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[30935] 剣持つ男と謳う女
Name: かずっち◆066a2146 ID:6188e008
Date: 2011/12/21 02:19




その動き、正に風の如し。

あと一瞬でも頭を下げるタイミングがズれていたら間違いなく首が飛んでいた。
そんな命の危機に瀕しながらも剣を翻す。
回避と攻撃はワンセットで行なえ。耳にたこができるほど聞いたその言葉は今まさに自分の首を斬り落そうとした女の口からだった。
攻撃に転じるということは少なくとも防御を下げるということ。
その道理に従うのなら翻った剣が女の首を落とすこともまた道理。

しかして、

「遅い遅い。ハエが止まるのではないですか?」

さも当然のように、おまけに優美さも備えてまで女は難なく避ける。
道理を覆すようなことが起こったわけでもなければ、女が特別な何かをしたというわけでもない。
それは単純に互いの疾さの違い。
翻った剣の速度が遅いわけではない。単純に女のスピードが常人離れして疾すぎるのだ。
回避と攻撃はワンセット。それは何も教え子一人だけにあてはまるものではなく、剣持つ全ての者にあてはまるというのなら。

「いぃっ!?」

今度こそと首を狙う必殺の一撃は自らにはね返る。

「くそったれっ!『ヴィルヘルム -猛者の廃炎- !』」

ゴウッ!と剣から噴き出す炎が女の剣を受け止める。属性が邪魔をしたのではなく、剣に宿る紫念が見せた驚異的な反応だった。
だが受け止めたはいいが女の剣は止まってくれない。
首を護っただけでもラッキーだったかと、頭の片隅で思いながら、女の細腕からだとは思えないほどの信がたい余波を真っ向から受け止めた。
二転、三転。
吹っ飛びに吹っ飛んだ体を受け止めたのは柔らかい女の腕、ではなくいかつい堅牢なる城壁だった。
凄まじい轟音を立ててぶつかり、砂煙が辺りに立ち込める。

「毎度毎度よく飛びますね、アナタは」

ガラガラと崩れる城壁。それを見ながら呆れるように女は言い放つ。
今日の紅茶は少し温いですねと、そんな単純な愚痴と同レベルのその言葉には相手への労わりは微塵もなかった。

「……っ、ザっ、けんなっ。き、今日は、調子が、悪ィ、だけだ」
「その様で言われても言いわけにしか聞こえませんね。日々実践を重ねることは良いことですが、少しは学んで頂かないと」

ゴボッ、とドス黒いものが口から溢れる。
吐き出した血の量に自分ながら、少し引く。
相手の攻撃を受けた為に吐き出した血ではなく、強引に術式を行使した反動が体に跳ね返っているのだ。
だがああでもしなければ今頃土の下だ。何ということもない平日の授業中に命を落とすことなどあってはならない。
そもそもこんな簡単に人が命の危機に瀕してもいいものか。いくら養成所だからとてここまでスパルタな教育を受けるのは予想外だ。

だが何より、そんなことより何よりも、

「クソっ……、また負けかよ」
「勝てると認識している時点でアナタの負けは明確です。本気どころか術式すら使わない私にこの様だとは。あぁ情けない」
「はんっ……いつか、その首、落して、やっからな」
「見苦しい言い訳も聞き飽きました。……おや、鐘の音ですね。今日はここまでとしますか。崩れた城壁はしっかりと補修しておくように」

今にも切れそうな意識の下で女の言葉を頭に残す。
負ければ何でも言うことを聞く、それがお互いに課した絶対のルールである以上は従わなければならない。

「あぁそれと今日の夕食ですが、そうですね。今日はシチューにしましょう。当然のことですが、野菜はあまり入れないように。肉は重要です」
「……野菜鍋」
「まぁ何ということでしょう。今日は『グリル』の特売日ではないですか。良質の肉が半額に。ほぉほぉ、是非とも食さなければ」

そこで、意識は途切れた。





 - 01 Please come back to my life -





「また派手にやられましたねぇ。アレも君に対しては手を抜くことを知らないらしい」
「いいんだよそれは。抜かれたらそれはそれでムカつくんだから。今回も俺が弱かった。だから負けた、それだけだ」
「だからって毎回こう大怪我されちゃうとねぇ。はい、これで完成。君は普通の生徒とは違うんだ。その辺は認識しておくことだね」
「体質は俺のせいじゃねぇっての。足掻いてもどうにもなんねぇもんは仕方ねぇじゃん」

体質というのは術式が通りにくいということ。
何故か俺の体は他の人間とは違って術式の効力を弱めてしまうらしい。
是非とも検証したいと寄ってくる連中がいるのだが、ふざけんな、の一言でお帰り願っている。
通常なら怪我を負っても術式である程度は治療できるもんなのだが、俺には先の理由からその恩恵を受けれない。
全てを無効化するだとか、そんな大層なもんじゃないが、効きにくいというのは事実だ。
だからこそ目の前の人の良さそうな医者も普段は使わない包帯や湿布といった過去の遺産を使う必要が出てくるわけで。

「すごいよねぇ、過去の産物が現代にまで使われるこの現状。医師として少し誇りに思うよ。僕ぁ君に会えて幸せだなぁ」
「ふざけんな。俺はテメーのモルモットじゃねぇっての」

まだ体は外から内からズキズキと痛むのだがこのまま医療室に居続けるのは御免こうむる。
湿布はしっかりと張り替えるんだよ~、と背後から聞こえた呑気な声に苛立ちを覚えながらドアを閉めた。

「……城壁の補修か。くそっ、サッサと終わらせね~とメシに間に合わねぇなぁ」

遅れたらまた何を言われるか分かったもんじゃねぇ。
舌打ちしながらも指示に従うだけの自分をどこか虚しく感じるが、全ては負けた自分が悪いのだ。ムカつきこそすれ、恨むのはお門違い。


今まで何度あの女と剣を交えてきたのだろう。
分かり切っているのは結果だけ。一度としてあの女には勝ったことがない。
優雅に振舞うその姿。剣をまるで自分の体の一部として扱うその可憐さに目を奪われたのは初めて剣を合わせた時だったか。
正直に言おう。いや、ムカつくのだが。
俺は、あの女に憧れていたのだ。
その振る舞い。全てが洗練された動きで構築される、もはや『舞い』と呼んでもおかしくはないほどの動き。
まるで勝つ為の方法を最初から知っているかのように、次に何をすれば良いのか、どう動けば良いのかをインプットしているかのような。
そうだ、初めはただの憧れだった。それがいつしか、その上を目指してみたいと思うようになってきた。
性別だとか、年齢だとか、そういうのではなく。同じ人間であるのなら俺だっていつかあの場所にたどり着ける。
あの女の持つ純粋な強さは俺を強く揺さぶっては同じ高みへ連れて行こうとする。
すぐに追いつけるものではないことは理解している。だが、いつかきっと、その場所へとこの足はたどり着く。ただそれだけを願って。


「こんなもんだろ。……ったく、何で手慣れてきてんだよ俺は」

道具を片付けながら補修した城壁を見直す。以前よりは確実に強度が増しただろう。
派手に壊れたのは俺がぶつかった衝撃というよりも老朽化が進んでいたせいだった。
無駄に歴史が長いこの育成所は国の最高機関が管理しながらも表立って金を出すことができない。
そりゃそうだろう。戦力保持を示す牽制は別にして、金をかけて兵を強化していますと諸外国に露呈してしまっては本末転倒。
変な勘ぐりでも持たれて攻め込まれでもすればたまったもんじゃない。
だからと言って全く金をよこさないわけではないが、少ない金をどうにかこうにかやりくりして賄っている管理部としては頭が痛いだろう。
生徒からのクレームを大きくしてはデモを起こされる。かと言って設備に金を渋るようでは育成放棄とみなされる。
ギリギリのラインで踏みとどまるインテリには憐れみを覚えるが同情はしない。変にケチるから俺が余計に動かなきゃならんわけだし。

