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[30867] 【SO2】主役はクロードですがメインは綺麗なルッシーです
Name: しゅがー◆6ebf4a2b ID:a0a0441d
Date: 2013/09/24 22:14
 よしだもろへ先生の漫画版スターオーシャン2セカンドエヴォリューションを読んで思いついたネタ。
 後から掲載する設定を読まないと何が起こっているのかわからない不親切設計。
 続かない予定だった。
 第2話を読む前に作品解説を読むことをおすすめします。


 天気は快晴であった。
 太陽は真上で燦然と輝いている。
 巨大な岩が柱のように乱立する合間を縫う形で雑草が緑を敷いていたが、岩肌が反射する日光は時に目を焼きそうな程鋭かった。

 元からこの時期気温は高い。加えて、地にあるモノを炙ろうとしているようにすら思える光の強さで、空気は揺らめいて見えた。
 だからだろうか、ここラスガス山脈に足を踏み入れた時から見えていた水流に水を汲みに来て、道を間違えてしまったのは。

 銀河連邦で少尉の位に就くクロードは、皮袋を握り締めたまま突き当たった行き止まりで溜息を付いた。


 サルバ坑道で出会った双剣の剣士、アシュトン・アンカースに押し切られる形で行うこととなった憑き物落としの第二目的地。
 早朝クロスを出発してから歩き詰め。過酷な山道を登り始めてそう経たずに昼が来たので、休憩も兼ねて昼食を取ることになった。
 いつもなら持ち歩いている完成品を食べるのだが、折角水があるんだし、ということで、調理して出来立てを食べることとあいなったのである。

 調理係はアシュトンとレナ。アシュトンは男だが独り身が長かった為か、レナと匹敵する程の、ひょっとしたらそれ以上の腕を持っている。

 女性だがトレジャーハントに命をかけるセリーヌは、調理より紋章術の方が得意らしい。食事を作れなくても野営の時火を点けたりと、何気に細々とした方面で特技を生かすことが多い。

 クロードはこのパーティーでリーダー役をあてがわれている。
 最終的に大まかな行動の指針を決めるのは彼の役目。
 他にも木の枝を集めに行ったり、体を使う仕事は率先して引き受けている。
 今回も女性であるセリーヌを気遣って、クロード自ら水の補給役をかって出た。

 そこまではよかった。
 彼等が煮炊きをする場所から川は近いように見えたので、クロードは視覚を頼りに進めば問題ないと考えた。

 誤算はすぐ発覚する。
 整備された登山道から外れてしまえば、そこにはもう道などない。
 入り組む岩。大きな物は視界を遮り、半端な背丈の物は道を塞ぐ。体を横にして岩同士の隙間を通れるならまだ良い方、最初は広く開いているのに最後は腕しか抜けられないような狭まり方をしている場所もあった。
 岩肌が反射する光に満足に目を開けられない状態を強いられ、静止していても汗が滴る外気に常より頭がぼうっとすることも手伝って、クロードは見積もった時間を大分オーバーし、ようやっと目的地に辿り着いた。


 さらさらと耳をくすぐる流水音。
 濃い水の匂い。
 歩を進めていると、ふと石柱の壁が途切れた。
 あいた空間を覗き込むと、捜し求めた川が姿を現したのでクロードは深く安堵の息をつく。
 川というより水の通り道と表現したくなるほど細い量だが、補給には問題無さそうだ。
 ここまで来るのにどれだけ時間を要しただろう、すぐに戻ってくるという範囲で無いことは確かだ。きっと皆心配している。早く水を汲んで戻ろう。通った道は全て覚えているから、帰りは来た時よりも時間をかけずに戻れるはずだ。

 つらつらと考えながら皮袋の栓を抜き、苔むした岩肌に膝を付く。
 苔が蓄えた水分が布地を通して膝を塗らす感覚を感じながら、澄んだ川に袋の口を付ける。

 ふ、と、光が遮られた。
 手元と視界が暗くなる。
 雲が太陽の下にかかったのかと思ったが、影はクロードだけを覆っているようだった。
 人の形をしていた。

 飛び退いた。
 皮袋を投げ出すのとは逆の手で剣を引き抜き、影に戦闘態勢を取る。

 魔物と遭遇したのだと思って構えたクロードの正面にはしかし、パイルシェリーともコボルトキングとも違う姿があった。

 相手は川の対岸に佇んでいた。
 顔は見えない。
 全身を覆う深緑のローブは風化した砂のようにかすれた色合いをしている。
 被ったフードで目元が隠れている為表情は読めない。
 口元は晒されているようだが、クロードには逆光で見えなかった。
 かろうじて体格だけわかる。
 細身の男のようだった。

 人。
 おそらく、旅人。

 少なくともクロードにはそのように見えたので、彼は慌てて武装を解いた。

「すっ、すみません!魔物かと思って…」

 旅人が他者との突発的な遭遇の際に武器を構える・構えられるということは少なくない。
 昔から野盗はいたし、魔物が凶暴化した昨今では更に珍しくなくなった。
 普通ならこういう構図になる。

 しかし今目の前に立つローブの男はクロードが構えてから謝るまで、微動だにしなかった。
 クロードも無反応にはどうしたらいいのかわからない。
 剣を持つ手を下ろしたまま、どうしよう、と内心困り果てる。

 さらさら、と水の音。

 ローブの男は動かない。
 クロードも動けない。

 沈黙を破ったのは、耐えかねたクロードの方だった。

「あの」

 発した瞬間、男に動きがあった。
 息を吸い込む音が耳に届く。
 喋る直前の動作だ。

「クロードーっ」

 聞こえたのは、仲間の声だった。

「アシュトン?」

 振り返ると、クロードが来た道とはまた違う方向からこちらに向かってくるアシュトンの姿があった。
 彼は遠方から岩の間を縫うようにこちらへやってくる。

「どうしたのさー、皆心配してるよー」

「ごめんごめん、ちょっと迷っちゃってさ」

「クロード、君って案外抜けてるとこあるよね」

「アシュトンに言われたくない」

「え、それってどういうこと。ん?あれ皮袋は」

 この時点でようやっとクロードは、自分とアシュトンの他に人が居たことを思い出した。
 慌てて正面を向くと、そこにもう人影はない。
 熱せられた空気に遠い景色が揺らめくばかりで、ローブの男は影と霞と消えている。

 クロードは首を傾げた。
 アシュトンとの短い会話の間に彼は何処かへ行ったのだろうか。
 対岸は均されたような平たい岩の地面が続いており、少し先は崖になっている。
 崖のふちは緩い曲線を書いて、石柱は左右どちらともかなりの距離を置いてしか立っていない。
 近場に隠れる場所などありはしないし、下は足音のしやすい岩の地面だ。悟られることなくこの場を去ることは不可能に思える。
 崖のように見えて崖ではないかもしれないと川を跨いで対岸へ渡ってみたが、クロードが覗き込んだ途切れた地面の下は直角に近い崖だった。

 ぐるりと辺りを見回す。
 人影は何処にも無い。

「クロード、本当にどうしたのさ。魔物でもいた?」

 アシュトンは投げ出された皮袋を拾いあげた後クロードの隣まで来て彼の不可解な挙動について問うたが、返事がすぐに返されることはなかった。
 答える側も今会った相手が人なのか魔物なのか、暑さが見せた幻なのかわからなかったからだ。


 結局人影は見つからなかった。
 クロードは道すがらアシュトンに今あった出来事を話し、女性陣のもとに戻って心配の大分入り混じった怒りと呆れの言葉を受けた。
 予定より遅くなった昼食を食べながら、二人にも不思議な遭遇劇を話す。

「蜃気楼じゃありませんこと?」

 卵サンドを銜えたままセリーヌが喋る。
 彼女はお嬢様のような口調で喋り持つ雰囲気もそうだが、トレジャーハンターでもあるので多少の行儀の悪さなら気にしない。
 野宿のときは時を選ばず魔物が襲ってくるので、食事中に戦闘になることもある。
 旅をしていれば自然と完全な食事のマナーというものは失われていくのかもしれない。

「多分違うと思う。凄くはっきりしてたし、初めに彼に気付いたのは影が差したからなんだ」

「でもアシュトンは人影なんて見なかったんでしょ?」

「そうなんだけど、クロードを見付けたらその周りなんかよく見ないですぐ呼びかけたし、その後走り寄ったときも剣は出してたけど戦ってる様子もなかったから、周りには注意してなかったんだ。正直自信ないよ」

「んもう、頼りになりませんわね」

 じろりとセリーヌがアシュトンに睨むような視線を向けるが、彼女は別にアシュトンに悪感情があるわけではない。
 この女紋章術師は男が優柔不断な態度を取ると厳しい所がある。

「ギョロとウルルンはどう?」

 レナが双龍に水を向けるが、答えたのは憑かれた方だった。

「帰り道で訊いたけど、魔物がいないかどうか他の場所を見てたからわからないんだって」

「結局見たのはクロードだけってことですわね」

「幻じゃないなら、魔物か旅人か野盗ってことかな」

「魔物か旅人か野盗、かあ」

 南瓜のコロッケを齧りつつ、クロードは記憶を反芻する。
 確かに野外で人に会うならこの三択だが、記憶の人物は野盗というには雰囲気が違うような気がした。
 暴力で人を襲う者には独特の空気のようなものがあるし、彼らは獲物を値踏みする。
 男がこちらに寄越した視線には、そういった価値を推し量ろうとする邪なものや俗世的な欲は感じなかった。

「野盗じゃない思うんだよな。そんな風に見えなかった」

「甘いですわよクロード。世の中には悪人に見えない悪人なんてごまんといますわ。先に人の良さそうな仲間を接触させて、隙を作らせて一斉に襲い掛かる。なんて常套手段ですのよ」

 ちっちっとセリーヌが指を振る。
 クロードは苦く笑った。

「でも話しかけられもしなかったんだよね」

「うん。セリーヌさんが言うような相手ならなんらかの接触があると思うけど、それも無かったんだ」

「じゃあ魔物か旅人ってこと?でもこの大陸に緑のローブの魔物なんていたっけ?」

 人型の魔物というのは実は珍しくない。
 コボルトのようにシルエットだけなら人に近いものから、マギウスやチンケシーフのように人にしか見えないものもいる。
 彼らが魔物と定義されるのは、人と見れば例外無く襲い掛かってくる特性と、どの個体も寸分狂いなく同じ外見・能力を持つという特徴、文明を持たず野に生息するといった生態からだ。

 クロードが遭遇したという人影を魔物の基準に当てはめるなら、まず襲われなかったということが不可解だ。
 長くクロス大陸を旅しているが、同一の外見の魔物に遭遇したことはない。
 ラスガス山脈に入ってからあまり時間が経っていないので、この場にのみ出現する魔物という可能性も残されているが、やはり襲ってこなかったという点が解せない。

 クロードが、ここでふと思い出した。

「そういえば、彼、何か喋ろうとしてたっけ」

「え、喋ったんですの」

「いや、実際は喋らなかったんですけど、喋ろうとしたんです。彼が喋る前にアシュトンから声がかかったから聞かなかったんですけど」

「喋る魔物なんているのかな。ソーサリーグローブが落ちる前からいるギョロとウルルンだって喋らないのに」

「フギャ」「ギャフギャフ」

「いるけど、凄く少ないって。よっぽど高位で知能が高くて、人と頻繁に接触してたような魔物じゃないと無理だってさ。ギョロとウルルンも、片手で足りるくらいしか知らないみたい。全部ソーサリーグローブが落ちる前の魔物らしいよ」

 アシュトンという男は背中の龍の通訳としての位置がすっかり定着してしまっている。

「じゃあやっぱり旅人かしら」

「それが一番可能性は高いんじゃないかな」

「一人でここに来るなんて相当腕に自信があるんだろうね。もしかして、その人も魔鳥の涙を狙ってるんじゃ…どうしよう!」

「まだそうと決まったわけじゃないって」

「話そうとしていたのでしたら、野盗の線は捨て切れませんわよ。アシュトン」

 クロードとセリーヌに続いて、背中の龍もフギャフギャとアシュトンを宥めているようだった。
 祓う側と祓われる側の一人と二匹は妙に仲が良く、パーティーでも疑問に思う者はいない。

「まあ、魔物か野盗なら襲ってきても返り討ちにしてやればいいだけのことですし、旅人でしたらそう害はないんじゃないかしら。でも、アシュトンの言う通り魔鳥の涙が狙いならやっかいですわね。先を越されない為にも早めに出発しましょう」

 セリーヌの一言を最後に、不思議な人影の話題は終わった。
 適当に雑談をしながら残り少ない昼食を片付け、短い時間胃を落ち着けてから、四人は登山を再会した。


 平らな石で出来た急な坂道が途絶え、先頭を歩くクロードは足を止めた。
 道そのものは一本で距離もそう長くなかったが、その末にこのようなものがあるとは。

 四人全員で空を仰ぐ。
 正確には、空にほぼ垂直に伸びる岩を仰ぐ。

 多様な凹凸がありわずかに傾斜も付いているので無理をすれば登れそうだが、これ登るの?と思わず誰かに訊いてしまいそうなほどの高さだ。
 つい訊こうとして後ろを振り向いたクロードが見たものは、岩の天辺であろう辺りに目を向けうんざりしている三人の顔だった。

 一応クロードは三百六十度見回してみたが、目前の岩以外先に進めそうな場所はない。
 進む、というより這い登る、のだろうが。

「これ、登るんですの」

「他に行けそうな道なんてないし、そうじゃないかな。道じゃないけど」

 セリーヌは登る前から声に若干の疲れが見られる。
 ただでさえ女性なのに、露出の多さを考慮すると彼女が一番大変かもしれない。

 言っていることに積極性はあるが、声色に積極性が無いのはクロードだった。
 クロードは登りたがっていないが、ここまで来たんだし行かなきゃ駄目だよね、という思考もある。

「まあ相手は鳥だし、こんな岩のてっぺんにいてもおかしくない、よね」

 レナもちょっと引いている。
 アシュトンが三人の間に微妙に流れ出した「やめとかない?」という空気を察して慌て始めた。

「ちょっとちょっと、ここまで来たのに祓い落さないなんて言わないでよ!ちゃんと責任とってよね!」

「わかってるわかってるって。じゃあ、僕が最初に登って危ない箇所が無いか確かめます。アシュトンは僕の次に登りますから、レナとセリーヌさんは最後に来てください。登りづらい箇所があったら、アシュトンが引っ張りあげます」

「え、僕?」

「当然だろ。ギョロとウルルンがいるんだから。二匹に体を支えて貰うか、レナとセリーヌさんを引き上げて貰うかすれば安全じゃないか」

「クロードってギョロとウルルンを僕の一部だと思ってない?」

「はははそんなことないって。じゃあ行くよ」

 アシュトンとのじゃれ合いをとっとと切り上げて、クロードはぐいぐいと登り始める。
 実際にやってみれば足をかける場所も手をかける場所も豊富にあって、登る前の印象よりずっと楽だ。
 いくばくも行かないうちに踊り場のような休憩ポイントもあり、これは意外に容易かもしれない、と息をつく。

 二つ目の踊り場に立って下を覗くと、一人と二匹は言われた通り女性陣のサポートをしていた。
 といっても、二人ともそれほど難儀はしていないようで、セリーヌはアシュトンと同じく一つ目の踊り場に辿り着いている。
 アシュトンも今登っている最中のレナが助けを必要とするか、様子を窺っているだけのようだ。
 今なら集中を乱すことにはならないと判断し、クロードは声をかける。

「アシュトン、今居る場所から少し登った所にも」

 踊り場がある、と続くはずだった言葉は、突然の爆音に遮られた。
 閃光、衝撃。
 びりびりと岩が振動して、レナが小さく悲鳴を上げる。
 アシュトンが咄嗟に身をのり出してすぐそこにあったレナの手首を掴み、ギョロとウルルンが宿主が落ちないよう近くの岩に齧りついた。
 セリーヌは咄嗟にしゃがんで壁際に寄る。
 クロードも下を向いていたのでバランスを崩しかけたが、落ちることは無かった。

 遅れて、バラバラと落下物が降って来た。
 岩や木の破片など。
 大体は遠くに落ちたし大きいものも稀だったが、視界の端を人と同じくらいの丸太がかすってぞっとする。

 何が、と仰ぎ見たクロードの目に、タイミング良く石柱の最上部で起こった爆発のようなものが見えた。
 爆発、と断言出来ないのは、爆ぜた光が緑色をしていたからだ。
 すぐにもう一度振動と轟音が来たが、先ほどよりはまだ大人しく、岩肌に縋りつかなければ落ちてしまいそうな程ではない。
 落下物も一回目と違い、量も大きさも飛距離も小さい。

「一体何!?」

 レナの声がした。
 一番危なそうな位置にいたレナが無事なことに、クロードは頂上から目を離さないままほっとする。

「何か、上で」

 アシュトンの返事に被せるように、バサリ、と今度は鳥の羽ばたく音がする。
 すう、と四人を撫でるように過ぎた影は、大きな翼の形をしていた。

「上で誰か戦ってる!急ごう!」

 その結論に至ったクロードは、ひっしと上に続く岩肌に縋りついた。

 このパーティーは何故か目の前に危ないことがあると首を突っ込みたがる傾向がある。
 そして誰がそういう行動を取っても、大抵突っ込みが入らず残り全員で後続する。
 今回も例に漏れなかった。
 もう一度最初と同じ規模の爆発が起こったらどうするんだ、と誰も言い出さないことと、そのことに疑問を感じる人間が居ない時点で、このパーティーに突っ込みがいないことが窺い知れる。

 クロードは大急ぎで岩を登った。
 道中も落雷の音や何かが岩に打ちつけられるような音がし続けたが、岩登りの妨げになる振動がほとんど無かったことは幸いだった。
 大した時間もかからずに、クロードは頂上の縁に手をかけることが出来た。

 両手に体重をかけて全身を引っ張りあげる。
 顔を出した場所は、大きくひらけていた。

 奥には人より大きな雛が入りそうな鳥の巣があるが、端が巨大な何かで抉られたように欠けている。
 巣とクロードの間には何も無く空間があいているが、今そこはまさに戦いの場となっていた。

 見たこともないような怪鳥だった。
 白と紫と橙に彩られた体は大きい。
 広げられた翼は片方だけでもクロードよりも長さがあり、佇まいも王者の名を冠するに相応しい堂々たる姿形。
 あちこちに裂傷がはしり血を滴らせているにもかかわらず、翼をゆるく上下させて空中に静止する様は、今まで見たどの鳥よりも人を威圧する凄みがある。

 一目で格が高いと知れる魔鳥と向き合うのは、相手と比べてちっぽけともとれる存在だった。
 全身を長い時に晒したようなローブで覆った人影。
 今見える唯一の部位は、登っている最中に見た閃光と同じ色の光球を浮かべる白い手のみ。

 川で会ったあの男だった。

「さっきの!」

 無意識に発したクロードの言葉で、初めて男は第三者の存在に気付いたようだった。
 光球はそのままに、フードで隠れた顔がはっと声のした方を向く。

 布の影に隠れた目とクロードの目がほんの一瞬、絡み、

 そしてその姿勢のままで、男はこんなあからさまな隙を見逃すほど甘くない魔鳥の体当たりを受け、重さを感じさせないほど軽々と吹っ飛んで石柱の頂上から消えた。

「―――――――――――ッ~~~~~~~~~~~~~~!?」

 クロードは声も出なかった。

 男が落ちたのは登ってきた方向とは真逆。
 あちらはラスガス山脈を縦に割ったような絶壁の崖であったはずだ。
 自分が声をかけたせいで人が崖に落ちた、とか、落ちた先がどう考えても助からない、とか、様々な考えが脳をぐるぐると回る。
 取り返しの付かない事態だ。
 硬直から復活したクロードはとにもかくにも男の落ちた先を覗こうと走り出し、大きな羽ばたき音と風圧を感じてその場から飛び退いた。
 今まで立っていた地面が巨大な嘴に抉られる。
 攻撃を当て損ねた怪鳥が、鋭い猛禽の目でクロードを睨んだ。

『貴様、奴の仲間か』

 低い、貫禄のある声だった。
 声帯の中で反響して折り重なる音は、人にあらざる響き。
 魔鳥は道中話題に出た喋る魔物らしい、と、クロードは僅かに驚嘆する。

『まあいい。誰であろうと人は滅すのみ。我が棲みかを荒らしに来た愚行を後悔しながら死んでゆけ!』

 喋り終えた後、魔鳥は高々と鳴いた。
 びりびりと肌を震わす刺激は鳥類の声だけではない。
 怒りに圧縮された殺気がクロード一人に向けられる。

(クソっ、駄目だ。崖を覗き込んでる暇なんかない)

 そんなことをすれば命がない。
 クロードは剣を構えて全身を緊張させた。
 まずこの魔鳥をなんとかしないとどうしようもない。
 そもそも自分一人では五分に渡り合うどころかあまり持ちそうもない、と、対峙する敵に集中しながら、後続の三人が一秒でも早く来ることを祈った。


 セリーヌのエナジーアローがジーネに突き刺さった瞬間、魔鳥は甲高く鳴いて地に伏した。

 クロードとアシュトンが、剣を地に突き刺して崩れ落ちそうになる体を支える。
 四人の息は荒い。
 全員ぼろぼろだった。
 レナの回復魔法が無ければ、全滅していたに違いない。
 周囲の岩も割れたり抉れたりと、戦闘の激しさを物語っている。

『何故だ…』

 ジーネが呻いた。
 声は一番初めに聞いた時の力強さを失い、どれほどこの鳥が弱っているかを物語っている。

『何故、人間などにとり憑いた。人は弱い。それでいて恐れを知らぬ。容易に我らも同族も傷つける。自らの所業に罪悪感を持たず、無限の欲望に任せて行動する。誇り高き魔物であるお前が、何故そんな人間ごときにとり憑くのだ』

