
 
なけなしの勇気を総動員してか、耳まで真っ赤にして。
 
「えぇっ!洞木さん、そっそこまでしてもらったら、なんだか悪いよ」
 
…ワタシが悪かったわ、シンジ。今後一切アンタに演技なんか求めないから、せめてモ少し、落ち着いてちょうだい。
 
「ううん、わたし姉妹が二人いてね、名前はコダマとノゾミ。いつもお弁当わたしが作ってるんだけど…」
 
そら難儀やなぁ。と、コトのなりゆきを理解してなさそうなバカトウジが、ひとり能天気に。
 
「3人分って、結構難しくて。だからわたし、いつもおべんとうの材料、余っちゃうの…」
 
「美味そうやのに、そらぁもったいあらへんなぁ」
 
えっ? と、ヒカリ。いっぱいいっぱいで、バカトウジの言葉、聞き逃したみたいね。
 
「センセぇのんの失敗作はなんやけど、残飯処理ならいくらでも手伝うで」
 
「え…うん、手伝って!」
 
 
 
それじゃあ。と具体的に話しを進めだした3人の横で、レイが手を合わせた。
 
「…ごちそうさま」
 
…そういう礼儀作法、アンタ知ってたんだ。
 
 
****
 
 
使徒戦以外でエヴァが出撃したことがあるとは聞いてたけれど、あんなヘンテコなロボット相手だったなんてね。
 
なんだかウサン臭い奇蹟だったけど、ミサトもご苦労様よね。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第六話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:10


「ホンマ、センセの言ぅたとおりやなぁ」
 
風にさらわれないように野球帽を押さえたバカトウジが、バカケンスケの首根っこを掴んでいる。
 
「おぉー!すっごい、すっごい、すごい、スゴイ、凄い、凄ぉい、凄い、凄すぎるーっ!男だったら涙を流すべき状況なんだから、放してくれ~」
 
輸送ヘリの窓からUN艦隊が見えたときにシンジに言いつけたのが、バカトウジの帽子が飛ばされないようにすることと、バカケンスケを野放しにしないことだった。
 
 
「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
 
お気に入りのワンピースにチョーカーまで着けて、こうして見るとワタシって結構気合入れてたんじゃない?
 
「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
 
「そ。ほかのところもちゃんと女らしくなってるわよ」
 
女らしく…ね。その言葉をワタシが口にすることの寒々しさを、このワタシは知らない。
 
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレィよ」
 
『シンジ』
 
背後から吹き付けてきていた輸送ヘリのダウンウォッシュが弱まったので、シンジに合図する。
 
「なっなんや? センセぇ…」
 
「碇っ!メガネ、メガネが痛い!」
 
バカコンビの視界を塞いで、自らもまぶたを固く下ろした。
 
両手が塞がっているバカトウジは抵抗のしようがないし、バカケンスケはカメラが大事でロクな抵抗をしない。シンジはバカ正直に目をつぶって…って、シンジ。一緒に歯まで食い縛んのは癖なの?
 
まあともかく…これで、ちょっとはマシな出会いになるんじゃないかしら。
 
『もういいわよ』
 
シンジがまぶたを開くと、正面にワタシ。パンプスの分だけ、ちょっと見下ろして。
 
「碇って呼ばれてたケド、アンタがサードチルドレン?」
 
ふふん♪さすがにワタシね。その通りよ。
 
「う…うん。碇シンジ。よろしく」
 
シンジが差し出した右手を、条件反射で掴んでる。どう判断したものか、決めかねてるのね。
 
ワタシと同様に、初手でガツンと決めるつもりだったはずだ。先手必勝ってね。そういう意味であのアクシデントは渡りに船だったけれど、シンジがきれいに躱しちゃったもんだから、付け込めないで居るんだわ。…さ、シンジ。
 
「来てくれて嬉しいよ。優秀なパイロットが仲間になってくれるって、聞いてたんだ」
 
シンジの言葉には淀みがない。ヒカリとバカトウジの仲を取り持とうとした時とは、雲泥の差ね。…それはつまり、シンジの本心の近くにこの言葉があったからじゃないかと思う。
 
「…仲間。ですって?」
 
反撃の糸口を掴んだと思ったんだろう。ワタシの口の端に嘲りが乗った。
 
「アンタなんかと馴れ合う気はないわ」
 
「そんなこと言わないで、仲良くして欲しいな。…なるべく足を引っ張らないように努力するから」
 
教えといた台詞を言うので精一杯だったシンジは気付いてないだろうが、このワタシは目に見えて途惑っている。…ワタシにしか、判んないかもしんないけれど。
 
10年も訓練していたワタシには、エヴァパイロットとしての自負があった。だけど、厳然たる実績を持つシンジに対して、どうやって優位性を保とうか色々と考えていたわ。見縊られたくない一心で。そうでなきゃ、ワザワザこんなところまで出迎えに来たりしないし、めかしこんだりもしない。
 
つまり、この時点でワタシには、シンジに負けてるって気持ちがどっかにあったのね。でも、訓練無しのシンジが3体も使徒を斃してるってコトを自分の都合のいいように解釈して、虚勢を張ってた。…と思う。ちょっと自信がないのは、いくら自分のこととはいえ…ううん。自分のことだからこそ、はっきりとは解からないものだと思うから。
 
…それっくらい完璧に自分を騙してたんじゃないかと…、なんだか自分自身を疑っちゃうわね。
 
 
「はん!まっ、考えといてあげるわ」
 
シンジの態度を、実戦で3体もの使徒を斃した余裕と受け止めてか、苛立ちが見える。ワタシに足りないものは余裕だと、この時点のワタシは気付いてなかったんだと思うわ。
 
 
さっさと踵を返したワタシの後を、ミサトに促されてシンジが追った。
 
その背中を見てて思うのは、ワタシは、このワタシをどう…って、ややこしいわね。もう! 
 
ええい!アスカ。割り切るのよ、割り切るの。ワタシはワタシ、アレはワタシであってワタシじゃない。ワタシは…ワタシは…
 
ばしばしとほっぺた叩くような思いで唱えてたから、シンジの呼びかけに気付かなかったみたい。
 
『なに? シンジ』
 
『…ホントに、これで良かったのかな?』
 
見つめているのは、先に立ってエスカレーターに乗っているアスカ。その背中。
 
『ええ、充分よ』
 
シンジは知らないから不安そうだけど、ずいぶんとマシな出会い方になってるのよ。
 
『…それより、シンジは良かったの?』
 
『なにが?』
 
『…その、こんな風に下手に出て』
 
アスカをいなすために提案したケド、正直シンジの気持ちのことは度外視してた。10年も訓練しているとはいえ相手は実績ゼロなんだもの、ワタシだったらとても真似できない。
 
『人付き合いって苦手だし…、それで上手くいくって言うんなら、構わないよ。…それに、いつも逃げたがってる僕なんかより、よっぽど頼りになりそうだよね』
 
 
そんなことナイって言ってあげたのに、シンジは寂しそうに笑って取り合ってくれなかった。
 
ワタシなんかの言うことじゃぁ、説得力ないのかなぁ…
 
 
****
 
 
「今、付き合ってる奴、いるの?」
 
自分でも不思議だったのは、加持さんの姿を見ても特に心を動かされなかったってコト。
 
「そっそれが、ぁあなたに関係あるわけ?」
 
「あれ? つれないなぁ」
 
今でも、好きだとは思う。でも、あの時のような狂おしさを感じない。
 
「君は葛城と同居してるんだって?」
 
「えっ、ええ…」
 
今のワタシにはハートがないから、ってワケじゃないと思う。
 
「彼女の寝相の悪さ、直ってる?」
 
「「「 えぇ~っ!!! 」」」
 
目の前で、アスカが固まっている。
 
そういえば、加持さんにそういう相手が居てもおかしくないってコトを考えたことすらなかったんだわ。
 
「なっ? なっ!なっ★…何言ってるのよ!」
 
…そっか。
 
つまりワタシは、生身のオトコとして加持さんを見てなかったんじゃない。ふつう、好きな男ができれば、相手に付き合ってるヤツは居ないか、どんなオンナと付き合ってたのか、気になるもんでしょ?
 
そんなことを考えもしなかったのは、ワタシにとって加持さんが架空のオトコだったからじゃないかしら。だから、寝相の悪さを知ってるだなんて生々しさに引いたんだ。
 
「相変わらずか? 碇シンジ君」
 
そう考えると、目の前のアスカが昨晩しただろうコトが、―かつて自分がしたことが、急に恥ずかしくなってくる。…その大胆さにではなくて、あまりの厚顔無恥さ加減に…
 
本当に好きなら、軽々しく肉体関係なんか言い出せないもの。
 
心の底から好きなら、相手にも好きになって貰いたいと思う。大切にしてもらいたいと思う。…そうじゃない? 少なくとも、ワタシはそう。今のワタシは、そう。
 
「えっ? ええ…。…あれ? どうして僕の名前を?」
 
そもそもオンナとしてオトコに愛されたいだなんて、当時の自分が本気で思ってたなんて考えられない。…それが子供を産むことに繋がりかねないって、解かってた上でよ?
 
それはつまり、加持さんを利用しようとしてたんだと思う。オンナになるのではなく、オトナになるための手段として。コドモでなくなるための、近道だと。
 
「そりゃあ知ってるさ。この世界じゃ、君は有名だからね。何の訓練もなしに、エヴァを実戦で動かしたサードチルドレン」
 
1人で生きるためにそうして早く大人になろうとした反面、ワタシは誰かに見守られることを渇望してたわ。他人の評価なんか関係ないって解かってたつもりなのに、そうされないと自分の価値を実感できなかった。
 
だから気を惹きたかったんだと思う。…その時に、もっとも傍に居た人の。
 
…ワタシって、バカね。…ううん、コドモね。
 
 
「いや、そんな…偶然です…」
 
「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、君の」
 
…ゴメンネ、加持さん。迷惑…だったでしょ。今、シンジを睨みつけてるアスカの分も謝っとくね。
 
「じゃ、また後で」
 
はい。って応えるシンジの視界の隅で、なにやらミサトが呟いていた。
 
 
****
 
 
「赤いんだ、弐号機って。知らなかったな」
 
アスカが捲りあげたカバーシートの隙間から覗き込んで、シンジがぽつりと。
 
「違うのはカラーリングだけじゃないわ」
 

 
仮設の艀を渡ったアスカが、あっという間に弐号機に駆け上った。
 
「所詮、零号機と初号機は、開発過程のプロトタイプとテストタイプ」
 
弐号機のうなじから見下ろして、アスカ。 …って、まだちょっと慣れないわね、自分を客観視するの。
 
「訓練無しのアンタなんかにいきなりシンクロするのが、そのいい証拠よ」
 
それにしても…、さっきエスカレーターで待ち伏せしてた時といい、今といい。実に絶妙なアングルだわ。確か下ろしたての可愛いノを穿いてたはず…なんて心配しちゃうじゃない。朴念仁のシンジだから気付いてもないケド。
 
狙ってやってたつもりはないから、ワタシも意外と無防備なんだわ。気をつけ…ようもないか、今のワタシじゃあね。
 
「けどこの弐号機は違うわ。これこそ実戦用に作られた、世界初の本物のエヴァンゲリオンなのよ。正式タイプのね」
 
そんなことにどれほどの意味があったのか、今では疑問だらけだ。…特に、あの白いエヴァシリーズを見た後ともなれば。
 

 
輸送艦を襲う揺れ。来たわね。
 
「水中衝撃波!」
 
 
 
舷側に駆け寄ると、駆逐艦が沈んでくトコだった。
 
「あれは!まさか…使徒?」
 
「あれが? 本物の?」
 
ミサトの元に戻ろうとするシンジの横で、振り返ったアスカが弐号機のカバーシートを見やっただろうコトを思い出した。
 
「チャーンス!」
 
 
****
 
 
基本的に、あまり口答えしない方がいいってアドバイスしておいたから、シンジはアスカの言うなりになって弐号機のプラグに納まった。
 
前回は結構、ゴネたりしてたような気がするから、これはワタシへの信頼の賜物だと思うことにする。
 
「さ、ワタシの見事な操縦、目の前で見せてあげるわ。ただし、ジャマはしないでね」
 
だけど、シンジのことを知りもしないアスカにこう見下された言い方をされると、腹が立ってしょうがない。つい愚痴がこぼれる。
 
『…まあまあ』
 
もしかして、シンジがアスカに口答えしなかったのは、ワタシを宥める方に気を使ってたからなんてコトは…ないわよね? 
 
 
 
『…』
 
「あっ…ごめん。惣流さん」
 
アスカが起動手順を始めたので、シンジに耳打ちしたのだ。途端にアラート。
 
「ナニよ!ジャマしないでって言ったでしょう!?」
 
「ホントにごめん。だけど、僕ドイツ語なんて出来ないから」
 
バグが出るほど思考ノイズがあるってことは、シンジが弐号機にシンクロしてるってコトよね? バカコンビを初号機に乗せたときは、ここまで酷くなかったもの。
 
「…しょうがないわね。思考言語切り替え、日本語をベーシックに!」
 
それにしても、男の子の身体でワタシのプラグスーツって、着心地悪いったらありゃしない。いろいろとキツかったり、ユルかったり…。特に胸のカップに溜まったLCLが身じろぎするたびに揺れて、最っ低。…シンジのスーツ、持って来させたかったなぁ。
 
 
「エヴァンゲリオン弐号機、起動!」
 

 
 ≪ いかん、起動中止だ、元に戻せ! ≫
 
 ≪ かまわないわアスカ、発進して! ≫
 
上のほうの縄張り争いは無視するしかない。後付けとはいえミサトの許可が出たんだから、後はミサトの問題だ。
 
「海に落ちたら やばいんじゃない?」
 
「落ちなきゃいいのよ」
 
 ≪ シンジ君も乗ってるのね ≫
 
「はい」
 
 …
 
なに? …この間?
 
 ≪ アスカ、出して! ≫
 
こちらに向かってくる、航跡。
 
「来た」
 
「行きます」
 
あっ!と思い出したのは、初号機が崩したビルの下敷きになったっていうバカトウジの妹のコト。不可抗力だとか、止むを得ない犠牲だとか、そういう大義名分は、被害者やその家族…あるいは遺族に、通じるもんじゃない。
 
たまたまワタシにはUN海軍の関係者が身近に居なかっただけで、ああいうことはワタシにも起こり得たんだ。
 

 
弐号機にシンクロしてるシンジの感覚を経由して、硬いモノを易々と踏み潰すヤな感触…
 
跳び移ったのはイージス艦の艦橋だったはずだけど、確実に一層は踏み抜いたと思う。それが示す事実に、ナゼこん時のワタシは気付かなかったの?
 
「さあ、跳ぶわよ」
 
「跳ぶ?」
 
次へ跳び移るために体重をかけたその足が、軟らかいモノを踏みにじってるような気がして…
 
『…あっ、…あっ!』
 
跳び移った先で、またもや踏み潰す感触。
 
『…いや。イヤ… シンジ、止めさせて!お願い、今すぐコイツを止めて!』
 
だけどシンジは目を回していて、それどころじゃなかった。
 
『イヤぁ!!お願いシンジっ!ワタシっワタシ!』
 
弐号機の赤が、別の赤いモノで染め直されていくようで…怖い!
 
踏み潰したばかりの艦艇を蹴り捨てて、宙に跳び出す感覚。飛距離を延ばすための体捌きですら、猛禽の舌なめずりに思えて…、
 
『…イヤ、いや。嫌ぁぁぁ!』
 
…だから、だから。ワタシはシンジとの繋がりを捨てた。
 
 
****
 
 
…ほんのちょっと。
 
そう、オーバーザレインボゥに着くまでのつもりだったのに、気付いた時にはすべて終わっていた。いつの間にか、新横須賀から帰る、車中。
 
時間感覚すら混乱していたのかしら? …ううん、怖かったから、またあの感触を味わうのがイヤだったから、絶対に大丈夫だと確信するまで出てこれなかった。
 
人類を守るための使徒戦で人を殺してるかもしれないという矛盾が、どうしようもなく怖かった。そのことに気付きもしなかった自分が、どうしようもなく…赦せなかった。
 
 
聞いた限りでは、前の時とほぼおんなじ経過を辿ったみたい。…もうちょっとマシな結果に、できると思ってたのに…
 
『…大丈夫?』
 
さっきから何度も、シンジが心配してくれている。
 
でも、ワタシが閉じ篭った理由も、いま落ち込んでる理由も、シンジに話すわけにはいかない。
 
自分がしでかしてしまったことに、シンジを巻き込みたくなかった。それが今のワタシのことではなかったにしてもだ。
 
『大丈夫。心配しないで…』
 
…なんで、こんな陳腐な言い訳しか出来ないんだろう。こんな言葉じゃ、心配してくれって言ってるようなもんじゃない。あれだけ泣き喚いて、長時間引き篭もって、説得力なんかないわよ。
 
むしろ…、そっけない言葉が、シンジを拒絶しているように聞こえないかどうか、そっちの方が気にかかる。
 
…助けて欲しいと思ってる。この胸の裡を聞いて欲しいと思ってる。だけど、シンジにこれ以上なにかを背負わせるワケにいかないじゃない。シンジはシンジの苦悩で手一杯だもの。助けるって決めたワタシが重荷を増やしてどうするって云うのよ。
 
 …
 
…つらい。とっても、つらい。
 
『ホントに? なんか、無理してない?』
 
シンジの優しさが、ワタシを癒して…傷つける。やさしさって、意外に残酷なのね。
 
『…僕なんかじゃ、頼りになんないよね』
 
…ああ、もう。これだからバカシンジは!落ち込んでる暇もないじゃない。アンタ、本当にワタシが居ないとダメなんだから。
 
『この程度のことで、いちいち落ち込むんじゃないわよ!』
 
まったくもう!いくらワタシだからって、24時間365日フル稼働ってワケにはいかないのよ。
 
『だいたいね、アンタがワタシの心配するなんて100万年早いの』
 
次々と浴びせかける罵詈雑言を、シンジはうんうんと頷いて聞いている。
 
『もう!言われっぱなしで悔しくないの!? ちょっとは言い返しなさいよっ!』
 
うんうんと嬉しそうに口元をほころばせて、シンジは頷くばかり。
 
嘆息。…もちろん、気持ちの上でよ?
 
『いい? シンジ。ワタシは弐号機との相性が悪いみたいなの、 』
 
これは、たった今思いついた言い訳だ。テンションが高くなるとアイデアも出やすくなるのかしら?
 
『乗り物酔いみたいに気持ち悪かったから、安静にしてたのよ。わかった!?』
 
「…」
 
何か言いかかった。って風情のシンジが、でも口を閉じた。わかったよ。と頷いている。
 
 
ああ…なんかすっとした。シンジを思いっきり罵倒したからかしらね?
 
『今夜はなんか、さっぱりしたモノが食べたいわ』
 
『…冷奴とか、棒棒鶏とか?』
 
まだ少ないレパートリーの中から、一所懸命に挙げてくれてるのが解かる。
 
『いいわねぇ』
 
ザワークラウトが食べたいトコだけど、今は我慢。…そのうち、アスカとの絡みで食べられるでしょ。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第七話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:10


『シンジ、空き缶』
 
『あっ、うん』
 
踏まないように気をつけてって意味だったんだけど、誤解したシンジは拾ってゴミ箱を探した。歩道橋の上にあるはずもないから、ちょっと持て余し気味。
 
一度、シンジが誤ってテープの空ケースを踏んづけたことがある。そのときにワタシが上げた声なき悲鳴を、シンジは聞いてないだろう。艦艇を…ううん、UN海軍の将兵を踏み潰した感触を、まざまざと思い出させられたのだ。
 
それ以来。シンジが何か踏んづけやしないか、そればかり気にしてるような気がする。
 
 

 
「ハローゥ、シンジ!グーテンモルゲーン!」
 
「おはよう」
 
卑屈になって迎合することはないと言ってあるから、シンジがドイツ語で返事することはない。
 
「朝っぱらからボランティア活動? …イイコちゃんねぇ」
 
シンジが手にしてた空き缶を、アスカが指先で弾いた。
 
「…で、ここに居るんでしょ、もう1人」
 
「誰が?」
 
「アンタ、バカぁ? ファーストチルドレンに決まってるじゃない」
 
言われてみて思ったケド、あの言い方から即座にレイのコトだと判るのは本人だけだ。世界に3人しか居ないチルドレンの1人だって意識が強いから、ああいう言い方になるのは解かる。だけど、だから他のチルドレンも同じように意識してると考えるのは間違いだわ。現にシンジはそこまで意識してないから、もう1人と言われてもピンとこなかったんだと思う。そこを理解せずに人をバカ呼ばわりするのは筋違いってものよね。相手が解かるように話せない自分が悪いんだもの。
 
「ああ、綾波なら…」
 
シンジが見下ろした先に、レイ。植え込みの陰で本を読んでるみたい。何もあんな人通りの激しそうなところで読まなくてもいいと思うんだけど、それがレイってコトなんだろう。あのコはああ見えて寂しがりやみたいだから、多そうな人通りのわりに詮索されることは少なそうなこの時間のあの場所は格好の書斎なのかも。
 
…それはそうと、こんなトコで立ち止まってたら通行の邪魔よね。2人の身体で堰き止められた生徒たちのざわめきが、なんだか重い。
 
 
 
「ハロゥ!アナタが綾波レイね。プロトタイプのパイロット」
 
シンジを促して、アスカの後について歩道橋を降りてきた。
 
こっちも、できれば少しは良い出会い方をさせたいじゃない。
 
「ワタシ、アスカ。惣流・アスカ・ラングレィ。エヴァ弐号機のパイロット、仲良くしましょ」
 
「…どうして?」
 
…ホント、アンタらって…
 
「その方が都合がいいからよ。いろいろとね」
 
「…命令があれば、そうするわ」
 
『…シンジ、』
 
って耳打ちするまでもなく、シンジはレイの前まで進み出る。
 
「綾波。そういうのって良くないよ」
 
「…どうして?」
 
じゃあさ。って小首をかしげたシンジが、右手を自分の胸に当てた。
 
「僕との絆は、命令されたから?」
 
…いいえ。と、レイ。…求められたことに応じたいと思った、私の心。なんて呟いてる。
 
「じゃあ、仲良くしようって言ってくれた惣流さんに、さっきのはないよね」
 
「…そうね。ごめんなさい」
 
「謝るのは、僕にじゃないよ」
 
シンジが目配せするように視線をやる先に、ちょっとブゼンとした様子のアスカ。
 
…ええ。と立ち上がって、レイが深々と頭を下げた。
 
「ごめんなさい、惣流さん。仲良くしてください」
 
「変わったコねぇ」
 
  「ほんま。エヴァのパイロットって、変わりモンが選ばれるんとちゃうか?」
 
ははは…。バカトウジ、聞こえてないと思ってんなら大間違いよ。今のワタシは、まさしく地獄耳なんだからね。
 
 
****
 
 
ウイングキャリアーから投下されて砂浜に降り立つと、電源装置トレーラーがケーブルを接続してくれる。
 
もうじき、あの分裂する使徒が現れるはずだ。
 
≪2人掛かりなんて、卑怯でヤだな。趣味じゃない≫
 
 ≪ アタシたちに選ぶ余裕なんてないのよ、生き残るための手段をね ≫
 
珍しく、ミサトの言うとおりね。戦力の逐次投入が愚の骨頂だってコト、今のワタシにだって解ってるはずなのに…ワタシのココロの中は、ワタシが、ワタシには、ワタシだけが!って…、そればっかりだったんだわ。
 
…ううん、それしか無かったのよね? アスカ。
 
なんだか哀しいわ。自分への同情ってナンて言うんだったっけ、えぇと…、憐憫?
 
 
盛大にあがった水しぶきに、シンジが息を呑んだ。
 
「来た!」
 
 ≪ 攻撃開始! ≫
 
≪じゃ、ワタシから行くわ!援護してね!≫
 
「わかった」
 
ヤジロベエみたいなカッコした使徒に、初号機のパレットライフル。
 
≪行けるっ!≫
 
「えぇっ!?」
 
半ば水没したビルを足場に、弐号機が使徒に接敵。残した間合いを一気にジャンプで詰めて、ソニックグレイブを振り上げる。
 
≪やぁあああああーっ!!≫
 
案の定、使徒はあっさり両断された。あのときの手応えは良く憶えてる。ううん、手応えの無さを、…かしらね。自分の実力を過大評価してたワタシは、その違和感が意味するトコロを都合のいいように解釈してたわ。
 
「お見事…」
 
≪どう? サードチルドレン!戦いは、常に無駄なく美しくよ≫
 
この使徒がこの程度で斃せないことはよく知っている。現に今、分裂を終えようとしてるもの。シンジにも、最後の最後まで油断しないよう、常々言い聞かせてあるわ。
 
『シンジっ、まだ!』
 
『…うん!』
 
弐号機に近いほうの使徒に向かってパレットライフルを斉射しながら、初号機が駆け寄った。使徒がひるんだ、その瞬間を奇貨として弐号機が下がる。
 
「大丈夫!?」
 
≪アンタなんかに心配されたくないわ!…≫
 
弐号機は問題ないと判断して、シンジが初号機に近いほうの使徒に攻撃を切り替えた。パレットライフルで牽制しながら左手にプログナイフを装備、すかさずコアを突き刺す。
 
…やるようになったじゃない。って!
 
『避けてっ!』
 
無造作に振るわれた使徒のツメを、初号機がかろうじて避ける。切り裂かれるパレットライフルの向こっ側で、弐号機が使徒の片腕を斬り落としてた。だけど、両断されたときと同様、まるで気にした様子がない。反撃を受けそうになって、あちらも一歩後退。
 
「ミサトさん!使徒の傷が!!」
 
 ≪ ぬゎんてインチキっ! ≫
 
プログナイフで傷つけたコアが、見る間に修復されてく。とどめを刺そうと腕の無い方から使徒に突撃してた弐号機が、唐突に生え治った腕に薙ぎ払われた。放物線を描いて跳ね飛ばされた赤い機体が、地面を穿って沈黙する。
 
アスカの悲鳴に気を取られたシンジを見過ごすほど、使徒も甘くないらしい。あっという間に目前まで詰め寄ってきて、今度こそ避けられそうもない間合いでツメを振るった。
 
 
****
 
 
「「はーい!」」
 
玄関のチャイムが鳴ったので、2人してリビングを出た。
 
ドアを開けると、ヒカリとバカコンビ。…まぁワタシは知ってたんだけどね。
 
「またしても今時ペアルック、イヤ~ンな感じ」
 
「「 こ、これは…、日本人は形から入るものだって、無理矢理ミサトさんが… 」」
 
このところのユニゾン訓練の成果ってワケでもないんだろけど、2人がきっちりハモる。
 
「ふ、不潔よっ!二人とも!」
 
「ごっ、誤解だよっ!」
「ごっ、誤解だわっ!」
 
誤解も六階もないわっ。って、ヒカリ…。アンタ、シンジの尽力でバカトウジと結構いい雰囲気になってきてるっていうのに、それはナイんじゃない?
 
「あら、いらっしゃい」
 
いやんいやんとかぶりを振るヒカリに声をかけたのはミサト。3人がやって来たエレベーターホールの方から現れなかったのは、レイを引き連れて隣の住戸の下見に行ってたから。
 
シンジに言われてレイの部屋を見に行ったミサトが、そのあまりの酷さに絶句してレイも引き取ると言い出したのだ。物理的に今のミサトんちじゃムリがあるから、隣りの住戸に住まわせることなったってワケ。予定では、それに合わせてアスカも隣りに引っ越すことになってる。
 
「こんわやぁ、どないなんか、教えてもぅて宜しぃでっしゃろか?」
 
 
***
 
 
「そないならそないやて、はよぅ言ぅてくださりゃぁええんですわ」
 
誤解が解けて、みんなが笑ってる。まぁ、レイはいつもの通りだし、こっちは特訓中でそんな余裕ないケドね。
 
「…で、ユニゾンは上手く行ってるんですか?」
 
「それは、見ての通りなのよ…」
 
ヒカリの質問に、ミサトが答えた途端にブザーが鳴った。
 
「「「「 はぁ~… 」」」」
 
苛立ち紛れに、アスカがヘッドホンを投げつける。
 
「当ったり前じゃない!このシンジに合わせてレベル下げるなんて、うまく行くわけないわ!どだい無理な話なのよ」
 
実は、アスカが言うほどシンジはひどくない。なんてったって、このワタシがアドバイスしてんだもの。これ以上のコーチなんて、ありえないでしょ?
 
それに、ワタシはユニゾンの結果を知っていた。だから自信を持って、シンジなら出来る。と言ってやれる。アンタのコトはワタシが一番知ってる…と励ますことができた。そのお陰かシンジは前向きで、そのぶん呑みこみも早い。
 
「じゃあ、やめとく?」
 
「他に人、いないんでしょ?」
 
だけどアスカは、シンジがそこそこついてきてると気付くと、勝手にゲームのレベルを上げてしまうのだ。
 
…自分がこんなに頑なだったなんて、ちょっと認めたくないものだわね。
 
「レイ」
 
「…はい」
 
…ミサト。アンタの意図はわかるケド、今ものすごくイジワルな目、してるわよ。
 
「やってみて」
 
…はい。とレイが立ち上がる。
 
依怙地なアスカが、…ワタシが悪いのはわかるケド、これはあんまりだと思う。
 
『…』
 
だから、お願いね。シンジ…
 
「僕はやりたくありません。ミサトさん」
 
「えっ? あの…シンちゃん?」
 
まさかシンジに反対されるとは思ってもいなかったんだろう、ミサトの目が点になった。
 
「…どうして? 碇くんは、私としたくないの?」
 
…レイ。アンタ口の利き方、勉強なさい。鈍感魔王のシンジでなきゃ、モノスゴイ誤解、しちゃうわよ。ほら、ヒカリなんか顔真っ赤だもの。
 
そういうわけじゃないけどね。と頭を掻いたシンジが、目つきも鋭くミサトを睨んだ。
 
「ミサトさん。零号機は出撃できるんですか?」
 
「えっ? …いやぁ、まぁだ、ちょっちねぇ…」
 
目を泳がせて誤魔化そうとするが、しかしシンジは追及の手を緩めない。
 
「それとも、綾波を弐号機に乗せようって云うんですか?」
 
「えぇと…、それもどうかなぁって、ミサトさん思うんだけど~」
 
…なははは~っ。なんて、笑って誤魔化せると思ったら大間違いよ。
 
確か、レイは初号機にもシンクロできたはずだ。そして、第6使徒戦でシンジが弐号機を動かせてた事実から考えると、レイが弐号機にシンクロできてもおかしくはない。
 
だけどまあ、ここでそれはどうでもいいことだわ。
 
「なら、綾波がやってみたところで、意味はありませんよね」
 
「いや、その? シンちゃん、あのね…」
 
言い募ろうとするミサトを、ヘッドホンを持った左手の一振りで一蹴。
 
「ミサトさんが何をしたいかは解かるつもりです。でも、こんなあてこするようなやり方、僕は嫌いです」
 
シンジが喋ったのは、ほとんどワタシが吹き込んだ言葉なんだけど…。ヤダ、なんかシンジ頼もしいじゃない。
 
なのに、アスカは…
 
「アンタなんかに同情されるなんて、ワタシもヤキが回ったわね」
 
振り返るシンジの視界の中に、それこそ親の仇でも睨んでいるかのような目つきで。
 
シンジの視線は困惑で縁取られてむしろ優しいだろうに…、ううん、だからこそ居たたまれなくなって目を逸らしたのね? アスカ。
 
「もう、イヤッ!やってらんないわ」
 
引き戸を叩きつけて、逃げ出した。
 
「アスカさん!」
 

 
「…鬼の目ぇにも涙や」
 
ちょっと待って。ワタシって、あんなにヒネくれてた? ヒトの好意をナニひとつ素直に受け取れないような、こんなヤなコだったの?
 
自分で自分が、ワカンナイ…
 
「い~か~り~く~ん!」
 
視界が、すっと前進した。
 
『…シンジ?』
 
『うん。追いかけなきゃ…』
 
追いかけて!っていうヒカリの叫びを背後の彼方に置き去りにして、シンジがリビングを後にする。
 
確かに、前回もシンジは追いかけてきてくれた。だけど、それがシンジの自発的な行動だったとは思えない。…だって、あのシンジだもの。
 
…なのに、このシンジは。ワタシが見てきたこのシンジは、自らの意思で追いかけようとしてくれてるのだ。
 
シンジ…、アンタ確実に変わってきてる。…それはワタシのおかげだって、しょってイイ? …いいよね?
 
 
***
 
 
…やっぱり、コンビニに逃げ込んでいた。
 
声をかけようとするシンジを押しとどめる。下手な慰めなんか聞きたい気分じゃなかったことを、憶えてるもの。
 
買い物カゴを持たせて、サンドイッチとかをテキトーに放り込ませる。おサイフ、持たせてきて正解だったわね。
 
しゃがみこんだアスカの、隣りのガラス戸を開けて、シンジがコークを取り出した。
 
「なんか飲む? おごるよ?」
 
「…何しにきたのよ」
 
休憩だよ。とシンジがコークを棚に戻す。…やっぱペプシかな。って、そんなのどうでもいいじゃない。
 
ぎろり。と睨み上げる気配を、シンジの視野のぎりぎりで確認。下手に目なんか合わせると気迫負けしちゃうだろうから、シンジにはアスカを見ないように言ってある。
 
 …
 
逃げちゃダメだ。と幾度も繰り返し、シンジが視線を上げた。ワタシがシンジに言わせようとしてることは、シンジの性格では口にしづらいだろう。
 
「…せっかくだから言っとくけど、謝らないよ」
 
「何をよ?」
 
シンジは、ずいぶんと緊張してるみたい。口ん中が急速に渇いてきたもの。それでも詰まったり調子を外すこともなかったのは、シンジもこういうことに慣れてきたのかもね。
 
「…僕が、惣流さんについていけないこと」
 
「何? 開き直り?」
 
そうかもしれないけど…。と、シンジがペプシを取り出す。
 
「…僕の反射神経が劣ってるってことは、謝るようなことじゃないと思うんだ」
 
冷えたアルミ缶が奪い去ってくれるのは熱だけじゃないとばかりに、シンジが右手に力を篭めた。
 
「…その差を縮めるために僕が努力してないって云うなら謝るべきかもしれないけど…僕は出来る限りのことをやっている」
 
そうよ、シンジ。アンタが頑張ってるってコト、他ならぬワタシが保証したげる。
 
「だから、惣流さんがすごいってことも判るんだ」
 

 
それは、ワタシが言わせた言葉じゃない。ためらいも緊張もなく、ごく自然に紡がれたのは、それがシンジの本心だからだと思う。ユニゾン特訓の間に感じてくれてたことだからだと思う。だからこそ、ミサトに逆らった時のシンジの言葉が力強かったのだと、解かる。
 
…シンジ。アンタ、見ていてくれてるのね。
 
 
「…買い物が済んだら、先に帰るから」
 
「何よ。連れ戻しに来たんじゃないの?」
 
だから、ただの休憩だよ。と、心なしか温くなったアルミ缶を買い物カゴに入れて、棚からもう1本ペプシを取り出す。
 
「惣流さんが休んでくれてる間に練習して、少しでも追い着けるようにしなくちゃならないからね」
 
「…」
 
突然立ち上がったアスカが、棚から瓶入りのジンジャーエールを取り出した。ウィルキンソンは日本で唯一の、本物のジンジャーエールだったわね。
 
「アンタがワタシに追い着くなんて、100万年かけてもムリよ。だ…」
 
続けようとした言葉を呑み込んで、アスカの視線が泳いだ。いったい何を言おうとしたのか、それはワタシでも想像するしかない。
 
辿り着いた買い物カゴを胡乱げに眺めて、シンジの手からペプシを奪い取る。…とうぶん、開けないほうがよさそうだわ。あれ…
 
「ワタシがおごるわ。他は戻してきなさい、…アンタの手料理で充分よ」
 
ぷいと踵を返したアスカが、そそくさとレジに向かった。
 
ワタシもそうだったけれど、ちゃんとおサイフを持ってきている辺り、衝動的な破滅型ではないのかもね。
 
「置いてくわよ!」
 
さっさとレジを済ませたアスカに急きたてられて、あたふたとシンジが品物を戻していく。あはは…、そんなに慌てなくても、アスカならちゃんと待ってるわよ。
 
 
****
 
 
弐号機と初号機の損傷は、前回と比べれば軽かったみたい。作戦決行は1日ほど早く、作戦地域も違う。
 
当然のようにミサトも、1日早く徹夜仕事に入ったってワケ。
 
 
この壁をちょっとでも越えたら死刑よ!子供は夜更かししないで寝なさい。なぁんて言い放ってさっさと寝たはずのアスカが、引き戸を開けた。
 
とっさに寝たフリするシンジを気にかけた様子もなく、向かったのはトイレかしらね? …っていうのも、ワタシには憶えがなかったから。寝惚けてたのかしら?
 
 …
 
どさっ、て音と振動にまぶたを開けたシンジの、目前にアスカの寝顔。驚いたシンジがSDATのリモコンを誤操作して、テープがきしみだす。ここんところリビングでミサトと3人して寝てたもんだから、アスカは寝床を勘違いしたんだろう。
 
美人は寝顔もキレイねぇ。…なんて思ってたら、シンジの視線がふと下を向いた。半ば押し潰されて強調された、釣鐘型の見事なバスト。いくらシンジが鈍感魔王でも、見ずには居られないみたいね。
 
「…ん」
 
身じろぎしたアスカに釣られて、シンジが視線を上げる。その焦点が、桜貝のように可憐な唇に注がれて…
 
…そういえば、キスしかかって止めた。って言ってたような…?
 
なんてコトを思い出してる間に、シンジが顔を近づけていってる!
 
きゃーっ!きゃーっ!そんなのダメよ!シンジ。オンナノコが寝てる間に奪っちゃうなんて、ケダモノの所業よ!世紀の美少女の唇が欲しいって気持ちはよっく解かるし、1週間近い特訓生活でナニかとモヤモヤしてんのも知ってるケド、イケナイわ!
 
…でも、今のシンジなら、キスくらい許してあげても、って… きゃーだ♪きゃーだ♪ワタシったらナンてことをっ!!
 
そんなこと考えてるうちに、ワタシの顔はもう焦点が合わないくらい間近で。…って、なんでワタシ、シンジを止めよぉってシテないの…?
 
もちろん、先に寝たことになってるワタシが声を出すわけには行かない事情はある。せっかく築いたシンジとの信頼関係をブチ壊しちゃうもの。
 
…だけど、だけどよ?
 
 …
 
ああもうダメ!って瞬間、アスカがママって…呟いた。
 
脂汗たらしながらにじり寄ってたシンジが、ぴたりと止まる。
 
見つめる先、アスカの目元から大粒の涙がこぼれた。
 
…ママの夢見て泣いてたなんて。ワタシ、自分がどれだけ強がっていたか、今ようやく解ったわ。
 
ワタシ、ホントに弱かったのね…
 
 
毒気を抜かれたらしいシンジが、タオルケットを引きずって部屋の端へと退避した。
 
  …
 
ふう…アヤマチは未然に防がれたわ。…なのに、なぜか損したようなキモチになるのは、どうして?
 
 
****
 
 
作戦決行が1日早い分、使徒迎撃はこちらからも出向くことになった。
 
再び進攻を始めた使徒に、ウイングキャリアーで接近。ドッキングアウトして、上空から電磁柵形成器を投げ下ろして分断すると、落下の勢いそのままに蹴りつける。
 
おもいっっっきり!地面にメリ込んだ第7使徒は、エヴァ2機を吹き上げるように爆発した。おかげで、最後に2人がケンカすることもなかったわ。だからキス未遂事件も闇の中よ…
 
まずはメデタシ、…かしらね?
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第八話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2020/05/20 21:28
「えーっ!修学旅行に行っちゃダメぇ!?」
 
「そういう可能性がある。ってだけだよ」
 
シンジが、ヒカリ直伝のトマトジュース入りポテトサラダを頬張った。とても美味しい。
 
問題は、それが各々のおべんと箱とは別のタッパウェアに詰め込まれてる。ってコト。レイのリクエストでほぼ毎日おべんとに入ることになったんだけど、ポテトサラダってのはある程度の量がないと作りづらいし美味しくない。そんでもって日保ちしない。…結果、こうして別容器に詰めてきて、みんなで突付くことになったってワケ。
 
シンジは今や師匠のヒカリよりも美味しく作れるようになってるけど、毎日はさすがに飽きる。…レイのこのパラノ的食欲、なんとかしてよ。
 
「どうしてっ!」
 
「…戦闘待機、だもの」
 
黙々とポテトサラダを口に運んでた箸を止めて、レイが応えた。
 
「アンタには聞いてないわよ!」
 
屋上での昼食は、アスカを加えて6人になっている。ユニゾン特訓からこっち、シンジはアスカにもおべんとを作ってくれるんだ。
 
特訓中にシンジの作る食事に馴れさせられちゃったアスカは、案外素直におべんとを受け取った。レイと面つき合わせて食事することには抵抗があったみたいだけど、それもおべんとに込みだと割り切ったっぽい。
 
ワタシと違って、シンジとの見事なユニゾンを見せ付けられたってワケじゃないんだから、そんなに毛嫌いすることもナイと思うんだけどね。
 
「せっかく新しい水着、買ったのにな…」
 
訓練ではなく、レジャーとしてスクーバできるのは初めてだったから、確かに楽しみだったわね。
 
「アスカ、お土産買ってくるからね!」
 
「あぁーっ、3人とも残念だったなぁ!」
 
「貴サンらの分まで、楽しんできたるわ、ナハハハハー!」
 
…アンタらって、ホンっトに友達甲斐ないわね。
 
 
****
 
 
「やっぱり、修学旅行に行っちゃダメなんだ…」
 
「ええ」
 
あらかじめ示唆させといたのに、アスカは随分と落胆してるように見える。
 
「戦闘待機だから?」
 
そうね。とミサトの返答はそっけない。
 
「そうならそうと、前もって言っといてくれればいいじゃない」
 
「ゴミンね」
 
ミサトにナニ言っても、のれんに腕押しだと思ったんでしょうね。アスカの視線がこちらを向いた。
 
「アンタ!お茶なんかすすってないで、ちょっとナンか言ってやったらどうなの!男でしょう!」
 
「いや、僕は多分こういうことになるんじゃないか、と思って…」
 
「諦めてた、ってわけ?」
 
「うん」
 
 
ワタシの時は多分に、荷造りまで終わった頃合になって不参加を申し渡したミサトへの反発があったんだと思う。修学旅行に行けないコト自体は、しょうがないもの。
 
 
「はんっ、情けない。飼い慣らされた男なんて、サイテー」
 
「そういう言い方はやめてよ」
 
…なのに、こうも絡むのは何故だろう?
 
確かにワタシも楽しみにしてたし、かなり残念だった。だけど、エヴァパイロットとしての責務には換えられないから、我慢したわ。
 
このアスカもそうだろうと思ったから、あらかじめ伝えておいたってのに…
 
 
気持ちは分かるけど。と、ミサトがビール缶を置いた。
 
「こればっかりは仕方ないわ。あなたたちが修学旅行に行っている間に、使徒の攻撃があるかもしれないでしょ?」
 
風呂から上がってきたペンペンが、ダイニングを横切っていく。
 
「いつもいつも、待機、待機、待機、待機っ!いつ来るか判んない敵を相手に、守る事ばっかし!」
 
そんなコト言ったら、シンジやレイはどうなんのよ。ワタシなんかよりずっと前からここで待機しっぱなしなのよ。後から来たアンタにグチられたら、立つ瀬ないじゃない。って、…ワタシもそうグチったんだったわ。自分がナニ言ってるかもロクに解かってなかったなんてね…
 
「たまには敵の居場所を突き止めて、攻めに行ったらどうなの?」
 
「それができれば、やってるわよ」
 
攻めるとなれば攻めるとなったで、ヒドイ目に遭うんだけどね…って、このコ、もしかして待ち構えてんのに耐えられなくなったってワケじゃないでしょうね?
 