「ランゼル、補修終わった?」

突如として呼びかかった声に振り向くと、そこには一人の女生徒の姿。

「シキか。何だお前、こんなとこで何やってんだ?」
「何やってんだって、ここは私達の保管庫でしょうよ。武具を戻しに来たの」
「……あぁ?保管庫だ?」

見ればシキの後ろにもぞろぞろと生徒が剣やら盾やら物騒なものを担いで運んできている。
視線をズラし、遥か遠方の右側を眺めると、そこには確かに立派な木片に仰々しく『シルヴィア班 保管庫』と書かれてある。

「先生からアンタがいるはずだからついでに引っ張って来いって言われたのよ。終わってないようならとりあえず飯の支度を優先しろって」
「お前、そこで手伝うって選択肢はねぇのか」
「何で疲れた演習の後でアンタの手伝いなんかやんなきゃいけないのよ。疲れてんのに更に疲れたことさせないで」

いともまぁ簡単に切り捨てられたことには確かに不満があるが、今は問題はそこではない。
そう。問題はあの女の名前がシルヴィア・ベニーであることだ。

「つかぬことを聞くんだがよ、この城壁って前から脆くなってたのか?」
「うん?私聞いたことないけど」
「あぁ、僕は聞いたことあるよ。その壁の向こうは丁度、盾の保管庫になってるんだよ。雨ざらしになると困るなぁって前に先生が言ってた」

シキの横に並ぶ爽やか青年が答える。

「……じゃ何か、あのアマ俺をわざとこの壁に吹っ飛ばしてわざと俺に補修させたのか」
「吹っ飛ばした?」


「いやいや、費用もバカにならないですからね」


ひょうひょうとした声がシキの背後から聞こえる。シキは相当ビックリしたらしく、ひゃっ、と可愛い声をあげて驚いていた。

「申請も通らないものですから、町まで降りようかと思っていたのですが。あら、まぁまぁ見事に補修されているではないですか」
「……テメェ」
「これなら資金が届くまでは持つでしょう。大義でした。その働きに免じて夕食の買い物に同行してさしあげましょう。あぁ、荷物持ちはアナタですが」
「ブチ殺すっ!」
「その程度の腕でですか?」


勝てぬとわかっていても挑まずにはいられない時がある。
他の部員はやれやれと肩をすくめて武具を保管庫に戻していく。彼らにとっては日常の風景としか映らなかった。
だがそれでも、男は猛る。

何だって荷物持ちが俺なのかと。






[30935] - 02 Please come back to my life -
Name: かずっち◆066a2146 ID:6188e008
Date: 2012/01/02 19:12

『聖イグニス学園』。
その名前を口にすれば誰もが憧れ、敬意を表することは間違いない。
学位を修めれば国家精鋭に参入できるとの触れ込みは人の心を簡単に煽った。
剣を手に敵を薙ぎ、力を糧に平和の構築に心を傾ける者。
卓越した頭脳を基に分析、人の心までをも見透かし国の安寧をもたらすことを夢に見る者。
それとは違い、ただ己の為に力を手にしようとする者。
学園内では、生涯を通して絶対に知る必要のない知識を扱い、おおよそ知らなくてもいいような戦術のいろはを学ぶ。
どこでどんな知識が役に立つのか分からない。知らないよりも知っていた方がいいのは当然のこと。
だが戦術という点でそれは当てはまらない。
確かにいつ事件に巻き込まれるのかわかったものではないし、腕っ節が強いことにこしたことはないだろう。
だが平和が世界を覆っているこの世界で武力を中心に据えることはあまり受け入れられていない。
それはそうだ。
誰しも、好んで血を見たいとは思わないだろう。
だがそうした反面、力が無ければ知ることができない真実というものは無尽蔵に広がっている。厄介なのはそこではなく、
そこにある真実があまりにも重要なことにある。
力が無ければ知ることができないというのなら、力を磨くことでしか真実を明るみに引っ張ってこれないということ。


それができる人間は限られている。
だからこそ、『アレ』は成長する。


『悪意 (アリス)』は、際限が無い。


だからこそ必要なんだろう。血に染まった道の果て、人を狂わせるほどのおぞましい真実がある。










- 02 Please come back to my life -





「みっ」
「く~っ」
「だぁ~、もうくっつくなっての」

ジュージューと香ばしい匂いにつられてきた二匹をどうにかなだめながら料理に取り掛かる。
二人とも背丈は俺の腰ぐらいで、人間ではなく動物の血を色濃く継ぐ亜人だ。
何とか俺の調理をのぞきこもうと必死に背伸びをして鍋の中を覗き込もうとしているのがネコの亜人であるリン。
もう一人、俺の頭の上に乗っかるという離れ業をやってのけているのはキツネの亜人であるハク。
まだ幼く言葉を話せないのだが何を言いたいのかぐらいは十分理解できる。調理の際にはこうして絡まれるのが日課である。

「相変わらず懐かれてますねぇ。やっぱエサもらえるからっスかね」
「俺の料理をエサを呼ぶな。お前だけドックフード食わせるぞ」
「どうもスイマセン。それより食器用意しますけど何出せばいいんスか?」
「とりあえず大皿頼む。サラダはできてるからそこに盛ればいいだろ。いちいち取り分けるの面倒くせぇからなぁ」

腹に入ればみな同じである。
見方とか、そんなもんで味が変わるようならそもそも料理人に出る幕はない。どんな形であれ腹が膨れればそれだけで十分なのである。
だというのにあの金髪は食材に信じがたいほどの金をつぎ込むし。この寮の維持費だってバカにならない。
俺が直で直訴に行ったところでそもそもここの生徒ではない俺に発言権など与えられるはずがない。寮父と言えばうさんくさそうな目を向けられるし。

「今日はシチューか。えらい上等な肉を使いこんでるとかどうとか聞きましたけど」
「おぉ。味わって食え。んで喉に詰まらせて悶え死ね」
「さりげなく人の人生終わらせるの止めてクダサイ」
「よ~しこんなもんだろ。タッグ、ここはいいから他のメンバー呼んで来い」

ウイ~ッスと返事をしながら食堂を出る後輩の姿を見送った。
この学園は全寮制であるのだが、収容人数がハンパじゃないほどに多い。その為に寮も数多く存在する。ここスマイル寮もその一つ。
適当につけたような名前と思うかもしれないが、その通りあの金髪が適当につけたものだ。
みんな笑ってる方がいいですよ、などというわけのわからない理論が無理やり通された結果である。
ちなみに他の寮は素晴らしい名前なのであしからず。
異なっているのは名前の素晴らしさだけではなく、収容人数にも大きな差がある。ウチの寮は俺を含めて八人。
他の寮じゃそれこそ百人規模らしい。設備もバッチリと整っているらしいのだがこの寮に限ってはそれがない。
もともと寮として建築されたものではなく、文字どおり保管庫としての役割を持っていた為に設備が極端に整っていないのである。
物をしまうだけの場所ならそもそも水道もガスも必要ない。遥か太古に造られたこともありところどころにガタがきている。
間違いない。たぶん、もう二桁もたないだろう。

「はぁ~ぁっと、もう夕飯ですか。一日は短いですね」
「シオン、お前今日ちゃんと授業出たんだろうな」
「必要ならば受けますケド。既に持っている知識をひけらかされたところで残るのは嫌悪感だけでしょう」
「ったく、行かね~なら行かね~でちゃんと端末に送っとけ。いちいち俺に面倒な手間取らせんじゃねぇよ」

眠たげな瞳をこすりながら席につくこの女はシオンと言う。背中の真ん中で揃えられた薄い金色の髪に、特徴的な紅い瞳。
生い立ちは全く知らない。特異な風貌というわけではないが、その場にいるだけで何故か人を引き付けるような何かを持っている。
黙って座っていればかなりの美人なのだが、私生活を見ることでかなりランクが下がる。自堕落を極限にまで極めればああなるんだろう。

