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[29850] 【一発ネタ】そして、今日から「ゆ」のつく自由業【完結・DQ3・TAS臭】
Name: 気のせい◆050021bc ID:899ac1f2
Date: 2011/09/21 12:08
1、そして……勇者と遊者。

 ルイーダの酒場。
 その扉の前に僅かに緊張と不安の見える一人の少女がいた。
 その名はアルス、勇者。
 その日、めでたいかどうかともかく17歳の誕生日を迎え、
「起きなさい。起きなさい、私の可愛いアルスや……。おはようアルス。もう朝ですよ。今日はとても大切な日。アルスが初めてお城に行く日だったでしょ……」
 とアルスは母に起こされた。
 支度を整えると城の前まで連れられ、促されるままに王様と謁見し、
「……魔王バラモスを倒して参れ! 街の酒場で仲間を見つけ、これで装備を整えるがよかろう。ではまた会おうアルスよ!」
 との言葉と共に50ゴールド、たびびとのふく、こんぼう、こんぼう、ひのきのぼうを内心がっかりしながら体裁上はありがたく頂戴し、一度家に返って母に報告した後、仲間を見つけるため今まさにルイーダの酒場の前に至る。
(よし、がんばろっ)
 アルスは小さく腕を構えながら自分にエールを送った。
 入ると、何故か酒場内は閑散としており、ゴールド銀行の受付のおじさん、二階に続く階段の前にいるシスター、そして受付のルイーダだけだった。
(えー……)
 思わずそう心の中で呟いたアルスはさっきまでとは違う方向に一転不安になる。
(と、とにかく……)
 アルスは気を取り直して、ルイーダに話しかけた。
 妙に生暖かい表情をしたルイーダは口を開く。
「ここはルイーダの店。旅人たちが仲間を求めて集まる出会いと別れの酒場よ。……何をお望みかしら?」
 アルスは一度振り返った。
 見回せば……どう見てもそもそも出会いが無さそう。
 ゆっくりルイーダに向き直し、恐る恐る尋ねる。
「えっと……では名簿を見せて下さい」
「名簿を見るのね」
 ルイーダは名簿を出して見せた。
 登録されていたのは一名。

???
あそびにん
ラッキーマン
せいべつ:俺の性別が気になるのかい?
レベル:??

Eぬののふく



ちから:俺に眠る力は数字で計れるようなものではないのさ。
すばやさ:俺から目を離さないように気をつけな。そうでないとはぐれちまうぜ。
たいりょく:もう一度言うぜ。俺に眠る力は数字で計れるようなものではないと。
かしこさ:遊ぶのにも……頭は使うものさ。
うんのよさ:俺の運の良さは目で見た方が早い。
さいだいHP:???
さいだいMP:???
こうげき力:???
ぼうぎょ力:???
Ex:???????

 これ何てウザいステータス。
「ぁ……あの……この、???さんというのは……?」
 ルイーダはため息混じりに答える。
「???さんは???さんね。……言いたいことがあれば本人に言って頂けるかしら」
 他に答える事は無いとばかりの事務的対応にアルスはつられて頷く。
「は……はい」
「他にご用は?」
「で、では、???さんを呼び出して貰えますか」
「???さんを仲間に加えるのね。分かったわ。???さーん! アルスさんがお呼びよー!」
 ルイーダは二階の階段に向かって大きめの声を出した。
 数秒して階段からコツコツと音を立てながら遊び人が現れた。
 大きなぐるぐる眼鏡。
 取ってつけた大きなつけ鼻。
 そして付け髭。
 お陰で表情は全く見えず、服装は桃色を基調とした縞々の衣装。
 体型は良く言えばぽっちゃり系、悪く言えば言わずもがな。
 背丈はアルスが少し見上げる必要がある程度の高さ。
 唖然としているがアルスにとって???の第一印象は悪かった。
 表情の全く見えない???はアルスの側まで近づくと大仰に手を動かす。
「こんな素敵なレディに呼ばれるなんて光栄だ。おっと失礼、自己紹介が先だったね。私は自称伝説の遊者。レディの旅の供になろう」
 その声色は何だか耳が幸せになる包容力のあるものだった。
(い、良い声……だけど)
 ???の口元は一切動いていなかった。
 腹話術である。
(それに、ゆ、ゆうしゃ……? 自称……?)
 良く分からない発言にアルスは混乱しつつ思わず答えた。
「は……はぁ……。よ、よろしくお願いします」
「礼儀正しいレディだ。こちらこそよろしくお願いする」
 そう言う???の対応もそのふざけた見た目とは裏腹に実に礼儀正しいものだった。
 そこへ空気をぶった切る事務発言をルイーダがする。
「他にご用は?」
「あ……名簿に登録されている人は他にはいませんか?」
「いなくてよ。他に登録者が現れるのを待つとなると、時間がかかるでしょうね」
「具体的にはどれくらい……?」
「判りかねるわね。全ては冒険者次第」
「そうですか……」
 アルスが沈んでいる様子なのを他所にルイーダはまた言う。
「他にご用は?」
「あ……ありません」
「じゃ、またいらしてね」
 ルイーダはオホホと営業スマイルを浮かべて言った。
 アルスは内心何度も来たくはないと思った。
(二人旅……よりにもよって遊び人……しかも訳が分からないし……)
 うんうん唸ってアルスは自分の世界に入ったままルイーダの酒場から出た。
 黙って後をきちんと付いてきていた???が声を出す。
「レディ、早速魔王討伐の旅に出るかい?」
「わっ!?」
 アルスは驚いた。
「えっと、もちろん! でもまずは???さんの装備を整えた方が」
 ふざけた見た目で???はジェスチャーをする。
「それには及ばない。私はこのぬののふく一枚で充分だ」
「は、はぁ……。って、そういう問題じゃなくて!」
「大丈夫だ。問題ない」
 ……しばしの沈黙。
 アルスがジト目で言う。
「……その自信がどこから来るか知りませんけど、ど、どうなっても知りませんよ……?」
「心配感謝しよう。では、行こうか」
 表情の全く見えない顔面で???は城下町の外を手で示した。
「……はい」
 先行きに不安を感じざるを得ないアルスはため息混じりに肯定した。

 そして、勇者と遊者の旅が始まった。




2、そして……自称伝説の遊者の超難度遊戯。

 アリアハンを出て、橋を渡ったアルスは黙々と早足で歩き続ける。
 自称伝説の遊者はその後ろをお手玉を投げながら早足で進む。
(魔王討伐の旅に出ようって自分が先に言ったくせにこの遊び人はっ……)
 チラとアルスは後ろを振り返って確認しすぐまた前を向く。
(魔物が出たらどうするつもりなのよ……。やっぱりこんぼうだけでも渡した方が良いか……)
 そんな事を考えながら進み続ける事しばし。
「魔物が……現れない……?」
 一向に魔物が現れない。
 勇者になるべくして育てられて来たアルスにして見れば、アリアハンの外に出て魔物と戦った事ぐらいあるのは当然だが、全く現れないというのはどういうことなのか。
「レディ、魔物が現れないのが不思議かい?」
 突然???の声が上がり、驚いて後ろ振り返って答える。
「も、もちろん」
「種明かしをお望みかな?」
 言って、???は腕を交差させながらボールを投げる素人目には何だか複雑そうに見えるお手玉をピタリと止めた。
「えっ……???さんが何かやっているの?」
「よくぞ聞いてくれたッ!」
 途端に???はビシビシと無駄にポーズを取りながら饒舌に腹話術で語り始める。
「これは私の会得している108の超難度遊戯の一つ。その名も『あっちいけ魔物!』……だっ!」
 大きな声が周囲に響き渡り、ひらひら飛んでいた蝶がアルスと???の間を通過する。
 穏やかな草原の風景を肌に感じ、
「……な、なんだってー!?」
 と優しいアルスは突っ込みを入れてあげた。
 ピッと???は直立不動の体勢に戻り、
「では先に行こうか」
 歩き始める。
「うん……。って待ってよ!」
 思わずアルスは呼び止めた。
「他にご用が?」
「その返答何かやめて!」
「ならば今後は気をつけよう」
「うん……そうして。で……あ……『あっちいけ魔物』の種を聞いていないんだけど」
「何かなその酷いネーミングは。それはともかく種明かしをするとでも思ったのかい?」
「するつもりなかったの!? っていうか酷いネーミングなのはそっちでしょ!」
(さっき種明かしをお望みかなって言った癖に!?)
 やれやれ、と???は肩をすくめる。
「残念ながら無い。何分こちらも命を賭けて遊んでいるのでね」
 ポヒューと鼻の穴から紙ストローが飛び出し、また引っ込んだ。
「そ……そうですか……」
 真剣な声色だが、締まらなさすぎる返答に呆れ、アルスは力無げにどうでもよくなった。
(調子……狂うなぁ……)

 アルスは当然レーベの村へ行くつもりだったが、常識的に一日で進める距離ではない。
 陽も傾き始め、当然一泊野宿する必要があるとは分かっていたが、途中???が道なりに草原を行くより、森を抜けた方が早いだろうと言い出した。
(魔物も出ないし……まあ良いか……)
 と思ったアルスも了承し、そして北上を続ける事しばらく。
 森の中に石造りの建物がポツンと建っている場所へと出た。
「こんな所があったなんて……」
 キョロキョロと辺りを見回し、アルスは建物に近づくと最後の鍵で開く灰色の扉を見つけ試しに触れる。
「やっぱり、この扉は鍵持ってないし開かないわね」
 ふっと息をついて振り返ると???が優雅に片手を胸に当てて言う。
「レディ、ここは一つ私にお任せあれ」
「はい?」
 何言ってんだ、とアルスは一応避けると、???が重く閉ざされた扉に素手で触れる。
 そして、キィィという音と共に難なく開いた。
「ほら開きましたよ、レディ」
 どやぁ、と手で示して見せる。
「何で!?」
 アルスは目を丸くして叫んだ。
「よくぞ聞いてくれたッ!」
 途端に???はまたしてもビシビシと無駄にポーズを取りながら饒舌に相変わらず腹話術で語り始める。
「これは私の会得している108の超難度遊戯の一つ。その名も『届いて私の想い! お願い開いて! はぁと!』……だっ!」
 技名のみやたら甲高い声であった。
「気持ち悪い……」
 耐え切れずアルスは本音を漏らした。
 しかし???は全く堪えた様子を見せない。
「そう。その気持ち悪さが重要なのだよ」
「は?」
 ガタガタと震えながら???は声を出し、
「余りの気持ち悪さに鍵も思わず開いてしまう。……そういう事さ」
 両手を広げた。
「んな訳あるか!」
「……事実は小説より奇なり。では中に進もう」
 言って、勝手に???は中に入ってしまう。
「あ、ちょっと! ったく」
 中に入るとあったのは青く渦巻く、旅の扉。
「これは……」
「旅の扉」
 初めて見た、とアルスが声を上げる。
「これが旅の扉……?」
「ではレディ、お手を失礼」
「え? あ、何? ちょっと待!」
 アルスの制止も聞かず、???はアルスの手を自然な動作で取って旅の扉に足を踏み入れた。
 瞬間、二人は吸い込まれるようにしてアリアハン大陸を後にした。




3、そして……新大陸。

 二人が知ってか知らずかはともかく到着したのは、ポルトガとの間に海峡を挟み、ポルトガの丁度対岸の大陸にある灯台一階の旅の扉。
 ???は先行して、大きめの最後の鍵で開く扉を難なくまた素手で開けた。
(一体何なのよ……)
 アルスは存在からしてフリーダムすぎる仲間に頭を痛めながらも後から付いて出た。
 一面濃紺色の壁が広がり、割合良い造りをしている建物だとアルスは判断した。
 そこへふらっと勝手に一度外に出ていた???が戻ってきて声を出す。
「ここは灯台さ」
「灯台……?」
 キョトンとした顔でアルスは首を傾げた。
「上に行けば、灯台守がいるだろう」
「そ、そうね。ちょっと行ってみる?」
 大仰なジェスチャーで???は胸に手を当てる。
「……そのお誘いはとても魅力的だが、私には外の確認を任せて欲しい。ここに魔物は現れないから一人でも安全だ」
「わ……分かったわ。じゃあちょっと行ってくるわね」
 若干引き気味にアルスは了承して、階段へと向かい、???は外へと出た。
 アルスは何段も階段を登っているうちに、内心???がどうして単独行動を取ったのかと邪推していた。
(こんなに高いなんて聞いてない……あの遊び人……登るのが面倒だったんじゃないでしょうね……)
 きちんと定期的に明かりが灯っている円形状の階段を延々と登り続ける事頂上に着くまで。
 ???の言った通り、頂上には灯台守の男がいた……が、寝ていた。
 話しかけても反応がないので、揺すって起こすと、男は酷く驚いて飛び上がった。
 落ち着いた所で男は船で来たのかと尋ねたが、アルスは首を振って否定、旅の扉から来たと答えた。
 旅の扉から来た事に男は驚いたが、ともあれ、折角だからと、アリアハンとの時差の関係で灯台は深夜である中、南の方を示してアルスに説明を始めた。
「ここから南に陸に沿って船を漕げばやがてテドンの岬をまわるだろう。そしてずっと陸沿いを行くとバハラタ。更に行けば黄金の国ジパング。世界のどっかにある六つの『オーブ』を集めた者は船がいらなくなるって話だ。とにかく南だ」
 との事。
(そう言われたものの、船が無いなら今の所意味はない……。でも一応)

―アルスは今の言葉を深く心に刻み込んだ―

 そしてアルスは再び階段を降り始め一階へと向かった。
 登りよりは当然楽だが下りは下りでそこそこ大変なのを我慢しつつ到着。
「いない……」
 しかし、???の姿は見当たらなかった。
(まさか旅の扉で先に戻った……?)
 一瞬アルスはそう思いながら真っ暗ながら灯台の外へと出ると、すぐに例の声が聞こえる。
「レディ、夜道を一人で進むのは危険ですよ」
 すぐアルスが反応する。
「んっ。それは???さんが……って、今更だけど???って本名……何ですか?」
 ???は首を振る。
「もちろん本名ではない。書類上の名前という奴さ」
「やっぱりそうですか……正直、呼びにくいんですが」
「ならば、遊ぶ者、すなわち遊者と呼ぶといい」
「……は、はぁ……」
 アルスは生返事をした。
(遊ぶ者で……遊者……自称伝説の遊者……何て下らない……)
 聞かなくても良かったと若干の後悔と共にアルスはため息をついて再び口を開く。
「……分かりました。とにかく、私達に船が無い以上旅の扉でレー」
 しかし話の途中で遊者が声を挟む。
「レディ、いつから船がないと思っていた?」
「はいー?」
「ついさっき、通りすがりの船が近くに着いてね。どうやら乗せて貰えそうなのだよ」
 ポカーンとアルスは唖然として声を上げる。
「……え? 本当に?」
「どうして私がレディに嘘をつかなければならないんだい?」
 そんな事するとでも思ったのかい、と遊者は肩を竦めた。
「じゃ、じゃあ……乗せてもらう?」
「よろしい。ならば善は急げだ。エスコートはお任せあれ」
 遊者は恭しく礼をして、アルスの道先案内人となって、暗闇の中、浜辺へと向かった。
 少し離れると灯台の明かりによって周囲が見えるようになり……間もなく、遊者の言う船が接舷しているのがぼんやりと見える所へと到着した。
 アルスにとってその船の印象は何だか少しボロそうだなぁ、という物であった。
 交渉したであろう船乗りの姿が見えないことにアルスは不思議に思いながらも遊者の後を追い、二人で板を伝って船に乗り込んだ瞬間。
 その板を回収する事もなく勝手に船は出航し、岸を離れた。
「は?」
「いざ、海の旅へ!」
 高々に遊者は声を上げた。
 アリアハンから旅に出て一日目。
 勇者と遊者は新大陸に移動したばかりか、「偶然」通りかかった『幽霊船』に乗り込む。
 かくして広大な海の旅へと飛び出した。
 ……しかし、行き先不明。
 間もなくアルスの絶叫が船にこだましたのは言うまでもない。




4、そして……また新大陸。

 勇者とはいえ17歳の少女には、旅に出て一日目でいきなり幽霊船とはちょっとどころではなく難易度が高かった。
 乗る時甲板では全く見あたらなかったが、一つ下の階に降りてみれば、あちこちに腐った死体やら骸骨がいるわ、火の玉は浮いているわ、とかく気味が悪い。
 アルスのストレスがマッハ。
 せめてもの救いは、遊者の超難度遊戯のお陰かやはり魔物が出ない事。
 そして船に乗り込んですぐの甲板、船最後尾の船室に、大体二人と似たような感じで乗り込んでしまったらしい二枚目冒険者がいたりもした。
「おや? あなたは亡霊ではなさそうだ。さてはあなたも財宝がお目当てですね? でもこの船にいるのは亡霊ばかり……参りましたよ」
 などと話をしてみると普通にメンタルが強い。
 なぜなら、
「いざとなればキメラの翼がありますから」
 という心強いアイテムを持っていたからである。
 冒険者の心得。
 備えあれば憂いなし。
 それを聞いて道具袋にキメラの翼が一枚入っている事を確認したアルスも相当安堵した。
 となると、恐怖でストレスは溜まるものの、アルスがキメラの翼で戻れる場所と言えばアリアハンしかないので結局どこか大きめな大陸に着くまでできるだけ頑張る方向性に落ち着いたのだった。
 一方で自称伝説の遊者はといえば、魔物の出ない船室にアルスと冒険者を残し、勝手に幽霊船内を物色して周り、目ぼしいアイテムを集めて戻って来た。
 その収穫はと言えば。

 ちいさなメダル二枚。
 すごろくけん。
 ガーターベルト。
 128ゴールド。
 670ゴールド。
 どくばり。
 ちからのたね。
 あいのおもいで。

「既に他の冒険者に目ぼしい財宝は持って行かれた後だったようですね……」
 そう言って、少々残念な様子で、二枚目冒険者は二人に挨拶をした後、キメラの翼で早々に幽霊船から去っていった。
 酷く呆気ない別れ。
 そして、航海というよりどちらかというと漂流すること幾日。
(灯台守の人が言ってた通り南下してるけど、南下しすぎ……)
 テドンの岬は回ったが、その後の航路は陸沿いなんてものは完全に無視していたのだ。
 しかもアルスは良く良く思い出すと、出港時、普通にポルトガに着けたんじゃないのか、と文句の一つも言いたかった。
 だが、この幽霊船がロマリア付近の海域を離れて外海へと出ていくのは異常で、実は遊者自前の道具袋に船乗りの骨の一本が乱雑に入っていた事をアルスは知る由もない。
 そして何だかんだ暇すぎて、アルスは遊者の拾ってきたガーターベルトを「防御力上がるし、試着してみようかな……」と乱心しかけたが何とか思いとどまったり、『あいのおもいで』とは知らずに「これがオーブだったりするのかな……」と勘違いしたりしているうちに、陸地が見えた事を遊者が船室に入って来て報告する。
「レディ、陸地が見えた」
「ほんと!?」
 その報告に慌ててアルスは甲板へと出て前方を確認すると、一面銀世界だった。
 レイアムランド。
「……あ?」
 アルスは思いっきり顔を引き攣らせた。
 そして間もなく、レイアムランドに幽霊船は到着した。
 仰々しく遊者はアルスへと手を出す。
「お手をどうぞ」
「う……うん。……っていうかホントに降りるの!? しかも寒ッ!」
「流石にこれ以上漂流するのは食料の蓄えから難しい。しかし幽霊船にある地図からして、この大陸には祠があるようだし、一応行ってみるのも悪くはないだろう? 寒いとあれば、これを羽織ると良い」
 声を出して、アルスの手を取っていた遊者は体積と中身が間違いなく合っていない自前の道具袋から暖かそうなコートを取り出して流れるような動作でアルスの背に掛けた。
「あ、あったかい……。ありがとう、遊者」
「どういたしまして」
 仰々しく礼をして体勢を戻すと、ポヒーと遊者の鼻から紙ストローが飛び出して、引っ込んだ。
(本当に締まらないわね……)
 一瞬顔を赤らめかけたアルスはやっぱり阿呆らしくなってジト目でため息を吐いた。
「では、祠へ」
「うん」
 アリアハンではアルスが先導していたが、歩きにくい雪の中では遊者が先導して雪を掻き分け、アルスが歩きやすいよう道を作っていた。
 しかし、その事にアルスは気がつけなかった。
 遊者108の超難度遊戯の一つ『どこまで気づかれないかな? かなぁ?』である。
 大体、技名はウザイ。
 かくして、レイアムランドの祠へと二人は魔物には一切会わずに無事到着。
 アルスは祠を見上げて呟く。
「本当に祠があった……」
「ではお先に失礼」
 言って、遊者は立てかけてある梯子のような階段を先に登り始めた。
「あ、待って私も」
 勝手に行くなんて! と少し憤りながらも慌ててアルスも後を追いかけて梯子を登り始めるが途中まで登った所でふと下を見て思う。
(あ……もしかして……)
 自分が先に登った場合見られのでは、と。
(やっぱり……紳士ではあるのよね……。けど、未だに本名も素顔も知らないし一体何者なんだか……)
 アルスは頭を振って、少し距離の開いた階段を一気に登った。
 登り切った先には六つの頂点を描く金色の台座、その中央に巨大な卵。
 そして、卵の前に双子の幼女、ただし人間のようではない、がいた。
 徐に近づくと、双子は同時に口を開いて話し始める。
「わたしたちは」「わたしたちは」
「卵を守っています」「卵を守っています」
「六つのオーブを金の冠の台座に捧げた時……」
「伝説の不死鳥ラーミアは蘇りましょう」
 短い台詞に、アルスはまだ何か言うだろうと思って期待の表情で待っていたが、双子は完全に黙ってしまった。
(そ、それだけ……? えっと……)

―アルスは人々の話を思い出した―

「世界のどっかにある六つの『オーブ』を集めた者は船がいらなくなるって話だ」

 アルスは顎に手を当てる。
(つまり、オーブを集めるとその不死鳥ラーミアに乗れるって事よね……多分)
 そう見当を付けて、アルスは袋から『あいのおもいで』を取り出した。
「もしかしてこれがオーブ?」
 言うとパッと双子の真剣な視線が集まり、
「違います」「違います」
 全力で揃えて首を振った。
「……そ、そうですかぁ……」
 きっぱり言われ過ぎてアルスは少し肩を落とした。
「ではお嬢さん方、もしや私の十八番『金の玉』に使っているコレはどうかな?」
 と、突然遊者が袋から取り出してみせたのは黄色に穏やかに輝く宝玉。
「それはイエローオーブ!」「それはイエローオーブ!」
 双子はハッとした表情で揃えて言った。
「なるほど、これは奇遇」
 うんうん、と遊者は頷く中、
「はぁ!? 何で持ってるの!?」
 しかも『金の玉』とかお前ナニをしている! と内心叫びながらアルスは現実に大声を上げた。
「何で、と聞かれたとあれば答えよう。何でもコレは『人から人へ世界中を巡り巡っている』という品らしく、その人から人へと渡ったのが今偶然私だったという事さ」
 相変わらずの饒舌な腹話術でイエローオーブを頭上に掲げながら遊者は、当然だよね、とばかりに答えた。
 一瞬の沈黙の後、またしてもジト目になったアルスは驚きよりも呆れた様子で呟く。
「……へ、へぇー……。でも、後そのオーブが五つ無いと駄目なのよね」
 すると、やれやれと遊者は肩を竦めてイエローオーブを袋に戻す。
「レディ。いつからオーブが一つしかないと錯覚していた?」
「な、何っ? まさかまだ他に……?」
 恐る恐るアルスが言うと、遊者は首を振る。
「残念ながら私もそこまで万能ではないよ。だが、今ここに丁度キメラの翼があるので問題はない」
「キメラの翼?」
 何で? とアルスが思った瞬間、
「とくとご覧あれ! 108の超難度遊戯の一つ『あれれーおっかしいなぁー! 不思議も不思議、何故か増えるよ!』 発 動 !」
 そう盛大に声を出して、遊者は袋に手を入れてゴソゴソと弄り始めた。
「……ぉぃ」
 アルスは低い声で突っ込みを入れてその奇怪な遊者の様子を白けた様子で見ていたが……。
「ふぅ……」
 次の瞬間、ゴトリゴトリ……とイエローオーブが袋から六つ現れた。
 所謂アイテム増殖バグである。
「…………ぇー?」「…………ぇー?」
 一番唖然として目を丸くしたのは双子だった。
「これで六つ。レディ、悪いが祭壇に手分けして捧げては貰えないだろうか?」
「う……うん……?」
 目の前の現象に理解が追いつかないアルスは生返事で、ふらふらっとイエローオーブを一つ抱えて近くの祭壇に掲げに向かった。
「あわわ……」「あわわ……」
 次々にイエローオーブばかりが祭壇に捧げられていく中、双子はオロオロと止めようかどうかと迷っていたが、間もなく六つの祭壇がイエローオーブで占拠されてしまった。




