よしだもろへ先生の漫画版スターオーシャン2セカンドエヴォリューションを読んで思いついたネタ。
後から掲載する設定を読まないと何が起こっているのかわからない不親切設計。
続かない予定だった。
第2話を読む前に作品解説を読むことをおすすめします。
天気は快晴であった。
太陽は真上で燦然と輝いている。
巨大な岩が柱のように乱立する合間を縫う形で雑草が緑を敷いていたが、岩肌が反射する日光は時に目を焼きそうな程鋭かった。
元からこの時期気温は高い。加えて、地にあるモノを炙ろうとしているようにすら思える光の強さで、空気は揺らめいて見えた。
だからだろうか、ここラスガス山脈に足を踏み入れた時から見えていた水流に水を汲みに来て、道を間違えてしまったのは。
銀河連邦で少尉の位に就くクロードは、皮袋を握り締めたまま突き当たった行き止まりで溜息を付いた。
サルバ坑道で出会った双剣の剣士、アシュトン・アンカースに押し切られる形で行うこととなった憑き物落としの第二目的地。
早朝クロスを出発してから歩き詰め。過酷な山道を登り始めてそう経たずに昼が来たので、休憩も兼ねて昼食を取ることになった。
いつもなら持ち歩いている完成品を食べるのだが、折角水があるんだし、ということで、調理して出来立てを食べることとあいなったのである。
調理係はアシュトンとレナ。アシュトンは男だが独り身が長かった為か、レナと匹敵する程の、ひょっとしたらそれ以上の腕を持っている。
女性だがトレジャーハントに命をかけるセリーヌは、調理より紋章術の方が得意らしい。食事を作れなくても野営の時火を点けたりと、何気に細々とした方面で特技を生かすことが多い。
クロードはこのパーティーでリーダー役をあてがわれている。
最終的に大まかな行動の指針を決めるのは彼の役目。
他にも木の枝を集めに行ったり、体を使う仕事は率先して引き受けている。
今回も女性であるセリーヌを気遣って、クロード自ら水の補給役をかって出た。
そこまではよかった。
彼等が煮炊きをする場所から川は近いように見えたので、クロードは視覚を頼りに進めば問題ないと考えた。
誤算はすぐ発覚する。
整備された登山道から外れてしまえば、そこにはもう道などない。
入り組む岩。大きな物は視界を遮り、半端な背丈の物は道を塞ぐ。体を横にして岩同士の隙間を通れるならまだ良い方、最初は広く開いているのに最後は腕しか抜けられないような狭まり方をしている場所もあった。
岩肌が反射する光に満足に目を開けられない状態を強いられ、静止していても汗が滴る外気に常より頭がぼうっとすることも手伝って、クロードは見積もった時間を大分オーバーし、ようやっと目的地に辿り着いた。
さらさらと耳をくすぐる流水音。
濃い水の匂い。
歩を進めていると、ふと石柱の壁が途切れた。
あいた空間を覗き込むと、捜し求めた川が姿を現したのでクロードは深く安堵の息をつく。
川というより水の通り道と表現したくなるほど細い量だが、補給には問題無さそうだ。
ここまで来るのにどれだけ時間を要しただろう、すぐに戻ってくるという範囲で無いことは確かだ。きっと皆心配している。早く水を汲んで戻ろう。通った道は全て覚えているから、帰りは来た時よりも時間をかけずに戻れるはずだ。
つらつらと考えながら皮袋の栓を抜き、苔むした岩肌に膝を付く。
苔が蓄えた水分が布地を通して膝を塗らす感覚を感じながら、澄んだ川に袋の口を付ける。
ふ、と、光が遮られた。
手元と視界が暗くなる。
雲が太陽の下にかかったのかと思ったが、影はクロードだけを覆っているようだった。
人の形をしていた。
飛び退いた。
皮袋を投げ出すのとは逆の手で剣を引き抜き、影に戦闘態勢を取る。
魔物と遭遇したのだと思って構えたクロードの正面にはしかし、パイルシェリーともコボルトキングとも違う姿があった。
相手は川の対岸に佇んでいた。
顔は見えない。
全身を覆う深緑のローブは風化した砂のようにかすれた色合いをしている。
被ったフードで目元が隠れている為表情は読めない。
口元は晒されているようだが、クロードには逆光で見えなかった。
かろうじて体格だけわかる。
細身の男のようだった。
人。
おそらく、旅人。
少なくともクロードにはそのように見えたので、彼は慌てて武装を解いた。
「すっ、すみません!魔物かと思って…」
旅人が他者との突発的な遭遇の際に武器を構える・構えられるということは少なくない。
昔から野盗はいたし、魔物が凶暴化した昨今では更に珍しくなくなった。
普通ならこういう構図になる。
しかし今目の前に立つローブの男はクロードが構えてから謝るまで、微動だにしなかった。
クロードも無反応にはどうしたらいいのかわからない。
剣を持つ手を下ろしたまま、どうしよう、と内心困り果てる。
さらさら、と水の音。
ローブの男は動かない。
クロードも動けない。
沈黙を破ったのは、耐えかねたクロードの方だった。
「あの」
発した瞬間、男に動きがあった。
息を吸い込む音が耳に届く。
喋る直前の動作だ。
「クロードーっ」
聞こえたのは、仲間の声だった。
「アシュトン?」
振り返ると、クロードが来た道とはまた違う方向からこちらに向かってくるアシュトンの姿があった。
彼は遠方から岩の間を縫うようにこちらへやってくる。