「ジーネ、お前の言う通り人間は弱い生き物かもしれぬ。しかし同時に強い生き物だ。わかっただろう。人は弱いからこそ他者と力を合わせて立ち向かう術を知っている。孤独の中にあった我々には持ち得ない強さだ。時代は流れた。これからは我々の時代ではない。お前も感じているだろう、我らの強さではやがて時に飲み込まれてしまうことを。生き続ける為にも、新しい生き方を模索する時が来たのだ」

 すらすらと話すのはアシュトンだが、今はギョロとウルルンが彼の意識を乗っ取っている。
 アシュトンが戦いの場に辿り着いてから、意識はずっと双龍のものであった。
 この戦いの勝利は、魔物と人の共闘による勝利である。

 それに、と、傷だらけの人間の体で龍が笑った。

「信頼するというものは、良いものだぞ」

 魔鳥は押し黙った。
 これ以上旧知を説得できぬと思ったのか、続ける言葉が見つからないのか、鳥はその目を双剣士に向けたまま数呼吸分の間を置いて、傷ついた翼を緩慢に羽ばたかせはじめた。
 ゆっくりと鳥の体が持ち上がる。

『ふん、魔物の誇りを失った貴様など二度と見たくもない。立ち去れ。森でも人里でも、好きな場所で暮らすがいい』

 それがクロード達が聞いたジーネの最後の言葉になった。
 魔鳥は太陽に向かって飛んで行き、すぐ光に紛れて姿を見ることは出来なくなる。

 目を細めて見上げるクロードたちの目に、太陽ともジーネとも違う、きらきらと光を反射するものが落ちてくるのが映った。

 咄嗟に聖杯を出せたのは奇跡に近い。
 大慌てで差し出した杯に、落ちてきた水が跳ねる。

「これが、魔鳥の涙か」

 覗きこんだ中身は澄んでいた。

「ジーネも本当は、寂しかったんじゃないかな」

 ぽつりとレナがこぼした言葉に、場には悼むような沈黙が流れた。
 そうかもしれない。
 今しがた戦った敵にはせる思いは突然の大声で破られた。

「危ないクロード!魔鳥め僕が相手、だ……あれ?魔鳥は?」

 アシュトンがやる気満々といった風情で双剣を構えた後、巨大な鳥の姿を探してきょろきょろと辺りを見回す。
 ギョロとウルルンに乗っ取られていた間の記憶が無いらしい。
 乗っ取られた側にはなんら責任のないことだが、鎮痛な空気が破壊されて一同は微妙な視線をアシュトンに送る。

「あれー。皆魔鳥は?なんでぼろぼろなの?」

「いや、なんていうか、その、」

「あなた今までギョロとウルルンに乗っ取られたまま戦ってたんですの。魔鳥ならもう倒しましたわよ」

「え!」

「証拠、ありましてよ。魔鳥の涙は手に入れましたわ。ほらクロード」

 促され、クロードはアシュトンに涙の満ちた聖杯を手渡した。

「ほらアシュトン」

 手渡されたアシュトンはじっと聖杯を見つめ、そっか、これが、と呟く。
 顔に喜色がないのを見てとって、レナが問いかける。

「ねえ、アシュトン。本当にギョロとウルルンを祓い落すの?なんだか、全然嬉しそうじゃないよ」

 ぴくりとアシュトンの肩が震えた。

「さっきジーネと話してたとき、ギョロとウルルンが言ってた。信頼するというものは良いものだぞ、って。」

 アシュトンの顔は俯いて見えない。
 ただ手によりいっそう力が入ったのがわかった。
 心配そうに双龍が顔を覗き込む。

「私、ギョロとウルルンはアシュトンのこと好きなんだと思う。ふたりの口から聞かなくても、見てればわかるもの。ねえアシュトン。アシュトンは嫌いなの?好きじゃないの?本当に、本当にそれでいいの?」

 沈黙の果てに、わかってる、と呟いた小さな声は、音の無い山の上だからとてもはっきりと耳に届いた。

 アシュトンが振り払うように腕を振るって聖杯を投げ出した。
 硬い岩に当たって、銀の金属が高い音をたてる。

「わかってるよそんなこと!ギョロとウルルンが僕を好いてくれてることなんて、僕がこいつらを祓い落せるわけがないって、痛いくらいわかってたさ!僕は二人を死なせたいわけじゃないんだ!でも、だって、僕、僕が皆と一緒にいられるのは、祓い落してもらうためだから、それが無かったら、もう皆と仲間じゃいられないと思ったんだ。怖かったんだよ、皆嫌々仲間になってるんじゃないかって。だから」

 そこまで言ってアシュトンはまた俯いた。
 一気に言いきったせいで、肩で息をしている。

 ふ、とセリーヌが溜息をついた。
 びくりと過剰なまでにアシュトンが反応する。
 呆れられたとでも思ったのだろう。

「ばっかじゃないですの」

 アシュトンが顔を上げた。
 涙目になっている。

「そ、そうだよね。僕、皆に迷惑かけて振り回して。ホント、ごめ」

「全っ然違いますわ。御祓いなんか無くても、アシュトンはとっくに仲間ですのに。一人で勘違いして突っ走ってるのが馬鹿みたいだって言ってますの」

「……………へ?」

 レナがくすくすと笑う。

「セリーヌさんの言う通り、アシュトンはもうとっくに仲間よ。これからも一緒に旅を続けてくれるんでしょ?勿論、ギョロとウルルンも」

「皆…」

 アシュトンの顔が晴れていく。
 ギャフーフギャーと双方の龍もじゃれつくように宿主に顔を寄せた。

「わっ、わわ。二人とも、くすぐったいよ」

 皆笑顔だ。
 クロードはアシュトンに歩み寄り、手を差し出した。

「これからもよろしくな、アシュトン」

「う、うん。クロード、皆、これからもよろしくお願いします」

 アシュトンが恐る恐るといった様子で、しかし確かにクロードの手を握り返す。
 そんな男性陣の様子を女性二人は慈しむような眼差しで見守った。

「はは、なんだか改めてこうするのって、ちょっと恥ずかしいな」

「うん。そうだね」

「いいじゃない、一件落着ね。そういえば皆まだ怪我してるわね。待ってて今回復するから」

 レナが呪文を唱え始めた。
 そういえば本当にぼろぼろだな、と、クロードは自分の体を眺める。
 周囲の岩も抉れてしまっているし、本当に今回の敵は手ごわかった。最後はこういう結果になって良かったけど、最初なんて一人だったからろくに立ち回れもしなかった。避けるのと防ぐのに精一杯で。あれ、そもそもどうして最初に一人だったんだっけ。ああそうそう他の三人が来る前にジーネが襲ってきたんだっけか。すっごく怒ってたもんな。きっと先に来た人に傷付けられて、気がたってたん

 クロードの頭に人が吹っ飛ばされる映像がフラッシュバックした。

「人っ!!!」

 突然の意味不明の叫びに三人がびくっとする。
 クロードは顔面蒼白になって巣のある方へ走り出した。

「ど、どうしたのクロード」

「人っ、人が落ちた!先にジーネと戦ってた人があっちの崖から落ちたんだ!」

「えっ!?」

「そういえば最初に誰か戦っている風でしたわね、すっかり忘れてましたわ」

「昼に話したローブの人がここに着いた時戦ってたんですけど、うっかり声をかけちゃったんです!こっちを向いた時にジーネに向こうに吹っ飛ばされたのを、戦うのに夢中で忘れてた!」

 進行方向に陣取る巣を登ろうとしてクロードは右往左往しているが、今の所登れそうな箇所はない。
 手や足をかける部分はあるが、組木が安定していないのですぐにバランスが崩れるのだ。
 とうとうクロードは木を一本一本引き抜きはじめた。
 といっても大木を丸ごと使っていたりもするし、組み方が複雑なので巣をまともに解体しようとすれば日が暮れるだろう。
 今も抜こうとした木が引っ掛かって動かなくなった。

 半分パニックに陥っているクロードの後ろで、他の三人は青ざめている。

「クロードが行こうとしてる方、崖じゃなかった?」

 アシュトンが呟いた。
 冷や汗を流しているように見えるのは多分気のせいではない。

「普通の人間でしたら、まず生きてはいないでしょうね」

 返すセリーヌは冷静そうに見えて表情が引き攣っている。

「私たちが戦い始めてから、結構時間経ったよね?」

 レナの顔色は他の二人より悪い。
 戦闘時とはまったく違った、嫌な緊張が場に溢れる。

 人を殺したかもしれない────!

 ごくり、と唾を飲んだのは誰だったか。



「自分のせいだと思っているのなら、是非責任を取ってもらいたいところだな」

 振ってきた声はクロードでもアシュトンでもレナでもセリーヌでも、ましてやジーネでもなかった。
 男性にしてはいくらか高いように聞こえて、涼やかさが心地よく耳朶を打つ声が、どこからともなく、しかし皆にはっきりと聞こえる確かさで響いた。

 彼は、空から降りてきた。

 羽音も立てず、ただ無音で。
 靴底が地に触れる音すらさせずに。

 強い昼の光に照らされた男は、冗談のように目立つ容姿をしていた。

 髪は銀。
 肌も白く、晒す彼の体の中では瞳だけが赤い。
 人が白いというだけでここまで派手になるのは驚きだ。
 全体としてのイメージが白にならないのは、黒を基調とした術師用のローブを着用しているからだろう。
 彼の片手には、クロードが二度見た深緑のローブが一枚の布としてはためいている。
 きちんとまとまった印象を受ける姿の中で、そのローブだけがちぐはぐで場違いに見えた。

 ゆっくりと男の赤い瞳が自分を向いても、クロードは微動だに出来なかった。


「魔、物…」

 レナの声は掠れていた。

 そう、魔物だ。

 素顔を晒して街を歩けば面白いほど注目を集めそうな容姿をしているが、それ自体は問題にはならない。
 目の前の彼にはもっととんでもない特徴があった。

 まず、耳が尖っている。
 髪の間から細く長く伸びる耳は、エクスペルの人間とは明らかに異なっていた。

 それだけなら、一応レナという例もある。
 魔物であるとの決定打にはならないかもしれないが、もう一つは百人中百人が人外と答える特徴だろう。

 背に、羽が生えているのだ。

 羽は男よりも大きく、見たことも無い形をしていた。
 軽く折れ曲がる赤い光の線。
 時に枝分かれしているそれは、半透明かつ常にゆらめいて一定の形を保たない。
 蜃気楼か立体映像のようだ。
 羽なのか翅なのかさえ判別がつかない。

 どう見ても魔物だった。

 人の言葉を喋っている時点で、ギョロとウルルンが言っていたよっぽど高位で知能が高くてソーサリーグローブが落ちる前から存在する人と頻繁に接触してたような魔物の可能性が高い。

 その事実に行き当たって、クロードは男に視線を固定したまま剣の柄に手を置いた。
 握らなかったのは、魔物がこちらを向いているからだ。
 彼はレナ達三人を背にしている。

 クロードの動きを察した仲間も、魔物にばれない程度に軽く武器を構える。

 彼は気付いているのかいないのか、自然体で立ったままだ。

「聞こえているか?私が崖に落ちたことを己の過失だと思っているのであれば、責任を取れと言ったのだが」

 あれ何か最近こんなことなかったっけ。
 クロードは頭の片隅でそう思ったが、神経の大部分を目の前の魔物への警戒に割いているため深く考えることが出来なかった。

「責任って、貴方、死んでないじゃありませんの」

 セリーヌの声はかなり緊張していた。
 未知の相手、場が緊迫しているのに臨戦態勢をとる気配すらないのは、初めから戦う気が無いのか相手にもならないと思われているのか量りかねる。
 若い青年の姿をした魔物から、静かで妙な威圧感を感じることも原因の一つだろう。

「死んだことに責任を取れと言ったのではない。私は魔鳥の涙に用があった。途中でそこの人間に邪魔されてとり損ねたが。結局貴様らに横取りされ、挙句、魔鳥の涙は捨てられたようだな」

 魔物の視線は聖杯から零れ落ちて地にぶちまけられた液体に向いた。
 土ではないから水分が地に染み込んでこそいないものの、砂や木片が大量に混じり濁っている。
 もう使えそうにない。

「もう一度魔鳥の涙を手に入れろってこと?」

 難しいだろう。
 ジーネは去り際に二度と見たくない、と言っている。
 暗にもう会わないと宣言されたようなものだ。
 ただでさえ飛ぶ鳥を地に行く人が追い掛けるのは厳しい。飛び去る方向を見ていないなら尚のこと。遮蔽物の無い空に、目的の相手と思われる影は見えない。
 入手がかなりの難題であることは、魔物も理解しているらしかった。

「能力の無いものに出来ない課題を押し付けはしない。それと代わるものを渡してもらえば問題はない」

「代わるもの?それってどんなもの?」

「同等の神秘を期待できるもの、だ」

「同等の神秘?同じ格のマジックアイテムってことかしら。でしたらそこに転がっている聖杯を持っていってくださってかまいませんわよ。私たちにはもう必要ありませんから」

 魔物は鼻で笑った。

「あれは私の求めるものとは違う。役に立たん」

「何ですのそれ。同等の神秘を期待できるものって今貴方が言ったんじゃありませんこと!?」

「えーっと話をまとめると、魔鳥と涙と同じくらい凄くて貴方の役に立ちそうなものってことですよね」

 いきり立つセリーヌの前に無理矢理出る形でアシュトンがわって入る。
 ジーネとの戦いで疲弊している今、流れで戦闘になってはたまらない。
 どうしても必要なものでなかったら彼に渡して、是非穏便にお引取り願いたい。

「僕たち、貴方にとって何が役に立つのかよくわからないんですけど」

「そうだな、まあ話しても問題あるまい。私は今弱体化していてな、他者の手によるものだが、この状態を回復する手段を探している。たまたま知った魔鳥の涙が現状を打破する道具になりはしないかと望みを持って足を運んでみたが、手に入れることは叶わなかった」

 そこの人間のせいでな、と睨まれて、クロードは身を竦ませた。
 彼が盛大にふっとんだ原因は自分にあるので、罪悪感がある。

「弱体化って、そんな術ありましたかしら」

 セリーヌは首を捻る。
 サイレンスやアシッドレインは敵を弱体化させる呪文と言えなくもないが、そんなもの時間が経てば勝手に効果が切れるし、戦闘が終了してしまえば解除される。
 わざわざアイテムを使ってまで無効化を試みているのなら、永続性のものと考えられるが、紋章術の知識に自信のある彼女でもそんな術に心当たりが無かった。

「私を貶めたのは人間ではない。同族だ」

「そんなこと出来る魔物がいるのか」

 魔物の中には固有技を使う相手が多い。
 大変高度な術と思われるが、高位で知能が高くて長生きの魔物なら使えてもおかしくはない。

「ようは元の力を取り戻せればいい。アイテムでも方法でも、可能性のあるものをこちらへ寄越せ」

 そうはいっても、クロード達のアイテムの中にそんな効力がありそうなもの存在しないし、方法だって覚えが無い。

「まあ今所持していないというのなら、これから探しても構わん」

 クロード達の表情から芳しい答えが出ないとわかったのだろう。
 確かにこれから探すのであれば可能かもしれない。
 しかし、一行はソーサリーグローブの調査という本来の目的から大幅に外れ、龍の祓い落としに時間をかけてしまった後だ。
 ただでさえクリクを使えずラクール大陸を経由しなければならないし、マーズでも子供の誘拐事件に時間を割いている。
 正直、これ以上本筋と関わらない事象に足止めされるのは遠慮したかった。

 だが包み隠さず話したとして、彼の怒りを買わずに済むだろうか。
 無理な気がする。

「冗談じゃありませんわ」

 レナとクロードとアシュトンはぎょっとしてセリーヌを見た。
 彼女は腕を組み苛立ちを露に魔物を睨んでいる。

「わたくし達、生き物の凶暴化に困る人々の為、ソーサリーグローブの調査をしに行くという崇高な使命があるんですの。貴方の用事に当てる時間なんかこれっぽっちもありませんわ。わかったらお引取りくださらない?」

 セリーヌの言葉は一行の言いたい事そのままだったが、相手の気分を損ねかねない突き放した言い方だった。
 魔物の不遜な態度にとうとう耐えかねたらしい。
 彼女らしいといえば彼女らしいが、ここまで穏便に運んだのが水の泡だ。
 なんてこった、と戦闘突入を予測したクロードは剣の柄を握ったが、魔物は予想に反する反応を見せた。

「ソーサリーグローブ?」

 初めて魔物が嘲り以外の表情を見せた。
 意外な場所で意外なこと聞いたように、訝しげに眉を顰めてる。

「知ってるの?」

 アシュトンも意外そうにしたが、こちらは純粋な驚きの方が強い。
 ソーサリーグローブという呼称は人間の中で使用されるもので、魔物の間では浸透していない。
 彼と共にある双龍も、最初はソーサリーグローブという単語が何を指しているのかわからなかった。

「ああ、知っている。そうだな、魔鳥の涙の代わりは用意しなくてもいいぞ」

「え、本当に?」

 こうもあっさり引いてくれると思わなかったクロードは、驚くと同時に拍子抜けした。
 ソーサリーグローブの調査の為に身を引くなんて、もしかしていい人(魔物)なのだろうか。

 クロードは知らない。
 目的を口にしたことで、事態がより大変なほうへ転がったことを。

 そして爆弾は落された。


「二言は無い。その代わり私を調査に同行させろ」


「「「「………ええっ!?」」」」」


 ハモった。
 驚きすぎて声が出なかった分の間までダブった。
 何を言っているんだコイツは。
 ツッコミどころが有り過ぎて何処からつっこんでいいのかわからない。
 とりあえず各自一番気になる部分からつっこんだ。

「魔物が人間と旅だなんて聞いたことない!」
「ソーサリーグローブで弱体化解除できると思ってるんですの!?」
「魔物がソーサリーグローブの調査なんてしてどうするんだ!?」
「ついて来る気なの!?魔物が一緒なんて怖すぎるよ!」
「アシュトンそれ君にだけは言われたくないと思う!」
「どういう意味クロード!」

 まくし立てられた相手はぐるりと一同を見回し、顎に軽く手を置いて考える仕草をする。

「訳もわからないまま承諾しろというのも虫のいい話か。いいだろう、説明してやる」

 無駄に尊大だが、この魔物、何故かそういった態度がしっくりくる。
 見下す様が堂に入っているのだ。

「私は元々エル大陸に少数の同族と住んでいたが、その中で一番強い力を有するリーダー格が、ソーサリーグローブが落ちたあたりから段々と以前とは違う様子を見せるようになったのだ。
 露骨に挙動不審だったわけではないからあまり気に留めなかったのだが、ある日 突然、あれは私の力を奪った。
 その上殺そうとしてきてな。
 なんとかその場を逃げ出したが、私はどうしてもあそこに帰らねばならないのだ。
 だがこのまま戻ってもあれに殺されるだけだろう。
 第一この程度の力では、元の居場所に辿り着く前にエル大陸の凶暴化した魔物どもに殺される。
 力を取り戻す術も心当たりが無い。
 ほんの僅かでも回復が期待できそうなものを手当たり次第に調べていたのだが、ソーサリーグローブそのものを調べに行くというのなら、同行した方が事態が好転する可能性が高い」

「貴方、殺されても仕方ないようなことしたんじゃなくて?」

「あれは本来あるべき姿から精神のあり様が大きく外れていた。私を殺しかけた直後はな」

 魔物の説明には筋が通っているように思えた。
 存在するかどうかもわからない力の回復の手段を探していつ終わるとも知れない旅を続けるよりは、ソーサリーグローブでおかしくなった相手を正気に戻す為の旅の方がまだ実があるような気がする。
 力を取り戻せたとして、奪った相手がおかしいままでは状況の改善は難しそうだ。
 戦力の面でも、クロード達と一緒に戦えば、彼一人では倒せなかった魔物にも勝てるかもしれない。

「多少腕のたつ人間程度には使えるから安心しろ。
 ちなみに魔物と旅を同伴する事柄については、今現在実行中のお前達なら何の問題もあるまい。

 セリーヌさんの言う通り、アシュトンはもうとっくにこれからも一緒に旅する仲間よ。勿論、ギョロとウルルンも。

 なのだろう?」

 意地悪く笑った魔物に、ぐっ、とレナは押し黙った。
 反論したいが、先の発言を覆すことは出来ない。
 取り消してしまえば、ギョロとウルルンを仲間と認めないことになる。

「それから魔物と一緒に居る事が怖いなどと貴様にだけは言われたくない」

「わざわざ言わなくていいよそれ!同じ内容のことクロードがもう言ってるから!」

 きっぱりと真顔を作ってまで言われてアシュトンはちょっと涙目だ。

「でっ、でも、やっぱり貴方は人の街だとちょっと目立ちますよ。羽、とか」

 しどろもどろのクロードの言葉を聞いて、魔物はアシュトンをじいっと見た。
 アシュトンはさっと目を逸らす。
 ギョロとウルルンもさっと目を逸らす。

 我ながら苦しい言い訳だとクロードは思ったが、もう他に断る理由が思いつかない。
 たとえ身内に背中に龍を背負った存在が居ても、そんな事実は無視するしかない。

「…それについては問題ない」

 魔物は突っ込みを放棄したようだ。

「耳はフードを被れば人目にはつかない。羽は」

 陽炎が消えるように、赤い光の線はあっという間に色を薄くして消失した。
 ほんの短い間だった。

「こうやって消せる」

 そういえば川で会った時、羽なんて生えていなかった。忘れてた。

 まずい。
 これ以上相手を説得できそうな理由が思いつかない。
 このままでは逃げ切れない。
 岩の上なので物理的にも逃げられない。

 人とほとんど変わらない姿になった魔物はクロードに向かって微笑んだ。
 被食者を追い詰めた捕食者の顔だった。

「何、世界中の人々の為にソーサリーグローブを調査しに行くような崇高な方々だ。自らの過失のせいで崖に落ちた相手の責任も取らずに逃げ出すような汚い人間ではあるまい」

 クロードの背を冷や汗が滝のように流れた。
 確かにあれは人だったら確実に死んでいた。
 罪悪感で胸が締め付けられるように痛む。

 詰んだ。
 クロードは理解した。
 もしかしたら彼に声をかけた時点で、色々詰んでいたのかもしれない。

「ああ…大事なことを忘れていたな。私の名はルシフェルという。姓は無い。人間では無いからな。

 では、これからよろしく」


 五人と二匹の内訳に、異星人一人と魔物が一人+二匹って凄いな、と、クロードの頭のどこかが考えた。
 とんでもない事態に頭がどうでもいいことを考える。人はそれを現実逃避と呼ぶ。

