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[30961] 【DOG DAYS】姫様と姫始め(シンク×ミルヒ)【短編集】
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2012/01/02 16:17
二作以上続いたのでこのスレを「短編集」として総合化しました。
二期も決定したアニメ『DOG DAYS』の二次創作SS、その短編集となっております。

・シンク総受け
・アニメ1~13話の知識のみにてSSを構成(作者がファンアイテム未所持のため)

基本は以上です。
まだまだ作品の設定やキャラ呼称などは勉強中ですので、不自然な点がありましたらどんどん突っ込んでくださると助かります。






























































このページがあまりに勿体無いので唐突に始まるショートショート
No.1:『代理人エクレ』

「このアホ勇者っ! 貴様また、姫様の頭を無下に撫で回したそうだな!」
「う、うん……。姫様も喜んでくれることだし、いいかなって……」
「よくないだろう! 相手は一国の領主だぞっ!? 本来なら今すぐにでも侮辱罪で貴様を処罰したいところだ」
「ひえぇっ、だ、だってたまに姫様がねだってくる時だって」
「何か言ったか?」
「いえ! 全部僕がやりたいから勝手にやっただけです!」
「それでいい。……で、その、なんだ。姫様の頭を撫でるのはなるべく自重しろ。
 それでも、ど、どどどうしても撫でたくなった時はだな……ひ、姫様でなく、私ですませろ」
「……はい?」
「勘違いするな! 別に私にそのような特殊嗜好があるわけではないぞ!
 ただ、姫様の身代わりを買って出たというだけだ! か、勘違いするな!」
「そんな二回も言わなくても……えっと、つまり、頭を撫でたくなったら、姫様の代わりにエクレを撫でろ……ってこと?」
「何度も言わせるな」
「…………」
「な、なんだ、その目は……」
「エクレ、今撫でたい」
「えっ!?」
「今急に撫でたくなった。あー今から姫様探して撫でに行きたいなぁ~」
「わ、分かった! よし……わ、私が代わりになろう。ほ、ほら」
「うん」
「っ! ぅく……」
「エクレ」
「な、なんりゃ」
「お手」
「はぁっ!?」
「姫様はちゃんとやってくれるのになぁ。やっぱエクレじゃ駄目かあ」
「ま、まて! わかったから……ほ、ほら」
「うん、よくできました」
「ぁぅ……」



[30961] もう一押しの距離(シンク×エクレ風味)
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2011/12/26 21:14
 異世界フロニャルド。
 獣の耳と尻尾を持つ人々が暮らす、緑豊かな大地である。
 領地に広がる城下町では常に人々の笑顔と喧騒が絶えず、商売や生活の活気は衰えることを知らない。時折各地で行われる『戦』も、この世界では大々的に開かれる興業という名のイベントの一つでしかなく、皆が笑顔を享受し、種族の違いを受け入れ、手と手を取り合って互いを補うように生きている。
 天高くのぼった太陽と、土地を守護する神に見守られた、ゆるやかな時間を過ごす平和な世界――
 その領地の一つ、ビスコッティ共和国にて。
 それはそれとして、今日も絶叫がこだましていた。

「こんのアホ勇者が!! 今日という今日は許さん! 私の手で叩き斬ってくれるっ!」
「だ、だからゴメンって~!」

 ビスコッティではもはやお馴染みともなりつつある攻防戦が、今回は場所を市街地に移して広げられている。攻防戦とは名ばかりで、一方的に少女が少年を追い掛け回しているだけだが。

「クセで撫でちゃっただけで、本当に悪気はなかった……っていうか、褒めたのに何で怒ってるのさ!?」
「うるさいっ! だ、だいたいクセで無造作に人の頭を撫でまわすなど、貴様は配慮が足らんのだっ!」
「いやだって、してあげたらみんな喜ぶし……」
「み、みんな!? まさか貴様、リコはおろか、ひ、姫様にまでこのような屈辱行為をっ!?」
「あ~、いや~その……」
「絶対斬るっ!!」
「うわ~ん!」

 二人とも全力で走っているのだろうに、行きかう街の人々には一切触れることなく、器用に避けながら駆け抜けていく。時には少年が持ち前のパフォーマンス精神を生かして大きく跳躍して障害物を飛び越えて見せたりして、通行人は邪魔に思うどころかむしろ拍手をしたり野次を飛ばしたりする者まで出てくる始末である。

「お~、勇者様と親衛隊長殿のおいかけっこか。俺、生で見れたの初めてだぜ」
「最近はすっかり影を潜めてたからなぁ。お目にかかれるのはけっこう貴重なんだぞ」
「ねえ知ってる? 勇者様と騎士様の痴話喧嘩を見れたカップルって幸せになれるんですって!」
「きゃ~!」

 というより、もはや一部のファンからはありがたがられていた。

「痴話喧嘩ではないっ!」

 そしてそれに反応して頬を赤らめる生真面目な少女の対応に、また周囲がどっと湧く。
 くうううっと恥ずかしさやら何やらで赤面する少女の怒りは、決まって一方向へと流れていく。

「くそっ、勇者、お前のせいで見世物にされているではないかっ!」
「なんで僕だけのせいなんだよっ」
「こんのアホ勇者! バカエロヘンタイ勇者!」
「酷い言い草だなあ……」
「シンク勇者!」
「ちょっと待ってそれ悪口っ!? 僕の名前そのものが悪口!?」

 ぎゃーぎゃー言いながら商店街道を駆け抜けていく二人の背中には、何故か残された人達の熱気と拍手が送られていた。
 多種多様な興業盛んなフロニャルドに、新たな興業が生まれようとした瞬間である。

「ん~、勇者様とエクレ、相変わらずのようでありますなあ」
「で、ござる」

 そして、そんな二人が去っていった道を見つめる、二つの影。
 小柄で栗色の髪を持つ少女と、対照的に長身で金髪を揺らす二人の人物は、手に持っていた、先程道中で購入したおやつを口に運びながら、好き好きに感想を言い合っている。

「エクレもいい加減、勇者様の前でも素直になれればいいのでありますが……」

 甘い蜜のたっぷりかかった菓子を口にほうばりながら呟く小柄なほうに、黒蜜だんごをくわえながら、うんうんと大柄が同意の意を示す。

「走りながらもわずかに尻尾が喜びに揺れていたのを、拙者確かにこの目で確認したでござるよ」
「エクレが勇者様のことを大好きなのは姫様も……というか城中の周知の事実なのでありますが、勇者様はその辺少し疎いようで、未だ気付いていないようなのでありますよ」

 はあ、と嘆息混じりに呟く小さき身に、色々な意味で育ちまくっている少女は苦笑気味に二人が過ぎ去った道に視線を向ける。

「あれほどあからさまなのに気付かぬとは……勇者殿も存外罪作りな御仁にござる」

 ちらりと隣の無垢な少女を一瞥しつつ、肩を竦める。
 確かに、あの御方は色々な意味で罪作りでござるなぁと思いながら、口には出さない。それは自身の首をも絞める蛇に他ならない。

「昔から、エクレは変なところで頑固者で素直になれない意地っ張りっ子でござったからなあ。好意を持つ殿方には特に、でござろう。已む無しにござる」
「うーん、なんとかエクレが素直になれる方法はないのでありましょうか……」

 面白半分でなく、真剣に親友を心配する瞳で思案する少女に、もう一人の娘も頭の後ろで両手を組みながら、トン、と爪先を大地でつつく。

「そうでござるなあ……あと何かもう一押しあれば、エクレも踏み出せるのでござろうが」

 なかなかその一歩が難しいのでござるよ、と明るく笑う。
 剣の間合いも同じこと。一歩とは近く簡単なようで、それを自分で踏み込むのはかなりの勇気と鍛錬がいる。忍として多少なりとも剣の技術を持つ少女の見立てでは、エクレには両方足りていない。
 もっとも、この主語である「恋する少女として」の勇気と鍛錬など、自身もまったく未熟そのものなのだが。

「ふむ。……であれば」
「ござる」

 言葉ならずとも互いの意見の一致をみたのか、二人は顔を見合わせ、そして心得たとばかりに頷きあう。

「自分で踏み出せないのであれば……」
「……押してあげるのが友というものでござる」

 二人は無言で手を叩き合った。
 ……無論、エクレにとってはありがた迷惑この上ないのだが。
 得てしてこのような色恋沙汰は、周囲のほうが盛り上がるものなのである。






「エクレ~、ちょっといいでありますか」
「ん。リコか。どうした?」

 ある日の昼下がり。
 城内を歩いていたエクレを呼び止めたのは、後方より駆けてくる小柄な少女、リコッタである。彼女はいつもの私服に白マントというお馴染みの格好で、姿通り子犬のような愛くるしさでエクレの元まで走り寄る。

「今、お時間大丈夫でありますか?」
「ああ、ちょうど交代で休憩に入ったところだが……」
「それは好都合であります!」

 ぽんっと両手を叩いて笑顔を見せるリコッタに、不思議そうにエクレは小首を傾げる。
 もちろん、エクレのスケジュールなど事前に把握済みの上での質問なのは言うまでもない。どころか、この休暇はエクレの兄ロランも加担しているかなり計画的な代物だ。
 小さく見えてこの少女、国でも一・二を争う頭脳の持ち主なのだ。こんなことでその偉大な知恵が活用されるのもどうかと思うが。

「実は新しい実験に使用する材料を、研究員の皆に手分けして買って来てもらっているのでありますが……できればエクレにも協力してほしいのであります」
「随分と大掛かりだな……。そんなに数いるのか?」
「はい。というより、今日のバザーでないと手に入らないものばかりで、時間が限られているのでありますよ」

 ああ、と納得したようにエクレは頷く。
 今日は港近くの市場で少し大きなイベントが開催しているのだ。普段はビスコッティとの交流も少ない異国の商人達も参加して、自国の特産物を持ち寄っていると聞く。
 一日限りの、国境を越えた一種のお祭りである。そのため開催国であるビスコッティでは騎士の多くがイベント会場に借り出されているが、親衛隊の隊長であるエクレは姫の御傍付として国に待機することになっている。
 午前中には姫や勇者と共に、市場を訪問・交流に行ってきたばかりだ。今は姫の傍にはロランがついている。

「市場を見てきたエクレなら、他のみんなより売っている場所にも明るいかなと思ったのでありますが……」
「ああ、私は別に構わないが……それならあのお祭り好きな勇者のほうが喜んで引き受けるんじゃないか?」
「実は勇者様にもお頼みしようと思ったのでありますが……勇者様、姫様と城に帰られてから、すぐにまた市場のほうに向かったようでありまして……声をかける暇がなかったのであります」
「……まあ、そうだろうな」

 容易に想像できる光景に、エクレは呆れたように肩を竦める。とはいえ、異世界の民である彼にとって、イベントというのはこれ以上ないくらいに魅力的な要素の一つだ。それを邪魔するのは幾らエクレといえど気が引ける。あの天真爛漫な笑顔に惹かれるのは、決して姫やリコッタだけではないのだから。

「分かった。どうせ暇していたところだ。私があのバカ勇者に代わって引き受けよう」
「ありがとうであります~」

 喜ぶリコッタの瞳がキラリと怪しく輝いたのを、エクレは気づかなった。






 小規模ながらも市場は人々の活気と声で大きく賑わっていた。
 ビスコッティ領民やガレット獅子団の国民だけでなく、普段はあまり目にしない国の人々までもがちらほらと窺える。何故そう判断できるのかといえば、単純に種族の耳や尻尾の違いからである。

「さて……聞いてはいたが、結構量が多いな……。近くの場所から順に片付けていくか……」

 あまりの人の多さに若干辟易しながらも、リコッタから預かったお買い物メモに視線を落とし、エクレは露店が立ち並ぶ人の渦へとかきわけて行く。
 と。

「あ、いたいた。お~いエクレ~! エ~クレ~~ッ!!」
「う」

 自分を呼ぶ馬鹿みたいに通った大声に、エクレは嫌々ながら声の方角へと視線を向ける。ちなみに嫌そうなのは表情だけであり、耳はその声に反応した瞬間確かにビクンと大きく跳ねていた。

