荒唐無稽のサードメルト Chapter8
一年は12ヶ月、365日。
単純計算で8,760時間。
525,600分、31,536,000秒。
別にぴったりギチギチにその時間をコンマ1秒でも越えたらダメと言うつもりはないし、逆に早まっても文句は無い。
でも改めて数字にしてみると一年という時間は途方も無い数字で、それが長いのか短いのかはパッと見ただけでは想像がつかない。
ただ言えることは、私はこの一年が苦ではなく、あっという間だったという自分の体感だけだった。
そして今日、およそ一年と少しの時を経て、寒さも抜けきらぬこの二月に、岡部が日本からアメリカに来る日が来た。
「はろー、久しぶり、というべきかしら?」
「何を言っている。昨日も電話で話しただろう」
「でも直接会うのは一年ぶりだし。っていうかその格好……」
「……笑いたいなら笑え。ダルとまゆりがどうしてもこれで行けとうるさかったのだ。空港まで監視に来る始末だった。こっそり持って行こうとした白衣まで奪われる用意周到ぶりだった」
岡部は髪を変に固めた髪型ではなくて、整髪料を使わない自然な髪型だった。
思えば岡部のこんな髪型は見たことが無かったかもしれない……っていうか、岡部、実は格好良い?
いや、元々格好良いとは思っていたけど。って何思ってるんだ私。
「笑わないわよ、似合ってるじゃない。あんたもそれなりな格好すればそれなりに格好良いわよ」
「お世辞などいらん」
お世辞じゃないんだけど……まあいいか。
なんとなく、岡部にはその自覚がない方がこの先助かる気がする。
いろいろな意味で。
「それじゃタクシーを待たせてるし、さっそく行きましょうか」
「ああ」
私達は、電話やメールのやり取りこそしていたがこの一年、一切会わなかった。
会えなかった、というのが正しいかもしれない。
私は私で自分に課した一年という期間内にVR技術を形にする必要があったし、岡部にもやることがあったようだ。
そのせいであんまりメールが返ってこなかったのは未だに不満だったけど。
私は忙しい中結構頻繁にメールしてたのになあ。
べ、別に寂しいとかそういうのじゃないけど!
岡部との電話は専らskypeを利用した。
お互いパソコンの前で話をする必要はあったけどネット回線を利用した電話は基本無料だ。
skypeってのは本当便利で経済的だと思う。
でもカメラはあんまり使わなかった。
なんというか、パソコン画面に映る相手の顔を見ながら離すのが恥ずかしかった。
面と向かってとはまた別な感覚で、そこにいないのに見られているというのは何となくこそばゆかった。
それでもお互い長く話していたくて、ついつい長電話になってしまうからskypeはありがたかった。
これが普通の国際電話ならいくらかかったことか。
タクシーに乗って私達はまずヴィクトル・コンドリア大学に向かう。
研究室には日本の友人を連れて行くことを既に話し、許可をもらってある。
無論被験者になってもらうことも含めて。
部外者を研究室の中に入れ、研究成果を披露する形になる事を快く思わない者も多かったが、何とかここまでこぎ着けた。
正直、研究よりもそういった人間の根回しというか、人間関係に近い部分がこの一年で一番大変だった。
日本の友人を招く、という事には当然反対も多く「ここは遊び場じゃない、ホテルへでも行け」などという罵声も当初は飛び交った。
だがウチの研究室でやっている研究、脳科学における脳構造の解明はもちろん、VR技術の発展にも尽力した私は、チームの要の一人に数えてもらえる程になっていて、私がいなければ研究が進まないという所もあった。
無論それは私だけではなく、何人かはそういう人間がいたが、当然数が多いわけではない。
努力のおかげもあってか私は研究者としての地位は低くとも実力という上でのパラメータは研究室内でも上位に位置することが出来、無理を言わせてもらったのだ。
中には今回のことで『日本人が外部に研究成果を漏らしたらミス・クリスの株を落とせる』などの考えを持つ者もいるらしく、全てが上手く収まっているわけではないが、それを気にしていては何も進められない。