 なんか最近こんなのばっかりな気がする、と、視界に納まるアシュトンとルシフェルの二人を見てクロードはそう思った。




[30867] 第2話 ラクール
Name: しゅがー◆6ebf4a2b ID:a0a0441d
Date: 2013/07/13 23:13
 読みきりのつもりの第一話に感想を下さった方、どうもありがとうございました。
 自分はただのルシフェルファンであり、単に光の勇者一行とルシフェルの絡みが見たかっただけでしたので、以降続いたとしても本編大幅改変も燃え展開も考え付きませんし、それ以上に自分にはそんなに沢山の文章は書けないだろうなと思い、続かない予定だと冒頭に記載しました。
 ですが感想が嬉しかったので、この話を投稿して時間を置かずに続きにチャレンジしてみました。
 3話目で挫折しました。
 ですが2話目は完成しました。続きが無い上ストーリーが進まない閑話みたいな話でしたので、日の目に晒してもなあ、と、以下に続く第2話はずっとお蔵入りにするつもりでした。
 でも気が変わって公開することにしました。
 前回の投稿からかなり時間が開きましたし、やっぱり続かない予定です。
 そんなんでもいいよ、という方、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。



 硝子を通した光に照らされるエントランスは、柔らかな絨毯も並べられた石像も何もかもが荘厳に輝いているようだった。

「いつ来ても綺麗ですね」

「そうですわね、流石ラクール城。エクスペル一美しい城と言われるだけのことはありますわ」

 ディアスとの再戦を望んだクロードが武具大会登録を果たした後、出場前の数日をラクールに留まることは義務と知らされ、宿代も気にしなくていいし決戦まで日もある、ということで、一同は空いた時間を休息もかねて物見遊山をしながら過ごすことにした。

 ラクールは比類無き美しさと讃えられる城の裾野に、大きく立派な建物群、活気溢れた街が広がるエクスペル屈指の大都会。
 有名どころを回るだけなら一日で事足りるかもしれないが、本格的に見ようとするなら一週間あっても足りはしない。
 待機期間は基本自由行動とし、各々興味のある所へ好きなだけ通うことになった。

 休息一日目。

 ラクール城内部は、武具大会開催に合わせて短期一般公開されるレアな観光スポットである。
 公開される場所は謁見の間を始めとし、本当に入っていいのか心配になるような場所にまで及ぶ。
 ツアーでガイドの説明を聞くだけならいざ知らず、個人が隅々まで見学しようとするなら二、三日は余裕で潰れるだろう。

 街へ出て優雅にショッピングもいいけれど、期間限定なら城が優先とセリーヌは一人足を運んだ。
 到着初日に皆で見て回ったものの、大雑把にしか把握できなかったからもう一度じっくり見てみたい。
 途中、城門でレナと会い、話しかければ目的が同じラクール城だった為一緒に行こうと連れ立った。
 そういうわけで現在、共に城の入り口に立っているのである。

 レナとセリーヌはふたりでエントランスの天井を仰いだ。
 緻密な装飾の施されたキーストーンや色鮮やかにして迫力のある絵画にどちらともなく感嘆の吐息が漏れる。
 レナはアーリア出身、セリーヌはマーズ出身、どちらも大自然に囲まれ古き良き暮らしを守る小さな村である。
 故郷には故郷の良さがあるが、それはそれこれはこれ、大都会や立派なお城はいつの時代も女性の憧れだ。

「本当に立派ですわ。あのドラゴンの象なんて、今にも動き出しそうなほど精巧な細工で。ここは大抵どこを見ても素晴らしいですわね。そういえば、渡り廊下の景色も綺麗でしたわ」

 城という、非日常の空間に酔ったセリーヌが言った。
 トレジャーハンターとして未知の遺跡に立ち向かうときの不敵な様子はなりを潜め、夢見る少女のような印象すら受ける。

「昨日はゆっくり見る暇なんてありませんでしたからね。私は食堂が気になるなあ」

 レナはパンフレットを広げ、城内地図を見た。
 こんなものをカウンターで配っているあたり、観光産業への力の入れっぷりが窺い知れる。

「まあ時間はありますし、今日はたっぷり時間をかけて見学しましょ」

「そうですね、じゃあ行きましょうか」

 話し合いの結果、近場から回れるだけ回ろうということになった。


 食堂や渡り廊下を筆頭に会議室から闘技場に至るまで、沢山の場所を堪能したふたりのラクール城見学もそろそろ終盤、足取りにも微かに疲れが見え始めた頃、辿り着いたのは壁一面本で埋め尽くされた部屋だった。
 分厚い書物が何段も何段も本棚に揃う姿は圧巻の一言。
 名称を確かめるために開いたパンフレットには大書庫と記載されている。
 その名を冠してなんら遜色の無い姿ではあるが、案内書の情報によれば蔵書はほとんど研究者用の資料であるようで、大書庫というよりは大資料室の方が合っているかもしれなかった。

 その大書庫の奥に置かれたテーブルに、レナとセリーヌは見覚えのある人影を発見した。
 うららかな日差しを浴びて浮かび上がる姿は、大人しい色のフードで覆われているので単体なら目立たない。
 しかし、ここは自室だとでもいうように深く腰を落ち着け、かつ周辺のテーブルが空いているのをいいことに隣の机にはみ出るまで本を山と積み上げている彼は、書庫の中で一番目立っていた。

 レナとセリーヌは顔を見合わせた。
 彼がここにいることが意外だったからだ。
 とりあえず、近付いて声をかけてみることにする。

「人間の書いた本になんて興味あるんですの?」

「興味の有る無しではない。必要性があるから読んでいるのだ」

 一抱えもある分厚い本から顔も上げずに答える様は、突然の声がけに動じた様子がない。
 彼、ルシフェルは魔物であるがゆえか五感が人間よりも優れている。
 顔も見ず声も聞かずに近付いた仲間の名前を言い当てるのだから最初は驚いたが、話を聞くと足音で判別しているらしい。
 魔物とはそういうものかと、最近では皆すっかり慣れてしまった。

「そもそも、文字が読めたんだ」

 そう発言したのはレナだった。
 魔物が文字を学習する、という状況がレナには想像できない。
 ジーネやギョロやウルルンなど、人の言葉を解す魔物と触れ合う機会なら幾度もあったが、彼らが読書を嗜む嗜好の持ち主とは思えなかった。
 目の前の魔物ならほとんど人型だから視覚的な違和感は無いものの、では何故文字を習得したかという疑問は大きい。

 ルシフェルはこの質問には答えず、ちらりと視線を寄越しただけに留まった。
 後はまた黙々と目で文字を追うだけである。

 このような反応は今に始まったことではない。
 彼は仲間になった時から、一貫して一歩引いた態度を取っていた。
 歩くのは常に最後尾、話しかけられれば返答を返すが自らが話し掛けることは極僅か。
 人間と違って頻繁に食事を取る必要がない、と、ほとんど共に食卓を囲むこともない。
 更に睡眠時間も短いらしいので、野宿の火の番の大部分をかって出てくれたのはありがたかったが、枕を共にする、という行為は仲間意識を上げやすい。
 現状、ルシフェルと仲間の距離は中々縮まらず、その上態度が態度なので、なんだか仲間というよりも接触があるだけの付いて来る人、という認識に近かった。

「ちょっと、話し掛けてるんだからちゃんと答えなさい」

 レナに対するルシフェルの反応が気に食わなかったようで、セリーヌは額に青筋を立てている。
 彼の態度はどうも彼女の気に障るらしく、ふたりは寄ると触ると小さな衝突を繰り返した。
 もっとも食って掛かっているのはセリーヌで、ルシフェルは適当に流しているだけ、という感が否めないが。

 セリーヌの言葉にルシフェルは大きく溜息を付き、適当とも取れる返事を返した。

「本を読んでいるのなら、文字も読めるだろう」

 突き放した言い方にセリーヌは更に腹を立てた。
 怒鳴ってやりたいのにそうしないのは、質問した当のレナが服の裾を掴んで制止するからに他ならない。

 レナの目はカウンターの中にいる司書さんに向いている。
 一般公開中は観光客のせいで普段より騒がしいとはいえ、度を過ぎ叩き出されるのは避けたいところ。
 落ち着いて下さいセリーヌさん、と、レナは耳元で囁いた。

 頷いて、セリーヌは深呼吸した。
 煮える心を静め、気を落ち着かせる。
 レナの言う通り、書庫内で大声を出して言い争うのは上手くない。
 ここはひとつ冷静になって、慌てず騒がずトーンを落とし、優雅な口戦でもってこの唯我独尊男を打ち負かしてやるのだ。

 きっ、とセリーヌは燃える目でルシフェルを睨み、初撃として軽いジャブを繰り出す。

「そんなに沢山本を出して他の人の迷惑になりますわよ」

「元あった場所は全て覚えている。問題はない」

 そういう問題ではない。
 ルシフェルはしばしばズレた答えを返すことがある。人間と受け取り方が違うのだろうか。
 とにかく、攻撃だと認識すらされない手を使うことは出来ない。
 他人への迷惑はいったん保留にして、セリーヌは切り口を変えることにした。
 次なる標的は読んでいる本の内容である。

「大体こんなに何の本を読んでますの。あら?」

 手に取った本のタイトルは、あまりにも意外なものだった。

『紋章術初級呪文大全 攻撃呪文編』

 中を見ると、予想通りと言うべきか、タイトル通り各属性の攻撃呪文が載っていた。
 もう少し詳しく目を通せば、一般的に難易度が低いと言われる術を一から十までずらりと網羅した内容が把握でき、解説もわかりやすく当たりの部類と見当が付く。
 もし自分が最初から勉強しなおさなければならないなら、こういう本を側に置きたいという見本のようだった。

 それはいい。
 問題は何故ルシフェルがこんなものを読んでいるかだ。
 もしかして、とセリーヌは吊り上げた口角を揃えた指で隠し、書庫に相応しいひっそりとした声で本を読む魔物に話しかけた。

「貴方、紋章術を使えないんですの?」

 思い返せば戦闘中、この魔物が紋章術を使うところをセリーヌは見たことが無かった。

 モンスターに遭遇すれば、彼は雷と風を武器として遠距離から戦う。
 指先一つで風を刃と成し敵を切り裂くすべはソニックセイバーに近かったし、落雷などはサンダーボルトにそっくりだったのでその可能性に行き着くことがなかったが、よくよく思い返せば呪文を唱える声を一度も聞いたことが無い。

 もし彼が攻撃手段が乏しいことにコンプレックスを持っていて、こっそり紋章術を勉強しようとしていたのならこれは面白い事態である。
 魔物がコンプレックス克服の為人間の術を学ぶというのも変な話だが、敵だって種族によっては紋章術を使うから、人間の術というよりは知性のある生き物共通の術だと考えれば不思議でもない。

 いやだわ可愛いところもあるんじゃありませんの。
 そう考えるセリーヌだが、これをネタにしていじり倒す気満々だ。
 だが笑いを含んだセリーヌの言葉に、嘲笑で返すだろうと思われたルシフェルは無表情を崩さなかった。

「そうではない。私が習得している紋章術はメンタルポイントの消費が激しいもののみで、今の状態では使えないのだ。これから長く旅をしていくのであれば、無理なく発動できる呪文が必要になってくる。元々知識だけは持っていたが、実際に習得する前に復習しておく方が安全だ。ついでに補助呪文も覚えるつもりだが」

 ルシフェルは本をセリーヌの手から山に戻し、問答はこれで終いだとばかりに読書を再開した。

 またもや意外。
 言われた内容に、セリーヌは驚くと同時に感心する。

 冷たい上に尊大な態度から、てっきりルシフェルはパーティーのことなんて考えていないと思っていた。
 攻撃手段が乏しいとはいっても戦闘でのアイテムの使いどころは的確だし敵の行動を阻害するタイミングは素晴らしいし、参加自体も積極的なことからやる気が無いわけではないことはわかっていたけれど。
 こうやってスキルアップしようとする姿を見るとは思わなかった。

 セリーヌが積まれた本のタイトルをひとつひとつ確認すると、『ラクール大陸モンスター生息域マップ』から『薬草図鑑』まで、およそ旅に役立つと思われる知識の載った本が必要性の高い低いを問わず重ねられている。
 中にはどこから持ってきたのか、エル大陸現状報告書なるファイルまで混じっている。

 セリーヌは本当に意外な思いでルシフェルを見下ろした。
 こっちが考えていた以上に旅に熱心なのかもしれない。

 セリーヌ達が掛け合っている間にレナは、手持ち無沙汰にルシフェルの持ってきたであろう本を一冊開いてぱらぱらとページをめくった。

「本当に色々な本があるのね。いいなあ、ここの人たちはたくさん勉強できて」

 独り言だったが、攻撃意欲を殺がれたセリーヌの意識はレナの呟きに向いた。

「レナ、貴女勉強がしたいんですの」

「大学に入るの、夢だったんです。でも私じゃ難しいかな。何が書いてあるのか全然わからないんですもの」

「無理かどうかはやってみなければわかりませんわよ。今は無理でも、ちゃんと勉強すれば読めるようになるかもしれませんし」

「ううん、いいんです私。今こうやって旅してる最中で勉強する暇なんか無いし。ソーサリーグローブの調査に専念しないと」

「そんなの、終わればいくらだって出来ますわ。大丈夫、ソーサリーグローブをどうにかするより、大学に入るほうがよっぽど簡単でしてよ。ね、ルシフェル」

 水を向けられたルシフェルは、迷惑そうな面倒臭そうな目でふたりを見た。
 だがなんとなくどう返せばいいのか迷っているような様子でもあり、単純に他者との掛け合いが苦手なのだろうか、とセリーヌは思う。
 二人同時に見つめられたルシフェルは、何かを言うまで引いてくれないと悟ったのだろう、溜息を付いた。

 ルシフェルには溜息を付く癖でもあるのか、セリーヌは短い間に二回も見たような気がする。

「確かにソーサリーグローブをどうにかするよりは大学に入る方が簡単だろうな」

「ですってよ、レナ。ルシフェルだってこう言ってるんですから、旅が終わったら是非挑戦してごらんなさいな」

「えっ、私、そんな無理ですよ。ここにある本、全然読めないのに」

 レナが狼狽する。

「ですから大丈夫ですって。きっとレナが読もうとした本は難しい奴ですわ。簡単なのから読めばいいんですのよ。ね、ルシフェル、レナでも読めそうな本だってありますわよね」

 話しかけられたルシフェルは嫌そうに眉を寄せた。
 邪魔だ、そう纏うオーラが主張している。
 彼の持つ本はセリーヌ達が来てから1ページも進んでいなかった。

 しかしセリーヌもそんな不機嫌オーラひとつで引き下がるほど小さい心臓をしていない。

 ルシフェルは溜息をついた。
 レナとセリーヌが大書庫に入って来てから三回目、一番大きな溜息だった。

 彼はすっと入り口辺りの本棚を指差す。

「あの本棚の下から二列目と三列目あたりに、比較的簡単な学業用の書物が集中している。それが読めないなら諦めろ」

 そこまでがルシフェルの妥協点だったらしい。
 もう何も言う気はないとばかりに、彼は読書に集中する姿勢をとった。

「ですってよ、レナ。興味のある分野の本があるかどうか物色してみませんこと?」

「悪いですよ、セリーヌさん。勝手に読んじゃ駄目なんじゃないんですか」

「今目の前に堂々と読んでいる奴が居ましてよ。ささ、行きましょ」

 セリーヌはレナの背中を押す形で目的の本棚へ近付きながら、ルシフェルってもしかしてそっけない態度ばっかり取っててもこっちがごねれば付き合うタイプなのかしら、と心の中のルシフェル像を改める。
 途中振り返って見たルシフェルは同じ姿勢のまま。
 彼はついぞ、読書中に話しかけたことに対して一言も文句を言わなかった。


 口を押さえ、セリーヌは大きなあくびをした。
 伸びをするとあちこちでぺきぱきと骨が鳴る。
 長時間同じ姿勢をとったせいで、体がすっかり固まってしまった。

 ルシフェルに勧められた区域からレナの好きな本を選び、ついでにセリーヌも心惹かれるタイトルの本を選んでから大分時間が過ぎた。
 右を見ればレナはまだ本を読んでいる。
 どうもレナの興味を引く内容だったらしい、傍から見ても没頭していた。

 右を見ればルシフェルもまだ読書をしている。
 持ってきた本の量からして、一日で読むのは無理なんじゃないかとセリーヌは今気付いた。

 セリーヌを挟んでルシフェルとレナ、三人並んで座っていることに深い意味はない。
 なんとなくセリーヌがルシフェルの隣に座り、レナがセリーヌの隣に座った。
 因みにセリーヌの机まではみ出していた本の塔は、本人の許可を取ることなくルシフェルの机に追いやった。
 睨まれたが、机をふたつも占領する方が悪い。
 どこ吹く風で椅子に座るセリーヌに、ルシフェルは本日四度目の溜息を付いただけで何も言わなかった。

 さて、どうしましょうとセリーヌは考える。
 持ってきた本も読み終わったし、目が疲れたので新しい本を持ってくる気にもならない。
 ご一緒しましょうと城門でレナを誘ったのもセリーヌなら、レナに本を読むことを薦めたのもセリーヌである。
 自分から切り上げる言葉をかけるのは躊躇われた。
 完全に手持ち無沙汰のセリーヌはなんとなくレナの読む本を覗き込み、目に入ったものが興味のある内容だったので思わず身を乗り出す。

 ページごとに写生された図、名前と説明。
 描かれた絵は原石だったり結晶だったりと様々だが、それは皆一応に鉱物である。

「レナって、鉱物学に興味がありますの?」

「ふえっ?あっ、えっと、鉱物学っていうか。その、こういうのを眺めるのも好きなんで、つい」

 レナは慌てている。
 どうやら勉学としてではなく、綺麗なものを眺める為だけに本を開いていたことが後ろめたいらしい。

「あら嫌だ、責めてなんかいませんわ。鉱物学って役に立ちますのよ」

「まあそれは、専行する人も居るくらいですしね」

「ああそうじゃなくて、…そうですわ」

 閃いてセリーヌは持ち物袋を漁る。
 パーティー共用のものではない。
 セリーヌに限らず、仲間は全員個人の持ち物袋を持っている。

 手に触れる硬くて冷たい感触に、目的の物と確信したセリーヌはテーブルに置く。
 コーティングされた木にぶつかって重い音を立てたそれは、天窓から射す光を鈍く弾いた。

「これ、アイアンですか」

 故郷の隣町に鉱山があったレナには馴染み深い物だ。
 黒、というより鋼色の石は、宝石と認識するには抵抗があるが何故かサルバのフェアリー・ティアで売られている。

「ええ、アイアンでしてよ。子供でもお小遣いを溜めれば買えちゃうくらい安価な鉱石ですけれど、こんなものでも細工をすれば、旅に役立つアイテムになりますの。鉱物学は細工の必須項目ですわ」

「へえ、細工かあ。私料理はできるけど、細工はできないんですよね。これを加工するなんて、難しそう」

 加護を受ける装飾品を生産できれば旅は楽になる。
 だが机の上で輝く鉄塊はいかにも硬そうで、工具を使ってアクセサリーの形にするのはそうとう技術を要求されそうだ。

「レナってばさっきからそればっかりじゃありませんの。案ずるより産むが易しって諺もあるくらいなんですから、とりあえずチャレンジしてみればいいんですわ。細工ならわたくしだって出来ますのに。そうだ、実際やっているところを見ればそんなに難しくないってわかりますわよ。ちょちょいっと仕上げちゃいますから、ちょっと待ってらしてね。出来たらレナに差し上げますから」

 セリーヌは机の上からアイアンを取り上げ、有無を言わせぬ早さで細工を開始した。
 隣でレナがぎょっとしたのにも気付かないまま、製作作業に没頭していく。
 レナは注意しようと口を開きかけ、大きな声で咎めようものなら司書に気付かれ追い出される可能性があり、小さな声ではセリーヌが気付いてくれそうにないことを思い出した。
 セリーヌの集中力は山のごとく高い。
 一度詠唱を始めたら攻撃を受けない限り絶対に術を完成させる、そんな彼女に小声で声をかけて振り向くだろうか。
 実際、レナがルシフェルに助けを求めて視線を送ったことも、それをルシフェルが無視したことも、当然のように気付かなかった。
 大書庫の机の上に、アイアンを細工する音だけが響く。

 レナを待たせること、しばし。

 ピロリン、と最後に音符でも付きそうな音がして、セリーヌの細工が完成した。
 手袋を嵌めた手に堂々と鎮座する、それは。

 へっぽこな飾りが出来ました

 セリーヌは人型の飾りの頭部と胴体に当たる部分を握りこみ、万力をかけて首の部分をへし折った。
 一瞬でがらくたと化したふたつの塊が机に投げ出されて力なく転がる。

 セリーヌはレナを見る。
 レナは青白い顔をしていた。
 目は失敗作に固定されている。

「レナさん」

 セリーヌは呼びかけた。
 声が優しかった。

「はいっ」

 レナの声は裏返っている。

 セリーヌはレナの目を見て柔らかく笑いかけた。
 レナの表情が引き攣った気がするが、きっとセリーヌの気のせいだろう。

「ごめんなさいね、失敗してしまって。いつもはこうじゃありませんのよ。調子が悪かったのかしら。今度は成功させますから、もうちょっとだけ待ってて下さらない?」

「いいっ、いいです。私、作業工程を見せてもらっただけで十分」

「レナさん」

 レナがフリーズした。
 セリーヌがにっこりと、他人から見て不自然なくらいにっこりと微笑んだ。

「もうちょっと待ってて下されば、今度こそちゃんと成功させますわ。ですから、わたくしの細工の腕がこの程度だと思わないで下さいね。ね、レナさん」

 レナは胸の前で手を組み頷いた。
 ぎぎぎっ、と音がしそうな程ぎこちない動作だった。
 セリーヌは、わかってくださってよかったですわ、とそれだけ言って、新しい鉱石を手に細工を再開した。


