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[30585] Fate/stay night   「さよなら、セイバー」    (短編)
Name: 久良武◆f62c147c ID:f8004052
Date: 2011/11/19 23:09
 数年前に閉鎖したサイトで公開していました、私の昔の作品です。
 再公開は、未練の現れです。

 
 セイバールート後のお話ですので、ネタバレを気にする方はお控えください。
 



[30585] さよなら、セイバー
Name: 久良武◆f62c147c ID:f8004052
Date: 2011/11/19 23:38


 真夜中に目が覚めた。

 誰かに呼ばれていたような気がして耳を澄ませるが、風鳴りさえも聞こえない。
 ――静かな夜。
 障子越しに差し込むまぶしいほどの月明かりが、半身を起こした布団の上にいびつな格子を描いている。

 「まだ2時か……」

 時計から目を落とし、ぼりぼりと頭を掻いた。
 日課の鍛錬を終えてから風呂に入り、床についたのが1時過ぎ。つまり1時間足らずしか眠っていないことになる。
 明日はいろいろと忙しい予定なので、少しでも長く休息を取らなければキツいとわかってはいるのだが、ため息まじりに振った頭にはこれっぽっちも眠気が残っていない。

 どうやら本格的に目が覚めてしまったらしい。
 あきらめて立ち上がり障子を開けた。



 目に飛び込んでくる、夜空の蒼と満月の白。
 それは静かで、厳かで、汚れなく、力を秘めていて……

 ――ああ。

 すとん、と納得した。
 呼んでいたのは、お前だったのか。 


 戸柱に片腕をもたれかけ、俺は目を細めて夜の情景に見とれた。
 知らず、微笑みさえ浮かばせて。
 俺はつぶやいていた。

 ああ、この夜は、本当にお前そっくりだ。


 ――セイバー。








  ”さよなら、セイバー ”  
 








 あの戦争から、もう一年が経つ。
 俺――衛宮士郎はあの戦争の決着後無事に進級し、もうすぐ卒業を迎える。
 卒業後の進路は決めていない。

 遠坂は一緒に魔術協会の大学校――時計塔、と呼ぶらしい――に行かないかと誘ってくれたが、俺は断った。
 遠坂の気持ちは嬉しかったが、協会と関わり合いになる気持ちはなかったし、魔術師として根源を探求する意欲もない。
 ただ漠然と、旅に出ようかとだけ考えている。若い頃の切嗣がそうしたように。
 藤ねえが聞いたら反対するだろうから、まだ誰にも言ってないけれども。

 一年、という時間は短いようで長く、町にはあの戦争を忍ばせるものはほとんど残っていない。
 昏睡事件で倒れた人たちもすべて退院し、戦闘によって破壊された建造物や道路も補修された。
 いなくなった人の跡を埋めることは誰にも出来ないけれど、人は前に進むことによってそれを忘れていくことができる。
 


 たとえば桜が良い例だ。
 慎二が死んでしばらく塞ぎ込んでいた桜だったが、花が咲く頃には笑顔を取り戻し、今では美綴のあとを継いで弓道部の主将になってしまった。
 あいかわらず家に通ってくるし、以前より前向きな発言が増えた気がする。

 「兄さんのことは、思い出さないようにしてるんです」

 それは、無かったことにしよう、という意味ではなく、その事に囚われるのはやめよう、という意味だった。



 イリヤもそうだ。
 バーサーカーを失い、アインツベルンに帰ることもしなかった彼女は、藤村の家の客人として今もこの町にいる。
 はじめ藤ねえが近くの小学校に編入しようと動いたこともあったが、驚いたことにイリヤは義務教育課程を修了したことになっており、一年が経った今では藤村組の影の顔役としてじわじわと勢力を広げつつある。

 「わたしは毎日が楽しいよ? シロウは楽しくないの?」

 屈託のない笑顔は、この一年間イリヤが前進しつづけたことを表していた。



 遠坂に至っては、心配するのがアホらしいほど前向きだ。
 深い信頼で結ばれたサーヴァント――アーチャーを失い、最後にはイリヤを奪いに来た兄弟子である言峰によって重症を負わされた遠坂は、しかしそのぐらいのことでメゲるタマじゃなかった。

