状況は最悪だ。
既に酒場にいた人間、通りに溢れていた観光客と、多くの死者が出てしまった。
状況は最悪だ。
試しに床に転がっていた食事用ナイフに周をかけて投げつけたが、見事にはじかれてしまった。やはり俺よりも化け物の纏っているオーラの方が大きい。
状況は最悪だ。
今日は確認だけのつもりだったから、この街の警察機構との連絡が取れていない。一時の混乱は周囲の人間が死に絶えたことで逆におさまったが、もたもたしていると今度は警察が大挙してやってきかねない。
改めて状況を認識し、結論を出す。―――楽勝だ、と。
念能力者同士の戦いで重要な物は確信だ。歓喜、狂気、悲哀、恐怖、憎悪、油断、忠義、激昂、疑心、愉悦、羞恥、覚悟。ありとあらゆる心の動きが作用して念を加減する。
己の勝利を確信できないものに、最初から勝ち目などない。
化け物の纏うオーラは天に向って喘ぐように増減を繰り返している。恐らく狂気に囚われたディークが、一時的にその限界以上のオーラを出しているためだろう。
淀み、安定しないオーラは不吉な気配を纏っている。
狂気とはとても強い感情だ。なにしろ、日常ではありえない、その人物の根底を揺るがすほどのものなのだから。
その狂気に囚われたディークのオーラは確かに強いが、それこそが弱点でもある。やつ自身がいっていた、周りだけ壊して去っていく、という言葉からもわかるように、規程外の力を出した限界は遠からずやってくるだろう。
酒場を破壊しつくした大蜘蛛の化け物は、動くもの全てが気に障るのだと言わんばかりに通りに飛び出し、周囲の人間を虐殺した。
辺りには新鮮な死体が散乱し、街に漂うはちみつの甘い匂いに混じった血臭がよりいっそう吐き気を誘う。
硬い外殻に覆われた脚を振るう化け物に対し、俺は、いや、俺も外殻に全身を包んで挑みかかり、動き回って攪乱することでなんとか化け物をこの場に留め、これ以上の被害拡大を防いでいた。
【鎧う石の茨(マラネロ)】
俺の念能力だ。生物的な外見を残す化け物の脚に比べ、より直線的で人工的なフォルムの、鋭角な人型の外殻でもって自分を纏う能力。
襲いかかる化け物の脚をかいくぐり、やわらかなその脇腹に拳を叩きこむ。しかし、異形の蜘蛛が持つ十二本の多脚は伊達ではなく、たった数メートルを滑るだけでうまく衝撃を殺され、大した痛痒を感じているようには見えない。
再び、化け物と向き合う。十二本の多脚がたわめられ、力を蓄えたそれを一気に伸ばすことで信じられない速さの突撃が来た。
全長8メートルの巨体は、もはやその質量だけで脅威であり、そこに速さと強大なオーラが加わるのだ。マラネロを展開していても、まともに食らえばただでは済まないだろう。
その巨体の範囲からは逃げれないと判断した俺は、こちらに向かってくる化け物に向って飛ぶ。
身をひねり、回転しながら自分の足で化け物の顔面を踏み切って、衝撃を受け流すために何度も空中で回転しつつ化け物の背の上を通過した。
俺の代わりに化け物の突撃を受けた建物は轟音を立てて崩れ落ち、通りにはちみつと埃のにおいをまき散らした。
破壊をもたらした化け物自身はいささかの問題も生じていないようで、粉塵の中からゆっくりと姿を現した。どれだけ再現された念獣か知らないが、動きの緩急も実際の蜘蛛じみている。
化け物は、硬く、強く、速い。まったく、いやになる。このまま避け続けて相手のガス欠をまってもいいのだが、その場合、人的被害はともかく、物的被害がシャレにならないものになるだろう。
既に、観光都市としてはかなりの痛手を負っているだろうが、致命傷になる前になんとかしてやりたい。しかたがない、とっておきを出すとしよう。
俺の愛用の獲物。名を「大喰い」という。
バレル長16インチ。.50口径。装弾数7+1。全重量5,715グラム。
特殊な鋼材をつかって補強されたフレームに、銃身には加速、直進、保護の意味をもった神字が、それ自体が優美な曲線を持つデザインでもって描かれている。
特注の、発射薬を増強され、これも神字の描かれた12.7mm弾を使用する。今回使用するのは、単純に念を集中しやすくなる効果が描かれたものだ。一発十万ジェニー。
IWI社が製作した「ハンドキャノン」の異名を持つ大人気自動拳銃をもとにオーダーメイドしたものだが、もはや並の軍人にさえ扱えないものとなっている。女子供が撃てば間違いなく反動で腕が折れる一品だ。
「ワインだけじゃなんだからな。これも、俺の奢りだ」
ガンッ、ガンッ、ガンッ!