…ううん、さすがにそれはないか。腐っても惣流・アスカ・ラングレィだもの。ひたすら訓練に明け暮れたドイツ時代に比べれば遥かにマシだって、このコだって解かってるはずよ。
 
 
「ま、2人とも、これをいい機会だと思わなきゃ。クラスのみんなが修学旅行に行っている間、少しは勉強ができるでしょ?」
 
…ミサト。鬼の首でも獲ったかのような顔してディスクを取り出すのは、どうかと思うわ。
 
「アタシが知らないとでも、思ってるの?」
 
「う…」
 
呻いたのは、シンジ。
 
勉強の相談にも乗ってあげとくべきだったわね。このワタシが家庭教師してあげてれば、シンジの成績が鰻登りになること間違いなかったってのに。
 
「見せなきゃバレないと思ったら、大間違いよ。あなたたちが学校のテストで何点取ったかなんて情報くらい、筒抜けなんだから」
 
「はんっ、バ~ッカみたい。学校の成績が何よ。旧態依然とした減点式のテストなんか、ナンの興味もないわ」
 
「郷に行っては郷に従え。日本の学校にも、慣れてちょうだい」
 
イーーーーっだ!と力いっぱい顔をしかめて見せたアスカが、そっぽを向いた。
 
 
 
それにしても、本人であったワタシですら、このコの反応は読み難くなってきてる。それだけワタシが変わったってコトで、このコの置かれてる環境も変わってきてるってコトだと、思うんだけど…
 
…ううん、ヒトのココロなんて、自分でも解からないモノだもの。本人だからと云って理解できるなんて考えるのは傲慢よね。
 
 
****
 
 
盛大に水の跳ねる音がした。レイが跳び込んだに違いない。
 
おべんとを作ってもらってるから、レイはシンジに大体のスケジュールを伝えることがある。主に、必要ないときとか、一緒に食べられない時とかにね。今日はシンクロテストの後に本部棟のプールに寄るつもりだってコトを聞きつけたアスカが、なかば引きずるようにシンジを連れてきたのだ。レイがプールの使用許可を取ってると知って、便乗したってワケ。
 
修学旅行の間、当然学校は休みだから、ヒマを持て余してたんだろう。その気持ちはよく解かる。ワタシも、買ったばかりの水着が着たくてプールの使用申請した憶えがあるもの。そん時もレイが先に許可貰ってて、これ幸いと押しかけたっけ。
 
『シンジも泳ごうよ』
 
『…これが終わったらね』
 
シンジは、ミサトの差し金で担任から渡された問題集ソフトとニラメッコしてる。その様子じゃ、いつになるか判んないじゃない。
 
…先に泳がせてくれたら、後でいくらでも手伝ったげるって言ってんのに…
 
 
「何してんの?」
 
「理科の勉強」
 
アスカの問いに、顔も上げずにシンジが応えた。
 
「…ったく、オリコウさんなんだからぁ」
 
「そんな事言ったって、やらなきゃいけないんだから…あっ!」
 
ジャーン!と仁王立ちしたアスカは、おろしたてのビキニ姿を惜しげもなくさらしている。
 
「オキナワでスクーバできないから、ここで潜るの」
 
胸を張ってみせるものだから、シンジが視線を外せなくなっちゃったじゃない。
 
「そ、そう!?」
 
どれどれ、何やってんの? ちょっと見せて…。と、アスカが身を乗り出してくる。
 
シンジの視界いっぱいに、紅白ボーダーの水着に包まれたアスカの双丘。横縞ってのはボリュームを強調するから、実寸以上の迫力でシンジの目に映ってることだろう。
 
目のやり場に困ったシンジが、かといって逸らすワケでもなく…
 
からかうなり叱るなりしてやろうかとも思ったんだけど…、ま、武士のナサケよ。感謝なさい。
 
 …
 
「…この程度の数式が解けないの? …はい、できた。 簡単じゃん」
 
「どうしてこんな難しいのができて、学校のテストがダメなの?」
 
シンジは、ようやく双丘の呪縛を振りほどいたらしい。トップスだけボーダーになってんのが、この水着のあざといトコロよね。
 
「問題にナニが書いてあるのか、わかんなかったのよ」
 
「それって、日本語の設問が読めなかった、って事?」
 
「そ。まだ漢字全部憶えてないのよねぇ。向こうの大学じゃあ、習ってなかったし」
 
「大学?」
 
「あ、去年卒業したの」
 
正しくは卒業させられたってのがタダシイかもね。そういう訓練カリキュラムだったんだもの。まあ、早く大人になりたいと思ってたワタシには渡りに船だったし、そもそもそれに応え得る才能があったんだからしょうがない。
 
「…で、こっちの…コレはなんて書いてあるの?」
 
「あ、熱膨張に関する問題だよ」
 
「熱膨張? 幼稚な事やってんのねぇ。トドのつまり、モノってのは温めれば膨らんで大きくなるし冷やせば縮んで小さくなる、って事じゃない」
 
「そりゃそうだけど…」
 
「ワタシの場合、胸だけ温めれば、少しはオッパイが大きくなるのかなぁ?」
 
これ見よがしに、胸に手を宛がったりしてる。
 
一般的な男子中学生にそんな話を振ったって、面白い切り返しなんかできるワケがない。こうしてシンジに密着して暮らさなきゃ、気づきもしなかったでしょうケドね。
 
一方的な基準でツマンナイ男だと思わせるのもシャクだったので、シンジに耳打ちする。
 
『…』
「あんまり温めて、蒸発しても知らないよ」
 
 
 …////
 
…効果は覿面みたいね。顔が真っ赤だもの。
 
 
そもそも、この時期のワタシってのは、自分でもよく解からない。オンナであることを忌避してるはずのに、よりオンナらしくありたいと願ったりする。
 
それが何に根差すのか、ずっと考えて来たんだけど…って、アスカがシンジの二ノ腕を両方とも掴んできた。
 
「…アンタのオツムもソートー温まってるみたいじゃない」
 
ぐぃっと引っ張られると、当然の帰結としてシンジの手がアスカの腋の下に挟まれることになるんだけど、そのことに照れたりするヒマもなかっただろう。
 
「ちょっと冷やして、来・な・さ~い!」
 
瞬時に重心を落としたアスカが、引き摺られて前のめりになったシンジのオナカを蹴り上げる。床の硬いトコで仕掛けるには不向きな巴投げが、見事に決まった。
 
放り投げられたシンジが、きれいに1回転してプールに落水。
 
 
ちょっと、怒らせすぎたのかしら? いくらなんでも、服を着てる相手を問答無用でプールに叩き込むなんて思わなかったもの。…って、シンジ。ちょっと落ち着きなさい。
 
『闇雲に手足をバタつかせんじゃないわよ!それに無闇に息しようとしちゃダメ!』
 
だけど、シンジは言うことを聞かない。
 
…まさか、アンタ泳げないの?
 
いや、泳げる人間だって、急に足の届かない水中に叩き込まれればパニックを起こす。
 
本部棟のプールは、単なる保養施設じゃない。防火用水でもあるし、あやしげな実験に使われることもある。なにより、エヴァの整備のためにスクーバの免許が不可欠な技術部や整備部の人間のための、実技講習に使われるのだ。
 
つまり、とてつもなく深い。 
 
普段は事故防止のために可動式のスクリーンネットが張られてるんだけど、スクーバをするつもりのアスカが下げてしまってた。
 
『シンジ!落ち着いて。いったん息を止めなさいっ!』
 
ああ、もう!このバカシンジ!ヒトの言うこと聞きなさいよ!
 
着衣のまま落水すると、衣服が水を吸ってまとわりついて、手足を縛られてるような恐怖を覚えるっていう。今のシンジは、まさにその状態なんだわ。
 
水面でかろうじてジタバタもがいてるシンジの背後に、何者かが寄り添った。シンジの顎を支えようと肩口から廻された白い腕に、藁をも掴む勢いでシンジがしがみつく。
 
『こらっ!放しなさい。レイまで沈んじゃうでしょ!』
 
そうこうするうちに、正面からアスカが近づいて来るのが見えた。教本どおりにシンジの方へ脚を向けた防御泳法だ。…と思ったら、片足を上げてそのまま踵落とし。
 
酷いのはアスカだけかと思ったら、レイはレイで自ら沈んでシンジを振りほどいてる。…アンタら、容赦ないわね。それが悪いってワケじゃないけど…
 
もがいて疲れてきたところに脳天を蹴られ、水中に引き摺り込まれそうになったシンジはすっかり大人しくなった。暴れちゃイケナイってコトが解かったんじゃなく、単にそんな元気がなくなったってトコね。
 
シンジの頭髪を掴んで引っ張り始めたのは、おそらくアスカだと思う。方法としては正しいけど、痛いってば。
 
 
 …
 
プール隅のラダーハンドルにしがみついて、シンジがえずいてる。
 
「…ひどいよ」
 
「悪かったわよ」
 
さすがに責任を感じたらしく、アスカが背中をさすってくれてた。拭いきれない気まずさが動作に表れてか、その手元がぎこちないけれど。
 
「…泳げないなんて、思わなかったんだもの」
 
それはワタシも同感だわ。
 
ようやく落ち着いたシンジが、プールサイドに身体を引き上げる。水を含んだ制服が、疲れきった手足に重い。
 
『こら!こんなトコでへばってんじゃないわよ、風邪ひくでしょ。さっさと着替える』
 
うめいたシンジが、渋々立ち上がった。
 
脚を引き摺るようにして更衣室へ向かうシンジを、アスカがどんな顔して見ているのか、ちょっと知りたかったんだけど…
 
 
***
 
 
水着とバスタオルは一応持ってきてあったけど、服の替えまで用意してるワケがない。水着に着替えたシンジが、羽織ったタオルをきつく体に巻きつけた。絞った制服はハンガーに吊るして、エアコンの吹き出し口の前に。パイロット控え室になら着替えがあるから、乾くのを待ってるのだ。
 
それにしても、無理やりハンガーにかけたブリーフって、ちょっとマヌケね。…なんてことを考えてんのは、自分の気を逸らしたいからだと、…解かってる。
 
 …
 
シンジは、さっきからずっと身体を震わせていた。それが寒さのせいでないのは言うまでもない。
 
その震えを感じてると、溺れてた時のシンジの苦しみを思い出してしまう。恐怖に縮こまる心臓の感触を、押し寄せる水を拒もうと咳き込む喉の引き攣りを、消毒液の刺激で搾り取られる涙の熱さを。
 
…まだ、鼻の奥の痛みが消えない。
 
 
『水…恐いの?』
 
思い出してみれば、シンジは水泳の授業をサボってたような気がする。ネルフの訓練との兼ね合いで、ほとんど参加できなかったから、見学してたのも1、2度のことで見過ごしていた。
 

 
『…そんなことは… … ないこともないのかな?』
 
『?』
 
膝の上で指を組んでたシンジは、自分で自分を抱きしめた。
 
『子供の頃、たまに見たんだ。 …誰かが、溺れてる夢。 …その夢の中で、その人は還ってこなかったような…気がする』
 
夢…か。なにかトラウマになるようなことでも、あったのかしらね? ワタシが、ママがぶら下がってる光景をよく夢に見たように。
 
普段はそれほど意識してるわけじゃないんだろう。例えば初めてエントリープラグに乗った時、シンジは湧きあがるLCLにそれほどの拒絶を示さなかった。でも、だからこそ深層心理ってヤツは厄介なのよ。いざって言う時に鎌首をもたげる悪夢は、伏兵のような唐突さで、自分自身に裏切られたかのような喪失感を突きつけてくるもの。
 
 
『シンジ…、泳げるようになる気、…ない?』
 
『どうして…?』
 
ワタシだって、明確な理由があって奨めたわけじゃないから、どうして。なんて訊かれると困るんだけど…
 
ただ、シンジが泳げないことがトラウマに起因するのだとしたら、それは早めに克服しといたほうがいいと思う。もし、この先シンジがトラウマと対峙することになったとき、それが分水嶺になりそうな気がするんだもの。もちろんそんな事態に陥らないに越したことはないけど、でも…ね?
 
『…だって、さっきみたいなこと…あると困るでしょ?』
 

 
『…ほら、水泳の授業が通年になるって話し、あるじゃない。今のうちよ?』
 
 …
 
『…修学旅行に行けてたら、泳がないわけに行かなかったのよ?』
 
  …
 
 …
 
ヤだよ…。ぽつりとした呟きは口中に消えたケド、思わず口にしたのは、つまり…
 
『シンジ…』
 
「あんな苦しい目に遭って、なんで泳ぎなんか憶えなきゃなんないんだよ!」
 
シンジがこぶしを振り下ろしたのは、自分の膝。苛立ち紛れの自傷行為にすぎないって頭で判ってても、なんだか面と向かって叩かれたような気がして、切ない。
 
『…だけどね』
 
「ヤだよ!なんでっ!…アンジェは僕の味方じゃなかったの!」
 

 
…ワタシに生身のハートがあったら、今のひと言で砕け散っただろう。
 
 
『…もちろん、シンジの味方よ』
 
ココロの声が感情を伝えてないってことが、これほどありがたかったことはないわ。でないと、ワタシ…
 
「じゃぁ…!」
 
『シンジの味方だけど、…声だけなの…』
 
ちょっと待って!ワタシ、ナニ言ってんの。ナニ言おうとしてるの?
 
『シンジを助けてあげたいのに、何もして上げられないの』
 
待って!ワタシ、そんなことをシンジに言いたいんじゃ…
 
『さっきだって、そう。溺れてるシンジに何ひとつしてあげらんなくて、結局シンジを救けたのはレイに、アスカだもの』
 
ワタシの悩みを、苦しみを、シンジにぶつけてどうなるっていうの。
 
『ううん、さっきだけじゃない。今までだって、そう。ただ見てるだけ。戦いに苦しむシンジに、ワタシ何ひとつしてあげれてない!』
 
やめなさい!やめるのよ、ワタシ!
 
『ワタシなんか…ワタシなんか!居なくてもっ』
 
 
…ワタシ、すべてを吹っ切ったつもりになって、シンジの味方だなんて言ってたんだわ。なんてことない、自分の抱えた不安をそうやって誤魔化してきてたのね。
 
  「…アンジェ?」
 
自分で選び取ったんじゃない。そうするしかないと決め付けて、逃げ込んでただけ。そうでもしないと、自分の存在意義が揺らぎそうで恐かったのよ。
 
シンジと一緒だわ。ううん、以前のシンジと…ね。臆病だったの。賢しげにシンジに何か言う資格なんてない!
 
     「アンジェ!大丈夫?」
 
結局、シンジを利用してるだけなのよ。
 
いろんなものを乗り越えた気になって、高みから見下ろしてただなんて。
 
        「アンジェ!!返事してよ」
 
 
 …自分に、絶望するわ!
 
 
……
 
 
「アンジェ!?」
 

 
『…シンジ?』
 
ワタシったら、シンジが呼びかけてくれてたのも気付かなかった。やっぱり、自分、自分、自分、自分!自分ばっかり!
 
「…」
 
シンジの嘆息はやさしくて、安堵に満ちていた。
 
 …
 
『『…あのっ…!』』
 

 
あまりのタイミングの良さに、つい沈黙。
 
 
『…その、ごめん』
 
…やだ。謝らないでよ。
 
『…僕、アンジェの気持ちなんか考えたこともなかった』
 
アンタに謝られたら、ワタシ…
 
『…アンジェはいつだって出来る限りのことをしてくれてたのに、そんなことも解かってなかったなんて…』
 
僕って最低だ…。だなんて、口に出してまで。
 
『本当に、ごめん』
 

 
謝られれば謝られるほどワタシの立つ瀬がなくなって惨めになるってのに、…なんでワタシ、嬉しいの?
 
…ううん、ホントは解かってる。
 
シンジが謝るのは、ワタシの苦悩を慮ってくれたから。ワタシを理解しようとしてくれた結果だから。
 
そんなことがこんなにも嬉しいのは、今のワタシにとって、シンジは世界のすべてとイコールだってコト。全世界から己の存在を肯定されて、どうして自尊心のささいな綻びなんか気にしてられるだろう。
 
『…こんな僕だけど、見捨てないで助けてくれる?』
 
そう。アンタがワタシに存在意義をくれるっていうのね。なんにもしてあげらんないワタシを、必要だって言ってくれるのね。
 
なら、ワタシは…
 
         …ワタシの存在意義を全うするのみ、よ。
 
 
『当ったり前じゃない。ワタシがアンタを見捨てるワケないでしょ!』
 
よかった。と胸をなでおろすシンジを、バカねぇ。と笑い飛ばしてあげる。その懸け合いが、なんだか心地いい。
 
 
****
 
 
どうせ捕獲なんて出来っこないんだから即時殲滅を提案させたんだけど、受け入れてもらえなかった。せめてもの備えにと、電磁柵の中にも液体窒素を吹き込めるように細工してもらうのが精一杯だったわ。 
 
結局、初号機が熔岩に飛び込んで救けてくれたことに変わりはなかったけど、前より弐号機の損傷は少なかったからヨシとしなけりゃね。
 
 
                                         つづく

special thanks to シン・サメマンさま(@shark_las)
シン・サメマン氏(@shark_las)さんが、この話のイラストを描いてくださりました。ありがとうございました。
(シンジに耳打ちするアンジェが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、シン・サメマンさま(@shark_las)かdragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。

2007.06.20 PUBLISHED
2007.09.05 REVISED
2020.05.13 ILLUSTRATED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第九話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:10


…まずは水に慣れることが大切だから。っていうレイの提案で、シンジはスクーバ装備一式を身に付けてプールに潜ってる。バディにはアスカ。子離れできない母親みたいに、シンジの一挙手一投足を見守ってた。
 
スクリーンネットは斜めに設置され、深いところでも2メートル。浅いところでは1メートルもないだろう。プールに何か落としても取りこぼさないように、視線も通さないくらい目の細かい網だから、シンジでも大丈夫みたいね。
 
意外だったのは、アスカがあまりレイを毛嫌いしなくなってきたらしいってコト。こうしてレイの提案を採用しているのことからも、そのことが伺える。
 
その兆候は、シンジが溺れた直後。浅間山への出撃準備の時には顕れていたように思うわ。
 
 
…………
 
 
「アナタには、ワタシの弐号機に触ってほしくないの」
 
かつてワタシはその言葉とともに、レイが挙げた手を叩き弾いた。なのに、アスカはやんわりとレイの手を下げさせたのだ。
 
「悪いけど」
 
レイから視線を逸らす直前に、一瞬だけ瞳が揺れた。本人だったことのあるワタシでも、それが示すものを知らない。
 
「ファーストが出るくらいならワタシが行くわ」
 
 
****
 
 
 ≪ アスカ、準備はどう? ≫
 
   ≪ いつでもどうぞ ≫
 
アスカの声が、指揮車を経由して届く。いつもなら起動と同時に開いてくるはずの直通の通信ウィンドウが、まだ繋がれてないのだ。初号機からの接続要求も、弐号機側でシャットアウトしているらしく応答がない。
 
当然、シンジがUN空軍機を見つけたときの遣り取りにも加わってなかった。
 
 
 ≪ 発進! ≫
 
架橋自走車のブームから吊り下げられた弐号機が、熔岩煮えたぎる火口底に向けて降ろされる。
 
   ≪ うっわぁ~、あっつそぉ~… ≫
 
軽々しく茶化してるけど、その口調を震わす怯みを、ワタシは憶えてるわ。
 
…そう、アンタも恐いのね。
 
その恐怖を、ワタシはシンジと喋ることで、おどけて見せることで紛らわせた。
 
アンタは、どう紛らわせようっての?
 
 
 ≪ 弐号機、溶岩内に入ります ≫
 
マヤの報告が終わる前に【FROM EVA-02】の通信ウインドウが開く。
 
≪…≫
 
通信を開いておいて、アスカはこっちを見ようとしない。その視線を、眼下の熔岩から離せないんじゃないかしら。
 
 
≪シンジ…さっきはゴメンね≫
 
ぽつり、と。
 
「…さっきって?」
 
『きっとプールでのことよ』
 
…そう、アンタ。謝るべきかどうか、いつ謝るべきか、今まで悩んでたのね?
 
そして、謝るなら今しか、今のうちじゃないと謝れないかもって、思ったのね?
 
ワタシなら…、昔のワタシだったなら、たとえシンジを溺れさせたとしても、泳げないシンジが悪いって責任転嫁してたと思う。そうしておいて万が一の時には、たくさんたくさん後悔してたでしょうね。
 
…アンタも、変わってきてる。それは、きっとイイコトだと思うわ。
 
 
「…そんなの、もう気にしてないよ。…それに、救けてくれたのも惣流じゃないか」
 
弐号機は、とっくに熔岩の中。
 
≪…それだけ≫
 
「待って!」
 
ウィンドウを閉じようとしたアスカを押しとどめて、シンジ。
 
≪なに?≫
 
「惣流っ!帰ってきたら、僕に泳ぎを教えて!」
 
初めて。ウィンドウを開いてから初めて、アスカがこちらを向いた。
 
≪…≫
 
強張ってた口元が、次第にほどけて、にやりと。
 
≪ワタシ、スパルタよ。覚悟はイイ?≫
 
 
「……お手柔らかに」
 
あはははっ。なんて、とうとう笑い出しちゃった。シンジ、アンタいったいどんな顔したってのよ?
 
≪そうと決まればさっさと片付けて、とっとと帰るわよっ!≫
 
正面に向き直ったアスカは、初号機との通信を切ろうとしてたことを忘れちゃったみたいね。そのまま指揮車への報告、始めちゃったもの。
 
 
****
 
 
「…おはよう、碇君」
 
「えっ!? あっ、おはよう、綾波…」
 
シンジが顔だけで振り向くと、ダイニングの戸口にレイが立ってた。制服姿にカバンまで提げて、学校に行く準備も万端みたいね。
 
レイが、このミサトんちの隣に引っ越してきたのは昨日のこと。浅間山から帰ってきてすぐだったわ。
 
夕ご飯をここで食べさせたときの、これからは朝ご飯もここで食べるようにってミサトの言いつけを素直に聞いてたみたいなんだけど…
 
レイ。アンタ、来んのが早すぎ。シンジ、まだおべんとを作り始めたばっかなんだから。
 
「朝ご飯まで、まだ時間あるけど?」
 
「…問題ないわ」
 
今日からここがレイの席ね~♪と家主が宣言したイスに座って、じっと宙を見つめだしちゃった。…アンタ、そんなんだから人形みたいだって言われんのよ。あんな姿、アスカに見せないほうがいいんだケド…
 
もうしばらくすれば、シャワーを浴びにアスカが起きだしてくるだろう。メンドクサイの一言で隣りへの引っ越しを断ったアスカは、そのまま今の部屋に居着いちゃってるのだ。
 
『どうしたもんかしらね?』
 
う~んと唸ったシンジが、ダイニングのサイドボードに歩み寄って電気ポットの中身を確認した。
 
 …
 
「はい、綾波。コーヒーだけど、砂糖とミルク要る?」
 
シンジが、レイの前にマグカップを置く。差し出したスティックシュガーとポーションは無視されたっぽい。
 
「…どうして?」
 
「待ってる間、手持ち無沙汰でしょ」
 
「…そんなこと、ないわ」
 
ぽりぽりと頬を掻いたシンジが、所在無げにレイを見下ろした。
 
「綾波がここに来たのは、もしかしてそれが任務だと思ったから?」
 
「…ええ、そうよ。葛城一尉はそう言ったわ」
 
やっぱりね。って嘆息したシンジが、自分のマグカップを取り出す。…ああ、そういうことか。
 
「それは、ミサトさんの照れ隠しだと思うよ」
 
頭の上に? を浮かべたレイに微笑みかけてやりながら、自分にもコーヒーを淹れてる。
 
「僕も経験あるけど、ミサトさんも素直じゃないから、なかなか本音を言ってくれないんだよ」
 
ミサトさんは…。と言葉を継ぎながら、レイの向かい。普段のアスカの席に腰掛けた。
 
「きっと綾波に、普通の女の子としての暮らしをさせたいんだと思うよ?」
 
「…ふつうの?」
 
うん。と頷いたシンジがコーヒーをひとすすり。
 
「…なぜ?」
 
「それはミサトさんにしか解からないよ。綾波が自分で訊くべきじゃないかな?」
 
…そう。ってマグカップに口をつけたレイが、顔をしかめた。…熱いわ。だって…。
 
さ、お弁当作んなきゃ。って立ち上がったシンジが、そうだ!って、どうしたのよ?
 
「こないだのお礼、綾波に言ってなかったよね。ありがとう。救かったよ」
 
「…なに?」
 
ああ、そういえば。使徒が来ちゃったし、このコは留守番だったから、うやむやになってたんだっけ。
 
「溺れたとき、救けに来てくれたでしょ」
 
「…ええ」
 
「だから、ありがとう」
 
…ありがとう。感謝の言葉。二度目の言葉…。なんて呟いちゃって…って二度目? え?
 
「綾波。二度目ってどういうこと?」
 
「…昨晩、惣流さんに言われたわ。「アンタが居なかったら、ワタシは体が動かなかったかもしれない。シンジを救けにいってくれてありがとう」…と」
 
そう、あのコ、そんなことを。レイへの態度が軟化してるのは、そういうことなのかしら?
 
「アスカがそんなことを…」
 
そうね。もしワタシがシンジを水に叩き落して溺れさせたとしたら、やっぱり体が動かなかったかもしんないわ。軽くじゃれたつもりだったから。溺れさせようなんて、そんな気はなかったから。どうしていいか判んなかったんでしょうね。
 
レイが落ち着いて行動してくんなかったら、シンジを見殺しにしたかもしれない。それが恐くて、だから今のアンタがあるのね。アスカ。
 
 
キッチンから聞こえてきた電子音に、シンジが我に返った。タイマーセットされてた炊飯器が、たった今ご飯を炊き上げたみたい。
 
「とにかく、待機命令って訳じゃないんだから、リビングでテレビでも見ててよ」
 
「…そう? そうしたほうがいい?」
 
「命令したわけじゃないよ。綾波が、自分のしたいようにして時間を使えばいいんだよ」
 
…私の、したいように。なんて、ぽつぽつと呟き始めたレイを複雑な視線で見やったらしいシンジが、溜息一つ残してキッチンに戻った。
 
 …
 
しばらくして聞こえてきた音からすると、レイはとりあえずリビングでテレビを見ることにしたようね。
 
…シンジの、口元がほころんだわ。
 
 
****
 
 
≪なんだ?≫
 
電話口の声は不機嫌そうで、とても実の息子への態度とは思えない。いくら仕事で忙しかったにしてもよ?
 
「あ、あの…父さん…」
 
ほら。シンジが萎縮しちゃったじゃない。
 
≪どうした!早く言え!≫
 
「あぁ…あの…実は今日、学校で進路相談の面接があることを父兄に報告しとけって、言われたんだけど…」
 
≪そういう事はすべて葛城君に一任してある。下らんことで電話をするな。 …こんな電話をいちいち取り次ぐんじゃない!… ≫
 
「ん?」
 
ぶつっと回線の切れた音。あれ? そういえばシンジがパパに電話した時って…
 
『シンジ。周囲の様子、おかしくない?』
 
受話器を握りしめたまま、シンジが周りを見渡した。
 
「そう言われれば、…なんとなく …?」
 
「なに、きょろきょろしてんのよ。電話、終わったの?」
 
「なんだか急に切れちゃって…というか、なんか変じゃない?」
 
シンジに釣られて、アスカとレイも周囲を見回しだす。これから本部棟でシンジの水泳特訓のつもりだったから、一緒だったのだ。
 
「…信号。点いてないわ」
 
「停電!?」
 
第3新東京市が停電したってことは、あの使徒が来るってことよね。
 
『本部、連絡つくかしら?』
 
言われて携帯電話を取り出したシンジが、発令所にコール。
 
 …
 
「本部もつながらないよ。…どうしよう?」
 
レイが、鞄からプラスチックシーリングされたマニュアルを取り出す。それを見たアスカも真似をするんだけど、…考えてみれば二つも要らないわよね。
 
『緊急時のマニュアルね』
 
三つ出しても無駄なので耳打ちする。無用にバカにされることもないしね。それに…と思い当たって、続けてシンジに耳打ちしとく。
 
「…とにかく、本部へ行きましょう」
 
「じゃあ、行動を開始する前にグループのリーダーを決めといた方がいいと思う。…アスカ、頼める?」
 
浅間山から帰ってきて以来、シンジはこのコをアスカって呼ぶようになった。アスカもまんざらじゃなさそうだし、ワタシもなんだか嬉しい。
 
「えっ!? ワタシ? …いや、その…どして?」
 
立候補するつもりだっただろうに戸惑ったのは、誰かが推薦してくれるなんて思ってなかったからでしょうね。
 
それが示す意味を考えると、ちょっと哀しいわ。
 
「そういうのは、決断力のある人間の方がいいから。…それで提案なんだけど、ここでの生活が一番長い綾波に先導役をお願いすべきだと思うんだけど、どう?」
 
これは前回の経験で、ワタシが学んだことの一つ。
 
「そっそうね。シンジにしては悪くないアイデアだわ。ファースト、頼める?」
 
「…ええ」
 
こくりと頷いたレイが、…じゃ、こっちに。と歩き出した。
 
 
***
 
 
≪もぉ~お、かっこわるーい≫
 
増設バッテリをウェポンラックに装着して、エヴァにはいささか狭い通路を這って進む。
 
≪…縦孔に出るわ≫
 
「ちょっと待って」
 
相互の通信に使う電力すら惜しんで、各機は通信ケーブルで結ばれてる。抜けたり切れたりしないよう慎重に行動しないといけないから、ちょっとウットウしいわね。
 
≪なに、シンジ≫
 
「使徒が直上に居るって言ってたでしょ。それって待ち伏せしてるってことじゃないかな?」
 
≪…そうね。ありえるわ≫
 
なるほどね。って頷いたアスカが弐号機の顔だけ縦孔に出して上を見る。カメラアイが4つある弐号機は、測距儀としての機能は一番優れてると思う。もっとも、実験機としていろんな機能が盛り込まれてるっぽい初号機が決して劣ってるわけじゃないってことを、今のワタシはよく知ってんだけど。
 
≪きゃあっ!≫
 
弐号機が頭を引っ込めた向こう、縦孔を落ちていったのは使徒の溶解液ね。レイが、使い終わったバッテリを差し出した。じゅっ…と嫌な煙を上げて、溶ける。
 
≪…目標は、強力な溶解液で本部に直接侵入を図るつもりね≫
 
「どうする?」
 
向けられた視線は、弐号機への通信ウィンドウ。
 
≪試しに、ライフルだけ突き出して撃ってみて。ファーストは着弾観測≫
 
「わかった」
≪…わかったわ≫
 
零号機の準備が出来たのを見計らって、初号機がライフルを一斉射。
 
 …
 
≪…ダメ、目標が遠すぎる。ほとんど内壁で弾かれたわ≫
 
そっか、パレットライフルって命中精度よくないんだったっけ。たしか電圧や磁気の影響で初速が安定しないし、構造上ライフリングも刻めないとか聞いたことがあるわ。前回より低い位置から、しかも内壁に沿ってじゃ難しいってワケね。
 
≪中てるには、もっと近づかなくちゃダメか≫
 
「あと、3分もないよ?」
 
この縦孔をよじ登るわけには行かないし、他のルートを上がってるヒマはないってコト。
 
…通信ウィンドウの中で唸ってたアスカが、ついになにか決心したって顔してこっちを向いた。微妙に視線がそれてるのは、零号機への通信ウィンドウも並べて表示させてるからでしょうね。
 
≪なにか、提案はある?≫
 
…はい。って…レイ。手は挙げなくていいと思うわよ?
 
≪…ここから撃つなら、出来るだけ縦孔の中心でライフルを固定して撃つ必要があるわ≫
 
≪そうね。…で?≫
 
≪…エヴァ2体がディフェンス、ATフィールドを中和しつつ目標の溶解液からオフェンスをガード。オフェンスはガードの機体の隙間を二脚代わりにライフルを固定。エヴァ3機のカメラアイをすべてリンクして照準を修正…≫
 
一斉射して目標を殲滅ってワケね。と言葉尻をさらって、アスカが頷いた。
 
≪いいわ、それで行きましょ。ワタシとファーストがディフェンス…≫
 
「そんな、危ないよ」
 
≪だからなのよ。アンタにこの前の借りを返しとかないと、気持ち悪いからね…≫
 
何かまだ言いかけて、アスカが口を閉ざす。一瞬動いた視線は、きっと零号機への通信ウィンドウね。…アンタ、レイにも何か言いたかったんじゃない?
 
≪だからシンジがオフェンス、言い出しっぺのファーストはワタシと一緒にディフェンス。いいわね?≫
 
≪…分かったわ≫
 
「……うん」
 
2人の頷きを見て取って、アスカが身構えた。
 
≪じゃ、行くわよ。…ゲーヘン!≫
 
 
 
零号機と弐号機が手足を突っ張って壁を作る。互い違いになって、頭と脚の方向は逆だけど。なにより前回との最大の違いは、カメラアイを有効に使うために仰向けだってコト。
 
その下で射撃体勢を整えたシンジが、ライフルを2機の隙間、脇腹あたりから突き出す。すかさず零号機が片手を使って銃口を庇った。
 
≪うっ…っく≫
≪…くぅぅ≫
 
狙いすましたように、溶解液が降ってくる。装甲を溶かす音が、…やけに耳につくじゃない。
 
「早く…、早く!」
 
バイザーの中で、なかなか合わないレチクルをシンジが罵る。
 
 …
 
「綾波っ!!」
 
零号機が手をどけるのと、トリガーが引かれたのは、ほぼ同時だったと思うわ。
 
 
弾切れまで撃ち尽くしたライフルはなんとか命中弾をたたき出し、かろうじて使徒を撃退できた。
 
 
****
 
 
気持ちの問題だとは思うけど、おハダがぴりぴりして水着が着れない。っていう理由で、本日の水泳特訓はお流れになったわ。
 
こら、シンジ。そんなことで喜ばないでよ。ホント、なさけないんだから…
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:11


「3人ともお疲れさま。シンジ君、よくやったわ」
 
ハーモニクスのテストが終わって、技術部長サマ直々のお言葉。…なんだけどね。
 
「何がですか?」
 
「ハーモニクスが前回より8も伸びているわ。たいした数字よ」
 
この話の流れは憶えてる。シンジに追い着かれるかもって危機感を最初に抱いたのが、このときだったもの。
 
「でも、ワタシより50も少ないじゃん?」
 
「あら、10日で8よ。たいした物だわ」
 
リツコもああ見えて、けっこう迂闊なのよね。…というか、セカンドインパクトからの復興期に思春期をおくった人間って、こうした世代の扱い方をよく解かってないんじゃないかと思うわ。 
ほら、ミサトとかもそうでしょ。生きるのに必死で、そういうコトを学んでるヒマがなかったのかしら。
 
「たいしたことありませんよ。元が低いからそう見えるだけでしょ?」
 
耳打ちした内容を口にしながら、シンジがリツコに目配せ。…アンタ、けっこう堂に入ってきたんじゃない?
 
「そうね、そのとおりだわ。自分ってモノをよっく解かってるじゃない」
 
なんて言い捨てて、アスカは踵を返してさっさと出てく。前の時ほどには焦燥感を感じてないってことが、ワタシには判る。でもシンジにあてこすれなかった分だけ、ちょっと不機嫌かな?
 
我ながら、難しいコねぇ…
 
 
***
 
 
「あ、あの、昇進おめでとうございます」
 
アスカはさっさと帰ってしまったので、ミサトのクーペに便乗したのはシンジとレイだけだった。
 
「ありがと。でも正直、あまり嬉しくないのよね」
 
「あ、それ解かります。僕もさっきみたいに誉められてもあまり嬉しくないし、逆にアスカを怒らせるだけだし…。どうして怒ったんだろう…何が悪かったんだろう?」
 
アンタは悪くない。って、何度も言ってあげてんだけどね。
 
さっきのはリツコが悪いし、そもそも状況が悪いのよ。たとえば2人の立場か能力が違えば、簡単に仲良くなれたんじゃないかって思えるもの。そういう意味じゃ、この世界が悪いってコトかも。
 
まあ、それがシンジなんだと思えば、そういうトコも減点材料とばかりはいえないケドね。
 
 
「さっきの、気になる?」
 
「はい…」
 
「そうして、人の顔色ばかり気にしているからよ」
 
リツコがリツコなら、アンタはアンタで!生きるのに必死だったのかもしんないケド、やっぱりアンタたち復興世代はナンか欠けてるわよ! 
 
ああもう!なんか言ってやりたい。コイツらに思いっきり言ってやりたい。シンジはとても言えないだろうから、このワタシが直接言ってやりたいわ!!
 
『…まあまあ、落ち着いて』
 
…って、ヤダ。
 
『ワタシ、声に出してた?』
 
『これ以上はないってくらいにね』
 
シンジの口調が苦笑を含んでるような気がして、なんだか急に恥ずかしくなっちゃった。
 
『あっあのね…』
   『アンジェは流石だよね』
 
…って、えっ?
 
『僕なんかさ、ミサトさんたちの世代が大変だっただろうなんてこと、気が付きもしなかったもの』
 
また、アンタはそうやって。自分ばかりが悪くて、相手は善いみたい解釈するんだから。それもアンタのいいところだと思わないでもないわよ? でも、そんなコト繰り返してたら、アンタが潰れちゃうんだから…
 
なんて言ってやろうか考えてるうちに、クーペがマンションに着いちゃった。
 
アンタも、難しいわね。
 
 
****
 
 
「「「「「 おめでとうございまーす! 」」」」」
 
…おめでとうございます。一拍遅れて、ぼそりと。レイは相変わらずねぇ…
 
「ありがとう。ありがとう、…鈴原君」
 
「ちゃいますねん、言い出しっぺはコイツですねん」
 
「そう!企画立案はこの相田ケンスケ、相田ケンスケです!」
 
びしっと立ち上がったバカケンスケが、誇らしげに。まあアンタの観察力ってば、なかなかのもんだと思うケドね。
 
「ありがとう、相田君」
 
「いえ、礼を言われるほどのことは何も。トーゼンのことですよ」
 

 
シンジの視線が、ちらちらとミサトに向けられてる。
 
「まだ駄目なのかしら? こういうの」
 
シンジの視線に気づいたか、ちらり。と返されるミサトの視線。
 
「いえ、最近はなんだか慣れてきちゃって」
 
お昼ごはんと、顔触れが変わんないんですよ。と苦笑い。
 
 
「加持さん遅いわねぇ」
 
「そんなに格好いいの、加持さんって?」
 
「そりゃあもう!ここにいるイモの塊とは月とスッポン、比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」
 
「なんやてぇ? もう一遍ゆうてみぃや!」
 
立ち上がったアスカにトウジ、口論を始めた皆を手慣れたカンジで治めていく。シンジはずいぶん変わったわ。…本人はぜ~んぜん、評価してないけどね。
 
 …
 
「昇進ですか…それってミサトさんが人に認められたって事ですよね」
 
「ま、そうなるわね」
 
「…だから、みんなこうして喜んでいるわけですよね。でも、嬉しくないんですか?」
 
こんなこと訊いていいのかな。って、シンジはあらかじめワタシに相談した。昨夜のクーペでのコト、気にしてたんでしょうね。
 
そんなコトは訊かなきゃ判んないし、そもそも訊いてみることそのものが大切なんじゃないかと思う。もちろんシンジにもそう言ったわ。
 
「ぜんぜん嬉しくないって事はないのよ。少しはあるわ。でもそれが、ここにいる目的じゃないから」
 
「じゃあ、なんでここに…ネルフに、入ったんですか?」
 
「さぁって、昔のことなんて忘れちゃった」
 
やっぱり訊くべきじゃなかったのかな。と落ち込むシンジの向こう側で、このやりとりを聴いてたらしいレイが立ち上がった。
 
「…葛城三佐。お訊きしたいことがあります」
 
「なっなに、レイ…」
 
口にしたビールを吹きそうになって、ミサトが目を白黒してる。
 
「…葛城三佐は、任務のためにここに住めと言いました。しかし碇君は、それは葛城三佐の本音ではないと言います。
 …だから、聞かせてください」
 
「にゃ、にゃにお…」
 
アンタ、急にナニ言い出すかと思ったら。…ずっとそれを引き摺ってたのね。
 
「…葛城三佐の、本音」
 
えっ? いや…その、あのね。だからあれは…。と、ミサトはしどろもどろ。
 
「使徒を斃すために、そのほうが都合いいから。そう額面通りに受け取っていいのかってコトよ」
 
唐突なアスカの助勢に、さすがのレイも少し驚いたらしい。しばし、アスカの横顔を見つめていた。
 
やがてミサトに向き直り、そうだ。と言わんばかりに頷く。
 
「…いや、だからね? その…そんな」
 
睨みつけてる。と言っても過言でない目つきで、レイの視線がミサトを掴んでる。
 
…レイ。アンタ、まさか怒ってない?
 
「いや、その…ね。こんな席じゃなんだし、また今度ってことで…」
 
「…」
 
無言の圧力で、なんだかミサトが縮んでいきそうだわ。…ワタシ、アンタだけは怒らせないようにしなきゃ。
 
それにしても、アンタがこんなに怒るなんて…ううん、ちょっと待って。あのレイが、ちょっと相手が言い淀んだからって、こんなに怒るなんて思えないわ。そもそも、レイがこんなことを訊いてくること自体、ありえないと言えばありえない。…シンジに、そう言われてたにしろ。よ?
 
…あれ!?
 
もしかして、シンジなの? レイが怒ってるのはシンジのため?
 
レイは、昨夜の経緯をクーペの後部座席で聞いてたんだろう。そして今、シンジが意を決して訊いて、すげなくあしらわれたのを見てた。
 
もちろん、レイ自身も訊きたかったに違いない。
 
だけど、ナゼこのタイミングなのか? いままでに訊く機会がなかったワケはないだろうに、ナゼ今決意したのか?
 
それが答えのような気がするわ。
 

 
「…」
 
「そっそんなこと、言う必要はないわ」 
 
レイはレイであの通りだし、ミサトもなんだか意固地になってきたらしくって、なんだか険悪になってきちゃったじゃない。
 
…ここはひとつ、
 
『シンジ、お願いがあるんだけど?』
 
耳打ちした内容に躊躇したシンジを、なんとか説き伏せる。ここでこのまま物別れになったら、折角のレイの決意が無駄になっちゃうもの。
 
せめて表情を見せないように、シンジが顔を伏せた。
 
「結局、僕らは使徒を斃すために飼われてるってこ…」
 
弧を描いて飛んできたミサトの平手が、シンジの頬を思いっきりはたく。吹っ飛びそうになったシンジの襟首を掴んで引き戻し、親の仇でも追い詰めたような顔して睨みつけてくる。
 
「アンタ、アンタってコは!アタシが、アタシたちがどんな思いでアンタらをエヴァに乗せてると…」
 
切れた唇の端が持ち上がるのを見て、今度、最後まで言えなかったのはミサトのほう。
 
「それがミサトさんの本音。…ですよね?」
 
シンジが滲ませる涙と血と、だけどほころぶ口元を見て、ミサトはようやく自分がハメられたって気付いたみたい。
 
「シンちゃん、アンタ…」
 
ちらり。と逸らしたシンジの視線は、レイに。
 
「綾波。これがミサトさんの本音。…痛いぐらいだよ」
 
ホントに痛いけどね。ミサト、容赦ないんだもの。
 
綾波も、解かった? との問いかけに、レイが頷く。その仕種とは裏腹に、とても理解できたようには見えない。でも、それでも頷いたのは、解かりたいと思ったから…じゃないかしら。
 
…アンタも、難しいわね。
 
 
「ああもう、そうよ!そのとおりよ!」
 
シンジを放り出したミサトが、レイに向き直った。
 
「シンちゃんに言われて、レイの部屋を見にいって。アンタたちがどれだけエヴァの犠牲になってるか…アタシたちがどれだけ酷いことを強いてんのかっ!」
 
ミサトの肩が震えてる。
 
「せめて、せめてエヴァに乗ってない時ぐらい…」
 
その声まで、震わせて。
 
「そんなの偽善に過ぎないって解かってるけど、それでも…」
 
シンジが、ミサトの肩に手をかけた。レイも歩み寄ってくる。
 
嗚咽でナニ言ってるか判んなくなったミサトが、背中を丸めるようにして顔を伏せた。
 
テーブルの向こっ側では、口元に人差し指をやったケンスケが、トウジとヒカリを連れて、そ~っと退散しようとしてる。…こう、なんか。サムズアップしてやりたい気分ね。
 
シンジが向けた視線を受けて、アスカもにじり寄ってきた。しょうがないわね。と、ばかりに顔をそむけたケド、まんざらじゃないってコト、ワタシには解かるわよ。
 
 
***
 
 
自室に下がってからのひと時、シンジはベッドに横になってSDATを聴いてることが多い。気兼ねなくシンジとお喋りできる時間でもあるから、ワタシにとっても大切なひと時なんだけど。
 
 
くぐもったノックの音。引き戸ってノックに向かないわね。
 
≪シンちゃん、ちょっといい?≫
 
「…ミサトさん? どうぞ」
 
体を起こしてシンジがイヤフォンを抜くのと、引き戸が開くのがほぼ同時。
 
「夜中にごめんね」
 
「いえ。…どうしたんですか?」
 
ん…そのね…。と、シンジの目の前で座り込んどいて、ミサトは歯切れが悪い。人差し指同士を突付きあわせてモジモジしちゃったりして、気色悪いわよ?
 
「あのね。ほっぺた…、まだ痛む?」
 
言われたシンジが、思わず頬っぺたを押さえた。
 
「やっぱり、痛むのね」
 
すっとしゃがんだミサトが、シンジの手のひらの下に自分の手を滑り込ませてくる。三十路女は中学2年のぴちぴちの男の子より体温が低いらしく、冷たい手のひらが少し心地いい。
 
「…ごめんね」
 
「いえ」
 
できたばかりの口中の傷が歯に触れて、シンジが顔をしかめる。
 
「ほんとにごめんね」
 
うつむいたミサトは、ほっとけばまた、そのまま泣き崩れてしまいそうだった。
 

 
「シンちゃん、さっき聞いてたわね。アタシがどうしてネルフへ入ったのか…」
 
搾り出すような、そんな声音が。シンジが差し出そうとした手を、…縫い止める。
 
「アタシの父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。
 
 そんな父を赦せなかった。憎んでさえいたわ。母やアタシ、家族のことなど構ってくれなかった。
 周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。
 でも本当は心の弱い、現実から、アタシたち家族という現実から逃げてばかりいた人だったのよ。
 子供みたいな人だったわ。
 母が父と別れた時もすぐに賛成した、母はいつも泣いてばかりいたもの。
 父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと嗤ったわ。
 
 けど、最後はアタシの身代わりになって、死んだの。セカンドインパクトの時にね。
 アタシには判らなくなったわ、父を憎んでいたのか好きだったのか。
 ただ一つはっきりとしているのは、セカンドインパクトを起こした使徒を斃す。そのためにネルフへ入ったわ。
 
 結局、アタシはただ…父への復讐を果たしたいだけなのかもしれない。父の呪縛から逃れるために…」
 
面を上げたミサトの目に涙はなく。まるで、そのために流せる涙なんかもう残ってないとばかりに、…力なく微笑んだ。
 
「シンちゃん、アタシ…ね? シンちゃんが初めてエヴァに乗ったあの時、シンちゃんを自分の道具として見ていたわ」
 
だからね…。と続けようとしたミサトは、一瞬のどを詰まらせ、必死に目頭に力を込めてる。
 
「さっきシンちゃんをぶったのは、見透かされてたんじゃないかって怖くなったの、図星だったからカッとなったの」
 
シンジの頬から引き戻した手のひらを胸元で握り締めると、堪えきれなかった涙が降りかかった。
 
「今の自分が絶対じゃないように、あの時のアタシもたくさん欠けてた。後で間違いに気づいて、後悔することしかできない。思えばアタシは、その繰り返しだったわ。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする」
 
そっか、ミサト。アンタもまたココロの欠けた場所にエヴァが入り込んでんのね。エヴァにしか使徒が斃せないというのなら、使徒にこだわる心はエヴァと不可分だもの。
 
「だから、まずシンちゃんに謝りたかったの。ぶったことと、それが不当な理由だったってことを」
 
おずおずと伸ばされたミサトの両手が、シンジの両手を包んだ。
 
「でもね。今は違うって、信じて欲しいの。だからこそぶったんだって、知って欲しいの」
 
 
「それでも…僕がエヴァに乗らざるを得ないことに、変わりはないですよ」
 
…ええ、そうね。とミサトが目を伏せると、目尻に残ってた涙が流れきる。
 
「使徒を斃すことがアタシの宿願だから、シンちゃんにはエヴァに乗って欲しい。あなたにはその力があるんだもの。
 それが身勝手だってことはよっく解かってる。だから、シンちゃんにはエヴァに乗ってとお願いするしかないわ。
 …シンちゃん。アタシのためにエヴァに乗ってくれる?」
 
捨てられた子犬みたいな目をして見つめてくるミサトに、シンジの溜息。
 
「ミサトさんって、けっこう酷い人だったんですね…」
 
「えっ? あの…シンちゃん? そのね、確かに…アタシ身勝手だと思う。だからね…」
 
ミサト…。三十路女が、中学2年の男の子の前でそんなに取り乱すもんじゃないと思うわ。
 
ほら、シンジもくすっとか笑っちゃったじゃない。
 
ゑっ? と、ミサトのまぬけ面。
 
「僕、ずいぶん前に、守りたいモノのために乗るって、ミサトさんに言いましたよ」
 
そういえばって顔したミサトが、酸欠気味のサカナみたいに口を開け閉めした。
 
「…乗ってくれるの?」
 
「そういうこと、何度も言わせないで下さい」
 
シンちゃんには…。再び込み上げてきた涙を袖元に吸わして、まだ女心は解からないか。なんて溜息ついてる。…まあ、同感ね。
 
「…シンちゃん」
 
伸び上がってきた手のひらが、シンジの両頬を捉えた。ってミサト、アンタ嬉しそうに目を細めちゃったりして…まさか!
 