5、そして……大空ェ……。

 刹那、六つのイエローオーブは美しい輝きを次々に放ち始め、ラーミアの卵がカタカタと震え始める。
 アルスと遊者が卵の元に向かうと、双子は額から汗を流しながら口を何とか開く。
「わ……わたしたち」「わ……わたしたち」
「こ、こ、この日をどんなに……」「こ、こ、この日をどんなに……」
「待ち望んで……いたことでしょう……?」
 上ずった声を出して二人は同時に冷や汗を拭い、カタカタ震える両手を合わせる。
「さぁ……祈りましょぅ……」「さぁ……祈りましょぅ……」
「時は……来たれり……」
「今こそ……め、目覚める時」
「大空は、お前のもの」
「舞い上がれぇ……空高くー……」
 か細い声で言った瞬間、一気に卵は割れ……。
 全身黄色のラーミアが現れた。
 クェーと鳴き声を上げるそのイエローラーミアをポカーンと双子とアルスが眺めていると、また一つクェーと鳴いてバッサバッサと適当にその辺に飛んでいった。
「で……伝説の不死鳥ラーミアは……多分……無事に蘇りました」
「ラーミアは神のしもべ……」
 双子は深呼吸をして更に続ける。
「心正しき者だけが」
「その背に乗ることを許されるのです」
「さあラーミアがあなたがたを待っています」
「……外に出てごらんなさい」
 そう言うと、双子はホッと胸を撫で下ろし、わたし何とか言えたよ……とボソボソ呟きながらアルスと遊者の事はそっちのけになった。
「レディ、ここは勧めに従って外に出てはどうかな?」
 ピヒーという音を立てて遊者の鼻から紙ストローが飛び出した。
 その不抜けた音で現実に引き戻されたアルスは我に返る。
「ハッ! ……あ、うん。そ、そうしよっか」
 そして二人が外に出ると、その辺にイエローラーミアはきちんと待っていた。
「よ、よろしくねー……」
「よろしく頼む」
 いそいそとその背に二人が乗ると、クェーという鳴き声と共に、イエローラーミアは翼をはばたかせ、大空へ舞い上がった。
「あれー……。でっ、どこにラーミア向かってるのッ……? くっ!」
「北のようだね」
 行き先を特に告げていないが、イエローラーミアは一路北へと物凄い速度で飛び、風圧でアルスは落ちないようにするのに必死だった。
 一時間もしない内にラーミアは突如高度を落とし始め、対岸には禍々しい城が見える深い湖に囲まれた何だかやっぱり禍々しい毒の沼地に降り立った。
「降りろって……?」
「どうやらそうらしい」
 空気を読み、二人はとりあえず降りるとクェーと鳴き声を上げて勝手にイエローラーミアはその辺に飛んでいった。
「ってオイッ! コラァッ!」
 思わず叫んだアルスだったが、返事は無かった。
 完全に放置であった。
 しばしの沈黙の後、遊者が声を上げる。
「レディ、とりあえず中に入ってみないかい?」
「……そ、そうね……」
 がっくし意気消沈したアルスは、よく状況を判断せず、ホイホイ遊者の後について『ギアガの大穴』へと入った。
 中に入ると意外にも兵士がいたが、入ってすぐの詰所で兵士二人は寝ていた。
 とても不気味な所だった為、アルスは遊者が強固な壁伝いをふらふら行くのを慌てて追いかけて言ったが、遊者はピタリと足を止めた。
「なるほど、ラーミアはこの先に行けと言っているのか……」
「はぃ?」
 何その脳内妄想、大丈夫か、とアルスは声を上げたが、遊者の独り言は止まらない。
「……ならば話は早い。この壁が私達の行く手を遮るというのならば、この自称伝説の遊者、推して参る!」
「ちょ!」
 シュババッという擬音を立てて遊者は僅かな間に幾つかのポーズを取り、
「108の超難度遊戯の一つ『んー、何が起こるか分からない! それが怖い、悔しいっ! でもわたし止めないッ!』 発 動 !」
 デデーン!
 ……という音と共に、壁が全て崩れ去った。
「ふぅ……」
 良い仕事した、とばかりにぐるぐる眼鏡が邪魔で額を触れないながら、遊者は額を拭おうとして失敗した。
「ふぅ……じゃないだろ! 今の何よ! ってかこれどうすんのよー!」
 再起動したアルスが突っ込みを入れた。
「ではレディ、ここはご一緒に」
「な。まさか」
 サッとアルスの背後に回りこんだ遊者はアルスを抱えて、全く躊躇という文字を知らない様子でギアガの大穴に飛び込んだ。
「ぬわ――っっ!」
 胃の辺りがフワッとする嫌な感覚に囚われながら、アルスは少女が叫ぶには考えものな台詞を叫びながら落ちていったのだった……。


アルス
ゆうしゃ
くろうにん
せいべつ:おんな
レベル:1
Eどうのつるぎ
Eたびびとのふく



ちから:12
すばやさ:20
たいりょく:10
かしこさ:6
うんのよさ:1
さいだいHP:20
さいだいMP:12
こうげき力:24
ぼうぎょ力:18
Ex:0




6、そして……伝説ェ……。

 ストッという音と共に、遊者が華麗に着地すると、抱えられていたアルスは盛大に気絶していた。
「ふむ……」
 着地した先はどうやらまたしても祠のようであり、とにかく辺りを歩いていると父親と子供の親子に出会い、かくかくしかじか話すとここは闇の世界アレフガルドで、船を自由に使って良いと言われ、遊者は礼儀正しく礼を述べて船を駆って東へと進んだ。
 陸地に接岸すると、

 ―???は鷹の目を使った―
―???は『ピオリム』を唱えた―

 遊者は未だ気絶したままのアルスを抱えたまま、草原を蹴り東の方角にあるラダトームへと一気に距離を縮めていった。
 そしてラダトームの街にて。
「……ここどこ?」
 アルスが気がついて目覚めると、ふかふかのベッドの上だった。
 辺りを見渡すと、床は中々高級そうな赤い絨毯が敷かれていた。
「宿屋……?」
 徐にベッドから降り、身支度を整えて部屋の外へと出ると、宿屋の主人が挨拶を掛けてくる。
「お休みになられましたか?」
「ぁ、は、はい。どうも……。あの」
「お連れ様であれば、情報を集めると言ってお出かけになられましたよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
 アルスは会釈して宿屋から出ると、夜とは違う異質な暗さと肌寒さを感じた。
「何……ここ……」
「レディ、お目覚めかな?」
「ぅわぁっ!」
 どこからともなく現れた遊者の声にアルスは驚いて一歩飛びのいた。
「って、遊者! あんたのせいでもー訳分かんないわ! ここどこよ!」
「御怒りのようだね。これは失礼」
 そしてプヒーという音と共に耳から紙ストローが飛び出して引っ込んだ。
「…………笑わないわよ?」
「構わないさ。さて、色々興味深い情報が集まった事だし、質問に答えようか。ここは大魔王ゾーマの支配する闇の世界アレフガルド、そのラダトームという城下町だ」
 声を出すなり、遊者は割合落ち着いた様子で説明をした。
「んん?」
 しかし、そうは言われたって状況をつかめないアルスは首を傾げた。
「そうだ、私達の倒した魔王バラモスは大魔王ゾーマの手下にすぎないそうだ」
「な、何だってーっ!? ……ってバラモスまだ倒してないわぁッ!!」
 ビターン! とアルスはどうのつるぎを鞘ごと地面にぶん投げた。
「ん……え、というかバラモスが手下……? って事は……」
「そう、魔王バラモスには親玉がいたという事らしい」
 驚愕の事実にアルスは口元を手で抑えた。
「何よ……それ……」
「更に耳よりな情報だが、落ち着いて聞いて欲しい」
「何……?」
「……レディの父上、オルテガ殿は記憶喪失になってこの世界に来たそうだ」
 アルスはサッと遊者の表情の分からない顔面を見上げる。
「え……今、何て……?」
 遊者は両手を広げ、諭すように声を出す。
「つまり、オルテガ殿は生きているかもしれないという事だ」
「……そ……そう……」
 突然告げられた可能性にアルスは頭がこんがらがり始めたが、遊者が軽く声を出す。
「そういう訳だからレディ、今から早速大魔王ゾーマを倒しに行くとしようか」
「はぁ!? 何で!」
 その大声に全く動じず遊者は首を傾げる。
「倒さないのかい?」
 アルスは言葉に一瞬詰まり、手振りを交えて説明を始める。
「ぅ……ちょ、ちょっと待ってよ。倒すって言っても私はどうのつるぎとたびびとの服で、遊者はぬののふくだけで一体どうしろっていうのよ? それに私まだレベル1だし」
「大丈夫だ、問題ない」
 ポヒョーという音を立てて鼻と耳から紙ストローが飛び出し、遊者はいつの間にかアルスの両手を握っていた。
「この伝説の遊者がついている」
 唖然とした表情でアルスは数秒停止すると、プッと吹き出し、
「……ホント、締まらないわね……」
 はぁとため息を吐いた。
「それで、どうするの?」
「出発さ。大魔王ゾーマの城はラダトームと目と鼻の先だからね。すぐ着くよ」
「はぃ?」
 散歩にでも行こうというレベルの雰囲気にアルスは変な声を上げたが、遊者の先導に従うまま街を出て少し行くと、確かに対岸に禍々しい城が見えた。
「近っ!」
「だろう? さ、行こうか」
 するとサッと遊者はアルスをまた自然な動作で抱える。
「え、ちょ!」
「少し乱暴な方法だが、怖かったら目を瞑ると良い。但し、口はしっかり閉じていないと舌を噛むから気をつけて」
「一体何を」
「108の超難度遊戯の一つ、究極遊戯呪文『オナラズン!』」
 瞬間、ボホワッ! という音と共に、遊者の、但し尻からイオ系の魔法が飛び出し始める。
 すぐに出力が安定するとボボボボボと宙を浮き始め、そして、順調に移動を開始した……。
「くっ……嫌すぎるぅ……」
 アルスは正直涙目、いや、泣いた。
 遠目にラダトームの住民が皆指さしてこっち見ていたのが見えたから。
「到着だ」
「あーはぃはぃ……」
 無事、対岸に到着。
 入り口に向かう為、毒の沼地を通過する事になったが、遊者が躍り出てポーズを取る。
「108の超難度遊戯の一つ『辛いの辛いの飛んでいけぇー! トラマナッ!』」
「ってオイッ! 今何かトラマナって小さい声聞こえたわよッ!」
 スパーン! とアルスは遊者の頭を引っぱたいた。
「気のせいだ」
「嘘だッ!」
 遊者は親指と人指し指をピッタリ顎に当てて考えるポーズを取る。
「ふむ……レディがトラマナなる魔法だと断言するのなら仕方がない。レディにとってはきっとトラマナなのだろう。であれば、私が何を言った所で栓のない話だ。多くは語るまいよ……」
 一人で自己完結した遊者は寂しげな背中をして先を歩き始めた。
 アルスはジト目でええー……と息を吐く。
(なに、この虚しい感じ……)
 そして、ハッと我に返って遊者の後を追った。
 城の正門まで周り、門がガガーっと開いて中に入る。
 アルスと遊者は並んで進んでいくが、やはり全く魔物が出ない。
(慣れておいて言うのも何だけど、何これホントありえない……)
 時折ポヒューと音を立てて紙ストローが飛び出す遊者を横目に、全く緊張感の欠片もない様子で二人は一階を進んでいった。
 一階にはあちこち小部屋のようなものがあったが「大魔王の間に行くための通路がせせこましい訳が無い」という一応納得の行く遊者の発言により、行き着いた先には大魔神の像が並び、固く閉ざされていそうな門が見える間に辿りついた。
 反射的にアルスは遊者の服を片手で掴んだ。
(怖ッ……!)
 そして遊者と勇者はそのまま門の前まで前進。
 遊者が軽く門に触れると、ガガーッと開いた。
「……開いたわね」
 拍子抜けの様子で二人はバリア床を遊者の『辛いの辛いの飛んでいけぇー! トラマナッ!』により無視し、玉座の間に入ったが行き止まりのようだった。
「行き止まり……?」
「そう判断するには早計だろう。例えば……こういう所には隠し階段というものがつきものだとは思わないかい?」
 声を出して、コンコンと遊者が床を叩き始める。
「そんな都合よく……」
「おや、当たりのようだ」
「え」
「ほら」

―???は足元を調べた!―
―何と 階段を見つけた!―

「……都合……良いわね」
「実際都合は良い」
 そのまま二人は階段を降り、更に階段を降り、回転床の間に到着。
 見たこともない仕掛けにアルスが不安げな様子を見せる。
「何……罠……?」
「違うさ。遊びだよ」
 ヒョイっと近場の回転床に乗って遊者が言った。
「遊び?」
「なるほど……。けど、余り頭を使わなくて良い優しい設計だね」
 スイッと遊者は床を回転させながらアルスの近くに戻った。
「どこが!?」
「法則性が掴めてしまえば何の問題も無い。さて、いいかいレディ。そこの床からずーっと何も考えずに足を前に出し続けるんだ。そうすればあの対岸までつける」
「そ、そう言われても……」
 真っ直ぐ行けばいいだけだなどと正直アルスには信じられなかった。
「ならば、手っ取り早く行こうか」
「ってまた!? あわわっ!」
 声を出して、ヒョイッと遊者はまたアルスを抱えると宣言通り真っすぐ進み始めた。
 左右にやたら迂回したが……間もなく対岸にあっさり到着。
「ほらね」
「……そうね」
 二人は先にあった階段を降りた。
 次の瞬間、遊者は左手を大仰に上げた。
「数多ある超簡単遊戯の一つ『左の法則!』」
「何それ」
「つまり、自分から見て左の壁伝いに進むという歩法の事さ」
「……はぃはぃ」
 聞いて損した、とアルスは何度目かの息を吐いた。
(大体歩法って何よ……)
 しかし、しばらく歩くと、すんなり階段に到着した。
 二人は階段を降りた。
 遊者が一枚扉を開けると、今度は大分雰囲気の変わった階であるようで、装飾も凝られ、水が流れ、橋が架かっていたりと風情があった。
 全く魔物が現れないまま、二人は道なりに進んでいく。
 キングヒドラとか、出ない。
 そして宝物庫っぽい場所があり、アルスは完全スルーしようとする遊者を呼び止めた。
 しかし、
「幽霊船の亡くなった者の物はまだしも、まだ生きている大魔王の私物を盗むのは勇者としてあるまじき行為なのではないかな?」
「む……なら、何か良いわよ……」
 思わずムキになってアルスは諦め、そのまま先に進んだが、
「っ、ゴハァッ!」
 階段を目前にして突然遊者が盛大に口から血を吐き、四肢を床につけた。
 慌ててアルスが駆け寄り、背中をさする。
「遊者っ!? どうしたのっ!?」
 尚も遊者は苦悶の声と共に吐血し続け、見た目には危険な状態だった。
 やがてスースー呼吸をし、大分落ち着いた状態になると遊者は血で紅く染まった付け髭を取り外し、口元の血を拭って新しい付け髭に取り替えた後、再び立ち上がった。
「もう大丈夫だ。失礼した。心配かけて済まない。背中をさすってくれて感謝する」
「そんなお礼より今のなに? 大丈夫なの?」
 不安の色を顔一杯に浮かべてアルスは遊者に問いただした。
「ああ。大丈夫だ、問題ない。ちょっとした反動さ」
「ちょっとした反動って……まさか」
 ハッとアルスは口元を手で抑える。
(108の超難度遊戯の一つ)
(何分こちらも命を賭けて遊んでいるのでね)
 アルスの脳裏に浮かんだのは二つの台詞。
(まさか……『あっちいけ魔物』を使い続ける……のは命がけって事……?) 
 大魔王ゾーマの城の深奥部に至って今更遊者の技のリスクについて考えを巡らせたアルスであった。
「では、先に階段を降りさせて貰うよ」
「あっ!」
 考えている隙にサッと進んでしまう遊者の後をアルスは追って、階段を降りていった。 
 そして……地下五階。
 今までとは一層嫌な雰囲気のする薄暗い中、二人は真っ直ぐ足を進める。
 至るのは、祭壇。
 暗闇の中、遠くから順に明かりが灯り、禍々しい巨体をした存在が二人に近づいて来る。
(あれが……まさかっ……)
 緊張と恐怖で体がガタガタ震えるアルスは遊者の袖を掴む。
 そしてとうとう大魔王ゾーマが二人の前に到着し、高らかに宣言する。
「アルスよ! 我が生贄の祭壇へよくぞ来た! 我こそは全てを滅ぼすもの! 全ての命を我が生贄とし、絶望で世界を覆い尽くしてやろう!」
 レベル1のアルスにとって目の前の存在はとてもではないがまともに立っているのも辛いものであった。
 そして、アルスは隣の遊者が何かを小声で唱えているのには気付かなかった。
 ゾーマは圧倒的存在感で言葉を続ける。
「アルスよ! 我が生けにえとなれい! いでよ我が」

―???は パルプンテを唱えた!―

   ―時間が 止まった!―

 そして、周囲の風景が灰色に変貌する。
「アルス、大丈夫かい?」
「え……?」
 目を閉じてしまっていたアルスはそっと目を開けると、奇妙な状況に声を失った。
「説明している時間は余り無い。まだ目を閉じていた方が良い。手早く済ませる」
 遊者は盛大に口を開き、ポーズを構えて唱え始める。
「108の超難度遊戯の一つ『んー、何が起こるか分からない! いや、いつから何が起こるか分からないと錯覚していた? そんな事はない! 来たれ! 望む事象よ!』 発 動 !」

―???は パルプンテを唱えた!―

 遊者のこれまでに聞いた事もない気合の入った声と共に、ゾーマの肉体がバラバラになって行く。 

―ゾーマは 見事に砕け散った!―

「……なに……ぅっ!?」
 目をもう一度開けたアルスはその目の前の惨状に吐きそうになる。
「嫌な物を見せて済まない。だがアルス、この『どうのつるぎ』であの大きい破片に一撃を入れて欲しい」
 遊者は普通に口を開いてそう言い、アルスの背中に収まっている『どうのつるぎ』を引き抜いて手渡した。
「わ、私が……?」
 不安そうにアルスが遊者を見ると、
「その通り」
 ポヘーという音と共にここでも紙ストローが鼻と耳から時間差で飛び出した。
 そしてやはりその表情は全く分からない。
 反射的にアルスはジト目になった。
「……はぁ……分かったわ。それぐらいできるから、後で説明してよね!」
 言って、アルスは『どうのつるぎ』を両手で受け取り、目標を定めて飛び上がり、

―アルスのこうげき!―

ゾーマの肉片にその刃を突き立てる。

―かいしんの 一撃!―
―ゾーマを 倒した!―

 そして、時は動き出す。
「………………」
 色合いの戻ったゾーマの屍は何も言わず、否、何も言えず自然に燃え始めた。
 同時に、城全体がガタガタと揺れ、次々に崩れ始める。
「ではお手を失礼」
「へ」
 遊者はアルスの手を取り真っ直ぐ通路を駆け抜け……思いっきり穴に落ちた。
「うわぁっ!」
 地鳴りのような音と共に穴から放り出されたのはどこかの洞窟。
「……ってて……」
「もう少し走るよ」 
 腰をさすっていたアルスはやや乱雑に更に手を引かれて宝箱が五つある部屋を後にして階段を駆け上がり、出た先の通路を突っ切った。
 すると再び大きな地鳴りと共に背後の床が崩落し、そこに残ったのは底なしの闇だった。
「さて、地上へ出るとしよう」
 言葉通り、二人は呪文の一切使えない洞窟を気にせず、地上へと出た。
 空の上の方で何かが閉じたような音がし、見上げてみればアレフガルドの世界に光が差し込み始めた。
 アルスがポツリと呟く。
「……普通の、夜明けね」
「そう言われると、そうかもしれない」
 そして二人は全く魔物の出ない中ラダトームの方角に向かって歩き出した。

 実はこの時、ひいこら言ってリムルダールから近い岬から泳いでゾーマ城のある陸地まで辿りついた絶賛記憶喪失中のオルテガは「あるぇー?」と空を見上げ、精霊の祠に住むエルフも「あるぇー?」と空を見上げ、聖なる祠に住む神官も「あるぇー?」と空を見上げ、精霊ルビスは勝手に封印が解けて「あるぇー?」と驚いていたが、どれもこれも勇者と遊者の知った事ではなかった。

 草原を歩きながらアルスが尋ねる。
「で……あの時どうして時間が無いだとか、私に一撃入れて欲しい何て言ったの? 遊者って何か色々知ってたの?」
 ピタリと遊者が足を止める。
「……レディ、いつから私が黒幕臭いと錯覚していた?」
 アルスもピタリと足を止める。
「……は?」
「正直に言うと、私は何も知らない」
「え?」
 ふむ、と遊者は考えこむ。
「あの時、時間が無かったのは事実だが、一撃入れる意味は……『実は無かった』……だろう」
 ピヒーという音と共に四本の紙ストローがちぐはぐに飛び出した。
「……ぁんだってぇ? なら何、あの意味深な発言はっ!?」
 圧倒的ジト目でアルスは遊者の紙ストローを毟りとり、
「遊戯さ」
 という遊者の答えを聞くと同時に無造作に地面に放り出した。
 続けて投げやりに言う。
「つまり……それっぽい演技だったって事……?」
「……その通り」
「なんだそれぇー、えぁぁぁっー!!」
 絶叫して、アルスは『どうのつるぎ』を地面に叩きつけた。
 やれやれ、と遊者は肩を竦める。
「レディ、それはもうただの『どうのつるぎ』ではない、大魔王ゾーマに止めを刺した『勇者の剣』だ。もう少し大切に扱うべきだと私は思う」
「うっさいわ! じゃあ、一体あの吐血は何だったのよ!」
「ああ。あれはここ最近の腹話術の使いすぎの反動さ」
「そっち!?」
 アルスの驚愕を他所に、当然だよねとばかりに遊者が声を出す。
「それ以外に何があると思っていたんだい?」
 『あっちいけ魔物』はこっそり聖水を使いまくっていただけだったりするが、そんな事知らないアルスは微妙に涙目になって言う。
「……じゃ、じゃあ……あの周囲が変な風景になったり、ゾーマを粉砕したりしたのは一体何?」
「これは門外不出と言いたい所だが……実を言えば『パルプンテ』という魔法によって起きる幾つかの現象を特殊な訓練によって私は自由自在に操る事ができるだけなのさ」
「へー。そうだったんだー。ってそれが一番おかしいわッ!! しかもやっぱ魔法使ってたか!」
 スッパーン! とアルスは遊者の頭を引っぱたいた。
「その通り。以前に違う職業を経験した事がないなんて私は一言も言ってない」
「こ……こいつ……」
 ぐぬぬ、とアルスは唸り、再び目に涙を浮かべて更に口を開く。
「そんな凄い力があるなら、ならっ……何でわざわざ私の仲間になったのよっ! そもそも一体あんた何者よ! 本名はっ!? 素顔はっ!?」
 叫んで、大粒の涙が落ちた。
「……なぜなら、それは意味は違えど私が自称伝説の『ゆうしゃ』に他ならないからさ。アルスと同じね」
「へ?」
 遊者は胸に手を当てて続ける。
「そして、私は私。本名はダーマ神殿で毎日のように変えていた時期があって何が本名だったのかもう良く分からない。素顔はというとだね……」
 徐に首筋の辺りに両手を当てると、ベリッ、ベリッと皮を向き始めた。
 気味の悪さにアルスは反射的にサッと距離を取る。
「こうかな」
 何も変わっていなかった。
 でろーんとくたびれた怪しげな皮は確かに地面に落ちているが……問題の顔にはぐるぐる眼鏡、つけ鼻、付け髭は健在。
「ってオイッ!」
 アルスは助走をつけて引っぱたいた。
 ……どこまでも遊びに命を賭ける自称伝説の遊者は勇者アルスにギャーギャー言われながら二人でラダトームに着くと、やたら歓迎されたりなんたりしているうちに、アルスはその場の流れで勇者ロトの称号を授けられ英雄になり、

 彼女が残し、脱いで放り出した、
 武器・防具はロトの剣・ロトの服として、
 聖なる守りとかは無い。
 とりあえずあった分だけ後の世に伝えられたという。

 そして、割と適当に伝説が始まった……。








後書き

突然下らない電波を受信した結果がコレでした。
正直「白けるわー」と笑えないかと思いますが、どこか一箇所でももし笑われたとあれば多分私の勝ちです。
とはいえ、この電波の誘惑に勝てずにホイホイ書いている時点で私は盛大に負けだったりします。
本作の要素としては

1、TAS臭(露骨な乱数調整。主に遊者の奇怪な動作全て)
2、SSならではのご都合主義(幽霊船、パルプンテなど)
3、公然とバグ使用(イエローオーブ)
4、アバカム使用(実際にはアリアハンで頑張って習得しても結局魔法の玉を普通に受け取ってロマリアに行くことになります)
5、色々放りだしすぎ(バラモスルー)
6、超速クリア・一話完結(多分作中二週間ぐらいで冒険終了。幽霊船での漂流が一番長い)

辺りが濃いですが、私のSFCドラクエ3は随分昔にデータが吹き飛び、SFC本体も耐用年数的に終わっています。
記憶が薄い部分はプレイ動画系や攻略系サイトを参考にしております。
GBC版はやった事ないですが検索したら良く分からないながらキメラの翼バグがあるそうなので利用致しました。
以上、長々とした後書き失礼致しました。