「どうしたのさー、皆心配してるよー」
「ごめんごめん、ちょっと迷っちゃってさ」
「クロード、君って案外抜けてるとこあるよね」
「アシュトンに言われたくない」
「え、それってどういうこと。ん?あれ皮袋は」
この時点でようやっとクロードは、自分とアシュトンの他に人が居たことを思い出した。
慌てて正面を向くと、そこにもう人影はない。
熱せられた空気に遠い景色が揺らめくばかりで、ローブの男は影と霞と消えている。
クロードは首を傾げた。
アシュトンとの短い会話の間に彼は何処かへ行ったのだろうか。
対岸は均されたような平たい岩の地面が続いており、少し先は崖になっている。
崖のふちは緩い曲線を書いて、石柱は左右どちらともかなりの距離を置いてしか立っていない。
近場に隠れる場所などありはしないし、下は足音のしやすい岩の地面だ。悟られることなくこの場を去ることは不可能に思える。
崖のように見えて崖ではないかもしれないと川を跨いで対岸へ渡ってみたが、クロードが覗き込んだ途切れた地面の下は直角に近い崖だった。
ぐるりと辺りを見回す。
人影は何処にも無い。
「クロード、本当にどうしたのさ。魔物でもいた?」
アシュトンは投げ出された皮袋を拾いあげた後クロードの隣まで来て彼の不可解な挙動について問うたが、返事がすぐに返されることはなかった。
答える側も今会った相手が人なのか魔物なのか、暑さが見せた幻なのかわからなかったからだ。
結局人影は見つからなかった。
クロードは道すがらアシュトンに今あった出来事を話し、女性陣のもとに戻って心配の大分入り混じった怒りと呆れの言葉を受けた。
予定より遅くなった昼食を食べながら、二人にも不思議な遭遇劇を話す。
「蜃気楼じゃありませんこと?」
卵サンドを銜えたままセリーヌが喋る。
彼女はお嬢様のような口調で喋り持つ雰囲気もそうだが、トレジャーハンターでもあるので多少の行儀の悪さなら気にしない。
野宿のときは時を選ばず魔物が襲ってくるので、食事中に戦闘になることもある。
旅をしていれば自然と完全な食事のマナーというものは失われていくのかもしれない。
「多分違うと思う。凄くはっきりしてたし、初めに彼に気付いたのは影が差したからなんだ」
「でもアシュトンは人影なんて見なかったんでしょ?」
「そうなんだけど、クロードを見付けたらその周りなんかよく見ないですぐ呼びかけたし、その後走り寄ったときも剣は出してたけど戦ってる様子もなかったから、周りには注意してなかったんだ。正直自信ないよ」
「んもう、頼りになりませんわね」
じろりとセリーヌがアシュトンに睨むような視線を向けるが、彼女は別にアシュトンに悪感情があるわけではない。
この女紋章術師は男が優柔不断な態度を取ると厳しい所がある。
「ギョロとウルルンはどう?」
レナが双龍に水を向けるが、答えたのは憑かれた方だった。
「帰り道で訊いたけど、魔物がいないかどうか他の場所を見てたからわからないんだって」
「結局見たのはクロードだけってことですわね」
「幻じゃないなら、魔物か旅人か野盗ってことかな」
「魔物か旅人か野盗、かあ」
南瓜のコロッケを齧りつつ、クロードは記憶を反芻する。
確かに野外で人に会うならこの三択だが、記憶の人物は野盗というには雰囲気が違うような気がした。
暴力で人を襲う者には独特の空気のようなものがあるし、彼らは獲物を値踏みする。
男がこちらに寄越した視線には、そういった価値を推し量ろうとする邪なものや俗世的な欲は感じなかった。
「野盗じゃない思うんだよな。そんな風に見えなかった」
「甘いですわよクロード。世の中には悪人に見えない悪人なんてごまんといますわ。先に人の良さそうな仲間を接触させて、隙を作らせて一斉に襲い掛かる。なんて常套手段ですのよ」
ちっちっとセリーヌが指を振る。
クロードは苦く笑った。
「でも話しかけられもしなかったんだよね」
「うん。セリーヌさんが言うような相手ならなんらかの接触があると思うけど、それも無かったんだ」
「じゃあ魔物か旅人ってこと?でもこの大陸に緑のローブの魔物なんていたっけ?」
人型の魔物というのは実は珍しくない。
コボルトのようにシルエットだけなら人に近いものから、マギウスやチンケシーフのように人にしか見えないものもいる。
彼らが魔物と定義されるのは、人と見れば例外無く襲い掛かってくる特性と、どの個体も寸分狂いなく同じ外見・能力を持つという特徴、文明を持たず野に生息するといった生態からだ。
クロードが遭遇したという人影を魔物の基準に当てはめるなら、まず襲われなかったということが不可解だ。
長くクロス大陸を旅しているが、同一の外見の魔物に遭遇したことはない。
ラスガス山脈に入ってからあまり時間が経っていないので、この場にのみ出現する魔物という可能性も残されているが、やはり襲ってこなかったという点が解せない。
クロードが、ここでふと思い出した。
「そういえば、彼、何か喋ろうとしてたっけ」
「え、喋ったんですの」
「いや、実際は喋らなかったんですけど、喋ろうとしたんです。彼が喋る前にアシュトンから声がかかったから聞かなかったんですけど」
「喋る魔物なんているのかな。ソーサリーグローブが落ちる前からいるギョロとウルルンだって喋らないのに」
「フギャ」「ギャフギャフ」