 アシュトンが足を踏み入れた時、大書庫の奥に並んだみっつの机は人を寄せ付けない空気に溢れていた。
 普段なら厄介事がありそうな場所には近付かないのだが、そこに居たのは旅の仲間。
 一体何があったのかと近付いたアシュトンの目に、半泣き状態でセリーヌを見つめるレナ、がらくたの山が乗った机で何かの作業をするセリーヌ、そしらぬ顔で一人黙々と本を読むルシフェルの姿が映った。

 何これ。

 取り合えず一番おかしいことになっているセリーヌを後ろから観察してみたものの、アシュトンが理解できたのはうずたかく積まれたがらくたの内訳がへっぽこな飾りや重たい指輪、変な人形であるということ。仲間の紋章術師はその前で黙々と細工に勤しんでいるということだけである。
 余計わけがわからなくなったアシュトンはレナに訊いてみた。

「一体どうしたのコレ。何してるの」

「アシュトン、いつの間に」

 レナが涙目のまま振り向く。
 セリーヌの手元に集中しすぎて接近に気付かなかったらしい。

「お願いアシュトン、セリーヌさんを止めて」

「いや僕今来たばっかりで何が起こってるのか全然わかんないんだけど」

「私、細工が難しそうなんて言っちゃって、セリーヌさんは簡単だから見てみればいいって実践してくれることになったんだけど、成功するまでずっと続ける気みたいなの。さっきからもうずっと細工してて」

 レナの説明は端的だったが、仲間の性格を把握できないほど付き合いが浅いわけでもないアシュトンは大体の事情を飲み込んだ。
 それでこの失敗作の山か。
 細工をするのはいいが、城の大書庫で、長時間ずっと同じ場所を占領して行うのは褒められることではない。
 こんなにレナを困らせて、その上追い出されでもしたらどうするつもりだ。

 その時、ピロリン、と音がして、またセリーヌの細工が完了した。
 重たい指輪だった。

 ようし、とアシュトンは気合を入れて、完全に据わった目で加工品を見るセリーヌから指輪を取上げた。

「あらアシュトン」

 ようやくセリーヌは背後の存在に気付いた。
 今度こそは、今度こそはと繰り返し、手元以外にまったく注意を払ってこなかったのだ。
 長時間集中して細工し続けたセリーヌは顔にも声にも疲労の色が濃く、目の下にはうっすらとクマが浮いているように見える。
 失敗作の数を見れば、彼女がどれだけの間アイテムクリエーションを実行し続けていたかわかろうというものだ。

「これとそこの、セリーヌさんが作ったの?」

 これ、とは今出来上がった重たい指輪、そこの、とは失敗作の山を指す。

 セリーヌの頬の筋肉がぴくりと動いたが、指輪を矯めつ眇めつする彼にはその様子が見えていない。

「ええ、確かにそうですわよ。なんか文句ありまして?」

 普段より声が一段低い。
 隣でレナがハラハラしているが、アシュトンはそのレナの為にも止めてあげなければならないという使命感から空気を読まずにこう言った。

「もう止めなよ。これ以上は鉱石の無駄だし荷物がゴミで重くなるだけだよ」

 セリーヌの肘鉄がアシュトンの腹に直撃した。
 座ったままの姿勢で一撃、身構える隙を与えぬ早業だった。
 アシュトンが蛙のように呻いて腹を抱えてしゃがみ込む。

「うるさいですわね、次こそ成功させますからアシュトンは黙ってなさい!」

 声を荒げながらセリーヌが叩いた机は、衝撃を受けた厚い木の板が大きな音を出したばかりでなく長く余韻を響かせた。

 余韻が弱まり消えると同時、ゴホン、と大きな咳払いが聞こえてレナとセリーヌはそちらを見る。
 カウンターの中の司書さんが、額に青筋を浮かべてこっちを見ていた。

「他の皆様の迷惑にならないようお願い致します」

「申し訳ありません」

 レナは身を縮こまらせ、消え入るような声で謝罪した。
 顔が真っ赤になっている。
 アシュトンはしゃがんだまま、ギョロとウルルンに心配されている真っ最中だ。

「まったくもう、アシュトンのせいで注意されちゃいましたわ」

 セリーヌは苛立ちが納まらぬまま道具袋から新しい鉱石を取り出したが、掴んだ無機物にその苛立ちも忘れ眉を寄せる。
 つるりとした表面。見るものを魅了する赤は深く、中央には反射光が六条の星を描いている。
 スタールビーだ。

 セリーヌはもう一度道具袋に手を突っ込んでかき回してみたが、アイアンもシルバーもゴールドも使い切ってしまい、細工の原料になりそうなものは残っていなかった。
 セリーヌは逡巡した。
 何かのついでに補充できてしまうような安物の鉱石とは違い、スタールビーは希少性が高く値段も跳ね上がる。
 常時販売している店舗にはいまだかつてお目にかかったことがない。
 手に入ったのは本当に偶然、幸運が積み重なった結果であり、以前金策に困ったときも手放すのを惜しんだほどだ。

 正直、細工の原料にしてしまうのは惜しい。
 大変惜しい。
 だがしかし、セリーヌにだって意地がある。
 失敗したまま引き下がることなど出来はしない。
 ましてや、アシュトンに苦労の足跡をゴミと断言された後なら尚更である。
 プライドにかけてこれ以上は鉱石の無駄でも荷物を重くする作業でもないことを思い知らせてやらねばならないのだ。

 しかし現実は、失敗作の山がどうせその高級素材も仲間入りするに決まっていると語りかけてくる。
 成功させる、と気合は十分なものの、どうしても散乱するへっぽこな飾りや重たい指輪を意識から外せない。

 先ほどのアシュトンの言葉が脳内で際限無くリピートされて尚、ルビーの中で輝く星は眩しい。
 プライドを取るか、目の前のスタールビーを取るか。

 本気で悩むセリーヌの腕をレナが掴んだ。

「セリーヌさん、もういいです、やめましょうよ。セリーヌさんが私のために頑張ってくれたってことだけで、本当に十分なんですから」

「レナ」

 レナは必死だった。
 今しがた煩いと注意されたばかりなのに、細工までやっていることがバレたら本当に締め出されてしまう。
 しかし精神が疲れきっているセリーヌには、レナが努力する自分の姿に心打たれた様に見えた。

 そもそも当初の目的は、レナに鉱物学の利便性を知ってもらうことである。
 当のレナがもういいと言うのであればセリーヌとて無理に続ける必要はなくなり、正当な言い訳のもとスタールビーは無傷で生還する。
 セリーヌの心がぐらりと揺らいで細工を切り上げる方へ傾いた。

「そうですわね、わたくしもちょっと意地を張っちゃいましたわ」

 目も腕もかなり疲れていることをセリーヌは自覚した。
 眼球が乾いてしぱしぱするし、筋肉も固まってしまっている。
 玄人の細工職人でも、こんなコンディションではいい作品は作れないだろう。
 これ以上はきっと、張る必要の無い意地だ。
 スタールビーと疲労がプライドに勝った瞬間だった。

 セリーヌが細工道具を置こうと手を下ろしかける。
 その時、いつの間にか復活していたアシュトンが、誰から見ても最悪なタイミングで細工を切り上げることにこう同意した。

「だよね、レナもこう言ってるんだし、これ以上へっぽこな飾りが増えたら道具袋に入るかどうかもわっかんないもんね」

 意地を張る必要があったようだ。

 セリーヌはアシュトンの頭があるとおぼしき場所へ力の限りへっぽこな飾りを投げつけるとすぐさま細工道具を構え直した。
 人間には引けぬ時があるのだと闘志を漲らせ、その雄雄しさたるや獅子に立ち向かう戦士がごとき。
 彼女が握る細工道具は覇気によって研ぎ澄まされ、獲物を狙う鷲の爪と見紛うほど。
 その爪が今スタールビーという獲物に向かって振り下ろされ、

 否、振り下ろそうとした。

 セリーヌが原料に意識を集中させるより早く、本の間から伸びた手が細工道具共々宝石を奪い取ったため行動に移ることが適わなかったのだ。

 用具を奪った白い手は、突然すぎて思考が付いていないセリーヌとレナの視線の先、流れるような仕草で細工を開始する。
 スタールビーを加工する動きはあまりに澱みなく、どこをどうすればいいかあらかじめわかっていると錯覚する程流麗だ。
 レナもセリーヌも、ぽかんと作業を見続けることしか出来なかった。

 時間にしてほんの数分、ぴろりん、と今まで散々鳴り続けた音が聞こえ、指先が一度も迷うことなく細工が完了する。

 プロテクションリングが出来ました

 あっという間に終わらせたルシフェルが道具と成功品を返してきたので、セリーヌは反射で受け取った。
 細工道具に混じってころりと転がるのはどこをどう見ても成功品。
 思わずまじまじと見つめてしまう。

「貴方って」

 セリーヌは言葉を切ってルシフェルに視線を向ける。
 彼は無表情でセリーヌが続けるのを待った。

「細工ができたんですのね」

 心の底からしみじみといった様子で言われたルシフェルはかすかに眉を寄せた。

「それはしみじみと言うことなのか」

「だって、なんだか貴方って手先が器用そうに見えませんもの」

 セリーヌの知る限り、彼は旅の間中ずっと器用だった。
 だがその器用さは敵との戦い方だったり人の街への溶け込み方だったり、あくまでも身の振り方についてだった。
 彼はいつだって尊大で無愛想で仲間との付き合い方がなってなくて、セリーヌ達のことを人間人間と連呼する。
 自らと人を区別し続けるそんな彼が、人間のように物を加工する技術を習得しているなどと誰が思おう。
 しかも上手いし。

 あまりに予想外だ。
 どのくらい予想外かというと、断り無く道具とスタールビーを横取りししかも自らを差し置いて細工を成功させたことに毒気を持つことができないくらい予想外だ。
 いつもなら皮肉のひとつでも足りないところだが、ただ感嘆するだけで終わってしまう。
 単に疲労困憊しているから真っ当な反応が出来てないだけかもしれないが。

「料理上手かったし別に意外でもないんじゃない?」

 飾りが直撃した鼻の頭を抑えながら、アシュトンがルシフェルにだよねえ、と水を向ける。

 パーティー内で一番魔物を怖がりそうなアシュトンだが、彼がルシフェルに取る態度は怯えをまったく含んでいない。
 予想外もいいところだが、これには理由がある。
 とり憑いた龍と仲が良くても弱気なアシュトンは、最初こそ予想通りこの魔物に近付きたがらなかった。
 だが、ある出来事を境にその態度は一変した。

 野宿のときは食事をとらないルシフェルだが、とある夜に珍しく同席を申し出たことがある。
 初めてのことに一同は驚いたが、考えれば思い当たる節があった。
 彼は合流してからの食事を全て宿で済ませてきたが、前回立ち寄った町を出てからもう結構な日が経っている。
 きっと食べずに動ける期間の終わりが来たのだろう。
 パーティー入りは強引な部分があったし、今だ心の距離を感じるにしろ仲間である以上断る理由はない。
 普通なら毎回一緒に食べて当たり前なのだ、二つ返事で快諾した。

 だがたった一人、素直に了承しない人物がいた。

「食べるんだったら、料理の手伝いくらいしたらいかが?」

 セリーヌである。

 ルシフェルと性格上どうしても合わない彼女のとった態度は、嫌がらせとも当て擦りとも言えないような大変些細な反発だった。
 セリーヌだってルシフェルが料理をできるとは思っていない。
 人間の姿をしていようと魔物は魔物、セリーヌ達の見ている前で食べるものが宿屋の食事のみにしろ、まさか野に居る間も料理を食べていたなどとは考え辛いし、ましてや自発的に包丁や鍋を使って調理する魔物というのは荒唐無稽、卵を産む牛の方が現実味がある。
 もっとも、セリーヌは別に料理をしろなどとは一言も言っていない。
 料理をしないセリーヌやクロードでも火起こしやら何やら調理以外の部分で手伝ってはいるのだから、食べるならそういう方面で手伝え、というニュアンスも含んではいた。
 発言したセリーヌは彼が料理方面で手伝えという意味に取って困ればいいなあくらいの気持ちだったし、そう誤解しても本当に手伝うとは思っていなかったのだ。

 しかして彼は嫌がったり困ったりする素振りを欠片も見せず、素直に手伝った結果数少ない食材で二品もサイドメニューを完成させてしまった。
 その味たるやそんじょそこらの店で出されるより何倍も上で、驚いたレナがどうして作れるのか訊ねたところ「料理されたものを何回か食べれば作り方は予想がつく。作業工程を何度か見たことがあるなら尚更だ」と答えた。
 つまり彼は宿の食事とレナ達の調理風景だけで、料理というものをマスターしてしまったらしい。
 いくら高位だからって知能が高いにも程があるだろう、と皆思った。
 ジーネもルシフェルと同じ要領で料理を覚えることができるのだろうか。

 そしてこの時点で思いもよらないことが起こった。
 アシュトンに火がついたのである。

 アシュトンの料理の腕は長い間培われた経験に基づくものであり、料理をはじめてみたら筋が良かった程度の相手には絶対に負けない自信があった。
 門前の小僧の習わぬ経、それも習得できるはずのない環境下で覚えたものへの敗北とあっては数少ないプライドに傷が付く。
 それもざっくりと、深々とである。
 由々しき事態だった。
 毎回毎回逃げるように接触を避けてきた今までがなんだったのかと思うほど高らかに料理勝負を申し込んだ彼の胸のうちは、自分より料理が上手い存在への対抗心がめらめらと燃えていた。
 当然ルシフェルは嫌がった。
 が、この時のアシュトンたるやいつもの押しの弱さを丸ごと強さに変換したような強引さでもって、最後には対戦相手からの応の返事をきかないまま勝負を開始した。
 そしてルシフェルは、皆最近なんとなくわかってきたことだが妙に押しに弱い部分がある。

 結局開幕してしまったこの料理対決は、今朝方サバイバルで調達した一週間分の食材を使い切り、何人参加する祝いの席かと訪ねたくなるような量の料理を生産し、人も獣も夢の世界に旅立つ宵の刻を過ぎてまで尚続いた。

 そんな男のプライドを賭けた熱い勝負が終わった後、アシュトンはルシフェルに対し普通に接するようになった。
 気安く話しかけ、無愛想に振舞われても気にしない。
 方法がどうであれ一度ガチンコでやりあったからか、アシュトンの中のルシフェルに対する距離は一気に縮まったようだった。

「でも珍しいね、ルシフェルが自分から僕たちの会話に入ってくるのって」

「これ以上騒がれてここを追い出されてはたまらないからな」

 ルシフェルの手にはへっぽこな飾りがある。
 先ほどセリーヌがアシュトンに投げつけたものだ。
 どこぞへ飛んでいって音を立てたり人に当たったりしないように、アシュトンから跳ね返ってきたのをキャッチしたらしい。
 ルシフェルはそれもぽんと放り投げてセリーヌに返すと、また他人からの接触を拒むように読書に戻った。

 セリーヌはへっぽこな飾りを受け取る前後を通してプロテクションリングを長々と観察していたが、突然「はい、レナ」と言ってずっと成り行きを見ているだけだった少女に手渡した。

「えっ、ええっ!?」

 レナは慌てたが、無理からぬことである。
 そんなレナにセリーヌはにっこりと邪気の無い笑みを浮かべた。

「最初に言いましたでしょ、成功したらあげるって。それはレナに差し上げましてよ」

 成功したのはセリーヌではないが、そこは無視するらしかった。

「そんな、受け取れませんこんな高価なもの」

「いいんですのよ。ずっと待たせてしまって申し訳なく思ってるんですの。約束くらい守らせてくださいな」

 手袋を嵌めたセリーヌの手が、レナの手に指輪を握らせる。
 レナはセリーヌの手を振り払うこともできずおろおろとしたままだったが、握りこんだプロテクションリングが既に嵌めている指輪に当たってはっとする。
 そうだ、今大切な指輪を付けていたのだ。
 レナは意を決し、ぎゅっと目を瞑ってこう言った。

「駄目です。クロードから貰ったエメラルドリングを付けてるから、やっぱり私、受け取れません!」

 セリーヌはレナを見た。
 アシュトンもレナを見た。
 本に集中しなおしたはずのルシフェルでさえもレナを見た。
 レナはどうして注目を集めているのかわからないようで、嵌められない理由を言うぞ、という決意の格好のまま、三人をかわるがわる見る。

「レナ、わたくし」

 セリーヌが喋る声はなんだか気を抜かれたような、一定の速度を保った抑揚の少ない声だった。

「これをあげるとは言いましたけど、クロードから貰った指輪を外してまで付けろとは言ってませんわ」




 レナが爆発した。

 正確には、爆発するような勢いで赤くなった。

 ボン、という音を立てたと錯覚するくらい一瞬で真っ赤になったレナは「え、あの、その、えっと、あの」と意味の無い言葉を繰り返している。
 そんなレナを眺めながら、セリーヌはにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。

「若いってい~いですわね~」

 アシュトンも便乗した。

「若いっていいね~」

「セリーヌさん、アシュトンっ」

 レナが抗議する。
 その時、運命という言葉を感じさせるくらい絶妙なタイミングで最後の一人が書庫に入ってきた。
 ラクール城を見学していたクロードである。
 彼は自由行動期間であるのに自分以外全員が集っていることを不思議に思い、声をかけてきた。

「みんなどうしたの?」

 飛び上がったのはレナだった。
 入り口に背を向けていたため、クロードの接近に全く気付かなかったのである。
 クロードも声をかけただけでこんな過剰反応をされると思っておらず、レナの仰天っぷりに驚いた。

「え、何、どうしたの。一体何があったんだい」

 レナには答えられない質問だった。
 事の次第を話すのならば、最後にはクロードが入ってくる直前の会話に行き着く。
 そんなことになったら恥ずかしさのあまり心臓が止まりかねない。
 だが何も話さなければ不自然だ。
 なんとか、なんとかしなければ、と、気ばかり焦ってレナは上手く言葉を紡げず、クロードはますます困惑するばかり。
 そんな二人に、セリーヌとアシュトンはにやにや笑いを濃くした。

「若いっていいですわね~」

「そうだね~」

 今度も同意したアシュトンだが、セリーヌはあれと思って訊いてみた。

「アシュトン、貴方クロードより一つしか違わないんじゃなかったんですの?」

 クロード十九歳にしてアシュトン二十歳である。
 アシュトンのにやにや笑いが凍り付いた。

 沈黙。

 セリーヌはふっと笑った。
 会話に参加していないルシフェルもふっと笑った。
 オラクルのコマンドを実行していないのにトライア様が怪電波をくれた。

『ハーリーでPA起こしてれば今頃可愛い女の子にお兄ちゃんって呼ばれてたのにね』

 アシュトンは心の中で突っ込んだ。わけがわからないよ。
 プライベートアクションって何。

「あの、本当に何があったんですか。全然わっかんないんですけど」

 崩れ落ちるアシュトンの心中など知るよしも無いクロードは、向かい合うレナが何時までも意味のあることを言わない為、申し訳ないとは思えども精神状態のまともそうなセリーヌに問い掛けた。
 普段なら若き二人を慮って口を閉ざしていたかもしれないセリーヌは、只今悪乗りの真っ最中だった。
 それが悪かった。
 セリーヌは問われたまま答えようと口を開き、結果、混乱の極みにあるレナの頭が死刑宣告を言い渡しかけられたと判断して、脊髄反射で絶叫した。

「駄目――――――――――っ!」

 何がなんでも阻止しようと、レナはセリーヌの口を塞ぐために飛びかかる。
 そして、最初の一歩で椅子に蹴躓いた。

 悲鳴があがった。
 セリーヌとレナの二人分。

 まず最初にレナと椅子が倒れ、バランスを崩したレナに押されてセリーヌも倒れかけた。
 次に、体重を支えようと咄嗟に伸ばされたセリーヌの腕が隣の机に積み重なった本の柱の一本を突き、傾いだ本の塔が周囲の塔も巻き込んでドミノのように一斉に崩れだした。
 最後に高所から落下した一冊が細工の失敗作のど真ん中に着地し、へっぽこな飾りや重たい指輪が四方八方に飛び散った。

 轟音、と言ってよかった。
 様々な音が一斉に重なって、書庫中の注目を集めるどころか向こう三つの部屋の人間まで飛び出て来そうな大音響になった。
 衣擦れ、囁き、本の装丁がぶつかる音、本来書庫に満ちるはずのあらゆる音が消え去る。
 書庫中の人間が動きを止めて、今だ余韻を響かせる音源を注視した。

 部屋の奥、机のそばで折り重なって倒れる二人の女性と、周囲にぶちまけられた大量の本、いくつものがらくた。
 呆然と立つ二人の男と、鬱陶しそうに膝に落ちた本を払う座ったままのローブの人影。
 どう見てもこいつらが原因だった。

 誰も何も言わなかった。
 動いたのはただ一人、カウンターの中で静かに作業をしていた女性のみ。
 彼女はすっと立ち上がり、いやにゆったりとした歩き方でやってしまったという雰囲気を醸し出す五人組に近付く。
 そうして少ない歩数で一行の元にやってきた司書は、最後の一歩を音が鳴りそうなほど強く踏み締めると、背後に鬼が見えそうな笑顔でもってこう言った。