「あれ?催促でも来たの?」
「そういう問題じゃねぇ。ったくこの引きこもりが。たまには体動かしたらどうだ」
「必要があればね。無理に酷使すればそのツケは自分に跳ね返ってくるもんだよ。ランゼルこそ気をつけた方がいいんじゃない?」
「大きなお世話だ」

人数分の器にシチューを注ぐ。取り巻きの二匹は既に席についてスプーンを上下に振り下ろしている。
シオンは隣に座るリンを文字どおり猫可愛いがりしており、猫耳をいじって遊びだした。リンもいつものことのようでもはや慣れたもの。

「いい香りですね。今日はシチューですか」

次に現れたのがシルメリア。武人たる凛とした空気を持つ女だ。常に背筋が張っていて、たち振る舞いからも気品が感じられる。
だがそれが仇となり、

「シオン、何ですかその格好は。もっと弁えた格好をなさいっ。そもそも講義を無断で欠席するなど何事ですかっ」
「う~……、いいじゃん別に。シルに迷惑かけてないんだし」
「かかっているから言っているのですが。まったく、このスマイル寮の評判はただでさえ好ましくないというのに、それでは元も子もありません」
「元から無いなら別にいいじゃん。上がる評判だけ抱えたってお偉いさんを喜ばせるだけなんだから~」

この通り、シオンとは相性が悪い。
まぁ険悪までとはいかず、講義内容などを記したノートを貸したりなんかしているようである。厳しい人間ではあるが根は素直な優しいヤツだ。

「随分と賑やかね。いいことだとは思うけれど少し自重してもらいたいものね」

長く、美しい艶のある黒髪をなびかせてやってきたのは最後の一人であるキリハ。切れ長の瞳もそうだが、全体的にクールなイメージがある。
プロポーションは抜群で、聞いた話ではファンクラブなんかも出来ているらしい。
そんな人間がなぜこのスマイル寮にいるのかは不明だが、実質この寮を取り仕切る場合もある。

「ねぇランゼル、私の部屋に掃除に入った?」
「いや、今日はやってねぇな。ってかお前勝手にやれば怒んじゃん」
「頼むのを忘れていたのよ。ちょっと散らかしてしまったから。また時間のある時に整理をお願いするわ」
「お前少しは自分で掃除できるようになれ。なんだってそう年も変わらん男が何度も掃除しに部屋に入らなきゃならんのだ」

リン、ハク、シオン、シルメリア、キリハ、タッグ、俺。
以上七名がこのスマイル寮に住まうものたちである。

「先輩、一応全員に声かけましたけど。まだ来てない人とかいます?」
「おう、お疲れ。いや。こんで全員だろ」
「こらこら、主賓を忘れるとは何事ですか」
「さぁ、それじゃ食うか」
「ランゼル、後で後悔してもいいんですか?」

舌打ちとともに食器を用意する。
寮長であるシルヴィア講師のおでましである。肩書きだけでそれらしい働きは全く見せたことがない。雑務全般は全て俺が請け負っている。

「あぁこの香り。一日の疲れを飛ばしてくれそうなこの予感。いやいや、これにビアーがあれば何も言うことがないのですが」
「俺の制止を振り切って昨日飲みつくしたろ。欲しけりゃ自分で買ってくるんだな」
「この場面になって休肝日を設定した自分が恨めしい。酒無くして人は何で心を洗えばいいと言うのですか」
「洗ったって汚れは落ちね~んだから飲んでも無駄なだけじゃねぇの?酒代他に回せば結構な設備が整うぜ?」
「否。それと私の心は褒められたほど美しくはありませんが貶されるほど汚くもありません」

どうだか。
これ以上続けると夕食の時間が遅れる。他はいいとしても二匹はもはや限界だ。目が釣り上がってこれ以上待たせようものなら暴動が起こる。

「そいじゃ、頂くとしますか」

俺の挨拶と共に食事が始まった。






「はぁ~満足満足。アナタ、料理人を目指した方がいいのではないのですか?無理に剣を握る必要もないでしょうに」
「うるせぇ。テメェたまには皿洗いでも手伝っていけ」
「それは私の仕事ではありません。私には食後にまったりとする義務がありますので」

憎らしい言葉を残してそのままシルヴィアは席を立つ。
他のメンバーは既に部屋に戻るなり居間でくつろぐなり、各々の時間を過ごしているようだ。
食堂に残っているのは俺とウトウトと眠りに落ちそうな二匹だけ。流石にたたき起して手伝わせる気は起きない。
二度もシルヴィアにやられた事もあって今日はやけにズキズキと体が痛む。身体の骨の内側から鈍器で殴られているような、そんな感覚。
鈍い痛みが続くものの、動けないほどではない。
今日までシルヴィアとは何度も手合わせを続けてきた。だが一度として勝てた試しがない。
寮の雑務をこなすのは無論のこと、日々の鍛錬は怠ってきたつもりはない。正規の生徒では無いため、本格的な教えの下ではないけれど。

「……」

自分の腕が上がっているのかも実感がない。
そりゃ手合わせの始めの頃に比べればすぐに勝負がつくことはなくなった。けれど絶対的に自分の腕に自信を持てるようになったかと言えばそうじゃない。
ズル賢く、どうすれば死なずに済むのか。それだけに特化しているだけのような気がするのだ。
無様に這いつくばり、生き延びることだけに頭を働かせた。
いつから、そう思うようになったのか。

昔は命など、どうなろうとも良かった時があったのに。


「……ランゼル」
「……あ、あぁ?何だ、キリハか」
「水、出っぱなしよ」

気づけば手が止まっていた。皿洗いの手も止まっていた。水は汚れを落とすことなく、単純に俺の両手を冷やしていただけだった。

「あの人の心は分からないけれど、悪い方向に働くことはないわ」
「……」
「悩み事なんてもんはね、答えが出ないのなら切り替えるしかないわ。問うのではなく、方法を考えるのよ」





方法、か。
とりあえず今はただひたすらに皿を洗うしかないわけだが。







[30935] - 03 Please come back to my life -
Name: かずっち◆066a2146 ID:6188e008
Date: 2012/01/04 00:42


- Interrude -


月明かりは人の心を惑わせる。人間の中にある衝動を高める効果があるのだと何かの書物で読んだことがある。
それが今の自分に当てはまっているというのなら、そう考えてしまえるのならどんなに楽だったろう。
俗説を言い訳に悪に手を染めることができるのなら、今ほど世の中ややこしくなることなんてなかったろう。
だが、まるで外れというわけではない。
何にしても、結果があれば必ず理由がある。
どうしてそこに至ったのか。結果を見て分からないというのなら、その過程に答えを求めるしか方法がない。
何故そうなったのか、どうしてそこに至ったのか。
恐ろしいのは、それが万人の認識からは著しくズレてしまうこと。
自分さえその理由を、過程を受け入れてしまえばそれで事足りる。周りを納得させられるだけの理由など無いに等しい。
殺したいから殺した。
単純に言って、それが理由であったとしても、行動を起こした本人がそれで納得できるのなら立派な理由になり得る。

あぁそうだ、きっとそう。
だからこうして、足もとに血だらけの男が転がっているその理由も、私だけが知っていればそれでいいことだ。

月明かりのせいにするわけでもないし、まして人を死に至らしめることが悪であることは十分認識の中にある。
あぁそうだ、そんなことは分かり切っている。
けれども仕方がないじゃないか。
命じるのだ。
奥底から、
何かが私に『殺せ』と命じたのだから仕方がないじゃないか。
他人に理解できるわけがない。この衝動が抑えられないものであることは私自身にしか分かり得ないことなのだから。
だからそれでいい。私がそれを知っているなら十分な理由になる。
霞む視界に映るものが何であるかなど、もはや興味は逸れていくばかりで、手に握る血だらけの剣は悪を裁く為のものだと。