…ミサトの顔が近づいてくる!!
 
こらっ!ミサト!アンタ自分の立場ってモンを考えなさいよ!暴走すんな~!!
 
きゃーっ!シンジ逃げるのよ!!こんな生活能力皆無の三十路女に捕まったら、アンタの人生お先マックラよ!…って、固まってんじゃないわよ!人生の危機なのよ!!
 
あっ、でも。シンジとミサトがくっつけば、フリーになった加持さんを…って、そんな安易な逃げ道。とっくに否定したつもりだったのにーっ!!
 
なんてこと考えてるうちに、ミサトの顔はもう焦点が合わないくらい間近で、とても逃げられそうにない。
 
「ありがと…ね」
 
吐息が唇にかかってる~!
 
ああもうダメ!シンジの純潔、さようなら~。と心ん中でハンカチ振ってたら、柔らかい感触が、シンジの左頬で。
 
…あれ?
 
小鳥がついばむようなセツナのふれあいを残して、ゆっくりと身を引いたミサトが、
 
「ちゅ~がくせいは、ここまで。ね♪」
 
なんてウインクしながら、人差し指をシンジの唇に押し付けてくる。
 
あっこら、シンジ。こんなんにトキメイちゃダメよ。これが年増女の手練手管ナンだから。
 
「…それじゃ、おやすみ」
 
満面の笑顔をシンジの網膜に残して、立ち上がったミサトが部屋を後にする。
 
「あっ!そうそう♪シンちゃ~ん?」
 
機嫌よさそうな声音で振り返ったミサトは、今しがたの笑顔のままだったのに、
 
「今度、あんなヒトを試すような真似したら、容赦しないわよん♪」
 
…なんだか怖かった。
 
「肝に銘じます」
『肝に銘じます』
 
 
****
 
 
安っぽいフェンスで仕切られた資材用のリフトに乗るのは、昔から好きだった。武骨でブアイソなデッキは、荷客用のエレベーターのような過保護さがなくて、開放感がある。
 
それに、一歩間違えればケガしかねない危うさが、却って自分が保護者の付き添いが必要なオコサマじゃないってことを認識させてくれるの。
 
だから、少しココロが自由になる。それがたとえ、今から死地に赴くためだとしても。
 
 
「…ねぇ」
 
「なに?」
 
この頃のワタシは、もっと苛立ってたと思う。アンタも、ちょっとずつ変わってきてるわ。
 
「アスカは、なぜエヴァに乗ってるの?」
 
「決まってるじゃない、自分の才能を世の中に示すためよ」
 
何のために、そうしたいのか。そのことを忘れてるのは、一緒ね。
 
「自分の存在を?」
 
「まぁ、似たようなモノね」
 
涼しげにまぶたを閉じてたアスカが、ちらりとした流し目を、シンジ越しにレイに送った。
 
「あのコには訊かないの?」
 
アスカの視線に促されて、シンジがレイを、レイの横顔を見やる。話の矛先が自分に向いたと気づかないのだろう。レイはただ、前を見つめるのみ。
 
「綾波には、前 訊いたんだ」
 
「ふーん。仲のおヨロシイこと」
 
「そんなんじゃないよ」
 
「シンジはどうなのよ」
 
いったん視線を落としたシンジが、アスカを見る。
 
「守りたいモノのため、…かな」
 
かつてシンジは、判らないって答えた。判らないから、誰もに訊いて回ってたんだろう。
 
今またシンジが訊いて回ってるのは、判らないからではなくて、解かりたいから。だと言う。その中にアスカが含まれてるってコトが、こんなにもワタシのココロを暖めるなんてね。
 
「守りたい物って?」
 
「それは、よく解からない」
 
なんて言いながら、シンジが右の掌を胸に当てた。シンジは口にしてくんないけれど、この仕種の意味をワタシは解るつもりだ。…このぬくもりをそのままこのコに感じさせてあげられたら、どんなにいいか。
 
「判らないって…アンタ、バカぁ?」
 
『守りたいとは思う。だけど、なぜ守りたいと思うのか、それが解からない。だから僕は…』
 
「…そうかもしれない」
 
「…ほんとにバカね」
 
ごぉっと吹き込む風がLCLの匂いをはらんで、ケィジに着いたことを教えてくれた。
 
 
****
 
 
衛星軌道から落っこちてきた第10使徒は、前回と同様に手で受け止めることになったわ。
 
初号機の加速は凄まじくって、ヴェイパー曳くんじゃないかって思っちゃうホド。前回も初号機が一番乗りだったケド、あれが実験機の底力なのかしら?
 
あらかじめシンジに落下地点をほのめかせられた分、ちょっと余裕が出来たらしくって、初号機の損傷も軽くなったみたい。
 
 
 
ガード下の屋台は、アスカが選んだだけあってフカヒレラーメンなんて外道がメニューのトップを飾るイロモノラーメン屋だった。
 
グルメ雑誌で見て、気になってたんでしょうね。
 
前回も同じようにしてワタシが選んだってコトは、ヒ・ミ・ツ♪
 
 
フカヒレラーメンは以前食べたことがあるケド、たいして美味しいモンじゃなかった。今シンジが食べてる普通のとんこつラーメンを味わってて感じたんだケド、とんこつスープにフカヒレって基本的に合わないんじゃないかしら?
 
とんこつラーメンの美味しさからすると、お店のマスターがそのことに気付いてないとは思えない。もしかして、なんかの冗談の類なのかしら?
 
 
「ねぇ…、ミサトさん…」
 
「なぁに?」
 
「さっき、父さんの言葉を聞いて、褒められることが嬉しいって、初めて解かったような気がする」
 
その言葉を、ワタシは複雑な気持ちで聞いてた。
 
「ミサトさん、言ってくれましたよね? 人に褒められることをしたんだって…」
 
シンジがヒトに褒められるコトを欲してたとして、その手段としてエヴァに傾倒することがナニを意味するか、その結末を想像して…
 
「それで解かったんだ。僕は、父さんのさっきの言葉を聞きたくて、エヴァに乗ってるのかもしれないって」
 
「アンタ、そんなコトで乗ってんの?」
 
ミサトの向こっ側から顔出してきたアスカが、口ン中にモノ詰め込んだままで。
 
「ホントにバカね」
 
そうね。アンタにはそう見えるでしょうね。
 
割り切ったつもりになっているアンタには、いまだに足掻いてるシンジの気持ちは解かんないわ。きっちり…、きっちりと悩んで考えておくってコトを、このときのワタシは蔑ろにしてたもの。ヒトはロジックじゃないってコトを軽んじて、自分の頭の良さってモノを誤解してた。
 
 
シンジの口元は、嬉しそうに緩められてる。
 
だけど…、悲しいことにシンジが見出した答えは、きっと間違いだと思う。ううん、見せかけだけの救済とでも言えばいいのかしら?
 
だって、それはエヴァに乗る理由じゃなくて、自らの存在理由こそを求めてるように見えるんだもの。
 
アイデンティティーってモノを、エヴァに投げ出してるようにしか見えないんだもの。
 
 
…だけど、エヴァに乗るためのモチベーションを保つために、シンジにとっての理由が必要だってコトも解かる。
 
それを、ワタシじゃあ 与えてあげらんないってコトも…、自分で見つけなきゃ意味がナイってコトも…
 
 
だから、何も言ってやれなかった。なんて言ってやればいいのか、判んなかった。
 

 
 … ワタシ…  …
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾壱話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:11


「えぇ~? また脱ぐのぉ?」
 
その気持ちはよっく解かるわ。たとえ、今はオトコノコの体の中に居るこの身としてもね。…いや、だからこそ、かしら?
 
 ≪ ここから先は超クリーンルームですからね。シャワーを浴びて下着を替えるだけでは済まないのよ ≫
 
リツコの声は淡々としてる。それが余計に神経を逆なでしてるって、気付いてナイんでしょうね。
 
「なんでオートパイロットの実験で、こんなことしなきゃいけないのよ~」
 
我ながら不思議なのは、不満なのはこの扱いについてであって、オートパイロットの存在そのものには無頓着だったってコト。
 
完成したら明らかにお役御免になるって、解かってたはずなのにね。修学旅行のときにも感じたけど、ワタシ、心のどっかではエヴァに乗りたくないって思ってるのかしら。
 
 ≪ 時間はただ流れているだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの ≫
 
 
「「えぇ~!?」」
 
シンジとアスカが、お互いの姿を認めて更衣室に逃げ戻った。
 
更衣室のドアの向こうは、ミサトんちのリビングほどの広さの小部屋になってる。申し訳程度に衝立はあるけど、目隠しとしては役に立ってない。素っ裸になって踏み込んだのがこんなトコで、そこによく知る異性が同時に踏み込んできて驚かないワケがないわ。
 
「どういうことよ!」
 
「僕に訊かないでよ!」
 
ひとり。頓着しないレイが、平然と小部屋へ歩み入った。思わずそっちを見ちゃったシンジが、あわてて視線を逸らす。
 
 ≪ 2人とも早くして、時間が押してるわ ≫
 
「なんで3人一緒なのよ!」
 
 ≪ 施設を別々に造れるような余裕はないの。これが今のネルフの限界って訳 ≫
 
そのわりに、更衣室とドアはちゃんと3人分あるんだケドね。
 
となりから、肉食獣ばりの唸り声が聞こえてくる。当時ワタシがどれだけ機嫌が悪くなったか思い出して、シンジにささやく。
 
『…』
「アスカ。僕が先に出るから。それに、絶対そっち見ないから」
 
前回は、ワタシがそう命令したんだけどね。
 
「ト~ゼンよ!」
 
シンジが小部屋に進み出てしばらくすると、アスカも踏み入ってきた。左を向いたら殺されかねない。右のレイは何も言わないだろうが、それだけに罪悪感が増す。右も左も見るわけにいかないシンジが、ぎゅっと固くまぶたを閉じた。
 
…シンジを端にして、アスカを反対の端に、それでレイが真ん中ならちょっとはマシだったかしら? シンジの精神衛生上。
 
 ≪ シンジ君。 洗浄ができないから、前を隠さないで ≫
 

 
シンジ、ご愁傷様。
 
観念したシンジが手を離した途端、消毒液のシャワーが降り注いだ。
 
 
****
 
 
「ほら、お望みの姿になったわよ。17回も垢を落とされてね!」
 
超クリーンルームとやらに入室するために、6つの部屋で、17もの手続きを踏まされたんだもの。2度目のワタシでもうんざりする。
 
 ≪ では3人とも、この部屋を抜けてその姿のままエントリープラグに入ってちょうだい ≫
 
「えーっ!!」
 
やっぱりリツコは、思春期ってモノを解かってないと思うわ。14歳のオトコノコとオンナノコが、衆人環視の中へ裸で出て行けって言われて、はいそうですか。なんて言うワケないじゃないの。
 
大体、自分がそうしろって言われたらどう思うか、考えなかったのかしら? …まさか乳幼児と違わないなんて考えてんじゃないでしょうね? 14歳になれば充分に羞恥心てモンが発達… …してないコが居たんだっけ…
 
…まさかレイを基準に14歳の羞恥心を量ってたり、してないわよね…
 
 
 ≪ 大丈夫。映像モニターは切ってあるわ。プライバシーは保護してあるから ≫
 
「そーいう問題じゃないでしょう!気持ちの問題よ!」
 
「そうですよ、リツコさん。僕たちはエヴァの部品じゃないんですよ」
 
 ≪ シっ、シンジ君!? …この実験はね、成功すれば貴方達の為になるのよ ≫
 
シンジは普段、従順と言っていいホド協力的だから、まさかアスカの味方をするとは思ってなかったんでしょうね。
 
「それは聞きました。だからアスカだって、そのことそのものに文句は言ってないでしょう?」
 
そうよそうよ。とアスカがはやしたてる。
 
「僕たちは、僕たちの人格を無視したこの扱いに抗議してるんです」
 
シンジの発言は、延々とシンジに聞かせたワタシのグチを、シンジなりの言葉に変換したものだ。いや、この語調の強さからすると、シンジ自身もけっこう怒っているのかもしんない。
 
「ほんの少し配慮してくれて、例えば男女で時間差を作ってくれるとか、衝立をもうちょっと大きくしてくれるとかしてくれれば、それで充分だったんです」
 
問題は、コイツの本性は生意気で反抗的な皮肉屋だってコト。
 
「それとも、裸にした僕たちを一緒に放り込むところまで実験のうちなんですか?」
 
 ≪ シっシンジ君!!貴方ねぇ… ≫
 
さすがのリツコもこれには怒ったらしい。驚いたらしいアスカも、シンジの顔をまじまじと。…レイは? っていうと、何を思ったかぽつぽつと呟いてる。
 
 ≪ は~いはいはいは~い。リツコの負け~。シンちゃ~ん、そのくらいにね♪今度から気をつけさせるから、今回はチョ~ッチ、ね? ≫
 
「ミサトさんが、そう言うなら…」
 
溜息ついたシンジは、そのまま無雑作にブースを出てエントリープラグに向かった。
 

 
どうでもいいケド、ケンカすんならマイクのスイッチ切りなさいよ。三十路女同士の言い争いなんて、ほとんど公害なんだから。
 
 
****
 
 
若干リツコの機嫌は悪かったものの、実験そのものは順調だったと思うわ。
 
基本的にチルドレンってのは蚊帳の外だから、何が起きてるのか判らなかったのは今回も変わりないんだけどね。
 
判ってるのは、レイが悲鳴をあげて、プラグごと射出されたってコト。前回の経験からすると、放り出されたのは地底湖だと思う。
 
 
「何がどうなってるんだろう?」
 
『状況を確認する必要があるわね。ハッチ開けてみましょ』
 
そうだね。とシンジがプラグの内壁に埋め込まれたレバーに手をかける。伝わってきた軽い振動は、イジェクションカバーを弾き飛ばした爆発ボルト。
 
インテリアから立ち上がったシンジが、天面のハンドルを回し始めた。
 
 
 
幸いにも、と言うべきなんでしょうね。ジオフロントでも夜は暗いってことを。でなけりゃ、プラグの外に裸で出るようなことをシンジが承服するワケないもの。
 
 
脱出ハッチのフチに腰かけたシンジが、手慣れた感じでLCLを吐いた。
 
「…ジオフロントの、地底湖?」
 
『みたいね。何か緊急事態が発生してプラグを射出したのかも』
 
問題は、前回と同じなら3~4時間は放っとかれるってことなんだけど。
 
あの時の心細さを思い出して、ちょっと胸が痛い。
 
 
…ここはひとつ、
 
『ねぇシンジ。夜の地底湖って、泳いだら気持ちいいと思わない?』
 
『…何が言いたいの?』
 
大体のところは察しただろうに、シンジは儚い抵抗を試みた。
 

 
『レイとアスカのために、ひと泳ぎしてくれないかなぁって』
 
『ここで救助を待ってちゃ、ダメなの?』
 
ダメってワケじゃ、ないんだけどね。
 
『これってシミュレーションプラグでしょ。サバイバルキットも積んでないし、バッテリだって最低限。保って2時間ってトコロかしら?』
 
余分な機器が積まれてない分LCLの容量だけはあるから、実際にはもっと保ったケド。
 
『裸でこんなモノに乗っていて、纏う布切れの一枚とてない。もしこのまま何時間も救助がやってこなかったとしたら、レイやアスカがどうなると思う?』
 
…まさか窒息するまでってことはないよね。なんて訊いてくるもんだから、さあ? ってそっけなく返しちゃった。
 
『女の子が、こんなところで肌をさらしたいかどうか、シンジはどう思う?』
 
「…そうだよね」
 
さっきの顛末でも思い出したか、シンジの呟きはなんだか実感が篭ってるわね。っていうか、こういう時まで、逃げちゃダメだ。って唱えんのヤメてよ。
 
 …
 
『わかった、行くよ。…行くけど、泳ぎきれるかなぁ…』
 
『大丈夫、ワタシが保証するわ』
 
幸い、シンジのプラグは最も岸まで近い。目測で20メートルってところだから、今のシンジなら何とかいける。これがもし岸から一番遠いプラグだったら、ほかのプラグを迂回するのに100メートルは泳がされたところだ。
 
あとは泳いでる最中に方向を見失わないよう気をつけるぐらいね。ま、今のワタシの感覚なら大丈夫だと思う。
 
 
 
息も絶え絶えに岸にたどり着いたシンジに、次にさせたのはその辺のボートとかを物色させることだった。こんなトコロで裸で居ることの恥ずかしさは、男の子だからって変わるもんじゃないと思うもの。
 
『救命胴衣があるじゃない。よかったわね、シンジ』
 
『裸でこんなの着てたら、余計恥ずかしいよっ!』
 
『バカねぇ、腰に捲くのよ。それとも、そっちに落ちてるシーアンカーのほうがイイ?』
 
…なんてやりとりしてから、本部棟に向かったんだけど。
 
 
 …
 
 
そ~っとエントランスに入ったシンジが、すぐ傍のインターフォンを取った。
 
裸で救命胴衣を腰に捲いてる姿が、ヒトの体とはいえ気恥ずかしい。あっさり言い放っておいてナンだけど、ワタシ自身、意識としては女の子のままなんだから、シンジより恥ずかしかったかもしんないわ。救命胴衣、胸の辺りから捲いてもらうべきだったかしら…
 
発令所をコールしようとしたんだけど、うんともすんとも言わない。電力は供給されてるみたいなのに、奇妙にしんとして。こないだの停電騒ぎみたいな不気味さを感じるわね。
 
 
 
シンジと相談して、服とタオルを確保するために更衣室に向かうことにした。ありがたいことに本部機能のほとんどが死んでるらしく、IDなしでもナントカなったわ。
 
 
シンジの服とタオルはすんなり手に入った。また濡れるかもしんないからってことで、プラグスーツなんだケド。
 
問題は、レイやアスカの服を調達するために女子更衣室に入ることを、シンジが嫌がった。ってことね。
 
『緊急事態なんだから、仕方ないじゃない』
 
『ヤだよ。それに勝手に着替えとか物色したら、それだって嫌がるでしょ?』
 
女の子へのデリカシーってモンを理解してくれたからここまで来てくれたんだろうけど、それだけに頑ななのよねぇ。
 
『…そりゃまあ、ねぇ』
 
だからってタオルだけってワケにはいかないんだけど…
 
なにかいい案はないかと、シンジの視界をまさぐる。
 
男子更衣室のドアがあって、向こうに女子更衣室のドア。その間に…
 
『ランドリー!シンジ、あそこならいいでしょ』
 
ランドリーってのは、使い終わったプラグスーツを洗浄して保管するための作業室のコト。ここなら、洗い終わったプラグスーツがビニルパックになって置いてあるはずだ。
 
シンジも、なるほど。とばかりに手を打ってる。
 
 
…やれやれ、だわ。
 
 
****
 
 
さっき物色させた時に目星をつけといたゴムボートで、湖面に乗り出す。
 
『エンジンのついたボートなんて初めて動かすけど、ちょっと楽しいね』
 
世界に3機しかない決戦兵器を乗りこなしておいてその感想はどうかと思うけど、船外機での操作ってちょっと独特で面白いし、確かにけっこう爽快ね。
 
 
シミュレーションプラグにナンバリングなんてないから、手身近なのに横付けた。
 
半ば水没してるメインスライドカバースイッチを開き、シンジがイジェクションカバー排除レバーに手をかける。
 
『イジェクションカバーが落ちてくるかもしんないから、気をつけてね』
 
外から排除することも考慮されてるから、操作パネル側に落ちてくることはないはずだけど、用心するに越したことはない。
 
『そうだね、ありがとう』
 
睨むようにしてシンジが見守る中、イジェクションカバーはプラグの頭側に吹き飛んだ。
 
『いきなり開けちゃダメよ』
 
『わかってるよ』
 
念のために装備されてたオールを持ち出して、シンジが脱出ハッチを叩く。
 
・・ -・- ・- ・-・ ・・
 
打ったオールを跳ねさせるのを短点、そのまま打ち付けたままにするのを長点に見立てて、モールス信号を打たせているのだ。
 
・・ -・- ・- ・-・ ・・
 
モールス信号は前世紀には廃れたはずなんだけど、チルドレンはレクチャーを受ける。
 
日本の自衛隊が使ってたからという理由で、国連軍もモールス信号を使う。国連軍との共同作戦がありうるエヴァのパイロットも、一応知っとかなきゃならないってワケ。
 
・・ -・- ・- ・-・ ・・
 
もっとも、チルドレン歴の浅いシンジは習ってないから、今ワタシが教えたんだけどね。
 
『…出てこないね』
 
『シンジだと知って出てこないんだから、つまり、アスカのプラグね』
 
プラグの中には内壁を叩けるような物はないし、手で叩いたくらいで伝わるはずもないから返事のしようがないんだろう。
 
『出てきっこないから、レイの方に行きましょ』
 
『そうだね』
 
 
 
シンジがイジェクションカバーを排除すると、オールで叩くまでもなく内側からハンドルが回された。
 
せっかくIKARIってモールス信号、憶えたのに…。とかなんとか、シンジがぶつぶつと言ってるうちにハッチが開いて、レイが顔を出す。 
 
「ぅわぁっ!!待って!綾波、そのまま!出てきちゃダメ!」
 
ハッチのフチに手をかけて身体を引き出そうとしたレイを、シンジが慌てて止める。レイは単にLCLを吐こうとしただけだろう。そこに他意はないんだろうけど、あまりにも無防備だと却って罪悪感が増すみたい。シンジの心臓が跳ね上がったもの。
 
「こここっこれ、これを中で着てから」
 
レイの方を見ないようにして差し出したプラグスーツが、不意に軽くなる。レイが受け取ったと判断したシンジが手を放すと、とぷん。と波打つ音がした。素直にプラグの中に戻ったのだろう。
 
何も言わなかったのは、LCLを肺に入れたままで空気中で喋ると苦しいから。…だと思ったんだけど…あのレイのことだし…ねぇ?
 
 
しばらくして出てきたレイが、ハッチのフチに腰かけた。上半身を折り曲げるようにしてLCLを吐く。空気より重いLCLを吐くには、肺を気管より高くしないとダメなのよね。
 
おおかた吐き終わって咳き込んだレイの背中を、シンジがさすってやる。…よしよし、気が利くじゃない。バックパックがあるから中途半端にしかさすれないケド、こんなのは気持ちの問題だわ。
 
「…どうして?」
 
慌ててシンジが手を引っ込めた。断りなしに触れたのは拙かったかと思ったんだろうケド、そんなに怯えんじゃないわよ。
 
「なぜ背中をさすったか、ってこと? そのほうが楽になるからだけど…、イヤだった?」
 
「…いいえ」
 
よかった。と胸をなでおろしたシンジが、タオルを差し出した。
 
「はい、タオル」
 
だけど、ネコみたいに目を細めたレイは、背中を丸めたまま起きようとしない。もっとさすって欲しいって催促してんのかしら?
 
もちろん、シンジがそんなコトに気付くワケがないわ。
 
「…」
 
のろのろと体を起こしたレイは、表面上はいつも通りに見える。けれど、ちょっと乱暴にタオルを引っ手繰った仕種からは、「ナニもない」と言い切った少女とは違うナニかが感じとれた。
 
それにしてもシンジ、アンタにはもっと女心ってモンを勉強して貰わなきゃあダメね…。
 
 
****
 
 
レイが脱出ハッチを開けた瞬間、LCLを突き破って拳が打ち出された。完全な不意打ちだったけど、ハッチの狭さとLCLの抵抗で鋭さはない。
 
のけぞったレイは、かろうじて避けられたみたいね。
 
「こんの、バカシ…」
 
顔を出して罵ろうとしたアスカは、肺と気管の中でLCLと空気をブレンドさせて咳き込んだ。出てきてLCLを吐くワケにはいかないから、慌ててプラグの中に戻ってる。
 
シンジが覗きに来たと思ったんでしょうね。インテリアの陰に隠れるとかじゃなくて、迎撃に出るところがワタシらしいって言えばワタシらしいんだけど…
 
何ごともなかったような顔して、レイがプラグスーツ持ってハッチの中に顔を突っ込んだ。
 
 
 
「それで、何が起ってんの?」
 
プラグの上で仁王立ちして、アスカ。ハッチの縁に跪いてるレイを従えるように、ゴムボートに座ってるシンジを見下ろすように。
 
「ごめん。そこまでは確認してないんだ」
 
「アンタ、バカ~!? 状況の確認もナシに行動してたって言うの?」
 
そっちを優先すればしたで、もっと文句言ったでしょうにね。
 
「アスカたちのほうが心配だったんだよ」
 
「はんっ!アンタなんかに心配されるなんて、ワタシもヤキがまわったもんね」
 
あの時の心細さを思えば、アスカとて嬉しくないはずはない。そっぽを向いたその顔の、微妙なゆがみは、ほころびたがる口元を叱りつけてるからだと思うわ。
 
なのに、こうも素直に喜べないのは、ナゼなんだろう?
 
結局、すべてが終わって保安部が来るまで放って置かれたワタシには、こうしてシンジに心配してもらえて救け出されたアスカの気持ちは解からない。
 
今のワタシなら素直に喜んだだろう。それもこれも、シンジの傍に寄り添ってきたからだと思う。
 
そういう意味でワタシたちは、とっくに赤の他人なのね。
 
 
「…行きましょ」
 
アスカの葛藤なんか興味ないって風情のレイが体勢を入れ替えて、ゴムボートに戻ってこようとする。シンジが差し出した手を一瞬不思議そうに眺めながらも、むしろ進んでエスコートされたように見えたんだケド…
 
「あ!こら、待ちなさいよ」
 
続いて降りてきたアスカにも手を差し出すが、こちらは睨みつけられた。 
 
「ちょ~っと救けに来たからって、調子に乗らないでよ!」
 
「そんなつもりはないよ」
 
「はん!どうかしらね」
 
きれいにスルーされた手のひらを、シンジが所在なげに下ろす。
 
「とにかく発令所に行って、状況を確認するわよ!」
 
シンジから船外機のハンドルを奪い取ったアスカが、ゴムボートを岸に向けた。
 
 
****
 
 
発令所にはすんなりたどり着いたケド、結局ワタシたちにできることはないってことで本部棟内で待機ってことになった。
 
そういえば前回、どうやって使徒を斃したのかしら? 放っとかれたことに怒るばかりで、そういうことまで考えてなかったんだわ。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾弐話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:11


  ≪ エントリー、スタートしました ≫
 
    ≪ LCL、電化 ≫
 
  ≪ 第一次接続開始 ≫
 
機体相互互換試験。このテストにどれだけの意義があるのか、ワタシは知らない。少なくともこの後、誰かが別の機体で出撃したってコトはないから、無意味だったと思うんだケドね。
 
 ≪どう、シンジ君。零号機のエントリープラグは?≫
 
「なんだか、変な気分です」
 
 ≪違和感があるのかしら?≫
 
「いえ、ただ、綾波の匂いがする…」
 
そう。確かにレイの匂いがする。浄化されてるはずのLCLが、そんなワケはないのにレイの呼気、体温を伝えてくるようなのだ。
 
まるで、口移しに呼吸を遣りあうような感覚。
 
零号機に刻み込まれた綾波レイと言う存在に、重ね合わさるよう。
 
 
 
≪どぅお、シンちゃん。ママのおっぱいは!それともお胎の中かなぁ?≫
 
 ≪アスカ、ノイズが混じるから邪魔しないで≫
 
≪はいはい!≫
 
この頃のワタシの心をひと言で表すなら、それは焦りだったと思う。
 
ぱっと見に冴えないシンジは、着実にシンクロ率を上げてきてる。対して自分は上げ止まってて差は縮む一方。
 
シンクロ率なんてのは、どれだけエヴァを動かし易いかを示す指標に過ぎないと解かってたはずだ。それでも拘らざるを得ないのは、肝心の実戦で明確な実力差を見せ付けられずにいるから。
 
10年に渡って訓練を積んできたワタシにとって、昨日今日エヴァに乗ったようなシンジが自分以上の才能を示すことは、とても容認できる事態ではなかった。シンジの苦しみを分かち合うことがなければ、今のワタシでも認められないだろう。
 
ワタシたち、立場か能力が逆だったら、どんなに幸せな出会いだったことでしょうね。
 
 
「…何だこれ? 頭に入ってくる…直接…何か…」
 
『なに? どうしたの』
 
「綾波? 綾波レイ? 綾波レイだよな、この感じ…綾波… 違うのか…?」
 
『シンジ、どうしたの? レイがどうしたっていうの!?』
 
っつ…
 
突然の頭痛が、シンジを襲った。
 
この感じは、プラグ深度を深くしたときのソレによく似ている。なにより、第15使徒に襲われた時そっくりだ。
 
比重の重い液体が、脳髄に直接沁み込んでくるような不快感。じわりと、気持ち悪い。エヴァからの侵蝕、精神汚染。
 
強大な圧力の前に、シンジが意識を手放したんだろう。瞳孔が散大して視界がぼやけた。
 
シンジの身体に加わる加速度、零号機が動いて…暴走!?
 
そういえば前の時も零号機は暴走したんだった。ワタシとしたことが、こんな大切なコト忘れてたなんて!
 
もちろんワタシが何か言ったところで、どうにかできるとは限んない。だけど、出来たかもしんないことを見過ごしてただなんて、何のためにワタシがここに居るっていうのよ!
 
 
…臍を噛むような思いで、ただただ零号機が止まるのを待った。
 
 
****
 
 
「ヤだな。またこの天井だ」
 
『シンジ、気がついた?』
 
実際はそれほど長い時間ではなかっただろうと思う。だけど、今のワタシにとっては永劫の独房に等しい。
 
それが自分の落ち度かもしれないかと思うと、なおさらだった。
 
『え…と、なんで僕は、ここに?』
 
『憶えてないの?』
 
うん。と頷いてる。
 
精神汚染のせいかしら?
 
『零号機が暴走したのよ』
 
『零号機が?』
 
暴走したことすら憶えてないとすれば、直前に口走ったことも憶えてないんでしょうね。
 
今後のために確認しておきたかったけど、シンジにあまり無理をさせたくない。
 
『身体の方は大丈夫? 起きられそう?』
 
『うん。大丈夫みたい』
 
体を起こしたシンジが、危なげなくベッドから降りる。どうやら大丈夫そうね。
 
 
それにしても、暴走直前にシンジはナニを視たっていうのかしら。
 
レイって言ってたケド、それが綾波レイそのものだとは思えない。精神汚染をかけてきたことといい、暴走したことといい、シンジに働きかけてきたのは零号機そのものだと思えるもの。
 
まさか、レイのママ? …そっか、ありえるわね。レイじゃないのが乗ったから怒ったのかしら? ワタシのママは、シンジを気に入ったみたいだったのに。
 
だからこそ、機体相互互換試験なのかしら? シンジなら、レイのママにも気に入られる目算があった? ううん、初号機とレイの方まで、それで説明付けるわけには行かないわ。
 
なんにしろ、エヴァもネルフも謎だらけなのよね。
 
 
****
 
 
荒涼とでも言えばいいのかしら?
 
没個性な墓標が建ち並ぶサマがこうも薄ら寒いものだなんて、はじめて知ったわ。
 
 
ここに来るかどうか。シンジはずっと迷ってた。
 
正しくは、自分のパパとどう向き合うべきか、それをずっと考えていた。
 
パパが苦手だという。怖いともいう。だけど、逃げてちゃいけないとも思う。とも言ってた。
 
散々悩んで、あろうことかレイにまで相談するんだもの。どれだけシンジが思い悩んでるか判るってモンだわ。
 
もちろんシンジは、ワタシにも訊いてくれた。だけど、ワタシはシンジのパパのことを、碇司令という人間のコトをほとんど知らない。
 
アンタは立派に役目を果たしてんだから、堂々としてればいい。だなんて一般論。ワタシじゃなくたって言えるわ。
 
ううん、もしかしたらそれは、ワタシの成長なのかもしれない。
 
かつてワタシは、会いたくないなら会いたくないって言えばいい。と斬り捨てた。言いたいことも言えないシンジがグズなんだと思ってた。
 
だけどそれは、ワタシが親子ってモノをよく解かってなかったからだ。精神的にはとっくに大人になってたつもりのワタシは、親なんて簡単に切り捨てられると錯覚してた。
 
それが2重の意味で間違ってるってことに気づいたのは、ずっとずっと、ず~っと後のこと。
 
ひとつは、大人だろうが子供だろうが、親を切り捨てることは容易じゃないってコト。ワタシだって、ホントは切り捨てられてなかった。
 
もひとつは、親を切り捨てるより、親とどう向き合うか悩むことのほうが、はるかに大人なんだってコト。逃げるより立ち向かうほうが困難だってことぐらい、判ってたはずなのに。
 
だから、ワタシなんかにシンジの苦悩が理解できるワケがなかった。親とどう向き合うか真剣に悩んでたシンジは、きっとワタシより大人だったんだと思う。
 
今は少し、シンジの苦悩が解かるつもり。だからこそ、無責任な言葉はかけらんない。
 
 
 
しゃがんだシンジが、ママのお墓にお花を供えた。
 
シンジのママは、実験の事故で亡くなったって云う。ワタシのママと違って一切、還ってこれなかったのね。
 
「3年ぶりだな。2人でここに来るのは」
 
近づいてきた足音にも、シンジは振り返らない。
 
「僕は、あの時逃げ出して、その後は来てない。ここに母さんが眠ってるって、ピンと来ないんだ。…顔も憶えてないのに」
 
「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが、決して忘れてはならない事もある。ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。私はその確認をするためにここへ来ている」
 

 
そのかけがえのないものがナンなのか、シンジのパパに話す気はないみたいね。
 
ひざに手をかけたシンジが、腕の力を借りるようにして立ち上がった。
 
「写真とかないの?」
 
「残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体はない」
 
シンジは振り返らない。
 
「…先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」
 
「すべては心の中だ。今はそれでいい」
 
この爆音はジェットエンジンね。シンジのパパのお迎えかしら?
 
「時間だ。先に帰るぞ」
 
ようやくシンジが振り返る。ここに来て初めて、そのパパの顔を見据えた。まっすぐ目を見て、逸らさない。
 
VTOLの後部座席にレイ。シンジの姿を見とめてか、少し目を細めてる。
 
「…」
 
時間を理由に、シンジのパパが先に目を逸らした。…このヒト、見かけほどには毅くないのかもしれないわ。
 
…そういえばリツコが言ってたっけ、生きることが不器用だって。
 
『シンジ、いいの? パパともっと話さなくて?』
 
『いいんだ。すべては心の中で、それでいいんだそうだから』
 
心の声では、感情までは伝わってこない。だけど、シンジの言葉が強がりなんかじゃないって、不思議と判る。
 
 …
 
飛び去るVTOLを見送って、シンジが墓地を後にした。
 
 
****
 
 
シンジがそれなりに自分の心にケリをつけた後は、ワタシが悩む番だったわ。バトンタッチしたってワケでもないんだケド。
 
 
 ≪ …というワケで今夜は遅くなるから、待たずに寝ててね。じゃあねぇ♪ ≫
 
はい、はい。と相槌を打ってたシンジが、じゃ。と通話を切る。
 
「ミサト?」
 
おざなりに髪の湿り気をタオルに吸わせつつ、アスカがアコーディオンカーテンを引き開けた。誰からの電話だったかなんて、聞き耳を立てるまでもなかったと憶えてるわ。
 
「うん。遅くなるから先に寝ててって」
 
「ええっ!朝帰りってコトじゃあ、ないでしょうね?」
 
まさか。とシンジが子機を置く。
 
「加持さんも一緒なのに」
 
「アンタ、バカぁ? だからでしょ…」
 
ひどく剣呑な光を瞳に乗せたアスカの姿は、善くない方向へと思考が雪崩れ込んだ証拠だった。それがドコに辿り着くのか、ワタシはもちろん知っている。
 
 
………
 
かつてのこの日、ワタシはシンジにキスを迫った。アスカもきっと迫るだろう。それをどうすべきか、ワタシは考えてなかった。
 
自分に正直に言うと、ワタシは今のシンジならキスぐらい許してもいいと思ってる。好きかって訊かれると困るケド、シンジとのキスを思い出しても不快じゃなくなってた。だから、特にどうこうしようという気がなかったってわけ。
 
だけど、ワタシがシンジとキスをしたかったから迫ったワケじゃないことを考えると、シンジを汚すようでイヤだった。
 
何でワタシがそんなことをしたのか、今や自分でも想像するしかない。ただ、加持さんがミサトとデートしてるかもしれないと知って、いいしれない焦燥感が湧き上がってきたのを憶えてる。
 
当時はそれを、嫉妬だと思ってた。好きな男がほかの女とキスを、―下手するとそれ以上をしてるかもしれないと知って、ミサトに、なにより加持さんに腹を立ててたのだと。
 
だから、シンジにキスを迫ったのは、加持さんへのあてつけだと自分を納得させてた。単なる好奇心もあったし、してみることで大人を理解できる。することで加持さんに近づける、と思い込んでた。今日ヒカリに頼まれるままにデートしてみたのだって、そういうことだ。
 
それは、必ずしも間違いってワケじゃない。それもワタシの心の一部。
 
だけど、自分が加持さんを好きだったわけじゃないと気づいた今。そんな純粋な動機じゃなかったことだけは判る。
 
自分がオトナであることを証明する手段として加持さんを利用しようとしてたワタシは、アプローチを無視されるたびにコドモだってことを思い知らされてた。加持さんの全てを振り向かせられないことに、焦ってた。加持さんが見せる大人の余裕ってヤツが、酷く憎かった。
 
手が届かないと、判ってたんだと思う。とても認められなかったけれど。
 
誰かに見ていて欲しかった。誰からも注目されたかった。その気持ちは解かる。だからって…差し出せるものがその肉体だけだったなんて、憐れを通り越して…惨めね。
 
それまでは加持さんに付き合ってる相手が居なかったから、かろうじて自分を誤魔化せていたんだろう。だけど、ミサトとデートしてると知って、急に自分に自信が持てなくなったのだ。
 
だから身近なオトコノコが自分の誘いを断れないのを見て、自分の魅力を再確認しようとした。いや、加持さんに振り向いてもらえない惨めさを、唇を恵んでやることで慰めたのかもしれない。
 
………
 
 
そんなことを延々と思い悩んでいたもんだから、せっかくシンジがチェロを弾いてたっていうのにぜんぜん楽しめなった。ううん、それどころか無意味に自己分析なんかしている間に、問題の瞬間がやってきてしまったわ。
 
「ねぇシンジ、キスしようか?」
 
「…え? 何?」
 
SDATを聴いてたシンジが、ヘッドホンを外す。
 
「キスよ、キス。したコトないでしょ?」
 
「うん…」
 
ワタシはまだ、どうすべきか自分の心を決めかねてた。
 
「じゃあ、しよう」
 
テーブルに預けてた頭を引き上げて、アスカが見下ろしてくる。
 
「…どうして?」
 
あのあと、シンジのワタシへの態度は変わらなかった。つまり、ワタシとキスしても嬉しくなかったんだろう。暇潰しだと見下されても悲しくもなかったんだろう。シンジの心に、何ももたらさなかったんだろう。
 
自分が、一方的にシンジを利用したんだと思うと、なんだか卑怯でヤだった。自分がシンジになんとも思われてなかったかと思うと、なんだか寂しくてヤだった。
 
「退屈だからよ」
 
「退屈だからって、そんな…」
 
アンタなんか暇潰しだと見下して、
 
「お母さんの命日に、女の子とキスするのイヤ? 天国から見てるかもしれないからって」
 
こんなあからさまな挑発までして、
 
「…別に」
 
そんなことでシンジとキスしたって、オトナになんかなれっこない。
 
「それとも、恐い?」
 
!!! …え?
 
「恐かないよ!キスくらい!」
 
今のアスカの目は、勝利を確信した者が敗者を見下すときの、それ。
 

 
 …ワタシ、考え違いをしてた。
 
シンジのコト、単なる捌け口としてたまたま利用してたんだと思ってた。だけど、あの勝ち誇った口元は、思い通りに獲物を追い込んだ猟師の舌なめずりそのもの。つまり、標的は最初っから決まってたんだわ。
 
 …
 
はなからシンジを狙っていたというのなら、それはつまり…
 
実績で劣り、シンクロ率でも追い着かれようとしている今。どんなカタチででも、シンジを屈服させとくことをワタシは欲してたんだ。
 
…自分の嫌いな、オンナの武器を使ってでも。
 
 
「歯、磨いてるわよね」
 
「うん…」
 
立ち上がったアスカが、詰め寄ってくる。
 
『どっどっどうしよう…?』
 
『シンジの好きなようにすればいいと思うわ』
 
シンジの自由意志を尊重して言ったんじゃない。自分がどうすべきか、判らなかっただけ。
 
『僕の、好きな…?』
 
よろめくようにして、シンジが一歩下がる。舞い降りてきた羽毛が、掴み取ろうとした動作で掌中を逃れたような、そんな印象をアスカは受けたことだろう。
 
「…アスカは、僕のこと好きなの?」
 
「はぁ? ワタシが? アンタを? …そんなワケないでしょう」
 
いかにも心外だ。って顔して見せてるケド、それが追い詰めたはずの獲物が逃げ出した驚きだってコト、ワタシには判る。
 
そうだよね、僕なんか…。って呟きが口中に消えて、
 
「じゃあ、やめとく。よくないよ、そういうの」
 
「えっ? アンタ自分がナニ言ってるか解かってんの!? このアスカ様とキスできる機会なんて、この先一生巡って来ないわよ!!」
 
慌てて罠を張り直そうとしたってムダよ。そんな泥縄、いくらシンジが相手でも上手くいくもんですか。
 
「…うん。判ってる」
 
「解かってないわよ!」
 
「判ってるよ。僕なんかが、アスカとは吊り合わないってことくらい…」
 
 …!
 
完全に裏目に出た。と知って、アスカが絶句した。
 
「…アスカが、本当にキスしたいのは誰かってことくらい」
 
徐々に落ちていく視線は、震える握りこぶしは、獲物を取り逃した屈辱に耐えてるに違いない。目尻に浮かんでんのは、きっと悔し涙。
 

 
『…逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ』
 
傍目には傷ついた女の子のように見えるアスカを見据えて、シンジはいったいナニを決意したというんだろう? ごくり。と固唾を呑んだ。
 
「僕は… アスカのこと … … 好きだよ」
 
弾かれたように面を上げるアスカに気圧されたか、シンジが視線を逸らす。ああもう!そんなコトはどうでもよくって…シンジが、ワタシを!? えーっ!えーっ!
 
『…って!アンタそんな素振り見せたことないクセに、この場を収めるために心にもナイこと言ってんなら、いくらナンでも赦さないわよ!!』
 
ワタシの怒鳴り声にちょっと眉をしかめたシンジは、だけどワタシに向かって弁解することはしない。
 
「…これが好きってことなのかよく判らないし、人を好きになるってことも…まだ、よく解からない」
 
2人の横を、ペンペンが通り過ぎてった。シンジが、思わず目で追ってる。
 
「だけど、少なくとも僕は、前向きで一所懸命なアスカを尊敬してる。アスカが僕を叱ってくれるのを、ありがたいと思ってる。傍に居て欲しいと感じてる。…好き、なんだろうって思う」
 
視線を戻したシンジが、アスカの目に、その瞳に映った自分に頷いてみせた。その顔は酷く真剣で、少なくともシンジが逃げてるわけじゃないってコトだけは解かった。
 
『僕は、人から好かれたいと思ってた。だけど、自分から人を好きになろうとしたことなんてなかった。卑怯で、臆病で、ずるくて、弱虫だったから…
 だけど、今なら人を好きになれそうな気がする。それは…』
 
心の声だけでそう続けたのがシンジの、ワタシへの返答ってコトなんだろう。
 
「だからアスカには、アスカらしくあって欲しいんだ」
 
「…ワタシ…らしく?」
 
俯いたアスカが、ワタシ…らしく…。と、いま一度呟く。
 
それは、オトコノコに告白されたオンナノコの困惑なんかじゃない。
 
自分の中のあらゆるものがシェイクされてしまった混乱の果てに、自分とは何か。と突きつけられて、なのに見つからなくてフリーズしたんだ。
 
 
かつて、エヴァに乗れなくなったとき。ワタシは、自分とは何か、ってコトをさんざん考えた。エヴァに乗れなくなったくらいで挫けて何も出来なくなるようなワタシは、いったい何者なのか。ワタシが主体なのか、エヴァが主体なのか。エヴァが主体だから、乗れなくなった途端にワタシは壊れたんじゃないか。そんな答えの出ない問いかけを延々問い続けていた。
 
自分というものを理解せずに自我だけ肥大させていったから、どんどんエヴァに侵蝕されていったんだと思う。そうして気付いた時には、エヴァなしではアイデンティティーを保てなくなっていた。壊れるしかなかった。
 
そう。今のうち。今ならまだ間に合うかもしれない。エヴァとかチルドレンとかそう云うことを抜きに、自分と向き合うの。
 
…アスカ。考えなさい。
 
 
「…あの…?」
 
微動だにしないアスカに、シンジが手を伸ばそうとした。
 
『シンジ、…放っときなさい』
 
『…でも、』
 
『いいから。…放っといてあげなさい』
 
 …
 
さんざん逡巡して、シンジの手が力なく落ちる。
 
「…アスカ、おやすみ」
 
 
 
シンジ、アンタのやさしさは弱さの裏返しだと、ワタシはずっと思ってた。それは間違いじゃないと思うわ。…今だって、きっとそうでしょ? アスカを傷つけるのが、それで自分が傷つくのが…恐かったのよね?
 