とにかく、私は多少の嘘を交えながらも出来るだけ円満に岡部を少しの間だけ研究室内に入れる許可を取るのに成功したのだ。
「っと、そうだ岡部。言っておいたと思うけど、あんたはとある一時期の記憶が混濁していてよく思い出せず困っているって設定なんだからそのことを忘れないでよ」
「ああ、わかっている。混濁というか喪失というか……その辺は曖昧で良いのか?」
「ガッチリしないほうがそれらしいでしょ? それにその時の事をよく思い出せないだけで今の生活に大きな問題は無いってことにしてあるから」
この辺が多少嘘をついたところだ。
被験者になってもらうにしてもわざわざ国外から友人を選ぶ必要は無い。
というより国外な時点で普通なら可能性はゼロである。
その為岡部……友人の記憶の一部におかしいところがあって、多様な研究データの収集の為とあわよくば彼の記憶の懐古を手伝いたいと申し出ていた。
アメリカという国は飽くまで日本に比べるとだが大らかでスケールも大きい。
特に、嫌な言い方になるがお涙頂戴にはより脆い部分がある。
良く言えば欲望には貪欲だが、不利益を被らないなら伸びる限り手を広げるのである。
一つ勘違いしてはいけないのが、必ずしもそれが優しさとイコールでは繋がらない、というところだが。
岡部の記憶というでっちあげを話したところ、研究室の人間の意見は幾分柔らかくなった。
それが今回の岡部の招待を許してもらえた決めてでもあっただろう。
「そうか……なんだか嘘をついていると思うと申し訳ない気もするな……」
「百パーセント嘘ってわけでもないわ。物は言いようよ。あんたが気にする事じゃない。それにこういった研究は普通家族にも秘密なものだけど、ウチの大学はその辺は割と緩くて新しい発明とかがあると研究所外の身内にこっそり披露するなんてことは全くないわけじゃないから」
「そうか、ならばもう気にはすまい。それでどうなのだ? VR技術の方は。ほぼお前の望む形にはなっていると電話では聞いたが……」
「ああ、それね……予定の機能は問題無い、とは思うけど未完成ではある、というか……」
研究という物はある意味発掘作業と同じだ。
先に知った情報が、必ずしも正しいとは限らない。
いや、間違ってはいないが正確ではない、というべきか。
大きなオブジェが埋まってると想像して欲しい。恐竜の化石でも良い。それがどれだけ大きいのかはまだわからない。
それを我々が一切傷つけず掘り返して全容を確認しようとしているとする。
掘るのだけでも大変な作業だった場合、そのスピードは言わずと遅くなる。
慎重さと正確さを求められれば尚更だ。
そんな中、大きな突起部分が出てきたとしよう。
この時点で我々は調査報告、結果に突起ありと記し理解することになるが、さらに掘り進めていくとそれはたくさんのでこぼこの一つでしかないと発覚する。
初めて突起を見つけた時はそれが全てだったが、発掘……研究の進捗によってそれが大の中の小だと発覚することは多いのだ。
そうなるとまた理論の練り直しと構成が必要になる。
極端なことを言ってしまえば、突き詰めれば突き詰めるだけ物事に終わりが見えてこないものではあるが、未だ妥協点という物も見えてこない。
本来研究とはそういうものなのかもしれないが、岡部が聞きたいのはそういうことではないだろう。
「未完成? ではまだ使えないのか?」
「ううん、大丈夫。VR技術の思考盗撮自体は二年くらい前に理論と安全性がある程度確立されているし、私が欲しかった部分を含めたVR技術自体の問題点はそう多くない。ただ……」
「ただ……?」
「この技術にはもっと別の使い道と別の発展を辿る可能性も見えてきていて……」
「別の可能性、だと? それは一体どんな……」
「あ、ごめん岡部。これはいくら岡部と言えど話せない。研究所のトップシークレットだから」
「ううむ……気になるが仕方あるまい」
岡部は唸りながら残念そうに肩を落とす。
まあ実はかくいう私も可能性自体の内容はほとんど知らないんだけどそこも含めてトップシークレットってことで秘密にしておこう。
ちなみに、項垂れた岡部も格好良いと思ってしまったのは私だけの秘密だ。