「やっと見つけた。追いついてよかったよー」

 声の主は言わずもがな、この国の英雄である勇者シンク・イズミその人である。サラサラの金髪からわずかに汗を散らしながら、いつものように屈託のない笑顔でこちらに駆け寄ってくるその姿を視認し、エクレの尻尾が大きく揺れ――ようとして精一杯の自制でなんとか抑えることに成功する。

「恥ずかしいから大声で呼ぶな! ……で、何用だ、こんな場所で」

 不満そうな声で呟くエクレに、シンクは不思議そうに首をかしげた。

「あれ? リコから聞いてない? 荷物持ちでエクレを助けてあげるようにってお願いされたから全速力で来たんだけど……」
「なんだ貴様、城にいたのか? リコからは既にここにいると聞いていたのだが」
「うん、一度は来てたんだけど、ユッキーに頼まれて姫様に忘れ物届けに行ったんだ。そしたらリコにお願いされてさ」
「そうか、入れ違いだったわけだな……しかしこの程度の荷物、私一人でも充分だったのに」

 まったく余計なことを……とぶつぶつ口にするエクレの手元にある紙を、ひょいとシンクが覗き込む。

「あっ、こらっ!」

 予想していなかった少年の急接近に、思わずエクレの頬に赤みが差す。

「ふんふん……確かに結構重そうだね。よーし、荷物持ちなら任せてよ! エクレは道案内よろしく!」
「……まあ、いいが」

 貴様は言い出したら聞かんからな、と唇を尖らせながら歩みを再開させるエクレの隣で、自然とシンクが歩幅を合わせる。
 これが二人の距離――二人の付き合い方そのもの。
 楽しそうに笑うシンクと、仏頂面でそっぽを向くエクレ。
 表情とは裏腹に、二人をとりまく雰囲気はたいへん良好的であった。






 小一時間後。
 そこには半目で歩く親衛隊隊長と、それに従う袋の山がいた。
 訂正、袋の山を抱えて持ち歩く勇者がいた。

「さ、さすがに重い……」
「だから袋を半分持つと言っているだろうが――正面」
「なんのなんの! 力仕事は男の甲斐性、ってね……! ……っと、とと!」

 バランスを崩しそうになったシンクが、慌てて軌道修正してなんとか紙袋は落下を免れる。この辺のバランス感覚はお手の物。彼の得意分野の一つである。

「変な意地を張るからだ」

 やれやれとため息をつきながらも、シンクを見守るエクレの表情は柔らかい。

「で、でもこれで、買い物は全部……だよね?」
「ああ。だがこのままでは城に着く前に陽が暮れるぞ……右」
「よっと」

 人の流れを、袋の山が華麗に回避していく。当然山になっているので前方はまったく見えていないのだが、相方のナビと気配を読むことで事故を未然に防いでいる。その離れ業に、異国の商人達は珍しそうに目を見開く。

「なんというパフォーマンスだ……。流石音に聞くビスコッティ、あのような手練、本国でも見たことがない」
「うむ。見事な見世物団員だ」

 そして若干勘違いされていた。

「ゆ~しゃどの~! エクレ~!」
「ん? 止まれ、勇者」
「おお?」

 聞き慣れた声に立ち止まり、エクレが振り返る。
 諸手を振りながら元気よく走ってくるのは、二人の共通の友人、ユキカゼであった。
 忍装束に身を包み、その隠し切れない二つの双丘が自己主張激しく周囲の視線を集めている。

「お待たせいたし申した、選手交代でござるよ」
「? どういうことだ?」

 訝しげに眉をひそめるエクレに、にっこり笑ってユキカゼが勇者の荷物の一つをひょいと抱える。

「実はリコの頼みで荷物を預かりに来たでござる。このまま帰ったのでは勇者殿がせっかくのお祭りを満足に楽しめないのではないかということでな」
「え? そんな、全然いいのに」

 まだ前が見えていないシンクが慌てて制止の声をあげるが、ユキカゼは手馴れた様子でひょいひょい荷物をつまんでは自分の背中にのっけていく。

「毎度、滞在期間の短い勇者殿を案ずるリコの心も汲んであげてくだされ……というわけでエクレ」
「ん?」
「このまま勇者殿のエスコートを頼むでござる」

 いきなり話を振られたエクレが、腕を組んだまま驚愕に目を見開く。

「はあ!? なんで私が! だいたいもうすぐ交代時間が――」
「ロラン殿には了承をとっているでござるから安心してお祭りを楽しんでくだされ。では拙者はこれで!」

 言うだけ言うが早いか、まるで逃げるかのように脱兎ならぬ脱狐の如く駆け抜けていく金色の姿は、やがてあっという間に見えなくなってしまった。
 残された二人に、微妙に居心地の悪い空気が流れる。

「…………」
「…………」
「…………」

 エクレは目をそらしたまま、シンクのほうを向くことができない。シンクはシンクで、どう言っていいものか考えあぐねている様子で宙に視線をさ迷わせていた。
 もはや二人でいる必要はない。
 「買い物とその荷物持ち」という役目という名の口実は、既になくなってしまっている。
 互いに言葉を探るような、あともう一押しが足りない空気……。
 が、ここで道を切り開くのは、やはり勇者の仕事である。

「えーっと、さ……エクレ。嫌じゃないならでいいんだけど」
「…………」
「これから、改めて一緒に見て回れたら、僕は嬉しいんだけどな」

 頬をかきながらはにかみつつ、どうかな、と訊ねるシンクに、エクレは殴りかかってやりたくなる。
 どうかな、だと。
 そんなの!
 そんなの――!

「……ふん。不本意だが、お前のお目付け役としての職務はまっとうしてやる」

 だが、その激しい感情は表に出すことなく、エクレは片目を伏せ、やれやれと仕方なさそうにシンクを仰いだ。彼の表情が、見る見るうちに明るくなる。それを見て、「うっ」とエクレは顔を俯かせた。
 とてもじゃないが、その素直な笑顔は直視できない。
 不安という種が、今更ながら後悔と共に自分の中で育っていく。

「うん、じゃあ急ごう! まだまだ全部回れてないんだよね!」

 元気有り余る様子で道の先を指差し、シンクは――勇者は少女のその手をとった。

「あっ――」
「ほらっ、行くよエクレ!」

 握った手に、熱が宿る。思わず、振りほどけなかった。
 彼に引っ張られながら、エクレは繋いだ手から全身に回り始める毒のような微熱に、抗えずにいた。






 元気の塊という象徴を擬人化したらこうなるであろうという見本のような少年、シンクに連れ回され、エクレはお祭りを人一倍楽しむ羽目になった。
 行商のうさんくさいお守りに目を細めたり、行きかう人々から挨拶されたり、他国の珍しい食べ物を買い食いしたり、詩人が語る異国の伝説に聞き入ったりと――
 それはもう、子供のような時間だった。
 シンクという少年は楽しむという一点において天才的な才能を持っており、どんな物であれ興味を持ち、試し、喜ぶという当たり前のことを当たり前以上に感受し、あまつさえそれを周囲に分け与える力があった。
 どんなに仏頂面をしていても、どんなに不機嫌そうに見せていても、彼の前ではそれが通じなくなる。
 それこそが彼の魅力であり、勇者としての素質でもあった。
 だからこそ、エクレは一抹の不安にかられるのだが。
 それを解消できぬまま、時間だけが過ぎ、すっかり周囲は夕暮れへと色を変えて行った。
 やがてお祭りは終わりを迎え、人々もまばらに散っていく。
 シンクとエクレもまた、お祭り後の独特の空気を惜しみながら、その場を後にすることにした。

「いやー、遊んだ遊んだ! 楽しかったね、エクレ!」
「……そうだな」

 城への帰路、すっかりご満悦のシンクの後ろを歩くエクレの表情は、やや影が差し込んでいた。
 それは夕日だけの影響ではないだろう。

「……エクレ? どうしたの?」
「……いや」

 振り返ったシンクに、エクレは顔を俯かせたまま立ち止まってしまった。
 周囲に人の気配はなく、茜色だけが二人の様子を照らしている。

「エクレ?」

 ゆっくりと近づいてくる少年の優しげに気遣う声に、少女は思わず顔を背けてしまった。

「……お前は」
「うん?」

 シンクは次の言葉を待っている。急かすこともなく、少女が口にする何かを受け止めようとしている。
 ……だから。
 エクレは囁くように、自身の不安を口にした。

「お前は、本当によかったのか? せっかくのお祭りを、……こんな女と一緒で」

 口に出してしまえば、もう止めることはできない。
 決して彼のほうを向く勇気はなく、独白のように、決壊した気持ちをエクレは抑えきれない。

「私ではなく、姫様や、リコや、ユキのほうが、一緒にいて楽しめただろう。私よりも、花があっただろうし……お前を喜ばす言葉も知っている。私は……お前を楽しませられた自信がない」

 お目付け役として、彼と共に歩いたことはある。
 だがそれは仕事の一種であり、決して少年のプライベートでの介入ではない。
 剣の訓練を共にしたこともあるが、「女の子」として――彼と一緒にいた記憶は一度もなかった。
 そしてそれでいいと、エクレ自身が思っていたのだ。自分では彼を喜ばせられないだろうと知っていたから。
 リコッタから嬉々として少年と遊んだ思い出を聞かされる度、もやもやとした気持ちが晴れなかった。
 自分がリコの立場なら、本当に彼女のように心から楽しみ、そして心から楽しませてあげられるだろうかと。
 鍛錬ならばいくらでも付き合う。……しかし、このような場では、エクレは本当に無力だった。
 それは、彼女自身が初めて抱いた気持ちに所以する。
 異性と遊ぶということ――楽しませるということ。そしてそれが叶わなかった場合の恐怖。
 その『未知』に、エクレは怯えていたのだ。

「……エクレ」

 少年の声が頭上で響く。優しく、いたわるような声。……とてもじゃないが顔を向けられなかった。尻尾も力なく垂れ下がり、主人の怒りに触れてしゅんとする犬のようで、シンクはそっと彼女の両肩に手を乗せた。
 びくりと小さな少女が全身で震えるのが分かる。

「エクレ。君は今日、僕と一緒にいて、楽しくなかったの?」
「……そんなことは、ない」

 そう。本当に心の底から楽しかった。久しぶりにあれだけ楽しめた。子供の頃に戻ったみたいに――姫様の御傍にいるときのように。

「僕は、今日一日エクレと色々な店を見て回れて、すっっっごく楽しかった!」
「…………」

 おそるおそる、エクレが顔をあげる。
 そこには、花が咲いたような満面の笑顔が待っていた。
 ――きゅんと。
 ふいに、胸が圧迫されるような痛みを覚えた。しかしそれも一瞬。

「実はさ、僕もちょっと思ってたりしたんだよね。僕なんかと一緒じゃ、エクレがお祭りを楽しめてないんじゃないかって」
「そんなこと……!」
「うん、だからよかった。エクレと同じ気持ちで、よかった」

 そう言って笑う少年に、惹きつけられない者がいたら見てみたいとエクレは思った。
 ……反則だ。
 そう、反則的なのだ、この少年は。
 だからこそ、勇者なのだ。
 世界が、とか、運命が、とか、そんな抽象的なものではなく、しっかりと彼の本質を見届けた上で、愛すべき姫様によって選ばれた、“姫様の勇者”――それが、この少年なのだ。
 だから。彼はあらゆる闇を振り払う。
 それはこの国の脅威から――少女の不安までも。