 病院にも行かず自力で傷を癒した遠坂は、ただちに「管理者」としての責務を果たす為に駆け回った。
 監督者であったはずの言峰が死亡した以上、事態をまとめ、整理し、報告し、処置する役目はこの土地の管理者である自分にあると遠坂は言った。言峰の後釜として数ヶ月後にやってきた老神父に引き継いだときには、ほぼ完璧に手が打たれていたという。
 時計塔へのフリーパスが与えられた背景には、この件での手腕が高く評価されたこともあったらしい。

 「わたしは行くわよ。聖杯は手に入らなかったけど、絶対たどり着いてみせるんだから」

 何処に、とは聞かなかった。
 魔術師にはというより、遠坂には野暮な質問のような気がしたからだ。



 しかし、今のこの俺はどうだ。
 自分では、自分なりに前進してきたと思っていた。
 戦争のことを思い出すことも少ないし、日々の鍛錬も変わりなく続けてきた。
 「正義の味方」になる、という親父譲りの夢はこれからも追い続けていくつもりだし、そのための努力も欠かすつもりはない。
 
 ――だけど。

 「……結局、囚われたままなのかもな。俺」

 彼女を思い出し微笑んでさえいた自分に、いまさらながら愕然とする。
 蒼い月夜に愛した少女の面影を見てたたずむなんて、感傷的もいいところだ。


 一年という時間を、俺は直線にではなく、円を描いて進んできたような気がする。
 春が終わり、夏が過ぎ、秋が去り、冬になってふたたびこのときが来た。
 まるでその季節の循環のように、俺もまた、同じところに戻ってきてしまったのだろうか。


 あの別れに後悔はない。
 セイバーは自分の時に帰っていったのだし、それが一番良い決定だったという確信に変わりはない。
 それに、あれはこれ以上なく美しい別れだった。
 俺はあの激動の日々の中でセイバーを懸命に愛し、同じだけ愛された。
 互いを信じ、同じ理想を抱き、別離を共に受け入れた。

 だから、あの別れは完璧で、あの別れにはすべてがあって、未練などすこしもなく――

 そう思っていた。
 だから今、俺はこんなにも悩ましいのだ。
 あの時とおなじ季節がふたたびやってきた今、彼女を思い出している自分に驚いている。
 まるで、前方に自分の足跡を見つけて立ちすくむ遭難者のように。

 「……ああ、認めるよ」

 俺は月を見上げたまま、正直な気持ちをつぶやいた。

 「俺、未練たらたらだ」

 それが、衛宮士郎の一年目の結論。
 強がって、平気なフリして、周りと自分を無理やりにごまかしてきたけど。
 ――やっぱり、俺は。


 「……お前に会いたいよ、セイバー」


 言葉にした途端、胸が痛んだ。
 よみがえる記憶の切なさの痛みと同等に、禁忌を犯した呵責の痛みが胸を刺す。

 蒼い瞳。
 金の髪。
 白い肌。
 今でも覚えている、セイバーの肌の熱さと体の重み。

 一年ぐらいの時間では、なにも消えてはくれなかった。
 彼女と交わした言葉も、彼女と過ごした時間も、なにもかもはまだここに――


 「――シロウ? なにしてるの?」


 背後からの声に、俺はそれこそ飛び上がらんばかりに驚いた。

 ばっと腰を落として振り向くと、そこにはパジャマ姿のイリヤがいた。フリルのついたお嬢パジャマの上に藤村組の代紋が入った綿入れを着ているのが実にシュールだ。
 俺のリアクションに、むしろイリヤの方が驚いている。

 「……なによ、シロウ。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
 「イリヤ、お前な……」

 身構えた肩から力を抜いた俺が何か言う前に、イリヤはにこりと笑い先回りして口を開いた。

 「眠れないからお散歩にきたの。シロウも同じでしょ?」
 「だからってな、お前みたいな小さな女の子が夜道と一人で歩いてくるってのは感心しないぞ」

 というか藤村の屋敷は、そんなに簡単に出入りできるようなところじゃないと思うのだが。

 「わたし普通の小さな女の子なんかじゃないもの」

 つーん、とすまして言い返し、俺の隣に来て窓から空を見上げた。

 「あー、シロウも月見てたんだ。綺麗だよね、今夜の月」
 「……ああ」

 いろいろ言いたいことはあったが、月を見上げるイリヤが楽しそうに微笑んでいるのを見て、言うのをやめにした。

 「ねえ、シロウ。あそこに座らない? 立ったままじゃ疲れるわ」

 イリヤが指さしたのは、すこし先の廊下。庭に面したその場所は、月の明かりを受けて昼のように明るく照らされていた。
 確かに、月見をするには最適の場所だ。
 俺は黙って座布団を二つ用意し、イリヤをそこに座らせた。
 魔法瓶でお茶をいれ、熱いぞ、と添えてイリヤに手渡しながら、俺も即席の月見席に着いた。