そんな雑談をしているうちに、私達は私の所属する大学に着いていた。
***
「………………」
「おい紅莉栖、なんでそんなに怒っているのだ?」
「……別に怒ってはいないわよ」
研究室に入って、私はみんなに岡部を紹介した。
英語の出来ない岡部のことだ、さぞ私の流麗な英語を聞いて本場は違うと感心するだろう……と踏んでいたのだが。
このバカはなんと普通に英語を話したのだ。
私が意気揚々と彼は英語が殆ど話せませんと説明した直後に。
ああもうバカ。ほんとバカ。バカバカバカ。
話せるなら話せるって言え! おかげで恥かいちゃったじゃない。
岡部が私の紹介の後、やや硬い日本人独特ではあるものの、許容範囲内である英語で自己紹介と挨拶をした時、私は正直驚いた。
あまりの意外さにポカンとしてアホ面を晒してしまい、それを岡部に英語で指摘される始末。
加えて私のことをクリスティーナ呼びするときた。
研究室のみんなは笑いながら「良い物を見たよクリスティーナ」と私をからかいながらクリスティーナ呼びし始めた。
私はつい「クリスティーナじゃない!」とムキになり、研究室のみんなは余計笑いだし、大恥を掻くハメになってしまった。
「怒っているではないか。そんなにクリスティーナが広まったのが嫌だったか?」
研究室のみんなは私がアホ面かましたのが余程面白かったのか、それ以降みんなで私をクリスティーナと呼ぶようになってしまった。
今日最後まで岡部が来ることを快く思わないだろうと思っていた研究員まで破顔したように笑いながらクリスティーナと声をかけてくるほどだ。
雰囲気が悪くないのは結構なことなのだが、どうにも納得できない。
それに、クリスティーナは今まで良くも悪くも岡部からだけの名前だったのに。
……べ、別にクリスティーナって呼ぶのは岡部だけが良かったとかは思ってないけど!
それ以前にクリスティーナって呼ばれるのは嫌だし!
「呆れただけよ。それより岡部、英語話せたのね、驚いたわ」
「アホ面だったな」
「うっさい!」
「まあ、一年の間に叩き込んだのだよ。アメリカに行くなら話せた方が何かといいだろう?」
「それが岡部のやるべきことだったの?」
「いや、他にもあったのだが、まあその一つではある」
「そう。確かに私は驚いたし英語力はこの先あって損は無いわ」
「それはそうだが俺にあまり英語力を求めないでくれ。さっきのだって結構一杯一杯だったのだ」
「どうしよっかなあ?」
「ぐ……貴様やはり根に持ってるな?」
「さあね? とりあえず驚いたのは本当だし、成長してるってのも本当に感じた事よ。次は私の番かしらね」
私は少し人払いをして岡部を現在のVR技術の粋を集めて作ったVRルームに入れた。
中央のリクライニングチェアーに座ってもらって頭に大きなかぶり物をしてもらう。
このかぶり物にはいくつも線が付いていて、それら一つ一つが重要な役割を持っている。
配列等の机上の論こそ私も参加したが、実際のハードの手作業による作成には流石に私はあまりタッチできなかった。
チームのメンツや人員の関係もあったが、元来私があまり物を作ると言うことにはそれほど向いていなかったのもその原因の一つだっただろう。
だから見たことはあっても、私も本体に触ることは実は今日が初めてだったりする。
「これで良いのか?」
「オーケーよ。しばらくは何も考えずボーッとしていて。眠かったら寝てもいいわ。むしろ寝て貰った方が余計なノイズが入りにくいから。なんなら睡眠薬もあるわよ?」
「いや、遠慮しておこう。長距離のフライトでもあまり寝られなかったしそのうち寝てるさ」
「そう、わかったわ。タイムリープマシンの時と違って時間がかかるから……そうね、三時間くらいで何とかなると思う」
「単純に考えれば数テラものデータ容量を三時間で移動って凄いな」
「正確には移動じゃなくて読み取りコピーよ。タイムリープマシンの時も似たような事を言ったと思うけど、カットペーストではなくコピーペーストだから。今回はペースト先が過去のあんたじゃなく機械の中なだけ。それにこのケーブルも光回線だからね、直通で光回線となるとそりゃ速いわよ。単なるデータだけなら本当はもっと速いんだから」