「いますぐ でていけ」

 誰かがあまりの迫力に唾を飲んだのと、大量の本の直撃を受けても不動だったルシフェルが溜息をつきながら書物を閉じたのは同時だった。


「いやー、まさか待機初日でラクール城の書庫を出入り禁止になるとはねー」

 てくてくと城から街に通じる道をアシュトン達は歩く。
 顔に疲れが見えるのは退室前に書庫中の注目を集めながら片付けを強行させられたからで、それも司書さんからは只ならぬ怒りの視線を貰いつつだったからだ。
 アシュトンだけが膨らんだ道具袋を抱えているが、これは細工の失敗作をひとりで持っているからである。
 余計なことを言った罰だ、と、セリーヌにすごまれて断れなかったのだ。

「あれだけ騒いだんだから、城そのものを出入り禁止になってもしょうがなかったとは思うけどね」

 ほとんど関わっていなかったのに片付けだけ手伝わされたクロードが苦笑する。

「ごめんなさい。私が転んだばっかりに」

 レナは可哀想になるくらいしゅんとしてしまっている。

「レナは悪くないと思うけど。寧ろ原因はセリーヌさ、ごめんなさい」

 杖を片手にぎろりと睨まれ、アシュトンは即座に謝罪した。
 危なかった、続けていれば火の玉が飛んできたに違いない。

「そういえばあの時訊きそびれちゃいましたけど、結局皆集まって何してたんですか」

 クロードは何気なく訊いただけだが、レナは再度飛び上がりそうになった。
 いい具合に有耶無耶になったと思っていたのに、精神的処刑の危機はいまだ脱していなかったらしい。

 青くなるレナを見てセリーヌは考えた。
 さてさて真実を告げて若いふたりの甘酸っぱい反応を楽しむのもいいが、書庫での出来事を思い出す限りレナは本気で嫌がっているようでもあるし。
 よし、と心の中で答えを出したセリーヌは、手を叩いて場の注目を自身に集中させた。

「そんなことより、もうとっくにお昼を過ぎてますわよ。わたくしお腹が空きましたわ。どこかお店に入りません?」

「そういえばもうそんな時間かあ。このまま皆で食べに行くのもいいかもね」

「あれ、僕の質問」

「大したことじゃないのよクロード、さあ、行きましょう!」

 レナが強引にクロードの背中を押して先に進ませようとする。
 アシュトンは背後に向かって「ギョロとウルルンもお腹すいたよね」と語りかけ会話を始めた。
 そんな情景にやれやれと思いながらも微笑ましさを感じたセリーヌは、ふと気付いて後ろを振り返る。
 城を出てからまったく喋っていなかったが、一行より一歩後ろの距離を保ってルシフェルはずっと付いて来ていた。
 皆で一緒に昼食に行くことになったが、彼はたまにしか食べないということをすっかり失念していた。
 最近は取っていなかったからそろそろだとは思うが、それが今回かどうかまではわからない。

「ルシフェル、貴方はどうするんですの」

 ルシフェルは歩みを止めないまま少し考えるような素振りを見せたが、すぐに答えを出した。

「同席させてもらう」

 セリーヌは頷いた。
 頷いた後で、もしかしてルシフェルを食事に誘ったのは初めてかもしれない、と気付く。
 そう思えばなんだか気恥ずかしいような気もしたが、相手もさらりと返してきたことだし、大したことじゃないだろうと思いなおす。

「五人入れるお店探さないと駄目ですわね。席空いているところあるかしら」

 荷物を重そうに扱いながらアシュトンが答える。

「ちょっと時間ずれてるから大丈夫じゃないかな」

「美味しいお店がいいですわね。わたくし、今シーフードの気分ですの。あら、クロードとレナったらちょっと先に行きすぎ。急ぎますわよ、アシュトン、ルシフェル」

「ちょっとまって、僕だけ荷物が多いんだってば。セリーヌさーん」

 早足になったセリーヌを追い、アシュトンも速度を上げる。
 一番後ろのルシフェルも、置いていかれない程度に足を速めた。

 晴れ渡る青空の下、大国の舗装された表通りで、実際の年齢よりも幼く見えるくらい楽しそうに騒ぐ一行は、不穏な世界の情勢から切り離されたように平和だった。





[30867] 第3話 リンガ
Name: しゅがー◆6ebf4a2b ID:a0a0441d
Date: 2013/09/23 23:08
 このお話しはいつでも 更新される予定<更新されない予定 です。



 リンガとサルバは似ている。
 リンガはラクール大陸の学問の町、サルバはクロス大陸の鉱山の町、一見何の共通点も無いように思えて、ではどこが似ているかというと土である。
 踏み固められた剥き出しの地面が黄土色を晒す様は、エクスペルでは珍しい。
 片方の町からもう片方の町へ旅した者なら、懐かしい気持ちになるだろう。
 とはいってもサルバに比べてリンガは建物の間が広々としているし、学生や学者が多いからかのんびりとした空気が漂うので、思い出に浸るのは難しいかもしれないが。
 さてそんなリンガの町で光の勇者一行が何をやっていたかというと。

「先生は忙しいのですぐにはお会いできません。解読の依頼ならアポイントを取って、一ヶ月後にいらして下さい」

 追い出されていた。


 バタン、と音を立てて目の前の扉が閉まった。
 クロス洞穴で手に入れた古文書を解読してもらおうと言語学者の住居を探し当てたまではよかったが、出てきた助手の対応は取り付く島もない。
 素気無いとは正にこのこと、遠回しな断りにも取れる文句で会話を切られ、クロード達は呆然と佇んだ。

「ど、どうしよう?」

 最初に我に返ったクロードが全員を振り返る。

「どうしようったって、どうしよう」

「一ヶ月なんて。そんなに待ってられないわ」

 レナが深く思案するように俯いた。

「でも諦めたくありませんわ。折角苦労して手に入れたお宝ですのに」

 セリーヌが古文書を取り出して開く。
 速い動作のわりに手つきが繊細なのは、トレジャーハンターとして身に染みた習慣だ。

 セリーヌは解読不明の文字が躍る古紙をルシフェルに突きつける。

「貴方、人の言葉がわかるくらい高位なんだから、これくらい読めませんの」

「どういう理屈でそうなる。大体、人語を解する魔物が古文書を読めそうだというのなら、そっちの双龍だって条件に当て嵌まるだろう」

 指摘されたギョロとウルルンは即座に首を振る。
 読めないらしい。
 ぎりりとセリーヌが爪を噛んだ所を見ると、かなり本気で言ったらしい。

「やっぱり解読には専門家の力を借りるしかないよ」

「他に手が思いつかないものね」

「でも一ヶ月待ちはいくらなんでも無理ですわ」

「どうしようか。誰か良い手は思いつくかい?」

 問われても意見を出せる者はいなかった。
 皆唸って考え込んでしまい、後は小鳥の囀りが耳に届くばかり。

 しばらく誰一人動かなかったが、ふとルシフェルが顔を上げた。
 クロードは何か案でも思いついたのかと思ったが、彼の表情が軽い驚きを表していたので考えを改める。
 といっても、驚きに値するようなものなど周囲に存在しない。
 何かあったかと尋ねかけたクロードから顔を背け、ルシフェルは大学の方へ目を向けた。
 視線を追えば、遠く大学を背景に、青くて丸いものがこちらへ近付いてきている。

 とても珍妙な光景だった。
 それは青いボールのようだが、転がって移動しているようには見えない。
 どちらかというと、ありえないことだが自発的に動いているように思える。
 障害物の無い場所で直角に曲がるなどどういうことだろう。
 ボールは急に止まったり動き出したりしながら、段々とこちらへやってきている。
 細部が明確になるほど近付いたあたりで、クロードはあることに気が付いた。
 あのボール、手足が生えている。

 クロードの知識の中に、これに該当するものがあった。
 ロボットだ。
 球状のボディから伸びる四肢は無機物、メタリックな青は塗装されたもの。
 簡素な作りをしていて、地球では博物館にしか置いていないような代物ではあるにしろ、二足歩行というだけで十分エクスペルの文明レベルと乖離しているに違いない。正真正銘のロボットだ。
 不可解どころの話ではなかった。
 何故こんなものがここに。

 ロボットはクロードが呆然としている間にもどんどん近付いてきて、仕舞いには彼らの輪の中に飛び込んできた。

「きゃっ」

「なんですの、これ」

 突然現れた見慣れぬ物体に、女性二人が奇異の目を向ける。
 視線に警戒を孕まないのは、危害を加えそうなフォルムではないからだろう。
 ロボットに付けられたまあるい目は、デフォルメされたキャラクターのような愛嬌がある。
 青い球体はくるくると小さな体を回転させて、自身を取り囲む人間達を判別しているようだった。

「これ鉄塊かな。鉄で出来たカラクリ人形なんてきいたことないよ」

「人形というにはおかしな形ね。でもちょっと可愛い」

「可愛いかしら、コレ」

 エクスペル人の三人は、転がり込んできた物体について話しはじめる。
 球体はその声に一々反応しているようで、どう考えても自律型のロボットとしかクロードは思えない。

「どいてっ、どいてどいてーっ」

 ロボットが飛び込んできたのと同じくらい突然声がして、アシュトンが横に突き飛ばされた。
 そうやって無理矢理あけたスペースから輪に入ってきたのは、快活そうな女の子。
 猛然と駆け込んできた少女はアシュトンがたたらを踏むのに目もくれず、一行の眼前で走る勢いのままロボットに飛びつく。
 狩りするライオンのような、手足を全て使った襲い掛かり方だった。
 喝采を受けそうなほど躊躇いの無いダイブはしかし、ロボットの素早い回避に失敗に終わり、女の子は顔面から地面に着地した。
 ズザー、と音を立てながら、小柄な人影はうつ伏せのまま地を滑り行き、ロボットはその間に走り去る。
 見ている方は目を剥くくらいしか出来ないような短い間の出来事だった。
 後は取り残された五人と一人の空間に、無言が横たわるばかり。

「うぅー。いっててて」

 最初に言葉を発したのは、予想通りなのか予想外なのか、首の骨を折りそうなダイブをした女の子だった。
 彼女は砂だらけの顔を上げて頭を振ると、むっくりとその場に起き上がる。

 最初は呆けに取られて観察する暇などなかったが、この子もロボットに劣らない珍妙な姿だった。
 茶髪を高く括ってポニーテールにし、紫で統一された服を着ているのはいい。
 しかし額にかけたサングラスや特殊機能の期待できそうな靴、更には背負われた巨大なマジックハンドが、何処の星からいらっしゃったんですかと尋ねたくなるような外見を作っていた。

 彼女は埃を払いながら首を廻らして周囲を窺ったが、目的のものが見つからないらしく首を傾げる。

「あっれー、無人くんは?」

「ムジンクン、って、さっきの鉄のカラクリのこと?」

「そそ。こんっくらいの、青くてまあるい子だよ」

 女の子は腕で輪っかを作る。
 示された円は逃げたロボットの大きさと大差なかった。

「それでしたらあっちへ走っていきましたわよ」

 セリーヌが杖で指した方向には、遠く土煙を上げて移動する無人くんの姿があった。

「あーっ、あんなところに。ありがとおねーさん。待てっ、無人くーん」

 目当てのものを見付けた女の子はそれだけ言うと、ロボットに向かって駆け出した。
 一同の視線の先、彼女の姿はぐんぐん小さくなっていく。

「今の…」

 ロボットだったよな、と言おうとしてクロードはハッとした。
 仲間は全員エクスペルで生まれ育っているというのに、誰がロボットという単語を理解出来よう。
 嵐のような出来事に思考の大半を奪われて、未開惑星に相応しくない発言をするところだった。
 ひっそり胸を撫で下ろしたクロードだが、その時ルシフェルの様子がいつもと違うことに気付いた。
 大抵のことに無関心な彼が、熱心に一人と一体の過ぎ去ったほうを凝視している。

 クロードは首を捻った。
 彼女らの何処にルシフェルの興味を引くものがあっただろう。
 機械を見るのが初めてだから、というのも考えられるが、おそらくは違う。
 彼が珍しいものに興味を示す性格なら、前に同じようなことがあってもよさそうだからだ。
 だがクロードは一度としてそんなルシフェルを見たことがない。
 今回が初めてだ。

 物珍しさからクロードはじっと観察していたが、セリーヌが古文書について話し出すと、ルシフェルはあっさり余所見をやめて話し合いの輪の中に戻ってきてしまった。
 熱心さを幻覚と疑うような切り上げ方は、興味深そうに見えたのがまるで見間違いのようですらあった。
 クロードは再度首を捻ったが、まあ自立型のロボットを目撃する機会なんか過去に無かっただろうし、本当にちょっと目を奪われただけだったのかもしれないと思い直す。
 ルシフェルと仲間の距離は縮まってきているとはいえ、まだわからないことも多いのだ。
 クロードはそう自己完結して思考を切り上げ、仲間との会話に集中し始めた。

 話し合いの結果、手分けして現状を打開するための情報を集めよう、という結論になり、一同は各自町へ散っていった。


 一時間ほど時は流れて。
 光の勇者ことクロードは、驚きに満ち溢れた目を一点に集中させて、人の邪魔になる位置で突っ立ったまま言葉を失っていた。

 あれから役に立つような話をひとつも聞けず、あまりの進展の無さにクロードは尋ねる場所を変えてみることにした。
 リンガには大学がある。
 今までは道行く一般人に片っ端から訊いていたのだが、今度は大学内の知識人に絞ってみようと考えたのだ。
 そうしてやってきたラクール・アカデミーは、建物が大学本舎と併設する図書館にわかれていたので、最初は狭いほうをあたってみることにした。
 足を踏み入れたライブラリーは、図書館に似つかわしくない見晴らしの良さを誇っていた。
 三階分ある建物を上から下まで吹き抜けが貫き、一階の天井の位置に取り付けられた簡素なテラス以外は、二階部分も三階部分も側壁に本棚が埋め込まれているだけ。
 そしてそれ故に、玄関から一望できるライブラリーの眺めは圧巻だった。建物二階分の壁が全て本棚だというのは、見るものを圧倒する迫力がある。
 一体何処まで本が詰め込まれているのか。
 玄関で立ち止まったまま、クロードはゆっくりと首を持ち上げていき。

 絶句した。

 上から数えて四・五段目、梯子を使っても絶対に届かない天井間際で、本棚を上下に分ける仕切りに腰掛ける影を見付けたからだ。
 その影は丁度人一人入りそうな本の抜けた空間で、空に足を踊らせながら優雅に読書に勤しんでいる。
 細身の青年のシルエット、全身を包む緑のローブ、フードから零れる銀の髪。
 どう見てもルシフェルだった。

 どれほど呆然としていただろうか、我に返ったクロードは大慌てで彼の真下に移動した。
 辺りを見回してこちらに注意するものがいないことを確認すると、小声でルシフェルに呼びかける。
 彼は耳がいいから、この距離でも聞こえるだろう。
 小さな物音がいちいち耳朶を叩く図書館なら尚更のことだ。

「ルシフェル、おいルシフェル。下りて来いって。流石にそれは見つかったら不味いだろ」

 ルシフェルの居る場所は、どう足掻いても人間には座りようの無い場所だった。
 見咎められようものなら、あれはなんだと騒ぎになる。
 魔物だとバレれば、このご時勢だ、パーティー全員町から叩き出されるかもしれない。
 幸い、クロードにもルシフェルにも注目する人物は今の所おらず、周囲は自分の手元に気を取られている。
 天井近くで怪しい動きをしても、梯子に辿り着くまでの短い動作なら気付かれない可能性は高い。

 呼びかけが聞こえたのだろう、ルシフェルはちらりと眼下の仲間に視線を寄越すと、素直に本を閉じて隣に立てかけ、そのまま自然極まる動作で本棚からクロードの隣に飛び降りた。

 クロードは悲鳴を上げかけた。
 上げなかったのは、見られたら不味いという判断が強く働いたからだ。
 咄嗟に口を手で塞ぎ、首を忙しなく回して見られていないか確かめる。
 目に映る全員がそっぽを向いていたので、クロードは安心のあまり脱力しそうになったが、それでもまだ心臓はどくどくと鳴っていた。
 対して仲間の寿命を縮めかけた当人は、纏う雰囲気に相応しい涼しげな顔でローブの埃を払っている。
 他者の心配など露知らぬとばかりの挙動に、クロードは少しムッとくる。

「ルシフェル、もし見られてたらどうしたんだよ」

「見られてはいない。確認してある」

 平坦な声だった。
 彼にとって、一連の出来事に動じるべき事態はなかったと悟らせる。

「大体、なんであんな所に。古文書の解読に役立ちそうな情報はもう掴んだのか?」

「その情報を調べていた。古文書に書かれている文字がどのような文字だったのか、研究している機関はどこか、どういった機関なら持ち込んだ古文書を解析できそうか、そのような情報を書物から読み取ろうとしたのだ」

 随分時間のかかりそうな情報収集の仕方だった。
 文字の種類から探す、という時点で、地道以外のなにものでもない。
 だが地道なだけに成果は期待できそうだった。
 考古学、言語学と一口に言っても、学問内の内訳は細かく、特出している分野は知識人ごとに異なる。
 専門に研究する団体なり個人なりが存在するなら、相当古い書物だ、さわりを話すだけで見てくれるかもしれない。
 そんな学者や学術機関の情報を探しに、あんな場所まで本を読みに行く必要があったのだろう。
 行動理由は納得した。
 だがそれでも人とかけ離れた行動を取るのはいただけなかった。
 他者の目に止まれば確実に人外とばれる。

「それはいいけどさ、あんまり自分は魔物ですって公言するような行為は止めてくれ。心臓が飛び出るかと思ったよ」

 哀願に近い注意にルシフェルは応とも否とも言わず、ただそうかと頷いてクロードに背を向け歩き出した。

「どこ行くんだ?」

「有益な情報は得られなかった。ここにもう用は無い」

 会話を始めても足を止めないルシフェルをクロードは追い掛ける。

「古文書に書いてある文字は特定できなかったのか?」

「それは特定できたが、有効そうな解読先が無いのでな。まだ私たちを追い出した言語学者に解読させる方が確実そうだ」

「じゃあ他の解読してくれそうなところを探すんじゃなくて、どうにかあの言語学者さんに解読してもらう方法を探したほうがいいってことか」

「そちらの方が現実的だな」

「でも一ヶ月を短縮できる手段なんてあるのかな」

「キース・クラスナにコネクションのある人物を探し出せばいい。友好関係の深い相手に頼まれれば大抵は断らないだろう。不確実だが、そういった人間を経由することができれば手っ取り早い」

 話す間にもルシフェルは歩みを止めない。
 足早の彼について行くクロードのスピードも速く、学生達の間を泳ぐように過ぎ去る耳に会話のほとんどは留まらない。
 ソーサリーグローブがとか最近の星の位置のズレがとか、断片的に聞こえる議論をあっという間に通り越して、二人はすぐさまライブラリーの出口に到達した。

 赤茶のドアを開けて外への一歩を踏み出した時、ふいにルシフェルの足の運びが澱んだ。
 この場から出るのを躊躇したとしか取れない動作だが、大学のライブラリーの扉をくぐるのに何の不都合があるのか。
 何かの変事かとクロードは即座にルシフェルの隣に並び、彼の表情を窺おうと首を回した。

 横顔を網膜が捉える暇も無かった。
 青い球体が猛スピードで緑のローブにめり込み、乾いた甲高い音が真横で炸裂した。

「え?」

 衝撃波にそよぐ金髪の向こう、ルシフェルが、プロのスポーツ選手めいた姿勢で青い玉を抱えていた。

「え、ええ?」

 クロードは混乱した。
 ルシフェルは平然と立っているが、見間違いでなければあの青いの、スライムの玉吐き攻撃と同じくらいの速さで突っ込んできたような。
 受け止めた時の音も、重い、いい音がしたし。
 ここが街道なら、クロードは間違いなくモンスターの不意打ちだと判断しただろう。
 目と耳のどちらの器官も、今の一撃がそれ程の威力を誇っていたと伝えてきていて、まったくルシフェルが表情ひとつ変えずに立っていることこそおかしいくらいの見事な一撃だったが、ここは町中、そもそも攻撃されるはずがない。
 つまり、何が起こったかわからない。

 思考が迷走しているせいで硬直してしまったクロードの目の前、ルシフェルが抱えた球体を持ち直し自らの眼前に掲げた。
 球は、地面を焼く強烈な日差しを受けて強く光った。

 青い球だった。
 小柄な少女でも両腕で抱えられそうな大きさ。
 メタリックなブルーからは簡単な作りの四肢が生えており、それは絶えず振り回されていて抱えにくそうなことこの上なく、更にボディを大きく占領するサイズの目がピカピカと点滅している様は、開放を訴えかけられている気分を誘われて尚のこと抱えにくそうだった。

 見覚えがあった。
 どう見ても一時間ほど前に仲間の輪に飛び込んで来た自律型ロボットだった。

「、それ」

「お兄さーん、それそのまま捕まえててーっ」

 クロードの台詞を遮るように、小柄な人影がルシフェルの胸に飛び込んできた。
 正確には、ルシフェルが抱える青い球体の元に。
 人影は細い腕を伸ばし、体格の幼さに似つかわしくない大仰な動きで青年の手からロボットを毟り取る。

「やーっと捕まえたーっ。無人くんゲーット」

 鉄製のボールをガッチリと抱え喜ぶ少女は、ポニーテールにサングラス、背中のマジックハンドだけは消失しているものの馬鹿でかい靴はそのままの、これまた一時間ほど前ロボットを追って仲間の輪に飛び込んできた、あの女の子に違いなかった。
 彼女は笑顔で無人くんを振り回して目的達成の喜びを表現すると、最後にくるりと一回転してから邪気の無い目でルシフェルの顔を覗きこむ。