もはや銃声というよりも砲声と表現するのが妥当な轟音を響かせながら弾丸が化け物に殺到する。
念によって加速され、初速800m/sを優に超えるそのどれもが、目的地点にあやまたず命中した。
先ずはどの地点ならば効果があるのかを知るためにあえて散らしたそれは、ディーク本体がいると思われる腹部、実際の生物ならば急所となる頭部、そしてもっとも脆弱であろう脚の関節部だ。
腹部にあたった弾丸は、大喰いの名のままに、銃痕というにはあまりにも大きく周囲を抉りながら内部へと潜っていったが、ディークの場所までは届かなかったのだろう、直ぐ周りの肉がせり出して穴はふさがれてしまった。
頭部の中でも眼を狙った弾丸は、硬質なそれを粉砕し、しかしそれ以上進まずに、その役目を終えた。砕け散った眼球には再生する様子はない。
十二本の多脚のうち、一本の関節を襲った弾丸は、軽々とそれを千切り飛ばし、その先にあった建物にも大穴を開けてしまった。千切れ飛んだ脚は、具現化系能力らしく体から離れたことで急速にその物質的結束を失い、オーラとなって空間に溶けた。
どうやら大喰いならダメージが通るようだ。妙に硬い頭部も気になったが、本命の腹部に残りの弾丸を集中させる。
化け物に変化してから初めての危機に恐怖したのか、痛覚も無いだろうに猛り狂って襲いかかってきている為、狙いが厳しい。
2発を同じ場所に命中させたところで、勢いよく回転しながら脚を伸ばして鋭い爪を振るってきたので、地面に伏せて回避する。
元が具現化系念能力者だけあって、硬さと力強さは大したものだが精度が足りないので、速くとも回避することができる。
いつのまにか再生している十二本の多脚をかわし終わり、再び距離をとる。
先ほどよりも深く傷つけた腹部ももう再生し終わってしまっていた。
「随分欲張りだな。俺の相棒とどちらが大喰いだ?」
化け物の攻撃は避けることができるとはいえ、こちらの攻撃も多少のダメージは与えてはいても有効打足り得ていない。そもそも目の前の化け物は具現化された念能力が暴走しているものなのだから、生物の常識が通じるはずもない。
どうにも千日手だ。どう状況を打開したものか。
改めて凝で化け物を観察する。
少なくとも脚一本分のオーラを消費したはずの巨体はいささかも小さくならず、むしろ纏うオーラの量を増しているように見える。
その姿に顕現した時と違いがあるとすれば、それは相変わらず砕けたままの眼球だけだ。それが単に必要がないから再生しないだけなのか、それとも増えたオーラに関係があるのかは判断がつかない。迂闊に手を出すべきではない……か?