「ああ、わかってる」
「……不安?」
「まさか。俺を誰だと思っている? 狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だぞ?」
「はいはいワロスワロス」
「……お前の研究成果だ。信頼している」
「……うん」
私は岡部の手を握ると、リクライニングチェアーを倒して岡部の姿勢を横にし、マシンのスイッチを押す。
起動を命じられた機械は稼働しだし、低音で唸り始める。
「……思ったほどうるさくないんだな」
「そうね、でも最近のはこういうものよ」
「そうか」
「ええ」
私は岡部の手を握ったまま答えた。
少し手が湿ってきている。
汗ばんでいるのは……岡部の手? それとも私の手?
「紅莉栖……」
「何?」
「……することも無いしな、言われたとおり俺は眠る。その、良ければこのまま隣にいてくれ」
「……うん、いるわ」
「……助かる」
私は汗ばみ始めた手を、それでも離さずに握ったまま、半分がかぶり物によって埋まった岡部の顔を見つめる。
胸が上下する頻度が、やや速い。
怖いと言うほどではないのだろうが、不安はあるのだろう。
しかし、やがて岡部はゆっくりと眠りに入ったようで、胸の上下……心拍も正常間隔になっていった。
私は用意してあったタオルケットを岡部にかけ、彼を見つめ続けていた。
二時間半を過ぎたところで、マシンが終了のランプを灯した。
思ったより少し早めに終わったな、と思いつつ私は片手でマシンを操作し終了フェーズを完了させる。
ここのSERVERにデータが残るわけにはいかないからまずは私のデスクへこのデータを送信。移動には……これまた時間がかかるがここのコンピュータは大きいので移動中も他の作業は出来る。
私のパソコンの方も岡部の記憶用に外付けのテラバイトディスクを付けてあるから容量も問題無いはずだ。
さて。
少し余った時間、寝ている岡部を起こすのも忍びないし今度改めて精査しようと思っていたこのデータ、今できる限り閲覧してしまおうか。
研究者とは因果な物だ。
そこに研究対象があれば研究せずにはいられない。
……というのは建前で。
早く岡部が気にしているであろう彼の記憶を見て、彼を楽にして上げたかった。
未だ片手は岡部の手を握ったままだが、大きな問題は無い。
コンソールは寝台と化しているチェアーの傍にあるし、ディスプレイも付いている。
もともと、記録したデータを即座にここで閲覧できるようにはしてあるのだ。
岡部の頭からゆっくりと、起こさないよう細心の注意を払いながらかぶりものを取り、完全にマシンと被験者の結合を解いてから私はデータの解析に入った。
実はシステム上、この解析用システムと記憶の映像化システムが一番大変だった。
単一的な記憶、絵や写真のような止まった画像はさほど難しくなかったのだが、映像……動画となるとその難易度は跳ね上がった。
人の記憶というのは思った以上に曖昧で、正確ではない。
それを単に映像化しても実際のそれとはかけ離れていたりした。
これを出来る限り近く正確にするために、いろいろと苦労した。
また、検索エンジンなんて無ければタグも無いから、見たい記憶を選出するのも一苦労ではある。
だが人の脳内記憶のスパンから、およそ時系列を割り出して、これぐらいが何年前のもの、と大雑把にではあるが分けられるようにもした。
そのシステムで丁度一年半くらい前の事を洗い出す。
「……出たっ」
思ったよりも早く近い記憶をヒットさせることに成功した。
彼のプライバシーの為にも無関係な所は極力見ないおこうとは思うが、好奇心は無情である。いや、見ないけどさ。
「これは……メールを受け取っているわね」
岡部が町中でメールを受け取っている記憶。
ケータイの画面の中のタイムスタンプから丁度あの時期だということが伺い知れる。
こんなに鮮明に、しかも早く見つかると言うことは、やはり岡部はあの一連の時期の事を深く覚えていて苦しんでもいるんだと実感した。
さて、この記憶は一体何を教えてくれるのか、無関係そうなら跳ばさなくてはいけないのだが……
「……っ!?」
何これ?