「帰ろっか、エクレ。あんまり遅いとみんなが心配するし、さ」

 そう言って肩から手を離し、かわりに、少年は少女の右手をそっととった。

「あ……」
「ね?」
「……そうだな」

 また繋いだ手が熱くなる。けれど、今度はエクレも自然とその手を握り締めることができた。
 この場にいていいのだと。
 彼の隣にいてもいいのだと、その熱が教えてくれるような気がして。
 そうして二人、並んで城への道を歩く。
 シンクは流石に照れくさそうに笑っていたし、エクレも目を伏せ、どうしていいのか分からないといったような表情だ。しかし尻尾だけが忙しく左右に揺れていて、それだけでシンクには充分だった。





 余談ではあるが。
 すっかり舞い上がっていた二人はそのままの様子で城についてしまい、手を繋いでいたことを大勢の人間に冷やかされることになるのだが、それはほんの、始まりに過ぎない小事であった。





END





後書き:
まず作品投稿場所をとらハか迷いました(挨拶)
というかdog daysで検索かけたら両方1本もヒットしなかったんですが検索の仕方が悪かったんでしょうか……まさか。いやそんな馬鹿な。
二期も決まって絶好調真っ盛り有頂天のこの作品がこのごった煮投稿板で1作もないなんてそんな馬鹿な。
投稿場所違ってたら教えてください。

犬日々SS全然書き慣れてないんでキャラ口調とか設定とか全部勉強中。
あ、アニメの知識しかありません。
しばらく短編中心にあげる予定です。



[30961] はじめての痛み(シンク×リコ風味)
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2012/01/02 16:18
 静寂の中に、紙をめくる音とペンの走る音だけが小刻みに刻まれている。
 それは一定のリズムを保ちながら、暗がりの中でもこの場所の主の存在を確かに証明していた。
 陽が昇ったばかりの、ビスコッティ国立研究学院――その大図書館。
 普段は研究員たちの衣擦れの音や作業をする音、あるいは仕事の邪魔にならない程度の交流によって僅かながらの賑わいをみせるこの場所も、今ではすっかりと静まり返り、ただ一心に、部屋の主が奏でる音をこだまさせている。
 それは焦燥の音色であり、どこか、ひどく物悲しい。
 この大国ビスコッティが誇る巨大図書館の一角で、その空間の広大さに負けじと抗う音の主は、ひどく小さく、華奢で、ともすれば触れるだけで折れてしまいそうなほどに小柄な女の子だった。
 そう感じてしまうのは、現実の彼女の見た目もあるが、それ以上にその瞳に宿る暗闇のせいかもしれない。

「……ったい……絶対……絶対にあるはずであります……絶対に、絶対に……!」

 彼女の密かな自慢であるふんわりとした栗色の髪も、健気ながらも立派に咲く花のように可憐な細腕も、全てを照らし元気づけてくれる太陽のように明るい表情も、すっかり二日に渡る図書館篭りのせいで色褪せてしまっていた。
 刻一刻、時間が経つたび、彼女の心と身体は水を吸われていくように枯れていき、しかしそれでも、決意だけは絶やすことなく小さきその身に宿している。
 いや、手放すわけにはいかないのだ。
 この胸に宿る火を一度でも消してしまったら、もう後には戻れなくなる。前には進めなくなる。
 ……自分で、決めつけてしまう。
 だから少女は作業の手を休めなかった。昨日まではこちらの静止の言葉を聞き流してまで手伝ってくれた研究員達にも、これ以上自分の我侭に付き合わせるわけにはいかないと皆に休むよう命じ、一人でこの図書館に残った。そうして昨晩から今までずっと、召喚関連の本と睨めっこしてきたのだ。
 とはいえ、丸二日かけて図書館の儀式に関する本全てをひっくり返し、その全部に目を通し、それでもなお見つかっていない――。
 国立主席である聡明な少女の頭脳は、一つの結論をとうの昔に導き出している。
 けれどその答えは、一番最初に捨てていた。
 心の奥底で囁く冷静な自分の声を必死に押し殺して。
 ……そんなはずはない。絶対に見つけるんだ。きっと見つかるはず。皆が笑顔でいられる方法が。
 最後まであがくと、そう決めたのだから。
 姫様の前で。
 あの人の、前で。






「――リコ」

 優しく自分を呼ぶ声がして、少女――リコッタは、霞がかった意識のまま、ぼんやりと体を起こす。

「ひめさま……?」

 この優しさには覚えがある。
 耳で、肌で、その全身で、いつも感じている、いつまでも委ねていたいと思うような、そんな柔らかな声。
 だから最初に頭に思い浮かべた女性のことを反射的に呟いた。けど、視界がゆっくりとはっきりしていくにつれ、その姿は、あの方よりも逞しくしっかりとした、男性のものであることが分かる。

「ゆ、勇者様っ……!?」
「うん。おはよう、リコ」

 寝ぼけ眼の自分の前に、にっこりと満面の笑顔が返ってくる。

「おっ、おは……ひゃぁっ!」

 何が何やら分からずあわてて飛び起き、その反動で思わず椅子から転げ落ちてしまった。お尻を打ちつけ、少々痛い。

「だ、だいじょうぶ!? リコ」
「お、おかげで目が覚めたであります~……お、おはようございます、勇者様」

 焦ったようにこちらに走り寄り、迷わず手を伸ばしてくれる金髪の少年の手を取りながら、若干照れくさそうにリコッタは微笑んだ。実際、恥ずかしいところを見られたやら何やらで、頬が赤くなるのを止められない。
 よかった、と改めて笑う少年の笑顔は、もう見慣れたはずなのに、リコッタのこの二日間の疲れを一瞬で吹き飛ばしてしまうくらいに魅力的で、思わずぽうっと体が熱くなる。
 勇者――その名の通り、この国の危機を、短い期間でありながら既に数度も救ってくれた異世界の男の子、シンク・イズミ。
 気さくで、力強くて、どんな逆境でも決して諦めることを知らず、自分にも姫様にも変わらぬ態度で笑いかけてくれる、本当に童話の中から飛び出してきたかのような素敵な少年だ。

「うん、おはようリコッタ。……また徹夜してたの?」

 少年の声には、少々咎めるような鋭さが混じっているような気がして、リコッタは思わず顔を伏せてしまう。同時に耳と尻尾が垂れ下がり、反省の意を少年に示す。

「も、申し訳ないであります……。昨日、勇者様に注意されていたのに」

 実は昨夜も無茶を通して一日中図書館に篭っていたのを彼に見つかり、たまには休息をとるよう忠告を受けたばかりだったのだ。けれど焦る心は止められず、こうしてまた彼を心配させてしまった。

「僕のために無理をしてくれるのはありがたいけどさ。リコの体も大事にしないと。もしもせっかく新しい方法が見つかっても、リコが倒れでもしたら、僕も素直に喜べないよ」

 ね?と笑ってくれる少年の瞳はどこまでも優しくて、その穏やかな心に触れると同時、自分の不甲斐なさが募ってきて悲しくなる。
 ……明日には、この方を元の世界に送還しなくてはいけない。
 しかしそれには、全ての思い出を失うばかりか、二度とこの世界に召喚できなくなるという悲しい条件があるのだ。
 この方の笑顔を失いたくない。
 ずっと笑っていて欲しい。
 例え自分には笑いかけてくれなくてもいい。ただ、この人の笑顔だけは絶対に奪いたくない。
 この方が、姫様や、掛け替えのない友人達に笑いかけてくれるのなら、自分は――

(だから……ごめんなさいであります、勇者様……)

 目を伏せ、こみあげてくるものを必死に押さえ込む。
 自分だけが何とかできるかもしれないのだ。だから、たとえこの人に嫌われるようなことがあったとしても、どんな無茶でも、自分は貫き通してみせたい。リコッタはそう思っていた。

(……勇者様の言いつけを破る、悪いリコを許してほしいであります)

 自分の辛さなど、この先に待っている姫様の苦しさに比べれば、何百倍もマシなのだ。

「――ね、リコ」
「は、はい」

 少女の心中を知ってか知らずか、相変わらず穏やかな声に、リコはおそるおそる顔をあげる。
 そこには、変わらぬ笑顔とともに、少年の――この国を救った勇者の、皆を惹き付けてやまない、眩しさすら感じる瞳が、まっすぐに自分を包み込んでいた。

「ちょっと散歩に行かない?」






「じゃ、次はリコの番だぞー。そーれ!」
「よーし、いくでありますよー!」

 シンクの手から離れた白銀のフリスビーをロックオンし、リコッタはやや頭の中で軌道を予測しながら見切り発車気味に体を動かした。一生懸命足を動かしながら、目は片時もフリスビーから離さずに、その上で脳内にて的確かつ迅速にフリスビーが落ちるであろう場所を演算し、予測する。
 ゴールを落下ポイントに合わせ、空中のフリスビーと並行するように駆け抜ける。この遊びで大事なのは、いかに空中でフリスビーが滞在している間にキャッチできるかにある。
 落下ポイントで待っていれば確実にフリスビーはキャッチできる。けれど滑空しているフリスビーを掴んだとき、何故だか体の奥底から途方もない達成感が湧き上がり、喜びに奮えるのだ。
 こんな単純な動作で何がこんなに楽しいのか、頭脳明晰な少女をもってしても答えは出ない。
 何故かは分からない。分からないが……

(絶対に取りたくなってくるであります!)

 チャンスは1度。立ち止まってしまえば次に追おうとしても間に合わず、フリスビーは落下してしまうだろう。この刹那のタイミングをいつにするか、これを考えるのがまたたまらなく脳に刺激が入って盛り上がる。
 フリスビーはボールと違い、その進行がふいに風の気まぐれによって左右される。そこをいかにフォローするかも重大な仕事だ。そしてこれら全てを、フリスビーが投げられてからこちらにくる間の一瞬で考えなければならない。
 単純なようで、実にやりがいのある遊びなのだ。

「よっと、っと、っと、っとぉぉぉ、で、ありまーす!」

 流れを瞬時に見切った後、ここぞというタイミングでリコッタは踏み込み、思いきり大地から両足を離した。
 その手が、しっかりと宙を舞うフリスビーを掴む。
 その瞬間、全身から溢れ出る何かによってリコッタの尻尾は総毛立ち、ぱあっと表情に満面の花が咲く。

「あぷっ」

 着地には若干失敗したが、それを気にすることなくリコッタは立ち上がり、誇らしげに今自分が掴んだフリスビーを見せ付けるようにして大きく腕を振るう。
 その先にいるのは、もちろん笑顔で賞賛の拍手を送ってくれているシンクだ。

「ゆ~しゃさま~! とれたでありま~す!」
「うまいうまーい! じゃ、今度はこっちの番だねー!」
「用意はいいでありますかー!」

 ばっちこーいと構える少年の元に、リコッタは今しがた掴んだフリスビーを、思いきり彼に向かって投げ飛ばす。
 少年は即座に反応し、的確にフリスビーの落下地点まで駆けた後、大きく跳躍して難なく空中でのキャッチを成功させた。それどころかきりもみ回転を見せながら、華麗に着地までして見せるというおまけつきだ。

「おおお~! さすが勇者様であります~!」

 子供のように目を輝かせながら走り寄ってくるリコッタを、シンクは指でフリスビーを回しながら待ち構え、彼女が近くまで来た時にそっと指からフリスビーを上空に放った。
 その瞬間、赤い光に包まれ、フリスビーがその姿を空中に四散させる。
 尻尾を力強く左右に振って尊敬のまなざしを向ける少女に、楽しそうに少年は笑いかけた。

「相変わらずリコはキャッチがうまいね。ちょっとイジワルして変な方向に投げても、ちゃんと取れちゃうんだもん」
「あ~っ! やっぱりアレ、イジワルだったのでありますな! おかしいと思ったのであります!」

 ぷんぷんと態度だけ頬を膨らませるリコッタに、ごめんごめんとシンクが手馴れた動きで少女の頭にぽんと手を載せる。

「はい、ご褒美あげるから機嫌治して治して」
「うぅ~。いつもそうやって誤魔化されると思ったら大間違いなのでありまはにゃあ」

 その姿勢は最後まで持たなかった。
 少年になでなでされるが早いか、一気に膨らんだ頬から空気が抜け、リコッタの表情が途端に緩みあがる。だらんと全身から力が抜けてしまい、彼の手にされるがままに頭が上下左右に揺れる。