焦れていたのは化け物も同じだったのか、十二本の多脚のうち半数を超える八本の脚と巨大な侠角を攻撃に振り分け、高速で息もつかせぬ連撃を放ってきた。
上下左右前後。あらゆる方向から、あらゆる速度とタイミングで別々に襲い掛かってくるそれを避けるために全神経を集中せねばならず、とてもこちらから攻めに転じる余裕はない。
その攻撃に巧さはなかったが、押しつぶすような過剰な数がある。
―――避けきれない一撃が来る。
紙一重の回避を繰り返していた俺は、しかし、身を滑り込ませた空間が相手の攻撃軌道線上に囲まれていることを悟った。
一撃を受ける事を覚悟し、左手を差し出す。
ゴギリ、と何度体験しても嫌な感触を味わって左腕が人体の構造では不可能な方向に捻じれる。
代償に、何とか化け物の攻撃を利用して故意に吹き飛ばされたため、死の刃圏から逃れることができた。
「ちぃっ……。ムシケラが」
キチキチ、キチキチ。化け物は外殻を擦り合わせて音を立てる。
今は人間とは似ても似つかない外見だが、その動作からは確かに弱者をいたぶるような人間的な昏い愉悦が感じられた。
牽制に銃弾を撃ち込むが、化け物を傷つけた唯一の攻撃手段である大喰いを警戒していたのか、密集させた脚に弾かれてしまう。
数本の脚は千切れたが、それだけだ。化け物の損傷はすぐに回復してしまった。
状況ははっきりと悪い。風に乗ってパトカーのサイレンも聞こえている。もうここにたどり着くまで幾許の猶予もないだろう。厄介だ。
俺は素早く流を行い、オーラを足に集中させるとまだ形を残す建物のうちで一番高いものを登り始める。僅かな段差を蹴り飛ばして壁面を上に駆け続けることなど造作もない。
壁面を駆けるうちに片手でマガジンのリロードを済ますと、屋上の床を踏みきって飛び上り―――跳躍の頂点で、近づきつつあった先頭パトカーのタイヤを狙撃する。
もともと対物狙撃ライフル並の初速と直進性を与えられているのだ。不可能ではない。
この通りに繋がる道のうち3本からきていたパトカーに放った銃弾は、タイヤをホイールごと破壊、バンパーを撃ち抜いた、横面にあたり吹き飛ばしたなど、誤差はあったがいずれも動きを止めることができた。恐らく中の人間も死んではいないだろう。
パトカーで道は塞がれたはずだし、現場はどこから狙撃されたかで混乱し、ここに来るどころではなくなるだろう。あと一つの道ではパトカーがおらず、残念ながら車もちょうどいなかったので道路に走行を阻害するクレーターを作る程度、撃ち込んでおいた。
ともかくこれで多少の時間は稼げたと見ていいだろう。
化け物は俺が逃げるとでも思ったのか、猛然と建物に突撃し、破壊しながらその十二本の多脚を突き立て登ってくる。この好機を逃す手はない。
俺は、再びリロードすると崩壊する建物から崩れ落ちる瓦礫を蹴って宙へ飛び出し、化け物のガラ空きの背中に全弾を叩きこむ。
「はちみつシロップで召し上がれ!」
連続して放った弾丸は一点に集中して命中し、見事に突き抜け、盛大に化け物のハラワタをぶちまけた。
大量の肉片が吹き飛び、空間に溶ける。化け物自体はまだ崩壊の予兆が見られない。
やはり堅く守られていた頭部にディークがいたのかもしれないし、死者の念となってさらなる暴走を続けるのかもしれない。
どちらにせよ大人しく見守ってやる必要はない。続けて左側の脚全てを吹き飛ばす。
大量のオーラを一度に失った影響か、化け物に再生する様子は無い。このまま止めを刺す。
俺がオーラを高めていると、ずるり、と脚が残った側が沈んだ。
やっと崩壊するのか。――いや、違う、崩れ落ちて上体が沈んだのではなく、事実として化け物の体が地面に沈み込んでいる!
【浸潤する蟻の牙(ダイバーズエッジ)】か!!