 「うん、シロウはやっぱり気が利くわね。――紅茶だったらなお良かったけど」
 「贅沢言うな」
 「お茶受けはないの?」
 「夜中に菓子なんて食うと太るぞ?」
 「シロウのケチ。お月見ってお団子食べるものだってライガに聞いたもの」

 口をとんがらせて文句を言うわりには、イリヤはとても楽しそうだ。
 俺も、さっきまでの思い煩いをいつのまにか忘れていた自分に気が付いた。

 「……リンゴなら剥いてやるぞ」

 だから俺はイリヤに甘いと藤ねえに言われるんだな、と思う。
 お茶とリンゴという組み合わせはどんなものかと思うけれど、確かにお茶だけというのも口寂しい。

 「わーい、だからシロウって好きよ」
 「なんか、思うように操られてる気がするな……」
 「いいじゃない。レディをもてなすのは紳士の誉れよ?」

 ぬけぬけと言い放って、熱そうにお茶をすするイリヤ。
 へいへい、とつぶやきながら小皿とナイフを台所から取りだし、リンゴといっしょにお盆にのせて運ぶ。
 盆の上でころころと転がるリンゴは月明かりのせいで紫色に見え、なんだか知らない果物のようだった。

 4ッ切りにして、芯を除き、しゅしゅっと皮を剥いて一丁あがり。
 爪楊枝をさして、姫君に差し出す。

 「ほれ、出来たぞ」
 「うん、いただきます。ありがとう、シロウ」

 多少わがままではあるけれど、ちゃんとお礼を忘れないところがイリヤの良いところだ。
 俺は残りを剥いてしまって手を拭い、自分もひとつ口に運んだ。

 しゃく、しゃく、と二人がリンゴを噛む音だけが、夜の廊下に響く。
 おかしなことになったな、と俺は小さく笑った。
 ついさっきまで、俺はセイバーのことを思い出して一人悩んでいたというのに。
 
 「おいしいね、シロウ」

 いまは、イリヤと同じ月を見上げてリンゴを食べている。

 「……寒くないか」

 イリヤは雪国の生まれのくせに寒いのが苦手だ。俺がそう聞くと、イリヤは綿入れの裾を軽くつまんで答えた。

 「平気よ。今日はあったかいし」
 「そうか」
 「……」

 自分はまた、虚勢を張っているのかも知れない。
 イリヤという庇護すべき対象の前で弱い姿は見せられないと無意識のうちに気構え、セイバーのことで心乱れる弱い自分を、また封印してしまっているのかもしれない。
 でも、その虚勢はきっと無駄ではないと信じたい。
 今は虚勢でも、張り続けているうちに本当に強くなれるだろう。
 11年前の、焼け出され一人地獄を彷徨ったあの悪夢を、俺はそうやって乗り越えて来たのだから――

 「……シロウ?」

 小さな声に気が付いて横を見ると、イリヤが気遣わしげにこちらを見上げていた。

 「大丈夫? シロウ、怖い顔してる」
 「ん? ああ、悪い。考え事してた」

 そんな顔してたのか、と俺は驚き、むりやり笑って流そうとする。
 ぎこちないのは分かっている。もともと嘘は上手じゃない。
 でも今は、早く忘れなければいけない。この考えに留まっていてはいけない。
 だから、早く、別の話題を――。
 
 そう考えた俺が適当な話題を振ろうと、口を開きかけた瞬間。

 ややためらいながら、イリヤが言った。

 「それは――セイバーのこと?」




 ――どん、と胸を突かれたような気がした。

 虚勢の殻にひびが入る。軽薄な言葉は口のなかでむなしく霧散した。
 イリヤのおかげで乗り越えかけていた苦悩が、そのイリヤによって突きつけられる。
 きっと呼吸は止まったまま、顔だけでイリヤのほうを見た。
 月明かりに透けてしまいそうな白い髪のこの少女が、このとき少しおそろしかった。