「いるけど、凄く少ないって。よっぽど高位で知能が高くて、人と頻繁に接触してたような魔物じゃないと無理だってさ。ギョロとウルルンも、片手で足りるくらいしか知らないみたい。全部ソーサリーグローブが落ちる前の魔物らしいよ」
アシュトンという男は背中の龍の通訳としての位置がすっかり定着してしまっている。
「じゃあやっぱり旅人かしら」
「それが一番可能性は高いんじゃないかな」
「一人でここに来るなんて相当腕に自信があるんだろうね。もしかして、その人も魔鳥の涙を狙ってるんじゃ…どうしよう!」
「まだそうと決まったわけじゃないって」
「話そうとしていたのでしたら、野盗の線は捨て切れませんわよ。アシュトン」
クロードとセリーヌに続いて、背中の龍もフギャフギャとアシュトンを宥めているようだった。
祓う側と祓われる側の一人と二匹は妙に仲が良く、パーティーでも疑問に思う者はいない。
「まあ、魔物か野盗なら襲ってきても返り討ちにしてやればいいだけのことですし、旅人でしたらそう害はないんじゃないかしら。でも、アシュトンの言う通り魔鳥の涙が狙いならやっかいですわね。先を越されない為にも早めに出発しましょう」
セリーヌの一言を最後に、不思議な人影の話題は終わった。
適当に雑談をしながら残り少ない昼食を片付け、短い時間胃を落ち着けてから、四人は登山を再会した。
平らな石で出来た急な坂道が途絶え、先頭を歩くクロードは足を止めた。
道そのものは一本で距離もそう長くなかったが、その末にこのようなものがあるとは。
四人全員で空を仰ぐ。
正確には、空にほぼ垂直に伸びる岩を仰ぐ。
多様な凹凸がありわずかに傾斜も付いているので無理をすれば登れそうだが、これ登るの?と思わず誰かに訊いてしまいそうなほどの高さだ。
つい訊こうとして後ろを振り向いたクロードが見たものは、岩の天辺であろう辺りに目を向けうんざりしている三人の顔だった。
一応クロードは三百六十度見回してみたが、目前の岩以外先に進めそうな場所はない。
進む、というより這い登る、のだろうが。
「これ、登るんですの」
「他に行けそうな道なんてないし、そうじゃないかな。道じゃないけど」
セリーヌは登る前から声に若干の疲れが見られる。
ただでさえ女性なのに、露出の多さを考慮すると彼女が一番大変かもしれない。
言っていることに積極性はあるが、声色に積極性が無いのはクロードだった。
クロードは登りたがっていないが、ここまで来たんだし行かなきゃ駄目だよね、という思考もある。
「まあ相手は鳥だし、こんな岩のてっぺんにいてもおかしくない、よね」
レナもちょっと引いている。
アシュトンが三人の間に微妙に流れ出した「やめとかない?」という空気を察して慌て始めた。
「ちょっとちょっと、ここまで来たのに祓い落さないなんて言わないでよ!ちゃんと責任とってよね!」
「わかってるわかってるって。じゃあ、僕が最初に登って危ない箇所が無いか確かめます。アシュトンは僕の次に登りますから、レナとセリーヌさんは最後に来てください。登りづらい箇所があったら、アシュトンが引っ張りあげます」
「え、僕?」
「当然だろ。ギョロとウルルンがいるんだから。二匹に体を支えて貰うか、レナとセリーヌさんを引き上げて貰うかすれば安全じゃないか」
「クロードってギョロとウルルンを僕の一部だと思ってない?」
「はははそんなことないって。じゃあ行くよ」
アシュトンとのじゃれ合いをとっとと切り上げて、クロードはぐいぐいと登り始める。
実際にやってみれば足をかける場所も手をかける場所も豊富にあって、登る前の印象よりずっと楽だ。
いくばくも行かないうちに踊り場のような休憩ポイントもあり、これは意外に容易かもしれない、と息をつく。
二つ目の踊り場に立って下を覗くと、一人と二匹は言われた通り女性陣のサポートをしていた。
といっても、二人ともそれほど難儀はしていないようで、セリーヌはアシュトンと同じく一つ目の踊り場に辿り着いている。
アシュトンも今登っている最中のレナが助けを必要とするか、様子を窺っているだけのようだ。
今なら集中を乱すことにはならないと判断し、クロードは声をかける。
「アシュトン、今居る場所から少し登った所にも」
踊り場がある、と続くはずだった言葉は、突然の爆音に遮られた。
閃光、衝撃。
びりびりと岩が振動して、レナが小さく悲鳴を上げる。
アシュトンが咄嗟に身をのり出してすぐそこにあったレナの手首を掴み、ギョロとウルルンが宿主が落ちないよう近くの岩に齧りついた。
セリーヌは咄嗟にしゃがんで壁際に寄る。
クロードも下を向いていたのでバランスを崩しかけたが、落ちることは無かった。
遅れて、バラバラと落下物が降って来た。
岩や木の破片など。
大体は遠くに落ちたし大きいものも稀だったが、視界の端を人と同じくらいの丸太がかすってぞっとする。
何が、と仰ぎ見たクロードの目に、タイミング良く石柱の最上部で起こった爆発のようなものが見えた。
爆発、と断言出来ないのは、爆ぜた光が緑色をしていたからだ。
すぐにもう一度振動と轟音が来たが、先ほどよりはまだ大人しく、岩肌に縋りつかなければ落ちてしまいそうな程ではない。
落下物も一回目と違い、量も大きさも飛距離も小さい。
「一体何!?」
レナの声がした。