「んー。リコの髪も姫様と同じでふんわりやわらかだね。なでなでし甲斐があるよー」
「そ、そんなぁ~。ひ、姫様と一緒だなんて、自分には勿体無いお言葉でありますよぉう」

 ふにゃあ、と反射的にあごをあげる動作をシンクが見逃すはずもなく、すかさず指でうりうりとあごの下をさすられ、リコッタの全身から途方もない幸せが湧き上がってくる。
 ……この感覚は、姫様に撫でられた時と似ている。
 姫様のなでなではそれはもう絶品で、味わえば二度と抜け出せなくなる魔性の手つきである。このなでなでをされたいがために奮闘する家臣も少なくないだろう。
 シンクのなでなでも、姫様と同じで、体の奥底から幸福な気持ちになれる。
 まるでぽかぽかのお風呂に入った時のようだ。
 それはきっと、二人の暖かな優しさに直接触れるからだろう。
 だからこんなにも幸せな気分になれるのだとリコッタは推測する。

(……けど、それだけじゃないであります)

 そう、似ているけれど、姫様のなでなでと、シンクのなでなでは、やっぱりどこかが違う。
 姫様のなでなでもシンクのなでなでも、ずっとこのまま体を預けていたい幸福感に包まれることは変わりない。
 だけどシンクのなでなでは、姫様のより、どこか、ちょっとだけ……痛むのだ。
 それは苦しいとか、悲しいとかいう痛みではなく……なんというか、切なく、胸がしめつけられるような、小さな棘のような痛み。
 その痛みが嫌というわけじゃない。むしろ、この痛みがあるからこそ、なでなでのぬくもりが引き立つような気がして、姫様とはまた別の気持ちよさに包まれるような――そんな矛盾した、よく分からない気持ちに苛まれる。
 この感覚の違いに気付いたのは、ほんのつい最近だ。
 最初は姫様とシンクのなでなでは同じくらい気持ちいいと思っていたのに、いつしか、少しずつ、けれども明確に、自分の中で姫様のなでなでとシンクのなでなでが別の物だと思うようになっていった。
 どちらが気持ちよいか、とは比較できない。それは互いの天秤に乗らない物のような気がする。
 だけど、かの痛みが引き立つ分、こうも思うのだ。
 このなでなでを手放したくないのは、きっと、シンクのほうが強いのだろうと。
 胸の奥底でちくちくと呻くこの痛みは、今も自分の幸せの中に宿っている。
 この痛みを感じたくないと思う反面、この痛みが消えた時を想像すると、尻尾の付け根がぶるりと震える。

(なんでありましょう……この、嬉しいはずなのに、胸がきゅんとなるような痛みは……姫様の前でも、エクレの前でも、閣下やガレット獅子団の皆さんを前にしても、こんなことにはならないのに)

 この人にだけ囁くのだ。
 この目の前にいる、自分を勇気付け、励ましてくれる男の子にだけ反応するのだ。
 もっとお傍にいたいと。
 ずっとずっと触れ合っていたいと。
 この身を委ねてしまいたいと、自分の中の何かが熱を帯びるのだ。
 ……今まで感じたことのない感覚に、リコッタは戸惑うしかなかった。
 彼女の幼い、未だ育まれている最中の種としての本能とも言うべきこの感覚の名を、リコッタはまだ知りえない。
 けれど、その痛みがあることを知ってしまった。
 極上の果実の甘さを知ってしまった彼女は、もう、その痛みを忘れることはできないのだ。

「じゃ、リコ。そろそろ帰ろっか。でも、くれぐれも無理だけはしないようにね」
「……はいであります」

 彼の手がゆっくりと髪から離れていく。
 名残惜しさと、薄れていくぬくもり。
 けれど胸の中の痛みは、さっきよりも何倍も膨れ上がっていく。

(……いたい)

 痛い。その痛みが引き出すように、今までシンクと過ごしてきた、短いながらも楽しかった日々の数々が脳裏に焼きつき、巡っていく。
 離したくない。
 この人と離れたくない。
 少年の背中を追いながら、足を止めないままに、リコッタはぎゅっと胸を掴む。
 鼓動が激しい。
 全身が熱い。
 もしかしたらここ数日の無理がたたって風邪でも引いたのかもしれない。
 ……だけど、それ以上に、リコッタは今、この目の前の少年のことで頭がいっぱいだった。
 リコッタの瞳には、散歩にでかける前にはなかった熱が、静かに燃え上がっていた。
 朝には失望と焦燥で消えかかっていた胸の炎が、今はしっかりと自分を支えてくれている。
 見つけだすんだ。絶対に。勇者様が、勇者様として、もう一度この世界に帰ってこれる方法を。
 姫様のために。
 エクレのために。
 そして――

「勇者様」
「なに? リコ」
「ありがとうございます。けどもう少し、もう少しだけ、頑張ってみるであります」

 彼女の言葉は力強く、朝シンクが見かけた時のようにやつれた感じはまったくしない。
 だから、シンクは少しだけ困ったような笑顔で振り返り、「……うん。ありがとう」とだけ頷いた。






 シンクと別れて図書館に戻った後、リコッタはぱちんと頬を叩いて気合を注入。笑顔さえ浮かべながら、作業を止めていた机に座りなおした。

「よーし、まだあと一日あるであります! 勇者様のため、姫様のため、頑張るでありますよー!」

 いつもの様子に戻ったリコッタは、黙々とページをめくっていく。
 彼女を突き動かす衝動は、その正体を見せぬまま、これからも少女の心を蝕んでいくだろう。
 それが形となって解放されるのは、少しだけ先の話である。
 彼女のこの努力がついに実らなかった、その先に待っていた小さな奇跡の更に後に――
 その、痛みの意味を知ることになる。


END






後書き:
実際はこれが初めて書いた犬日々SSだったりします。
なんかよく分からない内容だったので半ばお蔵入りしてたんですが、次がミルヒ姫の予定なのでせっかくだから上げました。
これで次回でヒロイン勢ぞろい。基本はこの三人+ユッキーという構成のSSになっていくと思います。某卿や閣下は・・・どうするべか。

掲示板での早速の感想ありがとうございました。そして事実に驚愕。
レスは次回の作品にてまとめて後書きでつけさせていただきます。



[30961] アメリタ秘書官の憂鬱(シンク×ミルヒ風味)
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2011/12/29 08:30
 唐突だが、ビスコッティ共和国秘書官、アメリタ・トランベは今、一つの懸念にその身を悩ませていた。
 彼女の仕事は共和国の代表である領主、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティ姫のスケジュール統括および催促であり、当然一日のほとんどの時間をミルヒと共に過ごすことになっている。
 いわばもっともミルヒの身近に立つ人物である。
 領主として即位されてから今まで、ずっと姫のお傍で支えてきたという経験と自負――それはアメリタの生涯の誇りであり、亡き先代領主から託された義務でもあった。
 姫様に何かあれば一目で分かる自信があるし、悩み事があるのなら共に悩み、喜ぶべき事は分かち合う。そうやってこれまでの日々を生きてきたのだ。
 そんなアメリタだからこそ、ともいうべきか。
 その事実に――恐るべき事態に、国で最初に気付いたのは。
 ミルヒの大親友であるリコッタやエクレール、姫様とは姉妹のような関係であるガレット獅子団閣下でさえ、この答えに到達してはいないようだ。
 すなわち、世界でただ一人。アメリタだけがこの現状を把握しているということになる。
 誰かに相談などできようはずもない。何せそれは自分の思い上がり甚だしい妄想である可能性も否定できないのだ。
 しかし姫と一番時間を共有しているのは、紛れもなく自分――だからこそ自分だけが気付けたという線も決して薄くはない。
 アメリタは苦悩する。こればかりは、姫と分かち合うわけにはいかない――いかないのだ。
 その事実は……彼女だけが気付いた一つの不安の種は。
 ともすればこの国の未来そのものを揺るがすほどの、恐るべき災厄なのだから。
 一つ掛け間違えるだけで、ビスコッティ共和国は簡単に滅亡する――

「……アメリタ?」

 ――問いかけに、はっと我に返る。

「……はい。どうかされましたか、姫様」
「いえ、今日の見通し、これでおしまいですけど……」

 不思議そうに自分を見つめる姫の視線とかち合い、ごほんとアメリタは咳払いを一つ。くだらぬ戯言に思考を奪われていたことを恥じ、つとめて冷静にデスクに積み重なった書類の山を手に取った。

「失礼致しました。朝の公務はこれで終了でございます」
「よかった。なんとか朝のお散歩の時間に間に合いましたー」

 ぽんっと両手を叩いて顔をほころばせる姫の笑顔に、本来ならば疲れを忘れて安堵するところなのだろうが……アメリタはわずかに眉をひそめ、しかし決して気取られぬよう、何食わぬ顔で訊ねる。

「今朝も、散歩は勇者様とご一緒ですか」
「はいっ。今回シンクが召喚されてからは、なかなか時間がとれなくて……今日が初めての一緒のお散歩になるんです」
「左様でございますか。それは是非、楽しんでいってください」

 ミルヒの表情に満開の花が宿る。これほどまでに麗しく咲くのを見るのは、アメリタも久しぶりだ。
 以前見かけたのは、此度勇者様が召喚される前日だったか……と何となく頭の中で思い返し、再び胸中で例の悩みが頭をもたげる。
 ……勇者。
 領主のみが許される、異世界の者をこのフロニャルドへと召喚する特別儀式。それに応えた者。
 ビスコッティの勇者である少年、シンク・イズミがこの世界に来訪するのは今回が初めてのことではない。
 決して長い滞在期間ではないが、年に数度ミルヒの呼びかけに応え、彼がこの世界を訪問するのはもはや国の行事の一つにすらなりつつあった。
 以前は戦の危機に勇者を召喚したものだが、最近では勇者召喚の時期に合わせてガレット獅子団との戦を行うのが恒例となっている。理由は単純明快、そのほうが両国共に盛り上がるからである。
 ビスコッティの勇者は、召喚主であるミルヒが事前に見定めた人物であり、その御眼鏡通りの好青年であるといえる。人柄も良く、常に向上心を忘れず、戦では獅子奮迅の働きを見せ、観衆の目を意識したプレイもこなす。
 彼を嫌う人物など、この国はおろか大陸を探しても見つけるのは困難だろう。
 当然――彼を選び召喚した、ミルヒも例に漏れずその一人である。
 どころか、アメリタの見立てでは、恐らく……と呼ぶのもおこがましいほどに、我が国の愛らしい領主は、その胸に尊敬以上の念を持って少年と接していることは間違いなかった。
 彼女自身、もしかしたら気付いていないのかもしれないが……

「シンク、まだでしょうか。ああ、今から楽しみですー」

 熱気冷めやらぬ頬を抱え、今か今かと勇者の来訪を持つ姫の姿を見れば、そんなものはアメリタでなくとも一目瞭然であろう。手入れの行き届いた姫の尻尾は、もはや掃き掃除もかくやといわんばかりに暴走している。
 民の上に立つ領主の振る舞いとしては苦言を呈したいところだが、今自分の目の前にいるのは、一人の恋する少女でしかない。この瞬間くらい大目に見たところで罰は当たるまい。
 ……そう、そのこと自体に、アメリタは反対ではなかった。
 彼女は勇者のことも憎からず思っているし、姫様の幼い恋路をできれば応援したいとも思っている。
 アメリタが恐怖を感じているのは、勇者のほうではなく、むしろ――
 と、アメリタが人知れず悶々としていたところで、ふいにミルヒが勢いよく立ち上がった。
 どうやら勇者様とはこの部屋で待ち合わせをしているらしく、先程まで彼の来訪を心待ちにしていたのだが……未だ少年の姿は見えていない、どころかノックなどがあったわけでもない。
 急に立ち上がってどうしたのだろうとアメリタが不思議そうに少女の動向を見守っていると、ミルヒはぱたぱたと駆け足で扉のほうに向かい、待ちきれないといった様子でやや力強く扉を開く。
 すると。
 その先に、今まさにノックをしようとしていたのだろう、握りこぶしを構えたままの少年が、急に開いた扉にやや面喰らったような顔で立ち尽くしていた。