化け物の素体となっているディーク=パコウスキーがもともと使用していた能力だ。
蟻の牙を模した二振りのナイフを突き刺した物体の隙間に、液体が浸潤するようにオーラを流し込むことで物体を液状化させる能力。
液状化させた地面に自ら潜んでの暗殺も得意としていたらしい。
通常、ハンターの能力の詳細は協会も秘匿する。当たり前だ。誰も自分の手札は知られたくないだろうから。今回は排除対象の抹殺指令だったので特別に知ることができていたが、化け物になる能力に全てメモリを食われたと思って油断した。
恐らく死の恐怖を間近に感じたことで狂気の中にも一分の理性を取り戻し、能力の発動に至ったのだろう。化け物が完全に沈み込む前に放った弾丸は眼球の一つを砕いただけに終わった。すこし動揺してしまったか。
素早く近くの瓦礫の山に上り地面から避難して、隠と凝を同時に行って気配を隠しつつ、化け物の居場所を探るがオーラは感じれれない。
地面の下に深く潜り込んだか、あるいはまさかやつも隠を使っているのか。もしも隠を使っているとしたら厄介だ。ある程度の戦術思考を取り戻したということになる。
動けず、神経を張りつめさせて気配を探っていると、ついに警官の一団がこの場にもやってきた。
警告する間もなく、口元以外を外殻に覆われている俺を危険人物と判断したのか、大声で降服するようにと叫びながら近寄ってくる。
警官の一団の後ろに、片翼を広げた悪魔か、あるいは天使のような影が伸びあがり、その場で九つの球体が宙に舞った。
支えるべき頭部を失った警官達の体はゆっくりとくずおれ、時間が経ち、屍体のすえた臭いを発し始めていた通りに再び新鮮な血臭を放つ。
「けひっ、けひひひひ、ひっははははははははは!!ふふ、ははははははははっははっはははははっ!」
狂笑をあげるそれは、恐らくディーク、なのだろう。俺のマラネロを参考にしたのか、先ほどまでの巨大な異形の蜘蛛の姿ではなく、人間大のサイズに縮んだものだ。
人間の体をベースに、二つ潰れた八つの眼球が並ぶ奇妙に大きな頭部と、背中から右側だけに生える六本の蜘蛛脚がついていて、左腕はよくわからない筒状のものになっている。
すかさず発砲するも、殺意を感知したのか、頭を狙って放った弾丸は重要部分の軌道上に置かれた脚によって防がれ、ディーク本体の頭部のある場所以外を削るだけだ。
「ひゃはははははははっ」
弾丸を受けた反動できりもみ回転しながらも、笑いをとめないディークの左腕が、回転とともにピタリ、と止まりこちらを向いた。
強烈に湧き上がる厭な予感に突き動かされ、全力でその場を飛び退く。
瞬間、ディークの左腕から大きな杭のようなものが飛び出し、俺が寸前までいた場所に突き刺さると瓦礫を液状化した泥のようなものに変えた。
よく見ると杭には細い念の糸がついており、杭が瓦礫を溶かすと千切れ、杭ともども宙に溶ける。糸は恐らく念を体から離さずに遠距離まで届かせるためのものだろう。
それにしても……
「猿まねが上手にできて満足か?ど三流」
最後のマガジンを大喰いに叩き込んで、弾丸をディークへ放つ。
しかし、こちらに杭を撃った瞬間からまた地面へ潜り始めていたディークには有効打を与えられず、再び地下に逃げられる。
そろそろ、けりを付ける必要がある。
俺は、右手に4発だけ銃弾が残った大喰いをぶら下げ、今度は隠も凝も使わずに3メートルだけの円を張って静かに待つ。
すっかり風通しの良くなった通りに、一陣風が吹くとともに新たな警官団が大声をあげてやってきた。
一瞬だけそちらに目をやった瞬間、地面から現れた六本の蜘蛛脚がマラネロを突きぬけて俺の右腕に突き刺さり、そのうちの一本が手から大喰いを弾き飛ばす。
俺は、右腕を突き刺されながら振り向かず、後ろに向って踏み込み、
―――弾丸を握り込んだ、左腕を、背中越しに振りきった。
外殻より展開したスラスターからオーラを吹き出して加速した左手に握られた、攻防力を90以上集めた、念を集中する効果の神字を描かれた弾丸は、衝撃で雷管から生じた火花によって、増強された発射薬に引火し、その爆発力とオーラの破壊力をあますことなく発揮してディークの脇腹をごっそりと抉り取った。