一番危なそうな位置にいたレナが無事なことに、クロードは頂上から目を離さないままほっとする。
「何か、上で」
アシュトンの返事に被せるように、バサリ、と今度は鳥の羽ばたく音がする。
すう、と四人を撫でるように過ぎた影は、大きな翼の形をしていた。
「上で誰か戦ってる!急ごう!」
その結論に至ったクロードは、ひっしと上に続く岩肌に縋りついた。
このパーティーは何故か目の前に危ないことがあると首を突っ込みたがる傾向がある。
そして誰がそういう行動を取っても、大抵突っ込みが入らず残り全員で後続する。
今回も例に漏れなかった。
もう一度最初と同じ規模の爆発が起こったらどうするんだ、と誰も言い出さないことと、そのことに疑問を感じる人間が居ない時点で、このパーティーに突っ込みがいないことが窺い知れる。
クロードは大急ぎで岩を登った。
道中も落雷の音や何かが岩に打ちつけられるような音がし続けたが、岩登りの妨げになる振動がほとんど無かったことは幸いだった。
大した時間もかからずに、クロードは頂上の縁に手をかけることが出来た。
両手に体重をかけて全身を引っ張りあげる。
顔を出した場所は、大きくひらけていた。
奥には人より大きな雛が入りそうな鳥の巣があるが、端が巨大な何かで抉られたように欠けている。
巣とクロードの間には何も無く空間があいているが、今そこはまさに戦いの場となっていた。
見たこともないような怪鳥だった。
白と紫と橙に彩られた体は大きい。
広げられた翼は片方だけでもクロードよりも長さがあり、佇まいも王者の名を冠するに相応しい堂々たる姿形。
あちこちに裂傷がはしり血を滴らせているにもかかわらず、翼をゆるく上下させて空中に静止する様は、今まで見たどの鳥よりも人を威圧する凄みがある。
一目で格が高いと知れる魔鳥と向き合うのは、相手と比べてちっぽけともとれる存在だった。
全身を長い時に晒したようなローブで覆った人影。
今見える唯一の部位は、登っている最中に見た閃光と同じ色の光球を浮かべる白い手のみ。
川で会ったあの男だった。
「さっきの!」
無意識に発したクロードの言葉で、初めて男は第三者の存在に気付いたようだった。
光球はそのままに、フードで隠れた顔がはっと声のした方を向く。
布の影に隠れた目とクロードの目がほんの一瞬、絡み、
そしてその姿勢のままで、男はこんなあからさまな隙を見逃すほど甘くない魔鳥の体当たりを受け、重さを感じさせないほど軽々と吹っ飛んで石柱の頂上から消えた。
「―――――――――――ッ~~~~~~~~~~~~~~!?」
クロードは声も出なかった。
男が落ちたのは登ってきた方向とは真逆。
あちらはラスガス山脈を縦に割ったような絶壁の崖であったはずだ。
自分が声をかけたせいで人が崖に落ちた、とか、落ちた先がどう考えても助からない、とか、様々な考えが脳をぐるぐると回る。
取り返しの付かない事態だ。
硬直から復活したクロードはとにもかくにも男の落ちた先を覗こうと走り出し、大きな羽ばたき音と風圧を感じてその場から飛び退いた。
今まで立っていた地面が巨大な嘴に抉られる。
攻撃を当て損ねた怪鳥が、鋭い猛禽の目でクロードを睨んだ。
『貴様、奴の仲間か』
低い、貫禄のある声だった。
声帯の中で反響して折り重なる音は、人にあらざる響き。
魔鳥は道中話題に出た喋る魔物らしい、と、クロードは僅かに驚嘆する。
『まあいい。誰であろうと人は滅すのみ。我が棲みかを荒らしに来た愚行を後悔しながら死んでゆけ!』
喋り終えた後、魔鳥は高々と鳴いた。
びりびりと肌を震わす刺激は鳥類の声だけではない。
怒りに圧縮された殺気がクロード一人に向けられる。
(クソっ、駄目だ。崖を覗き込んでる暇なんかない)
そんなことをすれば命がない。
クロードは剣を構えて全身を緊張させた。
まずこの魔鳥をなんとかしないとどうしようもない。
そもそも自分一人では五分に渡り合うどころかあまり持ちそうもない、と、対峙する敵に集中しながら、後続の三人が一秒でも早く来ることを祈った。
セリーヌのエナジーアローがジーネに突き刺さった瞬間、魔鳥は甲高く鳴いて地に伏した。
クロードとアシュトンが、剣を地に突き刺して崩れ落ちそうになる体を支える。
四人の息は荒い。
全員ぼろぼろだった。
レナの回復魔法が無ければ、全滅していたに違いない。
周囲の岩も割れたり抉れたりと、戦闘の激しさを物語っている。
『何故だ…』
ジーネが呻いた。
声は一番初めに聞いた時の力強さを失い、どれほどこの鳥が弱っているかを物語っている。
『何故、人間などにとり憑いた。人は弱い。それでいて恐れを知らぬ。容易に我らも同族も傷つける。自らの所業に罪悪感を持たず、無限の欲望に任せて行動する。誇り高き魔物であるお前が、何故そんな人間ごときにとり憑くのだ』
「ジーネ、お前の言う通り人間は弱い生き物かもしれぬ。しかし同時に強い生き物だ。わかっただろう。人は弱いからこそ他者と力を合わせて立ち向かう術を知っている。孤独の中にあった我々には持ち得ない強さだ。時代は流れた。これからは我々の時代ではない。お前も感じているだろう、我らの強さではやがて時に飲み込まれてしまうことを。生き続ける為にも、新しい生き方を模索する時が来たのだ」
すらすらと話すのはアシュトンだが、今はギョロとウルルンが彼の意識を乗っ取っている。