でも、弱さがすべての源になるのかもしれないって、ワタシは今、感じたの。
 
 
****
 
 
翌朝、 惣流・アスカ・ラングレィは失踪してた。
 
 
                                         つづく
2007.07.18 PUBLISHED
2007.07.19 REVISED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾参話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:12


アスカの行方は、早々に知れたわ。
 
学校に行ったら、とっくに自分の席に座ってたんだもの。
 
遅刻ぎりぎりまで粘って、シンジがマンション周辺を探してくれたっていうのに。
 
そっと耳打ちされたところによると、朝早くにヒカリの家に転がり込んだらしい。アスカの代わりに謝ろうとするシンジを押しとどめて、アスカは大切な友達だから泊めてあげるくらいはなんでもないのよ。なんて言ってくれる。ワタシに体があったら、ヒカリに抱きついてたでしょうね。
 
でも、いったい何があったの? っていう問いに、ワタシもシンジも答える言葉がなかったのが申し訳なくってしょうがない。
 
担任が入ってきてうやむやになったのを、歓んでいいものかどうか。慌てて自分の席に戻るヒカリに、心の中で手を合わせた。
 
 
出席をとり始めた担任が、シンジの名前を呼んだ。いままで気にもかけてないって風情でそっぽ向いてたアスカが、シンジの返事に釣られてちらりとこちらを盗み見る。
 
着替えを入れてるデイパックを机に下げてるトコを見ると、アスカは今日のシンクロテストにもちゃんと参加する気みたいね。自分を見つめなおすために今の環境から離れてみたいってダケで、シンジが嫌いになったとか、チルドレンを辞めたくなったとかってワケじゃないと思う。
 
シンジはとても心配してるけど、大丈夫だってワタシには判るわ。
 
 
「えー、では、続いて女子。綾波…おお? 綾波は、今日も休みか?」
 
 
***
 
 
「起立!礼!」
 
号礼をかけ終えたヒカリが、3人分のおべんとが入った巾着袋を持って廊下へ出た。天気がいいから、いつもどおり屋上に行くのだ。
 
事情がよく解かってないヒカリはアスカの分のおべんとまで用意してくれてたけど、そのことはアスカに言わないようお願いしておいた。心遣いは嬉しいケド、シンジとの接点がなくなっては困る。
 
「さ~って、メシやメシぃ♪人生最大の楽しみやさかいなぁ!」
 
揉み手しながらバカトウジが教室を縦断してく。ヒカリの手作り弁当なら、そりゃあ楽しみでしょうね。
 
「なによ、これ?」
 
シンジが差し出したおべんと箱に、冷たい視線を落として。
 
「なに…って、お弁当」
 
「なんで、このワタシがアンタの作ったおべんと受け取んなきゃなんないのよ!」
 
「なんや、夫婦喧嘩かいな!?」
 
廊下から、顔だけ戻してバカトウジ。クラスメイトたちが大爆笑だ。
 
「…違うわよ!」
「…違うよ…」
 
笑いが退くのを待って、シンジがおべんと箱をアスカの机の上に置いた。
 
「クノーデルっていうの、作ってみたんだ。よかったら味見してくれると嬉しいんだけど…」
 
クノーデルっていうのは、ドイツ風の肉団子のコト。アスカに内緒で買ってたドイツ料理の本から、ワタシが選んであげたの。アスカが好きで、おべんとにもピッタリなメニューを。
 
もちろん、このワタシが監督してんだから、出来栄えもバッチリ。
 
懐かしい味を思い出してか、なまつば飲んだアスカのお腹のムシが可愛らしく鳴いた。…そんな窺うような上目遣いしなくても、シンジは気付いてないわよ。
 
「しっシカタないわね。アンタの作ったドイツ料理なんて食べられたモンじゃないに決まってるから、このワタシがきっちりダメ出ししてあげなきゃなんないものね!」
 
とりあえずシンジを遠ざけたいんだろうアスカは、ぶっきらぼうに言い放ってそっぽを向いた。照れ隠しにしたって、もうちょっと言い方ってモンがあるでしょうに。
 
「うん。おねがい」
 
 
 
ワタシはヒカリとお昼ご飯を食べるために来たのよ。と嘯いたアスカは、ちゃっかり屋上でみんなと一緒におべんとを食べた。
 
何気なく食べてるように装ってたけど、いつもより味わって食べてるってワタシには判る。もちろんシンジにもそう教えてあげたわ。
 
 
****
 
 
「あれぇ? シンちゃん、おダシ変わった?」
 
「ええ、カツオ出汁。リツコさんのお土産」
 
朝食のメニューが和風になって、ずいぶん経つ。シンジの料理の腕が上がってきたからとか、和食の方が健康にいいとか、色々理由はあるんだけど、要はみんなで一緒に朝ご飯を食べるようになって、トースターでパンを焼いてるヒマがなくなったのだ。
 
もっとも、今は食卓に一人足りないんだケドね。
 
「シンちゃん…これ…」
 
「あっ!」
 
今朝もまた4人のつもりで配膳しちゃったシンジが、慌ててアスカの分を下げる。おべんとはしっかり4人分作ってるから、つい勘違いしちゃうみたい。
 
シンジがミサトの分までおべんとを作り始めたのは最近のことで、精密検査だかでレイが居なかった時に作りすぎたおべんとを持たせてからだった。結局数日に渡って帰ってこなかったレイの代わりにおべんとを受け取ってたミサトが、これからは自分の分も作って欲しいっておねだりしたってワケ。ただし肉入りで。
 
「ねぇ、シンちゃん。アスカと何があったのか、いいかげん教えてくれてもいいんじゃない?」
 
「…そう言われても、僕にもよく判らないんですよ」
 
いただきます。と手を合わせ、シンジが箸を手にする。
 
「そ~んなこと言っちゃってぇ、ホントはアスカにイケナイ事でもしようとしたんじゃないのぉ?」
 
覗き根性丸出しの締まりのない口元を、揃えた指先でオバさん臭く隠したミサトが、右手の手首から先だけを振り下ろした。手招きしてんだか叩くフリをしてんのかよく判んない、これまたオバさん臭い仕種で。
 
「怒んないから、お姉さんだけにそ~っと教えたんさい」
 
なんだか妙に嬉しそうな顔して、身を乗り出してくる。
 
「そんな、ミサトさんじゃあるまいし」
 
「ちょっとシンちゃん!それどういう…」
 
電話のベルが鳴った。せっかちなミサトの性格を反映して、1コールだけで留守電に切り替わる。
 
 ≪ …よぉ、葛城。酒の旨い店見つけたんだ。今晩どう? じゃ ≫
 
…これ、アスカが聞かずに済んだのは幸いだったかもね。
 
 
「加持なんかとは何でもないわよ!」
 
ミサト。自分から言っちゃあオシマイだわ。
 
「…そうですか」
 
ご飯を頬張ったシンジの斜め向かいで、レイが手を合わせた。
 
「…ごちそうさま」
 
 
****
 
 
自分の存在意義ってモノを疑うのは、こういう時ね。
 
つまり、何が起るか知っていて、なんにもしてあげらんない時。
 
何もかも呑み込む第12使徒をどうしたらいいのか、ワタシには思いつかなかった。
 
 
…………
 
特にアスカが何も言わなかったので、フォワードは弐号機と決まった。このところアスカは考え事をすることが多くなってるみたいだから、また何か考え込んでいたんだろう。
 
いち早く配置についた弐号機が、勇み足か突出する。まるで、バックアップについた初号機と距離を置こうとするかのように。
 
痺れを切らして振るったスマッシュホークは空を切り、漆黒の底なし沼となった使徒が弐号機を呑み込もうとした。
 
…………
 
 
その弐号機を庇った初号機が代わりに呑み込まれて、もうずいぶん経つわ。
 
その間にできたことと云えば、とりとめのない会話を交わすことだけ。
 
最終的に、初号機が暴走して斃しただろうことは判ってる。だけど、じゃあどうすれば暴走させられるのか、それが判んない。シンジが危機に陥れば、シンジのママがなんとかするんだとは思う。でも、だからといって積極的にシンジを危険に晒したいとは思わない。 
 
だからこうして、前回のなりゆきのまま待つしかなかった。
 
 
 
『ち? …ち…ち、…チンジャオロース』
 
『す? …すー…、スカッシュ!』
 
『しゅ? …しゅ? ゆ? …、…シュークリーム!』
 
『って、アンタ。さっきから食べ物ばっかりじゃない』
 
『…だって、おなか減ったよ』
 
『そうね。あのポテトサラダでもいいから食べたいわ』
 
シンジは気付いてないようだけど、サバイバルキットの中にはレーションもある。
 
もちろんイジワルして教えてないわけじゃないわ。LCLを呼吸中に食事を摂ると、LCLに溶けた異物のせいで窒息するから。
 
いったんLCLを抜くことも考えたケド、LCLポンプに使う電力、LCLの酸化に劣化、生命維持装置への負担増を考えるとリスクが大きすぎた。
 
有っても食べられないなら、存在そのものを知らないほうがいいと思う。
 
 
 
『眠る事がこんなに疲れるなんて、思わなかったな…』
 
『そうね』
 
眠ることなど叶わない身だけど、そんなこと言ってもしょうがない。
 
シンジが神経接続を行う。
 
『やっぱり真っ白か…レーダーやソナーが返ってこない。空間が広すぎるんだ』
 
バッテリーがもったいないから。すぐに、解除。
 
前の時にリツコは、ディラックの海とか虚数空間とか呼んでた。別の宇宙につながっているかも、とさえ言ってた。
 
こうなると知ってたら、もっと真剣に聞いといたのに。
 
『きっと今頃、リツコが救出作戦を練ってるわよ』
 
そうだね。と、シンジの返事は力ない。
 
見やったハンドモニターは経過時間を示して、12時間と少し。
 
『生命維持モードに切り替えてから12時間…僕の命も後4、5時間か…』
 
『こら、弱気になっちゃダメ。みんなを信じて、がんばらなきゃ』
 
自分でも信じてない言葉。白々しさがシンジに伝わってなければいいんだけど。
 
『お腹空いたな…』
 
前回、シンジが独りっきりだったことからすれば、ワタシなんかでも居ないよりはマシだとは思う。でも、2人で話せるような話題なんて、とっくに尽きてた。
 
 
 
 
『♪ …Es gibt zur Niedlichkeit unseres Kindes kein begrenztes… 』
 
幼い頃の、本当に幼い頃の記憶を手繰って、この子守歌を思い出した。
 
ママが唄ってくれてたこの子守歌は、日本の子守歌の、歌詞をドイツ語に訳したものらしい。
 
長時間待つなら、やはり眠るのが一番楽だ。だけど、人間はそう無闇に眠れるもんじゃないわ。なにか、シンジにして上げられることがないか。必死に考えて思いついたのが、こうして子守歌を唄ってあげることだった。
 
こんな子守歌を唄ってもらってたこと自体、ワタシは忘れ去っていた。ううん、忘れることにしてた。ワタシを殺したママの思い出だったから、涙と一緒に捨て去ってたの。
 
でも、今はママが弐号機の中に居ることを知っている。ママがワタシを殺したわけじゃないことを解かってあげられる。
 
…だから、この子守歌を、この子守歌のことを思い出せて、嬉しい。
 
 
 
 
いいかげん寝ることもできず、かといって起きてたって出来ることとてなく。
 
ぼんやりとしてたシンジが、目を見開いた。
 
「ん? …水が濁ってきてる!? 浄化能力が落ちてきてるんだ!」
 
慌てて上半身を起こしたシンジが、反射的に吸ったLCLは、
 
「うっ!…生臭い!」
 
こみ上げる吐き気に、口元を押さえる。
 
「血? 血の匂いだ!」
 
『シンジ!落ち着いて。あせっちゃダメ』
 
緊張すると、人間の酸素消費量は上昇する。血中に酸素を溜め込もうとするんだとか。当然、それだけLCLが保たなくなる。
 
インテリアの上に立ち上がったシンジが、イジェクションカバー排除レバーを引いた。
 
しかし、プラグが挿入されたままで爆発ボルトが作動するわけがない。
 
「嫌だ!ここは嫌だ!」
 
『シンジ!!お願い!落ち着いてっ』
 
天面のハンドルを回そうとするが、もちろんびくともしない。
 
「なんでロックが外れないんだよ!」
 
『シンジ!シンジ!シンジっ!!』
 
渾身の力を込めて脱出ハッチをたたく。
 
痛っ!痛い!こぶしの固め方も知らないシンジが闇雲に打ちつけて、手が痛い。ううん、痛いのは、その手を受け止めて上げられないワタシのココロ。
 
「開けて!ここから出して!ミサトさん。どうなってるんだよ、ミサトさん!アスカ!綾波!…リツコさん……父さん…」
 
『っ…』
 
救けを求める相手の中にワタシが居ないことが、塩を摺り込まれたようにココロの傷を疼かせる。無力感と申し訳なさで、この胸が張り裂けそう。
 
「…お願い、」
 
シンジの目頭に湧き出した涙は、頬を濡らさない。LCLに溶けて、ただ薄めるばかり。
 
「誰か、救けて…」
 
次第に大きくなる嗚咽と引き換えに、ハッチをたたく腕の力が抜けていく。
 
『…シンジ』
 

 
倒れるようにして、シンジの身体がシートに落ちた。
 
 …
 
 
『…ごめん。取り乱しちゃって…』
 
『ううん、…シンジはよく耐えてるわ』
 
いきなり戦場に放り込まれたシンジは、パイロットとしての訓練を一切施されてない。そういう意味では普通の中学生だ。こんな長時間を、こんな状況で耐えられるはずがなかった。
 
そういえば、本部って感覚剥奪室がないような気がするわ。少なくとも日本に来てから、そういう訓練をした憶え、ないもの。
 
 
溜息をついたシンジが、むりやりまぶたを閉じた。搾り出された涙は、やはりLCLに溶けただろう。
 
 
 

 
 
「…父さん、僕はいらない子供なの? 父さん!」
 
『シンジっ!?』
 
「…違う!母さんは…笑ってた…」
 
いったいなにを… うわごと? …いけない、意識が混濁してきたんだわ!
 
「…ここは嫌だ…独りはもう、嫌だ…」
 
『やだっ!シンジ、しっかりして。ワタシが居る。ワタシが居るから、独りじゃないわ』
 
 
なんで!なんでシンジのママは応えないの!
 
居るんでしょ!ここに居るんでしょ!
 
シンジのこと、護ってんでしょ!
 
シンジのこと、見てんでしょ!
 
どうしてシンジを放っておくの!お願い早くっ、早くシンジを救けて!
 
こんなのっ!こんなの、…酷い。酷いじゃない!
 
シンジはただの中学生だったのよ!いきなり呼び出されて無理やり乗せられて!
 
 自分の心を偽りながら必死に戦ってきたのよ!
 
  なんで、…なんで応えてあげないの。救けてあげないの!
 
   アンタ、シンジのママなんでしょう!自分の息子が、息子の叫びが聞こえないって言うの!
 
アンタの息子が、ここに居!……るのは… シンジ…だけじゃ、ない?
 
   恐ろしい想像に、ないはずの身体が総毛だった。
 
  ここには、シンジだけじゃない。今回は、ワタシも居る。
 
 まさか、…まさかシンジのママは、…ワタシのせいでシンジを認識できないんじゃ…
 
ワタシのせいで、シンジは救からないんじゃ…
 
 

 
じゃあ…、
 
…ワタシが居なければ、シンジは救かる?
 
 
死ぬのはイヤ。
 
 …自分が消えてしまうのも嫌。
 
だけど、シンジが死んでしまえば、ワタシだって生きていられるはずがない。
 
2人とも死ぬか、1人だけでも救かるか。カルネアデスの板ですらなかった。
 
なら、悩むことはないはずだ。
 
 
…でも、どうすればワタシは消え去ることができるの?
 
 
 
 
身震いしたシンジが、自分の身体を掻き抱いた。
 
「保温も、酸素の循環も切れてる…寒い…だめだ、スーツも限界だ…ここまでか…もう、疲れた…何もかも… 『…ごめん』
 
『やだっ!シンジ、なに謝ってんのよ!諦めちゃダメ!アンタこんなところで死んだりするはずがないのよ!』
 
膝を引き寄せて、丸くなる。
 
『やだっ!シンジ。シンジ、返事して。お願い、返事して!』
 
なのに、シンジの眉根から力が抜けていく。
 
『…死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、…死んじゃイヤぁ!』
 
 
「 ぉ…母さん?」
 
 
えっ!?
 
…今? お母さんって…
 
シンジのママが、応えてるの!?
 
途端、プラグの中に初号機の咆哮が響いた。
  
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾四話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:12


リツコに言われてロビーまでミサトを呼びに行ったら、加持さんが一緒だった。
 
どうやらヒマを持て余してるらしい加持さんにナンパされて、こうしてジオフロントのベンチでお茶してんだけど。
 
この、つぶつぶオレンジって、のど越しが面白いわね。自分の体があるときに巡り合いたかったわ。
 
 
「加持さんって、もっとまじめな人だと思ってました」
 
「安心してる相手だと、遠慮がないな。碇シンジ君」
 
「あ、すみません!」
 
あのね、加持さん。コイツの本性は生意気で反抗的な皮肉屋なのよ。…案外、父親にそっくりだったりしてね。
 
「いや、こっちこそすまない。嫌味のつもりはないんだ」
 
 
立ち上がった加持さんが、イタズラっ子みたいな笑顔を見せた。
 
「そうだ。一つ、いいものを君に見せよう」
 
 
****
 
 
「スイカ、ですか?」
 
しゃがみこんだシンジが、スイカを覗き込んだ。小さな黄色い花がキュートね。
 
「ああ、可愛いだろう。俺の趣味さ。みんなには内緒だけどな」
 
ふ~ん。ワタシには教えてくんなかったクセに、シンジには見せてたんだ。男同士でや~らし~の。
 
「何かを作る、何かを育てるのはいいぞ。いろんな事が見えるし解かってくる」
 
加持さんが、ジョウロで水を撒いてる。う~んと…、こんな夕方にお水なんかあげて、いいのかしら?
 
 
…楽しい事とかな。と、こちらを窺う気配が、ちょっと優しい。
 
「…つらいこともでしょ」
 
唐突にそんなことを言い返したシンジの気持ちが、なんだかとてもよく解かった。…だって、ワタシもシンジと同様に、スイカから目を離せなくなってしまったもの。そのカタチが、つらい記憶をひきだすんだもの。…シンジには、きっと16時間の圧迫感を。ワタシには、16時間の無力感を。
 
 
「つらいのは、嫌いか?」
 
「…好きじゃないです」
 
「楽しい事、見つけたかい?」
 
シンジが押し黙った。やっぱり加持さんも、ミサトたちと同じ世代なのね。思春期ってモノを解かってないと思うわ。
 
「…それもいいさ。けど、辛い事を知っている人間のほうがそれだけヒトに優しくできる。それは弱さとは違うからな」
 
加持さんの言いたいことは解かる。でも、つらいことの渦中に居る人間に、そんなアドバイスがナンの役に立つだろう。シンジが欲しいのは未来の希望じゃなくて、今の救済なのに。
 
一般論に過ぎない言葉は、距離を置いてればこそ掛けられるモノだと思う。やっぱり加持さんもミサトたちと同じ世代なのね、ワタシたちを壊れ物みたいに扱って、触れることすらしてくれない。
 
…ワタシたちは決してガラス細工なんかじゃないわ。確かに傷つきやすいけど、だからこそ強くなろうとするんだと思う。
 
 
ケータイの呼び出し音。
 
「はい、もしもし?」
 

 
「葛城から。今からシンクロテストをやるそうだ」
 
 
その日のシンクロテストで、シンジのシンクロ率が低かったのは当然だったと思う。
 
 
****
 
 
「昨日の新横須賀、どうだったの?」
 
屋上の柵に身を預けたシンジが、柵の向こっ側に座ってるバカケンスケの方を向いた。
 
「バッチシ!ところで、ちょいと気になる情報を仕入れたんだけど…」
 
みんながお昼ご飯を食べ終えても、バカトウジはまだ屋上に上がってこない。さっきの呼び出しの放送、あれはきっと…
 
 
「エヴァ参号機?」
 
「そ。アメリカで建造中だった奴さ。完成したんだろ?」
 
「知らないなぁ」
 
っていうか、こんな機密事項、なんでバカケンスケが知ってんのよ。
 
「隠さなきゃならない事情も解かるけど、なぁ、教えてくれよ!」
 
「ほんとに聞いてないよ!」
 
「松代の第2実験場で起動試験をやるって噂、知らないのか?」
 
「知らないよ」
 
…ダダ漏れじゃない。
 
「パイロットはまだ、決まってないんだろ?」
 
「判らないよ、そんなの…」
 
今頃、校長室で通知されてるころなんでしょうけどね。
 
「俺にやらしてくんないかなぁ、ミサトさん。なぁ、シンジからも頼んでくれよ!乗りたいんだよ、エヴァに!」
 
「ほんとに知らないんだよ…」
 
バカケンスケは、シンジがとぼけてると思ってるらしい。眉間にシワが寄ってるもの。
 
「じゃあ、四号機が欠番になったって言う話は?」
 
「何それ?」
 
「ホントにこれも知らないの? 第2支部ごと吹っ飛んだって、パパのところは大騒ぎだったみたいだぜ」
 
パパ? ネルフの関係者なのかしら? 家族に話したんだとすれば、セキュリティ意識が低すぎだわ。
 
「ほんとに?」
 
「おそらく…は、」
 
「 ミサトさんからは何も聞いてない… 」
 
シンジの呟きを耳にして、バカケンスケが眉尻を下げたのが見えた。ここに至ってようやく、シンジが本当に何も知らされてないって判ったんでしょうね。
 
「やっぱ、末端のパイロットには関係ないからな。言わないって事は、知らなくてもいいことなんだろ? シンジにはさ」
 
バカケンスケのフォローも、今のシンジには届いてないんだろう。目の焦点が遠いもの。
 
『…どうして…ミサトさんは、』
 
ミサトに限らず、そもそもネルフってのは秘密主義が酷いところナンだけどね。
 
でもね、シンジ。ミサトはアンタを蔑ろにして隠してるワケじゃ、ないと思うわ。なんたってあの世代の連中は、思春期ってモンを解かってないのよ。
 
ううん、少なくともミサトはそのことを自覚してる。だからこそ、必要以上に神経質になってんだと思うもの。
 
「すまなかったな、変な事聞いて。…しかし、トウジの奴、遅いなぁ」
 
 
****
 
 
シンジが登校する頃合に、ミサトの仕度が出来てるのは珍しい。ベレー帽まで被ってるとなれば、珍しいを通り越して稀有ってヤツ? いつぞやの礼装以来のコトだわね。
 
今日から松代にいくからって、それなりに身なりを気にしてんだわ。
 
 
「アスカ、帰ってきそう?」
 
今まさに玄関を出ようとしてたシンジを呼び止めといて、よりによって切り出した話題がソレ? …本っ当にアンタって…
 
「…まだ、みたいです」
 
気まずさに、2人とも顔を伏せる。アンタたち、そういうところ兄弟みたいよ。
 
「あの」
「ところで」
 
ほらね。仲のおヨロシイこと。
 
「あはっ、…どうぞ」
 
「四号機が欠番っていう噂、本当ですか? なんか事故があって爆発したって…」
 
「ええ、本当よ。四号機はネルフ第2支部と共に消滅したわ。S2機関の実験中にね」
 
シンジの視線が落ちる。
 
「ここは大丈夫よ。3体ともちゃんと動いてるじゃない。パイロットもスタッフも優秀だし」
 
違うわよミサト。シンジはね、否定して欲しかったの。バカケンスケの情報は間違ってるって、バカケンスケでも知ってるような情報をミサトが教えてくれてないなんてことはないんだってね。
 
「でも、アメリカから参号機が来るって。松代でするんでしょ、起動実験」
 
「うーん、ちょっち4日ほど留守にするけど、加持が面倒見てくれるから心配ないわよ」
 
「でも実験は…」
 
ほら。シンジにしては、しつこいでしょ。バカケンスケの情報が間違ってて欲しいから、訊けるだけ訊こうとしてんの。
 
「リツコも立ち会うんだし、問題ないわよ」
 
「でもパイロットは…?」
 
「その、パイロットなんだけど…」
 
やっぱり、言い出せないままに松代に行っちゃう気だったのね。
 
…♪~♪♪~
 
「ん? はーい!」
 
チャイムの音に気をとられて、シンジが視線を逸らす。ミサトの肩から力が抜けたのが見えた。
 
それにしても、こんな朝っぱらに誰が来たっての?
 
 
開いたドアの向こうに、背中が見えるほど腰を折った人の姿。
 
「おはようございます!」
 
上げた面にメガネが光って…って、バカケンスケ!!
 
「今日は、葛城三佐にお願いにあがりました!」
 
ずいっと玄関の中に踏み込んでくる。
 
「自分を、自分をエヴァンゲリオン参号機のパイロットにしてくださいっ!」
 
「…へ?」
 
 
****
 
 
「ミサトさんも冷たいよ、まったく」
 
バカケンスケのおかげで、フォースチルドレンの件はうやむやになってしまったわ。そのうえ、教室に着いてまでアンタのグチを聞かされなきゃなんないなんてね。
 
ワタシに自由に使える手があったら、アンタとっくに地獄行きよ?
 
「やる気なら俺が一番なんだし、予備でもいいから使ってくれりゃあいいのに。なぁ、トウジ?」
 
「あ? ああ…」
 
バカトウジは上の空だ。コイツはシンジの戦う姿を見てるから、ただならぬ立場に追い込まれたってことに気づいてんのね。
 
 
通行の邪魔だった椅子をつま先でどかして、アスカが入ってきた。
 
シンジが見てないのに何でそんなことが判るかっていうと、かつてワタシもそうしたからよ。
 
 
「どうしたの? 洞木さんはもう来てるのに、ずいぶん遅かったじゃない」
 
アスカは、シンジを無視しようとする。
 
「なんや、今日は夫婦喧嘩はないんかい…」
 
バカトウジの呟きに過敏に反応したアスカが、カバンを机に叩きつけてバカトウジを睨みつけた。…そう。この時にはもう、ワタシはバカトウジがフォースチルドレンだってことを知ってたわ。
 
「アンタ達の顔、見たくなかっただけよ!この3バカトリオが!」
 
このときのワタシは、矛盾に満ちた存在だっただろう。自分より優れた人間がチルドレンに選ばれたりすれば立つ瀬がなくなるのに、バカトウジみたいなのが選ばれたことも許容できないんだもの。
 
 
…ううん、違うわね。今さら自分を偽ってもしょうがない。
 
正直に言えば、ワタシは新しく登録されてくるチルドレンを怖れてた。それが、取るに足らないバカトウジだったことが、むしろ恐怖に拍車をかけたわ。
 
ぱっと見に冴えないシンジは、しかし厳然たる戦績を誇ってる。なにより初号機しかなかった時期に、たった一機で第3新東京市を護りぬいた実績は大きい。少なくともワタシはそう感じてたわ。
 
このうえシンジ以上にぱっとしないバカトウジが、もし弐号機を凌ぐ働きを見せたりしたら…。エヴァのパイロットはエリートだと信じて拠りどころにしてたワタシの、アイデンティティーが揺らぐのだ。
 
最後の砦だったシンクロ率でも追い上げてくるシンジの気配を背後に感じて、まだ聞こえないバカトウジの足音にびくついて。ワタシの心は疑心暗鬼で凝り固まってた。
 
 
****
 
 
「さーて、飯メシ…あれ? トウジは?」
 
理科室から購買部経由で戻ってきたバカケンスケが、ビニール袋の中身を物色してた手を止める。
 
「いないんだよ」
 
おべんとを取り出したシンジが、かぶりを振って見せた。
 
「メシも食わずに? あいつが? ありえない話だぞ」
 
教室を見渡すバカケンスケの視線に釣られて、シンジも視線を巡らせる。
 
いつもならいそいそと教室を後にするヒカリが、なんだか表情を曇らせて窓から外を見上げてた。ここからじゃあ見えないケド、前にヒカリが言ってた話からすると、その視線の先にはバカトウジとレイが居るんじゃないかしら?
 
『あれ? …綾波?』
 
普段レイは、シンジが弁当を手渡すまで自分の席で待ってる。そのレイが居ないことに、ようやく気付いたらしい。
 
「うん…変だよね、このごろ」
 
…みんな。と言い切れずに呑み込んだ言葉は、不機嫌そうに教室に入ってきたアスカの姿を見止めて、物理的な硬度をもってシンジの胸につかえた。
 
日直で理科室の後片付けをさせられてたアスカは、教科書を自分の机に放って、そのままこちらへと歩いてくる。ヒカリには、アスカの分のおべんとを作らないように頼んであるから、アスカはシンジが作ったおべんとを取りに来ざるを得ない。
 
アスカのほうから話し掛けてくれる唯一の機会を、シンジは朝から心待ちにしていた。
 
「早く寄越しなさいよ」
 
反射的に差し出そうとしたおべんと箱を寸前で押しとどめて、こじ開けるように口を開く。
 
「あの、アスカ…」
 
「なによ」
 
不機嫌さが最高潮に達して、アスカの瞳孔が絞り込まれる。青い瞳の圧力に屈したシンジが視線を逸らすが、そこで逃げ出すほど今のシンジは弱くない。
 
「…今晩から、加持さんが泊まりに来るんだ」
 
「加持さんが?」
 
途端に声を弾ませたアスカが、しかし一転して訝しげに。
 
「どうして?」
 
促すような身じろぎに、シンジが視線を戻す。高圧的だったアスカの瞳は、純粋な疑問に縁取られて今は柔らかい。
 
「…今日から、ミサトさんが出張だから」
 
それって、もしかして松代? と口を挟もうとしたバカケンスケを、アスカが一睨みで沈黙させた。その鋭さを、思考のそれに切り替えたアスカが黙り込む。
 
かつて加持さんが泊りに来た4日間。ワタシはそれを楽しめなかった。フォースチルドレンの存在を受け入れがたかったワタシはむしろ、そんな姿を見られることに苦痛すら感じてたわ。
 
その時は逃げ出しようもなく受け入れるしかなかったけど、このコは…
 
「そう。じゃ、加持さんによろしく言っといて」
 
すげなくそう言い放って、呆気に取られたシンジの手からおべんと箱を掠め取る。
 
そうね。ワタシでも、アンタと同じ状況なら同じように決断したと思うわ。誰が好きこのんで好意を寄せてる相手に、自分の嫌な面を見せたがるもんですか。
 
「ヒっカリー!おべんと食べよ♪」
 
踵を返したアスカが、窓際にたたずむヒカリに駆け寄った。楽しげな口調は、ちょっと無理してテンションを上げてんのだと、ワタシには解かる。
 
まさか加持さんを引き合いに出して、無下にあしらわれるとは思ってなかったんだろう。楽しげに振舞うアスカを、シンジが呆然と見やってた。
 
 
****
 
 
リビングに布団を敷いた加持さんと一緒に寝ようと、シンジが布団を持ち出してきた。今日アスカを連れ戻そうとしたことといい、最近シンジはヒトと積極的に会話を持とうとしているみたい。
 
それは、いい傾向なんだと思う。こんな身の上になってようやく解かったことだけど、ヒトは話し合わなければお互いを理解できないものだもの。
 
床の上で寝るのは抵抗あるけど、こういうとき布団って便利ね。
 
 
「もう寝ました? 加持さん?」
 
「いや、まだ」
 
加持さんもきっと、シンジがなにか話したがっていると感づいてたんでしょうね。寝ようっていう素振りが、感じられなかったもの。
 
「僕の父さんって、どんな人ですか…?」
 
「こりゃまた唐突だな。葛城の話かと思ってたよ」
 
もしかして加持さんは、身構えてたのかも知んない。肩の力が抜けたような、そんな気配がする。
 
「加持さん、ずっと一緒にいるみたいだし」
 
「一緒にいるのは副司令さ。君は、自分の父親のことを訊いて回っているのかい?」
 
自分の親のことが気になるのは、子供なら当然だと思う。最も身近な、自分のルーツなんだもの。そんなことナイって、存在ごと否定してたワタシだって、結局…
 
「ずっと、一緒にいなかったから…」
 
「知らないのか」
 
「でも、このごろ解かったんです、父さんのこといろいろと。仕事のこととか。母さんのこととか。だから…」
 
「それは違うなぁ。解かった気がするだけさ。人は他人を完全には理解できない。自分自身だって怪しいもんさ。100%理解し合うのは、不可能なんだよ」
 
…なんだ、加持さん。シンジにはこんなコト話してくれるんだ。前の時もこうして、こんな話をしてたのかしら?
 
加持さんの人生観、今のワタシなら解かるような気がする。ううん、今のアスカだって、加持さんの言葉なら必死に理解しようとするわ。
 
「ま、だからこそ人は、自分を、他人を知ろうと努力する。だから面白いんだなぁ、人生は」
 
こんなふうにワタシにも接してくれてれば、ワタシもモ少し、素直になれてたかもしれないのに。
 
…ずるいなぁ、シンジばっかり。ワタシ、ここに来て初めてアンタに嫉妬しちゃった。前の時に、みんなしてシンジばっかり甘やかしちゃってる。なんて思ったりしたケド、あながち被害妄想じゃなかったのね。
 
だからと云って、それでシンジが救われてるっていうワケでもなさそうなのが悲しいんだケド。
 
 
「ミサトさんとも、ですか?」
 
「彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、われわれにとってはね」
 
そう思ってわざわざオンナを遠ざけてんのは、オトコのほうじゃないかしら…
 
今、こうして寄り添ってみて、ワタシはシンジのことがよく解かるような気がする。そこに思い込みがあったにしても、それはオトコとかオンナとかに関係のない、ヒトとして普遍の不理解だと思うもの。
 
「男と女の間には、海よりも広くて深い河があるって事さ」
 
そう認識することで溝を拡げてるっていう意味では、間違ってないケドね。
 
「…僕には、大人のヒトは解かりません」
 
 
****
 
 
 ≪ 目標接近! ≫
 
 ≪ 全機、地上戦用意! ≫
 
送られてきた映像は、先鋒に立ってる弐号機に随伴してる部隊からのモノ。
 
日没の早い山際の、夕陽を背負って歩いてくるのは、
 
「えっ? まさか、使徒…? これが使徒ですか?」
 
エヴァ…、参号機。
 
≪そうだ。目標だ≫
 
実に淡々と。 シンジのパパの声音には、感情ってモンが一切感じられない。
 
「目標って、これは、…エヴァじゃないか」
 
  ≪ そんな、使徒に乗っ取られるなんて… ≫
 
発令所越しのアスカの呟き、シンジには聞こえてないでしょうね。言った憶えがあるワタシだから、見当がついた。
 
「やっぱり、人が…子供が乗ってるのかな…同い年の…」
 
≪アンタまだ知らないの!? 参号機にはね…≫
 
開かれた通信ウィンドウはあっという間に砂嵐になって、
 
「アスカ?」
 
≪きゃあぁぁあぁぁぁっ!≫
 
…途絶えた。
 
「アスカっ!?」
 
 
   ≪ エヴァ弐号機、完全に沈黙! ≫
 
…ごめんね、シンジ。ワタシもアンタにバカトウジのことを教えるべきか、ずっと迷ってた。
 
   ≪ パイロットは脱出、回収班向かいます ≫
 
ミサトのこと、とやかく言えた義理じゃないわね。
 
   ≪ 目標移動、零号機へ ≫
 
アンタが何も知らないままに、すべてが終わってくれればって思っちゃったもの。
 
   ≪ レイ、近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今、初号機を廻す ≫
 
でもね、シンジ。たとえミサトでも、こうなることが判ってたらきっと教えたと思う。だからね…
 

 
『…シンジ。フォースチルドレンはきっと、トウジだわ』
 
「えっ!『ええっ!? …どういうこと?』
 
『トウジが校長室に呼び出されたあの時、学校にネルフの車が来てたわ…』
 
『…嘘!』
 
もちろん、嘘よ。
 
『授業に遅れてきても咎められなかったし、それに、今日なんでトウジが学校を休んだんだと思う?』
 
『…まさか!』
 
『もちろんその可能性が高いってだけ、ワタシの推測だもの』
 
 
   ≪ 零号機、中破。パイロットは負傷 ≫
 
「そんな…」
 
ワタシとの会話に気を取られていたシンジは、零号機がどんな目に遭ったか気付いてないだろう。…それでいいわ。
 
≪目標は接近中だ。あと20で接触する。おまえが斃せ≫
 
「でも、目標って言ったって…」
 
背負った夕陽を厭うように背中を丸めて、参号機が歩いてくる。
 
「…トウジが乗ってるかもしれないのに?」
 
唸りを上げるや膝を落として、参号機が身を投げ出すように跳ねた。そのまま回転して、足の裏からぶつかってくる。
 
田畑を削りに削って吹っ飛んだ初号機が、山肌に当たってようやく止まった。
 
シンジが、すかさず参号機の行方を追う。四肢のすべてを折り曲げるようにして地に伏せた参号機の、その延髄に焦点。
 
「エントリープラグ…やっぱり、人が乗ってるんだ!」
 
立ち上がった途端に、首を絞められてた。
 
あんな場所から!こんなに手が延びるだなんて!!
 
倍加する力。左手も延ばしてきたらしい。
 
「…ぐっ、ぐあっ!」
 
『シンジ!戦いなさい!』
 
『…だって、トウジが乗ってるかもしれないんだよ!』
 
初号機が山に叩きつけられた。山肌に押し付けるようにして、参号機が喉を潰しにくる。握力だけで絞めていた先ほどまでとは、比べ物にならない力で。
 
『バカシンジ!よく考えなさい。アンタがここで死んだらっ、どうなるかを!!』
 
『…僕が、ここで…?』
 
  ≪ 生命維持に支障発生! ≫
 
『そうよ。第7使徒を思い出しなさい』
 
『第7? 分裂したヤツ…?』
 
  ≪ パイロットが危険です! ≫
 
『…N2爆雷!?』
 
 
≪シンジ、なぜ戦わない!?≫
『シンジ、戦いなさい。トウジを救けるために戦えるのは、アンタだけなのよ』
 

 
『救ける…ために…』
 
 …
 
締め上げる両手に抗って、シンジが参号機を睨みつける。
 

 
「…わかった。戦うよ。僕が戦う!」
 
  ≪ よし、シンクロ率を60%にカットだ ≫
 
副司令!? ナイス!シンジに伝わる苦しみが軽くなった。
 
『シンジ!膝、膝で参号機の肘を蹴り上げて!』
 
跳ね上がった右膝が、参号機の左肘を挫く。そのまま振り上げたつま先が顎を捉える。
 
…やるじゃない。
 
参号機が怯んだ隙に、回り込むように背後へ。
 
『狙いはエントリープラグ』
 
『…判ってる』
 
延髄に向けて伸ばした手が、体を翻した参号機の右手に弾かれた。その手がまたも喉元めがけて延びてくるけど、同じ手喰うほどシンジはバカじゃないわよ。
 
『それ、掴んで倒す!』
 
首を傾げて躱したシンジが、その手に左手を絡めて引き倒す。
 
『踏んで!』
 
つんのめった参号機の肩に右手をかけて地面に押し付けると、背中を踏みつけて固定。すかさず延髄に絡みついた菌糸みたいなのを引き千切る。…だけど、プラグは排出されない。
 
『引っこ抜くわよ。プラグ周辺ごと抉り取るつもりで!』
 
初号機が、両の貫き手をプラグの両サイドに突き入れた。おそらく、それでどっかのロックが外れたかしたんだろう。途端にプラグが排出される。
 
「やった!」
 
『いったん下がるわよ』
 
鳥の雛でも庇うようにプラグを抱えて、初号機が駆け出す。目指すは、山陰に控えた指揮車。
 
 …
 
「よし!」
 
それはそれは丁寧にプラグを降ろした瞬間、視界が吹っ飛んだ。もちろん吹っ飛んだのは初号機のほうで、吹っ飛ばしたのは参号機。…なんだろうケド、ちょっと見えなかった。
 

 
さんざん転げ回って、ようやく初号機が止まる。ケーブルに引き摺られて跳ねた電源車が、初号機の足元に落ちた。視界の隅で状況表示を確認。やっぱり電圧が不安定になってる。切れなかっただけマシだけど…
 
『シンジ、立って!』 
 
立ち上がった途端、参号機が視界から消える。最初のときと同じ、前方宙返りで跳んできたんだ。…シンジが半歩下がって打撃点を逸らした。…と思ったのに、打ち下ろすような一撃を喰らう。そこからさらに回転して頭突き…だなんて!
 
「…ぐっ」
 
つんのめった初号機が、間髪入れずに叩きふせられた。
 
!!…延髄に衝撃。参号機が…ストンピング!?
 
起き上がろうとするシンジの努力をことごとく踏み潰して、蹴り下ろされる参号機の足の裏が容赦ない。
 
 
…トウジって人質が無ければ、コイツなんか問題ないと思ってた。
 
なのに、なに? この強さ!?
 
 
  ≪ …構わん。パイロットと初号機のシンクロ率を全面カットだ! ≫
 
…えっ?
 
  ≪ そうだ。回路をダミープラグに切り替えろ! ≫
 
…ダミープラグ?
 
  ≪ 今のパイロットよりは役に立つ!やれ ≫
 
オートパイロットのこと?
 
途端にシンクロが切れた。…ううん、切られたのね。いったん途絶えたモニターが、非常灯への切り替えとともに復帰する。視界すべてが赤く染まってて、気持ち悪い。
 
「なんだ…?」
 
背後で唸りをあげたディスクドライブに、シンジが振り向いた。
 
「何をしたんだ!? 父さん!」
 
 …
 
いま機体を震わしたのは、初号機の咆哮!?
 
「…なっなに?」
 
腕立てふせの要領で、初号機が唐突に体を持ち上げる。踏みつけられてることなど気にかけもせず、実に無雑作に。蹴り下ろしてた足をとられて、参号機が体勢を崩してた。
 
『…暴走、してるみたいね』
 
すかさず立ち上がって、さっきのお返しとばかりに首を絞める。
 
「暴走?」
 
そっか、初号機が暴走してるときって、シンジは大抵…
 
『ダミープラグとか言ってたわ。初号機を暴れさせてるのよ。発令所の命令でね』
 
「そんな…」
 
首を絞められても、参号機が怯んでる様子はない。即座に絞め返してくる。だけど、暴走状態じゃなかった初号機すら絞め殺せなかった参号機に、勝ち目などあるわけなかった。
 
 …
 
ごきり。とイヤな音をたてて、参号機の頚椎が折れる。驚いたことに、それでも参号機の抵抗が止まんない。
 
不機嫌そうに唸った初号機が、参号機を投げ飛ばす。
 
山肌にたたきつけられた参号機に向かって前方宙返り。胸部装甲に両膝を叩きつける。そのままマウントポジションをとると、戦闘は、あっという間に一方的な殺戮へと変わったわ。
 
 
かつて、回収班と合流したワタシは、号泣しながら懇願するシンジの絶叫を聞いていた。初号機を止めようと、懸命に動かすレバーの音まで鮮明に憶えてる。
 
誰かを傷つける恐れがないから、今回シンジは泣き叫ばないんだろう。それでも、必死に吐き気を堪えてた。下手に吐いたら窒息するから…。ううん、吐いてしまえば歯止めが効かなくなるって解かってるんでしょうね。…いろんなコトの。
 
 
 
ようやく初号機が止まった時、辺りはバラバラ殺人事件の現場さながらだったわ。
 
こんな状態で、前回フォースチルドレンはよくあの程度の負傷ですんだわね。
  
 
                                         つづく
2007.08.01 PUBLISHED
2007.08.24 REVISED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾伍話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/21 10:37

「…なんや、こかぁ?」
 
昏睡してたバカトウジが、目を覚ましたらしい。ホントは一度、夜中に目を覚ましてたみたいだけど、それはまあどうでもいいコト。
 
「ネルフの医療部だよ」
 
読みかけの雑誌から顔を上げて、シンジがバカトウジの疑問に答えてやる。こうしてベッドの横に椅子を置いて、付き添ってやってたのだ。
 
「…なんや、センセやないかい」
 
活字をただ目で追ってただけのゴシップ誌を畳んで、サイドテーブルの上に。ナースステーションに置いてあったノはこの手の類いか、業界誌、あるいはナース向けの通販カタログぐらいで面白みに欠ける。ヒマ潰しじゃなきゃ、手に取りもしなかっただろう。
 
「どこか、痛むとこ、ある?」
 
ん~? と唸ったバカトウジは手を上げたり首をひねったり胸を叩いたりしたケド、特に気なるトコはないみたいね。
 
「…特にあらへんわ。わし、いったいどないなってん?」
 
「乗ってたエヴァが敵に乗っ取られたんだよ。憶えてない?」
 
さっぱりや。と、かぶりを振ってる。まあ、あんな目に遭ったコトを憶えてないってんなら、そのほうが幸せだわ。
 
「とにかく先生を呼ぶよ。いろいろ検査しないといけないだろうから」
 
「…あんじょう頼ムわ」
 
 
 

 
 ……
 
「しっかし、ひっとが腹ぁ空かしとるっちゅうんに引き摺り回しくさってからに、ネルフっちゅうんはひっどいトコやのぅ」
 
「空腹じゃないと出来ない検査もあるからね」
 
バカトウジが目覚めてから2時間、参号機が起動してからだと3日間ナニも食べてないんだろうから、そりゃあオナカも空くでしょうね。
 
ま、そのへん手抜かりはないわ。
 
 
「シンジ。ヒカリを連れてきてあげたわよ」
 
「ありがとう。アスカ」
 
病室のドアを開け放って、アスカがヒカリを押し込んだ。
 
「なんや、委員チョやないか…」
 
「鈴原、大丈夫?」
 
「ああ、なんとか五体満足で生きとるみたいや」
 
どん。って胸を叩いて、むせてる。ホントにバカね。
 
「…それで、ホントにいいの? 碇くん」
 
手に提げた巾着袋を隠すようにして、ヒカリがベッドのこっち側に回ってきた。
 
「いま看護士から、差し入れ厳禁だって釘さされたわよ?」
 
そう言っておいて、アスカは閉めたドアの前で仁王立ち。なんだかんだ言って、バカトウジにヒカリのおべんとを食べさせる気満々みたいね。陣取ってんのは、いつでもドアをロックできる位置なんだもの。
 
「トウジが洞木さんの手料理でオナカ壊すわけないから、大丈夫だよ」
 
差し入れしちゃあイケナイってのはそういう意味じゃないケド、それでシンジが納得するならそれでいいのよ。嘘も方便ってヤツね。
 
「いっ碇くん!? わたしがここに来たのは委員長として、公務で来たのよ!それ以外の何でもないのよ…」
 
ああ、判っとるわ…。って、一番解かってナイのが応えんじゃないわよ。
 
「…解かってないわよ」
 
ほら、ヒカリが落ち込んじゃったじゃない。…シンジ、頼んだわよ。
 
『…』
「トウジ。洞木さん、心配してこんなところまでお見舞いに来てくれたのに、そういう言い方はないと思うな。
 トウジがそういう了見なら、この洞木さん特製の手作り弁当、僕が食べちゃうよ」
 
ヒカリから引っ手繰った巾着袋を、これ見よがしに振ってみせる。って、これ重いわね。2人前どころの量じゃないんじゃない?
 