[29850] QB「僕と契約して勇者になってよ!」【DQ3+QB・TAS臭】
Name: 気のせい◆050021bc ID:899ac1f2
Date: 2012/02/24 15:03
 塔の上層部では金属の打ちならされる音が響き、目まぐるしい戦闘が繰り広げられていた。重厚な筋肉を纏った巨漢の大男は、舌打ちをして叫び、大気を割るように大斧を背後から振るう。
「おのれ、ちょこまかとォ!」
 軽装の少女は予め知っているのか、背後を視認もせずにその攻撃を最低限の動作で避け、空振りした斧が石造りの床を轟音を立てて砕いた。続けざまに身を低くして地面を蹴りあげ、前から襲いかかってくる二人の盗賊の間に滑り込む。一人の脇腹を貫き刺すと片足を軸に回転してその腹を斬り裂き、そのままもう一人の脇腹をも鮮やかに薙いですり抜けた。
「なァッ」「でァ」
 盗賊は腹から鮮血を散らし、口からは血を吐くも、平然と少女の方に振り返る。だが少女は動きを一切止めておらず、盗賊が振り返った時には再び懐に入り込み、その剣は見事に胴体を貫通していた。
「ぐぅッ」
 盗賊の呻き声と共に、少女は黙って盗賊の身体を蹴って剣を引き抜くと、大斧を再び構え直して迫ってくる大男に自ら閃光の如く瞬時に接近し、
「ぬぉォ!」
 大男が振り降ろした斧はまたも虚しく空を切り、少女の剣は胴を切りつけ血を散らせる。
「ッァ」
 激しいが、明らかに一方的な戦闘を少し離れた場所から感心した様子で見物する者達がいた。長身の洒落たスーツを着た男が目を細くして呟いて、うん、と満足気に頷く。
「ほー俺さん達の出番はないな。だが楽で良い」
 男の隣に立つ十字架のあしらわれた服装の女もポツリと小さい声で呟く。
「金の冠……売っていいか」
「駄目に決まってるだろうに。返すの」
「君も『盗賊』だろうに、何だその無欲さは」
 信じられん、と蔑むような目で女は言った。ややうんざりした顔で男は口を開く。
「だから俺さんは『盗賊』は『盗賊』でも主に困っている人の依頼を受けて割と自己満足な善行をする、対盗賊専門の『盗賊』なの」
「君のその妙に開き直った態度は原点に立ち返って胡散臭い。端的に言ってこの純粋に金銭欲にまみれた僕より臭い。臭うぞ」
 男は、開き直ってるのはお前さんもだろうに、と思いながらまともに言い返すのが面倒になったのか、ポリポリと頭を掻く。
「あぁ……やれやれ。どうしたものか」
 そこへ自棄になった盗賊の一人が襲いかかって来る。
「てめぇらそこで余裕こいてんじゃねぇぞ! 死ね!」
 大振りな動作で盗賊は剣を女に振るうが、
「いや君が死んでくれ」
「ひァ!?」
 女は爆発的な勢いで身の丈程の酷く重い鉄の棍棒を振り降ろし、鈍い破砕音と共に盗賊を剣ごと床に叩きつぶした。
「……容赦無いな……」
「どれどれ、金目の物は……。あぁ、少し潰しすぎたな」
 女は男の言葉を意に介さず、しまった、と言いながらも全く後悔はしていない素振りで沈黙した盗賊の体から金目の物を漁り始めた。
「…………と…あっちはそろそろ終わるか」
 本当にお前さんは聖職者なのか、と男は女の様子をしばし眺めながら、ふと前に目を向けると、虐殺されたかのような血に染まった姿の二人の盗賊は床に倒れ伏し、大斧を手放して満身創痍の大男は完全に怯えきった様子で地面に情けなく尻をつき、少女に弁明をしているところだった。
「もう二度とこんなことはしない! 金の冠は返すから、見逃してくれ! な、な!」
「なら返して。最初からそうしてくれると助かったよ」
「あ、ああ!」
 コクコクと頷き、大男は袋から金の冠を取り出す。そこへツカツカと金目の物を漁り終え、身ぐるみ剥がれた盗賊の体を片手でズルズル引きずりながら女が近づいてきて命令染みた口調で言う。
「そこの君。僕のために他の金目の物ももののついでに全部出せ。というかその袋ごと置いていけ」
 ふざけるな、と大男は声を荒げる。
「なっ、何だと貴様!」
 一段と冷たい表情になった女は見るに耐えない盗賊の体をどさりと床に放り、
「カンダタ君。断られると僕はつい止めを刺してしまいそうでね」
 瞬時に盗賊の血で濡れた棍棒をカンダタの首元に突きつけて微妙な力加減でその巨体を押さえて言った。
「ひぃ!」
 カンダタの顔が恐怖に歪むと、女は口元を僅かにつり上げ、皮肉気に見下ろして言う。
「……だがまぁ僕は見ての通り聖職者だ。幸い最低限の慈悲の心ぐらいは持ち合わせている。そこらにくたばっている君の部下達をこの場で蘇生させてやらんこともない。但し、そのためには僕は金目の物が無いと……こう、どうしても駄目でな……。ところで君は部下を見捨てて一人だけ逃げるような性根腐りきった盗賊かな?」
「わ、分かった! 分かったから、言うとおりにする!」
 仰向けの状態で両手を上げてカンダタは降参した。
「君のように聞き分けの良い人間は実に良い。さて、こういう時盗賊専門の盗賊とやらの出番ではないのか? 僕は手を滑らせないようにするのに忙しいので代わりにやってくれると助かる」
「……あいよ」
 男は半ば悟った様子で手早く沈黙した盗賊の一人から金目の物を漁り始めた。すぐに少女がもう一人の盗賊の側に屈み、男に声を掛ける。
「テッド、私も手伝う」
「そいつは助かるが……『勇者』として良いのかい?」
 テッドと呼ばれた男は少し思うところある様子で尋ねると、少女は作業をしながら淡々と答える。
「『勇者』の役目は魔王を討伐すること。それ以外のことは『勇者』という存在の私ではなく、ただのアルスと云う存在の私が自分で決める。だから私はテッドの手伝いをする」
「ほ……そうかい」
 フッとテッドは微笑んで、アルスと共に作業を終えた。アルスが女に声を掛けながら立ち上がる。
「終わったよ、シスト」
「良し、約束通り復活させよう」
 シストと呼ばれた女はそうあっさり言って、カンダタをアルス達に任せ、身ぐるみ剥がれた三人の盗賊に蘇生呪文『ザオラル』を掛けて行く。呪文が成功すると、対象の余りに酷い外傷はあっと言う間にほぼ元通りに修復した。三人の盗賊は復活して意識を取り戻すと、それぞれアルスか又はシストを見るとガタガタと震え上がり、酷い心的外傷の症状を見せた。しかし全く同情の目を向けることもなく、鉄の棍棒を構えたシストは「君達にもう用はないから纏めてどこかに行ってくれ」と有無をいわさず強制移動呪文『バシルーラ』を唱えると、カンダタ達は叫び声を上げて塔からどこかへと飛んでいった。テッドが遠い目をして言う。
「何というか、親切なことだな……。さて、俺さん達もロマリア王の依頼を完遂と行きますか」
「相手が国の王ならば、ただ金の冠を返してそれで終わりということはよもやあるまい。果たして報酬は、金はどれほど貰えるだろうか……」
「行くよ」
 ぶつぶつと独り言を呟き始めたシストにアルスは軽く声を掛け、三人は移動呪文『ルーラ』でロマリアへと跳んでいった。





 ※

 ※

 ※

 重苦しく分厚い雲が空を覆い、酷く乾いた冷たい風が吹き荒ぶ。かつて精緻な石造りの建物群だったそれらは最早残骸へと無惨に姿を変え、周囲には草木の一本も無い灰色の世界が広がり、その所々に血の固まった色が際立っていた。生気を失った目には流れ尽くした涙の乾いた跡が残り、地に膝をつき呆然とした一人の少女の元に来訪者が現れる。
「さあ、ルビス、その魂を代価にして、君は何を願う?」
 白色の四足動物の躯のその存在は、無機質な赤い双貌で少女を見据え、そう語りかけた。風の音だけが響き、幾ばくの時間が経った。
「こんな……こんな世界じゃない」
 少女が不意に呟き出す。
「……こんな世界とは違う、私はっ」
 両手で地面の砂をきつく握りしめ、

《《 私の想う世界の神になりたい! 》》

 強烈な意志を宿した目をして声を上げた。
「!」
 少女の体躯からは途方も無い光の奔流が迸り、その勢いが急速に膨張して行く。
「その祈りは――君は、本当に神になるつもりかい?」
 少女の躯から真っ直ぐに伸びた光は空を覆う雲に巨大な穴を穿ち、青い空が姿を覗かせた次の瞬間。一際鮮烈な光に全てが埋め尽くされた後、そこに少女の姿は無く、中身が空っぽの無色透明の卵形の枠だけが虚しく残った……。




 ※

 ※

 ※

 ロマリアから海沿いに西の方角へと延々と進み続けた先にはポルトガへ抜けるためのロマリアの関所が存在する。道すがら、シストが不意に尋ねる。
「時に、ポルトガに行くと言うが、あの関所は特別な鍵が無ければ通れないと聞いた。どうするつもりだ」
「そうなの?」
 アルスも見やると、テッドは軽く答える。
「確かにその通りだ。だが、ものはやりよう。この自称凄腕『盗賊』の俺さんの開錠技術を以てすれば関所の扉ぐらい開けられる」
「へー」
「……それはお手並み拝見だな」
 含みを持たせるようにシストが言うとテッドは飄々と返す。
「そこは期待して良い。それにしても、お前さんが付いてくるとは。てっきり金は貰ったからロマリアでさよならかと」
 シストは口元をつり上げて堂々と言い返す。
「フ。君こそカンダタ君から金の冠を奪還するためにアルス君とパーティーを一時的に組んだだけにすぎなかった筈だろう」
「……アルスのお陰でロマリア王に直接謁見して正式な依頼を受けられたことでロマリア王との繋がりを得られた上に、多少なりとも対盗賊専門の『盗賊』として俺さんは箔が付いた。今度のはその礼みたいなものだよ。大体お前さんなんてアルスに俺さんが話をしている所に『君達、金の話をしているのか? 僕も混ぜろ』と勝手に話に突然割って入ってきたんだろうに……」
 テッドは粘り強く説明をしてシストには皮肉を吐いたが、当のシストは開き直って言う。
「金の話なのだから至極当然。それにだ。乗りかかった船というか、まぁ、これからポルトガで船に乗るというのだろう。船に乗りかかるどころか実際に船に乗るわけだ。僕は興味がある」
「は……そうかい」
 呆れを通り越して悟ったようにテッドは短く応答した。
「二人共、仲良いね」
 アルスは二人の様子を見て、そう評した。


 それからというもの、長い道中野宿を繰り返し、一行は遂に関所にたどり着いた。
 アルスが関所の扉に触れて言う。
「……本当だ、鍵掛かってる」
「さぁ、俺さんの出番だ。任せてくれ」
 テッドが開錠道具と思われる物を手に颯爽と扉の前に躍り出た。そして開錠を始めると物の数秒で呆気なく扉は開いた。
「ほい開いた」
 殆ど苦も無く開き、感慨を覚える間もない雰囲気に、逆に冷めた様子でシストは訝しげに疑問を呈する。
「……君は本当に『盗賊』なのか?」
 テッドは真顔で即座に切り返す。
「正真正銘『盗賊』さ。お前さんこそ本当に『僧侶』か怪しいように思うが?」
 シストは一笑に伏して言う。
「は。どこからどう見ても僕は『僧侶』だろう。まぁ、アッサラームの教会から追いだされたのは事実だがな」
「……あぁ……それは何て言うか、大変だったな……」
 お前さんなら正直追い出されても仕方ないな、という面もちでテッドは一応適当に気遣うように言った。シストは満足気に返す。
「良いぞ。その調子でもっと僕に気を使え」
「……お前さん、やっぱり追放されても仕方ないな」
 気遣うのがあほらしくなったテッドがそう小声でぼやくと、アルスが先へと促す。
「ほら、先行こう。開けてくれてありがとう、テッド」
「ああ。どういたしまして」

 関所の長い地下通路を抜けるとそこは既にポルトガの領域。出現する魔物もロマリア大陸よりも手強い物が多いが……。
「君達、そこを退け。邪魔だ」
 身体速度強化呪文『ピオリム』を発動するとシストは猛烈な勢いで魔物達を棍棒で叩き潰し、同じく『ピオリム』の効果を受けたアルスも電光石火の勢いで魔物を幾重にも斬り付け、一行には魔物など恐るるに足りなかった。
 その二人の無双をやや距離を置いた所から見守るようにしていたテッドは、どっちが魔物なんだか……というには言い過ぎか、と思いながらも、まあ楽で良いと適当に戦闘をこなし、ポルトガへと南下を続けた。
 特に目立った障害も無いものの道中慣れたように野宿を繰り返しながら、無事一行はポルトガに到着した。時は既に夕刻、そこでアルス達はひとまず宿に寄った。久しぶりのまともな食事を取りながらアルスが一人、ふらりと宿屋の主人に役立ちそうな話を聞いた所、
「何でも王様は東方にある黒胡椒ってもんを大層ご所望らしい。もしそいつを献上すれば何か褒美が頂けるだろうな」 
 という情報を得て席に戻ってきて二人に尋ねる。
「黒胡椒ってどういうのか知ってる?」
「んー」
 テッドは唸ると何気なく足下の自分の袋を漁りだし、
「……これの事だな」
 黒胡椒の実物の入った小袋を取り出した。何の気無しにアルスは小袋を受け取って感心して覗き込み、
「へぇー。これが黒胡椒な……なっ、は、は! はぅ!」
 言った側から口を押さえてくしゃみをした。そこで黙々と食事に集中していたシストは急にピタリと手を止めて喰らいつくように突っ込みを入れる。
「いや待て。何故君が黒胡椒を持っている」
「そりゃ、俺さんがバハラタに行った時に買ったからだ。他所では珍しいって言うから記念に」
 テッドは肩を僅かに竦めて返すと、シストが追求を続ける。
「なに? ならどうやってバハラタに行った。アッサーム東のバーンの抜け道はとうの昔に閉じられた筈だ。君は前にも船に乗ったことがあるのか?」
「まあ船に乗ったことが無い訳ではないが……この前通ったロマリアの関所あるだろう。あそこの通路の途中にあった閉ざされた扉の先には実は旅の扉があるんだが、そこはオリビアの岬という……地図でいうと……ここだ。ここに繋がっている。ここからひたすら時間を掛けて南下した所にバハラタがある。……納得したか?」
 地図まで出して丁寧にテッドが説明して見せると、シストはようやく納得したのかぶつぶつ呟き始める。
「……嘘ではないようだが、なるほど、旅の扉……旅の扉か。……大したものだ」
「そういうことだ。ポルトガ王が黒胡椒をご所望というのなら交渉は楽になることを期待したい。となれば、アルス、そいつはお前さんが持っとけ」
「……良いの? 貴重なんでしょ?」
 アルスが渡されたままの手の上の小袋とテッドを交互に見て尋ねるとシストが割って入る。
「そうだ。君、寧ろ僕に渡せ。黒胡椒といえば、一粒がそのまま金一粒に匹敵するとか。さあ、さあ!」
 身を乗り出して両手を付きだして迫るシストにテッドは上体を完全に引き、諦めた様子で手で制する。
「ぁーはいはい。そんなに欲しいなら、機会があればバハラタに案内してやるから今回は抑えろ」
「言ったな? 君、絶対だぞ。絶対だからな!」
 人差し指を勢いよく二度三度とシストはテッドの鼻面に突きつけて念押しをした。
「あぁ、俺さんは約束はきっちり守る律儀な人間だから安心して良い。ほら、お前さんは遠慮せずもっとけ」
「……うん。ありがとう」


 ……そして翌日。
 アルス達は城に向かい、ポルトガ王と謁見することとなった。アルスは王座の前に片膝をついて伺いを立てる。
「ポルトガ王、魔王討伐のため、私には自由に使える船が必要なのです。どうかお力を貸して頂けませんか」
「ふむ。……遙か東の国では黒胡椒が多く取れるという。東に旅立ち東方で見聞したことを報告せよ。胡椒を持ち帰った時、そなたらを『勇者』と認め船を与えよう」
「恐れながら、ポルトガ王。黒胡椒ならば既に持っております。こちらを」
 言ってアルスは黒胡椒を取り出して見せた。ポルトガ王は目を疑う。
「……なに? 大臣、確認を」
「はっ。……殿下、た、確かにこれは黒胡椒に間違いありません」
 アルスから受け取り、小袋を確認した大臣が報告すると、ポルトガ王は目を見開く。
「なんと。……しかしバーンの抜け道はとうの昔に封印されたままの筈。何故そなたが……」
「その黒胡椒はこの私の仲間、こちらのテッドが以前にバハラタに立ち寄った際、得たものなのです」
「……ふむ、多少拍子抜けではあるが、方法はどうあれ確かに黒胡椒に相違無い。今儂はこの上無く機嫌が良い。……良かろう。大臣、この者達に船を与えよ」
「畏まりました」
「感謝します、ポルトガ王」
 アルスは深々と頭を下げて言い、大層満足した様子でポルトガ王は頷いてテッドを見て命令する。
「うむ。して、テッドと申したか、そなたは儂の元で東方で見聞したことを聞かせよ」
「はっ。喜んで」


 かくして、船を得ることができたアルス達はすぐさま出航の準備に取りかかった。旅立ちの準備が整うまでの数日の間に、港町は『勇者』アルスが王様から許可を得て魔王討伐の船旅に出るという噂で持ちきりになった。
 そんな噂を聞きつけてか、出航の日取りも近くなってきた頃。
「俺を、俺も旅に連れていってください、危険は承知です。どうか、どうかお願いします!」
 アルス達の元にハッテンという名の若い商人はやってきて口早に名乗って早々、やたら必死に頭を下げて懇願した。真っ先にシストが言葉を返す。
「君、動機は何だ?」
「実は俺、どうしても伝説の黄金の国、ジパングに行ってみたいんです!」
 ハッテンは澄んだ目を輝かせて言うと、シストは大いに動揺し、黄金という単語にまみれた目を煌めかせ、
「な、黄金の国……だと……? 君、採用だ。僕が許可する」
 ハッテンの肩に手を置いて言った。
「本当ですか!?」
「ああ、何と言っても黄金の国だからな! 断る理由などあるまい!」
 ふははは! と笑いながらシストは景気良くハッテンの肩を凄い力で何度も叩く。
「あっ、ありがとうございます! 実はもしジパングに行くことができたら考えている商売があるんですが」
「何、金になりそうな話だな。詳しく聞こうか」
「はい! 実はですね……」
「ほう」
 完全に自分達の世界に入ってしまったシスト達を傍目に、テッドはアルスに話しかける。
「強欲僧侶殿が勝手に話進めてるが、放っといて良いのか」
「……彼は、彼が行きたいと言っている。私は彼がこの船に乗ることで困りはしない。ただ、この先ジパングに行き着くかどうかはまだわからないけど、それで良いなら構わない」
 アルスは淡々とまるで風景を眺めるかのように答えた。
「……そうかい」


 そして出航の時。
「待っていろ僕の黄金の国ジパーングッ!! ホァァッー!!」
「いつからジパングはお前さんの国になった……」
 船の舳先に仁王立ちになって盛大に奇声を上げるシストに、聞こえない声でテッドはぼやいた。





 ※

 ※

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 この世とは違う、異世界の名をアレフガルドと云う。
 精霊ルビスが創り出したその世界はかつては豊かな自然に溢れ、様々な生物の住まう楽園だった。そしていつしか人間は村を、町を、国をつくり、目覚ましい繁栄の時代を迎えた。しかし、その時代が延々と続く事は無く、異変は唐突に訪れる。
 突然地の底から這い上がるように現れた深淵の闇は空を覆い尽くし、世界は悠久の闇の世界へと瞬く間に変貌を遂げた。瘴気の立ちこめる霧からは徐々に魔物が姿を現し始め、それまでアレフガルドに住んでいた者達を襲い始めた。希望に満ち溢れていた世界は一転して混沌と絶望に包まれ、強力な魔物に対しあらがう術を持たぬ人々は次々に命を落としていった。
(……誰か……誰か……!)
 闇の力によって封印され、精霊ルビスの意識は途絶えた。
 一つの世界を創造するに等しい希望が遂げられた。
 それは即ち、一つの世界が終わらせられるほどの絶望がもたらされることを意味する。




 ※

 ※

 ※

 バハラタにて。
「黄金の国ジパングなどという名ばかりの未開の島にはがっかりさせられたが、当初の予定とは違うが黒胡椒の力、まさかこれ程とは。そこの我が忠実なる下僕達よ! 働け働け! 貴様等の担いでいるものは胡椒ではない、金そのものだ! ハッテンの元に送り届けたならば、今回の稼ぎの七割を貴様等にくれてやろう! ふは、ふはははは!」
 シストは超絶好調で脅威の象徴である鉄の棍棒を頭上で振り回して叫びながら、忠実なる下僕達をこき使っていた。
「ぱぁぁぁぁ!」「ふぉぉぉ!」「やるぜぇぇぇ!」
「シストの姉御、一生付いて行くぜぇぇ!」
 大量の黒胡椒の入った袋をせっせと運ぶ下僕達の正体といえば全員職業をダーマ神殿で『盗賊』から『商人』に転職させられたがそれなりに充実している様子のカンダタの元子分達であった。


 ……遡ること幾月、ポルトガからの出航の日まで。
 当初船はポルトガから一路南下していたが、数日間強烈な西風に煽られ、一行はスー大陸の東端の長閑な平原に到着してしまった。その際、そこに住まう老人から町を造りたいという話を聞かされ、ハッテンとシストは商売と金の臭いを感じ取り勝手に協力を約束して再度一行は進路を修正し直し、南下を開始。
 テドンの村に寄ち寄り強烈な心霊体験をしつつもグリーンオーブとオーブを捧げるためのレイアムランドについての情報、魔王の居場所がネクロゴンドの山奥にあるという情報を得て、そのまま陸沿いにテドンの岬を回った。その後、シストが執拗にジパングへの道程を急いだため、意外にもバハラタには寄らずに一行は極東の島国ジパングの西端に上陸した。

「遂にたどり着いたぞ僕の黄金の国! 黄金、黄金、黄金はどこだァー!」
「ここが黄金の国ジパング! まさかこれほど順調に到達できるとは猛烈っ、感動っ!!」

 ……しかしシスト達が期待に際限無く夢膨らませ、喜んでいたのも束の間。黄金の国などと言う割にはいけどもいけども、どこもかしこも未開の山、山、山ばかり。伝えられているような栄えに栄える黄金の国が存在する痕跡すら欠片も見つからなかった。期待の反動の分だけ心底意気消沈し、シストは燃え尽きたかのようになったが、ふと、テッドと以前約束したことを思いだし、一転して一度西に引き返したいと駄々をこねだし、バハラタへと舵を取った。
 着いた途端、すぐさま黒胡椒を扱っている商店へと向かったものの更なる不運がシストを襲った。
「何故だ、僕が何か悪いことしたとでも……。何故に、休業中。一体何がどうして……」
 店の前で再度真っ白い灰になって地面に膝を落としたシストをアルスとハッテンが優しく宥めるのを余所に、仕方ないな、とテッドは一人町に情報収集へと繰り出した。
 テッドは町の川辺で商店の主を見つけ、事情を聞いてみると、店主の孫娘であるタニアが北東の洞窟に根城を構える悪党にさらわれてしまい、その婚約者であったグプタという若者までもが助けに向かったきり戻ってこず、店をやっているどころなどではないのだという。
「何と言うことだ、おのれ悪党、許すまじ。良し、善は急げ、そいつら殺しにいこう」
 さながら幽鬼のごとく、完全な無表情でそう言って鉄の棍棒を手にゆらりと取り立ち上がり今すぐにも駆けだして行きそうな雰囲気のシストに、テッドは慣れたように突っ込みを入れる。
「行動が早いのは良いが、せめてそこは人助けに行くとでも言ってくれ」
「……いずれにせよ人さらいは放ってはおけない。私も行く」
「お、俺もついて行きます! これまでの船の旅、ただ荷物になってた訳ではありませんから!」
 アルスとハッテンも立ち上がり、それを受けてテッドも頭を掻いて立ち上がった。
「やれやれ……ま、人さらいはどう考えても駄目だな」


 そして北東の洞窟にて。
 洞窟内を探索することしばし、悪党のアジトに続いていると思われる階段を発見。そして先へと進むと、見張りと思われる盗賊の姿を見つけ、先頭を歩いていたシストはづかづかと近づき迷わず声を掛けた。
「君、頭はいるか」
「何だお前ら、頭なら今は留守だ」
 訝しげな目で盗賊が答えると、シストはさらりと無茶な要求をする。
「そうか。まぁ留守なら留守でも良い。君、そこを通せ」
 盗賊はその態度に顔をしかめ、声を荒げる。
「ぁん? てめぇ何様だ? 調子乗ってんじゃねぇぞ!」
 そこにもう一人盗賊が近づいてきて声を掛け、
「おい、何だ騒がしい……。ん……?」
 その盗賊の表情はぴしりと凍り付いた。シストは僅かに首を傾げると、思い出したように口を開く。
「おや君はカンダタ君の部下の……そうか、そういうことか。やあ、部下君、実に元気そうだな」
 気さくな挨拶とは裏腹に、シストの慈悲のかけらも見えない、色々な恨みに染まった表情に変貌し、その顔に強烈な見覚えのあった盗賊は、

「ぎゃぁぁァぁァアー!!」

 絶叫とほぼ同時に断末魔の声を上げた。
 それから間もなく、アジトに待機していた他の盗賊達も徹底的に、主にシストにやられ、皆返事のないただの屍になった。戦闘に参加する暇も、その必要もなく、終始見ていただけだったハッテンの顔色が絶不調になっているのにテッドは気がついて声を掛けた。
「顔色悪いぞ。大丈夫か、ハッテン」
「だ、大丈夫……です……はは。は……う」
 そう声を絞り出してハッテンは立ったまま気絶した。
「……ま、確かにこの惨状ではな……」
 テッドはアジトの中を見回して呟き、ハッテンをアジトの椅子で休ませて面倒を見ることにした。
 一方、アルスとシストは奥の牢屋でグプタとタニアを発見して助け出してテッドの元に戻ってきたが、まともな声も上げずに二人も卒倒してしまった。
 どうしようもない空気が漂う中、テッドはシストに皮肉を吐く。
「……お前さんはもう少し配慮というものを覚えた方が良いかもしれないな」
「善処しよう」
 そしてそのままアルス達はカンダタがいないならいないで帰ろうとした、矢先。
「おや、カンダタ君、お帰り。久しぶりだな」