「ありがとねっ、おにーさん」

 言われた礼にルシフェルはいや、と、当たり障りの無い返事を返した。
 旅人を装う人型の魔物は、多少言葉を交わしただけでは明日にも忘れてしまいそうなほど特徴の無い人間のふりをすることができて、クロードが見てきた限りでは、いつも袖をすり合わす程度の縁にはそう振舞うようだった。
 だから今回も例に漏れないだろう、と、クロードは当たり前のように思っていた。
 だが予測に反して、ルシフェルは少女が持つ無人くんを指差した。

「それはお前が作ったのか?」

 女の子がきょとんとし、クロードは軽く目を見開いた。

「それ、って、無人くんのコト?そだよ、あたしが作ったの。あっ、なーになにおにーさんもしかしてナンパ?」

「ナンパではない。その無人くんとやらに興味がある」

 文句でも言おうとしたのか、ナンパではない、の所に反応して口を開いた女の子は、ルシフェルの言葉を受けて、その格好のままぱち、と瞬きをした。

「あたしじゃないの?」

「そうだ」

「無人くんの方?」

「先ほどからそう言っている」

 女の子がロボットに視線を落とした。

「ふーん………」

 女の子は数秒考え込んだようだったが、やがて何か閃いたような笑みでもってルシフェルを見上げた。

「そんじゃあさ、あたしのウチに来なよ。無人くんより珍しいものがい~っぱいあるんだから」

「お招きにあずかろう」

 ルシフェルは即答した。
 一片の迷いも無かった。
 女の子は嬉しそうにうん、と頷くと、展開が予想外すぎて呆然と二人のやり取りを見ている事しか出来なかったクロードを振り返る。

「連れのおにーさんはどーするの。一緒に来る?」

「えっ」

 話を振られ、クロードは我に返った。
 一緒に来るかと問われても、頭が事態に追いつけていない上話しかけられるとも思ってなかったので、どう答えればいいのかわからない。

「ええ、っと、僕は」

「おにーさんの方はキョーミ無い?だったら、無理にとは言わないけどさぁ」

 歯切れが悪く要領も得ない返事に女の子がコクンと首を傾げる。

 クロードは悩んだ。
 キョーミが無いかと言われれば。
 無いわけがなかった。
 正直な所、かなりあった。
 なにせエクスペルで初めて出会う自立型ロボット。加えて、彼女の家にはもっと面白いものがあるという。
 行きたいが、ここで本当に行ってしまうのは図々しい気がするし、そもそもルシフェルの連れというだけで会話の最中蚊帳の外だった自分が同伴してよいものか。
 話の流れを汲むに、自分への誘いはモノのついでのようでもあるし。

 クロードは頭を掻く。
 間がもたなかったり言い辛いことを言わなければならなかったり、ちょっと困ったことがあった時に出てしまう癖だった。

 数回掻く分だけ迷う。
 が、結論はすぐに出た。
 このエクスペルで機械にめぐり会ったのだ、逃す手は無い。正直になってしまおう。

「うん、いや、僕もあるよ」

「そんじゃ、おにーさんも一緒に来なよ。きーまりっ。じゃあ案内すんね。こっちこっち~」

 女の子がロボットを抱いたまま、飛び跳ねるように走り出した。
 続いて歩き出すルシフェルのローブの袖を、クロードは離れてしまう前に指の先で引く。

「ちょっと待ってくれ、ルシフェル。一体どうしたんだ?」

 ルシフェルが振り返り、目だけでどうしたとはどういうことだ、と問うてきたので、クロードは先を続けた。

「あのさ、今までルシフェルは何事にも無関心、他人だって適当にあしらってきたじゃないか。それなのに、なんで急にあの娘のロボッ、じゃなかった、無人くんに興味を持ち始めたんだ?しかもそれだけじゃなくて、知らない人の家にまで行こうとしてるし。それってなんだか、全然ルシフェルらしくないじゃないか」

「私らしくない」

 正面からじっと見つめられる形で鸚鵡返しにされ、クロードは言葉を詰まらせた。

 人型の魔物はラスガス山脈からずっと共に旅して来た仲間だが、他のどのメンバーよりも仲が浅い。
 勿論、パーティーインの頃と比べれば随分とマシにはなった。
 ごく普通に話しかけ、ごく当たり前に会話をし、接し方も他の仲間と大差はない。
 なのにどうしてもレナやセリーヌやアシュトンといった、人間の仲間には感じない微妙な距離がルシフェルにはある。
 多分、クロードだけが感じているわけではないと思う。皆でわいわいやっている最中でも、黙っているわけでも輪から外れているわけでもないのに、何故か一歩下がった場所に居る雰囲気が彼には付き纏うのだ。
 今のように隣を歩いていても、ひそひそ声で話ができる程近くにいても、こんなことが出来るようになって尚ルシフェルとは他の仲間のように近い気がしない。

 もしかしたら、自分のことを話してくれない、ということが、精神的な距離が開いている原因のひとつかもしれない。

 ギョロとウルルンの例に漏れず、人間の中にあれば排斥されるのが魔物である。
 人語が喋れるくらいに人の世と関わった経歴の中で、異種族をにおわせる話題の筆頭たる過去話は禁忌と学んだのかもしれないが、それにしたって徹底的だ。
 他の仲間が自分の身の上を少しずつ開示していく中、ルシフェルだけは同行を申し出たラスガス山脈の山頂の会話以来、自身の過去を一度たりとも話さなかった。
 無論、これはあくまでも一要因、距離を感じる原因は態度や言葉の使い方をはじめ他にも沢山あるだろうし、昔を知ったからといって急に親密になれるほど人間関係はた易くない。
 だが実際、お互いの距離は中々縮まっていないのが現状であり、クロードがルシフェルの何を知っているかといえば、彼が仲間になってからの本当に少ない間でわかったことだけだ。
 ぶっちゃけてしまえば、ほとんど知らない。
 所詮クロードが描く彼らしさなど、旅の中で構築された思い込みの像、一方的にこうじゃないかなと捉えてしまっているだけだろう。
 そんな経験則だけのイメージではルシフェルの行動を逐一予想するなど到底不可能だろうし、できてせいぜい人間みたいな魔物の次の言葉が「お前が私のことをそんなに理解しているとは知らなかったな」とか、「またご大層な口を利く。お前は他者が自分の想像通りに動くと思っているらしい」とか、大体そんな内容だろうと予測を付けることくらいが関の山だった。

 ところが、ルシフェルは今回もささやかな予想に反した。
 鼻白むでも冷ややかな声を出すでもなく、フードの端を軽く引っ張って目元を隠すと、いつもより感情を込めない声でこう言った。

「別に、あれが珍しかっただけだ。エル大陸でもクロス大陸でも見かけなかったからな」

 冷笑が来ると身構えていたクロードは、閉ざしていた口が接着剤で癒着されでもしたかのように開かなくなった。

 ルシフェルの坦々とした物言いは、取りようによってはこれ以上の追及を避けているようにも聞こえたし、そこにフードで目元を隠す動作が加わってしまうと、これは最早目を逸らすのと同等の行為にしか見えず、だからもうクロードには、見られたくない所を見られてバツの悪い思いをしている図、としか取れなかった。
 バツの悪い思い、など、余裕を漂わせる普段の彼からは考えも付かない挙動だ。
 セリーヌあたりに話そうものなら見間違いだと一蹴されるだろう。
 勿論、クロードの脳内のセリーヌの言う通り、見間違いの可能性は十分ある。
 だが、もし本当にロボットに興味があって、仲間がいることも忘れて夢中になって、いつもと違う行動をとってしまってそこを一から十まで目撃された気恥ずかしさから気まずい思いをしているのなら。
 なんというか、本当に。
 彼らしくない。

「ねーーえーー、おにーさんたちー、早く来ないとおいてっちゃうよー」

 はっとした。
 顔を上げると、道の先で小さくなった女の子が飛び跳ねながら手を振っている。
 考え込んでしまって、長々と立ち止まっていたらしい。
 案内役の彼女との距離が随分開いている。

「行くぞ」

 ルシフェルに促され、歩き出す。
 歩を進めつつちらりと窺った仲間の魔物は、如何な感情も浮かばない、冷めきったいつも通りの表情で、今しがたクロードを驚かせた気まずそうな様子は影も形も無く、その存在を拭い去りでもしたかのようだった。
 さっきのはやっぱり勘違いだったのかな、とクロードは思い直しかけ、ふと、ルシフェルのあまりの涼しげさにとある疑問が浮かんだ。
 すっかり忘れていたが、こうして見知らぬ相手の家を訪ねることになったのも、無人くんが激突してきたことが発端だ。
 魔物といえども術師タイプ。鉄の剛速球を受け止めたのだから、骨のひとつやふたつ折れていてもおかしくない。

「そういえば、さっき無人くんを素手で受け止めてたけど、大丈夫なのか」

「私の体に損傷はない」

 クロードの心配に平坦な声で答えつつ、ルシフェルはひらりと手を振った。
 タコも荒れも無い手の平は骨折どころか、皮のめくれも、腫れすらもないようだった。

「そっか。ならいいや」

 頷きながらクロードは、今のはルシフェルらしかったのにな、と思う。

 ルシフェルは時々、おかしな言葉の使い方をする。
 大抵は自身に関することで、怪我をすれば破損したとか損傷したとか、他にも普通の人ならこういう言い方はしないだろうな、という表現を稀に使う。
 地球出身のクロードには、まるで機械が喋ったらこういう喋り言葉になるんじゃないかと感じる言い回しだったが、ここは機械が普及していないエクスペル。機械の真似、という発想をすることがそもそも不可能だ。
 まあ使い方は間違ってはいないし、これもルシフェルが魔物であり自分を人間と区別しているから起こることなのだろう。
 最初彼がそういう単語を使うたびに感じていた違和感も、旅の日々の中ですっかり消えてしまった。

 クロードはじっと、隣を歩く仲間を横目で見る。
 緑のローブを纏う魔物はまったくの平常通り、今しがた顔を覗かせた、らしくなさ、は、水に潜りでもしたかのようにすっかり鳴りを潜めていた。


「こっこだよ~」

 煙突に青い屋根。
 女の子が指差した家は、道の向こうから望む分にはごく一般的な家屋のようだったが、近付くと違いは顕著になった。
 一番目立つのは真正面。三・四頭もの馬が横並びで通れそうな広い出入り口があり、上部には金属製のシャッターが取り付けてある。
 開いたシャッターから窺える内部は物が乱雑に配置されているらしく、さして整頓に気を使っていない物置のようであり、外観内観合わせるとまるでガレージだった。
 玄関はその脇、玄関なのに影に隠れ、初めて訪れた人は気付かないことも多そうな位置にある。

「さ、入って入って」

 女の子は迷い無くガレージの方へ入っていく。
 見せたい物はそちらにあるのだろうと、クロードも続いてシャッターを潜った。
 途端、ツンとした臭いが鼻をついた。
 エクスペルでは珍しい臭いだった。機械に使うオイルが日光や外気温で熱せられると、こんな臭いがする。
 クロードは奥までは入らず、数歩進んだだけで足を止め、ぐるりと辺りを見回してみた。
 内側から眺めるガレージは、外から見るよりもずっと狭く感じた。
 脚立、ドラム缶、工具が収納された鉄板組みの棚や、あちこちに鎮座した旧時代を偲ばせる機械達が、大幅にスペースを取っているのが原因だろう。
 大柄な無機物の群れは、自然豊かなエクスペルに慣れた身に妙な圧迫感を与えた。

「ねぇねぇ、どお?おもしろい?」

 ガレージの中ほどまで進んでいた女の子が、こちらに期待の眼差しを向けた。

「ああ、うん。そうだね、凄いね」

 正直な感想だった。
 機械の無いエクスペルでこんなにも多様な機械類が揃っていることは、凄いの一言に尽きる。
 何せクロードの周りにある機械類も、後ろでルシフェルが構っている点滅するボタンのロボットも、本来ならこの星で見ることはかなわない筈のものであり、総じてオーバーテクノロジーの体現だった。
 女の子の隣にある手の生えたデカ物なんて、地球の過去の大戦に活躍した装甲兵器の模倣を失敗したようにしか見えない。
 こんな物をどうやって作ったのだろう。先進惑星の関与を疑うしかない品揃えだが、日常生活の役に立たない兵器模造品などは、一体何を目的としたのか。作成に至るまでの流れも、使いどころも想像できなかった。

「あのさ、ここにあるものって、どうして作ろうと思ったんだい?」

 訊きたいことは幾つもあったが、これなら普通のエクスペル人としてもおかしくはないよな、という無難な所をまずチョイスしてみる。
 女の子もまるで質問を不信がらず、えーっとね、と、あっさり答えた。

「親父がさ、ある日突然ぴかぴか光る鉄の塊を拾ってきたんだよね。そっからかな、こういうの作り始めたのは」

「てことは、ここにあるものは、君じゃなくてお父さんが?」

「うん。あたしも作るけど、ほとんど親父だよ。あたしは親父の真似して作り始めただけだもん」

 つまり、このガレージに機械が溢れた原因は彼女の父親であり、溢れさせるだけの知識を伝達したのは光る鉄塊ということになる。
 父親にも是非話を伺いたいが、差し当たっては玉だろう。
 何せ機械の知識が無いエクスペル人に先進技術を伝えることが可能な代物、実際に接触してみないとわからないが、上手くいけば地球に帰る手段が手に入るかもしれないし、そこまで行かなくとも銀河連邦の船と連絡が取れるようになるかもしれない。
 クロードは即座に脳内で、光る鉄塊を見たい旨を伝えられる台詞を組み立て始めた。
 何も気にせずに話せるのならこんな手順を踏む必要も無いのだが、失礼にもならず、未開惑星保護条約にも引っ掛からない言い回しは、少なくともクロードにとって、この星の大地を踏み締めている最中は必須だった。

「では、その光る鉄の塊とやらは何処にあるのだ」

 背中から、頭の中で組み立てかけていた台詞の要点だけを抜き出したような台詞が聞こえてきた。
 振り返ると、先程と変わらない位置、赤黄緑のボタンが規則的に点灯を繰り返すロボットの前で、ルシフェルが目線だけをこちらに向けている。
 女の子がう~ん、と腕を組んで考え込む姿勢になった。

「仕舞ったのは親父だから、親父に訊かなきゃわっかんないや。でも、肝心の親父がどっか行っちゃってるっぽいんだよね~。多分町に出たんだろ~けどさ。おにーさん、光る鉄の塊、見たいの?」

「是非に、な。お前の父親を捕まえてでもお目にかかりたい」

「そんじゃ、ちょっち探してみんね。もしかしたら家の中に居るかもしんないし。おにーさん達、ちょっとここで待っててよ。すぐ戻るからさ」

 女の子はさっと身を翻すと、脇目も振らずに奥へと消えた。

「あ、ちょっと」

 クロードは反射で「そこまでしてくれなくても大丈夫だから」と引き止めようとしたが、言い差した時にはもう、女の子はガレージから居なくなっていた。
 呼び止めようもない素早さだった。
 クロードの中途半端に上げかけた腕が宙に浮いてしまう。
 しばらくふらふらとさせていたが、結局、どうしようもなくてぱたりと下した。
 良心がそこまでして貰うのは失礼なんじゃないかと訴えかけてきているのだが、まあよくよく考えれば光る玉を見たいのは自分も同じ、ルシフェルが言わなければもっと柔らかい言い方で似た内容のことを口にしていただろうし、女の子も気を悪くした風は無かったから、これはこれで結果オーライなのかもしれない。
 そう思い直したクロードは、実際に光る玉との接触を要求した当人と話す為後ろを振り返った。
 数十秒前までルシフェルが観察していたロボットが、孤独にボタンをピカピカ点滅させていた。
 いない。

 あれ、とクロードは首をめぐらせルシフェルを探すが、成人男性みたいに大きなものをわざわざ探さねばならない程ガレージは広くないし、機械類の隙間は豊富に見えて人が納まる大きさではない。

「ルシフェル?」

 呼び掛けも空しく響くばかりで、ガレージの中はがらんとしていた。
 本格的に訳がわからなくなって?マークを浮かべつつあったクロードの頭が、過去の経験から突然ある可能性を導き出した。

「まさか」

 クロードは猛然と走り出した。
 シャッターを潜って外へ出て、すぐにガレージの屋根を見る。
 眩しさに眇めるクロードの目の先、探していた人物は立っていた。
 緩い曲線を描く建造物の頂上を硬い靴底で踏み締める、すらりと背を伸ばしたローブ姿の青年。
 紛れもなく、一分かそこいら前まではガレージに居たルシフェルだった。
 地上からではわかりづらいが、彼はどうも遠くを見回しているようだった。
 「町に出た」らしい女の子の父親を、手っ取り早く高所から見つけるつもりなのだろう。
 ルシフェルは必要に駆られた時の行動が実に素早い。
 それは彼の長所でもあったが、今回はいただけなかった。
 普通の方法でこんな短時間に屋根に上るのは到底不可能、となればルシフェルが持つ独自のやり方、誰かに見られれば一発で魔物とバレるあの赤い羽を使ったに違いない。
 さっきアカデミー・ライブラリーで、魔物らしい行動は控えてくれと注意したばかりなのに、だ。

「…ルシフェル」

 低い声が出た。
 怒気は含んでいないが、若干の固さと咎める響きは滲み出た。
 そのせいか、普段これは必要だと判断したことには譲歩しないルシフェルが、下りろと頼まれたわけでもないのに、呼ばれた名前に反応してクロードの姿を確かめた直後、あっさりと屋根から下りて来た。

 アカデミー・ライブラリーの時と同じように、クロードの真横へ。高所から直に飛び降りる形で。

「…」

 途中までの流れがすでに体験したことの焼き直しである以上、クロードとしても一応予想は付いていた。
 だが穏便を願う心情と真逆の行いをされれば流石に口をつくのは沈黙だ。
 常識人としてはもう一度注意すべきだろうが、この魔物が大人しく言う事をきいてくれるかどうか。

「ごめーん、おにーさんたちー。やっぱ親父さー、居ないみたーい」

 クロードは飛び上がった。
 バックアタックを食らったがごとき勢いでガレージの奥を振り向く。
 父親を探しに行った筈の女の子が、模倣兵器より奥まった場所に立っていた。
 彼女はクロードの剣幕にきょとんとしている。

「どしたの?」

 小首を傾げる女の子に冷や汗を流しつつ、隣を見れば赤い瞳と目が合った。

「見られていないぞ」

 こそりと呟かれた言葉に縋るしかなかった。

「いや、なんでもない、よ。はは、ははは」

 裏返りかけた声は不審の塊だったが、女の子は深く追求して来なかった。
 ふ~ん、と軽い相槌が返ってきただけだ。
 女の子にとっては感心事ではなかったのかもしれない。
 彼女は内心焦りまくるクロードに構わず、先を続けた。

「んっとね、親父は居なかったんだけど、あたしでもここに仕舞ってあるんじゃないかな~ってトコくらいはわかるから、今度はそこ探してみるね。でも、さっきより時間がかかっちゃうかもしれないからさ、おにーさん達、こっちの部屋でちょっと待っててくんないかな」

 クロードは首の留め金が錆びつきでもしたようなぎこちなさで頷いた。
 性格上、いつもならここで遠慮のひとつもするのだが、そんなことが出来る程の心の余裕は、今は無い。
 女の子は不自然な頷き方を気に留める様子もなく、んじゃあこっちね、と、父親を探しに行った方とは別な扉を開け中に入っていった。
 クロードはその場で彼女の一挙一動を見守っていたが、ガレージから小柄な姿が完全に消えると、詰めていた息を一気に吐いて脱力した。
 体重を支える道具を欲して、スグそばのドラム缶に手をつく。
 額を拭うと、手の甲に冷や汗の水滴が付いてクロードは顔を顰めた。

「私が飛ぶ所を誰かに見られていないか気にしているようだが」

 項垂れるように物に体重を預けるクロードに、雪解け水のような温度の声が降って来た。
 今だ治まらぬ動悸のまま顔を上げると、声色と同じくらい凪いだ表情のルシフェルがこちらを見ている。
 彼は横目ながらもクロードと目を合わせ、きっぱりと言いきった。

「私はそんな迂闊な真似はしない」

 それでもう言いたいことが無くなったのか、ルシフェルはいつも通りの足取りで奥へと進み、女の子の後を追ってガレージから出て行った。
 一人残されたクロードは、虚脱感やら徒労感やらその他諸々の自分でもよくわからない感情に圧し掛かられ、ほとんどドラム缶に寄り掛かる姿勢になりながら、相手に聞こえてないとわかっていても、それでも力無く呟いた。

「そういう問題じゃなくて、いや、そういう問題なんだろうけど、とにかくこっちが怖いんだって」


 ようやく歩いて喋れるくらいに回復したクロードが扉を開けると、気力を取り戻す際に振り払った筈の現環境下への心配が、さながらフリスビーのように舞い戻ってきた。

 扉の先には、エクスペル一珍妙な部屋が広がっていた。
 趣味が良い悪いの観点を超えた置物があちこちにある。
 やたらめたら複雑な文字が躍る縦長の絵がある。
 地球では化石と化した文字盤使用のメーターがあって、これまた地球では化石と化したガラス使用のモニターがあって、奥には物体制御の昇降機らしきものまである。
 惑星クラスの異文化の坩堝だった。
 それでも部屋は住居の一部として不足無く機能しているようだったが、割と弄くられていない基礎部分に焦点を絞って観察してみても、床と土間を繋ぐ階段は玄関ではなくガレージ側に伸びていて、毛織物とも木板とも違う植物素材の床にはクッションが直に置かれ、中央に据えられたテーブルは脚部を隠すくらいの大きな布が天板の下に挟んである独自仕様である。
 滲み出る生活感から、居住区域、おそらくは居間に当たるだろうことはとりあえず察せられるだけの、無秩序でありながら何処と無く統率のとれているような、摩訶不思議な空間だった。
 そんな様相の居間の安息提供区域らしき箇所に、ルシフェルはいた。
 褪せたローブを脱ぎもせず、床に置かれたクッションに座ってテーブルの布の中に足を突っ込み、頬杖をつきながら暇そうにモニターを眺めている。
 まるでぼうっと窓の外を眺めている時のように微動だにしない。