『……殺せ、皆殺しだ』
「……なぜ、殺すの」
『おいおい、逃げる必要なんかないぜ?お前はその理由を嫌というほど知っているはずだ。俺はお前で、お前は俺なんだからな』

横暴だとは思う。
だが同時にどうしようもない心地よさを感じてしまうのも事実だった。
湧き上がる衝動の源泉がどこにあるのか皆目見当もつかない。だがそれが決してこの声の主のものだけではないことは分かっていた。
思い出したくない過去がある。
二度と思いだしたくない過去があった。
そこに居を構えるように男は言葉を投げかけるだけ。はたしてそこに、本当に『悪意(アリス)』はあるのか。

……悪意(アリス)。

あぁ、これは、私の罪なのだと、今心がそれを認めて

『お前が動くのは、俺の言葉に逆らわないのはお前が痛みを知っているからだ。止めようと思えば止めれるのにお前はそれをしない」
「……私、は」
『正義なんてものは人さまの都合によって勝手にカタチを変えるものだろう?善悪のズレが生まれるのはそれが人の世の中だからだ』
「……人、は、汚い」
『そうとも。この学園にいるのはクズの集まりばかりだ。こいつらを外に出しちゃおしまいだ。その為に今掃除が必要なんだよ』

人を殺すことを掃除と捉えるのか。
足もとに転がる男の手がピクピクと動いている。
すぐに楽にしてやろうかとも思ったがどの道死ぬのだからわざわざ早めてやることもないだろう。
苦しみの果てに死んでいけばいいじゃない。私とは違うキレイな血が流れているのだから、誰に貶されることもなかったろう。
その死に様を見て誰かが涙を流すというのなら、それは騎士であってはならない。奥深く、名も知られず夜の闇に紛れるようにそれはゆっくりと。
女はそれが、騎士としての在り方だと信じていたのだ。

「……行こう。騎士はまだたくさんいる」
『あぁ。片っぱしから皆殺しだ』

女は歩く。夜の闇の中をゆったりと。
悪を正義に置き換えた女に何の恐れがあるというのか。
ただひたすらに、その目に映る騎士という騎士を斬り捨てる。成すべきことは最初から見えていたじゃないか。
知らず、顔に笑みが浮かぶ。
それは至上の喜び。道が見えたのなら他に逸れることはあってはならないこと。誓ったことは必ず目に見える結果として残すのだと、いつかの男は言った。
次第に強くなる足踏み。月光に照らされた剣が一振り、刀身にこびりつく不浄の血を振り払った。





- Interude end -





- 03 Please come back to my life -




「おらっ、リンっ、ハクッ、寝るならちゃんと部屋戻って寝ろっ。こんなとこで寝ちゃ風邪引くだろがっ」

完全に眠りこける前にソファーで寝転がる二匹の肩を揺する。
ハクはむにゃむにゃ言いながらも起き上がるが、リンにその気配はない。
腹がいっぱいになり、苦手な風呂を終えた後にゴロつくのは至福の時間なのだろう。

「リンっ、テメェこら起きろっ!」

強引に揺さぶるも全く起きない。諦めて肩から手を離してため息をひとつ。

「ったく、手間かけさせんなよ」

仕方無しにリンを担ぎあげて肩に乗っける。いつもなら私も私もとハクが裾を引っ張るのだが眠気が完全に来ているらしい。
俺の手を握って静かに部屋までの道を歩き出す。
まるで託児所のようだと自分でも思う。だがその役割を誰かが担わなくてはならないのは周囲のダラケきった人間を見れば嫌でも分かる。
考えてみればこいつらも不憫な身の上だ。今こうして俺に懐いているのが不思議なくらいの。
そう思えば少しは愛着もわいてくる。いや、ロリだとかその手の言葉は完全に範疇外なのだが。

「おやおや、これは若いパパさん。娘を連れてお眠ですか?」

ビギッと、決定的に苛立ちがMAXに。

「あぁいやいやなかなかいい絵じゃありませんか。不肖の娘を甲斐甲斐しく世話をするその姿、哀愁すらも漂わせているではないですか」
「……テメェ」
「いやいやおやめなさい。今争うのは得策ではありませんよ。こんな美しい月夜に争いなど言語道断」
「俺はアンタがそのまま月まで行ってくれたらって、かなり本気で毎日願ってるよ」

はっはっ、とムカツク笑い声を背に二匹を部屋まで運んでベットに寝かせる。
部屋はぬいぐるみやら小さな玩具やらで散らかっている。整理整頓を心がけるように毎日説いてはいるのだが。
仕方なく部屋を片付けてから元来た道を戻る。
すると縁側で月を見ていたアイツはかわらずそこに座っていて、俺の姿を見つけるとちょいちょいと手招きして座るように促した。
無視してやろうかとも思ったが、意外にも茶が用意されていたから、誘われるままに隣に腰を下ろした。

「今日も一日、ご苦労様ですね」
「住人がもっとしっかりしてくれりゃ、俺もこんなに苦労しねぇんだけどな」
「それはアナタが甘やかすからでしょう。まぁ確かに私を含め、アナタに依存しすぎているところはありますが」
「それが分かってんなら直せ」

持っていた湯飲みをコトリと縁側に置く。
足を折り、上体を満点の星空に見せるよう反らした姿勢は、ムカツクことながら絵になっている。
認めたくはないが、相当の美人だ。東国の風流をとても好んでいるようで、嗜みの随所にその影響が見られる。
人の前でそれを見せ付けるのではなく、ちょっとした際にそれを織り込むことがより一層気品の高さを知らしめているような気がする。
無論本人は知らずやっているだけなんだろうが、こうも堂々と様になっていると逆に口にするのが恥ずかしいほどである。
長く伸びた美しい金髪は体を滑るように流れていて、月明かりに時折反射する様は人間という人間全てを虜にしてしまいそうなほどに妖艶。
故に女神と称する輩がいるようだが、俺だけはどうにも異質らしい。
どこか、こう、合ってないというか。
自分自身よく分からないのだが、どこか馴染めていないような気がするのだ。雰囲気が、ではなく、そもそもの存在自体が。

「気持ちのいいことではありませんか?人に頼られるというのは」
「肩が重くなるだけだ」
「全く、アナタという人は少し愛想を覚えたほうがよろしいですね。無骨な剣だけを持つ為に生まれてきたわけではないでしょう」
「……その手の話ならパスだ。どう言われようと俺は変えない。アンタが出した条件はちゃんと守ってるだろ」

シルヴィアが一瞬だけ、隣に座る男の姿を見た。
その瞳は自分に向けられることなく、ただ漫然と男の心の中の世界を映しているに過ぎないのだ。主無き、廃墟と見紛う堂々たるかつての城を。
捨てきれないことは分かっていた。その為にここにいることも十分理解していた。
苦楽を共にし、もう二桁以上の時間を共に過ごしてきた自らの相棒。それを、いつかは送り出さねばならないのかと思うと、胸が、心が痛む。
何をしても変わらないだろう決意を前に、本当に曲げることはできないのかと何千回と考えてはきたが答えは出ないまま。

「主の顔を覚えていますか」
「……忘れたことなんかねぇよ。アンタ、忘れちまったのか」
「日を追う毎に掠れていっているようです。当然と言えば当然のことかもしれませんが」
「……そっか。まぁ、それがいいんだろうけどな」