「シンク~。おはようございます、シンク」
「う、うん。おはよう姫様……」

 ぱちくりと瞬きする少年の前で、姫様は何食わぬ顔で朝の挨拶を続けている。
 彼が驚くのも無理はない。
 というよりアメリタも目の前で起きた現象に頭がついていけていなかった。
 それを代弁するかのように、少年が首を傾げて姫に尋ねる。

「姫様、まだノックもしてなかったのに、どうして僕が来たって分かったの?」
「はい。足音で」

 少女はさらりと言ってのけた。

「シンクの足音は他の人と違って少しだけ低くゆっくり響くんです。だからとっても分かりやすいんですよ」
「そ、そうなんだ」

 さすがの勇者様が若干引いておられていた。
 しかしそんな彼の様子すら歓喜の最中にいる姫は気付いていないのか、急かすように少年の手を取り、部屋を出て行く。

「それではアメリタ、私ちょっと出てきますね。次のお仕事の時間までには戻ってきますのでー」
「い、行ってきま……って姫様押さないで~」
「……はい。行ってらっしゃいませ」

 そうして残されたのは、遠ざかっていく駆け足気味の音と、冷や汗をたらす女性のみとなる。
 ……この執務室は、仕事の邪魔にならないよう、やや防音を強くした造りとなっている。今しがたのように駆け足の場合はその限りではないが、少なくとも普通に通路を歩く足音など、誰の者であれ聞こえるはずがないのだ。
 ましてやその音で誰が来たかを特定するなど――

「……やっぱり。あの計画を実行に移すしかないのかもしれないわね……」

 一人残り、おののくアメリタの呟きは、自身の不安を強調するものでしかなかった。
 やはり、この国に未曾有の危機が迫っているのだと彼女は確信する。
 その彼女が抱く恐怖の念とは――



――ここ最近の、目に余る姫の人外ぶりであった。






 このことに最初に気付いたのは、此度の勇者召喚時に行われたガレット獅子団との戦後に行われた祝勝会の時であった。
 久方ぶりの勇者召喚――しかもそれを歓迎するかのように戦場に出馬したレオ閣下を抑えての勝利ということもあり、会場はいつも以上に人でごった返し、盛大に盛り上がっていた。
 祝辞を終え、ひとまずは自由の身となったミルヒとそこに仕えていたアメリタは、周囲を見回し、改めて感嘆の嘆息をついていた。

「凄い盛り上がりですね」
「そうですね、久しぶりの戦ということもありましたし……何よりシンクの大活躍がありましたから!」

 我が事のように喜ぶ姫に頬が緩むアメリタだが、再び喧騒を見渡し、困ったように肩を落とす。

「しかしこの人の多さでは、勇者様がどこにいらっしゃるのか分かりませんね」

 今回の最大の功労者であるシンクは、宴が始まってすぐに大勢の人間にもみくしゃにされて行方知れずである。今はこの人だかりの渦のどこかにいるのだろうが、さすがにこれだけの広さのホールがほぼ満員状態で賑わっているとあれば、その姿を確認するどころかどこにいるのかを把握することすら不可能であると思われた。
 すぐにでも勇者様の元に行ってその喜びを分かち合いたいだろうに……とアメリタは姫の心中を察し、少しだけ可哀想に思いながら彼女のほうに視線を向ける。

「んー」

 しかしミルヒは、一度会場を見渡してお目当ての少年が視界の中にいないと分かるや否や、静かに目を伏せ、その場に立ち止まった。

「姫様?」

 アメリタの声にも反応する様子はなかったので、仕方なく成り行きを見守っていると……ぴくんと、少女の耳が、何かに反応するように敏感に揺れた。

「アメリタ、こっちです」

 言うが早いか、ミルヒは歩みを再開した。他には目もくれず、迷うことなくある一方向へと人ごみを分けて突き進んでいく。

「えっ、姫様!?」

 突然の行進に慌ててアメリタがついていく。その先には、驚愕的な展開が待ち構えていた。

「いました! シンク~!」
「あ、姫様っ。よかった、探してたんですよー」
「はい、私もです。見つかってよかったー」

 二人はぽんと互いの手をとりあって喜び合う。
 無邪気に笑いあう姿は、とても眩しいものであったが――その場所は、先程ミルヒが立っていた場所のほぼ対角線上に位置していた。
 アメリタが振り返ってみても、人の波で、もはやさっきまで自分達がいた場所の壁すら見えない。

「それにしても、この人の多さで、よく僕がいる場所が分かったね姫様」
「はい。シンクの声が聞こえたものですから」

 とんでもないことをのたまう姫様に思わずアメリタが二度見する。

「そっか。それじゃあけっこう近くにいたんだ。気付かなかったなあ」

 近くどころか真逆である。

「ふふ。先にシンクを見つけることができてよかったです」

 喜ぶ姫と照れくさそうに笑う勇者をどこか遠い場所で見るような心持ちで、アメリタは呆然と今起きたことが信じられずにいた……。






 あるいは、この程度の話ならば――感じ方は人それぞれである故に、この一連の姫の行動を普通だと評する人間が万に一人もいるかもしれないという、その仮定で話すならば――アメリタの考えすぎだと笑う者もいるかもしれない。
 歴史に名を残す稀代の小説家達も口々に言っているではないか。
 恋する女の子はとにかく無敵である、と。
 無敵であるならば、足音だけで好きな人の存在を感知したり、騒音の中から恋焦がれる相手の声を聞き取り正確に場所を割り出すことも……三万歩ほど譲って、不可能ではないかもしれない。
 アメリタも、これだけならば睡眠不足に陥ることもなかったであろう。
 ――決定付けたのは、また別の話に遡る。

「あら……」

 それは偶然の産物と呼んでもよかった。たまたま城内を歩いていたアメリタは、中庭に響く聞き慣れた声を耳にして、反射的にそちらのほうへと視線を向けた。
 見れば、そこでは勇者と姫が、何やら遊具のキャッチボールのようなもので遊んでいる光景が広がっている。微笑ましいと思う反面、領主としては如何なものかと考える職業柄の自分に、思わず苦笑いがこぼれてしまう。
 領主とはいえ、姫様もまた、年端もいかぬ女の子なのだ。
 せめて仕事から離れている間だけは、その立場を精一杯楽しんでもらいたかった。
 それこそ夕暮れまで泥だらけになりながらはしゃいで回る、子供のように……。

(……ふふ、お邪魔かしらね)

 哀愁のようなものを感じている自分に気付き、アメリタは二人に気付かれる前にそっと踵を返す。
 そうして歩き出そうとして――

「シンクー、とってきましたー!」
「うん、姫様偉い偉い」
「あのぉ、シンク……?」
「どうしたの、姫様」
「その、えっと……ご褒美が欲しいなー、なんて……」
「えー、さっきもしてあげたばっかりじゃないですか。姫様は欲張りだなー」
「はう」
「あはは、ウソですウソです! ほら、いいこいいこ」
「はうぅう」
「姫様、お手!」
「はいっ」

 ……!?
 尋常ならざる雰囲気とその会話の内容に、思わずアメリタ振り返ってしまった。
 咄嗟に物陰に隠れ、二人の様子に気を配る。
 そこには、一国の姫の頭を優しく撫でる異世界の少年……という、昔読んだ絵本や御伽噺に出てくるような、ちょっぴり糖分多めの世界がファンタジックに繰り広げられていた。
 内に秘める何かに突き動かされ、ついつい隠れ見てしまっているが、その光景自体は特に――身分云々はこの際置いておくとしても、だ――アメリタから見ても不自然に感じるようなところはない。

(気のせいだったのかしら……)

 自分で自分の行動に疑問を感じながらも、そうであるならば長居は無用ともう一度その場から離れようとする。

「えへへ、しんくー」
「ほら姫様横になってー、いーこいーこ」
「うぅ、くすぐったいですよう、しんくぅ」
「えー、じゃあ止める?」
「あん、イジワルしないでください……ひゃあん!」
「ここが気持ちいいんだよねー、姫様はー」
「んん、はぁっ、んっ……気持ちいいです~シンク」

 ……いやいやいやいや。
 いくら糖分甘めとはいえ、これは激アマすぎやしないだろうか。
 というかもう絵本の描いていい年齢指定を軽く突破しているのではないか。
 泥だらけになって遊ぶピュアな子供というイメージシーンはどこにいってしまったのか。
 今、目の前で行われている行為はなんだろう。アメリタはめまいのような寒気にくらりと倒れそうになる。
 分かっている。分かっているのだ。
 勇者様も姫様も、決して良俗に反するような気持ちであのようなことをしているわけではないと。
 あの二人の性格柄、そんなことは断じてない。ないが――
 少年の膝枕に仰向けになり、お腹を見せてご機嫌に尻尾を振っている我が国のトップは、傍から見て、どう映るものなのだろうか。
 その姿は、まるでミルヒ姫とその妹分であるレオ閣下を彷彿とさせる。しかも甘えているのはミルヒ姫のほうだ。
 いや、もはやその甘えっぷりたるや、なんというか、国の長をつかまえてこう例にしてよいものかどうか迷うが……。
 愛玩動物としても人気が高い子供のセルクルと、それをあやす御主人様のような……一歩間違えればそんな錯綜した関係に見えなくもない。
 少なくとも、良識人を絵に描いたアメリタにそう見える程度には、二人はダダ甘であり、惚々であった。






 ここまで言えば、アメリタの想定する悩みがどんなものかは分かってもらえたであろう。
 勇者シンク・イズミ。彼は能力・性格共に発展途上ながら素晴らしい人物であり、人望も厚く、またその人柄故に人や動物に好かれやすい。
 その点は好ましく思うべきだろう。
 だが、それは時に、優しい結果だけをもたらすのではないのだ――。
 端的に言えば。
 彼のまっすぐで底知れぬ愛情によって、姫様が完全に骨抜きにされてしまっていた。
 勿論、ミルヒは公私混同をするようなタイプではないし、領主としての役目をキッチリと果たしている。
 だが、もはや彼は少女の芯を担う役として大きく関わりすぎてしまっている。
 ミルヒが領主としてこれから真に成長するために……もはや、シンクという存在は、必要不可欠なパーツとして彼女の中にはまってしまっているのだ。
 異世界の客人――という立場のままでは、いずれ本当の別れが来てしまったとき、果たして姫様が領主として変わらぬ采配をふれるのか……。
 最初に召喚して出会ったばかりの時ならばいざ知らず、今の二人の関係は、あの頃より更に進んでしまっている。しかもなんだかよろしくない方向に。
 最悪の場合、それがもたらすのは、国の崩壊――。
 決して大袈裟な話ではない。
 恋愛によって国が乱れるのは、歴史を紐どけば百万の史実がそれを証明している。
 あの姫様に限って、国より恋人に溺れるなど、億に一つも在り得ない。在り得ないが、在り得てしまった場合を想定して動くのが臣の務めというものである。
 ……では、どうすれば最悪の事態を免れるか。
 これも簡単な話だ、彼を『客人』でなくせばいい。

(国民の信頼もあり、興業での成績も目を見張り、他国の王族との縁も深く、なにより姫様とも両想い――反対する理由が見つからないわね)

 そして幸いなことに、それは決して、難しい話ではないのだから。
 アメリタは一つの決意を胸に、まずは地盤を固めるため、騎士団隊長の下へと向かうことにした。






 この日を境に、何故かシンクのスケジュールに国の歴史やら帝王学やらを学ぶ勉強時間が設けられたが、本人はそこに潜む政略的思惑にまったく気付くことなく、持ち前の好奇心を示してリコッタ先生に教えを乞うようになったという。
 これが実を結んだかどうかは、後の歴史と神のみぞ知ることである。