 だがまあ、それはいい。
 ガレージでのきょろきょろ具合が何だったのかと思うほど散見する機械類に興味を示さないのは不思議だったが、もしかして居間の中には気に入る品が無かったのかもしれないし、そういうこともあるのかなと流すことができる。
 第一、大人しい。
 問題は、部屋に入った時からずっと聞こえ続けている音だ。
 部屋の外、ガレージとはまた別の方向から、がったんがったんと物を乱暴に扱う音が、扉を開けた瞬間から絶えず聞こえてきていた。
 時々音と同じ場所から「あーっ、玉露きれてるー」とか「あっれー、砂糖ここに置いといた筈なのになー」とかいう声も聞き取れた。
 お茶を用意してくれているのだろう、ということは三歳児でも理解できるだろうが、言葉の内容も器物が立てる音も不穏すぎる。
 女の子の身の安全と同時に、お茶を飲む自分の身の安全も心配する必要性を感じるものだった。
 そして、お茶を出されるであろう自分以外のもう一人が、人外の聴覚を有しているにも関わらず、そんな物音に一切の不動を決め込んでいる様といったら、最早シュールの域であった。

 思わず会得してもいないオラクルでトライア様に縋りたくなったが、習得していない技能を使えるわけもなく、ただ電球に照らされた天井を仰いでいると、耳がじゃんじゃらじゃらじゃんッと金属が連続して落ちる音を拾った。
 大量のスプーンを一気に落としたような音だった。

「あの娘、大丈夫かな」

「怪我をした気配は一切無い」

 ほとんど独り言だったので、返事が返ってきたのは意外だった。
 テーブルを見れば、いつの間にかルシフェルがこちらを向いている。
 ガラスモニターを眺めていた時のように暇そうに頬杖をつく様子が、いつまでそこに突っ立っているんだ?と問い掛けているようであり、クロードは流石にいつまでもここにいるのもな、と、寛ぎの場へと移動した。
 先人に倣ってテーブルの布をめくり、足を入れる。
 部屋に入った時から寛いでいた魔物と同じ体勢をとった頃には、ルシフェルはもうガラスモニターに視線を戻していた。
 クロードも改めて眺めてみるが、煌々と光る画面は動かない。
 解読不明の三種の文字が、壁掛けの絵のように張り付いている。

「それ、おもしろいのか?」

「ただの暇つぶしだ」

 暇をつぶせるとも思えない画面だった。
 一体どこをどうすればあのみっつの図形じみた字が暇つぶしになるのか大そう疑問だったが、魔物の感性では暇つぶし程度には愉快なのかもしれない。
 そうクロードは自分を無理矢理納得させて、ルシフェルの答えを聞いた瞬間に降って湧いた「あれのどこがどのように暇つぶしになるのか」という質問を飲み込んだ。
 実際に口にしたら、ルシフェルにも家主にも失礼だからだ。

 クロードが内なる自分とのくだらない戦いに勝利した時、女の子が籠もっているであろう部屋から一際大きなガッシャーンという音と「ああーっ!」という悲鳴が重なった。
 反射で扉を見る。
 ずっと五月蝿いくらいだったのに、シン、と静まり返るあちら側。
 ルシフェルが大丈夫だというからあえて覗かなかったが、これは不味いんじゃないかとクロードは腰を浮かしかけた。

「五体満足だ」

 布から半分くらい出した足の動きが止まる。

「いや、今は怪我してないのかもしれないけど、物が割れた音がしたんだ。行った方がいいかもしれない」

 半ば自分に言い聞かせたクロードが再度テーブルから出ようとした時、突然、バーンと音を立てて扉が開いた。
 例の女の子が、何事も無かったかのように色々な物を乗せた盆を持って走り出て来る。

「おっ待たせ~」

 彼女はそのまま土間から駆け上がると、勢いよく盆をテーブルの上に乗せ、ポットと、スプーンと、化粧箱と、最後に湯気の立つ湯のみをクロードとルシフェルの前にドンと置いた。

「ごめんね。今、お砂糖切らしちゃってるみたいなんだ。だからこのジャム、代わりに使ってよ。空にしちゃってもヘーキだから。そんじゃ、あたしは探しに行くね。ど~ぞ、ごゆっくり」

 ジャムの説明を終えると、女の子は入ってきた時と同じ速度でいなくなった。
 またしても声をかける隙さえなかった。
 完全に気圧されたクロードが、またふたり取り残されてからぽつりとこぼした。

「嵐みたいな娘だなあ」

 今度の独り言に返事はなかった。
 クロードも期待はしていなかったので、部屋に居るもう一人にリアクションを求めることもなく、そのまま湯のみの中を覗き込んだ。
 渋い緑の茶器の中に、濃い赤茶の液体がなみなみと入っている。
 容れ物は湯のみでも、ものは紅茶らしい。
 お茶くみにしては随分派手な音を立てていたが、出されたものはごくごく普通のお茶に見えた。

 揺れる水面に、クロードは急に喉の渇きを覚えた。
 思い返せばリンガに来てから、暑く乾燥した空気の中、休憩もとらずに人にものを尋ねまわって、現在まで何も飲んでいない。
 喉の乾き具合からすればすぐさま飲んでも良かったのだが、軽い空腹も覚えていたので、クロードは化粧箱に手を伸ばした。
 手にかけた箱は、すでに開けられていた。
 瓶が入るふたつのスペースの片方が、ぽっかり空いている。
 現状、箱を開けてジャムを手に取れる奴なんて、この部屋にひとりしかいない。
 顔を上げれば案の定、テーブルの四方の一辺を独占して座るルシフェルが、ジャムの瓶を手の中で回転させながら眺めていた。
 紅茶に入れるつもりなのだろうか。
 ルシフェルが甘い物好きだった記憶は無いが、もしかして、好きな種類のジャムなのかもしれない。

「それって、何のジャムなんだ?」

 好奇心に押されて訊いてみると、ルシフェルは手首を半回転させ、ラベルを正面に持ってきて印刷面を棒読みしはじめた。

「“町の特産品、アイアン・シルバー・ゴールドをたっぷり混ぜ込んだ、ここでしか出会えないサルバの新名物。ドルフィン・キック特製、鉱石入りジャ」

「ごめんありがとうもうそれ以上は言わないでくれ」

 ルシフェルの棒読みをぶった切って、クロードはそそくさともう片方のジャムを引き寄せた。
 そういえばいつだったか、ジャムを買いに行った際売上が伸び悩んでいると漏らされたことがあったような。
 新しい商品を開発したほうがいいかどうかとか。
 しかし、幾ら何でも、新商品を売り出すにしたってもっと他にあっただろう。主にまともなのが。
 なんてものを作ったんだ、ユキさん。

 よく見るとキラキラしている鉱石入りジャムに薄ら寒いものを感じつつ、クロードは箱に残された瓶を観察する。
 透明感の無い真っ赤なジャムは、キラめいてもいないし、色も普通だった。
 クロードはその無難さに、これなら大丈夫そうだ、と安心し、多めに湯のみに投入させてもらうと、ティースプーンでさっとかき混ぜた。
 透明感のある赤褐色が、瞬く間にジャムの明るい色に濁る。
 さあ飲もう、と湯のみを持ち上げかけた所で、ルシフェルが自分の湯のみの周りを指でなぞっているのに気が付き、クロードは動きを止めた。
 複雑な指の動きだ。紋章をそらで描いているような。
 はたしてその通りだった。指が一周すると、テーブルのなぞられた部分が仄かに光って簡素な紋章が浮かび上がった。
 図を描く光は、すぐに溶けるようにして消えた。
 後には紅茶を讃えた湯のみがあるばかりで、特別何かが変わった様子はない。

「何をしたんだ?」

 ルシフェルはさらりと答えた。

「紅茶を冷ましていた」

「え」

 クロードは軽く戦慄した。
 まさか、と、いう想いがこもって、声が若干高くなる。

「猫舌なのか!?」

「いや」

 素っ気無い、しかしはっきりとした否定にクロードは早々に落ち着きを取り戻したが、今度は別な疑問が湧いてきた。

「じゃあ、なんで冷ましたんだ?」

「すぐわかる」

 回答拒否とも取れる答えだったが、ルシフェルが相手ではこれ以上追求しても無駄ということを、クロードは知っていた。
 これから提示されるであろう答えを先に教えてくれるほど、彼は親切ではない。
 不必要だと感じたことをやってくれるような相手ではないのだ。

「あれ?っていうかルシフェルって、水属性の術なんか使えたっけ?」

「これは水属性の術ではなく、対象となった物体の熱量に空気を介して干渉し」

 そこでふつとルシフェルは口を噤んだ。
 ちらとクロードを見た後、だるそうにそっぽを向く。

「大した術ではない。水属性の術でもない。そう気にかけるものでもないだろう」

 途中で説明が面倒臭くなったな、と、クロードは目線で適当な返答を非難したが、端折った本人はどこ吹く風である。
 悪びれる様子がまるで無い。
 こういう時のルシフェルも、何を言っても無駄だった。
 まあ紋章術は専門外だし、一から十まで説明されても途中でついて行けなくなるだろうから、ここで食い下がる必要もないだろう。
 そんなことより、喋ったらますます喉が渇いた。
 クロードは食らったお預けをようやく解禁されでもしたように、湯気の減った紅茶を一気に含んだ。
 食道に通すことが出来なかった。
 赤い液体が瞬間的に逆流して噴き出した。

「げっほげほげほげほっ、なっ、何だこれ、めちゃくちゃ辛いぞ!?」

 苦しそうに咳き込むクロードに、噴出する紅茶の軌道上から俊敏な動きで上半身を退避させたルシフェルが、自分の湯のみを素早く押し付けた。
 クロードはそれを引っさらうようにして一気に飲み干して、あっという間に最後の一滴まで嚥下してぷはっと大きく息を吸うと、それでようやく人心地ついた。
 それでも、室内の温い空気に触れる舌は痺れたままだった。

「な、何だったんだ、これ」

 まだ軽く咳をしながら紅茶に入れた方のジャムを掴み、生理的な涙の浮かぶ目でラベルのプリントに目を通す。

「…、…、…あのさ、ルシフェル」

 クロードは瓶を握り締めながら問うた。

「紅茶を冷ましてたのは、もしかして、今の為だったのか?」

「そうだが?」

 当然とばかりに答えられて、クロードはぐったりとテーブルに突っ伏しそうになった。
 確かに受け取ったお茶は氷を入れたように冷えていて、烈火のような舌を効果的に癒した。
 だがしかし。

「今度からは冷たい飲み物を用意するんじゃなくて、ジャムを入れる前に止めてくれよ」

 疲労の色濃いクロードの懇願に、ルシフェルは対応の何処が間違っていたのかわからない、といった困惑が透けて見える表情になったが、それでも戸惑い気味に頷いた。
 応と返してきた以上次回からは要望通りにしてくれるだろうが、どこが不味かったのかは確実にわかっていない顔である。
 ルシフェルはズレる時には本当にどうしようもないほどズレる。
 静止したガラスモニターで暇が潰せたり今回のジャムの件だったり、魔物の感性ってどうなってるんだよ、と、クロードは心の中でぼやかずにはいられなかった。
 紅茶に入れたジャムのラベルには、唐辛子、の文字が、でかでかとプリントされていた。

 その時、異様な沈黙を壊すように、がちゃり、とドアの開く音が居間に響いた。
 鉄の塊を探しに行った女の子が、心なしか元気の無い足取りで入って来る。

「ごめんね、おにいさん達。鉄の塊、見つかんなかった」

 声色すらしゅん、としている女の子を、クロードは優しい、しかし力ない笑顔で迎えた。

「君が謝ることなんてひとつもないよ。こっちが頼んだことなんだから。それより」

 クロードは視線を、テーブルの手前から奥へと滑らせてゆく。

「申し訳ないんだけど、布巾を貸してくれないかな」

 吹き出した紅茶が、まだそのままだ。


「ほんっと~に、ごめんね」

「大丈夫だから、気にしないでくれないかな。恐縮するのは寧ろ、ここまでして貰ったこっちの方さ」

 謝る女の子に、クロードは大したことじゃないよ、と手を振った。
 砂糖が切れていたからと土産物のジャムを急遽引っ張り出した彼女に責は無いし、家に招いてくれて、探し物もしてくれて、おまけにお茶まで用意してくれた厚遇に、多少のトラブルが混じったとしても、怒る気にはならない。

「でも、初対面の僕たちにどうしてここまでしてくれるんだい?こんなに親切にして貰える心当たりが無いんだけど」

 アカデミーの入り口でお招きを受けた時から、クロードにはずっと気になっていたことだった。
 他人の世話を焼くことが生きがいの人種はいるものの、彼女はそういった方々とは振舞い方が違うように見える。
 まるでクロード達の来訪に浮かれているようでもあったが、口に出した通り、歓迎される謂われはない。

「それは、おにーさん達が無人くんに興味を持ってくれたからだよ」

 女の子の面には些かの喜色と照れが浮かんでいる。

「初めてだったんだ、純粋に機械にキョーミ持ってくれた人って。ねえ、おにーさんはどーして機械にキョーミ持ったの?」

 クロードの表情が固まった。
 地球に帰れるかもしれないからです、などとは口が裂けても言えるわけがない。
 期待に目を輝かせる女の子と真正面から対峙しながら、クロードは汗の滲む拳を握り締めた。
 どうしよう。機械はすでに知っていたけれどエクスペルでは初めて見かけたので、ではどうだ。
 いや駄目だ。怪しまれて終わりな上に、未開惑星保護条約に喧嘩を売っている。

 女の子に真っ直ぐ見つめられながら、クロードは必死に考える。
 機械、機械、機械、機械に関する上手い言い訳。
 ぐるぐると回転する脳内に、ふと黒い端末がよぎった。
 記憶の彼方より呼び起こされたそれを認めた瞬間、クロードは決断する。
 そうだ、あれしかない。
 クロードは唐突にポケットに手を突っ込むと、中身を掴み出してテーブルの上に置いた。
 お披露目したのは、アンテナの先端から規則的に光を放つだけの箱と成り果てた、通信機だった。

「実は、こんな物を持っていてさ」

 こちらがすでに機械を保有しているのなら、同種のものに興味を示しても不自然では無いだろう。
 上手い言い訳になるはずだ。
 と、いうか、なってもらわなければ後が無い。
 そして、通信機を出したのはもうひとつ別の思惑があった。
 努めて真摯な表情で、クロードは口火を切る。

「全然動かないんだ。壊れてるんじゃないかと思うんだけど、君が機械に詳しいのなら見てくれないかな」

 本当の所、壊れている確証は無かったが、動かないことに嘘は無かった。
 通信機はレナの故郷で目を覚まして以来、何処とも繋がってくれない。
 不通の原因がただの電波の範囲外なのか、ミロキニアからエクスペルへ飛ばされた際に故障したせいなのか、クロードは判別できずに今の今まで手をこまねき続けてきた。
 もし、彼女に故障しているかどうかの判別ができて、修復の技術まであるのなら、帰路の確保も夢ではないかもしれない。

 女の子は黒い小さな箱を興味深そうに一瞥する。

「へ~、おにーさんも機械持ってたんだ。これってどこで手に入れたの?親父みたいに拾った?」

 言葉に詰まった。
 軍で配布されて、とは当然言えようはずもない。
 クロードは唾を飲み込み、乾いた声でかろうじてこう答えた。

「も、貰ったんだ」

「貰ったの?誰に?」

「…知り合いに」

 中々無理のある内容だったが、聞かされた方としてもまったく無いとは言いきれない、微妙なラインだった。
 嘘をついていないだけの、深く突っ込まれたらボロが出まくるであろう弁明に、しかし女の子はそれ以上追求せず、そーなんだ、の軽い一言で質問を切り上げると、後はとっとと通信機を観察し始めた。
 そしてそんな様子にクロードは、同席している二人にばれないようこっそり安堵の溜息をついた。

「………う~~~~~~~~~~~~~ん。駄目だ、あたしじゃ直せないみたい」

 女の子はしばらく通信機を弄くり回していたが、やがて、おっ手あげ~、と、テーブルへ戻してしまった。

「そうか。ごめん、無茶言って」

「貸せ」

「へ?」

 苦笑しながらポケットへ通信機を戻そうとするクロードの手が、途中で止まる。
 それをくれ、とでも主張するように、ルシフェルが通信機に手の平を向けていた。

 クロードはルシフェルを凝視し、次いで手の中の機械を見下ろした。
 まじまじ、と眺めてみる。
 どこかおもしろそうな箇所でもあるのか。
 穴が開くほど眺めたが、いくら眺めてもさっぱりだった。

 発見を諦めたクロードがそっとルシフェルに通信機を渡してやると、彼は修理を依頼した女の子と同じくらい熱心に観察しはじめた。
 機械といっても自発的に動ける無人くんとは大きく違い、アンテナが光る以外はただの黒い箱なのに、である。
 やっぱり魔物の感性はわからない、と、そろそろルシフェルを見る目が遠くなってきたクロードのそばで、女の子がテーブルの上の蜜柑をとって剥き始めた。

「それにしても、うち以外に機械があるなんて思わなかったや。おにーさんに機械をくれた人も、空から落っこちてきたのを拾ったのかなあ?」

「そ、それはどうかな。聞かなかったから、わからないな」

 女の子が蜜柑を剥くにつれ、爽やかな柑橘類の匂いが居間に広がった。

「そっか。んでもさ、おにーさんも持ってるってことは、探せば案外あっちこっちにあるかもしんないよね。リンガじゃあたしと親父しかいないけど、おんなじよーに機械作ってる人が、他の町には居たりするかもしんない。ね、おにーさん。おにーさんは別なトコから来たんでしょ。おにーさんが居たトコには、他に機械持ってる人って居なかった?」

「うーん、僕らはクロス大陸から来たけど、一度も見なかったな。残念だけどね」

「クロス大陸?そんな遠くからリンガに来たの?」

「うん。クロス大陸のアーリアって所から出発して、サルバと、クロス王国、クリクに、マーズ、あとはハーリーを回ったんだ。ラクール大陸に来てからはヒルトンとラクール王国、それと、この町ぐらいかな。足を運んだのって」

「ほぇ~、すっごいや」

 女の子は目を丸くしながら、蜜柑を口に放り込んだ。

「ん、あれ、クリク?クリクって災害に襲われたっていう、あの?」

 ああ、と、クロードは痛ましさの混じる表情で肯定した。

「でも、僕らが行った時にはまだ健在だったんだ。エル大陸のテヌーって港町まで船が出てたから、それに乗ろうとしててね」

「エル大陸?テヌー?おにーさん達、エル大陸に行くつもりなの」

 言葉尻にはおそらく、何しに、と続くのだろう。
 尤もな疑問だった。
 魔物が凶暴化の一途を辿る昨今、わざわざ異変の中心地であるエル大陸へ渡ろうとする旅人はそうはいない。
 当然の疑問を解消してあげるべく、クロードは理由を口にした。

「ソーサリーグローブの調査をしに行く途中なんだ。クロス王から許可も貰ってあ」

「ソーサリーグローブ!?」

 突然、女の子がテーブルに両手をついて立ち上がった。
 ぎょっとするクロードに、彼女は勢いよく詰め寄る。

「おにーさん達、ソーサリーグローブを調査しに行くの!?」

「あ、ああ。そう、だけど」

「あたしも行く!」

「なんだって!?」

 クロードは目を剥いた。
 いくらなんでも突然の申し出すぎる。

「あたしも行きたい!お願い、連れてって」

「む、無理だって」

 畳み掛けるように迫られながら、それでもクロードはなんとか首を横に振った。
 こんな重要事項を簡単に承諾できるわけがない。
 クロードの反応は一般人として至極真っ当なものだったが、女の子は不服のようだった。

「何で!」

「何で、って」

 当たり前じゃないか、と言いかけてやめる。
 クロードの頭が、それでは彼女は納得してくれない、ということを、警報によく似た音で教えていたからだ。
 何故だかはわからないけれど、普通の人に納得してもらえるものとはまた違った、彼女用に用意した答えが必要なのだと、そんな気がしてならない。
 クロードは何とか諦めて貰えるように、と、連れて行けない理由の内訳を一つずつ取り出して、どんな人にでも理解出来るようにして並べてみた。

「ぼ、僕達はまだ知り合ったばかりだし、よく知らない相手と一緒に旅には行けないよ。それに道中は危険なんだ。君みたいな女の子を連れては行けない」

「うー、わかった。じゃあ自己紹介しよっ。あたしはプリシス。プリシス・F・ノイマン。おにーさん、名前は?」

「クロード・C・ケニー。こっちがルシフェル。って、自己紹介したからって問題は全然解決してないぞっ」

 流されかけてしまったクロードが慌てて突っ込みを入れる。
 だが突っ込まれた当のプリシスは飄々としたものだった。

「えーっ、そんなことないよ。お互いの名前がわかったんだから、もうバッチシ問題ナシじゃん」

「全然バッチシじゃない。大体、危険があるって方はどうするんだ。街道にもモンスターが出るんだから、自分の身くらいは守れないと一緒に連れては行けないぞ」

「そんなら平気。無人くんが武器になるもん」

 プリシスは脇に控えていた無人くんをひょいと抱え上げた。
 丸くてちいさいボディのロボットが、拘束されたからなのか目をチカチカさせる。

「無人くんが?」

 クロードは思わず聞き返した。
 膝丈ほども無い球状の、愛らしい外見のロボットに戦闘能力があるとは信じがたい。

「無人くんはこう見えて変形だって出来るんだから。そこまでしなくったって、フツーに投げちゃってもいいしね~」

「変形だって?」

 つい尋ねてしまったクロードだった。
 地球ではとうに実用化されているが、変形は比較的高度な技術である。
 少なくともペンチやレバーだけで太刀打ちできる代物ではない。
 それを技術伝達の媒体があるとはいえ、たったひとりの理解者が傍らに居るだけでエクスペルで成功させたのであれば、これは凄いどころの話では納まらない。
 更に彼女は、投げる、とまで言った。
 変形機能を搭載した機械類は総じて脆い。これは、工学技術の発達した文明圏の常識である。
 変形機能内蔵の機械を手荒く扱うのであれば、衝撃に弱い箇所を守る何がしかの技術もまた必要になるが、これまた変形技術と同じように高度であった。
 彼女が両方を成功させているのであれば、これはもう、とんでもないと表現しても大げさではないだろう。
 現エクスペルに存在すべきでは無い技術者である。