ズズッと男が茶を飲む音が響いた。
そこに緩やかな風が吹き、二人の衣服をサラリと撫でてはとこしえの闇の中へと消えていった。

「……ランゼル、アナタ」


「取り急ぎ申し上げますっ!!シルヴィア様はいらっしゃいますでしょうかっ!!」


沈黙の風情という風情を強引にブチ壊す大声が響いた。
珍しく二人は同時に表情を歪ませ、何だ何だと寮の入り口を見やる。

「こんな夜にどうかしたのですか。全く、パッションの寮の住人は風情という言葉を知りませんね」

シルヴィアが縁側から降りて男に近づくと、男はバッと勇ましく敬礼をすると両手を後ろで組み、足を開いて大きく胸を張った。

「はっ。実は夜警に出た仲間の内一人が戻って来ておりませんので、捜索に助力を願えないかとの上官の言葉をお伝えに来ましたっ!」
「また面倒なことを。人海戦術ならそちらの方がお得意でしょう。わざわざ私の隊が出ることもないと思いますが」
「無論決行しているのでありますがっ、それでも尚見つからないとのことで上官は隊員の体を非常に危惧しておられますっ!」
「仮にも騎士を名乗る男が帰ってこないからと騒ぐのはお門違いな気もしますが」

遠くから話を聞いていてもその声のデカさから用件は理解できた。
それを渋るシルヴィアの心情もよく分かる。基本的にあの女は他の隊との接触を避ける傾向にある。
何故かと問いかけたことがあるのだが、手の内を相手に見せるのは三下のやることではないですか、とのこと。仲間内でそれを言ってのけた。
間違ってはいないがうまくこなさないことには心象が悪くなる。現にシルヴィアのやり方に不満を感じている隊もあるのである。

「学園内は広いですからね。隅から隅までとなると太陽が昇ってしまいます。ある程度範囲は狭めてあるのですか?」
「ハッ。最後の交信記録を頼りにしますとっ、ポイントA-13以降の記録がスッポリと抜けているのでありますっ!」
「ウチの領地内ということですか。……それは妙ではありませんか?何故アナタの隊が私が受け持つ領地内を夜警しているのです」
「は、はっ。そ、それが、その……」

声が小さくなる。嫌味な性格のシルヴィアは無論それが何故なのかは分かっている。しかし敢えて言わせようとしているのである。

「何ですか?」
「あ、あの、その、お、お近づきになろうと、足を運んだのでは~ないか、と」
「なるほど。男の浅ましい欲望が私の隊員に降りかかろうとしていたと、今回はそれを視野に入れても構わないとのことですね?」
「じ、示談金は後日ということで、あります」

満足そうに頷くシルヴィア。金づるができて喜んでいるのだろう。
あの女の隊員には女性が圧倒的な数を占めており、男性はそれこそ数えるほどしかいない。しかも全員があの女を目指しているということから、
美人度の割合が非常に高いのである。それ目当てに夜な夜な他の隊から男共が何とかお近づきになろうとする動きが活発に見られる。
まぁ健全な年頃なら仕方が無いとシルヴィアは暗黙で黙認しているのだが、こうして表舞台に上がってくると見せしめとばかりに金をふんだくる。
そもそも夕食後は許可をとりつけない限り他の隊舎への無断立入は禁止されているのである。
示談金とは総督に連絡を入れない代わりに金を出せとのあの女の策略である。まぁ相手に完全に非がある以上は何も言えないのだが。

「大挙して探せば大事になりますね。分かりました。そのポイントを中心に捜索してみましょう。あの人にもそうお伝えください」
「こちら側の援軍はどうしましょうかっ!」
「結構です。こちら側で処理します。見つけ次第連絡を入れますのでお待ちなさい、とお伝えください」

ハッ!と短い返事を残して男は去っていった。
それを見送った後でシルヴィアがこちらへ戻ってくる。

「探すのか?」
「言ってしまった手前、それしかないでしょう。今のところ、ウチの夜警からは何の報告も受けていません。この時間ならもう寮に戻っているでしょう」

シルヴィアが収める管轄は他とは少し勝手が違っている。
通常なら隊舎を中心にした警護が基本なのだが、ここにはスマイル寮と桜花寮の二つがある。
ほとんどの隊員は桜花寮で生活している為、このスマイル寮は少し特殊な位置づけにある。この女が好き好んで勝手に作ったのである。

「連絡入れて聞くしかねぇだろ」
「ですが何かあったのなら向こうから既に連絡が届いているはずです。それがないとなると少し厄介ですね」
「逢引でもやってんじゃねぇの?朝になればどっかのベットから転がり出てくるなんてオチもあるだろ」
「私の隊員に限ってそれはありません。断言はできませんが、やるならやるで必ず申し出るように制度を立ててあります」
「なんて制度作ってんだテメェ」

頭のネジが緩んでいるとは思っていたが飛んでいるとは思わなかった。

「何にせよ連絡を入れるしかありませんね」

ため息をつきながら寮の中に戻っていく姿を見送る。
月が雲に隠れ、鮮やかな月光が霞むようにぼんやりと辺りを照らしていた。






[30935] - 04 Please come back to my life -
Name: かずっち◆066a2146 ID:6188e008
Date: 2012/01/09 23:52
初めこそ面倒くさそうに動いていたシルヴィアだったが時間が経つにつれて深刻な顔つきへと変わっていった。
シルメリアも動き出したところを見るとタダ事ではない。
だからと言って俺に何ができるわけでもない。下手に動いて余計な手間をかけるのも嫌だ。
借りを作ってしまえば法外な徴収が待っているのは当然のことである。
静かな月夜が慌ただしい夜に変わっていく。





- 04 Please come back to my life -





「あ~もうイヤ。ランゼル、コーヒーちょうだい」

珍しく夕食後に部屋から出てきたシオンがグデッとテーブルにダレる。髪がテーブルの上に広がってどこかホラーっぽい。

「何か取り組んでんのか?」
「ん~。いつもなら流すんだけど流石にそうも言ってられないしね」

タイミングがよすぎることから、あの女が手をかけているヤマと同じだろう。まぁそんな大層な事件かどうかは分からないが。
ただシオンが動いているということは単純なものじゃないんだろう。

シオンは騎士ではなく、どちらかと言えば導士に近い。
シルヴィアが引っ張ってきたらしいのだが、詳しい経緯は知らない。しかしどこか堅い結託があるようなのである。
実感は無いのだが、こいつの頭はイカれているらしい。
言葉は悪いのだが、実際にはいい意味でイカれているのである。人間の知能指数の限界を超える数値をたたき出す。
その触れ込みを耳にしたことはあったが、それがシオンのことだと知ったのは、おれがシオンと出会ってから随分後のことだった。

「パッションの寮生が一人いなくなったらしいな」
「いんや、出てきたよ」
「あぁ?」
「瀕死らしいけどね。胸元がズイブンと抉られてるみたい、まともに見るもんじゃないね多分。美味しい御飯がお腹に入らなくなる」

冗談で言っているわけではなさそうだ。
普段とは顔つきがまるで違う。温かいコーヒーを手渡してやると、クイッと流し込んでホッと一息ついた。

「詳しく話してくんねえか。どういうワケだ?」
「ん~……、あんまり首突っ込まない方がイイよ?センセも結構マジ顔だったし。野次馬根性はたくましく見える時もあるけど今回はなぁ」
「いいんだっての。どうかもうが俺の勝手だ。脅されて仕方なく情報を渡したってことにすりゃお前も傷負わなくてすむだろ」
「……ん~、まぁ、いっか。ランゼルはこの学園の生徒ってわけじゃないもんね。外部に漏らさないって約束なら渡してもいいよ?」

シオンの言葉に頷いて先を促すと、部屋で話した方がいいとのことで、そのまま居間を出て二階へ。
ボロい寮の階段を上るとギシギシと音が響く。万物いつかは必ず壊れるものだと言うが、極限に迫ってくればただの脅し文句にしかならない。
この寮の造りは単純で、一階には食堂と居間。それから俺の部屋である管理人室と二匹が過ごす部屋が配置されている。
その他のメンバーの部屋は全て二階の個室となる。
階段を上り終えると廊下が左右に伸びている。階段を中心に見て左右それぞれに二部屋ずつ扉がある。
右手がタッグ、キリハの部屋。おそらく二人は部屋にいるんだろう。出ていく姿も見ていない。この時間帯ならテレビでも見ているんだろうか。
左手にシオン、それからシルメリアの部屋。シルメリアはあの女と一緒に出かけていたから今この寮にはいない。
シオンは気だるそうに部屋の扉を開ける。
実はシオンの部屋に入るのはこれが初めてなのだ。
一応俺はこの寮の管理人なわけであるから、自由に部屋に入る権限を持っているのだが、