「なんやて!おおっ!食いモンかぁ♪」
 
『…いままでナニ聞いてたの、このバカ』
 
『おなか減ってて、そんなところにまで気が回らなかったんだと思うよ』
 
「いやぁ♪さっすが委員チョやのう。ホンによう気ィの回る。ありがたやありがたや♪
 わしは、委員チョが作ってくれる弁当が人生最大の楽しみナンや」
 
なんだか頬をほのかに染めたヒカリに巾着袋を返してやって、
 
「…だってさ?」
 
と、立ち上がる。さらに顔の赤味を増したヒカリに、さりげなく椅子を勧めたりなんかして…。…シンジ。アンタ、こういうの慣れてきたわねぇ。それがイイコトなのか、判断つかないケドさ。…だってほら、アスカが胡散臭げに見てるもの。
 
『しばらく、2人っきりにしてあげましょ』
 
『そうだね』
 
飲み物でも買ってくるね。とシンジがドアに向かうと、察したらしいアスカが先に廊下に出た。
 
「ちょうど喉が渇いてたんだ。アスカも何か飲む?」
 
『は~いはいはいは~い!ワタシ、つぶつぶオレンジ♪』
 
『…アンジェには訊いてないよ』
 
むぅ。
 
「…アンタもしかして、今晩も付き添うつもり?」
 
そのつもりだけど、どうして? と答えると、アスカが顔だけで振り向いた。
 
「アンタもミサトも居ないんじゃ、ワタシがペンペンの世話しなきゃなんないじゃない!」
 
使徒の覚醒時にケガしたっていうミサトは、初日は経過観察入院だったそうだ。2日目の朝に顔だして、これから現場の後始末だと苦笑いしてた。作業の目処はたたないし苦情も山積みだから、あと2~3日は帰れないかも、なんてこぼしてたっけ。
 
「なによあのペンギン。ワタシが焼いた魚、焦げてるからって食べないのよ!」
 
腕組んでそっぽ向いて、それで結構な速度で歩くんだからこのコも器用よね。
 
「…ペンペンは、魚の焼き加減だけはうるさいからね」
 
お陰で、焼き魚だけは洞木さんに教えられるよ。なんて苦笑してる。そもそもペンペンが魚の焼き加減にこだわるようになったのは、シンジが甘やかした結果なんだけどね。いちいち焼け具合の感想を訊いて、反省材料にしてんだもの。ドーブツだって、贅沢に慣れちゃうわよ。…もっとも、丸呑みするクセにどうして焼き加減にこだわんのかは謎なんだけど。
 
そうこうしてる間に自販機コーナーに到着。小銭を出したシンジが、迷うことなくつぶつぶオレンジを購入した。…あら? ジオフロントのとはベンダーが違うのかしら。こっちのは細長いガラスコップみたいなのに金属のフタがついてて、まるでカップ酒ってヤツみたいね? …て、つぶつぶグレープなんてあるわよ!?
 
『シンジ、シンジ!ブドウ葡萄ぶどう!つぶつぶグレープっての飲んでみたい!』
 
あっ、なんか今こっそりため息つかなかった? シンジ。
 
「アスカは何にする?」
 
「…なに、ソレ?」
 
つぶつぶオレンジ、みかんの粒が入ってるんだよ。と、シンジがガラス瓶を振ってみせる。透明感のあるオレンジジュースの中でみかんの粒が舞って、まるでスノーグロゥブみたいにきれいね。缶入りより気が利いてるわ。
 
「ソレ、飲んでみたい」
 
これでいい? と手にしたガラス瓶を差し出すと、うん。とアスカが受け取った。きっとアンタも気に入るわよ。
 
シンジが小銭をもう一枚取り出して、今度はつぶつぶグレープを買った。つぶつぶオレンジと同様のガラス瓶に、こちらも透き通ったグレープジュース。底に沈んだブドウの粒は、きちんと皮がむいてあって…10粒くらいかしら。
 
「…ナンで、違うの買ったの?」
 
「買おうと思ったら、こっちに気付いたんだ。試してみようと思って」
 
あっそ。とそっぽを向いたアスカが、長椅子に座り込んでフタを開けた。口をつけて、ひと啜りしたと思ったらガラス瓶を覗き込んでる。その気持ち、解かるわ。そして、もう一口。のど越しが面白いでしょ。
 
グレープの方は噛んだ粒から溢れる果汁が美味しいけど、のど越しはつまんない。
 
 
オレンジジュースを飲み干したアスカが、眉根を寄せた。視線から察するに、みかん粒が瓶底に残ってしまったのだろう。…あれ、上手く飲み干すのにコツが要るらしいのよねぇ。
 
まさかすくい取るわけにもいかず、微妙に不機嫌になったアスカが、ガラス瓶をゴミ箱へ。
 
「…それで、帰ってくんでしょうね? あのわがままペンギンに魚を焼いてやるなんて、金輪際ゴメンよ!」
 
「帰ってもいいけど、アスカは?」
 
「ワっタシはもちろんヒカリんちに泊まるわよ。そもそも昨日だって、たまたま着替えを取りに帰っただけなんだから」
 
…そう。と、シンジが長椅子に座り込んだ。
 
「なによ…。言いたいコトがあんなら、はっきり言いなさいよ」
 
じとり。と視線だけで見下ろしてくる、気配。
 
シンジが見下ろしたガラス瓶の中で、ブドウの粒が沈んでいった。
 
 …
 
「…夜とか、あまり1人で居たくないんだ…」
 
「…はぁ?」
 
 
それは、エヴァ参号機と戦った、その夜のことだったわ。
 
検査入院で個室に入れられたシンジは、夜中に何度も目を覚ましたの。ほんの3時間ほどで4度も目を覚ましたシンジは、とうとう寝ることそのものを諦めた。
 
きっと、第12使徒に呑みこまれた後遺症だろうと思う。寝ていると、血の匂いがするって言うんだから。もちろんそれは気のせいで、シンジのココロの問題なんでしょうね。
 
 
第12使徒から救出された夜の入院は、シンジは昏睡してた。
 
家にはミサトか、加持さんが居た。
 
あれから、初めて独りで過ごした夜。それが一昨日の晩だった。
 
 
だから昨夜、シンジはバカトウジの病室に泊り込むことにしたんだろう。
 
思えば、加持さんが泊まった夜に一緒に寝ようとしたのだって…
 
 
前の時はどうだったんだろう? と考えてみると、思ってた以上に情報が少ないことに気付いて、愕然とした。あれほどシンジをライバル視していながら、その相手のことはロクに知らなかった。知ろうとしてなかった。ってことだもの。
 
まがりなりにも一つ屋根の下で暮らす同居人が、こんなトラウマ抱えてた。なんてことに、気付かないでいたのよ。信じられる?
 
 
「成績優秀、勇猛果敢、シンクロ率ナンバーワンの殿方が、独り寝がさびしい。ですって!?」
 
心底見下げ果てたって視線が、ジュースの水面から睨みつけてくる。きっと、シンジが第3新東京市を去ろうとした時のワタシと、同じような気持ちでいるんでしょうね。
 
自らチルドレンを辞めた。と聞いて初めて、ワタシはシンジを憎んだんだと思う。戦績はおろかシンクロ率まで抜き去っておいて、あっさりその地位を放棄したんだもの。ワタシが希求してるモノは、なにもかも無価値なんだと蔑まれてるような気がして、敵意すら覚えた気がする。
 
だからこそ、シンジの居なかった第14使徒戦では、あんなに躍起になった。無謀な特攻までやらかした。ワタシが転落し始めたのがシンジにシンクロ率で抜かれた時だとすれば、止めようのない下り坂に踏み込んだのは、シンジがチルドレンを辞めた時だろう。
 
もちろん、当時はそこまで解かってたわけじゃない。様々な思いと衝撃を、逃げたシンジにあきれたんだと受け止めてた。燃え尽きる寸前のロウソクがひときわ明るく輝くように、逃げ出す前の火事場のバカ力でシンクロ率が上がっただけだと自分を誤魔化した。
 
 
自分の状態を冷静に推し量ることができれば、少なくともシンクロ率がゼロになるほど壊れたりしなかったでしょうにね…
 
 
「それで、このワタシに添い寝でもして欲しいっての?」
 
「…そういうわけじゃ」
 
「そう言ってんじゃないっ!」
 
ひるがえった手の甲が、シンジの手からガラス瓶を弾き飛ばした。自販機に当たって、割れる。
 
「テストでちょっといい結果が出て、1人で使徒を斃したもんだからって、チョーシに乗ってんじゃないわよ!」
 
「違うよ、そんなんじゃ」
 
ない。と立ち上がろうとしたシンジの頬を、アスカの右手が捉えた。膝から力の抜けたシンジが、長椅子に頽れる。
 
「アンタみたいなのが、…アンタみたいに弱っちいのが、なんでチルドレンなのよ!」
 
行きがけの駄賃にもう一発平手を喰らわしといて、アスカが逃げ出した。
 
シンジをなさけないと感じれば感じるほど、逆説的に自分の立つ瀬がなくなる。間違ってるモノにしがみついてると気付かないアスカは、そのことの屈辱に耐えられなかったんでしょうね。
 
その気持ちは、よく解かるわ。でも、今のワタシにはシンジの気持ちもよく解かるの。望まぬ力を与えられ、そのことでヒトから拒絶される心の痛みをね。
 
 …
 
シンジが、熱を持った頬を押さえた。
 
「…僕は」
 
まぶたを堅く閉じて、熱くなる目頭を必死で抑えてる。
 
 
シンジ。アンタが悪いんじゃないわ。アスカがまだ、自分ってモノを見つけられてないだけなの。だから、アンタが強かろうが弱かろうが、前向きだろうが後ろ向きだろうが突っかかってくるわ。
 
そのことは、ちゃんと話してあげる。…アンタが、落ち着いたらね。
 
 
****
 
 
無事バカトウジを救い出せたから、今回シンジはハイジャックなんか起こしてない。結果、更迭されることもなかったので、こうして出撃している。
 
 
弐号機と並んで、ジオフロントの天井を見上げてた。使徒の進攻は、もうまもなく。
 
横目に見える弐号機は、兵装を山のように持ち出してきていて、まるでヤマアラシのよう。この頃の自分が、どれだけ焦っていたか目の当たりにするようで、ちょっとつらいわね。
 
零号機とレイは待機。エヴァ参号機戦で受けた損傷が、まだ修復できてないのだ。
 
 
初号機のプラグ内には、今まさに進攻中の使徒の姿を表示させてる。
 
『どう思う?』
 
『…よく解かんないけど、あの光線みたいなの気をつけなくちゃ』
 
確かにあの光線は厄介だわ。だけど、それほど多用はしてなかったように思う。
 
あの使徒の恐さは、とても攻撃力なんかあるように見えないあのメジャーみたいな腕での不意打ちにある。あれをいきなり至近距離で喰らったら、とても避けらんない。
 
『そうね。
 でも、この時点で使って見せてるってコトは、あれが切り札ってワケじゃないんだと思うわ。
 となると、第3使徒や第4使徒みたいに武器を隠し持ってるかもしれないわね。油断しちゃダメよ』
 
『あっうん。そうだね』
 
 
見上げる先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。
 
『来たわね』
 
 
≪アンタなんか居なくったって、あんなのワタシ一人でお茶の子サイサイよ。夜に1人で寝られないようなオコチャマは、そこでおとなしく見てなさい!≫
 
アスカは一方的に通信を開いてきて、あっという間に切ってしまった。
 
 
ゆっくりと降下してくる使徒に対して、弐号機がパレットライフルを斉射する。アスカだからこの距離でも当てられるんだと思う。シンジが出遅れたのは、まだ遠くて当てらんないと自覚してるからでしょうね。
 
『シンジ、ライフルを2丁、手渡す用意しといて』
 
『一緒に攻撃したほうがよくない?』
 
『今の聞いたでしょ? 下手にアスカの前に出ようとしたら、背中から撃たれるわよ』
 
…想像したらしい。シンジが身震いしたもの。
 
 
使徒の着地とほぼ同時に弾切れ、弾倉交換はせずにライフルごと使い捨てた。
 
初号機が差し出したライフルに、… 一瞬の躊躇。
 
奪い取るように引っ掴むなり、腰だめに構えて乱射。距離が詰まったので、あんな撃ち方でも結構な集弾率だ。
 
『次、ロケットランチャー2丁ね』
 
今度はためらいなく、ランチャーを受け取った。
 
『ソニックグレイブ、構えて』
 
初号機がソニックグレイブを抜いて、身構える。
 
『アスカは周りが良く見えてないわ。使徒の動向に注意して、イザというとき弐号機を護れるのはシンジ。アンタだけよ』
 
『うん』
 
弐号機がロケット弾を撃ちつくし、使徒を覆っていた爆炎が晴れた。やっぱり、傷ひとつついてないみたいね。
 
 
ぱらぱらと、使徒の両腕がほどけた。長く延びたとはいえ、こちらに届くほどじゃない。…だから油断したんだけど。…あれが、あそこからさらに伸びるなんて、誰が想像できるだろう。
 
『シンジ、あれ!』
 
「!っ…」
 
新体操のリボンみたいにうねった両腕が、弐号機を突き飛ばした初号機を捉える。
 
…!
「ぐぅっ!!」 
 
左腕と右足を持ってかれた。
 
シンジの苦鳴は、控えめだっただろう。四肢の半分を一度に失ったにしては。…あまりの痛みに、このワタシですら一瞬気が遠くなったわ。即座に痛覚を切り離す。
 
   ≪ シンジ君!! ≫
『バカ!ナンのためにソニックグレイブ持たせてたと思ってんの!』
 
身を挺してまで護ることはなかったのだ。片腕だけでも無事なら ―最初の奇襲さえ凌いでしまえば、アスカはナントカして見せただろう。
 
   ≪ シンジ君、いったん退いて! ≫
 
「こいつ…、強すぎる!」
 
シンジの声は、驚愕と苦痛に打ち震えてる。だけど、何かの決意を滲ませて言い切られた。
 
「くっ!」
 
足首から先を失った右足を地面に打ちつけ、初号機が踏みとどまる。
 
≪シンジ!≫
 
再び開かれた【FROM EVA-02】の通信ウインドウのなかから、アスカ。だけど、シンジに応える余裕がない。
 
「うわぁぁぁああああああっ!!」
 
シンジの叫びに呼応してか、初号機が顎部装甲を引き千切る。放った雄叫びごとぶつけるように、己が左腕を奪った凶器に喰らいついた。
 
『シンジっ!アンタいったい何する気なの!』
   ≪ シンジ君、命令を聞きなさい!退却よ!シンジ君! ≫
 
ミサトの声を、無視してるワケじゃないんだろう。あの痛みの中で、そこまで気が回るワケないもの。
 
もう片っぽのリボンに右腕を絡ませた初号機が、それを手繰るように左脚一本で跳ねた。
 
その距離を一気に詰めて、ショルダーチャージ。すかさず使徒の腕を絡ませたままの右腕で、使徒の顔を掴み、捩じ上げる。
 
「…アスカ、早く止めを!」
 
≪トドメったって、初号機がジャマでコアが…≫
 
初号機が噛み付いてたリボンが、初号機の頭に捲きついた。右腕に絡みつけたリボンも、逆に絞め返してくる。
 
「僕ごとで構わないっ!早くっ、あんまり保たない!」
 
≪…だって、そんな≫
 
思わず弐号機を見ようとしたんだろう。背後を振り返ったシンジにあわせて、初号機が振り返ろうとしてた。
 
「早く!このままじゃ無駄死にになる!」
 
≪死って、…そんなこと≫
 
メインカメラを塞がれて、プラグ内の映像は解像度が落ちてる。背部監視カメラの粗い画像の中に、尻餅ついたままの弐号機の姿。
 
『ごめん。生きて帰れたら、いくらでも謝るから…』
 
「惣流・アスカ・ラングレィ!…君はチルドレンだろ!」
 
ワタシに、誰かを犠牲にしてでも勝ち抜くなんて覚悟はなかったと思う。自分独りで全てを護れると、無根拠に思ってた。
 
「君の使命はっ!!…」
 
通信ウィンドウの中で、アスカがいやいやとかぶりを振ってる。
 
…!
「がぁっ!!」
 
とうとう初号機の右腕が絞め潰された。すかさず放たれた光線が、右の手首から先を消し去る。
 
第3使徒戦をはるかに超える痛みを受け止めてるだろうに、シンジは気絶しない。だから初号機も暴走しないのだろうか?
 
「ぐぅぅうっ!…アスカ!!!」
 
≪いっいっ…いやぁ…!≫
 
シンジの叫びに弾かれるように、アスカがぴくりと跳ねる。視界のぎりぎり端っこで、弐号機が初号機の落としたソニックグレイブを掴んだ。
 
操り人形のようにぎこちなく立ち上がり、 …弾かれたように駆け出す。
 
≪いやぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!!≫
 
初号機の背後、使徒からは死角になった位置から駆け込んできた弐号機が、初号機を刺し貫いた。そのまま初号機の腹を突き抜けた穂先は、その感触からしてあっさりと使徒のコアに滑り込んだのだろう。
 

 
 ……
 
押し寄せる光の奔流に、プラグが真っ白に塗りつぶされた。伴う爆圧で、初号機が吹き飛ばされる。
 
あっ、いや。なにかが受け止めて、支えきったみたい。…きっと弐号機ね。
 
≪シンジ、シンジ!≫
『…シンジ?』
   ≪ シンジ君っ!! ≫ 
 
歯を食いしばったままのシンジが、たどたどしく神経接続を切ったのが判った。
 
 
****
 
 
「ヤだな、またこの天井だ」
 
『シンジ、気がついたの!?』
「シンジ、気がついたの!?」
 
初号機を大破寸前まで追い込んだシンジは、シンクロを切った途端に気絶した。すぐさま医療部に担ぎ込まれたシンジに、アスカが付き添ったのは我ながら驚いたわ。
 
「アスカ…?」
 
「勘違いすんじゃないわよ。ワタシは、アンタをひっぱたくために待ってたんだからね」
 
シンジが思わず頬に手をやった。医療部でアスカにひっぱたかれたのは、ほんの昨日のコトだもの。当然かもしんないわね。
 
「ナンで、あんな真似したの? 返答しだいじゃ、ひっぱたく程度じゃ済まないわよ」
 
シンジが体を起こす。痛みもないし、特に後遺症とかは出てなさそうだわ。
 
「…」
 
しばし正面を眺めていたシンジが、アスカに視線を移した。
 
「アスカは…、あの使徒に1人で勝てたと思う?」
 
「あったり前でしょ。あんなの、ワタシにかかればお茶の子サイサ…」
 
最後まで軽口を叩ききることが出来ずに、アスカが口篭る。シンジの真剣なまなざしが、痛かったのね。
 
「…そりゃあ少しは苦戦したかも知んないケ…」
 
自分で自分を誤魔化すようになったら、人間オシマイなのよ。
 
「…かなり苦戦するかも知…」
 
自分の観察眼や分析力を否定して、それで護れるプライドなんて…
 
 …
 
ううん、護るどころか、自分で自分の首絞めてるだけじゃない。
 
 
「…斃せなかったわ」
 
乾いた雑巾を搾って、水を求めるかのように。アスカの声は酷くかすれて、か細かったわ。
 
「…でも、もう二度と負けらんないのよ、このワタシは」
 

 
「…何に?」
 
何より先に、まず拳が飛んできた。
 
「アンタにっ!決まってんでしょう!!」
 
あ痛~
 
シンジが、判っててトボけてると思ったのね。むしろバカにされたと思ったのかも。だから手が出たし、自分の言葉の矛先がシンジだったと思い込んだ。
 
ううん、あながち勘違いでもないか。1人で使徒を斃すことに拘ったのは、やはりシンジへの対抗心だったからだもの。
 
「僕!? …僕、アスカに勝ったことなんかないよ」
 
「アンタたいがいに」
 
しなさいよ!と襟首掴んで、アスカがシンジを引き寄せた。
 
「参号機の時だって、その前だって!」
 
ほとんど頭突きという勢いで顔を突きつけてくる。上目遣いに睨め上げる青い瞳には、殺気すら篭ってただろう。
 
「参号機の時はダミープラグとかいうヤツで司令部が斃したし、その前のは初号機の暴走だよ!」
 
え…?って固まったアスカを、やんわりと引き剥がして、シンジが頬を押さえた。
 
「アスカが来てから、僕1人で使徒を斃したことなんか無いよ」
 
「…そうなの?」
 
「そうだよ」
 
視線を落としたシンジが、…と言うか。って言葉を継ぐ。
 
「…なんだか、使徒が強くなってきてるような気がするんだ。1人では斃せないくらいに」
 
「だからって、あんな戦い方!」
 
微妙に逸らした視線を、アスカに向けた。
 
「じゃあ…アスカは。一緒に、戦ってくれた?」
 
「それは…」
 
シンジのやさしさ。…解かる?
 
シンジが視線を合わさずにいてくれたから、アンタは今、縛られることなく俯けるの。
 
それは弱さかも知んないけれど、それが相手のためになるって云うなら、弱かろうが強かろうがどっちでもいいじゃない。
 
 
「…参号機と戦った時、ダミープラグってのが動き出して、初号機が勝手に戦いだした」
 
何を思い出したのか、シンジが握りこぶしを固めた。爪が喰い込んで、ちょっと痛い。
 
「僕はエヴァを恐いと思ってた。エヴァが嫌いだった。…だけど、リモコンみたいに操られる初号機を感じたとき、何か違うって、これは何か間違ってるって、思ったんだ」
 
そう細かく発令所からコントロール出来るようには思えないけど、それはまあ、どうでもいいコト。
 
「もし僕たちが使徒を斃せなかったら、司令部はまたダミープラグを使うと思う」
 
理解の光を瞳に乗せて、唐突にアスカが面を上げた。
 
そう。誰に勝つとか負けるとか言う以前に、パイロットそのものがお払い箱になるかもしんないのよ。シンジとは違う理由だろうけど、ダミープラグを使わせるわけには行かないのはアンタも同じことなの。
 
「…それが嫌だったんだ」
 

 
シンジの眼差しを正面から受け止めて、アスカの表情は硬い。…だけどもう、やたらとシンジを敵視してた、いままでのアスカじゃなかったわ。
 
 
なのに、
 
「シ…」
  …ンジ。と最後まで呼びかけることは出来なかった。
 
「来たまえ、碇シンジ君。総司令がお会いになる」
 
唐突にドアを開けた黒服が2人、問答無用でシンジを連れ去ってしまったのだ。
 
 
                                         つづく
2008.08.08 PUBLISHED
2008.08.10 REVISED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾六話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:12


「なぜ、あのような戦い方をした」
 
ムダに広い司令室の、やたらに立派そうな席に着いて、シンジのパパは指を組んで口元を隠してた。
 
この部屋の広さを目一杯使おうとするかのように、2人の距離が遠い。まるで、そのココロの隔たりをそのまま表しているかのよう。
 
「最初の一撃を受けて、初号機はろくに戦える状態ではありませんでした。だから使徒の攻撃を封じることにしたんです」
 
立場が立場、状況が状況なんだから、口調が事務的なのは当然だと思う。だけど、親子の会話の声音とは、とても思えないわ。
 
皮肉にも、部屋の広さが声を響かせてくれてる。そうでなければ、この距離でこんなテンションの会話、成立しないでしょうね。
 
 
「そもそも弐号機を庇おうとしなければ、そんな状況に追い込まれなかったはずだ」
 
それにしても… 作戦課長を無視して、総司令が直々にパイロットを尋問?
 
「アスカが避けられなかった攻撃を、僕が避けられるはずがありません」
 
シンジが、こぶしを握り締めた。
 
「弐号機が攻撃されている間に、攻撃すればよい」
 
「っ!…」
 
シンジが絶句したのをよいことに、総司令のオコトバが続く。
 
「弐号機パイロットが躊躇ったために初号機の損傷は増した。ならば、庇わずに攻撃したほうが損害は少なかっただろう」
 
確かに、シンジのパパの言う通り。弐号機を見殺しにすれば、トータルでの損耗はもっと少なかったでしょうね。
 
だけど、そんな戦い方をシンジがするワケないじゃない。アンタ、自分の子供のこと、ナンにも解かってないわ。
 
「おまえには失望した。もう会うこともあるまい」
 
「…どういう、意味ですか?」
 
「おまえの登録は抹消する。もうエヴァに乗らなくてもいい」
 
どういうコト? ちょっと初号機の損害が酷かったからって、貴重なチルドレンを解任だなんて。
 
「かっ!勝手だよ!乗れと言ったり降りろと言ったり」
 
シンジのパパが目配せするや、黒服が2人がかりでシンジを引きずり始めた。
 
「父さん!また僕を捨てるのっ!?」
 
必死で手を伸ばすけど、届くはずもなく。
 
「父さん、僕はいらない子供なの?」
 
懸命に呼びかけるけど、ブ厚いドアに遮られて。
 
 
「放してっ!放してください!僕はまだ父さんに話すことが」
 
「仕事なんだ。悪く思わないでくれよ」
 
なんて言った黒服の顔を、飛んできたエナメルのハイヒールが襲った。駆け込んできたミサトが、勢いもそのままに回し蹴りでふっとばす。
 
もう一人のアゴに左腕のギプスを突きつけて、
 
「性分なの、悪く思わないでね」
 
と、急所に膝蹴りを叩き込んだ。
 
あ~イッタそ~!体育の時間とかにシンジも2回ほど打ってるけど、名状し難い痛みなのよねぇ。息が詰まるって言うか。腰が砕けるって言うか。
 
「…ミサトさん。やりすぎです」
 
同感。
 
「え? あっいや、その。だって、シンちゃん、なんか必死だったでしょ。…すわ、一大事と思って…」
 
シンジの嘆息に、なんだかミサトが傷ついたって顔してる。
 
気持ちは嬉しいですけど…。と屈みこんだシンジが、ハイヒールを拾って、履きやすいトコに置いてやった。
 
そもそもアタシはシンちゃんを叱りに来たのよ。なのに救けたげたってのに…。とかなんとか、ミサトがブチブチと呟いてる。…いいトシした大人が、人差し指を突き合わせながらグチ言わないでよ。うっとうしい。
 
 
「あの…大丈夫ですか?」
 
屈みこんだままでにじり寄ったシンジが、急所を蹴られた方の腰の辺りを叩いてやる。
 
「うちのミサトさんがすみません。分別つかなくて申し訳ありません」
 
「シンちゃん、そんなの放っときなさい」
 
たぶん照れ隠しなんだろうけど、ミサトがシンジを引きずりだした。
 
「そんなこと言ったって…」
 
本当にごめんなさ~い。よ~く言い聞かせておきますから~。と声を張り上げるシンジの口を、ミサトが塞ぐのも時間の問題だったわ。
 
『…そいえば、シンジ。パパになんか言いたいんじゃなかったの?』
 
え? 気が抜けた? …あら、そう。
 
 
****
 
 
シンジは明るく振舞ってたケド、思い悩んでいるのは確かだった。口数が極端に減っていたもの。
 
驚いたのは、押しかけるようにミサトのクーペに同乗してきたアスカが、そのままマンションの部屋まで上がってきたことだった。こんな時間まで居るくらいだから、今晩はヒカリんちに泊まるつもりはないんでしょうね。
 
きっと、チルドレンを馘になってしまったシンジが気になるんだと思う。アスカにとっても、思いがけないコトだったと思うもの。とはいえ、さっきの今で声のかけようがあるワケがない。ちらちらとシンジの様子を伺うばかりで、ずっと黙りこくってたわ。
 
レイはいつもの通りだし。
 
おかげで、ひとりでテンション上げようとするミサトの浮くこと浮くこと。憐れを通り越して、ぶざまね。
 
 
早々に自分の部屋に引き上げてきたシンジが、引き戸を閉めた。ほんのわずか隙間を開けてあるのが、痛ましいわ。
 
 
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
 
ベッドに寝転んで裸電球を見上げたシンジの耳に、携帯電話の呼び出し音。
 
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
 
のろのろと手にとって、寝返りを打ちながら通話ボタンを押す。
 
≪シンジか? パイロットを辞めさせられたってホントか?≫
 
ってバカケンスケ!? こんの大バカ!このワタシでさえ声をかけづらいってのに!
 
「…相変わらず耳が早いね」
 
てっきり絶句すると思ってたのに、シンジは失笑すらしたようだった。
 
≪……ホントなんだな?≫
 
「そうゆうこと、喋っちゃダメなんだよ…」
 
≪なぁシンジ、お前からもミサトさんに頼んでくれよ。俺をパイロットにしてくれるようにさぁ≫
 
「前に言ったよね。家族に心配かけるから、やめた方がいいって」
 
≪なんでだよ!畜生…、トウジまでエヴァに乗れるって言うのに、俺は!…≫
 
ぶつっ。って音がして回線が途絶えたもんだから、てっきりシンジが切ったもんだと思ったわ。
 
 ≪ この電話は盗聴されています。機密保持のため回線を切らせていただきました。ご協力を感謝いたします ≫
 
つー。と不通音。
 

 
通話ボタンを切ったシンジが、取り落とすように携帯電話を放った。
 
 

 
 …
 

 
 ……
 

 
 
 …バカケンスケのせいで、声をかけづらいったらありゃしない …
 
 

 
 … …
 

 
「…ホントのところ、自分でもよく判らないんだ」
 
『シンジ?』
 
「エヴァに乗らなくてよくなって、嬉しいのか、悲しいのか」
 

 
「もう、あんな痛い目見なくて済む、あんな恐い思いしなくて済むっていうのに、…それが自分の選択の結果じゃないってだけで、なんだか納得がいかないんだ」
 
相槌を差し挟むことすら憚って、ただ聴くことに徹する。
 
シンジが口に出してるのは、自分で自分の考えを反芻するためだと思うから。ただ、誰かに聞いて欲しいだけだと思うから。
 
「それは多分、僕が何のためにエヴァに乗るか、はっきりさせてなかったからだと思う」
 
…えっ?
 
シンジは、パパに褒められることにその理由を見出してたんじゃ…?
 
「…乗らなくていいって言われて気付いたんだ。…僕が考えてたのは、乗せられたことへの言い訳に過ぎなかったってこと」
 
シンジが再び仰向けになる。見上げる裸電球が、なんだか侘しい。
 
「僕が求めるべきは、自ら乗るための動機だったんだと思う」
 
睨みつけるように、目元がしかめられた。いったい、あの裸電球にナニ見てんのかしら?
 
 …
 
 
「ほかの人間には無理だから。って父さんが言った」
 
 
「ミサトさんはそんな気持ちで乗られちゃ迷惑だって言った」
 
 
「アスカは自分の存在を知らしめるために乗るって言った」
 
 
「綾波は絆だから乗ると言った」
 
 
「ケンスケは憧れてるって言ってた」
 
 
「トウジは…、訊きそびれちゃったな…」
 
 
 
  …  「僕は、何のために乗ればいいんだろう?」
 
 
 

 
 ……
 
シンジの独白はとめどなく、けれど答えの出しようもなく続いた。
 
そうこうしてるうちに次第にまぶたが重くなって。って、こらシンジ!ちゃんと着替えてフトンに入んなさい。いくら常夏だからって風邪ひくわよ。
 
こら~!
 
 

 
って!!今のみしりって音、ナニ? 廊下? 誰か居るの!なんでワタシ気付かなかったの!?
 
そうか!バカケンスケからの電話、きっとあれに気を取られてた間だわ!…なんてこと考えてるうちに、忍び足が遠ざかっていった。
 
…間隔からしてミサトの体格じゃないわ。ううん、ミサトがその気になって、気配なんかさとらせるとは思えないわね。
 
レイは、そもそもそんなトコに気が回るワケがない。
 
とすれば、残るはもちろんアスカ。
 
いったいあのコはナニを考えてここまで来て、ナニを思って立ち去ったんだろう?
 
ただ一つ判るのは、厳然たる実績を持つシンジがあっさり馘になったと聞いて、あのコもきっと煩悶してたんだろうってコト。自分たちの立場がいかに危ういモノなのか、今度こそ実感したんじゃないかしら。
 
だからこそ、当事者と話をしてみたいと帰ってきたんだと思う。シンジの部屋の前まで来たんだと思う。
 
なのに、なぜ引き返していったんだろう。ここまで来ておいて臆するなんて、惣流・アスカ・ラングレィの名折れじゃない?
 

 
ううん、違うよね。
 
もし、引き戸の向こうでシンジの言葉を聞いてたんなら、あのコだって想うトコロがあったはず。その上で引き返したってんなら、それはきっと逃げたんじゃないわ。
 
…アスカ。アンタ、ちゃんと考えていたのね。エヴァとかチルドレンとかそう云うことを抜きに、自分と向き合ってきたのね。だからこそ、そこで引き返せる。
 
アンタがどんな答えを見出したのか、それとも、答えを急がないことを選択したのか、それは解かんない。
 
だけど、これでもう。たとえシンクロ率がゼロになったってアンタは壊れたりしないだろうって、それだけは判る。
 
 
…嬉しいわ。とても 
 
 
****
 
 
花束抱えて、ファンシーな柄の紙袋を提げて。
 
 …
 
トウジの後について病室に入ろうとして、シンジがつまづきそうになる。戸口に手をついて、軽く深呼吸。そんなことには気付かずとっとと歩いていったトウジの体の陰から女の子の姿が覗いて、シンジが固唾を呑んだ。
 
「ナツミぃ、加減はどないや」
 
「なんや、ニィやんか」
 
 
見出しようのない答えを求めたシンジは、参考例を求めて、トウジにエヴァに乗った理由を尋ねた。
 
「なんや。たぁ、ご挨拶ゃないかい」
 
「せやかて、みあきたわ」
 
妹の転院のため。って答えを聞いたシンジに、お見舞いに行ってみれば。って提案したのはワタシ。
 
『あれって仲悪いの?』
 
『そういうわけじゃないと思うよ』
 
「…あれ? おきゃくはん?」
 
「せや。わしのツレの、碇シンジや」
 
ベッドの横たわった女の子が、懸命に体を起こそうとする。それを無言で押し止めて、トウジがリクライニングを起こしてあげてた。
 
「碇って…まさか、ニィやんが どついたっちゅうてた、ロボットのパイロットの人?」
 
「せっ…せや」
 
似てない兄妹ねぇ。まぁ、このコにしてみれば似なくて幸いだったんだろうケド。…トウジの妹っていうんで、ちょっと想像が暴走してたわ。
 
なんとかベッドサイドまで歩いていったシンジが、精一杯の笑顔を。
 
「はじめまして、碇シンジです」
 
「はじめまして。鈴原ナツミです。ウチんくのニィやんがなんやヤタケてもうたそうで、ホンマにごめんなさい」
 
トウジの妹が、頭を下げる。口調の真摯さのワリに申し訳程度だったのは、そうしないと突っ伏しちゃうからでしょうね。…確か、半身不随だとか言ってた。
 
「もう済んだことだから、気にしないで」
 
校舎裏に呼び出して、殴ってくれだなんて。男ってホントにバカね。呼び出す方も呼び出す方だけど、受けて呼び出される方も呼び出される方だわ。そこまでしなきゃオシマイにできないってのが、なんとも…ねぇ?
 
「そうだ。これ、お見舞い。…気に入ってもらえると嬉しいけど」
 
シンジが、花束と紙袋を差し出した。紙袋の中には、ヒカリの指導のもとに手作りしたマフィンが入ってるわ。
 
「わあ!おおきに!」
 
受け取った花束に顔を埋めるようにして、香りを楽しんでる。本当に嬉しそうね。
 
「うれしいわぁ♪ウチんくのニィやん、ホンにネムたいお人やから、気ぃの利いたお見舞いなんて期待できひんくて」
 
「なんやてぇ」
 
「なんやのん」
 
にらめっこするみたいに睨み合っちゃって。っていうか、小学生と同レベルで張り合うんじゃないわよ…
 
『…やっぱり仲悪いんじゃない?』
 
『そういうわけじゃ…ないと思うよ』
 
「あっ、せっかくだから花束、活けてくるね」
 
手を差し伸べて花束を受け取ったシンジが、そそくさと病室を後にする。…なによ、シンジも居心地悪くなったんじゃないの?
 
 
 
ナースステーションで花瓶と花鋏を借りてきた。
 
流しに水を溜めて、浸しながら茎を切る。
 
花屋さんにオマカセで作ってもらった花束。いろんな花が取り混ぜてあるけど、この鮮やかな黄色はランタナの花かしら。
 
  一体化した花弁が、まるでジグソーパズルのピースみたいね…
 

 
 
冷たい水に手を漬けたまま、シンジの動きが止まってた。
 
 …
 
『…どうしたの?』
 
我に返ったらしいシンジが、花鋏の水気を切って棚に置く。
 

 
『…ナツミちゃんの足、ぴくりとも動かなかったね』
 
…居心地が悪くなったんじゃなくて、居たたまれなくなったのね。
 
『アンタが悪いわけじゃないでしょ。…それに、トウジだって謝るのはナシって言ってたじゃない』
 
『それは、…そうだけど』
 
水揚げした花束を花瓶に活ける。
 
『…僕がしっかりしてれば、防げたかもしれないかと思うと』
 
『ヤめなさい、碇シンジ』
 
バランスを整えるために差し入れられていた手が、止まった。
 
『あのコの笑顔、見たでしょ。一所懸命に受難と戦ってる。そこへアンタが被害者面して出て行って、どうなるって言うのよ』
 
「被害者って? 僕が!?」
 
こらこら、声に出てるわよ。
 
『アンタがここで出て行けば、相手を傷つけたことで傷ついた、被害者ってコトになんのよ。アンタは謝って気が晴れるかも知んないけど、そんなことされたってあのコのケガは治んないわ』
 

 
 ……
 
   …
 
『…そうだね』
 
シンジが花瓶を抱きかかえた。病室に戻る決心がついたんだろう。
 
 
『あっ、ちょっと待って。10円玉、あったわよね?』
 
『あったけど…なに?』
 
『せっかくのお花だもの、長保ちした方がいいでしょ?』
 
 
 
病室に戻ると、マフィンの入った紙袋を巡って攻防戦が展開されてた。
 
もう食べてしまおうって言うトウジと、シンジが帰ってきてからと主張する妹の間で、熾烈な争奪戦が繰り広げられて… だから、小学生と同レベルで張り合わないでよ。そもそもアンタ、マフィン作る時に同席してて、散々食べたじゃない。それも、ヒカリのお手本を…
 
シンジが花瓶を窓際に置く。
 
「わぁ♪すてきやわぁ。
 さすがに世界をまもるロボットのパイロットはんは、センスがええんやねぇ。
 ウチんくのニィやんとは天地の差ぁやわ」
 
あれ? と、シンジも思ったんだろう。視線がトウジを向いた。
 
向けられたトウジはというと、視線を逸らしてトボけてる。
 
…そっか。アンタ、妹に話してないのね。
 
心配かけさせたくないし、負担だと思わせたくないから。…アンタ、他はともかくお兄ちゃんとしては合格よ。
 
 
 
また来て欲しい。っていうトウジの妹に、今度はもっと大勢で来るね。って約束して、病室を後にしたわ。
 
 
シンジは、何か得るところがあったみたいね。なんだか足取りがしっかりしてるもの。
 
 
****
 
 
ミサトがパスコードをそのまんまにしておいてくれたから、ケィジまで来るのは簡単だったわ。
 
弐号機も零号機も搭乗が済んで、出撃を待つだけになってる。
 
弐号機のレンズが焦点変えたのは、キャットウォークを走るシンジに気付いたからでしょうね。
 
≪アンタ、なんで…≫
 
エヴァの外部スピーカーは、この距離では雷鳴のようだわ。思わず耳を塞いだシンジの、足が止まる。
 
   ≪ 零号機発進、超長距離射撃用意 ≫
 
その爆音が、ケィジのスピーカーによって遮られた。
 
   ≪ 弐号機、アスカは、バックアップとして発進準備! ≫
 
 ≪バックアップ? ワタシが? 零号機の?≫
 
外部スピーカーの音量、下げなさいよ。シンジの鼓膜が破けちゃうじゃない。
 
   ≪ そうよ、後方に廻って ≫
 
耳を押さえたシンジが、早くケィジから退散しようと再び走り出す。
 
≪こら!バカシンジ。逃げんじゃない!≫
 
なんて音波をシンジの背中にぶつけてる間に、零号機が発進してしまった。
 
 
 
≪アンタがそんなトコうろちょろしてるから、ワタシの出番が奪われちゃったじゃない!≫
 
結局ケィジから逃げ出すことは叶わず、こうしてアスカの怒りの捌け口にされてしまった。
 
「僕のせいじゃないと思うなぁ…」
 
≪ナンか言った!?≫
 
びしゃっ。と打ちつけるような音の暴力に、シンジの全身が総毛立つ。
 
「…なんでもありません」
 
≪…だいたい、なんでアンタこんなトコに居んのよ≫
 
腕組んで見下ろしてるアスカの姿が、目に見えるようだわ。
 
「だって、使徒が来てるんだよ?」
 
≪それで? 心配して来て下さったって言うの≫
 
うん。って頷いたシンジが、手すりに映りこんだ弐号機を見つめる。
 
≪はんっ。アンタなんかに心配されるだなんて、このワタシもヤキが回ったわね~≫
 

 
「だって…」
 
≪なに?≫
 
こんな小さな呟き、よく拾ったわね。エヴァの外部マイク。そこまで性能良かったかしら…?
 
「心配なんだから、仕方ないじゃないか」
 
きっ。と見上げた視線はまっすぐに弐号機を見据えて、ゆるぎない。赤い巨体が、心なしかたじろいだように見えたわ。
 
 …
 
アスカがどんな反応をするか、とっても興味があったけど、それどころじゃなくなった。
 
ワタシが良く知ってる光が、こともあろうにシンジに降り注いできたのだ。
 
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 
シンジを照らした光は体の表面で解けると、細い針金のようになって侵入してくる。
 
痛みはない。痛みはないケド、自分の殻をむりやり剥がされるような不快感は、心が直接感じているとでもいうの?
 
体中の毛穴という毛穴から侵入した針金は体内をまさぐりながら中心部を目指してる。あらゆる感覚が薄れつつある今、それは肉体的な意味合いじゃないわ。
 
 
   ≪ 敵の指向性兵器なの? ≫
 
    ≪ いえ。熱エネルギー反応無し ≫
 
周囲の音が遠い。
 
    ≪ 零号機に異常無し。攻撃手段ではない模様 ≫
 
   ≪ いったい使徒は何がしたいの? ≫
 
まずい。シンジが攻撃されてるってコト、発令所が認識してないわ。
 
 
…暗闇の中、差し込む光芒。圧迫と開放。まだ開かないまぶたの上から襲いかかる暴力的な光の渦。周囲から失われた温もり。…奪われた安寧。
 
いきなり見せ付けられたのは、この世に生まれたときの苦痛だわ。楽園から放逐されたことへの絶望…ってヤツ?
 
…なにこれ? 使徒は何でこんなものを…
 
 
 ≪ アンタたちナニやってんの!ここよ、ここ!ケィジでシンジが襲われてんの!! ≫
 
   ≪ なんですってぇ! ≫
 
    ≪ エヴァに乗ってない。無防備なパイロットを狙ったっていうの!? ≫
 
 
次に見せつけられたのは、ガラスシリンダーの中に消えてゆく女性の姿。見下ろす窓に押し付けられる手は幼いもので、…あーたん? あーたんって、もしかしてお母さん? あれ、シンジのママなの!?
 
置き去りにして去っていく背中。…あれってシンジのパパ?
 
妻殺しの子だと、なじる声。
 
 
…ワタシ、シンジの過去を見てるの?
 