え? 岡部、こんなメール受け取ってたの?
サァッと私から血の気が引いた。
ディスプレイには岡部の視点でその時の事が映っている。
そのディスプレイ越しのディスプレイ、ケータイ画面には、
『お前は知りすぎた』
そう書かれていた。
添付ファイルには血塗れの人形。
次の瞬間には岡部は走っていた。
画面は揺れに揺れる。人の視点で走っている状態なのをディスプレイ越しに見ると酔いそうになるが今はそんなことを言ってなどいられない。
岡部はやがてラボに辿り着く。
慌てて辺りを見渡すがラボには誰もいない……と、何かに気付いたようにシャワールームへ向かう。
恐らく物音でも聞こえたのだろう。流石に細かい音まではこのディスプレイの音源では拾い切れていないのかもしれない。
え? あれ? ちょっと待って?
これって……まさか……!?
岡部が勢いよくシャワールームへの扉を開ける。
そこには……!
UGYAAAAAAAAAAA!!!!!!!
忘れてたのに!
思いださないようにしてたのに!
岡部しっかり見てんじゃないのよ!
記憶までしっかりされてんじゃないのよ!
バカ! エッチ! 痴漢!
それは何を隠そう、私とまゆりで一緒にシャワーを浴びてる時の記憶だった。
慌てて裸の私が胸とその、下……を隠している。
まゆりは幸か不幸かしゃがんだ背中しか映っていない。
っていうかこの映像微妙にまゆりはぼやけてるのに何で私はしっかり鮮明なのよ!?
説明を要求する! けど聞きたくない! 思い出したくない!
……でも、岡部はあの時、本当に心配して、下心抜きで私達の身を案じてあんなことしたんだね。
これを見ると、当時は怒りすぎたかも、って気になる。でも決して裸を見た事は許さない。絶対にだ。
せ、責任取れよ岡部!
っていうかこの記憶がこれだけ鮮明って事は既に岡部の脳はこの事について精緻化リハーサルが行われているってこと!?
~~っ!! 何だか恥ずかしい! めちゃくちゃ恥ずかしい!
許されるならこの記憶だけデリートしたい、それが私とまゆりの為よ!
いけない。少し落ち着こう。
私の目的はこんなことじゃない。
岡部が抱えてる記憶……その中でも恐らく私に関わりのあるもので相当に精神的に来るものを見つけないと……。
と言っても、何が精神的に辛いかなんて、本人じゃないととてもじゃないが正確に分析しきれない。
だから私が出来るのはある程度の記憶を見て岡部を理解してあげること。
流れるように動く岡部の記憶の映像データは、時系列的には進んだり戻ったりだが、それはタイムリープのせいだけじゃなく、人の曖昧な記憶がそうさせるのだろう。
この辺はやはりまだこのマシンの改良点の余地……というより検索システム上の改良点、になるのかしら?