アシュトンが戦いの場に辿り着いてから、意識はずっと双龍のものであった。
この戦いの勝利は、魔物と人の共闘による勝利である。
それに、と、傷だらけの人間の体で龍が笑った。
「信頼するというものは、良いものだぞ」
魔鳥は押し黙った。
これ以上旧知を説得できぬと思ったのか、続ける言葉が見つからないのか、鳥はその目を双剣士に向けたまま数呼吸分の間を置いて、傷ついた翼を緩慢に羽ばたかせはじめた。
ゆっくりと鳥の体が持ち上がる。
『ふん、魔物の誇りを失った貴様など二度と見たくもない。立ち去れ。森でも人里でも、好きな場所で暮らすがいい』
それがクロード達が聞いたジーネの最後の言葉になった。
魔鳥は太陽に向かって飛んで行き、すぐ光に紛れて姿を見ることは出来なくなる。
目を細めて見上げるクロードたちの目に、太陽ともジーネとも違う、きらきらと光を反射するものが落ちてくるのが映った。
咄嗟に聖杯を出せたのは奇跡に近い。
大慌てで差し出した杯に、落ちてきた水が跳ねる。
「これが、魔鳥の涙か」
覗きこんだ中身は澄んでいた。
「ジーネも本当は、寂しかったんじゃないかな」
ぽつりとレナがこぼした言葉に、場には悼むような沈黙が流れた。
そうかもしれない。
今しがた戦った敵にはせる思いは突然の大声で破られた。
「危ないクロード!魔鳥め僕が相手、だ……あれ?魔鳥は?」
アシュトンがやる気満々といった風情で双剣を構えた後、巨大な鳥の姿を探してきょろきょろと辺りを見回す。
ギョロとウルルンに乗っ取られていた間の記憶が無いらしい。
乗っ取られた側にはなんら責任のないことだが、鎮痛な空気が破壊されて一同は微妙な視線をアシュトンに送る。
「あれー。皆魔鳥は?なんでぼろぼろなの?」
「いや、なんていうか、その、」
「あなた今までギョロとウルルンに乗っ取られたまま戦ってたんですの。魔鳥ならもう倒しましたわよ」
「え!」
「証拠、ありましてよ。魔鳥の涙は手に入れましたわ。ほらクロード」
促され、クロードはアシュトンに涙の満ちた聖杯を手渡した。
「ほらアシュトン」
手渡されたアシュトンはじっと聖杯を見つめ、そっか、これが、と呟く。
顔に喜色がないのを見てとって、レナが問いかける。
「ねえ、アシュトン。本当にギョロとウルルンを祓い落すの?なんだか、全然嬉しそうじゃないよ」
ぴくりとアシュトンの肩が震えた。
「さっきジーネと話してたとき、ギョロとウルルンが言ってた。信頼するというものは良いものだぞ、って。」
アシュトンの顔は俯いて見えない。
ただ手によりいっそう力が入ったのがわかった。
心配そうに双龍が顔を覗き込む。
「私、ギョロとウルルンはアシュトンのこと好きなんだと思う。ふたりの口から聞かなくても、見てればわかるもの。ねえアシュトン。アシュトンは嫌いなの?好きじゃないの?本当に、本当にそれでいいの?」
沈黙の果てに、わかってる、と呟いた小さな声は、音の無い山の上だからとてもはっきりと耳に届いた。
アシュトンが振り払うように腕を振るって聖杯を投げ出した。
硬い岩に当たって、銀の金属が高い音をたてる。
「わかってるよそんなこと!ギョロとウルルンが僕を好いてくれてることなんて、僕がこいつらを祓い落せるわけがないって、痛いくらいわかってたさ!僕は二人を死なせたいわけじゃないんだ!でも、だって、僕、僕が皆と一緒にいられるのは、祓い落してもらうためだから、それが無かったら、もう皆と仲間じゃいられないと思ったんだ。怖かったんだよ、皆嫌々仲間になってるんじゃないかって。だから」
そこまで言ってアシュトンはまた俯いた。
一気に言いきったせいで、肩で息をしている。
ふ、とセリーヌが溜息をついた。
びくりと過剰なまでにアシュトンが反応する。
呆れられたとでも思ったのだろう。
「ばっかじゃないですの」
アシュトンが顔を上げた。
涙目になっている。
「そ、そうだよね。僕、皆に迷惑かけて振り回して。ホント、ごめ」
「全っ然違いますわ。御祓いなんか無くても、アシュトンはとっくに仲間ですのに。一人で勘違いして突っ走ってるのが馬鹿みたいだって言ってますの」
「……………へ?」
レナがくすくすと笑う。
「セリーヌさんの言う通り、アシュトンはもうとっくに仲間よ。これからも一緒に旅を続けてくれるんでしょ?勿論、ギョロとウルルンも」
「皆…」
アシュトンの顔が晴れていく。
ギャフーフギャーと双方の龍もじゃれつくように宿主に顔を寄せた。
「わっ、わわ。二人とも、くすぐったいよ」
皆笑顔だ。
クロードはアシュトンに歩み寄り、手を差し出した。
「これからもよろしくな、アシュトン」
「う、うん。クロード、皆、これからもよろしくお願いします」
アシュトンが恐る恐るといった様子で、しかし確かにクロードの手を握り返す。
そんな男性陣の様子を女性二人は慈しむような眼差しで見守った。
「はは、なんだか改めてこうするのって、ちょっと恥ずかしいな」
「うん。そうだね」
「いいじゃない、一件落着ね。そういえば皆まだ怪我してるわね。待ってて今回復するから」
レナが呪文を唱え始めた。
そういえば本当にぼろぼろだな、と、クロードは自分の体を眺める。