 
    ≪ 使徒が心理攻撃? まさか使徒に人の心が理解できるの? ≫
 
   ≪ 光線の分析は!? ≫
 
    ≪ 可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いものですが、詳細は不明です ≫
 
 
砂のピラミッドを蹴り崩す、足。
 
3年前の墓参り。逃げ出したあとの後ろめたさまで、ワタシの心に湧き上がらせて。
 
初めて第3新東京市に来た時の思い出が、飴玉をしゃぶるように丹念に再現されてる。
 
トウジに殴られた、痛み。
 
エントリープラグに2人を乗せた時の、不快感。
 
 
 ≪ 冗談じゃないわよ…エヴァ弐号機、発進します! ≫
 
    ≪ アスカ! ≫
 
   ≪ いいわ、ポジトロン・スナイパーライフルを出して ≫
 
 
レイと話してる、シンジのパパ。
 
 ミサトのカレーの、味。
 
  レイに叩かれた、驚き。
 
 荷電粒子砲の、熱。
 
溺れた時の、苦しみ。
 
 第12使徒に呑みこまれた時の、心細さ。
 
 
ガラクタを掘り分けるようにシンジの記憶を食い散らかした光の針が、奥底に沈んでいた獲物に手をつけた、その時だった。
 
 
    ≪ 第7ケィジにて エヴァ初号機起動!! ≫
 
   ≪ そんなバカな!シンジ君は!? ≫
 
急に襲ってきた揺れに、シンジのまぶたが緩む。
 
    ≪ 第7ケィジです。確認済みです ≫
 
   ≪ 初号機に乗ったの? ≫
 
眼前に…3本の柱? …むらさき、色の?
 
    ≪ 初号機は無人です、エントリープラグは挿入されていません! ≫
 
    ≪ 左腕の拘束具を引きちぎっています! ≫
 
いや、これって初号機の指ぃ!? 手のひらをキャットウォークに叩きつけるようにして、シンジに手を差し伸べたっていうの? あっぶないわねぇ、一歩間違えればシンジ潰れちゃってるわよ。
 
    ≪ まさか、ありえないわ!停止信号プラグが挿入されているのよ。動くはずないわ! ≫
 
    ≪ パルス消失!停止信号、拒絶されてます! ≫
 
 
…確かに、使徒の光の圧力は減ったけど…
 
 
 
白い闇の中から、子供の泣き声が聞こえてくる。
 
歩み進む先に、小さな人影。
 
泣いてるのは、幼い男の子。…それがシンジだって、すぐに判ったわ。
 
目前まで歩いていって、しゃがみこむ。
 
「こ~ら。男の子がそんなに泣くもんじゃないわよ」
 
頭を撫でてやると、泣き腫らしたまぶたを上げて、見つめてきた。
 
「…おねぇちゃん、だれ?」
 
「ワタシ? ワタシはアスカ。惣流・アスカ・ラングレィ」
 
視界の隅に見覚えある色の髪が流れていたから、ためらいなく言い切ったわ。
 
「あすか…おねぇちゃん?」
 
「そうよ。それで、アナタはだあれ?」
 
もちろん、知ってるケドね。
 
「いかり…いかりシンジ」
 
「そう。それで、そのシンジはどしたの?」
 
一度は止まってた涙が、またぽろぽろと…
 
「ぼく…いらないコなの…」
 
火がついたようにって言うのは、こういうことなのかしらね。なにものをも憚らずに、こんな風に泣けたら、ワタシももっと楽だったのかもしれないわ。
 
「こ~ら、そんなに泣かないの」
 
心まで埋まれ。とばかりに、力いっぱいに抱きしめてやる。ワタシが泣くのを我慢してた時、つまんない慰めなんかかけるより、こうしてむりやり抱きしめてくれる人が居れば、…すがりついてでも抱きしめて貰いたい人が居れば、ワタシはもっと素直になれただろうに。
 
とんとんと、背中を叩いてやる。こんなこと誰にもされたことないのに、なぜこうしてやるべきだとワタシは思ったのかしらね?
 
 ……
 

 
「シンジみたいに捨てられた女の子と逢ったことがあるケド、そのコは泣いてなかったわよ」
 

 
「…ホントに?」
 
「ええ。ワタシは、嘘はつかないわ」
 
他ならぬ、自分のことですもの。
 
「…」
 
ぐしゅぐしゅと、一所懸命にすすり上げてる。
 
「そのコ、つよいコなんだね」
 
「…そうかしら? 弱いから、泣くことも出来ないのかもしれないわ」
 
やさしくチビシンジを引き剥がすと、泣いてたことなど忘れたかのようにぽかんとしてる。
 
「…よわいのに、なかないの?」
 
「たぶんね」
 

 
その小さな頭の中で、なにをそう一所懸命に考えているのだろう。必死に眉根を寄せてた。
 
…いや、幼いからといって何を侮ることがあるだろうか。ワタシだって幼いなりに考えたし、悩んだわ。子供だから無憂だ。幼いから無邪気だ。なんてのは、子供だったコトを忘れてしまった大人の傲慢だもの。
 

 
「…そのコと、あいたい」
 
「そう? …そうね。シンジが泣かないようになれば、逢えるわよ」
 
自分でも眼差しがやさしいのが判る。弟って、こんな感じかしら?
 
「…なかないように、なれば?」
 
「ええ、きっとね」
 
ぐしぐしと目元を拭って、涙の跡を消そうとしてる。
 
「ぼく…がんばる」
 
「そう? じゃあ、いつかきっと逢えるわ」
 

 
あれ? 白い闇が薄れて…きた?
 
「…もう時間みたいね」
 
「あすかおねぇちゃん、もうおわかれなの…?」
 
立ち上がったワタシを見上げるチビシンジの目に、また涙。
 
「こ~ら、もう泣かないんじゃなかったの?」
 
涙は止めどようもないケド、懸命に拭ってる。
 
「よしよし。泣かないで前をしっかり見てれば、また会えるわ」
 
がしがしと頭を撫でてやって、にっかりと笑ってやる。
 
「またね、シンジ」
 
「うん、またね。あすかおねぇちゃん」
 
チビシンジが、むりやり笑顔を作った。
 
 
 
 
   ≪ 加速器、同調スタート ≫
 
戻ってきた視界は狭くて、ひどく霞んでる。シンジはまだ、意識を取り戻してないのね。
 
   ≪ 電圧上昇中、加圧域へ ≫
 
キャットウォークとは反対側、ケィジの奥のほうに丸く切り取ったような闇があった。
 
    ≪ 強制収束器、作動 ≫
  
    ≪ 地球自転および重力誤差修正0.03 ≫
 
LCLや空気、固定されてない軽い物が、その闇に吸い込まれていってる。
 
    ≪ 超伝導誘導システム稼動中 ≫
 
    ≪ 薬室内、圧力最大 ≫
 
シンジは何かに守られてるのか、髪の毛の一本すらそよいでないみたいだケド。
 
    ≪ 最終安全装置、解除 ≫
 
    ≪ 解除確認 ≫
  
闇に突っ込まれた初号機の腕が、なにか光り輝くモノを鷲掴みにしていた。
 
    ≪ すべて、発射位置 ≫
 
闇の中、光り輝くモノの向こうに見えるのは、…月? じゃあ、あの闇って宇宙空間で、光ってんのは使徒? エヴァって、こんな真似も出来るの!?
 
   ≪ 撃てぇい! ≫
 
 ≪ いっけーーーー!! ≫
 
聞こえるはずのない破砕音をシンジの耳に残して、使徒の中心部が潰れる。
 
不機嫌そうな唸り声を転がして、初号機が闇から右腕を引き抜いた。
 
抉りきるように捻った指先は、まだ引き絞られたカタチのまま。まるで力を振るい足りないとでも云うように震えていて、なんだか怖い。
 
 
蒸発する水溜りのように縮んでいく闇の中で、使徒の残骸が青白い光線に貫かれた。
 
 
                                         つづく
2007.08.15 PUBLISHED
2007.08.22 REVISED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾七話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:13


「ヤだな、またこの天井だ」
 
「シンジ、気づいたの!?」
 
覗き込んできたアスカの顔を認識したらしいシンジが、くすりと笑った。
 
「なっなによ…」
 
「ごめん。なんだか最近、こんなんばっかりだなって思ったら、つい」
 
起き上がろうとしたシンジを押し止めて、アスカがリクライニングを起こす。
 
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたコトじゃないわよ。だって。…なんだかこのコ、ずいぶんと余裕があるわね。
 
「使徒は?」
 
「ワタシが出て、ちょちょいと斃してやったわよ」
 
胸を逸らして誇らしげに、アスカ。
 
零号機のポジトロン20Xライフルは届きもしなかっただろうし、傍目には弐号機が斃したように見えただろう。
 
司令部が、初号機の動向をどこまで把握しているか判んないケド、敢えて訂正する気はないみたいね。
 
「そっか、さすがだね」
 
「はんっ!あったりまえでしょう♪」
 
実に機嫌よさそうに、髪を梳き流してる。…まっ、水を注すこともないでしょ。
 
「それで、アンタはどうだったのよ。使徒の攻撃」
 
…うん。とシンジが視線を下げた。
 
「僕がいらない子供だってこと、思い知らされたかな…」
 
どういうことよ。と訝しげに、アスカが身を乗り出してくる。
 
「あの光の中で、どんどん昔のことを思い起こさせられたんだ。僕が憶えてないようなことや…、忘れたいと思ってることまで…」
 
どんどん小さくなっていっちゃう声を、意外なことにアスカがガマン強く拾ってた。
 
「3歳くらいの時だったかな。一度父さんに捨てられてるんだ。泣くことしか出来ない僕を、置き去りする背中…」
 
…思い出したくなかったな。と、シンジがシーツを握りしめた。
 
「手紙の一通で呼び出されたかと思ったら、用件はエヴァに乗れ。だけだった…。僕がたまたまエヴァに乗れたから、利用できるから呼んだだけなんだ…」
 
「…シンジ」
 
自ら親を捨てたと思ってるワタシに、シンジの気持ちは理解できないのかもしれない。…でも、想像することぐらいは出来るはず。同情してあげられるだけの余裕が、今のこのコにはあると思えるもの。
 
シンジの視界の隅に、椅子に座ったアスカの膝が見える。その上に載せられた両手が、しきりに握り直されてた。
 

 
これ以上何も言えなくなったシンジと、何を言っていいか判らないアスカの間にしじまが降りて、重い。
 
… 
 
 ……
 
   …
 
「ああもう、シンキくさいっ!」
 
手のひらを閃かせたアスカが、シーツを掴んだシンジの手をはたく。
 
ぺちっ、と間抜けな音。痛くない。
 
盗み食いを見つけた母親が子供を叱るとすれば、こんなたたき方かもしれないわね。
 
「いい歳して、親も子もないでしょ。今のアンタに、パパなんて存在がどんな意味があるってんのよ。捨てなさい捨てなさい、そ~んなモンこっちから捨てっちゃいなさい」
 
 …
 
目を見開いてアスカを見ていたシンジが、…そうだね。と微笑んだ。
 
そしてふと、眉根を寄せた。
 
「ねぇ、アスカ。…もしかして、僕の夢の中に出てきた?」
 
「はぁ!? ワタシが? なんでアンタの夢なんかに」
 
う~ん。と、シンジが首をひねる。
 
「使徒の攻撃の最後のほうで…、アスカに良く似た女のヒトが出てきて、僕を慰めて、励ましてくれたような気がするんだ…」
 
ワタシに良く似たオンナノヒト~? って、胡散臭げにアスカが見てる。
 
それにしても女のヒトって…。…もしかしてシンジが子供だったから、ワタシが大人に見えたのかしら? …ていうか、ワタシ名乗ったんだけど…、…忘れたのね。 むぅ…
 
「微妙に雰囲気が違っていたような気もするから、アスカじゃないのかも」
 
「あったり前でしょ。なんでワタシがシンジの夢の中まで…、…って、アンタそうやって今までもワタシを勝手に夢に出して、アンナコトやコンナコトさせてたんじゃないでしょね!?」
 
病衣の袷せを掴んで揺すぶって。
 
「してない!してないよっ!」
 
「エッチ!チカン!ヘンタイ!!信じらんない!!」
 
肖像権侵害で訴えてやるぅ!!って、なにも涙目で迫んなくても…
 
 …
 
際限なく揺すぶられて、シンジが目ぇ回しちゃった。薄情にもアスカが手を離すもんだから、くたくたとリクライニングに沈み込む。
 
 
ドアの開く音。
 
「シンジ君が目を覚ましたって連絡受けて来たんだけど…。誤報だったみたいね」
 
「リツコ…、なによ?」
 
アスカの声が硬い。訪問者がリツコじゃ、仕方ないか。
 
「問診を兼ねて、シンジ君から聞き取り調査を、と思ってね」
 
「あっそ!」
 
かつかつとヒールを鳴らして近寄ってきたらしいリツコが、シンジの手をとった。…のだと思う。視界がまだ、ちょっと不思議なまるでメリーゴーラウンドだもの。
 
「不整脈はなさそうね」
 
片目だけ眩しくなったのは、多分リツコがペンライトで照らしてるから。
 
瞳孔の散大もなし。とリツコが呟いたあたりで、シンジの視界が治ってくる。
 
「あ…、リツコさん」
 
「気分はどう? シンジ君」
 
ちらり。とアスカを見やったシンジが、睨まれてリツコに向き直った。
 
「…悪くないと思います」
 
「それは結構」
 
 
 
リツコの聴き取り調査ってヤツは、小一時間は続いたと思う。
 
わずか数分の出来事を、微にいり細をうがち、質問の仕方を変えて何度も聞き出そうとするのだ。それはもう、根掘り葉掘り。
 
今なら多分、シンジよりもリツコのほうが状況を把握してることだろう。
 
「ところで、シンジ君?」
 
「なんですか?」
 
いいかげん気疲れして、シンジの口調に力がない。
 
「その時のケィジの様子、憶えてて?」
 
「ケィジ…ですか?」
 
『憶えてる?』
 
さあね。ってトボけちゃった。シンジが知らないことを、リツコに教えてやる義理はないと思うもの。
 
「ケィジ…って、監視カメラあんじゃない。わざわざシンジに聞くようなコト!?」
 
アスカの機嫌が悪いのは、シンジに付き添って待ちくたびれたからでしょうね。もちろん誰も、そんなこと頼んでないわ。むしろリツコは追い出そうとしたんだけど。
 
それがねぇ…。と、リツコが溜息ついた。
 
「使徒の発した光でハレーション起こして記録画像は真っ白だし、初号機が張ったATフィールドは光波、電磁波、粒子まで遮断していて何もモニターできなかったのよ」
 
疲れたような苦笑は、シンジから有益な情報が得られるとは思っていなかった。ってコトだろう。藁をも掴むようなってヤツね。
 
「…あれぇ? リっちゃん、まだ居たのかい?」
 
ドアを開けると同時に、そんな頓狂な声を上げたのは、加持さん。小脇にスイカを抱えてる。
 
「加持さ~ん♪」
 
「病み上がりのシンジ君相手に、ちょっと長くないかい? とっくに終わってると思ってたんだが…」
 
黄色い声を上げるアスカにウィンクだけ返して、加持さんが腕時計を確かめてみせた。
 
「あら、そんな時間? …ホントに。シンジ君ごめんなさい、疲れたでしょ」
 
「…いえ、大丈夫です」
 
こちらも腕時計を確かめたリツコが、案外きちんと頭を下げてくる。思春期相手の扱い方はイマイチだけど、対等な個人同士の付き合い方、という点はきっちりしてるのね。これで失礼するから、ゆっくり養生してね。だって。
 
「アスカ。済まないがコレ、頼む」
 
「え~!? ワタシが~!加持さんは~?」
 
大股に病室を横切った加持さんが、アスカにスイカを手渡す。
 
「滅多に捕まらない赤木博士とご同道できる機会を、見逃す手はないんでね」
 
「あら、私?」
 
入れ替わるように出て行こうとしてたリツコが振り返った。
 
「ああ。最近なぜかアルバイトの方がさっぱりでね。本業に身を入れようと思うんだが…、その口添えをしてもらおうって思ってね」
 
「「あやしいわね」」
 
異口同音の言葉はしかし、同音異義でもあったっぽい。
 
「そんじゃ、アスカ、シンジ君。そうゆうことでスマン」
 
後ろ向きにリツコを追いかけていった加持さんが、片手で拝みながら病室をあとにした。
 
 

 
「シンジ、スイカ食べる?」
 
抱きかかえたスイカを持て余すように、アスカ。
 
意外なことに、シンジの視線は釘付けにはならなかった。かといって、あからさまに逸らすこともない。
 
…シンジの中で、何かが変わったんでしょうね。
 
「それ、冷えてないよね。食べきれないだろうし、ナースステーションで冷やしてもらっておいて、お裾分けしようよ」
 
「そうね。持ってってくるわ」
 
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたことじゃないわよ。だって。…やっぱりこのコ、余裕が出てきてるみたい。
 
 
****
 
 
「後15分でそっちに着くわ。弐号機を32番から地上に射出、零号機はバックアップに廻して」
 
ミサトのクーペに乗せてもらって、ジオフロントに急行中。
 
「…そう、初号機は碇司令の指示に。アタシの権限じゃ動かしようがないわよ。じゃ、…」
 
人間の都合でパイロットを馘にしても、使徒がそれを斟酌してくれるワケがない。ってのが、前回の使徒戦で作戦部が学んだ教訓らしい。
 
もしあれがケィジじゃなくて、たとえば第3新東京市のシェルターだったりしたら、シンジを救けに行くために初号機が本部棟を破壊したかもしれなかったわけだ。
 
なら、下手にシンジを初号機と引き離すべきじゃない。ってことで、本部棟で戦闘待機ってことになったんだって。
 
「使徒を肉眼で確認…か…」
 
ミサトの呟きはなんだか淡々として、いっそなげやりにすら聞こえる。でも、その心の裡は裏腹なんじゃないかって思うわ。だって、この道路に入って以来、その光のリングはずっと見えてたんだもの。 
 
 
****
 
 
  ≪ エントリースタート ≫
 
  ≪ LCL電荷 ≫
 
  ≪ A10神経接続開始 ≫
 
バックアップに廻されるはずだったレイと零号機は、司令の鶴の一声で初号機の起動に廻されてた。
 
  ≪ パルス逆流 ≫
 
  ≪ 初号機、神経接続を拒絶しています ≫
 
  ≪ 起動中止。レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動 ≫
 
だからアスカは今、孤立無援で使徒と対峙している。
 
 
  ≪ アスカ!応戦して! ≫
 
  ≪ 駄目です!間に合いません ≫
 
ケィジから壁一枚隔てた更衣室。イザと言うときに初号機がシンジを守ろうとしても被害が少ないってことで、ここで待機するよう言い渡された。
 
 
  ≪ 目標、弐号機と物理的接触! ≫
 
  ≪ 弐号機の、ATフィールドは? ≫
 
  ≪ 展開中、しかし、使徒に侵蝕されています! ≫
 
  ≪ 使徒が積極的に一次的接触を試みているの? 弐号機と… ≫
 
ミサトの計らいで、現状は掴める。
 
だけど、皆の苦境を、ただ聴かせられるだけってことが、どれだけ苦痛か。
 
 
  ≪ 危険です!弐号機の生体部品が、侵されて行きます! ≫
 
  ≪ エヴァ零号機、発進。アスカの救出と援護をさせて! ≫
 
  ≪ 目標、さらに侵蝕! ≫
 
  ≪ 危険ね、すでに5%以上が生体融合されているわ ≫
 
特にそうしろ。って言われたわけじゃないケド、シンジはプラグスーツに着替えている。ベンチに腰かけ、見つめるのは床。
 
 
  ≪ レイ、後300接近したらATフィールド最大で、パレットライフルを目標後部に撃ち込んで!いいわね? ≫
 
   ≪ …了解 ≫
 
  ≪ エヴァ零号機、リフトオフっ! ≫
 
モニターには、一度も目をやっていない。だけど、力の限りに握り締められたこぶしが、逃げてるわけじゃないってコトをワタシに教えてくれる。
 
 
  ≪ 目標、零号機とも物理的接触! ≫
 
  ≪ 両方とも取り込もうっていうの! ≫
 
シンジは、使徒出現って聞いてから、ひと言も喋ってない。…相談もない。
 
こういう時のシンジが重大な決断をしようとしていることを、ワタシは知っている。
 
 
  ≪ 初号機の状況は? ≫
 
  ≪ ダミープラグ搭載完了 ≫
 
  ≪ 探査針打ち込み終了 ≫
 
  ≪ コンタクト、スタート ≫
 
  ≪ 了解 ≫
 
  ≪ パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません ≫
 
 
『…逃げちゃ、ダメだ』
 
とうとう、シンジが立ち上がった。
 
叩きつけるようにドアのスイッチを押して、ケィジに向かって走り出す。
 
 
『…逃げちゃダメだ』
 
…シンジ。
 
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』
 
短い距離を全力疾走して、シンジの息がすぐさま上がる。
 
  ≪ ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません ≫
 
 ≪ 続けろ、もう一度108からやり直せ ≫
 
アンビリカルブリッジの真ん中に辿り着いたとき、聞こえてきたのはシンジのパパの声だった。
 
「乗せてください!」
 
『逃げちゃダメだ、自分から… 自分の出来ることから』
  
膝に手をついて、はずむ息を押し込んでいく。
 
「僕を、 僕を… この… 初号機に乗せてください!」
 
声を限りに張り上げたシンジが、コントロールルームを見上げた。
 
「…父さん」
 
そこに居るのが自分のパパだと気付いて、少し、シンジが戸惑ったのが判る。眉尻が少し下がったもの。
 
『逃げちゃダメだ、父さんから …父さんの影から』
 
見下ろしてくるシンジのパパ。どんな顔してんのか、この距離ではさすがに判んないわね。
 
 ≪ …何故ここにいる ≫
 
『…逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!』
 
何かを掴みとろうと開かれた右手から、瞬く間に力が抜ける。それを何度も繰り返して、シンジは…
 
『逃げちゃダメだ。…じゃ、ダメだ!』
 
そのこぶしに何を掴み取ってか、力いっぱいに握りしめて。喰いこんだ爪の痛みすら総動員して、シンジは自分の存在ってモノを確認してるようだった。
 
『逃げないだけじゃ、流されてるだけなんだ。進まないなら、逃げてるのと変わんない。自分で進まなきゃ、自分から進まなきゃ、そのために…今は!』
 
そう。それがアンタの答えなのね。シンジ…
 
「僕は、僕は… エヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!」
 
 
****
 
 
『気をつけて。多分すぐに来るわよ』
 
『うん。判ってる』
 
初号機が地上に出た。
 
正面に零号機と弐号機。その背中からは茶色いオブジェが生えている。…あれは、いままでにやってきた使徒の姿!? 侵蝕がのっぴきならないところまで進行してるってコト?
 
≪ ATフィールド展開、2人の救出急いで! ≫
 
「はい!」
 
パレットライフルを構える間もなく、光る紐のような使徒が襲い掛かってきた。両端を弐号機と零号機に埋めたまま、伸び上がるようにしてその中間部分を延ばしてきたのだ。
 
もちろん、今のシンジに油断はない。横っ飛びに跳ねて一回転。距離をとってパレットライフルを撃ち込む。…だけど、効いてそうにない。
 
こちらの一斉射が終わるのを見計らったように、ねじ込むようにして使徒が突っ込んできた。予測し難い軌道を描いた一撃を、かろうじて初号機の左手が掴み取る。すかさず右手を添えるが、接触部分から即座に侵蝕を図ってきた。
 
初号機に浮かぶ葉脈が、シンジの腕をも遡ろうとする。
 
≪シンジ君、プログナイフで応戦して≫
 
ミサトの指示に反射的に応じて、シンジが右手に装備したナイフを振り下ろした。
 
≪≪きゃぁぁぁあああああぁぁぁぁ!≫≫
 
いったいドコに発声器官があるというのか、使徒のくせに赤い血を噴き出しながらのたうつ。
 
「「「 イタイ… イタイワ… イカリクン 」」」
 
シンジの左手に湧き出した小さなレイが何体も、その虚ろな眼窩で見上げてくる。
 
「「 イタイジャナイノヨ…バカシンジ 」」
 
初号機の掴んだ先が沸き立つようにアスカの姿をとったかと思うと、実に嬉しそうな顔して取り付いてきた。
 
うふふ、あはは…。って笑い声がドコからともなくさざめいてきて、恐い。…って、ワタシが恐がっててどうするってのよ!
 
『シンジ!誑かされちゃダメ。これは、使徒よ!』
 
唇を噛みしめたシンジが、プログナイフを握りなおした瞬間、魂消るような絶叫を残して使徒が引き摺られていった。
 
  ≪ ATフィールド反転、一気に侵蝕されます! ≫
 
その先は、零号機。使徒を呑み込むにつれて、その背中のオブジェが小さく、腹部が醜く肥大化していく。
 
  ≪ 使徒を押え込むつもり!? ≫
 
そういえばあの時、レイは…
 
『シンジ。レイは自爆する気よ!』
 
『ええっ!?』
 
引き抜かれていく使徒に引き摺られるようにして、弐号機がたたらを踏んでいる。
 
張り詰めた腹部を抱え込んだ零号機が、臨月の妊婦のように喘ぐ。だけど、抱えてるのは汚らしく肥大化した瘤にしか見えない。
 
  ≪ フィールド限界!これ以上は、コアが維持できません! ≫
 
  ≪ レイ、機体は棄てて、逃げて! ≫
 
≪ダメ。私がいなくなったらATフィールドが消えてしまう。だから、ダメ…≫
 
発令所経由のその言葉は、酷く小さかったのに、なぜかはっきりとシンジの耳を打つ。
 
『ほら!』
 
言ったときには、初号機は駆け出していた。
 
『…どうしよう』
 
ってアンタ。考えなしにツッコンでんの? …ほんとバカね。
 
『タイミング合わせてプラグを引っこ抜くわよ。参号機ん時の要領、思い出しなさい』
 
『解かった』
 
横たわった零号機の背後に廻りこんだ初号機が、駆けつけた勢いそのままに延髄の装甲板を剥がす。
 
『タイミングはワタシが合図する。アンタは零号機を押さえつけといて、引っこ抜く準備』
 
『うん』
 
齧り取られるように瘤が潰れていく零号機の向こうに、弐号機。よろけながらもこちらに向かってきている。
 
  ≪ コアが潰れます、臨界突破! ≫
 
何かに引かれるように立ち上がった零号機が、使徒を取り込んだせいか、白くなった。色を奪われてその本質を見失ったとでも云うように、その特殊装甲ごとカタチを変える。延髄に注視するシンジは気付いてないみたいだけど、それはまるで、人の姿。
 
…赤ん坊がナニかを求めるような声? どこから?
 
『シンジっ!!』
 
初号機が、両の貫き手をプラグの両サイドに突き入れた。おそらく、それでどっかのロックが外れたかしたんだろう。途端にプラグが排出される。
 
今の、天使の輪っかみたいなの、ナニ?
 
 …
 
引き抜いたプラグを抱え込むのと、零号機が爆発したのは、ほぼ同時だったと思う。間一髪だったわ。
 
 
****
 
 
「綾波っ!」
 
こじ開けるように救出ハッチを跳ね上げて、シンジがプラグ内を覗きこんだ。
 
「大丈夫か!」
 
シートの上にファースト。ぐったりとして…
 
「綾波!」
 
うっすらと目を開けたファーストが、頭を起こす。
 
「…私をプラグから連れ出してくれるのは、いつも碇く…」
 
レイの呟きは、最後まで言い切ることが出来なかった。
 
「…」
 
プラグ内に乗り込んだシンジが、その頬を信じらんないくらい力いっぱいはたいたから。
 
 
「…痛いわ」
 
「当然だよ!それが生きてるってことなんだから!!」
 
…生きてる? 頬を押さえながらそう呟くレイは、いま初めてそう知ったと言わんばかりに呆然としてる。
 

 
「…こんなに痛いのに、なぜヒトは生きていかなかればならないの? 」
 
「そんなこと僕に訊かないでよ!誰も知らないよ、そんなのっ!だからみんな生きる意味を探してんじゃないか!」
 
…探して? と小首を傾げるレイに、そうだよ!とシンジ。ずいぶんとヒートアップしてるわ。
 
「僕らがエヴァに乗る理由を求めてるように、誰もが生きる理由を求めてるんだよ!それをっ!!綾波はあんなにあっさり!…」
 
…私が死んでも…。と開いた口は、即座に黙らされた。思わずシンジが手を振り上げたのだ。
 
「死ぬ時は、きっとそんな痛みじゃ済まないよ」
 
振るうことのなかった平手を握りしめて、プラグの内壁を叩く。激しくはない。だけど、篭められ続ける力に、こぶしの震えが止まらなかった。
 
「その痛みを受け入れられるほどの理由を、綾波は持ってるの…?」
 
感極まったんだろう。シンジが目頭を押さえる。でも、熱いものは止めらんない。
 
…生きてる、理由…。レイの呟きは酷く小さかったけれど、シンジは応ずるように口を開いた。
 
「ミサトさんは復讐のために…」
 
「加持さんは、他人を知るためだって、教えてくれたような気がする」
 
思い出を掘り返すようにひとつひとつ…って、つい最近、掘り起こされたばっかしだったわね。
 
「父さんだって…、忘れてはならないコトを教えてくれたヒトの想いに応えるためにって、言おうとしたんだと思う」
 
ぽとぽたと、シンジの涙がLCLを叩く。それが心のドアをノックしてるとでも云うかのように、レイの口元がほころび始めたような気がするわ。
 
「みんな違うのは、誰も自分で探した結果だからだよ」
 
…自分で、探す。視界が滲んで、もうレイの表情は窺えない。だけど、アンタが何か決意したって、解かるような気がする。
 
 
「なにやってんのよ?」
 
救出ハッチの方から、アスカの声。
 
「ちょうどいいとこに。アスカもこのバカ、一発はたいてやってよ」
 
あっらー、こりゃシンジか~なり怒ってるわ。なんたってレイのことをこのバカよ、このバカ。カンシャク起こして声を荒げることはあっても、直截に相手を罵るなんてこと、ほとんどしないのに。
 
そうね。って乗り込んできたアスカに場所を譲るようにインテリアの向こっ側に移ったシンジが、途端に張り飛ばされた。
 
あ痛たた…内壁に後頭部、ぶつけちゃったみたい。
 
 …
 
「…なっなんで?」
 
痛みを堪えながら見上げると、フックを振りぬいた姿勢のままのアスカ。
 
「アンタも第14使徒の時に、似たようなマネやらかしたじゃない。まずはそんときのブンよ」
 
「それ、もう殴られたような気がするけど…?」
 
「あれは、アンタがトボけたブン」
 
え~!? って上げたシンジの抗議を無視して、アスカがこぶしの関節を鳴らした。
 
「さあ、次はアンタの番よ。ファ~スト~」
 
なんだか今、レイがたじろいだように見えたケド…?
 
あっ、気のせいじゃなかったみたい。だって、アスカが舌なめずりしながら詰め寄ってくもの。そりゃもう嬉しそうに、ふっふっふっふ…。とか笑っちゃって。
 
 
「張り飛ばす前に、アンタにも訊いといてあげる。なんであんなマネ、やらかしたの?」
 
「…」
 
レイが口篭もった。
 
喋りたくないんじゃなく、どう喋っていいか判らずに躊躇した。…そんな、気配。
 
 …
 
「…シトのヒトが言ったわ。サビシイのは…この私だと」
 
落とした視線のやりどころもなく、レイはただ自分の手を見つめた。
 
「…言われた途端に1人でいるのが嫌になった。…いいえ、自分が寂しかったことに気付かされた」
 
驚いたことに、レイの目尻が潤みだす。
 
「…同じ物がいっぱい。要らない者もいっぱい居るのに、私のココロを知ってくれるココロは、ひとつもない」
 
ぽとぽたと滴る涙を、自分の手の上で見止めて。
 
「…これが、涙。寂しさを知った私から溢れ出たモノ…」
 
己の涙滴を握り潰そうとしてか、レイがこぶしを握り締める。
 
「溢れたココロが、碇君を獲り込もうとした…私の寂しさを埋めようとした」
 
「それが、赦せなかった?」
 
見上げるレイに釣られてシンジが見やる先で、アスカもまた。実に静かに、…泣いていた。
 
「ファースト… ううん、…レイ。あれが、アンタのココロ?」
 
穏やかな青い瞳に見つめられて、赤い瞳にも理解の色が乗る。
 
「…ええ、あれが私のココロ。あれは、…貴女のココロでもあったのね? …サビシサを埋めたくて、求める物があった。…だから、同じモノを見た?」
 
そうね、きっとそう…。とアスカが涙を拭う。
 

 
「一歩間違えてりゃ、ワタシが自爆してたってコトか」
 
それじゃあ、張り飛ばすわけにはいかないわね。って微笑んでる。
 
釣られたレイの、口元がほころんだ。ぎこちなさなどカケラもない、ホントに自然な笑顔。
 
 
…皮肉ね。エヴァってピースを挟むがゆえに隣り合うことなどありえなかった2人のココロが、よりにもよって使徒の手で強引に触れ合わされてしまっただなんて。それも、隣り合わせるなんて生易しさではなく、重ね合わされたんだろう。でなきゃ、理屈抜きにこの2人が解かりあえるなんてこと、ありえないもの。
 
 
よく解からないとばかりに顔をしかめてたシンジが、…まあいいか。って感じに力を抜いた。視線を移した先に、救出ハッチ。その向こっ側にネルフの車輌が到着しだした。
 
 
                                         つづく



[29756] アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX2
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:13
 
 
「「「「「火のぉ用~心」」」」」
 
日本人って民族がよく解からなくなるのは、こういう時ね。
 
「…火の用心」
 
夜回りとかいうこの風習については、まあいいわ。
 
火事や盗難が多いって云う年末に、防犯や防災のために見回るのは悪いことじゃない。
 
「「「「「マッチ1本、火事の元」」」」」
 
問題は、それを常夏になってまで、MAGIの監視まで有る第3新東京市でもやろうとすること。
 
「…マッチ1本、火事の元」
 
ちょんちょん、とヒョーシギってヤツを打ち合わせる音。
 
いや、このヒョーシギっての、ちょっと面白いけどサ。なんて思ってたら、シンジが口の中でこっそり笑った。
 
『……笑うことないじゃない』って文句言おうとしたんだけど……
 
「サンマ焼いても、家焼くな」なんて、バカトウジが言うもんだから、シンジがヒョーシギ打ち損じちゃった。
 
「……」
 
「ちょっと!大丈夫!? 碇君」
 
左の親指を硬い樫材で打ち付けちゃったのを、ヒカリは見てたんだろう。うずくまったシンジに即座に声を掛けてくれる。
 
「なんだよトウジ、そりゃ」
 
「あ~いや、関西じゃ必ずそない言うんヤけど、まずかったかいな?」
 
バカトウジの声が、徐々に遠ざかっていく。
 
この体勢からでは見えないけれど、なにがバカトウジを追い詰めていっているのかは、明白だわね。
 
「堪忍してくれ~」
 
あれ? 逃げ出した足音を追いかける足音が一人分だけ? と思ったら、もう一人分は別方向へ。
 
挟み撃ちにするつもりだろう。バカトウジの命運も尽きたわね。
 
 
                                          終劇
2009.01.01 DISTRIBUTED



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾八話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:13


初号機と弐号機のATフィールドに挟まれるようにして自爆した零号機は、第3新東京市の西南部をかすめるような溝を残した。定規を当てたようにきれいな一直線は、全長2㎞を越えるんだとか。
 
今では芦ノ湖の湖水が流れ込んできて、まるで運河みたいになってる。高熱に晒されたせいで岸辺は焼成されてて、さながらガラスの岸壁って感じ。
 
 
問題は、この運河がちょっとした市民の憩いの場になってるってコト。
 
どこぞのタウン誌が夕陽に染まった運河のパノラマ写真に【第3新東京市を彩るリボン・思い人と同じ色に染まりに行こう】なんてキャプションを付けたモンだから、夕暮れ時になるとカップルが岸辺にたむろするようになった。
 
水面があると糸を垂れたくなるのが釣り人の習性だそうで、釣れるかどうかも判んないのに朝まずめ夕まずめに夜釣りとひっきりなしにアングラーが陣取ってたりする。
 
水際で涼しいからって、朝夕のジョギングコースに組み込む人。
 
向こう岸まで届かせるのを目標に、水切り遊びに興じる子供たち。
 
果ては観光コースの一部になって、大型バスが停まってることもある。
 
最初のうちは立入禁止地域だったんだけど、押し寄せる市民に対応しきれなくなって諦めたらしい。今や、おざなりに【危険】って看板が立ててあるだけになってるわ。
 
 
さて、じゃあなんでワタシたちがこの運河のほとりを歩いてるかっていうと、普段使ってる第七環状線の一部がこの運河のせいで途切れてるからだ。
 
他の交通機関や代替運行してるバスを使ってもいいんだけど、ちょっと寄り道するくらいいいじゃないって言うアスカの意見で、こうして夕涼みを楽しみながらネルフへ行き来することが多くなった。
 
 
 
♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪~♪♪~
 
運河を望む云わば河原のような空き地に、誰が持ち込んだか知らないケド、ベンチがある。
 
そこに片膝立てて座ってる少年がハミングしてんのは…、ベィトホーフェンのズィンフォニー ヌンマー ノイン?
 
     ♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪~~♪♪~~
 
 苦悩を突き抜け、歓喜に至れ…か、…言うは…ううん、唄うは易し…ね。
 
 
「歌はいいねぇ」
 
気にかけず通り過ぎようとしていたシンジが、えっ? と振り返る。
 
「歌は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。そう、感じないか? 碇シンジ君」
 
「僕の名を?」
 
夕陽に染まってて気付かなかったけど、その瞳は赤く、髪は白い。…なんだか、レイに似ているわね。
 
「知らないモノはないさ。失礼だが、君は自分の立場をもう少しは知ったほうがいいと思うよ」
 
まるでシンジを守ろうとするかのように、アスカが間に割り込んできた。
 
「アンタ誰よ」
 
シンジの後ろにレイが廻り込む。イザというときに引き倒せる位置っぽい。
 
「僕はカヲル。渚カヲル。君たちと同じ、仕組まれた子供。フィフスチルドレンさ」
 
「フィフスチルドレン? 君が? あの、渚君?」
 
「カヲルでいいよ、碇君」
 
「僕も、シンジでいいよ」
 
 …
 
…なんで頬っぺたが熱くなったのか、あすかおねぇちゃんに話してみなさい。シンジ君?
 
 
***
 
 
自爆した零号機の代わりに、伍号機が来ることになったらしい。そのためのフィフスチルドレン選抜だってさ。
 
かつてのこの頃、ワタシは壊れてさまよってたはず。
 
だから、伍号機もフィフスも知らない。
 
どう判断していいものか判らないまま、シンジの求めるままにこうしてフィフスの少年を待っているってワケ。
 
アスカはさっさとシャワー浴びて帰っちゃったし、レイはそのアスカに引き摺られていってしまったから、シンジは独りベンチでSDATを聞いていた。
 
  ≪ 現在、セントラルドグマは開放中。移動ルートは3番を使用してください ≫
 
 
テープの走行音だけになったSDATが、B面に切り替わる。でも、次の曲が始まる前にゲートが開いた。
 
「やぁ、僕を待っててくれたのかい?」
 
「うん。不案内だろうと思って」
 
それは助かるよ。と目を細めるような笑み。…だから、なんで頬っぺたが熱くなるのよ。
 
「それで?」
 
「うん。折角だからここの大浴場で一汗流して、今晩は僕のところに…って言っても僕も居候の身なんだけど…泊まったらどうかなって思って」
 
「そんな体裁は大事なコトじゃないよ。シンジ君がカエりたいと思う場所があることが大切なのさ。
 それがどこであれ、帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよ」
 
そうだね。って、シンジの微笑み。

そうね。今ならあの家は、家庭と呼べるような気がするわ。…シンジがお母さんで、ミサトがお父さんってのが、なんとも締まんないケドね。
 
 
***
 
 
シンジがお風呂の時とか、着替える時は、プライバシーを尊重して五感を断つ。
 
だけど、フィフスと一緒の今、そんな無防備なマネはできない。ワタシが復活した時、伍号機の存在もフィフスのコトも一切話しにでてこなかった。それはつまり、その短期間でコイツはここから居なくなったってコト。それがどういうことなのか、よく判んないケド、油断してイイってわけじゃないわ。
 
 
だから、フィフスの少年を監視するため、何かあったときのためって言い聞かせてるんだけど…
 
男湯を覗き見してるようなこの後ろめたさはどうしたものかしら… 
 
…いや、実際覗き見してるわけだけどさ…
 
 
へぇ~、渚カヲルって言ったっけ、フィフスの少年もなかなか…って、ちっが~う!!バカシンジ!そいつの方ばっかり見るんじゃないわよ!だからついワタシも、って、もうイヤ~
 
うぅ…どうしよう… 汚れちゃってるよぅ……
 
 
…覗いてんじゃない。…覗いてんじゃない。ワタシは決して覗いてんじゃないわ。必死にシンジの視界の隅、ネルフマークの湯桶に意識を集中して、自己暗示をかける。
 
God's in His heaven All's right with the world. God's in His heaven All's right with the world. God's in His heaven All's right with the world. God's in…
 
 
体を流し終えたフィフスが、シンジのすぐ傍に身を沈めた。パーソナルスペースがヒトより大きめのシンジは、それが気になるんだろう。窺うような視線を向けている。
 
「一時的接触を極端に避けるね、君は。 恐いのかい? 人と触れ合うのが」
 
これまでずっとシンジとともに過ごしてきたけれど、男の子は、友達同士でもこういうスキンシップをとらないんじゃないかしら。だから、シンジのこの反応は特別じゃないと思う。
 
だけど、シンジの沈黙を肯定と受け取ったか、フィフスが言葉を継いだ。
 
「他人を知らなければ、裏切られることも互いに傷つくこともない。でも、さびしさを忘れることもないよ…」
 
シンジが、わずかに頷いた。
 
他人をどう捉えるか? それは、シンジがずっと思い悩んできたことだ。加持さんが語ってくれた人生観は、きっとシンジの中で醸造されて、蒸留される時を待ってる。
 
「人間はさびしさを永久になくすことはできない。ヒトは独りだからね。ただ忘れることができるから、人は生きていけるのさ」
 
湯船の中で重なり合わされた手に驚いて、シンジが息を呑む。
 
もし、このフィフスの少年が、…ううん、渚カヲルが、シンジの友になってくれるというのなら。…シンジは、自分の問いに答えることができるかもしれない。
 
 
唐突に大浴場の照明が落ちた。
 
「時間だ…」
 
「もう、終わりなのかい?」
 
「うん、もう帰らなきゃ」
 
「君と、一緒に。…だね?」
 
うん。と、シンジが頷く。少し嬉しそうなのは、今夜はヒトの気配を感じながら眠れそうだからかしら。このところ、ちょっとマシになってきたとは思うけど、やはり拭い難いのだろう。
 
カヲルが立ち上がった。…この無頓着な所作…、なんだか振る舞い方までレイに似てるわね。
 
「常に人間は、心に痛みを感じている」
 
実にやさしげな視線で、シンジを見下ろす。
 
「心が痛がりだから、生きるのも辛いと感じる」
 
シンジの頬が熱いのは、湯あたりなんかじゃなさそうだわ。
 
「ガラスのように繊細だね。特に君の心は」
 
「僕が?」
 
「そう。好意に値するよ」
 
コウイ…? カヲルの言葉を理解し損ねて、シンジが呟いた。
 
「好きって事さ」
 
あ~? っと、その… やっぱり友情じゃなくて、そっちの方?
 
えー!えー? えー♪そうなの? そうなの?
 
だから誰も、カヲルのことをワタシに教えてくれなかったの? シンジをそっとしときたかったから?
 
ということは…、シンジがフラレた? …それともフッタのかしら?
 
…ええっと? これって表記は【カヲル×シンジ】でいいのかしら…? でもでもヒカリの話によるとサソイウケとかヘタレゼメとかいろいろ有って一概には言えないっていうし…、ああん、わかんない!だって、こんなの向こうの大学じゃ、教えてくんなかったんだもん~~
 
やだ、ワタシどうしたらいいの? こっこのまま温かく見守るべきかしら? それともいっそ積極的に応援すべき? …なんだか、あるはずのない心臓がドキドキしてきたような気がする。
 
 
こんなことならヒカリの蔵書、すべて読破しとくんだった…なんて、よく分かんない反省してるうちに2人ともお風呂から上がっちゃってた。
 
 
***
 
 
常夏の日本では、オープントップの車ってけっこう快適ね。ドイツだと、真冬でも幌を仕舞ったままで走ってたりするのを見かけるケド、正直そのスタイルはよく解かんない。
 
「助かりました。加持さん!」
 
シンジが、運転席に向けて声を張り上げる。屋根がないから、後部座席から呼びかけようと思ったら、風圧に負けてらんない。
 
「いやいや、偶然だよ」
 
ゲート前のロータリーでバスを待つか、環状線の駅まで歩くか。バスの運行表とニラメッコしてた2人を照らしたのは、加持さんのバルケッタのヘッドライトだった。
 
「偶然も運命の一部。…なんですよね。じゃあこれも、僕の才能なんですか?」
 
はっはっはっ…て、加持さんが心底愉快そうに笑う。
 
「こりゃまた一本とられたな。いやいや、案外笑い事じゃないかもしれないなぁ…」
 
「シンジ君のことが心配なんだよ。…誰もね」
 
加持さんのバルケッタは後部座席が狭いから、カヲルの顔が間近。カーブのたびに身体が密着しちゃう。
 
「心配しなくても、何もしませんよ」
 
「…そう願いたいよ」
 
カヲルは特に声を張り上げたわけじゃないのに、その言葉はちゃんと加持さんに届いたみたい。
 
「何の話し?」
  
「託言だよ」
 
カヲルの笑顔に、シンジがはにかむ。だからって、ワタシまでは誤魔化せないわよ。
 
こいつ、加持さんと何らかの繋がりがある? それにこの状況で今の言葉。…焦点はシンジよね?
 
いったい。コイツは何を企んでるの? 加持さんは何を知ってるの?
 
シンジの不興を買ってでも、引き離しとくべきだったのかしら?
 