「入ったら呪うからね」


とのシオンの結構ガチな脅しを受けているため入室を控えていたのである。
だから正直中はとんでもないことになっているんだろうと思っていたのだが、シオンの後について部屋に入るとビックリ。

「……何だぁ、これ」
「何だぁって、ノートパソコンじゃん。何、ランゼルって実はパソダメな人?今時動画の一つも見れないとパンダにもてないよ?」
「パンダがどう関係してくるのかいまいちよく分からんが、すげぇなこれ。いったい何台あんだよ」
「36台。それぞれ違った役割を持ってるんだよ。この学園のことなら手にとるように分かる。ある意味で、全部私の支配下だよ」

無機質な部屋の中に造りこまれたラック。区切られた空間一つ一つに光を暗がりの部屋の中で光を放つノートパソコンたち。
画面に何が映っているのかは分からないが、シオンは無造作に奥のベットにボフッと座ると、傍のテーブルにあるキーボードを叩いた。
するとパソコンの画面が一斉に切り替わり、全てが監視カメラのように学園のいたるところを映し出した。

「お前、学園にカメラ仕掛けてあんのかよ」
「私が仕掛けるわけないでしょ。みんな学園側が仕掛けたもんよ。私は学園のサーバーにハッキングしただけ。やりたい放題なわけよ」
「はっきんぐ、って何だ?」
「つまり、本来なら学園関係者しか見れない映像を見れるようにしたってことよ。深く話すと夜が明けちゃうもんね」

タンッとまた一つキーボードを叩くと、丁度俺の横の画面が切り替わった。
映っていたのは一人の男が倒れているところだった。うつ伏せになっており、近くには引きずってきたような無残な血の跡が残っている。
ひくつく男の指先が生への執着を見せているようで、見ていて気持ちのいいもんじゃないことはわかった。
だが俺はこれを見せてくれと頼み込んだようなもんだから、じっくりと映像に見入った。
不思議と怖さや恐ろしさといったものを感じることはなかった。だが男がどうして血だらけで倒れているのかが気になって仕方がない。

「茂みの中で発見されたみたい。ウチの管轄なんだけど、夜警のルートからはかなり外れた場所に位置しているみたい。暗い時間帯だしねぇ」
「でもこれが見れるってのはここにカメラがあるってことだろ?カメラがあるからルートからは外れてた、そういうことじゃねぇの?」
「そこがよくわかんないのよね」

考え込む仕草を見せてシオンがしばらく黙りこんだ。
この学園の本懐には国を護る人材の育成にある。言わば他国に対する牽制の先兵とも呼べる俺達の情報をやすやすと流すことはあってはならない。
その為にこの学園を護る防壁は物理的にもサイバー的にも尋常ではない。侵入者ともあれば即刻で国家へ伝達される仕組みになっている。
だと言うのに、これほどまでに明らかな事件が起きているというのにまだ指示が出ていないというのも併せて非常におかしなことになっているのだ。
夜警は警護の一環、それこそカリキュラムの一つとしてこなしているのだとの言い訳も、その理由を前にすればまるで猫だましのようなもの。
異変の一つ足りともあってはならない、ここはそういう機関なのだ。
だと言うのに、発見がこれほどまでに遅れたのは一体どういうことなのか。

「……カメラが壊れてた」
「無いわね。万に一つの可能性でも無いわ。ここは徹底的にマークされてる場所だからね。そんな単純なミスで説明がつくもんじゃない」
「なら、考えられることは一つしかないだろ」
「どういうこと?」


「知られたくないから黙ってたんだろ」


不都合なものをわざわざひけらかすこともない。
命の危機に瀕するようなことが学園内で起こっていると知れ渡れば生徒の間に動揺がはしる。それを防ぐ為と言うなら納得はできる。
ただそれだけではないからシオンも深く考える結果に陥っているのだろう。
そもそもシオンはあの女から依頼を受けてこの事に首を突っ込んでいるのだろう。
あの女の性格はよく知っている。仲間の命を無駄に危険にさらすようなことはしないだろう。
シオンが直接現場に出ないから?それもおかしい。少しでも可能性があるのなら潰していくのがあの女のやり方だ。
シオンが死なない確証などどこにも存在しない。危ない橋を渡らせるぐらいならそのまま一人で突っ切るだろう。
つまり事は、本当に得体のしれないことになっている、ということ。
沈黙のままに画面を見つめていたが、そこでシオンの携帯が鳴った。
初めこそ軽く聞いていたが、次第にシオンの顔に変化が浮かぶ。通話が終わった後にはやるせない表情だけが残った。

「あの女か?」
「……更に三人やられたって。傷跡も一人目と全く同じみたい。正直私は見たくないんだけど、あんた見る?」
「あぁ。見せてくれ」

疲れた顔をしながらもキーボードを叩く。
その指先に反応するように今度は俺の左側の画面が変わった。
一人は男。後の二人は女だ。腕章から見るに中央の連中だ。このエリアにいるのは普段なら考えられないが、この事態に出張って来たのだろう。
無残にも血をバラまき、もはや死を待つだけの状況のように見える。
指先がまだ動いているところを見ると、まだ助かる余地は残しているが、それも風前の灯。いつ消えてもおかしくないほどである。

「何が目的なんだろう。……何でこんな真似するのかな」
「決まってる。そこに目的があるからだ」

自分で思ったよりも冷静な声が出た。
俺の口調の違いに気づいたシオンが手を止めて俺を振り返る。

「……ランゼル?」
「これだけハッキリと傷口が見えれば嫌でも分かる。ただの人間にここまで抉り取る力なんてねぇだろ」
「どういうこと?何か分かったのっ」
「あぁ。上が何で黙って見てたのかも十分わかった。コイツは表舞台に出しちゃいけねぇもんだ。触発されて勃発されちゃ困るしな」

一人目の男はうつ伏せだった為に分からなかったが、今回はじっくりと傷口を見ることができた。
尋常じゃないほどの肉の抉れ様。正面から見える白い物はまがいではなく人体を形作る骨に違いなかった。


ソレは人間にできるものではない。
ソレは人の手に行われるものであって、人の心ができるものでは決してない。


異常だと、自分でも理解している。
けれど止められない。こうして目にしたことで、あのおぞましい光景が再び蘇ってくるのだ。
誰も助けに来ない無機質な牢獄の中で、血の海を歩き回り、必死に生きようともがいたあの時。
己の無力さを嘆き、人一人救えない己の愚鈍さに嫌気が差したあの時。必ずや滅するのだと、己に誓ったいつかの過去のことを。

「……ねぇ、どうしたの?何で笑ってるの?」
「心配するな。俺が滅する。俺にしかできない仕事だ。過去の亡霊がいつまでも現世に留まっていいわけがない。時代はいつだって繰り返す」
「ランゼル?」


「こいつは『悪意(アリス)』だ。底を知らない無尽蔵の悪意(アリス)は満足することを知らないらしい」










 - Interrude -


「しかし、良かったのですか?」
「何がですか?」
「シオンです。寮内にはまだランゼルもいることですし、情報が渡ってしまう恐れがあるのではないですか?」
「いいんですよ。それに今頃もう事の経緯は知っているでしょう。シオンが情報の提供を拒むことは考えにくいですからね」

漆黒の闇夜を駆けながら会話を交わす二人の女。
シルヴィアとシルメリアである。

「どういうことです?敢えて情報を渡したということですか?」
「悪意(アリス)関連のことなら隠しておくことなど不可能です。本能的に察知できてしまうんですよ、アレはね」
「では、単独で動いてしまう恐れがあるのではないのですかっ?」
「保険としてキリハには声をかけていますが、おそらくは止まらないでしょう。時間稼ぎ程度に考えておいた方がいいでしょうね」