周囲の岩も抉れてしまっているし、本当に今回の敵は手ごわかった。最後はこういう結果になって良かったけど、最初なんて一人だったからろくに立ち回れもしなかった。避けるのと防ぐのに精一杯で。あれ、そもそもどうして最初に一人だったんだっけ。ああそうそう他の三人が来る前にジーネが襲ってきたんだっけか。すっごく怒ってたもんな。きっと先に来た人に傷付けられて、気がたってたん
クロードの頭に人が吹っ飛ばされる映像がフラッシュバックした。
「人っ!!!」
突然の意味不明の叫びに三人がびくっとする。
クロードは顔面蒼白になって巣のある方へ走り出した。
「ど、どうしたのクロード」
「人っ、人が落ちた!先にジーネと戦ってた人があっちの崖から落ちたんだ!」
「えっ!?」
「そういえば最初に誰か戦っている風でしたわね、すっかり忘れてましたわ」
「昼に話したローブの人がここに着いた時戦ってたんですけど、うっかり声をかけちゃったんです!こっちを向いた時にジーネに向こうに吹っ飛ばされたのを、戦うのに夢中で忘れてた!」
進行方向に陣取る巣を登ろうとしてクロードは右往左往しているが、今の所登れそうな箇所はない。
手や足をかける部分はあるが、組木が安定していないのですぐにバランスが崩れるのだ。
とうとうクロードは木を一本一本引き抜きはじめた。
といっても大木を丸ごと使っていたりもするし、組み方が複雑なので巣をまともに解体しようとすれば日が暮れるだろう。
今も抜こうとした木が引っ掛かって動かなくなった。
半分パニックに陥っているクロードの後ろで、他の三人は青ざめている。
「クロードが行こうとしてる方、崖じゃなかった?」
アシュトンが呟いた。
冷や汗を流しているように見えるのは多分気のせいではない。
「普通の人間でしたら、まず生きてはいないでしょうね」
返すセリーヌは冷静そうに見えて表情が引き攣っている。
「私たちが戦い始めてから、結構時間経ったよね?」
レナの顔色は他の二人より悪い。
戦闘時とはまったく違った、嫌な緊張が場に溢れる。
人を殺したかもしれない────!
ごくり、と唾を飲んだのは誰だったか。
「自分のせいだと思っているのなら、是非責任を取ってもらいたいところだな」
振ってきた声はクロードでもアシュトンでもレナでもセリーヌでも、ましてやジーネでもなかった。
男性にしてはいくらか高いように聞こえて、涼やかさが心地よく耳朶を打つ声が、どこからともなく、しかし皆にはっきりと聞こえる確かさで響いた。
彼は、空から降りてきた。
羽音も立てず、ただ無音で。
靴底が地に触れる音すらさせずに。
強い昼の光に照らされた男は、冗談のように目立つ容姿をしていた。
髪は銀。
肌も白く、晒す彼の体の中では瞳だけが赤い。
人が白いというだけでここまで派手になるのは驚きだ。
全体としてのイメージが白にならないのは、黒を基調とした術師用のローブを着用しているからだろう。
彼の片手には、クロードが二度見た深緑のローブが一枚の布としてはためいている。
きちんとまとまった印象を受ける姿の中で、そのローブだけがちぐはぐで場違いに見えた。
ゆっくりと男の赤い瞳が自分を向いても、クロードは微動だに出来なかった。
「魔、物…」
レナの声は掠れていた。
そう、魔物だ。
素顔を晒して街を歩けば面白いほど注目を集めそうな容姿をしているが、それ自体は問題にはならない。
目の前の彼にはもっととんでもない特徴があった。
まず、耳が尖っている。
髪の間から細く長く伸びる耳は、エクスペルの人間とは明らかに異なっていた。
それだけなら、一応レナという例もある。
魔物であるとの決定打にはならないかもしれないが、もう一つは百人中百人が人外と答える特徴だろう。
背に、羽が生えているのだ。
羽は男よりも大きく、見たことも無い形をしていた。
軽く折れ曲がる赤い光の線。
時に枝分かれしているそれは、半透明かつ常にゆらめいて一定の形を保たない。
蜃気楼か立体映像のようだ。
羽なのか翅なのかさえ判別がつかない。
どう見ても魔物だった。
人の言葉を喋っている時点で、ギョロとウルルンが言っていたよっぽど高位で知能が高くてソーサリーグローブが落ちる前から存在する人と頻繁に接触してたような魔物の可能性が高い。
その事実に行き当たって、クロードは男に視線を固定したまま剣の柄に手を置いた。
握らなかったのは、魔物がこちらを向いているからだ。
彼はレナ達三人を背にしている。
クロードの動きを察した仲間も、魔物にばれない程度に軽く武器を構える。
彼は気付いているのかいないのか、自然体で立ったままだ。
「聞こえているか?私が崖に落ちたことを己の過失だと思っているのであれば、責任を取れと言ったのだが」
あれ何か最近こんなことなかったっけ。
クロードは頭の片隅でそう思ったが、神経の大部分を目の前の魔物への警戒に割いているため深く考えることが出来なかった。
「責任って、貴方、死んでないじゃありませんの」
セリーヌの声はかなり緊張していた。
未知の相手、場が緊迫しているのに臨戦態勢をとる気配すらないのは、初めから戦う気が無いのか相手にもならないと思われているのか量りかねる。
若い青年の姿をした魔物から、静かで妙な威圧感を感じることも原因の一つだろう。
「死んだことに責任を取れと言ったのではない。私は魔鳥の涙に用があった。途中でそこの人間に邪魔されてとり損ねたが。結局貴様らに横取りされ、挙句、魔鳥の涙は捨てられたようだな」