END






後書き:
テクニシャン・シンクの超シンデレラ(?)ストーリーなお話。
メインヒロインは全員書いたので、次はそろそろ風味のとれたものをお客様にお出ししたいところ。



以下掲示板レス

>パルメさん
>DBさん
>ツカジさん
この数多の二次創作うずまく理想郷で犬日々がないってかなり驚異的な事実ですよね。
ただにじファンに幾つかあるということは、単純に読者層の違いなのかもしれません。
でも「ある日異世界に召喚された男主人公が無双してみんなから好かれる」ってモロな気がしないでもない。
だからこそ書かれないのでしょうか。


>こうりさん
基本的には気楽に読める、というのがこの短編集全体のコンセプトだと思ってます。
たとえシリアスをやるとしても、あのリコのような話が精々なんじゃないかな。
悪意ある存在は全部魔物に押し付けますし(苦笑)
しかしこの辺の設定は謎が多いんですよねえ。禍太刀とか。


>Iriasionさん
この辺、SS作家としては難しいところですね。
ネタがガチガチに固まる前に好き放題できる、ととることもできますし。
魔法少女三期みたく幅広く拡張されちゃうと、設定を追いきれなくて書くのを断念しちゃうこともありますし。
だから犬日々二期の存在は楽しみでもあり、怖くもあります。



[30961] 勇者超接待 ~前編~(シンク×三人娘)
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2011/12/31 06:14
 二者の熾烈な撃ち合いは、ついに佳境へと到達しつつあった。
 閃光が、互いの視界を白に染める。

「くっ……!」

 同時にくる反動に、片方は素直に後方へと吹き飛んでいき、もう片方は両足でこらえ、その場で堪えてみせた。飛んだほうは空中で姿勢を整え、なんとか着地に成功する。
 が、先の戦闘でその呼吸は乱れ、表情も険しい。両手に持つ小型の槍は刃を煌かせてはいるが、その輝きはずいぶんと貧弱で、消える寸前の陽炎を思わせる。
 激突の際に発生した砂煙が両者の間を舞い、その隙間を埋めていたが……一振りの風が、なんなく障壁を四散させた。

「どうした、もう根負けかの?」

 砂のベールの奥、振りかざした巨大な戦斧を軽々と肩にかけ、彼女は静かに眼前の敵へと問うた。金色の瞳が、獣の如く鋭く相手を威圧する。
 ぞくり、と単純明快な生物としての本能が警戒を告げた。
 それは寒気さえ呼び起こす絶対的強者の視線――相手に服従するしかないという冷静な判断。

「……へへっ、まだまだ!」

 それでも、凶刃たる瞳に射抜かれた少年は、全身の力でかの呪縛を振りほどいた。肩で荒く息をつきながらも、構えはとかず、両足にこめる力は決して緩めない。
 その表情には、笑みさえ浮かんでいた。
 決して敵う相手ではないと理解していても、自分が折れることを望まぬ大勢の人間がこの戦いを見ていることを、少年は知っていたからだ。
 その肩に背負っているもの、その名の重さを、人一倍理解しているからだ。

「フン。その意気や良し――と言いたいところじゃが。長引くとこちらも面倒じゃからの」

 彼の不敵さに、機嫌を損ねるどころか王者はむしろ笑みで応えてみせた。
 笑顔の応酬……だがそれは、決して穏やかな時間ではない。
 掴んだ戦斧を一振りし、ざっ、と砂を払って左足を引く。

「垂れ耳が来る前に、勝負をつけさせてもらうぞ」
「好都合! 僕も、今の自分が一人で閣下とどこまで戦えるか――その限界を知りたいですし!」
「口の減らぬ小僧じゃ。だが、そうでなくては――ミルヒの傍には置けんからなぁッ!」

 息を吸う音と共に、一瞬にして王の足元で熱気が膨れ上がり、そして爆発した。
 彼女の気迫に従うかのように、膨大な輝力が帝王を円の中心として渦巻き、砂煙を飲み込んでいく。
 先程のような比ではない。
 ともすれば殺気にも近い感情を放射され、それを一方に向けられた少年はわずかに顔をしかめる。
 ビリビリと肌を刺すような痛み、恐怖。そしてその奥からわき上がる、一握りの、どうしようもないほどの、愉悦――!

「行きます、閣下……!」

 根っからの『選手』としての魂が、逆にこの状況下で自身を滾らせ、少年の頬を緩ませていた。






 決着は、一瞬だった。
 勝者を告げる実況アナウンスが会場中に響き渡り、あちこちて悲喜交々の声と拍手が両者の健闘を讃え、鳴り止まない。
 その中心で――根本から砕け折れた戦斧の柄を投げ捨てながら、レオンミシェリは肩を回しつつ呟いた。

「生きとるか、勇者よ」
「あはは、なんとか……」

 心地良い疲労感を楽しむかのようにストレッチをしている女性の眼前では、大の字で仰向けに横たわった少年、シンクが苦笑いで答えている。彼を象徴するかのような白衣は完全に薄汚れ、腕のガントレットも修復不可能なほどにひび割れており、もはや使い物にならないだろう。

「いやあ、やっぱりちょっと無茶だったかなぁ……」
「当たり前じゃ。ワシの紋章砲に真正面から突っ込んでくる奴がおるか、阿呆」

 フンと鼻を鳴らし、レオンミシェリは呆れたようにため息をついた。彼の無謀を一喝し、くるりと少年から背を向ける。

「先程の加速を使った小細工は悪くなかった。ガウルの見真似じゃろうが……お主なら威力よりも速さに重点をおいて弄する戦法にしたほうが相手もやり辛かろうよ。もっと精進せい」
「……! はい! 閣下、ありがとうございました!」

 遠ざかっていく背に、起き上がる気力もなく、せめてと声だけは張り上げる。
 振り返ることなく、王者は静かに戦場から去っていった。
 それを目だけで追いつつ、完全に姿が見えなくなったのを確認し、シンクは再び空を見上げる。
 視界いっぱいに広がる突き抜けるような青が、今はどこか心地良い。
 否、それでも。

「……やっぱり、ちょっと悔しい……かな」

 誰にも聞かせるわけにはいかない勇者の本音を、大地と空だけが無言で受け止めていた。






 その日の夜。
 敗戦国であるビスコッティでは、国中でお通夜のような雰囲気が漂っていた――わけでは当然なく、普段通りの日常が静かに送られていた。
 この世界での『戦』で敗戦したからといって、明確なペナルティが国民に下されるわけではない。処理に追われるのは国のトップだけだ。
 国民は自国の敗北を嘆きはするが、それを明日の糧に変えて今日を終えるのが常である。勇者が召喚されるまで一時期敗戦続きだったビスコッティでは、ある意味懐かしい感覚として大多数の国民にすとんと受け入れられていた。
 此度は苦汁を飲まされたが、次こそは勝つ――その信念は、敗北からこそ強く生まれてくるものだ。今日の戦で、また一つ、ビスコッティという国としての地盤が強固なものになったといえる。
 それに、彼らが敗北にそこまで執着しないのには、一つの理由があった。
 今回負けてしまっても、次は必ず勝てるとそう信じさせてくれるに足る、心強い味方がこの国には存在しているからである。
 彼が弱みを見せない限り、その圧倒的活躍を見せてくれる限り、国の士気は決して下がることはない。
 それを一番理解しているのは他ならぬ本人である。
 だからこそ彼は、人前で挫けるわけにはいかない。
 その意味を――『期待されること』の重さを知っているが故に。
 だが、そのことに心を痛める人物がいることも、また事実であった。

「シンク……残念でしたね」

 ビスコッティ城内。
 城で最も厳重な警備がなされている部屋の一角で、ぽつりと漏らされた部屋の主――ミルヒオーレのしょんぼりした声に、同席していたエクレールは顔を伏せ、済まなそうに言葉の主に頭を下げた。

「申し訳ありません、姫様。私が足止めに時間を食っていたばかりに……」
「あ、いえっ、そういう意味で言ったのではないんです。頭を上げてください、エクレ」
「しかし……」
「そうでありますよ、エクレ。あのガウル殿下相手にあそこまで持ちこたえただけでも立派であります」

 同じく部屋に通されていた二人の共通の親友であるリコッタも、必死に少女の善戦を称える。二人から潤んだ目線で見つめられ、エクレールは恥ずかしそうに顔を上げ、ごほんと咳払いを一つして場を取り繕った。

「どのみち、姫様が気に病むことではありません。戦いとは常に勝敗が付き纏うもの……それは勇者も、よく分かっているはずです」
「勇者様、戦いの後も笑っておられたであります。姫様がそんな顔をしては、勇者様の気も晴れないでありますよ」
「そう……そうですよね。ありがとう、二人とも」

 そう言って微笑むものの、彼女の表情から悲しみの陰が消えることはない。
 心優しきこの国の姫は、誰よりも彼のことを見つめていただけに、その複雑な心中を一番理解していた。

「今日負けてしまったことは、とっても残念ですけど……でもそれ以上に、シンクはきっと、私達の期待に応えられなかったことに対して悔やんでいるような気がするんです。自分の勝ち負けよりも……」

 ミルヒの胸中によぎるのは、辛い時、悲しい時に何度も頭の中で思い返した、かの小さき英雄がこぼした悔し涙だ。
 偶然星詠みで覗き観た、彼の本質……その形容できない美しさに、どうしようもなく惹かれたことを、今でも少女は忘れていない。彼の姿を胸に、姉妹同然に過ごしてきた女性との悲しいすれ違いを耐えてきた過去が、今はもう遠い昔のように感じていても。
 そして、その言葉に思い当たる節のあるもう一人の少女も、言葉ならずとも静かに憂いた表情をのぞかせていた。
 エクレールである。
 勇者が初めて召喚された際に起きた魔物事件の時に、とらわれた姫を救出すべく、傷つきながらガムシャラに無茶を繰り返しながらも彼がはっきりと放った言葉は、今でもエクレの心を掴んで離さない。
 自身の痛みよりも、恐怖よりも、期待してくれている誰かに応えられないほうがずっと辛い――そう言った彼の真摯な瞳は、たまにふと勝手に頭の中で再生してきて、その度に自分を狂わせてしまう。
 リコッタも直接そのような言葉を本人から聞いたわけではないが、この三人の中では一番よく遊んでもらっているだけに、おのずと姫が言わんとしていることを理解していた。
 太陽のような輝きを持つ勇者だが、決してその光の中に影がないわけではないのだ。

「なんとか、勇者様を元気付けてあげられる方法はないのでありましょうか……?」

 ぽつりと呟くリコッタの尻尾が、力なく揺れる。それに反対したのはエクレだった。

「やめておけ。変に気を遣えば、余計にアイツに負担が行くだけだ。そういうところは妙なところで鋭いヤツだからな……」
「そうですね。でも……このまま、シンクが辛い思いをしたままなのは、悲しいです」

 ミルヒまでもしおれたように肩を落とし、エクレが慌てて二人をとりなす。彼女とて少年の棘を抜きたいのは山々であるが、下手な慰めがかえって逆効果なのは、戦士として自分がよく知っていた。

「――そうであります!」

 どんより暗澹とした空気にどうしたらいいか分からないエクレが頭を抱え始めていると、突然がばっと身を乗り出してリコッタが叫ぶ。

「自分に名案があるのでありますよ!」

 キラキラと輝いた目を向ける少女にミルヒは不思議そうに首を傾げたが、なんとなく、エクレはこの時点で嫌な予感がしていた。






 ビスコッティ大浴場は当然男女に別れてはいるが、その広さはシンクの世界でいう銭湯とは比べ物にならないほど広大であり、何より豪華絢爛な造りであった。
 いつ来てもその広さに慣れず興奮して泳ぎたくなるのを必死に我慢するシンクだが、今日は流石にそんな気分にもなれず、嘆息混じりに体を洗っている。入浴した時間がやや遅かったのが悪いのか、こんな日に限って男湯は貸切状態となっており、話をする相手もおらず、シンクの気持ちは晴れないばかりか曇っていくばかりだ。