紡がれる言葉一つ一つにシルメリアは違和感を感じていた。
シルヴィアはランゼルに剣を持たせることをよしとしていなかった。よしんば剣を離してもらえればと、その考えを直接聞いたことがある。
ランゼルと直接手合わせをしたことはないが、隣のシルヴィアと実践と称する授業風景を見たことは何度もある。
驚異的な身体能力を発揮するシルヴィアに押されっぱなしの姿しか見ていないが、並の使い手では練習すらつとまらない相手だ。
猛る声を持って、打ち砕くという強靭な意志の下で食らいつくランゼルの姿はどこか狂気染みた部分があった。
つまるところ、ランゼルの腕が低いということはあり得ない。逆にあれほど動けるのなら腕が良いと言っても過言ではない。

「……私は、お二人の間についての過去は何も知りません。けれど、隊長。その関係を、今回変えるつもりでいらっしゃるのですか?」
「ぬるま湯につけておくのも限界があります。飼殺しのままでは、ランゼル自身がいつかアレに食べられてしまうでしょう」
「……アレ、とは?」
「いずれ分かることになるでしょう。シルメリア、今回の騒動は異質です。気を抜くと命を落としかねません。その旨、勘違いのないように」

はい、と返事をしたはいいものの、どうしても頭がそちらに回ってしまう。
飼殺しとはどういう意味だ。アレとは一体何を指しているのだろう。
寮内でシルヴィアから最も信を置かれているのは自分だという自負がある。それだけに知らされていないことがあるというのは。

「人は生まれつき、運を持って生まれてくると言います。シルメリア、アナタはそれを信じていますか?」
「運、ですか。自らの力で変えようのない部分は確かに神に求める以外に方法はないと思いますが」
「……そうですね。ただ、私はそれを認めることはできないのです」
「……隊長?」
「失礼。戯言が過ぎました。一刻も早く悪意(アリス)を見つけましょう。私達の手で葬ってしまえば何の問題もないのですから」

その言葉には願望がこもっていることを、シルメリアは直感で理解した。
それと同時に、



今回の騒動はきっと、ランゼルを中心にして終わるのだろうことも、心のどこかで確信したのだった。





[30935] - 05 Please come back to my life -
Name: かずっち◆066a2146 ID:6188e008
Date: 2012/01/19 01:41
まだ春の香りが漂う季節の真っただ中。月明かりに照らされた一場面はどうしようもないくらいに絵になっていた。
出会いの季節と冠される春において、その二人の逢瀬は物語の一部分としては上出来。
かたや冷酷な部分を併せ持ちながらも人情を忘れぬ黒く長い髪を持つ、正にクールビューティー。
かたや粗雑ながらも人を捨て置けない心を持った男。
キャスティングは万全。背景となる絵面も帳を漂う雲が遠慮を見せて美しく輝く黄金を見せることをかって出た。
男は背を見せたまま漆黒の帳の中へと消えて行こうと。
女は今まさにその男に声をかけるところであった。
どんなドラマが始まるのかと、蚊帳の外である観客は期待に胸を躍らせる。
儚くも散っていく限りの恋であるのか、はたまた誰も知り得ぬ伏線がひょっこりと顔を見せ、とんでもない真相が明らかになるのか。

しかして女の口から紡がれた言葉は冷酷以外の何でもなかった。

「待ちなさいランゼル。どこへ行くの」

男は答える。

「何って、ちょっと散歩」
「なら刀は置いて行きなさい。それができないと言うのなら、私を斬っていきなさい」


季節は人の出会いを冠する春の帳が下りた美しい夜のこと。
始まろうとしていたドラマはおおよそ、観客が期待していたことの全てを裏切った血に塗れた話になろうとしていたのだった。





- 05 Please come back to my life -
  





「何でそんな物騒な話になってんだよ。ちょっと風に当たってくるだけだっての」
「それにどうして刀が必要なのかしら」
「寮生が襲われたんだろ?それぐらい耳に入ってる。得物を持たずに行っちゃ、もしもの時に自分の身を守れねぇだろ」
「なら時間を考えることね。危険だと認識しているのにどうしてわざわざ出て行こうとするのかしら」

無駄だな。
既にあの女の息がかかっているとしか思えない。
シオンに情報を渡していたということは俺に情報を渡すに同じ。だと言うのにキリハをここで配置したのは一体どういう了見なのか。
もともと読めない女ではあったが、ここまでされると欺瞞を通り越して単純な課題のようにも思える。

「あの女に頼まれたのか?」
「だったら?」
「俺を止めてどうするよ。もう事は学園内だけじゃ収集がつかなくなってるんだぜ?国のお偉いさんに報告が上がってねぇわけない」
「大人しく駆除(コマンダー)に任せることね。下手に手を出して噛みつかれては笑い話にもならないでしょう?」

会話を交わしながらも互いに決定的な距離を離さない。
互いに位置しているのはギリギリの境界線。一歩でも縮んでしまえば相手の剣が奔ることになるだろう。
キリハの右腰に下がるのは俺と同じ得物。つまりは刀だ。
東国の出身であるキリハはその扱いに非常に優れており、精鋭を育てるこの学園の中と言えどその右に出る者はいないというお墨付き。
曰く、キリハが刀を抜いたところを誰も見たことが無いという。

唯一見ることができる相手は二度ととしてその事実を誰かに伝えることができなくなってしまうからだと。

居合抜き。
その必殺の一閃は無論俺だって目にしたことはない。
スキル一辺倒の話ではない。キリハは武だけに長けた存在ではなく、式術の評判も高い。
俺達が使う魔術とは様子が異なっているようだが、その詳しい違いは俺にはよく分からない。ただ魔術と似たようなものであることは違いない。
双方を兼ね備えた相手とは非常にやりにくい。それも双方を得意とするというこは、伴った柔軟な思考も合わさってくるということ。

「……それじゃ困るんだよ」
「何故」
「手出しされちゃ困るんだよ。目にした悪意(アリス)は俺が滅する。それが俺の誓いだからだ」
「誓い、ね。誰との?」

そんな当然のことを聞かれたところで、俺は当然のように答えを返すしかないじゃないか。


「今は知らねぇ、いつかの俺との誓いだよ」


刀を抜く。
それが何を意味するのかは戦いの場に身を置くものならば誰もが知っていよう。
キリハは黙って俺を見つめていたが、俺が鞘から刀を抜くと共に自らの鞘へと右手を当てた。
そのまま何をするでもなく、少し腰を落としただけで俺に斬りかかってくることはしない。
それは俺に対する遠慮だとか、やりにくさだとかではなく、ただ単純に自らのスタイルとは異なっているだけの話。
無暗に刀を抜くのではなく、ここぞというその瞬間での一閃。最小の攻撃で最高の結果を得る為に。キリハは何も言わずに俺の目を見ている。

「……殺しはしない。けれど手加減はしないわ」
「建前なんていらねぇよ。手加減もいらなければ殺めることも躊躇うな。少なくとも俺はそのつもりだ」
「私に勝てる気でいるのかしら?」
「そのまま返してやるよ。模擬戦の総称なんざ酒のつまみにもなりゃしない。お前はまだ知らないだろう」


互いの命を奪い合う 底の見えない殺し合いだ


駆ける。
間合いに入ることを躊躇っては首は取れない。
どれだけ同じ時間を共にしようが大義の前には何もかもが霞む。余計な情で濁るくらいならそもそも心に留めていない。
キリハは尚も動かず、当初の姿勢を保ったままで俺を見据えている。
もう既に俺の首を落とせる距離だ。だというのにそれをせずにただ俺の出方を待っている。
このまま突っ込んで斬りかかれば首が落ちることは必至。俺の刀が届く前にキリハの刀が俺を捉える方が早いだろう。
だからこそ小細工が必要だ。相手の首に剣が届かないというのなら、届くような状況をこちらで作り出さねばならない。