「ぬぼあァァァァッー!!」

 再びアジトにはその主の野太い断末魔が木霊した。


 それから、少しばかりの紆余曲折を経て……。
 カンダタの部下達はシストの忠実なる下僕となり、ハッテンとシストは黒胡椒を商売の資金源とすることを考えつき、スー大陸の東端の地に本格的に町を興す計画を進めること決めたことも相まって、彼らは従順なる労働力としてこき使われることとなったのであった。




 ※

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 ※

 遙か遠い昔の日のこと。全ての災厄はネクロゴンドの奥地、ギアガの大穴より始まった。異世界アレフガルドと繋がったことにより、この星にも魔物が蔓延るようになったのである。そして瞬く間に魔物はその勢力を伸ばし、人類はそれまで有していた生活圏を次々に失っていった。
 この人類未曾有の危機に、最初期の僅かな期間に密かに立ち上がった者達に『魔法少女』という存在がいた。彼女達は『契約』により得た魔法の力を振るい、元々この星に古くから存在していた『魔女』やその『使い魔』ばかりか、対処に急を要する新たな脅威となった『魔物』を相手に壮絶な戦いを始めた。
 しかし、激しい戦いの中、当時の魔法少女達は瞬く間に全滅した。彼女達の頭数は元々それ程多くなく、そもそも『異星生命体インキュベイター』が造り上げた魔法少女に関連する一連のシステムには魔物の存在など予定されていなかったのだから……。
 計り知れない影響を受けたのは人類だけではない。『異星生命体インキュベイター』にとってもこの事態は完全に想定外。

『奇跡』『契約』『魔法少女』『ソウルジェム』『魔女』『グリーフシード』

 ただ一つ、宇宙の寿命を伸ばすがためにQBの構築した生命体の感情エネルギーの回収システムは原理的には、人間の個体数が多ければ多い程効果が上がる。だがアレフガルドから出現した魔物は当時の魔法少女を全滅させた上、その勢いを止めること無く、QBがこの未曾有の事態への対策を打ち出す間に、人類の総人口も激減させてしまった。
 それまで長い時間を掛け順調に感情エネルギーを収集していた筈だったQBはギアガの大穴を通り、闇の世界アレフガルドへと調査に乗り出した。




 ※

 ※

 ※

 祭壇の周囲には業火が煮えたぎり、そこには無表情の少女がその手に握る鋼の剣を一方的に対象に向けて延々と振るっている姿があった。端からは猟奇的にも見える、少女は一心に剣を振るい続け、その手加減無しの衝撃に、対象も流石に時々目を覚ましかける。
「ぐぉぁぁ」
 が、少女は左手の指を突きつけて一つ唱える。

《ラリホー》

 すると再び対象は意識を喪失してしまう。
 この状況を簡潔に評するならば、

『魔王バラモスを時々眠らせては後は死ぬまで刺すだけ』

 ……という所。
 程なくして、バラモスは断末魔の台詞の一つも吐くこと叶わず意識を失ったまま体が自然発火して燃え尽きて行った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 やっと一心地ついたのか、アルスは何度も大きく息を吐いた。
 そこへアルスの足下に白い生物が現れ、アルスの頭に直接語り掛けてくる。
「お疲れ様アルス。これでバラモスは消滅した。残るはほぼ大魔王ゾーマだけだ」
 アルスは特にどうということもなく足下を見やり、頷いて返事を返す。
「分かってる、キュゥべぇ。私が必ず魔王を倒すよ」
「期待してるよ。……ところで折角仲間がいたのにわざわざ一人で倒しにくることも無かったんじゃないのかい?」
 アルスは気まずそうに答える。
「……皆には……見せたくなかったから。それに一人と違って、皆とここまで来ようと思ったらずっと時間が掛かってしまったと思う」
「急ぎすぎる必要はないよ。『契約』を果たす過程は君の自由だ」
「うん……」
 淡々とQBは続ける。
「もちろん、君がそれで良いというなら構わないよ。ただ一つだけいっておくと、バラモスと違って大魔王ゾーマとの戦いは、君の仲間の力も借りた方が長い目で見て寧ろ時間が掛からずに済むと思うな」
 それを聞いてアルスは少し目を見開く。
「そうなの?」
「僕らが見てきた経験から言えば、ゾーマには一切の攻撃呪文、補助呪文が効かないし、君の今のレベルのままでははゾーマの直接攻撃はともかく、それ以外の攻撃を避けるのも、それに耐えることも難しい。君には確かに『勇者』の『契約』の力があって、使い方次第によっては今のように一人で一方的に倒すことも可能だけど完全に万能ではない」
 QBの説明にアルスは少し浮かない顔になる。
「うん……そう……そっか。で、でも、ならキュゥべぇ。私一人でバラモス倒したせいで、一人でバラモスが倒せるならゾーマも一人で倒しに行ったらどうだって言われるかもしれないよ……アリアハンを出る時みたいに……どうしよう……」
「君は元々一人でバラモスが倒せると思ったから仲間と自分から別れて一人でここまでバラモスを倒しに来たんじゃないのかい? それに繰り返しになるけど、時間を掛けて成長しさえすれば、君なら一人でもゾーマを倒すことはできるんだ。どうしたらいいか、それは君もいつも人に言ってるじゃないか」
 アルスは手を胸に当てて握りしめ、その目は少し潤み出す。
「私は……私はできれば……。ううん、できれば、とかじゃない。元々、皆の力を借りようとせずに、私から一人で行動する事を決めたけど、本当は、皆と一緒に行きたかったんだ……。何で、勢いでこんな事したんだろう……虚しいだけだよ……」
「アルス、さっきのことが心配なら今回の事を全部君の見た『選択し得る未来の一つ』として『回帰』すれば良い」
「うん……そう…でも、あの時の選択を無かった事にするのは卑怯な気がして……」
「それを言ってしまったら君の戦いは殆ど卑怯ばかりということになるよ」
 QBの指摘に、アルスは言い訳に詰まる。
「……だってそうしないと……」
 QBはアルスの足下をゆっくり歩きながらこんこんと話し始める。
「そうだね。『契約』の力がなければ魔王討伐は困難だ。それ程のことを君は成し遂げようとしている。君が『回帰』することは今この時を無かったことにすると捉えられるけど、客観的な事実を言えば、その認識主体である今の君は『回帰』した瞬間に消滅する。今の君からすれば今の君は『回帰』後の君に『回帰』すると言える一方で、『回帰』後の君からすれば『回帰』後の君は今の君の記憶を『夢』という形で強制的に引き継がされるとも言える。これを客観的に捉えれば、今の君と『回帰』後の君は確かにその身体は同一の物ではあるけど、その精神は厳密には同一人物とは言い切れない。『回帰』するかどうかを選択するのはあくまで今の君であって『回帰』後の君には、今の君が決定する『回帰』するかどうか決める選択のしようがないからね。『回帰』してしまえばその時点において、今現在の時空連続体はそもそもまだ起きるかも不確かな、その実現性も酷く不安定な可能性でしかない。それは僕らにすら認識は不可能だ。気にする必要はないよ。その力を含めて君は君だ。魔王討伐以外は君の自由。それが僕らとアルスとの『契約』だからね」
「何か、少し分からなかったけど……何となく分かった……気がする。ありがとう、キュゥべぇ。やっぱり私、戻るね」
 そうアルスがQBに柔らかく微笑んで言った次の瞬間。


『回帰』したアルスの目の前の景色は一瞬にして船の上に変化した。
 アルスはシストとテッドの元に近づくと、控えめに尋ねる。
「シスト、テッド、聞いて欲しいことがあるんだけど良いかな……?」
「アルス君、どうした?」
「何だ、お前さんが急に改まって」
 怪訝な表情の二人に、アルスは曖昧に口を開く。
「えっと……私、魔王討伐をするつもりなんだけど……」
「あぁ、そいつは知ってる」
「ああ、それは僕も知っている」
 で? という反応の二人にアルスは恐る恐る口を開く。
「……う、うん。それで、シストとテッドにお願いがあるんだけど、私、二人と一緒に魔王討伐に行きたいんだ。二人は、どうかな……?」
 その問いに、二人は意外そうに沈黙した。アルスが取り繕うように言う。
「やっぱり駄目、だよね……」
 すると唐突にシストがぱかっと口を開いて話し始めた。
「いや、僕は寧ろ、君がまるで僕が魔王討伐にはついていかないと今の今まで思っていたかのようなのが意外だ。以前、僕は乗りかかった船だと言った記憶があるが、あれは言葉通りの意味だ。既に乗りかかるどころかこうして船にも乗っているが、大体魔王討伐なんて、そんな一見金になりそうにないが、少しだけ頭を働かせて見ればどう考えても金になりそうな話、それに僕が乗らない訳が無いだろう。よもや魔王を討伐して途轍もない褒美が貰えないということはあるまい。ふは! ふははははは!」
「シスト……」
 軽く妄想の世界に入って笑い声をあげるシストに、思わずげんなりしてテッドも話し始める。
「全く、この僧侶はぶれんな……。アルス、正直な所俺さんはお前さんとそろそろ別れようかとも思ってた。それというのも、お前さんは恐ろしく強い……と思っていたからなんだが、どうやら意外とそうでも無いのか何なのかな。……いずれにせよ、俺さんは困っている人の依頼を受けて割と自己満足な善行をする『盗賊』だ。お前さんが俺さん達と一緒に魔王討伐に行きたいと言ったからには、俺さんはお前さんの魔王討伐とやらに付いていくよ」
 それを聞いて、アルスは目を潤ませて感謝する。
「……あ、ありがとう。シスト、テッド……本当にありがとう」
「……何でそんな泣きそうな顔になる」
「恐らく嬉し泣きという奴だろうな」
 真顔でシストが言ったが、
「あぁ……それは、言われなくても分かる」
 そういうことじゃなくてな……とテッドは額に手を当てて呟いた。




 ※

 ※

 ※

 かつてこの星に途方も無い因果律を持って生まれた少女ルビスの唱えた願いは確かに実現していた。QBとの契約の折、ルビスの魂はシステムの原則から完全に外れ、ソウルジェムに閉じこめられることなくルビス自身の『想像』により『創造』されて生まれた異世界に転移し、精霊と化した。この一つの世界を創り出すという紛れもない奇跡の一方で、世界の深淵からはそれと対になる大いなる絶望が呪いとして生まれ、アレフガルドの世界そのものに跳ね返ることになった。その現象が大いなる絶望の具現化した『大魔王ゾーマ』の顕現である。
 斯くして、ルビスの願った奇跡と対の大いなる絶望はアレフガルドを覆うだけに止まらず、世界の境界すら破壊し、現世にまで浸食を果たした。
 そして、感情エネルギーの回収上、QBはそれまでの回収方法を変更するのが合理的と判断し、急速な人口の減少を食い止めるべく、ルビスが封印される前にアレフガルドにおいて基礎を築いていた独自の契約システムを元に新たな契約システムを構築した。
 汎用性の重視されたその契約システムはそれ以前のシステムよりより多くの人々を対象とし、それまでの魔法少女に近くはあるが、それよりも簡易的な戦闘能力のみを契約によって人間に付与することを目的とし、人の願いを、奇跡を叶えることが無い。
 QBは魔法少女が契約時に唱える願いを誘導し、魔物が消滅するような願いをさせなかった。魔物はルビスの実現した奇跡によって発生した大いなる絶望の具現化した存在であり、これを打ち消すだけの奇跡を成すためにはルビスが有していた以上の因果律を有していることがその実現のための満たさなければならない条件であり、現実にはその時点においてそのような対象となる少女は存在せず、また、これから近いうちに出現する保証もなく、そもそも限りなく実行が不可能に近かった。仮にそのような対象がいれば、従来の契約を行い、感情エネルギーを回収した後、この星をそのまま去れば済んだのであろうが。
 とはいえ、QBにとってシステム変更がデメリットばかりという訳ではなかった。そもそも魔物はルビスの叶えた奇跡の代償に相当する絶望に端を発して生まれている。ルビスが生み出した膨大な感情エネルギー、そして更には大魔王ゾーマ自身が新たに吸収し続けている世界全ての人間が発する絶望の感情エネルギーの、至極微細な極一部をそれぞれの魔物は有している。
 そして契約を成した者は魔物を倒した際に、魔物の持つ絶望の感情エネルギーを再度相転移させて希望のエネルギーとしてその魂に蓄積することで定期的に成長し、有り体に言ってしまえば『レベルアップ』していき、QBはその絶望から希望へ相転移する際に発生するエネルギーを『契約者』から『契約』の対価として回収できるようになった。
 大魔王ゾーマの出現により尋常ではない数の人間が死亡したが、その人々が死亡するまでに放った絶望の感情はゾーマが喰らい尽くしているため、それを再回収する側の人間が深刻に不足している状況ではあったが、QBとしては地道に新たな方法で回収を進めれば良いだけではあった。ある意味、限りなく怪我の功名に近い何がしかではあったのかもしれない。




 ※

 ※

 ※

 祭壇の周囲には業火が煮えたぎる中、余りにも一方的すぎる戦闘、否、最早ただの虐殺が行われていた。
「これは中々に叩き甲斐のあるカバだな」
 心なしか上機嫌な様子のシストは棍棒を容赦無く振り降ろしては、その都度、鈍く重い打撃音が鳴り響く。
「ぶるぁぁ!」
 手加減無しの会心の連撃に流石のカバも衝撃で目を覚ますが、
《ラリホー》
 シストと同じように容赦なく、稲妻の剣を振るうアルスが催眠呪文をタイミング良く唱えるとカバは必ず意識を失ってしまうのだった。
「これは何というか……なぁ。やまたのおろちの方が強かった気が……まぁ、正直、大差ないか……」
 緊張感は無くはないが、それでもどう考えても締まらない空気感を肌に覚えながら、テッドは二人と一緒になって斬撃をバラモスに与え続けていき、あっと言う間にカバは断末魔の台詞の一つも吐くこと叶わず意識を失ったまま体が自然発火して燃え尽きた。地下の広間の光も失われ、周囲は薄暗い場所に早変わりする。
 シストは真顔であたりを見回す。
「……実に呆気ないな。まぁカバだから仕方ないか。魔王バラモス……一体どこにいるのだ……」
 ふざけているのか、本気なのか分からないその素振りにテッドは突っ込みを入れる。
「死人に口無しとはいえ、お前さんは今倒したカバをバカにしすぎだよ」
「だがカバなのは事実だろう。『ラリホー』に対する抵抗力が無さすぎるなど、これを魔王というには致命的な欠陥だろうに」
 口ほどにもない、と言いながらもシストはアルスを一瞬だけ見て言い、テッドはそれに適当に相槌を打って、妙に息切れし、緊張の解けた様子のアルスに声を掛ける。
「それは確かに否定のしようも無いが……まぁそれは置いておこう。アルス、その様子だとこれで終わりでは無さそうだが……どうだ?」
 余り浮かない顔でアルスは答える。
「……うん。……シスト、悪いけど、このままギアガの大穴に行っていいかな」
 一瞬微妙な間を置いて、シストが口を開く。
「アルス君がパーティーのリーダーだ。魔王がまるで手応えの無いバカだったなど凱旋して言うには冗談にしかならない。ギアガの大穴に、第二、第三、第四、五、六、七と魔王が控えているのなら商売の邪魔だ。この際纏めて片づけに行ってしまおう。そうすれば褒美も纏めて貰えて手間が省けるというものだ」
「……そこは流石に真の魔王ぐらいで遠慮してもらいたい所だけどな。さ、行くか」
 テッドは軽く苦笑して言い、アルスを促した。
「……ありがとう、シスト、テッド」




 ※

 ※

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『契約者』

 それは遙か昔、脆弱な人間が魔物の脅威に対抗する術として、素質ある者達が神の遣わした白き生物との契約を交わし、力を得たことがその始まりだと伝えられている。
『契約者』には『戦士』『武道家』『魔法使い』『僧侶』『商人』『盗賊』『遊び人』『賢者』『勇者』の職業が存在し、『契約者』となる素質を持つ人間が教会で『契約』を行えば、いずれか自動的に適切な職業の『契約者』になることができ、それから一定の成長を積めば、ダーマ神殿での『転職』も可能となる。
 そして『契約者』は通常の人間と外見上は一見して異なる点は見あたらないものの、その能力は通常の人間の常識を完全に逸脱している。
 通常の人間が武器を手に苦労して魔物を倒した所で、動かした体の筋肉や基礎的な体力が徐々に成長するだけであり、更にはそもそも生身で魔物と戦うという危険を侵すことで、結果的に肉体に外傷を負えば、程度の差こそあれ、命を落とすことは非常に多く、仮に命に別状が無い外傷だったとしても、その治りの速度は基本的に自然な治癒によるもので緩慢である。
 一方『契約者』は『契約』の恩恵により、魔物を倒せば倒すほどその能力が定期的に『レベルアップ』し、飛躍的に成長していく。その変化は見た目には分かりにくいものではあるが、その効果はある程度のレベルの『契約者』であればそれが例え年老いた老人であっても通常の人間の若者数人が束になってもまず相手にならない程である。また『契約』による『レベルアップ』には年齢とは関係が無く、極論死ぬまで強くなることが可能である。
『契約者』の外傷に対する耐性は非常に高く、外傷が急所を刺され、見た目には致命傷であっても、基本的に生命力が尽きない限りは死ぬことが無い。慣れれば痛覚を遮断することさえでき、それ故に『契約者』は例え心臓を一突きされても、四肢を失うなどして動こうにも動けなくなる場合を除けば、生命力が尽きない限りは平然と動き続けることができる。そして『契約者』は自己再生能力も高く、およそ一晩休めば生命力と怪我を回復させることができる。更には『契約者』は『回復呪文』を受けることで瞬時に外傷と生命力を回復させることもでき、通常の人間に比べて非常に死ににくい。但し、主に『僧侶』が行使可能な『回復呪文』は主に『契約者』のみを対象とするもので、通常の人間にも効果が全く無い訳ではないが、強制的に自然治癒力を高める程度の効果にとどまり、奇跡のような回復の術は広く万人に役立てることはできない。
 それでも、『契約者』でありさえすれば、例え生命力が尽きたとしても『蘇生呪文』を掛けられることにより、寿命が尽きていない限りは死亡した状態から復活できることはまさに奇跡的と言える。但し、必ずしも常に復活できるとは限らず、肉体の欠損、損傷が激しすぎる場合、死亡から時間が経過しすぎていた場合などには、効果を為さない。
 このように『契約者』は生命体としての能力が通常の人間よりも圧倒的に高く『契約者』は人間にとって脅威である魔物に対抗しうる有効な存在なのである。
 ……そして『契約者』の中でも、生まれながらの『勇者』たるアルスは固有の力を有していた。
 『勇者』アルスの身に宿る『契約』の力の本質は『時間回帰』




 ※

 ※

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 暗い闇に包まれた世界の海をアルス達は小型船で孤島を出て東に向けて進んでいた。
「ここがアレフガルド……」
「大魔王ゾーマの支配する闇の世界、なぁ」
「確かに、見た通りの闇の世界だ。僕達の世界の夜とはまた違う。金でも握っていないとそれだけで憂鬱な気分になりそうだ」
「……それで元気なれるお前さんは大したもんだな」
 ギアガの大穴に確かに飛び込み、落ちるというよりは周囲の景色の方が変容する感覚に苛まれ、気がついた時には孤島に一行は到着していた。その島に住む住人から話を聞いた後、小型船を貰い受けたのだった。
 不意に、テッドがそっと尋ねる。
「……ところで、アルス。そろそろ教えて貰えないか、お前さんの『勇者』の力について。カバを倒したというのに、アリアハンにも戻らずにそのままこっちに来たのには何か理由があるんだろう?」
 アルスはゆっくりと頷く。
「……うん。……私達が帰ると、城の人達が目の前で死ぬから……」
 テッドは後頭部に手を当てる。
「なるほどな。……人が死ぬのを回避するため、か」
「……前から思ってはいたが、君はやはり『未来予知』ができるのか? まぁ『未来予知』にしては時々挙動が不自然なこともあった気がするが」
 腕を組んでシストはズバリ尋ねて少し過去の記憶を思い出しながら言った。少しの沈黙を置いてから、アルスはようやく覚悟を決めたように説明を始める。
「『未来予知』……とは違うかな、やっぱり。えっと……現在と過去があるとして、現在の状態を『選択し得る未来の一つの可能性』として、現在までに起きたことを過去のある時点の私自身に『夢』で鮮明に体験した記憶のようにして引き継がせることができる。『時間回帰』、それが私の力」
 じっくり聞いていたテッドがこめかみに指を当てて思い出すように言う。
「……んー。つまり、だ。あのカバとの戦闘でお前さんが『ラリホー』を何度も絶妙なタイミングで掛けてカバを封殺できたのは……そういうことだったりするのか」
 アルスは若干遠い目をして答える。
「……本当はバラモスには『ラリホー』は滅多に効かなかった……というか、滅多に効かないんだ。それを『ラリホー』が効くまで一瞬先の私は一瞬前の私に何度も『回帰』を繰り返して、成功した時だけをバラモスが倒れるまで選択し続けて実現したのがあの一連の戦闘だったんだ」
 テッドは気まずそうな表情になる。
「あー……何というか……俺さんはお前さんではないから想像しかできんが……随分と気が遠くなりそうな話だな。俺さんは余りにも楽に倒したという印象しかないが……お前さんの記憶には『ラリホー』が効かなかった時の記憶が大量にあるということになるのか」
「……うん……。引き継いだ記憶にはバラモスはカバなんて呼べないぐらい、凄く強い攻撃をされかける瞬間とか、実際にされた瞬間とか……そういうのが……一杯……」
 余り思い出したくない様子のアルスに、黙っていたシストは腕を組むのを止め、真顔で口を開く。
「アルス君、『魔王がまるで手応えの無いバカだった』と言った僕の発言を撤回させてくれ。話を聞くに、僕が想像していた『未来予知』とは程遠い。僕の知らない君の苦労に対して配慮が足りなかった、済まない」
「う、ううん。シスト、その、お願いだから……気にしないで……」
 慌ててアルスは苦い顔で、両手で抑えるようにしながら取り繕った。そのやりとりを見ていたテッドがはっと気がついて納得したように少し目を見開く。 
「ああ、なるほどなぁ……こういうことになるから、お前さん、これまで話そうともしなかったというか、話したくなさそうだったのか」
「……話したらきっと気を遣わせてしまうのが分かってたから……」
 アルスは俯いて言うと、察したようにテッドは言い、悩ましく額を抑える。
「あ、つまり話したことはあったのね……益々ややこしいな……」
 シストが眉を潜めてその辺りを歩き始め、
「ややこしいと言えば、今も君が僕達に話したことを後悔して『回帰』とやらをすれば、今のこの瞬間は、話をする前の君だけの記憶になって、僕達は元通り知らない状態に戻る……いや、だが今君が僕の目の前で『回帰』したとして、だとすれば今の僕やテッド君は、記憶だけを引き継ぐのならアルス君も消える訳でもないのだろう、一体どういうことだ……?」
 立ち止まって疑問を呈した。テッドが頭を抱え込む。
「おうふ、頼むからこれ以上ややこしくしてくれるな。それは俺さん達には認識しようが無い。……今俺さん達が俺さん達自身の存在を認識しているということは、これがアルスが最終的に確定させた時間の流れだととりあえず考えとくのはどうだ」
「ふむ。まぁ、そう考えるのが良いか……。おや、どうしたアルス君、『回帰』するか悩んでいるのか?」
 あっさり考えるのを諦めたシストは、悩んでいる様子のアルスに尋ねた。
「……うーん……『夢』にして引き継ぐのをやってる割には、私は常に『回帰』してばかりで、本当の所、その後はどうなってるのか訳分からなくなってきちゃって……」
「大丈夫だ、俺さんも良く分からんよ……」
 思考の渦に入り込んでいるような所、シストがその空気を潰すようなわざとらしい発言をする。
「ところでアルス君、一つ頼みがあるのだが……今度闘技場でだな……要するにな……」
「おい……」
「シスト……」
 ジト目のテッドと少し青ざめた顔のアルスに、シストはすぐに発言を撤回する。
「冗談だ。君は未来を予知するのとは違い、無数にありえる未来の一つを確定させるのだから、大穴を当てるのは君が試合の動向に影響を直に与えられる訳では無い以上、カバを倒すよりも苦労しかねなさそうだ、と、君があったかもしれない過去に話した時も僕はこれを冗談だと言ったのだろうか。僕はやや自信が持てない」
「えっ、と」
 シストはピタリと手で制する。
「待て。言わなくて良い。君に何度も同じ体験をさせるのも悪い。これからはできるだけ、余り凡庸なことはしないよう心がけよう」
「かといってお前さん、余計なことまでしなくていいぞ……ま、俺さんにも言えることだが」