「うーん、だめだだめだ! すぱっと気持ちを切り替えて、また明日から特訓に励まないと!」

 桶にお湯を溜め、おもいきり頭から被る。気分はやや晴れたが、それでも、どうしても今日の負け戦が頭の中を何度も駆け回る。
 あのときああすれば、とか、もしかしたらこう動いてたら違ったんじゃないか、など、そんなもしもの話だけが空回りして悶々としてしまう。
 いかに前向きな少年とはいえ、さすがに負けた直後にすぐに立ち直れるほど人間はできていない。その若さ故に、何度も自分の失敗を頭の中で反芻し、その度に落ち込んでしまう。完全な悪循環であった。

「はぁ……姫様、ガッカリしただろうなあ。エクレやリコにも心配かけちゃったみたいだし……もっとしっかりしないと」

 少女たちの懸念通り、シンクはしっかりと自分に向けられた視線の意味を見透かしていた。
 それもそのはずである。その、同情とも慰めともとれない視線を、彼は何度も浴び続けてきたのだから。
 だから、その視線に温かみがあることを知っていても、どうしても自分の中で折り合いがつけられない。かといって相手に告げるわけにもいかず、こうやって溜め込むしかないのである。

「地球なら、負けた後はベッキーとカラオケに行っておもいっきり発散したりしてたけど……こっちじゃどうしよう。ガウルに頼んで勝負して貰おうかな。閣下に言われたことも早速試したいし……」

 などと考えながらそろそろ湯に戻ろうかと腰を上げたとき、ふと入り口に人の気配がしてシンクは自然とそちらに顔を向けた。
 見れば引き戸の影にうっすらと人の形のようなものが見える。
 誰だろう、ロランさんかな?と思いつつ、ようやくこの広々とした場所を独占していた罪悪感のようなものを払拭できるとほっとした気持ちでシンクは新たな入浴客に声をかける。

「どうぞー! 今なら僕一人だけですから広くて気持ちいいですよー!」

 その声に反応したのか、何故か扉の向こうでまごまごとしていた影は、意を決したように引き戸を開いた。
 カラカラと小さく音がして、湯煙の向こうから現れた姿は、シンクの予想以上に随分と小柄で、華奢で、それでいて、知った顔だった。

「――え?」

 そしてそれは、多分、この場所に来るはずのない人物……のはずだ。
 いまいちシンクの中で自信が持てないのは、その遭遇するはずのない相手に、同じ場所で出会ったことがあるからである。それも2度も。

「ひっ、ひ、ひひひ姫様――っ!?」
「し、シーッ、ですシンク! 他の人に聞かれちゃいますっ」

 不自然に慌てた様子で口元に指を当てる仕草をとるミルヒだが、シンクはシンクでそれどころではなかった。まず真っ先に腰にタオルを巻いているのを確認し、それからくるりと突然の訪問者に向けて背を向ける。

「ごっ、ごごごごめんなさいっ!? ぼ、僕また間違えちゃってましたっ!?」

 過去の罪が不要にシンクを疑心暗鬼にさせていた。
 何故か姿の見えない相手にぺこぺこと頭を下げ続けるシンクに、ミルヒは――バスタオルを巻いただけの姿の少女は、頬を赤らめたまま、その様子におかしそうにくすくすと微笑む。

「大丈夫ですよ、シンク。今日は間違っていませんし、私も……間違って来たたわけじゃ、ありませんから」
「えっ、え? あの、姫様? それってどーいう……?」

 もう頭の中がゴチャゴチャでわけがわからず疑問符を浮かべるだけのシンクに、更なる衝撃が舞い降りる。

「姫様~、勇者様いたでありますか~?」

 後ろを向いていても、遠くからやってくるそののんびりとした声は聞き間違えるハズもない。

「リ、リコ!?」
「あ、勇者様っ!」

 あろうことか、その声はぱたぱたという足音と共にこちらに近寄ってきている。シンクは咄嗟に左右を見渡すが、当然逃げ場所があるはずもなく――。

「えへへ、勇者、お背中流しにきたのでありますよー」

 声が聞こえるや否や、何やら布の感触が背中にぴったりと押し付けられて、シンクは思わず振り返ってしまった。
 背中を見れば、にこにこと楽しそうに笑うリコッタがご機嫌に尻尾をふりながら、上目遣いにこちらを見つめている。
 視線が合い、苦笑いを返すしかない。
 ここにきても少年の脳は現状の展開にまったくついていけていなかった。当たり前の話だが。
 だが彼が落ち着くよりも早く、最後の爆弾が投下されることになる。
 茫然自失の勇者へのトドメは、まだ別に用意されていたのだ。

「ほら、エクレも早く」
「い、いえ、やはり私は……」

 遠くでくぐもったように微れて聞こえる声に、シンクの肌が総毛立ち、思わず戦慄する。

「早くしないと、誰かが来て見られちゃいますよ? ほらほら」
「ひ、姫様っ――!」

 なんだか泣きそうな声でミルヒから引っ張られてきた第三の客に、今度こそシンクは目の前が信じられず、倒れそうになる。

「エ、エクレぇえ――!?」
「ばっ、馬鹿っ、見るなアホ勇者!」

 顔から火がでそうなほど真っ赤に染めながら羞恥に叫ぶ少女の、バスタオルからのぞく透き通るような真っ白な肌に、シンクの目はすっかり奪われてしまっていた。
 見られていることを意識したエクレが赤面のままそっぽを向いたその反対側で、ミルヒはくすくすと口元に手をあてて微笑んでおり、自分の背中には相変わらずリコッタがくっついていて――

「ええっと……どういうこと?」

 状況は依然として不明なまま、ぽつりと漏れた勇者の呟きだけが、響き渡るように浴場にこだまするのだった。





<続く>






後書き:
来年に続く!
皆様、良いお年を。



[30961] 姫様と姫始め(シンク×ミルヒ)
Name: M9◆6baee381 ID:a6f3365c
Date: 2012/01/02 16:18
 ビスコッティ共和国は今、新年を祝うお祭りで大賑わいであった。
 たまたまその時期に召喚された――勿論、この祝いを少年と同伴したい召喚主の意向で、契約期間を計算し尽くした上での召喚であることは言うまでもない――異世界の少年、シンク・イズミは国中にただよういつもとは違う空気に、戸惑いながらも新鮮さを感じていた。
 当然ともいうべきか、少年の世界とこのフロニャルドでは暦の刻み方がまったく異なるため、彼の世界では現在元旦でも何でもない残暑を過ぎた季節である。

「正月気分を二度も味わえるなんて、なんだか得した気分だなあ。ベッキーも連れてこればよかった」

 やや鼻歌気分でシンクが城内の廊下を進んでいると、前方からこちらに気付き、大振りで手を振りながら駆け寄ってくる可愛らしい姿に目を留める。

「姫様!」
「シンク。此度の祝祭、楽しんでくれていますか?」
「うん! 僕の世界とは正月の過ごし方も色々と違ってて、すっごく楽しいよ!」

 満面の笑顔で頷く少年に、ドキリとしながらも少女、ミルヒオーレは「よかった」と両手を合わせて喜んだ。
 この笑顔が見たくて、送還から再召喚まである程度の時期を空けなくてはならないという条件を見越し、少年を召喚したいのを数ヶ月も我慢していたのだ。
 その努力が今こそ報われた気分であり、同時に待っていた期間燻っていた自分の中の何かが、抑えきれないほどに昂ぶっているのを感じ、無意識にもぞもぞと身をゆすってしまう。

「? どうしたの、姫様」
「い、いえ! 何でもありません! と、ところで私、シンクの世界の、そのオショーガツ……というもののお話、聞きたいです」

 何故か顔を赤らめて両手をぱたぱた振る姫に首を傾げつつも、シンクは自分の世界での年明けについて花を咲かせる。イギリスでのお正月はお土産話としてはいささか華に欠けるので、自分が体験した日本の正月についてを語ることにした。
 新年を迎える準備のための大晦日。細く長く生きられますようにという願掛けをこめて食べる特別なお蕎麦のこと、除夜の鐘で一年の煩悩を祓うこと、新年にかける挨拶のこと、初詣のこと――
 そのどれもが少女にとっては珍しく貴重な話ばかりで、同時に『除夜の鐘』という話を聞いた時にはシンクといつまでも寄り添いたいという欲望を抱えたまま年を迎えてしまった自分になんとなく恥ずかしくもあり、ミルヒは複雑な気持ちで異世界の行事について耳を傾けていたが、彼の話を聞いている度に、ふと小さな違和感を感じるようになっていた。

「姫様?」

 表情に出ていたのか、シンクが話を中断し、ミルヒの顔を覗きこむ。少女はわたわたと少しだけ距離をとりながら、その違和感の正体を口にした。

「あの、シンク。私、オショーガツのこと……前に古い本で読んだことがあるような気がします」

 随分昔の話なので記憶もあやふやだが、彼の話に出てくる単語の中で、既知感のようなものが幾つか存在することに気付いたのだ。オセチやコマなど、この世界にはない単語だが、確かに耳にした覚えがある。

「あ、そっか。フロニャルドには何回か地球から召喚された勇者がいたんだっけ。それなら……」
「そうですね。この世界に留まり、自伝のようなものを残していてもおかしくないのかもしれません」

 あちらの世界……すなわち地球にはフロニャルドのことは一切知られていないのに、この世界では異世界である地球の記憶が確かに残されている。
シンクにとって、それは何だか不思議な話だった。地球では当たり前の知識が、ここでは全て革新的な情報になりうるのだ。
 そうであれば、何の変哲もないただの学生である自分でも、この世界の文化に貢献できるかもしれない。
 そう思うと無性にワクワクしてきて、シンクは身を乗り出してミルヒに申し出た。

「ね、姫様。もし、その姫様が読んだ本のことで思い出せることがあったら、なんでも聞いてよ。姫様が分からなかった単語の意味とか、書いてなかったこととか、もしかしたら教えてあげられるかもしれない」
「あ、確かにそうかもですね! えっと、えーっと……」

 宙に視線を泳がせながら、うーんうーんと必死に思い出そうとする仕草をとるミルヒがなんだか可愛らしくて、シンクがにこにこと彼女の思案を見守っていると、

「あ、そうです! 思い出しました!」

 ふいに閃いたように少女がシンクに向き直り、純粋無垢な表情で幼少の頃からの疑問をぶつけてきた。

「シンク、ヒメハジメってなんですか?」






「姫始め?」
「はい。ヒメ……という共通の言葉があったので、ずっと引っかかっていたことを思い出せました。シンク、知ってますか? 確か、新年に行う行事の一つ……だったように記憶しています」

 うーんと今度は少年が顎に指を当てて天井を見上げた。
 その単語自体は聞いたことがあるが、どういう意味だったかは微妙にあやふやだ。確か日本の文化だったことは間違いないが、少年は元がイギリス生まれであり、父親が日本人だが、その単語を父から聞いたことはない。
 記憶の棚をひっくり返し、なんとか同じスクールだった日本人の友達から聞いた話を思い出し、そのままミルヒに伝える。彼女はぱちくりと瞬きを一つすると「不思議な風習ですね」と感心したように呟いた。

「僕も聞いた話だから、正確には自信がないんだけど……」
「でもそれくらいだったら、このフロニャルドでも行えそうですよね」

 姫様の何気ない発言に、そうだなあとシンクは同意する。コマ回しや書初めなどは道具が用意できないため不可能だが、これならばこの世界にあるもので代用が効きそうだ。
 ちょうど、そのために必要なものは、このお城に揃っている。
 ――となれば。