 「……どうして」

 自分でも驚くぐらいしゃがれた声だった。

 「どうして、そう思うんだ?」

 するとイリヤは目を伏せて、ごめんねシロウ、と謝った。

 「聞いちゃったから、さっき。シロウが窓のところで――」



    『……お前に会いたいよ、セイバー』


 ――ああ。
 あれを聞かれていたのか。
 今度こそ、虚勢は木っ端微塵に打ち砕かれた。
 一番無防備で、一番情けない姿を、一番見せたくなかった相手に見られていた。

 「立ち聞きするつもりはなかったのよ。でもわたしが声を掛ける前にシロウが――」
 「わかってるよ」

 俺は、イリヤの早口をできるだけ優しくさえぎった。
 ……そう。
 見られたのであれば、もはや取り繕うこともない。
 一番見せたくなかった相手に見られたからには、これ以上の事態の悪化はない。
 いっそ楽になった、と思うべきだろう。

 「わかってる。イリヤはそんなことするヤツじゃない。悪いと言えば、いくら半人前とはいえ魔術師のくせに侵入者に気が付かない俺が悪いんだから」
 「シロウ……」
 「でも格好悪いな、俺。あいつのことはもう、けりをつけたはずなのに」

 はは、と口から漏れ出た笑いは乾いていて、自嘲的に聞こえただろうかと俺は案じた。
 実際、そんな自虐的な気持ちはない。開き直ったというわけでもない。
 ただ、困惑しているらしい自分がやけにおかしかった。

 自分はもっと、己に対して強い人間だと思っていた。
 セイバーとの別れに、未練など残っていないと、そう信じていた。
 セイバーにまた会いたいだなどと、思うことすら、あの別れを汚すことになると考えていた。
 ――なのに、なぜ。

 「……どうして今夜は、こんなにセイバーのことばっかり思い出すんだろうな」

 どうして、会いたいなどと思ってしまったのだろう。
 自分はそんなに弱く、卑怯な人間だったのだろうか。
 行くな、という言葉を、それだけは言ってはいけないと飲み込んだあの別れを、俺は後悔しているのだろうか。

 結局、俺はあの日から一歩も動けていないだけなのではないだろうか。

 「俺がこんなんじゃあいつに申し訳ない。互いの時間をちゃんと生きて、ちゃんと終わらせる――そのために別れたのにな」

 胸を刺す禁忌の痛み。
 セイバーに悪いことをしている、という思いが、今の俺を責め立てている。
 セイバーと分かち合ったあの美しい別れを、俺は汚そうとしている。
 未練という、後悔という、醜い感情で。
 だからそんなこと思っちゃいけないと分かっているのに、それでも――

 「やっぱり、セイバーに会いたい?」
 「……ああ」

 その気持ちを否定することもできない。
 イリヤの言葉に頷いて、ぐいと空を見上げた。
 煌々と輝く月に顔を向け、許しを請うように目を閉じる。


 ごめんな、セイバー。
 俺は自分で思ってたより、ずっと情けないヤツだったみたいだ。
 最後の令呪が消えて、お前は帰っていったのに。
 俺はいまだに、あの朝焼けのなか立ちすくんだまま――


 「……よかった」

 不意に、そんな言葉が隣から聞こえた。
 え、と思わずこぼして振り向くと、イリヤは俺のほうを見上げてにっこり笑っていた。
 
 「わたしもね、同じ事思ってたの。バーサーカーに会いたい、って。でも、言ってもしようがないし、弱い子だって思われたくなかったからずっと言わなかったの。だから」

 シロウも同じで、よかった――と。
 どこかほっとしたような、力を抜いた笑顔でイリヤは言った。
 俺はとっさに返す言葉も無くして、ただじっと微笑むイリヤを見つめた。
 ……まさか、イリヤがそんな風に思っていたなんて。

 俺を驚かせたのは、イリヤがバーサーカーに会いたいと思っていたということではない。
 それを隠していたということも、それほど不思議ではない。
 俺から言葉を奪ったのは、俺のうっかり見せた弱さがイリヤをむしろ救った、という事実だった。