 ※

 ※

 ※

 あらゆる物を拒む底無しの罅割れ、魔王の爪痕。遙か昔、そこより魔王はアレフガルドに顕現した。そして圧倒的な勢いで世界は魔物で溢れかり、世界の中心には禍々しい城が一瞬にして築き上げられ、戦いの力を持たぬアレフガルドの創造主たる精霊ルビスをも呪い、かくして大魔王ゾーマはこの世界に君臨した。
 瞬く間に人々は住まう場所を失われて行き、アレフガルドのほぼ全土を支配したゾーマは更に世界の境界の一部さえをも深淵なる闇の力で破壊した。そして生まれたのがギアガの大穴。
 魔物は世界の境界を越えて彼の星にも侵食したが、逆に時を同じくして彼の星からアレフガルドへと入り込んだ感情を持たぬ来訪者がいた。
 禍々しい瘴気に満ちた大魔王の城の最奥部に忽然と現れた白き生物は、ゾーマの前を観察するように歩きながら平然と感想を述べる。
「ふうん。君がルビスの祈りから生まれた呪いか」
 QBに気がついたゾーマは名乗りを上げる。
我が名は大魔王ゾーマ。闇の世界を支配する者。そなたは何者だ。ルビスの遣いか
「僕はキュゥべぇ。キュゥべぇって呼んでよ。それと僕は別にルビスの遣いではないよ」
 QBの気さくな自己紹介に動揺もせずゾーマが問う。
キュゥべぇよ、何故我が前に現れた
「君に話があって来たんだ。余り人間の個体数を減らしすぎるのを控えて欲しくてね」
それはできぬ相談だ。苦しみこそ我が喜び、滅びこそ我が喜び。我がいる限りやがて彼の世界も闇に閉ざされるであろう
 余り話が噛み合っているとは言いがたい中、QBは淡々と述べる。
「協力関係を結べるかと少しは期待していたけど、多分そういうだろうとは思っていたよ。なら交渉は決裂だね」
ならば、そなたも我が糧となれい!
 ゾーマは宣言と同時に強烈に白く輝く息を吐き、QBを氷結させて一瞬で粉砕した。
 元の静寂が訪れたか、に見えたが、
「……やめて欲しいな。無意味に潰されるのは困るんだよね。勿体無いじゃないか。それに僕らは君の糧にはなりえないよ」
 またしても忽然とQBは現れて言った。ゾーマはその異質さを感じ取り僅かに疑問を抱く。
なに……滅ぼされる絶望も苦しみも無いというのか……? キュゥべぇ――そなたは一体……
 その質問にはさっき自己紹介したのでQBは答えず、代わりにゾーマに宣告する。
「君の持つ能力と莫大なエネルギーに僕らは興味があるんだけど仕方ないね。そのうち君の持つエネルギー、回収させてもらうよ」
 ゾーマはその言葉を一蹴する。
キュゥべぇよ、そなたに我を滅ぼすことは叶わぬ。せいぜい無駄な足掻きをするが悦い。死に行く物こそ美しい
「それはどうかな。君を倒すのは僕らではないよ。遅かれ早かれ、結末は一緒だと思うな。それじゃあ、お別れだね」
 そして、再び深遠なる闇の静寂が訪れた。




 ※

 ※

 ※

 アレフガルドの外海を進む中、船の上で突然シストは堪えられない歓喜に満ち満ちた叫び声を放ち始める。
「ふ……くっ、くふっ…ふはっ! ほぁ、ほァァー! ホォァーッ!! ぱぁぁぁぁ! やはり素晴らしい! 素晴らしいぞアレフガルドォ! ミスリルなどというものがあるとは思いもよらなかったァ! まさに地の底まで来た甲斐があったというもの! ふはっ! フハハハハハハ!!」
 ラダトームに到着してすぐ、アルス達は一旦それぞれ別行動で情報収集をすることにしたが、シストがミスリル製の装備を見つけたことから全ては始まった……。
 両手を天に掲げ、仁王立ちするシストに、物凄く苦い表情でテッドが突っ込む。
「お前さんはどこの魔王だ……」
 シストはパッとテッドに指を突きつけて言う。
「君、僕が唸るほどの元手となる金を稼いでいなければ、これだけの充実した装備を整えられはしなかったのを忘れてくれるな」
「いや、黒胡椒でポルトガを荒らして出入り禁止になる寸前までいった後、お前さん商売をほぼ全部ハッテンに投げておいて良くまあ自分の稼いだ金だと言えるな」
「元々ハッテン君を採用したのは僕だ。……つまりハッテン君が稼いだ金はその採用者の僕のもの。何もおかしいところは無いだろう」
「筋は通っているようで、全く酷い理屈だよ……」
 余りの開き直りっぷりに、テッドは呆れを通り越した呟きを吐いた。


 ハッテンバーグ。
 それはハッテンの名を取って名付けられたシスト達が黒胡椒貿易の拠点とした成金達の集う町の名である。当初、シストは主にポルトガ王を相手取って大量の金を荒稼ぎしたが、すぐに大臣はポルトガの国庫が急速に萎むことを危惧し、国策としてハッテン達の町造りを公式に支援することを決定。そしてハッテンバーグはポルトガ以外の国をも相手取って交易を始め、莫大な資金を元手に『契約者』達を世界中で雇い入れ、船や移動中の護衛として使い、急速に発展して行ったのだった。
 その真のオーナー、否、真正の寄生者とも言えるシストであるが、ラダトームでミスリル製の装備という見たこともない金属に遭遇したことで、すぐピンと来た。ここで装備を整える、という名目を一応掲げたものの目の色のおかしいシストの進言に従いアルス達は『ルーラ』でハッテンバーグに戻り、ハッテンから調達資金を半ば強引に引き渡させては再びとんぼ返りし、装備を整えつつ金に物を言わせてミスリルの鉱物の塊ごと買い漁ってはハッテンバーグに『ルーラ』で戻って高値で売り払い……と、シストの頭の中からバラモス討伐の褒美などどうでも良くなるほどの金を更に稼ぎだしたのだった。
 それからというもの、ようやく準備も整いまた船で出発した一行だったが、シストは度々思いだし笑いが止まらず今に至る。……ともあれ、元々高額の装備諸々が十二分に整ったのも事実。


 そして長い航海の末、アレフガルドの洋上を行くうちに、一行は精霊の祠に辿り着いた。
 上階の間には、祠の主である精霊の姿と、その肩にはキュゥべぇの姿もあった。緑色の髪の精霊が口を開く。
「私はその昔ルビス様にお仕えしていた妖精です。そしてあの日ルビス様に代わりこのキュゥべぇと共にアルスに呼びかけたのもこの私。あの時はずいぶん失礼なことを言ったかもしれません。許してくださいね」
「けど、アルスはついにここまで来た」
 引き継ぐようにQBが言い、精霊が杖を取り出す。
「私の想いを込め、あなたにこの雨雲の杖を授けましょう」
 QBがいたことに若干驚いた様子だったが、アルスは近づいて妖精から杖を受け取った。
「はい。頂きます」
 するとQBが妖精の肩から降りて言う。
「さあ、アルス、後はここから東の聖なる祠に太陽の石と雨雲の杖を持っていくんだ」
「うん、分かった。キュゥべぇ」
 アルスが頷くと、QBを珍しそうに見ていたテッドが唸る。
「んー、それにしても、キュゥべぇ。お前さんをこうして見るのは『契約』時以来だな」
「僕もだな。キュゥべぇ君」
 どうということもなく、QBは挨拶を返す。
「テッド、シスト、久しぶりだね。君達三人ならゾーマを倒してくれると期待してるよ」
 三人はそれぞれ返事をする。
「うん、それが『契約』だからね」
「もうここまで来たからにはな」
「この新調したミスリルの棍棒で叩く相手として、魔王なら不足はあるまい」
 テッドはなるようになるさ、と言い、シストは棍棒を軽く振り回して言った。

 アルス達が精霊の祠を去った後、妖精がQBに尋ねる。
「今まで数多の『勇者』達が魔王に挑んで命を落としていきました……。アルス達は本当に魔王を倒せるでしょうか……」
「きっとアルス達は魔王を倒してくれるよ」
 そうQBは軽くと答えた。
(アルスだけではない。程度の差はあっても、アルスの仲間にも『契約』の力はあるからね)




 ※

 ※

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 大魔王ゾーマは人々の絶望を啜り、憎しみを喰らい、悲しみの涙で喉を潤すという。しかし、絶望し、憎しみを抱き、悲しむ当の人々が世界から誰もいなくなった時、果たしてどうなるのか。
 QBの見立てでは世界を闇で覆い尽くすという大魔王ゾーマはその存在自体が最初から詰んでいた。仮に人々が世界から完全にいなくなったとすれば、人々の絶望というゾーマが存在するためには必要な糧が無くなってしまう。そうであるが故に、ゾーマは今日に至るまでにアレフガルドの人類を根絶やしにすることもなく、わざわざ世界の境界を破壊してまで豊富に人類のいる別世界に侵食し、人々の絶望を求めたのである。人々の絶望という餌無くして、ゾーマも存在することはできない。
 ゾーマが迎える結末は『餓死』するか『餓死』する前に滅ぼされるかであり、いずれにせよ遅かれ早かれ滅ぶことは避けようのない未来として確定している。
 しかし、QBにとってはゾーマが『餓死』するケースは即ち人間が絶滅することを意味し、ようやく広大な宇宙の中から個々の生命体がそれぞれ別個の精神を備えている人類を発見したにも関わらず、黙ってそれが絶滅するのを放置するのは感情エネルギーの回収上、合理的な判断としては到底選択しえるものではない。
 そして遂に、QBは超高確率で大魔王ゾーマを討伐しうる『時間回帰』という『契約』の力を、ようやくその『契約』を成しうる因果律を持つアルスが生まれた、その時点で、ゾーマの有するエネルギーの回収を超高確率で実現可能なものとしたのである。その意味で、アルスの『魔王討伐』の旅はまさに運命と言え、また、出来レースであるとも言えた。
 アルスの負担を度外視すれば――



 ※

 ※

 ※

《バイキルト!》
 攻撃力の上昇したアルスはそのままゾーマに接近して切りかかろうとする。が、ゾーマは両腕を一瞬にして振り降ろし、
「がァはッ!」
 アルスを床ごと叩きつけた。全身を強打し、アルスの口からは血が飛び出す。瞬間。


《バイキルト!》
 攻撃力の上昇したアルスはそのままゾーマに接近して切りかかろうとする。が、ゾーマは両腕を一瞬にして振り降ろす。
(今ァッ!)
 しかしアルスは寸前の所で横に鮮やかに回避して見せ、ゾーマの両腕は床を叩き割った。
「はァァ!」
 そのままアルスは振り降ろされた腕を即座に斬り上げる。ほぼ同時にシストも飛び上がり棍棒を叩きつけ、
「潰れろ!」
 会心の一撃。だがゾーマは二人の攻撃を全く意に介する様子無く、不意に大きく胸を膨らませ、口を開いた。
 想像を絶する白く輝く息。
 猛烈な冷気の爆風と共に瞬間的に放たれた極小の輝く無数の結晶は纏めて三人の全身に防具の隙間を縫って突き刺さる。至近距離で喰らったアルスとシストは声も上げずに吹き飛ばされ、
「うォぁぁッ!」
 一番距離の離れていたテッドは水鏡の盾で防ぎ後ろに押されながらも身体のあちこちに裂傷を受けた。テッドが瞼を開くと、ゾーマは続けて既に呪文を詠唱していた。
マヒャド!
 大量の巨大な氷槍がゾーマの周囲に生成される。
(マズイ!)
 防御するしかない攻撃にテッドは盾を構えたまま目を見開いて痛覚を完全に遮断しすぐに『全体回復呪文』を唱え始めた。氷槍が一気に飛来する最中、
《ベホマラー!》
 テッドの詠唱が完了した。
 そこへ口早に『ピオリム』を唱え、水鏡の盾を左手に構え、右手で棍棒を素早く振り回しながら見る見るうちに傷が回復していく完全にキレた形相のシストがテッドの横を飛来する氷槍を粉砕しながら一気に駆け抜けて行き、その後ろにぴったりついてアルスは追従していった。
「そうこないとなァ!」
 身体速度が上昇したテッドは軽く掛け声を上げるとすぐに『フバーハ』を唱え始めた。
 ゾーマは接近してくるシスト達に向かって右腕を横に振るう。シストは無言で飛び上がって鮮やかに回避し、
「がふゥっ!」
 シストの真後ろにいたアルスは上体に直撃を受けて勢いよく跳ね飛ばされた。瞬間。


 ゾーマは接近してくるシスト達に向かって腕を真横に振るう。シストは無言で飛び上がって鮮やかに回避し、
(ここッ!)
 アルスも上体を素早く屈めて回避。飛び上がった勢いでシストはゾーマの顔面に棍棒を叩き込み、
「らァッ!」
 会心の一撃を加えた。僅かに遅れてアルスもゾーマの足下に滑り込み素早く対象を斬りつける。
「ハァァ!」
 殴りつけた反動を利用してシストが空を回転して後方に着地しようとする所をゾーマは空振った右腕を払い戻す。が、丁度防御力が大幅に上昇したシストは瞬時に無理矢理回転方向を変更し、棍棒の円心力をそのまま乗せてその右腕を真っ向から会心の一撃で迎え打った。
「だらァッ!」
 一方、足下に張り付いたアルスは可能な限りの斬撃を振るい続け、テッドは『フバーハ』に続きシストに『スカラ』を唱えた後にもう一度『ベホマラー』を唱え、全員の傷を完治させる。
小癪な!
 ゾーマは唐突に構えを取り、凍てつく波動を放つ。一度嫌な感触の何かが体を通り抜けるとアルス達は全身から魔法効果が強制的に剥がされたのを感じた。
(解除された!?)
 テッドが初めての体験に驚くと、間髪置かずにゾーマは大きく息を吸い込み、体勢を低くしてアルス達めがけて口を開いた。
 想像を絶する白く輝く息。その瞬間的な爆風に二人は吹き飛ばされ、テッドもその影響を受ける。
「くぅぁッ!」
 アルス達の体勢が崩されると、更にゾーマはもう一度息を吸い込み、またしても白く輝く息を吐いた。猛烈な風圧がアルス達を更に大きく後ろに吹き飛ばし、祭壇を囲う水面は極限の冷気に晒され瞬く間に氷結する。
 そこへゾーマは畳みかけるように白銀に染まった空間を一気に地面を蹴って自ら『ベホマラー』の詠唱を始めていたテッドへと接近した。
(しまッ!)
 視界が悪くテッドが気が付いた瞬間、ゾーマの両腕が真上から振り降ろされ、
「ッ!」
 床ごと叩きつけられた。ゾーマは更に腕を振りあげ、
終わりだ小僧!
 再度叩きつけ、テッドの身体は空に跳ね上げられ、『ベホマ』を自己使用して全回復していたシストはまさにゾーマに殴りかからんと飛び上がっていた。
「テッドッ!」
 アルスはそれを目の当たりにして声を上げた。瞬間。


 ゾーマは大きく息を吸い込み、体勢を低くしてアルス達めがけて口を開いた。アルスは素早く勇者の盾を構えて白く輝く息のダメージを軽減し、吹き飛ばされながらも痛覚を遮断して『ベホマ』の詠唱を開始する。
 アルス達の体勢が崩されると、更にゾーマはもう一度息を吸い込み、またしても白く輝く息を吐いた。猛烈な風圧がアルス達を更に大きく後ろに吹き飛ばし、祭壇を囲う水面は極限の冷気に晒され瞬く間に氷結する。その僅か前にアルスは『ベホマ』の詠唱を完了して全回復し、
「テッド避けてッ!」
 白銀に染まった空間に叫んで、走り出した。畳みかけるように一気に地面を蹴って自らテッドへと接近したゾーマが腕を振り降ろすと、
「ッとォ!」
 テッドは『ベホマラー』の詠唱を中止して寸前の所で床を蹴って後ろに下がって避け、ゾーマの両腕は床を叩き割った。そこにアルスが素早くゾーマに斬りかかる。
「ハァァッ!」
 テッドは今度は『ベホマ』の詠唱を開始しながら更に距離を取って後退すると、既に『ベホマ』を自己使用して全回復していたシストも飛び上がってゾーマに殴り掛かった。
「らァァッ!」
 甘んじてシストの会心の一撃とアルスの攻撃を受けたゾーマはテッドに狙いを定めて再び距離を詰める。
(おぃおぃ俺さんからって訳か。だがなぁ!)
 全回復したテッドはゾーマの物理攻撃を寸前で回避すると、自らもゾーマに斬りかかった。
(それなら俺さんも攻撃に回るまでだ!)
 アルス達は揃って物理攻撃の間合いを取ってゾーマに波状攻撃を開始した。
「ハァァ!」「だらァッ!」「せやァッ!」
 過去に『遊び人』『賢者』の職業を経験している『盗賊』テッド。
 恐るべき戦闘能力を以て、全ての物理攻撃がほぼ確実に会心の一撃になる『僧侶』シスト。
 直撃を受ければその度『時間回帰』し、物理攻撃は全て遡って回避可能な『勇者』アルス。
 近接戦闘をしながら、例え『凍てつく波動』を受けようとも、隙さえあればテッドとシストは適宜『補助呪文』を唱え直し、逆にゾーマが距離を取って『輝く息』を吐けば『回復呪文』を詠唱する。
「たァッ!」
 ゾーマの足下にアルスは再び飛び込んで斬りかかった。が、ゾーマは強烈な足払いを放ち、
「かふぅッ」
 アルスは直撃を受けて空に跳ね上げられ、シストは寸前で後方に飛んで避けた。瞬間。


「たァッ!」
 ゾーマの上半身にアルスは飛び上がって斬りかかった。が、ゾーマの右腕が横に薙ぎ払われ、
「がはッ」
 アルスは強烈に吹っ飛び、シストはそのままゾーマの足下に一気に殴りつけた。瞬間。


「フッ!」
 ゾーマの足下にアルスが接近を試みると、ゾーマは強烈な足払いを放った。
「ここだッ!」
 アルスはそれをギリギリで飛び上がって避けてゾーマの肩口を斬り抜け、足払いを寸前で後方に飛んで避けたシストは一転ゾーマの頭部めがけて殴り掛かる。
「でぁァ!」
 だがゾーマは左腕で棍棒を受け、シストに向かって右腕を放った。直進する右腕に滞空した状態のシストは瞬時に棍棒を構えて直撃を防ぎ大きく後方に自ら吹っ飛ぶ。
 肩口を抜けてゾーマの背後にアルスが着地すると、今度はテッドが同じく背後に跳躍して刺突を繰り出す。アルスはすぐ振り返り、テッドと同様にゾーマの背中に飛びかかろうとする。
「はぅ!」
 が、ゾーマが勢い良く上体を回転させ、右腕にアルスは直撃して吹き飛ばされた。瞬間。


 アルスはすぐ振り返り――


 アルスから『回帰』の力を差し引いた場合の本来の戦闘技能は決して悪くはない。ただ、アルスは戦闘においては『回帰』しさえすれば良いと、『契約』の力にかなり頼りきっていた。しかし『契約』の力に大きく頼るのが間違いとはいえない。寧ろ『回帰』に使用制限回数が存在しない以上大きく頼るのが正しいとさえ言える。
 常識的には繰り出すのが無謀な攻撃を様子を伺って控えてしまうような場合においても、『回帰』の力に大きく頼ればその無謀に思われる攻撃をも実現させることができる。それは確実に攻撃の手数が増えることを意味し、ひいては戦闘時間が短くなり、消耗を少なく済ますことを可能たらしめる。

(まだ、まだ……っ!)
 アルスの感覚では何度も何度も『回帰』の繰り返しにより、気が遠くなりながらも、『回帰』した瞬間には休まる間もなく必死に戦い続けるしかない。
「ハァァッ!」
 自分が、テッドが、シストが直撃を受ければ『回帰』してはやり直す。
(一体いつになったら……!)
 そんな風な想いが脳裏に掠めながら、アルス達は一斉に三方向からゾーマに攻撃を仕掛けた。
「たぁァァッ!」「えぁァァッ!」「せぁァッ!」

 直後、突然ゾーマの身体に闇の炎が灯り始める。
ほう……よもや我がバリアを外すことなく……よくぞ……
 アルス達が警戒する中、実体が霞み出したゾーマはゆらりと後ろに下がって玉座に戻り、燃えながら呟き始める。
アルスよ。……良くぞ我を倒した。だが光ある限り闇もまたある……。我には視えるのだ。再び何者かが闇から現れよう……。だがその時はお前は年老いて生きてはいまい……
 最後の言葉を残しながら、ゾーマの身体は一層激しく燃え上がり、消滅した。

 その光景を目に、呆気に取られたテッドが呟く。
「倒した…のか」
「どうやらそのようだな」
 ようやくか、とシストは構えていた棍棒を降ろすと、
(終わった、終わったんだ……)
 アルスは意識を失ってその場に崩れ落ちた。
「アルス!」




 ※

 ※

 ※

 絶望の化身、大魔王ゾーマが討ち滅ぼされ、世界に蔓延っていた魔物は瞬く間に消滅し、アレフガルドには光が戻った。世界と世界を繋げていたギアガの大穴は閉じ、アレフガルドはあるべき姿を取り戻した。
 QBはと言えば……ゾーマが滅ぼされた瞬間、再相転移した、一つの世界を造り出す以上の膨大な感情エネルギーを予定通り無事回収した。そしてギアガの大穴が閉じる前に、用も無くなったアレフガルドからは早々に撤収したのかというと――


「久しぶりだね、ルビス」
「キュゥべぇ……!」
 封印から解放されたばかりの精霊ルビスの元にQBは現れ、再会の挨拶を交わした。しばらくしてQBが徐に話し始めた。
「……その昔、君と『契約』した際に、君は言葉通り一つの世界の神になる奇跡を成し遂げ、君の魂はソウルジェムに留まることなく、このアレフガルドに転移した。ソウルジェムになった魂は本来なら自らそのまま汚れをため込み呪いを生み出す筈が、君の魂はソウルジェムに留まらなかったことで、君の魂は純粋に奇跡そのものになり、その奇跡と対になる呪いと完全に分離した。そうして分離した呪いからゾーマが生まれ、ようやく滅ぼすことができた。けど、どうやら完全にこの世界から呪いを消し去るのはできなかったみたいだ。これからずっと先、いつかまた呪いがゾーマのような存在を生み出すかも分からない。だから僕らの一部はこの世界に残ることにしたよ。その時に備えてね」

 光ある限り、闇もまた或る――




 ※

 ※

 ※

「キュゥべぇ君、元の世界に『ルーラ』できないのはどういうことだ。元の世界では僕の金が僕の帰りを今か今かと待っている!」
 大魔王を倒したというのにラダトーム城に凱旋するのも後回しにして、精霊の祠にシストは血相を変えて駆け込んできた。QBは淡々と答える。
「ゾーマを倒したことでギアガの大穴が閉じてしまったからね。僕にはどうしようもない」
「なら、そこの君はどうにかできるか」
 シストは棍棒で今にも殴りかからんという勢いで妖精に尋ねた。妖精も真顔で即答する。
「私にもどうしようもありません。この世界に骨を埋めて下さい」
 シストは全身にピシリとまるで亀裂が走ったかのように固まって棍棒を取り落とし、小刻みに震え始め、
「なん……だと……? 言うに事欠いて遙々この世界までやってきて魔王を倒した僕にこの世界に骨を埋めろだと……君はどこの魔王だ。……ほ、ほっ、ほァ! ほァァ! ほァァァー!! 僕の金があァァァァー!! ぬわ、ぬわぁぁぁーッ!!」
 頭を抱えて大絶叫を上げ始めた。QBは不思議そうに、精霊は大分迷惑そうに見ていると、そこへ遅れてアルスとテッドが階段をあがってやってくる。
「あぁ、どうやら無理だったみたいだな」
「……うん、みたいだね……」
 二人はシストの様子を一目見て全てを悟った。
「ほぁァ! ほわぁぁァァァーッ!!」
「やれやれ、最後の魔物がお前さんだったとは……難儀なことだな」
 確かに、その絶望ぶりからは第二の魔王が今にも誕生しそうな勢いであった。一頻り絶叫を上げたシストは、ショックでふらふらしながらも、アルスの両肩に手を置いて話しかける。
「アルス君、ものは一つ提案なのだが、ゾーマを倒す前に『回帰』してみないか」
「え、えぇぇぇーーっ!?」
「おいおい……」
 シストの余りに酷い提案に、QBがある事実を宣告する。
「残念だけどそれは無理だよ。アルスにもう『時間回帰』の力はない。魔王討伐の『契約』は果たされたからね」
「なに……?」
「そうなの……?」
 驚いた二人に対しQBは肯定する。
「そうだよ」
 シストは少し落ち着いて取り繕い、
「ま、まぁ流石に今のは冗談だ。……かくなる上は、城に凱旋して褒美を貰おう……。この際城ごと貰えば僕の溜飲も少しは下がる」
 しかしまたさらりと凄いことを言った。テッドは遠い目をしてアルスに言う。
「アルス、お前さん、凱旋は当分止めておいた方が良いかもしれんな」
「ど…どうしよ……」
 アルスも困りきった顔で悩むが、シストが急かす。
「さあ、アルス君『ルーラ』を、どうした。早く行こう」
 さあ、さあ、と急かされて肩を揺すられるアルスにテッドは軽く声を掛ける。
「ま…なるようになるさ」
「う……うん」

 そして、伝説が始まる――


  ……そしてまたいつの日にか、キュゥべぇはこう語りかけるのだ。

   ――僕と契約して、『勇者』になってよ!――










後書き

ここまでお読み下さった皆様ありがとうございます。
また突然電波を受信した結果がコレでした。
ドラゴンクエスト3(DQ3)、キュゥべぇ(QB)と来て、

「とりあえず『Q』が両方付いてるし、足せる!」

……と、思ったのが始まりでした。

本スレッド内「そして、今日から「ゆ」のつく自由業」よりもシリアスな本作の要素としては、

・一話完結(一話で終わらせるためにかなり端折りました)
・ルビス「私は新世界の神になる!」
・キュゥべぇ「ゾーマはエネルギー源だよ!」
・キュゥべぇ「僕と契約して勇者になってよ!」
・意外と苦労の伴う魔法っぽくしたTAS臭のする能力
・ゾーマの凍える吹雪→何となく輝く息に変更
・ハッテンバーグ

こんな所ですが、天界はどうしたのか……とか色々突っ込まれるとボロがあります。
個人的に自分で書いておいて、QBによるDQ3世界蹂躙系にも思えなくもないのが、人によっては不快になるかもしれず、もしそういうことがあれば申し訳ありません。