魔物の視線は聖杯から零れ落ちて地にぶちまけられた液体に向いた。
土ではないから水分が地に染み込んでこそいないものの、砂や木片が大量に混じり濁っている。
もう使えそうにない。
「もう一度魔鳥の涙を手に入れろってこと?」
難しいだろう。
ジーネは去り際に二度と見たくない、と言っている。
暗にもう会わないと宣言されたようなものだ。
ただでさえ飛ぶ鳥を地に行く人が追い掛けるのは厳しい。飛び去る方向を見ていないなら尚のこと。遮蔽物の無い空に、目的の相手と思われる影は見えない。
入手がかなりの難題であることは、魔物も理解しているらしかった。
「能力の無いものに出来ない課題を押し付けはしない。それと代わるものを渡してもらえば問題はない」
「代わるもの?それってどんなもの?」
「同等の神秘を期待できるもの、だ」
「同等の神秘?同じ格のマジックアイテムってことかしら。でしたらそこに転がっている聖杯を持っていってくださってかまいませんわよ。私たちにはもう必要ありませんから」
魔物は鼻で笑った。
「あれは私の求めるものとは違う。役に立たん」
「何ですのそれ。同等の神秘を期待できるものって今貴方が言ったんじゃありませんこと!?」
「えーっと話をまとめると、魔鳥と涙と同じくらい凄くて貴方の役に立ちそうなものってことですよね」
いきり立つセリーヌの前に無理矢理出る形でアシュトンがわって入る。
ジーネとの戦いで疲弊している今、流れで戦闘になってはたまらない。
どうしても必要なものでなかったら彼に渡して、是非穏便にお引取り願いたい。
「僕たち、貴方にとって何が役に立つのかよくわからないんですけど」
「そうだな、まあ話しても問題あるまい。私は今弱体化していてな、他者の手によるものだが、この状態を回復する手段を探している。たまたま知った魔鳥の涙が現状を打破する道具になりはしないかと望みを持って足を運んでみたが、手に入れることは叶わなかった」
そこの人間のせいでな、と睨まれて、クロードは身を竦ませた。
彼が盛大にふっとんだ原因は自分にあるので、罪悪感がある。
「弱体化って、そんな術ありましたかしら」
セリーヌは首を捻る。
サイレンスやアシッドレインは敵を弱体化させる呪文と言えなくもないが、そんなもの時間が経てば勝手に効果が切れるし、戦闘が終了してしまえば解除される。
わざわざアイテムを使ってまで無効化を試みているのなら、永続性のものと考えられるが、紋章術の知識に自信のある彼女でもそんな術に心当たりが無かった。
「私を貶めたのは人間ではない。同族だ」
「そんなこと出来る魔物がいるのか」
魔物の中には固有技を使う相手が多い。
大変高度な術と思われるが、高位で知能が高くて長生きの魔物なら使えてもおかしくはない。
「ようは元の力を取り戻せればいい。アイテムでも方法でも、可能性のあるものをこちらへ寄越せ」
そうはいっても、クロード達のアイテムの中にそんな効力がありそうなもの存在しないし、方法だって覚えが無い。
「まあ今所持していないというのなら、これから探しても構わん」
クロード達の表情から芳しい答えが出ないとわかったのだろう。
確かにこれから探すのであれば可能かもしれない。
しかし、一行はソーサリーグローブの調査という本来の目的から大幅に外れ、龍の祓い落としに時間をかけてしまった後だ。
ただでさえクリクを使えずラクール大陸を経由しなければならないし、マーズでも子供の誘拐事件に時間を割いている。
正直、これ以上本筋と関わらない事象に足止めされるのは遠慮したかった。
だが包み隠さず話したとして、彼の怒りを買わずに済むだろうか。
無理な気がする。
「冗談じゃありませんわ」
レナとクロードとアシュトンはぎょっとしてセリーヌを見た。
彼女は腕を組み苛立ちを露に魔物を睨んでいる。
「わたくし達、生き物の凶暴化に困る人々の為、ソーサリーグローブの調査をしに行くという崇高な使命があるんですの。貴方の用事に当てる時間なんかこれっぽっちもありませんわ。わかったらお引取りくださらない?」
セリーヌの言葉は一行の言いたい事そのままだったが、相手の気分を損ねかねない突き放した言い方だった。
魔物の不遜な態度にとうとう耐えかねたらしい。
彼女らしいといえば彼女らしいが、ここまで穏便に運んだのが水の泡だ。
なんてこった、と戦闘突入を予測したクロードは剣の柄を握ったが、魔物は予想に反する反応を見せた。
「ソーサリーグローブ?」
初めて魔物が嘲り以外の表情を見せた。
意外な場所で意外なこと聞いたように、訝しげに眉を顰めてる。
「知ってるの?」
アシュトンも意外そうにしたが、こちらは純粋な驚きの方が強い。
ソーサリーグローブという呼称は人間の中で使用されるもので、魔物の間では浸透していない。
彼と共にある双龍も、最初はソーサリーグローブという単語が何を指しているのかわからなかった。
「ああ、知っている。そうだな、魔鳥の涙の代わりは用意しなくてもいいぞ」
「え、本当に?」
こうもあっさり引いてくれると思わなかったクロードは、驚くと同時に拍子抜けした。
ソーサリーグローブの調査の為に身を引くなんて、もしかしていい人(魔物)なのだろうか。
クロードは知らない。
目的を口にしたことで、事態がより大変なほうへ転がったことを。