 それは俺の弱さを意地悪に喜んでいるのではなく、傷をなめ合う類の後ろ向きな救いでもなく。
 なにか張りつめていたものをやっとほどくことができた安らぎであり、身を覆った鎧を脱いで素の自分をさらけ出せる場をようやく得られたというような、それは穏やかな喜びであり――
 一緒にいても痛みを堪えなくてもよい相手を得られたという、救いだった。

 強くあるだけが、人を救うのではない。
 それは、イリヤの前で虚勢を張ろうとしていた俺に少なからぬ衝撃を与えた。

 「……でも、バーサーカーを倒したのは俺だぞ。その俺がこんなんでいいのか」
 「戦争だったもの。仕方ないわ。わたしだってシロウとセイバーを殺すつもりだったし」
 「そうだったな。……そんなこと、すっかり忘れてた」
 「うん。だから、それはおあいこ」

 無邪気なイリヤの笑顔は、まるっきり『普通の小さな女の子』のそれで。
 俺も知らず、笑顔になっていた。

 「そっか。……俺も、見られたのがイリヤでよかった」
 「そうよ、これがリンだったら絶対叱られてるんだから」
 「違いないな」

 いたずらなイリヤの声に、俺は久々に明るい笑い声を上げた。
 そう、遠坂なら絶対に容赦なく怒ってる。背中をけっ飛ばすぐらいのことはしそうだ。

 『そんな馬鹿なこと考えてる暇があったら鍛錬しなさい! てんでへっぽこなんだからね、アンタは!』

 がーっと青筋立てて怒る遠坂が妙にリアルに想像できてしまって、俺はまた少し笑った。
 でも、怒るのと同じくらい絶対に、と言い切っても良い。その怒りは『絶対に』俺のためを思っての怒りだ。

 その事に思い至った時、俺はようやく気が付いた。
 自分がいかに、皆に守られているかということ。救われているか、ということ。

 ああ。遠坂に言われるまでもない。
 俺は馬鹿だ。
 虚勢なんて、初めから意味がなかったんだ。

 正義の味方の定義は、強いことじゃない。
 みんなを救ったかどうか、それだけではなかったか。


 「――この月夜が、セイバーに似てるって思ったんだ」

 ふと、そんな事を唇に上せていた。
 ついさっきまでの暗い思いはなく、ただ月光だけが満ちるこの夜気のように澄んだ気持ちで。

 「だから、セイバーが俺を呼んでるんだと思った。でもそれは結局、俺の中にあったセイバーへの未練が、月夜っていう似姿の力を借りて表に出てきただけで……」

 イリヤは、俺の突然の独白を黙って聞いている。
 不思議だった。
 ついさっきまで、イリヤには弱いところを絶対に見られたくないと強がっていたのに。
 今は、イリヤになら全部聞かせてもいいと俺は思い始めている。

 「本当はずっと、もう一度セイバーに会いたかったんだろうな、俺。きっと心のどこかであいつを探してた。今はそんな風に思える」
 「……もし、もう一度会えたらどうするつもり?」
 「そうだな。その時は――」

 イリヤにそう問われて答えようとし……その時俺は気がついた。
 その問いの答えこそが、俺の未練の正体なのだと。

 そしてその答えはとっくに出ていた。
 だから――むしろ晴れ晴れと俺は言った。


 「ちゃんと言うよ。『さよなら』……ってね」


 あの朝焼けの丘で、俺が言いそびれた言葉。
 行くなと言いそうになるのを飲み込むのに必死で、伝えられなかった別れの言葉。
 さよなら――あの時言えなかった、ただその一言だけが心残りだったのだ。

 俺は笑った。
 自嘲ではなく、簡単な問題だったのに難しく考えすぎて解けなかったのだと気がついた時のような肩の力の抜けた笑い。

 「そう考えると、おかしいよな。さよならを言うために、もう一度会いたいなんて」

 でも、それは俺の中で少しも矛盾していない。
 今まで自覚してこなかっただけで、その思いはあの日からずっと俺の中にあって、今夜気がつかなければこれからも俺を悩ませていたであろう願い。
 セイバーと、ちゃんとさよならすること。
 そこからすべてが始まるのだと、いま気づいた。
 