[29850] もし転生のカミサマがQBだったら【シリアス】
Name: 気のせい◆050021bc ID:899ac1f2
Date: 2011/10/16 16:13
注意1:タイトルで何かが予想できた場合、ほぼ確実にその通りです。
注意2:コレは大きく捉えればネタのように思えるかもしれませんが、内容自体は決して所謂ネタ物としてのネタではありません。
注意3:シリアスです。







 宇宙の寿命を伸ばす方法として、知的生命体の感情をエネルギーに変換するテクノロジーを発明した文明を持つ生命体をQBという。
 しかし、当のQBは感情を持ち合わせなかった。
 そこでQBは宇宙の様々な異種族を調査し、その過程で局部銀河群銀河系太陽系は「地球」に生息する人類という生命体を発見した。
 人間は全ての個体が、別個に感情を持ち、別個に魂を持つ。
 QBは魂の存在を認識しているが、人間は魂の存在は認識できていない。
 人間にとって魂の存在するところは神経細胞の集まりであり、循環器系の中枢があるだけ。
 そして人間は生命が維持できなくなると、精神、魂まで消滅してしまう。
 QBの調査の結果、人類の個体数と繁殖力を鑑みると、一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し、成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。
 つまり、QBにとって人間の魂は非常に有用なエネルギー源たりうる。
 感情エネルギーの発生において高い効率が出るのは、希望と絶望の相転移であるが、QBはその最も高い効率で感情エネルギーを回収する事はできなかった。
 QBが人類に干渉し、魔法少女を誕生させると共に「魔獣」という存在が自然発生した。
 魔獣は生きている人間の感情を吸い上げ、場合によっては死に至らしめるが、魔獣を狩ると黒い結晶の形を取るグリーフシードが得られ、それは感情エネルギーが内包された物質であった。
 そして魔法少女は力を使いすぎて消滅する際、起こる筈の希望と絶望の相転移はその直前で魔法少女とソウルジェムが消滅してしまう事で回収は不可能だった。
 それでも、魔獣を魔法少女に狩らせ、グリーフシードを回収するという方法は高効率とは言えないが非常に安定性を持つ、感情エネルギー回収システムとなり、QBは地道に成果を上げていった。
 そして時は西暦二千余年。
 QBは人知れず人類以外のエネルギー源を求め宇宙を巡る中、時空連続体の狭間に生息する生命体と遭遇し、その結果新たなテクノロジーを発明した。
 それは、人間が死を迎えた時、魂が消滅してしまうその瞬間に魂をある方法で回収し、

「転生」

 させる
 
 というモノであった。






 20XX年X月X日。
 ユーラシア大陸の東端、太平洋北西部にある弧状列島からなる国、日本。
 平均寿命83歳。
 年間出生数約107万、年間死亡数約114万。
 単純日数換算で一日当たり2931.5人が生まれ、3123.2人が死亡する。
 死亡原因は個人により様々であるが、その日X県にて性別男、年齢は10代後半の人間一名が交通事故で死亡した。
 日本では年間約75万件の交通事故が発生し、その事故に起因する死亡者数は年間約5000人。
 単純日数換算で一日当たり約13.69人が交通事故が原因で死亡する。
 本来死亡してそのまま魂も消滅する筈だったが「彼」の意識は気がつけば周囲に何もない白い空間に移動し、彼の意識には可愛らしい子供の声が囁かれ続けていた。
《ここは転生の間。交通事故で肉体の死亡した君を転生させてあげるよ》
《え! 転生ってマジ!?》
 転生と聞き彼はやたらハイテンションになった。
《本当だよ。それに転生する際、一つ願いを叶えてあげるよ!》
《よしっ、特典来たっ! ここまでテンプレ通り! でも一つだけか……。じゃあ願いを100個に増やすっていうのはアリか?》
《増やすには増やしても良いけど、願いを100個に増やした時点で終わりだよ。それを行使する事はできない。それでも良いかい?》
 淡々とQBは声を掛け、彼は即座に突っ込み返す。
《良くないわ! あーハイハイ、どうせそうだと思ってましたよー。じゃあ転生先の世界を選ぶとかできるか? 例えばアニメとか》
《無理だよ。転生させられるのは君が生まれた世界だけだ》
《何だよアニメの世界に行けるかもって期待したのに……つかえねーな》
 急に落ち込んだように彼は言った。
《君は一般には非現実的な事の起こる世界に転生したいのかい?》
《まぁ……そりゃ、どうせ転生するなら、さ》
《君は知らないだろうけど、君が生まれ、死んだ世界には魔法が存在するんだよ》
《ええ!? マジで!?》
 再び驚愕の声が上がった。
《うん。魔法は存在する》
《マジかー。なら、その魔法と俺が必ず関われるようにしてくれよ!》
《それで良いのかい?》
《ああ!》
《分かったよ。契約は成立だ。じゃあ、転生させるよ!》
 そうQBが言うと、彼の意識は白い空間から消えた。







 20XX年X月X日。
 中東・南アジアに位置する共和制国家、アフガニスタン・イスラム共和国。
 平均寿命48歳。
 生後約1ヶ月未満の新生児死亡率6.1%。
 生後約1年未満の乳児死亡率16.5%。
 16~59歳の間における成人死亡率47.9%。
 出生率は女性一人当たり7.3人。
 通称・アフガニスタンに新生児として「彼」は、
 否、「彼女」は四人兄妹の末っ子として転生した。
 誕生した瞬間から、彼女は前世の自分の記憶とその意識は持ちあわせていたが、どこに転生したかというのは視覚や聴覚がはっきりせず、しばらくの間分からなかった。
 しかし、感覚がある程度はっきりしてくると、彼女にとっての「常識」に比較して周囲の環境が何か酷く劣悪なものである事に気づくのに然程時間はかからなかった。
 母親は間違いなく褐色系の美人であるのは分かったが、言語は日本語ではなく明らかに中東系、服装も明らかに中東系、石造りの家屋には隙間風が入り、空気は砂っぽい。
 彼女が最初に認識し、愕然としたのは、転生先が日本ではなかったという事であった。
 自由に体が動かない彼女はなるようになるまま、栄養状態は芳しくないが、彼女曰く所謂羞恥プレイを乗り越え、最初の生後一年の死亡率20%を超え、生きていた。
 言語も幼児期の内に聞いていれば日本語に対する理解があろうとも何となく理解できてきたが、それはともかくとして、彼女とてしては転生先が異世界ならともかく、現実の地球である以上、日本に対する執着が強かった。
 その彼女の様々な感情に反応するかのように、彼女の肉体は度々元気な泣き声を上げた事が、期せずしてそれが彼女を救ったことを彼女は知らない。
 そんな彼女が寝かせられているある時、彼女の意識にQBがテレパシーで呼びかけた。

《転生した気分はどうかな?》

 彼女はその一切悪びれる様子も微塵も感じられぬ可愛い子供のような声に、激昂して矢継ぎ早に文句を述べた。
《転生先が中東だなんて聞いてない! ふざけるな!》
《その反応は理不尽だ。一つ願いを叶えてあげると言った時。君は転生先を指定するような願いをしなかっただろう?》
 全く動揺を見せず、寧ろ煽るようにすら聞こえるQBの声に彼女は叫ぶ。
《詐欺だァッ!! 何で言わなかったんだよ!》
《訊かれなかったからさ。訊かれたら勿論教えたよ》
《くっそぉッ!》
《随分怒ってるけど、君はどこに転生したかったんだい?》
 やけくそ気味に彼女は言う。
《日本に決まってるだろ!》
《日本か。確実に日本に転生したかったのなら願いを使うべきだったね。今この地球では年間1億3000万人が生まれ、6000万人が死亡する。日本は年間約107万人が生まれるけれど、単純に日本に転生する確率は0.8%前後だ。日本に生まれるのは1000人中約8人。君がアフガニスタンに転生したのは偶然と言えるけど、別に不思議な事ではないよね》
 0.8%という厳然たる数値を聞いて、彼女は今更衝撃を受けた。
《0.8%……》
《不思議そうだけど、君はそこまで無意識に日本にもう一度必ず転生できると思っていたのかい?》
《……くそっ……くそっ……ぁぁ、思ってたよ!》
《君のように転生先を願いにせずに後悔するのを何度も見ているけど、君はまだ運の良い方だよ?》
《どこがッ!!》
《何より君はまだ死んでいない。確かにアフガニスタンは成人死亡率世界第7位の国だけど、それより順位の高いスワジランド王国、レソト王国、南アフリカ共和国やジンバブエ共和国のような国に転生して生まれた時から母子感染でHIVに罹ってもいない》
 15歳から49歳のHIV感染率、スワジランド25.9%、レソト23.6%、南アフリカ17.8%、ジンバブエ14.3%。
 16~59歳の間における成人死亡率、スワジランド62.0%、レソト68.5%、南アフリカ52.0%、ジンバブエ77.2%。
 彼女は逆ギレ気味に叫ぶ。
《HIV? てかスワジランドとかレソトってどこだよッ! 知るかァッ! 下を見たら切りがないような事言ってんじねぇッ! もう一度転生させろォ!》
 QBはやれやれ、とやや呆れたように言う。
《君は交通事故で既に一度死亡し、こうして転生しただけでも奇跡なのにもう一度転生させて欲しいだなんて虫の良い事を言うね。それは無理だよ》
 転生させる際のエネルギーの無駄だし、とはQBは言わない。
《ちくしょぅッ……》
《君はさっきから随分怒ってるけど、これが世界の現実で、君は前世でこの世界に国は違うけど住んでいた。遠く離れた国で、その国の人々はこうして確かに生きている。君の今の家族は毎日君のように怒っているのかい? もう一度言うけど、君の反応は理不尽だよ。これを酷だと思うなら、君は勝手な常識と現実を比較しているだけだ。君は君の前世での常識が世界の常識だと勘違いしている》
 転生させてあげるよと言った時あんなに喜んでいたのに酷い変わりようだね、とまでは言わずそう諭すようQBが言うと、彼女は喚き、
《うるさいうるさいうるさいッ!! 転生っていったら普通はテンプレなんだよ! チート! テンプレ! こんな筈じゃなかったァ!》
 意識の空間で表情を歪め両手は広げて叫んだ。
《転生させる時の発言から分かってはいたけど、君も君の中でのテンプレとやらが当然だと思っている内の一人のようだね》
 言って、QBは彼女に対する認識を確定させた。
《思って何が悪い!》
《別に悪いとは言っていないよ。君がそう考えるのは僕らの関与する所ではないからね。好きにすれば良い》
《お前……ッ! くそッ! そうだ、魔法はどうしたんだよ!》
 彼女は思い出したかのように言った。
《魔法については安心してよ。君が10代前半になったら必ず関われる》
 その時まで君が生きていたらの話だけど、とはQBは言わない。
《10代前半? 遅え! 今すぐにできないのか!》
《その体で魔法を使えるようになったとして、どうするつもりなんだい? 大体君は魔法について何も知らないのに魔法さえ使えれば何でもできると思っているのかい?》
《っ! くッ……。なら教えろ! 魔法で何ができる!?》
 QBは全くペースを崩さず説明する。
《魔法を使えるようになる際、個人によって専用の能力は全て違うから一概には言えないよ。共通するのは身体が頑丈になったり、空が飛べるようになったりする事かな》
《……本当だな?》
《本当だよ。じゃあ、できるだけ早い内に魔法と関われるようにはしておくよ。じゃあまたね》
《ぉ、おいッ! まだ何でTSしてるとか色々聞きたい事は》
 そして一方的にテレパシーは切れた。

 彼女はその後、年齢を重ねるにつれ、前世の記憶による関係で、周囲からは頭の良い子供として見られて育った。
 しかし、ある時、某国軍の誤爆に巻き込まれた。
 彼女は前世では決して想像だにもしない刹那の苦痛の中、死にたくないと思いながら逃れようのない絶望に包まれ、そのまま、

 肉体は死亡し、魂も消滅した。







(希望と絶望への相転移。今回もまた初期消費に対して感情エネルギーを数倍に増やして回収できたね)
 QBは人知れずそう思いながら、彼女に仕掛けていた宝石型ではなく、小さな球体に上下に鋭い針のついた形状をし、完全に黒に染まり切ったソウルジェムを回収した。
 QBは魂を転生させる際、対象の肉体と位相を僅かに異にする亜空間に専用のソウルジェムを仕掛け、それと魂をリンクさせて転生させる。
 平和な国……というと定義によるが、所謂先進国で未練の残る死を迎えた10代の人間に転生システムを使用すると、転生の際に消費する感情エネルギーの数倍を回収できるという統計をQBは幾度に及ぶ試行によって得ていた。
 魔法少女の契約とはまた異なるシステムで成り立つこの回収方法は、対象が魔法の過剰使用による消耗で消滅する訳ではなく、対象は自然な肉体的死を迎える為、宇宙法則「円環の理」によって希望と絶望の相転移のエネルギー回収を阻まれる事がない。
 一日に約35万5000人が生まれ、約16万5000人が死亡する。
 今現在で69億人、4秒に10人ずつ増え続けている人類はQBにとってどこまでもエネルギー源である。
 QBは真剣にまた回収した魂にこう語りかけるのだ。

(ねえそこの君。僕と契約して転生してよ!)









後書き

ここまでお読み下さった皆様ありがとうございます。
しかしながら、こんな電波を受信した私は自分で書いておいて何だか気分が悪くなりました。
題名からして何か「予感」がしたかもしれず、もし不快になられた方がいらっしゃれば、大変申し訳ありません。

Q、転生物ディスってんの?
A、私は処女作で惑星レベルのとんでもチート人外転生物を書いた人間です。
 どちらかというと自虐です。
 そして転生物は普通に好きな人間です。
 あくまでQBが転生の業務に手をだしたら……というのを推測した結果がこうなったに過ぎません。

Q、気分が悪くなった。どうしてくれんの?
A、書いた私も気分が悪くなり、心拍数が嫌な感じに上がりました。
 私はこれから録画したWORKING'!!を見ます。
 気分が悪くなられた方は、お好みの何らかの方法で中和されるか、場合によりましては同スレッドにあります安心チートDQ3モノ「そして、今日から「ゆ」のつく自由業」を一応紹介させて頂きます。

Q、結局何が言いたいの?
A、何だか危険な話題な気がしますので深くは触れず、それなりに簡潔に。
 映像は除外するとして、私はアフガニスタン等、発展途上国に直接行った事はありません。
 現実を知りもせずに書くなというのは、言われてしまえばその通りです、申し訳ありません。
 日本に生まれ、こうして生きている事にどうにも「慣れ」て実感が薄れがちですが、改めてこの日本という国での自分の生活というものが「どのようなもの」であるのかを何か少しでも再確認、実感できるかもしれないのではないか……と書いてから、思いました。
 少なくとも私は、コレを書く前の自分よりも、今、後書きを書いている自分はソレを実感している自覚があります。
 また、創作物における転生物を(あくまで)読み物として楽しむ上では、下手に現実の統計的数値などはふと気になっても、深く突っ込まず、無意識にスルーするのがやはりベターなのではないか、という考察に私は至りました。
 そうでなければ本当に誰得(コレは明らかにQB得ですが)な気がします。



[29850] 【恋愛】惚れたあの子は残機が足りない【誘爆系ヒロイン・他短編】
Name: 気のせい◆050021bc ID:899ac1f2
Date: 2012/01/20 10:00
本作は恋愛物(作者的には習作)です。

 本作に含まれる要素
・恋愛(→変愛or変態)
・へたれ
・恥じらい
・誘爆(自爆)
・SとかMとか(何かの特殊プレイ)
・苦行スイッチ→ON
・それと便座(カバーではない)注意

 (他、詳しくは本話後書きにて)





 春、それは始まりの季節。新年度、特段凄く珍しい……とまでいうこともなく、転入生が現れることは往々にしてあるもの。中高一貫校であっても帰国子女が高校から転入してくることはある。
 新学期初日、M大附属高等学校1年B組の黒板に貼り出された座席表には、中学からそのまま進級し制服が一応高校仕様に変わった新高校1年生達の見知らぬ名前が一つあった。結論から言ってしまえば、クラスの殆どが「転入生が来るのだろう」と察しはついた。ただ、クラス替えの影響もあって、次々に登校してくる生徒達は去年同じクラスだった友達、部活が同じ友達など既存の仲間内で適当に集まって話したりしている内にすぐ時間は過ぎていく。
 完全に予定の電車に乗り遅れ、かなりギリギリで急いで教室に入ってきた岡野は、パッと座席表を確認して窓側一番後ろの席についた。
(窓側後ろ……っと)
 適当に鞄を置いているとチャイムが鳴り響き、朝のHRの時間を報せる。間もなくスーツ姿の女性が入ってくる。
(ぁ……ここ相澤さんのクラスか)
 相澤は教壇に立つと目の前の生徒に声を掛ける。
「小林さん、号令お願い」
「あ、はい。きりーつ!」
 起立すると、礼という言葉に従って、全員着席する。
「はい皆知っていると思いますが、このクラスの担任になりました相澤です。よろしく」
 相澤が続けて転入生の件について軽く述べる。
(え、あ、転入生? 帰国子女か)
 そういえばと、隣の席が空いているのを見やり、岡野は相澤の話でこのクラスに転入生がいるとようやく気がついた。ドアを開けてすっと教室に入って来た転入生は教壇の前で止まる。
(ん)
 一斉にクラスの視線が転入生に集中する。
「初めまして、この度1年B組に転入してきました楠木まひると言います。皆さんよろしくお願いします」
 言って余裕ありげに頭を下げ……そこまでは普通の導入だったが。再び頭を上げると、

「……ところで、私は、私とお付き合いして下さる方を探しています。つきましては、挙手して頂けませんか?」

 こう宣言してまひるはクラスを見渡した。
(は?)
 教室総ポカン状態。一瞬して、例えて言えば、完全に滑った発言をして「あ、自分やらかしたァ……」と、気づいた時のあの居心地悪い感じにクラスの空気が変化した。
 ふざけた冗談なのでは、とクラスのいくらかは黙って見ていたが、
(堂々としすぎだろ……)
 と、言いたくなる程にまひるの様子は本気にしか見え無かった。相澤が眉を少しひそめ、かなり言いにくそうに口を開く。
「えーと……楠木さん? それはアレか、堂々と彼氏募集……ということ?」
「はい。ただ、異性に限定はしませんので……同性でも構いません」
 まひるは即答してクラスの女子達にもさらりと流し目を送った。
(ちょ)
 耳を疑う発言にクラスは更に反応し「え、えェ?」と女子の何人かは互いに顔を見合わせ、男子は「パネェ」と騒然。相澤はすぐには声が出ず、それよりも先にまひるの口が再び開く。

「……もう一度聞きます。私とお付き合いして下さる方は挙手して頂けませんか?」

 ここに来て男子の一部はちらほら挙動不審な動きを見せる。しかしそれはどうにもぎこちなく、すぐ止まったりする。なぜなら「あいつ意識してるな……」とか思われたくないから。……クラス替えしたばかりでこの釣り針は劇物だった。
 相澤は右手で左腕を掴み、やや頭を捻りようやく復活する。
「……ぅん……だ、そうだ。ほら男子、誰かいないの?」
 冷静さを取り戻したというより、大分やっつけだった。「先生! そこは楠木をやんわり止めるかスルーすべき所ですよ!」という生徒達の心の中のツッコミは別に声に出やしない。
 まひるは相澤に目を向ける。
「質問です相澤先生。このクラスの男子生徒の皆さんにはホモの傾向があったりするのですか?」
 おぉぁ……と男子達は前のめりになった。
 ゆっくり瞬きをして相澤は右手で引きつる目元を抑えそうになりながら声を絞り出す。
「……いや、流石に……せめていわゆる草食系ということにでもしておいてやってくれないか」
 草食系という単語が妙に重く響き渡ったようで「先生ェ……」と男子は心の中で呟いた。
「分かりました」
 まひるは相澤の返答を聞くとクラスを見渡し、少し俯いて言う。
「……あの、転入早々こんな発言をしてしまい、その上、このまま誰も手を挙げてくれないとなると、私は明日から不登校になるぐらい恥ずかしいまま席に着くことになります」
 クラスは皆目のやり場に困る。「なら何故、言ったァ……」という疑問を返してやりたいが誰も言えず、聞いてる側が寧ろ苦しくすらあった。
 そんな中、不意に一つ手が上がる。まひるの視線は窓側後ろの席へ。……そこには左手で机の縁を掴み、右手は挙手し、妙に力んだ岡野の姿があった。
(ヤバイ。終わった……っ!)
 もう取り返しがつかない。まひるとやや驚いた様子の相澤の視線に、クラスは皆すぐに岡野に気が付き凝視した。「岡野ォ……」というクラスの次から次へと刺さる視線のせいで後悔の念がじわじわと岡野に沸き上がった。
 ……と、思うと、違う場所でも手がポツ、ポツリと上がり、更に三人釣れた。
(って、ちょぃ!)
 恥を忍び、勇気を出して単独で手を上げたというのに、芋づる式に四人に増えると、突然四体の生命体がアホ面を晒しているかのようになってしまう。
 だが、それも束の間。 

「…………名前、教えて貰えるかしら?」

 そう言いながらまひるはカッカッと机と机の間を歩き、岡野の隣で立ち止まった。
「岡野……岡野悠」
 ややあって悠は上体を少し後ろに引いて答えた。まひるは右手で髪の毛に触れる。
「岡野君、手を挙げてくれたということは私と付き合ってくれるのかしら?」
「……は、はい」
「そう。岡野君、これからよろしく」
 まひるは柔らかく微笑えんだ。
(な)
 悠はもうクラスの他の生徒を気に留める余裕も無く、
「……こちらこそ、よろしく」
 絞りだすように返した。すると心なしか満足そうにまひるは教壇の相澤の方を見て、
「相澤先生、失礼しました」
 言って席に着いた。
「あ、ああ。……えー、ま、とりあえず始業式なので各自体育館に移動するように」
 ポンと手を合わせた適当な相澤の言葉でHRは終了。
 尚、スルーされた三人は爆死である。



「岡野」「岡野」
 「岡野」
  「おお岡野」
 終わった途端、わらわら男子達が悠の席に近く寄ってきて、やたら生暖かい表情で見やる。しかし、問題のすぐ隣のまひるがガタリと立ち上がって、

「ひゅう」

 ……全員停止。続けてまひるは悠の前の男子達に軽く首を傾げて見せる。
「……こんな時、こんな風に茶化したりするのかしら?」
 言葉を投げられた男子達は再起動するとそろそろと撤退し始める。
「ぁ……はは……」
 「ははは……」
  「まぁ……」
 そして、
「た、体育館行こうぜ」
「だ、だな!」
 散っていった。
 ……見事に全滅である。

(ワオ……)
 悠は何とも言えない空気に微妙な表情になった。不意にまひるが声を掛ける。
「岡野君、体育館の場所、私知らないのだけど……案内して貰える?」
「も……勿論?」
「ありがとう」
  上ずって答えた悠にまひるは自然に返した。
「あ、ああ」
 刺さる視線を感じながら、悠はぎこちなさ爆発でまひるを体育館に案内し出す。
「た、体育館、皆歩いてる方だけど、あっちで……えっ、体育館履き持ってる?」
「あるわ」
「そ、そっか」
 まひるは柔らかく言う。
「気に掛けてくれたのね」
「い。……いや、まあ」
 動転しまくりの悠に対し、
「フフ」
 まひるはくすりと笑った。



 校長の話やら何やらの始業式。
 教室に戻り、そして一年間使う大量の教科書の受け取りに移動。
 LHRで委員・係決め……と初日はなし崩し的に時間が過ぎていく。
「はい次。美術係二人、やる人―?」
 最初に学級委員を決めて仕事を任せようかと思っていた相澤だったが、自分がやったほうが早いとサクサク割り振りをしていた。
「あ、はい」
 手を上げたのは悠。
「はい、岡野ね。後もう一人」
 相澤がすぐ黒板に「オカノ」と書くと声が上がる。
「はい」
「あぁ、楠木さん……ね」
 ざわ、とこれにはクラスが反応して皆後ろを見た。
(ま、マジ……?)
 はは、と悠は隣の様子をチラと目で伺うと、何も意に介さない、澄ましたまひるがいた。
(この子、普通じゃ無いわぁ……)


 かくかくしかじか、LHR一旦終了、掃除をして大体正午になる。
「明日はいつもの通り、健康診断です。尿検査忘れないように。保健係は明日の朝回収お願いね。袋は教卓に入れてあるから。じゃあ終わり」
 そして号令。
 これにてHR終了。
 悠は時間の経過に比例して減った視線にほっとしつつも、HRの号令で立ったままの所、ふとまひるをチラ見する。
 が、丁度目が合った。まひるの方から口を開いた。
「ねえ、午前中ちらちらと岡野君の視線を感じたような気がしたのだけれど、私が自意識過剰なだけかしら?」
「いや、そんな事は無いと…ぉ……」
 すかさず悠はフォローを入れようと試みたが、
(いや、いやいやいや、これじゃ『ガン見してた』って言ってるようなものだって)
 その発言が意味するところに言葉を濁した。まひるは顎に人指し指を当てる。
「つまり、どういうことなの?」
「つまり、どういうことなの……っていうのは……?」
 悠は半歩下がって濁すが、まひるが半歩近づく。
「あら、これからお付き合いするというのに、岡野君、随分歯切れの悪い返しね。今の言葉、強がって言ったけれど実際に口に出すのは恥ずかしいのよ」
 その言葉の割にはまひるは不敵な表情をしていた。
(それっぽい感じはしたけど……まさかドS……?)
 ぐぅの音も出ない……否、心中は「ぐぅ」と潰れるような感覚で、悠は色々堪えて白状する。
「ぁ…あー……恥ずかしながら、ちらちら楠木さん見てました、すいません」
 するとまひるはスッと天井を仰ぎ、左肩を右手で触り、そこから手首までそっとなぞって言う。
「嗚呼、恥ずかしい台詞ね。女子にちらちら見てました……なんて、普通は、しかもよりにもよって直接当人に向かって言う言葉ではないもの」
「で、ですよね……」
 はは、と悠は思わず乾ききった笑いが出てしまう。
(何かこう…来る……)
 まひるはサッと悠に向き直し、
「でも謝る必要は無いわ。謝るようなことではないのだから」
 さながら何かを宣告するように言い切った。
(ありがたき幸せ……)
 何故か、旧時代の言葉が脳裏に思い浮かんだ悠だったが、
「それは……どうも」
 盛大にへたれて見せた。