疑念は尽きないのに、情報が少なすぎる。
 
答えの出しようもないまま、ミサトのマンションに着いてしまった。
 
 
***
 
 
例によってリビングに布団をひいて、常夜灯を見上げてる。
 
「君は何を話したいんだい?」
 
え? …と、シンジが顔を向ける。手枕を重ねたカヲルも、常夜灯を見上げてた。
 
「僕に聞いて欲しいことがあるんだろう?」
 
見上げなおす常夜灯は頼りなげで、なのに視線を放させない。
 
「いろいろあったんだ、ここに来て」
 
そうね。本当にいろいろあったわね。
 
「来る前は、先生のところにいたんだ。穏やかで何にもない日々だった。ただそこにいるだけの…」
 
少し懐かしむような口調。もう、そんな平凡な生活には戻れないでしょうね。
 
「でも、それでも良かったんだ。僕には何もすることがなかったから」
 
「人間が、嫌いなのかい?」
 
「別に、どうでも良かったんだと思う」
 
ただ、今は違うと思う。自分の言葉を上書きするように、付け足した言葉は早口だった。
 
『どうしてカヲル君にこんな事話すんだろう…』
 
顔を向けると、いつから見てたというのか、カヲルがシンジを見つめていた。やさしげに漏らされた吐息に、シンジが息を呑む。
 
「僕は、君に逢うために生まれてきたのかもしれない」
 
不思議と、その言葉に嘘はないように思える。だけど、ワタシが復活したときに、コイツは居なかった。そのことがシンジにとってよくない未来を暗示しているようで、恐い。
 
 
****
 
 
翌朝、シンジが起きた時にはカヲルの姿はなかった。
 
実に几帳面に畳まれた布団。書き置きのひとつもない。いつ出て行ったのか、ワタシも気付かなかった。
 
純粋に心配するシンジをヨソに、ワタシはなんだか湧きあがる不安を押さえきれないで居たわ。
 
 
 
「嘘だ嘘だ嘘だぁっ!カヲル君が、彼が使徒だったなんて、そんなの嘘だぁっ!」
 
ぎりぎりと握り締めたこぶしで、シンジがインダクションレバーを叩いた。
 
本部に着いた途端に初号機に放り込まれ、前置きもなしに告げられたのが、カヲルの消息だったなんてね。
 
 ≪ 事実よ。受け止めなさい ≫
 
シンジは、…シンジはぎりぎりのところでミサトの言葉を受け入れたんだろう。ううん、まずは自分の目で確認しようとしたのかもしれない。
 
 ≪ 出撃、いいわね ≫
 

 
シンジの応えはなく、ただゆっくりと持ち上がる視界が、徐々に開けていった。
 
 
 
  ≪ エヴァ初号機、ルート2を降下、目標を追撃中! ≫
 
「裏切ったな…僕の気持ちを裏切ったな…父さんと同じに裏切ったんだ!」
 
あのシンジが、あんな短時間で打ち解けたのだ。きっと、巡り会うべくして巡り会った相手だったんだろう。
 
だからこそ、シンジはこんなにも怒りを露わにしてる。だからこそ、こうして己を奮い立たせているんだと思う。そうしてないと、逃げ出したくなる気持ちを抑えられないに違いない。
 
 
 
  ≪ 初号機、第4層に到達、目標と接触します ≫
 
「いた!」
 
弐号機の腕の中、護られるようにしてカヲルの姿。
 
「 待っていたよ、シンジ君 」
 
外部マイク越し、水中スピーカー越しなのに、まるで目の前で話してるかのよう。
 
「カヲル君!」
 
初号機が伸ばした左手を、弐号機の右手が迎え撃つ。弐号機の左手は初号機の右手が迎え撃って、まずは力比べだ。
 
とにかく、弐号機を黙らせないことには始まらない。
 
「アスカ、ごめんよ!」
 
ほぼ同時に、両機のウェポンラックが開いた。
 
「 エヴァシリーズ。アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン。僕には解からないよ 」
 
小さな呟きなのに、不思議とよく聞こえてくる。
 
振り下ろされたプログナイフの刃を、初号機のナイフが横殴りに貫いた。
 
「カヲル君!やめてよ、どうしてだよ!」
 
「 エヴァは僕と同じ体でできている。僕もアダムより生まれしものだからね。魂さえなければ同化できるさ。この弐号機の魂は、今自ら閉じこもっているから 」
 

 
…誤魔化したわね? 今アンタ、話題をすりかえたわね? 理由を欲したシンジに、訊いてもない手段を語ったわね。
 

 
アンタ、後ろめたいんでしょ。こんなことしてるのが心苦しいんでしょ。
 
だから、ナゼこんなことをしてるのか、シンジに話せないのよ。
 
 …つまり、アンタ。ホントにシンジのことが好きだったのね。
 
 
滑ったナイフが、カヲルの目前で遮られる。ううん、今のは違う。なんだか急に弐号機の力が抜けたみたいだった。
 
「ATフィールド…!?」
 
肉眼で確認できるほど空気をゆがませた、ヒトならざる、使徒の証。
 
「 そう、君たちリリンはそう呼んでるね。なんぴとにも侵されざる聖なる領域、心の光。リリンも解かっているんだろ? ATフィールドは誰もが持っている心の壁だということを 」
 
カヲル、アンタわざとATフィールドをシンジに見せ付けたんじゃないの?
 
「そんなの解からないよ、カヲル君っ!」
 
初号機の胸部装甲にプログナイフが突き立った。
 
「くっ!」
 
いつの間にか刃を捨てて、替え刃で突き刺してきたのだ。
 
「…うわぁぁぁ!」
 
お返しとばかりに、シンジが弐号機の首元にプログナイフを突き立てた。
 
 
*** 
 
 
弐号機ごとゲートを蹴倒して、カヲルが入ってったターミナルドグマの奥へと踏み込む。
 
なにもかもが色褪せてくシンジの視界の中で、カヲルだけが色彩を持っていた。スポットライトみたいに、そこだけ光が当たっていた。
 
だから狙い過たず、その身体を掴み取ってしまったんだろう。
 
「 ありがとう、シンジ君。弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ。そうしなければ、彼女と生き続けたかも…しれないからね 」
 
「カヲル君…どうして…?」
 
「 僕が生き続けることが僕の運命だからだよ。…結果、ヒトが滅びてもね 」
 
ちょっと待って!カヲルの向こっ側で十字架にかけられてる巨人は、ナニ!?
 
 
「 だが、このまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね 」
 
それに、カヲルと巨人の間で宙に浮いてるのは…、ロンギヌスの…槍!? こんなトコにあったの!?
 
 
「 自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ 」
 
「何を…、カヲル君。…君が何を言っているのか解かんないよ。カヲル君…」
 
「 遺言だよ 」
 
 
地球に重力が有ることを今知った。と言わんばかりの唐突さで、ロンギヌスの槍が落下した。
 
「 …さぁ、僕を消してくれ 」
 
赤い水面を蹴立てて、あっという間に水没する。
 
 
「 そうしなければ、君らが消えることになる。滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ 」
 
もうカヲルを見ていられなくなって、シンジがうつむいた。
 
 
「 そして君は、死すべき存在ではない 」
 
使徒…? アンタ、ホントに使徒なの? ホントにワタシたちの敵なの?
 
 
「 君たちには、未来が必要だ 」
 
なぜ、待っていたの?
 
なぜ無抵抗なの? …ううん、なぜ自ら斃されようとするの?
 
なぜ、そんなに哀しそうで、そんなに嬉しそうなの?
 
 
 
なぜ、シンジに逢いに来たの?
 
なにを、シンジに見出したの?
 
 
解かんない。解かんないわ!
 
 
   …だけど、解かりたいと思う。解かってあげたいと、願う。
 
 
 
「 …ありがとう。君に逢えて、嬉しかったよ 」
 
 
見えないけど、アンタ、微笑んでんでしょうね。あのひどく優しいまなざしで、シンジを見やってんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてシンジは、友達を自らの手にかけた。
 
 
 
 
****
 
 
 
カヲルと出会った。あのベンチの上で、シンジは膝を抱えてた。
 
赤い、…赫い、血の赤のような夕陽に染められて、誰も寄せ付けず。
 
 
『カヲル君が好きだって言ってくれたんだ…僕のこと』
 
今はただ、聞いてあげることしかできない。
 
 
『…初めて。…初めて人から好きだって言われたんだ…』
 
そっか…、それがアンタのココロに開いた穴ってワケね。エヴァに乗ることで寄せられる皆の関心で埋めてた、心の欠けたる部分。
 
だからこそ、あんなにも心を許したのね。
 
 
『僕に似てたんだ…、綾波にも…。好きだったんだ。生き残るならカヲル君のほうだったんだ…』
 
自分よりも相手のことを大切に思えるってコト。…大事なコトだと思うわ。
 
 
『僕なんかより、彼のほうがずっといい人だったのに…カヲル君が生き残るべきだったんだ』
 
『シンジ…』
 

 
シンジは応えない。
 
『…シンジ。カヲルも、そう思ったんだと、思うわ』
 
『カヲル君、…も?』
 
視界が、ようやく焦点を結んだ。夕陽に照らされて赤く染まった運河に、どこから流れ着いたのかプラスチックのフェンス。水面から覗かせた一角が長く影を伸ばして、十字架のよう。
 
『カヲルが使徒だってコト。これは…いい?』
 
こくん。と、シンジ。
 
ワタシたちにとって、カヲルがシトだろうがヒトだろうが、それはもうどうでもいいことだった。カヲルはカヲル。だから、アイツが使徒だってことを、シンジも受け入れられる。
 
『カヲルが言ってた。生き残るのは人類か、カヲル独りかってのは?』
 
なんとなく…。とシンジの呟きは力ない。
 
『カヲルはね。本当にシンジのことが好きになったんだと思う』
 
『本当に、…僕のことを?』
 
きっとね。ワタシはまだそんな思いを抱いたことはないから…、ううん、カヲルの選択を見た今なら、ワタシでも…
 
『本当に大切な人ができれば、何をなげうってでも護りたいと思うものだもの。それこそ、自分の命を投げ出してでもね』
 
「そんなっ!僕に、そんな価値なんかないよ!生き残るならカヲル君だったんだ!!」
 
開けた水面は、シンジの叫びを吸い取って返さない。
 
『…そうは思わないわ』
 
「そんなことあるもんかっ!カヲル君はっ!カヲル君は…僕なんかより、ずっと…」
 
声を詰まらせて、シンジが呻いた。
 
『…シンジ、アンタ。カヲルを侮辱するの?』
 
「僕が、なんで…!?」
 
胸に、叩きつけるように手のひら。
 
『シンジより、ずっといい人だったのよね? カヲルこそ、生き残るべきだったのよね?』
 
そうだよ!と頷いて、掻きむしるように胸元で握りしめられる。
 
『そのカヲルが生きていて欲しいと望んだアンタが、アンタ自身の価値を認めてないじゃない』
 
「そんな…!?」
 
『カヲルのことが好きだったんなら、カヲルの願いを叶えてあげなさい。アイツの想いを受け止めて、生きるの。精一杯!』
 

 
徐々に、…徐々に下がったシンジの視線に、もはや映るものなどなく。
 
抱えた膝に顔を埋めて、シンジの目頭が熱い。
 
今の今まで、シンジは泣かなかった。きっと、本当に悲しかったんだろう。悲しすぎたんだろう。あまりにも悲しいとヒトは泣くこともできないって、本当のことだったのね。
 
麻痺させてた心を、ようやく溶かして、シンジがすすり泣いた。
 
 …
 
 
うん、泣きなさい。思いっきり泣けばいいわ。
 
心が弱いと、泣くことすらできないもの。かつてのワタシが、そうだったように。
 
いつか泣き止んで、立ち直れるって自信がないと、泣くことに逃げ込むことすらできない。そこから帰ってこれなくなりそうで、恐いから。
 
だから、泣きなさい。
 
泣けるだけの毅さが、アンタの裡にあるんだから。
 
 

 
 
すっかり陽が落ちて、ようやくシンジが涙を拭った。
 
まるで、それが合図でもあったかのように、人の気配が近寄ってくる。
 
3人分の足音。
 
ひとつは大胆に、おびえながら。ひとつは気がなさそうに、まっしぐらで。ひとつは無雑作に、途惑いながら。
 

 
気付いたシンジが、振り向きながら笑顔。
 
むりやり作ってるのが判るけど、雨の後に雲間から覗く太陽のような、きっといい笑顔。
 
 
                                          つ
                                          づ
                                          く



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 最終話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:13


本部棟内の四ツ辻で、アスカと鉢合わせる。
 
「居た?」
 
「ううん、コッチには居なかった」
 
 
今朝、朝食の時間にレイが食卓に現れなかった。アスカに様子を窺わせたが、自分の部屋にも居なかったのだ。
 
本部に来てることは記録から判ったケド、その後の行方が杳として知れない。MAGIですらトレースできてないっていうから驚きだわ。
 
戦自が攻めてきてる今、それは命にかかわる問題だった。
 
 
「じゃ、僕はこっちを」
 
「うん、ワタシはコッチ」
 
それぞれの針路をそのまままっすぐに、交差しようとした時だ。
 
  ≪ シンジ君、アスカ。ゴミンね、時間切れよ。そろそろテキが本部棟に取りつくわ。早くエヴァに乗って! ≫
 
問答無用の全館放送は、ミサトの声で。シンジの無理を聞いて、こうしてレイを探す時間を作ってくれてたのだ。
 

 
アスカと顔を見合わせ、ケィジに向かって走り出した。
 
 
****
 
 
弐号機はジオフロント内に、初号機は第3新東京市に出撃して、それぞれに侵攻してきた戦自部隊と対峙することになった。
 
ところが、第3新東京市にはまだ戦自部隊が入り込んでいない。本部棟では、もう発令所にまで取り付きだしてるってのに。
 
だから初号機は、第3新東京市周辺のゲートを潰して回ってた。敢えて戦自部隊を撃退しなくてもイイ。ってのがミサトの指示。後続を断ってくれればそれで充分、だと。
 
だから外輪山の麓に沿って、東南から反時計回りにゲートを潰してきた。
 
案外この配置は、こうなるコトを判ってたミサトの配剤かもしれない。ジオフロントでは、戦自部隊相手にアスカが容赦ないらしいもの。
 
 
だけど、何かがおかしい。って思いが拭いきれない。ジオフロントを陥とす気なら、もっと進出してこなくちゃ…。郊外のゲートが使えなくても、市街までくれば侵入ルートには事欠かないのに。
 
ヤツらが展開して来ない理由が、ナニか… 
 
第3新東京市の西南部まで来て芦ノ湖に突き当たる。ケーブルを付け替えたシンジがふと見下ろした先には、例の運河。…って、ナニ? 今、水面に映った光は?
 
『シンジ、上!!』
 
「なに?」
 
見上げる初号機の視界の中。プラグのスクリーンのド真ん中に、空から落ちてくる光点。たった一つなのは、きっと…
 
『N2!?』
 
「えぇっ!!」
 
そうか、そういえばあの時ジオフロントの天井がなくなってた。てっきり零号機の自爆の時だと思ってたケド、N2兵器だったのね。
 
『シンジっ!!』
 
「フィールドっ!全っ開!!」
 
空が歪んで見えるほどのATフィールドを展開しながら、ケーブルをパージさせて初号機が駆け出した。
 
第10使徒戦をはるかに超えるスピードで、その落下地点に廻り込む。
 
 
N2だろうがナンだろうが、爆発物ってノは基本的に上に向かって爆炎を上げるモノだ。完全に密封しろってんならともかく、爆圧の底を支えるぐらいエヴァなら、そのATフィールドなら朝飯前だった。
 
 
『シンジ、まだ来るかも知んない。パレットライフル』
 
頷きだけ返したシンジが、構えようとして初号機が手ぶらなのに気付く。
 
あれ? と振り返る初号機の視線の先、パレットライフルが例の運河に半ば沈んでた。さっき駆け出したとき、思わず投げ捨ててたんだわ。
 
『あれはダメね。新しいノ、出してもらいなさい』
 
うん。と頷いたシンジが、発令所への回線を開いた。
 
「ミサトさん。ライフルをお願いします」
 

 
映像が繋がんない。
 
≪ …解かったわ、シンちゃん。悪いけど、こっちはこれから… ≫
 
発砲音
 
≪ 言い寄る男どもをあしらわなきゃなんないから、手が離せなくなりそうなの… ≫
 
今度は爆発音
 
レイを探す時間を作ってくれた分、戦自のジオフロント進攻は容易くなったんだろう。そのツケを、ミサトはきっと今、支払ってる。
 
≪ …兵装は適当に武器庫ビルに上げとくから、そっちはお願いね ≫
 
この間も、シンジはぼうっとしてない。手近の電源ビルからケーブルを繋いだ。
 
「…解かりました。気をつけて」
 
≪ シンちゃんもね… ≫
 
回線が向こう側から切られた。…ううん、切れたんだわ。
 
 
間近、9番の武器庫ビルが開く。収められてたライフルをシンジが取り出した。
 
『シンジ、来たわ』
 
今度はものすごい数。もしあれが全部N2なら、芦ノ湖が芦ノ湾になっちゃうわね。
 
さっきより落下速度が速い。ICBMだとしたらマッハ30を超えるんだろうから当然だケド。
 
シンジがライフルを斉射し始めた。…だけど、効果があるようには見受けらんない。ターミナル・フェイズのICBMを迎撃するのは至難だって、レクチャー受けたことあったっけ。1万発の弾体をバラ撒くスウォーム・ロケットを何基も投入してやっとだとか。
 
ぎりぎりまで粘って、シンジがライフルを捨てる。
 
「フィールド!全開!!」
 
幸い、N2弾頭じゃなかったみたい。だけど、小さな爆発でもこう連続して、立て続けに爆発されると堪えるみたいね。
 
シンジが呻いてるもの。
 
 …
 
N2、ICBMと来て、次は… もしかして、そろそろエヴァシリーズ?
 
『シンジ、15番のスナイパーライフル。弾倉も持って外輪山に登ってみましょ』
 
「うん」
 
スナイパーライフルを担いで、初号機が郊外に向かう。東の尾根なら、ぎりぎりケーブルが届いたハズだ。
 
威力の点でホントはポジトロンライフルを使いたいトコだけど、陽電子はデリケートすぎてMAGIの支援がない状態では命中率に不安がある。
 
…ポジトロンスナイパーライフルに至っては、そもそも専用ケーブルが届きっこないだろうし。
 
 
N2やICBMでの攻撃は、もうないと思う。だけど、遠巻きに展開してる戦自部隊は進攻を始める様子がない。それこそが、エヴァシリーズが出てくる証拠なんじゃないかと思うんだけど…
 
落ち着かなげにシンジが見やってる。
 
『どうせ大したことは出来ないわ。念のためフィールドだけ展開しておいて、無視しなさい』
 
今は、それドコじゃないのだ。
 
頷きつつも不安を拭いきれないらしい。シンジがしきりに振り返りながら外輪山を登った。
 
 
外輪山の稜線から顔を出した初号機の視界に、九つの輝点が映る。シンジも気付いたんだろう、拡大画像に切り替えた。陽光を反射して鈍く輝く黒い機体は、ウイングキャリアー?
 
『…思った通りだわ。シンジ、撃ち落とすわよ』
 
解かった。との返答もおざなりに、スナイパーライフルを下ろした初号機が二脚を設える。
 
バイザーを下ろし、先頭のウイングキャリアーがレチクルの中に納まるのを待った。MAGIの支援がないから、遅々として進まない。
 
 …
 
いらいらするけど、ここはガマン。なんたってこの距離だと、射撃というより砲撃になる。素人照準では当たりっこないから、コンピュータにお任せするしかないのだ。
 
 
ようやくレチクルがウイングキャリアーを捉えた。すかさず放たれた砲弾は、先頭をそれて2番手の翼端を削る。…どうやら風に流されたみたい。
 
だけど、エヴァと云う重量物を抱えて力技で飛んでるウイングキャリアーには、それで充分だったようね。途端に隊列を離れて、高度を落としてく。密集して飛んでてくれたから、ラッキーストライクだったわ。
 
慌ててウイングキャリアー達が散開し始めたケド、そういう機動が出来るような機体じゃない。のろのろと拡がっていくさまは、せいぜい微速度撮影したツボミの開花ってトコ。…なんでエスコートが付いてないんだか、理解に苦しむわね。
 
初弾の結果を元に、コンピュータの計算も早い。2発目は見事に先頭の機体を撃ち抜いた。
 
このままターキーショットで大半を撃ち落せるか。と思った途端に、アラート。
 
「内部電源に切り替わった?」
 
ケーブルが切られたらしい。きっと戦自部隊の仕業ね。ちょっと侮りすぎたか。
 
『次の照準に向けてありったけ撃っちゃって。それからケーブル繋げ直しにいくわよ』
 
解かった。と言い終わるころには弾倉が空になった。ソケットをパージしながら、山肌を駆け下りる。
 
 
…エヴァシリーズ。
 
あん時、一度は斃したと思ってたヤツらは、そのあと平気で飛んでいた。よほどの回復力があるのか、そもそも些細な損傷など気にしないのか。
 
…と、すれば、起動前に潰しとくのが一番。
 
今ので数を減らせたなら、…いいんだけど。
 
 
 
市街に戻ろうとする初号機を、砲撃が出迎える。1万2千枚の特殊装甲にモノをいわせて強行突入した初号機が、器用に戦自部隊を跳び越えた。
 
電源ビルに取りついて、ATフィールドを張りながらケーブルを繋ぐ。
 
振り返って見上げる先、外輪山の上空にエヴァシリーズ。…墜とせたのは2体だけ、か。
 
「なに…、あれ?」
 
『さっきノが運んできた、エヴァシリーズよ』
 
「エヴァ!? どうして?」
 
『戦自が…、つまり日本政府が襲ってきてんのよ。他の、エヴァ建造国が敵に回ったっておかしかないわ』
 
やはり戦自部隊は進攻してきてない。遠巻きに包囲したままだ。…エヴァシリーズはここを戦場にするつもりなのね。
 
「…なんで?」
 
『シンジ、そういうのは後。今は、ここを護ることだけ考えて』
 
「でも、エヴァってことは、あれにもやっぱり、人が…子供が乗ってるのかな? 同い年の…」
 

 
第3新東京市上空に到達したエヴァシリーズが、ぐるり。と輪を描き始めた。
  
『…多分、あれはダミープラグよ』
 
「ホント!?」
 
嘘だ。そんなコト、判りっこない。
 
『ええ。カヲルを別格とすれば、10年で4人しか見つからなかったチルドレン。今さら9人も、集めよったって集まるもんじゃないわ』
 
口から出任せってヤツ。もちろん、まるっきり根拠がないわけじゃないわ。もしパイロットが乗ってるなら、あれほどの損傷を受けて意識を保っていられるはずがないもの。
 
「そっか…、そうだよね」
 
『それより、7体も初号機だけで相手してらんないわ。アスカと連絡つけてみて』
 
開いた通信ウィンドウは砂嵐で、かろうじて音声のみ。アンビリカルケーブルに仕込まれた有線通信がこの有様だとすると、かなりインフラを潰されたんだろう。どれだけバイパスされてんだか…
 
 
 ≪ …なによ。こっちは手一杯よ ≫
 
「エヴァが7体も出てきたんだ。僕だけじゃ手におえないよ」
 
 ≪ エヴァ…シリーズ!? 完成していたの? ≫
 
みたい。とシンジが頷く。
 
 ≪ ミサト!エヴァシリーズが7体も出て来たってシンジが言ってるわよ ≫
 
発令所との通信が復活してたらしいと見て、シンジも繋ごうとする。
 
   ≪ …ごみ~ん。こっからじゃあ、地上の様子が確認できないわ… ≫
 
弐号機越しのミサトの声は、案外元気そう。いや、ミサトのことだもの…
 
   ≪ …いいわ、アスカは地上に出て。21番が確保できそうだから、そっちに… ≫
 
 ≪ 大丈夫なの!? ≫
 
発令所と繋ごうとした通信ウィンドウは砂嵐で、音声は土砂降りだった。
 
どうやら、地上から直接の通信は無理みたいね。案外、ジオフロントはまだレーザー回線が生き残ってんのかも知んない。
 
   ≪ …やつら、MAGIが欲しいみたいだから、あんまり手荒なことして来ないわ。大丈夫よん♪… ≫
 
 ≪ 解かった、気をつけなさいよ。…シンジ、今上がるから、無理すんじゃないわよ! ≫
 
うん。とシンジが頷いた途端、初号機を囲むようにしてエヴァシリーズが降り立った。
 
 
アンビリカルケーブルを電源ビルから引き出せるだけ引き出して、武器庫ビルからパレットライフルとスマッシュホークを取り出す。
 
翼をしまいこんだエヴァシリーズがにやりと嗤って、一歩踏み出した。
 
 
21番からだと、選べる出現位置は5ヶ所になる。ミサトのことだから…、
 
『シンジ、南側に強行突破!』
 
「? …そうか!」
 
パレットライフルを乱射しながら、初号機が駆け出す。
 
ワタシの意図を、シンジは理解したらしい。囲みを抜けるや身を翻して、牽制の銃弾をバラ撒きながら後退さっていく。
 
まんまとエヴァシリーズどもがこっちに惹きつけられた瞬間、21番の射出口から弐号機が躍り出る。
 
案の定ロックをかけてなかった弐号機が、上空でソニックグレイブを振りかぶった。
 
≪ ちゃ~んす♪ ≫
 
映像は繋がんないけれど、どんな顔してるか見るまでもないわね。
 
 
初号機から見て最後尾に居た1体の正中線に、光が走る。きれいな一直線。
 
左右に泣き別れる白い体躯の向こっ側で、ゆらりと弐号機が立ち上がった。
 
≪ エーステ! ≫
 
異変に気付いたエヴァシリーズどもが、無防備に振り返る。それを見過ごすほど、シンジももうアマチャンじゃあないわ。
 
すかさず先頭の1体に駆け寄って、スマッシュホークをその頭に叩き付けた。
 
『まだっ!』
 
「えっ?」
 
『あのダミープラグよ。きっと、この程度じゃ止まんないわ』
 
そっか…。と呟いたシンジが、スマッシュホークを引き寄せる動作でエヴァシリーズを引き倒す。
 
『首を刎ねるか、プラグを潰すか』
 
一瞬躊躇したシンジが、スマッシュホークを白い首に振り下ろした。位置的にプラグにはかすってもないだろう。ヒトが乗ってないと思ってても、やっぱりできないか。
 
切断しきれなかった頸椎を絶つために、スマッシュホークの峰にかかとを落とす。
 
『下がって!』
 
跳ねるように退いた初号機をかすめて振り下ろされた刃が、横たわったヤツに止めを刺した。
 
≪ ツヴァ~イト! ≫
 
頭部を半ば斬り飛ばしたエヴァシリーズを蹴倒して、弐号機が次に襲いかかる。
 
…やはり、あれで斃したと思ってるわよね…
 
『…シンジ、アスカにっ』
 
「アスカ、もっと徹底的にやったほうがいいと思う」
 
≪なによ、ワタシに指図しよっての!?≫
 
そういうわけ…じゃないけど…。と刃をかいくぐったシンジが、スマッシュホークの天面でアゴをカチ上げた。横手から斬りかかってきたヤツから隠れるように、のけぞったヤツの横手に。
 
「こいつら、…ダミープラグってヤツだと思うから」
 
同士討ちしそうになって戸惑ったヤツに、のけぞったヤツを蹴りつける。
 
 
≪ …そう? ≫
 
その声音に、不快感を滲ませて。
 
≪ そうかもね ≫
 
今しがた顔を握りつぶしたヤツをそのまま引き寄せて、延髄にソニックグレイブを突き立てた。柄を短めに持って、捻るようにエントリープラグを抉り出す。
 
真っ赤な…、あれがダミープラグ?
 
≪ こんなモンにっ! ≫
 
掴み取ったプラグを、弐号機が躊躇なく握りつぶした。
 
≪ ドリ~ット! ≫
 
…さっきの不機嫌さは、ダミープラグに対してか。自分の存在意義を奪いかねないモノが、今まさに目の前に具現化されてるってワケね。
 
振るわれた刃をバク転で躱した弐号機が、そのままの勢いで蹴り倒してたヤツを踏み潰す。
 
≪ あらためて、ツヴァイト ≫
 
牽制に片手でソニックグレイブを大振りして、エヴァシリーズが怯んだ隙にケーブルを繋いでる。ソツがないわね。
 
 
『シンジっ!』
 
ワタシが弐号機の様子を見てるってコトは、シンジがそれを目で追ってるってコト。
 
…エヴァシリーズから目を離して。
 
 
起き上がった2体が、挟み込むように刃を振るってきた。
 
「ぅわっ…!!」
 
片方をスマッシュホークで受け止め、片方には弾丸を撃ち込む。
 
右側はいい。スマッシュホークがかろうじて受け止めた。
 
だけど左側は、ストッピングパワーなんかないパレットライフルじゃ、多少蜂の巣にしたって刃の勢いは止めらんない!
 
ライフルを真っ二つにした刃が、初号機の左腕に喰いこんだ。
 
「ぐっ…がぁああ!」
 
シンジが左手に力を篭めて、初号機の、半ば絶たれた筋肉で刃を押さえ込む。
 
スマッシュホークを半回転させて右側の刃を巻き込み、左側のエヴァシリーズに向けて押し込んだ。
 
引き摺られて体を泳がせた右側のヤツの方へと踏み込むと、避けようとした左側のヤツの動きとあいまって、左腕の刃が抜ける。
 
痛みと血の噴き出す感触に、シンジが顔をしかめた。だけど怯むことなく、スマッシュホークを右側のやつの首元に叩き込む。
 
≪ そいつらでっ!ラストぉ~!! ≫
 
シンジの目の前に、真っ赤な手のひらが突き出された。
 
弐号機が、2体まとめて貫き手でブチ抜いたらしい。ぐっ、と握り締められる。
 
 
引き抜いたその手を、勢いもそのままに背後にかざす。
 
空気をゆがませるほどのATフィールドで受け止めたのは、飛来してきた刃!? あれって!!
 
『シンジ!あれっ!!』
 
刃が、たちまちロンギヌスの槍に変形した。
 
≪ なに!? ≫
 
弐号機のATフィールドを貫いた槍を、スマッシュホークと添えられた初号機の左腕がかろうじて受け止める。
 
「ぐっくぅうう!」
 
≪ シ…ンジ… ≫
 
それにしても、コイツ…どこからやってきたっての?
 
痛みにしかめられた眉の下の、狭い視界で、槍の飛来してきた方向を見据えた。
 
 
投擲体勢から身を起こしたエヴァシリーズが1体。いやらしい嗤いを浮かべる。
 
無傷? …こんなに見事に回復するっていうの? この短時間で?
 
…いや、違う。あんな位置で斃したヤツ、居ないもの…
 
 
そうか!ウイングキャリアーごと墜としたヤツ!起動できたヤツが居たんだ!!
 
≪ どっから涌いて出たの! ≫
 
初号機の陰から出て駆け出した弐号機が、≪ きゃっ! ≫ たちまちコケる。
 
「アスカっ!?」
 
倒れた弐号機の、その足首を、エヴァシリーズが掴んでた。
 
首なしのソイツは、きっとシンジが最初に斃したヤツ。
 
「!っつぅ…」
 
駆け寄ろうとしたシンジは、鋭い痛みで引き留められた。見やる右の二ノ腕に、噛み付いてるのはエヴァシリーズ。左のふくらはぎも噛み付かれてんだろう、痛みが同じだから見るまでもない。
 
≪ ぐぅっ!こんのっ…放せってのよ!! ≫
 
慌てて見やった先で、弐号機が組み伏せられていた。足首を掴んで倒したヤツ以外に2体。蹴り潰したヤツとプラグを握りつぶしたはずのヤツ。その向こうで、アスカが4体目として斃したであろうヤツが、顔をヤマアラシにしたまんまで起き上がった。
 
 
…あそこまでやって、回復すんの。こいつら…
 

 
そうか…、完全に胴体を分断したヤツだって居たのに回復してたことを思えば、この程度の損傷、問題じゃないってコトなんだ。
 
弐号機を押さえ込んでるエヴァシリーズどもがそろって、ぐひぃ。と嗤う。首のないヤツまで嗤ったように、見えた。
 
「アスカっ!!」
 
不穏な空気を感じ取って、シンジが駆け出そうとする。だけど、2体のエヴァシリーズを振りほどけるほどのパワーが出ない。
 
「やめろぉぉぉおおおお!!!」
 
 
今まさに、弐号機に喰いつこうとしてたエヴァシリーズどもが、不意に動きを止めた。
 
のろのろと、西のほうへと顔を向けていく。初号機に噛み付いてるヤツもそうしようとしたので、初号機も一緒になって西を向かされる。
 

 
例の運河に、なだらかな白い丘が2つ現れた。その向こっ側、外輪山のふもとにモひとつ、少し鋭峻なのが。
 
三つの丘は盛り上がって、たちまち地続きになる。これって…? このラインって…?
 
 …
 
地面も水面も無視して起き上がってきたのは… …巨大な、エヴァより巨大な女の肉体。その上半身だった。
 
起き上がった勢いで俯いたソレが、耳障りな呼吸音を響かせる。
 

 
シンジの両手が顔を覆った。…だけど、大きく開いた指の隙間はロクに視界を遮んない。きっと、見ないほうが恐いんだろう…ううん、ワタシも恐い。…恐いわ。
 
 
ゆっくりと面を上げた、その顔は…
 
「あやなみ… 」
 
真っ暗な洞窟そのものの眼窩に申し訳程度の瞳を赤く灯してるけど、それはレイだった。
 
「     …レイ!」
 
ぐっと下ろしたまぶたが見開かれたとき、レイのあの赤い瞳がシンジを見詰めてた。髪も眉も、何もかもが作り物めいて白い中で、そこだけが赤い。そのなかに初号機が、なぜかシンジが映っていて…
 
「うわぁぁぁぁああああああああああ!わぁあああああああああ!!ぁああああああああああっ!!!」
 
≪ なっなに? なにが起きてんのっ!? シンジ? どうしたの!? ≫
 
組み敷かれてる弐号機からでは、状況が判んないんだろう。今のインフラ状況では、初号機視点の映像にリンクすることも出来ないだろうし。
 
シンジの悲鳴からただならぬ事態だと推測はしたんだろうけど、ちょっと緊張感が足りないみたい。
 
ま、おかげでワタシも冷静になれたんだけどさ。
 
「ああああああああああ!」
『シンジっ!落ち着いて!』
≪バカシンジ、なにが起きてるか訊いてんでしょ!≫
 
シンジの目は、レイの赤い瞳に吸い寄せられて、微動だにしない。
 
「わぁあああああああああ!!」
『シンジ!話を聞きなさい!!』
≪こらっ!いつまでも悲鳴あげてんじゃないわよ!!≫
 
こんなとき、声をかけることしか出来ない自分が歯がゆくなる。…だけど、だけど…
 
「ああああああああ!くわぁっ!ぁああああああああああっ!!」
『シンジっっ!!アンタには、ワタシが居るでしょっ!!!』
≪シンジっっ!!いい加減にしないとぶつわよ!グーよグー!≫
 
 
 …
 
詰まらせた悲鳴を、ゆっくり呑み下して、シンジの視界が閉ざされた。
 

 
『…シンジ?』
≪…シンジ?≫
 
「…ごめん。もう…大丈夫」
 
暴れまくる心臓を押さえながらじゃ、説得力ないわよ。…だけどまあ、よく踏みとどまったわね。
 
呼吸を整えたシンジが、ゆっくりとまぶたを上げる。
 
初号機が見上げる目前に、巨大なレイの顔。落ち着いて見れば、ひどく優しいまなざしで見下ろしていた。
 

 
『…これって、綾波なのかな?』
 
『それは判んないわ。使徒の擬態かもしんないしね』
 
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? いったいナニが起きてんのよ!≫
 
訊かれたシンジが困ったように周囲を見渡すんだケド、そんなトコに答えが落ちてるワケがない。結局また、妙にほほえましげなレイの顔を見上げる。
 
 
「…ごめん。どう説明していいか、よく判んないよ」
 
≪アンタ、バカ~!? 見たままを言えばいいのよ見たままを!≫
 
って…言われても、ねぇ?
 

 
「ねぇ…綾波? …綾波なの?」
 
おずおずとシンジが語りかけると、おっきなレイが2度3度とまばたきした。そういえば、さっきまでしてなかったような…?
 
「…碇…君」
 
呟いたレイは、その大きさとウソ臭い白さを別にすれば、いつものレイだった。
 
それにしても、浮世離れしてるとは思ってたけど…。レイ、アンタ。人間離れまでしよっての?
 
「綾波? …どうしちゃったの? …使徒に乗っ取られた…とか?」
 
≪えっ!? レイ? 見つかったの? って、使徒に乗っ取られたとかってナニよ!≫
 
ひとり事情が呑みこめないアスカが声を荒げるケド、目の当たりにしてるワタシたちだってなにが判ってるってワケじゃない。
 
 
「…私は、このときのために作られた道具だったわ」
 
「道…具? 綾波が? …なんの?」
 
…これを…。と右手で押さえたのは自分の胸元。
 
「…思いのままにするための」
 
そっ…。って声を張り上げかけたシンジが、ぐっ。と、呑み込んだ。
 
「何を…、綾波。…君が何を言っているのか解かんないよ。綾波…」
 
僕はこんなのばっかりだ…。って、シンジが口ん中で言葉を殺した。通信越しに喚くアスカの声も、聞こえてないみたい。
 
シンジの視線が右手に落とされた。ゆっくりと握りしめたのは、カヲルのときのコトを思い出してるからだと思う。
 
なにもできずに、殺めることしか出来なかった友達のことを…
 
『もういいの?』
 
応えることに抗ったのか、シンジの視線がこぶしから逸らされる。
 

 
『諦めても、いいの? …カヲルのときと同じで、いいの?』
 
力を篭めてしまった右手を、慌てて開いて、
 
「カヲル君…」
 
なにを拭おうとしてか、左手で懸命に擦ってる。
 
 …
 
「僕は、君のことを…」
 

 
そうしてシンジは、確かめるようにゆっくりと、こぶしを握り締めた。
 
「それを思いのままに出来るっていうんなら…」
 
見上げたレイの顔を、まるで睨みつけるように。
 
「綾波、帰ろう!一緒にミサトさん家に、帰ろう!」
 

 
「…それが、碇君の願い?」
 
こくん。と、レイから目を逸らさずに頷いた。
 

 
「…ヒトの姿をとることは出来る」
 
じゃあ!と意気込むシンジを拒むように、わずかにかぶりを振って。
 
「…この力を宿したままでは、諍いを呼ぶもの」
 
ソレがなんなのか判んないけど、こんなのがあると判れば、こんなものを使えるとなれば、それは確かに争いの種になるでしょうね。
 
使徒との生存競争じゃなくて、ヒト同士の欲塗れの戦いが始まるってコトか…
 

 
そんな戦いにシンジを巻き込みたくない。そう、考えてんのね?
 
 
「綾波が道具だとか、諍いが起こるとか、そんなことは僕には解かんないよ!」
 
固く握りしめたこぶしを突き出して、…開く。
 
「だけど、綾波。君が簡単に諦めようってんなら、僕はまた、ぶつよ」
 
レイが、その左頬を押さえた。第16使徒戦後に、シンジにはたかれた時みたいに。
 
「僕だけじゃない、アスカもぶつよ。きっとグーで」
 
おっきなレイが、そうと判るくらいたじろいだ。
 
 
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? なに独り言喚いてんのよ!≫
 
…レイの言葉、アスカには届いてないみたいね。まあ説明のしようもないし、いっか。
 
 
でも、アスカの言葉はレイにも届いてるみたい。ちょっとしかめてた口元を、徐々に綻ばせているもの。
 
 

 
口を開きかけたレイが、なぜか閉じた。
 
『…ひとつだけ、手があるわ』
 
『『えっ??』』
 
あれ…? 今の…
 
『今の、レイ?』
 
『ええっ?? …さっきのが、綾波?』
 
ココロの声は肉体的特徴を伝えないみたいだから、性別すら判然としないケド。
 
『…ええ。直接、語りかけてるわ。貴女と話さなければならないから…』
 
『つまり、ワタシに関わるのね?』
 
『どういうこと?』
 
おっきなレイは頷くと、視線を少し、初号機の周囲に巡らせた。
 
急に戒めから開放されて、初号機がつんのめる。
 
見れば、エヴァシリーズが倒れてた。どうやらレイの仕業みたいね。
 
 
『…貴女は、この宇宙で生まれたココロじゃない』
 
差し出されたレイの右手。誘われるままにシンジが初号機を載せた。
 
そうなの? ってシンジが訊いてくるけど、ワタシに答えようがあるはずがない。
 
『…貴女は、他の宇宙からやってきたココロ』
 
そうなんだ。そっか、幽霊じゃなかったのね。
 
ん? …だからって、幽霊じゃないってコトにはなんないか。
 
『…その貴女にこの力を託せば、貴女は元の宇宙に戻れる。この力を持ち去ってくれる』
 
なるほどね。
 
『レイは力を失って、普通の人間として暮らせる?』
 
初号機を載せた右手をそっと引き寄せながら、『…たぶん』と頷いた。
 

 
『ちょっと待って。それって、アンジェが居なくなっちゃうってこと?』
 
『そう…なるんでしょうね』
 
『ヤだよ!ずっと一緒に居てくれるんじゃなかったの!?』
 
憤りをどこにぶつけていいのか、判んなかったんでしょうね。握り締めたこぶしを、レバーに叩きつけた。
 
『シンジが望むなら、それでもいいわ。…でも、レイの話しを聞いてたでしょ。レイかワタシか、二者択一なのよ』
 
『そんな…』
 
できるものなら、このままシンジの心を見守って居たい。…だけど、ここではワタシは異物なんだ。本来、居るはずのないココロなんだ。
 
 
…だから、シンジにはレイを選んで欲しい。この世界で、独力で生きていくことを決意して欲しい。
 

 
鼻の奥が、熱い。
 
固く閉じたまぶたから、涙が溢れて溶けていく。
 
お願い、シンジ。泣かないで…。アンタが泣くと、ワタシまで悲しくなっちゃう。決意が揺らいじゃうじゃない。
 
 
『アンジェには、帰るべき場所があるんだね…』
 
『…そうみたいね』
 

 
シンジが、目頭を強く擦る。
 
『カヲル君が言ってたよ。帰る家があるのは良いことだって。幸せなんだって』
 
 …
 
必死で涙を押し止めようと、強く強く擦ってる。
 

 
 ……
 
 
結局止めようがないまま、シンジがむりやり微笑んだ。
 
『だから、アンジェ。…今まで、ありがとう』
 
『…シンジ』
 
 …
 
決然とシンジが見上げると、レイが頷いた。
 
 

 
ゆっくりとまぶたを閉じたレイは、祈るように面を上げる。
 

 

 
その身体が、小さくなっているような? …ううん、見間違いじゃない。みるみるうちに小さくなっていったレイが、初号機の真ん前で宙に浮いてた。
 
おずおずと差し出された初号機の手のひらに、ふんわりと着地。身体はまだ白いままだけど、普通の人間サイズに戻ったみたいね。
 
巡らせた視線は、初号機の背後に。
 
 
≪あれ…? どうしちゃったの? こいつら?≫
 
弐号機を組み伏せてたエヴァシリーズも擱座したのね。
 
 
しゃがみこんだレイが、初号機の手のひらに両手をついてる。その身体が、徐々に色付いてきた。いや、あの作り物めいた白さが抜けて、本来のレイの色を取り戻していってるのね。
 

 
今頃になって、レイがあられもない格好してるって気付いたらしいシンジが顔をそむけた。…まぁ、さっきまでの真っ白い身体じゃ、石膏像みたいでそうとは思わないわよね。
 
 
視線をそむけた先に、弐号機。エヴァシリーズを振り落とそうとしてる。
 
 
その姿が、ダブって見えた。
 
 
あれ? っと差し伸べたシンジの手が、残像を残す。…いや、残像じゃない。染み出すようにして白い手が浮き上がってきてんだわ。シンジの手から。
 
視界がダブってんのは、同じモノを違う距離から見てるから…みたい。
 
驚いて視線を戻す先で、左手からも脚からも、白い肉体が浮き上がろうとしていた。
 
ぅわっ。と口を開いたみたいだけど、声にならない。その時には顔からも浮かび上がってきてたんだろう。
 
 …
 
ダブってた視界から、距離が遠い方の映像が消えていく。
 

 
さっきより、プラグの内壁が近い。
 
視界の端をたなびく、伸ばした髪。不自然なまでに真っ白だけど、見覚えのある長さで。
 
そして、背中に感じるぬくもり。
 
 
「…アンジェ?」
 
久しぶりに、シンジの声を聞いた。
 
ココロの、無機質な声ではなく、伝導の関係で聞こえる低い声でもない。…あの、頼んない声。LCL越しの声を直接聴くのは、弐号機に一緒に乗ったとき以来ね。それでもシンジの肉声には違いなかった。
 
とっても懐かしくて、目頭が熱くなる。
 
 
…視界の端に、歩いてくる弐号機の姿。シンジには見えないように通信のボリュームを絞った。今は、邪魔されたくない。
 
 
「…アンジェ、だよね?」 
 
返事はせずに、ただ頷いた。
 
 
「…その、…今までありがとう」
 
かぶりを振る。
 
今なら万感の思いを篭めていろんなコトを言ってやれるはずなのに、喉が詰まって言葉が出ない。
 
ううん。なにを言ったって、言葉はしょせん言葉。伝えられるものには限りがある。
 
だから…、
 
振り返るなり、ぎゅっとシンジを抱きしめてやった。
 
長い髪が邪魔して、顔は見えなかっただろう。…それでいい。
 
 
かき乱されたLCLに誘われて、涙が溶け流れた。
 
シンジの温もりのせいで、きっと涙腺が緩んだんだと思う。でなきゃ、このワタシがこんなことくらいで…
 
 …
 
あれ?
 
なんでワタシ、こんな意地っ張りに戻ってるの? ワタシのココロなのに、自分の気持ちに素直じゃない。せっかく自由になる肉体を手に入れたってのに、こんな意地っ張りなココロじゃ意味がないじゃない。
 
…もしかして、この身体のせい? それとも、肉体を手に入れたから?
 