「……やってみます?」
「やってみましょう」

 好奇心旺盛な少年と少女は、顔を見合わせて互いに笑いあった。






「あ、いたいた。お~い、ユッキー!」
「およ? 勇者殿に姫様ではござらんか。拙者に何か御用でござるか?」

 年に一度のお祭りということでお城にお泊りでお呼ばれされていたユキカゼを城の中庭で発見し、二人は元気に駆け寄った。いつもの忍装束と忍んでいない立派な胸を携えて、団子をもぐもぐしながらユキカゼが振り返る。

「ユッキー、もしよかったらでいいんだけど、換えの着物と帯、あれば貸してくれないかな?」
「……? はあ、それはまあ別にかまわんでござるが……勇者殿が着るのでござるか?」

 なんでだよ、と突っ込むシンクの隣で、笑顔のミルヒがこれまた無邪気に笑って言う。

「実はシンクとヒメハジメを試そうかと思いまして」
「ぶぅーっ!」

 衝撃的な姫のご乱心に思わず口の中の団子と唾液が混ざり合った何かが一気にシンクに噴射される。ぬわあ!と顔に手をあてて叫ぶシンク。

「きゃあっ!? シンクー!? 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫でござらんのは姫様にござるよっ! げほっげほっ」

 思いのほか喉にダメージがきていて咳き込むユキカゼを心配しながらも、ミルヒはとりだしたハンカチで丁寧にシンクの顔を拭いてあげつつ、やや眉をしかめてユキカゼに問う。

「どういう意味でしょうか? ユキカゼ」
「いやあ、それはその……」

 真正面から訊ねられ、思わず目をそらすユキカゼに、姫にされるがままのシンクが小首を傾げる。

「ユッキー、姫始めのこと知ってるの?」
「えっと……まぁ……」

 普段は清廉潔白だと思っていた少年の言葉から飛び出すトンデモワードに、恥ずかしげにごにょごにょと言葉を濁すウブな忍者。

「拙者、ここよりひんがしの国から流れた者でござるから……その異世界の言葉は、元々拙者の生まれ故郷の地方に残っていた言葉にござる」
「まあ、そうなんですか」

 奇妙な偶然に喜ばしそうに微笑むミルヒに、ユキカゼはやたらとあわあわと目を回して慌てている。普段はマイペースな態度を崩さない少女の意外な素顔に、シンクは流石に不自然さを感じていた。

「どうしたの、ユッキー」
「ゆ、ゆうしゃどのぉ」

 何故か泣きそうな声を出しながら、ユキカゼがシンクに擦り寄り、そっと耳元で囁いてくる。

「ど、どういうことでござるか勇者殿! 姫様にそのような言葉を教えたのは勇者殿でござろう!?」
「う、うん、ていうか姫様が昔読んだ本に書いてたらしいんだけど……せっかくだから試してみようってことになって」

 なんだかよく分からないが、ユキカゼに合わせて自分も小声になるシンク。やや蚊帳の外になったミルヒは二人の内緒話に首をひねるばかりだ。

「せ、せっかくだからって! そ、そのような大胆な……ひ、姫様のことも考えてあげてくだされ! 二人とも経験浅はかな身の上、ここはじっくりと齢を重ね、もう少し大人になってからですな――」

 何故か必死に説得を試みるユキカゼに、合点が言った様子で、勇者は頷いた。それから心配かけまいと努めて笑顔で少女に笑いかける。

「ああ、大丈夫。僕も姫様も、もう何度か経験したことあるし」
「っ!?」

 ボッと噴火した火山のようにユキカゼの顔が一瞬にして真っ赤に染まった。新手の忍術かと思ったシンクだが、次の瞬間には恥ずかしさに耐え切れなくったユキカゼが身を翻し、全力ダッシュで二人から遠ざかるように駆け抜けていく。

「ユッキー!?」
「うわあああああああん! 勇者殿と、勇者殿と姫様が拙者より早く大人の階段をおぉおぉぉぉぉぉぉおおぉ」

 ドップラー効果のようなものを残して消えていく忍ばない忍者に、呆然とするしかない勇者と姫君。

「な、なんだったんでしょうか……」
「……さあ」

 ていうかユッキー、着物……と呟くが、もはや全てが後の祭りである。
 ぽかんと口を開いて呆然としていた二人だが、ここで立っていても仕方がない。シンクは後ろ頭をかきながら、気を取り直すようにしてミルヒと向かい合った。

「うーん、せめて気分だけはと思って姫様に着物を着てもらおうと思ったんだけど……こうなったらしょうがないか。そのまま乗ろう、姫様」
「そうですね。でも私、久しぶりにシンクとの相乗りですから……このままでも、なんだかドキドキしちゃいます」
「ひ、姫様……。うん、僕も……かな」
「一緒ですね」

 えへへと照れくさそうに笑うミルヒの言葉に、シンクも頬を赤らめて目をそらす。
 ユキカゼの涙をよそに、二人は彼女が考えている以上に純心であり、それでいて初心であった。






 ――姫始め。
 その言葉には実は諸説あると言われている。
 一番世間一般的に浸透しているのは『秘め始め』であり、夫婦が初めて秘め事を行う日……転じて、いわゆる性行為を意味するものであるとされている説。
 あるいは『飛馬始め』といい、初めて馬に乗る日とされている説。
 他にも『火水始め』やら『女伎始め』やら、姫始めにまつわる諸説伝承は地球においても明確に定まっているわけではない。ましてや異世界に過去の勇者が残しただけの単語である。
 複数の意味を持つだけに、失われた自伝や伝書が口頭で伝承されていく度に噂のように分岐したり尾びれがついたりして、このフロニャルドでは地方によってその意味が異なる解釈として残ってしまっていた。
 種明かしをすれば単純なお話である。
 ユキカゼの地方に伝わる姫始めが前者にあたり、シンクがミルヒに伝えた内容が後者にあたるというわけだ。

「それじゃあ、姫様。行くよー! しっかりつかまっててくださいね!」
「はい、シンク!」
「ようし。飛ぶよ、ハーラン!」

 気持ちよさそうな騎乗鳥の鳴き声と共に、二人を乗せた翼が空を舞う。
 その遊覧飛行の果てには、撒き散らされた誤解の種によって怒髪天となって待ち構える鬼より怖い親衛隊長やメイド隊隊長の姿があったりするのだが――。
 今の二人はそんなことを知る由もなく、清々しい新年の空気を楽しんでいた。

「シンク!」
「なに?」
「来年も、こうして二人で空を飛べるといいですねー!」
「そうだね! 来年も、再来年も、きっと――!」





END




後書き:
えー、除夜の鐘で煩悩を祓われたばかりだというのに、タイトルに釣られてやってきてしまった欲望まみれの皆様、あけましておめでとうございます。
姫始めは1月2日の行事であるということなので、今回は予定を前倒しでこのような一発ギャグをいれてみましたが、いかがだったでしょうか。
次回はちゃんと勇者超接待の後編となりますので、安心して座してお待ちください。
それでは、本年度もよろしくお願い致します。掲示板レスは次回にまとめて。

では以降、欲望という単語で思い出した仮面ライダーオーズについての筆者の感想をダラダラと続けるだけになりますので、視聴したことない方と16歳くらい未満の方はそっとブラウザをお閉じください。






















              『その欲望、解放しろ』











 月明かりが窓に射し込み、それだけが二人を明確に分ける光と影となる。
 消灯した少女の私室は、広々としているのに不思議なほどに静まり返り、夜の静寂を謳っている。
 世界がまるで、ここだけ切り取られて離されているかのような、そんな錯覚に思わずミルヒオーレはごくりと唾を飲んだ。

「……姫様」

 目の前には、大好きな少年の顔がある。月明かりに照らされて、その愛しい笑顔が影から浮き彫りになっている。
 触れたい、と思ったときには思わず手が伸びていた。

「シンク」
「……うん」

 頬にあたるひんやりとした感触に、シンクはこれが現実なのだと改めて理解した。
 誰もいない部屋。暗がりの寝台。横たわる大好きな女の子。
 それに、覆いかぶさっている、自分。
 それはひどく非現実的で、なのに、どこまでもリアルに自分の眼前に広がっている。
 勢い余ったせいか、少女の寝巻きが若干乱れ、首筋からうなじ、肩の辺りが半分むき出しになってしまっている。白く、透き通るような肌は、いつ見ても綺麗で、何度見ても慣れることができない。
 何度見ても、歯止めが効かなくなる。
 ミルヒの手が、頬から、伝っていくようにシンクの後ろ髪まで伸びた。わずかに力を込められる。それは何かを押すほどの力は決してない。けれど、それが合図だと言わんばかりに、少年は導かれるまま少女の顔に寄せ、そっとその可愛らしい唇に自分の唇を合わせた。
 どちらともなく互いの瞼が閉じ、少女の空いた手に、手探りで探し当てた自分の手を重ねてみる。躊躇は一瞬。すぐに彼女は、少年の指を愛おしむように握りこんできた。だから安心して、シンクも唇の感触に意識を集中させる。
 触れて、なぞって、吸って、絡ませる。たまに角度を変えて呼吸を整えながら、また同じことの繰り返し。二人はその行為だけでしか自身の存在を図れぬかのように、唇だけでできることを全て実践しようと何度も口づけを続けた。
 お互いを行き来する小さな糸さえも惜しむように、それら全てを舌で絡めとる。二人が口を離した時、そこに繋がる何かがあれば、止めるタイミングを逸してしまうからだ。
 淫靡ともとれる軽い音を最後に、二人の顔が自然と離れていく。シンクが目をあけたとき、ちょうど少女の瞼がのろのろと力なく開いていく最中だった。
 ミルヒの瞳は潤み、熱を帯びて、ただまっすぐに目の前の少年を見つめていた。とろんとした甘ったるい瞳は、シンクの小さな情欲をかき回す。
 頭に添えられていたミルヒの手は、いつのまにか離れ、今はくたりと白いシーツにその身を預けている。
 呼吸に上下する華奢な体も、うっとりとした目で見つめてくる彼女の表情も、時折ぴくぴくと動く獣耳も、全てがシンクにとって愛おしい。
 いつもはまとまっているミルヒの長い髪も、今は少女の背に無造作に広がっている。その乱れた姿は普段見れない新鮮なもので、シンクは繋がっている手とは逆の手で、少女の髪をすくい、さらりと流した。

「やっぱり姫様の髪……ふかふかで気持ちいい」
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいです」
「もっと触ってていい?」
「いいですけど……」

 それだけ言うと、少女は恥ずかしそうに少年から視線をそらし、わずかに目を伏せた。

「できれば……今夜は。髪だけじゃなくて、もっと、全部……愛してもらいたいです」

 そう言ってわずかに身じろぎする少女の行為は、少年の何かを破壊するには十分すぎるほどの威力だった。
 髪をこぼしていた手をそのまま顔の線にそって滑らせ、ミルヒのほっそりとした顎に到達すると、その先端を折り曲げた指と指の間で挟み込み、やや強引に上に傾けさせた。優しく力押しで、俯く少女をこちらに向かせる。

「あ……」

 彼女の瞳に、期待の色が混じる。
 それに答えるように、少年はただ、静かに微笑んだ。






「――なんてなんてなんて! 若い二人はその有り余る欲情をぶつけあいながらもしっぽりと夜が更けていくのでござるよ! 拙者をおいて、拙者をおいてかような淫行に走るなど! うわああああん! お館さまぁー! 土地神の端くれとして、拙者、情けのうござるぅう! 拙者だって拙者だって、できれば勇者殿と姫様のおこぼれを――」
「……ユキカゼ。まさかそのような妄想をおもいっきり口に出しながら城から里まで舞い戻ったわけではござらんよな……?」

 帰るや否やわんわん泣きながら胸においすがる少女を前に、自由騎士はどうしたものかとぼんやりと空を眺めた。
 その上空を、楽しげに横切って行く一つの影を目にしながら。








後書きの後書き:
ハッピィバースディ!! 2012年!!!
どこまでがセーフで板を移動しないですむのか迷った。


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