死に瀕したためか、それとも単純に実力以上なオーラを放出し続けた限界がちょうど来たのだろうか、体を覆う人外の部分をひび割れさせ始めたディークは驚愕の眼差しでこちらを見ている。
「ひひ、ひひひ。あんで、なぁああんでお前の腕がうご、うごく?」
「俺が”骨なし”だからだ」
ほんの少しの正気を取り戻したディークに正直に答えてやる。
そもそも俺は具現化系の念能力者、ではない。操作系の念能力者だ。
【鎧う石の茨(マラネロ)】の装甲としての防御力は具現化系の能力者に比べれば劣る。では、何故この能力を選んだのか。それは汎用性の問題だ。
操作系の念能力は物質にオーラを直接作用させてそれを操作するものだが、自分を操るか直接触れるのでない限り、放出系との複合能力になる。
自分自身を操作すれば、基本的に他の操作系能力を受け付けなくなるという利点があるとはいえ、操作中の自分の自由が利かないぐらいの制約にしても、強化系の力強さにはかなわない。ただ触れるだけの制約では大したものは操れない上に離れたら意味がない。素直に放出系との複合能力にすると折角の操作性が距離が開くごとに落ちていく。
マラネロの真髄はその初動の速さと動作の精密さにある。
人間は、感覚器から受け取った情報をもとに脳で判断した指令を効果器へと送って動作を起こすのだが、俺は、具現化した外部装甲を操ることで効果器まで指令がいく時間を短縮している。
いうなれば、脳を通らず脊髄で折り返して効果器へと指令がいく反射のようなものだ。神経経路が半分で済むために全ての動作の初動が反射に近い域にある。意志を決定した時には行動を終えているのだ。筋肉疲労も外部から無理やり動かしているので関係がなく、操作系能力の為し得る最高の精密さをもって望んだ通りの一定のパフォーマンスを常に発揮する。
纏う装甲は、はなから砕けない頑丈さや、力の強化を期待したものではない。体を動かすためのツールであり、攻撃を受け止めるのではなく、せいぜい受け流すための補助程度だ。
装甲を纏うという能力は、具現化系念能力者の操作系能力適正では人間のような複雑なものを動かすことが困難なことを踏まえると、むしろ操作系にこそあった能力だと言える。
決定力の無さは、神字という事前の準備が使える大喰いを利用して補い、奥の手としては、今回は最後に左手だけを展開してみせたように、全身の外殻から展開したスラスターを吹かして、一撃の威力と速度を大幅に上げた高速機動戦闘が短時間ならば可能だ。これも装甲を纏う理由と言える。
一番に操作系の要素を置いているとはいえ、この操作、具現、放出の3系統を万遍無く使う戦闘スタイルをなにによって実現しているか。
それは、軸骨格80を除く、全身126の骨格すべての関節の破壊を誓約として、だ。
これをもって俺は、内部に骨を持つ獣ではなく、外部の装甲で駆動する機械となる。もともと骨に頼らず動いていたのだから、骨が折れた程度が問題になるはずもない。異形の蜘蛛の状態だったディークが俺の左腕を折った時みせた余裕と大喰いに対する警戒を狙い打つために、あえて左腕は動かないふりをしていたに過ぎない。
そもそも最後の攻撃は踏み込んだ足も、振り切った左手も間接と逆向きに動かしている。体を直接人間の構造に従って操作しているわけではないので、間接がないことを活かし、通常のそれを無視した動きができるのだ。
日常から俺は隠で隠した簡易のマラネロを纏って生活している。だからこその”骨なし”。カロリナの凝ではまだ見破られていない。
俺はそこまでは語らず、ディークに弾き飛ばされた大喰いを拾って作動を確認し、
「悪夢はこれで終わらせてやる」―――ガンッガンッガンッガンッ
引き金を引いた。
こうして、幻影旅団に追い回される悪夢に囚われ、自らがクモとなりかわり、周りに災厄を振りまいていた一人の元ブラックリストハンターの一生は、幕を閉じた。
俺は、最後に俺が襲われてからディークを殺すまでの一部始終を見ていて、明らかに俺を逮捕しようと、拳銃を構えて距離を詰めてきている警官をみながら、さて、これからどうしたものか、とため息をつき、
……ひとまずはスライドの下がりきった大喰いをよく見えるようにトリガーから離して持ち、両手を挙げることにした。