「『Give me a force, Sala. Your energy hurt my enemy.』
(力を寄越せサラマンダ。 テメェの炎でアイツを焼き尽くせ) 」

魔術はそれほど得意ではないが無能ではない。
俺にとって魔術とは相手にダメージを与えるものではなく、あくまでも物理的な攻撃のサポートとしての位置づけでしかない。
その為に威力は問題ではない。言ってしまえば、相手に何のダメージを与えなくてもいいのだ。代わりに隙さえ作ってくれればそれでいい。
ゴウッと炎が地面を奔る。
一つ一つの奔流こそどうということもない子供のお遊びにしか過ぎないが、束となって一点に終結すれば痛みを与えるほどにはなるだろう。
鋭いムチのように動く滑らかな軌道の神髄は傷を残すことではなく、捲きつくことで相手の動きを止めることにこそあった。
小手調べには丁度いい組み合わせだ。
戦いとは言わば、幾重にもわたる選択肢の集約と言ってもいい。下手に選べばそれだけ死に近づく。最善の手をうつしか生き残る手段はない。
そうだ、俺の攻撃すらも選択肢の一つ、選択を迫られたキリハは何を選ぶのか。

「辿る未来が一つしかないというのなら、動きも制約されるものよ」

言葉を発したキリハはしかし、全く動くことなく。
それはまるで、動く必要などないのだと俺を嘲るように。

「料理というからには必ず食材が使われるものでしょう?手を加えるものが無ければ味を調えることはできないものね」
「だから何だよっ」
「食べる側だって同じよ。食べる食材が無ければお腹を満たすことはできない。つまるところ、アナタが今私にしようとしていることも同じ」

言葉の意味が分からないままに、しなる炎のムチに乗じて刀を振り下ろす。



「私にはね、アニマと呼ばれる一切を感知しないのよ」



パァンッ!

っと、何かが弾けたような音がした。
呆気にとられて動きを止めたその一瞬、先ほどまで自分と並奔していたはずの炎のムチが姿を消していた。
その事実に気づくのに一秒。
むき出しの肉体を差し出していることに気づいた時には、キリハは薄く微笑んでいた。
先ほどまでよりもわずかに腰を落としている。
そのわずかの違いが、攻撃に移るモーションだとは予測できたが、迫りくるであろう刀の軌道を追える自信など、微塵も感じなかった。

アニマを感知しないだと?

魔術というものはその根源を全てアニマに求めている。
そのアニマを感知しない、つまり認識していないということは魔術という魔術全てを受け付けないことと同じ。
威力云々の問題ではなく、全ての魔術はキリハの前では何の効果を生み出さないということ。
それは例えば脳へと伝達される電気信号。
信号が奔り、感触と合わせることで人間は五感を有効なものとしている。信号が奔らなければ、脳が感知しなければ何の存在も感知できない。
物質があろうが、それを脳が感知しないのならそこには何も無いことになり、
何もない空間でも脳が信号を受け取ればそこには物質が有ることになってしまうのである。

キリハはアニマを感知しない。
それはつまり、いかな魔法であろうともキリハの前ではそれは全て何も起こっていないことになるのである。

「少しは楽しめるのかと思ったらこれとは。まぁ、私のスキルが一つ知れたのはいいことじゃない」

キリハの声がやけにハッキリと頭に響く。
身体を戻そうにも、この体制では明らかに無理がある。無理やり動かしたところでキリハの刀は間違いなく俺の身体に打ち込まれる。
死なないことは理解している。
だがここで攻撃を受けてしまうということは、悪意(アリス)をそのまま逃がしてしまうということだ。
それだけは避けねばならない。己の心の礎を崩されてしまっては、俺という人間が今ここにいる意味を失ってしまうことになるからだ。
いつかの誓いはそんなに軽いものではない。
軽いものではないと、そう知りながらも。

「少し眠りなさい。起きた時にはまた同じような日常が待っているから」

キリハの体が傾く。
左足が踏み込まれる。
鞘から抜き出された何かが一瞬月光を弾いた。
ここまでかと、そう思った矢先のことだった。





                                       『                』





しばらくは開かないだろうと思っていた目が、思いの他たやすく開いた。
その先には確かにキリハの姿があった。
その刀の刀身を見ることはほとんど無いとまでに言わしめた神速の抜刀。その二つ名を返上するように、ただキリハは茫然と俺を見つめていた。
右手に握られた刀はどこまでも白く、美しい刀身を惜しげもなく見せているが、どこかそれを恥じるように鈍色の光を地面に落としている。
確かにあの刀で斬られたはずの胸元に手をやるが、そこにあるはずの大層な傷が無い。
代わりに着ていたシャツに一筋の斬れ目が入っており、春の夜の風にヒラヒラと無関心になびいていた。

「……何を、したの」

呟かれた言葉はキリハの口から。
信じがたい状況を目の当たりにした当人から投げかけられた言葉にランゼルは答える術を持っていない。
それはそうだ。
自分自身でさえ何が起こったのかよく分かっていないのだから。
キリハという女を侮っていたわけではない。だが想像を遥かに越える能力を眼前にした後、確かに敗北を感じたのだ。
避けられるはずもない一振りをかわしたのは自分ではない。ただ確かに己の体は難を逃れ、キリハの刀から逃れることをやってのけたのだ。
不可解な事実を前にした両者にはそれぞれに動揺がはしる。
自分自身ですら分からない動きをもってして相手を圧倒した男はしかし、それがどういう原理でなされたのかに頭が追いつかない。

「……っ」

超人的な男の反応を目にした女はされど、男が持ちえる未知の力に根源的な恐怖を覚えつつあった。
キリハは決して自らを卑下しているわけではない。だが想像を絶する鍛錬を基に磨き抜かれた己の一撃に誇りを持っていた。
それがいともたやすくかわされたとあっては動揺するのも無理はない。絶対にまで磨き上げた技にはそれだけの意味合いが込められていた。

「……声」
「……声?」
「声が、聞こえた。お前、何か俺に言ったか」

独り言のようなランゼルの言葉にキリハは不審な目を向ける。
あの瞬間、あの刹那において確かに声をかけた。だがそれは男に対する勝利を確信したものであった。

「傲慢と、そう言いたいのかしら?」
「……いや、確かに言ったよ。お前じゃないなら、誰かが確かに俺に言ったんだ」

自らの動揺もさることながら、ランゼルのつぶやきはそれを無視できるほどに不可思議な響きを秘めていた。
それはまるで迷子の子供が自らの名前を確認するように。必死に思いだそうとするが、霞む言葉を手の中に収めようとするかのように。

「……こー……いばー?」
「ランゼル、どうしたの、アナタ何を言って」



「『 Code : Little Braver 』?」
   ちっぽけな勇気を君に 



その言葉が、合図だった。

「っ!!!」

それが何であるのかは全く分からない。
ただ圧倒的な何かがその場を包み込んでいくのがキリハにはわかった。
アニマではない。アニマであるはずがない。
自らの身体がそれを受け付けないのは自分が一番よく知っている。だからこそ、それがアニマでないことは理解できた。
だが感じると共に必死にアニマだと決めつけようとする自分がいることに気づく。それはそうだ。自らが知らないナニカともなれば恐怖しか残らない。
理解が追い付かないままに、身体が傾ぐ。
それほど強い風ではない。ランゼルを中心に巻き起こっている風はそよ風のそれが渦を巻いているというだけの規模でしかない。

だというのにこの威圧感は何だ。
心臓の拍動が止まらないのは何故なんだ。

震える手で刀を握り締める。
ランゼルは何かの感触を確かめるように刀を握りなおした。
その目が、キリハを射抜いた。

「……っ!!!」

言葉が出ない。
出ないほどにランゼルから放たれる何かはとてつもない威光をはらんでいたのだった。



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