「ところで、岡野君。一緒に帰らない?」

 唐突。
(積極的っ……!)
 まひるの首を傾げた姿に、思わず悠はごくりと生唾を飲み込んだ。
「は…はい」
「なら決まりね」



 いきなり一緒に帰ることにした二人。
 そんな中、特段会話無くスイスイ先を歩いて行くまひるに歩調を合わせながら悠は途中で声を掛ける。
「あのー楠木さん?」
「……何かしら?」
「ここ完全に通学路外れてるけど……」
 通学路に指定されていない、普通通らない住宅街を歩きながらぎこちなく悠が手で示すが、まひるは真顔で語りかける。
「安心して。大丈夫よ」
「……そう、ですね」
 何が安心で大丈夫なのか良く分からないまま、まあ確かに通学路を絶対歩かないと直ちにどうにかなってしまう訳でもなく、悠は答えた。
(え? というか住んでるとこどの辺とか、バスなのか電車なのかとか……)
 そう、隣のまひるに色々確認したい、というか確認した方が良いことを考えていると、
「着いたわ」
「はい?」
「ここが私の家よ」
 まひるが示して見せると、その日本家屋の表札には、
「楠木」
 と確かに書かれていた。
「え。近ァッ!?」



「……上がっていかない?」
 という言葉に、悠は少し迷って結局従った。
 促されるまま和室に悠は正座し、そわそわしながら待っていると、制服のままのまひるが茶を持ってくる。
「どうぞ」
「ありがとう」
 悠が受け取ると、まひるも卓袱台を挟んで悠と反対側に座った。二人はとりあえず茶に口をつけたが、その後、重い沈黙が流れる。
(……話しにくい……)
 聞きたい事は色々あるが、いざ聞くとなると「それどうよ?」と自分で却下したくなるようなものばかりだった。
 そこへ、ゆっくり吐息を吐いたまひるがポツリと言う。
「……岡野君、気まずい?」
「や、気まずいというか」
「私ね、今……緊張してるの。岡野君はどう?」
 囁くように問いかけると、
「ぇ……緊張……しますね」
 それはもう、滅茶滅茶緊張していた。
「なら一緒ね」
 まひるはくすりと笑った。
(何これ。さっき学校にいた時より恥ずかしい……?)
 まひるを見ると悠は急に動悸がしてくる。そこへ丁度、まひるがゆっくり話し始める。
「……いきなり転入初日に何故あんなこと言ったかというとね。私、今まで特定の誰かとお付き合いしたことが無くて、とにかく付き合ってみたかったの」
 悠は意外な言葉に耳を疑う。
(付き合ったことがない……? 冗談じゃなくて……?)
 まひるが続ける。
「それで、あんな事言って、でも凄く不安だったわ。完全に無視されたらどうしようとか。実際、そうなりかけたし、あの時どうしようかと思ったのだけど、そんな時、ね? 岡野君?」
 そこで名前を呼ばれ、びくりと悠は反応する。
「は、はい」
 まひるはやや上を仰ぎ見る。
「まるで岡野君、炎上中の炎の中に飛び込んで一緒に燃えてしまう人みたいだったわ」
「う……うん」
 悠はとりあえず相槌を打ったが、
(今の例え、どういう意味……? え、一緒に燃えてしまう人みたいって何? それただのおかしい人じゃなくて? 実際おかしかったけどもさ?)
 色々突っ込みたかった。
「そして、その後よ。ポコポコ後から都合よく沸いて来たのは」
「あぁ……沸いてって……」
「私、あの時、ああいうのが嫌いだとはっきり分かったわ。あの三人はどういうつもりで岡野君が手を挙げたのを見てから手を挙げたのかしら?」
 まひるはまた突然質問を投げかけた。悠は一瞬詰まって目線を虚空に向けて考えながら言う。
「いや……まぁ、俺が挙げて、あの三人は普通にイケメンだし『行ける』とか思って……なんて大体そんな感じじゃないか……?」
「成る程。それで、岡野君はどう思って手を上げたの?」
 不意に冷静にまひるは悠を直視して言った。
「へ」
「……岡野君はどう思って手を上げたの?」
 再度。首を傾げる。
「えぇ…ぁー……」
 悠は目を泳がせる。しかし、

「 岡 野 君 は ど う 思 っ て 手 を 上 げ た の ?」

 三度目。強い語調は超ハッキリ。
(違いない。ドSの目だっ……!)
 まひるの刺すような目に、一つ息を吐いて悠は口を開いて、またへたれる。
「それ言うの恥ずかしいんだけど……」
「安心して。恥ずかしいセリフを聞く、その私も恥ずかしいのだから」
 片手で制止してまひるは堂々と言った。
(ん。これはドSというより……ドSに似た何か違うモノのような気も……あ)
 悠は何か思い出したのか、まひると同じように一度天井を仰ぎ見て、
「ヤバイ。終わったって……思った」
 盛大に逃げた。
 んー? と要領を得ない様子でまひるが指摘する。
「それは手を挙げてからよねぇ? 私が聞きたいのはその前なの。上げる前から上げる瞬間までのことよ?」
 ほら、どうぞ言ってみて、と凄い澄まし顔だった。
(前言撤回。この子やっぱりドS!)
 悠は息を吐く。
「はァァ……。言うなれば『行けェ!』って感じで上げたかな」
「もう少しそこ詳しくお願い」
 ピッとまひるが掌を差し出て見せた。
 ぐぅぅ、と悠は手を握りしめて、力む。
「ぐ。で……できたら付き合いたい……」
 言い切ったが。
 まひるは真顔と無言で返した。

「ヤバイ」

 ……悠は天井に向かって後悔の念を三文字で口走った。
 数秒の間を置いて、まひるは何やら再現を始める。
「……で……できたら付き合いたい! 行けェ! ……ヤバイ。終わった! こういうことなのね」
「何かやめて!!」
 こうよね? 分かるわ? という表情のまひるは悠の心に大ダメージを残した。
 卓袱台の縁に両手をつき、頭を俯かせた状態で悠は呼吸をする。
(は……はぁ……パネェ……)
 少しして、まひるは納得するように言う。
「……良く分かったわ。岡野君は真面目に最初に手を上げてくれた。他の三人とは明らかに違う」
「ぇ、そ、そう……?」
 まひるが肯定する。
「そうよ。……私ね、どうせならやっぱりイケメンならイケメンであるに越したことは無いのだけれど……私を見てないのは論外なのよ」
 悠の心に更に何かが刺さる。
(包み隠さず言った!?)
 ただ同時に悠は聞き返す。
「ん……ぅん。いや、それってどういう?」
 まひるは両手を広げて説明を始める。
「私の考える経緯はこうよ。岡野君さっき、あの三人は普通にイケメンで、だから行ける、と思ったって言ったけれど、私は更に、彼らは岡野君より自分はイケてると思って、放っておいてそのまま私が岡野君と付き合うことになったら何か癪、だったら参戦しよう、そんな感じだと思うの。大分穿っているかもしれないけれど。つまり、彼らには、岡野君みたいに一番最初に『できたら、楠木まひる、と付き合いたい』という積極的に『私だからこそ』選ぼうという意思がペラペラなのよ。言ってみればきっと誰でもいいのね」
「な……なるほど」
「つまりね、私は岡野君が最初に手を上げてくれた時、嬉しかったのよ?」
 話に聞き入っていた悠に、まひるは人差し指を唇の下に添えて言った。
(!)
 悠はその不意打ちに目を見開き、全く声が出ず停止し、心中悶えた。
「はい、恥ずかしいセリフ」
 パッとまひるは手を合わせた。悠の様子が落ち着くのを待ってまひるは声を掛ける。
「お茶のおかわり、いる?」
「……いや、悪いんだけど……トイレ借りられる?」
 あら、とまひるは答える。
「もちろん? でも、その前に私が先に入るわ」
「ぇ」
「案内するわ。こっちよ」
 まひるは悠の疑問符をスルーして、移動を促し、悠は立ち上がった。トイレの前に着くと、
「すぐ出るから待ってて」
 ……本当にまひるが先に入った。
(……いやいやいや、ちょっとどういうことなの。連れションとかそういうアレじゃない)
 まひるが入ったトイレの前に立って待つ状況である。更に、

(音が……聞こえるんですけど……!)

 例のアレの音が聞こえる中、完全停止だった。程なくして、流れる音がして、
「お待たせ。……どうぞ?」
 何食わぬ顔でまひるはドアを開けて出てきた。
「ぁ、失礼します」
 悠が入れ替わりに入ろうとした所、
「ねえ、岡野君知ってる?」
 と、まひるは声を掛ける。
「……立ってすると目に見えないぐらい小さな水滴が便座の床周りに数千近く跳ねるんですって」
「へ、へぇ。そんなに……?」
 ドアノブに手を置いた状態で話を聞いた悠は驚き混じりに言って、トイレに入った。
(今の何? 立ってするなという振りと取るべきなのか……?)
 一瞬停止して、更に思考を巡らす。
(いや。この便座は……楠木がさっき座っていた。よりにもよって直に。いや、それ以外に方法無いけど。あヤバイ。早まるな)
 一人で勝手に手を抑えるような動きをしながら瞬きをする。
(落ち着け……考えろ。……立ってする場合に飛散することを楠木は気にするんだから、直接座るのも同じように気にしてもおかしくない。……となれば)
 そして、悠は行動に移った。
1.トイレに丁度置いてあるウェットティッシュを一枚取り
2.便座の蓋を開けてきちんと拭き
3.空気椅子気味に便座にギリギリ座らないよう用を足し
4.念のためもう一度ウェットティッシュで便座を拭き
5.ウェットティッシュを便器の中に入れ
6.蓋を閉めて流す
 悠は一つ息を吐いてタンク部分から流れる水で手を洗った。
(これで……完璧だろ)
 そのままドアを開けると、
「ちょうァア!!」
 声を上げて一歩下がった。目の前にまひるが全力待機していた。
 当のまひるは構わずトイレを覗き見て呟く。
「閉じてある……」
 身体を横にしてするっとトイレから出た悠にまひるは振り返って尋ねる。
「岡野君……座ってしたのよね? 音的に」
「そ、そうだけど?」
「ふぅん……」
 意味深なまひるに悠が尋ねる。
「な、何か……?」
 まひるはトイレを指さして解説を始める。
「岡野君、音がし始めるまでに少し時間があった気がするけど、その空白の時間に私、興味があるの」
 思わず悠は額に手を当てた。
(なんで!? 興味持たなくていいよ!)
 考えこむまひるに、悠は声を掛ける。
「楠木さん、あのー」
「待って。二つ仮説があるの」
 無駄に真剣なまひるは悠をばっさり制止した。
「ぁ、はい」
 まひるは指を立てる。
「一つ目。岡野君がトイレに入る直前に、私が言った事を気にして、立ったままするか、座ってするかを考えていた」
 ぅ……うん、と悠は頷き、まひるが続ける。
「二つ目。続いて岡野君は直前に入った私が座った便座にあろうことか興奮してしまい、更に何かをしていた?」
 悠は心で突っ込みを入れた。
(何もしてない! てか二つ仮説って言った割に二つ連続してる!?)
 まひるが尋ねる。
「どう?」
「前者で……。付け加えると、考えて、そこのウェットティッシュで便座を拭いてから座って済ませて、もう一度拭いた……んだけど、信じて貰える……のかな……」
 即答している内に悠はある問題に気づく。
(よくよく考えると自己申告してもね……)
 ティッシュを流さなければ良かったと後悔していると、まひるが確認する。
「岡野君って……潔癖性だったりする?」
「いえ、違います」
 即答。
「拭いた理由、もう少し詳しく説明して貰えるかしら?」
 まひるの質問に悠は既視感を覚えるものの、
(何かこの展開、さっきもあったような……)
 回答する。
「え……えっと、寧ろ楠木さんがさっきの跳ねることについて言ったから、かなりの綺麗好きなのかと思って……ほら、まあ、間接的にというか、座られるのも嫌かなと、拭いておこう、みたいな?」
「……へぇ、岡野君って繊細ね」
 まひるは興味深そうに、ドアを開け放ったトイレにもう一度入っていく。
「繊細?」
 蓋を開けて便座を凝視し、ウェットティッシュのケースを確認したり、まひるは振り返って言う。
「んー。本当みたいね。……少し驚いたわ。でも岡野君、そこまで徹底したということは私が座ったこと、意識してたのよね?」
「ぬ」
 またか……! と悠は思考を巡らせ、
(ちょい。ちょいちょい……意識したからこそ拭いたんであって……あ。無理だこれ。否定……できない)
 悟って白状する。
「……えぇと、そうなり……ます」
 すると急にまひるの様子が少し変化し、俯いて悠の顔を見ず堪えるようにして尋ねる。
「こ……心の底では直接座りたかった?」
 悠は反対に天井を見上げる。
「それ……流石に答えるの恥ずかしいんだけど」
「敢えて質問するのって恥ずかしいのよ?」
「恥ずかしさ自慢みたいになってない?」
「茶化さないで?」
「はい」
 疑問系の応酬に悠が折れる。まひるが顔を少し戻して語り始める。 
「……あのね、岡野君。私、男子って女子に対して色々興味があると思うの。それがこのトイレのような生理現象に関係するようなデリケート問題は特に。私がさっき済ませているときの音、聞こえたでしょ?」
「ん……ぃゃ……その通りです……」
 悠は頭に手を当てて肯定した。
「それはそうよね。だって私、聞こえるようにしたんだもの」
「な」
 まひるの言葉が脳内で再生される。
(聞こえるように……した……?)
 悠は更に額を片手で強く抑える。
(ヤバイ。なんか興奮する)
 そこへまひるが悠を直視して心なしか震える声で再び尋ねる。
「……もう一度、聞くわ。……心の底では直接座りたかった?」
「ぐ」
 悠とまひるの目が完全に合う。
(え、なに、何でこの子超顔真っ赤なのに敢えてまだ聞いてくるの? 何かの苦行なの? たかが便座と思ってたら何なのこの大型地雷! でも答えないとこの状況から脱出できそうにないし……何より早くしないとこっちがっ……!)
 悠はまひるに負けない程真っ赤な顔で激しい動悸の中、声を絞りだす。
「こ、心の底では……」
「心の底では……?」
「座りたかった……」
「…………」
 言い切った悠は上を向いて、目を手で完全に覆った。
(駄目だ……何かこう……色々と公開ならぬ後悔処刑すぎる……)
 しんみりしてまひるが言う。
「……分かったわ。無理に聞いてごめんなさい」
 立ち尽くしたままの悠は脳内で突っ込む。
(分からなくていいから! つか謝るなら聞かないで! 何がそこまで駆り立てさせるんだよ!)
 ……それからようやく目からゆっくりと手を離し、悠はフォローを入れる。
「い、いや……気にしないで……」
 互いにしばらく深呼吸を繰り返し、まひるが息をつく。
「は……落ち着いてきたわ。私としては、岡野君の異性としての私への興味をちょっとしたイタズラ心で具体的に確かめようと思った程度だったのだけど……予想以上の大火傷を負った気分だわ」
 悠は心中で突っ込む。
(こっちは一緒に燃やされた気分だわ……)
 まひるの独白が続く。
「私はてっきり男子なら私が言った事だって『そんなの知るか!』なんて別に気にしないかと思ってたのに、何か変に間があるものだから、引くに引けなかったのよ」
「引いていいから! そこ引いていい所だからね!? 寧ろ引いて!」
 とうとう悠の心中の突っ込みが現実に発せられた。すると、まひるはくすくす笑い始める。悠が唖然としていると、一頻り笑ったまひるは口元に手を当てる。
「岡野君、私の前で緊張ほぐれて来た? さっきの突っ込みは素なんでしょう?」
 悠は息を吐いて、肩の力を抜いて答える。
「……素というか、何というか、こう、心の叫びか漏れたって感じで……緊張はさっきよりは確かに解れた、かな」
 まひるは頷いて、囁くように言う。
「それは良いわ。……ところで、岡野君、さっき見えたのだけど、ズボンの膨らみって結構すぐ収まるのね」
「はァ!! やめて! もうヒットポイントはゼロだから!」
「やっとゼロならまだまだね。私は既に残機が減ってるもの」
 絶叫する悠にまひるは余裕で切り返した。だが原因は全部自身を省みぬ、相手をも巻き込む捨て身の自爆。
「さ、和室に戻りましょう」
「あぁ。人の家のトイレの前で長話しとか斬新すぎる……」
「お互い滅多にない経験ね?」
「……違いないね」



 和室に戻ると、まひるの提案により二人は適当に互いに質問する事になった。
「岡野君は部活入っているの?」
「あぁ、実は美術部に入ってて……相澤先生が顧問」
「へぇ、だから美術係?」
「そんな所。楠木さんも何で美術係に……?」
 尋ねて、悠はお茶に手を伸ばした。
「岡野君が立候補したから」
「ごふッ」
 悠はその答えにむせ、寸前で口を手で完璧に塞いだ。
(迂闊に質問しなきゃよかったっ……!)
 ごほごほ咽ていると、まひるが声を掛ける。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
 そこでまひるはふと、改まる。
「一応言っておくと、岡野君、私を意識している所悪いのだけど、まだ私岡野君のことはっきり好きという感情は持ってないわ。もちろんどちらかというと好意的ではあるけれど」
「そう……ですよね」
 そうなんだ……と漏らしかけた所、悠は軌道修正した。まひるが説明を続ける。
「きちんと説明すると、私はこれから岡野君とお付き合いする以上、岡野君を知っていく必要がある。そのため同じ美術係になれば少しでも接点が増えるから美術係に立候補したし、こうして今話をしているという訳。分かって貰えたかしら?」
「はい……分かりました」
 悠はかなり冷静になって言った。
(美術係選んだのはそういう理由か……。勝手に勘違いとか調子に乗ったりなんていうのは最悪だわ……。しかも今早速勘違いしてた訳で……痛い……)
 そこで、まひるはまた質問を再開する。
「また質問。岡野君、これから誰かに私とお付き合いしていることをからかわれたらどう対応する?」
 悠は目を瞬かせる。
「もっと具体的な質問をするのかと思ったんだけど、そういう話?」
「そうよ。でも、これは重要だと思うの。……あら、そういえばきちんと確認していなかったけれど岡野君、今までに誰かとお付き合いしたことはある?」
「無いです」
「そう。私が心配しているのは、お付き合いするからには、程度の差はあるでしょうけど、何らかのからかいを受ける事は十分ありえるということ。それが嫌で、私が岡野君に、岡野君が私に、心にも無い事を近くで、あるいは近くにいない時に、言ってしまうかもしれない。何しろ誰かとお付き合いするのが互いに初めてなのだから」
「そうか……うん……よく考えてるね。で、あのさっきの質問だと漠然としすぎて、できればシチュエーションとか」
「なら私が岡野君に絡む生徒Aの役をするわ」
「ぇ」
 突然、まひるはわざとらしいそぶりで声を掛ける。
「『おう岡野! 楠木って転入生と付き合ってるってホントかよ!』」
 悠には突然で、
(やっぱりこの子、普通じゃ無いわぁ……いやもうこうなったら)
 やけである。
「ああ、本当だけど?」
「『マジ!? いきなり告白したのか?』」
「いや……告白はしてない。楠木さんが付き合ってくれる人手を上げてって言って、それで手を挙げてって説明長いな……」
 急に悠は微妙な表情をすると、まひるも素に戻る。
「そうだったわ、岡野君。私に告白らしい告白してなかったわね。あ、でもさっきの『……で……できたら付き合いたい! 行けェ! ヤ』」
「はァァー! それ止めて!」
 途中で悠が遮った。息を吸ったり吐いたりしている悠に、まひるは困った様子で言う。
「でも困ったわね。これでは岡野君、へたれ上級者みたいね。実際私の目から見ても、へたれに見えるけれど」
 悠は頭を抑える。
「ァぁ……へたれであることは否定できないのが……そもそも、始まりがアレだったから……」
「……ねえ、岡野君、こういう時、どうしたらいいと思う?」
 尋ねられて、悠は頭から手を離す。
「……えぇ……解決策は単純明快。もう一度楠木さんに正式に交際を申し込み直します。これだ」
「頑張って、岡野君」
 うん、とまひるは頷き、どこか吹っ切れた様子の悠が立ち上がる。
「はい」
 悠は卓袱台を回り、まひるの傍に、丁度まひるが立ち上がろうと腰を浮かす瞬間に、静かに正座した。少し瞠目して、まひるは上げかけた腰を落とし、悠と同じように真っ直ぐ正座で向きあう形になる。
 悠はスッと両手を畳につき、真っ直ぐまひるを見る。
「……岡野悠は貴女に一目惚れしました。楠木まひるさん、付き合って下さい。お願いします」
 そして、やや斜めに頭を下げた。同じようにまひるも返す。
「はい。こちらこそよろしくお願いします、岡野悠君」
「ありがとうございます!」
 そして、少しの間を置き。
 静かに上体を戻すと、
「ァぁ……ぁぁ……」
 悠は我に返ったのと合わせ、恥ずかしさの余り、すごすごと元の位置に戻り、顔を赤くして黙る。卓袱台を間に挟んで、まひるは相変わらずの余裕振りで声を掛ける。
「今の、格好良かったわよ、岡野君。『岡野悠は貴女に一目惚れしました』……そんな風に言われたの初めて。これから、私のことをもっと知って、外見以外にも惚れてね?」
「……は……はい」
 その言葉に悠が流れのまま、俯いて答えると、まひるはやたら嬉しそうに続きに戻る。
「ではさっきの続き。『マジ!? いきなり告白したのか?』」
「……い……いきなりではないけど、告白はした」
 容赦無いまひるの振りに、悠は気力を振り絞って言った。
 まひるはノリノリで続ける。
「『何て告白したんだ? なー教えろよー!』」
「ッぅ! 一目惚れしました! 付き合って下さいってはっきり言ったァ!」
 悠はやけ気味に答えた。
(ぁぁ……こういう質問してくる奴がマジでいそうだからうぜぇぇぇぇ!!)
 そこまでで、まひるは澄まし顔になってポツリと呟く。
「シミュレーションとはいえ、告白した当の相手である私を前に言うのって……岡野君、ねぇ、どんな気持ちかしら?」
「何かこう……心が折れそうです」
 まごう事無き、本音。









本話後書き
ここまでお読み下さった皆様ありがとうございます。
恋愛物習作(一応)の本作は、
1.ファンタジー系のオリジナルを牛歩ながら書こうと思い、
2.恋愛要素も入れるかと思ったものの、
3.過去まともに恋愛要素を話に混ぜた経験が無く(そもそも書いたことも無い)、
4.だったら恋愛に絞った物を書いてみればいいのでは……?
という流れで出来ました。
しかしながら、前書きに書きました通り、

×恋愛→○変態
×恋愛→○変愛

何かこのような感じになったようで……どういうことなの……。
というか恋愛物ってこうですか? わかりません! 状態です。
多分私の頭がおかしいのだと結論付けるのが良さそうです。
本作の問題点は、いきなり家行くんかい! という所でしょう。いくらなんでも早すぎて、段階が色々おかしいです。
後、キャラクターの外見描写が無いですが、ご自由な妄想にお任せであります。

需要があるかどうかはわかりかねますが、この続き、ネタだけはやたら思いつくので話の元的には間違いなく続けられます。しかし、個人的現実的な時間が以前に比較すると明らかに無いので……大変申し訳ありませんが、更新するとしても超不定期更新にならざるを得ないです。

 明らかに影響を受けている作品
・化物語シリーズ(私はアニメのみですが)
・魔法少女まどか☆マギカ(上記と合わせて中の人が同じ的なアレ)
・俺の妹がこんなに可愛いわけがない(上記二作と中の人は同じではないが某キャラ的に)
・僕は友達が少ない(アニメ作中の合宿の夜中にトイレの件)