 「――でも、アイツはもういない」

 時を巻き戻すことは、俺にはできない。
 世界との契約を取り消し英霊であることをやめたセイバーは、もはや他の聖杯をもってしても召喚することはできない。

 「だから、もう一度会ってさよならを言うことはできない。絶対に」

 そう言った俺の言葉が、ネガティブに聞こえたのだろうか。
 イリヤの紅い瞳が俺を心配そうに見上げた。
 だから俺は、安心させるように微笑んで続けた。

 「……でもイリヤ。俺はいま、それが嬉しいんだ。なぜって、それはあいつが俺との約束をちゃんと果たしたっていう証拠だから」
 「約束?」
 「そう、お互いの時間をちゃんと生きて、ちゃんと終わらせようっていう、約束」

 セイバーは、王としての責務を果たせなかった未練のために、聖杯を求め英霊になった。
 そのセイバーが、聖杯探求の長い旅を終え、もはや誰にも乱されることのない眠りについたのであれば。
 ――それはセイバーからの、俺へのさよならなのだ。

 「だから、俺も約束を守ろうと思う。もう、こんな月夜にアイツを重ねてくよくよ悩んだりしない。俺は俺の時をちゃんと生きる。アイツに語った理想を追いかけて、決して振り返らない。――それが、俺からセイバーへのさよならになる」


 ごめんな、セイバー。
 こんな簡単なことに気がつくのに、俺は一年もかかってしまった。
 一年も、同じところで足踏みしてたんだな。
 でも、これからはちゃんと歩き出すよ。

 おまえとの約束を果たすために。
 ――ちゃんとさよならを言うために。






 「眠くなっちゃったわ。わたし帰るね、シロウ」

 俺の言葉に安心したのか、イリヤは軽い身のこなしで立ち上がった。
 座ったままの俺をちょっとだけ上の視線で見つめ、イリヤは唐突に――俺の頬にキスしてきた。

 「――なっ!? イ、イイリヤおまえ!」
 「そんなに驚かないでよ。それとも嫌だったの?」

 腰に手を当ててこちらを睨んでくる白い髪の少女。
 俺は平手打ちを食らったみたいにキスされた頬を片手で押さえながら、無様なまでにうろたえて首を振った。

 「い、いや。嫌だってことはない。ないけど――」
 「ないけど? はぁん、さては頬じゃ不満だった? もう、シロウのおませさんっ」
 「イ――イリヤ、おまえなあ!」

 口元に指をあてて、からかうような目でこちらを見るイリヤに俺はつい大きな声を出してしまった。
 オトナをからかうな、と続けそうになった俺の目の前で、イリヤは急に大きな笑みを浮かべて、うん、と頷いた。

 「よし、元気出たみたいね。シロウはやっぱりそうじゃないと」
 「……はぁ、もう勝手にしてくれ」
 「うん。勝手にする。リンゴとお茶ごちそうさま。……また、こんな月の夜は来てもいい?」

 さっきの小悪魔みたいな表情はどこへやら、いまは上目遣いでお願いモードだ。
 こいつは卑怯だ、と思う。
 そんな頼み方をされたら俺が断れないって知っててやってる。
 ため息をつきながら頷いた俺に、イリヤはぱっと微笑んだ。

 「じゃあ、おやすみなさい。シロウ」
 「ああ、おやすみイリヤ。まっすぐ帰って早く寝ろよ」
 「はーい」

 小学生みたいな返事を返して、イリヤはこちらに背中をむけた。
 すとすと、と軽い足音が遠のいていく。
 その小さな背中が屋敷の影に飲み込まれる寸前に、俺はその後ろ姿に向かってつぶやいた。

 「――ありがとう、イリヤ」
 
 イリヤが来てくれなかったら、俺はまだ悶々として、この月を見上げて悩んでいたに違いない。
 明日の朝食は、イリヤの好きな洋風にしてやろう。






 俺は立ち上がり、窓を開け夜の庭に降りた。
 風はなく、耳鳴りがするほど静かな夜。
 夜気はしんと冷えているが、凍えるほどではない。


 庭の中央に立った。
 首を思いきり反らし、月を見上げる。その光を受け止めるように、両手を広げた。


 
 さあ、さよならを始めよう。

 おまえとの約束を果たすために、俺――衛宮士郎は、死ぬまで進み続けることをこの月にかけて誓う。
 おまえが愛してくれた俺のまま、変わらずに、まっすぐに。
 不器用で馬鹿だから、一歩ずつかもしれないけれど、そのせいで命を落とすかもしれないけれど……それでも行くよ。

 だから、今度こそ。




 「――さよなら、セイバー」








 了


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