そして爆弾は落された。
「二言は無い。その代わり私を調査に同行させろ」
「「「「………ええっ!?」」」」」
ハモった。
驚きすぎて声が出なかった分の間までダブった。
何を言っているんだコイツは。
ツッコミどころが有り過ぎて何処からつっこんでいいのかわからない。
とりあえず各自一番気になる部分からつっこんだ。
「魔物が人間と旅だなんて聞いたことない!」
「ソーサリーグローブで弱体化解除できると思ってるんですの!?」
「魔物がソーサリーグローブの調査なんてしてどうするんだ!?」
「ついて来る気なの!?魔物が一緒なんて怖すぎるよ!」
「アシュトンそれ君にだけは言われたくないと思う!」
「どういう意味クロード!」
まくし立てられた相手はぐるりと一同を見回し、顎に軽く手を置いて考える仕草をする。
「訳もわからないまま承諾しろというのも虫のいい話か。いいだろう、説明してやる」
無駄に尊大だが、この魔物、何故かそういった態度がしっくりくる。
見下す様が堂に入っているのだ。
「私は元々エル大陸に少数の同族と住んでいたが、その中で一番強い力を有するリーダー格が、ソーサリーグローブが落ちたあたりから段々と以前とは違う様子を見せるようになったのだ。
露骨に挙動不審だったわけではないからあまり気に留めなかったのだが、ある日 突然、あれは私の力を奪った。
その上殺そうとしてきてな。
なんとかその場を逃げ出したが、私はどうしてもあそこに帰らねばならないのだ。
だがこのまま戻ってもあれに殺されるだけだろう。
第一この程度の力では、元の居場所に辿り着く前にエル大陸の凶暴化した魔物どもに殺される。
力を取り戻す術も心当たりが無い。
ほんの僅かでも回復が期待できそうなものを手当たり次第に調べていたのだが、ソーサリーグローブそのものを調べに行くというのなら、同行した方が事態が好転する可能性が高い」
「貴方、殺されても仕方ないようなことしたんじゃなくて?」
「あれは本来あるべき姿から精神のあり様が大きく外れていた。私を殺しかけた直後はな」
魔物の説明には筋が通っているように思えた。
存在するかどうかもわからない力の回復の手段を探していつ終わるとも知れない旅を続けるよりは、ソーサリーグローブでおかしくなった相手を正気に戻す為の旅の方がまだ実があるような気がする。
力を取り戻せたとして、奪った相手がおかしいままでは状況の改善は難しそうだ。
戦力の面でも、クロード達と一緒に戦えば、彼一人では倒せなかった魔物にも勝てるかもしれない。
「多少腕のたつ人間程度には使えるから安心しろ。
ちなみに魔物と旅を同伴する事柄については、今現在実行中のお前達なら何の問題もあるまい。
セリーヌさんの言う通り、アシュトンはもうとっくにこれからも一緒に旅する仲間よ。勿論、ギョロとウルルンも。
なのだろう?」
意地悪く笑った魔物に、ぐっ、とレナは押し黙った。
反論したいが、先の発言を覆すことは出来ない。
取り消してしまえば、ギョロとウルルンを仲間と認めないことになる。
「それから魔物と一緒に居る事が怖いなどと貴様にだけは言われたくない」
「わざわざ言わなくていいよそれ!同じ内容のことクロードがもう言ってるから!」
きっぱりと真顔を作ってまで言われてアシュトンはちょっと涙目だ。
「でっ、でも、やっぱり貴方は人の街だとちょっと目立ちますよ。羽、とか」
しどろもどろのクロードの言葉を聞いて、魔物はアシュトンをじいっと見た。
アシュトンはさっと目を逸らす。
ギョロとウルルンもさっと目を逸らす。
我ながら苦しい言い訳だとクロードは思ったが、もう他に断る理由が思いつかない。
たとえ身内に背中に龍を背負った存在が居ても、そんな事実は無視するしかない。
「…それについては問題ない」
魔物は突っ込みを放棄したようだ。
「耳はフードを被れば人目にはつかない。羽は」
陽炎が消えるように、赤い光の線はあっという間に色を薄くして消失した。
ほんの短い間だった。
「こうやって消せる」
そういえば川で会った時、羽なんて生えていなかった。忘れてた。
まずい。
これ以上相手を説得できそうな理由が思いつかない。
このままでは逃げ切れない。
岩の上なので物理的にも逃げられない。
人とほとんど変わらない姿になった魔物はクロードに向かって微笑んだ。
被食者を追い詰めた捕食者の顔だった。
「何、世界中の人々の為にソーサリーグローブを調査しに行くような崇高な方々だ。自らの過失のせいで崖に落ちた相手の責任も取らずに逃げ出すような汚い人間ではあるまい」
クロードの背を冷や汗が滝のように流れた。
確かにあれは人だったら確実に死んでいた。
罪悪感で胸が締め付けられるように痛む。
詰んだ。
クロードは理解した。
もしかしたら彼に声をかけた時点で、色々詰んでいたのかもしれない。
「ああ…大事なことを忘れていたな。私の名はルシフェルという。姓は無い。人間では無いからな。
では、これからよろしく」
五人と二匹の内訳に、異星人一人と魔物が一人+二匹って凄いな、と、クロードの頭のどこかが考えた。
とんでもない事態に頭がどうでもいいことを考える。人はそれを現実逃避と呼ぶ。
なんか最近こんなのばっかりな気がする、と、視界に納まるアシュトンとルシフェルの二人を見てクロードはそう思った。