ううん、そうじゃないわ。ワタシのココロがシンジから離れたから。きっと、シンジの弱さや優しさや内向性ってモノに、…シンジのココロに、少なからず影響されてたんだと思う。
 
だから、こうして肉体を得た今。ワタシのココロは、昔の意地っ張りなワタシに戻りつつある。
 
 
ダメ!アスカ。素直にならなくっちゃ。
 
今の自分を肯定できなきゃ、次の一歩は踏み出せないもの。
 
なによりワタシは、今のワタシが弱いってコトを知ってるじゃない。泣くぐらい当然だって、判ってるじゃない。…ううん。泣けるぐらいに毅くなってるって、自分のことを信じられるじゃない。
 
 
だからこの涙は、別れを惜しんで寂しいワタシの気持ち。認めなさい、ワタシのココロ。
 
 …
 
頬を寄せていると、お互いの涙が溶け合うようだわ。
 
こういう距離を、オトコノコと共有する。それもまた幸せかもしれないって実感させてくれる。オンナだってことを厭わずに居られるかもしれない。
 
 
今なら、いろんなコトを受け入れられる気がする。
 
 
 

 
このまま、ここに残りたい。って気持ちを振り払って、さらに強くシンジを抱きしめた。
 
ようやく、ようやくシンジが、おずおずと背中に手を廻してくれたから、その感触を充分に味わって、…そしてシンジを突き抜けた。
 
インテリアを抜け、プラグを抜け。初号機をすり抜ける頃にはもう、この身体は物質的なものじゃなくなってたんでしょうね。
 
 
地球がみえる。
 
 
 
太陽系が見える。
 
 
 
 
銀河系が、この宇宙が視える。
 
 
 
 
 
そして、この宇宙の外。世界のカタチが観えた。
 
 
 
 
そっか、宇宙ってたくさんあるのね。
 
 
 
寄り集まって花開こうとしてる…まるで花束だわ。
 
 
 
 
その中に、いわば枯れた花がある。…それがワタシの世界だってコトが、なんとなく判った。
 
 
 
 
きっとそこには、あの真っ黒な空が待ち構えてんだろう。
 
だけど、帰らざるを得ない。
 
そこが、ワタシの世界なんだから。
 
 
 
 
       「シンジのシンジによるシンジのための補完 Next_Calyx 最終話」に つづく
 



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 最終話+
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:14
シンジのシンジによるシンジのための補完 NC 最終話 SIDE-A


「いいねぇ。言葉はリリンの力。なのに、その力に頼らずともお互いを理解できる。絆はリリンの本質だね」
 
そんな言葉に意識を呼び覚まされると、赤い海を背にして初号機がうずくまってた。
 
その差し出した掌に腰かけてんのは、カヲル?
 
 
「え? え? ええっ?」
 
間抜けな声を上げてんのは、ミサト。
 
その隣りの頼んない背中は、きっとシンジ。
 
寄り添ってんのはレイと、あれは…もしかしてシンジのママ?
 
誰も居なくなった世界だと思ってたケド、ずいぶんと賑やかそうじゃない。
 
 
砂浜に降り立ったカヲルが、ミサトが手にしたアジサイを指さした。途端、花弁が一つほころぶ。
 
「及ばずながら、ひとつ、宇宙を看てきたよ」
 
サキエルが木星のアンモニアの海を気に入ったようでね。…なんて指折り数えてる。よく解かんないケド、使徒の落ち着き先…みたいね。
 
気ままに太陽系内を飛び回ってんのとか、太陽の中でお昼寝してんのとか、MAGIん中からリツコ相手にチューリングゲームしてんのとか、孫衛星気取りで月の衛星軌道を巡ってるとかって、…ハタ迷惑な話ねぇ。まっ、襲ってくるより100万倍マシか。
 
 
 
「…つぎは、だれ?」
 
小首を傾げるようにレイが、シンジに。
 
つまりシンジも、他の宇宙で誰かの心を見てきたんだろう。そしてまた、見に行くんだろう。
 
それはワタシの心かも知んない。と思った途端、心臓が跳ねた。急激に熱を帯びた頬を冷まそうと掌をあてて…って、これ白くないし、ワタシのホントの身体!?
 
久しぶりに自分の意志で体を動かせる歓びも、一向に収まんない動悸に追い立てられちゃう。
 
落ち着け落ち着け。…自分の身体なのに、なんでワタシの思い通りになんないのよ。理不尽だわ!
 
 
なんだか考え込んでたシンジが、応えようと口を開いたのが気配でわかる。
 
「ワタシは外しなさい」
 
つい口に出しちゃった。もうちょっと気の利いた再会の仕方ってモンがあったでしょうに。
 
でも、慌てて振り返ったシンジの、すっごく驚いてるって顔を見たら、なんだか落ち着いてきちゃった。
 
「ハロゥ、シンジ。元気してた?」
 
精一杯、表情を取り繕って胸を張る。
 
「アスカ!?」
 
「そうよ? まさか、このワタシを見忘れた?」
 
なにやら反駁しようとシンジが口を開いた瞬間、風が捲いた。
 
視界の隅に映ったのは、お気に入りのワンピースの色。…ってコトは、きっとショーツは下ろしたての可愛いノを穿いてんのよね?
 
シンジがどんな顔するか、ちょっと愉しみだったんだケド、とっさに固くまぶたを閉じちゃってた。
 
…もちろん、下着を見られたいってワケじゃない。ただ、シンジのリアクションを見たかったの。
 
ワタシは、ずっとシンジの傍に居た。けれど、あまりに近すぎたから却ってシンジの表情を見ることができなかった。…シンジがどんな眼差しでワタシを見てくれるのか、知ることができなかった。
 
だから、どんなカタチででもシンジに見て欲しかったの。ワタシを。
 
それでシンジがまじまじと見るようなら叱ってやればいいし、恥ずかしがるようならからかってやればいい。それがどっちでも、シンジがワタシを意識してるってコトだもの。すべてはそれから、じゃない?
 
 
…というわけで、ちょっと残念だったケド、まあ、シンジがデリカシーを成長させてるってコトが確認できただけでも良しとするか。
 
しゃりしゃりと砂を踏んで、シンジに歩み寄る。おそるおそるって云ったカンジにまぶたを開いたシンジが、驚いてのけぞった。
 
「アンタも成長してるみたいじゃない」
 
その肩をぽんぽんと叩いてやる。そのまま横をすり抜けて、ミサトの手からアジサイを奪う。
 
つぼみばかりで咲ききってない株の中に、枯れたノがひとつ、きれいに咲いたノが五つ。察するトコロ、枯れてるノが元のこの宇宙。咲いてるノは…?
 
 ワタシの手の中で、またひとつ花弁がほころんだ。
 
  …この宇宙と違って、枯らさずに済んだ宇宙ってコト?
 
ワタシが行ってた宇宙は、枯れずにすんだってコト?
 
 
なんだか嬉しくて、つい口元が緩んじゃう。
 
 
「…なによ」
 
なんだか気恥ずかしくて、ついつっけんどんになっちゃった。だって、シンジったらずっとワタシのこと見つめてたみたいなんだもの。
 

 
シンジは、なにを言おうとしてか、何度も口を開いては閉じてる。
 
待たされても、それが気になんないのは、シンジが言いたいことを言い出せなくてぐじぐじしてるワケじゃないって判ったから。
 
 
求めてた言葉を見つけたらしいシンジが、にっこりと微笑んだ。
 
「おかえりなさい」
 
その笑顔に、何よりその言葉にハートを一撃されて、ワタシは一瞬固まってたに違いない。そのことに気付いて、つい反射的に顔を逸らしちゃった。
 
ダメダメ!素直になんなくちゃ!強がったって何にも伴わないってコト、ワタシは学んできたじゃない。
 
「…ただいま」
 
なのに、なんとかそれだけ応えるので精一杯だった。いま、あの笑顔を見ちゃったら、ワタシ…自分を抑えらんない気がする。いろんな意味で。
 
なんとか心構えを整えようとしてたら、ミサトが身体を折り曲げるようにして覗き込んできた。
 
「あれ~? アスカったら、もしかして…」
 
にやりと、いやらし~く笑ってる。
 
「…なによ」
 
「ぶぇっつに~」
 
憎たらしい口ね。こうしてやるっ!あっクロスカウンター!? こらっ!アンタと違ってワタシのおハダはデリケートなのよ。そんなバカ力で抓ったら腫れちゃうでしょ!!えいっ、こっち側もって、ガードの肘、こんな掻い潜りかたってアリ!?
 
う~…
 
なら、アンタの頬っぺたを引っ張りながらの跳び膝蹴り!これでどう!!って腿を上げたダケで防いじゃうの!? じゃあ着地際に残った足の甲を踏みつけて…って、上げてた腿でワタシの体勢崩すなんて!? 崩されたノを利用してそのまま巴投げって行きたかったケド、さすがにこの体格差じゃ無理か。頭突き!って見せかけて、脚を刈る。うそっっ!? あんな風に足首ひねっただけで耐えちゃうの!?
 
む~…
 
悔しいケド、格闘術じゃあとても敵わない。
 
それなら精神攻撃に切り替えるまで。と口を開こうとしたら、いつの間にやらレイが、傍に。
 
まさかレイがケンカの仲裁!? なんて思ってたら、無言でアジサイを拾ってシンジんトコに戻って行っちゃった。
 
ミサトの頬っぺたをつねりに行った時に落としちゃってたのね。って云うか、今、レイってば怒ってなかった? ただのアジサイじゃないってコトかしら? …あとで謝っといたほうがいいかも。
 
 
 
「…つぎは、だれ?」
 
レイが、シンジに再び問いかけてる。
 
眉根を寄せたシンジは、いったい何を考えてんだろう。伏し目がちの眼差しは酷く真剣で、怖いくらい。
 
あんな眼差しで見詰められちゃったら、堕ちないオンナノコは居ないんじゃないかしら。
 
 
やがて、決意を乗せてシンジが視線を上げた。あの視界を、きっとワタシは知ってる。
 
「キール議長の心を知ることのできる世界、ある?」
 
…キール議長って、誰?
 
だけど、このシンジが悩みぬいて選んだ相手なら、きっと重要人物なんだろう。
 
シンジは、きっとたくさん苦労したのね。ワタシが知らないようなコトを、随分と知ってるらしいもの。
 
ふとレイから外されたシンジの視線が、ミサト、ワタシと巡った。人の顔見て何を思ったのか、その目元がなんだか優しい。
 

 
「…あるわ。地軸がゆがんだ時の事故で、脳死寸前のキール・ローレンツが居る宇宙」
 
レイに戻された視線は、さっきの真剣さを取り戻して、シンジの決意を教えてくれる。
 
…それにしても、あんな眼差しを向けられて、レイってば平気なのかしら? どんな顔してんのか見てみたいケド、ワタシはミサトじゃないんだからガマンガマン。っと赤いジャケットの裾を掴む。アンタも一々見に行くんじゃないわよ!
 

 
「…いくの?」
 
「うん」
 
レイが伸ばした手を、シンジが掴み取った。
 
「綾波。…ありがとう」
 
「…なに?」
 
レイの手を、包むように握りしめて。
 
「綾波がここで待っていてくれるから、安心して行ってこれるんだ。…だから、ありがとう」
 
これで他意はナイんだろうから、シンジって案外女ったらしの素質、あるんじゃないの?
 
「…なにを言うのよ」
 
うわ~、あの声音。…レイが動揺してるわ。
 
「帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよ」
 
カヲルの言葉に後押しされるように、シンジが頷いた。
 
シンジの眼差しは目前のレイだけじゃなく、ワタシやミサト…ううん、きっと目に映るもの全てに向けられて、優しい。
 
そんな風に微笑むようになれるまでに、シンジはどんな苦労を重ねてきたって云うんだろう。
 

 
「…いってらっしゃい」
 
レイが、シンジの額に触れた。
 
「 いってきます 」
 
肉体はおろかその着衣までLCLに変えて、シンジの姿が雪崩落ちた。…そういえば、初号機に溶けたシンジが、プラグスーツを実体化させてたとか聞いたことがある。それと同じことなんだろう。
 
…ってコトは、きっとこのワンピースもLCLで出来てんのよね。…それとも、あの赤い海の水…かしら?
 
う~ん…? 摘んで見てみたケド、よく判んないわ。
 
 
 
…なに? なんて言うぶっきらぼうな声に顔を上げたら、初号機がそのおっきな顔をレイに突きつけてた。あのでっかい体を精一杯折り曲げて。…あれが汎用人型決戦兵器の姿だっての?
 
「初号機君は、シンジ君に着いて行きたいみたいだねぇ」
 
今、レイが溜息ついたみたいに見えたケド…
 
「…あなたの気持ちは解かるけれど、碇君を手助けしたいなら奨めないわ」
 
独り言みたいなレイのつぶやきを、初号機は神妙に聴いているように見える。シンジのママはそこに居るし、この初号機ってばどうなってんのかしら?
 
「…あなたが行かなくても、あの宇宙は碇君だけで大丈夫だもの」
 
なんだか今、レイがとっても寂しそうだった。
 
「…碇君は、必要に応じて初号機を殲滅することすらして見せるわ。このタイミングであなたが行けば、碇君の思惑を邪魔することになるかもしれない」
 
まるで、自分に言い聞かせてるみたい。
 
「…それで、いいの?」
 

 
レイの言葉が潮騒に消えてしばらく、上半身を起こして初号機が吼えた。力の限りに開け放たれた口腔は洞窟のようで、レイくらいなら軽々と丸呑みにしそうだ。
 

 
 ……
 
「…そう、寂しいのね」
 
寂しいって…。じゃあ、もしかしてこの咆哮は泣き声だって言うの? てっきりワタシ、怒ったか脅してんだとばかり…
 
 
「…ごめんなさい。こういう時、どうしてあげればいいのか、まだわからないの…」
 
 
そこはかとなく肩を落としたように見えるレイの向こっかわで、カヲルが初号機に歩み寄った。その巨大な手の甲を、よしよしとばかりに撫でてやってる。
 
「さあさあ、レイ君を困らせるんじゃないよ」
 

 
まさしく子供が泣き止むような感じで、その咆哮が治まっていった。
 
初号機が自分の手元を、手の甲を撫でるカヲルを見下ろす。
 
「いいかい? よく聴いておくれ」 
 
初号機と視線が合ったのを確認するように、カヲルが微笑んだ。
 
「ヒトの身であるシンジ君は、サードインパクトを止めるのに時間がかかることが多い。現に、どちらも10年以上かけているからね。
 その点キミなら、最悪サードインパクト直前でもそれを止められる。今まさに手遅れになりつつある宇宙でも、キミならそれを守れるかもしれない。ってことさ」
 
 …
 
地面に撒いた水が、染み込むのを待つような、…間。
 
「今度シンジ君が帰ってくるまでに、君ならそうした宇宙を3つは救えるだろう。最低でもね? シンジ君は驚くだろうし喜ぶだろうね。驚喜ってコトさ」
 
ウインクと、イタズラっ子のような笑顔。まるで、一緒に誰かを驚かしに行こうと友達を誘う悪ガキみたい。
 

 
しばらくカヲルの顔を見つめてた初号機が、レイめがけて視線を上げた。シンジがよくそうするように、きっと決意を乗せて。
 
 …
 
「…そう。よかったわね」
 
レイの言い草はぶっきらぼうだったケド、なんだか安堵してるみたい。声に惑いがなくなってたもの。
 
再び顔を突きつけてきた初号機の顎に、レイが手を伸ばす。
 
「…いってらっしゃい」
 
途端に全てをLCLに変えて、初号機の姿が雪崩落ちた。シンジの時とは比べ物にならない、とんでもない量だ。大量のLCLが押し寄せてくると思ってとっさに身構えたのに、レイの目前で跳ね返されてる。
 
波頭みたいに砕け散ったそれを、あっという間に白い砂が吸い取ってしまった。
 
 
 
 
「…あなたは、どうしたい?」
 
初号機の顎に触れた姿勢のまま、顔だけ振り向いて。レイ。
 
「そうねぇ…」
 
…っと、その前に。
 
「レイ。…その、ゴメン」
 
「…なに?」
 
「アジサイ、大事なものなんでしょ?」
 
…ええ。と頷いて、レイが身体もこっちに向ける。
 
「落としちゃって、ゴメンね」
 
じっ…。とアジサイに視線を落として、ぽつりと。
 
「…そのことに気付いてくれたから…、」
 
赦してくれるって言うんだろう。…口数が足んないのは、相変わらずねぇ。
 
 
「…それで、あなたはどうしたい?」
 
自分がどうすべきか? と訊かれたなら迷っただろう。こうしろ。って言われたなら反発しちゃっただろう。…今のワタシは、素直とは言いがたいし。
 
だけどレイは、どうしたいか? と訊いてくれた。だから、素直になれる。
 
「自分をやり直して見たいんだケド、お奨めのトコって有る?」
 

 
眠りに落ちるかのようにすとんとまぶたを下ろしたレイは、代わりに少し、面を上げる。
 
 …
 
やがて開かれたまぶたは、月の出のように静かに、赤い瞳を昇らせた。
 
「…母親の無理心中で、遷延性意識障害になった惣流・アスカ・ラングレィの居る宇宙が、あるわ」
 
「ヤなトコねぇ…。でも、ま。そんなところだからこそ、かしらね」
 
しゃりしゃりと白い砂を踏んで、レイの前に。
 
「じゃ、お願い」
 
…ええ。と伸びてきたレイの手を、シンジがしたみたいに掴み取った。
 
「レイ。…ダンケ」
 
「…あなたまで、なに?」
 
やっぱりシンジの真似をして、レイの手を包むように握りしめる。
 
「どうしたいか。って訊いてくれたでしょ。ワタシの気持ち、察してくれたのよね? …おかげでワタシ、素直になれたわ。
 だから、ダンケシェーン」
 
「…そう。どういたしまして」
 
さすがにワタシ相手じゃ動揺しないか。…でも、ちょっぴり頬が染まってるわよ。アンタもちゃんと成長してんのね。なんだか嬉しいわ。
 
 
ワタシの微笑みをどう受け取ったのか、レイの口がへの字になった。
 
「からかったワケじゃないわよ。だからそんな顔しない」
 
「…そう? よく解からない」
 
そう言いつつ、レイの表情がほどけていく。
 
「見送ってくれるんでしょ。どうせなら笑顔のほうが嬉しいわ」
 
「…そう? そうかもしれない」
 
 
満面の笑顔ってワケじゃない。だけど、見てるだけで優しくなれるような柔らかな微笑み。月の光が降り積もるような静けさで。
 
 
「…いってらっしゃい」
 
レイが、額に触れてくる。
 
「うん。いってくる」
 
 
ワタシは、素直な心でワタシをやり直したかった。素直になるためにやり直したかった。
 
もう一度シンジと出会って、レイと仲良くなって。ワタシであるコトを精一杯、…チルドレンであることすら…、楽しむつもり。
 
まずは、自分のために。…ワガママかもしんないケド、大事なコトだと思う。
 
いろんなコトを受け入れるために、必要だと思うから。
 
 
 
 
… 光が見える。
 
あれが目的地なのね。
 
さあ、覚悟なさい。ワタシがアンタを楽しんであげる。…ううん、楽しめる世界に作り変えたげるんだから!
 
 
     さあ、いくわよ。アスカ!
 
 
 
                     「アスカのアスカによるアスカのための補完」 終劇



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補完 カーテンコール
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:14


潮風にさらわれて足元まで転がってきた野球帽に、つま先で上向きのベクトルを加えてやる。転がってきた勢いそのままにワタシの脚を駆け登ってきたソレを、膝の辺りで捕まえた。
 
輸送ヘリに向かって歩き出す。3歩目で、野球帽を追いかけて来てたトウジが射程圏内。4歩目で、押し付けるように返してやる。
 
「はい」
 
「おっ…おおきに」
 
おざなりに指先だけひらめかせてそれに応えるけど、歩みは止めない。前にも思ったケド、パンプスって飛行甲板を歩くには向かないわねぇ。
 
「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
 
「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
 
そぉ? って答える頃には、シンジの目の前だ。
 
今日のこの日を一日千秋の思いで待っていたから、感情の昂ぶりを抑えるのが大変。ちょっと気を抜くと涙腺が緩みそうになる。ダメよ、アスカ。今はガマン。
 
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレィよ」
 
輸送ヘリのダウンウォッシュが弱まった瞬間にワタシがしたのは、バカケンスケのカメラを逸らすことだった。この距離で写せるとも思えないケド、まっ念のタメね。
 
シンジは? と確認すると、ほんのり頬を染めて視線を逸らしていた。ミサトが洗わせてる煽情的なヤツとは比較しようもない可愛らしいノなんだけど、刺激が強かったかしら?
 
「アンタが、碇シンジ?」
 
「う…っ、うん」
 
こちらに向けた視線をあっという間に戻して、シンジがワタシを見てくれない。それどころか、うつむいてワタシの視線から逃れようとする。…それがシンジだから、しょうがないか。
 
でも、いつまでもそんな性格で居られると思ったら大間違いよ。
 
「そう。 大変だったわね」
 
えっ? と、シンジが顔を上げた。揺れる視線を、やさしく受け止めてやる。
 
「アンタの記録は全て見せて貰ったわ。 ひどい目に遭ったのね」
 
ワタシの言葉が沁み込みやすいように、ゆっくりと間を取りながら話す。
 
「ロクな説明も受けずにいきなり乗せられて、 それでもアンタは良くやったわ」
 
シンジの目尻ににじみ出てきた涙は、ワタシの言葉が届いた証。
 
「褒めたげる。 今まで、よく頑張ったわね。 つらかったでしょ」
 
感極まったらしいシンジが、顔を伏せた。左の手の甲で、懸命に目元を押さえてる。くぐもった嗚咽は、喰いしばった歯の間から漏れ出てきてんだろう。
 
今シンジにかけてやった言葉は、どれもワタシがシンジの中に居た頃にかけてやったモノだ。そのときは、寂しそうに笑うばかりで取り合ってくんなかった。
 
同じ言葉なのに、こうして目の前に立って想いのかぎりを込めて口にするだけで、シンジの心に届くなんてね。
 
一歩詰め寄って、シンジを抱きしめてやる。驚いて泣き止んだシンジが離れようとするケド、それは許してやんない。シンジはこういうスキンシップを怖れるけれど、それはただそう云うことに慣れてないってだけ。自分にそんな価値はないって、思い込んでるだけ。
 
ぽんぽんとその頭をやさしく叩いてやると、あきらめたらしいシンジが体の力を抜いた。
 
「ワタシが来たからには、もうアンタをつらい目に遭わせやしないわ」
 
ぽたり。と左肩に落ちてきた涙が、熱い。
 
「…なっ なん^で?」
 
さかんにしゃくりあげるシンジが、なんとかそれだけ搾り出した。
 
「一目で判ったわ。アンタ、あんなことに向いてるタイプじゃないでしょ。でも、自分以外に乗れるヒトが居なかったから、仕方なく戦ってきた。…違う?」
 
静かにかぶりを振ったシンジに置き去られて、ぽとぽたと涙が落ちる。
 
「それがどれだけつらいことなのか、ワタシには解かんないわ。…だけど、想像はできる」
 
やさしくシンジを引き剥がして、その涙を拭ってやった。もちろんハンカチなんか使わない。その顔を包むようにして、親指の腹で、やさしく。
 
「向いてないって解かってんのに、ダレかのために戦えるなんて立派なことよ。ワタシは尊敬してる。アンタも自信を持ちなさい」
 
視界の隅に、あんぐりと口を開けたミサトの間抜け面。ミサトがドイツ勤務の時、それなりにやさしく接してあげてたケド、まさかここまでシンジに好意的に接するとは思ってなかったんだろう。
 
…だけど。と口答えしようとするシンジの唇を、人差し指で塞いだ。
 
「結果は出してるんだもの、それで充分よ。だって、ココロん中は想像するしかないじゃない」
 
想像しようとすることすら、最初の時にはできなったケドね…
 
…でも。なんて、まだ口答えしかかったので、シンジの唇をつねり上げそうになるトコだった。どうどうと荒ぶるココロを抑えつけ、人差し指を少し押し込むだけで黙らせる。 
 
…ワタシも、ずいぶんと丸くなったもんだわ。
 
「じゃあ、アンタは。10年間、使徒を斃すための訓練と、エヴァ開発のための実験に明け暮れた女の子の気持ち。…解かる?」
 
えっ!? と、漏れでたシンジの吐息が、指先に熱い。
 
少し呆けていたシンジは、それが誰のコトを指すのか判ったんだろう。ワタシから、目を逸らそうとした。…でも、逸らしきれてない。
 
そのココロの動きが、手に取るように判る。
 
正式な訓練を積んだ人間が居て、なぜ自分が…。とか、エヴァに乗るために10年も訓練してきた人だって居るのに、その間自分は…。とか、これで自分もお払い箱になるんだろうか。とか…。なにより、なんでこの人は、自分なんかのコトをこんなに気にかけてくれるのだろうか。…などとまで思ってんじゃないかしら。
 
もちろん想像に過ぎないケド、そう外れてないって自信があるわ。
 
その唇から人差し指をノけてやると、つられたシンジがワタシを見た。眉尻下げて、口を弓なりにして、答えを待ってるって顔をしてやる。
 

 
ぎゅっと閉じたまぶたが、涙の残りを搾り出す。きっと、ワタシの視線に耐えられなくなったのね。
 
「解かるわけ、ないよ…」
 
それは当然のコト。だけど、傷ついた女の子の代わりに戦えるヤツだって、ワタシは知ってるもの。
 
「…けど、解かってあげられたらいい…って思う」
 
おずおずと上げられた視線に、頷いてやる。
 
「それでいいのよ。でも、大事なコト」
 
あの…。と上げたシンジの戸惑いを、ワタシだから解かってあげられる。
 
「アスカって呼んで」
 
それでもシンジは途惑ってるみたいだから、後押ししてあげるわ。
 
「ワタシも、アンタのことシンジって呼ぶわ。いいでしょ?」
 
うん。って頷いたシンジが、おずおずとワタシの名を口にしてくれた。
 
「アスカ…は、僕のことを解かろうとしてくれてるんだよね」
 
いったん甲板に落とした視線が、上目遣いに見上げてくる。ほんのり、頬なんか染めたりして。
 
「その…、ありがとう」
 
あっ…ダメ。鼻の奥が熱くなるのを止めらんない。
 
前回の経験のお陰で、ワタシは自分の身体を完全に支配下に置ける。不随意筋だって自由自在で、心臓の鼓動すら思いのまま。
 
なのに、溢れ出る涙をとどめらんなかった。
 
だって、ワタシのコトバがシンジに届いたから。シンジのコトバが、ワタシに届いたから。カラダを完璧にコントロールできても、ココロから溢れ出るものは止めらんない。
 
 
誤解したシンジが慌ててるけど、…ゴメン。今は泣かせて。素直になるためにやり直してて、泣くことも笑うことも思いのままにやってきたけど、嬉し泣きできる機会はなかったんだもの。
 
…もうちょっと泣いてても、いいよね?
 
 
                                          終劇
2007.10.1 DISTRIBUTED
2008.02.18 PUBLISHED

【第九回 エヴァ小説2007年作品人気投票】にて、過分なご支持と評価をいただきました。
 投票してくださった方々への感謝の気持ちを、この一篇に添えて、御礼申し上げます。ありがとうございました。



[29756] アスカのアスカによるアスカのための 保管 ライナーノーツ
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/14 09:14


*1 エヴァFFに託したもの
 
私はエヴァFFを書き始めるにあたって、主軸とすべき要素を3つに絞りました。「チルドレンたちの心」「私なりのエヴァの解釈・考察」「使徒戦」です。
それらは、私がエヴァFFに求めるモノとイコールでした。
(おや?っと思われた方も居られるかもしれませんが、「性転換」という要素はアイデアの発端と云うだけで、物語を紡ぐための舞台装置に過ぎません)
さて前作「シンジのシンジによるシンジのための補完(ミサト篇)」は1作目ということもあり、これらの要素をほぼ、まんべんなく詰め込むことが出来たように思います。
問題はミサト篇への心残りから書き始めた「~Next_Calyx(ユイ篇)」でした。この作品は、成立過程が成立過程だけに、要素が偏ってしまうのです。
特に、当シリーズのシンジはユイ篇開始時で精神年齢が30歳前、使徒襲来時では40手前です。(貰い物の記憶も含めればさらに…)精神的に、それなりに強くなっていて然るべき年齢でしょう。ミサト篇では事情を知らないこともあって、本来の彼の弱さを押し出してみましたが、さすがに同じ手を使うワケには行きません。
 
 
*2 アスカ篇に至るまで
 
ユイ篇を書き始めた動機からすると、主人公ユイ(シンジ)は外せません。しかし、もっとも描きたい「チルドレンたちの心」をシンジの側からでは描けないとなって、何度ユイ篇をお蔵入りにしたことでしょうか。
なにより、Next_Calyxのプロットを何度も書き直しても、どうしてもしっくり来ないのがアスカでした。チビシンジのようにあっさり幸せになるのも違うような気がしますし、とことん不幸にするのもなんだか可愛そうです。そうして延々悩んだ果てに「他人から与えられた幸福では、どんなカタチだろうとアスカには似合わない」のだと思い至りました。その辺りをなんとかするための方策も色々と考えたのですが、Next_Calyxの中に組み込んでは、それもまた中途半端になるでしょう。だから、また別の話としてアスカ自身に頑張ってもらうことにしました。
 
 
*3 コンセプト
 
エヴァという世界を知るためには、主人公碇シンジの立場が重要です。それに客観的に自分を見て欲しいという願いもあります。なので、アスカがシンジに憑依することはすんなりと決まりました。
では、どのような立ち位置がアスカにとってベストだろうか?私の作品は常に、思考実験から始まります。
 
 
*4 初期プロット~
 
まずはオーソドックスに、意識を失ったシンジになり代わって活躍させてみることにしました。しかし、いかにシンジの立場に置かれたとしても、あのアスカが己を変えるとは思えません。途中からはWアスカ状態になって張り合い、相手を精神崩壊に追い込むことに変わりがないように思えます。
では一歩下がって、シンジと二重人格状態で必要に応じて表に出る。というのも考えてみましたが、シンジの性格ではアスカに譲りっぱなしになって前案と変わらなくなりそうです。
ならばいっそ、見てるだけで何もできないのはどうか?と考えました。何もできない状態なら、アスカには考える時間をたっぷりと与えることができます。とはいえ、原作をそのままなぞるというのは芸がないし、あんまりでした。
と云うわけで、かろうじて助言のできる「アンジェ」の誕生となりました。
 
 
*5 同時連載
 
アスカ篇を書き始めた段階では、単純に3作目としてNext_Calyxの後に連載を始めるつもりでした。ユイ篇の最終回でいきなりアスカを出しておいて、翌週からアスカ篇の開始を目論んでいたわけです。
それを同時連載というカタチに変えたのは、ユイ篇の前半ではほとんど言及されないアスカを、別のカタチででもフォローしておきたいと考えたからです。
それに、個々の宇宙で時間の流れすら違い得る【紫陽花ユニバース】の平行世界的な感覚を擬似的に表現できるかもしれません。単に混乱を招いただけかもしれませんが…。
そうと決まれば、ユイ篇の最終回掲載から逆算してアスカ篇の連載開始を決定します。連載周期の違いを考慮しても一ヶ月ほどの差が出ますが、そのために話数を調整するのは私のスタイルに反しますから、その辺は目をつぶります。
 
 
*6 最後に
 
エヴァ原作において、ある意味一番の被害者はアスカではないでしょうか?反面、彼女を主人公に据えるにはあまりにも種々の謎から遠ざけられていて、原作の流れを尊重したままでは難しいように思えます。Next_Calyxで、アスカへの主人公バトンタッチやダブル主人公化を考えたときに、そのことを痛感しました。
そう考えると、怪我の功名とはいえ、こういう形でアスカを主人公に据えることが出来たのは我ながら僥倖でした(逆行憑依という出オチのようなこの設定がここまで膨らむとは、1作目を書き始めた時点では想像もつきませんでしたが)。
おかげで私なりのアスカというものを表現できたように思いますが、これこそがFFの醍醐味かもしれません。FFで「逆行」や「再構成」という概念を教えていただいたこそ、辿り着いたのかもしれない作品だったように考えるわけです。
エヴァそのものよりも、エヴァFFの方が好きだということを再認識させて貰うような執筆過程でした。
 
全てのエヴァFFとその作者の方々、拙作を読んでいただいた全ての方に、「ありがとう。感謝の言葉」を。
 
多くの方々に支えられてこのシリーズを全うさせることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
                                    Dragonfly 拝
                                    2007年 9月吉日



[29756] アスカのアスカによるアスカのための補間 Next_Calyx #EX3
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/28 10:08

 
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
再び第3新東京市に来て気付いたのは、このリニアモノレールという乗り物のことをワタシは結構気に入っている。というコトだった。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
ドイツ時代にはネルフ差し回しの乗用車ばかりだったから、その他の交通機関にはほとんど乗ったコトがない。
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
前の宇宙のバカケンスケなんかは、リニアモーターは車輌が軽すぎて走行音の味わいに欠けるって言ってたケド、この軽快さが好き。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
「ジオフロント外周の急勾配をものともしない意外な力強さがイイ」んだとシンジに言わせたら、確かに粘着式推進より登攀能力と車輌のコンパクトさで向いてるだろうけど。とか、だからって乗り入れのない路線までリニアにすることはないとか、ぶつぶつボヤいてたっけ。
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
そのくせ、「ジオフロント引き込み線に乗ってみたい」って羨ましがってた。なんでもセカンドインパクトで多くの地下鉄が廃線になった関係で、ジオフロント線は世界で最も急勾配を登るリニアモーター路線なんだそうだ。第2新東京みたいな新しい都市は整備計画がきっちりしてるから必要なさそうだけど セカンドインパクト前の大都市・大深度地下鉄には、ジオフロント並みの急勾配を登るリニアモーター路線も少なくなかったんだとか。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
有名どころのナガホリツルミリョクチ線なんか、車輌アプローチのメロディがキョーバシだかツルミリョクチだかって駅名のイントネーションから作曲されてたとか、どうでもいいコトを熱く語ってたっけ。
 
知ったこっちゃないケド。
 
 ……かたん、   ……ことん。
 
「…弐号機パイロット」
 
        ……かたん、      ……こ とん。
 
「…弐号機パイロット」
 
ん?
 
「…着いたわ」
 
あら、ワタシ寝ちゃってたのか。どおりで前の宇宙のことなんか夢に見てたってワケね。
 
それにしても……
 
「レイ。ワタシのこと、なんて呼べって言った?」
 
急かすようなメロディに、慌ててレイの手を牽きながら車輌を後にする。
 
ホームに人影はない。利用者がほとんど居ない上に、駅員も階下の改札に1人居るかどうかって程度だったはず。車輌が行っちゃうと、吹きっさらしのホームがホントに物寂しいわね。
 
「…アスカ、と」
 
そうよ。と、レイの手を放して向き直る。
 
「…」
 
「弐号機のパイロットであることは、ワタシの一部に過ぎないわ。だからその呼び方は正しくないし、好きじゃないの」
 
「…わかったわ」
 
解かってくれたならいいわ。アリガトって笑顔を向けたら、あの、良く解からないって顔されちゃった。
 
ま、これからよね。
 
それで、どっち?って促すと、「…こっち」って進行方向とは逆にホームを歩き始めた。もちろん、知ってるケドね。
 
今からレイの部屋に行くのだ。「ワタシはまだ住居が定まってないから今晩泊めて」って頼みこんでついてきたってワケ。
 
そうしてまずは、あの惨憺たる部屋を目撃したって既成事実を作る。
 
そうすればあとはドウとでもなるわ。世界に三人しかいないチルドレンの扱いじゃないとか何とか言って、改装させるなり引っ越させるなりできるでしょ。いっそ同居したっていい。前の宇宙でシンジと共に過ごしたおかげで今のワタシは家事も嫌いじゃないし、レイの1人くらいなら面倒見れると思う。
 
先行して階段を下りる背中。レイのことを知らないヤツが見たら、拒絶されているように感じるだろう。
 
ワタシは、アンタがホントはすごい寂しがりやだって知ってる。だからこそアノ生活にも文句を言わないのだと解かってる。
 
だからまず、そのことをアンタに自覚してもらうわ。それは辛いかも知んないケド、必要なことだもの。謝んないわよ。
 
だけど、そのうえで。
 
アンタにはヒトの絆ってモノを教えてあげる。
 
ワタシは、ワタシがアンタと仲良くできるコトを知ってる。ううん、アンタと仲良くなりたいと思ってる。
 
ワタシがそうしたいから、この宇宙にやってきた。ワガママだって解かってるし、アンタには迷惑かもしんない。
 
でも、ワタシはアンタの笑顔が好き。
 
 ――満面の笑顔ってワケじゃないけど、見てるだけで優しくなれるような柔らかな微笑み。月の光が降り積もるような静けさの、元の宇宙のレイが見せてくれた笑顔――
 
あんなふうに、アンタにも笑って欲しいと思ってる。
 
前の宇宙では、ぎこちなく微笑ませるくらいしか出来なかったケドね……
 
 
先に改札を抜けたレイが、一瞬だけ歩みを止めた。ワタシが改札を抜けるのを待って「…こっち」と右の通りへ出る。
 
やり方を学べば、ちゃんとヒトを気遣うことができるじゃない。
 
……そうね。慌てることなんてない。急ぐ必要もない。一歩一歩進んでいけばいいんだわ。今こうして、並んで歩いているように。
 
レイ、アンタの笑顔もこの世界を照らせるわ。照らせるようにして見せるわ。
 
まずはアンタのアノ部屋、なんとかしないとね。
 
篭る気合の仕向けるままにコブシを掌に打ちつけちゃったけど、レイは怪訝な顔ひとつしない。
 
前途多難だわ。ってつきかけた溜息を、そっと呑み込む。そういうトコロをひとつひとつやってかなくちゃね。
 
「あのね、レイ」
 
レイの肩に手をかけて、なんて言ってやろうかと考えをまとめながら足を止めた。
 
                                         終劇



[29756] [IF]アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX1(ないしょのカーテンコール)
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/09/28 10:08


弔いの鐘の音が寒々しいわね。
 
「偉いのね、アスカちゃん。いいのよ、我慢しなくても」
 
おばさんが1人、芝居がかった仕種で泣き伏している。たしか類縁だったと思うケド、ワタシとどういう繋がりのある人なのか、いまいち思い出せない。
 
「いいの、ワタシは泣かない。ワタシは自分で考えるの」
 
悲しくないワケじゃない。素直になれないワケでもない。ただ、死んだのが単なるママの抜け殻に過ぎないって知ってるワタシには、茶番劇に見えて仕方ないってだけ。
 
だから、泣く演技もできずに言い憶えのある言葉を繰り返した。…やっぱり、まだ素直じゃないのかしらね?
 
 
芝生を踏みしだく音に、振り返る。
 
車椅子に乗った老人がワタシの前まで来て、止まった。目が不自由なのか、いかついバイザーが半ば埋め込まれた顔。車椅子もなんだか巨大で、いろんな装置がゴテゴテと取り付けられている。
 
無機質なカバーグラスなのに、なぜか優しそうにワタシを見てるような気がするわ。
 
「惣流・アスカ・ラングレィだね」
 
誰かに話しかけられたらしいおばさんが、ワタシの後ろから離れていく。
 
「アナタは誰?」
 
「儂はキール・ローレンツという。キールと呼んでくれ給え。…アスカ、と呼んでも?」
 
キール?それって、シンジが言ってたキール議長?ワタシはその名前を知らなかったし、こうして会った憶えもない。
 
いったい、この宇宙はどう違うと云うんだろう。
 
 

 
辛抱強くワタシの許諾を待ってた老人に、頷いてやった。
 
「それで、ワタシに何の用?」
 
うむ。と応えた老人がホイールをロックする。
 
そのまま車椅子を降りようとしたもんだから、慌てて押しとどめた。だって、どうみても車椅子から離れて生きていけるようには思えなかったんだもの。きっと、生命維持装置の援けなしには1分たりとも生きていけないと思う。
 
「無理すんじゃないわよ」
 
虚を突かれた。って顔した老人が、車椅子に座りなおして、笑顔。
 
「優しいのだな。アスカ」
 
 

 
ワタシのちっちゃな心臓が跳ねた。
 
だって、この笑顔って、この笑い方って…
 
  シンジにそっくりだったんだもの。…それも、再会したときの…ホントにやさしい笑顔。
 

 
ううん、待って。
 
  もしかして、もしかして…だけど…
 
    まさか…って、思うケド… でも
 
 
「…シンジ?」
 
周囲を憚った小さな声に、老人の笑顔が凍りつく。
 
  …
 
「…アスカ?」
 
それは、知る辺の存在を確認するニュアンスじゃなく、初めて会った相手がナゼ知ってるか、って問いだった。
 
それはまあ仕方ないだろうから、つい最近言ってやった言葉を、その時のニュアンスで。
 
「そうよ?まさか、このワタシを見忘れた?」
 
それでもシンジったら、まだ信じらんないって顔するもんだから、
 
「風が吹かなくて、残念?」
 
と、スカートの裾をつまんでみせてやった。…ちょっとイジワルだったかしら。
 
「…勘弁してよ」
 
どうやら納得したらしいシンジが、疲れたように嘆息した。
 
「それにしても、どうしてワタシたち同じ宇宙に来たのかしら?」
 
「綾波は、どうもこの世界が僕1人では荷が重いと判断したみたいだね」
 
ふむ。と考え込んだシンジは、1度外した視線をすぐさま戻す。バイザーだからよく判んなくて、そうじゃないかってコトだけどね。
 
「どこか落ち着けるところで話し合わない?」
 
「あら?幼女誘拐?」
 
心底疲れたって顔したシンジが、こめかみを押さえようとしてバイザーを叩いちゃった。ぅわ~!?痛そうな顔~。
 
「ごめんごめん。もちろん冗談よ」
 
と、頭をなでてやる。
 
「…勘弁してよ」
 
あんまり哀れげに呻くもんだから、居たたまれなくなっちゃうじゃない。
 
「話し合うのは賛成だから、パパに一言断ってくるわね」
 
うん。って頷いたシンジが、ああ…。と懐をまさぐった。
 
「これ持って行って」
 
取り出したのはビジティングカード。国連の諮問委員としてキール・ローレンツの名前が書かれてる。
 
…出世したのね。ってウインクしてやったら、僕の手柄じゃないよ。って溜息つかれちゃった。相変わらず朴念仁ねぇ。それが必ずしも悪いってワケじゃないケド。
 
ちょっと待っててね。と駆け出す。
 
 
ちっちゃい手足はもどかしくてちょっと不満だったのに、今はものすごく軽い。
 
やはり黒服に遮られてたパパのところまで、あっという間だったわ。
 
 
それにしても…、ワタシが居て、シンジが居た。…まさかレイまで来てる。なんてコトないわよね?
 
 
                チルドレンのチルドレンによるチルドレンのための補完 終劇

2007.10.9 DISTRIBUTED

アスカ篇・ユイ篇がそのまま再合流してしまったら……と云う想定の元のプロローグ。出オチの終着点(苦笑)パラレルというより一種の冗談、ファンサービスとしてテクスト化



[29756] [IF]アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX4
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2020/06/27 04:39

(本来なら、本日がシン・エヴァの公開日でしたね。(つд;*))



「ちょっと面白い所があるんだ。行ってみないか?」


いきなり加持さんがそう言い出したのは、浅間山火口に居た第八使徒を斃した直後のことだった。


そうして重VTOLまで使って連れてこられたのが、香川県にあるシン・ヤシマ水族館だったのにはビックリ。


「面白いだろう? ここは山の上にあるお陰でセカンド・インパクトの被害から逃れた数少ない水族館なんだ」


君たちの世代だと珍しいだろうと思ってさ。って言った加持さんは「ちょっと野暮用があるんで、後は二人で楽しんで居てくれ」って、あっという間に何処かに。


残された2人(とワタシ)は暫く顔を見合わせてたんだけど、「せっかく加持先輩もああ言ってることだし、回って見よっか」の一言で入館することになった。


セカンド・インパクトで失われたモノは多い。


こうした水族館なんて設備もそうだけど、色んな動植物もそうだと聞かされていた。


だから、シンジもアスカもワタシも、展示された魚類やマナティやイルカに夢中になる。


なかでもアスカは、サメとか云う軟骨魚類の水槽に釘付けだった。


「なんだか、キバがずらりで恐いね」


「バッカねぇ。捕食者のあるべき姿を体現してんじゃない。この洗練された進化が解からないの?」


アスカの声は低く抑えられてる。いつもなら盛大な罵声が飛んで来るところだけど、そうじゃない。


それだけ集中してんだろう。



床に根でも生えたかのようなアスカの様子に、シンジはタメ息をひとつ。

踵をかえして、売店コーナーに。

『ナニ見てんの?』

『いや、綾波が第三新東京市でお留守番だから、お土産でも。と思ってさ』

ふーん。

見てたらペンギンとサメとクリオネのキーホルダーを手にとって会計へ。

『ペンギンはレイに。って判るケド、サメとクリオネはなんで?』

シンジが財布を取り落としそうになった。

『……その……アスカがサメを気に入ってたみたいだし、せっかくだから記念にと思って……』

あら、シンジにしては気が利くじゃない。ワタシの教育の賜物かしら?

『じゃあクリオネは?』

会計を無事に終えたシンジが、今度は受け取った紙袋を落としそうになる。

『……一応、僕が使うんだけど、……』

なんだか歯切れが悪い。

『……アンジェのイメージにぴったりだと思って……』

……/////

思わず、存在しない両手を頬に宛がおうとした。

だって、頬っぺたが熱い……って、シンジの頬っぺたが赫くなってるらしかった。

『そう、当然ね』って、普段のワタシなら応えただろうけど、なぜか言葉が出てこない。

シンジがワタシのことをこんな可憐な生き物のように思ってくれてると知って、無いはずの心臓がドキドキ言ってる。

『……迷惑だったかな?』

窺うような視線は、手元の紙袋たちに。

『ううん、そんなことない。ありがとうシンジ』

よかった。と胸を撫で下ろすシンジに、ココロの中でワタシも同調してた。

素直に感謝を伝えられて、ホッとしてたから……

ホントにありがとう。シンジ……




でも、バッカルコーンのことは教えない方がいいわよね?

おわり


新屋島水族館には行ったことがあります。山の頂上にある、こじんまりとした水族館でした。
シン・ヤシマとしたのは、シン・エヴァンゲリオンとヤシマ作戦と、もうひとつ理由が……

あと、Twitter始めました。(@dragonfly_lynce)短編などもUPしてるのでよかったら覗いて下さい。(最近はBLモノが多いですが…( ̄▽ ̄;))


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