[29850] 【恋愛】惚れたあの子は残機が足りない②
Name: 気のせい◆050021bc ID:899ac1f2
Date: 2012/01/22 23:32
「今度は反対に岡野君が私に絡む生徒Bの役をやってみる?」
「……ぃゃ、それは遠慮しておくよ」
 まひるの提案をやんわりと逸らした悠に、まひるが聞き返す。
「あら、何故?」
「……こう言うのもなんだけど、楠木さんに絡むのは、絡む方が対岸の火事にすら巻き込まれるような気がして…滅多に無いんじゃないかな、と」
 悠はそう思った事を述べた。
(ちょっかい出した方が逆に焼き尽くされる光景が見える……)
 一応は納得した様子でまひるが頷く。
「成る程。確かに、その可能性はありえるわね。……でも岡野君、岡野君には発想に無いのかもしれないけれど、ただ言葉を掛けてくる生徒Bだけではなく、かなり強引な輩もいるかもしれないことを考えてみて?」
「それはどういう……?」
 まひるは握っていた手を広げて説明する。
「例えばこんなのはどうかしら。私が挙手による彼氏募集をしたと聞いて、なら『もし俺が同じクラスだったら絶対最初に手を挙げた自信がある。岡野じゃなくて俺と付き合わないか? な!』みたいにしきりにアプローチしてくるの」
「あぁ……」
 悠は少し納得するが、少し疑問にも思う。
(実際、どうだろう……)
 まひるが首を傾げる。
「やっぱりやってみましょう? 岡野君、今のセリフお願い」
「え? ぁー……ちょ」
 促された悠は、セリフを言おうとして、止まる。、
「どうしたの?」
「ごめん、何か今のセリフ、口にするのに抵抗感があって」
「できない?」
 悠は手で抑え、ぎこちなく始める。
「い、いや……大丈夫。『も……もし俺が同じクラスだったら……絶対最初に手を挙げた自信がある。岡野じゃなくて、お、俺と付き合って…くれませんか?』……てアホかぁ! 言えてないし!」
 まひるがくすくす笑う。
「『俺と付き合ってくれないか? なぁ?』が言えないなんて。……岡野君、やっぱり繊細ね」
「ぁァァ……」
 こめかみを抑える悠を、まひるは応援して言う。
「もう一回頑張って。岡野君は決して絡む生徒ではない、その振りをするだけよ」
 それを聞いて、何とか思い込むように一つ間を置いて悠は口を開く。
「……『もし俺が同じクラスだったら絶対最初に手を挙げた自信がある。岡野じゃなくて俺と付き合わないか? なぁ?』」
 完全に棒読みだったが、とりあえず言えた悠に、まひるは余裕の対応を見せる。
「多少の強引さなら許容できるのだけれど、いくら自信があろうとも、それは確かめようがないわ。悪いけど、あなたの提案は丁重にお断りするわ」
「『そ……それなら仕方ないか』」
「岡野君、それでは物わかり良すぎで終わってしまうわ」
 まひるに突っ込みを入れられて、悠はしまったという表情をする。まひるが続ける。
「まあ、実は意外に引き際は心得ている人という設定ならありかもしれないけれど。お約束だったらこう。『何で岡野は良くて俺じゃ駄目なんだよ!』と納得いかず、私の手首を強引に掴む。そして私は嫌がるの」
 まひるの一人芝居に悠はぽかんと目を奪われ、まひるは演技で本当に嫌がる素振りをする。
「『っぁ、やめてっ! 助けて岡野君ッ!』 そこに丁度岡野君が駆けつけます! はいっ!」
「『おい楠木さんから手を離せよ!』 ……うボぁー! 何言ってんの俺ヤバイ!! 死ぬ!」
 まんまとまひるの振りに乗せられた悠は頭を抱えて盛大に畳に倒れた。轟沈した悠の背に、まひるはそっと声を掛ける。 
「……岡野君、もし私が嫌な事されるようなことがあったら今みたいに怒って、そのまま私を助けてくれる?」
「は……はい。善処します」
 悠はゆっくり頭を上げながら言ったが、まひるに怪訝な表情をされる。
「……善処?」
「い、いえ、全力で助けてみせます!」
「その息よ岡野君」
 頑張って、と声を掛けられた所で悠は我に返る。
「はァー!! ちょっと俺マジおかしい!」
「大丈夫よ。岡野君が私を大事にしたいっていう気持ちが何となく伝わってきて、私は嬉しいわ?」
 にっこり、まひるは笑って語りかけた。悠は声に出せずコクコクと頷いて返し、乱れた息を整えようと吸ったり吐いたりを繰り返して、ようやく落ち着き、ふと尋ねる。 
「はぁー……はぁ。あの……そもそも楠木さんは何で無理に深い所まで突っ込んだり、普通わざわざ言わないようなことまで自分から言うの……?」
「……秘密……と、言うのは冗談で、そうね。私は私の思っている事を人に知ってほしい時はきちんと知ってほしいし、相手の本音、とりわけプラスの感情に近づけるのならば、基本的に私は恥ずかしかろうと構わない。事実既に岡野君と私は、他の人には秘密にしておきたいようなことを幾つか二人だけで共有している状態にあるでしょう? ね、岡野君、これをどう思う?」
 まひるは考えるようにして述べてから、悠に質問を振った。悠は軽く胸に触れて言う。
「……ど、ドキドキ……するというか、もう動悸がしすぎて」
「そう、私も同じよ。胸の高鳴り、ときめきであったり。ね、こういうのって何だか幸せが増える気がするでしょう?」
 柔らかい笑みを浮かべて、まひるは言った。
「…うん」
「思い出してみて。ほんのついさっき、岡野君が家に上がってすぐの時、どうだったか」
「気まずくて、緊張した…ね」
 まひるが頷き、独白する。
「そう。あのまま、緊張してきまずいままずーっと会話も無いままだったら、楽しくもないし、一緒にいるのが寧ろ辛いかもしれない。その原因である見えない心の壁を破壊するのに、互いの気まずさ、緊張してることを敢えて声に出して確認しあったり、そういうあれこれは効果抜群だったでしょう?」
「……それはもう凄く」
 じっとまひるの言葉を聞いていた悠は深く頷いた。
「そういうことなのよ。だから岡野君、私に伝えたいことがあったら素直に言っていいの」
「ぁ……あぁ、何となく……分かった気がする」
 目を見開いて手を握りしめた悠に、笑顔でまひるは言う。
「それは良かった。ただ、頭で分かっただけでは殆ど意味が無いから気をつけてね。実際に、例えばこうするの」
「へ」
「……岡野君はこうして私の話きちんと聞いてくれて、それに私の振りにも今の所素直にぜーんぶ付き合ってくれるし、凄く嬉しい。ありがとう?」
 落ち着いた笑顔で、まひるは首を傾げた。
「ど、どういたしまして……」
「それじゃあ、今度は岡野君の番かしら?」
 ふふ、とまひるが笑った。
「え」
 まひるは少し身を乗り出して囁く。
「私、岡野君に何か言葉を掛けて貰いたい。どう?」
 悠は身を引いて、声を絞りだす。
「ぐ。……く、楠木さんとこうして話せるのが……嬉しいです……」
「ふふ、まだまだこれから練習が必要そうね。自覚はある?」
「……精進します……」
 まひるにくすりと笑われた悠は少し頭を下げて言った。
(む、難しい……)
 まひるは頬に沿って右手を当てる。
「私夢見がちな女の子だから、今の岡野君の言葉みたいな、例えば『一緒にいれるだけで嬉しい』とか、そういう恒常的に使える言葉だと余り満足できないと思うわ」
「す、すいません……」
 思わず悠は平謝りするが、まひるは首を振って言う。
「責めていないわ。私が我侭なだけ。私をドキドキさせるようなその時、その時の気持ちを素直に言ってくれれば良いのよ」
 悠はなるほど、と納得した表情をし、まひるが続ける。 
「私は気難しいから頑張って。一つ例を出すと、その時その時だからといって『今日も綺麗だね』みたいな安易な言葉を言われると、私寧ろ幸せが減ってしまうタイプだから。もちろん時と場合によるけれどね。ただ何か適当に言えば良い訳ではない、その言葉が相手が言われた時、幸せが増えるかどうかを少し考えると良いわ」
「べ…勉強になります」
 恐縮した様子の悠にまひるはくすりと笑い、両手を合わせる。
「フフ。……さ、今日はこれぐらいにしておきましょうか。岡野君の精進とやらには相応の時間が必要でしょうし」
「……違いないです」
「言っておいて何だけど、帰る前に一つ提案があるの」
 悠が何だろうと声を上げる。
「提案?」
「次の日曜日、予定は空いてる?」
「あぁ、空いてるよ?」
 軽く返答した悠に、まひるは話を吹かっける。
「ならばデートをしましょう」
「で、で、デート?」
 全然馴染みの無い単語に悠は疑問符を浮かべた。
「どう?」
「も、もちろん」
「なら決まりね。因みに明日部活はある?」
「いや、美術部は明後日から」
「では明日デートの計画を一緒に立てましょう」
 唐突な提案に悠は聞き返す。
「あ、明日?」
 まひるが頷く。
「ええ、また家で。どんなデート、何をしたいか、そういうのを一緒に決めるの」
「……り、了解」
「ふふ、今から明日が待ち遠しいわ。岡野君が私とどんなデートをしたいのか、少しは考えてきてくると思うから、楽しみ。ね?」
 含むようなまひるの表情に、悠は空笑いした。
「は……はは……」
 そして、玄関に移動し、まひるが声を掛ける。
「それでは、また明日学校で会いましょう」
「うん、また明日。お邪魔しました」
 靴を吐いた悠はそう言って、頭を下げ、まひるに見送られて楠木家を後にした。
 歩いて駅に向かう途中、悠は急に動悸が再発する。
(……やばい。一気に色々ありすぎて楠木の事が頭から全然離れない。興奮してくる……)



 翌日、健康診断の日。
 全校一斉に一日掛けて行う健康診断は、各検査を行うのに各クラス性別単位で基本的に行動し、移動中や待ち時間など、生徒は殆ど会話しながら適当に過ごすのが普通である。
 悠は、朝、またもや超ギリギリで登校して来た。
(尿検査の存在を完全に忘れてたせいで……まーた遅刻しかけた)
 廊下を早足で歩いていると、丁度ジャージ姿の相澤が職員室から出てきて声を掛ける。
「ほら急げ岡野! 遅刻にするぞー」
「はぃー! おはようございます!」
 悠は相澤に先んじて前のドアから教室に入り、尿検査キットを教卓に置かれた袋に入れてから席に向かった。席の隣に着くと、まひるが声を掛ける。
「おはよう、岡野君」
「お、おはよう」
 既に体育用ジャージ姿のまひるに悠は挨拶を交わすと、
「きりーつ! 礼!」
 すぐにHRが始まり、相澤が話し始める。
「……はい。高1はまず一番最初は身体測定なので各自体育館に移動するように。じゃあ保健係、今日は頼んだ」
 そしてHRが終わり、わらわらとクラスメイトが動き始める中、悠は早めに来ていなかったため、女子が教室から出ていくまで待ってから、同じようにまだ着替えていなかった男子と一緒に急いで着替えて体育館に向かった。
 体育館につけば、視力検査、体重、座高、身長……と計測している所の混雑状況を見ながら適当に並び、健康診断のシートを埋めていく。
 男子の保健係に従って、その後も歯科、眼下、内科、……などなど毎回それぞれにある程度人数を回すのに待ち時間が発生するもので、
(あー! うぜぇぇぇぇ! 既に他のクラスにも広がってたぁぁぁ!)
 移動する途中、他クラスの男子集団に会えば妙な視線を向けられたり、「岡野! 後で転校生紹介しろよー!」だとか適当な言葉をすれ違い様にちょいちょい掛けられ、そういう事に耐性の無い悠には、健康診断回りがさながら苦行だった。
 聴力検査のために長い行列が数クラスに渡り、壁際にたむろしていた所、悠の隣に座る男子が声を掛ける。
「……ホントお前、すげー目立ってんな。ウケル」
「受けなくていいから」
 江崎という悠の前の席の男子は続けて話す。
「まぁ、楠木さんも大概だからしゃーないね。今日の朝、他クラスの野次馬がクラスに見に来てたの……知らないか、ギリギリだったし」
「野次馬が出るのは予想できるんだが……何かあった?」
 悠は薄々勘付きながらも尋ねた。
「あった。……教室の外から見てた奴らまでは流石にどうもなかったけど、野球部連中が教室の中に入って見にきた時は、楠木さん自分から近づいてったからマジ面白かった」
 うける、と江崎は思い出すように笑う。
「あー何か嫌な予感が……」
「イチコロだったぞ。『何か用があるの? 私、これでもじろじろ人に見られるのは余り良い気分がしないのだけど、あなた達はそういうの平気?』って言って、野球部黙ってほぼ終わり。切れ味パネェ。話し方もそうだけど、普通の神経してないだろアレは」
 しみじみと悠は頷く。
「あぁ……違いない」
 ぽん、と江崎は悠の肩を叩く。
「ま、お前良かったじゃん。楠木さん可愛いし?」
「ああ、一番最初に挙げて良かったわ」
 面倒なので悠は普通に答えると、意外そうな顔をして江崎が確認する。
「え、あれ一番最初だったからお前選ばれたの?」
「そう言ってた。でもぶっちゃけイケメンならイケメンの方がいいらしい」
「うわ正直。おい、増田! 岡野が選ばれたのって一番最初に手挙げたかららしいぞー!」
 聞いた途端、江崎は膝立ちになって後ろを向き、大きめの声を上げた。
「ちょ江崎おま」
 おまえ、と悠が小さく声を出すと、遠くから増田の嘆き声が上がる。
「ぅあー! マジかよー!」
 「増田あわれ!」
  「うっせ! 佐藤と西山もだろ!」
「んだよ!」 「ほっとけ!」
「とりあえず岡野はもげろ!」
 次々とクラスの男子の声が上がり、どさくさに紛れた発言に悠は言い返した。
「とりあえずもげるか!」
 しかし更に江崎が聞こえるように言う。
「あと楠木さんぶっちゃけイケメンならイケメンの方が良いって言ったらしいぞ! ウケル!」
「マジかよ!」
 「ええ!? まさか俺の事ぉ?」
  「鏡見ろ田中ァ!」
 「お前もな!」
「はははは!」
 わいわいと騒がしく声が上がり、そこへ駆け足でジャージ姿の教員がやってきて注意する。
「おい、そこうるさい! 近くで聴力検査やってること考えろ!」
「すいませーん!」
 そこまでで、騒ぎは一旦収まり、前のクラスが進んだのに合わせ少し移動しながら、江崎が話かけてくる。
「……で、昨日一緒に帰ってどうだった?」
「どうだったって……まあ、何度も心折られた……」
 一瞬悠は迷って、そう答えた。
「ぇえ? 何があった?」
「楠木さん、基本ドSなんだ」
 ふーん、と江崎が唸る。
「ドSね……いや、でも分かるな。まさかそれで何か調教でもされたか?」
 悠は反射的に額を抑えた。
「ヤバイ思い出すと死ねる」
「岡野……お前何をされたんだ……?」
 江崎の質問には返答せず、そこへ丁度1-B男子の保健係が声を上げる。
「はい! 次1-B進むよ!」



 一方、まひるの方も、同じクラスの女子達に色々聞かれていた。
「楠木さん、昨日岡野と一緒に帰って、どうだった?」
「色々話をして、日曜日にデートすることに決めたわ」
 ふ、と笑ってまひるは答えた。
「えー!」「ホントに!?」「えすごーい!」
「どこでデートするの?」
「まだデートの内容は何も決めてないわ」
 今日これから決める、とはまひるは言わない。
「そうなんだぁ。で……岡野ってどう?」
 とりあえず興味だけがある小林が小声で尋ねるが、まひるは即答する。
「岡野君はへたれだわ」
「へたれ?」
 「ぇ、へたれって」
「ま……ぶっちゃけだよね」
 一度悠の評価を落としつつも、まひるは今後の期待を込めて首を一度振って述べる。
「でも別に今はへたれでもいいの。私が話しかけるとすぐ逃げてく男子よりは私に対してへたれてはいないし、これから岡野君が成長していけばいいのよ」
「な、何か楠木さんって凄いね……」
 まひるの言葉に何か感心し、小林が指摘して聞く。
「えっと、楠木さんに対してってどういうこと?」
 まひるは落ち着いて瞼を閉じて言う。
「少なくとも岡野君は私の質問にはへたれてはいるけど逃げずに全部答えてくれた、ということよ」
「ど……どんなこと聞いたの?」
 ふむ、と思い出してまひるが例を上げる。
「そうね。例えば、岡野君は挙手する瞬間どういう気持ちだったのかと尋ねたら『できたら付き合いたい』という想いで挙げたと答えたくれたわ。岡野君はきっと玉砕も覚悟していたのね」
「う、うわぁ……」
 「できたら、って何かリアル」
「そ、それ普通聞く……?」
 まひるは自分の意見を述べる。
「勿論。あの手を挙げたら絶対恥ずかしい中、挙手を求めた私としては一番最初に手を挙げる時の気持ちは聞くかざるを得ない、いえ、聞くべきだと思う」
「そもそも転入してきていきなり彼氏募集したのは何で?」
「お付き合いする相手が欲しかったから、それだけよ」
 言った通りの単純な理由をそのまままひるは言った。
「えぇえ……」
 「それだけ……?」
  「無理無理無理……。だからってあんなことできないって……」
「確かにクラス全員の前で募集したのはそれなりに堪えたわね」
 そ、そうだったけ、と小林が言う。
「そんな風には見えなかったけど……」
 まひるは髪を手で抑えて答える。
「ポーカーフェイスには自信があるのよ。それと、ああいう状況を自ら仕立て上げて退路を絶つのって中々スリルがあって興味深いわ」
「ぜ、絶対、無理……」「それは無いよ……」「スリルなんていいよ……」
 質問をしている側の女子達のヒットポイントを逆にゴリゴリまひるは削っていく。
「絶対無理ということはないわ。私にできるのだから誰にでもできるわ。ね、小林さんは付き合っている人はいる?」
「わ、わたし!? い、いないいない!」
「好きな人は?」
「い……いる……けど……」
「告白はしないの?」
「そ、それは……」
「恥ずかしい? それともその人は誰か既に付き合っている人がいる?」
「か、勘弁して……!」
 怒涛の勢いで畳み掛けられる質問に小林はそう言葉を漏らし、まひるはそこで追求を止めた。
「それなら無理には聞かないけれど、私で力になれることがあったら協力するわ」
「あ、ありがとう……」
 そして、その後もまひると会話すればするほど、女子達は、悠がどんな質問を投げつけられているのかと、妙な想像を膨らませるのだった。



 それから健康診断も問題なく終了し、HRも終わった放課後。わらわらとクラスが動き出す中、相澤が聞こえる声で教壇から悠に呼びかける。
「そうだった岡野、ちょっと美術の備品運ぶの手伝えるか?」
「あ、え、はい!」
「じゃぁ、先一応美術室行って待ってろ。私もすぐいくから」
「分かりました」
 すると、相澤は教室から出ていった。そこで、悠は右側を見る。
「あー、楠木さん」
「私も手伝うわ」
「え」
 悠がまともに口を開くよりも先に、まひるは簡潔に言い、更に続ける。
「一人より二人の方が良いでしょう? 重い物の場合は私傍で応援してあげるから」
「そ、それはどうも……」
 思わず悠は礼を言うが、
(いや、応援って……)
 すぐにまひるが行動に移る。
「さ、美術室に行きましょう」
「あ、ああ」
 そして、美術室の前に着き、相澤を待っていると、まひるが不意に尋ねる。
「岡野君、ちゃんと昨日の、考えてきた?」
「う、うん。それなりには」
「ふふ、期待しておくわ」
 目を閉じてまひるが楽しそうに笑うが、悠がへたれる。
「あんまりハードル上げないで貰えると助かるんだけど」
 ジロ、とまひるは悠を見つめて言う。
「ある程度ハードルは高く設定しないと成長できないわよ?」
「え、えぇ……」
 まひるが更に尋ねる。 
「昨日認めていた通り、へたれの自覚はあるのよね?」
「は…はい」
 軽く自己確認を無理矢理させられた悠は情けなく言い、まひるが導くように纏めの質問を投げかける。
「なら、へたれを脱却するためにはどうしたらいいかしら?」
「……努力します」
「その息よ。頑張って」
「…はい」
 そこに相澤が現れ、悠に話しかけようとして、
「よし岡野、っと……あれ楠木さんもいたの?」
 まひるにも気がついた。まひるが返事をする。
「ええ、先生、私もお手伝いすることがあればと思いまして」
「んー、そうか。しかし、これから下の職員玄関に行って運ぶ物は結構重い」
「その時はその時で考えがあります」
「考え?」
 まひるの無駄に謎めかした返答に相澤は疑問符を浮かべる。悠はとりあえず作業を進めようと提案する。
「あの、相澤先生、とにかく、早速取りに行きましょう」
「……ま、そうだな。よし行くぞ」
 やや適当な相澤の言葉に従い、三人は下の階下の職員玄関に向かった。
「で、運ぶのはこれだ」
 相澤が言って示した所には、床に複数個のダンボール箱が纏まって積まれていた。
「岡野、まずいつもの所から台車」
「は、はい」
 言われて、悠は運搬用エレベーターのスペースに台車を取りに向かった。戻ってくるまでの間、相澤はダンボールの重さを持とうとして軽く確認しつつ、不意にまひるに話しかける。
「ところで、今日も岡野と帰るの?」
「そのつもりです」
 相澤が思い出すように言う。
「そうか、確か楠木さんの家は通学路を外れたすぐ近所だったような……」
「そうです」
「それで一緒に帰れる?」
「帰れます」
「……そうか」
 それで相澤が納得してしまうと、そこへ悠が戻ってくる。
「先生、持って来ました」
「良くやった。次乗せる」
「はい」
 続けて手押しの台車にダンボール箱を乗せることになる。細長のタンボールを最初に相澤が指示して悠に反対側を持つように言う。
「そっち持て」
「はい」
 相澤が悠と一緒に持とうとする所、まひるが声を掛ける。
「相澤先生、できれば私にやらせて下さい」
「ん、なら頼んだ」
「はい。……さ、岡野君、これが私達初めての共同作業になるわ。息を合わせて持ちましょう?」
 まひるは悠と反対側のダンボール箱の端に立って言った。聞いていた相澤はぎょっとした目をして、しゃがんでダンボールの端に既に手を付けていた悠も驚く。
「へ! ぁ、うん」
 するとまひるがしゃがみ、悠の目線がスカートの中に吸い寄せられる。まひるが声を掛ける。
「……良い? 1、2の」
 さん、で慌てて悠は力を入れて持ち上げ、まひると一緒に、横に歩き、ゆっくり台車に移す。
「よ」「と」
 そのままもう一つの細長いダンボールに向かうと、まひるが尋ねる。
「次は岡野君が声を掛けてくれるのかしら?」
「も、勿論? い、1、2の」
 さん、でしゃがんだ状態から再び持ち上げて、同じように台車に移した。
(スパッツだった……思いっきり黒のスパッツだった……)
 二回見て、悠は心の中で妙な残念感を抱いた。
「よし、後普通のを順に積んでいけ」
「…はい」
 相澤に指示されて、悠は一人で持てるサイズのダンボールに取り掛かる。
「岡野君頑張って」「うん」
「ん。楠木さんは?」
 相澤は動かないまひるに声を掛けると、まひるは澄まし顔で平然と答える。
「私は今から岡野君の側で岡野君を応援する係です」
「……なるほど。よし、岡野、私も応援してやる。頑張れ」
 ポンと手を叩いて相澤は悠に声を掛ける。
「せ、先生?」
「それ重い。彼女に良いところみせるチャンスだと思えばいけるだろ」
「先生の言うとおりよ。さ、岡野君、私に良いところみせて?」
 順に相澤とまひるに言葉を掛けられ、悠は素直に答える。
「…は、はい。任せて下さい!」
 ただ、内心悠は二人を見て、
(楠木と先生、妙に息あってるような……)
 思った。相澤が小声でまひるに言う。
「……岡野の扱い上手いな」
「扱いが上手いなんて心外です。私は岡野君はきっとこの方が喜ぶだろうと思って応援する係やっているのですから。……岡野君その調子よ。私に応援されて嬉しい?」
 悠に聞こえるようにまひるが言うと、悠は返事をする。
「う、嬉しいです」
 相澤はかなり適当に好き勝手なことを呟く。
「……ぉぉ単純。んー。とりあえず岡野が喜んでるなら良いか。もともと岡野にやらせるつもりだったし」
 結局、悠が他のダンボールを全部積み、三人で荷物運搬用のエレベーターを使って上に上がり、美術室の備品置き場に降ろして行く。これもまた、ほぼ悠の仕事。一つ一つ降ろしていく途中、唐突にまひるが悠に尋ねる。
「ところで岡野君、私のスパッツは何色かしら?」
「黒…です。……あ」
 簡単にアホが釣れた。まひるが深刻そうに相澤に言う。
「先生、大変です。岡野君が私のスカートの中を覗きました」
「おい岡野、ちょっとこの後職員室来る?」
 相澤が真顔で指をクイクイと動かして見せ、慌てて悠は取り繕い持っていたダンボールを降ろし、、
「い、いや、遠慮したいんですが…というか。楠木さんごめんなさい! 申し訳ありませんでした!」
 思いっきり頭を下げて謝った。悠の後頭部を見下ろす形で、まひるは呟き始める。
「……下着を見られて私、心が傷ついたわ。こういうの結構根に持つタイプなのだけど、時には寛容さを見せることも彼女としては重要よね。初犯だし今回は大目に見るとして、許す条件があるわ」
 恐る恐る悠は頭を上げながら尋ねる。
「……な、何でしょうか?」

「私の彼氏として、私のスパッツを見た感想を言って欲しいの」

「な」
 悠は頬を引き攣らせた。まひるがさとすように言う。
「岡野君……私の彼氏として、彼女の下着に感想の一つや二つ言えないようでは私ちょっとがっかりしてしまうわ。ねえ、先生、先生もそう思いませんか?」
「んーまあ。そうだな。よし岡野、言ってみろ」
 相澤は超適当に振った。
「は、はい……」
 悠はかぼそく言いながら、己の過ちを後悔する。
(何かこう……もう言うしか、無いんですね……)
 まひるが凄い澄まし顔で促す。
「さあ、言ってみて?」
「ぐ。……ふ、太腿のラインがスパッツで強調されていて、魅力的でした…ぅぁぁ……」
 悠は必死に堪えるように、言い切って、目を覆った。
「岡野、お前、面白いな」
 相澤が勝手な感想を言い、まひるが首を傾げて通告する。
「……何か少しいやらしい気がするけれど、いやらしいと感じるのはきっといやらしいと感じてしまう私にも原因があるのでしょうから、許してあげるわ」
 心からの感謝の念で悠は自然と頭が下がる。
「楠木さん……本当にありがとうございます」

 その後、荷物の運搬を終え、台車も戻して作業を終えると、まひるが悠に声をかける。
「岡野君、さ、一緒に帰りましょう?」
「は、はい」

 そして、悠はまひるに連れられてまたこの日も楠木家に向かう。
 まひるの親切心、それは心の折れる心折の音がするのか。


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