 にわかには信じられない事態だが、戦える戦えないのくだりが嘘であったなら、町から出た直後にバレてしまうことはどう足掻いても避けられない。
 そんな見え見えの嘘をつくとは思えないから、本当だと仮定していいだろう。
 であれば、変形と投擲のくだりも連鎖的に本当と考えていい。
 そして本当であるのなら、彼女を仲間として迎え入れれば、凄腕の技術者としての活躍が大いに期待できそうだった。

 それ程までの技術力の高さをカミングアウトしたプリシスだったが、エクスペルでは自覚しようもないのだろう。
 威張りも誇りもせずに、床に立たせた無人くんと相対しながら困った素振りで頬を掻いている。

「ここで変形するトコ見せてもいーんだけどさぁ、そーすると居間がぐっちゃぐちゃのめっちゃめちゃになっちゃうんだよねぇ」

 主人の呟きに、無人くんは不規則に目を点灯させた。
 言葉を認識しているのかいないのか、単に音声に反応しているだけなのか、判断に困る動きだった。

「ん、まあここでは変形させらんないけど、外行けばすーぐ証拠見せられるよ。そしたらあたしも戦えるってわかるだろーから、これで問題解決だねっ。クロードっ」

「いや、問題解決だねっ、て」

 確かにひとつは解決したような気もするし、メリットも見つかったような気がするが、だからといって大丈夫、というわけではまったくない気がする。
 問題はまだある筈だ。
 しかし、それを整理して彼女を納得させられるだけの言葉にする前に、プリシスが頭から怒りマークを出した。

「な~に、なに。もうお互い知り合ったし、魔物とも戦えるって証明したじゃん。なのに、なんでダメなのさっ」

「そ、それは」

 すぐさま答えないと途方も無い剣幕の怒りを買いそうだったが、咄嗟だからか、怒っている女の子を目の前にしているからか、やはりクロードにはプリシスを納得させられると思しき理由が言語として構築できなかった。
 進退窮まったクロードは、助けを求めてルシフェルを見る。
 彼はこの騒ぎの中、我関せずとばかりに黙々と通信機を調べていたが、会話はちゃんと聞いていたらしい。
 無言のヘルプにもしっかり反応して口を開いた。

「こうした事態の判断はそちらに任せる」

 反応しただけで、何の役にも立たなかった。
 仲間はいるのに味方はいないという絶望的な状況にクロードは頭を抱えかけたが、「だが」と聞こえてきた続きに微かに希望を抱いた。

「参考程度に付け加えるのであれば、私の読みでは蹴り飛ばされた無人くんとやらの威力、クロス大陸の魔物の頭部程度は一撃で粉砕するぞ」

 そんなものを読まずに空気を読め、とクロードは思った。
 お前は剛速球の無人くんをキャッチした時そんなことを考えていたのか。

 今度こそ援護の望みを断たれて頭を抱えるクロードとは対照的に、プリシスの機嫌は上向いたようだった。

「ルシフェル、話がわっかるぅ」

「私は賛成はしていない」

「わーかってるって。ねえクロード、ダイジョブだよね。ねっ」

 クロードは恨みがましい目でルシフェルを睨みながら、弱々しく抵抗を試みた。

「何でソーサリーグローブなんか見に行きたがるんだ?あれは隕石だって話だろ。プリシスが見たっておもしろくもなんともないんじゃないか」

「そんなことないよ」

 プリシスは、あっけらかんとしたものだった。

「だって、親父が持って帰って来た鉄の塊みたいに空から落ちてきたんでしょ、ソーサリーグローブって。だったら、それを持って帰れば、もっと凄いのが作れるかもしんないじゃん」

 世界を恐怖に突き落とした厄災の石を機械の素呼ばわり、とは、過去に派遣されたソーサリーグローブの調査隊が発狂しかねない暴言だったが、本人は至って真面目らしかった。
 言葉に冗談めいた響きがない。

「それにさ」

 プリシスは直前までのカラッとした様子とは打って変わって、顔を俯かせて目を伏せた。

「クロード達が初めてだったんだ。あたしのこと、フツ~の女の子として扱ってくれたのって」

「プリシス」

「ほら、あたしと親父ってさ、こんなんばっか作ってるから、町の人達にはいっつも変人扱いなんだよね。しょーがないって言えば、しょうがないのかもしんないけど」

 一気に重くなった空気の中、クロードはもう一度ルシフェルを見る。
 彼は飽きずに通信機を眺めていた。
 先の発言通り、この件に対しては口を挟むつもりは無いらしい。

 クロードは深々と溜息を吐き、意を決した。

「わかった。一緒に行こう」

「ホント。クロード」

「でも、条件がある」

 顔を輝かせるプリシスに、クロードはこれは譲れない、と、強い口調で言い聞かせた。

「まずは親御さんの了承を得ること。それから、僕らの仲間にも了承を得ること。どちらかに反対されたら、その時は素直に諦めること。いいね」

「うん、オッケオッケ~」

 満面の笑みで頷くプリシスに、本当にわかってるのかなあ、とクロードは不安にならずにはいられない。

「じゃあ、僕達はこれから仲間と合流しなくちゃいけないから、このことはその時に話しておくよ。また来るから、プリシスは親御さんときちんと話をしておいてくれ。行こう、ルシフェル」

 クロードの催促に、ルシフェルが腰を上げた。
 立ち上がった速さから察するに、もうプリシスの家に用は無いらしい。
 大分時間を使ってしまった、とクロードが立ち上がりながら部屋の時計を窺うと、針は想像以上に進んでしまっている。
 しまった、とクロードは顔を顰めた。

「そういや、古文書の解読先の情報、全然集まらなかったな」

「他の三人に期待するしかあるまい」

 確かにそれしかないだろうが、途中から脱線した身で仲間におんぶ抱っこは後ろめたい。
 曇った表情で土間への階段を下りるクロードだったが、ルシフェルは坦々としたものだった。

「途中までは集めていたのだ。そもそも、時間全てを収集に当てたとしても、光明が見えていたかどうかは疑問だ」

「でも、集められた可能性だってあるだろ」

 気持ちの晴れないクロードの背に、明るい声がかけられた。

「何か探してんの?」

 テーブルから出て二人を見送っていたプリシスだ。
 クロードはこの時、初めて彼女に古文書の件を尋ねていなかったと気が付いた。
 プリシスだってリンガの住人なのだ、何かわかるかもしれない。

「古文書を解読して貰いたくてね、キース・クラスナさんって人に依頼しに行ったんだけど、玄関先で追い返されちゃってさ。アポイント無しでもキースさんに会わせてくれる人か、代わりに解読してくれそうな人を探しているんだけど、プリシスに何か心当たりはないかい?」

 ここに来るまでは総スカンだったので過度の期待はしていなかったが、意外にもプリシスはあっさりと肯定した。

「あるよ」

「そうか、やっぱり無いか。………え、あるのか!?」

 あまりのあっさりっぷりに素で流しそうになったクロードに、プリシスはうん、と再度肯定する。

「薬屋の、ボーマン先生。トラブルには何でも首を突っ込みたがるし、どんな相談にも乗ってくれるよ。町の皆は何かあったらボーマン先生に相談するんだ。それに確か、キース先生とも知り合いだったよーな気ィする」

「本当かい」

「うん。案内したげるよ。なんてったって仲間の頼みごとだかんね」

 勢いづいていたクロードが俄かに引いた。

「まだ仲間になるって決まったわけじゃないんだけど」

「むーっ、いいじゃんかあ。細かいなぁクロードは。ま、いっか。ほんじゃ二人とも、外出ててよ。あたしこれ片付けたら行くからさぁ」

 プリシスの視線がテーブルの上の茶器に向けられた。

「わかった。じゃあ、待ってるから」

 ルシフェルを伴って、クロードは家の外に出る。
 ドア越しに聞こえる食器の摩擦音を背景に、乾いて埃っぽいリンガの空気を吸いながら、男二人でノイマン家の玄関に並び立った。
 電気の灯る薄暗い居間にずっと居たから、木漏れ日から射す光が目に痛い。
 クロードの顔は自然、地面へと向いた。
 黄土色の大地に樹木の陰が広がっている。

「思いがけず古文書解読の手がかりが手に入ったのは良かったけど、なんだかとんでもないことになったなあ」

 揺れる木陰にぽろりと溢すと、隣から返事が返ってきた。

「ならば初めから脱線しなければよかっただろう」

 その言い分は無視できなかった。
 クロードは恨みの籠もった目でルシフェルを見る。

「最初にここに来たがったのはルシフェルだろ。大体、なんで機械に興味なんか持ったんだよ。ここに来る前にも言ったけどさ、今日は本当にらしくないぞ」

 ルシフェルはちょっと片眉を上げた。
 その話を蒸し返されるとは思っていなかった、といった表情だった。

 おや?とクロードが首を傾げるより早く、ルシフェルが黒い小さな箱を投げて寄越した。

「先ほども言った通り、珍しかっただけだ。それ以外に他意は無い」

 やっぱり言い訳しているみたいだ、と、通信機を受け取りながらクロードは思う。
 が、返ってきた黒い箱はどう眺め回しても何の変哲も無く、この星では希少な機械類という点以外に特別な何があるわけでもなくて、珍しいという理由が言い訳っぽいと感じた自分にたちまち自信が無くなってしまう。
 そうこうしている内に、背後の扉が開いてプリシスが飛び出してきた。

「やっほ~、おっ待たせ~。ほいじゃ行こっか、二人とも。ボーマン先生ん家にしゅっぱ~つ」

 彼女はくるくると待ち人二人に向き合った後、右手の拳をあげて無人くんをお供に駆け出してしまう。
 クロードとルシフェルが出発するのを確かめもしなかった。

 やれやれ、と肩を竦め、クロードも後を追って歩き出す。
 短時間のうちにたっぷりと見せ付けられたせいか、台風のようなプリシスの行動にも慣れ始めてしまっていた。

 前を行くプリシスを視界に留めながら、クロードは今日一日のことを脳内で振り返った。
 言語学者の家を追い出されてから、随分色々とあった気がする。
 最初は普通に道行く人から情報収集をしていたのに、アカデミー・ライブラリーでルシフェルを見つけてからは、怒涛の展開だった。
 知らない娘の家に行くことになるわ、その娘の家は機械の山だわ、唐辛子ジャム紅茶を飲んでしまうわ仲間が増える予定が出来るわ。
 そして。

 クロードは、後ろからついて来ているルシフェルを盗み見る。
 無表情で土の道を歩む様はいつも通りに見えるが、無人くんを目撃してからの彼はどう考えてもおかしかった。
 あまりにも普段との挙動の違いが目につく。
 ライブラリーで話し掛けてから、出会って初めて見る様子が続きっぱなしの気さえする。
 これで何でもないと気に止めない方がおかしい。
 けれどその理由に、クロードはまだ思い当たらない。
 珍しかったからだとルシフェルは言うが、それで納得できる範囲を外れている。
 おそらく彼は、本当のことを言っていないのだ。

 クロードは本当の理由を見出そうと、合流してからルシフェルが興味を示したものを胸の内でひとつひとつ挙げていった。
 無人くん、ボタンの点滅するロボット、動かないガラスモニター、含めていいのか迷うが鉱石入りジャム、それと最後に通信機。
 一個を抜かして、全てが機械である以外に共通点など無いように思えた。
 やはり、珍しいから気になったのだろうか。
 推定長寿の魔物でも、機械と遭遇するのは初だろうし。
 しっくり来ないながらもクロードが納得しようとしたその時、リンガの強い陽光を受けて、視界の中の無人くんがピカッと光った。

 その反射光が目を刺した瞬間、クロードの脳天を雷のような衝撃が走り抜けた。
 ある驚愕の憶測が、クロードの脳裏に閃いたのだ。

 慌ててクロードは、ルシフェルが興味を持った物をもう一度羅列してみる。
 無人くん、ボタンのロボット、ガラスモニター、鉱石入りジャム、通信機。

 間違いない。
 並べた物には、機械以外の共通点がある。
 何故気付かなかったのか。
 どれもこれもみんな、
 光物じゃないか。

 クロードは驚愕そのものの顔で背後を振り返った。
 尋常ではない唐突さで振り返り、食い入るように自分を見たクロードに、ルシフェルは怪訝そうな顔をした。
 その姿はどこをどう見ても人間の成人男性にしか見えない。
 だがラスガス山脈の山頂で、一行はハッキリと彼の背に生える翼を目にしたではないか。
 そうとも、ルシフェルは魔物なのだ。
 外見が人間そっくりで言葉を喋って文字まで読んで、やることなすこと人のようだったからてっきり人間に近しい存在だと思い込んでいたが。

 彼はこちらが思ったよりも、


 鳥なのかもしれない。


 そうであるのならば、ルシフェルが何かにつけて高い所へ行きたがるのも納得できた。
 彼は種族の本能に従って羽ばたきたくなるだけなのだ。
 日々の会話で感じるズレも妙な空気の読めなさすらも、魔物であるという他に、また別の納得の行く理由があることにもなる。

 嗚呼、とクロードは大きく喘いだ。
 今まで縮まらなかった精神的な距離は、彼の態度や性格や、過去を一切打ち明けてくれない姿勢だって要因のひとつだっただろうが、生物としての差を認識していないが故に起こった齟齬も、そこには含まれていたのかもしれない。
 で、あるならば、クロード達は、その噛み合わなかった分の距離を、これから詰めていけるはずだ。
 すでに一行は、ルシフェルが彼なりに皆に合わせていることを薄っすら感じ取っているし、ルシフェルが魔物でありながら人のフリをしていることも知っている。
 ルシフェルが、あくまでも彼なりにではあるが、人に仲間に合わせてくれているのだから、クロード達だって努力すれば、きっとルシフェルに合わせられる。
 大丈夫、然程難しいことはない。
 自分たちはもう、ちゃんと彼が魔物でありながら鳥でもあるということを前提にして接することが出来るのだから。

 クロードは晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
 疑問が氷解し、心は晴天のように冴え冴えと澄み渡っている。
 体まで軽くなったようだった。
 そんなクロードの頭に、ふと鳥というキーワードからあるアイテムが呼び起こされた。
 そういえば、以前手に入れたものの道具袋の肥やしとなったあれがある。
 もし想像通りルシフェルが鳥だとするなら、入用かもしれない。
 声をかけようとして、いや待てよ、とクロードは躊躇った。
 人間が勝手に付けたものではあるが、あのアイテムは結構アレな名前で呼ばれている。
 幾ら彼が鳥であっても、本質が魔物にあるとするならば、はっきり「食べる?」と口にするのは失礼かもしれない。
 クロードは暫し思案して、ややぼかした言い方をすることに決めた。

「なあ、ルシフェル」

「何だ」

 怪訝そうなままのルシフェルに、クロードはいやに明るく優しい声を発した。

「ペットの餌は好きかい?」

「─────────────────────────────は?」

 ルシフェルはまるで、静寂を求めて訪れた神護の森でチンドン屋の大群と遭遇したような顔をした。
 だがそんな反応が返ってきても、クロードの笑顔は崩れなかった。
 慈愛に満ちた、取りようによっては生温いとも取れる微笑みを貼り付けて、無言で返事を待っている。
 対するルシフェルは、理解不能の境地にある質問をしたクロードが信じられないものでもあるかのような視線を送っていたが、とりあえず自分の出方を窺われている、という一点だけは察したらしい。

「特技用のアイテムに、好き嫌いの類の感情は、持っていないが」

 と、混乱真っ只中とばかりの声で返答した。
 質問した側の本意を判断出来ていない答えだったが、クロードは得心したように一度、深々と頷いた。
 ぼかしすぎて今は伝わらなかったかもしれないが、これから先、このことを忘れずにいてくれて、いつかの未来で真意に気付いてくれれば、それでいい。
 クロードは、さっき以上に優しさをこめて言葉を発した。

「もし入用になったらすぐに言ってくれよ。ペットの餌」

 更なる心遣いの重ねがけに、ルシフェルがクロードに向ける目はほとんど未知の物を見る目と化した。
 それでも、気遣いを受けていることだけは辛うじて汲み取れたらしい。
 絞り出すように、

「あ、あぁ」

 と言いながら、首を縦に振った。
 クロードは笑みを深め、我が意を得たりとばかりに再度頷くと、それ以上会話は続けずに止まっていた足を動かし始めた。
 またおいて行かれそうになっては敵わない。
 後ろでルシフェルが、戸惑いながらも歩みを再開したのが足音でわかった。

 乾いた大地を踏み締めながら、今日は色々あった日だ、と、クロードは思う。
 知らない娘の家に行き、大量の機械を見、唐辛子のジャムティーを飲んで、新しい仲間の加入の予定が立った。
 そして、新たなる発見もした。
 目まぐるしい一日に、しかしクロードは疲れを感じなかった。
 先ほどまでは疲れに圧し掛かられていたのだが、それも全部飛んでいってしまった。
 心の靄を吹き飛ばす、素晴らしい発見をしたおかげで。

 クロードの心は今や、リンガの空のように何処までも晴れ渡っていた。





[30867] 作品解説
Name: しゅがー◆6ebf4a2b ID:a0a0441d
Date: 2013/09/24 22:16
《設定》


 このお話しの十賢者。

 一から開発される。
 産まれたときから兵器。
 命令に背く、ということが考えられないようにプログラムされている。例外無し。


 このお話のルシフェル。

 命令権があるのは政府。普段は十賢者として他九人と行動を共にするが、役割は十賢者内の軍公認のスパイ。
 軍が十賢者を使って政府に悪い事しないか見張る役。
 十賢者が反乱を起こさないか監視、というよりは、軍が十賢者を使って政府に反乱を起こさないか監視している。
 政府は軍にルシフェルのスペックを知られたくないので、自分とこの研究員送り込んで開発させた。
 ランティス博士も基礎製作にしか関わらなかった。
 そのせいでどこまで他の九体と同じなのかランティス博士にもわからない状態。


 ここに至るまでの大まかな流れ

 古代のネーデ政府とネーデ軍は仲悪い。
 お互いネーデの権力のトップになりたい。

 軍「超凄い生体兵器造るよ!」
 政府「ストップ!(そんなもん造って星内武力制圧する気じゃねーだろーな)」
 軍「ふざけんな何口出ししてんだてめー!」

 軍&政府「「喧々囂々やいのやいの」」

 壮絶な話し合いの末にルシフェルが政府所有、他九体が軍所有で決着。


 ガブリエルに人格プログラムをセットすれば十賢者完成、というところでランティス錯乱。
 十賢者の命令を全宇宙の支配又は破壊に書き換える。
 ルシフェルは命令系統が違うので他の素体と同じ方法では書き換えることができなかったが、錯乱中の博士確認せず。

 命令が前のままのルシフェル、他八体が軍相手にばかすか暴れ回るのを見て、

「八体同時相手とか無理。まあ被害出てるのほとんど軍だし、このままお互い疲弊させよう。十賢者は弱ったところ潰して軍は弱体化させて政府に逆らう力無くさせるか。軍再編時に政府の傀儡にするのも有りだな。軍事力弱体中は何でも利用して自分がネーデ何とかする」

 という構想練って命令書き換えられたフリして適当に暴れてた。

 そろそろ他の八体倒すかーという時に、ランティスとフィリアの思考ルーチン入れられたガブリエルの手で十賢者全員エタニティスペースへ(ガブリエルは人格プログラム入ってない状態でルーチン入れられたので、ランティス100%+フィリア)

 エタニティースペース脱出後、ネーデに戻る為に命令書き換えられたフリを続けるルシフェル。
 だが時間が経って錯乱状態から落ち着いてきたランティス博士ことガブリエルが、ソーサリーグローブ落したあたりで「あれこいつ命令系統違ったんじゃね?」ということに気付く。

 見かけ順応で書き換え成功っぽく見えるけど、こいつ頭回るから味方のフリしてるだけかも。他の九人なんか居ても居なくてもどっちでもいいよねー疑わしきは罰せよ私のそばには一人だけでじゅうぶーん。

 そんなこんなでこのお話しの中では疑り深く慎重なガブリエル、何らかの形で反撃される可能性も考え、使用対象を弱体化させる装置(術?)を開発。ルシフェルに使用。万全を期して破壊しにかかるが、ルシフェルはなんとか頑張ってその場から逃走。

 破壊しそこねたガブリエルは、「ネーデじゃない場所で更に弱くしたからすぐ野たれ死ぬだろうしこの星消滅するけど、一応情報収集班探しといて」とサディカマに命令。

 一方ルシフェル。
 「レベル1状態」
 まともに戦えばその辺の雑魚にも負ける。
 テレポートの飛距離も短くなっているので自力じゃエナジーネーデに跳べない。
 情報収集組に見つかると終わりなので目立つ行動が取れない。
 悠長にレベル上げやってたら必要な分レベルアップする前にエクスペル崩壊する。
 設定された命令に基づくなら十賢者全員倒すのとネーデ帰還は必須。

 とりあえず身の安全を確保する為にエル大陸から脱出。
 敵の弱いクロス大陸でレベル上げながらこれからの身の振り方を考えつつ現状打開できそうなものを探して放浪。

 立ち寄ったマーズで魔鳥の涙の情報入手。

 ラスガス山脈で地球人とネーデ人のいるパーティーに遭遇。十賢者のところに行くみたいなのでついて行くことにした。←この話はここ

 魔物呼ばわりされても訂正しないのはその方が人間のふりする必要がなくて楽だから。



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