取り出した人の脳内記憶の整列化をより精密にすることで、この手間はもう少し省けるはずだけど、果たしてそこまでできるものなのか……ハッ? また余計なことを考えてた。集中しなきゃ。
「あ、これは……!」
正直、このままでは見つからないだろうから、後日精査する必要があるだろうと思っていたのだが、意外にもそれは今、ディスプレイに映り込んだ。
岡部がラジオ会館の屋上で、人工衛星……ううんタイムマシンに乗り込む。
この後岡部は私の代わりにパパに刺されるのね……。
そんなことを思いながら私はその映像をなんとも言えない状態で見つめていた。
見たいけど見たくない。でも見なくちゃいけない。
やがてタイムトラベルを終えた岡部はラジ館内に入る。
すると私が出てきて、岡部が何か言いかけて、止める。
他の人の視点からの自分を見る、なんてのは不思議な気分で、私って初対面の人にはこんな感じなんだと客観的に捉えることが出来た。
当の岡部は恐らく、歩き回るよりはとリスク回避の観念も含めて待ち伏せをし始めた。
多分そこが私が倒れていたところなんだろう……あ、私が来た。
……? 私が今笑った? 何を見たんだろう? というかこうしてみると本当に私の知らない私がいるのね。
我が事ながらわからない、と思いながらも続きを見ていて、ドキッとする。
パパが、来た。
必死に話しかける私。
泣きそうになる私。
論文を見せる私。
裏切られる私。
パパが恨やむ私。
首を絞められる私。
岡部に助けられる私。
岡部が飛び出した。
私が助けられる場面を私が見るのは凄く変な気分になるが、岡部は自分を鼓舞させながらナイフを持つパパに突進した。
パパはまた激昂して今度は岡部に向かってくる。
ああ、これで刺されるんだと、何処か他人事みたいに私が思っていた時、
岡部がナイフを弾いた。
「えっ!?」
つい、声が出る。
ナイフを弾いた岡部の勇気と行動にも驚いたが、もっと驚いたのはパパの手元からナイフが離れたこと。
話が違う。
岡部はここで刺される筈だ。
なのに弾いた。自分でそのナイフを拾った。
しかしパパは手近にあった工具を持ってまだ私を狙っている。
正直胸が痛かった。
そうまでするほど私を嫌っていたなんて。
それを見た岡部が動いた。
『中鉢ぃっ!』
その手にはナイフが、ってえ?
『ダメっ!』
え?
『あ……ぐっ……!』
私、パパを庇って……?
『なん……で……なんで……』
『ご……めんね……はぁ……はぁ……う……う……』
私が、真っ赤な、そうまるでかつてケチャップをかぶった時になったかのような私が、力なく岡部に寄りかかる。
それを見て、パパは笑いながら逃げてしまった。論文を持って。
『どうして……』
『あれでも……父親……だから……私……ずっと……認められ……たかった……パパに……認めて……ほしくて……いつも、勉強を……』
茫然自失としながらもそれだけの言葉を搾り出した岡部に、私が独白する。
私の、私しか知らない、私だけの、その想いを。
『でも……今さら、分かった……パパは……私なんて……認めたく……なかったんだ……』
一言一言を搾り出すように、泣きながら呟く“私”
『バカみたい……よね……なのに、なんで……私……パパを……かばった……のかな……』
この“私”にとっての悲しみが、ダイレクトに私の胸に伝わる。
彼女……この“私”が経験したことが、まるで私自身経験しているように。
『ごめ……んなさい……見ず知らずの……あなたを、巻き込んで……』
岡部に、この“私”にとってはほとんど見ず知らずの岡部に、謝る“私”
“私”は私だからか、このときの“私”のことはなんとなくわかるようで、やっぱり自分でも経験してみないと完全にはわからない。
……でもこんな経験はしたくない。
『うっ……い、たい……』
痛覚が戻ってきたのか、それとも元々痛いのを我慢していたのか。
痛みに“私”は喘ぐ。
『ねえ……わ……たし、死ぬの……かな……死にたく……ないよ……こんな……終わり……イヤ……』
死期を悟ったかのような“私”
でもそれを認めたくない“私”
論理的じゃない、でもこんな時に論理的でいられるはずがない。
『たす……けて……た……す……』
“私”の、必死で無駄な懇願が、岡部の耳朶の奥に入っては消えていく。
ああ、そういうことか。
刺されたのは……“私”
“私”は岡部に刺されて、死んだ。
“私”が死んだのは、岡部のせい?
『ああああああああああ───────!』
ああ、これは何処かで聞き覚えのある声だ。
“私”が私であることを思い出させてくれた声。
そうか。
やっとわかった。
岡部は“私”を殺してしまい、その時同時に私を助けてくれたんだ。
岡部に自覚は無いだろう。
言ってないんだから知りようはずもない。
でも、“私”が今の私であるために、“それは必要なことだったんだ”と、教えてあげなくてはならない。
岡部はこの時“私”を殺してしまい、同時に私を助けたんだと。
画面が切り替わる。
未来の岡部からDメールが届き、ムービーメールが再生される。
未来の岡部は……じゅっ、十五年もかけて私を救い出そうと研究してたの!?
仮に“三人の私”が一人だったとしても、最初の私が四年、次の私が三年、そして今、私が一年半くらい。
合わせても、八年半。およそ半分ちょっと。
時間的に言えば、私……ううん私達は岡部の為にまだ半分ちょっとしか頑張っていなかったんだね。
そういえば、岡部が私の代わりに刺されたと知った時、丁度そんなふうに思ったっけ。
映像は流れていく。
再びタイムトラベルした岡部はサイリウム・セーバーの不調に気付いて……ってそれで刺されたのか。
なんて無茶を。……バカ、本当に、バカ、なんだから……。
岡部は、私の嫌な予想通り、自分で傷口を広げていた。
ああ、あんなことしたら! やめて! もうやめて岡部!
言っても、思っても既に変わるものではないが、それでもやめてと願わずにはいられない。
『痛かったか……? 済まなかった。だが、お前を……救うためだったんだ。例え……あの3週間の……日々は、戻らなくても……』
痛いのはあんたでしょう?
悪いのは私よ……。
「どうして、いつもあんたはそうやって……自分を犠牲にして……っ」
『お前に、生きていてほしかったから……』
「お前に、生きていてほしかったから……」
「っ!?」
ディスプレイの岡部の声と、リアルの岡部の声が重なる。
振り向けば岡部が目を覚ましていた。
「岡部、岡部……っ!」
私は有無を言わさず岡部の胸に飛び込んだ。
岡部の身体が硬直する。
わかってる、わかってるよ岡部。
「私は生きてる、生きてるのよ岡部」
「あ、あ、ああ……」
震える岡部の手を掴んで、恥ずかしさなんてかなぐり捨てて、私は彼の手を自分の胸に押し当てた。
ドクンドクンと、緊張と羞恥から来る鼓動が、より分かりやすく脈動を教えてくれる。
「私を殺した事をずっと後悔してたんでしょ? 刺してしまったことを……」
「だって、俺が、お前を……」
「今は、生きてる」
「……」
「それに、岡部は勘違いをしている」
「……?」
「“私”は確かにあの時あの世界線では貴方に殺されたけど……」
「っ!」
「今ここにいる“貴方を知る私”はそれによって助けられたの」
「……!?」
岡部が不思議そうな、信じられない顔をしている。
無理も無い。
「私言ったよね? 岡部がキーボードを押してからの記憶が無いって。あれ本当は正確じゃないんだ。私はあの後、何も無い場所にいたの」
「何も無い、場所……?」
「矛盾だって思うでしょ? 何も無いなら場所すらも無い。これが死なのかなって思ったりしたような気もする。でもやがてそんな私の思考能力すらなくなって……私も何も無い世界の一部になってて……聞いたの」
「……聞いた?」
「岡部の叫び声、泣くような慟哭。あの時、“私”を殺してしまった時の声を。それを聞いて、今の言葉は何? 言葉じゃなく声だった、声って何? ってどんどん思考が溢れてきて、私は自分が何者であるかハッキリ自覚した時、目を覚ましたの」
「それが、お前と再会した日、なのか……?」
「そう。だからあなたが“私”を刺したのは、“私”が私であるために、必要な事だったのよ、それこそ、無かった事にしてはいけないの」
「!」
「もし、その過程を通らず私の生きる道を見つけていたなら、きっと“私”はいても私はこの世界にいなかったと思う。だから岡部……良いんだよ。貴方は、“私”を刺したことを……殺してしまった事を……罪だと思わなくていいんだ」
「う、う、う……紅莉、栖……!」
私は岡部にそっと唇を重ねる。
岡部は恐る恐る私の背中に腕を回した。
身体はまだ震えているけれど、きっと血まみれの私がトラウマになっているのだろうけど、生きている私が、今ここにいる。
それが全てよ、岡部。
ありがとう。
首裏に、チリチリと視線を感じる気がする。
私を見てる。誰かが私達を見ている気がする。
“あなた”なの?
でも、それにしては人間的な気配がする。
モニタか何かの前にいるであろう“あなた”はこんな認識できるほどの存在感を持っていたかしら?
「……ってちょっ!?」
気になって振り返ってみると、VRルームのドアに付いてる窓から、研究室のみんながニヤニヤとこちらを見ていた。
みんなの顔は呆れているような微笑ましいような、からかうようなそんなもので、少なくとも神聖な場所でなんてハレンチな、などというものではなかったのだが。
「ちょっ!? み、見ないで! これは違う、違うのよ! いや違わないけど!」
「……紅莉栖」
「なに? 今それどころじゃ……うむっ!?」
無理矢理、キスをされる。
ドアの外ではヒューヒューとやかましいほどに盛り上がっているのが伺えるが、こちらも絶賛心臓大爆発中の為、上手く音など聞き取れない。
聞き取れないはず、なのに……、
「約束していたな紅莉栖、俺はお前を、絶対に離さないぞ」
こいつのその声だけは、やけにハッキリと聞こえた。
……私は記憶力には自信があるんだ。後で忘れたとか言っても、無かった事になんか出来ないんだからな!
ねぇ“あなた”
どんな媒体からなのかはわからない。
でも“あなた”なんでしょう?
モニタ越しなのかどうかもわからないけれど、今これを見ている“あなた”のおかげで今の私が、私達がいることが確定している。
世界が構成されている。
“あなた”はいつも私……私達を見ていて、でも見ていない。
それはこちらの時間的概念なのか全く別のものなのかはわからないけど、でも見ていることは確か。
だって、見てないと「見てるんでしょう?」という私の疑問……ううん問いかけすら無い事になるもの。
だから“あなた”は見ている。それを前提にして言っておくわ。
ありがとう、そして……これからもよろしく、と。
え? もしかしてこれで終わり、はいさよならってつもりだった?
勘違いしていない? “あなた”にはまだ仕事が残っているのよ?
私がダイバージェンスメーターを完成させたとき、それを一緒に観測するっていう仕事がね。
そこで初めて私は岡部と私と……まゆりが死なない世界に到達したことになるの。
岡部曰くシュタインズゲート。
運命石の扉。
だから、その日まで私達の事を見ていなきゃダメよ?
というか見てもらわないと困るんだから!
貴方が見ている世界が一つなのか複数なのかはわからないけれど、もし私達と同じ人間が存在する世界なら、私達を見守ってあげて欲しい。
私から“あなた”にしてあげられることが無いから心苦しいけれど、でもそうしてもらえるととても嬉しい。
あと可能なら、岡部を気にかけてあげてほしい、かな。
私の知る岡部はほら、ちゃんと私が気にかけるから心配しないで。
それじゃ、改めて私がダイバージェンスメーターを完成させるその日まで、できればその後もよろしく。
あ、そうそう。ダイバージェンスメーターが出来るのが必ずしも“ここ”とは限らないから。
“どんな世界線でもその可能性はある”の。
私が生きて、岡部が生きて、私達の仲が上手くいけば、きっとその世界線では完成しているか完成することが約束されている。
それを“あなた”が観測した時、その世界は存在を確定させるの。
だから、次のその時その瞬間、その世界線まで……see you!
名前も顔も知らない“あなた”へ。
FROM 三回目の牧瀬紅莉栖